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もっとウソを! 男と女と科学の悦楽
竹内久美子・日高敏隆
目 次
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まえがき 日高敏隆
第一章 「赤の女王」と性の進化
[#この行2字下げ]男と女の隠れた闘い 人間のペニスは何故ああいうかたちをしているのか? 精子競争とオスの戦略 男がマスターベーションをする理由 オルガスムスと妊娠の関係 コミュニケーションとしてのセックス 父親はどこまで必要か 子育ての喜びも遺伝子の企み 父親はわが子を認知できるか 自然淘汰と進化の多様性 なぜ「性」が存在するのか
第二章 若い女はなぜダイエットに走るのか?
[#この行2字下げ]男と女の理想のズレ またしても女の深謀策略か クリスマス島の女はなぜ太っているか 寒い地域はデブになる r戦略とK戦略 運動能力も性的能力も活発なニグロイドの人々 暑いと精子形成がにぶくなる ベラのコム・デ・ギャルソン戦略=@ファッションと一夫一妻制 脱がされなければ意味がない
第三章 科学とはウソをつくことである
[#この行2字下げ]どんな大理論も永遠ではない 「NATURE」のすごいところ 「科学的態度」というのが曲者 科学と神について チョウは椅子に集まる? 幼稚園児にヒストグラムを教える京大生 カエルの解剖は残酷か? 科学と技術の違いについて 科学は技術の侍女にあらず 社会生物学は人生論 科学とは「なぜならば」である 科学は常に真実を語るとはかぎらない アリの太陽コンパスを発見した実験 「科学的」というスタイルだけが残った日本 科学と呪術
第四章 浮気人類進化論の誕生
[#この行2字下げ]書きはじめたきっかけ レーザーと女の人生の関係 日高研の重大事件 ドーキンスとモリスとシュテュンプケ 浮気人類進化論の誕生 大反響のおかげで体調をくずす 発想と飛躍について 日高研は混沌として…… 大学院の入試は飲み屋で行なうべし
第五章 かくも素敵な奇人たち
[#この行2字下げ]ドーキンスは癖の塊 イギリス人の現実主義 女嫌いのプロフェッサー 生物はジュークボックスのようなもの 講義は口笛で鳥の鳴き真似 身を以て人間の研究をするソーンヒル モリスの徹底的な実験 科学者の世界観 ライナス・ポーリングはなぜ長生きしたか 芋虫の模型のパフォーマンス
第六章 男の思想はどうして決まる?
[#この行2字下げ]「種の保存」という誤解 ティンバーゲンとノーベル賞 個体から遺伝子へ 欧米のすさまじい反発 人間は特別な存在ではない 京大はええ加減なとこがいちばんええとこ パラサイトと日本人の起源 京都男に恐妻家が多いわけ 逆説が通じない 中の下の男の戦略
終わりに──ふたたび、科学とは
[#この行2字下げ]今までと違った視点で見るということ 科学は究極のエンターテインメントだ
あとがき 竹内久美子
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ま え が き
ぼくは人の話を聞いていて、いちばんおもしろいのは「裏話」である。これはおそらくぼくに限ったことではあるまい。東京農工大、京大、そして今の滋賀県立大と、三十何年講義をしていて、学生たちが興味をもち、いつまでも憶えているのは、何らかの意味での「裏話」である。
裏話といっても必ずしもゴシップとは限らない。何かの研究でどんなふうに実験をしたか、ある先生がどんなキャラクターで、どんなことを言ったか、自分ないしはある人が、何を見ていてそんなことを思いついたか……要するに着想、発想にかかわるできごとである。こと科学の話でも、これがいちばんおもしろいのである。
この本はぼくと竹内久美子が何時間かにわたって、興の乗るままに語りあった裏話である。論文にはもちろん書けないし、新聞に書くわけにもいかない。しかし日頃じっと心の中にあって、いつかは言いたいと思っていたこと。そんなことの連続である。
裏話だからかなりきわどい話もある。お許しを願う他はない。
平成八年十二月二日
[#地付き]日高敏隆
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もっとウソを!
男と女と科学の悦楽
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第一章[#「第一章」はゴシック体] 「赤の女王」と性の進化
■男と女の隠れた闘い[#「男と女の隠れた闘い」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 今(一九九六年現在)、次の書き下ろしのために、|精 子 競 争《スパーム・コンペテイシヨン》(註・複数のオスの精子が卵を巡って争うこと)や男と女の繁殖戦略について勉強しているんですけど、やっぱりこの分野の研究はとどまるところを知りませんねえ。私たちが抱いていた性や道徳についての常識は、当然のことながらどんどん覆《くつがえ》されていきます。私はある程度の予想はつきますが、それでも驚くことばかりです。そこまでやるか、という研究はやっぱりイギリスが本場で、主にイギリスの学者たちによる研究を中心に調べているんですが、まず男の戦略のほうから話します。
人間のペニスは、類人猿に比べて非常に大きく、行為に費やす時間も長いわけですけど、なぜそうなったかについてはいろんな説がありますよね。デズモンド・モリスは、大きなペニスはより大きな快感を女にもたらすから、人間では男が狩りに出かける生活様式が始まった頃に、留守のあいだその快感を女に忘れさせないために、大きくなる方向で進化してきたんだ、と説明しています。それに、ペニスが男同士のアグレッシヴなディスプレイに役立つという説もありますね。
日高[#「日高」はゴシック体] ペニスサックとかあるよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 大きいほうが女を引きつけるとか、長いといろんな体位がとれるからそういう男を女が選ぶんだとか、古典的な説がいくつかあったんです。そのうちに、精子競争という観点から、長いほうがピュッと精子が膣の中でよく飛ぶから、他の男との精子競争に勝って、卵をよく受精させることができる。だから伸びたという説も出てきた。
日高[#「日高」はゴシック体] 女にどれだけよくモテるかっていう話から、実際にどれだけよく受精できるかという話になったわけだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] これは先生もご存じの昆虫学者のR・L・スミスが出しました。彼はコオイムシの研究で有名ですよね。
で、ともかくこれは画期的なアイディアです。古典的な説より何倍も説得力がある。いかにもなるほどという気になりますが……。でもそうすると、問題は、チンパンジーなんかは人間よりはるかに競争が激しいわけですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] チンパンジーの場合、一頭のメスが発情すると、群れのなかのオスがどんどんやって来て、一日に何十回と交尾するでしょう。じゃチンパンジーで伸びているかというと、そんなに伸びていないんです。
チンパンジーは八センチくらいです。ちなみにオランウータンが四センチぐらいで、ゴリラはなんと三センチといちばん小さい。人間はというと、人種によってかなり違うんですけど、モンゴロイド(アジア人)──日本人はこれに属します──だと一〇〜一四センチ、コーカソイド(ヨーロッパ人)が一四〜一五センチ、ニグロイド(アフリカ人)が一六〜二〇センチ。重なりがないほど違う(笑)。もちろんモンゴロイドで大きい人もいるでしょうし、ニグロイドで小さい人もいるでしょう。でもまあ、だいたいの平均値がそんなものなんです。で、精子競争の激しいチンパンジーでそんなに伸びてないってことは、人間で伸びた主たる理由は遠くに飛ばすためというのとも違うだろう。じゃ何か、というわけです。
日高[#「日高」はゴシック体] ……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そこで出されたのが、ペニスによって前の男の精子をかき出しているんじゃないか、という説なんです。
日高[#「日高」はゴシック体] へーえ、なるほどねえ。
■人間のペニスは何故ああいうかたちをしているのか?[#「人間のペニスは何故ああいうかたちをしているのか?」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] たしかに人間は、射精に先立ってものすごい回数のスラストをしてるわけですよ。そもそも行為にかける時間が、類人猿にくらべてずいぶん長いでしょう。
チンパンジーは、スラストが三回から十数回、時間にすると七、八秒。ゴリラがですね、一分から一分半。オランウータンはちょっと長いんですね。数分から長いときは二十分ぐらいと、かなり人間に近い。まあそんなところなんですが、人間は類人猿と比較すると、やっぱり時間も長いし、スラストの回数も多い。それは前の男の精子をかき出すためじゃないか(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] ほお……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] で、ペニスのかたちも……、先生、チンパンジーってヒュッと細くなっているでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] そう。長細くてスパイクみたいだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ゴリラはね、やや人間に近くて、先が少しこう、キノコ型って言ったらいいんでしょうか、頭でっかちのかたちをしている。オランウータンも少しそういう形状をしています。でも、両者とも大きさは、人の指の先ぐらいしかない。やっぱり人間がいちばんはっきりしているんです。そのかたちは、かき出すのに適している。
日高[#「日高」はゴシック体] ゴリラはいわゆる三こすり半なわけね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いえ、チンパンジーのほうが……。
日高[#「日高」はゴシック体] いやいや、チンパンジーじゃなくて、人間の話です。女の子たちが……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、早い男を三こすり半だって言うんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] うん、三くだり半じゃなくて、三こすり半(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] もうそういう言い方をしてるんですか。私も原稿の中で、そのことを知らずに三こすり半て書いちゃった。
日高[#「日高」はゴシック体] 女の子たちは使ってるらしいよ。これが話に聞いた三こすり半かと思っちゃった、なんてしゃべってる。そんなことがあったものだから、ははあ、じゃゴリラは三こすり半なのかと思ったの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ゴリラはちょっと時間が長いです。チンパンジーが三こすり半ですね。
■精子競争とオスの戦略[#「精子競争とオスの戦略」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] それでさ、人間のペニスが大きいって話は……そりゃねえ、どういうもんなんだろうねえ(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 人種による違いは、どういう淘汰が働いたのか、そこまではちょっとわからない。だいたい人種のあいだの差を測って発表しただけでも、問題になるんですよ。人種ごとのペニスのサイズを初めて測定したのは、十九世紀のフランスのある軍医なんですが、その人は匿名で本を書いている。
日高[#「日高」はゴシック体] へーえ。そりゃ大変だ。だけど、ほら、ポルノ写真なんてのを見るとさ、だいたい男のほうは黒人だね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ……。
日高[#「日高」はゴシック体] あの写真がどういう写真だか知らないけど、なんかめちゃめちゃ長いペニスが写っててさ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははは。
日高[#「日高」はゴシック体] そうすると逆に、あんまり長いと全部は入らないから、男のほうは満足感がないんじゃないかね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 同じ人種だったら、フィットするようにお互い進化してきているはずですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなのかな。これはまた不思議な話で、そういう写真では、女のほうは必ず白人なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] じゃ、フィットしてないんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] してない。激烈な印象を与えるためには、フィットしない状況で撮ったほうがいいんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はあ、なるほど。そうか、フィットしていると、見えないから。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう、全部ペタッと合ってたんじゃ、見たって面白くもなんともない。だから、そういうことになってるんだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、よくご存じですねえ(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] いや、知人がドイツの雑誌を見せてくれたんだけどさ、センセ、ドイツ語の勉強にもなりまっせ、と言ってた(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それは勉強になりますねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] そして、まさにドイツなんだなあ、説明にエイズの話までちゃんと書いてあって、避妊具を使いましょうとあるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ……(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] さっきの話に戻るけど、チンパンジーは、精子競争が激しいにもかかわらず、前のオスのをかき出すことができないんだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうそう、そこなんです。で、私は考えたんですよ。要するにチンパンジーっていちいちかき出していても意味がないんです。いくらオスがかき出して自分のを射精しても、すぐにまた別のオスがやって来るわけですから。それに、そうやって次から次へとオスが交尾にやって来る状況では、そんなに時間をかけられないでしょう。かき出している暇なんてないと思うんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 独り占めしてると、他のオスから文句が出る。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、時間と効率を考えると、あんまり意味がないんです。人間だと、一人の女が複数の男と交わるとしても、まあ職業的な人は別として、せいぜい数日間に二人ぐらいでしょう。だから、かき出すことは意味があるんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] チンパンジーの場合は、そうしても効果がないので、大きくもならなかったし、かき出し型にもならなかった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、そのかわりチンパンジーは、睾丸がすごいんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 大きいんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 左右合わせて一二〇グラム、人間の三倍ですからね。ただしこれはコーカソイドと比べての話であって、モンゴロイドはコーカソイドの半分くらいしかありませんから、チンパンジーはモンゴロイドの六倍あると言えるわけです。
日高[#「日高」はゴシック体] じゃ、どんどん製造するわけね、回数で勝負ということで。一日に何回ぐらいするの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] たしか、オスが一日に四、五回はやってるんじゃないですか。そういうオスが集団の中に十頭ぐらいいて、発情したメスが一頭だけだとすると、彼女は一日何十回も交尾することになるわけです。タンザニアのゴンベ国立公園のフローという名のメスのチンパンジーが、一日五十回という記録を樹立した話は有名ですよね。
■男がマスターベーションをする理由[#「男がマスターベーションをする理由」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] このあいだスパーム・コンペティション(精子競争)の本を読んでたら、カミカゼ・スパームっていうのがあった。あれなんだい、カミカゼ・スパームって?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 精子は、ひたすら卵に向かって突進すると普通考えられていますが、そうではなくて卵にたどりついて受精させる精子の他に、尻尾を絡み合わせて網の目状の障壁を作って、後から入ってくる他のオスの精子をブロックしたり、それらを見つけ出して殺す精子がある、という説なんです。つまり自分自身は受精させないけれど、他のオスの精子が卵を受精させるのを防ぐ役割を持つ、そういう精子のことを言うんでしょう。本当かどうか、わからないですけど。
日高[#「日高」はゴシック体] それがカミカゼなわけね。前線で思う存分働けるように、後方支援してるわけだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 違うオスの精子だと目敏《めざと》く見つけるとなると、免疫の機能みたいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] よくまあ、カミカゼなんて名前付けたもんだよね。これは昔からあるんだよ。昆虫では、異型精子というのがたくさんある。普通の精子と違う格好をした精子がいっぱいあるけれど、たぶん栄養になるんだろう、ぐらいにしか思っていなかったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 実際に受精能力はないだろうけど、何か意味はあるんだろう、という程度だった。そこからさらに、もうひとつ積極的に捉えた話だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] しかし、精子の世界にはもっともっと凄いことがあって、驚くのはまだ早いです。先生、射精ごとの精液の量というのは、あまり変わりませんよね。でも、含まれる精子の数がその都度全然違うって知ってますか。
たとえば、夫婦や恋人同士が一定のブランクの後でセックスするとします。そのブランクのあいだどれほど一緒に過ごしていたかによって、精子の数が全然違うんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ということは、どういう場合が多いの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 当然、一緒にいなかったほうです。まったく一緒にいなかった場合はべったり一緒にいた場合に比べ、だいたい二〜三倍の数になります。
日高[#「日高」はゴシック体] へえ……。その一緒にいなかった期間というのは、そんなに長い時間じゃなくて……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 何日間というオーダーです。
これはどういうことかというと、まったく留守にしていたり、女をよくガードしていなかったりすると、そのあいだに、もしかすると女が他の男とセックスするかもしれない。体内にその精子が残っている……。そして、カミカゼ・スパームのように邪魔をする可能性だってある。その男の精子が卵を受精させる可能性を薄めたり、「カミカゼ」のブロックを突破するためには、精子の数を増やす、ということなんです。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほどねえ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それから、男のマスターベーションについても卓見があるんです。あれはまあ、製造した精子が溜まってきたからとか、適当な女がいないとかで外に出すんだ、と皆さん思っているでしょうけど、最近の研究では必ずしもそうではないです。精子が古くなって受精能力が低下したので、新しいのに置き換えておくと説明されています。
日高[#「日高」はゴシック体] ああ、そうか、出来立ての新しいやつのほうが、生きがいいからね。それはよくわかるなあ。僕もそうじゃないかという気がしていたよ(笑)。
■オルガスムスと妊娠の関係[#「オルガスムスと妊娠の関係」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] これは男の側の戦略ですけど、女のほうがはるかに手が込んでいて恐ろしいです。男の射精と女のオルガスムスに微妙なタイミングのずれがあるのは、もちろん先生はご存じと思いますが、これにはちゃんと意味があって、タイミング次第で、男に有利にも不利にもなる。
日高[#「日高」はゴシック体] ほう、というと……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 男の射精よりだいぶ前に女にオルガスムスが起きるとします。これは喜ばしいことだと誰しも思うでしょう。女は満足しているのだと。でも違うんです。オルガスムスが起きると、膣の化学的条件が変わって受精しにくい状態になります。その後男が射精しても、精子がなかなか卵までたどりつけない。
日高[#「日高」はゴシック体] じゃ、さっきの三こすり半だと……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] かえっていいかもしれない。たしかに三こすり半だと、前の男の精子をよくかき出すことはできませんが、女が先にオルガスムスに達してしまって、自分の精子を阻もうとする余地を与えないわけですから。
日高[#「日高」はゴシック体] ふーん。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 逆に、男の射精の直前からその後四十五分間くらいまでの女のオルガスムスは、もはや膣の条件云々どころではなくなります。今度は現実に膣内に精液がある。そこへもってきて膣と子宮が何回も収縮するわけですから、精液を強力に吸引することになり、男にとっては大変けっこうなことになる。オルガスムスはそういう点でも、非常に意味があるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほど、まさにこれは女の戦略だね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それだけじゃありませんよ。イギリスのグループが、何組かの夫婦やカップルをボランティアとして募って、彼らの性生活を追ったり、あまり品がいいとは言えない雑誌で──もちろんそうでなければ意味がないんですけど──大々的なアンケートを行なったりした研究があるんですが、その結果驚くべきことがわかってきたんですよ。
夫婦やステディな恋人同士には、ある程度定期的なセックスがあるわけですが、それ以外に男も女もペア外セックスをするわけです。それもかなり高い割合の男女が「浮気」をしているんです。それだけなら驚かない。問題は、女が、ペア外の男とセックスする際には、無意識に排卵期に合わせたり、体内を妊娠しやすい状態にコントロールするということです。
日高[#「日高」はゴシック体] ……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] つまり、浮気相手の精子を優遇するわけです。また、男も男で、ペア外の相手とセックスするときは、精子の数が多くなるんですよ。まあ、その女はパートナーではないわけだからあまり一緒に過ごしていないわけで、さっきの話からすると精子が多く出るのは当たり前なんですがね。自分の遺伝子をばらまくという男の繁殖戦略からすれば、やっぱりそうなるんですね。
この話はデズモンド・モリスが新作『舞い上がったサル』(飛鳥新社)でも触れていますけど、元の研究は実はこんなもんじゃないんです、もっとすごい。ボランティアの女性に頼んで、行為後に膣から排出される精液や女の体液を採取したりもしているんですよ。もちろんボランティアは嫌なら拒否できるし、サンプルを提出しなければいいんですが、それでもかなりの協力者がいる。いやあ、よくやるなあと思いました。さすがイギリスですね。日本だったらまず無理でしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだろうね。しかし、今の話は面白いねえ。面白いというか、恐ろしいというか……。無意識にやってるんだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] たぶん、そうでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] 無意識にやっているからこそ、恐いという感じがするね。意図的にそうしてるんだとすると、それほどでもない。といっても、やろうとしたって、できないだろうけどね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] もっと恐い話があるんですけど、あんまり喋っちゃうと、次の書き下ろしに差し障るのでこれくらいにしときます(笑)。詳しくは、『BC!な話 あなたの知らない精子競争』(新潮社、現在文庫も出ている)を読んでください。この本のスターはR・ロビン・ベイカーとマーク・A・ベリスと言います。
■コミュニケーションとしてのセックス[#「コミュニケーションとしてのセックス」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] このペニスと精子競争の話は、ボノボ(ピグミーチンパンジー)とはどう絡んでくるのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ボノボはチンパンジー以上に精子競争が激しいですね。挨拶代わりにセックスしますから。
日高[#「日高」はゴシック体] ボノボはああやって始終セックスすることが、ある種のコミュニケーションになっているというでしょ。人間だって、セックスがコミュニケーションになっている場合があるじゃない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] まあ、人によってはそうでしょう。ボノボのペニスはけっこう長くて、二〇センチぐらいあるそうです。ただ、かたちはチンパンジーと同じような先細りの細長いもので、少なくともかき出し型ではないですね。こうしてみるとたしかにペニスは、精子競争において精子を遠くに飛ばすために伸びることもあるんだなという気がします。
日高[#「日高」はゴシック体] 緊張を緩和するという機能もあるみたいだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね、セックスはしても、必ずしも射精を伴うとは限らないようです。それにボノボの場合、オスとメスの行為の他にも、メスとメスが性皮を擦り合わせるホカホカというレズビアンみたいな行為も盛んだし、オス同士も尻を擦り合わせたりペニス・フェンシングしたりしますから、繁殖ということを離れてコミュニケーションとしてやってるみたいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] タガメでは妙な多回交尾がある。
竹内[#「竹内」はゴシック体] え? コミュニケーションですか。
日高[#「日高」はゴシック体] ある種のコミュニケーションなんだよ。あの水の中にいるタガメね。タガメのメスは、水の中に生えている草の茎とか棒とかを登ってきて、水の上に出ている所に卵を産むんだ。そして、その卵をオスが守る。
最初の交尾は水中でするんだ。その後メスは上がってきて、数個の卵を産む。産んだら、上で待っている。するとオスが上がってきて、二度目の交尾をするんだよ。交尾がすむとオスは降りてしまう。と、メスはまた卵を何個か産んで、上で待っている。で、またオスが上がってきて交尾して……と、百個ぐらい卵を産むために、数十回交尾するわけです。もし途中で、上へ上がっていかないようにオスを取っちゃうと、メスは卵を産むのをやめちゃって、最後にはその卵を放棄してどこかへ行っちゃうんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。
日高[#「日高」はゴシック体] それはどういうことかと言うと、何度も交尾することによって、オスは自分の父性を確認することができるわけ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 自分が父親であることを確認すれば、卵を一生懸命守るであろう、とメスは判断するんだね。そうすると産みつづける。さらに全部産みおわって、卵をそのオスに任せても大丈夫だと判断すると、メスはどこかへ行ってしまう。つまり、メスとしては、卵を産みおわってもオスが守りにきてくれないと、もろに損をするわけだから、オスが誠実に守ってくれるかどうかの確認をとっているんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 交尾の、その都度試してる。
日高[#「日高」はゴシック体] そうとしか思えないんだ。結局オスはそのままずーっと守っていて、水をもってきてやったりとか、卵の世話を焼く。そうやって何週間か過ぎると、オスはみんな卵を守ってるもんだから、水中に独身のオスがいなくなっちゃうわけ。メスのほうは、また餌を喰って、卵をつくって産もうとする。そうすると何をするかっていうと、しょうがないもんだから、他のメスが産んだ卵を守っているオスが水を取りにいったりして下に降りたその隙に、その卵の塊をバリバリ壊しはじめるんだ。つまり子殺しをやるんですね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] タガメも子殺しをするんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] オスがそこへ上がってくるでしょう。えーってなもんで、驚いてそのメスと闘おうとするんだけど、メスのほうが大きいからとてもかなわない。メスはかまわず卵をどんどん壊していく。そして卵が残り十個ほどになっちゃうと、オスはしょうがないと諦めて、この悪女とセックスしてこいつに産ませようということになるわけ。で、また同じことをやるんだよ。
つまりこのメスは、他のメスが産んだ卵を壊して殺すことによって、自分の配偶者兼卵の番人を得るわけです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 哺乳類では、メスを発情させるために、オスが前のオスの子供を殺しますけれど、この場合はオスとメスの立場が逆転しているわけですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。これは大発見だったんだよ。これと同じような話は、けっこうあるみたいだね。
■父親はどこまで必要か[#「父親はどこまで必要か」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] そういえば「AERA」に精子の提供者求む──という記事が出ててね。優秀な精子を集めて、冷凍保存しておいて、人工授精させるんだけど、その精子を三百万だったかで買うというわけです。で、それに応じたいという男がいるんだって。どういうつもりで応募したのかを聞くと、非常に多くの人が、なんらかのかたちで自分の遺伝子を残したいから、と答えるそうだ。
「AERA」の編集部に、以前京都にいてよく一緒に飲んだりしてた女の子がいるんだよ。その子が、本当にそんなふうに思うんでしょうかと聞くからね、それは最近、遺伝子が注目を集めてて、遺伝子は自分のコピーを残したいんだという言説が世の中に流布しちゃってるから、それに乗っちゃってるんじゃないかって言ったんだ。少し前までは、そんな表現、誰も使わなかったと思うよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。ほんとは、単にお金が欲しいだけかもしれないし。
日高[#「日高」はゴシック体] 男のほうにしてみりゃ、いい儲けですよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] でもまあ、男としてみれば、自分の遺伝子のコピーは残せるし、子供の世話をしたり、投資したりしなくてもいいんだから、けっこうな話ではあるんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 遺伝子にとってはいちばんいい。ただ、父親としては、その子供がどこにいるか、どう育っているかが、気になるんじゃないかね。子供のほうは、当然顔も知らない父親のことが気になるでしょう。その辺はどうなのかなあ。
遺伝子としてみれば、とにかく自分たちのコピーが増えればいいのであって、父親がどこにいるとか、子供がどうなってるなんてことは考えてないわけだ。他の動物の場合、父親の存在はまったく影が薄いからね、母親と違って。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 昔から男ってのは、ときどき行きずりに女と関係をもって、それで子供ができる場合もあったわけだし、そうやって遺伝子をばらまこうとしてきたんでしょう。それで母親への負担はすごく増えるわけだけど、父親のほうが気になるとかそういうことは、ほとんどないんじゃないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうかな、本当に大丈夫か? 人間の場合だよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ。
日高[#「日高」はゴシック体] 他の動物の場合は、問題ないよ。母親だって、いくつかの母系制の動物以外はある一定期間しか必要ないわけだからね。馬のような母系制の動物だと、母親にかなり長いことくっついているよね。だけど、父親なんてどこへ行っちゃったかわからないし、父親が誰なのかと探し求めることもない。人間の場合どうなのかな、もともとどうだってよかったんだろうか。
■子育ての喜びも遺伝子の企み[#「子育ての喜びも遺伝子の企み」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] よくはないでしょうけど、わからない場合もけっこうあったんじゃないでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] 山極君(山極寿一氏・京大理学部助教授)の『家族の起源』(東京大学出版会)では、他の動物では父親というものはいない、人間に初めて父親という存在が登場する、そこから家族が進化した、というような考え方が出てるんだよ。彼はゴリラの専門家だよね。類人猿の研究をしているとそう見えるのかもしれないけど、僕は、進化してそうなった式の考え方が、どうも気になって……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。こういう状況ではこうだ、たまたまこうなったんだ、というんならわかりますが。
日高[#「日高」はゴシック体] 非常に気になる。僕は、子供を養い、育《はぐく》み、それによって子供が成長していく喜びのような感情も、遺伝子の企《たくら》みの中に入ってるんじゃないか、と思うんだ。セックスしたら気持ちがいいというのも、遺伝子の企みなのであって、言わばご褒美ですよ。セックスが苦痛なら誰もしなくなるから、遺伝子はコピーを残せなくなる。だから、ついついしたくなるように仕向けているんです。
子供を育てるときだって、母親は満足感があるわけでしょ。僕は男だから母親の気持ちはわからないけれども、見ているとどうもそうとしか思えない。寝顔を見ているといつまで見てても飽きないっていうし、旦那のことは放っぽりだしても子供に夢中になるのは、遺伝子がそうさせているんでしょう。
オッパイを飲ましているとき、赤ん坊が乳首を噛んだりすると、気持ちがいいそうだね。性的に気持ちがいい。だから、男なんかいらなくなっちゃう、と聞いたことがある。他の動物の場合は明らかにそうでしょう。小さい子供がいるあいだは、発情しないからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 人間の女でもそうです。排卵がストップしちゃう。
日高[#「日高」はゴシック体] 人間の場合はそう長くはストップしないでしょう。年子《としご》というのもあるしね。あれは後分娩排卵なんだ。
ともかく、そうやって遺伝子が企んでいるとしたら、父親が自分の子供を知りたがったり、子供が自分の父親が誰かを知りたがるということも組み込まれているのかどうか。人間の父親は、けっこう昔から子供の世話をしてきたんじゃないかと思うんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 家族のような、親が子供の世話をする状況の中では、自分の子かどうかが問題になるでしょうけど、自分の視野の外にもしかしたら自分の子かもしれない子供がいたとしても、それは気にならないんじゃないですか。誰かが知らずに世話をしてくれているかもしれないし、子供がいること自体を知らない場合だってあるでしょう。
■父親はわが子を認知できるか[#「父親はわが子を認知できるか」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 僕の知り合いに変わった男がいてね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はあ。
日高[#「日高」はゴシック体] もともと作家志望で、あっちこっち放浪して泊まり歩いていたらしいんだけど、結局作家としてはものにならなくて、今は全然違う仕事をしているんだ。で、その放浪時代にいろんな土地のいろんな女と交わったんだって。そしたらある日、まったく覚えのない女から手紙が来てね。あなたの娘がもう立派に成人して、歌手になりました、という……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 作ったような話ですねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] すごくあなたに似てるから、絶対あなたの子に違いありません、リサイタルがあるから観にいってやってくださいって、切符を送ってきたんだって。しょうがないから観にいったんだけど、俺にほんとに似てるかなあ、と思ったそうだ。会ってやってくれというから、会ったんだけど、全然わからない。娘のほうも、当然わからない。もしかすると自分の娘なのかな、とぼんやり思いながら、変な気分でしたよ、とその人は言っていた。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だけど先生、本当の子供なら、会えばわかると思いますよ。
日高[#「日高」はゴシック体] わかるものかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、遺伝子を二分の一も共有していたら。ブタオザルの血縁認知の研究があるじゃないですか。それまで一度も会ったことのない相手でも、血縁者なら安心して隣にすわるという……。
日高[#「日高」はゴシック体] そうかなあ……。自分の子かどうか確信がもてないというのは、父性というものの永遠の悲劇なんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] わからないときは違うんでしょう。最近、赤ちゃんの取り違え事件のルポを読んだんですけど、その本によると、取り違えられて別の家で暮らしていたわが子と対面したとき、父親はすぐ自分の子だと直観したそうですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] ああ、そうなの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] たとえば、先生のお嬢さんが生まれたときから一緒に育ってなくても、今もし会われたら、わかるんじゃないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] わかるかねえ、いや、それは僕、自信ないな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、もしかしたら手紙が来るかもしれない。
日高[#「日高」はゴシック体] はっはっは。
■自然淘汰と進化の多様性[#「自然淘汰と進化の多様性」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] いずれにしても、いろんな状況になってもそれに応じた遺伝子の企みが、たいていの場合できているわけで、人間の場合もそのことを抜きに議論できないと思っているんだ。だから、ペニスが大きくなったという話だけを切り離して、こういうふうに進化したというと、大丈夫かなって思ってしまうんだよ。まあ、進化を論じるときはたいていそうだけどね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。
日高[#「日高」はゴシック体] 性淘汰が行なわれるときも、どこかで止まるでしょう。長いほうがいいといったって、無限に伸びるわけじゃない。ということは、他の要因が関わってくるから止まるわけだよね。でないと、人間だって一メートルのペニスとかとんでもない変なのができちゃうことになるでしょう。さっきの話で、人種によって長さが違うというのは、その人種の生活様式とか自然環境の条件が関わってきてどこかで止まってるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 話は全然違うけどさ、日本人ってよく「お疲れさまでした」と言うじゃない。電車の車内放送でも「長らくのご乗車、お疲れさまでございました」っていう、あれは日本独特のもんじゃないかね。僕はいつも気になって仕方ないんだ。車内放送のある国ってあんまりないんだけど、オランダの国鉄にはある。だけど、駅名を告げるとかそれくらいで、乗客に疲れただろうとかそんな言い方はしませんよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうでしょうね。余計なお世話だと思っちゃう。
日高[#「日高」はゴシック体] そういう発想がないんだと思うよ。まあ、日本人のほうが白人に比べると、たしかに疲れやすいのかもしいれない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうかもしれません。
日高[#「日高」はゴシック体] さっきのペニスの話からするとさ、じゃ、なぜ自然淘汰によって頑強で疲れないのばかりが残って、日本人がみんな頑強にならないのか。そうなって然るべきじゃないか。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それに対する反論としては、疲れやすい性質がある一方で、何か別のいい性質があるから、という。
日高[#「日高」はゴシック体] そうすると、かつて人間のペニスが巨大化したときには、そういう作用は働かなかったのかということになる。今だってペニスの大きい人もいれば、小さい人もいるはずなんだけど、別に大きい人だけが奥さんをもっているというわけじゃないしね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ペニスのときもほかにいろいろ条件はあったと思います。大きすぎるペニスは傷つく危険も大ですしね。ただ、淘汰の時間が非常に長いことと、一夫多妻か一夫一妻かという問題も絡んでくるでしょうね。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、いろんな切り口から考えないと、一つの理論としては成り立つけれど、全部の説明にはならない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい、進化というのは、一様に進んできているように見える部分と、多様性を確保しようとする部分がありますからね。
■なぜ「性」が存在するのか[#「なぜ「性」が存在するのか」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] その多様性ということと、オスとメスの話でいうと、「赤の女王仮説」はほとんど定着したんでしょ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] と思います。「赤の女王仮説」というのは、進化の世界では生物は、動く歩道に逆向きに乗っているようなもので、その場所に留まるためには静止していてはだめで、絶えず走りつづけなくてはならない、そこから動くためには、少なくともそれ以上のスピードで走らなくてはならない、というリー・ヴァン・ヴェイレンのアイディアですよね。彼はこれによって捕食者と被捕食者、寄生者と宿主、同種のオスとメスのあいだの闘いのような、絶えまない追いつ追われつの競争を説明しています。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう、その留まっていたければ云々という言葉は『鏡の国のアリス』の中で、赤の女王がアリスに向かって言う言葉でしょう。赤の女王ってなんだっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] チェスのクイーンです。アリスは、一生懸命走っているのに、ちっとも自分が移動したように思えないので、不思議に思って赤の女王に訊くんですよ。それに対する答えがその言葉なんです。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだよね。で、その『鏡の国のアリス』に出てくる言葉が「赤の女王仮説」という名の元になっているわけだよね。で、生物にはなぜ性があるかという説明を、この「赤の女王仮説」を使ってハミルトンがしてるんだ。
遺伝子が自分のコピーを残そうと思ったら、無性生殖が一番いい。そのまま全部ストレートに残っていくから。ところが実際には性があって、半分ずつしか残っていかない。二代目になったら四分の一になっちゃう。これは遺伝子にとって損なのではないか。それなのにほとんどの生物は有性生殖に頼っていて、無性生殖は特殊なケースしかやらない。この仮説によって、それはなぜかという説明ができるんだよね。
要するに、病原体に対する抵抗力なんです。自然の中にはウイルスや寄生虫やいろんな意味での病原体が存在しているからね。それにやられちゃったら、遺伝子は残らない。だから、とにかく対抗しなければならない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 自分とまったく同じコピーばかりだと、環境が今のままならいいけれど、変化すると全滅する恐れがある。だから子孫にヴァリエーションをつけたいんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 病原体に対応できるように。そのためには性があって、遺伝子を絶えず混合しているほうがいい。進化論ですから、結局そういうやつが残ったということになる。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 多様性を確保すると同時に、走りつづける──変化しつづけることによって、常に新しくもあるわけですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、病原体は無数にあるからいろんなものに対応する必要があるし、しかも病原体自身がどんどん変異していくからね。できるだけ早く、それに対応できるような子孫をつくっていきたい。それにはオスとメスがいて、一生懸命遺伝子の混合をやったほうがいいわけだよ。歩留《ぶどま》りは悪くなるけれど、残る確率は高くなる。
さっきの赤の女王の言葉に当てはめて言えば、「留まっていたければ」というのは、遺伝子を残していきたければ、「走りつづける」、つまり絶えず遺伝子を混合しながら子孫を増やしていかなければならない。つまり、生物と病原体との変異の競争なんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 「赤の女王仮説」は、生物の進化の問題を相当広く論じることのできる考え方とも言えそうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 「赤の女王仮説」なんて名付けるところは、うまいよねえ。脱帽というか、感動ものです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ネーミングが抜群ですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 最初聞くと何だろうと思うけど、一度理解したら絶対に忘れない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それでいっそう、その仮説の価値が光るんですよね。みんなに覚えられて広まるから。
日高[#「日高」はゴシック体] そういうのが日本人はあんまりうまくないんだなあ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 目立ちたがりだとか、批判が必ず出るんですよ。ネーミングはいいけど、中身はたいしたことないとか(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] それはイギリスだって言っているかもしれないけどね、どうせ口の悪い人が揃っているんだから。でもそういう口の悪い連中の中でもって、中身もいいネーミングもいいってのが生き残っていくんじゃないかな。そうやって二百年ぐらい科学の淘汰をやっていくと、そういう人がどんどん出てくるようになるわけだ。日本だと、どうもそうならない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 潰し方が悪いのかなあ……。
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第二章[#「第二章」はゴシック体] 若い女はなぜダイエットに走るのか?
■男と女の理想のズレ[#「男と女の理想のズレ」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、実はつい五日ほど前に、突然ひらめいたことがあるんです。それで、や、これは……と思って。その話をしていいですか?
日高[#「日高」はゴシック体] ああ(笑)、どんな話?
竹内[#「竹内」はゴシック体] かねがね不思議だったのは、男が女に望む理想の体型と、女がああなりたいと思う体型とのあいだにはかなりギャップがあるわけです。好みもあるでしょうけど、まあ大多数の男は、バストが豊満でウエストは引き締まっててヒップは肉付きが豊かでというような、マリリン・モンローのような女が基本的に好きだと思うんです。ところが女のほうは、ああはなりたくないんです。大きすぎる胸とかヒップってなんかダサイ感じがしていやなんですよ。
じゃ、若い女の子の理想の体型はというと、譬《たと》えがまた古いですけど、オードリー・ヘップバーンみたいに華奢《きやしや》でスリムで、胸もお尻もそんなに出てなくて、この人、ややもするとまだ初潮が始まってないんじゃないかと思わせるくらいの、中性的な体型に憧れるんです。「an・an」や「Olive」のモデルってみんなそんな感じなんですよ。脚がヒューッと鉛筆みたいに細くて、胸もお尻もペッタンコで、腰もそんなにくびれてない。好みのファッションも、まあ中にはボディコンを着る子もいますけれど、ほんとに好きなのはもっと少年っぽい中性的な服なんです。たぶん日本だけじゃないと思うんですけど。
日高[#「日高」はゴシック体] トゥイッギーなんかいただろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです。なかには痩《や》せたいという願望が強すぎて、拒食症のような極端な症状を示す人もいますよね。
若い女の子がなぜダイエットに走るかは、いろいろな理由付けができると思うんです。スタイルがよくなりたいから、というような単純なものから、流行の服を着られるようになりたいから、あるいは加齢とともに自然に肥満するのが常ですからいつまでも若くありたいという願望の表れだとか……。でもそれだけでは今一つ当たり前すぎてピンとこないし、動機として弱いと思うんです。何か隠された理由があるんじゃないか。
男がモンロー体型を好きなら、男の好みの体型になっていっていいじゃないか。少年みたいな体型を男はそんなに好きじゃないでしょう。どうしてそんなにズレがあるのか、不思議でしょうがなかったんですけど、このあいだある本を勉強しててハッとひらめいたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ほう……。
■またしても女の深謀策略か[#「またしても女の深謀策略か」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 若くて健康な女でも、月経周期の中に、ちゃんとした正確な月経であるにもかかわらず、ときどき排卵だけしていない月がけっこうあるんだそうです。まずこれが怪しい点。それからバレリーナとか女子スポーツ選手とか、ダイエットして脂肪を極端に落としている人とかは、今言ったような排卵していない月が多くて、受胎率自体がかなり下がっているんです。
日高[#「日高」はゴシック体] マラソンの選手なんかも?
竹内[#「竹内」はゴシック体] あ、こう言っては失礼かもしれないですけど、マラソン選手の場合、排卵の確率がだいぶ下がっているらしいですね。そのために女子マラソンの協会か何かが選手に、月経の問題についての対策書を配っているくらい。彼女たち、脂肪がすごく落ちてるでしょう。また、落ちてないと一流じゃないと言われたりね。要するに、女の受胎率って体脂肪率にすごく影響されるみたいです。もっとも、脂肪が増えすぎたり、ウエストのくびれが緩んでも、これまた受胎率は下がるんですけどね。
ともかくその事実があって、もう一つ。女の体って、生殖器自体もそうですけど、実は妊娠しないようにしないようにできてるんです。つまり、精子に対してとにかく意地悪するように、途中で曲がりくねったりいろいろ関門を設けたりしてるんですよ。さあ、いらっしゃい、すぐ受精させてあげますよ、というんじゃなくて、いっぱい関門を設けて精子に試練を与えて、強い精子を選ぼうとしてる。だから基本的に、女の体というのは、なるだけ妊娠しないようにできてる、とも言えるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 簡単には妊娠したくない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです。これぞと思う男が来たときには妊娠しようとするし、あるいはいろんな男に競争させてその中から生き残った精子を取り入れようとしてるから、全然したくないというのとも違うんです。
ただ、もともと妊娠しにくいようにできているうえに、体脂肪を絞り込んでくると、より妊娠しなくなるという事実があるんです。となるとですね、女の子の痩せたい願望の裏には、そうやって脂肪を落とすことによって避妊しようという隠された意図があるんじゃないか。正常な状態でもやや妊娠しにくいのに、もっと完璧なバース・コントロールにもっていきたいという願望の表れなんじゃないか、と思いついたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] それはどういうところが?
竹内[#「竹内」はゴシック体] バース・コントロールは、自分にとっていちばんいいタイミングでこれぞという相手(男)の子供を産むのが目的ですから、やみくもに産んじゃうよりは利益があるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 妊娠すればコストがかかるから、やたらに産むと無駄な投資を必要とするわけね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ。それにたとえば、こういうこともあると思うんです。女は男と交われば交わるほど、男からいろんな投資を引き出すことができますよね。贈り物とかいろいろ。だから妊娠をできるだけ先延ばしにして、そういう男からの投資をいっぱいいっぱい溜め込んで、壮大に使うとか血縁者に回すとかする利得だってあるでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] ただ、男も女も選ぶよね。そのときに選ばれないことについては、どう?
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうそう、そこなんですよ。でも基本的にフィーメイル・チョイス(female choice)でもって、女のほうに圧倒的に選択権がありますから、男は女に簡単に棄却されるけど、女は少々難があっても大丈夫でしょう。痩せてるからって、この女とは絶対に交わらないという男はいないでしょうから。
日高[#「日高」はゴシック体] まあ、結局そうなんだよね。男のほうが女よりはるかにセックスしたがっているんだから。そういう意味でも、痩せてたってとにかく女なんだから、やっちまえという気になる。と言うより、やるべきなんだということ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] やるべきなんです。オスとしては、やらずに帰るってことはないんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 普通はない。また、帰るようなやつだったら、女から見たって、別にそいつにやられる必要はない、とも言える。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 他にいくらでもいる。
日高[#「日高」はゴシック体] そんな程度のやつはどうだってよろしい、ということになる。やっぱり相当たくましく性欲を持っている男しか来なくて、しかも女のほうが見て気に入らなかったら、いろいろ妊娠しないようにするバリヤーがあるわけね。でも気に入ったらどうするの、それは妊娠するようになってるわけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] それは大丈夫です。即座にというわけにはいきませんが、太るほうはあっという間です。一〜二ヵ月もあれば五〜六キロは太れます。それくらい太れば受胎率は回復するでしょう。それに、やたら太ることを気にしていた女が、結婚するや否やみるみる太るってことがあるでしょう。あれは結婚して気が緩んだのだとか、幸せ太りだとか言うわけだけど、結局、妊娠すべき状況になったので太ったという意味だと思います。
■クリスマス島の女はなぜ太っているか[#「クリスマス島の女はなぜ太っているか」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 大昔から、たとえば石器時代の若い娘たちは、どんなスタイルに憧れていたのかね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 若い女の子のダイエット志向は、ごく最近の傾向だと思うんですよ。無声映画のような古い映画を観ると、女優さんが驚くほど太ってるんですよね。ヴィーナス像や絵画を見ても、太めが多いでしょう。ただ、その太り方は必ずしも栄養的に優れて太ってるんじゃなくて、一見豊満そうに見えてもそんなに受胎率は高くなかったんじゃないかと思うんです。だからわざわざ痩せて受胎率を下げる必要はなかった。だけど現代は栄養があまりにも優れているので、だからこそ女たちは痩せて受胎率を下げなきゃいけないんじゃないか。
ある人がこんなことを言ってたんです。栄養が優れた文明国の女ほどスリム志向が強いと。それは今言ったことが当てはまるんじゃないかって思ったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕も人から聞いた話なんだけど、クリスマス島の女がこんなに太っててさ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 太平洋の島ですね。それは代々そういう……。
日高[#「日高」はゴシック体] 首もないような太り方ですごいんだって。ところが、かつてキャプテン・クックが絵描きを連れて旅をしたとき、その絵描きがスケッチした女たちはみんなスリムなんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あ、そうなんですか。それはどういうわけで?
日高[#「日高」はゴシック体] 自然人類学の片山一道先生に理由を聞いたんだ。そうしたら、ああいう太平洋の島は魚がいっぱい獲れるから、動物性タンパク質はいくらでも手に入る。ところが、糖分のある果物とかは、昔はあまりなかった。だから、少ない糖分を積極的に体に取り込まないといけない。それで、糖分を取り込める遺伝的体質の人が生き残って、ずっと連綿とつづいてきたわけ。ところがこの五十年ほどのあいだに急激に、糖分を含む食品が入ってきたでしょう。そうすると、もともと糖分を逃さずに全部取り込むという体質だから、みんな吸収してこんなに太っちゃった、というふうに考えられているそうだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 昔は少ない糖分の環境の中で、バランスがとれてたわけですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだ。そうすると今度は、糖尿病とかいろんな成人病も増えてくるだろうしね。
女の子も十三、四歳まではスラッとしててすごくきれいなんだよ。それが十八くらい、つまり女になってくる頃には、とてもじゃないけどそんな気にならないほど太っちゃって、どうも魅力的とはいえないんだ。そうなると男のほうもスリムなほうを望むだろうし、女のほうもそうなっていくだろうし。で、糖分をあまり体に取り込まない体質の人が残っていって。もしまた何かの理由で糖分の供給が途絶えたりしたら、栄養失調になったりして死ぬ人が出るんだろうね。そうするとまた次は……という具合に進んでいくんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 男のほうも同じように太ってるんでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] 男もやっぱり、相当なもんですよ。トンガとかあの辺の人はすごいじゃない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 相撲の力士になるために来ている人たちは、だいたいそうでしょう。じゃ、ハワイも昔は糖分のない島だったんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] ハワイは大きな島だからそれほどでもないだろうけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ハワイはパパイヤとかパイナップルとか果物はわりとあったかもしれないけど、食糧事情はここ数十年で相当変わったでしょうね。
■寒い地域はデブになる[#「寒い地域はデブになる」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] アフリカ大陸や東南アジアには、あんまり肥満した人はいないでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] あれは、昔から果物は山に行けばいくらでもあった所だから、糖分はいくらでもあって、やたらと体に取り込む体質にならなかったんじゃないか。だから、今これだけ糖分があっても、それを全部取り込んでしまうようなことはしない。東南アジアの人たちはわりとスリムでしょう。アメリカ人なんかに比べたら、はるかにスリム。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 日本人はどうだったんでしょう。低脂肪ではあったでしょうけど、糖分のほうは。
日高[#「日高」はゴシック体] 太平洋の島に比べればはるかにあっただろうね。だけど、東南アジアなんかに比べれば、果物の種類は少ないし、ある一定の時期にしか実ってないからね。やっぱり糖分は貴重だったんじゃないかな。
で、白人たちがなんであんなにガバガバ食って、食っちゃみんな太っちゃうかというと、氷河時代の生き残りだからでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 白人は基礎代謝が高いんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 高い。高くなければ、氷河期にあの北のほうで生きられなかったんじゃないの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] でも、氷河期にほんとに寒い所にいたのは、新モンゴロイドなんですよ。モンゴロイドでも北のほう。日本人で言えば、朝鮮半島から来たような人たち。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、白人じゃないの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、一番ダイレクトに氷河期の影響を受けたのは、新モンゴロイドです。一重瞼になったり顔が扁平になったり、胴長短足になったりしたのは、みんな寒さに対する適応だと言われています。白人《コーカソイド》は白人で、それとは別の文脈で寒さ対策をしてますけどね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだ。白人の住んでた所は、全体として寒い気候でしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです。最近になって住んでいる所は。
日高[#「日高」はゴシック体] ここ何万年というところでは、少なくとも暖かい所じゃない。ということは植物がそんなに育たないから、肉を食うことになる。肉を食うとなると、とにかくあるときにはたっぷり食わなきゃいけないから、あればあるだけ食っちゃう。そうやって、基礎代謝が高くて多少寒くても耐えられる体質のが生き残ってきたわけだ。だから、日本人なら何人前もあるような、一キロぐらいあるステーキもペロッと食べちゃうんだよ。ほんとはあんな肉は一週間に一度食べてりゃよかったものを、毎日食べると太っちゃうわけだよね。
その一方で、東南アジアの連中は暖かい所に住んでいるから、食べ物も豊富にあるし、一度にたくさん食べる必要もない。そうすると白人とはまったく違う体質のが生き残っていくわけだ。寒い地域の場合、あんまりスリムだと体表面積が大きくなって損なんだろう。逆に暑い地域の人たちは、スリムになって体表面積を増やさないと暑くてかなわない。だから東南アジアや日本人は、全般的にスリムなんだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです。痩せてるほうが凹凸《おうとつ》があって、表面積が増えるんですよね。太って丸みを帯びると、球形に近づくから表面積は減ることになる。
いずれにせよ、ここ何万年かの気候が人間の基礎代謝に強い影響を与えていることは確かで、そのために現在の私たちの姿があるわけですよね。デブもヤセも、深い根があるわけで。ただ、代謝の問題は体型だけじゃなく、性とか行動のパターンなどにも関係してくると思うんです。
■r戦略とK戦略[#「r戦略とK戦略」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、J・P・ラシュトンという心理学者をご存じですか。
日高[#「日高」はゴシック体] 名前は聞いたことあるけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 生物の個体数について考えるときに、r戦略とK戦略という概念を使いますよね。この人が、三大人種をいろんな項目について、rK戦略で読み解く論文を発表してるんです。人種の傾向や特徴を大胆に比較して論じてて、ちょっと間違えるとレイシスト(人種差別主義者)だと言われそうな──いや事実言われていますが──危ない人ではあるんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] ほう……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] r戦略は代謝率が高くて活動的、活発、成長も早いかわりに寿命のサイクルも短い、質より量の戦略。K戦略は反対に代謝率が低くて非活動的、不活発、ゆっくりと成長して寿命も長く、量より質の戦略。
何万という数の卵を産むけど産みっぱなしで世話をしない魚などはr戦略の最たるものです。カキ(海のカキ)は年に五億個も卵を産むそうです。哺乳類は産んでもちゃんと世話するからK的ですね。類人猿や人間は最もK戦略的だと言えます。
しかし人間も人種によって、比較の問題としてr的かK的かが議論できるわけです。ラシュトンは、ニグロイドがいちばんr的、モンゴロイドがいちばんK的で中庸がコーカソイドだと言うんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ニグロイドがrなの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい、つまり質より量で勝負しようという戦略であると。ラシュトンによると、ニグロイドがいちばん性に関しては激しい。セックスの回数にしてもペニスのサイズも、睾丸のサイズも──睾丸サイズは推定ですが──全部大きい。それから決定的なのは、二卵性の双子が生まれる頻度なんです。一卵性の双子は一つの受精卵が割れるだけだから、r的もK的も関係ないし、事実人種差もないんだけれど、二卵性は一度に二つ排卵することで、早くたくさん産もうという意図の表れでしょう。
データによると、部族によってすごい例があるんです。モンゴロイドでは千回の出産のうち二卵性双生児の発生率は四回以下です。コーカソイドだと、千回につき八回ぐらい。ニグロイドだと十六回以上。それくらい差があるんです。アフリカのある部族では、千回の出産のうち五十七回も二卵性だったというデータもあります。
とにかくニグロイドの人は性的な項目についてはすごい。ペニスのサイズは前の章で触れましたけど、女のクリトリスのサイズが二インチだというんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 二インチってのはすごいね。五センチでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、五・一センチ。で、ホワイト──コーカソイドが一・二インチ、つまり三・〇センチぐらい。モンゴロイドはデータがないんですけど、それより小さいことは確かです。
白人は三センチだそうです。先生、本当ですか?
日高[#「日高」はゴシック体] いやあ、どうだろうか?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いろんな霊長類を見ると、そもそもクリトリスは大きかったんですよ。人間では小さくなっている。これはペニスとは反対の現象ですよね。ペニスは全霊長類中人間が最大なのに。で、クモザルだったかな、ペニスよりクリトリスのほうが大きい例もあるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ブチハイエナの偽ペニス、あれもクリトリスか。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あれもクリトリスです。クリトリスとペニスは発生学的にも同じものだし、本当に同じような格好をしてる。ただ、尿の出る位置がかつてはペニスと同様に先端から出てたのが、進化の過程でだんだん後退したりしてズレが生じてきてるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ネズミだって大きいよね。だからちょっと見ただけでは、オスかメスかわからない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、ネズミってわかりにくいですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] ネズミを引っ繰り返してこう見ても、どっちもおんなじようなのが付いてるから。問題は、その隣に膣があるから、それと肛門との関係なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、距離ですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] オスの場合は、肛門とのあいだがうんと離れてる。くっついてるのがメスなんだ。大きさじゃわからない。ネズミは、ほんとにクリトリスの先から尿が出るんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だから、ますますわからない。
日高[#「日高」はゴシック体] そうか、人間みたいにズレちゃってるのは、特別なんだ。
■運動能力も性的能力も活発なニグロイドの人々[#「運動能力も性的能力も活発なニグロイドの人々」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] それでK戦略とr戦略の話に戻りますけど、ラシュトンが言うには、ニグロイドのr戦略的なところは、若くして子供をもつことや子だくさんであること、寿命が短いこともそう。それから早く親から独立する、家を出るという傾向、性体験が早く、婚前・婚外交渉が盛んであるとか、妊娠のペースが早いこととか──女性の月経サイクルも短いんです。さらに月経サイクルの中のセクシュアル・レスポンスの期間が長い。性交あたりのオルガスムスの回数も多い、だけど閉経も早い。それから一つの結婚の期間が短い。
日高[#「日高」はゴシック体] カップルの相手を変えるわけね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それに、運動能力にすぐれて、体も筋肉質である、と言っています。これは代謝の関係なんでしょうか。ちなみにもっともK的なモンゴロイドは、運動能力でも劣るうえに、性質としておとなしい、ルールに従順である、という傾向があるそうです。だからオリンピックでなかなか金メダルを取れないのは、基礎代謝による運動能力もそうですが、大舞台で実力を発揮できないおとなしいK的性質も災いしてるんじゃないでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうか、集中力の差なんかに表れそうだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ただ、ニグロイドの人たちは性的にはすごく盛んなんだけど、パートナーとの性的な戯れ──いろんな体位をとったり、フェラチオをするなどテクニックのヴァリエーションが少ないみたいです。
そういうのはニグロイドよりコーカソイドのほうが多くて、またモンゴロイドもヴァリエーションが多い、と言っています。コーカソイドとモンゴロイドの比較が出てこないのは残念なんですが。でもそう言われてみると、中国では閨房術の歴史もあるし相当発達してますよね。日本もけっこうそういったことが盛んな国だし、当たってないこともない。
それで私は考えたんです。なぜニグロイドは性的に活発なのに、変わったことをやらないのか。逆にコーカソイドやモンゴロイドは手練手管を尽くしてやりたがるか──ひょっとしたら、夫婦間でそうやれば結婚の期間が長くなりませんか、お互いに飽きないから。
日高[#「日高」はゴシック体] うーん。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そんなことはないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] それはどうかなあ。たしかに、そういう傾向があるかもしれないけど、サンプルの取り方によってかなり違ってくるんだよね。ニグロイドの人はどこで調べたの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] アメリカです。若い学生を対象に調べたものです。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほど、そうすると学生というものが一般的に言ってそんなに性戯をするかどうか、というのもひっかかるよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうか、若いですからね。
日高[#「日高」はゴシック体] アメリカに住んでる学生ならいろいろ忙しいし、たとえばこれから映画を観にいくけど、その前にちょっとセックスしてから行こうということだってあるでしょう。じゃ、アフリカに住んでいるニグロイドの夫婦がどうしているかとなると、違ってくるんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 有名なキンゼイの研究所がありますよね。あそこが、一九四〇年代から黒人と白人の性の比較研究をやってるんです。それは学生中心なんだけど、それ以外にもいろいろ民族学的に調べたデータが入ってはいるんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] データの取り方についてはね、文化人類学でもいろいろ問題があって、言葉がわからないとインフォーマント(その土地の情報提供者)を使うんだ。そうするとインフォーマントの思い込みが入ってしまう。こういうことを聞いてくれと頼むと、それに合わせてデータをもってきたりするんだ。そこのところを気をつけなきゃいけない。この研究も、性戯のヴァリエーションが多いか少ないかというところなんか、データの取り方次第でかなり違ってくると思うんだ。
話を聞くかぎりでは、たしかにそういう傾向はあると思うよ。生活環境が何万年にもわたって違うわけだから、当然、体質や戦略に違いは出てくる。ただ、現在住んでいる所の影響とか年齢とかいろんな条件の問題を考慮しないと、導き出される結論も微妙に違ってくると思うんだ。その辺は注意してかからないといけないんじゃないか。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。ただ、一つ付け加えますと、ニグロイドの人々が性やセックスに多大な関心があって、また活動自体も盛んであることは、彼らが音楽やダンスや何かの感情表現の分野で見せる素晴らしい才能が雄弁に物語っていると思います。そういう表現というもののルーツは、性やセックスにあるわけですからね。
■暑いと精子形成がにぶくなる[#「暑いと精子形成がにぶくなる」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 前に東南アジアに行ってたとき思ったんだけど、ああいう地域は日本みたいに夏暑いんじゃなくて、一年中暑い。あれだけずっと暑い所にいたら、精子形成は絶対に減るにちがいないんだ。普通でも中年になれば精子形成は落ちてくるんだけれど、暑いと三十代後半とか四十ぐらいでガタッと能力が落ちるんじゃないかと思う。そうすると、若くてなんとかもってるうちに、たくさん子供を残すようにしないと間に合わない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 精子形成は、温度の影響を受けやすいんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 高温に弱いんだ。人間の男の睾丸が下がっているのは、冷やすためなんだよ。おまけにあそこの血管には熱交換装置がある。
竹内[#「竹内」はゴシック体] サーキュレーターが。
日高[#「日高」はゴシック体] 体温が三十七度でしょう。ちょっと暑くなれば、体温も上昇して血液の温度も上がる。体全体は汗をかいたりして冷やすんだけど、睾丸は、熱くなった血液が下がってくる途中に熱交換装置があって、そこで冷やされた血液が睾丸に入っていく仕組みになっているんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 基礎代謝の面だけじゃなく、精子形成に気候が及ぼす影響からも、r戦略のある要素は説明できる、と……。
日高[#「日高」はゴシック体] と、思うんだ。あれだけ暑ければ、それに対応した戦略がとられているはずだからね。それでヨーロッパみたいに全体として気温が低くて、寒い時期が長いと精子形成は少なくとも阻害されないだろう。だからヨーロッパ人は、年とっても性的にアクティヴなんじゃないか……(笑)。
■ベラのコム・デ・ギャルソン戦略=m#「ベラのコム・デ・ギャルソン戦略=vはゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] このところ、ファッションのことを勉強してるんだ。神戸市でファッション美術館ていうのを設立するんで、そこで見せるヴィデオを作ったんだよ。
パート1が、鷲田清一という阪大の先生が作った「ファッションとは何か」というもの。ファッションとは、自分の身体をキャンバスにしてそこに絵を描くことである、という趣旨らしい。パート2が荒俣宏で、「海を越えるファッション」というのね。要するにパリ・コレなんて言ってるけれど、みんなアフリカやアジアの民族衣装からきているのであって、オリジナルなものではない、という話。パート3は「ジーンズの経済学」。ジーンズがどうしてあんなに世界的に流行したかという仕組みね。で、パート4が「ファッションの生物学」というので、僕が作ったんです。
女の子に、ファッションとはあなたにとって何ですかと聞くと、最終的には自己満足よって答えが返ってくる。この自己満足という言葉は、いろいろ考えてみると、実は非常に複雑なことを言っているようなんだ。
まず自分がある集団に帰属しているということを言いたい。と同時に、その中でも、ちょっと飛び抜けた目立つ存在でありたい。また、女の子だったら、男に対してはその気を引くようにしたい。が、同性、つまり他の女に対しては攻撃的でありたいという、複雑なことを望んでいて、それをうまく表現できたときに、自己満足ということになるんじゃないか。それを動物の例を引きながらいろいろやったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 面白そうですねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] その美術館の職員に百百《もも》君ていう男の人がいるんだよ。まだ二十代なんだけど、これがまたおかしな格好してるんだ。頭は短く刈って、ソフト帽みたいなのを被って、ラクダみたいなシャツ着てね。何とも言えない服装してくるんだけど、いろいろ話をして面白かったのは、彼によると、コム・デ・ギャルソンが好きな女の子と嫌いな女の子とにはっきり分かれるというんです。コム・デ・ギャルソンのデザインは、自分が女であるということを隠すような戦略であって、そうやって隠したいと思っている女性にはとてもいいデザインである……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど、そう言われればそうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] その対極に、ボディコンシャスみたいに、自分の身体の線を強調して男の気を引こうとし、他の女に対しては、私の身体を見なさい、あなたなんかダメでしょ、という具合に攻撃性を発揮するのがある。
コム・デ・ギャルソンの場合は、他の女の攻撃性を解発《かいはつ》しないようにすーっと男たちの中に入っていって、目指す男にさりげなく自分の性を見せる、そういう戦略ではないか。つまり、ファッションの本質には、攻撃性があるわけだよ。同性に対してと異性に対してでは、働きかけ方が違うけどね。
同性に対しては、闘争に勝たなければならないから攻撃的になるわけだけど、そうすると今度は、同性同士のコンフリクトが出てくる。あまりに攻撃的でありすぎると、同性から疎《うと》まれたり攻撃されたりする。これは具合が悪いから、ちょっと和《やわ》らげる必要があるわけです。そうすると魚などの場合、メス型のオスというのが出てくるんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 要するに性転換する。ベラなんかだとメスがだんだん大きくなってきてオスになる。機能的にはもう立派にオスになっているんだけど、姿形はまだメスのまま。
だからオスからは全然警戒されないし、メスのほうもまだ大したメスじゃないと思うのか、あまり警戒しない。で、すーっと入ってきて、卵にばーっと精子をかけちゃうわけ。人間の場合とオスとメスが逆になっているけど、僕はこれをコム・デ・ギャルソン戦略と呼んでいるんだ(笑)。
■ファッションと一夫一妻制[#「ファッションと一夫一妻制」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 動物の場合、基本的にはオスのほうがディスプレイを派手にやって、メスの気を引こうとしますよね。人間ではメスが装ってオスの気を引こうとするのは、やっぱり一夫一妻制の影響が大きいんでしょうか?
日高[#「日高」はゴシック体] だけじゃないとは思うけど、一夫一妻か一夫多妻かが、かなり効いてるでしょう。それと動物たちの場合、きれいにしているのは丈夫だということの証拠になるけれど、人間の場合には、ファッションは健康とは関係ないよね。むしろ……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 経済的な条件とか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう。丈夫かどうかは、きみが前に著書の中で言ったように、顔色とか肌の艶《つや》なんかに出てくるわけで。
竹内[#「竹内」はゴシック体] プロポーションとかね。
日高[#「日高」はゴシック体] うん。だから、ファッションではそれは表せない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] このあいだ、雑誌に出てましたけど、最近の男の子はおしゃれになってきて、ピアスをしたり茶髪にしたりしてるんで、クジャク男が増えてきたなんて……。
日高[#「日高」はゴシック体] ははあ、いろいろディスプレイするようになったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 鼻ピアスをしてる子も、けっこういますね。
日高[#「日高」はゴシック体] あっはっは。それはどういうことなのかな、やっぱり一夫多妻的な要素があるのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どうなんでしょう。一夫多妻って先生、いかにも男が女をかき集めてハーレムをつくっているように見えるけれど、本質はそうじゃなくて、女が厳しく男を選んでいる結果、人気のある男に集中するってことですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうでしょう。だから男がたくさんの女を手にいれようとするんじゃなくて……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 実は、女のほうが主導権を握っている。
日高[#「日高」はゴシック体] クジャクの場合だって、羽根のきれいないいオスのところには、次々とメスがやって来るから、結果的に一夫多妻になっちゃう。それをわかってない男は、一夫多妻っていいですねと言うんだけど、そのときあぶれるオスがたくさんでるわけでさ。その辺の事情がわかってない(笑)。一夫多妻というのはものすごく厳しい世界なんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、だから一夫一妻の美徳を強調する男は、その厳しさに気づいてるんじゃないか、と思えなくもない(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 一夫一妻制の話にしてもさ、西欧では、キリスト教によって高度の洗練がなされて、初めて一夫一妻制が確立したなんていうとんでもない話になっているんだよ。いろいろ説はあるだろうけど、僕が面白かったのはデズモンド・モリスの説で、彼によると、とにかく男が不満を感じてはいけない、狩りをするときなどに協力しなくなっても困るから、女を一人ずつ与えとけって、そこから一夫一妻制が始まったというふうに説明しているでしょう。この違いが面白い。
古いヨーロッパ文化の影響で、人間は特別なんだという格好で説明するような考え方が、実はまったく別な理由でそうなっているということを、もっと認識したほうがいいですよ。
ちょっと脱線しちゃったけど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ファッションと一夫一妻制の関係(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、人間では一夫一妻が基本なので、一夫一妻制の動物の常として、オスもメスを選ぶ。それで女も装うようになり、それがどんどん強調されてきた。いずれにせよ、それは異性に選ばれるためであり、帰属性を明らかにするためであり、同性に対して攻撃的でなければならないんです。そのために、ファッションには様々な戦略がある。
和服だってそうだよ。どうして西陣がだめになったかというと、西陣の人たちは、和服がいかに攻撃的なものかってことがわかってない。だからだめなんだと、僕は思ってます。
■脱がされなければ意味がない[#「脱がされなければ意味がない」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 京都の四条河原町に高島屋と阪急があるだろう。阪急のほうが新しくできたんだけど、できたばかりの頃、たまには自分のものでも買おうと思って阪急に入ったんだ。靴下だったかなんだったか、そんなものだよ。ところが、どこへ行ってもないんだよ。いちばん上の階まで行って、男物は何階ですかって聞いたら、阪急は全部女性のものばかりです、と言うんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へえ、そうだったんですか。今は男物の売り場もありますけどね。
日高[#「日高」はゴシック体] 仕方ないから、上から順番にエスカレーターで一階ずつ下りながら商品を見ていったら、たしかにきれいなものがいっぱいある。コートやスーツからブラウス、下着まで、何から何まで全部あるわけだよ。三階ぐらいまで下りてきたときに、ハッと気がついたのは、なるほどここに売っているものは、女が着て、そしてその女の人生にとって非常に重要なときには、全部脱がされるものなんだなってこと。脱がされないようでは、意味がないんですよ。なるほどそうか、この大きな建物いっぱいに飾ってあるのは、すべてそういうものなんだなと思ったら、おかしくてね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あはははは。
日高[#「日高」はゴシック体] そんな変なことを考える人はあまりいないだろうと思って(笑)、会田雄次さんにその話をしたら、喜んじゃってね。「そうだよ、そう、そう、そこを忘れたから着物は衰退したんだ」と言ってた。
今では、着物は脱いじゃったら自分で着られないでしょう。成人式で、ボーイフレンドのいる子は、帰りにラヴ・ホテルにでも行きたいと思っているから、着物は着たがらないんだってね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それでまた衰退する。
日高[#「日高」はゴシック体] でもこの頃は、成人式の日のラヴ・ホテルは、ちゃんと着付けまでしてくれるんだってね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] さすがですねえ。でも和服ってもともと無防備じゃないですか。下着も着けないし、脇も見えるし、胸元も開いてるし、考えようによっては、ものすごく誘ってるんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 昔は帯だってもっとゆるゆるに締めていたし、もっとだらっと着てたんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] その気になったら、男はすぐできるようになっていた。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 全部脱がなくてもね。
日高[#「日高」はゴシック体] 今の着物は宇宙服みたいになっちゃったから、いけないんです。西陣の衰退も案外そんなつまらないところに原因があるかもしれないね。
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第三章[#「第三章」はゴシック体] 科学とはウソをつくことである
■どんな大理論も永遠ではない[#「どんな大理論も永遠ではない」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生からは飲み屋なんかでいろんな話を伺っていて、それが今の私の考え方の基礎になっているように思うんです。
それで、いつだったか梁山泊《りようざんぱく》という京大近くの飲み屋で、先生が「科学とはウソをつくことである」という話をされたでしょう。最初は「ははあ……」と感心してただけだったんですけど、だんだんなんとなくわかってきて、ぜひこの話をしていただきたいんですけど。
日高[#「日高」はゴシック体] 要するに科学とは、常識的なものの見方を毛嫌いすることでしょ? たとえばここにグラスがあるけれど、上から見たら丸い。でも絶対に丸なのかというとそうじゃなくて、四角いとも言える。なぜならば、横から投影すれば四角いから。そうすることによって、今までと違った見方ができて、新鮮な感覚が出てくるだろう。その感覚に従って、何か新しいことができるわけ。
発想の転換のいい例として、最近の有名な話にポスト・イットのエピソードがあるでしょう。知ってますか?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いいえ、知りません。
日高[#「日高」はゴシック体] 非常に有名な話だよ。ある企業で接着剤の研究をしてた人がいて、新しいことを考えて接着剤を作ったんだけれど、ひっついてもすぐ剥《は》がれちゃう。こんなものは役に立たないと、しばらく忘れていたんだって。ところがまた違う人が、剥がしても跡が残らないなら別の用途に使えるんじゃないかと、ポスト・イットを作ってみたら大流行したんだそうだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へーえ。
日高[#「日高」はゴシック体] 科学とはちょっと違うけど、ものの見方を変えるという点で面白い話だろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私の記憶によると、先生がおっしゃったのは、どんな大理論でも必ず修正されたり覆されたり、もっといい見方が出てきて「ウソ」になる可能性がある。しかし、その理論が出された時点では正しかった。したがって科学とは、その時点におけるもっともレヴェルの高いウソである、というふうに伺ったんですけれど。
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。その始まりは、俺はこう思うという主観なんだよね。これは『噴版 惡魔の辭典』(平凡社)にも書いたんだけど、科学とは主観を客観に仕立て上げる手続きであってね。主観から出発して、実験をしたりデータを取ったりして、理論を組み立ててみんなを説得してしまう。そのとき他の人がそれ以外の理論を反論として提出できなければ、その時点においては一番正しいということになるわけだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。
日高[#「日高」はゴシック体] だから、科学的事実というものは、まあ一定期間しか存在しないことになる。大発見であればあるほど、引っ繰り返す価値があるとも言えるね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それを聞いて、たしか私はこう言ったと思うんです。「完璧なウソならついてもいいんですね」って。今から考えると、ずいぶん生意気な発言ですけれど。
日高[#「日高」はゴシック体] あ、それは覚えてる。そうだよ、完璧なウソならいいんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そのとき先生は、ドーキンスを例に引かれましたよね。私たちはごくノーマルな発想のしかたをすると、遺伝子は個体や種を存続させていくための手段であり、部品のようなものだと考えてしまいたくなる。だけど実は逆で生物は遺伝子の|乗り物《ヴイークル》に過ぎない、主体は遺伝子の側にあるというのが利己的遺伝子《セルフイツシユ・ジーン》説です。彼の説は、全部ウソかもしれないけど、誰も反論できないからいいんだ、とおっしゃった。で、「ははあ」と思って、私はそれを拡大解釈して、完璧じゃないけど、本来の意味に近いウソも含めてうまくウソをつこうと思ったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 言い方は悪いけど、それはもう完全犯罪みたいなものだから、ってね。とにかく、どう考えても反論できない──その時点ではね──ということはたくさんある。時代の変遷とともに修正されていくわけで、それが科学の歴史なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 絶対的なものはありえない……。
日高[#「日高」はゴシック体] ありえないんです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ただ、世の中には、そういうことがわからない人が多いんですよね。私の本についても、竹内久美子のは科学とは言えないとか批判する人がいるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕もねえ、さんざん言われたよ。「先生は科学者というより評論家ですなあ」とかね。つまり物事をわかりやすく書きすぎるというわけ。科学とは、そんなにわかりやすいものではないんだ、と思っているんだろうね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうそう、そこなんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は、思想的にも哲学的にも非常にレヴェルの高い話をするんだけど、それを面白おかしくやるんだ。だけど、面白いのは学問じゃないと思っている人がいる。いちばんごちゃごちゃとうるさく言うのは、学者じゃなくて、疑似科学者だね。中途半端に科学とはこういうもんだと思い込んでしまっている人が、いちばん始末に負えない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] まったくそうです。
日高[#「日高」はゴシック体] 先生たち、とくに高校の先生とか中学の先生とかは、しばしばそのへんで頑固なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 一種の信仰みたいなものですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 科学信仰ですね。ありもしない科学のイメージが定着してしまっていて、それは難しいもののはずだから、わかりやすく書かれていたら、これはきっとインチキにちがいない、と。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 頭ガチガチなんですね。
■「NATURE」のすごいところ[#「「NATURE」のすごいところ」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 前に、モンシロチョウがどうやって花を見つけるかを実験して、映画に撮ったことがあるんだ。その実験の経緯を記した解説の文章が、小学校の国語の教科書に載っているんだけど、その中にこういう文章がある。モンシロチョウがいちばんよく飛んでくる色は紫と黄色である。だから「モンシロチョウは紫や黄色が好きなのです」。そしたら、いっぱい質問がきたね。質問というより詰問みたいなのがきた。つまり「好きだ」ということが、どうしてわかるのか。それは科学的じゃないっていうわけです。言えるのは、そこにいちばんたくさん来た、ということだけだ。だから子供にも「好きだ」なんて教えちゃいけない、モンシロチョウは紫と黄色にいちばんたくさん来ました、で止めておくべきだという意見なんだよ。
僕はそれに対して、好きだというのはこちらが推定してるんだけれど、子供には好きだと言ったほうがわかりやすいんじゃないですか、という返事を書いたんだ。そしたらさらに手紙がきて、科学は好きとか嫌いとか言ってはいけない、「たくさん来る」と表現するのが科学的態度なのであって、自分はそういうふうに教えるつもりだ、という。それはそれでけっこうですけど、そんなふうに教えてたらどんな子供ができるでしょうかって返事した。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 一生懸命面白くないものにしようとしてますね。本当は科学って、面白いものなのに。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだよ。そんなことはいっぱいありましたね。
岩波の中学生向けの「科学の本」シリーズで『チョウはなぜ飛ぶか』という本を書いたことがあるんです。他にもいろんなテーマの本が出たんだけど、科学の本だからというんで先生がたがむずかしいことを書いたんだよ。内容も文章もむずかしくてわかりにくいんだけど、文中に「あなたがたにはむずかしいかもしれませんが、やさしく説明すると……」というような表現がやたらと多いんだ。僕だったらそんな言葉聞いただけで腹立てて、バカにするなって言いたくなるよね。
結局その「科学の本」シリーズは、ものすごくむずかしい本ばっかりになっちゃったんだ。図書館協会の選定図書に選ばれたんだけどね、高校生の部門で選定されちゃった。中学生向けに作った本だったのに……(笑)。編集部は相当がっくりきてたね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それは悲劇というか、喜劇というべきか……。
日高[#「日高」はゴシック体] そんなことをいろいろ経験するうちに、いったい科学とは何だろうと考えるようになったんだ。
今のわれわれの科学の基礎になっているのはイギリスだよね。イギリスに「NATURE」という有名な科学の専門誌があるけれど、あれの第一巻が出たのが明治維新の翌年、一八六九年です。その頃から今と同じように百数十ページで週刊なんだよ。
京大にも一巻一号から全部揃っているんで、調べに行ったんだ。「NATURE」には〈Letters to the Editor〉という有名なセクションがあるんだ。要するに研究者がエディターに、私はこんなことを研究しています、このたびこういう面白いことを発見しましたのでお知らせします、というふうに手紙を書くわけね。そのコーナーの最初のところに、エディターは手紙の内容に関しては責任を負わない、と書いてある。これは非常に面白い。つまり、読者がどんなウソを書いてもエディターは責任を負わない、採用するかしないかはエディターが決める、理由は一切説明しない、ということなんだよ。だから、エディターが読んで説得されたら、それでいいというわけ。ウソだったこともあるかもしれないけど、そうやってイギリスの科学はユニークな研究が出たりして、どんどん発展してきたんだよ。
そして、三号目あたりだったかな、手紙があまりたくさんくるので、書く人はなるべく簡潔に書いてほしい、という編集部からのお願いが出ている。百年も前のことだよ。日本の科学は、未だ太刀打ちできないんじゃないかって気がしたなあ。
エディターは責任を負わないというスタイルがいつまで続いたかというと、一九六三年までなんだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 一九六三年からは?
日高[#「日高」はゴシック体] 関連分野の専門家のレフェリーが付きました。レフェリーが付くようになってから、途端に内容がつまらなくなった。いわば素人のエディターが、これは突拍子もないけど面白いから載せるというのがなくなって、その分野の専門家に「どうでしょうか」と見せてから掲載するかどうかを決めるわけです。そうすると、専門家が専門家の目で見て、これはまともだというのしか載らなくなっちゃった。その結果つまらなくなったんです。これは非常に面白いことだと思うね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 科学は常識を引っ繰り返さなきゃいけないのに、科学的常識にこだわってしまう。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう。常識的なのとか、重箱の隅をつつくような細かいのばかりが載るようになって、とんでもない話が出にくくなる。これでもか、これでもかと石橋を叩くようにしてやるでしょ。そうすると科学はつまらないものになるわけだよ。
■「科学的態度」というのが曲者[#「「科学的態度」というのが曲者」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 科学は真理を探究する、という言い方をよく聞くよね。あれは誰が言いだしたのかしら。
竹内[#「竹内」はゴシック体] さあ……。
日高[#「日高」はゴシック体] 欧米でそんなこと言うかなあ。英語でそんな言葉、聞いたことないよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 真理というと、なにか哲学的ですね。
日高[#「日高」はゴシック体] こういうところにもね、何か日本の科学に対する信仰のようなものを感じるんだよ。欧米の学者は、もっと自由にものを言ってるよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうそう、外国の学者は、けっこう真面目な本なのに、こんな大胆なこと言っていいのかなとこちらが思うようなことを書いてますよね。ああ、こんなふうにものが言えたらいいな、やっぱり偉くならないと言えないのかな、とうらやましかったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は翻訳をしてすごく勉強になった。ドーキンスにしてもデズモンド・モリスにしてもそうだけど、ここまで言ってもいいんだということがわかったんです。普通の言葉と論理で書かれているから、読む人は面白く読めるし、理解もしやすい。反論しようと思えばできるだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうそう、そこが大事。むずかしい言葉で書かれている本は、もうそれだけで素人が反論できないようにガチガチに防衛してるんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] たとえば、水は酸素と水素の化合物である、とだけ書いておけば、これは反論のしようもないし、読んでも全然面白くない。ところが、日本の場合、そこでとめておくのが科学的態度だという雰囲気があるでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 科学的態度っていうのが曲者ですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 曲者だよ。そうやって日本の場合、科学が神みたいになってしまうわけ。欧米にもいるけれど、日本ではとくに科学を権威的に祀《まつ》り上げる人が多い。科学は「神」だから、きちっと決まった様式や手続きがあって、それ以外のことをやってはいけない、となってしまう。聖書にこう書いてあるから、とでもいうようにね。だから僕は、敢えて科学とはウソをつくことであるなんて言いたくなるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 今にして思うと学会の雰囲気なんて、まったくそういう感じでしたね。
■科学と神について[#「科学と神について」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 前に一度、神を科学で証明したいというクリスチャンの人たちから、僕は招かれたことがあるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] えーっ、どういう集まりだったんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] ある国立大学の生物系研究所の教授で某さんという人がいるんだけど、熱烈なクリスチャンなんだ。しかもファンダメンタリスト(註・キリスト教原理主義者。進化論を否定し、生物はすべて神が造ったものだと主張している)なの。われわれは聖書の言葉だけを信じている、という人だったんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ……。
日高[#「日高」はゴシック体] その研究所で研究会をやるでしょ。あるとき、メスのイモリにオスの精巣を移植する実験について発表した同僚の学者がいたそうです。そしたらその某先生が怒っちゃって、神が造り給うた生物をそんなふうに変えてしまうとは何事か、と質問したんだって。研究会でだよ。みんなびっくりしちゃってね。発表者の人は、あなただって電子顕微鏡で生物の体を切り刻んで覗《のぞ》いているじゃないか、と反論したら、「いや、私は神がお造りになったものを細かく細かく見ているだけだ」と言ったんだって。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すごいですねえ(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は、『生きものの世界への疑問』(朝日文庫)という本の中で、進化論に対するちょっとした疑問について書いているんだよ。生物が進化していくとき、トータルにいろんなものが分化してきたと言われるけれども、その際、飛躍ということがあるんじゃないか。ある環境の中でこういう生活をしようと思ったら、より適応的なものが進化していく。これはわかるんだ。だけど、どういう生活を選択するかというとき、やみくもに何かしているうちにこうなったというだけでは説得力に乏しい。こっちはこういう生活様式を選ぶ、あっちはああいう生活様式を選ぶ、という選択があったんじゃないか、と書いた。──これは、今の研究の流れからすると批判されちゃうだろうけどね。そうしたら某先生は、僕が進化論に反対していると思っちゃったらしいんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ラヴ・コールがきたんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんです。実は、主に生物学者と医学者からなるキリスト者のサイエンティストで作っている会があるのだが、私どものこの会は進化論について非常に疑問視している。ついては、一度この会でお話ししていただけませんか、と言ってきたんです。
面倒臭いなと思ったんだけれど、物好きだから行ってみたんだ。彼らの言わんとするところは、われわれは聖書の言葉だけを信じている、したがって、世界のありとあらゆるものは神が創造したのであり、進化などはなかった、というわけです。でも化石が残っていると指摘すると、それも神がわざわざ造ったんだという話になるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 反論のマニュアルがあるんですよね、ファンダメンタリストには。
日高[#「日高」はゴシック体] そう。じゃ、古い時代にはいなかった生物の化石が新しい時代の地層から発見されるのはなぜですか、と言うと、それも神がそういうふうに造ったのである、それに年代を決めるのは示準化石によって推定しているだけの仮のものであって、何の証明にもなっていない、と切り返してくる。こんな具合に延々とやったわけだ。
最後になって彼らは、私たちはキリスト者として生物の研究をしているので、聖書に書かれていることを科学的に証明したいと思っている、そのために一生懸命やっている、とこう言うんだよ。
で、僕は、自分はキリスト者じゃないけれども、信者にとって聖書は神の言葉のはずである、科学は人間の営為である、そうすると人間の営為をもって神の言葉を証明しようということになり、非常に傲慢なことのように思われるのですが、と言ったんだ。
そうしたら、皆さんすごく恥じ入ってしまって、十字なんか切って、「申し訳ありません、そんなことは考えてもみませんでした」って、もう反省どころじゃない。身も世もあらぬほどに恐縮しきっちゃって、こっちがかえってびっくりしちゃったくらい。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すごい効き目ですねえ(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] そのとき、なるほどなと思ったんだけど、この人たちは、聖書が、神が、と言いながら結局、神に代わるものとして科学を捉えているんじゃないか。考えてみると、アメリカでセヴンスデイ・アドヴェンチストなんて流派が、進化論が間違っていることは科学的に証明されていますとか、神の言葉は科学的に見ても正しいとか言っているのは、自己矛盾で実におかしいよ。僕は不思議でしょうがない。そこまでいくと、科学は神に代わるものになっちゃってる。奇妙な状況だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] オウム真理教も、オウムはもっとも科学的な宗教だと言っていたそうです。
■チョウは椅子に集まる?[#「チョウは椅子に集まる?」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 「科学的」ということにもどるけど、教えるほうの問題もあると思うよ。ある女子学生が、モンシロチョウはどんな色が好きかというテーマで論文を書こうとしたんです。彼女はすぐにでもとりかかるつもりで、担当の教授に相談に行ったそうだ。で、モンシロチョウは、どんな花に来るか、花の色は何が好きか、そういうことを調べたいと言ったら、教授は何て言ったと思う? 「モンシロチョウは本当に花に来るかどうかを確かめなさい」。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ガクッ。
日高[#「日高」はゴシック体] がっくりくるでしょ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やる気なくしちゃいますよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 彼女は京大の学生じゃなかったんだけれど、僕が以前同じ研究をやってるもんだから、僕のところに相談に来たんだ。
で、実験のほうは、少し長いケージを作って、五つのセクションに分けて、花を植えた植木鉢をそこに置く。一ヵ月かけて、場所も変えたりして観察した。そして、やっぱり花に来ます、と先生に報告した。そうしたら今度は、「いや、それは本当に花に来たかどうかわからない」と言うんだよ。「花をどういうふうに置いて実験したか?」。植木鉢に植えて、椅子の上に置きました、と彼女は答えた。すると先生は「椅子だけでもチョウが来るかもしれないではないか、椅子だけで実験してみてはどうか」。
竹内[#「竹内」はゴシック体] イジメだと思ったでしょうね。彼女は(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] そう思ってるでしょう。結局たまりかねて、実験も中途半端なところでやめちゃって、僕のところの研究生になっちゃった。でも、女の子を取るってのは、やっぱりいけないんだね。もう、さんざん、いろんな人に言われました。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私だってそうだったんですよ。同じ京大の理学部の中で、別の研究室から日高研に移ったんですから。
日高[#「日高」はゴシック体] きみだってそうだ。前の研究室ではレーザーをやってたんだから。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私のことでも、ますます先生は言われちゃったんですよね。まあ、仕方ないですよ。人気があるんですから(笑)。
■幼稚園児にヒストグラムを教える京大生[#「幼稚園児にヒストグラムを教える京大生」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 僕はね、科学的ということの誤解については、すでにして小学校から始まっていると思うんだ。すごいのがあったよ。京大の学生──共産党系の学生なんだけどね。棒グラフでもって作るの、あれは何て言ったっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] ヒストグラム?
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう、ヒストグラム。その京大生は、小学校に入る前の、幼稚園児にヒストグラムを教えようってわけ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] オー・マイ・ガッド! ですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 賀茂川のタニシの大きさを測って、平均がどれくらいで、いちばん大きいのはこれくらい、いちばん小さいのはこれくらいと、それだけの話なんだ。
ところが、まだ就学前の子供だから、長さを測るなんてことできないわけ。それで、仮に大きさの違う穴を開けておいて、採ったタニシをそこに嵌《は》め込んでみる。で、ぴったり嵌まると、そこに貝を置く。すると大きさに従って、貝が並ぶでしょう。これでヒストグラムができる、これは科学的な方法を教えるのに非常にいい方法だ、こう言うんだよ。僕はもう、初めっから、わからない(笑)。
どうしてそんなものを作ることにしたのかって聞いたら、「ヒストグラムは非常に重要な概念なので」と言う。重要な概念はいいんだけど、子供たちにとってどこが重要なのかと聞いたら「いえ、子供たちじゃなくて、科学にとって」と、こう言う。何か話を間違えてるんじゃないかとしか思えない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 京大生なんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そう、京大にも困った奴がいるなあと思うときがあるんだよ。これは京大に限ったことじゃないね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、どこにでもいますよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 手続きの問題が科学だと思い込んでいる。その手続きの部分だけが広がって、変な話になっちゃっているんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それは、小学校や中学校の理科の授業内容とも関係してるんじゃないでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そう思うね。とくに生物なんて、面白く教えないように教えないようにやってるって感じだもの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよ。私もずっと理科って大嫌いだったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] ああ、そうだったの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 何が嫌いって、実験がつまらない。とくに生物の種子の発芽だとか……面白いものをわざと面白くなく教えたり、面白くない実験をやらせたり、労力ばっかり。
私、塾で小学生を教えたことがあるんです。そのときの経験からすると、あんな実験やめて、それこそ動物のオスとメスがどういうふうに相手の気を引くかとか、交尾のこととか教えたらいい。もうワイワイ大騒ぎですよ。けっこう子供って理解できるんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 男と女の話をチラッとするんですよ。すると目の輝きが全然違う。
日高[#「日高」はゴシック体] それは中学生、高校生?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 小学校三年生ですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 三年生!
竹内[#「竹内」はゴシック体] 三年生くらいでも、込み入った話がけっこうわかるんですよ、これが。
日高[#「日高」はゴシック体] やっぱり関心がちゃんとあるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あるんですよ。それを、種子の発芽の条件だとか言うからつまんないですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] それはつまんないよ。小学生にしてみれば、種子の発芽の条件なんてどうだっていいんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どうだっていいんですよ(笑)。
■カエルの解剖は残酷か?[#「カエルの解剖は残酷か?」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、今学校では動物行動学のどのあたりを教えているんでしょう? ひょっとして相当遅れているのでは……。
日高[#「日高」はゴシック体] 高校でやっと、ティンバーゲンのトゲウオの研究が入るんじゃない。トゲウオのオスが、なわばりに侵入してくる別のオスを攻撃するのは、オスの腹の赤い色のせいであり、産卵のために大きくなったメスの腹を見ると求愛のダンスをするという研究だね。あれはもう大昔の一九四〇年代の研究でしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そんなになりますか。
日高[#「日高」はゴシック体] それがやっと高校で出てくるくらい。恐るべきことですよ、本当に。何かどこか間違ってる。科学離れとか言うけれど、当たり前だよね。面白いところはみんなわざわざ外しちゃってるんだもの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] でも、そうなったのは、僕らが中学のときからだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 戦争中ですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そう。それまでは博物といってね。桜は花弁が五枚あるとか、雄しべは何本あるとかって話ばかり書いてある。これもつまらないって言えばつまらない話なんだけど、急に「生物」に変わったんだ。今度は花弁がどうこうという話は一切なくなって、いきなり冒頭から金魚の呼吸の話だった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へえ。
日高[#「日高」はゴシック体] 金魚をガラスケースの中に入れて、えらぶたが何回パクパクするかを数えるんだよ、やみくもに。次に温度を上げてみると、どうなるかっていうんだ。温度を上げるとそのパクパクが早くなる。温度を下げると遅くなる。で、グラフを描けっていうわけ。何も面白くないね。それがどうしたって感じだった。
僕はすぐに、学校の生物が嫌いになっちゃった。なんでこんなことをやらないかんのか。あの頃から、日本の学校教育をなんとかせないかん、と思いはじめたんだ。それが今でも尾を引いているんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私の頃は、理科の実験といえば、カエルの解剖でした。
日高[#「日高」はゴシック体] カエルの解剖は、可哀相だからといってやめたんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あ、そうですか。残酷だから、という理由ですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そう、それからカエルがなかなか手に入らなくなっちゃったのね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、なるほど。
日高[#「日高」はゴシック体] カエルの解剖は、まだ面白い実験なんじゃない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] みんな、キャアキャア騒ぎながらやってました。
日高[#「日高」はゴシック体] 嫌がるのもいるけれど、でも子供たちって、お腹の中がどうなってるか見たくてしょうがないんだから。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] やる価値はあったんだけどね。
この話はしたかしら? カビを飼ってみようって話。
竹内[#「竹内」はゴシック体] (笑)……いいえ、まだ。
日高[#「日高」はゴシック体] わりと最近の話です。十年ぐらい前の小学校理科の教科書に載ってたんだよ。シャーレに寒天《かんてん》と砂糖を何グラムか混ぜて入れるんです。そうやって寒天の培養基を作って、シャーレのふたを開けておくと、カビの胞子が落ちる。しばらくしてカビが生えてきたら、ふたを閉める。するとカビがウワーッと生えるわけ。もうモクモクと繁って、最後には枯れちゃう。
で、今度は残った培養基の中の砂糖の量を測る。すると、初めに入れた分より減っている。これは、カビが砂糖を栄養にしてこれだけ育ったんじゃないか。そして次に、私たちもこのカビと同じように、毎日食べている食べ物から栄養をとって大きくなっているんじゃないか、と続くんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 遠い話ですねえ(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] すごい話だと思わない、これ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いや、納得いきませんねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] 納得できないでしょう。私たちは毎日食べ物から栄養をとって生きている、カビも同じようにしてるんじゃないか、というんならわかるけどさ。カビがそうだから、われわれもそうじゃないか、というのは、あれには驚いたね。今はもうなくなったけど、以前は教科書に堂々とその実験が掲載されてたんだ。
■科学と技術の違いについて[#「科学と技術の違いについて」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] よく科学が人間を不幸にしたとか言うでしょう。それは違う、科学じゃなくて技術なんだ、そこを混同してはいけない、と僕はよく言うんだ。敢えて言うならば、科学の欠如が人間を不幸にしていると言ったほうがいいんじゃないかと思うんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど、それはまた、科学とは何かという問題にもつながるんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 科学というのは、物事の理解だから、それがそのまま生活や仕事の面で役に立つかどうかはわからない。技術に応用されたときに、役に立つこともあれば悪用されることもあるわけだよ。
日本では「科学技術」という言葉があるでしょう。科学技術庁というのもある。だけど英語だったらサイエンス・アンド・テクノロジーと、二つのものをアンドで繋《つな》いである。日本では一つの言葉になってるというのは、非常に大きな問題なんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 二つのものが、ごっちゃになってるんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだと思う。技術、つまりテクノロジーはテクニックじゃなくて、やっぱり学問なんだけど、目的は「作る」ことだ。科学の目的は「知る」ことなんだ。そこはやっぱり違うんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] むずかしいですね。具体的に言うとどうなるんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] このあいだ大学のオープン・キャンパスで「鳥から飛行機へ?」という話をしたんだ。人間も鳥のように空を飛びたいと思って、ダ・ヴィンチ以来いろんな設計図を描いているよね。でもそれらは、鳥が羽ばたいて飛んでるからそれを真似てみんな羽ばたき式のものだった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 崖から落ちる映像の記録がいっぱいありますよね。
日高[#「日高」はゴシック体] みんな落っこっちゃって飛べなかった。そのうちに鳥の翼が独特な格好をしていることに着目した人が、同じような形を作って空中で動かしてみたら、浮いちゃうんだよね。つまり、翼の上側は陰圧になって吸い上げられる力が働くし、下からは押し上げる力が働くから、あれは浮くんだということがわかった。それじゃと自動車のエンジンを付けて翼を動かすと、ふわりと浮いて進むわけだ。それで飛行機ができちゃったんだよ。後はそれをどう改良するかという話で、まさにテクノロジーとしてどんどん発展して、いい飛行機ができていった。その一方で、鳥がどうやって飛んでいるかというサイエンスの話は、完全にお留守になっちゃったわけだ。
それから数十年後、ケンブリッジの学者が煙を入れた部屋の中で鳥を飛ばしてみたら、不思議なことに飛行機のプロペラの後方にできるのと同じ気流ができることがわかったんだ。じゃ、鳥もプロペラの働きをするものを持っているにちがいない。それは何かというと、風切り羽根が前進していると捩《よじ》れてプロペラと同じ働きをする。それで力を出して、浮力を起こして飛ぶんだ、と……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だから、順序が逆だったんですね。鳥も同じ仕組みだと知らずに、プロペラのほうが先にできちゃった。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、鳥から学んで飛行機を作ったと言われるけれど、必ずしもそうじゃないんだ。テクノロジーのほうが一歩先んじることもあるんだよ。それを参考にしながら、鳥はなぜ飛ぶかというサイエンスのテーマもフィードバックを受けたわけで、科学と技術はそうやって関係をもっている。
竹内[#「竹内」はゴシック体] お互いに影響を及ぼしあっているんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] もう一つ面白いのは、人間はこの動かない翼の理論と全然違う、回転翼の理論でもってヘリコプターを作っただろう。動かない翼の飛行機のほうは、推力のある状態で初めて揚力が生じるんだけれど、ヘリコプターは、回転翼によって推力と揚力を同時に出す。で、昆虫が実はこの飛び方をしてるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははあ、たしかに羽根を捩《よじ》りながら飛んでいますね。
日高[#「日高」はゴシック体] 動物だから回転はできないけどね。これは、ジェットやプロペラで後向きの気流を出すことによってその反動で推力を作って飛ぶ飛行機──反動飛行機というんだけど──とまったく違う原理なんだ。この回転翼のやり方だと、非常に細かな動きが可能なんだけど、高速では飛べない。
反動飛行機と回転翼機の二つを人間は作ったわけだけど、グライダーみたいなのは別にして、自らの力で積極的に飛ぶものは、どうもこれ以外に理論的に考えられないみたいだね。その一方で、人間に関係なく進化してきた飛翔動物は、鳥と昆虫だろう。鳥は反動飛行機のように飛び、昆虫は回転翼の理論で飛んでるわけ。この二つは対応してるんだ。これがまた面白い。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 結局、自然界に存在する理論を超えることはできなかった……。
日高[#「日高」はゴシック体] どうもそういう気がするね。余計な話かもしれないけど、自由主義経済と社会主義経済にしても、目標を設定して計画を立ててやるという社会主義型のほうは生物界には存在しない。で、人間が一生懸命考えた社会主義社会が崩壊してしまったのも、面白いよね。
■科学は技術の侍女にあらず[#「科学は技術の侍女にあらず」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 昔、民科──民主主義科学者協会というのがあって、ここには「進歩派」の人がみんな固まっていた。ここが出したのが「基礎科学」という雑誌なんだよ。当時、僕は高校生だったけど、ものすごい反発を感じてね。なんで基礎科学なんだ、科学は科学でいいじゃないか、と思ったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 基礎科学っていったい何でしょうね。
日高[#「日高」はゴシック体] あんまり意味はないと思うよ。つまり、技術に応用できるということなんだろうけどね。僕は、アゲハチョウのサナギの保護色の研究をしたことがあるけれど、こんなものが何かの基礎になるとは思えない。サナギの色が黒くなるホルモンなんだけど、昆虫のホルモンだから人間に効くかどうかわからないしね。だけど、昆虫の変態という問題や、さらには世界の仕組みを考える上で重要なヒントを与えてくれるんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 根本的な考え方の違いがあるみたいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕がよく例に引くのが、ダーウィンの進化論なんだ。いわゆる「進歩的」な人がよく、進化論というのはすごい業績です、と言うわけ。それで僕は意地悪く、じゃどういう技術の基礎になりましたか、進化論を応用した機械がありますか、と聞くわけです。
言うまでもないけど、進化論は技術の基礎などにはなってない。生物は進化するものだ、と人間の考え方を根本から変えてしまった理論なんです。そもそも社会主義や共産主義は、ダーウィンの進化論をヒントにして書かれたマルクスの資本論から出てきた話だからね。ああいうふうにものを見ることができるようになったのは進化論のおかげなんだから、そういう点でも皮肉な役に立ったと言えるでしょう。
つまり科学というものは、技術の基礎になるとは決まっていないし、技術に応用されないから意味がないということもない。世界観に関わってくることなんだ。たとえば考古学が何の役に立つだろうか。昔の人がどうやって暮らしていたかがわかるだけであって、それによって新しい機械や技術を開発したりするわけではない。じゃなんの役にも立たないかというとそんなことはない。失われていた生活様式や知恵を再発見することもあるし、なによりわれわれ自身が知的に豊かになる。それでいいじゃないか。そこがわからないと、科学というものの評価を間違えることになると思うよ。だから僕は、基礎科学という呼び方は嫌いなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど、よくわかります。
日高[#「日高」はゴシック体] かつてスコラ哲学で「哲学は神学の侍女だ」と言ったのをもじって「科学は哲学の侍女である」と言った人がいたけど、今世紀になってそれが「科学は技術の侍女」になっちゃったんだよ。でも、科学は誰の侍女でもない独立した女なんだ、と僕は思うね。
■社会生物学は人生論[#「社会生物学は人生論」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 生物学のほうで言えば、社会生物学なんて、完全に世界観だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんです。社会生物学は遺伝子の淘汰を中心にすえて生物の行動や社会について考えるというもので、要するに現代の進化論、動物行動学の主流とも言えるわけですが、私自身、この学問を学んだおかげで、すごく救われたという気がしているんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] それはどういうところが?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 以前は私、この世に生まれてきたからには、何かを成し遂げなければならない、何か使命があるはずだと思い込んで、それはそれは焦っていたんですよ。だけど、本当はそうじゃないんだ、そんなふうにプログラムはされてないんだ、ただ遺伝子がコピーを増やしたいというその論理だけであって、一人の人間が一生を完全なものにするとか、偉大なことを成し遂げるとか、そういう論理にはなってないんだということがわかって、すごく気が楽になりましたね。それで努力することをやめるとか、怠慢になるわけじゃないんだけど。
それから、もう一つ言えるのは、人を許すことができるようになりました。たとえば私に対して意地悪する人がいるとしますね。そのときは腹が立つけれども、ちょっと退いて考えてみると、ああ、この人もやっぱり遺伝子のコピーを増やすというプログラムに従って、こういう行動をとっているのかもしれない、そう考えると気持ちにゆとりが生まれるでしょう。こういう応用の仕方は本当はいけないんでしょうけど、少なくとも私は、なーんだそれだけのことじゃないかって、他人をひどく憎んだり恨んだりすることがなくなってきたんですよ。
私は、こういったことをいろんな人に教えたいという動機から、本を書くようになったんです。不遜かもしれませんが。
日高[#「日高」はゴシック体] 結局、人生論になるんだよね。
人間の一生を考えると、みんな遺伝子のプログラムに従って成長するわけです。女の子は、小学生の頃にはお転婆で色も黒くて男の子みたいで、こんなんで嫁にいけるのかしらんと思うけれども、そこはちゃんとプログラムされていて、十六、七になれば色が白くなってくるしね。顔もまあきれいになるし、肌は美しくなるし、色っぽくなって、男の一人や二人は騙《だま》せるようになる。男のほうだって同じように、異性を引きつけるように変化し、成長してゆく。で、両方がたぶん誤解することによって、結婚し、子供ができて、なんだかんだ言いながらもちゃんと子供を育てる。で、子供が中学生ぐらいになってくると、その両親は中年になるから、残念ながら老けてくる……。
これはどういうことかというと、遺伝子の目論見としては、そろそろこちらも年を取って繁殖能力が落ちてきたから、その子供の世代が二十歳ぐらいになったとき、その年頃の連中と絡まってくるようになると困るわけ。若くてきれいな娘が、四十、五十のおじさんを好きになったりすることが起きないように、こちらのほうは老けさせる。おばさんだって同じように老けさせて、若いほうの世代は若いどうしでやらせるようにする。もう少し行くと、同じように食事をしていたら効率がよくないから、八十歳ぐらいになって曾孫《ひまご》ができる頃になったら、殺しちゃう──つまり、死ぬわけ。遺伝子から見れば、おじいさん、おばあさんの遺伝子は消滅するけれども、子供や孫が何人もいてコピーができているからそれでかまわない。つまり遺伝子は、常に若いほうを向いているんだよ。
こう言うとなんとも身も蓋《ふた》もない話になるけれど、こちらもだんだん殺される側に近づいてきているもんでね。
じゃ今の話をどう考えるかというと、これは芝居のシナリオだと思えばいいんだよ。芝居そのものではない。僕が今までこうして生きてきたということは、そのシナリオを演じてきたんだと思ってる。演じるにあたって、僕はハムレットになるのか、それとも別の配役になるのかわからないけれども、とにかく舞台があり、相手役や敵役がいて、台詞《せりふ》を覚えたりして学習もする。いろんな人がシナリオを演じているわけだけれども、つまんない退屈なハムレットになることもあるだろうし、途中で登場人物がみんな台詞を忘れちゃって、慌てて幕を引いてしまうこともあるかもしれない。しかし、なかには観客にとっても感動的だし、自分でやってても興奮するような素晴らしいハムレットができることもあるでしょう。どれもシナリオは一つしかないんだ。そのシナリオをどう上演するかは、一人一人の人間によって違うわけ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよね、アドリブだってあるでしょうし。
日高[#「日高」はゴシック体] 最後に四幕になって幕が下りる。シナリオには「死ぬ」と書いてあるだけで、剣で刺されるか病気で死ぬのか、どうやって最期を迎えるかまでは書いてない。しかし、死ぬことは確かなんだから、悩んでも仕方がない。やっぱり、生きる──上演することを考えるほうがいいじゃない。
僕なんか、もう明らかに第四幕に入っているからね。いずれは終わりになるに決まっているんだけれど、だからといってもうどうでもいいやと思ったら、あいつは二幕から三幕にかけてはよかったけれど、最後はだいぶめろめろだなんて言われたくないから、やっぱり一生懸命演じています。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ドーキンスは、遺伝的プログラムは料理のレシピのようなものだと書いていますけど、シナリオと言ったほうがわかりやすいですね。
よく私たちが遺伝子や遺伝的プログラムと言うと、「遺伝子によって何から何まで決められているなんておかしい」とか「遺伝子決定論だ」とか言って怒る人がいますが、そんなことはこの分野の誰一人として言っていないんだということを早く理解してほしいですね。今、先生がおっしゃったように遺伝的プログラムというものはシナリオやレシピのようなもので偶然が入り込んだり、アクシデントの起こる余地はいくらでもあるんです。第一、遺伝子がどういうものか少しでも勉強したことがある人なら、遺伝子が何から何まで決めるなんてことは不可能だってことくらい分かるはずです。そうやって怒る人は勉強したことがないのかな?
日高[#「日高」はゴシック体] とにかく「遺伝子」ということばは現代の神話みたいなものだからね。
■科学とは「なぜならば」である[#「科学とは「なぜならば」である」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 前に「科学とはウソをつくことである」と言ったけれど、ウソだけの話になってしまっても困るんで、今度は別の面から、科学とは何か、ということを話そうか。
サイエンスという言葉は、語源がラテン語の|SC《スキ》I|O《オ》で「知る」という意味なんだ。SCIOはアイ・ノウ、|N《ネ》E|SC《スキ》I|O《オ》はアイ・ドント・ノウということで、|SC《スキ》I|ENT《エンチ》I|A《ア》が知ること。要するに科学とは「知ること」なんだ。だから、「知ること」が基礎かどうかなんてことがあるはずがない。知ってから何に使うかは別問題だよ。
「知る」ためには、ストーリーが必要になるよね。「○○は××である」という話に「なぜならば」という理由が付いて初めて一つのストーリーができるわけ。そのストーリーをこちらが諒解して、納得するという行為がサイエンスなんだと、僕はずっと思っている。
「なぜならば」の部分をどういうふうに証明するか。その証明は時代によって内容もやり方も違う。ウソでもいい、あるいは時代が変わればウソになる、というのはそういうことなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ストーリーの部分が重要なわけですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] アリストテレスは、妊娠がどうして起こるかについて、こう説明してるんだ。女が妊娠するのは、性交のときの精液が子宮に入って、子宮の中の血液と混ざり、子宮の中で温められると赤ん坊ができるのである──これはその当時の説明としては完璧なんじゃないかな。
性交という行為があるのは、みんなが知っている。精液が出ることも知っている。中に入ることも知っている。そうすると生理が止まる。出るべきものが出てこなくなるから、中に残ったんだろう。子宮は温かいから、中で温められる。そうすると妊娠し、赤ん坊ができる。なるほどということになるわけだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ストーリーとしては、申し分ないですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 当時としては反論不能だったと思う。でも現代人が見れば、半分以上ウソだよ。
ただ、生理が止まるという現象も、止まるんじゃなくて、起こるべきものが起こらなかったという視点に立てば新しい論理が生まれるよね。また、それから卵子や精子が発見されれば、さらに新しい説明が可能になるでしょう。
アリストテレスの科学の著作には、全部その「なぜならば」がついているんだ。こんなのもあるよ。「鳥はなぜ淫乱か」というの。だいたい、鳥が淫乱だというそのテーゼ自体が変なんだけど、まあとにかく淫乱だということになっている。なぜかというと、淫乱の素《もと》のようなものが体の中にあるのだが、鳥は足が細いためにその素が足の先まで行かない、そして体の中に溜まってしまうので淫乱になるんだ、というわけ……(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 傑作ですね。
日高[#「日高」はゴシック体] ちゃんと書いてあるよ、アリストテレスに。風呂の中ではなぜ性交ができないか、なんてのもある。当時の人はそれを読んで、もっともだと思ったんじゃないかな。とにかく、物事や現象について理由を付けてストーリーを作り、そしてそれについて納得するのがSCIENTIA──科学だと思うんだ。今でも基本的には同じであってね。そのストーリーは時代によって違う。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 新しいストーリーが生まれれば、前のストーリーはウソになってしまうわけですよね。
■科学は常に真実を語るとはかぎらない[#「科学は常に真実を語るとはかぎらない」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 一時は一世を風靡した科学理論の中にも、とんでもないのがあるだろう。たとえば、エーテル説なんてあったじゃない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あ、光はエーテルという媒介物質を通して伝わるというホイヘンスの説ですね。ありましたねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] ジャック・ロイブという人がいたんだけど、この人は、昆虫が光に向かって飛ぶ走光性のような「走性」を研究してたんだ。彼はそれを発展させて、動物はみな走性でもって動いているのであって、それ以外にどこに行こうとかいう意思や目的なんてないんだ、と主張したんだよ。さらに、特定の婦人に対する男のひたむきな求愛も走性の一例に過ぎない、と言っている。要するに、光に向かって飛んでいく虫と同じなんだ、というわけ。仮にその女性が死んでしまっても、その男はまだ彼女に恋しているとする。これは彼女という目標物が彼の脳の中に設定されているのであって、それに対する走性であることに変わりはない、とまで言ってるんだ。
これはあまりにもひどすぎる機械論だと批判されたけどね。彼は堂々と本の中で自説を展開してますよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すごい理論ですねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] 化学の世界でも、定説化していたのに間違いが後になってわかった例があるじゃない。ヘリウムのような零族元素は、外殻電子が完全に飽和しているので他の元素と化合物を作らないということになっていた。だから敢えて化合物を作らせる実験をやろうとはしなかったんですね。古い原子模型を見ると、みんなそうなってますよ。ところが、たまたま実験をやってみたら、錯体化合物はできるんだよ、しかも常温で。今では、ヘリウムが化合物を作らないという説は消えています。
それから、もっと幼稚な間違いで言えば、人間の染色体数ね。僕らが大学の教師になったばかりの頃、一九六〇年代までは人間の染色体数は四十八だったんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ。
日高[#「日高」はゴシック体] それが実は四十六だったってことになって、今では四十六ですよ。人間がその間に進化して四十八から四十六になったわけじゃない(笑)。単純に押しつぶすときの方法がまずかったんだよ、それだけの話。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 単なるテクニックの問題。
日高[#「日高」はゴシック体] ノーベル賞を受賞した研究にだってあるよ。フィービガーという人は、茶色い回虫みたいなのを発見して、これがガンの病原体であるという研究でノーベル賞をもらったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それ、すごい発見(笑)。そういう目でノーベル賞受賞者の研究を再検討しても面白いですね。
日高[#「日高」はゴシック体] いっぱいあるよ。でも、それは当たり前の話でね。とにかく当時のノーベル賞の選考委員たちはみんな説得されたわけだから、後で間違いだったとわかっても、その人にも、時代の人々にも罪はないんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 間違いがあるからこそ、次の修正が生きるとも考えられますしね。
日高[#「日高」はゴシック体] 昔グリーンという学者が、すごくカッコいい発表をしたことがあってね。グリーンは、ミトコンドリアの中の細かい構造を最初に発見した人なんだよ。
発表の前に講演の要旨が出席者に配られたんだ。ところが、いざ発表という段になってグリーンは、皆さんに講演要旨をお配りしてありますが、まったく新しい発見があったので、お配りしたほうは破り捨ててください、と言って、新しい話をやったそうだ。あざやかな手並みだよね。つまり、前の講演要旨そのままに話せば、「ウソ」になっちゃうわけでしょ。ほんのちょっとした時間差でもって、新発見とウソに分かれてしまった。
くどいようだけど、科学が常に真実を語るなどということはないわけで、そのときまで正しいと思われていた、あるいは正しいんだと皆が説得されたものが通用してるだけなんだ。科学の面白さは、そこにこそあるんですよ。
■アリの太陽コンパスを発見した実験[#「アリの太陽コンパスを発見した実験」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 「なぜならば」の部分も、不必要に細かくやるのがたくさんあるんだよね。あれはかなわないなあ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 実証的すぎて、迷路に入り込んでしまうみたいな……。
日高[#「日高」はゴシック体] ほんと、何を証明しようとしているのか、わからなくなってしまうのもあるよ。
非常に単純で面白くわかりやすいストーリーもあるわけで、アリが太陽コンパスを使って巣の位置を確認していることを発見したピエロン=コルネッツの実験はそのいい例でしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 目を黒く塗った実験ですか?
日高[#「日高」はゴシック体] もっともっと簡単なこと。
アリが巣から出てウロウロ歩き回って、餌を見つけるとそれを持って真っ直ぐ巣に帰るでしょ。ある時コルネッツは、持っていたマッチ箱の中身を捨てちゃって、歩いているアリに被せてみたんだよ。そのまま二時間ぐらい置いてから外したら、アリは違う方向に向かって歩きだした。きっと、二時間のあいだに太陽の位置が変わってしまったから違う方向に向かったのだろう。これでアリは太陽をコンパスにして巣に帰っている、ということがわかったんだ。これなんか非常に的確な証明だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 単純にして明快。でも、なかにはケチつける人もいそうですね。データが不足しているとか。
日高[#「日高」はゴシック体] うん、マッチ箱で実験するなどいかん、もっと正確な機械を使って計測しろ、とかね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 言いそうですよう。実験の中心部分ではなくて、その周縁のところばかり言うんですよね、そういう人は。
日高[#「日高」はゴシック体] アリの方向が三十度ずれたのではいけない、三十度何分じゃなければおかしい、とかね。そういうふうになっちゃう話がたくさんあるんだよ、悲しいことに。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 目に浮かぶようですねえ。
■「科学的」というスタイルだけが残った日本[#「「科学的」というスタイルだけが残った日本」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] さて、「なぜならば」があるからこそストーリーができ、科学としての要件を備えるわけだけど、それが欠けていて、断定の結論のみだとどうだろう。その説がウソだとわかるのは証明の部分があるからだろう。結論だけでは、批判のしようがないからね。
ところが、日本では「なぜならば」の部分がなかったんじゃないか、と思うんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それは近代以降ですか?
日高[#「日高」はゴシック体] いや、昔から。あったかなあ、なかったんじゃない?
僕がよく例に引くのは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』なんだけど、僕の読んだ日本語版で言えば、たとえば東南アジアのどこかの島の不思議な習俗を紹介するとその後に、「なぜこのようなことをするのか」という理由が付いているんです。その儀式を行なわないと、神の祟《たた》りがあると彼らは信じているからだ、という具合にね。それを読むと、ああそうなのか、と思いますよね。
日本の場合はそういう説明がない。同じ頃の本で言うと、「春はあけぼの」で始まるのは何だっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 枕草子。
日高[#「日高」はゴシック体] あれなんかね、「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、少しあかりて……」と、なぜいいか、がはっきり書いてない。並列、併置なんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 日本の場合、省略による余韻を尊ぶところがありますよね。ロジックと情緒の差でしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう。旅行記と随筆を単純に比較するのは乱暴かもしれないけど、「なぜならば」がないとやっぱり科学にならない。そして日本には、そういう形の論理的思考の伝統がなかったんじゃないかという気がするんだよ。
西欧では論理的なサイエンスの流れがあって、その延長線上で論理の組み立てなどが緻密になってきた頃に、ポッと日本に入ってきたわけでしょう。だから、科学というものは特別なものであるという認識ができちゃったんじゃないか、と思うんだ。さっきからよく言っている、信仰のようなものだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 形だけが入っちゃったんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 日本では、ストーリーの面白さ、発想の面白さの部分が遊離してしまって、科学的というスタイルだけが残っちゃった。僕なんか、こんなこと言われたことがあるよ、あんたは縦書きの本ばっかり書いてるからな、縦書きの本は科学じゃない、とかね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] えーっ。
日高[#「日高」はゴシック体] 横書きしか認めないんだよ。参考文献は全部掲載しろとかね、うるさいんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そんなこと言う人がいるんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] いるんですよ(笑)。
■科学と呪術[#「科学と呪術」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 呪術と科学の違いって、考えたことがある?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いえ……。
日高[#「日高」はゴシック体] 呪術は「なぜならば」というふうに、物事が展開しないんじゃないかな。僕はそう思うんだ。サイエンスというよりテクノロジーに近いのかもしれないね。
テクノロジーは、ここをこう押せばこう開くとか、作動するというような、原因と結果だけでしょ。テレビを例にとれば、スウィッチを押すとどうして画面に画像が出るか、理由を問うたりしないよね。これはまったく科学とは言えない。技術なんだ。
魔術や呪術もそうじゃないかな。「なぜならば」の部分は欠落して、結果の意外性ばかりが強調されるでしょう。だから、こういう技術の粋の結果出てくるものは、ものすごい魔術なんじゃないかと、そんな気がするね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私たちの生活って、ブラック・ボックスだらけですものね。プロセスを理解していることは、ほとんどない。
日高[#「日高」はゴシック体] 機械は魔術的になってないといけないんだよ。いちいちこれは何かなんて考えなきゃならないようでは、機械としては失格なんだ。
どうも西欧を中心に、魔術や技術というものは、そういう格好で進んできていて、科学はそれとはまったく別の道を歩んできているんじゃないかと思うんだ。科学の「物語」は、現実の物を生み出すわけじゃないからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] よく、中世の錬金術が近代の科学の基礎になったと言われますけど、違うんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] 違うんじゃないかと思うね。科学は、根本的に違うところからスタートしてるんじゃないかな。そのへんを、日本だけじゃなくて欧米でも、科学技術史というふうに十把《じつぱ》ひとからげにやってしまったから、話がこんがらがってしまったんだ。
チャールズ・シンガーの『魔法から科学へ』(社会思想社)という本を読んだことある?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いえ、ないです。
日高[#「日高」はゴシック体] ものすごく面白い本なんだ。その中に、ビンゲンのヒルデガルトの幻想の話が出てくるんだけど、ヒルデガルトは中世の修道女で、偏頭痛持ちなんだ。彼女はいろんなものを幻視して、その幻想を本にまとめているんだけど、このヒルデガルトのことを『魔法から科学へ』の筆者は高く評価していて、中世の科学の始まりだと言っている。だけど僕は、これは科学と技術と魔術を混同してるんじゃないか、と思ってるんだ。ヒルデガルトの幻想がいかに驚異的な内容であっても、「なぜならば」の部分がないからね。ものを考え、知ることとは違う。科学とは本質的に違うものだと思います。
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第四章[#「第四章」はゴシック体] 浮気人類進化論の誕生
■書きはじめたきっかけ[#「書きはじめたきっかけ」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 京大なんかだと、事務の人、とくに本部の時計台の事務の人は、みんなきみの本を読んでいるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] え、そうなんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] きみの本を読んで、遺伝子のことが、非常によくわかったというんだよ。まあ、僕もそういう話はしてるんだけどさ。でも、先生の話と違って、竹内さんの書いたのを読むと、すーっとわかりますなあって、そう言う。竹内さんは、今何をやってるんですかって聞くから、今は作家ですよって言ったら、先生は作家まで育てるんですか、なんて話になってね(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そもそも私が書くきっかけを作ってくださったのは、先生ですから。
日高[#「日高」はゴシック体] 最初の『浮気人類進化論』(晶文社、文春文庫)か。あのタイトルは僕が考えたんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その節はどうもありがとうございました。その前に、先生と共著で書いた……。
日高[#「日高」はゴシック体] あ、『ワニはいかにして愛を語り合うか』(新潮文庫)?
竹内[#「竹内」はゴシック体] あれは、私が暇そうにしてるのを見るに見かねて、先生が何か私に仕事を与えようと……。
日高[#「日高」はゴシック体] いや、あれだって、きみが本を書きたいっていうからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 書くっていうのは、私のほうから書きたいと言ったわけじゃなくて。
日高[#「日高」はゴシック体] じゃないんだよね(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あれは書かざるをえなくなって……。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう。こんな本の話があるんだけど、これやるかって、かなり強引に押し付けたことは覚えてる。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私は手紙を書くのすらいやだという人間で、文章をまともに書いたことなんて一度もなかったんですよ。『ワニはいかにして愛を語り合うか』は動物のコミュニケーションがテーマですが、私がたまたまカヤネズミという世界最小のかわいらしいネズミの音声コミュニケーションの研究をやっていたのでそういうことになったんですよね。中身は音のコミュニケーション、匂いのコミュニケーション、視覚のコミュニケーションという三本立てで、それぞれに先生と私の対談が付いています。あのときも本当に泥縄で、それこそ「週刊文春」の林真理子さんのエッセイを読んで、ああなるほど起承転結ってこういうことか(笑)。これがオチなんだなとか、文章と文章のあいだは接続詞なしでつなげてもいいんだなとか、初めて文章の世界を覗いたようなものなんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] しかし、そういうふうに文章の勉強をする人も、なかなかいないよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですか。
日高[#「日高」はゴシック体] いや、あのとき僕が感心したのは、『ワニ』のとき、最初に何枚か書いてきたでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。
日高[#「日高」はゴシック体] 一生懸命いろんな文献や資料を読んで調べたことが、ワンパラグラフ書くと全部終わっちゃうと言うんだよね。それを読んでみると、きちっと書いてあるけれど、これだけ中身が詰まったことをずーっと読むのはすごくしんどいわけ。人間の頭ってそんなに論理的にできていないから、楽に読めないと困る。あることを書いたら、次にどうやって調べたかという過程を書いて、パラグラフを変えて「つまり」と要約して結論を書く。そうすると読むほうもわかりやすいよ、と言ったんだ。あ、わかりました、と言って、それからあと、僕に原稿見せたことないね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いえ……。
日高[#「日高」はゴシック体] それ以後、僕は読んでないぜ、きみのものを。どうなることかと思ってね。ところが完成したものを読んだら、実に見事に書いてあるんで、やっぱりこの子は頭がいいんだな、と。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生は話を作ってる(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] いや、作ってないよ。感心したんだ。でも、それまでそんなに文章を書いた経験がないとは知らなかったよ。それを知ってたら案外、本を書けなんてすすめなかったかもしれないな(笑)。
■レーザーと女の人生の関係[#「レーザーと女の人生の関係」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] そもそもきみは、僕の研究室に来る前は、京大理学部の別の研究室でレーザーの実験をやっていたんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やりたくてやってたわけじゃないんですけど……もう、ちょっとそこにいるのがいやになって、しばらくブラブラしてたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 前から聞きたかったんだけど、なんであんな分科を選んだの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 感覚生理学という看板にひかれたんです。脳や神経がどうやって外界を捉えているか、というのが、すごく魅力的に思えたんですね。ところが入ってみると……。
日高[#「日高」はゴシック体] 全然わけがわからない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんです。その研究室の先生が、若い頃に学界でひと山あてたロドプシンという物質の研究なんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] 目の感光物質だね。ロドプシンが光に当たって変化すると、それが神経細胞に刺激を与えて、それが脳に行って光を受けたということがわかるという物質だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その物質が、光を受けることによって次々と変化していくんですね。途中の中間生成物がいくつかあって、あの研究室は一丸となってその研究ばかりやるんです。もう気が狂いそうになるんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 他の研究はやれないの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] それはもう、細かい研究ですから。そのロドプシンという物質は、瞬間的に光に反応するんですけど、マイナス百数十度という低温にすると、その反応速度が遅くなって途中の段階で止まったりするんですよ。
私が与えられたのは、初めはそういう状態にして途中の生成物を調べていくというアプローチだったんですけど、次にアプローチが変わって、常温にしてそこへレーザーを当てて調べてみようということになった。私はそのレーザーの装置を作るところをやらされたんです。何もわからないから、助手の先生に言われるままに、はいそれして、はいこうして、という作業が一年以上も続いて、そのうちに、溜め息ばっかり出はじめて……。
日高[#「日高」はゴシック体] しかし、よくまあ、レーザーなんて作ったねえ。ピコ秒単位で光を出すレーザーを作ってるってきみ、たしか言ったよね。ピコ秒っていったら一兆分の一秒だよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 作ったといったって、何もわからずに作ってるんですから(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] だって、あれ強い光線だからさ、当たった場所によっては、燃えたりするんだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 目に入ると大変です。レーザーというのは自然界にある光とちがって、完全な平行光線でエネルギーも大きいですから、目のレンズで焦点を結ぶと網膜が焼けてしまいます。幸いなことにレーザーは目に入りませんでしたが、私、何度も感電しましたよ、バーンとか吹き飛ばされそうな衝撃を受けて。
日高[#「日高」はゴシック体] ふーん。
竹内[#「竹内」はゴシック体] よく心臓が止まらなかったって思います。何度目かの感電のときに、あ、ここにずっといると死ぬかもしれない……(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] そんなものを、まあよくぞ……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それで、先生のところに相談に行ったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] その話を聞いて、これはすごい、僕にはとてもできない、「だけど、それがきみの女の人生にどう関わってくるんだろう?」と言ったんだよね。僕のこの一言が、きみのその後のすべてを決めてしまったような気がしないでもない(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんです。それで日高研に移って動物行動学をやることになって、カヤネズミの音声──といってもほとんど超音波でわれわれの耳には聞こえませんが──によるコミュニケーションの研究をやったんですが、でも、カヤネズミもやっぱり、人生にあまり関係ないなって(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] あんまり関係ないよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] こんなことやってたら……。
その頃私はまだ二十代でしたけど、人生に焦りを感じてて、生まれてきたからには何か成し遂げなければいけない、と必死であがいていたんです。今は全然違う考え方をもってますけど、その頃は毎日毎日悩んで、眠れないほどだったんです。
まあ、どうにかこうにかカヤネズミの研究はまとまったものができて、修士の論文は書いたんですが、そこでちょっと気が抜けてたんですね。その頃ですよ、ある意味では私の人生を変えることになった事件が起こったのは。
日高[#「日高」はゴシック体] ほう……。
■日高研の重大事件[#「日高研の重大事件」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 日高研でいろいろ事件があったでしょう。もう時効だからいいですよね。私にとっていちばん衝撃的だったのは、X君とYさんの事件。
日高[#「日高」はゴシック体] かなり大昔の話だね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 日高研の大学院生でX君というけっこうモテる人がいて、研究もできるし、山男だし。
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ところが、彼は二股をかけてたんですよね。Yさんはそうとは知らず、前の彼氏とわざわざ別れてX君と付き合っていたんですよ。そうしたら、実は別に本命の彼女がいると告白されちゃったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 今のX夫人になった……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私たちは、下宿で朝までYさんの話を聞いていたんです。私は、年齢はけっこう行っていたはずなんですけど、精神的には非常にウブで、そういうことはドラマの世界か、大《ヽ》都会の大《ヽ》企業のオフィスで起きることだと思ってた(笑)。まさかわが研究室でこんなことがあるなんて信じられなかったんです。
「ひゃーっ、人間はどうしてそんなことができるんだろう」と思っちゃって、あの人たちは裏でそんな悪いことをしながら、どうして研究室でヘラヘラ笑ってお茶なんか飲んでいられるんだろうって……。
日高[#「日高」はゴシック体] あっはっはっはっは……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 本当ですよ。ものすごい嫌悪を感じたんですから。同じ空気を吸うのもいやだ……。私がいた部屋とX君がいた部屋はぶち抜きでつながってるんですよ(笑)。もう大学に行くと、胸が苦しくて、苦しくて。
日高[#「日高」はゴシック体] ははーぁ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だから、大学に行っても、実験用のカヤネズミの餌替えぐらいして、サーッと逃げて帰って来た。
日高[#「日高」はゴシック体] あ、なんだ、そうだったのか。僕は、きみが来てるなと思うとすぐに帰ってしまうんで、そんなに僕に会いたくないのか、どうして僕はこんなに嫌われているんだろうと思ってね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 本当に勉強させていただきました。私も潔癖だったですよね。私はね、研究室内で日高先生とX君というのが一つの典型だなと思ったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 文科系男ね。それで「浮気」という話が出てくるわけか。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう。「浮気人類進化論」というのは、人間は男が口説くことによって女を獲得する動物である、女を口説くことのうまい男ほどよく子を残す、こうして彼の言語能力はよく子孫に伝わり、人間全体の言語能力が高まった、ひいては知能も発達したという考えです。しかし男が女を口説く能力がもっとも発揮されるのは、何といっても浮気という状況です。したがって人間は浮気を通じて人間らしさを獲得してきたのだということになります。「浮気」は類人猿ではありえない現象ですしね。本来のパートナーがありながら、時々浮気するのは人間だけです。ただ、男はみな浮気性かというとそういうことはなくて、よりするタイプとあまりしないタイプがある。それぞれ文科系男と理科系男と名付けました。どちらも子孫を残す競争でそれなりの利点をもった戦略者です。文科系男の共通点は、当然というべきか言語能力が非常に優れていることですよ。先生はもちろんそうだし、X君もチベット行ったら行ったで、すぐチベット語をマスターしちゃう。それから、やっぱり男としてモテるし、魅力的だし、心が広い、融通性がある、弁も立つ。研究の発表をするときなんかでも、スピーチの仕方は抜群でしょう。
その一方で理科系男は、京大理学部の伝統的男とでも言ったらいいんでしょうか。K君とかSさんとか。真面目で、研究一筋で女の子に声なんてかけられない。旦那にしたら、ちゃんと子供の面倒はみてくれるだろうしと、そういう人です。所属学部とどちらのタイプの男であるかとは必ずしも一致しません。そのへんのところをよく考えたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私の父親や三人の兄を見ると、全部後者のほうなんですよ。口下手で、文章表現もうまくない。だけど、サイエンスをやらせたらこれがなかなかの才能を見せる。
で、先生やX君の言語能力っていうのは何かと言えば、やっぱり女を口説くことにおいて磨かれ、発揮される……。
日高[#「日高」はゴシック体] わっはっはっは。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だから『浮気人類進化論』のあとがきにはこう書いてあります。「内容についてアドバイスしてくださっただけでなく、貴重な人間観察の場を与えてくださった日高研究室の皆さんに感謝いたします」。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほどね、あれはそういうことだったのか。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その事件から、いろいろ人間のことを考えはじめて、けっこう真面目に霊長類の勉強をしたんですよ。いろんなサルの婚姻形態とか(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 何がきっかけになるかわからないもんだねえ。みんなが「真面目」で、そういうことをしないでいたら、きみの本もできなかったかもしれないな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私はけっこう自分の疑問から出発して勉強するんですよ。徹底的な専門家とか研究家になろうとは思わないし、そうなってはいけないな、と思いつづけているんです。
とにかく自分の、普通の人間としての疑問を大切にしたい。だからX君事件をきっかけに、初めてサル学の勉強をしたんです。いろんな社会性とか、行動学の教科書ともいえるクレブス&デイヴィースの『行動生態学』(蒼樹書房)なんかも、自分の疑問に対してこの学問はどう答えてくれるか、この学問を使ってどういうことが考えられるか、という観点で勉強したんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は、それがいちばんいいと思うな。よくいるでしょう、高校のときに習ったメンデルの法則が非常に美しくできているので、生物をやろうと思ったなんていう人が。そういうふうにして生物に入った人は、理論だけで頭ができあがっているもんだから、現実のことが全然理解できない。だから新しいことを発見できないんだ。そういう人は、生物の研究者には不向きなんだよ。たとえばこれが、自分ん家《ち》の猫が次々と子供を産んで、白と黒の子猫がどれくらい生まれた、といったところから、じゃあ遺伝学をやってみようかというふうになったとすれば、その人は大丈夫だと思う。生き物に対する自分なりの感覚とか発想がないとダメなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その理論とか数式から外に出られないんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、けっこういるんじゃない? 数式ばっかりごちゃごちゃ、いますよ、そういううるさい人が。ほんと、うるさいね。そういう人はそれが学問だと思っているから、きみなんかが本を書いて、まして売れたりすると、怒るんだよ。
■ドーキンスとモリスとシュテュンプケ[#「ドーキンスとモリスとシュテュンプケ」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] その事件をきっかけに、まあ前からもやもやと考えていたこともあったんですけど、その後『浮気人類進化論』としてまとまる内容の原稿を書きはじめたんです。
その頃、私はいい加減なことを考えては、夢みたいなアイディアを先生に話してたんですよね。『浮気人類進化論』に書いた、浮気が言語の発達を促し、ひいては脳を発達させたという話もそうです。すると先生は、一笑に付すどころか、けっこうまともにとりあってくれて、「お、それはすごいじゃないか」って真剣に聞いてくださるんですよ。単に私を励まそうとしたのかもしれないけど、先生が「ほう、こいつはなんかすごいことを考えているな」というふうに反応してくれるんで、私もいい気になっていろいろと……。
日高[#「日高」はゴシック体] いや、本当にそう思ったもの。だって、僕にはそんな発想はできなかったからね。
僕のところには、すごい発見をしたとか、さかんに本を送ってきたりするけれど、ある種のパターンに乗っかっているものはだめだね。それ以上のものにはならない。それからキイワードに「宇宙」とか「エネルギー」が出てきたら、これは絶対にあかん(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それでね、先生、『浮気人類進化論』を書くにあたって、どういうスタイルでいったらいいか、すごく悩んだんです。大真面目に「人類が進化したのは浮気が原因だという仮説を考えた」と言うのもおかしいし、それがどうしたで終わっちゃうでしょう。やっぱり読んだ人が、ためになったなと思ったり、面白いと感じなきゃダメだと思ったんです。じゃ、どういうノリでいこうか。
私はその頃、好きな作家が三人いたんですよ、先生は別格として。一人はドーキンス、二人目はデズモンド・モリス、それから『鼻行類』(平凡社ライブラリー)のシュテュンプケです。この三人の持味がすごく気にいっていた。ドーキンスは正統的でシャープで隙のない発想、モリスはエンターテインメントですよね。で、シュテュンプケはというと、オトボケ。まったくのウソなんだけど、そのウソをもっともらしく、ありったけの知識を動員してある説として構築してしまうあの素晴らしさ。よし、この三者を兼ね備えたノリでいこう、と考えたんです。
私はまだ筆力のほうに自信がなかったので、本が出たとき、そのへんのノリが読者の皆さんに伝わるかどうか心配だったんですけど、書評では幸い作家とか評論家のようなジャーナリスティックな人には伝わったんですよ。みんな快著だとか怪著だとか言って、面白がってくれたんです。だけど、専門家の人にはどうも伝わらなかったみたいで……。
日高[#「日高」はゴシック体] でも、大多数の人は、面白がって読んでくれたわけだろう。あの本の書き出しは、何の話だったっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] あれは、チンパンジーの知能テストの話です。箱を置いて、天井からぶら下がったバナナをどうやって取るかという、古典的な実験。
日高[#「日高」はゴシック体] ケーラーのやった実験だね?
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。箱などを置いておくと、それを踏台にして取ればいいんだけれど、それに気がつくかどうかという実験です。あるチンパンジーは、しばらく考えて、実験者であるケーラーの手を引いて部屋の真ん中まで連れていって、バナナの下に立たせたんですね。そして、ケーラーの体を攀《よ》じ登って頭の上に足をぐっとのっけて、思いっきり踏んづけてバナナを取ったというエピソードがあるんです。そのときケーラーは、なぜ自分がそのチンパンジーに手を引かれているのかわからなかった。それくらいチンパンジーは、こちらの予想を上回るくらい賢いんだ、という話をイントロにしたんです。つまり、あんまりチンパンジーを馬鹿にしてはいけない、こっちが知能テストされるくらいなんだ、という話をまくらにふって、にもかかわらず、チンパンジーと人間との厳然たる違いがいろいろある、というふうに始めたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] やっぱり本は書き出しのところが大事でね。さっききみが挙げた三人の本の始まりもそれぞれいいでしょう。
シュテュンプケは、第二次大戦後にスウェーデンの脱走兵がハイアイアイ群島とかいうどこかの島に流れ着いて……という話から始まってるよね。あれも面白い。推理小説の出だしみたいだよね。
モリスのは、アフリカ・クロアシリスの話でしょ。新しいリスが見つかったけれど、どうしてこのリスは足が黒いのか、と切り出して、この方式で人間のことを見てみよう、というところから始まっている。
ドーキンスは……ドーキンスは、いちばんオーソドックスだね。ダーウィン以来の動物学の学説の流れをたどりながら、最初にバーンと、淘汰の基本単位は種でも個体でもなく、遺伝子なのだ、という説を打ち出している。これはこれで、なかなかすごい。
だから、『浮気人類進化論』だって、まあ普通だったら、フランスの小説の浮気の話なんかを最初にもってきて、昔、なんとか男爵──という具合に始めたら、これは全然面白くないんでね。チンパンジーの知能の話から始まっているから、面白いんだよ。
■浮気人類進化論の誕生[#「浮気人類進化論の誕生」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 話は戻りますけど、『浮気人類進化論』の原稿をだいたい書き上げたところで、本を出すにはどうすりゃいいかなと思って、教科書会社に勤めている私の友達に聞いてみたら、彼女が晶文社の編集者を紹介してくれたんです。それで晶文社の人が、どういう本ですかって聞くから、いや、今書いてるんだけど、内容はあまりにセンセーショナルなので秘密です、と……。
日高[#「日高」はゴシック体] あっはっはっはっは。
竹内[#「竹内」はゴシック体] で、一応、前に書いた本が一冊ありますからこれを読んでくださいって、『ワニはいかにして愛を語り合うか』を送ったんです。そしたら、晶文社の会議ですんなり通っちゃって……。
日高[#「日高」はゴシック体] それから、僕も一緒にカイちゃんと会ったんでしょ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] え? ああ、津野海太郎さん。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は、晶文社の津野海太郎って人を前から知っているんだよ。彼の妹が津野泉っていうんだけれど、その子と東京の吉祥寺でよく飲んでたんだ。あだ名がウンコちゃんっていうの。兄さんが晶文社にいるというんで、京都の飲み屋で紹介されたんだ。津野海太郎って、ほんとに海坊主みたいな顔してるよね(笑)。あのときは山の上ホテルで会ったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうだ、灰谷健次郎さんがいらしたんですよ。私と先生と津野さんと担当の人がいたら、灰谷さんがこっちへやって来て、先生に挨拶したりして、私が今度晶文社から本を出すことになったという話をしたら、灰谷さんが「ほう、このお嬢ちゃんが本を出すの」って(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] あ、そういうこと言ってたなあ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あのときはまだ「お嬢ちゃん」だったんですよ。あれは、担当編集者がすごく忙しい人で、原稿はもう渡してあったんだけど、本がいつ出るか見当がつかなかったので、私が困ってしまって、それで先生が、ちょっと会ってプッシュしようか、と言ってくださって。
日高[#「日高」はゴシック体] それでカイちゃんに話をしたんだ。タイトルもそのとき決まったんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] タイトルはですね、大学で先生が、キイワードは何かとおっしゃったんで、キイワードは「浮気」だ、と。浮気こそ人間を人間たらしめた原動力であり、浮気によって人間はこのように進化してきたという話です、と言ったんです。じゃあ「進化論」という言葉も入れようということになって、最初は『浮気人間進化論』にしようかと言っていたんですよ。
でも、そうすると浮気をする人間がどう進化したか、という話になってしまう。浮気をしない人は進化しないのか、ということになりますから、これではおかしい。浮気によって人類全体が進化したんだから。とまあ、「人類進化論教室」というのが動物学教室の隣の建物にあるから「人類進化論」という言葉がいいだろう、『浮気・人類進化論』とか案があって、結局、『浮気人類進化論』にしようと、先生と私のあいだではそうなったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 晶文社から来たタイトルは『浮気をするサル』だったんだよね。こんなのは古いからダメだと言ったんだ。『浮気をするから人間になった』というタイトル案もあったね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 出版社のほうでは最初『浮気をするサル』と『浮気人類進化論』の違いがよくわかんなかったみたいで、あんまり乗り気じゃなかったんですよ。それで先生が『浮気をするサル』じゃだめなんだ、『浮気人類進化論』なんだって、何度も電話で連呼したんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] だってその頃は、「サル」の本が巷に氾濫しててさ。モリスの『裸のサル』(河出書房新社、角川文庫)はまだいいとしても、その後『堕ちたサル』だの『パンツをはいたサル』だの『パンツを捨てるサル』だの、やたらと出ていたんだよ。だからもう「サル」はよそうという話になったんだ。
だけど、一人で本を書いてたことや自分で出版社を探したなんてことは、全然知らなかった。一人でずっとやってたなんて、すごいと思うよ。『浮気人類進化論』は、原稿も読んでないよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 最後の校正刷りの段階でちょっと読んでいただいたじゃないですか。たしか最初のほうだけだったと思うんですが(笑)。今でも覚えていますけど、教室に入っていったら、先生は開口一番に「非常に面白い、非常に読みやすい」とおっしゃった。
あの頃は、自分で言うのも何ですが、我ながらよくやっていたと思います。先のアテもない本を、お金もないのに……。でも、『浮気人類進化論』を書いていた頃って、何か見えざる力に衝き動かされて、あるところへどんどん向かっていったような不思議な感じがありましたね。今にして思えば、あれは単なるポジティヴ・シンキングだったんでしょうけれど。でも、そういうふうに感じられたんですよね……。不思議な不思議な数年間でした。
■大反響のおかげで体調をくずす[#「大反響のおかげで体調をくずす」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 『浮気人類進化論』は、出てすぐに話題になったよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんです。出る前から私は、この本を出したらどういう反響があるかなとか、動物行動学の学界人はきっとこんなことを言うだろうなとか、シミュレーションしていたんですよ。でも、現実は予想以上で……。
取材は、ほんと殺到という感じでした。もともと人前に出るのは苦手だったんですけど、でも新人だから断ったりしたら生意気だと思われるかなとか考えて、いやいや引き受けていたんです。そのうちに新聞に自分の写真が掲載されているのを見て、ぐらぐらっと眩暈《めまい》がするようになったんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] へえ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] それに熱が出たり、扁桃腺が腫れたりして、眠れなくなっちゃって……。
日高[#「日高」はゴシック体] 『浮気人類進化論』の反響のせいで?
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。それまでに心の中でいろいろ葛藤があったりとか、疲れていたんですけどね。
だってね、本の取材で、たとえば五十代の男の人が来るんですけど、私に対して敬語を使うんですよ。そりゃ取材する側だから、仕方ないとはわかってます。この人はこういう立場でこう言っているだけなんだ、と。だけど心の深層では、納得していないんですよ。そんな年長の人が私に敬語を使う状況は、私にとってひどく居心地が悪いんです。それで、物理的に高い場所にのぼったときのような、眩暈や吐き気、ふるえとかいう症状が出たんです。
日高[#「日高」はゴシック体] それは、批判されたりけなされたりしたから、じゃなくて……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 違うんです。そんなに私は偉い人じゃないのに……(笑)という。
こんなのは一ヵ月も休んでいれば治るだろうとタカをくくってたんですが、全然治らなくて。仕事はできないし、ほとんど身体が動かないんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そんな状態でよく次の本が書けたね。その次は『男と女の進化論』(新潮文庫)だったよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。まだ『浮気人類進化論』を書いている最中に、「小説新潮」の若い編集者から八、九枚のコラムを書いてほしいという話があったんです。その人は『ワニはいかにして愛を語り合うか』を読んで私に目をつけてくださったんですよ。で、そのコラムの仕事は何とか仕上げたんですが、その後で「ちょっとお話ししたいんですが」と言う。「え、何ですか」「仕事の話です」「あ、仕事ですか、はい、でも、今本を書いてますから」って冷たく電話を切っちゃったんです。
そのうちに『浮気人類進化論』を書きおえて、そういえば何か仕事の話をしたいと言ってたなと思って、「何ですか、仕事の話って」と電話したら、「連載です」って言われたんです。それもくらくらってきたんですけど(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] あの連載も大変だったみたいだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 『男と女の進化論』は連載で一話読み切りだし、小説雑誌に掲載されたから、なるべく人々の日々の疑問に答えるような内容にしました。女のシワはなぜできるとか女はなぜ背の高い男が好きかとか。今考えるともっと別の見方ができるかな、という内容もありますけどね。とにかくあの頃は健康状態が非常に悪かったから、一つの仕事をこなすので精一杯でした。でも、今にして思うと、私の心身が健康で、取材や連載の仕事をどんどん引き受けていたら、それ以降の仕事が思うようにできなかったと思います。今は単行本の書き下ろしの仕事以外は何もしないことにしているんです。心配性なので、締切りがあると私、だめなんですよね。だから、連載も、インタヴューも、新聞や雑誌の単発の原稿も、すべてお断りしてるんです(註・その後大分健康が回復したのでインタヴュー程度は受けることにしている)。唯一の例外は、先生とのこの対談ぐらい。
日高[#「日高」はゴシック体] 書き下ろしが書けるんだから、偉いと思うよ。僕はもう、とてもじゃないけど……。
■発想と飛躍について[#「発想と飛躍について」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私はだいたい日常の激しい怒りとか、なぜだろうかと不思議に思ったことが出発点になって、勉強を始めたりすることが多いんです。勉強していると、必ずいろんなことを空想するんです。それを単なる空想で終わらせないように、また関連分野を勉強する。他の人から見ると何の関連もないような事柄が、私の中ではつながっていくことも多いんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 科学のことを、データに基づいてどうこうするって言う人がいるけど、これはとんでもない話であって、本当はデータってのは思いつきに基づいて取るものだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよね、順序が逆ですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 逆なんだよ。あるデータがあって、そこからこういうことが言えるんじゃないかっていう人は、相当に頭が悪い人です。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 少なくとも、科学者になる人じゃない。そのへんに、科学に対する誤解があるんじゃないかしらね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 空想や思いつきがなければ、飛躍もないですものね。
日高[#「日高」はゴシック体] その飛躍というのに、僕は前から興味をもっているんです。ずっと考えているんだけど、未だによくわからない。
飛躍に対するもっとも怠慢な説明は、量から質への転換という唯物論的説明ね。量が溜まっていくと、質的に飛躍するっていうわけ。今までと同じ延長線上で飛ぶのならありうるかもしれないけど、まったく違う方向に飛ぶということはありえないと思うのね。一度、哲学の先生にも、思考・思弁の飛躍について哲学ではどう説明できるのか尋ねてみたら、全然わかりません、と言っていた。
見る前に跳べ、とよく言うでしょう。だけど見る前に跳ぶと言うときは、だいたい前に向かって跳ぶんじゃないかと思うんだよね。横へ跳ぶのは非常にむずかしいと思う。実際には、進んできたのと同じ方向ではなくて違う方向に向かって跳ぶときに、本当の意味での飛躍になるように思うんだ。それがどういう構造になっているのか、まだよくわからないんだなあ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 西洋では、頭の中でパチンと音がした、なんて言い方をすることもありますよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 前にスクリューの話をしたことがあったっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] お聞きしたかもしれません。
日高[#「日高」はゴシック体] 船のスクリューの専門家がいたとします。その人は、スクリューの回転と水の摩擦の関係なんかを研究して、だんだんと改良してすごくいいスクリューができるかもしれない。じゃ、彼はスクリューをまったく使わないホバークラフトを発想できるだろうか、という問題なんだよ。全然次元の違う話でしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] パラダイムの転換ですね。
日高[#「日高」はゴシック体] でも、ホバークラフトを思いついた瞬間に、スクリューは活きるんだ。プロペラとしてね。水中で使うんではなくて、空中で使うという次元に話が飛躍するわけ。
きみだってさ、以前からこういうことを研究してきて、次はこれだというふうに、一本の筋の上で考えることはある?
竹内[#「竹内」はゴシック体] いえ、そうじゃないですね。
日高[#「日高」はゴシック体] だろう。たとえばきみは血液型の本(『小さな悪魔の背中の窪み』新潮文庫)を書いたでしょう。あれは、なんで血液型の話を書こうと思ったの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 別に何も考えてないです(笑)。免疫について勉強したいと思っただけで。血液型というのは本当は免疫の問題です。たとえばABO式血液型だったら、細胞の表面にある糖鎖のタイプの違いで、その違いによって病原体に対する抵抗力の差があるんです。O型は梅毒には強いけれど、コレラに弱い。逆にAB型は梅毒に弱く、コレラに強いとか。血液型と性格との間に相関があるという俗説があるけれども、それは病原体対策としてそれぞれの血液型に関連した性格が人に備わっていると考えれば、あながち俗説として葬ることはできないんじゃないかと考えたんです。
日高[#「日高」はゴシック体] その前はなんだったっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 賭博と国家(『賭博と国家と男と女』文春文庫)です。国家の起源を私流に考えました。賭博のように次に起こる現象をあらかじめ予想し賭けをし、当たった当たらないなどと喜んだりするのは人間だけです。そういう営みのなかから神という概念が生まれたり、賭博の胴元が国家を作るに至ったのではないかと考えるわけです。
日高[#「日高」はゴシック体] 賭博と血液型なんて、全然関係ない。その前が『浮気人類進化論』と『男と女の進化論』と『そんなバカな!』(文春文庫)。『そんなバカな!』は大変評判になったから、いろんな人たちがよく知っている。ダーウィンからドーキンスに至る進化論、生物学の流れを解説して、おまけになぜ酒や暴力で家庭をこわしちゃう男がいるのかや小児ゼンソクは親を操作する手段じゃないかとか、はては人間はなぜ神などというものを信じるのかまで説明しているよね。で、その次は?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 『パラサイト日本人論』(文春文庫)。ウイルスによる淘汰と日本人の起源をからめた話です。
日高[#「日高」はゴシック体] 猫の尻尾が曲がってるとか曲がってないとか、ツバメの浮気とか、京都の男は恐妻家だとかそんな話でしょう。これもまた血液型とは何の関係もないよね。
だから、あるものの延長線上にあるというのではなくて、どこかに飛躍するところがあるんだよ。大きな飛躍にせよ、小さな飛躍にせよね。でないと、延々と前のもののエピゴーネンを作りつづけることになる。それはまったく科学的ではないし、創造的態度とも言えんのです。
■日高研は混沌として……[#「日高研は混沌として……」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生とこうやって話をしたりして日高研で学んだことが、基礎になっているんだと思います。
日高[#「日高」はゴシック体] 学んだかいな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 学びましたよ。でも日高研の根本思想って何でしょうね。
日高[#「日高」はゴシック体] 混沌、じゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あ、混沌ねえ。そうですよね。その中から自分で見つけるんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 他の研究室だと、何か一つのテーマをやるとなったら、研究室一丸となってわーっとそれにかかるだろ。ノーベル賞をとるには、そうじゃないといけないんだよね。ところがこっちは、何でもいいから勝手なことせいということになっているんで、結局、ヘビをやってる人がいる、魚をやってる人がいる、ネズミがいて、昆虫があっちこっちにいてと、いろんな人がいる。そのほうが便利なことは便利だね。聞こうと思ったら、いつでも聞ける。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それなんですよ。初めて本を書いたときも、これは誰に聞けばいいという当てがありましたからね。
日高[#「日高」はゴシック体] そういうところが、日本には欠けていますね。イギリスにはあるんだな。とにかく誰か、その分野の専門家がいる。そしてお互いに意見を交換したり、助言しあったりしている。それが研究にもいい効果をもたらす。イギリスの強いところはそこですね。まあ、そこまではいかなくとも、なんとかそういう自由な雰囲気を出したかった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ドーキンスの書いたものを読むと、メイナード=スミスやデズモンド・モリス、ロバート・トリヴァースなんかに聞いたり、ある章を読んでもらったりしてますよね。うらやましい、と思ってました。
みんなが同じことをやってちゃ、何の変化もないですものね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだったら、そこまでだろうね。他のことは何もわかんない。大学はそれじゃいけないんじゃないか、と僕は思ってるんだ。
ただ、日高研式にやっていると、大学の助手に応募するときなんか非常に困るんだよ。分子生物学の人が欲しいとなったら、分子生物学研究で有名な何とか先生の研究室から採用すればいいってふうになるけど、日高研みたいに、あれもこれもありでいろんな人材がいると、逆にちっとも学生が売れない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はあ、レッテルが貼れないんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、それが困っちゃう。だから皆さん、いっぱい残ってねえ。でも、そのおかげで、久美子みたいな異才も生まれたわけだし。
■大学院の入試は飲み屋で行なうべし[#「大学院の入試は飲み屋で行なうべし」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 大学院の入試も、普通はちゃんと日を決めてきちっと試験をやるんですよ。だけど僕は、そんなの必要ないって、前から言ってるわけ。大学院の入試なんて、結婚するより大変なことなんだよ(笑)。結婚しても、嫌なら一ヵ月で別れたらいい。でも、大学院に入っちゃったら、五年間は在籍するわけです。こっちから、お前はもうやめろ、なんて言えない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははは。
日高[#「日高」はゴシック体] だから、そんなペーパー・テストひとつでやるなんてとんでもない。少なくとも二回は、夕方から夜十一時ぐらいまで飲んで、喋ってるうちに、お互いウマが合うかどうか、だいたいわかるだろうと思うんだ。僕は二十年間もそういう試験をやろうって主張してるんだけど、ついに誰からも賛成を得られなかったね(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] さすがに京大でも……。
日高[#「日高」はゴシック体] 残念なことに、その飲み代は? とか、予算の問題が……(笑)。
でも、日高研が異彩を放って、面白い人材を出しているとすれば、僕もまあ少しは救われた気にもなるけどね。同じような科学者ばっかりじゃつまんないでしょう。
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第五章[#「第五章」はゴシック体] かくも素敵な奇人たち
■ドーキンスは癖の塊[#「ドーキンスは癖の塊」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、ドーキンスって、けっこう癖のある人なんでしょう?
日高[#「日高」はゴシック体] あるねえ、癖の塊みたい。それはすごいですよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 前に先生は、ドーキンスという人は、ものすごく頭がいい一方で、言い方は悪いけれど、ものすごく意地の悪い人だって、おっしゃってましたけど。
日高[#「日高」はゴシック体] あれはドイツのビーレフェルトだったかな、紹介されて会って、あなたの本を翻訳してるという話をしたんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)のときですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。一九七七年にIEC(国際動物行動学会)がビーレフェルトであって、そのときだったと思う。『利己的な遺伝子』の原本はいつ出たんだっけ?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 一九七六年です。でも書きはじめたのはもっとずっと前で、何でもイギリスの歴史に残るような炭鉱ストがあって一日に何時間も停電したために、実験ができなくなって暇だったので書きはじめたというふうに彼は書いてますよ。その間にトリヴァースやハミルトンが立て続けにいい論文を発表したでしょう。それで『利己的な遺伝子』が完成したんじゃないか、と私は思ったんです。
日高[#「日高」はゴシック体] 変わった人だっていうことは、オックスフォードのアリン・アンダーソンからも聞いてたんだ。オックスフォードでプロフェッサーをしてたティンバーゲンが七三年にノーベル賞をもらって、七四年にはリタイヤしたでしょう。頂上の人が辞めたのに、そのあとのプロフェッサーは置かずに、ドーキンスと奥さんのメリアン・ドーキンスとデイヴィッド・マクファーランドという若手三人の集団指導にするという話だったの。集団指導なんて昔のソ連みたいな変な話だなあ、と思ってた。
そしてビーレフェルトに行ったとき、船の上で彼に会って、本のことをいろいろ聞いたんだけど、ついでに名前の表記についてもドーキンズかドーキンスか、どっちが正しいのかと聞いたんだ。そしたら、それはむずかしい問題だとか言いながら、自分ではドーキンスと言っていると彼が言うんで、日本語版もドーキンスにしたの。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、そうだったんですか。私もそれ、不思議だったんですよ。ズじゃないかなとも思って。先生がスにしてるんで、私もスにしたんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] そのとき、奥さんのメリアンもそばにいたんだけど、僕が近寄って行ったら、奥さんはパッと飛びのいちゃってさ(笑)。変な人だなあと思った。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どういうことなんでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] わからない。で、その何年か後にIECがオックスフォードであったとき、また彼に会ったんだけどさ。ドーキンスが、こうやって眉間に手を当ててものを考えながら、黙って廊下を歩いてるわけ。誰かが呼んでも知らん顔して歩いてる。そばに人が来ると、気配を察してスーッと脇に寄って、廊下の壁に寄っ掛かってますますウーンと額のあたりに手をやって考え込む。これじゃ来た人もちょっと話しかけられないよね。すごい人だなあと思った(笑)。びっくりしたな、あのときは。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 自意識過剰なのかな。それとも芝居っけのある人なんでしょうかね。
日高[#「日高」はゴシック体] 芝居っけはあるね。とにかく変わった人だよ。最近は雲の上に上がってしまって、なかなか下りて来ないとも聞いているけれど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] オックスフォードで教授になったんですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、プロフェッサーになったんだ。科学の啓蒙のためとかいう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 新しくできたポストなんでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] 巻末リストにあるように、彼の新しい本の邦訳も出ているよ。
■イギリス人の現実主義[#「イギリス人の現実主義」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] イギリスという国は、いろんな個性的な人がいるけど、実に見事にプラグマティックに対応していくでしょう。
よくイギリス人は、ある集団に一人でも女が入ったらその集団は壊滅する、なんて言うんだ。パーキンソンの法則で有名なパーキンソンは、著作にもそのことを書いてる。伝統あるケンブリッジ大学の歴史学の教授に今度、女がなることになった。これによってケンブリッジ大学の歴史学は壊滅した(笑)。そんなことを平気で書く一方でちゃんと女の教授は置くんだよ。それにヨーロッパで初めて女が首相になったのも、たぶんイギリスでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 女はだめだ、だめだとか言うといて、現実には平気で女を抜擢《ばつてき》したりもする。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どうしてそうなるんでしょうね。
日高[#「日高」はゴシック体] すごい現実主義《プラグマテイズム》なんだと思うよ。日本だったら、逆に女を置かなきゃいけないというんで、無理やり置いたりするでしょう。そういうことは、イギリス人は絶対しないと思う。能力やキャリアを考えて、「非常に残念だが」とか何とか言いながら、やっぱり女を選ぶんですよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうすると、ドーキンスは非常に癖のある、芳《かんば》しからぬ人物ではあるけれど、イギリス流の現実主義的な対応によって、実力を認められて教授になった、ということなんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうじゃないかな。科学の啓蒙の教授にしたのは、どうもそういう気がするね。動物学の教授にするのは具合が悪いけど、教授にはしなきゃいけないんじゃないかというので、新たにポストを作ったんでしょう。
もともとイギリスの大学には、各教室にプロフェッサーが一人しかいなかったんだよね。京大だと小さな動物学教室に六講座あって、教授が六人もいた。ところがでっかいケンブリッジ大学やオックスフォード大学の動物学教室──ほとんど学部に匹敵する大きなものだけど──に、プロフェッサーは一人しかいなかった。あとはレクチャラーとかリーダーばっかりでさ。リーダー(Reader)なんてどう訳していいかわからない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうです。偉い人のはずなのに、なんでこんな地位なのかなって不思議に思ったことがありました。
日高[#「日高」はゴシック体] 日本で講師といったら、まだ駆け出しだからね。だけどイギリスでは、レクチャラーといえば、相当偉いよ。ティンバーゲンもオックスフォードでレクチャラーだったんだけど、プロフェッサーになったときに面白いことがあってね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へえ、何ですか。
日高[#「日高」はゴシック体] もう大分前、友人の丸山工作さんに聞いた話なんだけど、イギリスである大学の動物学のプロフェッサーがリタイヤして空席になると、後任を決めるのはその大学じゃないんだよ。日本だと民主的に、教授会とか助教授、場合によっては大学院生まで入って決めるじゃない。イギリスではそんなアホなことはしない。教授は一人しかいないんだから、それ以外の教授になれなかった人たち──つまり優秀じゃない人たち──に、誰がプロフェッサーに適任かがわかるはずがない、という論法なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、烏合《うごう》の衆だから。
日高[#「日高」はゴシック体] それで、他の大学の動物学教室の教授が集まって決めるんだって。で、かなり前になるけど、ケンブリッジ大学のウィッグルズワースというプロフェッサーがリタイヤした。──リタイヤしても九十一歳で死ぬまでずっと研究室はもってて、研究は続けていたそうだけど。まあ、とにかく後任の人事について、他の大学の教授たちが集まって協議したんだ。まずイギリス国内から探す、これは原則なんだって。それで適任者が見つからないときは、ヨーロッパから探す。それでも然るべき人がいなかったら、仕方がないからアメリカから探す。日本から探そうなんて全然思わない(笑)。結局、イギリスにはいなかったらしくて、デンマークのコペンハーゲン大学の教授をしていたヴァイス=フォウという、昆虫の飛翔の力学を研究していた人に決まったんだ。
そうしたら、ケンブリッジにはジョン・プリングルという昆虫の飛翔を専門にしてる人がいて、そこへ同じテーマをやってる、しかもデンマーク人を教授に持ってくることになったので、具合が悪い。そこでプリングルは、プロフェッサーとしてオックスフォードに移そう、ということになったんだそうだ。そうしたらプリングルはイギリスの大学でプロフェッサーが一人しかいないのは不合理である、と言いだした。イタリアの大学では、助手までプロフェッサーなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へえー、そうなんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうすると、国際的な会議なんかに出たときに不利だ、一つの教室に一人だけしかプロフェッサーがいないという制度は廃止して、複数のプロフェッサーを置くべきだ、と主張した。その条件を認めるならば、自分は移る、さもなくばこの人事に反対である、とね。プリングルはまだ教授じゃないんだけど、当事者としてそう言ったらしいんだ。
そしたら、そこがまたプラグマティックなんだね、他のプロフェッサーたちは、たしかにその通りだと認めた。それでオックスフォードには三人プロフェッサーを置こうということになった。オックスフォードではプリングルとE・B・フォードという遺伝学をやってる人とティンバーゲンの三人がプロフェッサーになったんだ。それ以来イギリスの大学はあちこちに複数のプロフェッサーが置かれるようになった。これを「プリングル革命」と呼んでいるんです。
しばらくティンバーゲンがノーベル賞を受賞したでしょう。そのときティンバーゲンがまだレクチャラーだったら、そしてプロフェッサーの人がまだノーベル賞をもらってなかったら、これは変なもんだよね。だから、結果的にはよかったわけだ。ちゃんと、プロフェッサー・ティンバーゲンがノーベル賞を受賞したんで。
竹内[#「竹内」はゴシック体] プラグマティックな判断が活きたんですね。
■女嫌いのプロフェッサー[#「女嫌いのプロフェッサー」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] もう一人の教授になったE・B・フォードという人は遺伝学の有名な人なんだけど、これがまた変わった人でね。ものすごい自信家らしいんだ。プロフェッサーになる前の話だけど、彼が野外実習で夜道を歩いていたんだって。学生がそれを見てたんだね。歌を歌いながら歩いているんで、学生が耳をすまして聞いていたら、何かの替え歌らしい。歌詞は「私は世の光、世の中を照らす」という……(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すごい自信。
日高[#「日高」はゴシック体] そういう人らしい。で、この人が女嫌いだった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へえー、というと同性愛者なんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] という噂もあるけどね。えらいつんつるてんの短いズボンをはいて、まん丸いメガネをかけてて、あまり格好いい人じゃないんだって。でもイギリス紳士だから、いつもこうもり傘をもってるわけね。学校の中でも。で、女の人がそばを通ると、ヒュッと傘で突っつく。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 何か恨みでもあるんでしょうかね(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] また、あるとき、夏休み前かなんかで、教室にたまたま女の学生しかいなかった。フォード教授はじーっと全員の顔を見回して……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どうしましたか?
日高[#「日高」はゴシック体] それにはオチが二つあってね。一つは、先生、まったく何も目に入らないような顔をして、「今日は学生が一人も来とらんな、それじゃわしも帰って本でも読もうか」と帰っちゃった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははははは。
日高[#「日高」はゴシック体] すごいだろう。別の人から聞いた話では、ちょっと違うんだ。普通、講義は「レディーズ・アンド・ジェントルメン」と言って始めるんだけど、フォード先生は「レディーズ」と言いたくないもんだから、いつも「ジェントルメン」と言って講義を始めるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いつもそうなんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そうなんだって。で、そのときは、「講義を始める言葉が見つからない」と言って帰っちゃった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やっぱり帰っちゃったんですね(笑)。でも、女子学生から何か文句は出ないんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] 日本だったら早速何か言いだすでしょう。アメリカだってそうだと思う。でも、聞いてみたけど、オックスフォードじゃそういうふうにはならないみたいだね。カッカカッカしてセクハラだと騒ぎだすのはアメリカ人で、イギリス人はもう少し大人だから一つのジョークとして受け取っているそうです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 女性のほうも大人だから。
日高[#「日高」はゴシック体] 仕返しをするとしたら、それ式のジョークを含めた形でお返しをするわけ。けっこうレヴェルの高いところでやりあってるんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 芸のないことはやらないんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 日本の学者には、そういう人はいないよねえ。ドーキンスにしてもフォードにしても、変わり者だけど学問的にはすごい学者で、逆に言うと、だからこそとんでもないことを考えつくのかもしれない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、そういう人をただ潰すと長い目で見て損失になるから、活かすようにする。こいつはそのうち何かやるんじゃないか……。
日高[#「日高」はゴシック体] ドーキンスもそうだけど、ジョン・クレブスも若くしてプロフェッサーになったじゃない? 彼は「行動生態学」という概念を提唱して、それが世界中に広まったでしょう。その学問分野はイギリスで始まったことになる。本も売れたから、イギリスは儲かったわけだよね。やっぱりその功績を考えるんだよ。ドーキンスだって、セルフィッシュ・ジーンという概念は世界中を席巻《せつけん》してるでしょう。この概念は、つまりイギリスの学問・文化が作り出した概念ということにもなるんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 認知されたわけですね。そういえば、最近イギリスに行った人から聞いたんですが、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーという肖像画を集めた由緒ある美術館に、ドーキンスの写真が飾ってあったそうです。
日高[#「日高」はゴシック体] イギリス文化は、国全体で守り作り上げているんだよ。そして世界中に影響を及ぼしている。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 懐が深いですよね。
■生物はジュークボックスのようなもの[#「生物はジュークボックスのようなもの」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 生物学の重要なところは、ほとんどイギリスが中心になってるでしょう。ハミルトンもイギリス人だよね。彼は今ケンブリッジじゃない?
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですか。ハミルトンの研究ってすごいですよね。血縁淘汰説、パラサイト仮説に「赤の女王仮説」を応用した性の分化の理論……。どんなにすごい研究をしてても、生物学のこの分野の人がノーベル賞をもらえないのは、進化論が仮説だからですか?
日高[#「日高」はゴシック体] そうでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] もしノーベル賞が進化論を受け入れるとしたら、ハミルトンは真っ先に受賞すべき人ですよね。二つか三つもらってもいいくらい。
日高[#「日高」はゴシック体] だから京都賞は、ハミルトンにあげたんです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、そうでしたね。
日高[#「日高」はゴシック体] 京都賞の前にも、ハミルトンとは京都で飲みに行ったことがあってさ。カラオケ・バーに行ったんだ。みんなカラオケで一生懸命歌ったんだけど、そのときハミルトンは歌う代わりに、非常に格調高い詩の朗読をした。thy とか thou とか、古い言葉が入ってたね。皆さん感心して聴いていたけど……。まあ、非常に真面目な紳士であり、やっぱりちょっと変わった人なんでしょうね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 変わった人かもしれませんけど、常に学問の王道を歩んでる人ですよね。私なんか、自分のレヴェルがあまりにも低いからなんだけど、ハミルトンの論文を読んでも最初はピンとこないんですよ。でも、いろいろ勉強していくと、実に正鵠《せいこく》を射ているということがわかるんです。
日高[#「日高」はゴシック体] いずれにせよ、変なことを発想するんだよね。それはどういうバックグラウンドから出てくるのかわからないけど、日本の学者に足りないのは、どうもそういうとこなんだと思う。
サー・ピーター・メダワーって生物学者がいるでしょう。彼もイギリス人だけど、ずっと前にこんなことを言っている。「生物はピアノよりは、はるかにジュークボックスに似たものである」。もう三十年以上前の話で、まだジュークボックスなんて出てきたばっかりの頃でしょう。きっといかがわしいバーとか飲み屋にしか置いてなかったと思うんだ。でもちゃんと知ってるんだ。そしてそれを見ていて、ああこれはピアノよりははるかに生物だ、と言うなんてすごいと思うな、僕は。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 譬《たと》えが奇抜ですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] ピアノは、そこに鍵盤が並んでいて、それを叩けばどんな曲でも弾ける。ところがジュークボックスというのはレコードが入っているわけで、入っていないレコードをかけることはできない。またレコードは今ここで生演奏しているわけじゃなくて、どこかで演奏されたものが録音されているんだよ。それが然るべきサインでもって出てきてかかる。結局、生物もどこか進化の途上であるプログラムができあがってしまってて、何かのシグナルでもって出てきてメロディを奏でるんです。どっちも鳴るわけだけどね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ピアノは何でも自由に弾けるけど……。
日高[#「日高」はゴシック体] そういう部分もあるんだよ。学習したりとかね。しかし基本はジュークボックスみたいに、ちゃんとできてるものがかかる。そういう物事の本質をピシッと把握してしまう人がいるんだよ。
メダワーという人はすごい人でね。ホルモンの進化について議論してた時期があって、日本やアメリカの学者は魚のホルモンより哺乳類のホルモンのほうが物質的にはるかに複雑だと考えていた。ところが実際は、物質的には同じものが、各々の動物で異なった働きをしてるんだよ。その働きが進化していくわけ。そのときメダワーはこう言ってる。「われわれはホルモンの進化について議論しているけれども、進化したのはホルモンではなくてその使い途《みち》である」。メダワーはホルモンが専門じゃない、免疫学者なんだよ。いやあ、卓見だと思う。
イギリス人がみんな頭がいいというわけではないけど、そういうすごい人の多くがイギリス人で日本人にはほとんどいないとなると、僕みたいに大学にいて教育みたいなことに携わっていると、気になってしょうがない。どうしてなんだろうってね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] イギリス人のジョークのセンスとも関係するでしょうね。ジョークやユーモアって自分の頭の中身や思考回路や飛躍のしかたなんかを開陳するようなところがありますからね。もちろん相手の反応によってその人の頭の中身もわかってしまう。恐いですよね、ジョークって。
■講義は口笛で鳥の鳴き真似[#「講義は口笛で鳥の鳴き真似」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] でも先生、行動学だったらアメリカもけっこう面白い人がいるでしょう。トリヴァースとかソーンヒルとか。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、けっこう太刀打ちできてるね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] トリヴァースを生で見たのは、一九九三年だったかな、京大の動物学教室に来たでしょう。彼はこのところパナマあたりでトカゲの研究をしてるんですよね。あのとき上下真っ黒のジーンズで現れたんだけれど、そのジーンズの服に赤や黄色や緑色のトカゲの刺繍がしてあって……。全身トカゲのその格好で現れたんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] たしか教室で講演してもらったんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いっぱいでしたよ、教室が。
日高[#「日高」はゴシック体] ドーキンスにも来てもらって、話をしてもらったっけ。動物行動学のそういう錚々《そうそう》たる人たちには、ほとんど来てもらったんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、私も一通りご尊顔を拝しました。
日高[#「日高」はゴシック体] トリヴァースは相当変わった人でね、有名なんだけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 何でも鬱病だという噂も聞いたんですけど。
日高[#「日高」はゴシック体] 一時、麻薬をやってたそうだ。教室に来て講義するのに、ドラッグでふらふらになって来たという人だからね。奥さんは黒人なんだけど別れちゃったんだ。それで、二人ともどこか消えちゃった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 何か精神的に破綻しちゃったんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] 当時、大学院生だった新妻昭夫君が、トリヴァースの講義を聞いてるんだ。ふらふらになってやって来て、一時間ずーっと口笛で鳥の鳴き声を真似してたって。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 麻薬でラリッてたからでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] たぶんね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そういうのは先生、変わってるって言いませんよ。
日高[#「日高」はゴシック体] だけど、麻薬をやって講義に来るというのは変わってるよ。アメリカはそういうところはうるさいから。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それで、何も言われなかったんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] 言われたんだろうけど、クビにはできなかった。でも急にいなくなったもんだから、大学も困っちゃったみたいだね。アメリカの大学で、授業をしないというのは最大の問題だからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] で、また復職したんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] 戻ってきたんだ。それで日本に呼ぶときも、講演で縄跳びをすると言うんで、招聘《しようへい》先の人が目を白黒させたらしい(笑)。実際にはわりとまともにやったらしいけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 京大動物学教室での話だって、すごくまともでしたよ。
日高[#「日高」はゴシック体] それは論文見たって、素晴らしい。麻薬がどうのなんてもんじゃないよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] トリヴァースの研究でいちばん有名なのは、親子のあいだの争いですね。たとえばいっしょにかえった鳥のヒナなんかを想定します。親から子供を見ると血縁度はみな二分の一だから平等に餌を与えたいんだけど、子供は自分以外のキョウダイよりもとにかく自分にたくさん欲しい。ひいきしてほしい。それで葛藤が生じるという理論。
日高[#「日高」はゴシック体] いつまで子供に餌をやるか、という話も彼だよね。あんまり子供にかまけていると、次の子供が作れなくなるから親は損である。子供は子供で、できるだけ長く面倒をみてもらったほうが得なので、一種の争いが起きる。ドーキンスの言う世代間の争いは、まさにトリヴァースだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 日本では、今でも僕が頼まれるテーマは、動物の子育てで、親がいかに子供を可愛がって種を維持するかとかそんな話ばかりでね。うーん、それは困るんですが、としか言いようがない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 人間はそういうふうに幻想を持ちたがるものですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 親は子供のために自己犠牲的に振る舞うという話は、欧米にだってある話だからね。そこで、実際はそういう親子の争いが理論的にはあるはずだ、と言うのは大変なことだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 罪の意識の進化というのもトリヴァースでしょう。なにか悪いことをすると、罪悪感を感じて自分を責めたり、償いをしたりする。なぜそんな心理が──平気でいられれば体にもいいのにねえ──進化したかというと、平気な顔をしているより、しおらしくしてたほうが他人からは反省してるように見られるし、またそれ以上同じようなことをやっちゃわない。それに償いによって他人との関係が修復するから、けっきょくは得だという考えかたでしたよね。
日高[#「日高」はゴシック体] それは言われてみると、きわめて当たり前の話なんだよ。だけど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 欧米でそんなことを考える人は、まずいない。
日高[#「日高」はゴシック体] 懺悔をして、神の許しを請うて、やっと気持ちが落ち着く、そういう構図でしょう。彼の考え方は、ある意味では神をも恐れぬものですよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それで病気になっちゃったのかなあ(笑)。
■身を以て人間の研究をするソーンヒル[#「身を以て人間の研究をするソーンヒル」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] ソーンヒルという人も、私、もっとも感動した科学者ですね。私は伝聞でしか聞いてないけど、まさに実践の科学者。
日高[#「日高」はゴシック体] ……(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あの人は大学院生の頃からヒットを飛ばしつづけていますよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 例のフィーメイル・チョイス、メスがオスを選ぶというあれね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 最初はガガンボモドキやシリアゲムシのような昆虫だけだったんだけど、それから発展して人間のレイプについても研究してるんですよ。これがまたすごいんです。こんなことまで言っていいんだろうかって心配になってしまう。
日高[#「日高」はゴシック体] たとえば?
竹内[#「竹内」はゴシック体] レイプ犯にどういう男が多いか、被害者の女のほうは、と年齢や社会階層について調べてあるんです。びっくりしたのは、女はレイプされたあとショックを受けるわけだけれど、相手の男の社会階層が低いほどショックの度合いが大きいというんです。なぜか。妊娠中心身にショックを受けると、流産しやすくなりますよね。望ましくない男にレイプされたときは、より大きなショックを受けることによって流産しようという戦略なんですよ。
それから、早漏はレイプに適応した戦略じゃないかとも言ってます。レイプってゆっくりやっているわけにはいかないでしょう。前の男の精子をかき出すなんて関係ないし。とまあ、こういう議論を展開してるんですが、過激すぎて相当批判されたんじゃないかなあと思うんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] そんなことはないんじゃないか。ガガンボモドキの話は、その前だよね。あれはずいぶん有名になったけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、教科書には必ず出てきますね。オスがメスに餌となる虫を贈り物として贈って、メスがそれを食べているあいだに交尾するという話。オス同士でプレゼントの虫を取り合ったりするんだけど、オスなのにメスのふりをして他のオスから虫を奪うという話はすごい。私は『浮気人類進化論』でもこの女形《おやま》戦略≠紹介したんです。
シリアゲムシの中にはレイプをする種がいますね。メスへのプレゼントを得ることのできない体の小さいオスが、強硬手段に訴えるわけです。このシリアゲムシのオスはみな、尻≠フ先にレイプの際メスを押さえつけておくためのカギ状の突起を持っている。でも興味深いことに、野外で体の大きなオスをつかまえて取り除いてやると、小さいオスはレイプをしなくなるんです。彼らもプレゼント用の虫を入手できるようになるからでしょう。ソーンヒルが人間のレイプの研究を始めたのは、このシリアゲムシの研究がきっかけになっているみたいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] それでソーンヒルは日本に来て、人間のことを詳しくやってたわけでしょう。彼自身の話によると、名古屋近辺の女子大生を次から次へと誘ったとか。レイプじゃないんだけど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] レイプじゃないですよ。だって、ソーンヒルってカッコいいですもん。ちょっと見るとアメリカの俳優みたい。ピアース・ブロスナンという、今「007」のジェームズ・ボンド役をやっている人がいますけど、この俳優さんに彼は似てます。……実践ってそういう意味なんですよね(笑)。
京都ではそれを理論づけしようとしたんですかね。聞いた話では、ソーンヒルは名古屋でいろいろ実践したところ、日本の女はある特殊な状況で発する声がサブミッシヴ(服従的)である、という結論を得たとか。アメリカだともっと違うんでしょう?
日高[#「日高」はゴシック体] さあ、試したことないから、よくわからない(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] (疑わしそうに)本当ですかあ? それで、そういうヴィデオに詳しいH君が、レンタルヴィデオ屋に毎日借りに行ったんですよね。当時、あれは真夏でしたけど、唯一クーラーが付いていた鳥の飼育部屋で、毎日何時間もAVを見てたそうですよ、H君の解説付きで。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕はそのとき、ああいうヴィデオはそういう行為をほんとにやって声を出しているかどうかわからないぞ、とH君に言ったんだ。そしたら彼は「あ、そうですね、監督が声を出せって指導しますからね」と言ってた(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ソーンヒルは大真面目にやるんですよね。私、皮肉じゃなしに感動しました。学者ってこうでなきゃいけないんだと、なんか胸がスカッとしましたよ。ゴチャゴチャ言って他人の揚げ足取りばかりするやつがいる一方で、こんなにあらゆることに興味を持って実践する。だからこそソーンヒルって、ずーっとヒットを飛ばしてるんだなあって。
■モリスの徹底的な実験[#「モリスの徹底的な実験」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] そうじゃないかなと思ったらすぐにやっちゃうってところが、向こうの人はすごいね。
デズモンド・モリスに、なぜ人間の母親が赤ん坊を抱くときに左腕で支えるか、という話があるでしょう。ほとんどの母親がそうしているようだ。じゃ、とマリア様がキリストを抱いている絵や像を調べると、これもほとんど左側だ。次に右利きの人だったら利き手を自由にしておくという意味があるかもしれないが、左利きの人も左腕で支えてる。それはたぶん、心臓の鼓動が聞こえるから赤ん坊が安心するのではないかという推理をした。そして今度はイギリスの病院で実験をしたんだよね。赤ん坊を母親から隔離しておくと、むずかって泣くわけ。ある部屋では子守歌を聴かせたけれど、あんまり効果がない。が、心拍音をスピーカーで聴かせると、おとなしくなるし体重も増える。それで、赤ん坊は母親の胎内にいるときに心臓の鼓動の刷《す》り込みを受けているから、心拍音を聞くと安心するんだということがわかったわけだ。そこまでやっちゃうというのが、僕はすごいなあという気がしたね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やっぱり何事も徹底的にやらないと。
日高[#「日高」はゴシック体] 徹底的にやるってことと、発想が面白いのね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、先生が前におっしゃったように、データから結論を出すんじゃなくて、発想がその前にあるんですね。
日高[#「日高」はゴシック体] いつも何気なく見ているものでも、ハッと気がつく場合もあるでしょう。赤ん坊を左腕で支える母親が多いということから、マリア像を調べ、次に心臓の音じゃないかという発想があって、病院で実験してみてデータ。この流れが、本を読むとよく理解できるんだよね。
それが日本だといきなり、赤ん坊には心臓の音が大事だ、こういう実験がありこういうデータがある、というふうに途中のプロセスが抜けちゃうんだ。そうすると科学の実験というものが、どういう発想のもとにどういう流れで展開していくかがわからなくなるんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほどそうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] ただ、科学者というのは、ある時期まで精力的に仕事をして、パタッと止まっちゃうでしょう。どんな優秀な人でもそうみたいな気がするんだけど、あれは何なんだろうね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やっぱり発想というのは若いときのものじゃないですか。なかなかいないですよ、ずっと現役でいられる人は。たとえば教授になると雑用も増えるでしょうし。
日高[#「日高」はゴシック体] それとは関係ないと思う。ハミルトンなんて、年をとってからもしっかり論文を発表してるよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ハミルトンはそうですね。
日高[#「日高」はゴシック体] それはどうしてなのか。忙しいか忙しくないかにかかわらず、科学というのは一生懸命たえず見ていなければいけないところがあって、いきなりふっと見て思いつくということはあり得ないだろう。ある虫ならその虫を毎日ずーっと研究しつづけて、急に、えっ、そうなのかと気がつくことはあるね。やっぱり具体的にずっと見つづけること、そのときにどれくらい広く、あるいは深く見ているかということ、そして自分が経験したりふだんから考えていることがどれくらいあるか、ということが問題なんだと思うよ。
かつて日本に講演で来たときも、何とかして時間を作って虫を見て歩く。ハミルトンってほんとにナチュラル・ヒストリアンだと思った。先日、突然に亡くなってしまって残念でしかたがない。それも調査に行ってそこで悪性のマラリアにかかったんだよね。いかにも彼らしいけど、それだけにますます悔まれます。
■科学者の世界観[#「科学者の世界観」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 本当に私も、ダイアナ妃の死以来のショックでした。神様というのは、どうして皆が必要としていたり、大切に思っている人から順に連れ去って行ってしまうんでしょうか。
生物学の人はいろいろ出ましたけど、それ以外の分野の科学者はどうなんでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] ニールス・ボーアって知ってるでしょう、あの物理学の。
竹内[#「竹内」はゴシック体] はい。日本では、理研(理化学研究所)の仁科芳雄さんがボーアの研究室で量子力学を学んでいますね。
日高[#「日高」はゴシック体] ボーアって人は「ボーアの原子模型」でノーベル賞をもらってるんだけれど、彼の研究室のお弟子さんの中から、ノーベル賞の受賞者が何人出ただろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] さあ、随分多いはずですよね。
日高[#「日高」はゴシック体] 十数人いるんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すごいですね。たしかに仁科さんが留学してた頃の同僚と言ったら、ハイゼンベルクやパウリ、クライン、ガモフといったような錚々《そうそう》たる顔触れですからね。それでもって湯川さんや朝永さんは、京大で仁科さんの講義を受けていますしね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう、仁科さん自身はノーベル賞をもらわなかったけれど、弟子がもらってる。僕は仁科さんを直接知らないけれど、日本の物理学者は、すごく尊敬してますね。
ところで、湯川さんと朝永さんは、比べるなんて言うと大変失礼だけれど、ちょっと違う気がするんですよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] どういうふうにですか。
日高[#「日高」はゴシック体] 湯川さんは晩年、仏教に傾斜していったでしょう。湯川さんの話は、物理のほうは物理学者として専門家で、世界観のほうは仏教からきているという、そんな感じがするんです。
朝永さんはそうじゃなくて、もう少し科学者としての目でものを見て、そこから生まれた世界観をもっていたように思うんです。まあ、朝永さんは、僕もよく知っていたからそう思うんでしょうかね。
やっぱり科学者というのは、そういうところが大事だと思うんです。そのサイエンスをやったことによって、他の人とは違う、ありきたりのではない世界観をもっているかどうか、ということね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど。
日高[#「日高」はゴシック体] ある分野の専門家ではあるけれども、世界観はどうってことのない科学者なんて、いっぱいいるじゃないですか。とくに化学者に多いような気がするね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、そう言われれば……。
日高[#「日高」はゴシック体] 化学の人は、狭いのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ。
日高[#「日高」はゴシック体] 専門の化学の話はうるさいんだけれど、世界観となると「やっぱり人間てのは長幼序ありですよ」とか「親孝行はしなくちゃいけませんな」とか(笑)、そんな程度のことしか言わない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だけど先生、化学から世界観はなかなか出てこないですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] なぜ出てこないかという問題もあるわけです。これは昔から言われていることなんだ。物理学者と生物学者は、独自の世界観をもつ人が多いですね。
物理学者なんかは突拍子もない世界観に行き着いて、それがあまりにも常識をはるかに超えるものなもんだから、不安になって結局神を信じるようになったりする。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ああ、なるほど。
日高[#「日高」はゴシック体] 生物学者は、人間も生物のうちの一つであるということから始まるでしょう。様々な生物の生活や行動を観察するから、ある世界観をもつようになるとしても、神とか天まではいかない。ところが、物理学者が宇宙を見ちゃったりすると……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 神に近づいちゃうかもしれませんね。
日高[#「日高」はゴシック体] 何十億光年も向こうに星があるとか、ビッグ・バンの直後の宇宙は手のひらに載る卵ぐらいの大きさだったとかなると、そのまま受け入れられなくなってしまう。やはり神のような超越的な存在がいるのではないか、と思っちゃうんじゃないかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 物理学は、宇宙論のようなすごーくマクロな部分と量子力学のようなすごーくミクロな部分と両方を扱いますからね。
日高[#「日高」はゴシック体] その点、化学は中途半端かなと思うんだ。そんなに大きな話には行かないし、超ミクロでもない。要するに、物と物がくっついてどうなるという、反応の問題ですからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生のおっしゃった科学と技術の違いということで言えば、やや技術に近いですね。
■ライナス・ポーリングはなぜ長生きしたか[#「ライナス・ポーリングはなぜ長生きしたか」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。ただ、何にでも例外はあってね。カール・ジェラッシという有機化学者がいるんですけど、ほんとに魅力的な男でね。僕も会ったことがあるんだけれど、バイタリティといい、頭の切れといい、ユーモアのセンスといい、素晴らしいですよ。スタンフォード大学の教授で、同時に三つくらいの会社の社長をしている。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ひゃーっ。
日高[#「日高」はゴシック体] 論文は何百とあって、発明した機械が何十。いちばん有名なのは、経口避妊薬の基本的な構造の考案でしょう。詩人でもあり、ミステリー小説まで書いている。『カンター教授のジレンマ』っていうの。
この人は化学者だけれど、幅の広い面白い人だなという印象がありますね。それから、ほら、化学者でノーベル化学賞と平和賞と両方もらった人がいたでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ライナス・ポーリングですか。どうでもいいことだけど、私、大学に入学して間もない頃、生協の書店に行って何か化学の本を買おうとしたんです。そのとき、ライナス・ポーリングの『化学結合論』(共立出版)が目に入った。ポーリングがどういう人か知らないけれど、とにかくライナスという名にひかれて買いました。私、スヌーピーのマンガが好きで、なかでもライナス君という、いつも安心毛布≠ひきずって指をくわえている神経質で小心者の男の子の大ファンだったんです。なんだか自分みたいで。ところがそのうちにポーリングという人はとんでもなく凄い学者だということがわかってきた。タンパク質のα─ヘリックス構造を解明して大成功を収めていて、アメリカの科学者の代表格みたいで。もしかするとライナス君の名の由来はポーリングにあるのかもしれませんね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだね、まだ元気なのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 一九九四年に九十三歳で亡くなりましたよ。ヴィタミンCを大量に摂取することを提唱してましたよね。やっぱり効くのかなあ。たしか一日に七グラムとか。
日高[#「日高」はゴシック体] へーえ、そりゃすごい。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私も元気になりたくて一時期、一グラムのタブレットを飲んだ、というか齧《かじ》っていたことがあるんですが、吐き気がしてきて。一日七グラムなんてとてもじゃないけど摂れませんよ。
日高[#「日高」はゴシック体] ヴィタミンCはポーリングの長生きに、たぶん関係ないんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ね、関係ないですよ、本人のもって生まれた資質でしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] もともと丈夫なんだよな(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私は性格じゃないかと思いますね。あれですよ、ワトソンの『二重らせん』(講談社文庫)に出てきますけど、ポーリングはタンパク質のα──ヘリックス構造を学会発表するとき、模型にもったいぶってまず布を被《かぶ》せておいて、最後の最後になってみんなの前で手品師みたいにパッと取って「どうだ」と自信満々に披露した、その性格ですよ(笑)、長生きの秘訣は。
■芋虫の模型のパフォーマンス[#「芋虫の模型のパフォーマンス」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] うん、うん、そう、そうなんだよね。……実は、僕も前にそんなことをやったことがあってね。ポーリングの真似したんじゃないけど、すごく評判になったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] え、先生もですか。
日高[#「日高」はゴシック体] アゲハのサナギがどうやって保護色になるかという話があってね。それにはホルモンが関係しているにちがいない。いつ色が決まるかというと、たぶん幼虫が糸を掛けてくっついたあたりの時期に決まるんだろう。で、茶色い所にくっついた、まだ幼虫の格好をしているやつを、体の真ん中あたりでギューッと縛っちゃうんです。そうすると二十四時間で、縛られたままサナギになる。さらに二十四時間たつと、カチカチのサナギの皮ができている。表面にはまだ幼虫の皮がひっついているから、水に浸した脱脂綿で拭き取ってしまうと、前が茶色で後ろはきれいなグリーンのサナギができたんです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ほう。
日高[#「日高」はゴシック体] 前や後ろと位置を変えて縛ってみても、やっぱり同じように縛った所から前は茶色になり、後ろはグリーンになる。では脳をとったらどうなる、とかやって、結局前のほうから色を変えるホルモンが出るんだろう、ということになったんだ。
最初にちょっとその話をしたところ、みんな誤解しちゃってね。ある先生が「そうか」ってんで、クルッと皮を脱いでサナギになった途端にギュッと縛ったらしいんだ。そしたら前も後ろも茶色くなるんで、「日高、あんたの話は大嘘だ」って言われちゃってね。それはもっと前に縛らなくちゃいけないんですと説明したんだけれど、学会で発表するときはちゃんとそこがわかるようにしなきゃいけないな、と思ったんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど、それでどうしたんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] 芋虫の模型を作ったんだよ。昔のことだからプラスティックもなくて、ビニールのシートを縫って、ひとかかえもあるような芋虫の形を作って、中に綿を入れたんです。マジックで前半分を茶色に、後ろはグリーンに塗って、そこへ幼虫の皮をつけなきゃいかん。
後で剥がさなきゃならないから、チリ紙を糊でベタベタくっつけて、泥絵具でもってアゲハの幼虫の模様を描いたんです。炬燵《こたつ》で乾かそうとしたら、こんな大きな芋虫から湯気が出てさ(笑)、なんか滑稽だったなあ。
二晩くらいかけてそれを作って、学会で発表したんです。風呂敷に包んで演壇に置いたら、みんな何が始まるんだろうって顔をしてね。話を進めていって、「そこで」と風呂敷から幼虫の模型を出したら、みんなドーッと笑った(笑)。
ここで糸で縛って、こうやって、と実験の説明をして、そして翌日この幼虫の皮を剥がしてやります、と言って表のチリ紙を全部剥がしていく。すると、このように前のほうは茶色いサナギになっています。後ろはこの通りグリーンです、と言ったら、みんなハハーッて感心してくれてねえ(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それで説得できたんですか。
日高[#「日高」はゴシック体] できたんだ。その話を、後に「自然」の編集長になる岡部昭彦君が聞いてて、さっそく僕は「自然」に書いたんです。そしたら縛ったサナギの写真を、いや模型じゃなくて本物のサナギの写真を(笑)、表紙にドーンと載せてくれた。
あれはやっぱり面白かったみたいですねえ。あんまり複雑じゃないしさ、わかりやすいでしょう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね。そういうパフォーマンスって大事ですねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] あの幼虫の模型、まだあるんじゃないかな(笑)。いや、引っ越しのときにほかしちゃったかな……。
[#改ページ]
第六章[#「第六章」はゴシック体] 男の思想はどうして決まる?
■「種の保存」という誤解[#「「種の保存」という誤解」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] E・O・ウィルソンの『社会生物学』(思索社)が出たのが一九七五年。いろんな意味で反響の大きかった本だけど、あれは社会生物学の研究として初めてのものではないよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それまでの研究の集大成でしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだよね。じゃ、簡単に動物行動学の研究の流れを振り返ってみようか。
コンラート・ローレンツというオーストリア人の学者がいて、この人は『攻撃』(みすず書房)、『ソロモンの指環』(ハヤカワ文庫)などの著書を持つ大変有名な動物行動学者だけど、彼は動物の利他的行動や「道徳的」行動は種の保存のためである、と言いつづけてきたんだ。動物は同種同士では決して殺し合いはしない。本来平和的な生活を営んでいる。戦争や殺人などという残酷で愚かな行為をするのは人間だけだ、とさかんに強調した。
しかし、それは大きな間違いであることがわかった。ライオンや、あるいはハヌマンラングールのようなサルで、子殺しが発見されたからですよ。同じ種の子供を殺すようでは、種の維持という概念とまったく矛盾するからね。
ローレンツは、何かというと自分のことをダーウィン以上にダーウィン主義者だと言ってます。僕も個人的に彼の口から聞いたことがある。僕はそれがよく理解できなかった。だって、ダーウィンは種の保存なんてことはまったく言ってないんだよ。ところがいつの頃からか、生物は種族維持のために行動し、生きている、という見方が出てきて、ひとり歩きするようになっちゃった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 今でも日本人のかなりの人が、「種の保存」というのを信じているんじゃないでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだろうね。そういうのは根強いからね。僕も講演なんかでよく、「種の保存」などということはないのであって、その考え方は間違ってるんだ、と再三繰り返して喋っても、講演が終わると主催者から「いやあ先生、種の保存はやっぱり大切なことなんですね」と言われて、がっくりくることがあるよ(笑)。
その一方で、ニコラス・ティンバーゲンという人は、「行動の生存価」という言葉でもって、生物が行動パターンの違いによってどの程度生き残るか、数を増やすか、という問題を一生懸命やった。
彼の本を読むと、朴訥《ぼくとつ》というか正直というか……。たとえばカモメは卵を孵《かえ》してヒナが生まれると、卵の殻を捨てにいくんだよ。捨てないと、殻の内側が白いので非常によく目立ち、捕食者に狙われやすい。だから親鳥は、急いで殻を捨てにいく。そこで、殻を捨てたコロニーと巣の側に殻を置いたコロニーと、どっちがカラスに狙われやすいかという実験をいろいろやったんだよ。ところが本文中には、残念ながらその日はカラスの群れが現れなかったので、結果はわからなかった……なんてそのまま書いてある。論文だよ、それ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははははは。
■ティンバーゲンとノーベル賞[#「ティンバーゲンとノーベル賞」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 僕は冗談半分に、こんな論文書いてもノーベル賞がもらえるんだねという話をしたことがある(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ローレンツと一緒に受賞したんでしたよね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうです。最初は、ローレンツ一人を受賞させるべきだという声も強かったみたいだね。でもローレンツは、ナチスに加担していたという噂があるものだから、絶対だめだという意見もあって、しかしその功績は大きいからといろいろ苦労したあげく、ティンバーゲンと一緒ではどうか、ということになった。ティンバーゲンはオランダ生まれのイギリス人で、ナチスの捕虜にもなっているし、いわば被害者の立場でもあるからね。そして、さらにカール・フォン・フリッシュもくっつけようとなって、三人一組にして受賞となったんだそうです。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうだったんですか!
日高[#「日高」はゴシック体] フリッシュの、ミツバチが餌の場所を身振りで伝達するという有名な「ミツバチのダンス言葉の研究」なんて、誰しも兜を脱ぐようなすごい研究だしね。ティンバーゲンだって、「トゲウオの本能の研究」は優れた研究だし、ローレンツも「種に固有な行動パターンの遺伝的組み込み」や「刷り込み」の発見とか近代の動物行動学を開拓した功のある人だから、というんでね。そうして三人一組にすると、誰も反対できない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほどねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] そういうことがあったんだって。一九七三年のことだよ。
ティンバーゲンのほうは、さっき話した生存価ということを考えた。それは、種が生き残るか生き残らないかという話ではなくて、親がちゃんと卵の殻を取り除いた巣のヒナと取り除かなかった巣のヒナと、どちらがよく生き残るか、子孫を増やしてゆくか、という問題なんだ。ティンバーゲンの弟子の人たちは、種ではなく個体の生存率という方向で研究を発展させていったわけでしょう。その流れから、社会生物学も生まれてきたんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] モリスやドーキンスもティンバーゲンに教わったことがありますね。
日高[#「日高」はゴシック体] ティンバーゲンは七三年にノーベル賞を受賞して、七四年にリタイヤしちゃったんだけど、その頃、オックスフォードでは弟子どもがみんなティンバーゲンを馬鹿にしてたらしいね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] へーえ。
日高[#「日高」はゴシック体] ちょうど日本で、今西さんをみんなが馬鹿にした時期があったのと、おなじような感じがあるんだよ。つまり、えらそうなことを言ってるけど、実験や研究はいい加減じゃないか、統計処理もされてないし、というような批判のされ方なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 根本の思想は正しいのにねえ。
日高[#「日高」はゴシック体] それでティンバーゲンは、建物のいちばん隅の部屋に追いやられちゃってね。すごく閉鎖的になって、あまり人と接触しなくなっちゃった。そして彼は、奥さんと一緒に自閉症児の研究を始めたんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] えーっ、そうなんですか!
日高[#「日高」はゴシック体] その頃、僕は弟子筋の人と会ったとき、ティンバーゲン博士は元気か、と聞いたんだ。そしたら、「彼は元気だ、しかしほとんど喋らない」という返事がかえってきた。
一九八一年にオックスフォードでIEC(国際動物行動学会)が開かれたとき、ティンバーゲンも出席して、一応彼の業績を評価するプレゼンテーションをやったんだけど、それからしばらくして彼は亡くなった。ノーベル賞を受賞したティンバーゲンも、晩年は不遇だったんだよ。
■個体から遺伝子へ[#「個体から遺伝子へ」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] ティンバーゲンの流れを汲んだ研究は、その後も、淘汰の対象は種ではなく、集団でもなく、個体であると言いつづけた。ダーウィンだって本来そういう考え方なんだからね。それぞれの個体が、様々な局面で、環境に適応できたものは残り、できなかったものは消滅する、そして残ったものが最終的に種になる、というふうに言ってるんだ。
ところがローレンツ流に言うと、ある種がどれだけよく適応しているかによって、ますます繁栄するか滅びるかが決まる、ということになる。そして、同類同種で殺し合いをするような種はもうすでに滅びてしまったんだ、と言うわけ。まず最初に種ありきという考え方なのね。でもそれはやっぱりおかしいんじゃないかということになって、結局ティンバーゲン派の考え方が主流になってきた。
それを突き詰めていくと、個体というよりも遺伝子である、という見方になって、動物の社会や高度に組織化された利他的行動なんかを分析したウィルソンの『社会生物学』が出たわけです。
その一方でドーキンスは、生物の個体は、自己の複製をできるだけ増やそうとする遺伝子の乗り物に過ぎない、結局は、個体を通して遺伝子に淘汰がかかっているのだ、という利己的遺伝子の説を提出した。
また、ドーキンスやウィルソンの本にも紹介されているけど、ハミルトンの血縁淘汰説というのがある。たとえばミツバチのワーカー(働きバチ)は、自分自身は子供を産まないのに一生懸命餌を運んだり子供の世話をするのはなぜか、という問題を説明しなければならない。彼は、遺伝的に近縁な血縁者は自分と同じ遺伝子をある確率でもっている、だから血縁者の世話をすることによって、自分は子供を産まなくとも、高い割合で自分の遺伝子を残すことができるからだという血縁淘汰説を提唱した。この観点から、血縁者も含めた繁殖率を考慮に入れた「包括適応度」という概念ができて、理論的にはほぼ収まったと言えるでしょう。
まあ、詳しいことを知りたい人には、ドーキンスの『利己的な遺伝子』か久美子の本(『そんなバカな!』等)を読んでもらうとして、だいたいの流れはそういったところだね。
■欧米のすさまじい反発[#「欧米のすさまじい反発」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] でも、社会生物学は欧米ではすごい議論と反発をよびましたよね。ウィルソンなんか、反動、人種差別主義者、ファシストとさえ呼ばれたそうです。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、アメリカでは猛烈な反発を喰ったね。反対したのは主に、左翼系の人たちですよ。遺伝子決定論だというんでね。
ドーキンスの『利己的な遺伝子』の書評が「NATURE」に載ったときも、その書評のタイトルが「ジーンズ・ユーバー・アレス」だったんだよ。ユーバーは英語のオーバーで、アレスは「すべて」ですよね。つまりナチスが使った「ドイッチュラント・ユーバー・アレス」──世界に冠たるドイツ──という言い方をもじってつけているわけ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 「遺伝子至上主義」だと、皮肉を込めているわけですね。
日高[#「日高」はゴシック体] そうそう。すべてに冠たる遺伝子。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すぐそういうふうに言われちゃうんですよねえ、本当はそうじゃないのに。
日高[#「日高」はゴシック体] ところが欧米のそういう状況と違って、なぜか日本では、社会主義的な傾向の人が社会生物学に乗っちゃった。僕はそこがどうもよくわからない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 『社会生物学』を監修した伊藤嘉昭さんなんかもそうですよね。専門は社会性昆虫の研究で、その点は訳者として適任なんですが。
日高[#「日高」はゴシック体] 彼は、社会性があるとかお互い助け合うとかいう話が、昔っから好きだった。これはやっぱり社会主義社会からの連想があるのかなあ。
ダーウィンの進化論についても、イギリスやアメリカではめちゃくちゃなくらいの反対があった。今でもアメリカでは、ファンダメンタリストみたいに、進化論を否定して世界は神がお造りになったんだと主張する人々がいるわけだろう。でも日本は、進化論をわりにすんなりと受け入れてしまった。それと似たような状況があるかもしれないね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 日本人の場合、宗教的背景の違いもあるかもしれませんね。一般的に言って、よく理解してないのかもしれない。
日高[#「日高」はゴシック体] そう、あんまり本質がわかってないんだよ。実はこれが大変なことだってことが。
遺伝子がすべてなら──もちろん本当は単純に「すべて」ではないんだけどね──われわれは遺伝子に操られている乗り物だということになって、自我だとか個人の尊厳などというものはどこかに行っちゃうかもしれない、それくらい大変な発想だということが、日本人はわかってないんじゃないかなあ。
だからみんな暢気《のんき》にかまえてる。僕が講演で、遺伝子はコピーを増やしたいわけだから、男は自分では子供を産めないようにできているから、次々と女のところに行って子供を産ませる機会を求めるんだ、という話をするでしょう。講演が終わると必ず男の人が二、三人やって来てね、いやあ私が今までずっと女たちに対してしてきたことは間違ってなかったんだということがわかりました。(笑)……そんなんばっかりだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 普通の人の反応はそうかもしれませんね。
■人間は特別な存在ではない[#「人間は特別な存在ではない」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] ウィルソンの『社会生物学』を監修した伊藤さんだけでなく、最初社会生物学を紹介する立場だった人が、最近になって批判的でしょう。批判するのは社会生物学の本質にようやく気がついたからかもしれないけれど、最初なぜ彼らが飛びついたのかと考えてみたんです。
社会生物学が日本に入ってきた頃は、今西錦司さんがけっこう元気でしたよね。今西さんの進化論や生物学に対する立場はどうだったかというと、少なくともネオ・ダーウィニズム(註・ダーウィンの進化論に遺伝子の観点を取り入れたもの。遺伝子の突然変異とそれにかかる淘汰によって進化が起きると考える。現代の進化論の中心的な考え方)には反対ですね。だけどネオ・ダーウィニズムに反対するのは、外国では普通左翼的な人がとっている立場です。ところが今西さんって変な人で、左翼じゃない。
日高[#「日高」はゴシック体] ないよねえ。絶対そうじゃない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 違いますよね。でも、右翼でもない。その少なくとも左翼ではなく、しかも厳然たる影響力をもつ今西さんが、ネオ・ダーウィニズムに反対している。じゃ、日本の左翼系学者はどういう立場をとろうかと、困っちゃったんじゃないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] それで、とりあえずネオ・ダーウィニズムのほうに乗っかることにして……ということかな?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 反今西ということで、社会生物学に与《くみ》したのかなと、ちょっと考えたんですけど。
日高[#「日高」はゴシック体] そうかもしれないね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] それが今になって、社会生物学を人間に応用してはいけないとか、ひどい場合にはそういう研究をすることさえ大学院生に禁じる人もいるらしいんですよ(註・最近になってその人は、社会生物学を人間に応用することを許す、但し竹内のような過ちを犯すなというお触れを出した)。
日高[#「日高」はゴシック体] ふーん、要するに、人間は特別な存在であって、他の動物とは違うんだ、ということを強調したいんでしょう。
生物はみな、動物も植物も、個体の適応度増大のために努力し、生きているという点では同じなんだ。ただ適応度増大のためにどういう戦略をとるかは、種によって、また場合によってみんな違う。オットセイがハーレムをもってるから人間も、というふうにはいかないのであって、環境条件とか生活のスタイルによってああなっているわけだよ。人間はまた別の論理と戦略によって違ったことをやっている。でも基本的なところは同じなんだ。
他の動物を十把ひとからげにして、それらの動物と人間とは違うんだというのは、昔からのキリスト教的な考え方でしょう。誰かが書いてたねえ……日本人はクリスチャンではないにもかかわらず、キリスト教と同じ論理構造を持ち込んでいるって……。マルクス主義思想だって元にあるのはキリスト教でしょう。日本人はクリスチャンでもないのに、キリスト教的思考を持ち込み、そのキリスト教の亜流であるマルクス主義思想にまた乗っかったわけだ。何かおかしいよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 「一度目は悲劇、二度目は茶番」って、誰かの本にある言葉ですけれど、社会生物学にまつわる出来事も、欧米では悲劇的、日本ではなんだか滑稽ですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 人間は、自然の法則からもう一段上のところにいる特別な存在であるという考え方が、二十世紀を支えてきたわけだよ。自然法則に打ち勝つということが、二十世紀の人類の生きがいみたいなものだった。だけど、利己的遺伝子《セルフイツシユ・ジーン》という視点で見ると、人類も|乗り物《ヴイークル》に過ぎないわけだから、それまで培《つちか》ってきたものがメチャクチャになってしまう。僕はそれでもいいじゃないか、と思うんだけどね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] メチャクチャに壊したところから、もう一度やり直したらいい。久美子の本を読んで、それまで社会的経済的な要因によると思っていたのが遺伝子のなせるわざだったかもしれないと知れば、それこそ目からウロコが落ちるわけでさ。それで人生観が変わった人はいっぱいいるんじゃないかと思うね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 私がまず変わりましたから。
日高[#「日高」はゴシック体] そうか(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 人間の足元がすくわれるような考え方に出会って、私はかえって安心したんです。人間なんてたいしたことない、自分が、自分がって思わなくてもいいんだと。その一方で、左翼系の学者みたいに、ひどく憤慨する人たちもいるわけです。まるで、自分という人間が否定されたかのように。
だから両派いていいと思うんですよ。私は、私みたいに救われる人のために書いてるだけなんです。多少極端な表現をとってるかもしれないけど。
日高[#「日高」はゴシック体] 弟子があんなこと書いているのを日高はどう思っているのか、などと言ってる人もいるらしいけど、僕はべつに、きみの主張すべてに賛成しているわけではないし。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、それはもちろん。
日高[#「日高」はゴシック体] だけども、利己的遺伝子の説や社会生物学の考え方を知ると、基本的に見方が変わるわけで、そこが非常に重要なことなんです。これまでの考え方をそのまま延長していくと、二十世紀と同じ精神構造になってしまう。それでは二十一世紀に向けた話なんてできないんじゃない。二十世紀に、戦争があって、人がたくさん死んで、ファシズム、共産主義など様々な思想的試みがなされてすべて失敗した教訓が何も活きないわけです。
そう考えるとね、結局、誰が悪いことしてるのかなあって考えちゃうよね(笑)。
■京大はええ加減なとこがいちばんええとこ[#「京大はええ加減なとこがいちばんええとこ」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 話は変わりますけど、先生も東京から京都に来られたわけですよね。私は名古屋から京都に移り住んで二十年、あまりにも京都のルールが他と違うので、面食らうことばかりだったんです。同じ日本人でも、こうも違うのかと。
日高[#「日高」はゴシック体] あ、そうだったの?
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生はそんなことなかったですか?
日高[#「日高」はゴシック体] 僕も京都に来て二十年になるけれど、そうでもなかったなあ。面白いのは、僕のことを京大出身の京都人だと思っている人が多いんだ。京大の先生たちにも「私は先生と同年ですけど、京大のときはお目にかかりませんでしたね」とか言われる。そりゃ、会うわけないんだよ。この頃は、東京生まれで東大出身だとわかってきたみたいだけどね。
だけど、京大で何かやるとき、中枢には絶対入れないね。あいつに喋らせろとか、あいつを使えとなると、引っ張りだされるんだけど、それを決めているところには絶対入れない。そこが非常に面白いところだな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生は一度、京大総長になりかけたじゃないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] まあ、あれはみんなが面白がってやったんで、投票者の中には京大出身じゃない人もいるし。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やっぱり京都人の輪からは、先生も外されてたんですか?
日高[#「日高」はゴシック体] 外されてるんじゃないかな。ただ、京大出身じゃなくても、使えるやつは使えという……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 京都らしいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕がまだ京大に来て三年目くらいの頃です。林田悠紀夫が知事で、京都府の二十一世紀ヴィジョン懇談会なる諮問委員会のメンバーになったんだよ。「京都へ来て三年目なのに、そんな委員会の委員になってていいんですか」と言ったら、京大の巽≪たつみ≫友正先生が「京都は外国人が働くところです」(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あはははは、出ましたね。
日高[#「日高」はゴシック体] 以前テレビで「実力ナンバーワン 京大の秘密」という番組があってね。実力ナンバーワン、ってことは、表向きはナンバーワンじゃないってことなんだよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははは……。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕のところにもインタヴューに来てね、一言で言って京大ってどんな大学ですかと聞くから、まあ、いい加減な大学ですよ、と答えたんだ。番組では、次に森毅の授業風景が出て、遅刻早退自由、授業中の飲み食い自由、とある。それから、SEX先生とかいって、大島清が出てきて、「おサルの尻はなぜ赤いか」なんて言う。教授はその三人しか登場しないんですよ。あとは学生たちの生活とか、試験の前日に酒飲んで盛り上がっているところなんかがあって、東大生に比べて京大生は悠々と生きていますというような構成だった。
ところが考えてみたら、僕は成城高校─東大、森毅は三高から東大、大島清は一高─東大なんだ。誰も京大出身の先生はいないわけ。それでも京大の先生方は別に文句は言わない。学部長クラスの人に、あんなこと言ってまずかったですかねえ、と聞いても、「いや、京大はええ加減なとこがいちばんええとこやから」と言う(笑)。そのええ加減なとこがだんだんなくなりつつあるのが、困ったことなんだ。
■パラサイトと日本人の起源[#「パラサイトと日本人の起源」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 誰だったか忘れましたが、こんなことを言ったね。われわれヨーロッパ人はある人の業績とか仕事を、その最初の動機で評価する。日本人は結果で評価する。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なるほど。
日高[#「日高」はゴシック体] どうもそういう気がするね。日本人は、動機についてはあまり語らないでしょう。学会で発表する場合でも、こういうことが面白くて興味をもち、この研究を始めた、とは言わない。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 言うと、何か突っ込まれそうですよね。そのわりには結果が出てないじゃないか、とか。
日高[#「日高」はゴシック体] 京大というところは、動機の面白さとか変わったことをするやつを、わりあい評価してきたんだ。僕なんか京都に呼ばれたのは、あいつ東京におるのにオモロイこと言うとる、ということだったんでしょう。
京都に来てから小松左京に「あんた、関西に来てほんとによかった。東京にずっといたらつぶされてたぞ」って言われたけどね。今西さんにも同じようなことを言われた。「あんた、もう大丈夫や」(笑)。京都へ来たからよろしい、あれは京都へ来たからええやっちゃ、そういう感じでしょうかね。京大らしい、面白いところだね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 京大はたしかに、自由で居心地のいいところなんですけど、京都人は……。私は名古屋から来たわけですけど、京都はルールがインターナショナルなんです。
『パラサイト日本人論』でも書きましたけど、お皿を割ってしまったとき、名古屋だったらすぐ「あ、ごめんなさい」って謝っちゃうんです。で、たいてい許してもらえる。日本のほとんどの地域がそうだと思います。だけど、京都はすぐ謝らないほうがいいですよ。ちょっと警戒しなきゃいけないでしょう。うっかり謝ると、それまでの態度が一変して、そんなら弁償してもらいまひょか、とすごまれることがある。ものすごーく恐い所です。
日高[#「日高」はゴシック体] きみの本によると、大陸からの渡来人が集団で移り住んだ地域だから、ということになるわけね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ええ、大陸の、インターナショナルなルールが持ち込まれている。京都や滋賀県に、渡来人が集団で移住してきたことは、ほぼ確定的なことです。しかし大部分の日本人は、ベースに縄文人がいて、後から渡来人が五月雨《さみだれ》式にやって来て混血した結果です。その元になった二つの集団が、実はパラサイト(寄生者)による淘汰という観点からすると、全然正反対なんですね。縄文人はウイルスやバクテリア、寄生虫などの脅威が大きい南方起源だし、渡来人はパラサイトのあまりいない北方の大陸が起源ですから。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほど。それは非常に面白いね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その違いが男の思想傾向や性質の違いにも表れている。
■京都男に恐妻家が多いわけ[#「京都男に恐妻家が多いわけ」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 京都の男の人って、恐妻家が多いと思われませんか?
日高[#「日高」はゴシック体] ……(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] すぐに「ウチのヨメハンが」とか言うでしょう。それにケチ……ではなくて、平等主義。京都は共産党の支持率が、驚くほど高いですからね。
日高[#「日高」はゴシック体] 「寒い国から来た平等主義」か。プロテスタントなんかも寒冷地から出てきているからね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 左翼、恐妻家、批判好き、の三つが私の中で三題|噺《ばなし》みたいにストーリーになっているんです(笑)。
渡来人について言えば、新モンゴロイドの形質をよく受け継いでいるんですね。新モンゴロイドは、氷河期もとくにダイレクトに体験してるんですよ。そんな寒い所では、さしものパラサイトもあまり活躍できませんからね。ということは、女は男を、パラサイトに対する抵抗力を基準に選ぶ必要はなかったわけで、つまり外見で男を選ばなかった。パラサイトへの抵抗力は外見──容姿に表れますからね。クジャクのオスが美しくて立派な尾羽をもっているのも、パラサイトに強いんだぞというメスに対するアピールです。それと同様のことが人間でも言えると、ガンゲスタッドとバスという心理学者が共同研究で明らかにしています。人間の場合は美しい羽ではなくて顔やプロポーションの良さですけれど。で、そういう寒い地方ではとりあえず男一人を確保して、自分に対する最大限の投資を引き出すことに専念します。かくして一夫一妻制の下に、妻の尻に敷かれる誠実で気弱な男が増えてくる。そうすると男社会の形成が低調になって、順位制や地位の差が生じにくくなり、そこから平等主義的な考え方や他人のことをとやかく批判する性質が発生してくるわけです。
日高[#「日高」はゴシック体] なるほどねえ(笑)。そう言われればそういう気もしてくるけれど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 逆に、パラサイトの脅威が大きい南方では、パラサイトに強い遺伝子を持つ男に女たちが集まるので、一夫多妻制になって一見男尊女卑の社会が形成されるんです。
日本人は、今や渡来人も縄文人も混血混合してますけど、地域によっては畿内のように渡来系の強い土地と、九州・沖縄や東北のように縄文系の土地と、いろいろあるわけです。
■逆説が通じない[#「逆説が通じない」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 社会生物学の話に戻りますけど、私は伊藤嘉昭さんに、動物行動学の入門書の中でわざわざ一章を割《さ》いて竹内批判≠されているんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 「まとめと竹内久美子批判」というのね。ワン・チャプターをあてて論じてくれているわけだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 名誉なことです。
日高[#「日高」はゴシック体] そうまでして扱わなきゃいけないような、ものすごく大事な本ですよ(笑)。
僕も彼に『動物にとって社会とはなにか』(講談社学術文庫)という本について批判されたことがある。僕はその本で他の動物では病気とか捕食者とかいろんな人口調節の方法があるにもかかわらず、人間ではそういうものはなくなったり、あるいは文明の進歩によってなくしてしまって、結局人口調節の仕組みとしては戦争しかないような惨めな状態になっている、こんなことではいけないんだ、というようなことを書いたんだ。
そうしたら、戦争が人口調節に役立ってるなどと言うのはけしからん、と伊藤君に批判されたよ。僕は、人間がそんな皮肉な状態に陥っていることを言いたかったんだけれど、書き方が悪かったせいか、そうはとってもらえなかった。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 逆説的な論理は理解できないのかもしれませんね。ただ、ストレートに返ってきちゃう。「見つけたり」って感じですね。これを言ったら攻撃してやろうと思っていることを、「あ、言った言った」って(笑)。逆説や微妙な表現はまさに微妙な問題で、通じる人に通じればいいんじゃないですか。
日高[#「日高」はゴシック体] 敵がいないと生きていけない人たちっていうのもいるのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] あっ、それから先生、伊藤さんの批判についてですが、私は、階級社会を作ることは上の方の者にとっても下の方の者にとっても、どちらにとっても利益となる。だからそういう社会が出来てきたんだと主張していて、別に誰かが自分の適応度を下げてまで社会全体のための犠牲になっている、なんて言っていないんです。つまり一方的な利他行動を考えていない。
一方的な利他行動を想定したら、それこそ社会生物学の大本質に関わる大変な間違いですよね。でも、私は想定していないんです。そこらあたりのところを伊藤さんは誤解して、ほら見ろ、竹内は社会生物学を理解しておらんじゃないか、みたいなことを言ってます。あまりに心外なのでこの際、ここで反論しておきます(笑)。
■中の下の男の戦略[#「中の下の男の戦略」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] 人の足を引っ張りたがる遺伝子なんてあるんでしょうか。
日高[#「日高」はゴシック体] そういうことをやる特定の遺伝子があると思うといけないんじゃないか? だけど、遺伝子全体としては、他人の足を引っ張りたいんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですね、他人を抑えてでも、自分のコピーを増やしたいんですからね。
日高[#「日高」はゴシック体] 相手を叩きつぶしたいんだからね。ただ、人間以外の動物の場合には、とことんやるとコストがかかりすぎて逆に損するからというストッパーが働くんだよ。
人間の場合、そういうストッパーのようなものがあんまり働かないんだろうかね。他人の足を引っ張ろうとすれば、それに対して報復を受けることだってありうるし、損をすることだってあると思うんだけど。
竹内[#「竹内」はゴシック体] やっぱりそれは、コストを補って余りある見返りがあるからじゃないですか。だってこれだけ普遍的に、他人の足を引っ張りたがる人間がいるわけですから。
ところで、私が監修したロバート・ライトの『モラル・アニマル』(小川敏子訳・講談社)という本に傑作な説が出ているんですよ。私はこれまで、嫉妬深い、他人の足を引っ張りたがる男は、自分に才能がなかったり、女にモテなかったり、人を引きつけるものがないからこそ、他人を批判し邪魔をすることによって、自分の遺伝子のコピーを増やしていこうという戦略じゃないかと思っていたんです。
『パラサイト日本人論』でも書いたんですけど、寒冷地で一夫一妻の生活を送ってきた、それに適応した戦略なんじゃないか(笑)。その結果、平等主義で恐妻家の男ができあがる……。ライトの仮説はこれらの考えを包含するうえに、すべて理論的にきれいに説明してしまう、もっと傑作なものなんですよ。まあ、聞いてください。
適齢期の男千人、女千人がいるとします。男だったら、仮に社会的地位とか収入とかを基準にして、一位から千位まで並んでいる。女もやはり仮にですが、容姿を基準にやっぱり一位から千位まで並んでいる。
基準は何でもいいんです。要するに順位を付けて並ばせるわけですよ。で、一夫一妻の社会だったらどうかと言えば、だいたい同じランクの男女が婚約することになるだろう。上位の男は上位の女と、中くらいの男は中くらいの女と、というように。ところが、ここで一夫多妻もOKだという話になると、どうなるか。ここがポイントです。女の中には今の婚約者を振って、ずっと上のランクの男のほうに付いていく者も少なくないに違いない。ライトによれば、ランク四百位の「なかなか魅力的ではあるが、とりたてて賢くはない」女が、ランク四百位の「靴のセールスマン」を捨ててランク四十位の「著名な弁護士」の第二夫人になることはありうる(笑)。
そうなるといちばん困るのは誰かというと、中の下あたりに位置する男である。つまりそのへんの男は現在の女に逃げられたうえに、今よりずっと低いランクの女しか来ないか、あるいはそもそも女が全然来ないかもしれない。高ランクの男はいいでしょう。たくさん女が集まってくるわけですから。一方、下位の底辺にいる男は、最初から諦めていて、ときに犯罪とかレイプとか、非合法的な手段によってセックスしようとするから──とはいえライトはそこまでは言っていませんが──あまり影響を受けない。いちばんワリを食うのは、中の下あたりの男なのである。
だから、中の下の男にとっては、一夫多妻という制度は非常に困る。そこから、人間の平等だとか一夫一妻という考え方が出てくるんじゃないか、と言うんです。
日高[#「日高」はゴシック体] はははは、なるほどね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] で、ここが肝心な点なのですが、そこで言われる平等は、男にとっての平等であって、女から見ると必ずしも平等ではない。なぜなら、もし一夫多妻制だったら、女はいい男の資質や富を分配し、享受できるのに、一夫一妻制にすると一人の女にそれが集中するわけで、かえって不利で不平等である。そういう理論を展開してるんですよ。これは最高だ、と思って……(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] それは面白いねえ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ね、だから、そういう中の下あたりの男が、平等だ、権利だって言いたがるんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] なんだかイメージが湧くなあ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そういう男たちの特徴は、よく言えば愛妻家、悪く言えば恐妻家で、さかんに「うちの家内が」とか言うんだけど、じゃどんなに素敵な奥さんかというと、たぶん違うでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] たぶんね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] なんでこの人がそんなに大事なのかって……(笑)。逆に、実にいい男がいて、彼は浮気っぽくて、そんなに奥さんを大切にしていない。家庭もうまくいってないんじゃないかと思われるんだけれど、その奥さんを実際に見てみると、すごくきれいな魅力的な人だったりする。そういうもんなんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] それは傑作だねえ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いやもう、長年解けなかった謎が、なんだこんな簡単なことかと(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 面白いねえ。それくらい面白い話を考えつきたいねえ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] だいたいその通りじゃないですか、私たちの近辺を見ても。
日高[#「日高」はゴシック体] その通りだと思うよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ほんと、男としてつまんない、もう雁首《がんくび》揃えてつまんないでしょう。
日高[#「日高」はゴシック体] うん、僕もそうなんかなあ(笑)。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生は違いますよ。女がどんどん集まってくるほうです(笑)。なんせ先生は面白い人だもの(笑)。
私はかねがね男の思想というものは、繁殖戦略の反映でしかないと思っているんです。だいたいある男が、この思想にひかれる、こういう思想が正しいと思うと判断する場合、聖人君子じゃあるまいし、何の利害も絡まない、ただ思想のための思想というような公明正大な考え方ができるわけはありませんよ。必ず無意識のうちに計算がなされている。どういう思想が自分にとって得か、都合がいいか。その損か得か、都合がいいか悪いかということについて、もっとも重要な問題は、やはり男も生物である以上、遺伝子をいかに残すかということでしょう。だから遺伝子の残し方、つまり繁殖戦略は思想とおおむね対応しているわけです。思想は繁殖戦略そのものだと言っていいくらいだと思います。
動物行動学で私が何をいちばん学んだかというと、全体にとってよいこと、全体にとって正しいことはないということです。あるのは自分にとってよいか、悪いか、正しいか、正しくないか。さらに言うなら自分の遺伝子にとってよいか、悪いか、正しいか、正しくないか。男の支持する思想というのも、その男にとって、そして彼の繁殖戦略にとって都合のよい思想、正しい思想ということになります。そういう観点で男を見ると面白いですね。
[#改ページ]
終わりに──ふたたび、科学とは
■今までと違った視点で見るということ[#「今までと違った視点で見るということ」はゴシック体]
竹内[#「竹内」はゴシック体] いやあ、先生の話をこうやってじっくりと聴いたのは久しぶりですねえ。よかったです、本当に。いい刺激になりました。
日高[#「日高」はゴシック体] ぼくもきみの話をたくさん聞けてうれしかったよ。こんな対談のときくらいしか、きみに会えないからね。なんだか終わっちゃうのが残念だな。もうちょっとやってもいいんだけど……。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 先生、そんなことしてたら、いつまでたっても本が出ませんよ(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] 僕も前から、これは言っておきたいと思ってたことがあったからね。科学に対する誤解というか信仰のようなものを、なんとかしたかった。ちゃんと伝わったかどうか、自信ありませんが。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 大丈夫ですよ。科学が本当はそんなしかつめらしいものじゃなくって、楽しい、想像力に満ちたストーリーだということがわかってもらえるんじゃないかと思いますよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 生物学の最近の画期的な研究に対しては、欧米でもキリスト教やマルクシズムのほうから批判があるけどさ、そこにはやっぱり人間は他の動物とは違う特別な存在だとか、人間の社会はかくあるべきだという固定した観念があって、それ以外の考え方を許容しないある狭さのようなものを感じるんだ。それに対して、この本できちっと反論しておかなくてはいけないと思った。そしてそれが、科学とはほんとは面白いものなんだということに繋がっていけばいいとも思ってね。
きみを批判している人たちが言ってる中にも、人間の社会にはお互いに助け合うはずだ、というようなところがあるでしょう。たしかに願望としてはみんなそりゃあるんだけれど、科学は願望じゃないんだよね。ドーキンスの利己的な遺伝子説に乗り過ぎだとか、全部そうだというのは間違いだとか、動物はそうかもしれないが人間の社会ではそうではないとか言いたげなところがあるじゃない。それで、きみの本のことなんかを、ドーキンスの理論に乗って、学問的な、科学的なスタイルを取りながら、人間について非常に反動的な思想を流布する悪い本だ、と決めつけているでしょう。そこが僕はよくわからない。まったく理解できないんです。
こういう見方もできるかもしれないというのは、科学の本来の主旨でしょう。人間はこうやって一生懸命やってると思ってるけど、実は一皮|剥《む》いてその奥を覗いてみると、案外こういうことがあるのではないか、という見方を提供するのがサイエンスなんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうなんですよ!
日高[#「日高」はゴシック体] 最先端の学説を紹介しながら新しい見方を考えることを、「科学的な装いをこらした」と言うのは、おかしいよね。たとえば、浮気のすすめ──本当はきみはすすめていないけどね──一夫多妻、階級社会がいいときみの本には書いてある、けしからん、という。そうじゃなくて、今までと違った視点で見たらこうも見えるのでは? というその程度を言っているのであって。
竹内[#「竹内」はゴシック体] その通りです。ああ、先生、よく言ってくださいました。そうです。絶対にこれが正しいと言ってるわけじゃないんですもの。
日高[#「日高」はゴシック体] そうしなさい、と言ってるわけでもないよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] もちろんです(笑)。
日高[#「日高」はゴシック体] それをああいうふうにとって言うのは、何か変だね。道学的というのかな。
竹内[#「竹内」はゴシック体] こうあるべきだ、という。
日高[#「日高」はゴシック体] 科学は道学的ではないのであって、とんでもないことを言いだすのが科学なんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そうですよ。「NATURE」や「SCIENCE」はちゃんとそこがわかっていて、一つにはそのとんでもなさ加減で研究の価値を評価して、論文を載せるか載せないかを決めているようなところがありますからね。
■科学は究極のエンターテインメントだ[#「科学は究極のエンターテインメントだ」はゴシック体]
日高[#「日高」はゴシック体] 一般的な意味で前から気になっていることの一つは、この本は悪い本だから読まないほうがいい、という論理だよね。
竹内[#「竹内」はゴシック体] そう、読んではいけないという姿勢なんですよ。
日高[#「日高」はゴシック体] 害毒を流すからってね。でも考えようによっては、マルクスの資本論なんて、あれほど害毒を流して何千万人も人を殺した本はないよ。だけど資本論が悪書だというわけではない。それまで搾取される一方でつらい生活を送ってきたプロレタリアートの人たちが解放されたという面もあれば、ソ連を作って権力が集中して多くの人が粛清されたなんて話になると、今度は逆の面が出る。聖書だってそうじゃない? あれで世界中に植民地がいっぱいできちゃったんだから。
だから、この本はまったくの悪書で読むべきでないというのは、読者を馬鹿にしてると思う。読んだ人がみんな、そのまま受け入れて信じ込んでしまうと思っているからいけないのであって、たとえばきみの本を読んだ後、「この女はいったい何を書いてるんだ!」って本を捨てる人もいるかもしれないだろう。
竹内[#「竹内」はゴシック体] いますよ、きっと。
日高[#「日高」はゴシック体] 面白がるだけ面白がって、腹の底では信じない人もいるだろうし。要するに、読者がそんなに賢明じゃないと思っているんだろうね。でもそれは違うんだよ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] まったくその通りだと思います。普通の読書人の人ってもっと賢いですよ。聡明という点では、むしろ専門家より上の人が多いんじゃないかとさえ思いますね。私の本についても、書評などで作家や評論家の人のほうが、私のシュテュンプケ的オトボケの部分をよく理解してくれましたから。イギリス流とまではいきませんけど、私の稚拙なジョークを楽しむくらいの余裕をお持ちの人はたくさんいるんじゃないか、と信じています。
日高[#「日高」はゴシック体] そうだよ。どれをどう選択するかは、読者の問題であってね。
僕はね、科学者だって結局一種のエンターテインメントをやってるんだと思う。
竹内[#「竹内」はゴシック体] ははあ、それはいいですね。
日高[#「日高」はゴシック体] 面白いってことは、とても大事なことなんだよ。面白くて、本当かしらと感じる。それが説得力なんでしょ。説得力のないものなんて、何をやったって意味ないんだよ。科学だってそれは同じ。芸術だって文学だってそうでしょう。みんな吉本興業みたいに、徹底的に面白がらせなくちゃいけないんだ。
竹内[#「竹内」はゴシック体] 面白さにも、知的な面白さとかギャグ的な面白さとか、いろいろありますものね。
日高[#「日高」はゴシック体] 新しい話を聞いて、面白がったり怖がったり、ショックを受けたりするだろうけど、そうやって人間は毎日新鮮に生きられるというところがあるんじゃない。みんなそういう面白さを求めているんだよ。
科学の話にしても、高所から人を見下すような態度やもったいぶった文章、必要以上に難解だったり、陳腐であってはつまらないし誰も読まないでしょう。卓抜なアイディアによる研究とか新しい視点があって、それを紹介しながら人間や社会についてあれこれ考える。それによって新しい世界観や批判力が得られれば素晴らしいことじゃない。科学って本来そういうものなんだから。
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あ と が き
この連続対談が始まったのは一九九五年の八月のことである。文藝春秋のPR誌「本の話」の中で、私の新刊『パラサイト日本人論』のために日高先生と対談した。先生とお会いして話をするのは本当に久し振りのことで、話は随分とはずんだ。おかげで対談自体も好評。それならばもう何回か対談して連続対談の形にしてはどうかという企画が持ち上がったのである。日高先生はおおいに賛成して下さった。
ところが正直言って私は困ってしまった。私は元々人と話をするのが大の苦手なのである。人の発言に対し、心ではいろいろと思うことがあっても言葉が出て来ない。あのときはああ言えばよかったのだ、と何日もたってから気がついたりもする。要するにのろくてトロいのだ。相手がたとえ日高先生であっても、それが大きく改善されることはないのである。一回はうまくいっても、二回目、三回目もうまくいくとは限らないだろう。そんなわけで文藝春秋には、せっかくのお話ですが……と一時保留の形にしてもらうことにした。本当はほとんど断るというつもりで。
とはいえよくよく考えてみると、これは絶好の機会かもしれないのである。人と話せないがために日頃インタヴューなどの依頼をお断りしている。しかし日高先生という理解者を通すなら、少しは自己表現を、自分がどういうつもりで本を書いているのかを言い表すことができるだろう。先生と私とで生物や生物学に対する見方がどう一致し、違うのかも明らかにすることができる。先生にはぜひ科学の本質とは何かということを語っていただきたいし、加えて私や日高研の人々がかつて飲み屋などで先生を囲み、ああでもない、こうでもないと議論していた、あのなつかしい雰囲気が再現できれば最高だ。
そんなわけで九五年の暮れも押し詰まった頃、私はようやく重い腰を上げた。以来四回、最初の対談から考えるとちょうど一年を要してこの連続対談は完成した。日高先生はいいかげんなように見えて実は大変細かく気を配る人で、また本書の担当の飯沼康司氏は綿密に計画を立て、その結果を実に慎重に検討する人で、本書は過不足のない内容に仕上がったように思う。落ちこぼれ学生がいかにして本を書くことになったか、科学の本当の愉しみとはどういうことか……。あるいは本書を動物行動学や進化論の入門書とはいかないまでも、入門の手引きとして読んでいただけたなら幸いである。
『もっとウソを!』というタイトルについては、賢明な読者の方々はお気づきかと思うが、「科学とはウソをつくことである」という日高先生の名言にもとづいて付けられたものである。
文藝春秋出版局の飯沼康司氏には何度も京都まで足を運び、対談に立ち会っていただいた。対談をまとめるに当たっては大変な尽力をしていただいた。その労力は本を一冊書くに値するものではなかったかと思う。第一編集局長の上野徹氏にも一度、対談に立ち会っていただいた。「週刊文春」編集長の平尾隆弘氏、「諸君!」編集部の飯窪成幸氏にはお忙しい中をゲラ刷を読んでいただき、貴重なアドヴァイスをいくつも賜わった。いつもながらの的確な指摘で、本書の内容をより充実したものにすることができた。
装画と本文イラストの沢野ひとし氏には(*)以前『男と女の進化論』で仕事をご一緒させていただいたが、こうしてまた自分の文章や会話に思わぬ角度からのイラストが加わる驚きと喜びとを感じている。
装幀の南伸坊氏にはこれで計四冊の本を担当していただいたことになるが、今回もまた素敵な装幀で大変嬉しく思っている。
その他本書を完成するために力を尽くして下さった方々を含め、いずれの方々にも対談者を代表して厚くお礼申し上げる次第である。
一九九六年十二月二日
[#地付き]竹内久美子
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もっと知りたい人のための参考文献[#「もっと知りたい人のための参考文献」はゴシック体]
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『チョウはなぜ飛ぶか』日高敏隆(岩波書店)
『人間についての寓話』同上(平凡社ライブラリー)
『利己としての死』同上(弘文堂)
『人類はいません』同上(福村出版)
『帰ってきたファーブル』同上(人文書院、講談社学術文庫)
『大学は何をするところか』同上(平凡社)
『犬のことば』同上(青土社)
『プログラムとしての老い』同上(講談社)
『ぼくにとっての学校』同上(講談社)
『ワニはいかにして愛を語り合うか』日高敏隆・竹内久美子(新潮文庫)
『浮気人類進化論』竹内久美子(晶文社、文春文庫)
『男と女の進化論』同上(新潮文庫)
『そんなバカな! 遺伝子と神について』同上(文春文庫)
『賭博と国家と男と女』同上(日本経済新聞社、文春文庫)
『小さな悪魔の背中の窪み 血液型・病気・恋愛の真実』同上(新潮文庫)
『パラサイト日本人論 ウイルスがつくった日本のこころ』同上(文春文庫)
『BC!な話 あなたの知らない精子競争』同上(新潮文庫)
『三人目の子にご用心! 男は睾丸、女は産み分け』同上(文藝春秋)
『シンメトリーな男』同上(新潮社)
『動物の社会』伊藤嘉昭(東海大学出版会)
『生態学と社会』同上
『種の起原』(上・下)C・R・ダーウィン、八杉龍一訳(岩波文庫)
『利己的な遺伝子』R・ドーキンス、日高敏隆他訳(紀伊國屋書店)
『延長された表現型』同上
『ブラインド・ウォッチメイカー』(上・下)同上、日高敏隆監修(早川書房)
『遺伝子の川』同上、垂水雄二訳(草思社)
『社会生物学』E・O・ウィルソン、伊藤嘉昭監修(新思索社)
『人間の本性について』同上、岸由二訳(新思索社)
『ティンバーゲン 動物行動学』(上・下)N・ティンバーゲン、日高敏隆他訳(平凡社)
『ミツバチを追って──ある生物学者の回想』K・フォン・フリッシュ、伊藤智夫訳(法政大学出版局)
『攻撃』K・ローレンツ、日高敏隆他訳(みすず書房)
『行動生態学』J・R・クレブス/N・B・デイヴィース、山岸哲他訳(蒼樹書房)
『生物の社会進化』R・トリヴァース、中嶋康裕他訳(産業図書)
『裸のサル』D・モリス、日高敏隆訳(河出書房新社、角川文庫)
『舞い上がったサル』同上、中村保男訳(飛鳥新社)
『赤の女王 性とヒトの進化』M・リドレー、長谷川真理子訳(翔泳選書)
『モラル・アニマル』(上・下)R・ライト、竹内久美子監修、小川敏子訳(講談社)
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単行本 一九九七年一月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成十二年七月十日刊