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ポケロリ りぼんの章
竹井10日
時間割
序章
朝のホームルーム 入学のお祝い
1時間目 体育 メイド服で水泳
2時間目 社会科見学 行き先、古代遺跡
3時間目 家庭科 メレンゲ作り
4時間目 算数 7+1=
終章
帰りのホームルーム さようなら、また明日
あとがき
[#改ページ]
序章
朝のホームルーム 入学のお祝い
父と母が自分を愛してくれて当然と思っている人間は、どれだけ自分が幸福かを知って欲しい。
……幼かった俺にはその幸福は与《あた》えられなかった。
周りの人間が自分の言葉に耳を傾《かたむ》けてくれる事に感謝しない人間は、自分がどれだけ恵《めぐ》まれているか分からないのだろう。
……幼かった俺にはその恵みは別世界の物だった。
親切や優《やさ》しさがどこからともなく湧いてくると信じて疑わない人間は、それらを得られない者の苦悩《くのう》を夢物語のように感じているに違《ちが》いない。
……幼かった俺には善意とは対極の物だけが降り注いでいた。
幸福、恵み、優しさ……。
子供だった俺《おれ》はその全《すべ》てを血を吐くような思いをしてもぎ取り、それらに必死で囓《かじ》り付いてきた。
世界の全てから拒絶《きょぜつ》された俺は、目の前の物をねじ伏《ふ》せながらしか、生きてこられなかった。
それはとても楽だった。
だって、それは、つまり、俺も世界を拒絶しているという事なのだから。
拒絶、戦い、躁躍《じゅうりん》。
無論、それだけでは得られない物もこの世界にはある事を俺は知っている。
だが、それは俺には必要のない物だ。
俺が望んだのは、戦いの果てに得られる物、あらゆる存在を支配する力。
そして……今、俺は全ての頂点に立っている。
「山風忍《やまかぜしのぶ》」
世界を統《す》べる組織、導師連盟。
その盟主たる老人が俺の名前を呼ぶ。
ここは導師連盟の本部である空飛ぶ塔、天空を駆《か》けるタワー・オブ・ヘヴンズ・バベル。
この塔の最上階にある天の間は、最高級の技術と芸術をつぎ込まれた総大理石の荘厳《そうごん》な建築物である。
床《ゆか》に敷《し》き詰《つ》められた深紅《しんく》の絨毯《じゅうたん》は、自らの色と大理石の白をお互《たが》い、鮮《あざ》やかに際立《きわだ》たせていた。
天井《てんじょう》は全面ステンドグラスの天窓として造られ、多種多様な服をまとった少女達が女神《めがみ》の周りを戯《たわむ》れるようにして囲んでいる。
それら全てが見事な調和をもたらす、まさに部屋自体が最高級の芸術品だった。
王侯《おうこう》貴族をも凌《しの》ぐ豪奢《ごうしゃ》さが更《さら》にその完成度を高める椅子《いす》に腰掛《こしか》けた、その間の主《あるじ》である老いぼれは、脇《わき》に十数名の導師を従え、俺を見据《みす》えながら言葉を続ける。
「汝《なんじ》を誉《ほま》れ高き導師連盟の、栄《は》えある大導師として迎《むか》える。そして、大導師たるに相応《ふさわ》しき『天位』を与えよう」
この世に2人しかいない天位の大導師。
目の前に座る実力もない権威《けんい》だけの老人では持ち得ない力の証《あかし》、『天位』の称号《しょうごう》。
今日、この時からは、俺が3人目の天位となる。
「……謹《つつし》んでお受けいたします」
恭《うやうや》しく頭《こうべ》を垂れながら、俺は漏《も》れそうになる笑《え》みを抑《おさ》えるので必死だった。
この俺が。
誰《だれ》からも見捨てられた存在だった俺が。
今日からは世界のナンパー3だ。
そして……やがては頂点に立つ。
「おめでとうございます!」
パチパチパチ!
背後からその場には不似合いにも思える少女が賞賛の言葉と拍手《はくしゅ》を俺に送る。
しかし、それを咎《とが》める者はなく、むしろ、それに唱和するように周囲から拍手の波が起こった。
手を叩《たた》くのは、居並ぶ導師達の後ろに隠《かく》れるように立っていた沢山《たくさん》の少女達だ。
導師の中には俺が人生の中で初めて出会った尊敬できる人間……俺の師匠《ししょう》もいる。
そして、俺は後ろを振《ふ》り向く。
昔とは違う……俺と喜びを分かち合ってくれる存在が俺にはいる。
文字通り、彼女は天使だった。
この瞬間《しゅんかん》、俺は天使に祝福された、世界で最も幸福な人間だっただろう。
そう……俺は、世界で最も幸福な人間だったはずだ……ほんの数時間前までは。
だが、これは何だ?
今、俺の目の前にある光景は何だ?
栄光の頂点にあったバベルは今や徐々《じょじょ》に崩《くず》れ落ち始め、やがて大地へと吸い込まれようとしている。
俺もろとも、だ。
頂上へ向かう螺旋《らせん》の階段も半分が失われ、俺が文字通り天に上り詰《つ》めたあの天の問へと至る道はもはやない。
壁《かべ》が剥《は》がれ落ちては地上へ落下していき、床の振動《しんどう》はもはや間断なく続いている。
そして……。
半ば捨てられるも同然に家を出された俺を救ってくれた恩師は……。
今、崩落《ほうらく》から俺を庇《かば》い、目の前で自らの肋骨《あばらぼね》に貫《つらぬ》かれて、口から血を吐《は》き出した。
「先生……せん……せい……。俺のために……こんな……」
「いや……むしろ、私の方が君に負い目を感じているよ。君に巴《ともえ》家を捨てさせて……巴|御剱《みつるぎ》という名を捨てさせたばかりだというのに……ここで私の命運が尽きるとはね」
俺を養子にまで迎えてくれた先生。
俺に本当の家族という存在を教えてくれた先生。
「何を言ってるんですか、先生っ!? 俺は……っ!」
「御剱君……」
「先生、俺は先生の……山風|刀夜《とうや》の息子です。山風、忍です!」
「忍……」
深く息を吐いて、先生は満足げに微笑《ほほえ》んだ。
閉じたまぶたの端《はし》から一筋、涙《なみだ》がこぼれる。
心の底から出てきた感情のほとばしりを嬉《うれ》しく思う。
けど……こんな時にこんな場所で見たくはなかった。
「……いいか、忍。君はここから逃《に》げろ。ここはもう保《も》たん……何としてでも逃げて……ごほっ!!」
大量の吐血《とけつ》が、先生の死を否応《いやおう》なく予感させる。
それでも、俺は先生を連れて行こうとした。
医者にかかれば……或《ある》いは治癒《ちゆ》能力を持った神官のもとへ行けば……何とかなるはずだ。
「せ、先生……先生も……」
「ははは……私はここの塔《とう》以上に保ちそうもないよ……。……ほのか……に……帰れなくてすまないと、……愛していたと……伝えてくれないか。君の……母さんに……だ」
ほのかさん……先生の奥さんである優《やさ》しいあの人に、俺はとてもそんな残酷《ざんこく》な事を伝えられそうもない。
先生は一息つくと、俺の後ろに控《ひか》えている天使に焦点《しょうてん》の合わない目を向けた。
「……セシル、忍を頼《たの》む……君の、マスターだ」
「はい……刀夜さん……」
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俺と喜びを分かち合った天使……白い翼《つばさ》を持ち輝《かがや》く輪を頭上に戴《いただ》く少女、セシルは、師匠の名を呼び、頷《うなず》く。
先生は再び俺の方を向く。
しかし、その瞳《ひとみ》にはもう俺が映っていないように思えた。
「さあ……もう行くんだ、忍。君を息子に持てて……私は幸せ者だった……」
「先生っ……先生ぃっ!!」
「……」
先生の目には既《すで》に光がなかった。
その光景を忘れる事は……一生出来そうにない。
忘れては、いけない事だ。
「……マスター……もう行きましょう。ここもかなり崩れ始めました……マスターを庇った刀夜さんの志を無駄《むだ》にしてはいけません」
「……分かって……いるさ」
答えながら、俺は立ち上がる。
さようなら……先生……。
……すみません。
そう……心の中で何度も何度も繰《く》り返しながら、俺は走った。
崩《くず》れゆく巨大《きょだい》な塔の中、上り詰めた俺の栄光の座も共に崩れていっているようで……。
けれど、それでも、俺はまだどこかで信じていた。
俺の後ろを影《かげ》のように走る天使は、永遠に俺の後ろにいて……。
こいつがいる限り、俺はまだその羽で幾《いく》らでも、何度でも、栄耀栄華《えいようえいが》の絨毯《じゅうたん》が敷《し》き詰められた階段を駆《か》け上がっていけるのだと……。
まだ終わってはいない。
天使が……セシルがいるのだから。
「マスター!!」
「!?」
後ろから引っ張られるように呼ばれて、足に急ブレーキをかける。
「……まだ生き残りがいたか」
俺の目の前に立っていた。
そいつが立っていた。
この災厄《さいやく》をもたらした破壊者《はかいしゃ》、俺の尊敬する師匠《ししょう》をついさっき死に導いた殺人者……黒い宝石を額に宿した少女は、冷徹《れいてつ》な笑みを浮《う》かべ、逆巻く炎《ほのお》と煙《けむり》の中に立っていた。
「天使《アイオーン》を従えし者か……少しは骨がありそうだが……」
人の齢《よわい》にして10に満たないであろう姿をしたその少女は、返り血で真っ赤になった腕《うで》をすっと上げる。
「我らが下等種族の人間に使われる時代は終わる」
その手にはごつごつとした装飾《そうしょく》が施《ほどこ》された長い鎌《かま》が握《にぎ》られている。
「我らに凡百《ぼんびゃく》の使い手は不要」
その鎌の刃《やいば》には赤黒く発光するエノク文字が綴《つづ》られている。
「真に一つの王ならざる者は滅《ほろ》べ」
その片目には額と同じ、黒い宝石が埋《う》め込まれた眼帯が当てられている。
「貴様が真に一つの王ならば、今、我を倒《たお》して更《さら》なる高みにゆけ」
その装束《しょうぞく》は夜の闇《やみ》よりなお暗く、入の心よりなお黒い布で織られている。
「さもなくば、このまやかしのバベルに巣くっていた奴《やつ》らと同様……」
その短く整えられた髪《かみ》の上には髑髏《どくろ》を象《かたど》った帽子《ぼうし》のような兜《かぶと》のようなものを載《の》せている。
「ここで死ね!!」
その少女は……まさに死神そのものだった。
人に反旗を翻《ひるがえ》した人にあらざる者。
人間の少女に酷似《こくじ》しながら、遺伝的に全く異なる種である、生まれながらに額から宝石を露《ろ》出《しゅつ》させた生命体、ポケロリ。
時にそれは、天使の姿をし、死神の姿をしている。
今、俺の前で対峙《たいじ》している2人のように。
「マスター、下がってください!」
「来るか、天使《アイオーン》。そして……天使《アイオーン》使い」
塔が崩れた事などどうでもいい。
権力にあぐらをかいた導師連中が何人死のうと知った事ではない。
だが……一つだけ許せない事がある。
「先生の仇《かたき》は討たせてもらうっ!!」
「ふん……私情で動くか。未熟な」
その時。
ドガガッと激しい崩落音《ほうらくおん》が辺りに轟《とどろ》いた。
そして……天井《てんじょう》の一部から、天空の異常な様子が露呈《ろてい》した。
「空が……」
「赤い……月……!!」
この世に常軌《じょうき》を逸《いっ》した出来事が起ころうとしている。
「アストラル界に導かざる、この偽《いつわ》りのセフィロトの樹《き》、まやかしのバベルは沈《しず》む。……その前奏曲《プレリュード》としてはいささか大仰《おおぎょう》ではあるが……あの赤い月は死者へのせめてもの手向《たむ》けだ」
「お前、何者だ……?」
今の事態を引き起こしている者の一人には違《ちが》いなかろう死神に、戦傑《せんりつ》しながら問うた。
「我が事よりも、貴様だよ……。……。衛星|軌道《きどう》上に浮かぶ10の魔導書《グリモワール》……」
それから、死神はゆっくりと何かの呪文《じゅもん》を唱えるように、その名を並べた。
「アプラ=メリン」
「アルバデル」
「赤い竜《りゅう》……グラン・グリモア」
「黒い雌鳥《めんどり》」
「ソロモソの鍵《かぎ》」
「ピラミッドの哲人《てつじん》」
「ヘプタメロン」
「ホノリウス」
「ラジエルの童目」
「レメゲドン」
そして、死神が月を仰《あお》ぐ。
「貴様が……それら10の魔導書《グリモワール》のデータにある、10のセフィロトの10番目に過ぎぬのか。或《ある》いは、我ら黒き宝石のポケロリ、|アビス《深淵》の上に横たわるダアトの民《たみ》の救い主たるか。見極《みきわ》めさせて貰《もら》おう」ジリジリと、立つ位置を変えながら、セシルが囁《ささや》くように俺に言う。
「……マスター、良く聞いてください」
「……?」
「わたしはこいつを倒します……いえ、倒してみせます。けど……この塔《とう》はわたしが出す力にもう耐《た》えられません。すぐそこに地上への脱出《だっしゅつ》用|魔法陣《まほうじん》があります。マスター……どうか、先に地上へ」
「馬鹿《ばか》を言うなよ」
セシルが冷静な声で言ったからだろう。
俺も存外に感情を抑えているのが自分で分かる。
「わたし一人なら、あいつを倒した後、この羽で飛んで降りる事が出来ます。勝算があっての事です」
「俺を抱《かか》えて降りるのは嫌《いや》だって言うのか」
「はい」
「はっきりと言う」
「マスターはこのところ、不摂生《ふせっせい》でしたから」軽く笑う。
「こいつ……」
セシルに気負った様子はない……。
心配ない、か。
「それに、マスターはまだ未熟です。わたしの作戦が間違っていた事がありますか?」
「……ないな」
「では、決まりですね」
言ってくれる。
しかし……相棒を信じるという事は、先生から教わった基本だからな……。
「分かった」
奥歯をぐっと噛《か》みしめた。
そして……俺の背丈《せたけ》の三分の二ぐらいしかない少女の瞳《ひとみ》の奥の奥を見つめる。
「必ず……地上でまた会おう」
「はい……必ず」
セシルはいつもと変わらず、慈愛《じあい》の溢《あふ》れる、それでいて強さを秘めた瞳で俺を見返した。
決意に満ちた、頼《たの》もしい表情。
俺はセシルを信じている。
信じて……。
信じすぎて、甘えすぎて……。
俺はこの後、自分をどれだけ呪《のろ》っても呪いきれない後悔《こうかい》を背負う事になる。
「作戦は決まったか?」
余裕《よゆう》を見せている死神が、俺たちの気配を察して、鎌《かま》の切っ先を向けた。
「ええ」
セシルの手の平に、わき出した光が、羽根の形状を取ってヒラヒラと舞《ま》う。
天使が行使する力場が具現化した物だ。
「天使《アイオーン》……マルクトのフィルター越《ご》しの貴様に何が出来るか」
「ジェンマ3つを全部使えば、一時的にブリアー界の扉《とびら》を開けるわ」
「……死ぬ気か」
「死なないわ……だってわたしは……」
……?
どうも、さっきから、死神の言葉には分からない単語が頻繁《ひんぱん》に含《ふく》まれている。
そして、それらをセシルは分かっているようだった。
「何だ……何を言っている……?」
「ふ、新米導師は……導師連盟から、まだカバラの秘術を受け継《つ》いでいないと見えるな」
死神の嘲笑《ちょうしょう》に、セシルが激しく反応する。
「わたしのマスターにそんな物は必要ないわっ! ……さあ、マスター、早く魔法陣へ!」
「けど……」
死ぬだのという言葉を聞いては……。
「大丈夫《だいじょうぶ》! わたしは強いんですよ! なんたって……マスターの……山風忍のポケロリなんですから!!」
そうだ。
信じるんだ。
「セシル、俺の精神はいつでもお前と共にあるからな!!」
「はい……!!」
そして、俺は走った。
遠ざかる2人の声が俺の耳朶《じだ》を打つ。
「逃《に》がすのか……無駄《むだ》な」
「わたし一人で充分《じゅうぶん》よ」
何度か崩落《ほうらく》に巻き込まれかけながら……。
程《ほど》なくして、俺は魔法陣の上に立つ事が出来た。
天使と死神。
2人の戦闘《せんとう》が生み出す光が俺の方へ少しずつ近づいて来る。
セシルの姿が見えた。
「……セシル」
魔法陣《まほうじん》を起動する水晶《すいしょう》は、既《すで》にさっき操作|盤《ばん》に押し込んである。
今は俺の足下《あしもと》で魔法陣を白い光が駆《か》けめぐっていた。
白いヴェールとなりつつある魔法陣の向こう側。
セシルが俺の方をちらりと見て言った。
「刀夜さん……これで、いいんですよね……」
その言葉にはさっき俺を説得した力強さはなかった。
異変に気づき、魔法陣を飛び出しかける。
「おいっ! セシル!!」
だが……。
踏《ふ》み出した足は転移の魔法陣の効果によって、地上へと消えていき……。
脚《あし》が。
身体《からだ》が。
セシルに伸《の》ばした手が。
瞬《またた》く間に白い光に包まれて……。
ホワイトアウトする視界の向こう。
寂《さび》しげに。
寂しげに寂しげに微笑《ほほえ》む表情で……。
最後の瞬間《しゅんかん》。
「さようなら……」
キーンという転移のハム音にかき消される小さな声が辛《かろ》うじて俺の耳に届いた。
「……お兄ちゃん」
[#改ページ]
1時間目
体育 メイド服で水泳
風が心地《ここち》よい。
川沿いの草地を見下ろす狭《せま》い田舎道《いなかみち》を、馬車のわだちの跡《あと》を追うように進む。
僕の名は山風忍。
生き別れになった掛《か》け替《が》えのない相手を捜《さが》し……北へ南へ、東へ西へ、それぞれ1kmずつ進むと元の場所に戻《もど》るので注意しながら、もう何年も旅を続けている。
捜している相手……彼女は、或《ある》いはもうこの世にはいないのかも知れない。
……でも……それでも僕はその幻《まぼろし》を求めるように、放浪《ほうろう》の生活を続けている。
それは或いは、巡礼《じゅんれい》の旅と言ってもいいだろうか。
「……」
とかいうと聞こえはいいが、実質的には、故郷はもとより、立ち寄る町や村で変な騒《さわ》ぎを起こしては、そこにいられなくなったために、転々としているだけのようにも思える。
具体的には、世話になった釣《つ》り人に礼をするべく、夜中にこっそり、家の前に釣り餌《え》のミミズを山ほど積んでおいたら、付近住民から呪《のろ》われた家|扱《あつか》いされたとか。
もしくは、世話になった人形屋に礼をするべく、夜中にこっそり、家の前に人形の髪《かみ》の材料となる髪の毛を(床屋《とこや》で貰《もら》ってきた)大量に積んでおいたら、付近住民から呪われた家扱いされたとか。
……。
みんな迷信深くて困るな。
んな感じに、何かと追い出されがちな人生ではあるが、しかし、まあ、そこは気の持ちよう。
大自然に身を任せて、流れゆけば、何だか自由人っぼくて素敵《すてき》な感じだ。
そう思い、小川のせせらぎを聞きながら、川べりの道を歩く僕は、何かにひかれたように空を眺《なが》めた。
ぐー……。
腹の虫が鳴った。
こんな風に自然をいくら満喫《まんきつ》しても、空腹を埋《う》める事は出来ない訳だが……。
あー、腹減ったな……こんな時は……そうだ、あの手を!
軽く見上げていた大空を、凄《すご》い勢いで更《さら》に大々的に見上げる。
視界の全《すべ》てが、真っ青な空と、それを彩《いろど》るアクセントのような雲で覆《おお》い尽《つ》くされた。
そして、そのまま、のけぞってブリッジをした……つもりが、べちゃっと潰《つぶ》れる。
「うわあ、行き倒《たお》れたっ!!」
通りすがりの少女がいきなり仰向《あおむ》けに倒れた僕にビビっていた。
いきなり路上でブリッジをして驚《おどろ》かせ、おひねりという名の手持ちの食料を貰う計画だったが、失敗した。
僕の体力も落ちたものだ……。
しかも、こんな田舎道では、人も全くといって良いほど通ってないため、計画が成功しても結果はあんまり変わりそうもない。
「私、初めて見ました……目の前で行き倒れる人」
「金を出せ」
「私、初めて見ました……行き倒れて恐喝《きょうかつ》する人」
「……」
そりゃそうだ。
そういう人間はそんなにはいない。
そこでようやく、倒れたままの僕と会話する変な少女の様子に意識をやった。
年の頃《ころ》、13、14だろうか、眉毛《まゆげ》の上できっちり切りそろえた髪の毛が印象的な子だ。
美少女と言っても良い。
「あー、いや……金じゃなくて、食い物だ。何か食う物はないか、美少女? 腹が減ってな……」
今現在の路銀は豊富という訳ではないが、困るほどない訳ではない。
こども銀行にこども積立定期預金とかして、それなりに蓄《たくわえ》えもあるしな。
「あいにく、私は持っていませんが……川をもう少し下った所に、村がありますから、そこの宿屋でご飯をお出ししていますよ? ちょうど村に帰る所ですから、よろしければご案内しましょうか?」
「それだ!」
つま先だけを地表につけ、ブリッジの姿勢から、みょいんと立ち上がる僕。
「うわっ、気持ちわるっ!」
「失敬だな」
「そんな風に立ち上がる人、初めて見ました」
僕に美少女だと言われ、図に乗ってそんな事をぬかしているに違《ちが》いない小娘《こむすめ》に仕方なく付き従い、村まで歩いていく。
と、その途中《とちゅう》、ある事に気づく。
「あれ……? お前、ポケロリか?」
「はいっ」
少女が驚きつつ、少し微笑《ほほえ》んだ。
ポケロリ。
それはこの星、レモネードに人類と共存する生命体だ。
額にはジェンマと呼ばれる小さな宝石がついており、それ以外はほとんど人間と見分けのつかない謎《なぞ》多き生物。
その全てが人間の年齢《ねんれい》で言う5歳から15歳程度の少女の姿をしており、卵から生まれた時の姿によって、様々な種族……セーラー、ブルマ、メイドさん、ウェイトレス、浴衣《ゆかた》、白衣など、無数に分類される。
そして、種族の持つ特別な技《わざ》や、ジェンマに秘められた力を駆使《くし》し、ある者は炎《ほのお》を吐《は》き、またある者はゲロを吐き、メイドさん属はいそいそとその後始末をする。
まあ、このように、不可思議な能力で人間の良き友人として、その生活を支えてくれる存在なのだ。
一様に少女の姿をした彼女らは、擬態《ぎたい》として小さな縫《ぬ》いぐるみの姿になって、ポケットに収まる事も出来る。
縫いぐるみといっても、いわゆる手に装着できるパペットなので、楽々収納だ。
質量保存の法則とかどうなってんだよとも思うのだが、物の本によると、異次元空間に一時的に移送しているのだそうだ。
人間サイズからパペットになる時、パペットから人間サイズに戻《もど》る時に、ボムッとか音を立てるのが次元移送時の余波で……まあ、難しい話はいいか。
とにかく、ポケットサイズにもなる少女達、というところから、彼女らは……。
略してポケロリと呼ばれていた。
で、そのポケロリが今、僕の目の前にいて、微笑んでいる。
「よくお分かりになりますね、私がポケロリだと」
「いや……一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。まっぱにオーバーオールだけ着てるような人間は、そんなにはいない」
脇《わき》が異様に甘く、目のやり場に困る。
「いえ、でも、この間お会いしたおじさんは、まっぱにコートでしたよ?」
「そりゃ、変質者だっ!」
山の奥から出てきた野に住むポケロリだからなのか、田舎《いなか》に住んでいるからなのか謎だが、オーバーオール属の少女はどこかズレていた。
「とにかく、まあ、人前に出る時は上から何か羽織るなりしろよな」
誇《ほこ》り高い種族は、決して生まれながらの自らの服装を変える事はしないと言うが、僕の記憶《きおく》ではオーバーオール属は、開かれた脇のごとく、おおらかだというから、その辺はあまり気にしないはずだ。
「はあ……そうですねえ。今度、機会があったら着てみます」
のほほんと笑う姿に生き別れになった懐《なつ》かしい少女の顔が重なって見えた。
似ている訳ではないのに……離《はな》れ離れになったあの少女の笑顔が浮かんで消える。
時々、不意に、こんな風に思い出す事があって、僕の心は締《し》め付けられそうになるのだ。
「なんですか?」
僕がじっと見下ろしているのを、不思議に思ったのだろう、オーバーオールが少し笑みを引っ込めて上目遣《うわめづか》いに見てきた。
脇だけではなく、胸元《むなもと》もノーガード戦法なので、紳士《しんし》的に出来るだけ目を逸らす。
「ん……いや……。あ。あそこに見えるの、村の建物か?」
少し遠くにある雑木林の中で、崩《くず》れかけた巨大《きょだい》な煙突《えんとつ》のなれの果てような物がポツンと浮かぶように佇《たたず》んでいた。
ツタに覆《おお》われて、一瞬《いっしゅん》、人工の建造物とは判別しかねるほどの代物《しろもの》ではあるが……。
「え? ……あ、いえ……あれは……古代の遺跡《いせき》ではないかと言われています。何年か前に森林の伐採《ばっさい》をしている時に発見されたとか、森林伐採をしたせいで森の神様が怒《おこ》って大爆発《だいばくはつ》と共に現れたとか……。村の人はあまり近づきたがらないので、詳《くわ》しくは分からないんですけど……。私もこの辺りに来てそんなに長い訳じゃないですし」
「古代遺跡……ね」
「はい。ただ、村の人たちは、あれをバンダルグの迷宮館《めいきゅうかん》と呼んでいるようですが……」
何故《なぜ》か、オーバーオールがあまり触《ふ》れたくなさそうに俯《うつむ》く。
館《やかた》……と呼ぶには、形がやや怪《あや》しい……というか、縦に変に長く、しかも横への広がりのない建物ではある。
どちらかというと、館の上の方をぶった切って、地面に斜《なな》めに突《つ》き刺《さ》した、という印象が強い。
古代遺跡というからには、古代人センスなのだろうが……それにしてもあの遺跡……待てよ!?
あの頂上部の形……まさか……いや、まさかな……ん?
遺跡のてっぺんに……誰《だれ》かいる、のか?
遠すぎる上に、どうやら頭からすっぽりとローブをまとっているらしく、何者かは分からない。
が……何というか……その姿に、既視感《きしかん》を覚える。
あれはまるで、天空で翼《つばさ》を風になびかせる天の御使《みつか》いのような……。
「天……使……?」
「え……? ……何もいませんよ?」
一瞬、オーバーオールの方に意識が行って、その後、もう一度遺跡の方に目を向けるが、そこにはその言葉の通り、既《すで》に何者の姿もなかった。
「あ、そんな事よりも、旅のお話を聞かせてくださいよ」
「ん? んー……」
精神的に少し疲《つか》れているのかもな……と思って気持ちを切り替《か》え、それから、他愛《たわい》のない会話を交《か》わしながら、オーバーオールと一緒《いっしょ》に歩く。
ポケロリの狭《せま》い歩幅《ほはば》に合わせるのは、多少じれったいものだが、これだけ天気のいい日ならば優雅《ゆうが》な散歩と思えるから、人の気分というのは不思議なものだ。
……これで腹さえ減ってなけりゃな。
てな事を思いながら、道と併走《へいそう》する川を跳《は》ねる魚に目をやったりしていると、彼女のゆったりとした歩調に同期して、立ち並ぶ木々の向こう側から徐々《じょじょ》に村の建物が見え始める。
村の入り口に着くと、その質素な木製の門に寄り添《そ》うように立っている建物をオーバーオールが指さす。
「あれが宿屋です。私は雑貨屋さんにお使いがあるので、これで……」
「おう、ありがと。達者でな、オーバーオール」
「はい、お兄さんもお元気で」
オーバーオールは別れの言葉を発してからも、数歩歩いてはこちらを振《ふ》り返って、ぱたぱたと何度も手を振っていた。
その様子に苦笑《くしょう》しながら、よくよくポケロリに好かれる性分《しょうぶん》なのだなあと我ながら思う。
ぐー……。
道の角を曲がったオーバーオールが建物の陰《かげ》に隠《かく》れるのを見計らったように、腹の虫が鳴った。
「さて……腹も減ったし、メシを食うとするか」
年代物の宿屋の開ぎ戸をくぐると、村人らしき者と旅人とおぼしき姿の者2、3人がこちらをちらりと見る。
「いらっしゃい」
人の良さそうな宿屋のオヤジがカウンターの向こう側から声をかけてきた。
「おーい、ウェイトレス、お客さんだがやー」
オヤジは微妙《びみょう》に訛《なま》っている。
「はい、ただいまー」
店の奥から、ぽてぽてと小さなウェイトレスが走ってくる。
前髪《まえがみ》をカチューシャで留めて、露出《ろしゅつ》している少女の額には、半分|皮膚《ひふ》に埋《う》まったトパーズが輝《かがや》いていた。
随分《ずいぶん》とポケロリに縁《えん》のある日だと思いつつ、応対に出たニコニコと微笑《ほほえ》むウェイトレス属の少女を見下ろす。
「いらっしゃいませ。お泊《と》まりですか?」
多少、舌足らずな感じな喋《しゃべ》り方とその背丈《せたけ》から、人間で言うと外見上は8、9歳ぐらいだろうか。
ポケロリは、その外見|年齢《ねんれい》によって下から、年少組、年長組、1年生、2年生、3年生、4年生、5年生、6年生、新入生、在校生、卒業生の11段階のランクに分けられる。
このウェイトレスは2年生か3年生といった所だろう。
まあ、見た目通りの歳《とし》とは限らん訳だが……ポケロリの場合は。
何しろ、一定以上は育たないからな……1年生のまま一生を終えるポケロリもいるし。
「いや、メシを食わせてくれると聞いたんだが」
「あ、はい。では、そちらのカウンターにどうぞ」
愛想の良いウェイトレスに、席に案内される。
種族|柄《がら》なのか、ウェイトレスには朗《ほが》らかな奴《やつ》が多いな……表面上だけかも知れんが。
「何を召《め》し上がりますか? 味噌《みそ》カツなんかオススメですよ」
ちょっと悩《なや》んで、結局、あんかけスパゲッティを頼《たの》むと、宿屋のオヤジにオーダーを通しに、ウェイトレスは来た時同様、ぽてぽて歩いていった。
「あー、ウェイトレス、昼休みとってええぞ」
「はい、ありがとうございます。あ……あのお客さんにお食事を持っていってからにしますね」
「そうか。よぅ働かっせるなあ、ウェイトレスは」
『働かっせる』というのは、この辺の方言で『働きなさる』という丁寧語《ていねいご》だ。
「えへへ、私、働くの大好きです」
オヤジとウェイトレスのそんな会話を、ぼんやりと聞く。
ポケロリは通常、名前では呼ばれない。
今のように『ウェイトレス』とか、あるいは『ブレザー』とかいうように種族の名前で呼ばれるのが通例だ。
しかし、友情や愛情や信義や、そういったものによって人間を認めた時、ポケロリはその相手のことを『マスター』と呼び、その人間から名前を貰《もら》う。
ポケロリにとって名前というのは、絆《きずな》の証明なのだ。
「はい、お待たせしました。あんかけスパゲッティです」
「サンキュー」
思索《しさく》に耽《ふけ》っている僕の前に、湯気を立てるパスタか置かれる。
熱いので気を付けてくださいねと言ってフォークを手渡《てわた》してくるウェイトレスが女神《めがみ》に見えるほど、空腹でたまらない自分がちょっと哀《あわ》れに思える……。
「いっただきまーす!! んっ、美味《うま》っ!!」
太麺《ふとめん》に絡《から》むあんかけソースに舌鼓《したつづみ》を連打しつつ、皿の中身を半分ほど平らげた所で、店の外が騒《さわ》がしい事に気づいた。
静かな村だと思っていたが、どこにでも騒がしい奴はいるもんだな。
「……?」
バタン!!
木戸の方へ目をやった瞬間《しゅんかん》に絶妙《ぜつみょう》なタイミングで、転げるようにして女の子が一人、宿屋の中に駆《か》け込んできた。
「ナネット様!? ど、どうなさったげな!?」
大きな音に驚《おどろ》いた宿屋のオヤジが慌《あわ》てて、ナネットと呼んだ少女に走り寄る。
様付けで呼ばれている所を見ると、まず間違《まちが》いなく、良い所のお嬢《じょう》さんだな……下手をすると貴族の子女とかあたりか。
少女の着ている上等な生地《きじ》で仕立てられたワンピースには、惜しげもなく装飾《そうしょく》が施《ほどこ》されているし、長い髪《かみ》の脇《わき》が綺麗《きれい》に編み込まれている。
それに、首から下げているペンダントも結構な値打ち物のようだし……身なりもそうだが、何より慌てているにもかかわらず物腰《ものごし》が上品だ。
「バンダルグのポケロリが……襲《おそ》ってきて……」
「そらいかんわ……!? とうとう村まで出てくるようになりゃーしたか……」
息を切らすナネットの言葉に、宿屋のオヤジが青くなる。
……ん?
バンダルグ……って、確か、村の近くにあった森の中の館《やかた》が確か、そんなような……。
「どえりゃーこった。あの悪党、とうとう領主様に仇《あだ》なすようになったがね」
「たーけっ、関《かか》わり合いになりゃーすな。この間も用心棒になった奴が大怪我《おおけが》した所だなも。おそがいでかんわ」
奥のテーブルで食事をしていたこの村の住人2人組がヒソヒソと訛《なま》った言葉で話をするのが聞こえてきた。『おそがい』っつーのは、あれだな、『怖《こわ》い』という意味だな、確か。
しかし……ふん、悪党バンダルグ……ねえ。
どこにもそういう人間はそれなりにいるものだと思いつつも、気になるのは……ポケロリを使って悪事を働くって所だ。
ポケロリっていうのは、基本的にあまり人に害を及《およ》ぼさない者で……まあ、悪戯《いたずら》好きな種族もいるにはいるが、根は善良な奴が多い。
しかし、マスターを持つポケロリとなると、少し話が違ってくる。何故なら、マスターとの絆が強ければ強い程《ほど》、ポケロリは自分の良心に背《そむ》いても、その命令に従うからだ。
だから、ポケロリを私利私欲のため、悪事に使うなど……僕にとっては許せる事ではない。
彼女らはそんな事に使うべき存在ではないのだ。
……と、その時、不意にギィッと耳障《みみざわ》りな軋《きし》んだ音を立てて宿屋の扉《とびら》が開かれ、僕を思索の淵《ふち》から引き戻《もど》す。
僕が視線を投げると、そこに、外からの逆光に照らされた小さな人影《ひとかげ》。
メイド服にメイドキャップ、そして、短く切りそろえた栗色《くりいろ》の髪の下に見え隠《かく》れする額の宝石《ジェンマ》……紛《まぎ》れもなくポケロリだった。
ランクは……5年生か6年生ぐらいだろうか。
敵意に満ちた目をナネットに向けるメイド。
脅《おび》えたようにナネットは後ずさりする。
「ここなら……」
メイドが外見に相応《ふさわ》しからぬ低い声を発した。
それだけに、抑《おさ》えた怒《いか》りがより一層感じられる。
……こりゃ、もめ事が起こらないうちに、スパゲッティをかき込んだ方が良さそうだな。とか思いながら、騒ぎになって、料理がひっくり返されたりしないうちにスパゲッティを平らげるべく、ずるずると必死にすする。
「あなたも……」
ずるずる……。
「いつものようには……」
ずるずるずるずる……。
「いかな……」
ずるずるずるずるずるずるずるずる……。
「そこっ! ずるずるうるさいっ!!」
「……」
口いっぱいに詰《つ》め込んだせいで喋《しゃべ》れない。
意思表示をしないと殴《なぐ》りかかられそうなので、コクコクと頷《うなず》く。
「……とにかく。あなただけは……」
「うっ、うぇっほっ、ゲホゲホっ!!」
飲み込み損《そこ》ねて、スパゲッティが変な所に入った。
「……」
見かねたウェイトレスが水の入ったコップを、そして、怒りを抑えた震《ふる》える手でメイドもハンカチを、それぞれ僕に差し出す。
「う……すまん……」
いててて……す、スパゲッティが鼻から……。
「……。……!?」
パリンッ!! ガシャンッ!!
「逃《に》がさないわ」
皿が割れる音に続いて、酒瓶《さかびん》が床《ゆか》に落下して、途切《とぎ》れた緊張《きんちょう》が再び高まる。
僕が鼻からスパゲッティを出してる間に、宿屋のオヤジに裏口から逃がされようとしていたナネットの足止めに、メイドがフリスビーのように素早《すばや》く皿を放《ほう》ったのだ。
かなりの早業《はやわざ》だったので一瞬《いっしゅん》分からなかったが、酒瓶|棚《だな》に突《つ》っ込んだ皿が酒瓶を弾《はじ》いて落としたらしい。
ちなみに、その皿は、さっきまで僕が食べていたスパゲッティが載《の》ってた奴《やつ》で……やはり早めに食いきっておいて正解だったな。
「そのペンダントを寄越《よこ》しなさい」
「こ……これは……」
すっと手を差し出すメイドに、ナネットが両手でペンダントを覆《おお》い隠しながら後ずさる。
確かにさっき値打ち物のようだとは思ったが……強盗《ごうとう》が欲しがるとは或《ある》いは相当のもんかもな。
「あなたには相応しくない物よ、小娘《こむすめ》。さあ、ペンダントを」
メイドが手を差し出したまま、ずいっと進み出る。
ま、確かにいくら金持ちとはいえ、若い娘が持つには少々高価な気はするがな……。
「差し上げられませんっ! これは……『お母様』の形見ですから」
「っ!! 貴様っ!!」
ナネットの拒絶《きょぜつ》の言葉が癇《かん》に障ったのか、メイドが叫《さけ》ぶ。
その鋭《するど》い声に、ナネットが逃げ場を求めるように1、2歩よろめいて、壁《かべ》に背をついた。
そして、更に追いつめるべく、僕の横を通って、メイドが宿屋の奥へと歩いていく。
……いかんな、これは止めないと。
「待ちなさい」
だが、僕が声をかけるより先に、僕の隣《となり》にいたウェイトレスが、そう言って、メイドの手首をつかみ、歩みを止めさせる。
「お店を壊《こわ》すのは、ウェイトレスとして許せません。これ以上、狼藉《ろうぜき》を働くのなら……私がお相手します」
毅然《きぜん》とそう言い切ったウェイトレスが、鉄のトレイを優雅《ゆうが》に構える。
「邪魔《じゃま》をするなら容赦《ようしゃ》しないっ」
メイドがいらついた様子で、握《にぎ》られた手首を振《ふ》り払《はら》い、怒気《どき》をわずかに発散させつつ、言い放つ。
そして、背中に背負ったモップをゆっくりと突き出した。
どちらもあんまり戦いに向いた種族とは思えないが……。
それでも、ポケロリが能力を発揮しだしたら、僕のような普通《ふつう》の人間では、割って入る余地などまるでなくなる。
と、考えた矢先に、メイドの声が耳朶《じだ》を打った。
「倒れろっ!!」
ブンッ……ガキンっ!!
メイドがモップを上段から振り下ろし、ウェイトレスがそれをトレイで受ける。
木のモップがミシッと軋《きし》む音を立てた。
「私のジェンマ、トパーズは物の硬度《こうど》を高める事が出来ます。ウェイトレスのお仕事には何の役にも立たないですけど、ね」
力を発している事の証明に額のトパーズを輝《かがや》かせながら、そう言って、余裕《よゆう》の笑《え》みをウェイトレスは浮《う》かべる。
しかし。
メイドのジェンマが青く輝き始めるのが、僕の方からは見えた。
サファイア……いや、アクアマリンか!
僕が思い至るのと同時に、モップの先端《せんたん》から染《し》みだした液体が鉄のトレイに触《ふ》れ、ジュワーッと煙《けむり》を上げる。
「アクアマリンのジェンマカだ! そいつは酸だぞ、逃げろ!」
「遅《おそ》いっ!」
バッと退《しりぞ》き、間合いを取ったウェイトレスに、メイドは強酸のモップを更に打ち下ろそうとする。
酸の飛沫《ひまつ》が床《ゆか》にピピッと飛び、木の床が焦《こ》げた。
「今日の日直っ! スクール水着ポケロリ、瞳亜《とうあ》、号令っ!!」
僕はポケロリの気力を上げるための術式にのっとったセンテンスを紡《つむ》ぎながら、懐《ふところ》にしまい込んでいた小さな縫《ぬ》いぐるみを2人のポケロリの間に投げた。
ウェイトレスに迫《せま》るモップ。
モップの前にボムッと破裂音《はれつおん》を立てて、パペット状の縫いぐるみから少女の姿に戻《もど》ったスクール水着のポケロリ。
突然《とつぜん》の事に驚《おどろ》くウェイトレスとメイド。
そして。
「起立っ、礼っ……」
僕の叫びに呼応する術語をスクール水着ポケロリが吼《ほ》えて……。
「着水っ!!」
僕が使役《しえき》するスクール水着のポケロリ、瞳亜が生まれ持った水の力を発揮し、酸をたっぷり吸ったモップを凍結《とうけつ》させた。
スクール水着の種族、通称《つうしょう》スク水属の力に呑《の》み込まれないように、メイドはモップを手放し、バックステップを踏《ふ》んだ。
「お客さん……ポケロリ使いだったんですか!?」
[#挿絵(img/th159_058_s.jpg)]
ウェイトレスが目をぱちくりしながらこちらに視線を投げかけるのを見て、少しだけ唇《くちびる》の端《はし》に笑みを浮かべて応《こた》える。
「まあな」
ポケロリ使い、それはポケロリにマスターと呼ばれる者であり、野良《のら》ポケロリでも同族が認めたその存在には一目置く。
「マスター!」
瞳亜が長いツインテールの髪《かみ》を揺《ゆ》らした。
青と緑の瞳を輝かせ、在校生ランクの伸《の》びやかな手足をピンと張って、僕を誇《ほこ》らしげに呼ぶ。
「マスター、ご命令をっ!」
「よし、泳げ!!」
「無理な事は言うなっ!!」
すげえ怒《おこ》られた。
確かに、瞳亜の言う通り、泳げる環境《かんきょう》はここにはないようだった……。
「ごほん……マスター、ちゃんとしたご命令を」
もう少しボケ倒して場の雰囲気《ふんいき》を和《やわ》らげたい気もしたが、これ以上やると、僕が瞳亜に撲殺《ぼくさつ》されかねん。
そうなると、更に場が殺伐《さつばつ》とするしな……仕方ない。
「そのメイドを捕縛《ほばく》してくれ。ただし……あんまり、傷つけるなよ」
「はいっ」
『マスターは優《やさ》しいんだから、もう』という感じに微笑《ほほえ》む瞳亜。
一方、氷で固められたモップを手放し、武器を失ったメイドは、瞳亜とウェイトレスの動向を気にしつつ、それでもナネットに厳しい視線を送るのを止《や》めていない。
「水系のジェンマ、アクアマリンでは本場の水ポケロリ、|スクール水着《あたし》には対抗《たいこう》出来ないわよ!」
瞳亜が牽制《けんせい》の意味も込めて、不敵に叫《さけ》ぶ。
それを受けて、体勢を立て直したウェイトレスが伝票を挟《はさ》むためのクリップバインダーを構えながら言った。
「ジェンマの強弱、種族の上位下位などの要素もありまスけど……スクール水着は水中の王者! 水のジェンマやポケロリには無類の強さを誇りまスものね」
「……くっ!!」
しかし、2対1の不利を悟《さと》ったのか、瞳亜との属性の相性《あいしょう》の悪さを忌避《きひ》したのか、メイドは悔《くや》しそうな表情をして身を翻《ひるがえ》し、宿屋から駆《か》けて出ていった。
「ふぅ……」
ワンテンポ置いて、恐《おそ》らく、その場の誰《だれ》もがそうだったろうが、僕も一息つく。
「マスター!」
誉《ほ》めて誉めてとばかりに、ぱたぱたと僕の目の前に走って来た瞳亜を撫《な》でてやると、満足そうに、にへにへと笑った。
瞳亜は気が強そうに見えるが、意外と甘えたがりな面もある。
時々は厳しく叱《しか》ってやることも必要なんだろうが、どっちかというと、僕の方が叱られているので、なんか、根本的に駄目《だめ》かも知れん。
「あの……助けていただいて、ありがとうございました」
瞳亜のサラサラした髪の感触《かんしょく》を手の平に感じていると、脇《わき》の方から、くだんのナネット嬢《じょう》がおずおずと進み出て来た。
「いやなに……。それより、怪我《けが》してるじゃないか」
恐らく、メイドから逃《に》げる時に転びでもして、手をついたのだろう。
「あ……いえ、これぐらい、たいしたことは……」
何故《なぜ》か知らんが、ナネットは物凄《ものすご》く僕の顔を直視し難《がた》い様子で、ちらちらこちらを窺《うかが》いながら、そう返事する。
良いトコのお嬢だから、男に慣れてないのかな……まあ、あり得る話だが。
「放《ほ》っとく訳にはいかんだろ。瞳亜、治してやってくれるか?」
「はい、マスター。……ところで」
改めて、瞳亜が僕を見上げてから、非常に言いにくそうに瞳を伏《ふ》せて、眩《つぶや》く。
「その……鼻からスパゲッティが……」
「う」
だから、ナネットがこっちを見づらそうにしてたのか……。
「浮《う》わついた雰囲気でもって、メイドの戦意を削《そ》ぐ目的だったんだ。さっきのボケもそうだぞ?」
「うそつけっ!」
どうも、瞳亜は僕のことを敬愛しているのか、そうでもないのか、分からない所がある。
その瞳亜が、ナネットのすりむいた手を取り、そっと口づけた。
スク水属である瞳亜は、自然界に存在する癒《いや》しの水の恩恵《おんけい》を受ける事が出来る。
具体的に言うと、傷を舐《な》めて治せるのだが……。
「ぴちゃ……くちゅ……んちゅ……」
「んっ……あ……あぅっ……」
うっとりと手を舐め上げる瞳亜と、頬《ほお》を染めて吐息《といき》を漏《も》らすナネット。
「ひぁ……ぅんぁぁっ! わ、わたくし……もう……」
「血が滲《にじ》んでるわよ、でも」
「こ、こういうの……初めてで、何だか、舐められた所が熱くなって……」
「それがいいのよ、傷に。……ほら、ちゅぴ……じゅる」
「で、でも……あふぅっ!」
……何か……正視に耐《た》えないのは、僕だけだろうか?
「……はい、治ったわよ」
「あ……本当ですわ……。凄いです! ありがとうございました! そうですわ。あの……お礼と言ってはなんですけど、拙宅《せったく》にいらしていただけませんか? 命の恩人に何のおもてなしもしない訳にはいきませんし……」
「……うーん……そうだなあ……特に急ぐ旅でもないが。しかし、その前に壊《こわ》れた物の片づけぐらい、手伝って行った方が良さそうだな」
「いいですよ、そんな。お店の事をするのはウェイトレスのお仕事ですから」僕がポケロリ使いだと知ったせいか、さっきより、好意のこもった声で、ウェイトレスがぱたぱたと手を振《ふ》って謝絶した。
「いいのか?」
ウェイトレスは僕の申し出を聞き入れそうもないので、宿屋のオヤジの方に声をかける。
「なあに言っとらっせる。これしきの事、どうってことはないがね。領主様の姪御様《めいごさま》が無事だったもんだで。安いもんだがや」
オヤジはその見かけ通り、剛胆《ごうたん》に笑い飛ばした。
随分《ずいぶん》と人がいいのか、ここの領主が余程慕《よほどした》われているのか……しかし、なるほど、この娘《むすめ》は領主の姪だったか……。
僕が目をやると、ナネットは宿屋のオヤジの方に、申し訳なさそうに頭《こうべ》を垂れる。
「……ごめんなさい、わたくしのせいで……壊れた物の代金は屋敷《やしき》に請求《せいきゅう》して下さいましね」
「ヘヘへ、そしたら、そいつはお言葉に甘《あみ》ゃーさせていただきますわ、ナネット様」どうやら、話がまとまったらしい。
「んじゃ、行こうぜ」
「マスターっ、鼻から出てるスパゲッティ!! んもぅっ……」
やりきれないため息の後、鼻から出っぱなしのスパゲッティを、瞳亜が本来あまり性分《しょうぶん》ではない世話焼きをして、ハンカチでぐしぐしと取り去る。
ポケロリの中では割と大きめではあるが、それでも、僕との身長差は埋《う》めようもないので、背伸《せの》びをしてよたよたする様子が可愛《かわい》らしいと言えば可愛らしい。
そんな僕と瞳亜のやりとりを、周囲から微笑《ほほえ》ましげに見られているのが妙《みょう》に気恥《きは》ずかしかった。それから、『ありがとうございました〜』と営業スマイルをするウェイトレスに見送られつつ、領主|邸《てい》に向かう。
[#改ページ]
2時間目
社会科見学 行き先、古代遺跡
村の少し奥まった所にある領主邸は、いかにもという感じの金持ちの屋敷だった。
屋敷は歴史を感じさせる建物でありながら、手間と金をかけて丁寧《ていねい》に手入れされており、この辺りの統治がきちんと行われて、豊かな証拠《しょうこ》だと言えるだろう。
村の中を歩いてきて思ったが、領主の屋敷だけではなく、他《ほか》の村の建物もそうだったから。
領民が領主を慕《した》う訳だな。
「どうぞ、忍様」
「ああ……」
扉《とびら》の前で僕を誘《いざな》うナネットに従い、屋敷の中へ入る。
そして、僕と瞳亜はそのまま、領主の執務室《しつむしつ》に通された。
「姪《めい》を助けていただいたそうですな。ありがとうございました、私がここの領主、プラナーです」
部屋に入るなり、気のよさそうな初老の男に、笑顔で迎《むか》えられる。
先に部屋に入って、来客を告げに行ったナネットから、事のあらましを聞いたのだろう。
「山風忍だ。こっちは瞳亜」
プラナーは、やり手という印象は受けないが、柔和《にゅうわ》な表情はいかにも人に好かれそうな人物だ。
ソファーを勧《すす》められ、屋敷で雇《やと》っているメイドがコーヒーを持ってくる間、あれこれと話をする。
「……そうですか、忍|殿《どの》は人を捜《さが》して旅を」
「人……というか……」
今はもう側《そば》にいない、あの少女の微笑《ほほえ》みを思い出しながら、少し天井《てんじょう》を見上げた。
崩《くず》れ落ちる虚栄《きょえい》の塔《とう》の中、白い光に消えていく悲しげな微笑みを。
「ポケロリなんだ……天使のポケロリ」
そう……僕が初めてマスターとなったポケロリ……。
僕を庇《かば》って、生死不明になった天使。
「ほお……天使のポケロリ……。この辺りでは、見かけませんなあ」
「そうですわね、珍《めずら》しい種族ですから、領内にいれば、噂《うわさ》にぐらいはなりますものね」
「……そうか」
半ば、期待はしていなかったとはいえ、手がかりもないと聞かされると、やはり落胆《らくたん》する気持ちは隠《かく》しようもない。
それが伝わったのだろう。
瞳亜が、元気を出して下さいとばかりに、僕の手に自分の手を重ねてぎゅっと握《にぎ》ってくる。
いかんな、ポケロリに心配をかけるようでは、マスターとしては失格だ。
気持ちを持ち直して、瞳亜に笑いかけてやる。
「ああ、でも……」
ナネットが唇《くちびる》の下に人差し指を当てながら、斜《なな》め上に視線をやって思い当たる節を口にする。
「この辺りに最近|出没《しゅつぼつ》する迷宮《めいきゅう》の聖女と呼ばれる娘《むすめ》は、一部では迷宮の天使とも呼ばれているらしいですわ」
「天……使……」
「マスター、ひょっとして……」
瞳亜が光明を見た様子で僕の顔を覗《のぞ》き込む。
迷宮の天使……迷宮館、バンダルグの館《やかた》か。
「ま、あくまで『通称《つうしょう》』だからな」
あまり多くを期待しない方がよさそうだとは思いながらも、或《ある》いは……との気持ちもなくはない。
と、そこで領主プラナーが改まった様子で口を開く。
「……ところで……忍殿をポケロリ使いと見込んで、お願いしたい事があるのですが」
「……」
僕の沈黙《ちんもく》をどう取ったのか分からないが、プラナーが話を続ける。
「なに……今し方、話に出ました事と、あながち無関係ではありません。バンダルグの事はもうご存知ですかな。数年前にこの辺りに住み着いた小悪党でして……時折、村に備蓄《びちく》してある食糧《しょくりょう》を盗《ぬす》む程度であったので、しばらく放っておいたのですが、2、3ヶ月前から村の人間……特に私とナネットを襲《おそ》うようになりましてな」
「ふーん……中でも、そのペンダントには随分《ずいぶん》とご執心《しゅうしん》だったようだが」
ナネットが着けているペンダントをチラリと見る。
胸元《むなもと》で揺《ゆ》れているそれに目をやったのを、胸元そのものを見たと勘違《かんちが》いしたのか、ナネットがちょっと大げさにペンダントごと胸を隠した。
「これは……とても大事な物なんです」
「母親の形見だとか言ってたな」
「ええ……」
僕の問いに頷《うなず》いたナネットの表情に、陰《かげ》りとは違う何か……黒い物を感じた気がした。
……いや、気のせいだろうな。
哀《かな》しみだけではない、複雑な感情が入る時、人は他人からは計り得ない表情をするものなのだろう、きっと。
「まあいいや……それで、僕に頼《たの》みたい事というのは?」
僕が話を戻《もど》すと、プラナーは居住まいを正して頭を下げた。
「何とか、奴《やつ》のポケロリを倒《たお》し、バンダルグを討伐《とうばつ》していただけますまいか? それが出来るのはポケロリ使いの方だけです」
「……僕の判断だけでは、何とも言い難《がた》い。実際、戦うのはポケロリだからなあ……」
言いながら、ちらりと瞳亜の方を見る。
「いや……しかし、ポケロリは自分のマスターであるポケロリ使いの言葉であれば、従順に従うと聞いておりますが……」
プラナーが怪訝《けげん》な表情でそう言った。
「うちのヒエラルキーは若干《じゃっかん》、異なるんだ」
「なんか、それって、あたしが言う事聞かない嫌《いや》な子みたいじゃないですか。あたし、マスターのご命令なら、何でも聞きますよ?」
僕の言葉を慌《あわ》てて瞳亜がうち消す。
実際の所、無茶な命令だろうと瞳亜は聞くだろうが、僕の方がそういうのを強《し》いるのが嫌なんだよな……道具みたいに扱《あつか》っているようで。
「それに、先程《さきほど》話に出ました、迷宮の聖女、いえ、迷宮の天使は、その名の通り、そのバンダルグが潜《ひそ》むという迷宮館によく出没すると聞きます。お会いになるには、ちょうどよろしいのではないかと」
行くべきレールを敷《し》いて、そのついでにすす払《はら》いをさせる、か。
プラナーにとっては、ついでのすす払いの方が本懐《ほんかい》な訳だ。食えん奴だな。
権力を持った人間は、使える物は何でも使う癖《くせ》が染《し》みついてるからな……いかな善人といえど、領主は領主、という事か。
プラナーは更《さら》にそのまま畳《たた》みかけてくる。
「報酬《ほうしゅう》はたっぷりお支払いします」
「いや、金は別に……」金銭的にそんな困ってないしなあ。
「ふーむ……お! それでしたら……」
僕が渋《しぶ》ると、プラナーはそんな風にちょっと考えた後で、ポンと手を打って何やら部屋の隅《すみ》っこに行って戸棚《とだな》の奥をごそごそやり出した。
そして、『お、あったあった』と両手で丁寧《ていねい》に木箱を持って戻って来る。
「……では、こちらでいかがでしょうか? 非常に珍《めずら》しい代物《しろもの》なのですが……」
差し出された木箱は普通《ふつう》の枕《まくら》ぐらいのサイズで、大きささえ違えば、高級な葉巻とかが入っていてもおかしくなさそうなちゃんとした物だった。
「……?」
何が出てくるのかとそぉーっと蓋《ふた》を開けて中を覗き込む僕と、更におっかなびっくり僕の背中に張り付いて肩口《かたぐち》から中を見ようとする瞳亜。
「何ですか、これ?」
どんな値打ち物が出てくるかと思ったが、箱の中には白い布切れのような物が入っていた。
「あ!」
すぐ側《そば》で叫ばれて吃驚《びっくり》した瞳亜が、ビクッと身を引く。
「し、白スクだ……!」
「しろすく……? 何ですか、しろすくって?」
「お前、スクール水着ポケロリのクセに白スクを知らんのか?」
「はあ……」
世紀の珍品《ちんぴん》を前に、僕と瞳亜とで興奮の温度差を激しく感じる。
物の価値の分からん奴はこれだからな……。
仕方ない、広げて見せてやろう。
「ほれ、これを見ろ!」
「……白い……スクール水着?」
「そう! 白色スクール水着、略して白スク!! 噂《うわさ》の!! 伝説の!! 幻《まぼろし》の!!」
「……」
僕のテンションの高さに瞳亜がついて来ない。
「うわー、いいなあ、いいなあ。これ、欲しかったんだよなあ……」
紺色《こんいろ》のスクール水着の上から白いスクール水着を瞳亜に当ててみる。
その瞳亜があからさまに嫌そうな顔をするのは何故《なぜ》だろう?
「おおっ、似合うぞ、瞳亜!」
「そ、そうですか……?」
誉《ほ》められて嬉《うれ》しげでありながらも、ちょっと引き気味だ、瞳亜。
男のロマンを解せぬ奴だ。
「引き受けて下されば、それを差し上げ……」
「やるっ!」
「返事早っ!?」
プラナーの言葉を遮《さえぎ》って返答した僕に、キャラが変わりかけてきたナネットがツッコミを入れてくる。
「……あの、マスター? 貰《もら》うのは良いですけど……それ、どうするんですか?」
「当然着る……お前が」
「やっぱりいっ!?」
瞳亜が半泣きで、ブルブル首を横に振《ふ》った。
「何が不満だ? いつも着とるスクール水着と色が違《ちが》うだけじゃないか」
[#挿絵(img/th159_076_s.jpg)]
「透《す》けるじゃないですかっ!?」
「水に浸《つ》からなきゃいいだろう?」
「……」
「……」
僕と瞳亜がお互《たが》いに顔を凝視《ぎょうし》しあって、無言の攻防《こうぼう》を繰《く》り広げる。
「はぁ……。あまり、気が進みませんけど。マスターがどうしてもと……」
「どうしてもっ」
ため息混じりに妥協案《だきょうあん》を示そうとした瞳亜の隙をつき、一気に畳みかける僕。
「……」
「……」
「……まあ……それでマスターに喜んでいただけるのなら」
再び沈黙《ちんもく》を戦わせた後、不承不承ながら、瞳亜が納得《なっとく》した。
「では、商談成立、ですな。ありがたい事です! 何卒《なにとぞ》、よろしくお願いしますぞ」
「おう、ビート板に乗った気持ちで任せておけ」
頭を下げるプラナーに、わははと笑う僕を瞳亜が恨《うら》めしそうに見る。
「ま、まあ、白い水着もお似合いですよ、瞳亜さん」
「あはは、は……は……」
気を遣《つか》うナネットに、瞳亜が力無く笑った。
『マスターもこういう変な所さえなければなあ……』という顔をして、瞳亜ががっくりと頭《こうべ》を垂れる。
暗い気持ちで出かけるのも嫌《いや》だろうか……一応、気を遣って、ちょっと別の話題でも振ってみるかな。
「そういえば、建物もそうだが、ここの調度品は随分《ずいぶん》と歴史のある物が多そうだな」
話題を切り替《か》えれば、瞳亜の気持ちも変わるだろう。
「ええ、先祖伝来の品物ばかりですよ」
「ホントに素敵《すてき》ですよね。特に、その写真立てなんて……うぐっ!」
瞳亜が言いかけて、その動作が固まる。
写真立ての中の古い写真には、黒ずくめの物騒《ぶっそう》な一団が写っていた。
「マフィア?」
「いやいやいやいや、何を物騒な事をおっしゃられる。それは、私どもの先祖でしてな。ただの近所の……そう、サングラス愛好会の寄り合い仲間と撮《と》った写真です」
「あー、それで、皆《みな》さん、サングラスをかけてるんですね」
冷や汗《あせ》をかきながら、瞳亜が答えた。
「しかし、銃《じゅう》を持っているではないか」
「マスターっ!」
思わず突《つ》っ込まないではいられなかった僕に、瞳亜がいらんことを言うなとばかりに、口をふさいでくる。
「あー……いやいやいやいや、それは……あれですぞ。ライターです。銃型の」
「そ、そうですよねえ……」
瞳亜の声が震《ふる》えている。
一方、微妙《びみょう》な緊張《きんちょう》状態にあるこの場の空気を察する事なく、ナネットが暢気《のんき》な声で話を始めた。
「その話なら、わたくしもお祖父《じい》様に聞いたことがありますわ。近所の別のサングラス愛好会の方と大変仲がよろしくて、何百人という会員の方達同士、ライターで煙草《たばこ》の火のつけあいをしたとか。『どうぞどうぞ、火をおつけしますよ』『ありがとうございます、それではこちらもお返しを……』と、そんな感じで。微笑《ほほえ》ましいですわね」
多分、世間知らずにも見えるこのお嬢《じょう》さんは本気で信じていそう。
プラナーが話をごまかしたのは、ナネットに本当のことを知らせないようにするためだったのかなあ……。
「他《ほか》にも、気持ちの良くなる小麦粉を、余所《よそ》のサングラス愛好会の方と譲《ゆず》り合ったと聞きます。『この小麦粉はうちの島《シマ》で取れた物ですがどうぞ』『確かにうちの会員も関《かか》わった物ですが、お受け取りする訳にも』となって、結局、用心棒を雇《やと》ってまたライターの火のつけあいで話し合って、半分ずつにしたとか。仲がよろしかったんですね」
瞳亜とプラナーが、頼《たの》むからこれ以上|訊《き》くなという顔で見てくるので、この辺でやめておく事にしよう。
「おっ、これはなかなか良い壷《つぼ》だな」
我ながら絶妙な間の悪さだと思いながらも、話を逸《そ》らすためには仕方あるまいて。
「忍|殿《どの》は随分と目利《めき》きでいらっしゃる。それは5000万月謝ほどするのですが……」
月謝とはこの星の通貨単位であり、1月謝は日本円で1円に相当し、1銭は1給食費に相当する。
1こどもドルは、107月謝19給食費で取り引きされています。(こども暦《れき》2004年3月18日現在)
「ごせんまん月謝!?」
「うっ、うわっ、マスター危ないっ!」
驚愕《きょうがく》のあまり、壺を持つ手が滑《すべ》って落としそうになるのを瞳亜が受け止め……。
「ちょっ、わっ、ぱっ、パスっ!」
損《そこ》ねて、壺はぽーんと宙を舞《ま》った。
「きゃっ、パスっ!」
更《さら》に受け止め切れないと判断したらしきナネットが高々と上げる。
「パスッ!!」
「アタ―――――ック!!」
ガシャーン!!
「……」
「……」
「……」
「アホかぁっ!!」
バレーボールのアタッカーよろしく素晴《すば》らしいフォームでアタックを決めた僕を、瞳亜が泣きそうな顔で罵倒《ばとう》した。
「いや、なんか、ちょうどいい高さだったので、つい……」
「ついとかそういう問題じゃないですよっ! ど……どうするんです……5000万月謝……」
瞳亜が青い顔でオロオロと僕の周りを回る。
うーむ……周りで慌《あわ》てられると、かえって冷静になるよなあ、なんか。
「あ、そういえば、それは安物のイミテーションでした。5000万のはそっちです」
「ほう、あれが」
「もう、マスターは高い物に近寄るなっ!」
瞳亜が怖《こわ》いので、近寄るのはやめる。
「さて、んじゃ、行くとするか、瞳亜」
いい加減アホな事ばっかりやってても埒《らち》があかん。
「はい……マスター」
「……あの」
退室しようと席を立つと、不意にナネットが声をかけてきた。
「わたくしも連れて行って下さいませんか?」
「危険だぞ? ……多分」
「旅の方が村のために危険を冒《おか》して下さるというのに、領主の一族がのうのうとしている訳にはいきません。……それに、狙《ねら》われているわたくしがいれば、囮《おとり》にもなるでしょう?」
ナネットがあまりにきっぱりと言い放つので、良いのかなと、プラナーを見る。
「姪《めい》の好きにさせてやって下さい」
……?
……随分《ずいぶん》と放任主義だな……ま、女の子一人ぐらい何とかなるとは思うが。
村の入り口へ、来た道を戻《もど》って行くと、途中《とちゅう》、瞳亜が僕の上着に目を留める。
「マスター? 何だか、ポケットが妙《みょう》に膨《ふく》らんでますけど……」
「ん? ああ、これか……」
上着に手を突《つ》っ込んで、拳銃《けんじゅう》を取り出す。
「パクって来るな―――――っ!!」
人聞きが悪いな。
「どっ、どうするんですか、マスター!?」
「後で返すからいいじゃないか。護身用護身用」
「……」
瞳亜は時々|物凄《ものすご》くやりきれない表情をするので、こちらとしてもやりきれない。
何だか、話しかけると、酷《ひど》く怒《おこ》られそうな気がしたので、無言で銃をクルクル回しながら、一路、バンダルグの迷宮館《めいきゅうかん》へ向かう。
そして、話しかけたせいで、酷く怒られつつ、つい先刻、オーバーオールと通った村の入り口を、今度は瞳亜とナネットと共に抜《ぬ》け、更にそこから少し離《はな》れた雑木林へと足を踏み入れる。
「深い森だな……」
あちこちからかなり木漏《こも》れ日《び》が差す程《ほど》に木々はまばらなので、鬱蒼《うっそう》とした森という印象はないが、さりとて、その出口はおろか、目的地の館《やかた》すら見えない。
下手に迷うと厄介《やっかい》だな……道案内《ナネット》を連れてきて正解だったか。
まあ、太陽が見えれば、方角は分かるからいいのだが。
「さ、参りましょう、忍様」
先頭を歩くナネットについて、雑木林の中を進む。
小一時間の半分程度の時間を徒歩に費《つい》やしたが、予想されたバンダルグの刺客《しかく》も全く姿を現さないし、半ばピクニックのような様相を呈《てい》しつつあるな……うーむ。
手持ち無沙汰《ぶさた》なので、再び銃をクルクル回しながら、てくてくと歩い……。
バンッ!!
「うおっ!?」
「きゃあああっ!?」
凄い音がして、僕の斜《なな》め後ろで悲鳴が上がる。
見ると、瞳亜の股《また》の下をかすめたとおぼしき銃弾が、地面に穴を空けていた。
「……す、すまん……大丈夫《だいじょうぶ》、か?」
僕が問うと、瞳亜は瞳孔《どうこう》を開かせた両方の色の異なる瞳《ひとみ》で、2、3度僕と弾痕《だんこん》を代わる代わる見て、ぺたんと座り込んだ。
「おっ、おい、瞳……」
ぷしゃぁぁぁぁぁ……。
水音と共に、女の子座りをした瞳亜のお尻《しり》の下がじんわりと湿っていく。
「……」
「うっ……うわああああああああああああああああんっ!!」
「げっ、マジ泣き」
「あっ、当たり前ですわっ! 替《か》えの服はないんですの? あと、タオルと!」
「ば、バックパックの中に!」
「うわああああああああんっ、マスターのバカバカバカぁっ!! うっ、ぐずっ、ひくっ……」
大騒《おおさわ》ぎだ。
「あ、あの……そこの草むらで着替えを……」
着替えのスクール水着を持ったナネットが、泣きじゃくる瞳亜をなだめて連れていくのを、半ば呆然《ぼうぜん》と見送る。
しぼらく、がさごそと草むらが揺《ゆ》れた後、ナネットと、真っ赤な顔をして泣きそうな顔で恨《うら》めしそうに僕を睨《にら》む瞳亜が現れた。
「……」
「……」
非常に気まずい空気だ……。
「……ぅ」
あ、また泣きそう。
……ふぅ、仕方ないな。
「ごめんよ……僕の瞳亜」
言いながら、優《やさ》しく抱《だ》きしめてやる。
「い……いえ……いいんです……マスター」
ちょっとだけ躊躇《ちゅうちょ》したものの、瞳亜は軽い体重を預けてきた。
「……」
「あ」
ナネットから発せられるいたたまれないような微妙《びみょう》な視線にはたと気づく。
「あ、あはははは……」
瞳亜も感づいたようで、先程とは別の理由で頬《ほお》を赤らめて引きつった笑《え》みを浮《う》かべ、僕から離れる。
「……」
「……」
「……」
3人がそれぞれ、変な沈黙《ちんもく》を見せ始めた。
「そ、そんな事より、さっさと行こう。日が暮れてはかなわん」
「そ、そうですわね」
「う、うんうん」
さっきとは異なる気まずさを引きずりつつ、再び、雑木林の奥へと進む。
もう、銃をクルクル回して暇《ひま》を潰《つぶ》す訳にもいかんしなあ……。
とか、そんな事を思っていると、程なくして、前を歩くナネットが立ち止まり、顔を上げる。
「……?」
つられて、木々の間からかいま見える物に目をやる。
これが……迷宮館《めいきゅうかん》……だと?
大部分がツタに覆《おお》われ、半分近く崩《くず》れかけてはいるが、これは……。
いや……まさか、こんな所で……。
だが、だとすれば……。
「この大きさ……バンダルグの迷宮館ですね、マスター?」
「え?」
「パンツを覗《のぞ》こうとするなっ!!」
見る角度を調節するうち、ナネットのスカートからかいま見えるパンツを覗きそうな低姿勢になっていた。
「いやいや、覗いてないぞ」
ていうか、覗き気味でありながら見えなかったというか……なんか……結構、奥の方まで肌色《はだいろ》だった。
本来パンツが見えてもおかしくない辺りの位置の皮膚《ひふ》部分も肌色で……。
……。
まさか……パンツ穿《は》いてな……。
「……」
い……いやいやいや、深く考えるのやめよう。
そういう隠《かく》れた趣味《しゅみ》だったりしたら、バラすの気の毒だしな、うんうん。
「もうっ、マスターのどエッチ! すけこましっ! エロス大魔神《だいまじん》っ! あーもー信じらんないっ! ちょっと目新しい女の子が側《そば》にいると、すーぐこうなんだからっ!」
「あはは……」
ぷりぷりと憤慨《ふんがい》する瞳亜と、それなりに許容する心を持ち合わせているっぽく苦笑《くしょう》するナネツト。
しかし、何だかすっかり暢気《のんき》な雰囲気《ふんいき》になって来た。
とても敵地に来たとは思えない有り様というか……。
「っ! マスター危ないっ!!」
いきなりの瞳亜の叫《さけ》びに、思わずナネットを抱き込んで茂《しげ》みの中に伏《ふ》せる。
伏せた僕の背後を濡《ぬ》れ雑巾《ぞうきん》が超《ちょう》高速回転ですっ飛んでいくのが辛《かろ》うじて見えた。
バキィッ、メキメキメキィ……。
「雑巾で樹《き》をへし折る奴《やつ》は初めて見たよ……」
轟音《ごうおん》を立てて大木を2、3本、立て続けになぎ倒《たお》していく雑巾を見送って起きあがりながら、腹の下で庇《かば》ったナネットを起こしてやる。
あれが僕らに直撃《ちょくげき》していたらと思うと、ぞっとするな……。
「プラナーの手下が、とうとうこんな所まで来たのね……!」
「……!? バンダルグのポケロリ!」
宿屋で襲撃《しゅうげき》してきたメイドの出現に、ナネットが驚《おどろ》き叫んで僕の背中に回った。
メイドの手には、あの時とは違《ちが》って、バケツと雑巾が握られている。
そして、メイドの後ろにはバンダルグの一味と思《おぼ》しき一団が控《ひか》えていた。
……とはいえ……出てきたのはポケロリばかりだな。
バンダルグとやらは、余程《よほど》の臆病者《おくびょうもの》か……さもなければ、余程、ポケロリを信用しているのか。
「敵はブルマに、セーラーに……メイドか」
戦闘《せんとう》型のポケロリは……いないな。
周囲を窺《うかが》う僕にポケロリ3人組が厳しい瞳《ひとみ》を向ける。
そして、一列に並び、ザザッと拳法《けんぽう》の構えのようなポーズを取った。
「ブルマ2年生、リリカ!」
「セーラー4年生、セリカ!」
「メイド6年生、エリカ!」
「「「みんな、そろって! ポケロリ特戦た……」」」
「ナネット、道案内ご苦労。お前は村へ戻《もど》ってろ。ここは僕だけで何とかするから」
「人の話を聞けーっ!!」
突如《とつじょ》現れた変な3人組のポケロリは、何か変な事をやろうとしていたので、取りあえず、放置しておいたのだが、何か怒《おこ》ってる。
「……忍様」
ナネットの潤《うる》んだ瞳が僕への気遣《きづか》いを窺わせた。
後ろで嫉妬《しっと》にかられた怖《こわ》い顔の瞳亜が睨《にら》んでさえなければ、割とロマンチックな感じだったかも知れん。
「行け」
「……はい」
僕が瞳亜の怖い視線に屈《くっ》したと気づいてないナネットが、時折こちらを振《ふ》り返りつつ、雑巾で倒れた樹を避《よ》けながら森の入り口、村の方へ小走りに駆《か》けて行った。
それを見て、セリカ……とか言ったか、セーラー服ポケロリが『あっ』と声を上げる。
「え、エリカ、ええのん? レイル様の敵が逃《に》げるで〜!」
セーラー服ポケロリ、関西弁というやつを使うのか。
「何なら、あたいが追いかけるぜ」
ブルマポケロリは物言いがちょっとばかりはすっぱだ。
ショートカットの活発な感じではあるけどな、確かに。
「いいわ、どうせ、プラナーの味方は私達の敵。みんな倒さないといけないんだから……」
そう言って僕を睨むメイド。
……しかし、『レイル様』?
バンダルグの手下か……?
さっきの……どうやら、迷宮館《めいきゅうかん》とやらの陰《かげ》に、白いローブの奴がもう一人いるようだしな……ポケロリ使いという可能性もあるが、ポケロリなら、4対1って訳か。
「あなたたち……宿屋で私の邪魔《じゃま》をした人ね。ナネットを逃がしたのはいいけど、私たち3人を相手に、そのスク水の子、一人でいいのかしら?」
数的優位が余裕《よゆう》を持たせたのか、宿屋で会った時よりも、メイドは饒舌《じょうぜつ》になっている。
「……もちろん、良くはないなあ」
「まさか……他《ほか》にもポケロリを持ってるの!?」
「えっ、あんな暢気《のんき》そうな顔をしてるのにだぜ?」
「結構やり手のポケロリ使いなんやろか……?」
僕が懐《ふところ》に手を忍ばせたのを見て、向こうのポケロリ達が少しざわつく。
「アンタ達! これでも、うちのマスターは凄いのよ! その気になったら、何十人だってポケロリを使う事も出来るんだから!」
……出来なくはない。
が、実際問題として、至近|距離《きょり》での複数のジェンマの発動は、人間に精神的な疲労《ひろう》を与《あた》えると言われている。
日常的にジェンマの力にさらされるポケロリ使いは、それに耐《た》えられなければならない。
精神力の強さが、即《すなわ》ち、ポケロリ使いの強さと言えるだろうな。
「さて……じゃあ、まあ、あまりお待たせしても悪いしな。……頼むぞ、今日の日直! プリンセスポケロリ、アレッシア、号令!」
気力を上げる術式を唱えるように叫びながら、ひょいっと軽く縫《ぬ》いぐるみを放《ほう》る。
他のポケロリ同様、ボムッというお馴染《なじ》みの音を立てて、縫いぐるみは女の子になった。
「起立礼|即位《そくい》っ遅《おそ》いわ、忍っ! いつまでわらわをパペットにしておるかっ、無礼者っ、痴《し》れ者っ!」
5年生ポケロリ、アレッシア。
純白のドレスと手袋《てぶくろ》、プラチナのティアラを装備した完璧《かんぺき》なお姫様《ひめさま》。
相当なレア種であるアレッシアは、そののほほんとした表情とは裏腹に、あらゆるポケロリの頂点に立つ……と言われている種族、プリンセスのポケロリだ。
しかも、その額には、幻《まぼろし》と言われているダイヤのジェンマを持っており、二重の意味で非常に珍《めずら》しい存在だと言えるだろう。
……その姫様はパペット状態で窮屈《きゅうくつ》な僕の懐にしまわれっぱなしにされていたせいで、随分《ずいぶん》とご機嫌斜《きげんなな》めのようだ。
だが、一応、呼応する文言を口にしてから、文句を言うのだから、その辺の律儀《りちぎ》さは結構|可愛《かわい》いと言えよう。
「こらっ、アレッシア、ちゃんと『マスター』って呼びなさい!」
「いやじゃ! わらわは姫なるぞ!!」
プリンセスという割には思いやりと優美さに欠ける気がするが、それは僕の教育がなってないからだろうか……?
「プ……プリンセス……ですって?」
さすがに、メイド達も予想だにしないポケロリの登場で、少し怯《ひる》んでいるようだ。
「や、やばいんと違《ちが》うやろか……?」
「ふ、ふん……種族が凄くても、実力も凄いとは限らないぜ。いくぜ、ブルマ属必殺……」
やばい……この距離で食《く》らっては!
「パン食い競争!」
「え」
空中に糸でつり下げられたパンが現れ、確か、リリカとか名乗ったブルマポケロリが『あむっ』とそれに食いついた。
「……」
「……」
パンをくわえて、むぐむぐやっている紺色《こんいろ》ブルマと無言で目が合う。
「……のう、忍、『ぱんくいきょうそう』とは何じゃ?」
世間知らずのお姫様が僕に何か聞いてきた。
「下がりや、リリカ〜! ここはうちが行くで〜!」
なにっ!?
しまった、ブルマは囮《おとり》か!
「セリカ行くで〜! ジェンマ発動……」
黒セーラーの額のジェンマが緑色の輝《かがや》きを放つ。
しかし……っ!
なんだ、あのジェンマは?
エメラルドでもない……斐翠《ひすい》とも違う……僕が知らないジェンマか……!?
僕が逡巡《しゅんじゅん》する間に、セーラーは両手を高く突《つ》き上げた。
「ウォーターメロン!!」
「!?」
両手の上にまばゆい緑色の光と共に一切れの西瓜《すいか》が現れ、セーラーがそれを恭《うやうや》しくシャクっと囓《かじ》る。
そして。
ペペペペペペペペペ……と、セーラーが西瓜の種を僕らに向かって吐《は》き出した。
「ふっ、不浄《ふじょう》なるぞっ! これ、忍っ! なんとかせいっ!!」
僕の周りをクルクル回って逃《に》げまどうアレッシアと、それを追って西瓜の種を吐きまくるセーラー。
思い出した……ウォーターメロンのジェンマ……トルマリンの一種で真ん中がピンク色、外側が緑色をしているジェンマだ。
「……」
なんちゅうか……こう……。
「これぇっ、忍ぅ〜っ!!」
[#挿絵(img/th159_096_s.jpg)]
「ペペペペペペペペペペペペっ!」
段々別の意味でやりきれなくなってきたというか……。
「何とかせぬか、忍ぅぅぅぅぅ〜っ!!」
「ペぺペぺペペペペ……あ、西瓜なくなった」
本当にここのポケロリに苦しめられてるのか、ここの領主は……? それとも、別の手強《てごわ》いポケロリがいるんだろうか?
まあ、何にしても……。
「折角、アレッシアを出したのになあ……」
これなら、僕でも倒《たお》せそうだ。
いや、女の子に手を上げる気はないけど。
「んきゃっ!!」
どうしたものかと途方《とほう》に暮れる僕の背後で、悲鳴が上がって、周りでパタパタしていた足音が止まった。
「……?」
見ると、セーラーは走っている格好のまま、足が氷で地面に張り付けられていた。
しかも、セーラーのみならず、他の2人のポケロリ達も氷で身動きが取れない状態だ。
瞳亜が能力を使って、セーラー達3人を凍《こお》らせたようだった……。
なんちゅーか、有能だなあ……瞳亜の奴《やつ》め。
「はぁ……もっと、マスターとあたしの絆《きずな》が深まるような凄《すご》い敵とか、マスターとあたしの関係がオトナの階段を上るような凄いピンチとか、マスターとあたしの思いが一つに溶《と》け合うような凄い戦いとか、マスターとあたしの……」
が、ある意味、敵よりも、夢見る瞳《ひとみ》でどこか僕に見えない世界を見始めたこいつの方が怖《こわ》くなってきた。
「のう、瞳亜。オトナの階段とは何じゃ?」
「えっ!? そ、そりゃあ、アレッシア……あ、あれよ、あれ。……ね、マスター?」
「××××を×××で××……」
「モロに解説すなっ!!」
すぱんっ!!
能力によって取り出されたビート板で殴《なぐ》られた。
「あっ、マ、マスター、ご、ごめんなさいっ! つい……その……」
「?????」
「まあいい。そんな事よりも、親玉を何とかしないとな……」
ぺこぺこ謝る瞳亜と、僕の説明に得心のいかないらしいアレッシアを引き連れ、雑巾《ぞうきん》ブーメランになぎ倒された木々に囲まれる巨大《きょだい》な円筒《えんとう》形の建物の前に立つ。
と、背後に気配を感じ、僕は振《ふ》り返った。
「……ナネット?」
そこには、さっき走り去ったはずのナネットが停《たたず》んでいた。
「あ、あの……やっぱり心配になって……」
潤《うる》む瞳で僕を見るナネットに、ちょっとため息が漏《も》れる。
「危険、なんだがな」
「……すみません」
「まあいい……来てしまったものは仕方ない。だが、ここでおとなしくしていろよ?」
「はいっ。……御武運《ごぶうん》を」
武運……武運か。
戦いと勝利を望んだあの頃《ころ》ならいざ知らず、今となってはな……。
しかし、まあ、一応、頷《うなず》いてはおく。人の善意にケチをつけるものではないと、セシルなら、言うだろうからな。
……セシルか。目の前のこの建物が想起させるのか、例の迷宮の天使とやらの影《かげ》が思い起こさせるのかは分からないが、妙《みょう》にあいつの思い出がはっきりと脳裏《のうり》をよぎる。
それは、優《やさ》しい気持ちを呼び起こすと同時に、ある種の胸騒《むなさわ》ぎを伴《ともな》っての記憶《きおく》だった。
「さて……行くか。……ひょっとしたら、ここから先はちょっと手強いかも知れん。気を引き締《し》めていけよ」
その胸のざわめきを自らかき消すように、そして、ポケロリ達に悟《さと》られないように、僕はつとめて不敵な表情を作ってそう言った。
「はいっ、マスター!」
「よきにはからうがよい」
僕の予想が正しければ、中にはバンダルグとその手下……そして、彼らが使うポケロリがいるはずだからな……。
「ちょっと待て……気になる事が……」
「……なんですか?」
僕の沈《しず》んだ声に、瞳亜が下から心配そうに顔を覗《のぞ》き込む。
「この家、表札かかってない」
「悪のアジトに表札なんか、かかるかっ!」
確かに。
程良《ほどよ》く緊張《きんちょう》をほぐした所で扉《とびら》に対峙《たいじ》する。
扉……といっても、これは後付けだろう、本来の出入り口とは思えない大きな空洞《くうどう》を木材で補強して、扉を付けてある。
誰《だれ》かが……というか、恐らく、バンダルグとかいう奴《やつ》がここに住むために施工《せこう》したのだろう。
「……忍?」
急に懐《ふところ》からガムを取り出し、噛《か》み始めた僕を見て、アレッシアが怪訝《けげん》な顔をする。
「……」
何をするのだろうかと、瞳亜も僕を凝視《ぎょうし》している。
2人の視線を受けながら、扉の前でしばらくガムを噛む。
そして、おもむろに扉のノブの上に空いた鍵穴《かぎあな》に、噛んだガムを詰めた。
「ただの嫌《いや》がらせだ」
「田舎《いなか》のヤンキーかっ!!」
疑問符《ぎもんふ》を浮かべていたアレッシア達に、爽《さわ》やかに微笑《ほほえ》んだら、瞳亜にビート板でスパーンと激しく突《つ》っ込まれた。
「最低じゃな……」
鍵穴にガムを詰めるのは、とても悪質な行為《こうい》です。決してマネしないで下さい。
で、これ以上いらん事ばっかりされてはたまらんと、瞳亜が睨《にら》みを利《き》かせる中、ドアを開ける。
当初とは別の要素により、ピリピリした空気が漂《ただよ》う中、半ば廃嘘《はいきょ》と化した館《やかた》に足を踏《ふ》み入れた。
[#改ページ]
3時間目
家庭科 メレンゲ作り
扉の向こうは外ほど荒《あ》れた雰囲気《ふんいき》はなく、そこで生活している人間がいても頷《うなず》ける。
しかし……そんな事以上に、僕はこの場の情景に戦慄《せんりつ》していた。
崩《くず》れかけとはいえ、円筒《えんとう》形の建物、そして、この内部の壁《かべ》や柱の装飾《そうしょく》……。
『タワー・オブ・ヘヴンズ・バベル!!』
まさかとは思ったが……あの高さから落下して、まだ形が残っていたのか……!?
さすがは超《ちょう》古代の建造物というべぎか、或《ある》いは導師連盟の秘術のなせる業《わざ》、か?
……しかし……だとすると、こいつは事象境界フィールドを形成したまま、ほぼ無傷でここに落ちて突き刺《さ》さったのか。フィールドのお陰《かげ》で、横向きになったりひっくり返ったりしなかったという訳だな。
ならば、この床《ゆか》の下には……まだ階層がある。落下時に潰《つぶ》れてはいないはずだ。
……目を閉じるとフラッシュバックのように思い出される光景。
最下層近く……先生、山風刀夜との思い出の場所、そして……。
セシルを最後に見た場所……。
「マスター……?」
難しい顔で考え込んでいる僕に瞳亜が小首を傾《かし》げる。
「うん、探索《けんさく》をしなければいかんな」
ここは、僕の記憶《きおく》が正しければ、式典用のホールフロアだ。
上に、連盟の上層部の連中が使っていた個室と……更《さら》に上階には天の間が……ある。
「まずは……」
ホールから伸《の》びる上へと続く大きな階段を目で追うと……その頂点に小さな人影《ひとかげ》を見つけた。
「あなた達、プラナーの手先ですキュ。窓から一部始終を見ていました。それにしても……エリカ達も案外不甲斐ないですキュー」
文字通り僕らを見下して、階段をゆっくりと下りながら、弓道着《きゅうどうぎ》のポケロリは言った。
とうとう、戦闘《せんとう》型ポケロリの登場という訳だが……しかし、また、ポケロリだけか。
この期《ご》に及《およ》んで、ポケロリ使いが出てこない……というのは。
「考え事ですキュ? 余裕《よゆう》ですね。でも、私はリリカ達ほど甘くありませんキュー」
言いながら、弓道着が滑《なめ》らかな動作で背中の矢筒《やづつ》から矢を取り出し、和弓につがえる。
「マスター、危ないっ!」
弓道着の狙《ねら》いが僕に定められたのを悟《さと》った瞳亜が、叫《さけ》びながら僕を突き飛ばした。
「くっ!」
さっきまで僕が立っていた所に矢が突き刺さる。
と、着弾点《ちゃくだんてん》で乾《かわ》いた破裂音《はれつおん》がして、足に鈍《にぶ》い痛みが走った。
……くそ、矢尻《やじり》に爆薬《ばくやく》が仕掛《しか》けてあるのか。
「マスター! 血が……」
火傷《やけど》はないし、爆薬が破裂した時に飛んできた矢の破片が内股《うちまた》をかすめた程度……かすり傷のようなものだ。
むしろ、僕よりも瞳亜の方が青い顔をしているぐらいだが。
「たいした事はない。それより、瞳亜の方は大丈夫《だいじょうぶ》か?」
「あたしは平気です。マスター……ご自分が怪我《けが》しているのに、あたしの事を心配して……」
……!!
そうだ……僕の後ろにアレッシアがいたんだ。
少し離《はな》れていたから、被害《ひがい》はないと思うが……。
「アレッシアは大丈夫か?」
見上げた僕の視線に、ちょっとばかり動揺《どうよう》して口の端《はし》を引きつらせたアレッシアが虚勢《きょせい》と一緒《いっしょ》に胸を張る。
「ふ、ふん。この程度、たかが知れておるわ」
少し爆煙《ばくえん》でスカートの裾《すそ》が汚《よご》れてはいるが、怪我とかはないようだ。
「今のは警告です。次は外しませんキュー」
弓道着が再び背中の矢筒から矢を数本まとめて取り出す。
「マスター、下がっていてください」
「さようじゃ。わらわ達に任せておくがよいわ」
瞳亜とアレッシアが僕の前に出ていく。
「上等ですキュー……秘技、乱れ撃《う》ちっ!!」
弓道着はそう叫ぶと、数本の矢をまとめて弓につがえ、一気に放った。
放射状に散った矢が、瞳亜の逃《に》げ場所をなくす。
しかし、矢面《やおもて》に立つ瞳亜は、ニッと笑うと大きく手を振《ふ》りかぶって、勢いよく薙《な》ぐ。
「流れるプールっ!!」
縦方向に凄《すご》い水流の壁が現れ、滝《たき》のような激しい水圧が飛んでくる矢を次々に叩《たた》き落とした。
「くっ……それなら……」
水の壁の向こうに舌打ちする弓道着の姿が見える。
そして、苦し紛《まぎ》れに天井《てんじょう》に向け、見当はずれの方向へさっきの爆発《ばくはつ》する矢を放った。
どっちに撃ってやがるんだ……。
「っ!? シャンデリアかっ!」
弓道着の笑《え》みを見た時には既《すで》に遅《おそ》かった。
頭上のシャンデリアを天井に留めているフックが、爆音《ばくおん》と共に、矢尻に取り付けられた爆薬で吹《ふ》っ飛ぶ。
「どわぁっ!!」
とっさにバックステップでかわす瞳亜とアレッシアが同時に僕をドンッと後ろに押してシャンデリアの落下地点から下がらせた……までは良かったが、ずぶ濡《ぬ》れの床《ゆか》に足を取られた僕は思わずすっ転ぶ。
ガシャァァァンと鼓膜《こまく》を鋭《するど》く揺《ゆ》さぶる音を立て、ガラスの破片が周囲に撒《ま》き散らされた。
反射的に両腕《りょううで》で顔を覆《おお》ったが、そのお陰《かげ》で……。
ガンッ!!
「いてっ!!」
受け身が取れず、後頭部を床にしたたか打ち付ける。
「マスター!? マスター、しっかりしてください!!」
痛ててて……いかん……気が遠くなりかけて……。
「マスター……こんなに血が……」
ガラスで切ったな……どっか……。
うっすらと見える視界に、青い顔のアレッシアがびくっと顔を上げるのが見えた。
「……ようも……ようも、ようも、ようも、忍を!!」
いっ、いかん、アレッシアがキレた!
「絶対に許さぬぞっ、下衆《げす》がっ!!」
アレッシアが、その能力によって取り出した王錫《おうしゃく》で、空中に魔法陣《まほうじん》を描《えが》く。
完成した魔法陣は何もない宙空に光を発して存在し、ハウリングしているような高い音を立て始めた。
「おい! 弓道着《きゅうどうぎ》、逃げろ!!」
ビリビリと肌《はだ》に痛い程《ほど》の魔力が気付けになって、意識がはっきりした僕が思わず叫ぶ。
「な……なに……?」
魔法陣の前に膨《ふく》れあがる光の粒子《りゅうし》が、アレッシアの額のダイヤモンドのジェンマと共に尋常《じんじょう》ならざる程に輝度《きど》を上げているのを見て、弓道着の方も相当|気圧《けお》されている様子だ。
「プリンセスコレダー!!」
閃光《せんこう》が頂点に達した時、アレッシアの口から技《わざ》の名が叫《さけ》ばれ、魔法陣から飛び出した光の塊《かたまり》が弾《はじ》き出された。
「きゃああああああああああっ!!」
光弾は一瞬《いっしゅん》のうちに、標的を貫《つらぬ》き、弓道着の悲鳴を呑《の》み込む。
そして、光の塊がそのまま凄《すさ》まじい轟音《ごうおん》を立てて壁と屋根を突《つ》き破って、天空に消えていった。
光の白さの後に、破壊《はかい》された建造物がホコリのような煙《けむり》のような物を生み出して、再び視界が真っ白になる。
[#挿絵(img/th159_110_s.jpg)]
「げほっ、ごほっ……。はー……やっちまったか」
僕の声に我に返ったアレッシアが最初はよたよたと、次第《しだい》に全力で駆《か》けて来た。
「しの……ぶ……忍……忍ぅっ!!」
トップスピードに乗って僕の懐《ふところ》に飛び込んできたアレッシアを抱《だ》き留める。
「なんだよ……泣いてんのか?」
「っ! 泣いてなぞ……おらぬわっ、うつけ!!」
僕の問いを涙声《なみだごえ》で返したアレッシアに、小さく『ありがとうな』と囁《ささや》いた。
「しかし、ま……ちょっとやりすぎだな」
弓道着ごと床も吹き飛んでるし……どっか、その辺に転がってるのかも知れんが、どのみちあの爆発では助かるまい。
可哀想《かわいそう》な事をしたけどな……。
「ふん……忍がわらわの力を制御《せいぎょ》せぬからいかんのじゃ」
ポケロリ使いは精神力でもって、ある程度、そのポケロリの力を制御出来る。
「一応は弱めたんだがなあ……」
とはいえ、マスター第一は、ポケロリの習性みたいなもんだからな。頭に血が上ってもおかしくはない。
むしろ、鈍《どん》くさい僕自身を責めるべきだろう……。
「……瞳亜?」
さっきからこちらを呆然《ぼうぜん》と見ている瞳亜に声をかけた。
と、途端《とたん》にぽろぽろ泣き始めたので、ちょっとビビる。
「……良かった、マスター。無事で……」
「お、おい……」
「ぐすっ……今すぐ……治してあげますからね、マスター」
僕に心配させすぎても悪いと思ったに違《ちが》いない。
瞳亜が何度かぐずりながら、涙を拭《ふ》き、無理に笑う。
それから、垂れてくるッインテールの髪《かみ》をかき上げ、僕の下半身に覆い被《かぶ》さった。
……って、ちょっと、この体勢は。
「と、瞳亜。大丈夫《だいじょうぶ》だから、別に舐《な》めて治すほどの怪我《けが》では……」
「そうはいきません。マスターに怪我させたままなんて……。じっとしててください、マスター……ん……ちゅぴ、ちゅ……」
「う……んあ……」
瞳亜の舌が這《は》った部分が、何だか、少し熱を持ったようで痒《かゆ》いような気持ちのいいような……。
何度経験しても、これは慣れないなあ。
しかも、鼻息がすぴすぴとくすぐったい。
「ん……んふ……マスター、どうですか?」
「ああ、もう大丈夫だから。はは……」
「そうですか……あっ、指もすりむいてるじゃないですか!」
「おっ、おい……」
「ちゅ、れろ、ちゅぅぅぅ……」
す、吸う事はないと……思うのだが……?
何て言うか……舌のざらざらした感じが指先を何度も撫《な》でて、しかも、時折こつこつと当たる小さな歯の感触《かんしょく》がまた……。
ゴンっ!
「いて!」
急に頭頂部に激痛が走ったと思ったら、拗《す》ねたような顔をしたアレッシアが、僕に王錫を振《ふ》り下ろしていた。
「な……何を……」
「デレデレしておるからじゃ。うつけ」
……。
「行こうぜ、瞳亜。こんな所で舐め回されてても埒《らち》があかん」
「んは……は、はい」
僕が立ち上がるのに合わせて、瞳亜も腰《こし》を上げる。
「気を付けろよ。どこに敵が潜《ひそ》んでるか分からないからな」
「はい、マスター」
「分かっておるわ」
とは言ったものの、一番反射神経が鈍《にぶ》いのは確実に僕であり、一番気を付けなきゃならないのも僕だろうけど。
それから、上層階を回る。
かつて栄華《えいが》を誇《ほこ》ったポケロリ使いの基幹組織、導師連盟……その支配者達が暮らした場所は、今やポケロリ達の住処《すみか》となっているらしい。
調度品なんかは彼女らのそれとおぼしき物にアレンジされたりしている。
が、その住人とはまるでかち合うことなく、何部屋か回るうちに、無人の部屋に慣れてきて、どんどん大胆《だいたん》にドアを開けていく僕ら。
「上の階……は見るまでもなさそうじゃのう」
本来なら天の間へと通じる階段は完全に崩《くず》れ、隙間《すきま》から見えるそこは、数年前の栄光が見る影《かげ》もない無惨《むざん》な様相を呈《てい》していた。
「……誰《だれ》も、いませんね」
うーむ……外で凍《こお》ってる連中を溶《と》かして、バンダルグの居場所を喋《しゃべ》らせないと駄目《だめ》か……。
果たして、口を割るかどうかは微妙《びみょう》だけど、それしかないもんなあ。
そう思いつつ、階下に戻《もど》る。
「……う」
と、ちょうど横を通った時に、床《ゆか》に転がっていた弓道着《きゅうどうぎ》の死体がうめき声を漏《も》らした。
「うわあっ、し、死体が動いたっ!?」
「化生《けしょう》がっ!? 成仏《じょうぶつ》せぬかっ!」
「……待って。この子……生きてます、マスター」
死んだものと思って、取りあえず、倒《たお》れたままにしておいたのだが、改めてよくよく観察してみたところ……。
「ホントだ。お、おい、しっかりしろ!」
「う……あ、わた……し?」
おお、気が付いた……良かった良かった……ポケロリ同士の戦いでは、ままある事とはいえ、後味が悪いからな、死人を見るのは。
安心している所へ、『脳しんとうを起こしていただけみたいです』と瞳亜が僕に耳打ちする。
「……どうしてとどめを刺《さ》さなかったのですキュ? それに……あなた、私に避《よ》けろと言ったでキュ? あの声がなければ、私は今頃《いまごろ》死んでましたキュー」
まあ、弓道着の疑問ももっともな物ではあるが……。
「ん……僕達は別にお前らを倒しに来た訳じゃないからな。バンダルグって奴《やつ》にポケロリを使うのを止めさせに来ただけだ」
うんうんと僕の両脇を固める瞳亜とアレッシアも頷《うなず》く。
が、弓道着は、この上なく怪訝《けげん》そうな顔をして、僕の言葉をひっくり返した。
「バンダルグ……? 誰ですキュ、それは?」
「……なに?」
とぼけている……という感じはしない。
……とすると。
「知らんのか? バンダルグ。この屋敷《やしき》に住み着いた悪党だと聞いている。ポケロリを使ってナネット達を襲《おそ》うんだとな。村の中でもそういう噂《うわさ》がある……というような話があるとかないとか」
「どっち?」
弓道着が僕のペースに負け出した。
「僕はそう聞かされたぞ。プラナーだけじゃなく村の連中も、そんな話をしてた」
「……ここにはレイル様がいらっしゃっただけですキュー。それにレイル様のポケロリが4人だけキュ。あとは、聖女とか天使とか呼ばれてるのもいますけど、あの人はそんな悪い人ではないですキュー」
天使……天使か。
やはり、彼女なのか……しかし、だとしたら、何故《なぜ》、僕の前に姿を現さない……?
「……レイル様っていうのは?」
思索《しさく》の淵《ふち》に沈《しず》んだ僕に代わって、瞳亜が弓道着に問う。
レイル様……? そう言えば、外にいた連中もそんな名前を口にしてたな。
「プラナーの兄君ですキュ……お可哀想《かわいそう》に罠《わな》に陥《おとしい》れられて、領主の座を追われましたキュー。プラナーはそれを覆《おお》い隠《かく》そうとして、レイル様を鎖《くさり》に繋《つな》いでここに監禁《かんきん》したんですキュー。私達ポケロリ4人は元からこの廃墟《はいきょ》に住んでいて……それで、お世話を」
……話がややこしくなってきたな。
「つまり、悪党はプラナーの方だってのか?」
「どうして、その事を告発しなかったの?」
瞳亜が話に割って入る。
「しましたキュー! ……でも、話をしようとした所に、あの偽《にせ》ナネットが私の事を『悪党が使うポケロリだ』って……とりつく島もなく」
「偽……ナネット?」
弓道着が深く頷いた。
「あれは偽者ですキュ。本物のナネットお嬢《じょう》さんは、レイル様が失脚《しっきゃく》した時に亡くなったキューと……」
どうも……最初に聞いた話とは随分《ずいぶん》と違《ちが》うな……。
どっちの話が本当だかは分からないが……。
「それで、そのレイル様とやらは?」
「……亡くなりましたキュー」
「仇討《あだう》ちをせんと目論《もくろ》んだのか?」アレッシアが同情したように問いかける。
「いえ……レイル様が、そんな事はしなくていいと……憎《にく》しみで人を傷つける私達を見たくないとおっしゃったのでキュー……」
思い出に浸《ひた》る者が見せる独特の寂《さび》しげな笑《え》みをする弓道着に、瞳亜が首を傾《かし》げる。
「それなら、なんで……?」
「本物のナネットお嬢さんが大事にしていたペンダント……偽ナネットがしているあれだけは……取り戻して、レイル様の墓前に捧《ささ》げたいのですキュー」
「それで、ナネットを襲ったのか……」
「はい……リリカ達は仇討ちもしたがってましたから……。でも、私はレイル様のお言いつけを守ろうキューって……」
もし……もしもだ。
この弓道着が言う事が本当だとしたら……。
「それにしても、レイルって人、随分と力のあるポケロリ使いだったのね。メイドに、セーラーに、ブルマに、弓道着……4人もポケロリを使うなんて……まして、亡くなってからもこれだけの影響力《えいきょうりょく》を」
「……いえ、私達はただ、レイル様が好きでお側《そば》にいただけで……レイル様がマスターという訳キューでは」
「ぬ? しかし、表でわらわ達を迎え撃《う》った者達、名前を名乗っていたではないか? 確か、エリカ、リリカ、セリカとか」
アレッシアの疑問ももっともだ。
「あれは……レイル様が私達への慰《なぐさ》めに話してくださった童話の登場人物の名前ですキュー。レイル様が亡くなった後、自分達でそう名乗っているだけで……」
それほど慕《した》われるとはな……レイルという奴《やつ》は、死してポケロリ使いの資格を得たという事か。
……ともあれ、僕も大概《たいがい》お人好《ひとよ》しだと言われるが、どうも、こっちの話の方が本当っぽい気がするんだよなあ……。
思い返せば、ペンダントを渡《わた》せと言われて断られた時のメイドの激昂《げっこう》の仕方もそういう事であれば、得心もいく。
それに……どうも、ペンダントの話をした時のナネットの表情が気にはなっていたんだ。
今にして考えるに、あの感覚は何か邪悪《じゃあく》な雰囲気《ふんいき》に接した感じと似ていたのではなかろうか……。
「事の真偽《しんぎ》はともかく……一度プラナーの所に戻《もど》ってみよう。どっちかの言っている事が嘘《うそ》かも知れないし、場合によってはどっちの言っている事も嘘かも知れないからな」
「……あなた達は、プラナーの手の者じゃないんですキュ? どうして、私の言う事を信じようとするんですキュー?」
「僕はポケロリ使いだからな。ポケロリの言う事は出来るだけ信じてやりたいと思うのさ」
「……。あなた、名前はキュ?」
「山風忍だ。……トラペドミン回復薬こどもシロップと、ペタナインH軟膏《なんこう》を置いていくから、ダメージ治しとけよ」
バックパックからポケロリ用の薬瓶《くすりびん》を取り出し、床《ゆか》に置く。
「……それと、最後に一つだけ言っておくが」
「?」
「サラシぐらい巻け。ちっちゃな上乳がチラチラして……」
スパンっ、バキッ!!
瞳亜のビート板と、弓道着《きゅうどうぎ》の和弓で同時に頭を殴《なぐ》られた。
……いてえ。
「……これからどうするのじゃ、忍?」
アレッシアがアホ会話をする僕に、ため息混じりで問う。
「ん?」
「外で待っておるナネットが偽者《にせもの》だとすれば……」
「放《ほ》っておく訳にはいかないんじゃないですか?」
瞳亜がアレッシアの言葉を引き継《つ》いで不安な気持ちを見せる。
そうだな。少なくとも、僕をペテンにかけた落とし前はつけさせてもらわんといかんだろう。
それにこうまで色々きな臭《くさ》くなってくると、まさかとは思うが、あの迷宮《めいきゅう》の天使とやらもこの件と無縁《むえん》じゃないのではないか……疑いだせばきりがないものの、それでも、ここらでハッキリさせるべき事はハッキリさせておいた方が良さそうだ。
「出るぞ」
「はいっ」
「うむっ」
「わっ、私も行きますキュっ!」
3人の返事を待つ間もなく、僕は駆《か》けだしていた。
飛び降りるように段を抜《ぬ》かして階段を下りると、外にいるはずのナネットが柱の陰《かげ》からすっと姿を現す。
「あら……忍様、バンダルグ一党は倒《たお》せまして?」
「!?」
感情を感じさせない低い声がロビーに響《ひび》いて、僕の顔を跳《は》ね上げさせた。
声の主――ナネット――はいつの間に塔《とう》の中に入ってきたのか、ゆらりと身体《からだ》を揺《ゆ》らして僕の目の前に立つ。
嘲《あざけ》るような微笑《ほほえ》みが、顔に凍《こお》り付いた表情は、違和感《いわかん》よりも先に本能的な恐怖《きょうふ》と嫌悪感《けんおかん》を覚えずにはいられない。
「……よお、ナネットお嬢《じょう》ちゃん。ちょっと見ないうちに、随分《ずいぶん》と人相が変わったなあ」
軽口を叩《たた》いているうちに、頭が冷静になっていく自分を感じる。
「こんなに早く戻ってくるとは思ってませんでしたから、お化粧《けしょう》直しが済んでませんの」
平常心を取り戻してしまえば、回りも見えて来るというものだ。
僕の盾《たて》になるつもりだろう、前に進み出ようとするアレッシアと瞳亜を押しとどめ、手を握《にぎ》る。
「迷宮の天使はどうした……?」
「さあ……? どこかへ行ってしまいましたわ。茶番には興味がなさそうでしたから」
「ふん……。ところで、今しがた、妙《みょう》な話を聞いてな」
「……」
無言で薄笑《うすわら》いを浮《う》かべるナネットからは、その思考は読みとれない。
「バンダルグとやらが架空《かくう》の人物で、本当の悪党は、領主を追い落としたプラナーとナネットの偽者だと言うんだが……」
「……困りましたわね」
その言葉とは裏腹に、困窮《こんきゅう》してはいないのが明白だ。
ナネットは、しかし、そのままの調子で言葉を続ける。
「大方、そこの弓道着あたりにつまらない事を吹《ふ》き込まれたのでしょうけれど……」
「黙《だま》るキュ! ナネットお嬢さんの名を汚《けが》す偽者っ!!」
チャラチャラとペンダントを見せつけるように手で弄《もてあそ》ぶナネットに弓道着が激した。
「あらあら、嫌《きら》われたものだこと……。でも……そうですわね。その目を見ていると……」
ナネットが僕の目を見て、一旦《いったん》言葉を切る。
「……素直《すなお》にわたくしの言う事を聞きそうにないですわね。残念ですが、わたくしの言いなりにならないのでしたら、亡き者になっていただくほかありませんわね」
「ポケロリ3人を相手にか?」
僕の問いにナネットが、ふふんと笑った。
「ええ……だって。わたくしもポケロリですもの!!」
ナネット……いや、ナネットの姿をしたポケロリが叫《さけ》ぶ。
そして、凄《すさ》まじい速さで何かを取り出し、反応出来ない速度でそれを投てきした。
その一連の動作を認識した時には既《すで》に……。
「きゃっ!!」
僕の後ろで弓道着の悲鳴が上がっていた。
「う!?」
メイドが溶《と》けてるしっ!
「げほっげほっ!」
「うわ、びっくり!?」
ドロドロに溶けた白い液体の中から、生まれてきた子牛状態で弓道着が身を起こす。
溶けたように思えたが、ただ単に大量の白いゲル状物質に呑《の》み込まれて、見えなくなっていただけのようだった。
「……マスター。これ、メレンゲです」
僕を庇《かば》うように前に立っていた瞳亜がおずおずとドロドロした液体を吟味《ぎんみ》して報告してくる。
「メレンゲ……?」
懐《ふところ》から陶器《とうき》で出来たスプーン状の物を取り出す。
「それはレンゲじゃ」
「マスター、どうしてそんなの持ち歩いてるんですか……?」
「……?」
「分からんのかいっ」
時々、瞳亜が壊《こわ》れ気味になる。
それはともかく……メレンゲを投げるとは……台所系ポケロリか?
「何にせよ、悪の元凶《げんきょう》は分かった訳か……」
「あら、悪だなんて、失礼ですわ。あなた方の方が悪ではなくて……?」
そこで初めて、偽《にせ》ナネットは冷たい感情を見せた。
「僕達が……? 拳銃《けんじゅう》をパクったのを怒《おこ》っているのか?」
「そんな事はどうでもいいですわっ!」
見ず知らずのポケロリに悪党と決めつけられるようなマネは……して……ないと思うんだがな……多分。
いや、あなた方というのは、個人的な僕らを指している訳ではないのか?
「まあ、いずれ分かりますわ。それより……そちらの方をそのままにしておいてよろしいの? そのメレンゲ玉は、放っておけばどんどん体力を奪《うば》っていきますわよ」
[#挿絵(img/th159_126_s.jpg)]
どーゆー理論の技《わざ》だ……?
栄養を吸い取られるのだろうか……ていうか、そんな能力を持ってるポケロリというと……。
「何にせよ、ポケロリの悪戯《いたずら》にしちゃ、ちょっとおいたが過ぎてるな。お仕置きだ! 行け、アレッシア、瞳亜! フォーメーション『夕暮れの教室でいきなり情熱キッス』!」
「マスター……その名前はもうちょっとどうにかしてください……」
「その様な指示で動かねばならぬとは国辱《こくじょく》じゃ」
なんかスゲエ嫌《いや》そうに敵に向かっていくポケロリ2人組。
くそう、テンション落ちるなあ……ていうか、どこの国だ、アレッシア。
一方、テンションが上がってきたらしき偽ナネットが、大きく両手を後ろに構える予備動作を見せる。
「見せて差し上げますわ。わたくしの真の実力を!」
「いきなりだまし討ち爆炎《ばくえん》玉!」
作戦通り、瞳亜がバレーボール大の、水蒸気|爆発《ばくはつ》寸前の水と火の混合玉を偽ナネットに向けて発射した。
説明しよう。
フォーメーション『夕暮れの教室でいきなり情熱キッス』とは、『夕暮れの』=夕日=水蒸気爆発玉、『教室で』=特に意味なし、『いきなり』=突然《とつぜん》、『情熱』=ルビーの宝石言葉=ルビーーのジェンマ、『キッス』=ぶちかます……であり、即《すなわ》ち、『ルビーのジェンマを使って、水蒸気爆発玉を突然ぶちかます』フェイントフォーメーションである。
火を司《つかさど》るルビーのジェンマから放たれた炎《ほのお》の塊《かたまり》とスク水属の能力による水の球が、一触即発《いっしょくそくはつ》の状態で一瞬《いっしゅん》の間に偽ナネットの目の前に迫《せま》った。
しかし、偽ナネットは余裕《よゆう》の表情で、直立不動のまま、その球を受け止める。
次の瞬間、ゴゥッという思っていたよりも大きな爆発音と共に、瞬《またた》く間に偽ナネットが爆発に呑み込まれた。
やりすぎたか……とも思ったが、耐《た》えきれないであろう状況《じょうきょう》にもかかわらず、炎と煙《けむり》が消え去るまで偽ナネットは身じろぎもしない。
我慢《がまん》強いとかいうレベルの問題ではない……よなあ。
などと、僕たち4人が半ば呆然《ぼうぜん》と見ている間に、炎は偽ナネットを焼き尽《つ》くし、炭の像が残るだけになった。
「マ、マスター……」
「……ま、まあ少々の怪我《けが》ぐらい、ポケロリは縫《ぬ》いぐるみになってれば治るからな」
近づいて床《ゆか》が揺《ゆ》れた衝撃《しょうげき》が伝わったのか、完全に炭化した偽ナネットからボロボロと炭の欠片《かけら》が落ちた。
落ち始めた事で、徐々《じょじょ》に連鎖《れんさ》して炭が崩れ落《くず》ちていく。
そして。
「ちょうど良かったですわ。本来の姿の方が、力が出せますもの」
焦《こ》げた表面の中から、偽ナネットが再び姿を現す。
「う……」
そのフォルムに、思わずうめいてしまった。
何故《なぜ》なら、彼女の種族は……。
「裸《はだか》エプロン……っ!?」
「ふふふ……あなた達のマスターも、わたくしの魅力《みりょく》に参ってしまっているみたいですわ」
「忍……破廉恥《はれんち》じゃぞ……」
は、裸エプロンだったという事は……。
「服の下にそれ着てたのか……ずっと」
「どこに驚《おどろ》いとるかっ!」
すげえ生活しにくそうだ。
ていうか、人間で服の下にエプロンしてたら、単なる間抜《まぬ》けな奴《やつ》だと思われるに違いないぞ……。
「……まあいいですわ。揉《も》んで差し上げるから、かかっていらっしゃい」
「揉むんだって……」
「淫靡《いんび》じやの」
「そういう意味じゃありませんわよっ!」
アレッシア達のとぼけた台詞《せりふ》に裸エプロン……略してはだエプこと偽ナネットが激怒《げきど》した。
「尻《しり》をこっちに向けるな……目のやり場に困るだろ……」
全裸《ぜんら》にエプロンをしているだけだから、当然、横とか後ろとか向かれると、オーバーオールなんぞ比較《ひかく》にならないほどノーガードだし。
目の毒だ、さっさと片づけてやるか。
「瞳亜、アレッシア、フォーメーション『無垢《むく》な双子《ふたご》にメロメロいけない媚蜜《びみつ》』!」
「はいはい……」
「後でちょっと腹を割って話をしたいのう……」
一瞬、恐《おそ》ろしくアレッシアと瞳亜のテンションが下がった。
「行くわよ……真冬のプールから切り出しイリュージョン!」
が、すぐに気を取り直して、瞳亜が必殺の技を繰り出す。
一拍《いっぱく》置いて、身構えるはだエプの周囲に、何人もの瞳亜が出現した。
「分身!?」
さすがに囲まれて焦《あせ》ったか、偽ナネットが台所ポケロリらしく、能力で片手に鍋《なべ》のブタ、片手にフライ返しを取り出し、それを瞳亜の分身達に投げ撃《う》つ。
偽《にせ》ナネットの武器が瞳亜の分身をとらえたかに見えたその時、分身が粉々に砕《くだ》けた。
「……氷の……像ですの? ……はっ!?」
氷の像に鏡のように自分の姿が映るよう、自らの立つ場所を見極《みきわ》めて角度を調整し、無数の分身がいるように見せる技、『真冬のプールから切り出しイリュージョン』に偽ナネットが翻弄《ほんろう》される。
そして、それに気づいた時、瞳亜が投げた炎の玉が、既《すで》にその背後に迫っていた。
が、しかし。
「甘いですわ」
逆手に構えたフライパンによって阻《はば》まれた火の玉が、ボシュッと弾《はじ》けた。
「……ふん、やるな、はだエプ」
デカイ口|叩《たた》くだけの事はある。
「それに……炎の力を使ったお陰《かげ》で、氷で反射していないジェンマの光が丸分かりですわ!」
叫《さけ》びつつ、偽ナネットはフライパンを持つ逆の手に巨大《きょだい》なお玉を出し、思いっきり投てきした。
何体もの氷の像をなぎ倒《たお》し、更《さら》にその向こう側にいた瞳亜がお玉を食《く》らう。
「ぐっ!!」
壁《かべ》にまで吹《ふ》き飛ばされ、瞳亜が思わずうめき声を上げた。
「詰《つ》めが甘いですわ」
にやりと笑う偽ナネット。
しかし、その顔がパァッと斜《なな》め後ろからの光に照らされる。
「!?」
光源を振《ふ》り返った偽ナネットの瞳《ひとみ》が驚愕《きょうがく》に大きく開かれた。
そこには、戦っている間に瞳亜が溜《た》めた、ポケロリの力の源、宝石力の輝《かがや》きがある。
「スク水は……囮《おとり》?」
そう、全《すべ》てはこのためにあった。
フォーメーション『無垢な双子にメロメロいけない媚蜜』とは、つまり、『無垢』=ダイヤの宝石言葉=ダイヤのジェンマ、『双子』=分身、『メロメロ』=メラメラ=火の玉、『いけない媚蜜』=何かよく分からないが凄《すご》そう……であり、『分身と火の玉で囮を作りつつ、ダイヤのジェンマで何かよく分からない凄い技を出す』というフォーメーションだ。
「アレッシアのプリンセスコレダーはチャージに時間がかかるからね」
目の端《はし》に少し涙《なみだ》を浮《う》かべながら、瞳亜がしてやったりと笑《え》みを見せる。
そのアレッシアは王錫《おうしゃく》に蓄《たくわ》えられたエネルギーを必死に支えるように、王錫と共に突《つ》き出した両腕《りょううで》をぶるぶる震《ふる》わせていた。
とはいえ……今のジェンマの使い方は、姫《ひめ》としての種族の力を補助する程度の使い方にすぎない。
本来ならアレッシアはもっと強い力を使えるはずだが、どうにもダイヤのジェンマの力は未知数でこれまでジェンマ単体の力を満足に扱《あつか》えた例《ためし》がなく、王錫によってようやく力の一部を引き出せているという有り様だ。
もっとも、マスターである僕の未熟のせいである可能性も否定できない訳だが……だとしても、現状ですら充分《じゅうぶん》以上の破壊力《はかいりょく》はある。
そして、宝石力が限界まで高まったと見た僕が叫ぶ。
「いけ、アレッシア!」
「分かっておるわ! プリンセス……コレダーっ!!」
ダイヤのジェンマが一際《ひときわ》明るく輝く。
それに負けず劣《おと》らずの輝度《きど》を誇《ほこ》る幾筋《いくすじ》もの雷光《らいこう》が、偽ナネットに向けて凄《すさ》まじいスピードですっ飛んでいった。
「このっ!」
偽ナネットの顔から余裕《よゆう》の表情が消える。
が、それでも、何体もの氷の像と、出す度《たび》に弾《はじ》かれへし折られていく中華鍋《ちゅうかなべ》やまな板を犠牲《ぎせい》にしながら、辛《かろ》うじて直撃《ちょくげき》だけは避《さ》けていった。
「コレダー全方位発射じゃっ!!」
何条もの雷撃が更に分かれ、四方八方に飛び散る。
しかし、それをも偽ナネットは跳躍《ちょうやく》してかわした。
……のはいいが、エプロンの裾《すそ》がヒラヒラして、より一層別の危険度が上がった。
女の子なんだから、乙女《おとめ》の慎《つつし》みというものをもうちょっと……。
とか僕が思っている問に、大きく跳躍したまま、はだエプは元の余裕を取り戻していた。
「この程度ですか。失望しましたわ。やはり詰めが甘いですわね」
ふん……詰めが甘いか……。
そいつはどうだろうな。
「瞳亜!」
強い力を一気に使いすぎたせいで、少しふらつきながらも、アレッシアが叫ぶ。
「OK……行くわよ。必殺、南氷洋の氷山!!」
鋭《するど》い叫声《きょうせい》に呼応し、プリンセスコレダーによって宙を舞《ま》う氷の欠片《かけら》が一斉《いっせい》に偽ナネットの方へと飛んで行く。
「なんですのっ!?」
さっきまで粉々に割れていた氷の破片は、次々に偽ナネットの手足に凝固《ぎょうこ》して自由を奪《うば》い、最後には文字通り、氷山のようになって棺桶《かんおけ》の如《ごと》く偽ナネットの全身を氷の塊《かたまり》で覆《おお》い尽《つ》くした。
露出《ろしゅつ》する部分が顔だけになって、ようやく、その自重によって、氷の塊と化した偽ナネットがどすんと床《ゆか》に落下する。
それでも、強固に固められた氷山は、多少氷クズを飛ばしただけで、ヒビ一つ入る事なく、着地した。
「……やりますわね。先程《さきほど》甘いと申し上げたのは訂正《ていせい》させていただきますわ」
言っている事は格好いいが、氷漬《こおりづ》けで身動きが取れない状態であるというのは、格好悪くてたまらない。
あと、エプロンが微妙《びみょう》な位置で固まっているのも別の意味でたまらない。
よって……。
「さて、じゃあ、ペンダントは返してもらうそ」
出来るだけ、首から下を見ないようにして話をしようと心がける訳だが、僕は。
「忍、人と話をする時は天井《てんじょう》を見ずに、人の目を見て話すようにせよ」
そういう僕の心遣《こころづか》いをアレッシアはよく無下にする。
「……ふ、ふふ」
「……? 何がおかしい?」
偽《にせ》ナネットが鼻で笑い始めるのを、僕が訝《いぶか》しく問いただす。
「天井を見ながら話をしておる忍がおかしいのう」
外野がうるせえ。
「本当はこの技《わざ》は出したくありませんでしたが、仕方ないですわね」
「なに……?」
まだ隠《かく》し球があるのか……?
「いきますわよ……闇《やみ》のジェンマと台所ポケロリたる裸《はだか》エプロンの能力を足した超《ちょう》必殺……」
相変わらず、首から下は固まったままではあるが、偽ナネットから並々ならぬ力の集中を感じる。
「なに……? 何か変だわ……」
「大気が……ざわついておるのか?」
瞳亜とアレッシアも異変を感じ取って、不安な顔を見せている。
「ふふふ……いきますわよ……」
不気味な微笑《びしょう》を見せる偽ナネットの前髪《まえがみ》の奥から、ジェンマが見え隠れ……し……って、まさか……あのジェンマは……バカな……こんな所であれと会うとは……!
「うそ……何、あの子のジェンマ……?」
「くろ……い……ジェンマ?」
2人の驚愕《きょうがく》ももっともだ。
黒いジェンマというだけならば時々見受けられる……オブシディアン、ダイオプサイト、ブラックオニキス……しかし、目の前のジェンマはそのどれとも違《ちが》っていた。
ジェンマが持つ生気とは異なる、負の生気とでも言うべき禍々《まがまが》しい光。
しかし……。
僕はそれに見覚えがある。
「……ブラックダイヤモンド!!」
その黒い明滅《めいめつ》に古い記憶《きおく》がフラッシュバックする。
空飛ぶ塔《とう》。
崩《くず》れゆく大地。
地上に落ちていく人々。
そして。
天使のポケロリ。
……。
…………。
………………。
13年前。
「君はブラックダイヤモンドのジェンマというのを知っているかな?」
まだ幼さを面差《おもざ》しに残した少年の僕に師匠《ししょう》が問いかける。
「伝説のポケロリが持っているジェンマですよね。ブラックオニキスか何かを見間違えたんじゃないんですか? そんなの見たことないです」
「……そうだね。一般《いっぱん》にはそう知られている。だが、高位のポケロリ使い――導師と呼ばれる人々の寄り合いでは……」
「導師連盟ですね!」
それはポケロリ使いの少年ならば、誰《だれ》もが憧《あこが》れる最高位のポケロリ使いが与《くみ》する組織だ。
僕の師匠もその中の一員だった。
そんな人の下《もと》で修行が出来る事は、当時の僕にとっては何よりも誇《ほこ》らしい事だったのだ。
「ああ。連盟の中では、その実在は公然の秘密だ。彼女らは300年に一度、この世界に姿を現す。その目的はこの世界に混沌《こんとん》をもたらす事だと連盟の老人達は言うが……」
「先生は違うとお考えなんですね?」
「うん。私は、彼女らが闇のジェンマを持とうとも、ポケロリである以上、その本質は邪《よこしま》な物ではないと思うんだよ」
「……」
知識も経験も乏《とぼ》しかった当時の僕が、師匠の考えに何か口を出す事は出来なかった。
「あの……先生。どうして、俺にそんな話を? 連盟の秘密ではないのですか?」
「うん。だが、君が最高のポケロリ使いを目指すのならば……そういう事も知っておいた方がいいだろうと思ってね。ちょうど、君が一人前になる頃《ころ》には……いや、一線級で活躍《かつやく》できるポケロリ使いになる頃には、ブラックダイヤのポケロリが活動を始める……300年目だ」
それは今にして思えば、預言だった。
全《すべ》てが幸福だったあの頃。
上り詰《つ》める道だけがあり、上だけを見ていた頃。
それは、栄光の途中《とちゅう》。
その数年後……最も高い所に足をかけた日に、それまでの全てが足下から崩れていった。
ブラックダイヤのポケロリを目《ま》の当たりにしたあの日。
天高く飛ぶ塔の崩壊《ほうかい》と共に……。
僕の天使と共に……。
………………。
…………。
……。
「よく一目でわたくしのジェンマがブラックダイヤモンドだとお分かりになりましたわね」
一瞬《いっしゅん》のような、永遠のような記憶の淵《ふち》から、偽《にせ》ナネットの声で現実に戻された。
「あんたの仲間はよくよく騒動《そうどう》を起こすのが好きらしいな」
感情を押し殺す……というよりは、辛《つら》すぎる記憶にココロが壊《こわ》れてしまわないように、自分の中でブレーキをかけている。
そんな感じだ。
「……ああ……あなた、わたくしの仲間に会った事があるのですわね?」
仲間……。
「貴様は死神ポケロリの仲間なんだな?」
「死神……ゾハル派の急先鋒《きゅうせんぽう》ですわね」
……見つけた。
ついに見つけた。
先生の仇《かたき》。
その一味を……。
「くっくくくっ……」
「……何がおかしいのですの?」
知らず漏《も》れる笑みを抑《おさ》えきれない。
いつしか忘れていた薄暗《うすぐら》い感情を持った自分がムクリと首をもたげるのが分かる。
「己《おのれ》の業《ごう》の深さが、だ」
そして、どうしようもない黒い感情がもたらす狂喜《きょうき》。
先生が、俺《ヽ》が味わった苦しみを味わわせてやりたいと思う気持ち。
だが……それと相反する気持ちも俺の中にはある。
セシルと出会い、アレッシアと出会い、瞳亜と出会い、生まれてきた僕の中の穏《おだ》やかな感情が、だ。
けれど、それでも今は……。
「待ちかねたよ……お前達黒いジェンマの一族が現れるのを。本当はセシルを見つけてから、共に討ち果たそうと思っていたが……こんなに早く見つかるとはな」
「……?」
「あの日、この塔《とう》で……貴様の同類に俺は……いや、僕は全てを奪《うば》われたんだ。貴様らのせいで、先生は死んだ!! セシルは失われた!! その時、決めた。奴《やつ》に連なる者に鉄槌《てっつい》を下すと……」
「この塔の……あなた、まさか偽《いつわ》りのバベルの生き残り……? ……そう、生き残りがいたのですわね。……それでは、やはり、あなたを生かしてはおけません。我らが新たな秩序《ちつじょ》の妨《さまた》げとなる導師連盟の人間には、この世から消えてもらいましょう」
「貴様こそ……貴様らこそ、皆殺《みなごろ》しにしてやる!!」
「しかし、そうおっしゃる割に殺意に迷いが見えますわよ?」
「ふっ……ふふっ……そうだな、俺はポケロリという存在に何度も救われた、心を、命を。その感謝と敬意が邪魔《じゃま》をする。貴様ら黒いジェンマの一族であってもポケロリなのだという意識を捨て切れていないらしい」
「その高潔さは称賛《しょうさん》に値《あたい》しますわ。導師でなければ、プラナー同様、わたくしの下に置いて差し上げるものを……」
「黙《だま》れ……っ! ……貴様があの死神の仲間だというのなら、やはり、捨ておけはせんっ! 先生の無念、セシルの痛み……そして、またあんな思いをする人間やポケロリを作らないために、貴様らをのさばらせてはおけない!!」
「出来ますかしら? 大方、塔の崩壊の時、己《おの》がポケロリも使いこなせず、おめおめと死神に負けたのでしょう? 未熟者ですわね」
「いつまでもあの時の小僧《こぞう》と思うなよ」
「見せて貰《もら》いますわ、天より堕《お》ちた者がどの程度の器《うつわ》か」
「見くびるなよっ、小娘《こむすめ》!!」
「……いいですわ。では、そろそろやらせていただきます……。出《い》でよ、夜の帝王《ていおう》、キッチンの闇《やみ》の皇帝よ!」
召還《しょうかん》系の能力か!?
不覚だ……問答に意識が持って行かれて、相手の奇襲《きしゅう》を許した!
「……」
「……」
「……」
瞳亜とアレッシア共々、俺も固唾《かたず》をのんで身構える。
うん……?
何も起こらない……?
「ひっ!?」
と思っていたら、アレッシアが唇《くちびる》の端《はし》を引きつらせて、変な悲鳴を漏らした。
「どうした、アレッシア!?」
「ご……ごっ……こごこご」
ぷるぷる震《ふる》え出す。
「ゴキブリじゃあっ!! あそこ……そっ、そそそ、そこにもっ!!」
見ると、確かに、あちこちで黒くてすばしっこい羽の生えた生物が顔を出していた。
あっちにも、げ、向こうにもか……ってちょっと……この数は多過ぎないか……?
「ふふ……恐《おそ》れおののくがいいですわ」
「お、お前が召還したのか……?」
「台所ポケロリ、禁断の奥義《おうぎ》ですわよ」
とか話している隙《すき》に、どんどん、どんどんどんどん、どんどんどんどんどんどん、黒くてテカテカ光っている奴らが増殖《ぞうしょく》して……。
「い……いっ……いやじゃああああああああああああっ!!」
「きゃああああああああああああああああああっ!!」
なっ!?
キレたアレッシアにつられて、瞳亜までパニック状態に陥《おちい》った。
「えええいっ!! 来るでないわーっ!!」
「きゃ―――っ!! 気持ち悪いーっ!!」
叫《さけ》びながら、アレッシアと瞳亜が、必殺|技《わざ》を射《う》ちまくる。プリンセスバスター、プリンセスコレダー、プリンセススマッシャー……爆炎《ばくえん》玉、流れまくるプール、ウォータースライダー……。
長時間の溜《た》めが必要な技も間髪容《かんぱつい》れず、バンバン連射しとる。
……火事場の馬鹿力《ばかぢから》というやつか?
「危なっ!!」
無茶苦茶に射ちまくるせいで、むしろ、こっちの身が危ない。
床《ゆか》も壁《かべ》も天井《てんじょう》も、見境無しにドッカンドッカン破壊《はかい》されていく。
ゴキブリごと目に見えるもの全《すべ》てがなぎ倒《たお》される。
そして、それは、偽《にせ》ナネットを捕縛《ほばく》していた氷の塊《かたまり》も例外ではない。
アレッシア達の攻撃《こうげき》を2、3発食らい、ガシャーンという盛大な音を立て、破壊された。
「ふっ……棚《たな》ぼたですわ」
くそっ……小癩《こしゃく》な。
「ひゃっ!? きゃっ! なんとっ!?」
……とか思ったが、偽ナネットの方はむしろ、必殺技の集中|砲火《ほうか》のまっただ中に放《ほう》り出されたも同然の状況《じょうきょう》で、避《よ》けるだけで精一杯《せいいっぱい》だ。
「ちょっ、あっ、あなた、ポケロリ使いとしてこんな無秩序な戦い方!? 恥《は》ずかしくありませんのっ!」
「はっ! くたばれ、小娘!!」
憎《にく》まれ口を叩《たた》いてはみたものの……。
こっちもバラバラ崩《くず》れ始めた建築材から逃《に》げるだけで、とてもあの状況下にある2人を制御《せいぎょ》するどころではない。
「きゃあっ!? おっ、お願いしますから何とかして下さいっ! もう台所の敵は引っ込めましたのよっ!?」
「……っ」
くそっ!
ここで非情にならなければ、先生の仇《かたき》は討てないというのに……っ!
俺……いや、僕は……完全に目の前のポケロリを憎み切れていない……。
「……」
僕の迷いが、過去の自分と今の自分との戦いが、決着をつけ切れないでいる。
『マスターは……』
『いつも……』
『いつでも優《やさ》しい人でいてください……』
セシルがいつか言った言葉が脳裏《のうり》をよぎった。
と、その刹那《せつな》。
ヒュッ!
大きく開いた壁の向こうから何かが風を切って通り過ぎた。
穴の空いた先にちらりと目をやって、それが何なのか悟《さと》る。
「メイド!」
夕陽を浴びたその幼い容貌《ようぼう》が深い陰影《いんえい》を帯びて凛々《りり》しく見えた。
そして、その両脇《りょうわき》には、セーラー服とブルマがメイドの身体《からだ》をしっかりと支えている。
氷が融《と》けて自由の身になったらしい。
彼女のモップがその真っ直《す》ぐな意志を表すように、一直線に偽ナネットへ向かっていく。
だが。
不意打ちであるそれさえも、偽ナネットは瞳亜が無軌道《むきどう》に投げた巨大《きょだい》なつららを足場にジャンプしてかわした。
「ふん……この程度の攻撃で……っ!?」
その余裕《よゆう》が命取りになった。
モップを避《よ》けた先に、瞳亜が炎《ほのお》の玉を連射してきたのだ。
慣性が付きすぎて避けきれず、幾《いく》つかが偽ナネットをかする。
そのうちの一つが……。
「あっ!!」
偽ナネットのエプロンの肩《かた》ひもを直撃《ちょくげき》して、焼き切った。
……という事はつまり。
「……!!」
べろん……と、エプロンが重力に引かれて落ちる。
しかも、偽ナネットこと裸《はだか》エプロン……いや、もはや真っ裸というべきポケロリは、僕の目の前に着地した。
「……」
「……」
思わず無言で向かい合う僕と真っ裸。
[#挿絵(img/th159_148_s.jpg)]
「……えーと」
「……」
「……その」
「……き」
「ん?」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
耳をつんざく悲鳴が辺り一帯に轟《とどろ》いた。
「い、いや、気をしっかり持て。見られて困る程《ほど》の物ではないから」
「……っ!!」
『まっぱ』となった偽《にせ》ナネットが耳まで真っ赤になってボロボロ涙《なみだ》をこぼしながら、キッと僕を睨《にら》んだ。
「お……おぼえてらっしゃい! 絶対に仕返ししてやるんですからーっ!!」
激泣きの涙を振《ふ》りまき、そう叫《さけ》んでまっぱは逃げていった。
「……」
ふん……殺すつもり、だったんだがな。
僕も甘さを捨てられない、という事か。
まあ、あんな物を見せられては、毒気も抜《ぬ》かれるというもんだ……。
何にせよ、むなしい体型……いや、戦いであった。
感傷に浸《ひた》る僕の背後から、気のせいか、変な殺意が突《つ》き刺《さ》さっている気がする……。
「……マスター」
「……忍」
「ご苦労、我が愛《いと》しのポケロリ達。諸君らの大活躍《だいかつやく》で悪のポケロリは滅《ほろ》びた。でかしたぞ、うんうん」
「他《ほか》の女の子の裸を見て、喜ぶなんて……」
「ふしだらじゃ、破廉恥《はれんち》じゃ、淫蕩《いんとう》じゃっ!!」
そういう事はむしろ、裸にエプロンしか着けてない奴《やつ》に言えよ……。
「いや……別に喜んじゃいないけどな……」
「問答無用です! あたしだけを見てて欲しいのにっ! 馬鹿《ばか》馬鹿、マスターの馬鹿塩素っ! 塩素、塩素、塩素っ!!」
瞳亜が意味不明な事を言いつつ、能力でプールの底に沈《しず》める塩素の塊《かたまり》をガンガンぶつけてくる。
「忍の塩素、塩素、塩素っ!」
そして、落ちた塩素をアレッシアが拾って、ぽこぽこ投げつけてきて、全身痛い。
「痛い痛い! 混ぜるな危険っ!」
とまあ、こうして、一騒動《ひとそうどう》終え、その代わりに僕の身体から数日間、塩素|臭《しゅう》が消えなかったのであった。
「……しかし」
少しため息をついて、固形塩素から崩《くず》れて肩や頭にかかった塩素の粉をはらいながら、アレッシアを改めて見下ろす。
「何じゃ、忍?」
「お前のジェンマが使えてれば、もうちょっと楽に戦えるのかなと思ってな」
アレッシアのジェンマ……レインボーダイヤモンドは、これがまた、ポケロリ本人のレア度に負けず劣《おと》らず随分《ずいぶん》とレアなジェンマな訳だが、レア過ぎるのも考えもので、どんな文献《ぶんけん》を漁《あさ》ってもいかなる伝承を紐解《ひもと》いてみても、どんな効果があるのか分からないと来た。
しかも、だ……それでも、卵から産まれた時から自分の額にくっついてる物なんだから、ジェンマの効能や使い方ぐらい、本能なりで知ってても良さそうなものなんだが……。
「ふん、海の物とも山の物ともつかぬジェンマを使う術なぞ、わらわは知らぬわ」
「お前の物だよ……」
世間知らずのお姫様《ひめさま》は、自分のジェンマの使い方すら知らないと来た。
「そもそも、ジェンマなぞ使えずとも、わらわの生まれながらの高貴な血がもたらす、偉大《いだい》な力があれば充分《じゅうぶん》じゃ」
[#挿絵(img/th159_152_s.jpg)]
確かに、アレッシアの使う、プリンセスバスターやらプリンセスコレダーやらの必殺|技《わざ》は無《む》駄《だ》に威力《いりょく》はデカイがなあ……。
とはいえ、レインボーダイヤモンドの効果が分かったとして、それが役に立つものかどうかは分からんし。
どっかのジェンマみたいに、西瓜《すいか》を出すだけの力とかである場合もあるんだからな……虹《にじ》が出るだけだとかいうオチも充分にあり得る。
さて、それはさておき……。
……残る懸案事項《けんあんじこう》は……どこかへ姿を消したという天使か。
そう思った時、床《ゆか》に黒い染《し》みがある事に、ふと気づく。
それが1枚の羽であると気づいた刹那《せつな》……僕は戦傑《せんりつ》した。
かつて、僕のすぐ側《そば》で笑っていたあの天使の……セシルの、背中に輝《かがや》いていたあの神々《こうごう》しい翼《つばさ》のそれに酷似《こくじ》していて……しかも、今、僕の目の前にあるそれは薄汚《うすよご》れて黒くなった物などではなく……元から黒い物に他ならない。
足下《あしもと》の黒い羽を震《ふる》える手で拾って、それを間近で見る。
黒い、羽。
……目眩《めまい》がした。
その現実に。
希望だとずっと思ってきた僕の追い求めるものは、そうではないのではないか。
その疑念が僕の心を絶望で塗《ぬ》り固めていく。
僕の罪が目の前に突きつけられている……僕自身の希望を呑《の》み込もうとしている。
そして、僕は見た。
助けを求めるように仰《あお》いだ天、その天井桟敷《てんじょうさじき》のようになっているホールの天辺《てっぺん》部分に立つ白い影《かげ》を。
「迷宮《めいきゅう》の天使」
僕の視線を追った弓道着《きゅうどうぎ》が少しうわずった声で眩《つぶや》いた。
「……あれが」
瞳亜の短い言葉には、それを生み出す心中はともあれ、期待と不安があるようにも思えた。
だが、その構成比率は、今の僕とは逆だった。
白いローブで全身を、微笑《ほほえ》む仮面で顔を覆《おお》ったそれは、僕がずっと追い求めていた救いであるかも知れないというのに……この黒い羽が僕の心にその色を落としたかのような、どす黒い不安を生み出し続けていた。
迷宮の天使、その白いローブに包まれた存在がゆっくりと降りて来た時、ローブを押しのけて伸《の》ばした背中の翼は……悠然《ゆうぜん》と広げた翼は……闇《やみ》よりも深い漆黒《しっこく》に染まっていた。
あんなにも白く輝いて綺麗《きれい》だった翼は。
もう、なかった。
この世のどこにもないのだ。
だって……。
だって、それは……。
「セシル……」
僕自身が壊《こわ》してしまったのだから。
「……」
乾《かわ》いた僕の声に僅《わず》かに迷宮の天使は顔を上げる。
その仮面の奥で、彼女は僕を見て笑ったような気がした。
けれどその笑いは歓喜《かんき》からわき出て来たものではなく、侮蔑《ぶべつ》か、さもなければ、自嘲《じちょう》だった。
間違《まちが》いあるまい、こいつは……オーバーオールと一緒《いっしょ》に歩いてる時に見た、遺跡《いせき》の上の人影だ。
その威圧感《いあつかん》は並々ならぬものがある。
「お主が迷宮の天使とやらか?」
威圧される事を嫌《きら》うアレッシアが、負けじと一歩|踏《ふ》み出して、足を転がっている小さめの岩に載《の》せて言った。
「口はばったくも、そう呼ばれているようね」
白いローブ、フードを深く被《かぶ》ったアレッシアよりやや小さい程度の背丈《せたけ》の少女がこちらへ歩み寄ってくる。
くぐもった声からは憎悪《ぞうお》に似たものがこぼれているように思えたのは、僕の被害妄想《ひがいもうそう》なのだろうか。
「アナタが……セシル、さん?」
瞳亜が白いローブのポケロリに尋《たず》ねる声が遥《はる》か遠くから聞こえるように思える。
「それは、そこにいる私のマスターが一番良く知っているのじゃないかしら?」
冷たい声だった。
吐《は》き気がした。
彼女の所作にではない。
僕自身の罪に。
「……セシル、その翼の色は……堕天《だてん》したのか。……僕のせいか? あの夜、僕がお前を……あの一夜の事のせいで……」
薄闇《うすやみ》の中の出来事が脳裏《のうり》にフラッシュバックする。
部屋中に舞《ま》った輝く羽たち。
セシルの哀《かな》しげな悲鳴。
鮮血《せんけつ》に濡《ぬ》れたシーツ。
「……」
セシルは答える事もなく、黒い翼《つばさ》を一度だけ自虐《じぎゃく》的に誇示《こじ》するようにはためかせた。
闇の色をした翼……命を生まない異種族の間での交わり、禁忌《きんき》を犯《おか》し、天を堕した天使への罰《ばつ》の証《あかし》。
最後に彼女と別れた時には、まだそんなものはなかったというのに。
だから、僕は今の今まで思いもしなかったのだ。
僕がずっと罪を背負っていたなどという事は。
だって……あの夜の次の日、彼女を見た時……この塔《とう》の1番高い場所で、この世で最も崇高《すうこう》な高みに上り詰《つ》めたあの儀式《ぎしき》の時、セシルはいつもと変わらず、白く輝《かがや》く翼をはためかせ、優《やさ》しく微笑んでいたのだから。
許されたのだと思った。
この6年間、ずっと思ってきた。
そうではなかったのだ。
そうでは……なかったのだ……。
「どうして……?」
囁《ささや》くようにセシルは問うた。
「どうして、あんな事をしたの?」
その問いかけは、氷の剣《けん》のように僕の心を貫《つらぬ》いた。
「お兄ちゃんのように思っていたのに」
僕は僕自身の愚《おろ》かな行いのために、報《むく》いを受けるのだ。
「人とポケロリの間に決して越《こ》えてはならない垣根《かきね》がある事を知っていたアナタが」
僕は……過去の僕によって、天使の微笑《ほほえ》みを受ける資格を永遠になくしたのだ。
「あなたは新しいポケロリを得て、幸福に笑っている。私は独り罪を背負い、この場所に縛《しば》られ続けているというのに」
セシルは……少なくとも僕の知るセシルは、恨《うら》み言など言うポケロリではなかった。
彼女から輝きを奪《うば》った事が、彼女を変えてしまったのだろうか。
長い孤独《こどく》の日々が彼女の心を歪《ゆが》めてしまったのだろうか。
どちらにしても、それは僕の罪だ。
そう……少なくとも僕は、アレッシアや瞳亜から信頼《しんらい》を受けられるような人間ではなかったのだ。
「忍……っ! この者の申す事は事実か!?」
「……」
「わらわは事実かと聞いておるのじゃ!」
「アレッシア……」
詰め寄るアレッシアを瞳亜が止めようとする。
僕は、今まで積み上げてきたものが全部|崩《くず》れていくのを感じた。
それはあの夜、既《すで》に定まっていた事なのかも知れない。
「忍っ!!」
一歩、僕の方へ強く踏《ふ》み出したアレッシアの、その足が載る床《ゆか》が……。
ガコンッ!!
「うぬぅ!?」
先程《さきほど》からの戦闘《せんとう》で、元々|傷《いた》んでいた石床が決定的なダメージを受けたのだろう。
ぽっかりと空いた穴が、アレッシアを闇《やみ》の中に吸い込んでいく。
「アレッシアっ!!」
刹那《せつな》、悲鳴のような僕自身の声が耳朶《じだ》を打った。
懸命《けんめい》に伸《の》ばした僕の手がアレッシアの手を確かにつかんで……。
遠心力を駆使《くし》する要領で、アレッシアを床の上へ引き戻《もど》し……そして。
僕自身はその代償《だいしょう》とでも言うように、アレッシアの代わりに大きく穴を空けた下の階へと……暗闇《くらやみ》の空間へと……。
「忍っ!!」
「マスタぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
消えていく僕が最後に見たのは、アレッシアと瞳亜の必死に叫《さけ》ぶ顔だった。
……。
…………。
………………。
僕はずっとずっと。
ずっとどこかへ帰りたいのだと思った。
あの瞬間《しゅんかん》。
僕はこの子の中に自分を見つけたのだ。
いつか、この子は言った。
その意味が分かった。
この子もずっと独りだったと言った。
ただ、ただ、帰る場所が欲しかった。
誰《だれ》もいない家。
そんな所に僕のいる場所はなかった。
独りは寂《さび》しい。
僕は寂しさで。
彼女の純潔を侵《おか》した。
本当は。
優《やさ》しさや、愛《いと》おしさで包んであげるべき身体《からだ》を。
僕は。
罪に溢《あふ》れているとずっと思ってきたこの世界で。
あの日。
あの夜。
この世の誰よりも罪深い人間が自分であると思い知った時。
それでも、セシルは天使の優しさで、僕を包んでいた。
幸せになりたかった。
でも。
どうしたら幸せになれるのか、僕には分からなかった。
分からないままに。
僕は目の前にあったかも知れない幸せを壊《こわ》した。
この手で。
この罪深い手で。
もしも。
もしも、僕が少しでも。
ほんの少しでも、幸せの形を知っていたのなら。
僕にも彼女を……セシルを幸せにしてあげられたのかなあ……。
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………………。
…………。
……。
「っ!!」
全身を覆《おお》う痛みで目を覚ます。
辛《かろ》うじて、身を起こし、周りを見る。
天井《てんじょう》が抜《ぬ》けているからあそこから落ちてきたのだろうけど、どうやら、ここはどこかの部屋の中のようで、その証拠《しょうこ》に僕の下敷《したじき》きになっている物がベッドだ。
僕が落ちたせいでへし折れてしまったが、こいつが最終的にクッションになって、助かったとみえる。
「死に損《そこ》なった……という訳か」
我ながら無様なものだ。
満足に生きる事も、死ぬ事も出来ない。
「……だが」
だが、それでも。
生きているのなら……為《な》すべき事がある、という事だろう。
それが償《つぐな》いであれ、罰《ばつ》を受ける事であれ、だ。
裁きの日のために生きる……と言えば、少し自傷的ではあるかも知れないが。
「……随分《ずいぶん》落ちたみたいだな……しかも、真っ直《す》ぐ落ちてきた訳でもないのか」
頭上を見るが、明かりは見えない。
僕が落ちるのと並行《へいこう》してどんどん床《ゆか》が崩《くず》れて生き埋《う》め状態である可能性も高いな……。
どういう風に転がり落ちたのかは分からないが、打ち身|擦《す》り傷はふんだんにあるものの取りあえず、動くのに支障はなさそうだ。
とはいえ……。
「僕の記憶《きおく》が正しければ……6年前死神が襲撃《しゅうげき》してきた時、僕たちがいたフロアの下に向かう階段はあらかた崩れてしまっているはずだけど」
そうすると、地上に復帰するのは並大抵《なみたいてい》の事ではないぞ。
とはいえ、こうしていても埒《らち》があかないか。
「ん?」
周囲に目を凝《こ》らすと、そこそこ色々な物が見える。
単純に目が暗闇《くらやみ》に慣れているのかと思っていたが、どうやら、半開きのドアの外に光源があるらしい。
その明かりに導かれるように、廊下《ろうか》へ出る。
「魔法《まほう》の光球がまだ割れずに残っていたのか……」
閉鎖《へいさ》空間では松明《たいまつ》は危険なので、魔法の明かりを詰《つ》めた小さな水晶玉《すいしょうだま》が廊下に飾《かざ》ってあるのだ。
そいつを拝借して、とにかく、上に登る事にする。
……が。
フロアのあちこちを巡《めぐ》るものの、当然のように上への階段は崩れて埋《うず》もれていた。
「……」
アレッシア達が助けに来てくれる……可能性もあるが……。
その前に酸欠で死ぬ事も充分《じゅうぶん》にあり得る、か。
これは……覚悟《かくご》を決めた方が良いかも知れんな。
もう見限られている可能性だって、少なくはない。
それでも、僕には……必死になって僕を捜《さが》す瞳亜やアレッシアの姿が目に浮《う》かんでいた。
「我ながら度し難《がた》いな」
『いつまで情けない顔をしておるつもりじゃ? 前を向かぬか。わらわが側《そば》にいてやるのじゃぞ?』
自嘲《じちょう》気味に俯《うつむ》いた僕の耳に、初めてアレッシアと出会った時、言われた言葉が甦《よみがえ》る。
「……そうだな、全《すべ》てを諦《あきら》めるにはまだ早い。やれるだけはやろう」
この期《ご》に及《およ》んでポケロリに励《はげ》まされる、というのも情けなくはあるけどな。
「それに……」
ぼやぼやしてると、あいつら、僕を捜すつもりで無茶して……。
「天井《てんじょう》が崩れてマジで生き埋めになりかねんな」
笑えない想像に肩《かた》を落としつつ、頑張《がんば》って前を向いて歩く。
上行きの階段はないが、下行きの階段はあった。
……可能性は低いが別ルートで上へ向かう事が出来るかも知れん。
僅《わず》かな望みに賭《か》け、1フロア下に向かう階段を下りる。
「……。……ここは」
階段を下りきった所に、ガレキに埋もれている一角があった。
見覚えがある。
ここは……。
この場所は……。
身体《からだ》がガクガクと震《ふる》えるのが分かる。
「せん……せい……」
忘れもしない、先生が亡《な》くなった場所だ。
ここで先生は……僕に最後の言葉をかけてくれた。
あの時の僕はただ逃《に》げる事しか出来なくて、本当に無力な存在だった。
だから、先生の骸《むくろ》は今もここで……こんな寂《さび》しい場所で誰《だれ》にも弔《とむら》われる事なく、横たわっているのだ。
「先生……先生、先生っ!」
気が付くと、僕はガレキを懸命《けんめい》にどけていた。
その下には、先生が……。
「……!?」
いるはずだった。
……塔《とう》の落下の衝撃《しょうげき》で、どこかへ飛ばされてしまったのか……或《ある》いは、この辺りの外壁《がいへき》や廊下が崩落《ほうらく》して、そこから外か下のフロアに転がっていってしまったのか。
「……先生」
それから、しばらくかけてこのフロアを捜したが、先生の遺体はおろか、どこにも簡単に転がり落ちそうな穴も空いていない。
「何故《なぜ》だ……?……どうして、ここにないんだ? 死体が……」
先生はもう動ける状態ではなかった。
なかったはずだ。
そして、遺体をどこかへ動かすような者も誰も……。
「……セシル」
気持ちがざわつく。
あるべき物がない。
セシルか……?
彼女がどこかに骸を運んだのだろうか。
「……」
この先……だ。
セシルは、最後にこの先で戦って……。
僕は走る。
淀《よど》んだ空気の中を。
閉じられた闇《やみ》の中を。
6年前の……幻影《げんえい》の中を。
魔法《まほう》球に照らされた回廊《かいろう》の四方の壁面《へきめん》からは、激戦の痕跡《こんせき》が見て取れる。
セシルが僕を守って戦ったその証《あかし》の中を、僕は走った。
そして……。
「セシ……ル……」
行き止まりになった場所のすぐ前、
僕の持つ松明《たいまつ》代わりの水晶玉《すいしょうだま》とは異なる輝《かがや》きがそこにはあった。
「天使の……輪……」
それは紛《まぎ》れもない、神々《こうごう》しい光を放つ……天使の輪だった。
そう、上で再会した彼女には天使の輪はなかった。
もっと早く気づくべきだった。
きっと。
天使であるセシルはここで死んだのだろう。
「セシル……」
双眸《そうぼう》から涙《なみだ》がこぼれ落ちるのを止められない。
あいつは……ここで……。
手にした水晶玉がコトリと滑《すべ》り落ちるのを気に留めず、床《ゆか》であの頃《ころ》と同じように輝いている天使の輪に走り寄った。
そして……。
主《あるじ》を失った輪を、少し寂しそうに輝くそれを、僕はそっと拾い上げて抱《だ》きしめる。
僕が今流している涙は、希望でも絶望でもなかった。
ただただ……懐《なつ》かしかった。
懐かしくて、たまらなく懐かしくて涙が止まらなかった。
ここには……。
僕の知っていた頃のセシルの残り香《が》があったのだから。
……。
どれぐらいそうしていただろう。
遠くから地響《じひび》きのような物が聞こえてくる。
「……?」
段々、その音は大きくなってきて……。
ドゴンっ!!
「うおっ!?」
僕が座り込む場所の20p隣《となり》に盛大にガレキが降り注ぐ。
この上、死ぬのが惜《お》しいとは情けないが、それでも、死ぬっ、死んでしまうっ、と心の中で泣きを入れて、わたわたと這《は》いずって逃《に》げてみた。
「マスターっ!!」
「忍っ!!」
「アレッシアに瞳亜!?」
ガレキと共に降ってきた2人のポケロリが僕に飛びつく。
「良かった……マスター……ご無事で……うっ、ぐすっ、ひくっ……」
「お前らのせいで、無事じゃなくなる所だったがな……」
泣きながら抱きつく瞳亜には悪いが、引きつった笑《え》みを返すのが精一杯《せいいっぱい》だ。
「愚《おろ》か者っ! わらわを救うのは忠心の行為《こうい》じゃったが、自分を犠牲《ぎせい》になぞ、するなっ、たわけっ!!」
「……悪かったよ」
状況《じょうきょう》が状況だけに満面の笑みとはいかないのを、何か勘違《かんちが》いしたのか、アレッシアの表情が曇《くも》る。
「いや……その……わらわこそ、すまなんだ。助けてくれたというのに……。本当は、あのような事が言いたかったのではないのじゃ。……感謝しておるぞよ、忍」
意地っ張りなアレッシアの……それが精一杯なんだろう。
「お前が無事で良かったよ」
「っ! ……泣かすでない……馬鹿《ばか》者」
ようやく、ガレキ落下のショックから立ち直りつつある僕が微笑《ほほえ》みを向けると、アレッシアはそう言って僕の胸に顔を埋《うず》めた。
……瞳亜が怖《こわ》い顔をしているが、ま、たまにはこういうのもいいだろう。
が、アレッシアは程《ほど》なく、ぐいぐいっと僕の服に顔を擦《こす》りつけたかと思うと、キッと顔を上げて、厳しい声で問うた。
「忍……。わらわは先程の答えを聞いておらぬ。答えよ。あの者が言った事は事実か?」
一つ短く息を吐いてから、僕は目を落として言う。
「……そうだ」
「……そうか」
アレッシアがどんな目で僕を見ているのか、それを確かめる勇気は僕にはなかった。
けれど……。
確かめる必要はすぐになくなった。
アレッシアは……。
……笑ったのだ。
「やるではないか。わらわの主《あるじ》となる者ならば、それしきの剛胆《ごうたん》さぐらいは持ち合わせてもらわねばのう」
「アレッシア……けど……」
「その程度の禁におののいておるようでは、この先、わらわの使い手は勤まらぬ。……わらわの目は曇っておらなんだという事じゃな」
僕の言葉を遮《さえぎ》ったアレッシアの瞳《ひとみ》には、動揺《どうよう》はなかった。
たとえ、どんな理由があるにせよ、その言葉の裏に、僕のあずかり知らぬ何かがあったにせよ、だ。
「……」
かけるべき言葉を探して彷徨《さまよ》わせた視線が、瞳亜とぶつかる。
が、瞳亜もまた笑った。
にっこりと、屈託《くったく》のない笑顔で。
「あたしは、忍様がどんなであっても、忍様の味方です。世界中の誰《だれ》もが忍様の敵に回ったとしても。たとえ、忍様があたしを忌《い》み嫌《きら》ったとしても。あたしは最後の最後まで、忍様のためにお仕えするだけです」
「メイドポケロリのような奴《やつ》だよ、お前は……」
「それに……」
「……?」
ただ、恥《は》じらうように両手の指を絡《から》めた瞳亜が濁《にご》した言葉には……。
「……ポケロリでも忍様に愛してもらえるかも、とか、分かっちゃったりしましたし」
苦笑《くしょう》を禁じ得なかったが。
「……しかし、お前ら、床《ゆか》をガンガンぶち抜《ぬ》いてここまで来たのか?」
「あ、それは……彼女達が手伝ってくれて」
瞳亜が崩《くず》れた天井《てんじょう》の向こう側を見ると、上のフロアから弓道着《きゅうどうぎ》、メイド、ブルマ、セーラー服の4人のポケロリがひょいと顔を出してぱたぱたと手を振った。
そして、もう一人。
彼女らの後ろに立っていた迷宮《めいきゅう》の天使が、すっと前に出て、身軽に僕達がいるフロアに音もなく飛び降りた。
「見つけた」
「え?」
くぐもった声、仮面の奥の瞳がどこを見据《みす》えているかは厳密には分からないが、恐《おそ》らくは、僕の手にしている……。
「天使の輪……ずっと、それを捜《さが》していた」
「そう……か」
或《ある》いは、戦いの中で失っていたのかも知れない。
何もかもを戻《もど》してやる事は出来ないが、それでも、何も返してやれないよりはいいだろう。
アレッシアと瞳亜にちょっと笑いかけて、一旦《いったん》、離《はな》れてもらい、迷宮の天使の前へ進み出る。
一つ深呼吸をして、震《ふる》える手でそっと、迷宮の天使に、輝《かがや》く輪を差し出した。
僕と。
「……」
天使と。
「……」
無言で交差《こうさ》する視線。
そして……。
「……っ!!」
彼女が一歩|踏《ふ》み出した時。
僕の臓腑《ぞうふ》には、深々と鎌《かま》が……彼女の手から伸《の》びる鎌が、突《つ》き刺《さ》さっていた。
「エノク……文字……」
刀身に深紅《しんく》に発光するびっしりと書かれたそれを愕然《がくぜん》と見ながら、僕の身体《からだ》は仰向《あおむ》けに傾《かし》ぐ。
指が反射的に何かをつかもうと、手にしたままの天使の輪を強く握《にぎ》りしめる。
それと同時に、迷宮の天使は自らの仮面をはぎ取り、それを床に放《ほう》り捨てた。
カランと乾《かわ》いた音が響《ひび》き、薄明《うすあ》かりが彼女の素顔《すがお》を照らす。
そこにいたのは紛《まぎ》れもなく……。
「死神ぃぃぃぃぃっ!!」
口の中が血の味でいっぱいになるのを感じながら、僕は呪詛《じゅそ》の言葉を吐《は》くようにその名を呼んだ。
それに呼応するかのように……死神は笑った。
「ははははは、なかなか面白《おもしろ》い茶番だったが、つき合うのもこの辺りが限界だよ、|天使使い《アイオーン》……いや、元|天使使い《アイオーン》と言うべきか」
「謀《はか》ったな、貴様ぁっ!!」
「6年前にも言っただろう? これも我らが主《あるじ》たるに相応《ふさわ》しいかを試《ため》す試練だ。お前の漏《も》らした言葉から或いはと思い、揺《ゆ》さぶってみたが……。しかし、我の翼《つばさ》を6年前にお前が見ていなかったのは僥倖《ぎょうこう》だったな」
そこで、死神は笑って翼をすぼめ、忌々《いまいま》しげに口の端《はし》をつり上げた。
「6年。ふん、6年間か……長かった。あの時、あのアイオーンとの戦いの時……お前を逃《に》がした後、奴はその天使の輪を触媒《しょくばい》にして、我のアストラル体をこの塔《とう》に縛《しば》り付けたのだ。残った自らの力と引き替《か》えに。お陰《かげ》でこの塔より一定の距離《きょり》以上離れる事が出来なかった」
そこでちらっとだけ僕の持つ天使の輪に目をやってから、死神は再び顔を上げた。
「……しかも、ご丁寧《ていねい》に天使の輪をステルスモードにしてな。この塔に縛り付けている以上、塔のどこかに天使の輪がある事は分かっていた。しかし、参ったよ。どこにあるかまでは分からない。迂闊《うかつ》に無差別|破壊《はかい》をしようものなら、この塔が崩れて、もう二度と見つけられそうになかったからな」
虚空《こくう》を見ていた死神がそこで、言葉を切って僕を見下ろす。
「だが、奴のマスターであるお前には見えたようだな、我を縛り付ける忌《い》まわしい輪を。お前が触《ふ》れた事でステルスモードが解けた。そう、我はこの時を待っていた。身を隠《かく》し善人を装《よそお》っていれば、奴も油断をしようと思っていたが、少し善行が過ぎたようだ」
自嘲《じちょう》気味に死神は、シニカルな笑《え》みを一瞬《いっしゅん》見せた。
「無駄《むだ》に集落で名が売れてしまった……かえって警戒《けいかい》させるかとも思ったが……いずれ、アイオーンが再びここへ訪《おとず》れる事は分かっていた。アイオーンとお前が我を倒《たお》せるほどの力を付け、天使の輪を回収しに戻ってくるのはな。しかし、あの時奴とはぐれたまま、しかも、お前だけが現れるとは……」
心臓の鼓動《こどう》に合わせて、ズキンズキンと傷口が痛む。
かなりの深手だとそれで分かる。
しかし、それでも、僕は訊《き》かないではいられなかった。
「セシルは……どうなったんだ……?」
「さてな……我が目くらましから回復した時にはもういなかったが……」
そして、死神から笑いが消えた。
「何にせよ……我が使命は無力なる者に死をもたらす事。我を越《こ》えられぬ力なき使い手は……死ね!!」
振《ふ》り上げた鎌に刻まれた文字が、引導に見えた。
『いかん……!』
かわそうとした足が、自分の流した血溜《ちだ》まりに取られる。
普段《ふだん》なら踏みとどまれただろうが、傷の痛みで足に力が入らない。
ここまでか……すまん、セシル……!
覚悟《かくご》を決めたその瞬間、だが、死神の鎌はその持ち手ごと瞳亜が放った巨大《きょだい》な火球に呑《の》まれた。
「マスターっ!!」
そして、瞳亜が叫《さけ》びながら、僕の元へ駆《か》け寄る。
「マスター……酷い傷……っ!!」
「僕はいい……っ、それよりも……あいつをっ。みんな殺《や》られるぞ……」
火球が着弾《ちゃくだん》した後のもうもうとした煙《けむり》が晴れ、その中から死神が現れる。それに向かって、白い影《かげ》が駆けた。
「ようも忍をっ!!」
王女の錫杖《しゃくじょう》を片手に、アレッシアが死神に突《つ》っ込んだ。
ガイィィンという金属音と共に火花が散り、死神とアレッシアの顔が薄闇《うすやみ》の中、鮮《あざ》やかに浮《う》かぶ。
深紅《しんく》に光る鎌と、僅《わず》かな明かりを反射する錫杖、その軌跡《きせき》が幾条《いくじょう》も暗闇に走る。
しかし、その度《たび》に、押されているように見えるアレッシアが、眼前の敵に集中しながらも叫んだ。
「忍っ!」
「なんだ……?」
「こやつ強いではないかっ!!」
「僕に言うなよ……」
文句に混ぜたアレッシアのいつもの強がりに、思わず、笑《え》みがこぼれた。
[#挿絵(img/th159_181_s.jpg)]
[#挿絵(img/th159_182_s.jpg)]
「大丈夫《だいじょうぶ》……お前達も充分《じゅうぶん》強いさ。……いつか、教えてやったダンスがあったろ。あのリズムだよ。右右左、右左左右……」
力無く、それでも精一杯《せいいっぱい》聞こえるように手拍子《てびょうし》をしてやると、アレッシアはそのリズムに乗って足を踏《ふ》み鳴らし、その流れに逆らわずに王錫を振るう。
無骨な戦いとは別次元の、まるでそこにスポットライトが当たっているかのような、華麗《かれい》な舞《ま》い。
それは舞踏会《ぶとうかい》の主役、プリンセスに相応《ふさわ》しいステップだった。
アレッシアが踊《おど》るように戦うその場所は、紛《まぎ》れもなく光り輝《かがや》いていた。
「そう……お姫様《ひめさま》はそうでなくてはな」
そのダンスは、死神の鎌《かま》を受け流し、確実に追いつめてゆく。
「……我が攻撃《こうげき》パターンを!?」
初めて、死神の表情に困惑《こんわく》の色が浮かぶ。
「良く仕込んだではないか、アイオーン使い!」
「お姫様にはダンスを……そして、水着の子には……」
徐々《じょじょ》に焦点《しょうてん》が怪《あや》しくなってきた視線を、僕を抱《だ》き起こす瞳亜に向ける。
「……マスター」
「僕は大丈夫だ。行ってアレッシアを助けてやってくれ。……勝ちに行くぞ」
「はい……!」
頷《うなず》いてアレッシアの方へ走って行く瞳亜。
思えば、瞳亜は僕には過ぎたポケロリだった。
「必殺、流れるプールっ! ……アンド、ジェンマ、ルビー発動! 炎の球!!」
水のポケロリの特性と、それに相反する炎を司《つかさど》るルビーのジェンマを持つ、戦闘《せんとう》ポケロリとして得難《えがた》い資質。
「は、フェイントっ!」
その全《すべ》てを思いのままに使いながら、それに頼《たよ》り切らないクレバーな戦い方。
「浮き輪かっ!?」
水と炎の奔流《ほんりゅう》に気を取られた瞬間を狙《ねら》って、真上から降ってきた浮き輪がすっぽりと死神の身体《からだ》にはまり動きを封《ふう》じる。
そして、その一瞬《いっしゅん》を見逃《みのが》さず、アレッシアが突き出した王錫が、死神の横っ腹にヒットした。
「ぐっ!!」
たまらず倒《たお》れ込む死神。
「今よっ、アレッシア!」
「分かっておるわっ!」
けれど、それよりも何よりも、瞳亜は僕に、自分が一人ではないという事を教えてくれた。
一人では出来ない事も……。
みんなでなら出来ると。
そして、僕にもまだ出来る事があるのだと……そう教えてくれたのは、お前なんだから。
能力も資質も関係ない。
誰《だれ》かを思う真っ直《す》ぐな気持ちと、その思いに一生|懸命《けんめい》な姿こそが……僕には勿体《もったい》ない程《ほど》の宝物だった。
「……いいコンビだ」
死神を追いつめる2人を見て、安心したのか、少し忘れかけていた傷がまた痛み出す。
痛いって事は、まだしばらくは大丈夫、だと思いたいが。
そう思い、戦況《せんきょう》に再び目を向けると、死神の困惑は焦燥《しょうそう》となり、もはや、勝利は見えた。
……かに思えた。
が、死神の鎌に刻まれた深紅《しんく》の輝ぎが赤黒く染まったかと思うと、これまでとは比べものにならない動きで自らを縛《しば》る浮き輪を掻《か》き切り、迫《せま》っていたアレッシアと瞳亜を薙《な》ぎ払《はら》う。
「くっ!」
アレッシアの王錫が鈍《にぶ》い音を立てて、受け流し損《そこ》ねたものの、どうにか赤黒い光の鎌を弾《はじ》く。
「ふん……リミッターを一段階外す事になるとはな……」
「な……に……?」
先程までとは打って変わって、余裕《よゆう》に満ちた表情で笑う死神。
深紅の鮮《あざ》やかな色から禍々《まがまが》しく変化した赤黒い鎌の文字は、彩度《さいど》が下がったはずなのに、より強くその姿を照らしていた。
……記憶《きおく》の淵《ふち》から、あの時の光景が甦《よみがえ》ってくる。
確かに……死神の鎌は今のような忌《い》まわしい色をしていた。
「今までのは本気じゃなかったって言うの?」
「ふざけおって……! わらわを愚弄《ぐろう》するかっ!」
瞳亜とアレッシアが歯噛《はが》みする。
「愚弄……? いいや、むしろ、尊敬に値《あたい》する。この力を使うのは、アイオーンを相手にした時以来だ」
僕は戦慄《せんりつ》した。
そう……この佇《たたず》まい、そして、闘気《とうき》。
6年前のあの時感じた脅威《きょうい》が甦り、神経が痺《しび》れる。
「……参る」
「来るわよ、アレッシアっ!!」
一瞬の攻防《こうぼう》というものがあるが、今、目の前で展開されたのは半瞬だった。
残像だけが目に焼き付いた時には、アレッシアが僕の懐《ふところ》まで吹《ふ》っ飛ばされてきていた。
「ぬぅっ!!」
「っ……! あ、アレッシア……お前、ドレスが汚《よご》れるだろ……気を付けろよ」
「こんな時に何を……っ、忍、お主、こんなにも血がっ!!」
「腹の上で騒《さわ》ぐなよ……傷に響《ひび》くだろ……」
声を立てずに笑うぐらいが、僕に出来るせいぜいのやせ我慢《がまん》だった。
「忍……」
「……行け」
僕の言葉が余程力のないものだったのか、それとも、顔に死相でも出ていたか、アレッシアは少しだけ哀《かな》しみとも絶望とも取れる顔を見せた。
それでも、目を伏《ふ》せながらも無言で頷く。
うちのお姫様《ひめさま》は、お淑《しと》やかという言葉とは程遠いが、芯《しん》の強さは自慢《じまん》していい。
「一つ、教えておいてやろう」
血に濡《ぬ》れたアレッシアの姿に目を細めながら、死神が呟《つぶや》くように言葉を口にする。
「リミッターはもう一段階外せる。お前達に万に一つの勝ち目もない」
「……嘘《うそ》だろ」
これ程までとは思わなかった。
僕のミスだ。
目算が甘かった。
しかし、僕が動揺《どうよう》してはいけなかった。
それがアレッシアと瞳亜に伝わったのを悟《さと》った時、僕はしまったと思ったが、それももう遅《おそ》い。
じりじりと間合いを詰《つ》める死神に気圧《けお》されるように、2人が下がる。
逃《に》がすべきだ。
僕は助からなくとも、ここでポケロリを失うなどとあっては、僕はセシルの時と同じ過《あやま》ちを犯《おか》すことになる。
そうだ。
セシルが僕にしてくれたように……今度は僕が……。
「アレッシア……セシル……に……げ……」
『逃げろ』と喉《のど》まで出かかった言葉は、だが、すんでの所で止まった。
代わりに、別の所から発せられた言葉が遮《さえぎ》ったからだ。
「まだ早いです! 諦《あきら》めるにはっ」
上からの声に、思わず天を仰《あお》ぐ。
さっき、瞳亜達がやって来た時に崩《くず》れた穴の端《はじ》っこに、4つの影《かげ》があった。
「リリカ、セリカ、行きますよ」
さっきの台詞《せりふ》の主、メイドの凛《りん》とした声が響いた。
「え、何で?」
「あの人達は、私達の仇《かたき》である偽者《にせもの》のお嬢様《じょうさま》を倒《たお》す助力をしてたわ。メイドは、受けた恩は必ず返す種族です。……それに、いきなり切りつける者に正義があるとも思えないから」
「……で、何でうちらもなん?」
「ブルマとセーラー服は友達を大事にする種族でしょう?」
「……弓道着《きゅうどうぎ》姉ちゃんには聞かんでええのん?」
「弓道着は義をもって成る。聞くまでもないでしょう?」
「無論ですキュ」
……あいつら。
実力の程はともかくとして、その気持ちには涙《なみだ》が出る思いだった。
それになにより……。
戦う魂《たましい》をもう一度くれたんだからな。
「もうヤケやっ! 一斉《いっせい》にかかるでっ!!」
鉄砲玉《てっぽうだま》のような台詞を契機《けいき》に、矢継《やつ》ぎ早に飛び降りてかかっていく4人のポケロリ。
「うきゃあっ!」
……が、あっさりとまとめて弾《はじ》かれる。
しかし、ガッツだけは並以上らしく、やられてもやられても立ち上がってまたかかっていく。
そのフォローをする瞳亜とアレッシアだったが、コントのように2、3回もそんな事を繰《く》り返して、駄目《だめ》だこりゃというのが分かったようで、情けない目で僕を振《ふ》り返る。
「……忍、こやつらは使えぬ」
「姫さん、そういう事はハッキリ言ったらあかん。傷つくやん」
自覚してんのか。
しかし、軽口が叩《たた》けるだけの余裕があるのは良い事だ。
出来るだけポジティブに思考を進めつつも、ため息混じりなのは否《いな》めない。
それでも、やれる事はやらねばならない……止血をし、体力回復に専念するしかない僕に出来る事といえば、戦術を組み立てる事ぐらいだけどな。
「アレッシアは右翼《うよく》、エリカは左翼《さよく》に回って前線を構築しろ」
「よかろう」
「承知しました」
王錫《おうしゃく》とモップといういかにも不釣《ふつ》り合いな武器を持ちながら、調和の取れた様子でカチンと得物を合わせて、間合いを詰めつつあった死神に向かって行く。
人に従う事に慣れたメイドであるエリカが、アレッシアのリズムに合わせて戦闘《せんとう》を組み立てる。
……このコンビは悪くない。
「瞳亜と弓道着は援護射撃《えんごしゃげき》!」
「はいっ、マスター!」
「的確ですキュ」
ハイタッチをして正面を向き、瞳亜と弓道着が前線の間隙《かんげき》を縫《ぬ》うようなタイミングでフォローをし、また死神に隙《すき》を作るべく攻撃《こうげき》をかける。
こいつらは冷静だ。後方で戦局を見る能力がある。
それが先天的なものか後天的なものかは分からないけどな。
「リリカとセリカはとにかく奴《やつ》を引っかき回せ」
「分かったぜ」
「ええでー」
拳《こぶし》をコツンとぶつけようとしたリリカと、腕《うで》をクロスさせようとしたセリカとが、クロスカウンター状態で顔面にお互《たが》いパンチを食らっていた。
「なんでやのんっ!?」
「こますぞっ!」
……こいつらはアテにすまい。
「はよ行け……」
僕が疲《つか》れた声で促《うなが》すと、不承不承ながら、西瓜《すいか》の種を飛ばし、縄跳《なわと》びをビュンビュン回して攪乱《かくらん》にかかる。
「二重飛びっ!!」
「かまびすしいっ!」
死神の鎌《かま》が一閃《いっせん》して、確実にリリカの首が捉《とら》えられた。
「っ!?」
「リリカっ!」
セリカの悲鳴にも似た叫《さけ》びが聞こえた時、グロい光景を覚悟《かくご》した。
……が、真っ二つになったのは縄跳びの縄だけで、リリカはパペットになって鎌をかわしていた。
死神が、ヒュンッとかすめる矢をバックステップで避《よ》ける間に、リリカがポンッという音を立てて女の子状態に戻《もど》る。
「あっぶなかったぜ〜……」
なるほど……意外と攪乱役には向いているかもな。
「ふ……一頭の獅子《しし》に率《ひき》いられた羊の群は、一頭の羊に率いられた獅子の群を駆逐《くちく》するというが……鳥合《うごう》の衆《しゅう》が化け始めたな」
そうひとりごつ死神からは、余裕が消え始めていた。
「違《ちが》うな。こいつらは獅子に率いられた獅子の群さ」
「……ふふ」
死神のその笑いは馬鹿《ばか》にしたというよりは、強い敵と戦える事への喜びに見えた。
「マスター……何かアドバイスはありますか?」
油断でもあればつけ込めるが、それは望めそうもない事を察した瞳亜が、ちらっと僕を見る。
「持久戦に持ち込め。あんな力は長続きしない」
「ほう……さすがは我が主《あるじ》になるやもと目を掛《か》けた男だ。読まれていたとはな」
「勿論《もちろん》だ」
勿論ハッタリだった。
当たってて助かった……。
「よし、ゆくぞ、皆《みな》の者! わらわに続けぃっ!!」
アレッシアの号令の下、ポケロリ達の戦いが再開される。
……そこからは、乱戦となった。
が、1対6となってもなお、死神とは五分の戦闘を繰《く》り広げるのが精一杯《せいいっぱい》だ。
少しでも気を抜《ぬ》くと、死神を中心とした戦場から弾《はじ》かれるように、弓道着《きゅうどうぎ》達が僕の下へ転がってくる。
「きゅっ!!」
「……何なんですか、あのポケロリ? 普通じゃありません」
弓道着に言ったようにも、僕に尋《たず》ねたようにも思えたが、後者だと仮定して、荒《あら》い息の合間を縫って、その問いに僕が答える。
「偽《にせ》ナネットと同じ……黒いジェンマの一族さ。……もっとも、こいつは段違《だんちが》いに強いけどな」
その言葉に、弓道着たちの視線が険しいものになる。
そして、メイドが強い意志を持って僕を見据《みす》えた。
「一つ、聞いてもよろしいですか?」
「二つはダメだ」
相変わらず傷口は痛むが、軽口を言う気力があるとは、我ながらタフだ。誉《ほ》めてやりたい。
「ポケロリ使いと契約《けいやく》すれば、より強力な力を得られると聞きますが」
「事実だ」
契約という刺激《しげき》によって、眠《ねむ》っているジェンマの力が引き出されるのだ。
「では、私達と契約を……!」
「……正気か? あいつの狙《ねら》いは僕だ。逃《に》げる事も出来るんだぞ? 今のうちなら」
「矢は真っ直《す》ぐにしか進みませんキュ。後戻《あともど》りなんて……しませんキュ」
僕の台詞《せりふ》が弓道着に遮《さえぎ》られた。
弓道着の言葉にメイドも頷《うなず》く。
「あなたは悪い人間ではありません。レイル様は、『良い人間は必ずいる。そういう人を信じなさい』とおっしゃいましたから。そういう方を失うのは、ポケロリにとっての損失です。ですから、私達はついていかせて貰《もら》います」
「うちらもつき合いええなあ、ほんま」
「毒を食らわば皿までだぜ」
メイドに続いて、セーラー服とブルマもニッと笑った。
「……不器用な連中だ」
だが……今はそれが何より助けになる。
「忍っ、わらわが許す! そやつらを下僕にせいっ!」
「マスター、その子達の気持ちを無駄《むだ》にしないであげてくださいっ!」
辛《かろ》うじて前衛を固めるアレッシアと瞳亜がこちらを見ないで叫ぶ。
「……分かった。じゃあ……始めるぞ」
弓道着達が頷く。
「させるかっ!」
僕の精神集中を察した死神が、アレッシア達の間隙《かんげき》を縫《ぬ》って、鎌《かま》をめいっぱい振《ふ》るって衝撃波《しょうげきは》をこちらに向かって飛ばした。
「ビート板っ!!」
しかし、それは瞳亜が僕と衝撃波の間に召還《しょうかん》したビート板を盾《たて》にして防いでくれる。
「契約儀式《けいやくぎしき》の間は、あたし達が絶対にマスターに指一本|触《ふ》れさせません!」
「うむっ、わらわ達に任せておくがよいわっ!」
無言で親指を立て、2人の言葉に応《こた》える。
そして、とぎれた集中力を再び呼び戻した。
「……我が名は山風忍」
契約の儀の始めの言葉を口にする。
そして、腹からまだ流れている血を親指にすくい取った。
「我が汝《なんじ》の主たるに相応《ふさわ》しいと思うのならば、ジェンマを我が前に」
まず最初に弓道着が僕の前に進み出る。
鮮血《せんけつ》に濡《ぬ》れた親指をジェンマに当てて……。
「私の主の名は……山風忍。マスター、私の名は……?」
ジェンマがその力を発揮する時のような輝《かがや》きを放った。
「汝の名は……」
えーと……汝の名は……名は……いかん、何か良い名前が思いつかん。
ていうか、血を失いすぎたかも知れん……考えがまとまらねえ。
「私の名は……?」
「な、汝の名は、きゅ、きゅ、きゅー……きゅきゅきゅきゅ……Q」
「きゅう!? もっと、何かあるですキュ!? 可愛《かわい》かったり、格好良かったりする名前が!? 何でそんな場当たり的な名前なんですキュ!?」
「もう、Qで決まりなんだから、さっさと行け……次」
「りっ、理不尽《りふじん》ですキューっ!!」
半泣きになりながら、これまでより強いジェンマの輝きを放って、弓道着ポケロリのQが再び死神に挑《いど》みかかって行った。
セーラー服のセリカ、ブルマのリリカと同様に契約して送り出す。
最後に、メイドのエリカとの契約を済ませると、契約時の精神力の消耗《しょうもう》が累積《るいせき》したのか、軽い目眩《めまい》を覚えた。
「ご主人様、大丈夫《だいじょうぶ》ですか?」
「もっとご主人様と呼んでくれ」
「……。大丈夫そうですね。それでは、私も……加勢してきます」
苦笑《くしょう》を返してから、エリカはキリリとした表情に戻して、駆《か》けて行った。
そこからの動きは見物だった。
一撃《いちげき》のスピード、打撃のインパクトがまるで違《ちが》う。
[#挿絵(img/th159_198_s.jpg)]
それまで五分だった戦線は、見る見るうちにこちらが押し始める。
「……戯《たわむ》れに契約を見逃《みのが》してやったが、これ程《ほど》地力を上げてくるのかっ!?」
その言葉が強がりであるように思えるほど、再び焦燥《しょうそう》が死神を包み始めていた。
リリカとエリカが絶妙《ぜつみょう》に噛《か》み合わないタイミングでかけてくる陽動が、かえって死神の戦闘《せんとう》リズムを崩《くず》す。
崩れたのを見計らって放たれた矢、それまで見切られていたQの矢が死神を翻弄《ほんろう》する。
その隙《すき》を逃《のが》さず、今までアレッシアの補助的にしか立ち回れていなかったエリカのモップが、
死神を確実に捕捉《ほそく》していた。
これで地力の差はなくなった。
……が。
思い切って、大きく後ろに下がった死神が僕に鋭《するど》い視線を送る。
「なるほど、使い手の能力がずば抜《ぬ》けている事はわかった。だが……ポケロリ使いの方の精神力がどこまで保《も》つかな?」
死神の言う通りだった。
普段《ふだん》ならば、ポケロリ達がちょっと増えたぐらいでは、どうという事はないが……。
「……」
……まずいな、傷口の感覚がなくなって来た。
折角|増援《ぞうえん》を送り込んだが……ここらが限界か、頃合《ころあ》いを見計らって引かせるべきだな。
やはり、僕が……盾になってでも、あいつらを……。
『随分《ずいぶん》とご自分のポケロリを過小評価してるんですね、マスター?』
「え……?」
突然《とつぜん》、頭の中に響《ひび》いてきた声にハッとなる。
『あの子達は強いですよ。……強く……なります』
「……」
ポケロリを信じる気持ち……か。
けど……。
瞳亜、アレッシア……次々になぎ倒《たお》されていくポケロリ達。
『そうですね……。今は、まだ、私の力が必要かも知れません。……マスターの、一番手のポケロリであるこの私の力が』
段々強く大きくなるその声に、思わず、天を仰《あお》ぐ。
一日だって忘れた日はない。
この声を。
「……!?」
だが、そこにいたのは……。
「オーバーオール!? 何でこんな所ヘ!?」
「……急に……何かに呼ばれたような気がして……そう、まるで引っ張られるような感じが」
なんだ……どういう事だ?
だが、僕の問いかけに答えたのは、オーバーオールではなく、エリカを跳《は》ね飛ばした死神だった。
「そうか、貴様だったのか……天使の輪のステルスモードが解除されて、共鳴したな」
「なん……だと……? じゃあ、まさか、こいつが……」
『マスター、天使の輪を!!』
頭の中に響く声に押されるように、ずっと握《にぎ》りしめていた天使の輪をオーバーオールに向かって投げた。
と、同時にそれを鎌《かま》で叩《たた》き落とすべく跳躍《ちょうやく》する死神。
あと僅《わず》か、オーバーオールに届きかけた輪は、死神によって阻《はば》まれる……かに見えた。
「浮《う》き輪っ!!」
だが、コンマ数秒の差で、瞳亜が召還《しょうかん》した浮き輪が死神を捕《と》らえ、バランスを崩した死神をそのまま床《ゆか》にしたたかに打ち付けた。
「リリカっ!」
「っ!! ジェンマ発動、トパーズっ!!」
その機を逃さず、僕が心の中でリリカに指示を念じながら名を叫《さけ》ぶと、契約によって僕の脳内のイメージに敏感《びんかん》になっていたリリカがとっさに呼応してジェンマを発動させる。
鎌の切っ先で浮き輪を破裂《はれつ》させようと動く死神に向けて。
すると、村の食堂でエリカと戦ったウェイトレスのジェンマと同じ、物体の硬度《こうど》を上げるりリカのトパーズのジェンマが、浮き輪の硬度を上げ、鎌の刀身を弾《はじ》いた。
「ナイス連携《れんけい》っ!」
即席《そくせき》チームではあるが、強敵との戦いでチームワークも生まれつつあるのだろう。
リリカと瞳亜がパチンとハイタッチする。
そして……。
一方、その頭上。
惚《ほお》けた顔で、天使の輪を反射的に受け取ったオーバーオールは……。
その身体《からだ》が光を帯び、そして、その光は見る見るうちに膨《ふく》らんで、光の柱となって上に伸《の》びて……。
周囲が光に満たされ、その光の柱の中にいたオーバーオールの服が散り散りになり、代わりに、瞬時《しゅんじ》に天使のローブがまとわれる。
そして……僕は、彼女の相貌《そうぼう》がオーバーオールのそれから別人のそれへと変わっていくのを見た。
やがて、光は収束し、一人の少女が降り立つ。
……純白の翼《つばさ》。
……金色の髪《かみ》。
……光の輪。
そして……優しい面差《おもざ》し。
それは……長い年月を経ても変わる事のない汚《けが》れなき天使……。
「セシルっ!!!!!」
僕の呼びかけにうっすらと夕暮れ時の稲穂《いなほ》のようなキラキラ輝《かがや》く黄金《こがね》色の瞳《ひとみ》を開く……セシル。
「……。マス……ター。……マスタぁ……おにいちゃんっ!!」
最初は驚《おどろ》くように、そして、ポロポロと涙《なみだ》をこぼしながら、セシルが涙声で僕を呼んで、胸に飛び込んで……。
両腕《りょううで》と……背中の翼で……僕を激しく……優しく。
……抱《だ》きしめた。
セシルの声も、柔《やわ》らかな翼の感触《かんしょく》も、ふかふかの髪も、全部……ほんものだ。
「……セシル」
「……はい、マスター」
少しだけ身体を離《はな》して、じっと見つめ合う。
「……おかえり」
「……ただいまっ!」
そして、微笑《ほほえ》み合った。
僕は、この言葉を言うために、たったそれだけのために……けれど、たいせつなたいせつなこの一言のために、長い、長い旅を続けてきた。
沢山《たくさん》の人の、沢山の思いが……今、僕をここに立たせてくれていた。
「でも……お前、何でオーバーオールなんかに……」
「それが……一気に力を使いすぎたので、力の発散を防ぐために低消費力モードに切り替《か》えたんですけど……死神を封《ふう》じ込めた時に、負荷をかけすぎたみたいで……記憶《きおく》が飛んでしまって」
オーバーオールって低消費力なのか……。
「……忍、無粋《ぶすい》とは思うが、今はのんびりもしておれぬぞよ」
死神に吹《ふ》っ飛ばされて、横たわっていたアレッシアが、錫杖《しゃくじょう》をついて、起き上がる。
「……あぁ、そうだな。セシル……実は……」
「分かっていますよ、マスター。天の御使《みつか》いは、何でもお見通しなんです」
「そうか……」
頼《たの》もしい限りだ。
「瞳亜さんに告白するんですよねっ」
全然見通してなかった!
セシルの後ろでは、アレッシアがズルぅっと派手にずっこけている。
「そ……そんな……マスター……あたし、心の準備……は、いつでも出来てますけど、こんな時に」
「しねえっつーに」
瞳亜が場の空気を読んでくれない。
……ていうか。
忘れてたよ……こいつ、天然ボケだった……。
「ファイトですっ、マスター。……ちょっと、寂《さび》しいですけど」
言って、えヘへと笑うセシル。
失笑《しっしょう》が漏《も》れまくりそうになるのを、何とか堪《こら》えて、セシルの肩《かた》をつかむ。
「えっ!? わたしに告白ですか?」
「ちがーうっ!」
告白は忘れろ。
「いいか、その死神がすぐ目の前にいる」
切羽詰《せっぱつ》まっていた事を思い出したら、自然に声が早口になる。
「お前が言ったんだからな、お前の力が必要だって。僕のポケロリ達に力を貸してやってくれ」
「マスター」
キリリとした表情で僕を見つめるセシル。
いつかの緊張感《きんちょうかん》が甦《よみがえ》ってきた。
「自分の事、『僕』って呼ぶようにしたんですねっ。何だか、可愛《かわい》いです」
「んなこた、どーでもいいっ!!」
緊張感が全《すべ》て削《そ》がれた。
「うふふ、分かってます……わたしはやる時はやる女ですから」
ホントか?
「さあ、始めましょうか。マスターの怪我《けが》の具合も気になりますし、さっさと片を付けてあげますよ……」
翼《つばさ》を翻《ひるがえ》し、セシルが死神と対峙《たいじ》する。
そのセシルの挑発《ちょうはつ》めいた行為《こうい》に、死神が一瞬《いっしゅん》ジェンマを強く輝《かがや》かせ、鎌《かま》で強引《ごういん》に硬《かた》くなっていた浮《う》き輪を切り裂《さ》いて、ゆらりと立ち上がった。
交差《こうさ》するセシルと死神の視線。
「久しいな、アイオーン……6年ぶり、か」
「死神……今回は、前のようにはいきませんよっ。何しろ……」
セシルがふっと笑う。
「こちらには切り札があるんですからっ」
「ふん……いいだろう。好きにかかって来い。我を倒《たお》す事が出来たなら、あの時言ったように……貴様を真に一つの王と認めよう」
僕をちらっと見て、余裕《よゆう》を見せる死神。
「だが……多勢に無勢では、貴様らも気が引けよう? 折角だ、我が主《あるじ》も紹介《しょうかい》しておこうか」
主……マスターがいたのか。
6年前のあの時には、姿を現さなかった……或《ある》いはあの後、契約《けいやく》を交《か》わしたのか……いずれにせよ、ポケロリ使い同伴《どうはん》とあれば、その力はあの時よりも遥《はる》かに上。
ましてや、僕は手負いと来ている。
そして……冷たい笑《え》みを浮かべる死神の陰《かげ》から、その人物は現れた。
「……!!」
ああ……今日は何度|驚《おどろ》けばいい日だというのか。
死神の後ろにいた、その男は、6年前と変わらぬ姿は……。
「やあ、久しいね。元気……ではないようだな、その傷では」
「……先生っ!!」
山風刀夜、僕の先生その人だった。
「早く治療《ちりょう》した方が良い、と言いたい所だが……そうもいかないな。いかなる状況《じょうきょう》であれ、私のポケロリを乗り越《こ》えて貰《もら》わなくてはこうして生き恥《はじ》を晒《さら》した甲斐《かい》もないというものだ」
冷静で、しかし、優《やさ》しさを失わない……紛《まぎ》れもなく僕の先生だ。
「なんで……?」
「何故《なぜ》、彼女らに与《くみ》するか、かい? ……それはキミも良く知っているんじゃないのかな?」
「……」
先生の言葉に、僕は思わず言葉を詰《つ》まらせる。
確かに、かつて噂《うわさ》されていた事がある……先生は導師連盟の上層部に対して叛意《はんい》を抱《いだ》いていると。
人間本意でポケロリを蔑《ないがし》ろにする同盟の方針に不満を漏らしていた事もある……が。
しかし……もしも、先生が反同盟に荷担《かたん》していたのだとしたら、そして、死神と契約する事でその力を引き出したのだとしたら……。
長老達が塔《とう》に集まる儀式《ぎしき》の日を選んで死神が現れた事も、先生の死体があの場所になかった事も、説明は……つく。
「さて、積もる話もあるが、これぐらいにしておこう。私を超えられないのなら、これ以上、話す事もない。……来たまえ、山風……忍」
先生は最後にそう言い放つと、改めて僕に向き直った。
それを見て、セシルが僕に気遣《きづか》わしげな視線を送ってくる。
「……マスター」
尊敬も思慕《しぼ》も、曇《くも》る事はない……むしろ、先生らしい行動だとさえ思えた。
だが、それでも……いや、だとすればなおさら、僕を蚊帳《かや》の外に置いて欲しくはなかった。
言ってくれれば、当時の僕であれば、間違《まちが》いなく先生の力になっただろう。
何しろ、あの頃《ころ》の僕は、平穏《へいおん》と調和よりも、破壊《はかい》と混沌《こんとん》を望んでいたのだから。
僕は先生にとって、信頼《しんらい》に足る人物ではなかったという事か。もしくは、当初は僕を巻き込まないつもりだったのか。
いずれにせよ、僕と……そして、何よりセシルを裏切るような真似《まね》をした事だけは許せなかった。
「『越えられないなら』……か」
高みを。
遥《はる》か高みを目指す魂《たましい》は、僕の中で未《いま》だに死に絶えてはいないらしい。
こんなにも魂が高ぶる。
血潮に再び火が灯《とも》るのが分かる。
「越えて……やろうじゃないか」
尊敬する恩師を越えられる機会を天が与《あた》えてくれるというのだ。
僕は次から次にわき上がってくる高揚《こうよう》する気持ちを抑《おさ》えられないでいた。
それで、セシルと分かたれた日々も、地べたを這《は》いつくぼった苦渋《くじゅう》も、まとめて返してやれるのなら、望むところだ。
「マスター……?」
にやりと笑った僕の俯《うつむ》き加減《かげん》の表情を、セシルが訝《いぶか》しげに覗《のぞ》き込んだ。
「ふん、ゾクゾクしておるな、忍。それでこそ……」
アレッシアが不敵に笑う。
「それでこそ、わらわの使い手じゃ」
「アレッシアさん……。……分かりました、マスター」
間合いを計りながら、セシルがアレッシアの方へと歩み寄る。
「やりましょう、アレッシアさん。あなたのジェンマの力……ポケロリの力を束ねるレインボーダイヤの能力を見せてくださいっ」
アレッシアのジェンマ、レインボーダイヤモンド……その力を使った事は、実はない。
何故なら……かつて、使おうとして、使えた事がないからだ。
だから、その能力の何たるかも分からない。
しかも、どの文献《ぶんけん》にもレインボーダイヤモンドという物が存在するという記述すらないのだ。
それを……その力を……。
「セシル、お前は知っているのか、レインボーダイヤがどんな力を持っているのか」
「はいっ。普通は持てる数ではありませんが、マスターのように7人のポケロリを従える使い手と契約《けいやく》するアレッシアさんなら……ポケロリのジェンマの力を束ねる事が出来ます。それなら、死神といえど……」
虹《にじ》の7色……7人……そうか、だから、瞳亜と3人で旅をしていた時にいくらジェンマを発動させようとしても無駄《むだ》だったという訳だ。
けど、今なら……。
「忍……」
「構わん、ぶちかませ」
正直、そろそろ失血がひどくて、しんどくなってきたからな……。
一か八《ばち》か、ここらで仕掛《しか》けないと、この先はなさそうだ。
くっ……やべえ……視界も……狭《せま》くなって……。
「よしっ……ジェンマ……発動、レインボーダイヤモンドっ!!」
アレッシアの額に見た事もないジェンマの輝《かがや》きが宿る。
瞳亜のルビーのジェンマが。
エリカのアクアマリンのジェンマが。
リリカのトパーズのジェンマが。
セリカのウォーターメロンのジェンマが。
Qのパライトのジェンマが。
そして、セシルのスタースピネルとアウインとダイヤモンドの3つのジェンマが。
6人のジェンマから発せられた光が次々にアレッシアのジェンマに吸い込まれていく。
そして……。
集まった輝きが……。
何度か明滅《めいめつ》して……。
「はあああああああああああああああっ!!」
一旦《いったん》、アレッシアのレインボーダイヤモンドのジェンマに消えていった光たちが、今度は虹《にじ》色《いろ》の輝きの奔流《ほんりゅう》となって、膨《ふく》れあがる。
その膨張《ぼうちょう》と比例して、僕の身体《からだ》からも吸い取られるように力が抜《ぬ》けていった。
[#挿絵(img/th159_212_s.jpg)]
そして、アレッシアのジェンマに宿った輝きは爆発的《ばくはつてき》な勢いで、虹色の光の束となって、死神目がけて真っ直《す》ぐに突《つ》き進んでいく。
「ふん……ジェンマ力《りょく》は、全部で600カラット程度か。それならば……」
余裕《よゆう》を見せる死神が、黒いジェンマをこれまでにない程《ほど》に輝かせると、それに連動したかのように鎌《かま》の刃《は》に刻まれたエノク文字が真っ黒く発光した。
「なにっ!? 鎌で受け止めただとぉっ!!」
思わず唸《うな》る僕の目に、ビリビリと大気を振動《しんどう》させながら、虹の渦《うず》を寸前でくい止める死神の鎌が映る。
「くっ……!!」
「まさか、リミッターを全《すべ》て解除して戦う事があろうとはな」
更《さら》にジェンマの力を絞《しぼ》り出そうと、歯を食いしばるアレッシアに、死神が一歩にじり寄ってきた。
「そんな……これでも互角《ごかく》ですらないなんて……」
呆然《ぼうぜん》となるセシルの眩《つぶや》きが耳に届く。
「この程度か? 死神の力をここまで引き出したのには驚《おどろ》かされたが……勇戦した、というのがせいぜいのようだな」
先生の言葉が遠く聞こえる。
しかし、それでも。
わき上がる闘争心《とうそうしん》は、これっぽっちも折れる気がしなかった。
そう、僕はこういう人間だった。もっと、戦いを求める入間だったはずだ。
足が動かない。
腕《うで》もひどく重い。
俺《ヽ》にはもう、何も出来そうもない。
しかし、この窮地《きゅうち》にありながら、忘れていたこの感覚に、思わず笑いがこぼれそうになる。
「終わりだ」
死神が鎌を持つ手に更にグッと力を込めた。
それにつれ、虹の光が徐々《じょじょ》に跳《は》ね返されていく。
誰《だれ》の目にも諦《あきら》めの光が宿りかける。
何も出来ない僕が……もしも、出来る事があるとすれば、それは目の前で戦っているポケロリ達に、戦う気持ちを与《あた》える事ぐらいだ。
けれど……檄《げき》を飛ばそうにも、僕の意識はこの時、既《すで》に途切《とぎ》れ途切れになっていた……。
いや……目の前のこれは本当に現実なのだろうか?
それとも……フラッシュバックのように明滅する風景……それが現実なのか?
現実……夢……。
夢……現実……。
どこかの街角……僕がいる。
少年の頃《ころ》の僕。
ひねたような、冷めた目をした僕……自分に優《やさ》しくしてくれる存在がいるなんて信じていなかった頃、僕以外は全て敵だと思っていた頃だ。
幸せな人達に敵意をむき出しにして、幸せでいる事を当然と思っている人達が大嫌《だいきら》いだった頃の……ほんの数年前までの僕がそこにはいる。
僕の父は僕が生まれてすぐに亡《な》くなった。
僕の母は……正妻ではなく、僕が物心ついた頃には既に家にはいなかった。
僕を育てた……と言えるのかどうかは分からないが、正妻だった義母は僕を疎《うと》んじているようだった。
しかし、子供にはそんな事が分かるはずもなく……。
僕はいつも、街角を手を繋《つな》いで歩く幸せそうなどこかの家族を、羨望《せんぼう》の眼差《まなざ》しで見ていた。
何故《なぜ》、自分は誰もが持っているような幸福そうな風景の中にいないのだろう。
「……」
独りぼっちで。
僕はこんなにも寂《さび》しそうにしていただろうか。
たった一人……いや、温《ぬく》もりを得たはずだったのに……先生とセシルがそれを与えてくれたはずなのに、僕はまた一人になっていた。
さっきまで見ていた街角も幸福そうな家族連れも消えて……果てしなく続く荒野《こうや》の中に僕はいる。
遠く、遥《はる》か遠くの空には半ば崩《くず》れ落ちながら、雲をまとった塔《とう》が重力に引かれて大地へ向かっていた。
あそこには僕の大切な存在がある。
僕に温もりを与えてくれた人達がいる。
でも、この手はあの場所に届かない。
大切なものの所へは届かない。
僕はもう子供ではなかった。
けれど、子供のように、僕はなすすべもなく俯《うつむ》き立ちつくしていた。
何も出来はしない。
全《すべ》てはあの塔と共に崩れ去った。
栄光も。
幸福も。
……温もりも。
それでも、僕は走って行かないではいられなかった。
それしか、僕には出来なかったからだ。
もうそこにはない塔へ向かってか……あるいは、何もなくしてしまった僕は、望んで破滅《はめつ》へ向かって歩いているのか、それも知れなかった。
どれほど、果てしない道なき道を行っただろうか。
僕の弱い心が言わしめたのか、時が経《た》って冷静さが目覚めてきたのか分からないが……。
心のどこかで囁《ささや》く声があった。
僕の希望は、僕の夢は……。
もう終わったのではないかと。
もう全ては終わっているのではないかと。
その声を聞いた時、足が力を失い、僕は大地に崩れ落ちた。
いつの間にか雨が降っていた。
涙《なみだ》が止まらなかった。
夢の時間は……、
もう、とうの昔に終わっていたのだ……。
「何を情けない顔をしておる。前を向け」
「え……?」
不意に傘《かさ》を傾《かたむ》けられ声をかけられて、僕が振《ふ》り向いた先には一人の少女がいた。
気高く。
誇《ほこ》りと。
自信に満ちていた。
セシルの輝《かがや》きは慈悲《じひ》の優しさによるものだった。
けれど、目の前の少女は、力強さがあった。
震《ふる》えた……身体《からだ》が。そして、何よりも心が。
何もかも失った僕には……心を砕《くだ》かれていた僕には……その姿はあまりにも目映《まばゆ》かった。
「わらわは、わらわを退屈《たいくつ》させぬ者と契約《けいやく》をしようと思っておった。お主がいきなり宙空に現れてより何をするのかと一部始終を見ておったが……いや、そもそも、よもや、天空から光りながら降ってくる者がおろうとはな……愉快千万《ゆかいせんばん》」
「……」
「何をしておる。立ちあれ。わらわが側《そば》にいてやろうと言うておるのじゃぞ?」
差し出された手は、とても小さくて……。
でも、この時の僕の目には何物にも負けないほど大きく映った。
何よりも……。
僕はずっと望んでいたはずだ。
僕の手を繋いでくれる手を。
僕と一緒《いっしょ》に、歩いてくれる存在を。
だから、僕は……。
その手に向かって微笑《ほほえ》んでいたはずだ……。
いつしか、雨はやみ、覗《のぞ》いた青空から射《さ》した陽光が虹《にじ》をまとって少女に射していた。
それを見ながら、僕は一つの言葉を思い出していた。
先生が言った言葉だ。
「ポケロリとマスターの間に本物の絆《きずな》があるなら出来るであろう、とっておきをキミに教えておこう。もっとも使うような状況《じょうきょう》を迎《むか》えないに越《こ》した事はないが……。……いいかい?」
先生が言うような、そんな風に……僕は、僕達はなりたいと思っていた……。
「忍っ!!」
「……?」
アレッシア……が、呼んでいる、のか?
重い……これ程《ほど》までに自分のまぶたが重いと思った事はない。
「マスター……お気を確かに……」
「すみません、マスター、このままでは全滅《ぜんめつ》します……どうかご決裁を……」
目の前には瞳亜、そして、目映い光の中にジェンマからより強い光を発し続けてアレッシアの虹の光を維持《いじ》するセシル。
彼女らが続けざまにそう言った。
随分《ずいぶん》長い夢を見ていたようにも思えたが、或《ある》いはほんの一瞬《いっしゅん》の事だったのかも知れない。
目の前ではアレッシアの発動させたレインボーダイヤのジェンマと死神の鎌《かま》の激突《げきとつ》が未《いま》だ続いていた。
しかし、セシルの言うように、徐々《じょじょ》にその輝きは失われつつあり、死神の表情にも余裕《よゆう》が浮《う》かびつつある。
「ご主人様!」
「マスター、ご命令をキュ」
エリカ達もボロボロだったが、僕が目を開けた事でその顔に希望が宿るのが分かる。
僕は深く息を吐《は》いて、すぐ側で僕を抱《だ》き起こしている瞳亜を見た。
「……とう……あ」
「はい……はいっ、マスター!」
僕は笑った。
いつかのように。
「手を繋《つな》ぎたいな……みんなで、手を繋いで……」
そして、囁《ささや》くようにそう眩《つぶや》いた。
「ふん、最後に皆《みな》で仲良く死にたいか、アイオーン使い」
死神の言葉に、エリカ達がざわめき立つ。
「ご主人様! 諦《あきら》めるにはまだ早いと思われます!」
「そうだぜ!」
「しっかりしてくださいキュ!」
非難し叱咤《しった》する声が上がる。
それでも……。
「……」
「……はい。分かりました、マスター」
瞳亜だけは僕の目を見て、頷《うなず》いた。
そして、僕の手をきゅっと握《にぎ》る。
温もりと……。
信頼と……。
安らぎがそこにはあった。
「アレッシア」
「……ふん、よかろう。退屈《たいくつ》させるでないぞよ、忍」
アレッシアがもう片方の僕の手を取る。
僕の微笑みに、アレッシアも応《こた》えた。
「瞳亜さん……」
エリカ達が顔を曇《くも》らせる。
が、新入り4人組に瞳亜が力強く言葉を紡《つむ》いだ。
「諦めてない。マスターの目は、まだ諦めてないわよ、みんな!」
一瞬顔を見合わせるエリカ達。
口元を引き締《し》め……。
アレッシアの手をエリカが、瞳亜の手をQが……。
それぞれの手を繋いでいき……最後に、リリカとセリカの手を……セシルがしっかりと握って……。
そして、輪になったポケロリ達のジェンマは、これまで見た事のない程の光を放ち始めた。
「よくぞ……ここまで……」
「……導師連盟の継承《けいしょう》する秘術《カバラ》か!? こんな……隠《かく》し球を……っ!!」
先生の眩きに続いて、叫《さけ》ぶ死神の顔から余裕が消え失《う》せ、バッ!! と虹《にじ》の光が明るさを増した。
「!?」
何が起こったのか分からないままに、死神が勢いよく後ろに弾《はじ》き飛ばされかける。
それでも、死神は何とか鎌で虹の光を抑《おさ》えて、踏《ふ》みとどまった。
「くっ……!!」
こんな必死の形相の死神を引きずり出せる……僕のポケロリ達の底力に思わず笑《え》みがこぼれる。
そして……。
「っ!!」
堪《こら》えきれなくなった死神の鎌が大きく上に跳《は》ね上げられ……。
死神が虹の光の渦《うず》に呑《の》み込まれた。
声にならない叫びを、死神が発したのを最後に、虹は霧散《むさん》するように消えていった。
そして、しばらくの静寂《せいじゃく》の後。
虹の光のあまりの明度の高さに奪《うば》われていた視力が、ようやく戻《もど》ってくる。
そこに僕は見た……手を取ったまま、喜び合うポケロリ達を。
優《やさ》しく微笑《ほほえ》むセシル。
無邪気《むじゃき》に喜ぶリリカ。
手をブンブン振《ふ》ってはしゃぐセリカ。
控《ひか》えめに目を細くするエリカ。
凛々《りり》しく笑うQ。
声を弾《はず》ませる瞳亜。
誇《ほこ》らしく胸を張るアレッシア。
その姿を最後に目に焼き付けて……。
そっと、まぶたを閉じた。
僕は。
幸福だった。
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終章 帰りのホームルール
さようなら、また明日
『ポケロリに慕《した》われし幸福なる者、ここに眠《ねむ》る』
彼の墓碑銘《ぼひめい》にはそう刻まれていた。
墓前には沢山《たくさん》の花が供えられている。
それを手向《たむ》けたポケロリ達は、止めどなくこぼれる涙《なみだ》を拭《ぬぐ》う事もせず、ただ、立ちすくんでいた。
……胸の喪章《もしょう》が痛々しかった。
「短い間でしたが、お側《そば》に仕える事が出来て嬉《うれ》しかったです」
あまり感情的にならないはずのメイドだが、この時ばかりは、エリカの瞳《ひとみ》にも光る物があった。
「必ず、また……会いに来ますキュ」
しゃくりあげるリリカとセリカを抱《だ》きながら、Qが顔を伏《ふ》せた。
続いて、セシルが前へ進み出て……。
「……」
無言でジッと墓石を見つめる。
「……あの」
どれほどそうしていただろうか。
ぽそりと力無く、ようやく、セシルが口を開いた。
「わたし……これ、どなたのお墓なのか、知らないんですが、マスター?」
あまりにもったいぶって言ったので、後ろに控えていたポケロリ達がこけそうになっていた。
「いや……だから、レイルっつーおっさんの墓で……」
僕……山風忍が苦笑《くしょう》しながら、セシルに説明をしてやる。
セシルへ説明する間に、アレッシアと瞳亜が、献花《けんか》した。
「……なるほど、天に召《め》された高潔な魂《たましい》の為《ため》、祈《いの》りましょう」
天使に祈られれば、天国とやらで幸せに暮らせるだろうな。
「それにしても……」
祈りを始めたセシルの横から数歩下がって、瞳亜が僕に微笑《ほほえ》みかけて言う。
「マスターが目を覚まさなかった時はどうしようかと本気で心配しましたよ……」
「傷の深さを考えると、あれで生き長らえてるってのは、我ながらしぶといとは思うがな」
自分自身でもこれで最後かと、あまりに盛り上がったために、気を失う直前に、変なモノローグまで付けてしまったではないか。
「王女の奇跡《きせき》と、天使の慈悲《じひ》、それに何よりも、あたしの愛があれば、どんな重傷だって治せますからっ」
「うむ……まあ、具体的には、お前のヨダレがふんだんに僕の腹部に塗《ぬ》りたくられた結果であり、今の僕の腹の28%ぐらいはお前のヨダレで成り立っている訳だな」
「そーゆー事を言うなっ!!」
瞳亜にビート板でばしばし殴《なぐ》られる。
ははは……いつも通り、だな。
……てな訳で、塔《とう》の最下層でぶっ倒《たお》れた僕は、ポケロリ達に担《かつ》ぎ上げられ、奇跡をもたらすというアレッシアの王女の力と、セシルの天使能力である癒《いや》しの力、そして、瞳亜の水の癒しの3人がかりの治療《ちりょう》で、どうにか、棺桶《かんおけ》に片足を突《つ》っ込んだだけで助かった。
あれだけ出血して助かるとは、我ながら相当悪運が強いと言えよう。
女医ポケロリとかナースポケロリとかいれば、また、違《ちが》うんだろうが、しかし、天使と王女の奇跡とスクール水着の唾液《だえき》で助かるというのも何だかなあ……贅沢《ぜいたく》を言うと罰《ばち》が当たりそうだけど。
「……なあ、セシル?」
「はい?」
少し沈《しず》んだ……というか、申し訳なさそうな俺の表情を察して、セシルがいつもよりやんわりと微笑んで、相手に話をしやすい気遣《きづか》いをする。
「ずっとお前には謝らなきゃ……って思ってたんだ」
「わたしのお気に入りのカップを割った事ですねっ?」
根に持ってたのか……そんな事を……。
「いや……そうじゃなくて……。その……お前を無理矢理……押《お》し倒して……」
「あ、『エッチな事をした事件』の事ですね」
子供がスカートめくりでもしたかのような出来事に聞こえるな……。
「うん……ごめん。謝って済む事じゃないってのは、分かってるけど……それでも……こめ……」
「いいんですよっ」
「……いいって、お前」
「嫌《いや》じゃ、なかったですから」
セシルはそうそっと眩《つぶや》いて、頬《ほお》を染めた。
思えば……いつも、優《やさ》しく微笑んでいるセシルの、こんな表情を見るのは初めてかも知れない。
「……ただ、ちょっとびっくりしちゃって、泣いちゃいましたけど、でも。……でも、わたしはマスターと初めて出逢《であ》った時、もう、決めてましたから」
その後の言葉と共に見せた笑顔は、少し大人だったようにも思えた。
「この人が望むなら、心も身体《からだ》も命も、全部あげよう……って」
僕は少し泣きそうだった。
それを察したのだろうか、セシルはまるで姉さんが弟にするように、僕の頭を優しく撫《な》でた。
「……それよりも、ですよ。マスター? わたしのお気に入りのカップを割った事を謝ってください。そっちの方がわたしとしては、ぷんぷんです」
冗談《じょうだん》だか本気だか分からなかったが、セシルの天然っぷりを良く知っているだけに、僕の気持ちを和《なご》ませるために言っている訳ではなく、結構本気ではないかと思う。
「……悪かったよ。新しいの買ってやるから……」
「ホントですか!? マスター、太い腹ですっ、うふふふふふっ……それにしても、マスター……。何だか、丸くなりましたね」
「……顔が、か?」
少し寂《さび》しそうに言ったセシルに、嫌な気分になりながら、自ら顎回《あごまわ》りを撫でる。
あるいは、腹が、だろうか……。
「いえ……性格が、です。……わたしの、せいですね」
「そう……かな。お前がいなくなってから、苦労が多かったから……」
「違います。そうではなくて……わたしの保持する天使ウィルスに感染したために、激しい人格が抑《おさ》えられているのではないかと。……激すると、免疫《めんえき》機能が高まって、ウィルスの活動が弱まるようですけれど」
「天使……ウィルス……?」
瞳亜が気遣わしげに僕を見てくる。
と、毎度お馴染《なじ》みのドツキ漫才《まんざい》に興じたり、改めてポケロリ達に感謝したりしている僕の横で、微妙《びみょう》な空気を放つ3人組のポケロリたちの一人がそこで口を挟《はさ》もうと少し身を乗り出した。
「アストラル体に直接取り懸《つ》くというアレか。世界に対して、悪感情しか持たぬ者であろうとも、人としての善の面を強く引き出すという、自我境界|透過《とうか》型・人格変異ウィルス。……もっとも、善の性質を持たぬ者には効力を発揮しない。貴様は本来は善人だという事だ。良い事か悪い事かは知らんがな」
偉《えら》そうな物言いをするそのポケロリが、そう言って、ふふんと笑う。
ある意味、こいつらがここにこうしているのは、極《きわ》めて不自然であると言えようが、いつまでもほったらかしにしておくのも、かえって居心地《いごこち》が悪いので、敢《あ》えて、話題をふるか……。
「……ところで、お前ら、なんでここにいるんだ?」
「は……恥《は》ずかしい所を見られたんですから、わたくし、貴方《あなた》に責任を取って貰《もら》わないといけませんわ」
諸悪の権化《ごんげ》その1、真新しいエプロンをまとった偽《にせ》ナネットが、そう言って頬を赤らめる。
「言ったろう? 我を乗り越《こ》えたならば、王として認めると。貴様が我が王だ」
諸悪の権化その2、死神がいけしゃあしゃあと言ってのけた。
そして……。
「……」
「……えーと、キミ誰《だれ》?」
死神、偽ナネットと並んで、ちょこんと座る年長組クラスとおぼしき……多分、ポケロリ(?)が物言いたげに、しかし、あうあうと口を動かすだけで、恥ずかしそうに俯《うつむ》く。
どうやら、大層恥ずかしがり屋のようだ。
「こいつは、ドッペルゲンガーポケロリだ。貴様の師に化けていたのだ」
「……あー。あーあーあーあーあー。……道理であの後、先生の姿が見えないと思った」
ポムと手を打つ僕を、アレッシアと瞳亜がマジっスかという呆《あき》れ顔で見上げる。
「思っただけ……?」
「何で調べたりせぬのじゃ?」
「マスターおおらかですからっ」
僕に疑念を持つアレッシア瞳亜組とは違《ちが》い、セシルは天使らしく無制限の優しさでにこやかに許容していた。
「しかし、ドッペルゲンガーポケロリとはな……」
長めの前髪《まえがみ》で、目が隠《かく》れ気味であるため、ドッペルの表情は窺《うかが》い難《がた》い。
モンスター系ポケロリの一種であるドッペルゲンガーは、生存している何者かに変化《へんげ》する能力を持った種族で、本人がその姿を見ると数日中に死ぬとか言われているが、真偽《しんぎ》のほどはどうだかよく分からない。
で、モンスターポケロリというのは、スライムポケロリやドラゴンポケロリに代表される子らで、しかし、見かけ上は普通《ふつう》の女の子が、スライムっぽいベタベタしたゼリーに所々|覆《おお》われていたり、ドラゴンっぽいヘッドギアや手袋《てぶくろ》を付けただけに見える生き物だ。
まあ、要するに例によって、服を着替《きが》えさせたら何の種族か分からんようになる連中である訳だが。
しかし、このドッペルゲンガーポケロリという奴《やつ》は……既《すで》に見かけが普通のワンピースを着たその辺の人間の女の子とどこが違《ちが》うのかさっぱり分からない。
「……どの辺がドッペルゲンガーなんだろな?」
「……」
無言で自分のスカートの裾《すそ》を指さすドッペル。
そこには、○の中にど≠ニ書かれた缶《かん》バッジが付けられていた。
「分かりづらっ!」
ていうか、そこだけかよ、特徴《とくちょう》が。
「……2ヶ月ほど前だったか。塔《とう》のあたりを彷徨《さまよ》っていたのを拾ってな。何かの役に立つだろうと、我が仕込んでおいたのだ。こいつとも契約《けいやく》してやってもらおうか」
まるで当然とでも言うかのような死神の物言いは、何ともふてぶてしいが、逆にここまで徹底《てってい》されると、セシルではないが笑って済ましてしまいそうになる。
その代わりと言ってはなんだが、当のドッペルは申し訳なさそうに無言でペコペコと頭を下げていた。
「貴様はポケロリを心より愛して≠「るのだ、無下にはすまい」
死神のくそガキが強調した部分には別の意味を含《ふく》んだ悪意を感じる。
「さ、契約をなさいませ」
「契約をしてもらおう」
「……」
絶対、変な名前付けたるぞ、ど畜生《ちくしょう》。
「僕は……正直、お前らを信じられないが……」
「マスター。改心した者を責めるものではありません。汝《なんじ》の敵を愛せよ、です」
天使だなあ、セシルは。
ニコニコと微笑《ほほえ》むセシルが更《さら》に言葉を続ける。
「考えようによっては、死神さんがいたからこそ、マスターはアレッシアさんや瞳亜さんと会えたのでしょう?」
「お前……すっげえ、ポジティブシンキングだな……」
こいつと一緒《いっしょ》にいると、ガンガン毒気が抜《ぬ》かれていく……天使の天使たる所以《ゆえん》だろうか。
「それに契約して奴隷《どれい》のようにこき使えると思えば、溜飲《りゅういん》も下がるじゃないですか、うふふっ」
「……」
天使、怖《こわ》っ!
「まあ……いいや。何か真面目《まじめ》に怒《おこ》ってるのが馬鹿馬鹿《ばかばか》しくなってきた。……けど、あいつらがどう言うかなあ」
エリカやQたちは、偽《にせ》ナネットに対するわだかまりを捨てられるかどうか……。
と、僕らの話を小耳に挟《はさ》んだエリカ達が、話の輪に入ってくる。
「ご主人様が是《ぜ》とおっしゃるのでしたら、メイドとしては何も申し上げる事はありません。ただ、私共がねちねちといびっていても、見て見ぬ振《ふ》りをなさっていただければと。それと、下っ端《ぱ》としての教育をしっかりしていただいて、カースト制度の最下層にいる事を存分に知らしめていただいて、それから……」
「滅茶苦茶《めちゃくちゃ》申し上げまくってるけどな」
あれこれと並べ立てるエリカにうんうんと頷《うなず》く、セリリリコンビとQを見ていると、何かそれで良いみたいだ。
「……てな感じだが」
「まあ……マスターたる人にされるのなら、それはそれで……」
「同意しよう」
割と倒錯《とうさく》しているかもな……黒いジェンマの一族。
「ところで……どうして、黒いジェンマの一族はそんなに人を嫌《きら》い、あまつさえ、導師連盟を襲《おそ》ったりしたのでしょう? 争いは何も生みませんのに」
セシルが小首を傾《かし》げる。
……実は僕もそれはずっと気になっていた。
「人の方が、わたくし達を不当に弾圧《だんあつ》したからですわ」
偽ナネットが厳しく言葉を返す。
「人……といっても、正確には導師連盟が、だがな」
「何故《なぜ》キュ? 導師連盟というのは、ポケロリ使いの最高峰《さいこうほう》なんでキュ? だったら、ポケロリを守る事はあっても、虐《しいた》げるような事はしないんじゃないですキュ?」
Qの疑問も一般的《いっぱんてき》にはもっともと言えるが、内情を知る者としては必ずしも肯定《こうてい》は出来ない。
「下の方の人問はともかくな……上の方の連中は業《ごう》が深いのさ、あの組織は……」
額面通りのいい人の集団という訳にはいかん。
「でも、なんで弾圧なんて?」
セシルの疑問に、死神が重々しく口を開く。
「導師連盟の老人共は我々、黒いジェンマの一族が人類創生の謎《なぞ》を知っていると思っていたのだ」
「人類創生……? 天空にある|魔導本《グリモワール》の創造主『ゲノム二重奏会議』の一員だと言うのか?」
この世界の全《すべ》ての理《ことわり》を統《す》べると言われるゲノム二重奏会議……その実体のつかめない存在を、導師連盟は排除《はいじょ》したがっていた。
自分達だけが神秘や秘術の継承者《けいしょうしゃ》でありたかったのだろう。
力を生む知識の独占《どくせん》、戦略的に優位に立つ情報の独占、そして、それは権力の独占へと繋《つな》がるからだ。
しかし、こんな所でそんな名前が出てくるとはな……。
「少なくとも老人共はそう信じていた。謎が露見《ろけん》し、人類が絶望と昏迷《こんめい》に身を落とすのを恐《おそ》れた……と主張する老人共は、赤い月の向こうにある|ダアト《深淵》に我々の故郷を落とした。奴《やつ》らお得意の秘術《カバラ》を用いてな。そして、この世界に残った者は、未《いま》だ深淵《しんえん》にある故郷と同胞《どうほう》を救える唯《ゆい》一《いつ》の王を捜《さが》し、幾星霜《いくせいそう》を重ねたのだ」
そこで、死神は、今や森の中に没《ぼっ》するタワー・オブ・ヘヴンズ・バベルを見た。
「強き王は、知識と力を求め、いずれポケロリ使い達が集《つど》うべき場所に来るだろうと思った」
「それで、導師連盟を……?」
「我はな。かの地を襲撃《しゅうげき》する事は復讐《ふくしゅう》にもなる。しかし、それ以上に我との戦いを始めとした試練を越《こ》えられるような者を見つけたかった。さすれば、我々は膝《ひざ》を屈《く》し、その者に王として助力を求められるのだからな。……だが、黒いジェンマの一族の中には、我々ゾハル派とは異なり、単純に人と人に尾《お》を振るポケロリに対しての報復だけを考える一派もいる」
そこで、死神が偽ナネットを見る。
「え、わたくし? いや……うん……だって、ムカつきますもの」
「そういう短絡的《たんらくてき》な生き方をするから、大局を見誤るのだ」
「みんなの分も腹いせしよーって、バニーガールに言われたのですわ」
はぁとため息をつく死神。
……こいつでもこんな人間的な感情を見せるんだな。
「平地に乱を起こしてまで、秘匿《ひとく》せねばならぬものじゃったのか、人類創生の謎とやらは?」
「我は知らない。一族の長《おさ》は知っているかも知れないが……そもそも、そのような事は濡《ぬ》れ衣《ぎぬ》ではなかったかと我は思っている。……確かに、カバラに通じた者が多かったのは事実だが……しかし、森羅万象《しんらばんしょう》を司《つかさど》っている訳ではないからな」
「……ふむ」
事情を知れば……死神達が真実を語っていれば、の話ではあるが、こいつらだけが必ずしも悪、という訳でもない、か。
しかし……どうにも、この件はまだ裏がありそうというか、これだけでは終わらないのではないか……という胸騒《むなさわ》ぎもする。
先生の事もあるし。
ま、だからといって、今、僕が何か出来る訳でもないしな。
考えるだけ無駄《むだ》というもんだ。
で。
輪になって会議をする僕と僕のポケロリと僕のポケロリになりたがっている総勢10人の大台に乗った集団から少し離《はな》れた所で、プラナーはまだ男泣きに泣いていた。
そのプラナーはすっかり毒気が抜《ぬ》けたようになっている。
偽《にせ》ナネットと会ってから、記憶《きおく》が曖昧《あいまい》なのだという。
ブラックダイヤのジェンマには人を惑《まど》わす力もある……恐らく、偽ナネットの力に惑わされたのだろう。
兄であるレイルの死を知らされ、この世の終わりとばかりに号泣するプラナーを見て、権謀術数《けんぼうじゅっすう》を巡《めぐ》らす切れ者の謀略家《ぼうりゃくか》だと思う奴もいまい。
丁重に葬《ほうむ》り直した墓に泣きすがるプラナーを引きはがすのに一苦労だった。
弓道着《きゅうどうぎ》たちにもゆっくり別れと……娘《むすめ》のペンダントを取り返した報告をさせてやらないといかんかったからな……。
「……」
「それでは、私達は、レイル様に最後のお別れを言ってきます」
「これ、お墓に供えて来ないといけませんキュ」
そう言って、Qが例のペンダントを取り出す。
「……ロケットになってるのか」
デザインチェーンに繋がれた先に、くすんだ金色のロケットが付いていた。
「結構いい男、2人組と女の子が写ってる写真が入ってましたわよ」
「見たんですキュっ!?」
「ま、まあ……」
Qの剣幕《けんまく》に押されて、偽ナネットが後ずさる。
「一人は……レイル様でしょうか?」
「……見たいなあ、レイル様の写真」
セリカがポツリと言うと、レイルと共にいた4人組の空気が重くなる。
「見ればよいではないか。そちらは、そのために頑張《がんば》ったのじゃ。それしき、天国にいるかの者も許してくれようそ」
そのアレッシアの言葉に、何故《なぜ》か俺を見上げる4人組。
ボクは出来るだけ優しく微笑《ほほえ》んで頷《うなず》いてやった。
Qが大切に大切にロケットの蓋《ふた》を、カチャと小さな音を立てて開ける。
「……レイル様」
ロケットを囲む4人組が少し涙《なみだ》ぐむ。
ちょっと不謹慎《ふきんしん》かなとも思ったが、好奇心《こうきしん》が勝《まさ》って、上からこっそり覗《のぞ》き込む僕。
中央に微笑む幼い少女、その脇《わき》に身なりのいい紳士《しんし》……そして、少女を挟《はさ》むように立っているのは……。
「……せん……せい?」
「え?」
ロケットを持つQの手をぐいっと持ち上げるようにして、中の写真を凝視《ぎょうし》する。
「……間違《まちが》いない、山風刀夜。僕の先生だ……」
「ご主人様の先生……ナネットお嬢様か、レイル様とお知り合いでいらしたんですね……」
「合縁奇縁《あいえんきえん》、ですキュね……」
「きっと、天のお導きですねっ、マスター?」
三者三様に驚《おどろ》きを表すエリカとQとセシル。
「天の……ねえ……」
奇縁の一言で片づけるには、あまりに不思議な縁だ。
先生の思いが俺をここに導いたというのは……少々……ん?
「ちょっと待て……この、ロケットの蓋の裏に彫《ほ》られた紋章《もんしょう》は……」
「家紋……ではありませんね」
エリカの言葉が脳の中を上滑《うわすべ》りしていく。
どこか、不吉《ふきつ》な、ざわつきのようなものが心の表面を毛羽立《けばだ》たせていくような感覚を覚えた。
二重|螺旋《らせん》を描くそのデザインは……。
「……ゲノム」
「ゲノム二重奏会議の紋章かっ!」
死神の眩《つぶや》きに、昔、書物で見た記憶の中のそのシンボルを思い出す。
不穏《ふおん》な響《ひび》きを持つその名に、少し眉《まゆ》を顰《ひそ》めながら、エリカがペンダントを見る。
「でも……これは、ナネットお嬢様の持ち物ですよ?」
「ゲノムの13人委員は、それぞれがアクセサリーに紋章を刻んだ物を持つというな。13の委員と、13のアクセサリー」
死神は紋章の横に添《そ》えられた、13番目を意味する古代数字をなぞって、独り言のように眩いた。
「これがその一つだと言うのか?」
「じゃあ……ナネットお嬢様が、ゲノムの人間だと……?」
俺とエリカの問いかけに、死神が反応する前に、ぱたぱたと空を飛んで上から写真を眺《なが》めに来たセシルが、口を挟む。
「……マスター。わたし、このお嬢さん、見た事あります」
「……?」
思いも寄らぬ所から、予想だにしない言葉が出て、そこにいる全員が揃《そろ》って上を見上げた。
「マスターが塔《とう》で儀式《ぎしき》をする直前……わたしだけが先に塔で打ち合わせに参加していたんですが……その時に……刀夜さんと……塔で亡《な》くなった連盟の盟主様と一緒においでなのを見ました……確か」
それまでセシルを見ていた視線がそのまま、偽《にせ》ナネットに下りる。
「……いや、それ、わたくしじゃないですし。本物の方ですわ」
胡散臭《うさんくさ》い取り合わせ、というと言い過ぎだろうかな。
しかし、そんな場所に一介《いっかい》の貴族|令嬢《れいじょう》が……というのは……。
「我が……塔に向かうきっかけとなったのは、ゲノムからの情報のリークがあったからだと聞いた。連盟の重鎮《じゅうちん》が儀式のために集まる、とな」
まさか……とは思うが、それがナネットだと言うなら……。
「ナネットが死んだ、というのはいつだ?」
「6年前です。留学先で流行病《はやりやまい》にかかったと……遺体は戻《もど》っては来なかったそうですが」
エリカの言葉で、また何か得体の知れない黒い霧《きり》が濃《こ》くなったように思える。
『6年……あの事件の頃《ころ》、か』
僕が思索《しさく》の淵《ふち》に沈《しず》み始めたのを見て、ポケロリ達がパラパラと散り始めた。
その中で、墓前に向かいかけて戻ってきたエリカが、メイドらしく僕に一礼して耳打ちをする。
「……これは、私だけがレイル様に聞かされた事なのですが……ナネットお嬢様は……その、レイル様の実の娘《むすめ》ではないと。ただ、恩人から託《たく》された子で、実の娘以上の存在だとおっしゃっていました」
「恩人?」
「はい……確か、チャイルドマン財閥《ざいばつ》の方だとか……」
「こどもケミカルの大株主だな……あそこの会社はゲノムの息のかかった企業《きぎょう》ではないかと設立当時から言われている。真偽《しんぎ》のほどは定かではないが」
いよいよもって、物事の全《すべ》てに薄暗《うすぐら》い闇《やみ》の部分があるのではないかと疑いたくなる構図だな……。
しかし、考えたところで、何かが始まる訳ではない。
とはいえ……まだどこかで生きているという先生、その先生と関係のあったナネット、ナネットの裏にいるらしきゲノム二重奏会議、こどもケミカル、チャイルドマン財閥……か。
旅立ちの前に、随分《ずいぶん》と、愉快《ゆかい》な謎《なぞ》が出てきたもんだ。
旅……そう、僕の怪我《けが》も回復したし、レイルの弔《とむら》いも終わったという事で、この後、村を離《はな》れ、旅立つ事にしている。
さっきは何となく話を流したが、ドッペルゲンガーポケロリは、化けられた本人がそのドッペルゲンガーと会うと数日後に死ぬという特性を持つ代わりに、既《すで》に死んでいる人間のドッペルゲンガーにはなれないという縛《しば》りがあると物の本で読んだ事がある。
という事は……だ。
刀夜先生は、まだ生きている……はず。
遺体が見あたらなかった事もあるし……やはり、先生はまだ生きてどこかにいるに違《ちが》いない。
自分の家にも帰っているとは聞かないし、旅続きになるが、今度は先生を捜《さが》す旅に出るとしよう。
……この時の僕はその決意が、僕や僕の周囲から始まりやがては世界の全てを巻き込む大きなうねりへの招待状である事など、予想だにしなかった。
ただ、帰るべき場所もない根無し草が、次の目的地を何となく定めたような……そんな程度の気持ちで、ひとまずの行き先を考えながら、墓地近くのベンチに座って、遠くから墓前にたたずむポケロリ達を見る。
いつでも、遺《のこ》された者の悲しみを見るのは嫌《いや》なものだ。
マスターと死に別れたポケロリも何度か見てきたが、本当にああいう場面に対するのは嫌な経験だった。
まして、そこに過去の自分を見てしまうような人間にとってはなおさらだ。
ぼんやりとそんな事を考えていると、アレッシアが無言で僕の背中に自分の背中を合わせてくる。
「……どうした?」
こういう時のアレッシアは大体何か言いたい事があるのだが……。
「忍……お主はわらわを置いて、どこかへ行ったりはするでないぞ……」
「……アレッシア」
……。
…………。
………………。
あれは師匠《ししょう》と初めて会った頃だろうか。
ほんのちっぽけな少年だった僕は師匠に言ったものだ。
「先生はみんなに必要とされているんですね……」
「ははは、便利にこき使われているよ」
僕の羨望《せんぼう》の眼差《まなざ》しをどう受け取ったのだろうか、先生はただ苦笑《くしょう》を返すだけだった。
「……それでも。みんなが先生の名前を呼びます。先生という存在を求めて。……俺はもう……何年も……いや、あるいは生まれてこのかた、俺という人間だけのために向けられて、名前を呼ばれた事がないような気がします」
いや、義母の僕を呪《のろ》う言葉だけが僕に向けて紡《つむ》がれた僕だけへの言葉ではなかったか。
僕という望まれぬ人間には、その言葉だけが相応《ふさわ》しいのだろうか。
「……そんな事はあるまい? 昨日だって……ほら、何と言ったかな、君と幼年学校のクラスメートで仲の良かった、あの赤毛の女の子……あの子が……」
「それは、『そこに俺がいたから』発した言葉に過ぎません」
その頃《ころ》の僕は、少なくとも本当にそう信じていた。
僕でない誰《だれ》かがそこに立っていたのならば、きっと、赤毛の子は違う誰かの名前を呼んだのだろう。
そこには、『僕』という人間である必要など介在《かいざい》しないのだ。
「……」
先生は黙《だま》って僕の言葉を聞いていた。
子供のたわごとであろうと、先生は真摯《しんし》な態度でいつだって接してくれたのだ。
「俺は……先生のようになりたい。先生のように、誰かに必要とされる人になりたい」
「なれるさ。いや、なるんだよ、絶対に」
僕に兄がいたら、こんな風に励《はげ》ましてくれただろうか。
「なれるでしょうか……」
「ああ、君は優《やさ》しい子だ。その優しさは必ずいつか誰かに届くよ。いつか……必ず」
僕の父が生きていたら、こんな風に支えてくれただろうか。
「……」
僕には、それでも、先生の言葉を心の底から信じる気にはなれなかった。
それ程《ほど》までに、その頃の僕の心は凍《い》てついていたに違いない。
「その時が来たら……君を心から信頼《しんらい》する相手に、君はきちんと応《こた》えてあげなさい」
「はい、先生」
けれど、僕は先生が本心から言ってくれているのが分かっていたから、その言葉だけは守ろうと思った。本当にそんな日が来るとは、思いもしなかったのだけれど……。
………………。
…………。
……。
けれど……けれど、今、あの時、先生が言った言葉は本当になっている。
「忍……」
不安げな声……彼女らの絶対的な信頼と引き替《か》えに、僕はその笑顔《えがお》を曇《くも》らせてはいけない。
……はずなのにな。
「……わらわの、どんな我《わ》が儘《まま》が嫌《いや》になっても構わぬ。じゃが……わらわの側《そば》に、最後まで侍《はべ》る……その我が儘だけは頼《たの》む……聞いてたもれ……」
気位の高さゆえに、普段《ふだん》は決してそういう仕草をしないのだけれど、珍《めずら》しく半ば甘えるように僕の膝《ひざ》を後ろ手できゅっとつまんでくるアレッシア。
……の鼻をぎゅっとつまむ僕。
「痛ひ、痛ひわっ、何をするか、無礼者っ!」
「つまんない心配するなよ、お姫様《ひめさま》。お前らを置いてどっか行ったりしないさ」
そう、いつか、先生と誓《ちか》ったように。
自分自身がそう願ったように。
僕を必要としてくれる少女に、僕は微笑《ほほえ》みかけよう。
「……忍」
機嫌《きげん》を損《そこ》ねていたアレッシアが、僕の言葉を聞き、密《ひそ》やかに花が咲《さ》くようにフワッと微笑み返した。
「お前らを連れてどっか得体の知れない所に行ったりする」
「場所を決めてから行けっ!! だから、気が付くとこんな人捜《ひとさが》しの情報の得ようもないような小さな村に来ちゃうんですよっ!!」
旅に必要な物を買いに行っていた瞳亜が戻《もど》りしな、ツッコミを入れてきた。
「確かに」
「あはは、賑《にぎ》やかですキュね」
僕が瞳亜に相づちを打っていると、憑《つ》き物が落ちたように晴れやかな表情をした弓道着《きゅうどうぎ》とメイド達がやってくる。
「……もういいのか?」
「はい、いつまでも後ろを向いて生きるのは、レイル様も望まれないと思いますし」
メイドが柔《やわ》らかな微笑みを見せて言う。
「そっか」
こういう前向きな姿勢はポケロリの持って生まれた資質で、側にいると自分もそうありたいという気持ちにさせられる。
一通り、微笑む顔がこちらに向けられた時、エリカが声を上げた。
「あ、そうですわ。これをプラナー……さんから預かっています。約束の物だから渡《わた》しておいて欲しいと……」
「ん?」
呼び捨てにするのも今更《いまさら》さん付けにするのも抵抗《ていこう》があるらしい、エリカがスカートの中から木箱を取り出して僕に差し出す。
種族の特徴《とくちょう》として割り切りの早いメイドポケロリにしては、珍しい事だが……無理もないか。
「……ていうか、お前、それ、どこに入れとるんだ?」
「メイドのスカートの中は秘密がいっぱいなのですよ」
「……」
そういえば、僕を小さい頃《ころ》に世話してくれたメイドポケロリが、僕をスカートの中にかくまってくれた時……そこで子供の僕は何か色々見てはいけない物を見た気がするな。
「ま、いいや。……ん、ありがとな」
差し出された木箱を受け取るまで、すっかり忘れていた。
箱の中身はアレか、報酬《ほうしゅう》にと言っていた白スクだな。
操《あやつ》られてた時の事だろうに……結構、律儀《りちぎ》な奴《やつ》だ、プラナーのおっさん。
「なー、忍やん。その箱なんなん?」
小首をひねるセリカに、満面の笑みで答えてやる。
「これはなあ。頑張《がんば》った瞳亜へのプレゼントだ」
「瞳亜さんだけなんですキュ?」
「お姫さんも頑張ってたぜ?」
弓道着とリリカが、アレッシアを気遣《きづか》った。
「わらわはいらぬ」
水着の話をした時はパペット状態だったが、話はしっかり聞いていたらしいアレッシアがきっぱりと言い放つ。
「うむ。……ほい、瞳亜。ご苦労さんだったな」
「は、はあ……」
賞状を渡すように両手でしっかりと手渡すと、瞳亜は色の違《ちが》う両目を逸《そ》らして言葉を濁《にご》した。
そんな瞳亜を、キラキラした瞳《ひとみ》で僕がジッと見つめる。
「……うっ。……。わっ、分かりましたよ……着ます……着ればいいんでしょ……」
「取りあえず、今、その紺《こん》のスクール水着の上から着てみてくれ」
「マニアックやな」
僕の申し出に、セリカが変な感心の仕方をした。
「……」
かなりやけくそな感じで、瞳亜がスクール水着の上からスクール水着を着る。
「……なんか、ただ着てるだけなのに、ちょっとドキドキするな、こういうの」
「マスター選びを早まったですキュ?」
僕の言葉に、弓道着が引きつった笑いをエリカ達に向けた。
「ご主人様が背徳的な趣味《しゅみ》を持つのも、メイドとしてのステータスですから」
早速、エリカが僕の事をご主入様呼ばわりする。
「達観してるぜ……」
「さすがエリカやんやなあ」
エリカの個性的な答えを聞き、リリカ、セリカが絶妙《ぜつみょう》なチームワークで感想を言い合って、うむっと頷《うなず》く。
こうして……話をしていると、何だかもう数年来、こうして来たような感覚にとらわれる。
ポケロリ使いの間では『ジェンマが呼ぶ』という言葉が昔から口伝えられている。
本当に信頼《しんらい》し合える人間とポケロリは、ポケロリのジェンマに呼ばれて、出会うべくして出会うのだと言う。
まあ……果たして、僕とこの子らがそうであるかはまだ分からないが、それでも、僕のために何かをしたいと申し出るポケロリ達に、僕もまた別の何かで彼女らのためになる事が出来ればと思った。
人とポケロリの信頼というのは、自動的に運命で成り立っているものじゃなくて……そうやって出来上がっていくものだと、僕は先生に、そして、セシルに教えられたのだから。
そう……思索《しさく》に耽《ふけ》る僕を、セシルの言葉が引き戻す。
「さ、マスター、そろそろ参りましょうか」
「そうだな」
数日前の4倍以上に膨《ふく》れあがったポケロリ達の集団を引き連れ、プラナーに挨拶《あいさつ》をしてから、村を後にする。
プラナーは、レイルへの償《つぐな》いのつもりで、弓道着《きゅうどうぎ》達の面倒《めんどう》を見るつもりだったらしいが、彼女らの決意を聞き、名残惜《なごりお》しげにではあるが気持ちよく送り出してくれた。
最後に、『ここはお前達の故郷でもあるのだから、いつでも戻《もど》ってきなさい。レイルも喜ぶ』と号泣《ごうきゅう》して見送る姿は、彼の性根《しょうね》の善良さを表していると言えよう。
僕が歩を進めかけた所へ、パタパタと翼《つばさ》をはためかせてホバリングしながら、セシルが寄ってきた。
「さて……万難排《ばんなんはい》しましたし、いよいよ、瞳亜さんに告白ですねっ」
「しねーっつってんだうがっ!」
セシルの期待に満ちた言葉にツッコミを入れると、セシルのその天然のボケっぷりが余程《よほど》おかしかったのだろう、周りのポケロリ達がクスクスと笑い出す。
それはやがて、心からの笑いに変わり……。
みんなが笑っていた。
それは、何だか、心に染《し》みていくみたいで……。
何も与《あた》えられる事のなかった少年時代の僕は、ずっとずっと……それを求めていたのではないだろうか。
いつだって、足掻《あが》いて……。
いつだって、祈《いの》るように羨《うらや》んで……。
いつだって、諦《あきら》めたような目で見ていた……。
幸せな家族の姿……。
幸福な家族の笑顔《えがお》……。
それは、今、僕の目の前にあって……。
僕に向けられていて……。
そして、何より、そんな笑顔を僕もしているだろう。
とても。
とても、とても。
幸せになれる。
そんな魔法《まほう》のような笑顔たちと共に……。
僕とセシルが、6年の時を経て再会する物語は終わりを告げる。
そして、この小さな名もない村での出来事を発端《ほったん》に、ポケロリにまつわる伝説と神話の世界をかいま見る旅が始まるのだが……それは数ヶ月後の僕が語るべき物語になるだろう。
[#地付き]2学期につづく
[#改ページ]
あとがき
スニーカーブンカーの皆様《みなさま》、はじめまして、|竹井10日《たけいとうか》です!
夢のフィールド、スニーカー文庫で書かせて頂けるとは光栄の至り。
思い返せば、十数年前、僕も『ロードス島戦記』に胸|躍《おど》らせる一読者でした。そして、ああ、いつか、僕も沢山《たくさん》の人に楽しんで貰《もら》える小説を書いてみたい……と思ったものです。その夢がよもや、かなうとは……夢は諦《あきら》めてはいけないものだなあと痛感しております。
さて、本作『ポケロリ』は元々、かれこれ6年前……某ゲーム会社応募用に作ったS・RPG企画《きかく》だったのです。
しかし、結局、これで応募する事はなく……でも、ベースの着想は気に入っていたので、時々思い出した頃《ころ》に設定を作っては付け加えたりしていました。つまり、6年間もこんなロクでもない設定を僕は延々考え続けていた訳です。大丈夫《だいじょうぶ》か?
ともあれ、そういう思いの強さが作品に籠《こ》もってるのを感じて頂ければ幸いです。
それが、ここにこうして1冊の本になったのは、2年近くもねばり強く接して下さった編集の難波江さんの頑張《がんば》り……きっかけを与《あた》えて下さった親友、漫画家《まんがか》の依澄《いづみ》れいさんの存在……そして、何よりも、かねて一緒《いっしょ》にお仕事しましょうと誓《ちか》い合ってはいたものの、お忙《いそ》しい中、快くお仕事を引き受けて下さった盟友、イラストの池上茜さんのご厚意《こうい》……このお三方のお力があればこそです。本当にありがとうございます!
そして、何よりも、寡作《かさく》のゲーム作家である僕を我慢強《がまんづよ》く応援《おうえん》して下さっている得難《えがた》いファンの方々にお礼を申し上げたいです。今の僕はあなた方なしでは存在しません。どれだけ感謝しても感謝し足りませんが、ご恩はこの小説シリーズと新作ゲームで笑って泣いて頂く事でお返ししたいと思います。(なんか、俺、死にそーな人みたいな文章書いてるな……)
そしてそして、今、この本を手に取っている方、買わなくても読まなくても、手に取っているというそれだけで、もう、僕は見知らぬあなたに感謝したい。お買い上げ、ありがとうございます!!(段々、書いてる事が怪《あや》しくなってきた)
ともあれ、この1巻目は慣れないもので、かなり色々手探りでやってまして、『お前はいつもやりすぎる』と言われるので、相当やりすぎないようにセーブもしました。竹井文学初心者にもお勧《すす》めです。でも、2巻目がその分、色々やりすぎています。しまった、やりすぎた。
また、この作品で初めて僕の作品に触《ふ》れて、気に入って頂けたらば、他にも幾《いく》つかお仕事をしてますので、そちらもお願いします。
大人の方ならPCゲーム『秋桜《こすもす》の空に』『お姉ちゃんの|3乗《きゅーぶ》』が僕の作ったブランドのMarronから出てます。ちょっぴりえちぃやつです。PCゲームショップさんにてお求めを。
大人ではない方は、健全なドラマCDもあります。豪華《ごうか》声優|陣《じん》(緑川光さん、桑島法子さん、池澤春菜さん、田村ゆかりさん、皆口裕子さん、川上とも子さん、釘宮理恵さん、南央美さん、山本麻里安さん、子安武人社長……他にもいっぱい)による『秋桜の空に(全7巻)』『お姉ちゃんの3乗(全1巻)』(結局どっちかかい)が、ホビレコードさんから発売中です。こちらはアニメショップさんにてお求めを。……宣伝でした。
さて、最後に本編のお話を少し。
ポケロリ『山風忍の100人兵団編』そのエピソードUにあたる本巻・りぼんの章は、その100人兵団の一部のキャラクターで構成されています。まだまだキャラが出揃《でそろ》うのは、先です。目指せ、108人のポケロリ梁山泊《りょうざんぱく》ですね。しまった、8人|更《さら》に増えた。
次巻は、がらっと雰囲気《ふんいき》を変えて、ポケロリ大運動会のお話です。キャラも更に満載《まんさい》!
それでは、次の巻でお会いしましょ〜!!
[#地付き]竹井10日
[#挿絵(img/th159_267_s.jpg)]