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[#裏表紙(表紙2.jpg)]
藤沢周平
蝉 し ぐ れ
目 次
朝 の 蛇
夜 祭 り
嵐
雲 の 下
黒 風 白 雨
蟻のごとく
落 葉 の 音
家 老 屋 敷
梅雨ぐもり
暑 い 夜
染 川 町
天与の一撃
秘 剣 村 雨
春浅くして
行 く 水
誘 う 男
暗 闘
罠
逆 転
刺 客
蝉 し ぐ れ
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朝 の 蛇
一
海坂《うなさか》藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られない特色がひとつあった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである。
城下からさほど遠くはない南西の方角に、起伏する丘がある。小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで、流れはひろい田圃《たんぼ》を横切って組屋敷がある城下北西の隅にぶつかったあとは、すぐにまた町からはなれて蛇行しながら北東にむかう。
末は五間川の下流に吸収されるこの流れで、組屋敷の者は物を洗い、また汲《く》み上げた水を菜園にそそぎ、掃除に使っている。浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで流れの底の砂地や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背まではっきりと見ることが出来る。だから季節があたたかい間は、朝、小川の岸に出て顔を洗う者もめずらしくはない。
市中を流れる五間川の方は荷舟が往来する大きな川で、ここでも深いところを流れる水面まで石組みの道をつけて荷揚げ場がつくってあり、そこで商家の者が物を洗うけれども、土質のせいかそれとも市中を流れる間によごれるのか、水は大方にごっている。その水で顔を洗う者はいなかった。
そういう比較から言えば、家の裏手に顔を洗えるほどにきれいな流れを所有している普請組の者たちは、こと水に関するかぎり天与の恵みをうけていると言ってもよかった。組の者はそのことをことさら外にむかって自慢するようなことはないけれども、内心ひそかに天からもらった恩恵なるものを気に入っているのだった。牧文四郎もそう思っている一人である。
文四郎は玄関を出ると、手ぬぐいをつかんで家の裏手に回った。万事に堅苦しい母は、家の者が井戸を使わず裏の流れで顔を洗うのをはしたないと言って喜ばないけれども、文四郎は晴れている日はつい外に気をひかれて小川のそばに出る。父だって時どきは小川で顔を洗い、大声で近隣の者と挨拶《あいさつ》をかわしたりするのだからかまわないだろうと思っていた。文四郎は牧の家の養子で、母親が実父の妹つまり叔母なのだが、文四郎はどちらかというと堅苦しい性格の母親よりも、血のつながらない父親の方を敬愛していた。父の助左衛門は寡黙だが男らしい人間だった。
普請組の組屋敷は、三十石以下の軽輩が固まっているので建物自体は小さいが、場所が城下のはずれにあるせいか屋敷だけはそれぞれに二百五十坪から三百坪ほどもあり、菜園をつくってもあまるほどに広い。そして隣家との境、家々の裏手には欅《けやき》や楢《なら》、かえで、朴《ほお》の木、杉、すももなどの立木が雑然と立ち、欅や楢が葉を落とす冬の間は何ほどの木でもないと思うのに、夏は鬱蒼《うつそう》とした木立に変わって、生け垣の先の隣家の様子も見えなくなる。
文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。
「おはよう」
と文四郎は言った。その声でふくはちらと文四郎を振りむき、膝《ひざ》をのばして頭をさげたが声は出さなかった。今度は文四郎から顔をかくすように身体の向きを変えてうずくまった。ふくの白い顔が見えなくなり、かわりにぷくりと膨《ふく》らんだ臀《しり》がこちらにむいている。
──ふむ。
文四郎はにが笑いした。隣家の小柳甚兵衛の娘ふくは、もっと小さいころからいったいに物静かな子供だったが、それでも文四郎の顔を見れば、朝夕尋常の挨拶をしていたのである。
いまのようにそっけない態度をとるようになったのはいつごろからかと、文四郎は考えてみる。やはり一年ほど前からである。そのころに何かふくに疎《うと》まれるようなことをしたろうかと思うのだが、それにはまったく心あたりがなかった。
「そんなことは考えるまでもない。娘が色気づいたのよ」
その話をしたとき、親友の小和田逸平が露悪的な口ぶりで断定し、またやはりそのとき一緒にいたまじめひと筋のもう一人の親友島崎与之助が色気づくという言葉の意味がわからず、それをわからせるのに小和田と一緒に大汗を掻《か》いたことを思い出したが、文四郎はいまでも小和田逸平の断定には疑いを持っている。
──ふくは、まだ十二だ。
母の登世は十三の齢《とし》に助左衛門に嫁いで来たとかで、むかしはそのぐらいの齢で嫁に行くのはあたりまえだったと言うが、いまはむかしと同じではない。娘は二十前に嫁にやればいいというふうに変わったことを、文四郎は知っている。現に文四郎の実家の姉季枝は、去年の秋家中の石塚半之丞に嫁いだが十八だった。ふくが色気づくにはまだ早かろう。
文四郎は大きな水音をたてて顔を洗った。そばに母がいれば、行儀がわるいとさっそくに叱られるところだが、いまはそばにいるのは母ではなく、小和田説によれば色気づいて無口になったふくだけである。
文四郎は顔を洗ったついでに、濡《ぬ》らした手ぬぐいで首筋から胸、腕とぬぐった。すると夜の間にむし暑くて汗ばんだ肌がさっぱりした。快い解放感に満たされながら、文四郎は小川のむこう側に広がる田圃を見た。
いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。
頭上の欅の葉かげのあたりでにいにい蝉《ぜみ》が鳴いている。快さに文四郎は、ほんの束《つか》の間放心していたようだった。そして突然の悲鳴にその放心を破られた。
岸の方からはじめて、小川の中ほどまで三、四本の杭《くい》を打ちこみ、その杭に板をわたして河床まで沈めると小さな堰《せき》が出来上がる。その堰の前に板を張ったり、大きな石を持って来て埋めたりして洗い場をつくる。そういう細工は、普請組の家々にとってはお手のものだった。
どの家の裏手にも、小川べりにそういう洗い場が出来ていて、長年の間には十分深くなった洗い場の前の水面に、堰を越えて落ちる水が一日中小さな水音をたてているのだが、ただし洗い場の位置は川べりの真中へんだったり、屋敷の隅に片寄ったり、家々の考えで一定していない。
文四郎の家の洗い場は屋敷の右隅にあって、隣の小柳の洗い場とくっついている。そして洗い場があるそのあたりも、屋敷はそれぞれに形ばかりの垣根で仕切られていた。
悲鳴をあげたのはふくである。とっさに文四郎は間の垣根をとび越えた。そして小柳の屋敷に入ったときには、立ちすくんだふくの足もとから身をくねらせて逃げる蛇を見つけていた。体長二尺四、五寸ほどのやまかがしのようである。
青い顔をして、ふくが指を押さえている。
「どうした? 噛《か》まれたか」
「はい」
「どれ」
手をとってみると、ふくの右手の中指の先がぽつりと赤くなっている。ほんの少しだが血が出ているようだった。
文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂《にお》いがひろがった。ぼうぜんと手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げて来たのだろう。
「泣くな」
唾《つば》を吐き捨てて、文四郎は叱った。唾は赤くなっていた。
「やまかがしはまむしのようにこわい蛇ではない。心配するな。それに武家の子はこのぐらいのことで泣いてはならん」
ふくの指が白っぽくなるほど傷口の血を吸いつくしてから、文四郎はふくを放した。これで多分大丈夫と思うが、家にもどったら蛇に噛まれたと話すようにと言うと、ふくは無言で頭をさげ、小走りに家の方にもどって行った。まだ気が動転しているように見えた。
やりかけの洗濯物が散らばっている洗い場に跪《ひざまず》くと、文四郎は水を掬《すく》って口をゆすいだ。それから立ち上がってさっきの蛇をさがした。やまかがしは無害だとも言われるが油断は出来なかった。いたら殺すつもりである。
蛇は文四郎の家とは反対側の、山岸の家との境にある小暗い竹やぶの中で見つかった。尾をつかんでやぶから引きずり出すと、蛇は反転して歯むかって来たが、文四郎は蛇を地面に叩《たた》きつけ、最後に頭を石でくだいてとどめを刺した。生殺しはいけないと教えられている。
家にもどったが、文四郎は裏でふくに会ったことも蛇を殺したことも、母には言わなかった。黙って朝飯を喰った。ふくの白い指を吸ったこと、蛇の頭をつぶしてとどめを刺したこと、そのどちらも母は喜ばないだろうと思ったのである。
近年になって、文四郎は父母に言えないことが胸にたまるようになったが、またひとつ胸の中の秘密がふえたような気がした。蛇をつかんだ手は、何度も洗ったのに食事をしている間じゅう、生ぐさく匂うように思えて困った。
朝食が済んでから間もなく、登城する父が家を出て行った。文四郎は母と一緒に玄関に出て、父が粗末な門をくぐって外に出るまで見送った。
普請組が工事にかかっているときは、父の助左衛門は城には立ち寄らず直接に工事場に行くことが多い。そういうときに野袴《のばかま》か軽袗《カルサン》をはき、足もとは|はばき《ヽヽヽ》、草鞋《わらじ》で固めて頭には菅《すげ》の笠《かさ》、背に昼食のにぎり飯がはいった打飼《うちが》いを背負った姿で家を出るのだが、今日は工事はないとみえて、助左衛門はややくたびれた裃《かみしも》をつけている。中背だが、助左衛門の背はがっしりとたのもしく見えた。
さきにひき返した母を追って台所に行くと、文四郎は昼にたべるにぎり飯をつくってほしいと頼んだ。
「一度家にもどって来たらいいではありませんか」
文四郎は昼前は居駒《いこま》礼助の私塾に行って経書《けいしよ》をまなび、昼過ぎからは鍛冶《かじ》町にある空鈍流の石栗《いしぐり》道場に行く。それが日課だった。それで、時どきは母ににぎり飯をつくってもらって家にもどらないことがある。
だが文四郎の家がある組屋敷は、居駒塾がある青柳町と道場がある鍛冶町の中間にある。母の登世は、にぎり飯をつくる手間を惜しむというよりも、文四郎が終日家を外にすることに気持ちのひっかかりをおぼえるふうで、かならず一度は反対する。しかし、文四郎には文四郎の思惑があった。
「逸平たちと、天気がよければ外で飯を喰おうと申し合わせたのです」
「あの子と相変わらず昵懇《じつこん》にしているのですか」
母は露骨にいやな顔をした。半年ほど前に、逸平の家の若い婢《はしため》が突然に暇をとって村に帰った。あとで、どこからともなく逸平が婢に手を出したからだといううわさが立った。
小和田逸平は文四郎よりひとつ年上の十六で、元服を済ませ、身体もひと嵩《かさ》大きかった。ひげもはえて大人のように見えることがある。うわさはそのへんから出たかと思われたが、逸平は事実無根だと言っていた。
「朱にまじわれば赤くなりますよ。そなたも気をつけないと……」
母は厭味《いやみ》を言ったが、それでもにぎり飯をつくってくれた。木版刷りの経書とにぎり飯をいれた風呂敷を小わきに、肩に竹刀《しない》と稽古《けいこ》着をかついで、文四郎は家を出た。
二
踏みこんで打ち合ったとき、矢田|作之丞《さくのじよう》の竹刀は文四郎の肩にあたり、文四郎の竹刀は矢田の面を正確に打った。
文四郎の竹刀がわずかにはやく、また打撃も強かったので、矢田は「おっ」と声を出してうしろにとぶと、鉢巻の上から打たれたところをおさえた。石栗道場では、竹刀稽古のときに籠手《こて》をかばう手袋と、なめした獣皮で真綿をつつんだ鉢巻を用いる。いまの文四郎の打ちこみは、どうやら矢田の鉢巻の下までひびいたらしかった。
「よし、これまでにしよう」
矢田が言って竹刀をひき、ついで手袋と鉢巻をはずした。見ると額が赤くなっている。
「失礼しました」
文四郎は詫《わ》びた。矢田作之丞は御納戸に勤める藩士だが、道場では席次が五番目に来る高弟である。
「なに、詫びることはない」
温厚な性格の矢田はそう言って、手袋と鉢巻をつかみ直しながら、眼をほそめるようにして文四郎を見た。そして、うまくなったではないかといまの打ちこみを批評した。
「一本取られたよ」
「いえ、それは……」
「謙遜《けんそん》せんでもよい。しばらく見ぬ間に進歩した」
文四郎はうつむいた。ほめられた喜びが顔に出ようとするのを必死に隠した。
「文四郎はいまいくつだ」
「十五です」
「まだ、元服はせんのか」
「はあ、今年のうちに烏帽子《えぼし》親をたのみ、来年の春にと親は言っております」
「十五か。後生|畏《おそ》るべしだな」
矢田は微笑した。
「われわれも、うかとは出来ん」
さっき一度、道場主の石栗弥左衛門が今日の稽古はこれまでと宣言して奥に入ったので、まだ稽古をつづけている者はまばらだった。外の井戸で稽古の汗を拭《ふ》きとり、着替え部屋や道場の隅にもどって着替えている者の方が多い。その中にはとっくに着替えをすませて床にあぐらをかき、大声でまわりの者と話している小和田逸平の姿も見えた。逸平は稽古に入るのはひとよりおそく、切り上げるときはいちばんはやい男である。それでいて剣の腕は確かだった。
矢田に一礼して、文四郎も手袋、鉢巻をはずした。そのとき道場の隅の方で、はげしい怒声が起きた。みんながいっせいにそちらを見たので、文四郎も振りむいた。
怒っているのは師範代の佐竹金十郎で、その前に首を垂れているのは島崎与之助である。
「いいか、相打ちだ」
と師範代がどなっている。
「逃げちゃいかん。打たれろと言っておる。その呼吸がわからんうちは稽古にならんのだ」
蚊の鳴くような声で、与之助がはいと言った。その声を聞いて、くすくす笑う者もいた。それに気づいて、師範代はこちらをにらんだ。
「誰だ、いま笑ったのは」
と佐竹が言ったので、道場の隅にいた者はしんと鳴りを静めてしまった。大あぐらをかいて無駄口をたたいていた小和田逸平も、あわてて板の間に坐り直している。
佐竹金十郎は、藩では御馬乗り役をつとめる十石足らずの軽輩だが、空鈍流の石栗道場では敵する者がいない遣い手だった。数年前というと佐竹が師範代になる前の話だが、御弓町にある一刀流の松川道場と恒例にしている熊野神社の奉納試合を行なったとき、あざやかに五人抜きをした話は、いまも石栗道場の伝説のようになっている。
しかし佐竹は、自身が努力家のせいかひとにもとめることもきびしく、時にははげしい気性をむき出しにした苛酷《かこく》な稽古をつけるので、後輩におそれられていた。そのこわい佐竹金十郎に、与之助がつかまっているのである。
「わかったか」
佐竹は眼を与之助にもどした。
「打たれて痛い思いをせぬうちは、上達など思いもよらんぞ」
空鈍流は八双の構えから踏みこんで打つ。その打ちこみの遅速にすべてを賭《か》け、極意もその中にあると教える。はじめは木剣で形を教え、形をのみこんでから竹刀の稽古にうつるのだが、そこで相手の竹刀をこわがっては流儀の趣旨に反するのである。
佐竹はそのことが歯がゆいらしく、最後に持っていた竹刀を上げると、目にとまらぬ動きでぴしりと与之助の肩を打った。そしてはやい足どりで奥に引き揚げて行った。
佐竹に打たれて与之助はよろめいた。そしてみんながざわめきを取りもどして帰りかけているのに、まだ竹刀をつかんだままじっと立っている。
「島崎、どうした」
井戸がある出口に歩きかけて、文四郎が声をかけると、与之助はやっと顔を上げて手袋と鉢巻をはずし、のろのろと文四郎の方に歩いて来た。青い顔をしていた。
道場がある鍛冶町から、裏道を少し歩くと五間川のひろい河岸通りに出る。道場を出た文四郎と小和田逸平、島崎与之助は、まるめた稽古着を竹刀にむすびつけて、と言っても不精者の逸平は紐をむすぶ手間を嫌って稽古着に竹刀を突っこみ、それがまるで田楽豆腐に見えるのだが、それをかついで河岸通りを南に歩いて行った。
大きな田楽豆腐をかついでいるような逸平を見て、すれちがう町びとが笑いをこらえる顔で通りすぎるのに、逸平はいっこう平気な顔をして歩いている。西にかたむいてもまだ暑い日射しが河岸通りに照りわたり、青々とした柳の枝の陰に入るとほっとするほどだった。
「おれ、どうも道場稽古にはむいていないらしいな」
と与之助が言った。そして顔をしかめて佐竹に打たれた肩を動かした。まだ痛むのかと文四郎が言った。
「どれ、見せろ」
と言いながら逸平が肩をつかむと、与之助が悲鳴をあげて逃げ出そうとした。大きな手が、痛むところをじかにつかんだらしい。
だが身体の大きい逸平は、小柄で非力な与之助を強引に押さえつけると、むりやり襟をひろげて肩をのぞきこんだ。
「やあ、やられてる」
「どれどれ」
文四郎ものぞきこんだ。与之助の肩には細いみみず脹《ば》れが出来て、そのまわりが赤くなっていた。
「佐竹さんは、本気でなぐったんだ」
「そうらしいな」
逸平と文四郎が話していると、与之助がおい、いい加減にしろと言った。
「え?」
「みっともないから放せと言ってるんだよ」
文四郎が顔を上げると、道を行くひとが妙な顔で三人を見て通る。往来なかで、少年とは言え与之助が裸の肩を出し、それをまた二人が仔細《しさい》ありげにのぞきこんでいるのだから、好奇の眼で見られても仕方がない。
逸平も気づいて、手をはなした。
「ひどいか」
襟をなおしながら、与之助が心配そうに聞いた。大したことはない、と逸平が言った。
「おれならうっちゃっておくところだが、おまえは脆弱《ぜいじやく》だからな。家に帰ったら水でひやすといいよ」
「それだけ?」
「気になるんだったら、そのあとに軟膏《なんこう》でもすりこんでおくんだな」
「おれはやっぱり、鍛冶町の稽古をやめるよ」
と与之助が言った。
「佐竹さんにやられたからか、ばかな」
文四郎がにが笑いして言った。
「どこへ行ったって、頭をなでながら教えてくれる道場なんかないぞ」
「いや、そういう意味じゃないんだ」
与之助は、痛くない方の肩にかかっている荷をひとゆすりした。与之助の貧弱な身体には、竹刀と稽古着だけの荷さえも、ひと荷物に見える。与之助は話をつづけた。
「道場はやめて、学問ひと筋で行こうかと、いま迷ってるところなんだ」
「へえ?」
文四郎と逸平は顔を見合わせた。それなら話がわかる。と文四郎は思った。与之助は居駒塾はじまって以来と言われる秀才で、時には師匠の礼助にかわって塾生に「論語」を講義する。言うような道がないわけではない。
与之助の話は、またひとつ飛躍した。
「ひょっとしたら、おれ江戸に行くかも知れないんだ。いますぐじゃないけどな」
「おい、おい、ほんとか」
文四郎がそう言い、三人はあやめ橋の橋袂《はしだもと》の上流にある石置場に入りこんで、腰をおろした。そこなら柳の枝にかくれて、往来から姿を見られずに話せるはずである。
三
四角い切り石に腰かけた与之助は、股《また》の間からのび上がっている草の穂をひき抜くと、口に噛んだ。日の位置はいよいよ低くなって、もう少しで対岸の商家と、その横の軒下に大勢の人影が動いている魚市場の屋根の間に落ちるところである。そして日のいろはもの憂げな赤味を帯び、その濃い光が肉づきのうすい与之助の顔に、大人のように分別くさい陰翳《いんえい》をつけ加えていた。
与之助は手につかんでいる草の穂を、長い茎を前に穂をうしろに持ちかえると水面にとばした。そしてそのまま眼を魚市場の人影のあたりにむけながら言った。
「居駒先生に前から言われてるんだ。学問で身を立てる気持ちがあるなら江戸へ行け、葛西《かさい》塾に紹介してやるって」
「へえ、それはすごいな」
と文四郎が言い、逸平が低いうなり声をたてた。葛西蘭堂は、田舎の海坂藩にも名前が聞こえている高名な朱子学者である。逸平は居駒塾の劣等生だが、その逸平も師匠の居駒礼助はむろん、藩校で学監を勤める柴原《しばはら》研次郎、中老の遠山牛之助、番頭《ばんがしら》の菰田《こもだ》庄兵衛といった人びとが、いずれも江戸の葛西塾の出身であることは知っているはずだった。
逸平が聞いた。
「江戸にはいつごろ行くんだ」
「まだはっきり決まったわけじゃないが、行くとすれば秋だな」
「今年のか」
「うん」
「それはまた、急だな」
文四郎が言うと逸平も与之助も口をつぐんだ。江戸は海坂城下から百二十里のかなたにある町である。文四郎がちらとそう思ったように、口をつぐんだ二人もまだ見たことのないその町に思いを馳《は》せたのかも知れなかった。
与之助は、うつむいてまた草の穂をひき抜いた。
「しかしおれは、おまえらのように家の跡とりじゃないからな」
日ごろそういうことを考えるのか、そう言った与之助の声は分別くさく聞こえた。与之助は蝋漆《ろううるし》役という郷方《ごうかた》廻りの小役人の次男である。
「身の振りかたは、自分で決めなければならん」
「しかし、婿という手があるだろう」
と文四郎が言った。
「娘ばっかりで、婿を欲しがる家は家中にも結構あるそうだぞ」
そう言ったとき、文四郎は隣の小柳を思い出していたのである。小柳は長女のふくを筆頭に娘ばかり三人いる。
しかし与之助は、婿かと言って力のない笑顔を文四郎にむけた。
「籤《くじ》をひくようなものだ。当たらなければそれまでだ」
「いや、与之助は江戸に行くのがいい」
逸平が断定的に言った。
文四郎と与之助が逸平の顔を見ると、逸平は重々しくうなずいてもうひとつ断定をくだした。
「与之助は剣はだめだよ」
「おい、おい」
文四郎がたしなめるように声をかけ、与之助はにが笑いしたが逸平はまじめな顔でつづけた。
「さっき佐竹さんの言うことを聞いていたが、まだあんなことを言われてるようじゃ、まず見込みはないな」
「おれもそう思ったから、鍛冶町の方をやめると言ったんだよ」
与之助は笑いを消して、憮然《ぶぜん》とした表情になっている。
「それがいい。おまえは学問ひと筋の方がいいんだ。与之助の頭なら、江戸に行ってもきっと通用する」
「それはどうかな。行ってみなければわからん」
「いや、先生もすすめるぐらいだから、逸平の言うとおりだろう」
と文四郎も言った。
「思い切って江戸に行き、学者の道を目ざしたらどうだ」
「その気持ちはある。ことに今日は佐竹さんに叱られて、おれにはそっちの道しかないかなという気がした」
「それでいいじゃないか」
「しかし、江戸に行くには金がいるんだ」
与之助がそう言ったので、文四郎は口をつぐんだ。遊学の費用のことはまったくわからなかった。逸平も同様とみえてしばらく黙っていたが、すぐに思いあたったように言った。
「路銀か。それなら仲間に触れを回して、餞別《せんべつ》をあつめてやるぞ。なあ?」
逸平が顔を見たので、文四郎は首を振った。
「いや、与之助が言うのは路銀だけじゃないよ。他国へ行けば衣食住にかなり金がかかる。家で喰ってるようなわけにはいかん」
「あ、そうか」
「親はそんな金はないと言うんだ。おれの家は貧しいからな」
と言ったが、与之助はべつに暗い顔をしているわけではなかった。声にはその貧しさをおもしろがっているようなひびきもある。
「居駒先生もそのへんのことはご存じだから、奉公人がわりに働きながら学問が出来るように、塾にたのんでやるとおっしゃるんだ」
「塾の用を足しながら勉強するわけか。そいつは大変だ」
と逸平が言った。しかし、と文四郎は言った。
「大変にはちがいないが、それがうまく行けば、喰うことと寝るところの心配はなくなるわけだな」
「そうなんだが、先生の話を聞いてみると、だからお金は一文もいらないということでもないらしいんだ。ほかに月々いくらかは衣食に金がかかるし、書物代もいるらしい」
「そうだろうな」
と文四郎は言った。
「せっかく江戸に行くんだ。あちこちと見物もしたかろうし、小遣いがないからと塾から一歩も外に出ないというわけにはいかんだろう」
「その月々の小遣いだけど……」
と与之助が言った。
「そのぐらいの金は送ってやると、先生は言ってくれるんだ。しかし先生ご自身が、あのとおり貧しいだろ。おれは心苦しくて、とてもそのお気持ちを受けられないんだ」
「与之助、おまえ……」
逸平が大きな声で言った。
「居駒先生は、よっぽどおまえに見込みがあると思うからそう言うんだぞ。おまえはしあわせ者だよ」
「先生がおっしゃるようにしてもらったらどうだ」
と文四郎もすすめた。
「学業成ったあとで、ご恩返しをすればいいじゃないか」
与之助はじっと考えこんでいる。日は対岸の家々のうしろに落ちてしまって、五間川の上流にのぞいている野のあたりに、かすかな赤味をのこすだけになっていた。家並みのうしろ、南西の方角に黒く盛り上がって見えるのは城の木立である。そしてこれだけ位置がはなれているのに、眼の前を流れる五間川は城の外濠《そとぼり》とされていた。
谷間のように深くてうす暗い川の上を、ゆっくり漕《こ》ぎくだる荷舟が見え、舟も竿《さお》を使う船頭の姿もにじむように黒い。町は薄暮につつまれはじめていた。
与之助が顔を上げた。
「わかった。しかし、もう少し考えてみる」
与之助の言葉をしおに、三人は立ち上がって道にもどった。またぶらぶらと南に歩いて行った。
「おい、そこから帰らなくていいのか」
と逸平が言った。文四郎の家はあやめ橋を西にわたって帰るのが近い。だが文四郎は、いそいで家にもどりたい気分ではなかった。いま帰っても父はまだ下城せず、いるのは母だけだろう。母を疎むわけではないが、母と二人でいるよりは与之助や逸平といる方がたのしい、と文四郎はぼんやり考える。
「いいんだ。おまえらを送って行く」
文四郎が言うと、逸平はそうかと言った。三人はいまのように、それほど話すこともなく、時には行くあてもないままに連れ立ってぶらぶらと町を歩くことがあった。
道はすっかりうす暗くなり、すれ違うひともいなくなった。
「しかし、与之助がいなくなると、さびしくなるだろうな」
と逸平が言った。それは文四郎も同感だった。勉学のために江戸に行ったら、国にもどるのはいつごろになるだろうかと三人は話し合ったが、確かなことは誰にもわからなかった。
あやめ橋の上流に架かる行者橋に近づくと、うす暗い橋の上を裃をつけた数人の武士がこちら岸にわたって来るのが見えた。城からさがって来た男たちだろう。
男たちは橋をわたり切ると、大部分はそのままつきあたりの屋敷町に姿を消したが、一人だけは河岸通りを三人の方に歩いて来る。そばまで来たのを見ると、四十年配の身なりのいい武士だった。武士は三人が頭をさげると、立ちどまって声をかけて来た。
「どこの家の子か」
「漆原《うるしばら》町の小和田逸平です」
と逸平が名乗った。小和田逸平は十歳のときに父を失い、跡目をついだ。まだ城勤めこそしていないが、文四郎や与之助とは身分が違い、百石の小和田家の当主である。
相手はそう言われてたしかめるように逸平の顔をのぞいた。それから文四郎と与之助の家も聞いた。
「道場の帰りか」
武士は鋭い眼を三人にそそぎながら言った。逸平が代表して、そうですと答えた。
「若い者が、暗い町をぶらぶら歩きするのは感心せぬ。いそいで帰るように」
それだけ言うと、武士は大股に歩き去った。三人は頭をさげてから無言で見送った。
「怒られたなあ。いまのはどなただろう」
与之助が言ったが、逸平も文四郎も相手の名前を知らなかった。しかしそれでふんぎりがついて、文四郎は行者橋から帰ることにした。橋まで来ると手をあげて別れた。
「おい」
ふと気づいて、文四郎は二人を呼びとめた。
「やまかがしは毒があるのか」
「噛まれれば、やっぱり毒だろう」
と逸平が言った。
「すぐに血を吸い出してもか」
「吸ったのか」
「うん」
「じゃ大丈夫だろう。誰か、噛まれたのか」
いや、と文四郎は口をにごした。
家にもどると、日はとっぷりと暮れていた。文四郎は母に、遅くなった詫びを言った。
「与之助が江戸に行くかも知れないと言うもので、しばらく話していたんです」
「あの子が、江戸に……」
母はおどろいたように言った。もっと何か言うかと思ったがそれだけで、助左衛門は遅くなるからさきに食事を済ませるようにと言われた。文四郎は隣の小柳に何か変わったことはなかったかと聞きたかったが、我慢した。
しかし翌朝、文四郎が頭上で蝉が鳴いている小川べりに出ると、ふくが物を洗っていた。ふくは文四郎を見ると、一人前の女のように襷《たすき》をはずして立ち、昨日の礼を言った。ふくはいつもと変わりない色白の頬をしていた。
「大丈夫だったか」
文四郎はそう言ったが、ふくの頬が突然に赤くなり、全身にはじらいのいろがうかぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした。
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夜 祭 り
一
文四郎ははだしで、菜園の茄子《なす》に水をやっていた。茄子畑は菜園の隅のたった三|畝《うね》だけだが、まだ紫の花をつけ、つややかないろをした実がいっぱいになっている。親子三人の家なので、三畝の茄子畑からは毎日浅漬けや汁の実にしてたべた上に、秋には冬にそなえてひと樽《たる》の塩漬けが出来るほどの実がとれた。
しかし茄子畑ほど水を吸う土はない、と文四郎はいつも思う。茄子はたくさん水をやらないと、うすくて張りのある皮、うまい実が出来ないと言われている。そこで朝に夕に水をやるのだが、茄子畑はまるで砂地のように水を吸い取るので、文四郎は桶《おけ》をさげて少なくとも四、五回は裏の小川と菜園を往復しなければならない。
一段落して、文四郎は水桶にひしゃくをもどすと、額の汗をぬぐった。日は西に回って、裏の雑木の影が菜園の半ばを覆っているけれども、表の生け垣、粗末な門のあたりにはまだ強い夏の日射しがはじけていた。空気は燃えるように熱く、その熱い空気を掻《か》きたてるように、雑木の中で蝉が鳴いていた。文四郎は全身に汗をかいていたが、はだしの足のうらだけは気持ちよくつめたかった。
──もう、いいだろう。
文四郎は満足して茄子畑を眺めた。たっぷりと水をやったので、畝の地面にはうっすらと水気が浮いている。まだ残っている桶の水は、隣の菜畑にやろうと思った。今日は熊野神社の夜祭りで道場は休みだった。
文四郎がもう一度ひしゃくをつかんだとき、自分を呼ぶ母の声を聞いた。母は玄関のあたりにいるようである。文四郎はいそいで家の前に回った。すると、そこに隣の小柳の女房とふくが立っていた。
「おや、文四郎さん。茄子の水かけですか?」
小柳の女房は、肉のうすいひらべったい顔になれなれしい笑いをうかべて言った。
「ご精が出ますこと」
小柳の女房はさらにお世辞まで言ったが、文四郎も母の登世も黙っているのですぐに用件を言った。
「あのね、ごめんどうでしょうけど……」
「……」
「また今年も、お祭りにふくをおねがいしたいんですけど……」
文四郎は母を見た。登世は小柳の女房をきらっていた。醤油《しようゆ》を貸せ、味噌《みそ》を貸せ、時には米や金を貸せとしじゅう物を借りに来るのに、自分から返しに来たためしがない。金はほってもおかれずこちらから催促して返してもらうが、あんなだらしのないひとはいないとこぼしていた。
それでも登世は、小柳の女房が物を貸せ、反物の裁ち方を教えろと来ると、ことわりも出来ずにそのつど世話を焼いているのだった。いまも文四郎が見ると、母はむっつりと不機嫌な顔のままで、小さくうなずいた。
「いいです」
と文四郎は言った。
文四郎が承諾したのは、ふくを熊野神社の夜祭りに連れて行くということである。
神明町にある熊野神社の夏の祭礼を、いまのように派手なものに変えたのは先々代の藩主右京太夫正威だと言われる。祭礼は三カ日。古くは最初の一日は庶民を境内に入れず、厳粛に神事だけを執り行い、二日目からようやく境内に物売りが屋台をはこびこむのを許す定めだったためで、その屋台と奉納相撲を目当てに城下近郷からひとがあつまったものの、そのにぎわいはさほどでもなかったという。
それが先々代藩主のときから、三日目の夜は市中を鉾山車《ほこだし》と踊り子が練り歩くようにしたので、熊野神社の祭礼は一変した。夜祭りと呼ばれて、領内一番のにぎわいを呈することになったのである。
男女三百人におよぶ衣裳《いしよう》もうつくしい踊りの列のあとにつづく鉾山車は町内から十五台、藩主の命令で鉄砲組、御弓組、御槍組の足軽が曳《ひ》く二台の計十七台。その山車は夜の五ツ(午後八時)を過ぎると、出発のときの振る舞い酒が入っている曳き子によって町の辻々ではげしく荒れ狂うのが慣例で、勢いあまって隣の山車にぶつかると、そのまま曳き子同士の喧嘩がはじまることもめずらしくなかった。
荒れる山車は荒鉾と呼ばれ、そのとばっちりは往々にして、沿道に立錐《りつすい》の余地もなく詰めかけている見物人におよぶので、夜祭りは危険な祭りでもあったが、そのすれすれの危険さがまた祭りの呼びもののひとつにもなっていた。
しかし小柳の女房がふくを頼むのは、その危険のせいばかりではなかった。ほかにも心配なことがあった。
祭り好きな先々代藩主は、白萩《しらはぎ》御殿と呼ばれる城の外にある藩主家の休息所の前を、巡行前の踊り子、鉾山車が通るようにし、行列が市中を練り歩く前にまず自分が見物するのを恒例にしたほどだったので、家中藩士、足軽、小者に対しても、夜祭りの見物は苦しからず、また見物しながらの飲酒喫飯もさしつかえないと、つまり無礼講の許可をあたえた。その慣習がいまもつづいている。
そこで藩の身分の高い者は、家族ともども祭りの行列が過《よ》ぎる目抜き通りの商家の二階を借り切り、酒を飲み馳走《ちそう》をたべながら踊りと山車を見物し、それほどの身分でない者は、沿道に立ったまま瓢《ひさご》の酒を酌みかわす風習が生まれた。そして酒が入れば喧嘩《けんか》沙汰も起きたが、藩ではその喧嘩を強くは咎《とが》めなかった。喧嘩をはじめるのは下級藩士や足軽の若者たちに多く、藩ではそのことを察知して、彼らがこのときとばかり日ごろの鬱屈《うつくつ》を発散するらしいのを、夜祭りのひと晩にかぎって大目に見ることにしたのである。
しかし藩のこの方針は、家中の子女、町人の女房、娘たちにとっては迷惑この上もないものだった。酔いにまかせて公然と婦女子をからかう者が出たからである。それがいやで、見物に出ない女たちもいた。
そういう事情があるから、小柳の女房はふくを一緒につれて行ってくれと頼みに来たのである。そして文四郎はここ四、五年、ずっとふくを夜祭りに連れて行っているので、頼みは突然というわけではなかった。
にもかかわらず母が不機嫌な顔をした理由も、文四郎にはわかる気がした。登世は小柳の女房がまたしても無躾《ぶしつけ》な頼みごとをしに来たと思ったには違いないが、考えていることはそれだけではないだろう。登世は十二になったふくを、もはや子供とは認めていないのである。そのふくを夜祭りに同道しろという、小柳の女房の無神経さにも腹を立てているはずだった。
だが文四郎が承知の返事をすると、ふくは顔を上げて文四郎と登世を見た。ふくの顔にうかんでいる喜びのいろは、まったく無邪気なものだった。ふくは顔ばかりでなく、全身で喜びを現していた。よほど祭りに行きたかったとみえる。文四郎は承知してよかったと思った。
小柳の親子がこもごも礼をのべて門を出て行くのを見とどけてから、母が言った。
「いったいどういう了簡《りようけん》でしょうね、あのひとは」
文四郎は黙っていた。母の不機嫌がありありとわかり、へたなことを言ってそなたも祭りに行くのはおやめ、などと言われてはかなわないと用心していた。だが母はそれ以上は言わず、ふくをつれて行ったら、ひとに目立たないようにしろとつけ加えただけだった。
そして家に入ると小遣いがいるかと聞き、文四郎が考えこんでいると穴明き銭で十文くれた。
道場で夕方まで稽古に汗をながすと、身体をふいて帰途につくころには、空腹は堪えがたいものになっている。そして少年たちの腹の内を見すかしたように、石栗道場の前に冬は餅《もち》と団子、夏は団子と粽《ちまき》を売る餅菓子屋があった。
むろん毎日というわけにはいかないが、少年たちは時どき餅菓子屋に駆けこみ、先輩の眼を警戒しながら店の奥、家の裏で、餓鬼のようにすばやく団子をむさぼり喰う。それでいっとき空腹をおさえて家にむかうのだが、団子や粽は誰でも買えるわけではない。仲間のうちで小遣いの金を持っている者、文四郎たちの場合なら小和田逸平が金をはらい、文四郎と与之助はそのお相伴にあずかるのである。
そういう事情が親に知れたのは、三年ほど前である。登世はその話を聞き出すと、途方にくれたような顔で文四郎を見た。
「小和田さまでは、どういう躾をなさっているのでしょうね」
登世はつぶやいたが、やがて形を改めて、家に帰るまで空腹を我慢出来ないかと聞いた。我慢するのが武士の子だと、きびしく説教を垂れたが、しかし外で団子を買い喰いすることよりも、友だちにおごってもらって恬《てん》として恥じる気色もない文四郎の態度の方が問題だと気づいたようだった。
二
その事件以後、登世は時どき文四郎に、小遣いがいるときは言えと言うようになった。
「外でお金を遣っていいというのではありませんよ。万一のときにそなたが恥をかかないように聞くのです」
登世はそう言い、小和田逸平のおごりで餅菓子を喰わせてもらうのがいかに恥ずべきことであるかを、またこんこんと説教した。
夜祭り見物に行く文四郎に十文の金をくれたりしたのも、夜祭りには物売りが出て、無礼講を楯《たて》に武家の子も菓子や焼いたするめを買ったりすることを、登世も聞き知っているのである。去年の夜祭りのときも十文だった。
「これで物を買えというのではありません。万一のたしなみ」
母は金の話になったときの決まり文句を呪文《じゆもん》のようにとなえたが、文四郎は自分ではもらった金を遣うつもりはなかった。十五の文四郎は、もう餅屋で団子を喰うことはなく、ふだん小遣いをもらうこともなかった。ただ母から受け取った十文を懐におさめると、いかにも祭りが来たという気分になった。自分がこんな形で母から金をもらうことを、父の助左衛門が知っているかどうかは、文四郎にはわからなかった。
ふくは、文四郎がまだ夜食を喰い終わらないうちにやって来た。文四郎は大いそぎで食事を済ませ、その間暗い玄関で待っていたふくをつれて組屋敷を出た。帰りがあまり遅くならないように、と母は念を押した。
踊りと鉾山車の行列は、暮れ六ツ(午後六時)に熊野神社の門前を出発すると、途中有明町の茶屋で半刻(一時間)の休みをとるだけで、夜明けまでかかって城下を一巡するのだが、その順路と時刻はおよそ決まっていた。だからどこに行ってどのぐらい待てば行列を見ることが出来るかは、見物客の方で知っている。
文四郎とふくは、五間川をわたって吉住町の角まで行った。吉住町は目抜き通りではないが、行列が通る商人町である。沿道にはもうひとがあつまっていた。
道の要所にはかがり火が焚《た》かれ、またいつもならとっくに表戸をしめる商い店が、戸をあけたまま店に燈火を出し、また軒下には掛け行燈《あんどん》をつるしているので、吉住町の通りは真昼のように明るかった。文四郎は、そこで待ち合わせる約束をした逸平と与之助が来ていないかと、あたりを見回したが二人の顔は見えなかった。
「ここで待とう」
と、文四郎はふくに言った。そのとき弱い風がはこんで来たのか、まだ遠くにいるはずの踊りの笛、太鼓の音がふっと聞こえた。そしてその音がはたととだえると、今度は喚声のようなものが聞こえて来た。行列が近づいているのである。
ふとうしろに人が走る足音がしたと思うと、文四郎は肩をつかまれた。逸平だった。
「おい、与之助を見なかったか」
と逸平が言った。逸平は血相を変えていた。
「見ていないぞ。与之助がどうかしたか」
文四郎が言うと、小和田逸平は大きな息を吐いて、今度はふくをまじまじと見た。
「このひとは誰だったかな」
「小柳のおふくだ」
「ああ、隣の……。きれいになったな」
文四郎よりひと嵩身体が大きい逸平に見つめられて怖《お》じたのか、ふくはそっと文四郎の背にかくれた。
それですぐに与之助のことを思い出したらしく、逸平は険悪な顔にもどった。
「おれはここへはやく来たんだが、そのとき妙なことを聞いたんだ」
「妙なことだと?」
「与之助が、どこかに連れ去られたというんだよ」
「誰に?」
「大勢にだ。五、六人いたらしい。だが指図したやつはわかっている」
「待て、山根か」
「そうだ。溝口がやつの顔を見たそうだ」
溝口というのは、居駒塾の後輩である。文四郎には逸平の言っていることがすぐにのみこめた。
「まずい。与之助がやられるぞ」
山根清次郎は、居駒塾で数年与之助と席次を争って来た男である。しかしその席次争いは、いまは決着がついてしまって、二人の間にはかなりの学力の差が出来てしまったはずだった。
清次郎は二百三十石の御徒頭《おかちがしら》の家の嫡男で、学問が出来るだけでなく、剣の方も御弓町の松川道場に通い、次第に頭角をあらわしていると言われる。誇り高い男だった。
その男が、学問ではどうしても与之助を抜けず、ついに後塵《こうじん》を拝することになったのである。そのことがはっきりしたころから、清次郎は居駒塾の学業を怠けるようになった。与之助と一緒に勉強するのがいやなら、藩校に入り直す道もあるのに、それもせず山根は学問を放棄するつもりではないかといううわさがささやかれてから、半年はたつだろう。しかし、つねに上の地位にすすむ道がひらかれている上士の家の子弟にとっては、学問は欠いてはならないものだった。山根清次郎は、文四郎より二つ年上の、十七である。
与之助がやられる、と文四郎が言った背後にはそれだけの事情があった。山根は静かだがしつこい性格の男である。おそらく予定にはなかった挫折《ざせつ》感を、与之助のせいにすることがないとは言えなかった。あるいは山根は、与之助が居駒礼助の世話で江戸の葛西塾に行くことを耳にし、腹に据えかねたことも考えられる。
「やつら、今夜を狙《ねら》っていたのかも知れん」
やつらというのは、山根とその取り巻きである。山根の周囲には、いつも四、五人の取り巻きがくっついていた。彼らは喧嘩口論が大目にみられる祭りの晩を狙って、与之助に制裁を加えるつもりらしい、と文四郎は思った。
文四郎が言ったことは、逸平にもぴんと来たらしく、それに違いないと言った。
「きたない連中だ。よし、もう一度さがしてみる」
「おれも行く」
文四郎が言うと、逸平は手でおさえておまえはここにいろと言った。
「ひょっとしたら与之助がもどって来るかも知れん。そうでなくておれが与之助を見つけたときは、一人じゃだめだ。呼びに来る」
「よし、わかった」
と文四郎は言った。逸平は背をむけ、その大きな身体はすぐに人ごみに紛れて見えなくなった。
いつの間にか、祭り見物のひとがふえていた。町人も武家もいた。またあきらかに近郷の村々から来たとわかる、頬の赤い若者たちもいた。祭りの行列が、近くの町まで来ていることがわかっている顔で、見物の人びとはいくらか興奮気味に話したり、笑ったりしていた。それが文四郎のまわりに、たえまないざわめきを生み出している。そして事実、行列はすぐそこまで来ているらしく、さっきはかすかだった笛や太鼓の音、山車を曳く掛け声などが、いまははっきりと聞きわけられるほどになっていた。
見物人の前を、物売りが行ったり来たりしていた。赤い頭巾をかぶった飴《あめ》売り、天秤《てんびん》で岡持ちをかついだ煮しめこんにゃく売り、するめ屋。そういう物売りを、大人も子供もにぎやかに呼びとめて、飴を買ったり串《くし》に刺したこんにゃくを買ったりしている。
どこかに連れ去られたという与之助を考えながら、文四郎はしばらく放心してまわりのそういう人びとを眺めていたようである。そしてはっと気がついてふくを振りむいた。
ふくはどこにも行かず、文四郎のすぐうしろにいた。そして文四郎と眼が合うとはにかむように笑った。
「飴を喰うか」
文四郎が聞くと、ふくは眼をみはり、すぐにはげしく首を振った。
「遠慮するな。金はあるんだ」
と文四郎は言い、間もなく前に来た飴屋から、水飴をひと巻き買ってふくにあたえた。ふくは夜目にもわかるほど顔を赤くしたが、やがて文四郎の背に隠れながら水飴をなめた。
──まだ、子供だ。
と文四郎はふくを思った。その感想には、なぜか文四郎を安心させるものが含まれていた。そのとき、ひとをかきわけて逸平が走りもどって来るのが見えた。
「見つけたぞ」
逸平は、そばに来ると飴をなめているふくにじろりと一瞥《いちべつ》をくれてから、どすの利いた低声でささやいた。
「河岸だ。あんなところまで連れ出していやがった」
「どこにも行くな。ここで待っていろ」
文四郎はふくに言い、すぐに逸平と一緒に走り出した。
三
路地に駆けこむと、そこは表通りのにぎわいがうそのように、暗くて静かだった。物音ひとつ聞こえず、裏通りに抜けるまで一人のひとにも会わなかった。走りながら、文四郎ははじめの間、暗くて道の高低がつかめず、何度かたたらを踏みそうになったが、じきに眼が馴《な》れて来た。
二人は無言で走った。また路地を抜けて裏通りを疾走し、最後に身体ひとつやっと抜けられるぐらいの狭い路地を通りすぎると、二人は河岸通りに出ていた。
二人は立ちどまった。遠くにひとがかたまっているのが見える。
「見ろ、やつら引きあげるところだ」
と逸平が言った。空は曇っているが、五間川の河岸通りにはかすかな光がただよっている。河明かりのせいだと思われた。その白濁したような光の中に、影のようにひとがかたまって立っている。
山根たちに違いなかった。与之助がどうなったかはわからなかった。
「抜くなよ。刀を抜くとあとがめんどうになる」
と逸平が言い、気合をかけるように行くかとささやいた。
二人は普通の足どりで近づいて行った。そして近づくにしたがって与之助がどうなったかがわかった。二人に気づいたらしく、じっと立ったままこちらを見ている男たちから三間ほどはなれた地面に、黒い丸太のようなものが倒れている。むろん与之助に違いなかった。
文四郎と逸平は、小刀を腰からはずすと柳の根元に置いた。その動作を見て、顔は見えなくとも二人が何者か、相手方にもわかったらしい。急にざわついて背をむけようとした。
「おい、ちょっと待て」
逸平が声をかけると、男たちは足をとめた。
「与之助の料理は済んだのか」
「……」
「誰が指図したかはわかっているんだ。そこに山根がいるだろう」
「それがどうかしたか」
つめたい声が返って来た。まぎれもなく山根清次郎の声だった。
「与之助を、何でこんな目にあわせたか聞きたい」
「図に乗るからだ」
感情のこもらない声が答えた。
「だから身のほどということを教えてやったのだ」
「身のほどだと? よし、それじゃこっちはそれを教えてもらった礼をしようじゃないか」
言うと同時に、逸平は地面を蹴《け》って殴りかかって行った。文四郎もつづいた。一人をのぞいて、男たちがいっせいに刀を投げ捨てるのが見えた。むこうも喧嘩馴れしていた。
うす暗い河岸の道で、無言の乱闘がはじまった。相手は山根清次郎をふくめて五人だったが、山根がいちはやく傍観の立場に立ったので、二人と四人の喧嘩になった。
文四郎は、はじめに組み合った相手をうまく腰車にのせて地面に叩きつけることが出来たが、もう一人の男には眼から火が出るほど顔を殴られた上に、さっきとは逆にしたたかに地面に投げとばされた。
しかし倒れながら文四郎が相手の足をはらったので、二人はほとんど同体にころげ、互いに相手を地面に押さえつけようとして、砂まみれの組み打ちとなった。むこうの方が文四郎より身体が大きくて、文四郎は何度か組みしかれそうになったが、そのつどしつこく手足をからめ、体をねじってはね返し、何度目かについに文四郎の方が上になった。
そのとき、うしろからいきなり首をしめて来た者がいた。さっき文四郎に投げとばされた男らしかった。背後にまわったその男は、文四郎の首に巻いた腕に手加減しない力を入れて来る。腕をはずそうとして、思わず身体が浮いたところを、今度ははね起きた男に脇腹を蹴られ、文四郎は一瞬気が遠くなるのを感じた。
そのぼんやりした耳に逸平の怒号がひびき、すぐに首のあたりがすっと軽くなって、文四郎はばたばたと男たちが走り去る足音を聞いた。気がつくと顔を地面につけて倒れていた。
「大丈夫か」
のぞきこんでいる逸平が言った。文四郎は起き直って地面にあぐらをかくと、大丈夫だと言った。蹴られた脇腹が痛み、また鼻血が出ているらしく顔がぬるぬるしたが、意識ははっきりしている。
「与之助を見てくれ」
「やつは大丈夫だ。起き上がった」
与之助はだいぶ殴られたり蹴られたりしたらしく、立つことは立ったものの、ふらふらと身体が揺れていた。文四郎がそばに行くと、与之助は蚊が鳴くような声で、ひどい目にあったよと言った。
「やつらは何と言ったんだ」
「葛西塾に行くのは生意気だと言うんだよ」
「やっぱりな」
文四郎と逸平は、暗い中で顔を見合わせた。
「こうなったら意地でも江戸で学問して、やつらを見返してやるしかないぞ、与之助」
そうしろ、と逸平もはげました。
「歩けるか」
「一人じゃ無理だ」
与之助が情けない声で言った。
「よし、送って行こう」
「文四郎、小柳の娘を忘れてないか」
「おう、そうか」
「与之助はおれ一人でいい。まかせろ」
と逸平が言った。
時どき痛む脇腹をおさえながら、文四郎はいそいで吉住町に引き返した。行列は通りすぎて、通りの人影はまばらになっていた。明るい燈火だけが、がらんとひろい道を照らしていて、その隅にふくが待っていた。
ふくは鼻血の顔を見て眼をみはったが、文四郎が帰るぞと言うと無言でうしろについて来た。
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嵐
一
秋が深まり日が短くなったのがはっきりして来たが、その日文四郎は暗くなる前に自分の町にもどった。ひと月ほど前に与之助が江戸に行き、文四郎と逸平は以前のように道場の帰りに道草を喰うことが少なくなった。
垂れさがるような黒い雲が空を覆い、夕刻を示す明るみは、北西の空の隅にほんのわずかのぞいている白い雲に残っているに過ぎなかった。黒い雲はことに西から南の空にかけて、禍々《まがまが》しいほど部厚くわだかまっていて、そのあたりでは空はほとんど夜のいろをしていた。そして雲ははげしく動いていた。
風が出ていた。朝から吹いていた生あたたかい風は、昼すぎから急に強くなって、いまはまともに胸に受けると身を前に倒さないとすすめないほど強くなっている。朝のうちに断続的に降った雨はいまはやんでいるが、強い風はまだ雨気をはらんでいた。
普請組組屋敷がある矢場町の木々は狂ったように揺れうごき、欅《けやき》や楢《なら》の落葉樹は、暗い空に小鳥をはなつように枯れ葉をまきちらしていた。時おり揺れうごく高い梢のあたりに、北西の空の隅からかすかな光がとどくものの、町はうす暗く、道には歩いているひとの姿も見えなかった。嵐が近づいているのだ、と文四郎は思った。そしてあの日も風が強かったと、与之助を国境《くにざかい》まで送った日のことを思い出していた。
秋になって、折よく国元の用を済ませてもどる江戸詰の藩士が二人いて、一人が居駒塾の出身者だった。与之助には兄弟子にあたる園村というその藩士は旧師の居駒に頼まれると、快く与之助を同道することを承知した。
文四郎と逸平は、五里の道を歩いて国境の関所を越える与之助を見送ったのだが、屈強の身体つきをした二人の藩士にはさまれるようにして去った与之助の姿が、その後数日は文四郎の脳裏から消えなかった。
そしてそのときも風が吹いていて、笠をとばされそうになった与之助があわてて笠をおさえ、気弱そうな笑いをうかべていたことを文四郎は思い出したのだが、その日ははげしい風雨があった翌日で、空は与之助の前途を祝福するように隅々まで晴れわたり、おだやかな秋の日が照りわたっていたのである。
組屋敷が見えて来たとき、空はいよいよ暗くなり、北西の隅に残っていた白い雲はほとんど光を失いかけていた。そして家の前のほの暗い路上に、男が二人立っているのを文四郎は見た。
二人は野袴《のばかま》に草鞋《わらじ》をはき、笠と合羽をつけた旅姿の武士だった。割れた合羽の裾から、刀の鐺《こじり》が突き出ていて、顔はかぶっている笠のためによく見えなかった。二人のうち一人が、合羽の上から斜めに打飼いを背負っていて、彼らが遠くから来たことを示していた。
合羽を風にはためかせて立っている二人の男が、なぜか文四郎には不吉に見えた。二人の男も近づく文四郎をじっと見ていた。
軽く会釈して、文四郎が自分の家の粗末な門をくぐろうとしたとき、立っていた二人の男のうち、背の高い方が失礼ながらと声をかけて来た。
「牧助左衛門どののお家の方か」
そうですと文四郎は言い、二人の方に身体をむけて立ちどまった。いくらか身構える気分になったのは、相手が名乗らず笠も取らず、また近くで見てもまったく見おぼえのない男たちだったからである。
だが二人の男から寄せて来る空気は、不穏なものではなかった。むしろ人なつかしいような、あたたかい感じのものである。それに気づいて、文四郎は言い直した。
「助左衛門の伜《せがれ》です」
「さようか」
長身の男は、なぜかほっとしたように言った。薄闇の中でも、その男が浅黒く精悍《せいかん》な顔をしているのが見える。無言でいるもう一人の方は、小太りで色が白かった。
長身の男は、やはり名乗らなかった。そしてつづけてたずねた。
「牧どのはご在宅か」
「さあ」
文四郎の胸に、またかすかな警戒心がもどって来た。
父の助左衛門は、今朝は普通に登城した。帰っているかどうかはわからなかった。しかしそういうことよりも、表にいる二人は、ここを牧の家と見当をつけてたずねあてたらしいのに、なぜ中に入って父の在、不在をたしかめないのかという疑問がうかんだのである。
「道場の帰りなもので、父がいるかどうかはわかりません」
用心深くそう言ったとき、文四郎はふとある予感にみちびかれるようにうしろを振りむいた。そしてまさにいま話題になっている助左衛門本人が、さっき自分が来た道を、風に衣服をはためかせて歩いて来るのを見た。
助左衛門は一人で、手に傘をさげていた。
「あ、いまもどって来ました」
文四郎が言うと、男たちは近づいて来る助左衛門をじっと見つめた。その凝視には、二人が助左衛門を知らないのではないかと思わせるところがあって、文四郎を不安にした。
しかし男たちは口ぐちにご造作をおかけしたと言うと、笠に手をかけて礼をし、近づいて来る助左衛門の方に歩いて行った。そして助左衛門と二人の男は途中で出会ったが、文四郎が心配したようなことは何も起きなかった。何事か双方から言葉をかけ合うと、今度はあわただしく礼をかわしている。男たちは、まだ笠を取らなかった。
その様子を、門前から文四郎が見守っていると、二人からはなれた助左衛門が大股に歩いて来た。そして急用が出来たと言った。
「帰りは遅くなるゆえ、夜食を済ませて休んでよいと登世に言え」
助左衛門はそれだけ言ってもどって行った。三人が背をむけて歩き出したとき、強い雨が降って来た。
二
その夜、文四郎が眼をさますと、家はすさまじい雨と風の音に包まれていた。だが目ざめたのはそのせいではなく、風雨の間を縫う太鼓の音を聞いたからである。
太鼓は三ノ丸の郡代屋敷の櫓《やぐら》にあり、夜の太鼓は異変の知らせである。文四郎は身体を固くして耳を澄ませた。そして数を数え終わるとはね起きた。すばやく身支度をして自分の部屋を出た。
茶の間に行くと明かりがともっていて、母親の登世が帯を解いた様子もなく坐っていた。
「出水です」
と文四郎は言った。太鼓は三つ打ってひとつ休み、つぎに二つ打ってひとつ休む調べを繰り返していた。出水の合図で、その太鼓を聞いたときは普請組の全員、狐町の長屋に住む常雇いの普請人足は、即刻城に駆けつけねばならない定めになっていた。
「父上は?」
「まだです」
「では、私が行きます」
文四郎は立ち上がり、小刀を取るために部屋にひき返した。玄関に出ると行燈がおいてあって、その下に|はばき《ヽヽヽ》と草鞋が出ていた。いそいで身支度をしていると、母が提灯《ちようちん》に灯を入れて持って来た。
「あれを」
文四郎の身支度が終わると、登世は板壁を指さした。そこに蓑《みの》と笠がかけてある。土間に下りて、文四郎は蓑笠を身につけた。どちらも文四郎には少し大きく、笠は紐《ひも》をしめてもぐらついた。ごうごうと風雨が鳴っている。
「甚兵衛どのに寄って、一緒に行ってもらいなさい」
登世は声をはり上げてふくの父の名前を言った。
「川に着いたら足もとに気をつけなさいよ。すべりますからね」
「ご心配なく」
文四郎が答えたとき、一段と強い風雨が家に吹きつけ、家がみしみしと鳴った。
「母上、いま何刻ですか」
「そろそろ八ツ(午前二時)でしょうよ」
「八ツ?」
父はいったい、あの二人とどこへ言ったのだろうかと文四郎は思った。そもそもあの男たちは何者だったのだろうか。
挨拶して戸をあけると、土間にどっと風雨が吹きこみ行燈の灯がはげしく揺れた。外にとび出した文四郎は、うしろから気をつけなされと叫んだ母の声をかすかに聞き、振りむこうとしたとたんに風雨に笠も提灯ももぎ取られそうになった。文四郎は片手で笠を押さえ、片手で提灯の灯をかばいながら、身体を前に倒すようにしてすすんだ。門の内にいる間に、着ている物がもう濡《ぬ》れて来た。
門を出ると、道の上に提灯を持った人びとが点々と動いているのが見えた。文四郎は駆け足で隣の小柳の家の門をくぐった。玄関の戸があいていて明かりが見える。甚兵衛が支度しているところだとわかった。
はたして小柳では、甚兵衛が蓑をつけているところだった。そこに甚兵衛の女房とふく、ふくのすぐ下の妹やすの三人が見送りに出ていたが、文四郎が現れると、みんなはいっせいに文四郎を見た。
「おやじどのはどうした?」
蓑の紐をむすびながら、甚兵衛がどなった。風雨の音が強くて、尋常の声を出したのでは聞こえない。
文四郎も叫び返した。
「父は親戚の寄合いに行き、まだもどりません。私を連れて行ってください」
「わかった」
甚兵衛は蓑を着終わり、笠をかぶった。甚兵衛は太っていて背丈があまりないので、蓑笠をつけると文四郎とさほど違いがない。
「十五なら、もう一人前の仕事は出来よう」
さあ、行くぞと甚兵衛が言い、二人は風雨の中にとび出した。屋敷町を抜け、無人の商人町を抜け、二人は城まで一番の近道をえらんで小走りに走った。前後して同じ道に提灯の明かりが揺れて、やはりひとが走っているのが見えた。
元結町の木戸口から濠《ほり》にかかる橋をわたって城内に入ると、すぐ三ノ丸の一角に灯のいろが動くのが見えて来た。近づくと、郡代屋敷の前庭にある道具小屋から、掛りの者が集まって来た藩士、人足につぎつぎと鍬《くわ》を手わたしているところだった。
文四郎と甚兵衛も、前にすすんで鍬を受け取った。すると、それまですぐそばの櫓の上で耳も聾《ろう》せんばかりに鳴っていた太鼓がはたとやんだ。そして大提灯のそばに立った男が、みんな聞けと叫んだ。
「奉行助役の相羽|惣六《そうろく》だ。今夜の指揮はわしが取る」
相羽は風雨に負けない大声で宣言した。
「この風雨で与力町、天神町、曲師町の三町で出水した。放置しておくと、水害は鷹匠《たかじよう》町、染物町、浜街道口、近江小路の一帯におよびやがては城下の半分が水びたしとなる恐れが出て来た。これを防ぐにはこれまでどおり五間川の上流で堤を切るしかない」
相羽の声は大きくて明瞭で、その声の大きさで今夜の指揮をまかされたのかと思うほどだったが、言っていることにも無駄がなかった。
「では要領を言う。切開の場所は金井村|鮫口《さめぐち》地内の柳の曲がり。ここの土手を切れば下流に流れる河水は半減して、市中の水はひくだろう。すでに金井村、青畑村の二カ村にひとをやって、人足を集めておるので、人数はそれで十分と思われる」
相羽惣六はそこで横をむいて、では行ってまいりますと挨拶した。すると横にいた数人の男たちの中から一歩前に出た一人が、鍬を握った全員にむかってしっかり頼むと言った。
「月番家老の秋吉さまだ」
と、甚兵衛がささやいた。秋吉玄蕃の屋敷は三ノ丸にある。
「お奉行さまは?」
文四郎が聞くと、甚兵衛はご家老のそばのひとだと答えた。甚兵衛が言う人物は老人で、蓑も笠もつけていなかった。
「お奉行はご老齢で、今夜のような嵐のときの指揮はとれぬ」
甚兵衛がささやいたときまた相羽の声がして、それぞれ組でかたまって、終わったら一番組から出発せよと言った。
「わしらは三番組だ。こっちへ来い」
甚兵衛は文四郎の袖《そで》をひっぱった。そして小頭《こがしら》らしい男の前に行くと、牧の伜だと文四郎をひき合わせた。
「助左は親戚の寄合いがあってまだもどらぬ。いずれ駆けつけるだろうが、それまで伜が代役を勤める」
甚兵衛がうまく取りなしたので、小頭は面倒なことは言わなかった。文四郎の肩を叩いて、しっかりやれと言っただけである。
一番組から動き出して、普請組と常備人足から成る六組の作業隊は三ノ丸を出た。そのときになって文四郎ははじめて気づいたのだが、雨で増えた濠の水は、橋|桁《げた》にくっつきそうなところまで上がって来ているのだった。だが禍々しく盛り上がる水は、組の先頭の者が持つ提灯の光に一瞬うかび上がっただけで、また闇《やみ》にかくれた。
濠の橋をわたり切ると、作業隊は馬|揃《ぞろ》えの広場を駆け足で横切り、市中に入った。雨と風は、まだ衰える気配もなく荒れ狂っていた。作業隊が持つ明かりが、道の上、市中の家々の屋根に、風に叩きつけられた雨が白い飛沫《しぶき》を上げるのを照らし出し、五間川は増水して、作業隊がわたった行者橋は、波が橋板の上を越えはじめていた。
作業隊は城下の町々を斜めに横切って、やがて市外を流れる五間川の岸に出た。そこからおよそ半里ほどの距離を、川に沿って東南方にさかのぼったところに、柳の曲がりと呼ばれる場所がある。岸に楊柳が密集し、川の流れがそこで大きく蛇行しているのでそう呼ばれていた。
「さあ、走れ」
先頭の方で、相羽惣六がわめく声がした。
「柳の曲がりまでまっしぐらじゃ」
おう、おうと答える者がいた。野に出ると風雨は一段と強まり、身体はうき上がってともすると風にさらわれそうになる。
すべって川に落ちこむのをおそれて、作業隊は川土手の下に降り、川筋に沿いながら田圃道を走った。文四郎は甚兵衛からはなれないように走ったが、それでも二度ほど、強い風にあおられて稲田に踏みこんでしまった。
柳の曲がりに着いたが、金井村、青畑村の手伝い人はまだ来ていなかった。
「さあ、仕事にかかるぞ」
そこまで来る間に、提灯は風のためにわずか二燈ほどに減ってしまった。そのひとつをかざして、相羽惣六が言ったとき、相羽に負けない大声でお待ちくださいと言った者がある。
三
文四郎は耳を疑った。声は父の助左衛門である。
その声が言った。
「今夜の指揮をとられるのは相羽どのですか」
「そうだ」
文四郎からは見えないが、相羽は助左衛門を認めたらしい。
「助左か。このいそがしい時に何事だ」
「緊急のおねがいがあります」
「手短かに言え」
「切開の場所を、上流の鴨《かも》の曲がりに変更して頂きたい」
「ばかを言え、そんなひまはない」
「いや、ぜひとも」
助左衛門の大声が、風雨を圧してひびきわたった。気迫におされたように相羽が言った。
「理由を言え」
「ここで土手を切れば、ごらんのごとく取り入れ前の稲田がつぶれます。しかし鴨の曲がりなら外は荒れ地。水が原の外に溢《あふ》れたとしても土砂をまぬがれて、稲は助かります」
「ここを切ってつぶれる田圃は、どのくらいだ?」
「ざっと十町歩」
「しかし、間に合わんな」
「いや、間に合います」
ふたたび助左衛門の声があたりを圧した。
「鴨の曲がりまでわずかに三町(約三百三十メートル)。ご決断ください」
「……」
「この場所を切って田をつぶせば、金井村の手伝い人足は引き揚げますぞ」
「よし、もっともだ。よく言った」
相羽の決断ははやかった。
「切開の場所を鴨の曲がりに変更する。いそげ」
相羽の声で、作業隊はまた走り出した。だが不平を言う者は一人もいなかった。文四郎も走った。
鴨の曲がりというのは、柳の曲がりと同じように五間川の流れがそこで大きく向きを変える場所で、名前が示すように季節には鴨があつまるひろい淵《ふち》になっている。その外側は助左衛門が言ったとおり、葦《あし》や野草が茂るひろい湿地で、そこに水を落とせば、まわりの田圃におよぶ被害はぐっと軽くなるだろう。
──おやじはすごいな。
と文四郎は走りながら思っていた。
助左衛門は家の中ではあまり物をしゃべらず、登世や文四郎に何か言うときは低くやさしい声で話す。その助左衛門が気迫のこもる熱弁をふるって、十町歩の稲田をつぶす柳の曲がりの切開を阻止したことが、文四郎の胸を感動で熱くしていた。
──父を見習いたい。
文四郎はそう思い、助左衛門に対する日ごろの尊敬の気持ちがいっそう高まるのを感じた。
「助左がめずらしく熱弁だった」
そばによって来た小柳甚兵衛が、あえぎながら言い、くすくす笑った。
「おしゃべり惣六が言い負けたわ」
甚兵衛がそう言ったとき、その相羽惣六が止まれと叫んだ。鴨の曲がりだった。
惣六と数人の小頭が土手に上がり、提灯の明かりで切り崩す場所の検討をはじめた。あわただしく土手の上を行ったり来たりしている男たちに、このとき誰かが声をあげた。
「村の手伝い人が来ましたぞ」
その声に文四郎が顔を上げると、川の上流と思われる暗い野原に、明るい灯が動いてこちらに近づいて来るのが見えた。応援をもとめられた金井村、青畑村二カ所の農民たちらしく、おびただしい灯の数である。
「一番組、二番組、三番組」
相羽の声がひびいた。
「上手《かみて》に来い。残る四番組、五番組、六番組は下手《しもて》半分を切り崩す。場所はいま言う。あわてずに小頭の指示にしたがえ」
文四郎たちは土手に上がった。淡い提灯の光に、ふだんは静かな鴨の曲がりの淵が渦を巻いて水を押し流しているのが見えた。
「提灯の幅だ」
とまた相羽が言い、その声を聞いて土手の左右にわかれていた小頭二人が持っていた提灯を振った。
「仕事の手順はわかっておるな。いつものとおり、ひと皮残すあんばいに外側から切り崩し、最後に両端に切りをいれる手順だ。まてまて、まだだ」
相羽ははやくも鍬を振り上げた男を、手で制した。
「手伝いがそこまで来ておる。仕事にかかるのは全員がそろってからだ。言うまでもないが、左右をにらみながら先にすすむこと。先駆けして土手を破ると怪我人が出るぞ。慎重にやることだ」
相羽がそう言っている間に、総勢二、三十人の手伝いが着いて、相羽はまた手ばやく手順を説明した。そして作業開始を命令した。村から来た手伝い人足が提灯をたくさん持って来たので作業場は明るくなり、活気づいた。しかし助左衛門の姿は見つからず、たしかめるひまもないままに、文四郎は甚兵衛とならんで鍬をふるった。
曲がりの土手は、ふつうの川岸の倍近くも厚く補強されている。その上、土手はびっしりと根を張る草に覆われ、石もまじっているので作業は難行した。ただその間に、風雨はいくらか衰えて来た。
厚い土手が切り崩されて四分の一ほどを残すだけになったところで、相羽は一旦作業の中止を命じ、全員を土手に引き揚げさせた。そして両端の切りは熟練の常雇いに命じた。
作業場所の両端に切りが入り、そこから水が落ちはじめると、やがて薄くなっていた土手がどっと崩れ落ち、途方もない量の黒い水が荒れ地にむかって奔出した。その勢いで、文四郎たちが立っている土手にもめきめきと亀裂が入り、逃げようとした文四郎は土にすべってよろめいた。その腕を強い力でつかんだ者がいた。助左衛門だった。
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雲 の 下
一
牧文四郎は、自分の部屋に閉じこもって本を読んでいた。
書見台にのっているのは写本の詩経「国風抄」である。居駒塾は暮れの二十五日から休講に入り、明年正月三日に、年賀をかねた初講義が行われる。初講義の日は、終わったあとで居駒夫人手づくりの雑煮餅がふるまわれるので、塾生たちはそれをたのしみにしているのだが、その日までに「国風抄」を読んでおくようにと居駒から言いわたされていた。
空が曇っているので、部屋の中はうす暗かった。文四郎は書見台をぴったりと窓の下に寄せて、明かりを拾うようにして写本の文字を読んでいる。そして時どきそっと手をこすった。じっと坐っていると、手も足も堪えがたいほどにつめたくなって来る。
すでにみぞれが降り、霰《あられ》は数度も降った。日の光を見ることは少なくなって、領国の空を灰いろの雲が覆う日の方が多くなっていた。灰いろの雲は、時どきその重さに堪えかねたように垂れさがり、そこからつめたいみぞれや乾いた霰を降らせるのだった。雪は例年よりも遅れていた。
しかし稀に晴れた日に雲が上がったあとを見ると、領国の三方を取りかこむ山々は雪をかぶって七合目まで白くなっている。平野に雪が降るのも数日のうちだろうと言われていた。堪えがたい冷えは、しのび寄る雪がはこんで来るもののように思われた。
文四郎が、また無意識に手をこすったとき、玄関にひとがおとずれた気配がした。男の声がしたが、父ではなかった。父の助左衛門は、昨日にひきつづき普請奉行、助役、小頭といった上役の屋敷と親戚の家を年賀の挨拶をして回っている。
父が裃《かみしも》に威儀を正して出て行ったのは朝だが、家にもどるには早すぎるだろうと文四郎は思った。今年の正月は藩主が在府中で、二年ほど前に藩主が留守中の正月の行事は諸事簡略にという達しがあったと聞いたが、年始のいそがしさは変わりがなかった。
客だとすると誰だろうと思っていると、部屋の外に来た母が文四郎を呼んだ。文四郎はいそいで本を閉じて立った。
「あなたにお客さまです」
と母は言った。
「小宮さまとおっしゃって、江戸から与之助さんのお手紙を預かって来られたそうです。あなたが受け取って、お礼を申されたらいいでしょう」
「わかりました」
と文四郎は言った。
玄関に出ると、旅合羽に身体を包んだ若い武士が立っていた。文四郎を見ると気さくに声をかけて来た。
「島崎与之助の友人だそうですな」
「はい。牧文四郎です」
「与之助から、これを頼まれて参った」
小宮という若い武士は、手につかんでいた打飼いから、油紙に包んだものを出して文四郎に手わたした。
母親ともども礼を言って、旅姿の小宮を家の外まで見送ると、文四郎は部屋にひき返して与之助の手紙をひろげた。
元気だろうか、おれも元気でやっていると与之助は書いていた。居駒礼助が手配してくれたとおり、与之助は葛西塾の書生になった。住み込みの書生だから、家の中の拭《ふ》き掃き、外への使い走り、下足番と何でもやる覚悟でいたが、掃除は婢がいて与之助には手を出させず、与之助はせいぜい玄関先の落葉を掃くぐらいで、あとは外に出る葛西蘭堂のお供をしたり、書肆《しよし》に使いを命ぜられる程度で済んでいる。
蘭堂は在野の儒者《じゆしや》だが、大名家三家の庇護《ひご》を受けていて、月に数度はそれぞれの江戸屋敷に経書の講義に出向く。そしてその大名家のうち一家がわが藩で、先生のお供をして月に二度は藩の江戸屋敷に行くので思ったほどにさびしくはない、とも与之助は書いていた。
手紙はそのあと、葛西塾の勉学の様子をこまごまと書きつらね、飛脚を頼む金はないので、この手紙は今度藩の江戸屋敷に行ったとき、近く帰国するひとをたずねて頼むつもりだなどということまで記している。そして最後には、今年も間もなく暮れるが帰国出来るのは何年後だろうか、それを考え、かつ文四郎と逸平のことを思うと孤心胸にせまるものがあると、変に感傷的な文章で与之助は手紙を結んでいた。
──ふむ、やつもさびしいらしいな。
と文四郎は微笑した。ひと一倍気の小さい与之助が、江戸でけなげにやっている様子が眼にうかんで、かわいそうでもあるがまた頼もしいような気もして来る。
しかし与之助は、字がうまくなったなとも思った。居駒塾でも、与之助の手蹟は群を抜いていたが、その筆にみがきがかかってすっかり大人の文字になっているのを、文四郎は認めざるを得ない。
文四郎は立ち上がって、外に行く支度をした。四ツ半(午前十一時)から石栗道場で年賀を兼ねた竹刀はじめがある。稽古はなく、師範代の佐竹金十郎と高弟の誰かが吉例の型を演じてみせ、そのあとは甘酒をいただいて解散する定めになっている。
文四郎は、茶の間にいた母に挨拶をしてから、与之助の手紙のことに触れた。
「与之助はがんばっているそうです」
「それはよかったこと」
と登世は言った。登世は見るからに粗暴な小和田逸平は嫌いで、学問の出来る与之助がひいきだった。
「あの子はいっぱしの者になるでしょうよ」
「文字がうまくなりましたよ。風格が出て、大人の字です。あとでお見せします」
「おまえも励まないと」
と登世は言い、文四郎を見送るために玄関まで出て来た。
「お昼の支度をしておきますから、終わったらすぐに帰っておいでなさい」
二
母の注意には返事をせず、行ってまいりますとだけ言って文四郎は家を出た。
外に出ると、寒気が身体をしめつけて来た。その寒さのせいか、ずっと遠くの方に羽根をつく子供たちの姿が見えるだけで、組屋敷前の道は閑散としていた。頭から覆いかぶさるような、雲の低い空がどこまでもつづき、わずかに濃淡が見わけられる灰いろの雲は、いつ雪を降らせるかわからないほどに暗かった。
──すぐになんか、帰れないな。
文四郎は胸の中でつぶやいた。また、しゃくし定規な母の言い方に反発する気分が胸に芽ばえていた。
まっすぐに行ったとしても、道場のある鍛冶《かじ》町まで往復半刻(一時間)はかかるだろう。その上道場の行事があるのだし、それに文四郎の足はいま鍛冶町ではなく、逸平の家の方にむいている。逸平には暮れからずっと会っていなくて、話すことがいっぱいたまっているような気がする。帰り道もやっぱり逸平と話しこんで遠まわりすることになるだろう。
そうなると家にもどるのはどうしても八ツ(午後二時)過ぎになる。逸平との話に熱が入れば、八ツ半(三時)にもなるだろう。するとまた、母の叱責を浴びることになるかな、とちらりと思った。しかし台所が片づかないと母は言うが、台所を片づかせるために友人と会うのをやめるわけにもいかないじゃないかと、文四郎は思っている。母はそういうことは、おどろくほどに理解がない。
しかし、そういうふうに母に対して気持ちが変に意固地に身構えるのはいっときのことで、文四郎の気持ちは間もなくほぐれて来る。いまもそうだった。歩いているうちに、ま、なるべく早く帰ることにするかと思い直した。ああして万事にこまかく気をくばる母も大変なのだからと思うと、なかなか思うとおりには動かない男二人を相手に、家の中を切りまわす母がだんだんに気の毒に思えて来るのだった。
漆原町の逸平の家に行くと、逸平はすぐに外に出て来た。そしていきなり言った。
「おい、この春からお城へ出仕と決まったぞ」
「春というと、すぐか」
「いや、三月からだ」
「お役目は?」
「小姓組に入る」
「すると、いそがしくなるな」
と文四郎は言った。
「道場の方も塾もだめか」
「いや、出仕といっても当分は見習いで、そんなにいそがしいわけじゃないそうだ。だから、道場には通うよ。御小姓頭にも、そうお願いしてある」
逸平はそこで、文四郎に笑顔をむけた。
「塾の方はやめる。無理をして通っても、これ以上のびる見込みはなさそうだからな。正直のところ、子《し》のたまわくには倦《あ》きた」
「いい心がけだな。居駒先生も、面倒なのが一人いなくなってお喜びだろう」
二人は顔見合わせてくすくす笑った。
「そうとも。おれは先生思いだからな」
図に乗って言う逸平の顔を、文四郎はつくづくと見た。
「今日はいやに口が軽いな。出仕が決まったのがうれしいのかな」
「むろん、そうだよ」
逸平はあたりまえじゃないかという顔をした。
「貴様も知っているとおり、おれの家は何にもせずに禄をもらって来た。こいつはなかなか気になるものだぞ」
「そうか。今度は一人前というわけだ」
「いや、当分は半人前だな。しかし、もう子供じゃない。これははっきりしている。半人前ながら大人の仲間入りをするということだな。御小姓頭がそう言ったのを、受け売りしているわけだが」
「いつ決まったんだ」
「昨夜だ。にわかに御小姓頭の屋敷に親戚同道で呼び出されて、お屋敷にはほかのお偉方もいて、そこで言いわたされたのだ」
「そうか。それはめでたい」
文四郎が言うと、逸平はそちらは変わったことはなかったかと言った。
「与之助から手紙が来た」
「へえ、いつだ?」
「つい、さっきだ。江戸から帰国した小宮というひとが持って来てくれたのだ」
「まさか、さびしがって泣いてるんじゃないだろうな」
「それらしいこともちらりと書いてあったが、概《おおむ》ねがんばっている。与之助にしてはな。しまった、手紙を持って来て見せるんだったな」
「いや、読むより話を聞く方がいい」
逸平がそう言うので、文四郎は手紙の中身をくわしく話してやった。
二人は五間川の河岸通りを北に歩いて行ったが、どの町も人通りは少なかった。ただ商い町では比較的外に出ている子供の姿が多く、男の子は路上でこまを回し、女の子は羽根をついているのを見かけた。
「そんなわけだから、下男のようにこき使われる心配はなさそうだ」
「そうか。やっぱり思い切って行ったのがよかったようだな」
「それに字がうまくなったぞ」
「字?」
「うん。何というか、大人の字になって来たようだ」
「かわいい子には旅をさせよだよ、文四郎」
逸平が大まじめで言い、文四郎があの与之助がかわいい子かねとまぜかえしたので、二人は同時にふき出した。そしてあわててまわりを見まわしたが、遠くの道を女が一人横切ったのが見えただけで、近くには子供のほかは人影が見えなかった。
「おい、文四郎」
あたりにくばった眼を、逸平は文四郎に向けた。そして声をひそめた。
「山吹町の一件を、その後何か聞いたか」
「いや」
文四郎は首を振った。
山吹町は、藩主家の休息所|白萩《しらはぎ》御殿の西にある家中の屋敷町である。そこの路上で師走に入ったばかりの昨年の十二月五日の夜、一人の藩士が斬《き》られて死んだ。発見されたのは翌六日の早朝で、調べにあたった大目付の報告では、斬られたのは昨夜おそくということになったらしいと、家中には伝わった。
小和田逸平が言う山吹町の一件というのは、この事件を指しているのだが、事件にはいくつかの、首をかしげるような疑問点があって取り調べ側を当惑させているともささやかれた。
斬られたのは、吉村信蔵という御蔵方に勤める藩士である。その吉村が、なぜ深夜山吹町の路上を歩いていたのかが、まずわからなかった。
山吹町は百石、二百石の中級家臣が住む町で、吉村の家があるわけではない。吉村の家は二十石の小禄で、山吹町とは反対側になる五間川の東、小舟町にある。そして山吹町には親戚、知人、上役が住んでいるわけでもなかった。御蔵奉行の方にも大目付の調べが回ったが、吉村が斬られた十二月五日当時、役目柄で吉村が山吹町をたずねるような用件は、何ひとつなかったことも判明した。
あまりの手がかりのなさに、吉村信蔵はほかの町に用があって、その行きか帰りに山吹町を通りかかって斬られたのではないかという説をなす者がいたらしい。
しかしそれも、山吹町の西はもう村方の田圃で、南は城の濠ぎわまで組頭、家老といった重役の屋敷がならぶ馬場前と呼ぶ屋敷町である。北隣もまた中級家臣が住む代官町で、ひととおりは調べの手をいれてみたものの、大目付は山吹町周辺の町々にも、吉村の死の手がかりを見つけることは出来なかった。そしてむろん、吉村の家の者も、当主の信蔵が何の用があって十二月五日の深夜、方角違いの山吹町を歩いていたかの心あたりを問われても、ただ困惑して首をひねるばかりだったのである。
そしてまた、斬殺《ざんさつ》された状況にも謎《なぞ》めいた事実が見られた。たとえば、まず物盗りではなかった。吉村は刀も懐中の財布も何ひとつ奪われてはいなかった。あるいは吉村は、どこかに何かをとどける途中で、その物を奪われたのかも知れなかったが、そうであればやはり意図的な殺害で、物盗り目的の殺しではないことになる。
さらにもうひとつ、取り調べの大目付配下の者を驚嘆させたことがある。殺人者は、背後からただひと太刀で吉村信蔵を仕とめていた。調べで、吉村は御弓町の松川道場で目録をもらっている剣の達者だとわかったとき、大目付の配下はあらためて殺人者の腕に注目したのである。
斬った者は吉村に狙いをつけて殺したのだと、大目付は結論を出した。
三
だがわかっているのはそこまでで、大目付の調べがそこで停滞していることは、家中の間に大体知れわたっていた。そして事件がまだ新しく、内容が謎《なぞ》めいているために、吉村の死はいまも家中の間にひそひそとささやきつがれているのである。
「吉村さんは、誰かに恨まれていたんじゃないかな。恨まれるまでいかなくとも、ふだんから仲がわるい人間がいたとか……」
と文四郎は言った。文四郎は文四郎なりに、詩経の「国風」を読む合間に、吉村の死について考えをめぐらしてみたのである。
「大目付の方では、その点も調べたのかな」
「あの尾形さまが、そのあたりの抜かりがあるものか」
と逸平が言った。逸平が尾形さまと言ったのは、辣腕《らつわん》のうわさが高い大目付尾形|久万喜《くまき》のことである。
「御蔵方の筋、小舟町の吉村家の筋、松川道場の筋をのこらず調べたが、そういうひっかかりは出て来なかったそうだ」
「くわしいな」
「うむ、じつを言うと近所の者が話しているのを、家の中で立ち聞きしたのだ」
逸平はきまりわるそうに、手のひらでつるりと顔をなでた。逸平の肉の厚い顔は、寒気のために頬骨のあたりと鼻の頭が紫いろに変色している。
「しかし、それにしてもよほどの遣い手に違いないな」
と文四郎は言った。
「いくらうしろから斬ったにしろ、吉村さんは刀の柄《つか》に手をかけた様子もなかったそうじゃないか」
「ひと呼吸で間をつめたのだろうな」
逸平も言った。
「だから吉村信蔵は、足音を聞くひまもなかったんだ、多分」
二人が顔を見合わせたとき、遠くに千鳥橋が見えて来た。橋をわたると町は鍛冶町と変わり、すぐに道場の門が見えて来る。時刻におくれずに道場に着いたようだった。
石栗道場の竹刀はじめは、風邪で欠席した三名をのぞいて、五十名近い門人がすべてあつまる盛況だった。
定刻に道場主の石栗弥左衛門を道場に迎えると、さっそくに式がはじまって、最初に門人を代表して師範代の佐竹金十郎が賀詞をのべた。そのあと石栗から型どおりの短い訓戒があり、さらに石栗の指示で、暮れの納会の成績をもとにした今年の席次が発表された。
席次を読み上げたのは次席の丸岡俊作で、文四郎は去年の二十二位から十五位に上がり、小和田逸平は二十五位からこれも十八位にすすんでいた。
席次の発表で一時騒然とした道場は、つぎに石栗の指示で佐竹と席次三番の大橋市之進が、襷はちまきで手に木剣をつかみ、道場の真中にすすむと、たちまちに静まり返った。型の演技がはじまるのである。
しかし演技といっても、高弟二人によって演じられる石栗道場の型の披露は、例年息をのむ迫真の技が演じられるならいで、見ている者はその迫力に圧倒されるのである。
今年もまた、一瞬の対応をあやまれば骨をくだかれかねないほどの、はげしい気迫と技を示して型の披露が終わったが、見ている者は手に汗をにぎり、演じた師範代と大橋も汗びっしょりになっていた。
老齢の石栗は、型の立ち合いをおえると母屋に帰り、そのあと道場には大釜《おおがま》にあたためられた甘酒が持ちこまれて、車座に釜を囲んだ門人に甘酒の椀《わん》がくばられた。たえまないざわめきを耳に入れながら、文四郎と逸平も甘酒をすすった。席次が上がったのが、二人の気分をしあわせにしていた。
まわりの雑談も、大方はいま見た型の演技と、さっき発表された席次のことで、喜ぶもの、思ったよりも席次が上がらず憤慨している者と、さまざまだった。しかし、甘酒を飲みおわれば今日の集まりは解散になる。その解放感が口を軽くして、若者たちはいつもより饒舌《じようぜつ》になっていた。
そのざわめきを断ち切るように立ち上がって、みんな聞けと言った者がある。佐竹金十郎だった。
「正月早々縁起でもないと考える者がいるかも知れないが、黙視出来ないことがあるので言う」
金十郎は、長身の痩せた肩をそびやかして言った。
「暮れに、山吹町で人斬りがあったのはみんなも知っているだろう。斬られたのは松川道場の吉村信蔵だ。このことも知っている者はいると思う。ところで、問題は斬った人間が誰かということだ」
「……」
みんなが金十郎を注目すると、金十郎はうなずいて見せた。
「わしは吉村の遺骸を見た。そこで言うのだが……」
金十郎は、車座の端から端までにらむように眼をくばると、語気鋭く言った。
「この中に、吉村を斬った者がいる」
「まさか」
型の使い太刀をつとめた大橋が言い、道場の中は一瞬奇妙などよめきに沸いたが、その声はすぐに静まった。かわりに無気味なほどの静けさがあたりを支配し、その中で文四郎も、甘酒の椀を持ったまま身動きもならず、佐竹金十郎を見つめた。
いや、おれは斬り口を見せてもらったと、金十郎は大橋に答え、眼をみんなにもどした。
「斬り口は一刀流でも無外流でもない。この道場の誰かがやったことだ」
金十郎は、よほどの証拠をつかんだらしく、強い口調で断定した。城下の道場は一刀流の松川道場、無外流の小野道場、それに石栗道場の三つで、それぞれに異なる剣癖を持つことはふだんから言われていることである。
四
佐竹金十郎は、吉村の身体に動かしがたい剣癖の痕《あと》を見たのだろうかと、文四郎は思った。
「おれはそのことを、先生のほかには誰にも話していない」
金十郎の声はやわらかくなった。
「いまここで話したことは、当道場の秘事だ。出来れば口どめしたいが、そうしてもいずれは外に洩《も》れるだろう。それを聞きつけて大目付どのの方から召喚が来るかも知れぬが、おれは何も言わんつもりだ」
「……」
「証拠を見たと言っても、胸三寸の内のことだ。言い抜けならいくらでも出来る」
ただし、と言って金十郎はまた語気をつよめた。
「だからと言ってほっかむりは許さん。吉村をやったやつは、おれまで申し出てくれ。斬った理由は、言いたくなければあえて問わぬが、もう一度言う、ほっかむりはゆるさんぞ。先生と話してそう決めたことだ、いいな」
金十郎の演説が終わると、竹刀はじめの集まりは異様な雰囲気のままに解散になった。みんな背をまるめるようにして、早々に道場の門前から散って行った。
文四郎と逸平は、いつもどおりに千鳥橋をわたって河岸の道に出た。雲は相変わらず、いまにも霰《あられ》かみぞれを降らせそうに暗く垂れて、遠くの山々は五、六合目から上は雲に隠れたままだった。大きな鳥が数羽、その山の方を目ざして飛んで行くのが見えたが、何の鳥かはわからなかった。
町には昼前に道場に出て来たときよりは、ひとが出ていた。やはり晴れ着に装った年賀回りらしい姿のひとが多く、中には裃《かみしも》を着て供をしたがえた武士の姿もまじっていた。父は家にもどったろうかと、文四郎はふと思った。
「佐竹さんの話はすごかったな」
と逸平が言った。そしてあたりに眼をくばってから声をひそめた。
「おい、吉村信蔵をやったのは誰だと思う?」
「貴様じゃないのか」
文四郎は冗談を言ったが、その冗談に、逸平は文四郎がびっくりするほどにあわてふためいた。顔を赤くして手を振った。
「おい、人聞きのわるいことを言うのはよせ。誰が聞いているかわからんぞ」
「心配するな、誰も貴様を疑ったりはしないさ」
文四郎は苦笑した。
「もっと腕が上のひとたちだ。その中の誰かということまでは、師範代もわかっているんじゃないかな」
「まさか大橋さんということはあるまいな。でなければ、次席の丸岡さんか。丸岡さんは、師範代が演説する間、ひとことも物を言わなかったな」
「だからと言って丸岡さんだとは言えん」
文四郎は言った。
「まだ塚原さんもいるし、矢田さんもいる」
「矢田さんは違うだろう」
と逸平が言った。
「あのひとは今度、塚原さんを抜いて席次がひとつ上がったけれども、性格はおとなしいひとだぞ」
「性格温厚などということは、無実の証拠にはならんさ」
と文四郎は言った。
佐竹金十郎の話から受けた衝撃はつよく、二人は結局その話に熱が入って漆原町まで一緒に歩き、逸平の家が見えるところまで来て、やっと立ちどまった。
「寄って行かんか、母が喜ぶぞ」
逸平の家は、母と子二人きりの家である。といっても文四郎の家とは身分が違うので、ほかに召使いがいるのだが、逸平の母は文四郎や与之助など、息子の友だちが家をたずねることをことに喜ぶ女性だった。
逸平の母は、息子に似て身体が大きく性格もゆったりして、気のおけるひとではないが、家にもどるのがいい加減おくれているのに、この上逸平の家に上がりこんだりしたら、母に何を言われるかわからないと文四郎は思った。
「いや、そうもしておられん。おふくろさまによろしく言ってくれ」
「そうか」
「明日は塾の方だぞ。忘れるな」
「忘れるものか。餅を食いに行くんだ」
と逸平は言った。
いったん城の南まで歩いて来た道を、文四郎はまた城下の北はずれにある自分の町にむかって引き返した。寒気は少しのゆるみもなく町々に張りつめて、物の枯れた風景だけがつづいたが、風はなくてその分だけしのぎやすいように思われた。
──やっぱり……。
八ツ半(午後三時)近くになってしまったと、文四郎は自分の家の近くにもどって来たときにそう思った。照円寺の八ツ(午後二時)の鐘を、文四郎は逸平の家にむかって歩いているときに聞いている。
そのときは少しも心が痛まなかったのだが、家が近くなるとやはり帰りが大幅におくれたことが心を責めて来た。母は昼の用意をして待っていると言ったのだから、やはり途中で逸平と別れて、まっすぐに帰るべきだったかも知れない。
もっとも師範代があのことを言い出したので、会の終わるのが予定よりおくれたのは事実だと文四郎は思った。しかしそのことは母への言いわけに使えるだろうか。何の話だったと問いつめられたときはどうしようか。
考えこんでいたので、文四郎は自分の家の前で、門から出て来た隣のふくともう少しでぶつかりそうになった。
「明けましておめでとうございます」
ふくは抱えていたものを袖《そで》に隠しながら、顔を赤くして挨拶した。
文四郎が挨拶を返すと、ふくはそそくさと背をむけ、小走りに自分の家の門に駆けこんで行った。
そのうしろ姿を、文四郎は立ちどまったままぼんやりと見送ったが、自分が見送ったものがふくの臀《しり》のあたりと、裾からこぼれて見えた白い足首だったのに気づいて、はっとわれに返った。
──おれはいま……。
いやしい眼をしなかっただろうかと、文四郎は自問した。いや、大丈夫だったんじゃないかと、いささか自信なげな内部の声が答えた。
棒のようだったふくの身体に丸味が加わって来たのは、去年あたりからだったように文四郎は思っている。昨日は肩の丸味に気づいたと思うと、今日はいつの間にか皮膚が透きとおるようにきれいになっているのにびっくりするというふうに、要するにふくは、日一日と大人めく齢ごろで、いまもふくの一瞬の身ごなしに現れた女らしさが、自分をおどろかしたのだと文四郎にはわかっていた。
──ふくも……。
いよいよ大人になるのか、とかすかな悲哀感のようなものを感じながら、文四郎は道に背をむけて門を入った。
家に入ると、父はまだ帰っていなかった。そして母の登世が、あんまりおそいではないかと小言を言った。
文四郎は一切弁解せずに、詫びだけ言ってから、道場の席次が上がったことを告げた。
「今年から十五番です」
「それはおはげみだったこと。去年は二十二番でしたからね」
登世はよくおぼえていて、文四郎の努力をほめたが、まだ小言を言い足りないらしくつけ加えた。
「でも、それは帰りがおそくなった言い訳にはなりませんね」
「むろんです。申しわけありませんでした」
と文四郎は言った。食事が出ると、にわかに我慢出来ないほどの空腹感に襲われ、いっときも早く母の小言をのがれて食事にありつきたい気分だったのである。
「門のところで、ふくに会いました」
食事が終わって、やっと気分が落ちついたところで文四郎は言った。
「何の用だったのですか」
「お米を借りに来たのですよ」
と登世は言った。
「正月早々であの子もつらかったでしょうけど、親が風邪をひいたとかでね」
「……」
「もっともあの子ももう大人だから、そのぐらいの使いは出来ないと仕方ありませんね」
突然に文四郎は、さっき会ったふくが正月なのにふだん着のままだったのを思い出していた。小柳の家は文四郎の家よりも家禄で五石少ない。そのことを文四郎は日ごろ忘れているが、小柳の貧しさは尋常でないようだった。
文四郎の家も貧しくて、父の助左衛門も文四郎も、ふだんよく登世の繕ったものを着ているけれども、米をよそから借りるほどではない。しかし子供が二人多く、家禄が五石少ないとそういうことになるのかと、改めて小柳の貧しさに気づくようだった。
──借りても……。
返さなければなるまい。その米をどうするのかと、文四郎は袖に米を隠したふくの姿を思いうかべた。するとまた、かすかな悲哀感に似たものが心をかすめるのを感じた。
小柳の女房のことはよく言わない登世が、ふくに対してはやさしげな心くばりを示すのが、文四郎はうれしかった。立って自分の部屋に行きかけて、台所の母に声をかけた。
「母上、今夜は肩を押して進ぜますぞ」
五
居駒塾の塾生は二十人ほどである。居駒礼助の静かで沈着な声が、国風の詩を読み上げていた。
関々たる雎鳩《しよきゆう》
河の洲《す》にあり
窈窕《ようちよう》たる淑女
君子の好逑《こうきゆう》
参差《しんし》たる|※[#「くさかんむり/行」、unicode8347]菜《こうさい》
左右にこれを流《もと》む
窈窕たる淑女
寤寐《ごび》にこれを求む
これを求めて得ず
寤寐に思服す
悠なる哉 悠なる哉
輾転《てんてん》反側す
読み終わると、居駒は丁寧に解釈を加え、この詩はうつくしい娘をもとめる男の気持ちをうたったものだと言った。そして最後に、返事がもらえないので寝ている間もそのことが気になる。長い長い夜を寝《い》ねがたくてしきりに寝返りを打つと説明したとき、塾生のうしろの方でくすくす笑った者がいた。居駒は顔を上げた。
「笑ったのは江森か」
「はい。申しわけありません」
そう言ったのは、山根清次郎の取り巻きの少年の一人だった。にきびづらの男である。
「詫びはよい。今日は立って家にもどれ」
日ごろは温厚な居駒が、見違えるようなはげしい声で叱った。江森が恐れて塾を出て行ったあとで、居駒は言った。
「孔子は、詩は以て興ずべく、以て観ずべく、以て群すべく、以て怨《えん》ずべしと言っておられる。江森はこの詩をただ男女の交情をうたったものと侮《あなど》ったようだが、そういうものではない。この詩は領主のしあわせな婚姻を祈る歌とされ、また朱子は周の文王とその室|太※[#「女+以」、unicode59d2]《たいじ》をたたえた歌かという説を立ててもおるが、いずれにしろここには、しあわせな婚姻をねがう人間の飾らない気持ちが出ている。四民の上に立つ諸子は、このような庶民の素朴な心や、喜怒哀楽の情を理解する心情も養わねばならぬ。大事なことである」
「……」
「武士としておのれを律することはまたべつ。詩を侮ってはならん」
窈窕たる淑女、君子の好逑か、と文四郎は思った。ぼんやりとふくのことを考えていると、逸平が膝をつついて餅はまだかと言った。
雑煮はおかわりをもらうことが出来るので、大ていの者は二|椀《わん》ずつたべる。そのために雑煮を煮る大鍋二つはたちまち空になるのだが、居駒夫妻はかえって若者たちの旺盛《おうせい》な食欲を喜んだ。
「おれは四椀たべた」
雑煮の会食が終わって塾を出ると、小和田逸平は自慢した。
「先生を喜ばしてやったのだ」
「しかし何とかの大喰いということもあるからな。先生もはたして喜んだかどうかはわからんぞ」
文四郎がからかうと、逸平はむきになって反論した。
「なに、もちろん喜んださ。先生はにこにこして、小和田は四椀目か。たくさん喰え、足りなければわしのをわけてやるとおっしゃったからな」
「ハハ……」
「おれにくらべると、山根なんかはどうだ。たった一椀だけ喰って、こんなまずいものが喰えるかという顔をしてるからな。キザなやつだ」
不意に言葉を切って、逸平は足どりをゆるめた。文四郎もとっくに気づいていて、逸平に足どりを合わせた。
町角に、さっき塾を追い出された江森を取り囲むようにして、山根清次郎とその取り巻きが立っている。山根たちは近づく文四郎と逸平にじっと眼をそそいでいたが、距離が数間に近づいたところで急に背をむけてぞろぞろと角の塀を曲がって行った。
ふんと逸平は鼻を鳴らした。
「待ち伏せして、喧嘩でも売るつもりかと思ったが、違ったか」
「やつらに、そんな度胸はないよ」
と文四郎が言った。町角を横切るときに見ると、背を向けて遠ざかる山根たちの姿が小さく見えた。
「松川道場との今年の花試合は、おれたちも出るのかな」
「いや、まだ出られんだろう」
「一度、山根とやってみたいものだ」
逸平は言ったが、急にまた思考が飛躍したというふうに、雑煮もうまかったが先生のご講義もよかったなと言った。
「窈窕たる淑女、君子の好逑か。去年のご講義もよかったな。鶴|九皐《きゆうこう》に鳴いて、声は野に聞こゆ、だったかな」
居駒が詩を講じるのは正月の初講義のときだけで、ふだんは「論語」と「中庸」を講義している。逸平が言っているのは去年の初講義に出た「鶴鳴《かくめい》」という小雅の詩だった。
「魚潜んで淵にあり、あるいは渚《みぎわ》にあり、だ。よくおぼえていたじゃないか」
と文四郎は言った。逸平は答えずにその先をつづけた。詩が好きなのかも知れない。
「楽し、かの園、ここに樹檀《じゆたん》あり、そのもと……、ええーと」
逸平はつかえた。
「その下《もと》これ|※[#「くさかんむり/擇」、unicode8600]《たく》」
と文四郎はひき取った。
「他山の石、以て錯《さく》となすべし」
このところは二人で唱和した。二人が歩いているのは山吹町の一角で、昼さがりの武家町は歩いているひとの姿も稀でひっそりしていた。
二人がつづいて、「鶴九皐に鳴いて、声は天に聞こゆ。魚渚にあり、あるいは潜んで淵にあり」と唱和しているときに、供をつれた武家の女性が静かにすれ違って行っただけである。文四郎の母ぐらいの年齢のその女性は、すれ違うとき詩を唱和する二人にちらと微笑をむけて行った。
「おい、誰にも言っちゃいかんぞ」
「鶴鳴」の唱和が終わると、逸平は文四郎に顔をむけた。
「おれ、嫁をもらうかも知れんのだ」
「嫁?」
文四郎はおどろいて言った。
「すぐにか」
「いや、すぐじゃない。これからさがすのだ」
逸平はテレたように、手のひらで顔をひとなでした。逸平の顔は寒気のためにあちこち紫いろになっているが、いまはその紫に赤味が加わって、斑《まだら》いろのようになっている。
「これからさがすんだが、出来ればこの秋には祝言に漕《こ》ぎつけたいと、親は言っている」
「ふーむ」
文四郎は、逸平が急に手のとどかない大人に変わったような気がして、茫然《ぼうぜん》と斑いろの逸平の顔を見た。
「嫁か。どんな気持ちだ」
「どんな気持ちと言われても、まだもらったわけじゃないからわからん」
「ふむ、それで先生の今日のご講義がことに身にしみたというわけか」
「わが窈窕たる淑女はいるかな、おい」
「そりゃ、どこかにいるだろう」
そう言ったとき文四郎は、また胸の中をふくのおもかげがちらと通り過ぎたような気がした。
「関々たる雎鳩、河の洲にあり、窈窕たる淑女、君子の好逑、か」
逸平は今日習ったその詩がよほど気に入ったらしく、また声に出して繰り返し、大きな声で、おれは君子という柄じゃないけどな、と言った。春に塾をやめると決めてから、逸平はかえって学問に愛着が出たようにも見えた。
城下の上には、今日も漠々とした冬雲がひろがっていた。そして三方の山々は頂きを雲の奥に隠したままだった。明日にも雪が降り、灰いろの雲の下に閉じこめられるのは眼に見えていたが、文四郎は眼の前の灰色の風景の中に、かすかに春の気配を嗅《か》いだ気がした。
それは居駒塾で講義してもらった詩や、逸平が秋までに嫁をもらうと言い出したせいかも知れないと思いながら、文四郎は言った。
「今夜与之助に手紙を書く。おまえの嫁の話も書いていいか」
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黒 風 白 雨
一
道場の竹刀はじめの日に、師範代の佐竹金十郎が言った言葉は石栗道場の者を震駭《しんがい》させたが、それでその後誰かが名乗り出たということも聞かず、席次上位の名札が道場から消えるとか、佐竹が言ったように大目付の配下が道場に手をのばして来るとかいう変化も、少なくとも表面的には一切ないままに、長い冬が過ぎて春が来た。
その間に、佐竹が言ったことはどう処理がついたのか、あるいは何の処理もつかなかったのかということは、皺《しわ》だらけの師匠の顔や額に縦皺をきざんだ師範代の顔を見ただけでは何もわからなかった。そして小和田家の意気ごみにもかかわらず、逸平の嫁の話もまだまとまらなかった。そして五月に藩主が国元にもどって来た。
藩主が在国だからといって、領内に格別の変化があるわけではないが、それでも城下の商人町は何となく活気づき、にぎわうようであった。城中の会所に通う商人の姿が、藩主在府のときよりも頻繁なように思われるのは、やはり城内の物の調達がふえ、またこの時期をねらって品物の売り込みをはかる商人がいるらしかった。茶屋、料理屋がかたまり、三味線をひく芸者がいる染川町が、夜は役人を接待する商人でにぎわった。
そうこうしているうちに、梅雨が終わって暑い夏が来た。その日牧文四郎は、道場の後輩である杉内道蔵と一緒に、千鳥橋をわたって河岸の道まで来た。時刻はそろそろ七ツ半(午後五時)ごろかと思われたが、日は西にかたむいたもののすぐには沈む気配もなく、町々はまだ暑い日射しに覆われていた。
「今日は佐竹さんにだいぶしぼられたようだな」
と文四郎は言った。道蔵は二つ齢下の十四だが、道場では筋がいい方に数えられている。郷方《ごうかた》廻りを勤める微禄の家の子である。
「はあ、やられました」
と道蔵は言った。声変わりはしているものの、まだ子供っぽい顔の少年である。
「打たれて、身体中痛いです」
「まあ我慢することだな。佐竹さんは見込みがあると思ってきつい稽古をつけたわけだろうから」
しかしそう言ったとき、文四郎は佐竹に叱られていた与之助の姿を思い出した。佐竹の稽古は有望とか、有望でないとかの区別なしにきびしいのである。
文四郎自身も、何となく佐竹の稽古から要領よく逃げて、温厚な矢田|作之丞《さくのじよう》や次席の丸岡俊作の稽古を受けることが多いのはそのためだが、しかしそれが正しいやり方だとは思っていなかった。佐竹のつける稽古はきびしいが、それをしのぎ切ったときは、腕が一段上がったように思われることも知っている。
「残酷なようだが、おまえたちの齢ごろだったら、ひと晩眠れば痛みは直る」
そう言ったとき文四郎は、川の向こう岸を槍《やり》を持つ一隊が走って行くのを見て眼をみはった。
「あれは何だ?」
文四郎が言うと、道蔵も気づいたとみえて、砂を蹴立てて向こう河岸の道を北に走って行く一隊をじっと見送った。そして槍の穂先を光らせた一隊が河岸をはなれて代官町の方に曲がると、文四郎を見て逆に何でしょうかと言った。
「二十人はいたな」
と文四郎が言ったとき、今度は前方に見えて来たあやめ橋に、さっきの槍隊と同じに襷はちまきに抜身の槍を光らせた一隊が現れた。槍の一隊はわき目もふらず橋を西から東にわたると、文四郎たちがいる河岸を南に駆けくだって行った。あとに白い埃《ほこり》が立った。
「わかった。木戸に向かったのだ」
と文四郎は言った。城下に異変が起きたときは、物頭《ものがしら》のひきいる御槍組、御弓組が動いて四方の木戸を固めるのだと、以前に聞いたことがあるのを文四郎は思い出している。
槍の一隊が駆け抜けたとき、道を歩く人びとはさすがにおどろいたらしく立ちどまってあとを見送ったが、姿が見えなくなるとまたもとのように歩き出した。暑い光が斜めにさしかけ、町はふだんと変わらない姿を取りもどしたように見えたが、文四郎の胸には異様な胸さわぎが残った。
「異変が起きたらしいな」
文四郎が言うと、道蔵の顔がこわばった。
「何の異変ですか」
「さあ、わからん」
逸平がいたらこういうときは相談相手になるだろうが、道蔵じゃだめだと文四郎は思った。
逸平は城への出仕がはじまると、正式に居駒塾をやめた。そして半人前勤めだから道場の方はつづけると言ったのに、やはりそうもいかないらしくて、道場も休みがちになった。このところ三日ほど、文四郎は逸平と顔を合わせていない。
「ここで別れよう。道草を喰わずにまっすぐ家に帰る方がいいぞ」
文四郎はそう言うと、道蔵と別れてあやめ橋を西にわたった。もう下城の時刻になっているはずなのに、城の太鼓も鳴らず、路上には下城する人びとの姿も見えなかった。無気味な気がした。
組屋敷がある町に帰りつくまでに、文四郎はもう一度遠くの町角を駆け抜ける槍の一隊を見、また、下城の道筋を逆に城にむかっていそぐ裃姿の武士を何人か見た。武士は一人あるいは二人の供をつれ、あきらかに役持ちの拝領屋敷がかたまる内匠《たくみ》町から来た男たちだとわかった。何事か異変が起きたという推測に、間違いはなさそうだと文四郎は思った。
しかし矢場町にもどると、そこは蝉の声だけが高く、町はひっそりと静まりかえっていて、城に異変が起きているなどということは嘘《うそ》のように思われた。
矢場町の名前は、むかしそこに実際に矢場があって弓の習練が行われたことから来ている。
二
御弓町の習練場は、その後鉄砲組の習練場と一緒に、城下西の早苗村地内にある丘の麓《ふもと》に移されたが、矢場の跡地はまだ残っていた。組屋敷のはずれ、道をへだてた向こう側にひろがる草ぼうぼうの空地がそれである。
空地は三方を雑木林に囲まれ、矢場の跡だということは、空地のずっと奥に見える草に覆われた土壁でそれと知られる。ひろい空地と雑木林は、春には矢場町ばかりでなくほかの町からも草花をつむ子供たちがおとずれ、恰好《かつこう》の遊び場になるのだが、夏は子供の身の丈ほども草が生いしげるので、時おり虫を取りに入る組屋敷の子供を見かけるぐらいで、大方はひっそりとしている。
その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蝉が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通りすぎた。蝉の鳴き声はまるで叫喚の声のように耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蝉しぐれという言葉を思い出した。
家にもどると、母が夜食の支度をしていた。あけてある台所の窓から西日が射しこみ、そこから裏の木々で鳴く蝉の声も入って来る。何事もなく夜食の支度をしている母を見ると、文四郎は来る途中で見た異変を思わせるさまざまな光景が、急に遠方に遠のいたような気がして来た。
あれはさほどのことじゃなかったのかも知れない、と思いはじめたとき、母が煮物から文四郎を振りむいて、どうかしたかと言った。帰宅の挨拶をした文四郎が、いつまでも台所にいるのを気にしたようである。
「男は台所仕事などのぞくものではありませんよ」
「はい。いや……」
文四郎は顔を赤くした。
「帰る途中、ちょっと気になることがあったので……」
「何ですか」
「御槍組のひとたちが、駆け足で北に行き、東に行きしています」
「それだけ?」
「それから下城の時刻なのに下城するひとの姿は見えず、逆に内匠町から来たと思われる方々が、裃でお城の方角にいそがれるのを見ました」
「おや、まあ」
母の登世は煮物の鍋の蓋《ふた》をしめ、菜箸《さいばし》を置いてゆっくり立ち上がると、文四郎の方に身体を回した。
「御槍組の人数は?」
「一隊十五人から二十人ぐらいでした」
「鞘《さや》をはずしていたのでしょうね」
「そうです。町の人びともおどろいていました」
「それなら木戸を押さえに行ったのでしょうよ」
母はうつむいて額に皺をつくった。そしてふと気づいたように言った。
「そう言えば、おとうさまのおそいこと」
日が暮れても下城の太鼓は鳴らず、助左衛門はもどって来なかった。待ちくたびれて登世と文四郎は五ツ(午後八時)には夜食の代わりに葛湯《くずゆ》をつくってたべ、文四郎はそのあと自分の部屋にもどって書見台にむかったが、気持ちは少しも落ちつかなかった。
昼の暑気が残って、窓をあけておいても部屋の中は暑かった。そしてあいた窓から時どきかなぶんや蛾《が》が入って来て、行燈《あんどん》のまわりをうるさくとび回るので、文四郎はよけいに気が散り、書物の文字は頭の中を素通りするだけだった。あきらめて部屋の外を眺めていると、闇の奥で時どき蝉がじじと鳴いた。
道場の稽古の疲れが出て、少しうとうとしたらしく、文四郎は表にひと声がしたとき、とっさに何刻ごろなのかわからなかった。しかし声は隣家の小柳甚兵衛だとすぐにわかって、文四郎は立ち上がるといそいで玄関に出た。
はたして母と話しているのは甚兵衛で、挨拶した文四郎に、甚兵衛は疲れの澱《よど》む顔をむけた。
「いま登世どのに話したところだが、助左衛門は、ま、明日になればもどされて来るだろう。あまり心配せぬことだ」
「おとうさまが何かのお疑いをうけて、監察の方々に捕らえられたというのです」
「監察?」
聞き馴れない言葉だった。甚兵衛の顔を見ると、それは非常のときに限って発動されるお役目なのだと甚兵衛は言った。
「大目付を藩の長老五人、現職の御使番《おつかいばん》八人が補佐して疑惑の解明にあたることになっておる」
「疑惑? 何の疑いですか」
「それが何のことかわからんのだて」
甚兵衛は途方に暮れたように言った。甚兵衛はいま城からさがって来たばかりらしく、まだ裃をつけていた。
「普請組の者も、一人一人呼ばれて何やかやと問いただされたのだが、わしらはさきほど帰ってよいと言われた」
「監察の方々につかまったのは、父一人ですか」
「いや、普請組からは三人だ。ほかに何人いるか知らんが、今夜のうちに龍興寺に送られると聞いた。ただしうわさだがな」
「……」
「どういうことか知らんが、助左衛門どのが御法度に触れるようなことをするとも思えぬ。明日になれば、いま少し事情がはっきりするだろうが、ま、そういうことで助左衛門どのは今夜はもどらぬかも知れんので、一応知らせに回った」
礼を言って甚兵衛を送り出すと、登世と文四郎は顔を見合わせた。茶の間にもどったが、すぐには声が出なかった。
「何かのお間違いでしょうよ」
少し顫《ふる》える声で登世が言った。そのとき文四郎の頭に突然にうかび上がって来たものがある。
三
「いや」
と文四郎は言った。
大雨をともなった颶風《ぐふう》が駆け抜けて、領内の作物に多大の被害をもたらした去年の秋のその日、合羽の裾を風にはためかせて門の前に立っていた二人の男のことを、文四郎は鮮明に思い出している。
「いや、母上。これはそう簡単なことではないかも知れません」
「一大事ということですか」
「そうです」
ただ曖昧《あいまい》なことを言って母をなぐさめても何にもならない、と文四郎は思った。いま頭にうかんでいる推測を、母に話してやるべきだろうか。
「去年の秋、五間川の水が溢れた夜のことをおぼえていますか」
「おぼえていますとも。助左衛門どのがおられなくて、そなたがお城に駆けつけたのです」
「そうです。ところでその夜どこに行かれたのか、あとで父上から聞かれましたか」
「いいえ」
登世は首を振った。
「たずねてみえられた旅のお方を、どこかにご案内したのではありませんか。そしてご案内した先でご自分も話しこまれて、おそくなったのだろうと思いましたけど」
「そのとおりだと思いますが、いま思い返してみると、あのとき二、三不審なことがあったのです」
「どんな?」
「父上をたずねて来たひとは、江戸弁を使っていたのです」
「江戸弁?」
登世は不安そうに文四郎を見た。
「それが何か、この国のひとではないとでも言うのですか」
「いや、江戸詰が長くてむこうの言葉を使い馴れたひとかも知れませんし、ひょっとしたら定府の方かも知れません。この藩のひとだろうとは思いますが、もうひとつ不審なのは、そのときの二人が父上の顔を知らなかったように思われたことです」
登世は文四郎の顔をじっと見ている。江戸弁の男たち、そしてその男たちが助左衛門の顔を知らなかったのはどういう意味を持つかと考えこんでいる様子でもあった。
「つまり……」
あのときの二人は、江戸屋敷から国元の誰かに何事かを連絡しに来た男たちで、その誰かは助左衛門本人ではむろんなく、助左衛門は二人を、本来の連絡相手である誰かのもとに連れて行ったのではないか。そして男たちが江戸弁で、助左衛門の顔も知らなかったのは、使いを出した江戸屋敷の誰かが、わざと国元に顔を知られていない男たちを使者にえらんだのではないだろうかと文四郎は言った。
そういうふうに口に出すと、その解釈があの風の吹く夕方の出来事の雰囲気に一番よくあてはまるように思われて来る。
「誰かとは、どなたのことですか」
「それはわかりません」
「そのお使者の方たちは……」
と登世は言った。
「どうしてまっすぐその方のところに行かれなかったのでしょう」
「まっすぐにたずねてはまずいか、またはその誰かを二人が知らなかったかでしょう」
「なぜそんな面倒なことを?」
「おそらく……」
と言って文四郎は母をじっと見た。
「連絡すべきことが、秘密の事柄だったからだと思います」
「でも、助左衛門どのはその秘密には関係がありませんね。ただどなたかのお家にその方たちを案内しただけでしょうから」
「いや、父上もお仲間です」
と文四郎は言った。母に甘い幻想を抱かせるべきではなかった。きびしい姿を見せはじめた現実を直視してもらいたかった。
「江戸から来た二人がたずねる相手は、おそらくこの藩のかなり身分の高いお方でしょう。そこで江戸の方では、同じ仲間だが身分が低くて目立たない父上をえらんで、名前とこの家のありかをあの男たちに教えたのです」
登世はうつむいて文四郎の言うことを聞いていた。そして文四郎が口をつぐんだあとも、しばらくじっと考えこんでいたが、やがて顔を上げると静かに言った。
「おなかがすきました。ご飯にしましょうね」
文四郎は、はいと言った。そしてこのときになってやっと、自分の部屋の行燈がつけたままになっていることを思い出して、部屋を出ようとした。その背に母が声をかけて来た。
「文四郎、おとうさまたちの秘密というのは何でしょうね」
わかりません、と文四郎は言った。実際に甚兵衛の言う疑惑がどういう中身のものなのかは、まったく見当がつかなかった。しかし父が何に関与して監察の手に捕らえられることになったかは謎だとしても、悪事にかかわり合ったわけではあるまいと文四郎は思った。
その謎にかすかな光があたったのは、その夜九ツ(午前零時)近くなって、突然にたずねて来た実家の兄、服部市左衛門の話を聞いたときである。
「いま城をさがって来たところだが、こちらがどうしているかと気になってな」
と市左衛門は言い、登世が出した茶をうまそうにすすった。文四郎の実家服部家は百二十石で右筆を勤め、家は鷹匠町にある。文四郎たちの父が亡くなったあと、跡目をついだ市左衛門は長兄で、齢は三十四。末弟の文四郎とは二十近くも年齢がひらいているので、物言いも態度も兄というよりは父親のような圧迫感を文四郎に感じさせる。
実際に市左衛門は、厳格な気性まで死んだ父に似ていた。茶を飲みおわると、きびしい眼を文四郎にむけて言った。
「何事があろうと、取りみだすでないぞ、文四郎」
「はい、心得ております」
と答えたが、文四郎はこのとき胸の中をつめたいものが走り抜けたような気がした。覚悟はしていたが、父のかかわり合った秘事が尋常のものでない予感が胸をかすめたのである。いままで城にいた兄は、ある程度今度の事件の真相をつかんで来たのではないかという気がした。
母も同じことを考えたらしく、市左衛門どのと甥を呼んだ。
「助左衛門は、もう龍興寺に送られましたか」
「はあ、さきほど」
と市左衛門は言った。
「ほかに二十人ほどが一緒です。いまも城下のあちこちの屋敷に監察の手の者が回っていて、龍興寺に収容される人数はかなりの数にのぼる見込みだということです」
「助左衛門の罪は何ですか」
登世ははじめて罪という言葉を使ったが、市左衛門はわかりませんと言った。ほんとにわからないのか、それともわかっていても言えないのかと文四郎が思ったとき、市左衛門が声をひそめて、これは他聞をはばかることですがと言った。
「殿の御世継ぎの世子をどなたとするかで、以前から藩内に争いがあるのです。助左衛門どのは、どうもそちらにかかわり合われたらしい」
「殿の御世継ぎ……」
とつぶやいたまま、登世は黙りこんだ。手のとどかない世界のことを聞かされて途方に暮れたという顔つきだった。
その顔を見ながら、市左衛門が言葉をやわらげた。
「お調べがどのようなことになるかはわかりませんが、決着がつくまでには、まだ先が長い話です。今夜はもうおやすみになる方がよろしい。文四郎もだ」
「そうします」
と言って、文四郎は龍興寺の方はどうなっているのだろうかと聞いた。
「出入り口はすべて竹矢来で固め、御槍組、鉄砲組の足軽をくばったという話だ。行っても、中には入れんから無駄なことはせぬ方がいい」
「……」
「あとで外に出てみるとよい。要所要所に槍隊がいてかがり火を焚《た》いているので、町はまるで火の海だ」
「お調べは、やはり龍興寺でするのですか」
「そうらしい。その様子はほかの者よりもいくらか早くわかるかも知れんから、そのときはまた知らせよう」
帰る兄を見送って、文四郎は門の外まで出た。兄の言うとおりだった。矢場町から南と東にあたる方角に、ところどころ天を焦がす火のいろが見え、その火におどろいたのか、矢場跡の雑木林に眠れぬ蝉の鳴く声がした。
容易ならぬことが起きたのだという実感が、文四郎の胸を重苦しく圧迫してきた。
四
兄の市左衛門が来て、助左衛門に会わせるから、支度して一緒に来るようにと文四郎に言ったのは、事件が起きて半月ほど過ぎたころの暑い日だった。
「処分が決まったのですね」
文四郎に羽織、袴《はかま》の支度をさせながら、登世が市左衛門に訊《き》いた。重苦しい表情で、市左衛門がうなずいた。
「まあ、そうです」
「切腹ですか」
「それは、まだ……」
市左衛門は眼をそらして言葉をにごした。
「正式に決まったことではありませんから」
「正式のご沙汰はいつ出されるのですか」
「明日です」
龍興寺に収容されたのは、前家老の平田|帯刀《たてわき》、現職の中老兼松熊之助をはじめとする藩士三十七名、足軽十二名だった。何の嫌疑かは外部に一切発表されないままに、監察を中心とする取り調べが迅速にすすみ、処分だけが示されて、減禄、謹慎、閉門、領外追放などの処分を受けた者は、もう龍興寺から出されていた。残ったのは藩士十二名、足軽一名で、その十二名の藩士の中には、文四郎の父助左衛門と石栗道場の高弟矢田作之丞が含まれている。
兄と一緒に龍興寺にむかう文四郎の足どりは重かった。母でさえ見当がついたほどである。父や矢田さんの処分は切腹に決まっている、と思っていた。だからこうして、親戚つき添いで対面を許すことになったのだろうと思うと、足が宙を踏むようで、ともすれば兄におくれがちになる。
だがその一方で、文四郎はこういうときこそ気を確かに持たねばならん、とも思っていた。ここで未熟なところを見せては、父が心もとなく思うだろう。
ひとの丈よりも高く組んだ竹矢来で門前を固めた龍興寺が見えて来ると、市左衛門は文四郎を振りむいた。
「助左衛門どのに会うのは、ほんのわずかの間だ。言いたいことはいまのうちに考えておけ」
「……」
「泣くひまはないぞ」
市左衛門は文四郎の重苦しい表情を見たらしく、鋭く言った。
「また、そのような醜態はゆるさん。服部の人間として、牧の跡取りとしてひとの侮りをうけぬよう、りっぱに振舞うのだ。よいか」
門前に着くと、市左衛門は警護の槍持ち足軽にむかって、牧助左衛門の身内の者だと名乗った。すると警護の一人が竹矢来の陰の潜《くぐ》り戸をあけて、中に入るように促した。
龍興寺は城下の北東、百人町にある曹洞《そうとう》宗の大寺である。門内に入ると境内の砂利に、午後の白い日が照りつけていた。鐘楼から本堂の裏にかけて、小暗い森ほどに杉や雑木が生いしげり、そこにも蝉が鳴いていた。
文四郎と市左衛門は仏殿の階段を上がって寺内に入った。
仏殿に入ると、入り口に帯刀のままの武士が数人いて、二人を見るとすばやく誰何《すいか》の声をかけて来た。そこで姓名を改めると二人の刀を取り上げ、そこから仏殿の内部に案内した。権高な物の言い方をするその男たちは、大目付の配下かと思われた。
市左衛門は姓名を名乗ったあとは、無言で堂々と応対していたが、文四郎は男たちの扱いに屈辱を感じた。すでに罪人の身内の扱いだと思ったのである。
日が照りわたる外から入ると、本堂の中はうす暗かった。その暗がりに金色の飾りに囲まれた須弥壇《しゆみだん》がかすかに光っているのを横目に見ながら奥にすすむと、そこには先客がいた。やはり呼び出されて来た、残された十三人の身内の者らしく、坐っているひとたちは一様にきびしく暗い顔をしていた。
文四郎と市左衛門も人びとの端に加わって坐った。そこは薄縁《うすべり》を敷いてあるものの、下は板の間だった。ここにも、おれを呼び出した人間の、おれに対する待遇が現れていると思ったとき、文四郎ははじめて父の切腹が動かしがたいものとして胸に迫るのを感じた。父は腹を切らされ、そのあと牧の家は家禄を召し上げられて、母と自分は路頭に迷うことになるのだろうかと思った。かりに親戚に引き取られるとしても、母子は先に何ののぞみも持ち得ぬ旧牧家の人間として、親戚の厄介者として一生を終えることになるのだろうか。
文四郎と市左衛門が最後ではなく、そのあとも外から到着する者がいて、仏殿の一角にあつめられたひとの数はざっと三十人を越えたかと思われた。あとから来た人びとは、文四郎から見て左斜めに、縁側に近づく方向に坐ったので、人びとの顔が見えた。
大方は大人だったが、文四郎より小さい男の子の姿も見えた。女性は一人だけだった。面長の二十前後と思われる美貌《びぼう》の女性は、じっとうつむいたまま、伏せた眼を一度も上げなかった。縁側の外は朴《ほお》の木やもみじの木立で、そこから遠い照り返しがとどき、そのせいで人びとの顔は青ざめて見えている。
半刻(一時間)以上もたったかと思われたころ、仏殿の入り口にいた武士とはまた違う、やや身なりのりっぱな武士が奥から現れ、中年のその男は袴をさばいてみんなの前に坐った。
「では、これより対面をおこなう」
武士はおだやかな眼で、人びとを見回してから言った。
「対面は無用の混乱をきたさぬよう、一家一人とする。何は話してもよい、何は話してわるいとは言わぬが、対面の間はごく短いゆえ、手短かに済ますよう心がけられたい。また、大声、怒声はつつしむように」
「少しおうかがいしてよろしいか」
坐っている者たちの間から、突然にそう問いかけた者がいた。白髪の老人だった。
「それがしは関口|晋作《しんさく》の父親だが、伜が何の罪で腹切らされるのか、おわかりであればここで理由をうかがいたい」
細おもての中年の武士は、関口の父と名乗った老人をじっと見たが、すぐに首を横に振った。
「正式のご沙汰《さた》は明朝それぞれの家に言い渡されることになっておる。ご老人の言う処分の理由もそのときに示されるものと思うが、いまはまだ処分が切腹か否かを言うわけには参らぬところだ」
「しかしそれでは……」
「ただし……」
中年の武士は老人を制した。
「対面には、切腹の処分もあるという含みでのぞまれたらよかろうかと思う」
それだけ言うと、その武士はすばやく立って廊下から奥に消えた。あとに沈黙が落ちた。人びとはいまの武士が言い残して行った言葉を、それぞれの胸の内で噛みしめているというように見えた。
「いまのは御兵具役の磯貝四郎太どのだ」
文四郎の耳に、兄がささやいた。
「われわれを罪人の縁者としてではなく、武士の家の者として扱った。物事はああでなければならぬ」
文四郎は、兄の言葉を聞いていなかった。つい今しがた木立から現れた鬼やんまが、日射しを横切ってついと寺の縁側まで入りこみ、その奥に意外に大勢のひとがいるので、その先まで入ろうかどうしようかと思案する恰好で縁側の縁を行きつもどりつするのを見つめていた。
しかし鬼やんまを見ながら、文四郎の気持ちは父との対面の方にとらわれていて、父に会ったら何を言うべきかということだけが胸の中にうかんだり消えたりしている。しかし、これぞといった考えもうかばないうちに、突然にひとの名が呼ばれ、すぐそばの席から三十前後の武士が立って行った。文四郎はわれに返った。
文四郎の名前が呼ばれたのは五番目だった。さっき仏殿の入り口にいた横柄な物言いをする男たちの中の一人が案内に立ち、文四郎は仏殿の板の間から日のあたる廊下に出た。そして長い廊下を奥にすすむ途中で、文四郎の前に呼ばれた若い女性がもどって来るのに会った。女は眼を伏せたまま、会釈してすれ違って行った。取り乱したふうには見えず、青白い頬だけが文四郎の眼に残った。
廊下を曲がって、文四郎はべつの建物に入ったのを感じた。そして案内の男の指図で、襖《ふすま》をあけて一室に入った。そこは二十畳ほどもあるひろくうす暗い畳敷きの部屋で、襖をしめて向き直ると部屋の中に武士が一人いた。
「牧文四郎か」
とその武士が言った。ひげの剃りあとが青く目立つ、恰幅のいい四十ほどの男だった。文四郎がそうですと言うと、武士は文四郎が坐る場所を指定し、それから穏やかな声で言った。
「いま、助左衛門が来るゆえ、そのまま待て」
そう言うと、武士は膝を起こして立って行った。文四郎は胸が高鳴るのを感じた。
五
その部屋の一方は多分庭に面しているはずだったが、襖をしめ切ってあるので光は外からは入って来なかった。ただ武士が出て行ったところははじめから襖が一枚ひらいたままで、そこから文四郎が来た方角とは反対側の廊下の明るみが部屋にさし込んでいる。
冷えた空気が澱《よど》んでいるうす暗い部屋に、文四郎がじっと坐っていると、何の前触れもなく、部屋の入り口に人が立った。逆光のために顔は見えなかったが、文四郎はひと目でその人影が父の助左衛門だとわかった。
多分そこまで見送って来た者と言葉をかわしたのだろう。助左衛門は横をむいて短く何か言うと、そのまま一人で部屋の中に入って来た。そしてそこが定められた席なのか、文四郎から二間ほどはなれて正面に坐った。対面には立会人がつくのだろうと思っていたのに、ほかにはひとが来る様子もなく、親子は黙って顔を見合わせた。
「変わりはないか」
と助左衛門が言った。いつもと変わりない落ちついた声だった。文四郎ははいと言った。ここまで来ても、父親との今生のわかれに何を言うべきかよくはわからず、文四郎が焦っていると助左衛門が助け舟を出すように言った。
「今度のことではさぞびっくりしたろう。心配をかけた」
「父上、何事が起きたのかお聞かせください」
と文四郎は言った。だが助左衛門はすぐには答えなかった。少し沈黙してから言った。
「それは、いずれわかる」
「……」
「しかし、わしは恥ずべきことをしたわけではない。私の欲ではなく、義のためにやったことだ。おそらくあとには反逆の汚名が残り、そなたたちが苦労することは目に見えているが、文四郎はわしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」
「はい」
「矢田作之丞どのに話を聞いた。道場の若い者の中ではもっとも筋がいいそうだな。はげめ」
助左衛門がそう言ったとき、一枚だけ襖をあけはなしてある部屋の入り口に、さっきの武士が姿を現した。
「牧助左衛門、それまでだ」
と男が声をかけて来た。助左衛門は振りむくようにして男に一礼すると、文四郎を見て微笑した。眼がうす暗い光に馴れて、文四郎には父の笑顔がはっきりと見えた。
「登世をたのむぞ」
助左衛門はそう言うと、いさぎよく膝を起こした。文四郎は何か言おうとしたが言葉が出ず、入り口に歩み去る父親にむかって深々と一礼しただけだった。
兄の市左衛門と一緒に仏殿を出た文四郎を、真夏の光が照らし、耳にわんとひびくほどの蝉の声がもどって来た。
門を出ると、小和田逸平が待っていた。
「知人か」
逸平が市左衛門にも会釈を送って来たのでそれと気づいたらしく、市左衛門は足をとめて文四郎を振りむいた。
「漆原町の小和田逸平です。道場と居駒塾の同門で、いまは小姓組に勤めています」
「話したいか」
「はい」
市左衛門は思案するようにうつむいて沈黙したが、顔を上げるとよかろうと言った。
「叔母御には、わしから無事対面が終わったと伝えよう。おまえが取りみださなかったことも言っておく」
「ご足労をかけます」
「いや、わしも顔を出さずに帰るわけにはいかん」
「……」
「ただし、あまり遅くならぬようにいたせ」
市左衛門はそう言うと、逸平の方に軽い会釈を残して先に帰って行った。
すぐに逸平がそばに寄って来た。袴をはいてきちんと両刀を帯び、麻の羽織を着た逸平は、背丈があるので大人びて見えた。
「対面が許されたそうだな」
「うん」
「会ったか」
会って来た、と文四郎は言った。二人はそのまま口をつぐんで、龍興寺の土塀に沿って、寺の横手の方に歩いて行った。長い刻が過ぎたように感じられたが、龍興寺にいたのはものの半刻ほどだったらしく、日はまだ高かった。土塀の影が短く落ちているだけの、白くかがやく道を歩いて行くと、うしろからひとに見られている気がした。寺の門前を警護する槍持ち足軽が、二人を見送っているのだろうと思われた。
はたして塀の角を曲がると、ひとに見られている感触は不意に消えた。そこは片側が龍興寺の長い土塀、片側に古びた足軽屋敷がつづく道で、土塀の内側に森のように密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いているのが見わたせる。そこから狂ったように鳴き立てる蝉の声が聞こえて来た。
生け垣の奥にある足軽屋敷の庭には、洗い物を干す女たちの姿が見え、また生け垣の木槿《むくげ》の花をつむ子供が三、四人道ばたにいるのも見えたが、日ざかりの道には、ほかにひとの姿は見えなかった。
「おやじどのの様子はどうだった?」
と逸平が聞いたのは、寺の塀が尽き、足軽屋敷の生け垣も尽きるころになってからである。百人町は、その名が示すようにはじめ足軽百人を収容する長屋を置いたことから出来た町で、城下の北東の隅にあっていまも辺鄙《へんぴ》な感じがする町だった。実際に町の中にまだ田畑があり、農家がある。
足軽屋敷が尽きる先の方に、畑とそばにある雑木林が見えて来た。
「いつもと変わりなかった」
と文四郎は言った。
「二人だけで会えたんだな」
「そうだ」
「何か話したか」
「いや」
と文四郎は言った。小さく首を振った。
「何が起きたのか、聞きたいと言ったのだが……」
言いたいのはそんなことではなかったと思ったとき、文四郎の胸に、不意に父に言いたかった言葉が溢れて来た。
ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。母よりも父が好きだったと、言えばよかったのだ。あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのだろう。そして父に言われるまでもなく、母のことは心配いらないと自分から言うべきだったのだ。父はおれを、十六にしては未熟だと思わなかっただろうか。
「泣きたいのか」
と逸平が言った。二人は、歩いて来た道と交叉《こうさ》する畑に沿う道に曲がり、幹の太い欅《けやき》の下に立ちどまっていた。旧街道の跡だというその道は、欅や松の並木がすずしい影をつくり、そこにも蝉が鳴いていた。
「泣きたかったら存分に泣け。おれはかまわんぞ」
「もっとほかに言うことがあったんだ」
文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声は顫《ふる》えていないと思った。
「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」
「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」
「おやじを尊敬していると言えばよかったんだ」
「そうか」
と逸平が言った。文四郎は欅の樹皮に額を押しつけた。固い樹皮に額をつけていると、快く涙が流れ出た。そしてそのあとにさっぱりとした、幾分空虚な気分がやって来た。
涙をぬぐってから、文四郎は逸平にむき直った。逸平の眼がまぶしかった。
「少しみっともなかったな」
「そんなことはないさ。男だって木石じゃない。時には泣かねばならんこともある」
文四郎はあたりを見回した。景色がさっきと変わっているような気がしたのだが、気がつくといつの間にか日が翳《かげ》っていた。
「ひと雨来そうだな。もどるか」
と逸平が言った。その声が合図だったように、突然に砂まじりの風が走って来た。ぞっとするようなつめたい風だった。振りむくと空の半分は真ッ黒な雲に覆われている。風はそこから吹きおりて来たようだった。
「寺に、若い女のひとが来ていたろう」
小走りに駆けながら、逸平が言った。
「矢田さんの嫁さんだぞ」
走る二人に、大粒の雨が落ち、そして腹にひびく雷鳴がとどろいた。その日城下を襲った嵐は、龍興寺に死を待つ人びとがいるのを憤るかのように、夜半まで風と雨が城下の家々を打ち叩いた。
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蟻《あり》のごとく
一
夜が明けると、日はまた昨夜の嵐に洗われた城下の家々と木々にさしかけ、その日射しは、六ツ半(午前七時)に達するころには、はやくも堪えがたい暑熱の様相をむき出しに見せはじめた。そして五ツ(午前八時)になると、文四郎の家に城から使者が来た。
使者は二人だった。使者は登世が掃き清めておいたひと間に通ると、登世と文四郎を前に置いて、ごく事務的に御沙汰書を読み上げた。
反逆の罪により、と文書は述べていた。藩に対する反逆の罪により、助左衛門には切腹を命じる。牧家は家禄を四分の三減じ、普請組を免じて家は葺屋《ふきや》町の長屋に移すという中身だった。書類を読み上げると、使者はやはり事務的な口調で、同様の沙汰は今朝未明に、月番家老、普請奉行立ち会いの上で、大目付から助左衛門に伝えられたと言った。
登世に言われたように、文四郎がお受けすると言うと、使者ははじめて表情をやわらげた。ただし言うことには飾りがなかった。
「自裁し終わった遺骸は、それぞれの家でひき取ってもらう。出来れば荷車を一台支度したら便利だろう。むろん戸板または駕籠《かご》を使ってもかまわんが……」
「何刻までに参ったらよろしゅうございますか」
「はじまるのは四ツ半(午前十一時)。助左衛門どのは昼過ぎになろうが、昼までには寺に来ておる方がよかろう」
いそがねばならなかった。荷車はごく稀《まれ》に市中で見かけることがあるものの、ふだんはどこにあるのかわからなかった。米屋にはあるだろうと思い、日ごろ俸禄の処分をゆだねている伊勢半に頼むことも考えたが、米俵をはこぶ車を、死骸《しがい》を載せるのに貸しはしないだろうと登世が言った。
二人は手わけして、文四郎は実家に、登世は隣の小柳に相談に走った。市左衛門は今日の始末にそなえて勤めの方は半日の休みを取って家にいたが、荷車の手配はむつかしかろうと言った。戸板ではこぶしかないが、ひとを連れて行くから心配はいらないという兄の言葉を聞いて、文四郎が家に駆けもどると、登世が車の手配がつきそうだと言った。普請組に車が三台あって、うち一台は二人曳きの小さいものなので、甚兵衛がいまそれを借り出しに行ってくれているというのだった。
その甚兵衛が荷車をひいて現れたのは、時刻が四ツ(午前十時)にさしかかったころだった。甚兵衛は汗だくになっていた。
「ご厄介をおかけします」
文四郎が詫びると、甚兵衛は首を振った。
「わしも一緒に行ってやりたいが、今日はどうしても仕事に出かけねばならん。夜のお通夜には寄せてもらう」
「そのお通夜も葬儀も、通常のごとく行うのは許されまい。わしはいったん城に行って、そのあたりのことをうかがって来よう」
市左衛門がそう言ったので、みんな口をつぐんで顔を見合わせた。
牧の家は、助左衛門の父の代に本家の血筋が絶え、ほかに藩内と隣藩のうちに遠い親戚がいるにはいるものの、これも慶弔の交わりは絶えていた。結局は文四郎の兄市左衛門が、本家格で万事を指図するほかはなかった。
市左衛門は家から連れて来た中間と下男を、それぞれ菩提寺の法昌院と葬儀屋に使いにやるべく手配したあとで言った。
「弥助を寺にやり、わしもお城から法昌院に回るとなると、龍興寺までついて行く者がおらん。一人で行って来られるか」
「はい、一人で大丈夫です」
文四郎が言うと、市左衛門は龍興寺から矢場町までの距離と、文四郎の身体を秤《はかり》にかけてみるといったふうに、文四郎をじっと見た。そして、まだ懸念ののこる顔で言った。
「無理かの。ひとを頼もうか」
「いえ、兄上ご心配なく」
文四郎は強く言った。帰りは死んだ父と二人で帰るのだ、なんの無理なことがあろうかと、気持ちが昂《たか》ぶるのを感じていた。
結局市左衛門の手配どおりにすすめることになり、兄と召使いたちはあわただしく家を出て行き、文四郎は甚兵衛が借りてくれた車をひいて家を出た。
「文四郎」
門前から数間はなれたところで、文四郎はうしろから母に呼びとめられた。振りむくと門前に登世が立っていた。だが、ひと声呼びかけただけで、登世は眼もくらむような日射しを浴びてじっと立っている。
文四郎は車の梶棒《かじぼう》を下に置いて引き返した。登世はうつろな眼を上げて、空の一方を見ていた。呼びとめたのに、文四郎を見てはいなかった。
母がいま何を見ているかが、文四郎にはわかった。母が眼をむけているのは龍興寺の方角である。助左衛門は、いまはまだ生きていよう。しかし車をひくおれが寺につくころには、もうこの世のひとではないかも知れない。おれが門を出るのを見送っているうちに、母はその思いに堪えられなくなったのだろうと、文四郎は思った。登世の顔は、一夜にして青白くやつれていた。おそらく昨夜は心痛のために一睡も出来なかったのだろう。
文四郎は、母の肩に手を置いた。
「暑いところは身体に毒です。お静かに、家の中でお待ちになっていてください」
登世をたのんだぞ、という助左衛門の声が、耳の奥にとどろいたのを文四郎は感じた。文四郎は母の肩を回し、抱くようにして門までみちびいた。
「父上は、私が連れて参ります」
登世はうなずいた。そして突然に袂《たもと》をひき上げると、溢れ出る涙を拭いた。事件が知らされてから、比較的落ちついて事態を受けとめていたように見えた母が、はじめて取りみだしたのを文四郎は見た。
背をまるめて家に入る母を見送ってから、文四郎は車にもどって歩き出した。
二
文四郎が龍興寺についたときには、もう遺骸をひき取る人びとが寺門の前にかなりあつまって来ていた。車を用意した者も、戸板を用意した者もいたが、車は少なくて文四郎の車をいれて三台しか見あたらなかった。甚兵衛に車をさがしてもらえたのは幸運だったのだと、文四郎は悟った。
車も戸板も、門内には入れてもらえなかったが、ほかに駕籠が来て門を通った。切腹を命じられた人数の中には、前家老の平田帯刀のような上士も含まれていて、駕籠はその人びとをはこぶためと思われた。
堪えがたい時が過ぎて行った。真昼どきの白熱した光が門前に待つ人びとにふりそそぎ、その暑さも堪えがたかったが、それよりもいま寺内ですすんでいることが、待つ人びとの気持ちを火で煎《い》るように堪えがたくするのである。
「このまっ昼間に、死人をひき取れとは……」
不意に大声を出したのは、昨日の対面の前に関口晋作の父親と名乗って、係役人の磯貝に切腹の理由をただした老人だった。老人は屈強の男三人と一緒に、寺の塀に無造作によせかけた戸板のそばに立っていた。
「藩は死者を遇する作法を知らん」
老人は言葉をつづけた。
「ひき取りは明け方か日暮れてからか、いずれにしろもっと刻をえらんでしかるべきではないのか」
しかし老人の言葉に答える者はいなかった。人びとはそれよりも、老人の言った死者という言葉に胸をえぐられたというように、落ちつきなく視線をさまよわせた。昨日まで門前にあった竹矢来は今日は撤去されて、門のそばには二人の槍持ち足軽がいるだけだったが、その足軽も老人を見てはいなかった。
誰も答えないので、老人は肩を落としてうつむいた。すると白髪のうしろ姿がにわかにみすぼらしく、打ちひしがれて見えた。文四郎は老人から眼をそらして、寺の前にひろがる商人町を眺めた。
龍興寺のうしろは、田畑や雑木林が残る場所だが、門前も小店やしもた屋がならぶわびしげな商人町である。道をへだてた町の通りに、さほど多くはないもののいつもどおりにひとが行き来するさまを、文四郎はぼんやりと眺めた。そうしながら、寺の奥から介錯《かいしやく》の声が聞こえては来ないかと耳を澄ましたが、人声は聞こえず、耳に入って来るのは境内の蝉の声だけだった。
そして突然に門がいっぱいにひらかれ、ひとの名が呼ばれた。呼ばれたのはさっき藩に苦情を言った老人である。門に出て来た武士は、老人に持参したのは車か戸板かと問いかけ、戸板だとわかるとそれを持って門内に入るようにと言った。門前の人びとは騒然とざわめき立った。
そのあとは、事態はすみやかにすすんだ。つぎつぎと名前が呼ばれ、ひき渡された遺骸が寺から出て行った。半刻(一時間)後には、文四郎も名前を呼ばれた。
呼び出しの武士のうしろから、文四郎は門内に入った。仏殿の前の玉砂利を敷いてある場所まで行くと、そこにはべつの武士が二人いて、扇子ではだけた襟をあおいでいたが、文四郎を見ると扇子を閉じて、一人がここでしばらく待てと言った。
しかしほとんど待つ間もなく、仏殿の横を回って、戸板に遺体をのせた男たちが現れた。遺体の上には真新しい荒菰《あらごも》がかけられていた。
はこんで来た男たちが、地面に戸板をおろすと、さっき待つようにと言った武士がもう一度文四郎の名前をたしかめ、それから戸板のそばにしゃがんで菰の端をめくった。そして文四郎を手で招いた。死者を確認せよということらしかった。
文四郎はうずくまって父を見た。眼も口も閉じられていて、眠っているように穏やかな死に顔に見えたが、首から胸にかけてすさまじい血の跡がそのままのこっていた。そして首は縫いつけてあったが、その介錯がまさに首の皮一枚をのこす見事なものであることが、はじめて見るにもかかわらず文四郎にはわかった。父の手は胸の上で組まれている。そして遺体のそばに大小の刀がそえてあった。はやくも、どこからか飛んで来た蠅《はえ》が一匹、遺骸にまつわりついた。
「よいか」
引き渡し役の武士が言った。武士は顔に汗をしたたらせている。文四郎はうなずいた。
「はい、牧助左衛門に相違ありません」
「車を持参しているそうだな」
「はい」
「外まではこんでやれ」
武士は戸板をはこんで来た男たちに言った。そして立ち上がるとたまりかねたように扇子をひらいて胸をあおぎはじめた。もう一人の少し年若い男もそれにならった。
背をむけかけて、文四郎は男たちを振りむいた。気にかかることがあった。
「おたずねしたいことがあります」
「何だ」
男たちは扇子を動かす手をとめ、警戒するように文四郎を見た。
「父を介錯してくれたのは、どなたでしょうか」
「……」
男たちは顔を見合わせた。年嵩《としかさ》の方が、言ってもかまわんだろうと言い、若い方がうなずいた。若い男はまたたきもしない眼を文四郎にそそいでいる。
「知りたいのか」
「はい、ぜひとも」
「御小姓組の村上七郎右衛門どのだ」
文四郎は礼を言って、動き出した戸板の男たちを追った。
門前まで助左衛門の遺体をはこび出した男たちは、車ひきが文四郎一人だと知っておどろいたらしかった。
「坊っちゃま、一人じゃ大変でがしょう」
ほかにひとはいないのかと男たちは口ぐちに言ったが、文四郎は一人で大丈夫だと言った。
三
文四郎は男たちに手伝ってもらって、車に敷いたむしろの上に父の遺体を移した。遺体を動かすと、新しい血がむしろの上にこぼれた。そうしていると、文四郎の脳裏を、白日の下でそんなことをしている自分を信じられない思いが横切るのだった。
死者の引き渡しを待っている門前の人びとの数は、さっきよりかなり減っていたが、そのうちの二、三人は寄って来て、文四郎の車が動かないように押さえてくれた。遺体を移し終わると、文四郎はいったん荒菰をはぎ、用意して来た羽織で巻くように父の身体を覆い隠した。そしてその上からまた荒菰をかぶせると、人びとに礼を言って車をひき出した。
二人曳きの車といっても、普請組の車の輪は頑丈で重く、梶棒は太かった。遺体をのせてひき出すと、たちまち車の重味が身体にこたえて来た。時刻が九ツ(正午)を廻って、腹がすいて来たせいもあるだろう。
──これでは……。
いちばん近い道を帰るほかはなさそうだ、と文四郎は思った。はやくも流れる汗を袖《そで》でぬぐって車の上を振りむくと、羽織でも菰でも隠し切れなかった助左衛門の青白い足先が見えた。
死人をはこぶことを憚《はばか》って、帰りはなるべく繁華な場所を避け、遠回りになっても人通りの少ない町をもどろうかと、寺に来るまでの間に道みち思案を練ったのだが、焼けつくような日射しの下に重い車をひき出してみると、朝のうちのその分別は掻《か》き消えて、文四郎は一刻もはやく父の遺体を持ち帰らねばならないという焦りに取り憑《つ》かれていた。
その気持ちの裏側には、途中で力尽きて、父の遺体と一緒にこの炎天の下に立ち往生してしまうのではないかという恐怖感が貼《は》りついている。文四郎はしゃにむに力を出して車をひいた。
予期していたように、文四郎の車は行く先ざきでひとの注目をあつめた。城下の人びとは、今日龍興寺で何が行われているかを知っていた。さっきから町を戸板や車が通るのを見ていた人びとは、いま荒菰の下から足首が出ている車が来たのを見のがすはずがなかった。町を通り抜けながら、文四郎はすれちがうひとが足をとめ、軒下に立っている人びとが一語も出さず、しんとして自分を見送るのを痛いほどに感じ取った。突き刺すような視線は、文四郎の疲れを倍加させた。うつむいて、よろめきながら文四郎は車をひいた。時どきは自分を、炎天の下で身体に余る物をはこぶ蟻のように思い做《な》したりした。
武家町や寺町といった、人通りの少ない道に入るとほっとした。文四郎は道に梶棒をおろし、喘《あえ》ぎを静めながらさかさまに天を指している青白くて大きい父の足を見る。すると、いかにもいま父と二人きりでいるという気がして来るのだった。
父上、いま少しの辛抱ですぞ、と文四郎は胸の中でささやきかけて梶棒をにぎり直した。実際にそう思ったあとは、いくらか元気がもどって来る気がした。
しかし道はまたすぐに、にぎやかな商人町にさしかかる。文四郎はうつむいて車をひいた。左右の軒下からそそがれる視線に堪えながら歩いて行くと、いきなり聞きおぼえのある声が聞こえた。
「ほう、罪人の子が死人をはこんで来たぞ」
文四郎は顔を上げた。顔を見るまでもなく、相手が誰かはわかっていた。居駒塾で同門の江森|利弥《としや》である。
しかし上げた眼に入って来たのは、江森一人ではなかった。山根清次郎と数人の取り巻きが、腕組みをしてじっとこちらを見ていた。その顔に、言い合わせたように嘲《あざけ》り笑ういろがうかんでいるのを見て、文四郎は車をとめた。熱い怒りが胸にこみ上げて来た。梶棒をおろして、眼の前の無礼な男たちと殴り合いたい気持ちだった。
だが、文四郎は怒りを押さえた。足を突き出して横になっている車の上の父が、父を恥じてはならんと言ったような気がした。文四郎は胸を張って一人一人の顔に鋭い眼をそそいでから、また重い車をひき出した。男たちはそれ以上は揶揄《やゆ》の言葉を投げなかったが、文四郎との間にかなり距離が出来てから、誰かがうしろで叫んだのが聞こえた。
「しっかりせんか、牧文四郎。腰がひょろついているぞ」
つづいて男たちがどっと笑う声がしたが、文四郎は振りむかなかった。一歩一歩足を踏みしめるように前にすすみながら、胸の中で父を恥じてはならんとつぶやいた。眼に汗が入り、それを拭《ふ》こうと手を上げたとき、堪えがたいほどの疲れが襲って来た。文四郎は通行の人びとの好奇の眼にさらされながら、のろのろと車をひき、河岸の道に出た。そして道を右に曲がった。
その道は矢場町に出る近道だった。町家のしもた屋と足軽屋敷が混在する静かな場所だが、矢場町の通りに出る前に、わずかに道がのぼりになる。近道に曲がったものの、文四郎はあそこをのぼり切れるだろうかと危うんでいた。ふだんは気にもとめない、坂道とも言えないそののぼりがひどく気になるのは、疲れがきわまって来たからだろう。
しかし迂回《うかい》して平らな道をたどる体力がもう残っていないこともわかっていた。迂回すれば、途方もなく遠い道になる。死力をつくして坂道をのぼるしかなかった。
と、足軽屋敷のはずれまで来たとき、車は不意に軽くなった。車輪はごろごろと鳴り、文四郎は梶棒をつかんだまま、前にのめりそうになった。
振りむくと、助左衛門の足の先に黒い頭が見える。そしてつぎに上げた顔が杉内道蔵だった。文四郎は車をとめた。
「千鳥橋をわたろうとしたら、牧さんの車が見えたんです」
と道蔵が言った。
「お一人だとわかったら、龍興寺までお手伝いに行ったのですが」
「杉内」
文四郎は、汗を拭き終わった顔を車の上の遺体にむけ、あごをしゃくった。
「死人がいやじゃないのか」
「いや」
道蔵はいくらか怖《お》じたような眼を、荒菰から突き出ている足にむけたが、すぐにきっぱりとした声で言った。
「牧さんのお父上ですから、何とも思いません」
「済まんな」
と文四郎は言った。実際にこれで助かったという気がしている。
「逸平がいれば頼むところだったが、やつも城勤めでわが身が自由にならなくなった。助かったぞ」
「いえ」
「では、押してくれ」
文四郎は車をひき出した。道蔵に押してもらうと楽だった。しばらく歩いてから文四郎は、前をむいたままで言った。
「しかし、杉内」
「はい、何ですか」
「今日は手伝ってもらって助かったが、おれはこれからのち、罪名を着て腹を切らされた者の子ということで敬遠されることになろう。おれにあまり近づかぬことだな」
道蔵は答えなかった。しかし前方に、さっき文四郎が気にしたゆるい坂道が見えて来たころに、不意に言った。
「牧さんは、道場をやめるんですか」
「さあ、どうなるかな」
と文四郎は言った。出来ればやめたくはなかった。はげめと言った父の声が耳に残っている。だが、高弟の矢田作之丞が、今度の秘事にかかわり合っていたことで、道場は藩に慎みを表明する必要があるかも知れず、そうなれば関係者の一人として、やめろと言われることもあり得ると文四郎は思っていた。
のぼり坂の下に来た。そしてゆるい坂の上にある矢場跡の雑木林で、騒然と蝉が鳴いているのも聞こえて来た。日は依然として真上の空にかがやき、直射する光にさらされて道も苗木の葉も白っぽく見える。
「さあ、押してくれ」
道蔵にひと声かけると、文四郎は最後の気力を振りしぼってのぼりになる道をはしり上がった。
車を雑木林の横から矢場町の通りまでひき上げたときには、文四郎も道蔵も精根尽きはてて、しばらくは物も言えずに喘いだ。車はそれほどに重かった。
喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けて来る少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。
ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて梶棒をひいていた。
四
通夜も葬式も、服部市左衛門が懸念したとおりになった。目立たぬようにせよ、というのが城の意向だった。その意向は、城にのぼってそれとなしに上の方に伺いを立てた市左衛門もつかんで来たが、夕方になって城から来た使いによって、改めて牧家に伝えられた。
通夜と葬式に出ることを許されたのは、文四郎の実家服部家のほかは、普請組の小柳甚兵衛と山岸重助、つまり文四郎の家の両隣だけである。道場、塾の関係者はむろん、小和田逸平でさえ、御小姓頭に伺いを立てたところ出席をとめられた。そして、そのさびしい弔いが終わると、すぐに家を明けわたす日が来た。
葺屋《ふきや》町は、城下の東南のはずれにある町で、町の裏手に出ると田圃《たんぼ》越しに五間川の岸が見える場所である。矢場町からは、城下の端から端まで歩くほどの距離があった。文四郎は母をいったん実家に預けてから、兄が手伝いに寄越した下男の嘉平を相手に、甚兵衛が再度奔走して借りてくれた荷車に、家財を積みこんだ。嘉平は文四郎の祖父の代から服部家にいる奉公人で、もう腰がまがりかけている老人なのに、こういう仕事になるとまだまだ文四郎などおよびもつかない力を出す。嘉平がすすめるたくみな手順で、支度ははかどり、日が暮れるまでには葺屋町にたどりつけそうだった。
車の上の荷をくくり終わると、文四郎は嘉平を待たせて家の横にある畑に回ってみた。だが、茄子《なす》畑も菜畑も、水をやるひまも気持ちのゆとりもなかったので、草ばかり生い茂り、その草に埋もれるようにして、茄子も青菜も立ち枯れていた。
文四郎は家の裏手に回った。木立の下に入ると、頭上から蝉の声が降って来た。そして西に回ったせいでやや赤味を帯びた日射しが、田圃の上をわたって木立の中まで入りこんで来て、裏の木立は内側から木の幹や葉の裏まで奇妙な明るみに染まっているのだった。日射しはまだ暑かったが、木々の葉を染めている明るみには秋の気配が見えていた。
文四郎は洗い場に降りて、つめたい水で顔を洗った。そして腰の手拭いをはずして、顔から胸をぬぐいながらあたりを見回したが、どの家の洗い場も無人だった。がらんとして明るい無人の洗い場は、なぜかとてもさびしい場所に見えた。小川がかすかに水音を立てているだけだった。
その水音を聞きながら、文四郎はしばらく小川のむこうにひろがる田圃を眺めた。田圃の稲は小さな花をつけはじめ、遠くに見える村落のあたりには、物を焼くほそいけむりが立ちのぼっていた。ここの景色も、これで見おさめだなと思いながら、文四郎は表に引き返そうとした。
小柳のその先の、宮浦という家の女房と顔を合わせたのはそのときである。胸高に洗い物を抱え川べりに出て来た女房は、しかし文四郎をみるとさっと顔をそむけ、そのまま家の方に引き返して行った。
文四郎の胸に重苦しい痛みが残った。足早に家の前に引き返すと、梶棒に腰かけて煙草を吸っていた嘉平が、煙管《きせる》をしまって立ち上がった。
「もう、ようがすか。お坊っちゃま」
「いいぞ、行こう」
梶棒は嘉平がにぎり、文四郎は後について車を押しながら家を出た。組屋敷の前を通り抜け、矢場跡にさしかかるとまた雑木林の蝉の声が聞こえて来たが、その声はこころなしか以前よりも衰えて来ているように思われた。
──夏も、だんだんに終わる。
と思いながら、文四郎は車を押した。ひどい夏だった、とも思った。
車を押しても、父の遺骸をはこんだときのように、道行くひとにじろじろ見られることはなかった。そして長い道のりではあっても、途中に矢場町のまわりのように坂があるわけでもなかった。むしろ道はいくらか下り加減になっていて、車を押すには楽だった。
──ふくは、顔をみせなかったな。
と、ふと思った。
組屋敷を去る自分を、ふくが見送ってくれるかも知れないと考えたわけではない。しかしふくは通夜にも葬式にも来てくれたので、両隣への挨拶は今朝母がして行ったから見送りということはないにしても、どこかでそれとなく顔をみせるのではないかと漠然と期待していたのは事実である。
だがふくは裏の洗い場にもいなかったし、車をひき出す音を聞きつけて門に出て来ることもなかった。
がらんとして、日射しだけが明るかった小川べりの洗い場が眼にうかんで来た。しかしその光景に、すぐに顔をそむけて家に引き返して行った宮浦の女房の姿が重なった。
──ふくの家だって……。
家の中ではどう言っているか、わかるものではないと文四郎は思った。甚兵衛とふくは、通夜にも葬式にも出てくれたものの、あれだけ米を貸せ、塩を貸せとひんぱんに出入りしていた甚兵衛の女房は、事件以来一度も文四郎の家に姿を見せなかったのである。女房は、ふくが文四郎の家に近づくのを禁じているのかも知れなかった。
宮浦の女房が見せた態度が特別なのではなく、むしろ世間はこれからああなるぞと覚悟を決めておく方がいい。ふくが顔をみせなかったのはあやしむに足りないと文四郎は思った。
文四郎と嘉平が曳く車は、ごみごみした職人町のようなところにさしかかっていた。樹皮をはいだ二尺ほどの白木が、軒下にならべて干してあったり、タガがはずれかかった古い樽《たる》がいくつも空地に積んであったりする一角を通りすぎて、車は目ざす長屋についた。
「ここでしょうかな、お坊っちゃま」
「そのようだ」
「だいぶ古びたお家で……」
と言って、嘉平は絶句した。ところどころ壁が落ちている古い長屋が目の前にあった。
五
葺屋町のその長屋は、元来が御鷹《おたか》組に属する御餌刺《おえざ》し衆の住居として建てられたものだと、文四郎は兄から聞いている。
御餌刺し衆は、鷹の餌にする小鳥をとらえる役目の軽輩で、十数年前に御餌刺し衆が新たに鷹匠町に建てられた長屋に移ったあとは、一時、城の御台所に働く料理人たちが住んだ。しかしいまは誰が住んでいるのか、よくわからないということだった。
文四郎と嘉平が、城の使者に指示された空家になっている家に荷物をはこびこんでいると、隣の家から小者ふうの身なりをした三十過ぎの男が出て来た。あとでその男は、毎朝浜で上がる魚を城まで急送するのが仕事の、御台所雇い人とわかったが、そのときは文四郎が挨拶をしてもうさんくさそうにこちらをすかし見るだけで、名乗りもしなかったのである。
日が暮れるころには、さほど多くもない家財はあらかた家の中におさまり、そして兄の家の婢に送られて母が来た。兄嫁がにぎり飯をたくさんつくって持たせて寄越したので、夜食はそれで間に合った。嘉平と婢のはるも、台所でにぎり飯をお相伴してから帰って行った。
嘉平たちが帰ったあと、文四郎と登世は改めて近所に挨拶に回った。それでわかったのだが長屋は七軒ずつの二棟で、半分は空き家だった。そして家にもどってこまかい片づけものをしていると、今度は小和田逸平が来た。
「いや、暗いから見つけるのに手間どって」
逸平は城下の田原屋で買って来たという、菓子折りを登世にさし出しながら言った。
「いかがですか。お気持ちの方はいくらか落ちつかれましたか」
「まだ、とても。夢を見ているようで」
と登世はこたえた。
「そうでしょうな。じつに思いがけないことが起こるものです。さぞお力落としでしょうが、しかし新しい暮らしに馴れなければいけませんな。しかし……」
大人びた口調で言いながら、逸平は長押《なげし》のあたりに眼をやって眉《まゆ》をひそめた。
「いくらなんでも、こんなボロ長屋に押しこめるとは藩もやり過ぎですな」
「いえ、助左衛門はお上に楯《たて》突いた罪人ですから、たとえ古家でも住む家を下さり、禄米も残していただいたのはありがたいと思わなければ……」
登世は言って、逸平に笑顔をむけた。
「小和田さまは、お城にのぼられるようになりましてから、ずんと大人になられましたこと。見ちがえるようですよ」
「いやあ、それはおばさまのお目がねちがいではないでしょうか」
逸平は首に手をやっててれて見せたが、すぐに夜分おそくうかがったのに申しわけないが、文四郎と内密の話をしてもいいかと言った。登世の許しを得て、二人は文四郎の居間兼寝部屋になるはずの三畳の小部屋に籠《こも》った。
「おう、こりゃ足の踏み場もないな」
逸平は文四郎の部屋に入ると、中にほうりこんだままになっている行李《こうり》や風呂敷包みを、ひょいひょいとかたわらに積んで、自分の坐る場所をつくった。
二人が坐って、真中に行燈《あんどん》を置くと、部屋はそれでいっぱいの感じになった。
「その後、道場に行ったか」
「いや、ぜんぜん」
「そうだろうな。引越しが済まぬうちは、そんなゆとりもなかったろうな」
おれは昨日、ひさしぶりに道場をのぞいて来た、と逸平は言った。
「宿直明けで、朝には家にもどれたから行ってみたのだが、いつの間にかちょっとおもしろい男が入っているぞ」
「……」
「犬飼|兵馬《ひようま》というそうだ。聞いたことがあるか」
「いや」
「父親は定府だったのだが、今度はじめて国勤めに変わって、この春お上にしたがってこちらに来たらしい。兵馬というのはおれと同年だが、これが強い」
「空鈍流か」
「いや、それはわからんが、おれは軽くひねられてしまった。強い上に……」
逸平はにが笑いした。
「こいつ、いやな男なのだ。文四郎、犬飼は貴様の好敵手になりそうだぞ」
逸平はそう言ったが、話したいことはほかにもあったらしく、むずとあぐらを組んだ。
「ところで、少し事情がわかって来た」
逸平は声をひそめたが、これは妥当な用心というべきかも知れなかった。逸平の声は大きいので長屋の壁を突き抜けるだろう。
「わが殿には御子が六人もおられるが、男子は亀三郎|君《ぎみ》、松之丞《まつのじよう》君のお二人。お世継ぎはこのお二人のどちらかになるだろうという話は知っているな」
「まあ、大体は……」
「そうか、よし。で、亀三郎どのは正室のお腹というのかな、要するに正妻の御子だ。そして松之丞どのはお妾《めかけ》のおふねさまの子だと、このへんのことも聞いているか」
亀三郎はすでに十九歳で、四年前に将軍家への謁見も済み、志摩守に任ぜられている。そして松之丞はいま十二歳。形からみれば世継ぎ問題はとっくに片づいているかに思われるのだが、事実はさにあらずで、松之丞が生まれて以来十年余、裏では熾烈《しれつ》な世継ぎ争いが行われて来たというのが真相らしい、と逸平は言った。
「それには理由がある」
逸平は言ったが、ふと口をつぐんで窓の外に聞き耳を立てるようなそぶりをした。緊張した表情だった。だが振りむいて文四郎を見たときにはテレ笑いをうかべていた。
「いや、このおれにむかって、ここには近寄らん方がいいなどとバカなことを言うのもいるんだ」
「ほう」
と言ったが、文四郎はもうおどろかなかった。ついさっき、組屋敷裏の小川べりで見た宮浦の女房の姿が頭にうかんだ。
「そういうことを言うひとは、これからもっと出て来ると思うぞ。用心することだ。おれの方はかまわんのだ」
「なに、言わせておけばいいのよ」
逸平は突然に大きなくしゃみをひとつして、失礼と詫びた。そして本題にもどった。
「世継ぎ問題に決まりがつかないのは、いま奥の方でいちばん勢力をふるっているのが正室さまではなくおふねさまで、そのうえお上ご自身が志摩守さまより松之丞さまを気に入っておられるからだそうだ」
「……」
「殿やおふねさまがそういうご意向だとなると、当然その意をむかえて世継ぎ問題をひっくり返そうという一派が出て来る。事実三年前には、病弱を理由に志摩守さまを廃嫡に持って行くくわだてがあったらしい」
「……」
「大体はのみこめたろう。貴様のおやじどのが巻きこまれたのはこれだ。で、今度の騒動でどうなったかというと、両派の均衡がこれで破れて、志摩守さまの廃嫡は避けられないのではないかとみられているというのだ」
「おやじは志摩守さまを支持していたわけだな」
「そうだ」
「反対派を指揮しているのは誰だろう」
「おやじどのの敵などと意気込まぬ方がいいぞ」
逸平はうす笑いした。
「おれが聞いた話だと、どちらが先手を取るかはきわどい勝負だったそうだ。負けた方が反逆の罪名を着せられたというだけのことだったと言う。で、松之丞さまを擁立する側の旗振りは誰かということだが、これがはっきりせぬ」
「そんなことはあるまい」
「いや、事実だ」
と逸平は言った。
「ご家老の里村左内さまではないかと言われているが、里村さまは傀儡《かいらい》で、画策の張本人は元の中老稲垣忠兵衛さまだという説もあるらしい」
里村はいまの次席家老、稲垣忠兵衛は名執政と呼ばれて数年前に隠退した中老だというぐらいの知識はあった。文四郎は父を死に追いやったものが、ようやくぼんやりした人間の形をととのえてうかび上がるのを感じた。
「話は変わるが、吉村信蔵を斬ったのはやはり矢田さんだったらしいな」
「やっぱり、そうか」
「吉村は松之丞派の連絡係だったそうだ」
そう言ってから、逸平はそうだ、ひとつ忘れていたと言った。
「矢田さんのご新造がここに引越して来るという話を聞いたがほんとかな。貴様は聞いておらんか」
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落 葉 の 音
一
文四郎と犬飼兵馬が練習試合をはじめると、まわりの竹刀の音が次第にやんだ。いつものように、二人の試合ぶりを見物するつもりだろうと思われた。
その気配は文四郎にはわかったが、気にはならなかった。気持ちは竹刀をにぎってむかい合った瞬間から、相手の動きにひきつけられている。どんな小さな動きにも、とっさの変化にも対応出来るように、四肢をやわらかく撓《たわ》めるように保ちながら、様子を窺《うかが》う。
しかし犬飼兵馬の表情ほど読みにくいものはなかった。もともとが青白くて肉のうすい顔立ちなのに加えて、兵馬の眼はほとんど喜怒哀楽を映すことがない。視線をかわす相手がたじろぐほどに、ひややかに乾いている眼は、竹刀をとってむかい合うといっそう何を考えているかつかみかねる眼つきに変わる。
文四郎は、八双の構えのまま、つま先で床をさぐるようにして右に回った。兵馬の変化を引き出すための誘いの動きだったが、兵馬は動じなかった。軽く動きを合わせて、やはり体を右に回しただけである。兵馬も流派の基本型である八双に構えていたが、しかしその構えには拳《こぶし》のにぎりの位置、足のひらきなどに空鈍流とは異なるものが現れていて、つぎの変化を予測しがたい無気味な感じがあった。さきに何流をまなんだのかは知らないが、兵馬の八双の構えは修行した以前の流派の影をひいている。
と、音もなく兵馬が踏みこんで来た。鋭い踏みこみで、ぬっと頭上にのびて来る竹刀には迫力があった。文四郎は避けずに、こちらも踏みこんでその竹刀をはじいた。兵馬がわずかに体勢を崩したところにつけこんで、すばやく籠手《こて》を打ったが、相手は引き足はやく、するすると三間ほどもうしろにさがった。腰の定まった見事な引き足だった。
文四郎が剣を八双に引き上げると、兵馬も応じて八双に構えた。双方からじりじりと間合いをつめ、今度は文四郎が打ちこんだ。兵馬との打ち合いの間合いに入る寸前の攻撃である。踏みこんではげしく肩を打った。兵馬はその打ち込みをかわした。足と肩をひいてかわしながら、竹刀は流れるように受けの形に変わっている。その受けに引いた竹刀が、そのまま攻撃のための左八双に変わったのが犬飼兵馬の非凡なところだった。風をまく打ち込みが、文四郎の胴を叩《たた》きに来た。
下がれば肋骨《ろつこつ》が折れるほどに打たれたに違いない。だが文四郎の打ち込みには、つぎの用意があった。肩を打ったその位置から、瞬時につぎの攻撃に移ったのである。兵馬の打ち返しと相討ちの形になったが、二段打ちの文四郎の竹刀と踏みこみの速さがわずかにまさった。文四郎は胴をかすられたが、その前に兵馬の眉間《みけん》をぴしりと打ち据えていた。
生前の矢田作之丞も閉口したほどの、鋭い面打ちである。かなりこたえたはずだが、兵馬は顔いろもかえなかった。「まだだ」と言うとすぐに竹刀を八双に引き上げた。
文四郎もすばやく八双に構えをもどした。慎重に兵馬の眼のいろをさぐる。依然として表情を読みがたい顔だが、その顔を注視しているうちに、文四郎の眼に相手の左肩にある隙が見えて来た。見直すまでもない、小さいが歴然とした隙である。眼の隅に映っているその隙を打つのはたやすいことのように思われた。
文四郎はなおも慎重に兵馬の表情を窺い見た。平然と相手は構えている。ちらと左肩にある隙に眼が走った。つぎの瞬間、文四郎は罠《わな》に落ちたのを悟った。眼にもとまらぬ兵馬の打ち込みが襲って来て、文四郎は肩を打たれた。思わず竹刀を取りおとしそうになったほどの、強い一撃である。
「参った」
とびさがって文四郎は叫んだが、兵馬は攻撃をやめなかった。細身の身体をしなわせるようにして追い討ちをかけて来た。
面前に来たその打ち込みを、文四郎は竹刀を上げて受けとめた。その受けの角度が悪かったのか、それとも兵馬の打ち込みが強すぎたのか、ざくりと音がして竹刀が二つに折れた。かまわずに兵馬はなおも打ちこんで来る、ささらのようになった竹刀を上げてかわしているうちに、文四郎は道場の羽目板に追いつめられた。
道場の中が騒然となり、その中から「それまで。おい、それまでだ」という師範代の佐竹金十郎の大声が聞こえた。兵馬の動きがとまった。竹刀を引いて、兵馬は例の表情のない顔でじっと文四郎を見つめたが、くるりと背をむけると着替え部屋の方に去った。
「どうした?」
そばに寄って来た佐竹が言った。佐竹は不機嫌な顔をしていた。御馬乗り役の佐竹は、藩主が帰国中なので以前のようには休暇がとれず、道場にもせいぜい五日に一度しか顔を出せなくなっていた。
今日も遅れて来て、見ればいまのような有様である。自分が眼をはなしているうちに、後輩が勝手なことをしていると思ったかも知れない。その不機嫌が顔に現れていた。
「私闘はゆるさんぞ」
「いえ、ふつうの試合です」
と文四郎は抗弁した。文四郎はまわりを見回した。二十人近い門人たちは、稽古はそっちのけにして、押し黙って二人が問答する様子を見つめている。
「参ったと声をかけたのですが……」
「大橋」
佐竹は二人を見ている門人の中にいる大橋市之進を呼んだ。今日は丸岡俊作も、席次四番の塚原甚之助も休みで、大橋が下の者の稽古をつけていた。
「文四郎はこう言うが、事実か」
「はあ、そう聞こえたようにも思いますが」
「では、なぜとめんのだ」
大橋はうつむいて顔を赤らめた。あからさまには言わないが、文四郎を見る道場の者たちの眼には、以前とは異なってへだてる気配がある。
「よし、もうひと稽古だ。はげめ」
みんなを見回してそう言った佐竹が、用ありげに師匠のいる母屋の方に去ると、ふたたび思い思いの相手をえらんでの稽古がはじまった。そして道場の中は、すぐに竹刀を打ち合う音、気合の声、床を蹴る足音などで騒然となった。
その中で文四郎は、相手をさがしているうちに大橋市之進に呼ばれた。
「貴様の声がはっきりせんから、こっちが佐竹さんに叱られたじゃないか」
大橋は怒気をふくんだ声で、文四郎に文句を言った。にきびの痕《あと》が点々とのこる肉の厚い顔を赤くして怒っている。
大橋は百二十石の家中の部屋住みで、二十三歳。どこかに婿に入りたくて焦っているにしては、さっぱり良縁にめぐまれず、その鬱憤《うつぷん》をはらすために夜な夜な染川町あたりのあやしげな飲み屋に出没しているといううわさのある若者だった。
──聞こえなかったはずはない。
と文四郎は思った。ほかの者はみな稽古をやめて、文四郎と兵馬の稽古試合を見守っていたのである。参ったという声は、はっきり聞こえたはずである。
聞こえなかったから怒っているのではない。おれのことで師範代に怒られたことに、腹を立てているのだと文四郎は思った。しかし理屈を言えば、相手はよけいに怒るだけだとわかってはいた。
「申しわけありませんでした。以後十分に気をつけます」
「ふむ。それから犬飼にやられたところを見ていたが、だらしないにもほどがあるぞ。外から入って来た者に、手もなくひねられるんじゃ、何のためにわれわれが稽古をつけてやっているかわからん」
大橋はねちねちと小言を言った。
「今日の稽古が終わったら残れ。少し仕込んでやろう」
「ありがとうございます」
文四郎は礼を言ったが、これで今日はかなりやられるぞと覚悟した。
大橋市之進のしごきから解放されたのは、そろそろ七ツ半(午後五時)になろうかと思われるころだった。文四郎は固い床の上に坐ったまま、大橋に打たれた肩や腕が痛みにうずくのに堪えていた。疲れ切って、すぐには立てなかった。
武者窓から、その日の最後の光が入りこんで羽目板を染めるのを眺めていると、道場の出口に足音がして、着替えた大橋市之進が帰って行く気配がした。
──一本打ちこんでやったぞ。
と文四郎は思った。のろのろと立ち上がった。一瞬の隙をついて、大橋の面をきれいに打った。その一撃のために、怒った大橋からめったやたらに打ち据えられることになったのだが、あの打ち込みは自分でも納得が行くと文四郎は思っている。
二
裏口から庭に出て、井戸水を汲んで顔を洗い、上半身の汗をぬぐった。すると、母屋から師匠の咳《せき》の音が聞こえて来た。師匠の石栗弥左衛門は風邪をひいて、数日道場に姿を見せていなかった。黙々と身体を拭いていると、井戸のそばの欅から落葉が降って来て、井戸枠にあたってかすかな音を立てた。
文四郎は井戸に蓋《ふた》をして、建物にもどった。汗くさい匂《にお》いがこもる着替え部屋でふだん着に着替え、道場の戸締まりをたしかめてから外に出た。
石栗道場がある鍛冶《かじ》町は、いまの藩主家が元和《げんな》のむかしに下野《しもつけ》から移封されて来たときに、数軒の鍛冶職人がかたまって住んでいた場所だと言われるが、いまはそのおもかげはなく、町の大部分は古びたしもた屋で、ほかには河岸近くに小商人の店があるだけの静かな町になっていた。鍛冶職人は、いまは刀鍛冶、鉄砲鍛冶、野鍛冶が一カ所にあつめられて城下の南に新しい町をつくっているが、町の名は新鍛冶町である。
文四郎は小さな種物屋と、一人の客も見えない古手屋の間を抜けて河岸の道に出た。以前はそこから見える千鳥橋をわたって帰ったのだが、いまは五間川に沿って河岸の道をずっと下流まで歩き、そこにかかっている古びた木橋金山橋をわたる。
位置から言うと、城下の東の端にあたるそのあたりの町は、いかにも場末という感じがただよう場所で、何の職人かわからない半裸の男が、この季節に肌を汗で光らせて白木の柱をみがいていたり、瓦屋《かわらや》の無人の窯《かま》がもうもうと煙を上げていたりする。そして少し行くと屋根の低い家と家の間の空き地に、古畳や虫の喰った古材木が山と積み上げてある。裸足《はだし》の子供たちが、その間を走り回っていた。
──おもしろがって見ていたな。
と文四郎は、犬飼兵馬との稽古試合を思い返している。稽古試合は、気の合った者同士が道場の隅を使って行うので、手を休めて見守らなければならないということはない。かまわずに自分の稽古に専念する者もいて、むしろそれがふつうである。
だが、文四郎と犬飼が申し合わせて試合をはじめると、ほとんどの者が自分の稽古を放棄して、まわりを取りかこんで見物に回ったのである。露骨な、事あれかしという眼つきだったと文四郎は思っている。
むろん次席の丸岡俊作や後輩の杉内道蔵、ほか二、三人は、城下を震駭《しんがい》させたこの夏の事件のあとも、以前とまったく変わりなく文四郎に接して来るが、ほかの者の態度は微妙に違って来た。ある者は眼で文四郎をこばみ、ある者は言葉や態度でへだてを置いた。文四郎が以前のように近づくのを拒否するのである。
そういう者たちは、若手の中では進境もっとも著しいと折り紙をつけられている文四郎に、犬飼兵馬という好敵手があらわれたことをおもしろがっているようだった。
犬飼兵馬は、定府として長く江戸屋敷で御留守居を勤め、今度国勤めに変わって御使番となった者の次男で、家禄は三百石。藩では上士とされる家の人間だった。
しかし兵馬の性行は、小和田逸平が言ったように一風変わっていて、自分の気にいらない相手にはろくに挨拶もしないというところがみえた。無口で、たまに口をひらけば歯切れのいい江戸弁で木で鼻をくくったような物言いをするか、ぐさりとひとを刺すような厭味《いやみ》なことを言った。
傲慢《ごうまん》というのとも少し違う、兵馬のそういう態度、物言いは、鈍重で気のきかない国者を侮っていると受け取られかねないものだったが、しかしひとの内心はわからず、あるいは兵馬はただの変わり者なのかも知れなかった。
犬飼兵馬は自分のそういう性向を隠さなかったので、入門早々から石栗道場の者たちの反感を買ったが、兵馬自身は自分がまわりから嫌われていることを、いっこうに意に介さないようだった。そして剣の稽古は好きとみえて、休まずに道場に通って来た。
その兵馬が、道場にもどった文四郎の竹刀の動きに、身近な好敵手を見つけるまで、さほど日にちを要しなかったようである。兵馬はたちまち文四郎に興味を持ったふうで、ほかの者を押しのけて文四郎の稽古相手に回って来るようになった。
しかしその稽古の間に、兵馬は自分の技がどうしても文四郎の技量に一歩およばないのを見極めたようでもあった。そしてそのころから、機会をとらえてはよりはげしい一対一の試合を挑むようになったのである。
稽古中、あるいは稽古が全部終わったあとに、門人が一対一の試合を行うことを、道場では禁止していない。稽古の中で会得したことをためしてみるといった意味で、むしろ奨励する気分があった。しかし文四郎と兵馬の稽古試合が、道場側が考えているような穏やかなものでなく、異常にはげしいものであるのに、間もなく周囲も気がついたようである。
師匠や師範代の佐竹金十郎、あるいは次席の丸岡俊作は、二人の稽古試合をきびしく監視するようになった。簡単には試合を許さず、許可した場合は必ず立ち合って、成り行きによっては途中で分けることもある。しかしこういった人たちがいないときは、二人の稽古試合のはげしさは野放しになった。
おもしろがって見ているな、と文四郎が感じるのは、兵馬とそういう野放しのはげしい打ち合いをやっているときである。そういうときは身のまわりに、きらわれ者ときらわれ者がやり合っているぞ、やらせておけといった空気が濃密に立ちこめるのがわかった。
ただ反逆者の家の者に対するへだてだけではなく、もともと文四郎に対しては微禄の家の子が抜群の剣の力量を示すことに対する、道場内の暗黙の嫉視《しつし》がある。その嫉視がここに来て一挙に表に出て来たという感じでもあった。文四郎はそれも承知していた。
──好んでみんなを喜ばせることはない。
と思うときがある。そういうときには文四郎は、ひとの見世物になるのは愚かなことだと思っている。見世物になるのを拒むのは簡単だった。兵馬の挑戦に応じなければいいのである。事実それと同じ言葉で、丸岡俊作にきびしく叱責されたことがある。
丸岡はそのとき、ついでにこう言った。
「おまえたちがやっているのは試合ではない。喧嘩だ」
そう言われても仕方ないことを、文四郎はわかっていた。しかしそういうことをすべて承知しながら、文四郎はこれまで兵馬の挑戦を一度も拒んでいない。挑まれれば必ず応じた。そして応じて竹刀をにぎるとき、文四郎は日ごろ胸の奥深く隠れている荒涼としたもの、父の死以後の変化が胸にきざみつけた不遇感が、荒々しく前に出て来るのを感じるのだった。
兵馬の荒っぽい挑戦が、胸の内の荒涼とした感情を呼び起こすことに間違いはなかった。それがなぜなのかと深く考えることまではせず、文四郎は兵馬と竹刀を打ち合う。そのときは概《おおむ》ね分別をわすれて、獣めいた気分になってはげしくたたかった。そしてそのたたかいの中で、ふと相手の兵馬もまた何かの不遇感をかかえていて、その鬱憤をこちらにぶつけて来ているのではないかと思うことがあった。
木々の葉は黄ばみ、家々の軒が低く垂れさがっている町を、文四郎は足早に抜けて自分が住む葺屋町に入った。大橋市之進に打たれた腕と肩はまだ痛かったが、胸の中の荒涼とした気分はおさまっていた。
長屋の生け垣を入って、自分の家の戸をあけた。ただいまもどりましたと、土間から声をかけるとすぐに母が出て来た。
「小柳のふくさんが、たったいま帰ったばかりだけど……」
と母は言った。おちつかない顔いろをしている。
「そのあたりで出会いませんでしたか」
「いや」
文四郎の胸にあかるいものがともった。ふくの名前を聞くのはひさしぶりだった。
「ここに来たんですか」
「それがね、急に江戸に行くことになったと、挨拶にみえたのですよ」
「江戸に? それは、それは」
「明日たつのだそうです。江戸屋敷の奥に勤めることになったとかで、その話はあとにして……」
母は指で外を指した。
「ちょっと追いかけてみたらどうですか、まだそのへんにいるかも知れませんよ」
「わかりました」
文四郎は竹刀と稽古着を上がり框《がまち》にほうり出して、家をとび出した。
いっさんに走って、ふくが帰りそうな道をさがした。そしてあげくは川岸の道まで行ってみたが、ふくの姿は見あたらなかった。
三
文四郎は橋をわたって、五間川のむこう岸まで行ってみた。そこにもふくの姿は見えなかった。文四郎は橋をもどり、なおも葺屋町から河岸に出る道をさがしたが、やはりふくには会えなかった。
──しまったな。
と思った。大橋市之進のしごきがなかったら間に合ったはずだ。いやその前に、犬飼兵馬と稽古試合などをやらなかったら、もっとずっと前に家にもどっていたはずだと思ったが、後の祭りだった。
文四郎は五間川の下流の方に歩いて行った。やがて町を抜けて、川の土手に出た。日は落ちてしまって、白っぽい光が野を覆っていた。遠くに火を焚《た》く煙が立ちのぼり、その下に赤い火が見え隠れするのも見えている。
──江戸に行くのか。
と文四郎は思った。それも母の言葉から判断すると、ふくは江戸屋敷に行って台所勤めや掃除女をやるわけではなく、奥に勤めるようである。藩主の正室は寧姫、いまはお寧さまと呼ばれるひとだが、するとふくはそのお寧さまの身のまわりに仕えることになるのだろうか。思いがけない境遇の変化だと、文四郎は思った。ふくとの間に、にわかに越えがたいへだたりが生まれたような気がした。
──それにしても……。
わかりにくい葺屋町の奥の長屋まで、ふくはよくたずねて来てくれたと思った。文四郎は、何となくたずねて来たのがふくの独断のような気がしている。
ふくの母はあのとおりの人間である。事件が起きると、一度も文四郎の家に足を踏みいれなかった。甚兵衛は人のいいおやじだが、気働きがすぐれた人間とは言えず、江戸に行くのだから牧の家に挨拶に行って来いと娘に指示したとも思えなかった。
──ふくは多分、自分の考えで来たのだ。
それも、おれに会いにと、文四郎はさっきから胸にしまっておいた考えを、そっと表に持ち出してみた。
その推測には何の根拠もなかったが、動かしがたい真実味があった。ふくはおれがいなくて、力を落としてもどったのではなかろうか。そう思うと、文四郎はふくのその気持ちが自分にも移って、気分が沈んで来るのを感じた。ふくに会ったらどうだったろうかということまでは考えなかった。ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった。
振りむくと、文四郎が住む町が見えた。黒い刈り田の上にうすい霧のようなものがかかり、その霧は刈り田と町の家々がぶつかるところで少し濃くなっていた。そしてその奥にまたたく灯が見えた。
文四郎は川土手を少し後にもどり、途中で野道にそれて町の方に歩いて行った。与之助もふくも江戸に行き、小和田逸平は城勤めで以前のようには会えなかった。捨て扶持《ぶち》をいただいて生きる暮らしには先のめどというものもなく、孤立は深まるばかりだなと文四郎は思った。
長屋の前の道までもどると、ちょうど生け垣の間から長身の男が出て来たところだった。その男は、文四郎をちらと見ると、顔をそむけるようにして反対側の道に遠ざかって行った。その姿はたちまちうす闇にまぎれた。
──また、来ている。
と文四郎は思った。重苦しい気分がもどって来た。
風采《ふうさい》も身ごなしもさっそうとしているその若い武士がたずねて来るのは、文四郎とは別棟に住む矢田作之丞の遺族の家である。
矢田の遺族は、矢田の母と嫁の二人で、母親は盲目だった。ほとんど外に出て来なかった。矢田の家も、作之丞が切腹させられたあと絶家にはならず、家禄を減らされて別命があるまでいまの長屋に住むように指示されたのだった。
たずねて来る若い武士が、矢田の遺族とどういうつながりがあるのかはわからなかった。だが、その武士と矢田の未亡人といっては痛々しいほどに若い嫁との間に、近ごろおだやかでないうわさがあることを、文四郎は母の遠まわしな言葉で知った。ある夜、長屋の誰かがおそくなって長屋の前まで帰って来たとき、手をつないだ矢田の嫁と若い武士が暗い野道から上がって来たのと、ぱったり顔をあわせたというのである。
うわさの真偽は不明だった。若い武士が何者なのかも知れなかった。ただ文四郎は、その若い武士が、何の用があるのかは知らず、かなりひんぱんに矢田家をおとずれて来るのを見、またときには淑江《よしえ》という名前の矢田の嫁が、その若い男を見送って垣根の外まで出るのを見かけるだけである。
しかし長屋でささやかれているうわさは、文四郎に何とはない不快感をあたえるものだった。その不快感から、文四郎は矢田の嫁と顔をあわせると軽い辞儀をしたあとに顔をそむけることがあった。
矢田の残した嫁はうつくしいひとだった。龍興寺の建物の中で見たときもきれいなひとだと思ったが、あかるい日の下で見ると、そのひとは白い肌にかすかに血のいろをうかべ、頬はなめらかで、やや眼尻の吊《つ》った勝気そうな眼が黒く澄んで、夫を喪《うしな》ったいまも若い人妻のかがやきに包まれているのだった。四肢はよくのび、着物の下の胸と腰にはまぶしいほどに肉が盈《み》ちているのも見てとれた。
そのひとを見ると、文四郎は生前の矢田作之丞とは似合いの夫婦だったろうと思わざるを得なかった。矢田も上背があり、男らしい風貌を持つ美男子だったのである。
──あまり、変な真似はしてもらいたくない。
と文四郎は思っている。
男女の世界のことは、ほんのわずかにのぞきみる程度のことしかわからなかったが、文四郎は矢田の嫁のあかるすぎる表情が気になった。
不快感は、あのひとはいつか死んだ矢田を裏切るのではないかという予感がもたらすもののように思われた。
四
家にもどると、母がすぐに言った。
「あの子に会えましたか」
「いやそれが、ずいぶんとさがしましたが見あたりませんでした」
「かわいそうに」
と母の登世は言った。どういう意味かと、文四郎が自分の部屋に入りかけて振りかえると、母はふくのことですよと言った。
「江戸に行くので、そなたにも会いたかったでしょうに」
「そうですな」
「ふくに餞別《せんべつ》をわたさずに、そなたを小柳にやればよかったかしら」
「いや、それはどうでしょうか」
文四郎は微笑した。
「母上が会われたから、それでいいのではありませんか」
言い捨てて部屋に入ると、じきにご飯にしますよという登世の声が追いかけて来た。
母はわかっているようだ、と文四郎は思った。ふくがほんとうは文四郎に会いに来たこと、それにまたおそらくは家の者には内緒でたずねて来たらしいことも。
文四郎は火打石で火をおこして、行燈に灯をいれた。そして袖をめくって、大橋市之進に打たれた二の腕の傷を改めた。赤かった擦《す》り傷は黒っぽく変色してそのままおさまる様子に見えたが、打たれた個所全体は青黒く、まだ少し腫《は》れているようだった。うずくような痛みはそのままで、このまま夜もずっと痛むようだったら、寝る前に水で冷やす方がいいのかも知れなかった。
──ふくに会いたかったな。
と、文四郎はぼんやりと思った。ふくのことを考えると、不思議に気持ちがあかるくなるようだった。それはふくが、逸平や杉内道蔵とはまた違った意味で、信用してかまわない人間だからだろうと文四郎は思った。ふくは反逆者とか罪人とかいうまわりの言葉に惑わされずに、文四郎が陥った苦境を理解していたはずである。女の子らしく、未熟だがやさしく率直な気持ちで。
江戸に行くことを告げるために、わざわざたずねて来たのがその証拠だと、文四郎は思った。ふくは、まわりはどうあれ自分はむかしもいまも少しも変わらないこと、もしかしたら江戸に行っても変わらないことを言いたくてたずねて来たのではなかろうか。
そう思うと、文四郎はやはりふくに会えなかったことが取り返しのつかない過失だったように思われて来るのだった。もし推察するような気持ちを抱いてたずねて来たとすれば、それはふくの告白にほかならないことになろうか。それにどうこたえるかはべつにして、そのときそこに居合わせなければいけなかったのではないか、と文四郎は思っている。
その過失のために、今度はこのあと二度とふくに会えないような、暗い気持ちにとらわれはじめたとき、母の登世が部屋の外から、客だから入り口まで出るようにと言った。
突然の母の声は、文四郎を落ちこんでいた女々しい気分から救い上げた。顔が赤くなる思いで、文四郎は三畳の部屋を出た。
「お客さまはどなたですか」
「それがおまえ……」
母の登世は文四郎の袖をひいて、耳にあるひとの名前をささやいた。いつもの母らしくない、うろたえたしぐさに思われたが、ささやかれた名前は文四郎をおどろかせるに十分なものだった。
文四郎はいそいで入り口まで出た。式台もない狭い入り口である。そのうす暗い土間に、身体の大きい武士が一人立っていた。裃《かみしも》をつけているのは、いま城からさがって来たところなのだろう。
四十前後にみえるその武士は、文四郎を見るとざっくばらんな口調で言った。
「やあ、お手前が牧助左衛門の子息か」
「牧文四郎です。はじめてお目にかかります」
膝をただして坐った文四郎が言うと、武士はかるくうなずいた。
「そなたのことは、助左衛門から聞いておった。わしは、いま母者《ははじや》にも名乗ったが山吹町の藤井宗蔵。城では番頭《ばんがしら》を勤めておる」
「はい。よく存じ上げております」
「もっとはやく来るべきだったが、なにせ……」
と言ってから、藤井は急に土間の天井を見上げたり、奥をのぞくようなしぐさを見せたりした。そして、ふむとうなった。
「しかし、聞きしにまさる粗末な家じゃな」
「はあ、上にあがっていただきたいとも言えません」
「まあ、それはよろしい。わしも城の帰りだから、ここで言わせてもらうが、じつは死んだ助左衛門に頼まれごとをしておった。そなたの元服のことだ」
「……」
「今年の秋には元服をさせたい、その折にはわしに烏帽子《えぼし》親を頼みたいというのが、助左衛門の生前ののぞみでな。むろん、わしは快諾した」
文四郎は呆然《ぼうぜん》と藤井を見た。藤井は三百石の上士でいわゆる身分が違う存在である。思いがけない話だった。文四郎はやっと言った。
「父はなぜ藤井さまに……」
「不審はもっともだが、御弓町の松川の道場、あそこは二十年前は直心流を教える戸村という道場だった」
藤井は言った。藤井の声には、むかしを回顧するなつかしげなひびきがある。
「助左衛門とわしは、その戸村の同門でな。若いころには二人ならんで、それよ、かなり鳴らしたものだった。ハ、ハ」
藤井は上機嫌で、故人の頼み置いたことだから、自分が烏帽子親となって、ぜひとも文四郎の元服を執り行いたいと言った。
「もっとも、あのようなことがあったからには、今年は無理。来春にでもやることにするか。いずれ服部市左衛門どのにも話しておくが、こちらでもそのつもりでいてもらいたい」
「しかし、藤井さま」
行燈を持ち出して来たまま文四郎のうしろに坐っていた登世がはじめて声を出した。
「うけたまわっておりまして、ただいまのお言葉、涙がこぼれるほど有難く思いましたけれども、助左衛門はあのように藩に逆らってお仕置を頂戴した身。生前の約束ありとは申せ、咎《とが》めをうけたわが家にかかわり合ってご身分に障ることはございませんか」
「やあ、牧のご新造」
藤井は、大きな声で言った。
「お気遣いは有難いが、その心配はご無用にねがいたい。この夏の事件に限って言えば、わしは助左衛門の敵でも味方でもないが、それと助左衛門との長年の友だちづき合いとは何のかかわり合いもないこと。年来の友に頼まれたことは果たさねばならんし、それを取り上げてとやこう申す者があれば、藤井宗蔵いつでも相手になる。そのあたりのことはまかせてもらいたいものだ」
「……」
「私見を申せば、十二人もの人間に腹切らせたのは藩の失策。助左衛門、一柳弥市郎、矢田作之丞など、将来藩の役に立つべき者たちを死なせたツケは、いずれ必ず回って来るだろうと、これはわしだけでなくほかの者も申すことだ。助左衛門のささやかな遺志ひとつを叶《かな》えてやるのに、いまさら誰にも口ははさませぬ」
「それでは、ほんの形だけのことに……」
「そのあたりも十分心得ておりますぞ、ご新造」
藤井は笑顔を見せた。
「目立つことをしてはこちらも迷惑ということはわきまえておる。心配なく服部とわしにまかせてもらいたいものだ」
帰る藤井宗蔵を見送って、文四郎は生け垣の外まで出た。挨拶を残して、うす闇の中に消えて行く藤井を見送ったあとも、文四郎はしばらく道に立って、五間川のはるかむこうにまたたく金井村、青畑村と思われるあたりの、小さな灯を見つめた。
文四郎が家に入ったあと、空にはいっときの夕焼けがあったらしく、中空に糸のような赤い雲が残っていたが、地上はあらまし闇に閉ざされ、金井村、青畑村は灯は見えるものの木立も家も見わけがたかった。
──思いがけないことだ。
文四郎はまだそう思っていた。興奮さめやらぬ気持ちだった。
元服の烏帽子親は、一族の長老とか勤める組の有力者とかを頼むのがならわしで、父の助左衛門が烏帽子親を頼まなければなと言ったときも、文四郎は実家の兄か、あるいは普請組の小頭か誰かを頼むつもりではないかと思っていたのである。番頭の藤井宗蔵とは予想外のことだった。藤井の出現は、失意の底にいた文四郎をかすかに力づけるものだった。
家にもどると、母が仏壇に灯をともして合掌していた。文四郎もそのうしろに坐った。
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家 老 屋 敷
一
藤井宗蔵が来春にもと言った文四郎の元服は、結局藤井がその話を持って来てから一年後の秋に行われた。
登世がのぞんだように、にぎやかな祝いごとは何もなかった。前髪を落とし、名乗りを重好《しげよし》とさだめ、加冠の式のあとは当日長屋のひと部屋に集まった藤井、兄の市左衛門、小和田逸平、この三人に登世と文四郎が加わって、昆布とするめを肴《さかな》に軽く盃《さかずき》をかわしただけである。名乗りは烏帽子親である藤井の重武の一字をもらった。
そしてあっという間に冬が来て、例年より雪の多い長い冬が過ぎた三月の初めに、次席家老里村左内の屋敷から使いが来た。実兄の服部市左衛門と同道して、今夜五ツ(午後八時)に里村の屋敷に来るようにという使いの口上だった。なお、同じ口上は服部家の方にも行っていると使いは言い添えて帰った。
「何事でしょうね」
使いが帰ったあとで、登世は不安を隠せない様子で言った。登世は助左衛門の死がまだ昨日のことのように頭からはなれないらしく、この上文四郎の身にも何か起きるのではないかと、深く恐れているふうでもあった。
「さあ、何事かはわかりませんが、いまよりわるいことも起こりますまい」
「どうかわかるものですか」
登世は突然に殺気立った口調で言った。そして仏壇のひき出しに手をのばすと、荒々しい手つきで袱紗《ふくさ》につつんだ煙草道具を取り出した。助左衛門の死後、きっぱりと断っていた煙草をまたはじめるつもりらしい。
「そなたの話によれば、里村さまは助左衛門どのに腹切らせた張本人だというではありませんか」
「それは逸平が言ったことです。たしかなことではありません」
文四郎は苦笑した。
「行ってみなければわからぬことです。あまり気を揉《も》まれぬほうがよろしい」
まだ殺気立っている母を残して、文四郎は外に出た。
明日は居駒塾で論語の輪講があり、文四郎は塾生数人と一緒に憲問篇を読むことになっている。その下調べをしなければならなかったが、突然の里村の使いは、文四郎から書物にむかう気持ちのゆとりを奪っていた。
──何の用か。
母にはああ言ったが、文四郎の気持ちも鋭くとがってその一点にあつまっていた。
藩が牧の家禄を四分の一の七石まで削り、住居をいまの長屋に移すことを決めたのは、助左衛門の処分決定と同時だった。倉卒《そうそつ》の間の決定であり、助左衛門の跡目をついだ文四郎の身分も未定のままだった。いずれ正式の決定が来るだろうと兄の市左衛門は言い、文四郎もそのことを理解していた。
家老の里村の呼び出しは、そのこと以外には考えられなかった。藩は文四郎が元服したことを知り、決定をいそいだとも考えられる。
──問題は……。
その決定が吉と出たか凶と出たかだ、と文四郎は思った。
もし吉と出る目があるとすれば、たとえば文四郎が元服を済ませ、しかも烏帽子親が藤井宗蔵という有力者であるのをみて、捨ててもおけまいと、藩が飼い殺し同然のいまの牧家の扱いに何らかのケリをつけることにした、などという場合である。そのときは文四郎に、禄のことはともあれ何かの身分があたえられることも考えられるだろうが、しかし可能性はうすいように思われた。
逆に、凶の目が出る可能性の方が、はるかに大きかった。
家中十二名が切腹、足軽一名が斬罪、ほかに領外追放、閉門、謹慎処分者多数を出した、いわゆる藩に対する反逆の罪の全貌なるものを、文四郎はまだつかんでいなかった。わずかに小和田逸平の話から片鱗《へんりん》をのぞき見ただけである。
最終的な決定がこうも遅れていることは、事件の大きさ、なみなみならぬ底の深さを物語るのではないのかと文四郎は日ごろ思うことがあったが、その決定がいまようやく出たのだとすると、それは多分に歓迎出来ないものであることが考えられる。
文四郎はかすかに身顫《みぶる》いした。そのわるい知らせの匂いを嗅《か》いだ気がしたのである。領外追放という文字が、ちらちらと頭の中に踊った。親戚預けなどという考えは甘かったかも知れない。
文四郎は踵《きびす》をめぐらした。時刻は七ツ(午後四時)をまわったばかりで、家老屋敷に行くまでにはまだ間があった。一人で考えてみるつもりで外に出て来たのだが、考えがこうも一方的にわるい方に向くようでは、外を歩いていても益がない。家にもどって、少しは明日の輪講のための下読みをしようと思っていた。
空はうすく曇っていた。わずかに西南の一角ににじむような日の光が雲を染めているだけである。そのせいか、時刻にしてはややはやい日暮れめいた感じが町を覆っていた。空気はにごってうす暗く、物音はせず静かだった。歩いているひとの姿も見えなかった。
長屋の前の生け垣のそばまでもどって来たとき、中からひとが一人道に出て来た。頭巾《ずきん》で顔をつつみ、胸に風呂敷包みをかかえたすらりとした身体つきの女は、矢田の未亡人だった。
矢田の未亡人は、生け垣を左に曲がろうとしたが、すぐに道を歩いている文四郎に気づいたらしく、二、三歩もどって声をかけて来た。
「お散歩ですか、文四郎どの」
未亡人はなれなれしく言った。矢田の未亡人は誰かに同じ長屋の牧家のことと、文四郎が作之丞と石栗道場の同門であるのを聞いた様子で、一年ほど前から文四郎を見かけると声をかけて来るようになった。
「ごめんなさい。頭巾のままで」
と未亡人は言った。強い化粧の香が文四郎の鼻をうった。
「いえ、かまいません」
文四郎はぶっきらぼうに言った。
化粧の香が少し濃すぎないか、と文四郎は思っている。それに日暮れから一人で外に出るのは、武家の女子としての慎みを欠いてはいないだろうか。少なくとも実家の嫂《あによめ》や母がそんなことをしたのは見たことがない。
文四郎は、矢田の未亡人と顔を合わせるときいつも胸に兆して来る、理不尽な怒りとでもいうべきものを感じながら、そのひとを見つめた。化粧の匂い、日暮れの外出は、いずれも矢田の未亡人の堕落を示すもののように思われて来るのだった。
そして眼の前のひとに対するそういう不信感は、根もとのところで、相変わらず矢田家に出入りしている正体不明の若い武士に対する強い反感とむすびついているのを、文四郎は承知していた。
だが未亡人は、文四郎の胸にそんな反感が隠されているとは夢にも気づかない様子で、軽やかな口調で聞く。
「お散歩ですか?」
「いや、考えごとをしていたのです」
「おや、まあ、考えごとを……」
矢田の未亡人は、わざと眼をまるくしてそう言うと、声を立てて笑った。眼をまるくした表情にはいきいきした魅力があり、笑い声もきれいだった。
未亡人は、武家の女子にはめずらしく、気取らずあかるい気性の女性だった。だがひとを惹《ひ》きつけるそのあかるさも、いまの文四郎には軽躁《けいそう》でうさんくさいものに思われた。それにいまの言い方は、こちらを年少の男子と侮ってはいないだろうか。年少には違いないが、おれはもう子供ではない。
文四郎がむっとして立っていると、矢田の未亡人はやっと笑いをひっこめた。
「ご機嫌がわるいようですこと」
「そんなことはありません」
「そうかしら。お隠しにならなくともけっこうですよ」
矢田の未亡人はまたいたずらっぽい表情になりかけたが、すぐに思い返したように、文四郎を呼びとめたのは頼みごとがあったからだと、まじめな口調で言った。
「わたくしがお針の内職をしていることは、おかあさまからお聞きですね」
「はあ」
「今年の春から、子供の着物も仕立てることにしました。どうぞまたお客さまを紹介してくださるようにと、おかあさまに申し上げてくれませんか」
そう言えばわかるからと言って、矢田の未亡人は文四郎の胸近く顔を寄せ、にっとほほえむと背をむけて去った。
どことなくなまめいて見える矢田の未亡人の肩や臀《しり》、白足袋の足もとなどが、にごってよどんでいる日暮れの気配の中を遠ざかるのを、文四郎はしばらくぼんやりと見送ったが、すぐに気づいて眼をそらした。
二
──そうか。
風呂敷の中身は仕立て物か、と文四郎は思った。未亡人は出来上がった内職の仕立て物をとどけに行くところだったのだ。それなら日暮れの外出も仕方なかろうし、相手が商家ででもあれば多少の化粧だって必要かも知れない、と文四郎は思い直している。
そのひとが目の前にいないときは、文四郎はそのひとに対して概《おおむ》ね寛容で、好意的になっている。そういう文四郎の内心を掘り下げて行くと、そこにはありきたりの若者らしく、年上のうつくしい女人に惹かれる気持ちがひそんでいる。しかしそれを認めたくないために、正体不明の武士とか、化粧の香とか、あかるすぎる人柄とかに非難の材料を見つけたがるといったようなものなのだが、本人はそれには気づかず、自分のそういう気持ちの変化をいくらか不思議に思うのだった。
文四郎は頭を振った。是認したとはいえ、未亡人の化粧の香はやはり濃くて、強い香は頭の芯《しん》まで入りこんで来たような気がしている。
──あのことを聞けばよかったかな。
家にむかって歩き出してから、文四郎はふとそう気づいた。矢田の遺族には、家老の呼び出しはなかったのだろうかと思ったのである。若くてうつくしい未亡人が、いまだに矢田の家にしばりつけられて、矢田の老母を養っている理由は、藩の最終処分が出ていないということのほかにあり得ない。
だが未亡人のさっきの様子からみて、呼び出しが矢田の家にも来ているとは思えなかった。使いが来たのはわが家だけだろう。そう思ったとき、文四郎はさっきの不安がまたどっと胸の中に入りこんで来るのを感じた。
夜食を済ませて、六ツ半(午後七時)には鷹匠町の実家に行き、それから文四郎は兄と連れ立って馬場前の家老屋敷にむかった。
「何事かはわからんが……」
それまで口|寡《すく》なに歩いていた兄の市左衛門が、里村の屋敷が見えるところまで来たとき、提灯《ちようちん》の明かりの中で文四郎を振りむいた。下男の嘉平がお供について来ていた。
「うろたえずに仰せを承ることだ。わかっているな」
「心得ました」
と文四郎は言った。しかし声の調子から、兄も今夜のよび出しに強い懸念を抱いているのを感じた。市左衛門の声音はひどく重苦しかったのである。
二人は家老屋敷の厳重な長屋門の潜《くぐ》り戸から中に入った。玄関に着いて訪《おとな》いをいれると、すぐに若い家臣が出て来て、二人を一室に案内した。しばらくここで待つようにと、若い武士は言い、その武士が出て行くと間もなく、今度は女中らしい中年の女がお茶をはこんで来て、二人に茶を飲むようにとすすめた。
そのまま長い刻がたった。時どき奥の方で太い声で笑う男の声が洩《も》れて来るだけだったが、やがてさっきの若い武士がもどって来た。
「はじめに、牧さまお一人に来ていただきます。服部さまは、もうしばらくここでお待ちくださるようにとのことです」
と里村家の若い家臣は言った。その男の案内で、文四郎は控えの部屋を出て奥にすすんだ。雨戸をあけ放してある廊下を歩いて行くと、外によどんでいる生あたたかい夜気が、文四郎の顔にかぶさって来た。
廊下を一度曲がると、すぐに明かりのついている部屋の前に出た。若い家臣が廊下にひざまずいたのをみて、文四郎もそれにならった。
「牧文四郎さまをご案内いたしました」
若い家臣がそう言うと、中から低い声が通せと言った。
文四郎は部屋に入った。案内の家臣が障子をしめて去るのを待って深々と一礼した。
「牧文四郎にござります。お招きにより、参上いたしました」
そう言うと、さっきの低い声が、顔を上げて楽にいたせと言った。
文四郎は顔を上げた。すると入ったときは緊張していてわからなかったのだが、部屋の中にいるのは一人ではなく二人なのが見えて来た。
一人は肩幅がせまく、細くて長い首を持つ小柄な老人だった。髪は真白で、顔は日焼けしたへちまさながらに黒くて細長かった。その老人は、袖無し羽織を着ている。
老人と大きな机をへだてて、もう一人の男が坐っていた。顔も眼も大きくて丸い大男だった。鬢《びん》の毛が白くなっているその大男は、手を膝に置いてじっと文四郎を見ている。そして最初に口を切ったのはその男だった。
「これが助左衛門の伜か」
声はほら貝を鳴らしたように、大きくてやわらかかった。どうやらこの男が、さっきの笑い声の主らしい。
「なかなか骨格たくましい若者になった」
「子供はすぐにそだつ」
とへちま顔の老人が言った。声はひとりごとのように低い。
「われわれのように、先の見えた年寄りとはちがう」
老人は言い、机から文四郎に向き直ると、わしは里村、そっちは大目付の尾形久万喜だと言った。文四郎は、この小柄な老人が父の命を奪った人間かと思いながら里村を見た。
「今夜は、そなたに伝えたいことが出来たので呼んだ。大目付は立ち合いをつとめるために来ておる」
里村ははっきり文四郎の顔をみることもなく、手もとや机の上に眼を落としながら、ぼそぼそと言った。
「では申し渡す」
里村は、文四郎が身構える間もなくそう言った。そして机の上に乱雑に積んである書類の間から一枚の紙をつかみ出すと、行燈の方に紙面を傾けながら読み上げた。
「牧文四郎を旧禄に復し、郡《こおり》奉行支配を命ぜられること」
三
郡奉行は樫村《かしむら》弥助だがただし、と言って里村は紙を机にもどし、文四郎の方を向いた。
「実際に樫村の下で郷方《ごうかた》勤めにつくのは二年後、そなたが二十になるのを待ってということに相成った。それまでは、服部市左衛門が後見をつとめる。不調法のないようにいたせ」
「執政会議で、そう決まったのだ」
と大目付が補足した。その大目付を見て、里村が言った。
「住居の方はどういう話になったかな」
「この秋に、郡奉行支配の組屋敷が一軒、空家になります。文四郎はそこにいれます」
ほら貝のような声で尾形が答えた。
二人がかわすそういう問答を、文四郎は冷静に聞き取っていた。のぼせ上がることもなく、心ノ臓が高鳴ることもなかった。思いがけない結果にはちがいないが、藩の決定は吉と出たのだ。そう思ったが、家老と大目付の問答はどことなく現実感から遠いもののようにも思われた。
不意に里村が文四郎を見た。細いが、意外に鋭い眼だった。
「ということだ。相わかったか」
「たしかに承りました。ありがたい仰せにございます」
文四郎は言ったが、口をきいたためにやっと現実感がもどって来たようでもあった。はっと気づいて、文四郎はおたずねいたしますと言った。
「旧禄にもどりますと、わが家の禄高はいかほどになりましょうか」
「いかほど?」
家老と尾形は、訝《いぶか》しげに文四郎を見た。だがすぐに、文四郎が確認をもとめているのだとわかったらしく、尾形がにやりと笑った。
「もとの二十八石二人|扶持《ぶち》にもどすということだ」
「それは、いつからに相成りますか」
「申し渡しの日付は……」
里村が長い首をのばして、書類をのぞいた。
「今日になっておるな。ゆえに本日より旧禄にもどすということになる。近く係の者から、禄米の受け渡しについて通知がとどくはずゆえ、そのときは城に参って受け取り方を係と相談するがよい」
「ありがとうございます」
と文四郎は言った。そのときになって、文四郎は胸の鼓動がはげしく高まるのを感じた。家老が何気なく口にした係とか、城とかいう言葉から、たしかな旧禄復帰の実感が押しよせて来るのを感じたのである。
文四郎が控えの部屋にもどると、入れちがいに兄の市左衛門が呼ばれて家老の部屋に行った。しかし話の中身は、文四郎への申し渡しと後見人の一件ぐらいだったのか、市左衛門は間もなく部屋にもどって来た。もどって来た市左衛門は何も言わず、謹厳な表情を崩さなかったが、家を出るときの気むずかしげな眉間の皺《しわ》は消えていた。
二人は家老屋敷を出た。
「今夜ばかりは、何のご用かとかなり気を揉《も》んだが……」
家老屋敷をはなれ御城の巽《たつみ》の濠《ほり》ばたまで出たところで、市左衛門が言った。
「まずはこれでひと安心だな」
「いろいろとお心を煩わし、申しわけありません」
「それはまあよい。それよりこのあと二年、正式に郷方に勤めるまでわしに後見しろというのが、少し気になるところでな。つまり、牧の家はまだ無罪放免というわけではないということだ」
「はい」
「その間、身をつつしんで上ににらまれるようなことのないようにしろ」
「はあ、肝に銘じて。決して兄上にご迷惑をかけるようなことはいたしません」
文四郎は誓った。むろん、今夜思いがけなくあたえられた幸運を、自分の過失で取りにがすようなことをするつもりはまったくなかった。
「樫村さまの御支配の下に入るとなると、明日にでもお屋敷の方に、ご挨拶にうかがうほうがいいでしょうか」
「そうすべきだ。藤井さまにもな。両家ともに進物を持って行ったらいいだろう」
「心得ました。母と相談いたします」
「樫村どのでよかった」
市左衛門がほっとしたような口調で言った。
「郡奉行はいま三人いるが、樫村どのがいちばん人柄がよいと聞いているぞ」
「そうですか」
文四郎はそう言ったが、ふだんきびしいことを言う兄がそんなところにまで気を遣ってくれているのがうれしかった。やはり兄弟だと思った。文四郎は兄上と言った。
「旧禄にもどされたのは望外のしあわせに思いますが、にわかにこういうふうに決まったわけは何でしょうか」
「それを、わしも考えているところだが、まだわからんのだて」
「藤井さまを烏帽子親にたのんだのがよかったのでしょうか」
「何とも言えん」
と市左衛門は言った。
「それとなく藤井さまにもたしかめてみよう。あるいはあの方から、執政の方々に何か申し入れられたのかもわからん」
話しながら二人はいつの間にか行者橋まで来ていた。さあ、ここから帰れと市左衛門は言った。もう一度礼を言って、文四郎は兄とわかれた。
無月の夜で、文四郎が渡って行く方の河岸はずっと川下の方に提灯がひとつ動いているだけで、あとは闇だった。しかし夜気はあたたかく、闇の底の方に白いものがただようように見えるのは、川霧が湧《わ》いて地上に這《は》い出しているのである。
──母がさぞ喜ぶだろう。
文四郎はそう思い、小走りに闇の中を走った。
四
一夜が明けて文四郎は居駒塾の輪講に出たが、昨夜母との話が終わってから書物をひろげたものの、気持ちは上の空で文字は頭に入らなかったので、論語の輪講はさんざんな出来に終わった。
当然ながら質問は不出来な文四郎に集中し、とくに山根清次郎が、腹にこたえるような意地のわるい質問を放って来るのがわかったが、文四郎は腹は立たなかった。あっさりと自分の非をみとめてあやまると、山根と文四郎の中を知っているまわりがざわめくのもわかったがそれも気にならなかった。ただ終わってから、師の居駒には事情を話して詫びた。
文四郎が家にもどったのは昼ごろである。勤めこそ変わったものの、家禄も身分ももどって来た喜びは、時経ても衰えずむしろ昨夜より大きくなったかと思われた。
「今度は村回りですぞ、母上」
と文四郎は言った。郡奉行の配下は、野の村々ばかりでなく山村まで見回るのが職務である。
「夏は日焼けして真黒になるでしょうな」
「普請組も似たようなものでしたよ」
と登世が言った。
「助左衛門どのも、年中真黒になって」
「そうでしたな」
「お城勤めに上がるようになったら、おとうさまの名前をもらいましょう」
登世も、ひさしぶりに明るい顔をしていた。声にも張りがあった。
「そして嫁をもらわなければね」
「母上」
いまの登世の言葉が引き金になったわけではないが、文四郎は今朝から考えていたことを口に出した。
「昼飯をいただいたら、矢場町の小柳の家に行って来たいのですが、いかがでしょうか」
夕方に藤井宗蔵と郡奉行の樫村弥助をたずねるために、文四郎は今日の道場稽古は休むことにしていた。
「小柳にはあの節、ずいぶん世話にもなりましたし、今度のご沙汰を知らせる方がいいかと思いまして」
「おや、それは気づきませんでした」
と言って、登世は笑顔になった。
「あんまりうれしいご沙汰を聞いたもので、あの方たちを忘れていましたよ。小柳と、それから北隣の山岸には知らせないといけませんね」
「じゃ、行って参ります」
「それから小和田さまの方は?」
「逸平には、塾に行く途中に寄って知らせました」
「それで、あんなに朝早く出かけたのですね」
と登世は言った。
昼飯をたべてから、文四郎は母が持たせた山芋の苞《つと》二本をぶらさげて、川向こうの矢場町にむかった。まだ気持ちがはずんでいた。
普請組の組屋敷を見るのは、あらまし二年ぶりだった。文四郎は道を歩きながら、懐かしく家々の間をのぞき、やがて小柳の門をくぐって訪いを入れた。しかし出て来たのは、見たこともない女房だった。
文四郎は土間の内を見回した。とっさに考えたのは、家を間違えたのではないかということだった。だが土間も上がり框《がまち》の古びた障子も、やはり見馴れた小柳の家である。
文四郎は女に眼をもどした。上がり框に膝を落としている女は見たところ三十前後で、ふくの母親よりはるかに若い。女のうしろに、たったいま奥から出て来たと思われる二、三歳の女の子が立って、文四郎を見ていた。
「失礼ながら、小柳どのの親戚のお方でも?」
文四郎の質問に、女は首を振った。
「いえ、この家は小柳ではありません。松永と申します」
「ははあ、松永どの」
文四郎が呆然と女の顔を見ていると、女は肉の厚い丸顔にかすかに咎めるように笑いをうかべて、失礼ですがと言った。
「あなたさまは?」
「これは、申しおくれました」
文四郎は赤面して姓名を名乗った。
「以前、この隣に住んでいた者です」
「すると、やはり普請組のお方ですか」
女は牧助左衛門の名前を知らなかった。藩をゆるがしたあの事件を知らないはずはないが、隣にその関係者が住んでいたことまでは聞いていないのかも知れなかった。
そうです、と文四郎は言った。
「いまはちがいますが、以前は普請組でした」
「それで小柳さまをたずねて来られたのですね」
女は納得した顔いろになったが、すぐにまた小さく首を振った。
「私どもは去年の暮れまで山奉行御支配の下にいた者です。年明けて普請組に組替えを仰せつけられまして、それでこちらに来ましたけれども、そのときはここは空家で、小柳さまはおられませんでした」
「どちらに移られたか、ご存じありませんか」
「聞いておりません。まだ組の方々とも馴染みがうすいものですから」
「なるほど。いや、突然におじゃましてお手間をとらせ、申しわけありませんでした」
文四郎は詫びて、早々に、いまは松永なにがしが住んでいるその家を出た。旧知の小柳や山岸の女房たちはともかく、はじめて顔をあわせた松永の女房と長話するなどは、厳重につつしむべきことだった。
門を出て、文四郎は道に立ちどまった。遠く矢場跡の空地のそばの道に数人の子供がいるだけで、ほかにひとの姿はみえなかった。空は曇って日はどこかに隠れていたが、雨が降る様子は見えず、矢場跡の雑木林のはずれに白い花が咲いているのが見える。野梅かも知れなかった。
──小柳は、どこへ行ったのだ。
文四郎は怪訝《けげん》に思っている。思いがけないことも思いがけないが、何となく出鼻をくじかれたような気分になっていた。旧禄復帰の沙汰を小柳に知らせるのは礼儀だが、文四郎はそれだけで来たわけではなかった。
五
知らせておけば、そのことはいつか江戸にいるふくの耳にもとどくだろうと、文四郎は考えていたのである。そのことをぜひ、ふくに知らせたかった。
文四郎の眼にはいまも、父の遺体をはこんで来た車をひいたふく、通夜の席で、ひっそりと涙を流してくれたふくの姿が消えずに残っていた。牧の家が潰《つぶ》れずに残り、文四郎が郡奉行支配下に入って家をつぐことを知れば、ふくはひとごとならず喜ぶはずだという確信がある。
その意気ごみをはずされて、文四郎は拍子抜けしていた。小柳の家がどこに移ったのかは、これからたずねる山岸で聞けばわかるだろうと思ったが、不審な気持ちは解けなかった。組屋敷を出たからには、小柳甚兵衛は普請組勤めを解かれたと考えるほかはないのである。
文四郎は、自分が住んでいた家の門前を、顔をそむけて通りすぎた。その家がどう変わったかも、いまは誰が住んでいるのかも知りたいとは思わなかった。
「おや、まあ、文四郎さん」
山岸の女房は口の重い女だが、文四郎をみると面長の色の黒い顔に、親しげな微笑をうかべた。女房は登世より二つ三つ齢上である。
「身体が大きくなって、どなたかと思いましたよ。登世さまは、お元気ですか」
「はあ、おかげさまで。今日は、母の使いで参りました」
文四郎は山芋の苞をさし出し、家禄が元にもどされたこと、身分が郡奉行支配に変わったことを告げた。
「あの節はご迷惑をおかけした上に、格段のお世話を頂きまして有難うございました。山岸さまにも、何卒《なにとぞ》その旨をお伝えください」
「まあ、まあ、そんなに堅くるしい挨拶はご無用になさいな」
と山岸の女房は言った。
「でも、まあ、よかったこと。ウチでもその後どうなったかと気にしていましたから、知らせたらさぞ喜ぶことでしょうよ」
「山岸さまはお変わりありませんか」
山岸の家は、子供のいない家である。そのことを思い出しながら文四郎がそう言うと、女房は元気で勤めていると言った。
「あなたのお家が組にもどって来るのだと、もっと喜ぶでしょうけどね。小柳さまもいなくなり、組もむかしと変わってさびしくなりましたよ」
山岸の女房は、文四郎がたずねるきっかけをさがしていた小柳のことに触れて来た。
「その甚兵衛さんのお家ですが……」
と文四郎は言った。
「たずねたらべつのひとがおられたので、びっくりしました。どちらに移られたのですか」
「それがね、文四郎さん」
山岸の女房は言い、いま餅《もち》菓子を出すから上がり框に掛けろと言った。そう言った山岸の女房の顔には、露骨にそのことで話したいことがあると書いてある。文四郎は腰をおろした。
「小柳さまは出世なされたのです」
奥からもどって来た山岸の女房は、お盆に乗せた皿の上の餅菓子を、文四郎にすすめた。そして文四郎を、まだ以前のように少年とでも思うような口調になって、軽くたしなめた。
「もう、甚兵衛さんなどと言ってはなりません」
「そう呼んでは失礼だという意味ですか」
文四郎は注意深く、山岸の女房の表情を眺めた。さっき小柳の家を出たときに感じた不審が胸にもどって来ている。
「すると、いま小柳のお家は?」
「禄高八十石で御蔵方勤めに変わりました」
山岸の女房はおどろくべきことを言った。
「お家は与力町にあります」
「八十石……」
文四郎は餅菓子に手を出すどころでなく、呆然と女房の顔を見た。やっと言った。
「それは大変なご出世ですな。しかし、それはどういう……」
「ふくをご存じでしょう」
と山岸の女房は言った。
「少し内気に過ぎるようでしたけれども、気だてのよい子でしたよ。そのふくが江戸に行ったのは、知っていましたか」
「はあ、それは聞いております」
「ツテがあって、江戸屋敷にご奉公に上がったのです。ますどのは喜んでおられましたよ、そのころ」
女房は、小柳の女房の名前を言った。
「喰べる口が減って助かる、などとおっしゃってね」
「あの家は子沢山でしたから」
肝心のことをはやく話してくれればいいのにと、文四郎が少し苛立《いらだ》ちながらそう言ったとき、山岸の女房が不意に声をひそめた。まだはっきりしたことじゃありませんから、ひとには言わないでくださいよと前置きして、女房は同じ声音でささやいた。
「ふくに、殿さまのお手がついたのだそうです」
「……」
女房の言葉を理解するまで、ちょっとの間があった。しかしその言葉は、つぎの瞬間何の苦もなく腑《ふ》に落ちて、文四郎の頭の中で音立ててはじけた。文四郎は目の前が真白になったような気がした。
つぎに文四郎は、怒りとも屈辱とも言いがたいもののために、顔がカッと熱くなるのを感じた。小柳さまは、これからまだまだ出世なさいますよ、という山岸の女房の声が遠く聞こえた。
しかし、山岸の家を出て路上にもどったときには、その怒りに似た気持ちはおさまっていた。かわりに文四郎を覆いつつんで来るべつの感情があった。
──そうか。
では、終わったのだと文四郎は思っていた。その思いは唐突にやって来て、文四郎を覆いつつみ、押し流さんばかりだった。
蛇に噛《か》まれたふく、夜祭りで水飴《みずあめ》をなめていたふく、借りた米を袖にかくしたふく。終わったのはそういう世界とのつながりだということがわかっていた。それらは突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのである。
そのことを理解したとき、文四郎の胸にこみ上げて来たのは、自分でもおどろくほどにはげしい、ふくをいとおしむ感情だった。蛇に噛まれた指を文四郎に吸われているふくも、お上の手がついてしまったふくも、かなしいほどにいとおしかった。
文四郎は足をとめた。そして物思いの炎が胸を焦がすのにまかせた。そこは矢場跡の空地のはずれで、振りむいても組屋敷の通りがひっそりとのびているだけで、ひとの姿は見えなかった。芽吹いた雑木林の奥からかすかに遊ぶ子供の声が洩《も》れて来るだけである。文四郎の放恣《ほうし》な物思いをじゃまする者も、咎《とが》める者もいなかった。
──あのとき……。
と文四郎は強い悔恨に苛《さいな》まれながら、たずねて来たふくに会えなかった日のことを思い出している。あのときふくは、このようにしてやがて別れが来ることを予感していたのだろうか、と思った。
その考えは文四郎を堪えがたい悔恨で覆いつつんだが、その一方で文四郎は、いまのはげしい物思いが、ふくとの別れが決まったからこそ、禁忌を解かれた形であふれ出て来ていることを承知していた。禁忌を解いたのは文四郎自身だが、ふくとの突然のわかれがおとずれなかったら、ひとにはもちろん、自分自身にさえ本心をさらけ出すようなことは決してしなかったろう。
文四郎は平静さを取りもどし、数え切れない禁忌から成り立っている日常に、少しずつもどって行く自分を感じていた。ふくとのことは、何事もなかったように振る舞うことだと思った。そうすれば、それはもともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。自分にとってもふくにとっても、いま必要なのはそういうことだとわかっていた。
だが、やはり悲哀に似た重苦しい気分は残った。それは胸の奥深い場所に降りて行って、そこで姿を消した。歩き出す前に、文四郎はもう一度振りむいて組屋敷を見た。風景がさっきとは違って見えるように思った。
家にもどった文四郎は、小柳が出世して御蔵方に変わり、与力町に引越したことだけを言った。ふくのことは黙っていた。
登世はおどろいて、いろいろと文四郎に聞きただした末に、それじゃ与力町の方に挨拶に行かないと、と言った。
「それはもう、いいのじゃありませんか」
「それはそれ、これはこれですよ。そなたが気がむかないのならわたしが行って来ます」
それでは、出世したわけは母が小柳からじかに聞くことになるのだと、文四郎は思った。
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梅雨ぐもり
一
文四郎は、誰もいない道場にただ一人居残って、稽古用の木剣を揮《ふる》っていた。
八双に構える。打ち込んで来る敵を想定していた。仮想の敵は文四郎の左肩、左拳《ひだりこぶし》を狙《ねら》ってきびしく打ち込んで来る。わずかに足を送ってかわしたつぎの瞬間には、文四郎は腰から踏みこんでいた。
「えーい」
木剣はうなりを生じて、敵の頭蓋《ずがい》を打ち据えた。
同じ型を十度、二十度と繰り返すうちに、汗は身体だけでなく髪の中にも湧《わ》いて、顔面を滴り落ちる。腕は疲れて、木剣が鉛の棒を振るように重くなって来た。
どっと膝をついて、文四郎はひと息いれた。頭を垂れていると、顔から落ちる汗が木の床に滴った。腰の手拭いで顔をひと撫《な》ですると、文四郎はまた立ち上がった。構えを変え、今度は左足、右足を前後逆に踏みかえる。その構えで襲って来る敵を待つ。
敵は今度は胴を打って来た。文四郎はすばやく足をひいたが、八双の構えは微動もしない。つぎに足はすべるように前に出て、深く踏みこみながら木剣を振りおろした。
「えーい」
森閑とした道場の空気を裂いて気合の声がひびき、文四郎は残心の構えからゆっくり体を起こし、木剣を引き上げる。
と、文四郎は物に襲われたように体を回し、木剣を構え直すと一歩、二歩後にさがった。うす暗い道場の隅にひとが立っていた。
「わしだ」
その人影は、声をかけながら武者窓からわずかな夕明かりがさしこむ場所に出て来た。道場主の石栗弥左衛門だった。
「おどろかしてわるかったかな」
弥左衛門は歯が抜けているために、近ごろやや聞きとりにくくなった口調でそう言った。その声が笑いをふくんでいるのを感じ取って、文四郎は木刀をおろした。
道場主は機嫌がいいのだ。だが、文四郎を襲って来たのは強い殺気だったのである。文四郎は静かに言った。
「いたずらはいけません、先生」
「は、は、は」
と弥左衛門は笑った。
「ためしてみたのだ」
弥左衛門は言い、文四郎の前に来ると下げていた扇子を構えた。
「さっきの型には、ちと傷がある。相手になってやるゆえ、打ちこんで来い」
「このままではいけません。竹刀に換えましょう」
「なに、かまわん。遠慮せずに来い」
弥左衛門に言われて、文四郎は一礼して間をあけると木剣を構えた。
むろん、師匠にじかに稽古をつけてもらう絶好の機会だった。しかしそう思う一方で、文四郎は師匠の身体を案じてもいた。弥左衛門は近ごろ病気がちで、しばらく道場に出ていなかったのである。
だが、そんな弱気は弥左衛門にはとっくにお見通しらしく、文四郎ははげしく叱咤《しつた》された。
「遠慮するなと申したぞ。さあ、参れ」
文四郎は足もとを固めて、木剣を八双に引き上げた。すると満身にさっきの気力がもどって来た。
すでに弥左衛門は構えている。さすがに一分の隙もなかった。白髪|痩身《そうしん》で、文四郎よりよほど小柄なその身体は、一本の扇子の陰に半ばかくれたかのようで捉《とら》えどころがない。
石栗弥左衛門は藩の物頭《ものがしら》を勤める家の嫡子で、いずれは父祖のあとを襲って物頭となるはずだったが、二十のときに江戸詰となり、そこで出会った空鈍流に以後の運命をゆだねることになった。
すなわち空鈍流の道場で研鑽《けんさん》を積むこと十年、諸国修行に五年、江戸にもどって技をみがくこと三年、あわせて十八年の歳月を剣の修行ひと筋に過ごしたのである。むろん藩も了解済みのことだった。帰国した弥左衛門は、藩のすすめを受けていまの道場を創始した。扇子のむこうにいるのは、修行五十年の兵法者である。文四郎は懸念を捨てた。
文四郎は足を踏みかえた。そして待った。すると弥左衛門の身体が、一度ぬっと迫《せ》り上がったように見えた。と思うと、つぎにその身体は沈みこむように床を走って来た。文四郎の胴を襲って来たのは、扇子ではなく白刃のようだった。
文四郎は足を引いて、扇子の打ちこみをかわした。かわしながら軸足の左足は小幅に前に出ている。そして右足を深く踏みこむと同時に、弥左衛門の額を打った。だがはげしい気合もろとも打ちこんだ文四郎の木剣は、空を打っている。
「これだ」
そばに寄って来た弥左衛門が、文四郎の左足を軽くたたいた。
「この足を前に出すときは、相手の身体の流れに合わせなければいかん。ぼんやりと間をつめても相手はつかまらぬ」
もう一度やってみろ、と弥左衛門は言った。ふたたび弥左衛門が扇子を構え、文四郎は打ちこんだ。一度では済まず、およそ十回余も同じ型を繰り返したにちがいない。
武者窓からさしこむ夕明かりが、最後のまたたきを終えようとする直前に、文四郎は師匠に指摘された左足の爪先が、弥左衛門の身体が動く向きを捉えたのを感じた。つぎの右足の踏みこみは、さっきとは異なる方向にのびた。
無心の気合が文四郎の口からほとばしり、振りおろした木剣は、弥左衛門が防ぐために上げた扇子をかちりと打っていた。扇子とはいえ、弥左衛門の防ぎの術は強烈で、文四郎の木剣は強くはね返されて宙に飛びそうになった。たたらを踏んで、文四郎は後にさがった。
だが弥左衛門も扇子を落とし、のけぞって倒れた。
文四郎は木剣を床におくと、弥左衛門に走り寄った。
「大丈夫ですか。お怪我《けが》はありませんか」
「なに、怪我などせんよ」
そう言ったものの、文四郎に助け起こされた弥左衛門はみじめなほどに喘《あえ》いでいた。急に道場に出て来て、文四郎の打ちこみを十回余も受けるなどということは無理だったのだ。文四郎は強い後悔に襲われながら、痩《や》せて骨ばっている弥左衛門の背を撫でつづけた。
それで呼吸が楽になったらしく、弥左衛門は手を借りずに立ち上がった。そして文四郎を見ると、憮然《ぶぜん》とした声で言った。
「受けたはいいが、眼がくらんで尻餅をついた。わしの身体も、いよいよ年寄って罅《ひび》が入って来たようだの」
「ご無理をおねがいし、申しわけありませんでした」
「なに、そなたがあやまることはない。わしから言い出したことだ」
文四郎は弥左衛門を母屋の入り口まで見送ると、境にある厚い杉戸をあけた。すると奥の方から淡い灯影が射して来た。母屋では、もう夜の灯をともしているのである。
弥左衛門が振りむいて言った。
「帰り支度が済んだら、ちょっと母屋に寄れ。話すことがある」
うす暗い庭に降りて、汲み上げた水で汗をぬぐいながら、文四郎は師匠の話は何だろうかと思った。叱られるようなことはしていないはずだ、とも思った。
このところ文四郎は、一日も休まず道場に通っていた。それを見て犬飼兵馬が相変わらずしつこく試合を挑み、挑まれれば文四郎は拒まずに相手をしているけれども、以前のように狂犬が噛み合うようなはげしい打ち合いはやらなかった。
兵馬に挑発されて、歯をむき出して打ち合っていたころ、文四郎には父助左衛門の唐突な死と、うす汚れた長屋に捨て扶持で養われている現在がもたらす不遇感があった。要するに前途に何ののぞみも見出せず、まわりには罪人の子を白眼視する気配だけがあるのに苛立って、文四郎は兵馬とのはげしい闘争にのめりこんで行ったのである。
いま、その不遇感が、すべて解消したというわけではなかった。父の死の真相は依然として謎につつまれたままで、その背景を声高に、明快に語るひとはいない。また家禄がもどされて来て、文四郎はいささか自分の行く手を見出した気持ちがしたのだが、挨拶におとずれたとき、郡奉行の樫村弥助は一応文四郎を祝福しながらも、「里村さまは策略の多い方だ。油断せぬことだ」と言った。一度反逆者の烙印《らくいん》を捺《お》された家の前途を、楽観はしていなかったのである。
文四郎にも、樫村のその観察は妥当なものに思われた。旧禄復帰を喜んで、小柳、山岸にまで触れに行った自分を顧みて、文四郎は冷水を浴びた気がしたのである。
二
不遇感といえば、文四郎の胸の底にはもうひとつ溶解しきれない鬱屈の種子がある。言うまでもなく、藩主の側女《そばめ》になったふくのことだった。
境遇がちがってしまったふくを、いつまでも女々しく思いつめているというのではなかった。ふくに対する気持ちにはきっぱりと清算がついている。それはいかにもいとおしむべき過去だったが、しかしいまは過去でしかないものであることがわかっていた。
ただ文四郎の胸の底から、時おり嚥下《えんか》しがたい何かの塊のようにうかび上がって喉《のど》につかえる想念がある。ふくが普通の家の嫁となったのではなく、藩主の側女になったことに対するこだわりだった。ふくの本意ではあるまいと思うのである。ふくは手折られた花にすぎない。
出世した甚兵衛夫婦はともかく、藩主の側女に挙げられたふく自身が喜んでいるとは思えなかった。ふくはしあわせではあるまい。
そういう考えは文四郎をいっとき胸ぐるしくし、そのときも文四郎は、ひとには言えないかすかな不遇感を味わうのだった。ふくのことで、文四郎が何ものかを失ったのはたしかだったのである。
春以来、文四郎を足しげく道場に通わせているのは、あきらかにこうした不遇感だった。道場で剣の技に思念を凝らし、あるいは極限まで肉体を酷使しているときは、家の将来に対する懸念もふくをあわれむ気持ちも忘れている。
ただし文四郎がかかえ持つ不遇感は、いまは奥深い場所に隠されていた。表に出して狂犬のように犬飼兵馬と竹刀を打ち合ったりはしない。近ごろ文四郎は、いささか大人になった眼で当時のことを顧みることが出来る。児戯に類することをやったものだと思っていた。兵馬に誘われて、避けずに相手をしても、以前のようにむきになることはない。
しかし隠し持っている不遇感は、何かのときに突然に埋め合わせをもとめて噴き出すことがあった。数日前に行った大橋市之進との稽古試合がそれだったかも知れない。
試合を申しこんで来たのは大橋の方である。大橋は例のねちねちした言い方で、しばらく手合わせしていないのは、文四郎がおれを避けているせいじゃないのかと言い、つぎにうす笑いをうかべてこう言った。
「近ごろは、おれを追い越したんじゃないかと言われてるそうだな。ひとつご教示にあずかりたいものだ」
文四郎はひややかに見返しただけだったが、その皮肉な言い方に腹を立てていた。ご教示にあずかりたいなどと言いながら、大橋がこちらをぶちのめすつもりなのはあきらかだった。この試合は負けられないと文四郎は思った。自分の技が、もう大橋に勝てるところまで来ていることもわかっていた。
同門の者が稽古の手をやすめて見守るなかで行われた試合で、文四郎は三本勝負のうち二本を制した。
──ただし……。
あの勝ち方は問題だったかも知れない、と文四郎は思っている。
勝負は最初大橋が、あざやかに文四郎の籠手《こて》を打って一本取った。大橋は身体は大きいのに籠手打ちを得意わざにしている。まずその得意わざが決まった形だった。しかしすぐに文四郎が大橋の肩を打ち返して一対一となったのだが、大橋は文四郎のその打ちこみをみとめなかった。かすったと主張して、稽古着から肩を出して見せることまでした。
しかし立ち合いをつとめた丸岡俊作が、一本とした判定をくずさなかったので、不満げに試合にもどったのだが、事件はその直後に起きた。二、三回竹刀を合わせたあとで、文四郎の竹刀がぴしりと大橋の額を打った。文句のない面打ちだったが、文四郎は丸岡の一本の声を聞きながら、つづけざまに電光のような一撃をはなった。
同じ場所を連打したのである。額が裂けて、大橋は昏倒《こんとう》した。むろんそのことで、文四郎は丸岡俊作に強く叱責され、当日は居合わせなかった師範代の佐竹にもあとで叱られている。その話が師匠にとどいていれば、あるいはそれで叱られるかも知れない。
そう思いながら、身支度をととのえた文四郎は、道場の戸締まりをたしかめてから母屋に行った。気配を聞きつけた弥左衛門の妻女が廊下に出て来て、文四郎を弥左衛門がいる居間にみちびき入れた。
白髪で身体も痩せ、皺の深い弥左衛門にくらべると、妻女はふっくらした童顔のせいばかりでなく、肌にはつやがあり、立ち居はきびきびしてかなり若く見える。それも道理で、この夫妻は十以上の齢のへだたりがあるのだと文四郎は聞いている。
弥左衛門は剣の修行に打ちこみ、妻を娶《めと》るいとまもなかったのだが、三十になったとき、すすめるひとがあって定府の藩士の娘を嫁にもらった。それがいまの妻女で、そのときはまだ十八だったとも言い、十九だったとも言う。二人は藩の江戸屋敷で婚礼を上げ、そのまま帰国しなかったので、弥左衛門の妻女が雪の降る夫の国元の景色を眼にしたのは、それからさらに八年後だったのである。
二人の間には男子が二人あり、弥左衛門は勤めを持たなかったが藩は家禄をそのままに据え置いたので、いまは嫡男が家をつぎ、城下にべつに屋敷をもらって物頭をつとめている。その嫡男夫婦の子供、弥左衛門夫妻には孫になる女児が時どき道場をおとずれて来るのを見ることはあるが、普通は老夫婦と中年の婢が一人いるだけの住居だった。
妻女が文四郎のためにお茶と茶菓子を出して部屋を出て行くと、母屋はひっそりとしてしまった。雨は降っていないが、梅雨の季節の蒸すような感じが部屋の中まで入りこんでいる。
文四郎に菓子を喰えと言ってから、弥左衛門が言い出したことはまったくべつの話だった。
三
「この秋の熊野神社の奉納試合だが……」
と、弥左衛門は言った。
「例の興津《おきつ》新之丞には、そなたをあてることにした。はげめ」
「……」
文四郎は顔を上げて弥左衛門を見た。しかし、すぐには答えずに茶碗《ちやわん》を取り上げて、熱い茶を二口、三口とすすった。その様子を、弥左衛門がじっと見守っているのを感じた。
文四郎は、茶碗を茶托にもどしてから、もう一度弥左衛門を見た。
「しかし私の上には塚原さん、大橋さん、丸岡さん、それに師範代がおられます。まだ、私の出る幕ではないと存じますが」
「金十郎は今年は試合に出ない。お上が在国で稽古が十分に出来ぬし、それにのぼり坂の若い者にはかなわぬとも言っておる」
弥左衛門はちらと微笑を見せた。
「そなたを興津にあてることは、佐竹と丸岡が相談して決めたことだ。塚原と大橋では彼の技を防ぎきれぬし、丸岡はこのたびはわが道場の総帥。興津とあたって万一敗れでもすれば、わが方の面目は丸つぶれになるという理屈だろう」
熊野神社の奉納試合は、例年秋十月の吉日をえらんで、熊野神社の境内で行う松川道場との親善試合だった。
試合を通じて両道場の親交を深め、かつ技の向上に資するというのが建前だが、事実は親交そっちのけの技くらべであり、ほかに無外流の小野道場という小さな道場があるものの、一刀流の松川道場、空鈍流の石栗道場は城下を二分する勢力なので、奉納試合には多数の藩士が見物にあつまる。
その上藩主が在国中であれば、武道奨励の名目で何試合かご覧になるということもあって、双方負けられない試合になっていた。そういう意味では、門人たちが花試合と呼びならわしているこの試合は、裏の駆けひきもあり、作戦もあってけっこうなまぐさい一面を持っている。
文四郎を松川道場の興津新之丞にあてるというのも、そういう駆けひきのひとつだということは文四郎にも理解出来た。興津は三年前ごろから彗星《すいせい》のように頭角をあらわして来た逸材で、去年の奉納試合では、興津にあたった塚原甚之助が無残に敗れている。
駆けひきはわかるが、おれを興津にあてるのが妥当かどうかは疑問だと、文四郎は思った。文四郎は今年の正月の発表で席次五番に躍進したが、自分の技量がどの程度のものかは、まだ正確にはつかみかねている。興津とあたって、勝てるかどうかはわからなかった。興津を負かしてやろうという、功名心もうすかった。
「塚原さんはともかく、大橋さんはいかがでしょうか。興津に負けるとは思えませんが」
と文四郎は言った。文四郎の頭には、物議を醸《かも》したこの間の試合の一件が残っている。この際は大橋に花を持たせたい気がした。
文四郎の言葉に、石栗弥左衛門は首を振った。
「いや、大橋は技は持っているがそこで止まっている。興津には勝てぬ」
「……」
「兵法を学んでいると、にわかに鬼神に魅入られたかのように技が切れて、強くなることがある。剣が埋もれていた才に出会うときだ。わしが精進しろ、はげめと口を酸くして言うのは、怠けていては己が真の才にめぐり合うことが出来ぬからだ」
「はい」
「しかし精進すれば、みんながみんな上達するかといえば必ずしもそうではない。真に才ある者は限られている。そういう者があるときから急に強くなるのだ。興津がそうだ。わが道場で言えば文四郎、そなたがそうだ。犬飼兵馬もそうだ」
「……」
「そなたが気がすすまぬと言うなら、興津には犬飼をあてる。そなたにくらべると技は粗いが、犬飼には大橋にない勢いがある」
「いや、先生」
文四郎は少しうろたえていた。興津に勝って剣名をあげるという気分はうすいといっても、その役割を、席次七番でぴったりとあとについて来ている兵馬に譲る気はさらさらない。
もしもそういう事態になったら、文四郎は興津の技をおそれて立ち合いを逃げたというとんでもない評判が立つのは避けられず、勝敗いずれにしろ、兵馬がもうけ役に回ることはあきらかだった。あいつを喜ばせることはないと、文四郎は思っている。
兵馬の挑戦を、近ごろはいささか大人の分別で受けとめることが出来るようになったといっても、文四郎にとって、兵馬は依然|小癪《こしやく》にさわる好敵手だった。まだ、ひとつまみの塩だってくれてやるつもりはなかった。
「兵馬にやらせるぐらいなら、私がやります。いや、ご命令ならばむろん私が興津と立ち合います」
「よし」
弥左衛門は満足そうにうなずき、菓子を喰えとすすめた。そして文四郎が茶菓子を喰いおわるのをじっと待っている。
その姿がいかにも疲れて見えたので、文四郎は菓子を喰い終わると形を改めた。
「ほかにご用がなければ、これでお暇《いとま》します」
「いや、もうひとつ話すことがある」
弥左衛門は言い、茶碗をつかんでゆっくりとお茶をすすった。そして茶碗を置くと、突然に村雨という秘剣があると言った。
「当道場の、ひとには知られておらぬ秘伝の型だ。兵法修行中に会得した型に、その後わしがさらに工夫を加えて秘伝としたものだが、これまでわしがその秘伝を伝えたのはただ一人。それがずいぶんむかしの話でな。もはやわしは年老いて明日知れぬ身となったが、その人物もやや老いて来た」
弥左衛門の意外な話に、文四郎は身体を固くして聞き入った。
「このまま、わしもその人物も世を去っては秘剣村雨は世に伝わらぬ。それが近年ただひとつの気がかりでな。ひそかに伝えるべき人物を物色して来たが、これまではその機会がなかった」
「……」
「しかしだ。この秋の試合でもしそなたが興津を破るようなら、秘伝を伝える好機到来となるかも知れぬと、わしはその人物と話し合ったのだ。すぐというわけではない。そのあかつきには伝授を考えるということだ」
「……」
「そのときは、わしは年老いてもはや秘剣を遣うのが無理なので、ただ一人の後継者であるその人物に伝えてもらうことになろう。さっき、興津との試合ではげめと申したのは、そういう心づもりがあるからだ」
「しかし佐竹さんがおられ、丸岡さんがおられます」
「いや、秘伝はまた格別」
と弥左衛門は言った。
「二人とも、いまのところはそなたより技が上だが、その器ではない。その技も、やがてはそなたが上回ることになるのは眼に見えている。自分でもそうは思わんか」
「……」
「興津新之丞に勝つことだ。伝えるのは玄妙な不敗の剣だぞ、文四郎」
弥左衛門は言ったが、疲れた顔にもかかわらずその声にはたのしげなひびきがあった。
道場の入り口の大戸をしめてから、文四郎は外に出た。生あたたかい夜気が身体をつつんで来た。雨気をふくんだ雲が空を覆っているらしく、夜空には一点の光も見えなかった。重くしめった闇が、のしかかるように空から垂れさがっているのが感じられた。
地面がわずかに白い。文四郎が五間川の河岸の方に歩いて行くと、頭上に鋭い声をのこして夜鳥が翔《か》けて行った。
──秘剣か。
と文四郎は思った。その話を聞いた興奮が、まだ身体の中に残っていた。文四郎が剣の修行にはげむのは、興津新之丞に勝つためでも、石栗道場の秘伝を得たいためでもなく、日々剣の修行に打ちこむしかないところに、わが身を追いこまれたからである。
とは言うものの文四郎も、長年剣に心身を酷使して来た人間である。師の弥左衛門に不敗の剣の伝授を示唆されては、高ぶる気持ちを押さえかねた。
──このおれが……。
秘伝をうける二人目の人間にえらばれるのだろうかと、文四郎は思っている。興奮はその認識につながっていた。弥左衛門の心づもりなるものが真実なら、やがてたった一人をのぞいて同門の何びとものぞき見たことのない秘儀を、おれが目にすることになるのだと思った。ただし興津に勝てばの話である。
四
河岸に出ると、右手の千鳥橋のむこうに、町の目抜き通りの灯がちらつくのが見えた。まだ時刻ははやく、灯をともして商いをしている店があるらしかったが、そちらは文四郎が行く方角ではない。
文四郎はその灯に背をむけ、河に沿って歩き出した。灯影も見えない暗い町がつづき、片側にはたえまなく岸を洗う川波の音がした。近ごろはるかな川上の山にしきりに低い雲がかかるのが見え、多分そのせいで、二、三日前から川の水がふえつづけていた。
──興津に……。
勝てるかどうかはわからん、と文四郎は思った。興津が塚原甚之助を破った去年の試合はむろん見ているが、そのときの文四郎は、自分の相手に決まった山根清次郎を打ち破る工夫にいそがしくて、興津新之丞の太刀筋を十分に見たとは言えない。
ただ難敵だということはわかっていた。塚原はすべての技を封じられて、一方的に負けたように見えたのである。興津に勝つためには、杉内道蔵でも相手役にえらんで、よほど技をみがかねばなるまいと思った。
──それにしても……。
先に師匠に村雨の秘剣を伝授されたのは誰だろう、という考えがうかんで来たのは、住む町に帰って来たころだった。
その人物は石栗道場の先輩にはちがいなかった。石栗弥左衛門が、藩のすすめを受けた形でいまの道場をひらいたのは弥左衛門が四十のときだと聞いている。三十四年前のことである。
そのことと、弥左衛門が言ったその人物もやや老いて来たという言葉を重ね合わせると、秘伝を受けたのはごく初期の門人だろうと思われた。そのころに、弥左衛門が躊躇《ちゆうちよ》なく秘伝を授けたような異才がいたことになる。
しかしそこまでは推察がついたものの、そういう人間がいたといううわさを聞いたことはなく、むろん名前の見当もつかなかった。文四郎の胸の中に、その謎の剣士に対する興味がふくらんで来た。
家の戸をあけると、いきなり小和田逸平の笑い声が耳にとびこんできた。留守の間に来て、文四郎がいないので母と話していたらしい。母の登世は、逸平のがさつな人柄にもうひとついい心証を持てないといった態度を露骨に示すのだが、逸平の方には夫を失った友人の母をなぐさめる気持ちがあるらしく、たずねて来れば文四郎だけでなく、登世にも必ずなにかと声をかける。
その微妙な喰い違いを文四郎はよく心得ているので、にが笑いしながらただいまもどりましたと言った。
その声を聞いて、さっと障子をあけたのは逸平だった。
「おそかったではないか。待ちくたびれて帰ろうかと思っていたところだ」
と言ったのは、登世に聞かせる面白おかしい話も、種がつきたところらしかった。
逸平は食事を済ませて来たというので、文四郎は逸平を三畳の自室に追いやった。そして手早く夜食を喰べ終わって三畳に行くと、逸平は勝手に行燈に灯をいれて、壁ぎわに重ねてある文四郎の書物をめくっていた。
「ふむ、なつかしいな。詩経の写本だ、これは」
逸平は声をはり上げて、関々たる雎鳩《しよきゆう》、河の洲にあり、窈窕《ようちよう》たる淑女、君子の好逑《こうきゆう》と読んだが、すぐにその写本を閉じて壁ぎわにもどした。
「今日は知らせることがあって来たぞ」
と逸平は言った。しかつめらしい表情の下に笑いが動いている。その顔に微笑をさそわれながら、文四郎がいった。
「何か、いいことらしいな」
「見破られたか」
と逸平は言って笑顔になった。
「むろん、いいことだ」
「待て待て、あてて見よう」
文四郎は逸平を制して、首かたむけてから言った。
「小和田逸平の嫁が決まった。そうだろう」
「やあ、くさらせる」
逸平は大げさに頭をかかえた。
「そんないい話なら、知らせがあるなどと気取りはせぬ」
「ちがったか」
と文四郎は言った。
逸平の家や親戚が小和田家の嫁をさがしはじめてからひさしく、逸平本人も一日もはやく身を固めたい気持ちになっているのだが、どういうわけか良縁にめぐまれなかった。二、三、話はあったものの結局まとまらずにずるずると今日まで来ている。
近ごろあせり気味の逸平を見て、文四郎は逸平はまだ十八、べつにあせることもあるまいにと思うのだが、この気持ちばかりは本人になってみないとわからないことだった。
「大ちがいだ。その話は簡単にはまとまらん」
と逸平は言い、どうも親一人子一人というのが嫌われるらしいと陰気に声を落とし、おまえも気をつけろと言ったが、そこで本来の知らせるべきことを思い出したらしく、また元気な声になった。
「さっき、下城の途中で居駒先生にお会いしたのだ。藩校に行かれた帰りだと言われた」
「ほう、めずらしいな」
「それはいいが、おまえ、ここ十日ほど塾に行ってないそうだな」
「ああ」
「何か、理由があるのか」
「いや」
「ふむ、話したくないらしいな」
逸平は鼻を鳴らし、ま、それはいいがと言った。
「そのときに先生に聞いたのだ。この秋に、与之助がもどって来るぞ」
「おい、ほんとうか」
文四郎がおどろきの声をあげた。
島崎与之助が江戸遊学に旅立ってから三年になる。その間、年に一、二度は帰国する藩士に託した与之助の消息がとどいているものの、本人は一度も帰っていなかった。
「ふむ、三年ぶりの対面か。やつも多少変わったかな」
文四郎はひさしぶりの吉報に思わず声をはずませたが、不審な気持ちもあった。
「しかし学業の途中だろう。このまま帰って来るわけではあるまい」
「むろんそうじゃない」
居駒先生に聞いたところでは、こうだと逸平は説明した。
「この秋、三省館では江戸から葛西《かさい》蘭堂先生を招く」
「ほう」
「学問振興のために、家中、足軽を問わずすべて好学の者に藩校の門をひらき、二十日間にわたって蘭堂先生に中庸そのほかを講義してもらうのだそうだ。お膳立てしたのは学監の柴原さま、中老の遠山さま。居駒先生もその話に加わっている」
「わかった。すると与之助は蘭堂先生のお供で来るわけだな」
「そうだが、ただのお供じゃない」
逸平は笑い、聞いておどろくなよと言った。
「何をおどろくんだ」
「二十日間の蘭堂先生の講筵《こうえん》の中で、与之助も何かを講義するのだそうだ」
「ほほう、なるほど」
文四郎は逸平の顔を見た。少なからず衝撃をうけていた。
「優秀なんだ」
「われわれが考えているより、はるかにな。蘭堂先生から居駒先生に来た手紙には、与之助は学業優秀で一、二年後には葛西塾の塾頭にすすむだろうと書いてあったそうだ」
「江戸に行ったのがよかったのだな」
江戸に行く前の、身体も小さくいじけたような顔をした与之助を思い出すと、自然に微笑がうかんだ。その笑顔のまま文四郎は言った。
「居駒先生が鼻高々だったろう」
「そりゃ、もちろん」
と逸平は言った。逸平は鼻のわきに皺《しわ》をよせるような笑い方をした。
「居駒塾の秀才が天下の秀才になるところだからな。鈍才のおれとしては少々目ざわりなほどに喜んでおられた」
文四郎は笑った。妬《や》くことはなかろう、とたしなめた。
「優秀な友を持つということはたのしいことだ。それに、与之助はひと一倍努力したと思うぞ。努力するものは、相応に報われてしかるべきだ」
「おれは努力しなかったからな」
道場の方も十五番に居座ったままだし、と逸平は拗《す》ねたが、文四郎は相手にしなかった。逸平の拗ねは、縁談さえまとまればたちまちに雲散霧消することがわかっていた。
「それじゃ、与之助の講義のときは……」
と文四郎は言った。
「おれも聞きに行くとするか」
「おれは行かんぞ。おれは与之助を染川町にさそって、女を仕込んでやる」
逸平は露悪的に言った。
「秀才を堕落させてやるんだ」
「それはいい考えだ」
文四郎は笑った。
「しかし、与之助は案外喜ぶかも知れんぞ」
「おまえもつき合うか」
「いや、おれは遠慮しよう」
と文四郎は言った。
「おれも行きたいが、まだ藩の監視つきだからな。それにおれはおまえのように、女が欲しくてぎらぎらしているわけでもない」
「はたしてそうかな、牧文四郎」
と逸平が言った。文四郎が顔を上げると、逸平がじっとこちらを見ていた。文四郎は怪訝な思いで問い返した。
「いまのはどういう意味だ」
「じつは気になるうわさを聞いてな。それからずっと考えているのだ」
と逸平は言った。
「うわさというのは、おまえの隣に住んでいた小柳のおふく。あの子にお上の御手がついたというんだが、聞いたか」
「うわさじゃない。ほんとのことだ」
と文四郎はいった。
「それにおふくはもう子供じゃない。りっぱな娘だ」
「そうか、やっぱり知っていたのか」
ふうむ、と逸平は顔をしかめたが、突然に言った。
「おれの見当違いだったら謝るが、おまえはあの娘と契っていたのじゃないのか」
「ばかな」
と文四郎は言ったが、顔が熱くなるのを防げなかった。逸平を大した眼力の持ち主ではないかと思った。その事実はないが、胸にそういう気分がひそんでいたことは否定出来ない。
「ふくが江戸に行ったのは一昨年だ。さっき子供ではないといったが、江戸に行くころのふくはむろん大人でもなかった。そんな小娘と行く末を契ったり出来るわけがない」
「そうか、おれの見当違いか」
逸平は首をかしげた。
「それならいいが、おれはどうも貴様が近ごろ以前と変わったように思えてな。それはおふくのせいじゃないかと考えたのだ」
「それは考え過ぎだ。おれはどこも変わってなどおらん」
「そうか、それならいいんだ」
言ってから逸平は、やや突きはなすように言った。
「よしんばそうだとしても、そのへんは親友といえども口出しはむつかしいところだからな。自分で気持ちにケリをつけるしかないんだ」
そのあと二人は石栗道場の話をし、やがて腰を上げた逸平を、文四郎は外に送って出た。
五
五間川の河岸まで行って、そこで提灯をわたし、提灯をさげた逸平が橋を渡るのを見とどけてから、文四郎は踵《きびす》を返したが、五間川の上流の方に裸火が燃えているのを見て足をとめた。
五間川がちょうど東の方に曲がる、その曲がり角のあたりに動いているのは松明《たいまつ》だった。動いている人影は二、三人。そしてそこまでかなり遠いにもかかわらず、松明からこぼれる火が水に落ちるのも見えた。どんな魚を取っているのかはわからないが、松明を使って川魚を取っているらしい。霧のように白っぽい夜気が、そのあたりをつつんでいる。
しばらく眺めてから、文四郎はさっき来た道をもどりはじめた。
──今夜は……。
逸平に二つもほんとのことを言うのを避けてしまったな、と文四郎は思っている。一つはむろんふくのことである。しかしふくは以前は知らずいまは藩主の側女である。逸平のような聞き方をされては、真実を言うわけにもいくまいと思った。
二つ目は道場の話である。文四郎は逸平に、師の弥左衛門に母屋に呼ばれて、秋の松川道場との試合で興津新之丞と立ち合うように言われたことは話したが、当然ながらその話の中に出て来た秘剣伝授のことは隠した。
嘘をついたわけではないが、これまでは何事も腹蔵なく打ち明けて来た逸平に、二つも隠しごとをしたことが、今夜の曇り空のようにうっとうしく胸にかぶさって来るのを感じた。
路地をいくつか抜け、文四郎は長屋の前に出る道までもどった。するとついにこらえかねたように暗い夜空から雨が降って来た。といっても、霧かと思うような音もなく顔を濡《ぬ》らす雨である。文四郎は小走りに走った。
そして長屋の門のかわりをしている生け垣の切れ目まで来たとき、前方の道に急に人の気配が動いた。一人は足音を残して駆け去り、もう一人は文四郎が立ちどまっている方にゆっくり近づいて来る。暗がりにうかんだのは矢田の未亡人の白い顔である。それで文四郎は、走り去ったのが誰かがわかった。
いつものように文四郎が、憤りとかすかな羨望《せんぼう》のまじる気分につつまれて立っていると、未亡人が身体が触れ合うほど近くまで来て立ちどまった。そしていつもとはちがう物憂いような声で、文四郎さんなのねと言った。そしてつぎに未亡人は思いがけない行動に出た。両腕をひろげて、軽く文四郎を抱きかかえたのである。はっと思ったときは、未亡人は身体をはなしていた。
「雨が降ってきましたよ」
やはり物憂げな声でそう言うと、矢田の未亡人はすたすたと家の方に去って行った。化粧の香と骨細な腕の感触があとに残った。
──みだらな人だ。
と文四郎は思った。だがそのみだらさが、かすかな酩酊《めいてい》感をもたらしたのも確かだった。
[#改ページ]
暑 い 夜
一
文四郎は机にむかって、島崎与之助から来た手紙に返事を書いていた。与之助の手紙は、秋の帰国のことを知らせ、文四郎と逸平に会うのをたのしみにしていると述べていた。
返事は帰国の件を居駒先生に聞いたこと、こちらも三年ぶりの再会を待っているとまでは書いたが、それだけではそっけないように思い、近況を知らせようと筆を構えているのだが、何を書いたらいいのか、容易には考えがまとまらず、文四郎は苦労していた。
暑いせいだった。季節はもっとも暑い時期にさしかかり、人も物も焼きつくすような昼の間の暑熱は夜まで残って、まだ身体がほてるようだった。その上、日暮れに焚《た》いた蚊|遣《や》りの効能もとっくに消えたらしく、身体のまわりを蚊がとび回る。
気が散って手紙を書くどころでないけれども、暑くて窓の戸を締めることも出来ないのだった。窓をあけておけば、風ともいえないかすかな夜気のそよぎが部屋に入って来て、つかの間の涼しさをはこんでは来る。
──こうしてはおられんぞ。
と文四郎は思った。あさっての朝早く、公用で江戸屋敷に行く者がいて、与之助に手紙を書くならおれからその男にたのんでやるぞ、と逸平が言って来たのである。
手紙は今夜のうちに書き、明日は逸平にわたさなければならなかった。気を取り直して文四郎が筆に墨をふくませたとき、外に人が罵《ののし》り合う鋭い声がして、つづいて固い金属を打ち合わせるような物音がひびいた。
──斬り合いか。
文四郎は筆を置いた。一足とびに壁ぎわに立てかけてある刀をつかむと、部屋をとび出した。
入り口に出ると、やはり眠れずに起きていたらしい登世が、居間から顔を出した。
「何事でしょう、あの音は」
「たしかめて来ます。お部屋から出られぬよう、お静かにお待ちください」
言い捨てて、文四郎は外に出た。
すると別棟の長屋の、矢田の遺族の家の前あたりで、男が二人白刃を構えて向き合っているのが眼に入った。
どこの家でも、まだ戸をあけ放して涼を取っているために、灯は外に洩《も》れて二人の姿がはっきりと見えている。一人は矢田の未亡人をたずねて来る例の若い男だった。そしてもう一人は、それよりずっと若く、文四郎と同年ぐらいかと思われる武士だった。
鋭い女の声がした。入り口の前に出て来た矢田の未亡人の声である。
「鶴之助さん、刀を引きなさい。何ですか、野瀬さまに失礼じゃありませんか。あなたは何か誤解しているのです」
未亡人は一歩前に出た。
「さ、刀を引いて。話し合えばわかることです。みっともない真似はおよしなさい」
「前に出るんじゃない」
若い武士がはげしく叱咤《しつた》した。
疳走《かんばし》った声を出したけれども、その若者の剣の構え、足のくばりはどっしりとしていて、腕前はかなりのものらしいのを文四郎は見抜いた。ただ若者が構えた剣には、隠しようのない怒気が出ている。危険だった。
そして相手の男はといえば、刀を抜き合わせているものの、体のくばりも剣の構えもばらばらで、立っているのがやっとのように見えた。挑まれてやむを得ず刀を抜いたことが丸見えだった。
──ふむ、そんなことだろうと思った。
文四郎は胸の内で悪態をひとつ吐き捨ててから、握っていた刀を戸の内に残し、小刀ひとつだけになると別棟にむかってすたすたと歩いて行った。空地を横切り、別棟の建物の軒下に入ると、変わりない足どりで二人が刀を構え合っている場所に近づいて行く。
どの家でも戸の陰に人がいて、こわごわと斬り合いを眺めていたが、文四郎が近づくとあわてて奥の方に姿を隠した。文四郎は矢田の遺族の家の一軒手前まで行った。それに気づいた未亡人が何か言いかけたのを、指を口にあてて制すると、無造作に空地に足を踏み出した。
文四郎が近づいて行ったのは、未亡人が鶴之助さんと呼んだ若い男のうしろである。すたすたと二間まで近づくと、そのあとは腰を落としてすべるように走った。気配をさとった男が振りむこうとしたときには、文四郎はとびこんで若い男を羽がいじめに組みとめていた。
「あ、何をする」
男があばれたが、文四郎はそれにはかまわずに、男の肩越しに相手の男を見た。
案じることはなかった。相手の男は、文四郎が若い男を組みとめたのを見ると同時に、へたへたと地面に膝をついた。大きく肩を上下させて喘《あえ》いでいる。
「おい、そこのおひと」
文四郎は片方でもがく男を組みとめながら、大きな声で膝をついた男に呼びつけた。
「刀をおさめて早々に立ち去られてはいかがかな。ぐずぐずしていると、あとの責任までは持ちかねますぞ」
その声を聞いた男の行動はすばやかった。立ち上がって刀を鞘《さや》におさめると、見守っている矢田の未亡人に一瞥《いちべつ》を残すこともなく、そそくさと走り去った。その姿は空地を横切り、文四郎が住む棟の角を曲がって、あっという間に暗闇に消えた。
「よけいなことをしてくれたな」
文四郎に押さえられていた若い男が、低い声でいった。その耳に、文四郎はそっとささやいた。男の構えは小野道場のものである。
「小野道場の布施《ふせ》鶴之助か」
「え?」
「石栗道場の牧だ、牧文四郎。いいか、手をはなすぞ」
その声を聞いて、男が身体の力を抜いた。文四郎が手をはなすと、男は刀を鞘にもどした。
二
刀を鞘におさめてから、男はくるりと文四郎を振りむいた。そして暗い光の中でたしかめるように文四郎を見た。
「貴公が牧か。いや、はじめてお目にかかる。どうもみっともないところを見られてしまったようだな」
「いや、気にせんでくれ」
文四郎は矢田の家を振りむいたが、そこには未亡人の姿は見えなかった。家に入ってしまったらしく、ぴったりと戸が閉まっている。
文四郎は顔を布施にもどした。
「あのひととは、どういうつながりなんだ」
「知らなかったか。あれはじつの姉だ」
と布施鶴之助は言ったが、すぐにいや知らんだろうなと言った。
「知られたくはなかった。不出来な姉だ」
「そんなことはなかろう。なかなかいい姉上だ」
そうか、矢田の未亡人は布施鶴之助の姉なのかと文四郎はおどろいていた。
もっとも布施の名前を聞くようになったのは、ここ一、二年ほどのことである。無外流の小野道場には三宅藤右衛門という俊才が出て、このひとがいまも師範代をつとめ、一時は空鈍流の佐竹も三宅にはかなうまいというほどの剣名を挙げたが、小さい道場のせいか、そのあとにつづく者がなかなか出なかった。
そしてようやく、二年ほど前から石川|惣六《そうろく》、布施鶴之助という名前が聞こえて来たのであるが、その布施の名前と矢田の未亡人が結びつくような機会は、これまで一度もなかったのである。
いい姉上だと言ったのがいかにも白々しく、文四郎はその言葉に気がさした。
「もっとも、野瀬というのか、さっきの人物の一件をべつにすればだ。ところで、ちょっと寄って話して行かぬか」
「いや」
布施はどうしようかと迷う顔をしている。
「寄って、少しのぼせをさまして帰ったらいい」
布施はにが笑いした。そして、じゃちょっとだけおじゃまするかと言った。にが笑いしたのは逆上がおさまった証拠だが、仲裁したのが文四郎と知って寄る気になったようでもある。
二人が文四郎の家の方に歩き出すと、戸口のあたりにいた人影がばたばたと家の中に隠れた。表戸を閉める家もあった。
「どうも、みっともなかったかなあ」
と布施は言った。のぼせ性らしいが気性はさっぱりした男のようである。
「野瀬を斬るつもりだったのか」
「うーん」
布施はうなっている。野瀬と話しているうちに激昂《げつこう》して刀を抜いてしまったということらしかった。
「ひとつ忠告しておこう。斬るつもりがなくて刀を抜いちゃいかんな」
うむ、そのとおりだと布施は言った。母にことわって布施を三畳にみちびいた文四郎は、布施が美青年なのにおどろいた。
布施の家系は、よほど美男美女ぞろいとみえると文四郎が思っていると、布施が、野瀬のことをどの程度まで知っているのかと聞いた。
文四郎は首を振った。
「いや、何にも知らん。名前も、さっき貴公の姉君がそう呼ぶのを聞いて、はじめて知ったような次第だ」
「でも、姿は時どき見かけたろう」
「ああ、見かけた」
文四郎はうなずいた。
「よく夕方とか、夜とかにたずねて来ていたな。それは知っているが、こちらはどこの誰かなどということまで興味を持って見ていたわけではない」
「そうか」
「ほかの家でも不審には思ったかも知れないが、身分がちがうからその先を詮索《せんさく》する者はいなかったのじゃないか」
「ところが、さにあらずでな」
布施がまたにが笑いした。
「あのままでは行く末矢田さまのおためにならないのではありませんかと、姉の不行跡を知らせて来た者がいた」
「この長屋の者が?」
「さよう、ここの住人だ」
布施は今度は強く顔をしかめた。
「はずかしかった。家族一同消えも入りたい思いをした。それで先日姉を呼びつけて、父からきつい訓戒をあたえたのだ。事は姉の不行跡にとどまらず、まだ最終処分の決まっておらぬ矢田の家の将来にかかわることだからな」
「矢田家から離別してもらうことは出来んのか。その方がいいように思うがな」
「それがだ。姉がいれば矢田の家に養子が許されるかも知れないという意見が、上の一部にあるらしい。それで去るに去れない微妙な立場にいるわけだ」
「ふうむ」
文四郎は腕を組んだ。事情がのみこめると、矢田の未亡人の立場の危うさが見えて来て、文四郎はぞっとした。小雨の降る闇の中で、腕を抱きしめられたことを思い出したのである。
「なるほど。そうなると野瀬などという人物がたずねて来るのは、ごくまずいことになるな」
「まずいもまずい」
布施は舌打ちせんばかりの顔になった。
「それで、今夜はまさかと思ったが、様子をたしかめに来たら、何のことはない。野瀬が来て、二人で親しげに話をしておる。頭に来たから表に引き出して、刀を抜けと言ってやったのだ」
「野瀬というのは何者なのだ」
「野瀬|郁之進《いくのしん》、三百石の御奏者野瀬家の嫡男だ。けしからんことに、この男にはもう妻子がいるのだ」
と布施は言った。
三
布施の言葉は文四郎をおどろかした。それでは二人の交際は、正札つきの不倫ではないかと思ったのである。
「どうしてそういうことになったのかな」
文四郎が言うと、布施は話せば長いことになると言った。
布施の姉淑江は子供のころからの美貌で、成人したらきっと身分高い家から嫁にのぞまれるにちがいないと言われた。布施の両親は周囲からそう言われるのを嫌ったが、淑江が十七のときに御奏者の野瀬家から縁談が持ちこまれて、周囲はそのことを先に言いあてた形になった。
だがその縁談は、結納を済ませたあとになって突然に破談となった。理由は野瀬の方の親戚の一人が、身分違いを楯《たて》に強硬に縁組みに反対したからだと言われた。布施の両親は激怒した。
布施の家は七十五石である。その身分違いを懸念して最初に野瀬からの縁談を辞退したのは布施の家の方である。それを先方に、要は本人次第、容姿、心ばえともに野瀬の嫁としてはずかしからぬ娘と見込んでの申し込みだからと説得されて、ようやくその気になったところにことわりの使者が来たのだから、布施の家の者が怒るのは当然だった。
「あとでわかったのだが……」
布施は苦笑して文四郎を見た。
「野瀬の申しこみは、さっきの男、郁之進が茶の湯か何かの稽古に通う姉を見そめて、強引に両親を説得したので、先方の両親も乗り気ではなかったということだ。だから親戚の反対で一ぺんにつぶれてしまったらしい」
「ふむ」
文四郎は腕にとまった蚊を、狙いすましてぴしゃりと打ち殺した。すると布施鶴之助も、思い出したように首のあたりをぼりぼりと掻《か》いた。夜気は依然として暑かった。
「もっとも姉も親たちも、その破談で深く心を痛めたというわけでもなかった。というのも、それからわずか三月ほどのちに、姉は矢田作之丞どのと縁組みがまとまったからだ。作之丞どのは百石の御納戸勤めだが、剣が出来、人物も野瀬などより数等すぐれていた。いまも思い出すが、そのころは姉もわが家もしあわせな気分にひたっていたものだ」
布施は口をつぐんだ。そしてぽつりと、作之丞どのがあんなことになるとは思わなかったと言った。
布施の言い方には、義兄の矢田をあがめている気持ちがあふれていたので、文四郎も、矢田作之丞は道場でもっとも尊敬した先輩だったと言った。そしてため息をひとつついてから言った。
「なるほど、それで事情がのみこめたな」
「いや、まだ全部は話していない」
と布施が言い、さらに声をひそめた。
「寡婦となった姉に近づいた野瀬の気持ちはわからんでもない。許しがたいのはあの男が姉に、暮らしの足しにと金をあたえていたことだ。そして姉はそれを受け取っている。破廉恥な話ではないか」
破廉恥な話だと言って文四郎を見た布施の顔に羞恥《しゆうち》のいろがみなぎった。文四郎が声もなく見返していると、布施はひとつうなずくようにしてから言った。
「斬るつもりがないなら抜くなと忠告を受けたが、実情はこういうことだ。いくらか、気持ちがわかってもらえたろうか」
「気の毒だ」
文四郎が言うと、布施は初対面の貴公にここまで話すつもりはなかった、身内の恥をさらけ出したようではずかしいと言った。
「では、そろそろ失礼する。今夜は済まなかった」
布施は微笑を見せた。
「貴公がいなかったら、あのあとはひどいことになって醜聞を城下にさらしたかも知れん」
「ちょっと待ってくれ」
文四郎は膝を起こした布施を押しとどめて部屋を出ると、茶の間に行った。すると、何も言わないのに母が冷やしてあった瓜《うり》を剥《む》いてくれた。文四郎が部屋に持ち帰った瓜を、二人の若者は声も立てずにむさぼり喰った。
外に出てから、布施鶴之助がふと思い出したように文四郎を振りむいた。
「松川道場の興津と立ち合ったことがあるか」
「いや」
文四郎は首を振った。布施がなぜ興津新之丞の名前を出したのかがわからず、いくらか警戒する気分で言った。
「名前は聞いている。興津がどうかしたか」
「突然にたずねて来たのだ。道場にだ」
「ほう、お目立ては貴公かな」
「それがしと石川惣六」
家の中から射す光にうかんだ布施の顔に、かすかな笑いがうかんだ。
「さすがに、稽古熱心な男だった」
「それで? 立ち合ったか」
文四郎は自分の声が鋭くなるのを感じた。すぐに気づいたらしく、布施が怪訝《けげん》そうに文四郎をのぞいた。
「立ち合ったが、それがどうかしたか」
「それを言う前に、結果を聞きたい」
「桁《けた》ちがいに強い。惣六は完敗し、それがしは辛うじて一本入れただけだった」
「そのときの太刀筋を思い出せるかな」
「大体のところは」
「じつは……」
文四郎は、秋の奉納試合に興津と合わせられるかも知れないと言った。
「貴公の道場にじゃまして、そのときの太刀筋をたしかめたいが、どうだろう」
「いつでも来てくれ」
と布施は言った。そしてむこうに寄らなくていいのかという文四郎の言葉には首を振り、まだ灯が洩れている矢田の家をちらと見ただけで、布施は帰って行った。
文四郎はしばらく外に立ったまま、矢田の家の障子にうつる灯影を見ていた。布施鶴之助から聞いた話を頭の中に呼びもどしていると、矢田の家の灯がふっと消えた。
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染 川 町
一
昨日打ち合わせておいたとおりに、七ツ(午後四時)の鐘が鳴るのを合図に文四郎が河岸の道に出ると、川の下手の方に島崎与之助が姿を現した。歩いて来るその姿が、やけにひょろ長く見える。
帰国した与之助を見て、まずおどろいたのは背丈が高くなったことだった。文四郎と小和田逸平と三人でならんでみると、与之助が一番背が高かった。しかし肉づきはわるくて痩《や》せているので、逸平のように大男という感じはなく、そのときもいやにひょろ長いなと思ったのだが、いま近づいて来る姿もなんとなく頼りなげで、風に吹かれているように飄々《ひようひよう》として見える。
だがそれでいて、どことなく世俗を超越した、一種の風格のようなものを感じさせるところが、与之助の以前とはちがったところだった。やはり学問ひと筋に打ちこんでいる人間はちがうなと思いながら、文四郎が見まもっていると、気がついた与之助が手をあげて、やあと言った。
「染川町に行くには、ちと早いかな」
与之助は言いながら西空を眺め、へっへと笑った。
昨日は藩校の三省館で、与之助は二百人の藩士、足軽を前に論語を講じたのだが、その前に文四郎は与之助に会って、逸平と三人で今日の染川町行きを打ち合わせている。聖賢の道を講義する一方で、遊所行きの相談をしたのが与之助はテレくさかったのかも知れない。いまのはそういう笑いに聞こえた。
「なに、すぐに日が落ちる」
と文四郎は言った。日は傾いて、対岸の家並みの奥にある葉の落ちた大欅《おおけやき》のうしろから、魚市場の屋根の方に移るところだった。
「近ごろはあっという間に暗くなる。逸平の家を出るころには、ちょうどいい時刻になるだろう」
「小和田はそろそろかな」
「そろそろだろう」
と文四郎は言った。そして、昨日の講義を聞いたぞと言った。
「すばらしい出来だった」
与之助が講義したのは、学而《がくじ》篇第四章である。曾子《そうし》曰く、吾れ日に三たび吾が身を省みるではじまり、藩校の名前のもとにもなっているこの章を、与之助は丁寧な読解と豊富な例をひきながらの解釈で、飽かせずに講義した。言語は明晰《めいせき》、態度は堂々として、むかしの与之助とは別人かと思うほどだったのである。
講義が終わったあと、文四郎は与之助に会わずに帰ったので、いまその感想を言ったのだった。
「論語学而篇というのは、居駒先生から二度ほど講義をうけたように思うが、おまえの講義にはまたべつの趣きがあって、目がさめるような気がしたな」
「論語というのはつねに新しいんだ。いくらでも新しい解釈が生まれるだけの深みがあるということだろうな」
二人は長い影を曳《ひ》いて橋をわたった。しかしわたり切るとすぐに日は家並みの陰にかくれ、二人はひんやりとした空気につつまれてしまった。歩いて来た対岸の町が、かがやくような日の光に照らされているのが見えた。
「蘭堂先生の方は、今日はほっておいていいのか」
「ああ、心配はない」
と与之助は言った。
「先生は明日まで、遠山さまの別邸で休息される。その間に、弟子も少々羽根をのばすわけだ」
葛西蘭堂の三省館の講義は、連日三百人を越える受講者をあつめて、圧倒的な評判をとっていたが、老齢の師を気づかって、学監の柴原、中老の遠山、番頭《ばんがしら》の菰田《こもだ》といったかつての葛西塾の門人たちが、講義の疲れが出ないように細心の心くばりをしていた。
遠山牛之助の別邸で休息するというのも、蘭堂を招聘《しようへい》した人びとが決めた日程のひとつなのだろう。
「そうか、それなら心おきなく遊べるというものだ」
と文四郎も言った。そのとき下城の太鼓が鳴りひびき、二人は顔を見合わせてちょうどよい時刻だと言い合った。
しかし下城して来た逸平が着替えるのを待ち、三人が再び橋を東にわたったのは、暮れ六ツ(午後六時)をよほどすぎた後になった。先に立った逸平がいそぐので、持っていた提灯がおどるように動いて光がちらつき、歩きにくかった。
「与之助、おまえ……」
逸平は与之助を振りむいた。
「もう女を知ったのか。それとも、まだ童貞か」
「さあ、どっちかな」
与之助は笑い声を立てた。
「ふむ、その返事じゃ、まだ童貞だな。江戸は吉原という名代の遊所があるというのに、もったいないことだ」
「そういうおまえはどうなんだ」
与之助がからかう口ぶりで聞いた。文四郎や逸平とは比較にならないほどに深く学問をきわめているはずなのだが、その学問のために堅物に仕上がることからはまぬがれたらしく、与之助はごく自然にくだけた口をきいている。
「おまえさんは、女を知ってるのか」
「もちろんだ。論語は与之助にまかせるが、女子のことでわからんことがあったら、おれに聞いてもらいたいな」
「逸平は近ごろ、ちょいちょい染川町に飲みに行ってるらしいんだ」
と文四郎が言った。
「嫁がまだ決まらんので、少々やけくそになっている気味がある」
「やけくそだとも」
逸平がわめいたので、すれ違った人がおどろいたように足をいそがせて去った。三人は軒下に灯が出ている商人町を横切った。
「そうか、やけくそか」
はっはと与之助は笑った。
「家中の女子どもも、目がないな。逸平のような快男子がいるのに気づかぬとはな」
「そう言ってくれるのは、与之助、おまえだけだ」
逸平も、ふざけ半分に応じた。
「文四郎なんぞは存外つめたくてな。おれが染川町に誘っても、そうかと同道したことは一度もない」
「おれはまだ謹慎中の身だぞ。おまえとつるんで飲み回るわけにはいかん」
文四郎が言うと、与之助はおどろいたように文四郎を見た。帰国した与之助に、文四郎は聞かれるままに父の助左衛門が巻きこまれた事件の概要を話したが、まだ兄の監視つきだなどということまで打ち明けたわけではない。
それで与之助には、文四郎の言葉が意外だったようである。眉《まゆ》をひそめて言った。
「何だい、旧禄にもどされて、それで事件は一応決着したんじゃなかったのか」
「ほかにもいろいろと事情があるのだ」
「じゃ、飲みに行くのはまずいのか」
「いや、大丈夫だろう、今夜は遠来の友人、島崎与之助を歓迎するという大義名分がある」
「心配はいらんぞ。文句を言うやつがいたら、おれが相手になってやる」
逸平がいさましくそう言ったとき、前方に染川町の、いかにも遊所らしくはなやいだ燈火が見えて来た。
「はじめは砧《きぬた》屋に行く」
二人を振りむいた逸平が、宣言するように言った。
「店はせまくてきたないが、酒がうまくて酒代は安い。それに酌取りが別嬪《べつぴん》ぞろいだ」
「言うことなし」
「逸平にまかせる」
文四郎と与之助は口々に言った。
小さな掛け行燈に「きぬた」と書いた文字が見えて来たのは、遊客で混雑している染川町の表通りを三分の二ほど通りすぎたころである。ここだと逸平が言った。
三人は障子をあけて店に入った。入ったところに飯台と樽《たる》の腰かけがあり、奥の方には小さく仕切った小部屋がいくつもならんでいて、うなぎの寝床のように細長くて暗い店だった。四つしかない飯台には、職人ふう、お店《たな》者ふうの男たちがぎっしりと坐りこんで、はやくも酔いがまわった声で、騒々しく話したり笑ったりしていた。ほの暗い燈火が、早い手つきで盃《さかずき》をあける男たちの姿をじっと照らしている。
その横を通りすぎて、三人が中にすすむと、突きあたりの方から白い顔をした女が近づいて来て、いらっしゃいませと言った。
「部屋、あいてるか」
逸平が言うと、その声で気づいたらしく、女は小和田さま今夜はお早いお越しですこと、と言った。そして奥があいてますと先に立った。
二
女が行燈に灯をいれて、どうぞと言ったので、三人はどやどやと部屋に上がったが、そこは畳三畳だけの部屋で、三人が坐るとそれだけでいっぱいの感じになった。
逸平が注文を出し、二十を過ぎたぐらいの厚化粧のその女が注文を繰り返して去ると、三人はいっせいにあぐらになった。
「おい、なかなかの顔じゃないか」
文四郎が言うと、逸平は出がけに髭《ひげ》をあたったらしい剃《そ》りあとの青々としたあごをなでながら、まあなと言った。
「気がついたかな」
逸平は、出来のわるい後輩に訓戒を垂れる先輩といった、ややそっくり返った顔つきで言った。
「町を入ったあたりにある家が、料理茶屋、小料理屋といった店だ。少し来たところに四ツ辻があったろう」
「あった」
と与之助が言った。与之助は長い脛《すね》をもてあましたように、膝を立てたり倒したりしている。
「あの左右の路地、どっちに行っても奥は遊廓だ」
「……」
「女郎屋かと、ばかにしちゃいかんぞ。中には御殿かと思うような金きらの建物もあるし、女も町を歩いていてはとてもお目にかかれないような美人がぞろりとそろっている」
「ふうむ。おまえ、しょっちゅう来ているのか」
そう言った与之助の声がひどくうらやましそうだったので、逸平と文四郎はどっと笑った。聞いた与之助も笑った。
「しじゅうというわけにはいかんさ。遊びには金がかかる」
「ふむ、話には聞いていたが……」
文四郎は汚れた壁やケバ立った畳、隣の部屋との間を仕切る、これも紙が剥《は》げかけている襖《ふすま》を眺めながら言った。
「ここが、染川町か」
「そうだ、酒と女の町だ」
と逸平が言った。
「家中の者もかなり来ているはずだが、ここまでは入って来ないな。せいぜい四ツ辻あたりまでだ。あのへんか入り口のきれいな店で飲んで、それから女郎屋に繰りこむんだ」
「ふむ、でもおれはこういうところの方がいいな。何か、なつかしいところがある」
と文四郎が言ったとき、さっきの女ともう一人のほんの小娘に見える若い女が酒と肴《さかな》をはこんで来た。
「なにがなつかしいんですか」
肴を膳にならべながら、厚化粧の女が言った。文四郎の言葉を聞きとがめたらしい。
「こいつはいま、三畳に寝起きしてるんだ」
逸平がくすくす笑った。
「狭い部屋でな、書物とこの男でいっぱいになってしまう。大方その部屋を思い出しているんだろう」
「おい、よさないか」
と文四郎は言った。逸平の饒舌《じようぜつ》がいくらか不愉快に思われた。実際に文四郎は、長屋の三畳などは思い出していなかったし、この部屋の印象がもたらすあるなつかしい感じは、もっとべつのところから来ていた。ただしそのべつのところがどこかはわからなかった。
逸平の饒舌は、文四郎がちょっとの間落ちこんだ、しんとした物思いをぶちこわす軽薄なものに聞こえたのである。文四郎の声にふくまれている険しいひびきを、すばやく感じ取ったのかも知れない。逸平が、まあ話はあとにして一杯やろうと言いながら、盃を取り上げた。厚化粧の女が酌をした。
三人は再会を祝って盃を干した。きみちゃん、あんたお酌してねと年上の女が言い、小女を残して部屋を出て行った。
「まず肴を喰おう。ここの肴はうまいんだ」
と逸平が言った。肴はその日のとれたてを浜で焼いたとわかるかれいの塩焼きと青菜のゴマ和《あ》え、秋|茄子《なす》の漬物だった。
「与之助、盃を持て」
逸平は与之助に酒をついだ。入り口の飯台の喧騒《けんそう》はほとんど聞こえず、奥は穴倉にでもいるように静かだった。
「はじめに与之助の話を聞こうじゃないか。なにしろ三年ぶりだからな」
「それがいい」
と文四郎も同調した。
「おれもずいぶん苦労したぞ」
酒を飲みほして、逸平に盃を返しながら与之助が言った。
「まず言葉だ。こっちはむこうのしゃべることがわかるんだが、むこうはおれがしゃべることがわからん」
文四郎と逸平が笑うと、与之助は笑いごとじゃないと言った。
「常住|坐臥《ざが》、言葉が通じないほど不自由なことはない。で、おれが国言葉をしゃべると、やつらはさっそくにバカにするんだ。それだけで人間を軽んじるわけよ。軽薄なやつらだと癪《しやく》にさわったが、ま、むこうの言葉に馴れるまではずっとそんなもんだった」
「われわれにはわからん苦労をしたわけだな」
と文四郎が言った。おきみという小娘が文四郎に酒をついだ。
「おまえのところに、手紙を書いたことがあったろう」
与之助が文四郎に言った。
「小宮さんというひとが持って来てくれた、最初の手紙のことか」
「そうだ」
うなずいて、与之助は酌をしてもらった酒を無造作に飲んだ。与之助はかなり酒が強いように見えた。
「あの手紙を書いたのは、まだ言葉で侮られていたころでな。出来れば国に帰りたいと思いつめていたものだ」
「いまは、そんなことはないだろう」
と逸平が言った。
「何が? 帰りたいということか。それならいまだって帰りたいさ」
「そうじゃない。言葉を侮られるということだよ」
「それは、もう大丈夫だ」
与之助が笑いながらそう言ったとき、おじゃましますと言って、若い女がもう一人部屋に入って来た。背が低くて小太りに太っているが、人形のように色白の丸顔をした娘だった。
三
娘は部屋に入って来たものの、中があんまり狭いので気がさしたような顔をした。
「ごめんなさいね。むこうに変なお客さんがいるもので逃げて来たんだけど、狭くてわるかったかしら」
「なあに、かまわん」
逸平は上機嫌で、文四郎、もっとこっちに詰めろと言った。
「ええーと、あんたの名前は」
「おとら。よろしくね」
「おとらか。いい名だ」
「みなさん、そうおっしゃいますの」
おとらはすまして言った。細おもてのおとなしそうなおきみにくらべて、おとらはおしゃべりらしかった。しなをつくって左右にながし目を送るとみんなに酌をした。
「それで、どうした」
逸平が話をもどした。ああ、国言葉のことかと与之助が言った。
「葛西塾に入って半年ほどしたころかな。『孟子《もうし》』の輪読があったんだ。おれは志願してそれに加わった」
「ほほう」
文四郎と逸平に見つめられて、与之助は少しテレたような顔をしたが、そのままつづけた。
「そのころには江戸弁にもだいぶ馴れていたんだが、輪読では江戸弁を使わなかった。国言葉でがんがん言ってやったのだ。変な解釈をやっつけたわけだよ」
「『孟子』は、こちらでもかなりやって行ったからな」
と文四郎が言うと、与之助はうなずいた。
「そうだよ。葛西塾おそるるに足らずという気持ちはあったな。それで先輩の解釈にも、どしどし噛みついてやったんだが、不思議なことに、そういう議論の勘どころというものは国言葉でも通じるものなんだな」
「そうか。むこうも認めたわけだ」
「認めた」
与之助は、またはずかしそうな顔をしておとらに盃をつき出した。
「そのときの輪読以来、おれを見る眼が変わったというか。とにかく、それからは国言葉を侮られることはなくなったんだ」
「やっぱり、かわいい子には旅をさせろだよ、なあ文四郎」
逸平が大声で言うと、おしゃべりなおとらが与之助に、かわいい子とは誰のことかと聞いた。
「おれのことさ」
与之助が言い、文四郎が調子をあわせて、少々育ちすぎたかなと言ったので、部屋の中には笑いが渦巻いた。
話は与之助の江戸暮らしのことから、来る途中で一度出た逸平の嫁さがしの話、さらには文四郎が道場の席次五番に上がったところまですすんだ。
「五番? これはおどろいたな」
と言って、与之助が酔眼をみはるようにして文四郎を見た。三人とも、かなり酔いが回って来ていた。
「どうも以前とちがって、ひと風格出て来たような気がしたのだ。へえ、五番か」
「そのかわり、居駒先生の方はこのところ怠け通しだ」
「そりゃ仕方ない。文武両道といっても、人間なかなか両方ともに極めるというのはむつかしい」
与之助は逸平の方に顔をむけた。
「逸平は何番なんだ」
「おれか、おれは十五番だ」
「おや、だいぶ前に来た文四郎の手紙にも、逸平が今度十五番に上がったと書いてあったようだが……」
「そうだよ、おれは不動の十五番さ」
逸平はわざとふざけた口調で言い、それからおいおきみと酌取りの小女を呼んだ。
「さっきから文四郎にばかり酌をしているではないか。おれにも酒をつげ」
「こちらには、あたしがお酌して上げてんじゃありませんか」
銚子を持ったおとらが、そう言いながらしなだれかかるのを逸平は振りはらった。
「おれは、おきみの方がいい」
「まあ、にくたらしい」
おとらは力をこめて逸平の背をどやしつけた。それで逸平が酒にむせ、狭い部屋の中は大さわぎになった。
さわぎが鎮まったところで、誰言うとなくそろそろ行くかと言い、三人は金を出し合って勘定をはらった。店を出るときに、また姿を見せた厚化粧の女に時刻を聞くと、四ツ(午後十時)をすぎたところですと言った。
三人は路上に出た。左右の軒下につらなる行燈の灯は、少しも衰えずに染川町の通りを照らしていたが、道を往き来する人の数はめっきり減っていた。
文四郎は足もとがいくらか心もとなく揺れるのを感じた。酒を飲むのははじめてではないが、長い間気をゆるして飲みつづけたからだろうと思った。三人は道の半ばまで来た。
「さあ、どっちに行く」
四ツ辻に立ちどまった逸平が言った。逸平の身体も、絶えず小さく揺れている。
「こっちに行けばあけぼの楼、角平、大黒屋、上総《かずさ》屋、こっちに行けば若松屋、つばき屋、常磐《ひたち》屋、弁天楼……」
まだ並べ立てようとする逸平を、文四郎は押しとどめた。
「もういい。おまえと与之助と、二人で行って来い。おれはここから帰る」
「何だ。おい、文四郎」
逸平はつかみかかるように、文四郎に身を寄せて来た。
「おまえ、敵にうしろを見せるのか」
「うむ、女郎屋まで行っては、ちょっとまずいかも知れんのだ」
「おれも帰る」
と与之助が言った。
「おれも公式には蘭堂先生のお供だからな。あまり羽目をはずして、先生に迷惑をかけてもいかん」
「二人とも、情けないやつだな」
逸平はわめいた。
「何のかのと言うが、本音は女がこわいんだろう。こっちはお見通しだぞ」
「女なんぞこわくはない」
と文四郎は言った。
「ただ、時期がまずいと言ってるだけだ。それぐらいのことは、おまえだってわかっているんじゃないのか」
「おれ?」
小和田逸平は朦朧《もうろう》とした目つきで文四郎を見た。
「むろん、わかってるさ。謹慎中の身だと言うんだろう。それぐらいは心得ておる」
「では今夜は一人で行ってだな、おれたちの分も女子衆にかわいがってもらって来い」
「それがいい」
与之助が口を添え、へっへと笑った。
「ちぇ、今夜は秀才に女を仕込んでやろうと思ったのにな」
「またの機会にたのむ」
与之助が言うと、逸平はふらふらと二人からはなれて、横町に入って行った。横町の道は、入ったところでいったん暗くなるが、そのむこうにかがやく灯明かりが見えている。
「やい、そこの二人」
見送っていた二人を振りむいた逸平がわめいた。
「肝っ玉の小さいやつらだ。そんなことじゃ、人間大成せんぞ」
声だけで、逸平の大きな身体は見えなかった。二人は声に背をむけて、染川町の入り口の方にむかった。
人通りは減っていたが、町はまだ明るく、どこからか三味線の音が聞こえて来る。
「大成しないか」
与之助はくすくす笑った。
「そうかも知れんな」
「しかし逸平だって、大成はむつかしかろう」
文四郎が言い、二人はどっと笑った。そこは小料理屋の前で、ちょうど格子戸をあけて外に出て来た女が、びっくりしたように二人を見た。
「ところで、お福さまという殿の新しい側女《そばめ》のひとだが……」
突然に与之助が言った。
「文四郎の隣家の娘だそうだな」
「そうだ、よく知ってるじゃないか」
「普請組の小柳甚兵衛といえば、あそこしかないからな。何しろ江戸屋敷じゃ、その人のことは評判だったのだ」
「そうか」
「ところでだ。おれはまったく知らなかったが、おまえ、その人と相思の間柄だったのか」
「まさか、おい」
文四郎はおどろいて与之助を見た。
「誰が言ったんだ、そんなことを」
「逸平だよ」
「無責任な男だ」
と文四郎は言った。逸平にいくらか腹が立っていた。
「前にもそんなことを言っていたが、あいつ、おまえにまでそんなでたらめを吹きこんでいたんだな」
「でたらめか。ふうむ」
与之助はうなった。どことなく不満そうでもあった。
「しかし、火のないところに煙は立たんとも言うし、何か、逸平が言うようなことはあったんじゃないか」
「ない、ない」
文四郎は言って、ちょっと掛けないかと与之助を誘った。二人は町を抜け出て、染川町の端を流れる小川の橋まで来ていた。
四
小川とも呼べないようなその小流れの上には、多分場所柄のせいだろう、欄干は低いが幅のひろいりっぱな橋がかかっている。二人は欄干に腰をおろした。するとそこから、がらんとして明るい染川町の通りが見えた。
人通りはますます減って来たが、灯はいっこうに衰える様子がなく、見ていると、その明るい通りを酌婦かと思われる女が走って横切ったりする。その光景をしばらく眺めてから、文四郎は与之助を振りむいて、おふくのことはおまえも少しはおぼえているだろうと言った。
「あれの母親……」
と言ってから文四郎は、殿がご寵愛《ちようあい》の人をあれなどと言ってはまずいかな、しかしほかに言いようもないしな、とつぶやいた。
「あの人の母親に頼まれて、よく熊野神社の夜祭りに連れて行ったんだ」
「そういえばぼんやりと思い出すな」
と与之助も言った。
「色が白くて、小柄な子供だったろう」
「そうだ」
文四郎は、夜祭りで背に隠れるようにして水飴をなめていたふくを思い出していた。その感傷をともなう回想には、酔いがまじっている。
「逸平は、そんなところを見ているからな。それで何かあるようなことを言うんだろう。しかし、ただの臆測だ」
「そうか」
「考えてもみろ、おふくが、いやあの人が江戸に行ったのは十三のときだ。まだ子供だ。相思も何もあるもんじゃない」
「まあ、そう言えばそうだな」
与之助は、ようやく納得したように言って、長い足を組んだ。
染川町では、跡切《とぎ》れずに三味線の音がしている。と思う間に、不意にろれつの回らない放歌の声とともに、四、五人の武家が路上に現れ、もつれ合うように四ツ辻の方に去って行った。その姿を見送ってから、与之助が文四郎を見た。
「そうか。するとそのお福さまの近況などというものは、あまり興味がないかな」
「それはどういう意味だ」
「いや、近況を聞きたい気持ちがあるんなら、むこうで耳にしたことを話してやろうと思ったのだが……」
文四郎はしばらく沈黙してから聞いた。
「いい知らせか、わるい知らせか」
「まあ、わるい知らせだな」
「それじゃ聞かぬわけにいかんだろう。話してくれ」
「こっちに来る直前に聞いた話だが、お福さまは御子が流れたらしい。流産だ」
「……」
文四郎はいきなり、何か切れ味の鈍い、たとえば鉈《なた》のようなもので身体のどこかを切られたような気がした。その痛みは、ゆっくりとひろがり、胸の中にまで入って来た。
──そうか。
お手がつくということは、当然そういうことだったのだ。殿の子を生むということだったのだと思っていた。しかし、十五のふくは、殿の子を生むことをのぞんだだろうか。
「おい、どうした」
与之助にのぞきこまれて、文四郎ははっと顔を上げた。
「流産したというのは、どういうことだろうな。身体のぐあいがわるかったのか」
「それが、だ。ひと口には言いにくいが……」
与之助は声を落とした。
「おふねさまを知っているな」
「松之丞さまのおふくろさまだろう。名前は聞いている。大変な勢力家だというではないか」
「そのとおり」
と与之助は言った。
「お福さまの流産は、おふねさまの指し金だといううわさがあるらしい。つまり、殿の御子はもういらんということだと、おれに話した人間は言っていたな」
「ふむ」
「殿の寵愛をひとり占めにしている、さっそくに御子は身籠《みごも》るというわけで、おまえの知っているおふくさんは、おふねさまに憎まれているらしいのだ」
「……」
「お福さまはいま下屋敷におられるのだが、殿が見かねて国元に帰すのではないかといううわさもある」
「御役ご免か」
「いや、そうではないだろう。江戸よりは安全な国元に置くというだけのことだろうよ」
もっとも国元にも、おまんさまという方がおられるからなと与之助は言った。おまんさまは国元にいるただ一人の側女で、城奥を束ねる権力者である。
国元にもどって、はたしてお福さまがしあわせかどうかはわからんことだと与之助は言い、話はちがうがと文四郎を見た。
「おふくさんという人は、そんなに殿の寵をあつめるほどの美人だったのかな」
だが、与之助ののんびりした質問は、文四郎の胸にある痛みを刺激しただけで、耳にはとどかなかった。
「与之助、もうちょっとつき合わんか」
文四郎が立ち上がって言った。与之助も立って、大きくのびをした。
「何をつき合うんだ。酒か、女か」
「酒だ」
「ふーん、飲み足りないのか」
「少し話したいことがある」
文四郎が言うと、与之助はじっと文四郎を見てからうなずいた。
「よかろう。金は大丈夫かな。おれは少ししか持っておらんが」
「大丈夫だ。おれが持っている」
二人は染川町に引き返した。時刻はそろそろ四ツ半(午後十一時)になるころだろうと思われたが、町にはまだ明るく灯がともり、三味線の音がし、歩いて行くと、どこかで大勢の人間が繰り返しどっと笑う声までした。
「おい、今夜はとことん飲むぞ」
文四郎が言うと、与之助はにやにや笑った。
「それはけっこうだが、いったいどうしたんだ」
「いまにわかる」
と文四郎は言った。
二人がもどって行くと、砧屋ではびっくりした顔でむかえた。
「おや、飲み足りなかったようですね」
と厚化粧の女が言って笑った。
「肴はざっとでいい。酒をくれ」
「かしこまりました。もうおひと方、小和田さまはどうなさいました」
「ああ、あの男は先に帰った」
と文四郎が言った。
砧屋の客も少なくなっていた。飯台には、三人の男がはなればなれに坐っているだけで、小部屋も明かりが入っているのは二部屋だけだった。
「同じお部屋がようございましょうね」
と言って、厚化粧の女は二人をさっき飲んだ一番奥の部屋に案内した。
五
部屋に上がると、文四郎は何となくなつかしい場所にもどって来たような気がした。汚れた壁、ケバ立った畳、襖の隅の破れた穴。
──そうか……。
あれかと思った。最初にも感じたなつかしいような印象は、矢場町の組屋敷の家々に似ていたのである。文四郎の家も、小柳の家も、山岸の家も古びていて、畳はいつもケバ立ち、襖はつくろってもすぐに破れるのだった。
物がなければ貸し借りし、到来物があれば分け合って、貧しくとも気心の知れていた暮らし。その中に文四郎自身やふく、ふくの妹たちがいた暮らしの思い出が胸を横切ったとき、おとらとおきみという、さっきの酌取り女二人が酒をはこんで来た。
「ま、うれしい。もどって来てくれたのねえ」
おとらが大げさに喜ぶまねをすると、与之助が、そうさ、おまえさんの顔がみたくてなと、孔孟の教えを学ぶ人間にあるまじき調子のいい受けこたえをしたので、自然に与之助にはおとら、文四郎にはおきみがくっついて酌をすることになった。
おとらより年下で、まだ十三、四にしか見えないおきみは、いくらか眠そうな顔で文四郎に酌をした。二人はしばらく黙って飲んだ。
「相思も相愛もなかった」
やがて、文四郎が言った。
「言ったとおりで、それが事実だ。つまり自分の気持ちを言ったり、言いかわしたりということは一度もなかったんだ」
「それは、おまえがそう言えばおれは信じるよ。逸平の場合はどうかわからんけどな」
と与之助は言った。
「よし、相思の間柄ではなかった。で、おまえは何が言いたいんだ」
「あの人が江戸に行ったのは一昨年だ。一昨年の秋だ」
言ってから、文四郎はもう少し飲もうかと盃をつかんだ。女たちが二人に酌をし、おとらが与之助に、誰のことを話してるのかと聞いた。
「そんなことは、おまえさんは気にしなくともいいんだ。それよりも、何か歌え」
与之助がそう言うと、おとらはいきなり手拍子を打って、土地の古謡を歌い出した。それが思いもかけなかった美声なので、文四郎も与之助も度肝を抜かれた感じで、ともに手を打った。
歌が終わると文四郎も与之助もおとらに盃をさし、それをまた小柄なおとらがぐいぐいと飲み干すので、部屋の中はいっぺんににぎやかになった。盃が一巡も二巡もし、無口なおきみまで盃をあけてむせた。おとらがまた歌い出し、四人は手拍子を打った。
「今夜は酔っぱらっちゃったねえ、おきみちゃん」
歌い終わったおとらは、はしゃいだ声で言った。おとらは飲めば飲むほどにぎやかになるたちらしかった。
「ねえお武家さん、お坊っちゃまがた、もっと飲みましょうよ」
「よし、飲もう」
あたい、お酒持って来ると言って、おとらはひょいと立ち上がり、そのとたんによろめいて、与之助の上にかぶさるように倒れてしまった。下地が出来ている上に、いままた急に飲んだので、にわかに酔いが回って来たというふうでもあった。
「やあ、やあ、これは」
与之助がうれしそうにおとらを抱きとめた。
お酒はあたしが持って来ますと言って、おきみが部屋を出て行った。それで文四郎は、与之助に膝をむけた。
「さっきの話のつづきだが、あのひとが江戸に行ったのは一昨年の秋。で、明日は江戸に立つという日に、おれをたずねて来たんだ」
「誰がたずねて来たって?」
与之助はおとらの腕の下から顔を出してそう言ったが、ようやくおとらの身体を横にどけると、いやわかった、あの人がたずねて来たんだなと言った。
「別れを言いにかね」
「多分、そうじゃないかと思う」
文四郎は銚子《ちようし》を振ってみて、まだ酒が残っている銚子を傾け与之助に酒をついだ。
「というのは、おれはそのとき会っていないんだ」
文四郎は、そのときの状況を与之助に話して聞かせた。大橋市之進にしごかれて、帰りがいつもよりおくれたこと、道場から帰ってみると、たずねて来たおふくがもう帰ったあとだったことなどである。
「おれはさっき、相思相愛などというものは何もなかったと言った。その言葉にいつわりはない。しかし、そのときのことはいまだに気持ちにひっかかっているんだ」
「……」
与之助は盃を手ににぎったまま、黙って文四郎を見ている。
「おふくはそのとき十三だ。男女の情を解していたとは思えない」
文四郎が言うと、与之助にもたれかかっていたおとらが顔を上げて、おふくってだあれと聞いた。与之助が、おまえは黙っていろと頭をこづいた。文四郎がつづけた。
「しかし、その日おふくは自分の意志でおれに会いに来たのだと思う。別れを言いにだ。ところが、ひと足ちがいでおれは会えなかった。その後悔はいまもまだつづいている、といってよかろうな」
「……」
「むろんおれも、そのころはまだ、男女の情の何たるかなどということはわかりはしない。だがそのときふくに会っていたら、何かを言ったはずなんだ。何を言ったろうかということは、いまだによくわからん。しかし、多分何か大事なことを言ったろう」
「……」
「もっとも、こういうことに気づいたのはそのときじゃなくて、もっとずっとあと。今年になってあのひとの身分が変わったと聞いたときだ」
「文四郎、もっと飲め」
今度は与之助が酒の残っている銚子をさがし、文四郎に酒をついだ。
「ひょっとしたら、おれのひとり合点かも知れん」
と文四郎は言った。盃にわずかにつがれた酒をすすった。
「ひとり合点なら救われるのだが」
「いや、ひとり合点とは思えないな」
与之助がそう言ったとき、酒と漬物の大皿を持ったおきみが部屋にもどって来た。この漬物はおかみさんのさし入れです、お代はいただきませんとおきみが言った。
「それはまた、ありがたい」
文四郎は言ったが、ふと気づいてそろそろ看板じゃないのかと聞いた。するとおとらが、いいんですよお客さん、気にしなくともと言った。
「おそくなったら泊まって、明日の朝帰ればいいじゃないですか。ねえ、そうしなさいよ。ザコ寝しましょう。あたい、お武家さんたちが気にいっちゃった」
「おとらが、気にいったから泊まれと言ってるよ」
「ちょっと、身の毛がよだつな」
男二人が声を合わせて笑ったので、おとらが怒って与之助の背をぶった。おとらとおきみが燗《かん》のついた酒をついだ。秋にしてはあたたかな夜だったが、夜更けて来るとさすがにいくらか涼しくなり、熱めに燗した酒がうまかった。
「おまえに言いたかったのは、そういうことだ」
と文四郎が言った。
「相思の間柄などというものではなかった。むろん契りもしなかった。だが子供ごころにも、似たような気持ちの通いはあったかも知れん。それがそんなに大事なことかどうかもわからんが、ただ言ったようなことがあったとだけは話しておきたかったのだ」
「……」
「そうせぬと、おまえをいつわったようになるからな」
「逸平には話したのか」
いやと文四郎が首を振ると、与之助はわかったと言った。それじゃおれのさっきの話はつらかったろうとつづけ、酔いの回った顔だったが、深い眼のいろで与之助は文四郎を見た。与之助は銚子をつかみ上げた。
「まあ、飲め」
「今夜話したことは、他言無用だぞ」
「むろんだ。誰にもしゃべりはしない」
与之助は言い、小声で、生まるるも育ちも知らぬ人の子を、いとおしいは何の因果ぞのと、下手だがたしかに俗謡らしいものを口ずさんだ。
「文四郎、飲め。今夜は酔いつぶれるまで飲もうじゃないか」
与之助は言いながら、文四郎に酒をついだ。
翌朝、文四郎は割れるような頭の痛みで眼ざめた。そして昨夜、「きぬた」の奥の部屋に酔って寝こんでしまったのを知った。そばに何かやわらかいものがあると思ったら、おきみの身体だった。掻巻《かいまき》をはねのけて、文四郎は上体を起こした。明かり取りの窓からさしこむ青白い光が、足もとに人の形に盛り上がる掻巻をうかび上がらせている。下からおとらの髪と与之助の長い脛《すね》がのぞいていた。
おふくは人の子を流産し、おれはこんなところで酔い潰《つぶ》れているかと文四郎は思った。朝の光に似た深いかなしみが胸を満たして来た。
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天与の一撃
一
島崎与之助が師の葛西蘭堂とともに江戸に帰ってから、十日ほどして熊野神社の奉納試合の日が来た。
その日文四郎は早目に昼飯を済ませ、照円寺の九ツ(正午)の鐘が鳴るのをたしかめてから家を出た。家禄を旧にもどすという沙汰があった夜、大目付の尾形は、秋にはいまの長屋から郷方の組屋敷に移すと言ったが、まだその通知はなく、文四郎はさすがの与之助も驚嘆したような、葺屋《ふきや》町の古くて狭くるしい家に住んでいた。
袋に入れた竹刀を提げ、母に洗ってもらった稽古着と襷《たすき》、鉢巻などが入っている包みを小脇にかかえて家を出ると、文四郎は半ば習慣で、ちらと矢田の家を見た。
やがておとずれる陰鬱《いんうつ》な冬を前にした、つかの間の祝祭と見えるほど、気持ちよく晴れわたった日だった。五間川の川上につらなる山のはずれの方に、ほんのひとつまみほどの丸い雲が三つうかんでいるほかは、空は隅々まで藍《あい》をのべたように青かった。そしてそこから、もう夏の間のはげしさはない澄んだ日の光が降りそそぎ、空気はわずかに冷気をふくんでいた。
日射しは、古びた二棟のもと御餌刺《おえざ》し長屋との間の広い空地にも万遍なくさしこみ、枯れいろの雑草や長屋のはずれに咲いている黄菊を照らしていたが、矢田の家はいつものように固く戸を閉じたままだった。
一瞥《いちべつ》しただけで文四郎は空地を横切り、生け垣から外の道に出た。
──あの家は……。
とどのつまりどうなるのだろう、と文四郎は思った。その思いは、いつものように文四郎の気持ちを暗くした。
長屋の人びとをおどろかせた夏の夜の事件があってから、矢田の未亡人はほとんど外に出なくなった。それでも日々の暮らしの物を買うためか、たまに家を出ていそぎ足に外に行くことがあったが、そういうときも帰りは早く、またいそぎ足にもどって来た。
日々の物といっても、青物や魚は触れ売りの商人を家の土間まで呼び入れて買いもとめ、未亡人はなるべく長屋の者の前に顔を出さないようにしているように見えた。
──当然だろう。
と文四郎は思っている。奔放な性格のようにみえても、さすがにああいう事件があったあとも平気でいられるほどに、厚顔な女性ではなかったらしいと、そのことで文四郎は奇妙な安堵《あんど》をおぼえたのだが、しかし未亡人が現在おかれている立場を考えると、同情も禁じ得なかった。
──逃げ場がないからな。
と思う。養子の可能性が残っていては、矢田の家をはなれられないのは自明のことだった。また、長屋の者と顔を合わせたくないからといっても、いまの家は藩命で住む家である。どこに逃げるわけにも行かない。未亡人のそういう立場が見えていた。
矢田の未亡人を気の毒に思う気持ちの底には、同病相あわれむ思いがある。事件を機会に、はっきりと不遇な立場に落とされた者同士の、相手を気遣う気持ちがある。
──だが、それだけでもないな。
と文四郎は思っていた。未亡人は、この前のことがあってから幾分やつれた。そしていっそううつくしくなったように思われる。
未亡人の顔は痩《や》せて、頬骨のとがりが現れた。だが、皮膚は透きとおるように白くなり、眼は憂いを宿して、本来の美貌に凄艶《せいえん》な印象が加わった。未亡人の立場にはそぐわない。無用の危険なうつくしさに見えた。そして文四郎は、自分が未亡人のそういううつくしさに、ひそかに惹《ひ》かれていることを承知していた。
「牧さん」
不意に声をかけられた。顔を上げると、横町から布施《ふせ》鶴之助が出て来るところだった。石川惣六が同道していた。
「これからですか」
そばに来ると布施はそう言ったが、石川は軽く会釈を送って来ただけだった。石川惣六は文四郎や布施よりも二つ三つ年上で、無口な男である。
「この間は」
と文四郎は言った。葺屋町の長屋で布施と顔を合わせてから、文四郎は三度小野道場をたずね、最後はつい数日前に行って来たばかりである。
「どうです?」
布施鶴之助は横にならんで歩きながら、気遣わしげな顔を文四郎にむけた。言葉もいつもより丁寧だった。
「例の工夫はつきましたか」
「いや、まだ何とも言えんところで……」
と文四郎は答えた。
「ま、立ち合ってみなきゃわからんでしょう」
布施が言っているのは、文四郎の今日の試合相手|興津《おきつ》新之丞が使った剣のことだった。
布施と立ち合った興津は、三本勝負のうちの一本を布施に譲ったが、石川惣六との試合では一本もゆるさなかった。立てつづけに胴と籠手《こて》打ちを決め、その竹刀は下段からしなうように弾《は》ね返って来て、防ぎもかわしも出来なかったという。
興津が布施に使った太刀筋は明瞭で、青眼の構えから肩を打って来たのが一本、上段から面を取った一撃が一本で、布施はその前後の興津の太刀筋もよくおぼえていた。だが、石川との立ち合いで興津が使った刀法は、立ち合った本人の石川も、見ていた布施もはっきりと説明出来ないものだった。
わかっているのは興津が下段に構えていたわけではないということ、しかし打ちこんで来たときには興津の竹刀は下段から弾ね返るようにみえ、その打ちこみが胴に籠手に自在に決まり、石川は手も足も出なかったということだけである。石川惣六はそのときの感じを演じてみせた。
その型を参考にして、文四郎は防ぎの刀法を工夫してみたものの、十分には興津の攻撃をつかみ切れていない感じが残った。布施が言っているのはそのことである。
「興津と立ち合ったのは、ただの一度だけだからな」
布施はやや不安そうに言った。興津新之丞が使った刀法を、十分に伝えられなかったもどかしさを感じているようだった。
「もし、間違っていたらえらいことになる」
「そう心配せんでくれ。大よその筋はつかめている」
「しかし、先方は道場をのぞきに行ったんでしょう」
と布施が言った。それは事実だった。
島崎与之助が江戸に帰った翌日、文四郎は道場で杉内道蔵を相手に入念な稽古試合を行なった。奉納試合で合う興津新之丞との試合を想定し、道蔵に幾つかの注文を出して打ちこませているうちに、文四郎は自分がひどく気になる視線にさらされているのに気がついた。
道蔵に合図して竹刀を引かせ、道場を見回したが、二人を注目している者は誰もいない。ふと気づいて背後の武者窓を見た眼が、ようやくそれかと思われる眼をとらえた。格子の外からのぞいている眼だった。
その眼は、文四郎に見られても少しもあわてず、ゆっくりと視線をはずすと不意に顔もろとも武者窓をはなれて行った。歩み寄って武者窓から外をのぞくと、袴《はかま》だけの部屋住みふうの背の高い男が遠ざかるところだった。顔を見なくとも、文四郎にはひと目でその男が興津新之丞だとわかったのである。
「むこうものぞきに来たが、こっちも貴公に興津の太刀筋をたしかめに行っている。おあいこだ」
文四郎がそう言ったとき、それまで黙っていた石川惣六が、これはうわさだがと言った。
「今年の試合に勝つと、興津は藩のお召し出しに預かるかも知れんという話だ」
「ほほう」
文四郎は石川の顔を見た。試合の前に心ないことを言う男だと思っていた。ずばりと言った。
「しかし、だからといって手加減することは出来ませんな」
「もちろん、もちろん」
石川惣六は失言に気づいたらしかった。動揺した顔いろで文四郎を見た。
「そういうつもりで言ったわけじゃない。また、興津だって手加減などはのぞまんだろう」
「御弓町はお歴々がそろっているからな」
取りなすように布施鶴之助が話を引き取った。
「お召し出しの機会も、大いにあるだろうさ」
布施がそう言ったとき、熊野神社の鳥居が見えて来た。そしてまわりに、今日の奉納試合を見に行く武家の姿が目立って来た。その中には文四郎を見おぼえている者もいるらしく、ひそひそとささやく声もした。
二
文四郎は自分にあつまる視線を感じ、牧とか文四郎とか言うささやき声も耳にいれたが、聞こえないふりで小野道場の二人と連れ立って神社の鳥居をくぐった。
そのとき背後で大きな声がした。
「牧か。牧は藩の厄介者よ」
しっ、と言う声がし、背後に気まずい沈黙の気配がただようのがわかった。布施鶴之助が気遣うように顔を見るのもわかったが、文四郎は無表情に前を見てすすんだ。
──何とでも言え。
と文四郎は思っていた。この種の侮蔑《ぶべつ》は、いまにはじまったことではなかった。これまでも陰に陽に、文四郎の身に振りかかって来たものである。
むかしはそのつど、顔も心も青ざめて来るのを防げなかったが、いまは胸のうちはともかく、顔いろを変えて怒りを人前にさらすようなことはない。文四郎は声の主を振りむきもせず、平然と歩いたが、今日の試合は負けられんなと思っていた。いま、牧の家と文四郎自身を侮蔑した男が、試合相手の興津新之丞の勝ちをのぞんでいることは、考えるまでもなくあきらかだったからである。
神明町の真中に宏大な老杉の森があり、熊野神社はその森の奥に鎮座していた。社殿そのものはさほどに大きくない神社だが、建物は神さびて古く、境内はひろびろとしている。試合は、その境内の一角を長大な白い幕で囲い、その中で行われる。
試合場に着くと、すでに張りめぐらされた幕の内側には、見物の家中が詰めかけているらしく、私語するざわめきが波音のように外に洩《も》れて来る。文四郎は、幕の外で布施と石川惣六にわかれ、試合場の背後にある控えの幕張りの中に入った。
「おそいではないか。もうはじまるぞ」
文四郎が石栗道場の控え場所になっている幕の内に入ると、佐竹金十郎が待っていたように叱りつけた。
佐竹は自身は試合には出ないが、石栗道場の出場者を監督するために来ているらしかった。石栗弥左衛門の姿は見えなかった。もう試合場に入って、しかるべき席についているのかも知れなかったが、多病な師匠はまた何かの故障が出て、今日の奉納試合に出席出来なかったことも考えられる。いずれにしても、石栗道場側は師範代の佐竹金十郎が責任を持って試合をすすめることになっているのだろう。
「おそくなりました。すぐに支度します」
文四郎は詫びた。
しかし試合がはじまるまで、まだたっぷりと余裕があることはわかっていた。試合の前に、石栗、松川両道場に対して藩からの下され物が披露されたり、多少の儀式めいたことが行われるものの、試合が開始されるのは八ツ(午後二時)からである。
文四郎が支度をしていると、犬飼兵馬がそばに寄って来た。
「興津との試合は、工夫がついたか」
と犬飼兵馬は言った。犬飼は頬に冷笑ともとれる笑いをうかべていた。そのくせ眼はひややかに文四郎を凝視している。
「懸念があるようなら、おれがかわってもいいぞ」
「このいそがしいときに冗談か」
着替えながら、文四郎はすばやく切り返した。
「人の心配より、おのれの頭の上の蠅でも追ったらどうだ」
兵馬の笑いが大きくなった。そしてそのまま顔をそむけてはなれて行った。二人の応酬は、声低くすばやくかわされたので、ほかの者は気づかなかったようである。
丸岡俊作はあたえられた床几《しようぎ》に腰かけ、膝に竹刀を横たえたままじっと眼をつむっていたし、大橋市之進は隅の方でしきりに膝を屈伸したり、上体をうしろに反り返らせたりしている。そして塚原甚之助は床几に腰をおろした佐竹の前に膝をついて、何事かこまごまと注意をうけていた。みんなはもう襷、鉢巻に装っていて、佐竹が文四郎をおそいと叱ったのも無理がないと思われた。
文四郎は身支度を終わった。きりりと鉢巻をしめて、あいている床几に坐った。見ると犬飼兵馬は、大橋と反対側の隅に行って、そこでゆっくり竹刀を振っている。
──相変わらず……。
闘争的な男だ、と文四郎は思った。兵馬が、さっきなぜあんな思い上がったような口をきいたのかを考えていた。
今日の試合で、犬飼兵馬は一番手で試合することになっていた。文四郎は四番手である。塚原、大橋という席次が上の先輩を追い越して、副将格で試合するのは言うまでもなく興津新之丞にあてられたからである。兵馬が、毒をふくんだような口をきいたのは、そのことに不満を抱いているせいかも知れなかった。
──しかし、一番手……。
しっかり勝ってもらわなきゃならんぞ、と文四郎はまだ竹刀を振っている兵馬を見て思った。
兵馬は席次六番の野田弥助を抜いて、試合の人数に加えられていた。去年の文四郎と同様に抜擢《ばつてき》されたのである。師の弥左衛門、師範代の佐竹、次席の丸岡などが相談した結果の人選だろうし、そのことに文四郎は不満を持っていない。
しかし、野田を追い越して選ばれたことで、兵馬はいくらか自信過剰になっているようにも見えた。さっきの言いぐさに、ちらとそれがのぞいていたと文四郎は思う。自信がありすぎるのも危険だと、文四郎は懸念せざるを得ない。
兵馬の相手は新川松三郎という若者だという。これもはじめて試合に出て来た男である。文四郎は今度の組み合わせでその名を知った。
──そっちこそ、工夫はついたか。
と文四郎は兵馬に聞きたいほどだった。
三
奉納試合は、たとえば興津に藩の召し出しがからんでいるとか、文四郎に秘剣伝授の話があるとか、個人的な事情とのからみがあるにしても、全体としては石栗、松川両道場が名誉を競う催しだった。相手方に、一番でも多く勝たねばならない。
その意味で、五人の出場者の先頭を切る犬飼兵馬の出来は重要だった。もし兵馬が同じ新顔の新川に負けるようなことがあれば、次に出る塚原、いい技を持っているのに気魄《きはく》に欠けるところがある塚原甚之助が気おくれして負けかねない。
「犬飼」
それまでじっと眼をつむっていた丸岡俊作が、顔を上げて兵馬に声をかけた。
「少し、落ちつかんか」
丸岡に言われて、兵馬が素振りをやめたとき、八ツを知らせる照円寺の鐘が遠くひびき、間をおかずに試合場の中で太鼓が鳴った。佐竹金十郎が、すぐに控えの幕を出て試合場の方に行った。
儀式と出場者の紹介が行われ、それは意外に簡単に終わって佐竹金十郎がもどって来た。するとまた太鼓が鳴り、試合場から犬飼兵馬と新川松三郎を呼び出す声がひびいた。
「よし、行くぞ」
気合をかけて兵馬が出て行った。いくらか顔が青ざめ、ひきつったような表情をしていた。
「さすがの兵馬も固くなったかな」
丸岡が佐竹を見て微笑すると、佐竹も笑った。
「はじめてだから、あんなものだろう。しかしおまえたちは……」
と言って佐竹は、文四郎、大橋、塚原に順々に視線を回した。
「はじめてじゃない。存分にやれ」
だが、佐竹の見通しは違ったようで、犬飼兵馬は勝ったが、あとにつづく塚原、大橋は連敗した。今年の試合で塚原を破ったのは、去年文四郎に負けた山根清次郎である。山根は発奮して腕を上げたのかも知れなかった。
「いいか、おまえは負けられんぞ」
文四郎を送り出しながら、師範代の佐竹は凶暴な眼つきをした。
「死んでも勝て」
死んでも勝てとは無茶な言い方ではないか、と思うゆとりが文四郎にはあった。
文四郎は雑用係にまわっている杉内道蔵にみちびかれて、試合場に入った。日に照らされて、白くかがやいている地面が眼に入って来た。午後の日は老杉の梢を静かにわたっていて、そこから澄んだ光を地面に投げかけているのだった。
正面の席に藩の役付きの男たちと見える、羽織、袴の服装も黒々といかめしい人間がならび、あとは三方をかこむように家中の男たちがいた。その男たちは羽織姿の者もいれば、羽織なしの人間もいて、地面に敷いた莚《むしろ》に坐ったり、その背後に立ったりしていた。
文四郎は立っている場所から、対面する場所を見た。そこに襷、鉢巻姿で左手に竹刀をさげた男が立っていた。長身で、やや頬がこけているその男が興津新之丞だった。山吹町の騎馬衆興津家の四男だというが、文四郎ははじめて見る顔だった。
もっともそのうしろ姿は、道場の武家窓の内から見ている。興津は文四郎より二つ三つ年上に思われた。すっくと立ったまま、またたきもせず文四郎を見ている。
広場の中央に出た審判が、二人を呼び寄せた。審判役は無外流の道場主小野喜玄だった。小柄で半白の髪、赭顔《しやがん》に長いあごひげをはやした初老の男だが、眼光は人を射抜くように鋭い。二人は小野の指示にしたがって、正面の席にむかって一礼した。やはりそこに、藩からしかるべき身分の者が来ているらしかった。
一礼したとき、文四郎は正面に坐っている人数の中に師の石栗弥左衛門がいるのを見つけた。弥左衛門は、そばにいる惣髪《そうはつ》の色の黒い男と何ごとか話していて、文四郎の方を見なかった。惣髪の男は五十過ぎかと思われ、羽織ではなく袖無しのようなものを着ている。一瞬の印象だが、中高の顔が烏天狗を思わせるような風貌の男でもあった。
審判役の合図で、一礼をかわし合った文四郎と興津は、すべるようにうしろにさがって竹刀を構えた。それまでかすかにざわめく音を立てていた人びとが、二人が竹刀を構えるのと同時にぴたりと静かになった。
──さすがだ。
と思いながら、文四郎は竹刀の先に構えている興津を凝視した。興津の青眼の構えは堅牢無比で、一分の隙も見出せなかった。それでいて足のくばり腕のそなえは、やわらかく無限の弾力を秘めているように見え、機に応じて攻防いずれにも変化する動きを隠していることがあきらかだった。
──攻撃あるのみ。
と文四郎は思った。興津は文四郎の仕掛けを待って攻防の変化に出ようとしているように思われた。文四郎が仕掛けなければそれでもよし、膠着《こうちやく》状態に持ちこんで、一瞬の仕掛けに嵌《は》める。興津の構えはそう言っているようでもある。
文四郎は左足をじりりと前にすすめると、静かに竹刀を八双に引き上げた。それで敵の攻撃を左半身に吸収しながら、必殺の一撃を放つ攻撃の体勢が出来上がったのである。その構えのまま少しずつ足を移して右手に回った。
距離はおよそ四間。だが石栗道場では、攻撃のときにこの四間の距離を一瞬にして詰める。もとよりそのことを承知しているとでも言うように、興津新之丞は射るような眼を文四郎にそそいだまま、体を静かに右に回した。一分の隙もない青眼の構え。
だがやはり動いた方に利が現れた。興津を軸に、文四郎がその回りをまわる形で、ほぼ一周したとき、興津に隙が出た。
四
試合場の土は、小石をことごとく取りのぞいたあとにこまかな砂を混ぜ、鏝《こて》をあてたように平均に均《な》らしてある。二人はその土にはだしで立っていた。
だが、おそらくはのぞき切れない小石が土中からのぞいていたのでもあろうか。足を移した興津の足もとが針ほどの乱れをみせた。同じ土を二度踏み直したのである。見過ごせばそれまでのかすかな隙だったが、文四郎は地を蹴ってその隙に竹刀を打ちこんで行った。
だが文四郎の攻撃に応じて切り返した興津の竹刀も、おそるべき神速の技をそなえていた。文四郎の打ちこみを、一歩踏みこんだ興津が迎え討つ形で、二人はほとんど相打ちに相手の身体を竹刀にとらえていた。文四郎の竹刀は興津の左肩を打ち、興津の竹刀は文四郎の胴に決まった。
「一本」
小野喜玄は白扇を高く上げ、次いで文四郎を指した。相討ちに見えたが、文四郎の竹刀がわずかにはやく興津の肩を打ったのをみとめたのである。そのことは文四郎にもわかり、また興津新之丞にもわかったように見えた。見物の藩士は、およそ百五十から二百人ほどはいるかと思われたが、小野の判定がくだると、名状しがたい吐息のようなものが試合場を満たした。
そのざわめきの中に、小野の二本目という声がひびき、文四郎と興津ははやいすり足でうしろにさがって打ち合いの間合いを取った。境内はまた、しわぶきひとつする者もなく、静まり返った。
文四郎は再度、竹刀を八双に構えた。そしてじっと待った。興津は今度は攻撃を仕掛けて来るだろうと思ったのである。もし先に一本取られたあせりから、粗雑な攻撃を仕掛けて来るようなときは、一撃で破る用意があると思いながら、文四郎は興津を見守った。
だが意外にも、興津は動かなかった。青眼に構えた竹刀の先がかすかに上下し、足もとを一度だけ軽く踏み直したものの、構えは守りで、そこから一歩も踏みこんで来る気配はない。青眼の構えのむこうに、興津の頬の痩せた顔と幅ひろい肩が見えた。眼はひたと文四郎にむけられているものの、興津の顔にはどのような表情もうかんではいなかった。
時が移った。文四郎はじりりと足を前にすすめた。興津に打ちこんで来る気がないのなら、こっちから仕掛けるしかないと思っていた。興津の守りは鉄壁だったが、打ち破る工夫がないわけでもない。
文四郎は、またにじり寄るように前に出た。すると、はじめて興津も前に出て来た。打ち合う意志を示したのである。水にうかぶ水すましのように、興津はすいと前に出て、その動きはなめらかだった。
双方が少しずつ足をすすめ、間合いがほぼ三間に迫ったとき、文四郎は足をそろりと右に移した。つぎに足を左に左にと移した。石栗道場で千鳥と呼ぶ足遣いである。
千鳥は固い守りの相手を破るときに使う足はこびである。相手の守りをゆさぶり、その中に隙を見つけて打ちこんで行く積極的な手段だった。右に左に、軽く足を移しながら、文四郎は鋭く興津の隙を窺《うかが》っている。
しかし興津新之丞は、動じる気配もなく文四郎の動きに対処していた。文四郎が右に動けば左に体を回し、左に動けば右に体を回す動きは風に吹かれるように自然で、青眼の構えは微動もしていなかった。そして興津は、自分からじりと足を送って前に出て来た。興津がみずから示した、はじめての変化だった。
その出鼻に、文四郎は気合鋭く打ちこんで行った。興津が見せた変化は隙ではない。だが鉄壁の守りの中に生じた、髪の毛ほどの間隙《かんげき》ではあった。文四郎の打ちこみは、その間隙をひろげようとしたものだった。不思議なことだが、興津の守勢は文四郎を圧迫した。そのままに推移すれば、興津の術中にはまるという不安感をあたえるものだった。その粘っこい守りの型を破るためにも、機を見て打ちこむことが必要だったのである。
文四郎の打ちこみを、興津はかわさずにはね返した。二本の竹刀がからみ合い、つぎの瞬間、二人は相手が吐く息を感じる近さですれ違った。
振りむくと同時に、文四郎は竹刀を八双に構えた。その眼に、およそ四間の距離をひと息に殺到して来る興津の姿が見えた。文四郎の打ちこみは防禦《ぼうぎよ》の隙間をひろげただけでなく、興津の攻撃までひき出したようでもある。
それとも防禦は擬態で、興津の本領は攻撃にあるのか。そう思わせるほどの思い切りのいい疾走ぶりで、興津は間を詰めて来る。竹刀は走りながら楽々と上段に移っていた。
もとより打ち合いはのぞむところである。文四郎はとっさに体を固めて興津の打ちこみにそなえた。そして真向から打ちおろして来た興津の竹刀をかわした。長身の興津の打ちこみには、疾走の勢いが加わっている。すさまじい迫力があった。
半歩斜めに跳んでかわしたのは、その勢いを避けたのである。かわしたとき、文四郎の竹刀は高く八双に上がり、興津の体が流れるところを打つ構えに入っていた。だが構えたその脇腹にぴしりと興津の竹刀が決まり、文四郎は痛みに一瞬息がつまった。
「一本」
小野喜玄の白扇が、今度はまっすぐ興津新之丞を指した。その判定を見て、文四郎と新之丞は申し合わせたようにすばやくうしろにさがった。距離はおよそ六間ほど。そこで立ちどまって審判の声を待った。
竹刀を右手にさげたまま、文四郎は興津を凝視している。脇腹の痛みはさほど気にならなかったが、頭から血の気がひいたようなしんとした気分が残っていた。
──あれか。
と思っていた。まさに石川が言ったように、興津の竹刀は地面からはね返って来たのである。
五
文四郎の身体におののくような緊張が残ったのは、自分を破った興津の技を、十分には見きわめていない危惧《きぐ》のせいだった。
殺到して来た興津の身体も、打ちこんで来た最初の一撃も、文四郎は克明に見た。その一撃を避けるために半歩斜めうしろに跳んだとき、文四郎はむしろゆとりを持って動いたと思う。
興津の打ちこみをかわすには、半歩跳べば十分だった。そしてその跳び幅が小さかったのは、跳びが逃げるためではなく反撃の手がかりでもあったからである。文四郎の気も体も一点に凝縮して、興津の体がほんのわずかでも流れれば、すかさずそこを打ちとめようと身構えたのである。
だが興津は踏みとどまった。つぎに真黒な身体が視野いっぱいに迫ったと思った瞬間に、下段からはね返った竹刀が、目にもとまらぬはやさで胴を打って来たのを、文四郎はおぼえているだけである。おそらく興津は、かわされたつぎの瞬間に体を反転し、流れた竹刀をそのまま籠手を返して逆に薙《な》ぎ上げたのではないかと思われたが、その技がどのようにして可能だったかがわからなかった。
小野喜玄の三本目の声がひびき、文四郎はわれに返って竹刀を構えた。はじめは青眼に構えてゆっくりした足はこびで前に出、距離五間と読んだとき、踏みとどまって竹刀を静かに八双に上げた。そのまま興津の構えをじっと見つめる。
興津は三度青眼に構えていた。さっき示した嵐のような攻撃性などは片鱗《へんりん》も見せない、堅固な守りの型。その陰から、興津はつめたい眼を文四郎にそそいでいた。
文四郎も動かず、興津も動かないままに時が移った。その間に日はやや沈んで杉の梢の陰に回った。光はまだ境内の半分をまぶしく照らし出しているものの、そのために二人が引いていた長い影は消えた。八双の構えを取り、相手の隙を窺って時の流れに身をまかせているうちに、文四郎はようやく興津の技に対する懸念を捨てることが出来た。
──よし、もう一度来い。
と思った。その技を文四郎は見た。それが石川惣六の言うようなものであるのもたしかめた。それで十分だと思ったのである。興津がもう一度その技を遣って来るかどうかはわからなかった。だが、もし再度その技で来たときは、おのずから応じる変化がありそうな気がちらとした。
文四郎は、八双の構えを改め、四肢にのびやかな気を伝えようとした。そしてつとめて虚心に、興津の動きを待つ気になった。応じて変化する道をえらんだのである。
やや無我に近寄ったかと思われる文四郎の気に、興津のかすかな身じろぎが映った。興津は足を踏み直した。眼は鋭く、表情を消した顔に血のいろが動いたようでもある。と思ったとき、興津は猛然と疾走して来た。竹刀はやや右肩に担ぐような上段に上がっている。
文四郎も地を蹴って前に走った。文四郎の竹刀も、強風を受けた葦《あし》のように右肩の上に傾いている。五間の距離を一気に走り寄った二人は、試合場のほぼ真中で、はたと竹刀を打ち合わせた。そして一度は熱い物に触れたようにとびはなれたが、つぎに打ち合ったときには、興津の動きがわずかにはやかった。
踏みこんで、興津は文四郎の肩を打って来た。文四郎は体をかわしながらその竹刀をはらった。しかし今度は文四郎は、はらわれて下段に流れた興津の竹刀が、そこから鞭《むち》のようにしなってはね返ろうとしているのを見た。興津の踏み足は、すでに文四郎に爪先をむけている。
──これか。
おののきが文四郎の背筋に走った。肩を打ち、つぎにその竹刀を返して低い位置から籠手を打ち、または胴を打つ。興津のその技が、連続技というよりも、それ自体がひとつの刀法であるのを見破ったと、文四郎は思っている。
攻撃の比重はあとの一撃にあった。肩を狙って来るはじめの一撃はむしろ虚で、下段から襲いかかる切り返しが実である。返しの竹刀が神速を帯びるのはそのためだ。
文四郎は、ためらわずに見えている興津の籠手を打った。二人は同時に気合を発して打ち合い、すれ違って前に走った。
──間に合ったか。
文四郎は総毛立つ思いで踏みとどまり、うしろを振りむいた。自分が打ったのか、それとも興津の返しの竹刀に打たれたのか、自分でもよくわからないほどのきわどい勝負だったのである。
だが振りむいた眼に、審判の小野喜玄が白扇でこちらを指しているのが見えた。そして文四郎は、こちらをむいて立っている興津新之丞が、小野が文四郎の勝ちを宣告すると同時に、ぽとりと竹刀を落としたのも見た。見物の人びとの口から、おう、というような嘆声が洩れ、それが波のように境内にひろがった。そのざわめきにつつまれながら、興津はひどく緩慢な身動きで竹刀を拾おうとしている。
そのときになって、文四郎は全身に熱い汗がどっと噴き出すのを感じた。熱い汗は顔にしたたり、胸を濡らして流れた。稽古着の袖で顔をぬぐいながら、文四郎は興津が竹刀を拾ってこちらにむくのを待った。
──なぜ、あれが見えたのか。
と文四郎は考えていた。切り返しの技のために返っていた籠手。攻撃の構えをみせて文四郎にむいていた興津の爪先。その興津の籠手を打った一撃を、文四郎はおぼえていなかった。神が、そこに竹刀をみちびいたようでもあった。
礼をかわし、師の石栗弥左衛門がいる正面の席にも一礼して幕の外に出ると、興奮に顔をかがやかした杉内道蔵が寄って来た。黙って文四郎の手を握ったのは興奮で口をきけないのだろう。控えの幕に入ると、めずらしく佐竹と丸岡俊作が満面の笑いで迎えた。
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秘 剣 村 雨
一
文四郎の部屋に入ると、小和田逸平はまだ坐らないうちから、おう、喜んでくれと言った。その声を聞き、その顔を見れば、文四郎にも逸平がいま何を言わんとしているかがわかる。ついにその日が来たということらしかった。
「その先は言うな、逸平」
文四郎は手をあげて、逸平の言葉をさえぎった。逸平ほど正直な男はいないと、あらためて親愛の情が動くようだった。
「その先は、おれに言わせろ」
「よし、言え」
逸平は笑いをこらえた顔で、文四郎を見ている。その顔を見れば、文四郎も笑わずにはいられない。
「今度こそ、嫁が決まったろう」
「やあ、あたった」
「まずはめでたい」
文四郎は、ようやく坐ってえびす顔で笑っている逸平を祝福した。
「どこの娘御だな」
「御勘定目付の池内の娘だよ」
「池内というと、漆原町の?」
「そうだよ。燈台下暗しだった」
「そうか。同じ町内か」
池内はたしか七十石ほどの家だったはずである。さんざん探し回った末に、近所から嫁を迎えることになったのが、何となく逸平らしいと思いながら文四郎は聞いた。
「するとその娘の顔も見たことがあるだろう。どんな娘だ、美人か」
「いや、それが……」
逸平はめずらしく当惑したような顔を見せた。
「顔なんぞ知らんのだ。ひょっとしたら子供のころに見かけたことがあるかも知れんが、おぼえはない」
「それは残念だな」
「おい、文四郎」
逸平は声をひそめて顔を寄せて来た。
「その娘、名前は琴代というらしいのだが、十日に一度は常楽院の尼に手習いに通っているらしい。ちょっと顔をのぞきたいんだが、つき合わんか」
「やめろ、逸平」
と文四郎は言った。
「そんなことがもしや外に洩れて、せっかくまとまった縁談がこわれたりしたらつまらんだろう」
「それはそうだが……」
「それに身分を考えろ」
文四郎はわざと堅物ふうに説教した。もっともいつまでも悪童の気分が抜けない逸平に、一度はこういう説教をしてみたい気持ちがなかったわけではない。いたずらが許される齢はすぎた、と考えたのはいつごろからだろうか。
「貴様もおれも、親がかりの身分じゃない。それぞれに一家の主だ。誰もかばってはくれぬ。すべて自分で自分の始末をつけねばならんときが来ているのだぞ」
「そう言えばここもいよいよ引き払って……」
と言いながら、逸平は狭い部屋をぐるりと見回した。
「郷方の組屋敷に移るそうだな。ここよりはひろいか」
「だいぶひろい。それに一軒家だ」
「引越しはいつごろになるかな」
「十日ほどあとだ。意外におくれたよ」
「手伝いに来るかな」
「ありがたいが手伝いはいらん。実家の雇い人を頼むことに決めてある」
文四郎はつづけた。
「それに、小和田家の当主が頬かむりで引越しを手伝うとか、そういう軽々しいことをやっちゃいかんのだ」
「堅苦しいことを言う男だな」
「そうだよ。あえて堅苦しいことを言っているつもりだ」
と文四郎は言った。
「引越しの手伝いなど、やらんでいい。琴代さんをのぞきに行くのもやめろ。そのたのしみは祝言まで取っておけばいい」
「おもしろくないな」
逸平はつぶやいたが、不意に、終わったと言いたいんだなと言った。
「バカをやった時代は終わったと、そう言いたいんだろう」
「そうだよ、逸平」
文四郎は逸平を見た。
「山根や江森などと喧嘩したころが、華だった。もう喧嘩は出来ん」
「まあ、そうだ」
と言って、逸平もうなずいた。
「おれも正式に御小姓組勤めになったし、貴様もいずれ郷方勤めになる。いつからだったかな」
「ざっと、あと一年後だ」
「ふむ」
逸平は吐息をついた。
「そうか、終わったか」
「いつまでも子供ではいられない。ところで、祝言はいつだ?」
「来春だそうだ」
「お、意外にはやいな。おれを呼んでくれるだろうな」
「むろんだ。出来れば江戸から与之助も呼びたいぐらいだ」
逸平は笑顔でそう言ったが、また声をひそめて、ところで文四郎と言った。
「嫁をもらってしまえば、おまえに言われるまでもなく、小和田逸平年貢のおさめどきだ」
「まあ、そうだろうな」
「その前にもう一度、染川町をつきあえ」
「……」
「あれは大人の遊びだぞ」
逸平は昂然《こうぜん》と言った。
「貴様も与之助も、途中から逃げ出して、だらしないやつらだ。今度は逃げずにつきあえ」
「よし、わかった」
と文四郎は言った。
二
文四郎は、夜食のあとで道場に行くことになっていた。師匠に呼ばれていた。
それで、もし逸平の話が長くなるようだったら、しかるべき口実をかまえて帰さなくてはと思ったが、案じることはなかった。逸平は五日前に行われた奉納試合が、城中のあちこちでまだ話題になっていることをひとくさりしゃべったものの、こっちの話はほんのつけたりだったらしく、窓が暗くなるのを見てそそくさと帰って行った。
ほかにも、婚約がととのったことを告げる先があるのかも知れなかったが、単純にうれしくてひとところにじっとしていられないようにも見えた。
道場に行くことは母に言ってあったので、夜食は早目に出て、文四郎は食事を済ませるとすぐに外に出る支度をした。そして土間に降りてから見送りに出た母に言った。
「逸平の縁組みが決まったそうです」
「おや、それはおめでたいこと」
母は言って、嫁になるのはどこの娘かと聞いた。
「漆原町の池内の娘だそうです」
「まあ、池内さまならご近所じゃありませんか」
と言って、登世は手で口を覆って笑った。逸平に嫁の来手がないという話は、これまでさんざん聞かされて来たからだろう。
「本人も、燈台下暗しだったと言ってました」
「でも、まあ、よろしかったこと」
登世は文四郎を見上げ、見おろしながら言った。
「そなたも、そろそろ嫁をさがさないと」
文四郎は外に出た。かすかに寒気をふくむ暗やみが身体を包んで来た。習慣的に、文四郎は別棟の矢田家に眼をやったが、何事もなく窓に灯がともっているのを見て、そのまま生け垣の門にむかった。
──こちらが引越したあと……。
あの家はどうなるのだろうかと、文四郎は思っていた。
養子という話も聞いたが、矢田家にはその後藩から何の沙汰もないままに、月日が経っていた。古びた長屋をあたえ、捨て扶持ほどの飯米を支給する。葺屋町に矢田家を移した当時の藩の待遇が、いまもそのままつづいているわけである。旧禄にもどし、新たに引越し先もくれた文四郎の家の場合とは、あまりに差がある待遇というべきだった。文四郎には、その扱いの差がどこから来るのかわからない。
文四郎は時どき、藩は作之丞の母が生きている間は、飼い殺しにするつもりでいるのではないかと疑うことがある。だが、その場合も、藩が矢田家を取り潰さず、老母を飼い殺しにしておく意味がわからなかった。
引越したあとがどうなるだろう、と思うのは、こちらが旧禄にもどってから、母の登世が時おり米や着物を持って、矢田家を見舞っているのを知っているからである。矢田家のことを考えると心が重くなった。
文四郎は首を振って、矢田家の、とりわけうつくしい矢田の未亡人にむかいがちな想念を振りはらおうとした。
矢田の家にむけられている藩の眼、文四郎の腕をとらえた未亡人の手と化粧の香、そして男をかばって、鋭く弟をたしなめた未亡人の声。そのどれもが、ほんのわずかでも深く考えようとすれば十八の文四郎の手にあまるものばかりである。
──わかっているつもりでも……。
実際にはあまりわかっておらんな、と文四郎は思う。真実は模糊《もこ》として霧のむこう側にある。それよりは逸平の嫁の話でも考えようかと思いながら、文四郎は五間川にかかる橋を西にわたった。
川沿いの道を行くのは提灯を持つ文四郎一人で、ほかに人の姿は見えなかった。秋も深まったいまの季節は、日が暮れるのも夜が更けるのもはやく、まださほどの時刻でもないのに、まるで深夜の町を行くようである。絶え絶えに、どこかで虫が鳴いている。
──逸平は正直でよい。
と文四郎は思っていた。喜びを隠し切れないといった逸平の笑顔を思い出している。
逸平にくらべて、おれは正直とは言えぬとも思ったが、今夜師匠の石栗弥左衛門に会うのは秘剣伝授について話し合うためである。あるいはただちに伝授のはこびになるかも知れぬ、その心づもりをして来いと言われて文四郎は肌につける物を全部換えて来た。そのことをみだりにほかに洩らせないのはむろんのことである。
文四郎は河岸の道から鍛冶町の通りに折れ、やがて石栗道場の前に立った。門をくぐって母屋の方に回った。そうするようにと、指示を受けている。訪《おとな》いを入れると、石栗家の家事を見ている中年の婢が出て来て、文四郎を師匠のいる部屋にみちびいた。
「やはり、今夜そなたに会いたいそうだ」
文四郎が坐るのを待って、弥左衛門はやや唐突な感じで言った。
しかし文四郎には、弥左衛門が石栗道場でただ一人の秘剣の継承者のことを言っていることがわかっていた。その人物が、師匠にかわって文四郎に秘剣村雨を伝授するのである。話が唐突に聞こえるのは、弥左衛門がまだ一度もその人の名前を言っていないからだろう。
「心得ました」
と文四郎は言った。
「で、こちらでお会いするのですか」
「いや、お屋敷まで来いとおっしゃっている」
お屋敷? 文四郎は無言で師匠の顔を見つめた。
「そなたに秘剣を伝授するのは、加治織部どのだ」
「加治さま……あの加治さまですか」
文四郎は思わず、呆然と弥左衛門を見た。加治|織部正《おりべのしよう》は藩主の叔父でかつての名家老、名門中の名門の当主である。
弥左衛門はうなずいて、その加治さまだと言った。
「じつは織部どのもそなたの試合を見ておる。気づいたかな」
弥左衛門は微笑した。
「しきりにそなたをほめておったぞ。伝授の話は、その帰りに決めたのだ」
それではあのひとだと文四郎は思った。正面の席にいて弥左衛門と何事か話していた、色の浅黒い惣髪の男。あのひとが加治織部正だったのだろう。
加治織部正のことを、文四郎はさほどにくわしく知っているわけではない。ただ名前は聞いていた。居駒礼助が、塾の講義のひまひまに、領内に産業を興し、学問をひろめて善政を施いた名家老として、織部正の名前を聞かせることがあったからである。藩校の三省館は、織部正が首席家老をつとめた時代に出来たという。
しかし加治織部正は、三十代の若さで数年藩政に手腕をふるったあと、突如として引退してしまった。織部正の屋敷は代官町の奥にあって、広大な建物は石塀と鬱蒼《うつそう》とした森に囲まれている。外からはわずかに高い屋根瓦が見えるだけだった。先代藩主の末弟である織部正は、由緒ある母方の家、加治家をついだとき、藩から当時は杉ノ森御殿と呼ばれていたその屋敷を拝領したのである。
藩政から身をひいた織部正は、その屋敷に閉じこもると絶えて人の前に姿をみせることがなくなった。城にも出て来なかった。その変わりようは極端で、織部正の隠遁《いんとん》には何かわけがあるのではないかと、当時人びとがささやき合ったという。
それが十五年も前のことで、文四郎はまだ子供だった時代の話である。その、どこかしら不可解な翳《かげ》にいろどられた人物が、文四郎に秘剣を伝授するのだと、あたりまえのような顔で弥左衛門は言っているのだった。
文四郎はようやく平静さを取りもどした。弥左衛門に剣を学び、秘剣を受けたのなら、加治織部正は鬼でもなく、蛇《じや》でもあるまいと思い直したのである。
「では、すぐに参った方がいいでしょうか」
「そうだな、そろそろ行ったらよかろう」
と言ったが、弥左衛門は、もっとも織部どのは、夜は眠らん人だからいそぐこともあるまいと、無気味なことを言った。
三
弥左衛門は文四郎を連れて道場に入り、織部正の屋敷に持って行く木刀をえらんでくれた。その木刀を袋につつんで持ち、提灯をさげて文四郎はふたたびくらい町に出た。
鍛冶町から代官町までは、間に商人町ひとつをはさんでいるだけで、さほどの距離ではなかった。文四郎は、まだちらほらと灯が見える商人町の表通りを横切り、代官町に入って行った。
黒板塀の家がつづく屋敷町は、灯が洩れる家も稀で、提灯の光のおよぶ先は漆黒の闇に塗りつぶされて見えた。しかし時刻がさほど遅くないせいか、どこからか家の中の物音が洩れ、朗々と謡《うたい》の声が聞こえて来る辻もあった。
しかし町の奥に入るにしたがって、灯のいろも家々の物音もいよいよ少なくなり、あたりにいかにも夜の屋敷町らしい静寂さが満ちて来たと思ったころ、文四郎は前方に何かしらこちらを圧迫するような巨大なものが現れて来たのを感じた。
それは夜目にもわかる黒い森だった。夜空はその森よりはわずかにあかるく、頭上にひろがっている。そしてその大きな暗黒の塊のずっと下の方に、ぽつりと門の灯がともっているのも見えて来た。
前に立つと、見上げるほどに大きい長屋門だった。文四郎は潜《くぐ》り戸をたたき、姓名を名乗って案内を乞うた。すると右手の灯がともっている格子窓の内側に人影が動き、やがて潜り戸があいた。戸をあけたのは六十ほどにもなったかと思われる背の低い老爺《ろうや》である。文四郎が再度姓名を名乗ると、存外な愛想のよさで邸内にみちびき入れた。今夜文四郎が来ることを知らされていた様子に見えた。
背の高い植木の間をしばらく歩き、ようやく母屋と思われる建物の玄関に入ると、文四郎はそこで少し待たされた。
しかしじきに案内の若い武士が現れ、老爺はそこから帰って、文四郎は家の中に案内された。
大きな建物だった。歩いて行く間に灯のある部屋、灯がなくてくらい部屋がいくつもあり、家の中は大方はひっそりと静かだったが、一度だけ遠い廊下のむこうにあかるい灯が動き、にぎやかな女たちの声が洩れて来る場所があった。見えたのは台所かも知れなかった。
文四郎と案内の武士はさらに奥にすすみ、廊下をひとつ曲がったところで、またあかるい障子の前に出た。そこが主人織部正の居室だった。
文四郎を中にみちびきいれて若い武士が去って行くと、部屋の隅で、文四郎がこれまで見たことがない脚が長く丸い机に向かい、飾りが多く長い背もたれがついた腰掛けにかけていた織部正が立って来た。はたして織部正は、文四郎が試合の日に見た人物だった。惣髪の髪にはいくらか白いものがまじり、浅黒く中高な顔は鳥のような印象をあたえる。
「あれがめずらしいか」
織部正は、部屋に入ったときの文四郎の表情を見たらしく、座卓のむこうに坐りながら隅の机と椅子を振りむいた。
「若いころに、異人がああいうものを使っているのを見てな。作らせて使っているのだが、書物を読むにはぐあいがよい」
織部正の言葉で、初対面の緊張がいくらかやわらいだ。文四郎が改めて挨拶すると、織部正はうんとうなずき、楽にしろと言ったが、つぎに言い出した言葉は意外なものだった。
「先年の政変で……」
と織部正は言った。
「かなりの人間が死に、絶えた家も出たが、そなたの家は残った。その後家禄ももどったと思うが、なぜかわかるかの」
「いえ、わかりません」
と文四郎は言った。胸がさわいだ。この人がそのわけを知っていて、謎を解いてくれるのだろうかと思ったのである。
「ただ、不審なこととは思っておりました」
「当然だ。里村のやり方は中途半端だ」
織部正は、騒動のあと筆頭家老にのぼった里村の名前を出した。そして、政変が世継ぎをめぐる争いだということは聞いたかと言った。
「はい、多少は耳にいたしました」
「おふねが……」
と織部正は藩主の寵妾《ちようしよう》を呼び捨てにした。
「わが子をつぎの藩主に仕立てたくて、志摩守をのぞこうとしているというのだが、たしかに愚にもつかぬその種の動きはあるものの、政変はそれが目的ではない」
「……」
「事実は派閥間の主導権争いだった。おたがいに相手の鼻づらとって引き回そうとしたのだ。世継ぎ問題は彼らの隠れ簑《みの》にすぎぬ」
その派閥は、一方が前の中老稲垣忠兵衛、いまの筆頭家老里村左内ら、もう一方が次席家老横山又助、前家老平田帯刀、中老兼松熊之助などだと織部正は言った。
「政変で、稲垣派は兼松一族を領外追放に、平田を切腹させた。兼松や平田が志摩守擁護を理由に、松之丞、おふねをのぞきにかかったというのが名分だが、その名分であれほどの処分が出来たのは、お上が志摩守と気が合わず、松之丞の方を気に入っているためだな。それともうひとつ、兼松や平田が松之丞除外に動いたのは、ある程度真実だったから出来たことでもある。彼らはその証拠を押さえておった」
「……」
「もっとも、反対派も稲垣や里村が志摩守を世子の座から引きずりおろしにかかっていた証拠をあつめてはいた。しかし稲垣派に先手を打たれた。そういうことだ」
「……」
文四郎は身体を固くして、織部正の言葉を聞いていた。
「政変は稲垣派の勝ちに終わった。しかし稲垣派にも手抜かりがあってな。肝心の大魚を釣り落とした。誰のことか、わかるかの」
「横山さまでしょうか」
「そうよ、又助だ」
織部正の顔に微笑がうかび、織部正は不意に顔を仰むけてかっかっと笑った。
「又助は稲垣や里村を上回る狸《たぬき》での。里村たちは血眼で落ち度をさがしたが、横山又助を罪に落とす何の証拠も見つからなかった。又助こそ反対派を束ねている中心人物なのに、稲垣派はこの男には一指も染めることが出来なかったのだ」
「……」
「そこで、又助の股肱《ここう》となって働いた十二人と、足軽の曾根《そね》清八を一挙に切腹、斬罪としたわけだ。横山又助の手足を|※[#「手へん+宛」、unicode6365]《も》いで将来の禍根を絶つという意味合いだったろうて」
四
霧がはれるように、三年前の事件が隠されていた全貌をあらわしたのを文四郎は感じた。はじめて、筋道の立った謎ときをしてくれた織部正に、感謝する気持ちが動くのを感じながら、文四郎は一方で、この人はと訝《いぶか》しく思っていた。
複雑な藩内の情勢を、ここまで掌《たなごころ》を指すように把握している人物を隠遁者のように見るのはまちがいではないのか。織部正は、いまも藩上層部の誰かと密接につながっているのではなかろうかと思ったとき、織部正が文四郎にうなずくようなしぐさをしてみせた。
「そなたの家が、旧禄にもどされたわけを話そう」
「はい」
「そなたの父の助左衛門、御小姓組の一柳弥市郎、御納戸の矢田作之丞、足軽目付の関口晋作。いずれも物の役に立つ男どもが腹を切らされる間、横山は手も足も出なかった。稲垣らはこの男たちに反逆罪の罪名をあて、事実お上をうしろ楯《だて》にした形で事をすすめておる。へたに動けばこちらもひっくくられると読んで、横山又助は家の中でじっとしていたのだ」
横山又助のその読みはあたっていて、その時期稲垣派は、横山に少しでも反抗の気配が見えれば、すぐに監察の前に引き出そうと手ぐすねひいていたらしい、と織部正は言った。
「その横山が、反撃したのは事件が一段落して、監察も解散したあとでな。そのころの執政会議の席で、横山はおよそ半刻(一時間)にわたって演説し、反対派を非難したそうだ」
「……」
「しかしその演説というものが、直接には稲垣派の処分を非難せず、ただ有能な男たちを多数死なせた刑の行き過ぎを舌鋒《ぜつぽう》鋭く咎めたもので、しかもこれが聞く者の情に訴える名演説だったらしい。会議がひらかれた白鳥の間は半刻のあいだ、聞こえるのは又助の声のみ、他は寂《せき》として声がなかったそうだ」
「……」
「この横山の演説のあと、藩内ことに上層部の間に、遺族救済の声が澎湃《ほうはい》と起こり、稲垣派は逆に窮地に立つことになったのだが、横山がこの演説のときに持ち出したのが、じつは小沼郡金井村、青畑村二カ村から提出された牧助左衛門の助命嘆願書だったのだ」
文四郎は眼をみはって織部正を見た。意外な話だった。
「何年か前に、五間川の水が溢れて町が水びたしになったが、その晩普請組が上流で堤を切ってこの水を鎮めたとき、助左衛門が切り口の変更をもとめた。ために十町歩の稲田が助かるということがあったらしい」
「その夜のことはおぼえております。それがしも、その場におりました」
文四郎が言うと、織部正はほうと言って文四郎の顔を見た。そしてゆっくりと言った。
「金井村、青畑村の者はそのことを徳として、助左衛門を忘れなかったのだ」
「はじめてうかがうお話です」
文四郎がそう言うと、織部正は政治とは要するにそういうことで、治められる側の気持ちを汲むことだ、おやじがしたことをおぼえておけと言った。
「二カ村の村人は、その嘆願書を大目付の尾形の屋敷に持ちこんで来た。違法だが緊急の場合ゆえ、尾形は受理して里村のところに持って行ったのだ。しかし無視されたので今度は横山の屋敷に持ちこみ、横山がこれを預かったという経緯だったらしい」
「……」
「稲垣派は、腹を切らせた者の家は機を見てすべて取り潰《つぶ》すつもりだったようだが、又助の演説でそれが不可能になった。のみならず何とか家を残す方向で考えなければならないということになって、跡つぎがきちんと決まっている家は取りあえず家禄を三が一ほどに落として、存続させることにしたのだ。そうしないとおさまらぬような、藩内の空気だったらしい」
「……」
「なかでそなたの家に旧禄がそっくりもどったのは、さっき言った嘆願書のおかげだが、だからと申して横山に感謝することはいらぬ」
織部正の顔に、皮肉な笑いがうかんだ。
「横山はそなたの家を思って、会議の席に嘆願書を持ち出したわけではない。わが身の保全のためにしたことだ。嘆願書をタネに稲垣派の失点を拾い上げ、おのが派閥に同情を呼びもどしたというに過ぎぬ。しかしその手で、近ごろは自ら次席家老にすすみ形勢ほぼ互角に持ちこんでいるから、あれも不思議な男よの」
「……」
「委細、のみこめたかの」
「有難く拝聴|仕《つかまつ》りました」
文四郎は低頭して礼を言った。
「ただいまのお話をうかがって、多年の疑問が氷解いたしました」
「ふむ」
織部正はうなずいたが、しかしこれで安心というわけではないぞ、と言った。
「さっきも申したが、稲垣派の本心は腹切らせた者の家は潰すということだった。これも自己保身でな。残したところで、害はあっても益はないと見做《みな》しておるのだ」
「……」
「ところで、里村に会ったそうだな」
「はい、旧禄にもどすという御沙汰のときに、一度だけお屋敷にうかがいました」
「そのときに里村左内が何と申したかは知らんが、いまも隙あらば潰そうと考えているはずだ。油断するな」
文四郎は、背に冷水を浴びたような気がした。以前郡奉行の樫村《かしむら》弥助に会ったときも、同じことを言われたのを思い出していた。
「少し話がこみ入ったかも知らんが……」
と織部正は言った。
「伝授にかかる前に、これだけのことを腹におさめておくのがよかろうと思ったのだ」
五
この方の言うとおりだ、と文四郎は思った。加治屋敷に来るまでは、文四郎は秘剣伝授ということを単純に技の問題だと考えていた節がある。人に知られぬ技の奥儀を手中にすることに、喜びとおそれがなかったわけではないが、またそれ以上のことを考えていたわけではない。
だが織部正から事件の全貌を聞き、それがまったく終熄《しゆうそく》したわけではなくて、わが身、わが家を取りまく悪意がいまも生きつづけていると聞いたあとでは考えが変わった。漠然とした予感がなかったわけではない。だが織部正がそう保証したからには、災厄はいつ振りかかって来るかわかりはしないのである。
──伝授される秘剣は……。
といまは文四郎は思っていた。それは魂をささえ、いつか来る災厄から母を守り、家名を守るものになるかも知れない。
「では、道場に行くか」
と織部正が言った。お願い申し上げますと文四郎は低頭した。
「いま案内させるゆえ、はじめに沐浴《もくよく》をいたせ。着る物もべつに用意してある。着替えたら道場に来い」
織部正はそう言うと、座卓の上の鈴を取り上げて鳴らした。りんりんと長くひびく鈴の音だった。
文四郎はさっき居間まで案内した若い武士にみちびかれて、湯殿に行った。檜《ひのき》の香のする浴槽にたたえられているのは水だった。数杯水を浴びると、身体は一度凍るように冷えたが、心気は刃のように澄むのがわかった。
湯殿を出ると、白の単衣、白い袴が置いてあった。身体をぬぐって衣服を身につけ終わると、待っていたようにさっきの武士があらわれ、また先に立って文四郎をみちびいた。二人は一度建物の外に出、踏み石づたいに庭を少し歩いてべつの建物に入った。
案内の武士は入り口に文四郎を残すと、そう言いつけられているのか、無言で帰って行った。木剣をさげて建物の中に入ると、そこは道場で、正面の神棚に灯が入り、その下にやはり白衣に着がえた織部正が坐っていた。明かりはほかに一基の蝋燭《ろうそく》が燃えているだけで、道場はくらかったが、よくみがきこまれた床が灯に光っていた。
「こっちに来い」
織部正は文四郎を呼び、文四郎が前に坐ると、まず秘剣を人に語らないことを誓わせた。そのあと伝授は夜の間にだけ行い、およそ七夜を要するだろうこと、今夜はひと通りの型を見せるだけであることなどを話した。
二人は立って神棚を拝し、それから道場の中央に行った。織部正は文四郎を青眼に構えさせ、しばらく気息をととのえてから、ゆっくりと秘剣村雨の一ノ型に構えた。
文四郎の胸に衝撃が走った。織部正の構えが想像を絶したものだったからである。織部正の右手の木剣は八双の位置で天を指していたが、左腕は軽く前方にのびて何かの舞の型に見えた。
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春浅くして
一
五間川の川岸では、青草のいろが一日一日と濃さを増し、春の到来は疑いがなかったが、その季節の流れを突然に断ち切るように、日は終日灰いろの雲に隠れ、城下の町々をつめたい北風が吹きぬける日があった。
そういう日は、町なかを流れる五間川の川水に、総毛立つようにこまかなさざ波が立ち、人びとに季節が冬に逆もどりした印象をあたえるのだった。天神町のはずれにある文四郎の家を、前ぶれもなく布施鶴之助がたずねて来たのも、そんな寒い日の午後だった。
「よくここがわかったな」
家に招きいれた文四郎が言うと、布施は少しさがしたと言った。寒さのせいか、布施鶴之助は血の気を失ったような青白い顔をしていた。
「前の家よりは、ずいぶんひろいな」
文四郎の居間に通されると、布施は言った。郷方《ごうかた》の組屋敷であるこの家をたずねるのは、むろんはじめてである。布施の頭には葺屋町の長屋の、頭がつかえるようだった部屋が思い描かれているらしかった。布施鶴之助は、そこには二、三度おとずれている。
「やっとひと心地がついた思いだ」
文四郎は、布施の前に火鉢を押してやった。
「引越しはいつだった?」
「去年の暮れだ。寒いときだった」
と文四郎は言った。年内に組屋敷に移るようにという藩の沙汰があったのは十二月二十四日、あと数日で年が暮れるというときだった。文四郎は兄の家から人を頼んで引越しを終えると、休む間もなく上司の樫村の家、組屋敷の家々に挨拶に回り、せわしない思いをしたのである。
「その節はなにしろいそがしく引越してしまって、貴公の姉上にも、ろくろくお礼を言う間もなかった。姉上は、その後変わりないか」
文四郎が言うと、布施は顔をそむけて、姉の話を聞いておらんのかと言った。布施の様子が異常だった。
「どうした?」
とっさに不吉なものが胸をかすめるのを感じて、文四郎は鋭い声になった。
「姉上の身に、何かあったのか」
「死んだ」
と布施は言った。そして顔はもどしたものの、深くうつむいてしまった。
「亡くなったと? いつのことだ」
「わかったのは一昨日だ」
布施はようやく顔を上げた。そして呆然《ぼうぜん》としている文四郎に、なぜか弱々しく笑いかけようとした。
「姉は、ばかな女子だったよ」
「事情を聞かしてくれるか」
「むろんだ。その話を聞いてもらいたくて来たのだ」
と布施は言った。
矢田の未亡人の失踪《しつそう》が、実家である布施の家に知らされたのは五日前である。布施には心あたりがあった。すぐに野瀬家に走った。
はたして布施鶴之助の思ったとおりだった。野瀬家でも、郁之進《いくのしん》が昨日、外に出たまま夜になっても家に帰らず、ついに朝になってしまったので、心あたりに人をやり、大さわぎで行方をたずねているところだったのである。
そのうちに城中に勤める郁之進の友だちが、郁之進夫婦のために関所手形をもらってやったことが判明した。行き先は隣国の桃ガ瀬という温泉地である。それで鶴之助の姉|淑江《よしえ》が、郁之進とともに城下を出奔したことが明らかになったのである。
両家では探索の人間を呼びもどした。そして極秘のうちに、鶴之助の兄と郁之進の叔父が出国願いを出して桃ガ瀬にむかった。しかし桃ガ瀬に着いてみると、そこには郁之進と淑江は来ていなかったが、追手の二人はある予感にうながされるままに、温泉地の周辺をさがし回った。そして村里から遠くはなれた山麓《さんろく》の隅で、相対死《あいたいじに》に死んでいる二人を見つけたのである。
「ほら、山をひとつ越えるとむこうは雪も少ないし、日射しもこっちよりつよいような気がするだろう」
と鶴之助は言った。隣国のことを言っているのである。
「二人の遺骸《いがい》は、まんさくの花が咲いている日あたりのいい斜面に、少しはなれて横になっていたそうだ。相対死といったが……」
鶴之助はまた顔をそむけて、あらぬ方を見た。感情が激するのを押さえる様子である。
「帰って来た幸太の話では、失礼、幸太は兄が連れて行った下男だ。幸太が言うには、相対死ではなくて、姉が野瀬を刺し、返す刀で自害したように見えたそうだ。野瀬は刀を抜いていなかったそうだよ」
「姉上は気性のつよいおひとだった。さもあらんか」
と文四郎は言った。
不意に、出奔は矢田の未亡人が持ちかけたことにちがいあるまい、と思った。あのひとは、いつどうなるというあてもない藩の処置に疲れはて、自分で矢田家の処遇に決着をつけるつもりで、郁之進を道連れに出奔したのではないか。
「矢田家に対する藩の処遇は、いまにして思えば生かさず殺さずというようなものだった。女子には堪えられなかったかも知れん」
「しかし、何も野瀬のような男と出奔することはなかった」
と鶴之助は言った。文四郎を見た眼が赤くなっていた。
「もう少し、ましなやり方がありそうなものだ」
「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」
文四郎は微笑した。矢田の未亡人を責めたくはなかった。ふり返ってみれば、予期せぬ重い不幸に見舞われた女性だったようでもある。
「野瀬郁之進は、姉上を讃美していたようだ。死出の道連れとしてわるい相手とは言えぬ」
「そう考えていいのかな」
鶴之助は文四郎を見た。さっきまで青白かった顔に、いまはやや赤味がさして来たようである。じつは父の怒りがはげしい、と鶴之助は言った。
「野瀬家では、郁之進の遺骸を持ち帰る手続きをしたようだが、父は死んだ姉は即刻|荼毘《だび》にしろ、持ち帰るのは骨だけで十分という意見だった。幸太は昨日のうちに桃ガ瀬にいる兄のもとに帰ったから、いまごろは二人で姉を荼毘に付しているはずだ」
「そうか。お骨にな」
と文四郎はつぶやいた。こちらは寒いが、頂きを雲に隠している山のむこうは、案外さんさんと春の日が照りわたっているのかも知れなかった。文四郎はせめてそう思いたかった。
「姉は骨になってもどって来る」
と鶴之助は言った。
「それは仕方ないが、父はその骨を菩提《ぼだい》寺の無縁墓に預けると言っている」
「無縁墓?」
文四郎はおどろいて鶴之助を見た。そうだと鶴之助はうなずいた。
「矢田家の墓にはむろん入れてもらえぬが、実家の墓にも葬ることならんというわけだ。ご先祖に言いわけが出来ぬとも言っている。もっとも、多少は野瀬家に対する遠慮があるかも知れんが……」
「しかし、それでは死者があまりにもあわれではないかな」
と文四郎は言った。
「姉上のご不幸は、みずからもとめたものではない。しかも、そのあとの藩の処遇というものが、はなはだ苛酷《かこく》だった。誰でも知っていることだ」
「……」
「姉上がご自分の先を見限り、今度のような死に方をえらばれたのは、ご自分をそこまで追いこんだものに抗議したのだと思う。それがわるいと責めることは誰にも出来ぬ」
「貴公は、そう思ってくれるか」
「むろんだ。同じ境遇でそばで見ていたから、おれにはよくわかった。姉上は気持ちの上でも追いつめられていたようだ」
「後悔することがある」
鶴之助が、思いつめたような声で言った。
「野瀬のことだ。あのときは捨ててはおけぬと思って、刀まで持ち出したのだが、こうなるとわかっていたら知らぬふりをするのだったかと思わぬでもない。あんなことも姉を死に追いやる一因になったかな」
「そこまで考えることはあるまい」
と文四郎は言った。
「話を聞くと、思いをつらぬいた相対死というものとは少し異なるようだ。姉上は美人の誇り高いおひとだ。さっきも言ったように、ご自分の讃美者をそばにつれて旅立ったと考えていいのではないか。野瀬というひとも、それが大いに不服だったとは思えん」
「いや、やはりここに来てよかった。おかげで、幾分か気持ちが晴れた」
鶴之助はようやく微笑を見せた。
「誰にも話せることじゃないからな」
骨の一件は、兄と一緒に父親を説得して、せめて家の墓の隅にでも葬るようにしたいと言って、鶴之助は帰った。
二
鶴之助を見送って部屋に帰った文四郎は、書見台の前にもどったがすぐには書物を読む気にもなれなかった。ぼんやりと障子を眺めていると、矢田の未亡人にまつわるさまざまな記憶が頭の中にとび交うのを感じた。
なめらかな頬や勝気そうに眼尻が上がった眼、あかるく飾りのない物言い、いつも同じ化粧の香、暗がりの中で文四郎を抱きかかえた骨細な腕。そういう記憶の合間に、いまごろは荼毘に付しているはずだ、といった鶴之助の声が水泡のようにうかび上がって来て、文四郎は、早春の青い空に立ちのぼる荼毘のけむりを見たようにも思うのだった。
──人の世は……。
はかない、と文四郎は思った。その感慨は父の死に遭遇した十六の文四郎にはなかったものだった。そしてその感慨には、やはり父の死のときにはなかった憤りがふくまれていた。
父の助左衛門が死んだときは、あとに残された母と二人でいかに牧の家を守って行こうかと、異様なほどに気を張りつめたまま、悲しむことも憤ることも忘れたような日々を送ったのだが、いまは矢田の未亡人の命を奪った者の姿が明瞭に見えた。
──罪は……。
藩にあると文四郎は思った。生殺しのような藩の処遇に堪え切れなくなって、矢田の未亡人は自裁をいそいだのだ。野瀬を道連れにしたのも、鶴之助に言ったように、自分を矢田家にしばりつけている武家の掟《おきて》に、およばずながらしっぺ返しを喰わせるつもりだったのではないか。
文四郎は手をのばして、手文庫の中から一通の手紙を取り出してひろげた。ひと月ほど前に、江戸の島崎与之助からとどいた手紙である。
与之助が自分の近況を記している個所はとばして、文四郎は巻紙を繰り、筆がふくの消息に触れているところまで来ると手をとめた。
お福さまは、と与之助はふくをうやまって書いていた。お福さまはなぜか、江戸屋敷の中で悪評が絶えない。あるいはおふねさまのまわりの者が、ことさらに悪声をはなつのではないかとも考えられるところだが、近ごろは殿の寵愛も衰えたといううわさがあり、事情ははっきりしない。
いずれにしろ、と与之助はその話をしめくくっていた。お福さまは四面|楚歌《そか》の中にいて、あるいは側妾の地位からおろされるかも知れないという臆測が江戸屋敷ではされている。
──ふくも……。
しあわせとは言えないようだ、と思いながら文四郎は手紙を巻きもどした。
矢田の未亡人、ふく。女たちの不幸は文四郎の気分を重く沈みこませるようだった。そして、その沈む気分の底には依然として怒りが動いていた。
──外に出てみるか。
そう思ったのは、眼の前の障子に思いがけなくうすい日が射し、日のいろは見ているうちに燃え立つように赤く変わったからである。日暮れ近くなって西空の方から雲が切れたのかも知れなかった。
文四郎は書物を閉じ、立ち上がって身づくろいをした。どうせ書見には身が入りそうもなかった。小刀を一本だけ帯びて部屋を出ると、茶の間から客の声が聞こえて来た。客は母方の親戚で上原という家の妻女のようである。やや甲高い特徴のある声でわかった。
その人がいつ来たのか、文四郎はまったく気づかなかった。挨拶しなければと思って、そちらに足をむけようとしたとき、上原の妻女の声が聞きとれた。
「そうです、内藤町の富井さま」
と妻女は言っていた。
「禄高は七十五石で、ここよりはだいぶ多いけれども、ご夫婦も娘御もごく気さくな方たちで、禄高を気にするようなご家風じゃありませんからね。この話は登世さま、少し身を入れてお考えになったらどうでしょうか」
「……」
それに答える母の声はずっと低くて、文四郎の耳にはとどかなかった。
「ええ、ええ、もちろん」
母が何か言ったことに、上原の妻女はしきりにうなずいてみせているようである。
「お顔もよし、背丈もあり、気性もやさしくて母子二人の家の嫁には、うってつけの娘御だと思いますけれど」
「でも縁組にはやっぱり、釣り合いというものが……」
やっととどいた母の声をそこまで聞いて、文四郎は茶の間とは反対に、奥の方に歩いて行った。足音をしのばせた。
組屋敷は間数は四間で、さほどひろいわけではないが、一戸建てで家の東側と南側は部屋の外に狭いながら廊下がついている。文四郎は居間にしている部屋のもうひとつ奥の客間の外まで引き返すと、そこから踏み石に降りて家の外に出た。
郷方の組屋敷は二カ所にあって、どちらも町方の家々の中にあった。島崎与之助の家は、五間川が増水するとじきに水が出る染物町にあり、文四郎が住む組屋敷は檜物《ひもの》町の裏手にある。どちらも比較的城に近く、表通りに出ると城の木立と石垣の一部が見えた。
文四郎は組屋敷の横にある路地まで抜け出し、そこから表通りに出た。表には商い店もあるが多くは檜物職人の家々がならび、与之助の家に遊びに行くと、町に藍の匂いがただよっていたように、文四郎の町には檜《ひのき》の香がしみついていた。歩いているひとの姿は少なく、町は赤い日に照らされていた。
見ると空は半ばは晴れて、西空には間もなく暮れようとする日があり、その日射しは城の木立の肩口のあたりから斜めに町にさしこんでいるのだった。表通りの片側は、軒下にはやくも青白い暮色がただよい、片側は低い屋根、黒くよごれた羽目板、ねずみいろの障子などに、燃え立つように赤い日の光をうけて、際立った対照を見せていた。
道を歩いて行くと、立ちこめている木の香が匂い、両側の家々から檜物細工の物音が聞こえて来た。
──縁談か。
文四郎は、甲高い上原の妻女の声を思い出していた。妻女は、文四郎に縁談を持ちこんで来たのだろう。文四郎は十九になった。来春から郷方勤めに出ることも決まっている。縁組み話が持ちこまれてわるいわけはなかった。
だが文四郎は、それをすなおに喜ぶ気にはなれなかった。ふくや、たったいま聞いたばかりの矢田の未亡人の消息に、胸が重苦しくふさがっているということもあったが、それだけではなかった。
牧の家が、葺屋町の長屋でみじめな暮らしをしていたころ、実家はともかく、ほかの親戚は一度として家にたずねて来たり、祝いごとに招いたりすることがなかったのを、文四郎は思い出しているのである。人がたずねて来たり、慶弔のあつまりに招いたりするようになったのは、文四郎親子がいまの組屋敷に移り、旧禄にもどすという藩の沙汰が間違いないものとわかってからだった。
それまでは、人びとは牧の家を一族の厄介者視し、さわらぬ神に祟《たた》りなしという態度に終始したのである。そのつめたさは他人以上だった。
──上原だって……。
ほかと同様だったのだ、と文四郎が思ったとき、前方から裃《かみしも》をつけた武士が一人歩いて来た。この道を来るからには、組屋敷の人間にちがいあるまいと思っていると、はたして近づいて来たのは久坂という郷目付だった。四十前後の男である。
久坂は、文四郎の境遇を知らないわけではあるまいと思われるのに、小刀だけの姿に咎《とが》めるような視線をむけ、文四郎が道ばたによって会釈するのにむっつりとうなずいて通りすぎた。
河岸の道にぶつかる三叉《さんさ》路まで出て、文四郎は来た道をひき返した。すると通りすぎて来た町が一望に見えたが、町の様相はさっき家を出て来たときとは一変していた。日射しはまだ家々の屋根のあたりにとどまっていたが、その光は急速に衰え、街路にははやくも薄暮の白っぽい光がただよいはじめている。
たなびくようなその白っぽい光は、文四郎に矢田の未亡人を焼く荼毘のけむりを連想させた。遺骨が帰るのは今夜か、それとも明日になるのかと思いながら歩いていると、うしろに重い足音がひびき、文四郎の名を呼ぶ者がいる。ふりむくと小和田逸平だった。
三
「そんな恰好《かつこう》でうろついていていいのか」
と文四郎は言った。逸平は、いま城を下がって来たところらしく、まだ裃をつけていた。
「なに、大丈夫」
逸平は、文四郎の姿を見かけて走ったらしく、顔を赤くして息をはずませている。片手でつるりと顔をなでてから言った。
「散策か」
「うむ、書見にも倦《あ》きたからな」
「けっこうな身分だな」
逸平はうらやむ口調で言い、それからあたりに睨《ね》めつけるような眼をくばってから声をひそめた。
「どうだ、今夜染川町に行くか」
「……」
「退屈してるんだろ? 考えることはなかろう。さいわい風もやんだし、そんなに寒いというわけじゃない」
「いや、寒さは平気だ」
と文四郎は言った。
「考えていたのはべつのことだ。おい、矢田さんの嫁さんが死んだぞ」
「なんだって?」
逸平はさすがに仰天した顔になった。
「いつのことだ」
「二、三日前らしいな」
「病気か」
「それが相対死だ」
「相対死? 思い切ったことをやるな」
逸平は眼をほそめた。
「相手は誰だ」
「それは、おれの口からは言えぬ」
「水くさい男だな」
「いまに知れわたるだろう。だが、おれの口からは言いたくない」
「ふーん」
逸平はまじまじと文四郎を見た。そして、ま、それならいいさと言った。
「で、どうしたんだ? 矢田の嫁さんが死んだから、喪に服する、飲みには行けんとでも言うのか」
「気分としてはな」
「おまえ、あのひとと何かあったのか」
「ばかなことを言え。似た境遇に落とされ、ともに長屋に住んで、知らぬひとではなかったというだけだ」
「それじゃ文四郎、話が逆だ」
と逸平は言った。
「今夜は大いに飲んでだ。不幸だったあのひと、あのひとはいくつだったかな?」
「さあ、よくは知らん」
「何しろ薄幸の佳人だ。今夜は大いに飲んで、その死を悼んでやろうじゃないか」
「飲むだけだぞ。遊女屋にはいかぬ」
「わかっておる」
逸平はまた睨めつけるようにあたりを見回した。そして六ツ(午後六時)過ぎにあの角で落ち合おうと、さっきの三叉路を指さした。逸平に別れて歩き出しながら、文四郎はいまの気分には酒を飲むことが一番ぴったりしていることに気づいた。
四
その夜の五ツ半(午後九時)ごろ、文四郎は染川町の妓楼若松屋のひと部屋で目をさました。そばに女が寝ていた。十ほどは年上の太って身体の大きな女だった。女はかすかな寝息を立てて眠っていた。
寝返りを打って、文四郎は仰むくと天井を眺めた。壁には有明行燈の光がとどいているが、天井はその反射光がただようだけで暗かった。
──砧《きぬた》屋で飲みすぎたな。
と文四郎は思い返していた。飲んでそこから帰るつもりだったのだ。それが逸平に誘われるとふらふらとここまで来てしまったのは、酔いのせいにちがいないと思ったが、文四郎は妓楼に上がって女と寝たことを後悔しているわけではなかった。
女と寝るということを、文四郎は何かもっと特別のもの、たとえばもっと神秘的でわかりにくいものに考えていた節がある。そういう考え方から言えば、行為そのものは意外にあっけらかんとしたものだった。詳細までのみこめたとは言い難いが、親しみやすく人間くさいいとなみのようにも思われた。もっともその感じは、相手の女が文四郎の乳母に似ていたことから来たのかも知れない。
文四郎が生まれるとすぐに、近くの村にいる下男の嘉平の親戚に預けられた。そこに母乳がたっぷりと出る女がいて、文四郎に乳をくれたのである。
女の胸の間の深い谷間や、おそなえ餅のように大きくてやわらかい乳房、そして浅黒いがなめらかであたたかい肌などに手を触れたとき、文四郎はあきらかに、三つになるまで自分を養った乳母を思い出していたのである。そのあとの喜びも、乳母の膝に乗って大きな乳房をにぎりながら感じた喜びと、さほど異なっていたとも思えない。女は無口でやさしいところも乳母に似ていた。
後悔はしなかったが、一点胸を刺して来る痛みがあった。逸平のあとについて妓楼まで来たのは、酔っていたばかりではなく、酔っても消えない理不尽な世の仕組みに対する憤りのためでもあったかと思われるのだが、だからといって、かりそめにも心ひかれたことのある人の死を聞いた夜に妓楼に上がる、それが言いわけになるとも思えなかった。
──やはり、砧屋から帰るべきだったかな。
文四郎は、気持ちの底の方から死者に対するあわい罪の意識がうかび上がって来るのを感じながら、じっと横たわっていた。そばにいる女の身体のあたたかみが、その意識を倍加するようだった。
文四郎が起き上がると、それまで軽い寝息をたてていた女が、眼をひらいて文四郎を見た。そして、ずっと目ざめていたような声で、帰るのかと聞いた。
「帰る」
すると女は立ち上がって、文四郎の身支度を手伝った。一人で出来ると言ったが、女は無言で手ぎわよく文四郎に着物を着せた。
部屋を出ると、文四郎は隣の部屋の前に立って、襖《ふすま》の外から声をかけた。
「逸平、帰るぞ」
む、むとうなる声がした。
「聞こえたか」
「聞こえた。おれも帰る」
逸平は急にはっきりした声になり、下で待っていてくれと言った。文四郎は階下に降りた。女が送って来た。寒いからもどっていいと言ったが、女は襟を掻《か》きあつめながら一緒に逸平を待ち、その間に、ふと思いついたようにまたおいでなさいましと言った。言ってから女はテレ笑いをした。
文四郎は黙っていたが、手で口を覆ってテレ笑いした女に好感を持った。何刻になるのか、帳場がある玄関わきの部屋にはまだあかあかと灯がともり、その光は障子を通して二人が立っている板の間を照らした。
──素姓は……。
どういう女なのだろうかと思いながら、文四郎は、光にうかぶ平凡な、むしろ醜いほどの容貌を持つ女をそれとなく眺めた。
父の助左衛門がまだ生きていたころ、ある夜母にむかって、一村から十軒もの農民が夜逃げしたことを、激昂した口ぶりで話しているのを文四郎は聞いたことがある。ふだん冷静沈着な父親が大きな声を出したので記憶に残った。
いまの文四郎は、十年ほど前に領国は断続的な冷害に見舞われ、村々では不作と重い年貢のために多数の潰れ家を出したことを知っている。夜逃げに至らないまでも、重税に喘《あえ》ぐ村人は他国に子を売り、自身も城下に奉公に出てようやく喰いつなぐ有様で、そのため郷村は極度に疲弊したという。
眼の前の女は、そのころに親に売られたか夫に売られたかした村の女ではなかろうかと文四郎は思った。年齢のわりには、素朴さを失っていない女の人柄がそう思わせたようでもあった。
──やがておれも……。
そういう村の暮らしをこの眼で見ることになるのだ、と文四郎が思ったとき、どかどかと梯子《はしご》板を鳴らして逸平が降りて来た。
「また来るぞ。風邪ひくな」
遊び馴れたところをみせつけるつもりか、逸平は送って出た敵娼《あいかた》の女の手をにぎったりしてそんなことを言っている。逸平の相手は背も低く、身体つきもほっそりした女だった。
勘定は先に済ませてあるので、二人はそのまま女たちに見送られて妓楼を出た。風はなかったが、夜気はかなり寒かった。
「寒いな」
首をちぢめた逸平がつぶやいた。
「砧屋にもどって、軽く一杯ひっかけて帰るか」
「時刻はどうかな」
「まだ四ツ(午後十時)には間があろう」
と逸平は言った。色町には依然として軒行燈が明るくともり、道には人が歩いていた。
「おい」
逸平が文四郎を振りむいた。うす笑いしているとわかる声音になっている。
「はじめて遊女屋の門をくぐった感想はどうだ?」
「わるくはなかった。想像とは大いにちがったな」
と文四郎は言った。女と一緒の夜具の中で襲われた後悔には触れなかった。逸平に話しても仕方のないことである。
「そうだろ? おれはわるいことはすすめぬ」
逸平はいばった口をきいた。
「今度は与之助を連れて来よう」
「おう、その与之助だが……」
と文四郎は言った。手紙のことを思い出していた。
「もう一年たつと、と言うことは来年のいまごろということだが、帰国するそうだ」
「学業成ったか」
「そういうことらしい。帰国すると司書として三省館に勤めると書いてあった」
「いよいよ儒《じゆ》の道を踏み出すことになったか。しかし……」
逸平は文四郎を見た。
「与之助もがんばったな。あの男はいまに、柴原さんのあとを継ぐ学者になるぞ」
「そうかも知れん」
「おまえはいまや藩で指折りの剣士だし、結局おれが一番だめだったな。剣も学問も物にならなかった」
「剣も学問も得手不得手がある。そんなことは気にかけることはない」
と文四郎は言った。
「そういうものとはべつに、貴様には人間として一日の長がある。おれは貴様に教えられることが多い」
「女郎屋のことか、おい」
と逸平が言った。教えたのは酒と女郎屋遊びぐらいじゃないのか、と言ったが、逸平の機嫌はもう直っていた。
「今月は祝言だ。当分は遊べんな」
「うむ、つつしんだ方がいい」
と言ったとき、文四郎は前に人が立ちふさがったのを感じた。山根清次郎と取り巻きの男たちだった。酔ってこれから妓楼に行くところらしく、男たちは酒の香りをさせていた。
「女郎遊びか」
二人が立ちどまると、山根が声をかけて来た。山根の声は嘲《あざけ》りをふくんでいる。
「藩の厄介者が女郎屋遊びをしていいのか」
「おい、あんなことを言わせていいのか」
逸平が大きな声で言った。
「喧嘩するつもりなら手を貸すぞ」
「やめろ。言わせておけ」
と文四郎は言った。女郎屋遊びは大目に見ても、色町で喧嘩したとなると藩は見過ごさないだろうと思ったことも確かだが、不思議に山根が小さく見えたのも事実である。
逸平をうながしてすれ違うと、うしろで男たちが嘲り笑った。
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行 く 水
一
一年ほどが過ぎ、その間に藩には大きな出来事が起きた。世子の志摩守が病弱を理由に隠居し、異母弟の松之丞があとを襲って将軍家に謁見をはたすと、正式に藩世子を名乗り志摩守を継いだのである。
国元をおどろかしたその出来事の陰にかくれて目立たなかったが、同じ時期に関連するもうひとつの小さな出来事があった。一時は藩主の寵《ちよう》を独占したとささやかれたもっとも若い側妾のお福が、突然に暇を出されて、藩主家の親族である旗本の屋代家に預けられたことである。いずれも昨年秋のことである。
藩の内情にくらい者は、そういう動きが何を意味するかを知らず、また二つの出来事をむすびつけて考えることもなかったかも知れないが、かねてささやかれていた藩主の世継ぎ争い、あるいは稲垣派、横山派の対立抗争に通じている者は、さきの二つの出来事から側妾おふねが藩主の寵を取りもどすことに成功し、国元では稲垣派が横山派を押さえ切って、最終的に藩権力を掌握したことをさとったはずだった。
牧文四郎も、二つの出来事から右のような感想を受け取った一人である。文四郎は世子交代の詳細を今年から勤めはじめた郡代屋敷で聞き、ふくが寵を失って暇を出されたことは江戸の島崎与之助からの手紙で知った。
一年の間に、文四郎の身辺も大きく変化している。まず、小和田逸平と染川町の妓楼に上がったことを咎められることもなく、文四郎は正月から城への出仕を命ぜられた。
職名は郷村|出役《でやく》見習いで、いずれは領内の田畑山林を見回り、時期にはもっとも重要な稲作の検見《けみ》にも加わる役だったが、当分は見習いで三ノ丸の郡代屋敷に出仕し、そこで郷方関係の書類を作成したり、訴訟関係の下調べを行なったりするのが仕事だった。そして時には直属の上司である郡《こおり》奉行|樫村《かしむら》弥助の供をして、村や山の見回りに行くこともあった。
もうひとつの身辺の変化は、二月に妻をもらったことである。縁組は前年の秋にまとまり、二月になって上司と烏帽子《えぼし》親の藤井宗蔵、小和田逸平と杉内道蔵、ほか親戚数名だけの簡素な式を挙げた。
文四郎の妻になったのは、青苧《あおそ》蔵役の岡崎亀次の次女せつである。色の浅黒い十人なみほどの容貌を持つ目立たない娘だったが、無口で父母を大事にするという話を、登世は気にいったらしく、上原の妻女が何度目かに持って来たその縁談にはじめて乗り気を示した。
その後、実家の嫂《あによめ》が母に頼まれてその娘を見に行ったり、多少のいきさつがあったあとに、その縁組はあっさりと決まったのである。文四郎は口出しをしなかった。母が気に入った嫁なら、それでかまわないと思っていた。母の登世は、文四郎の城勤めが近づいたころから、言動にやや老いを感じさせるようになっていた。母に楽をさせてやるべきだった。岡崎は二十五石取りで、身分も釣り合っていた。
はじめての城勤めの日々を、文四郎は油断なく過ごしていた。城勤めをゆるされたものの、上司の樫村や加治織部正が忠告したように、かつての事件で処分をうけた家々の前途が決して安泰ではないこと、そして死活の鍵《かぎ》をにぎる稲垣、里村派がいまや藩権力を独占し、文四郎自身は孤立無援の立場にあることを忘れることは出来なかった。
もっとも、だからといって一日一日が緊張の連続ということではなかった。はじめの間は異様な視線をかくさなかった郡代屋敷内の同僚、上司の眼も、日にちがたつにつれてやわらかくなり、ふた月、三月とたつ間には、文四郎を特別の眼でみる者はいなくなった。
気軽に話しかける者、酒にさそう者も出て来たし、仕事のことで文四郎をへだてたりする者もいなかった。そういう空気の中で、文四郎は次第に城勤めに馴れて来ていたが、しかし夕方になって何事もなく城をさがるときは、ほっとする気分になるのも否《いな》めなかった。
二
通る町々にどこからともなく花の香がにおう四月半ばのある夕方、城をさがって来た文四郎にせつが客が来ていると言った。
それを言うまえに、せつは文四郎に旦那さまと呼びかけたのだが、その声はいつものように口の中で消えてしまい、文四郎は聞こえなかったふりをした。そのことでせつは顔を赤くしていた。
「客? どなただ?」
「島崎さまとおっしゃいました」
「おう」
文四郎は微笑した。
「上にあがっているのか」
「はい、おかあさまのお言いつけで奥の客間にお通ししました」
「それでよい」
文四郎は茶の間をのぞいて、母に挨拶をすませると、居間で肩衣《かたぎぬ》と袴をはずしただけで、いそいで客間に行った。
すると、まだ旅支度のままの与之助が、荷から出して眼を通していたらしい書物を置いて、文四郎をむかえた。
「やあ、突然にじゃましている」
そう言った与之助は、相変わらず骨ばってやせていたが、旅の日焼けで真黒な顔をし、元気そうに見えた。
二人は尋常に久闊《きゆうかつ》を叙す挨拶をかわした。
「まだ、家には帰っていないのか」
与之助の服装を見て、文四郎が言うと与之助はまっすぐここへ来たと言った。
「家で旅支度を解いてしまうと、さっそくあちこちに挨拶に出むかねばならん。その前に、貴公の顔がみたくなってな」
「よく来てくれた」
「それに、少々話したいこともあった」
与之助がそう言ったとき、襖があいてせつがお茶の道具をはこびこんだ。改めて挨拶をするせつを見ながら、文四郎が家内だと言った。
「手紙は書かなかったが、二月に祝言をした」
「そういうことははやく知らせんか。帰ってみると、突然に美人の奥方が出て来るのではびっくりしてしまう」
与之助は学者に似合わない如才のない口をきいたが、そういう如才なさが江戸仕込みというものかも知れなかった。
「おとなしくて、なかなか人柄のよさそうなひとではないか」
せつが部屋を出て行くと、与之助が声をひそめてそう言ったが、文四郎はむ、むと口をにごした。新妻のことを話題にするテレもあるが、夫といい妻といってもままごとのようで、まだ実感がうすい。
逆に文四郎の方から聞いた。
「もう少しはやく帰るかと思ったが、案外におそかったではないか」
「うむ。塾で雑務をひきうけていたもので、その引き継ぎに手間どった」
「で、すぐに藩校に出るのか」
「柴原さまから催促をうけている。今夜これから柴原さまに挨拶にうかがって、このあとのことを決めていただくのだが、あまり遊ぶひまはなさそうだな」
「いよいよ三省館の先生か。逸平とも話したことがあるが、与之助、貴様もよくがんばったよ。居駒先生がさぞお喜びだろう」
「柴原さまにご指示をいただいたら、すぐに先生のところにご報告に行くつもりだ」
与之助は、ところでおまえさんの方はどうだと言った。
「正月から城に詰めているんだな」
「郡代屋敷で、いまはまだ見習いだ」
「どんなぐあいか、聞かせろ」
与之助がそう言うので、文四郎は勤めの模様を話した。はじめの間は周囲に異様な眼で見られたことも、つつまずに話した。
「いまはそういうことはなくなった。書類いじりにもやっと馴れたところだが、これからは村回りに出ることが多くなりそうだ」
「逸平もおまえさんも、もう一人前だな。おれがいちばん出おくれたか」
与之助が慨嘆するように言ったとき、文四郎はさっき与之助が話があると言ったのを思い出した。
「話したいことがあると言ったな。何だ?」
「うん、それだ」
与之助は腕組みをして、文四郎から視線をはずした。そしてひとりごとのように言った。
「話そうか、それともやめようかと、じつはさっきから迷っているのだ」
「何だ、妙なことを言うじゃないか。話そうと思って来たのなら話せばよい」
「やっぱり話すか」
与之助は腕組みを解いて、ぱたりと膝を打った。そしてちらと部屋の入り口の方を見てから言った。
「奥方のまえでは話しにくいことなのだ」
「……」
「お福さまが、国元に帰っておられるぞ。知ってるか」
文四郎は言葉につまった。思いがけない話に衝撃をうけていた。ようやく、いやと首を振った。
「初耳だ。というよりも、こちらではそんなことを話してる者は誰もおらんようだ」
「そうだろうな」
与之助はうなずいた。
「非常に、極秘にはこばれた事らしい」
「で、そのお福さまは……」
と、文四郎も言った。
「実家に帰っておられるのか」
「いや、それがちがう」
首を振って、与之助はさらに声をひそめた。
「欅《けやき》御殿は知っているな」
「うむ、金井村のお上の屋敷だろう」
金井村の西のはずれ、なだらかな長い丘が平野に突き出た形で終わっているその場所に、藩主家の別邸がある。丘の麓《ふもと》一帯に欅の大木が密集し、別邸はその木々に囲まれているので欅御殿と言っているけれども、建物自体はごく簡素で、御殿と呼ぶほどの規模があるわけではない。
ただ、この別邸をかこむ四季の景色は、城中とは異なっていささか野趣に富んではいるだろう。背後の丘を、春から夏にかけていろどる若葉、木々の花。夏は木立の奥が涼しく、秋は建物の外を流れる小川べりに芒《すすき》の穂が咲く。または真東にのぞむ国境の山にのぼる月が、ことさらうつくしいなどということを気に入って、藩主は帰国すると時どきこの別邸を使っていた。
お福さまは、人にかしずかれてその屋敷にいるはずだと、与之助は言った。奇怪な話である。
「実家ではないのだな」
文四郎は疑わしそうに、与之助を見た。
「実家ではなくて、欅御殿にいるということはつまり……」
「そのとおり。殿との間がまだつながっているということだ。いや、おれもそのことを聞いたときにはおどろいた」
と与之助は言った。
二年前に、師の葛西蘭堂とともに帰国して、三省館で講義したときから、与之助の身分は変わって、藩費遊学ということになった。学業成ったあかつきには、帰国して藩校の教授となるというふくみである。国元が与之助の学力をみとめたことになる。
そういうつながりが出来て、与之助は以前よりもひんぱんに江戸屋敷をたずねるようになったのだが、そこで知り合った人びとの中に、国元から来ている庭師の老人がいて、その娘も下《しも》屋敷で台所女中をしていた。
年取った父親を気遣って、娘は時どき上《かみ》屋敷に来て、そこで長屋の部屋をもらって一人暮らしをしている父親の身の回りを片づけたり、時にはうまそうな食事をつくったりして帰るのだった。親子が自分と同じ染物町から来ていることを知った与之助は、ちゃっかりとその長屋に入りこんで夜食を馳走になったりしていた。
お福さまのことは、よねというその娘から聞いたことだと、与之助は言った。
「手紙に、お福さまは暇を出されて屋代家に預けられたと書いたが、およねの話によると事実はまったくちがうらしい」
以前にお福が流産したのは、志摩守、当時の松之丞の生母おふねの差し金らしいとささやかれたことがあったが、去年の春ごろからまたしてもお福の身辺に奇怪なことが頻発するようになった。
下屋敷のお福の居間の前の廊下が異様にすべって、お福が顛倒《てんとう》しそうになった。湯浴みしようと思ったら、浴槽の湯が煮えたぎっていた。邸《やしき》うちの裏庭を散歩しているときに、野犬に襲われたということがあったあとに、毒見の女中が倒れた。一度ならず三度もである。
お福の食事はむろん、下屋敷の台所でつくるので、その事実を知ったおよねたちは顫《ふる》え上がった。およねたちは毒入りの食事をつくったわけではない。にもかかわらずそういうおそろしいことが起きたのは、その工作をした者がごく身近に、多分自分たちの仲間のうちにいるからにちがいないと、女たちはさとったのである。
そのころ藩主の足が、しばらく下屋敷から遠のいた。お福さまへの寵が衰えたのだと言う者もいたが、そのことと、最近のお福の身辺に起きる不祥事をむすびつけて、殿さまはおふねさまの悋気《りんき》をおさえるために、わざとそうしているのだとみる者もいた。庭師の娘およねもそのように見た。
藩主がお福に暇を出し、親族の屋代家に預けたことは江戸屋敷に仕える人間をおどろかしたが、そのときもおよねたちごく少数の者は、前のような見方を変えなかった。女たちはその証拠をにぎっていたのである。
「証拠というと?」
文四郎が与之助の顔を見た。すると与之助がうなずいて、誰にも言うなよ、事実なら藩の秘事だと言った。
「お福さまは身籠《みごも》っているというのだ」
「殿の御子を?」
「むろん、殿の御子だ」
愚かしいことを聞くな、という眼で、与之助は文四郎を見た。
文四郎は肌が粟立《あわだ》った。国元は側室おふねと結びつく稲垣、里村派の天下である。そのことが洩れたら、お福のいのちがあぶないのではないか。
「それは事実か」
「お福さまのそばに仕える女中がいる」
およねと懇意にしているその女中は、お福が屋代家に預けられるときに、供して送って行った。そしてその先で、屋代家の者がお福の妊娠のことを言い、大事の身体だからゆっくり養生するようにと言うのを聞いて、耳を疑ったという。
「およねは、お福さまが屋代家から国元に帰されたのも、お上のご指示だと信じている」
「その女子が言うだけだな」
と文四郎は言った。
「にわかには信じがたい話だ」
「しかし事の真相というものは、往々にしておよねのような女たちがにぎっているものだ。と言っても、おれも半信半疑の気持ちはぬぐえぬが……」
与之助は、書物を油紙の荷の中に押しこみ、紐《ひも》でしばりながら言った。
「いずれ話の真偽はわかることだ」
「そうだな」
「孔子さまは川のほとりに立って言われた。逝《ゆ》く者はかくのごときか、昼夜を舎《お》かずとな。おれはこのお言葉から教訓を読み取るのは好かん」
と与之助は言った。
「夜も日もなく、物の過ぎゆく気配をさとって孔子さまは嘆じられたのだ。両手をあげてな。われわれのまわりもずいぶん変わった」
「同感だ」
と文四郎は言った。しかし与之助の突然の感慨につき合うまえに、たしかめたいことがあった。
「殿は以前にもお福さまを国元に帰そうとされたようだったが、国元の情勢がよくわかっておられるのかな」
「おれにはわからんが、それはどういう意味だ」
与之助の返事は頼りないものだった。そこで文四郎は、側室のおふねと手をむすんでいる稲垣、里村派が国元の権力を独占しているいまの状況を、簡単に話して聞かせた。
「そういう場所にもどって殿の御子を生むというのは、危険この上もないことだ。稲垣派も、おふねさま同様に、新たな殿の御子誕生などは望まんだろう」
「なるほど」
与之助は眉を寄せた。
「母子ともに暗殺されるおそれがあるというのだな」
「最悪のときにはだ」
「しかし、おれが江戸からもどっておまえに話しただけだ。国元ではお福さまのことは誰も知らんだろう」
「話が事実なら、いずれは知れる」
与之助は無言で、また眉をしかめたが、すぐに楽観的な口調にもどって言った。
「今年は、間もなく殿が帰国される。国元の情勢をさとれば相応の手を打たれるだろう。あまり心配せぬことだ」
帰る与之助を送り出して部屋にもどると、文四郎は深々と考えに沈んだ。
与之助の話したことが事実なら、お福の運命は決して楽観出来ないものだった。稲垣、里村派はいずれ欅御殿にお福がひそみ隠れていることを嗅《か》ぎつけるだろうし、国元にはおまんさまという城奥の権力者がいる。故郷はお福にとって安住の地ではない。
──お福はいっそ……。
実家に帰った方が安全だったのではないかと、文四郎は思った。
三
半月ほどたって非番の日が来たとき、文四郎はかねて考えていたことを実行に移した。野袴をはき足もとは草鞋《わらじ》で固め、笠《かさ》をかぶって家を出た。妻と母には、村を見回って来ると言ったが、嘘を言ったわけではない。ただし文四郎が目指したのは金井村である。
城下をはずれると、道は田植えが終わったばかりの田圃《たんぼ》なかに出た。心ぼそいほどに細い苗が、首うなだれて微風に揺れている田圃を見ながら足ばやに歩いて行くと、遠くにまだ田植えをしている村人の姿が見えて来た。
年寄りも子供も総出の、もっともにぎやかでいそがしい時期は過ぎたものの、苗の出来にも遅速があり、また家々の田|拵《ごしら》えにも多少のちがいがあって、田植えも全部終わったわけではなかった。よく見ると、あちこちに小人数の田植え姿が見られた。
金井村はその田圃のむこうに、日にかがやく若葉を光らせる丘の麓にひろがっている。城下から一里半(約六キロ)の距離にある金井村は、眼をこらせば家々を囲む木立や屋根がのぞめるほどに近いが、欅御殿のあたりは新葉のかがやきがひときわ目立つだけで建物らしいものは見えなかった。
ややまがりくねっている往還を足早に歩いて行くうちに、左手に小さな村が近づき、遠のいて行った。金井村と五間川をへだてて隣り合う青畑村の村落のひとつである。風戸と呼ぶその小字《こあざ》の手前に、池のように光って日をはじいているのは五間川の一部だった。五間川の岸は、このあたりでは深い葦《あし》に覆われて流れは見えない。
道ばたに野の草が花をつけ、何かの水鳥が植え田の中をすばやく横切って畦《あぜ》の草むらに隠れたりするのを眺めながらなおも歩いて行くと、やがて小川に出た。欅御殿のそばを流れて来て五間川に入る小川である。
文四郎は小さな木の橋をわたった。そして立ちどまると、笠を上げて前方を見た。そこまで来ると、丘の麓に長くつらなる金井村の本村が明瞭に見えた。家々の屋根、家々をへだてる風除けの木立、村はずれの橋、そして何かを燃やしているらしく、村の中からひと筋立ちのぼる白いけむり。そして田圃だけでなく、村の手前の畑にも働く村人の姿が見えて来た。
またしばらく歩いて行くと、村の入り口に出た。そこは四辻で背の高い庚申《こうしん》塔と道しるべが立っていた。道しるべはなお真直ぐ行くと小沼郡穂刈村に至ること、右に行けば金井村、左に行けば青畑村であることを示していた。
文四郎は左右が畑に変わった道をしばらく歩いて、金井村の本村に入った。金井村、青畑村は富裕な村として知られ、戸数も納める年貢も多いことを、文四郎は書類を扱っている間に知ったが、村に入ってみるとやはり大きな家が目立った。
──父の助命を嘆願してくれた村だ。
と文四郎は思った。その村をはじめておとずれた感慨が胸を満たして来た。
しかし、笠をかたむけてあちこち見ながら行く文四郎の姿は、村の中では他国からまぎれこんだ人間のように目立つのか、すれちがう村人は一礼したあと、こらえ切れない好奇の眼を文四郎に投げて通りすぎるのだった。
文四郎はゆっくりと村を通り抜け、やがて丘沿いの道に出た。すると丘のはずれの新葉がひときわ目立つ欅の木々が眼に入って来た。文四郎は、わずかに胸の鼓動が高まるのを感じた。その道を歩いて行けば、別邸の前にお福が立っているような気がしたのである。
だがむろんそんなことはあり得ず、藩主家の別邸にしては簡素な笠門の前は、人影どころか物の気配もないほどひっそりしていた。別邸の敷地を取り巻くように小川が流れ、屋敷内に入るときは門の前にわたしてある頑丈な木橋をわたるようになっている。
その橋の前を、文四郎は静かに通りすぎた。別邸のまわりは、背後はどうなっているか見えないが、前面は欅の大木を利用した粗い生け垣になっている。文四郎は通りすぎながら、生け垣の隙間に眼を走らせた。しかし、建物の一部と、樹の枝から洩れる日射しが、矢のように敷地にさしこんでいるのが見えるだけで、ほかは何も眼に入らなかった。
あるいはと思った人声も聞こえず、物の動く気配も伝わっては来ない。与之助の言ったことは、はたしてまことだろうかと訝《いぶか》しみながら、文四郎は敷地の角まで歩き、そこから左に曲がった。別邸は無人の建物のように見えた。
横手に回っても、敷地の様子は変わらなかった。小川は敷地に沿って西に流れ、背後の丘にぶつかったところで大きく迂回してまた野に出るようである。小川の水は、季節のせいもあるかも知れないが、水音も立てないほどにゆたかに流れ、別邸を取り巻く濠《ほり》の役目をはたしていることもわかった。そして水の向こう岸は、粗いが容易には中を窺《うかが》い見ることの出来ない生け垣になっている。横手にも小さな橋と正面のものよりはやや小ぶりな笠門があった。小さいなりに、門は人を寄せつけない厳重さを見せてしまっていた。
そこまで見て、文四郎は引き返した。そして敷地の角近くまで来たとき、背後にはじめて物の動く気配を感じた。すばやく振りむくと、さっき見た小さな橋のそばに人が立っていた。両刀を帯びた武士である。
さらに角を曲がってもう一人の武士が現れた。ゆっくり近づいて来る中年のその武士の体くばりには、一分の隙もなかった。
「何か、当屋敷にご用でも?」
そう問いかけて来た声は、犬飼兵馬のように江戸弁だった。言葉はやわらかいが、眼は鋭く文四郎を見ている。文四郎は笠を取った。
「郷方の田圃見回りの者です。ご懸念なく」
答えながら文四郎は、安堵《あんど》の思いにつつまれていた。別邸の中にお福がいることはたしかだと思われたが、護衛がついていれば大丈夫だと思ったのである。
文四郎の言うことを、そのまま信じたかどうかはわからなかった。背後の橋から現れた、こちらはまだ若い武士も文四郎のうしろに詰めより、二人ではさみ撃つ形になりながら、なお二、三きびしい訊問がつづいたが、文四郎に害意がないことは通じたらしい。
中年の武士は、行ってよいと言った。そしてつけ加えた。
「今日ここであったことを、ほかに洩らさんでもらうとありがたい。出来ようか」
「お二人のことを?」
「あったこと一切だ」
うしろの若い男が声を荒らげて言った。文四郎が振りむくと、若い男は剣気もあらわに文四郎をにらんだ。
夜だったら斬りつけて来たかも知れないな、と文四郎は思った。二人は、いつでも斬り合えるように羽織を着ていなかった。おそらく屋敷のうちから文四郎を見つけて、不審な男がうろついているとみて出て来たのだろう。
承知した、と文四郎が言うと、中年の武士は表情をやわらげて道をあけた。しかし、文四郎がその前を通りすぎて屋敷の角を曲がろうとしたとき、またうしろから声をかけて来た。
男たちは肩をならべて文四郎をじっと見つめていた。あるいは文四郎のうしろ姿に、ただの田圃見回りとは思えないものを感じ取ったのかも知れない。
「念のためおうかがいしておこう」
と中年の武士が言った。
「お役名と姓名をもう一度」
「郷村出役、牧文四郎です」
文四郎が名乗ると武士はうなずいた。手でどうぞ行ってくれという身ぶりをした。
──言った名前を……。
あの男たちはお福に伝えるのだろうか、と文四郎は思った。しかしそれで胸がときめくようなことはなく、文四郎は伝えても伝えなくてもどちらでもいいことだと思った。
繭《まゆ》に籠《こも》るように、藩主の子を腹に抱いて別邸に籠っているお福の姿が見えている。それは文四郎の記憶にあるふくとは、異なる女人のようにも思われた。そういう感じをうけたのははじめてだった。
孔子さまは川のほとりに立って言われたと話した与之助の声が、耳に甦《よみがえ》って来た。流れ行く水のように、夜も昼も物のいのちは過ぎて行き、変化する、変わらないものがどこにあろうかと文四郎は思った。
父の死、矢田淑江の死、秘伝、出仕、祝言と、ここ数年の間に文四郎の身辺は激変した。そしてその間、ひと筋にふくを思いつめたというのではなかった。時には忘れた。そしてまた、ふくの方も尋常でない変化をくぐり抜けて来たのである。牧文四郎の名前を聞いて、ふくが懐かしがるとはかぎらない。
しかも側室お福は孤立無援ではなく、藩主がちゃんと護衛をつけていたのである。おれが気遣うことはなかったと思いながら、文四郎は村はずれに立ちどまって欅御殿のあたりを振りむいた。
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誘 う 男
一
城下を取り巻く田圃がいちめんに緑に変わったころから、文四郎は郡奉行の樫村や同僚と連れ立って、ひんぱんに郷村の見回りに出るようになった。
時には隣国との境いのあたりまで見回りに行くこともあり、そういうときは代官所に一泊し、帰りはつぎの日の夜になった。日帰りのときも、日があるうちに城下にもどることは稀で、文四郎はいささか郷方勤めのきびしさを知った。
「歩くのを億劫《おつくう》がっては、村回りは勤まらんぞ」
北野という四十を過ぎた同僚が、文四郎に言った。
「わしらなんぞも、若いころは歩きに歩いて、脛毛《すねげ》ののびるひまがなかったものだ」
村々を見回って樫村たちがやることは、文四郎には半分も理解出来なかった。樫村は案内の村人と一緒に、田の中まで踏みこんで稲の枝わかれの状況を調べたり、葉のいろを調べたりする。またある時期には、うんかの発生を警戒して調べ回っていることもあった。
その年は梅雨が長びいてつめたい東風が吹き、稲がのびず、また一部の田に病気が出はじめて冷害が心配されたが、梅雨雲が遠のくと同時に暑い日照りとなった。
いきなり真夏が来たような暑さに、人びとは閉口して、毎日の挨拶にも暑いことを愚痴ったりしたが、稲田は生気を取りもどした。葉は力強くのび、熊野神社の夜祭りが終わってひと夏が過ぎるころには、稲は静かに穂を孕《はら》みはじめた。
農事のことは依然として半分もわからなかったが、文四郎にも穂を持ちはじめた稲のうつくしさはわかった。それまでずっと樫村や同僚、村人の稲の生育を見守る気魄《きはく》のようなものを見て来たせいだった。稲作にかぎらず、総じて農事は、やり直しのきかない真剣勝負のようなものだということも悟った。一年に一回だけの勝負である。
そのために手段をつくして用意がととのえられ、種が播《ま》かれて苗が植えられる。植えつけたあとも生育にしたがって作物の手入れをしないと物は育たない。そのために、たとえば田草取りの作業では、炎天下の田圃を這《は》い回って村人は草を取るのである。そのようにして、一番草から三番草まで、領内の平野の隅々まで、人の手が三度地面を撫《な》で回すのだということを、文四郎ははじめて知った。
子供のころ、裏の小川越しに前面にひろがる田圃を眺めたころは、夢にも思わなかったことである。文四郎はいまになってようやく、十町歩の稲を救うために土堤の切開場所の変更を主張した、父の考えを理解出来た気がしたのだった。そして、その意見をいれた相羽惣六も、そのことをわかっていたのだと思った。
穂がいろづきはじめたころ、一夜領内を大風が吹き抜けて稲が倒れた。文四郎たちは手わけして村々の被害の状況を見回った。
村々の見回りは二人ずつで、文四郎が組んだのは青木孫蔵という同僚だった。青木は齢は三十半ばほどで、浅黒い顔にあばたがある無口な男である。
被害を見回るといっても、文四郎たちが直接に被害を調べて回るというのではなかった。そういう調べはいちはやく領内五カ所の各代官所がやっていて、文四郎たちはまず代官所に行き、代官所手代から状況の説明を受けたあとで、書類をもらって所管内の村々を一村ずつ回るのである。
村に行ってする主な仕事は、代官所がすでに見積っている収穫何割減、または何分減という数字を見ながら、今度は直接に村役人に会って村側の被害見積りを聞き取ることだった。数字に喰い違いがあるときは、のちに郡奉行、代官、村役人三者立ち合いの上で数字を決することになっているが、文四郎たちは、そういう村があれば一応村側の説明を受けたり、要望を聞いたりして帳面に書きとめて帰ることになるのである。
むかしの郡奉行は、もっぱら領内の山林の管理、河川堤防の見回りと普請を受持ち、ほかに郷方の公事《くじ》訴訟の取扱い、罪人の取締りなどを役目としたものの、稲の検見《けみ》や田畑の被害状況の判定に加わることはなかった。そうしたことはすべて代官所の所管だったのである。それを近年のように郡奉行の権限を強化して、一部代官所の職務を監察出来るように改めたのは、かつての名家老加治織部正だという。
あるいは織部正の執政中に、代官職の間に汚職行為でもあって、その種の行為の再発を防ぐ意味でいまのような形に改められたということも考えられるが、そうではなくて、加治織部正は単純に藩政のもっとも枢要な部分である農事に、係り役人の専断が働くことを防ごうとしたのかも知れなかった。いずれにしろ、今度も郡奉行配下の出動は、すばやく行われたのである。
しかし今度の大風の被害は領内の北部で大きく、文四郎たちが見回る南部の村々は比較的被害が軽かったので、村回りは順調にすすんだ。といっても被害のあるところでは、一応田圃まで出むいて説明を受けるのが手順なので、夜明けとともに出発したのに城下の近くまでもどって来たときには、日ははやくも西にかたむいていた。
「さて、もうひと村だな」
金井村の入り口まで来たとき、青木はそう言って気遣わしげに丘の稜線《りようせん》に近づいている日に眼をやった。
「日があるうちに済ませたいものだ」
「喰いちがいがなければいいのですが」
と文四郎も言った。
青木孫蔵の足どりはまだ軽快だったが、文四郎はすっかり疲れ切って、もう足も上がらないほどだった。しかし二人で組むといっても、文四郎は要するに青木の仕事ぶりを眺めるだけだったので、疲れたとは口が裂けても言えなかった。ただはやく城下にもどりたい願望だけを口にした。
見ていると、青木は口数こそ少ないものの、有能な役人であることがわかった。村役人にする質問にはむだがなく、また見回りの態度もきびきびしていた。青木の視察ぶりは、ちょうどわが庭を見回るように手馴れたものだったのである。
おれもああいうようにならねば、と文四郎はひそかに思い、今日青木孫蔵と組んだことを喜んだのであった。はじめての仕事で、文四郎はまごつき、数字ひとつ記すにも失策を犯したりしたが、無口な青木はほとんど咎《とが》めなかった。文四郎の過ちは自分で訂正し、あとでその場所を示した。
道中もあまり口を利くことがないので、多少の窮屈さは感じても気分は楽だった。青木は一日の道連れとしては悪くない相手だったのである。二人は金井村の本村に入った。
二
村に入ったところで、青木は不意に文四郎を振りむいた。
「これからたずねるのは、藤次郎という村役人だが……」
青木はそこで言葉を切り、なぜかさぐるような口ぶりで文四郎にたずねた。
「藤次郎という名前に心あたりは?」
「いえ」
文四郎は首を振った。青木がなぜそんなことを言い出したのかわからなかった。すると青木は顔を前にもどして、しばらく黙って歩いた。そして村の四つ辻に来て角を曲がるとき、また言った。
「貴公の父御が腹切らされたときに、この村と隣の青畑村が連名して藩に助命嘆願書を出した。藤次郎はそのときの嘆願書を取りまとめた男だから、おぼえておく方がいい」
「ああ、そうですか」
と文四郎は言った。胸の隅でずっと気にしていたことである。
「そのひとがまとめてくれたのですか」
「そうだ。藤次郎は切れ者で、いずれ金井村全村の肝煎《きもい》りになるだろうと言われておる」
青木はまた文四郎の顔を見た。
「貴公、嘆願書のことは知っていたのか」
「はあ、さる人に聞きました」
「さる人というと、横山さまかな」
「いえ、ちがいます」
「誰か、言えんのか」
「はあ、申しわけありませんが……」
と文四郎は言った。加治織部正とのつながりは、秘匿しなければならないものだった。
文四郎は名前を言うことを拒んだが、青木がそれで腹を立てたのかどうかは、あばたがある青木の顔を見るかぎり、何とも窺《うかが》い知れなかった。青木孫蔵は無表情に前を見て歩き、やがてよく手入れされた、高い生け垣のある一軒の家の前に立ちどまった。
「ここだ」
と青木は言った。
広い前庭を横切って、二人は茅葺《かやぶ》きの屋根ながら人を威圧するほどに高くて大きい農家の前に立った。青木だけが玄関に入り、訪《おとな》いをいれるとすぐに答える声がして、家の中から人が出て来た気配がした。
しかし文四郎が立っている庭には、折柄まぶしいほどに夕日がさしこみ、そのために玄関のうちは暗くて、青木も出て来た人間の姿も見えなかった。二人は低声で何事か話し合っている様子である。青木はなかなか出て来なかった。
文四郎は眼をそらして、庭の隅に立っている高い柿の木を見た。わずかにいろづきはじめた柿は日に光っていた。どこからか馬の匂《にお》いがし、また見ていると、背負い子に山のように草を積み上げて背負った若い男が、家の角に現れて納屋の横に消えた。
ようやく青木孫蔵が外に出て来た。四十半ばの面長で品のいい顔をした男が一緒だった。
青木孫蔵は文四郎を手でまねき、文四郎がそばに行くと藤次郎どのだと、一緒の男を紹介した。そして、さらに藤次郎を振りむいて言った。
「これが以前にお話しした、牧助左衛門の伜です」
「ああ、これは」
男は言いながら、文四郎をじっと見た。それから文四郎と男は挨拶をかわした。
文四郎は丁重に、父助左衛門の助命嘆願書をまとめてもらった礼を述べたが、藤次郎は手を振って、村として当然のことをしたまでですと言った。
そしてやわらかい笑顔で文四郎を見た。
「村方のお勤めにつかれたそうですが、どうですか、歩くのは大変でしょう」
「今日は、少々疲れました」
文四郎が正直に言うと、藤次郎は青木を振りむいた。
「いかがですか、ちょっと一服されてから田圃の方に回られては……」
「しかし、じきに日が暮れよう」
青木は隣家の屋根の端にある夕日に、ちらと眼を投げた。
「一服してはくらくならぬか」
「大丈夫でございましょうよ」
と藤次郎は言った。
「稲が倒れたのは古口田の一カ所だけ。それも御代官所のお見込みとそう大きな喰いちがいがあるわけではありません。すぐに済みます」
そうだ、こうしましょうと藤次郎は言った。
「一服しておられる間に、長之助と伊作に使いを出して、ここに来てもらいます。その方がはやい」
「さようか」
せっかくのすすめをこれ以上ことわってはわるいと思ったか、青木は案外にあっさりとうなずき、では茶を一服馳走になるかと言うと、自分から縁側の方に歩いて行った。
青木と文四郎は茶の間の外の縁側に腰をおろし、その間に藤次郎は家の中に入って行った。そしてしばらく家の中で話し声がしたと思うと、藤次郎は今度は茶の間に現れて二人のそばに坐った。
「ただいま使いを出しましたから、二人は間もなく参りましょう」
「長之助はもう一人の立ち合いの村役人、伊作はこれから見に行く田圃の持ち主だ」
と、青木が文四郎に説明した。それから青木と藤次郎は、金井村、青畑村といったこのあたり一帯の稲作の出来を話題にした。
「梅雨が長びいたときは心配しましたが、そのあと持ち直してどうにか平年作には行ったのではないでしょうか。検見が終わって見ないとわかりませんけれども」
「この間の風はどうだったのか」
「それが丘のうしろから来た風で、不思議なことに……」
文四郎は二人の話にじっと耳を傾けた。
大風は金井村の頭越しに五間川の川べりに吹き降り、そこから川筋に沿う形で北に走って行ったと、藤次郎は話している。
そのために、金井村の稲の倒伏は五間川手前の古口田と呼ぶ一帯だけで済んだのに、川向こうの青畑村では広い場所に被害がおよんだのだった。
「風が……」
と青木が言った。
「権現さまから吹いたせいだ」
「そうです。海から来た風なら、こちらも残らずやられたことでしょう」
と藤次郎が言った。権現さまというのは金井村の丘のうしろにそびえる山で、頂きに蔵王権現の御堂があるのでそう呼ばれているが本来の山の名は駒木《こまき》山である。南東から吹いた風に、駒木山が障壁の役目をはたして金井村は大きな被害をまぬがれたということらしかった。
青木と藤次郎が、いかにも物馴れた口ぶりで風の強さとか方角とかを語り合っている間に、若い女がお茶と茶うけの菓子、皮をむいたばかりの梨《なし》などをはこんで来て、口数少なく挨拶すると去った。
「どうぞ、梨を召し上がってください」
藤次郎は青木と文四郎にすすめ、まだ少しはやいが味のいい梨ですからと言いそえた。すすめられて文四郎は梨を噛《かじ》った。水気が多く、甘い梨だった。
縁側に腰をおろすと、それまで疲れて火照《ほて》るようだった足もいくぶん楽になり、そしてつめたくて甘い梨は、文四郎を生き返らせた。文四郎は藤次郎に言った。
「大変にうまい梨です」
「そうですか」
藤次郎はにこにこ笑い、自分はお茶をすすった。そして突然に言った。
「あなたさまのおとうさまも、この梨がお好きでした」
「父が?」
文四郎は噛っていた梨から顔を上げた。父の助左衛門は普請組勤めなのに、村の方にも用があったのだろうか。
「川普請か何かで、こちらに来たことがあるのでしょうか」
「ええ、そういうこともありましたが……」
藤次郎が口をにごしたとき、青木が咳《せき》ばらいをした。そして話を引き取った。
「七、八年前に青畑村に行く橋を二つ掛けかえたことがあった。そのころの話ではないかな」
「さようだったかも知れません。そのときは普請組の方々がこの家でお昼を使われたりしましたから」
と藤次郎が言った。そして文四郎に妻帯しているのか、子供はまだかなどということを聞き、文四郎が答えると藤次郎は助左衛門さまが生きておられたらさぞお喜びだったろうと言った。
そのとき庭に男が二人入って来た。
背が高く、太って丸顔の男が長之助で、背が低く痩せている年寄りが伊作だった。青木と文四郎は縁側から降りて、二人と挨拶をかわし、その間に外に出て来た藤次郎と五人で屋敷を出た。
藤次郎が言ったとおり、倒伏田は村はずれと言ってよいほどに近いところにあった。村を出て野道を少し行くと、五間川の土手が見えて来て、その手前の田が、巨大な手でひと撫でされたようにいちめんに稲が倒れている。
五人は見はらしのいい土手にのぼった。すると、稲の倒伏が伊作の田からはじまり、川を越えて青畑村の田圃におよび、そのまま川下の方に長々とつづいている様子が見えて来た。日は丘の陰にかくれてしまっていたが、青畑村の家々はまだ日に照らされているのが見え、空はあかるくて検分に支障はなかった。
青木と金井村の三人が、田圃を指さしたり、帳面をのぞいたりして話しこんでいるのに耳を傾けながら、文四郎は金井村のうしろに見えている丘のはずれに眼をやった。欅《けやき》御殿があるそのあたりには濃い暮色がただよい、まだ灯のいろもなくほの暗く見えた。
──もう、子供は生まれたのだろうか。
近ごろ、お福のことはつとめて考えないようにしているのだが、文四郎はついそう思わずにはいられない。どこかにお福に対する保護者めいた気持ちがひそんでいるせいかも知れなかった。
五月に帰国した藩主が、おしのびで時どき欅御殿をおとずれているらしいという話は耳に入って来たが、その話の中に、不思議にお福の名前は出なかった。藩主の力でその事実は秘匿され、そのためにお福のことはまだ一般には洩《も》れていないのだろうと文四郎は思っていた。
しかし事実はいずれ洩れずにいないだろうし、藩主が江戸にもどる来年が危険だと文四郎が思っていると、青木たちが土手を降りて田圃に入って行った。文四郎もいそいでそのあとを追った。
青木と村の三人は、倒れている稲の穂をちぎって手のひらの上で殻をむき、文四郎にはわからない短い言葉をやりとりしながらうなずき合った。それで検分が終わったようだった。
「村方の言い分は……」
青木は帳面と筆をかまえた文四郎を振りむくと、口授する口調になった。
「古口田は一割との見立てに候。意見、按分《あんぶん》して八分となすべきものか」
「八分なら不服はございません」
と藤次郎が言い、あとの二人もうなずいた。文四郎が書きとめ終わるのを待って、五人は田の畦《あぜ》づたいに野道までもどり、村に引き返した。そして文四郎と青木は、村の四つ辻で三人と別れた。
金井村をあとにして、二人が小川にかかる木橋まで来たときは、日は丘のはずれに沈み野末には白い霧のようなものが湧《わ》いて来た。間もなく足もとが暗くなるだろうと思われたが、城下はもう行く手に見えていた。
そのせいか、青木の足どりもいまはゆっくりしている。文四郎も足どりを合わせた。
「大いそぎの見回りで……」
前をむいたままで、青木が言った。
「疲れたかな」
「はあ。しかしそれよりも、今日の見回りではあまりお役に立てず、ご迷惑をおかけしたのではないかと恐縮しております」
「なに、仕事の方はいまに馴れよう」
青木は言いながらいっそう足どりをゆるめた。文四郎もそれにならった。すると、やはり前をむいたままで青木が言った。
「以前から貴公に話したいことがあったが、機会がなく見送って来た」
「……」
「今日はさいわいに二人だけになれた。こういう時を待っていたのだ」
「何か、仕事の上のご忠告でも………」
おそるおそる文四郎が言うと、青木は首を振って足をとめると文四郎に身体を回した。そして鋭い眼をそそいで来た。
「藩がいま、二つに割れているのは承知かな」
「はい」
「では、助左衛門どのが横山派で働いたことは?」
「およそは耳にしております」
「ほう、それなら話がはやい」
突然に青木孫蔵は白い歯を見せた。思いがけない笑顔だった。
「誰に聞いたかは知らぬが、そういうことは自然とつたわるものらしいな」
「……」
「では、改めて貴公の気持ちをうかがおう。横山家老につく気持ちはないか」
「……」
「どうした?」
青木はやわらかくたずねた。
「藩が割れていることを承知しておるなら、稲垣、里村たちが新しい志摩守さまを擁して、藩政を私しようとしていることも、耳にせぬはずはあるまい」
「……」
「聞いておらぬというなら、いまここでいくつか例をあげてもよいが、手っ取りばやいのは今日の見回りだ。ひと回りして、貴公どこかおかしいとは思わなかったか」
代官所と村々の見積りの喰いちがいが大きすぎる、と青木は言った。以前はそんなことはなく、両者の見積りはもっと接近したものだったのである。それが今度のようなことになったのは、里村家老が各郷の代官に、被害を少な目に見積るように密命を出したためだとわかっている。
「以前はそういう無理は出来なかった。村役人の中に多数の横山派がおって、村方を絞り上げる政策が得意な稲垣、里村派に敏感に反抗したからだ。無理押しして領内に騒ぎでも起きれば、横山派に政策の欠陥を衝《つ》かれて政権を奪われかねないという心配があった」
と青木は言った。
「さっき、藤次郎が助左衛門どのの話をしたが、あれは橋普請とはかかわりがない。助左衛門どのは、そのころ横山家老の密命で村々に入りこみ、村方に横山派をつくるのに尽力されていたのだ」
「それは、はじめてうかがいました」
と文四郎は言った。
「すると二カ村の助命嘆願は、土手を切開した一件とはかかわりがないのでしょうか」
「いや、むろんそれもある」
と青木は言った。
「その一件は大いにかかわっているが、それだけではない。助左衛門どのはその以前から、二カ村のみならず近郷の村役人と面識があり、信用されておった」
しかし村方に横山家老を支持する勢力が存在したのは、例の政変まで。それ以後は長い物には巻かれろで、稲垣、里村派で固めるいまの藩権力にすり寄る者が続出し、いまもひそかに横山派を支援するのは金井村一村だけになったと青木は言った。
青木孫蔵は、しゃべることはこういうときのために取っておいたとでも言うように、むしろ能弁に話した。
「いまは少々無理押ししても、稲垣、里村体制に罅《ひび》が入るおそれはないと、彼らは自信を強めておる。それが貴公も見たとおりの、見積りの喰いちがいになって出て来ておるとみるべきだ」
「……」
「郷方の人間でその無理押しを懸念して眺めておられるのは樫村さま、郡代の瀬尾さまぐらいで、あとは里村家老の意のままだ。横山さまはそういう有様を大そう憂慮されておる。危険を冒してひそかに同志を募っているのは、稲垣、里村派のやり方を座視出来ぬと思い決められたからにほかならぬ」
「……」
「ご家老はいま、一人でも多くの味方を欲しがっておられる。行く末、いずれは稲垣、里村派と真っ向から対決するときが来るとみて、その日にそなえておられるのだ。どうだろう?」
青木は、文四郎の顔をのぞきこんで来た。
「横山派は一度は潰滅《かいめつ》した与党だ。再建は容易な話ではない。へたに動けばすぐに潰《つぶ》されるおそれもある。そういうあつまりだが、加わって力を貸してくれぬか」
「お話はよくわかりました」
と文四郎は言った。話はよくわかり、青木の熱意にも打たれたが、いくらか気が重い感じがするのも事実だった。
「しかし、ただいまここで即答はいたしかねます」
「考えてみるということか。なるほど」
青木は口をつぐんだ。そしてつぎに口をひらいたときには、口調はややひややかになっていた。
「父は父、子は子という考え方もないわけではない」
「いや、そういうつもりで申し上げたのではありません。それがしは牧助左衛門の子です」
「……」
青木はもとの無口にもどったように、ぴったりと口を閉じて文四郎を眺めている。
「ただ、それがしは長い間冷や飯を喰わされ、今年からようやく人なみの暮らしにもどったばかりです。軽率に危険を冒すわけには参りません」
言いながら、文四郎はそのとき斜め前方の野道に、一人の武士が現れたのを見ていた。長身で骨格たくましいその武士は、いつかの文四郎のように野袴《のばかま》をつけ、羽織はぬいで手に握っている。
三
おそらく武士は、さきに文四郎たちに気づいたにちがいなかった。道に近づきながら、顔は二人の方にむけている。だが武士との間にはまだ十間近い距離があり、あたりをつつむ暮色のために顔も齢のころもはっきりとはわからなかった。
文四郎ははじめ、男が欅御殿の護衛の一人ではないかと思った。突然田圃なかの道から現れた男は、欅御殿の方から来たとしか考えられなかったからである。だが、男は護衛ではなかった。身なりも身にまとっている雰囲気もれっきとした家中の者だった。
日暮れの野道から現れた武士をあやしみ見ながら、文四郎はつづけた。
「数日ほどは、考える余裕をください。その上でご返事いたします」
「貴公、たしか嫁をもらったのは今年の春だったな」
「はい」
「家名大事、暮らし大事と思う気持ちもわからんではないが、しかし……」
青木は声を落とした。青木もそのとき、野道から城下に行く往還に出て来た武士に気づいたらしかった。前方の男に、じっと眼をそそぎながらつづけた。
「そんなものは束の間の平安。稲垣、里村派が藩政をにぎる限り、いつ取り上げられるか知れぬ平安と覚悟を決めておく方がいい。彼らはかの政変の生き残りから、まだ眼をはなしてはおらんぞ」
青木がそう言ったとき、まるでその低い声が聞こえたように、前方で往還に出た武士が二人のいる場所に引き返して来た。
「やあ」
武士は数間まで近づいたところで、声をかけて来た。太く威圧するような声だった。
「どうも見たような顔だと思ったら、出役《でやく》の青木孫蔵だな」
青木は笠を取って、黙って一礼した。文四郎もそれにならったが、武士は礼を返さなかった。鋭い眼で青木を見ながら言った。
「この間の泰仙寺のあつまりは、貴公の肝煎りだそうだな。なかなかうまくやったようだが、二度目はいかんぞ」
文四郎は笠の陰で、刀の鯉口《こいぐち》をそっと切った。男から強い殺気を感じ取っている。
文四郎は青木を振りむいた。青木は無言のまま胸を張って男と対峙《たいじ》していたが、暮色のなかでも、その顔いろが死相を宿したように青ざめているのが見えた。男の殺気に縛られたのだろう。
「今度ああいうことをやったら、藩に対する反逆と見做《みな》すと上では言っておる。そのときはしかるべく処分してかまわんということだとわれわれは解釈した。重ねて言っておく」
長身の武士は語気を強めて、青木に詰め寄った。
「二度目はいかんぞ。気をつけることだ」
男は威圧するように、さらに前に出て来た。そして、それを見た文四郎が青木をかばう形で一歩前に出ると、男ははじめて文四郎を見た。
つぎの瞬間、男はさりげなく文四郎に身体をむけると、ゆっくりうしろにさがった。十分に間をあけてから、男は声をかけて来た。
「青木の同役か」
「出役見習いです」
「名前は」
「牧文四郎です」
「これは、これは」
と男は言った。はっきりした表情はわからないが、男のいかつい顔がわずかにほころびたように見えた。
「空鈍流の牧文四郎か」
「……」
「いつぞや、興津との試合を見せてもらった。わしもいつか、一度お手合わせねがいたいものだ」
「そちらさまのお名前は?」
「わしか。いま名乗らんでも、いずれ知れよう」
男はそう言うと、不意にからからと笑って背をむけた。手にした羽織を着こむと大股《おおまた》に去り、その大きな背は見る見る遠くなった。
振りむくと、青木孫蔵が腰にさげた手拭いをはずして顔の汗を拭《ふ》いていた。空気は冷えているのに、噴き出す汗がとまらないらしく、青木は襟をひろげて首から胸もとまで手拭いを使っている。
「いまのは、どなたですか」
「村上七郎右衛門どの」
と青木は言った。よほどの緊張を強いられたらしく、青木の声は低くしわがれていたが、その名前は文四郎の胸を強打した。
文四郎は思わず、小さい姿になって前方を行く男を見た。村上七郎右衛門は、父助左衛門を介錯《かいしやく》した男である。その後、村上が松川道場のかつての高弟だったことも知ったが、会うのははじめてだった。念のために聞いた。
「御小姓組の村上どのでしょうか」
「いや、いまは馬廻組に変わっている」
と青木は言った。青木はようやく落ちつきを取りもどしたようだった。行こうかと文四郎をうながし、青木はふ、ふと笑った。
「ああいう男の前では手も足も出なくなる」
文四郎は文四郎で、村上がなぜ欅御殿の方から来たのかが気になっていた。
四
青木と一緒に三ノ丸の郡代屋敷にもどり、すでに藩士が下城してしまった建物のなかで宿直の者に帰城の報告を済ませると文四郎はこれから書類をまとめる青木孫蔵を残して城を出た。
城は丘とも呼べないわずかな土地の高まりを利用して石垣を組んでおり、そのために城門を出ると道はゆるやかな下りになる。日はとっぷりと暮れて、坂をおりて行く文四郎の眼に町の灯が見えた。ひときわ明るいのは目抜き通りの商人町|青柳《あおやぎ》町のあたりだろう。
空気が澄んでいるせいか、灯のいろはふだんよりもあざやかに見えた。風はなかったが、夜気にはもう暑かった夏の名残はなく、肌を引き緊める涼しさがふくまれている。
──あのひとは……。
おれを蔑《さげす》みはしなかっただろうかと、文四郎は居残ってはやくも机の上の墨をすりはじめていた青木の姿を思い返していた。
牧の家名を守ることは、父の助左衛門の死をむかえたときから、文四郎を縛る鉄則となった。子供ごころにもその決心を余儀なくされたほど、助左衛門死後の牧の家は、文四郎の眼にも危うく見えたのである。加えて文四郎は、養子となって牧の家を継いだ人間だった。牧家は、小身ながら藩草創以来の家柄である。その家を、かりにも自分の過失で潰してはならないという気持ちも強かった。
顧みて文四郎は、奔放であるべき年少の日々を、ああも小心翼々と過ごすほかはなかった自分を憐れまずにはいられない。反逆者の家にむける世間のひややかな眼に堪え、自分を押さえて、ひと筋の糸ほどのか細さで残された家名を保つのに汲々《きゆうきゆう》としたのだ。その鬱屈《うつくつ》した気持ちのただひとつの捌《は》け口が、石栗道場の修行だったのである。空鈍流の剣がなければ、堪えられはしなかったろう。
長い間のその辛抱は、いま報いられたと文四郎は思っている。家禄と人並みの暮らしがもどり、職をあたえられ、妻を得た。年月経ればやがて子が生まれ、職の上でも、怠りなく勤めればいつかわずかな昇進ぐらいはのぞめるかも知れない。いまはそういう行く末を思い描くことも出来た。不遇のどん底にいたときも、悪声を放たず、人と争わず、身を慎んで剣と学問に精出して来たからだと文四郎は思う。その安泰を失いたくはなかった。
夕闇の往還で、村上七郎右衛門が青木孫蔵に投げつけた、反逆者と見做すという言葉を文四郎は思い返している。それは村上の脅しかも知れなかった。しかしいったん横山派に与《くみ》してしまえば、父につづいて子もまた、藩に対する反逆者の烙印《らくいん》を捺《お》されかねない日が来ることを覚悟しなければならないだろう。そんな危険は冒したくなかった。小和田逸平も島崎与之助も、どちらかの派閥に与したとは聞いていない。
文四郎は橋を渡った。
──しかし……。
青木孫蔵は良吏だ、と文四郎は思った。
青木とは郡代屋敷の同じ部屋で執務し、これまでも時たまは郡奉行樫村弥助に従って、ともに郡内の見回りに出たことがある。しかし青木はふだんは無口で目立たない男だった。文四郎は、先輩として一目置いてはいたものの、特に青木に注目したことはない。
だが、はじめて二人だけで村々を回ってみると、青木の土地、作物の見方、行く先々での人との接し様は文四郎の心を打つほど、確かで行きとどいたものだったのである。ことに文四郎の記憶に残ったのは、ほかの出役や郷目付に間々見受けられる役目を笠に着た態度がまったく見られないことだった。村人と話している青木は、威張らずねんごろで、しかも言うべきことはきっちりと言って相手にのみこませていた。
青木が元中老の稲垣につながる里村派の政策を批判して、村方を絞り上げるのが得意だと言い、近ごろ無理押しの農政に転じたことを指摘したのを文四郎は思い出している。
──それが事実なら……。
文四郎は思った。いずれはおれも、村人の尻を叩く酷吏の役を割り当てられることになるのだろう。それは、やはり堪えられることではあるまいと思ったとき、文四郎の胸に青木が言った、いつ取り上げられるか知れぬ束《つか》の間の平安という言葉が谺《こだま》した。
組屋敷にもどると、せつが出むかえた。
「おもどりなされませ。お疲れでございましょう」
とせつは言った。嫁して来て半年余が過ぎ、せつはようやく牧の家の嫁らしい物言いが身について来たようだった。
文四郎は刀を渡し、上がり框《がまち》に腰をおろして、用意してある濯《すすぎ》の水を使った。せつの心遣いで湯をまぜた水はぬるく、足を洗うと疲れが取れるようだった。束の間の平安という言葉が、また文四郎の胸にうかんで来た。
母に帰宅の挨拶をして夫婦の居間に行くと、追いかけて来たせつが着替えを手伝った。そして小和田逸平の家から使いがあったと言った。
「生まれたかな」
と文四郎は言った。半月ほど前に、めずらしく城中で顔が合ったとき、逸平が間もなく子供が生まれそうだと言っていたことを思い出していた。
「はい、男のお子だそうです」
「それは重畳」
「改めて案内するけれども、お七夜にはぜひ来てもらいたいという御口上つきでした」
そうか、逸平もいよいよ父親になるかと思ったとき、文四郎の脳裏に、ひょいとお福の子はその後どうなったのだろうかという考えがうかんだ。文四郎があわててその想念を打ち消していると、それとも知らぬせつが言った。
「おかあさまに申し上げましたら、大そううらやましがっておられました」
しかしうらやましいのは本人らしく、せつはそう言うと着せ終わった文四郎の背に、そっと頬をあてた。
妻と二人だけでいるときにお福を思い出したことがやましく、文四郎はいまのせつのいかにも新妻らしいしぐさに気づかなかったふりをした。
「お七夜にはわしが行こう。はて、祝いの品には何がいいか。母と相談して支度しておくように」
と文四郎は言った。
しかしその夜、暗い床の中で文四郎の胸にもどって来たのは、逸平の子のことでも、新妻らしいせつのしぐさでもなく、帰り道で誘いかけて来た青木孫蔵の言葉だった。
──父は……。
あるいはおれが横山派に与することを喜ぶだろうかと、長い思案のはてに文四郎は思った。しかしそのときは、屈辱に堪えてようやく取りもどした暮らしの平安を捨てる覚悟がいるのである。決心は容易につかなかった。
暗やみの中に、せつの髪の匂いがした。ついさっきまで文四郎の胸の中にいて、汗ばんだ名残かと思われた。束の間の平安という言葉が、また文四郎の胸のなかで明滅した。
──今度の非番の日に……。
道場に行ってみようかと、突然に文四郎は思った。すると前途に何か道がひらけたような気がした。むかしも何か思い迷ったときは、道場に行って思い切り竹刀を遣ったのである。文四郎は眼をつむった。今度はうまく眠れそうだった。
五
逸平の男の子の、お七夜の祝いが済んだ翌日が非番だった。文四郎は道場に出かけた。
いったん母屋に回って、師匠の石栗弥左衛門に挨拶をしてから、文四郎は道場に行った。入り口を入ると同時に、騒然とした気合の声が耳を打ち、そして若い身体が発散する汗くさい熱気が、なつかしく顔をつつんで来た。
文四郎はしばらく入り口の三和土《たたき》の上にたたずんで、ざっと二十人ほどはいる門人たちの稽古を見まもった。そして奥の方に丸岡俊作がいるのを見て、履物をぬぐと板の間に上がった。
文四郎が奥に歩いて行くと、十三、四の少年を相手に竹刀を遣っていた杉内道蔵が、手を上げて打ち合いをやめ、文四郎に駆け寄って来た。しばらく見ないうちに、道蔵は骨格たくましい若者になっていた。
「しばらくです」
と道蔵は挨拶した。そして笑顔になった。
「めずらしいですな、今日は非番ですか」
「ああ」
「半年ぶりぐらいですか」
「まさか、六月ごろに一度来ておる」
文四郎は言って、額から汗をしたたらせている道蔵を見た。
「あとで話そう。稽古をつづけてくれ」
文四郎は道蔵を稽古にもどすと、やはり十四、五の少年に稽古をつけている丸岡の近くに行った。丸岡は気づかずに、相手の手を取って教えている。丸岡らしい丁寧な教え方だった。
稽古にひと仕切りついたところを見て、文四郎は丸岡に声をかけた。
「よう」
丸岡は振りむくと笑顔を見せ、相手の少年に指示をあたえておいて文四郎のそばに来た。
「師匠に会ったか」
「はあ、さっき母屋で」
「年寄られたろう」
丸岡の言葉に、文四郎はうなずいた。師の弥左衛門は起きてはいたが、手が顫《ふる》えて文四郎に会っているわずかの間に、二度も膝に茶をこぼしたのである。
「道場も変わったぞ」
丸岡は文四郎を道場の隅にみちびき、稽古している門人たちに眼をやりながら言った。
「佐竹さんがこの夏に師範代を辞退された。勤めの方でお役がついて、道場に出られなくなったそうだ」
「すると、いまは丸岡さんが」
「ま、みんなに推されて、そういうことになった」
温厚な丸岡は、それを言うときにいくらか気はずかしそうな顔をした。
「大橋もやめた」
丸岡はつづけて誰かをさがす眼つきをし、一番奥の方で稽古をつけている犬飼兵馬を見つけると、文四郎に目くばせした。
「婿養子の口が決まったというのが表向きの理由だが、実際の理由はべつにある。兵馬と試合をして負けたのだが、これが屈辱的な負け方でな。いたたまれなくなったらしい」
「犬飼のことだから……」
文四郎も、手荒い稽古をつけている兵馬を遠目に見ながら言った。嫌悪感につつまれていた。兵馬のことになると、なぜこうも気持ちが荒れて来るのか、と思った。
「大橋さんをぶちのめしたのじゃないですか」
「そういうことだ」
丸岡は短く言った。
「佐竹さんが去り、大橋もやめた。貴公は籍はあるものの、勤めがあって出られぬ。師匠はあのとおりのご老体だし、道場もさびしくなったものだ」
「矢田さんも亡くなられました」
あるなつかしさに襲われて、文四郎はそう言った。この道場の床には、文四郎の汗もしみこんでいるはずである。気性のはげしい佐竹金十郎と、温厚だが切れ味鋭い技を遣う丸岡と矢田が道場を押さえていたころがなつかしかった。そうだったなと、丸岡が言った。
「ずいぶんと変わった」
「いまは、席次はどうなっているのですか」
「塚原がうまくなって、次席にいる」
と丸岡は言った。
「一度犬飼に抜かれたが、奮起して抜き返した」
「すると次が犬飼ですか」
「そう、つづいて野田、杉内の順だ」
すると、二人のいまの会話を聞きつけたように、人を掻《か》きわけて兵馬が近づいて来るのが見えた。
「やあ」
そばに来ると、兵馬は片手を上げてそう言った。それが先輩に対する挨拶だった。文四郎が黙ってうなずくと、兵馬はにやにや笑った。
「田圃回りはどうですか」
「ためになるよ」
「ためになる?」
兵馬の笑いが大きくなった。
「出役のくそつかみとか言うそうじゃないですか。田圃に入って、まいてあるくそをつかむとか」
「さあ、それは聞いておらんな」
文四郎が言うと、兵馬は笑いを消した。そしてしばらくぶりだから稽古をつけてもらえないかと言った。
文四郎は用心深く兵馬の顔を見返した。犬飼兵馬は、相変わらず肉のうすい青白い顔をしていたが、眼に落ちつきがなく、笑うと唇が少し捩《ねじ》れた。以前にはなかった表情である。文四郎には、兵馬の顔がむかしにくらべてわずかながら卑しく変わったように見えた。これは何か、と思いながら文四郎は言った。
「しばらく竹刀をにぎっておらんのだが……」
「ぜひ、一手指南を」
「貴公の相手は無理かも知れんな」
だがそう言ったとき、文四郎は犬飼をぶちのめしてやろうと思っていたのである。それを知らない兵馬はまた顔にうす笑いをうかべ、めったにない機会だ、そう言わずにぜひと言った。しつこく強要する口調になっている。
それじゃ、と文四郎は言った。
「稽古じゃなくて、試合で行こうか。丸岡さん、いいですか」
文四郎が言うと、何かを悟ったのか、兵馬も凶暴な眼つきで文四郎を見た。
襷《たすき》、鉢巻に身を固めた二人は、丸岡の立ち合いで道場の真中に出た。ほかの者は残らず羽目板のきわまでしりぞき、そこに腰をおろして試合を見守った。
試合はしかし、あっけない経過をたどった。最初に文四郎が兵馬の肩を打ち、簡単に一本を取った。強い一撃に肩が腫《は》れ上がったはずだが、兵馬は猛然と二本目を挑んで来た。顔が真赤に変わり、悪鬼の形相になっている。そして二本目ははげしい打ち合いになったのだが、文四郎にはまだ余裕があった。機を見て秘剣村雨の変化技を遣い、けりをつけた。文四郎が片膝で道場の床を擦りながら残心の構えを取ったとき、脇腹を打たれた兵馬の身体は一間もうしろに飛び、兵馬はそのまま昏倒した。
気分が晴れるどころか、兵馬を打ちのめした後味のわるさを抱いて、文四郎は道場を出た。すると、河岸に出る前に杉内道蔵が追いついて来た。文四郎が言った。
「犬飼は人が変わったな。どうしたんだ」
「去年の秋の試合で、興津に敗れてからずっと荒れっ放しです」
道蔵は言ったが、追って来たのはその話のためではなかったらしくすぐ問いつめて来た。
「さっき、犬飼さんに遣った技は何ですか」
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暗 闘
一
年の暮れを目前にして、日は短くなるばかりだった。文四郎たちが灯をともして書類をつくっていると、詰所の襖《ふすま》があいて小和田逸平が顔を突っこみ、文四郎に目くばせした。
「居残りか」
文四郎が廊下に出ると、逸平が部屋の方にあごをしゃくって言った。
「いや、間もなく終わりだ」
「それはつごうがよい。話があるから、今夜は染川町をつき合え」
逸平は言い、それからつけ加えた。
「おれの奢《おご》りだ」
「いや、奢ってもらわんでもいいが、何の話だ」
「そいつはここでは言えん」
逸平は、部屋から灯明かりが洩れているだけの、うす暗い郡代屋敷の廊下にすばやく眼を走らせた。
「砧《きぬた》屋で五ツ(午後八時)に落ち合おうか」
「よかろう」
「今日は酒だけで、女郎屋はなしだ」
おれはかまわんが、貴様の女房にうらまれるのはかなわんからなと逸平は言い、じゃ先に帰るぞと背をむけた。
──何の話か。
と文四郎は思った。その疑問は残ったが、しばらく逸平とも与之助とも顔を合わせていなかったので、飲みに行くことに異存はなかった。
その夜、文四郎が染川町の砧屋に行くと、逸平はさきに着いていて、酌取りの女たちを笑わせていた。
「おとら、おまえもそろそろ嫁に行くべきだな。売れ残りはいかんぞ。あれは悲惨だ」
「わかってます。おもしろくて売れ残ってるんじゃありませんよ。もらってくれる人がいないだけです。ねえ、およしさん」
小太りのおとらは、もう一人の酌取りに言い、文四郎と逸平に酒をついだ。そして文四郎に、こちら、およしさんははじめてねと言うところを見ると、逸平の方は嫁をもらっても子が出来ても、ちょくちょく砧屋に顔を出しているらしかった。
「こちらのお気に入りのおきみは……」
と言って、おとらは文四郎の肩を袂《たもと》で打った。
「夏前にお嫁に行ったんですよ。いま、その話をしていたところ」
「べつにお気に入りというわけでもないが……」
文四郎は苦笑した。
「それはめでたい。どこに嫁入ったな」
「職人さんですよ、指物の……」
「指物師か。わるくないな」
「なかなか男前の職人だったそうだ」
逸平は言い、そこで膝を叩いて少し内緒の話があるから、おまえたちはしばらく席をはずしてくれと言った。
「あとでまた呼ぶ」
逸平がそう言うと、女二人は素直に部屋を出て行った。逸平がさてと言った。
「飲みながら話そうか」
「そういう話か」
「いや、少々深刻な話ではあるのだが、なにしろ寒い。声がでかくなるのに気をつければよかろう」
と逸平は言った。二人は酒をつぎ合い、煮こごりのついた鱈《たら》の頭の煮つけをつついた。
「近ごろ、与之助に会ったか」
鱈の頭から眼を放さずに逸平が言った。
「いや。こっちもいそがしいのでなかなか会えぬ。貴様はどうだ」
「おれも会っておらん。しかしうわさは聞いた」
と逸平は言った。
「なかなか評判がいいらしいな。おれは藩校には行ったことがないが、助教というのはえらいのか」
「そりゃ、えらいさ。助教が勤まれば藩では一流の学者だ」
「ふーん」
「与之助は助教になったのか」
「そう聞いた」
「それは、一足とびの出世だな。いや、藩ではもともとそのつもりで与之助の遊学費用を持ったのだろう」
二人はしばらく島崎与之助の話をした。盃を口にはこぶ手がはやくなり、二人は顔が赤くなって来た。ところで、と逸平が言った。
「青柳町の信夫《しのぶ》屋という木綿屋を知っているか」
逸平は文四郎の顔を見た。
「知っている。大きな店だ」
「そこに、夏ごろにちょっと気になる客があったそうだ」
「……」
「男女二人連れの客で、物を買ったのは女、男の方は、これは武士なのだが、店に入ったものの隅に立って女が買い物を済ませるのをじっと見守っていたらしい。つまり男はお供という形であとで荷物を持ったけれども、ただのお供ではなく、何というか、女の護衛役の感じがしたそうだ」
「ははあ」
と言ったが、文四郎にはその男女の客に心あたりがあった。店の印象に残るような客だったとすると、その二人は土地の人間ではなく、欅御殿から来た者たちではあるまいか。
「女は武家の女子じゃなかったのかな」
「信夫屋では、そこらはよくわからなかったらしいな。というのも、女は髪も衣裳も町方の女ふうだったが、江戸弁を使ったというのだ」
「で、何を買ったのだ」
「晒《さらし》を二反」
逸平は盃をあけ、手酌で酒をついだ。そして話はこれからだと言った。
「正体はわからんが、帰って行く二人を町の外で見かけた者がいる。どこに行ったと思うな」
「さて」
「欅御殿だ」
そう言ったあと、逸平はしばらく黙々と箸《はし》を動かした。そして鱈の頭を喰いつくすとため息をついて箸を置き、今度は手酌で酒を一杯あおった。それから文四郎を見た。
「今度はわが殿の話だ」
「……」
「帰国された殿が、今年は頻繁に欅御殿に行かれる。むろんおしのびだ。お供一人をつれて、馬でぱっと出かけられる」
「それで?」
「むろん景色を見に行かれるわけじゃない。いくら野趣があるの何のといっても、あんな場所は二、三回も行けば倦《あ》きてしまう。で、ご寵愛《ちようあい》の人は誰だということになった。欅御殿にお気に入りの女人がいることは間違いないというわけだ」
「わかったのか」
「いや、それがわからんのだなあ。お供につくのは栗栖《くりす》という小姓組の人間だが、これが牡蠣《かき》のように口の固い男でな。カマをかけてみたがひとこともしゃべらぬ」
「ほう」
「ところが近ごろになって、欅御殿にいるのは江戸でお側から遠ざけられたお福さまではないかという者が出て来た。むろん、うわさだ。確たる証拠があっての話ではないらしい」
「……」
「そのうわさに、さっきの信夫屋の客の話が結びついている。つまり、こうだ」
逸平はにぎっていたからの盃を膳に置いて、にらむように文四郎を見た。
「信夫屋の二人の客は、お福さまの身の回りに仕えて欅御殿にいる者で、二反の晒はお福さまに御子が生まれたのではないかという話になる」
しっ、と文四郎が言った。二人がいる小部屋の外をかたかたと下駄の音をさせて、人が通った。酌女のようだった。
足音が表口の方に行ったのを聞きとどけてから、逸平は証拠は女の江戸弁だと言った。
「男はひとことも口をきかなかったが、それも口をひらけば江戸弁が知れるからだと考えられなくもない。つまり欅御殿にいる殿ご寵愛の人は、江戸から来たと考えるのが妥当だ。で、その人がお福さまではないかという推測の根拠だが……」
逸平は、今度は文四郎の顔をのぞきこむような眼つきをした。
「貴様の好きなおふくさんは……」
「おい、言葉に気をつけろ」
「おっと、すまん。お福さまは以前、殿の御子を流産したことがあるそうだ。しかもそれは志摩守さまのおふくろさまのせいではないかと言う者がいる。その話は耳にしたか」
「聞いた」
「ふーん」
逸平はゆっくりと盃に酒をついだ。
「殿が欅御殿の人をこれほど内密にするのは、その人がお福さまだからではないかといううわさは、そのへんから来ているらしい」
逸平はそこで言葉を切った。それから突然に言った。
「この話は、おぬしも聞いてるんじゃないのか」
「ああ、聞いた」
と文四郎は言った。すでに城中のうわさになっているとすれば、逸平に隠しても仕方がないことである。
「いや、おれの言ってるのは、だ」
逸平は、また文四郎の顔をのぞきこむような眼つきをした。
「もっと、ずっと前から耳にしてたんじゃないかということだよ」
「うむ、ずっと前に聞いた」
「誰に?」
「与之助からだ」
と文四郎は言った。
「与之助が帰国して来たときに聞いた」
「で、おれには黙っていたわけか」
「確かな話ではないからな」
文四郎は言った。
「それに、事は極秘だ。貴様を信用せぬわけではないが、一人に話せばどんなときに話が外に洩れぬものでもない」
「おれはむやみにしゃべったりはせんぞ」
「それはわかっている」
文四郎は逸平の盃に酒をついだ。
「しかし、あそこにお福さまがいて、殿の御子を生んだなどということがむこうに知れれば、ただでは済まんだろう」
「里村派のことだな」
逸平は言ったが、そこで考えこむ表情になった。そして眼を文四郎にもどした。
「しかし、まさか女、子供を暗殺もすまい」
「それはわからん。いや、その恐れは十分にあると考えたから、おぬしにも口を閉ざしていたのだ。悪く思うな」
「だが、文四郎」
逸平はあわただしく盃をあけてから言った。
「そうだとすると、いまのようにうわさがひろまっては困ることにならんか」
「むろん困る。だが当分は心配なかろう。殿は来年の春まで在城されるし、それにさっきの話に出て来た護衛の人間もいる」
文四郎は、帰国した与之助からその話を聞き、欅御殿の様子をさぐりに行ったときのことを逸平に話した。
「男は二人とも、なかなかの遣い手に見えたな。言葉は江戸弁だった。信夫屋に行ったのは、そのうちの一人にちがいない」
「そうか、様子を見に行ったのか」
逸平は文四郎に盃を持たせて酒をついだ。それから酔いに赤らんだ顔に、突然に笑いをうかべた。
「やはり、おふくさんのことはいまでも気になるらしいな」
「あたりまえだ」
と文四郎は言った。文四郎は自分がいつもより酔っているのを感じた。
「危難を見捨ててはおけん」
「こいつ、本音を吐きやがったな」
逸平は江戸帰りの藩士からでも仕入れたらしい、ぞんざいな口のきき方をした。そして急にきょとんとした眼を文四郎にむけた。
「しかしあそこにおふくさんがいるというのは、あくまで推測だ。誰も本人を見てはおらん」
「誰も見てはおらん」
と文四郎も言った。多分、あの村上七郎右衛門もお福を見てはいないだろうと、唐突に日暮れの野道から現れた村上を思い返したが、しかし文四郎は一方で、お福はやはりあの建物の中にいて、この夏藩主の子を生んだにちがいないという確信が強まるのを感じていた。
理由は、江戸弁を話す女がもとめて行った晒二反である。その二人は、十分に準備がととのわないうちにお産が迫ったために、素姓を怪しまれるのを覚悟の上で信夫屋に晒をもとめに走ったのではなかろうか。
二
酒が切れた、と逸平がつぶやいた。逸平はからの銚子をさかさにして盃の上で振ってみたが、一滴の酒も落ちて来ないのを見ると、銚子を膳にもどして手を叩いた。
すぐに注文取りの男が顔を出し、つぎに熱燗《あつかん》の酒をはこんで来たのはおとらだった。
「お酌しましょうか」
おとらは愛想笑いをむけて来たが、逸平はまだ話が終わっていないと言っておとらを追いはらった。
「遠藤という男がいるんだ。遠藤三郎太」
いそがしい手つきで、文四郎と自分の盃に酒を満たしながら逸平が言った。
「小姓組の古株だが、この男、稲垣さまの血縁につながっているとかで、ふだんしきりに里村家老のお屋敷に出入りしていることで有名な男だ」
「ほう」
「つまりはお偉方の使い走りという役どころだが、本人はそうは思っておらん。上の方につながっていることを笠に着て、なかなか横柄な口をきく、それで嫌われている男でもある」
「しっ、声が高いぞ」
文四郎がたしなめ、二人は話をやめて耳を澄ましたが、壁のうしろからくぐもった歌声がするのと、遠くの部屋で大勢の話し声と笑い声がしているのが聞こえるだけだった。
文四郎は、逸平に酒をついでやった。
「その遠藤がどうしたな?」
「今日の昼、みんなが詰所で弁当をつかっているときに、突然に立ち上がって演説をはじめたのだ」
「何の演説だ」
「それが愚にもつかぬ話だった」
逸平はひと息に盃をあけた。
「近ごろ藩中に、異党を立てて人を誘う動きがあるようだが、小姓組はそれに惑わされてはならんということだった。要するに中身は横山派に対するあてこすりなのだが、その言い方が権高でな、おれはむかっと来たから、飯がまずくなるからそういう話はやめてもらいたいと言ってやったよ」
「それじゃ遠藤が怒ったろう」
「怒った。忠告を聞かぬとあとでまずいことになるだろうと脅迫がましいことを言うから、おれは、聞く聞かないはこちらの勝手だが、それよりも貴公はいつから小姓組の頭になったのかと言い返してやったのだ」
「そんなことを言っていいのか」
「なあに、かまわんさ。やつのやったことはあきらかに越権行為だ。だからおれがもうひとつつっこんで、そういう話は組頭からうけたまわりたいと言うと、まわりに同調する者もいて、やつも黙ってしまった。厚かましい男だよ」
「……」
「それにな」
逸平は文四郎を見た。
「遠藤は、誘いをかけているのは横山派だけという言い方をしたが、事実はちがう。そのことに気づいた里村派も、結束を固めるために人を誘っている。だが、こっちはうまくいかんという話を聞いた。げんにおれも一度誘われたが、すぐにことわったからな」
「そうなのか」
「そうよ。だから人の引っぱりっこでは横山派に負ける恐れがあるので、遠藤を使ってあんなことを言わせたんじゃないかと思う」
「そういうことでは、横山さまはやり手のお人らしいからな」
文四郎は、加治織部正が横山家老は近ごろ形勢を互角にもどしている、あれも不思議な男だと言ったのを思い出していた。
「おぬしはどっちかから誘われたことはないのか」
と逸平が言った。文四郎があると言うと逸平は酒で赤くなった顔を上げた。
「やっぱりな。どっちだ」
「横山派だ」
「当然、判を捺したろうな。横山派はおやじどのが与《くみ》した派閥だ」
「いや、そう簡単にはいかん」
文四郎は、同じ出役の青木孫蔵に誘われたこと、理屈はわかるが一歩踏みこむ決心は容易につかないことなどを正直に打ち明けた。逸平に話してしまうと、長い間胸の奥に痼《しこ》っていた重苦しい気分が、いくらか軽くなったように思われた。
二人は、声をひそめて、二分している藩権力の行く末について話しこんだ。そして最後に逸平が酔った声で言った。
「判を捺すときはおれにも知らせてくれ、おまえと敵味方にはなりたくないからな」
二人が砧屋を出たのは、四ツ半(午後十一時)少し前だった。店の中には客は一人も見あたらず、二人が最後の客だった。
「お寒うございます。気をつけてお帰りなさいまし」
頬骨の高い厚化粧の女が、そう言って二人を送り出した。その女が店の持ち主の妾《めかけ》で、「きぬた」の采配を振っていることを、文四郎は最近になって知った。
三
外は、女が言ったように寒かった。風はないがしんしんと冷えて、夜気は酔って火照る肌に突き刺さって来る。
「雪でも降りそうだな」
文四郎は空を見上げた。しかし月も星も見えない暗い空には、雲の気配が厚く垂れこめているものの、物が降って来る様子はなくただ寒いだけだった。
町にはまだ軒|行燈《あんどん》が残っていたが、灯の数はさすがに少なくなり、道には人影も見えなかった。寒いせいだろう。
「子供は元気か」
と文四郎が言った。逸平の子は、青畑村の農家に預けられている。
「ああ、この間も乳母どのが連れて来たが、丈夫に育っているようだ」
「それはよかった」
「おぬしのところはまだか」
逸平がそう言ったとき、前方に見えている町の出口のあたりに、突然数人の人影が現れた。黒っぽい姿の武家の男たちだった。男たちは走っていた。そして町の出口を横切る形で左から右に移動したと思うと、そこで急にもつれ合い、二人がころんだ。
だが、そのときには文四郎にも逸平にも、前方で何が行われているのかがわかっていた。男たちがもつれ合って走ったとき、遠い灯に光ったのは白刃である。声は聞こえなかった。
「いそげ、逸平」
声をかけると同時に、文四郎は一散に走った。酔っているせいで、たちまち息が苦しくなって来たが、足をゆるめずに走った。うしろに逸平の重い足音がつづいた。
町の出口まで行くと、男が二人倒れていた。遠目に見たとおり、やはり武士だった。ほかの者ははやくも逃げ去ったらしく、影も形も見えなかった。
文四郎はうずくまって一人の傷を調べた。三十過ぎのまだ若い武士だったが、知らない男だった。男は文四郎が面体を改めるために首の下に手をさしこんで頭を持ち上げたとき、ため息をつくような息を洩らした。だが、男の命がもう助からないことは、ひと眼で見てとれた。若い男を倒した一撃は肩口から胸に入り、骨まで断ち切っていた。その傷から奔り出る血が、男の胸を濡《ぬ》らし背を濡らし、夜目にも黒く地面にひろがっている。
文四郎は男の首をそっと地面におろすと、もう一人の男のそばに行ってうずくまった。男は首を斬り裂かれてこと切れていた。顔を改めようと手をのばしたとき、遠い灯を斜めに受けたその顔が急にはっきりと見えた。
「どうした? 知ってる男か」
そばにうずくまった逸平が、はげしく息をはずませながら言った。文四郎の気配にただならないものを感じたのだろう。
「出役の青木さんだ」
と文四郎は言った。そして青木がにぎっている刀をそっと取ると鞘《さや》におさめてやった。はじめて、やったのは誰だろうと思った。
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罠《わな》
一
出府する藩主を見送ってから間もない五月はじめのある夜、文四郎の家に人がおとずれた。里村家老の使いだった。使いは家老屋敷の家士と思われる若い男で、家老が急用があるので屋敷まで同道してもらいたいと言った。
文四郎は羽織、袴に着替えて家を出た。
「何のご用か、わかりませんか」
途中で文四郎はさぐりをいれてみたが、若い武士はさあと首をかしげただけだった。男はまだ二十前だろう。提灯《ちようちん》の光にうかぶにきびに赤らんだその顔は無邪気そうで、知っていて何かを隠しているとも見えなかった。
しかし、気をつけろと文四郎は思った。何年か前に、やはり呼び出されて里村の屋敷に行ったことを思い出している。そのときは思いがけなく、家禄をもとにもどすこと、郡奉行支配下に入ることなどの申し渡しがあって文四郎は狂喜したのだが、今度も家老屋敷に何かの吉報が待っているとは限らなかった。
胸にうかんで来るのは、むしろ不吉な予感めいたものである。
──あのときだって……。
牧の家が潰されるか、それとも何かの形で正式の赦《ゆる》しが出るかの瀬戸ぎわだったのだと文四郎は思っている。どちらにころんでも不思議はない状況だったのだ。それが旧禄にもどされ、組屋敷まであたえられたのは、幸運としか言いようのない出来事だったことが、いまでははっきりとわかっている。
正体のわからない不安を抱いたまま、文四郎は馬場前の家老屋敷に入った。家老の居間と思われる、前に通された場所と同じ部屋に、あのときと同様に男が二人いた。一人は里村家老で、もう一人は文四郎がはじめて見る男だった。大目付の尾形ではなかった。
「夜分、呼び出して済まなかった」
里村家老がそう言った。その言葉はやわらかく、文四郎は胸の不安がいくらか静まるのを感じた。顔を上げると、里村がこの方を存じてはおるまいと言った。
「稲垣さまだ」
文四郎はふたたび深く低頭した。藩政の黒幕と呼ばれる元中老を見るのははじめてだった。
顔を上げると、稲垣が微笑して文四郎を見ていた。稲垣は半白の髪と日焼けした顔、骨太のがっしりした身体を持ち、里村よりわずかに若く見えたが、文四郎にむけた微笑に威厳があった。文四郎は身体が竦《すく》むような気がした。
「牧は、石栗弥左衛門の道場で免許取りだそうだの」
里村家老が、どこから聞きこんだかそんなことを言った。
「はあ」
「犬飼の伜とは、どっちが強いかの」
「いい勝負かと思われます」
文四郎が言うと、里村は話は変わるがと言った。すぐに本題に入るつもりのようである。
「近ごろの闇討ちさわぎを、そなたはどう考えているかな」
「は。憂うべきことと思っております」
文四郎は固くなって答えた。
去年の暮れに青木孫蔵と馬廻組の菅井《すがい》甚八が暗殺されたのがはじまりで、年が明けてから今度は里村派の男が一人殺された。御小姓組の山崎という男である。そして三月にはまた横山派の者が一人殺され、藩主が出府する直前の四月末にも一人が死んだ。今度は里村派の人間だった。男たちはいずれも、暗い闇の夜にやられている。
「疑心暗鬼に惑わされているのだ。里村派だとか横山派だと言っておるようだが、実体は何もない。しかるにそういうものに惑わされて、報復ごっこを繰り返しておる」
里村はそう言ったが、その言葉はほんの一部の真実はふくむにしろ、大体は白々しいものだった。里村派、横山派が現実に存在することは疑いもないことなのだ。
文四郎は死相にいろどられた青木孫蔵の顔を思い出しながらそう思ったが、一方で里村がなぜ自分を呼びつけてそんな話を聞かせるのかと訝《いぶか》しんでいた。
「何人かの男をここに呼んで、そういう不毛の争いはやめよと説教したことがある。彼らはわしに対してはかしこまったと言うのだが、裏では相変わらず殺し合いに熱中しておる」
困ったものだと家老は嘆息した。文四郎は芝居気たっぷりの家老から眼をそらして稲垣を見た。すると稲垣も文四郎を見た。というよりも、元の中老はさっきから文四郎にぴったりと視線をあてたままのように思われた。稲垣は微笑して文四郎を見ていた。
「このままには捨ておけんと、今夜も稲垣さまと話し合ったところだ。藩がこのように揉《も》めているなどということが、幕府にでも知れたらとてもただで済むことではない」
「……」
「殿も非常にそのことを心配なされ、あとの始末を命ぜられて出府なさったのだが……」
里村はため息をついてみせた。
「殿は藩の揉めごとの、真の原因にお気づきでない」
さっき文四郎を案内した若い家士とはべつの、中年の家士がお茶をはこんで来て、家老と稲垣、それに文四郎にもお茶を配った。稲垣が、音を立ててお茶をすすった。
「殿の側妾にお福という方がいるのを知っているか」
里村は言って、静かにお茶をすすった。太い喉《のど》ぼとけが踊るように動いたのが見え、里村は茶碗を机にもどした。存じております、と文四郎が言うと里村はうなずいた。
「では、そのお福さまがこっそりと国元にもどり、欅《けやき》御殿で殿の御子を生んだことは聞いたかの」
「いえ」
と文四郎は言った。そうか、与之助の話、逸平の推測はやはり真実だったのだと思った。
「知っておらぬか」
里村は文四郎をじっと見た。その凝視が少し長すぎるように思われたとき、里村家老は文四郎からふっと眼をはずした。
「知らぬのなら聞かせるが、その御子は去年の夏に生まれた。寵《ちよう》浅からざるお側妾の子ゆえ、殿は大そうな喜びようだったらしいが、じつは災いの種はその御子だ」
藩世子には新しい志摩守さまが坐り、いまや藩の行く末には何の懸念もない。ところが、殿に新たな男子が生まれたことを知った藩内の一勢力が、その赤ん坊を材料として志摩守中心で安定している情勢にゆさぶりをかけようとしている。そのたくらみが近ごろの暗殺さわぎの根になっていると里村は言った。
耳に入っている話はそれとはちがう、と思いながら文四郎は顔を伏せて家老の話を聞いていた。里村家老がそういう話を聞かせる意図はまだつかめなかったが、文四郎は家老の話から少しずつ重苦しい圧迫感を感じはじめていた。
「ここまでの話はわかったな」
「はい」
文四郎が答えて顔を上げると、里村は机に肱《ひじ》をのせてひと膝乗り出すようにした。黒くて細長い里村家老のへちま顔は、以前見たときとほとんど変わりなかったが、皺《しわ》が多くなっていた。無数の皺が家老の顔の上を縦横に走り、真白だった髪はいくらか黄ばんでよごれて見える。
「そこで、その方を呼びよせた今夜の用だが……」
文四郎は耳を澄ました。
「他言は一切無用だぞ」
「はい」
「欅御殿から御子をさらって来い」
文四郎は稲垣を見た。稲垣はまだ微笑して文四郎を見ていた。一語も発しなかった。文四郎は背をのばして里村に言った。
「ご命令ながら、それがしの手にあまる仕事かと思われます」
「言い方が少々どぎつかったかな」
里村は口をあいて笑った。途中で息が洩れるような、力のこもらない笑いだった。歯が欠けた赤い口の中が見えた。
「事情はこうだ。今日の夕方、われわれに対抗する派の者たちが近くひそかに欅御殿を襲い、殿の御子を奪いたてまつるらしいという極秘の知らせが入った。無用のさわぎを起こすものだが、彼らの意図するところはわかる、われわれを陥れようという腹だ」
「……」
「われわれが欅御殿の御子誕生を喜んでいないことは、殿も知っておられる、そこで彼らは、子供をさらってこう言うだろう。稲垣派に御子に対する害意ありと聞いて、保護したと。殿がこれを信じれば、彼らはつぎには世子を廃して赤子を世継ぎに推すかも知れない。もっとこわいのはさらった子供を黙って亡き者にし、こちらの仕業にみせかけることだ。そこでわれわれは彼らの先手を打つことにした。自衛のためだ」
心配はいらん、連れ出して来た御子は、情勢が一段落するまでこちらで手厚く養う手はずがととのっていると里村は言った。
その里村を、文四郎は正面から見返した。
「なぜ、それがしに?」
「そのことだ、牧文四郎」
里村は肱をついていた机から身体を起こして、文四郎を見た。
「殿ご寵愛のお福さまは、そなたの旧知だそうだな。隣家の娘だったそうではないか」
「……」
「御子を連れ出して来る一件で、血は流したくない。はばかりあることだからな。そこでそなたに白羽の矢が立ったのだ。そなたならお福さまを説得して、赤ん坊を預かって来られるのではないかと進言する者がいる」
「旧知と申しましても、むかしの話です。お福さまがそれがしの説得を聞きいれるとは思えません」
と言ったとき、文四郎は突然に胸が高い動悸《どうき》を打つのを感じた。事の成否はともかく、この命令をうけいれればひさしぶりにお福に会えるらしいと思ったのである。
注意深い眼で文四郎を見ていた里村が、しかし赤の他人よりはましだろうと言った。
「御殿にはお福さまを護《まも》る男たちが、二、三人いるらしい。その男たちも、そなたが名乗れば門の戸をあけるかも知れぬ」
「それがしより、もっと適任の人間がおります」
「誰のことだ」
「小柳甚兵衛どの」
「甚兵衛はだめだ」
里村はにべもなく言った。
「申したような事情でわれわれものんびり構えてはおれぬ、いざとなれば荒療治をほどこしても、御子はこちらの手におさめなければならん。それもそなたを選んだ理由だ」
里村は本性を現したように、苛立《いらだ》った声を出した。文四郎が甚兵衛の名前を出したのが癇《かん》にさわったようにも見えた。
「人選は終わって、その役目はそなたが適任と決まっている。これは、藩命だ」
「……」
「それとも藩命にさからうか」
「いえ、めっそうもありません」
「そうだろうな。そなたには貸しがある」
と里村が言った。
「藩法に照らし、牧の家はつぶしてしかるべしという声が多かったのを、あのときはここにおられる稲垣さまがそなたに救いの手をのべられたのだ。きわどいことだったのを知らぬわけでもあるまい」
やはり家老は、あのときおれに幸運をあたえ過ぎたのに気づいて、いつかは貸しを取り立てるつもりでいたらしいと文四郎は思った。
文四郎は低く頭を下げ、仰せのこと、たしかにうけたまわりましたと言った。顔を上げて文四郎は稲垣を見た。稲垣はまだ微笑して文四郎を見ていた。
二
文四郎は、いざという場合にそなえてあと二人の手伝いが要ること、決行までに二日の猶予をもらいたいことを里村に申し入れ、承認されるとすぐに家老屋敷を出た。
空に、来るときには見えなかった半月がかかっていて、そのぼんやりした光に馬場前の構えの大きい家々がうかび上がっていたが、道に人の姿は見えなかった。
──里村家老の話は……。
でたらめだ、と文四郎は思っていた。
お福の生んだ子に、横山派が食指を動かしているなどという話は信じられなかった。かりにそうだとして子供を奪っても、里村が言ったような密告を藩主が信じなければ話はおしまいである。欅御殿を襲い、子供をさらったことだけが横山派の失点として残ることになるだろう。
まして文四郎の聞いている限りでは、横山派は近ごろ押し気味の情勢で、奪った子供を殺して稲垣、里村派に罪を着せるような危険を冒さなければならない理由があるとは思えなかった。この話は、横山派にとって危険が大きいわりには利益が少なすぎる。
逆に、稲垣、里村派の立場に立てば、この話には多少の危険を冒してもお釣りが来るほどの利がふくまれているはずだ、と文四郎は考えている。里村は文四郎に子供をさらわせ、わが手でその子の首をひねるつもりでいるのかも知れなかった。将来藩主の溺愛《できあい》が予想される男子を闇から闇に葬ることは、おふねと志摩守、ひいては稲垣、里村派の利益に合致するはずである。ひょっとしたら江戸にいるおふねから、もうそのたぐいの指令がとどいていることも考えられよう。
むろん自分たちの手でそれをやったことが知れては、藩主の激怒を防げない。そしていくら権力に傲《おご》り、藩主を軽くみているといっても、そうなることはさすがに彼らもこわいのだ。だからおれを道具に使おうというわけだろう。そのための真っ赤な嘘なのだという推測は文四郎にもついた。
──おれにやらせて……。
そのあとをどうするつもりかと、文四郎は推測をすすめてみる。考えられるのは赤ん坊もろとも文四郎を消して、事件があたかも横山派の使嗾《しそう》によるもののように言い触らす手である。わが派を陥れるために横山派がやらせた、赤ん坊を殺害した犯人はわが派がすでに討ちとめたと。
──信じる者がいるだろうか。
犯人がもと横山派の牧助左衛門の子である分だけ、その話を信じる者、または半信半疑の者は出て来るだろう。父子二代にわたる藩に対する反逆者というわけである。
中でも藩主が信じれば、志摩守の身分は安定し、横山派はいっぺんに勢いをそがれ、稲垣、里村派にとっては一挙両得の結果となるだろう。
文四郎の胸に怒りが動いた。思うままに弄《もてあそ》ばれてたまるかと思っていた。
だがこのとき、文四郎の脳裏に里村家老と同席しながらついに一語も発せず、終始不可解な笑顔で自分を見ていた稲垣忠兵衛の姿がうかんだ。あの笑いは何だったのかと思ったとき、文四郎は怒りとはべつに背筋につめたいものが走るのを感じた。
名案だが、誰にやらせるかが問題だと稲垣が言ったかも知れない。それに答えて里村家老が、牧文四郎が適任です、牧の家を残すことにはずいぶん異論もあったことを思い出していただきたい、あれはいずれわれわれに歯むかう男です、このあたりで使い捨てに使い切りましょうと言う。あり得るその想像がはこんで来たのは恐怖だった。文四郎は、権力のひややかな意志に手を触れてしまったうす気味わるさを感じている。
最後に文四郎が座を立ったとき、机のむこうから里村が、首尾よくやったら取り立ててやるぞと声をかけて来たのも文四郎は思い出した。それも嘘だろう。稲垣の笑いも無気味だったが家老の嘘も無気味だと思いながら、文四郎はそのとき危うく小和田逸平の家の前を通りすぎるところなのに気づいた。もどって門を入ると、戸を叩いて訪いをいれた。
三
「おう、どうした」
年寄りの下男がひっこむと、すぐに逸平が出て来てそう言った。
「夜分遅くなって済まんが、ちと相談したいことがある」
「上がれ、上がれ」
と逸平は言ったが、与之助が来ているがかまわんだろうなと言った。
「おまえの家に行ったら留守だったので、こっちに回って来たと言っている」
「いや、かまわん。かえって好都合だったかも知れん」
と文四郎は言った。
逸平は文四郎を奥の客間に通した。逸平が妻子持ちになって、むかしのようにずかずかと居間に通るというわけにはいかなくなっている。客間に島崎与之助がいた。
「ご家老に呼ばれたそうだな」
「その帰りだ」
「何の用だった」
「そのことで話があって寄ったのだ」
「おれがいてもかまわん話か」
「むろん、かまわん。知恵を借りたい。逸平にもちょうどよかったと言ったところだ」
一度居間の方に行った逸平がもどって来たので、文四郎は今夜家老屋敷であったことを洗いざらい話した。そして最後に、この話をどう思うかと言った。
逸平の顔にも与之助の顔にも、疑いと困惑の表情がうかんでいる。長い沈黙のあとで、逸平が言った。
「罠だ」
「ちょっと待て、速断はまずい」
と与之助が言った。
「ご家老は、うまく行けば取り立てると言ったのだな」
「そんなのはおためごかしに決まっている。信用ならん」
と逸平が言った。
「待った。そう決めつける前に、横山派には打撃になっても文四郎は無傷で済むということがあるかどうか、考えてみよう」
与之助は腕を組んで考えに沈んだが、やがて顔を上げると首を振った。
「いかんな。子供を連れ出すと、あとはどうやっても文四郎の立場は不利を免れないようだ。ご家老が言う横山派の陰謀なるものが実在すれば話はべつだが、逸平の言うとおりこの話はうさんくさい」
「九分九厘、横山家老がそんな無理をするとは思えん」
文四郎が言うと、逸平がうなるような声を出した。
「罠だ。何だかわけはわからんが、これは文四郎を罠にはめようという話だ」
「およそのわけはわかっている。おれの推測を言おう」
文四郎は、家老屋敷からもどる道みち考えたことを話した。
「そういうわけで、これは彼らにとって一挙両得の謀計だと思う」
「すると文四郎に白羽の矢を立てたのは……」
と与之助が言った。
「横山派とのつながりを念頭においたというわけだな」
「ほかにもおれを使う利点はあるだろう」
文四郎は考え考え言った。
「たとえばおれとお福さまは旧知だ。このかかわりあいを使えば、里村派は自分たちが関与した痕跡《こんせき》を一切残さずに、子供を外につれ出せるというのも狙《ねら》いのひとつ。それに、おれは少々剣が出来るからいざというときの荒仕事もこなすだろうということも計算している。最後にこの命令をおれはことわれぬ」
「ことわれない?」
与之助はまじまじと文四郎を見た。
「なぜだ? 藩命といえども、いやなら一応の異議申し立てはやるべきだ」
「文四郎には、それは出来ん」
と逸平が言った。ずっとそばで見て来ただけに、そのあたりの察しは逸平の方がはやかった。
「ことわれば、彼らは家を潰すと脅しをかけるつもりだ」
「もう脅された」
と文四郎は言った。
「逃げ道はない。それにもしおれが家名断絶を覚悟でことわったとするか。その場合は、今度は里村派が御殿の襲撃を強行するおそれがある。そうなると子供はむろん、お福さまも助からんだろう」
「しかし、やれば貴様の命取りだぞ」
逸平が言った。
「どうするつもりだ」
「むざむざ罠にはまるつもりはない」
と文四郎は言った。
逸平も与之助も無言で文四郎を見ている。その顔に、文四郎はうなずいてみせた。
「お福さまから子供を受け取ったら、おれはその足で横山さまのお屋敷に駆けこむ。そして洗いざらい事情を打ち明けようと思う」
「ほう」
二人が同時に言った。
「藩主の御子が動かぬ証拠だ。ご家老はおれの話を信用するだろう。つまり横山派に身を投じるわけだが、これよりほかに助かる道はなさそうだ」
「名案だ」
「その手しかあるまい」
逸平と与之助は口ぐちに言った。決行まで二日の猶予をもらってある、と文四郎が言った。
「いきなり子供を持ちこまれても、横山さまがおどろくかも知れんから、その二日の間に出来れば連絡をつけるつもりだ。もっともその二日は、おれに見張りがつけられるかも知れぬ。その時は横山さまのお屋敷に近づくのは無理だろう」
待てよ、と与之助が言った。
「決行はしあさっての夜ということだな」
「そうだ」
「横山家老は明日北浦に出かけるぞ。分校の神事に出席されるのだ」
北浦は商港としてにぎわう港町で、藩はそこに陣屋を置き、三省館の分校も置いている。
「もどりは?」
「明後日の夜になるはずだ」
文四郎はほっとした。決行の夜には間にあうことになる。
「すると、事前の連絡は無理だな」
「かえってその方がよくはないか」
と逸平が言った。
「横山派に近づいていると見抜かれたら、それでおしまいだ」
「わかった。ぶっつけで行く」
文四郎は言い、あとは助太刀の二人を誰にするかだと言って事情を説明した。与之助がもじもじと身体を動かした。
「おれは役に立たんぞ。除外してくれ」
「おれが行こうか」
と逸平の方は言った。
「しかし、あまり迷惑はかけられん」
「といっても、事情を知らぬ者を雇っても役には立つまい」
「それはそうだが」
「むこうで、危険がありそうか」
「一人だけ、問答無用という感じの男がいるが、話し合えば何とかなるだろう」
「それじゃ、命に別条はなさそうじゃないか。いいよ、おれが行こう」
「済まんな」
「あと一人を誰にするな?」
逸平は出来事をたのしんでいるような言い方をした。布施鶴之助なら、事情を打ち明ければ同行してくれるかも知れないと、文四郎は言った。
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逆 転
一
曇りで、夜空には星も見えなかった。三人は五ツ(午後八時)過ぎに、金井村のはずれの欅御殿に着いた。橋をわたったところで提灯を持つ布施鶴之助が一歩うしろにさがり、文四郎と逸平が前に出た。
「おたのみ申す」
二人はかわるがわる声を張って、門の内に呼びかけた。それだけでは不十分かと思い、夜分おそれいるが急用があって参った、お通しいただきたいと呼ばわってみたが、門の背後は真暗で物音ひとつ聞こえなかった。
文四郎はこころみに門扉《もんぴ》を押してみたが、樫《かし》で出来ている扉は厚く堅牢な手ごたえを伝えるだけで、びくとも動かなかった。
「それがしがかわりましょう」
いい加減呼ばわる声もくたびれたころに、布施が言って前に出て来た。そして急用でございます。どなたかお出会いめされたいと叫んだ。すると布施のその声がとどいたものか、門の奥で物音がし、やがて扉の上にかすかな明かりが射した。
その明かりはだんだん近づいて来て、門の内側にある木々の枝を照らし出し、やがて人の足音も聞こえて来た。足音がとまり、門のむこうから声が聞こえた。
「ここは人の立ち寄る場所ではないが、急用とは何か」
その声に文四郎は聞きおぼえがあった。小川のそばで会った中年の武士である。言葉は江戸弁だが、いまも緊張は感じられずやわらかく聞こえた。
「お福さまに、急用あって牧文四郎がお目にかかりに来たとお伝えねがいたい」
「牧文四郎……」
と言って、内側の声はふと沈黙した。
「しかし、貴公一人ではないらしいな」
「友人二人を同行しております。その一人は小和田逸平、その名前もお福さまはご存じのはずです」
「しかし、牧文四郎である証拠は?」
「去年のいまごろ、それがしは当お屋敷の外で貴殿にお目にかかっております。その節、たしか郷村出役牧文四郎と名乗ったはず……」
「……」
「思い出してもらえたのではあるまいか。その折に見たそれがしの様子をお福さまにお伝えいただけば、本物の牧か否かは判明いたしましょう」
「暫時《ざんじ》待たれよ」
内側の声が言い、明かりと足音が遠ざかった。そのまま光も物音も絶えて、屋敷内はまた静まり返ってしまった。
「開けるかな」
と逸平が言った。そして急に臆病風に吹かれたように、開けなければ開けないでいいんだと言った。
「だめでしたと言えばいいんだからな。おぬしもそれで安泰だ」
「ここまで来て弱音を吐くな」
と文四郎が言った。
扉のむこうに灯のいろと足音が近づき、やがて錠を解く音がした。藩主の別荘は厳重に警固されていたようである。
きしみながら扉があき、いつかの中年の武士が三人をむかえた。一歩さがって提灯を持っているのは、やはり以前に見た若い武士である。中年の武士は若い男から提灯を受け取って掲げ、文四郎の顔をたしかめてから一礼してお通りあれと言った。
「お福さまがお会いになるそうです」
文四郎はうしろの二人に合図して、門の内に入った。中年の武士が提灯を持って先に立ち、若い武士は扉をしめるためにあとに残った。
幅一間ほどの道が、門から奥の方に斜めにのびていた。左右は太い欅の幹である。歩いて行くと、欅の樹皮が提灯の光を照り返すのが見えた。
すぐに前方にあかるい灯のいろが見えて来た。そこが御殿屋敷なのだろう。建物の中には煌々《こうこう》と灯がともり、どの窓も黄色く光っている。文四郎はにわかに胸がさわぎ立つのを感じた。
──五年ぶりか。
と思った。ふくがお福さまに変わり、その変貌はどのようなものかと思ったのである。胸をときめかせているのは、疑いもなく再会の喜びだった。しかし文四郎は、気持ちのどこかでふくの変貌を恐れてもいた。
ひろびろとした玄関に入ると、そこには二十過ぎほどに見える女が手燭《てしよく》を持って出迎えていた。武家ではなく町方の女に見えたが、垢抜《あかぬ》けした容姿からみて、この女が青柳町の信夫屋に現れた当人かとも思われた。文四郎たち三人は、中年の武士とその女にみちびかれて建物の奥に入って行った。
案内の男女は、灯影が洩れる部屋の外まで行くと、襖の外に跪《ひざまず》いて中に声をかけた。部屋の中から低い応答の声があって、文四郎たちはつぎにまぶしいほどにあかるい部屋の内に招き入れられた。
「文四郎どの、お顔を上げてください」
正面の席で声がした。臆したような低い声だったが、言葉ははっきり聞こえた。大人の声に変わってはいるが、それはやはりふくの声である。
その声がつづけて言った。
「おひさしゅうございましたな」
「御方さまもお変わりなく……」
文四郎は顔を上げた。するとそこにふくが坐っていた。ふくは想像したようなきらびやかな打掛を羽織ることもなく、武家の女房ふうの簡素な姿をしていた。そしてすっきりと頬が痩せて、化粧のせいか伝え聞く苦労のせいか別人のように凄艶《せいえん》な顔に変わっているものの、よくみれば細くて黒眼だけのような眼、小さな口もとは紛れもなくふくだった。
文四郎は熱いものがこみ上げて来て、胸がつまるように思いながらつづけた。
「御健勝の様子にて、何よりと存じます」
「堅くるしい挨拶はこのぐらいにしましょう」
とふくは言った。声がやわらかく笑いをふくんだように聞こえ、文四郎はふくの方が自分よりも冷静なのを感じた。
おもかげはむかしのふくでも、眼の前の女性は一児の母親で、お福さまでもあるのを忘れてはならん、と文四郎が自分をいましめたとき、そのお福さまが言った。
「おかあさまは変わりありませんか」
「は、いささか年寄りましたが丈夫でおります」
「文四郎どのが、こうしてわたくしと会うことを知っておられますか」
「いや、今夜は内密の用で母には話しておりません」
「おせつさまにもですか」
「……」
「お子はまだだそうですね」
ふくは矢つぎばやに言ったが、文四郎が顔に戸惑いのいろをうかべると気弱そうに微笑し、ついでその微笑も消した。
ふくは少し固い口調にもどって言った。
「では、内密のご用というものをうかがいましょうか」
「少々異なお願いを申し上げます。おどろきめされぬように」
文四郎は言って、欅御殿をたずねて来た用件を話した。話は稲垣、里村派の陰謀である懸念が強いので、まっすぐに横山屋敷に駆けこむつもりでいることも残らず話した。
「それがしと、同行の小和田、布施を信頼して、御子をお預けねがえまいか」
「……」
「御おどろきはごもっともです」
文四郎はお福の顔から血の気が引いたのを見て、そう言った。
「むろん、そのようなことは論外と申されれば、われわれは黙って引き返すしかありません。しかしそうなりますと、彼らは今度は強引に当御殿を襲って来ることが考えられますので、お預けいただくのが一番の安全策ではないかと愚考した次第ですが……」
「磯貝、いかがするぞ」
とお福が言って中年の武士を見た。中年の武士はお福に一礼してから文四郎に身体をむけ、定府の磯貝|主計《かずえ》という者だと名乗った。
「ことわった場合、里村家老が人を動かしてここを襲うかも知れないというお考えには、何か根拠でも?」
「いえ、根拠はありません」
と文四郎は言った。
「しかし、われわれの一致した考えです」
「ふうむ」
磯貝は膝に手を置いたまま、文四郎を凝視した。そして吐息をひとつ洩らして言った。
「本来なら根も葉もない妄説を持ちこまれては困ると、断固お引きとりねがうところだが……」
磯貝は、文四郎を凝視したまま言った。
「殿も、里村家老を警戒しろと申された」
「すると、殿もかの方々をお疑いで?」
「さよう。さればこそそれがしと北村がこうして当屋敷を護っておる」
磯貝は、しかしだからといってそこもとたちを丸ごと信用も出来かねる、と言った。
「たとえば横山屋敷に、それがしかまたはここにいるおみちどの……」
と言って、磯貝はそばにいる女を振りむいた。
「われわれのどちらか一人でも、御子の供して参るということなら話はべつだ」
「それはかまわぬかと思います」
磯貝は、今度はお福に身体をむけた。
「以前にもご報告しましたように、当屋敷がたびたび人にさぐり見られているのは事実です」
「それは聞きました」
「でありますから、この男たちの言う当屋敷に危険が迫っているという話も、信じねばなりますまい。とすれば手薄のところを襲われるよりは、この機会に御子を……」
磯貝がそこまで言ったとき、突然に外の方で重い物が倒れるような物音がした。つづいて鋭い叫び声が上がり、その声に紛れもなく刀を打ち合う音がまじった。
その物音に、女二人をのぞく男たちは一斉に膝を立てた。すると部屋の外に人が走って来る足音がひびき、北村と思われる男の声が叫んだ。
「ご油断めさるな、磯貝どの。狼藉《ろうぜき》者が多数お屋敷に侵入してござるぞ。中の者も……」
そこまで言ったとき声がとぎれ、またはげしく刀を打ち合わせる音がひびいた。足音が遠くなり、北村がまた叫んだ。
「そこにいる者たちも、おそらくは一味。ご油断めさるな」
その声を聞くと、磯貝が刀をつかんですっと立ち上がった。つづいて部屋の中の者が総立ちになったが、文四郎は手を上げて磯貝を制した。
「われわれはお福さまのお味方だ。この一事をお疑いいただいては困る」
「磯貝、文四郎どのの言うとおりじゃ」
とお福が言った。
「では、どうする?」
磯貝が言ったとき、今度は遠い玄関の方で物を打ち破るような物音がした。侵入者は家の中まで入りこんで来たようである。
「金井村に藤次郎という家がある」
文四郎は、逸平にあわただしく指示した。
「お福さまと御子、おみちどのをそこまで案内してくれ。かくまってくれるはずだ。おれはあとから行く」
文四郎は磯貝を振りむいた。
「裏門から、いま申した四人を出してもらいたい。それまでは、狼藉者はわれわれが防ぐ」
「襲って来たのは何者か」
「わからぬ、いそいでくれ」
文四郎が言ったとき、玄関の方で人の悲鳴が聞こえ、つづいて廊下を走る足音がした。
二
近づいて来るのは、大勢の足音である。女二人を守るようにして、逸平と磯貝が奥の方に姿を消すのを見とどけてから、文四郎は刀の下げ緒をはずして、すばやく襷をかけた。
「さあ、来たぞ」
文四郎は、同じように襷をかけている布施鶴之助に声をかけた。
「あわてずに行こう。部屋の中の戦だから、あわてるとまずい」
「相手の見当はつかんのか」
と布施が言った。布施は少し眼が吊り上がっているが、声は落ちついていた。
「横山派かも知れん」
文四郎は燭台を部屋の隅に移した。
「横山派なら話し合う余地はある」
文四郎がそう言ったとき、つぎつぎと部屋の襖をあけながら近づいて来た侵入者たちが、ついに二人のいる部屋に躍りこんで来た。
布で顔をつつんだ男たちである。五人いた。男たちはすべて抜身の刀を右手に下げ、血がしたたる刀をにぎっている者もいた。北村かあるいはほかに雇い人が斬られたのだ。部屋の中に血の匂いが入りこんで来た。
「お妾どのは、どこかな」
と一人が言った。
「案内はたのめぬだろうが、じゃまはせんでもらいたい」
そう言った長身の男の声に、文四郎はおぼえがあった。青木孫蔵にむかって、反逆と見做《みな》すといった声である。村上七郎右衛門だった。
「気をつけろ」
文四郎は布施に警告した。総毛立つような緊張にとらえられていた。子供と一緒に文四郎も抹殺してしまうなどという話ではなく、里村家老ははじめからみな殺しを考えていたにちがいないと気づいたのである。
文四郎を欅御殿に乗りこませ、そこを襲って文四郎と御殿の人間をみな殺しにする。罪は文四郎一人に着せ、あとでそれとなく横山派の使嗾《しそう》を匂わせる。反対派がわが派に罪を着せるために、文四郎を使って御子を奪わせようとしたが、護衛の者と斬り合いになって相討ちに倒れたと言えばいいのだ。
里村は文四郎から、小和田逸平と布施鶴之助が同行すると報告を受けたが、彼らの計画を変更する気はなかったらしい。小和田逸平は衆人環視の中で里村派の勧誘をことわった男であり、布施は布施で横山派だった矢田作之丞の縁につながっているからか。
「話し合いの余地は消えた」
「わかった」
と布施が言った。文四郎のその言い方で、相手が横山派ではなく里村派だと理解したらしかった。
闘志を掻《か》き立てられたように、布施が刀を抜いた。それをみて、村上七郎右衛門の横にいた男が、いきなり布施に斬りかかった。俊敏な動きだった。そして男は少し窮屈そうだったが八双の剣を遣った。
布施鶴之助がはっしとその刀を受けとめ、鋭い金属音がひびきわたったのをきっかけに、覆面の男たちは一斉に斬りかかって来た。
しかし部屋がひろいといっても屋内のことである。動きはどうしても窮屈になり、刀は相手の身体にとどかなかった。村上が連れて来た男たちも、なかなかの遣い手ぞろいのように見えたが、しばらくは双方ともに手さぐりのような動きがつづいた。
そのために奥にすすむのを阻まれているのに苛立ったのか、しりぞいて廊下に出た村上が、いきなり雨戸を蹴倒した。
「表に出ろ」
そうどなったのは、敵味方双方に言ったつもりだったのだろう。村上は自分からぱっと外に飛び出した。
男たちにつづいて、文四郎も布施も外に飛んだ。みな殺しをかけて来たと悟ったときは、憤怒で身体が熱くなったが、その怒りはさめて、文四郎は冷静に状況を見きわめようとしていた。裏口に回った磯貝主計がもどって来るまでは、眼の前にいる男たちを拘束しておく必要があった。一人でも、ふくや子供のあとを追わせてはならない。
──この男たちだけか。
ほかに討手はいないかと思いながら、文四郎は取りかこむように二人に刀をむけている男たちの頭越しに、遠く眼をくばった。
すると、門の方角にちらちらと灯のいろがちらつくのが見えた。北村と呼ばれた若い男はやはり斬られてしまったらしく、刀を打ち合わせる音は聞こえない。とすれば、門の方に見える灯は、村上たちが退路を確保するために門のあたりに残して来た仲間である公算が強い。
──村に入るためには……。
門前の道を通らなければならない。磯貝はそのことに気づいたろうかと文四郎が思ったとき、遠くから人の悲鳴が聞こえ、門の方角に見える灯のいろがはげしく揺れた。異変が起きたのだ。
そのことは文四郎とむかい合っている男たちにもわかったらしく、鋭い私語を投げ合うと、今度ははげしく左右に動きはじめた。そして一人、二人と斬りかかって来た。表の異変は彼らの予想になかったことだったらしく、その不安が勝負をいそがせるのか、斬りこんで来る刀がわずかにうわずる。
文四郎は、正面から斬りこんで来た男の懐に入るように体をかわした。そしてすれちがいざまに鋭く袈裟《けさ》斬りの剣を遣った。黒い人影がよろめいて家のなかから流れ出ている光を横切り、暗がりに倒れこんで行った。肩に深手を負ったはずである。
すばやく村上七郎右衛門が前に回りこんで来た。刀を構えて文四郎を押さえながら、村上が叱咤《しつた》した。
「あわてるな、敵は二人だ」
しかし、村上がそう言ったとき村上の背後に乱れた足音がひびき人影があらわれた。
三
屋敷のなかから洩れる光の中にうかび上がったのは、白刃をにぎった覆面の男たちである。三人か、と文四郎が人数をたしかめたとき、男たちのうしろから磯貝主計が姿を現した。磯貝は白刃を片手にさげたまま、ゆっくりと庭に入って来た。
振りむかなくとも、およその状況は村上にも読めたらしい。村上は構えていた剣をするすると上段に上げた。そして一気に殺到して来た。おそらくけりをつけるつもりだったにちがいない。
村上の打ちこみには疾風の勢いがあり、剣先は鋭く文四郎の脇腹にのびて来た。熱くきなくさい風に襲われたような感触につつまれながら、文四郎は村上の剣を受け流してすれちがった。そして振りむいて再度打ち合ったときには、文四郎の八双の剣がわずかに速さで勝った。村上はかわしたものの二の腕をざくりと斬られてよろめいた。
そのとき文四郎の眼は、表の方から磯貝に追われて来た男たちが、無言で自分に斬りかかって来るのと、布施鶴之助が相手の打ちこみをかわしそこねて、大きく体勢を崩すのを同時に見た。片膝をつきそうになった布施にむかって、相手の男はすばやく剣を八双に引き上げた。
そのとき文四郎には、布施と斬り合っている男が誰かが一度にわかった。黒い布に顔をつつんでいるのは犬飼兵馬である。布施が押されているのも無理はない。
「かわるぞ、布施」
文四郎はどなった。右手から斬りかかって来た男の剣をはね上げると、すばやく布施と兵馬の間に割って入った。
はたして布施の相手は兵馬だった。文四郎をむかえるとすばやくうしろにさがって、構えを改めた。石栗道場の剣癖とはほんの少しちがう、やや高い位置の八双の構え。構えると同時に、兵馬は片手で顔の布をむしり取った。そして走って来た。
一瞬にして距離が縮まり、二人は踏みこみながら剣をかわし合った。兵馬の剣がわずかに速かった。おそらく文四郎を斬り伏せたと思ったにちがいない、兵馬の口が笑い出すようにゆがんだ。だがつぎに兵馬は驚愕《きようがく》の眼をみひらいたまま地に膝を落とし、ついでがっくりと前にのめった。文四郎の剣に、深々と脇腹を斬られていた。
兵馬の剣をかわしたのは、秘剣村雨のなかの闇夜《あんや》一寸という受け技である。眼をつむっていても一寸の間を見切る技だった。しかし受けはしたものの、兵馬はその間隙を五分まで詰めて来た。剣先がのびたのは、やはり兵馬が非凡な遣い手だからである。
文四郎が兵馬を斬り伏せてしまったのは、やむを得ない剣士の本能からというべきものだったろう。文四郎の五体が、斬らなければ斬られる危険を察知したのである。
兵馬が斬られるのを見たのだろう。新たな敵が二人、どっと斬りかかって来た。文四郎は一人の剣をかわし、もう一人の剣を巻き落とした。そしてすばやくうしろにさがって斬り合いの様子をたしかめた。布施は大柄な男を相手にきびきびと動いていた。布施の方が押している。
そして磯貝主計は、二人の敵を相手に落ちついた剣を遣っていた。斬りこんで来る剣を軽々とかわし、剣を合わせて受け流し、そうかと思うと鋭く反撃して手傷を負わせている。あしらわれて、磯貝にむかっている二人は焦っていた。
「これまでだ」
不意に村上の大音がひびいた。村上は斬り合いから少しはなれた場所に立って、腕を手で押さえていた。文四郎に斬られた傷をかばっているのだろう。
「引きあげるぞ。気をつけろ」
村上の声を聞いて、文四郎に迫って来ていた二人の男も刀を引いた。村上七郎右衛門がしんがりにつき、男たちは手傷を負った者をかばいながら、欅の間の道に姿を消した。
あとに血の匂いと、地面に倒れている二つの身体が残った。文四郎は跪いてすばやく男たちの息をたしかめた。兵馬ももう一人の男も息絶えていた。
「表門のそばに……」
立ち上がった文四郎に、磯貝が言った。
「もう一人死んでいるはずだ」
「すると、全部で九人」
文四郎は言ったが、気持ちのどこかに気がかりなものが残った。人数が中途半端な気がしたせいだろう。それとも村上七郎右衛門は指揮者で、あと八人と考えるべきなのか。
「さあ、お福さまを追わぬと」
文四郎は言って、表門の方に歩き出した。布施と一緒について来る磯貝に言った。
「あなたも一緒に行きますか」
「むろんだ」
と磯貝は言い、ちらと暗い玄関の方を振りむいてからつづけた。
「後始末もあるが、お福さまと御子の安否をたしかめるのが先だ」
磯貝が、生死もはっきりしない北村と雇い人のことを言ったのだとわかった。文四郎と布施、磯貝の三人は、いそいで門をくぐり橋をわたって屋敷の外に出た。
「裏門には……」
と、文四郎が磯貝にただした。「敵の見張りはいなかったのですか」
さっき、ちらと心をかすめた敵方の人数についての不審がもどって来ている。なぜ九人なのだろう。十人ではなかったのだろうか。
「いなかったな」
と磯貝が言った。
「で、表に回って行くと三、四人の男がいたから、屋敷のなかに追いこんだのだ。その間に、お福さまは村の方にいそがれたはずだ」
小川に沿って行くと、ぼんやりと黒く村の入り口の木立が見えて来た。三人は立ちどまって、待ち伏せする敵がいないかとたしかめた。
四
敵の気配はなかった。いくらかしめっぽい夜気が、村をつつんでいるのが感じられるだけである。三人を失い、ほかに少なくとも三人は手傷を負っているはずの敵は、あきらめて城下に引きあげたかも知れなかった。そしてただ引きあげるだけなら、村とは反対側の北の方に行く野道が近道である。
文四郎が先頭に立ち、三人は少し距離をとって一列になったまま村に入った。そして何事もなく藤次郎の屋敷に着いた。
藤次郎の家はぴったりと戸を閉じ、外から見ると寝静まったように見えたが、文四郎が訪いをいれるとすぐに戸がひらき、なかからまぶしい灯のいろが洩れて来た。お福は無事に着いていて、文四郎の声を聞くと逸平と家の主の藤次郎が土間に出て来た。
「やつらはどうした」
と、逸平が言った。藤次郎に礼を言ってから、ひとまず追いはらったと文四郎は答えた。
「怪我はなかったか」
「布施もおれも怪我はしていないが、これからが大変だ」
文四郎は道々考えながら来たことを、手短かに話した。藤次郎を頼ったのはわるくない考えだったが、もし敵がそのことに気づいて、二番手の討手を繰り出して来たりすると悲惨なことになる。藤次郎にこの上の迷惑はかけられない。
だから今夜のうちに何としても城下にもぐりこみ、お福さまと御子を安全な場所に送りとどけなければならないだろうと、文四郎は言った。
「安全な場所というのは……」
逸平が言った。
「横山家老の屋敷だな」
「そうだ」
文四郎はうなずいた。
「ただし、金井村から城下に入る道は、残らず彼らの手で塞《ふさ》がれているとみなければならんだろう」
「そいつは厄介だ」
逸平が顔をしかめた。文四郎が振りむくと、布施も顔いろを曇らせている。
二人の気持ちは、文四郎にもよくわかった。二人は文四郎に頼まれて手伝いに加わり、あげくに布施は覆面の男たちと斬り合いまでしたが、それはいわば降りかかる火の粉をはらったのである。
しかし城下の入り口を固める藩の手勢にむかって斬りこみをかけるとなると、文四郎の手伝いの分際を大きく逸脱して、全面的に藩と対決する形になる。二人はそうなることを懸念しているのだった。
──当然だ。
と文四郎は思った。成り行きによっては、家を巻きこんで藩に対する反逆の汚名を着ることにもなりかねない。逸平も布施も、そこまで覚悟して文四郎に加勢したわけではない。
しかし、と静かな口調で磯貝が言った。
「ほかに手がなければ、斬り抜けるほかはあるまい」
「いや、それはちとむつかしい」
文四郎は磯貝に、逸平と布施の立場を説明した。
「強引に突破するとなれば、それがしと磯貝どのの二人でやるしかないが、どっちみち女子供連れでは少々無理」
「これはこれは、進退きわまったかな」
と磯貝が言うと、小和田逸平が思いあまったような表情で、おいと言った。
「部屋住みの布施はともかく、おれはいいぞ。一緒に行こう」
「いや、気持ちはありがたいが駄目だ」
文四郎がきっぱりと首を振ると、それまで無言だった藤次郎が口をはさんだ。
「御城下の出入り口を避ければいいわけですか」
「そうだが……」
「それなら、舟を使われてはいかがでしょう」
村はずれに出ると、五間川にかけられた橋がある。金井村と隣村の青畑村をむすぶ長平橋と呼ぶその橋の下に、一|艘《そう》の舟があるのだと藤次郎は言った。船頭は金井村の権六《ごんろく》という男で、権六はその舟で城下に青物をはこんだり、川の砂利を採ったりしている。人を乗せる船ではないが、二、三人の人間ならはこべるのではないか。
「もっとも、権六に聞いてみぬことにはわかりませんが……」
「それはいい考えです。その権六とやらに頼んでみてはくれまいか」
と文四郎は言った。閉ざされたと思った前途に、ひと筋の光を見た思いだった。
逸平と布施、お福の小間使いのおみちを残し、文四郎と磯貝、お福と子供の四人は、藤次郎と一緒に家を出て権六の家にむかった。逸平と布施は少し時を置いてから城下の出入り口まで行って、入れるようならそのまま町にもぐりこむし、警戒厳重な場合は無理せずに藤次郎の屋敷にもどり、夜明けを待つという相談が出来た。
船頭の権六はもう寝ていたが、藤次郎に呼び起こされるとすぐに外に出て来た。夜目にも屈強な身体つきがわかる大男だった。権六は人をはこぶことをあっさりと引き受けた。ただし、大人はあと二人しか乗れないというので、結局文四郎一人がお福と子供につき添うことになった。
橋の下につながれていたのは、平底の細長い砂利採り舟だった。権六のほかに、文四郎と子供を抱いたお福が乗りこむと、舟は心ぼそいほどに揺れた。提灯を持った文四郎が舳先《へさき》に坐り、そこまで見送って来た藤次郎と磯貝に手を上げて別れると、権六が巧みに竿《さお》を使って舟を中流に出した。
五間川は下流に行くと幅十間を越え、必ずしも名前のような小河川ではないが、金井村のあたりではまだ幅が狭かった。その上にかなりの水量があるにもかかわらず、あちこちに砂洲が頭を出しているのが見えた。だが権六は何の苦もなく舟を深みに乗せて行く。
「夜も漕《こ》ぐことがあるのか」
と文四郎が聞いた。
急病人を乗せて、何度か城下まで行ったことがあると権六は言った。
「もっとも、年がら年じゅうのぼりくだりしている川ですからな。眼つぶったって川筋はわかります」
「ほう、そういうものか」
「旦那さん、柳の曲がりを過ぎたら提灯は消しても構いませんよ」
と権六は言った。多分藤次郎から耳打ちされたのだろう。権六にも危険の在りかはわかっている様子だった。
その危険が眼に入って来たのは、権六の竿さばきを信用して提灯の火を消してから間もなくだった。赤々と燃えるかがり火が見えた。火は左に二カ所、右に一カ所で、方角から見て金井村、青畑村から城下に入る道を押さえていることがあきらかだった。
柳の曲がりを過ぎてから、流れはゆるやかに西北にむかい、舟は城下に近づいて行った。権六は舟を流れにまかせていた。時どきちゃぽと竿の音がするのは舟の方向を定めるのだろう。城下の端にあるかがり火は、権六にとって恰好の目印になっているようでもあった。しかしその火は、どんどん近づいて来てやがて舟の上までほのかに照らし出すほどに近くなった。
「伏せて」
文四郎はお福に警告した。自分も背をまるめて伏せた。権六がいそがしく竿を使っている。顔を上げると、舟は岸の灌木《かんぼく》の陰に入っていた。そのまま権六は舟を流して行く。
人声が聞こえて来た。罵《ののし》るような遠い声である。しかし舟は橋の下をくぐって市中に入った。そして声は次第にかすかになった。
「あやめ橋を知っているか」
身体を起こして、文四郎が言った。あやめ橋のあたりから陸に上がれば、横山屋敷まではひと走りの距離である。権六は知っていると答えた。
「そのあたりの荷揚げ場におろしてもらおう」
言いながら、文四郎は暗い両河岸を眺めた。河岸の道は灯のいろも見えず静まり返っている。どうやらうまく行ったようだと思ったとき、これから上がろうとする左側の岸に、ぽつりと提灯の灯が現れたのを見た。
「しッ」
権六を制して眼を凝らすと、灯は途中からいそぎ足に町の角を曲がって行った。提灯を持っていたのは武士で、三人だった。曲がったのはあやめ橋のそば、文四郎が舟から上がろうとしている岸のあたりである。
──少し、甘かったようだな。
文四郎は唇を噛んだ。三人が曲がって行ったのは横山家老の屋敷の方角である。当然横山屋敷も見張られていると考えるべきだったのだ。さて、いよいよ進退きわまったかと思ったとき、文四郎の脳裏にひょいとうかんで来た言葉があった。夜は眠らん人だから、いそぐこともあるまい。そう言ったのは師匠の石栗弥左衛門である。
五
あやめ橋からさらに橋二つ下流に行ったところで、文四郎は権六に命じて舟を荷揚げ場に着けさせた。
文四郎と、子供を抱いたお福が荷揚げ場の石畳に移り、そこから急な石段を河岸までのぼるのを、権六は舟をとめてじっと見つめている気配だった。そしてお福を河岸の道に引き上げた文四郎が権六の舟を振りむくと、舟はゆっくりと岸をはなれ、間もなく中流の闇に溶けこんで行った。
おそらく権六は舟の向きを上流に変えて遡行《そこう》し、今夜は途中の荷揚げ場に舟をつないで自身は陸に上がるのだと思われた。五間川は流れのゆるやかな川だが、それでも金井村に着くまでに三カ所ほどは急流があって、夜の間に川をのぼることは無理である。
文四郎は河岸の道に注意深く眼をくばり、人の気配がないのをたしかめてからお福の手をひいて河岸を横切った。二人が入った道は、加治織部正の屋敷がある代官町に通じる路地のひとつである。ここまで来れば大丈夫だと思い、文四郎はほっとひと息ついた。
「御子を、こちらにもらいましょう」
文四郎は立ちどまって、お福から子供を受け取った。うっかりすると取り落としそうになるほど、子供の身体は小さくてやわらかかった。そして舟に乗るころは目ざめてむずかっていた子供は、いまはぐっすりと眠っていた。
ふくの子供だ、と文四郎は思った。手の中の子供が藩主の血を引いていることはあまり考えなかった。子供の身体が伝える熱い体温も、お福の血の熱さのように思いなされた。
「加治織部正さまの名前を、お聞きになったことがありますか」
「いいえ」
二人は低い声をかわしながら、いそぎ足につぎの路地に曲がった。
「どなたでしょうか」
「殿の叔父さまにあたる方です」
「……」
「おそらく、そのお方がかくまってくれると思います」
「……」
「杉ノ森御殿という名前を聞いたことは?」
「ええ、名前だけは」
「いま、そこに行くところです」
「あ、そう言えば……」
お福があたりを見回す気配がした。
「このあたりは代官町ですか」
「そうです。いま、町に入ったところです」
二人は灯影ひとつ見えない屋敷町をすすんで行った。そしてややひろい道に出て、はるかな前方に鬱蒼《うつそう》としげる森の気配が立ち現れたのを感じたとき、突然に右手の屋敷の戸がからからと音してひらいた。あかるい光が庭から生け垣を越えて路上にのびて来た。
二人は足音をしのばせて屋敷の横を通りすぎた。うしろで咳《せき》ばらいの声がした。そして気がつくとお福が文四郎の手に縋《すが》っていた。
道がふたたび暗やみにもどっても、お福はすがった手をはなさなかった。文四郎は、父の遺骸をはこんで龍興寺から組屋敷にもどったとき、走って来て車を引いた昔のふくを思い出していた。おとなしい外見の内側に一点の強さを隠しているお福の性向が、いままた暗い道に立ち現れて来たようだった。
あのときもそうだったのだと、文四郎は江戸に行く前の夜に葺屋《ふきや》町の長屋をたずねて来たお福を思い出している。ただおとなしく、かよわいだけの娘に出来ることではない。それだけの強さを秘めていても、押し流されるほかはなかったお福の歳月が見えたように思い、文四郎は胸が熱くなった。
文四郎は一度お福の手を解くと、改めて自分から握りしめてやった。お福の手は汗ばんでいるようにしめっぽく、骨細だった。お福は文四郎に手をひかれると、ほとんどしなだれかかるように身を寄せて歩いた。お福の身体の香が、文四郎の鼻にとどいた。
「文四郎さん」
長い沈黙に堪えかねたように、ついにお福が文四郎の名前を呼んだ。か細くふるえる声に、文四郎はお福がいま何を訴えようとしているかを読み取った気がした。お福は多分、自分の身の上を通りすぎた理不尽な歳月のことを聞いてもらいたがっているのだ。
だがお福が切羽つまった声音で文四郎を呼んだとき、文四郎は背後にもうひとつの物の気配を聞いていた。塀に沿ってすべるように動いて来る物の気配……。
文四郎は立ちどまると、むき直ってお福の背を掻《か》き抱いた。むせるような肌の香とはげしい喘《あえ》ぎが文四郎をつつんだ。お福は文四郎の腕の中でふるえつづけている。片手に子供、片手にお福を抱き寄せたまま、文四郎は顔は動かさずに眼だけで背後の道をさぐった。はたして左後方の塀の下に、黒くうずくまっているものがある。石のように動かないが、それは人間だった。
──ふむ。
やはり十人目がいたのか、と文四郎は思っていた。うしろの闇にうずくまっているのは村上七郎右衛門が残した見届け役にちがいなかった。多分文四郎たちをつけて藤次郎の屋敷を突きとめ、つぎには橋まで行って文四郎たちが舟に乗るのをたしかめ、そのまま岸を走って舟を追って来たのだ。村上が余力を残して引きあげたのは、この用意があったからではないか。
──生かしてはおけぬ。
文四郎は、おそらくは探索の心得があると思われる、物のように動かない黒い人影をじっと見た。
藤次郎の家を突きとめ、お福の背を抱き寄せた文四郎を見、二人が杉ノ森御殿に入るのを見届けようとしている人間である。斬ってその男の口をふさぐしかない。
「つけられています」
文四郎はお福にささやいた。
ふるえがとまり、お福は身体を固くした。文四郎から胸をはなそうとした。だが文四郎は、そのお福を強い力で抱き寄せた。
「このままに」
いま、御子をわたすゆえ受け取ってもらいたい、と文四郎はお福の耳にささやいた。塀の下にうずくまっている男の眼には、男女が道ならぬ恋をささやき合っている姿と見えたかも知れない。
文四郎の身体が、地を這《は》うように走った。その一瞬前に、塀の下の男も鳥が飛び立つように暗い道に走り出ていた。はたして探索の心得のある男だったようである。獣のような勘をそなえ、走る足も速かった。
しかし、十間ほど疾走して文四郎は男に追いついた。一閃《いつせん》の抜き打ちの剣を振りおろしたとき、文四郎はほとんど男を追い抜こうとしていた。突きとばされたように、男の身体が倒れ、暗い地面を音立ててすべってからとまった。文四郎がもどってみると、男はまだ息をしていたが、その息はもうか細くなっていた。肩を斬り割られたはずである。濃い血の匂いがした。
男は苦痛の声を洩らさなかった。そして呼吸が次第に消えて行くのがわかった。文四郎は手さぐりに男の頸《くび》をさぐり、血脈を断った。お福と抱き合った姿を見た人間を生かしておくことは出来なかった。
もとの場所にもどると、子供を抱いたお福がうなだれて立っていたが、文四郎を見ると、はっと顔を上げた。
「片づき申した」
文四郎はそれだけ言うと、また子供を受け取り、お福の手をひいて歩き出した。手をひかれるのをお福は拒まなかったが、さっきのように身体を寄せては来なかった。もっとも、加治屋敷の高い門が、そびえるように闇に立ちはだかっているのがもう見えていた。
文四郎の手短かな説明と頼みを聞くと、加治織部正は無造作にうなずいた。
「よろしい。わしがかくまって進ぜよう。まかせろ」
「よしなに、お頼み申しまする」
とお福が言った。お福は落ちついていた。軽い辞儀と低いがしっかりした声音には、そこはかとない威厳までそなわり、お福は織部正を恐れてはいなかった。
暗い路上で息を乱したお福のおもかげはなく、文四郎はお福が藩主の寵めでたい一人の側妾にもどったのを感じた。文四郎は二人にむかって、帰らせてもらうと言った。
「家にもどるか」
「はい」
「それがよい。横山にはわしから使いをやろう」
「ありがたいお取りはからいです」
「軽挙妄動をつつしめ。横山から使いが行くまで、じっとしているがよい」
加治織部正は懸念ありげにそう言った。織部正のその言葉の意味を理解したのは、屋敷を出て暗い路上をしばらく歩いたあとだった。
六
斬り倒した男の遺骸は、もう片づけられていた。文四郎の話を聞いた織部正が、屋敷の者に命じて引き取らせたのである。しかし、まだ濃い血の匂いが残っていた。
その場所を通りすぎたとき、文四郎の胸にもどって来たものがある。里村家老に対する怒りだった。
──よくも罠《わな》にはめてくれたな。
と思っていた。自分を死地に追いやるために里村家老が弄《もてあそ》んだ言葉の数々と、それを黙って聞いていた元中老のうす笑いを思い出すと、文四郎の気持ちは怒りで煮えくり返るようになった。
その上、無益に人が死んでいった。犬飼兵馬、ほかに二人の襲撃側の死者、護衛の北村なにがし、そしていま探索の男が一人。
──いや、それだけではない。
青木孫蔵、矢田の未亡人の死も、煎《せん》じつめれば里村家老の采配《さいはい》の犠牲とみるべきだろう。そこまで考えたとき、文四郎の胸は多年鬱積するままにして来た憤りを解き放ちたい衝動のために、大きく喘いだ。眼がくらむような怒りのなかで、文四郎は里村家老にひと言物申すべきときかと思った。
軽挙妄動をつつしめという織部正の忠告を理解したのはそのときだったが、文四郎の気持ちは押さえがきかなくなっていた。河岸の道にはむかわず、山吹町から城の濠《ほり》端を抜け、馬場前に出る道をいそいだ。
今夜のようにあちこちに人を動かしている家老屋敷がまったくの無防備とは思えず、行けば護衛の人間と衝突する危険が考えられたが、文四郎はそのときは防備を踏み破るまでというほどの気持ちになっていた。手負いの獣のように暗い憤りを抱えて、文四郎は夜の町を歩いた。
はたして里村家老の屋敷は、正門がひらかれて門内にはかがり火が焚《た》かれていた。襷、鉢巻に身を固めた人間がちらほらと動き、火明かりは道の上までのびている。
その様子を、文四郎は門の外からしばらく眺めた。そして刀の鯉口を切ると静かに門をくぐった。火のそばには十人近い襷、鉢巻の男たちがいて、里村は里村なりに、十分に支度をととのえて横山派に勝負を仕かけたことが感じ取れた。人数のうちの三人ほどは、樽《たる》に腰かけて握り飯を喰っている。そして男たちは最初、文四郎を見ても何も言わなかった。
声をかけて来たのは、文四郎が男たちの前を通りすぎ、玄関に近づいたときである。
「どこへ行く」
「ご家老に用があって参った」
「おい、ちょっと待て」
声はさらに咎《とが》め、文四郎が振りむくと一人が驚愕《きようがく》した声で、おい牧だぞと言った。その声で男たちがどっと駆け寄って来るのを、文四郎は手を上げて制した。
「お静かにねがいたい。怨みも何もない貴公たちに怪我はさせたくない」
だが、男たちはじわりと間を詰めて来た。
「ご家老にお話があるだけで、手荒な真似はせぬ。このままお待ちねがいたい」
文四郎はさらに言ったが、男たちは表情を険しくしただけだった。
そして一人が文四郎のうしろに走りこんで、退路を断とうとした。身体を回して文四郎が阻むと、小柄で敏捷《びんしよう》そうな身体つきの男は、いきなり抜き打ちをかけて来た。だが、その瞬間に文四郎も抜き合わせ、男の身体は弾かれたように玄関わきの植え込みまで飛んだ。
「斬ってはおらぬ」
刀を鞘《さや》におさめながら、文四郎は倒れた男を指さした。
「介抱してやってくれ」
ほかの男たちは、刀の柄《つか》に手をやったまま棒立ちになっていた。眼にもとまらぬ文四郎の太刀さばきに畏怖《いふ》を感じた様子である。文四郎が背をむけて玄関に入っても、あとを追って来る者はいなかった。
だが玄関に入ると、家士と思われる中年の武士が文四郎を阻止した。玄関先のいまの出来事を見ていたらしく、家士は式台の上で芝居のように両手をひろげた。
「入ってはならんぞ」
「……」
「ご家老さまはお会いにならん」
文四郎は無言のまま、藤次郎にもらった草履を脱ぎ捨てた。式台に上がると、組みついて来た家士の鳩尾《みずおち》を当て身のこぶしで殴った。そして崩れかかって来た身体を寝かせると、勝手が知れている里村家老の居間の在り場所を目ざして、奥に入って行った。
じゃまする者は誰もなく、文四郎はやすやすと家老の居間にたどりついた。途中どこからか女が笑う声が聞こえただけで、家老屋敷は静かだった。
襖《ふすま》をあけると、机にむかっていた里村家老が顔を上げて文四郎を見た。ほかに誰かいると厄介だと思ったが、家老は一人だった。こまかい書類でも見ていたらしい。里村家老は眼鏡をかけていたが、その眼鏡をはずした。文四郎は襖をしめ、ずかずかと歩いて里村が向かっている机から三間ほどの場所に坐った。
「軽輩とみて、侮られましたな」
里村は無言で文四郎を見ていた。文四郎の姿を見たときに、今夜の計画が齟齬《そご》をきたしたことを悟ったはずだが、顔にはその失望を出していなかった。家老は無表情な眼を文四郎にそそいでいる。
「無益に、人が死にましたぞ」
文四郎は低い声でつづけた。
「それがしも、ふりかかる火の粉ははらわねばなりませぬ。ご家老がたの、私利私欲のために人が死んだのです」
「ちがうだろう」
里村家老が、はじめて声を出した。
「藩のために死んだのだ」
「お黙りめされ」
文四郎は鋭く言った。斬ってやろうかと思うほど、眼の前の家老に殺意をおぼえていた。
「さような物の言い方は、もはや聞き倦きましたぞ。どうやらご家老は、死んで行く者のお気持ちを推しはかれぬお方らしい。死に行く者の気持ちとは……」
文四郎はすばやく膝でいざって前にすすんだ。そのときにはもうつかみ上げた刀の柄に、手がかかっている。片膝を立てると八双からの剣をふるった。里村の眼には、一閃の白光が走ったとしか見えなかったはずである。
脚を二本切られた机が傾き、机の上の書類や書籍が音たてて畳になだれ落ちた。刀を鞘にもどしながら、文四郎は言った。
「その気持ちは、かようのものです」
おそらく斬られたと思ったにちがいない。里村家老は逃げこそしなかったが、顔は土気いろに変わっていた。
「ご無礼つかまつりました」
文四郎は一礼して立った。そして襖ぎわから家老を振りむいた。
「侮りを受けてはそれがしも武士、黙過しがたくかような振舞いにおよびましたが、お腹立ちならどうぞいつでも討手をおむけください。尋常にお相手をいたします」
「まて」
里村がようやく声を出した。
「これから横山の屋敷に駆けこむつもりだな」
「いえ、家にもどります」
と文四郎は言った。
「もっとも今夜の委細は、べつの筋よりもはや横山さまのお耳にとどいていると思われますぞ」
捨て科白《ぜりふ》を言えたのが気持ちよかった。文四郎は襖をしめて廊下に出た。暗い廊下には人の気配はなく、文四郎は誰にもじゃまされずに玄関まで出た。途中男のような声で笑うさっきの女の笑い声を聞いただけで、里村家老が人を呼ぶ様子もなかった。
文四郎はまだ倒れている家士を抱き起こして蘇生《そせい》させ、意識がもどってつかみかかって来たその男を突きとばして外に出た。するとかがり火のそばにあつまって何か話していた男たちが、一斉に文四郎を見た。そして文四郎が無言でそばを通り抜けると、そのうちの三人ほどがいそいで玄関に駆けこんで行った。
何事もなく門まで行ったとき、文四郎は折柄門を入って来た人間と鉢合わせした。
「お、お」
とその男は言った。斬られた腕を布で首からつるし、もう一人の男に支えられた村上七郎右衛門である。
「貴様、何しにこの屋敷に来た」
「何もやっておりませぬゆえ、ご心配なく。それより腕の傷の手当てをいそがれよ。手遅れになっては命取りになりますぞ」
言い捨てて文四郎は外に出た。誰もあとを追って来なかった。
やはり軽挙妄動だったかな、とちらと思ったが悔いはなかった。矢田の未亡人や青木、それに今夜死んだ者たちにかわって一言|怨《うら》みをのべたという気がした。家に帰ると客がいた。
七
「ご家老さまのお使いの方だそうです」
出迎えたせつがそう言ったので、文四郎は上がり框《がまち》から立った男を鋭く見た。だがその男は横山家老の使いだった。
「夜分おそくおそれいりますが……」
男は丁寧な口調で、横山屋敷まで同道ねがえないかと言った。はやかったなと文四郎は思った。加治織部正から、もう連絡がとどいているのだ。
文四郎は同道を承知し、着替えるためにいったん家に入った。そしてその間に、せつにあらましの今夜の始末を話した。
「そういうわけで、この家に討手が来るかも知れん。油断なく見張れ」
「うけたまわりました」
「ただし、討手が来たときは手むかってはならん。牧がもどってお相手しますと言うのだ」
こまごまと言い聞かせてから、文四郎は使いと一緒に家を出た。
横山家老は一人ではなく、大目付の尾形|久万喜《くまき》が一緒だった。
「加治さまから大よそのことは聞いたが、今夜あったことをくわしく話してもらおうか」
と横山は言った。はじめて近くに見る横山は、五十見当で福々しく太っていた。頬も肩もまるく、腹もかなり出ている。しかし髪は黒く、またもはや四ツ半(午後十一時)にもなろうという深夜なのに、皮膚はつややかに光って精気にあふれて見えた。
「その前に……」
と文四郎は言った。
「里村さまと元ご中老の稲垣さまに呼ばれたときのことをお話し申し上げるのがいいかと思います」
「ほう、稲垣とな」
横山が微笑した。眼尻の笑い皺《じわ》が深くなった。
「稲垣が出て来たのか、おもしろい」
「ご家老に呼ばれて馬場前のお屋敷に参りましたところ、稲垣さまがおられました」
「それが今夜の出来事とつながっておるわけだ」
「さようです」
「話せ。残らず聞こう」
文四郎はその夜に里村家老に言われたこと、そして今夜の始末を洗いざらい話した。話の途中で、横山は尾形久万喜と眼を見かわしたり、うなずき合ったりした。
「そのような次第で、このお屋敷を頼るつもりが加治さまをお頼みすることになったのです」
「そなた、織部正さまとどういうつながりだな」
「石栗道場の同門ですな。ご存じありませんでしたか」
文四郎より先に尾形が答えた。ふむと横山はうなずき、それからゆっくり尾形を見た。
「里村はどうやら、みずから墓穴を掘ったらしい。言い訳は無理だろう。これで形勢逆転だな」
尾形がうなずくと横山又助は微笑した。その笑いは大きくなり、ついに哄笑《こうしよう》になった。
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刺 客
一
横山家老が、反対派の自滅を悟って哄笑してから大よそ三月《みつき》、秋風が立つころになって稲垣、里村派に対する処分が発表された。
しかし処分は、藩権力を掌中におさめた横山又助が、派閥の報復処分と受け取られることを嫌ったせいか、案外な小範囲にとどまり、数年前の政変のときのような死者は出なかった。
稲垣、里村のほかは、稲垣派の中老である多田左門が百日の閉門を命ぜられ、稲垣、里村の手足となって働いた者十名ほどが、最高五十日の閉門から謹慎、減禄の処分を受けたにすぎなかった。欅御殿襲撃の責任者であることが明白な村上七郎右衛門も、五十日の閉門と家禄半減の処分で済んだ。
そのかわり、元家老里村左内は領外永久追放となり、家族とともに領外に去ったし、稲垣忠兵衛は郷入り処分が決定し、鳥も通わぬと言われる石倉沢の僻地に籠居《ろうきよ》の身分となった。多年の騒乱の元凶と見做《みな》されたのである。
筆頭家老の地位について、まわりを自派の人間で固めた横山家老には、稲垣と里村の二人を重く処分すれば、あとは大丈夫だという自信があったようである。ほかは寛大な処分で済ますことで、派閥の解消を狙《ねら》ったのだという見方もあったが、この処分は藩内には大方好感を以て迎えられた。
稲垣、里村派の処分が行われたころ、側妾お福の身分にも大きな変化があった。これまで城奥を束ねていたおまんさまが身をひき、お福が城に入ったのである。江戸にいる藩主の指図だということだった。お福は文四郎にとって、ふたたび手のとどかぬ存在になったようだった。
文四郎は、稲垣、里村派の処分が行われる間も、郡奉行の樫村《かしむら》弥助にしたがってしきりに郷村を回っていた。その秋はくまなく領内の河川を回って、水流の変化、土手の崩れなどを調べ、記録するのが文四郎の仕事となった。
はげしい風雨で土手が崩れたと聞いて、数里の道を馬で駆けつけることもあったし、また時には人の姿も稀な水源までさかのぼって、谷川の土砂の堆積《たいせき》を調べることもあった。樫村はひととおり仕事のやり方を教えると、あとは一人でやらせた。
河川の様態をのみこめるようになったら、つぎは山林に入って樹木を検分するのだという。こういう山林、河川についての仕事は、代官にはないことで郡奉行支配の独特のものだった。
樫村の話を聞くと、仕事は無限にあるようだった。文四郎はあたえられる仕事に少しずつ興味を深めていたが、領内の河川を見回る仕事は、田畑を回る仕事よりも緊張を強いられた。検分は村役人と一緒にすることが多かったが、わずかな見のがしが河川の氾濫《はんらん》につながったりする恐れがあるからである。
ぐったりと疲れて家にもどると、小和田逸平が来ていた。
「ずいぶん黒くなったな、おい」
着替えて坐った文四郎を見て、逸平が感心したように言った。
「村回りが板について来たかな」
「日に焼けて半人前と言うそうだ。一人前になると顔つきが郷方ふうに変わるとも聞いている」
文四郎は苦笑した。
「ま、それはずっと先の話だろうが、村回りは疲れるぞ」
「そうか、疲れるか」
逸平はそうだろうなという表情をした。
「おれなんぞは城と家を行き来するだけでも疲れるからなあ」
「近ごろ与之助に会うか」
「お、そのことで来たのだ」
横山家老の用で藩校に行ったついでに、与之助に会って来たと逸平は言った。
「助教になると、建物の中に自分一人の部屋をもらえるんだな」
「そうか。部屋をのぞいたのか」
「行ってみた。いやはや、山積みの書物でな。与之助もいよいよ学者だ。その部屋で、お茶など振舞ってもらって少し話したのだが……」
逸平は急に声をひそめた。
「そのとき与之助が、聞き捨てならんことを言ったのだ」
「……」
文四郎は黙って逸平の顔を見た。すると、逸平はうなずくようなしぐさをしてから、さらに声をひそめた。
「おどろくなよ。おぬしに対して刺客が放たれたらしいというのだ」
「刺客?」
文四郎は静かに聞き返した。
「誰がそんなことをしたのだ」
「追放された里村家老らしい。一族を連れて屋敷を立ちのく前に、何者かを呼んでその手配をしたと、そういうことのようだ」
「……」
「与之助と同じ助教で、石倉|駿蔵《しゆんぞう》というひとがいるのを知っているか」
「名前は耳にしている」
「生粋の里村派だったそうだ。与之助は、その石倉が外からたずねて来た男とそういう話をしているのを聞いたのだ。らしいというのは、密談していた二人が、与之助に気づいて急に話をやめたので、はっきりとは聞きとどけられなかったと言うのだが……」
「いや、あの家老ならやりかねんだろう」
と文四郎は言った。抜いた刀の先で、顔色を失った里村家老を思い出していた。
そのことも堪えがたい屈辱だったろうが、自分が意図したように文四郎が動かなかったせいで、とどのつまりは派閥の決定的な敗北をまねいてしまったことが、里村は無念でならなかったかも知れない。むろん文四郎から言えば逆恨みだが、気持ちはわからぬでもない。
文四郎は聞いた。
「で、刺客は誰なのかな」
「そこまではわからんと言っていた」
「与之助がその話を聞いたのは、いつのことだろう」
「四、五日前だと言ったな」
島崎与之助は、その日のうちにも文四郎にそのことを話し、警告するつもりだった。ところが、夕方に帰り支度をしていると石倉が与之助の部屋をたずねて来た。
「われわれのさっきの話を立ち聞きしたのではないかと、石倉は聞いたそうだ。むろん、与之助は否定した。すると石倉は、もしさっきの話が外に知れたときは、尊公の口から洩れたと見做すので、さよう心得られたいと慇懃《いんぎん》な口ぶりで脅したというんだ」
「ほほう」
「いや、与之助はそれでもおぬしに知らせるつもりでいたらしいが、外に出てみると何者かが後をつけて来る。やつは臆病だからな。それでふるえ上がって、気ばかり焦っていたところにおれが行きあわせたという次第だ」
逸平はそこで言葉を切って、文四郎をじっと見た。
「近ごろ、身辺に変わったことはないか」
「いや、何も」
文四郎が首を振ると、逸平はきびしい表情のままでつづけた。
「大目付にとどけて出たらどうだ。闇夜の鉄砲は防げんぞ」
「それはどうかな」
と文四郎は言った。
「それだけの話では尾形さまがお取り上げになるとは思えぬ。石倉がそんなことを話したおぼえはない、何かの聞き違いではないかとがんばればそれまでの話だ。その上……」
「……」
「話がもし事実なら、大目付に訴え出ると与之助があぶない」
逸平は舌打ちした。
「じゃ、どうすればいいんだ」
「十分に警戒する。それよりほかに手はない」
と文四郎は言った。そして、さっきせつがはこんで来たせんべいを逸平にすすめた。せつの実家からの到来物であるせんべいは、城下の小牧屋という菓子屋でつくっているもので、大きくて固く形も不ぞろいだが、しみている醤油《しようゆ》味が絶品で人気がある。
「なに、わかっていればそう簡単に不意討ちを喰うこともあるまい。与之助に会ったら礼を言っておいてくれ」
「村回りというのは、一人のときが多いんじゃないのか」
音立ててせんべいを噛みながら、逸平が言った。
「そういうときに、二、三人に襲われたらことだな。刺客というからには腕のいいのを選りすぐってあるだろうし」
「二、三人……」
文四郎はうなずいた。
「そうか。一人とは限らんわけだ」
「いや、待て。刺客というからには、やっぱり一人かな」
逸平はそう言い、一人だとすると誰だろうと首をかしげた。しかしその穿鑿《せんさく》は手にあまったらしく、逸平は喰いかけのせんべいをばりばりと噛んだ。
「しかし、前のご家老も汚い手を使ったものだ」
「いや、里村さまにしてみれば、このおれは殺しても飽き足りない人間に思えるだろう。その気持ちはわからんでもない」
「ひとを罠にはめる計画が失敗したからか。冗談じゃない」
逸平は気色ばんだ。
「こっちはおかげで、危うくお陀仏《だぶつ》になるところだったんだからな」
「ああいう方々は、われわれのような軽輩は手駒のひとつとしか考えぬらしい」
と文四郎は言った。そなたには貸しがあると言った里村家老を思い出していた。
「その手駒が思うとおりに動かなかったために追放になったのが、我慢ならんのだろう。こっちに言わせれば勝手な言い分だが、気分としてはそんなところじゃないのか」
「逆恨みだ」
と逸平は言った。
「里村も稲垣も、監察の前で一言の申しひらきも出来なかったそうじゃないか。ま、殿の愛妾と……」
逸平はちらりと文四郎を見た。
「子供をまとめて消しにかかったのだから、殿のお怒りもかなりのものだったらしいが。それだけのことをやってだ、腹いせに刺客を残して行くというのは汚い」
息巻いて、逸平はまたせんべいに手をのばしたが、ふと思い出したことがあるという顔つきになって、その手をひっこめた。
「浅井平三郎どのが、町奉行に抜擢《ばつてき》された話を聞いたか」
「いや」
稲垣、里村派の処分についで、横山派の人間の論功行賞が行われているという話は詰所で耳にしたが、時には一晩泊まりで領内の河川を見回っていると、城内のそういう動きには疎くなるようだった。文四郎は、論功行賞の詳細なるものを、ひとつも聞いていない。
「一度に百石の加増で、町奉行になられたのだ」
「浅井というひとは、むかしからの横山派だそうだからな。順当な待遇なんじゃないか」
「おれたちはどうなんだろうな」
また、逸平が声をひそめた。
「あれだけの働きをし、監察に呼ばれて証言もした。今度の政変の中では、功浅からずという気もするのだが、違うか」
「そういう気はするが、こちらから申し立てるべきものでもなかろう」
と文四郎は言った。逸平は刺客の一件もさることながら、褒賞のことも話したかったらしく、文四郎のそっけない返事を聞くと帰り支度をはじめた。
二
だが刺客は現れず、逸平が期待している横山家老の褒賞の声もかからないままに、ひと月ほどがたち、秋は深くなった。
そのころの非番の日に、文四郎は無外流の小野道場をたずねて行った。ひさしぶりに布施鶴之助の様子を見に行こうと思ったのである。
文四郎は、布施にひそかな負い目を感じていた。横山派にも里村派にもかかわりのない、しかも部屋住みの布施を斬り合いに巻きこんだ罪は深いと思っていた。ひとつ間違えば、布施の家に申しわけ出来ない事態になっていたところである。
事件が一段落したあと、文四郎は逸平と布施鶴之助を染川町の砧《きぬた》屋に誘って一応労をねぎらってはいるが、逸平はともかく、布施に対する償いがそれで済んだとは思っていない。
小野道場は青柳町の裏通りにある。気持ちよく晴れた日で、そのせいか青柳町の表通りにはごった返すほどに人が出ていた。その人ごみのなかをしばらく歩いてから、文四郎は途中の路地に折れて裏通りに回った。
そこにも秋の日はくまなく降りそそいでいたが、軒の低い家がつづき、時おりは木槌《きづち》をふるったり、紙を裂いたりする音がひびくだけで、表の喧騒にくらべると裏通りは死んだように静かだった。
──逸平はあんなことを言うが……。
と文四郎は思っていた。逸平自身はあの夜、それほどこわい思いをしたわけではない。それにくらべて、布施鶴之助は抜き合わせて敵と闘っている。褒賞が出るものならば、逸平より先に布施にあたえてもらいたい。
考えながら、通る人もない裏通りを歩いて行くと、やがて鋭い気合の声がひびいて来た。午後の日が軒下に濃い影をつくっている通りの途中に、少しひっこんだところがあって、そこが小野道場だった。むかしは青柳町の鉾山車《ほこだし》置き場だったという小野道場は、道場としては少し手狭な感じだが屋根が高く、まわりの人家よりひと回り大きく見える。気合は、その建物の武者窓から洩れて来る。
文四郎は勝手知った裏口から道場に入って行った。すると二人の男が試合をしているのが眼に入って来た。ほかの者は、壁ぎわにしりぞいて、坐りこんだり片膝立てたりして試合を見ている。
ふたたび鋭い気合がひびいて、二本の竹刀がからみ合った。だがそれも一瞬で、二人はすばやく足をひいて間をあけた。そのときこちらをむいた長身の剣士の顔が見えた。
──ほう……。
めずらしいな、と文四郎は思った。男は興津新之丞である。
相手は誰だろう、と思ったとき、眼の前に立った布施鶴之助が笑いかけて来た。
「これはこれは、めずらしい」
布施は布施でそう言った。それで文四郎は、興津の相手をしているのが石川|惣六《そうろく》だとわかった。
「惣六がうまくなったようだな」
文四郎が言うと、布施は微笑した顔を試合している二人にむけた。
「たしかに。おれもうかうか出来んようになった」
「あの人は、時どき来るのかな」
文四郎が興津を眼で指し示すと、布施はうなずいた。
「このごろはよく来てるようだな」
「いつごろから?」
ある疑念にうながされて、そう聞いた。逸平の口から刺客という言葉を聞いたとき、文四郎がほとんど反射的に思いうかべたのは興津新之丞の顔だったのである。
里村家老が、文四郎の剣の腕前をどの程度まで知っていたかはわからない。だが人づてにしろ、仮に正確なところに近い知識を持っていたとすれば、家老もなまなかの腕の人間を刺客に雇ったりはしなかったろう。必ず文四郎と同等か、あるいは文四郎を上回る技量の持ち主に眼をつけたはずである。
そうだとすれば、その顔触れはおのずと限られて来て、興津新之丞などは、さしずめその最右翼にうかび上がって来るだろう。
「さあ、夏の終わりごろだったかな、それとも秋口になってからだったかな。何しろそんな以前からじゃないが……」
それが何か、と布施は聞いたが、文四郎は言葉をにごした。夏の終わりと言えば、里村たちの処分が決まる直前のことではないか。
そのことに何か意味がありはしないかと、文四郎が考えに沈んだとき、布施がまた何か言った。
「え?」
「いや、今日は稽古かと聞いたんだが……」
「そう、そう。これから鍛冶《かじ》町の方に回るつもりなのだが、その前にちょっと貴公に話したいことがあったんだ」
「何だろう」
「横山派の論功行賞がすすんでいるらしくて、小和田逸平は、おれたちも何かもらえるんじゃないかと言っている」
「もらえるのか」
「いや、それがだ」
文四郎はうつむいた。
「おれも少しは期待していた。おれ自身よりも、貴公に何かの褒賞が出ればいいと思っていたのだ。まわりに、そういうことを言う者はおらんのか」
「少しはいる」
「そうだろうな」
文四郎は顔を上げて布施を見た。布施鶴之助はいつ見ても、男らしく引きしまった顔をしている。
「しかし行賞がはじまってひと月もたつというのに何の音沙汰もないというのは、どうも望みがないんじゃないかと思えて来た」
「……」
「つまり、ただ働きということだ。そのときは済まんがあきらめてくれ」
文四郎がそう言ったとき、はげしい気合とともに、石川惣六が打ちこんで行った。それをむかえた興津新之丞の竹刀が上がり、二人はめまぐるしく体を入れ換えて打ち合ったが、やがて濡《ぬ》れ雑巾を叩くようなぴしりという音がひびいた。
それまで、という声がひびいて、門人たちのなかから立ち上がった男がいる。師範代の三宅藤右衛門だった。三宅が二人に近づくと、興津新之丞がするするとうしろにしりぞいた。石川惣六の方は呆然と立っていたが、やがて石川もしりぞいて、二人は礼をかわした。
そこまで見て、布施鶴之助が文四郎を振りむいた。屈託のない微笑をうかべている。
「あまり気を使わんでくれ。おれは何とも思っておらん」
「しかし、ただ働きだからなあ。済まんことをしたという気持ちが残る」
「なに、ああいう修羅場はもとめて出会えるものでもないし、大いに役に立ったよ」
布施がそう言ったとき、二人のそばに少し太り気味で背の低い男が立った。師範代の三宅である。三宅は文四郎の挨拶ににこやかに挨拶を返してから、道場の真中を振りむいた。そこに竹刀を下げた興津新之丞がいて、文四郎を見ていた。
「あのひとが、あんたと試合をしたいと言っているのだが……」
と三宅は言った。三十半ばではや鬢《びん》の毛が抜け上がっている三宅は、独特のやわらかい言葉を使う。三宅は米倉の役人を勤めていて、言葉だけでなく身体の動きもやわらかく、このひとが無外流の俊敏な剣を使うとは、聞かなければわかりはしないだろう。
三宅は言葉をつづけた。
「一本勝負でいいそうです。どうですか、うちの門人たちに見せてやってくれまいか」
「試合ですか」
文四郎はためらった。興津新之丞と、たとえ稽古試合とはいえ、竹刀をまじえるとは思いもしなかった成り行きである。そのこと自体が億劫《おつくう》だったが、文四郎にはさっきからの気持ちのひっかかりがある。もし興津が刺客なら、試合なんかはしたくない。
迷っていると、布施がそばから口をそえて来た。
「師範代の言うとおりで、貴公と興津さんの試合などというものは、めったに見られるものじゃない。ひとつ、見せてやってもらいたいな」
そこまで言われて逃げるわけにもいかなかった。文四郎は竹刀を借りて道場の中央に出て行った。
何度か来ているので、小野道場の門人たちはむろん文四郎の名前を知っている。これから何がはじまるかがわかると、門人たちはいっときざわめいたが、そのざわめきはすぐに静まって試合を待つ気配に変わった。
「しばらく」
文四郎は興津に声をかけた。
だが興津は、文四郎の挨拶に答えなかった。以前より頬がこけて、血色もわるい顔に凄味《すごみ》のある笑いをうかべただけである。
「逃げるかと思ったが、考え直したようだな」
と興津が言った。それが挨拶だった。文四郎をさすがにむっとした。強く言った。
「逃げはせん。さ、行くか」
「よし」
興津が応じて、二人は慎重に間合いをあけた。およそ五間ほどの距離である。
興津新之丞は青眼に構えていた。その竹刀の先が以前に見たときよりもこころもち上がっているのに、文四郎は気づいた。そこに何かの工夫があるのかも知れなかった。
八双に構えたまま、文四郎は少しずつ前に出た。一歩出るごとに、興津の竹刀の動きを確かめる。しかし興津の竹刀は、こころもち先端が上がっているだけで、微動もしなかった。興津も少しずつ前に出ている。
距離三間、と読んだとき、興津の竹刀がぐいと沈んだ。とみる間に、興津はすべるように走って来た。腰の据わった疾走で、興津はあっという間に打ち合いの間合いに入って来た。竹刀はなめらかに上段に上がっている。
気合とともに、興津はほとんど無造作に竹刀を打ちおろして来た。
──二の太刀だ。
と文四郎は思った。かつて興津の刀法が、一撃目と連動する二の太刀に重点を置いていたことを思い出している。興津の竹刀を、文四郎は摺《す》り上げてかわした。
そのとき興津の長身が、不意に沈んだ。興津が、踏みこんだ足を背後に引き、ほとんど床に跪《ひざまず》く形になりながら二の太刀をふるったことに気づいたとき、文四郎は胴を打たれていた。とっさに遣った防ぎ技は間に合わず、文四郎の胴がやはり濡れ雑巾を叩いたような音を立て、文四郎は一瞬息がつまった。
「参った」
文四郎は叫んで、すばやくうしろにさがった。三宅藤右衛門がそれまでと声をかけ、興津が残心の構えを解いて立ち上がった。興津は無表情に文四郎を見ていた。
かわって布施鶴之助が興津に試合を挑むのを見ながら、文四郎は三宅に挨拶をして出口にむかった。三宅が送って来た。
履物をはいて、もう一度挨拶した文四郎に、突然に三宅藤右衛門が言った。
「村雨を使わなかったですな。あれを使えば打たれはしなかったでしょうに」
文四郎はおどろいて顔を上げた。三宅は髪の薄い丸顔に、愛嬌《あいきよう》のある笑いをうかべて文四郎にうなずくと背をむけた。
外に出ると、まぶしい日射しが文四郎を照らした。胸の中に、まだ驚愕した気分が残っていて、文四郎は思わずいそぎ足に小野道場をはなれた。興津に打たれたことは、あまり気にしていなかった。つぎは打たれはしないだろうと見当がついている。驚愕は三宅のひと言がもたらしたものだった。
三
──秘剣村雨のことを……。
三宅藤右衛門は誰から聞きこんだのだろうと、文四郎は訝《いぶか》っている。文四郎自身は、誰にも話したおぼえはなかった。ほかにその名を知る者は、師匠の石栗弥左衛門と加治織部正の二人しかいないはずである。
洩れたとすれば師匠かな、と文四郎は思った。石栗弥左衛門の老耄《ろうもう》ぶりが近ごろ一段とすすんだことは、師範代の丸岡からも聞き、稀に道場をたずねる文四郎自身も気づいている。弥左衛門は、もはや道場に出ることはなく、終日居間の火桶《ひおけ》のそばにじっと坐っている。老いは弥左衛門の身体だけでなく、心まで蝕《むしば》みはじめているのだった。
そういう弥左衛門にも、時おり外から来客がある。弥左衛門は大概は呆然と、語る言葉もなく客と向き合うだけだが、ごく稀に機嫌よく笑い、火がついたように多弁になることがあるという。それは客が何かの拍子に弥左衛門の昔の話に触れるときだと丸岡が言っていたのを文四郎は思い出している。
そういうときに、秘剣村雨の名が外部に洩れなかったという証拠は何ひとつないわけだと文四郎は思った。だからといって秘剣の詳細まで外に洩れ出ることは考えられなかったが、三宅のひと言は、文四郎の胸にどことなく落ちつかない不安感のようなものを植えつけたことも確かだった。
しかし橋をわたって鍛冶町に入ったとき、文四郎の気持ちはようやく三宅藤右衛門の言葉からはなれて、試合をした興津新之丞にもどって行った。
──やはり、強い。
と思った。かわされて流れるはずの竹刀が、勢いを失うどころかむしろ加速して胴に返って来たときの感触を思い出している。非凡の遣い手でなければ出来る技ではなかった。
逸平の言う刺客が興津なら、かなりむつかしいことになりそうだと文四郎は考えている。試合の間に、興津新之丞は殺気を露《あら》わにするようなことはなかったが、それが興津が刺客でない証拠になるわけでもなかった。心得のある剣士なら、内に隠している殺気を不用意に相手の眼にさらすような真似はしない。
石栗道場の前に来た文四郎は、ちょっと迷ったが結局は母屋には行かずに道場の入り口に回った。老耄の度がすすんだ師匠に会うのに気がすすまなかったのだが、それで気が咎めなかったわけではない。こんなふうに、師匠との間も少しずつ疎遠になるのだろうかと思うと、気持ちが沈んだ。
道場の敷居をまたぐと、入りみだれる気合の声、床を踏みならす音が騒然と耳に入って来た。だがその物音も、道場主の弥左衛門が眼を光らせ、師範代の佐竹金十郎が竹刀を片手に、口汚く罵《ののし》りながら道場のなかを歩き回っていたころにくらべると、こころなしか活気を欠いている。眺めると稽古の人数も事実少ないようだった。
土間に立ったままでいると、文四郎に気づいた杉内道蔵が稽古をやめて寄って来た。
「しばらくです。上がりませんか」
「どうしようかと考えてたところだが……」
土間に立ったまま文四郎が言うと、道蔵はそんなことを言わずに上がって稽古をつけてくださいよ、と言った。
それでも動かずに、文四郎は道場をのぞいたまま言った。
「丸岡さんが、今日はおらんようだな」
師範代の丸岡俊作がいたら、近ごろ母屋の師匠のところに無外流の人間が来はしなかったかと聞こうかと思ったのだが、丸岡の姿は見えなかった。
「師範代は、今日は休みです。御実家の法事だそうです」
「あれは大橋さんか」
文四郎は奥の方で野田弥助を相手に、はげしく身体を動かしている男に眼をとめた。
「めずらしいな。丸岡さんの話だと、あの人は道場をやめたように聞いたんだが……」
「もどったんですよ」
杉内道蔵はにが笑いした。
「もともと犬飼さんと仲がわるくてやめたんです。で、あの人が亡くなったものでもどる気になられたんじゃないですか」
欅御殿の敷地内の暗闘の一件は、藩上層部の手で秘事扱いとされ、そのころ派閥の衝突があったとしか一般には知らされていない。したがって犬飼兵馬が、文四郎たちの暗殺に失敗して逆に斬られたことを道蔵は知らないはずだった。
「正式に名札がもどったわけだ」
「そうです」
「いつごろから?」
「秋のはじめごろだったと思いますが……」
「秋のはじめ?」
文四郎は眉《まゆ》をひそめた。しかしまさか、大橋市之進が刺客ということはあるまい。
「はげしい稽古じゃないか」
「そうです。野田もおれも辟易《へきえき》しているところです」
道蔵はまたにが笑いし、その笑顔のままですすめた。
「どうですか。上がってくださいよ」
「いや、またにしよう」
と文四郎は言った。大橋市之進と顔を合わせるのが億劫だった。
「近いうちにまた来る。丸岡さんによろしく言ってくれ」
すっかりあきらめたころに、褒賞のことで文四郎に横山家老から呼び出しが来た。秋も終わり、木々にわずかに枯葉が残るだけになった初冬のことである。
むろん、呼び出しが横山派のために働いた褒賞の話のためだとわかったのは、その夜濠端の横山屋敷に行ってからである。
「おそくなったが、牧と小和田逸平、布施鶴之助の褒賞のあらましが決まったので呼んだのだ」
と横山が言った。
四
文四郎が呼び入れられた奥の部屋は、書類や硯《すずり》箱をのせた机が三つも四つもならんでいて、居間というよりは執務部屋に近い感じだったが、実際に政権交代後の横山は、下城したあとも夜は夜でその部屋に人をあつめていそがしく政務をみて来たのかも知れない。
いまも、家老のほかに男が三人いた。今度次席家老となった榊原《さかきばら》修理、組頭の堀江勘十郎、そしてもう一人は文四郎がはじめて見る男だった。榊原と堀江は四十半ばだが、その男はその二人よりもざっと十ばかりも若く見える。
「さて、その褒賞だが……」
と横山が言った。肉の厚い丸顔に微笑をうかべて文四郎を見た。
「牧文四郎に加増三十石、小和田逸平に加増五石と決まった」
「……」
文四郎は黙って頭を下げた。予想もしなかった大幅な加増である。とっさにはお礼の言葉も出ないほどに気持ちが動転していた。
「今度の政変では、何といってもそなたたちの働きが大きい。それについては、江戸の殿からも格別に酬いてやるようにというご指示があった。おう、いい機会ゆえ引き合わせよう。江戸から来られた田宮仲次郎どのだ。名前は存じておるな」
存じ上げております、と文四郎は言った。田宮仲次郎は側用人である。齢は若いが家老も一目置く側近第一の権力者で、そのことはいまの横山家老の言い方にもあらわれていた。
切れ者の評判が高い側用人は、文四郎の辞儀に軽くうなずいただけだったが、その顔には好意的な表情がうかんでいた。
「三十石の加増は多きにすぎると思うかも知れんが、この加増分には死んだ助左衛門に対する褒賞もふくまれている。おやじに劣らぬよう、勤めろ」
「ありがたき仕合わせにござります。亡き父もさぞ喜ぶことと存じます」
文四郎はようやく落ちついて礼を言った。すると横山家老は、今夜文四郎一人を呼んだのは、ほかに意見を聞きたいことがあったからだと言った。
「布施鶴之助のことだ。布施は部屋住みゆえ、この際召し出して一家を構えさせてはどうかという意見がある。そなたはどう思うか」
「されば……」
文四郎は考えこんだ。召し出して一家を立てさせるといっても、藩がそういう処遇をする場合にさほど多い禄高をあたえるわけではない。せいぜい五石前後、多くても十石足らずの家を立てさせるだけだろう。
しかし美男子で剣が出来る布施には、黙っていても百石、百五十石の家から婿養子の口がかかる可能性がある。うかつなことは言えない、と思ったとき、文四郎の頭にひらめいたことがあった。
「矢田作之丞どのの家は、その後いかようになっておりましょうか」
「潰《つぶ》しはしなかったはずだな」
横山家老がそう言うと、榊原修理がたしか老母を親戚預けにして捨て扶持《ぶち》をあたえてあるはずですと言った。
「矢田の家がどうした?」
「これはそれがしの思いつきにすぎませんが、布施は矢田の縁につながる人間です。後をつがせて矢田家を再興させることをご一考いただけたらと思いますが……」
「矢田のもとの禄高はいくらだったかな」
と横山が言い、榊原と田宮がそれに加わって、そっくりはやれぬ、いや半分でもよかろうといった私語が長々とつづいた末に、文四郎は布施鶴之助の人物についてややきびしい質問を浴びた。
そして最後に横山が言った。
「そなたの意見は大いにおもしろい。むろん当人にも確かめねばならんが、布施本人もそれをのぞむなら、矢田の家の再興を考えてみることとしよう」
文四郎が横山家老の屋敷を出たのは、四ツ(午後十時)過ぎである。外はあかるい月夜だった。高い空に銀盤を嵌《は》めたような月が光り、人影もない屋敷町の幅ひろい道を照らしていた。夜気は冷えていて、文四郎は思わず襟をかきあつめてから歩き出した。
──布施が……。
矢田の家をつぐようになればいい、と文四郎は思った。そうなれば、長い間どこか荒涼とした感じで残っていた、気持ちの中の気がかりな部分が消える。そして事実、死んだ矢田作之丞もあの未亡人も、いくらかはそれで救われるのではないかという気がした。
文四郎はひさしぶりに、かなしい死に方をした未亡人を思い出し、甘酸っぱい感傷にひたった。
そしておそらくその感傷のために、文四郎は背後のその男に気づくのがおくれたのである。気配に振りむいたときは、男の黒い姿は数間の距離にせまり、手は抜きはなった白刃を下げていた。男はゆっくり歩いて来る。
とっさに刀を抜いたものの、文四郎はそのまま後にさがるほかはなかった。斬り合いの主導権はその男、多分逸平が言った刺客の手ににぎられていて、下手に動けば手痛い敗北を招くことがあきらかだったのである。
背中で、河岸の道がほど近いと感じたころ、男がはじめて足をとめた。とみる間もなく男は疾風の勢いで斬りこんで来たが、文四郎はその刀を辛うじてはねることが出来た。男が足をとめたのが一瞬の隙だった。その隙に乗じて文四郎は村雨剣の受けの太刀に構えることが出来たのである。それでも文四郎は肩に傷を負った。しかしつぎに打ち合ったときには、文四郎の太刀が一瞬はやかった。
倒れた男の顔から黒い布を剥《は》いだ文四郎は、しばらく呆然とその顔を眺めた。男は無外流の三宅藤右衛門だった。身顫《みぶる》いして三宅のはやい太刀筋を思い返しながら、文四郎は里村家老との抗争がようやく終わったのを感じた。
[#改ページ]
蝉 し ぐ れ
一
二十年余の歳月が過ぎた。
若いころの通称を文四郎と言った郡奉行牧助左衛門は、大浦郡矢尻村にある代官屋敷の庭に入ると、馬を降りた。
かがやく真夏の日が領内をくまなく照らし、風もないので肺に入る空気まで熱くふくらんで感じられる日だった。助左衛門は馬を牽《ひ》いて、生け垣の内にある李《すもも》の木陰に入れてやった。
すると、馬の足音に気づいたらしい下男の徳助が家の中から出て来た。
「おもどりなされませ」
徳助は走り寄って来た。
「八ツ(午後二時)すぎになるかと思いましたが、存外おはやいお帰りで。さぞ、暑かったでござんしょう」
「桑村どのは、おられるか」
助左衛門が代官の名前を言うと、徳助は首を振った。
「朝早くお城に参られまして、帰りは夕方になるとのおことわりでした。ところでお昼は何にしましょう。冷や飯もありますが、おいそぎでなければばあさんにそうめんでもつくらせましょうか」
徳助は若いころは城下の家中屋敷で下男奉公をした男で、いまは夫婦住みこみで代官屋敷で働いている。
「この暑い日に煮炊きをするのは大変だ。冷や飯があればそれでけっこう。いや、その前に水を使おうか。汗でどうしようもない」
馬に水をやってくれと言い置いて、助左衛門は屋敷の中に入った。矢尻村の代官屋敷は、はじめからそのために建てた役所ではなく、もとは富裕だった潰れ家を未納の年貢がわりに取り上げて、多少執務屋敷らしく模様変えしたのだという。したがってつくりそのものは、以前の農家そのままだった。
土間に入って草鞋《わらじ》を解いていると、徳助とのやりとりを聞きつけたのか、奥から代官手代の中山茂十郎、ほか三人の下役人が顔を出して、口ぐちに助左衛門の労をねぎらった。
助左衛門はこの夏に入ってから大浦郡の山林に入り、去年植付けた杉林を見回っていて、その間ひと月余りも矢尻村の代官所を宿所にしているのだった。今日も三日ぶりに山村から宿所にもどって来たのである。
助左衛門はあたえられた自分の部屋に入って、着替えの肌着を出すと裏庭の井戸端に出た。そこでふんどしひとつになって、身体にこびりついた垢《あか》と汗を流した。
──あと一カ所で終わりだな。
と思っていた。植付け場所の見回りは、もう一カ所、杉沢という山村の奥にある植林を視察し、手当てを終われば完了する。その手当ては、配下の者が村に泊まりこんで村人を指揮するのだが、場所によっては今度のように助左衛門自身も泊まりこまなければならないときもある。終わるまでは城下にもどれない。
つめたい水を浴びるとほてった身体がさっぱりとし、生き返った気分になった。着替えて家のなかにもどると、中山が今朝客がありましたと言った。
「客? わしにか?」
「はい、簑浦《みのうら》の三国屋の番頭がこれを持って参りました」
中山は助左衛門に一通の封書をわたした。嵩《かさ》がなく、手触りもうすい封書は、上書きに牧助左衛門様とあるだけで署名がなかった。
「ほかに伝言は?」
と助左衛門は言ったが、中山はただこれをおわたししてくれと置いて行っただけですと言った。
首をひねりながら助左衛門は自分の部屋に入った。机の前に坐って封書をひらいたが、簡単な文言を読みくだすとともに、助左衛門は顔から血の気がひくのを感じた。
このたび白蓮《びやくれん》院の尼になると心を決め、この秋に髪をおろすことにした。しかしながら今生に残るいささかの未練に動かされて、あなたさまにお目にかかる折もがなと、簑浦まで来ている。お目にかかれればこの上の喜びはないが、無理にとねがうものではない。万一の幸運をたのんでこの手紙をとどけさせると文言は閉じられ、文四郎様まいると書いてあった。そこにも署名はないが、それがお福さまがよこした手紙であることは疑う余地がなかった。
──尼になられるのか。
と助左衛門は思った。白蓮院は藩主家ゆかりの尼寺である。さきの藩主が病死して一年近い月日がたっていた。おそらくお福さまは、その一周忌を前に髪をおろすつもりなのだろう。
──しかし……。
それにしても大胆なことをなされる、と思いながら、助左衛門は本文から少しはなして二行に書いてある二十日には城にもどる心づもりに候、という文句をじっと見つめた。二十日といえば今日のことである。その二行の文字は、助左衛門に決断を迫っているようにも見えた。
助左衛門は立ち上がって着替えた。決心がつくと、支度する手ははやくなった。部屋を出ると中山を呼んで外出を告げ、さらに台所をのぞいて徳助に飯はいらないとことわった。
馬に乗って外に出ると、また真昼の暑熱が助左衛門を厚くつつんで来た。菅笠《すげがさ》をかぶっていても、暑熱は地面からはね返って来て顔を焼く。たちまち汗が流れ出た。
村を抜けて田圃《たんぼ》道に入ると、左手に遠く、亀がうずくまるような小丘が見えて来た。松と杉に覆われて、田圃のなかに隆起するその丘は、かつておびただしい石鏃《せきぞく》が出た場所で、矢尻村の名称はそこから来ている。
およそ二里ほど道を馬で駆け、三つほどの村を通りすぎると道はなだらかに起伏する砂丘に入った。そして冬の強い海風のために幹が斜めに傾いている黒松の林を抜けると、磯《いそ》の香りがし、波の音が聞こえて来た。
簑浦は小さな港を持つ漁師村だが、それよりも村はずれにある十軒ほどの湯宿で知られている村である。その家々と湯けむりが見えて来た。
二
さほど大きな宿屋があるのでもないが、波がくだける磯とその先の長い砂浜、松林、そして海から上げたばかりの魚の評判がよく、簑浦の湯宿はむかしから家中の家族の者が湯治におとずれる場所だった。
だが湯治の季節は秋から春先までと決まっていて、真夏の湯の村は閑散としてみえた。助左衛門は村のなかをゆっくりと馬をすすめ、三国屋の前で馬を降りた。
すると、その姿を見かけたらしく門の中から中年の男が走り出て来た。
「お奉行さまでござりましょうか」
と男は言い、助左衛門がそうだと言うと、今朝使いに行った三国屋の番頭だと名乗った。
「美濃屋さんから参られたお客さまは、八ツには宿をお立ちになるというお話で、それはそれは宿の者一同気を揉《も》んでおりました。間に合ってようござりました」
番頭は興奮してしゃべり、使用人を呼んで馬を裏庭に牽《ひ》き入れさせると、助左衛門を家の中に招き入れた。
──お福さまは……。
身分を隠しておいでのようだ、と助左衛門は思った。番頭の言葉から、そう推察出来たのである。美濃屋は城出入りの城下の呉服商である。宿はその美濃屋の名前で取ってあるのだろう。
番頭は長く狭い廊下を先に立ち、助左衛門を二階奥の部屋にみちびいた。手前の部屋には客はなく、襖も障子もあけ放したままで、つきあたりの窓のむこうには海が見えている。
案内された部屋に入ると、そこに切り髪姿のお福さまとお供と思われる少女が一人いた。十三、四かとみえる少女である。
「ひさしく御無音つかまつり……」
助左衛門が挨拶をのべると、お福さまはかすかに笑ってうなずき、番頭に用意のものをはこぶようにと言った。
「お昼はもうお済みですか」
番頭と少女が部屋を出て行くと、お福さまはそう言った。城奥の支配者となったお福さまを見ることはめったにないが、しかしまったく見かけないというのではなく、助左衛門は何年に一度かは寺社に参詣《さんけい》に行くお福さまに出会ったり、また在国中の藩主が催した御能拝見の席で眼にしたりしているが、いずれも遠くから眺めただけである。
近々とお福さまを見るのは、欅御殿から加治織部正屋敷にお福さま母子を護送して以来のことだった。そのころにくらべると、お福さまは顔にも胸のあたりにもふくよかに肉がついたように見えるが、顔は不思議なほどに若々しく、もはや四十を越えた女性とは思えないほどだった。お福さまの眼は細いままに澄み、小さな口もともそのままだった。膝の上の指は白く細い。そして、その身ごなしや物言いには、やはりお福さまと呼ぶしかない身についた優雅な気品が現れていた。
「山からもどったばかりで、昼飯はまだ食しておりません」
「それはさぞ、おなかが空いたことでしょう」
お福さまはゆったりと言った。
「番頭の話では、今日まで山に行っておいでだったそうですね」
「そうです」
「ここにはおいでになれないかと思いましたよ」
「どうにか、間に合いました」
助左衛門は言ったが、実際にはお福さまがなぜ山視察がわかっている助左衛門の様子もたしかめず、しかも城に帰るぎりぎりの時刻にあの手紙を差しむけて来たのかがわかっていた。間に合わなければ、それはそれでかまわないとお福さまは考えていたのではなかろうか。
お福さまもやはり、助左衛門に会うのがこわかったはずである。事情はどうあれ、それで喪に服している元側室が忍んで男に会う事実が変わるわけはないのだ。ぎりぎりの時刻に手紙をよこしたのは、その時刻に二人の運を賭《か》ける気持ちがあったようでもある。間に合うも間に合わぬも運命だと。
しかしお福さまは、少なくともいまはその恐れを顔に出してはいなかった。注意深くその顔いろを眺めながら、助左衛門が山の話をしていると、足音がして宿の女が二人、膳の物と銚子《ちようし》、盃をはこんで来た。
「御酒を少し召し上がれ。私も一杯いただきます」
女たちが去ると、お福さまはそう言って銚子を取り上げ、助左衛門に酒をついだ。助左衛門も、黙ってお福さまの盃に酒を満たしてやった。
「遠慮なくくつろいでください」
とお福さまは言った。
「さっきの子は信用出来る者です。万事心得ていて、私が呼ぶまでは誰もこの部屋には近づかぬよう見張っているはずです」
「さようですか」
助左衛門は盃をあけた。酌をしようとするお福さまを制して、自分で盃についだ。
「ここにはいつ参られましたか」
「五日前です」
やはりそうか、と助左衛門は思った。五日前に来たが、ようやく城にもどる今朝になって助左衛門に会う決心がついたのだ。
「しかし、大胆なことをなされましたな」
「ええ」
「もっとも、あなたさまは子供のころから一点大胆な気性を内に隠しておられた」
お福さまは声を出さずに笑った。するとその顔に、子供のころのふくの表情が現れた。
「文四郎さん」
不意にお福さまは言った。
「せっかくお会い出来たのですから、むかしの話をしましょうか」
「けっこうですな」
「よく文四郎さんにくっついて、熊野神社の夜祭りに連れて行ってもらったことを思い出します。さぞご迷惑だったでしょうね」
「いや、べつに」
「あのころのお友だちは、その後どうなさっておられますか」
お福さまは言い、指を折った。
「小和田逸平さま、島崎与之助さま」
「よくおぼえておられましたな」
「小和田さまは身体が大きく、こわいお方で、島崎さまは秀才でいらしたけれども、ひょろひょろに痩《や》せて……」
二人は顔を見合わせて笑った。
「島崎与之助は、あるいはお聞きおよびかも知れませんが、いまは藩校の教授を勤め、数年たてば学監にのぼるだろうと言われています。それから小和田逸平は御書院目付に変わり、子供が八人もおります」
「まあ、御子が八人」
お福さまは笑い声を立てたが、ふと笑いをとめ、文四郎さんも出世なされてとつぶやいた。
「文四郎さんの御子は?」
「二人です」
助左衛門の子は上が男子、下が娘で、上の息子はすでに二十歳。今年から小姓組見習いに召し出されている。
「娘も、そろそろ嫁にやらねばなりません」
「二人とも、それぞれに人の親になったのですね」
「さようですな」
「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」
いきなり、お福さまがそう言った。だが顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そしてはっきりと言った。
「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」
「ほんとうに?」
「……」
「うれしい。でも、きっとこういうふうに終るのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」
お福さまの白い顔に放心の表情が現れた。見守っている助左衛門に、やがてお福さまは眼をもどした。その眼にわずかに生気が動いた。
「江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」
「よくおぼえています」
「私は江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」
「……」
「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家にもどったのを忘れることが出来ません」
お福さまは深々と吐息をついた。喰い違ってしまった運命を嘆く声に聞こえた。お福さまは藩主に先立たれ、生んだ子ははやく大身旗本の養子となり、実家はあるものの両親はもういなかった。孤独な身の上である。
「この指を、おぼえていますか」
お福さまは右手の中指を示しながら、助左衛門ににじり寄った。かぐわしい肌の香が、文四郎の鼻にふれた。
「蛇に噛まれた指です」
「さよう。それがしが血を吸ってさし上げた」
お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして身体をすべらせると、助左衛門の腕に身を投げかけて来た。二人は抱き合った。助左衛門が唇をもとめると、お福さまはそれにもはげしく応《こた》えて来た。愛憐の心が助左衛門の胸にあふれた。
どのくらいの時がたったのだろう。お福さまがそっと助左衛門の身体を押しのけた。乱れた襟を掻きあつめて助左衛門に背をむけると、お福さまはしばらく声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振りむいたときには微笑していた。
ありがとう文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。
「これで、思い残すことはありません」
階下に降りると駕籠《かご》が待っていた。時刻を定めて迎えに来た駕籠は、はたしてただの町駕籠だった。駕籠はお福さまを美濃屋にはこび、お福さまはそこからさらに駕籠を乗り換えて城にもどるのだろう。
お福さまと侍女が、無言のまま会釈して駕籠に入るのを、助左衛門は馬のくつわを執りながら見守った。そして駕籠が門を出てから、宿の者に会釈して自分も門の外に馬を牽き出した。砂まじりの白く乾いた道を遠ざかる駕籠が見えた。そして駕籠は、助左衛門が見守るうちに、まばらな小松や昼顔の蔓《つる》に覆われた砂丘の陰に隠れた。それを見とどけてから、助左衛門は軽く馬の顔を叩き、一挙動で馬上にもどった。ゆっくりと馬を歩かせた。
──あのひとの……。
白い胸など見なければよかったと思った。その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、助左衛門の気持ちは一方で深く満たされてもいた。会って、今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい。
助左衛門は矢尻村に通じる砂丘の切り通しの道に入った。裾短かな着物を着、くらい顔をうつむけて歩いている少女の姿が、助左衛門の胸にうかんでいる。お福さまに会うことはもうあるまいと思った。
顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾《ろう》するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼《や》ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。
初出 「山形新聞」夕刊 昭和61年7月9日より62年4月11日
単行本 昭和63年5月文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成三年七月十日刊