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猛スピードで母は
長嶋 有
目 次
サイドカーに犬
猛スピードで母は
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サイドカーに犬
数年ぶりに弟に会う。弟は、高校を卒業するとすぐに先輩を頼って上京した。バンドを組むといっていたのが、どこをどうしたか、売れないアイドル歌手グループのマネージャーになった。それも最近やめたと聞いている。
しばらくアメリカを旅行していたのだが、広いアメリカのどこにいて、なにをしていたのかは分からない。
会いに行く途中でのど飴を買うためにコンビニに入ったら、麦チョコをみつけた。
ボーロとか麩《ふ》菓子とか、昔の素朴なお菓子が特にコーナーを設けられて売られている。その「リバイバル」の中に麦チョコがあった。思わず買ってしまった。
コンビニを出るとすぐに袋を開けた。手のひらにあけるときのさらさらとした感触に懐かしさがこみ上げた。一口だけ頬張ると、袋を折って母からの借り物のハンドバッグにつめた。これから会う弟へのおみやげにしよう。麦チョコといえば小学四年の夏休みである。弟も忘れてないだろう。
小四の夏休みは母の家出で幕をあけた。
「家を出た」と思うようになったのは、母が帰ってきてからだ。出たときは「母が帰ってこない」とだけ思っていた。
父は「そのうちに帰ってくるよ」と放し飼いの猫かなにかのようにしかいわなかった。その言葉を頭から信じたわけではなかったが、なぜか私はあまり不安を感じなかった。
普段から父と母は喧嘩ばかりしていた。特に夏休みの始まる少し前に父が仕事をやめてからは毎晩のように口論を繰り広げた。二人が喧嘩すると襖《ふすま》一枚隔てた和室の布団の上で、私は何度も寝返りをうった。蒸し暑さが一段と増すように感じられた。お腹がしくしくと痛くなることもあった。かといってそれを訴えられるムードではなく、私はタオルケットをかぶりなおしてうずくまるしかなかった。
喧嘩の翌朝は父も母も無口で、お互いに少し勝ち誇ったような顔をしていた。そして二人とも、いつもよりがつがつと御飯を食べた。喧嘩とは腹が減るものなのだと私は感じた。
母が家にいないのなら、少なくとも夫婦喧嘩でストレスを感じることはなくなる(ストレスなんて言葉はそのころ知らなかったが)。そう思い、晴れ晴れとした気持ちが不安を上回ってしまったのかもしれない。
いや、まったく不安を感じなかったはずはない。はじめの数日間は、冷蔵庫をあけるときだけ心細さを感じた。食べ物はどんどん減るか腐るかして、食べられるのはチーズぐらいしかなかった。私と弟はスライスチーズのフィルムをはがしてそのまま食べた。
父は仕事をやめたというのに、出前を頼んだり外食に連れ出したり、ずいぶん羽振りが良かった。
洋子さんが現れたのは七月の終わりだった。
夕方、知らない女がやってきた。弟は出かけていて私は一人だった。女は呼び鈴を鳴らさなかった。ドアががたんと開いたとき、私は居間で膨らませた風船にマジックで絵を描いていた。それをしぼませると、描いた絵がものすごく細密になる。何度みても不思議で、小さい頃から飽きずに試していた。私は描きかけの風船を手に持ったまま玄関にいった。
女は背がすらりと高かった。片手になにか黒い円筒形のものをもっている。
なんだろうと思っていると、女はいかりや長介みたいに(筒を持っていない方の)片手をあげてみせた。それからずかずか、という感じで家にあがりこんだ。そしていきなり冷蔵庫をあけた。私は怯《ひる》んだ。怯んで、女を見上げた。
しゃがみながら中をひとしきり物色すると女は
「なるほど」といって立ち上がった。警戒した目つきの私をみて
「私、今日から晩御飯つくるから。買い物付き合ってくれる」といった。女が手に持っているのは警棒のようだった。女もまた、私が手に持った風船を一瞥《いちべつ》した。
女は「ようこ」と名乗った。普通、自分を紹介するときは名字を名乗るものだと思っていたので、いきなり「ようこ」といわれてずいぶん衝撃を受けた。女は表にでた。私は風船を居間に放ってあとにつづいた。
アパートの脇には銀色の大きな自転車が停められていた。ドロップハンドルの高価そうな車体だった。あまり女の人が乗っているのをみたことはないような、スポーツタイプのデザインだ。
洋子さんがもっている棒は、懐中電灯だった。黒くて長い懐中電灯を自転車の前輪の脇に取り付けた。ハンドルの前に小物入れがついていて、ねじ回しが入れてあるらしい。とりつける手つきも慣れている。
「これ高いんだ、ドイツ製。電池内蔵なの」洋子さんは友達にしゃべっているみたいな口調だった。
「いちいち外しておかないと、すぐ盗まれるから」と洋子さんはいった。
盗む人なんているのかな、と私は思った。その考えを見透かしたように洋子さんは
「前なんか、自転車のサドルだけ盗《と》られたんだよ、変だよね」といって笑った。
「サドルだけ盗られて、どうしたの」初対面なのに、気安く尋ねる言葉が出てきたので自分でも少し驚いた。
「隣に停めてあった自転車のサドルを盗んで、取り付けて帰った」と洋子さんは簡単にいった。
それから自転車にまたがると、すうっと走らせた。自転車はアパートの入口を出て、道を曲がっていってしまった。
じゃあ、そのサドルを盗られた人はどうしたんだろうと思いながら走ってついていくと、洋子さんは角のところで待っていた。私が追いつくと、それからは私の歩くペースに合わせてゆっくりと漕いだ。
洋子さんは、暑いね、とか、何食べたい、とかいろいろしゃべったが、私は生返事で、サドルのない自転車というものについて考えていた。視線も洋子さんではなく、洋子さんのまたがるサドルにばかり向けていた。
世の中のみんなが洋子さんのようにしていったら。みんなはサドルのない状態をリレーしていくのだ。考えると怖いような面白いような気持ちになった。怖いのは、人のものを盗んでいるからだ。私はサドルを盗まれても、我慢して立ち漕ぎするか、あるいは押して帰るような気がする。目の前にいる洋子さんという人はためらわない。私はリレーに加われない。
私は洋子さんを「れいんぼう」に案内した。店内に入ると
「なんかボーリング場みたい」洋子さんは鼻をならすようにしていった。
「ボーリング場だったって」と私は控えめにいってみた。
れいんぼうは、もともとは「れいんぼうる」というボーリング場だったらしい。私が物心ついた頃には既にボーリングブームは去り、全国に建てられたボーリング場も相次いで閉鎖された。
その建物を改造して造られたスーパーマーケットがれいんぼうだ。父がそう教えてくれた。だから、建物はだだっ広くて二階がない。看板は「る」の字を取り除いただけだった。
私はボーリング場にいったことはなかったから、ぴんと来なかったが、洋子さんは面白がって
「ここは昔はレーンだったんだね」と店内の通路をみながらいった。
「レーンって?」というと洋子さんは知らないの、と笑った。それからかつてはレーンだったという通路をカートを押しながら上機嫌で歩いた。
歩いているうちに、昔このへんは海でした、と社会科の先生にいわれた瞬間のような気持ちになってきた。
今思えばそのとき洋子さんは、レーンをすべるように転がる球や、遠くのピンが倒れるときに響く涼しげな音や、閑散としたボーリング場の夜の気配を感じ取っていたのだ。
「ここらへんピンが並んでいたんだな」といいながら、洋子さんは店内を軽やかに移動した。いや、軽やかというよりはいささか「乱暴な運転」という感じに近かった。私たちほどの速度で店内を移動している人は、他にいなかった。
洋子さんは少しも逡巡することなく、手に取った食材はどんどん買い物カゴに放り込んだ。菓子売場にさしかかると洋子さんは振り向いて
「なんかほしいものない」といった。私はどきどきした。
私は何かをねだるのが苦手だった。菓子売場で欲しい物はないかと尋ねられたのは多分、うまれて初めてだったのではないか。ねだり上手の弟がきていればよかったと思った。
やっとのことで、麦チョコを、といった。
そのころ私と弟の間では、なぜか麦チョコがはやっていた。買ってくれた大人たちは気付いていなかったが、当時売られていた麦チョコには「ムギーチョコ」と「ムーギチョコ」の二種類があった。気付いたのは弟だ。
私と弟は、その日買ってきてもらったのがどちらの銘柄であるかを確認して、よりおいしい方を見極めようと必死だった。
ポッキーだって今のように多様化しておらず、赤い箱のしかないような時代だから、同じ商品が二種類の名前で売られていることが、子供にはちょっとした驚きだったのだ。
菓子というと弟は麦チョコばかりせがんだので、大人たちは不思議だっただろう。
一時に「ムギー」と「ムーギ」二種類を同時に買って、食べ較べることが出来ればいいのだが、なぜかそういうことを大人たちに要求はしなかった。
だから前に食べたときの風味を思い出しながら、無心に味わった。頬張っては弟と顔を見合わせた。
「ムーギのほうがうまい」と弟はいった。
「ムギーのほうがおいしいよ」私はいい返した。しかし本当は何度食べても二つの味がどう違うか、まったく分からないのだった。
洋子さんは「これ?」と怪訝な声でいうと麦チョコをどさどさと三、四袋ぐらいいっぺんにカゴにいれた。私はまた少し怖くなった。母はそんな買い方はしなかった。
洋子さんはちゃんとレジでお金を払った。
アパートに戻ると洋子さんは早速料理にとりかかった。どこからか帰ってきた弟が「あの自転車だれの?」と大声でいいながら慌ただしく入ってきた。その少し後に父が帰宅した。父と洋子さんは知り合いのようだった。洋子さんは父にアパートの鍵を返した。四人で食卓を囲み、くつろいだ。私と弟が和室に布団を敷いて「おやすみ」をいう時間になっても帰る気配はなかった。
翌朝、起きると洋子さんは台所に立っていた。テレビでみたアジアの海辺に暮らす子供みたいに指で歯を磨いていた。
口をゆすいで指を洗うと、洋子さんはそのぬれた指で棚の上で埃をかぶっているコーヒーメーカーをさして
「あれ、つかえる?」といった。
「豆がない」というと頷《うなず》いて、昨夜れいんぼうで買ったパンをトースターにいれた。皆で朝御飯を食べると、自転車に乗って帰っていった。
そして夕方になるとまた自転車でやってきた。コーヒー豆と歯ブラシをもってきた。そんなふうにして、毎日来るようになった。
やってくるようになったのは洋子さんだけではなかった。父は男友達を家に呼ぶようになった。
男たちはこたつを囲んであぐらをかいた。夏だからこたつの電熱器は取り外されていて、テーブル代わりに使われていた。居間の隅に斜めに配置されたテレビは、必ずナイター中継にチャンネルが合わされるようになった。
テレビは少し前に父が拾ってきたものだった。当時はもうかなり珍しい白黒で、完全に映るのには二十分かかった。みたい番組があれば前の番組の始まる頃からチャンネルを合わせなければならなかった。一度チャンネルを変えるとまた映像がくっきりするまで二十分かかるから、私と弟にチャンネル争いはなかった。
映像もぼやけ気味で輪郭がずいぶんソフトに映ったから、私は野球選手というのはおしなべて柔和な表情をしている人たちなのだと思っていた。
このころナイター中継に時間延長はなかった。八時五十五分になると食卓がわりに使っていたこたつの天板はひっくりかえされた。
フエルト地の卓上では麻雀牌が度々かき回されたり、積み上げられたりしはじめた。
私と弟はすっかり窮屈になった部屋の隅で深皿に盛られた麦チョコを食べた。皿から手掴みして一気にほおばっても、一つだけつまんでかりりと齧《かじ》っても、どのように食べても麦チョコはおいしかった。
深皿はつい先刻までは晩御飯に使われていたものだった。母はカレー皿に菓子を盛るようなことはしなかった。菓子の時は菓子用の器、総菜には総菜用の器というのが決まっていた。ずっとそういうものだと思っていた。
だから洋子さんが晩御飯のカレー皿を洗って布巾で拭うとすぐそこに麦チョコをざらざら盛ったときは驚いた。
「いいのかな」受け取った私は小声でいった。
「なにが」洋子さんはなにをびくついているのだろうという表情だった。
洋子さんはラーメンの丼にサラダを盛ったり、コーヒーカップにお茶をいれたりした。父はなにもいわなかった。
一度《ひとたび》やぶられると、これまで守っていたルールに守るべき必要性など実はなにもないことに気付いた。そうすると今度は食器に関する母の不文律を不思議に思うようになった。
洋子さんがどこからやってくるのかは分からなかった。普段なにをしている人なのかも知らされなかった。とにかく夕方になるとどこからか自転車で現れ、私たちの晩御飯を作り、父たちが麻雀を始めると台所にいって文庫をめくった。
はじめ男たちの煙草の煙を避けているのかと思ったが、洋子さんも台所で負けないぐらいの勢いで吸っている。台所のガスコンロは古くいかれていたので、点火用に大きなマッチ箱が置かれていた。その箱を手元に引き寄せて使っていた。煙草に火がつくと、マッチ棒は軽く振ってシンクに放り投げていた。換気扇は夜通し回しっぱなしだった。
台所には小さなテーブルが調理台代わりに置かれていたが、その上は調味料立てやら未整理の食器やら滅多に使わないジューサーなどで埋まっていた。洋子さんはそれらを強引に端に寄せてスペースを作った。自分のコーヒーカップと灰皿をおいて、背もたれのない丸いスチール椅子に座るのが洋子さんの読書スタイルだった。
蛍光灯の明かりの下で読書する洋子さんは眉間に皺がよっていた。とても不機嫌そうにみえるが、呼びかけるといつでも明るい声で
「エサ?」
といった。それから立ち上がって、冷蔵庫から袋入りの麦チョコを取り出してもってきた。洋子さんは床に置かれた皿にかがみこんで麦チョコを足した。
麦チョコの落ちて皿にあたる音はさらさら、かちかちとして、それはドッグフードを思わせた。自分が飼われているような感じがした。それで弟と顔を見合わせたまま笑った。私も弟も座っていたから、麦チョコは本当に犬の餌のようにみえた。
男たちがやってくるようになる以前から、私も弟も部屋では座ってばかりいた。アパートは狭いだけでなく天井が低かった。しかも天井から吊した電灯のコードが妙に長かった。だからちょっと棒かなにかをもって走り回ったりするうちにひっかけて電球やカサを割ってしまった。何度か怒られているうちに室内では座っていることが多くなっていったのだ。
電球が割れて怒ったのは母だ。母は帰ってくる気配がないから、少しぐらい立ったり騒いだりしてもいいはずだった。それでも弟と喧嘩するとき以外はおとなしくしていた。自分が犬のようだという想像は屈辱的であるどころか、私を楽しい気持ちにさせた。
弟は私と違ってじっとしていられなかった。しかし男たちの方に寄っていくと、そのとき勝っていて機嫌のよい誰かが麻雀のルールを教えてくれたり、ビールを飲ませようとしたりしてかまってくれたから、弟も退屈はしていなかった。
私は折り込みチラシの裏に絵を描いたり、何度もめくってくたくたになった少女漫画雑誌を読み返したりしていた。
男たちは麻雀のジャラジャラの合間合間に声を上げて笑い、ときおり「洋子ちゃん」と呼び立てた。ビールをもってきてもらったり、コーヒーのおかわりをいれてもらったり、蚊取りマットを投げてもらったりした。呼ばれた洋子さんは特に嫌な顔もせずに、ぱっぱっとそれらの頼まれ事を片づけてしまった。
男たちは皆威張っていたが洋子さんは平気だった。かいがいしいという風でもなく、怯えているのでもなかった。用事をきいている洋子さんが一番偉いようにさえみえた。それはつまり男たちも洋子さんに飼われているようにみえたということだ。
煙草のおつかいを頼まれると洋子さんは
「自分でいきなよお」などといいながらもすぐに財布を受け取って
「薫ちゃんもいかない?」といって私を外に連れ出した。子供は起きて歩いてはいけない時間だった。弟は、店の閉まっている時間にはなにもおねだりできないと知っていて付いてこなかった。
洋子さんは、居間の様子をみて私が退屈しているか、寂しさを感じているのではないかと案じたのかもしれない。
アパート前に停めてあるドイツ製のライトが自慢の自転車の方に歩きかけて、立ち止まると
「やっぱり歩こうか」といった。私はどちらでもよかったが、洋子さんはここでも私を気づかっている風にみえた。
先を歩きだした洋子さんは振り向いて
「ねえ。薫ちゃんのこと、薫って呼び捨てにしていい」と尋ねた。
洋子さんが振り向くたびに私は男の子のようにうろたえた。……今でもそうだが、私は美人をみるとどきどきする。
背が高くて麻雀の男たちからは「大女」などとからかわれていたが、本人は気にしてなかったし、大きいという感じではなかった。すっきりした顔立ちに短髪が似合っていた。
私が頷くと、洋子さんはずるそうに笑った。そして自動販売機の前で立ち止まるとコーラを奢《おご》ってくれた。コーラは母に禁止されていた。
「こんなに飲めない」
「のこり飲んであげる」コーラもそうだが、道端で飲み食いすることも禁じられていた。一度にいくつものタブーをやぶることになり、おっかなびっくりプルリングに指をかけた。なかなかあけることが出来ない。洋子さんは私から缶をうけとると、長い爪をこじ入れて簡単にプルリングを起こした。
再び手渡された缶からプルリングを取り除いた。リングはめくれるときにちりり、とかすかに音をたてた。
恐る恐る飲んでみると強い炭酸が胸につかえた。
「コーラって、歯を溶かすんだってさ」
「……学校でいわれた」
「私も中学生の時いわれた」と洋子さんはいった。私は半分以上中身の残っている缶を洋子さんに手渡した。くるんと反り返ったプルリングだけが私の手元にのこった。洋子さんはあおるようにして残りを飲み干してしまった。
「ねえ、じゃあ石油はあと何十年でなくなるって教わってる?」
「三十年」
「私も三十年って教わった」あれえ、へんだね、と洋子さんはいって笑った。笑ってげっぷをした。
洋子さんのげっぷはだれもいない夜道に大きく響いた。
すごい。そう思ったら私の口からも大きなげっぷがでて驚いた。プルリングはなんとなく捨てられなくて、アパートに帰るまで持っていた。
それからもしばしば洋子さんは私を夜の散歩に連れだした。
三度目の散歩の時、煙草の自動販売機の手前までくると洋子さんは
「ねえ薫、山口百恵の家、みに行こうよ」と急に思いついたようにいった。
「三浦百恵か、今は。どっちでもいいや」ねえ、いってみようよ、ねえ、と洋子さんは振り向きながら何度もいった。許可を求めるような甘えた口調でいう。私が頷くと洋子さんは
「やったー」と子供みたいにはしゃいだ。
「ここからだとすごく歩くけど、薫眠くない? 自転車とりに戻ろうか」といった。私は自転車の二人乗りが怖かったので「大丈夫」と頷いた。洋子さんはふふふと笑って歩き出した。
私たちのアパートは国立駅の北口のそばにあった。山口百恵の家は南口の、それも歩くとかなりかかるところらしい。
はじめてみる夜の駅前は街灯も明るく、学生風の若者の笑い声がどこからか聞こえてきた。私たち以外にも出歩いている人の気配がした。
山口百恵の家まではまだまだ歩くと洋子さんはいった。少し不安になった。一橋大学通り沿いの商店街はもちろんどの店もシャッターを下ろしていた。洋子さんは手を振って歩いた。手を振って歩く大人なんて、洋子さん以外にみたことがなかった。
多くの子供がそうであるように、私もこのころは他人の年齢を気にしなかった。小さな人は子供で、大きな人は大人だった。しかし洋子さんに関しては、いくつぐらいなのだろうと考えたりした。洋子さんは十代にも二十代にもみえた。三十代といわれたらそれはそれで納得してしまいそうだった。
「なにしろすごい豪邸なんだって」塀の高さがこーんなでね、と洋子さんは手を大きく上にあげてみせた。
「夜近づくと、泥棒と間違われて、レーザー光線で攻撃されるらしいよ」洋子さんはいった。思った以上に私は眠くなってきていた。弟を誘うべきだったと思った。そういってみると
「モモエちゃんが好きだったの?」ませてるね、と洋子さんはいった。
「そうじゃなくて、弟はレーザーが好きだから」スペシウム光線とか、スターウォーズの光る剣とか。
「男だねえ。馬鹿だねえ」呆れるようにいって洋子さんは笑った。
私は光線もモモエちゃんも、どちらにも興味がなかった。洋子さんと歩くのは好きだった。夜歩く洋子さんは子供みたいだ。家にいたときに犬だった私が今度は保護者のようだ。
洋子さんは車道の真ん中を歩いた。月夜に照らされる洋子さんはとても綺麗だった。洋子さんは左右に揺れるように歩きながら、私も聞いたことのある「プレイバックパート2」を歌った。歌詞は、印象的な出だしの部分以外はうろ覚えで、きちんと歌えるのは「ハンドルきるの」とか「ミラーこすったと」という、凄みをきかせる部分だけだった。
サビまで歌い終わるとすっきりしたのか
「プレイバックパート2っていうけどさ。パート1てどんなのかな。薫聞いたことある?」プレイバックっていう回数が少ないだけだったりして、だったら詐欺だねなどとしゃべった。
幅広の大学通りを折れて住宅街に入っても洋子さんは快活なよく通る声でしゃべるので私は気が気でなかった。今にもそこらの家の窓がぱっと明るくなって、母が出てきて(私にとって怒る人はぜんぶ母だった)「うるさいよ」と怒鳴りはしないかと思ったのだ。
母からは電話一本なく、帰ってくる気配はない。
洋子さんを好きになったからといって、そして洋子さんと違って怒ってばかりいるからといって母を嫌いになったりはしなかった。
母がこのまま帰ってこず、永遠に会えないかもしれないと想像して悲しくなることもなかった。あれから父は「少しの間用事があって実家にかえるって」と説明してくれたが、それを鵜呑みにしたわけでもなかった。当然悩むべきことかもしれないのに、しかしなぜだか私も弟も悩まなかった。
一方で洋子さんが何者かということに関しても、やはり私は深く考えなかった。今になって冷静に思い返せば洋子さんは明らかに変な人だ。しかし、なにもいわなかった私たちも変だったのではないか。
「変だった」と思うのはこれも大人になってからだったが、本来ならば、いかに子供とはいってももう少し考えたり悩んだりするものではないか。
一ついえるのは私は昔から一貫して鈍い女だということだ。高校生になったころ、すっかり声変わりしてニキビだらけになった弟が
「あのときの親父の愛人さぁ」という言い方をしたときに、そういえば愛人だったんだな洋子さんは、とやっと洋子さんの存在が私の中で定義づけられた(弟は逆に洋子さんの名前はすっかり忘れてしまっていた)。
ともあれ母と父が同じ部屋に暮らしていたころは息の詰まる生活だったわけだから、母が出て洋子さんがやってきた夏は私にとってとても解放感の強いものであり、洋子さんは解放の象徴だった。
父にとってもそうだったのだろう。家の生活で規律がなくなったのは食器や麻雀だけではなかった。「子供の寝る時間」も「間食禁止」も一度にとっぱらわれてしまった。
父は仕事を辞めた後、友人と新しく商売をはじめるといった。母は理解を示さなかったが父は気にしなかった。
父の始めようとしていた新しい仕事とは中古車の販売業だった。
「カローラとか、そこらへんのダサい車じゃないぞ。スバル360とか、少し前の外車とか、そのへんを狙って売るんだ」子供の私には「狙う」とか「そのへん」というのがよく分からなかった。父が自信ありげなのは見て取ることが出来た。母は聞く耳をもたなかったけど「レトロが新しい」という感覚はたしかにその後さまざまに流行して定着するから、父の考え方は決して的外れではなかったのかもしれない。
だが父が普段乗っていたのはそれこそカローラどころではない、ボロ車ばかりだった。
最初の車は塗装のところどころ剥げ落ちた黄色の軽自動車だった。親子四人乗ると坂道で必ずエンストを起こしそうになった。そうすると父は真顔で「『頑張れ』っていえ!」と私たちに声援を送らせた。私と弟はそうすれば本当に車が頑張ると思った。面白がってシートや窓枠をばしばしと叩いたが、それでもしばしばエンストした。
次の車はテールランプの丸いスカイラインで当時「ケンメリ」といわれていたものだ。これはそんなに昔の車ではなかったが、暴走族があちこち改造を施していた。前からみるとタイヤがハの字形にみえた。エンジン音がものすごく大きかった。弟は気に入っていたが私は乗るとすぐに酔った。これも一年ぐらいで乗り換えられた。
車検の更新にかかる代金よりも中古を乗り換えたほうが安くつくという事情があったらしいのだが、子供の私はそんなことは知らなかった。うちは貧乏だという認識が強かったから、父が簡単に車をかえるたびに身の細るような思いがした。
小四の夏休みのころに乗っていたのは白いワゴン車だった。もともとは土建屋のものだったらしく「沢田組」という文字と電話番号が車体にゴシック体で記してあった。
ワゴン車の後部には大きな金庫があった。新しい商売に必要な軍資金や書類が入れてあるのだと父はいった。金庫には古い毛布がかけられていた。絶対にさわるなと父は強い口調でいった。
父はその車で毎日のようにどこかへ出かけた。洋子さんと二人で出かけることもあった。なにをしていたのか分からないが、勤めていたころのように疲れた様子で帰ってきたことは一度もなかった。
父は現実逃避していたのだろう。私は子供だったから「逃避」という概念を知らなかった。学校からもらった「小四のドリル」や宿題のプリント類は夏休みが始まると同時に押入の奥にしまってそのままにしておいたが、それは毎夏のことだった。
山口百恵の家はひっそりと静まり返っていた。私は実はレーザー光線のことが少し心配だったのだが、洋子さんはそんなことをいったのも忘れたかのように、ぐんぐん正門に近づいていった。塀もさほど高くなく、庭や家の様子がみえた。
「思ったより大きくないね」と洋子さんはいった。私は山口百恵の家の大きさを事前に想像していなかったから、あいまいに頷いた(後になって戦争映画でトーチカというものをみたときに、このときの山口百恵の家を思い出した)。
「窓が小さい」といってみると
「ほんとうだ、すごく小さいね」と洋子さんは静かに同意した。洋子さんは黒い懐中電灯を取り出し、逆手に持つと扁桃腺をのぞきこむ医者のように庭を照らした。が、すぐに切った。庭には池も芝生もない。しばらく二人とも言葉がつづかなくなった。疲れていたのだ。
「真っ赤なポルシェぐらい停めてあってもいいよね」などと洋子さんはいった。着くまでは歌などうたっていたくせに洋子さんはすぐに家に飽きてしまった。ちぇっとかいいながら
「キヨシローの家もこの町にあるんだって」といった。
今度の散歩のときはキヨシローの家を探そうと洋子さんはいった。キヨシローとは誰だろうと思いながら頷いた。私が塀にもたれているのをみて
「疲れたね」洋子さんはそういうと、私の手を引いて広い通りまで出た。電話ボックスまで歩くと
「そこで寝ていいよ」歩道の縁石に座り込んだ私を見下ろしながら洋子さんはいった。そして電話ボックスに入っていった。
洋子さんにいわれると本当にそうしてよいように思われた。洋子さんが真夜中の道ではいた言葉は他愛ない言葉でもくっきりとした輪郭を伴って響いた。私に向かっていっているようでもあり、独りごちているようでもあった。
電話を終えた洋子さんはまた歌を口ずさんだ。今度は私の知らない歌だ。
いいことばかりは、ありゃしねえ
綺麗な顔で「あーりゃしねえーっ」と頓狂な声音で歌う洋子さんをみあげた。傍らで洋子さんは私を見下ろしながら
「私の脚さわってみる?」といった。
「私の脚かたいよ」というので、脛《すね》のあたりにそっと手を触れてみた。
「ほんとだ」という私の声は自分で思った以上に小さかった。
「毎日乗ってるから、自転車」と笑って、そこで寝ていいよ、と洋子さんはもう一度甘い声で繰り返した。
いわれたとおりに地面に座り込んでうとうととしていると、やがて父があらわれた。
父はいつもの「沢田組」のワゴンではなく、サイドカー付きのバイクに乗ってやってきた。
バイクは父の仕事仲間が最近仕入れてきた売り物だった。普段は近所の空き地に置かれている。人目につかないようにビニールシートで覆ってある。
これを仕入れてきた仕事仲間は、私や弟がいたずらをして傷をつけることを恐れていつもびくびくしていた。父や父の仲間からは「店長」と呼ばれていた。父は皆に「社長」と呼ばれていたが、痩せたTシャツ姿でバイクにまたがる父は社長というよりはチンピラのようだった。
店長は「売り物だから駄目」といっては、バイクに近づいて触りたがる弟を何度も遠ざけていた。
「乗せて」とせがまれても「壊れていて動かないから」などといっていたはずなのに、バイクは重いエンジン音をたてて私と洋子さんの前まできて停まった。
街灯に照らされてバイクはつやつやと輝いていた。
店長はこの日も父と麻雀に興じていた。いまごろ弟になんと弁解しているのだろうか。気弱そうな店長の顔を思い浮かべた。
「大型の免許もってんの」といいながら、洋子さんは父の後ろにまたがった。二人でなにか会話している。
洋子さんはふふっと笑いながらヘルメットをかぶった。私はうとうとのままサイドカーに座らされた。弟は特にこのサイドカーの部分に乗せてもらいたがっていたから、あとでむくれるにちがいない。
三回ぐらいキックに失敗してからエンジンがかかると、低いエンジン音とともに振動が伝わってきた。
それからバイクは真夜中の坂道を下っていった。坂道を下りきると大学通りを進んだ。道はまっすぐだった。はるか先のほうまで見通すことが出来た。遠くまで信号はすべて赤にみえたがバイクは一度も止まらずゆっくりと走った。
国立駅の駅舎の三角屋根が正面にみえる。大学通りは桜並木で有名だ。春になって、真夜中にここをサイドカーで通り過ぎたらずいぶん気持ちいいだろう。
私は昔みた犬を思い出していた。黄色い軽自動車で海に行ったときだ。サイドカーに犬を乗せたバイクが前方を走っていた。犬は行儀よくすわっていた。
私も弟も「いいなあ」といって窓にへばりついてそれをみた。弟はサイドカー付きのバイクがかっこよくて「いいなあ」といったのだろうが、私はサイドカーにすわっているというそのこと自体がうらやましかった。それも、自分が犬で、凜としてサイドカーにすわっているということに憧れるのだった。サイドカーの犬は三角形の置物のようにみえた。
赤信号でバイクが止まると犬は少しだけ首を動かした。私たちの車は坂道で致命的なエンストを起こした。ボンネットから煙が出てきたのだ。父が路肩に寄せると皆いっせいに外に出た。父は煙を手で払いながら忌々しそうにボンネットに近づいた。母はどうするのよ、と咎《とが》めるような口調で呟きながら、ガードレールの向こうの海のある景色を眺めた。私と弟は坂を上っていくバイクをみた。犬はまったく動かずに私たちから遠ざかっていった。私は置いていかれたような気持ちになってバイクを見送った。
こうして自分がサイドカーに乗ってみると、またしても自分が飼われているという想像が頭を埋め尽くした。やはりそれはとても心地のよいものだった。
風が直にあたって気持ちよかった。隣の二人を見上げることができることも、二人のように互いの距離が近くないことも、すべてがよかった。すべての車はこんなふうになればいいのに。
家から歩いて五分ほどの、スクラップだらけの空き地にバイクは停められた。出迎えがいた。店長と弟だった。店長は夏なのに寒そうに身を縮ませながら売り物のバイクをみた。
「山口百恵の家みにいってたってさ」父がいった。
「遠いじゃんか」店長がいった。
「どうだった。いたかモモエちゃん。亭主は?」父はいった。
「レーザー光線で撃たれそうになった」ね、といって洋子さんは私の方を向いた。
父はサイドカーから私を両手で抱え上げ、そのまま家まで歩き始めた。抱っこされて私は恥ずかしくなった。父がそんな父親然としたことをするのは物心がついてから初めてだった。急に目が覚めてしまった。
我々が降りるとすぐさま店長はバイクを空き地の隅に押していってさっさとシートをかぶせた。弟は不満そうな顔で私をみた。
洋子さんは父と並んで歩いた。弟は店長になついているようで、まとわりつきながら歩いた。
「本当? ねえ、レーザーで撃たれそうになったって。ねえ」思った通り、弟は興味|津々《しんしん》で尋ねてきた。
「本当にレーザーが好きなんだね」と洋子さんは笑った。
「男はみんなレーザー光線が好きさ」父がいった。
「ブルーオイスターカルトの来日公演でさ、ボーカルの人の指からさ、レーザーが出たのはびっくりだったなあ」と店長がいった。
洋子さんはレーザー好きがほかに二人もみつかったので呆れた顔をした。
「レーザー光線は精子の象徴なんだよ」と父はいった。(意味が分かってかどうか)弟は
「キカイダーに出てくるビジンダーはおっぱいからレーザーだすよ」といった。
「なにそのビジンダーって」洋子さんはまた笑った。私は、父に抱かれたまま四人が空き地の砂利を踏みしめて歩く音を聞いていた。
「薫だけずるいよ。どっかつれてってもらってさ」弟が急に怒りだしたので今度は弟のいきたいところにつれていくと父はいった。
部屋に戻ると残っていた男たちはまだまだ元気だった。再開されたジャラジャラを聞きながら、居間の奥の和室に敷きっぱなしの布団にもぐりこんだ。目をつぶってみると、この夏休みがずっと終わらないように思われた。
「よう」サングラス姿の弟が人混みの中から突然目の前にあらわれた。私は虚を突かれてあっと声をあげた。あらわれたというよりは出てきたという感じだった。
「なにやってんだよ」弟の方では改札を出る前から私に気付いていたという。
「ずっと片手をあげながら近づいてきたのに」弟はサングラスをずらして私をみた。
「思い出してたから」
「なにを」
私はハンドバッグから途中で買った麦チョコを取り出して、差し出した。
「……ムーギチョコだ」弟は日焼けした顔をほころばせた。
「ムギーだよ」私も笑った。私たちはスターバックスカフェに入った。平日なのにとても混んでいる。
「どこいってたの」
「え。アメリカ」弟は口をにごすような言い方だ。
「アメリカといっても広うござんす」
「ハワイ州」弟は観念した、というような口調だった。
「ハワイならハワイっていいなよ。なにも隠すことないでしょう」
「それはそうだけど」弟のおみやげはマカダミアナッツのチョコレートだった。
「なんだよ、チョコレート交換会かよ、これ」手渡す弟の方がいった。
ハワイなんていうと、いかにも遊んでいたっぽいイメージがあるし、と弟はあわてていった。弁解する弟など、これまであまりみたことがないように思う。
しかし大人になっても弟は弟だ。行動範囲が町内から世界に広がっただけで、子供のころからとにかくほうぼう歩き回っていた。
洋子さんが来てからというもの、大抵起きるのは午後だった。傍らの布団をみると弟はいつでも出かけていた。弟の行き先はいつも分からなかった。聞き質《ただ》そうとしたこともなかった。
「あのころって、なにしてたの」
「あのころって」弟はアイスコーヒーをもうほとんど飲み干して、氷に刺さったストローをずず、といわせている。
「麦チョコのころ。夏休み、起きるといつもいなかったじゃない」
「そうだっけ」
「そうだよ」
「別に。くわがた捕りいったり、駄菓子屋いったり……」六段変速ギアのチャリンコで友達とつるんでいたのだそうだ。
「薫こそ、家でなにしてたの」弟は昔も今も私を呼び捨てにする。私は自分の水の入ったコップを弟の方に差し出した。
「なにも……」なにもしてない。
「なにもってことないだろう」弟は私が思いだそうとしている間に、さっき手渡した麦チョコを取り出して一口頬張った。私は自分のエスプレッソのソーサーも弟に差し出した。弟はそれをテーブルの真ん中に置いて、袋の中身をあけた。私はそれをつまみながら、洋子さんがおらず、弟も父も外出していたときの昼間の自分を思いだそうとした。
起きるとまず、クーラーの電源をいれた。これも父が拾ってきたものだ。
まだクーラーのない家は多かった。電源をつけて十分ぐらい、蝉時雨が聞こえなくなるほどの大きな駆動音とともにクーラーは起動した。父は「クーラー様」と呼んでいたが、様づけが似合うぐらいにゆっくり時間をかけ、厳《おごそ》かに部屋を冷やした。母はこの駆動音を嫌ったが、私はクーラーが大好きだった。
がらんとした居間で考えるのは空腹を満たすことだった。
こたつに食パンが置かれている。パンがないときは四分の一に折られた五百円札が重しがわりのコップの下に置かれていた。台所にいくとカップラーメンも積み上げてある。冷蔵庫にはジャムがある。麦チョコも溶けないように冷蔵庫の扉のところに押し込んである。「ごはんですよ」もある。他にもやたらと瓶詰めが増えた。母は添加物を心配してこういうものは家に置かなかった。しかしもう戸惑わなかった。母と洋子さんのやり方の違いにもすっかり慣れていた。
「パンに『ごはんですよ』が、あうんだって意外と」洋子さんがいった言葉でこれだけは信じなかった。クーラーの冷気の一番強く吹き付ける場所に座布団をもってきて座りながら食事をすませた。
犬歯がぐらぐら抜けそうだった。舌でさわると血と歯の味がする。一本抜けてほっとしていると、またしばらくして別の歯がぐらぐらとする。同じ年頃の子供の間では歯が抜けるのはちょっとしたイベントで、誰もが嬉しそうですらあった。
「下の歯なら上に、上の歯なら床下に投げる」と誰もが教えてくれた。異口同音にそういうのだが、アパートには床下はなかったし、上に投げたのも最初の二本ぐらいで、あとは流しの三角コーナーとかゴミ箱とかに捨ててしまった。いっぺんに全部抜けてくれればと思うが、ままならないのでじっと我慢するしかない。憂鬱の種でしかなかった。
食事をすませると、そのまま体育座りをして漫画や絵本を読んだり、テレビをみたりした。
自宅の真ん中で体育座りをしていると、足ばかりどんどん成長しているように思えてくる。胸も大きくならないし、体重も増えた気がしない。抱えた膝の山だけ高くとんがってきているような気がする。洋子さんのようなすらりとした身体になるだろうかと少しは考えたがすぐに、別にならなくてもいいと思えた。私はもやしっ子だった。
「体育座り」とやっと思いついたのでそういうと、弟は
「暗いなあ」といって笑った。
「暗いよ、私は」私も笑った。
そういう意味では弟と同じで私もまったく変わっていない。とにかく外出しないのだ。あの夏休みも、洋子さんに山口百恵の家まで連れていってもらったのが唯一の遠出だった(遠出といっても市内だ)。今こうして弟と会うのも、数少ない友人の結婚式で数年ぶりに上京したついでだ。
「でも、薫はあのとき大人にずいぶん遊んでもらってたもんな」弟はサイドカーのことを忘れていなかった。
「そんなことないよ、あんたが遊んでもらっていたよ」私は麻雀のことを持ち出した。
「でも、親父も昼間、一緒に家にいることがあったじゃない」どこか連れていってもらっていたんじゃないの、と弟はいう。
そういうことを二人、微に入り細に入り語り合ったことが、これまで実はなかったということに気付いた。
あの夏、父が一人で家にいたのは週に一度もなかった。一人で黙って家にいる姿はそれまでもみたことがなかった。外出しているか、母と喧嘩しているか、大勢と笑いあっているか、そのいずれかで、一人でいる父親というのはとても印象にのこった。
一人でなにもせずにいる父は、陽気でもなければ気難しくもなく、張りつめているようでもなければ呆けているようでもない。煙草を吸いながら渋い顔で、弟のもっている角度を変えると絵の変わるアニメの下敷きを飽きずに傾けてみたり、ごつい手でゲームウォッチをチチチと鳴らしながら遊んだりしていた。
そうかとおもうと寝そべってテレビの「あなたの知らない世界」かなにかを熱心にみたりしていた。
私は怖い話は苦手なので台所に避難して、洋子さんの置き忘れた文庫を手に取った。「ヴィヨンの妻」とある。太宰治なら教科書でやったと思いめくってみると字も小さくて漢字も多い。
怖い話が終わったようなので居間に戻ると、父もクーラーの風が一番あたる場所を心得ていて、そこに寝ころんでいた。
「薫、これ面白いぞ」と顔を動かさずにいうのでテレビをみると、新聞の瑣末な三面記事を敢えて追いかけるという「夏休み特別レポート」をやっていた。
浮浪者が百万円を拾って交番に届けた。半年後にもらえると思ったら、連絡先を記入しろといわれ難儀し、とっさに遠くに住む知り合いの住所を書いた。半年の期限が迫ると、男は悩んだ末、徒歩で知り合いの町まで向かった、というところまで父は説明してくれた。
画面に出ているのは本人ではなく、スーツ姿のレポーターだった。額に汗がにじんでいる。歩きながら説明をつづける。私も父もじっと食い入るようにテレビをみた。
昼も夜もなく、何日も男は歩きつづけた。レポーターがしかつめらしい顔をして、男の歩いた廃線沿いをざくざくと歩いた。それからカメラにむかって
「男の所持金は、このときわずか、五十円でした」と重々しい口調でいった。
「はー」父は感心したような声をあげた。
場面が変わり、レポーターは駄菓子屋風の店の前に立った。古い木の引戸を開けて店に入り、アイスキャンディーをもって出てくると
「男は、こちらの店で、この」というところで手にした棒アイスが大写しになった。テレビは白黒だったが、水色のソーダアイスだということがよく分かる。
「……アイスを買って、再び歩きました」父はふふっと笑った。場面が変わって、額に皺のあるおばさんが映った。画面下に「男にアイスを売った布谷商店の店主(60)」とテロップが出た。
「私がね。アイスを売ったんですよ。五十円しかないから五十円の飲み物くれっていうんですよ。私五十円ならアイスしかないっていったんですよ。それで渡したら、しばらくして、戻ってきてね」といってアイスの棒をだした。「当たり」と焼き印がある。
「これを差し出すもんだから、それは、もう一つあげましたよ」おばさんは少し口惜しそうな口調だった。画面は再びスーツ姿の男に戻った。男もアイスの棒をもっている。
「男はアイスが当たったので、来た道を引き返し、もう一本アイスをもらうことができました。しかし、男の運も、ここまででした」なにいってんだ、と父は小声で悪態をついた。
男は半年の期限の日の早朝に知り合いの住む町につくが、知り合いは引っ越していた。表札の変わった家のポストをいじっているうちに、不審に思った家人が通報。男は逮捕された。
父はやおら起きあがると
「アイス食べたくなったな」といった。テレビを消して二人で外に出た。この夏休み中、父が私を外に連れだしたのはこのときだけだったと思う。少しも弟にうらやましがられるようなことではない。
近所の駄菓子屋までいってテレビに出たのと同じソーダアイスを二本買った。父は店を出ると袋からアイスを取り出して
「男は、この、アイスを」とレポーターの声真似をして私に近づけ
「買って、再び歩き出しました」とつづけて、アイスをかじった。父は
「拾った百万円は、手に入ったのかな」といった。私がそれを聞きたかった。私も廃線を歩きつづける男の気持ちに思いを馳せていた。
男と違って、我々はすぐ家に着いた。アイスも当たらなかった。アパートの前の駐車場にビニールプールが出してあった。隣室の風呂場の窓の隙間からホースが出ていて、プールに水がたまりつつあった。隣の家の子供たちがこれから遊ぶのだろう。ビニールプールをみて父は
「プールいきたいか」といった。私は首を横にふった。
この夏はどこにもいっていない。毎夏、父と母は私たちを一度は海とかデパートに連れていった。二人は仲が悪かったのに、今思えば律儀だった。
洋子さんや友達がわいわいとやってくれば活き活きとして能弁になるのに、昼間私と二人でいるときの父は無口だった。ぼんやりとしているようにみえるが、近づくとさーっと音がするような気がした。まったくの無我の境地ではなくて、何かを考えつづけているような気配がした。
しかしたまにテレビから目をはなして私に向かってかける声は、アイスくうか、だったり、煙草買ってきてくれ、だった。
お盆に入るころ、ゲームウォッチに感化されたか父は「パックマン」の筐体《きようたい》を持ち帰ってきた。さすがにこれだけ大きなものを拾ってこられるわけがなくて、つぶれたノーパン喫茶から格安で買い取ったのだという。私はノーパン喫茶ときいたぐらいでは驚かなくなっていた。
和室の敷きっぱなしの布団の脇、足踏みミシンの隣にテーブル形の筐体は置かれた。弟は大喜びだった。それからはパックマンの音で目覚めるようになった。
麻雀のメンバーが揃うまでの間、父と弟は西日の射す寝室で、足踏みミシン用の背もたれのない椅子に座り、むやみに背中を丸めてパックマンにかじりついた。早めに来た父の友達が遊ぶこともあった。
テーブルの下の方にはコインの収納ボックスが設けられている。蓋の部分には銀色の鍵が差しっぱなしになっている。五十円玉がなくなると、鍵をあけて中の五十円玉を全部取り出す。その五十円玉をまた積み上げてゲームを再開する。一枚あれば足りるのだが、積んだ方がゲームセンターの臨場感が出る、と男たちはいった。
筐体の右上には大学ノートの切れ端が貼られた。小さな字で日付とハイスコアと名前が書き込まれていく。コンセントを抜くとハイスコアは消えてしまうから、紙に書くようになったのだ。皆、競うようにスコアをあげていく様が切れ端の数字から読みとれるのだった。
「パックマン覚えてる?」
「そりゃもう」弟は、麦チョコが出るならその話も出るだろうと予想していたようだった。
「最近、プレイステーションで復刻したんだよね。友達のとこで遊ばせてもらった」
「驚いたでしょう。その友達」
「駄目」弟は首を横に振った。
あれ駄目、と弟は繰り返した。モンスターの動きが微妙に違うんだという。
弟も私も、あの夏のパックマンでお腹いっぱいになったのか、その後のファミコンブームを素通りしてしまっていた。
私は脇から皆のプレイを見物した。最初のうちは敵のモンスターに捕まらないようにと手に汗を握って応援した。しかしそのうち熟練した者のプレイになると、それは反射神経を競うというよりも終わりのない暗記作業のようになった。だからみていると不毛なような安心するような不思議な感じがした。
夏休みの終わり頃にはノートに書かれたスコアは五十万点ぐらいに達していた。
「馬鹿だよね」弟は呆れた様子で振り返る。
「ほかにやることいくらでもあるだろうにね」大人になった弟は自嘲めいたこともいうようになった。
「薫は一度も遊ばなかったよな」
「うん。……いや、一度だけ」
「あるんだ」
「こっそりね」弟にいわれるまで私は自分がパックマンで遊んだことを忘れていた。その日の、その後の出来事ははっきりと覚えているのに。
その日は目覚めるとまだ誰もパックマンで遊んでいなかった。私は寝起きのまま、鍵をまわして筐体から五十円玉をとりだした。
最初の一回目は二十秒も生き延びていられなかった。毎日遊んでいた皆のプレイを思い出して、呆れた。
しかし何度か遊んでいるうちに、上手だった人のプレイを思い出せるようになった。四匹いるモンスターの特性やパターンを掴んでいたから、すぐに私は上達した。同じ歳の女の子でパックマンがこんなに上手な子はいないだろう。そもそもゲームセンターへの小学生の出入りは校則で固く禁止されていたから、終日パックマン三昧の女の子というのは日本中どこをさがしたっているわけがない。
「日本中で私一人」という想像はにわかに私の血を騒がせた。レバーを操る手に力がこもった。
いつのまにか父が襖を開け、私の様子をみていた。視線に気付くと急に恥ずかしくなってレバーを放してしまった。すぐにモンスターに食べられて、ゲームは終わった。
私は期待されるとなんでもやめてしまった。たとえば歌が上手といわれると心の中では悪い気はしないのだ。だが「もう一度皆の前で歌ってみせて」といわれても歌わなかった。歌えなかった。
父は「もう一度やってみろ」とはいわなかった。その代わり筐体に積み上げた五十円玉を一枚とりあげて
「いいものつくってやる」といった。工具箱をもってくると、幅一ミリぐらいの小さなビニールテープをとりだして五十円玉の周囲に巻き付け始めた。
「ごはん運んで」台所で洋子さんが呼んだ。いつのまにか二人とも家にいたのだ。そんなことは初めてだった。
もう夕御飯の時間だった。朝御飯が夕御飯になるまで睡眠時間がずれつづけていたことに気付き、さすがの私も少し怖くなった。
居間のこたつの上に箸やみそ汁の入った椀を運んだ。父はまったく手伝わずにあぐらをかいて五十円玉の細工に集中していた。
「店長たちも呼んできて」洋子さんがいった。
弟は店長のところに遊びにいっている。中古車屋は自宅から歩いて五分ほどのところにある倉庫のような建物だった。
外に出るとくらくらとした。これから一日がはじまるのに、外は一日の終わりの気配が漂いはじめていた。
店長は仕事場にいる分だけ父よりは働いているように思えた。半分下ろされたシャッターをくぐると、サイドカーと、車が一台あった。
「買い手の連絡を待つのが仕事」スチール椅子に腰掛け、団扇をあおぎながら店長はいった。たらいに水をはって足をつっこんでいる。弟は台車に寝そべって車の下にもぐりこむ「修理ごっこ」をしていた。弟の寝そべる台車の脇には使えもしないパイプレンチや大きなスパナがそれらしく並べてあった。私がきたので仕事もごっこも終わりになった。
家に戻る途中の雑貨屋で店長は日本酒とあたりめを買った。
「おまえらはなんか買うか」というので二人、顔を見合わせた。弟が「麦チョコ」といった。
食事が終わると父は五十円玉の周囲にテープをまきつけたのを私に手渡した。
「これやる」重さと直径が百円玉と同じだから、これで自動販売機をだませるという。
私は手のひらにのせたそれをまじまじとみつめた。
「子供にそんなものを渡しちゃいけないな」店長は笑いながらビールを飲んだ。
「ずるいよ薫ばっかり」と弟もナイター中継の画面をみたままいった。私は五十円玉をあげてもよいと思ったのだが、父は
「おまえはなにが欲しいのさ」といった。
「ガンプラ」
「ガンプラ? ガンモのテンプラ?」
「ちがうよ、ちがーうよ」弟は変なところから出したような裏声で馬鹿にしながら
「ガンダムのプラモだよ、ガンモのテンプラじゃないよ」
「ふーん」父は分かっていないようだった。
「ガンプラが駄目ならね、サメの歯の化石がいい」弟は簡単におねだりできる。私は弟が得をすることよりも、遠慮しないでなにかを要求できることがうらやましかった。
「化石か。化石はあれだろ。遠いだろう」と父はいった。
「吉祥寺の東急で売ってるもん」弟はすぐに意味を理解して反論したが
「プラモだな、プラモにしよう」
「明日いく?」
「いや、今いこう」父は立ち上がった。
「今?」弟は興奮して大声をあげた。
台所で鍋を洗っていた洋子さんも
「今?」といいながらやってきた。ナイター中継が終わろうとしていた。洋子さんは父が部屋を空けて自分を置いていこうとすると少し不機嫌になった。
「ほら。岸田のところの近所にプラモデルの専門店があるだろう、遅くまでやってる」
「武蔵小金井までいくの」遠いよ。
父は「すぐ戻るから」というと、車の鍵のついたキーホルダーを指先で回して、すっかり出かける気になったようだった。
間もなくアパートの入口に横付けされた沢田組のワゴンに弟と店長が乗り込んだ。他の男たちは今日はこないらしい。洋子さんと二人で残された。
急に静かになった。虫の声が間近に響きはじめた。洋子さんは食器洗いを中断して、冷蔵庫から苺とはっさくと四分の一に切られた西瓜を出した。いつも麦チョコをあけるカレー皿にざっと水を通しただけの苺を無造作に盛った。
「今日のは特別なエサだよ」洋子さんは皆で食べるつもりだったであろうフルーツを全部食べてしまうつもりらしい。
苺を盛るならガラスのいい器が食器棚の下の方にあると思ったが、いってはいけないことのように感じて黙った。母には母のルールがあったが、洋子さんにはルールがないことこそがルールなのかもしれない。
苺はへたも取らず、そのかわりにへたを入れる小鉢と皿とを持って居間にうつった。私は果物ナイフとはっさくをもって洋子さんに続いた。
こたつの上は夕食の食器が片づけられずに残っていた。餌だから床に置くかと思ったが
「いいよ。こっちで食べよう」といって洋子さんは奥の和室に入った。パックマンの筐体の上に苺を置いた。椅子が一つしかないので台所で洋子さんが読書につかっているのをもってきた。洋子さんは蚊取りマットを新しいものに取り替えてコンセントに差し込んだ。狭い和室はすぐにラベンダーくさくなった(本物のラベンダーをみたことはなかったが)。二人、向かい合わせで座った。
「どこかの喫茶店みたいだね」洋子さんはいった。全然そうは思えなかった。すぐ脇には汗くさい布団があったし、サークラインの蛍光灯のカサは安っぽいプラスチックだし、床は畳だ。
しばらくの間、苺だけを食べつづけた。
「パックマンも苺たべるよ」私はいってみた。
「そうか」
「一個二百点」さくらんぼが百点、メロンは五百点。
「じゃあ、私もう千点だな」洋子さんは手元に並べたへたをみつめながら
「本当はさくらんぼが好き」といった。
「私も」
「夏は西瓜っていうけど、あまりおいしくないよね」西瓜は台所のテーブルに置いたままだ。
「うーん」西瓜に義理立てする必要はなにもなかったが、私はあいまいな返事をした。
果物ナイフは皮に切れ込みをいれるときだけ使い、あとは指だけで洋子さんははっさくを剥《む》いた。プルリングを開けてくれた頼もしい爪をこじいれて、せっせと剥いていった。
「今頃……プラモ屋さんに……ついたかな」剥いた側から洋子さんははっさくの一片を口に含んだ。
「どうかな」
「薫はおねだりとかしないんだね」
「うん」
「一度も?」というので苺を食べるのを中断して考えた。
「少し前に、猫を飼ってほしいってお願いしたことがある」
「猫か」
弟と二人で下校していたときに、拾ったのだ。漫画に出てくる、捨て猫を拾う場面みたいだった。段ボールに一匹、けなげに鳴いている子猫に二人とも簡単にほだされてしまった。
拾った子猫を手に抱いて両親を見上げつづけた私はなんと頑なだったろう。
母の反対もまた頑強だった。借家だから仕方ないことだ。しかし私がいつまでも涙をこぼしながら見上げつづけるので、新しい飼い主がみつかるまで飼ってもよいことになった。
「いいなぁ、猫」なんて名前? 洋子さんははっさくを口に含んだまま尋ねた。
猫に名前をつける段になって、弟は「かっこいい名前」を、私は「出来ればかわいい名前」を、それぞれ主張した。
父は「かっこよくて、かわいければいいんだろ」といって、ミグと名付けた。
「ソ連の戦闘機だ」といわれて弟もなんだか納得させられていた。
それを聞いて洋子さんはずいぶん笑った。状況を頭の中で再現しているのか、再び手にした苺のへたを爪で取り去りながら、ずいぶん遅れて「ふうーん、それで猫は?」といってまた少し笑った。
ミグはある朝起きたら家出してしまっていた。そのときは家出というのを簡単に信じていたが、母がこっそり遠くに捨てにいったのかもしれないと今では思う、そう話すと洋子さんは
「お母さんが帰ってこなくて寂しくない」と不意に聞いてきた。母のことを洋子さんに話したのは、そういえばこれが初めてだった。
私は驚いた。「寂しくないか」という質問で、寂しがるべき事態になりつつあるのだと初めて分かったからだ。
「帰ってこないの」と逆に聞いてしまった。
「分からない」洋子さんは率直な返事をした。
洋子さんはぱくぱくと果物を食べつづけた。私はさすがにお腹がいっぱいになって、はーっとため息をついた。
「部屋の中が男ばっかりだと疲れるよね」と洋子さんがいったので私はまた少し驚いた。男たちのことをてんで気にしていないのかと思っていたからだが、洋子さんは私に気をつかっているのかもしれない。
「学校の授業ではなにが好き」洋子さんはさらに苺のへたをとりながら尋ねた。母のことから話題を変えたかったのかもしれない。
「……国語」
「なにが嫌い」
「学校は嫌い」
「ハードボイルドな女だよね、薫は」と洋子さんは笑った。俯《うつむ》いてへたをとりつづけていたが、急に私の顔をみて
「私、薫のことが好きだよ」といった。
「薫と友達になれてよかった」といわれて私は恥ずかしくなった。子供と大人が友達になるという考えがなかったから驚きもした。
洋子さんが顔を見続けるので壁の時計に目をそらすといつのまにか十時だった。耳鳴りがした。
遠くでパラララ、パラララという暴走族のクラクションとエンジン音が聞こえる。騒音に眉をしかめる母の顔が反射的に思い出された。
洋子さんは突然涙を流した。脈絡もなにもなかった。突然、涙が頬を伝っていた。一瞬、はっさくの汁が飛んだのかと思いかけたが、そんな様子でもなかった。洋子さんは、自分でも少し驚いた顔をしていた。
洋子さんは手をかざすようにして私がなにかいうのを制した。洋子さんの泣き方は音のない泣き方だった。表情もあまり変わらなかった。ただ涙がぽろぽろとこぼれていくだけだった。
洋子さんはすぐに泣きやんだ。ティッシュで目を拭い鼻をかむと
「散歩にいこう」といって立ち上がった。
「国語が好きなんだよね」洋子さんはもう泣いていたことなど感じさせない様子で車道の真ん中を歩き、話した。
「私は文学少女なんだよ」今は芥川龍之介を読んでいるといった。
「『芋粥』って話が好きなの。けっこう間抜けな話をかくんだよね」
「わたしも教科書で『トロッコ』よんだ」
「そうか。教科書でやったのか」薫って何歳なの? と知り合って初めて洋子さんは私に年齢を訊ねた。
アパートに戻ると、晩御飯の食器がすべて綺麗に洗って台所の水切りカゴに整理されていた。そして居間に母がいた。
母は部屋の真ん中に正座していた。正座する母をはじめてみた。恐ろしかった。ただ事でない気配を発していた。
もう随分母にあっていなかったような感じがした。一ヶ月近くあっていなかったのだから当たり前だと思い直した。そうすると一ヶ月もあっていなかったのになんとも思わなかったことが急に不思議に感じられてきた。
母が家にいることのほうが、当たり前なのだった。家を出たときも前触れはなかったのだから、戻るときに前触れがなくても、それもまた当たり前だ。
洋子さんははっとなって慌てて私の手を離した。すぐに立ち上がった母の手が私の腕を掴んだ。私は強い力で引っ張られ、母の側に来させられた。
「人の家にあがりこんで、何様のつもりよ」母の声はびりびりと空気を震わせた。私の腕を掴む力が一段と強くなった。痛いので、もう少しで母の手をふりほどくところだった(そうしなくてよかったと後になって思った。そうしていたら母は余計に傷ついただろう)。
「あやまりなさいよ」母は泣きそうだった。
「あやまりません」洋子さんも声が少し震えていた。
「許すつもりのない人にはあやまっても仕方ない」と洋子さんはくぐもった声でいった。
かすかにエンジンの音がしたので振り向くと、カーテンの隙間からワゴン車がみえた。ドアに「沢田組」と書かれている。あっと思った。
気付かずに母は思いきり手をふりあげた。母は部屋のど真ん中に立っていたから、手の甲が電球にあたった。電球は割れなかったが中のニクロム線が切れて、部屋は真っ暗になった。
母は構わずに腕を振り下ろした。洋子さんは思い切り叩かれた。同時に車が急発進して走り去る音が聞こえた。父は最悪の修羅場を避けることができたのだ。
私は自分が殴られたようにすくみあがったが、洋子さんは平気そうだった。ちっと舌打ちするのが聞こえたように思えた。父が立ち去ったのがみえていたのだろう。左手で頬をおさえたまま台所までいくと、テーブルの下に置いてあったドイツ製のライトを取り出してつけた。ドイツ製のライトの光は真っ直ぐ、闇の中に鋭く伸びた。洋子さんは素早く出ていった。
母は私にとりすがって泣いた。私は、洋子さんが殴られるのなら、当然私も殴られるはずだと思っていたから驚いた。私は母の行方を案じることなく夏中楽しんだ薄情者のはずだった。それなのに母は私をきつく抱いたまま離さなかった。ごめんねぇ、ごめんねぇ、と何度もいって泣き続けた。
母は外国の人が映画でやるみたいに私を胸に強く抱き込んだ。その圧力で口中の歯が抜けた。ずきんとする痛みと血の味が口を支配した。
母の胸から顔を出して後ろをみると、窓の外の道路を洋子さんの自転車がものすごい勢いで走っていった。車の逃げた方向だ。洋子さんのかたく引き締まった脚を思った。
「父さん帰ってきたら話し合うから。別れることになると思うけど、あんたいい?」私は頷いたが、私に聞く筋合いの話ではないという気もしていた。それよりも、口の中の唾と血と、舌の上の歯をぺっと吐き出してしまいたかった。
その晩、父と弟は帰ってこなかった。翌日の昼に外に出てみた。ものすごい蝉時雨だった。
店長の仕事場にいくと工具や塗料などが置かれた壁の棚におびただしい数のプラモデルがあった。
「ガンダムが七台、ズゴックが五台、シャーマン戦車が四台……」店長が眠そうな声で指さしながら教えてくれた。弟と、夜通しプラモデル作りに励んだという。武蔵小金井の店では、どのプラモデルがいいか弟がずいぶん悩んだので、業を煮やした父は「ここからここまでの棚全部売ってくれ」といったのだそうだ。弟はさぞかし興奮しただろう。
弟は店長のアパートで寝ているという。お父さんは、と訊ねると
「ちょっと今、買い付けに出かけてる」と店長はお茶を濁した。
棚や床に屹立《きつりつ》したおびただしい数のモビルスーツや戦車や飛行機の群は、それ自体がめまいのするような光景だった。外の蝉の声がすべてこのプラモデルたちから発せられているようだった。
二、三日して洋子さんは昼間電話をかけてきた。私がでたのでほっとした声で
「薫に電話かけるの初めてだよ。変なの」といった。
「荷物もってきてもらえる」洋子さんはいった。荷物といっても、文庫本とかコーヒーカップとかの小物が少しあるだけだった。洋子さんは着替えなどもいちいち持ち帰っていたのだ。歯ブラシは母が捨ててしまっていた。
国立駅の前で待ち合わせた。
洋子さんは自転車に乗って現れた。会うまで私は、私と仲良しでいることをやめる必要はないんじゃないか、などといってみるつもりだった。言い方も頭の中で何通りか考えてみたりもした。
しかし結局それはいえなかった。荷物を受け取った洋子さんはすぐに笑顔で
「お別れだね」といった。そして私の頭を撫でた。それは大人が子供にするときの撫で方だった。
最後に洋子さんはカセットテープをくれた。そして自転車にまたがると、出会ったときと同じように、片手をあげて走り去った。
やはり私は子供で、洋子さんは大人だった。洋子さんはどこに去っていくのだろう。このまま、どこまでもどこまでも自転車に乗ってゆくのではないかという気がする、そんな遠ざかり方だった。
テープには「RCサクセション」とシールが貼ってあった。
その後、洋子さんに会うことは一度もない。
父と母の話し合いがどのようになされたか、私たちには知らされなかった。相変わらず建設的な話し合いなどなかったのかもしれない。重苦しい日々は長くは続かなかった。夏休みの終わりごろに、父に逮捕状が出た。店長と麻雀仲間の数人が窃盗罪で逮捕された。夏休みのはじまる前に、昔勤めていた職場の金庫を盗んだらしい。父は主犯だった。
父は最後に頭を撫でるでもなく言葉を交わすでもなく、突然いなくなった。そして数日間の逃亡に成功した。逮捕状がでるとすぐに母は事件の報道を私たちにみせまいとして白黒テレビを壊してしまった。しかし弟がワイドショーをみた友達に聞いたところによると、父は高速道路でパトカーと派手なカーチェイスを繰り広げ、沢田組号を乗り捨てて徒歩でなおも逃げた。群馬県のローカル線の線路伝いに歩いているところを逮捕されたという。弟に伝わるまでに話が大げさになったのではないかとも思うが、私は線路沿いを歩く父をみてみたかった。
母はそれまでにもまして不幸を引き受けたようなシリアスな顔つきになった。私たちは田舎の母の実家に身を寄せることになった。すぐに引っ越しの支度をはじめた。
引っ越す前日の夜遅く、私はこっそり外に出てみた。
店長の仕事場にいってみた。それから車道の真ん中を歩いてみた。
洋子さんにコーラを奢ってもらった自動販売機に、父にもらった偽造硬貨をいれてみた。とたんに警報ベルが夜の路上に鳴り響いた。夏休みの終わりを告げるベルだ。私は走って逃げた。
離婚も成立し一人になった母はあいかわらず暗かったが、なぜだかあまり怒らない人になった。そのことは私に童話を読んだ後のような印象を抱かせる。たとえば意地悪で残酷だった森の魔女にかかった呪いがとけると、次のページでは簡単に改心してよいお婆さんになっているというような。
私はその後も特に深刻なプレッシャーを感じることはなかった。父に対しても恨む気持ちはなかった。それどころか父を思い出すととても愉快な気持ちになる。
遅くまで働き始めた母にも特に殊勝らしくすることはなかった。かといって、ぐれることも反抗することもなく、普通に学校に通い、就職した。弟は、ぐれた。悪いのとどんどん付き合ったが私には明るかったので心配しなかった。
今、こうして目の前にいる弟の軽薄そうな姿は、やはりどことなく父に似ている。
弟はあのときの話を初めて詳しく教えてくれた。
プラモデル屋から帰って沢田組号を家の前でとめようとしたとき父は
「伏せろ、伏せるんだ」と叫んだそうだ。
「なにがあったんだろうと思った」弟はいった。私は声をあげて笑ってしまった。明かりが消えた瞬間を父は逃さなかった。
「だせ!」後部座席から店長の頭をこづく父、頭を抱えてうずくまる弟。急発進するワゴン。
父は仕事場に二人をおろすと、一人猛スピードで国立の駅の方に向かった。
「そのあと、戦利品のプラモデルを堪能したんだ」というと、弟は顔をあげて思い出しながら
「うん、そうでもなかったな」といった。あの夏は本当に楽しかったけど、あのプラモの量は尋常じゃないというか、少し怖かった、弟はそういった。
二人、少し黙った。弟もあの夏の思い出を胸中で反芻《はんすう》しているようだった。
「そうだ。あの愛人って、すぐ隣の町に住んでたんだよ。俺ら二丁目だったろ。あの人四丁目」
「ほんとう」
「田舎に引っ越す少し前に、ザリガニ捕りにいく途中で、あのかっこいい自転車が停めてあるアパートをみたもん」
「ライトは取り外されていた?」ライトが盗まれないよう用心するのは洋子さんだけだ。
「そこまでみないけど」
「そうか」これまでもっと遠くに想像していたが洋子さんがごく近くに住んでいたということに驚きはなかった。
「そうとう惚れてたんだな、あの人」
「そうだね」
洋子さんがやってきて間もないころのことを急に思い出した。明け方に眠りについて、ふと午前中に目覚めたときのことだ。
居間から洋子さんの声が聞こえるのを、私は仰向けになって低い天井をみつめたままぼんやりと聞いていた。
「ねえ、起きてる」洋子さんは呼びかけていた。父は居間で寝ているのだ。
「ねえ、起きてる」父の返事はなかった。
「ねえ、起きてよ」あのとき洋子さんは何度も誘っていた。
「あぁ」思わず声がもれた。
「なに」弟はソーサーの中の麦チョコも全部食べ終えてしまっている。
「ううん」私はいったが、俯かずにはいられなかった。
私は、多分、もうあのころの洋子さんの年齢を追い抜いているのだ。
それなのに、あのときの洋子さんのような、母の平手打ちに怯まない強さももたず、人の自転車のサドルを平気で奪える残酷さもなく、他人を不幸に巻き込んでしまうような恋もしていないし、傷ついたことさえない。
「俺、そろそろ仕事。薫は?」弟は文字盤の大きな腕時計をみながらいった。
「結婚式」口に出してみるとひどくさえない響きだった。私はこれから友人の結婚式に出て、二次会にも付き合って、それからビジネスホテルに泊まるのだ。
「薫もそろそろなんじゃないの?」と弟はいった。私はうろたえた。「そろそろ」というのが結婚を意味すると気付くのに少し時間がかかった。結婚のことだと気付くと、むしろ私は安心した。
それよりもっと別のなにかが「そろそろなんじゃないか」という気がする。
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猛スピードで母は
何度か雪が降り、いよいよ積もりそうになると母は車のタイヤ交換を手伝わせた。
母は団地の共用物置からスパイクタイヤを取り出すと片手に一つずつ持って駐車場まで歩く。慎《まこと》はアスファルトの道にタイヤを転がし、その後ろをちょろちょろと付いていった。時折あらぬ方向に転がり出したり倒れかけるタイヤを手でおさえてもとに戻しながら進む。規則的な配列でスパイクピンの突起が並ぶタイヤはごつごつとしていかにも頼もしく思える。
駐車場の自分の車の前までたどり着くと母はトランクから工具箱を出した。そして車の脇に道具を並べた。
車は白いシビックだ。ヘッドライトは丸く、フロント前部についたミラーは昆虫の触角のようだ。母が本当に好きな車はワーゲンのビートルで、走行中にみかけると、ハンドルを握ったまま顎で慎にもみるように促したりする。だから何度か買いかえの話がでると、今度こそ念願のワーゲンにするかと思ったがそうはしなかった。それはそれで照れくさいからと母はいった。子供の間ではワーゲンをみると幸福になるというジンクスが広まっていたが、母はそんなものは信じないといった。ただ好きなだけだ、と。
前輪のすぐ後ろにジャッキを固定すると、そのハンドルを勢いよく回し始める。昔ガソリンスタンドで働いていたから慣れているのだろう。手際に少しの無駄もない。タイヤを取り付けるときはナットを一カ所ずつしめてはいけない。計四カ所あるナットのうち、対角線上の二カ所ずつを交互にしめないと均等に絞りきることができない。そんなことを言葉少なに教えてくれる。
取り外された埃っぽい夏用タイヤを物置まで転がし、四本目のスパイクタイヤを持ってくるとしばらく手伝うことはなくなる。母は上着の裾で鼻をふくなと命じたきり、慎の方はろくにみない。慎は駐車場を見渡した。日曜の午後だが半数近くは出払っている。駐車場の向こうは広い土手で、根雪の下から背の高い枯草がところどころ出ているほかはなにもない。土手の向こうは海だがここからはみえない。
空はいつも曇っている。慎の暮らすM市では快晴の日は珍しい。M市は北海道の南岸沿いの小都市だが、背後を背の低い山が囲んでいた。だから海から流れてくる雲が停滞しやすいのだといつか先生が教えてくれた。だが慎の印象では低くたれ込めるような曇天ではなく、空全体が白っぽいひんやりとした日が多いように思う。
曇りの日が多いからといって気分が暗く沈みがちだったかというとそんなことはない。「天気が曇っていると心も晴れない」という感じ方が慎には分からなかった。
手持ちぶさたになった慎は広い駐車場で側転の練習をした。クラスの男の子たちはほとんど皆側転が出来た。慎の側転は足こそ高くあがるが着地がややおぼつかない。勢いをつけ上半身を曲げ、手を地面に突き、足は地を蹴り上げる。倒立した状態になったあと下半身がまっすぐよろよろと降りてきてしまい、車輪が回るようにならない。怖がるとすぐに身体がふらつく。
体育のマット運動の時間にあまり格好悪いところをみせ続けるといじめられるかもしれない。今は跳び箱の跳べない子がなんとなく意地悪されているが、標的は常にうつろいやすいものだ。
思い切りよく、思い切りよく。念じるようにして何度かやっているうちに母が振り向いた。地面に手をついてしゃがんだ格好の慎をちらっとみた。
母は最後の一本を付け替えてみろと、軍手を外し投げてよこした。すでにジャッキで車は持ち上げられている。
夏用のタイヤを取り外し、スパイクタイヤをはめこむ。レンチは扱いにくく、母の手際のよさに改めて感心した。
四つあるナットを軍手をはめた手で順番につまむ。ある程度までは指で回して取り付けた。レンチを持ち、ありったけの力をこめてもうこれ以上回らないところまで絞った。終わったよと声をかけたが、交代した母が再びレンチを絞ると、ナットはどれもまだまだ回った。
母はなおも用心深く車の周囲を歩き、タイヤの空気圧は均等か、ナットのゆるみはないか確認している。その間に慎は夏用タイヤの最後の一本を転がした。スパイクに比べ夏用のタイヤはみすぼらしくみえる。物置にそれらを収めた。引っ越してきたときは新しかったプレハブの物置だが年々かび臭さが増している。急いで出て、団地を見上げた。
小学校にあがる前に慎がくじで引き当てた公団住宅だ。母に連れられていった抽選会場の、テーブル上の真四角の箱には丸い穴があった。手を入れて紙を一枚とれといわれた。いわれるままにとった紙は四ツ折りになっていた。慎から受け取った母がひらくと紙の中央に小さく『C44』と書かれていた。慎は訳も分からず喫茶店に連れていかれ、チョコレートパフェを食べさせられた。向かいの席でコーヒーをすする母は特に嬉しそうではなかったが、淡々とした口調で慎の強運を褒めた。
団地はM市の海岸沿いの埋め立て地に建てられた五階建てでABC三棟、少しずれながら並んでいる。当てたのはC棟の四階の四号室だ。外壁は淡いクリーム色で屋根の色だけ赤青緑と色分けされている。
団地の側面の最上部にはそれぞれABCのアルファベットが黒ペンキで大きく描かれていた。その真下から地上二メートルぐらいのところまで梯子が取り付けられている。
タイヤを取り替えると、そのまま二人車に乗り込んで冬靴を買いに出かけた。スパイクタイヤは凍り始めた路面をがっちり掴《つか》む。ずっと乗っていると助手席にいても感触の違いが分かる。慎はスパイクというものに憧れがあった。
以前から、底にスパイクのついた冬靴が気にかかっている。踵《かかと》に鉄の爪がついており雪道でも滑らないという。学校の男の子たちの多くはそれを履いていた。蝶番のような仕組みで普段は爪のある面をしまっておき、ぱちんと金具をひっくり返すとスパイクになるのがこの頃の流行だった。慎はそれが欲しいとは言えずにいる。母は子供だましを嫌う。実際、普通のゴム底の長靴でも凍っていない道を選んで歩けば滑ることはなかった。
靴屋では慎はいつも母を苛々させた。
「ちょうどいい?」と問われても、きついのかぶかぶかなのか、きついのが我慢できるのかできないのか、自分のことなのに自信がもてない。
慎がやっと長靴を選び終えると母は自分用に新しいブーツを物色した。母にはまた母の理由があって時間がかかる。とにかくセンスのよいものでないと駄目だ。
長く暮らしていながら、母はM市を馬鹿にしている。M市には靴屋も書店も一つしかない。美容院もコーヒー店も、なんでも一つだけ。品揃えも悪い。
今日はしかし母はブーツを買いそうな気配だ。茶色の革のブーツ。履いた足元をみたまま母は「どう?」と尋ねた。慎は困った。いいと思いますよ、店員が背後でいった。
「まあいいか」大いに妥協して仕方なくという口調で母は「ください。履いていきます」といった。
靴屋を出ると車はすぐ近くのガソリンスタンドに入った。ゆっくりと停車するとスタンドの店員が近寄ってくる。助手席で慎は落ち着かなくなる。店員たちは、慎の方をみているようでみていない。慎を含めた車全体をみながらやってくる。運転席の窓をあけてからのやりとりも「満タンお願いします」「かしこまりました」ぐらいのものだ。それからやわらかそうな布でフロントガラスを拭いたりする。ワイパーを丁寧な手つきでよけながら拭いていくのを慎は見続ける。相手はとても親切な感じだが、自分とずれたところをみて、親切にしている。ますます落ち着かない気持ちになった。
運転席の母も店員には目もくれず走行距離メーターをみて、ダッシュボードから手帳を取り出し数字を書き込む。燃費を計算しているのだ。手帳をしまうと眼鏡を外してサングラスに取り替えた。
「ありがとうございました!」支払いをすませると、はきはきとした挨拶と深々としたお辞儀で見送られる。かつて母が同じことをしていたというのが慎にはとても想像できない。
母がガソリンスタンドで働いていた頃、慎はまだ小学校に通っていなかった。M市から四十キロ離れたS市にある祖父母の家に住んでいた。母は東京で結婚に失敗し、幼い慎を連れて実家に転がり込んだのだ。
二人は家の二階に暮らした。荷物置き場になっていた二段ベッドから荷物を出して壁際に積み上げて、母は上の段、慎は下の段を使った。
祖父もまだ現役で働いていたから昼間は祖母が慎の面倒をみた。
母は学校にも入学した。保母の資格をとるためだったらしい。昼間は学校、夜はガソリンスタンドに通う生活。夕方、学校から帰宅して簡単な食事をとり、仕事にでかける前のわずかな時間を使い、母は慎に絵本を読んで聞かせた。絵本はとにかくたくさんあった。学校の先生だった母の兄が、小学校の図書室用に取り引きしている業者から大量に購入して、慎のためにと贈ってくれたのだ。本棚の空きがなかったので、それらはいくつかの段ボールに詰められていた。母は無造作にそこから一冊を抜き取った。
部屋にはオレンジ色のカーテンがかかっている。昼でもあけられることはほとんどない。外が曇っていてあまりにも暗いときは照明をつけたが、目に悪いということを母はまったく考えていないようだった。
母は少し急ぎ気味に朗読した。読んだらすぐに仕事にでかけなければならないのだ。しかしなぜか頁をめくるときだけはゆっくりだった。
「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。
手に取ったのがつまらない本だと、母は読みながら作者を小声で罵った。読み終えた後で感想をいうのも慎ではなく母だった。
「面白かったね」とか「こんな王子と私なら結婚しないね」という感想に慎は大抵同意した。自分で自分がどう思ったか分からないこともしばしばだった。教訓めいた話は大抵母にはうけなかった。絵柄の趣味が悪いのも駄目で、そういうのは大抵最初から読まないか、あるいは途中で放り投げてしまった。母はよく物を放る人だった。
読み終わると、じゃあねといって出かけていった。玄関の扉の閉じる音がすると慎はカーテンをあけ、家の門から原付バイクを押して出ていく母を見送った。
母がいない昼間も慎は二階にいるのを好んだ。一階に降りれば、やさしくて甘い祖母がすぐにおやつを出してくれるのは分かっている。それでも暗い部屋でぼんやりとしつづけた。あるいは一人で絵本をめくった。母ならばどこにけちをつけるだろうと考えながら。絵本の入ったものだけではない、部屋にはまだいくつも段ボールが積まれていた。慎は手の届く箱をこっそりあけてみた。ある箱からはスケッチブックが出てきた。レコードや文庫本が入っているのもあった。スケッチブックには大きな眼球や無機的なぎざぎざの集合や女の裸がたくさん描かれていた。レコードジャケットに写る顔は皆外国の人で、その表情はどれも陰気で少し怖い。楽しい気分になるわけでもないのに、そうしたものを出しては眺めた。文房具のたくさん入った箱には、大きな定規やインク瓶がいくつも詰めてある。変な形の穴の空いた半透明の板をみつけた。それをかざして、天井の木目にうっすら透けた影の形をみるのが面白く、頭上に掲げては眺めつづけた。
一階に降りるとまるで別世界だった。明るい居間にいた祖母はようやくやってきた慎にカラメルまで手作りのプリンや缶詰のフルーツをふんだんにいれたゼリーなどを食べさせると、自分は正座しながら新聞の折り込み広告を眺めた。祖母の好きなのは宝石屋のちらしだった。幼い慎も、きらきらと光る石とやたらと額面の高い値段が大文字で並ぶ宝石屋の広告には少しばかり圧倒された。
祖母がどの指輪をほしがっているか家族皆が知っていた。一文字《いちもんじ》と呼ばれる、ダイヤを横一列に詰めた指輪だった。
「おばあちゃん。一文字、今日はいくら?」慎はスプーンをなめながら尋ねたものだ。
「高いよ」祖母は笑った。祖父は何度も、今度の休みに買いにいくか? と水を向けていたが、祖母はいざとなるともじもじしてしまうのだった。
母はいつまでも両親とともに過ごそうとは思わなかったようだ。程なくしてM市に引っ越した。二人に迷惑をかけたくないからといったがそれは建前で、うるさいことをいわれず自由にしたいという思いが強かったのではないか。慎は最近そう感じる。
ガソリンスタンドを出た車は海沿いの国道に出た。泥の混じった雪が道の端にたまってはいるが、国道はまだ雪が根付いていない。ところどころでスパイクがアスファルトの路面に触れると、細かい振動を感じて慎は少しだけ不安になる。道とピンが削れて互いにすり減ってゆく瞬間。
新しいブーツに履き替えたからというわけではないだろうが、母はいつもより飛ばした。国道を東にずっと行けば祖父母の住む町だ。
「おじいちゃんの家にいく日だっけ?」慎は尋ねた。M市に引っ越してからも、母は祖父母を完全に遠ざけたわけではない。二月に一度は顔を見せに行く。
母は違うよ、映画だよといった。
遠くの雲の隙間から陽の光が差し始めた。慎は前部のバイザーを倒した。挟まれていた紙片が落ちてきた。拾い上げるとそれは写真だった。母と一緒に知らない男が写っている。母は前を向いたまま左手を伸ばし、慎の手から写真を取り上げた。そしてアクセルを深く踏み込んだ。追い越し車線に移り前方の軽自動車を抜き去ると
「私、結婚するかもしれないから」といった。驚いた慎はなぜか母の顔ではなく、背後の追い抜かされた車をみてしまった。軽自動車はもうかなり小さくなっている。
母は笑ったがサングラスをしているから口だけをみてもそれがどんな笑いなのか分からない。照れ笑いだろうか。慎は横顔を窺《うかが》ったが、母はすぐ真顔に戻った。
やや遅れて慎のした返事は「すごいね」だったが、いってみて変な感じがした。母は、すごいね? と聞き返してまた笑った。立体交差をくぐる間に母はもう一台抜いた。
母に恋人らしい男性のいたことはこれまでにもあった。何度か紹介されたこともあるが母はどの男も「恋人」だとはっきりいったことはなかった。名字を「さん」付けで教えてくれるだけだ。慎のことは呼び捨てで相手に紹介した。母を間にして向かい合う男は皆すこし照れているようにみえた。どの男も慎と仲良くしたがった。おもちゃをずいぶんもらった。
二度、三度重ねて会うのはまれで、大抵の男性は一度紹介されるきりだった。朝、テーブルを挟んでパンを食べる慎をみながら「あんたはオートマの車なんか運転する男になるんじゃないよ」とか「すこし高い柵ぐらい軽々と飛び越えられるようになりなよ」などというので、なにがあったかは分からないが今度の男性もふられたかと思う。
映画は口実で、これからその婚約者に引き合わせられるのだろうと思ったが、郊外の映画館で洋画の新作二本立てをみると車はまっすぐ家に向かい始めた。母は二本立てが好きだった。観終えて外に出ると昼は夕方に、夜は真夜中に、あるいは晴天が豪雨に、という風に世界ががらりと変わっているのがよいのだという。帰りの車の中で今観た映画の感想を語る母はもう結婚という単語を口にしたことすら忘れているみたいだ。
二人が映画を観ている間に雪が積もったようだ。夜の駐車場に新しい轍《わだち》をつくりながら車が停車したとき、やっと「本当にするの?」と慎はいった。反対のドアから降りかけていた母は少し驚いた様子で、だがすぐに「メイビー」といった。それはついさっき観た映画の中で女優がビリヤードの台に頬杖をつきながら口にした台詞の真似だった。骨ばった書体で「たぶんね」と出ていた字幕も思い出した。慎が何度閉めても半ドアになってしまう助手席の扉に苦戦しているうちに母は新しいブーツで外灯に青白く照らされたC棟までの雪道をさっさと歩いていった。
聞いたときは衝撃を受けたが、慎は母の結婚にそれほど強く気持ちを動かされていない自分に気付いた。相手を紹介してもらえずじれったい気持ちになったりしなかったし、その男性が自分の父親になるという考え方もぴんと来なかった。単純にどんな人だろうという興味だけがあった。自分よりも先に祖父母に報告した方がよいのではないか。二人は母をみれば「結婚、結婚」といい続けているのだから。母はいわれるたびに嫌な顔をしていた。祖父母は慎にもプレッシャーをかけてくる。会えば「もうすぐ六年生なんだからしっかりしろ」などといわれるに違いない。最近は祖父母の家を訪問するのがあまり楽しくない。
年が明けて最初の週末に祖母からかかってきた電話をもう切れたものと勘違いして、またおじいちゃんの家にいくの? と愚痴をいったらそれが向こうに筒抜けだった。訪問はさらに気まずいものになった。母は特に怒らずに「あーあ」と他人事みたいにいった。
M市からS市までは車で九十分近くかかる。車窓からみえる海は波が荒く海底もごつごつとした岩場でどこまでいっても遊泳禁止だ。テトラポッドに波の打ち付ける人けのない荒涼とした海岸だけが慎の知る海のすべてだった。しばらく行くと海沿いには蟹の直売店が軒を連ねるようになる。足が電動で動く巨大なものや、トタン板にペンキで殴り書きしただけの貧相なもの、いくつもの蟹が並ぶ道を母は猛スピードで通り過ぎる。
途中にはトンネルがいくつもあった。トンネルの左右上部には横長のライトが連なっている。それがめまぐるしい速度でひゅんひゅんと過ぎていく。母はこのライトをみるとよく「惑星ソラリス」という映画の話をした。説明されても慎にはなんだか分からない。聴きながらうとうとしてしまうことも多い。海沿いの蟹の看板が減って牛の看板がいくつかみえるようになればS市に入ったことを意味する。S市はだだっ広いだけの辺鄙な土地だ。わずかだが温泉が出たので別荘地として売り出していたが、雪深いせいかあまり人口は増えない。街灯も家もまばらで二人が到着するころは実家の前は真っ暗だった。祖父母の方ではエンジン音で気付くらしい。いつも車を降りるより早く家の門灯がついた。
祖父母はいつにもましてご馳走を準備していた。いつものジンギスカンではなくすき焼きの用意が出来ていた。ケーキも買いおいてあった。
「大事な孫に少しでもいい思いさせないとな」祖父はそういうと大きく笑った。
「慎にはこんな家、退屈だもんな」と祖父母は繰り返して面白そうに笑いつづけた。慎は相手を傷つけたかもしれないということを忘れて内心腹を立てた。怒られたほうがずっといい。そう思ったがすき焼きもケーキも残さず平らげた。
食べながら四人で「まんが日本昔ばなし」と「クイズダービー」をつづけて観た。昔ばなしの声優はたったの二人だけであることが毎回話題にされる。クイズの司会の大橋巨泉は祖父母に嫌われていたが、ほかのチャンネルをみることはない。八時になると「慎はドリフがいいもんな」と裏番組の時代劇を譲られてまた少し嫌な気持ちになった。母はさっさと空いた器を下げて台所で洗い物を始めてしまった。
「四月からはもう六年生なんだからしっかりしろよ」祖父はやはりいった。
「うん」
「うんじゃない。『はい』だろう」祖父は言葉遣いや間違いにとてもうるさい。詩吟をやっているから声がよく通る。
夜九時の洋画劇場のころに母は洗い物をすませて戻ってきて、慎は風呂にいれられる。浴槽には温泉特有のぬめりがあった。温泉も別荘地ならではの閑静な夜も子供の慎にはありがたみがない。湯冷めするな。風呂を出ると祖父母は何度も声をかけた。
かつて過ごした二階の二段ベッドに分厚い布団が用意されている。慎は昔みた絵本を取り出して再び読みふけった。これぐらいの時間に階下の祖父と母が言い争うことがある。大抵の理由は再婚にまつわることだ。
母は二人に結婚のことは教えずに、今まで通りのらりくらりとかわしていくつもりではないか。根拠はないが慎はなんとなくそう思った。少なくとも今夜は何事もなさそうだ。母は深夜映画も観てから寝るつもりだろう。慎は絵本を閉じて目をつぶる。
ガソリンスタンドに勤めていたころは、母は明け方まで帰ってこなかった。仕事から帰るとその日着た制服をまるめて二槽式の洗濯機に放り込んだ。洗濯機に水道水の流れ込む音が二階の寝室にいる慎にもかすかに聞こえてきて、それで目覚める。寝巻のまま階段を降りていくと、朝日の射し込む風呂場の横の洗面台で母がざばざばと顔を洗っている。洗濯槽からは合成洗剤の泡が山のように盛り上がっているのがみえる。母は「おはよう」というと、そのまま服をぬいで風呂に入ってしまう。温泉だから思い立てばいつでも入れる。台所からは祖母が朝食を用意しているらしい音が聞こえてきた。
慎は歯をみがきながら洗濯機の泡をみつめた。中の水は渦を巻いているが、上に膨れ上がった泡はまわっているのかいないのか分からない。
母の帰宅に気付かない朝もあった。母は寝ているのを起こすまいと気づかってか、単に面倒だからか、慎には声をかけずに布団に入る。しかし二段ベッドのきしみやごそごそいう音で目覚めた。慎も声をかけなかった。そのまま真上の母の気配を感じつづけた。
深夜映画を観終えたら、母はあのときのように無言で上の段にのぼるだろうか。居間のソファで寝てしまうかもしれない。祖父母は母にも「湯冷めするな」というべきだ。眠気の強まるのと同時に下にいる母も祖父母もどんどん遠くなる。広々した別荘地の隣家との間隔ぐらいに隔たってゆく。
翌朝、階段を降りて居間の簾《すだれ》をくぐる手前で慎は立ち止まった。居間では祖母がかがんでいる。割れた茶碗かなにかをほうきでちりとりに集めている。怒っているような口調で「それで?」といったのは祖父だろう。慎の位置からは居間にいる祖父はみえない。
「それでって……それだけ」台所の母は立ったまま納豆を練っているようだ。玉簾のせいで母の表情もみえないが、結婚の報告をしたのだとすぐに分かった。
「どんな人なんだ」祖父がいった。
「慎、きちゃ駄目よ」祖母はほとんど叫ぶようにいった。
「すぐに連れてきなさい」
「今、外国だから」
「なにをしている人なんだ」
「さあ」母のかきまわす器の中で納豆はどんどん粘りけを増している。
「さあってことがあるか」祖父はよく通る声で怒鳴った。
「ちゃんとした人なの?」祖母だけかがんでいたから表情がよくみえる。心配というより脅えているようにみえる。
「まあね」母は納豆の入った器に生卵を落とした。箸で茶碗をかきまわす音が軽やかに響いた。慎は祖母が下を向いているうちにそっと簾をくぐり居間に入った。
「大丈夫なのか」祖父からも祖母からもまったく再婚を祝う言葉が出てこない。
「全然、大丈夫」母は刻んであった葱を納豆の器にいれてまた練った。
「全然、大丈夫だと。馬鹿っ」日本語の用法の間違いに怒ったのか、母の言い様に怒ったのか、とにかく祖父の顔は真っ赤になった。言葉が続かなくなり、そのまま奥の和室にひっこんでしまった。
三人で朝食を食べた。納豆はとてもおいしかった。祖母はまだなにか聞きたそうにしていた。だが母は「今度連れてくるから」といったきり黙ってしまっていた。
食べ終えると母はさっさと帰り支度を始め、すぐに出発した。来るとき対向車線を挟んで右手にあった海岸を今度は左手にみながら、母はまた猛スピードで飛ばした。
母の結婚相手について分かったことは今は外国にいるということだ。翌朝、慎は須藤君に「外国っていったことある?」と聞いてみた。須藤君は同じ公団のB棟に住んでいる。おとなしい、いつも困った表情をした少年だった。
「ないよ」と須藤君は予想通りの答えをした。
「去年の夏、同じクラスの子が家族でハワイに行ったって。クラス全員にキーホルダー配った」須藤君は付け加えると、ふうっと白い息をはいた。たまに長い言葉を喋ると息をつくのだ。
慎と須藤君は学年が同じだが同級生になったことは一度もない。一年生の時から一緒に登下校しているが、はじめは会話が弾まなかった。弾まないというよりも、会話はなかった。慎は沈黙が気詰まりなものと感じなかった。
はじめての下校時、団地がみえてきたところでついに「なんで話さないの」と尋ねられた。
「考えてるの」
「なにを考えてるの」
「いろいろなこと」少し迷って慎はいった。
「ふうん」ふうんと納得したので慎の方が少し驚いた。
須藤君はその次の日も慎と一緒に黙って帰ってくれた。
「誰とでも仲良くしなきゃ駄目だって父さんが」団地の側までくると小さな声で須藤君はいった。一緒に帰ってくれないと自分が困るのだといいたげだ。受け取りようによっては腹を立ててもよい理由だ。しかし慎は感心した。そしてなんだか申し訳ないような気がした。学校のことやテレビのことなどをぽつぽつと話すように心がけた。須藤君はいつも少し心配そうに慎の横顔をうかがった。そしてときどき今は何を考えているの、と尋ねてきた。そのたびに慎は恥ずかしくなった。それが素敵な空想でもくだらないものでも、言葉にすることは恥ずかしい。
団地のすぐ近くには市営の水族館がある。母の生まれるより前からあるという古い建物だ。二人は登校途中に立ち止まって水族館のプールを覗き込んだ。プールは二重の金網──プールの周囲のそれと、水族館そのものを隔てるもの──に囲まれている。中にはトドがいる。二重の金網越しにだが、入場せずに毎日トドの様子をみることができる。
この日も二人は金網の前で立ち止まった。立ち止まりたくてそうするのは慎で、須藤君は付き合ってくれているだけのようだ。水族館は長い閉館期間に入っている。観覧車やメリーゴーラウンドなど、わずかに設置された遊具にはどれもビニールシートがかけられており、その上にも雪が堆積している。トドは睫《まつげ》にボタ雪をくっつけたまま泳ぐ。寒そうにみえるのは人間の感じ方で、トドは平気なのだ。誰から教わったのでもなく慎はそう感じた。
慎がトドに興味を持ったのはM市に引っ越してきた初めての夜、不思議な音を聞いたのがきっかけだった。
新しい土地に来たばかりで興奮しているのか、なかなか寝付けなかった。布団から起き出すと手を伸ばし内鍵を外し自室の窓をそっとあけて、まだ見慣れぬ景色を見下ろした。月明かりが妙に強く感じられる。夜更かしの母は多分隣の部屋で本でも読んでいるだろう。
錆びた重い鉄の扉のきしるような、あるいは誰かの鼾《いびき》のような不思議な音がする。遠くから聞こえてくるようにも、ごく近くから聞こえてくるようにも感じられる。四月だったがまだ夜気は寒かった。部屋の窓からは駐車場とまだ雪の残る道路がみえる。窓には頑丈そうな手すりが備え付けてある。窓をしめ布団に入りなおしても変な音はかすかに続いていた。怖いわけではなかった。
翌朝母に前夜の音のことをいうと、サクラでしょといわれた。意味の分からずにいる慎にトドのサクラが寂しいんだよ、と母は言い直した。
入学式の帰りに母は水族館の前で車を停めた。車を降りると母は金網の隙間からみえる看板を指差した。「サクラ メス 三歳 体重推定百キロ」とある。慎が登校時に立ち止まって水族館の様子をみるようになったのはそれからだ。
今では看板の年齢と体重のところだけが書き換えられている。道路脇から覗き込んでもトドのほうでは慎を気にした様子もなく、数百キロあるという巨体を面倒くさそうに揺らしたり、気の向いたときにざぼんとプールに飛び込んだりを緩慢なペースで繰り返すだけだ。
それから後も母は誰も連れてくることはなかった。再びタイヤを取り替えるころには慎は結婚のことを忘れがちになった。
四月になり進級しても慎には「もう六年生なんだから」という気構えはなかった。変わったことといえば、須藤君が野球部のレギュラー候補として朝練に参加するようになり、一緒に登校できなくなったことぐらいだ。
おとなしい須藤君が朝練なんて大丈夫かと思ったが、余計なお世話だと考え直した。少し寂しかったがすぐに慣れた。一人でもプールの様子をうかがった。トドが相変わらずなのを確認すると水族館の遊具などをざっと見渡してみた。観覧車のゴンドラが海からの風に揺られている様子やメリーゴーラウンドの馬の静止しているのを慎は朝靄の中にみた。
団地は海の側だが学校は山の麓にあった。学校の側には牧草地が広がっている。牛が食べてしまうので、給食のパンや菓子を包んだビニール袋を下校時に捨ててはいけませんと先生にいわれた。しかし牧草を食べる牛や馬の姿をみたことは一度もない。牧草地帯を通り抜けると製材所と右翼団体の事務所がある。通学途中の子供のためにある文房具屋と、パン屋を兼ねた駄菓子屋の並びを抜けると住宅街だ。昔、製鉄工場があった頃の集合社宅だった木造家屋と、それをとりこわして建てられたツーバイフォーの真新しい二階建てとが入り交じっている。木造家屋の軒下には冬になるとおびただしい数の氷柱《つらら》が垂れ下がる。
何キロあるのか分からないが家から学校まで子供の足で四十分近くかかる道を慎は黙々と歩いた。
母は市役所に勤めている。学校で資格までとって始めた保母の仕事は長続きしなかった。
あるときスーパーマーケットの大きな駐車場で小さな子供が「せんせいこんにちは」と手をふった。母は慌てて笑顔をつくり手をふりかえした。子供の背後にいる親にも会釈をするとさっと車に乗り込んだ。
「あの子苦手なんだ」シートベルトをしめながらいう。慎は少し驚いた。さっきの笑顔は仕事用ということなのだろうが、相手は子供ではないか。なぜ保母になどなったのだろう。母は慎の考えを見抜いたようにいった。
「子供ってさ。子供って、全部あんたみたいなのかと思った。そしたら違ってた」そりゃそうだよね。母は独りごちた。慎は自分が褒められているとはもちろん感じなかった。与《くみ》しやすいとか、相性のことをいっているのだろう。
その後もいくつか職を転々とした末、市役所の社会福祉課というところに非常勤待遇で勤めている。母子家庭や、事情があって働けない家庭に無利子で貸し出す生活一時資金というのがある。母が担当するのはその返済を促すという仕事だった。
「まあつまり借金取りだね」と母はいった。本当は返せるだけの十分な稼ぎがあったり、貸付制度を受けるための資格がなくなっているのに手続きをさぼったり、踏み倒そうとする人がいる。母はそういった家を訪問したり電話をかけたりして未払いの督促をするのだった。
最初は雑用で雇われたのだ。いつのまに返済督促の係になったのだろうか。おそらく誰もやりたがらないのを成り行きで引き受けていくうちに、だんだん専門になっていったのだろう。
母はしばしば帰宅してからも電話口に立ち、側で聞いている慎も震えるような声音で取り立てをしていた。
「こういうのドウカツっていうんだよ」電話を切ると母はいったが、もちろんそれは仕事で恫喝などではない。だが慎には保母に次いで母がまたしても不可解な仕事を選んだという気がする。
鍵っ子であることに寂しさはなかったが母の帰りを待っているだけでお腹はすいた。そのうちに御飯の炊き方だけは覚えさせられた。学校から帰るとまず手を洗う。冬などは外の気温の方が水道水の温度より低いから、冷水に手を当ててもお湯のように暖かく感じられる。手が麻痺しているうちに釜に米と水を入れて何度もといだ。白くなった水をゆっくり流していくとき糠《ぬか》の匂いがかすかにする。水が透き通るまでとぐと手は真っ赤になった。いきなり炊かずにしばらく置いておくことを「米をうるかす」といった。「うるかす」という言葉が標準語でないと知ったとき、慎はずいぶんうろたえた。自分の過ごしたある時間をまるごと否定された気がしたのだ。
三十分うるかしたら炊いてもよいと教わった。花柄の炊飯ジャーに電源スイッチはない。コードを差すといきなり保温のランプが点くのはテレビやラジカセなどと比べてもいい加減な感じがする。炊飯のスイッチを押し込んで待てば、やがてかちんと控えめな音がして御飯の炊けたことが分かる。
慎は一人で本を読んだりアニメの再放送をみて過ごす。友達を家に呼んではいけないことになっていた。何年か前にA棟の女の子が四階の窓から落ちて死んだ。アスファルトの血の跡は目立たなかったが、その周囲に扇状におかれた花束やお菓子などは長く慎の心に残った。母は手すりから身を乗り出すなとか、ベランダで遊ぶなといった注意はせずに、自分の留守中に学校の友達を家に呼んではいけないと厳命した。ほかにも火の元の注意をうるさくいったが、それも火事を起こしたら他人に迷惑がかかるという理由だった。慎自身の身の安全に関する注意はなかった。信頼されているからだとは思えなかった。どうでもいいと思われているのでもなさそうだ。
母がサッカーゴールの前で両手を広げ立っている様を慎はなぜか想像した。PKの瞬間のゴールキーパーを。PKのルールはもとよりゴールキーパーには圧倒的に不利だ。想像の中の母は、慎がなにかの偶然や不運な事故で窓枠の手すりを滑り落ちてしまったとしても決して悔やむまいとはじめから決めているのだ。
一人で部屋に長くいると上階の物音がよく聞こえる。ボールを落としてバウンドさせたような音や椅子をひいた音などがかすかに響く。たまに諍《いさか》いのような声も。その度に慎は上をみあげた。みえるのは天井と照明だったが、何度でも反射的にみあげてしまう。同じ音を聞いているうちに、ボールのバウンドは金槌で叩く音に、椅子をひく音は鋸《のこぎり》をひく音に思えてきた。何年も聞いていると、上の人がなにかを作っているのではないかと考えるようになった。最近は家の中にログハウスを作っている様子を想像している。諍いは設計をめぐっての対立に違いない。
外国にいる男と再婚したら、母は仕事をやめて家にいるようになるのだろうか。カラメルまで手作りのプリンを、たとえば家に遊びに来た須藤君にふるまったりするだろうか。たまに夫婦喧嘩などして、下の階の子供に変な空想をさせるだろうか。
一人でいる時間に慎が考えている事柄を母は知らない。聞かれたこともないし、慎も話して聞かせたことがない。お互い黙って朝からパンにマーガリンを伸ばしたりしている。
慎は「学級だより」をランドセルから出して母にみせた。春から新担任となった女教師が発行しはじめたものだ。『父兄の方へ』と書かれた隅の欄を両親に読んでもらうようにといわれていたのを朝まで忘れていた。学級だよりの通信欄を母は面倒くさそうに眺めた。母は「藁半紙だ」とだけいった。校舎裏の兎小屋をみんなで掃除したことや六月に行われるリコーダーの合奏会の練習の記事などは熱心にみなかった。
紙をテーブルに放った後で慎ががっかりしたと思ったのか、母は「ガリ版って楽しいんだよ」と付け加えた。それから鉄筆の使い心地について語り始めたがだんだん思い出が湧き出たらしい。謄写版に原紙を取り付けるときのこつ。独特のインクの香りのこと。学生の頃、放課後も居残って文集を刷っていたら大雪で閉じこめられて学校に一泊したことまで、珍しく朝から長々と話した。紅茶をおかわりして聞いていたら遅刻した。
出欠を取り終えたころに教室に着いた慎は「寝坊しました」と素早くいった。くすくす笑う声がする。
帰りのホームルームでまた新しいプリントが配られた。来週に迫った父親参観日のお知らせもガリ版刷りだ。例年通り母は来ないだろう。「だって父親じゃないし」などといって。
ホームルームが終わると担任が慎を呼んだ。慎はびくびくしながら教壇に向かった。遅刻のことかと思ったが違っていた。
「あなたのお母さんのことなんだけど」先生は明るくいった。遅刻よりも面倒な話になりそうだった。
「これまで一度も参観日に来てないね」過去の担任から聞き出したらしい。参観日だけではない。学芸会などもほとんど観に来ない。学校行事はすべて嫌いなのだ。
「お母さんは一人で慎君を育てて、お仕事も頑張って、大変だもんね」はあ。慎は空気の漏れるような返事をしたが、先生は頷いた。
「でもね。学校の雰囲気も知っておいてもらいたいと思ってるの」慎は新しい担任の先生が嫌いではない。一人で頑張って大変なのはこの人だ。サッカーゴールを守り切れると信じて身構えている。先生は白く細長い封筒を渡した。
「帰ったらお母さんに渡して読んでもらって」慎は無言でランドセルにしまった。母は手紙を読んでなんというだろうか。ふんといって放ってしまうか。藁半紙をみたときのように喜びはしないだろう。
その晩母の帰りは遅かった。祖父母のおくってくれた鱈子《たらこ》でお茶漬けを作って夕食をすませた。テーブルの母の座る位置に封筒を置いてみた。テーブルクロスの上で白い封筒は浮き立ってみえる。
また「取り立て」に出向いているのだろうか。つい最近こんなことがあった。二人で映画をみた帰りだった。夜九時を回っていた。母は住宅街で車を停めた。待っててと言い置いて車を降りると、目の前の木造の平屋を訪ねていった。知らない通りの知らない家だ。どれくらい過ぎただろうか。怒鳴る声がまず聞こえた。引き戸が乱暴に開く音がし、誰かと母の言い争う声が聞こえてきた。
中年の女が母に罵りの声をあげた。女は頭にカーラーをくっつけたままだった。
「一軒だけ特別扱いというわけにはいきません」と母も言葉遣いは丁寧だったが、声には怒気が含まれていた。女と慎の目があった。女はそれで一瞬気がそがれたようだが、今度は背後から男が現れて怒鳴った。手になにか持っている。
母はもう運転席の方に回っていた。勢いよく乗り込んだが、キーを回す手つきも発車もまったく慌てる様子はみせなかった。発進しても背後の怒声は夜道に響いた。
「塩まいてる」と母はいった。えっと慎は聞き返した。
「本当に塩まいてる」と母はいいながら煙草をくわえた。バックミラーではよく分からない。慎は体をねじって後ろをみた。二人の姿はもう小さくなっている。慎はまだ塩をまくという行為の意味を知らなかった。
母は少し亢奮した横顔をみせてはいたが、保母だった頃、子供に挨拶をしていたときよりもずっと平気そうだった。
「今の家、こーんな大きいテレビがあったよ」といいながらフロントガラスを縁取るように片手を動かしてみせた。帰宅すると母は夜遅いのにホットケーキを焼いた。訳も分からずに慎は三枚食べた。母も三枚食べた。
夜遅く帰宅した母はいつもよりぐったりとしていた。取り立てではなく、霧がすごかったという。フォグランプを点灯しても、対向車がぬっと目前に現れるので怖くてしばらく動けなかったと。M市は雲だけでなく霧も頻繁にでる。しかしこんなすごいのは初めてだったと母は半ば感心している。
慎はお茶漬けをつくって出した。母はすこし大げさにその味を褒めた。音をたてて沢庵を齧《かじ》る母はなぜかいつもよりこぢんまりとしてみえる。
「濃い霧に包まれると、狭いような広いような気持ちになるね」
テーブル上の封筒には気付いたが慎の説明をきくといかにも面倒そうに「あした、あした」といってソファに体を俯せに投げ出した。
翌朝、慎が起き出してくると母はソファに寝ていた。慎がやかんにお湯を沸かし食パンをトースターにいれようとすると、背後で「パンいらない」と呟いた。
慎が渡した封筒を母は無言で開封した。取り出して広げられた便箋は封筒と同じくらい白かった。カーテンの閉まった居間でそれはまぶしく感じられる。
母が背後のソファに横たわったまま無言で手紙を読んでいる間、慎は一枚だけ焼いたパンをもぐもぐと食べた。
「慎くんは真面目でしっかりしてるんだ」母は慎の背中にいった。無口な人は、みんな真面目でしっかりと思われるんだ。母は自分も学生のときはそういわれてきたから分かると小声でいった。
最後まで読み終えると「来週の日曜の参観日に来ないなら向こうが来るってさ」ふてくされたように母は寝返りをうった。日曜か、と母はいった。空中に予定表があるかのように目を泳がせた。
母は参観日に遅れてやってきた。憮然とした様子を想像していたがそうでもなかった。背後に親が来ているそわそわした気持ちを慎は初めて味わった。腹の出たお父さんたちに混じる母を慎はすこし自慢に感じた。たった一度の登場で教室中の皆に強い印象を与えたようだ。授業が終わるとクラスメートが次々やってきて「おまえの母さんかっこいいよな」と口々にいった。「慎君のお母さんってかっこいいね」と普段会話することのない女の子までいう。
母は先生と面談があるという。慎は一人で先に帰宅した。母の帰りはまたしても遅かった。母はなぜか上機嫌でおみやげにフライドチキンなど買ってきた。慎はお茶漬けを食べ終えていた。
「どうだった」
「うん。どうってことなかった」子供がとぼけるときのような返事だ。六月に公民館で行われる合奏会にも来るようにいわれたとだけ教えてくれた。
落成して間もない公民館だったが満員になったのは「のど自慢」が公開収録されたときぐらいで、徐々に減っているといわれるM市の人口に比べてもこの建物は立派すぎる、予算の無駄遣いだと評判も芳しくない。慎もこの立派な建物で縦笛を吹くのがとても恥ずかしい。
母は開始時間にまた遅れた。ホールの後部ドアを開けて入ってきたとき、慎の学年の演奏はちょうど中盤に差しかかっていた。母は知らない男性と一緒に入ってきたが、たまたま同じタイミングで入った誰かの父兄だろうなどと慎は思った。慎は口に縦笛をくわえながら上目づかいにみた。母と男が暗い通路を歩いて一番後ろの客席に並んで腰掛けても、まだあの人は誰のお父さんだろうなどとぼんやり考えていた。
それがあの「外国にいる男」だった。公民館の駐車場で紹介された。
「いい演奏だったね」というのが男の第一声だった。
「後生だから『翼をください』じゃありませんようにと念じていったら『コンドルは飛んでゆく』だったから、飛ぶけど鳥だしまあいいかと思った」というのが帰りの車の中で漏らした母の感想だった。エマニエル夫人のテーマを子供ら全員で合奏すれば壮観なのにと母は呟いた。自分でいって自分で笑った。運転席の男もふふっと笑ったが、慎は母が助手席に座っている光景があまりに異様にみえて、なにも考えられなかった。自分が後部座席にいるのも変な気分だった。
陽光が正面から差し込むようになると男は運転席のバイザーを倒した。挟まれていた紙片が落ちてきた。いつかみた写真だ。男は左手でそれを取って「あぁ、あのときの」となつかしそうに笑った。
男は慎一と名乗った。
「慎君と同じ慎の字に、一」慎一はそういうと箱をくれた。あけると外国製の木の兵隊のセットだった。銃をかついだバッキンガムの兵隊が十五体。柵と木と犬もある。母はそれを「あんたはどうせなくすから」といって自分の寝室の本棚の文庫本の手前に飾ってしまった。慎君にあげたんだよ、と慎一が笑いながら抗議した。
「仕方ないから、これあげる」というと、手帳を開いて挟まれていた切手をくれた。I LOVE YOUという文字が六列並んだデザインだ。
「アメリカのバレンタインの切手。消印がどのように押されてもこれだけ書いてあれば必ずアイラブユーの文字が残るんだ」慎は水をすくうように手を丸めてそれを受け取った。半年かけてアメリカを横断して最後はイギリスにもいったという。
慎一がトイレにいくとテーブルの向こうの母は少し嬉しそうに「どう?」と小声でいった。いいと思いますよ、という去年の靴屋の店員の言葉を思い出した。慎は仕方なくうん、とだけいった。
「慎君は将来なにになりたいんだ」慎一は整った顔立ちに似あわない威厳のある尋ね方をした。
「漫画家」いってはみたが、本当にそうなのか自分でもよく分からない。漫画を読むのが好きなことはたしかだ。お年玉はすべて漫画に注ぎ込んだ。母は子供だましのおもちゃには否定的だが漫画にはうるさくなかった。布団に入ってうとうとしているころに母が現れて、漫画を借りていくことがあった。自分の買った漫画が翌朝褒められると、自分が作者であるかのように嬉しくなった。
「漫画家か。いいね」うん、うんと居間で慎一はやたら感心している。母は台所に向かっていたが振り向いて、所在なく立つ慎をみて笑った。晩御飯を一緒に食べてから母は慎一を車で送っていった。帰ってくると母は「緊張した?」と尋ねてきた。慎が首をふると「そう」じゃあもう寝なさい、といつになく優しい声でいった。
その翌朝、母は突然思い出したように「あんた漫画家になりたいんだ」といった。
「私も漫画家になりたかったんだ」そういうと自分の部屋から布に包んだものを持ってきた。テーブルの空いたところに布を広げると、ペン軸やインクボトルや定規が出てきた。ところどころ穴の空いた変な形の板には見覚えがある。慎が触れると
「雲形定規」と母はいった。それから順番に「烏口に、丸ペンGペンカブラペン」と調子をつけるように他の道具の名前を教えてくれた。
「なんで、ならなかったの漫画家」
「反対されたからさ」
「誰に」愚問だった。
「私が反対を押し切ってまでしたのは、結婚してあんたを産んだことだけだ」といった。なんと応じていいか困ったが、母は気にせずにパンをかじった。
「あんたはなんでもやりな。私はなにも反対しないから」そういうとパンを皿に置いて、両手を大きく広げてみせた。
「若いときは、こんなふうに可能性がね。右にいってもいい、左にいってもいいって、広がってるんだ」母はだんだん両手の間隔を狭めながら
「それが、こんなふうにどんどん狭まってくる」とつづけた。
「なんで」
「なんででも」母はそういうと両手の平をあわせてみせた。母が珍しく口にした教訓めいた物言いよりも、その手を広げた動作の方が印象に残った。
慎は初めて名前を知った雲形定規をもう一度手に取り、天井を覗いてみた。
二度目にきたとき、慎一は本を二冊もってきた。「手塚治虫漫画四〇年」という分厚いサイン本と「君も漫画家になろう」という入門書。サイン本は本棚に飾った。入門書は途中までは熱心に読んだ。章立てのはじめの方は「四コマ漫画を描こう」ぐらいで簡単だったのが中盤からいきなり難しくなる。パースが、とかカケアミが、などと書いてあるようになって投げ出してしまった。
三度目の訪問時に漫画家になれそうか、と訊かれて慎は本の後半を開いてみせた。
「生きていると、どんなことでもそうだよ」ソファに深く腰掛けて慎一はぱらぱらと本をめくりながらいった。
「四コマ漫画で大丈夫っていわれて安心していると、突然何喰わぬ顔でパースが出てくるんだ」その言葉で慎は少し慎一に気を許した。
慎一はしばらくパースがねえ、パースパースなどとぶつぶついっていたが急に「水族館に連れてってよ」と慎に向かっていいだした。連れていってあげなさいと母もいった。母は晩御飯作りに専念したいようだ。
薄暗いひんやりした階段を降りて外に出るとB棟とC棟の間にもう水族館はみえている。慎一はポケットに手を入れて歩きだそうとしたが「やっぱり車でいこうか」といった。そして目前に停めてあったジープのドアを開けた。シビックよりも車高が高く、登るようにして慎も助手席に乗り込んだ。助手席には帽子が置いてあった。西部劇のガンマンがかぶっているような、広いつばのついた少しひしゃげた帽子だ。慎一は「テンガロンハット」と名前を教えてくれた。アメリカで知り合った友達がくれたのだという。
「その人、アメリカ人?」
「アメリカ人だけど、その人も普段からこれをかぶっているわけじゃないよ」慎一は笑っていった。
「日本でいうと、そうだな。ちょんまげみたいなものだから」といってエンジンをかけた。シビックよりも強い振動が伝わる。シフトレバーが大きく震えている。車が発進して水族館の駐車場に停まるまでに二十秒かからなかった。膝の上に帽子を置いていたら「かぶりたい?」といわれた。助手席をふさぐほど大きかったから膝に置いただけなのだが、慎はなんとなく水族館にもそれを持っていった。
慎はこれまでに何度か入場して魚はどれも見飽きていた。暗い館内にコの字形に配置された水槽はほとんどに「冷水系」の看板が付けられている。どの魚も地味で垢抜けない。
「オオサンショウウオ。国の特別天然記念物」
「ズワイガニ。食用として珍重」慎一はプレートの説明文を小声で棒読みした。慎は慎一が次の水槽に移るまで無言で付き合った。
「アブラボウズ。当館のシンボルフィッシュ。……シンボルフィッシュ?」慎一は首を傾げた。
「オオカミウオ。強靱な顎を持ちホタテ貝もかみ砕く」本当かな。そこで初めて慎一は慎の方を向いて尋ねた。慎は両手で持った帽子を胸に押し当てるようにして水槽の中をみた。オオカミウオは自分たちが貝であるかのように水底に黙って積み上がっている。本当、と慎がいってみると慎一はそうですか、本当ですかと神妙そうにいった。
屋外のトドを除けば二階の電気ウナギが唯一といっていい「目玉」だった。螺旋階段を登ると出会い頭に電気ウナギの水槽がある。ほとんど棒のような巨体を横長の水槽いっぱいに伸ばしてたゆたっている。ウナギが放電したときには、それと分かるように水槽の横に電球が七つ縦並びに取り付けてある。慎は上から二つ目の電球がずいぶん前から切れたまま取り替えられていないのを知っている。そもそも電気ウナギは本当に放電しているのか。同級生の間では以前からこんな噂がある。事務室におばさんが待機しており思いついたときに縦並びのトグルスイッチをボールペンで撫でるようにして順番にバチバチっと点けていくのだ、と。
地下の(なぜか地下の方が明るかった)「磯の生物にふれてみよう」というコーナーには浅い水槽が設置されていた。ヒトデや浅瀬にいる貝がいくつも張り付いている。何度きても慎はヒトデに触る気になれない。慎一は袖をまくって手を突っ込み、面白がってヒトデを水槽からはがそうとした。
日曜日なのに水族館はすいていた。遠くのスピーカーから先月新しくはじまったばかりのアニメの主題歌が流れてきたが、音が割れていて昔の歌みたいに聞こえてくる。
「観覧車に乗ろうよ」と慎一がいう。古い観覧車は窓ガラスもないむき出しのゴンドラで、揺れるときいきいと錆びた音がするのでスリルがあった。高さは慎の住む団地と同じくらいだが、それでも土手の向こうに海のみえる光景は新鮮に思える。岩だらけのごつごつした海岸だ。遠くの方で釣り竿をふる人が一人。ウミネコが曇り空を切るように飛ぶ。
「慎君たちの家はどこだっけ」C棟の四階の四号室を指差すと、ちょうどベランダに母が出てきた。洗濯物を取り込んでいる。慎は(小さいなあ)と当たり前のことを思った。
慎一は突然立ち上がった。ゴンドラが大きく揺れる。慎は左手で手すりを強く掴んだ。慎一は何を思ったか大声で「おーい」と母を呼んだ。それから貸して、といって慎の右手から素早く帽子を受け取り、大きく振ってみせた。本当に外国帰りなんだ、とそのときやっと思った。それぐらい慎一の振り方はさまになっている。
慎一が帽子を振ると母は手を休めて笑ってみせた。遠くで笑う母は、自分の知っている母ではない別のもののようだ。野生の小動物か、あるいは花火をみているようだった。慎一は帽子を目深にかぶってみせ、それから慎の頭にかぶせた。観覧車が下に着く前に慎は帽子を脱いでまた両手に持った。
「アイス食べようか」観覧車を降りると慎一は売店でカップ型のバニラアイスを二つ買った。大人が選ぶのはいつもバニラ味だ。ファンタと書かれたベンチに二人で腰を下ろした。
「やっぱりアイスの蓋はなめるよね」などと慎一はいった。慎一は実はまだ少し緊張しているのではないかと慎は感じた。
「アメリカでもなめるの、アイスの蓋」と尋ねると慎一は
「慎君は面白いなあ」といって笑った。そしてあっという間にアイスを食べ終えてしまったので、また少し気を許した。昔母に紹介された男の一人は、慎にあわせて甘いものを買ったくせに、ほとんど食べないで捨ててしまったのだ。
慎に気を許してもらうのが慎一の目的だとしたら、水族館など来ても来なくてもよかった。慎はぼんやりとベンチの前の景色を眺めた。トドのショーの開始を告げるアナウンスが流れてきた。おそらく水族館にきていた客全員がトドの飼われているプールの周囲に集まった。
「名前は」慎一が尋ねた。
「サクラ」慎はプレートを指した。慎一は本当だ、といって笑った。カメラ持ってくるんだった、といいながらプレートばかりしばらく眺めていた。
トドのショーはいわゆるアシカのショーと同じようなものだ。アシカと比べてもトドは大きく鈍重で、手を叩いて愛想を振りまくようなこともできない。色の付いたボールをキャッチするぐらいだ。みている者も、餌を放る人も、あるいはトドも、皆が少しだけしらじらしさを感じているようだった。芸を終えたトドは拍手も聞かずに水面に飛び込んだ。アナウンスは「もうすぐ夏休み。また皆と会いたいな。待ってるよ」などとトドの台詞を勝手にいっている。もうすぐ夏休みだなんてとても思えない。自分の住む団地の連なりを眺めながらもうすぐ夏は終わるんじゃないかという気すらした。
担任は慎をなおも気にかけていて、夏休みはお母さんとどこかいくの? などと尋ねてきた。べつにどこにも、と答えかけたが、また白い封筒をもたされたらいやだなと考え直して「富良野の牧場に」と答えた。先生はよかったねと笑った。実際は富良野に遊びに行くのは慎一と母だった。
二人が一緒に暮らす気配はない。最初の「結婚するから」発言の後、母は慎一に関する何事も語らなかった。慎も尋ねない。三人で映画や食事にいくことはあったが、二人で泊まりがけの旅行にいくのは初めてのことだ。
二人は慎一のジープで朝早く出かけていった。慎の世話をしに祖母が泊まりに来た。慎一さんってどんな方なの? なにやってる方? 外国で何をしてらしたの? 祖母はしつこいぐらいに慎に質問をした。母はまだ祖父母にも詳しく報告していないらしい。アメリカを横断して最後はイギリスまでいった。わずかに知っていることをすべて答えたが祖母は大いに不満そうだった。
祖母は翌日終業式から帰宅した慎の通信簿を褒めて、晩御飯の支度まできちっとして夕方には帰っていったが、夜遅くなっても母は戻らなかった。慎は心配しなかった。これまでも帰りが遅くなることは何度もあったからだ。だが零時を過ぎるとさすがにこれはおかしいと思った。布団に入ったが、電話が鳴り出すような気がして眠れない。事故にでもあったのだろうか。起き出してみたが出来ることはなにもない。テレビをつけてみたが放送終了のアナウンスが流れ、日本の国旗が大写しになっている。
慎は昼間持ち帰った通信簿を、そこに母の遅れの秘密が書いてあるかのように何度か開いてみた。母はいつでも慎の通信簿には張り合いのない反応をかえした。
不吉な想像が頭を埋め尽くす。一時を過ぎるころにはついに涙がこぼれた。何度も鼻をかんだ。泣いたまま母の部屋に入ってみた。
母の部屋の照明だけは蛍光灯ではなく電球だ。慎は実家の二階にあったのと同じオレンジ色のカーテンをあけて外をみた。誰もいない道を照らす街灯を見下ろした。無人の電話ボックスと、駐車場の、母の車が停まっているあたりを眺めてから窓を開けるとトドが鳴いた。
ベッドに腰かけ、側のランプをつけてみた。これも電球で布のシェードが焦げていた。どれぐらい昔から使っているのだろう。踵に触れるものがある。慎はかがんでベッドの下を覗き込んだ。母が寝ながら読んでいるうちに滑り落としたらしい本が何冊かあった。
拾い上げてみると、知らない作家の短編集とアガサ・クリスティと慎がずいぶん前に貸した「新オバケのQ太郎」だ。久しぶりにめくってみる。オバQが家出を決意して、風呂敷に荷物をそれらしくつめて、書き置きを残そうとしていた。正ちゃんに「ねえ、家出のいえってどうかくの」と尋ねて仰天させる。何度も読んだ場面だ。一瞬だけ不安がまぎれて笑いそうになった。
その直後に自分は置き去りにされたのだとひらめいた。もちろん母は書き置きを残すような真似はしないはずだ。
そう考えた途端に、ずっとぐずぐず出つづけていた涙がぴたりと止まってしまった。冷蔵庫のモーター音が不意に止んだ瞬間のような、静かな時間が訪れた。
立ち上がるともう一度窓の外をみた。もうトドは鳴かない。慎はこれまでに感じたことのない妙な気持ちになった。妙と思うのはそれが安心な気持ちだったからだ。それまでの暗く悲しい想像や考えはどこかにいってしまった。
慎は母のベッドで寝巻にも着替えずに横になり布団をかぶった。ガリ版を刷っていた学生時代の母は、大雪で閉じこめられた夜、きっとわくわくしていたに違いない。目をつぶったときに考えたのはそんなことだった。すぐに眠りに落ちた。
翌朝目覚めると今度は当然のように母の出奔が恐ろしく悲しいことに思えてきた。祖父母に連絡するべきか。何時間まで待つのがこういう際の相場なのか分からない。
ところが昼ごろに慎一が電話をかけてきた。二人ははじめの想像通り事故にあっていたという。
帰りの峠道で濃霧が発生した。誤って突っ込んできた対向車を避け、道を外れたジープは急斜面を転がり落ちた。百八十度回転して静止した車内で朝まで過ごしたという。その後助けが来るまでが大変だったと慎一はいうが、電話口の声は元気そうだ。
夕方には二人で帰ってきた。慎一は腕を骨折してギブスを包帯で固定しており額にも大きな絆創膏があった。母にはかすり傷一つない。サンドイッチをたくさん買い込んできていた。二人ともどんどん食べた。
「シートベルトを外すことを考えつかずに、ややしばらく逆さまのままでいたのは、あれはなんだったんだろう」とまず母がいった。それから二人はとても饒舌になった。大変だった。寒かった。辺りが暗くなったときはもう駄目かと思った。トイレが恋しかった。二人は峠の頂上の休憩所でやっと入ったトイレについてひとしきり語り合った。アリゾナの安い宿でもあんなに汚くはなかったとか、くみ取り穴のあまりの深さにめまいがしたとか。母は慎の表情に気付くと
「ごめん。食事中に」といって笑った。慎が気分を害したのはそのせいではなかった。後で心配かけてごめんと母に改めていわれたが、しばらく気は晴れなかった。
慎一はなぜかしかし、その日を境にだんだん家に来なくなった。家に電話をかけてきたことはないので、母と慎一が普段どのように連絡を取っていたのかは分からない。母が無口に変わっていくところから二人の仲を想像するしかない。
「最近あの人遊びにこないね」という不用意な質問を一喝されて、終わったのだと分かった。人と人には関係というものがあって、それは続いたり、盛り上がったり、だらだらしたり、ときには終わったりするのだと慎はもう知っていた。須藤君と長く続いた登下校もだし、祖父母宅への訪問もご無沙汰になっている。
夏休みも母は休まず働いた。富良野どころかプール一つ連れていってもらわなかったが、夏休みの終わる日に、母は仕事から帰ってきてから慎を外食に連れ出した。
デパートとレストラン共用の大きな駐車場で、慎は見覚えのある男女に出会った。少し前に夜道で母に罵声を浴びせた夫婦だ。二人は買い物を終えて車に向かって歩いているところだった。男は箱入りの焼酎を両手に抱えている。女は大きなビニール袋を両手に一つずつ提げ、少し傾きながら歩いていた。髪はカーラーの効果が存分に発揮されているとみえる。歩きながら女の方をまじまじみていたら目があった。慌てて視線をそらしたが、向こうはなにもいわなかった。気付いていないようだ。母もなにもいわずにレストランに入った。
「あの人」といってみた。母は頷いた。
「あんた、よく覚えてたね」
「向こうは忘れてたみたいだ」
「塩まいてすっきりしたんでしょう」
「そうかな」
「それでなんでもすっきり忘れられるんなら、幸せだね」母はいった。頷くと、わかって頷いてるのぉ? と語尾を伸ばして笑った。それから近寄ってきたウェイトレスに短く「喫煙で」と告げた。
二学期の始業式の朝、富良野の牧場どうだった? と先生が声をかけてきた。慎はきょとんと相手を見返してしまった。一瞬、目の前の先生がとても遠くに立っているような錯覚をおぼえたのだ。
九月のはじめに祖母が亡くなった。
歩道を歩いていて車にはねられた。S市には大きな病院がなく、M市の総合病院に運ばれたと聞かされた。母と祖父が病院にかけつけていた時間、体育のマット運動で三半規管をおかしくした慎は給食の後で食べたものを全部戻していた。
連絡を受け、保健室からそのまま早退した。吐いた後始末をした日直当番の子に一言謝っておきたかったが、先生がしきりにせかすので仕方なかった。
病院についたとき祖母の意識はなかった。祖父も母も手術室の前で押し黙って立っていた。病院の廊下はぴかぴかに磨かれており暗いのに人の姿がくっきり映っていた。
夜まで待たされた末、医師がなにか大人たちに告げた。まだ意識は戻らない。予断は許さないが、とりあえず持ち直す徴候が見受けられるというようなことだと母が教えてくれた。やっと少しだけ安堵の空気が漂った。
慎と母は一緒に病院の食堂に向かった。途中、新病棟の女子トイレに清掃中の札のさがっているのをみると母は男子トイレの中を覗き込んだ。無人と分かると割とためらわずに入っていった。壁にもたれて母を待った。廊下の窓は宇宙船かロケットのような大きな円形だった。蛍光灯が明るいせいで、窓外の夜の闇がより深く感じられる。増築されたばかりらしい新病棟は床も天井も新しく、ますますロケットに乗り込んだような寂しい気持ちにさせた。
「男のトイレって面白いね」母は出てくるなりいった。
「私が目の前を通り過ぎるたびに、ざざーっと便器から水が流れるの」おもわず往復しようかと思ったと母はいう。それから急に気付いたように「あんた顔色悪いね」といった。
病院の食堂のメニューはA定食が「豆腐ハンバーグ」B定食が「山菜おこわといんげんの胡麻和え」と、いかにも健康によさそうだが慎には物足りなく感じられた。メニューの文字の横に数字が記されている。五五〇ケーシーエーエルってなんだろうと慎は尋ねた。
「五五〇ケーシーエーエル」母は慎の言葉を繰り返した後、五五〇キロカロリーだよ多分、とこたえた。
「そういえばあんた果汁のことをずっとカジルって読んでたよね」
広い食堂には何人か客がいたが図書館のように静かだった。豆腐ハンバーグは思ったよりおいしい。顔を見ると母は少しほほ笑んだ。
食事を終えて戻ると状況は再び緊迫していた。扉の上に再び点灯した手術中のランプを三人はじっとみつめた。
慎はトイレに立った。祖母が手術中というのに気持ちは妙にゆったりとしていた。センサー式の水洗トイレは慎もはじめてだ。一番奥の便器で用を足した後で、母が面白がったように、ごくゆっくりと便器の前を横切ってみた。長い蛍光灯に照らされた清潔そうな便器から順番に次々と水が流れ落ちる。シンメトリーという言葉は知らなかったが、片側だけでなく反対の壁にも同じように便器があるべきだと慎は思った。
半分ズボンのチャックをおろしかけながら入ってきた男と目があった。慎一だ。もう二ヶ月会ってない。
「やあ」慎一は目を丸くして、すぐ笑顔になった。
「こんにちは」慎は会釈して洗面台にたつと緑色の液体石鹸を掌に出してゆっくりとすすいだ。
「元気?」
「あ、はい」鏡の中の慎一に視線をあわせて答えた。
「おかげさまですっかり治ったよ」そういって腕を動かしてみせるまで、慎は慎一が骨折したことを忘れていた。
「誰か友達のお見舞い?」慎はおばあちゃんが事故で、といった。ほんとう? と慎一は顔を曇らせた。
「でも持ち直すってお医者さんがいってた」とすぐに付け加えた。慎一はそうか、それならよかったと簡単に信じた。意外な場所で意外な人に会った驚きが深刻さを察する気持ちを覆ってしまったのかもしれない。慎一はさっさと手を洗い終わり、ペーパータオルを何枚かとって、慎にも一枚手渡した。
廊下に出ると慎一は、最近はどうですか、なにか面白いことはありますか、と改まった口調で尋ねた。
最近どうだったろうか。昼間吐いた。「キャプテン」と「プレイボール」を全巻読んだ。質問した慎一の口調は少しおどけてもいたから、それらしいことをいうべきだろうか。
「サクラが結婚したよ」と慎はいった。
「ほんとうに?」慎一は驚き、笑った。
「O市の水族館からお婿さんがきた」
「そうか」俺も結婚するんだ今度、と慎一はいった。笑顔をみせたが、すぐにひっこめた。
「しかし、まあ、そんな状況なら、お母さんへの挨拶はまた日を改めてからの方がいいかな」慎は返事をしなかったが、慎一はそう決めたようだった。
「お母さんにくれぐれもよろしく伝えてよ」慎一は最後はまた少し笑顔をみせた。それから新病棟の方に歩いていった。
慎一と別れて手術室の前まで戻ると母も祖父もいなかった。手術室のドアはすこし開いている。慎はぼんやりと待っていたが、中から出てきた母の目は涙でいっぱいだった。
葬式はS市の実家で行われた。久しぶりに二階で寝た。二段ベッドはそのままだったが部屋は整頓されていて別の部屋のようなよそよそしさがあった。
慎は祖母の棺に宝石屋の折り込みちらしを入れた。葬式を終えて霊柩車に乗り込むと、母も祖父もうつらうつらとした。運転手がちらっと後ろを向いて「眠んなさい、眠んなさい」といった。
「ここに乗る人は皆そうですから」とゆったりした口調でつづけた。慎だけがそういわれて頭が冴えてきた。慎は目をつぶった母のやつれた横顔をまじまじとみた。
葬式を終えて帰ってくると慎は学校でいじめられるようになった。突然背後から牧草地に突き飛ばされたり、変なあだ名で呼ばれるようになった。
いじめは慎にとって納得のいく、というか、辻褄のあう話だった。吐いた後始末を出来なかった時点で、こうなることはなんとなくわかっていたのだ。
もちろんいじめは嫌だったが、先生にも母にも相談はしなかった。したいのにできないのではなく、相談するという考えが浮かばないのだった。抵抗するという考えもなかった。ただもう過ぎ去るのを待つだけだ。自分がそうすることを慎はいじめの始まるずっと前から知っていたような気がする。
くすくす笑われたり、机が教室の外に出されたり、そういったことは今までも耐えてきたかのように黙ってやりすごすことができた。慎の心にはまだ少し余裕があった。
「キャッスルホテルで慎の母親の車みたぞ」という紙切れが教室を行き交ったりした。キャッスルホテルはM市に唯一のラブホテルだ。祖母が運ばれた病院の向かいにあったからそのせいだろうと思ったが、むきになって言い返すのは逆効果でしかない。
もっと嫌なのは、小突かれたり、蹴られたりする肉体的な痛みと、なにかを強要されることだ。
ある放課後、C棟の脇の梯子に登れと命令された。自分の住まいの側までいじめが迫ってきたのは生々しい恐怖だった。慎は数人に取り囲まれた。誰かの兄か、中学生も一人二人混じっていた。皆、なにがおかしいのかにやにやしていた。梯子にのぼって、上の方のゴシック体のCの脇に「astle Hotel」を書き足せというのだった。
「おまえの親はそこが好きなんだからちょうどいいだろう」といわれ、慎は怒りを飲み込んだ。自分のことなら脅えるだけだったが母のことを揶揄されるのは悔しい。
にらみ返すと「なんだよ」「やるのか」と四方から小突かれはじめた。仕方なく背伸びしてやっとのことで梯子の一番下にとりついた。皆が取り囲み、その背後を彼らの乗ってきた自転車が囲んでいた。
慎はぶらさがったままはやされつづけた。梯子の先には、かすかに屋根のでっぱりと、あとはいつもの曇り空がみえる。しばらくぶらさがって皆が飽きるのを待つほかない。
実際、慎の様子に飽きてしまうと中学生の一人が慎を引っ張りおろした。そのままどんと突き飛ばすと「貸せよ」といって慎から極太字のサインペンを奪い取った。それからぴょんと梯子にとりついた。本当は最初から自分が登りたかったのだ。
皆、揃って真上をみあげた。中学生は、ひょーっと奇声をあげながらどんどん登って行く。変声期の途中みたいで、ときどき叫び声がかすれている。梯子の終わり、Cの真下に来ると片手で梯子を掴み、口でサインペンのキャップを外した。
「こえーよ」と叫んだが、その声には笑いが混じっている。サインペンのキャップが落ちてきたが地上の皆は安心しきっていた。キャップは皆の背後のアスファルトにかつんとあたって大きくバウンドした。全員振り返ったが見失ってしまった。皆、上のほうが気になってすぐに視線を戻した。Cの字の大きさに比べて中学生の書き足した文字は小さすぎた。かすかな黒い染みにしかみえなかった。
もっと大きく書け、と下から声が飛んだが中学生は降り始めた。しかしキャップを落としたときに下をみたせいか、降りる足取りは登るときよりもかなり慎重になっている。
「足、震えてんぞ」下から別の中学生が叫んだ。
「おまえの名前も書いておいてやったからな」降りてきた中学生は恐怖をごまかすようにいうと、サインペンを慎に投げた。全員満足したらしく、いっせいに自転車に乗ると元気よく帰っていってしまった。慎はもう一度上を見上げたが染みが読みとれないことで気持ちを納得させた。
葬式が終わりしばらくすると祖父が心労で倒れてしまった。看病のため母はS市の実家からM市の勤め先に通うことにした。団地に一人で寝泊まりさせるわけにはいかないと、慎もS市から車で登校することになった。朝五時に起きる生活がはじまった。
床に就いた祖父はすまないな、とだけいった。
「全然、大丈夫」と母はいったが祖父は言葉の間違いを訂正することもなく目をつぶった。
母は毎日往復三時間の移動で徐々に疲労していった。電車賃がかかるので、慎は夕方から夜までを団地で過ごして、晩御飯は実家で夜遅く食べる。しかも月に二度ほど、母は職場に早朝出勤しなければならなかった。その日は午前四時過ぎに家を出て車内でパンを食べる。
まだ真っ暗なうちに団地に着くと、駐車場に入る途中で須藤君の姿をみた。朝練に向かう途中のようだ。今、慎がいじめられていることは体育の合同授業で一緒になるから、多分知っている。自分一人がかばっても何も変わらないだろうということも分かっているようだ。
須藤君は車内の慎には気付かず、野球道具の入った袋を背負いながら黙々と歩いて行く。須藤君と野球という組み合わせは今でも意外に感じるが「誰とでも仲良くしろ」という親の言葉にすこぶる素直だったことを思えば、運動に関しても親の意向があって、須藤君はそれに従っているだけのことかもしれない。慎は遠ざかる須藤君の背中をそっと見送った。
母は霊柩車に乗り込んだときのやつれた表情がそのまま張りついてしまったようだ。慎は息詰まる思いだった。
祖父の家では滅多に使わなくなっていた古いトースターから黒焦げになったパンが飛び出してきたとき、母はそれを乱暴に掴んで台所のシンクに向かって思い切り投げつけた。パンは台所の壁に当たって跳ね返り、慎の足下に落ちた。焦げていても構わないからと手を伸ばすと「ばかっ」と怒鳴った。それから自分がそういわれたみたいにうつむいた。
朝早くS市を出ても国道の手前の踏切によく捕まった。早朝は貨物列車のラッシュだった。左からの列車が行き過ぎてもすぐに右からやってくる。どの列車もひどく速度が遅い。母は苛々してハンドルを叩いたりしたが、時折、牛を満載した車両がゆっくり通り過ぎると我にかえったように慎の方を向いた。少し笑っているようにもみえる。牛は顔の先を貨車からわずかに覗かせて、二人の乗った車をみおろした。慎は母の機嫌が少しでもよくなるように毎朝牛の登場を渇望した。踏切の警笛の鳴り響く中を牛が横切るとき慎は本当に救われたような心持ちになった。
ある朝珍しく母の機嫌がよかった。前日から祖父の状態もよく、踏切にも捕まらず、早朝のラジオの流した一曲目が母の気に入っているらしいものだった。
「ビートルズの『シーズ リービング ホーム』っていう曲」尋ねないのに教えてくれた。
「私も武道館にいきたかったけど、いけなかったんだ」といった。学校のLL教室で音楽の授業で聴いた陽気なビートルズと趣がずいぶん違う。道はすいている。車は時速百キロ以上出している。慎は心が軽くなってしまい、ついいった。
「こないだ病院で、慎一さんにあったよ」
「こないだって、いつ」母は驚いた様子だ。慎は最初から説明しなければいけなくなった。水の流れるトイレでの出会いから、交わした会話まで。すべて明るく喋ったあとで、母の気配が一変していることに気付いた。
それでも慎は、その話を今までしなかったことで怒っているのだと考えた。
「葬式とかで、忙しかったから、いえなくて」ごめんなさいと付け加えたが、母はわかったとだけいって黙り込んでしまった。
「そんなこと、子供にいうかね。しっかし」やがて母は滅多にみせない北海道訛りを出していった。
(お母さんがうろたえている!)慎は母の横顔をみつめてしまった。すぐに睨みかえされた。なにかいわれるかと思ったが母は無言のままだ。
車の中は鉛に満たされたようになった。口にしたのは慎一への怒りだったが、母は目の前の慎に腹を立てているように思えた。実際、慎は自分が軽率なことをしたという気がした。
このときまで慎は母が慎一をふったのだとばかり思っていた。これまでがそうだったからだ。しかし、これまでがそうだったというのも思いこみではないのか。慎は急に思いついた。母の恋愛がうまくいかないとしたらその原因は自分の存在にあるのかもしれない。なぜ今まで考え付かなかったのだろう。重苦しい雰囲気の車内で窓の外ばかりみた。
母が帰ってこなかった夜を思い出す。母があの夜、慎一と二人でいなくなってしまっても自分は納得していたのだと心の中で考えた。自分が一瞬でもそう思ったことを母は知らない。慎は念力をおくるようにそのことばかり考えつづけた。
十一月のある日、慎は学校で数人から本をもってくるように命令された。昔、慎一がくれた手塚治虫のサイン本だ。貸せという話だったが多分返してはもらえないだろう。学校から帰宅すると忘れないように手提げにいれて、明朝団地に戻ってきたときすぐに手に取れるように玄関に置いた。
翌朝は月に二度の早出の日だった。二人は夜明け前にS市を出発した。団地についたのは午前六時をまわったところだった。慎は母に起こされた。外はまだ夜の暗さだ。
二人ともうっかりしていた。母はC棟の前に停めて、キーをさしたまま車のドアを閉めてしまった。慎も家の鍵のついたキーホルダーを助手席においたままドアを閉めていた。母は焦げたパンをみるような目でドアをみた。恐ろしい沈黙が続いた。
「手提げがないと学校にいけない」慎はおずおずといってみた。
「今日はもう仕方ないから、そのまま学校にいきなさい」母は慎の方をみない。車の処置のことで頭がいっぱいのようだ。
「でも」
「でもなに」慎の「でも」よりも速い言い方だった。
「手提げに大事なものでも入っていたのかい?」
「書道の道具」慎は嘘をついた。
「事情を先生にいって、友達に借りなさい」
「でも」
「でも、いったいなんなのさ」母の苛立ちはどんどん高まっていた。
「この状況が分からないの。どうしたらいいっていうわけ」慎は黙った。母は自分の家のベランダのあたりを見上げた。
霧が出てきた。霧は土手の向こうからきて、団地全体を包み始めている。
「わかった、もう」と母はいった。なにをどうわかったのか、母は慎を押しのけるようにして歩き出した。団地の側面まで行くと梯子に手をかけた。そのまま上を見上げている。夜が明けつつあった。慎が追いつくと
「誰かこないか見張ってて」といって母はブーツを脱いだ。でも、という言葉を飲み込んだ。さっきから何度「でも」をいっただろう。何を思ったか母はストッキングも脱いで裸足になった。コートのボタンもはずすと慎が驚いているのも構わずに梯子を登り始めた。
母はどんどん登っていった。中学生の「こえーよ」という叫び声。四階から落ちた女の子。Cの横のくだらない落書き。ジャッキを回す母の手。慎はなにもいうことが出来ずに立っていた。足下にはたった今脱いだブーツとストッキングがある。ブーツは去年の冬に買ったものだ。ストッキングはブーツの上に丸めて置いてある。ずっと昔にも似た光景をみたことを思い出した。ガソリンスタンドから帰ってきた母が風呂に入るときにも、こんなふうに脱いで丸めて床に置いていた。制服はズボンだったからストッキングは冬場の防寒のつもりだったのだろう。今もあのときと同じように、まるで無造作にそれは置かれている。
霧が母を包み始めた。かすんではいるが、母が登っていくのはみえた。周囲は明るくなってきている。母はやみくもに登り続けたわけではなかった。
「今、四階?」朝露を含んだ空気が母の声をかすかにこだまさせた。慎はまだ母がなにをしようとしているのか飲み込めていなかった。
「四階だよね」母は慎の返事を待っていなかった。母はちゃんと横をみて確認しながら登っていたのだ。
母は梯子の左端に寄ると、左手を端の家のベランダの手すりに伸ばしはじめた。届かないと分かると、今度は左足も大きく宙に踏みだした。右手右足を梯子に残したまま、体を思い切り伸ばす……と左手が手すりにかかった。
慎はあわてて周囲を見渡した。ウインドブレーカーを着た男が不意に団地の脇から現れた。C棟の脇を巻くようにして、慎には一瞥《いちべつ》もくれずに走り去っていった。慌てて慎は上をみた。母も動作をとめ、鋭い目つきでウインドブレーカーの男をみつめている。
母は再び手を伸ばした。霧は土手の向こうから広がってきている。さらに濃くなるだろう。
慎の体はすくみっぱなしだった。母の左足のつま先が、端の家のベランダのでっぱりにかかり、左手が鉄柵をつかむと母はためらわずに重心を移動させた。右手と右足をベランダの方に移す。
本当なら今度はベランダの向こう、室内の人影も慎は見張らなくてはならなかった。B棟の窓から覗く人もいるかもしれない。どこかの部屋のカーテンが不意にさっと開くのではないか。しかし慎はなにもしなかった。呆然としていた。この軽業が途中で見とがめられるなどということは想像できなかった。母は足と手を動かして各戸を移っていった。
たとえ四号室まで辿り着いたとして、窓の鍵は開いていただろうか。霧が慎の視界を奪った。やがて母の姿はまったくみえなくなってしまった。それでも慎は上をみあげたが、心がざわつきはじめた。濃い霧に包まれると、狭いような広いような気持ちになると母はいっていた。暗示にかけられたように、慎も同じような気持ちになった。
母は自分の家に入ろうとしている。だが慎は母がこれからどこかに消え去ってしまうような気がする。
「どこにいるの」と声がしたとき、まだ慎は何もみえない上空をみあげていた。誰に呼ばれたかも一瞬分からなかった。
「慎」母が自分の名前を呼んでいる。近くか遠くか、上からなのか横からなのかも分からない。返事をしようとしたら口の中が乾ききっていることに気付いた。慎も霧の中にいた。慎の名を呼ぶ声が団地の間をかすかに反響している。ずいぶん長い間、慎という名前を呼ばれていなかったような気がする。声の方向がだんだん定まってくる。小走りで近づいた。
突然目の前に姿をあらわした母に慎はぶつかりそうになった。お互いすこし驚いて、顔をみあわせた。母はだらんと下げた手に手提げ袋とキーホルダーを持っている。
母はほら、といって手提げを手渡した。書道の道具の入っていないことは明らかだが、なにもいわない。母がストッキングをはきおえたとき「おはようございます」と声がした。二人振り向くと、須藤君が立っていた。
「おはよう。すごい霧だね」母は会釈をかえした。いつもの母ならおはようしかいわないだろう。
久しぶりに慎は須藤君と歩いた。寒いねという須藤君に相槌をうったが、体はまだ少し亢奮で火照っている。くらくらとめまいもする。
須藤君はなにもいわなかった。続いている慎へのいじめのことも、アパート脇に揃えられていた母のブーツのことも。霧は晴れてきた。それでも街は曇っていた。
「今日も朝練?」慎はきいてみた。
「うん。もうすこししたら屋内練習になるけど、今が一番寒いよ」須藤君は気弱そうにいったが、それでも久しぶりに改めてじっくりみると須藤君の肉体はがっしりと引き締まり、背もずいぶん高くなっている。
「でも、少し前からスパイク履かせてもらえるようになったんだ」というと、袋から黒いスパイクシューズを取り出した。そして靴底を上にしてスパイクをみせてくれた。
「いいでしょう」試合は補欠だけど、とそのことはどうでもいいことのように付け足した。それから不意に立ち止まった。
「最近、あまり夜中に鳴かないよね」と須藤君はいった。水族館のプールの前だ。今は結婚してつがいになったトドを二人で眺めた。須藤君もトドの声を気にかけていたのを六年間、知らずにいた。
しばらく二人は立っていた。須藤君は慎の横顔を何度かのぞきこんだ。
「なんで泣いているの」須藤君はいつもより困った口調でいった。
慎は上着の裾で顔をぬぐうと「これ預かってくれない」といって手塚治虫の本を手提げごと須藤君に渡した。
慎はときどきだが再び須藤君と一緒に登校するようになった。自分からいろいろ話すようになった。母も新しい生活のリズムに慣れてきたようだった。祖父もだんだん回復して、車の運転もして詩吟の集いにも出かけるようになった。
ある朝S市から国道に入るT字路で赤信号になった。
「そういえばどうでもいいけど」母は停車すると煙草に火をつけてからいった。
「あんた、キャッスルのスペル間違ってるよ」C・A・S・T・L・Eだよ。CASSLEじゃないよ。
「僕が書いたんじゃない」中学生がやってきて、僕の名前で勝手に書いたんだ。正直にいってみると、それはなんでもないことだった。
「馬鹿が多いんだね」母は眉間に皺を寄せて、煙草をふかした。
「おじいちゃんずっと一人暮らしだと寂しいから、私たちが引っ越しをしなきゃ」
「うん。いいよ」
「今度の学校も馬鹿がいないとは限らないよ」母はすでに吸殻でいっぱいの灰皿に煙草を無理矢理押し込んだ。
「平気だよ」自分でも意外なほどきっぱりとした言い方になった。母は慎の横顔をみつめた。
左手の方で信号待ちをしている車がワーゲンだった。
「こんな朝に」母は呟いた。
国道側が青に変わり最初のワーゲンが行くと次もワーゲンだった。道の左手には大きな家具屋の店舗があってみえなかったが、つづく三台目もワーゲンだった。
「すごい」慎はいった。
「次もだ」母の声もうわずっていた。
どこかで見本市でもあったのか、これからあるのか、どれも真新しい色とりどりのワーゲンが数珠のようにつづいた。二人は声を揃えてワーゲンを数えた。全部で十台が通り抜け終わると計ったように信号が切り替わった。
二人の乗ったシビックはワーゲンに先導される形で早朝の国道を走った。慎は母が喜ぶと思い自分も嬉しくなった。しかし見通しのよい上り坂になって前方をワーゲンばかりが行進するのをみているうちに母は急になにかがこみあげてきたみたいになった。母はまた煙草をくわえ火をつけると、アクセルを思い切り踏み込んだ。
追い越し車線に入って数台抜いたところでトンネルに入った。母はさらに加速させた。キンコン、キンコンとスピードの出しすぎを警告するチャイムが鳴った。
トンネルを抜けるころには十台のワーゲンをすべて追い抜いて先導する形になった。母は満足そうにバックミラーを覗いた。やっと少し速度をゆるめたが、ワーゲンの列はどんどん遠のいた。
根元まで吸った煙草を捨てようとしたが、灰皿にはもう押し込めそうもない。母は慎に短くなった煙草を手渡した。
「そこから捨てて」という。まだ先端の赤く灯る煙草を受け取った慎は、あわてて空いている方の手で窓を開けた。左手の海岸に向けて慎はそれを放った。煙草はガードレールの向こうのテトラポッドの合間に消えた。
初出誌 サイドカーに犬 「文學界」2001年6月号
猛スピードで母は「文學界」2001年11月号
単行本 2002年2月 文藝春秋刊