ハルヒ劇場《げきじょう》
作/谷川《たにがわ》流《ながる》
イラスト/いとうのいぢ
パラララッパラ〜パラララッパラ〜とテーマソングにのって開幕しました「ハルヒ劇場」。いつものシリーズの流れからチョロリとはずれた物語をお届けする当劇場のコケラ落としは、なんとファンタジー・ハルヒでございます! なぜか異世界に紛れ込んでしまったSOS団の面々が巻き起こす大冒険にハラハラドキドキ、手に汗握ってもらいましょう! ちょっとフツーじゃない? なんだかいつもと違う? それが……「ハルヒ劇場」なのだ!
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登場人物《とうじょうじんぶつ》
勇者:涼宮《すずみや》ハルヒ
もしも勇者以外の職業だとしたら本人が納得しないね。本当は性格的に魔王だと思うのだけど。
戦士:キョン
ファンタジー世界に行こうとも、勇敢な戦士になろうとも、キョンの呼び名はキョンのまま。
盗賊:長門《ながと》有希《ゆき》
盗賊というより殺し屋みたいな雰囲気。露出度の多い服装は、身軽な行動をするための必然なのです。
吟遊詩人:古泉《こいずみ》一樹《いつき》
いつも無駄におしゃべりな古泉にはピッタリの職業。何の役に立つのかわからないのも普段を同じ。
魔法使い:朝比奈《あさひな》みくる
みくるが魔法使いって……激しく不安、使える魔法は「お茶を上手に淹れる」だったりして。
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ほとほと呆れかえることに俺には現状がさっぱり理解できなかった。普通の感性を持っている人間ならば、きっと今の俺の立場と脱力感にシンパシーを覚えてくれることだろう。そしてともにこう言ってくれるに違いない。
「なんだ、これ」
「何か言った?」
俺の隣でハルヒが場に似つかわしくないスマイルを浮かべている。凶悪なまでに嬉しそうな、常識を一切無視して突っ走ろうとしているときの笑みである。こいつがこんな笑顔になったが最後、俺たちはどこまでもこの無軌道な女に付き合って行くところまで行ってしまわなければならないのである。乗った電車の行き先が生徒指導室とか予備校の浪人生クラスとかになっていないことを祈るしか手だてはない。
だが、まあ今は祈っている場合でもなさそうで、
「何も言ってねえよ。というか、しばらく何も言いたくない」
俺のコメントはこれだけだ。
「あっそ。じゃ黙ってなさい。ここはあたしに任せて、あんたは脇役になってればいいわ。こういう交渉ごとにあんたは向いてないからね」
こいつに俺の向き不向き及び進路を勝手に決定されたくはないが、とりあえず俺は口を貝にすることにした。確かに誰に何を言えばいいのか解らんし、下手に適当なセリフを口にして事態を悪化させることだけは避けたいと思ったからで、しかし誰だっていきなりこんなところで突っ立っている自分を見つければ、俺と同じような心境に陥るだろう。
そう、突如として自分がどこかの城の王宮に駆り出され、目の前にやたら恰幅《かっぷく》のいい王様みたいなおっさんが玉座に身を沈めているのを目の当たりにしていたらな。
「勇者ハルヒよ」
と、そのダイヤのキングそっくりのおっさんは重々しく渋い声を放った。
「世界を救えるのは生まれながらにしての勇者にして、太古から連綿と受け継がれた伝説の大勇者の血を引くおぬしだけなのだ。どうか余の願いを聞き入れ、この美しい世界を恐怖と災厄によって支配しようとする邪悪な魔王を倒してはくれまいか」
「では、おっさん」
ハルヒは脇に控える宰相みたいな爺さんに「陛下」と呼ばれていた王様野郎に軽々しく言ってのけた。
どうやら中世風絶対王政を敷いているらしいが、この国は不敬罪はないのだろうか。そろそろ衛兵が出てきてハルヒを牢獄にぶちこんでもいい頃合だ。ただし独房にしてくれよ。俺まで入りたくないからな。
ついでに言えば、長門と朝比奈さんと古泉だって入りたくはないだろう。こうやって、列に並んでいるからと言って、連座制でお縄になるのは勘弁して欲しい。
「世界を助けてくれってのは、そうね、納得してあげなくもないわ。あたしに依頼するのももっともなお願いだと思うからね。あなた、いい人選したわよ。このあたしとあたしが率いる連中は、どんな依頼でも秒単位で解決できるからね。ちゃんと実績もあるわよ」
このセリフを即座に全消去し、なかったことにしてくれと思いたくなるくらいデマカセだらけだ。
俺の左隣で、ハルヒは見事に姿勢良く、そして威勢も良く、びしっと右手人差し指を玉座のキング氏に突きつけて、
「でもね、労働には対価が付き物なの。その支配欲に取り憑かれた魔王とやらをぶちのめしたとして、あたしにどんな得があるわけ? なんとなくだけど、誰が支配しようが税金納める先が変わるだけって気がするんだけど」
達者に回る口だよな。俺は生き生きとした顔から目を転じ、ハルヒの衣装をさりげなく観察した。
勇者ハルヒよ――、なんてこいつに向かって呼びかける奴がいたら、普通の俺は気の毒な思いを押し隠しながら救急車を呼んであげるか即座にその場を離れるかするだろうが、この場においてはさすがにそれは無理だった。なぜなら、今のハルヒの格好はどう難癖つけるとしても「勇者」っぽかたからである。想像していただきたい。何でもいいから西洋中世世界ベースのファンタジーRPGに出てくる勇者的な衣装をな。だいたいあってると思うぜ。それが今ハルヒがまとっている衣装なのだ。
「おお、勇者ハルヒよ」
さっさと城から叩き出せばいいのに、王様はなおもハルヒの相手をするつもりらしい。
「悪なる魔王を倒し、世に平和をもたらした暁には、そなたの名は英雄として地の果てまで轟こう。その栄誉だけでは足りぬと申すのか」
「そりゃ、申すわよ」
ハルヒは指を鼻先で振った。
「栄誉賞のメダルなんか、煮ても炒めても食べられないからね。せいぜいオークションで転売するくらいが関の山だわ」
「勇者ハルヒよ。ならばそなたを王宮に迎え入れよう。我が娘である姫と結婚し――」
「いらないって、姫さまなんか」
「――ではなく、王子と結婚して同権君主となるのはどうか。ただ、我が子たる王子と姫は揃って魔王によって、拐《かどわ》かされ、魔王城に監禁されている。救い出してくれてからの話であるが」
「いらないって言ってるでしょう」
だんだん声に怒気がこもり始めた。
「そんなわけの解んない奴との結婚をチラつかされてあたしが喜ぶと思ってんだったら言っとくわ。あんたメチャ間違ってる! どれくらい間違っているかって言うとね、マークシートを一段ずらしで全部塗っちゃってそのまま解答用紙を出しちゃうくらいの大間違いよ! しかも模試じゃなくてホンチャンで!」
ハルヒは語気荒く叫び終えると、俺の耳に口を寄せてきた。
「ねえキョン、このまま反乱起こして革命起こしてやんない? 剣突きつけて脅せばこのおっさん、あっさり退位しそうな気がするわ。なんならあんたを王位につけてあげてもいいわよ」
やるなら一人でやってくれ。俺は反乱にも革命にも王権にも興味はない。世界の片隅で平和な余生を送りたい。ハルヒ以外の仲間たちも同じことを考えているに違いないさ。
というわけで、俺はハルヒの視線をかわすように反対側を向いた。そこにあったのは、俺が目に入れて飼えるなら痛いのも一週間は我慢するだろうと思うくらいに愛らしい、朝比奈さんのきょとんとしたご尊顔である。
「あ」
朝比奈さんは俺の視線に気づくと、それまでの戸惑い顔を和やかに微笑ませ、照れくさそうな仕草で両手を広げた。抱きついてもいいですよというボディランゲージではなく、
「似合ってます? これ」
似合うも何も、朝比奈さんが着て似合わなかったらそれはモデルではなく衣装の責任だ。そんな衣類は寒い夜に山荘の暖炉にでもくべてやるがいい。
「完璧《かんぺき》な魔法使いですよ。他の何にも見えません」
賛美すべき言葉はシンプルにまとめるべきだと感じつつあるこの頃なので、俺は万感の思いをワンセンテンスに込めて言った。伝わったに違いない。朝比奈さんはますます笑顔となって、
「キョンくんのも、お似合いですよ」
それはそれは、と俺は何とか笑みを浮かべつつも、実際にありがたいと思うべきかどうかははなはだ微妙な問題だった。趣味にないコスプレが自分にマッチしていたとして何が楽しいことがあろう。俺が取り繕い方を模索していると、おそらくハルヒとのやり取りに疲れたのだろう、ダイヤのキング氏が、
「戦士キョンよ」
ついに俺にまで声をかけてきた。
「おぬしはどうか。世界を救い、我が姫を妃として次代の王の地位を保証してもよいが」
――戦士。それが俺の役回りのようだった。鎧《よろい》を着て長剣まで腰に差しているんだから、そりゃあもう俺は戦士だろう。少なくとも格好だけは。ちなみに剣の心得は中学のときの体育の授業で竹刀を振り回したレベルだが、そんなのでもいいのかね。
「手前ミソになるが、姫は美しい」と陛下は親バカを発揮し始めた。「前年度の世界美少女百選で主席の地位に輝いたのだ。魔王につれさられなければ今年も連覇していたであろう」
「そっすか」
俺はそっけなく応える。その姫君がどれほどのものかは一見の価値があるかもしれない。だが確実に言えることは、まだ見ぬ彼女は朝比奈さんより可愛くもハルヒ以上の行動力も長門並みに超便利でもありはしないに違いないということだった。もはやちょっとやそっとのことでは俺のハートマークは揺らいだりしないのさ。
大体、ここでうなずいたりしようものなら魔王より早く俺が勇者に成敗されてしまうだろう。そんな未来の光景がシャボン玉のように目の前十センチあたりに浮かんで消えた。
「しつこい王さんねえ」
ハルヒが何をゴネているのかと思ったら、
「旅の路銀がこれじゃあ全然足りないわ。成功報酬なんてケチなこと言わないで、限度いっぱいまでくれたらいいじゃないの。そうね、99999ゴールドくらい」
紙幣が開発されているならいいが、もし硬貨だったとしたらとんでもない重量になりそうだが、宝箱を背負って歩くのは誰なんだ? と口を挟むのもバカらしい。王冠でも貰っとけよ。どこかで換金してくれるだろ。
なおもハルヒは為替の変動レートや金本制度の有無について質問を飛ばしたあげく、騎兵一万と歩兵五万からなる軍団を護衛につけろとかの、言ってもしょうのないことを言って陛下と宰相の顔色を困惑色に染めていた。
しばらくヒマになりそうだったので、この間を利用し残り二人の格好を簡潔に描写しておこう。
長門は盗賊で、古泉は竪琴構えた吟遊詩人。終わり。それ以上説明しようもない。見たままだ。
長門は動かない視線でひたすら真正面の石の壁を見つめ続けているし、古泉は空々しいまでの爽やかスマイルでハルヒのしゃべくりを静観していた。こいつの衣装を俺が着るハメにならなくて胸をなで下ろすね。うっとうしいくらいに古泉には似合っていたが。
パーティのメンツはこの五人、早い話がいつものメンバーだ。ただしハルヒの肩書きは団長ではなく勇者で、俺はお供の戦士、魔法使い朝比奈さんに盗賊が長門、吟遊詩人に扮するは古泉という、なんだか企画の段階でうっかりキャラ設定を別の物語に間違えて入れてしまったようなミスキャストぶりだった。
だが、これで何とかするしかなさそうだ。
ハルヒとダイヤ王陛下が間抜けな押し問答をまだやってるおかげで、この世界が置かれている事情は解ってきた。とにかく根元的に邪悪な魔王がいずこからともなく湧いて出て、この国の支配階級にとってそいつはとんでもなく邪魔であり、おまけに誘拐犯でもあるため、お前らちょっと冒険ついでにとっちめてこいって話である。要するにRPGだ。しかも、かなり出来の悪そうな。
「さて」
俺はそう呟いて腰の剣を持ち上げてみた。いったい何と戦うのかは知らないが、あまりこいつを使うような局面が訪れては欲しくない。こちとら殺伐としたシリアス系は苦手なのでね。
長々とした交渉がやっと終了した。やっぱりだ。金貨がぎっしり詰まった宝箱を背負って歩く俺、長門、古泉の姿はハタから見たら勇者一行でもなんでもなく、ただの図々しい物取りなのではないかと疑問を感じる余裕もなく重かった。荷物運び係りには慣れているはずだったが、満載の金貨が詰まった木箱はさすがに最近背負ったどんなものよりも重く、ハルヒの体重以上はありそうで、重量で価値が決まるのならば文句なく宝箱の勝利である。
「出だしはまあまあね。この調子でラストまでいくわよ」
先頭をずんずん進むハルヒの道程《みちのり》に従って、俺たちはひいひい言いながら後を追う。もっとも喘いでいるのは俺だけで、長門と古泉はけっこう余力を持って荷物を担いでいるようだが、長門はともかく古泉にそれだけの腕力があるとは妙に気にくわない現象だった。ひそかに筋トレでもしていたのか、この野郎。俺も誘えよな。
言うまでもなく朝比奈さんに余計な斤量は与えられていない。彼女が持っているのはネジくらた古木の棒であり、それが彼女の魔術的アイテムであるらしい。実はよく解らない。この朝比奈さんにどんな魔法が使えるというのか、疑問以前にミステリーの一種である。まさか美味しい新茶の淹《い》れ方とかいうような豆知識のことじゃないだろうが……。
「まずは腹ごしらえよ。好きなもんを注文しなさい。軍資金はたんまりせしめたし、景気づけにパアッとやりましょう」
ハルヒが立ち止まったのは、ナントカ亭という木彫りの看板が店頭に掲げられた木造二階建てだった。道端に何頭かの馬が紐で繋がれており、どこか疲れた目を俺たち五人に向けていたりする。生き馬の目を抜く世界観がここの標準であるらしい。
「しかし時代考証のよく解らない町並みだな」
俺は鎧をガチャつかせながら辺りを見回した。
城を出てすぐの城下町は、文化レベルで言えば百年戦争当時のヨーロッパ大陸っぽい雰囲気だが、もちろん俺が当時の習俗を詳しく知っているわけでもないので、結果よく解らんとしか言いようがない。道行く人々の格好はまさしくファンタジー系のロールプレイングゲームでしか見たことのないような衣装であり、手っ取り早く、いわゆる『剣と魔法』の世界を想起してみれば話は早い。そんな感じのものだと思ってくれれば余計な説明の手間も省けるから俺としてもかなりの部分で助かる。
そうして俺が描写能力の限りを尽くして風景説明をしているうちに、ハルヒはすったかと居酒屋らしき建物の扉を開き、
「ハーイ!」
上機嫌な声を発し、その店の客を残らず振り向かせた。客層はあまりよろしくなさそうである。どことなく荒くれ者の臭いがするブルーカラー的なおっさんが昼間からジョッキを傾けているのだから、この国の就労事情の一端がかいま見られる。俺が背負う宝箱に集中する視線もなかなか不穏当であり、よほど長門の後に隠れようかと思ったくらいだった。
だが、それも、
「今日のお客さんはラッキーよ! 飲み食いしたぶん、全部あたしが払ってあげるから。奢《おご》りよ奢り。お金のことは気にしないでいいわ。王様負担だからさっ」
と叫ぶまでのことだった。怒号みたいな歓声が安普請の木造壁を揺るがしたかと思うと、居酒屋の中は宴会モードに突入した。
「店の主人はどこ? とりあえずメニューに載ってる料理と飲み物、端から順番に持ってきて! 五人前ね!」
ハルヒはずかずか奥のテーブルまで進むと、出てきたヒゲ面親父に豪気《ごうき》な注文をしてから、
「なにやってんのよ、キョン! みんなも! さっさとこっち来て座んなさい。前祝いよ、前祝い!」
いったい何を事前に祝おうというのか。そんな俺の疑問に対する答えは、誰からも与えられることなく喧噪の中で空中分解するのであった。
「…………」
立ちつくす俺の横を、盗賊に扮する長門が沈黙と宝箱を背負って通り過ぎ、
「わあ……。すごくいい匂いですね」
朝比奈さんが形のいい鼻をくんくんさせながら続こうとして、
「わきゃっ」
マントの裾をふんづけてすっころび、
「それにしても涼宮さんは気前がいい。ですが元は国庫ですから、こうして民衆に還元するのが一番なのかもしれませんね」
古泉が朝比奈さんを助け起こして、俺に微笑みかけた。例によっての余裕をかましたニヤケ顔であり、長門の無表情も朝比奈さんのおとぼけさんぶりも部室で見るのと変化なし、ハルヒなんかは意味なし元気パワーをさらに加速させている感がある。何かに取り残されているように思っているのは俺だけで、全員この状況にあっさり馴染んでいるようだ。
「わっ、これ美味しい! 何の肉? マンモス? 今までに食べたことない味がするわ。後で食材とレシピを教えてちょうだい」
テーブルに次々運び込まれる料理の皿を前に、すでにハルヒは舌鼓を打っていた。
「あれのどこが勇者だって?」
俺は宝箱を床に置いて呟いた。
魔王退治の依頼を受けて城を出るなり居酒屋に飛び込み、せっかくの軍資金を装備や道具に使うことなく無駄に消費しようとする、そんな勇者がどこにいる。
「キョン、早く来なさいよ! この発泡酒、アルコールきついけどけっこうイケるわよ! 早くしないと全部飲んじゃうから!」
ハルヒが陶器製のジョッキを振る回しながら俺を呼ぶ。しかたがない。あんな勇者でも俺たちのリーダーだ。革命のコマンドがないのと同じ理屈で、しがない一戦士としてはここで離反するわけにもいかない。一人では行く当てにも困ることだしさ。
勇者一行が陣取るテーブルへ、俺は歩き始めた。
それからどのくらいの時間が経ったのか、時計がないのでよく解らないものの、店中を巻き込んだどんちゃん騒ぎは依然として続行中だ。
どぶろくみたいな発泡酒をすっかりお気に召したハルヒは杯を空にするたびメートルをどんどん上げていき、隣のテーブルにいたおっさんと肩を組んで奇怪な歌を合唱している。
その横では長門が後から後から運ばれる名称不明の料理を黙々かつ淡々と平らげ続けていた。この居酒屋の食材は無限かと思えるほどだったが、もっと無限を疑うべきは長門の胃袋である。あれだけの量が果たしてどこに収まっているんだ?
ぽろりろ、と弦を弾く音がした方を見ると、壁際に椅子を移動させた古泉が竪琴をつま弾いて、何人もの町娘たちに囲まれていた。その娘さんたちが古泉を見る目が、まるで地上に降りたアポロンを見つめる純真な乙女のようでまったく俺は不愉快だ。
まあ別にいい、俺には朝比奈さんがいるしな、と自分を慰めようとしてみたが、朝比奈さんも俺の側にいてくれたりはしていなかった。どこにいるというかと、
「お待たせしましたぁ。ご注文はこれでよろしかったですか? あ、はぁい、ただいまお伺いしまーす」
なぜか店のウェイトレスとなって、テーブル間をいそがしそうに走り回っている。ハルヒの押しつけに従って一杯ひっかけてしまったのが悪かったらしい。ほんのりと頬を染めつつ、嬉しそうに厨房とテーブルを往復しているのだった。
「おい、古泉」
さすがに黙って飯喰うのも限界だ。とっくに腹一杯になっていたこともあって、俺は流しのミュージシャンのように竪琴で弾き語りをしている急造の吟遊詩人を呼び寄せた。
古泉は町娘たちのうっとりした視線を背中に浴びながら、
「どうしました、戦士キョン。我々のこの状況に何か不満でも?
あたりまえだ。満足している場合じゃないだろ。
「そうですね。一刻も早く魔王を倒さないといけないのでしたっけ。でも、一日二日遅れるくらいなら許容範囲ですよ」
そうじゃねえ。魔王を倒す以前に問題があるだろう。
「ここはどこだ」と俺は言った。「このロープレみたいな世界は何なんだ。どうして俺たちはこんなところにいる。誰が連れて来やがった?」
古泉は漂白剤みたいに白い歯を見せて、
「実は僕にもわかりません。たぶんあなたと同じで、ふと気がつけばいつの間にか王宮にいましたね。それ以前の記憶が曖昧でして。あなたは覚えていますか?」
それが思い出せないから不安になってるんだよ。王様の御前にいる自分を発見する前、俺はいったいどこで何をしていたっけな。
竪琴片手に古泉は、
「気のせいかもしれませんが」とエクスキューズをしておいて、「部室でゲームをしていたような感覚があるんですよね。テーブルトークRPGのようでもあり、パソコンを使ったオンラインゲームのようでもあり」
俺は顔をしかめた。そう言われればそんな気もする。しかし実感はまったくない。ゲームをしていたはずが、そのままゲーム世界の中に飛び込んできた――なんて、そんなお手軽なシチュエーションを簡単に信じたくはないぞ。
「朝比奈さん」
パタパタとよく働くマント姿をした給仕少女を呼び止める。
「はーい」
お盆を抱えて小走りで来た朝比奈さんは、
「ご注文は?」
そうではなくてですね。あなたは魔法使いなのかメイドなのか、どっちのロールプレイをしているのかと訊《き》きたかったが、
「これはどういうことです」と俺は置いていた剣を拾い上げて、「ハルヒが勇者で、魔王を倒すだの何だのって、どういったわけで俺たちはこんなところにいるんです?」
「えっ?」
朝比奈さんは愛らしく目をぱっちりと開いた。
「これ、テーマパークのアトラクションじゃなかったんですか?」
初耳です。
「えっと……。みんなで遊園地みたいなところに来て、館みたいなところに入ったような気が……。確か役になりきって冒険するんじゃなかったでしたっけ?」
俺は古泉にアドバイスを求めた。だが古泉もまた顎《あご》に指を当てて首をひねっている。
「その割にはリアル指向ですね。町やこの店が作り物で、ここにいる人々がエキストラのようには全然思えませんが。それに僕にはそんな記憶はまったくありませんよ」
俺にもない。ゲームをしてた記憶も遊園地に行った記憶も、同じくらいないぜ。
「あれ?」朝比奈さんはたおやかな手を頬に当てて、「なんだか最初から魔法使いだったような気も……。あれ? 変ですね……。SOS団……涼宮さんは勇者で、キョンくんは戦士で……。あれれ?」
俺は溜息を吐く。ハルヒなんぞを勇者として頼りにしなければならない世界があったとしたら、そこは異常なまでの人材難だ。ハローワークで募集したほうがまだマシな勇者が集まるだろう。
「朝比奈さん、魔法使えるんですか?」
試しに訊いてみたところ、朝比奈さんは自信ありげに、
「使えますよー。見せましょうか? ほら、これが耳が大きくなる魔法で……」
実演してくれた。
「これが百円玉にタバコを通す魔法です。えいっ、えいっ」
目頭が熱くなってきた。違いますよ朝比奈さん、それは魔法でなくて……。確かに英訳したらどっともマジックですが。
「あれ、うまくいかないなぁ。あっ、練習ではちゃんとできたんですよ。もう一回、」
いや、もういいです。充分堪能しました。
俺が額を押さえていると、どこかのテーブルから給仕を要求する声があがり、すかさず
「あ、はい、はい」と手品使い師朝比奈さんは慌てた仕草で駆け寄ろうとした拍子に、マントをふんづけて転んだ。
「ひゃあっ」
もうこうなったら最終兵器を持ち出すしかあるまい。
「長門」
頬をぱんぱんに膨らませて料理を音もなく咀嚼《そしゃく》していた小柄な盗賊姿は、俺の呼びかけにひっそりと立ち上がってやって来た。
そして俺が口を開く前に、
「シュミレーション」
と言って、俺の前にある食いかけの皿をじっと見つめた。
シュミレーションだと? この状況はどう見てもRPGだろう。
「…………」
長門は言葉を探すような雰囲気で立っていたが、やがて淡々とした声で、
「わたしにもよく理解できない。もっともも高い可能性は、ここがシュミレーション空間であるということ」
「それはつまり」と古泉が言った。「我々は何者かによる何らかの手段によって、現実とは切り離された別の空間に放り込まれているということでしょうか」
長門はこくんとうなずいて、しかし目は皿の上に落としたままである。俺は手近な椅子を引き寄せて座るように促し、料理を長門のほうに押しやって言った。
「何者かによる何らかの手段って何だよ。こんな真似ができるのは誰だ?」
「解らない」
長門は答えて、それがどうしたと言わんばかりに俺の食べかけを黙々と頬張った。そして食い終えてから、
「終了条件が設定されているように感じる」
憮然とした俺へのサービスのつもりか、考えるような顔つきでゆっくりと、
「状態を復帰させるトリガーが存在するはず」
それは何か、と訊くまでもないな。今現在の立場として、俺たちがしなければならない任務とは、この場合……。
「魔王を倒せ、でしょうね」
古泉が代わりに言って、優雅に竪琴をかき鳴らした。
そんなわけで俺たちは魔王を倒さなければならない。これで問題の一つは片が付いた。とにかく目的だけは明確になったってわけだからな。後は手段を考えればいい。
「それはいいのだが……」
俺はうんざりとした顔をハルヒに向けた。最大の問題が残っている。言うまでもない。いつだって問題を発生させるのは、この迷惑なSOS団団長だった。
「料理が足んなくなってきたわよ! ほら、新しく来たお客さんにも駆けつけ三杯!」
宴会は三日目に突入していた。この間俺たちがしたことと言えば、宿屋と居酒屋の往復だけである。魔王の城がどこにあるかとか、レベル上げのためにモンスターと戦うとか、有益なアイテムを探すとか、いっさい何もやっていない。
ハルヒは勇者などではなく単なる気前のよすぎるお大尽になってるし、朝比奈さんは運命のようにメイドと化し、古泉は日に日に上達する竪琴の腕前を観衆に披露しては女性たちの潤んだ目をひきつけ、長門は完全にフードファイターである。
ひょっとしたら自分たちは勇者とその一行などではなく、偽勇者とその一味なのかもしれないと思い始めている俺だった。この世のどこかに真剣に世界を憂う正義感溢れた善人パーティがいて、その名を騙《かた》る不届き者が俺たちの正体なのかもしれん。この間違いに王様が気づき、捕縛を命じられた衛兵がいつ店の扉をぶち破って登場するかとヒヤヒヤものだ。まったく、誰かが入ってくるたびギョッとする。食い過ぎたわけでもないのに胃が痛むのはそのせいで、その胃痛の原因がまた新たに軋む扉を押し開いてやってきた。衛兵ではなさそうなので安堵する。
それは年齢不詳の爺さんだった。隠退した仙人のような白髭白眉に皺深い顔を持ち、今にもフォースのなんたるかを教えてくれそうな気配を漂わせている。その爺さんは何を思ったか、俺に鋭い眼光を向けてきた。
「……まだこんな所におったのか」
そんな呆れたように苦言を呈されても、俺は腰を引かすくらいしかできないぜ。
爺さんは木枯らしめいた溜息をつくと、ハルヒが陣取る奥の席へ向かった。
「勇者ハルヒよ」
「何か用?」
酔漢たちと即席のアームレスリング大会を開いていたハルヒは、胡散《うさん》臭《くさ》そうに老人を見上げた。
「参加料は金貨一枚よ。優勝者の総捕りってことでいいんなら、そっちのトーナメント表に名前を書き込んでちょうだい」
「愚か者」
爺さんはあまりにも的確なことを言い、
「とっくに魔王城への道半ばと思いきや、未だにこの町を出ておらんとは何たることか。勇者ハルヒよ、破滅の時はすぐそこに迫っておるのじゃ。その前に魔王を倒すのが己が使命であると思い知れ」
「誰、このお爺さん。やたら偉そうだけど」
「わしは」と爺さんは年甲斐もなくまっすぐな背筋をさらに伸ばして、
「森の賢者じゃ。おぬしたちに様々な情報を与え、正しい道筋を巡らせるのがわしの役目なのじゃ」
店内が静まりかえり、老賢者の渋い声がますます響き渡る。
「本来ならばおぬしたちが来るのを待つべきなのだが、いつまでたっても来ないものだからこうしてわしのほうから出向いてきたのじゃよ。よいか勇者ハルヒよ――」
「解ったわよ」
何が解ったのか、ハルヒはいともあっさり立ち上がって笑みを浮かべた。
「そろそろこんなんが来る頃だと思ってたわ。ちょうどお金も使い果たしたみたいだし、場所替えするのも悪くないかもね」
確信犯的とは今のハルヒを表す言葉だろうな。しかし軍資金を残らず遊興費に使ってしまうとは、とんだ勇者様ご一行がいたもんだ。
「やれやれじゃ」
森の賢者とやらが俺の心中を代弁し、
「さあ、ついて参れ。勇者ハルヒとその仲間たちよ。まずは第一関門におぬしらを案内せねばならぬ」
やっとか。俺は首を振りながら腰を上げた。見ると古泉は名残惜しげな町娘たちと一人一人握手をして別れを惜しみ、朝比奈さんは店の主人からバイト代が入っているらしき小さな皮袋を手渡されていて、長門は早くも店の外で俺たちを持っている。
「キョン、行きましょ」
俺の腕を引き、戸口に向かう途中でハルヒは振り向いた。
「じゃっ、ちょっくら魔王倒してくるわ。財宝ぶんどって来るからさ、そん時はまたみんなで宴会しましょ。きっとよ!」
店の客たちの歓呼が、俺とハルヒの背中を後押しした。
城下町を出ると、そこは緑の平原だった。色の濃いところが森で、薄いところが平野になっている。グラフィックをケチったみたいにシンプルな風景だ。
「よいか」と森の賢者は俺たちを先導して歩きながら、「まずはあれに見える森の最深部、そこに洞窟《どうくつ》がある。なに、短い洞窟なので迷うことはなかろう。中に宝箱が一つあり、その中身は魔王城に入るための門の鍵じゃ」
それ取ってこい、というわけである。
「オッケー」
ハルヒはうなずくな否や、
「さあみんな、ちゃっちゃと終わらせましょ。行くわよ」
やにわに走り出した。追いかける以外にないだろう。勇者一人を猪突猛進させるわけにはいかないからな。
背後で老賢者が何か――「待て」とか「話はまだ」とか――言っていたような気がしたが、ハルヒのスピードに付き合っているおかげであっという間に遠ざかる。
森の中のまっすぐな道を走って数分、突き当たりに洞窟があった。なんか怪しい気配がする。いかにも凶悪なモンスターが宝箱を守っていそうな……と誰しもが思うところだが、思わないのがハルヒである。そのままの勢いで洞窟に突貫した俺たちは、五歩も進まないうちに立ち止まることになった。
「うわ」
そこは巨大なホール状になっている。何でか壁が薄く発光していて、まったくの暗闇ではない。そのため見たくもないものが見えた。
「わあ、大きい……」
朝比奈さんがそう言って息を飲む。
「確かに」古泉が首肯して、「どうやって倒しましょうね」
「…………」
長門はただ見上げているだけだった。俺もそうである。言葉をなくして目の前にわだかまる巨大な影を凝視するのみだ。
「えーと」
ハルヒはこりこりと頭を掻いた。
「最初に出くわすモンスターがこれなわけ? どっかおかしいんじゃないの?」
頭のネジに故障を抱えるハルヒが疑問視するのも無理はない。
そこにいたのは竜だった。バカみたいにデカくて、とてつもない威圧感で俺たちを睨んでいる。どうやらこいつが洞窟の主にして、宝箱の守護者らしかった。
呆然と見ている中、巨竜はぱっくりと大口を開き――。
どうしようもない。そいつのドラゴンブレス一発で、俺たちは全滅した。
「だから言ったじゃろう」
森の賢者がしかめ面で言っている。
「最後まで話を聞くのじゃ。洞窟のガーディアンドラゴンは、今のおぬしたちのレベルで叶う相手ではない。戦わずして鍵の在処までたどり着かねばならぬのじゃ」
森の入り口に俺たちはいる。全滅したはずなのに何故生きているかと言うと、言うまでもなくここがセーブポイントだったからだ。それ以外に何かあるか?
「解ったってば」
ハルヒは不機嫌そうに言って老人の言葉を遮った。
「ようは鍵を取ってくれば文句ないんでしょう?今度は上手くやるわよ」
「だからわしはその方法を教えようと――」
「いいから、もう黙っときなさい」
ハルヒの瞳が爛々《らんらん》としているのは、あのドラゴンへの復讐心のためだろう。
「さっきは油断したわ。不意を打たれたってやつよ。心構えさえしてたら、あんなのにやられることはなかったわよ。次はコテンパンにしてやるからね!」
そう言ってまた駆けだした。ということは半強制的に俺たちも走り出すことになる。できれば別行動を取りたいのだが、そういった選択肢はどこにもないようで、正直、どうにかして欲しい。
そうやって再び洞窟に突入した我々は、再びドラゴンに直面することになり、ドラゴンブレスを浴びるところまで忠実に再現して、やっぱり全滅することになった。
「話を聞けというのに」
森の賢者の声は疲れているようだったが、俺はもっと疲れている。朝比奈さんなんか、うんうん唸りながら地面に横たわっているほどだ。古泉のスマイルにもいつものキレがなく、表情に変化がないのは長門だけである。
「もう、腹が立つわねえ」
ハルヒはイライラと爪を噛《※》[#「_※」は「口+齒、第3水準1-15-26]んでいた。ご立腹もやむなしと言えるだろう。
俺たちの全滅は五回を数えていた。それもこれも、ハルヒが考えなしに突撃を敢行するからである。洞窟突入に続く対竜戦闘、ドラゴンブレス一閃――というパターンが五回繰り返され、結果も繰り返された。次も同じなら、俺たちは六度目の全滅を味わうことになるだろう。さすがに飽きてきた。
「ハルヒ、ちょっと落ち着いて爺さんのアドバイスを聞こうぜ。このままじゃ、こっから永遠に動けないぞ」
ハルヒはふんと鼻を鳴らし、どっかと胡座《あぐら》をかいて座った。賢者は安心したように、
「うむ。では教えよう。洞窟の竜を眠らせることが先決じゃ。その隙に鍵の場所までたどり着けばよい。竜を眠らせるには、」
と、懐から水晶玉を取り出して、
「この『惰眠の玉』を使えばよい。じゃが、ただでくれてやるわけにはいかん。というのも、わしは年のせいかこのところ関節痛に悩まされておるのじゃ。東の地に生えているという『痛風一発草』なる草がよく効くといわれておる。それを取ってくるのじゃ、さすれば『惰眠の玉』はおぬしらに――」
森の賢者のセリフを止めたのは、素早く立ち上がって剣を抜いたハルヒが切っ先を喉元に突きつけたからである。
「回りくどいのはよしましょう」とハルヒは追い剥《は》ぎのような笑みを浮かべて、「草っぱなら後で取ってきてあげるわよ。いいからその玉よこしなさい。いい? あたしたちは子供のお使いやってんじゃないのよ。勇者と勇敢な仲間たちなの。世界を救うのが目的で、そのためには手段を選ぶヒマはないのよね」
愕然《がくぜん》と口を開ける哀れな老人に、ハルヒは不気味な声を投げかけた。
「ちょっとでも動くとスパッといっちゃうわよ。これでもあたしは敬老精神持ってるからね、心が痛むわ」
森の賢者、口ぱくぱく。アイテムを強奪しようとする勇者に世界も救われたくなかろう。
「さ、有希。今のうちにかすめ取るのよ」
盗賊だからな。だが、この状態の老賢者から玉の一つを取り上げるくらい、特別なスキルが必要とも思えない。
「…………」
長門は急ぐふうでもなく、すたすたと賢者に近寄って、掲げられた『惰眠の玉』とやらをひょいとつかんで、また元の位置に戻り無言の民となった。
「世界の破滅と爺さんのリウマチじゃ、申し訳ないけど優先順位が段違いだもの。しょうがないわ」
剣を納めてハルヒは会心の笑顔である。
「だって世界が破滅したら身体が痛いなんて言うまでもないもんね。命あっての物種ってわけ。安心して、薬草のことはちゃんと覚えててあげるからさ」
そして、片手を突き上げ天下に号令するごとき気勢を上げるのだった。
「行くわよ、キョン。みんな。眠らせた竜をタコ殴りしにね!」
そっちが目的かい。
いくら攻撃しても竜は痛くも痒《かゆ》くもないようで、まあ深い眠りについたまま目覚めもしなかったからよしとしよう。
首尾よく『魔城門の鍵』を入手して出てきた俺たちを、森の賢者は懲りずに待っていてくれた。ずいぶんと苦い顔つきになってはいたが。
「これでいいんでしょ? それで、世界を支配したがっているなんていう考えなしの魔王はどこ? 教えなさい」
「あー」
賢者は唇を舌で湿し、言いづらそうに、
「実はその鍵だけでは魔王の所まで行けないことになっておるのじゃ。魔王の城の奥深く、迷宮を抜けた所に立ちはだかるのは、その名も『幻夢の扉』……」
「鍵はどこよ?」と訊くハルヒに、賢者はますます言いづらそうに、
「ここより北の位置に廃墟とかした街があり、その地下がダンジョンになっておる。魔王の忠実なる下僕、邪悪なる魔法使いが暗黒神を奉じて立てこもる地下宮殿じゃ。そやつが持っている鍵こそ『幻夢の鍵』……。じゃが、彼の地は暗黒神の影響下にあるため、そのままでは侵入できん。迷宮に入る前に『聖別の玉』の光を浴びる必要があるのじゃ」
「ふうん」とハルヒは極上の笑みを広げて話の続きを促した。
「……『聖別の玉』はわしが持っておるわけじゃが、いや……何というか、年のせいかのう、最近目がかすむようになっておってじゃな、この病には東の果ての地に生えておるという……」
老人は寒々しい吐息を漏らした。
「……『眼精疲労瞬殺草』が効くらしいのじゃ。採取してくれたら喜んで玉を差し出すつもりじゃが、どうであろうの……?」
またもや強盗に豹変するかと予想していたが、ハルヒは握りかけていた剣の柄から手を放して、
「あんたさ、本当に正義側の人間なの?」
じろりと老人の顔を眺め、
「怪しいわね。今時『〜じゃ』なんていうお爺さんがいるのもおかしいけど、なーんか、胡散臭いのよね。案外、あなたがラスボスなんじゃないの?」
「な、何を言うか」
慌てふためく森の賢者を睨みつけ、ハルヒは唇をひん曲げた。
「本物の賢者はとっくに殺されてたりしてさ、親切めかして鍵やら玉やらの情報を教えてくれてるけど、本当はこれこそ魔王の、さらにバックにいるラスボスを解放する手段なんだったりして。魔王を倒してやれやれ帰ろうとか思った瞬間に、『よくやってくれた、勇者たちよ。おかげで私を繋ぎ止めていた楔《くさび》は解き放たれた。礼を言うぞ』とかなんとかどっかから聞こえてきて、ズゴゴゴゴゴって登場する算段じゃないでしょうね?」
森の賢者は救いを求めるような表情で俺を見た。肩をすくめるしかないな。もしハルヒの思いつきが真相なら、こんなドッチラケなシナリオもなかろうが。
「それはない……」
老人の反論の弁舌は弱々しい。
「うぬ、ないはずじゃ。そうだったかもしれぬが、いやいや……ないことになった。間違いない。魔王がラストで、その後はない。わしはただの親切な森の賢者じゃ」
その言葉を証明するように、老人は懐から水晶玉を取り出した。
「眼精疲労は耐え忍べばよいだけじゃ。世界に比べれば何と言うこともない。ほら、『聖別の玉』じゃ、受け取るがいい、勇者ハルヒよ。それから」
と、また別の玉を出してきた。
「これが『追儺《ついな》の玉』といい、魔王の動きを一時停止させる効果を発揮する。遥か南の地に生えていると伝えられる『万病封減草』などどうでもよい。世界のためじゃ、わしも繰言は言わぬこととしよう……」
「ありがとう」
ハルヒは何度もうなずきながら、しかし手を伸ばすことはなかった。
「でも、いらないわ、そんな玉。ややこしそうな鍵も必要ない。教えて欲しいのは一個だけよ」
驚き絶句する賢者に、ハルヒは輝く瞳で問いかけた。
「魔王の城はどこ? 場所だけ教えてくれたら後はなんとかするわ。うん、もう面倒くさい遠回りはうんざりなのね。ようは魔王を倒せばいいわけでしょう? ちゃんとそうして来てあげるから、城がどこにあるかを教えるの。さ、早く言ってよ」
「じゃが」と老人は唖《※》[#「_※」は「口+亞」、第3水準1-15-8]然としつつ、「どうするつもりじゃ、城に行けたとしても、このままでは……」
「いいの」
ハルヒは悪戯っぽく微笑んで、俺たちに顔を向けた。俺、古泉、長門、朝比奈さんの順番に眺めやり、
「あたしにはこんなにスゴい仲間たちがいるんだもんね。こざかしいアイテムなんていらないわ。世界なんかいくらでも救ってあげるわよ。きっと、あたしたちには出来るもん」
そうしてハルヒは唐変木なまでに明るく笑うのだった。
「なぜなら、あたしがそう信じているから」
というわけで――。
俺たちはやって来た。たぶん、色んな行くべき場所をすっ飛ばし、必要なアイテムも手に入れず、スタート地点からまるっきりレベルアップすることなく、いきなりの最終地点に。
そびえたつ魔王の城が雷雲を背景にして圧倒的な威容を誇っていた。邪悪な香りがぷんぷんする上に、見ているだけで精神に負荷がかかるような恐怖の波動を立ち上らせているようにも思える。本能が接近を拒んでいた。もう一歩も進めやしない。
「どうすんだよ、ハルヒ」
俺は富士山でも眺めるように魔城を見上げている女勇者に、
「ろくすっぽ戦いもせずに来ちまったが、竜のときの二の舞になりそうだぞ。全滅必死だ。たぶん何回やっても同じ事だと思うぜ」
「僕もそう思いますね」
珍しく古泉が俺の肩を持つ。こいつはこいつで酒場で弾いていた以外何にも使用していない竪琴を後生大事に抱えたままで、
「正面から正攻法が通用するような相手ではないと思われます。何と言っても魔王ですからね。おそらく城の内部は強力な怪物や罠で一杯ですよ。魔王の座までたどり着けるかどうか」
「でしょうね」とハルヒ。まったく動じていない証拠に、微笑はそのままだ。
「…………」
長門は何も言わない。ぽつねんと立っている影の薄い姿は、いつものようにイエスもノーのなく一団の中に咲く控えめな冬の花のようだった。
「平気よ」
ハルヒは自信あり気に力強く答えて、さっきからぷるぷる震えつつ縮こまっていたマント姿の上級生を引き寄せた。
「ここはみくるちゃんに何とかしてもらうから」
「ええっ?」
のけぞって驚く朝比奈さんの肩に手を回して、ハルヒはセキセイインコに言葉を教えるような口調で、
「いい? あなたは魔法使いなのよね。それも勇者グループに加えられるくらいだから、きっと世界の誰よりも強力な魔法が使えるに違いないわ。確信しているの、あなたなら出来る手ね。潜在能力はピカイチのはずよ。後は覚醒すればいいだけのことだわ。さ、みくるちゃん、あなたの秘められた潜在能力を今ここで解放しちゃいなさい。超強力なヤツを、どかんと遠慮なくあの薄汚い城にたたき込むのよ」
「で、でも……」
朝比奈さんはおろおろと両手でマントを握り、ハルヒと魔城を代わる代わる見つめる。
「あたし、あんまり魔法知らなくて……。せいぜい耳を大きくするくらいしか……」
「自分を信じなさい」
時と場所を選びさえすれば非常にタメになるフレーズだが、時や場所なんかに配慮しないのがハルヒだから、これまたハルヒらしいと言えなくもない。
「みくるちゃんはやれる。あたしが選んだんだから絶対よ。あなたはスゴい娘なのよ。可愛くて性格よくてちょっぴりドジな魔法使い、うん完璧」
ピンと伸ばした指が魔城に向けられた。
「究極のみくるマジック、今こそ発揮の時が来たわ。覚悟はいいかしら? さあ、みくるちゃん、何でもいいから魔法を使うの」
「は、はいっ……」
朝比奈さんは目を閉じてうつむき、なにやらモゴモゴと呪文らしき言葉を唱え始めた。ハルヒは子ヤギを見守る羊飼いのような目でそれを見守り、俺は普段から朝比奈さんを見ては守っている。古泉がどんな目をしているのはそっちを見ていないので解らんが、ぼんやりしていた長門が不意に目を見開いたのだけは視界が捉えた。
どうした? と尋ねる前に――。
朝比奈さんによる超弩級の魔法が炸裂した。
「メテオバーストとデビクルエイク、その二つの魔法効果を同時発動したようですね」
そう解説したのは古泉だった。
「酒場で聞いた噂話の中にありました。そういう伝説の魔法が神話にあったそうです。どちらも取得には失われた太古の知識と神クラスのマジックポイントがいるとのことでしたが、朝比奈さんはやすやすと限界を突破してしまったようです」
突破しすぎだ。ゲームバランスもへったくれもない。何もこう、一撃ですべてを吹っ飛ばさなくてもいいじゃないか。
「いいじゃん」
ハルヒだけはどこまでも能天気だ。底抜けに明るく、任務達成を喜んでいるようである。
「さっすが、みくるちゃんね。これくらいのことはすると……まぁ、うん、ちょっと予想外だったけど、嬉しい誤算ってやつだわ」
賞賛されるままの朝比奈さんは、自分のしでかしたことに青くなって今にも卒倒せんばかりである。
「あわわ……ひええ」
俺たちは小高い丘の上にいた。さっきまでいた場所、というか魔王の城を含めた大体半径三十キロ四方には何もなかった。きれいさっぱりと巨大なクレーターが口を開けている。
恐るべきは究極の朝比奈魔法最終奥義だ。そのままでは俺たちもまた原子の塵となっていたところだが、そこは長門が助けてくれた。何千発もの隕石群と直下型強力地震が魔城一帯に襲いかかる寸前、長門は猛スピード俺たち全員を細腕で担ぎ上げると、瞬間移動に限りなく近い速度で走り出し、この丘の頂上まで連れてきてくれたのだった。さすが盗賊、逃げ足が速い……などと悠長に感心していていいものか。
「…………」
長門は呼吸一つ乱さず、無感動な瞳を煙と炎をあちこちから吹き出す矩形の穴を見つめている。
こうして魔王は根城ごと消し炭となった。めでたしめでたし……か? 何か忘れているような気がするが。
「さあ、帰りましょう」
余韻も何もなくハルヒは成し遂げた感溢れる笑顔で、
「財宝は残念だったけど、吹き飛んじゃったもんはしょうがないしね。魔王を倒して世界はちゃんと救ったし、王様も満足でしょう。凱旋帰国よ。さっそく戦勝パーティの企画をしなきゃ」
そんなもんは自分で企画するんじゃなくて開いてくれるのをさり気なく待っているものだ。場所も例の居酒屋ではなく、王宮の広間で大々的に――。
いや、ちょっと待てよ。帰る場所はそこじゃないだろう。魔王は倒した。だったら、これで条件クリアだ。RPGならそろそろエンディングテーマが流れなくちゃおかしい。そして、俺たちも元の世界に戻らないとおかしいぞ。
「ミッションインコンプリート」
長門が呟くようにいって俺に顔を向けた。どういうこったと目を剥《む》く俺に長門は淡々と、
「ペナルティが課せられる模様」
なおさら意味が解らず、俺が旗竿のように立っていると、いきなり周囲の風景が劇的に変化し始めた。森や山々がぐずぐずと崩れていき、暗い夜空がとんでもない勢いで広がっていく。夜空? それどころじゃないな。なんせ星が瞬いていないのにプラスして、三百六十度どこを見ても星だらけ。
「…………」と俺と長門と古泉と朝比奈さん。
またしても言わねばならない。ファンタジー世界に紛れ込んでしまった最初に感じたのと同じことを。
「なんだ、これ」
ふと――こればかりでイヤになるのだが他に言いようもない――気がつけば、俺たちは宇宙空間にいた。操縦桿みたいなものを握っている自分を確認し、やっとの思いで視線を巡らす。何とも言いかねるコスチュームをまとったハルヒと長門と朝比奈さんが目に止まる。やたらと肌を露出した格好で、三人娘はそれぞれに魅惑的なポーズを取っていた。
「おやおや」
俺の横で吟遊詩人から宇宙のパイロットに早変わりした古泉が含み笑いを漏らしつつ、
「今度は宇宙パトロール隊に配属されてしまったようですね。第二ステージと言ったところでしょうか?」
俺に聞くなよ、そんなもん。ミッションインコンプリートのペナルティがこれか? 今度は何をさせようと言うんだ。
『聞こえるか、広域銀河観察機構パトロール部隊所属のハルヒチーム』
目の前のコンソールが渋いおっさんの声で喋り始めた。なんとなくあの王様の声に似ている感じがしてイヤな予感が走り抜ける。
『こちらは第五銀河分離帝国、余がその皇帝である。とある悪逆なる宇宙海賊に我が王子と姫がつれさられた。奴らは銀河の破滅を望んでいる。頼む。彼奴らの野望を打ち砕き、我が子らを取り戻してはくれまいか』
「オッケー」
とハルヒは即答した。
「宇宙海賊をやっつけるくらいはロハでいいわ。あたしたち銀河パトロールの仕事だもんね。お子さんのことも安心して大船に乗っていなさい。今度こそ、きっと助けてあげるから」
なるほど、それを忘れていたな、それ故の、これが第二回戦ってわけか……なんてしみじみしている俺の肩を、ハルヒは盛大にどやしつけた。近所のどの星よりも明るい笑顔で、
「いくわよ、キョン。わっるい海賊を追って、宇宙の果てまでねっ!」
しかたがない。行く先が宇宙の果てだろうとリングワールドだろうと、どうにも隊長の命令には逆らえそうにはないし、第一、さらわれ癖のある王子と姫君を救出しないと終了条件が整わないらしいからな。
だが、まさか第三面まで行きやしないよな? 次は西部劇でガンアクション――なんつうのは勘弁してくれよ。
「エンジン全開、最大船速!!」
ハルヒがそう叫ぶのを聞きながら、俺はやけ気味に操縦桿を思いっきり押し込んだ。
次にふと気づいたとき、部室でお茶でも飲んでいるシーンであることを祈りながら――。
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ハルヒ劇場……………「ザ・スニーカー」 二〇〇四年八月号
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