船に乗れ!
T 合奏と協奏
藤谷 治
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船に乗れ! T 合奏と協奏
藤谷 治
JIVE
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船に乗れ! T  合奏と協奏
あの頃の僕は、もういない。僕はこれから、もはや存在しない人間について書くことになるわけだ。今の僕はもういい大人になってしまって、ああ、大人になっちゃったんだな、と自覚せざるをえなくなった地点からも、さらに年月がたったところにいる。その地点のちょっと手前くらいで、この話は終わるだろう。
自覚せざるをえなかった、なんてぐずぐずした言い方をしたのは、それがまったく、どうしようもないことだったからだ。人は成人式を迎えるから大人になるんじゃない。就職するからでもなければ、結婚するからでもない。大人になるのは、こちら側に積極的な理由があるからではないのだ。それは交通事故みたいなもので、ある時期にある経験をしてしまうことで、人は何かに押し出されるように大人になってしまう。よーし大人になるぞ、なんて決心をまずして、それから大人になる、などということはない。だからたいていの人間は大人になりきることがない。三十になっても四十になっても、子供の残りかすを引きずって生きている。僕もそんな大人の一人だ。そんな大人に、避けがたくなってしまったのだ。
人間の身体と意識を持った生命体としての僕は、もちろんあの頃の僕と地続きにつながっている。あの頃の僕と今の僕とは関係ない、なんていうことはできない。できないからこれを書くのでもある。だけどやっぱり、あの頃の僕はもういなくなってしまって、いるのは今の僕だけなんだ、という気持ちはとても強い。失ってしまったものがあまりにも多いからだ。それらのものを失わなかったなんて、自分をごまかすことはまったくできない。そして失ってしまった前と後では、吹いてくる風のひとつひとつ、見えてくる景色のひとつひとつが、まったく違ったもののように思える。
それでも、今の僕は特に不自由なく暮らしている。人より恵まれているわけでも、愛されているわけでもないが、それでも毎日目が覚めると起きて、食事をして、働いて、さまざまな人とさまざまな話をして、夜になると眠る。面白おかしくて笑いが止まらない、なんて生活からは程遠いけれど、苦しみの中でのたうち回っているわけでもない。特に都合良くも悪くもない朝、昼、晩の繰り返しの中で、にっこり笑うこともあれば、こっそりため息をつくこともある。それだけだ。
そんなところに、今の僕はいる。僕より充実した素晴らしい人生を送っている人はいるだろうが、もっとつらい人生に耐えている人だっているだろう。今の僕には語るべきことなんか何もない。ただ、そんな毎日のどこかにも、今現在のすべてがふーっと遠ざかっていくことがある。家へ帰る市役所通りの街路樹を見上げたときや、通りかかった店からフランツ・リストのファンファーレが聞こえてきたとき。電車の中で楽器のケースを抱えた学生を見かけたときや、空港で外国へ行く飛行機を待っているとき。ほんの一分か、一分の半分ほどの時間かもしれないけれど、目的地も今やろうとしていることも人の話も、すべてが消えてなくなってしまうことがある。そんなとき、僕は自分でも気がつかないうちに、そっとあの頃の自分に向かって、黙って呼びかけているのだ。
おーい。
もしかしたら、まだどこかにいるかもしれないと思って。
おーい。おーい。
それから、われに返る。声を出しているわけじゃないし、ほんの短いあいだのことだから、目の前に人がいたとしても、気がつかれることはめったにない。目の前にあるものごとが再び像を結び、僕は当たり前の世界に戻っていく。何やってるんだ、馬鹿じゃないか、という、ほんの少しの気恥ずかしさだけが残る。
だけど本当は判っている。それは「ほんの少しの気恥ずかしさ」なんて生ぬるい感傷で済ませられるものなんかじゃない。大人なんてものになってしまった僕は、ただ自分をかばって、やりすごしているだけなんだ。失ったものを実際よりもはるかに小さく見積もり、取り返しのつかないことを「若気の至り」とか何とか、どっかで拾ってきた紋切り型の言葉で自分を言いくるめ、お決まりの生活に戻っていくことで、自分自身を護《まも》っているだけなんだ。あれから今までずっと、そうやって逃げてきただけだ。おたおたと、ぶざまな急ぎ足で。
何かがあったわけじゃない。マドレーヌを紅茶に浸したわけでもなければ、ボーイング747に乗っていたら「ノルウェイの森」が流れてきたわけでもない。ただ僕はもう、こんな今の自分に耐えられなくなってしまったのだ。生活の中でほんのちょっとぼんやりして、気恥ずかしくなるなんていうんじゃなくて、あの頃の自分に何があったのか、自分が何をしたのか、そしてそれらは結局どういうことだったのか、鏡を睨みつけるようにして、しっかりと向き合わなきゃいけない。そのために僕はこれを書くことにした。きっかけなんかなくたっていいんだ。これは僕が人生の中で、いつかどこかでやらなきゃならないことなんだから。それが今であることに理由はない。僕がこれ以上、自分に猶予期間を与えられなくなったという以外には。
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第一章
しかしどんなに自己評価を甘くしても、あの頃の僕が人に好かれるような子供、あるいは少年だったとは思えない。あの頃の僕は――わずらわしいからこれからは単に「僕」と書くことにするが――むら気で、高慢で、同級生を馬鹿にするのがユーモアだと思っているような子供だった。小学校二年生のときに「小学五年生」を読んでいた。「小学二年生」に載っている『ドラえもん』が幼稚だから、というのが理由だ。実際に五年生になった頃には、もう小学館《しょうがくかん》の雑誌なんか馬鹿らしくて読むに耐えず、ツルゲーネフの『はつ恋』を読んでいた。もっともこれは当時毎週買っていた「少年マガジン」に『愛と誠』っていう漫画が連載されていて、その中に出てきたからでもあったけれど。中学校に最初に持っていった本は『共産党宣言』で、やはり本好きということで友達になった同級生に、中一になったばかりの奴にそんなの理解できるわけないだろ? と、殆《ほと》んど腹を立ててるみたいにしていわれたときには、内心鼻高々だった。実際『共産党宣言』は、何がなんだかちんぷんかんぷんだったけれど、その頃は小説というものを旧時代の、劣った、不完全な芸術分野と信じていて、あんなもので時間を無駄にすることには我慢できなかったのだ。なんでかというと、ポール・ヴァレリーがそんな意味のことを書いていたからである。小学校を卒業してから中学二年の夏休みまでのあいだに、僕はヴァレリーの全集を読破していた。少なくとも読破したと信じていた。全巻の全|頁《ページ》をめくりはしたわけだから。とにもかくにも。
僕はこういうことを子供時代の自慢話として書いているわけではもちろんない。今の僕はポール・ヴァレリーのことなんか何一つ知らないし、『共産党宣言』にも相変わらず何が書いてあるのかよく判らない凡人だ。だけどこれを、ああこいつ自慢をしてやがる、と思ってもらってもかまわない。あの頃の僕は実際にそういう本の頁をめくっていることが自慢だったからだ。読んでいるとはどう考えてもいえない本の頁をめくって教室で自慢げにしている子供。僕はそういう奴だった。以下の事柄についてもまったく同様。あの頃の僕はそれが大いに自慢だったわけだが、まず家は横浜《よこはま》の本牧《ほんもく》にあった。
本牧にも近寄らなくなって久しいけれど、少なくとも当時の本牧といったらまず神奈川県有数の高級住宅街だった。僕が生まれた頃にはもう家が立ち並んでしまっていたので、庭から海を眺めることはできなかったが、二階の屋根にのぼれば本牧|埠頭《ふとう》も山下《やました》公園も見えた。大正時代に僕の母方の曽祖父(つまり母親の母親の父親)が買った洋館で、僕の知る限り、我が一族のうちではその曽祖父だけがそんな屋敷にふさわしい金持ちだったようである。彼はある化粧品会社の広告部の草分け的存在で、今もテレビCMの世界では一目おかれているらしいその化粧品会社を大企業にした功績は多大なものがあったと、僕は祖父母から何度となく聞かされた。
祖母は十八歳のときに本牧をくだって横浜港から船に乗り、四か月かけてパリに行った。ソルボンヌ大学を卒業して帰国するとピアノとフランス語の家庭教師になった。そして横浜の高校で音楽教師をしていた祖父に出会ったのである。祖父の先祖は仙台《せんだい》伊達藩《だてはん》のお侍さんだったそうだが詳しいことは知らない。明治大学に入って神父になるつもりだったが在学中に進路を変更してパイプオルガン奏者になった。一説によると祖父はあるとき神から啓示を受けたといわれている。その啓示というのは、教会なんぞでくっちゃべってても何にもなりゃしねえ、それより音楽で神の威光を知らしめやがれ、というものだったといわれている。祖父は威張って怒鳴って恐ろしい老人だったが、機嫌のいいときにはなかなか話の面白い人だった。僕の本好きも祖父の影響によるものだし、もちろんポール・ヴァレリーの全集も祖父の本棚にあったのだ。チャップリンの映画や落語も好きだった。けれども彼はどういうものか、キリスト教とか神とかいったことは、まったくといっていいくらい口にしなかった。
僕が物心ついた頃には、もう祖父は高校教師なんかではなくて、大学教授だった。川崎《かわさき》の溝《みぞ》の口《くち》にある、新生《しんせい》学園大学の音楽科を創設したのが祖父だったのだ。祖父母は溝の口に近い場所に広い一軒家を借りて住み、本牧には僕の一家が祖父に家賃を払う形で住んでいた。父は秋葉原《あきはばら》に今もある小さな会社の経営者だった。その会社を興《おこ》す前に職場で知り合った母親の実家を住まいとすることに、何のわだかまりもなかったかどうか、それは知らない。多分なかっただろう。父の会社は今にくらべればはるかに羽振《はぶ》りはよかったものの、それでも本牧の一軒家、それもヴェーゼンドルファーのグランドピアノと大きなハイファイ・セットとテレビと応接三点セットを置いてもまだ広々としている「三十畳」と呼ばれていた部屋を含む7LDKの洋館なんていうしろものを購入できたとは思えない。しかもその家にはヴェーゼンドルファーとは別に、ヤマハのアップライトピアノも一台あって、それは玄関を入ってすぐの六畳である僕の部屋に置かれていた。どうしても必要だったのだ。ヴェーゼンドルファーは祖父が引越しの際に持ち出すのが大変で、置きっぱなしにしてあっただけの借り物だし、僕は小学校に入る前からピアノを習っていたのである。
選択の余地もなく、否定する者もいなかった。僕が生まれたときから、それは決まりきった道だったのだ。母親は四人兄弟で、母親以外は全員プロの音楽家だった。上の叔父さんは現代音楽の作曲家、下の叔父さんはピアニスト、叔母さんは中学の音楽教師といった具合である。そして僕は長男で、父の家族は全員北海道の十勝《とかち》にいたのだから、つまり発語能力があって音楽家でないのは一族のうち両親だけだったことになる。母親は結婚前は単なるタイピストではあったが子供に音楽を習わせることには積極的であり、父親は息子に将来どうなってもらいたいという希望は特になかった(当たり前だろう。ついこのあいだ生まれたばかりなのだ)から、立って走って座れるようになると同時か少し後くらいに、もう僕はピアノの前に座らされた。もちろんその時のことなんか記憶にはない。そう考えると奇妙だし、そんな風に考えたこともなかったけれど、気がつくと僕はピアノが弾けていたということだ。多分いわれた通りに指を動かしたら、動かせたということだろう。僕は音楽の神童とは程遠い。
最初のピアノの先生は祖母だった。きわめつけというか、トドメを刺すような話だが、僕は祖母のことを「おばあさま」と呼んでいた。
「おばあさま。今日はデー・ドゥアの音階を練習してきました」
こんなセリフを現実生活で平然と口にできる小学生となれば、きっと誰もが、前髪を揃えて、紺色のブレザーに紺色の半ズボン、それに真っ白なタイツを穿《は》いて、にこやかに直立不動でいるようなお子様を想像するかもしれない。だが僕はそんな子供じゃなかった。半ズボンは穿いていたが見た目は普通のガキだった。おばあさまは僕を素直にピアノの前に座らせたことがなかった。レッスンのために家へ帰ってくるたびに、そんな手でピアノを触っちゃだめ、洗面所で洗ってらっしゃいと叱られた。常に泥だらけだったのだ。父はピアノを習わせるのを承認した一方で、僕にできるだけ公園や林の中で遊ぶこと、それも裸足になって地面を駆け回ることを、殆んど義務付けていた。これについても母親は協力的で、十一月になっても長ズボンを穿かせてくれなかったし、おばあさまのレッスンがない日には爪の中を泥でいっぱいにしてデー・ドゥアを弾いていた。いい忘れたがデー・ドゥアってのはニ長調《ちょうちょう》のことだ。
休日には父とよく相撲を取らされた。鎌倉《かまくら》の山にもよく連れて行かれた。子供の足腰を強くするのは親の義務と父は信じていたらしく、相撲はともかく山歩きは、四つ下の妹もやらされた。ちなみに妹も幼稚園からピアノを習わされて、大人たちはどうにかこうにか小学校四年生くらいまではレッスン継続にこぎつけたけれど、五年生になったらもう彼女の鍵盤の前の癇癪《かんしゃく》にたちうちできる者はなかった。しかし足腰の鍛錬のほうは効果があり、高校までかなり熱心にバレーボールを続けて、全国大会で優勝だか準優勝だかしたはずだ。無限の可能性と無防備な思考能力とを持った幼児期に仕込めば、音楽でも何でもやりこなせるなんてことは決してないという、アンチ英才教育論の見本といえる。
また、こういう音楽教育の環境とポール・ヴァレリー全集から、僕が恐ろしく頭の良い子供だったかのような印象も与えることになったかと思うが、それもやっぱり間違いである。これを自分で認めるのには相当な年月が必要だったけれど、結局自分が、学校の成績で評価されるような意味での頭の良さを、あの頃も今も持ち合わせていないことは、どうしても認めるほかはない。学校での僕は聞きかじりの知識を自慢げにふりかざす、鼻持ちならない小学生だったが、授業の内容を理解する、テストの問題にきちんと答える、という点では、文字通りの馬鹿だった。授業で先生が何をこちらに教えようとしているのか、判ろうとしたことは一度もない。だから成績はいつも中の下、せいぜいいって中の中くらいだった。その頃は、学校の授業なんかくだらない、先生の話なんか聞かない方がいい、テストでいい点を取るのは凡俗の人間のやることだと、固く信じて疑わなかった。劣等感が絶望にならないよう、思考の逃げ道を作っていたわけだ。
それなのに自分の優秀さを疑ったことはなかったのだから、まあお笑いぐさである。小学校五年生の中ごろに、父がふと、慶應《けいおう》の中等部を受験しないかといってきたときも、僕は二つ返事で応じることにした。それから一年半ばかりは、一応受験勉強らしいこともしたけれど、結局は落第した。どうってことのない挫折だった。僕には音楽があったのだ。成績優秀な音楽家なんて聞いたことがない。モーツァルトは旅回りでろくに学校に行っていないし、ベートーヴェンだってそうだ。実際には彼らが軽やかにヨーロッパの数か国語を話し、特にロマン派後期以後の音楽家たちが、音楽以外の分野においてもひとかどの教育を受けていたと知るのは、ずっと後になってからである。公立の中学に入ってからも、僕は学校では授業の最中でも本を読みふけり、家に帰ればピアノを弾いて、勉強というものは一切しなかった。それをとがめだてする家族もいなかった。
中学一年の夏休み前に祖父がやって来て、両親と僕とで話し合いをした。一体サトルは、これから本職のピアニストになるつもりなのか。両親は僕の顔を覗きこんだ。僕は自分では判りませんと答えたが、内心では、それはまず無理だろうと思っていた。その時点で僕に弾けた一番難しい曲は「ソナチネ・アルバム」に入っていたベートーヴェンのト長調ソナタだった。知ってる人は知ってるが、あんなものソナタとは名ばかり、二つしか楽章《がくしょう》がないうえにちょっと練習すれば誰にだって演奏できるような曲である。それを僕はおばあさまに叱られ呆れられながら、ようやくつっかえずに弾けるといった程度だった。そんなんじゃピアニストなんてとても無理だ。中学の同学年にきちんと先生についてピアノを勉強している二宮《にのみや》さんという女の子がいて、訊《き》いてみるとショパンのエチュードをやっているところだという。ショパンのエチュードは二十七曲あるけど、どれのこと? なんて愚問をうっかり口走ってしまうところだった。どれだろうと僕の弾ける曲なんかひとつもないのは明らかだ。そんなわけでピアニストを目指すのは難しい。おじいさまは当然それを見越していたのだった。
そこで、とおじいさまは腹案を出してきた。サトルにはチェロを習わせたらどうかと思う。中学生にしてはがたい[#「がたい」に傍点]がしっかりしているし、家族の中にはまだチェロ弾きはいない。そのうえ新生学園大学で今チェロを教えているのは、NHK交響楽団の現役チェリストで、技術的に高度なのはいうまでもなく教育者としても立派で、人柄もなかなか垢抜《あかぬ》けたユーモリストだから、きっとサトルには合うはずだ、楽器もその先生を通してなら安く買えるということだから、やってみないか。どうだ。やってみないか。
両親がこれを聞いてどう思ったか、そのときには判らなかった。判ろうともしなかった。僕はこれをひたすら自分一人の問題だと考えていた。自分が判断を下せば、それに応じて周囲がお膳立てをしてくれるに決まっている。今まですべてそうやって物事は動いてきたのだから。楽器購入からレッスン代など、おばあさまにタダでピアノを習っていたこれまでとは比べ物にならないくらい金がかかることはいうまでもなく、いったんここで腹を決めてしまえば、高校以後の進路をはじめとして僕という人間の一生を決めることにもなってしまう決断だ、などということには、ちらっとも配慮しなかった。中学一年生になったばかりの子供にそんな配慮を求めるのは無理があるかもしれない。でも、それでもやはり両親の物質的、精神的負担に対して、僕はあまりにも無神経だったと思う。僕の心を占めていたのは、チェロという未知の楽器へのおそれと憧れだけだった。
まだ僕はチェロの演奏を生《なま》で聴いたことはなく、実物を見たこともなかった。ただそれが、実にかっこいい楽器、当時の幼稚な印象そのままにいうと、「本格的な」楽器だというイメージだけがあった。その頃の僕の意味不明なランキングによると、サックスとかフルート、そしてマリンバやティンパニを含むすべての打楽器は、「本格的な」楽器とはいえなかった。それらの楽器はおもちゃじみたもので、誰が手にとってもどうせすぐに鳴らせるだろうとなんとなく思っていた。それにくらべてチェロというのは、ヴァイオリンの手軽なお嬢様っぽさもなく、ヴィオラほど地味すぎず、コントラバスのどん臭さもない、スマートで貴族的なおもむきのある楽器のような気がしていた。
いやこれはもしかしたら、おじいさまから事実上の決定事項として僕に下されたチェロという命令を受け入れるために、後から付け加えたイメージかもしれない。おじいさまは僕にとって二重にも三重にも恐い存在だった。落語仕込みのべらんめえ口調、怒鳴り声のでかさ。川崎の家に行っておばあさまの都合が悪いときには、おじいさまのレッスンを受けなければならなかった。
「レガートだ、そこはレガート! レガートってのはペダルを踏むって意味じゃねえぞ。指を離すなってことだ馬鹿野郎。ハイドンのソナタでペダルに足を触れるんじゃねえや。ハイドンの時代にはなかったんだ、ンなもなあ。そう……そう……そうじゃない! さっきっからいってんじゃねえか。エフ、デー、フィスでフレーズが終わってからツェーでメゾピアノだ。そう書いてあるだろう! 譜面を読みなさい譜面を!」
結局のところおじいさまのレッスンは、楽譜に書いてあることを、書いてあるとおりに演奏できるか否か、それだけにかかっていた。それ以上のことをいわれたことはいっぺんもなかった。のちにもろもろの先生たちからいわれたような、ここで情熱を解放させてとか、静かな湖のように、なんて情緒的なことは、口が裂けてもいわない教師だった。それは、とりもなおさず習っているこちらが「馬鹿野郎」といわれても仕方のないことを意味していた。レガートと書かれているのにレガートで弾かず、メゾピアノと書いてあるのに音が大きすぎたり小さすぎたりしてしまうのは、つまり書いてあることが読めない、読めていないくせに読めてるつもりでいる、ということだからだ。当然のことながら、そうやってセンチメンタルな感情論をまじえず、ひたすら楽譜に忠実に弾けた演奏は、自分でもはっきりと出来が良かった。それは音楽が「判る」瞬間だった。目の前に並んでいるヘンデルやハイドンの単調で無表情な楽譜が、なぜそのように書かれているか、それ以上のことが書かれていないか、指と耳で呑みこめる体験だった。
しかしそれは同時に、おじいさまという存在をさらに恐ろしくさせる体験でもあった。僕は理由もなく大人から怒られたことは幸いにしてないが、厳然たる理由が遠くにそびえ立っていると判っていて怒られるのは、また格別なものがある。恐怖ではない。畏怖《いふ》というやつだ。さらにその理由というのが、おじいさまの機嫌のよしあしとも、僕のしつけとも関係のない、「音楽」という、これ以上ないというほど抽象度の高い芸術の追究のためであるのが、さらに畏怖の念を増幅するのだった。
いずれにしても、こうして僕はチェロを習うことになった。それは同時に父がチェロを買うはめになったということでもあって、最初のレッスンは父とおじいさまと三人で、先生の自宅へご挨拶と買い物をかねて伺った。
大森《おおもり》の高台にある住宅街に住んでいらした佐伯《さえき》先生は、おじいさまのいっていた通りの、洗練された雰囲気を持っていた。しなやかに痩せ、眼鏡《めがね》をかけ、白髪まじりの髪の毛を丁寧に整えてある。グレーのシャツに茶色のベストを着たその軽やかな姿は、いかにも人生を楽しんでいるように見えた。先生はまずおじいさまに挨拶をし、それから父と初対面の挨拶を交わしてから、僕に向かって、
「ようこそいらっしゃいました。これからよろしく」
といってくれた。僕のことを子供扱いしない、だけどこっちに合わせて若ぶったりもしない、美しい挨拶だった。僕のほうはどぎまぎして、ヨロシクオネガイシマスと口の中でごにょごにょ呟《つぶや》いただけだったが、先生はこちらの緊張を理解してくれたらしく、にっこり笑って僕らをソファに座らせ、それから先は父とチェロ購入の話し合いに移ってくれた。
厚手のビニールのソフトケースから、濃い褐色の、堂々とした楽器が現れた。イタリアで一九五〇年代に作られたものらしい。ヤマハの楽器売り場に陳列してあるようなものとは見るからに違う重々しさがあった。ぼんやりと楽器に見とれていて、しっかりとは聞いていなかったが、百万円にはならないくらいの値段のようだった。
「ちょっと弾いてみましょう」
といって、先生はチェロを構えた。弓を張り、三人が待っているのも構わず時間をかけて調弦《ちょうげん》をした。それから弓の端を弦に添えて弾き始めた。
空気が引き締まって、部屋が縮まったようにさえ感じた。お腹《なか》のあたりにずんとくる低音から、空気になって空へ抜けていくような高音まで、分散和音を一気に駆け上がり、メロディのかけらをかいま見せると、また分散和音に戻っていく。その繰り返しがえんえんと続いた。十六分音符のほかは休符ひとつ、和音ひとつない。単なるアルペジオの羅列のようでもある。けれどもそれは同時に、単旋律でパイプオルガンのように豊かなハーモニーを浮かび上がらせる、魔法のような音楽だった。すぐ後になってこのとき先生が弾いた曲が、バッハの『無伴奏チェロ組曲』第一番の一曲目、ト長調のプレリュードだったと判ったけれど、そのときそれは純粋な魔法だったのであり、曲名を知ってからだって魔法であることに変わりはなかった。
こんなこと僕にできるんだろうか。目と鼻の先で響く弦を前にして、文字通り身も心も震えてくるのを僕は感じた。佐伯先生は終結和声《カデンツァ》まですっかり弾き終わると、そ知らぬ顔でその楽器を脇に置き、立ち上がって自分の楽器を持ってきた。黄色に近いような色のチェロで、表板の左側のニスが楕円形にはがれていた。父がそれをただすと、
「弦は長さが短いほど高音が出ますよね。だから高い音を出すときに、左手がこう、前に、というか、下に、というか、こうやって降りていくわけです。それを何十年もやってるうちに、ここんとこがハゲちゃいまして。よくあることです」
先生はシロウトにも(って、このときは父だけじゃなく、僕もシロウトだったわけだけど)判るように、丁寧に解説してくれた。それから、
「これは、まあ、もうちょっといい楽器です」
といって、同じ曲の始めのところを弾いた。それを聞いてまた驚いた。さっきのが震度三なら、これは震度五くらいの音の張りがあった。
先生はやはり涼しい顔で演奏を中断し、
「本当にプロになるという段階になったら、まあこれくらいの楽器が必要になりますけれども、初心者には、こっちの楽器は充分すぎるくらいですよ」
「そうですか」
父は静かにそう答えた。はっきり聞いたわけじゃないけど、どうやら父はこの時点で、何年後かにさらに高価なプロ仕様のチェロを買うことになるだろうと、腹を決めていたらしい。僕は父のそんな気配を察していた。ブラスバンド部に入ったからコルネット買ってよというのとは、わけが違うのである。
それから週に一度、僕は大森へ通うようになった。本牧から大森は京浜東北《けいひんとうほく》線で一本、三十分くらいだから、移動はそんなに大変じゃない。最初のうちは高価で大きな楽器を持って歩くということだけで緊張してしまい、先生の家にたどり着いたときには汗びっしょりになったりしたものだが、三か月もすればそれも慣れた。レッスンは楽しく、練習も面白かった。最初はもちろん、弓の持ちかた、楽器の構えかた、チューニングのやりかた、弓を弦にあてて鳴らす方法、そんな基礎的なことしか教わらず、曲を弾くなんてとんでもなかった。それでも家でピアノのラの音を叩きながら調弦したり、弓にロージンを塗ったりするのが物珍しかったし、弓を引いて弦を鳴らしても最初は引っかかってぎ、ぎ、ぎ、としか鳴らなかったのが、コツを覚えてぶーと鳴らせるようになると、それだけで何か「演奏」できたような気分だった。
次に音階を習った。左手を弦を張った棹《さお》にそえ、親指を棹の後ろに回して、残り四本の指で弦をおさえる。楽譜に書いてある指の番号もピアノとは違う。人差し指から小指に向かって1、2、3、4番だ。そして0と書かれた、指を使わない音、つまり開放弦がある。音階は苦労した。指の位置を定めておけば、論理的にはたやすいはずなのに、何度やってもずれてしまう。それに弦をおさえることにばかり気をとられていると、今度は弓がぎくしゃく揺れたり、先端まで引ききっちゃって音が出せなくなったりする。一番筋肉を使うのは右の手首と二の腕、それに左の肩なんだけれど、このうち右の二の腕以外は力んじゃいけないところで、力が入りすぎるとまたしてもぎ、ぎ、ぎ、といやな音が出てしまう。音階というのは、半音のさらに四分の一音高すぎたり低すぎたりしても、間抜けな音になるものだ。僕は自分が間抜けな音を出し続けることに苛立ち、練習がイヤになっていった。
来る日も来る日も音階を練習し続けるというのはうんざりするものだ。めったにきちんと弾けないとなればなおさらである。開放弦を鳴らしているだけのときは楽しんでいたのに、とにもかくにも音が出せるようになると、一刻も早くメロディが奏でたくなる。音階がおぼつかないのにメロディなんて無理だろうというのは理屈で、とにかく習っている二オクターブで弾ける曲はないかと「きらきら星」なんかを探り探り弾いてみたりした。
こういう気持ちが結局、向上心というか野心というか、早くうまくなりたいという思いになったのかもしれない。中学生時代の僕は上達が早かった。チェロのバイエルともいうべきウエルナーの教則本は中二の夏にはほぼさらってしまった。続いてドッツァウアーの練習曲集と、おまちかねのコンチェルト! ……といってもゴルターマンという、誰も知らない作曲家のごく単純な、練習曲よりも弾きやすいような曲を習うようになった。その頃にはもうチェロの音楽についても少しは知り始めていたから、先生には内緒で勝手にバッハの楽譜を買って、簡単な(というのはつまり、指をあまり動かさなくてもいいという意味で、きちんと演奏するのが簡単なバッハなんてものは存在しないのだけれど)サラバンドなんかをこっそり弾いて一人で悦に入っていた。
それと同時に音楽を聴くことは、もはや単なる楽しみではなくなり、音楽家としての| 常 識 《コモン・センス》をつちかうために必要不可欠な「勉強」になっていった。その頃の父はよく海外出張で香港《ホンコン》に行っていて、向こうでレコードを大量に買ってきてくれた。こちらがリクエストしたものもあったが、多くは音楽とは無縁の父があてずっぽうに買ってきたものだった。もちろんはずれもあったが、これがどうしたわけか実にセンスが良く、まぐれにしても時代を先取りしているような買い物さえしてきてくれることがあって、反抗期だったから表面的にはろくにアリガトウもいわなかったものの、内心では嬉しく、感心していた。今でも覚えているそれらのレコードの中には、ジャクリーヌ・デュ・プレの三枚組ボックスLPもあった。確か『ザ・フェイヴァリット・チェロ・コンチェルツ』というタイトルで、ドヴォルザークやハイドン、シューマン、エルガーなどの作った偉大でポピュラーなチェロ協奏曲を、僕は彼女の遺《のこ》した演奏で知った(僕が聴いたときにはもう彼女は多発性硬化症の悪化で演奏ができなくなっていた)。父はまた、ピエール・フルニエのバッハ無伴奏チェロ組曲や、カール・べームが指揮するモーツァルトのオペラなんかも買ってくれた。
こんな毎日の中に、さらに読書とピアノもやめたわけじゃなかった。そんな生活をしていれば、世間にあるような中学生生活――友だちと遊んだり、部活動に汗を流したり、恋をしたりといったこととは、どうしても縁が薄くなってしまう。それを僕は特に寂しいとか、仲間はずれにされているとかとは感じていなかった。いってみれば、気がついたときから僕は学校という社会では浮いた存在だったのだ。人気者になりもしなければいじめられることもなく、かといって先生が気にかけるほど孤立しているわけでもなかった。友だちもいた。本を読むのが好きなやつとは本の話をし、クラシック音楽が好きなやつとは音楽の話をした。一度なんか、文化祭でフォークソング・バンドのためにチェロを弾いたことだってある。「神田川《かんだがわ》」のヴァイオリンのソロをチェロでやったのだ。このときは確か好評で、バンドをやらないかといわれたりもしたけれど、何かのイベントでビートルズのピアノをちょこっと弾いただけで、それ以上にはならなかった。
中学二年生の二学期に、一度だけ誕生パーティというのをやったことがある。呼べば来てくれそうな男子を三人、席が隣だった女子と、その友だちの橋口《はしぐち》さんを家に招いて、母親に大きなケーキを用意してもらった。実をいうと僕はその頃、橋口さんのことが好きで、彼女との距離を縮めたくてみんなを呼んだのだった。僕はみんなと橋口さんを楽しませるためにハイドンの交響曲のレコードをかけ、ペルゴレージの作った世界最初の喜歌劇『奥様女中』について語り、ピアノでモーツァルトのソナチネを弾いた。その間みんなはフルーツポンチを食べたりテレビをつけたり、妹の部屋にあったマンガを読んだり、僕の演奏をそっちのけにして楽しそうにお喋《しゃべ》りをしたりしていた。
腹を立てたりはしなかったが、最後にみんなにチェロを触らせてあげようという計画はやめにした。――もしかしたらそれが一番ウケが良かったかもしれない。どうであれチェロというのはブラスバンドにもない珍しい楽器なんだから。橋口さんになら触らせてあげたいとは、みんなの雰囲気が何となくぼんやりしてしまってからも、僕は思っていた。でも橋口さんはみんなの中でも一番はっきりと、僕にも僕のやることにも興味のない様子を見せていた。さすがに、つまらないとずばりいったりはしなかったが、僕が話を始めると、彼女だけがごく自然にそっぽを向いてしまうのを何度も見た。それが目立たない素振りだったのは、彼女に悪気がなかったことにくわえて、ほかのみんなも大体そんなふうだったからに過ぎなかった。夕方になる前にパーティはお開きになり、以後誰も僕の家に遊びに来ることはなかった。橋口さんに対する気持ちが、だんだんとしぼんでいったことはいうまでもない。いつまでも僕の中に残ったのは、口の中でほんの少し苦い味のする恥ずかしさだけだった。それは、あまりにも座がしらけてしまったので途中でレコードの針を上げるしかなかった瞬間から、今現在まで残っている。
だけどそんなことがあったからといって、別に僕がクラスの中でのけ者にされたとかいうことはなかった。少なくとも僕自身はそう感じなかった。僕だけでなく、みんなだんだんと、いつまでも友だちとつるんでいる場合ではなくなっていた。中二が終わる頃には、気の利いたやつらは受験勉強を始めていたし、僕は僕なりの受験勉強を始めなければならなかったのだ。それはもちろん、東京芸術大学の附属高校の受験だった。
くどいようだが母親の兄弟は母親以外全員音楽家で、全員芸大卒業者だった。父は音楽とは無縁だが慶應大学を出ている。音楽をやるなら芸大に行くのは当たり前のことで、それ以外の学校なんかすべて二流だというのは、家の中ではいわずもがなの話だった。僕自身もそう信じて疑わなかったから、またしてもおじいさまがやって来て、またしても若干強引な話し合いをして、佐伯先生に教わるのをやめて芸大のチェロ教授にレッスンをしてもらうことになったときにも、素直にではないけれど、結局は指示に従った。佐伯先生はとてもいい先生で、レッスンのあとで食事をご一緒させてもらったり、庭で巨大なセントバーナードと遊ばせてもらったりしていた。会わなくなるのはつまらなかった。これで生涯の別れというわけじゃない、と先生はいってくれたし、僕もそれはそうだと思っていた。そしてそれは事実だった。
別にうらみがあるわけじゃないけど、芸大の先生はひどかった。グリッサンドをロマンチックな演奏法だと信じて疑わなかった。グリッサンドっていうのは弦をおさえたまま指をすべらせるやり方で、ド、レ、ミと弾くところが、なんというか、んどぉーんれぇーんみぃー、とでも表記すべき音になる。ちょっと低いところに指を置いて、指の腹を前に押し出して、それで正しい音を出せと教わった。中学生の僕はこれが芸高のやり方かと思って素直にんどぉーんれぇーをやり続けた。
芸高の入試はチェロが弾ければいいなんてもんじゃない。聴音、ソルフェージュ、楽典、それに国語算数英語の学力考査があって、さらに面接があった。聴音というのはピアノで演奏された音を楽譜に書き写すことで、ソルフェージュというのは楽譜と音との関係を理解すること全般を指すから、聴音もソルフェージュに含まれるが、音楽学校入試でいうソルフェージュは「初見」のことだ。いきなり楽譜を渡されてピアノで弾くのである。学力は学校で普通に勉強していればいいと、おじいさまの知り合いの芸高関係者にいわれたけれど、聴音や楽典を教えてくれる先生には、新しくつかなければならなかった。新生学園大学のピアノ講師とおばあさまに特訓を受けた。
『コールユーブンゲン』、『ダンノーゼルのソルフェージュ』、パウル・ヒンデミットの『音楽家の基礎練習』……つまらなくて、難しくて、泣きたくなるような日々だった。実際に泣いてしまったこともあるかもしれない。今にして思えば、ここらへんでもう、自分の才能について見通しをつけても良かったはずだ。だけど駄目だった。自分がどれくらいまで行かれるものか、あの頃の僕には少しも見えていなかったのだ。それどころか、こういう辛《つら》い訓練を受ければ自分は偉大な音楽家になれるんだ、芸高から芸大に入ってエリートになるんだ、なぜなら自分は音楽を心の底から理解しているだけじゃなく、文学や哲学を通じてヨーロッパの精神も我がものにしている、高貴な人間[#「高貴な人間」に傍点]なんだから、と思っていた。この「高貴な人間」という言葉は、当時の僕の心の中の流行語だった。学校からレッスンへ、レッスンからまた別のレッスンへと移動する電車の中で僕は、ニーチェを読み続けていたのだ。
ニーチェほど音楽と深く関わった哲学者はほかにない。ワーグナーを崇拝し、ワーグナーと親交を結び、そしてワーグナーと決裂し、その経緯のすべてを、哲学的考察として著書に記している。そればかりでなくニーチェは多くの音楽作品も書いている。もっとも僕が聴いた限りでは、それらは退屈でなければ支離滅裂な感じのする作品ばかりだったけれど、そんなことはどうでもいい。ワーグナーについて書かれたニーチェの文章を拾い読みすることから始めた僕は、やがてこの、読む者をとてつもなく高揚させる哲学者に、わけもわからず傾倒していくようになった。
――わたしの著書の空気を呼吸するすべを心得ている者は、それが高山の空気、強烈な[#「強烈な」に傍点]空気であることを知っている。ひとはまずこの空気に合うように出来ていなければならぬ。さもないと、その中で風邪をひく危険は、けっして小さくはない。氷はまぢかだ。孤独はぞっとするほどだ。――しかし、なんと安らかに万物は光の中に横たわっていることか! なんと自由にわれらは呼吸できることか! なんと多くのものがわれらの下位[#「下位」に傍点]に感じられることか!
[#地付き](『この人を見よ』)
そうだ、と僕は思った。公立中学に通いながら本格的に音楽を学び、ニーチェを読むというのは、手ぶらで高い山を登るように危険で、孤独なおこないであり、そもそもそのような「空気に合うように出来て」いる人間は、決して多くない。だがその危険と孤独の果てにある高みは、山を登り続ける意思を捨てない限り、すでにして約束された栄光なのだ。そしてその高みに立ったあかつきには、さぞかし「多くのものが下位に感じられる」に違いない。そう想像しただけで、僕はもう自分が周囲の人間、街や電車で見かける人間、つまりは自分でない人間のことを、今のうちから下位に見下ろしても、そんなに大きく間違ってはいないのではないかと思うようになった。もちろんそれを口に出したりはしなかったが、心の中では僕はもう、下位を見下ろす上位の[#「上位の」に傍点]人間だった。
とはいえ、「自分の良心を調教するとき、それはわれわれを咬《か》みながら、同時に接吻《せっぷん》する」だとか、「音楽の力によって激情そのものは自らを享楽する」といった言葉が、一体何を意味しているのか、理解できたわけではなかった。はっきりいって今こうして『善悪の彼岸』から書き写していても、何をいっているのかまるっきり判らない。だけど僕はこれらの言葉が好きだった。というより、これらの言葉を読んでいる自分が好きだったといったほうが正確だろう。それに時おりは、ちゃんと意味が理解できる(ように思える)言葉もあった。中でも次の言葉は、これもまた『善悪の彼岸』にあるものだが、今でもかなりの部分をそらんじているほどだ。
高貴な種類の人間は、自分を[#「自分を」に傍点]価値の決定者として感じる。この種の人間は自分を是認されることを必要とはしない。彼は「私にとって有害なものはそれ自体として有害である」と判断する。彼は総じて物事に始めて栄誉を与えるものであると自覚している。彼は価値創造的[#「価値創造的」に傍点]なのである。
高貴な人間についてニーチェは語り、スカンジナヴィアの伝説を引用する。「若くしてすでに苛酷な心をもたざる者は、苛酷なること絶えてあるまじ」。
このように考える高貴な人々や勇敢な人々は、同情とか他人のための行為とか〈無関心〉のうちにこそ道徳的なものの徴《しるし》を見るようなあの道徳からは最も遠く隔っている。自己自らに対する信念、自己自らに対する誇負《こふ》、「無私」ということに対する根本的な敵意と厭味は、同感や「温情」に対する軽侮や警戒と全く同じように、決定的に高貴な道徳に属する。
これを僕はこう理解した。高貴な人間は自分を基準にものごとを判断するのだから、人に同情したりする必要はないのだ、なぜなら本当なら高貴な人間自身がもっとも「苛酷」な目にあっているからだ、と。一緒に下校する友だちがいなかったり、昼休みの放送時間にベートーヴェンのチェロソナタ第三番をかけようといってしらけられたりしても、それは彼らに僕のレヴェルが理解できないだけなんだけれど、そんな彼らに同情する必要はない。いちいちモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』について書かれたキェルケゴールの『あれかこれか』について教えてやる必要はない。そんなことが理解できるのは、高山の空気の中で光を浴びる人間だけなのだから。
考えてみると、僕はこの時期がもっとも幸福だったのかもしれない。確かにレッスンは厳しく、自分の必要とする訓練に自分で何度もへこたれそうになってはいたけど、少なくともニーチェを読んで理解したと思いこめるほどには、僕は無邪気で屈託がなかった。このすぐあとにやってくる最初の挫折、慶應の中等部のことなんか忘れてしまうくらい、心にしっかりと根を下ろしてしまうような本物の挫折から先、僕は時間をたっぷりかけて、この時期の無邪気さを永遠に失ってしまうことになる。
つまり、僕は結局のところ芸高を落ちたのだ。試験は四日にわたって行われ、毎日落第者が出るようになっていた。チェロ受験者は八人か九人いた。僕は最初のチェロの課題曲も、二日目の自由曲も合格した。二日目で受験者は四人になっていた。三日目のソルフェージュや聴音なんかも、相当危なっかしかったが生き残れた。四人は全員残ったけれど、ピアノやヴァイオリンで受験している学生たちがこの頃にはごっそり落ちていたので、受験会場はがらんとして静まり返ってしまった。四日目の学科考査と面接で落ちることはまずないといわれていた。その学科と面接で僕は落とされてしまったのである。実はこの日、僕は面接のことを軽く考えていて、ジーパンとセーター姿で上野《うえの》に行った。僕以外全員ブレザーにネクタイを締めていた。だけどまさかそんな理由で落としたりはしないだろう。慶應のときと同じく、学科試験の問題用紙に何が書いてあったのか、きちんと理解できたという記憶はまったくない。落第してからおじいさまとチェロの先生に挨拶に行ったときも、確か学科の成績があまりにも悪かったので合格させることはできなかった、みたいなことはいわれた気がする。芸高受験に関して覚えていることはこれで全部だ。あとひとつだけ、校舎の壁に張り出された合格発表を見終えたあと、合格したチェロ受験生とすれちがって、受かってるよ、おめでとう、といったことも覚えている。
そうだ。もうひとつ覚えていることがある。ただでさえ落第して目の前が真っ暗になっているのに、チェロの先生から学科で落ちたと告げられ、さらに怒りのあまり口を開こうともしないおじいさまと同じ電車で帰ってこなければならず、心身ともにぐったりとなって部屋の中で丸くなっていた僕に、会社から帰ってきた父が声をかけた。
「ちょっと、出かけるか」
車に乗せられて夜の横浜新道を下っていった。父は殆んど口をきかず、助手席の僕はだらしなくじめじめと泣いていた。
鎌倉の由比《ゆい》ガ浜《はま》海岸で父は車をとめた。不思議と穏やかで暖かな三月だった。砂浜で、僕は父と相撲を取った。中学に入って何か月かして、初めて父を負かしてから、もう何年もやっていなかった。始めのふた番、ともに押し出して勝ったので、三番目にわざと転がされると、父は肩で息をしながらも、「力を抜くな!」と叱った。四番目は思いきりいったが腿《もも》をつかまれて倒された。五番目はしゃにむに飛びかかっていって勝った。奥歯を噛みしめても何をしても、涙が止まらなかった。力が入らなくなって砂浜にしりもちをつき、そのまま声を上げて泣いた。
父は立ったまま、僕の泣き止《や》むのを待っていた。
「もういっちょうだ!」
僕は泣きながら父の腹を突き飛ばした。
二人で大の字になって、空を見た。月が明るすぎて、星はあまり見えなかった。暗い海の近くから、波の音がした。
「未来はある」
空を見上げたまま、父はいった。
「それでも、未来はあるんだ」
僕も父を見なかった。
「そうだろ?」
僕は答えなかった。
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第二章
中学校に戻ると、意外にもみんなが激励してくれた。このとき初めて知ったのだが、例のピアノを弾いている二宮さん、彼女も芸高を受けていて、二、三日前に学校に戻ってきていた。実技の二日目で落とされていたのだ。そんなら津島《つしま》(僕のことだ)はまだ受験ができているんだということになって、ちょっとした話題になっていたらしい。学科で落ちたんだと正直に打ち明けても、馬鹿にするやつは一人もいなかった。国立だから学科が難しいのは当然だと、誰もが思ってくれたらしい。卒業間際になって、僕はようやく同級生の友情を感じた。気分もいくらか軽くなって、神田《かんだ》というクラスの三枚目が教室に入ってくるなり僕を指差し、「ア、いる!」といったときには、心置きなく廊下を走って追いかけ回し、とっつかまえて頭をひっぱたくこともできた。
だがいずれにしても高校へは行かなければならないのだった。残るのは私立だけだ。当然のことながら、おじいさまがいる新生学園大学附属高校が家族の話題にまずのぼった。そしてほかの学校のことは話題にのぼらなかった。佐伯先生のこともあるし、芸高受験の際にいろんな先生に挨拶に行って話を聞いたりしていたから、僕がおじいさまの孫だということは誰でも知っている。ということはほかの受験生よりも簡単に入れるということなんじゃないだろうか。そんな可能性があるということひとつ取っても、新生学園を受けるのは気が引けた。だいたい芸高じゃないところへ行かなければならないというのが、すでにして敗北なのだ。自分はそんな程度の芸術家じゃないという思いもあった。と同時に、決して口になんかしなかったけれど、それはまさに救いでもあった。自分は受験というものが[#「自分は受験というものが」に傍点]、病的なまでに苦手なのだ[#「病的なまでに苦手なのだ」に傍点]という強迫観念のようなものは、もう回復不能なまでに僕の中に巣食っていた。その苦痛を少しでも軽減してくれるものであれば、どんな卑怯な手でも使いたかった。情実だろうがなんだろうが構わない。蜘蛛《くも》の糸にすがりつく思いだった。
受験案内を取り寄せて、さらに事態は複雑化した。つまり新生学園というのは、幼稚園から大学まで、すっかりそろった巨大学園なのだが、大学と高校の音楽科だけを例外として、あとはすべて女子高なのである。そして高校は一学年に普通科が四クラス、英語科が一クラス、音楽科が三クラスある。一学年八クラス中五クラス女子のみというのは、まったく想像のほかだった。
早熟な子供の常として、僕も性的な好奇心はごく小さい頃から持っていた。さらに音楽やオペラや文学にまつわるロマンチックな物語や伝記的挿話などがそこに加わって、早く自分も恋人というものを持ちたいものだとも思っていた。そういう思春期の真《ま》っ只中《ただなか》にあって、男女比のいちじるしく不均等な学校というものが、どんな風にイメージされていたか、今の僕にはもう正確に思い出すことはできない。どきどきしたのは間違いないだろうが、いくらなんでもハーレムみたいなものを妄想したわけでもなかっただろう。とにかくそれは、あんまり心を穏やかにしてくれる情報というわけではなかった。
願書を出しに初めて新生学園の中に入って行ったとき、僕は当然、詰襟《つめえり》を着ていた。高校の校舎は校庭をはさんで二つあり、古くて大きい方が普通科と英語科、新しくて校門に近い方が音楽科だと判った。矢印に従って古い本校舎の受付へ願書を出し、校庭の隅にある通路を歩いていると、向こうからキャーという女たちの声がした。見ると新校舎の一階から、女子たちが僕を見て騒いでいた。目が合って慌てて窓の下に隠れる女子もいた。振り返ると本校舎からも、僕を見ている女子は何人もいるのだった。とんでもなく恥ずかしかったけど、走ったりすればさらに笑いものになるだろうと思って、無視して歩かなければならなかった。後で判ったことだが、学園の中等部は新校舎の一階にすべて集まっていて、彼女たちは近い将来自分たちと同級になる男子たちを見ては、なんの意味もなく大騒ぎをしていたのである。
試験の前に一度か二度、佐伯先生にレッスンをしてもらったと思う。佐伯先生は芸高の先生にすっかりクセをつけられた僕のグリッサンドに大笑いし、すぐに指摘して直してくれた。先生は芸高の音楽教育その他のことも具体的にいろいろご存知で、決してかつてのような超名門校というわけではないともいってくれた。挫折感がすっかりぬぐわれたというわけではなかったけれど、先生のおかげで僕は気分を変えて受験にのぞむことができた。なんといっても新生に受かればまた先生のレッスンを受けられるのだ。
試験は二日だけだった。一日目にチェロとピアノ、二日目に聴音と学科と面接をした。ピアノと声楽で受験する生徒が圧倒的に多いせいか、それ以外の楽器専攻者は全員ひとつの会場で楽器を弾き、それを査定する先生も同じメンバーだった。待機するのも同じひとつの教室をあてがわれた。当然のことながら、そこで楽器を演奏してはいけないといわれた。僕は楽器を片隅に置き、緊張で赤くなったり青くなったり白くなったりしている女子たちの中でぼんやりしていた。するとしばらくして視線を感じた。僕をじっと見ている目が、入り口近くで気弱そうに輝いていた。
自分以外全員女のようにしか見えない教室の中で、それはひどく線の細い男子だった。白いワイシャツに朱色のネクタイを締め、少し大きめの紺色のブレザーを着て、膝の上に楽譜をおいていた。細面《ほそおもて》で色白で前髪をたらして、絵に描いたような美少年だった。実際、僕が視線を感じてからも凝視したのは、それが現実の人間かどうかを確かめるためだった。美少年は困ったような顔をしていったん目をそらし、またこっちを向いて、微笑しながら頭を下げた。
初対面の気恥ずかしさより、ようやく同性を見つけた安堵感の方が強かった。僕は立ち上がってその男の隣に座った。座ってから気恥ずかしくなったけれど、思い切って話しかけた。
「専攻は何ですか?」
「楽器何やってるんですか?」
同時に口を開いて、しかも同じことを尋ねてしまったので、いよいよ恥ずかしかった。ぼくはいった。
「チェロです」
「僕はフルートです」
赤くなって彼は答えた。それから、
「チェロはいい楽器ですね」ともいった。
「はい」と僕は答えたが、フルートもいいですね、なんてお世辞をいうのは馬鹿らしく思えたので、黙っていた。美少年も何もいわなくなった。
「女子が多いよねえ」
気まずい沈黙に耐えかねて、僕は口を開いた。
「さっき、誰かが話してたんですけど」美少年が答えた。「今年の受験生のうち、男は七人だって」
「え!」僕は思わず叫んでしまった。「七人? 七人しかいないの?」
「今までで一番多いらしいですよ。ひとつ上には男子が四人しかいないし、その上には一人もいないそうです」
「嘘だろ」
美少年は首を振った。「噂ですけど、だから男子は全員合格するって。少なくとも、試験に落ちた男子は今まで一人もいないそうです」
「詳しいですね」
「姉が卒業生なんです。今年卒業して、上の大学に行きました」
「へえー」
僕は多少、ぎょっとしていたと思う。音楽科は男女共学で三クラスあるというから、全クラス半分は男だろうと思いこんでいたのだ。男が七人しかいないんじゃ、一学年八クラスのうちウンヌンなんていう計算はまったく意味をなさない。二百人以上いる女の中で、七人が肩を寄せ合って生きていかなければならないことになる。
「うわー……」僕は呟いた。まったく「うわー」としかいいようのない気分だった。
案内役の先生が教室に入ってきた。
「受験番号4201番、伊藤慧《いとうけい》君」
美少年が立ち上がった。
「がんばって」僕はいった。「男子なんだから、気楽に」
「ありがとう」伊藤慧は答えた。それから一拍置いて、「あの、名前教えてください」といわれた。
「津島サトル」
伊藤は赤い顔をして頷き、フルートのケースと楽譜を持って教室を出た。試験を終えた学生は同じ教室に戻れなかったから、その日はもう会わなかった。
僕はその三人あとに呼ばれた。試験官の先生たちが皆やけにニコニコしていたのを覚えている。僕がおじいさまの孫だということを知っているのだ。ゴルターマンを弾いた。緊張はしたけれど、芸高の受験に比べたらちょろいものだという気もした。ピアノはおじいさまに習ったベートーヴェンのト長調を弾いた。
二日目はもっとちょろかった。聴音は前もって問題がハ長調、四分の四拍子、四小節だと告げてから始まった。芸高の聴音はそんなヒントはいっさいなし、ピアノでラの音をぽーんと聞かせて、いきなり問題が演奏され、受験生たちは調性《ちょうせい》もリズムも長さも自分たちで判断しなければならなかったのだ。しかもそれは僕が聴いた限りでは、変ロ長調、八分の六拍子で六小節だった。そんなのをくぐり抜けてきた僕に、新生の聴音問題がどれほどちょろく聞こえたものか、判る人には判って貰《もら》えるかもしれない。学科は国語と英語の初歩だけだったし、面接なんか教官全員にこにこしちゃって、おじいさまはお元気ですかとか、芸高の受験はどうでしたかとか、まるきり雑談みたいなもんだった。
この日は受験生全員がひとつの教室で待機させられたので、伊藤慧以外の五人とも顔を合わせた。聴音の試験が終わった後、ちょっと遅れて教室に戻ると、伊藤がやけに騒がしいグループの中で、作り笑いを浮かべているのが見えたのだ。それが受験している男子のすべてだった。
三人がピアノで二人が声楽だった。テノールの大宮和樹《おおみやかずき》はやけに凝った髪形をした二枚目だったが、その髪形はどうやらドラクロアの描いたショパンの肖像を真似たものらしい。バリトンの橋本洋太郎《はしもとようたろう》は垂れ目で地声のでかい陽気な男で、誰が何をいってもウワハハハと大笑いしていた。
ピアノの山路満《やまじみつる》という、陽気どころかはしゃぎすぎの、どこかアニメの子豚を思わせる小男が、しきりに面白くない冗談を飛ばす。
「僕、初めてラヴェルのさ、『クープランの墓』の楽譜貰ったときさ、トンボの曲だと思っちゃったんだよ。だってホラ、『ル・トンボー・ド・クープラン』て書いてあったから!」
「ウワハハハ!」
「伊藤君てフルートなの? そうなんだ。そういえばフルートって複数だと『フルーツ』になるのかな?」
「ウワハハハ!」
このての生半可な専門知識と低レベルのユーモア感覚のないまぜになった冗談を、もしかしたら僕自身も中学校で自慢げに口走っていたのかもしれない。それだけによけいそれを他人の口から聞かされるのは、なかなか恥ずかしく苦々しいものがあったわけだが、もう一人のピアノ受験生である生田寛《いくたひろし》はそんな山路の冗談にいちいちきちんと笑っていた。笑いながらも同時に人見知りと受験の緊張で赤面し、百八十センチはあるだろう巨体をかちかちにしていた。ピアノ受験はあと山本《やまもと》という男がいて、こいつだけは男子の群れの中に入らず、黙って楽典の教科書を読んでいた。
伊藤もこのときはそんなに積極的に会話には入らなかったし、橋本や山路のでかい声は周囲の女子からもちらちらといやな目で見られていたから、僕もあまりべちゃくちゃ喋りたくなかった。それでも、内心僕はあんまり悪い気分じゃなかった。生まれて初めて、音楽を専門的にやっている同年代の男たちと会ったのだ。軽薄そうなやつもいるし、ウマが合うとは限らない連中だけれど、それでもショパンだのドビュッシーだのの名前が会話に出てくるのは嬉しかった。みんな同じような気持ちだったのかもしれない。中学生で音楽を、趣味ではなくやっているというのは、なかなか肩身の狭いものだったのだと、改めて気がついた。とはいえ試験がすっかり終わったあとで山路が、あのさ、帰りにみんなで喫茶店でお喋りしようか? なんていってきたときには、もちろん断ってさっさと帰ったけれど。
合格発表は見に行きもしなかった。おじいさまが合格を電話で教えてくれたし、受からないなんてことは考えもしなかった。その代わりにその晩家族がお祝いをしてくれても、さして嬉しいとは思わなかった。芸高に行かれなくて申し訳ないという気持ちがまた心を占めたけれど、口には出さなかった。だから家族から見れば、ただ白けているとしか見えなかっただろう。
母は食卓の上に焼肉とかちらし寿司とか根野菜の煮物とか刺身とかをあふれかえるほど並べた。僕の母は反抗期のこっちがもういいよと思うくらいよく働く人で、このときも給仕と洗い物と自分の食事と談笑を同時にこなしていたが、それでいて家族のために自分を犠牲にするというようなことはまずなく、やりたいことをやりたい順にやっていく気分屋でもある。そして母にとって家族に食事を出したいというのは、幸福の最上級に属するのだった。このときも僕の白けた顔にはわざと無頓着《むとんちゃく》なフリをして、陽気に振る舞っていた。
「サトルその唐揚げ食べちゃいなさいよ。お腹いっぱいにしないといい音楽家になれないわよ。皮下脂肪がぶるぶるって震えていい音が出るんだから。ほんとよ。今日はケーキも買ってきたからネー。お母さんも食べちゃうもんネー。ミサキ(これが妹の名前)ちゃんも食べるでしょ? 太んないわよこれくらいじゃ。お父さん! ミサキにお酒なんか飲ましちゃ駄目じゃない。まだ小学生なんだから。あーあ。ミサキは呑んだくれ、サトルは音楽家、津島家も没落の一途をたどってるわネエ。なーんちゃって」
このときは思ってもいなかったし、思っていても口に出したりはしなかっただろうが、母がこのような人でなかったら、僕は音楽に打ちこもうなんて思いもしなかったに違いない。おじいさまは音楽というものの厳密さを僕に叩きこみ、おばあさまは大正時代のお嬢様気質を僕に見せてくれた。そして母は、音楽が人生を豊かにし、楽しくし、幸福にするものであることを知っていた。誰かがそれを僕に教えてくれたことなんかはいっぺんもない。母だって教えてはくれなかった。母はただ、そうやって生きていたのだ。
母方の一家で母だけが音楽家ではないのは、家計を支えなければならなかったからだ。高級サラリーマンだった母の祖父が死んだのちも本牧の一等地に住み続け、レッスンを受けたり楽器や楽譜を買ったりするばかりの家族を食べさせ、維持していたのは、おじいさまの音楽教師としての給料と、丸《まる》の内《うち》のタイピストだった母の稼ぎだったのである。しかしそれは女工哀史みたいな話ではない。ミッション系の高校に通った母は、親や学校のシスターたちに隠れて「接吻場面のある映画」を見、サラ・ヴォーンのレコードを聴いていた。音楽家になりたいとか、専門教育を受けたかったとかいうことも、特になかったようだ。そして音楽家でも何でもない父と職場結婚をした。両親の反対は当然あったが、結局は我を押し通した。おかげで僕と妹は生まれることができた。
母は父にいつまでも感謝している。子供への愛情ももちろんあるが、たとえば父と僕が対立して、母が僕に加勢したことは一度もなく、僕はそのことによく怒りを感じたほどだ。それほど父を大事にしているのは、母が一刻も早く実家を出て行きたかったからである。音楽家とか楽器演奏者という存在に母は、それが何か高級な人間ででもあるかのような幻想を抱くことはない。にもかかわらず母は音楽を腹の底から愛している。
母はジャイアンツも愛しているようだ。そして彼女にとって、音楽とジャイアンツはひとつの場所から聞こえてくる。それはラジオだ。子供や父の送り迎えでは、必ずカーラジオがついていたし、冷蔵庫の上にもトランジスタ・ラジオが置いてあった。昼はFM、夕方になるとAMをつけっぱなしにして、忙しく立ち働きながら母は、クラシック音楽に関してもジャイアンツに関しても、びっくりするほど詳しい情報を手に入れていた。そして、これは誰でも納得してくれると思うが、カラヤンが秋のシーズンにウイーンでレスピーギを指揮するということと、土井《どい》と長嶋《ながしま》が川上《かわかみ》監督のことでどんな内緒話をしているかということを、両方知っている人間に対し、人は驚嘆の念を持つしかない。
ラジオと、ごくたまに行く知人のピアノやヴァイオリンのコンサート、それに僕が一人で聴いているレコードを漏れ聞いて、母は音楽を楽しんだ。そしてトイレを洗ったり、買ってきたものを冷蔵庫につめたりしながら、モーツァルトのクラリネット協奏曲や、シューベルトの「鱒《ます》」といったお気に入りのメロディを口ずさんでいた。調子っぱずれで、すっとんきょうな高い声だったが、あんなに楽しそうにクラシックを鼻歌で歌う人を、僕はほかに知らない。「たん、たーんら、らんらん、らーら。らーら、らーりらーりらー」……それは、思わずそばにいるこっちまで吹き出してしまうような機嫌の良さ、楽しさだった。
今の僕なら素直にいうことができる。それでこそ音楽というものなんだと。意味もなく、誰かのためでもなく、ただ気分が良くなるために鳴らしてみせるさまざまな音、それが音楽だ。そもそもそうやって、人類は音楽を創り出したのだと思う。威圧のために大きな音を立てたり、わざと人を不愉快にさせるためのノイズもまた、音楽の起源に含まれるかもしれないが、でもやっぱり音楽は何よりもまず心地よいものだ。それ以外の何物でもない。あの頃の僕はそんな素直な気持ちにはなれなかった。音楽とは荘厳で難解で、そう、高貴な[#「高貴な」に傍点]音響の建築物であり、母の音楽理解は浅薄で通俗的で、とうていまともに取りあえるものじゃない、モーツァルトは母の鼻歌にされるために作曲をしたわけじゃない、と思っていた。
(ちなみに、これは僕の鼻持ちならない思い上がりであるだけでなく、完全な間違いでもある。モーツァルトが一七八七年一月十五日に書いた手紙。「その人たちがみんなぼくの『フィーガロ』の音楽を、コントルダンスやアルマンドばかりにして、心《しん》から楽しそうに跳ねまわっているのを見て、すっかり嬉しくなってしまった。じっさいここでは『フィーガロ』の話でもちきりで、弾くのも、吹くのも、歌や口笛も、『フィーガロ』ばっかり、……ぼくにとっては大いに名誉だ」。モーツァルトは僕の母に鼻歌にされるために[#「ために」に傍点]音楽を作っていた、とさえ、今の僕はいいたい)
心理学に詳しい人なら、きっと簡単に理由をつけられるだろうが、芸高を落ちて新生学園に受かった僕は、以前にもまして高慢になっていた。確かに芸高には受からなかったが、しかしチェロの試験は合格したのだ。チェロは芸高レヴェルなのである。新生学園高校なんていう、芸高に比べたらワンランクもツーランクも下の学校に、どんなチェロ弾きがいるか知らないが、自分よりテクニックに秀で、上達が早い学生が、一人でもいるとは思えない。くわえて自分には、音楽の範疇《はんちゅう》にとどまらない、広範な芸術に対する理解と造詣があるのだ。受験が終わったので僕はふたたび読書に没頭した。ニーチェは相変わらず読み続けた。さらにカミュの『シーシュポスの神話』と『異邦人』、サルトル、カフカ、ゲーテと読んでいった。相変わらず、めくっている頁に書いてある言葉の大半は理解できなかったけれど、それでも読んだ気になっていた。そしてますます心の中で増長した。レースのテーブルクロスがかけてあるピアノでスカルラッティを弾けたからって、音楽学校に来るような連中に、自分の読んでいるものの深遠さが判るだろうか。たとえモーツァルトの『魔笛』くらいは聴いたことがあるとしても、ゲーテに『魔笛 第二部』を書くという構想があったことなど、誰も知りはしない! ……鶏口となるも牛後となるなかれということわざが、皮肉で滑稽に適用できてしまった好例といえるだろう。入学初日から、もう僕の傲慢は誰の目にも明らかだったと思う。
入学手続きのときに買わされた青いブレザーとグレーのズボンを穿き、胸にハートのマークの校章バッジをつけて学校へ行った。体育館に全科新入生が集められ、校歌が歌われた。新入生ばかりなのに半分ほどが歌えたのは、中等部から繰り上がってきた生徒がいたからだ。居心地の悪いことはなはだしかった。受験の時には七人いた男子は六人しか揃っていなかった。あの、誰とも話をしなかった山本(だったかどうか、実はおぼつかない)とかいう男は、別の学校に入ったんだろう。それはそうだ。新生学園なんか滑り止めに決まっている。僕だってほかの学校を受けて受かっていたら、こんなところにはいなかっただろう。
普通科の目つきの悪い女子たちが、ちらちら僕たちを見ていた。僕はそんな女子たちにも、凡庸きわまりないメロディの校歌にも、古臭い体育館にもへきえきしていた。校長が演説し、各教室の担任が紹介され、各科に分かれた。橋本と山路がもう友だちぶって肩なんか組んで歩いていた。大宮が近寄ってきて僕に何か話しかけようとしていたけれど、気がつかないフリをして教室まで歩いた。実際には僕だって、ごく平凡な新入生と同じく、新しい学校や同級生、それにこれから会うはずの先輩たちが気になって、どきどきしていたのだ。周りをいやでも取り囲んでいる形になっている女子たちの中に、可愛らしい女の子はいないかなとも思っていた。でもそんな素振りは見せたくなかった。見せたら負けだと突っ張っていた。何に負けることになるのかは知らなかったけれど。
「よッ!」
新校舎に入っていく手前で、いきなり背中をどつかれた。むっとして振り返ると、やたら口のでかい、ポニーテールの女子が笑っていた。そしてその後ろでは、橋本と山路と生田が並んで笑っている。
「あんたチェロの子でしょ。名前なんていうの?」
「津島」
どつかれた背中は、けっこう痛かったんだが、そんなことでグジグジいうのも男らしくないと思いながらも、僕は機嫌悪そうに答えた。
「あーそれそれ。津島津島。前に聞いてたんだけど忘れちゃって。うまいんだってねえー、チェロ」
「なんだよいきなり」僕は内心驚きながらいった。「なんで俺の名前知ってんだよ」
「評判だよあんた」
人の名前は聞いたくせに自分は名乗りもせず、そいつはどんどんなれなれしくなって、勝手に僕の隣の下駄箱に靴を入れ、階段を上りながら横向きになって話し続けた。
「新生に今まで入ってきたチェロの中で一番うまいって。戸田《とだ》先輩よりうまいってよ」
「そんな知らない人の名前いわれたって」
「戸田先輩は一年先輩の男子だよ! けっこう人気あるんだよ? でもこないだ桜井《さくらい》先輩にフラれたんだけどね。知らないの?」
「知るか。こっちは今日来たばっかりだ」
「あんたがホラ、試験のときにやった曲あるでしょ。なんだっけ。知らないんだけど」
「ゴルターマン」
「そうそれそれ。それって戸田先輩が一年のときに習った曲なんだって。それあんた、中三でもうさらっちゃったってことでしょ。それってすごいよね」
「すごくねえよ」
といいながらも、僕はちょっと嬉しかったし、安心もした。やっぱりこの学校には僕よりうまい奴はいないんだ。先輩にも。こっちが一方的に話しかけられるばかりで、ポニーテールの名前も、専攻楽器も、何一つ尋ねることはできなかったが(やたらと学園の内情に詳しいから、中等部あがりだろうという見当はついた)、そんなこともあまり気にならなかった。僕は評判になっている[#「僕は評判になっている」に傍点]。入学前からチェロのうまい男子生徒として話題にのぼっている! たちまち僕は顔を赤らめながらも平静を装い、そのためにかえってぎこちなく自慢げな態度になってしまったと思う。
四階建ての新校舎の二階が一年生の教室だった。階段を中心に右側に教室が四つある。うち三つが一年A組からC組で、残りひとつは一応生徒会室となっていたが、要するに空き部屋だった。左側には防音室が四つあって、ソルフェージュや聴音の授業、そして放課後には個人レッスンにも使われるとのことだった。
廊下は女子たちの喋り声で耳鳴りがしそうだった。各教室の壁にクラスの配置が張り出されていたのだ。ポニーテールが僕を突き飛ばさんばかりにして駆け出し、人ごみの中へもぐりこみ、自分の名前を見つけてほかの女子たちとキャーッと叫び声を上げ、また僕のところへ戻ってきて、
「あんたと一緒のクラスだ! A組!」
そういうと一人でA組の教室へ駆けこんでいった。なんて女だ。
教室の中にはもう僕と伊藤慧以外の男子四人が後ろのほうの席に固まって座っていて、橋本が二つの机の上に腹ばいになって、ガハハハ笑いながらしがみついていた。
「お前らの席、取っといたからよ。ガハハハハ!」
伊藤は、それまで全然気がつかなかったけれど、僕の真後ろにいた。僕らは仕方なく、橋本の体温で若干温かくなった机の席に座った。ポニーテールは僕の左側に、あいだにおとなしそうな女子を一人おいて座っていて、その女子の背中越しにこっちへ手を振っていた。こうして周囲が熱に浮かされたように騒げば騒ぐほど、こっちの気分は冷めていく。入学いきなりチェロという分野でトップの噂が立っていると聞いたんだから、本当はもっとニヤニヤウキウキしたかっただけに、きっとよけい気取った、とりすました顔になっていたと思う。またしても周囲の女子からちらちらと、あるいはあからさまに視線を向けられた。好奇心の視線も、いわれない軽蔑の視線も、恥ずかしそうな視線もあった。
担任が入ってきたとたんに、全員がぴたりと口を閉じた。体育館で紹介されたとき、コイツが担任だったらいやだなと思った奴が担任だった。髪の毛を短く刈り上げて、紺色のスラックスを穿いた中年の女教師で、日に焼けて顔は真っ黒、にこやかで姿勢がいい。
「ハイ皆さんおはようございます!」
「おはよーございまーす」
「今日から皆さんの担任になりました東堂順子《とうどうじゅんこ》です。皆さん入学おめでとう!」
なぜか拍手が巻き起こった。
「皆さんは今日から高校生です。中等部から上がってきた人も、新しくこの学園に入ってきた人も、分け隔てなく高校生になりました。さらに皆さんには音楽という、素晴らしい目標があります……」
「なんでカリババが音楽科の担任なんだよー」
僕の後ろ、生田の隣に座っていた、大柄な女子が机に頬っぺたをくっつけ、顔をこっちに向けて、先生から注意されない程度の声で呟いた。
「カリババっていうんだ?」
話しかけられてどぎまぎしている生田の前へ顔を出して、山路がいった。
「カリアゲババア略してカリババ。去年まで普通科の担任だったのにさ。なんで? あいつお喋りが長いから評判悪いんだよね。ブッチなら良かったのに」
「ブッチ」
「岩淵《いわぶち》先生。C組の担任。あの先生ちょろいから。ホームルーム十秒だから」
「先生は皆さんくらいの頃、陸上競技に熱中していました……」
「出たよ陸上自慢話。インターハイ二位」
「女子一八〇〇メートルでは、全国インターハイで二位になって……」
「ほらね」
「それから教職の資格を取りたいと思うようになったんです……」
「ねえ、専攻何?」
「ピアノ」と山路。
「僕もピアノ」と生田。
「フルートの人がいるんでしょ」
僕の隣で伊藤がぴくっとした。女子はその動きをちらっと見たけれど、伊藤に話しかけはしなかった。その代わりに生田と山路にいった。
「あたしも今年からフルート専攻にするんだ。中等部はピアノと声楽とヴァイオリンしかないからさ。希望者は変えられるんだよ。だからフルートにするの。お父さんに薦められたんだ」
そんな私語は、そろそろ教室のあちこちから聞こえてきた。東堂先生も気配を察したようだった。
「では早速、出席を取りましょう」
「どこが早速だよ」
出席を取っているあいだに、廊下がまた騒がしくなった。
「あーブッチのクラス終わったー! もー!」
出席で沢寛子《さわひろこ》といわれて返事をしたその女子は、けっこう露骨に不満の声を漏らした。出席のおかげで、さっきのポニーテールが鮎川千佳《あゆかわちか》という名前だということも判った。
出席を取り終わっても、まだ東堂先生の話はひとくさりあった。岩淵先生のC組だけじゃなく、多田《ただ》先生のB組も終わったらしかった。入学式で東堂先生はいやだなと思ったのは、こんなにお喋りだと知っていたからじゃなかった。東堂先生だけが普通教科の先生だったからだ。岩淵先生は声楽とソルフェージュ、多田先生はピアノと聴音の先生だった。音楽家でもある先生なら、きっと僕らへの「理解」も深いだろうと思ったのだ。ホームルームが短いということだけでも、それは確かめられたような気がした。
A組の初日は、廊下から聞こえる騒然とした女子たちの話し声や、早くも練習を始めたらしいピアノやクラリネットやヴァイオリンの音の中で、ようやく終わった。僕はとりあえず廊下に出て行ったけれど、今すぐ帰りたいと思っているわけじゃなかった。学校の中を見て回りたいと思っていたし、練習しているほかの生徒の腕前も見たかった。だけど一番気になったのは、なんといっても同学年にどんな女子がいるかということだった。A組でもそれとなく同級生の様子を見ていたけれど、三十人近くも女子がいたにもかかわらず、可愛いなあと思える女の子は、びっくりするくらいいなかった。平凡だったり、垢抜けなかったり、おびえていたり、生真面目だったり、ふてくされていたりした。表に出て、廊下に張り出してあるカリキュラムなんかを見るふりをしながら、ほかのクラスの女子をちらちら見た。あんまり露骨に、じろじろ見るのは恥ずかしかった。そんなやり方じゃ、とうていどんな女の子がいるのかなんて判りっこなかった。
左後ろに明るい笑い声が聞こえた。明るい笑い声なんて、廊下のあちこちで鳴り響いていたはずだけど、僕はそっちを振り返った。
髪は肩までしかなく、背も決して高いとはいえなかった。山のようにいる女子生徒たちの中に、うずもれてしまっても不思議はないはずだった。それなのにその子はまるでほかの人たちが彼女のために道を空けているかのように、堂々と歩いていた。背筋が伸びていて、どちらかというと細い身体をまっすぐにしていたのに、不自然な様子はまったくなかった。ちょっと高すぎるくらいの鼻に大人びた唇、そして見たこともない澄みきった、やや細い目をしていた。ほんの一瞬、誰かと笑いながらB組の教室を出てきて、生徒会室に入っていくまでのことだった。視界から消える直前に、その子は不意にくるっと僕のほうへ顔を向けた。その表情を確かめようとしたとき、後ろから声をかけられた。大宮だった。
「あのさ。これから男子だけで喫茶店行こうって話になってるんだけど、津島君以外みんな行くってことになったんだけど、行かない?」
「うん、行くよ」僕は反射的に答えた。名前も知らない女子に見とれていたことは、気づかれなかったようだった。
下校時に喫茶店等に立ち寄ってはならないという校則を入学初日から破ることに、僕は緊張しつつも高揚を覚えていた。校則などという非芸術的なものが音楽を学ぶ学校にもあるというのはおかしいという、自分のやろうとしていることを正当化する理由も一応は持っていた。連れ立って歩くほかの男子たちはみんなにやにやしていて、どんな風に思っているのかは判らなかった。それに学校周辺がどうなっているのか、高校一年生が倫理的にも財政的にも入店可能な喫茶店がどこにあるのか、知っている男子もいなかった。
「駅まで戻ればどっかあんだろ」
いいだしっぺらしい橋本がいった。それはそうだ。
「駄目だよー」
いつのまにか僕と伊藤の背後に、鮎川千佳がいた。
「駅前なんて先生に見つかっちゃうに決まってんじゃん。こっちこっち!」
そういってみんなの先頭に立ち、踏切を渡って通学路からはずれた道へ入っていった。
「男子だけ、つってんだろ」僕がそういうと、
「いいじゃーん! だってあたし、ずーっと女子中だったんだよ? 右も左も女子だらけだったんだよ? 男に飢えてるよあたし。いーから。おねーさんがいろいろ教えてあげるから。カモンカモン」
「何がカモンカモンだ」と大宮は呆れ、山路は「カモンカモンて!」と歩きながら大笑いをした。僕は鼻白みながらもちょっと心配だった。十五歳の男子の前で男に飢えてるなんて、無防備にいわないほうがいい。そのまま下ネタのふりをしながらどんなことし始めるか判ったもんじゃないと、大人ぶった気配のある橋本や、大きな身体でやけに無口な生田あたりを警戒していた。僕だっていやらしい意味でどきどきした。
けれどもそんな心配はまったく必要なかった。鮎川が案内してくれた、セルフサービスで二階に殆んどスタッフのいない喫茶店の片隅を占領した僕たちは、最初から最後まで音楽や新生学園の話しかしなかった。大宮は卒業までに歌えるようになりたいというマーラーの「さすらう若人の歌」の魅力を語り、橋本は学校には内緒でアルバイトをして、ルドルフ・ケンプの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ全集を買うんだと鼻息を荒げた。山路が新生学園で教えているピアノの先生の何人かの評判について語り、僕と伊藤と、結局ヴァイオリンが専攻と判明した鮎川は、お互いの演奏をまだ一音も聞いたことがないくせに、もうアンサンブル結成を決めてしまった。
そんな中で生田が、大学を出たらヤマハの音楽教室の先生になりたいといって、全員から志の低さを批判された。新生学園は私立の音楽学校の中でも二流、もしくは三流だということを、僕たちは全員よく知っていた。けれども、もしくはだからこそ、それを露骨に口にするようなことはしたくなかったし、入学初日に将来の夢はヤマハの先生なんていうのは、その露骨にかなり近いこと、諦めというか分《ぶ》をわきまえすぎているというか、ハードルを低く設定しすぎた考えだったのだ。それはもしかしたら、現実的な将来設計なのかもしれない。そして僕たちは現実的な将来設計を憎んだ。そんなものに囚《とら》われる必要はまったくないのだ。僕たちは一流のオーケストラに入ることだってできるし、ソリストになることもできる。このまま上の大学に行くとも限らない。当時はまだ、今ほど外国の大学に進む道は開かれていなかったけれど、それだって結局は僕たちの実力次第だ。学校は関係ない。
そんな話をしているのは、しかし僕とあと大宮と橋本だけだった。山路はこういう話になると急に心細い笑みを浮かべながら口数が減ってしまったし、生田と伊藤は最初から無口だった(生田はその話が自分のいったことから始まっていることにも気づいていなかった)。そして鮎川はといえば、最初からそんな話題に興味を持っていなかった。あたしは今が楽しければいいの、と、やや芝居がかったことをいった。
「あたしはね、『アリとキリギリス』のキリギリス。音楽なんてやってるくらいだからね。あたしにゃあ向上心なんかないよ」
話題が途切れて沈黙したあと、伊藤慧が鮎川にこんなことを尋ねた。
「高校も大学みたいにオーケストラ、やるんだよね?」
「やるんだよ」鮎川の表情がちょっと曇った。「やれるわけないのに、やるんだよなあ」
「どういうこと?」
山路が無邪気な顔でいった。僕には、そして伊藤にも、鮎川がどんなことをいい出すか、だいたいの予想はついていたから、そのきょとんとした顔は憎らしかった。
「だって、そもそもやれるわけないじゃん。オーケストラなんてさ!」
そういいながら、鮎川の声は妙にけろりと明るかった。
「今度の一年生って、ほとんどピアノか声楽専攻なんだよ? ヴァイオリンなんて五人しかいないし、チェロはこの人(といって僕を指し)しかいないでしょ。フルートはあんた(伊藤だ)と沢さんだけ、あとホルンが一人とクラリネット一人、以上オシマイだもの。あんたやったことある、オーケストラ?」
「ない」僕は答えた。
「僕もない」伊藤もそういった。
「でしょでしょ。先輩にはチェロもヴァイオリンもトランペットもいるけど、ヴィオラなんて一人もいないし、コントラバスもいないし、オーボエなんかもう何年も、大学生とか先生がエキストラで吹いてるんだから」
「ああ」僕は暗い気分になった。「そうなのか。やっぱり」
「でも、オーケストラの発表会は毎年やってるんだよね」伊藤の顔も、ちょっと白かった。「どうしているの?」
「だから副科ってもんがあるんじゃない」鮎川はいった。「副科で帳尻合わせしてんのよ」
「待て、待て、おい」橋本がでかい声で割りこんできた。「副科って何だよ。何やらされんの」
「知らないの?」鮎川は目を丸くした。
「専攻楽器のほかに、何かひとつ楽器をやらなきゃいけないんだよ」僕もちょっと呆れた。「学校案内にも、入学手続きのとき渡された書類にも、ちゃんと書いてあったけど?」
「だけど、あんたは関係ないよ。声楽なんでしょ?」鮎川はどうやら、ちょっと橋本が苦手のようだった。「ピアノ以外の楽器を専攻している生徒は、全員ピアノが副科になるの。問題はピアノ専攻の生徒よ。声楽か、さもなければ何か楽器をやらされるんだから。いっとくけど、これ強制だからね。一応先生と相談して決めるってことになってるけど、学年主任の先生が、君はヴィオラが合ってるね、君は身体が大きいからコントラバスをやりなさい、なんつって、容赦なく勝手に決められちゃうんだから」
「だって、僕コントラバスなんて持ったこともないよ」一番大柄な生田がきょろきょろみんなの顔を見た。
「みんなそうよ」
「学校入って、初めて持たされた楽器を、無理やり習わされて、それで……」
僕がかすれた声でいうと鮎川は、
「それでオーケストラ」僕をあわれむような目で見た。「ちなみに、去年はそんなオーケストラでシューベルトの『ロザムンデ』ね。今年はまだ発表されてない」
「冗談じゃないよ!」僕は叫んだ。「それじゃ、指揮者の周りだけがまともに弾けて、その後ろは全員素人のオーケストラで、『ロザムンデ』くらいの曲を演奏しなきゃいけないのか?」
「恐いんだよー、鏑木《かぶらぎ》先生」鮎川の笑顔はゆがんでいた。「この学校の先生じゃないからね。小澤征爾《おざわせいじ》の弟子だからね。副科だらけだって容赦しないよ」
「ああ」僕は頭を抱えた。「どうなるんだよ一体」
結局この日は、みんなこれから先のことを考えてしぼんでしまい、以後なんだか用心深い雑談――副科ピアノの先生にはどんな人がいるかとか、同級生に絶対音感の持ち主はいるのかとか――そんな話で尻すぼみに終わってしまった。僕は、オーケストラの問題もさることながら、あのB組の背筋の伸びた女子のことを、鮎川にそれとなくでも訊けなかったことを悔やんでいた。
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第三章
音楽学校の日々が始まった。カリキュラムはおおむね、午前中が普通教科で、午後に音楽関係の授業が入る。聴音とかソルフェージュ、楽典なんかの授業だ。それにくわえて、例の副科のレッスンも午後にある。鮎川千佳のいっていた通り、ピアノ専攻の連中は一人ずつ生徒会室に呼ばれて「相談」をさせられた。山路は、口がうまいからなのか、声楽を副科にすることができたが、生田はオーケストラ要員になった。しかも楽器は、こともあろうにコントラバスだ。
「楽器を買わなくていいんだよ。そこが得かな」と、生田はむしろ嬉しそうだった。「学校のを自由に使っていいんだって。家じゃどうせ、ピアノの練習ばっかりになるしね。そのかわり学校じゃ特訓かもね」
生田はそういって笑った。その笑顔は屈託がなさすぎて、これまで経験したことのないことを始められて嬉しいというようにも、自分の意思と無関係に新しい楽器を始めさせられて、オーケストラでしごかれるということに、まるっきり無頓着なようにも見えた。女子の中にもティンパニをやりなさいといわれて「おー、やったあ」なんて喜んでる奴もいるにはいたけど、そんなのは例外で、多くはヴィオラやトロンボーンをあてがわれてしょんぼりしたり腹を立てたり、友だちの胸で悔し泣きに泣いていたりした。
それに比べると副科にピアノを取る僕たちはまだ恵まれていた。伊藤にしても鮎川にしてもそうだけど、フルートやヴァイオリンをやっているからといって、ピアノに指も触れたことはないなんていう生徒はいないからだ。僕にしてもピアノはチェロをやる前から親しんでいたわけだし、それにどんな楽器をやっていようと、ピアノを習熟するのは音楽家の義務といえる。だからピアノのレッスンを授業として受けられるのは楽しみだった。が、ふたを開けてみるとほんの少しだけ困ったことがあった。
副科ピアノの先生は学科担任がこれまた勝手に割り振る。僕に充《あ》てられた先生は北島礼子《きたじまれいこ》先生だといわれたので、いわれた通り水曜日の午後、チェルニーの譜面を持って防音室に入った。
「失礼します」
「どうぞ」
入るとほんのり柑橘《かんきつ》系の香水が薫った。小柄だが胸は大きめで、鼻筋が通って目鼻立ちがはっきりしている、それなのに謎めいた無表情の、どきっとするような美人だった。
「津島です。よろしくお願いします」というと、先生は僕をじっと見つめながら微笑《ほほえ》んで、
「北島です。初めまして」といってから、ちょっとためらったような間があって、
「本当は初めましてじゃないんだけど、覚えてる?」と笑った。
「いいえ」
「松野《まつの》先生のレッスンを受けに、よくご自宅へ伺っていたの。あなたはよく、応接間でスコアを見ながらモーツァルトのレコード聴いてたけど」
「そうなんですか」
そういうことはよくあった。おじいさま(はオルガニストだから、彼女のいう「松野先生」というのは、おばあさまのことだろう)の家には立派な赤い表紙の「新モーツァルト全集」の総譜《スコア》が揃っていたから、よく勝手に取り出して眺めながら『魔笛』なんかを聴いていたのだ。お弟子さんの出入りもしょっちゅうだった。
「あの松野先生に習ってたんだから、きっとピアノもうまいでしょうね」
そういわれて僕は萎縮した。「とんでもないです」
「チェルニーを持ってきたのね。とにかく弾いてみましょう」
こんなに集中できない状態でピアノを弾くのは初めてだった。絶対間違えっこないようなところで何度もつっかえ、指がこんがらがり、しまいには呼吸もきちんとできなくなってしまった。自分の左手を見ようとすると、先生の胸や唇が視野に入ってきた。
ピアノのレッスンは授業ではあるけれどもちろん個人教授である。防音室の中で二人きりになって、そこの指使いはこうだとかトリルの音を揃えなさいとかいわれながら、手が触れたり腕がぶつかったりする。北島先生の腕には、透明な産毛がはえていた。
後になって鮎川に聞いた話では、北島先生にもあだ名がついていた。
「クレオパトラ」鮎川はにやにや笑いながら、僕の顔を見た。「そのまんまでしょ。学園ナンバーワンの美人先生よ。あんた、やばいよ」
「何がやばいんだよ馬鹿」
「だってクレオパトラ、男嫌いで有名なんだもの。先生だろうが生徒だろうが大学生だろうが、誰にいい寄られても完全無視。男のレッスンも絶対やらないの。それがあんたのレッスンはやってるわけ。こりゃいったい、どーゆーわけでしょうね? ナンのレッスンをなさってるんでしょうか」
「くだらないこといってんじゃねえよ。北島先生は俺のばあさんの弟子なの。だから取ったんだろ、きっと」
「かな〜? そうなのかな〜? ウヒヒヒヒヒ。やらしー。あーやらしー」
「どっちがやらしいんだ、阿呆!」
僕は顔を真っ赤にして怒ったが、それから三年間、佐伯先生のチェロのレッスンは何度もさぼったけれど、北島先生のレッスンをさぼったことは一度もなかった。
男六人、女百数十人という異常な不均衡が、その頃の僕にどんな影響を与えたのか、実際のところはよく判らない。人は自分の置かれた位置、自分のいる場所を、異常であるとはなかなか思わないものだ。まして高校一年生、十五歳から十六歳になるような時期には、客観的状況判断なんてものはできやしない。体育の授業が始まる前に、あの不恰好で非芸術的なジャージという奴に着替えさせられるときは、男子が教室から追い出されて、ボイラー管の通っている狭い部屋に行かなければならなかった。そして普通科から男の先生がやって来て、六人でバスケットボールやサッカーをやらされた。体育の授業が終わって教室に入っても、まだ上半身下着でうろうろしている女子生徒や、足を開いてスカートの中を下敷きで扇《あお》いでいる奴なんかがいたけれど、そんなのを見て興奮するはずもなく、単に男と見なされていない屈辱を一瞬感じるだけだった。半年もすればその屈辱もなくなって、周囲の同級生を女と見なさなくなった。
もしかしたら、この時期に僕は、「女」というものは存在しないんだ、ということを身をもって知ったのかもしれない。「男」だって存在しない。いるのは個々の人間だけだ。人類学上「女」に分類されている人間にだって、平気で人前で鼻くそをほじくる奴もいれば、そんなことは「はしたない」と考える奴だっている。そして鼻くそをほじくったりはしない奴が、食べるものを噛むときには口を開けていたりする。身だしなみに気を使う奴が、言葉遣いにはまったく気を使わなかったり、髪の毛を洗いたがらない奴が、親切で心が広かったりする。そしてこれは「女」の話なんかじゃない。「男」にだってまったく同じことはいえるのだ。「女」のやらない動作、「男」の頭にない思考、そんなものはない。そういうことを、僕は高校生活で知ったのかもしれない。
ただし美しい女性に対しては、この経験則はまったく当てはまらなかった。美人だな、素敵な人だなと思う女性に僕は、何もかも忘れて見とれてしまうのだった。北島先生がそうだったし、B組の、入学式の日に笑いながら生徒会室に入っていった、あの背筋の伸びた、目の澄んだ女子がそうだった。
毎年十一月に行われる発表会は、前半がソロ、これは三年生だけが参加できる、夏休み直後のオーディションに受かった生徒が四名(及び伴奏)か五名出演する。そして後半がオーケストラで、その年の曲目が廊下に張り出された。チャイコフスキーの『白鳥の湖』より「情景」「ワルツ」「チャルダッシュ」の三曲、と書いてあった。すぐにチェロの演奏するところだけ写譜してあるパート譜を貰って、僕は胸を撫でおろした。難しいところは殆んどない……というのは、もちろん副科の連中にとってということで、僕にとっては難しいところなんか全然[#「全然」に傍点]なかった。第一ポジション、つまりチェロを習うときにまず習う左の指の位置から離れることはめったにないし、音の形も単純だ。ところどころボウイング(弓の運び)のせわしないところはあるけれど、ごく一部だ。おまけによく見ると二曲目のワルツなんか、えんえんと開放弦をピチカートで鳴らしていればいいところがあったりする。ボンボン、ボンボン、ボンボンとやってりゃいい。これなら誰にだって弾けるだろう。僕はろくに練習もしなかった。
土曜日の三時間目と四時間目がオーケストラの授業だった。初めの二回は分奏といって、ヴァイオリンだけ、チェロだけ、金管、木管だけと、パートごとに分かれての練習だったが、一回目の最初は全員が集められた。プルートが発表になるからだ。
プルートというのは、要するにオーケストラの席次だ。これは管楽器はあんまり関係ない。どの楽器も二、三人しかいないから。弦楽器はたくさんいるが、副科の生徒たちは重要視していない。どうせ後ろの方に回されるんだし、その方が気が楽だからだ。問題は専攻の生徒たちである。プルートは二人ひと組で、最初がファースト・プルート、もしくはトップといわれる。客席に近いほうが「表」で、その隣が「裏」だ。ファースト・プルートの表が、そのパートの中で一番偉い。次がファーストの裏で、その次がセカンドの表、その次が裏……という具合に、上下関係がきっちり決まっているのだ。中でもヴァイオリンのファースト・プルートの表は、ヴァイオリンだけにとどまらず、そのオーケストラ全体の責任者とみなされる。コンサートマスターの席というのはオーケストラの重役室であり、同時に最前線なのだ。
学園の中を通る私道を渡った隣にある大学の、大きな練習用スタジオに僕たちは集められた。オーケストラ要員は曲目の書かれた張り紙の隣に張り出されており、一年生は三分の一くらいしかいなかった。もちろん僕や伊藤や鮎川など、専攻楽器がピアノでも声楽でもない生徒は全員参加、ほかに副科を持たされた生徒も何人かいたが、半分以上はまだ練習が必要ということで本番には参加せず、分奏とか練習に加わることになっていた。生田はコントラバスでいきなり参加が決定した。
めいめい自分の楽器を持って移動した。隅に椅子や譜面台が固まって置いてあるだけの、何もないスタジオでしばらく立ち尽くしていると、オーケストラ授業担任の加藤《かとう》先生が入ってきた。通称カミナリ、口を常にへの字に曲げて髪の毛は荒々しいソヴァージュ、怒ったらこんなに怖い先生はいないといわれる太ったヴァイオリニストのおばさんだった。
「はい私語つつしむ!」カミナリは歩きながら怒鳴った。「そこの三年! 最初からそんなにべちゃくちゃ喋ってたら、新入生にシメシがつかないでしょ! 自覚を持ちなさい!」
スタジオ内にいる百人ほどの高校生が、瞬時に静まり返った。
「気をつけ」三年生らしき生徒の声が、人ごみのどこからかした。「礼」
「よろしくお願いします」
そんな挨拶があると思っていなかった一年生は、慌てて頭を下げた。
カミナリは眼鏡と紙を取り出して、「名前を呼ばれた順番に、椅子を持って向こうに並びなさい」といった。三年女子のコンサートマスターから順番に名前が呼ばれた。第一ヴァイオリンに一年生はいなかった。
「次。第二ヴァイオリン」カミナリは淡々とリストを読み上げていった。「トップ。二年、合田隼人《ごうだはやと》」
「はい」
眼鏡をかけた、頭の良さそうな男子が、奥の方からすっと姿を現した。いかにも「ヴァイオリンを少々たしなんでおります」みたいなお坊ちゃまだ。――もっともお坊ちゃまぶりなら、あの頃の僕もどっこいどっこいだったろう。ただ彼の方が、いわばお坊ちゃまが板についていた。
「同じくトップ。一年生、南枝里子《みなみえりこ》」
「はい」
みんながざわめいた。オーウという声も出た。二年生のヴァイオリン専攻はまだ二人残っていたのに、一年生の名前が呼ばれたからだ。
僕の立っている背後が動き、振り返ると、あのB組の女子が前へ出ようとするところだった。振り返ったとたんに目が合った。あの印象的な、奥の方で輝いている目は、まるで秘密の合図でも送るように、僕に向かってほんのわずか微笑した。
「いちいち騒がない!」カミナリはぴしゃりといった。「次。セカンド……」
セカンドの表は二年生で、裏は鮎川千佳だった。鮎川は自分の持ってきた椅子の前に立つと、南枝里子の背中を指でつつき、カミナリにばれない程度に、二人でにこにこしていた。
結局もう一人いた二年生のヴァイオリンは、ヴィオラのトップになっていた。これは二年生にとってはちょっとしたスキャンダルだったらしく、カミナリが怒鳴りつけても私語はささやかれ続けた。
「チェロ!」腹立ち紛れにカミナリの声はこちらへ叩きつけられた。「トップ。二年、戸田健一《とだけんいち》!」
「はいっ」
わざとらしい、ひっくり返った声で返事があって、女子たちはくすくす笑った。
戸田先輩を見たのはこのときが初めてではなかったけれど、ちゃんと挨拶をしたことはなかった。普通にしていてもどこかとぼけた雰囲気のある、目の大きな三枚目だった。
「同じくトップ。一年、津島サトル」
「はい」
僕が隣に立つと、戸田先輩は人なつこそうな顔に大きな笑顔を作って、「よろしく」と小さな声でいった。
「よろしくお願いします」
先輩後輩といった関係は、中学の頃から苦手な僕だったが、一瞬でこの先輩には好感が持てた。自分が予想通りトップの裏であったこともあって、僕は二重に安堵した。
コントラバスのどん尻に生田が呼ばれ、フルートに伊藤が呼ばれて、オーケストラ全員が配置に着いた。沢寛子は専攻替えから日も浅いし、三年にも二年にもフルートのうまい生徒がいたために、副科と同じ扱いを受けることになった。
「以上が本年度オーケストラのフルメンバーになります」カミナリはいった。「まずは自分のポジションを覚えなさい。それから、一年と二年は授業の始めと終わりに椅子の出し入れを忘れないように。
毎年いってることですけれど、オーケストラは気持ちをひとつにすることが、何よりも大切です。次に大切なのは、指揮者の指示を忘れないこと。鏑木先生に何度も同じこといわさないように! 出された指示を楽譜にしっかり書いておかないと、あとで大恥かくことになりますよ。それから、一年生は九割九分九|厘《りん》、これが初めてのオーケストラですから、二年生と三年生は基本的なことをしっかり教えてあげなさい。先輩風吹かせろって意味じゃないわよ! 判りましたか!」
「はーい」
「じゃあこれから分奏に入ります。弦楽器はこのままここに残って、金管、木管、パーカッションはBスタへ移動。十分後に始めるから遅刻しないように!」
周囲がとたんに騒がしくなった。プルートの隣同士になった二人が挨拶したり笑ったりしていた。僕も戸田先輩と言葉を交わした。
「佐伯先生に習ってるんでしょ」
「はい」
「僕はこの学校来る前から大田《おおた》先生なんだよ。だけど佐伯先生もよく知ってる。あの先生いいよね。大田先生もいいけど、ちょっと真面目すぎるんだよな。……そいでさ、君、ずいぶんうまいんだってね。噂じゃ、もうベートーヴェンのソナタをさらってるって聞いたよ。何番やってんの?」
「ベートーヴェンなんて弾けませんよ」
「本当? でもうまいんだってねえ。僕なんかブリーヴァルのソナタを習い始めたばっかりだよ。僕はね、ボウイングがとんでもなくヘタクソなんだ。フレーズの十分の一くらいでさ、弓の半分くらい使っちゃうんだよ。だからあと十分の九を残りの半分で弾かなきゃいけなくなるんだ。ヘヘッ。いっつもそうなっちゃうんだ。だから僕の右側にいると、きっと迷惑がかかると思うんだけど、最初に謝っとくね……」
戸田先輩の話しぶりは面白かったし、聞いていて思わず笑ってしまいもしたが、本当は半分くらいしか聞いていなかった。チェロの位置から一番はっきり見えるのは、指揮者を除けば第二ヴァイオリンのトップの席で、今その席ではあの不思議な魅力を持ったB組の女子が、いやもうそんな回りくどいいい方をしなくても、南枝里子といえばいいわけだけど、その南さんが後ろの鮎川や隣の合田先輩なんかに話しかけられながら、そして自分も何かいいながら、誰にも気づかれないくらいの速さでこっちを盗み見ている。その目は僕を観察しているようにも、警戒しているようにも、嫌っているようにも、誘っているようにも見えた。ほかの「女」たちと彼女は、まったく違う存在に思えた。
十分はあっという間に過ぎた。
「オーケストラ練習の規則、第一!」
指揮台に立つやいなや、カミナリは怒鳴った。
「指揮者が指揮台に立ったら口を閉じる! これできなかったら即座に退場してもらいます。もう二度といわないからね!」
たちまち死体置き場のように静かになった高校生を前にカミナリは、指揮棒を上げた。その瞬間、本当の緊張と統一感が、空気の方向をひとつにした。それは二秒か、せいぜい三秒くらいの沈黙だったけれど、僕は第三弦をおさえる左腕に鳥肌が立つのを感じた。これまで何年もチェロを弾き、さらにピアノを弾いてきたけれど、こんなことは初めてだった。これが「合奏」というものか、と思った。
しかし感動に浸ってはいられなかった。指揮棒が振り下ろされ、ヴァイオリンのトレモロに乗せて、ハープのセンチメンタルなアルペジオが鳴り、一小節後にチェロはピチカートでシの音を鳴らさなければならない。僕は完全に出遅れた。四拍子もカウントしていなかったし、カミナリの指揮も見ていなかったし、ピアノと譜面に書いてあるのに、慌てていたのでボン! と思い切り弦をはじいてしまった。始まって二小節で指揮者は棒を止めた。
「オーケストラの規則、第二」カミナリの声は落ち着いていた。「指揮を見る。――最初から」
二小節でピチカートひとつ鳴らしただけで僕は汗を流した。心の中は焦りで一杯だった。これはやばい。僕は弓を構えなおしながら一瞬で思った。これは、弾けりゃあいいってもんじゃないぞ[#「弾けりゃあいいってもんじゃないぞ」に傍点]!
カミナリの指揮棒が再び上がり、振り下ろされた。チェロのパートは最初の一小節は全休符、二小節目の一拍目に四分音符のシをピチカートで、音量はピアノ。そしてまた二小節休んで、もう一度ピチカートのシ。次は全休符。つまり六小節でチェロが出すのはシを二回だけだ。こんな簡単なことをやるために僕は、目を楽譜と指揮棒のあいだで何度も往復させ、足でカウントを取り、戸田先輩の右腕を意識しながら、おっかなびっくり音を出した。七小節目から弓も使うし、メロディらしきものを弾くことになるから、かえってカウントは取りやすくなるだろうと思っていたら、そこまで行かずに止められた。ヴァイオリンのトレモロが揃っておらず、冒頭の、一瞬の鋭いフォルテでなければならないスフォルツァンドもアクセントに乏しいといわれた。よそのパートのせいで止められるのは、ほっとさせられる瞬間だということを、僕はこのとき初めて味わった。しかしトレモロはチェロでも、まさに直後の七小節目から始まる。油断はできなかった。そして実際、チェロもすぐに注意された。揃っていないだけでなく、音が小さすぎた。僕も含めて多くの副科の生徒たちが、すっかり怖気《おじけ》づいてしまっていたのだ。
しかし副科のことを考える余裕なんか、そのときの僕にはまったくなかった。自分の数えているカウントが正しいかどうか、しょっちゅう覚束《おぼつか》なくなってしまうし、戸田先輩も必ずしもあてにはならないことが、そのにやけた表情で明らかになった。最大の問題は、あの有名な『白鳥の湖』のメロディが、分奏ではしばらく聞こえてこないことにあった。あのメロディはオーボエが出していて、オーボエは別の部屋にいるのだ。僕らはカミナリの指揮棒を信じ、凝視するしか頼るものがなかった。それがつまり指揮者というものであり、オーケストラというものなわけだが、この時の僕はそれを自分で発見[#「発見」に傍点]するほかなかったのである。
「とにかくひと通り最後までやってみましょう。一曲目だけさらってるわけにもいかないから」
カミナリは、目は一同を睨《にら》みつけてはいたが、怒鳴りはせずにいった。三分ほどの演奏の中で、これほどまでにとちったことはかつてなかった。弓使いを先輩と合わせられず、三連符をカウントできなくなり、どの音にシャープがついているのかも、今楽譜のどこを弾いているところなのかも判らなくなった。カミナリの腕の振りはどんどん大きくなり、何やら絶叫していたが、もう僕は恥ずかしくて指揮者の顔を見上げることができず、先輩も視界に入らなくなって、その結果みんなの二小節も前に自分の演奏が終わってしまい、仕方なくもう一度最後の二小節を弾く始末だった。
「うわあ!」という声があちこちから漏れたところを見ると、どうやらとっちらかったのは僕だけではなかったらしい。だけどそれで自分の惨めなザマを慰められるわけでもなかった。
「今、何が一番問題だったか、判る人」
ひどすぎて半分笑っているカミナリがいった。誰も答えられなかった。
「判らない? じゃ、楽譜の『2』って書いてあるところを、全員注目!」カミナリは大きな声でいった。「そこに何て書いてある? 白井《しらい》!」
「『Piu mosso』です」コンサートマスターの三年生、白井先輩が、蚊の鳴くような声でいった。
「聞こえない!」
「ピウ・モッソです」
「意味は?」
「『前よりも速く』」
「そう! そうでしょう! 前よりも速く、って書いてあるの! じゃ、その二小節前には? 合田!」
「ストリンジェンドです」そして訊かれる前に、「次第に速く、という意味です」
「つまり?」カミナリは容赦なかった。だけど合田先輩は冷静な声で、
「つまり、『2』の二小節前から次第に早くして、『2』で前よりも速くする」
「判ってんじゃない」カミナリはにこりともせずに、「それであなた、その通りに演奏したの?」
合田先輩は沈黙した。
「誰かいる? ストリンジェンドで次第に速くした人」
沈黙。
「じゃ、ピウ・モッソで前よりも速く弾いた人!」
沈黙。
「今日はまだ一回目だからいいじゃん、なんて思ってる人は!」
沈黙。というより、黙秘権。
「楽譜を追いかけるので精一杯だとしてもさ」カミナリは静かに苛立った。「そもそも楽譜が読めないんじゃ、どうしようもないじゃない。どうするの、鏑木先生の前でこんなことやったら、先生帰っちゃうよ? 帰っちゃったら発表会どうするの。ええ? 私だって帰りたいくらいだよ、こんなんじゃあ!」
そしてスタジオの隅々にまで聞こえる大きなため息をついて指揮棒を上げ、
「もう一回だけ」
といった。その時カミナリに対する感謝の念と、やり直せるという安堵感を抱いたのは、僕だけではなかっただろう。今になって、つまりこの時のことを思い出してようやく理解できたのだが、この、人の過ちをまず罵《ののし》っておいて、それからチャンスを与える、という人心掌握術は、虐待のそれに非常に近い。ただし虐待とこれには、ひとつだけ大きな違いがある。それについてはのちに鏑木先生が話をした。
僕たちはもう一度通して演奏し、やっぱり緊張で手が滑ったり、譜面を読むスピードが追いつかなかったり、音程をはずしたりはしたが、少なくともテンポだけは合わせることができた。
だけど次の曲をやれば、そこには次の曲の困難と混乱が待っているのだった。「ワルツ」はテンポが速く、表記は四分の三拍子だけれども、ワルツだから実際には一小節を一拍で弾かなければならない。これを理解できない生徒が大勢いた。「チャルダッシュ」では、最初の四小節がイ長調のモデラート・アッサイ、五小節目からハ長調のアレグロ・モデラート、ここまでは四分の四拍子で、さらにイ長調のヴィヴァーチェになると、二分の四拍子になる。裏拍も多く、ラスト十二小節で帳尻を合わせるのがやっとだった。カミナリは静かに頭を振り、
「……とにかく、練習して。じゃないと、どうしようもないよ、これ」
といって、ようやく最初のオーケストラの授業は終わった。全員が、思い思いにうなだれた。
「君、速くしてたよね」戸田先輩が弦に付いたロージンをタオルで拭きながらいった。「ストリンジェンドのとこで」
「いやあ」僕は曖昧《あいまい》に答えた。
「速くしようとは、してたよ。僕、走ってるって注意しようとしちゃった。ほんとは君が正しかったのにね。さすがだ」
「そんなことは、ないです」
「椅子は重ねてあっちの隅に置いておくんだよ。譜面台はあそこの横。椅子と譜面台、ごっちゃにすると大学生に怒られるから、気をつけてね。じゃね」
「お疲れ様でした」
そうだったろうか。僕は楽譜の指示をちゃんと読んだだろうか。そんな気もしたし、無我夢中なだけだったような気もした。とにかく全身、汗びっしょりだった。
「よッ!」
重ねた椅子をよろよろ片付けているところへ、鮎川が背中をどついてきた。
「どうだった? オーケストラ」
「最低だよもう」
僕はもっと虚勢を張りたかった。けどやっぱり、どうしても言葉に力が入らなかった。
「あんなんじゃ、先が思いやられるよ」
「いちいち引きずってんじゃねーよ、男のクセに!」鮎川は元気だった。「十一月なんてまだまだ先じゃない。なーんとかなるって。ねえ!」
そういって鮎川は、後ろから両手に譜面台を持って近寄ってきた、南枝里子に振り返った。
南は小首をかしげて微笑した。そんなポーズも、彼女がやると妙に大人びていた。その無言が僕には、なんだか「あなたのみっともないところ、見たよ」といっているような気がした。カミナリが指揮棒を持ち上げる直前まで、あの位置からならいくらでも彼女を眺めていられるな、なんて思っていたのが、遠い昔の出来事のようだった。
「南君」
ドアのところに立っていた合田先輩が呼んで、南は椅子をその場に置き、そっちへ走っていった。
「モテるねェ、枝里子は」
鮎川はそういって、南の置いた椅子を、僕が持っていた椅子の山の上に乗せた。
「何すんだよ」僕はいった。「あいつの分は放っておけばいいだろ」
「やってあげなさいよ、男なんだから」
「都合のいいときばっかり男男いうな」
「いいとこ見せないと、ライバルに取られちゃうよ」
僕は耳まで赤くなって、鮎川を睨みつけた。鮎川は平気で笑っていた。
「私の分も片付けて。じゃないと枝里子のことじろじろ見てたって、みんなにいいふらすよ」
「見てねえだろ!」
「見てたもん。よだれも垂れてたもん。ウヒヒー」
「てめえ、この!」
だけど鮎川のいうことは、よだれを除いて、全部本当のことだった。僕は南をじろじろ見て、そのあと醜態をさらし、一方で合田先輩は南の隣で、落ち着き払ってカミナリの質問に答えていたのだ。僕たちが椅子をすっかり片付け終わっても、合田先輩と南はいつまでも二人で喋っていた。
くだらない、俺は別にあの女子を好きになったわけじゃないんだと思おうとしたけれど、そんなことを思わなければ、もしかしたら本当に好きにならずにすんだかもしれない。僕たちは二人の横をすり抜けてスタジオを出て、教室に戻った。その間じゅう頭の中で、あの二人は何を喋っていたんだろう、まだ喋っているんだろうか、合田先輩はあいつのことをどう思っているんだろう、一年の女子にとって隣にいるトップの先輩というのは、さぞかし頼もしくてかっこいい男性に見えてしまうに違いない、美人は誰だって目をつけるんだ、なんてことを、じめじめ考え続けていた。そしてA組の教室に帰ってしまえば、もう南がいつB組に戻ってきたのか、戻ってきたときどんな顔をしていたかなんてことは、一切判らない。土曜日だから、もう授業はなかった。カリババの例によって長たらしいホームルームが、こんなに我慢できないことはなかった。僕はいらいらと腕組みをして、誰に話しかけられても返事をせず、聞こえよがしのため息をついた。
どんな女性なのかも判らない、口をきいたこともない、好きかどうかもはっきりしない、そんな女性を、まず嫉妬《しっと》するというのはいい恋とはいえない。まったくといっていいほど恋愛経験のない――この場合の「恋愛経験」というのは、「誰かを好きになるという経験」のことで、「女と付き合う」という意味じゃない。そんな経験はいっぺんもなかった――その時の僕でさえ、こんなのはまともじゃないと感じていた。でもどうしようもなかった。次の日曜日、僕は一日中家に籠《こも》ってチェロを練習し続けた。楽器を鳴らしているときには、自然とそれに集中せざるを得ないから、ともかくも心を落ち着かせることができるのだった。手が疲れるとピアノを弾いた。うるさくてテレビが見られないと、妹はかんかんに怒った。ピアノも弾けなくなると本を読んだ。南枝里子のことしか考えられなかった。
月曜日は佐伯先生のレッスンだった。僕は七時に学校へ行った。練習がし足りなかったのだ。生徒会室をひとり占めするつもりだった。
しばらくドッツァウアーの練習曲の、うまくできない二小節を何回も弾いていると、不意に扉が開いて合田先輩が顔を出した。
「おやっ」合田先輩は眉を上げて、「あ、君、練習中?」
「はい」僕は弓を止めていった。「おはようございます」
「おはよ。あのさあ、悪いんだけど、この部屋ちょっと使わせてくれない?」
「いいですよ」
先輩のいうことに逆らうわけにはいかない。僕はすぐに立ち上がった。すると眠そうな顔をした女子たちが何人か、ぞろぞろと生徒会室に入ってきた。南もいた。鮎川も入ってきた。
「カミナリにとっちめられたからね、第二ヴァイオリンだけで朝練やるんだよ」
合田先輩は、半分なぜかいいわけめいて、半分なぜか自慢げにいった。
「そうなんですか」
「戸田君にもいったんだけど、チェロもちょっと、やったほうがいいと思うよ」合田先輩はいった。「あいつ怠け者だから、そういうのやりたがらないんだ。君だって、一年だけどトップになったんだから、自覚持って。自分だけできても駄目だからね、オーケストラは」
「はい」
「じゃ、行っていい」
行っていいって、俺が先に使ってたんじゃないか、という気持ちが顔に出る前に、僕は楽器をケースにしまい、譜面を持ってA組の教室に移った。誰もいなかった。僕は練習の続きを教室で始めた。しばらくすると、生徒会室から不揃いなヴァイオリンの音が聞こえてきた。自分の音が聞こえにくいことはなはだしいが、仕方がない。
指の回らないところを弓なしで練習し、ボウイングの難しい箇所を譜面に書きこみ、全体を二回通して弾いているうちに、生徒たちが登校してきた。軽く挨拶したり、黙ってこっちを見たりしていたけれど、構うもんかと思って弾き続けた。大宮が来て山路が来て、橋本が弾いている最中の僕に図々しく話しかけてきて、どんどん集中できなくなってきた。一曲マスターしかけているときに話しかけられるのは、まったく耐えられない。僕はまた楽器を持って移動しなければならなかった。こうなれば、面倒臭いが「長屋」へ行くほかない。
長屋というのは、校舎の裏手にあるプレハブの練習室のことだった。細長い平屋の建物を、ごく小さい六部屋に区切ってあって、おのおのにぼろぼろのアップライトが一台ずつ置いてある。プレハブだから防音じゃないし、夏は暑く冬は寒い。レッスン前や試験前、発表会のある生徒なんかは、自由にここを使っていいことになっていた。ただしもちろん、上級生が優先だけど、たいていは空き部屋があった。朝礼前ともなればなおのことだ。
「最初からここ来りゃよかったよ」
狭い部屋で、楽器の置き所も限られていたが、僕はのびのびとチェロを弾いた。練習曲も、レッスンを受けられるくらいには仕上がった。
ところがそうなってきて、ようやく僕は、生徒会室にもう一冊の譜面を置き忘れたことに気が付いた。佐伯先生に出す曲はこれだけだが、高校生になってから、勝手に練習を始めた曲があるのだ。せっかく一人でいくらでも弾けるのに、あれがないのはつまらない。といって、今からまた生徒会室に戻るのは、第二ヴァイオリンの練習の邪魔にもなるだろうし、時間もなかった。そんな些細《ささい》なことがひどい不運のような気がしながら、僕は教室に戻った。
朝礼の直前になって、鮎川が僕の譜面を持って帰ってきた。
「これ、あんたの?」
「そうだよ」
「やっぱりね」
鮎川は、なぜかにやにやしていた。
「なんだよ」
「ナンでもない」そういってから、鮎川は堪《こら》えきれなくなったみたいに、「ウヒヒッ」と笑った。
「なんだよ!」僕がもう一度いうと、
「あんた、今日放課後、なんかあんの」
「レッスンだよ」
「レッスン終わったら、なんかあんの」
「ないよ」
「レッスンから直《ちょく》で帰る? 教室戻ってくる?」
「どっちだっていいだろ」
「戻ってきてよ」鮎川はにやにやしながらいった。「待ってるから」
「なんでだよ」
「いいから」
そういって、もう鮎川はこっちがどんなにしつこく尋ねても、どんな用事があるのか、答えようとはしなかった。
佐伯先生のレッスンは、高校に入ってから、つまり自宅でなく、大学の校舎にあるレッスン室で受けるようになってから、少し内容が変わってきたように僕は感じていた。練習曲がどんどん難しくなっていったのに、一曲を一回のレッスンで上げられるように、暗《あん》に求められている感じだったし、これとこれは自習しなさいといって、何曲か飛ばして、より難しい曲をさらってくるようにいわれるようになった。そうなると自然と練習量を増やさなければならないし、実際僕は、毎日学校と家を合わせると、五時間くらいはチェロをさらっていた。これは紛れもなく、僕をプロにするための練習だった。
そのくせ佐伯先生のたたずまいは相変わらず洒脱で、声を荒げるようなことは決してなさらなかった。僕の演奏は真剣に聞いてくださったが、指示を出したり注意をするときにはいつも微笑んでおられた。僕が何度やっても失敗するようなときも、首をかしげて、忍耐強くアドヴァイスしてくださった。そうなると僕も、完全に仕上げてからレッスンにいかなきゃ駄目だと、自然と反省できた。
そんな風だったから、教室でのレッスンも規定の時間よりも長引くのが常だった。だがこのときばかりは鮎川のにやにや笑いが気になって、先生とあまり雑談もしないままレッスンを終えた。
「デートかい?」と先生にいわれて、一瞬冗談に聞こえなかった。
みんなもう帰った後だった。蛍光灯のついている教室はA組だけだった。鮎川と南枝里子が、遊びでピアノを連弾していた。
僕は鮎川が何かたくらんでるんじゃないかと思って、うまく声をかけられなかった。
「お。帰ってきた。お疲れー!」
ピアノを途中でやめて立ち上がった鮎川の声は、いつもより少しはしゃいだ響きがあった。僕は黙っていた。
「こちら、B組の南枝里子さん」鮎川は南を指していった。「ご存知かしら?」
「知ってるよ」僕はぶっきらぼうに答えた。
「こちらはA組の津島サトルさん。チェロを専攻なさってるのよ」
鮎川のお上品ぶった口調に、南は吹き出した。そしてその調子に合わせるように、
「お噂は、かねがね」といって笑った。
大人びた声だった。
「あんたさ」鮎川はいきなりいつもの口の利き方になって、「今朝、楽譜忘れてったでしょ。あれ、あんた弾けるの?」
「ちょっとね」用心深く僕はいった。「レッスンとかはやってない。自分で弾いてるだけだよ。好きだから」
「枝里子もその曲、好きなんだって!」鮎川はそういって、僕に向かって目を丸くして見せた。「気が合うネエ! ちょっと弾いてあげなさいよ」
「今?」僕はたじろいだ。
「だって、その楽譜最初に見つけたの、枝里子なんだよ? 椅子並べてるときに。それで、ずーっと楽譜見てたんだよ。『チェロの楽譜って、こんななんだ』っていって。だから弾きなよ。お礼に」
「理屈が全然通ってないじゃないかよ」
「いいからいいから。ね、枝里子? この曲好きなんだもんね」
「前にFMで、一回聴いただけ」南は細くて澄んだ目で、僕をじっと見た。「でも、いい曲だなって、そのときから思ってて」
僕は南を見て、鮎川を見て、それからまた南を見た。そして黙ってケースから楽器を取り出した。
いろんな気持ちがあった。だけどこのときはうまい具合に、その中から一番いい気持ちに焦点を合わせることができた。それは、今日は朝から一度もこれを弾いていない、という気持ちだった。僕は弾きたくなっていたのだ、この曲、バッハの『無伴奏チェロ組曲』を。
――バッハは三十代の頃、ドイツのケーテンで宮廷オーケストラの楽長を務めていた。十二人編成のそのオーケストラには優秀なミュージシャンが揃っていて、とりわけチェリストはいい腕だったといわれている。またバッハ自身もチェロを弾けたらしい。『無伴奏チェロ組曲』は、この時代に書かれた。
バッハがどんなつもりで『無伴奏チェロ組曲』を作ったのか、僕は知らない。ケーテンの貴族に聞かせるために作ったんだろう。しかしその後ながらく、この曲は単なるチェロの練習曲として扱われていた。真面目に取り上げるにはあたいしないと思われていたのだ。それを、れっきとしたコンサートのレパートリーとして演奏し、この曲の真価を全世界に知らしめたのが、かのパブロ・カザルス。以後フルニエが弾きシュタルケルが弾きトルトゥリエが弾き、弾かないチェリストはいなくなった。
僕が南枝里子の前で初めて『無伴奏チェロ組曲』を弾いたとき、この曲はすでにバッハの作品の中でも屈指の名曲として知られていた。それどころか、今でもそういわれているのだろうか、これは「チェロの聖書」とさえ呼ばれていて、殆んど神聖視されていたのだ。佐伯先生も僕がレッスンにこれをさらってくるのは、まだ早いと思っていらしたし、実際そうおっしゃった。
「これは単旋律で書かれた和声であり、対位法だよ。それ以上にここには、バッハのエッセンス、バッハのすべてがある。指が動くだけじゃ表現できないものが多すぎるんだ」
普段は軽やかな先生の声が、いつになく敬虔《けいけん》に響いたのを覚えている。
だが一方で、これほどチェロの初心者にとって魅力的な楽譜もない。『無伴奏チェロ組曲』は第六番まであるが、うち最初の第三番までは、チェロを始めて三年、ことによると二年かそこらで指も弓もマスター可能な程度の難度しかないのである。とりわけ一番有名な第一番は簡単すぎるほどに簡単だ。この時僕が二人に向かって弾いたのも、その第一番のプレリュードだった。佐伯先生が僕や父の前で、初めて聞かせてくれた曲でもある。
レコードで聴いたどんな演奏よりもゆっくりと弾いた。最後の主和音を除けば、八分音符はふたつだけ、後はすべて十六分音符が延々と続く。だけど最初の一音目のGだけは、ほんの少しだけゆっくりと鳴らしてアクセントをつけた。気取った、いやらしい弾き方だけど、自分に気合を入れるためでもあった。
十六分音符だけでできた音楽だから、粒がそろっていないといけない。ちょっとでも音をはずすと滑稽になる。二拍をワンフレーズで往復するボウイングもおろそかにはできない。やすやすと弾いているよ、なんて芝居をすることは無理だった。眉間に皺《しわ》を寄せ、奥歯を噛みしめ、ぎりぎりセーフで指のポジションを変え、リズムが走らないよう、かすかに頷いてカウントを取りながら、懸命になって弾き終えた。
「おおー」鮎川が変な声をあげながら拍手した。南も手を叩いてくれたが、目はじっと僕を見ていた。拍手のあとも彼女は、腕組みをして微笑しながら、僕から目を離さなかった。
「やっぱ、うまいんだ」鮎川が南の顔をちらちら見ながらいった。「ね」
「うん」南は小さく頷いた。「うまい」そういって、浅く腰を下ろしていた机から立ち上がった。「悔しい」
「出ました枝里子のライバル意識」鮎川は肩をすくめた。そして僕に向かって、「枝里子ってね、ちょっとでも自分よりうまい人がいると、悔しくなっちゃうの。だから中等部じゃ一番うまかったの。一年でいきなり第二ヴァイオリンのトップ取ったでしょ」
「今、何弾いてるの」僕は尋ねた。
「ベートーヴェンの『春』」南は表情を変えずに答えた。
「すごいね」と僕はいったけれど、曲を知っているだけで、どれくらいテクニックの必要なものかは判らなかった。
「今のバッハの方がすごいよ」そういってから南は鮎川の方を向いた。「ごめん。私、やっぱ帰る」
「帰るの? 三人で喫茶店行くんじゃないの?」
そんなこと、僕は聞いていなかった。
「帰って練習する」南は僕を見た。「ありがとう。また弾いてくれる?」
「いいよ」
結局その日は、三人で帰った。鮎川の家は二子玉川《ふたこたまがわ》で、僕が本牧で、南が小田急《おだきゅう》線の柿生《かきお》だったから、三人とも乗る電車はばらばらだった。駅まで一緒に行って、私鉄に乗る鮎川と別れると、改札からホームまでの短いあいだ、南と二人きりになった。
どうすればいいのか、判らなかった。
「じゃ、さよなら」僕はいった。
「また明日」南はいった。
南は背を向けて下りホームへ続く階段を上っていった。その後ろ姿を見送ってから、上りのホームの、向かい側が見える場所で、彼女が降りてくるのを待った。降りてきたとたんに、下りの電車が来て、一瞬僕に気が付いたらしい彼女を、すぐに見えなくしてしまった。
自分が恋しているのが、はっきりと判った。
[#改ページ]
第四章
僕はこれまで、あの頃のことを詳細に語っているようなふりをしてここまで書いてきた。実際、南枝里子のような大切な存在から、カミナリやカリババのような、これを書くまでは殆んど思い出しもしなかったような人たちのことまで書いた。だが最も重要な存在、これを書かなければならなかったおおもとの人物については書いていない。その人について、いよいよ書き始めなければならない。それは僕には、ひどくつらくて重苦しいことだ。
通い慣れるにつれて、新生学園高校の生活はたやすいものになっていった。何といっても僕は一年生にして学内で実質的に最優秀のチェリストだったし、学園の環境はその実力をさらに伸ばしてくれる一方だ。レッスンは基本的にすべて学内で受けられるし、練習を妨げるものは何もない。先輩にわずらわされることもなく、中学校のときのように、「クラシックなんてやってんだー。へええー」なんて、理由もなく嘲笑されることもない。同学年の女子の殆んどが、男子に対する好奇心を失っていくにつれて、僕たちを異人種か別世界の生き物、せいぜい外国人のように扱うようになったのも、僕には気楽なことだった。それは僕がどんなに芸術家として独自的に振る舞っても構わない、というのと同じことだったからだ。実際にはどうだったか判らないけれど、あの頃の僕は女子たちのこちらへ向けるうさん臭げな視線や教師たちのやけに寛大な態度をそう解釈し、そしてその解釈を否定するような何かはどこからも現れなかった。僕は午前中の普通科目の授業中にドストエフスキーを読み、昼食を口にほおばりながらチェロを弾き、山路や生田、それに親しくなった女子の誰かがピアノの練習をしている長屋にいきなり押しかけていって、バッハの三声のインヴェンションを即興で無理やり大フーガにして大笑いしたりした。そういう振る舞いが僕を「才人」に見せている、と自分で思いこんでいた。
オーケストラの授業はそうはいかなかった。四月の最後の週からいよいよ、鏑木先生が現れた。ずんぐりむっくりの体型にもじゃもじゃの髪、面白いことなんかこの世にひとつもないような顔をして、貧相なジーパンとボタンを留めないシャツをはおり、カミナリに倍する罵声を情け容赦もなく生徒たちに浴びせた。同時にひどく馬鹿げた冗談を交えたり、指示通りに弾けた生徒にはにっこり笑いかけてくれたりして、人の心をつかむ技術には長《た》けていた。戸田先輩は、夏休みの合宿前にチェロも朝練をやらないといけないね、といっていたが、実行しようとする気配はなかった。戸田先輩も僕も、まだ自分自身の演奏で手一杯だった。一人で弾けば弾けるのだが、オーケストラの中で音を合わせるというのは、レコードやコンサートで見聞きしているだけでは判らない難しさがあった。
かんじんなのは専攻楽器のレッスン、次にソルフェージュと聴音と楽典、その次が副科。そんな優先順位は誰もいいはしなかったけれど、少なくとも音楽関係の先生たちはそう考えているのは明らかだった。レッスンの出席状況には目を光らせても、一般教科について誰かが先生に何かいわれたという話は、上級生からも聞いたことがなかった。新生学園高校音楽科の生徒は、その八割以上がエレベーター式に新生学園大学音楽科へと進む。つまり受験勉強なんてものは考慮する必要がないということだ。そんな学内にただよう呑気《のんき》、あるいは無気力な空気を、一般教科を教えている先生たち自身が助長させているような気配さえあった。
たとえば僕は化学の先生が授業中に化学の話をしているのを聞いた記憶はまったくない。覚えているのはそのおばあさん先生の息子夫婦が犬を四匹飼っていることや、白内障の手術を受けたことなんかで、彼女が授業らしいことをするのは中間試験と期末試験の一週間前に何やら意味不明の文字が書かれたプリントを一枚ずつ生徒たちに配り、試験はこの中から出題しますと告げる、それだけだった。歴史の先生は旅行が好きで、のべつまくなし僕らにカナダやアラスカの退屈なスライドを見せていた。比較的熱心に授業をしたのは英語とドイツ語の先生だったけど、僕らは英語の先生が特に理由もなく大嫌いだったし、ドイツ語の先生には誰かがうまいタイミングで、「せんせー、カレシと最近どうなんですかー?」と話を振れば、たちまちのろけ話に脱線してしまうのをよく知っていた。週に二度か、せいぜい三度、寝ぼけまなこの午前中に四十分ばかり教室に入ってくる一般教科の先生たちのことなんか、僕たちは相手にしていなかった。恐らく彼らの方も僕らを愉快な存在とは思っていなかっただろう。
そんな中でたった一人、僕たちが興味津々で授業を受けた一般教科があった。その先生は四月の初め、最初の授業からいきなり生徒たちの心をつかんでしまったのだ。少なくとも、僕の心を。
型どおりの「起立、礼、着席」が済むと、その先生は黙ったまま黒板に向かって自分の名前を書き、ルビを振った。
金窪健史《かなくぼたけし》
「えーっと。まず僕の名前」振り返ると先生はいった。「この名前から僕のあだ名がすぐに判る人は、国語の成績がいいはずだ。誰か判る人」
誰も声をあげなかった。高校生になったばかりだった僕たちには、声をあげない理由がいくらでもあった。
先生はその沈黙に頷いた。
「だろうね。今じゃもう死語に近い。しかし高校生というのは、あだ名については非常に高度な知性を発揮して、最高に意地悪な発見をする。僕が高校生だったとき、もう僕のあだ名は決まっていた。以来十一年、僕をめぐる環境がどんなに変わっても、周りの人間はその都度同じあだ名を僕につけた。君たちがそれをいいだすのも時間の問題だ。だから僕が自分でここに書く」
そういって先生は自分の名前の横に、こう書いた。
金壺まなこ
「意味判る人」
「ぎょろ目」
誰かが顔を伏せて答えた。それでみんな大笑いになった。実際金窪先生は、きょとんとしたまん丸の目をしており、その上に丸い黒縁の眼鏡をかけて、さらに丸みを強調していたからだ。
先生は満足そうに頷いた。
「そう。金属製の壺のように、丸くてくぼんでいる目玉のことをこういいます。金窪、金壺、窪み、そしてこのぎょろ目。完璧な連想といえる。以後僕の陰口をいうときにはこれを使うように! 金壺まなこ。もしくは、略してまなこ。いいですか?」
「はーい」と何人かが明るく返事をして、みんなまた笑った。
「僕は独身なんだけど」先生はいった。「『まさこ』さんていう名前のお嫁さんはもらえない。『金窪まさこ』になっちゃうからねえ」
という冗談も、ほどほどに笑いを取った。
「僕は倫理社会を教えることになってる」ちょっと間をおいてから、先生はいった。「倫社は高校社会科の教科のひとつ、っていうことになってる。ここに教科書もある。文部省の指導要綱もあるし、受験の選択科目にもなってる」そしてその丸い目を僕たちに向けた。「だけど君たちは、世間一般の受験科目になんか興味は持たない。音楽以外に時間を費やすのは無駄なことだと思ってる。そうだろ?」
笑い声はやみ、誰も答えなかった。
「音楽科だけじゃない。普通科だって英語科だって、大学や短大を受験するのに一般的な社会科目はまず日本史、それから世界史で、公民や倫社はお呼びじゃない。それはよその高校も同じだ。受験校とか進学校ほど、丸暗記できる科目に力を入れる。倫社がそもそも選択科目になってない大学も多い。やる必要のない科目、無駄な科目というわけだ」
先生は僕たちを見た。
「君たちは音楽を勉強している。普通の中学から来た人はよく知っていると思うけれど、音楽も普通の学校じゃ、ろくな扱いは受けていない。普通高校の受験に音楽という科目なんかない。向こうの本校舎じゃ、ビートルズの曲を合唱して、それで音楽の授業はおしまいだ。それじゃ不充分だなんて誰も思わない。ないがしろにされているという点で、倫社と音楽はよく似ている。
だから手を組もう……っていうわけじゃないけど、僕は音楽家、あるいは芸術家にとって、倫社ほど重要な一般教科はないと信じている。その理由を今日は話します」
先生が教科書を開いたので、僕たちも開いた。だが先生はすぐまた教科書を閉じてしまった。
「ところで、倫社って何を勉強する教科か、知ってる人いる?」
僕と、あと一人か二人が、おずおずと手をあげた。先生は女子の一人を指した。
「哲学とか、心理学とか、……そういうの」
「そう! いきなり正解」
そう叫んでから先生は、
「……そうだ」
と呟き、自分の名前と「金壺まなこ」を消すと、黒板の右に、『倫理社会とはどういう科目か』と書き、隣に、『哲学・心理学を扱う』と書いた。
「今ここに書いたこの二つ。『哲学』と『心理学』。これは、じゃあ、なんだろう。心理学の方は、見るとなんとなく判るよね。心理の学って書いてあるんだから、人間の心理の研究だろう。いらいらするとか、嬉しいとか、そういう心理についての学問です。んーまー、でも、心理学は倫社じゃ、少ししか触れません。じゃ哲学は? 哲学ってなんの研究だか、いえる人?」
先生が黒板に『哲学とは何の研究か』と書いているあいだ、僕は手をあげようかと思っていた。が、こっちに向き直られると、気後れしてしまった。
「いえる人、いない。そういうときには教科書を開く。すると、最初の頁にこう書いてある。
えーっと。『倫理・社会では、人間尊重の精神にのっとり、青年時代に必要な人格の形成、および良識ある市民としての知識と能力を身につけるために、「人生いかに生きるべきか」を考える、哲学の知識と歴史を学びます』か。ひどい文章だねこれは。全然頭に入ってこない。だけどまぁ、哲学っていうのが、人生をいかに生きるかを考える学問だっていうことは判る。
人生いかに生きるべきか? えーっと、鮎川千佳」
「はい」
口を半開きにして聞いていた鮎川は、びくっとなって立ち上がった。
「鮎川さんは人生をどうやって生きるべきだと思いますか。……あ、ちょっと待って」
先生はまた黒板に向かい、今度は左端に『人生いかに生きるべきか』と書き、また振り返って、
「どうですか鮎川さん」
「私は……」鮎川は、まだ入学してすぐだったこともあり、先生の前では猫をかぶっていた。「私は、んー、明るく楽しく生きたいと思います」
「それは鮎川さんの願望? それとも、哲学?」
「え?」いわれた意味が判らなかったようだ。
「君は今、明るく楽しく生きたい、っていったでしょ。それって、生きるべき、と、ちょっと違うじゃない。そのへん、どう思う?」
「あのー」鮎川は尋ねた。「『生きたい』と『べき』って、違うのはなんとなく判るんですけど、どう違うんですか?」
「どう違うと思う? なんとなくで」
先生は『「たい」と「べき」の違い』と黒板の右側に書きながら、聞き返してきた。
「んー」鮎川はひるまなかった。「『たい』は、生きたいなーってことで、『べき』は、そうしなさいって感じ」
「そうね。そんな感じだね」
先生は黒板の『たい』に矢印を引いて、その先に『願望』、『べき』の矢印の先に『命令』と書いた。
「この『命令』っていうのは文法の用語でねえ、もっとなんか、うまいいい方ないかなって思うんだけど……。まあ、しょうがないや。つまりこうだ。『人生いかに生きるべきか』っていうのは、
『人生をいかに生きなきゃいけないか』っていう意味らしい。で、鮎川さんは『明るく楽しく生きたい』といった。そこで、僕のさっきの質問は、結局鮎川さんは、明るく楽しく生きなさい、とも思っているのかどうか、ってことになる。どうですか鮎川さん」
「そうですね」鮎川は、先生が喋っている間に、考えていたらしかった。「自分だけじゃなく、みんなも明るく楽しく生きたらいいと思います」
「なぜ」
「えっ」
「なぜ」
もう解放されると思いこんでいたに違いない鮎川はびっくりして一瞬言葉をうしない、首をかしげた。
「よし。じゃ座って。ありがとう」
先生は左側の『人生いかに生きるべきか』の横に、『明るく楽しく生きる→?』と書いて、
「今の鮎川さんの回答、っていうか、鮎川さんの姿勢だね、あの姿勢は僕はとても哲学的だと思いました。なぜか?
ちょっと黒板を見てください。右と左に分けて書いたんだけど、右にはこう書いてあります。
『倫理社会とはどういう科目か』『哲学とは何の研究か』『「たい」と「べき」の違い』
で、こっちの左側には、
『人生いかに生きるべきか』
……どっちにも質問が書いてあるんだけど、なんで僕が右と左に書き分けたか、判る人はいる? ――君は、津島君かな」
「はい」
僕のほかにも手をあげた生徒はいた。僕は立ち上がった。
「右側の質問には答えがあります」
「ということは?」
「左の質問には、答えがないということです」
「あるじゃないか。鮎川さんが、明るく楽しく生きるべき、っていってくれたよ」
「だけどその下に、クエスチョンマークがあるでしょう? それはつまり、答えがひとつじゃないってことです」
「なぜ」
「だって」僕はぐっと詰まった。それからいった。「だって、人それぞれだから」
「人それぞれ? なるほど」先生は微笑していた。「だけど、この下のクエスチョンマークは、答えがひとつじゃないことを現してるわけじゃない。単に鮎川さんが、僕のふたつ目の質問に答えられなかった、ってだけのことだよ。『人生いかに生きるべきか』って質問に対する答えとして、明るく楽しく生きるべき、っていうのは、かなりいい線いってるんじゃない? つまりこれは、幸福に生きるべきだってことなんだから」
今度こそ僕は完全に詰まった。でも座りたくはなかった。黙って、周囲がどんな目で見ていようとお構いなしに、僕は何かいおうと心に決めた。先生も黙っていた。僕が何かいうのを待っていたのだ。
「明るく楽しく生きることが、幸福とは限らない」一分以上も黙ってから、僕はいった。「陰気なのが好きな人もいます」
「そう。そういう人もいる」先生はうなずいた。「座ってください」
僕はもっと何かいいたかった。でも何をいえばいいか判らなかった。座るしかなかったが、座るのは悔しかった。
「そうなんだ」先生はいった。「人生いかに生きるべきかを考えていると、そりゃ、明るく楽しく生きるのがいいに決まってる、という答えが出てくる。だけど、なぜそうに決まってるんだといわれると、うまく答えられない。
津島君は、鮎川さんがうまく答えられなかった理由を、陰気なのが好きな人もいるからだ、と考えた。明るい気分がもともと嫌いな人もいるだろうし、それから、普段は明るいのが好きでも、のべつまくなし明るい人なんかいない。たまには部屋の中で泣きながら、ブラームスの室内楽なんかを聴いていたいときだってある。そんなときの自分は、じゃあ正しい生き方をしていないのか。いつもいつも明るく楽しくしてなきゃ、幸福とはいえないのか。そんなことはないんじゃないか。
それなら、明るい気分のときは明るく、悲しい気分のときは悲しく生きるのがいいのか。それはつまり、気分で生きるということだ。それはいいことなのか。幸福な生き方なのか。もし気分で生きるのが幸福じゃないのなら、なんで幸福じゃないのか。幸福なら、なぜ幸福なのか。
皆さん。これが哲学です」
先生がそういうと、みんなどっと笑った。僕もつい吹き出してしまった。
「いや僕がいうと間抜けに聞こえるかもしれないけど、でもそうなんだよ。そうだと思うんだよ。つまり、考えること。どこまでも考え続けること。それが哲学です。倫理の教科書をぱらぱらめくってみると、ひげを生やした、眼鏡をかけた、偉大っぽい[#「偉大っぽい」に傍点]顔写真が載っている。その人たちはたいてい哲学者だ。彼らは何をしたのか。なんにもしやしない。ただひたすら考えて考えて、考え続けて、それを紙に書いていった。もちろん彼らはずば抜けて頭もよかったし、勉強もした。けれども彼らはその頭のよさと勉強で得た知識を、ただ考えることだけに使ったわけ。
彼らが考えたことで、何が生まれたか? 彼らは何か偉大な発明をしたのか。哲学者の哲学によって、電車を走らせたとか、ロケットを飛ばしたとか、ピアノがうまく弾けるようになったとか、金持ちになったとか、そういう人がいるのか。いません。一人もいない。もしかしたらガンジーの自伝とか、カントの『実践理性批判』を読んで、人をぶん殴ったりするのをやめた人はいるかもしれない。だけど、カントは『永久平和のために』っていうパンフレットも書いたんだけど、いまだに戦争はなくなってない。つまり哲学っていうのは、あくまでも個人的な学問だといえるね。一人ひとりの心の中に残ることだけを目的とした……」
そこまで話したところで、チャイムが鳴った。
「ああ、おしまいだ」先生はいった。「じゃ、今日はここまで」
「先生!」柳沢《やなぎさわ》という、勉強のできる女子がいった。「結局、最初の話はどうなったんでしょうか」
「最初の話ね」
「はい。芸術家にとって倫社が最も重要な教科だ、というお話です」
「柳沢さん」先生は出席簿で名前を確認していった。「これは、これからもある話だから、最初にいっておきます。僕は何かをいうときに、結論を決めていうってことはしないようにしている。つまり、僕は答えを判ってるわけじゃない。とにかくいうんです。直感ですね。その直感を信じて喋ります。だから今日みたいに、アタマとシッポがめちゃくちゃになってしまうことはよくあるんだよ。結局、今回はああやって喋り始めたけど、結論には達しなかった。
いつもは、僕は結論なんか気にかけない。結論なんかいらないと思ってる。だけど芸術における倫理社会の重要性ってことになると、もしかしたら君以外にも気にかけている人はいるかもしれないね。これは、僕自身の宿題にしておきます。ちゃんと話ができるようになったら、話します」
そういって先生は教室を後にした。起立、礼の号令をかける暇もなかった。
金窪先生の授業はこんな風にして始まり、それからはいつもこんな具合だった。雑談をするだけというのでもない。教科書の頁をたんたんとこなしていくのでもない、特に鋭いとも思えないような話を、しかし面白おかしく、かみくだいて語ってくれた。
「こんな風に思ったことない?」
あるとき、先生は腕組みをして、身体をわずかに左右に揺らし、しばらく何か考えていたが、やがて口を開いた。
「自分以外の人間は、ほんとの人間じゃないって」
「ある、ある!」何人かの女子が叫んだ。一人が先生に指された。
「うまくいえないんだけど……。電車なんか乗ってるでしょ。したらなんか、乗ってる人みんな、ほんとはロボットとかなんじゃないかって思い始めちゃって。ほんとは自分だけ人間で、あとみんな、芝居っていうか、自分用なんじゃないかって」
「自分用とは」先生はニコニコ話を聞いている。
「自分用って、なんか、たとえばこうして学校来てるじゃないですか私。したら、そのときだけ学校って、あるの。でも私が帰ると、もうないわけ。そいで駅行くじゃないですか。そうすると駅が、あるわけ。なんかうまくいえないんだけど、そんな感じ」
「今は君は、学校にいるじゃない。そのとき駅はどうなってるわけ」
「んー、だから、多分いちいち壊したりとかはしないと思うんですよ。だけど電車とかは走ってないの。人もいないの。駅員も乗ってる人もいないの。私がそっち向かってくと、誰かが『来たーっ』って。アハハハハハ。なんか自分でいっててバカかと思っちゃった」
「いーや、バカじゃない」先生は真面目な顔で頷いた。「そういうことを考える人は、ほかにもいっぱいいる。このクラスの中にだって、何人もいると思う。さらに、今みたいなことは、そうじゃないってきちんと証明するのが、なかなか難しい。なぜなら、人にそうじゃないよっていわれることは、それは君をいいくるめて、だましている可能性もある。つまり人の説明は何の意味もないからだ。自分で真実を発見しなけりゃいけない。
そういう空想は、けっこう多くの人がする。君が今いったようなことより、もっと過激なことを考えた人がいた。それはデカルトという人だ。
この人の疑ぐり深さはハンパなもんじゃなかった。君は、今ここにある学校は、今だけはあるっていったよね。デカルトはそれも嘘じゃないかって思ったんだ。学校なんて、目の錯覚。ほんとは学校なんて今もないし、僕たちは学校になんかいない。高校生くらいのときには、よく思うことだけど、自分の両親が本当の親じゃないんじゃないかって感じることあるよね。お母さんに頭来たときなんか。デカルトの理屈でいうと、それも甘い。そもそも自分には本当のお母さんも嘘のお母さんもいない。自分は誰かから生まれてきていない。ふるさとなんかもないし、今の家もない。なんにもない!
デカルトはそこで気が付いた。そうやってどんどん、いろんなものを疑っていくと、疑えないものなんか全然なくなっちゃうってことにね。さあ、誰かいえますか。疑いようのないもの。桜井さん、いえる?」
「……先生が今、喋ってるってことは、ほんとだと思いますけど。つまり周囲の人間というか」
「いーや、喋ってない。空耳《そらみみ》」
「だって今、私が何かいって、先生がそれに答えたじゃないですか」
「君の空想。一人芝居。ほかに誰か」
「鉛筆……とか? 持ってるから」
「持ってない。手の錯覚」
「手の錯覚なんてないですよ」
「あるさ。テレビでしょっちゅうやってる。箱の左右に穴が開いていて、そこから手を入れて中身を当てるってやつ。ソラマメを虫だと思ったり、タコをゴム長靴だと思ったりするでしょ。あれと同じでね、君も自分じゃ鉛筆を持ってる気がしているかもしれないが、そりゃ気のせいだ。他には?」
教室の中はちょっとした騒ぎになった。「こわーい」なんていってる奴もいた。
僕はそのあいだじゅう手をあげ続けていたのに、先生はニヤニヤして指してくれなかった。
「津島が手えあげてんじゃんよう!」橋本が抗議すると先生は、
「津島君は『正解』を知っているから駄目だ」といった。「今、みんなが懸命になって考えてる。彼は考えてない。そうだろう? 津島君は『方法序説』を読んだんじゃない?」
「読みました」
「だろうと思ったんだ。だから駄目」
実際、いろんなアイディアが教室のあちこちから出てきた。沢寛子はメモ用紙に字を書き、誰にも見せずに手の中に押しこんで、ここに何が書いてあるかは他の人が知らないんだから、この字だけは私にとって実在すると主張した。生田は、自分で自分を間違えてナイフで刺したとき、その「痛み」は予想外のものだから、実在を証明できるんじゃないかということを、くどくど時間をかけて説明した。先生はどんな考えも根気よく聞き、そして丁寧に反論して、却下していった。先生は、ときには僕に反論をさせた。でないといじけてしまうとでも思ったんだろう。
「先生判ったーっ!」山路が奇声をあげた。「これ、ひっかけ問題だ。疑いもなく実在するものなんて、ほんとはない。これが正解っ」
「違う!」先生はしっかりといった。「人間には、どんなに疑おうと思っても、絶対に疑えないものがあるってことを、デカルトは発見したんだ。それは何」
教室内は静まり返った。もうみんな疲れてしまったのだ。
「よし」先生は僕に向かっていった。「じゃ、津島君、正解をどうぞ」
「疑っている自分」
「そう。この世界にある、ありとあらゆるものをどんなに疑ってみても、その疑っている自分の思考だけは、実在を疑うことができない。これがかの有名な『我思う、ゆえに我あり』という言葉の意味です。そうでしょう? みんな今、一生懸命考えた。一生懸命疑った。だけど、その疑う自分、考える自分というものがある、ってことだけは、疑うことができないでしょう」
「やられたよ」「やっぱひっかけだった」「ずるだ」「徒労だ」といった声があがった。
「ずるでも、徒労でもない」先生はいった。「みんなが今、一生懸命にやったこと、それが哲学なんです。自分で考えること。それにくらべたら、本を読んで正解を知っておくことなんか、取るに足らない。ただし」
そういって先生は、またしても僕を見た。
「津島君がデカルトをすでに読んでいたことを、皆さんは尊重すべきです。彼は知識の面白さということを知っているから読んだんだ。それに、知識というのは持っていればいるほど、自分の思考を強くする」
「ひっかけだ、ひっかけ」山路はいつまでもこだわっていた。「納得できない」
「納得はできるんだけどー」後ろの方の女子がいった。「なんか、むかつくー」
「お、今いいこといったね。むかつく」ここでチャイムが鳴った。「次回はそれでいこう。哲学は人をむかつかせる。今日はこれまで」
そして次の授業になってみると、その「哲学は人をむかつかせる」というのは、ソクラテスについてなのだった。
「ソクラテスは、人と話をしたことで、死刑になった」という切り出し方は、相変わらず生徒たちの興味をひきつけた。「ソクラテスは人をむかつかせた。偉い人、実力者、自分は人の上に立つ資格のある人間だと思っている人のところへ出向いていって、そういった人たちが真実とは何か、善《よ》いこととは何か、そして、人生いかに生きるべきかということについて、結局は何も判っちゃいないってことを次々に見破ってみせた。見破られた方は最高にむかついて、あんな奴は死刑にしちまえといって裁判にかけた。ソクラテスは、逃げようと思えば逃げられたらしい。だけど弟子や友だちがいくら説得しても、逃亡に応じることはなかった。そして自分で毒を飲んで死んだのです。彼は『クリトン』という、弟子の書いた本の中でこういってる。
『一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである』」
僕は『クリトン』も読んでいた。それにこうやって先生の授業を思い出してみると、さして鋭いことをいっているわけじゃないことが判る。だけど先生は哲学の初歩を判りやすく語るという、簡単でも楽でもない仕事を実践していたのだし、ピアノで単旋律を叩いていないときはやけに下品な目で女子生徒たちを見ているソルフェージュの教師や、何が面白くて生きているのか判らないほど退屈な聴音の教師にくらべれば、はるかに生き生きと知識を伝えていた。僕たちは先生の授業が好きだったし、僕は特に好きだった。
授業のあとや廊下を歩いているときなんかに、僕はよく先生をつかまえて立ち話をした。金窪先生は大学でソクラテスを研究していたそうだ。
「いろんなレヴェルで、ソクラテスは面白い」先生はいった。「君も知っての通り、まずソクラテスは自分じゃ何も書かなかった。プラトンやアリストテレス、クセノフォンやアリストパネスが書いたものから、間接的に彼の思想を探っていくしかない。どれがソクラテスの思想で、どれがソクラテスについて書いた人の思想なのかを見分けていくのは大変だし、本来的に無理がある。そこがまず面白い。
さらにそこから敷衍《ふえん》して、なぜソクラテスは書かなかったのかを考える。考えるっていうより、空想するんだね。それは彼の思想と関係がある、と僕は思う。だから書かなかったことの思想的側面をよく考えれば、プラトンのどこ、クセノフォンのどこに本来のソクラテス思想があるかを見極めることはできるはずだ。卒業論文は、そのことを書いたんだけど、究《きわ》めつくせなかったね、当然のことながら」
僕が、ニーチェとドストエフスキーが好きだと自慢げにいうと、先生は、じゃあこれなんか興味持つかもしれないといって、小林秀雄《こばやしひでお》の全集のうち二冊を貸してくれた。『ドストエフスキイの生活』は、読んでよかったと思ったけれど、もう一冊のほうは正直、難しくて歯が立たなかった。でもそれを認めるのがいやで、なかなか返せなかった。
ぐずぐずしているうちに一学期が終わってしまった。終業式の日に職員室に行くと、先生はいつでもいいよといってくれたが、八月になってすぐに、オーケストラ合宿が清里《きよさと》で始まる。その前には本を返しておきたかった。すると先生は、蒲田《かまた》にある自宅の住所を教えてくれた。本牧から蒲田なら、学校へ行くより近いくらいだ。翌々日に電話をかけて、僕は先生の自宅を訪ねた。
その頃の蒲田は、今よりももっと空気が悪かった。おまけに七月で暑苦しかった。先生が描いてくれた地図を頼りに、やけに活気のある商店街を抜けて、排気ガスと粉塵の舞う道を歩き、恐いような公園を横切ったところに、木造のアパートがあった。階段は踏むたびに揺れた。
「やあ、いらっしゃい」
色のあせた紺色の浴衣を着た先生が、扉を開けてくれた。
見たこともないような狭いアパートだった。玄関の靴箱の上にぎっしり本が積んであるので、靴を脱いだら横になって歩かなければならなかった。台所にも本、テーブルの下にも本、カーテンレールの上にまで、ティッシュの空き箱で本箱が作られ、文庫本が並んでいた。台所の先にひと部屋あって、それだけだった。その部屋にはベッドと机と椅子、そして木のりんご箱(もちろん本がぎっしり詰まっている)の上にテレビがあって、それ以外はすべて本で埋め尽くされていた。そんな中で、
「本をありがとうございました」
なんていうのは、ちょっと間が抜けていた。先生はにこにこと本を受け取り、お茶を淹《い》れてくれた。おいしい玄米茶に、品のいい和菓子が付いていた。
「男やもめにウジが涌く、って知ってるだろう」先生はそういって笑った。聞いたことのない言葉だったが、意味は理解できた。
「綺麗じゃないですか」僕はいった。「清潔ですよ。すごい本ですね」
「君が来るっていうんで、昨日大掃除したんだ。本もだいぶ売った。おかげで日が差すようになったよ。息ができる。畳も出てきた」
「わざわざすみません。学校でお返しすればよかったんですけど」
「いやあ。こんなことでもないと、片付けないからね」
浴衣の先生と向かい合って、畳の上にじかに置かれたお盆のお茶を飲みながら、そんな話をしていると、なんだか自分が古い映画の登場人物にでもなったようだった。
「先生は、家では浴衣なんですか」
「夏はこれが一番涼しい。今日はしのぎやすい方だ。あんなのもあるにはあるけど……」
先生の指す方を見上げると、窓の上には茶色くなったエアコンがあった。
「音がうるさくてかなわないから、殆んど使わないんだよ。暑いかい?」
「いえ。大丈夫です」
窓が開けてあって、微風が入ってきていた。それでも本当は暑かった。
「津島君は、今は何を読んでいるの?」
と尋ねられて、そこから哲学や文学の話になった。何を話したか、今では殆んど憶《おぼ》えていないが、
「ニーチェは、難しい」と先生がいったのは、憶えている。
「『永劫回帰』っていうのが、まず僕には何のことだかぴんと来ないし、『超人』も判らない。そもそも僕には、キリスト教ってもんがすんなり心に入ってこないんだね。だから『アンチクリスト』も判らないわけだ。『権力への意志』も、本当は判らない。それでも二学期か三学期になったら、ニーチェの話もしなきゃならない。毎年のことだけど、しっかり理解できない哲学について教えるのは、なかなかつらいものだね。
ただ、ニーチェは、ホラ、同情っていうのを激しく批判しているだろう? 人に同情する奴は自分を強いと思いこんでいる、だからすぐ人のふところに鼻を突っこんでくる、みたいなことを書いている。ああ、まったくだ、と思う。逆にいえば、人は自分を強いと思いたがるときにだけ、他人に同情するともいえる。テレビなんか見てると、ニーチェをしょっちゅう思い出すよ。
もっとも、あまり読んでもいないんだけどね。彼のワーグナー論なんか、最初からちんぷんかんぷんだし。君はああいうのが好きなんだろう?」
「はい」
「僕はほんというと、音楽も判らない」先生は小さな声でいった。「こう見えても、まだ二十七歳なんだけど、美空《みそら》ひばりとか八代亜紀《やしろあき》が好きなんだ。クラシックを聴くと、避けがたく眠ってしまう」
「いいじゃないですか。音楽の先生じゃないんだから」
「それにある種のクラシック音楽は、人を眠らせるために作られたって話じゃないか。バッハにそういうのがあるんだって?」
「ええ。『ゴールドベルク変奏曲』」
「心地いいから眠れるんで、つまり眠るのは音楽を心地いいと感じている証拠だ、なんて慰めてくれる人もいるんだけどね。やっぱり負い目を感じる。君たちを教える教師として」
先生は明らかに真剣に愁いていたが、僕はちょっと笑ってしまった。
しばらく別の話をしてから、またニーチェの話になった。
「どうもニーチェにこだわるようだけれど」先生がそういったとき、外はそろそろ夕焼けになっていた。「それは別に、君がニーチェを好きだからってわけじゃないんだ。前から僕は、ニーチェが気にかかってしょうがないんだよ。つまり彼の道徳批判がね。まあ凄まじいものだね、あれは」
「ええ」
僕は薄暗くなった室内で、先生の顔が暗く引き締まるのを見た。
「道徳への服従は君主への服従に等しい、道徳に服従すること自体は、なんら道徳的ではない……。あの押入れにニーチェが固めて詰めこんであるのは判ってるんだけど、そのどこで読んだか忘れちゃった。でも、そういってる」
「そうですね。『善悪の彼岸』にも『曙光』にも、そんなことが書いてあります」
「つまり道徳というのは、本来的に人間が服従させられるために捏造《ねつぞう》されたものだ、つまり、嘘だ。……っていうのは、そうとう大雑把《おおざっぱ》だけれど、これがニーチェの道徳批判の根幹だと思う。そしてそういう、キリスト教的道徳が抑圧し、隠蔽《いんぺい》したのが『権力への意志』だっていうんだね。人間が生命として、より強く、より苛烈に生きようとする意志のことだって、教科書には書いてある。ニーチェは道徳をしりぞけて、権力への意志を大きく肯定した、とも書いてあるけど、そんなこと教科書に書いていいのかね。これはとんでもない哲学だよ。自分の生きる喜びが、道徳に反するものであるのなら、人は道徳に反するべきだといっているんだからね。それなら、快楽殺人とか、サディズムなんかは、もしもそうしなければ生きる喜びが得られないなら、ニーチェはそれを奨励していることになる。殺される人、痛めつけられる人のことは、考えない。
これほど徹底的に、主体的な人間の『生きる喜び』について考えた哲学者は、ニーチェのほかに誰かいるんだろうか。少なくともニーチェ以後には、誰もいないように思えるんだよ、僕には。ということは、完全に主体的に、自分本位なところから考えて、それでも他人を傷つけたりおとしめたりすることのないような、そういう道徳、ニーチェを批判して超えていくような道徳は、まだ哲学によっては達成されていないんだ。
つきつめていけば現在もまだ道徳には、秩序のために個人に我慢を強制する、法律みたいな道徳か、悪いことすると自分に返ってきますよ、っていう宗教的な規制か、人の身になって考えようっていう道徳かの、三種類しかないんじゃないか? 僕としては三番目に加担したいけれど、それだって実は、ニーチェの道徳批判を見て見ぬフリをしているだけだ。臭いものにフタをしているんだ。乗り越えたわけじゃない。
だからね、ニーチェは難しいんだよ」
七月の夕焼けは長く、いつまでも完全には暗くならなかった。そこへ不意に玄関が開き、部屋の明かりがついた。
「あら」
どきっとするような白いワンピースの、でも目立たない感じの女性が、玄関で靴を脱いでいた。ノックもしなかったし、先生に挨拶さえしない。
「ああ」
先生も驚かなかった。
「お客様? 珍しいわね」
「新生学園の一年生で、津島君。チェリストだよ」
「初めまして」
女性は器用に本の隙間を縫って部屋に入ってきて、立ったままお辞儀をした。三人座れるだけのスペースはなかった。
「お邪魔してます」とりあえずそういった。
「えーっと。工藤泰子《くどうやすこ》さん」
先生は、自然にしていると顔を伏せてしまうのか、しきりと顎を動かしながらいった。耳まで真っ赤だった。
「工藤さんは、えー、大学のときの後輩で、えー、僕の恋人です」
緊張が伝わってきて、僕まで若干、赤面してしまった。
「生徒さんが来ると、いつもそういって私のこと、紹介するんです」工藤さんはにこやかにいった。
「それでいつも、自分で勝手に真っ赤になっちゃうの」
「こういうことは隠さず、堂々と」
といって背筋を伸ばす先生のおでこは、汗で光っていた。工藤さんはくすくす笑ったし、僕もおかしくなった。
「お食事していかれるでしょう?」と工藤さんがいって、先生も立って仕度を始めそうになったので、僕はあわてて立ち上がった。
「いえ、もう帰ります」
「食ってけよ」と先生はいってくれたが、
「どこでですか?」という僕の質問に、うまく答えられなかった。
「練習もしなきゃいけないし、本当に帰ります」
「そうかい。駅まで送っていこう」
再び先生と二人になると、僕は急に気が楽になった。
「どうりで独身で本だらけなのに、部屋が小綺麗だと思いましたよ」
「いつのまにか片付けてくれるんだね。もとは散らかり放題でひどかった。だけどそういうのは女性蔑視につながると思って、最近じゃ自分でもあんまり汚くしないようにしているんだよ」
「結婚するんですか」
「うん。でも学校じゃいわないでくれよ。恥ずかしいから」
「いうかいわないかは、僕の自由じゃないですか」
冗談のつもりでいうと、
「そうだ。自由だ」
先生が不機嫌にも真面目にも聞こえる声でそういったので、僕は少し気まずくなった。
「いわないですよー」
「いや、いいんだ、いって」
「何深刻になっちゃってんですかー」
「深刻にはなってない。恥ずかしいんだよ。高校生って、教師をからかい始めたら、際限ないからねえ」
帰宅する人でごった返している蒲田駅の中で、浴衣に下駄、それに丸い眼鏡の先生は奇妙に目立っていた。昔の時代から来た人のようだった。
「それじゃあ」と先生はいった。
「失礼します」と僕はいった。
学校で教わっている先生の自宅に行くなどというのは、チェロの佐伯先生のお宅を除いて、まったく初めてのことだったから、いろんなことが印象に残った。けれども帰りの京浜東北線の中で僕が思い浮かべたのは、ニーチェの道徳批判でもなければ先生の浴衣姿でもなく、あの工藤さんという女性のことだった。工藤さんが素敵に見えたというのではなかった。金窪先生のような、真面目で面白くもある、しかし男性として魅力的かどうかは大いに疑問な人にも、「恋人」がいる、平気で人の部屋の中へ入ってきて、食事をする女性がいるということが、他人事《ひとごと》ながら照れくさいような、理由なくムシャクシャするような気がした。その頃、僕はまるっきり「寝てもさめても」といった調子で、南枝里子のことばかり想っていたのだ。
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第五章
オーケストラの夏期合宿というのは、清里の合宿所にオーケストラのメンバーが全員参加して、朝から晩まで練習をし続ける、三泊四日の特訓だと聞いて、僕はげんなりしていた。戸田先輩はとうとう、一学期にチェロの朝練習を一度も開かなかったが、それでもチェロは大して難しい部分もないために、鏑木先生の怒りを買うことは少なかった。だからよけいにうんざりしたのだ。どれだけやってもとうていたどり着けそうもないほど難しそうなヴァイオリンや金管、木管の練習に付き合って、四日間もあの退屈なブン(チャッチャ)、ブン(チャッチャ)をやらされるのかと思うと――しかも(チャッチャ)のところはホルンやほかの楽器がやるから、チェロは「ブン」だけ――、なんだか馬鹿らしくなってしまう。人が怒られているときも罵声はこっちに聞こえてくるわけだし、たとえ鏑木先生のゲネプロ(総練習)が終わっても、今度は分奏があって、弦楽器の分奏はカミナリが担当するのだ。怒鳴られた後にまた怒鳴られて、それが四日間。冗談じゃない。
さらにミーティングのときに聞いて驚いたことには、女子は六部屋、男子はひと部屋に集まって寝泊りをするという。男子というのは僕と戸田先輩、第二ヴァイオリンの合田先輩に、副科で参加するコントラバスの生田、それに伊藤慧の五人だ。僕は物心ついたときから、家族旅行でもない限り、個室でしか寝たことはない。五人ひと部屋なんて寝られやしない。プライヴァシーはどうなる? 本はどうやって読むんだ?
そんな些細で個人的な感情が、合宿という野蛮な体育会系の催しに通用するはずもなかった。参加するよりほかに選択肢はない。八月最初の月曜日、僕は着替えとニーチェの『偶像の黄昏《たそがれ》』の入った大きなバッグ、それにチェロを担いで朝の七時に学校へ行き、ほかのメンバーと清里へ向かうバスに乗った。バスは三台で、僕が乗せられたバスには一年生が全員乗っていた。ということは、南枝里子も乗っていた。
高校一年生の一学期にとってクラスが違うというのは、距離として充分に遠い。ちゃんと付き合いのある友だちででもなければふらふらよその教室に入っていくなんてことは、なかなかできないものだ。ましてよそのクラスは女子しかいない。さらにA組は担任のカリババのおかげでホームルームが長く、ほかのクラスと一緒に終わることがないから、放課後に親しくなるチャンスを作ることもできなかった。
南枝里子の場合は、これらの困難に加えてさらに個別の問題があった。彼女は、暇さえあればヴァイオリンを練習していたのだ。放課後が駄目なら昼休みを狙って話しかけたりするしかないのに、その昼休みに南はたいてい、一人で長屋にこもってヴァイオリンを弾いていた。放課後だって彼女は殆んどの場合まっすぐに帰宅して練習するか、レッスンを受けていたのだから、たとえカリババの長話が早めに切り上げられたとしても、帰りにお茶に誘うような隙は見つけられなかった。見つけられたとしても、あの頃の僕には女子を一人でお茶に誘うなんてことはできなかっただろう。
南が練習をしている昼休みに、僕もチェロを持って長屋に行くことはあった。それはしょっちゅうあった。狭い個室から聞こえてくるのはたいていがピアノかソプラノの歌声だったから、南のヴァイオリンはすぐに居場所が判った。僕はよくその隣の部屋を使ってチェロを弾いた。弾き始めれば夢中になって南のことは半分忘れてしまったけれど、ふと手を休めたときなんかにヴァイオリンが聞こえてくると、僕はこっそり笑顔になって、すぐその笑顔に一人で恥ずかしくなったりした。彼女にも僕の音が聞こえているはずだった。
南のヴァイオリンには特徴があった。難しいパッセージほどテンポが速くなる。音が大きくなる。それは決していい特徴とはいえなかった。そこを素早く通り過ぎたいから早くなるのであり、力任せに弾くから大きくなる。それは、そのフレーズがきちんと弾けないと同時に、弾けないことを認めたくない弾き方だった。その気持ちはよく判った。僕だって何度やってもできないところは、ちゃかちゃかちゃかっ! と弾いてごまかしてしまいたくなることは、しょっちゅうあった。でも僕はそれをしなかった。できなかったからだ。それをするには、難しいところを、いい加減ではあってもそれなりに聞こえるくらいには弾けなければならない。いわば高度なごまかし方なのだ。ただしもちろん、音楽学校の先生をそれでごまかすことは無理である。だから結局は南も、そんなところもゆっくり丁寧に練習していた。負けず嫌いなんだな。その音を聞きながら、いつも僕は思っていた。いざとなったら、どんな手でも使うくらいの負けず嫌い。それは要するに、近寄りにくい、きつい女の子、ということだった。
実際、昼休みが終わるベルが鳴って長屋の個室を出ると、南は僕の顔をちらっと見て、そのまま何もいわずに楽器のケースを抱えて教室に戻ってしまうのが常だった。長屋から教室のある二階まで、ずっと同じ通路を歩いているのに、彼女はいつも僕より二、三メートル先を、背筋を伸ばして口もきかず、振り返りもしない。僕もまた声をかけることはできないでいた。
鮎川に無理やり引き合わされて、目の前でバッハを弾いて以来、僕は南とのその二、三メートルを、縮めることはできなかった。それは無限に等しい距離だった。だって彼女は僕に背を向けているのだから。昼休みのたびにわざとらしく隣の部屋で楽器を鳴らし、終わると後をつけるようにして教室に戻っていくなんて、我ながら情けなかったし、彼女からもうさん臭く思われているに決まっていた。
彼女が振り向いてくれる見込みも、自分からしっかり声をかける勇気もないのなら、せめてもう、あんまり不審者みたいに近づくのはやめにしようと、夏休みの少し前から、僕は長屋に通うのを控えることにしていた。それでも昼休みの練習は習慣になっていたから、生徒会室で弾いた。昼休みの生徒会室は女子たちの内緒話の巣だった。練習している生徒に文句もいえず、露骨にいやな顔をされたりもしたけど、僕は知らん顔で窓に向かって弾き続けた。たまに大宮や山路、それに戸田先輩がにやにやしながら話しかけてきても、生返事をして練習の手を休めなかった。昼休みには練習がしたいんだ、女の尻を追っかけてたわけじゃないと、自分にいいわけするために、むきになって弾いていたのかもしれない。
だから清里行きのバスの中でも僕は生田と伊藤と三人で真ん中あたりの席に座り、南が鮎川やほかの女子たちと後ろの席で楽しそうに喋っているグループには加わらなかった。車酔いをするから本は読めないし、生田というのは朴訥《ぼくとつ》なうえに退屈な男だった。こっちから話しかけなければ、まったく会話ができない。その会話だって、
「コントラバスは、朝練やってるの?」
「たまにやるよ」
そこで止まってしまう。しょうがないからさらに水を向けて、
「たまにって、どれくらい?」と訊くと、
「月に一回くらいかな」で、終わり。
「うまくいってる?」
「多分」
「ああ、そう」
喋っていても少しも面白くなかったが、どうしようもなかった。そのうちうまい具合に窓側に座っていた生田は寝てしまったので、僕は伊藤と話をした。
伊藤もまた僕同様、昼休みに誰かと一緒に遊ぶということをしない男だった。フルートを持って教室を出て行くから、どこかで吹いているんだろうけれど、長屋では殆んど見かけたことがなかった。
「どこでやってるんだよ、練習」と訊いてみた。
「大学の、校舎の裏」伊藤は答えた。「誰もいなくて、静かなところを見つけたんだ」
「長屋でやりゃいいじゃん」
「あそこは湿気がこもるから、管楽器には向かないと思うよ。それにうるさいし」
伊藤はいつもどこか寂しそうで、声も小さかった。席が隣で、ふと気がつくと僕のほうを見ていることがある。だけど声をかけても、なんでもない、といって目をそらしてしまう。陰気なやつというわけじゃなく、僕の冗談にはよく笑ったし、みんなで帰りに喫茶店に寄ろうというと、ついてきた。けれどもたいていは、人の話に微笑んだり、話を振られて困った顔をしたりするだけで、自分から会話に加わるようなことはしなかった。そういうときも、伊藤は僕をよく見ていた。僕は彼が、僕を頼りにしているんだな、と思っていた。僕から話しかけられると、ほんの少し表情がやわらぐようでもあった。
それこそ、マネの「笛を吹く少年」が少しだけ成長したような美少年だったから、伊藤はすでに女子たちの間で噂になっているらしかった。二年生や三年生からも、休み時間に話しかけられたり、帰り道を待ち伏せされたりした。そういうときの彼の困惑の表情ったらなかった。恥ずかしがっているのを通り越して、犬にでも吠えかかられたみたいな、恐怖の表情を浮かべていた。みんなと歩いていて、横道から彼にべたぼれの三年生から、「伊藤クン!」と不意に呼ばれて、「きゃっ」なんて女みたいな声を出し、一瞬内股になってしまったこともある。
「おかまか!」
といって僕が大笑いすると、めずらしく伊藤は本気で怒った。僕に向き直り、こめかみを赤くして、つかみかからんばかりに顔を寄せて怒鳴った。
「僕は小学生のときから、ずっとそういわれてからかわれてきたんだよ! それをいわれるのが一番頭に来る! 僕みたいな男がそういわれて、どれだけ傷つくか判ってんのか? 謝れ!」
僕は一瞬で自分がとんでもない悪者になったのを感じた。
「悪かった」気まずかったけど、素直にいえた。
「もう二度といわないか?」
「いわない」
伊藤はそのまま駅まで早足で行ってしまった。三年生はあっけにとられて、ただその後姿を、(カッコイイ〜)みたいな目で見送っていた。
そんなことがあったからといって、伊藤と喋るときには気を使うようになった、なんてことはなかった。むしろあんまり話はしなくても、僕はこの学校の男子の中で、伊藤にいちばん友だちの感じを持っていた。バスの中で生田が眠ってしまったのは、その意味でも都合が良かった。
「俺たち、けっこうつるんでるけど、あんまり音楽の話とか、しないよな」
「してるじゃん。こないだも津島、僕にフォーレの『レクイエム』を聴けって。僕聴いたよ。クリュイタンスの指揮のレコードで。怖いくらい、よかった」
「そうじゃなくて、自分らの音楽の話」
「ああ。そういえばそうだねえ」
「俺、いっぺんもお前のフルート、きちんと聴いたことないからさ」
「僕も、長屋の外とか歩いてると、チェロが聞こえてくることあるけど、それくらいだ」
「こんなこと、あんまり自慢げにいえないけどさ」僕は声を小さくしていった。「俺たち、どっちも一年坊主で、もう学校で一番うまいとかいわれてるだろ? だからちゃんと聴いてみたいんだよ」
「僕はもう、津島がうまいのは知ってる」伊藤はいった。「このオーケストラでチェロが後ろの金管までちゃんと聞こえるの、君と戸田先輩だけだもん」
「あのさ。スケジュールがどうなってんのか、詳しいこと知らないけど、ヒマ見つけてちょっと、弾いてみようぜ」
「そうだね。それいいね」
高速を降りて国道を抜けて、山道を、青々と繁る木々の枝に車体をこすらせながら走っていくと、林の中に木造二階建ての合宿所があらわれた。古い学校みたいな建物だった。周りはすっかり木に囲まれていて、風景も何も見えない。清里かどうかも判らないようなところだった。
男子五人用の部屋だけが一階で、女子は二階、先生たちは少し離れた別棟に寝泊りすると決められた。男の部屋はその別棟と庭ひとつはさんだ真向かい、出入り口すぐそばの、十畳ほどの部屋だった。戸田先輩と合田先輩が当然のようにいちばん過ごしやすそうな、入り口から遠い壁際のスペースにバッグと楽器を下ろしたが、それでも一年生の僕ら三人には充分に余裕があった。
「去年は男子も二階の部屋だった」合田先輩が、窓の向こうに見える別棟を見ながらいった。「なんで今年から、ここになったか知ってる?」
一年生たちは答えなかった。
「去年の三年生が、女子を呼んで酒盛りをしたから」合田先輩は振り返って、ぼくらに目を向けた。「僕は巻きこまれなかったけど、誰かさんが酔っぱらっちゃってねえ。もう少しで全員、停学になるところだったんだよ」
「ほかの誰かさんが、ちくったんだ」戸田先輩がバッグから着替えを出しながら、冷たい声でいった。
「僕は密告なんかしない!」合田先輩がぴしゃっといった。「先輩がウイスキーを出してきたんで、やばいと思って外に出ただけだ。お前はまだそんなこといってんのか? あれだけ騒いで先生に見つからないわけないだろう! いい加減にしてくれ!」
合宿が始まって二分でこうなった。戸田先輩と合田先輩のあいだに、そんな確執があったなんて、僕たちはそのとき初めて知った。一年生は黙って二人を見ていたが、戸田先輩がにやっと笑って、
「判った、判った」
というと、僕は心の中で胸をなでおろし、表面的にはあくまでもクールに、そのまま部屋を出て行った。生田と伊藤がついてきた。どこといって行くあてもなく、ただ先輩たちの睨みあいに付き合いきれないから部屋を出ただけだった。最初のゲネプロは明日の朝で、今日の分奏練習まで小一時間あった。僕たちは合宿所の周りを見に行くことにした。
気温は高かったけれど、雑木林を抜ける風が心地よかった。バスの入ってきた道は林の中をどこまでも続き、やっと広い道に出たと思ったら林の向こうは崖《がけ》で、振り返って見上げると自分たちの来た林の上にも、鳥や蝉の声が絶え間ない木々が青々としており、ここが山の中腹にあることが判った。崖に生い茂る木立の向こうには小さな集落があるようだったが、練習と練習のあいだのわずかな時間ではたどり着けそうになかったし、着いたとしても映画館や本屋があるとは思えなかった。僕たちは合宿所まで戻り、もう部屋に帰ろうと思っていたのだが、合宿所が見えるか見えないかくらいのところに、林の中へ入っていく歩道があるのに気がついた。蜘蛛の巣を払いながら歩いていくと、道は大きなカーブを描いて、さっき行った崖の手前の道に出ようとする直前で、ぽっかりと広がった直径十メートルほどの、庭ともいえない、雑木林を丸く切り取ったような小さな平場で終わっていた。
「なんだろう、これ?」
生田がダイレクトに僕たちの疑問を口にした。僕も伊藤も同じことを思っていたのだが、その場の奇妙な雰囲気のために、言葉を出せないでいたのだ。なぜならその平場の中央には、幽霊のように白いベンチが木漏れ日を受けて、妖怪のように鈍く輝いていたからである。僕はそのベンチまで歩いていって、だけど何となく座ることもできないような気がして、ぐるりと一周してみた。伊藤と生田は平場に入ってこようともしなかった。それほどそのベンチは現実離れした、やけに堂々と美しいベンチだった。近くで見ると鉄の上に白いペンキを塗ってあるのが判った。どこにでもあるようなベンチなのかもしれなかった。ただ、こんな見捨てられたような小さな場所にあって、少しも汚れたところがない、枯葉一枚落ちていない、完璧な白さを夏の光の下で反射し続けているのが不気味だった。この小さな場所が、このベンチのために作られているとしか思えなかった。
僕がベンチを一周すると、伊藤も生田も、何もいわないまま来た道を戻った。合宿所に着くまで、三人ともきょとんとしていた。合宿所ではもうざわざわと、生徒たちがおのおのの練習室へ向かって移動を始めていた。
そのざわめきが僕たちを正気に戻してくれたようなものだった。急いで楽器を持って移動しながら、僕たちは口々にベンチの話をした。
「あれ、ほんとになんだったんだろう?」生田が笑顔でいった。「魔法のベンチ?」
「庭にベンチを置いたっていうより、ベンチのためにあの場所を作ったみたいだなあ」ぼくがいった。すると伊藤が呟くように、
「恋人たちのベンチだね」
といって微笑み、管楽器の分奏がある二階に消えていった。
弦楽器は一階の、いちばん広い部屋で練習することになっていた。一年生の女子はもう椅子を並べ始めていて、遅れてきた僕と生田をにらみつけた。
「ナニちんたらしてんだよう!」鮎川が叫んだ。「こういうことは男子が率先してやんなきゃでしょ!」
「はいっ」生田は真っ赤になって、急ぎ足で椅子を運び出した。
僕も運びはしたが、鮎川の怒声を真に受けなかったのはもちろんのこと、あんまり気を入れもしなかった。一年生なのに椅子も運ばず、にやにや上級生とお喋りしている女子が、もう一人いたからだ。南枝里子は壁に寄りかかって、ヴァイオリンの弓をぶらぶらさせながら、同じくらいにやけている合田先輩とくっちゃべっていたのだ。
二回目のオーケストラの授業から、この光景は毎回、毎回、見せられていた。あの最初の授業のあと先輩に呼ばれて、持っていた椅子を放り出し、結果的に僕がその分を片付けて以来、南は一度も椅子の出し入れをしていなかった。二年生の女子がそのことについて、合田先輩と南を呼び出して注意したこともあったらしい。そのとき南はさすがにすみませんでしたと謝ったそうだが、合田先輩が割って入り、南君は第二ヴァイオリンのトップなんだ、椅子の出し入れなんかよりも大事なこと、やって貰わなきゃならないことがたくさんある、特に僕との意思の疎通や練習直後の細かい打ち合わせは絶対に必要なんだから、彼女はそんな下らない用事から解放させてあげてくれといって、逆に注意した二年生をやりこめてしまったという噂を聞いた。どうやらその噂は本当らしく、椅子の並ばないうちから入ってきた上級生たちは南と先輩のお喋りを見ても、なんにもいわない。僕が椅子運びに気が乗らないのも無理はなかった。
コンサートマスター、白井先輩がラの音を出して、チューニングが始まり、カミナリが指揮台に立った。
「みんなのレヴェルが上がらなきゃ、合宿なんて意味ないからね!」
「はい!」全員が答えた。
だけどカミナリは普段の授業より、はるかに優しかった。こっちが甘えているのかもしれないが、頭ごなしに怒鳴られないでいると、演奏ものびのびとできる。ミスも少なく、ワルツの中間部を合わせるところがまごついたのと、チャルダッシュのスタッカートを注意されたほかは、うまくいった。カミナリは、特に褒《ほ》めもしなかったが、指揮をしながら何度か満足そうに頷いていた。
カミナリは知っていたのだ。これから始まる合宿で、僕たちがどれほどきつい目にあうかを。ついさっきバスから降りてきたばかりの高校生を、そうがんがん叱りつけることもできないと思ったのかもしれない。カミナリだって今着いたばかりで、不愉快なことはしたくなかったのだろう。弦楽器の初日の分奏は、予定より三十分ほど早めに終わった。そしてそれが、初日の合宿スケジュールのすべてだった。
カミナリのいっていたように、オーケストラの練習にはレヴェルがある。オーケストラはどこもそうだと思うが、新生学園高校みたいな三流音楽学校では特にだ。
第一のレヴェル・まず、全員が同じテンポで、正しい音程で、演奏できるようになること。
第二のレヴェル・楽譜に書いてあるアーティキュレーション、つまりフォルテとかピアノとか、クレッシェンドとかいった音の強弱や、スタッカート、スラーなどの音の表情に関するさまざまな記号を理解して、その通りに演奏すること。
第三のレヴェル・楽譜にあるアーティキュレーションだけでなく、あるいは、その指示に反してでも、指揮者の指示や意図を受け取って、それを演奏に反映させること。極端な場合、楽譜に「ピアニッシモ」と書いてあっても、指揮者が「ここはフォルティシモで」といい出したら、オーケストラはそこをフォルティシモで演奏しなければならない――そんな指揮者は楽譜よりも自意識を重んじる大馬鹿野郎には違いないが、それでも指揮者の指示は絶対である。
第一のレヴェルが達成されなければ、第二のレヴェルにいくことはできない。しかし鏑木先生という指揮者が来てしまうと、とにもかくにも第三レヴェルを要求されることになる。ところがオーケストラがそこに至っていないから、僕たちは常に先生から罵られ、失望されることになる。分奏はそれを少しでも未然に防ぐため、第一と第二のレヴェルの練習をしているのだ。
ところが、ここが三流の三流たるゆえんなのだが、たとえ第二にレヴェルアップできたとしても、その先で常に第一のレヴェルを保持できるわけではないのだ。昨日できたことが、今日できるとは限らないのである。音程やリズムといった基本中の基本を、いつ誰がはずしてしまうか判らない危険性を、僕たちはいつも孕《はら》んでいた。
それでも清里に到着してから一夜明けて、鏑木先生が髪の毛の寝ぐせをぶらぶら揺らしながら指揮台に立てば、平気で第三のレヴェルを要求する指示が出される。
「Aの八小節あとのアウフタクト」鏑木先生は通しで僕たちに弾かせたあと、その演奏に対してなんにもいわず、いきなり楽譜の一箇所を指した。
「ヴァイオリンとヴィオラ。第二主題の各フレーズの最初の音、ここに弱くアクセントをつけてください。で、さらにフレーズごとに弱くクレッシェンド。弱くだよ。目立つようにクレッシェンドにすると安っぽくなるから、気がつかれないくらい弱く。ラー[#「ラー」は太字]、ラーララ[#「ラーララ」は太字]、ダーヤダ[#「ダーヤダ」は太字]。ね? で、七小節あとに三連符でしょ。その三連符の最初の音は、かならずアクセントをつけて。ラ[#「ラ」は太字]ダダ、ダ[#「ダ」は太字]ーダ、ラ[#「ラ」は太字]ダダ、ダ[#「ダ」は太字]ーダ。ただしクレッシェンドはトレモロになってからね。金管はフォルティシモまでクレッシェンドしない。木管は、フルートの三連符からもうフォルティシモで吹いてください。いい?」
誰も返事をしない。いわれたことを楽譜に書きこむので精一杯だからだ。指揮台の後ろでうろうろしている分奏の先生たちも、ペンを持った手をせわしなく動かしている。鏑木先生はゆっくり丁寧に指示を出しているつもりだろうけれど、理解するのは大変だ。ましてや先生は、これだけ判りやすくいったんだからもういいだろうとばかりに、指示を出したとたんにタクトを上げようとする。あちこちの譜面台に鉛筆が置かれる音が静まるのを待つだけでも、忍耐を必要としているように見える。
「じゃあ、そこから行こう」
そこから? そこからとは、どこから? オーケストラ全体に泣きそうな戦慄《せんりつ》が走る。
「Aから八小節目ね」
さすがに先生もその空気を察して、具体的にいう。ところが振り下ろされたタクトを、管楽器とハープは一拍目だと取り、弦楽器はアウフタクト、つまり四拍目だと思ってしまう。鏑木先生の手が止まり、目が光る。
「八小節目」小さな声でいうのが恐い。練習場は静まり返る。先生はさらに譲歩して、馬鹿な弦楽器たちにも理解できるように付け加える。「弦は三拍目の、チェロとコントラバスのピチカートから」
戸田先輩が僕をちらっと見る。(判ったよね)と、その目がいっている。
タクトが上がる。フルートとオーボエとクラリネットが、完全にばらばらなテンポで三連符を鳴らす。鏑木先生はタクトを下ろす。もう何もいわない。
みたびタクトが振られて、ようやく音楽が鳴り始めた……と思ったら、
「だからさ」
鏑木先生はチェロに背を向けて、コンサートマスターの方を睨みつける。
「クレッシェンドだっていったじゃないか。今いったんだよ。たった今」
僕たちはひたすら、先生のタクトがもう一度持ち上がるのだけを、ひたすら待っている。だけどなかなか上がらない。先生は楽譜にたっぷり一分ほど目を落とし、口の中でなにか呟き、ため息をつきながら、ようやく背筋を伸ばし、オーケストラを見渡す。
クラリネットが明らかにおびえた音を出す。チェロのピチカートも最初の一音目は不揃いだ。けれどもさいわいなことに鏑木先生はそのまま振り続ける。ヴァイオリンとヴィオラが、ここぞとばかりにクレッシェンドでメロディを……。
「それじゃ、やりすぎ!」先生はタクトで指揮台を叩くが、怒りはさばさばした声で伝えられる。僕たちが、指示通りにしようとはしているからだ。「気がつかれないくらい[#「気がつかれないくらい」に傍点]弱いクレッシェンドだよ。自分で自分の音を聴くと判るんだけどな。今のはどう聴いたって安っぽい。メロドラマのBGMみたいになっちゃったでしょ。そうじゃない。弱いアクセント。弱いクレッシェンド。意味判るね? じゃ、やってみよう」
できるようになればなるほど、僕たちの音はしっかりと鳴る。「そう、そう!」と先生は叫ぶが、手は止まらない。最初の分奏でカミナリに怒られたストリンジェンドもピウ・モッソも、うまく息が合う。
「チェロ!」いきなり先生と僕の目が合う。「最後のメロディはメゾフォルテだ。それじゃピアノか、ピアニッシモ。ここで白鳥の息が絶えるんだから、強く弾かなくてもいいけど、メロディの始めはもっとしっかり弾いて、それからディミヌエンドで、最後の二小節はピアノになると。いい?」
「はい」と、戸田先輩が返事をする。
「じゃ、次。ワルツ」
メゾフォルテで弾かせてくれないの? というチェロの無言の訴えを聞いてくれる者は誰もなく、さっさと譜面がめくられる。
「ワルツ」では管楽器の裏拍と弦楽器のメゾフォルテ、それに楽譜にDと書かれたところから爆発するフォルティシモについて、一曲目と同じくらい複雑な指示が出され、「チャルダッシュ」ではさらに細かいニュアンスが、ほとんど四小節ごとにいい渡された。休憩、というより、急いで昼食を食べることを許されたときには、もう午後三時に近かった。
四時に再集合してもう一度ゲネプロ。そして一曲目「情景」から通してやろうとすると、もうクラリネットは三連符を揃えることができないし、ハープはオーボエを聴いていないし、弦楽器はあれだけいわれたクレッシェンドを、またしても「メロドラマのBGM」みたいに弾いてしまう。一曲目すら最後まで行かずに、先生はオーケストラを止めてしまう。
「あのね」
長い沈黙のあと、鏑木先生はいう。
「そんなことしかできないんだったら、やらないほうがいい。合宿なんかやめて帰ったほうがいい。……どうなってんの? ひとつできるようになったかなと思ったら、もう前のこと忘れてるって、どういうことだよ。こっちはいわないで我慢してることだって、まだいっぱいあるんだよ。判ってるだろ、パーカッション! それからホルン! 頼むから、ここで音が出るかどうか、一発勝負でやってみようなんていうのはやめてくれないか。音が出ないんだったらここへ来る意味なんかないんだから! 音が出なけりゃ、出るまで一人でやってこいー」
ホルンとパーカッションはうなだれている。
「ほかのみんなだって、同じようなもんだからね」先生は罵倒を続ける。「何度同じこといえば理解するんだよ! 今のクレッシェンドだって、さっきそれじゃ駄目だっていったばっかりだろう。飯食って忘れるんなら飯なんか食わないでくれ! どうなってるんだ頭の中は。耳がついてるんなら話を聞けよ!」
先生は立ち上がって、聞こえよがしのため息をつく。
「とにかく、できるまでやるのか、できないって決めて、合宿もコンサートもやめるか、どっちかにするしかない。このままじゃコンサートなんてとんでもないよ。時間の無駄だ、聴くほうも、演《や》るほうも!」
「起立」白井先輩が号令をかける。全員起立する。
「そんなことより、練習しっかりやって!」
鏑木先生はそう叫んで、生徒たちの礼を見もしないで練習室を出て行ってしまう。
午後六時。夕食のあとは分奏。カミナリに一人ひとり、難しいパートを弾かされて、副科の女子は泣いてしまう。終わったのは十時過ぎだった。
先輩たちが風呂に入っているあいだに自分一人のためにチェロを弾くなんて、とてもできたものじゃなかった。風呂に入るのすら面倒臭く、僕の番が来たときにはシャワーを五分くらい浴びただけで出てきた。布団を敷く気力を出すのが精一杯、でも電気を消しても、全然眠れなかった。こんな夜をあとひと晩、過ごさなければならないのか。思わずため息が漏れた。するとどこからか、誰かのため息が聞こえた。生田はいびきをかいて寝ていた。
そして翌日、事態はさらに悪化していたのだ。前の晩の二階では女子たちが大変なことになっていたらしく、三年生が自主的にミーティングを開き、そこに二年生と一年生が呼び出され、気合が足りないとか真面目にやってない人がいるとか、精神論が口論になり、結果としてメンバーたちの緊張は、悪い方向へ増幅されてしまったみたいなのである。昨日までかろうじてできていたことも、その朝にはできなくなっていた。第一ヴァイオリンが全員違う音を出し、休符になってもトランペットは止まらず、フルートとクラリネットは二拍目に八分音符を二つ鳴らすということがどうしても理解できない。チェロにしても、指揮棒に忠実でいようとすれば楽譜に目が行かず、楽譜を見ていれば曲がどこまで進んでいるのか判らなくなって、音を出すのが怖いくらいだった。オーケストラは完全に破綻《はたん》したように思えた。
「もう駄目だ。本当に」
鏑木先生は楽器を持ってうなだれている、数十人の高校生を前にして、喉がかれるほど罵声を浴びせたあとでいった。
「君たちより何より、僕がやる気なくした。こんなポンコツオーケストラなんかと、もうやりたくない。君たちが勝手にやってくれ!」
そういって先生は、本当に譜面と指揮棒を持って練習室を出て行ってしまった。
ポンコツオーケストラね。僕はしょんぼり思った。なるほど、ぴったりのネーミングです。僕も同意見です。使わせてもらいます。
カミナリをはじめとする各分奏担当の先生たちが、急遽《きゅうきょ》練習室の外で打ち合わせを始めた。カミナリが戻ってくるまで、僕たちはずっと黙ってうなだれていた。
「今日はもう、ゲネプロは中止します」カミナリは冷静な声でいった。「このあと休憩、昼食、そのあとは分奏。各楽器、昨日と同じ場所に集まるように」
「はい……」
生徒たちのまばらな声がして、カミナリも練習室を出た。
僕も立ち上がったし、鮎川も、戸田先輩も立ち上がった。けれど大半の生徒たちは座りこんだままだった。
「戸田君たち、ちょっと待って。みんなも」
白井先輩が立ち上がっていった。
「お昼ご飯まで、まだ一時間あるでしょう? それまで、自主練しない?」
「あ。はい」戸田先輩は座りなおし、僕たちも腰をおろした。
「みんなさあ」
白井先輩――ちょっと太っていて、髪は三つ編みで、ちょっととっつきにくいような、真面目な先輩だったけど、彼女を嫌いな人は誰もいなかった――は、ヴァイオリンを持ったまま指揮台に立った。
「やっぱりちょっと、昨日のこともあったし、あんまり調子出てないのは判るけど、でも今のはひどすぎると思う。それにこのまま分奏に行っても、みんなに嫌な感じが残るんじゃないかと思うんだ。これ絶対プレッシャーとか、気持ちの問題なんだから。気持ちを立て直せばちゃんとできるんだから。そうでしょ? せめて昨日の演奏くらいまでには戻したいじゃない? だから、やってみようよ」
「誰が指揮するんですか?」戸田先輩がいった。
「白井さん、やりなよ!」管楽器の方から声がした。
「無理無理」白井先輩は赤くなって手を振った。「考えたんだけど、メトロノームでやったらいいんじゃないかなあ」
そういって先輩は、ピアノの上にあったメトロノームを取ろうと振り返ったが、その背中にみんなが口々にいった。
「白井先輩、やって!」「お願いします!」「曲の途中で速さ変わるじゃん、メトロノームじゃできないよ!」「白井さんがいいと思う人!」「はい!」「はい!」
白井先輩は、もともとそんなに明るい人でもない感じだし、リーダーシップを取るのも苦手そうなタイプだけど、このときはかなり意識してがんばったんだと思う。それが僕たちにも伝わったのか、練習室の空気は少しずつ温かくなっていった。「じゃあ……」といって白井先輩がヴァイオリンを椅子の上に置き、ボールペンとヴァイオリンのパート譜(スコアなんてないんだから、パート譜を頼りに指揮するしかなかったのだ)を持って指揮台に立ったときには、もう少しで拍手なんかが起こるところだった。
「指揮なんてやったことないから、間違えたらカンベンね」
といって、合唱団の指揮者みたいな白井先輩のゆっくりしたタクトで、僕たちは「情景」を弾いた。演奏が始まってみると、先輩は明らかに自分の振っている四拍子を保持するので精一杯だったし、鏑木先生の出した指示をきちんと守れている自信は、誰にもなかったかもしれなかった。それでもついさっきのあのポンコツオーケストラと、これは同じ楽隊ですかと、自分にツッコミをいれたくなるくらい、僕たちはぴったりと呼吸を合わせていた。「情景」が終わると、みんなが口々に喋り出した。もう一回やりたいとか、今のうまくいかなかったとか、自分への不満がほとんどだった。
「もう一回だけやらして。お願い!」とクラリネットがしつこく叫んだけど、白井先輩は首を振った。
「いい演奏は鏑木先生のゲネプロでできればいいんだから。ほんとは今、休憩時間なんだからね。こんなの、越権行為なんだから。それにもう、あんまり時間ないよ」
越権行為かどうかは知らないが、昼食まで時間がないのは明らかだった。僕たちは「ワルツ」「チャルダッシュ」と、立て続けに演奏した。どっちも「情景」より下手なところが目立った。白井先輩も途中で混乱した。それでもとにかく通しで演奏することで、僕たちは自分を取り戻したし、何より気分がすっきりした。いくら練習でも、ぶつ切りで演奏しては、いわれたことを何度も繰り返す、なんてやり方には、もううんざりしていたのだ。
そして、僕たちがこのときやっていたことを、先生たちはもちろん、鏑木先生もまた、練習室の外で聞いていたのだった。昼食後には永遠に続くかと思われた分奏があり、カミナリは相変わらず怒鳴り続けていたが、夕食後には再び全員が集められ、それまで姿を見せなかった鏑木先生が現れた。
音程はあちこちで外れた。音の強弱にもメリハリが欠けていた。そして僕たちは、まだ充分におびえていた。けれども午前中のような混乱は、もうなかった。僕は内心、先生に反撥《はんぱつ》するくらいな気持ちで思い切った音を出していたし、女子の何人かも、そんなつもりでいたようだった。
鏑木先生はそんな僕たちの演奏を、何度も止めて指示を出した。練習不足の痛いところをちゃんと見抜いた。僕たちだって見逃してくれるとは思っていなかったが、指摘されればやはりきつい箇所ばかりだった。しかし先生は、もう大きい声を出さなかった。ところどころ冗談さえ飛ばした。僕たちはくすりともしなかったけれど。
最後に先生は、「オーケストラはきついんだ」といった。
「ソロの演奏とはまったく違う。みんなと合わせなきゃいけない。私が私がっていって、一人で前に出てきてもいけない。弾けないからってみんなの陰に隠れることもできない。全員がひとつの音楽を、いっせいに鳴らさなけりゃいけない。だから練習もしっかりしなきゃいけないし、どんなときでも気を抜けない。失敗すれば連帯責任だ。きつい。
だけどただきついだけだったら、こんなことやる奴はいないわけだ。やっぱりそうやって練習して、みんなの音がピタッと合うと、オーケストラっていうのは本当に美しい音を出すもんなんだよ。どんなソロの楽器よりもダイナミックで繊細で、多彩な音を出すことができる。それがみんなで力を合わせてできたときの喜び、それが僕は、音楽の本当の喜びだと思う。
それをね、君たちにも早く味わってほしい。僕も先生がたも、君たちには相当ひどいことをいってる。僕たちも自分の師匠に、さんざんなことをいわれてきたわけだ。それはなぜかっていうと、君たちの演奏を、僕が代わってやることができないからだ。僕たちは音楽の先輩で、苦労して練習した果てに、どんなに大きな喜びがあるかを知っている。君たちはまだ知らない。
十一月にその喜びが、みんなで味わえるようにしましょう。僕はそれを願っています。――じゃ、少し早いけど、今日はこれまで」
そうか、と僕は思った。やっぱりこれは、虐待じゃないんだな。首の皮一枚かもしれないけれど、僕たちはいじめられているわけじゃない。
「起立」白井先輩の声は、少しうるんでいた。「礼」
「ありがとうございました」
「お疲れ様でした」
鏑木先生は、今度は不器用にお辞儀を返し、それから練習室を出て行った。蛍光灯の隅に蛾《が》が一匹、音もなく張りついていた。
「あー」
戸田先輩は夕食を終えて部屋に戻るなり、畳の上に大の字になっていった。
「鏑木先生の心理作戦に、またハマッたネエ」
「心理作戦ですか」と伊藤が訊くと、戸田先輩は、
「そう。昨日から計算されていたんだね。あの先生、そういうの本当にうまいから」
「合田先輩は?」生田がいった。「お風呂、まだ入ってないですよね?」
「消えたネエ」戸田先輩は、もうそのまま寝ちゃいそうだった。「噂の美女と、どっか行っちゃってんじゃないの」
「南ですか」伊藤はそういって、ちらっと僕を見たので、僕は二重にどきりとした。こいつ、気づいているのか、と思った。
「そー、ネエ」戸田先輩はあくびのついでにそういった。
「一時間以内に全員風呂入んないと、消灯ですよ」僕は呟いた。「早く戻ってきてくれないと」
「んー。なら、ちょっと見てきてよ」戸田先輩はまったく動く気配がなかった。「三人で行けば、どっかですぐ見つかるんじゃない?」
「はい」といって、生田は何の屈託もなく立ち上がった。次に伊藤が、僕をじっと見ながら立ち上がった。なのでしょうがなく、僕も二人の後ろから部屋を出た。
「ボク二階見てくるねー」といって生田が一人で嬉しそうに階段を駆け上がっていった。
僕と伊藤はその背中を見て途方にくれた。一階にある男子用の風呂場も、食堂も、練習室も電気が消えている。合田先輩が外へ出て行ったと考えるのがいちばん合理的で、下駄箱を見ればそれはすぐ判明することだったが、僕は見たくなかった。もうひとつ、女子の靴がなくなっていたらと思うと、それだけでいらいらした。南がどんな靴を履いていたか知らないなんてことは、なんの慰めにもならなかった。合田先輩が表に出て行ったのだとしたら、大して遠くに行ってるわけがない、そうしたらその靴の持ち主もまた、先輩のすぐそばにいるに違いないからだ。要するに僕は、合田先輩を探しになんか、本当は行きたくなかったのだ。
廊下で立ち尽くしている僕を、伊藤はただ見ていた。それに気がついて、僕は慌てて練習室に入っていった。先輩なんかもうどうでもよかった。伊藤の視線に耐えられなかったのだ。
電気をつける一瞬前にふと思った。合田先輩と南が[#「合田先輩と南が」に傍点]、もしこの暗い中に二人きりでいたらどうする[#「もしこの暗い中に二人きりでいたらどうする」に傍点]? しかし明るくしても、そこには誰もいなかった。伊藤も入ってこなかった。恥ずかしくて頭がおかしくなりそうだった。南のことなんか、好きになりたくないと思った。誰もいない練習室はだだっぴろくて、僕は一人だった。
「くそっ」と僕は口の中でこっそり叫んで、隅に片付けてあった譜面台をふたつかみっつ、思い切り殴って倒した。かたっぱしから全部倒してやるつもりだった。だけどそこへ伊藤が入ってきたので、僕ははっとして身体を止めた。
伊藤は何もいわなかった。責めているような目つきもしなかった。そしてフルートのケースと、よれよれになった楽譜を持っていた。伊藤はそのままフルートを組み立て、僕に近づき、倒れている譜面台をひとつ起こして、楽譜を置いた。そして吹き始めた。
夢の中でしか聴くことのできない音楽だった。少なくともそれは、いつも机を並べて古文や物理や聴音を習っている、同じ高校の同級生なんかの音楽ではなかった。もの悲しく、豊かなメロディで始まり、そこから先はまるで、伊藤が天才的な即興演奏をしているような、途切れることのない旋律の奔流、音の星座だった。メロディラインを落ち着いてたどっていけば、もしかしたらそれはバロック音楽の特徴を持っていたのかもしれない。また、ブレスや三連符、高音の半音階のところどころに、技術的な未熟さがあらわれていたかもしれないし、逆に「高一にしては上出来」な部分もあったのかもしれない。だけどそんなことすべてが、僕の目の前に立ち現れた音楽の前では、まったくどうでもいいことだった。あとでこのときの音楽が、バッハのロ短調のフルート・ソナタだったと知ったときも、僕はそれを瑣末《さまつ》な情報だと思ったくらいだ。このとき伊藤が不意に奏で始め、僕が聴いたそれは、理屈も何もありはしない、美しい音の美しさ、音楽そのものだった。
一人で勝手に苛立っていた僕は完全に魂を抜かれて、ただそれを聴き入るほかなかった。伊藤はフルートのパートを忠実に演奏していたらしい。伴奏のチェンバロがソロを弾いているところは二小節でも三小節でも、唇から楽器を離して黙っていた。僕を見てもいなかった。最初はどんなつもりで吹き始めたのであっても、音楽が始まれば、その音楽だけが目的となり、あとのものごとは一切が音楽の従属物になる。目の前にいる僕や、伊藤自身ですら、今ここにある音楽にくらべれば取るに足らない。伊藤の演奏するたたずまいは、語らずにそう語っていた。
そうだ……。
僕は何か、ただ透明な寂しさみたいなものが、胸の中に染み通っていくのを感じた。そのときは言葉にならなかったけれど、それはもしかしたら、こんな気持ちだったろう。僕たちは自分のやらなきゃいけないことの[#「僕たちは自分のやらなきゃいけないことの」に傍点]、主役にはなれないんだ[#「主役にはなれないんだ」に傍点]。僕たちの人生の主役は音楽で、音楽の、この絶対的な美しさの前では、僕たちの喜びや悲しみ、怒りや苛立ちなんて、ほとんど意味なんかない。音楽はこの世にあらわれる、この世ならぬものだ。この世ならぬものにとって、この世のものごとは哀れな夾雑物《きょうざつぶつ》にすぎない。受験がうまくいかなかったとか、先生に叱られたとか、あるいは……。
「やっぱり伊藤君か」
伊藤の演奏が終わるやいなや、がらりと扉が開いて、合田先輩が入ってきた。
「お、津島君もいる」
あとから南が、こっそりと入ってきた。
「どこ行ってたんですか」伊藤が鋭い声で訊いた。
「いや、ちょっと外の空気を吸ってたんだよ。別に……」と合田先輩は言葉を濁しながら、譜面台にのった伊藤の楽譜を手に取った。
「へえ、バッハか。じゃないかと思ったんだ。この楽譜は原典版?」
「僕のです」といって伊藤は、すっと合田先輩の手から楽譜を取り上げた。
合田先輩はちょっと眉を上げ、すぐに笑顔に戻った。
「噂には聞いていたけど、さすがだね。なかなかうまい」そういってから、ちらっと僕を見た。「今年の一年は優等生ぞろいだな。僕らもがんばらないと」
優等生の一年生三人は、何もいわなかった。
「じゃ、僕は風呂にはいってくるよ。お先に」
合田先輩は南の横をすり抜けて、練習室を出て行った。僕は南から目をそらすことができなかった。
伊藤は南のことを、完全にいないものとして振舞っていた。フルートをケースにしまいながら、
「明日帰っちゃうんだね。なんかあっという間だ」
と、僕に向かってだけいった。
「じゃ、明日の朝、僕が何か弾こう」と僕がいうと、
「私も来ようかな」と、南がいった。
僕と伊藤は、そんな南の嘘臭い軽やかさを、冷たく睨みつけた。南は、
「私も来ていい?」と、いい直した。
伊藤は僕をちらっと見てから、「いいよ」と小さく答えた。南はアイドル歌手みたいな笑顔を浮かべて、二階に消えていった。
「俺……」僕はいった。「合田先輩って人、軽蔑したな。あのフルート聴いて『なかなかうまい』っていいやがったぜ」
「褒めてくれたんだよね」といいながら、伊藤も別に嬉しそうじゃなかった。
「俺たちを下に見ながらね」僕はいいにくかった。だけど思い切っていうことにした。「ありゃ、なかなかうまいなんて程度のもんじゃなかったよ。じーんと来ちゃったな、俺」
「ありがとう」
伊藤は嬉しそうだった。
その晩、寝る前になってようやく、『偶像の黄昏』を読む時間ができた。この本の目次に「ソクラテスの問題」と書いてあって、そこだけでも読んでおきたかったのだ。この文章の中でニーチェは、まずソクラテスを罵れるだけ罵っている。「生きるということ――これは長患いをするようなものである」というソクラテスの言葉に噛みついて、こいつは生きることになんの意味も見出していない、だからこいつは衰弱の典型だ、というところから始まって、ソクラテスを最下層の民衆、ぶさいく、デカダンス、犯罪者、意地悪、不作法、道化だといい募る。それから、そんなソクラテスには人を魅了する力があった、彼はエロスの人だった、とやや持ち上げ、最後にふたたび批判する。「ソクラテスは一個の誤解でした。すべての改良道徳は[#「すべての改良道徳は」に傍点]、キリスト教道徳も含めて[#「キリスト教道徳も含めて」に傍点]、一個の誤解でした[#「一個の誤解でした」に傍点]。」
このとき、つまりオーケストラの合宿所で、背中を壁につけて床に座り、向こう側で生田と戸田先輩がきゃっきゃ笑いながらプロレスごっこをしている音や、二階から聞こえる女子たちの悲鳴めいた声をわずらわしいと思いながら「ソクラテスの問題」を読んだときに、初めて僕は、ニーチェのいっていることに、生理的な反感を感じた。なにいってんだこいつ? これじゃソクラテスに、ただ罵声を浴びせてるだけじゃないか。下層だとか、ぶさいくだから犯罪者になりやすいとか、差別以外のなにものでもない。感情的な反抗心だけで書いてるじゃないか。そんなにソクラテスが嫌いなら、いっそ喧嘩で決着をつけりゃいい。ソクラテスは戦争に行った頑丈なローマ人だし、ニーチェは病弱だったから、パンチ一発で勝負がつくだろう!
合田先輩が近寄ってきて表紙を見に来たが相手にせず、先輩は僕の顔をちらっと見てから、すぐに自分の布団に戻っていった。
翌朝、朝食の二時間以上前に目を覚ますと、伊藤はもう起きていた。二人で顔を洗い、楽器を持って練習室に行くと、南がヴァイオリンを持って入ってきた。
「おはよう」南がいった。
「おはよう」南を見て僕はいった。
とかしていない髪の毛をポニーテールにして、靴下も履いていなかったが、胸が痛くなるくらい綺麗だった。
僕は椅子を出して念入りにチューニングをした。伊藤と南は、ちょっと近すぎるくらいの床に腰を下ろした。南の細い太ももが一瞬見えた。僕が二人の視線をさえぎるところにわざと譜面台を置いたのに、二人は腰をずらして左右に分かれた。
「僕も、バッハを弾きます」そういって弾き始めた。
前に南の前で弾いた、『無伴奏チェロ組曲』一番の二曲目、アルマンドを弾いた。起き抜けで指が思うように動かなかった。最初のトリルはごまかした。ボウイングもめちゃくちゃだった。それでも繰り返しからは身体も温まってきて、乱暴にならずに弾くことができた。
伊藤はにこにこしていた。南は僕の目をじっと見ていた。弾き終えても、二人とも拍手なんかしなかった。伊藤は大きく唸り、南はまばたきもせずに僕を凝視して、口を開いた。
「もう一曲、お願い」
そういわれたことについて、僕は一瞬考えた。それから頁をめくって、サラバンドを弾いた。それはその頃の僕に弾くことのできた、もっとも美しい音楽だった。アルマンドよりはうまく弾けたと思った。二人の視線も、もう気にならなかった。
「こんな感じ」といって、僕はそそくさと楽器をしまった。
「津島君て」南が口を開いた。「普段と音楽と、全然違うね」
「普段?」僕はどきどきしながらいった。「そうかな」
「音楽だと、繊細だね。繊細なところが出るね」
そういって南はお尻を軽くはたいて立ち上がり、楽器を出した。僕が返事するのをさえぎっているように思えた。
「弾いてくれるの?」伊藤が嬉しそうにいった。「すごいなあ」
「全然、すごくない」南は、束ねそこねた髪の毛を耳の後ろへやって、ヴァイオリンを顎にあてた。
「私だけ弾かないの、悔しいから」
そういっていきなり弾き始めたのは、ベートーヴェンの『春』だった。楽譜はなく、目をつぶって、南は第一楽章を完全に暗譜で演奏した。
前に彼女がこの曲を練習している、と聞いてすぐに、僕はグリュミオーがヴァイオリンを、クララ・ハスキルがピアノを弾いている『春』のレコードを買っていた。こんな美しい曲を、南は弾いているのかと思いながら、何回聴いたか判らない。
南の演奏は、もちろん、グリュミオーほど表情豊かでも流麗でもなかったが、美しかった。この学校に通うようになってから、僕はヴァイオリンという楽器がいかに難しいものかを、つくづく感じていた。音域が高すぎるために、ちょっとでも間違えると、聴いてるだけで歯にヒビが入りそうになる。そして小さな楽器だから、十分の一ミリでもおさえるところがずれれば、すぐに間抜けな音痴の金切り声みたいになってしまう。
南の音程は完璧ではなかった。急に音が高くなったり低くなったりする箇所では特に間違えた。しかしここぞというところでは、土俵際で踏みとどまるようではあっても、聴きづらい音は決して出さなかった。それは彼女の意志の強さだったと思う。音楽家の意志は、とりわけその頃の僕たちみたいな少年音楽家の意志は、技術の向上になってしかあらわれない。南の演奏は、ベートーヴェンの楽譜に負けまい[#「負けまい」に傍点]としている、十五歳のヴァイオリン初心者の美しさを、すみずみにまでみなぎらせていた。伊藤のフルートも僕のチェロも、きっと同じように未熟で、ういういしかったのだろう。
南は十分以上もある第一楽章を弾ききった。最後の和音を鳴らすと、背後から大きな拍手が沸いた。いつの間にか練習室の入り口から顔だけ覗かせた女子たちが、何人も聴き入っていたのだ。奥のほうにはカミナリの顔まであった。南は得意満面なのか、照れ隠しなのか、大げさに頭を下げて喝采《かっさい》にこたえた。
「はい五分後に朝食!」カミナリは怒鳴った。「四十分後に最後のゲネプロ! 昨日の朝みたいな演奏したら、承知しないよ!」
「はーい」
みんな散り散りに食堂へ向かった。僕たちもあわてて立ち上がった。
そこへカミナリが入ってきて、小さな声でいった。
「あんたたち」言葉を選んでいる様子だった。「別に悪いことしてるとはいわないけど、これはオーケストラの合宿なんだからね。自分のパートに自信持てるようになってから、そういうことはしなさい。チェロなんか特に。あんたたち、副科の子たちのこと、全然ケアしてないでしょう。ちゃんと面倒見てあげないと可哀想じゃないの」
「はい」
「戸田君と相談して、二学期からちゃんと自主練するように。自覚を持ちなさい、自覚を」
「はい」
「フルートだってヴァイオリンだって、あんたたちが思ってるより、全然できてないんだからね。判った?」
「判りました」
「……判ったら早く食事してきなさい」
音楽科の生徒が音楽やって小言くらうなんて、納得いかなかった。でも僕は幸せだった。三流高校かもしれないが、それでもいい音楽をちゃんと演奏できる仲間が、二人も見つかったのだから。
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第六章
合宿最後のゲネプロ――鏑木先生は特に優しくも厳しくもなく、いつも通りにがみがみと、ときに冗談を交えて、指示を出し続けた――が終わってから、僕は戸田先輩とチェロの自主練習について話をしなければならなかった。カミナリがずーっとこっちを見ていたからだ。チェロは難しい箇所も少ないから、特に自主練の必要はないかな、なんて思っていたらしい戸田先輩も、この合宿でさすがに責任感を持ち始めたようで、二学期はしっかりやっておかないとナア、後悔したくないもんネエ、といった。発表会は十一月で、二学期から自主練をやっても、二か月くらいしかない。ちょっとした特訓になるかもしれないが、逆に考えればそれくらいなら早起きしてもいいやと、戸田先輩は考えたんだと思う。
戸田先輩とは、そのあと別々のバスに乗って帰る途中、サービスエリアで休憩しているときにも話をした。八月の下旬に、戸田先輩の叔父さんが参加している市民オーケストラの「トラ」をやらないか、といわれたのだ。トラとはエキストラのことで、正規のメンバーでは人数が足りないとき、後ろの方に座って音を出してくれと頼まれるのである。チェロなんかは特に頼まれることが多い。こっちは高校生だし、向こうは市民オーケストラだから、日当なんかはもちろん出ないが、先輩の叔父さんが練習日と本番のときの昼飯をおごってくれるという。練習は八月第三週の火曜、木曜、金曜で、土曜日が本番だとか。僕は先輩の頼みで断れないし、トラに認められたのも嬉しく、練習にもなるからと考えて、軽く承諾した。
「パート譜はいつ貰えるんですか?」
練習しておかなきゃならないんだからと思って、当然のことを訊くと、
「いや、だから火曜日」
戸田先輩は平然という。
「火曜日って、ゲネプロのときってことですか?」
「うん」
「ゲネプロの当日にパート譜を渡される?」僕は驚いた。誰だって驚く。「ゲネプロを初見でやれっていうんですか」
「いいじゃないか。僕だって初見なんだから。どうせトラだよ」
「トラったって、ただチェロ持って座ってりゃいいわけじゃないでしょ」
「できるよ。君ならできる。プロのオケなんて、みんなそうなんだよ」
「僕はプロじゃないです」
「君ならできるって! 簡単だよ、市民オーケストラのチェロなんてさ」
「それで一体、演《や》るのはなんなんですか?」
「知らない」そういって戸田先輩は、ひ、ひ、ひ、と笑い、駆け足で自分のバスに戻っていった。
「詳しいことは電話するよ。じゃ、よろしく!」
「よろしくって、オイ!」
思わず先輩にオイっていってしまった。しかも戸田先輩は学校に着く前に家の近くでバスを降りてしまったとかで、結局会えずじまい。電話がかかってきたのも月曜日、ゲネプロの前日になってからだった。そのときになっても、先輩はフランツ・リストの曲をやるらしいということしか知らず、待ち合わせ場所と時間だけいって、さっさと電話を切られてしまった。こんなのって、あるんだろうか?
もう知らないぞと思いながら待ち合わせ場所に行くと、戸田先輩と、腹の突き出たアロハシャツの叔父さんがいて、練習場に連れて行かれた。裕福そうなおじさんおばさんがひしめき合っていた。そこでようやく僕は、自分がどんな曲を演奏するのか知ることができたわけだが、それは何とリストの交響詩『プレリュード』。聴いたこともない曲だったうえに譜面を見ると信じられないくらい難しい。ハ長調四分の四拍子から始まって、八分の十二拍子、四分の三拍子、そしていきなり八小節だけホ長調に転調してハ長調に戻ったときには八分の十二拍子になっていて、でもその四小節後にはまたホ長調八分の八拍子。あきれ果てて戸田先輩の顔を見ると先輩も蒼《あお》い顔をしていた。どうしようと思っているところへ背後から人の気配がしたので飛び上がりそうになった。引き締まった顔の女性指揮者がやってきたのだ。一番後ろのプルートに座っていれば、指揮者の登場は最初に判る。高校ではいきなりトップだったから、指揮台の遠さも初めて見る光景だった。アロハの叔父さんはトランペットの席にいた。
知らない曲を知らないオーケストラに混じって初見で弾いた。真夜中に目隠しをして綱渡りをするようなものだ。滑り落ちるのが当たり前である。しかも楽譜は見ただけじゃどんな音が鳴るのかも判らないような超難物。目を上げることができないから、指揮者を見ることもできない。金管やヴァイオリンの音を追いながら、こんなもんだろうと見当をつけて弾いていたが、そんな芸当のできるうちはまだ良かった。調や拍子が変わるだけでなく、テンポも目まぐるしく変化するから、半分も行かないうちにどこをやっているのか判らなくなったうえに、音符はますます難しくなっていく。それでも足らずに、進んでいくとチェロのパートが二つに分かれだした。僕はどっちへ行ったらいいんだ? パニックになる寸前で上のチェロには「ソロ」と書かれていたからすんでのところで下の楽譜を追った。休符も次にいつ弾き始めるかと気が抜けず、しまいには管楽器やティンパニがじゃかじゃか鳴っているからと、弾いているふりだけして譜面の中に顔を隠して指揮者の目を逃れ、最後のところで主和音をじゃん、じゃん、と弾いてごまかした。自分が何やってるのか判らなかったんだから、ほかの楽器のことなど念頭にもなかった。
それなのに女性指揮者は穏やかだった。何度も演奏を止めて、基本的な音を出すタイミングやダイナミズムなんかを注意したり、メロディラインを演奏する楽器には、きちんとできるまで単独で演奏させたりしたけれど、チェロとコントラバスの方には何もいってこなかった。
二時間の休憩があって、戸田先輩のアロハ叔父さんに洋食屋さんに連れて行ってもらった。そこで聞いた話では、その市民オーケストラはこの区の音楽愛好家が集まって作られたもので、プロの音楽家は三、四人しかいないらしい。アマチュア音楽家が毎年集まって、好きな曲、やってみたい曲を取り上げるわけだが、それが自分らの演奏技術でできるものかどうかという見極めは、いつも後回しにされる。そのために今回のような無理なプログラムが成り立ってしまう。去年はベートーヴェンの第四交響曲をやって、やっぱりみんなヨレヨレになったが、今回はそれに輪をかけて難しい。叔父さんはそんな話をしながら、ウワッハッハッハと笑った。
その日の練習が終わってから、僕と戸田先輩は叔父さんの家に行って、夕食をごちそうになりながら、カラヤンの指揮する『プレリュード』のレコードをカセットテープにダビングさせてもらった。家に帰って聴けば聴くほど、つかみどころのない、だけど奇妙に勇ましい、困りものの音楽だった。オーケストラ全体がフォルティシモで鳴り響いて、チェロなんか聞こえやしないような箇所に、手に負えない難所がいくつもある。水曜日は一日『プレリュード』のパート譜を、ちょっとでもマシな出来にするために費やした。
それなりにしっかりとはしているものの、鏑木先生にくらべれば保育園なみに甘い練習が二日あって、その間に僕も戸田先輩も、ある程度は弾けるようになったものの、とうてい自分に合格点は出せないまま、本番の日がやってきてしまった。
練習場近くの市民ホールだった。おじさんおばさんたちがここぞとばかりに着飾っているなか、僕と先輩は新生学園のブレザーを着て、コンサート第一部のソロ、第二部の合唱のあいだ、楽屋の隅でぼんやりしていた。
「まあ、これも経験だよ」戸田先輩が不意にいった。
「そうですね」僕は答えた。もう今さら、先輩のいい加減さを本気で責めるつもりはなかったし(冗談ではこのあともずっと責め続けはしたが)、確かにこれはひとつの、得がたい経験だった。不充分にしか演奏できないまま舞台に上がるなんて、高校生ででもなければ許されないことだ……高校生にだって許されはしないだろうけれど。
しかもこれは、僕の初舞台でもあった。これまでも人前で演奏したことはあったけれど、親や親戚、同級生、試験官や先生たちといった、多くても十人にはならない数の人、それもいわば「内部」の人の前でしか、僕はチェロを弾いたことがなかった。これから僕は、生まれて初めて大勢の、僕のことをぜんぜん知らない人たちの前で演奏するんだと思った。何度やってもうまくできない、練習も満足にできなかった、ごまかしの演奏を! 思わずため息をついて顔を覆うと、戸田先輩はいつもの呑気な口調で、
「いちばん最初なんて、こんなもんだよ。せめて一生懸命やろうよ」
と、僕の心を見透かすようなことをいって、肩を軽く叩いてくれた。
「そうですね」と僕はまたいった。確かにその通りかもしれない。完全に慰められたわけじゃ、なかったけれど。
そして本番。照明で汗をかくこと。舞台の上がすべて非現実めいて見えること。喝采の前に起立すること。そのすべてが快感だった。これで思いもかけない力が発揮されて、僕の指がチェロを自由自在に響かせることができた……なんてことがあったら、さぞ面白いエピソードになっただろうけれど、実際は惨憺《さんたん》たる結果だった。一人で練習したときにはできたことも、ゲネプロでできたことも、本番ではしくじった。ああっ、今ンとこやり直したい! と思っても、音楽はどんどん進んでいき、焦りが指を頼りなくさせ、おまけに楽譜をめくろうとして、譜面台から楽譜を落としてしまった。拾い上げて元通りにするまで十秒、楽器を構えなおすまでさらに十秒、まったく演奏できなかった。会場の全員が僕の失態を見ている気がした。演奏が終わったときには、いつまでここにいなきゃいけないんだ、早く帰らせてくれ、としか思わなかった。戸田先輩やアロハ叔父さん(この日は堂々たる燕尾服《えんびふく》だったが)への挨拶もそこそこに、僕は電車に乗って本牧に帰り、部屋でフテ寝した。
このさんざんな――だけどなぜだか楽しく思い返される――初舞台のほかにも、この夏は家族で妙高《みょうこう》高原に旅行したり、佐伯先生のレッスンもあったし、けっこうせわしなく過ごした。それは僕の精神の均衡を保つためには、いいことだった。ひと月ものあいだ、南枝里子が何をしているか、どこにいるのか、まったく判らないでいたことを、いっとき忘れさせてくれたからだ。
今の高校生が、好きな同級生に携帯電話の番号やメールアドレスを訊くのに、どれくらい緊張するものなのか、僕は知らない。その頃にはそもそも携帯電話がなかった。気持ちを伝えず友だちにもならずに夏休みになれば、もうその女子は行方不明になってしまうのだ。もちろんその頃だって、連絡網や何かで家の電話番号を知ることはできた。でも南は同じクラスじゃなかったから連絡網にも載ってないし、鮎川千佳に南の電話番号を聞きだす、なんて勇気は僕にはなかった。手紙や写真があるわけでもなく、ただ記憶だけを頼りに、僕は南のことをさまざまに妄想した。妄想なんかしたくなかったが、思い出す時間があると考えてしまうのだ。するとそこには必ずといっていいほど、合田先輩の影がちらついてきて、なんとか南だけを記憶の中から切り抜いて取り出そうと、頭をかきむしったりするのだが、意識すればするほど合田先輩はクローズアップされていき、しまいには合宿所で僕のチェロを座って聴いていたときに隣にいたのも、伊藤じゃなくて合田先輩になってしまったりした。夏休みが終わって学校へ行ける、というより実物の南に会えるとなった日の前夜は、そわそわしてうまく眠れなかった。
二学期の始業式には驚かされることがいくつもあった。休み前に宣言していた通り、橋本は一か月声楽のセの字もやらずにマクドナルドのアルバイトにいそしみ、ルドルフ・ケンプのベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集のLPを全巻手に入れていた。山路は家族でハワイにいたとかで真っ黒に日焼けしていたし、大宮は、なんとびっくり英語科の二年生をカノジョにしていた。しかしそれら全部を合わせても、南の外見の変化が僕に与えた衝撃にはかなわなかった。それまで一人で勝手に抱いていた不安と焦燥は、それによってなくなるどころか三倍以上にも増えた。彼女は一学期にもまして大人びて、綺麗になっていたのだ。背は数センチ伸びたようだったし、身体つきもどことなく成長していた。顔だちも変わったと思ったけれど、それはもしかしたら、肉付きや骨格なんかではなくて、表情の変化だったのかもしれない。一学期のときから、そんなに派手な喜怒哀楽を表に出すひとではなかったけれど、さらに憂いの影みたいなものが濃くなったような気がした。友だちと廊下を歩いているところを見かけても、大きな声なんか全然出さなくなったし、グループと一緒にいても、たった一人でいるような感じがした。
何があったんだろう? と僕は思った。何かがあったことは間違いないように思えた。十五、六の女子というのは短いあいだでも心身ともに成長するもので、それは僕自身を含む男子にも、程度の差はあれ起こっていることだということに、成長のさなかにあった僕は気づきもしなかったし、南ばかりでなくほかの女子たちのなかにも、一学期とはがらりとイメージが変わった奴が何人かいたことも判っていたのに、僕は南の微妙な変化にばかり気を取られていた。テレビや雑誌から入ってくる印象のために、セックスのことを疑わないではいられなかった。
さらに僕の不愉快な疑念を増長させたのは、合田先輩が露骨なほどしばしば一年生のクラスに姿を現すことだった。たいていは階段の踊り場でほかの二年生や、いつの間にか親しくなったらしい大宮和樹と無駄話をしているだけだったけれど、B組の女子をつかまえて何か問いただしていることもあったし、長屋へ向かう南のあとをそれとなくついていったりもしていた。昼休みに大学の購買部の外で、二人で何か話をしているところに出くわしたこともあった。合田先輩は僕と目があっただけで、反射的に口元を隠した。南が振り向いたようだったけれど、僕は早足でその場を立ち去った。
二人はオーケストラの授業のときも、朝練の前後にも、ずっと二人で話をしていた。二学期になってすぐに戸田先輩は約束どおり、チェロの朝練も始めたから、第二ヴァイオリンの朝練の様子はいやでも目に入ってきた。副科チェロの女子は全員二年生か三年生だから、一年坊主の僕は後ろに引っこんで、形式上は戸田先輩の指導を受けながら、副科の背後から模範的な音を出す役回りをさせられていた。もう充分に弾き飽きているパート譜を鳴らしながら、僕はうわの空で南のことばかり考えていた。朝練のときばかりじゃない。授業中でも、電車の行き帰りでも、家に帰ってからも、僕の頭の中は南枝里子でいっぱいだった。
恋の苦しみ、愛の嘆き。そんな言葉は小説でも映画でも、そこらに転がっているテレビのメロドラマでも見たことがあった。それらの中で、愛する人に振り向いてもらえない男たちは、泣いたりため息をついたり、日記を書いたり、壁を叩いたり、雨の中で絶叫したりしていた。小説はそんな男たちを美しくうたい、映画はせつない音楽で彼らを飾る。だけど実際自分がそうなってみると、どんなにひいき目の甘い点数を付けようとしても、そこにうるわしいものを見つけることはできなかった。恋というのはうじうじして神経質で無意味で、馬鹿げた妄想に満ちており、食事もチェロの練習も睡眠さえも、どうやってするのか忘れたかのようにぎこちなくなって、誰もなんにもいわれてないのに、恥ずかしくなったり腹立たしくなったりする、そんな陰湿な感情の総体だ。その陰湿さの理由も僕には判っていた。世界中に何十億人もいる女性の中から、たった一人をこちらの勝手で選び出し、この人でなければ駄目だと、取り替えのきかない存在にしてしまうこと。その容赦ないエゴイズムは、当然のことながら相手の身になって考えてもいないし、どんな理屈も受けつけず、いかなる賢人の言葉にも耳を貸さない。それは最初から反社会的な、非民主的な、レヴェルの低い身勝手な感情であって、だから現実の世界からは拒否されることは、あらかじめ決まっているものなのだ。――当の相手が、その感情を受け入れてくれない限りは。
高一坊主が隣のクラスの女の子に声ひとつかけるために、ずいぶんと大げさなことを考えるじゃないかと、笑う人もいるかもしれない。だけどあの頃の僕は真剣そのものだった。真剣そのものだったからこそ、声をかけるのは恐ろしかった。自分の気持ちを南が受け入れてくれるかどうかは、僕という人間がこの世界にちゃんとした居場所を持っている存在なのか、それともただの身勝手な空想をするだけの薄ら馬鹿なのかを、審判されるのにも等しい重要性を持っていたからだ。
学園祭が近づいていた。音楽科の学園祭は、三年生なんかはお化け屋敷や模擬店を出してお祭をしたがったが、大半はあちこちの教室で延々と自分たちの演奏を披露することになっていた。一年生と二年生の、音楽を真剣にやっている生徒にとっては、これは大切なことだった。毎月やっている発表会は、大学のホールを借りて行われる本格的なコンサートにそうとう近いものだったが、三年生の、審査に合格した生徒しか出演できない。自分たちがレッスン曲や試験の課題曲でない、やりたい曲をやって、どれくらいできるものなのか、試せる場所は学園祭しかないのだ。もっとも、そんな野心と自己顕示欲のある生徒はそう多くはない。大半の生徒たちは学内合同の合唱に参加したり、裏方を手伝ったり、うまくごまかして何もしなかったりした。僕と南は、人前にみずからしゃしゃり出て、ここぞとばかりに腕前を見せつけたいと思っている、数少ない生意気な一年生の一人だった。
僕には考えがあった。けれどもその考えを実行する勇気は(またしても勇気だ!)いつまでも出てこなかった。放課後、佐伯先生のレッスンを終え、でもすぐに帰る気にならないで、憂鬱な顔で僕は机に突っ伏していた。そんなしょぼんとした背中をいきなりどがん! と叩き、元気づけてくれたのは、
「なーに情けない顔してんだよ、男のくせに!」
鮎川千佳だった。
「なんでもねえよ」僕は顔を見られたくなかった。「あっち行け」
「判ってるんだよ!」鮎川は前の椅子に、背もたれをまたいで座り、僕の肩を指で突っついた。「お姉さんにはお見通しなんだよ!」
「何がぁ!」
「恋わずらいがだよ!」
僕はびっくりして顔を上げ、鮎川を見た。僕の気持ちがこいつにばれているなんて、思いもしてなかったのだ。けれども考えてみれば、鮎川にはばれてて当然だ。こいつは南といつもつるんでいて、オーケストラのプルートもすぐ後ろなんだから。だいいち南と最初に引き合わせたのも彼女だし、あの時点でもうおおむねこっちの気持ちは見透かされていたのだ。
「お前、それ、あっちこっちでいいふらすつもりだろ」
真っ赤になって僕はいった。
「そんなの、やりたかったらとっくにやってるよ」鮎川はちょっとムッとしていった。「そーゆー子供っぽいことは趣味じゃないんだよな」
「お前、人を見下すのがほんとに好きだよな」そういうところが、鮎川の魅力というか、笑っちゃうところでもあった。「だからモテねえんだよ」
「あんまりモテたくもないなあ」鮎川はにやにやしていた。「モテてる友だちを間近で見てると、あんまり楽しそうでもないからね」
「それどういう意味だよ」聞き捨てならなかった。「楽しそうじゃないのか」
「誰がぁ?」と鮎川は、ここぞとばかりにとぼける。
「誰がぁ、じゃねえよ」僕は鮎川を睨みつけた。「決まってるだろ」
「あらららら」鮎川は楽しそうだった。「私にそんな態度とって、いいんでしょうか?」
「判った。もういい」僕は机を叩いて立ち上がった。「お前には何も訊かない!」
僕には鮎川の冗談めかした態度なんか、まったく目に入っていなかった。ただもうやりきれなくて、頭に血がのぼって、一人になりたかった。楽器のケースと鞄を持って教室を出て行こうとする僕に向かって、鮎川はいった。
「枝里子は楽しそうじゃないよ」
緊張した、真面目な声だった。
「あの子がどんなことを、どれだけ悩んでるかなんて、あんた判ってないでしょう」
僕は振り向いて鮎川を見た。きっと蒼い顔をしていたと思う。
「帰んなさいよ」鮎川はからかっているのではなかった。怒っていた。「いいこと教えてあげようと思ったけど、もう教えない。あんたの助けも、借りるのやめた。私一人でやる」
「何のことだよ」僕の声は情けなくかすれていた。鮎川がとんでもなく強い女のように見えた。「何、教えてくれるつもりだったんだよ」
「だから教えないっていったでしょ」鮎川の笑顔は歪んでいた。「いっとくけど、あんたには直接関係ないことだからね。好きだの嫌いだの、そんなのどうでもいいの」
「何いってんだか、全然判らない」
「関係ないんだから判ろうが判るまいがどうでもいいじゃない。これは私と枝里子のためなんだから。あとオーケストラ」
「オーケストラ?」
「もうほんと、いい。あんたと今、喋りたくない」もうちょっとで泣きそうなほど、鮎川は興奮していた。「顔も見たくない!」
そう叫んで鮎川は、いきなり黒板消しをつかんで投げてきた。黒板消しは反射的に楽器を庇《かば》った僕の左肩にあたった。何をそんなに、そこまで怒っているのか、まったく理由が判らず、いってることも意味不明で、しかも黒板消しはしっかり痛かった。僕は「何するんだ、馬鹿!」と叫び返して、そのまま教室を出て行った。
それから何日も、鮎川とは口をきかなかった。僕が鮎川のほうをみると、彼女は一瞬こっちを睨みかえして、すぐにそっぽを向き、もう絶対にこっちを見ない。僕は彼女に訊きたいことがいっぱいあった。彼女が何か「いいこと」を教えてくれようとしていたことや、僕に助けを借りようとしていたこと、彼女と南のために何かをしようとしていることは、確かだったのだから。とりわけ、それがオーケストラと何の関係があるのか、僕には全然判らなかった。
これらの謎は、次のオーケストラの授業のときに明らかになった。鏑木先生は夏の合宿以後も、さらに繊細で難しい指示を僕たちに与え続け、僕たちはそれを必死で追いかけながらも、最初のレヴェル、つまり音程やリズムといった基礎中の基礎を、いまだにところどころはずし続けていた。管楽器もしごかれたが、弦楽器も問題山積だった。できるようになればなるほど、問題点が明らかになっていく。とりわけ「チャルダッシュ」の、音の豊かな表情が要求される、モデラートからヴィヴァーチェへのリズムの転換と、ヴィヴァーチェになってからのチェロとヴィオラ、チェロとヴァイオリンのコンビネーションは、何度やっても鏑木先生の思い通りにはならなかった。
「あのさあ。あと二か月しかないんだよ。二か月切ってるんだよ。どうするの!」
鏑木先生は怒鳴った。
「いつになったら自分以外のパートの音を聴くようになってくれるんだよ? ほんと、頼むよ。これが最後の曲なんだよ? 六曲ある組曲のうち、三曲しかやらないんだよ? その三曲くらいちゃんとやってよ。できないことじゃないんだから!」
鏑木先生の怒りは、常に分奏のときのカミナリに感染する。カミナリは弦楽器全部を集めて「チャルダッシュ」を何度も何度も演奏させ、一度も満足しなかった。
「セカンド! チェロのピチカートをちゃんと聴いて!」叱る内容も一緒なのだ。セカンドというのは第二ヴァイオリン。「自分ばっかり弾いてるから、わけの判らない音が出ちゃうんじゃないの。ば、ば、ば、なんて弾いてたら駄目よ! チェロとコントラバスだけ、ちょっとそこやってみて。……これ。判る? セカンド。これの裏拍を弾いているのよ、あんたたちは。だから全体で、んば、んば、んば、んば、って、八分音符が切れ目なく聞こえるようになってるの。判った? じゃ、もう一回」
いわれて合わせると、一発でうまくいく。
「そうよ!」うまくいってもカミナリは怒る。「なんでこれがゲネプロでできなかったのよ? こんなの、合宿でとっくにできてなきゃおかしいじゃない。自主練してたんでしょ? してなかったの? 何やってたのよ!」
いつものように、合田先輩が口を開こうとした。多分すみませんとか何とかいうつもりだったんだと思う。ところが、このとき後ろの席から鮎川千佳が、ぽつんと、しかし全員にはっきり聞こえる声で、こういった。
「ただ弾いてただけです」
合田先輩の椅子が、がたっと鳴った。それくらい身体を硬直させたのだ。先輩の目はカミナリを凝視していた。だけどカミナリは、鮎川を睨んでいた。
「どういう意味」
「朝練なんて、ただ弾いてるだけです。合田先輩が、せーの、っていって、あたしたちが弾いて、それだけです」
「合田」カミナリは静かにいった。「そうなの」
「そんなことありません」合田先輩の声はしっかりしていた。「僕たちはセカンドの演奏技術を上げるために、きちんと」
「二回か三回、通しで弾いて、それだけじゃないですか!」鮎川は大きな声でいった。「音程が違っても先輩はなんにもいわないし、弾かない人がいても知らんぷりじゃないですか」
「なんで何にもいわないんだ。きちんと指導しなきゃ、朝練なんて意味ないだろう。合田、鏑木先生や私からいわれてること、やってないのか」
カミナリは真剣に怒ると、男みたいな言葉づかいになるのが常だった。
「そんなことありません」合田先輩の顔は真っ白だった。「ちゃんとやってます」
「やってないじゃん」
鮎川の後ろの、三年生の副科がしらけた声を出した。ほかの第二ヴァイオリンたちも、急に「そう、そう!」なんていい始めた。
カミナリはその様子をじっと見て、考えるようにしながらいった。
「セカンドは一学期の早い時期から、ずっと朝練をやってるじゃない。そのあいだ、ずっとそんな、いい加減な練習しかしてなかったのか。合田!」
合田先輩は眉間に皺を寄せて、口をゆがめ、恐ろしく不機嫌な顔で黙っていた。カミナリはみんなの前で、合田先輩に向かって怒鳴り声をあげた。
「何やってたんだ! 何のための朝練だ!」
「南さんと喋るためです」
鮎川がそういうと、弦楽器全体が一瞬凍りついた。
「ゲネプロが終わってからも、朝練の前もあとも、合田先輩は南さんとばっかり喋っていて、私たちに何かいってくることは、殆んどありません。南さんはそれで、とっても迷惑してるんです!」
「ふざけるな!」
合田先輩はいきなり立ち上がって鮎川に振り返り、ヴァイオリンの弓を振り上げた。顔は闘牛みたいに赤黒く、弓の先はぶるぶる震えていた。
「なんにもできないくせに、生意気なことをいうな!」
すると鮎川だけでなく、後ろにいた第二ヴァイオリンの女子全員が怒鳴り返した。
「鮎川さんはほんとのこといっただけでしょ!」
「できないとか、できるとかの問題じゃないじゃない!」
「私たちができないんだったら、なんであんたが指導しないのよ!」
「自分ができるからって、一年生といちゃいちゃすんじゃねえよ!」
「南さんは被害者です!」鮎川は声を張り上げた。「自分は普通に練習したいだけなのに、陰で先輩とか、みんなから変なこといわれてるんです、合田先輩がしつこいから!」
「嘘だ!」
合田先輩はつばを飛ばして叫んだ。
「嘘ばっかりつくな! 馬鹿野郎!」
「合田」カミナリは静かな声で告げた。「あとで職員室へ来なさい」
「でも、嘘なんです」合田先輩は、今や全身が震えていた。「全部でたらめなんです、こいつらのいってることは」
「ヴィヴァーチェの四小節前から」カミナリはタクトを上げた。「フォルテのところ。一、二、三、四!」
みんな慌てて弓を弦にあてた。最初こそ揃わなかったが、いつもより大きなフォルテの音を全員が出した。楽器を膝に立てて怒り狂っている、合田先輩をのぞく全員が。
僕は最初から最後まで、南から目を離さなかった。南はみんなが大きな声でやりあっているあいだも、ずっと譜面に目を落としていた。
処分というほどのことは何もなかった。練習後、カミナリは南からまず話を聞き、それから合田先輩を職員室に呼んで、しばらく小言をいって帰した。それだけのことだった。しかし僕たちにとっては、それは壬申《じんしん》の乱にも等しい大きな動乱であり、合田先輩というひとつの権力の失脚だった。第二ヴァイオリンの朝練はその後も続けられ、合田先輩はこれまでとはうって変わって、先生たちから出された指示をきちんと演奏できるよう、技術的なアドヴァイスをみんなにするようになったらしい。トップにいることも変わりはなかった。しかし彼に対する人格的な評価は完全に地に落ちてしまった。なかなかうまい[#「なかなかうまい」に傍点]ヴァイオリンを弾く、それなりに端整な顔立ちの男子だから、ひそかに憧れる女子は、全学年にちらほらとはいたのだが、どこまでいっても自分を正当化しようとしかしなかった彼の態度を見て、あるいは弦楽器の生徒から話を聞いてからは、もう誰も彼をステキだなんて思う者はいなくなった。合田先輩のほうも、女子ばかりでなく僕や戸田先輩とも、これまで以上に距離を置くようになった。先輩にしてみれば、きっとこの学校の誰一人として、信用できる奴はいない、自分を理解してくれる人はいない、という気持ちになったのだと思う。僕たちのあいだには、必要最低限の会話だけすると、無表情に背中を向けてお互いに立ち去る、そんな冷ややかな関係だけが残った。
僕としては、合田先輩とはこれまでもだいたいそんな関係だったんだから、別段どうということはなかった(ついでにいうと、戸田先輩はこの「失脚」に大喜びだった。「ちくりに笑う者は、ちくりに泣く」なんていって、楽しそうに笑っていた)。
それより心配だったのは、この問題が副次的に生じさせてしまった、南の微妙な、神経質な立ち位置だった。これはこの仕掛けを実行した、勇気ある鮎川千佳(彼女はあれから、上級生からも何となく一目置かれる存在になった)にとっても、予想外の、つらい副産物だったろう。南の友だちが減ったわけでもなく、態度を変えた生徒もいないはずなのに、なぜか南は、見えないバリアーにでも囲まれているような、悪い意味で独特の雰囲気に包まれるようになったのである。まるで彼女自身が、足を踏み入れると危険なひとつの「区域」ででもあるかのような、もっとはっきりいえば、彼女がいたから合田先輩は失墜した、あれは不吉な女だ、とでも思われているような雰囲気に。鮎川はそれまでと同じように南と接していたし、南もそれまでと何の違いもなさそうだったし、友だちのグループも変わりはなかったけれど、それでも見ていると、南がそのグループから、ほんの二センチか三センチくらい、離れて歩いているような気がした。その二センチか三センチを、生徒の誰もが意識していながら、見て見ぬふりをしていた。
鮎川がこの複雑な事態に頭を悩ませているのは、見ているだけで明らかだった。昼休みも放課後も、レズかと思うくらい南と一緒にいて、声を張り上げて冗談をいい、大笑いしては南の顔をそれとなく覗きこんでいる。だけど授業中や一人でいるときなんかは、先生の話を聞いているわけでもなく、さぼっているわけでもなく、ただ不機嫌そうに机をじっと見つめている。僕はそんな鮎川の様子をずっと見ていたから判っていた。鮎川も、まだ僕に怒っていたようだったけれど、僕が見ていることを知っていた。
そして文化祭は、どんどん日にちが迫ってきていた。どう考えても、文化祭で何かをやりたかったら、もう準備を始めなければならなかった。僕は心を振り子みたいに、南のために何かしてやりたいという気持ちと、声をかける勇気のなさのあいだで、ぶらんぶらん揺らしながら日を送っていた。
木曜日の、昼休み直前の授業中だった。僕がぼんやり机の上に楽譜を広げていると、不意に鮎川がこっちを向いて、僕を睨んだ。視線に気がついて僕も鮎川を見た。僕たちはしばらくお互いに睨みあっていたから、なんにも知らない人がそれを見たら、メンチを切ってるようだっただろう。だけど僕たちはその視線で、僕たちがもう喧嘩なんかしていないことを確認しあった。あの分奏の授業のとき、僕は鮎川に助けられ、今は鮎川が僕に協力を求めていることが、何もいわないで理解できたのだ。それは彼女の親友のこと以外ではありえない。僕がうなずくと、鮎川もうなずいた。するとチャイムが鳴った。僕はそのままB組の教室へ、楽譜を持って向かった。
南枝里子はちょうど教室から出て行こうとしているところだった。
「南さん」
誰が見ていようと構わなかった。だけどあんまり見ている人はいなかった。
「はい」
南は聞いたこともないような、丁寧で驚いたような声で返事をした。
「あの、今度の文化祭なんだけど」
「うん」
「僕と一緒にピアノ・トリオをやらない?」
南は僕の持っていた楽譜に目を落とし、僕を見て、それから僕の背後に目を向けた。振り返ると、鮎川が慌てて教室の中へ入っていくところだった。
南はふたたび楽譜を見た。
「メンデルスゾーン?」
「そんなに難しくないんだよ」僕はいった。「それに、すごくいい曲なんだ」すかさずヴァイオリンのパート譜を渡した。「この、最初の曲」
南はそのパート譜を慎重に読んだ。髪の毛が耳からこぼれた。頁をめくると、微風でシャンプーのにおいが届いた。それからいきなり目を上げたので、うっとりしていた僕は顔が赤くなった。
「弾いてみないと判んないけど、確かにあんまり難しそうじゃないね」南はいった。「だけど四頁もあるよ。長くない?」
「十分くらいだと思う」
「モルト・アレグロ・エド・アジタート」南は楽譜の最初にあるイタリア語の速度記号を読んだ。「アジタートってどういう意味だっけ……」
僕が教えようとすると、南は手で制した。「やめて。自分で思い出すから」
僕は待った。
「激しく、情熱的に、だ」思い出して南は満足そうに微笑んだ。「|とても速く《モルト・アレグロ》、|そして情熱的に《エド・アジタート》、だ。正解?」
「正解」
「よし」といってから南は僕を見て、「できるかな?」といった。
「やってみようよ」僕はいった。胸がどきどきして、声を出すとため息みたいな大きな息が一緒に出てきた。「できるよ」
「ピアノは誰が弾くの?」
「まだ決めてない。誰かやってくれそうな人、知ってる?」
僕は、会話が順調に進んでいるのに気をよくして、軽く訊《たず》ねてみたのだった。しかしその質問に南は、少し顔を暗くした。
「どうだろう……」声も小さくなった。「いっぱいいそうな気もするけど、でも」
「でも、何」
「私が頼んだって」
そういって南は口を閉じた。
彼女はこういいかけたのだ。私が頼んだって[#「私が頼んだって」に傍点]、誰もやってくれないかもしれない[#「誰もやってくれないかもしれない」に傍点]。自分に今、どんな空気がつきまとっているか、彼女はちゃんと判っていた。
「とりあえず、当たってみようよ」僕は彼女の気持ちに、気がつかないふりをしていった。「当たって砕けろだ」
「うん」南の声は、それでも力がなかった。
「すごくいい曲なんだよ、これ。ほんとに」
「レコード持ってる? いっぺん聴いておきたいな」
「持ってるよ。カザルスの。テープにダビングしてあげるよ」
「ありがとう」
「枝里子ー!」
鮎川千佳がいきなり飛びこんできて、僕を突き飛ばした。
「お弁当持ってきた? 購買部、一緒に行かない?」
「行く」南は鮎川の手を握って、ぶらぶら揺らした。「お弁当持ってきたけど、行く」
「お邪魔しましたわね!」鮎川は僕に顔を突き出していった。「これで失礼させていただきますわ!」
「どうぞ!」僕もしかめっ面で叫んだ。「話は済んだから!」
「ベー!」鮎川が舌を出してきたので、僕も、
「ベー!」負けじとアッカンベーをした。
南は鮎川に腕を引っ張られながら、僕にパート譜を見せていった。
「これ、貸してくれる?」
「もちろん! そのために持ってきたんだよ」
「じゃ、あとで!」
そういって南は鮎川と階段を駆け下りて行った。
とんでもなく幸せだった。
そして幸せは幸運を呼んだ。だけどその幸運は、最初はさいさきの悪い小さなつまずきのように見えた。僕の家のステレオについていた、カセットテープレコーダーが壊れてしまったのだ。
僕の持っていたメンデルスゾーンのピアノ・トリオのレコードは歴史的名盤として知られたものだった。それも「名盤」よりも「歴史的」であることのほうに軸足が置かれているような一枚だ。それはパブロ・カザルスが、一九六一年の十一月に、ホワイトハウスでJ・F・ケネディ大統領の前で演奏したライブ・レコーディングのLPだったのだ。
パブロ・カザルスはカタロニアで生まれ育ったスペイン人だが、一九三九年にスペイン内乱が起こり、フランコ独裁政権が起こると故国を捨ててフランスへ、ついでプエルトリコへ移住した。カザルスの反ファシズムの意思は徹底していて、ドイツのファシズムに協力したかつての盟友、アルフレッド・コルトーと決別しただけでなく、フランコ独裁政権を認める国では演奏活動をしないと宣言したほどだった。この定義には当時のアメリカも、日本も含まれている。
しかしカザルスは、大統領に就任したばかりの若きケネディ大統領に、世界平和への希望を抱いていた。ホワイトハウスからの再三の要請もあって、ボウル・ルームでの演奏会が実現したのである。招待客にはユージン・オーマンディやストコフスキーやレナード・バーンスタインなど、当時のアメリカ音楽界の第一人者たちがたくさん含まれていた。演奏の終わりに聞こえる拍手は、彼らとケネディ大統領のものだ。演奏途中の咳ばらいなんかも、そうかもしれない。
レコードはまずメンデルスゾーン、それからクープラン、シューマンと続いて、最後に「鳥の歌」が演奏される。「鳥の歌」はカタロニア民謡をカザルスが編曲したもので、国連でも演奏された、とても有名な小曲だ。聴いていると、希望というものが本質的に持っているどうしようもない悲しみに、心がちぎれそうになる。それはまるで止まることのない爆撃と略奪の中で、巣も卵も失った火傷《やけど》だらけの鳥が、それでも平和を願って鳴いているように聞こえるのだ。
しかし、今にして思うことだが、ここで活き活きと演奏されているメンデルスゾーンも、やはりカザルスにとっては戦争の苦い悲劇を背負った曲だったろう。この、シューマンにベートーヴェン以来の傑作と絶賛されたピアノ・トリオ一番は、二十世紀の始めには、「カザルス・トリオ」の代表的なレパートリーだったのだから。「カザルス・トリオ」は三人が三人ともスーパースターだった。すなわちチェロのカザルス、ヴァイオリンのジャック・ティボー、そしてピアノのアルフレッド・コルトー。
シュナイダーとホルショフスキーという、あまり高名でない演奏家をしたがえ、精力的な演奏をしている八十四歳のカザルスの脳裏に、戦前は超一流の音楽家同士として敬愛と協力を惜しまず、戦中はナチス支配下のフランスで冷淡な態度を取られ、戦後、ナチス協力者であったことへの許しを乞いに自宅を訪れてきた、あの優雅で惨めなコルトーのことが、思い浮かばなかっただろうか。
LPのジャケットは、聴衆に一礼するカザルスを背後から撮った写真で飾られている。贅《ぜい》をきわめたホワイトハウスのボウル・ルーム。巨大な肖像画とシャンデリアの下で、喝采しているのは、音楽家も多いが、大半は権力者たちだ。大統領はジャックリーヌ夫人と中央に並んでいる。おそらくその周囲には、国務長官とか、首席補佐官とかがいるんだろう。統合参謀本部長もいるのかもしれない。そんな人たちの前でカザルスのできることといえば、チェロを持って一礼し、音楽を聞かせることくらいなものだ。音楽家とは、この荒々しく残酷な世界を前に小さくさえずる、一羽の鳥にほかならない。
そんな素晴らしいLPなのに、その日うきうきと帰宅してカセットテープにダビングしようとすると、何度やってもうまくいかなかった。レコーダーの中でテープが全然動いてくれないのだ。叩いても駄目、中を綿棒で掃除しても効果なし。帰宅した父親にそれをいうと、父はよっしゃ俺にまかせとけといって、道具箱を持ち出し、レコーダーのカヴァーを開いて中を分解し始めた。ステレオの周囲にはネジとか意味不明の部品とかが散乱し、こういうことの大好きな父はあぐらをかいて鼻歌を歌いながら、果てしなく分解を続けていき、真夜中過ぎになってようやく元通りにカヴァーを閉じると、僕に向かって元気よく、駄目だ直らない! と宣言した。ふざけんなよ親父。
翌日、仕方なく僕はLPを持って学校へ行った。だいたいチェロ専攻の学生にとって、通学というのはただでさえ気苦労のするものなのだ。鞄のほかに、あの巨大な楽器をかついで満員電車に乗りこむのである。ドアの脇の狭い空間に無理やり陣取って、左右の手すりをつかみ、全身で楽器を庇わなければならない。この日はそれに加えて歴史的名盤を、鞄を持つ左腕の脇に挟んでいた。今、高校生が一枚のCDをどう扱うのかは知らないけれど、当時はLPというものを、とても大切に扱った。壊れたらまた買うことのできるものではあったけれど、やはり一枚三千数百円は高い買い物だったし、とりわけそのLPは、宝物といっていい一枚だった。こんなことにならなければ、門外不出にしたかったくらいだ。季節は秋の心地よい風の吹く頃だったのに、京浜東北線の中で僕は汗びっしょりだった。
朝練――その頃には毎朝やることになっていた――を終えて、生徒会室から出てきた南に、LPを渡した。
「カセットレコーダーが壊れちゃったんだ」僕はひと言目にいった。「だから、これ」
「いいの?」
南は、清水《きよみず》の舞台から飛び降りる顔をしていた(に違いない)僕を見て、すぐにはLPに手を出さなかった。
「いいよ」といってから、思わず本音が出てしまった。「だって、ほかにどうしようもないからね」
「判った」南はLPを受け取った。「大切に聴くから」
「うん」
これでいいのだ、と自分にいいきかせて教室に戻り、その日はもう気持ちを切り替えて、ピアニストを探すことにした。まずは声をかけやすい男子から当たってみた。ところが山路も生田も、その日のうちに断ってきた。山路はすでに沢寛子のフルートの伴奏をすることに決まっていた。生田は何も予定がなく、そのことを気にかけてもいなかった。トリオの話をすると、最初はいいねえ、面白いねえ、なんていっていたのに、楽譜を見せるとびっくりして笑い始めた。
「無理だよこんなのー。難しすぎるよ」
「そんなことないだろ。お前ピアノ専攻なんだから」
「だって僕、レッスン曲だってやんなきゃいけないし、ひと月でこんなの、さらえないよ」
「暗譜じゃなくてもいいんだよ。頼むよ」
「無理無理。じゃーねー」
行ってしまった。そんなに難しいのか? 僕はクラスで一番ピアノがうまいといわれていた浅葉《あさば》さんという女子に、楽譜を見せてみた。浅葉さんとは普段あまり仲良くもなかったし、文化祭ではもう何人もからアンサンブルの誘いを受けていて、ソロもやるつもりだと知っていたけれど、参考のために聞いてみたのだ。
「難しいよ、これは」浅葉さんは親切な人だったが、譜面を見て十秒で答えた。「ただのアレグロじゃないもの。しかも一小節一拍で数えて、テンポ八十なんでしょ? それでこんな三連符とか六連符とか、そうとう弾きこまないと無理なんじゃない」
「テンポを遅くすれば?」
「そりゃ、無理ってことはないかもね。だけど新生学園の一年生にこれ渡して、ひと月でよろしくっていうのは、どーだろなー。私も含めてね」
「そうか。そうなのか」僕は浅葉さんにお礼をいって、うなだれて机に戻った。理想と現実。いきなりきつい。
その日の授業が終わって、おなじみカリババの長話ホームルームも終わって、ちょっと長屋で練習してから帰ろうかなと思いながら廊下に出ると、鞄とLPを持った南が、廊下の壁にもたれていた。どうせ鮎川に用事があるんだろうと思って、それでも手だけ振って行こうとすると、南は恥ずかしそうに、手を振っておいでおいでをしてきた。すぐに僕は駆け寄った。
「どうした?」
「うん。あのさ、これからレッスンとか、あるの?」
「ないよ。練習しようかと思ってたんだ」
「そうか。じゃ、邪魔しちゃいけないよね」
といって、少し赤くなった頬をあげて、僕を見た。
「何」
というのが精一杯だった。
「あのさ、今朝のLP」
「うん」
「うちのステレオでダビングしようと思うんだけど」
「ああ。いいね。そうしてよ」
「だけど私、ダビングってやったことないんだ」
「えっ。そうなの?」
「それにこれ、大事なレコードなんでしょう?」
「まあ、そうだけど」
「だから私、あんまり自分で針落としたくないんだ。もし傷つけちゃったりしたら、いやだもん」
「普通に扱ってくれればいいよ」
「津島君さ、ちょっとやってくれない?」
「え?」
南のいっていることがどういうことか、本当に判らなかった。
「自分でダビングするなら、津島君も心配しないでいいでしょう?」
南は無邪気にいった。でもその無邪気さは、ちょっとだけ嘘臭くもあった。
僕に、家に来ないかといっている。僕がどんなに鈍感な男子でも、さすがにそれくらいは判った。
「うん」僕は消えそうな声で、慎重に答えた。
「じゃあ……」南はもたれていた壁から離れた。「私、先に駅行って待ってるね」
「うん」
「改札の前にさ、公衆電話があるじゃない? あそこにいる。お母さんに電話しておくから」
「うん」
「じゃ、後でね」
「うん」
廊下は下校する生徒たちが、いっぱいうろうろしていた。こっちをちらちら見ながら通り過ぎていく生徒もたくさんいた。だけど今の話を、全部すっかり聞いていた人はいなかった。南が階段に向かって歩いていくと、タイミングを計っていたように鮎川が教室から出てきて、何か話しかけた。短い会話のあと、二人は手を振って別れた。鮎川の後から僕は教室に入っていった。
「おい津島」鮎川はさっそく近寄ってきた。「何がございましたのでございますかね」
「なんにもありゃしねえよ」
そういっていったんは、無視して帰ろうと思った。でも思い直して、人のいない教室の隅に引っ張っていって、小声で告げた。
「南の家でレコードをダビングするだけだよ。変なこと想像すんなよな」
「それはむーずーかーしーいー」鮎川がわざと声を張り上げたので、僕は真っ赤になった。
「家に電話しにいったんだよ南は。誰もいないわけじゃないんだからな」
「真剣にいうけど」鮎川はがらりと声を変え、僕を睨んだ。「私の親友に変なことしたら、殺すからね」
「するわけねえだろ」
「これ以上、枝里子が傷ついたら、私ほんとに自殺する。死んで謝る」
鮎川の目は滲んでいた。
「私、どうしたらいいか判んないんだからね!」
「大丈夫だよ。俺にそんな勇気、ねえよ」
鮎川は唇を固く結んで、小さくうなずいた。
何かいうべきことがあるような気がしてしかたがなかった。でも何も思い浮かばなかった。
「じゃ、行くよ」それだけいうと鮎川は、
「よし。行け」と、偉そうに命令した。
ずっとあとになって、このとき僕が何をいうべきだったか、はっと気がついた。
ひと言でいいから、鮎川のために、鮎川に向けた言葉をかけるべきだったのだ。彼女はあのとき、不安で混乱していたのだから。合田先輩にいい寄られている南を助けようとして、彼女は半分だけうまくいった。しかし残り半分の失敗、というか副作用によって、彼女は南を微妙な位置に立たせてしまった。みんなが南を妙に怪しんでいる感じなのは、鮎川のせいではなかった。でもその原因を作ってしまったのは確かで、そのことを鮎川は、どうやって修復すればいいのか、判らないでいたのだ。
だからあのとき僕はいってあげるべきだった。そうだよ、南はお前の親友だよ。南だってもちろん、そう思っているさ。彼女の表情を見れば、それはすぐ判る。そんな風にいってあげなきゃいけなかった。でもいわなかった。そのあともずっと、僕は彼女にそういう、優しい言葉をかけなかった。
かけなかったからといって、別にどうということもなかった。鮎川の不安は、このあとすぐにおさまっていったし、卒業するまで僕と鮎川は仲が良かった。ついでにいうと、今の彼女は二児の母親で、今でも家族の写真がプリントされた年賀状をくれる。それでも僕は、あの頃のことを思い出すと、やっぱり鮎川に何かちょっとくらい、心の休まることをいってあげればよかったと、後悔しないではいられない。彼女は僕に本当に親切だったのに、僕はその親切をまったく目に入れず、ひたすら南枝里子の尻を追いかけていたのだ。
駅前で南を見つけ、レコード店でカセットテープを買ってから電車に乗った。登戸《のぼりと》から小田急線に乗り換えて、柿生という小駅の商店街に、南の家はあった。
三階建てのビルの一階がおそばやさんで、二階と三階が住居になっていた。南が当たり前のようにおそばやさんに入っていくから、最初はなんでだ? と思った。お客さんにそば湯を出していた、白い割烹着のおばさんが僕たちを見て、
「おかえり。いらっしゃい」
といった。年も取っていたし汗をかいていたけれど、そのおばさんは南にそっくりだった。
奥から階段を上がると、三階が南の部屋で、ステレオはその部屋にあった。生まれて初めて入る女の子の部屋だった。六畳ほどの部屋に勉強机とベッドとステレオと、衣装ダンスと鏡台と本棚があって、壁にはドライフラワーと、三つ編みでヴァイオリンを弾いている、小学生の頃の南の写真と、マウリツィオ・ポリーニの二枚目風に撮られたポスターが貼ってあった。
あんまり部屋の中をじろじろ見ちゃいけないと思って、すぐにステレオの前にあぐらをかき、LPとカセットテープをセットしていると、さっきのおばさんがお茶とお菓子を持って入ってきた。
「突然お邪魔して、すみません」というと、おばさんは、
「さっきまで掃除してたんですよ。この子が片付けないから」と笑った。
「お母さん!」
南がいやな顔をする。なんだかテレビドラマみたいな風景だった。
おばさんはお茶をみっつ持ってきていて、そのまま部屋の隅に腰掛けた。そのことについて、誰も何もいわなかった。ただ、おばさんが、
「この子、文化祭でアンサンブルに誘われたって、本当に喜んでるんですよ」
と、話し出そうとしたところを南が、
「レコード聴くんだから、ちょっと黙ってて」
と制しただけだった。
僕はおばさんの意図が判って、ちょっと顔を赤くしたけれど、ある意味ではそうしてくれるほうが気が楽でもあった。だって最初から、僕は別に何も、南にするつもりはなかったのだから。……なかったはずである。
カセットの録音ボタンを押して、針を下ろした。南はパート譜ではなく、すべてのパートが書かれたピアノ譜を見たがったので、鞄から出して渡した。狭い部屋の中でカザルスのチェロはびんびんと響いた。
難しい箇所が来ると、南は僕へ目を上げて、おどけた、びっくりした顔をして見せた。僕も、(そうなんだよ、ここが問題だ)みたいにうなずいたけれど、心の中では南の可愛らしい表情に、胸が締めつけられるようだった。テンポの速い曲だから、ベッドに座った南の膝の上で楽譜はどんどんめくられていった。次第に曲に意識が集中していってるのが、その前のめりになった姿で判った。やがて左の指が何もないところで、さまざまに動きだした。楽譜を見ながら、弦をおさえているのだ。
曲は端正なソナタ形式で書かれている。第一主題が提示され、主題が展開され、第二主題が提示され展開され、対位法が駆使され、主題が繰り返される。しかし機械的に進行しているところはひとつもない。第一主題のはらんでいる緊張感と高揚が、第二主題の穏やかさによって慰撫《いぶ》され、やがて二つの主題は互いに大きくなって、情熱的としかいいようのないクライマックスのフォルティシモへと進んでいく。
第一楽章が終わると、僕も南も大きな息を吐いた。
「これをやるの?」南は目を丸くしていった。「これ[#「これ」に傍点]を?」
僕が答えようとし、おばさんが口を挟もうとした。けれども何もいわなかった。第二楽章のアンダンテが始まって、その冒頭のメロディに、言葉が出なくなってしまったのだ。それはロマン派の音楽が生み出した、もっとも美しい、もっとも切ないメロディのひとつだ。割烹着のおばさんはゆったりしたその曲に合わせて、静かに頭を揺らしていた。
結局、四楽章すべてを聴き終えるまで、僕たちはお茶をすすりながら、ひと言も喋らなかった。南は最後まで楽譜を追い続けた。熱に浮かされたようなニ長調の主和音で全曲が終わると、僕たちはホワイトハウスの高官たちと一緒に拍手をした。
そのあと、ちゃんと録音されたかどうかを確認するために、カセットテープを巻き戻して、一楽章だけをもう一度聴いた。
「これは大変だ」といいながら、南は笑っていた。「すごい曲だ」
「なんか、今になって僕も恐くなってきた」僕も笑った。
「えりちゃん、こんなのやるの!」おばさんは嬉しそうだった。「へえー!」
「ヴァイオリンのパートだけだったら、そんなに難しくないよ」南はパート譜とピアノ譜を交互に見ながらいった。「だけどさ、みんなで合わせるってなったら、これ……」
「そこだね」まったく同じことを、僕は考えていた。「息が完璧に合わないといけない」
「それにさ、これ、もしかして一番難しいの、ピアノじゃない?」南はそこも見破っていた。「文化祭まであと一か月くらいしかないよ。できる人いるの?」
「探してる」という僕の声は、実質的にもう諦めている奴のトーンだった。
階下から男の人の声がした。おばさんは「はーい!」といって立ち上がった。
「えりちゃん、あとでそのカセット、お母さんにも聴かせてね」おばさんはそういってから、僕を見て微笑んだ。「文化祭、楽しみにしてるね。ごゆっくり」
だけどあんまりゆっくりはできなかった。二人きりになってしまうと、なぜか話すことが何もなくなっちゃったような気がして、でもいいたいことがいっぱいあるような気もして、全然落ち着かなくなった。カセットを止めると、部屋の中は静かだった。
「あのさ」
僕が口を開くと、南は警戒した表情で僕を見た。
「何」
「あんまり気にしなくていいと思うよ」
「何が?」
そういってとぼける南には、僕が何をいおうとしているか、よく判っていた。
「みんなのこと」僕はいった。「ほんとは、別に誰も、なんとも思っちゃいないよ」
「そうかな」南は慎重にいった。
「思ってたって、いいじゃん。自分さえしっかりしてれば」
「うん」
合田先輩と、何かあったの。
僕はそう訊ねたかった。だけど訊ねたくなかった。訊ねちゃいけないことだけは、確かなように思えた。だから何もいわなかった。一瞬、奥歯が折れるかと思うくらい、顎をきつく締めた。
駅まで送ってくれようとした南に、すぐそこだもん、一人で行けるよ、といって、僕は帰った。サラリーマンたちの帰宅する時間になってしまって、行きと同じく楽器とLPを防御しながら、汗だくになって電車に乗らなければならなかった。
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第七章
あいつも駄目こいつも駄目。ピアノ・トリオだというのに誰もピアノを弾いてくれようとはしなかった。腕のありそうな生徒はとっくに誰かと組んでいたり、ソロで文化祭出場を決めていた。そうなればもともと文化祭で人の前で演奏をするつもりなんかなかった連中の中から、怠け者なのではなく、ただあがり症だったり小心者だったり自己評価が低いだけだったりする生徒を探して説得するしかなかったが、そういう人たちの前でメンデルスゾーンの楽譜を開けば、誰に見せても反応はまったく同じだった。まず驚かれて身体をくねらされて、無理無理無理! と無理の一点張りで拒絶される。あとは走ってその場を逃げ出されるか、それとも目の前で手を合わされて拝まれるかの違いしかなかった。二十人くらいに声をかけて全滅だった。
南はそんな僕の悪戦苦闘を、最初は遠くから見ていた。楽譜を見てこれを演《や》ってくれる人は新生学園にそうはいないと理解はしていても、やはり心のどこかに、自分がヴァイオリンだと知ったら、それを理由にみんな遠ざかってしまうんじゃないかという恐れがあったのだと思う。
だけどもうそんな心配はなくなっていた。第二ヴァイオリンの分奏は、いくぶん冷淡な雰囲気の中でではあっても順調に進められていたし、さすがにオーケストラ全体の完成度も上がってきたから、鏑木先生もカミナリも、頭ごなしの罵倒を投げつけてこなくなった。合田先輩がすっかり無口で神経質な男になってから、女子たちがあの人はああいう人だと評価を定着させるまで、さして時間はかからなかった。先輩が分奏以外の用事で二階に降りてくることは、まったくなくなった。そして南は、鮎川たちのグループから弾かれるようなことはなかったのだから、ほとんど以前と変わらない状態に戻ったといってよかったのだ。何人かの、嫉妬深くて底意地の悪い生徒たちが、南のことを美人を鼻にかけてるだの、男たらしだのと陰口を叩いてはいたかもしれないが、そんな小さい波風を、南は相手にしなかった。中学の頃から、その手のことはいわれていたのだ。
気にかけていたのは、その「波風」が学年全体に及んでしまうことだった。高校、それも実質的に女子高ともなれば、またいつ、どんなきっかけで南への風当たりが強くなるか判らない。しかし今のところは、これ以上問題が大きくなる様子はなかった。何よりも南自身が、だんだんと合田先輩問題を気にかけなくなっていった。僕はヴァイオリンは彼女が弾くということを臆《おく》せず誰にでも告げたし、そのことをとやかくいう人は、少なくとも表面的にはいなかった。南がピアニスト探しを手伝ってくれるのに、そんなに時間はかからなかった。しかし二人で並んでピアノ専攻の誰彼にお願いをすると、今度は、チェロもヴァイオリンも上級生をしのぐ実力者なのに、ピアノが私じゃ見劣りがするよー、といって、みんな二の足を踏むようになった。それは内心、僕たちの自尊心をくすぐったが、ピアノ・トリオのピアノがいよいよ遠ざかっていくという事実に変わりはなかった。
「もう駄目かもしれない」十月になる前の日に、僕は南にいった。「ピアノ弾いてくれる人が見つかったとしても、今からじゃとうてい無理だ。あきらめよう」
「そうだねえ」南は心底、残念そうだった。「私たちも、これから合わせたって、充分に練習できそうもないよね」
「そうなんだよ」僕はため息をついて、いいたくないことをいった。「だから、もう、パート譜は練習しないでいいよ。返して」
すると南はパート譜を抱えて、胸の前で抱きしめた。
「いやだ」南は微笑んでいた。「まだ練習する。……それとも、何か必要なの、この譜面?」
「僕だって返して欲しくなんかないけどさ。でもしょうがないよ。南だってレッスンの曲とか、ほかに練習しなきゃいけないの、いっぱいあるんでしょ」
「あったっていいじゃない。弾けるようになりたいんだもん。それに、文化祭じゃなくたって、いつか演《や》れるチャンスが来るかもしれないでしょ。そのときできなかったら、いやなの。だから。駄目? どうしても?」
「全然駄目じゃないよ」僕は多分、耳まで赤かった。「ずっと持っててよ」
「いつか、きっと演ろうよ」
「うん」
喉から心臓が出てきそうだった。嬉しさに飛び上がりそうだった。彼女がいったのは、つまり文化祭でできようとできまいと、いつかは僕と一緒に演奏がしたいということだったからだ。彼女にとってそれは、文化祭というリミットなんかとは無関係なのだ。彼女は相変わらず、昼休みに長屋で練習をしていたが、よくその前を通りかかると、メンデルスゾーンのニ短調の旋律の断片が、繰り返し繰り返し聞こえてくるようになった。
しかしそれだけ僕は悔しくもあった。なんでこんなにピアニストだらけの学校にいて、ピアノを弾いてくれる人が見つからないんだ? 今度の文化祭をあきらめたら、具体的にいつ発表の機会があるというのだろう? 来年? 高校一年生にとっての丸一年など、果てしない未来の先にしかない。そのときまで南が今と同じ気持ちでいてくれるとは限らない。すっかり飽き飽きして、すべてを放り出してしまうかもしれない。
――すべてを終わりから見通せる、今の僕の視線で考えると、このピアノ・トリオの一件は、最初から最後まで「災い転じて福となす」を何度も繰り返し、スケールを大きくしていったのだということが判る。鮎川千佳に端を発した合田先輩事件が、気丈な南の心をいっとき挫《くじ》いたおかげで、臆病な僕は彼女をアンサンブルに誘うことができたのだし、僕の家のステレオが壊れたおかげで、南の家へ遊びに行けた。そしてそのあと、生徒の中にピアノを引き受けてくれる人が一人もいなかったおかげで、僕たちは最高のピアニストを発見したのだ。しかもそのピアニスト発見は、さらに大きな福となった災いを、僕たちにもたらすことになったのである。
何とかならないか、何とかならないかと四六時中考え、僕は砂漠の真ん中で何週間も餌にありつけないでいるハイエナみたいな顔をして、学校中をうろついていた。メンデルスゾーンのピアノ譜はどんなときにも手離さず、おかげで鞄はいつもずっしり重かった。アンサンブルを組むというのがこんなに大変なことだとは、思いもしなかった……と、気がついたら僕は、レッスンをひと通り終えたあと、副科ピアノの北島礼子先生に愚痴《ぐち》っていたのである。
「何を演《や》るの?」
北島先生は相変わらず柑橘系の香りをかすかに漂わせ、ちょっと見ただけでは無関心なようにも思える表情で、僕にいった。
僕は楽譜を見せた。すると先生はそれを手に取って、膝の上で開いた。喉が少しだけ動いて、一瞬目が見開いた。それからもとの無表情にもどり、ピアノの譜面台に楽譜を置いた。そして小さなため息をひとつついて、いきなりそれを弾き始めた!
僕は文字通り椅子から腰を浮かして、そのまま転がってしまいそうになった。それは絶対に初見の演奏ではなかった。北島先生はこの曲を弾いたことがあるのだ。しかもそれは、表情に乏しく品のいい、クレオパトラの演奏などではなかった。目の前の音符に隠された自分を叩きつけるような、憤怒《ふんぬ》のような演奏だった。僕はピアノの音にはじき飛ばされそうだった。
このドラマチックな出来事に興奮していたのだろう。僕は自分でどんどん楽譜をめくって演奏をやめようとしない北島先生をおいて防音室を飛び出した。
「南、南!」
B組の教室で南が、鮎川たちとお喋りしているのは判っていた。僕の大声にみんなが振り向いた。
「どうしたの?」
「ちょっと、ちょっと来て」
南と一緒にまた防音室まで走って戻った。北島先生はちらっと僕たちを見たけれど、すぐまた楽譜に目を戻し、演奏をやめなかった。
南ははじめ、それが何のことだか理解できなかったらしい。だが北島先生が、まさに僕たちの求めていた音楽を演奏しているんだと判ると息を呑み、いきなり僕の腕をつかんだ。僕は南と目を見合わせた。そして先生が演奏し終わるまで、そのまま立ち尽くした。
鍵盤から指を上げた先生は、しばらく目を楽譜に向けたままだった。高揚を冷ましていたのだと思う。それから僕たちを見た。
「先生」僕はいった。「僕たちと演奏してください。お願いします」
先生は僕を見、南を見た。何もいわなかった。
「お願いします」と南もいった。でもその声には、僕ほどの力強さはなかった。
先生はそれでも黙っていた。僕たちも、それ以上のことは何もいえなかったし、今、口をきいてはいけないという、強い何かが先生の沈黙にあるのを感じていた。
やがて先生は口を開いた。
「やってみましょうか」
先生は笑っていなかった。今の沈黙といい、その前の、はっきりいって異常なほど熱狂した演奏といい、僕には先生が何を思っているのか判らなかった。ほんの一瞬だったけれど、狂気を感じて僕は怖かった。それでも、僕は頼んだのだから、
「ありがとうございます」
といわなければならなかった。
「あなたたちは、どれくらいできてるの?」
そういわれると、かなり困った。
「自分たちでは練習しています」南がいった。「でもまだ、合わせてないんです」
「これ合わせるの大変よ。速いし、カノンみたいになってるところもあるしね」
そういって唇をへの字にして、目で微笑む北島先生は、ようやく正気の表情を取り戻した感じだった。
「二人でまず、合わせておいて。私、金曜日にまたレッスンがあるの。だけど一人しかいないから、その後、ちょっとこの部屋を借りちゃいましょう。――そのときに、引き受けるかどうか、決めます。それでいい?」
南が僕を見た。僕は、
「はい。いいです」
と答えた。だってそれしかない。
「じゃあ、金曜日に」
こうしてようやく僕は、あのピアノ譜の重みから解放されたのだった。
次の困難は、そのすぐ後にやってきた。防音室を出ると、廊下には鮎川のグループがぶらぶらと、僕たちが出てくるのを待っていた。一体何があったのかと、興味しんしんだったのだ。僕と南が、簡単に事情を説明した。
「駄目じゃんそんなの」
話し終えると、鮎川が即座にそういった。すると南も、
「そうなの。駄目なの」
というではないか。
「何が駄目なのさ」僕は口をとんがらせていった。「ようやく凄いピアノが見つかったのに、なんでいきなり水差すんだよ」
「だって文化祭でやるんでしょ? 先生と一緒にやるなんて、駄目に決まってるじゃん!」
鮎川にそういわれて、ようやく僕は冷静になった。文化祭ということなんか、それまですっかり忘れていた。
「うわー」僕は南にいった。「なんとかなんないかなあ」
「なんないと思う」南も困っていた。「聞いたことないもん、先生と文化祭でアンサンブルやったなんて話」
「じゃ、さっきそういってくれればよかったのに!」
「いえないでしょ、気がついてても!」南もちょっと、イライラしていた。「あんな凄い演奏聞かされたら、誰だってやった! って思うよ。私だって思ったよ」
僕と南だけでなく、鮎川やその友だち二、三人まで、なんとかならないかと一様にうなり声をあげた。でも明らかにどうにもならなかった。
「どうしようか……」僕はしょげていった。「出られませんから、っていって、断ってこようか……」
「いや」南はきっぱりといった。「私、演《や》りたい」
「そうだよ。演りなよ」鮎川も即座にいった。「絶対そのほうがいいよ。文化祭はともかく、レッスンていうか、とにかくいっぺん、ためしに演るべきだと思うよ」
僕はため息をついた。「文化祭で、みんなをビックリさせてやろうと思ったのに」
「私、誰に聴いてもらわなくてもいい」南はいった。「とにかく演りたい」
それは自分のヴァイオリンにプライドを持っている、一人の音楽家の言葉だった。僕はその力強さに打たれた。
「うん演ろう」僕はいった。「とりあえず明日から、二人で合わせてみよう」
「っていうか、明日とあさってしかないけどね」南はいった。「今日は水曜日だから」
「うわあ!」
僕は金曜日まであと何日あるのかも考えていなかった。ひとつのことに夢中になるとほかのことが頭からすっぽ抜けてしまうのは、僕の悪い癖だ。
木曜日は南のヴァイオリンのレッスン日だった。僕は放課後一人で練習しながら終わるのを待ち、帰ってきた南とさっそく合わせてみた。
いきなりチューニングで手こずった。僕は何度もラの音を出して、これに合わせてくれといったのに、南はそれは違う、四分の一か八分の一くらい低いといって譲らなかった。いやそんなことはありえない、絶対これは合っている! といってもう険悪なムード。結局ピアノを叩いて何度も聴いて、南が正しいことが判明した。「ごめん」というと、南はフンと鼻を鳴らしてチューニングをした。
だけど演奏を始めると、やはり僕のほうが曲を理解していた。チェロから始まり、ヴァイオリンは最初の十六小節は休みなので、僕が合図を送ったのに、南は出遅れた。二小節を一小節でカウントしていたのだ。間違いに気がついてからも、南は途中で何度も混乱した。
ユニゾン、つまり二人が同じメロディを同時に演奏する部分や、どちらかのメロディに伴奏をつけている部分は、何とかなった。問題は対位法になっているところだ。複数のメロディを同時に演奏してハーモニーを作り出すことを対位法という。一番単純な例が輪唱だ。輪唱はメロディはひとつだけれど、歌い出しがずれている。それなのにひとつの音楽になっている。この曲の対位法は輪唱に近く、しかも輪唱ではなかった。つまり、似てはいるけれど決して同じでない二つの旋律を、歌い出しをずらしながら演奏しなければならないのだ。そのずらしかたが、何度同じような箇所が出てきても、南にはうまく呑みこめなかった。
「違うよ!」僕は弾きながら叫んだ。「ヴァイオリンは一小節と二拍あとから!」
そのたびに南の顔が怒ったようになるので、僕はつらかった。そして僕も、次から次へと間違えてしまう。カウントを正しく取ろうと思えば弓使いがおろそかになり、ヴァイオリンを気にかけていれば音をはずしてしまう。いい合わせたわけじゃなかったけれど、もうこうなったらとにかく最後まで止まらず弾こうとお互いに思っていたのは明らかだったから、ピアノだけが演奏している全休符の部分も「イチニサン、ニイニッサン」とカウントを取って弾ききった。二人でレの音を出して曲が終わると南は、
「うわあ!」
といって椅子の背もたれに倒れこみ、足を投げ出した。
「これは無理だよ」南の口ぶりは、まるでもう諦めることが決まったようだった。「全然合わないよ。合う気もしない」
その投げやりな態度は僕には腹立たしく、意外だった。
「一発目から合うわけないだろ」僕はちょっと口をとがらせた。「なにいってるんだよ。演《や》りたい演りたいっていってたじゃないか」
「だってこんなに合わせるのが難しい曲だなんて思わなかったんだもの」南は一気にいった。「明日までなんて絶対無理だよ。津島君だってそう思うでしょ?」
「思わない」僕はいった。「やってみなけりゃ判らない」
「やってみたじゃん!」
「やってないじゃん、全然!」僕は驚いていた。「南ってさ、いつもそうなの? 練習で合わないと、一発で諦めちゃうの?」
南は答えず、僕をじっと見ていた。そしていきなりヴァイオリンを構え、「もう一回やろう」と、小さな声でいった。
「ちょっとゆっくりやろう」といってから、僕は思いついた。「メトロノーム使って」
見回して探すと、各教室に一個ずつあるメトロノームは、なぜか黒板のチョークを置くところに、危なっかしく置いてあった。楽譜の指示はタイム八十、つまり一分間に八十拍だったが、ぐっとゆっくり、タイム五十に合わせた。
「これが一拍? いくらなんでも遅すぎない?」と南はいったのに、僕が、
「ううん、一小節がこれ」というと、
「判ってるよ、そんなの」とすねた。判ってないから訊いたんじゃないか。僕は不満を隠して弾き始めた。
ゆっくり弾いても、できないところはできなかった。南は何度も「判んなくなった!」と悲鳴をあげ、そのたびに僕は「Aの二小節前!」などと叫んで、彼女を軌道に戻した。もうすっかり放り出すそぶりを見せさえする南を前に、僕はくじけず弾き続けた。しょうがなく彼女も付いてくる。するとだんだんと、お互いが何をやっているのかが理解でき、受け止められる箇所ができる。ゆっくりだから難しいところも落ち着いて弾ける。僕は手ごたえを感じた。なのに、終わると南はまた、椅子の上でだらんと身体を伸ばした。
「これ多分、何回やっても無理だよ」南はいった。
僕はメトロノームを止めてから、ふと気がついて、訊いてみた。
「南さ、アンサンブルって、やったことないんだろ」
「津島君だってないでしょ」
「ないよ」僕はいった。「これが最初だよ」
「最初からいきなりこんな難しい曲じゃなくても、よかったんじゃない?」南は顔をゆがめた。「なんかもっと簡単なトリオ、あったんじゃない? ハイドンとか」
僕は南の苦しそうな表情だけを見て、泣き言は半分くらいしか聞いていなかった。聞きたくなかったのかもしれない。それはこれまで見たこともない、南の意外な、好きになれない一面だった。なんでこんなに、あきらめが早いんだろう? 何が気に入らないんだろう? 僕は、放り出した足の先、白い上履きのつま先をぼんやり見ている南の、とりつく島がないのに不思議と魅力的な姿の中に、なんとかその原因を探ろうとした。
二人とも、何もいわなかった。なんの音もさせなかった。
「南さあ」
長い沈黙のあと、僕は思い当たったことをいってみた。
「自分ひとりで弾いたら、弾けるんだ、って思ってるんでしょ」
すると南は僕を、静かに睨んだ。
「俺なんかと弾いてるから、できるものもできなくなっちゃう、って」
「津島君とかじゃないよ……」
南は口の中でぶつぶついった。
「でも、自分の演奏を、俺に邪魔されてるような気がしてるんじゃない?」
南は答えなかった。
「だからそんな気分なんだろ」
「全部弾けるんだよ、本当に!」
いきなり南は喧嘩腰に叫んだ。
「津島君、信じてないでしょう!」
「信じてるよ。っていうか、判ってる」
そう僕はいったのに、南は首を横に振った。
「でも、合わせられないんだったらおんなじだって、思ってるでしょう!」
「思ってないよ!」
「私は思ってるの!」
思わず本音が出た、という感じで南はいい、歯をぎりぎり食いしばって、細い足をばたばたさせた。
「こんなの私、一回で完璧に演奏できると思ったんだもん! こんなに間違えるなんて思ってなかったよ! ちっきしょー」
南は憤然とヴァイオリンを構えた。
「もう一回。次は絶対合わせる!」
僕もメトロノームを動かして、弓を弦にあてたが、弾き始めようとして吹き出してしまった。
「何よ」南が僕を睨んだ。
「だって」僕は笑いながらいった。「ちっきしょーってスゴイなあ、って思って」
「ふん」といいながらも、南はもうちょっとで笑いそうな顔になった。「どうせ育ちが悪いですよ」
「同じ曲をやってるんだ」僕はいった。「どっちも六百十六小節なんだ。つまりこいつが」と弓でメトロノームを指して、「六百十六回カウントしたら、一緒に終わるんだ。絶対合う」
「うん」南はうなずいた。
僕もラストチャンスだ、という気持ちで弾き始めた。楽譜にAと書かれているところでは、「A!」と叫びながら弾いた。Aの次の小節からヴァイオリンは七小節休みだ。南が「1……2……3……」と数えているのを聴きながら四小節弾き、残り三小節は僕も休みだ。南に合わせて、「5……6……7……」と数え、さらに二拍休んで弾くと、不意に僕たちは、ひとつの音型をハーモニーを作りながら弾いているのが判った。もう二回もやっていたのに、このとき初めて判ったのだ。僕と南の目が合った。ヴァイオリンはそこから休まずメロディを展開させ、チェロは二小節遅れて対位法を作る。似ているけれど同じじゃない旋律が初登場するところだ。ここが、出だしはずれているのに終わりは同時にフレーズを完成させることも、このとき判った。続けざまにフォルティシモ、ここはチェロが最初と同じメロディを弾くことで、ヴァイオリンのメロディを伴奏している。次は一小節完全に休み。「イチ、ニ、サン!」と二人で数えてからハーモニー、それが一拍目で終わって「ニ、サン、イチ!」二拍目からまたハーモニー。そして対位法が二十四小節続く。そこまで完璧だった。さっきまでぼろぼろだったのが嘘のようだ。しかしチェロが第二主題を弾き始めるところで、またつまずいた。僕は緊張して南を見た。間違えた、もうやめるといいだしはしないかと思ったのだ。南は弓を放した。
「Cからやり直して、いい?」
「うん。僕も頼む」
「その前に、ごめん。ちょっとここの音出してくれる?」
そういって南はヴァイオリンのパート譜を僕の前に出した。パート譜というのは、基本的にその楽器のパートしか書いてない。だけど便宜のために、自分が音を出す手前の部分のほかの楽器の音が書いてある。
「それが僕の弾き始めだよ」といって、僕は軽く弾いて聞かせた。
「OK。やろう」
南は呑みこみが早かった。ヴァイオリンがチェロの第二主題に、二小節遅れて伴奏をつけているんだということを、それだけで理解した。
そこからは一気だった。ピアニッシモの微妙なハーモニーも、フォルテの和音も、クレッシェンドから畳みかけていく三連符の七小節も――どれも決して合わせやすい部分ではなかったのに――ずんずんと進んでいった。
だけどやっぱり、うまくいかないところはまだまだあった。なんといってもこれは、ピアノ・トリオからピアノを抜いた練習なのだ。ピアノがソロで弾いているところでは、二人とも長い休符があって、しかもその直後が対位法だったりすると、もうこんがらがってしまう。そのたびに僕たちは手を止め、しかしメトロノームは決して止めずに、二人で譜面を見せ合い、シャーペンで書きこみをして、できる限りの修復をした。南はもう、投げやりなことはいわなかったし、思いもしていなかったはずだ。その表情は明らかに、このくらいで負けるもんか、絶対最後まで合わせてやる、という、負けず嫌いの根性顔になっていた。
「|O《オー》の二小節目から、一気に行くよ!」南はいった。「もう止まらないで行くよ!」
「よし」僕は楽譜から目を離さずに答えた。そして二人で、
「イチ、ニ、サン、イチ、ニ!」
一小節遅れの対位法、一気に駆け上がるクレッシェンド、二小節休んでからの第一主題、そしてフォルティシモから二度目の三連符。切れ味のいい和音からまた第一主題、そしておさえようのないクライマックスへ……。
「ちょっと、二人!」
教室の扉がいきなり開いて、カリババが入ってきた。
「何やってんの。何時だと思ってるの?」
僕はどきっとした。けれど南は構わず弾き続けた。そして弓を上げた。
「もう八時よ。文化祭の練習は七時まで! それにあなたたち、練習の届けも出してないでしょう。早く帰りなさい!」
だけど僕たちが弓を上げたのは、そこが二人とも六小節の休符だったからだ。メトロノームが六カウントすると、僕たちはまた弾き続けた。そして弾ききった。
「ごめん」南がいった。「最後から十二小節目なんだけど……」
「こらぁ!」
僕たちは慌てて教室から駆け出した。
帰り道は真っ暗だった。駅に着いて、「じゃ、また明日」という南に、僕は、駅まで送っていく、といった。
「いいよお」南の表情はこわばった。「津島君の帰る方向、逆じゃん。悪いよ」
「送っていくよ」僕は繰り返した。こういうときの気が利いたセリフなんて、全然思い浮かばなかった。「そんな遠くないから、送ってく」
南はそれ以上、拒絶しなかった。僕たちは南の乗る電車のプラットホームへ、黙って歩いていった。
それに僕たちはそれまでも歩きながらずっと話をしていて、まだまだ話し足りなかった。さっきまで弾いていた曲のことがほとんどだった。南は、津島君の|E《エー》、ときどき半音低かったよね? と指摘した。その通りだった。ニ短調の曲だから、H《ハー》にしかフラットはついていないのに、たまに混乱して、なぜかEにもフラットがついているように思いこんでしまっていた。でもそれは十六分音符の中の一音にすぎなかったり、南も懸命に自分の音を出しているときばかりだったから、ごまかせただろうと思っていたのだ。僕は恥ずかしかったのと同時に、南の耳のよさに感心した。
「最初のチューニングのときも思ったんだけど、南って、絶対音感あるの?」
「多分、ない」南は慎重に考えてから答えた。「あるといいなと思うんだけど、そこまでいかないと思う。でも聴音の成績はいいんだよ」
(その後僕は、たまに宴会の席なんかで、「絶対音感がある」ことを自慢げに語る人に出くわすたびに、彼らがビールのジョッキを箸で叩いた音を、ミだのソのシャープだのと「いい当てる」のを聞かされるたびに、このときの南の慎重な姿を思い出す)
僕はいった。
「俺なんか全然駄目だ、聴音。うらやましいよ」
僕がそういうと、南は――そのとき僕たちは混雑する電車の中にいて、向かい合った二人のあいだには、何よりも保護すべきチェロとヴァイオリンがあったのだが――チェロのケースの向こうから、僕の顔を覗きこむようにして、
「でも、専攻の成績がよければいいじゃん」
と笑った。
「南だっていいだろ、ヴァイオリンの成績」
「うん」
南は嬉しそうに、素直に、そして即座にうなずいた。そういうことを謙遜しないでいえるときを、ときと相手を、待っていたようだった。
「私たち、最強だよ」
南は続けていった。
「二年生にも三年生にも、私たちくらい弾ける生徒いないんだよ。最強タッグだよ」
「合田先輩がいるじゃん」
と、僕はいってみた。すると南はあっさり、
「私あの先輩のヴァイオリン、嫌い」
といった。
「基本に忠実。聴いてて全然面白くない」
確かにそれはそうで、合田先輩の演奏を見ていると、いわれたことをしっかり守り、それ以上のことはやろうともしない。姿勢は正しく、お辞儀は深く、笑顔はさわやかだ。大人に褒められるために弾いているのがよく判る。
だけど僕はむしろ、今の南がいったことのほうを、徹底的に検証していた。彼女がいったことは、果たしてそこから「のヴァイオリン」を削除しても、彼女の気持ちの表現として有効なのだろうか、という検証だ。
「私あの先輩(のヴァイオリン)、嫌い」
検証はうまくいかなかった。
乗換駅に着いた。南は改札の前で僕に向き直った。
「ほんとにここでいいよ。あとちょっとだから」
「うん」
しつこくしちゃいけない、と思った。でも内心、できることなら、しつこくしたかった。
「じゃあね。明日の朝」
「じゃあね」
そういってからも、僕はなかなかその場を離れなかった。そして、
「あのさ」といった。
「うん」
「僕のチェロは、どう?」
「どうって?」
「南から見て」
南は僕をじっと見た。そして、
「好きだよ」といった。
その言葉が聞きたかったのに、その言葉が聞こえてくると、僕は猛烈に恥ずかしくなった。反射的に浮かんできた笑顔をおさえて口元をしめ、うなずいてさよならもいわずに振り返って駆け出した。
南は、僕の「チェロが」好きだよ、といったのだ。そんなことは判っていた。でも嬉しくて、電車の中でにやにや、にやにやしてしまうのを、止めることはできなかった。
翌朝、僕は戸田先輩に、南は合田先輩にことわって、お互いの朝練を休ませてもらい、A組の教室でもう一度合わせた。予想通り南はあれから、家で何度もカザルスのテープを聴きかえしていた。僕も四回か五回はレコードを聴いた。
「それで相当、判ってきたけどさ」南はいった。「でもあれ、録音が古すぎるよねえ?」
「ライブだしねえ」僕も同意見だった。「チェロばっかり聴こえてくる感じ。多分マイクがカザルスの近くにしか、置いてなかったんじゃない?」
とはいえ、僕たちの演奏は昨日にくらべてかなりしっかりしてきた。弾きながら、僕の頭の中ではレコードで覚えたピアノの音が鳴っていた。きっと南の頭の中でも鳴っていただろう。僕の頭の中にはシュナイダーのヴァイオリンも鳴っていて、それは南が今響かせているヴァイオリンにくらべると、はるかに情緒豊かできれがよかった。でも僕は楽しかった。南が弾くヴァイオリンが好きだったし、南も好きだったのだから。それにそんなこといったら、彼女が僕と比較しているチェロはカザルスのチェロだ。
練習している途中から、ほかの生徒たちがぽつぽつと登校してきて、そのうちの何人かは僕たちが練習しているっていうのに、自分たちの練習を平気で始めた。ピアノはベートーヴェンのソナタを鳴らしだし、後ろのほうでは沢寛子がフルートを吹いていた。文化祭前なのだ。そうでなくても期末の実技試験の前など、こういうがちゃがちゃとうるさい状況下での練習には、僕も南も慣れていた。一番最初に来たということが暗黙の了解になって、僕たちが使っているメトロノームに、誰も文句をいわなかった。
三回通して弾いた。最初は昨日と同じタイム五十、次に六十に早めて、最後のときは思い切って楽譜の指示通り八十でいこうとしたが、鳴らしてみるとやっぱり早く感じて怖気づき、七十でやって、三回とも一回もつかえずに最後まで弾き通すことができた。
「これくらいゆっくりのほうが、なんか感じ出てるような気がする」ぼくは八十で弾けなかった負け惜しみでなく(まあ、ちょっとは負け惜しみもあったけれど)、そういった。
「うーん」南はにやにやしながら答えた。「そうかも」
「北島先生にも、これでいけるんじゃないかなあ」
「さあ、どうだろう」朝練も終わった様子だったので、南は弓をゆるめ、弦についたロージンをタオルで拭きながら、首をかしげた。「私、北島先生って、どんな人か知らないから」
ああ、そうだったな。僕は思った。北島先生は僕の副科ピアノの先生で、南はクレオパトラっていうあだ名しか知らない。先生と南の相性のことも、気にかけなきゃいけないんだ……。そんな心配をしていた僕は、自分が先生のピアノとチェロを合わせたこともなければ、チェロを聞かせたことさえなく、そもそも先生がどんな人なのかまったく知らないということを、すっかり忘れていた。
昼休みに、僕一人で三年の川上先輩のところへ行った。川上先輩は文化祭の運営委員長だった。北島先生とアンサンブルを組んで文化祭に参加できるよう、ダメモトで頼んでみようと思ったのだったが、
「ダメです」ひと言で却下された。僕は、
「モトモトです……」といって、引き下がるしかなかった。先生とアンサンブルを組むなんて、そもそも公平とはいえないのだから。
その足でB組へ行った。南はみんなとお弁当を食べていたが、大勢いたせいだろうか、ちょっと肩をすくめて、「まあ、そうだろうね」といっただけだった。落胆を分かち合おうと思っていた僕は、拍子抜けしてしまった。
そして放課後、防音室に入っていこうとする北島先生をつかまえて、何時に来ればいいか尋ねた。レッスンは四十分だから、五十分後に来て、といわれた。僕たちはもう一回合わせようと、B組の教室で楽器を出した。文化祭に出られないことは決定してしまったにもかかわらず、僕は次第に緊張してきて、先生の前では本領が発揮できないんじゃないか、今朝の練習がピークだったんじゃないか、もうあれ以上の演奏は、僕にはできないんじゃないかと思えてきた。南は落ち着いて見えた。
ところが、楽器を出してチューニングを終え、さあじゃあやろうという段になって、突然北島先生がひょこっと廊下から顔だけ出してきた。レッスン予定の生徒が来ないというのだ。その二年生は僕たちも知っている有名なさぼり屋で、その後大学へ進学せず、どこへ行ったかもよく判らなくなったような生徒だった(当時の新生学園高校に、そういう生徒は少なくなかった)。だから時間が余っている、もう始めようと、先生はいいに来たのだった。
僕はウハッと息を呑んで立ち上がったが、南は決然とした声で「はい」といった。まなじりを決したその表情は、綺麗というより尊敬にあたいする美しさで、それを見て僕もしっかりしなきゃと思ったけれど、なかなか緊張を隠すことはできなかった。
防音室へ楽器を持ちこんで、もう一度チューニングをし、譜面を整えて、大きく深呼吸をした。先生は、
「最初だから、ちょっとゆっくり演《や》りましょうか」
といった。南はまた静かに「はい」と答えただけだったが、僕はもう少しで、おありがとうごぜえますと、卑屈なお辞儀をしてしまいそうになった。
最初の音を出すのはチェロだから、僕がテンポを決められる。メトロノームのタイム七十より、若干遅めに弾こうと四分音符のラの音を出すと、弓はひっかかる弦をおさえる人差し指には力が入らない、何をやろうとしてるのか判らない音が出てきた。すぐにピアノが入ってきたが、僕は赤くなって、
「すみません、すみません。もう一度お願いします」
と、弾き直させてもらった。北島先生は無表情に演奏をやめた。ピアノが目の前で鳴り出したということも、僕には強い刺激だった。しかしピアノはもう一回鳴ってしまった。チェロも一回鳴らしてしまった。もう「音が出た」なんてことで、驚く必要はないのだ。それを力にして緊張を解くしかなかった。僕は肩を上下させ、首をぐるりと回した。最初の音にはピアノと指示されてあるが、もうちょっと強く、メゾフォルテくらいの気持ちで最初から弾き始めた。すぐに北島先生のピアノが追走してきた。ずっと後から入ってくる南のヴァイオリンは、僕には落ち着き払って聞こえた。
実際南は、僕と二人で練習しているときよりも、はるかに堂々としていた。スタッカートの切れ味も良かったし、高音の箇所でまごつきもしなかった。僕はまたしても彼女に驚かされ、負けじと音を出した。
もっともピアノが入ることによって、かえって自分たちの演奏している音が、よりすんなりと理解できるということはあった。なんといってもピアノは和音を弾き続けているようなものだからだ。弦楽器の長い休符のあいだもピアノはソロで弾き続けるし、音楽はコード進行でできているのだから、僕たちが入るきっかけも判りやすい。昨日あんなに悩まされていた対位法も、お互いの音よりも、ピアノを聴くことによって、おたおたせずに弾くことができた。そしておたおたする気持ちがなくなると、この音楽は互いの音に競り合っていくような、緊迫した音の劇なのだった。いつの間にか僕と南は、自分たちが主導権を握り合おうと、ばんばん遠慮なく音を出すことに熱中していた。
そこへ北島先生が、弾きながら叫んだ。
「走ってる! テンポを守って!」
これまでのレッスンでは聞いたことのない、強い声だった。だけど叱っているようではなかった。上気した先生が、自分にもいい聞かせているのが判った。それを聞いて僕たちは落ち着いた。だけど少なくとも僕は、テンポを守ったって迫力じゃ俺が一番だぞ、と思い続けて弾いた。そういう気持ちは、南にすぐ伝わった。楽器は音だけじゃなく、言葉も雄弁に語るのだ。それは北島先生のピアノにしても同じだった。
僕は二度目に第二主題が出てくるところで一小節前から出てしまったし、南はユニゾンで出遅れた。そして先生も、何度も不協和音を響かせた。それでも誰も止まらなかったし、止めようとしなかった。凄い、この曲は凄いという思いしか、僕の頭の中にはなかった。フェルマータのついた最後の付点二分音符を弾いて、僕も南も放心したように肩を落とした。
「これ……」と、南は何かをいいかけた。
だけど何をいいかけたのかは、とうとう僕には判らなかった。それ以上彼女は喋れなかったのだ。北島先生が、平然とそのまま第二楽章のソロを弾き始めたからである。
「先生」僕は演奏中の先生に声をかけた。「演《や》るのは第一楽章だけです」
先生は僕を見た。しかし答えなかった。ただ弾き続け、明らかに僕たちにも弾くように求めていた。
「二楽章は弾いたことないんです。無理です」
南のいうことにも、先生は耳を貸さなかった。
僕たちは目を見合わせた。弦楽器がピアノのメロディに応えるところが、もう迫っていた。(うひゃー)という表情をして、僕が楽器を構えると、南も仕方なく譜面を追った。
第二楽章はアンダンテ・コン・モート・トランクィロ、緩徐《かんじょ》楽章だ。今みたいにじゃかじゃか弾かなくていい。それでも僕たちは探り探りだったから、全然うまくいかなかった。ハーモニーもぎこちなかったし、テンポはゆっくりでも休みなく弾き続けなければならなかったから、お話にもならない演奏になった。えんえんと十六分音符が続くところなんか、僕も南もおざなりに弾いた。ピアノだけが美しく感傷的に響いた。
弾き終えると、先生は静かにこういった。
「第二楽章も演《や》りましょうよ」
「できませんよー」と僕がいうのと同時に、
「はい、演ります」と南が答えた。なんの迷いもなく。
「だけど先生、実はですね」僕はいいにくかった。「文化祭には、出られないっていわれちゃったんです。先生とアンサンブル組んじゃ、駄目なんだって」
「そう。やっぱり」先生は微笑した。「じゃあ、練習する時間はたっぷりあるってことね」
「えっ?」南が少し驚いた顔をした。「どういうことですか?」
「どこか、別の場所で演奏できればいいな、っていう意味」先生はいった。「今思ったの」
僕たちは息を呑んで、答えられないでいた。
「あなたたち、合ってる」先生はいった。「たった二日で、よくこんなに合わせられるようになったね。技術的には難しくないかもしれないけど、これ、合わせるのは相当大変な曲でしょう? それをこれだけ、こんなに短い間で、しかもピアノなしで合わせたんだから、すごいよ。上手なだけで、できることじゃないよ」
僕は顔が赤くなるのを感じた。ちらっと見ると、南も頬が赤かった。
「もっとやれば、きっと、もっと良くなる」先生は続けていった。「だからやろうよ。文化祭じゃなくたっていいじゃない。どこか探そうよ」
「でも」僕はいった。「文化祭が駄目なくらいなんだから、学内演奏会でもきっと駄目だろうし、そうなったらもう、僕らには全然アテがありません」
「私がどっか探す」先生はいった。「学校の中だけで考えなくても、いいと思うんだ」
「あの、コンサートとかは困ります」南がいった。「会場借りて演《や》るとか、絶対無理です」
僕もぷるぷると首を振った。
「注文が多いなあ」先生は笑った。「でも、そうよね。お金のかかることはしたくないよね。判った。なんとかする」
そして先生は、楽譜を最初の頁に戻した。
「それまで、練習しよう。合ってるのは合ってるけど、問題はいっぱいあるんだから」
確かに問題はまだまだあった。先生は具体的に楽譜の箇所を示しながら、僕と南の欠点を、ずばりと指摘した。僕は、ゆったりとしたフレーズでは朗々と歌い上げるのに、細かいパッセージになるとごまかして弾く傾向がある。南は、技術的には僕よりきちんとしているが、ダイナミズムが決定的に不足している。最初から最後まで、メゾフォルテからフォルティシモの間でだけ弾いている、というのだ。まったくその通りだったので、僕たちは返す言葉がなかった。
「私はチェロもヴァイオリンも弾けないから、ボウイングとか、そういうことは判らないけれどね」
なんていう先生の言い訳は、まったく必要なかった。僕たちは楽譜に書きこみをしながら、それぞれの問題点を洗い出すために、もう一度最初から弾き、難所にぶつかるたびに演奏を止めて、自分も反省し、お互いにも意見をいい合った。
あっという間に六時になってしまった。僕たちはスケジュールを確認して、毎週金曜日の同じ時間に、練習を続けることにした。本当はもっとやりたかったけれど、ほかにやるべきことが山のようにあるのは、僕や南だけじゃなく、先生も同じことだった。
「ありがとうございました」とお辞儀をして、防音室を出た。まだ興奮がさめていないのに、心がさわやかだった。
「北島先生、どうだった?」
帰り道で僕は尋ねてみた。
「美人でびっくりした」南はいった。「遠くからなら見たことあったけど、そのときも美人だったけど、近くで見ると、より美人。ピアノ弾いてると、さらに美人だねえ」
南のほうが、ずっと美人だよ。僕は心の中で思った。
「一緒にできそう?」
「できるできる」南はうなずいた。「ああいう先生と一緒にできるのって、いいよね。全然キツくないし。うまくなりそう」
「ほんとだね」といって、僕は勇気を出していった。「僕は先生のピアノより、南のヴァイオリンのほうが好きだけど」
のヴァイオリン、というところが、カッコにくくられて聞こえてくれればいい、と、ちょっと思った。でもそうは聞こえてくれなかったようだった。
「先生のピアノ、迫力がすごい」南はいった。「そのこと、さっきからずっと考えてたんだ」
「こないだいきなり弾き始めたときには、俺もびっくりした」僕は南に合わせていった。「前に演《や》ったことあるんだね、多分」
「そう」南の声は深かった。「何かあるんだよ、先生。あの曲に」
「何かあるって、何」
「判んない」南は静かにいった。「でも、きっと何かある」
南の目は、ここにいない北島先生をじっと見ていた。女が女を見ている、と思った。
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第八章
ピアノ・トリオはできなかったけれど、それで僕と南が文化祭に出番がなくなったというわけではなかった。声楽専攻の生徒たち、それに大学生も合同で、ハイドンのオラトリオ『天地創造』のコーラスに、オーケストラの一員として僕たちは参加したし、「副科ピアノ五十人衆」とかいう催しでは、南は鮎川と連弾でドビュッシーの『小組曲』を弾いた。僕もこれにはモーツァルトの変ロ長調のソナタで参加しようとしたのだが、練習不足でオーディションに落ちてしまった。
いずれにしても文化祭の主役は僕たちではなかった。この年の文化祭は、三年生の有志による即製の小規模オーケストラが『ラプソディ・イン・ブルー』を演奏して、記念碑的な大失敗をしたことと、伊藤慧の天才が広く学園内に認められたことで記憶される。伊藤は最初、専攻楽器であれば誰が何を演奏してもいいというイベントに登録したのだが、初日の演奏を聴いた文化祭運営委員と先生方によって、二日目と三日目は独立した教室で、たった一人(伴奏者はいたけれど)で事実上リサイタルを開いてしまったのだった。しかもその二日間は教室に備え付けのピアノではなく、大学からハープシコードを運ばせさえしたのである。文化祭で一人の生徒のために一室が与えられたのは、新生学園高校史上初めてのことだそうだ。
彼はヴィヴァルディの『忠実な羊飼い』を演奏したのである。といっても、なんのことだか判らないかもしれない。恐らく、運営委員たちもこのタイトルを聞いて、数分の小曲だろうと思ったんじゃないだろうか。当時NHKのFMで朝の六時からやっていた「朝のバロック」という番組のオープニング・テーマ曲がこの『忠実な羊飼い』のメロディで、みんなは伊藤がその有名なところだけを演奏すると思いこんでいたに違いない。実際にはヴィヴァルディの作品十三『忠実な羊飼い』は、一曲が四楽章から五楽章あるフルート・ソナタ六曲からなり、ひとつひとつの楽章は短いけれども全部足せば二十七楽章、一時間近くもかかる大作なのだ。同じヴィヴァルディの『四季』を全部いっぺんに演《や》るようなものである。これを伊藤は、ピアノ専攻の生徒三人に伴奏を分担させて、六曲を通しで演奏したのである。高校一年生のくせに!
ただ演奏をするというだけでも大したものなのに、伊藤のフルートは全校生徒を魅了した。「全校」というのは新生学園の場合、高校生だけではなくて、中学生も大学生も、若干は小学生も幼稚園児も、そして生徒の親や教師たちも、すべて含むという意味だ。ほかの催しは客がいなくなってしまうので、伊藤が演奏している時間は実質上休演しなければならなかった。そして本来なら別の催しに出演しているはずの僕たちも、こぞって伊藤のフルートを聴きにいった。僕は二日目に行って、あまりの混雑ぶりにへきえきして、三日目は行かなかったけれど、熱烈な「ファン」は三日とも通ったようだ。
伊藤が才能豊かなフルーティストであるというだけでなく、眉目秀麗《びもくしゅうれい》な美少年だったということも、この熱狂にあずかって力あったことは間違いない。白い額に前髪を垂らして、細身の身体を揺らす伊藤に、女子生徒たちは夢中になっていた。演奏の途中で客席を振り返ると、女子たちはみんな一様に、手や楽譜やチラシなんかで鼻から下を隠し、目だけ出している。頬が赤くなっているのを見られたくないのだろう。一曲終わるごとに過剰なまでの拍手が沸きあがり、ちらほらと泣いている奴までいた。
伊藤はそんな周囲のまなざしも喧騒も、一向に気にかけていなかった。前髪が垂れているのは垂らしているのではなく、楽譜に集中しすぎて前のめりになっているからだった。拍手が起こっても、伊藤はまず深く息を吐き、それから人の気配に気がついたようにして客席を向いて、ひどくぎこちないお辞儀をするのだった。伴奏者が交代するときには、後ろを向いてハープシコードの足元に置いてある水筒を取り、水を飲んだ。それらの動作が、女子どもにはいちいちお気に入るらしかった。
僕は橋本と二人で一番前に陣取り、椅子にも座らず床に体育座りをしていた。演奏中にちらちらと伊藤と目が合った。最初のうち、僕はにやにやと(いいぞー、いいぞー)という感じで無言の声援を送っていたけれど、曲が進むにつれて厳粛な気持ちになっていった。専門的な知識などなくてもはっきり判る、難しいパッセージをさらりと吹くところとか、何小節もノン・ブレスでゆったりと演奏して、しかも誰にもブレスしていないことを気づかせないところなんかを見せつけられて、僕は自分のチェロとこいつのフルートと、どっちが上だろうと考えていた。どんなに自分に甘い点をつけても、伊藤に勝てるとは思えなかった。
三日目、文化祭の最終日には、噂を聞きつけた大学の先生たちも伊藤の演奏を聴きに来た。学長の松野先生、つまり僕のおじいさまも来たそうだが、僕は見なかった。学校にいなかったのだ。南と喫茶店へ行っていたのである。
三日連続で『忠実な羊飼い』を演《や》るというので、僕は最初はその教室へ向かったのである。ところが教室は伊藤が現れる前からもうぎゅうづめになっていて、入り口のところは立ち見の生徒たちで溢れかえっていた。それだけでもイヤになってしまう光景だったが、さらに生徒たちは何やらぎゃんぎゃん騒いでいた。聞くとその日は前の方に運営委員が「招待席」を設けていて、先生とかフルート科の大学生なんかが優先的にいいところで見られるようにしたという。「そんなの不公平だと思います!」「先生とかならしょうがないけどさー、大学生まで優先て、おかしくないですか?」「私たちなんか何時間も前に来てんのにー!」
「文化祭だから。新生学園だから。高一だから」
廊下で入ろうかどうしようかといった様子の南を見つけて、僕はいった。
「いろんな要素を考慮に入れても、こりゃあ音楽を聴く環境とはいえないね」
南はうなずいた。
「千佳が、もう入ってるの」教室をちらっと見ていった。「きっと隣の席も死守してると思うんだけど、入りたくないんだよ」
僕たちはついさっき『天地創造』を終えて、大学のホールから戻ってきたばかりだった。メンデルスゾーンにくらべれば難しくもなく、一回か二回練習しただけの楽な演奏だったけれど、文化祭を無為に過ごしたような気分にだけはならずにすんだし、照明を浴び、喝采を受けたあとの高揚感は、僕だけが感じているんじゃないはずだった。
だから、僕は思い切っていってみた。
「うるさくて軽薄で、こんなとこ、いられないよ」汗が出た。「文化祭なんか抜け出して、どっか行かない?」
「行きたいんだけど、千佳が待ってるんだよ」
予想の何十倍も、南の答えはあっさりしていた。僕は肩の力が抜けたような感じだった。
「入りたいの?」
「だから入りたくないのに、彼女、席取って待ってるんだよ」
「そんなら」
僕はそういって、教室の中まで聞こえる馬鹿でかい声で叫んだ。
「鮎川! もう席取らなくていいぞ!」
「了解!」
鮎川の声が聞こえて、教室の中がざわめいた。空いた席の取り合いでも始まったんだろう。僕たちは階段を降りた。と、ちょうど伊藤慧が教室に向かって、別に急ぎもせず上がってくるところだった。
「おう」僕は、南と一緒のところを見られてどきっとしながらも、励ましてあげようと声をかけた。「これからだろ。がんばれよ」
「今日は聴きに来ないの?」
伊藤は南なんか全然目に入っていないようだった。
「行けるかよ」僕は苦笑した。「あんな芋を洗うような教室に」
「芋を洗うって何」
「ごった返してるってこと」
「へえ」
芝居でなく、明らかに伊藤は、客の入りに無関心だった。
「そうか、津島、来ないのか」
「二回も三回も聴けないだろ、あんな長いの」
「そうだよね。それもそうだ」伊藤は笑った。「津島が来ないなら、今日は手を抜こう」
「抜け抜け。そのほうがいいよ。へとへとになっちゃうよ。じゃあな」
「じゃ」
「がんばって」南がいうと、伊藤はもう階段を上がっていて、
「うん」と、振り返りもしないで答えた。
男子が女子を連れて、文化祭を脱け出す。校門を出るときにはちょっとびくびくしたが、おおぜいの生徒や父兄たちが出たり入ったりしていて、誰からも怪しまれることはなかった。
「前に男たちと、あと鮎川と行った喫茶店があるんだけど、そこにしようか」と、僕がいうと、
「そこ、知ってる。だけど最近、混んでるんだよ。それよりこの前新しくできた小さい喫茶店があるんだけど、行かない?」
南は楽しそうにいった。
「いいよ」
僕は、これから初めて二人きりで喫茶店に行くんだ、と思ってどきどきしていた。自宅の部屋にまで入っていった女子と喫茶店に行くくらいでどきどきするなんておかしいと思ったけれど、だからといってどきどきするのを止めることはできなかった。だけど南は、そんなこと気にかけている様子はちっともなくて、その喫茶店によほど行きたいらしく、足が速かった。
踏切の手前の細い道を通り抜けたところにある、「くるみ」という名の喫茶店だった。住宅を改造して作ったのか、目立たなくて静かすぎて、一瞬入るのをためらってしまうくらいの店だったのに、南は白い扉を平気で開けて、客のいない店内に入っていった。品のよさそうなおばあさんが出てきて、僕はアイスコーヒーを、南はミルクティを頼んだ。
「伊藤の演奏、聴かなくてよかったの?」と僕はたずねた。
「最初の日に、もう聴いたよ」南は答えた。「後ろのほうでね。半分くらいだけだけど」
「すごい人気だね」
僕がいうと、南はほんのちょっと唇をゆがめて、そっぽを向いた。
「ね」
といって、少し考えてから、僕を睨んだ。
「ねえ、私たち、やっぱり演《や》りたかったねえ」
「トリオ? そうだね」
「あれじゃあ、もうなんだか、伊藤君の文化祭みたいだよ。悔しいなあ」
南の負けず嫌いが出たな、と思った。
「来年の文化祭は、伊藤も誘ってみようか」僕はいった。「ヴィオラが見つかれば、モーツァルトのフルート四重奏曲とかさ……」
「やだよ」南は静かに、すぱっといった。「伊藤君に全部持ってかれちゃうもん」
「持ってかれるって何が。人気が?」
「違うよ!」僕の質問に南はイライラした。「人気なんかどうだっていいの! どうせそんなもん、最初からないんだから」
「じゃ、なんだよ。何が伊藤に持ってかれちゃうんだよ」
「フルート四重奏曲なんて、フルート以外に見せ場ないでしょ!」
南の顔は怒っていた。
「別に伊藤君に恨みがあるわけじゃないけど、でも私、どうせ室内楽やるんだったら、全部の楽器がうわーって演《や》れるのがいいんだよ。主役がいてさ、その伴奏させられるのなんて、いやなの。弾いててひりひりするようなのがいいんだよ。人気なんか全然関係ないよ、全然!」
怒らせちゃった、と、そのときは思っただけだった。初めてのデート、といえばいえそうなこんなときに、いきなり南の機嫌をそこねてしまって、どうしたらいいだろうとしか思わなかった。けれども今にして思うと、このときの南が明らかに混乱し、気持ちの整理をつけられなかったのが判る。彼女は「人気」も欲しかったのだ。けれどもそれを自分では認めたくなかった、あるいは、気付きたくなかったのだろう。
このときの僕はただ、どうすればいいか判らなかった。
「ごめんよ」
どうすればいいか判らないとき、理由も判らずとにかく謝ってしまうなんていうのは平凡すぎる、ある意味でずるくさえある、とさえ僕は知らなかった。南は黙ってティカップに口をあてた。
「じゃあ、あのピアノ・トリオなんて、ちょうどいいね」
僕は続けてこんな、ひどく鈍感なことをいった。鈍感はしかし、ずるいよりマシな場合もある。南は僕をちらっと見た。僕の言葉に何か、「女の子をその気にさせるテクニック」みたいなものがあるんじゃないか、もうちょっと怒っていたほうがいいんじゃないかと、見極めようとしたのだと思う。南だってそのときはしょせん十五歳だったわけだが、十五の女子は同い年の男子より、少なくとも無意識的には成熟している。沈黙していた五秒ほどのあいだに南は、とりあえずふくれっ面はやめておこう、怒るのはいつだってできるんだし、と考えたんじゃないだろうか。
「うん」南はいった。「あの曲、好き。今までやった曲の中で一番好きかもしれない」
「ベートーヴェンの『春』より?」
「『春』も好きだけど、もっと好きだな。ひりひりする。うまくいくとヤッタ! って思う」
そういってティカップごしに僕を見た。
「思わない?」
「思うよ」僕はいった。「アンサンブルって、弾いてみないと判らないことって、ずいぶんあるもんだね。ヤッタ! って思えることもそうだけど、逆に、思いもよらないところが難しかったりしてね」
「ね。聴いてるときには、あーいい曲、なんていってられるけどさ、実際|演《や》ってみると」
「うん。ぎょっとする」
僕のいいかたは、骨身にしみた、みたいな感じだったのだろう。南は思わず吹き出した。
「ぎょっとするってほどじゃないけど」
そういって笑う南を見て、僕は安堵に涙が出そうになった。よかった! 南は不機嫌じゃなくなった! 嬉しくて僕も、一緒になって笑った。
「すっかり弾けるようになったら、気持ちいいだろうなあ」
「気持ちいいだろうねえ」
そのころ僕たちは、第一楽章を完成させたわけではなかったけれど、おもに第二楽章を練習していた。北島先生は四楽章すべてを演ろうといい出したのだが、僕たちの腕前では物理的に不可能だという訴えに折れて、最初の二楽章だけで勘弁してもらったのだ。僕が「すっかり弾けるようになったら」といったのには、今の二楽章を、という意味と、一曲すべてを、という意味があったけれど、南はそれをちゃんと理解していた。
「私、もっと練習して、うまくなって、早く全部弾けるようになりたい」
そう彼女は言葉を継いだ。僕もまったく同じ気持ちだった。
「そしたら、もうリサイタルだね」
「うん」
南がうなずいたのは、きっとリサイタルという言葉に瞬間的に興奮した、武者震いのようなものだろうと、そのときから僕には判っていた。判っていたけどそれは同時に、僕とアンサンブルを組むことに手ごたえを感じているということでもあり、さらには、トリオを完成させるまでは僕と組み続けてくれるという意味でもあった。僕はすうっと息を吸いこんで、ゆっくり吐いた。
「でもさ」南は続けていった。「北島先生、ほんとに発表会なんかできる場所、探してくれるんだろうか。無理っぽい気がする」
「学校関係じゃなくて、リサイタルじゃないってなると、あと何が残ってる?」僕も心配だった。「……まあ、先生って、そういう小さい会場のこと、けっこう詳しかったりするから、何か探してくれるかもしれないけどね」
「練習だけして、おしまいなんて、いやだなあ」南はティカップを置いて、腕組みをした。「どっかで演《や》るってなったら、もっとやる気出ると思うんだけど」
南の気持ちはよく判った。別に今、やる気がなくて練習しているわけじゃない。だけどゴールが見えないで走っているのは、ゴールがなくて走っているのと同じことなのだ。くたびれたり、飽きたりしたら、その場で止まって、もう走り出さないことだってありえる。えんえんと練習ばかりを繰り返しているうちに、曲にも飽き、どうでもよくなって、そのままぐずぐずとアンサンブル自体が立ち消えになってしまうのは、僕が一番恐れていることだった。
喫茶店から戻ると、文化祭はもうぼちぼち後片付けが始まっていた。笑ったり叫んだりする声が教室のどこからか聞こえ、路上駐車したシャコタンに普通科の女子が乗りこみ、誰かが下手なサックスを吹いている、そのすべてを、寂しい夕焼けのオレンジ色が覆っていた。僕の初めての新生学園高校文化祭は、こうしてあっけなく終わった。
あっけないといえば、最初のオーケストラ発表会も、この調子では特に大きな感銘もなく、たんたんと消化されていきそうだった。練習は佳境に入り、ゲネプロは文化祭の翌日から週に三回行われるようになり、鏑木先生は僕たちを励ますようになった。
「うん、いい。音が出てくるようになった。出だしから九小節目のヴァイオリン、もうちょっと気取って弾いてもいいかな。ティラリー、ラリー、イッ、ってね。そのほうが表情が出るから。うん。じゃ、もう一回だけやってみよう」
さすがにこの頃には派手に音程を間違えることもなくなったし、いわれたことをすぐ演奏に反映できるようにもなった。けれどもそんなこと、僕は何か月も前に完了していて、今はほかのできない人たちに付き合っているといってもいいくらいの気分で参加しているのだった。チェロのパートは難しくないから、副科の生徒たちも文化祭前には一通り仕上がってしまい、朝練は週に二回から一回にまで減り、それも二十分か三十分やるだけになった。
ゲネプロ、朝練の始まりと終わり、金曜日の北島先生、それに週に一度か二度の放課後と下校の時。僕が南と話ができる機会は、一気に増えた。そのことに不満があるわけもなかったけれど、高校生活全般がどことなく落ち着いてしまったこともあって、こんなもんかなと思うこともなくはなかった。そこへ爆弾を落としてきたのが、北島先生だった。
それはオーケストラの発表会の前日、金曜日の午後だった。その日は通常の授業は休みになり、一日中ゲネプロをやって、僕も南も疲れたというより嫌気がさしていた。人に指図されずに演奏したくて、いつもよりはるかに勇んで防音室に入っていくと、北島先生はにっこり笑ってこういった。
「発表の場所が決まったよ」
「どこですか!?」
僕と南は思わず声をそろえて叫んだ。
すると北島先生はにやにやと嬉しそうな笑顔を浮かべて、こういったのだ。
「十二月二十二日の日曜日、松野先生のご自宅」
「嘘でしょ」
僕は反射的にいった。
「嘘じゃないわよ」北島先生は取り乱した僕を見て笑っている。
「嘘だ。それはない。それだけはないですよ先生!」
「松野先生って、もしかして……」
それまで今ひとつ理解できないでいたらしい南が、ぼんやりと口を開いた。
「学長先生」と北島先生はいい、頭を抱えている僕をちょっと指差した。「そして、津島君のおじいさま」
「そうなの? ほんとに?」
「ほんとに、っていうのはどっちの意味ですか」僕は頭を抱えたままいった。「学長の自宅で演奏することについてですか、それとも僕が松野先生の孫だということについて」
「どっちも」
「どっちも本当よ」北島先生はもう、声をあげて笑っていた。軽やかな品のいい笑い声だった。「南さん知らなかったの?」
「知らなかった」
僕が顔を上げると、南はきょとんとしてこっちを見ていた。
「そうか……」南は呟いた。「どうりで……」
「どうりで、何」
南は、
「どうりで育ちが良さそうな顔してると思ったよ」といった。
「それ、褒めてる?」
そう僕が訊くと、南はうんうんとうなずいた。
ほかの場合だったらそうとう嬉しかったはずだし、あとになって何度もこのときの、率直で明るい南の表情を思い出した。だけど実際には、それどころではなかった。
「先生」僕は北島先生にすがるようにいった。「それは本当のことなんですか? 松野先生の家で演奏をするというのは」(めったにそういう機会はなかったが、僕はおじいさまのことを学校で話すときには、「松野先生」ということにしていた)
「くどいなあ。本当だよ」
「だって僕、全然そんな話聞いてませんよ。家族にも誰にも」
「今日決まったんだもの。今朝、先生のレッスンを受けにいったの。それで思いついてお願いしてみたら、面白そうだってことになってね。それでどんどん先生が話を決めちゃって。いろんなところにお電話なさって、それでとんとん拍子」
「とんとん拍子じゃないですよ、先生!」
「南さん」
北島先生は僕を無視して、南にたずねた。
「南さんはどう? 松野先生のお宅で演奏するのって」
南はじっと先生を見つめて、それからいった。
「やります」
そう答えるだろうなと僕が予想していた通りだった。南は続けて、僕と先生の顔を交互に見ながら、
「でも、誰が来るんですか? 私、誰か呼んでもいいの?」
「誰を呼ぶつもりなんだよ」
「いいって」北島先生は、僕を通り越して答えた。「何十人も呼ばれたら困るけど、五、六人なら構わないって、先生おっしゃってたわ。それから、整《せい》先生ご夫妻も何か演奏なさるらしいわよ。学長も演奏なさりたいみたい。ホーム・コンサートね」
松野整というのは、母親の下の弟、つまり僕の叔父さんで、新生学園大学のピアノ科の講師をしている。ただし一年の半分だけだ。残りの半分は西ドイツのハイデルベルクにいる。奥さんがハイデルベルクのオペラハウスのオーケストラで、ヴァイオリンを弾いているのだ。ビアンカさんという、日本語ぺらぺらのドイツ人である。
いつもならオペラのシーズン真っ最中だから、年末年始は日本にいないのだが、ハイデルベルク・オペラの来日公演があるために、何年かぶりで彼らが日本で年を越すことは知っていた。整叔父さんは年明けにリサイタルも開く。
「今はまだそこまでしか決まってないけど、やるならいろんな先生方もお呼びしようって、学長はおっしゃってらしたわ。ちょっと緊張するわね」
「ちょっとどころじゃないですよ」僕は弓を持つ手に、もう汗をかいていた。
「二人とも二十二日、あけておいてね」
そういって北島先生は、しれっとした顔でピアノの前に座った。
「じゃ、練習を始めましょう」
「おかしくない!」
僕が食卓で怒鳴っても、父も母も妹のミサキも、にやにや、にやにやしていた。ただしそのにやにやは、みんな別々の意味合いを持っていた。
父親は音楽のことなんか何も知らないから、単純に僕を励ました。
「さすがだなあ。サトルも人前で演奏するようになったか。楽しみだなあ」
「全然楽しみじゃないよ。今からびくびくもんだよ」
「びくびくする必要なんかどこにある。みんな親戚と知り合いばっかりじゃないか。いくらでも失敗できるだろ」
「できるわけないだろ。人のことだと思って」
母親は僕にくわえて、整叔父さんとビアンカさんの演奏を久しぶりに聴けるのが、嬉しそうだった。
「リサイタルは整ちゃんしか出ないんでしょ。ビアンカさんの演奏なんて、私ほとんど聴いたことないもん。待ち遠しいなあー。ちらし寿司、作ろう。ビアンカさん私のちらし寿司好きだから」
そしてミサキはというと、
「ヴァイオリンの人って、お兄ちゃんのカノジョなんでしょ」うきき、と笑った。「すっごい美人なんだよきっと。お兄ちゃん面食いだから。外見至上主義」
「うるせえな」
「そういうのって、痛い目見るんだよね。あー可哀想。女に泣かされる」
「うるせえっていってんだろ!」僕は赤くなって箸を放り出した。
「ああもうどうすればいいんだ」
その翌日がオーケストラの発表会だった。精神的なコンディションは決して良くなかった。目の前にあるチャイコフスキーより、なんでよりにもよっておじいさまの家で演奏することになっちゃったんだ、冗談じゃないよ、という当惑の方が、よほど頭の中を占領していた。
だけど一方で、やはりこれは大事な日なのだった。もう初舞台ではないけれど、トップで弾くのは初めてだ。本番の緊張が、気を紛らわせてくれてもいた。
会場は向《むこう》ヶ|丘遊園《おかゆうえん》駅近くの市民ホールで、開演は五時からだったが、出演者は準備とリハーサルのために午前中から集合した。まずオーケストラのゲネプロ、それからプログラムの前半に出場する、三年生のソリストたちのリハーサルをやる。
「後にも先にも、これ一回だ」
最後のゲネプロを終えて、鏑木先生はこういった。
「今までやってきたことをやれれば、きっといい演奏になる。いい演奏を思い切ってやることが、いちばん音楽の勉強になるんだ。客席に人がいるからって、気後れしないこと。思い切って音を出していこう。本番で思い切った音が出せれば、君たちは音楽家になれる」
「先生」
コンサートマスターの白井先輩が立ち上がり、僕たちは全員立ち上がった。
「一年間、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
鏑木先生は驚いた顔をし、それから顔を赤くして、うなずきながら指揮台を降りた。
高校生は音楽科の出場しない生徒はもちろん、普通科も英語科も全員聴きに来ることになっていた。音楽科の父兄も来るから、数百人入るホールはほぼ満席だ。時間が迫ってくると、さすがに心臓の鼓動が早くなった。
「おいっ」
控え室で座っていると、鮎川千佳に声をかけられた。
「おう」
「私、招待されちゃった」
「何に」
「松野先生のホーム・コンサート」
うっきっきっき、と笑いながら、鮎川は僕の肩をばんばん叩いた。
「考えられない」僕はいった。「そんなこと、まったくありえない」
「ありえますわよ」鮎川は心底楽しそうだった。「出演者からじきじきにご招待いただきましたの。ホホホホホ」
「ホホホじゃねえや」
南を呼ぼうとすると、伊藤が控え室に入ってきた。
「南さんが、なんか、学長先生のホーム・コンサートに来てくれないかっていうんだよ。いいよって僕、答えたんだけれど……」
「南ーっ!」僕は叫んだ。
南は入り口の外から顔だけ出した。僕は控え室を出た。南は外の壁によりかかって、ふだん鮎川たちのグループにいる、副科ヴァイオリンの女子と話しているところだった。
「何?」
「鮎川と伊藤を呼んだって? ……あれに」ホーム・コンサートに、というのは、なぜだか口にしにくかった。
「何人も声かけたのに、二人しか来てくれないの」南は平然といった。「やっぱ学長の自宅ってなると、ハードル高いのね」
「私も、ちょっと……」副科ヴァイオリンの女子も、いいにくそうにそういって、南を見た。「行きたいんだけど、ほんと、ごめんね……」
「そっかー。残念」南はあっさりとそういって、その女子が向こうへ行くのを止めなかった。「呼びたかったなあ」
「呼ばなくていいんだよ」僕はいった。「そんな何人も来られちゃ、恥ずかしいだろ」
「恥ずかしいって何よ」南は怒ったような目をした。「恥ずかしいことするの、私たち?」
「そうじゃないけど」僕はどぎまぎした。「大勢に見られると思うと、緊張するじゃないか」
「文化祭のとき、伊藤君はそんなこといわなかった」南は僕の眼を見ていった。「毎日、何十人の前で演奏しても、平気だった。私だって平気だよ。音楽家だもん。津島君は音楽家じゃないの?」
僕は何もいえなかった。俺だって音楽家だよ、と答えるのは簡単だったろうけれど、南の強い意志のあるまなざしに、圧倒されてしまったのだ。
「聴いてもらえなかったら、音楽家なんてなんの意味もないよ。松野先生の家がどれだけ広いか判らないけど、できることなら千人でも呼びたい。北島先生は五、六人ていったんだから、六人は絶対呼びたい。津島君も招待してよ。男子呼んでよ。私が呼んで二人も来てくれるようになったんだから、津島君が呼んだら、きっとみんな来てくれるよ」
本番前の興奮もあったのかもしれないが、南はいつになく熱かった。僕は、彼女に対する自分の愛情が試されているように感じた。彼女自身には、少しもそんなつもりはなかっただろうけど。
「よし。判った」僕はいった。「みんなに声かけてみよう。でも今じゃないよ」
「なんで」
「なんでって、ほら」僕は天井を指差した。上のスピーカーから、開演五分前を告げるベルが鳴っていた。「もう始まるから」
南はそれを聞いてハッとした。ほんの少し、僕の腕をつかんだ。
「じゃ、またあとで」南は控え室に走っていった。「がんばってね」
「お前も」
僕も同じ控え室に、楽器と楽譜を取りに戻った。すると入り口に近い席に、合田先輩が背を向けて座っていた。メイクアップに使う、鏡の並んだ席だった。合田先輩は、身体は背を向けていながら、鏡越しに僕を見ていた。蒼い顔に激怒の表情を浮かべ、ハエくらいなら殺せそうなまなざしで、僕を睨んでいた。
その視線に気がついた僕の脇を、南がするりと通り抜けていった。最初から彼女は先輩のことなど、完全に無視していたのだ。合田先輩の顔は、最初は恐かった。けれど二秒後には、赤ん坊がむずかっているような顔にしか見えなくなった。滑稽で馬鹿ばかしい顔になり、気の毒な顔になった。無言でチェロを抱え、ステージの袖に向かった。出番はまだだが、ソロの先輩たちの演奏を聴きたかった。南も鮎川も伊藤も、通行の邪魔にならない隅っこに、自分の楽器を持ってひっそり立っていた。
プロコフィエフのピアノ・ソナタ、ヒューゴー・ヴォルフの歌曲、ウェーバーの「舞踏への勧誘」……。技術がしっかりしているのは判る、でもどこか盛り上がりに欠ける演奏ばかりだった。一礼して袖に戻ってくる様子を見ると、緊張から解放されて脱力したり、がっくり肩を落としている先輩もいたし、満足している先輩もいた。そして一人残らず、友だちに囲まれ、祝福されていた。
プログラム前半の最後に白井先輩がパガニーニを弾いた。オーケストラの身びいきもあるかもしれないけれど、一番聴きごたえのある演奏だった。南と鮎川は、ときおり互いに耳打ちしながらも、真剣に聴き入っていた。白井先輩が弾き終えたときには、客席の喝采もいちばん多かったし、舞台袖に集まった後輩や友だちの数も多かった。僕も近寄っていった。合宿のときの印象的なリーダーシップ以来、白井先輩は地味ながらも静かな尊敬を生徒たちから集めていた。それがこのとき、初めて形になって表れたのだと思う。白井先輩はスターではなかったが、みんなに愛された。先輩は丸くて赤い頬っぺたに涙の線を浮かべて、微笑んでいた。
休憩の十五分間で椅子と譜面台を並べなければならなかった。幕が下りると同時に大勢の人が現れて、管楽器が座る台座や指揮台がそろえられ、一年生と二年生が椅子と譜面台を運び、三年生が整えた。カミナリが叫んだ。
「開演五分前にいったん幕を上げるから、準備ができたら袖に全員引っこんで!」
そんなこといわれてたっけ? という意味のざわめきがあり、僕たちは袖に戻った。このとき僕は、さっきまで下手《しもて》にいたから、ちょっと上手《かみて》にも行ってみたいというだけの、世にもどうでもいい理由で上手にはけたのだが、最初は実にスマートな判断だったと自分を褒めていたくらいだった。だってチェロは上手側に座るのだから。よしよしと思っていると、戸田先輩がちょんちょんと肩をつついてきて、こういった。
「楽器は?」
そのひと言で真っ青になった。下手に置きっぱなしにしていたのだ。どうしようと思ったけれどすでに幕は上がっており、打楽器から管楽器はもう舞台に上がっている。きゃーと思いながら舞台の裏を走って下手に渡り、楽器をケースから取り出すとまた舞台裏を上手に向かって舞台に出たが、その頃にはもう白井先輩すら座っていてチューニングが始まろうとしていた。おかげで僕はコンマスの後から登場する何様チェリストとして、三学期までたっぷりみんなにからかわれることになった。
あとは弾くだけだという段になって、事件は起こった。
オーボエのラの音に白井先輩が合わせてチューニングが始まり、音が整いかけたとき、僕の真後ろで不意にビンッ! という音がした。副科の三橋《みつはし》先輩という三年生が第一弦、つまり一番高い音を出す弦を切ってしまったのだ。これまで一度だってそんなことはなかったのに、なんでこんなときに限って! 弦楽器全員の視線がこっちに集まった。僕と戸田先輩が振り返ると、三橋先輩は真っ赤な顔で僕たちを見上げていた。
下手袖から拍手が起きて、タキシード姿の鏑木先生が現れた。僕は立ち上がって三橋先輩に自分の楽器を渡し、一弦の切れた日本製の安物を受け取って席に戻った。
――低い弦が切れてしまったとしたら、もう取り返しはつかないが、高い弦なら低い弦の上のほうをおさえることで、音は出せる。しかし副科の生徒にいきなりそれをやれというのは無理だろう。彼女に四弦そろった僕の楽器を渡して、いつものように弾いてもらい、こっちは何とか二弦で一弦をまかなうしかない。とっさの判断だった。二弦をピチカートで鳴らしてみると、半音以上低い。弦が切れるとよくそうなる。鏑木先生が聴衆にお辞儀をしているあいだに、戸田先輩が二弦の音を出してくれた。あんなに素早くチューニングができたことは、後にも先にもない。タクトが上がる前から、僕は汗びっしょりだった。
鏑木先生が異常に気がついたかどうかは判らなかった。多分気がついていただろう。しんとした中でタクトが上がり、最初の音を出してみると、学校が貸し出している副科用のチェロは、満足な音がまったく出なかった。もっとも第一曲「情景」は静かに始まるから問題はない。簡単で目立たないフレーズを演奏しているあいだに、僕は楽器に慣れなければならなかった。背後の三橋先輩は、いつになく立派な音を出していた。
第二曲「ワルツ」、これが難関だった。一弦さえあればなんということはない部分を、僕一人があたかもすごく難しい曲でも演奏しているように、前のめりになって二弦をおさえて弾いている。
「ワルツ」はテンポが速いうえに、高い音の部分が多かった。八分音符をスムースに弾かなければならないところもあった。初めて弾く曲のように思えるところすらあった。
最後の「チャルダッシュ」になって、ようやく楽器にも慣れてきた。でもそうなると、自分がぎりぎりのところまで緊張しているのがいやでも自覚された。舞台上の照明は明るいというよりも白く、僕たちの向こうはぼんやりと暗かった。鏑木先生のタクトと楽譜、それに自分の左手の指しか目には入らなかったが、どうやら自分が雨にでも降られたように汗をかいていることは判った。
ヴィヴァーチェのクライマックスまで来たとき、金管のフォルティシモが、今までにないくらいぴったりと揃った。僕ばかりじゃなく、オーケストラの全員がハッとしたと思う。そこまでがだらしなかったわけではないが、弦楽器の音がぐんとあがり、打楽器の音は鋭くなった。すべての音があるべきところに収まる感じが、そこには確かにあった。そこから曲の終わりまでの数分間、僕はひたすらこのいい感じを自分が途切れさせることがないように、一音も間違えず弾くことだけに神経を集中させた。楽器の鳴りが悪いとか弦が足りないとか、そんなことはもういっていられない。冷静に指を弦の上に走らせること。思い切り弓を弦に当てること。何百回となく練習した音を、もう一度しっかりと出すこと。僕は音を聴き、指揮棒を見た。譜面と戸田先輩の弓の動きを見た。ああ、うまくいってる、ぴったりだ! そう感じられた瞬間ののち、間もなく曲は大きな主和音を連打して終わった。
沸きあがった喝采を前にして、みんなと同じように立ち上がらなければならなかったし、楽器も握っていなければならなかった。だができることなら、僕はもう少し椅子に座り続けて、しばらくうなだれていたかった。たかだか十数分の演奏で、こんなに消耗したことはない。制服の袖口から汗が幾筋も流れていた。おざなりの拍手には聞こえなかった。鏑木先生の顔も満足そうな笑顔だった。僕には演奏の全体がどの程度のできだったかなんて、全然判らなかった。ただ最後の数分、ヴィヴァーチェがうまくいったことだけははっきりしていた。終わりよければすべてよし、ということなのかもしれなかった。
鏑木先生は拍手に呼ばれて二回登場し、僕たちを立たせ、普通科三年生の女子から花束を受け取った。それですべて終わりだった。僕たちは袖に引き上げていった。
「ごめんねえ。ほんとにごめんね!」
三橋先輩はぽろぽろ涙をこぼしながら、僕にチェロを返した。
「チューニングしてたら糸巻きが固くてさあ、力入れて回したら切れちゃったの! もう私、死ぬかと思ったよ。ありがとうね。ごめんね!」
「いいです」
としか、言葉が出なかった。馴染みの重みを持った自分のチェロに、久しぶりに再会したような気がした。
「津島君! お前、すごいなあ!」
戸田先輩の声はひっくり返っていた。
「よくあんなこと、瞬間的にできるよなあ! ほんとだったら俺が代わってやらなきゃいけなかったのに、悪いことしちゃったよ。ご苦労様!」
このときも僕は苦笑するだけで、なにもいえなかった。だけど戸田先輩のからっと明るい声のおかげもあって、僕はもう肩の荷を下ろしていいんだということに気がつき、周囲にあるものも普通に目に入るようになった。だからごったがえす控え室に戻って、何人かの生徒たちに拍手で迎えられたときも、「津島君、カッコイイ!」「名人芸!」「遅れて出てきて、名誉挽回!」なんて、からかい半分の声をあちこちからかけられたときも、笑って手を振って応えられた。
みんな演奏の興奮で上気していた。カミナリまで顔が赤かった。
「みんな静かに!」カミナリは椅子の上に立ち上がって叫んだ。「月曜日の五時間目から、最後のミーティングをやります。楽器は持ってこなくて結構です。今日は皆さん、本当にお疲れさまでした。練習の成果の出た、素晴らしい演奏でした。撤収まであと二十分! 今日はここで解散します! 寄り道しないで帰りなさいよ。校則違反なんかしたら、オーケストラの恥だよ!」
「お疲れさまでした!」全員が叫んで、僕たちは控え室を出た。
僕は楽器を抱えて外へ向かいながら、南の姿を探していた。鮎川と一緒にいるに違いなかったが、二人とも人ごみにまぎれて見つからなかった。控え室には生徒たちばかりじゃなく、その父兄や友だちなんかも出入りしていて、楽器が危ないくらい混雑していたのだ。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
その人ごみを暴力的にかき分けて、ミサキがやってきた。
「おう、来てたの」
「来させられたんだよ。バレーの練習休まされたの。もう帰るね」
「お父さんとお母さんは?」
「私たち先帰る。お兄ちゃんどうせ、みんなと一杯飲むんでしょ。打ち上げでしょ」
「飲まないよ馬鹿」そういってから、僕はちょっと訊いてみた。
「どうだった、演奏?」
「演奏なんか判んないよ」ミサキはもう出口に向かおうとしていた。「お兄ちゃん、目立ちすぎだよ。恥ずかしかった。じゃーねー」
楽屋の出入り口の外は駐車場だった。扉を開けると、意外な人が立っていて、生徒たちと話をしていた。僕はその中に割りこんでいった。
「金窪先生」
「ああ、おめでとう」
金窪先生は普段よりちょっといい背広を着ていた。
「いらっしゃってたんですか。クラシック苦手なのに」
「発表会だけは、毎年聴きに来ることにしてるんだよ。今回は特に良かったね。僕でも知ってる曲だったし」
「先生、気がつきました?」金窪先生を好きな女子生徒の一人がいった。「津島君、弦の切れたチェロで演奏してたんですよ」
「最後に登場したのは見えたけど、そうだったの? 遠くの席だったし、みんなのことを見てたし、チェロのことは何も知らないけど、津島君だけ戸田君や別の人とは、格好が違っていたような気はした。だけど弦が切れても、チェロって音が出せるものなの?」
「残りの弦で弾いたんです」
「大したことじゃないんですよ」という僕の口ぶりは、ちょっと自慢げだったかもしれない。
「それは驚いたな」先生は素直にいった。「『超人』じゃないか。音楽のツラトゥストラだ。あはははは!」
「そんなことはもう、どうでもいいです」僕はいった。「それより先生、倫社の授業って、一年のときだけですよね。もう来年からは、僕たちの授業はないんですか? 来年も授業やってくれないんですか?」
「やるよ」
先生のかわりに、取り巻きの二年生が返事をした。
「先生、公民の授業も担当してるんだもん」
「でも結局、哲学の話になっちゃうんですよね、先生!」
先生は苦笑した。
「倫社だけ教えてたんじゃ、食えないからね」
「良かった!」僕はいった。「金窪先生の授業がなかったら、普通教科なんてなんの救いもない」
「高校生ってそういうこと、平気でいえるからなあ」金窪先生は笑って僕たちに手を振り、帰っていった。
毎年来ている、と先生はいったけれど、僕はなんとなく、今年は僕の演奏を見に来てくれたんじゃないか、と思った。そうであればいい。
それくらい僕は、金窪先生が好きだった。
「津島君」
振り返ったところを、伊藤慧につかまった。
「おう。お疲れ」
「あのさ、これから内緒で、生田君と三人で、どっかでお茶しようかっていってるんだけど、行かない?」
「行こう」僕は即答した。「親にも置いていかれたし、このまま帰るの、なんかもったいない」
そんな風に、先生には内緒で喫茶店やファストフードで「打ち上げ」をやろうというグループは、いくつもあるみたいだった。駅前では目立ちすぎるので、ひと駅かふた駅行ったところで、どこか探そうということになった。
向ヶ丘遊園駅の上りホームで、生田と伊藤と電車を待っていると、向かい側の下りホームに、鮎川のグループが四人いた。南だ、と思ったとたんに、ホームのあいだに急行電車が停まって、見えなくなった。電車が行ってしまうと、もう四人はいなかった。
演奏のあいだ、僕は南を見る余裕を完全に失っていた。月曜日になればまた会えるし、これから何回だって会えるのは判っていたけど、今日この日に、ひと言も言葉を交わさずに帰ってしまうのは、つまらなかった。上りの各駅停車が来て、僕たちは乗りこんだ。
「さっき、下りに鮎川さんたちいたね」伊藤がいった。
「急行に乗ったから、きっと新百合《しんゆり》ヶ|丘《おか》に行くんだね。南さんもいたし、あと」
「あ。忘れてた」生田が大きな身体をびくりとさせて、制服のポケットに手を突っこんだ。「津島に渡してくれって、いわれてたんだ。忘れてた」
生田が取り出したのは、小さな紙を細長く折って、結び目にしてあるものだった。
「誰もいないとこで渡してくれって、いわれてたんだ。はい」
生田は真ん中にいた伊藤を通り越して、それを僕に渡した。
「はいって、伊藤がいるじゃねえかよ」
「あ、そうか。じゃ、あとで渡す」といって引っこめようとしたのを、僕は奪い取った。
「馬鹿。いいよ、もう」
次の駅で降りた。二人を先に行かせて、僕は結び目をほどいた。
走り書きのメモだった。
『演奏している津島君は、最高にきれいです。 南枝里子』
そう書いてあった。
[#改ページ]
第九章
ホーム・コンサートの日、もう僕は頭を抱えたり、いやだナァなんて思ったりはしていなかった。待ち合わせていたおじいさまの家の最寄り駅で、改札から出てきた南は僕の顔を見て、
「顔、恐いよ」
といった。からかっているのに、南の頬は赤かった。
オーケストラの発表会が終わってから、僕たちは機会を見つけて練習を重ねた。ゴールを見つけた練習が、がぜん楽しくなってきたこともあるけれど、日を追うごとにホーム・コンサートが、少しずつおおごとになっていくのが判ってきたからでもあった。
発表会の翌日は日曜日で、僕は佐伯先生のご自宅へレッスンに行ったのだが、いつものようにドッツァウアーの練習曲と、デルヴェロアの組曲をさらったあとで、先生はにやーっとお笑いになり、
「じゃあ、ついでにメンデルスゾーンもさらっておこうか?」
とおっしゃったのだ。佐伯先生にはまったく断らず、秘密というか勝手にやっていたピアノ・トリオのことを不意にいわれて、僕は嘘がばれたときみたいにぎょっとした。喉の奥からしぼり出すように、
「なんでご存知なんですか」
というと、先生は嬉しそうに、
「僕もお呼ばれにあずかったからだよ」
とおっしゃった。
「そんな! ほんとですか?」
「ああ。学長の家に招待されるのは、いつもは新年会なんだけどね。僕はそれにホラ、松野整先生とも親しいし、ビアンカさんとは以前から知り合いなんだよ。宇野《うの》先生はもちろんのこと……」
「宇野先生って誰ですか」
「ヴァイオリンの宇野先生だよ。知らないの? 君のガール・フレンドの先生じゃないか。読売《よみうり》交響楽団で弾いてらっしゃるんだ」
「ガール・フレンドじゃありません」
「女性の友だちなら、ガール・フレンドだろ? 宇野先生も招待されたそうだ」
「そうなんですか。うはあ……」
佐伯先生のレッスンなんだから、トリオの楽譜は持ってきていなかった。それをいうと先生は、楽譜ばかりが並んでいる本棚の奥のほうを探して、ご自身の楽譜を持ってこられた。茶色く変色した、よれよれの古文書みたいな楽譜だった。先生の字で書きこみがされてあった。たくさんではないが、要所要所に書かれていることは、明らかにレヴェルの高い要求を、ご自身になさっていた。その書きこみの通りに演奏することは、僕にはできそうもなかった。これまで練習していた指使い、弓使いとも違っていた。もちろん、それで構わないよと先生はおっしゃったので、僕は自分のできる奏法で弾き始めた。
最初の三小節で止められた。
「それじゃあ、君、カザルスすぎるよ[#「カザルスすぎるよ」に傍点]」と先生はお笑いになった。「最初のグリッサンドはいらない。それに君、わざとツィスを高めに弾いてるだろう。カザルスのくせを真似してるって、すぐに判っちゃうぞ」
僕は恥ずかしかった。そうなのだ。カザルスは半音高く弾くところは、半音よりも若干高く弾き、半音低いところは、こころもち半音以上下げる。これは音程に対するカザルスの考えでもあるが、同時にカザルスの演奏の「味」にもなっており、同じ楽器を演奏している人間には鼻につくこともあるけれど、やはりちょっと憧れてしまうクセで、レコードを何十回と聴いていると、つい自分でもやってみたくなるものなのだ。
けれどそんなの、しょせんは猿真似でしかない。気を取り直して、僕はもう一度しっかりと音程を確かめながら弾いた。教科書通りに指を動かしている感じがする。でもそれが結局は僕にふさわしいのだった。僕がその程度のチェリストだということもあるけれど、そもそもカザルスぶって弾いていたのは、レコードで音がよく聴こえるようなところだけで、アンサンブルの一部として弾いているような部分は、もとからきちんとした音程で弾いていたということが、レッスンを受けることで明らかになったからだ。
「そこは弓が足りなくなったら、返しちゃっていいんだよ」「そんな無理しなくたって、こう弾けばいいじゃないか」「そこの休符はさ、ピアノが鳴ってるだろ? だからそのあいだにこっそり、次の音程を確かめておくんだよ」……先生のアドヴァイスは実際的で、思いやりがあった。やはりレッスンて大事だなあと僕は思った。自分ひとりでやっていては決して解決しないような細かい部分が、どんどん開かれていく。より簡潔に、簡単になっていく。楽器の鳴りかたから変わっていく。
それでも照れくささ、恥ずかしさには変わりがなかった。「大昔に一回|演《や》っただけだからなあ」といいながら、佐伯先生がさらりと演奏なさると、僕の何倍もしっかりした音が出るのだ。こんな音を出す人の前で演奏しなきゃならないのかと思うと、ぞおっとした。
学校では南にいわれた通り、仲のいい生徒を招待して回ったが、ほとんどの生徒からは断られてしまった。理由の第二位は「学長先生の家になんか恐くて行かれない」だったが(学内の事情に詳しい山路にはこれで断られた)、一位はなんといっても「クリスマスに一番近い日曜日だから」だった。二年生と付き合っている大宮はデートだし、橋本はマクドナルドのかきいれ時だ。生田は最初、来るといっていたのに、山路に松野先生がどういう人なのかを聞かされて断ってきた。それまで知らなかったらしい。
結局、鮎川千佳と伊藤慧だけかと思っていたら、向こうから「行きたいんだけど」といってきた奇特な人がいた。沢寛子だった。ちょっと太めで地道にフルートを練習している沢が、なんでいきなり僕のホーム・コンサートに来たがるのか判らなかったが、理由なんかはどうでもいい、南に僕の努力の成果を見せるためには、ありがたい申し出だった。
十二月に入ってすぐ、整叔父さんとビアンカさんが帰国した。二人は帰国中おじいさまの家に寄宿するのが常なので、家族で遊びに行くと、話はホーム・コンサートのことで持ちきりになった。
「サトルさん、ありがとう」
以前会ったときも堂々とした体格だったが、さらに大らかになったブロンドのビアンカさんは、会うなり僕に微笑みかけた。
「いい機会をくださいました。セイさんはリサイタルをするのに、私だけなんにもやりませんから、つまらないと思っていましたよ」
「君の仕事で帰ってきたんじゃないか」
整叔父さんはソファに腰を下ろし、しなやかに伸びた足を組んで笑った。
「来週から毎日のように演奏するだろう」
「でもそれ、私の演奏じゃないよ」ビアンカさんは抗議した。「オペラの仕事だよ。私の演奏はしないんですよ。演奏したかったよ。サトルさんのおかげで、演奏できるんだよ」
「僕ぁ自分の練習で手一杯なんだけどなあー」整叔父さんはわざとらしくいった。「ここへ来てまた一曲追加は、きついなあー」
ビアンカさんは整叔父さんの足を、ぱんとはたいた。
「このあいだドイツでやったばっかりの曲やるんだろ。しっかりしろよ!」
その野蛮な日本語で、みんな大笑いになった。
おばあさまは静かな口調で、僕に北島先生や南のことを訊いたりしたが、おじいさまは何もいわなかった。その沈黙は恐かったが、おじいさまが恐いのはいつものことなので、別になんとも思わなかった。そして実際、僕のいないところでは、ホーム・コンサートを楽しみにしていると、僕の母親や整叔父さんには話していたらしい。おじいさまにはそういう、古風な照れ屋の一面もあった。ただひと言だけ、僕を見てこんなことをいった。
「サロンの音楽みたいにするなよ」
メンデルスゾーンは屈指のメロディ・メーカーだ。そして裕福で知性的で、改宗ユダヤ人として差別されることもあったのに、社交的で思いやりが深かった。そのためか彼の作品はしばしば口当たりがよく、喉ごし爽やかで、誰からも親しまれる代わりに通り一遍のイージー・リスニングとして扱われることがある。誰でも知ってるメンデルスゾーンの曲は、結婚行進曲も、ヴァイオリン協奏曲も、『無言歌』も、そういう扱いをうけやすい。実際、当時の音楽サロンで上品に演奏されるために作られた音楽も少なくない。
そんな演奏をするなよ、とおじいさまはいったのだ。あのピアノ・トリオはそんな音楽じゃないぞ、だけど気を抜くとそんな音楽になっちまうぞ。そういう意味だ。僕は「はい」といってうなずいた。身内を褒めるのはみっともないかもしれないが、おじいさまは音楽には、やっぱり深い理解があるな、恐いな、と思った。
南は宇野先生が来ると知って動揺した。僕と同様、レッスンも受けたらしい。おかげで北島先生の防音室での練習では、僕も南も一段としっかりした音を出せるようになったけれど、自信よりは緊張のほうがまさるような雰囲気も、南にはあった。
それを見て僕はどぎまぎするのをやめたのだ。発表会のあと、僕はあのメモのことをひと言だけいった。
「生田から受け取ったよ」
「うん」
それだけだった。それ以上は恥ずかしくて何もいえなかった。何がいえただろう? 僕ってそんなにきれいかな、とでも? 南が僕に特別な気持ちを持ってくれているのは、さすがに間違えようがなかった。けれども、そこから先、何をどうすればいいのか、僕にはまったく見当がつかなかった。大宮和樹は二年生と、映画に行ったり遊園地に行ったりしているらしい。僕も南を遊園地に誘えばいいのか? なぜ誘う? どういって? 「今度の日曜日、僕と一緒に遊園地に行きませんか」?
それって僕が、新生学園高校最高の音楽家である僕がいうことなのか? 馬鹿みたいに聞こえないか? そんなことをえんえんと考えていると、僕の頭はぐるぐると回って、現実の南が、僕に遊園地に誘われて(なぜか)腹を立てている空想上の南と重なって見えてきて、ひどく悲しく、寂しい気持ちになってしまうのだった。
しかしそういうことを一切考えず、ひたすら練習をしているとき、僕は幸福で満たされていた。そして南もまた演奏に集中しているときが、もっとも美しく、身も心も充実しているのだった。こうしているときが一番いい、のかもしれない、と思った。遊園地なんかに行ったって、こんなに幸せな気持ちにはなれやしないだろうから。だけど、そう思い切って、これ以上何もしないままでいることにも、僕は満足できなかった。練習に集中しなければいけないとき、練習の真最中であっても、ときおり僕は浮わついて、それでいて同時に、心が沈んでしまうことがあった。
南は白地に細かい花柄のついたワンピースに桜色の細いベルトを締めて、学校にも着てくる紺色のコートをはおっていた。靴はピンク色、髪の毛はポニーテールにまとめていた。
「よそいきにしなくても、よかったのに」
僕はジーパンにセーターにコートで、ざっくばらんもいいところだった。
「そうはいかないよ。初めての家だもの」
伊藤と鮎川と沢を待っていなければならなかった。僕たちは切符売り場の横の壁に寄りかかって、冷たい風をよけた。
「ねえ」南はつま先で小石を転がしながらいった。「松野先生って、普段も恐い?」
「恐いのはレッスンのときだけだよ」僕は自分にいいきかせるように答えた。「家にいるときはどうってことないよ。外づらもいいから、今日は大丈夫」
「でもさ、レッスンみたいなもんなんじゃないの、これって」
南は、おびえてはいなかっただろうが、はっきりと固くなっていた。
それは僕もなんとなく感じていたことだった。それまで、僕もおじいさまに、まともに自分の演奏を聞かせたことはなかった。練習をしていたら、いつのまにか家に来ていたときなんかには、多分外から音を聞いただろうとは思うけれど、それについておじいさまが何かいったことはなかった。ひとつの部屋の中で、面と向かって一曲まるまる聴いてもらうのは、これが初めてなのだ。同じことは整叔父さん、ビアンカさん夫妻にもいえた。そのうえ今日は佐伯先生や宇野先生も来る。はた目にはホーム・コンサートでも、僕と南にとってはひとつの「審査」にも等しいような気がしていた。
「思いっきり、ムチャクチャな演奏してやろうと思ってるよ」僕はいった。「デタラメな音しか出さないって、心に決めてるよ」
「やめてよ」南はぎこちなく笑った。「こっちが迷惑だよー」
「南が失敗したら、そうやって目をこっちに向けてやる」僕は大きく息を吸いこんでいった。「だから心配すんな」
南は僕をじっと見つめた。
伊藤が来て、沢と鮎川が一緒に来た。みんなよそいきの格好をしていたので、僕一人が野蛮人みたいだった。知るか、と思ってみんなの先に立ち、家まで案内した。
住宅街の中心にある坂を半ばまで上った左側が、おじいさまの家だった。父の車のほかに、知らない車が一台停まっていた。
「うわー」鮎川は家の外観を見て声をあげた。「豪邸だ」
「この塀の向こうが、全部一軒の家なの?」伊藤も驚いていた。
「借家だよ」僕はいった。「ただの借家」
エプロン姿の母親が玄関に出てきて、みんなを迎えた。
「いらっしゃい!」母親はすっとんきょうな声を出した。「うわーッ。たくさん来てくれたのねえ。どうぞどうぞ。どうぞどうぞどうぞ。あらっ。これ何? ケーキ! まーありがとう。こちらがおもてなししなきゃいけないのに、これじゃかえってネエ。みんなで食べましょうよ。ね? おばさんちゃんと考えといたの。松野のじじいが見えないところに、みんなの場所用意しておいたから。どうせ学校でいばってんでしょ? 日曜日まであんなじじいの渋いツラ見たくないわよ、ネエ。みんなちらし寿司は好き? コンサートが終わったらバーベキューもあるわよ」
「よく喋るなあ。はしゃいでんじゃねえよ」
僕は赤くなったが、みんな笑っていた。
庭に面した大広間に、スタンウェイのグランドピアノとオルガンが置いてある。オルガンといっても、もちろん本物のパイプオルガンなんかじゃない。電気で鳴るんだからエレクトーンみたいなものだけど、手鍵盤は二列あるし、ストップレバーも足鍵盤もついた、けっこう本格的なやつだ。いつもはカバーがかけられているけど、その日は電源も入っていた。
家中の椅子がそこに集められていて、整叔父さんとビアンカさんが配置を決めていた。ガラス戸の向こうの庭では、父とミサキがコンクリートブロックを組んで、バーベキューの用意をしているのが見えた。
「君たちが、前座ね」
南たちと挨拶をすませると、整叔父さんはいった。
「着替えとか荷物は、二階の僕らが使ってる部屋でやって。変なものがあっても触らないように。で、楽器が通るから、台所通ると邪魔でしょ。だから外階段を使ってよ。君たちのあとが僕たちで、でトリが親父」
「叔父さんたちは何を演《や》るの」
「シューベルトのアー・ドゥア」
イ長調のヴァイオリン・ソナタだ。前の年に二人がハイデルベルクで開いたリサイタルで演奏したと、エアメールに書いてあったけれど、家族の誰も聴きに行くことはできなかった。これがメイン・イベントになるんだろう。それでよかった。
台所ではおばあさまと母親が料理を作っていて、沢と鮎川はそっちを手伝いに行き、伊藤は整叔父さんと椅子を並べ終えるとバーベキューの手伝いに行った。佐伯先生がいらして、宇野先生――がりがりに痩せた、神経質そうな中年女性だった――が続き、みんなと一通り挨拶をし終えたのに、北島先生だけがいつまでたっても来なかった。
「どうする? 僕たちだけでチューニングでもしておこうか」
みんなと話しているときは愛想がいいくせに、僕には不安がこうじて機嫌が悪い顔を見せるようになった南に、そんなことをいっているところへ、ごめんなさい、ごめんなさいといいながら、先生は文字通り玄関へ駆けこんできた。
髪は新しくセットされ、薄紫のドレスを着て、お化粧もいつも以上にきちんとしていたが、先生はどことなく乱雑な印象があった。遅れてきてあわてていたのだから当然なのかもしれないが、それだけでなく、何かがいつもと違っていた。
「遅くなって申し訳ありません。あ、整先生もビアンカ先生もお久しぶりです。みんな、もう来てたの。来てたよね。ごめんね」
そういってあわただしくあっちこっちへ頭を下げる北島先生の、どこがいつもと違うんだろうと思いながらも、僕はとにかく来てくれたことに安堵して、南と二階へ行こうとした。するとその背後に、先生がおばあさまと母親にこういっているのが聞こえた。
「あのう、突然で申し訳ないんですけれど、あと一人、私の友人を招待してしまったんですが、よろしいでしょうか?」
「いいわよ。全然構わない」おばあさまの穏やかな返事も聞こえた。
「ねえ」
二階から直接芝生の上に出る外階段を上りながら、南が振り返っていった。
「北島先生、おかしいよね」
「うん。何か変だ」
階下からピアノの音階の音が聞こえた。北島先生が指慣らしをしているのだ。僕たちは控え室に使っていいといわれた、整叔父さん夫婦が使っている部屋に入った。
「あとから友だち来るっていってたよね」
「うん」
「それきっと、男の人だよ」
「なんで判る?」
「だって先生、はしゃいでるもん」
「そうか、それだ!」
南にいわれて気がついた。到着してからの北島先生は、明るかったのだ。いつもの無表情な、一見すると冷淡に見える、あのクレオパトラの感じがしない。心の壁をとっぱらったように見えたのだ。
「それって……」と僕が話の続きをしようとすると、ドアにノックの音がして、北島先生が入ってきた。
「ごめんね。遅れてほんとごめん。三学期にコーヒーおごるからね」
そういいながら先生は、急いで鏡台の前に立ち、髪をさっと直した。
「もう、指慣らしはいいんですか? あれだけで」
「だってあのピアノで私、先生にレッスン受けてたんだもの。馴染んでる」
そうだった。北島先生はおばあさまの弟子だったのだ。今でもたまに遊びに来ているのかもしれない。そもそもここでホーム・コンサートを開く話をとりまとめたのも先生だし。「ああ、なんか怖くなってきた」南はいきなり話題を変えた。「北島先生の先生までいるんでしょ。ということはさ、チェロの先生一人に、ヴァイオリンの先生二人に、ピアノの先生が三人いるってことだよ」南は笑い出した。「先生だけで何通りのピアノ・トリオができることになるの? そのうち北島先生以外、全員お客さんだよ!」
「そういう考えかたをするなよ」僕も笑った。「ただの忘年会だよ」
「そうそう。忘年会」北島先生も微笑んでいた。「のど自慢大会みたいなものだと思えば」
「思えません」南はぴしゃりといった。
「そうだ」のど自慢大会で思い出した。「松野先生からいわれたんだ」
「なんて?」南と先生が同時に訊いてきた。
「サロン・ミュージックみたいに演《や》るなよ、って」
「うわー」といったのも、二人同時だった。
「よし」南が静かにいった。「決めた。がつんと行こう」
「俺も」僕は南を見据えた。「ケンカする」
北島先生はうなずいた。
「一楽章でケンカして、二楽章で仲直りしましょう」
「はい」僕たちはそう答えて、もうあとはめいめいの楽器や楽譜の準備に専念した。
それ以上いわなくても、お互いの気持ちが判ったのだ。
アンサンブルには二種類ある。「合奏」と「協奏」だ。全員がひとつの音楽を奏でるために、気持ちをひとつにして、大きなハーモニーを作り上げていくのが、合奏。自分が全体の部分であることをわきまえて、一人ではできない音楽を全員でめざす。このあいだまで苦労していたオーケストラはそういう音楽だった。
反対に、一人ひとりがせり合って、隙あらば自分が前に出ようとする、ときにはそのために共演者の音を食っていこうとさえする、それが僕のいう「協奏」だ。そこでは人を引き立てるために自分は我慢するとか、相手の腕前に合わせるとか、そんなことはしない。誰もが自分こそ主役だと主張して音を出す。たとえば、協奏曲とはそういう音楽だと思う。あれはソロ楽器とオーケストラが、互いに自己主張してゆずらないところに生まれる、緊張の音楽だ。そしてピアノ・トリオもまた、そういう緊張の持続なのである。
ミサキがドアをノックして、下に来るよういってきた。僕たちは楽器を持って、庭から広間に入った。
整叔父さんが気を利かせたに違いなかった。演奏するスペースはたっぷりと取ってあって、客席は混雑していた。椅子が絶対的に不足しているので、伊藤と沢と鮎川は絨毯の上に体育座りだった。その後ろに僕の両親と妹を中心にして、右側に宇野先生と整叔父さん夫妻、左側に佐伯先生とあと一人、見知らぬ大人の男性が座っていた。三十代くらいの、サラリーマンではありえない、ウエーブのかかった髪を首まで伸ばした、肩幅の広い男だった。
おじいさまはオルガンの椅子に座って、僕の背後にいる。おばあさまはというと、北島先生の隣に座って、譜面をめくる係をするらしかった。
「これで全員、揃ったかな?」整叔父さんは立ち上がっていった。「よし。じゃ始めます。えーと。本日は皆さんお集まりいただいて、ありがとうございました。なんか知らないうちにこういうことになりまして、うちの甥のちびっ子もいつの間にか高校生ということで、生意気にもリサイタルがやりたいといいだしたそうで、姉夫婦の教育に問題があるんじゃないかと思いますが、こっちはいい迷惑で、お前らもついでに何か演《や》れと、とばっちりを食いまして……」
「早くやれー」ビアンカさんが野次を飛ばした。
「かしこまりました。そういうわけで、まず最初に……」叔父さんはメモを見ながらいった。「北島礼子さん、南枝里子さん、津島サトルさんの演奏で、メンデルスゾーンのピアノ・トリオ第一番ニ短調より、第一楽章と第二楽章。それから私、松野整とビアンカ松野によります、シューベルトのヴァイオリン・ソナタ、イ長調。最後に松野|敏明《としあき》による、バッハのコラールを二曲、ということになっております。ではどうぞ」
拍手が起きて、僕たちは一礼して腰かけた。
叔父さんのふざけた挨拶に僕たちは大笑いし、おかげである程度は緊張がほぐれた。でもある程度だった。北島先生がラの音を出してくれたけど、最初は僕も南も自分の音が合っているかどうか自信がなく、チューニングにはひどく時間がかかった。ようやく音を合わせられたと思ったとき、整叔父さんが急に立ち上がった。
「ごめん。その前にちょっと」
叔父さんは電話の後ろの壁に手を突っこんで、電話線を抜いた。
「これでよし」
なるほど。整叔父さんはよく知っている。演奏の途中で電話がかかってきて、うんざりさせられた経験があるのだろう。
静まり返った広間の全員が僕を見ていた。最初に音を出すのは僕なのだ。緊張しているつもりはなかったのに、てのひらは汗びっしょりだった。知らないうちに南を見ていた。だが僕が視線を向けるのは、直後に音を出す北島先生でなければならない。そのことに気がついて先生を見ると、先生は僕を見ているようでいて、実はもっと後ろを見ていた。そこにはあの、髪の長い男が座っているはずだった。僕が先生を見ると、先生はすぐに僕に焦点を合わせた。僕は上体を動かして、最初の音を出した。
どんなだらけた練習中にも出さなかったような、情けないラの音が出た。次のレもひどくかすれた。ピアノは静かに、しかし決然と鳴っている。くそっ。ケンカをするんじゃなかったのか? 八小節弾いて四分休符のあと、前後のバランスなど考えずに、思い切って弓を使った。南が入ってきた。いきなりしっかりした音を出している。畜生、もう一度最初からやり直させてくれ! でももう音楽は始まってしまった。ここから挽回していくしかなかった。だけど気持ちが完全に落ち着くには、第二主題までかかった。
第二主題は思いがけずすんなり弾けた。おまけに南がちょっと音程をはずした。敵の失敗に乗っかるようで情けないが、それを聴いて僕は力を得た。譜面越しに南が僕を見る。デートだったら一瞬でぶちこわしになるような目つきだった。よしと僕は思った。雪崩《なだれ》のような三連符、ピアノの分散和音、そして興奮の余韻を残す第一主題の展開。南は明らかに僕を無視していた。あるいは無視している素振りをした。トリオなんかじゃない、これはヴァイオリン・ソナタなんだと思って弾いていた。がつんと来たな。それなら僕も、と、チェロ・ソナタにピアノとヴァイオリンが伴奏しているつもりでがんがん弾いた。おばあさまの譜面をめくる音が、ばりっ、ばりっ、と聞こえてきた。北島先生はリズムを死守している。けれど明らかにいつもの何倍もの音を出して迫っていた。ミスタッチを連続し、落雷のような不協和音が鳴り響いた。それに対抗するため、ときに僕と南は共闘した。だが相手がソロを取れば、すぐにもう片方が出て行って場をさらおうとするのだった。
そしてこの一切が、ミスをのぞけば、すべて楽譜に書かれている通りなのだった。僕たちは互いに自分を前に出そうと競っていたけれど、それは合奏のように、気持ちをひとつにして、より大きな音楽を創り出しているのと同じことなのだ。僕は耳の後ろに汗の流れるのを感じ、南の弓は毛が一本ちぎれて激しく宙を舞った。クライマックスが来て、もう和解はありえないほど高揚したその頂点で、いきなりフォルティシモで第二主題を僕と南が奏でたとき、僕はそれを生まれて初めて聴いたようにさえ思った。もう一曲、第二楽章があるというのに、三人は第一楽章で全精力を使い果たす勢いだった。叩きつけるような和音で終わったとき、聞こえてきたのはビアンカさんの息を呑む音だけだった。
別人の弾くような、せつないピアノの音がして、第二楽章が始まった。「二楽章で仲直りしましょう」……ここに自己主張できる楽器はない。あるのはメロディだけ、心優しく、もの哀しく、あらわれてたちまち消えていくメロディだけだ。僕たちにできるのは、ただそのメロディがあらわれるその瞬間を、できるだけ邪魔しないように、できるだけその音だけがあらわれるように、心を配り、慎重に弓を運び、共鳴板を響かせようと努力することだけだ。
それはケンカよりもはるかに難しいことだった。僕は南を見た。うまくいかないことがあると、すぐにつっかかってきて、投げやりになったり、ふくれっ面をしたりする南。心の底にある自信のなさを自分にも隠し、対抗意識が強くて、誰にも負けたくない南。妙なところで媚《こび》を売っているように見えたり、男としての僕には無関心なように見えたり、どうすればいいのか判らない思いに駆られることばかりの、この美しい人に、ケンカをふっかけるのはどんなにたやすいことだろう、愛していると、本心を告げることにくらべれば。曲はピアノに乗せて、ヴァイオリンとチェロが複雑な二重唱を歌うようだった。僕は目の前に並んでいる親しい人たちのことなど、全然考えていなかった。自分の音はただ、南に届けばいい。南が奏でている音に添って響いているのは、僕の音だということを感じてほしい。ヴァイオリンにチェロのピチカートが伴奏し、すぐに十六分音符の難しい音型が続き、もう一度二重唱、そしてまた十六分音符が、今度はヴァイオリンとチェロが交互に語りかけあうように響き、やがてその対話は、二人のトレモロとなって、ひそやかに終わる。この世界の誰よりも、僕は南を愛していた。
一人ひとりの音が聞こえる、嬉しい拍手が起こった。誰かが、ほおーっ、といった。伊藤がなぜか恥ずかしそうに、親指を突き出した。ビアンカさんの拍手が一番大きく聞こえた。
温かい室内から寒い外へ出るのはみんなにも悪いし楽器にもよくない。僕と南は駆け足で外階段を上がって控え室に入った。
「失敗したあ」南は扉を閉めるなり叫んだ。「音、はずしまくった!」
「全然はずしてないよ」僕はいった。「すごいよかったよ。僕こそ間違えたよ」
「嘘。私が間違えたところで、にやって笑ったでしょ」
「笑ってないよ! そっちこそ俺のこと置いてけぼりにしようとしたじゃん」
「逆だよ。くっついていくのに精一杯だったの!」
僕は安堵のため息をついて、南を見た。
今ならいえる。
「南、さ」
「なに?」
「南こそきれいだよ」
南は一瞬、聞き返そうとして、唇を閉じ、僕を見た。
「俺、南が一番きれいだと思うよ」
「ありがとう」
南は小さな声で答えた。
僕は恥ずかしくなって、後ろを向き、楽器をケースに片付けた。指板が汗で光っているのを、丁寧にタオルで拭いた。心の中で楽器に、ありがとう、といった。
北島先生が入ってきた。
「お邪魔かしら」
「いいえ!」二人で叫んだ。
「そろそろ松野先生が演奏するみたいよ」といってから北島先生は、少し考えて、「整先生のほう」
「先生が多すぎるんですよ、今日は」と僕はいったが、冗談というより本心だった。
「どの先生も、褒めてくださってるわよ」先生はいった。「佐伯先生は南さんのヴァイオリンを絶賛してらしたし、宇野先生は津島君が素晴らしいって。やっぱりご自分の弟子のことは、人前じゃ褒めにくいみたいね」
「じゃ、残りのみんなは北島先生を褒めたんですね」僕はいった。「津島家も松野家も」
「おかげさまで」北島先生はにっこり笑った。「でも、二人とも今日は最高によかった。私、負けちゃった。ど迫力だったわねえ」
「先生」南がいった。「あの男の人は誰ですか」
「私の古い友だち」
先生の声は、急にうるんだ。
「同じ学校でヴァイオリンを習ってたの」
「カレシですか」
「大昔のね」先生はいった。
「一緒にこの曲を演《や》ったこともあるのよ。もうそれ以上訊かないで。いろいろあったから」
「そうはいきませんよー」
僕がふざけていうと、南は僕をにらんだ。
「馬鹿」南は扉を開けた。「デリカシーなさすぎる。行きましょ先生」
そういって先生を先に通すと、南は僕の前でぴしゃりと扉を閉めた。僕はすぐに開けて、三人で広間に戻った。
歓声と拍手で迎えられた。大人たちはもう手にワイングラスやビールを持っていて、伊藤たちもジュースを飲んでいた。僕は伊藤の隣に、南は沢と鮎川のあいだに挟まって座った。その背中を、佐伯先生にぽんと叩かれた。
「よかったぞ」先生はおっしゃってくれた。「うまくなった。舞台度胸もあるね」
「ありがとうございます」
そういってからふと見ると、宇野先生が南に向かって、左手とワイングラスで拍手を送っていた。沢と鮎川は南の腕をそれぞれさすりながらキャーキャーいってた。
僕たちが座っていた椅子がどけられ、そのうちひとつが奥に回されていて、佐伯先生と、名前を知らない男性のあいだに、北島先生が座っていた。ビアンカさんは絨毯に座った位置から見ると、いっそう大柄で、香水がきつかった。ビアンカさんの前に譜面台はなかった。暗譜で演奏するのだ。おばあさまは整叔父さんの譜面もめくる場所にいた。めったに会えない息子だから、少しでも隣にいたいのかもしれなかった。
「さっきのみたいにドラマティックな曲じゃないから……」と、叔父さんはまだ冗談がいい足りない様子だったが、ビアンカさんにチューニングをうながされると、黙ってラの音を出し、みんなも静まり返った。
ああシューベルトだとすぐに判る、ピアノの低音のメロディで始まった。対旋律のようにしてヴァイオリンが入る。みんなその穏やかな音楽に聴き入った。
シューベルトの音楽は、もしかしたら演奏するのがこの世でもっとも難しいのではないだろうか。叔父さんがいった通り、まったくドラマティックなところのない曲がほとんどだし、長い曲が多い。その美しい調和、抑制されたダイナミズム、微妙な音の表情を、現代の聴き手に伝えるのは至難のわざだ。その困難を意識していない音楽家の演奏する、平板で退屈なシューベルトを、何度聞かされたか判らない。
口さがなく人の演奏を批判する整叔父さんは、そういうシューベルトを僕以上に聴いている。それは自分の演奏のときに、当然強く意識されているはずだ。実際叔父さんのピアノは、シューベルトの朴訥な魅力を活かしながら、同時に細かいフレーズの強弱をつけることで、退屈さから音楽を救っていた。叔父さんはいくら食べても太らない体質で、子供の頃は足なが叔父さんと呼んでいたほど、こじゃれて線の細い外見をしている。音楽もまた、軽妙でいながら細かい配慮の行き届いた、知的な響きを持っていた。
そしてビアンカさんのヴァイオリンは、それとは正反対の、骨太で垢抜けない、強い音を出すのだ。そしてその骨の太さも垢抜けなさも、瞬時に聴き手をとりこにしてしまう魅力に溢れていた。いわば天才シェフが世界中から一流の素材を集めて作った料理も、田舎のおばあさんが作った味噌汁と握り飯にはかなわない、とでもいうような、ざっくりした印象があるのに、優しさ、心の温かさが誰にでも伝わる。同じ音の同じ二分音符でも、あるところは伸びやかにすがすがしく、あるところは重く物悲しい、そういう音色の違いが、ごく自然にあらわれた。ドイツの音楽なんだ、と僕は思った。
知性と自然、繊細さと素朴さ。本当なら真逆なはずなのに、二人の音楽はそれが当然であるかのように、溶け合い、響き合っていた。響き合ったそのうえで対照的なのだった。二人の音楽は、楽譜にあらわされた以上の変化や色合いを加え、聴いている僕たちを豊かに楽しませてくれた。
演奏中、何度か横を見た。自分の膝に鼻の先をくっつけて聴き入っている鮎川の隣で、ビアンカさんの指の動きを熱心に目で追っている南の横顔を見たかったからだが、そっちを見るたびに、沢と目が合った。最初は、変なの、としか思わなかったけれど、すぐに理由が判った。沢は伊藤を見ていたのである。伊藤は僕の目線にばかり気を取られていて、沢のまなざしがどれだけ熱烈に、そしてやや暗く自分を見ているか、ほとんど知らないように思えた。
沢がどうしてこのホーム・コンサートへ来たがったのか。高校に入ってから専攻をフルートにしたのは偶然だったにしても、その後なぜあんなに熱心に練習をしていたのか。普段はいいたいことを好き勝手に口走る、野性的な女子なのに、さっきからひどくおとなしいのはどうしてなのか。その理由が全部、このとき判った。
僕はおじいさまがどんな顔をしているのかも気になっていた。演奏していたときは、おじいさまは僕の真後ろにいて、表情も何も判らなかったし、部屋に戻ってきてからは、機嫌は良さそうだけれど、誰ともひと言も喋らない。ただオルガンの前に座って、人の動く様子を見ている。そして今は演奏を聴いている。厳しい顔つきだった。でもおじいさまが音楽を聴くときは、たいてい厳しい顔をしている。それに僕が知りたいのは、僕たちの演奏をどう思ったかだった。
整叔父さんとビアンカさんには僕たち以上の拍手が起こったが、それは僕や南がばんばん手を叩いたからだ。ビアンカさんは堂々と一礼し、叔父さんに近寄っていって、頬にキスをした。鮎川が嬉しそうにキャーと叫んだ。
座っているのに疲れたのは僕だけではなかったはずだし、トイレに行きたい人も何人かいたと思う。しかしみんな、次は松野学長の番だと知っていたから、その場を離れることができなかった。ビアンカさんはヴァイオリンを持ったまま叔父さんと二人並んで、奥の椅子に腰かけた。
おじいさまは黙って鍵盤に向かった。長いこと動かなかった。やがてぶ厚い譜面をゆっくりとめくっていった。そしてある箇所で指をとめ、やにわに弾き始めた。
これまで僕たちが出した音をすべて足してもかなわないような、大音量のオルガンが響いた。ガラス戸がびりびりっと震えた。僕はびくっとして、思わず隣の伊藤と顔を見合わせた。伊藤も目を丸くしていた。
僕の座っている位置からは楽譜の一部が見えた。曲のタイトルも書いてはあったけれど、ドイツ語だから読めない。ちょっと身を乗り出すと、BWVが見えた。| B ・ W ・ V 《バッハ・ヴェルケ・フエアツアイヒニス》、すなわちバッハの作品番号である。605というその番号を、僕は覚えておこうと思った。おじいさまの性格からして、それがなんという曲なのか、自分から紹介したりはしない可能性が高いと思ったのだ。
予想は当たった。おじいさまはひどく短いその曲を弾き終えると、さっさと頁をめくって次へ移った。どうやらおじいさまは、この日何を弾くか、全然決めていなかったらしい。演奏したのは、さっきよりさらに輝かしい、明るさに満ちた音楽だった。そして前の曲同様、ものの三分くらいで終わってしまった。弾き終えるとおじいさまは、さっさと立ち上がってお辞儀をした。
「それだけ?」整叔父さんが苦笑していった。「もっと何か、フーガかなんか弾いてよ」
「いいんだ。これでいい」おじいさまは答えた。「さあ、みんなでもう一度乾杯しよう。さっきはトリオがいなかったんだから」
父のお世辞が乾杯の挨拶だった。僕はもう一度、開きっぱなしになっている楽譜を見た。BWV615と書いてあった。605と615。覚えやすい。
僕は第六感というようなものにまったく恵まれていない。だけどこのときだけは、二つの数字を覚えておいて、本当に良かったと思っている。なぜならこのあと大人たちは酒盛り、子供たちはバーベキューに夢中になって、誰もおじいさまがなんという曲目のコラールを弾いたのか、興味を持たなかった、持つのを忘れてしまったからだ。僕も、おじいさま自身も、そんな話はとうとうしなかった。
このホーム・コンサートの十五年後に、おじいさまは死んだ。遺された楽器や楽譜は、売り払われたり、大学に寄贈されたりした。三回忌になって僕は突然、このふたつの数字を思い出した。当時の勤め先の近くに大きな図書館があったので、バッハの浩瀚《こうかん》な研究書を借り、それがなんという曲であったかを調べた。そして図書館の閲覧室でそれを見つけたとき、不覚にも僕は泣いてしまった。
ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲 オルゲルビュヒライン(オルガン小曲集)第一集 クリスマス用コラール BWV605は、
Der Tag, der ist so freudenreich, ――かくも喜びあふれる日[#「かくも喜びあふれる日」に傍点]。
同じくオルゲルビュヒライン第一集 年末と新年用コラール BWV615は、
In dir ist Freude, ――汝のうちに喜びあり[#「汝のうちに喜びあり」に傍点]。
これが偶然だとは、僕は思わない。おじいさまは語っていたのだ。あの日の嬉しさを。そして僕たちへの励ましを。それはしかし、僕たちには伝わらなくてもいいと、おじいさまは思ったのかもしれない。深い信仰を持ち、しかし僕たちの誰に対してもそれを強《し》いなかったおじいさまにとって、感謝はただ、自分と神、そして両者をつないでくれるバッハの音楽にだけ伝われば、それで満足だったのだろう。
しかしもしそうだとしても、あのときのおじいさまの心を知ることができて、僕は嬉しい。ひどく遅くはなってしまったけれど。
「この寒いのに庭でバーベーキューなんて、どうかしてる!」
みんな、いったん脱いだコートをまた着こんで、足踏みしながら肉を焼いていた。僕は父に文句をいった。
「ちょっとは考えてくれよな!」
「肉食ったらあったかくなるから、いいじゃないか」
ビールの入った父は、何をいわれようと上機嫌だった。そして庭に出ている高校生と妹、たまに出入りする母親や叔父夫婦、先生がたも、寒いには違いないだろうに、みんなにこにことマトンや豚肉や焦げたピーマンなんかをほおばっていた。確かに、火にあたりながら肉を食い、薬缶《やかん》にたっぷり入ったほうじ茶を飲んでいると、そんなに寒くはなかった。
「どれがよかった?」
身体を固くして静かに聴いていなきゃいけなかった小音楽会から解放されて、誰もが家の広さや整叔父さんのカッコよさや、肉の焼き具合の話しかしなくなったのを不満に思って、僕は思い切っていってみた。
「僕、あのバッハのコラール、すごくよかったな」伊藤がいった。「あんなに近くでオルガン聴くの、初めてだよ。やっぱりバッハは偉大だね。ゆるぎない」
「私もバッハがよかった」沢が伊藤にさりげなくお茶をくんであげながらいった。「もっと聴きたかった」
「シューベルトのさ、あの一楽章」南がいった。「初めて聴いたけど、私、あれ演《や》ってみたいなあ」
「お兄ちゃんは自分の演奏を褒められたがってますよ!」
外にある二つしかない椅子の一つに陣取って、ひたすら食い続けているミサキがずばりといった。
「ピアノ・トリオをどうぞよろしく!」
「そりゃあ、ねえ!」鮎川が笑いながらいった。「あれには一同びっくりだよ」
「私、あのトリオも初めてだった」沢がいった。「恐かったあ。二人とも殺気立ってたんだもん」
「来年の文化祭で演りなよ」今年の文化祭の主役がいった。「今から声かけたら、誰かきっと弾いてくれるよ、ピアノ」
「どうする?」と僕が見ると、南は、
「そうだなあ」と、目を向こうにそらした。
「北島先生なしで、どれくらいできるのか、試してみたい気もするし……。先生なしじゃ、なんにもできなかったような気もするけど……。でも、今日はいっぱい間違えちゃったからなあ。もう一回、できればやってみたい」
僕たちは南の視線の先を見た。広間の隅っこで、北島先生はスピーカーの前に立ったあの男性と、あんまり楽しそうじゃない表情で立ち話をしていた。
「あの人は、一体誰なんでしょうか」鮎川がそういったので、僕が答えようとすると、
「さあ知らない」南がすぱっと答えた。「先生の知り合いらしいけど」
広間では大人たちが盛り上がっていた。父が、叔父さん夫婦と話しこんでいた。母親はおばあさまの話を身を乗り出して聞いていて、おじいさまはオルガンにグラスを置いて、佐伯先生と宇野先生に囲まれていた。
――このとき父が叔父さんと話していたことが、翌年からの僕の運命を決めたと、今の僕は知っている。それはいい運命ではなかった。父のせいでも叔父さんのせいでもなく、誰のせいでもない。彼らはまったく関係ないともいえる。でも、あの話し合いから僕の運命は動いた。僕は滑り台みたいに運命の下り坂をずるずると落ちていって、下にいた人を突き飛ばしてしまったのだ。
日がかげってきた。風が強くなってきた。みんなお腹いっぱいになったので、広間に戻ることにした。僕と妹はしばらく残って、火を消したり、残飯を片付けたりした。
遅れて家の中に入ると、父と整叔父さんと佐伯先生とおじいさまは、和室に引き上げていた。いわずとしれた麻雀だ。沢と鮎川と伊藤は母親と一緒に食器を洗ったり片づけをしていて、おばあさまは二階で休んでいた。
南は、ビアンカさんと宇野先生の三人で話しこんでいた。やがてちょっとしたレッスンになっていき、南はビアンカさんのヴァイオリンを弾かされたりしていた。
ミサキがすぐにテレビを見るといっておばあさまの部屋へ行ってしまったので、僕はなんとなく広間に残された椅子のひとつに座って、ぼんやり南を見ていた。
南もヴァイオリンを顎でおさえたまま、ときおり僕を見た。
僕は心を決めた。
「ビアンカさん」
話の途中だったかもしれないけれど、構わず僕は話しかけた。
「はい」
「ちょっと、いいですか?」
六時前にお開きになった。麻雀はまだ続いていたが、そんなもの、終わるのを待っていたらいつになるか判らない。来たときと同じように、僕は家族とは別に、友だちを見送りがてら電車で帰ることにした。
「すてきだなあ」坂を下りながら沢がいった。「ホーム・コンサート。うちでもやりたいけど、マンションじゃ絶対無理だよ」
「うちだって」「うちだってだよ」とみんなが口々にいう。
「うちであんなことやったら、そば屋の新装開店かと思われちゃうよ!」と南がいって、みんな笑った。
まっすぐ帰るのなら、僕は伊藤や沢、鮎川たちと一緒に、上り電車に乗らなければならなかった。でも乗らなかった。
「南を送っていくよ」
そう僕ははっきりいった。
「あっそ」沢がいった。
「そんないばっていわなくたって」伊藤が笑った。
電車に乗りこむ寸前になって、それまで南と話していた鮎川が、いきなり僕を睨んで、
「途中で枝里子に変なことしたら、殺すよ!」
といった。みんな笑ったけれど、冗談のつもりじゃないようにも聞こえたし、そういう目つきだった。
「また明日!」
「また明日!」
「枝里子、また明日!」
「俺はよ」
「あんたはどうでもいい!」
閉まりかけのドアの向こうから、鮎川が叫んで、みんな帰った。
「忘れた」電車がいったとたんに、僕は思い出した。「みんなに、今日はありがとうって、いうの忘れた」
「私もだ」南はいった。
「明日、いおうか」
「うん」
下りの電車が来た。しばらく黙っていた。
それから口を開いた。
「あのね」
「うん」
「来年の、一月十一日の日曜日なんだけど」
「うん」
「僕とオペラに行かない?」
「オペラ?」
「予定ある?」
「ないと思うけど」
「さっきビアンカさんに訊いてみたんだ。ハイデルベルク・オペラの切符が手に入るかどうか。そしたらね、招待してくれるっていうんだよ」
「私も?」
「最初からそのつもりで訊いたんだ。ビアンカさんも来てほしいっていうんだ」
「ほんとに? あと誰か来るの? 整先生も来るでしょ?」
「叔父さんは自分の練習が忙しいし、全部の公演には付き合わないよ」
「いいの?」
「うん」
「何をやるの」
「モーツァルトの『魔笛』」
「へえ。すごいな。私、オペラなんて見たことない」
「きっと面白いよ」
「ほんとにいいの? オペラの切符って、高いんでしょう?」
「招待だから、ただだよ。どんな席かは判らないけど」
「うわあ。なんか、どきどきする」
「行ってくれる?」
「うん」
柿生の駅に着くまで、僕たちは『魔笛』やモーツァルトの話をした。南は僕に、改札は出なくていいといったけれど、僕は家の前まで送っていった。
「あのさ」僕は少しだけ不安だったので、確かめようと思った。「オペラ、さ」
「うん」
「デートなんだけど」
南は僕を見た。
「デートに誘ってる、ってことなんだけど」
南は立ち止まって、僕の顔をのぞきこんだ。
「判ってるよ」
変なこという人だ、という目だった。微笑んでいた。
「そんなの判ってる」
「だってさ」僕はいった。「はっきりしたかったんだよ。僕、今まで誰かをデートに誘ったことなんか、ないんだから!」
南は口をあけた。あきれてものがいえない、みたいな風だった。
それから恥ずかしそうに笑っていった。
「私、津島君から、もう何度も誘われてるんだよ」南はいった。「トリオに誘われたの、あれ、デートだよ。練習だって全部デートだったよ。文化祭の日に『くるみ』に行ったのだって、全部」
南は目を丸くして、首を横に振った。
「津島君て、ほんとに鈍感だね! 想像を絶するくらい!」
「じゃあ、トリオに誘ったのが、僕じゃなかったら……」
「断ってたよ! 私、そんなに軽い女じゃないよ」
おそば屋さんの前に着いた。
「じゃ、また明日」南は照れくさそうに、とっとと背中を向けようとした。
「南」
「うん」
「なんでもない」
「うん。私も、なんでもない」
「明日、会おう」
「じゃあね」
南はお店の中へ消えていった。
そして次に気がついたときには、僕は本牧の坂を上っていた。電車に乗ったことも、降りたことも覚えていなかった。ただ南を見送ってからずっと、頭の中をチャイコフスキーのワルツが、僕たちの演奏したよりもずっときらびやかに鳴り響いていて、担いでいるチェロは空気のように軽く、あらゆるものが音楽だということ、それだけが確かだった。
[#改ページ]
[#ここから5字下げ]
本作品は書き下ろしです。
本文中の引用文はそれぞれ、『この人を見よ』(ニーチェ著・手塚富雄訳/岩波文庫)、『善悪の彼岸』(ニーチェ著・木場深定訳/岩波文庫)、『モーツァルトの手紙(下)』(柴田治三郎編訳/岩波文庫)、『偶像の黄昏/アンチクリスト』(ニーチェ著・西尾幹二訳/白水社)によりました。
[#ここで字下げ終わり]
藤谷 治(ふじたに・おさむ)
1963年東京都生まれ。洗足学園高校音楽科、日本大学芸術学部映画学科卒業。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館)でデビュー。08年、『いつか棺桶はやってくる』(小学館)が三島由紀夫賞候補になるなど、注目を集めている。著書『マリッジ:インポッシブル』(祥伝社)、『二都』(中央公論新社)、『洗面器の音楽』(集英社)、『またたび峠』(小学館)、『下北沢 さまよう僕たちの街』(ピュアフル文庫/リトルモア)、『恋するたなだ君』(小学館文庫)、『おがたQ、という女』(小学館文庫)ほか。共著に『青春音楽小説アンソロジー Heart Beat』(ジャイブ)などがある。
装画 霜田あゆ美  装幀 片岡忠彦
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底本
ジャイブ 単行本
船に乗れ! T 合奏と協奏
著 者――藤谷 治
2008年11月6日  初版発行
発行者――石川順恵
発行所――ジャイブ株式会社
[#地付き]2008年11月1日作成 hj
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修正
《》→ 〈〉
置き換え文字
噛《※》 ※[#「口+齒」、第3水準1-15-26]「口+齒」、第3水準1-15-26
蝉《※》 ※[#「虫+單」、第3水準1-91-66]「虫+單」、第3水準1-91-66
頬《※》 ※[#「夾+頁」、第3水準1-93-90]「夾+頁」、第3水準1-93-90