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古典落語・上方艶ばなし
藤本義一編
目 次
女護《にょうご》が島
しつけぼぼ
おさがり
赤貝猫
金箔屋
建礼門院《けんれいもんいん》
茶漬け間男
風呂敷間男
左甚五郎
からくり医者
お好み吸物
揚子江
松茸《まつたけ》
故郷へ錦
紀州飛脚
張形《はりがた》
羽根つき丁稚《でっち》
忠臣蔵
鞍馬の天狗
逢いびき
反故《ほご》染め
猪飼野《いかいの》
金玉茶屋
下口
上方艶笑私感――藤本義一
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女護《にょうご》が島
上方には、旅のおはなしがぎょうさんございますが、これを宵のうちにいたしますと、お客さまの足取りがようなるなんて縁起をかつぎまして、さかんにいたしましたもので。
東の旅から西の旅、北の旅から南の旅、赤タビ白タビ紺のタビ、洒落《しゃれ》てはくのが黄ィのタビ、いやいや行くのが冥土《めいど》のタビてなこと申しまして……。
こないなおしゃべりをいたしますんですが、出てまいります人間はというと、もう相変りませず、われわれ同様の、ボーッとした、世のなかついでに生きてるようなンを扱うております。
「ご隠居はん、えらいごぶさたで……」
「おウ、こっちィはいれ、ぶさたはええけど、なんやええ着物きて、どこぞ行ったんかいな」
「ほほ、きょうはな、天王寺はんへお詣《まい》りしましてン」
「ほう、そらええことしたな。あのな、彼岸中にいっぺん天王寺はんへお詣りするとな、間の日に千べん詣ったほどご利益《りやく》があるちゅうねン。ぎょうさんひとが出てたやろ」
「ええ、ぎょうさん出てましたでエ。いろんな見世物がおましたワ」
「さよか。そらまアよかったな。天気はええしな、で、なにかこう変ったもんなんぞあったンかいな」
「変った見世物て、べつにおまへんでしたけどな、飴《あめ》屋の看板にな、面白いもンが描いておましたでエ。人間の化物みたいなンが、ぎょうさん描いてあった」
「なんじゃ、人間のばけもん?」
「ええ、あのな、手の、こうジワアーと長いなア、もう長すぎるほど長いやつとな、足のながアいやつが描いてあったン」
「おお、そらおまえ、手長島と足長島の人間のこと描いてあるんや」
「そんな島、おまんのか?」
「はア、そらなア、おまえそんなもん見たことないやろ」
「おまへんなア」
「ほな、はなしてあげるがな。あれはな、手長島ちゅう島があって、足長島とちょうどこう向いどうしになってな、ある日な、足長島の嫁はんがな、この海辺へ出て洗濯してはるね。そしたらおまえ、なにしろ足が長いやろ、そいでおまえ、足のこう、スネがな、ずうっとこう、このへんまで出たはるわナ。そこでおまえ、しゃがんで洗濯してはったン。そら、前にタライはある。けど、そう昔のこっちゃさかいにズロースははいてへんやろ、そら見えてしまうがな」
「へえッ、へえ」
「それを手長島の若いのが見ておってな、そいでおまえ、ニュウニュウニュウと手エ出しおってな、コチョコチョコチョといたずらしおったんや。はア、これを見た足長島の親ッさんが、これは承知せんてやつやな、手長島の頭をブーンと長い足でけりおったんや。さあ、それからおまえ、両方で応援隊が出て、手と足で、やあやッと喧嘩しおってな、その下をおまえ、軍艦が三|隻《ばい》通った」
「ほんまかいな」
「ほんまやがな」
「こっちのほうにな、ぎょうさん小さい人間がいてましてン」
「そらおまえ、小人《こびと》島、小人《しょうじん》国ちゅうねン。で、そのそばに、大きな人間描いてなかったか」
「あ、描いてました。大きな、大仏はんみたいな人間、ぎょうさん描いてました。あれ、なんです?」
「あれがおまえ、大人《だいじん》国いうんや」
「はア、さよか、面白い島があんのやなア。そいで、いちばんこっちの端のほうにな、赤い腰巻した女のひとがぎょうさん描いてありましたでエ」
「あれがおまえ、女護《にょうご》が島ちゅうねン」
「ふェえ、女護が島て、なんです?」
「この島はな、もう男はひとりも居《お》れへん。なんぼ子どもがでけても、女ばかり」
「そんな、阿呆なこといいないな、女ばかりで子がでけまっかいな」
「でけまっかいなって、それができるのやがな。不思議やないのや。あの島のひとはな、みんな日本という国を、神の国やいうて信頼してんのや。で、この島じゃな、女の子が十八ンなったら、みんな元服《げんぷく》するのや」
「へえ、十八ンなったらテンプクしよる?」
「テンプクやない、元服やがな。十八になると、一人前の女子《おなご》になるんや。そのとき、みんな庄屋はんから、金と銀の団扇《うちわ》をもらうのや」
「はアん、団扇を」
「そうや、その団扇もろうたら、もう一人前の女。そうなると、朝は、早ように起きてな、海岸へ出て、ちょっと前をこう開げてな、そいで日本のほうを向いて、『神国《しんこく》の風恋いし、日本の風が恋しい』とその団扇であおぎ込むのや。それから妊娠して、十月十日《とつきとおか》たって生まれる子オが、玉のような、女の子や」
「そんな阿呆な、なんぼなんでも、風をあおぎ込んで、子ができまっかいな」
「阿呆なって、昔からよくいうやないか」
「なんて?」
「子供は風の子って」
「あんたのはなし、どこまで本気かわからんで、ほんまにもう」
「ならいうてあげるがな、日本の若い男がな、朝、早ように起きてみい、起きたとき、こう硬《かと》うになっとるやろ?」
「いいイッ」
「起きたとき、こう硬うなっとるやろ」
「あッ、ああ、ええ、エエ、な、なってま、なってまんな、硬うに」
「あのときに、むこうであおいどるんや」
「ははア、さよか。ほたらなんでんな、むこうであおいでんのが、こっち、感じまんのやな」
「そうや、感じンのや」
「わあッ、えらい面白いもんやなア、さよかア……いま、だいぶあおいどるやろ?」
「いまって、そんな、昼あおぐかい。朝早ようにあおぐんや」
「けど、おかしいな、わたい、いま感じとるがな」
「阿呆なこといいな」
「そやけど、そんな島行ったら、なんやろうな、女、ぎょうさんでけるやろうな」
「そりゃおまえ、男のおらん国やからな」
「う、わッ、はあ、ほなら、わたい、ちょっと行て、行てきますわ」
「行てきますて、そら、おまえな、堺へ行くのンと、わけがちがうんやでエ」
「そりゃわかってますワ、けど、カネがあったら行けるやろ」
「そら、ぎょうさんカネがあれば、行けるかもわからんな」
「いやア、行てくるワ、ほな、さいならッ」
「お、おいッ、待て、ちと待ちイな……これッ待ちイないうのに……」
さあ、これから女護が島へ行こうというんで、道具屋をよんで、ぜんぶたたき売り、家主にいうて、家はあけ渡し、旅姿ンなってもうた。
「隠居はん、ほな、ちょっと行てきますワ」
「行てきますワて、おまえ、えらい格好してからに……」
「へえ、わたい、もう道具みんな売ってしもうて、家あけてしもうてな、そいでこれから行こうと……」
「無茶しおるな、また、話食いが……」
「で、どっち向いて行ったらええねン」
「どっち向いていわれてもなア……ほんまに行く気ィなっとるんやな、しゃあない、ほなら、餞別やるわ、そこに鰹節が二本あるやろ、それ持って行け」
「鰹節? そんなもんいらへんワ」
「いらんことあるかい。それはな、山へでも迷いこんで、食物がないようになってもな、それかじって、水でも飲んでたら、五日やそこらは命が保《も》ついうくらいのもんやさかい、持ってき」
「さよか、えらい便利なもんやなア、ほな、持ってくワ……ほいで、どっち向いてったらええねン」
「そんなこと知らんで、わしは」
「知らんいうたかて、こっちも困るがな。おおよそのところはわかるやろう?」
「そやなア、しゃあない、ほなら、まア、西のほう向いて行ったら、どうや」
「ああ、さよか、ほなら西ィ向って行てみるわ。おおきに、えらいありがとさん……」
のん気なやつがあったもんで、ポーイととび出すと、西へ西へと歩き出しよった。
「いやあイ、こんちわア」
「へい、こんちわ」
「あのウ、ここはどこでっしゃろ」
「西宮でっせ」
「さよか、ありがとさん……こんちわあッ」
「へえへ」
「ここはどこですかいな」
「ここでっか、ここは明石でっせ」
「さよか。海が見えまんな」
「見えまっせ」
「日本の端とちがいまっか」
「ちがいますな」
「前に大きな島がおますけど、あれ、女護が島とちがいまっか」
「あれは淡路島でっせ」
「ああ、さよか、ほなさいなら……」
あっちでたんね、こっちでたんねして、ようよう長崎までやってきよった。
「ええ、こんちわア、ちょっとものをたんねまんが、ここは日本の端やろか?」
「そらまア、ここは長崎やから、端といえば端じゃなア」
「さよか、ここは大けな船が着いてまんな」
「あれはな、黒船ちゅうて、日本の船やない、外国の船じゃがな」
「はア、あっちの国の船でっか……ほなら、これン乗ったら、あの、女、女護が島へ、行けますのやな」
「そんなこと、わかりませんなア」
「はあ、けど、外国へ行けまっしゃろ」
「そりゃあなた、外国の船じゃけん、外国の港に行きますのじゃ」
「はア、さよか、いやアおおきに、ありがとさん……ようし、この船にいっぺん乗ったろ……どこぞ外国へなど行けるやろ」
いいながら、うろうろしてると、むこうのほうから物売りが二、三人やってきよった。船のタラップをトントントンとあがって行きよる。それについてトントントンとあがってみると、倉庫があって扉が開いてる。「こら、ええあんばいや」と、このなかへはいり込み、荷物のかげへかくれてしもうた。
そのうちに、時間がきたのでございましょう、ジャン、ジャン、ジャンとドラが鳴りまして、船が出帆しよった。「あア、これでもう大丈夫や」と思うたとたん、長い旅のつかれがどっと出よって、とうとう三日三晩、目も覚まさんと、ぐっすり眠りこんでしもうた。
四日目に、ふっと目が覚めると、音がしない。小さな丸窓からのぞいて見ると岸壁があって、船はどこぞの港に停ったる様子。
「あア、ここはどこかいな、あんまりよう眠ったんで、小便がたまってもうたがナ……どこぞ小便するところはないやろか……そうや、船の停ってるうちに、この丸窓から出て、小便したろ」
窓からはい出しますと、三日間、たまりにたまった小便をはじめおった。
ジュウン、ジュンジュンジュン、ジュウンジュンジュンジュン、ジュウンジュンジュンジュン……
いくらでも出よる。そのうちに船は荷役が終ったとみえて、すうッと出て行きよる。こっちはまだ小便が出終わらないから、おどろいた。
「あッ、おッ、おいッ、待てッ、待たんかいその船ッ、行ったらあかん、待てえッ、その船ンなか、わたいの財布も、弁当も置いてあるねン、おおい、待てエ、おおい、その船待てエ、帰せエ、戻せエ……」
俊寛《しゅんかん》みたいなこというてる。
「えらいことンなりよったがな、こらア、どないしょ、腹が減ったな、弁当がない思うたらよけい腹減りよるがな……あ、ここに昆布が干してあるワ、これでも食うたろ、いくらか腹のたしになるやろ。バリバリバリ……」
「だれじゃイ、うちの屋根めくるんは」
「屋根? 屋根かいな、これ? うわア、小さな婆さんが出てきよったで……婆さん、ここ、どこでんね?」
「どこでんねつて、ここはおまえ、小人国、こびと島やがな」
「ふあ、こびと島かいな、わア、ほんに小さな婆さんやがな、あ、なんや表で小さいンがやってまんな」
「あれは、魚屋がちりめんじゃこの切り売りしてんのや」
「ちりめんじゃこの切り売り。へえ、日本やったら、あなた、ちりめんじゃこは、一合なんぼで売りまんネ」
「ここやったら、ちりめんじゃこ一匹で、三人分のおかずができるのじゃ」
「はあ、さよか、あッ、なんや、砂糖でもこぼしたのとちがうか、ありがこないに行列つくって……」
「もったいないこというてはいかんぞな。これは大名行列じゃイ」
「ふえッ、大名行列かいな、これ」
「下にイッ、下にイッ」
「うはッ、下にイ、下にイ、いいおる」
「これッ、下にイ、下にイ、ひかえろ、わきにひかえなされ、その身体の大きいひと」
「身体の大きいひとつて、ほほ、まんなかの馬ン乗りはるのがお大名かいな、はははア、ちょっと、この大名借りたろか……ふははア、騒いどる騒いどる、なに? ははア、大名さまが天にのぼった、なるほどなア、なに? 大名が帰らんと、一同切腹せんならん? はは、こら可哀そうや、ほなら返したろ、それッ、はは、喜んどる喜んどる、こら面白いなア、面白いのはええけど、えらいのどがかわいたな、さっきの昆布がからすぎよった。どこぞ行って、水でも飲まなやりきれン」
出てまいりますと、藪《やぶ》がございます、藪を通りすぎますと、ジャーッと大きな滝がある。滝のそばに、大きな岩があって、そこのとこにごぼうがぎょうさん生えている。
「ぎょうさんなごぼうやな。滝の水でも飲んだろか……けど、この滝、えらいくさいな、こら飲めへんで、しゃあない、ごぼうでも抜いたろか、よいしょッ」
「痛いッ、こらッ、なにさらすねン」
「ええッ? あんたなんでんネ」
「大人国の人間じゃいッ」
「大人国? さよか、これ? ごぼうとちがいまんのか?」
「阿呆ぬかせッ、わしの足の毛じゃ」
「うわッ、足の毛かいな、これ、こないに太いの? この滝の水、えらいにおいまんがな」
「滝の水じゃないわい、わしの小便じゃ」
「ふわあッ、小便かいな、ああ、飲まんどいてよかった、えらいことやがな」
「きさま、どこからきたんじゃい?」
「へえ、わたい、日本からきましてん」
「日本人か。まあ、小さななりしおって、よし、こっちへこいッ、わしが名所を見せたるわいッ、この手のひらに乗れッ、それッ」
「うわアッ、高いな、これは、わア、よう見えるワ」
「見えるじゃろ。そこに見えとる島が手長島じゃ」
「はア、あれが手長島でっか、ほたら、それに向いおうてるのンが足長島でっしゃろ」
「おう、おまえ、よう知つとるな。行ったことあるのか」
「いえ、行ったことはおまへんが、見たことありまンね」
「ほほう、見たことがあるのか……おッ、おい、ちょっと待て、おまえ、その、指の間でしっかりとつかまっておれ、いま、くしゃみが出る……ハ、ハ、ハ、ハクショーンッ……」
大男がくしゃみをしたいきおいで、手のひらにいた阿呆の身体が、ヒューンと五千尺も舞いあがった。ヒュウ、ヒュウヒュウと、まる一日とばされつづけ、ふっと気がつくと、どこかに寝かされおって、枕もとには三人の女が心配そうに坐っている。
「まア、気がつかれましたか」
「こ、ここは、どこです」
「ここは、あの、女護が島ですの」
「ひやあ、女、女護が島? ほんまでっか、あはは、こらええとこへきた、へへ、わたいネ、日本人でおまんね、神国の、ええ」
「まあ、さようでございますか、日本から、そうでございますの。さ、どうぞ、どうぞ、庄屋さんがお待ちでございますから、こちらのほうへ」
三人の女が先に立って、お庄屋さんに案内されます。さあ、庄屋さんのほうでは、神国のひとがきたというんで、そらもう大変な騒ぎかた。とにかく、風呂をわかしてはいってもらおういうので、風呂をたてます。
「あの、お風呂がわきましたので、おめしくださいまして」
「はあ、さよか、ほならまあ、ひとつはいらしてもらいましょ、へえ、おおきにありがとさん」
久し振りの風呂にはいりまして、ようくあったまり、これから身体を洗おうというところへ、五、六人の女がやってまいりまして、さっと両方の手をとって洗いだす。うしろから背なか流すひとがいる。足洗うひとがいる。前へまわって、下のほうをば洗うひとがいる。
「まア、見なはれ、このお方、こないな巾着《きんちゃく》を持ってはる。これ、なにがはいってまんねン?」
「うわアいッ、そ、そんな、いろうたらあかん、そ、そこは、わたい勝手に洗うからよろし、ほっといてんか」
「そやけど、こないな丸いたまがふたあツ」
「うへへへ、いかん、いかん、そなことしたらあかんがな」
「あの、こないな棒が……」
「うわあッ、いろうたらあかんいうのに」
「あら、この棒、こないに大きゅうなって……」
「うわッ、ふワ、フアフア……」
こそばゆくてたまらんと、風呂からとんで出よった。自分の部屋に戻ると、お膳が出ております。湯上りの一杯は、気分のええもんで。そこへお庄屋さんが挨拶に出てまいります。
「むさくるしいところへ、よくおいでくださいました。どうぞ、ごゆるりとご逗留を願いとう存じます。つきましては、あんさん、うけたまわるところによると、巾着をお持ちだそうで」
「えっ? ヘヘヘ、巾着、ええ、持ってまんね」
「なかに、丸いもんがはいっとるそうでございますが」
「へえ、へへ、はいってまんね」
「まあ、どんなものでございますの」
「ど、どんなって、そんなもん、よう開いて見たことあらへんがな」
「そなら、あんさん、ちょっと見せていただけませんかしら」
「こんなもん見せられしまへん」
「まア、さようでございますか、どんなもんでございましょうネ」
「どんなもんいうても……そ、そう、キ、キンのたまがはいってまんね」
「まア、金のたま。それではお寝みなさるときは、私のほうにあずからしていただきますワ、貴重品ですさかい」
「そんなもン、あずけられしまへん」
「まあ、さようでございますか。それに、なんや、棒もお持ちやそうで?」
「へえ? ヘヘヘ、棒ネ、ええ、棒、持ってまんねん」
「で、なにする棒でございますの」
「なにをする棒いうて、あれは、そう、そう、掃除棒いうて、掃除をしますねン」
「まあ、さようでございますか。掃除いうと、どこを掃除なさいますので」
「どこをって、あのな、あの、人間の腹ンなか掃除しまんねン」
「まア、腹ンなか……あのう、私、生まれてこのかた、一度も掃除してもろうたことがございませんので、えらいすんまへんけど、今晩、ひとつ掃除していただけませんやろか」
「へえへ、おやすいこって」
その晩、たっぷりと掃除をしよった。それから、娘、妹、私もと、二、三日たって、朝門を開くと二、三百人が並んでる騒ぎ。
「うわあいッ、こない掃除してたら、こっちの身体がつづかん」
しゃべってる落語家の身体もつづかん。
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しつけぼぼ
ただいまでは、生娘というもんは、稀少価値があるなどと申しますが、これは、昔かて変りおまへん。息子はんに、すっかり身代を譲りはった旦那はんなんかは、なんとかして、もういっぺん一生の思い出に生娘をなんて、さがしてはる方があるそうですな。お茶屋さんなどへまいりまして、
「おかみ、わし、この年齢《とし》ンなってしもうたが、もういっぺんだけ、サラのンをあたってみたいんやが、どうやろなア」
「そら旦はん、むずかしい注文でっせ」
「そやさかい、ゼニ金糸目つけんいうてんのや、なんとかしてえな」
「そうでっか、ほなら、うちのお父ちゃんに相談しますワ」
いうて、相談したんですが、
「なんや、しょうがないな、そら探すの大変やで。まあええ、ほな、あの四国から来た、お花いうのおるやろ。あれがいい」
「そんな阿呆な。あれはあんた、九州、四国まわってきた、すれっからしやおまへんか。あんなん、サラで通りまっかいな、ガタガタでっせえ」
「だから、わしが細工するいうてんのや。おまえ、はよ呼んで来い。それから、糸と針、持ってきてな。上と下とを縫うといたら、わからへんのやから、相手は目がうといのやさかい」
「そんな無茶なこと……」
「大丈夫だから連れてこいッ」
無茶なやつがおったもんで、連れてまいりますと、糸と針でもって、ちょいと結んで、ほうりあげたんですが、ややしばらくあって、旦那はんが下りてまいりまして、
「やあ、やあ、結構やった。久し振りにわては結構な思いさせてもらいましたわイ」
「旦はん、あんた結構なって、生娘やいうことわかりましたか」
「そらわかるがな。誰も手ェ通しとらんからして、しつけ糸がそのままやった」
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おさがり
昔とただいまとでは、仏教というもんがずいぶん変りましたな。ま、坊《ぼん》さんがお経を読むのは、なんも変りはないんですが、この坊さんが道をお歩きンなる。ま、坊さんかて道を歩かなしょうがないんですが、この坊さんが歩いてる格好いうもんは、昔といまでは大変なちがいがありますようで。
昔の坊さんいうのは、おさまったもので、大変にこの落ちついてる。あんまり坊さんがしゃかしゃかしていない。たいていがこの、
「はア……愚僧でござるかな、はい、はい」
なんておさまっている。それが、この頃の坊さんはちゅうと、スクーターかなんかン乗って、ブワーッと走ってますからな。あんだけ坊主が忙がしいんですな。事故やなんかが多いから。
お経、逮夜《たいや》参りといいまして、坊さんが檀家《だんか》を一軒一軒まわりはるんですが、考えてみると、坊さんのお布施いうもんも、安いもんですな。ですから坊さんだって、お経あげながら、この家はどれだけ入れたかななんて、そっちのほうへついつい気がはしりますからな。調べてみなしょうがないてなもんで。
「アーア、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、なむあみだぶ、なむあみだ、なんまいだ、なんまいだ……」
「あ、それ三枚ですねン」
「アー、そうですか……」
ちゅうて、お経のほうがしまい(四枚)になったりしまして、物事は順番になってるようで。
坊さんでも、昔はご修行のために、おもてをまわってくる方がございました。ただいまでも京都あたりへまいりますと、禅宗の坊さんが網代《あじろ》の笠かむって、墨染めの衣で、
「おおおおウ、おおおおウ……」
あれ、なにをいうてんのかわからしまへんけど、わたしらがまだ小さくて、ひとに「坊ッちゃん、坊ッちゃん」と呼ばれてる子と遊んでる時分、よく悪いことすると、
「坊さんに連れてってもらうでエ」
なんて、なんや坊さん悪い者みたいにいうて申し訳ないはなしですけど、おどかされたもんで。またこわかったですな、なんとなく。
ですから、ご修行のためにおまわりになる方がある。また、なかには、ずいぶん有徳の方なんかもああいうことをおやりンなったそうですな。
近江屋さんというお店の店先。
丁稚さんが、表へ水をまいていると、このご修行の坊さんがお立ちンなった。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、なむあみだぶ……」
「あ、もうお通りッ」
「なむあみだぶ、なむあみだぶ……」
「どうぞお通りッ、なんも出まへんで」
「なむあみだぶ、なむあみだぶ……」
「ひっこいな、くそ坊主ッ、行きやがれッ」
「ほウ、口の悪い子供衆さんじゃな……近江屋さんか、うん、『近江屋は手許にゼゼ(膳所《ぜぜ》)がありながら、くれええいざん(叡山)、しまつからさき(唐崎)』なむあみだぶ、なむあみだぶ……」
「おい、子供、子供、なんやいまおもてで大きな声出してたが、なんかあったんかいな」
「えッ、いまおもてへ乞食坊主来ましてんネ」
「これこれッ、有徳の方も数あまたいらっしゃるねン、一概にそういうことをいうてはならん、で、どないしたん」
「あっち行きやがれッて」
「おまはんは口が悪いさかいいかん、商人というもんは、もう少し大切に、口をつつしまなあかんぞ。お坊さん、なんかおっしゃったのとちがうか」
「あの、看板見ていうてました。『近江屋は手許にゼゼがありながら、くれええいざん、しまつからさき』と……」
「近江八景の読み込み、それだけのことをおっしゃる方は、ただのお方やあるまい。追いかけて行ってあやまんなはれ。いや、いや、なにか御喜捨《ごきしゃ》をせねばなるまいが、お金ではかえって失礼……あ、ここにさいわいお鏡の用意したのがある。この下の大きいほうをな、『粗末なものでございますが、どうかおおさめを願います』というてな、持ってってあやまっておいで」
「へえい……えらい損や、あんなのいわんといたらよかった、ぼろくそにおこられよった。なんやしらん、なんかいうたらおこられてんのや。けど、あの坊主に、こんな大きのやるのもったいないな、半分かくしといたろ、半分、あて食うてやろ。いやッとこさッと。半分、ふところいれとこ。坊さアんッ」
「おお、先程の子供衆さんじゃな。愚僧になにかご用かな」
「えらいすんまへんて、あやまってこいって。で、旦はんがこれを」
「ほうほ、これはご奇特なことを……半分かな、ふん、『十五夜に片割れ月はなきものを……』」
「ヘヘ、『雲にかくれてここに半分』」
粋な坊さんがあれば、粋な丁稚もいたもんですが、こういう有徳の方ばっかりとは限りません。なかには、そういうのに便乗いたしまして、いくばくかにありつこうといういかがわしいのもまたあったようで。おもてへ立ちまして、
「南無阿弥陀仏、なむあみだぶ……」
「うっとうしいな、うちなんも出えしまへん、あっち行っとくなはれ」
「なむあみだぶ、なむあみだぶ……」
「行っとくなはれいってるのに、ほんまにもう、この坊さんきらいッ」
「これッ、これッ、大きな声でなにをいうてんねン」
「乞食坊主やがな」
「これッ、そんなこというんじゃないッ。昔はな、弘法大師さんともあろうひとでも、門《かど》へ立ちなはったことがあるねン。いま、あないしておもてへ立ちなはっても、どれだけ立派なひとかわからん。ひょっとして弘法大師だったらどないすんねン」
おもてで聞いてた坊さんが、ニタッと笑うて、
「おッ、さとられたかな」
「まア、あの坊さん、あんたが弘法大師かもしれんいうたら、『さとられたかな』いうてまんがな。いまどきそんな、弘法大師さんがいてるはずおまへんがな。さとられたかななんかいう坊主、ろくな坊主やないにきまってます」
「ほい、またさとられた」
どっちにしてもさとられてるんですな。
なかには、やはりこのいかがわしいほうの方でしょうが、年中町内をまわってるもんですから、あるお店の女中さんに、ぞっこんこの想いをよせまして。ある日のこと、通りかかって、「どないしてるかしらン」と、ひょいと見ると、むこうのほうで洗濯している。井戸の水をくんでまんの。この井戸の車いうのは、水くむのに、
キリッ、キリッ、キリッ
あるいは、
キュッ、キュッ、キュッ
と鳴ります。物音というのは、聞きようによって、いろいろにきこえるもので、ひょいとこれが、
スキッ、スキッ、スキッ
というとるようにきこえた。
「ははあン、好き、好き、好きと鳴ってるわイ、こらアげんがええ、今日くどいたらうまくいけるかもわからん」
坊主、うしろからくらいついた。くらいついた拍子に女子衆《おなごし》はんが手を離したもんですさかい、井戸車が、
キライ、キライ、キライ、キライ、ドボーッ……
まあ、ものごとはとりようでございます。
行いすました方でも、ふと魔がさすいうことはあるもんで、
「これ、珍念、珍念、ええ、毎日お墓の掃除をいいつけてあるが、ちゃんとやってますかな」
「はいッ、ちゃんとしておりますけども、今日、お墓でけったいなもの見ました」
「けったいなもんて、なんじゃ」
「あのウ、なんです、佐竹はんとこの後家はんが、ずっと、七日七日にお参りになっておられますのン」
「七日七日にお参りになるというのは、夫の後生を葬うことで、結構なことじゃ」
「それがネ、けったいなことしはりまんのンですワ」
「けったいなことて、なんじゃ」
「あの、お墓掃除して、水かけて、お花替えて、お水もあげて、お線香あげて、おがみはりますのン」
「あたりまえやないかイ」
「そこまではよろしいねン、そのあとがちょっとおかしおまんの」
「どないおかしい」
「あのウ、お乳出してネ、お墓の石にネ、お乳ぴょこぴょこぴょこッとしてネ、そいで帰りはりまんの」
「そないな阿呆なことがあるかイ」
「いいえ、しはりまんの、先週もしてはりました。今週もしてはりました。あれ、なんでっしゃろな、和尚はん?」
「そんなことわしにきいたかてわからんが、妙なことをなさるな。よいよい、七日七日のお参りなら、まだ来週もあること。愚僧がたしかめてみよう」
七日目ンなるのを待ちこがれて、和尚、お墓の陰へかくれてると、なるほど佐竹さんの後家はんがお参りになる。まだ残りの色香がたっぷりという。お墓掃除して、花替える、水替える、お線香あげる、ややしばしおがみましたあとで、肌をふっとくつろげて、おっぱいを、
ぶるるるるン
これは和尚といたしましても気になります。ちゃんと身づくろいをして、むこうへ行きがけるのを、
「あ、もし、ちょっと、亡くなりましたご主人のことやなにかの、想い出話でもいたしたいと存じます、本堂のほうへお越しを」
本堂のほうへ案内しまして、
「まあ、いつもいつも、なにやかやとお世話さんでございまして……」
「いやア、そんなことはよろしゅうございますがな、あのウ、つかぬことうかがいますがナ、お墓へ妙なことなさるようで」
「まア、あれが知れてまんのですか、いえ、じつは、あれは、主人の遺言でございますの」
「ご主人の遺言?」
「ええ、亡くなりますときに、おまえの乳だけが心残りや、なんのお供えもいらんさかいに、お乳だけを供えてくれと、こないいうて死にましたの。七日七日にお乳をお供えにまいりますの」
「やア、これはこれは、なかなか結構なお供え。結構でござりまするぞ。したが、おさがりは、必ず寺へおさめてください」
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赤貝猫
人聞、無くて七癖、あって四十八癖てなことをいいまして、癖というもんは、誰にでもあるんやそうですな。なかでも悪いのが、嘘をつく癖。しかし人間、おぎゃアと生まれてこのかた、嘘をついてないのは、いてないンやそうでして、大なり小なり嘘をつくんやそうですが。
むかし、嘘つきの番付をこさえ横綱になったひとに賞金を出すといったところ、
「おいッ、俺はなア、いままでに嘘ついたことないでエ」
というたひとが横綱ンなったンやそうですな。
「あんた横綱ですワ」
「さよか、ほなら賞金ください」
「ははア、それも嘘や」
といわれたってはなしがあるンですが。
嘘も方便《ほうべん》とか申しますが、方便の嘘、おべんちゃら、これは大いにつくべきですな。ついて罪にならん嘘やったら、どんどんついたらよろしい。仮りに、子供さんひとりほめるんでもそうです。
「これ、お宅のお子さんですか。いやア、可愛らしい、色の白い、お目々の大きい、鼻筋の通った……で、お嬢ちゃんですか? ぼんぼん? へえ、顔見てたら、お嬢ちゃんかと思いますワ。大きゅうなったら、ご婦人にもてはりまっせ」
てなこというたら、親もまんざら悪い気がしまへんけど、これ、正味そのままのこというたら気が悪い。
「あれ、これ、お宅のお子さんでっか、お子さん? うわあッ、色の黒い子やなア、この子。真黒けやな、日焼けしてはりまんやろ、そやない? 生まれたときからそのまま? あア、可哀そうになア、黒いてなもんやおまへんな、染物屋行ったかて、こんな黒くなりまへんでエ。あのウ、目はどれですか、目は、鼻の上にあんのンが目? うわあッ、鼻のまん中にへそが二つあんのかと思うたが。しかしまあ、あれが目ですか。けど頑丈そうな身体してはりますワ、ほんまに。ぶち殺したって死なんで、こんな子は。こういう子は大きくなったらネ、まず相撲取りにしたらよろしイ、こういう子は。ええエ? 男の子やない? 女の子? これ? 可哀そうに、いまのうちに殺してしまいなはれ」
てなこというたら、さっぱりわやですからネ。
商売人が、方便の嘘というのをよく使いますな。仮りに、ひとつのもの値切ったりすると、
「大将、そんな無茶いうたらあかんワ、そうでっしゃろ、それ以上値切られたら、うちは元も子もないワ、かんにんしてエな」
いいながらでも、だんだんだんだん店舗大きくなっていきよる。これ、方便の嘘を使うてるわけですな。
商人は、損と元手で蔵が建ち
それに、仲人さんが方便の嘘、おべんちゃらというもんを使いまして。片っぽうをほめて、片っぽうをけなしたんでは、仲人の役はつとまらん。両方うまいことほめて、丸ウさやにおさめる、つまりこれが仲人の役でして、
「いや、なんでございます、先方のお嬢さんというのは、えらい器量のええ、おとなしい方でございますからして、一度お見合を」
てなこといわれて、見合してみたところ、これが去年別れた嫁はんだったりしまして。殿方と、ご婦人で、どちらがよけい嘘をつくかと申しますと、これはやはりご婦人だそうでして。というのンは、ご婦人には鼻声という強い味方がある。
「ねえン、あなたあン」
これには殿方は弱い。女の鼻声、千両の値打ちとか申しまして、
「ねえン、あなたあン」
てなこといわれると、疲れてるし、明日はよう起きなならんのに、まあええわいッ、寝巻脱いで、いっちょこましてやろう、てな気ンなります。とにかくこのご婦人の鼻声は強い。そやさかい、おてかけはんのいうことなんかきいてると、色気があってよろしいですな。
「ねえン、わたし、あなたにお願いがあるのようン」
「おまえに、ようンてな声出されると、どきッとするワ、なんか買《こ》うてくれいうんやろ」
「そやないの。この頃、あなたの頭に白い毛ぎょうさんふえてきたでしょ。二人ならんで歩いてると、みんながあなたの顔と、あたしの顔、見くらべて歩いてるの。それがきまり悪いのよ。白い毛、抜かしてちょうだいなン」
「そらな、としがいてきたら、白い毛も増えてくんねン」
「それ、抜かしてほしいのよ、抜かしてちょうだいなン、ねエ、ねエん」
と、まるで豚がえささがしてるように、ねエ、ねエ、とつつきまわされると、男も、まんざら悪い気はせんもんです。
「ほんなら、おまえのいいようにしてしまえ」
じきに頭を痛くしてしまいよる。ひまにあかして、毛抜きを持ち出して、一生懸命に白い毛を抜きにかかる。一方、家に帰りますと、奥さん少々やきもち気味でね。
「あなた、この頃、あなたの頭に白い毛が少のうなりましたワよ。としをとって、白い毛が少のうなると、しまりがなくなりましてよ、白いのンが目立つように、黒い毛抜いてさしあげます」
ちゅうて、嫁はん鉢巻して、一生懸命、黒い毛抜きにかかりよる。おてかけはんとこでは、白い毛抜かれて、家へ帰って黒い毛抜かれたら、二、三日たってずんべらぼうって、まさかそんな阿呆なこともないやろけど。悋気《りんき》、やきもちというもんは、ほどほどがよろしいようで。
男にしろ、女にしろ、やきもちというもんはあるようでして、
「おらもう、腹が立ってな」
「どないした」
「夕ベな、うちの嫁はん、よそへ泊ってきよるねン」
「そらいかんこっちゃなア」
「それで、どこで泊ってきたっていうたら、おまえ、『わたしの妹の家で泊ってきた』と、こういいよるのや」
「それやったら、なんも文句いうことあらへんやないかイ」
「ところが、それが腹立つのやがな」
「なんでや」
「その妹と、俺、夕ベ一晩いっしょやった」
こういうのになると、えらいことですが。こんな色気のあるおはなしがぎょうさんありまして。
あるお妾さんが、猫を飼《こ》うてたんですな。この猫が、台所で赤貝をいたずらしてたん。赤貝も、さわられてるあいだは、じっとしてたン。ところが、猫が爪を立てたんで、びっくりした。赤貝あわてて、ぶわッとふたをしたン。猫は、ふわっと吹きよったがとれへん。そのまま、とんとんとんとんと、二階へあがってきた。それを見たお妾はんが、
「まア、なんやタマ、あああ、赤貝いたずらして、あてはまた、下駄はいて二階へきよったかと思うたで。そんなことするさかい、手エはさまれるんやないか、さア、わたしがとってやろ……さ、こいでええやろ、え、これから赤貝見たら、吹かなあかんで、吹くねンで。まだ、ふるえてる、可哀そうに、寒いんか。よしよし、わたしがふところへいれたげる」
猫をふところへいれまして、で、用事があったんで、立ったんですな。帯がゆるんでたんか、猫が、ずぼウッと板の間に落ちるなり、なにを見よったか、
ふうッ。
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金箔屋
昔から、「笑う門には福来る」と申しまして、この世に、笑って損をした方というのはおまへんそうで……とこないに口ぐせのようにいうておりましたんですが、
「そやないで、笑うて損したひとおるでエ」
といわれましてン。誰か思うたら、金箔屋さんやそうですな。
金箔いうのんは、ご存知のように屏風やなんかに張ってある、金の板ですな。もう薄いもんでんなあれは。風もないのに、ひらひらひらっととんで行く。金属でありながら、すかして見たら、もうむこうが紫色にすいて見えてまっせ。とにかく大変に薄いもんで。そやから仕事がずいぶんむずかしいそうです。
一|匁《もんめ》いうのが、ちょうどこの小指の頭よりずっと小さい。こういう小さい金の玉を、トントントンとたたいてのばしたら、畳の八畳敷の大きさまでのびるそうですな。それ位のびなければ、金箔の職人は一人前ではない。むずかしいもんですな。ふつうにたたいたんでは、そこまでのびんそうですな。動物の皮につつんでたたかんと、そこまでのびない。それも、ほかの動物では絶対にいかん、狸の皮やないといかんそうですな。狸の皮で、金の玉をつつんでこそ、八畳敷にのびるいうて。
この金箔屋さんいうのは、朝の早い商売で、ひき明け時分から、この、
トン、トン、トン、トン……
と仕事をしてるそうです。と、この金箔屋さんの、ちょうど筋むかいにありましたんが、呉服屋はん。ここの嫁はんが、朝、雨戸をあけるべしで、出てきた格好が、また夏の暑いさかりやったんですが、上のほうがまっ裸。お乳を、でれんと出して、腰巻一枚だけくるッとまいて、どっかでキュッとはさんで出てきよった。
また、この雨戸いうのが、ガラガラガラッと横に閉まるやつやない。下から上へ、下から上へとあげる式。以前は、この間口が広く使えるし戸袋がいらんいうんで、こういう雨戸が多かったんでんな。で、この嫁はんが、この雨戸を上へあげるべしで、腰巻ひとつで持ちあげたン。ところが、背が足らんもんやから、背のびをしたン。人間の身体いうのんは、背のびすると、それだけ細うなりよる。
で、この腰巻が、ふわアと落ちてしもうた。両手は雨戸を持ってるもんやさかい、かくすわけにはいかん。もう、どないもこないもならへん。しょうない、このまんま泣いとったいうんでっせ。
「戸(子)を持って、泣かぬ親はない」
いうのんは、これから始まった。
それを金箔屋の親ッさんが、仕事をしながら、ひょっと見よった。思わず「プウッ」とふき出した。ふき出したら、えらいもんで、そのいきおいで、そこに出来あがってた金箔が、ヒラヒラヒラッととんでいきよる。
「こらあかん」
というんで、グッと口をしめたんですが、息ちゅうやつは、止められると出口がないもんで、今度は裏門のほうから「ブッ」と出よった。また、うしろのほうにあった出来あがつた金箔が、ヒラヒラヒラッ……
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建礼門院《けんれいもんいん》
こたびは、牛若丸と弁慶という、非常に可愛らしいおはなしが、ちっとも可愛らしくないというおはなしを申しあげます。
川柳に
弁慶と小町は馬鹿だなア嬶《かか》あ
というのンがございますが、面白いもんですな。弁慶という男は、あれだけ大きな図体をしていて、生涯にいっぺんだけしかご婦人を知らんそうですなア。小町というのは、もちろん小野小町のことでして、穴のない針のことを小町針というぐらいのもんですさかいに、小野小町というひとは、男のひとを知らんのですな。
弁慶というのは、図体ばかし大きくて、不器用なもんですが、そこへいくと、弁慶の殿さんのほう、源義経、源九郎|判官《はんがん》義経という、こちらのほうは色男ですからなア。もう静御前であるとか、建礼門院だとか、あっちゃこつちゃくい散らしてるんですから大変なもんで。お芝居でいたしましてもきれいです。弁慶は毛むくじゃらですが、義経のほうはやさ男、二枚目。
もともと義経というのは色男にできあがるようになっている。と申しますのが、生まれたときからそういう運命でして、義経のお父ッあんが源義朝。で、この義朝というのが、平治の乱に敗れまして、死んでもうた。するとここに未亡人ができあがった、この未亡人が常盤御前《ときわごぜん》という、つまり義経のお母さんです。この常盤御前、当時二十三歳、きれいやったそうですな。で、この戦争未亡人の常盤ちゃんに平清盛が惚れた。
「ま、常盤ちゃん、えやないか。おまえはん、婿《むこ》はん死んだんだし、あとは俺が面倒みるさかい、わいと仲良うしよやないか、わいのいうこときいたら、あんたの子、三人ともいのち救けてやろうやないか。そやないと、いてこますでエ」
と、こうなったんですな。常盤ちゃんかて、はじめは、
「いやや、いやン、そんなンいやン、うちのひとに申しわけないわン」
と、いうてたんですが、清公のほうがですな、一生懸命押しまくったもんですから、夜通しかかった説得に、明け方になって「うん」ちゅうだんですな。「うん」ちゅうた、「時は午前(常盤御前)」いうくらいのもんで。
これを、操《みさお》を破って操をたてたてなことをいいます。非常に美談のようにいわれるが、これは嘘ですな。そのときに、なにしろ常盤ちゃんが二十三歳で、清盛が四十五歳。四十五歳の精力が二十三を押しまくったというのが実情で、なにが破れて、なにがたったんだかわかったもんじゃない。
で、この牛若丸。今若、乙若、牛若と三人いたうちの牛若丸が鞍馬へあずけられたんですな。鞍馬山では天狗と遊んでいたというんですから、ここらへんがお伽噺というものの複雑微妙なところ。天狗というのは、鼻が大きくて、天狗の鼻というのはいろんなものを想像させてくれるんですが、この天狗と遊んでたというんですから、牛若丸にも多少、このホモッ気があったんかもしれません。それが、だんだんと年がたちまして、十四、五になりまして、色気づいてきたんですな。で、ぼつぼつガールハントを始めた。
一見して、男か女かようわからん可愛らしい格好しまして、京の五条の橋の上、笛をピイヒョロロ、ピイヒョロロとやるわけですな。面白いことに、この笛いうもんは、源氏も平家も二枚目が吹きまんな。源氏のほうは、この義経が笛を吹きますが、平家はいうと、敦盛が青葉の笛というのを吹きます。吹くのが好きなんですな。
こうやって、笛でもって女の子をひっかけるもんやから、腹立てたんが弁慶。図体が大きい。背負ってる長刀《なぎなた》にしたって、長くて、そり返ってて、ええ格好してる。同じ抜身のなかでも長刀は大きい。弁慶は図体が大きいだけで女の子にもてん。で、牛若丸ばかりがもてるものやから、
「こりゃあッ、おンどりゃあ、なにさらしてけつかんねン」
と、なったわけだすな。
「なにさらしてけつかんねって、なんや、おッさん」
「なんやおッさんって、おンどりゃあ、よういてもたろうか」
と、いうわけでチャンチャンバラバラとなったいう。あれは歴史家が考えたはなしで。あれ、ほんまは、ご婦人をあいだにはさんで、弁慶と牛若丸が一大決戦をくりひろげたんですな。義経というのは、ご存知のとおり、ここと思えばあそこ、あそこと思えばここという燕のような早技で、女の子のほうは、
「ひいッ……」
となったわけですなあ。で、弁慶のほうは図体が大きいだけで、これまでろくなんにあたってないさかいに、もう、ぐうッとなったら、むこうが、
「あッ……」
といって、で、これでもうしまいやったんですな。で、この女の子が、
「あんた駄目ネ」
とこうなったんだすな。それからこっち、女の子に、
「あんた駄目ネ」
いわれた男のことを、「意気消|枕《ちん》」とこういうようになったン。弁慶の一番勝負というくらいで、弁慶は、このいっぺんでご婦人が駄目になった。
一方、義経は、ここと思えばまたあちらというんで味をしめ、方々で色男ぶりを発揮した。いろんな戦術を身につけましたが、一番の戦術はというと、かの有名な鵯越《ひよどりごえ》のさか落しというやつ。立派なもんですな。
うしろからぐっと乗り込む一の谷
という川柳がございますが、前から攻めてあかなんだらうしろから行けという、これはもう義経ならではの戦法でありまして、そりゃもうえらいもんです。
また福原というところには……いまでも福原には女の子が多いんですが……平家の女官たちが多勢いた。これが右往左往と逃げまどうなかを、義経がぱっと見たンが建礼門院。
「あれ、べっぴんやないか、あれ、逃がすな」
ですからこの壇ノ浦の戦いのときに、建礼門院が水の中にざんぶととび込んだやつを、義経が引っぱりあげた。べっぴんのことを、美女美女《びちょびちょ》いうのンはこれから始まった。初めからぬれてたから仕事はしやすかったんですな。義経が、
「どや、えやないか」
「いやン、あなたなんか源氏源氏はいやン」
「そな、ゲジゲジみたいにいいなや……どや? これでも源氏源氏かいな?」
「うふン、もう平家《へいき》ですわン」
とこれがこう仲良うなってしまった。
で、この義経と建礼門院の仲が、鎌倉へきこえたもんですから、兄貴がやきもちをやいて、
「あんなやつ、いてしまえッ」
で、しかたなく、
♪旅の衣は鈴掛の……
と、奥州のほうをむいて逃げて行った。うしろから追いかけてくるんですな。その間に静御前との別れ話やなんかもありまして、ちょうちょうなんなんというところもありますが、くわしくやってるといのちが危なくなる。
義経のほうはかまわないが、気の毒なのは弁慶。いっぺんでご婦人にはこりてるものの、弁慶かて男ですさかい、大長刀が、毎日、毎夜ふるいたってたまらない。ただのふんどしでは破れてしまうさかい、衣もぼろぼろやし、革でこさえたんですな。それでも突っぱって困ったというくらいで、
弁慶は衣川(革)で立往生いたしました。
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茶漬け間男
よろめきやとかなんだとかは、むかしからあったもんですな。
ある奥さんが、今日は絶対にご主人が帰って来えへんいうので、よその男ひっぱってきて、寝床で枕並べてた。夜中に、よもやと思ってたのに、表の戸がドンドンドン……。
「おいッ、いま帰ったでえッ」
と酔うてる声がきこえる。
「帰ってきたやないか」
「今日は帰らんはずや」
「はずやったいうたかて、帰ってきたやないか。ここの家裏口ないし、どこへかくれよう、おいッ」
「もう、かくれてる間がない」
「間がなかったら、どないしたらええのや」
「かめへん、ここに寝てなはい」
「寝てなはいって、はいってきたら見えるがな」
「いや、あの声やったら、うちのひと大分酔うてる、あのひと酔ってたら、なにもわからへん、大丈夫、大丈夫、静かにして、大丈夫」
どたんばまでいくと、男より女のほうが度胸がええちゅうんですが、寝床の一番端の壁際のところに、よその男寝かしたまま、表の戸を開けに行く。亭主のほうはべろべろに酔ってる。
「なんや、早うあけッ」
「大きな声出しなはんな、もう、夜がふけてんのに、まあ、お酒くさいこと、もう、泊って来たらええのンに」
「俺が帰ったの、気にいらんのか」
「気にいるもいらんも、はようおはいり、まあほんとにしょうがない。はよ、寝なさい」
寝なさい、寝なさいと、むりやり裸にして寝床にひきずりこんでしまう。こっち側に、よその男が寝てて、こっち側にはおのれの婿《むこ》さんが寝てる。自分はまんなかにはさまり、三人並んで寝てたんですが、しばらくすると、そこの亭主が、
「どうもわからん、おかしい」
「なにがおかしいねン、はよ寝んかい、このひと、わからん? なにがわからん」
「なにがわからんて、ここにこうして、おまえと、わいと、二人寝てんのや」
「あたりまえやないか」
「なんで足が六本あるねン」
「そんな阿呆なことがあるか、足は四本や」
「そこに六本並んでるやないか」
「あんた酔うてるからそんなこというてんのや。四本の足が六本に見えてんの、お酒のせいや」
「そんなことあるかい、どう見ても六本、そこに見える」
「四本やて、このひと」
「いや、六本ある。俺は調べる」
というと、寝床から出てきて、壁をこすりながら、
「一本、二本、三本、四本、ああ、やっぱり四本や」
安心して、また寝てしもうた、てなはなしがおますさかい、まあ気イつけなあきまへんけど、こういうことは、よう昔からあったんですな。
「はようごはん食べたらどう」
「やあやいいないな、おまえ。茶漬けくらいゆっくり食わしてくれ。今日はろくなことなくて、酒もよう飲めん。めしぐらいゆっくり食わなんだら……」
「♪おまえ待ち待ち、蚊帳《かや》の外、蚊にくわれ
七つの鐘を……」
「ちょっと、あんた、あたしちょっと、お風呂行ってくるわ」
「風呂行くのかまへんけど、おれがめし食うてんのやさかい、食うてしまってから行ったらどうやネ」
「あのな、隣のお松さんと約束してんの忘れてん、あのひと、わたしが誘いにくるの待ってるやろから、ちょっと行ってくる」
「あのなア、亭主が茶漬け食う間くらい、給仕してから行ったらどうや」
「そうかて、あのひと待ってるやろと思うさかい、ちょっとお風呂、行ってきますワ」
「ちょっと、こら、おい、おい……チェッ、けったいなやつやな、うちのやつは。亭主がめしを食ってる……茶漬けでしまいやがな……そのくらい待ったらええのに……」
「おい、出てくんの、遅かったやないかい」
「うン、このひとは、ほんとうに、大きな声でなんべんもなんべんも歌うとうて」
「そうかて、おまえの家の前、歌うとうて通ったら、それ合図に出てくるいうさかい、歌うとうて通ったら、おまえ出てきへんさかい、また歌《うと》うて通り、また歌うて通り……」
「それが気にいらんちゅうの。うちのひとが、おかしい思うやないか、いっぺん歌うたらわかってるがな。こっちかて、すウッと待ってたように出られへんやないの。亭主、ごはん食べてるんやもの。お茶漬け食べてんのに、ほったらかして出てこられんやろ。そやのにあんたが、なんべんもなんべんも、阿呆声出して歌うとうて、行ったりきたりするさかい気が気やないわな。無理やり、お風呂行くってとび出して出てきたんやけど、時間がないのやさかい、今日は。はよう……いつものとこへ行かんの?……」
「さあ、それや、それが……そういうわけにいかんのや」
「なんで?」
「あわてたんで、財布持ってくるの、ころッと忘れたン……おまえ、なんぼか持ってへんか」
「なにをいうてんの、このひと。お風呂行くいうて、手ぬぐいだけ持って、とび出してきたんやないの、おカネなんかあるかいな」
「そんなこというて、ゼニがなかったら、どこも行かれんやないか」
「あきらめな。また、こんど……」
「そんな、こんどなんちゅうたら、また、いつンなるかわからへんやないか、おたがいに都合があるがな、なんとかならんか」
「なんとかならんかいうたかて、おカネがなかったら、なんもならんやないか。あんなとこで、ちょっと貸しといてちゅうわけにはいけへんやないの」
「そやけど……どこぞおまえの心やすい家かなんか」
「そんなこといいに行けるかいな、阿呆らしイ、ようそなこというなア、このひとは」
「おまえとこの二階、空いてへんか」
「なんです?」
「おまえとこの二階、空いてへんかちゅうの」
「うちの二階、空いてるわよ」
「そこ借ろう! なッ、二階、借ろう」
「阿呆か、このひと。階下《した》でお茶漬け食べてんやで、うちのひと」
「かめへんがな、やりようがある。おれにまかしとき。だまって、わしについといでや……今晩は」
「誰や? ああ辰ちゃんかいな、なんやいま時分」
「ああ、時分どきか」
「時分どきやあらへんがな。おれ、めし食っとんのに、うちのやつ、ぶアッととび出して行きよって、風呂行くちゅうて」
「留守か」
「うん。隣のお松つァんと約束してるとかなんとかいって、……おれが茶漬け食ってんの、ほったらかして行っちまいよる」
「そうか、お崎さん留守ならちょうどええワ……ちとたのみがあるんや。おってもらうと、かえってやりにくいんや」
「なんやネ、たのみて」
「二階貸してもらえんか」
「二階を貸せ?」
「ちょッ、ちょっとの時間や。じきに、じきにすむがな」
「なんや」
「いや、ゼニ忘れたんや、ぼんや行かれへんのや。ちょっとすまんけど、あとで礼するよってに」
「いややで、そんなん。また女こさえたんかい、達者なやつやなア」
「こんどはなア、近所の、ひとの嫁はんなんや、これが。おかしなとこ行かれへんのや。.ちょっとだけ貸してえな、な」
「あいつ帰ってきたらぼやきよる」
「いや、帰ってくるまでにかたづけるさかい」
「そやさかい」
「いや、こっちがかたづくまで、帰ってきよらへん」
「そんなことわかるかい」
「おいッ、ちょっと……すまんけど入れてもらえ。顔見られると、顔知ってたらまずい、近所のひとやさかいな。ちょっと灯《ひ》消して、灯消さしてもらうで。入れてもらえ、挨拶もなにもせえでええから、ちょっと二階へ、上げてもらえ」
「真っ暗けにしやがる、ひとがめし食てるのに……気ィつけてあがりや、あのな、その階段の途中に棚が出てんネ、誰でもいっぺん頭うつねン、気ィつけ……うまいことあがりよったな、ふたりとも。たいがい頭うつんやけどな。真暗闇や、しゃアない、まったく、阿呆らしくて、めし食ってられへんで……あいつまた風呂……はよ帰ったらええのに……静かにしイや、めし食ってるンやからな、階下では。ほこりが落ちるさかい、静かにしイいうのや……どたんばたんやらしやがって、こらめし食えんわ、だんだんむかついてきた、達者なやつやな、あれ、ひとの嫁さんやて、いまにえらいことンなるで、あなことしてて……町内で知らぬは亭主ばかりなり、あなことされてて知らんやつもおる……あいつ帰ってけえへんな、あれ」
「えらいすまなんだ」
「すまなんだやないでエ、おまえ。気ンなって、落ちついてめしも食っとられへん。最後の漬物なんかどこはいったかわからへん」
「えらいすまなんだ、ゼニ忘れてどないしょう思ったン。おかげで助かった。おりといでや……ちょっと待ち、ちょっと待ち、顔見られたらあかんさかいな、すまんけど、そいじゃもういっぺん灯消さしてもらうで。さあさあさ、もうお礼もなんもいわいでええ、代りに俺がいっとくさかいな、内緒やで内緒やで、このはなし、さあさあさ、忘れもんしいなや、履物《はきもの》間違えるなや。ほなら、いずれまた改めて礼にきますさかいな、ほなら、さいなら。お崎さんに内緒にしといてくなはれや、このはなし。ごめん」
「こらッ、せめて灯りぐらいつけて行け、灯りぐらいッ、あいつが消したら、またわしがつけンならん、最前から、つけたり消したり、消したりつけたり、茶漬けひとつはかどらへんがな……あいつまたなにをしとるのや、はよ帰ってきたらええのに、ばかにしやがって」
「ただいま」
「ただいまやないで、これッ、ほんまに。ひとがめし食ってるのにほったらかして、風呂行きやがって。おかげで、あと、こっちはえらい目に会っとるがな」
「あんた、まだお茶漬け食べてるの、あんた。あての風呂はたいがい短かかったつもりやけど、あんたのお茶漬けは長いなア」
「なにをぬかしやがんねン、おまえが出て行くなりな、辰ちゃんがはいってきたんや」
「辰ちゃんが? なに?」
「女子《おなご》連れてきて、ゼニ忘れたさかい、ちょっと二階貸してくれいうねン」
「まア、あのひと、まだそんなことしとるンか。どこへでも行くがええ」
「そやかて、カネ忘れてきた……」
「いややで、わて、そんなん」
「いやかてしょうがない、勝手に連れてきて、近所のひとの嫁はんだいうねン。灯消して、階上《うえ》あがって行きよって、いま帰ったとこや」
「まア、あのひと、ようそんなことして。近所のおかみさん? へえ、そんなことしてるひと、世間にぎょうさんあるんやなア。で、ご亭主のほう、なんも知らんの、そのことを、へえ、そんなことされてるとも知らんと、その婿はん、いま頃、どんな顔しとるやろ」
「さア、大方なんにも知らんと、茶漬けなど食ってるやろうかい」
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風呂敷間男
ひとの女房と枯木の枝は、
のぼりつめたらいのちがけ
てなことを申しますが、ひとの嫁さんというンですから、そら大変ですわな。
旦那はんと奥さんが、仲良うひとつ床に寝てて、奥はんのほうが浮気してる夢見て寝言いいよった。
「あっ、主人が帰ってきたワ」
それをきくなり、隣に寝とった婿はんが、がばっとはね起き、押入れにとびこんだってはなしがおますが。それは、婿はんのほうも、心当りがありますのや。
「あのウ、わいはなあ、こないして奥はんといっしょにいてるときが、いちばんしあわせなんや」
「あたしかてそうやで。もうここまでなってしもうたら、しかたないわナ、うまいことやったら、つづくさかいに」
「それはそうと、なんや、おもてに酔っぱらいの声がするがな、ひょっとしたら、おまえの亭主帰ってきたんとちがうか」
「えっ?」
「♪高い山からア……低い山見ればア……高い山のほうが、どうしても高いィ……」
「けったいな唄、うたってきよったで」
「あんた、はよ、逃げて、逃げて」
「逃げてというても、これ、入口がひとつしかないがな」
「ああ、もう帰ってきよった。あんた、押入れ、はいって」
「こんなとこはいるんか、まあ、しゃあない、はいるで、はよ閉めてくれ」
「閉めまっせ、あんた、音さしたらあかんで、わかってるな、呼吸《いき》もするなや」
「そんな無茶いいな。おい、なんやこのなか、くさいで、匂うがな」
「そらな、湿気が多いんとちがいまっか」
「さっきわいが庇をこいた」
「知らんがな、そんな、音さしたらあかんでエ……まア、あんたお帰り、はやいな、今日はえらい、なんでまア、こないはやいんです」
「なんや、こらッ、亭主がはよう帰ったら、いかんのかいな」
「いかんことあるかいな、喜んでまんのや、今日は遅帰りやいうて出たのに、こんなはよう帰ってきて」
「いや、じつはわい、今日は棟上げが終って、帰りに一杯ひっかけて、寄り道して帰ってきたン、わい、もう眠いよってに、眠るでエ」
「あ、そんなとこに寝たらあかん、あ、そんな押入れの前に寝たらあかんて、あア、あかんいうのに、もっとむこう行きィな」
「もうええ、ここでええ、わいここで寝さしてもらう、本当に、ぐうッ、グウ、グウ……」
「まあ、どないしたらええやろ、困ったワ、そうやな、棟梁《とうりょう》とこ行って相談してみよ……こんちわ、棟梁いてはりまっか」
「おっ、お崎はん、どないした」
「棟梁、この通り、お願いです、棟梁、助けとくんなはれ」
「なんやネ、どないしたン、また夫婦喧嘩でもしたんかいな」
「いや、そうやおまへん、じつは、あのウ、隣町の茂助《もすけ》……」
「茂助? 茂助いうたら、おまえとこの亭主とおまえを張りおうた仲やないか、恋敵《こいがたき》や、そ.れがどないしたん」
「茂助が今日、亭主の留守のときに、うちへきとりましたン」
「なにしに」
「なにしにて、ほれ、きとりましたン、ほんで、一杯やっとるときに、うちのンが、帰ってまいりましてン」
「大喧嘩ンなったんか」
「いえ、そこまでいきまへん、わてがあわてて、押入れンなか茂助かくしましてン。ほたら、うちのんが、その押入れの前、ごろっと横ンなったん。もう開けるに開けられんし、うちのいびきかいて眠てまんの。もし、なんとかしてくだはい、ばれたら、えらいこっちゃ」
「あたりまえやがな、そんなことしたら。お崎はん、あんたえらいことすんのやなア、けど、そら、ばれたら血を見るでエ、血を。ほっとけんがな、よし、いまから行くさかい、ついといで……ほんまに、お崎はん、あんなことすんなや、旦那は酒のむくらいで、なんも悪いとこあらへんのやから、真面目に働いとるのや、それをかげで、こそこそこそこそ、あんなことしたらあかんで……おい、おいッ、清《せい》やん、なんや、今日はえらいはやいとこ帰って寝てるんやなア……」
「だ、だれや、お、おッ、棟梁、な、なんでんねン、いま頃」
「なんでんね、いま頃やあらへんがな、おまえ今日機嫌ええさかいな、ちょっと面白いはなしをしにきたんや」
「面白いはなして、どんなはなしや」
「じつはな、隣町で、昨日《きのう》間男があったってはなし知らんやろ」
「間男? そのはなし、きかんなア」
「婿はんの留守に、嫁はんが男ひっぱりこんで、いちゃいちゃいちゃいちゃやっとったん、な、そこへ婿はんが、えらい酒に酔うて帰ってきたん」
「おおう、こらおもろいな、喧嘩ンなったやろう」
「ところがや、浮気でもしようかいう嫁はんや、気転がきくがな、すぐに近所のある男よびに行った。その男がきて、おまえ、どないしたと思う?」
「おい、それ、どないしたんや、ちというてくれ」
「亭主は押入れの前に寝てしまってるのや。押入れのなかには、浮気の男がはいってんのや、なんとか出さないかんわナ。そんでやなア、風呂敷を一枚、持ってきたのや。お崎はん、風呂敷一枚貸してんか。まあ、この風呂敷をそのときの風呂敷とせんかい。その風呂敷をこう、寝てる婿はんの頭の上へ、ぱっとかぶしたんや。どないや? 前、見えるか」
「お、お、そないかぶすない、なんも見えるかいな、真っ暗やがな」
「ほんまに真っ暗やな、なんも見えんな」
「なんも見えんで、わからん、真っ暗や」
「ほいで、その男が、風呂敷かぶしといてな、それから、こう、そおおっと、押入れ、開けたわけや……『こらッ、なにをさらせ、このガキは、ええッ、ほんまに泥棒猫みたいなことしやがって、はよ出んかいッ、これッ、こんどからこんなことしたら承知せんで、ほんまに、はよ行かんかいッ』……いうたら、男が一生懸命手エあわしながらな……」
「ああ、ああ、あア」
「すっと表へ逃げて行ったと……こんなはなしや、どうや、おもろいやろ」
「うははア、ほんまにおもろいなア。その婿はんは、阿呆やなア……」
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左甚五郎
日《ひ》の本《もと》は、岩戸神楽のむかしより
女ならでは夜の明けぬ国
とか申しまして、ご婦人というものがなかったら、この世は暗闇だそうですな。いわば、ご婦人は、配電会社かガス会社みたいなもんで。結構なもんですワ、ご婦人いうもんは。こういうふうにほめますと、また女子《おなご》というもんは、じきに増長しよる。
なあなあいうてりゃつけあがり、いうて怒ればふくれるワ、どつきゃ泣くワ、殺しゃ夜中に化けて出る、ちゅうて、この世のなかの廃物はなにかいうたら、女子か瀬戸物の欠けたんだそうですな。
むかしから、女|三界《さんがい》に家なしとか申しまして、女の方は家がなかったんやそうですな。野良猫同様でね。お釈迦さんがうまいこといってますワ。女は、外面|如菩薩《にょぼさつ》内面|如夜叉《にょやしゃ》、うわべは菩薩のように美しいが、心のなかは鬼や、とこういうたん。女のひとは鬼やそうですな。
ところがご婦人でなかったらならんという、女の方には責任がある。どういう責任かというと、子供を産むという責任。これは、男では絶対に真似ができん。女の身持ち、見てても色気があってよろしいですな。色の白いところへもってきて、ほおの肉が落ちてきて、小鼻がいかる。口のまわりが荒れてきまして、お腹がずうっと前へ出てきよる。お尻は、うしろのほうへ、ずうっと出よる。横手から見たら、英語のSていう字みたいな形ンなって、肩で呼吸しながら、
「あなた、わたし、酸《す》いもん食べたいワ」
なんてこといいよる。見てても色気があってよろしいが、いまは男女同権やいうので、男は男の子を産みなさい、女は女の子を産みましょう、てなことンなってきたら、えらいことやからね、これ。男の身持ちいうのは、感心しませんワな。
常に色の黒いところに、垢《あか》がたまってきたら、なんや甘栗みたいになりよる。ヒゲはぼうぼうと生えてくるワ、会社へはつとめンならんワ、お腹は前へだんだんだんだん出てきよる、服のボタンはかからんワ、ステッキついて、肩で呼吸しながら、
「オイ、君ッ、ぼく酸いもんがたべたいッ」
こんなんは、あまり感心しまへん。
こういうのは、やはりご婦人に限るようでして。やはり妊婦は、ご婦人のほうが色気があってよろしいですな。
有名な彫刻師に、左甚五郎という方がございまして、このひとの彫ったものは、生きるといわれましたもので。日光の東照宮にあります眠り猫、これなんかは、夜中になったら目をあけるんやそうですが、見ていても、その姿に色気があってよろしい。そやさかい、大きなお屋敷になりますと、こういう立派な彫刻がぎょうさん置いてあるんやそうでして。
ある家の娘さんが、お屋敷へ奉公にあがりましたが、途中で病気やいうことで実家へ帰されました。親が心配しまして、いろんなお医者はんに診てもらいましたが、どうもふつうの病気やない、お腹に子供を宿してる。これをきいた両親がびっくりしまして、早速、娘に、相手は誰やときいてみましたが、娘も恥かしがってよういわん。それは、よういわんやろ、親にはこんなことよう打ちあけんやろな、誰ぞええひとはおらんかいなと、さがしておりましたが、ちょうどさいわいに、娘さんを小さい時分に育ててた、お乳母どんがいた。これをよんで、お乳母どんにきかしたらどうやということンなりまして、そのお乳母どんをよびまして、
「いや、忙がしいのにおもよどん、よびたててすまんこっちゃな」
「旦さん、長いことごぶさたしてます」
「いやいや、ごぶさたはお互いさんやがな。元気にしてるか、結構なこっちゃ。じつはなうちの娘のことやがな」
「へえへ、あのお屋敷に、ご奉公にあがってました、あのお嬢さんでございますか」
「そうやがな。それがこの間から帰ってきて、病気やいうて寝ついてたんや。ところが、これがまた、えらいことになってしもうてなア」
「左様でございますか。人間の寿命いうもんはわからんもんでございますなア、へえ、お若いのに。で、お寺はんのほうは、どうなといってはるんでございますか? 墓のほうは、どういうふうな都合にあそばされるんでございますか……」
「ちょッ、ちょッと、待ちなはれ。これッ、それでは、うちの娘、殺してることになるやないかい。うちの奴、まだ死んでへんのや」
「まだでございますか、さよでございますかいな、それはラチのあかんことでございます」
「なにをいうねン、ラチのあかんというのはなんやいな。いや、それについて、方々のお医者はんに診てもろうたんやが、その容態がわからん。ところが、ある医者のみたてでな、子供がでけとると、こういうんじゃ。で、うちの家内とな、かわるがわる行ってきくのやが、相手をいわんのじゃ。で、おまえになら、はなしをすると、こういうのでな、気の毒やけどな、うちの娘の相手が誰やか、ちょっと行ってきいてやってくださらんかな」
「は、よろしゅうございます。ほな、なんでございますかいな、お嬢さんは、ぽてれんでございますか、はあッ、お嬢さんが、ぽてれん……」
「こ、これこれ、大きな声でぽてれんぽてれんいいなはるな。奥の座敷に寝かしてある。行っておくれ」
「へ、へ、それならちょっとお邪魔します……あの、お嬢はん」
「誰やと思うたら、おもよどんか」
「お嬢はん、なんでもきくところによると、ぽてれんやそうでございますなア、相手というのは誰でございます。私なら、はなしをするというたそうでございますが、誰でございます?」
「おもよ、私が相手をいうけども、笑うたらいかんでエ……」
「笑いますかいな、私、怒ってきいてます」
「べつに怒らいでもええねんけどな……私はいうけども、大きな声ではよういわん。耳を貸しとくれ」
「はいはい、私の耳でございますか、へえへ、私の耳でございますさかいに、好きなように使っておくれやす。どっちの耳でございます……はいはいはいはい、はい、はい、はあいッ、プウッ」
「これッ、おもよ、おまえ笑うたやないか」
「いえ、笑やしまへん、怒ってきいてますんです。はいはいはいはいッ、はッ? お嬢はん、それ、ほんまでございますか? それが? これッ? さようでございますかいな、へええ、わからんもんでございますなア、これがア? はあ、いえ、早速そのこと旦さんにおはなししてまいります。しばらくお待ちを……へえ、旦さんッ」
「いや、ご苦労なこっちゃったなア、いやアすまなんだおもよどん、で、相手をいいましたか」
「申しました」
「いうたか。で、その相手というのは誰か? 町内の若い衆か、それともお屋敷のご主人か」
「それがなんでございます、旦さん、これでございます」
乳母が、ひょいと出したんが、張形で。これでございますと見せたんで、旦那はん、
「なに? この張形? プッ、親を馬鹿にしなはんな、こんなもんで子供ができるはずがないじゃないか。なんちゅうことを」
「いえ、私もそう思うたんでございますが、お嬢さんにはなしをきいてみましたところが、なんでも前に奉公してた方がこれ持ってたんやそうでございます。それを貰うて、おもちゃにしてる間に、子供ができたんやそうでございます」
「ふウうん、こ、こ、こ、この道具で子供がでけた、なにをいうねン、あいつは、馬鹿なことをいいやがって、こんなもんでできるはずがないッ、えッ、その道具ちゅうのン、いっぺんこっちへ見せてみなはれ」
この道具を取りまして、ひょいと裏を見ますと、左甚五郎作となっていた。
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からくり医者
世のなかがどんどんどんどん変ります。便利ンなった代りに、風情がないようンなりましたな。見世物ひとつにしましても、むかしは、夜店だとか縁日に出かけますというと、のんびりしたのんがずいぶんありましたが。
のぞきからくりなんてのがございましたが、これにもいろいろありまして、みな様方のお耳にありますのは、名古屋節と申しましてな、大正から昭和の初めにかけて流行ったやつやそうですけども、台がありまして、その上で竹のムチを持ちまして、おじいさんやおばさんがこうたたきながらやる。
♪あああア、浪にただよう益荒男《ますらお》の、父は陸軍中将で、片岡子爵の長女にて、その名片岡の浪子嬢、コトン
これが、みな様方のお耳になじみのある、のぞきからくりですが、まア、落語というものは不思議なもんで、いろんなことが、この落語のなかに残ってございまして、もう一時代前の、古いのぞきからくりの調子が、われわれのほうに伝わっておりますが、時代がそうだったせいでしょう、ずいぶんのんびりしておりまして、
♪おやア、ただいまお目にかけますからくりは、『|桂 川 連 理 柵《かあつらがわれんりのしがらみ》』とはしつらえまして、帯屋長右衛門は、遠州浜松古がけ集めの戻り道、お半は、春根不動の伊勢参り、出会うところが坂の下、おや、おまえは帯屋のおじさんかい、そういうおまえは信濃屋お半、奥の座敷では、恋のいろはを書きならべ、先へまわれば京都じゃアい、京都じゃアい、これよりあっさり気をかえて、芸州《げいしゅう》安芸の宮島さんよんようい、宮島さんは廊下の長さが百八間、裏は七浦七恵比寿、どんどこ船やら遊山船、黄金の燈籠数知れず、夜にいりますれば灯《あかり》をあげます、夜にいりますれば灯をあげますウ
まあ、いまならしんきくさいちゅうとこやろうけれど、昔はこれでのぞきからくりの景色を楽しんだものやそうです。「夜にいりますれば灯をあげます」いうのは、のぞきからくり屋の計略でしてな、どうするかといいますと、安芸の宮島さんの燈籠、あの万燈籠というやつをずっとしつらえまして、それにいっせいに灯をいれまして、夜景を楽しましたんやそうですな。のぞいてるほうはいっせいに灯がつく、
「ああ、きれいやな」
「おお、見事やな」
この声につられてな、道歩いてるひとは、
「そないにきれいやったンなら、いっぺんわしものぞこうかしらン」
むかしから人間にはのぞき趣味いうもんがありましてな。あんまりこの、どおんとしたアるとこはのぞきまへんな。囲いがしてあるとかネ、すき間があるとかすると、なんでも人情でのぞいてみたくなるもんで、こういうのがのぞきからくり屋の計略ですな。で、いま申しました、「夜にいりますれば灯をあげます」こういうのが、これから申しあげるはなしの材料ンなっとりますが。
ここにございましたのは、船場《せんば》のさる商家の旦那、娘さんが一人ありまして、これを近々縁づけんならん。でまア、他家へ縁づいたらば、そうそう身勝手なことはできん、これはいまのあいだに、方々見物さしといてやろう。親心ですな、番頭さんと丁稚を供に連れまして娘さんと旦那の四人、物見遊山の旅にぶらぶらと出ました。
とあるところへ来ますと、陽が暮れたんで、これはもうこの辺に泊らなしょうがない、そこへ一泊をきめこんで、風呂からあがって旦那はんは一杯のんで、そのときは何事もなくみんな布団にはいって寝てしもうたんですな。夜中になりますと、お嬢さんがにわかの腹痛で、
「これ、番頭どん、番頭どん」
「ヘッ」
「へえやないがな、嬢があの通り、にわかの腹痛や、あの通り苦しんでるが、この辺に医者はないのかな」
「はあ、そうですな、こら、えらいこって、へえへ、これこれ、この家の者は誰もおりませんかな、これこれ」
「へえへ、お呼びで」
「お呼びでやないねン、あの通りな、お嬢さんが、にわかの腹痛で苦しんどる。この辺に医者はおりまへんかな」
「医者。はあッ、こら困りましたなア」
「どうして」
「ご承知の通り、この辺は草深いところで、医者というのは居りまへんので」
「そら困ったなア、あの通り、うなって苦しんどるが、なんぞ呼ぶようなひとはないのか」
「はあ、それねエ……医者というもんは居りまへんが……いま、商売はのぞきからくり屋をやっておりまして、以前、大阪のお医者はんに書生として住みこんでた。そんなんで、ちょっとしたことならかじりますのんで、この辺では、さあッいうたら便利に使うておりますが」
「そうか、なんでもええ、呼んできておくれ」
しばらくするというと、そののぞきからくりの先生、小さな鞄を手に医者らしいに、頭をくわいに結《ゆ》いまして、
「はいはい」
なんや車屋みたいな医者ですがな、
「ううン、どうした、病人さん? いやいや大丈夫、わしが来たからには大丈夫だ。うん、それからな、断わっておくが、わしとご病人さんと二人きりにしてもらわんと、う、うん、誰ものぞいたり、部屋へはいってきてはいけません、二人きりでないと治療ができません、ええな、必ず二人きりにしといてくれや。はいごめん」
ぴしゃッと、ふすま閉めてしもうた。
「これ、番頭どん」
「へえ」
「へえやないがな、うちのいとも年頃じゃ、妙なことンなったらどもならへん、あんな得体の知れん者と二人きりいうのは困る。ちょっとおまえ見てきとくれ」
「かしこまりました……なにをするんやな、まったく……これ、おまえ定吉やないか」
「あ、番頭はん」
「番頭はんやあらへん、子供がこんなとこのぞくんやあらへん、はよ、あっち行け」
「そんなこといいな、あたいはよからここに番とってまんのや」
「芝居やあらへん、なら、静かに見てなはれ、よろしいか」
「ええ、静かに見てます……あッ、番頭はん、なんや、お嬢はん、帯解き出しましたで、帯解いて、わアッ、素ッ裸になってまん」
「大きな声出しいな、解ってま、解ってま」
「わアッ、お嬢はんの裸、初めて見たけど、きれいな裸やなア、ええッ、ああ、胸のところがぷくっと出て、おいどがすっと出て、まあ、白いおいどやなア、お嬢はん、四つんばいになりましたで、お嬢はん、四つんばいになってまんがな……素っ裸で四つんばいになって……あッ、あのお医者はん、なんや、細長い、固いもん出しましたで、固いもん、前からぶらぶらさして、なにしてる? あッ、お嬢はんの、お嬢はんのおいどのとこへあてごうて……」
「お、おいおい、なにをしてんのや」
旦那、心配になってのぞきますと、先生、なにを思ったか、小さな望遠鏡、遠眼鏡を出しまして、お嬢はんのお尻のなかのぞきまして、一調子はりあげましてな、
「おや、ただいまいとの腹中ながむれば、肝の臓やら心の臓、あばらの骨が十三枚」
「もしもし先生様、旅の疲れか、水の変りか知らねども、お腹がしくしく痛みます」
「そこであげますお薬は、えききとれききと、中根、下根をめぐらして、新たにのませば即座に本復本復……」
望遠鏡をずぶッと抜きますと、お嬢さん、
「ブウ、ブウ」
「これッ、医者に屁かますひとおますかいな」
「ようなりますれば、屁をあげますウ」
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お好み吸物
商売は、他人《ひと》と同じことをやってたのではあかん申しまして、昔から、いろいろに知恵をしぼったもんでございます。
ある街道筋に、「お好み吸物」という看板をあげまして、大変に評判をとり繁昌した店がございます。
「お好み吸物」いうのんは、お客さまから題をもらいまして、その題になぞらえたお吸物を出すのがミソやそうで。
で、この評判をききつけました、さる殿様が、おしのびで奥方と、中間をひとり連れまして、ここへやってまいりました。
「あ、許せ」
「これはこれは、お殿様でございますか。ようこそのお越しで」
「あア、よいよい、しのびじゃ。そのほうの『お好み吸物』というのが、大層な評判じゃが、どういうものじゃな」
「まことにどうも、おそれいります。お耳に達しましてございますか。あの『お好み吸物』いうのンは、お客さまから、お題を頂戴いたしまして、そのお題になぞらえたお吸物を差しあげてますんで。なんでしたら、奥の一間でお召しあがりいただけますれば結構なのでございますが」
「ああ、左様か、されば案内をいたせ」
「どうぞ、お越しくださいませ」
と、奥の一間へ通しまして、主人がまいります。
「これはこれは、お殿様、おはこび有難く御礼申しあげます」
「ああ主人、それではそのほうの注文どおり題を出せばよいんじゃな。いかなる題でもよいと申すか」
「はい。もういかなる題でも結構でございまして」
「では、どうじゃ、余は碁が好きであるが、碁の吸物はできるか。どうじゃ」
「はい、碁の吸物、心得ましてございます。で、奥方様は」
「うん、奥、そのほう申してみい」
「はい。さらば、わらわは将棋の吸物を」
「なるほど、余が碁で、そのほうが将棋か。うん、面白い。主人、将棋の吸物ができるか」
「へえ、心得ましてございます。して、あのお供の方は」
「うん、権助、苦しゅうない、申してみイ」
「へえへ。私は、当家へご奉公して、まだ間がございませんので、大名行列ちゅうのを見たことがございませんのですが、えらい立派なもんやそうでございます。できましたら、大名行列の吸物を」
「うん、なるほど面白いことを申すな。どうじゃ主人、大名行列の吸物ができるか」
「心得ましてございます。しばらくお待ちくださるように」
というので、主人はさがります。しばらくしまして、主人がそこへお料理をしつらえて持ってまいりました。
「ええ、お殿様、お待ちどおさまでございました。ええ、お殿様は碁のお吸物でございましたな。で、奥方様は将棋の吸物。お供の方は大名行列の吸物。どうぞお召しあがりくださいますように」
「余は、碁の吸物であったな、うん卵の吸物、玉《ぎょく》吸である。奥、そのほうはどうじゃ、なに? 玉吸? うん、間違いあるまいの、主人」
「間違いございません」
「左様か、おう、どうじゃ権助、苦しゅうない、開けてみイ、なに、卵の吸物? ほほう、みな玉吸であるが間違いなかろうな」
「間違いございません。どうぞお召しあがりくださいましてご鑑賞のほどを」
「左様か。ああ食してみイ、食してみイ」
というので、そこでしゃぶしゃぶっと食べてしまいました。卵の効き目がでてきた時分に、主人がやってまいりまして、
「お殿様、いかがでございました」
「おう、主人か、ほめてとらす。たしかに余のは碁の吸物じゃなア。そろそろ、白黒がやってみとうなったワ。奥、そのほうはどうじゃな」
「は、はア。たしかに将棋の吸物でございます。そろそろ、一番さしてみとうなりました」
「権助、そのほうはどうじゃ」
「へえへ、私のはたしかに大名行列の吸物でございまして、というのは、そろそろ道具の先が立ちあがりかけました」
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揚子江
ものは、なんでも大きいほうがいいと思うのが人情でして。ちか頃は、女のお子さんでも、お菓子の人形を買うのに、男の人形のほうを買いますようで。
「おまえ、女の子やさかい、女の子の人形のほう買《こ》うたらええやないか」
と親御さんが申しますと、
「いや、男の子のほうが食べるとこ、ちょっと余分についてるよ」
なんて……あれ、やっぱり食べるとこやと思うてるんですな。けど、あんなもんは、あんまり余計に食べると、お腹がふくれすぎていけませんようで。
大きいものと、小さいものでは、大きいもののほうが喜ばれますが、大きいものには、ずいぶん大きいのがありますな。
車に、大根をぎょうさん積んだ八百屋が、
「大将、大根どうです、いりまへんか」
「なんや、小さい大根やな」
「小さいことおますかいな、わたしとこの大根。こない大きな大根おまへんで」
「いや、そんな大根小さい。わいのあそこより小さい」
「あんた、ものを大げさにいうたらあかんワ。大根より大きなあそこて、おますかいな」
「いや、俺のほうが大きいで」
「そんなことおますかいな、冗談ばっかり」
「ほなら、見せたろうかい、その大根より、俺のほうが大きかったら、その大根、五本ほどただよこすか」
「きまってま、こんな大根より大きいのあったら、わたしら、五本でも十本でも、ただあげまんがな」
「よし、見とれッ」
と、ぱッとめくってみたら、大根どころやなかったそうで。大根売りがびっくらこいて、
「えらいすんまへん、大根十本差しあげますさかい堪忍しとくんなはれ」
いうて、大根置いて、車ひいてあっちへ行きがけると、この嫁はんが出てきて、
「まあ、あんたどないしたン」
「いや、いまな、俺の見せて、大根十本ただでとった」
「まア、可哀そうなことしいな、おカネちゃんと払うてあげな。可戻そうや。わてが呼んでおカネ払うわ……ちょっと、大根やはん、大根やはん……」
きこえた大根売りがひょいとうしろむいて、
「わア、えらいこっちゃ、あれの嫁はんらしいな、あいつ呼んどる。さっきので大根や、こんど戻ったら車とられる」
まあ、世のなかには大きなものを持ってる方も多いようですが、あまり大きすぎるのも善し悪しで、どんなご婦人とお手あわせ願ってもうまくいかない。もう嘆き悲しんでおりました。ところが世のなか広いもので、天草に、とても大きいのを持ってるご婦人がいるいうことをきいて、これ幸いと、弁当つくると、どんどこどんどこ天草目指して行きよった。天草の山ンなかから、大きなご婦人が出てきよって、顔もなかなかべっぴん。
「はるばるやってまいりました、大きいのの持ち主でんねン、どうぞお手あわせ願いたい」
「まア、わたしも大きくて困ってました。いままで誰とも合うたことがございません。では早速用意をいたしましょう」
というなり、ぱっと開げると、なんとご婦人のなかから、布団からなにから全部出しよった。男は、これ見るなり、
「わあッ、こらたまらん」
と、大きゅうした自分のものの陰へかくれてしもうた。
いや、じつに世のなかさまざまで。人間というものは、みなそれぞれひとつずつ大事なものを持ってますが、みな、あまりひと様のとくらべて見たことはない。みんなたいがい自分のとは対面してますが。殿方でも、お手洗などで、朝晩何回かはご対面するんですが、ご対面のしかたにもいろいろありまして、天井むいて沈思黙考いたしてる方があるかと思うと、親子対面はこのときとばかし、しげしげと眺めてる方があるし、いろいろですな。
あれ、どちらかと申しますと殿方は、自分のが小さいと思うてる方が多いんやそうで。というのんは、他人《ひと》様のは横から見たりしますんで大変にこの大きく見える。自分のは、上からながめますから、お腹やなんかが邪魔しまして、短かく見えるんですな。ですから、この、おのれのは小さいんじゃないかしらんなんて心配する方があるんだそうで。
その点、中国という国はなんでも大きいですな、いい方も大げさで、白髪三千丈やとか、後宮美女三千人とかね。三千人もいたら、どうやってまわるんやろ思いますなア。とてもまわりきれるもんやおまへんな。その時分の皇帝いうのは、後宮のなか羊に乗ってまわったんだそうですな。羊がぴょこぴょこぴょこぴょこ皇帝を乗せて歩いて行ってですな、歩きまわってると、羊だってしんどいから立ちどまる。と、その立ちどまった部屋で、その日は皇帝がお休みになるとこういうわけだったそうで。ですから、三千人もいるなかにはいつもあぶれてるのがいる。あぶれるひとはなんとか今晩あたりは自分のとこへきてもらいたい。なかには頭のいいひとがいましてな、羊は塩が好きだというんで、入口に塩を盛っておいたんですね。羊は、その塩をなめるために立ちどまる。すると皇帝がそこでお休みになる。それからだそうですな、水商売のうちが入口に塩を盛るようになったんは。
とにかく中国には、大きなはなしがぎょうさんございますな。この中国でいちばん大きな川が揚子江ですが、これはむこう側を小手をかざして眺めたら、むこう岸が見えないくらい大きいそうで。ところがあるときに、雨が降る風が吹く、風が吹く雨が降る、雨が降る風が吹く、風が降る雨が吹く……こらさかさまですが、上を下への大騒ぎ。天がくつがえったかと思うほどの雨が降ったんですな。そのため、ただでさえ大きな揚子江が氾濫いたしまして、ひとびとが行き来ができない。両岸にひとがたまる一方で、
「えらいことンなりましたなア」
「えらいこってすなア、あたし、むこう側に急用があって、行かんならん、こないな日に、船は出まへんやろうな」
「ええ、船頭はいてまんねけどネ、こういう日には危ながって船を出さん、困りましたなア」
「橋は?」
「橋はもともとおまへんやないか。あったってこの水ですワ、とっくに流されてますワ」
「ほんまに難儀ですな」
わあわあ、わあわあやってると、なかで雲つくばかりの大きな男がひとり出てまいりまして、
「ご心配あそばすな、ここへあたしが橋をかけて進ぜよう」
「橋を? そんなことが一朝一夕にできますか」
「あたしはさいわいにして、見事なる伜《せがれ》を持っておるのでな、この伜でもって橋をかける」
「そんなことができますのンで」
「ああ、私におまかせを」
前をまくると、なるほど希代の逸物《いつぶつ》。むかし弓削道鏡《ゆげのどうきょう》というのがいたんだそうでして、
道鏡は坐るとひざが三つでき
というたくらいだそうですから、日本にもずいぶん大きなのがいたんですな。その道鏡もかくやと思うばかりのを取り出しますと、無念無想、仁王立ちになりましてじっと目をつぶった。
「な、なにしてはりまんねン」
「し、静かに」
目をつむっていると、この希代の逸物が、ピクッ、ピクッ、グウッ、グウッ、
「はア、えらいもんでんな、あんた、目つぶって、なに考えてまんねン」
「この伜に見あうだけの、立派な体格の婦人の裸を想像しとる」
いうてるあいだに、こいつがびゅうんと勢いをつけてのびはじめた。この中国には孫悟空でおなじみの『西遊記』という物語がございます。この孫悟空の持ってる如意棒もかくやとばかり。如意棒とはええ名前ですな。意の如《ごと》くなる棒というんですから。大きくなるときは、どんどんどんどん大きくなって、小さくなるときは、耳の穴にはいるというんですな。これがどんどこのびて観音様のお尻をつっついて罰があたったというくらいで。どうもこの、のびたりちぢんだりする棒というのは、すぐに観音様をつっつきたくなるんですなア。この希代の逸物が、どんどん大きくなって、むこうのほうへのびていった。
「はア、えらいもんですなア、けど、もうちょっと、もうちょっと足りないッ」
「もうちょっとですか、よろしい」
首をひとつ振ると、ぴゅつとむこう岸へとどいた。
「えらいもんですなあ、首をひとつ振るとむこうへとどきますか」
「ええ、首をひとつ振りますと、瞼の底にやきついてる美女が、腰をひとつ、びゅッと振るんですな」
「はあ」
さあ、橋がかかったというんで、みんな口々に、
「ありがとうございます」
「おおきに」
「ありがとさんで」
ぞろぞろぞろぞろ渡りはじめる。子供なんか喜こんで、
「わア、面白いな、面白いな、ええ、つるつるして危ないとこがある、ぬるぬるするところがある、ひっかかるところもある……」
「静かに、静かに渡りなさい、あわてんように」
じつに見事なもんですな、虹の掛け橋もかくやとばかりの上ぞりの橋を渡り出した。なかには、おじいさんなんぞは、長い煙管を出しまして、煙草をすい出した。大きな橋の、むこう側の、もうとどくなというあたりに、一段ぽこっと高くなってるとこがある。ここまできて、
「ははア、ここでちょっと一服しよう」
と、高うなったところに腰を下して、ふワあとふかした拍子に、つるッとすべつて、煙草の火ィ落した。
「あついッ」
なにしろ肉の橋ですから、これはたまらん、チュチュチュチュチュッと橋がちぢこまったんですな。
「わあッ、橋がちぢんだッ」
「わあッ」
というてるあいだに何百人が揚子江のなかに落ち、阿鼻叫喚のさわぎ。
「助けてくれッ」
「おぼれるッ」
とやっておりますところへ、ひとりの美女があらわれました。
「わたしが助けてあげましょう」
「あなた、どういうことを、なんとかなるんでしょうか」
「まあ、おまかせを。あたしには立派な娘がございます。この娘に吸いこませてごらんにいれましょう」
「はあ、これが吸いこめるんですか」
にっこり笑った美女が、まくりますというと、揚子江の淵へしゃがみこみまして、
「ふうウッ」
と鼻をならしますというと、揚子江の水がガバガバガバッと、ひともろとも全部はいってしもうた。こんどは吸いこんだあと、
「びゅうッ」
と水だけ出しといて、お尻をぴょいとたたくと、ひとりポンッと出てきた。ぴょいッ、ポンッ、ぴょいッ、ポンッ、ぴょいッ、ポンッで、出てきたのを数えてみたらば、四人足らン。どないなってんのかしらと、のぞいて見たら、流石は中国ですな。
四人がなかで麻雀してた。
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松茸《まつたけ》
味覚の秋てなことを申しますが、この秋の味覚の王者はというと、これはもう松茸にきまってますようで。面白い格好してますな、色といい、艶といい。まあ、われわれのほうの材料にはよくなりますようで。
ある家で、娘さんがご病気。医者よ薬よで、手厚い介抱をいたしましたんで、だんだんよくなりました。お父さんや、お母さんとしては嬉しいとこですな。今日もお医者さんが、診察終って帰りはるときに、
「どうも、お世話かけまして。おかげさまでだいぶに、この頃は気分がええ、いうております」
「いやいや、そうでしょう。顔の色もよくなってきましたしな、もうこれで安心です」
「ああ、そうですが。あのウ、食療法のほうは?」
「もうな、なにを召しあがりになっても、たいしてさしつかえることはありません」
「さよですか、娘が、こないだからいうとるんですが、松茸のようなもの食べさしましても?」
「え? なんとおっしゃいました」
「あのウ、松茸のようなものを……」
「松茸はかまわんですがネ、その、≪ようなもの≫ちゅうのはいかんでしょう」
なかにこの、ご結婚なさってる方は、このようなものをたいへんお好みになりますが、また後家さんなんぞもお好みになるようで。ご亭主のいてはるあいだに、ぎょうさん召しあがっておくとよろしいんですが、ついひもじいときには、手近にまあね、その、いろいろにございますわなア。とにかく、この松茸というのは、たいへんに嬉しい代物でして。
松茸というのは、しかし高いもんですなア。ああ高うなると、もうにおい買うようなもんですからな。
「まあ、おっちゃん、今年もまた、松茸の季節やなア」
「へえ、おおきに、はしりでまんねン。どうぞひとつ松茸、ここらどうです、このつぼみの、ええ格好の、するっとそったやつ、これくらいがよろし、これッ」
「ううん、ええ格好やワ。ほんまにええワ。笠のぐあいといい、それ、なんぼ?」
「これでっか、八百でんなア」
「まア、高い。なんぼええ格好してたかて、ちと高いわあン。それ、その横にあるやつは、ちょっと笠の開きかけたやつ、なんかぐんにゃりしてるみたいやけど」
「いや、ぐんにゃりしてたかて、これまだ結構、充分いけます。これ、ちょっと熱加えていただきますと、しっかりしてきますさかいに、これ、まだ虫ついてへんし、大丈夫ですワ、これ、八百」
「まア、さっきのつぼみのええ格好のかて、この笠のひらいたのかて? こっちの、それ虫の喰ったぼろぼろは?」
「これ、あの、ぼろぼろですけどね、これかて、一晩塩水につけといてもろうたら、しゃんとなりますさかいに、やっぱり八百でんねン」
「まア、おかしいやないか、そのええ格好のかて八百で、その笠のひらいたのかて八百、そのぼろぼろのかて八百、なんでやの」
「ええ、松茸はみんな、つっこみになってまんねん」
あれはみんなつっこみなんでんな。
しかし、男には、きれいなものをいじめたいいう気持が誰にでもあるそうですが、ある朝、二人連れの職人が仕事に出しな、
「おい、見てみてみい、むこうの家、えらい立派な家建てよったやないかい」
「あれか、きいたらあれな、お妾はんやて」
「へえ、古茶瓶の金で建てるからにして、ほんまにええ家建てよって、壁かて表の塀かて真っ白に塗りあげてあるの気にいらんな。腹立つなア、このあいだかて、おもて通って、にこっと笑うたら、むこう、つウンとあっちむきやがんねン。あれから俺、腹立ててるねン、なんぞあの白い壁に悪さしたろうか」
「いたずらせえ、いたずらせえ、ここに釘の折れがあるさかいな、松茸の絵など描いたったらどうや」
「妾の家の塀に、松茸の絵いうのはおもろいでエ。よし、俺描いたろ。ここに荷物おろしてと、いようと……こんなもんでどうや、おもろいか」
「おもろいな。行こう、行こ」
そのまますっと、行ってしもうた。そのあと出てきて、この落書を見つけたんが、この家の女子衆《おなごし》。
「まア、まアま、ご寮はん、見とくんなはれ、こんなとこに、こんなもん描いてある。どないしましょ」
「まあ、旦はん来やはって目にとまるさかい、手伝いの又はんに来てもろて、塗っておしまい」
「へえ」
手伝いの又兵衛いうのがやってきて、きれいに塗ってしまう。翌《あく》る日ンなると、また二人連れが、
「おッ、きのうあないにして松茸描いたの、もう、きれいに塗ったある。金のある家ちゅうのは、さらすことがむかつくなア。もういっぺん、やったろうかい」
「やれ、やれいッ、昨日《きのう》よりひとまわり大きいの描け」
「よっしゃ、そうしよう」
昨日よりひとまわり大きいの描いて、仕事に行ってしまいよった。
「まあア、ご寮はん、見とくんなはれ、またこないなの描いてありまんねン。昨日より、ひとまわり大きいわン」
「まあ、旦はんの目にはいったらうるさいよってに、手伝いの又はんよんで塗っておもらい」
「へえ」
手伝いの又兵衛が塗ってしまいよる。翌る日ンなると、二人が出てきて、「腹立つなア」って、もうひとまわり大きいの描きよる。「まあ、ご寮はん」
「手伝いの又はん」
で、手伝いの又兵衛が塗ってしまう。翌る日ンなると、もうひとまわり大きいの、
「まあ、ご寮はん」
「手伝いの又はん」
で、手伝いの又兵衛が塗りよる。一週間ほどたつと壁一杯の大松茸になってしまいよる。
「まあ、ご寮はん、こんな大きいの描いておますワ、どないしましょ、あのう、手伝いの又はんよんできて塗ってもらいましょうか」
「もうやめとき、やめとき、お絹、もうええわ」
「そんなこというたかて、旦はんきはっておこられたら困りますやないか。手伝いの又はんよんできて……」
「もうほっとき、ほっとき、そんなもんな、いろうたらいろう程、大きイなんのやワ」
そうかと思いますとなア、松茸の食べ過ぎから、お腹が大きくおなりあそばす。「すっぱいは、せいこうがもと」てなこと申しまして、すっぱいもの召しあがるようになって、十月十日たつと、こう出てくる。ふつうは、十月十日なんですが、お釈迦はんなんか、ずいぶん長いことはいってたようですなア。出てきたときに、ひげが生えていたからに、出てくるなりすぐものいうたって。
「あのう、お釈迦さま、どうでしょうか、お腹のなかのぐあいは」
「ううん、なかなかぐあいよろしいで」
「ぐあいよろしいて、暑いですか、寒いですか」
「暑くなく、寒くなく、ええぐあいや」
「ええぐあいだけではわからんのですがな。たとえば、春、夏、秋、冬とわけてですな、春のようなぐあいでしょうか、夏のようでしょうか、それとも秋でしょうか、冬でしょうか」
「そうやなア、やっぱり秋やな」
「はあ、そらまたどうして」
「うん、時どき下から松茸がのぞいた」
秋の味覚には、柿と栗がこの松茸に彩りをそえますようで。柿と栗というのは面白いとりあわせですな。
「おいッ柿イ」
「なんや」
「なんややないがな、おまえらええな、赤い長襦袢《ながじゅばん》着て、色っぽいさかいに、ちょっと女の子でも手にとろかて気がするやないか」
「そんなことないよ。こんなもん一枚で寒くてしょうがない。そのかわり栗、おまえはええな、そないして、薄いシブ着て、その上から皮着て、イガ着て、そらぬくうてえやないか」
「そんなことない、おまえみたいに赤いほうが色っぽくてええが」
「いいや、おまえみたいにあたたかいほうがええわ」
「いいや、赤いほうがええ、その長襦袢脱がしたら、どないなってんのかな、なんて、脱がされたら、おまえかてぶるンとなってて」
「なにをさらしてけつかんね。そら、おまえのほうがぬくうて、えやないか」
「いやア、赤いほうがええ」
「ぬくいほうがええ」
「赤いほう」
「ぬくいほう」
木の上で、柿と栗が喧嘩しよって、ばたんと下に落ちたン。真下に生えてた松茸の頭にこれが落ちたから、
「痛い、痛い、痛いッ、なにをしてんネ、なにを。気ィつけい、ほんまに」
「えらいすまん、松茸の兄貴、えらい申しわけない」
「申しわけないやないで、ひとの頭に落ちてきよって、どないしたい」
「じつはな、この柿がな、赤い着物着てて、ええな、て、いうたン」
「そなことあるかいな、わしは寒くてしゃあない。栗はぬくうてええやないか」
「そなことないな、赤いほうがええな」
「いや、ぬくいほうがええな」
「こらこらこらッ、ふたりとも着物のことでごちゃごちゃするない、俺、見てみイ、この寒いのに、ふんどしもしてへんがな」
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故郷へ錦
「どや、伜のあんばいは」
「へえ、ちっとも良うなりまへんネ」
「そら、あかんな、医者はどないいうてんねン」
「ひょっとしたら、気ィの病いかもしれん、それやったら、薬よりもなによりも、誰ぞ親しいひとに、胸のうち、きいてもらったほうが効《き》くいうてますが……」
「気ィの病いなア、あいつ、いくつやったかいな」
「十七でんね」
「十七? 早いもんやな、もうそないになるか。そうやな、おまえが亭主に死なれて、もう八年やもんな、そのあいだ後家を通して、手ひとつで育ててきたんが、もう十七か。けど、そら心配やな、わてかて、たったひとりの甥《おい》のことやさかい、気になるわ、ちょっと胸のうちなどきいてみるワ」
「お願いいたします。兄ィさんやったら、あの子かて、小さいときから叔父はん、叔父はんと慕ってたんやし、なんぞうちあけるかもしれへん」
「こないなことは、かえって女親より男どうしのほうが早いかもしれん。二階やったな」
「お願いします」
「藤七、どうや、あんばいは」
「あ、叔父はんですか、どうもすんまへん、えらいご心配かけまして」
「元気出さなあかんやないか、いったいどないしたんや」
「どないもこないもおまへんがな、叔父はん、どうぞ、もう、わての病気のことやったら、ほっといてください、かめしまへんのや。自分のことは自分がいちばんようわかってます。もう、これ以上、ようなりまへんのです。ただ、気イなるのは、後家を通して、わてをこれまでに育ててくれはったお母はんに、親孝行らしいことでけへんことや」
「気の弱いこというてはあかんがな。おまえ、なんぞ、胸のうちにしまってることがあるのとちがうか。なんぞ、思いつめてるんやろ」
「そら、ないことはおまへん……」
「いうてみ、いうてみ、口にしてみ」
「それが、いうてかなえられることやったら、いうてもみましょうが、どうせかなえられることでなし……」
「そなことあるかいな。わてかて、おまえのお母はんかて、おまえのためやったら、もう、なんでもするがな。いうてみ、いわんかい」
「いえば、なおのこと、心配かけます」
「そなことあるかいな。そなことあらへん……ほな、こうしよう、もしも、わしがきいて、こらとてもかなえられんいうことやったら、そのときは、わしの胸にしまいこんで、あとはもうなにもいわんでおくワ。けどな、万にひとつも、でけることやったら、わしも男や、おまえのため、力《ちから》ンなるがな」
「そないにまで気ィつこうてくださるの、とてもうれしいンですが、こればっかりは、いえませんのです」
「なるほど、こりゃあ、お母はんの耳にはいれられんはなしやとなったら、わしもなにもいわん、そやさかい、安心して、わしにだけでもいうてみイ」
「それほどまでにいうてくだはるなら、いいますけどな、だれにもいいませんやろな」
「いわん」
「いうても笑わんといてください」
「笑いはせん」
「じつは……叔父はん、やはり笑うワ」
「笑いはせんいうとるがな」
「ほならいいます。わたしの病い、じつは、恋わずらい」
「恋? ぷうッ」
「ほら、笑うた」
「いや、かんにんかんにん、もう笑わへん。恋わずらい、そないなことやったんかいな、ちっとも恥しいことあらへんがな。わしなぞおまえの年齢《とし》には、もう女子《おなご》がぎょうさんおってな、苦労したワ……そなことはどうでもよろしが、で、その相手ちゅうの、誰や? この町内の女か? そうやな?」
「へえ」
「そんならかめへんやないか。そうか、町内の女か、ほなら、わしが骨折ってまとめたるワ、このはなし、誰や? 向いの小間物屋の娘? ちがう? 呉服屋の美《み》イ坊か、色の白い? そうやろ?」
「ちがいます」
「ちがう?」
「娘やおまへん」
「娘やない? ははア、どこぞの嫁はんやな、こらちっと厄介やな……誰や?」
「じつは、後家はんでんねン」
「後家か。そら、ひとの嫁はんよりもってきようがあるがな、わかった、生薬《きぐすり》屋の後家やろ、あらええで、うん」
「ちがいます」
「ちがう……あっ、油屋やな、あれもええ」
「ちがいます、叔父はんは、後家ならみんなええ……」
「待ちいな、生薬屋でなく、油屋でないとなると、町内に後家はおらんがな、あと、下駄の歯入れ屋の後家がいるけど、あれ、八十二だしな」
「そんなんじゃない」
「そんなんじゃない、いうたかて、あと、この町内で後家いうたら、おまえとこのお母はんだけやがな」
「じつは、それなんで」
「ええっ! こらおどろいた……けどな、おまえ、あれは継母やないのやで。おなか痛めて、おまえ産んだ、ほんまのおっ母はんやでエ……こら、えらいことンなりおった」
「だから、いうのはいやだいうたやないですか……」
「おまえ、いつからそんな気イに……」
「この夏からでんネ」
「なんでまた」
「へえ、友だちと碁をうって、遅うなりましたとき、お母はんの部屋ンとこ通りまして、ふと見ると、暑いもんやさかい、ふとんもかけんと、裾《すそ》乱しおって、白い太股をばこないにして、それを蚊帳《かや》越しに見てからいうもの、もう、ごはんものどを通らんようになってもうて……」
「さよか、そらいいにくいことを、よういった。けどな、相手が母親ちゅうのはなア……けど、このままほっといたら、おまえの病いはますます悪うなるやろし……かというて相手が母親……けどな、おまえのいのちには代えられんしな、なんとか、うまいこと、はなしがつくようにしないとしゃあないな、ちょっと待っとれ……ああア、えらいことになりよったで」
「まア、兄ィさん、えらいお世話さんでした、どないでした?」
「それがな、恋わずらいやがな」
「まあ、いや、あたしもひょっとして、そうやないかなと思ってましてん、で、相手は、町内の?」
「そうやがな」
「では、小間物屋の」
「ちがうがな」
「呉服屋」
「そうでないのや、娘やないのや」
「すると、まさか、どこぞの嫁はんを」
「そうやない、後家はんや」
「まあ、なら、あそこの……」
「生薬屋と思うやろ、ちがうねン」
「ほなら、油屋の……」
「これもちがうねン」
「ほたら、誰でんねン、あと町内の後家はんいうたら、八十二ンなる……」
「かんじんなの忘れとるがな」
「かんじんなの?」
「おまえやがな」
「まさか、そんな、冗、冗談を」
「冗談やないのや、本気でおまえに惚れとるのや」
「そんな、ほんとの母親に……」
「どうや、一度だけ、うんというたら」
「そんな阿呆なこと、まさか、誰が自分の息子と……」
「けどなア、あいつは本気やで。これがかなわんだら、死によるで、きっと。世間に知れることやなし、一度だけでええねン、目つぶってやったらどや。子どものいのちには代えられんやろ。わが子のため、操を捨てて操をたてたいう常盤御前のたとえもあるし」
「はなしがちがうがな」
「けど、このままやったら、あいつのいのちはないで、それはうけあう」
「おかしなことうけあわンと……どこの世界に親子でそんな……けど、子どものいのち助けるためやったら……けどな、あんまり、あんまり……そりゃまア、こんなこと、世間に知れることやなし、いっぺんだけなら、そりゃ、うちにないもんでも、減るもんでもないし……ほなら、いっぺん、いっぺんだけ……」
「承知してくれるか。ああ、よかった、よかった、いやア、わしもこないなこと、ようたのめへん、ああ、ほなら、早速、二階に知らせたろ……」
さあ、藤七が喜んだ。湯にまいりまして、身体きれいにみがきをかけよった。髪結床にもまいりまして、きりゅと結《ゆ》いあげます。
母親のほうは、なんや妙な気分でんな。なにしろ亭主が死んでから、八年ものあいだ男はんなしでやってきた。それが久し振りにいうときの相手が、自分のほんとの息子いうんですから。それでも若い時分の長襦袢に、お腰などつけ、念入りの寝化粧で夜具にはいりよった。
藤七のほうは、ふだんの木綿ものの小袖でございますが、
「おっ母はん、わがままいうて、すんまへん」
と、着物をばらりはねのけますと、下にしめてあります下帯が、目にもまぶしい錦織り。
「まア、藤七、その下帯は」
「はい、今日の晴れにと、こしらえました」
「日頃質素なおまえに似合わんことや」
「はア、けれど……」
「なんや?」
「故郷へは、錦をかざれといいますやろ」
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紀州飛脚
「ええ、旦はん、なんぞご用で?」
「用があるさかい呼んだんやがな。えらいすまんが、この手紙、和歌山まで持ってってほしいねン」
「ああ、さよか、よろしゅおます。ほな、ちょっと家で支度など……」
「それがえらい急《せ》いてんね。すまんけどな、こっからすぐに発《た》ってほしいねン」
「えらいまた、急《せ》くんでんな」
「そうやがな、すぐ行ってほしいのや」
「ほな、すぐに行きましょ」
「行てくれるか、えらいすまんな。ほな、これ手紙や……落としなや」
「大丈夫や、ほな、行ってきますワ」
「ああ、なんやなんや、尻からげもせんと、ぞろっとしたなりして」
「尻からげ、したほがよろしいか?」
「よろしいかて、おまえ、どないして行くつもりや? 歩ってくのとちがうで、急《せ》いてんのやで、走るんやで、ドンドン走らなあかんのや。ドンドンと」
「へえ、そら、走れいうんやったら、そら、ドンドン走りますワ、わては、足のはやいのが自慢やさかい」
「そやから、尻をはしょらんかいというとるんや。なんぼはやいのが自慢かて、そないな格好やったら、走れんやろが」
「そやけどな、尻はしょり、しにくい」
「なんでや」
「ふんどししてへんのや」
「阿呆とちがうか、男だてらに、ふんどし忘れる奴がおるか」
「男やさかい忘れたんや。女子やったら、はじめからしとらんわい」
「理屈いいな。かまへん、そこでふんどし、したらよろし」
「したらよろし、いいますけどな、わてがふんどしするとな、セガレが顔を出す」
「なんやて」
「セガレが顔を出す」
「へえ、長いのやな」
「長すぎまんね」
「難儀やな」
「難儀でっせ」
「嫁はん、困るやろ」
「困りますワ。そやさかい、根元に、鍔《つば》つけまんねン」
「鍔? 刀やな」
「まさか、ほんものつけられしまへん。そやから、鍔みたいに、根元、しっかり手でにぎって、そいでしまんねン」
「ほう」
「ほいで、だんだん良うなってきますとな、嫁はん、三味線ひきよりまんネ」
「三味線?」
「へえ、けったいな声してな、『手エとってエ、手エとってェン、テットッテン、テトテン』で、ヘヘ、三味線や」
「阿呆か。けど、そない長いのやったら、上へむけて、帯でしめたらどうや」
「あごを突っぱりまんねン」
「そらいかんな、ほなら、横へまわし」
「袖口から首が出よる」
「蛇やな……なんぞ工夫はないかい」
「四つに折って、腰ィさげましょか」
「手ぬぐいや……まあよろし、どないなとして、早よう行っとくれ、急《せ》いてんねン」
「へ、行ってきます」
これから、手紙を持ちまして、南をむいて一生懸命走りよる。
「どっこいさのどっこいさ……ああ、だいぶ走ったなア、あ、こらあかんでエ、だいぶ走ったんで、小便がたまりよった、どこぞええとこは……かめへん、このまましたれ、ジュウン、ジュンジュンジュン、ジュウン、ジュンジュンジュン、ジュウン、ジュンジュンジュン……」
走りながら、小便をば、右に、左に、ふりとばす。間の悪いときは、しかたのないもんで、道ばたの草むらに寝ていた狐の頭に、ザアッとかかりよった。
「あッ、悪いやっちゃな、あいつ」
「どないしたン、父ちゃん」
「いま、あそこ行く飛脚やがな、大きなもの出しよって、俺に小便かけて行きよる」
「悪い人間やな、父ちゃん、仕返しせえへんのか」
「してやるがな、あいつの帰り道、お姫はんに化けてな、あいつのもの、食いちぎったるワ」
「ああ、そらおもろいな、やろ、やろ」
「父ちゃん、お姫はんに化けるさかい、おまえ、お姫はんの股座《またぐら》に化けてな、あいつのセガレ、食い切ったれ」
「わかった、食い切ったるワ」
そんな相談がでけとるとは知りまへん。先方に、無事手紙をとどけた帰り道、
「どっこいさのどっこいさ……あれ、なんや立派な御殿が建ったるワ、行きにあったかな、道、間違えたんやろか、おかしいな?」
と首をひねっておりますと、御殿のなかから、腰元が出てまいりまして、
「あのウ、もし」
「へ、へい、へい、あたしで?」
「お急ぎかと存じまするが、じつは、てまえどものお姫さまが、あなたさまに、道でご懸想《けそう》あそばされ……」
「なんやて?」
「はい、お姫さまが、あなたさまに、懸想……」
「けそう? けそうてなんやネ?」
「はア、つまり、好きンなった、いうことで」
「へえ、ほんまかいな」
「はア、で、一度、お目もじなど願いたいとのおおせ、どうぞ、おききとどけくださって、私に、ついてこられませ」
「行く、行く行く、行きますワ」
腰元の案内で、通されましたのが奥の間。御簾《みす》、几帳《きちょう》のかげに、目のさめるような緋友禅の夜具を敷きまして、お姫さまが恥かしそうに寝ております。こっちは、もう気がせいておりますから、すぐにお姫さまにいどみかかる。
「こら、どうもおかしいな、なんぼ着物めくっても、かんじんのものがあらへんがな」
「おいおい、股座で居眠りさらすやつあるかい。かんじんのものあらへんいうとるがな」
「父ちゃん、かんにん、忘れとった、いますぐ出すワ」
「へっ、ほほ、出よった出よった……けど、おかしいな、たいがいはこの、女子《おなご》いうもんはタテにさけてるもんやけど、お姫はんのはヨコやがな」
「おい、おい、タテにせんかイ、タテに」
「あつッ、タテになりよった、へへへ、ほなら、早速ッ、フフフ、こら新鉢《あらばち》やで、ようはいらへん、こらええワ」
「おいおい、はよう食いきらんか、はよう」
「父ちゃん、食いきらんかいうても大きくてはいらへんがな」
「もっと、よう口開け」
「口開けいうたかて……ウウウ」
「どないした?」
「あごがはずれた」
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張形《はりがた》
むかし、大阪の新町橋に、「赤行燈」ちゅう店がございました。どういうお店かと申しますに、張形やとか媚薬やとか、あやし気なものを売っておりました。
いまの商人とちごうて、むかしの商人いうもんは、なかなかお客さまに心づかいをいたしましたもんで。それというのが、こういうお店ですさかい、お客はんが恥かしがると、客と店の者のあいだに幕を仕切りましたもんでございます。入口かて、表通るひとの目につかんように、薄暗い行燈をつってあるといったあんばいで。
なにしろ場所が場所ですさかい、夜ともなりますと、あちらこちらの後家はんが、そっとやって来よる。
「ごめんやす」
「へ、お越しやす」
「あのウ、すんまへんねやけど、張形、いただきとうおますのやけど」
「へい、よろしゅうおます。奥さん、こんなんで、どうでっしゃろ」
この商売にはコツがございまして、初めに小さいのンを出しては具合が悪いんやそうで、と申しますのは、小さいのを出しまして、
「すんまへんねやけど、もうちょっと大きなン出しとくなはれ」
「あ、さよか。こんなんでどうでおます?」
「もうちょっと大きいの」
女子はんの口から、「大きいの」「大きいの」いわしたら、お客はんがてれくさいやろういうんで、そこは心得たもんで、はじめは大きいものを出して、だんだんに小さくしてくのやそうでございます。
ところが、拍子の悪いことに、今晩店に出てましたんが、新入りの者でございまして、
「あのウ、すんまへんねやけど、張形がいただきとうおますのやけど」
「へい、かしこまりました。こんなんでどうでおまっしゃろ」
「ちょっと待っておくれやす。まア、えらい小さいこと……すんまへんねやけど、もうちょっと大きいの、おまへんか」
「あ、さよか、へえ、それ小そうおますか。ほなら、これでどうでっしゃろ」
「これでっか?……まだちょっと小さいように思いまんねやけど……ちょっと待っておくれやっしゃ……すんまへんねやけど、やっぱり小さいワ、もうちょっと、大きいの、おまへんやろか」
「へえへ、まだ大きいのがおます。ほんだら、ここらでどんなもんでおまっしゃろ」
「これでっか……すんまへん、ちょっと待っておくれやっしゃ……すんまへんねやけど、もうちょっと大きいの、おまへんやろか」
「へえへえ、よろしゅうおます、大きいのやったら、まだなんぼでも大きいのがおます。けど、こうぬらしてもろうたら、どうもならんな。ちょっと待っておくれやっしゃ。ほなら、ここらでどうでおます?」
「これでっか、だいぶ大きなりましたな、ちょっと待っておくれやっしゃ……ウウン、ウン、ウウン……なんや、もうひとつ頼りないワ、すんまへんねやけど、もうちょっと大きいの……」
「へえ、よろしゅうおま。けど、もし、こうぬらしてもろうたら、どうもならんな、あとまた売らんなりまへんのや……ほなら、こんなんでどうです? こら、もう一番大きいのでんネ、へえ、図抜け大一番いいますねン。これより大きいのおまへんネ」
「ちょっと待っとくれやっしゃ、ちょっと待っておくれやっしゃ……ウウウン、ウウ……ウウ、ウウ……」
「え、どうでおます? そこらでいかがでおます? それでよろしゅうおますかいな?」
「うう、うん……ああ、ええわア」
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羽根つき丁稚
お正月になりますというと、和服、日本髪がふえまして、
元日や、おのが女房にちょっと惚れ
てな川柳を思い出させたりいたします。
また、小さなお嬢さんが、正月やいうので振袖かなんか着ますのもなかなかいいもんでございまして。
あの、子どもから大人になりかけの女の子の色気いうのが、またええもんでして、大きな羽子板を持ちまして、カチン、カチンと羽根をつく。まことに風情のあるもんで。
「ひと目、ふた目、近目……」
近目とはいやしまへんけど、ひとりで羽根をついてますと、近所の悪童がやってくる。
「花ちゃん、お正月やさかい、ええベベ着てはると、えらい別婿はんに見えるワ」
「なぶらんといて」
「なぶってへんがな、きれいいうてほめてんのや。な、その羽根、わしにも一ぺんつかしてえな」
「いやや」
「そなこといわんと、つかしてえな」
「あんたなんか嫌いやさかい、つかしたらへん」
「そんな根性悪いこといいないな、一ぺんや二へんついたかて、減るもんやないやんか、ええ、つかしてえな」
「あんたなんかにつかしたらな、お母ちゃんにしかられる」
「もうええわいッ、頼まんわいッ」
とーんと、突き倒す、突き倒しといて、羽根と羽子板をひったくると、カチーンとつきあげる。ところが、この羽根が、屋根の樋《とい》にひょいととまってしもうた。
「わしゃ知らんでエ」
男の子は羽子板ほうり出すと逃げてってしもうた。女の子はわアわア泣いてます。そこへ通りかかったんが、年始帰りの近所のお医者はん。
「これこれ、なにを泣いておるんや。ええ? ああア、せっかくのべベが泥まみれやないかい、どうした? ああ、羽根がとまってしもうたんで泣いとるのか、よしよし、わしが取ってやる」
そばにあった棒で、とオーんと突くと、羽根がころっと落ちた。
「さあさ、泣きやみや」
といわれましても、まだ子どもでございます、泣きながら、羽根と羽子板かかえて家へ帰った。
「まあま、正月早々そんな声出して泣くのやない。どないしたんや、着物泥だらけやがな」
「うちがひとりで羽根ついて遊んでたら、向いの竹やんが……」
「また竹やんかいな、竹やん、どないした」
「お正月やさかい、そないしてええベベ着てると別婿に見えるいうたん」
「ほめてくれたんなら、泣くことないやんか」
「そいでな、わしに一ぺんつかしてくれいやはんのや」
「つかしてくれ? 妙なこというたな、あの子、この頃ちょっと色気づきよって、なんちゅうことぬかすねン。そいで、あんたどないいうたン?」
「あんた嫌いやから、つかしたらへん」
「おかしないい方すなや、好きやったらつかすんかいな。そんなむやみにつかすもんやあらへん」
「そうしたら、一ぺんや二へんついたかて、減るもんやない」
「ようそんなこというたな、あの子、なんちゅうことを」
「あんたなんかにつかしたら、お母ちゃんにおこられる」
「ああ、よういいなはった」
「そうしたら、トオーンとひっくり返して、とうとうついてもうたんやワ」
「ええっ、そんな、つかれてもうたんか」
「そんで、つくなり、とまった」
「騒動やがな、とまったりしたら、どないしたらええやろ」
「もうええ、お医者はんが来て、じきにおろしてくれはった」
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忠臣蔵
『忠臣蔵』という、おなじみのお芝居がございますが、これは大序《だいじょ》から大切りまで、女をひとりも殺さんという、たいへんにこの、フェミニストむきのお芝居でございます。
一番はじめにやってまいりますヤマ場が、松の廊下、刃傷《にんじょう》ですな。その次が、判官《はんがん》さんの切腹。正面に、丸に鷹の羽のぶっちがえ、紋散らしの襖がしまってございまして、はいってまいりました上使《じょうし》、薬師寺次郎左衛門と石堂右馬之丞というふたりが、上手のところへすわる。判官さん、お出ましになって、いろいろとやりとりがあって、
「かくあらんかと、かねての覚悟、ご上使、お見とどけくだされ」
と、肩衣《かたぎぬ》をはねますと、下にはかねて覚悟の白装束、所司《しょし》の者が白布やなんかを持ってまいりまして、切腹の用意ができあがる。
ところが判官さん、どうしても家老の大星《おおぼし》由良之助にひと目会うてから死にたい、自分の無念を訴えたいという気持がもりあがってまいります。
由良之助の伜、力弥《りきや》が三方《さんぽう》の上に九寸五分をのせて持ってくる。この、しイんとしたなかで、たったひとりだけ色気のある小姓。これが判官さんの前へ、九寸五分を三方にのせて置きます。じっと、顔を見あげる。これが今生の見おさめという顔。判官さんが、目顔で「あっちへ行け」とやりますが、力弥がいやいやをします。判官さん、ふたたびきっとにらんで、「あっちへ行け」。しおしおと立った力弥がむこうへさがる。
じっと、九寸五分を見つめた塩冶《えんや》判官、ついに、たまりかねて、
「力弥、力弥」
「へ、へえいッ」
「由良之助はまだか」
「いまだ参上、つかまつりませぬ」
「う、今生に対面せで、残念なと伝え」
肩衣をはねまして、ひざの下にまわします。これは、おなかを切ったときに、裾が乱れんようにとの心得だそうでございます。三方の九寸五分をとって、懐紙《かいし》にきりきりきりと巻いていく。この九寸五分を、左手に持っているあいだはものがいえるが、右手に持ちかえると、ものがいえんと申します。
「力弥、力弥、由良之助は」
「いまだ参上……」
花道のつけ際《ぎわ》まで、つつつつつと行った力弥が、揚幕のほうを見込んで、「うちのお父っつぁん、なにしてんのやろ、遅いな、はよ来んかいな」という思い入れがあって、ふたたびもとのところへ戻ってくる、
「……つかまつりませぬ」
と、泣きふします。
九寸五分を右手に持ちかえると、ずッと、わき腹に突っこむ。これがきっかけ。花道の揚幕がチャリンとあきますと、たたたたた、走って出てまいりますのが城代大星由良之助。本舞台のほうを、きっとにらむと、判官さんもう腹をめしてなはる。「しもうた」という思い入れがあると、それへ、べたべたべた……。
上使石堂右馬之丞、ええおっさんですな、白塗りで、これが花道のほうを見て、
「ききおよぶ城代大星由良之助とはそのほうか、近う、近う、近う」
「へええッ」
立ちあがりまして由良之助が、ふところへ手を入れます。これは、しめておりました腹帯を、ぐっと、しめなおす、つまりここ一番というのでしめなおすという説と、早駕籠にゆられて、ゆるまんようにとしめてきた腹帯をぐいと下に押しさげて、気持をくつろげ、ゆとりを持たせるのだというふたつの説がございますが、なにしろ、このふところへ手を入れて、くっときまるのがきっかけ。床のチョボが「ツゥン」と受けます。足が「ツゥ」、ツゥン、ツ、ツゥン、ツ、ツゥン、ツ、ツ、ツ、ツ、ツ、ツ……。
「由良之助か」
「へええッ」
「遅かった」
お芝居でやりますと、じつにええとこで。
これは、お芝居でこそ、竹田|出雲《いずも》という方の筆で稿《こう》がなっておりますが、じつはあにはからんや、おとうと知らんやで、裏面のほうに、もうひとつのはなしがかくされてございます。
これは、塩冶判官高貞公がおなくなりになりましてから後でございます。江戸は南部坂に揺泉院《ようせんいん》、塩冶判官高貞の未亡人ですな。後家はんがひとりさびしく住んでおります。ま、ひとりと申しましても、侍女やなんかついておりますが、そこは後家はんでございますからして、なんというても閨《ねや》さびしい。
祇園で遊びたおした大星由良之助、いよいよ関東|下向《げこう》ということになりまして、このときに、なにか揺泉院をお慰めせないかんというわけ。特別あつらえ水牛製の張形をば、紫の袱紗《ふくさ》につつみまして文箱《ふばこ》におさめまして、さながら連判状のごとく見せかけて、南部坂のお屋敷に伺候した。
「由良、久しいのウ」
「これはこれは、うるわしきご尊顔を拝したてまつり、由良之助恐悦しごくに存じます。本日、関東下向に際しまして、京よりたずさえましたるこれなる一荷、とくとごらんを」
さだめし連判状であろうと、揺泉院、紫の袱紗をはねのけようとしましたが、手ざわりがちょっとちがう。「これは連判状ではなさそうだ」と、袱紗のあいだからチラッと見ますと、これは見事な水牛製の逸物ですから、
「由良、しばらく待ちや、次の間にて試見いたす」
この文箱を、たずさえて次の間におはいりになった。由良之助、「さては、早速お用いあそばされるか」と、襖のところできき耳をたてておりますと、さやさやさやという衣ずれの音、やがてなんともいえぬ声が、ひときわ高く、ひときわ低く由良之助の耳をうちますが、いっこうに終った気づかいがない。フウッと高まったかなと思うと、一調子落ちる、ウウッとくるから、すわこそと思うと、がたっと調子が落ちてしまいよる。「こはどうしたこと」と、思わず由良之助が、
「御前ッ」
「由良之助か」
「へえへ」
「細かった」
さすがの由良之助のお土産も、「細かった」といわれては、由良之助も面目がたちません。なんとかこれに代るものをと、心をくだきましたあげく、ふと心づきましたのが伜の力弥。これはまだ前髪立ちのういういしい若さでございます。この力弥をそばへやって、張形の代りにお慰めしたらよかろうということに気がついた。
「これ力弥、ただいま父が申しきかしたとおりじゃ。本来ならば、この父がこのお役目をあいつとめるところじゃが、なにぶんにも父ではさもいかん。そのほう、この父に代ってお慰めいたしてこい」
「ですが父上、力弥、いまだ未熟にして、その道をわきまえませねば……」
「わきまえぬとて、これがなろうことか。男女の道というものは、誰しも、知らずしても自然のことなしうるもの、さしたる苦労はないものじゃ。それほど心配であらば、この父がつきそうてとらすが。ならい覚えし山鹿流、この軍学は、そのほうにも伝えてあるはず。討入りのばあいと同様、表門を押し開いて、大身の槍をくり込めばよろしい。『討入った』と、そのほう声をかけよ、父が次の間にて陣太鼓をうち鳴らす。一うち、二うち、三流れ、この陣太鼓にあわせて大身の槍をふるえばよろしい」
「さようでございますれば、あいつとめまするでございます」
この力弥をともないまして、大星由良之助、ふたたび揺泉院のもとへとやってまいります。
「こたびは、力弥めをお試しねがいます」
揺泉院も、久し振りの若人ですから、
「力弥、これへ」
お手をお取りになって、臥所《ふしど》へおはいりになる。由良之助、さすがにお父っつぁんですからな、「あア、うちの伜、うまいことやりよるやろか」心配しながら、陣太鼓を持ってひかえておりますと、
「父上ッ、表門、あい開きましてございます、ただいま討入ります」
「ようし、行けッ」
采配ばらりとうちふると、渾身の力をこめてうち鳴らす山鹿流の陣太鼓、一うち、二うち、三流れ、ドウン、ドウン、ドウン、ドオウン、ドウン、ドウン、ドウン、ドオン、……俗にこれは、一深左右、二浅一深と申します。ひとつは深く、右と左とをなぞっておいて、二つ浅く、最後のひとつきをズウンと深く、こたえるようにと、ドゥン、ドン、ドン、ドン、ドオン、と。そうこうするうちに、揺泉院のほうもだんだん興が乗ってまいりましたとみえて、妙なる声がもれてくる。ここを先途とうち鳴らす、山鹿流の陣太鼓、ドオン、ドンドンドン、ドオン、ドンドンドン……。
「由良之助」
「へええ」
「早うちにいたせ」
ドンドンドンドンドン……大変な騒ぎでございます。
男というものが、初めてご婦人に接するばあい、ふた通りあるそうですな。ひとつは、はやりにはやって、門口でバケツをぶちまけてしまう。もうひとつは、緊張のあまり、いくらたっても行くべきところへ行かんというやつですな。
力弥のほうが、この後の型でしてな。いつまでたっても終らない。揺泉院のほうは、久し振りの大身の槍をしたたかに見舞われまして、息もたえだえで、
「力弥、力弥」
「へええ」
「まだか」
力弥、思わずすべり下りて、
「いまだ、参上つかまつりませぬ」
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鞍馬の天狗
京都に、鞍馬山いう山がございますが、芸妓《げいぎ》はんやら、舞妓はん、お茶屋のおかみさんやらみんなして、「きょうはひとつ、鞍馬へあそびに行こやないか」ということンなり、若旦那を誘って出かけました。
舞妓はんが、
「ちょっと見ておみやす、あの杉の木立。なんや知らん、あの上で、パタパタ音がしてまんね、あれ、なんどすのオ」
「あれは、天狗さんやないの」
「ああ、天狗さんどすかア、いっぺん天狗さんのお顔見とおすワ」
「そうかて、こっちのほうに顔出すかどうかわからしまへんがな」
天狗さんかて、下のほうできれいな女子はんがいて、可愛らしい声で騒いでんのやから、「なんやろうな」ぐらい思いますワ。ひょいと下を見たとたん、神通力いうのンを失いまして、まっさかさまに下ヘドスウンと落ちてもうた。天狗さんの長い鼻が、地べたヘズポッとうずまってしもうた。抜こうとするのやが、どうしても抜けへん。
「まア、可愛そうやワ、天狗さんが落ちはった。鼻、あないなとこへ突っこんで、抜けへんわ、抜いてあげましょうな」
と、舞妓はんがみな寄って、一生懸命に引っぱるのやけど、どうしても抜けへん。姉芸妓のひとりが、
「ちょっとお待ち、そないなことしたかて抜けへんわな。わたいにまかしとき」
いうなり、懐中から懐紙を出して、二、三枚もんで、根元のとこをひょいとにぎりはると、
スポッ
と抜けよった。
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逢いびき
東京は、お酉《とり》さんがさかんですが、大阪の賑わいというたら、やはりこの十日|戎《えびす》ですな。恵比須大黒という、あの神さま、やっぱり、あれと関係があるんやそうで。そういわれますと、あの大黒はんの頭巾の形、下に置いてある二つの俵、打出の小槌、みんななんかを意味してるように見える。恵比須さんの烏帽子かて、なんかに見えてきます。
とにかくこの十日戎の賑わいというもんはもう大変なもので、道なんぞ歩けたもんやない。なにも、あないに混むときに行かいでも、もっと空いてるときがあるやろと思うんですが、一月十日の混雑、そらすごいもんで。あないな日に行かんかて、八月の十五日あたりに行ってみなはれ、がらがらやがな。
お宮はんの境内いうもんは、また閑散としてはる時分には、ええ逢いびきの場所ですな。近頃、このお宮の境内を、あやしい男女が密会に使うとるいう噂を、氏子総代かなんかの堅いおっさんが聞いてきて、お宮にいいにきよった。神主さんかて、ほっておけんいうんで、夜ンなって、見まわりに出ますと、なるほど、あっちゃこっちゃで、ずいぶんとあやし気なるふるまいに及んでるのがおる。
「これこれ」
「はッ?」
「はッやないで、こないなとこで、なにをしてんねん」
「へえ?」
「いや、この神社の境内で、なにをしてるちゅうねン」
「は、はあア、そ、その、氏子をば、増やしてます」
「う、うん、氏子を、増やしておる? そらええ、そらええが、必ずカミを粗末にするなや」
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反故《ほご》染め
百人一首いうもんは、いまでもなかなか盛んで、お正月には欠かせんもののひとつンなってますようで。
若い舞妓はんと、置屋のおかみはんが、こないなはなしをしてました。
「ちょっと」
「へえ」
「ちょっとこっちへおいでなはれ、あんた。あのな、あんたの誂《あつら》えはった長襦袢、染めあがってきてんねン。流石《さすが》、京染めやなア、ええ色に仕上ってるワ」
「まア、お母ちゃん、うれしいワ、はよ着てみたいワ」
「かまへん、ここで着てみなはれ、かまへんかまへん、誰も見とらへん。ちゃんと着てみイ、な……まあ、ええやないか。いえな、あんたの好みもええねン、染屋はん、感心してたワ。あの百人一首の反故染めなんて、ええ趣好やて。まア、ほんまに、身体中に、ずっとこの、百人一首の文句が散らしンなっていて、ええやないの。ちょっと、文句読ましてエな。胸のところが『恋ぞつもりて淵《ふち》となりぬる』まあ、誂えたようにええ文句がきてはるなア。袖のとこが、『わが衣手は露にぬれつつ』ぴったりやないか。ちょっと後姿、見せて、あっちむいて。はあ、肩のところが、『三笠の山に出し月かも』まあ、よけいあんたの肩がすっきり見えるがな。おいどのところが『けふここのへに匂ひぬるかな』」
「きらいッ、お母ちゃん、なんでまた……」
「なんでこんなになってるんやろな、『ここのへ』本字で書いといたらええのや、仮名で書くさかい、ややこしいことになるのやがな。ま、ちょっと、もういっぺんこっちむいてごらん、え、上前が『逢坂山のさねかづら』」
「きらいッ、こんなん、よう着ないッ」
「ま、待ちイな、なんでそんなことになったんかいな、下前は……」
とめくってみますと、
人こそ知らねかわく間もなし
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猪飼野《いかいの》
大阪に、猪飼野いうところがありまして、いまは大層にぎやかですが、明治のはじめ頃までは、一面の桑畠やったそうで。その明治以前のおはなしで。
「知っとるか、猪飼野の桑畠に、おもろい女が毎晩出よるの」
「知らんワ、どないにおもろいねン」
「いやア、ちょっと変っとるんやなア。桑畠のまんなかに立っててな、頭の上から、こう手ぬぐいかけて、ずぼッとしよる」
「ほう」
「そばへ行くとな、もウ、どこへでもついてきよるし、どないなことでも、いうことききよるのやがな」
「商売女か」
「カネ取らへんのや」
「ただか」
「ただやがな、毎晩のように出とるンやで。ま、どんな男かて相手にしょるし、世のなかには好きな女子《おなご》がいるのやなア」
「ふえエ、そら面白いな、ほな、今晩、行ったろ」
というようなわけで、教えてもろうたとこへ行ってみますと、なるほど手ぬぐいかけた女が立っている。「こいつやな」いうんで、そばへ行き、袖をひくとだまってついてきよる。ほどよいところに、むしろが敷いてあるので、その上へ倒して、いたし始めたン。
ところが、噂をききつけたお役人が、けしからんいうので、ちゃんと手配りして、しのんでいたからたまりまへん。
「それッ」
と声がかかると、八方からサアッと灯りをつきつけられてしもうた。
「おウ、これは」
「これはもなにもないッ、怪しいやつ、番所へまいれ」
「い、いえ、決してそんなんやあらへん」
「そんなんやあらへんて、こんなところで、かかることを……」
「い、いえ、ほんまに、こ、これ、う、うちの女房でんネ」
「嘘をぬかせ、自分の女房と、こんなとこで、なんでそんなことせんならん」
「いえ、いま照らされて、はじめてわかったんやがな」
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金玉茶屋
大阪には、ぎょうさんの色街がございましたけど、新町と南地《みなみ》には、送りの娼妓《おやま》はんちゅうのがあったんですな。そのほかはと申しますと、東京も大阪もあまり変りはございません。まア、大阪のほうでは、遊廓へまいりますのンを、「娼妓《おやま》買いに行く」いうて、東京は、「女郎を買いに行く」いうくらいの違いでございます。
以前はこの、ああいうお店にまいりますと、ずウっとこの写真が並んであって、左の端が一番売れっ妓やとかいったもので。東京では、この一番売れてますのをお職《しょく》と申しますようで。
ああいう場所へまいりますと、どういうもんですか、必ず表に腰を掛けたおばあちゃんがおりまして、このひとがまた、じつにひとのことを心やすうによびよる。
「ちょっと、ちょっと、そこ行く兄ィはん、ちょっと……」
そうかと思いますと、
「タアさん、ちょっと寄ってきなはれな、タアさんッ」
なんやえらい心やすういうてくれはりまんネ。そればかりやない、
「あの、そこへ行きはる、あのウ、ヨーさん、ヨーさんッ」
吉田はんか、吉村はんか、はたまた吉本はんかいなと思うとこれがそうやない。洋服着てるお方は、みんなヨーさんなんやそうで。そのおばあちゃんの声によばれて寄っていきますと、もう心やすそうに、
「まア、長いこと顔見せんと、どないしてはったン?」
「どないしてはったもなんも、わい、ここへ来るのはじめてやがな」
「まア、うまいこというて、あっちこっちで遊んでなはんのやろ。ちょっと遊んでいきイな」
「遊んでいきイないうたって、ゼニがあらへんがな」
「なにいうてなはんねン、なア、勉強しまっさかい、遊んでいきイ、なア、なア、なア」
なんや、豚がえさ拾うように、鼻でなア、なア、いわれる。男ちゅうもんは、この鼻声にまた弱いもんでおまして、鼻の下、ついつい長《なご》うしてしまいよる。
「ほな、おばはん、なんぼで遊べるねン?」
「花でっか、泊まりでっか」
「花やがな」
「それやったら、一円おくんなはれ」
「一円? 一円なんてゼニないわ、もっとまけときイな」
「なにいうてまんねン。まだこない宵のくっちゃねん。張りこみなはれ」
「張りこみなはれちゅうたかて、ゼニがあらへんがな、ええ、八十銭にまけとき」
「そんな汚ないこといわんと、一円出しなはれ」
「一円ないのやがな、帰りしな電車賃いるがな」
「そんなこといわんと、電車賃くらいなんとかしまんがな、わたいが。なア、一円で遊びなはれ」
「ほな、一円で遊ぼか」
これで上へあがりますと、
「あのな、お客はん、どの子にしなはる?」
「そやな、そう、右から三番目にあがってたあの写真の妓《こ》、よんでんか」
「まあ、あの子、せっかくでんねんやけど、きょう、ちょっとあのウ、病気で休んでまんねン」
「病気かいな、ほなしょうがないな。ほならはじめにいうといてくれたらええのやがな。しゃあないなア、ええと、ほなら、あの五人目の妓《こ》オは?」
「すんまへん、いまお客さんあがってはりまんの」
「客やしょうがないやがな、ほな、六番目の妓は?」
「あ、あの妓やったら、ちょうどあいてまんねん。すぐよびますさかい、ちょっと待っとくれやっしゃ」
「あの妓、なんちゅう名前や」
「あの妓でっか、アサヒさんいいますのや」
「アサヒはん? まあええ、すぐよんでんか」
「へえ、すぐよびますさかい……」
「おばちゃん、おおきに、お客はん、おおきに」
「ちょっ、ちょッ、ちょッと、わいのいうてんの、この妓と違うでエ、あの、六番目の妓やがな、わいのいうたんワ」
「なにいうてはんね。アサヒさん、この妓やがな」
「ほんな、あの妓、もっと鼻の高い、目ェのパッチリした子やったがな」
「そうでんがな、よう見なはれ、あの写真と同じ顔してまっしゃろ」
「えらい違いやがな。写真屋て、うまいこと修整しよるなア。ま、どうもしょうがないわな。おばはん、一円やな」
「まア、お客はん、そんなこといわんと、なア、おばちゃんになんとかしてあげておくんなはれ。いえ、もう、おばちゃんには、いつもお世話ンなってまんねン。十銭あげてえな、な、十銭」
「おまえ、おばはんに世話ンなっとるかしらんが、わいはなんも関係あらへんがな。十銭あげないかんのかいな、さっきからいうてんのや、八十銭にまけときイって、それを一円であがったんやがな、電車賃なくなるのやがな」
「そんなこといわんと、持ってはるやないかいな。なア、十銭くらい出しなはれな」
「どうもしょうがない。おばはん、まア、うどんなと食べてエな」
「まア、おおきに」
これ、十銭やから、おおきにです。ここで二十銭でもやってみなはれ、
「まあア、まア、すんまへん、まア、アサヒさん、喜びなはれや、ええお客はんに当って。ええ男やこと。わたいかて、もうちょっと若かったら、このひとと苦労すんのに、憎たらしひとッ」
パアンッと背中どつかれまんネ。これ、二十銭で背中や、五十銭もやってみなはれ、ピストル突きつけよる。
そないいうて、さて寝てみますと、そこは商売ですからして、なかなかうまいことあしらいよるもんで。お客はんのほうも、ついつい夢中ンなって通うようになりよる。もっとも、むこうさんは一日に何人ものお客を相手にしやはんのやさかい、少々のことではこたえしまへんねやけど、うまいこといいよる。まだ、なんもしてへんのに、
「ああア、あんた、ええワ、ええワ、ええ」
「おいッ、いいかげんにさらせ、おい、わし、まだなんもしてへんがな」
「そうかて、せんさきからええのやさかい、こないええのやったら、どないなるかわからへん」
てなことをいう。これにだまされて、毎日通うようになりよる。
この、写真時代のもうひとつ前の時代には、実物がずらりと並んでおったもんで。照らしいうやつでんな。ああいうとこのしきたりで、ひやかしでもお客はんがはいっていくと、吸付《すいつけ》たばこちゅうのをしてくれる。長い煙管《きせる》に自分がたばこの火ィつけて、それでお客はんに吸わしたもんですな。これは、べつに自分のお客さんやのうても、このお客さんにあがってもらおう思って吸わすんで。ひどいのンなると、ひやかしばっかりで、たばこだけタダで吸い歩くのンがいる。
「おいッ、早うおいでエな」
「いやアッ、はっはっはッ、ひやかして、えらい面白いもんやな」
「おもろいなやあらへんがな、ええ、ひやかすだけではおもろないがな。ええ、ひやかしやめて、今晩は泊まっていのうか」
「そやな、どこぞええ女子いてたかいな」
「そう、三軒目にひやかした店な、ええ女子がいてたやないか、ちょっと行ってみよやないか」
「ああ、そないしょう」
「ここや、ここや……おばはん、おばはん、もう、しもうたんか」
「げんの悪いこといわんといてエな、こっちおはいり、お二人さんでっか」
「見てのとおり、二人やね。ええ子、いてるか」
「見ておくれやす、ずっと並んでまっしゃろ」
「うわッ、はっはっはッ、おいッ、ちと見てみイ、宵に来たとき三人しかおらんだったンが、いま七人いよるがな。ええ、どうや」
「おい、宵には、もうちょっとましなンがいてたはずやけど、人数がふえてから女子《おなご》が悪うなったように思うな。ちと見てみイ、ずいぶん悪い女子そろえおったな、ええ、おばはん、これだけか」
「へえ、ほかの妓、もうみんなしもうてまんねン」
「さよか。えらいあてはずれやがな。ここがいちばんええのンがいる思うて来たら、悪いのよってそろえたる。ようまア、これだけ悪いのばかしそろったな……おい、おまえ、どの妓いく?」
「そやなア、まあ好き好きやけど、しんぼうすりゃア、右からよったり目かなア、おまえ、どれがええ」
「右から四番目か。わイはちょっと違うなア、わイやったら、左から四人目め、な」
「同じこっちゃないかイ、七人しかいやへんのやがな」
「ははッ、なるほどな、誰の見る目も同じやなア」
「けど、あの女子、さっきから、わいに色目ばっかし使うとるンやがな」
「おまえもそないに思うか。わいの顔も、さっきからじっと見とるで。わいに気ィがあるンとちがうか」
「そんなことあるかい、わしの顔、見とるんや……おいッ、よう見てみィ、あいつ、ヤブにらみやがな」
「ははははッ、ヤブにらみかいなア、なんや、よっぽどお父っつぁん、竹の子で損しよったんやろな」
「なんでや」
「竹の子で損こいて、ヤブにらんどるンや」
「ははははッ、なるほどなア」
「お父っつぁん、竹の子で損して、娘が松茸でもうけとるンや」
「阿呆なこといいないな」
「ちょっと、お客はん、どないするねン」
「ううん、こんな女子やったら、もうあがってもしゃあないワ」
「そんなこといわんと、あがろうな」
「あがろうなって、おまえ、ゼニを先に決めなあかんがな」
「ああ、さよか」
「おばはん、二人いっしょやったら、なんぼや」
「そうだんな、ほな、すんまへんけど、お二人で三円にしとくれやす」
「三円か。三円でしんぼうするか? 二人で三円やいうとるで」
「せっかくやけど、わい、もう帰るワ」
「なんでや」
「なんでやて、おまえ、この女子に一円五十銭も、よう出さんワ。一円五十銭あってみイ、米がおまえ……」
「阿呆なこといいないな。米買いと女郎買いといっしょになるかいな、そんなこといわんと、あがろ」
「さよか、あがろか」
てなもんで遊んだもんですが。
これが、先ほど申しました、送りの娼妓《おやま》はんになりますと、不見転《みずてん》買いいうやつでんな。これがまた楽しみなもんで。
「姉貴《あねき》いてるか」
「まア、よっさんやないか、久しぶりやなア、どうぞ、どうぞ。ええ、ええ妓、ちゃアんと。ううん、あんたの好みそうなお方な、ううん、この前から気ィつけてますの。うん、大丈夫、わたいにまかしとくれやす」
「さよか、ほなら今晩泊るさかい」
「おおきに、久しぶりに来やはったんやから、ゆっくり遊んでおくれやっしゃ」
「ほなら、ええ妓、たのむでエ」
二階へ、トントントンとあがりますと、もうちゃんとお蒲団が敷いてありまして、枕もとには水差しとたばこ盆が置いておます。枕がふたつ、箱枕に坊主枕。そこでしばらく寝ておりますると、
「お母ちゃん、今晩は」
「あア、奴はんかいな、いいえな、ええお客はん、あんたに世話しょう思って、うん、そう、おなじみさんなんやけど、奴はん、初めてのお方、よう可愛がってもらい。な、わかったな」
「うん」
「ほなら、二階あがってな、一番奥の部屋」
「さよか、ほな、あとでまた。お母ちゃん、おおきに」
トントントン、二階へあがりまして、襖をヒュウッと開くなり、
「今晩は、おおきに」
頭さげはるんですが、あれ、どういうもんですか、ああいうとこの女子はんいうもんは、まともに正面むいて挨拶はせんもんで、ちょっとはすっかいになって、横顔見せて頭さげよる。なんでかと申しますと、正面むいて頭をさげますと、鼻が低うに見えるそうですな。そやさかい、ちょっとはすっかいに、こう頭をさげると、いくらかでも鼻が高うに見える。ま、横から見て高うなかったら、もうあきらめなしょうがない。
「おおきに」
いうてはいってきまして、
「まア、寒《さぶ》いこと、早《はよ》から来てはりまんの? えらいすんまへん、遅なりまして。ううん、男衆はんが知らしてくれんの遅かったもんですさかい、すんまへん、ちょっと待っておくれやっしゃ、すぐに用意しますさかい」
はいってくるなり、ああいうとこの女子はん、すぐに着物シュッと脱いでしまいよる。蒲団のなかで、あの着物脱ぎはる衣ずれの音きくいうのは、なかなかええもんで。「あア、どないな身体しとるやろうな」いう期待で待っておりますと、すぐには寝床へはいってきよらん。長襦袢一枚になりはりますと、紙を持ってシュッと出ていきよる。これ、逃げるんやないんで、はばかりへ行くんでんな。ひょっとしたら、いま済ましてきたとこかもわからん。はばかりから帰ってきて、その紙をば蒲団の下へ敷きはります。まことに色気のあるもんで。蒲団にはいるのかて、情があります。ぱあッとまくって、はいってくるなんてことはしまへん。足のほうから、そうッとはいってきよる。
「お客はん、すんまへん、身体冷えてまっさかい、冷たいかわからしめへんけど勘忍してエな」
「かめへん、かめへんがな。もっとこっち寄りイな」
「ほんまにかめしまへんか」
「かめへんちゅうのに、こっちィもっと寄りイな」
「さよか、冷とうおっしゃろ、冷とうおまっしゃろ」
なんて寄ってこられると、少々冷たくってもしんぼうせなしょうがおまへん。
「うん、かめへんがな、わいがぬくめてやるさかい、もっとこっちィ寄りイな。ええ、はは、なるほどなるほど、よう冷えたるワ」
「男衆はんが知らしてくれるの遅かったもんやさかい、おなかが減ってたもんで、へえ、うどん食べに行ってましてん。そのうどん屋の庭で坐ってましたんで、身体すっかり冷えてもうて。勘忍な、しばらくぬくもるまで」
「かめへん、かめへん、遠慮することあらへんがな、わいがぬくめたるがな。え、どや、どないや、かめへんか」
「かめへんて、なにが?」
「口吸わしてえな」
「うん、ほかのお客やったらいややけど、お客はんやったら、かめへんワ」
「かめへんか、ほんまにかめへんな」
「どうぞ吸つとくれやす。わて、さっきからいうてまっしゃろ、わたい、お客はんみたいにほどのええひと、初めてやワ。ひょっとすると、もう、どないなるやわからへん」
「そんなこといいな、わいかておまえ、どないなるかわからんでエ、ええな」
「ちょッ、ちょッと、お客はん、そんな冷たい手エで、い、いや、いや、ちょっと待っておくれやすいうのに、もっと手エぬくめておくれやす」
「かめへんがな、ええ、じきにぬくうなるさかい、ちょっと、ちょっとええやろ」
「ああン」
「おう、ええ身体したアるワ、わイもどうもならんようになりそうやで、ほんまに……」
「ああ、ああァ……ちょッ、ちょッと、待っておくれやす」
「なんや、なんや?」
「なんやって、あんた、ほかのお客はんと違うワ」
「なにが違うのや、え? どこが違う?」
「どこが違うって、なんや違う、おかしなものが当るワ」
「な、なにが当るねン」
「なんや知らんけど、けったいなもんが当るワ」
「どこへ当るねンな」
「どこへって……あア、お客はん、わたい、こんな気持ンなったん、初めてやワ、なんでんの、その、さっきからペタペタ当りはるの」
「なにがペタペタ当んのや」
「なんや知らんがな、けど、おいどへペタペタ当るもんがあるン、お客はん、これ、なんでんのン」
「なんでんのンて、おまえ、これはわいの金玉や」
「まア、さよか、わて、こんなん初めてやワ、ああ、ええ気持やったワ。また、お客はん、来ておくんなはれや」
「また、ちょくちょく来るさかいな。けど、わいの金玉のこと、ひとにいいなや」
「そらいわんけど、いっぺん見しておくれやすえエ」
「なにをいいな」
「さっきから、気持ようわたいのむこうに当ったん、見してえな」
「こんなもん見せられるかいな、恥しいがな。子どもの時分、病気したんで、こないなったんや」
「そんなこといわんと、見せてえな……あッはッははははア……おもしろい格好」
「そやさかい、わい、見せるの、いややっていうたんや。もう、帰るッ」
パアッと帰ってしまいよった。
ひと月ほどしまして、
「姉貴、いてるか」
「まア、よっさん、長いこと顔も見せんと、どないしてなはったン。いいええな、こないだよんだ、奴はん、あんたにえらい惚れはってなア。あれから、あんたが来《け》えへんか、来《け》えへんかちゅうて、毎日のようにのぞきはるのやワ。どないしはってん? なんぞ、術でも用いとるンやないか?」
「阿呆なこといいな、もう、わいあの子いややで」
「なんででんの」
「なんででもかめへん、ほかの妓よんでえエな」
「おかしいわア、あの妓、えらいあんたに惚れてんのやで。いえな、あの妓、これまでにそんななったことおまへんのやで。もう、あんたのことばっかしいいよるのや。なんや知らんけど、ほかのお客はんと床つけんのと、ぜんぜん違うとかいうてな、えらい熱のあげようなんや、あの妓、よんどくんなはれ」
「いいや、あかんて、ほかの妓よんで」
「なんででんな」
「いや、じつはな、わい、もうそれがいやさに、いままでも姉貴んとこへ来ても、同じ妓よんだことないねン……ああ、わけいわなわからんねやけどな、ちょっと姉貴、耳かしてんか」
「なんでんの、内緒でいわなあかんの、おちょぼが横で見とるがな」
「おちょぼにきかれたら、わい恥しいがな、耳」
「さよか、ま、こんな耳でよかったら、貸しますワ、けど、じき返しとくれ」
「誰がこないなもん、一生借りとくかい。じつはな……な、……な……」
「まア、さよか、ははははッ……」
「それみてみイ、姉貴かて笑うやろ、だからわいはいややいうのや」
「そうでっかいな、どうりで奴はんがいうてましたワ。そうでっかいな、いえいえ、わかりました。ほな、きょうはほかの妓よびましょ。いえ、もうわたしにまかしといておくんなはれ、ええ妓よびますさかい。いつもの部屋で待っておくれやす」
しばらくしますと、
「お母ちゃん、おおきに」
「まア、せんちゃんやないか、いえな、きょうのお客はん、ええお客はんやさかいな、怒らさんようにせなあかんで。わかったんな。え? 二階の奥の部屋やで、怒らしたらあかんで」
「え、よろしゅうおます、おおきに……こんばんは」
「グウグウグウグウ」
「ああ、お客はん、よっぽど早うから来てはったらしいワ、ようやすんではること……お母ちゃん」
「なんやね、せんちゃん」
「いいえな、いま、お部屋へあがったら、お客はん、よう眠ってはりまんねやけど、だいぶ待ってくれてはりましたん?」
「そんなことないし。いま来やはったとこやワ」
「そうかて、よう眠ってはるワ」
「さよか、ほなら起したりイな。いま来たばかりなんやから」
「ほならもういっぺん行てくるワ……ちょっとお客はん、お客はん、ちょっと、ちょっと、お客はん……」
「グウ、グウ、グウ……」
「まあア、よっぽど疲れとるんやろか。よそで、せんぞええことしてきて、ここでこないして、よう眠ってはんのやワ。ちょっと、お客はん、ちゅうのに、お客はん」
「グウ……」
「お客はん」
「グウ、グウ」
「まア、いびきで返事してはるワ。あッ、わかった、お客はん、あんた狸でっしゃろ」
「うん、誰に聞いてん、わいの金玉の大きいの……」
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下口
「おい、ちょっと開けてンか、喜《き》イやん、喜イ公、おらんのかいな。ちょっと開けイいうてんのや、寝とるんか」
「いえ、起きてます」
「起きとるんやったら開けんかイ、用があるんやがな」
「戸は開きまんがな。じんわりと押してくれたらええねン。急に押したらあかんようになってます、戸オの際《きわ》にな、カンヌキしてまんねン。じんわり押してくれればな、カンヌキもじんわりこっちィ寄って戸オが開きまんねン……あッ、そないに押したらあかん、カンヌキがちゃぶつくがな、あッ、そうれ、ひっくり返ってもうた。こら、どないもならんワ、カンヌキのはねたン、汚のうおますさかい、気ィつけなあきまへんで」
「なんやイ、えらいくさいな。わア、ぎょうさんな水やな」
「水やないねン、しょんべんやがな」
「なんやて、誰や、こないなとこにしょんべんまいたン」
「あんたやがな、甚兵衛はんやがな」
「わし、そないなことするかいな」
「カンヌキの代り、戸オの際にしょんべん担桶《たご》を置いてまんのや。じんわり押してくれ、いうとるのに、そないに押すさかい、しょんべん担桶、倒れよるがな。カンヌキのはねたン、汚のうおますから、気イつけなあかんでエ」
「汚のうおますって、かなわんな、これ、坐るとこもあらへん」
「まア、こっちィきて坐りイな」
「ほんまに汚ない家やな、掃除なとせんのかいな。だから無妻はいかんのや」
「そないくさかったら、去《い》んなはれ」
「くさいいうたんやないがな、無妻、やもめいうたんや。おまえ、かか持つ気ィないか。きょうは、それで来たんやがな」
「かか持ちますワ、なんぞ、ええ柄《がら》のがおますかいな」
「そんな、着物みたいにいいないな。あるから世話しよういうてんのや」
「さよか、けど、それ阿呆やおまへんやろな」
「阿呆に阿呆の嫁世話したら、これどうにもならんがな。しっかりしとる女子やがな、器量かて十人並みやがな」
「さよか、ほなもらいますワ」
「えらいあっさりいうな」
「ええ、もうすぐにもらいまっさ」
「ほな、日取り決めンならんが、暦あるか」
「へえ、去年のならおます」
「去年の暦じゃどうもならんがな、今年のはないかい」
「まだ買《こ》うてない」
「いつ買うのンや」
「今年の十二月」
「阿呆ッ、今年の暦、十二月に買うてどないするンや」
「けど、これ親の遺言」
「なんやて」
「お母《か》ンが死ぬときいいましたン。なんでも仕舞いもんを買うたら安いさかい、仕舞いもんを買うたらええって」
「暦の仕舞いもん買うてどうすんねン、しょむない男やなア。暦なかったら、日柄《ひがら》わからんがな」
「かめへん、きょうもらいまっさ、連れてきとくなはれ」
「気忙《きぜわ》しないやっちゃな、また。けどまア、思いたったが吉日いうこともあるし」
「出た日が命日や」
「ゲンの悪いこといいないな。ほな、早速連れてくるワ。けど、乞食かて身祝いいうこともあるし、まア、小魚でええから、尾頭《おかしら》つき買うて、風呂へでも行ってきれいになって来イな」
「風呂なら二回はいってる」
「その割に汚ないな、日に二へん?」
「いえ、年に」
「年にかいな」
「三月と九月に」
「彼岸やがな。風呂行って、きれいにして来イな、嫁はん連れてくるさかい」
「あのウ、十五、六円おまへんか、銭がないんネ」
「そらあるけどな、風呂行って、尾頭つき買うたかて、二、三十銭あればええやないか」
「そら、風呂と尾頭つきはそれでよろし」
「ほかになにがいるン?」
「風呂行こう思ったら、米屋の前通らなならん、八百屋かて炭屋かて、酒屋かてあるン。それ、みんなつかまって催促されたら、二十円あっても足らんがな」
「かなわんな、ほんまに。ほたら、これ、ここに十五円置くワ。用意しイや、日の暮れまでに嫁はん連れてくるさかいな」
久し振りに風呂へはいり、そこらへん掃除して、仲人はんの連れてきた嫁はんをむかえた。なかなかええ嫁はんで、阿呆もさすが二人になったんで一生懸命働きよる。もともと、腕のほうはええのですから、結構かせぎまして、暮しむきはまずまず。一週間ほどたちまして、嫁はんが仲人さんのとこへ挨拶にきよった。
「あア、一ぺんたずねたろ思うとったんや。どや、やさしくしてくれるかいな、亭主は」
「へえ、棚元のことかて、手エとってくれますし、仕事かて欠かさんと、毎日」
「そらええ、そらええ。ま、これで、おまえの口は安心やな」
「ええ、その口のほうは安心で、心配はおまへんのですけど……」
「けどって、なんぞ、ほかに心配ごとでもあるンかいな」
「……」
「黙ってたらわからんがな、いうてみイ、心配ごとやったら。わたしから、よういうてやるさかい」
「へえ、あの、口のほうは心配おまへんのですが、もうひとつの……口のほうが……」
「え?」
「へえ、根っからそのウ……」
「なんやて、ようわからんがな、はっきりいいな」
「恥かしゅうて、いえまへんがな……そのウ、上の口は心配おまへんのや……そのウ、下……下の口のほうが、そのウ……」
「えッ、下の口って、おまえたち、まだ、あれ、してへんのかいな」
「へえ」
「あきれたもんやな、あの阿呆が、まア、そこまで阿呆とは思わんだな……よしよし、うちへ寄こし、わたしがあんじょういうてやるさかい」
「すんまへん」
日が暮れますと、仕事から帰ってきた阿呆が、嫁はんにいわれて、早速甚兵衛さんとこへやってきよった。
「なんぞ用でっかいな」
「なんぞ用でっかいなって、のん気なやっちゃな。嫁はん、ぼやいてるがな」
「ぼやかれることおまへんでエ、わたい、親切にしてますのやで」
「そらええわな。けどな、上口のほうはええけど、下口のほう、養《やしの》うとらんそうやないか」
「下口って、なんだんねん?」
「阿呆やな、ほんまに。女子には口が二つあんのや」
「化け物やがな、口が二つなんて」
「上の口ばかりやのうて、下の口も養わなあかんのや」
「さよか」
阿呆はいわれて帰る途中、魚屋でタコの足買うてきた。
「帰ったでエ」
「お帰り」
「めし、すぐ食おうか」
「へえ」
「おまえ、下の口にも食わせたるさかい、横になれ」
「まア、あんた、ゆっくりごはんすんでからでええやないの」
「ごちゃごちゃいわんと、早よう、下の口出さんかい、ほれ……わアッ、なるほど、ほんに下の口が開いたるワ、こら面白いな、よし、養うたるワ、茶碗のごはん……あついな、フウフウ、フウ、よしさめた、ほら、下の口から食べえな、ははは、動くがな、ごはん、中にはいっていきよる。こんどはタコを食べさしたるワ」
阿呆は喜んで、タコの足をば嫁はんの下の口に入れようとしよる。嫁はん、こそばゆくてかなわんと、気ばった拍子に、スウッと一発もらした。
「あはははッ、タコは吹かんかて、あつくはないがな」
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上方艶笑私感――藤本義一
日本列島を一年に三回ぐらい縦断するだろう。深夜テレビ・ワイドショーの司会をやったり、性神の記録、口承を求めたりして歩いているわけである。
おかしなもので、そんなことばかりやっていると、日本列島が性そのものに見えてくるのである。たとえば、本州は男性のシンボルであり、四国、九州は睾丸の如き感じ、北海道は、女陰で、沖縄はアナルといった調子なのだ。神州不滅の日本をなんと考えているかと叱られそうだが、そう見えるのだから仕方がない。
ところで、大阪を中心とした上方艶笑は一体どの位置に属するかと考えてみる。男性のシンボルの基底部にあたるようだ。その特徴としては、あらゆる古今東西の艶笑譚を貪欲に吸収し、上方風に味をつけているといえる。たとえば、津軽に行って耳にする艶笑譚は、おおらかな土の匂いがあり、それが東北を下って上野駅につくと、土の匂いが消えている。反対に、熊本県下にも津軽艶笑譚とまったく同じものがあって、これもその土地の言葉で聞くと、なかなかおおらかである。そして、おもしろいことには、津軽から秋田あたり、山形あたりに下ってきた艶笑譚は、ある場所で、中国艶笑の如く大きくなり、そして、東京に入れば消え、九州のは、やはり、熊本の話が大分県に入れば、やはり大袈裟になり、四国に渡り、ついで大阪にやってきている感じがある。
東北の艶笑譚は大阪までとどかず、むしろ、九州、四国の睾丸にあたる部分が上方の艶笑の大きさになっているように思われる。
なぜ、そんなふうになったのかと独断を下すなら、風土といわなければならないだろう。季候と瀬戸内をひかえた温暖の地が商人の蝟集を呼び、そこに商人《あきんど》独特の艶笑が誕生したと見るべきである。中央(昔は京都、現在は東京)に対する抵抗精神だという人もあるだろうが、それはいささか偏見に過ぎるのではないか。
商人の生命は取引の上での「口」であり「腹芸」であると心得たなかから、艶笑のパン種が生れてきたような気がするのである。
たとえば、
「どうでっか、儲かりまっか」
「いや、娘の褌《ふんどし》ですわ」
という明治期から大正、昭和に交わされた大阪商人(京都人は絶対にこんなことをいわなかった)の会話がある。
娘のフンドシとは、そもなんであるかと哲学的に考える必要はない。もっと単純に、娘がフンドシを締めて歩けばどうなるだろうかと考えてみればいいのだ。
つまり、
動けば動くほど、食い込む一方である。
という意味だ。「食い込む」とは、マイナスになる。人件費もかかれば、回転資金も要るということなのだ。聞く人によれば、顔あからむ下劣さとなるところを、大阪人はハハッと陽気にとる。これがすすんで、ニッチもサッチもいきまへんとなる。二進《にっち》も三進《さっち》もだ。考えオチを普段に用いる傾向があり、それを楽しんできたというのが大阪人であるといってもいいだろう。
だから、艶笑を創作することに歓びを感じ、また外国のものを大阪流艶笑に潤色するところに妙味をおぼえたものだと考えられる節が多い。間男《コキュもの》には、なんとフランス小咄に似た起承転結があることか。
そして「揚子江」となれば、これはもう中国の口承春話そのものだし、これと同じような話はまたポール・ラディンの「アメリカ・インディアン神話の研究」とか「ウイニベーゴウ族トリックスター物語群」の中にある。また面白いことに「故郷に錦」と同じようなのがドイッの春話にあるのだ。そして、狐が登場する「紀州飛脚」を先年逝くなった橘ノ円都師匠にある座敷でうかがった時は、なんとこれは「聊斎志異《りょうさいしい》」の世界ではないかと思ったものだ。聯斎志異の中にも女狐が化ける話がある。
どちらが先でどちらが後というのをいっているわけではない。上方艶笑ばなしの中には、色々なものが詰っている楽しさがあるのだ。そして、先に上方艶笑は貪欲に東西のものを大阪流に仕立てたといったけれども、「紀州飛脚」の主人公はインディアン民話に登場するビッグ・アウルという若いインディアンにそっくりだし、話の筋立は、先にのべた中国ふう味付けなのである。それでいて、大阪弁のニュアンスが、もともと異質の二つの外国春話を結びつけているのが楽しい。
もうひとつの特徴は、上方艶笑ばなしは、他の地方の艶笑譚と根本的にちがうのは、その地口のオチの冴えである。主人公が如何にも間が抜けているのが、短い咄の中にも十分に語られる。たとえば「猪飼野」という小咄の主人公は、わずか原稿用紙にして三、四枚で、その間抜けさを披露しているといえる。それで、この地名がイカイノで、猪は街娼で、飼は「買う」に通じるなどと考えられる仕組になっているわけだ。上方以外の艶笑譚には、あまり、この種の男は出てこない。「逢いびき」の神主までが、なにやら滑稽な人間に描かれているのをみてもわかるだろう。この揶揄《からか》いの精神は、「忠臣蔵」をも間抜けたものにし、百人一首を長襦袢に仕立てあげて、椰楡いの対象にしてしまうのである。
こういった精神は現代の大阪にも生きている。たとえば、大学生相手に喋っていても出てくる。
「ワレメちゃんてどない思う……」と訊ねると、
「ワカメちゃんの娘でんがな」と即答する。
一昨年、チッソ公害の取材に行った時、大阪の会場から押し出されたプラカードを持った学生が、ぶつぶついいながら、マジックで悪戯《いたずら》がきをしていた。なにをやっていたかというと「チッソ」の小さなッを消して、ソを大きなツに書き換えているのだった。チツ反対なのだった。
「なにやっとるのや」
というと、
「これぐらいやらな、肚《はら》立ちがおさまりまっかいな」と、彼は憤慨していたものだった。ここにも抵抗を笑いに擦りかえる精神がしたたかに宿っているのをみた。
東京の中山競馬場では、レースが終ると、パッと外れ馬券が宙に舞うけれども、大阪、京都の馬場では、そういう光景があっても東京のように派手ではない。中には、外れた馬券に、ぶつぶつ文句をいっている男もいる。外れ馬券に咳いて楽しむ方法を知っているということだろう。こういうところが大阪の笑いのパン種であろうと思われる。
また、この本の中にも「金玉茶屋」というのがあるが、最近、関西から出た兄弟のフォークが「金玉」と染めたハッピを着て、コンギョクと読んでくれと居直る精神も、いささか艶笑的であるといえる。田辺聖子さんの作品にしても、筒井康隆氏の作品にしても、小松左京氏の作品にしても、上方艶ばなしが底に蔵している皮肉と冷笑がないまぜになっているのがわかる。
それでも、関西以外の人からみれば、この底の部分の精神がもうひとつよくわからないとおっしゃる。先日も作曲家の服部公一氏と雑談していたら、
「関西の人というのは、関西以外の人を素直に受け入れないようですね」
といわれた。排他的だというわけだが、これは、関西人が言葉をひねくりまわすから、そういうふうに受けとられるのではないかと答えた。
たしかに、言葉で遊び、既存の物事を斜めに眺めて遊びにしてしまうところがあるので、関西以外の人は、関西の器の中に入り込めないのかもしれない。しかし、一旦、入り込んだら最後、今度はなかなか脱け出すことは出来なくなることは事実である。
たとえば、なにか面白くないことがあった時、
「阿呆らし」というか「阿呆くさ」というか「けったくそわるイ」というか「阿呆にせんといて」というか「阿呆に阿呆いうやつは阿呆や」というか「阿呆に阿呆いう阿呆は、ほんまの阿呆や」というか、その時その時の感情、気分で自分の納得出来る言葉を選ぶというのは、なかなか楽しい土地なのである。
この一冊を編集するために、二代目の露の五郎さんに力を借りたわけだが、その時の会話を活字にすると次のようになる。
義一「艶ばなし、活字でいけまっしゃろかなあ」
五郎「そら、いけますやろ。読みはって、口にして、そいで、どんどん変えていくのが落語でんもんなあ。ほな、ひとつ、なにを入れるか考えまひょ」
義一「なによろしいか」
五郎「艶笑いうても限界ありまっさかいにねえ。ちゅうて、ワイセツやいう人は、二股大根みてもワイセツやしねえ。そういう人は読まはれへんものと考えてでんなあ……」
こっちが読者を勝手に定めるところなんぞは、いかにも大阪の真骨頂であるといわなければならない。
御苦労願った二代日露の五郎師匠に脱帽して、筆を……。
などというと、きっと、露の五郎さんは、
「あかん、あかん、脱帽して筆入れたら、子供が出来るッ」と、おっしゃることでありましょう。