TITLE : 警察官ネコババ事件──おなかの赤ちゃんが助けてくれた
講談社電子文庫
警察官ネコババ事件
──おなかの赤ちゃんが助けてくれた
読売新聞大阪社会部
目 次
第一章 事件は解決した
逮捕して調べたい
あ、届け出てるわ
ほんまに警官やった?
うわずった声
私、犯人みたい……
奥さんがとったやろ
わしの首かけても
第二章 闇の彼方から手が
ヘルメットの顔だ
封筒がきれいにちぎれ……
──随筆 封筒の切れ端 田辺聖子
郵便局長の証言
第三章 真実は一つです
その事件の日……
第四章 いま書かれたら大変や
部屋を真っ暗にして
逮捕状も取った
署長の方が位が上
そんな記事、ボツだ
あの女、逮捕する
第五章 この事件はこわい
消されたN巡査説
上海事故の日に合わせ
みなウソでした
第六章 警察側は全面敗北
提訴・処分・認諾
第七章 犯人はこうして作られた
刑事課長に指揮させず
封筒の切れ端で“実験”や
偽造調書?があった
逮捕する事案ではない
部長刑事は土下座した
第八章 警察の調査
「調査結果の概要」全文
第九章 「犯人・具足」で捜査やれ
封筒に指紋はなかった
第十章 記者たちの自戒
目の前の栄転が捜査を急がせた
──ひっかかる感性の大切さ 後藤正治
黙過しないために
第十一章 巨体に立ち向かって
「誤報」と言われ
みんなしっかり読んだ
あとがき
文庫版へのあとがき
第一章 事件は解決した
逮捕して調べたい
捜査関係事項照会書
捜査のため必要があるので左記事項につき至急回答されたく、刑事訴訟法第一九七条第二項によって照会します。
昭和六三年二月二七日
大阪府堺南警察署
司法警察員警部 古賀忠久
産婦人科院長殿
照会事項
堺市槙塚台三丁一番一五号
具足 みち子
昭和二六年三月三一日生
右の者について貴院に通院治療を受けている事実があれば電話にて次のところに回答願います(通院の事実がない場合は電話連絡は結構です)。
堺南警察署捜査一係 係長福田(岡田)
電話〇七二二―七四―一二三四 内線八三〇
警察の捜査公文書が昭和六十三年二月末、大阪府堺・泉北ニュータウン内と周辺の産婦人科医院十数ヵ所に、一斉に郵送された。
具足(ぐそく)みち子さん宅から目と鼻の先にある岡村産婦人科医院では、岡村博行院長(56、以下年齢は昭和六十三年時)の妻富士子さん(47)が三月一日、外出しようとして郵便受けの茶封筒を見つけ、あわてて診察室へ飛び込んだ。
「先生、具足さんが医療ミスかなにかで訴えたんでしょうかッ」
富士子さんは夫を「先生」と呼ぶ。奥さんはつい叫んでいた。
院長はいままでにみち子さんの赤ちゃんを二度とりあげている。
堺南署に、「岡村産婦人科の院長です。具足みち子さんなら確かにうちにかかっていますが……」と、電話を入れてから、何ごとが起きたのかと、不安な時間を過ごした。
刑事二人が来たのは翌二日である。一人は四十歳前、大きな目、黒ぶちめがねをかけ、院長によれば、コントグループ『ヒップ・アップ』の「島崎」にそっくりだった。他の一人は刑事になってまだ日が浅いようだ。
「島崎」刑事が、
〈右の者、妊娠中で貴院に通院しているものであるが、その診断書一通を作成の上交付願います〉
との別の捜査照会書(それには岡本院長殿と誤記してあった)を提示し、院長に来院の目的を告げた。
そのときのことを、院長はこう話す。
「刑事は、『この人がお金を拾って派出所に届けたが届いていない』と言うんだね。警察では証拠があがっているし、届けた時間には派出所にだれもいなかった。留置(逮捕)して調べたいが、耐えうるかどうか聞きたい、犯人はみち子さんに間違いないので、留置して調べたらすぐ口を割る、と言う。私としては妊娠三ヵ月以前だし切迫流産しかけたこともあるので、医者としてそれはできないと答えた。しかし、刑事は『なんとかしてくれないか。現在は異常ないと書いてくれないか』という。何日か前にしか診察していないので、そんなもの書けないと断った」
白髪で穏やかな岡村院長だが、刑事二人のあつかましい要求を思い出して、むっとした顔になった。
「それなら現在の妊娠の進み具合を書いてくれ、と言うので、
〈妊娠何週何日、切迫流産〉
と、書いてやりました。それを見て『切迫流産』は消してくれと言う。黒ボールペンで二本線を引いてやったです。ありありと感じましたね、逮捕すれば事件は解決するんだ……」
刑事の押しつけがましさは、具足みち子さんに向けた警察の強い意志をのぞかせていた。
あ、届け出てるわ
堺南署の刑事が堺・泉北ニュータウンの槙塚台(まきづかだい)にある岡村産婦人科の院長に、
「どうしても留置して調べたいので診断書を書いてほしい」
と、求めた女性、具足みち子さん(36)は、同じ槙塚台でフードショップ「カネヒロ」を営む具足清治(きよはる)さん(39)の奥さんである。
三人目の子どもを身ごもっていた。
店の斜め前にある父の荒物店の二階が一家の住まいで、みち子さんは四歳と二歳の男の子の子育てに追われながら、「カネヒロ」の経理を切り回していた。
刑事二人が岡村産婦人科医院に姿を見せるほぼ三週間前……二月六日午前十一時四十分ごろのことだった。
店先に落ちていたと、パート店員から渡された新札ばかり十五万円入りの大和銀行の封筒を胸に抱えて、みち子さんは、槙塚台派出所へ出向いた。
派出所へは歩いて一分とかからない。店からも見える。ふだんは留守がちな派出所に、たまたま警官が一人いた。
「あの、これ、十五万落ちてました」
と、両手で封筒を差し出し、スチール机の上に置くと、奥の部屋のドアの前に立っていた制服の若い警官は、机の前まで来て、
「あ、それやったら、届けが出てるわ。大和銀行の袋やね」
と、間髪を入れない受け答えだった。
警官はどこからか取り出したうす茶色の紙片に、鉛筆でみち子さんの名前と年齢、連絡先の電話番号を走り書きしたが、拾得物受理の正式な書類は作らなかった。
机をはさんで、みち子さんは立ったまま、警官もどういうわけか中腰のままで、みち子さんの視野にはうつむいてメモする警官の頭髪しか目に入らない。制帽は机の上に置いてあった。
派出所を出たみち子さんは、えらい簡単な手続きだったなと、首をかしげたが、すぐ思い直した。
「もう落とした人が届け出ているんだから、難しいこといらんのだわ、きっと」
ものの二、三分のやりとりだったにもかかわらず、みち子さんには、このときのことを鮮明に覚えているわけがあった。
「警官が私の名前を『みちこ』と全部ひらがなで書いたので、『子』は漢字なのに、ああ、間違っていると思った。けど、まあ、そんなことええわ。言わんかったんです。それと年齢のこと。三日前に妙見さん(妙見菩薩)へお参りして、あそこではいつも数え年で書くので、派出所でもつい、数えで言うてしもうて。それに電話もうっかりして、父の店の番号を答えてしもたんです。あ、しまったと思ったから、よく覚えているんです」
拾いましたと届け出た十五万円が消えてしまい、とんでもない事件に巻き込まれていくとは、みち子さんはこのとき、想像もできなかった。
十五万円入りの封筒を受け取った警官は、名前を言わなかった。
N巡査、三十一歳とわかったのは、ずっと後のことだ。
ほんまに警官やった?
十五万円を落としたのは同じ槙塚台三丁の堀正夫さん(66)である。
旧国鉄の経理マンを定年まで勤めあげ、十年前、退職した。
近所の「カネヒロ」には時々買い物に行く。
二月六日、マイカーを走らせ、午前十時四十九分、泉北高速鉄道泉ケ丘駅前にある大和銀行泉北支店で年金を引き出した。同行した奥さんに車内でその一部を渡し、十五万円残した銀行の白い封筒は、ジャンパーの内ポケットにしまうつもりだった。
だが、胸のシートベルトが邪魔になり、「カネヒロ」に寄ったとき初めて内ポケットへ入れた。
時刻は午前十一時すぎ。あとで台所を調べ、「カネヒロ」で買ったキャベツの裏に、張りついて見つかったレシートには、買い物の時間が午前十一時四分と打ち込んであった。
堀さんが紛失に気付くのは翌七日朝。オイの結婚祝いに、下ろしたての新券を包もうとして、
〈そういえば、ポケットの中へきちんと入らず斜めになっていたなあ〉
……最後に寄ったのは大阪狭山市のスーパー「西友」だから、「西友」に電話してみたが、拾得届はない。槙塚台派出所に夕方五時ごろ、口頭で届け出た。
普通なら十五万円遺失事件はこれで落着の事件だった。落とした人、拾った人、がともに出そろったのだから。
だが、中一日過ぎてから、事件はおかしな展開を始める。
「カネヒロ」で十五万円入りの封筒を拾って店員に手渡したのは客のおばあさんで、九日午前十一時すぎ、
「あのお金どうなりましたか」
と、店に聞きに来た。その一時間余り後、堀さんも、ひょっとしたらと、「カネヒロ」にやってきた。
レジの女子店員は目をまるくした。
「派出所では落とし主があるといわれ、とっくに戻っているとばかり思って、皆で話していましたのに。まだだったんですかぁ」
堀さんは「へぇー。お金あったんですか」と、その足で派出所へ回った。
二十二、三歳の巡査は驚きもせず、そのとき、初めて正式に遺失物届を受理した。堀さんには「ありましたら、ご連絡します」と答えただけだった。
みち子さんは、そのときまだ店には出ておらず、家にいた。
自宅へ昼食に戻った夫からそれまでのいきさつを聞かされたみち子さんは、午後一時すぎ、「一体どうなっているのですか。はっきりさせてもらえますか」と、堺南署へ電話を入れた。
応対したのは会計課員である。
「ちょっと待って下さい。(しばらくして)十五万円を拾ったという届けはないですけどね。届けたのは六日に間違いありませんか」
「六日です。土曜日だったから」
「調べ直してみます」
十分もしないうちに同じ声で、
「奥さん、お金を渡した相手はガードマンと違いました? ほんまに警察官やったん?」
「エーッ。ガードマンが派出所にいてる時ってあるんですか」
「そういうことがあるんです」
「でもお巡りさんに間違いありません。制帽もありました」
「警察官の制帽に間違いありませんでしたか」
「お巡りさんしか開けられない奥の鉄の扉も開いてましたから」
みち子さんが育ち、いまも夫婦が間借りしている父の荒物店には、以前、パトロール中の警官が、気さくな父を訪ねてよく立ち寄った。警官がいるときでないと奥の畳部屋に通じる鉄扉は開けておかない、と何度か話していたことがある。
「……そうですか。じゃあ、そのとき勤務していたのがいま交番所に行きますから、そうっと見に行って下さい」
うわずった声
具足みち子さんが十五万円を届けた日の日勤警官二人が、その日午後、急きょ、パトロールから呼び戻され、具足さん夫婦は槙塚台派出所へ向かった。
「よめはん、ちゃんと覚えてへん言うてるけど……」「まあ、とにかく行って顔見てくれ」と、夫、清治さんが本署の会計課員とやりとりし、説得されてのことだった。
派出所にはもう細顔のめがねをかけた若い警官が戻っていて、ニコッと歯を見せ、笑顔で迎えた。すぐ五十すぎのいかつい警官がドアを開け、さらに一分ほどしてもう一人、三十歳前後の警官が来た。N巡査だった。
N巡査は入ってくるなり、「アレッ、何かあったん」と、うわずった声をあげたので、みち子さんは印象強く覚えている。
「おどおどした様子なんですね。普通なら黙って入ってくるでしょう。奥のドアの前に立ってヘルメットをかぶったまま、こっちを見ているから、私は、顔はよく見ていなかったけど、体格がよく似てるなあと思いながらにらみ返したら、向こうもにらみ返しました」
五十がらみの警官がイスに座り、みち子さんは机の前に立って、「どんな人やった」「どんな髪形やった」「いつ拾って、どないなった」と聞かれた。
「髪はきちっとしていたように思うけど……。若くて男前の人やったねえと答えたんです。最初にいためがねの若い警官が一生懸命、頭を上げたり、下げたりして、こんな頭やったかあ、あんな頭やったかあ、と自分の髪の毛をオールバックにしたり、バサバサにしたりして、いろいろ聞いてくれました」
この細顔の警官はガハハ、ガハハとよく笑い、陽気な“駐在さん”だった。
N巡査はずっとヘルメットをかぶり、みち子さんのすぐ斜め前で突っ立ったままだ。
「話しながらチラ、チラとこちらを見て、ジーッと目を見ると、向こうもジーッとにらみ返したから、あれ、違うのかなあとも思いましたけど、体格はこの人に似てますと、はっきり指差したんです。そやけど顔とかはわからへんと言いました」
細顔で陽気な駐在さんが今度は、箱から警官の顔写真を何枚か取り出し、机の上に並べた。その横には各警官の似顔絵を刻んだ広報用のスタンプも用意された。顔写真を置いた紙に、一人ずつのスタンプを押しながら、「こんな顔やったか、これやったか」と、聞く。はっきり覚えていないみち子さんは「いやあ。いやあ」と、首をかしげるしかなかった。
午後一時半ごろだったから、十五万円の落とし主、堀さんが同じ派出所で正式に遺失届を受理してもらってから三十分足らず後のこと。
みち子さんが派出所へお金を届けた善意の市民として扱われたのは、このときが最後となった。
私、犯人みたい……
槙塚台派出所で警官の写真と似顔絵スタンプを見せられた日、二月九日の午後六時ごろになって、堺南署から具足みち子さんに、呼び出しがかかった。
十五万円を届けたときの模様はもう話したし、不思議に思っていると、「実はもう一回詳しく調べたいんで協力してもらえんやろか」と、言う。
「夜七時半ごろまで店してますので、それからでもよろしいですか……」
「ええ。こっちから迎えに行きます」
パトカーで来られても迷惑だから、みち子さんは行く先が槙塚台とは隣の泉ケ丘派出所であることを確認し、夫の清治さんと泉北高速鉄道泉ケ丘駅構内の店で食事をしてから行きますと返事した。
しかし、遅れてはいけないと思い、夕食はとらなかった。
駅前の派出所では刑事と私服の婦人警官の二人が待っていた。
三十半ば過ぎ、バサバサ髪のとぼけた感じのする刑事が、「ご主人は帰って下さい。奥さんは責任もって送りますので」と、言った。
「そやけど、うちのもん不安やろし、おれ、おりますわ」
と、清治さんは外で待った。午後六時の気温が七・〇度と、この時期としては暖かい夜だった。
みち子さんは奥の畳の部屋に通された。
刑事が「いやあ、えらい悪いなあ、すんまへんなあ」と、ニコニコして言うので、協力せなあかんのやと、改めて思った。
テーブルの前に進むと、左側に刑事、右側には二十歳くらいで地味なスーツの婦人警官が座った。
刑事の質問の浴びせ方はそれまでのとぼけた感じとは違った。
「いつ結婚したか。いつ槙塚台に来ましたか。ご主人は何をしていますか。子供は何人? その日、奥さんは朝から何してましたと聞かれるんです。婦警さんは見張っているみたいだし、『供述調書』と書いた用紙に、きちっとカーボン紙を敷いて取っているし、変なこと聞かれるんで『何か私が犯人みたいですね』と聞いたんです」
刑事は「わしも事件やったら強く言えるんやが。わしもつらいとこや」というような返事をした。
長びきそうなので、「主人に先に帰ってもらいますわ」と、立ち上がったあとを、刑事と婦警がくっつくようについてくる。
「私、いやあな感じでした。主人に言いに行くだけなのに何で付いてくるんか思うてね。主人との言葉のやりとりを見張ってました」
畳の部屋に戻ると、再び、
「店には何しに行くんですか」
「何時ごろ行くんですか」
「どのくらい店にいてます」
などと聞かれ、午後九時ごろ、一時間余の質問攻めから解放された。
二人の子供を預けておいた実家から連れて戻り、午後十一時をすぎ、「十五万円を受け取ったお巡りさんを白状させるために供述調書を書いてるんやろな」と、思いながら眠りについた。
その夜から二日間は何事もなかった。
「事件は解決した──」
と言って、刑事が来たのは二月十二日の午後一時ごろである。
奥さんがとったやろ
二月十二日午後一時すぎ。「解決したんでちょっと交番所へ来てもらえんか」と堺南署の若い刑事が迎えに来たとき、具足みち子さんは、三人目の子供が生まれると手狭になるので、住宅公団の空き家抽選会に大阪市内へ出かけていて留守だった。
夫、清治さんが若い刑事のあとを喜んで槙塚台派出所へついて行った。
すぐ奥の畳の部屋へ通された。少し髪の薄くなった四十すぎに見える部長刑事と、若い刑事がテーブルの向こう側であぐらをかき、清治さんと向かいあった。
部長刑事は三、四センチ角の白っぽい封筒の切れ端三枚が入ったビニール袋を見せ、「これ見たらわかるやろ」と、言った。
「わからんな」と、言う清治さんに、「お宅の店の敷地内から出て来たんや。休みの日(十日)に捜さしてもろた。そこまでいうたらわかるやろ。(奥さんが派出所へ)持って行ったところを見た人がいるんやけど、その時間帯には警察官おらへんかったいう証言がある」と、続けた。
てっきり警官が着服してしまっていて……と、言うと思っていた清治さんは驚き、「ああ、これはこっちへ押しつけてくるんやな」と感じた。
以下、部長刑事とはこんなやりとりになる。
「そのとき、近くのスーパーでカギ拾うた人がおって交番に届けに行ったけど、中に人がおらへんかったし、奥の鉄の扉たたいてもだれも出てけえへんかった言うてる。そやから裏の郵便局へカギを預けに行った。その帰りに奥さんを見た人がいる。そのまま(封筒を)持って帰ったのを見た人もいっぱいおる。(奥さんが封筒)破って金とっとるところ見た人もいるんやで。落とし主の指紋も付いとる」
そばで若い刑事がにらみつけている。
部長刑事は、突然こんなことを言った。
「あの巡査も泣いて潔白を証明してくれ言うてる。『うそ発見機にでもかけてくれ』言うた。それにもかけたけど何も出えへんかった」
清治さんは「けど、おれはよめはん百パーセント信じてる。そこまで言うんやったら裁判でもせなしょうないなあ」と、答えた。
「夫婦いうのは他人の始まりや。よめはん、何しとるかわからへんで。浮気してるか何しとるか。お宅もばれへんかったらしたいやろ。おいらでもしたいがな」
「うちはばか正直やからすることないし、十五万円くらいの金に困ってへん」
「大会社の社長夫人でも奥さんでも万引きするんやで。お宅も商売やってたら税金ごまかしてるやろ」
「うちは最新のPOS(販売管理システム)を使ってるから税金はごまかされへん」
「今やったら穏便にすましたるから。どっちが得か商売してたらわかるやろ」
部長刑事は終始、言い聞かせるようだった。
一時間が過ぎ、午後二時を回っていた。
派出所の表の部屋では、「あの」と、部長刑事が言った巡査が、黙って執務していた。
わしの首かけても
派出所から戻った清治さんは、罪を押しつけてくると感じながら、公団の空き家抽選会から帰った妻に、「警察はお前が犯人や言うてきた」と、伝えた。
みち子さんは「えーッ」と、驚いたが、「そんなもん警察で正直に言えば通るもんでしょ」と、まだ深刻に受け止めてはいなかった。
しかし、事態ののっぴきならないことを感じた清治さんは、みち子さんの実家に連絡をとり、夫婦で間借りしている荒物店へ叔父二人に来てもらっていた。当然、みち子さんの父も同席している。そこへめがねをかけた若い刑事がみち子さんに出頭を求めて呼びに来た。
十二日午後五時すぎ。店の土間で刑事との対決となった。
居合わせた人たちによると──
「封筒は(受けとった派出所の)警察(官)がもしかして破ってるかもわかりませんやんか。その人の指紋が封筒の切れ端に付いてるかもわからへんでしょ。それも調べてくれました?」
みち子さんの言葉に、刑事は「それも調べた。指紋も全部調べたが出てこなかった」と言った。
叔父の一人が顔を赤くし、「このままではすまされん。帰ってくれッ」と、どなった。
刑事は黙って店を出た。
やがて、清治さんの義弟も心配して姿を見せた。間髪をおかず、昼間の部長刑事がめがねの刑事を従えて現れ、レジのそばのイスにゆっくりと腰をおろした。
夫婦と四人の身内が立ったまま、部長刑事を見下ろすかたちになった。
部長刑事「奥さんが持って行くとこ見てはる人がいる。奥さんが帰ってくる姿も(派出所裏の)郵便局から見てる」
みち子さんは、郵便局からでは派出所への行き帰りは見えないはずなのに……と思いながら、
「私、どんな服着てた言うてました」
部長刑事「そこまではわからん」
みち子さん「うちは十五万円のお金を取るほど困ってません」
部長刑事「そやけどな奥さん、大会社の社長の奥さんでも魔がさすこともあるんや」
義弟が怒った。
「万引きとネコババは違う。あんたら、ここへ来てるけど、ほんまはもう(犯人は)自分とことわかってるんやろ。仲間かばってるんやろ」
部長刑事は無視するように、
「奥さん、そない言うけど破ってるとこ見てる人いるんやで」
みち子さんは思わず、「何か言うてッ」と、清治さんに助けを求めた。
清治さんが「こんなん、人間のすることやない」と、激しい言葉を浴びせた。
初めて部長刑事が顔をピクッとさせた。
みち子さんの父「もしも犯人と違うたら名誉棄損で訴える」
部長刑事「どうぞ。十七年の刑事生活あるんや。わしのくびかけても間違いない」
義弟「そこまで言うなら、逮捕状持ってこんか。みち子を渡すがな」
部長刑事「そう言ってくれるんならありがたい。今度来る時そうする」
部長刑事はイスからゆっくり立ち上がると、若い刑事を促(うなが)して出ていった。
二人の背中を、夫婦と居合わせた身内の人たち六人の射るような視線が見送った。
第二章 闇の彼方から手が
ヘルメットの顔だ
部長刑事が十五万円の抜き取り犯人は「お宅の奥さんだ」と、決めつけて帰ったあと、実家の父が営む荒物店に残った具足(ぐそく)家の人々は皆、どうしていいのかわからないまま、身内のつてで弁護士に連絡を取った。
その弁護士から「奥さん、あなたは大変な事件に巻き込まれました」と言われ、初めてみち子さんの体の中を得体の知れない恐怖がかけめぐった。
絶対に自分は犯人ではない。
それを警察が、犯人に仕立て上げようとしているのには、どんな理由があるのだろうか。
それとも本当に犯人だと思っているのだろうか。
どちらにしても、あまりにもがさつで無理な警察のこじつけだと思いながらも、震えが止まらなかった。
自分を犯人とするにはあまりにもがさつだと思うことの一つは、「カネヒロ」から府道沿いの歩道を通って、槙塚台(まきづかだい)派出所へ届けに行った往復を、泉北槙塚台郵便局から見たという人の証言だ。
派出所は府道に面しており、郵便局は派出所と背中合わせで、ほぼ真裏に位置している。郵便局の出入り口からは、間に槙塚台自治会館の管理事務室やトイレがあって、歩道を見通せるはずがない。警察はそんなことも確かめていないのだろうか。
実は、みち子さんが届け出に行ってから帰ってくるまでを、「カネヒロ」の前でずっと待っていてくれた人がいる。
取引先の大阪市内の菓子問屋営業部長(45)で、十五万円が拾われた場面に偶然、居合わせた。封筒の中を確認した清治(きよはる)さんから、「あんたが届けに行ったら謝礼がもらえるぞ」と、言われた。みち子さんからもそうするように勧められたが、営業部長は「お店でのことやから」と、断った。
営業部長は、みち子さんが「もう落とした人の届けが出てるんやて」と言って、帰ってきたのをはっきり記憶している。
みち子さんと入れ代わりにワゴン車で帰った営業部長は、派出所の前を通るとき、シートベルトをしていなかったのと、十五万円の届け出のことを知っていたので、反射的に派出所の方を見た。
外にオートバイが止まり、白いヘルメットをかぶった警官が一人座っていた。だからあわててシートベルトを締めた。
このことは、みち子さんが窮地に陥っていると知って、営業部長が自分から進んで刑事に証言してくれているのに、警察はどう受け止めているのだろうかと、みち子さんは思った。
清治さんにも部長刑事の強引な決めつけが理解できなかった。
昼すぎ、派出所に呼ばれ、「あの巡査も泣いて潔白……」と、告げられたとき、清治さんにはピンと来るものがあった。
「あの」とは、九日、初めて夫婦で派出所へ行ったとき、よめはんが「体格はこの人に似ている」と、言ったあの巡査のことに違いない。
たしかヘルメットをかぶったまま、脱ごうともしないで突っ立っていた。派出所の奥の畳の部屋で、部長刑事から〈奥さんが封筒破って金とっとるところ見た人がいるんや〉と詰め寄られていたとき、あの巡査は、表で執務していた──。
派出所からの帰りがけ、執務している「あの」巡査を見ると、制帽をかぶっていた。その顔は、「よめはんが言うてた若くて大学卒の(ような)なかなかの男前……あ、この警官だ」と、清治さんは思った。
ヘルメットをかぶると、あごとほおをひもで締め上げるので、顔は実際よりポテッとしてふけて見える。それでよめはんは、はっきり指差せなかったんや。そんなこと、警察がなぜ気付かんのや。
清治さんは、胸の奥のほうが、カッと熱くなってきた。
封筒がきれいにちぎれ……
「十七年間の刑事経験から、首をかけても(犯人は具足みち子さんに)間違いない」と、言い切った部長刑事は、その四、五時間前、十二日の昼すぎ、十五万円の落とし主、堀正夫さん宅を訪ねていた。
かつて国鉄の経理マンだった堀さんは、手帳に入念な記録をつけている。
部長刑事には、元プロ野球の江本投手に似た若い刑事が同行していた。
部長刑事は、水色のファイルノートから封筒の切れ端二つが入ったビニール袋を取り出し、「これしか見つかりませんでした」と、言った。
そうして、こう続けた──と、堀さんが語る。
「警官も人間やから悪いやつもおります。ひょっとしてご迷惑かけるかも知れませんが、今のところそういうことはありません。おかしいと思ったら、全部監察室に上げますから」
「(十五万円が入っていたのは)大和銀行の封筒でしたか」
刑事が出した封筒の切れ端は確かに十五万円を入れたのと同じものの一部だった。「大和銀行」とブルーで印刷された文字の部分が、ちょうど「大和」と「銀行」の間で、不思議なくらいきれいにちぎれ、はっきり「大和銀行」と読み取れた。
部長刑事は「カネヒロの休みの日、いつか知ってますか」と聞き、水曜日です、と堀さんが答えると、「水曜日にあの道捜したんです。そしたらこれしか出て来んかった」と、説明した。
二人の刑事は三日後の十五日、再び堀さん宅を訪れ、「先日のお話を調書にさせてほしい」と言った。
その時、部長刑事はまたもこんなことを話している。
「カネヒロさんの奥さんを、六日の勤務の巡査に会わせたところが、奥さんは『その人と違う』言うとる。奥さんを三十分ほど調べたけど、全然、顔色も変えへんし、しまいには親せきの人がガードして会わしてくれません。おかしいんや。巡査は『嫁さんも家庭も持っているから、わずか十五万円の金でくびになるようなあほなことはしない。だから調べてくれ』言うんだ。監察室で調べたらシロだった。それで堺南署、お前のとこでやれ、と言われたんで捜査本部を置いてやってますのや」
部長刑事は、捜査の手の内をペラペラとしゃべった。
「へえー、こりゃ、奥さん不利になるなあ」と、堀さんは考え込んでしまった。
だが、堀さんは後になってあることに気付き、首をかしげるのである。
「落とした六日は季節風がものすごかったんです。十日に封筒の切れ端が見つかったというてたけど、破った封筒がそんなに簡単に残っているわけがない──」
堀さんの記憶は正確だった。
大阪管区気象台によれば、六日の大阪地方は午後二時五十分に台風なみの最大瞬間風速二十二・四メートルを記録している。二月としてはこの五十年間で十番目の強い突風であった。
部長刑事の言葉通りなら、その六日から十日の水曜日まで、四センチ角ほどの封筒の破片が現場に残っていたことになる。
読売新聞が追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」とのタイトルで、昭和六十三年六月十三日夕刊から社会面で警官ネコババ事件の連載を開始し、ここまで書き進めた段階(六十三年六月二十二日)で、作家・田辺聖子さんがこの事件を「中央公論」八月号誌上で取り上げた。この事件の異様さに真っ先に目を向けたのは田辺さんだった。「封筒の切れ端」と題する巻頭随筆を、田辺さんのお許しを得て転載させていただく。
随筆 封筒の切れ端
田辺聖子
大阪府堺市で、派出所の警官が市民の届け出た拾得金を着服した事件は、たかだか十五万円のことなのに、(庶民の金銭感覚からいうと大きいが、また汚職横領などで問題になる金額単位からみれば、はした金といってよい)大きな社会問題となった。〈警官も猫ばばしまンのか〉という愉快な(本当は愉快がっていてはいけないのであるが、「ニッポンのケーサツは他国(よ そ)と違(ちや)う」というニッポンの神話は崩れたわけである)発見は、市民にとって、悪い意味での新鮮なショックとなった。それに、猫ばばだけならともかく、届け出た人を犯人扱いするという警察としては、まさに「あってはならない事件」(国家公安委とともに処分にのり出した警察庁の表現)で、日々の瓦版を読む、われら長屋の住人、熊公・八公・雀のお松つぁんらに取っては面白くってならない。尤も犯人にされた三十七歳の美しきミセスはかんかんで、大阪府に損害賠償を求める訴訟を起している。
私は推理小説は書かないが、読むのは好きで、この事件も読売新聞が報道し始めた最初から関心を持って読んでいた。路地裏観察派というか、市井(しせい)ウォッチャーとしては、またとない興深い事件である。くわしいことは新聞に当って頂きたいが、二月の第一土曜、その日は記録的突風の吹き荒れる日だった。夫の経営するフードショップの店内で、客の一人が大和銀行の封筒に入った十五万円を拾い、従業員に手渡した。ミセスはそれを持って、歩いて一分とかからぬ派出所へ届ける。若い警官がいて間髪を入れず、「それやったら届けが出てるわ」といった。それでミセスは安心して住所氏名をいった。警官は紙片に書き取り、しかしこの時、拾得物受理の正式書類は書いていない。
翌週の火曜日に拾い主がショップへ問い合わせ、ついで落し主も問合わせてきたので、ショップ側はびっくりする。てっきり解決したはず、と思っていたのだ。ミセスは管内の警察署へ問合せの電話をかける。派出所へ届けた時の警官の人相を問われるが、よくおぼえていない。その夜からミセスは犯人扱いされてしまう。金曜の昼すぎ、警察の部長刑事が三、四センチ角の白っぽい封筒の切れ端三枚が入ったビニール袋を、交番に呼び立てたミセスの夫にみせ、「落し主の指紋も付いとる」という。「お宅の店の敷地内から出て来たんや。休みの日に捜さしてもろた。そこまでいうたらわかるやろ。(奥さんが派出所へ)持って行ったところを見た人がいるんやけど、その時間帯には警察官おらへんかったいう証言がある」('88・6・18読売夕刊)この部長刑事は、「よめはん一〇〇パーセント信じてる」という夫に、「夫婦いうのは他人の始まりや。よめはん、何しとるかわからへんで。浮気してるか何しとるか。お宅もばれへんかったらしたいやろ。おいらでもしたいがな」などと市井ウォッチャーたちを狂喜させるようなことをいい、「お宅も商売やってたら税金ごまかしてるやろ。今やったら穏便にすましたるから。どっちが得か商売してたらわかるやろ」と、長屋の住人たちを感涙でむせばせるようなことをつけ加える。しかもこの時、交番の表の部屋では、問題の「若い警官」が黙々と執務していたそうである。あとでわかったことだが、この時はまだ警官は猫ばばした金をじっと卵のように抱いていたわけ、彼が、「騒ぎが大きくなって自宅で十五万円を焼いた」のは、この翌日の土曜である。
派出所は小さいから、裏の部屋で部長刑事がしゃべっている文句も聞き取れたであろう。紙片の入ったビニール袋を見せ、「これ見たらわかるやろ」といっていたのも聞こえたに違いない。その時の警官の心持はどのようであろうか、「現代今昔物語」の作者たらんと努め励んでいる私にはそれも甚だ興があるが、問題はそのビニール袋である。
それを見せられた人がもう一人いる。落し主である。同日、それより早い時間、部長刑事は落し主を訪れ、「水色のファイルノートから封筒の切れ端二つが入ったビニール袋を取り出し、『これしか見つかりませんでした』と言った」(同上)封筒の切れ端は「大和」と「銀行」の間で不思議なくらいきれいにちぎれていた。四センチ角ほどの封筒の破片を、刑事は水曜に、店(シヨツプ)の敷地で拾ったと、ここでもいっている。落し主は、(落した土曜は風が烈しかった、破った封筒が、そんなに簡単に残っているかなあ)とふと疑う。──問題の警官が自宅で焼却した時に、封筒も同時に焼かれたかどうかは分明でないが、刑事がひらひらさせたのは、いったい、どこから持ってきた封筒の切れ端なのだろう? 「大和」と「銀行」の間で、「不思議なくらいきれいにちぎれ」、はっきり字が読みとれるような、ちぎり方をした者は誰なのだろう? 黒闇々(こくあんあん)の闇の彼方からぬっと出た手が、同じような封筒を拉(らつ)してきて、字の読めるようにうまくちぎり、「落し主の指紋もついている」とひらひらさせて見せるとしたら──もし「現代今昔物語」に書かれるならば、「世俗・検非違使(けびいし)悪行の巻」、へでも入れられるのであろうか。
郵便局長の証言
田辺さんは作家の鋭い視点でこの事件の本質を見抜いたようだ。闇の彼方からぬっと手が出る……という表現が、一人の主婦を冤罪(えんざい)にひきずり込もうとした事件の恐ろしさをえぐり出している。
田辺さんから、再び、追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」に戻る。
記録的な突風が吹いていたのに、警察は証拠の封筒片を入手できたという。しかし、それは具足みち子さんが捨てたものではない。
だれが破って捨てたのか、ナゾのままである。
もう一つ、警察がみち子さん犯人説の有力な証拠とした目撃者の話──派出所が留守だったので、郵便局に拾ったカギを届けに行き、警官のいない派出所へ往復するみち子さんを見たという証言はどうなのか。
泉北槙塚台郵便局へ来て五年目という局長は、仕事柄か、きちょうめんな人で、来訪者があると受け取った名刺の裏に、郵便局の丸スタンプで日付を押している。
「二月十七日に間違いありません。堺南署から最初に刑事さん二人が来たのは。その日、郵政監察局の監査があって今日は調べが重なるなあと思ったんでよく覚えているんです」
局長は郵政監察官の名刺の裏のスタンプを確認して、そう言った。
刑事の用件は郵便局へカギを預けに来た人の証言の裏付け取りだった。だが、局長の鮮明な記憶によって、その証言はあっけなく崩れてしまう。
「刑事さんは、
『家のカギなのかどうかはっきりしないけど、二本拾うて、お宅に預けたというおばちゃんがいるんだけど、預かりませんでしたか。六日の午前十一時ごろとか十一時半ごろなんだ』
と、聞かれました。六日は土曜日で、私、午後零時半までずっとここにいましたが、そんなことなかった。念のため四人の局員にも聞いたけど預かってない。だから、はっきり〈ありませんでした〉と答えたんです」
二人の刑事は、おかしい、あったはずだ、といわんばかりに、
「本当になかったのか」と、しつこく食い下がった。
「貯金通帳とかでしたら別ですけど、派出所がわりにいちいち預かっていたら、こっち、困りますがな。今までそんなもの預かったこと、一度もないと重ねて言うたんです」
郵便局長はさらに続けた。
「もう一つ聞いてました。みち子さんが六日ごろに、十数万円をうちの局で預け入れたり、送金したりせえへんかったかと。正式な照会文書があったら別ですけど、そんなんなしでは、調査に応じられません。居合わせた郵政監察官にも相談して断りました。二十二日にも別の刑事が二人来て、また『なんとか(書類を)見てもらえんか』というんです。そのときも断ると、あとで監察局から問い合わせがあったんで、みち子さんのお金の関係調べて回答しました。お金の動き、全くありませんでしたがね」
カギを拾った女性の証言はあやふやだったのか、警察の作り話だったのか。
その証言の信憑(しんぴよう)性は極めて薄くなったのに、捜査の目は、なお執拗(しつよう)に、三人目の赤ちゃんを身ごもっているみち子さんに向けられてゆく。
「今度来るときは逮捕状を持ってくる」といって、部長刑事が帰った二月十二日の夜、具足みち子さんは、眠れなかった。
「弁護士さんに警察から電話があったら、必ずテープに取っておくようにと言われ、テープレコーダーを買って電話の横に置きました。事件の内容を司法書士に書いてもらいなさいとも言われたけど、知った人いません。一人ぼけーッとしてから、時間を追って書き始めると、レポート用紙十七枚になり、いつのまにか明け方になっていました」
第三章 真実は一つです
その事件の日……
具足(ぐそく)みち子さんが夜を徹して書き上げた十七枚のレポートを紹介する。
黒ボールペンで細いケイの中にびっしりと、やりきれない気持ちを抑え、鮮明な記憶をもとに、ありのままを綴ったものだ。何の飾りも技巧もない。だが、体験した者だけが持つ迫力にあふれている。このレポート十七枚は、のちに人を介して堺南署長のもとに、“真実を語る書面”との注釈付きで届けられる。だが握りつぶされてしまう……。
私はこんな文章を書くのは、初めてのことですので、どう書いていいものかは、わかりませんが、これから書くことは、仏、神にちかってうそは申しませんので、よろしくご理解下さいませ。
私は生まれて三十六年間、人様の物に手を付けたことは、一切ございません。なのにどうして、このような冤罪(えんざい)をかぶせられるのかと思うと、情けなく、腹立たしくて、涙も出ません。私はすぐ泣く方ですが、本当に腹が立つと涙も出ないことがよくわかりました。
私は先祖供養をさせてもらっています。その教えでは、人にかけた罪は絶対に自分の身にふり返ってくると教えられています。
そう思うと、今までに人様に知らないうちにかけたご迷惑、それは私は一番でしょうが、それに主人(清治(きよはる)さん)、子供、また身内の者が今までに、「知らず知らずのうちにかけたご迷惑」──それが今、私にふり返って来たのではと思うと、その知らない方々には、本当に申し訳なく思っています。
だからと言って、冤罪をかけられたままでは私も、自分の人権が(侵害されることになり)許されることはできません。
私はここ槙塚(まきづか)(堺市)に来て十六年余りになります。その間、結婚して、いい主人、子供二人にめぐまれて、本当に幸せな生活をしていました。
その間に「カネヒロ」の店を出す時に、近所の(同じような商売をしている)方に、猛反対されました。
近所の方も私たちに、まだ(猛反対したときの)その気持ちをお持ちの方も、多くおられることと思います。
今日、(部長)刑事さんが来られ、証拠は出ていると言われた時も、(部長)刑事さんの証拠と言うものが本当(にあるの)であれば、その(猛反対の気持ちからの)かのう性があるのではと、私自身、疑ってはいけないのですが、思いたくなります。
警察官はいた
その事件のあった日も、この間、泉ケ丘の派出所で供述調書をとられた(とき話した)ことと同じですが、もう一度、書きます。
あの日は朝から、家でそうじ、洗たく、主人の食事の用意などをして、家を出たのは十一時少しまわった時だと思います。行くと、店の中は、お客さんで一杯でした。
私は家で伝票の整理をしている以外は、あまり店のことは知りませんので、なぜかと思いましたが、売り出しの初日だとの広告のチラシがはってあるのを見て(お客さんがたくさん来てくれていると)知りました。
その時に主人の横に(菓子問屋の)三埜商店さんのセールスの方(営業部長)がおられましたので、話好きの私は横で一緒に世間話をしていました。
そうして今度は店の裏の方へ行って、また三人で話をし、そのうちに主人が店に品物を出しに行きました。
主人がまた裏の方にもどって来た時のことです。(主人が)「店に金が落ちとった」と言って、中身を読む(見る)と、封筒の中から一万円札で十五枚、それは主人も私も三埜商店さんのセールスの人も一緒に確認していました。
主人は「店が忙しいから、お前ポリボックスに持って行って来い」
と、私に言いましたので、それを持って行こうと、二、三歩、歩いたところで、主人は電話をかけていた三埜商店さんのセールスの方に、
「自分で持って行ったらお礼一割もらえるから行ったら」と笑って言いました。そのセールスの方は「いいよ、いいよ」と言ったので、私はその足で走って持って行きました。
その時、パッと私の頭の中に感じたことは、けいさつ(官)の単車が(派出所の前に)見あたらなかったもので、また(警察官が)いないのかと思いました。ここのポリボックスはいないことが多いもので。
が、外から中を見ると、中の鉄の、けいさつ(官)しか開けることのできないドアがあいているのに気付きました。
そのドアがけいさつ(官)しか開けられないことは、結婚する前まで、今、自宅となっている荒物屋の店によくけいさつの方が来られて(話して)いましたので、よく知っていました。
えらい簡単やなあ
そのドアが目に付きましたので、「ああ、けいさつ(官)がいてる」と、わかったのです。その時、つくえの上にけいさつ(官)の帽子が向かって右の方の上に置いてありました。それではっきり、けいさつ(官)がいることがわかったのです。
鉄のドアが半分あいてあるところに、一人のけいさつ(官)がいて、私が、これ店に落ちていましたと言うと、そのけいさつ(官)は「ああ、これはもう届けが出ている」と、小さいボソボソとした声でしたが、私ははっきり聞いています。
そのけいさつ(官)が封筒を見て言ったかどうかはわかりませんが、「大和銀行の袋ですね」と、それもはっきり言いました。私はその時初めて大和銀行の袋だと知りました。
でもこのことは、泉ケ丘(派出所)で供述調書をとっていた時に、刑事さんが後で読み返してくれると、ぬけていました。
それを付け加えて下さいというと、その刑事さんはエンピツで記入していましたので、けいさつの方には、それをはっきりと書いているか、どうかはわかりません。
話は元にもどりますが、大和銀行の袋と言われた時、私のとり方では、(警察官が)袋を見て言ったのではなくって、届けが出ていると言われたので、「ああ──、落とした方が現金いくらいくら、大和銀行の袋に入れてあった」と、届けているから知っているのだと、私自身判断し、別に何の不思議にも思いませんでした。
うす茶色のメモ紙をどこから出したかはわかりませんが、名前と年、電話番号を聞かれて、住所を聞かれたかどうかはおぼえていませんが、この三つははっきりとおぼえています。その時に具足みち子の「子」のところをひらがなで「こ」と書いていました。
私は別にそんなことはどうでもいいわと思い、ほっておきました。
年を聞かれた時は本当は三十六歳なのですが、三十七歳といいました。だれでも、でもないのかもわかりませんが、三十歳半ばをこえると、あまり年のことは気にしていませんので、三十七歳と言い、後で、あ、三十六歳やったのにと思いました。
そうです、その前に、最初にポリボックスに入って行ったとき、「そこのカネヒロですが」と言うと、そのけいさつ(官)は「ええ?」と言って、もう一度聞きなおしました。もう一度「カネヒロですが」と言うと、そのけいさつ(官)はわかった様でした。これはこの間の供述調書には書いていません。その時のペンはボールペンではなくてエンピツの様に思います。
顔は、と聞かれますが、入って行った時、一しゅん見ただけで、その後はそのけいさつ(官)は中ごし(腰)の様に、また私は立っていましたので、顔を見て話をしておりませんし、夢にもこんなことになるとは思っていませんでしたので、気を付けて見ていません。知らないのにほとんど等しいです。
ポリボックスを出てから、えらい、(手続きが)かんたんやなあと思いましたが、もう届けが出ているから、そんなものかと思い、別にお礼金もいらないことですので、ただ落とした方に渡ればそれでいいと思い帰って来ました。
もうずい分前のことになりますが、父が落とし物をひろって、けいさつに届けた時に、落とした方が荒物屋の方に来られまして、「おたくの印かんがなければ、落とした品物は返してもらえないので」と、言って来られた時があったのです。
父は「おれはそんなお礼をもらおうと思ってひろったのではない。落とした人に無事に帰ったらええんや」と言って、別に何ももらわずに、印かんだけ押して済ましたことがありました。
その時に父から、けいさつに届けたら、いろいろとむずかしいことがあると聞いていましたので、私はふとそういうことを思い出して、メモだけだと、落とした方(への返還の手続き)はかんたんに済むのでは、と思ったのです。
これは、この間の調書には書いていません。
ヘルメットぬがなかった
そして(派出所から戻って店から)伝票をもって帰って、荒物屋のうらの入り口から入り、今は(税金の)申告時なもので、すぐに(伝票整理の)仕事にかかりました。
後になりましたが、私が店に行った目的は、その伝票をとりに行くことでした。
その日の三時半頃に、家の方にお客さんがご夫婦でこられまして、その方に、
「今日、店に十五万落ちていて届けたんよ」
と言うと、その奥さんは、
「私も昔、車を運転していてハンドクリームをつけるのに指輪をぬいて膝の上に置き、そのままわすれて車から降りてしまった。今度、気が付くと指輪がなかったのでもうだめかと思ったけれど、けいさつに届けると、道に落ちていたのが届けてくれてあって、こんなにうれしいことなかった。今でも感謝している……」
届けてくれたのはどうも服屋さんなのか、「……主人と二人で今度、服あつらえる時は、そこであつらえようねと言っているけれど、いまだに、まだようあつらえんわ」と、言って帰りました。
その二日後の月よう日の夜、今度はご主人だけが来られたので、私は、
「あの十五万落とした人、まだ何のあいさつもないのやで。非常識な人もいるもんやね」
と、言っていたら、次の九日の火よう日に、うちのパート(店員)がひろったものだと思っていたところが、実は、うちのお客さんだったと、初めて知りました。
その方は主人に、「あの話どうなっているのや」と、聞かれたもので、「うちの方にも何のあいさつもない」ということを言ったそうです。
それを帰って来て主人が私に言うもので、
「それやったら、うちがお礼金をだまってもらっている様に思われてはいけない」
ということで、すぐ堺南署の方に電話したところ、そんな届け出がないということを知ってびっくりしたことです。
それが、この事件のはじまりです。
その間にも、主人が店から帰ってきて、「落とした人、何かあいさつあった」と聞くと、「いいや」と、言っていました。でも主人と二人で、
「十五万円もひろってもらって、何のあいさつもないって……。届けが出ていると言っていたから、すぐに取りに来るもんを、非常識の人やね」
と、言っていたのです。うちも、その時におかしいと思って、すぐにけいさつに行けばよかったのですが、何かお礼金が目的みたいで、イヤな感じがしていましたので、そのままにしておいたのです。
そして、(堺)南署の会計課の村松さんとおっしゃる方──そう、その村松さんは(私が)南署に電話した時、調べて後でまた電話すると言っておられました──が電話を下さった時に、
「よく他の署でガードマンの様な人がポリボックスにすわっている時があるから、ガードマンではないか」
と、聞かれました。
が、私は「けいさつ(官)しか開けることのできないドアが開いていましたし、制帽も見ているので、たしかにけいさつ(官)でした」と、言いました。
村松さんは「その事件のときのけいさつ(官)が、今、ポリボックスにいるから顔を見に行って下さい」と、言われましたが、はっきり言って私はこんなことになるとは思ってもいませんでしたので、そのけいさつ(官)の顔さえもよく覚えていません。
その時はあやふやなことを言ってはかえって、けいさつの方にご迷惑になるので、一度はことわりましたが、村松さんは「そんなことはこちらの方でほっておけませんので、一度見て来て下さい」と、言われます。
私はもう一度村松さんに「本当に顔はよくわかりませんよ」と確認した上で、主人と一緒に二人で槙塚(台)のポリボックスに行きました。
一人の方はメガネをかけておられましたので、一目で全然ちがう人とわかり、「この人ではない」と、言いました。
もう一人の人は私たちが行った後から入ってきて、今になって感じると、少しオロオロとしていた様に思います。
そして体形はよく似ていましたが、その人だともはっきり言えないし。また、私が届けた時のけいさつ(官)は制帽をぬいでいました。
その人はけいさつのヘルメットをぬがずにいましたので、ちがう感じがしたのです。
どうしてあのとき一人の人はヘルメットをかぶったままで、ぬがなかったのでしょうか。
こんな大きな事件になるのでしたら、あのとき、
「すみませんがヘルメットぬいで下さい」
と、言ったのに。でもその時はこんな大きな事件になるとは、夢にも思っていませんでしたので、何も言えませんでした。
私の人権は……
(十五万円を受理した)けいさつの方は、若い方でしたので、父も私も前途ある身で、もしものことがあってはかわいそうに、とまだ思ってかばっていました。
私も今日の今日(二月十二日)まで、主人に「私の一言で首になったらかわいそうに」と、言っていました。
主人は「お前そんなことを言っていたら、よけいにおかしいと思われる。身から出たさびや。そんなこと気にすることはない」と、言われましたが、それでも今日十二日の夕方、(部長)刑事がくるまでは、本当にそう思っていたのに、やはり私の考えはあまかった様です。
それにしても、あまりにものでっちあげに、私も腹が立ち、それなら、人のことなど考えている場合ではない、自分の身があぶないのにと思い、それなら裁判でも何でもいい、出るところへ出ると決心しました。
昔からよく正直ものはバカを見ると言うのはよくわかりました。テレビなどで冤罪のことを時々見ていましたが、まさか自分の身にふり返ってくるとは夢にも思いませんでした。
また話は元にもどりますが、その村松さんは私に、よく他署でガードマンがすわっていて、そういうことはある、調書をとられた刑事さんも、
「これ本当におまわりさんやったのかなあ」
と、言っていたのに、今日の(部長)刑事さんにそれを話すと、
「そんな(ガードマンがすわっている)ことはありえない」
と、はっきり言いました。
そしたら、この事件にかかわった方はおまわりさんの他、だれもいないことになるはずです。
その(部長)刑事さんは、私がけいさつに行くところを見た人がいる、だけどその時間帯はおまわりさんがいなかったと住民の方が言っているとか、落とした人の指紋の付いた大和銀行の(封筒の)きれはしが「カネヒロ」の住宅地内で見つかっているとか言い、そこまでは私も、私をおとしいれるために作ったアリバイとか思っていましたが、最後に言った言葉は、私がその封筒を破っているところを見た人がいる、という言葉でした。
それをそこまで言われると、完全に私をおとしいれるでっちあげの言葉としかいえません。
私をおどしている言葉です、きっと。
それで、「その人はだれや」と聞くと、「その人の人権があるから言えない」と言います。
そしたら、私の方の人権はどうなるのですか。
それに私の方は、こんなことになるとは夢にも思っていませんので、何の証拠もないのに対し、あの九日から二日しかたっていないのに、けいさつの方のありもしない証拠がそろいすぎているのも、おかしいと思います。
それに、もし私がとっていたなら、なぜわざわざと南署まで電話しないといけないのですか。
けいさつの方にうそ発見器をかけたなら、私にも、かけてほしいと思いますが、もう、けいさつを信用することもできなく、けいさつのいい様にされるのかと思うとこわいです。
それから、今までに書き忘れたこと。
事件のけいさつ(官)は、メガネはなし、若くて、男前、中肉中背、ボソボソと、話をしていました。
そして、九日の事件の発覚した日、昼、槙塚(台)のポリボックスで一度事情を聞かれています。
その夜、(堺)南署の刑事さんらしい人に七時三十分から九時まで、泉ケ丘派出所で調書をとられました。
主人は店を経営しています。このままでは店の信用にもかかわります。私の人権にもかかわります。金を払って済むことかも知れませんが、それでは私が本当に取ったことになります。
私は絶対(そんなことは)いたしません。
それからもう一つ、今日の(部長)刑事さんの言うには、私は「うちは十五万円をとる様な金の苦労はしていません」と言うと、その(部長)刑事さんは、「大会社の社長の奥さんも生理の時などは、魔がさすこともあるんやから」と言って、完全に私を犯人扱いにされました。
こんなことを書くと、金にこまった人は、どろぼうをするのかと言っている様ですが、そんなことを言っているのではありませんので誤解をしないで下さい。
真実は一つです。よく調べて下さい。他にお聞きになられたいことがあれば、事実を言います。
よろしくお願い致します。
私はご先祖様、神様にちかってうそは言っていないことをわかって下さい。
昭和六十三年二月十三日
午前五時二十分
具足 みち子
追伸 文章の中での今日と言う言葉は二月十二日のことです。
おかしいこと
それから追伸させていただきます。
けいさつ側の(言う)私が取ったという証拠の中で、三つ言っていましたが、おかしいところが二つあります。
それはけいさつ側の言うのには、私は持って行くには行ったが、けいさつ(官)がいなかったので、そのまま持って帰って来た様に言っています。行くのを見た人がいるのなら、帰ってきたところを見た人もいるはずです。
そこなのです。私はその日はポケットのある服は着ておりませんので、帰って来るとしたら、その封筒をどの様にして持って帰ってくるのですか。
けいさつが、行くのを見たと言う人がいるのなら、持って帰ってきたところを見た人もいるはずです。そして、そのとき、私が封筒を手に持っていたかどうか?
それから、私がその封筒を破って捨てているところを見たと、言うこと(について)です。切れはしは「カネヒロ」の店に落ちていたということです。そしたら、当然、私が店で破っているところを見たと言っているのでしょうが、いくらなんでも、店の中、店の前では破りません。
店の裏としたら、うちの裏にはいつも主人の二トンのロングの車を置いてあるのです。よほど気を付けて見ないと、そこまでは見えないはずです。ただ通っているだけでは、絶対見えないのです。その見たという人は何も知らないのに、見たのでしょうか。その人自身もおかしいのではないでしょうか。
それから、落とした方の指紋の付いた切れはしが「カネヒロ」内で落ちていたのは、十二日に来た(部長)刑事さんが言うには、「おたくの定休日の水よう日、その水よう日の十日にさがすと出て来た」と、言っていました。
それから、また一つ。
二月九日(火)の夜、泉ケ丘のポリボックスに行ったとき、私は刑事さんに、
「はっきりとした届け出があるのですか。私はメモ紙でしたが、届け出をした人の預かり証はあるのですか」
と聞くと、その刑事さんの言うには「それらしき届け出はあるのですが」と、言いました。
その私が届けに行った時のけいさつかんは、はっきりと届け出は出ていると言っていたのに、「それらしき届け出」なんて言うことはあるのですか。
警察がみち子さんを犯人とする主張のなかには、見逃がすことのできないいくつもの矛盾があることを、みち子さんは鋭く指摘している。
定休日は店の表シャッターが降りていて、中には入れない。入れない店の中から、部長刑事は封筒の切れ端を見つけてきたことになる。そして、十五万円を落とした人からの届けがあるのか、ないのか。
届けがあって初めて、みち子さんの拾得金横領容疑は発生するのに、落としたとの届けを受けた警官がだれで、どんな受理内容だったのか、本署には報告されたのか。どうやら警察内部で正しく手続きされていないらしい疑念をも、突いている。
こんながさつな主張をもとに、警察はみち子さんを犯人に仕立て上げていこうとする……。以後の展開は、連載追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」に戻して進める。
第四章 いま書かれたら大変や
部屋を真っ暗にして
レポートを書き終わると、夜が明けていた。
夜が明けても、具足(ぐそく)みち子さんの気持ちはどんどん落ち込んでゆく。
「父と二人きりのとき、
『もうあかんわ。こんなことになって悪いけど、私、引き取ってくれへんやろか。迷惑かけるんやったら自分の親しかいない。(主人)には大切にしてもらってるから、恩をあだで返すわけにはいかへん』言うたら、
父は『そこまで考えているんやったらかまへん』言うてくれました。主人にも同じこと言うたら『子供おるから。店売って山奥へでも行って暮らそう』言うてくれた。
どこ行っても、具足には変わりないし……。
サラリーマンと違って、私ら朝からずっと夫婦一緒、休みの日も子供連れてどこか行くときも一緒。あまり一緒の時間が長いんで、どっちか早死にするかもしれんなあ、別れるんやったら早めと違うやろかと冗談言ってたことあった。
夫婦が一生の間に一緒におれる時間は決まってるんやで、きっと。いまが別れる時期なんかなあ。
これで家庭は終わりやねんなあ、やっぱりそうなったなあと思った……」
「主人の兄や叔父の前で言ったときは、涙がポロッと来ました。
主人の兄は『そんなことしたら負けやんか。取った言うこと認めることになる。世間もそう思ってしまう』と。
でも私は犯人にされる前に別れたかった。
主人は『絶対子供離さん』言うし、私も『どっちか一人欲しい』言うたけど、ばらばらにするのはかわいそうだから、どちらかが二人とも引き取らなあかんという話になりました。
子供を捨てなあかんと思ったとき、また涙がこぼれた。主人も横で泣いてた。
あんなでっかい、八十八キロもある体して……」
「警察に掛け合ってくれるという身内のある人から、
『決着はつかんだろうがシロクロに近い答えは出せる』と言われ、私、最低限度して欲しいことは、取ってないことを警察が認めてくれること、供述調書がどう使われるか、残っていたら前科者になるかもわからへんから返してもらうことを頼んだんです。
『主人とか子供のこと考えたら辛抱できるやろ。警察相手に裁判してもにらまれるだけやろし、親せき一統もにらまれる。折れるとこは折れろ』言われ、私一人が辛抱すればいいんやと思ったときから、ノイローゼ状態になりました」
「私、暗いの大きらいで、昼間でも電気をつける性格ですが、そのころは明るかったらいやで落ち着けへん。暗く狭い部屋にカーテン引いても光入ってくる、顔にタオルのせ寝てました。
明るかったら怖い。真っ暗にした。まくら元で子供たちが遊んでる……」
逮捕状も取った
「警察に掛け合ってあげる」という人が何人かいて、具足清治(きよはる)さん、みち子さん夫婦は、どん底の中にも、いちるの望みを託した。
そういう何人かの人たちが会ってくれたのは、堺南署の署長井上正雄警視と副署長谷口寿一警視の二人である。
正副両署長は何度かにわたって署を訪ねたその人たちと署長室で会い、捜査の結果をもとに、このようなことを言った──。
〈落とした(十五万円入り)袋が破れて近所に散らばっていた〉
〈奥さんは警察官しか開けられない派出所の鉄扉が開いていたとか、制帽が机の上に置いてあったとか供述している。どうも、派出所までは行ったようだ。警察官がいた、と理解せざるを得んような供述になっている。しかし、金は警察官に渡していないと確信している〉
〈そのとき派出所に勤務していた三人のうち二人は、どこかにいたことが確認とれている。一人だけ別の所で行動していたが、その警察官に(みち子さんを)面談させたら、「あの人やと思うのやけど」というだけだった。その時間には絶対、警察官は派出所におりません。当方としては女性だけでなく、警察全体の調査もした。一日の行動を全部出せと言って調べた〉
みち子さんが十二日夜からまんじりともせずに書きあげたレポート用紙十七枚は、心情を訴える資料として、コピーで堺南署に渡されていた。
みち子さんはその中で『この人(「あの」若い巡査)に渡したとはよう言わんかった。その人がいずれ告白するやろ』という意味のことを書いている。そのことを取り上げて、
〈(自分を擁護するため)こんなことまでして(書いて)いるんですよ。この事件、(コピーが出回って)外部にも漏れているから、堺南署の中(内部処理)では、どうにもならん状態になっている。十五万円くらいで警察官、一生を棒に振るようなことはしません〉
そして、こうつけ加えた。
〈逮捕状も取っている。逮捕してもいい。しかし、これ(妊娠)だからちょっと様子見ている〉
署長、副署長と掛け合った人は、さすがにこれらのやりとりを洗いざらい夫婦に伝えることができなかった。
十八日夜になって、みち子さんは、その一部を聞かされた。
「泉北一円のガードマンと警官を、非番のもんまで分刻みで行動を調べたが、(警官がいたという)事実は上がって来んかった、裁判するんでも極めて不利な状態になっていると言われたんです。それで、わけのわからん殺人事件でも日本の警察は挙げてんのに、こんなことよう挙げんのやったら、よっぽど警察ぼっさりしてるんやね。でも、そこまで言われるんやったら、もうかまへん。取った言われても、自分自身は取ってないんで、そのつもりで生きていく。まさかエンマさんまでがあんた取ったとは言わんやろ。あの世に行ったとき分かってくれたらいいと言うたんです……」
みち子さんは、もう、あきらめに近い気持ちになっていた。
その翌日である。署長、副署長の話を伝え聞いた義妹が電話をかけてきた。
「離婚するとかせんとかいうてる場合とちがうのよ。あんたら、逮捕されるんよ」
「それ聞いて、私、一気に目ぇ覚めた」
みち子さんは、もう一度、気持ちを奮い立たせた。
署長の方が位が上
いよいよ逮捕されるのだ、と追い詰められた具足みち子さんは、弁護士に連絡をとった。
弁護士は「警察の内部の誤りを調べるのは監察室だから、そこへ行こう」と言い、二十日昼ごろ、みち子さん、夫の清治さんの三人で、堺南署の隣接地区にある高石署の庁舎四階の大阪府警第五方面監察室へ、車を走らせた。
監察室は府警本部を担当する本部監察のほか、警察署を受け持つ方面別の府下五ヵ所に置かれ、第五方面は堺市や高石、泉佐野市など大阪府下南部の各署に目を光らせている。
弁護士が監察官に来意を告げ、夫婦を紹介した。「本人は外で待っていてほしい」といわれ、弁護士が話をしている間、夫婦は別の部屋で待たされた。
「まさか、このまま帰れなんていわれへんやろねと話していたんですが、二十分ほどしたら『もう帰って下さい』なのでびっくりしたんです」
監察官からは思いもよらない答えが返ってきた。みち子さんの落胆は大きかった。
弁護士から夫婦に伝えられた警察側の意向は、こんな具合だった。
〈堺南署で調べたが(警察官の犯行といった)事実は上がって来なかった。堺南署の署長の方が監察官より位(階級)が上なので、署長さんにもう調べる必要がないといわれたら、監察室の方では調べられないということのようだ〉
〈奥さんの供述がコロコロ変わる〉
〈いま、どこかの隅からでも(十五万円が)出てきたいうて持ってくる方法もある……(というような解決方法をにおわせた)〉
警察は、みち子さんがそんなふうに十五万円を持ってくることを、期待しているかのようだ。だが、そうしたら、きっと逮捕する……。
みち子さんには、そんな気はまったくなかった。逮捕されて警察から「吐け」といわれたら、殺してくれと言うつもりでいた。取っていないものを取ったと自白するのだったら、死んだ方がましだと思った。
弁護士は〈法律的にこちら側から裁判を起こすことはできない。警察の方から起こして(逮捕・起訴)きたら、こっちは受けて立てるけど、いまは警察の出方を待つしかない〉という意味の説明をつけ加えた。
もう打つ手なくなったなあと思うみち子さんは、ますます無口になり、一日中、布団をかぶってふさぎ込む日が続く。
電話が鳴るとドキッとする。警察からの呼び出しかと思って出られない。精神安定剤を飲みたくても、風邪薬が二日目の朝まで効くタチだ。呼び出されたときボーッとしてたらいかんと思って飲まなかった。
清治さんは毎朝五時ごろ、約十キロ離れた大泉緑地(堺市金岡町)の青果市場まで車で仕入れに出かける。だが、みち子さんの様子が気になり、胸さわぎがして引き返したことが三度あった。
二階に駆け上がり、アコーディオンカーテンを開けて、そうっと奥の部屋をのぞく。子供が静かな寝息をもらし、妻もうとうとしている。ああよかったと、コタツにもぐってしばらく、じっとみち子さんの顔を見ていた。
「子供の食事の用意もせえへんし、かわいそうやった。おれも同じ気持ちでずっとしんどかったけど、それ以上にこいつはしんどかったんですわ」
そんな記事、ボツだ
二月二十二日は具足清治さん、みち子さんの七回目の結婚記念日だった。
この夫婦、実は清治さんが離れた所から、みち子さんに気付かれないよう一方的に“お見合い”して、それから五年間、別の女性と三十回もの見合いを重ねた末、再びみち子さんとめぐり合い、結ばれている。
毎年この日には必ずデコレーションケーキで祝ってきたのに、今年は二人ともその日が来たのを気付かなかった。
中一日置いて二十四日、みち子さんは岡村産婦人科医院で診察を受ける。二度、具足さん夫婦の赤ちゃんを取りあげてきた岡村博行院長は、みち子さんに起きている異変を察知した。
「底抜けの楽天家なのに、おめでたですと言っても『そうですか』と答えただけで、顔色が悪い。流産の恐れがあり、精神的、肉体的な安定が第一と、事情も知らないまま言ったのです」
本紙の記者がみち子さんを、実家の荒物店に訪ねたのは、そんなころ、診察の翌日、二十五日である。
知人から、「派出所へ届けられたお金が消えているらしいよ」と、耳にしたからだ。
奥の土間で一升瓶を傾けていた父、久治さん(65)が「何も言うことない」と、にらんだ。
間もなく夫婦が姿を見せた。みち子さんは目もとが暗くほおがこけていた。妊娠中の女性とはとても見えなかった。
疲れ切った口調で、「いろいろ言いたいことはあるけれど、信じてくれへんでしょ」と言った。
清治さんは険しい目つきで、「新聞記者も警察とつながってる言われたんでな。弁護士に聞いてくれ」と、厳しい言葉を返してきた。
その後、一週間、記者は夫婦からの断片的な言葉をつなぎ、堺南署の谷口寿一副署長に投げかけると、いつもの軟らかい副署長の表情が急変した。
「なんで知ってるッ」
「だれから聞いたッ」
「女からの電話か」
「あの女、おかしい」
記者は副署長とともに署長室へ入った。
井上正雄署長、刑事課長が加わって応対した。
副署長「捜査本部体制を敷いて調べている。こっちにもかかわってる話やから、慎重にやってる。書くのは待ってくれ。そのうち(女を)逮捕する。逮捕したらお宅だけ真っ先に言うがな」
刑事課長「副署長のおっしゃる通りです」
署長「今書かれたら大変やがな」
記者は慎重な取材を続けた。(1)十五万円の落とし物があり(2)具足みち子さんは派出所へ届けた(3)警察は受け取っていないといっている──という三点を記事にしたのは、三月六日付朝刊である。
出稿ぎりぎりの六日未明、もう一度、電話を入れて警察側にコメントを求めた。
副署長「お宅の会社には、わしもようけ知り合いがおんねん。そんな記事ボツにするのわけない。そんなん書いたら恥かくだけだ」
署長「どない書いても一般の人は警察が悪い思うがな。どう責任とる。昔の警察と違って変なこと書いたらこっちも対抗手段とる」
署長、副署長の電話は、過剰なまでの反応を示した。
“着服・横領の女性逮捕”を事前に報道されてしまうと困る、という理由だけにしては奇異だった。記者はこれまでに確認できた事実だけを書いて出稿した。
この報道を境に事件は意外な展開となる。
拾った15万円蒸発 頼まれた店「派出所に届けた」 堺南署「その時間は留守」(3月6日)
このような見出しでこの記事が報じられたのは三月六日、日曜日だった。「15万円蒸発の“舞台”となった槙塚台(まきづかだい)派出所」とのネーム入りの写真が付いて、朝刊社会面のトップに扱われた。そのときの記事は次のようなものである。
大阪府堺市の青果店で買い物客の拾った十五万円が“蒸発”していることが五日わかった。客から預かった店側は「派出所に届けた」といい、「受け取っていない」という堺南署と真っ向から対立している。
同署ではニセ警官による詐欺の疑いもあるとみて捜査本部を置き、極秘に捜査を進めているが、発生後約一ヵ月たっても真相はわからず、十五万円の行方はナゾに包まれている。
同署によると“事件”があったのは先月六日の昼前。同市泉北ニュータウンにある青果店で、買い物に来た男性が、近くの銀行で引き出したばかりの十五万円入り封筒を落とした。
封筒は別の買い物客の女性が見つけ、店のパート店員に手渡し、さらにこの店員が店主の妻(36)に渡した。
この妻の話では、当日の正午ごろ、十五万円を近くの同署槙塚台派出所へ届けたという。しかし、九日になって拾い主の女性が「あのお金どうなりました」と、聞きに来たので、同署会計課へ問い合わせたところ、同派出所から連絡が来ていないことがわかり、騒ぎになった。
届けた時の模様について「派出所にいた二十七、八歳の制服姿の警官に『十五万円落ちてました』と、封筒を渡すと、その警官は『届けが出ています。銀行の封筒ですね』といって受け取り、こちらの名前と電話番号、年齢をメモした。警官だから間違いないと思い、拾得物の預かり証はもらわずに帰った」と、いっている。
これに対し、同署は「届け出たという時間帯には派出所員は管内の警らに出かけており、留守だった。そのことは近所の人たちも証言している。また、落とし物の届け出があれば受取証は必ず渡すよう指示しており、その手続きを取らないことは考えられない」として、受け取りを否定した。警官になりすました男が受け取った可能性もあるとみて調べている。
井上正雄署長の話「警察の信用にかかわることなので捜査本部を置き、厳正に対処しており、近く結論を出したい」
この報道の段階では、具足みち子さんの住所、名前は伏せられた。容疑は警察官にあるのか、みち子さんにあるのか、正直に言って判断がつかなかったからである。だが、事件は……。
連載追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」に戻って話を進める。
あの女、逮捕する
十五万円蒸発が紙面で報道された三月六日、日曜日の午前七時、堺南署の刑事課長に井上正雄署長から電話が入り、この事件の捜査には大阪府警本部の捜査二課が当たると告げられた。
派出所で起きた現金蒸発という奇妙な事件を重要視した府警本部が、捜査二課に出動を指示したとみられ、その日のうちに捜査二課調査官(次長)、管理官、班長(警部補)が署に出向いた。
翌七日には捜査会議が持たれ、関係調書、捜査書類の一切が捜査二課に引き継がれた。
この日から、具足清治さん、みち子さん夫婦に対する警察の態度が変わる。
十日昼すぎ、二人の刑事が現れ、名前を言って名刺を出した。いままで訪ねて来たり、聴取したりした刑事のなかで、名乗ったのはこの二人が初めてだった。
捜査二課の警部補(係長)と巡査部長である。
「ぼくらはあの新聞を見て初めて動きました。殺人事件並みの捜査体制をしいています。こんなこと異例です」
と、ていねいにあいさつした。
前々日、堺南署の刑事三人が、拾った客から十五万円を預かったパート店員の供述調書を取りたいと、言ってきていた。
みち子さんが「犯人扱いする署の人はあてにならん。信用できんから、堺南署で捜査するならいりません」と断った。
刑事たちは言った。
「へぇー、そんな話初耳です」
「だれが奥さんを犯人や言うてます」
「帰って調べ直してきます」
と、すました顔だった。
清治さんがそのことを捜査二課の刑事に問い詰めると、「これからは私らが一切担当します。人を信用できんでしょうが、もう一度、調書が欲しいのでゆっくりでもいいから署へ来て下さい」と、言い残して帰った。
だが、このような動きの裏で、堺南署によるみち子さん逮捕への準備は、なおも進められていた。
谷口寿一副署長は本紙の報道に対し、「迷惑してる。主婦の言い分ばかり書いた内容だ。抗議する」と言い、「あの女、そのうち逮捕する」と、重ねて逮捕に固執した。
その言葉通り、刑事経験にかけてもと、みち子さんに自白を迫っていた堺南署の部長刑事と上司の捜査係長は、この時点で大阪地検堺支部に出向き、みち子さんの逮捕状を取り、身柄を拘束したいと、申し入れている。
検察庁は〈逮捕状は取れるが、身柄拘置中に自供しなかったらどうなるのか。具足みち子さんが「体格は似ています」と指差した、N巡査の行動の時間的詰めも不十分ではないか。もう少し考えたほうがいい〉という意味のブレーキをかけたとされている。
しかし、みち子さん逮捕への状況は変わらない。
十五万円蒸発事件の報道から五日後、三月十一日の大阪府議会警察常任委員会で議員の質問に備えて、大阪府警が準備していた答弁は「ネコババ犯人は警察官ではなく主婦」であった。
三月十八日付の定期異動で大阪府警本部の監察室から転任したある署長は、全署員を前にした着任第一声で、〈いま堺南署で警察官のからんだ事件が起きているが、あれは警官ではないので、安心して勤務するように〉というようなあいさつをしている。
これは大阪府警本部の監察室も、堺南署からの報告をうのみにし、具足みち子さんを十五万円の横領犯人とみていたことを物語っている。
第五章 この事件はこわい
消されたN巡査説
具足(ぐそく)みち子さんを犯人だと決めつけていた堺南署の捜査方針は、大阪府警捜査二課が独自に動き始めてから大きく揺れ、軌道修正された。
実は、捜査二課の手を待つまでもなく、みち子さん潔白を物語る重要な事実が、この事件発覚の直後から出ていたのである。強引な誤捜査のナゾが次第に解き明かされてゆく。
堺南署が十五万円蒸発を知った二月九日の夜、みち子さんは泉ケ丘派出所に呼ばれ、槙塚台(まきづかだい)派出所へ届けたときの模様を、初めて供述調書に取られている。
聴取したのはとぼけた感じの刑事である。
この刑事は、十五万円の封筒を受け取ったN巡査が、みち子さんの名前を間違って全部ひらがなで書いたことや、みち子さんが年齢を数えで言ってしまったなどの供述から、ピンとくるものがあった、らしい。
〈みち子さんの話は筋が通っている。N巡査が『みちこ』と誤記したことなどは、作り話でできるものではない。シロだ〉
署に戻ると、刑事はN巡査の上司である警ら課長馬場博警視に〈心証として具足みち子さんが犯人とは思われない〉と、報告した。
警ら課長は〈それじゃ犯人は警察官になる〉と、この心証を無視してしまう。
さらにその日の昼間、槙塚台派出所で六日勤務の警官が“首実検”されたとき、みち子さんがN巡査を指差し、「体格はこの人に似ています」と言ったことも、「あいまいな証言」として、署内で握りつぶされてしまっていた。
では、堺南署刑事課のなかでN巡査に不審を抱いた刑事はいなかったのか。
N巡査は馬場警ら課長らの聴取に対しこう述べている。
〈六日朝、派出所勤務につくため本署を単車で出て、泉ケ丘派出所へ立ち寄った。午前十一時十分ごろ、泉ケ丘を出たが、途中、警らしながら行ったので槙塚台に着いたのは、四十分経過した十一時五十分ごろだった。具足みち子さんが届けたという十一時四十分ごろには派出所にはいなかった〉
十分間の時間差を巡査は潔白の理由にあげた。
ふつうは自分が勤務する派出所へ、まず直行し、そこで勤務表に印を押し、それからパトロールに出る内規になっている。
N巡査はそうしていない。
N巡査の言った通りの道順を実際に単車で走ってみた刑事がいた。結果は三十分もかからない。両派出所間は単車なら十分もあれば行ける。寄り道しても四十分はかかり過ぎる。
みち子さんが届けに行った時間帯には、すでにN巡査は派出所にいた可能性が濃くなっていたのだ。しかし、N巡査の供述を「おかしい」と言い出した刑事の意見は、うやむやにされた。
そんな状況の中で、
「Nを調べてみないと、とんでもないことになる。この事件はこわい。(自分は捜査から)降ろしてもらう」
と漏らし、実際に“降りてしまった”古参の刑事もいた。
だが、二月十日昼、馬場警ら課長を同行して第五方面監察室を訪れた谷口寿一副署長は〈N巡査は派出所にはいなかった。主婦(具足みち子さん)の証言はあいまいである。警察官は絡んではいない。一般事件として署で捜査する〉と報告した。
不思議なことにこのとき、みち子さんを犯人とした“物証”の「大和銀行」の封筒の切れ端は、まだ署が発見できていない。そんな段階での副署長から監察室への報告だったのである。
上海事故の日に合わせ
三月二十五日午後十一時二十分、突然、大阪府警本部で、深夜の緊急記者会見が行われた。
堺南署槙塚台派出所での十五万円蒸発事件についてで、発表に当たった城戸崎実・府警本部監察室長は、「十五万円の拾得届は確かに出ていた。受け付けた警察官N巡査(発表は実名)が受理手続きを怠り、受け付けの事実を隠していたことが判明した。明日付で懲戒免職処分に付し、業務上横領容疑で書類を検察庁に送致する」
と述べ、「善意の届け出人に誠に申し訳ないことをした」と謝った。
具足みち子さんが十五万円を届けて以来、四十八日ぶりの結論であった。
着服、横領したのはN巡査、と断定されたのは捜査二課の調べからである。身重(みおも)のみち子さんからもう一度届け出の模様を聞かせてもらい、堺南署全署員の顔写真の中から、「お金を渡したお巡りさん」として、N巡査の写真が選び出されたのを確認した後、捜査二課はN巡査の聴取を進める。
調べに対しN巡査は〈貯金がこんなにあるのに取るはずがない〉と言った。
確かに五十万円と五百万円の預金通帳がある。しかし、と捜査二課の刑事はN巡査に言った。
〈どう考えてもお前がおかしい。一日待つからよく考えてくれ〉
N巡査は〈一日ですか〉と答えた。
捜査二課が所属する刑事部は、取り調べの刑事とN巡査との間でこんなやりとりが行われる以前に、十五万円着服の犯人は、それまで言われている届け出の主婦ではなく、警察官になりそうだと、監察室の所属する警務部に心証を伝えている。
堺南署からの報告で、犯人は主婦との見方に傾いていた警務部は驚き、あわてた。
そして三月二十五日昼すぎからN巡査に出頭を求め、捜査二課の刑事と監察室員が初めて被疑者としてのN巡査の調べを始めた。
かたくなに犯行を否認するが、表情には濃いクロの反応が出た。刑事から〈善良な市民にこれだけ迷惑をかけているではないか〉と諭(さと)され、N巡査が口を割ったのは午後九時近くだった。
城戸崎監察室長の発表によれば、N巡査には当初、着服の意思はなく、保管中に騒ぎが大きくなって困り、二月十三日自宅で十五万円を焼却した、という。
だが、N巡査は、みち子さんから十五万円を受け取ったとき、間髪を入れず、「もう(落とし主から)届けが出ている」と、はっきり虚言を述べている。
着服の犯意のない者がなぜ、うそをつく必要があったのか。
N巡査の言動に照らし合わせると、「十五万円焼却」の警察発表には、説得力がなかった。
警官ネコババ・届け出主婦犯人扱いという例のない不祥事の発表は、死者二十八人を出した中国・上海での高知学芸高校修学旅行生列車事故の二日目に合わせて行われた。各紙ともその記事は比較的小ぶりな扱いとなった。
紙面が上海の事故のニュースであふれかえっていたからである。
府警本部監察室長の発表は、「落とし物 警官が着服 派出所に勤務中 主婦が届けた15万円」との見出しの記事となって報じられた。全文は次のような記事である。フードショップ「カネヒロ」は端的に「青果店」、具足清治(きよはる)さんを「青果商」とし、みち子さんは依然、仮名とした。みち子さんに、ありもしない容疑がかけられたことへの配慮からである。着服警官を連載追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」の中では、N巡査と仮名で通したが、ニュース記事の中では実名報道の原則に従った。ここでもそのままとする。
青果店に落ちていたとして大阪府警堺南署の槙塚台派出所(堺市槙塚台三)に届けられた十五万円が蒸発した事件は、同派出所勤務の同署警ら二係、西村正博巡査(31)が着服していたとわかり、府警は二十五日、同巡査を業務上横領容疑で取り調べた。二十六日付で懲戒免職にする。
調べによると、西村巡査は、先月六日午前十一時四十五分ごろ、堺市・泉北ニュータウンの青果商の妻A子さん(36)が、「買い物客が店で拾ったものです」と、同派出所へ届けた封筒入りの現金十五万円を受け取り、横領した疑い。
調べに対し、仕事に追われて手元に置いているうち、騒ぎになり、自分が疑われると思って現金を自宅に持ち帰り、焼き捨てた、と供述した。
現金は、当日昼前に青果店へ買い物に来た男性客が落とした。女性客が発見、A子さんに手渡していた。三日後になって落とし主が「十五万円落ちていなかったですか」と、来店したことから、A子さんが同署会計課に問い合わせ、派出所から届いていないことがわかった。その後、届け出の有無をめぐってA子さんと、「受け取っていない」とする同署が対立する騒ぎになった。
西村巡査は初め、「当日派出所勤務は午前十一時五十分過ぎからで、全く受け取った覚えがない」と、言い張っていたが、勤務ダイヤとの約十分間のズレを追及され、自供した。
A子さんの夫は「一時は、調べに来た刑事から『正直に言わんと逮捕するぞ』などと言われ、妻はノイローゼ気味になった。私も仕事が手につかず、実に悔しかった。信頼していた警察官がこんな事をするなんて……。ただ、救いは警察の手で真実がわかったことです」と、怒りを抑えるように話していた。
城戸崎実・警務部参事官(監察室長)の話「わざわざ届けていただいたA子さんや落とし主に多大のご迷惑をおかけする結果となり、誠に申し訳ない。警察官としてあるまじき行為で、監督責任も厳正に措置する」
警察は、深夜のこの発表で事件は一件落着、終了すると考えたかもしれない。少なくとも、そう希望したが……。
みなウソでした
巡査が着服を自供して、堺南署槙塚台派出所での十五万円蒸発事件は、一応、解決した。
具足みち子さんは、捜査二課の刑事から丁重に頼まれたこともあり、三月十八日に夫、清治さんと弁護士に付き添われ、四ヵ月を過ぎた身重の体で堺南署に出向き、二度目の供述調書の作成に応じた。その帰り、弁護士から、
「よほどのことがない限り、もう二度と奥さんを犯人と言ってくることはないでしょう」
と言われ、やっと胸をなでおろした。
「巡査着服」が具足さん夫婦に伝えられたのは、二度目の供述調書に署名、押印してから一週間後だった。
大阪府警が深夜の発表準備にかかっているころ、春の定期異動で堺南署に着任したばかりの佐藤安晃・新署長(警視)が謝罪の電話をかけてきた。「あの」巡査がNという名前であることを初めて知った。そのときは、その電話一本だけだった。
だれが、何を狙って具足みち子さんを犯人扱いしたのか、それがわからない。具足みち子さんは、もっとしっかり警察に謝ってほしかった。二度とこんなことが起きないためにも。
そして、だれがこんなことを仕組んだのか、それを知りたくて民事訴訟を起こした。深夜の警察発表から二ヵ月が過ぎていた。
大阪府警本部がことの重大性に初めて気付いたのは、五月二十五日にみち子さんから慰謝料二百万円の損害賠償請求民事訴訟を起こされてからである。
ここからはしばらく、連載追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」から離れて、みち子さんの訴訟提起、それを受けての警察側の内部処分、訴訟に対する警察側の全面敗北へと展開してゆく事件を、ニュースの報道記事に従い、進めてゆく。
堺の警官ネコババ ぬれぎぬ主婦「慰謝料払え」「警察が犯人扱い」目撃者いる/逮捕状出た(5月26日朝刊)
落とし物の十五万円を大阪・堺南署の派出所に届けながら、ネコババの疑いをかけられた主婦が、「罪を認めれば内密にすませる」「逮捕状も出ている」など、警察から犯人扱いされた──と二十五日、大阪府警(大阪府)を相手に二百万円の慰謝料支払いを求める訴えを大阪地裁に起こした。
実際は派出所員が着服、懲戒免職処分にされたが、主婦は「警察がニセの証拠をもとに犯人扱いし、犯人にでっち上げようとした。周囲からも疑惑の目で見られた」とひどい仕打ちを怒り、不当捜査を明らかにするため、刑事告訴も検討している、という。
訴えたのは堺市城山台二の三、具足みち子さん(37)。
訴状によると、具足さんは二月六日、同市内で夫が経営するスーパーで買い物客が拾った十五万円を銀行封筒入りのまま、堺南署槙塚台派出所へ届けた。
その後、拾った買い物客に警察から何の連絡もないため、本署に問い合わせたところ、派出所からは十五万円が届いていなかった。
一ヵ月半後、同派出所勤務の西村正博巡査(31)が着服したとわかり、同署は業務上横領容疑で書類送検したが、この間、堺南署は届け出の三日後に具足さんから事情聴取するなどして捜査した。
夫を呼び出して、「奥さんが金を届けたという時間帯は派出所に警官がいなかった」と迫り、「奥さんは店内で封筒を破って金を着服したのではないか。目撃者もいる」とし、「落とし主の指紋がついている証拠の封筒が店内で見つかった」と、切れ端を見せるなどした。
さらに刑事二人が自宅を訪れ、居合わせた親類の人たちの前で、「いまのうちに罪を認めろ。内密にすませてやる」などと犯人扱いして自白を強要した。近所で聞き込み捜査を行い、妊娠中の具足さんが通院していた病院へは「身柄を拘束して調べたいが、健康状態はどうか」と問い合わせたりしたうえ、心配して堺南署を訪ねた知人には「すでに逮捕状も出ている」と説明した。
具足さん側は警察内部の調査を大阪府警に申し入れたが、「必要ない」と拒否され、具足さんを犯人とする姿勢を変えなかった、という。
具足さん側は「警察は身内の犯行を隠すために証拠までねつ造していた。不当捜査で人権を踏みにじったことへの反省は全くみられない」としている。
城戸崎実・大阪府警監察室長の話「善意の第三者に大変なご迷惑をかけて申し訳ない。目撃者や証拠がない事件だったため、当初の捜査が混乱した。具足さんにはいろいろお尋ねしたが、逮捕状までは取っていない。警察ぐるみの証拠偽造や自白強要による犯人でっち上げなどということはないと信じるが、訴えを厳粛に受け止め、厳正に調査して事実を究明したい」
大出良知・静岡大学助教授(刑事訴訟法)の話「人を見たら泥棒と思え式の捜査官の思い込み、決めつけが、冤罪(えんざい)を生み出す素地になっており、今回の事件では身内の言うことだけ信用するという警察の体質が、それに輪をかけた。水面下では同様のケースはもっと多いのではないか。真剣に反省しないと、こうしたケースはなくならない」
当時の署長ら処分
大阪府警は五月十七日付で、当時の井上正雄署長(現・阿倍野署長)を減給(百分の一、一ヵ月)、谷口寿一副署長(同・曽根崎署副署長)と馬場博警ら課長(同・第五方面機動警ら隊副隊長)を戒告、古賀忠久刑事課長(同・岸和田署刑事課長)を厳重注意の処分にしていたことが二十五日、明らかになった。いずれも監督責任だが、直接の上司ではない刑事課長の処分については「結果的に誤った捜査をした責任」と説明している。
拾った金届けたのに 離婚まで考えた 犯人減刑嘆願書頼むなんて(同)
「こんな惨めな気持ちは、もうだれにも味わってほしくありません」──善意の行為が警察に犯人扱いされた具足みち子さん(37)は二十五日夜、こみ上げる涙をこらえながら、無念を語った。妊娠中の身で、いつ逮捕されるかわからずにおびえた一ヵ月余り。「訴訟を通じて捜査の誤りをはっきりさせたい」という。
夫の清治さん(39)は槙塚台派出所に呼び出され、「奥さんが現金の入った封筒を破って盗んだ」と刑事に告げられ、耳を疑った。みち子さんは封も切らずに金を届けたのに、その時、受理した警官は「あ、それならもう届けが出ている」と言ったのに。警察からの接触はそれからぷっつりと途絶え、みち子さんの実家や自宅の周辺で聞き込み捜査が始まり、知人や親類から「何があったのか」と次々、心配する連絡が入った。妊娠二ヵ月半だったみち子さんは自宅にこもりきり、「もう子供を産むのをやめよう。離婚しよう」と思い詰めた。
それが四十九日目の三月二十五日の夜、いきなり堺南署長から「警察官が自供した」と電話があった。翌日、署長が夫婦の前で畳に額をすりつけた。みち子さんは「横領した警官にいまさら恨みはありません。潔白が証明できてよかった」と答え、忘れようとしたが、そのあと、警察の不当な捜査を続けた様子が次々と耳に入ってきた。
かかりつけの産婦人科医に「留置して調べたい。逮捕状も出ている」といったひどいことまで告げられていたことがわかり、訴訟を決意した。その一方で、警察は横領警官のために嘆願書を出して欲しいと四回も五回も言ってきたという。
十月半ばに三人目の子供が生まれるみち子さんは「お金は警官でなくガードマンにでも渡したのではないかと、アタマから信用してもらえなかった。この子がおなかにいなければ、逮捕されていたかもしれません。この子が助けてくれたような気がして……。ひどいでしょう。こんな不当な捜査は許せません」と話していた。
この提訴は警察側に強いインパクトを与えた。大阪府警ナンバー2の長尾良次・警務部長(警視監)ら幹部が、横領巡査の自供からまる二ヵ月も過ぎてから、初めてみち子さん宅や身内を回った。そして〈みち子さんの指紋がついている封筒はなく、目撃者がいたというのもウソでした。訴状の内容は認めます。大阪府警として争うつもりはありません〉と、全面謝罪した。
第六章 警察側は全面敗北
提訴・処分・認諾
具足(ぐそく)みち子さんの提訴を境に、警察側は大阪府警本部長らの処分、訴えに対しては、法廷の場で全面認諾へと、事件を収束するべく一気に動く。その報道記事を続ける。
堺南署員の拾得金横領 大阪府警本部長ら処分 「犯人扱い」不適正 署長は引責辞職(6月23日)
大阪府警堺南署の派出所員が拾得物として届けられた現金十五万円を横領したうえ、届け出た主婦を犯人扱いした事件で、国家公安委員会(梶山静六委員長)は、二十三日午前、新田勇・府警本部長ら幹部を減給とする懲戒処分を決めた。
大阪府警は同日、当時、堺南署長だった井上正雄・阿倍野署長の引責辞職と、捜査を担当した同署刑事課巡査部長を他署の警ら課へ配置替えすることを発表した。警察庁では、この処分を全警察職員の自浄作用を引き出す契機にして、信頼回復に全力をあげたいとしている。
大阪府警に対する処分は、新田本部長が減給(百分の十)一ヵ月、長尾良次・警務部長が同(百分の二)一ヵ月。
国家公安委員会は処分理由について、派出所員による横領事件そのものの責任と事件発生後の捜査など、その後の措置が不適正だった、としている。
この日の処分は、前日に開かれた警察庁の懲戒審査会の結論を踏まえて決定された。
国家公安委員会はすでに、警察庁に対し、原因の徹底追及と再発防止を強く求めていたこともあって厳しい処分となった。
大阪府警によると、井上署長は、横領事件の発生とその後の事件指揮の責任者として重大な判断の誤りがあったうえ、犯人扱いした届け主に対する謝罪の意味で辞表を提出しており、同日府警が受理した。直接捜査した巡査部長の配転については「署長の命で捜査したとはいえ、その過程で不適正な言動があった」としている。
横領事件は二月六日、大阪・堺市の主婦、具足みち子さん(37)が夫の経営するスーパーで客が拾った十五万円入り封筒を堺南署槙塚台(まきづかだい)派出所へ届けたのが発端。三日後、本署に問い合わせたところ、派出所から十五万円が届いていないことが判明した。三月二十五日になって同派出所の巡査(31)が着服したとわかり、懲戒免職処分にするとともに業務上横領容疑で書類送検したが、この間、同署は具足さんがネコババしたとみて捜査した。
本人や夫に封筒の切れ端を見せながら、「落とし主の指紋のついた封筒の切れ端が店の敷地から見つかった。奥さんが破るのを見た人がいる」「金を届けたという時間帯には、派出所に警官はいなかった」などと言って、親類の目前で自白を強要した。妊娠中の具足さんが通っていた病院にも、「証拠はあがっているので間違いない。留置できるかどうか聞きたい」と照会していた。具足さんは五月二十五日、「不当捜査を明らかにしたい」と大阪地裁に提訴した。
府警は五月十七日付で井上署長ら当時の署幹部四人を監督責任と捜査に対する責任で減給と厳重注意処分にした。
新田勇・大阪府警本部長の談話「堺南警察署において過日発生した派出所勤務員による拾得現金横領事案については、捜査の不適正から善意の届け出人にあらぬ疑いをかけ、同人及びご親族に多大のご迷惑をおかけし、さらにはその後の関係者の被害感情に対する修復が十分でなかったことに対し、改めておわび申し上げる。警察に対する府民の信頼を大きく損なったことに対し、府警の最高責任者として厳粛に反省し、規律の振粛及び適正捜査の推進について一層の徹底を図っているところである」
大阪府警本部重苦しく 「誠意もって賠償交渉」 警務部長苦渋の会見 再発防止へ監察強化(同)
「本部長を減給処分、署長の辞表を受理する」──派出所に届けた落とし物の十五万円を警官に着服されたうえ犯人扱いされた大阪府堺市の主婦具足みち子さん(37)が「ニセの証拠で犯人にでっちあげられそうになった」として慰謝料請求訴訟を起こした事件で、二十三日朝、長尾良次・大阪府警警務部長は自らの減給を含めた処分内容を発表した。
捜査当局の厳しい自省を込めた“再処分”に加え、責任者が引責辞職までするのは極めて異例。「関係者の方々に大変ご迷惑をおかけしました。再発防止に全力を傾けたい」と決意を述べる表情からは、苦渋の色が濃かった。
記者会見場にあてられた府警本部二階の記者クラブホールには、約五十人の報道陣が詰めかけた。予定の午前十一時、長尾警務部長、城戸崎実監察室長、岡野秀美監察官らが現れ、長尾部長が処分内容と新田勇本部長のコメントを記載したメモを読み上げた。
身内の不祥事で自分自身を含め、最高責任者である新田本部長の処分をも発表する警務部長は、顔を紅潮させ、緊張した表情。「不適正な警察措置に対する反省として次の通り国家公安委員会で処分が決まった」「事件の捜査指揮に当たった井上署長は、責任者として重大な判断の誤りがあった」。現在係争中の賠償訴訟についても「早期に事態を解決したい」と、誠意を持って交渉に当たる意向を示した。
再発防止策を問う報道陣に、警務部長は「職員の業務、人事管理を徹底し、倫理教養を高めたい。監察機能をさらに強め、警察官の関連する事件処理は、第三者的立場の本部担当課を含めて捜査したい」と話した。
また、監察機能が十分に働かなかったのではないかとの指摘に、「言われる通り、もっと監察機能を徹底させなければならなかった。私はその点、責任者として遺憾に思っている。事案の中身を冷徹に見つめることが必要であり、残念だ」と、監察のチェックが不十分だったことを認めた。
府警本部ではすでに、今回の事件に関して署長、副署長会議で、職員管理の徹底を指示しているが、この日の処分を機会に、改めて警務部長、刑事部長連名による再発防止策徹底の通達を出すことにしている。
本部長ら最高幹部の処分、署長の引責辞職が発表されたこの日の府警本部は、一様に重苦しい雰囲気だった。テレビニュースに見入る警察官や職員らは、驚きの表情を隠せず、尾を引く警官ネコババ事件の重大さを改めて感じ取っていた。
「裁判で誤り認めて」具足さん
具足清治、みち子さん夫婦は「警官着服から三ヵ月も経った今ごろ、本部長さんらを処分したといわれてもピンと来ません。五月に堺南署の元の幹部らを処分した時も、随分遅いし、軽いなあと思っていました。事件が解決した直後にきちんと処分して、当時の捜査経過を説明してもらっていれば民事訴訟を起こすことはなかったのに……。今回の警察の姿勢は理解できますが、警察が反省しているというなら裁判の中で誤りを認めてほしいと思います」と話していた。
当時の井上正雄・堺南署長の話「あってはならないことが起き、具足さんはじめ、関係者の方や本部長以下組織にも大変、迷惑をかけた。先月末から進退について考えた末、当時の責任者として組織から身を引こうと決めた。なぜ、こういう事件が起きたかについてはコメントを差し控えさせてもらいたい」
弁解の余地ない警察 身内意識がカベ 徹底調査で信頼回復急げ(同)
大阪府警堺南署派出所員の落とし物着服事件は、単なる警察官の不祥事ですまされない問題を はらんでいる。親が子に「お金を拾ったら交番に届けなさい」と教えることに象徴される、最も身近で素朴な警察への信頼を裏切っただけでなく、善意の届け主を疑って犯人扱いしたことは弁解の余地がない。
金沢昭雄警察庁長官も「福岡県警警部補の短銃銀行強盗事件以上に問題がある。なぜ自浄作用が働かなかったか残念だ」と発言している。刑事局幹部を府警に派遣して調査し、今月六日の全国警察本部長会議でも「組織管理の徹底と不祥事防止」を指示。大阪府警本部長が急きょ予定の報告事項を変更してこの事件について報告するなど異例の会議となった。府警の最高責任者二人に対する今回の処分は、再発防止へ向けた姿勢の表れともいえる。
しかし、大阪府警が今回の事件で、届け主に対する捜査の問題点も含め、本格的に調査をやり直したのは、訴訟を起こされてから。この日の当時の署長の引責辞職などは事実上の再処分であり、提訴前の五月十七日に処分した時点で、どれだけ徹底した調査を行ったのか、事態の重大さをどれだけ深刻に受けとめていたか、疑問が残る。認識の甘さがあったのではないか。
さらに、警察組織の問題として、警察官の不祥事を調べる監察機能が働かなかったことに対する反省が、処分の上では表れていない。もともと身内意識の強い警察組織の中で、署員が被疑者になるかもしれない事件を、その同じ署が捜査したことが問題、と指摘する声は府警内部にすらある。監察担当者が署に任せず、本来の職務通りに調べておけば、届け主に対する不当捜査という最悪の事態は免れたのではないか。
全国的に警察官の不祥事が続く中、警察に対する市民の目は厳しい。それはまた信頼の裏返しでもある。再発防止のためには処分で事足れりでなく、徹底調査による問題点の洗い直しが不可欠だ。
それから約三週間後、みち子さんが訴えた民事裁判の第一回口頭弁論が大阪地裁で開かれ、警察側は全面的な敗北を認めた。深夜、事件は警官の着服だったと突然の発表がされてから四ヵ月、警察側にとっては思いもかけない展開となった。ここに及んで、警察がどう対応したか、さらに報道記事を続ける。
警官ネコババ 大阪府警が全面敗北 200万円賠償認諾 本部長 具足さんに陳謝 口頭弁論争わず(7月16日)
大阪・堺南署の派出所勤務の警官が落とし物の十五万円を着服、届け出た大阪府堺市城山台二の三の二五、主婦具足みち子さん(37)が犯人扱いされたことから、大阪府警(大阪府)を相手に慰謝料二百万円の支払いを求めていた国家賠償請求訴訟の第一回口頭弁論が十五日午後、大阪地裁民事十三部(山崎末記裁判長)で開かれた。府警側は、証人ねつ造やニセ証拠によって具足さんを犯人に仕立て上げようとし、自白を強要したことなどの事実関係について全く争わず、訴えを認諾した。国賠訴訟での請求認諾はほとんど例がなく、これで訴訟は大阪府警の全面敗北で終結した。大阪府警は「捜査の不適正から善意の届け出人にあらぬ疑いをおかけした。深くおわび申し上げます」という新田勇・本部長名の陳謝文を具足さん側に出した。
口頭弁論は午後一時から開かれ、具足さん側代理人の井上二郎弁護士が訴状を陳述したのに対し、大阪府警側代理人の井上隆晴弁護士が「請求を認諾します」と述べた。
「認諾」は、被告が原告の請求を認めて訴訟を終わらせる手続きで、確定判決と同じ効力を持つ。同地裁は、この日閉廷後、訴状と同じ内容の「認諾調書」を作成、当事者に届けた。
同訴訟では、五月二十五日の提訴後まもなく、府警側から非公式に「慰謝料支払いに応じるので、訴えを取り下げてほしい」という申し入れがあったが、具足さん側は拒否した。その後、七月十五日午前になって府警側から認諾を前提に、訴状の内容について一部変更の申し入れがあり、話し合いの結果、具足さんが犯人扱いされたことについて「堺南署捜査員の故意によるもの」「横領警官をかばうため」などとした文言四ヵ所の削除などが決まり、この日の口頭弁論で補正申し立てが行われた。
これは、府警側が、警官の拾得金横領を隠すための堺南署による組織ぐるみの不正だったことを否定しようとしたものと見られるが、具足さん側の井上二郎弁護士は「訴訟の核心には影響がないので補正に応じた」と話している。
新田本部長の陳謝文は閉廷後、府警側代理人から渡されたもので、警官の拾得金横領と、具足さんを犯人扱いしたことを大阪府警の最高責任者としてわび、不祥事を繰り返さないため、「厳正な規律と適正捜査の徹底」を誓っている。
この訴訟とは別に、井上二郎弁護士は大阪弁護士会に対して人権侵害救済の申し立てを行っており、「認諾は当然で、府警はこちらの主張をほぼ全面的に認めた。しかし、これは、民事責任の一端が果たされたにすぎない。大阪府警はさらに社会的責任を果たすため、どのようにして違法捜査が行われたかの経過と原因を徹底的に究明し、公表すべきだ」としている。
具足みち子さんの話「認諾とはいえ、だれがどう捜査を指揮したのか、現場の刑事がだれだったのか、全容がわからないので、すっきりしない気持ちです。これまでつらい思いをしてきただけに、また、同じような、冤罪(えんざい)が起きないかと不安でしようがない。二百万円の慰謝料は、冤罪防止に役立ててもらえる団体に寄付したい」
当時の副署長ら“引責異動”
大阪府警は同日午後、長尾良次警務部長が記者会見、認諾についての説明と謝罪を行うとともに、当時の堺南署の谷口寿一副署長(現・曽根崎署副署長)と馬場博警ら課長(現・第五方面機動警ら隊副隊長)が「判断を誤り、捜査の方向を曲げた。現在の、部下を持つポストは好ましくない」として、二人を、それぞれ警務部付、警ら部付に十八日付で異動させると発表した。さらに、具足さんあてとは別に、府民に対する新田勇本部長の陳謝文も読み上げた。
陳 謝 文
本年二月六日堺南警察署の派出所に届け出ていただいた拾得現金を派出所勤務の警察官が横領し、その後の措置において、捜査の不適正から善意の届出人であるあなたにあらぬ疑いをかけ、あなたとその御家族をはじめ御親族にも多大のご迷惑をおかけしたことは、誠に申し訳なく、大阪府警察の最高責任者として、深くお詫び申し上げます。
本事案を厳粛に反省し、今後、二度とこうした事案が発生しないよう規律を厳正にし、適正な捜査の徹底に一層努力する所存であります。
昭和六三年七月一五日
大阪府警察本部長 新田 勇
具足みち子 殿
“30秒勝訴” みち子さん複雑 誤捜査解明せず 「きちんと説明してほしかった」(同)
「犯人扱いをおわびし、慰謝料二百万円の全額を支払います」──。大阪・堺南署で起きた拾得金十五万円の警官ネコババ・届け出主婦犯人扱い事件の被害者、具足みち子さん(37 堺市城山台二)が大阪府警(大阪府)を相手取った慰謝料請求訴訟は十五日、第一回口頭弁論で府警側がいきなり敗北を認めたため、わずか三十秒で決着というあっけない幕切れとなった。
犯人扱いされて以来、約五ヵ月ぶりに無念を晴らしたみち子さんは、さすがにほっとした様子だったが、裁判の場での誤捜査の真相究明は果たせないことになり、「残念です。だれの指示でこんな誤捜査が行われたのか、きちんと説明してほしかった。一生忘れられない事件です」と、複雑な胸の内を見せた。
みち子さんは午後零時五十分過ぎ、ピンクのマタニティードレス姿で夫の清治さん(39)、オジの岡本利弘さん(58)、井上二郎弁護士ら四人につき添われて大阪地裁に入った。七ヵ月の身重のみち子さんを気遣うように清治さんが寄り添い、みち子さんの左指には、苦しかった日々を支えてくれた清治さんへの感謝の気持ちか、ダイヤの結婚指輪が光る。
午後一時前入廷したみち子さんは、傍聴席の真ん中にすわり、緊張した表情で開廷を待った。同一時、裁判長が着席。まずみち子さん側の代理人に「訴状を陳述されますか」と問いかけ、代理人が「はい」と答えると、裁判長は府警側の代理人に言葉をかけた。
府警側代理人は間髪を入れずに、「(原告の)請求を認諾します」と答え、“全面敗北宣言”をした。裁判長も、ちょっと驚いた様子で「ではこれで終わります」と閉廷を告げた。この間三十秒。
提訴直後から府警側が「争うつもりはない」と、みち子さんに意思表示をしており、予想された結論だったが、あまりの早さに傍聴席のみち子さんは戸惑いの笑みを浮かべ、清治さんと顔を見合わせるばかり。なかなか勝訴の実感がわいてこない様子だった。
200万円そっくり寄付 みち子さん 「冤罪防止に役立てて」(同)
閉廷後、みち子さんは清治さんと井上二郎、竹岡富美男の両弁護士と地裁内の大阪司法記者クラブで記者会見した。
大きなおなかを両手でかばうようにして、ゆっくりといすに腰かけたみち子さんはスピード決着に喜びと戸惑いが入りまじった様子。会見に先立ち井上弁護士が府警に対する弁護団の声明文を読み上げると、夫婦ともにうなずきながら聞き入った。
報道陣から現在の心境を聞かれると、「あっという間に(裁判が)すんでしまった感じです……。どういうふうに言ったらいいのか」と、隣の清治さんを見やった。みち子さんの緊張をほぐすように、井上弁護士が「今の気持ちを率直に話せば」と語りかけると、ようやく白い歯をのぞかせ、いつもの明快な口調で「どうして現場の刑事さんが私を犯人にしたのか、だれが指揮してこんな冤罪(えんざい)を作り上げたのかを知りたかった。市民の方もきっと知りたいと思うのですが」と述べた。
さらに、「調書一枚で犯人にされたんです。つらい思いをしただけに、警察側にもう少しきちっとした形で原因を説明してもらいたかった。読売新聞に書いてもらってみなさんにもある程度わかってもらえたでしょうが、それ以上の事も知りたいはずです。はっきりしてもらわないとまた冤罪が起きるような気がして……」と、警察側に真相解明を求める言葉が口をついて出た。
そして犯人扱いされていたころについて、「相手が警察で、こちらは全くの素人だったからどうしたらいいのか……。(監察官のところへ)行ったら、行ったでけられるし……」と、離婚、自殺まで考え、苦しみぬいた当時の事を改めて思い出して唇をかみ、「一生忘れられない事件です。また忘れたらいけないことでしょうね」と話した。
また清治さんは、府警の陳謝文について、「ありきたりですね」と言葉少なに語り、わだかまりをのぞかせた。
最後にみち子さんは「慰謝料は冤罪事件を防ぐために役立ててもらいたい。激励していただいた全国のみなさんに感謝します」と結んだ。
「捜査ミス数々あった」 大阪府警会見(同)
「不適正な捜査がかなりあった。一日も早く、こちらの非を認めたい」。十五日午後、記者会見した大阪府警の長尾良次警務部長は、反論の余地のない「認諾」、そして新田勇本部長の「陳謝文」という結果になった異例の不祥事に、硬い表情で頭を下げた。大阪府警としては事実上の全面敗北といえる。しかし、「証拠の偽造」など訴状で指摘された不当捜査の具体的な事実については「現在、捜査中」と明確にせず、歯切れの悪さが目立った。
会見は午後一時二十四分から約三十分間、府警本部二階の記者クラブホールで行われた。
「訴状記載の事実をすべて認めるものではないが、全体として捜査の不適正から多大のご迷惑をかけたのは事実。府警が当初から組織的、意図的に原告に疑いをかけたものではないことを理解していただき、請求原因の一部を補正してもらったこともあり、認諾することとした」
長尾警務部長が用意してきたコメントを読み上げたあと、質問に答えて補足した。
認諾した理由について、
「捜査方針の判断を誤り、捜査活動においても不適正な捜査がかなりあった。その結果、相手方に大変な打撃を与えたことは事実であり、これを和解とか、請求棄却を求めて争うことは相手に対し、大変申し訳ない。一日も早く、こちらの非を認めたい」
と、争える立場にないことを強調した。
また、当時の堺南署の谷口寿一副署長、馬場博警ら課長を、新たに異動させることについて、「署長を補佐する役割を十分果たせなかった」とした。さらに捜査の判断ミスの最大の原因は「(横領した)警官が一貫して事実はないと主張しており、部下を過信した」とも述べた。
だが、「認諾」の性質について、「精神的打撃の慰謝料を支払えという訴状の請求の趣旨、結論を全面的に認めるということであり、請求原因となっている個々の事実については違う点もある」とした。
「どの事実が違うのか」「落とし主の指紋のついた封筒、目撃証言など、証拠を偽造したという事実は認めるのか」との質問に対しては、「今なお、捜査にあたった警察官から監察官が厳正に聴取して捜査中であり、今の時点ではご勘弁願いたい」と明らかにしなかった。
「認諾」に対する大阪府警側の見解について、井上二郎弁護士は、
「民事訴訟での認諾は、被告側が訴えを全面的に認めることだ。請求原因の事実をすべて認めたわけではないという大阪府警の見解は詭弁(きべん)としかいいようがない。請求原因の事実を全面的に認めたからこそ、訴状の結論部分である請求の趣旨を認めたのではないか。それなら、事前に訴状の一部補正を申し入れることもないはずだ」
と、反発している。
事件の真相は、警察の手では何も解明されてはいかない。警察側は、ただ、勝つ見込みのないみち子さんからの提訴を、一刻も早く終結させたい、との気持ちばかりが先に立っていた。「みち子さん犯人仕立て上げ」事件の真相を、自ら明らかにしようとはしない警察に対し、われわれは、ひたすら事実を知りたい、何が、どう行われたか、そこに焦点を絞って、取材を積み重ねた。ニュースの報道記事から、連載追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」に戻り、事実を追及する。
第七章 犯人はこうして作られた
刑事課長に指揮させず
N巡査の犯行──を堺南署は、なぜ、突き止められなかったのか。
というより、なぜ、N巡査クロ説が抑えられてしまったのか。
なぜ、具足みち子さん犯人の方向へ、突っ走ってしまったのか。
拾得金届け出の主婦を犯人扱いとする、この誤捜査は、二月十日昼、谷口寿一副署長と馬場博警ら課長が第五方面監察官堀暉代重警視を訪れ、「みち子さんシロ」の刑事の心証を無視して、みち子さんクロ、N巡査シロと告げたところから始まる。
警ら課長がN巡査を聴取したとき否定されたためなのか……。
身内から不祥事を出したくない気持ちが先走ったからなのか……。
それらを斟酌しながらも、誤捜査の経過をたどってゆくと、意外なことがわかってくる。
十五万円蒸発事件の捜査のため、二月九日夕、署としての専従捜査班ができた。その部屋には二階の一室があてられた。メンバーは刑事課の捜査一係三人、同二係一人、同三係一人、警ら課から三人の計八人前後だった、という。
N巡査の同僚である警ら課員が加わっていたこと、着服・横領は捜査二係の所管なのに一係が主力となったことは、異例といえよう。
また、この専従班に対する捜査指揮は、当然、古賀忠久刑事課長(警部)によってとられるべきだったが……。警察の内部から伝わってくるのは──。
〈(井上正雄)署長は刑事課長に対し、この捜査は一係の部長刑事(みち子さんに自白を迫った部長刑事)にやらせると、自ら指名した〉
〈捜査班の部屋に刑事課長が来て、捜査内容を聞いても、班員は口が堅く、あまり話そうとしなかった〉
〈N巡査の供述調書を取ったのは部長刑事で、刑事課長はその調書に目を通すことさえできなかった〉
〈捜査指揮は副署長と警ら課長のラインで行われ、刑事課長を通さず、部長刑事主導でやっていた〉
〈部長刑事のほかは、もの(意見)も言えないような状態だった〉
〈捜査班の部屋には副署長や警ら課長がよく出入りし、指示を出していた〉
〈副署長は捜査班の捜査内容を逐一、知っていた〉
今度の事件でのそんな捜査のやり方を、非難し怒っている警察官が何人もいる。堺南署から、大阪府警本部の警務部から、刑事部から、そうした声が聞こえてくる。
署長、副署長、警ら課長には、刑事課長に捜査指揮を任せると困ることが、何かあったのだろうか……。刑事課長を外さなければならない理由が、何かあったのだろうか……。
こうした状況下で、みち子さんを犯人とした唯一の“物証”──大和銀行の封筒片が発見される。
封筒の切れ端で“実験”や
警察が具足みち子さんを犯人とする唯一の“物証”──大和銀行の封筒の切れ端は確かに存在した。
夫の清治さんが、ビニール袋に入れたそれを、部長刑事から目の前に突きつけられている。十五万円の落とし主、堀正夫さんも、訪ねてきた部長刑事から見せられ、驚いている。
清治さんは無造作にビニール袋に入れられた三枚、堀さんは「大和」と「銀行」ときれいに読めるように入れられた二枚──その封筒片はどのようにして入手されたのか。
部長刑事は「カネヒロ」の定休日(二月十日水曜日)、カネヒロの敷地内から見つかったと告げている。最大瞬間風速二十二・四メートルの季節風が吹き荒れたあとなのに、よく入手できたとの疑問は残るが……。
警察内部から伝わってくるひそやかな声は──。
〈確かに封筒片はあった。槙塚台派出所の管内のごみ箱から見つかった〉
〈カネヒロから派出所へ行く途中の溝の中と、歩車道の境界部分からだ〉
〈発見した現場を撮影している検証写真もあったと聞く〉
〈カネヒロの敷地内でないのは確かだ〉
警察内部でもさまざまに取りざたされているが、ともかく“物証”は発見された。
事件の結果から検証すれば、みち子さんが十五万円入りの封筒を破り捨てていることはないのだから、事件と無関係の、しかし間違いなく「大和銀行」の封筒片が入手されたことになる。それとも、着服・横領したN巡査が破り捨てたものだった……のだろうか。
発見したのは、
〈部長刑事ともう一人の刑事だ〉
〈こんな封筒が出てきた……と〉
どんな封筒だったのかというと、
〈茶色の封筒……こま切れのような……〉
〈白くはなかった〉
大和銀行の封筒は白地にブルーで文字が入っているが、茶色だったとは。だとすると、この事件とは無関係の茶封筒の切れ端を拾い集めたのか。
〈ビニール袋に入れて、ヒラヒラさせて、実験するのだと言って(専従捜査班の)部屋にもっていかれた〉
〈ふつうはすぐ指紋を取るはずなのに。どうしたのかなあと思った人がいると聞く〉
……部長刑事がビニール袋に入れて見せた物を、清治さんは「何か封筒の切れ端」としか見ていないが、堀さんは「大和銀行の封筒だった。それも『大和』と『銀行』の文字の間から破れていた」と、明言している。
「茶色」が大和銀行の「白色」に変わったとでもいうのだろうか。
「実験する」とは、どういうことを意味しているのか。
はっきりしているのは、発見したとされる封筒片から関係者の指紋照合の作業さえしていなかった、という事実だ。
堀さんの指紋が付いているはずのない封筒片だから、照合の必要もなかったということなのか。
堀さんに対しても、部長刑事は二度訪れながら封筒の切れ端が本当に堀さんの落としたものであったかどうか、確認するための指紋の提供を求めていない。
部長刑事がみち子さんに、「落とし主の指紋も付いていた」と自白を迫った言葉は、完全な虚言だった。
無造作にビニール袋に入れた封筒片を、具足さん夫婦の目の前でヒラヒラさせてみせることが、「実験すること」の意味だった……のか。
署長も副署長も警ら課長も栄転の定期異動が目前に迫っていた。
谷口寿一副署長―馬場博警ら課長のラインは、
〈早く犯人をあげろと部長刑事にガンガン言っていた〉
急いで犯人をあげなければいけない理由は何なのだ。
偽造調書?があった
標的を具足みち子さんに絞った強引な捜査は、誤捜査という言葉だけで片付けられない事柄をはらんでいる。
みち子さんの潔白が証明され、捜査の検証が行われて、それらが次々とさらけ出された。
驚くべきことの一つは、みち子さんが「カネヒロ」から十五万円入りの封筒を持って槙塚台派出所へ届けに行ったコースについてである。
府警捜査二課の刑事が、みち子さんに電話をかけてきて、届けの道順を教えてほしいという。
みち子さんは「カネヒロ」前の市道を渡り、すぐ北側の大通り(府道)へ出て、あとはその歩道を一直線で槙塚台派出所へ行った。派出所は府道に面している。
そう答えると、刑事はえーッと驚き、「上の方の道を行かなかったか」と、念を押した。
〈カネヒロ前の市道を渡った先に階段がある。この階段を上って父の荒物店などのわきをすり抜け、泉北槙塚台郵便局の横から派出所へ──〉
これが刑事の言う〈上の道〉である。
この話を聞いてみち子さんは抱いていた疑問の一つが氷解した。派出所への往復を郵便局から見たという証言があると聞かされたとき、府道沿いを行く姿は、郵便局からは間の建物が邪魔して見通せないはずなのに、と思った。
だが〈上の道〉なら郵便局から確かに見える。
これは一体どういうことなのか。捜査二課から同じことを聞かれた人がもう一人いる。
十五万円が拾われた時に居合わせた菓子問屋の営業部長で、二月中は〈上の道〉へ通じる階段のわきの駐車場が工事中なので、階段はサクで通行止めになっていたはずなのに、変なことを聞くと思った。
警察の言に従えば、みち子さんは通行止めのサクがしてあって通れないはずの階段を歩いていったことになる。多くの冤罪(えんざい)事件の捜査調書が事実の前に崩れてゆく例証が、ここにもあったことになる。
捜査二課の刑事がそう聞く以上、みち子さんが〈上の道〉を通ったとする調書なり、捜査員の復命書(捜査報告書)なりがあるはずだ。そんな書類がなければ、捜査二課の刑事が、わざわざ問い合わせてくることはない。堺南署の捜査書類は一切が捜査二課に引き継がれている。
証言者がカン違いで供述したか、それとも作り上げられた虚偽の調書だったのか……。
ほかにも捜査の常道では考えられないようなことが数多い。署の専従班の刑事たちは、みち子さん周辺での聞き込みで、「主婦に疑いがある」と、ズバリ言って回っている。
身重(みおも)のみち子さんがかかる産婦人科医院を割るため、いきなり十数ヵ所の医院に手当たり次第、捜査関係事項照会書を郵送している。
部長刑事はみち子さんを直接調べず、夫、清治さんを呼び、いきなり、お宅の奥さんが犯人だと決めつけた。
これらのずさんで、がさつで、強引なやり口は、外濠(そとぼり)を埋め、真綿でじわじわと絞めるように、みち子さんを窮地に追い込んで、吐かそうという狙いにほかならない。
それでも警察は単に「見込み違いによる誤捜査だった」というのだろうか。
「最初から犯人はN巡査とわかっていた」──のではないと、警察は断言できるのだろうか。
逮捕する事案ではない
十五万円の着服を自供したN巡査は懲戒免職処分となったが、逮捕され、身柄を拘束されることはなかった。
被疑者としてのN巡査の取り調べが始まった日、「今夜中にもNを逮捕したい」と、言っていた大阪府警最高幹部の声は、いつしか消え、N巡査はその後数回、任意調べを受けただけで、大阪地検へ書類のみ送致され、事件は幕を引かれた。
検察庁による刑事処分は(平成元年一月現在)いまだになされていない。
身柄不拘束の措置を大阪府警は「金額からいっても逮捕する事案ではなかったからだ」と説明する。
では、あれほど具足みち子さんを「逮捕する」と、言明していた堺南署の捜査は、どういうことになるのか。
警察側の身内意識は、この事件の出発点からあった。蒸発事件の舞台は市民と接する最前線の派出所。警察の信用にかかわることである。大阪府警本部に事件を上げて、ガラス張りの中で捜査を受けなければならないのに、その道を選ばなかったばかりか、当初から〈みち子さん犯人〉と、決めつけた。
大阪府警本部の指示で捜査に入った捜査二課の刑事は、聞き込み先で、「堺南署が同じ署員を調べてなんになる」と、自嘲(じちよう)を込め吐き捨てた。
そんな堺南署の姿勢を黙認し、みち子さんの訴えを門前払いにした第五方面監察室(堀暉代重監察官)の態度は、職責の放棄とさえ言えないか。
警視の監察官が警視正の署長を相手にガンガンやるといわれる警視庁と、大阪府警の違いがきわ立つ。
こうした警察側の感覚のマヒぶりは、N巡査の犯行と判明した以後のみち子さん側への対応にも現れる。
三月二十六日朝、みち子さん宅へ謝りに訪れた佐藤安晃・新堺南署長は、どうしてこんな捜査が行われたのかと問われ、「着任したばかりで詳しい引き継ぎを受けていない」と答えた。
阿倍野署長へ転任した井上正雄前署長(引責辞職)を伴ってその日の午後、再び訪ねたが、井上署長はだまり込むばかりで、経過を明らかにすることさえしなかった。
谷口寿一副署長、馬場博警ら課長、部長刑事らが非を認めに出向いたことは一度もない。
その一方で、大阪府警は事件の調べを進めている捜査二課の刑事を通じ、みち子さんにN巡査への嘆願書を書いて欲しいと求めている。
〈一時は死をも見つめた〉みち子さんの感情をいささかも顧みていないことは、五月十七日付で、井上署長ら幹部四人を処分しながら、その処分事実を公表しなかったばかりか、みち子さん本人にも知らせていなかったことが物語っている。
真相が明らかになるにつれて、その処分も「あまりに軽い」という声が、警察内部からも聞かれる。
部長刑事は土下座した
主婦具足みち子さんが大阪府警(大阪府)という組織を相手取って、あえて訴訟を決意した理由は、事件解決後、警察が自らの手で不当捜査を明らかにしようとしなかったことへの、怒りからである。
提訴後、大阪府警の最高幹部が確かに出向いてわびた。
しかし、その裏で〈一般論だが、裁判をすると十年、二十年と長引く。最高裁まで行ったら地獄ですよ〉
〈裁判に支援組織がついて家へ押し寄せてくる。そうなると大阪府警としては(そちらへ)機動隊を出さなければならなくなる〉
と、暗に裁判の取り下げを働きかけ、みち子さんや身内の不信感をまた増幅させた。「地獄ならもう(こんど)見てきたわ」という清治さんの声をどう聞くのだろうか。
大阪府警は提訴されたこと自体をとらえて、それが失態だったとしか受け止めていないようにも、受け取れる。
みち子さんを知る人々が、聞き込みに来た堺南署員に、どう受け答えていたか、その一部を書く。
〈あの年になってもまだ純真で、シンのある子です。カネヒロさんとこ、全然お金に困ってません〉(泉北槙塚台郵便局長)
〈カネヒロさんが店を出して、他の店とあつれきはあったとはっきり言ったが、みっちゃんのことは小さい時から知っている。ネコババなんて絶対ないと断言した〉(商店主)
〈あの人、底抜けのおひとよし。お父さんもそうです。荒物店に買い物に行っても、「おつりがないので代金はあとでいい」なんですね。届けさせると「もう忘れた、ええわ」です。そういう家の娘さんが、そんなことしないのは、みんな知っている〉(岡村産婦人科院長夫妻)
父、久治さん(65)は一本気で、みち子さんが警官の首実検に槙塚台派出所へ呼び出された際も、駆けつけて、「前途のある警官やから何かあっても穏便に」と言い、帰宅後、「たぶん、あの人(N巡査)やった」というみち子さんを、「間違っていたらどうする。一生をだいなしにしてしまう」と、しかりつけている。
警察はそんな一家に身内の罪をなすりつけようとしたのである。
六月二十三日、大阪府警本部長らの処分が発表された日、みち子さんを犯人扱いにした堺南署の部長刑事は、刑事課の床に土下座して泣いた。そうして、仲間の刑事たちに謝った。
そこへ事件後着任した刑事課長がかけ寄り、そんなことをするな、と肩を抱いて一緒に泣いたという。
そのあとで、部長刑事は転任署へ出て行った。
「提訴された以上、組織として対応中なので取材に応じられない」(大阪府警)と拒絶されたが、犯人扱い・誤捜査の真相に迫りたくて、このドキュメントを連載してきた。
もし、みち子さんが逮捕されていたなら、「犯人」として書いてしまっていたに違いない、報道する側からの自戒を込めて、でもあった。
みち子さんもようやく生来の夏空のような明るさを取り戻した。十月には三人目の赤ちゃんが生まれる。大きくなったおなかをさすりながらみち子さんが笑った。
「赤ちゃんがね、おなかをけるのよ、ね。この赤ちゃん、私を助けてくれたのよ、ねぇ」
六月十三日から読売新聞紙上で連載を始めた追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」は、二十二回を重ね、一応、ここで終了する。それは、ここまでの追跡で、みち子さんを犯人とする警察の捜査がどのようにして行われたか、できる限りを明らかにしたと考えたからである。これ以上は、警察が自らの手で自らの内部が犯した事実を明らかにすべきだ、と警察側へタマを投げたつもりだったからでもある。
第八章 警察の調査
「調査結果の概要」全文
警察は十五万円蒸発が警官の着服と発覚してから五ヵ月目(八月三日)に、自らの事件調査結果を発表した。警察はタマを投げ返してきたのだ。だが、その内容は……まず、読んでいただく。「堺南署員の横領事件に関する事実調査結果の概要」と題した全文は、次の通りである。
1 横領事案の概要
昭和六十三年二月六日(土)午前十一時四十分ごろ、大阪府堺南警察署警ら課警ら第二係西村巡査は、同署槙塚台(まきづかだい)派出所において、同派出所近くのスーパー経営者の妻A子さんから、店内でお客が拾った大和銀行の封筒に入った現金十五万円(一万円札十五枚)の届け出を受けたが、所定の受理手続きを怠りこれを横領したという事件である。
横領の事実については、三月二十五日に本部捜査第二課及び監察室の取り調べで自供し、五月九日に所要の捜査を終えて、業務上横領事件として大阪地方検察庁へ送致した。
2 認知の経緯と当初の措置状況
(1)認知の経緯 二月九日午後二時ごろ、届出人から堺南警察署会計課へ電話で、二月六日昼ごろ届け出た大和銀行の封筒に入った十五万円の現金について問い合わせがあり、署内で調査した結果、問い合わせの拾得物について、受理が見当たらないことが判明したことから認知したものである。
(2)当初の措置状況
ア 届け人からの届け出時の事情聴取と面通し
届出人から電話を受けた会計課の巡査部長が、直ちに槙塚台派出所の西村巡査に架電をして、二月六日に十五万円の拾得届の受理の有無について確認をしたが、西村巡査は取り扱いの事実はないと回答した。
当日午後二時三十分から、槙塚台派出所を担当する警ら係長が、槙塚台派出所内において、届出人に拾得物を取り扱った可能性のある勤務員二人に対する面通しを実施した。
届出人は、一人の巡査については、「この人ではありません」と即座に否定したが、西村巡査については、「体格は似ているように思うが、届け出た警察官はもう少し若い感じだったと思う」と言い、顔については、はっきり覚えていないとして、この警察官であると特定しなかった。
面通しの際の事情聴取及び同日夕刻からの当直中の捜査係長による事情聴取において届出人は、届け出時の状況について、「拾得現金は届け出たが、警察官は『届はもう出ています。大和銀行の封筒ですね』と言い、メモ用紙に氏名、電話番号等を書いたが、預かり書はくれなかった」と供述した。
イ 西村巡査からの事情聴取
警ら課長の指示により、同日夕方、警ら係長二名が、西村巡査から事情聴取したところ、同巡査は、「午前十一時五十分ごろ、槙塚台派出所に着いたが、拾得物は取り扱っていない」と供述した。
ウ 堺南警察署幹部の判断
両当事者からの事情聴取の結果の報告を受けた署長以下の幹部は、届出人について、届出人が三日前に会った西村巡査を面通しで特定しなかったこと。当時、遺失届はなされていなかったにもかかわらず、「既に届が出ている」と警察官が言ったという届出人の供述が不自然にとれたこと。この派出所に警察官が在所するときは、単車が置かれているのが通常であるのに、届出人が派出所に届け出に行ったとき、「警察官は居たが、単車は置いていなかった」と供述していること等の疑問点があり、
また、他方、西村巡査についても、家庭環境、経済状況、平素の素行等からみて、着服することは考えられなかったこと等から、常識的に考えて、(届出人が)着服していれば、拾得の受け付けの有無を、自ら警察署に問い合わせたりはしないということに思いが至らず、十分な裏付け調査もしていないこの段階で、部下を過信するあまり、安易に届出人の方が疑わしいという心証に大きく傾いた。
なお、届出人の西村巡査に対する面通しは、両者を直接対面させ、同巡査のヘルメットを脱がさないまま行っており、その実施方法が不適切であった。
3 捜査体制と捜査指揮の状況
(1)専従捜査班の編成
二月十日午後、署長指示により、捜査第一係長以下四名の刑事課員からなる専従捜査班を編成し、届出人及び西村巡査の双方について、捜査を実施することとした。二月十五日、刑事課員二名、警ら課員二名を増強し、八名の捜査体制に拡充した。
(2)捜査指揮の状況
専従捜査班は編成したものの、署長直轄とされ、かつ、刑事課長が入っていなかったため、具体的な捜査指揮やきめ細かな報告が行われなかったこと。捜査第一係長は、日常の捜査活動もあわせて処理していたため、捜査の細部についての捜査指揮が行われなかったこと等、実質的な捜査指揮がなされないまま、巡査部長クラスの捜査員の判断による捜査が展開された。その際、署長以下の幹部の届出人が疑わしいとの事件判断が、捜査員の捜査方向に影響を与えた。
4 捜査員の具体的捜査状況
(1)封筒の紙片
ア 発見時の状況
二月十日午後二時過ぎ、岡田巡査部長(部長刑事)以下三名の捜査員が、槙塚台派出所から届出人の夫が経営するスーパーに至る間の道路、側溝、バス停、タクシー乗り場等を捜索したところ、岡田巡査部長とA捜査員が、ほとんど同時に歩道の端の側溝の中から「銀行」の印刷がある封筒の紙片一枚を発見、その数分後、B捜査員が、一枚目の紙片発見場所から北東四メートル位の車道の南端にある排水口の枯れ葉の下から、「子供の絵柄」の印刷がある封筒の紙片一枚を発見した。
イ 鑑識活動の状況
この紙片の大きさは、「銀行」の印刷がある紙片が二・七センチ×四・二センチで、「子供の絵柄」の印刷がある紙片が五・八センチ×四・二センチであり、大和銀行の封筒と照合したところ、「銀行」という文字及び「子供の絵柄」から、同銀行の封筒の一部であることが判明した。このため、同紙片を堺南警察署に持ち帰り、同日夕刻に、鑑識係において写真撮影後、指紋検出作業を実施したが、指紋は検出されなかった。
ウ 届出人の夫等への説明状況
岡田巡査部長の供述によると、二月十二日午後一時三十分ごろ、槙塚台派出所において、岡田巡査部長が、届出人の夫に対し、「お宅の店の近くから、銀行封筒の切れ端が見つかったので、その点について聞きたい」と再度、届出人から事情を聞きたいと協力方を依頼したところ、これに対し、届出人の夫が、「指紋がついているのですか」と尋ねたので、岡田巡査部長は、ビニール袋に入った指紋検出作業により変色した封筒の切れ端を示し、「見てもらったらわかるとおりです」と答えたとのことである。
岡田巡査部長の供述によると、「指紋がついている」とは言っていないとのことであるが、届出人の夫に、指紋がついているかのような誤解を与える言動を行ったことは不適切であった。
二月十二日夕刻、岡田巡査部長ほか一名の捜査員が、届出人方を訪問した際にも、その場に居あわせた人物とのやりとりの中で、岡田巡査部長が「店の近くで、銀行封筒の切れ端が見つかった」旨の発言を行っているとのことである。
(2)女の人が紙を破っているのを見たという目撃者の証言
岡田巡査部長の供述によると、二月十一日正午ごろ、付近の聞き込みで、「二月六日正午前、三十代位の女の人が、紙を破ってゴミ缶に捨てていた」旨の情報を得、これを、有力情報と即断して、二月十二日夕刻、届出人方を訪問した際に、その場に居あわせた人物から、「封筒が見つかったと言うなら、それを〇〇子が捨てたところを見た者がおるんやろな」と言われ、「女の人が、何か紙を破って捨てていたのを目撃した人がおります」と発言したとのことである。
岡田巡査部長の供述によると、この情報の女性は、後日、届出人とは別人であることが判明したとのことであるが、目撃者の氏名等については、当人が明らかにしないよう強く望んでいることを理由に、いまだ明らかにしていない。
岡田巡査部長が、本人供述のとおり、この聞き込み情報を入手していたとしても、情報を未確認のままあたかも届出人に結びつけるような発言をしたことは、不適切であった。
(3)派出所員が不在であったという付近住民の証言
岡田巡査部長の供述によると、二月十二日午前十一時ごろ、岡田巡査部長が、付近住民からの聞き込みで、「二月六日午前十一時三十分ごろ、槙塚台郵便局前で、鍵(かぎ)束を拾得して届け出のため派出所を訪れたが、警察官は不在であった。そこで、郵便局に引き返して、同局のカウンターの上に鍵束を置いてきた」との情報を入手し、二月十二日夕刻、岡田巡査部長ほか一名の捜査員が、届出人方を訪問した際に、その場に居合わせた人物とのやりとりの中で、岡田巡査部長が、「届出人が拾得物を届けたという時間帯に鍵束を拾得して槙塚台派出所に届け出た人がおり、その人が派出所内には警察官はいなかったと言っている」旨の発言を行っているとのことである。
その後の捜査の結果、二月十七日に至り、鍵束を派出所に届け出た時刻については、午前十一時十分前後であることが判明しており、情報の裏付けを十分行っていない段階で、この情報について、届出人等に申し述べたことは、不用意な発言であった。
(4)逮捕状
岡田巡査部長の供述によると、二月十二日夕刻、岡田巡査部長ほか一名の捜査員が、届出人方を訪問した際に、その場に居合わせた人物から、「届出人から話を聞きたいのであれば、逮捕状を持ってくるように」と言われたが、こちらからは、「今度来るときは、逮捕状を持ってくる」等との発言はしていないとのことである。
(5)産婦人科医院に対する照会
届出人が妊娠しているとの情報を入手したことから、その事実を確認するため、二月二十七日、周辺の産婦人科医院に対し捜査関係事項照会書を発出したところ、届出人が通院している産婦人科医院が判明した。このため、三月二日、捜査員が同医院を訪れ、診断書の交付方を依頼したが、その際、取り調べ可能時間、身柄留置の可否等を聞くなどしたことは、人権上の配意に欠けた行為であった。
(6)届出人への事情聴取
届出人に対する事情聴取は、事案を認知した二月九日に警ら係長及び当直の捜査係長がそれぞれ一回ずつ行ったのみである。岡田巡査部長は、二月十二日夕刻、届出人方で届出人が同席している場で、その場に居合わせた人物等とやりとりをしただけであり、直接届出人から事情聴取は行っていない。ただし、同日、届出人方を再三訪れ、事情聴取についての協力要請を執拗(しつよう)に行ったことは、相手方への配意に欠ける行為であった。
(7)嘆願書
捜査第二課において、西村巡査を自供させた後、捜査員が届出人方へ赴いて捜査結果を連絡した際、届出人から、横領警察官に対してれんびんの情が示されたため、捜査員が、届出人に三回、嘆願書の提出を依頼した経緯がある。このことは、届出人の被害感情に対する配慮に著しく欠けた、良識のない行為であった。
5 監察官の対応状況
(1)副署長、警ら課長の報告時
二月十日午後二時ごろ、堺南警察署の副署長及び警ら課長が第五方面監察官を訪ね、副署長から、「拾得現金十五万円の紛失事案が発生したが、関係警察官に対し届出人の面通しをした結果では否定しており、また関係警察官の調べでも不審点は見られないことから、警察署で責任を持って捜査するのでまかせてほしい」という旨の報告があった。これに対し、監察官は、面割りで否定しているのであれば大丈夫だと判断し、警察署の報告の裏付け調査等を行わないで、そのまま警察署の捜査にゆだねたため、警察署の捜査方針の誤りを是正できなかった。
(2)届出人夫婦、弁護士の訪問時
二月二十日午前十一時三十分ごろ、届出人夫婦及び弁護士が第五方面監察官を訪ねたが、監察官は、届出人夫婦には別室で待ってもらい弁護士と面談した。
この際、弁護士から、「届出人は、堺南警察署で被疑者として取り調べを受けたと言っている。警察官を、うそ発見機にかけて調べたが、絶対やっていないと言っているとのことであるが、一度、監察室でよく調査してほしい」という旨の申し立てがあったが、監察官は、「届出人を被疑者として取り調べたことも、警察官をうそ発見機にかけたこともないはずである。本件は、既に警察署で刑事事件として捜査中であるので、監察として当事者の方から直接事情を聞くのは差し控えたい」とこの申し出を断った。
この場合、監察官としては、警察官が一方の当事者であり、監察官の立場で公正に調べてほしい旨の要望があったことを踏まえ、相手方の立場に立って事情を十分聞き、それに基づき警察署の捜査状況を冷静にチェックするなどの措置をとるべきであったのに、これを行わず結果的に監察の機能を十分果たすことができなかった。
この調査結果は、はっきり言って、何ら事実関係を調査し、明らかにしていない。聴取した部長刑事(岡田巡査部長)が、明らかにしようとしないから、「わからない、わからない」を繰り返すばかりである。われわれは、この調査結果に対し、厳しい批判を加えて報道した。次のような報道記事となった。
大阪府警が調査報告 部下過信 裏付け怠る 「証拠偽造」ぼかす 指紋封筒 目撃証言 主婦の訴えに答えず(8月4日)
大阪府警の堺南署派出所員が落とし物の現金十五万円を横領、届けた主婦具足みち子さん(37 堺市城山台二)を同署が犯人扱いした今年二月の警官ネコババ事件で、大阪府警は三日、捜査経過の調査結果と再発防止のための対策を発表した。
「着服した部下を過信して、届け出人を疑い、警察も誤りを是正できなかった」と、捜査の誤りを全面的に認めたが、具足さんが慰謝料請求訴訟で「証拠のねつ造」と訴えた「落とし主の指紋のついた封筒」については、「封筒はあったが指紋は検出されなかった。誤解を与えた言動は不適切」と言うにとどまり、「封筒を破るのを見た人がいる」との目撃証言についても、捜査員が目撃者の名前を明かさないとの理由で、真偽に決着をつけなかった。
捜査員らの一方的な供述に基づく調査で、核心部では具足さんとの食い違いや未解明の部分が残された。
発表は午後四時すぎから行われ、新田勇本部長が「善意の届け出人に多大の迷惑をおかけし、府民の信頼を損なった」と陳謝、長尾良次警務部長が「関係した警察官から細かく事情を聞いたが、届け出人からお聞きする立場にないため、若干食い違う点もある」と前置きし、説明した。
まず、横領したのが西村正博巡査(31 懲戒免職)だったのに、具足さんを疑った堺南署幹部の判断について、「常識的に考え、届け出人が着服していれば拾得の受け付けの有無を自ら警察署に問い合わせたりはしないことに思いが至らず、十分な裏付け調査もしていない段階で、安易に届け出人の方が疑わしいとの心証に傾いた」と、誤りを認めた。
同巡査のヘルメットを脱がさないまま具足さんに対面させた“面通し”の方法も不適切とした。
捜査指揮のミスでは、署長直轄で刑事課長が加わらず、巡査部長クラスの判断で捜査を展開、具足さんを疑った署長以下幹部の判断が、捜査方向に影響を与えた、とした。
当時、堺南署の岡田広満部長刑事(36 巡査部長)が示した“証拠”の封筒は、「捜査員三人が側溝や排水口から紙片二枚を発見、(落とし物と同じ)大和銀行の封筒の一部と判明、指紋は検出されなかった」としている。
部長刑事の供述では、具足さん側に対し「指紋がついている」とは言わなかったが、指紋がついているかのような誤解を与える言動をしたのは不適切だったとした。
封筒を破り捨てたという目撃証言は「三十代くらいの女性が紙を破ってゴミ缶に捨てていた」という聞き込み情報で、「未確認のまま届け出人に結びつけるような発言をしたことは不適切だった」とした。
しかし、その情報が実際にあったかどうかは、部長刑事が目撃者の氏名などを明かさないため、「断定できない」とぼかした。
妊娠中の具足さんが通っていた産婦人科医に対し、留置の可否などを聞いたこと、具足さんに着服巡査の寛大処分を求める嘆願書を出すよう頼んだことも、「人権上の配意を欠いた」「被害感情に対する配慮を欠いた良識のない行為」と非を認めた。
しかし、具足さん側が「逮捕状を持ってくると言われた」としたのに対しては、部長刑事の供述では、そのような発言はしていない、と否定した。
監察官は、二月十日に堺南署の幹部二人から報告を受け、十日後には具足さん夫婦と弁護士から調査を依頼されたのに、署の捜査にゆだねたままにし、監察機能が十分働かなかったと反省した。
具足さんの訴訟を認諾して大阪府警(大阪府)が支払った賠償金二百万円について、本部長ら幹部十一人が私費でこの日弁償したことと、捜査の中心になった部長刑事が「責任を感じる」と辞表を提出、二日付で受理したことを明らかにした。
具足さん悔し涙 「知りたいことが不明」 大阪府警発表に怒りと疑問(同)
「だれが指揮して、だれが捜査したのか一番知りたかったことが全く明らかにされていません」。具足みち子さんと夫のスーパー経営清治(きよはる)さん(39)は堺市内のみち子さんの実家で記者会見し、「いいかげんな調査結果です」と語気を強めた。
みち子さんはマタニティードレス姿で、おなかの赤ちゃんは七ヵ月。「私を逮捕しようとした割には、余りにも雑な証拠を基にしていたのでは……。もし逮捕したとしても裁判になったら、警察側はどう証明するつもりだったのでしょう」と、捜査への根本的な疑問を投げかけた。
「部長刑事(当時)は“お宅らがそう(逮捕状を持ってこいと)言ってくれるのならありがたい。今度来る時、そうします”と、はっきり言って帰ったんです」。封筒の切れ端の指紋についても、清治さんが「部長刑事から“落とし主の指紋のついた封筒がお宅の敷地内から見つかった”と迫られ、驚いた」と話し、みち子さんは「何か私がうそをいっているようで、気分が悪い」と涙声になった。
「警察が本当にうちのもんが犯人や思うてたら、アホとしかいいようがない。初めから犯人を知ってたんやろ。それが証拠に、捜査二課の刑事は事件解決後、“奥さんをひと目見て犯人と違うと思った”と言っていた」と清治さん。
みち子さんは「冤罪(えんざい)で悩んでいるという人から手紙がきたり、一般の人の反響がすごかったので言いにくいこともはっきり言いました。今日の発表次第ではすべてを忘れるつもりでしたが、これではなんにもなりませんね」と話した。
具足みち子さんの代理人の井上二郎弁護士は三日午後、大阪地裁内の司法記者クラブで記者会見し、「社会的犯罪というべき、常識では考えられないような捜査が行われたのに、私たちが求めていた具体的事実の特定が全くなされていない。だれが捜査を指揮したのか、実行行為者は、日時、場所は。こうした点がはっきりしなければ、原因究明はおぼつかない。大阪府警には、重大な社会犯罪であるという反省が欠けている」と話した。
そのうえで同弁護士は、偽造証拠の疑いがある大和銀行の封筒の切れ端について、「本当に発見されていたのかさえ疑わしい。指紋も検出されていないのに、自白させるための実質的な証拠偽造といわれても仕方がない」と強調した。
「具足さんが犯人なら本署に問い合わせの電話などかけるはずがなく、まず内部ではないかと疑うべきなのに。内部犯行ではないかとの疑いを抱いたからこそ、何の証拠もないのに早く外部に犯人を作り上げようとしたのではないか」と言い、発表内容は「警察の組織犯罪だったことをぼかそうとしている。こんなことが一線の刑事だけの独走で行われるわけがない。幹部の指示があったはずだ」と指摘した。
同弁護士は「逮捕状を請求するつもりだったのは明らかだ」と批判し、証拠偽造罪(刑法一〇四条)で警官告訴を検討することも明らかにした。
「隠し事一切ない」 会見の警務部長 語気強め(同)
目撃者証言 みち子さんが(十五万円入りの)封筒を破っているのを目撃した女性がいるとの証言について、「そんな事実はなかった」とみち子さん側には説明していながら、発表では「捜査担当者で、その女性から事情を聞いた部長刑事が、『この女性が名前などを明らかにしないよう強く望んでいるので言えない』といっている」と後退した。
さらに、本当にその女性はいたのか、部長刑事のデッチ上げではないのか、との問いに、長尾良次・警務部長は「重要な問題なので、十数回にわたりかなり厳しく聞いたが、部長刑事はどうしても明らかにしなかった。まあ、ニュースソースの秘匿(ひとく)と同じような感じで……」と、報道側にあてつけたような歯切れの悪い答えだ。
物証の封筒の切れ端 みち子さんの店の近くの側溝から見つかった切れ端は「銀行」の印刷がある紙片一つと、子供の絵柄の部分の二つで、みち子さんの夫と、落とし主に見せたのと同一のものとの説明だが、「子供」の絵柄は、「銀行」の文字の上に立っているように印刷されており、この二つを切り離すのは、非常に細かい手作業となる。
落とし主は「見せられた切れ端は「大和」と「銀行」の二片だったので、はっきり大和銀行の封筒とわかった」と証言、ちぎれ方に明らかに食い違いを見せている。
また、「具足さんは切れ端がねつ造されたのではと思っている」との疑問に対し、長尾警務部長は「捜査員があえて切れ端を落としたことも考え、詰めた。だが、部長刑事ら二人の捜査員が同時に発見しており、共謀しない限り、それはできない。ただ、なぜ、そこに切れ端が落ちていたのかは、追跡調査できなかった」と述べたのにとどまり、食い違いのミゾは埋められなかった。
派出所員不在の住民証言 堺南署は「みち子さんが十五万円を届けた時間帯に近くでカギの束を拾った人がおり、派出所が不在だったので裏の郵便局へ行き、預けたという証言がある」として、派出所員不在の大きな根拠としていた。
だが、調査の結果、カギを届けに行った時間は二十分も前、しかしながら証言そのものはあったと説明した。
郵便局長が「カギを預けに来た人はいない」と証言し、カギ束が発見されていない事実との矛盾は、解明されないままだ。
捜査方針 みち子さん犯人説のよりどころが、捜査開始間もなく不確かなものと判明したにもかかわらず、捜査方針は変更されない。みち子さんクロで突っ走ったことの修正が、なぜなされなかったのか、部長刑事らが上司に報告しなかったのか、上司が握りつぶしたのか、などの疑問に対する答えも出していない。
こうした調査結果からは、発見された封筒片が白ではなく茶色だった、封筒片で「実験してみる」と刑事らが言っていた意味、それはみち子さんらの前でヒラヒラさせることではなかったのか、などの疑問も解明されなかった。
会見したのは新田勇本部長、長尾警務部長、城戸崎実監察室長の三人。新田本部長はコメントを述べたあと退席した。約五十人の報道陣から、「目撃証言も封筒もデッチ上げではないのか」「何人の捜査員から事情を聞いたのか」など、厳しい質問を浴びた長尾警務部長は、ただ、「隠していることは一切ない」と、語気を強めるばかりだった。
自らの手で事件の真相を徹底して解明しようとする意思のないことを、この調査結果は無言のうちに語っていた。これでは調査になっていない。しかし、発表を補足した警務部長は、見逃がし難い言葉をもらしている。「捜査員があえて(封筒の)切れ端を落としたことも考え……」。だが、そのあとでそれを否定し、「共謀しない限りそれはできない」と。そして、「なぜそこに切れ端が落ちていたか追跡調査できなかった」と。調査でなく、捜査しようという意思がなかったから、明らかにできなかったのではないのか。
第九章 「犯人・具足」で捜査やれ
封筒に指紋はなかった
この調査結果をもって、警察官ネコババ・届け出の主婦犯人扱い事件を、われわれは終わらせることはできなかった。
供述してくれないからわからないと、警察側が逃げるのなら、われわれが部長刑事に会い、すべてを話してもらおうと思った。それが、また、警察の調査結果がどんなにおざなりなものであったか、物語ることにもなる。
大阪・堺南署で起きた拾得金十五万円の警官ネコババ・届け出主婦犯人扱い事件で大阪府警が八月三日発表した調査結果は、誤捜査の真相解明にはほど遠いものだった。
その言い訳として、犯人にされかかった主婦具足(ぐそく)みち子さん(37)らを、「再度、聴取できなかったから」(府警幹部)とし、捜査関係者の言い分を追認しただけだ。
「精一杯調査した」(同)というにはあまりにも歯切れが悪い。
誤捜査の指揮はだれがとったのか、目撃証言はデッチ上げではなかったのか、など具足さんが求めていた疑問への明確な答えはなかった。具足さんは「誠意が見られない。同じ事件がまた起きる」と反発した。
調査結果が発表された日の夜、具足みち子さんを犯人として自白を迫った部長刑事(前日、依願辞職)に会った。部長刑事は、初めて、この事件について語り、そして捜査の実態を明かした。この事件を紙面でこれまで克明に追跡してきたことが、部長刑事に、これ以上の沈黙をやめさせたようにも思える。
部長刑事宅を訪ねたのは夜九時ごろだ。インターホンを押し、社名と記者の名前を告げ、面談を申し入れると、部長刑事は下着の丸首シャツにズボン姿で出て来た。玄関前の路上で、
「きょう、府警で事件についての調査結果の公表がありましたが、だれが指揮して、どのような捜査をしたのか、府警当局の口からはこれまで通りで、明らかにされなかった。部長刑事から直接、うかがいたくて……」
と言うと、部長刑事は「えッ」と、驚きの声をあげた。
「本部は何も言わなかったですか。なぜなんだ。すべてを公表すると思っていたのに……」
部長刑事はにわかに不信感をつのらせたようだった。
「部長刑事さん、みな、あなたに押しつけられてきています。この際、言いたいことがあるでしょう。本当の話をして下さい」
どこか場所を移してのインタビューを求めると、そのままの姿でタクシーに乗り込み、五分ほど先のファミリーレストランへの同行に応じた。
一番奥の座席で二人の記者と向かい合った部長刑事は、特別、緊張しているふうでもなかった。前日に辞表を出し、むしろ事件から解放され、ほっとしているかのようだった。
座るなり、「写真はやめて。子供が学校でいじめられたりしてるようで、悪くて、すまなくてね」と、さびし気な顔を見せた。
だが、以後は、むしろ、あっけらかんとして口は滑らかだった。
「みち子さんには大変申し訳ないことをした。間違った捜査をしたのは自分だ。あってはならないことだった……」
「事件の全容が公表されたら辞めるつもりでいた……」
事件をいつ知ったのか。
「(二月)十日朝出勤すると、前夜の当直の刑事が派出所でみち子さんを調べたことを話していたので、事件のことを薄々、知った」
だれが指揮して、捜査がどういう手順で進められたかが、この日の調査結果では公表されなかった。この点について……。
「世間も、そこが一番知りたかったのではないか」
だれが指揮したのか。あなたの口から聞きたい。
「二月十日の午前中に刑事課長から、上司の係長と自分の二人で署長室に行くよういわれた。井上正雄署長(引責辞職)と谷口寿一副署長(現・警務部付)、馬場博警ら課長(現・警ら部付)の三人が待っていた。副署長と警ら課長から初めて事件を聞かされ、みち子さんが犯人であるからそのつもりで捜査をせよ、との指示を受けた。最高幹部の言葉だったのでそれに従った」
反対意見を聞かなかった
どんな捜査体制だったのか。
「十日から十四日までは自分と上司の係長、捜査一係の刑事の計四人で捜査に当たり、十五日、捜査二係や三係と婦警さんら警ら課の二人の計四人を増員してもらった」
「二月十七日に、副署長からみち子さんクロとの決定的な話を聞かされた。内容については言えない。それまではどっちかなと思っていたが、これで、みち子さん犯人説がさらに一層強まってしまった」
問題の封筒の切れ端は、あったのか。
「自分が見つけ、一緒にいた刑事も見た。確かにあった」
みち子さんが封筒を破っているのを見たという証言は、だれなのだ。
「確かに女性からの情報があった。本当にみち子さんかどうか、情報提供者に(みち子さんの)写真を見せ確かめると、後になって別人とわかり、(上司に)報告で上げた」
N巡査については調べたのか。
「Nは十日から二十四日までに計五回調べた。銀行の預金通帳を見た。たくさん(お金を)持ってるし、出し入れもなかった。Nが当日、派出所まで行った道を実際に歩いて調べもした。ただ、交番所(派出所)へ直行していないのがひっかかったが……」
他の署員は調べたのか。
「N以外も三十五歳までの全署員のアリバイを調べた」
捜査会議はどんな状態だったのか。
「三、四日に一回行われた。メンバーは署長、副署長、警ら課長と捜査一係長、自分の五人だった。『具足さんが犯人』の捜査方針が決まり、反対意見を言うものはなかった。封筒を破ったとの目撃証言が間違っていたことや、封筒からだれの指紋も出なかったことについて報告したが、聞き入れられなかった……」
部長刑事は、最後に言った。
「副署長、警ら課長は階級でいうと警視という雲の上の人。副署長や警ら課長の人間性を過信していた。自分は幹部の指示に流されてしまった弱い人間です。大阪府警がきちんと対応しないと、また自分みたいな者を出してしまうことになる」
淡々と、ときに、笑みをもまじえて、部長刑事は語った。
部長刑事が副署長から聞かされた「みち子さんクロの決定的な話」──それを部長刑事はわれわれの執拗(しつよう)な問いかけに対しても明かさなかった。
しかし、そのことについては、警察のトップに近い人が、こう語っている。
具足みち子さん、清治(きよはる)さん夫婦のまったく知らないところで、署長、副署長に「これで事件が解決し、みち子さんへの犯人扱いがやまるのなら」と、十五万円を持って来た人がいた、というのである。この人は、消えてしまった十五万円を自分の懐から用立て、落とし主の元に戻りさえすれば、みち子さんに対する警察の犯人扱いも消えると素朴に考え、まったくの善意から行動したものだったと思われる。
それを署長、副署長は、これでみち子さんクロの捜査を強引に推し進められる決定的な材料とみたのだろう。そのような善意の人がいたことは、みち子さん、清治さんはいまも知らない。
一連の事件に対するわれわれの追及は、ここで終わる。この事件を、市民はどう見たのか、報道中に寄せられたいくつかの熱い声を伝えることにしたい。
脅迫し自白を迫った警官を逮捕し、追及したか
本部長以下警察幹部への懲戒処分が発表されたが、その内容に異議があり、一言申し上げたい。
大阪府警本部長減給百分の十、警務部長減給百分の二の処分は金額的には格別のことはないにせよ、職務機構上、上司としての責任をとらされたということで、お気の毒に思う。だが、実際に捜査に当たった堺南署長以下の刑事責任はどうなるのか。
善良な市民の信頼を裏切り、届けられた金をネコババした警官は言語道断だが、考えようでは、捜査に当たり「カギを拾って郵便局に届けた人がある」「派出所へ往復する具足みち子さんを郵便局の人が見ていた」などの虚構の状況証拠を作り出し、あるはずのない(落とし主の指紋のついた封筒のきれはしなど)の偽りの証拠品まで作成して、善意、かつ全く無辜(むこ)の届け出人を頭から犯罪者扱いし、無理やり、自白に追い込もうとした刑事係二名(もし、そのようなゆがんだ捜査方法の細目まで承知し、関与していたとすれば、係長、課長、あるいは署長まで)の方が、横領警官以上の犯罪者ではあるまいか。
今回の堺南署事件は(1)派出所勤務巡査の拾得金横領事件(2)堺南署捜査係警察官の善良な市民に対する公権力をかさに着た脅迫事件(または罪名不詳だが、横領事犯でっち上げ未遂事件)の全く別個の刑事事件と見るべきである。
第一の拾得金横領の件は、具足さんが派出所に届けた後、本署に問い合わせをしなかったら、落とし主が届けたものの(金は)出なかったというよくある話として終わる。
警察上司が派出所勤務者をよく調べ、ネコババ警官を発見していれば、新聞には出ていても、このような大報道とはならなかった。一般市民の側とすれば、警察官をそれほど清潔なものとは考えていないし、ちょっとした笑い話で終わっていたであろう。
しかし、虚構の状況証拠や証拠物件をでっち上げ、警察権力をもって頭ごなしに脅迫し、具足さん一家を大きな苦痛に追いやった事件は、警察の横暴さ、でっち上げ捜査の恐ろしさを、一般市民に如実に見せつけた大事件なのである。
「刑事十七年のカンだ。おまえが犯人だ」とまで言ったという部長刑事が、配置替え(その後、辞職)だけで済んでよいのだろうか。きちんと手をついて謝らねば具足さん一家の気は済まぬのではないか。彼は「明日は逮捕状を持って来る」と言ったそうだが、裁判所に対しても偽造の「指紋つき封筒」をもって逮捕状を請求するつもりだったのだろうか。そうまでして手柄にしたかったのか、ただの脅しだったのか、いずれにせよ恐ろしい話である。
第三者たる我々が聞いても怖いのに、脅迫され、でっち上げ犯人にされかかった具足さん一家の苦悩は筆舌に尽くせぬものがあったと思う。警察幹部諸氏はその苦痛に対して、具足さん宅を訪れ、心から謝罪すべきではないか。
警察が本当に公正であるということを社会一般に示す必要があるが、もし、一般市民が他人を無理に犯罪者に仕立て上げようと工作し、脅迫したとすれば、警察は即逮捕するであろう。
この部長刑事が独断専行して、ニセ証拠まで作ったのなら、脅迫犯人として逮捕し、取り調べを行うべきではないか。井上(正雄・堺南)署長がこの脅迫、でっち上げ捜査を熟知し、指揮していたとすれば、当然、懲戒免職にすべきである。
妊娠中の具足みち子さんをわずか十五万円の拾得金横領程度のことで逮捕、留置しようと、担当医師の意見を求めたというが、具足さんへの疑いとは比較にならぬ悪質なネコババ警官を逮捕、留置し余罪を追及したか。
脅迫、でっち上げ未遂犯の部長刑事を逮捕し、留置したか。この刑事の行為は、拾得金横領より数段重い犯罪ではないか。逮捕するどころか、転勤でことを済ますとすれば、これは警察内部のなれあい、身内かばいの悪例として、社会に警察不信の根を広げる結果となろう。
横領警官の余罪調べのため、脅迫、でっち上げ犯人の部長刑事の取り調べのため、二人を留置し何らかの処分を公表する。右によって常々、警察の身内意識に批判の目を向けている一般大衆も一応納得することになると思う。
かなりきびしい言い方だったが、自粛自戒、自浄をこそ望ましい。
ことは国民の人権に関する問題であり、警察の権力意識、身内意識、そしてカンや経験を重視する人権無視の捜査態度が今回の事件で明らかにされた。
相手が警察のことなので、取材の困難も大きかったと想像するが、よくがんばったと思う。今後、警察側からのいやがらせなどがあるかと思うが、一般市民は報道精神を支持し、誤れる警察行政に批判の目を向けることでしょう。(松山市、男性)
警官は仮名でなく実名で書くべきだ
N巡査をどうして仮名にするのか。歯がゆい。罪をなすりつけた人物なのだから実名で書くべきだ。一般市民なら小さな罪でも実名で書かれる。警察官は仮名というのは納得できない。具足さんは資力があって弁護士を雇えたから無実を証明できた。お金のない者は冤罪(えんざい)を着せられる。(大阪市、男性)
私は元刑事だ。名前は実名で頼む。歯ぎしりしている。(兵庫県芦屋市、男性)
部長刑事の名前をなぜ書かないのか。明らかに部長刑事は加害者です。(松江市、男性)
部長刑事の警らへの配置替えが処分というのはおかしい。警らは一番市民に接する持ち場だ。そんな所へ替えるのはおかしい。(広島市、男性)
N巡査の名前をなぜ出さないのか。こんなケースにはまった場合、どうしたらいいのか。(大阪市、女性)
警察への信頼感に暗い影を投げかけた
善意の市井(しせい)の平凡な主婦が、犯人として追いつめられていく過程を、警察一家ともいうべき組織のメカニズムが動いていく中で知ることができ、まことに身も心も凍る思いがした。私は推理小説も大変好きだが、かつてこんなに恐ろしい思いをしたことがない。まるで、悪夢をみているような気がする。
警察に対してかつて悪い感情をもったことはなかった。交番で道を聞くが、間違った道を教えたことに気づいて、大汗をかいて追いかけてきて、ハアハアいいながら訂正してくれた若い警官など、不愉快なことは決して一度もなかった。息子が大学を卒業する折にも、警察官はやりがいのある仕事だと話したこともある。
堺南署事件の、組織のメカニズムでしゃにむに市民を追いつめて行く恐ろしさは、戦慄(せんりつ)という言葉以外、表現ができない。
腐った種が招いた警察官個人の犯罪とは意味の違う今度の事件は、私の警察への信頼感に暗い影を投げかけた。不幸なことだ。(大阪市、男性56歳)
今度のことで警察に信頼感をなくした。弟やおいが大阪府警の警官で、親近感があったのに。(男性)
私も三、四回お金を拾って届けに行ったことがあり、子供にも拾ったら警察へ届けるように言っているが、こんなことでは子供に悪影響を与える。(大阪府箕面市、男性)
一歩間違えば自分たちの身にもふりかかると思うと、ぞっとする。子供には「お金を拾ったら警察に届けなさい」と教えてきたのに、これでは一人で届けに行かせられない。(大阪府堺市、女性)
昨年四月、交通事故にあった際、大阪市内のある署は現場検証もせず、五分ほどで私の調書を作って相手の加害者を送検、処分してしまった。私は防犯協会役員です。警察への協力は惜しまないが現実にこんなことがあると……。(大阪市、男性)
追及の目は警察組織へ向けて
私は二十年来の刑事だ。今回の事件は大阪府警の捜査能力の低下の見本だ。暴力団やプロの泥棒ならともかく、素人の女性ならうそを言ってるかどうかぐらい、十分も話せばわかる。
会計や警らしか知らない者が機動捜査隊に入り、走り回れば、一人前の刑事だと思い込んでいる。上級幹部も刑事のことを知らん者が多い。本気で刑事をしていると勉強しにくいし、机上の勉強は実践に役立たない。キャリア組がこの現状を知ってれば、手が打てるかも知れないが、側近が何も知らせないようにしてる。本部長が直々に目を通す目安箱を作って、下の意見が吸い上げられるようにすべきだ。これだからグリコ・森永事件の犯人も捕まらんのだ。(男性)
部長刑事に指示したのはだれか。だれが絵を書いたか知っているのか。堺南署の刑事課長とは一緒に捜査した経験があるが、あんなことする人ではない。(男性)
腹立たしい。裁判になること自体、警察の対応が悪いからだ。(大阪府寝屋川市、男性)
警察の上司と部下の関係は今回の捜査の時どうなっていたのか。部下は命じられるままにやらないといけない場合もあると思うが。うみを出し切るのが警察の信頼を回復する手だてだ。(堺市、男性)
刑事の執拗(しつよう)な、職権をかさに着た暴言には形容しがたい憤りを覚える。着服警官の懲戒免職は当然としても、なぜ署幹部の処分がおくれたのか。犯人扱いされ苦しんだ方の自宅に本部長以下がおわびに行って謝意をつくしていれば、こんなに社会問題にまで発展しなかっただろうと想像する。不正が発覚した時の上司の決まり文句は「厳粛に受け止め誤りを繰り返さないよう」が多いが、身をもって範を示し職責を果たしてほしい。(松山市、男性73歳)
処分が発表されたときの大阪府警本部の部長の態度、ふんぞり返り、ひじをのせ、これが反省し、苦渋の色とは、とても思えません。言葉の上だけではなく、気持ちの持ち方からやり直してほしいと思う。(大阪市、男性)
第十章 記者たちの自戒
目の前の栄転が捜査を急がせた
この事件を追った記者は、どう考えたか、座談会で話しあい、事件の核心に迫ってみた。
A 事件の構図といったものから話してみたい。
B 具足(ぐそく)みち子さんが堺南署からどのように犯人扱いされ、自白を迫られたか、その実態の一端を知ったのは五月二十五日、みち子さんが起こした慰謝料請求訴訟の訴状を見てからだった。十五万円の蒸発事件はこの二ヵ月前に報道され、その後、警官のネコババと判明、犯人扱いされたことも一部は記事にしていたのだが、ここまでひどい扱いをされていたとは気付かなかった。報道する側として、この時点まで重大な事件を見過ごしてしまっていたことになる。
C 大阪府警から〈警察官ネコババ〉が発表されたのは、ちょうど上海での高知学芸高校の修学旅行列車事故発生の二日目に当たり、目がそちらに奪われていたこともある。
D 実は大阪府警はこの発表のタイミングを狙っていた。事故から二日目を選んでN巡査を初めて、被疑者として本格的に取り調べ、一気に自供させたふしがある。しかも発表は深夜十一時二十分。近畿圏への新聞締め切り時刻だった。事件の報道がなるべく地味に扱われるように、との思惑(おもわく)があったからだったのだろう。
B ともかく、訴状で明らかにされた犯人扱いの実態は、想像を超えたものだった。この事実を知らなかった不明を痛切に感じる。改めてその実態を取材、報道しなければと思った。
D みち子さんの訴えの直前には、警ら中の枚方(ひらかた)署の若い警官が、少年二人乗りのミニバイクを追跡、その途中で自分が転び、けがをしたのに少年らが転倒させたとして、逆に公務執行妨害などで逮捕してしまった事件があった。家庭裁判所から〈警官が自分で転倒した〉だけでなく、〈少年を警棒で殴った〉との新事実まで認定される“冤罪(えんざい)”事件が明るみに出ていた。
E 警察活動に対する市民の不信はぬぐえないものがある。みち子さん犯人扱いはそうした状況の中で起きた事件として見過ごせなかった。
B みち子さん夫婦らが追いつめられ、死をも考えた苦悩の五十日間を克明にレポートし、その中でみち子さんを犯人としてでっち上げようとした誤捜査がだれの指揮で、どんな意図でなされたかを明らかにして、事件の真相に迫りたかった。
A 取材を始めてみると、大阪府警は「提訴された以上、組織として対応しなければならないので一切取材に応じられない」との態度だった。
E 当事者の井上正雄署長(引責辞職)は「府警本部に任せているので何も言えない」、谷口寿一副署長は「言える立場ではないが、私が捜査指揮していたらこんなことにはならなかった」、馬場博警ら課長は「府警本部で聞いてほしい。広報課を通してくれ」と異口同音の答えだった。
C 取材は困難を極めた。
F しかし、警察活動の根幹にかかわる重大事件だとして怒る良識派の警官も多く、われわれの取材意図を理解して、積極的に話してくれた人がかなりいたのも確かだ。
A 取材を進めていくうち、誤捜査の実態が次第に解き明かされていった。結局、結論としては……。
F 堺南署がみち子さんからの問い合わせ電話で十五万円蒸発事件を知ったのは二月九日、その夜の内にみち子さんから調書を取り、十日、十一日の〈空白の二日間〉を置いて、十二日にいきなり夫、清治さんを派出所へ呼び、〈みち子さんが犯人〉と決めつけている。この種の事件ではあまりにも短兵急の展開だった。
C この〈空白の二日間〉に警察内部でどんな検討、捜査が行われたのか。それが最も知りたかった。捜査を担当した刑事の証言によれば、署長、副署長、警ら課長が栄転の異動を間近に控え、捜査を急がせていたことは間違いない。結果としても三人は三月十八日付で、まぎれもなく栄転している。この二日間、何か大変なことが話し合われたということはなかったのか……。
A 署長承認のうえで副署長、警ら課長ラインで捜査指揮が行われ、部長刑事が指名されて捜査を主導したのは、一体どういう理由からなのか。そこが事件の核心だと思う。
B 刑事課長が捜査指揮をとるという普通の捜査体制が取られていたら、真っ先にみち子さんシロの確証が得られていただろう。
C 間違いないと思う。
A 刑事課長をはずして副署長―警ら課長のラインで捜査指揮したのは、みち子さんシロ、N巡査クロとの確証が出ると不都合?だったからではないか。
F N巡査から、警ら課長はごく簡単に聴取して〈シロ〉と決め、あとの捜査はみち子さん犯人の方向へ突っ走っている。N巡査クロとなるのをひどく恐れたととられても仕方ない。こんな状況では、初めからN巡査クロとわかっていたのではないかと、思われても言い訳はできない。
E そんなことは、絶対ないと大阪府警は断言しているけどね……。
自分の娘が犯人扱いされたら……
A 大阪府警にとって事件は大きなショックだった。管理職や第一線の捜査員たちはどう受け止めていたのか。
J 新田勇・大阪府警本部長は「人権尊重により一層配意した適正捜査の徹底」を、反省の中で一番強調したかったと言っている。だが、一線には「人権ばかり言っていては犯人は挙げられない」という意識があるのも事実だ。
G ある幹部(警視正)はこうもらしていた。「警察は大きな権力を持っている。しかし、謙虚さと誠実さがなければ市民の信頼も協力も得られない。残念ながら、衣の下から鎧(よろい)がのぞいて、謙虚さが見られなかった」と。全体の声を代表しているのではないか。
A 大阪府警、各署の警官は幹部、一線とも大多数が誤捜査事件の中身を知らされていない。本紙の連載により、初めて知り、さまざまな読まれ方をされたのではないか。
H 一線からは「武士の情けだ。もう連載をやめてくれ」との声があがる一方で、「しっかり書いてくれ。その方が組織のためになる」という声も強かった。
K しかし、ある署の幹部は「まさか部下が悪いことをするとは、上司として信じたくない気持ちはわかる。判断はむずかしい」と話していた。まだまだ見方が甘いと思う。
H 警察の「身内意識」がいつも指摘される。この点についてある幹部(警視正)は「警察は一種の運命共同体で、時には命がけで仕事をしなければならないから、信頼感や結束が固く、署員と外部の人が対立した場合、相手を敵視しがちだ」と前置きして、「だからこそ署員が一方の当事者になった事件は、絶対に署で捜査してはならない。今回のように派出所員の直属の上司が指揮をとれば、これは捜査でなく調査だ。客観的な立場にある監察室がやらなければならなかった」と、厳しく言っていた。この言葉が印象に残っている。
I ある署の定年間近の課長がしみじみと言っていた。「家族に『お父さん、本当にこんなことがあるの』と言われるし、市民から『警察は信用できん』という声も聞く。私自身、肩身の狭い思いだし、本当に情けない。だけど新聞で毎日のように記事を見ると、こんちくしょうとも思う。それが皆さんの批判する身内意識につながっているのかもしれない」と。身内をかばいだてするのではなく、仕事を愛する気持ちが伝わってきて返答に困った。
A 大阪府警二万警察官のほとんど全員が本紙の連載に目を通してくれたと思う。そして自らの問題として真剣に受け止めてくれた人が多かったのではないか。
E 自分が堺南署の担当幹部だったら、どう対処したか、一人一人が考えなければという幹部が大勢いた。「自分の娘を具足さんの立場に置き換えて読み、問題の大きさを改めて感じる」という幹部が何人もいた。
具足さん逮捕と書いていた……
C 警察側の歯切れの悪さに比べ、具足さん夫婦の話しぶりは明快だった。あれだけ人間不信に陥っていた夫婦が、こちらの取材意図をよく理解してくれて、体験したことを洗いざらい話してくれた。一度聞いた事実関係は、何度聞き直してもぐらつくことなく一貫していた。わからないことはわからないとはっきり言う。
B 大変な仕打ちを受けながら、警察に対して必要以上に悪く言うことを避けようとする気配りが感じられ、頭が下がった。
E 具足さん夫婦の深いきずなには感動を覚えた。「家族そろってどこか山奥でも行こう」という清治さんの優しい言葉が、どん底状態のみち子さんにとってどれほど支えになったことか。
F みち子さんが犯人だと決めつけられた二月十二日夜、明け方までかけて書き上げた十七枚のレポートには冤罪(えんざい)への怒りと恐怖、悔しさが込められていて、胸が熱くなった。実はあのレポートは、書かれた直後に知人を介して大阪府下のある警察署に渡り、そこから「信頼性の高い手記」として、堺南署長に届けられていたのだが、握りつぶされていた。目が曇っていたでは済まされない悪意さえ感じた。
D 岡村産婦人科医院の岡村博行院長も、本当に怒っていた。「私が留置に耐え得るとの診断書を書いていたら、最後まで行ってしまっていただろう」と述懐していた。絶対に「可」とは書かなかった医師の良心を感じる。
F 本紙の連載が始まってから数多くの意見、問い合わせをいただいた。一番ショックだったのは〈新聞は警察べったりだと思っていた〉という感想だった。マスメディアのあり方が問われているが、新聞がこんなふうに見られていたのかと思い知らされ、愕然(がくぜん)とした。
B みち子さんが逮捕されていたら、犯人として書いてしまったのではないかと、報道側の自戒も込めて書いたが、新聞への不信感ともいえるこうした声を聞かされると、反省しなければと考えさせられた。
D 連載のなかでN巡査、部長刑事の実名をなぜ出さないのか、市民だったら出しているのではないかとの声が非常に多く寄せられた。N巡査については着服・横領が発覚したときなど、そのつど実名を報道している。警官だから配慮したわけではない。ネコババについての社会的制裁は受けたとの考え方もあるからだが……。
C こうした意見が寄せられたのは、捜査権という強い権力を付託された警察の監視役としての役割を新聞に期待しているのに、十分こたえていないと思われている……。
H 警察への不信感を新聞が十分に取り上げてこなかった裏返しではないか。もし、みち子さんが泣き寝入りをしていたら、真相に迫れなかったのでは、という思いがある。どこまでチェック機能を果たせるのか、われわれに課せられた使命は重い。
A 警察が凶悪犯罪に命がけで対決し、一筋縄ではいかない被疑者と厳しいぎりぎりの勝負をしていることはよく知られている。だからこそ、こんな事件が起きたときには積極的に原因を究明し、詳細を明らかにしなければ。
B そうした真摯(しんし)な姿勢が真の信頼を生み、警察行政への最大の理解につながることを忘れないでほしい。
フリージャーナリスト後藤正治氏が本紙文化欄に寄稿してくれた。新聞に対する信頼ということに言及する同氏の言葉を、われわれはかみしめたい。
ひっかかる感性の大切さ
後藤正治
ジャーナリズムへの不信がいわれて久しい。相対的にいえば、読者の新聞への信頼はまだまだ高いとはいえるだろう。けれどもその信頼感は、他のメディアと比較していえば、という相対的なものにすぎまい。
もちろん、ジャーナリズムへの不信に対して、ジャーナリズムの側からの言い訳も十分可能である。たとえば、「この国民にしてこの政府」という同様な意味合いにおいて、「この国民にしてこのジャーナリズム」ということも間違いのないことなのだから。
けれども、ジャーナリズムの側が、不信の蔓延(まんえん)に手をこまぬいていていいというわけではもちろんない。そして、信頼への回復は、百の弁解よりも、結局、具体的なひとつの仕事を通じてしかないのだと思う。
今年(昭和六十三年)の六月から七月にかけて、読売新聞(大阪)が、ある冤罪(えんざい)未遂事件を追った連載を続けた。これは、大阪府堺市の主婦が、落ちていた十五万円を派出所に届けながら、警察官がこれを横領し、逆に、お金を盗んだ犯人だとして自白を迫られた一件の過程を克明に追ったものである。
「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」と題するこの追跡シリーズは、今年度の新聞協会賞を受賞したが、連載中から読者の圧倒的な反響を呼んだ。私も、一読者として、胸に熱いものを覚えながら連載を読んだ一人である。
この連載が、なにゆえに、読者の熱い反響を呼び起こしたのであろうか。そこに、現在のジャーナリズム不信を回復させるひとつのカギが潜んでいるように思えるのである。
この事件は、いうならば、市井の一市民の受難話にすぎない。事件としても、殺人事件でも放火でもない。受難者は、ごく普通の家庭の主婦である。大状況からすれば、取るに足りない話といえばいえる。
相手は警察である。一人の主婦という立場からすれば、警察組織は圧倒的な強者である。
強者から被(こうむ)った一市民の“小さな”受難を、新聞が執拗(しつよう)に取り上げたこと。逆にいえば、読者が新聞はもうそんなことはしてくれないんだと思っていたことを取り上げたがゆえに、読者は熱い共感を寄せたのだと思う。
「今まで新聞社が警察相手にこれだけのことをやれるとは思っていなかった」という読者からの声(七月九日付夕刊)を、改めてかみしめてみる必要がある。
この事件報道に携(たずさ)わった担当記者から、愕然(がくぜん)とする思いでこの事件を知ったのは、受難にあった主婦の慰謝料支払いを求める訴状を読んだときからだ、ということを聞いた。一人の記者のなかに、何かが引っかかったときから、すべてがはじまっている。
警察内部の不祥事をあばくことは、対警察との取材関係を悪化させることであり、長年積み上げてきた“ネタ元”を失うことになるやもしれない。記者にそういう逡巡(しゆんじゆん)もまたあったのではないかと私は憶測する。けれどもあえてそのことには目をつぶった。
ジャーナリズムにいるものは、そうあらねばならないこと、そうしてはならないことは、たいてい頭ではわかっている。
けれども、強いものに立ち向かうのはやはり億劫(おつくう)である。小さいことは見逃しがちである。クレームをつけられたら、つい弁解のひとつもしてみたくなる。まあいろいろあらあな、とつぶやきながら。
そのことに、常に自分が自覚的であること。覚醒(かくせい)していること。引っかかるという感性を摩耗(まもう)させないこと。そして何が大事かという判断力を失わないこと。このことを、この追跡シリーズは、ジャーナリズムの末端にいる私に、いま一度教えてくれた。そしてそのことが、今日のジャーナリズム不信に歯止めをかけるためになしうる唯一のことなのだ、と、いま考えている。
黙過しないために
一連の取材報道の意図を、記者の立場から明らかにしておきたい。
事実を積み重ねた
非情な殺人犯、ワイロをもらって法をまげる役人に議員、証拠があっても平気で否認する常習窃盗者、抗争を続ける暴力団、弱者を食い物にする悪徳商法、そんな犯罪者を相手に、警察官が寝食を忘れて闘い、不正をあばいていることはわかっているし、捜査活動を取材、報道する側として、敬意さえ払っている。
シンパの刑事には情がわくし、捜査の進展、影響を考えれば、ズバッと書けないこともある。
そうしたことがあってもなお、この事件〈拾得金警官ネコババ・届け出主婦犯人扱い〉の真相は、どうしても書いておかねばならないと思った。
それは、拾得金蒸発事件を最初に報道しながら、届け出た具足みち子さんが国家賠償請求訴訟を起こすまで、犯人扱いにされた実態を見過ごしていたわれわれの不明への忸怩(じくじ)たる思いからでもあった。
とにかく、みち子さん夫婦、その周辺の人々の話を聞かねばと、取材班の堺・泉北ニュータウン通いが六月から始まった。提訴したものの、みち子さんは事件のことは早く忘れたいと思っていたし、そのうえ身重(みおも)である。当初、みち子さんの口は決して滑らかではなかったが、われわれの取材意図がわかると快く時間を割(さ)いてくれた。
一日三、四時間の聞き取りが何日も続いた。テープを逐一起こし、今度はその内容の確認作業だ。わからないことはわからない、違うことは違うと、決してわれわれに迎合しない話しぶりには、一点の曇りもなかった。
だが、裏取りはやはり取材の常である。事件にかかわった人々を訪ね、大阪府下を走り回る。その数は二十人近くにのぼった。
犯人に仕立てる意図
その先々での証言は、みち子さん夫婦のそれと一致するばかりか、
「十五万円入りの大和銀行の封筒の切れ端が見つかったと警察がいうその日は、冬の季節風が吹き荒れていた。切れ端が残っていたとは信じられない」
「警察から見せられた切れ端はちょうど『大和』と『銀行』の間でうまい具合にちぎれていた」
「派出所へ拾ったカギを届けに行ったが、だれもいなかったのでうち(郵便局)へ預けに来た人がいると、警察は言っているそうだけど、そんな人いませんよ」
「みち子さんが届けに行った道順は見ていたので覚えている。警察が間い合わせてきたのは別の道だった」──など、
今回の誤捜査が、単なる見込み違いではなく、みち子さんを犯人に仕立てあげるための意図的なものだったことをうかがわせる証言が次々と出てきたのである。
一方、大阪府警の最高幹部は「みち子さんから提訴されている以上、ノーコメント」の一点張りだ。
「連載をやるのはやめてほしい。でないと対抗措置……」というきわどいやりとりもあった。だが、そうした姿勢に反発する関係者が「やっぱりこの事件おかしいもんなあ」とポツリ、ポツリ口を開いてくれた。
生の声伝えたかった
取り調べのやりとり、捜査の手口、警察が最も触れられたくない部分に切り込もうというのだから、リアクションは当然覚悟していた。正直いって連載をスタートするまではそのことが頭にこびりついていた。
だが、われわれは考え違いをしていたことに気付く。連載が始まってから寄せられた数多くの(大阪府警の現職警察官も含む)熱っぽい反響を耳にしたからだ。
それは大別すると(1)警察活動への不信と怒り(2)本紙への激励(3)ネコババ警官、部長刑事を実名報道すべきだとの意見──の三点だった。
警察におもねて来たわけではない。対峙(たいじ)してきたつもりである。だが、読む側はマスコミ、とりわけ大きな影響を持つ新聞に対して不満と、不信の目で見ていたことが、はからずもこんな形で現れてきたのではないのか。
そうした目があるということを、“事件の読売”記者として警察との“良き関係”だけに頭を奪われ、忘れがちだったのである。
フリージャーナリストの後藤正治氏は七月三日付朝日新聞〈私の紙面批評〉の中で、
〈少しは新聞健在なりの思いがするのである。新聞の対警察との関係は、ともすれば情報をもらう側としての立場に傾き、いいたいこともいわずにがまんしているのではないか、というのである。信じたくない話だが、もし事実だとすれば、私はそんな姿勢で得られたスクープなど別段読みたくはない〉
と、厳しく指摘した。
第一線の記者はスクープの競争にしのぎを削っている。
警察が隠しているニュースを、事件の詳細を他紙に先がけて報道することは、記者の原点であり、そうした姿勢が、警察の暴走を防いで来たはずである。もちろん、スクープは、取材者と相手方の信頼関係の上に成り立っている。
その意味で〈いいたいこともいわず……〉という視点には、いささか釈然としないものが残るが、これもまた、警察と取材側の日々の闘いをうかがい知ることのできない市民の声を、代弁しているのではないか、とも思えるのだ。
連載は主観を排して事実のディテールを積み重ね、真相に迫ったつもりではあったが、読む側は貪欲(どんよく)で厳しい。
物証の封筒の切れ端は偽造されたものではないか、それはだれが命じて作らせたのか──などをもっと明らかにしてほしかったとの批判もいただいた。
今回は提訴を機に誤捜査を追跡することができ、本部長、警務部長、署長、副署長、警ら課長、部長刑事らの処分、辞職、配置替えなどとなった。だが、これまでにみち子さんと同じような被害者からの訴えを黙過してしまっていたのではないか、今後も真摯(しんし)な目と耳で訴えを受け止めていけるのだろうかと考え始めると、思いは複雑である。
第十一章 巨体に立ち向かって
「誤報」と言われ
連載を担当したデスクからの報告をしておきたい。
凝縮されていた苦悩
大阪府警の警察官が派出所に届けられた銀行の封筒入り十五万円の拾得金を着服した事件は、幸い、本紙のスクープ(三月六日朝刊)で始まった。書いたのは事件も行政も経験した十五年目の記者。届け出からすでに一ヵ月を経過していた時点でだった。
「拾った十五万円蒸発」程度の事件が、一ヵ月を過ぎてどうして解決しないのか、いまから思えば、ヒントはその辺に隠されていたのだが、十五年選手でも気付かなかった。それというのも、取材の過程で、警察側(堺南署)の異常な反応の仕方に、神経を奪われてしまったためでもあった。
警察署長も副署長も、十五万円を届けたと言っている主婦(具足(ぐそく)みち子さん)が着服したのは間違いない、と言う。
明日にも逮捕する、派出所で十五万円蒸発などと書いたら大変な誤報になる、と必死になって書くことを止めた。逮捕したら真っ先におしえるから、とも言っている。
そのとき、記者は正直に言って、逮捕まで待とうか、という気持ちがもたげたと話している。
しかし、ともかく双方が主張する事実だけを書いておこうと提稿した。
「誤報になる」と警察署長から言われたことを書くのは勇気がいる。事件のその後の異様な展開をみると、この時点でさえよく書いてくれたと、デスクの立場からは思う。
実際には届け出からの一ヵ月間、すでにことは起き、進行している最中だったのだが。
その夜の当番デスクの慎重なさばきを経て、原稿には〈主婦「派出所に届けた」、堺南署「その時間は留守」〉と、並列の見出しが立ち報道された。
警官になりすました男が受け取った可能性もある、との警察側の説明を受け、〈ニセ警官の疑いも〉と、わき見出しが立ったのは、結果から見ればとんだ誤りだったが、この時点では警察側の判断を素直に受け入れたものだった。
その夜、朝夕刊セット地域初版十三版の大刷りがあがるころ(深夜)、警察署長から記者への電話で、「おたくの社には何人も知人がいる。君の書いた記事は没にできる。書くのなら対抗手段も考える」と言ってきた。
朝刊が出てからも「誤報だ、間もなく主婦を逮捕する」と、異常反応は続いた。
この事件をキャッチしたのが経験を重ねた記者であってよかったと思う。若い記者だったら、逮捕まで書くのを待つようなことになってしまったかもしれない。
その日は日曜日で、この朝刊は自宅で見た。そのときの印象は、一ヵ月が過ぎようというのに主婦ががんばっていることや、一部に不良警官の存在は考えられることで、どちらかと言えば警官かもしれないと、漠然(ばくぜん)と思った。だが、いずれはっきりするだろうという程度の鈍さだった。
届けを受けた警官が着服していた、申しわけない、と大阪府警が蒸発事件の「真相」を発表したのは、本紙報道から二十日後。上海で高知学芸高校の修学旅行列車が衝突事故を起こし、このニュースが紙面にあふれている三月二十五日夜遅くだった。
大阪府警は、この不祥事を、いつ発表しようかとタイミングをはかり、上海での事故発生二日目を選んで着服警官を一気に自供させたふしがある。ニュースとしてなるべく小さく扱われたい配慮からだ。
事実、本文六十行の短めに絞られた原稿だったが、整理部は「落とし物 警官が着服」と横百倍(二十二・五センチ)のトッパン見出しをかぶせ、列車事故で埋まる紙面のなかで見劣りしない工夫をこらした。
この短い記事の中でも具足みち子さんの夫、清治さんははっきり述べている。
「正直に言わんと逮捕するぞと言われ、妻はノイローゼ気味になった。私も仕事が手につかず、実に悔しかった。信頼していた警察(官)がこんなことをするなんて。ただ救いは警察の手で真実がわかったこと……」
七、八行の談話に、着服の犯人に扱われた具足みち子さんと夫清治(きよはる)さんの苦悩が、まぎれもなく凝縮されていた。だが、例のない修学旅行列車惨事の報道のために見過ごされる。
大阪本社とすれば、三年前の日航機墜落事故につぐ報道活動の渦中にあった。なんとか社会部員と写真部員を上海に送り込もうと、複数のルートで何組かを走らせている最中でもあった。
赤ちゃんが助けてくれた
十五万円蒸発事件が「警官ネコババ・届け出の主婦犯人扱い」事件として姿を現わし、われわれにとって見過ごせない決定的な事件として、“ひっかかる”のは、さらに二ヵ月先になる。
五月二十五日、具足みち子さんが犯人として扱われたことへの慰謝料(二百万円)を求めて、大阪地裁に提訴する日まで、日時をついやしてしまう。
その日は朝刊の当番デスクだった。司法担当の提訴原稿は“犯人・具足みち子さん”に執拗(しつよう)に自白を迫る驚くような実態を、訴状に従って淡々と綴っていた。
「こんな惨めな気持ちは、もうだれにも味わってほしくありません」「そのためにも提訴しました」という具足さん一家の表情を添えて、社会面見開きの朝刊とした。そしてこの事件をこの朝刊紙面だけで通過してしまうわけには、どうしてもいかないと思った。
さらに詳細にレポートする方法はないか。社会部長と検討した。方法は一つ。「追跡」の手法しかなかった。
当事者から、丹念に、時間をかけ深く聞き取る。周辺のできるだけ多くの関係者からも克明に取材を重ねる。小さな事実を愚直に積み上げてゆく。新聞が朝、夕刊と時間に追われ、そのためにできてしまう報道のすき間を埋め、新たな事実を掘り起こす。記者の感情を排す。
取材スタッフは、最初の原稿を書いた十五年選手、二年下で大阪府警詰めも経験している遊軍、それに一年間、堺市方面を担当した入社二年目の女性記者(昭和六十三年四月、社会部から異動し現・婦人部員)。
本紙が連載のための取材を進めているらしいとわかった段階で、大阪府警のトップ級の部長から社会部長に電話が入った。
「連載を延ばしていただきたい。近日中に(訴えの取り下げを)当方と相手方の弁護士同士で話し合うことになるから。どうしてもおやりになるのなら、こちらも対抗措置を取らせていただく……」
警察関係者への取材申し入れには、「(具足みち子さんから)提訴され、組織として対応している最中なので一切応じられない」と、異口同音の返事だった。
従って取材は困難が続いた。だが、こんな大阪府警側の対応が、スタッフを燃え上がらせることにもなった。なんとか訴えを取り下げさせようとする大阪府警の様々な動きが、自ずと取材の過程でわかってくる。警察側がイレギュラーを犯す心配も感じられ、不十分な取材を承知で、急遽、六月十三日(月曜日)夕刊社会面で連載をスタートさせた。
〈追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」〉
妊娠二ヵ月半の具足みち子さんをどうしても逮捕したいので、「留置に耐える」との診断書を欲しいと、刑事二人が産婦人科医院を訪れるところから、第一回をスタートした。かかりつけの医師は、憤然と断った。切迫流産の兆候があった。それも自白を迫られたためと考えられる。具足みち子さんが「本当におなかの赤ちゃんが助けてくれたのよね」と述懐した言葉から、タイトルをいただいた。取材班にとっても、最も心にしみ透る言葉でもあったからだ。
根強い警察不信
連載は七月七日まで二十二回に及んだ。
始まって間もなく、その日暮らしの原稿を出しにゆくと、日ごろ仏頂面の整理部デスクたちが、次はどうなると、興味津々(しんしん)で聞いてくる。最初の読者である整理部の反応は、そのまま、一般の読者の反応とも共通するものだった。
しかし、読者はもっと鋭角的だった。
月曜日の夕刊から始まった連載は、朝刊だけの統合版地域では火曜日付が第一回となり、日曜日付で一週間分六回が終わる。月曜日付は、日曜夕刊がないぶん休みになる。
第一週が終わり、最初の休みとなった六月二十日月曜日、読者から思いもかけない反応が統合版地域の支局に寄せられた。
「なぜ連載をやめてしまったのか」
「警察から圧力があったのか」
「きょう載っていない理由を知りたい」
との電話が相ついだというのである。
四月、社会部から岡山支局へ異動した次席からは、午前中だけで六本のこんな電話がかかったと伝えてきた。
本社にも、取材班へと言って福井、鳥取、島根県の読者から同じ電話が寄せられた。
この問いかけは、新聞が冤罪(えんざい)事件になろうとした誤捜査、自白の強要の過程を克明に活字にした例があまりなかったことにもよるのだろうか。ちょうど一週間六回分がそこまでの段階だった。
内容のきわどさを敏感に感じ取り、だから、何か、きっと、とんでもない圧力がかかって突然、やめてしまったに違いない。そんな直感みたいなものがダイヤルを回させたと思われる。
朝刊、夕刊セット地域の近畿圏からは、この種の電話は一本もなかった。「なぜやめた」の電話を驚きこそすれ、笑えるものではなかった。
この電話は二つのことを突きつけていた。
警察の不当な捜査活動を毎日、克明に書き進めていけば、警察から何らかの妨(さまた)げがあるに違いないという警察不信の根強さ、それと、新聞は警察の悪いことは書かないものだという新聞への読者の期待感の薄さ。二つのことが表裏となって現われているようだった。
読売の大阪社会部は、以前からずっと、警察への厳しい取材・報道を重ねてきたではないですかと、読者に向かってのどから出かかりながらも、読者の受け止め方がそうでないことを思い知らされることになった。
数えきれない多くの手紙と電話が寄せられた。
電話は日勤の遊軍記者や出先から泊まりにあがってくる記者が丹念に受けてメモにしてくれた。
「こんな連載を新聞で読んだことがない」とか、「町内のほとんどが読んでいる。がんばれ。これから何か起きたら、みんな、読売に相談に行こうと言っている」とか。
メモを読み返しながら、励ましをうれしく思いつつ、読者をそんなにまでかり立ててくるものは、一体、何なのか、考えこまずにいられなかった。
連載終了二日目に読者の声を一ページの特集として紹介した。「新聞は警察べったりだと思っていたのに……」と言ってくる読者には、驚きながらも、そう思われないようにする戒めとして、記者座談会特集も組み、われわれの気持ちをみな、さらけ出した。
連載の途中で、後藤正治氏が朝日新聞「私の紙面批評」(七月三日朝刊)に取り上げ、警察活動に対するチェック機能として、「少しは新聞健在なりの思いがする」と評してくれた。
同氏はその後、本紙文化欄(七月二十二日夕刊)にも寄稿して、
「強いものに立ち向かうのはやはり億劫(おつくう)である。小さなことは見逃しがちである。(そうならないように)覚醒していること。引っかかるという感性を摩耗させないこと」
……を自らの教訓としつつ、われわれの今回の報道を俎上(そじよう)に載せ、取材班としては心の中まで入って心理を解剖されたような気持ちにさせられた。
連載では、具足さん夫婦の苦しむ姿、どのような理由で犯人扱いの捜査が行われ、それに対し大阪府警がどう対応したか、まで明らかにしたつもりである。連載の終わった後も、大阪府警は具足みち子さんの二百万円慰謝料請求訴訟を全く争わず、第一回口頭弁論で全面敗北の認諾とし(七月十六日朝刊)、二百万円は本部長らが私費で弁済すること(同二十八日夕刊)、大阪府警がこの事件の調査結果を発表(八月四日朝刊)と、一般ニュースとしての報道が続き、それで一応の区切りとなった。
大阪府警の調査結果は、われわれの連載した内容を追認するかたちにはなった。だが、だれが、なぜ、どんな理由から、犯人でっち上げと言われても仕方のない捜査を行ったのか、説明がなされず、連載が明らかにした域にも及ばなかった。がっかりさせられた。
最後の最後まで、大阪府警はこの事件への対応を誤ったまま、航空機にたとえれば巨体を正常な飛行に引き戻せなかった。派出所の警官が拾得届けの十五万円を着服してしまった、それだけの事件を、大阪府警がここまで大きくしてしまった。
田辺聖子さんが、
〈「大和」と「銀行」の間で不思議なくらいきれいに(封筒が)ちぎれ〉と連載の一部を引用し、〈黒闇々(こくあんあん)の闇の彼方からぬっと出た手が、同じような封筒を拉(らつ)してきて、字の読めるようにうまくちぎり、「落し主の指紋もついている」とひらひらさせて見せるとしたら──「世俗・検非違使(けびいし)悪行の巻」〉
と、作家らしい表現でこの事件を痛烈に両断した。
われわれの報道が具足みち子さんを犯人にさせなかったのだと少しは思いつつも、正常飛行に戻れない巨体を見ていると、まだまだ新聞が力をつけなければと思う。
相手にするには億劫で、黒闇々の彼方にあるかもしれない、巨体に立ち向かってみて、そんな思いが深い。
みんなしっかり読んだ
連載を終わって数日後のこと。本社玄関前の通りで元大阪府警捜査一課の部長刑事だった人とばったり出会った。昭和六十二年三月に定年退職し、いまは本社向かいのビルにある会社に勤めている。
この元部長刑事は久しぶりで会った旧知の記者が、「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」の連載を担当していたことは知らない。久闊(きゆうかつ)を叙すべく、十分後には一升瓶を二本ぶら下げて編集局に来てくれて、話は自然と連載のことになった。
「読売は堺南(署)のあれ、きィーついこと書いとったなあ。ほんでも面白かったよなあ。うん、夕刊来るのがたァーのしみでなあ。アッタマ来ながら読んどったよう。腹立って腹立ってなあ。が、えがったあ。もっと書かなあかん。あのヤロー(捜査を担当した部長刑事のこと)、おれらの苦労をぶーち壊しにしやがってな。ほんでもな、最後がえがった。最後の二行がなあ。土下座しィよったと、みんなに謝ったと。あーれで救われたよなあ……」
同じ部長刑事同士でも、片方は主婦を着服の犯人扱いにし、こちらは殺しの被疑者とも被害者の身内の人たちとも、最後は気持ちをわかりあって事件(の捜査)をやってきたのに。ハンストする被疑者には、お前が食わなきゃおれも食わん、で、最後はおんおん泣いて食べてくれる。会社から持ってきた一升瓶も、十一年前、父親が殺されて鳥取砂丘に埋められて見つかった事件の被害者の娘さんが、夏になると必ず届けてくれるもので、怪しいもんじゃない。おれらがなあ、そうやってきた苦労を、あのヤロー……と口べたの元部長刑事は怒り、くやしがりながらも、
「みんなしっかり読んだから、安心してくれよなあ。あんなこたあ、二度とせん。みんなそう思っとるから。なあ……」
と一人でしゃべり、帰っていった。
この部長刑事のような本物の刑事がまだまだいる、そう言ってくる警察内部からの電話もあとを絶たなかった。
署長、副署長、警ら課長らが捜査をねじ曲げたのは事実だが、現場の一線でねじ曲げられたままにしかやらなかった現役の部長刑事を情けながる声は、腹の底からしぼり出す警察官の側のうめきのようでもあった。
このようなうめきを聞けたことで、救われた気持ちになっている。
具足みち子さんを助けてくれた「おなかの赤ちゃん」はその年の十月五日午後二時すぎ、岡村産婦人科医院で無事、生まれたことをお伝えしたい。
男の赤ちゃんで、三千百十五グラム。幸治ちゃんと名づけられた。
予定日より十日早い出産だったが、母子とも元気だ。みち子さんは「おなかの中で親を助けてくれた赤ちゃんですから、強い子に育つと思います」と喜びいっぱいに話した。
同じ日、同じ時刻ごろ新田勇・大阪府警本部長は、大阪府議会本会議に出席し、柴谷光謹議員(社民連合)から「八月三日の府警の発表では、大筋で捜査の誤りを認めたものの、目撃証人の真偽など納得させるだけの報告内容ではなかった。主婦が身重(みおも)でなかったら逮捕され、自白を作り上げられていた可能性が高い。捜査を指揮したと思われる署の幹部から改めて調査を行うべきだ」と、追及された。
新田本部長は再調査について、「警察としては、最善の努力をしたものと考えております」と答え、その意思のないことを重ねて述べただけだった。
平成元年二月二十四日、昭和天皇の大喪の礼にあわせて実施された大赦(たいしや)で、大阪府警本部長らの懲戒処分は、免除となった。
内輪のことで気恥ずかしいが、最後に、「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」をはじめとする一連の報道に日本新聞協会賞が贈られたことを報告させていただく。
日本新聞協会は昭和六十三年九月七日、同年度の新聞協会賞を発表し、編集部門で、読売新聞大阪本社の「大阪府警の警察官による拾得金十五万円の横領と届け出た主婦犯人扱い事件に対するキャンペーン」が受賞した。授賞理由は、
〈読売新聞大阪本社は、拾得金十五万円を「派出所に届けた」とする主婦と、「その時間、派出所に警官は不在」として、主婦を横領犯人とする大阪・堺南署が一ヵ月にもわたって対立している事実を、三月六日付朝刊で特報した。この報道が大阪府警を動かし、犯人扱いされていた主婦は、横領した警察官の自供で無実を勝ちとったが、この間の経緯から、慰謝料請求訴訟をめぐる警察側の圧力などを二十二回にわたる連載企画を中心に社会面でキャンペーンし、広く読者の共感を呼んだ。
警察権力の“冤罪(えんざい)体質”をつき、一市民が犯人に仕立て上げられていく過程を暴いたうえ、真相を明るみに出したこのキャンペーンは、社会正義を貫く新聞報道の原点をそのまま具現したものであり、読者の新聞に対する信頼の回復と拡充に大きな役割を果たした。
訴えられていることを理由とした警察側の取材拒否にもかかわらず、粘り強く追及しつづけた取材班の見事なチームワークも高く評価され、新聞協会賞に値する〉
となっている。
あとがき
言うまでもなく、警察は捜査権を持ち、逮捕権を行使する組織である。残念なことに、その警察内部で国民の不信を増幅させるような事件が後を絶たない。とくに昭和六十三年は、九州を含めた西日本の各府県警で多発した。「警察がおかしくなっている」との危惧を強めていたところへ飛び込んできたのが大阪府警堺南署の派出所員による拾得金横領であった。
本来ならこの事件は、自ら精査し、巡査一人を不適格者として排除することで終わっていたはずである。そうならなかったところに、警察の組織としての根深い欠陥がある。権力を持つ組織がきちんと機能できないとき、まっとうに暮らしている市民の人権は踏みにじられ、社会全体がとんでもない方向へねじ曲げられてしまう。この事件では絶対にあってはならない冤罪(えんざい)を引き起こしてしまった。なぜ、機能不全を糊塗(こと)し続け、それでよしとしてしまったのか。なぜ、自分たちの手で真相を解明し、厳しい戒めとする努力を怠ったのか。警察に自浄能力がなく、組織ぐるみ堕(お)ちていくとしたら、日本の治安はどうなるか。そんな危機感にかられて、私たちはキャンペーンを展開した。
追跡ドキュメント「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」の連載は社会部次長・加茂紀夫を中心に、中山公、藤井康博両社会部員、満田育子婦人部員が取材、執筆し、一連のニュース報道では大阪府警と司法担当、各警察回りの記者が主力となった。大事な局面を迎えるたび、さらに多数の部員を投入、総力を挙げて府警の固い箝口令に挑んだ。日本新聞協会賞で「警察権力の“冤罪体質”をつき、一市民が犯人に仕立て上げられていく過程を暴いたうえ、真相を明るみに出した」と評価されたのは身に余る光栄だが、新聞に課せられた責務の重さも改めて痛感している。
新聞には地域性があって、一連の記事は大阪本社版で掲載、他の発行本社管内の読者には詳しくお伝えできなかった。それだけに、単行本として新たに送り出せる喜びは格別である。出版にあたっては社会部の「おなかの赤ちゃん……」連載スタッフが構成、加筆の作業をした。事件からすでに一年が経ち、着服警官の氏名をどう扱うべきかについて検討を重ねたが、結局、新聞報道のままとし、そうしたいきさつをも書き加えた。
上梓をお勧め下さった講談社の文芸図書第二出版部長・小田島雅和氏と、終始、適切な助言をいただいた担当者の玉川総一郎氏に厚くお礼を申しあげます。
平成元年二月
読売新聞大阪本社社会部長 塚田信勝
文庫版へのあとがき
初版の刊行から三年余りになる。文庫へ収められるにあたって、その後のことをいくつか書き留めておきたい。
まず、具足さん一家はこの春、堺市泉北ニュータウンの団地から同じ大阪府下の河内長野市の一戸建て住宅へ転居した。マイホームの購入は事件当時から決めていたが、夫婦とも精神的に参ってしまい、なかなか引っ越しの踏ん切りが着かなかったという。長い間、空き家のままだった新居に、心の傷の深さがうかがえる。だが、先祖への敬いを忘れず、夫婦親子が仲睦じく生きる一家は勁(つよ)い。気分も一新した今、清治さんは「カネヒロ」で順調に商売を続け、みち子さんは「三人の育児に追われた目が回りそう」な日々だ。長男は小学校三年生、次男二年生。そして、事件のさなか、お腹にいた幸治ちゃんは三歳となり、元気に幼稚園へ通っている。
「毎日、とてもにぎやかで」と笑うみち子さんだが、三年という歳月の間には、やはり曇る日も降る日もあった。「一番心配したのは、幸治が一歳六ヵ月のときですね。四十度の熱が続いて、舌がイチゴのように真っ赤になり、はしかのように体中に発疹ができて、一時は川崎病と診断されたんです。でも入院させたら経過がよくて二十四日間で退院。おかげさまで今はすっかりよくなりました。やっぱりこの子、運の強い子なんですね」。この勁くて闊達な主婦が、第三章のような文章を書くまでに追い詰められた夜のことを思うと、今もなお込み上げてくる憤怒を抑えることができない。
「横領の金額からいっても逮捕する事案ではなかった」として、身柄不拘束のまま書類送検されたN巡査の刑事処分は平成元年四月七日、起訴猶予処分と決まった。みち子さんが「逮捕」されていたらどうなっただろうか、との思いも燻り続けている。金沢昭雄警察庁長官は平成二年一月七日、「届け主の主婦を犯人扱いした事件が、三十七年間の警察生活の中で一番ショックだった」の言葉を残して勇退した。新田勇大阪府警本部長は外交官に転身し、長尾良次警務部長も今春、近畿管区警察局長を最後に警察を去った。
「〈お腹の赤ちゃんが助けてくれた〉の連載を始めるのは、当方と具足さん側の弁護士同士の交渉まで延ばしていただけないか」と電話をかけて来た府警幹部の声が今も耳に残る。連載開始直前、昭和六十三年六月十三日朝のことだ。「それはできません」と言うと、「おやりになるなら、こちらも対抗措置を取らせていただきます」とのことだった。
どのような措置を考えていたのかは知る由もない。連載が後半に入った六月三十日夕、ホテルニューオータニ大阪でのアブドゥ・ジウフ・セネガル大統領歓迎晩餐会で、たまたま顔を合わせた新田本部長に「七月七日の府議会委員会でお詫びをします」と話しかけられ、拍子抜けした。
そうした一日一日のことが、つい先日のように思い返されるが、移り変わりは私どもにもあった。本書の核となった〈お腹の赤ちゃんが……〉の連載スタッフのうち、現在、社会部に在籍するのはサブ・デスクの藤井康博と、婦人部から復帰した満田育子の二人だけである。加茂紀夫は連絡部長、中山公は徳島支局長に転じ、私も社会部を離れた。ネコババ事件の朝夕刊の原稿を捌いたデスク、熱風に煽られたかのように取材に駆け回った府警や堺支局、司法担当、警察回り、遊軍記者も大幅に入れ替わった。
しかし、個々の持ち場は変わっても没義道(もぎどう)に対する社の姿勢には、いささかの変わりもない。つけ加えさせていただくなら、社会部はこの本に続いて平成二年七月、やはり講談社から『逆転無罪』を出した。少年の冤罪事件を掘り起こした記録である。貫く一本の筋、をご賢察いただけるのではないかと思う。
平成四年八月
読売新聞大阪本社編集局次長 塚田信勝
警察官(けいさつかん)ネコババ事件(じけん)
──おなかの赤ちゃんが助けてくれた
電子文庫パブリ版
読売新聞大阪社会部(よみうりしんぶんおおさかしやかいぶ) 著
(C) 読売新聞大阪本社 2000
二〇〇〇年一一月一〇日発行(デコ)
発行者 中沢義彦
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