目次
眠られぬ夏の夜の空蝉《うつせみ》の巻
生きすだま飛ぶ闇の夕顔の巻
あけぼのの春ゆかりの紫の巻
露しとど廃苑の末摘花《すえつむはな》の巻
燃ゆる紅葉のもと人は舞うの巻
花は散るおぼろ月夜の宴《うたげ》の巻
めぐる恋ぐるま葵《あおい》まつりの頃の巻
秋は逝《ゆ》き人は別るる賢《さか》木《き》の宮の巻
ほととぎす昔恋しき花散る里の巻
海はるか心づくしの須磨の巻
憂《う》くつらき夜を嘆き明《あか》石《し》の人の巻
佗《わ》びぬればはかなき恋に澪標《みおつくし》の巻
露しげき蓬生《よもぎう》に変らじの心の巻
古き恋にめぐり逢坂《おうさか》の関屋の巻
春の梅壺に風流《みやび》をきそう絵合《えあわせ》の巻
久しき別れに松風のみ空を通うの巻
入日の峰に薄雲《うすぐも》は喪《も》の色の巻
恋の夏すぎてあるかなきかの朝顔の巻
初恋は空につれなき雲井の少女《おとめ》の巻
恋のわすれがたみ日蔭の玉鬘《たまかずら》の巻
幼なうぐいすの初《はつ》音《ね》惜しまじの巻
春の夜の夢に胡蝶《こちょう》は舞うの巻
恋の闇《やみ》路《じ》にほのかなる蛍の巻
常夏《とこなつ》の夕映《ば》えに垣根なつかしき撫子《なでしこ》の巻
野《の》分《わき》の風に垣《かい》間《ま》見し美しき人の巻
雪ちる大《おお》原野《はの》にめでたき行幸《みゆき》の巻
露じめりして思いみだるる藤袴《ふじばかま》の巻
愛怨《あいえん》の髪まつわる真木《まき》柱《ばしら》の巻
花散りし梅が枝《え》に残る匂いの巻
藤のうら葉は色もあせじの恋の巻
君がため若《わか》菜《な》つむ恋の悲しみの巻
君がため若《わか》菜《な》つむ恋のくるしみの巻
落葉ふる柏木《かしわぎ》の嘆きの巻
空《むな》しき調《しら》べに夢ふかき横笛《よこぶえ》の巻
つらき世をふり捨てがたき鈴虫の巻
山里の夕霧にとじこめし恋の巻
露の世の別れはかなき御《み》法《のり》の巻
夢にも通えまぼろしの面影《おもかげ》の巻
『源氏物語』とつきあって(田辺聖子)
主な参考文献
解説(石田百合子)
眠られぬ夏の夜の空蝉《うつせみ》の巻
光源氏《ひかるげんじ》、光源氏と、世上の人々はことごとしいあだ名をつけ、浮わついた色ごのみの公《きん》達《だち》、ともてはやすのを、当の源氏自身はあじけないことに思っている。
彼は真実のところ、まめやかでまじめな心持の青年である。
世間ふつうの好色《すき》者《もの》のように、あちらこちらでありふれた色恋沙汰《ざた》に日をつぶすようなことはしない。
帝《みかど》の御子《みこ》という身分がらや、中将という官位、それに、左大臣家の思惑もあるし、軽率な浮かれごとはつつしんでもいた。左大臣は、源氏の北の方、葵《あおい》の上《うえ》の父である。源氏は人の口の端《は》にあからさまに取り沙汰されることを用心していた。この青年は怜《れい》悧《り》で、心ざまが深かった。
それなのに、世間で、いかにも風流《みやび》男《お》のようにいい做《な》すのは、人々の(ことに女の)あこがれや夢のせいであろう。
彼の美貌や、その詩的な生いたち――帝と亡き桐壺《きりつぼ》の更《こう》衣《い》との悲恋によって生まれ、物心もつかぬまに、母に死に別れたという薄幸な運命が、人々の心をそそるためらしかった。
帝にはあまたの女御《にようご》やお妃《きさき》がいられたが、誰にもまして熱愛されたのは桐壺の更衣であった。夜も昼もお側からお離しにならず、世間は玄宗《げんそう》皇帝と楊《よう》貴妃《きひ》の例まで引き合いに出して噂《うわさ》するほどであった。まして、他の後宮《こうきゅう》の女人《にょにん》たちの嫉《しっ》妬《と》やそねみはいうまでもない。
心やさしい桐壺の更衣は帝のご愛情だけを頼りに生きていたが、物思いがこうじて病いがちになり、ついにはかなく、みまかってしまった。
帝のお悲しみはいうまでもない。更衣の心ばせの素直でおだやかだったこと、姿かたちの美しさ、物腰の優雅でゆかしかったことなど、それからそれへと思い出されると、いまも面影が目の前に立つようで、
(人のそしりを受けてまで更衣を寵愛《ちょうあい》したのも、所詮《しょせん》は添いとげられぬ、みじかい縁であったからだろうか)
と、涙に沈まれるのであった。
更衣の遺《のこ》した御子はそのころ三つで、光り輝くような美しさだった。母君の死も分らず、涙にくれていられる父帝を、ふしぎそうに見守っていた。
帝は恋人の忘れがたみであるこの若宮を、弘徽《こき》殿《でん》の女御の生まれた第一皇子より愛していられた。
帝のご本心は、第一皇子を超えて、この若宮を東宮《とうぐう》にお立てになりたかったのであるが、しっかりした後見人もなく、政治的な後楯《うしろだて》もない上に、世間が納得するはずもなかった。そういうことを仄《ほの》めかされたら、かえって若宮の身に危険が及ぶと判断されて、色にもお出しにならなかった。若宮は母の実家で、祖母に養育されたが、六つの年にその祖母も亡くなった。
このときは物心ついていたので、若宮はおばあちゃまを泣き慕った。
肉親に縁うすい、可《か》憐《れん》な若宮を慈《いつく》しまれた帝は御所に引きとられ、お手もとで育てられることになった。学問にも芸術にも秀で、たぐいまれな美しい少年は、宮中での人気者となった。
そのころ、高麗《こま》人《びと》の人相見が、若宮を見て首をかたむけておどろいたことがあった。
「ふしぎでございますな。この御子は天子の位に昇るべき相がおありですが、そうとしてみると国が乱れ、民が苦しむことになりましょう。国家の柱石として国政を補佐する、という方面から見ますと、また、ちがうようにも思われます」
帝はお心にうなずかれるところがおありであった。かねて若宮を、親王《しんのう》になさらなかったのも、深いお考えのあることだった。皇族とは名ばかりで、後楯も支持者もない不安定な人生よりは、むしろ臣下に降《くだ》して朝政に参与させた方が、将来の運も開け、才能も発揮できるであろうと判断されたのであった。
元服した若宮は、源氏の姓を賜わり、いまはもう「宮」ではなく、ただびととなった。――みずらに結った髪を解いて、冠をいただいた源氏は、「光君《ひかるぎみ》」というあだなの通り、輝くばかり美しかった。
亡き更衣が、これを見たらどんなに喜ぶであろうかと、帝は耐えられず、ひそかに涙をこぼされるのであった。そのかみの帝と更衣との激しい恋や、更衣のはかない死など、昔の事情を知っている人々は、成長した源氏の姿に感慨をもち、涙ぐむのであった。
源氏には、ほかの人間にない陰影があるというのは、その過去のせいである。
生い立ちにある、父と母の情熱の火照《ほて》りがいまも彼の身のまわりにゆらめいている。彼が身じろぎするたびに、妖《あや》しいゆらめきが放たれる。人はそれに酔わされ、魅惑される。
ことに彼の匂《にお》うような美青年ぶりは、ほんの一挙手一投足でも、らちもない噂をさざ波のように走らせずにはおかない。
源氏は身をつつしみ、まめやかに内輪にしていた。
源氏の本心は、誰にも分らない。
源氏はしめやかに、心の底に苦しい恋を秘しかくしている。そのため、ありふれた色ごとに身をやつす気にはなれないのだった。
といっても、さすがに折々は、風変りな、屈折した恋に出あうと、心をそそられることがないともいえないけれど……。
空蝉《うつせみ》という人妻と忍び会ったのも、思えばその、風変りな点を面白く思ったためであろう。
夏のころで、夜は暑く、しのぎにくかった。
源氏は左大臣の邸《やしき》へ出かけた。
ふだんはほとんど宮中へ詰めているか、私邸の二條邸にいる。葵の上の、左大臣邸へ出かけるのは、妻とすごすことよりも、義父の左大臣がよくつくしてくれる心遣《こころづか》いに、こたえるためである。
「さびしいのですよ……」
と、源氏はいつか、これも秘めた恋人の一人、六條御息所《みやすんどころ》に、そっとうちあけたことがある。
御息所は先年、みまかられた皇太子の妃《きさき》で世が世なら、皇后の宮に立たれるべき方だった。皇太子亡きのち、世を避けてひっそりと過ごしていられる高貴な女人と、源氏は、いつか人目をしのぶ仲になっている。
源氏が、かるがるしい路《ろ》傍《ぼう》の色恋沙汰に目もくれぬ、というのは、こういう、世をおそれ人目をはばかる気むずかしい恋の方が、気に入っているせいなのだった。
「もうすこし妻が、世間ふつうの夫婦のようにうちとけ、泣きも笑いもし、怨《うら》みごとをいってもくれるならば、あの邸へいくのも、なんぼうか楽しみにもなりましょうが……」
「それは、あなたの浮気ごころに拗《す》ねていらっしゃるのではなくて?」
と、貴婦人は笑いながらいった。
「そんな、かわいいところはないのですよ。いい家柄のうまれで人にかしずかれ慣れて、女らしい心もちを失ってしまったのかもしれない……いやいや、高い身分に生まれても、あなたのように、情緒ぶかい方もあるのだ、これは人それぞれの、うまれつきですね?……」
「さあ、どうですか。わたくしは北の方を存じあげませんもの。女が女のことをとやかくいうのは、はしたないことですわ……」
源氏は、妻の邸へきて、ひそかに情人とのたのしかった会話など、思い返している。あの年上の、高雅で洗練された貴婦人と一夜をすごす方が、いくらうれしいかしれはしない……源氏は、葵の上が挨拶《あいさつ》に出て来たきり、引っこんでしまったので所在なく、気の利《き》いた若い女房たちを相手に冗談などいって、時間をつぶしていた。
日が昏《く》れてから、今夜は、この邸は方角がわるいので、方違《かたたが》えにいらっしゃらなければ、と近臣たちや女房がさわぎたてた。
じつは源氏はそれを承知で、左大臣邸へ来たのだ。はじめから方違えにいっては、またどこぞのかくしたゆき先があるのではないかと、左大臣たちの方が気を揉《も》むのにちがいなく、片はらいたくも気の毒にも思うせいである。
「疲れたよ、もう、いい」
などと却《かえ》って源氏は横になってしまう。
「それはいけません。不吉でございます。紀伊《き》の守《かみ》の邸はいかがですか、涼しそうですから……」
などとすすめられて、源氏は「面倒だな」としぶしぶ、出かけた。ほんのわずかの供廻《ともまわ》りだけで、身を忍ぶようにして出ることにする。
紀伊の守は恐縮し、光栄にも思って大いに心を使って接待した。
川の水を堰《せ》き入れて涼しげな邸である。田《いな》舎《か》風に柴垣《しばがき》などめぐらし、夏草の繁みに蛍《ほたる》など飛び交って、水辺のさまが、いかにも涼しかった。
酒をすこし飲んで、かりの居場所にしつらえられた寝殿の一隅に休んでいると、奥の方で、ひそひそと女たちのささやきがきこえる。
(紀伊の守が、親族の女どもが来ておりますので、とことわっていた、あれだな……)
と源氏は思った。
紀伊の守の父、伊予《いよ》の介《すけ》の年わかい後妻の一行らしかった。
女の衣《きぬ》ずれの音がさらさらして、忍び笑いなどしている。
源氏はそっと立って、襖障子《ふすましょうじ》のかげで耳をすました。
女たちは母屋《もや》にいて、ひめやかに話している。
「まじめぶっていらして。お年のお若いのに、もう立派なところの姫君を北の方にしていらっしゃるなんてつまらないわね」
「わかるものですか、かげではお忍びの恋人がいくたりもおありという噂よ……」
自分のことだ、と源氏は思った。女たちは「秘めた相手」の噂の名をあげはじめた。当っているのもあり、当らぬのもある。源氏が式部卿《しきぶきょう》の宮の姫君に贈った歌を、すこしまちがえていう者もいた。
源氏は「あのひと」の名が出ないかと、一瞬どきッとして、心のつぶれる思いを味わった。
それは、六條御息所ではないのだった。源氏自身でさえ、その名を唇にのぼらせられない、ある高貴な女人である。
女たちは、伊予の介の北の方の女房らしかったが、こんなにうかうかした噂ばなしを喜んでするようなら、女あるじの、その北の方も、すこし見劣りする人柄かもしれない。しかし、源氏は、その北の方がまだ娘の時分、親が、宮仕えさせたいと希望していたという噂を思い出し、どんな女か、見たいと思った。
父親が、早く亡くなり、宮仕えどころか、今は親子ほどにも年のちがう、一介の受領《ずりょう》(諸国の長官)の後妻になってしまったのを、その女はどう思っているのであろうか。
親がそんなに期待をかけていたくらいだから、美しかったのかもしれない。あたら美人が、惜しいことだ……などと源氏は思ったりしている。それからそれへと想像はふくれ上ってゆく。
美しい夏の夜は更けていった。給仕に出た少年がかわいいので目をとめていると、紀伊の守が、
「継母《はは》の弟でございます……」
という。
「幼くして父におくれましたので、姉につながる縁でここに来ております。殿上童《てんじょうわらわ》(貴族の少年たちが行儀見習いとして宮中へ出仕すること)など望んでおりますが、父も亡く、つてもないので、うまくいかないようでございます」
「かわいそうに。この子の姉さんが君の母上とは、また、不似合いに若い親だね。その人の父は、娘を入内《じゅだい》させたいといっていたそうではないか。それが君の若い継母《ままはは》になるとは、男女の縁というのはわからないものだね」
源氏は若いくせに、老成した口を利いた。
「まことにさようで。思いがけず、父と結婚したのでございます。世の中はわからぬものでございますな。とりわけ、女は、流されゆくままの運命で、思えばあわれなものでございます」
「伊予の介は大事にしているだろうね。ご主人様と思って、かしずいているんじゃないか」
「それはもう、いうまでもございません」
と、紀伊の守はにがにがしそうにいった。
「内心、妻を主人と崇《あが》めているようでございます。いい年をしてでれでれしておりますので、私はじめ子供たちはみな、反撥《はんぱつ》しておるのでございます」
「といって、君たちみたいな似合いの年頃の、当世風の若者にゆずるものか。伊予の介はあれでなかなか粋《いき》な中年男だからね」
源氏はかるく、
「……その人たち、どこにいるのだね」
と聞いた。
「下屋《しもや》にさがらせましたが、まだいる者もあるかもしれません」
紀伊の守はそういった。
酒がまわったとみえ、供の人々はみな、濡《ぬれ》縁《えん》に臥《ふ》して寝静まった。
源氏はおちついて寝ていられない。あたらせっかくの夜を独り寝かと思うと目が冴《さ》えてくる。北の障子の向うに人の気配がするので心ひかれてそっと起き、立ち聞きしていた。あたりは、あやめも分かぬ闇である。
「お姉さま……どこなの?」
と、さっきの男の子の声が、仄かにきこえる。
「ここよ……お客さまはもうおやすみ?」
という澄んだ女の声は、少年によく似ているので、これが例の女人か、と源氏はうなずいた。少年はひそひそと、
「ええ、廂《ひさし》の間で。噂どおり、光るばかりのお美しい方でした」
「そう……昼間だったら、そっと拝見するんだったけれど……」
と、女は、夜着をかぶったのか、くぐもった声でいう。
「ああ暗い。じゃ、ぼくはここでねます」
少年はそういい、灯をかきたてたりしているらしく、ぽっと明るくなる。
「中将はどこへいったの?」
女は、女房の名をあげてきき、すると彼方《かなた》の闇で寝ているらしい女が、
「お湯を使いにまいりました。すぐ参りますと申していました」
とねむそうに答えていた。
深沈と、あたりは静まり、濃い闇ばかりが邸うちにたれこめている。
源氏は障子の掛金をはずしてみた。
向うの部屋からは僥倖《ぎょうこう》にも、鍵《かぎ》はかかっていない。
几帳《きちょう》で灯を遠ざけている。唐櫃《からびつ》らしいものがいくつか、それに女の着物、こまごました道具がある中を、そっとあるいてゆくと、小さなかさ《・・》で臥せっている女がいる。
女はうとうとと、寝入っていた。うすい衣《きぬ》を、顔にかけていたのを、そっとはぎとられたが、女房の中将かと思い、しどけないままでいた。
「中将をお呼びになったでしょう……。私の思いが届いたのだと思うとうれしくて」
と源氏は声をひそめていった。
女は夢ともうつつともわからない。
声をあげようとしたが、男の袖《そで》が、顔にふれて、声にならなかった。源氏は声を低め、
「出来心と思われるかもしれませんが……そうではないのですよ。年ごろ、ずっと、あなたを思っていたのです。得がたい折と思うともう、辛抱しきれないで。決して、あさはかな心持ではないのですよ」
と、しめやかにものをいう。女はさわぎ立てることもできず、とっさに動転しながら、
「お人ちがいでございますよ」
というのも、かすれがすれの、可憐な声だった。
「まちがうわけはありませんよ……恋する者の直観でわかります。誓って失礼なことはしません。日頃の思いを聞いて頂きたいだけですよ」
源氏はささやいて、小柄な空蝉《うつせみ》の体を難なく抱きあげ、障子口まで来た。と、向うから中将とよばれた召使いがやってくるのにばったり出あってしまった。あ、という源氏の声と、たきこめた彼の衣の香《こう》に、中将は一瞬に事態をさとった。
これはなんとしたこと、と中将は動転したが、並みの男なら女主人のために力をこめて押しとどめることもできようけれど、高貴な身分の源氏では、あながちな振舞いもできない。人に知られても、女あるじのためにはよくないことだった。おろおろしてついてゆくと、源氏は静かに母屋の寝所にはいり、女をおろして襖障子をしめ、中将を見返りもせず、
「あけ方、お迎えに来るように」
といい捨てた。
空蝉は、外の中将が何と思うであろうかと、身を切られるように切なく、羞《は》ずかしかった。源氏のものなれた態度は、いままで何度もこうした経験を経た、恋の手だれであることを示している。自分も、そういう女のひとりと思われたのかと、空蝉は矜《ほこ》りを傷つけられて心は熱くなった。
源氏はさまざまに、口あたりのいい言葉をえらんで、甘美な毒のように耳もとにそそぐ。
「どうしてこんなに、あなたに執着してしまったものか、われとわが心がわかりませんよ……世間によくある好き者の常套《じょうとう》文句とお思いにならないでほしい……」
などという言葉も、ふと、真実かしら? と思わせる、しめやかなひびきがある。
それは空蝉の心をからめてしまう。匂うばかりに色濃い源氏の美しさや、真実《まこと》から嘘へ虹《にじ》のように色うつりしてゆく、目くらむようなくどき文句のときめき、遠い任地にいる夫を心の隅に意識している罪のおびえ、更には、夫にはない奔放自在な源氏の若々しい無礼なしぐさ、……それらに、空蝉は殆《ほとん》ど惑乱して、まるで呪術《じゅじゅつ》にかかったようにぼうっとする。
しかし、男の魔力が強ければ強いほど、空蝉の中でも、自尊心がふくれあがっていった。
「お許し下さいまし……いくら身分が、あなたさまより低いと申しましても、こんなお扱いをうけるいわれはございません」
「身分など関係ない。わかっているのは、あなたを、私がこれほど好きだ、ということだけですよ」
女は黒髪に顔をそむけ、さすがにはしたないあらがいかたはしないまでも、いつまでもやわらかく、押しとどめるしぐさをしていた。
じっとりと汗ばみ、こまかく顫《ふる》えながらもまるでなよ竹の、風に撓《たわ》みながら折れないように、源氏の意に添おうとしない。
源氏の若い心はいら立ち、堰《せき》は切れた。
「もうすこし、情《じょう》の分るかたと思っていたのだが……」
空蝉は彼の腕の中に強い力で引きこまれ、次々とつづく男の動作になかば死ぬような思いを味わった。源氏の人もなげな振舞いは、情熱や愛執《あいしゅう》のためというより、かりそめの好き心の烈《はげ》しさとしか、思いようがなかった。
こんな運命になってしまったことを、空蝉は悲しく、憂く辛く思い、涙がこぼれる。
「なぜそう、泣くのです。人生って、思いがけぬ、深いうれしい運命が時にはまちうけているもの、と、こんな風にお考えになれませんか?……あなたはもう、男や女の情趣をお汲《く》みとりになれるお年頃だ。そんな泣きかたは、何も知らぬ、ばかな年若い娘のすることですよ……」
だが空蝉の泣くのは情趣を解しないためではないのだ。いちどに、わが身の来《こ》し方《かた》の拙《つた》ない運命が思い出されてきたからだった。
「まだわたくしが、親の家にいる娘のままの身でありましたら、今夜のこの契りにも夢をもてたでございましょうね……でも、もう今はわたくしは夫のある身ですもの。どんな夢も、思い描けないのですわ。せめて、みんな、お忘れ下さいまし……」
空蝉のとぎれとぎれの言葉は真実のひびきがあったから、源氏は絶句した。
彼は、空蝉のやさしくて執拗《しつよう》だったあらがいかたや、屈折した深い心ざまに、あらためて魅力をおぼえていた。源氏と心ならず持った一夜に、空蝉が悩んで苦しんでいるさまにも、ふしぎな魅力があった。
女には気の毒だが、もしこの女と、一夜を過ごさなければ後悔しただろうと思われるようなものが、空蝉にはあった。
「手紙をさしあげたいが……これからどうやって連絡すればいいだろう……忘れられないひとになってしまった」
と源氏は女の手をとった。
鶏が鳴き出し、人々が起き出したらしく、邸内はざわめいてくる。
「御車を」
という声も聞こえる。もう脱け出すべき刻《とき》であったが、人妻である空蝉とは、再びあえる機会があるかどうかは、知るよしもなかった。
源氏は、女のことで心を占められて、忘れる間はなかった。手だてを考えあぐね、ついに紀伊《き》の守《かみ》を呼んで、いってみた。
「いつかの、可愛い少年を、私にくれないか。身近に使いたいのだ。そして殿上童にさせよう」
「それはありがとう存じます。姉にさっそく、申しましょう」
と紀伊の守は何心もなく、喜んでいった。少年の姉は、すなわち、紀伊の守の継母の空蝉である。源氏はまるでうぶな少年のように、心にひびいて、動揺するのだった。彼はあの夜の女の、思い屈したような心のみだれ、源氏に魅せられながら、自尊心と、罪のおののきに引き裂かれて、たゆたい、苦しんでいた美しいさまに、いつか、ほんものの恋を感じていた。
源氏は、そういう心のひだの深い女を、ゆかしく思うのであった。
五、六日して少年は来た。すっきりした気品のある子である。源氏は可愛がって、そば近く使い、あれこれ話をしながら、それとなく空蝉のことを匂わせる。少年は小《こ》君《ぎみ》といった。
何にも知らず、小君は、源氏の手紙をことづかって、姉の所へいった。
空蝉は、源氏のたよりを、心ひそかに待ちつづけていたのだが、小君には、
「お目あてちがいと申しあげなさい。お手紙のあてさきには、これをうけとる人は居りません、と申しあげるのよ」
ときびしくいった。
「でも……まちがいなく、お前の姉に、とおっしゃったものを」
と小君はこまっていた。
源氏は、空蝉の返事を待っていたが、小君は手ぶらで帰ってきた。
「たのみ甲斐《がい》ない子だね……お前の姉上はほんとは、伊予の介より先に、私と愛し合っていたのだよ」
小君は目を丸くしてきいている。
「それなのに、私が若くてたのもしくないと思ったのか、あのたくましい中年男の方にのりかえてしまったのだ。つれないひとだ。でも、お前だけは、私の味方になってくれるね」
小君は、源氏のことばを純真に信じきったさまで、大きくうなずき、
「ハイ」
というのだった。
源氏は、小君にことづけて再々、空蝉に便りをするのだが、空蝉は一度も返事をしなかった。
彼女は、いまでは、あの夜の源氏の無《む》体《たい》な仕打ちも、恋の一種であったと思うようになっている。あれは、あのとき、あの場で完結した恋なのだった。空蝉は、さかしく、恋の行末を読みとっていた。
あの夜の恋をたいせつに秘すればこそ、二度と逢《おう》瀬《せ》を重ねるつもりはなかった。激情にほだされて、逢うのは容易だけれども、あの恋を、より一そう美しく彩《いろど》れる、という自信はなかった。
恋に、色の上塗りはありえないのだ……。
塗れば塗るほど、それは、色あせてゆくものなのだ……。
それに、男が、一度の恋に、ますます執着し、それによって彼女への好印象が深まるのも、手にとるようにわかる気がした。空蝉はその美しいまやかしの恋のままに、自分を、飾っておきたかった。あの夜以後、どんなに源氏に言い寄られても空蝉はかたくなに拒んでいた。
源氏は、方違えと称して、また、紀伊の守の邸へいった。
小君を責めて、会おうとしたが、人が多く戸締りが厳重で、いい折がない。
「何とかせよ……もう一度だけ、お目にかかりたいのだから」
と源氏に言いつけられて小君は、胸をいためた。
「では、うまくいくかどうかわかりませんけれど……」
と、闇にまぎれて、邸の内ふかく連れてはいっていった。
南面《みなみおもて》の隅から、格《こう》子《し》をたたいて、小君は、
「あけて下さい。いま帰ったの」
と呼ぶ。
「どうして、この暑いのに、格子をおろしたの?」
と小君が聞くと、女房らしい女の声で、
「西のお方《かた》がおいでになって、碁《ご》をお打ちになっているものですから」
といっている。
源氏は、小君の入った格子から、そっと身を入れた。
灯があったので、奥の方はよく見えた。
母屋の柱によりかかって、きゃしゃな、美しい小柄な女人が、坐っていた。濃い紫のひとえを身にまとい、顔が半分、みえている。
姿かたちのありさまでは、かの夜の、恋しい女《ひと》であるらしかった。源氏はひどく心おどりを感じて、じっと目をつけた。まぶたのはれぼったい、鼻すじもはっきりしない、ふけた、地味なかんじの女人であるが、何とも、しっとりとおもむきある物ごし、身のとりなしである。
そうか。あの女《ひと》がそうだったのか。闇の中の手ざわりと、あかるいけざやかな灯の下でみる、情趣ありげな風《ふ》情《ぜい》は、いかにも、ぴたりと一致するように思われた。
空蝉は美人というのではないが、身のとりなしが、得もいえず艶《えん》で、源氏の好みにあう。
もう一人の女は、顔がよくみえた。これは当世風な、ぱっと目に立つ美人だった。白い薄ものの単衣襲《ひとえがさね》に、うす藍《あい》色の小袿《こうちぎ》らしいものをしどけなく着て、紅の袴《はかま》の腰紐《こしひも》がみえるくらいまで衿元《えりもと》をはだけ、白い胸があらわになっていた。むっちりした肉づきの、白く清らかに太って、目もと口もとに愛嬌《あいきょう》ある美人である。――これで、しっとりした所を添えれば完全な美女だがなあ、と源氏は惜しみつつも、男の好きごころの常で、(こちらの方も、どうして中々わるくない)と思うのだった。
美人の方は、性質も陽気らしく、碁が終ってはしゃいでいる。奥の方の人は静かに、
「お待ちなさいな、そこは持《じ》でしょう。この劫《こう》を……」
というが、耳にも入れず、才走ったさまで、
「いいえ、今度は負けよ。ここの隅、何目《もく》かしら、十、二十、三十、四十」
と指を折っててきぱきと数えたりしている。
源氏は、こんなにくつろいでいる女たちの素顔を、今まで見たことがなかった。女たちはみな、彼の前ではとりつくろい、作り声をし、顔を伏せ、言葉を飾っていた。どんな女も様子ぶって、本心が容易にみえなかった。ただひとりの、あのひとをのぞいては――。
(あのかたひとりはちがった。あの佳《よ》き女《ひと》は、繊細な率直さをもっていられる)
と、源氏は心に秘めた恋人のことを思う。
しかしいま、ゆくりなくのぞき見した女たちは、まさか男に見られているとは思わないので、くつろいでたのしそうに振舞っていた。
それが源氏には興ふかく思われた。ことに思いを懸けた人が、つつましく趣きふかいさまなのが気に入った。
小君が来たので、そっと源氏は渡殿《わたどの》の戸口に離れていた。小君は、源氏をこんな所へ立たせたままなのに恐縮もし、さればといって姉の寝所へみちびく手だてもなく、子供ながら当惑しきっていた。
「客がおりまして側へいけないのですけど」
「寝静まるのを待とう。あとで、そっと入れておくれ」
「はい。……でもうまくいきますかどうか……」
客の、継娘《ままむすめ》は今夜はこちらに泊まるようであった。追い追いに、邸のざわめきが消え、風の音ばかりになった。
小君は妻戸を叩《たた》いて開けさせ、廂の間に横になって空《そら》寝《ね》をしていた。そのうち、やっとたくさんの女房たちも寝静まったらしいので、屏風《びょうぶ》をひろげて灯をさえぎり、そっと源氏を引き入れた。人に見つかれば、みっともないことだがと思いつつ、源氏は恋の冒険の誘惑に抗しきれないのである。母屋の几帳の帷《かたびら》を引きあげて、そっと闇の中へすべり入った。
空蝉はこのごろ、物思わしいときが多く、ねむれない夜を送っていた。あの夜、一夜ぎりで源氏を拒絶しつづけ、源氏もあきらめたようなありさまを、ほっとしつつ、それでもいつまでも、あの夜のことが忘れられない。
疾風に捲《ま》かれるような青年の情熱や、否応《いやおう》いわさぬ無体な仕打ちは(それが人に明かすことのできぬひめごとだけに)彼女の心に、ふかい刻み目をつけていた。
碁の相手をした継娘は、無邪気な世間話をしていたが、いつか寝入ったようである。
ふと、空蝉の耳は、やわらかな着物のふれ合う、衣《きぬ》ずれの音を捉《とら》えた。それに、夏の夜風が運んでくる、衣にたきしめた香の匂い。
あたまをそっとあげてみると、暗い中に近寄る人かげがあった。空蝉はおどろいたが、とっさに生絹《すずし》の単衣一枚を羽織って、静かにすべり出てしまった。
源氏は女がひとり臥せっているので安心して寄り、衣をそっと引き剥《は》いだが、どうも大柄な気がする。その上、この間とは雰《ふん》囲気《いき》がちがい、しどけなく寝入っているさまも心得ない。女は空蝉ではない。さては逃げられたかと、彼女の情の剛《こわ》さをうとましくさえ、思った。
娘は今は目をさましてびっくりしている。人ちがいだったと知られるのも恰好《かっこう》わるいしこの娘にも気の毒だった。また、この娘の継母に懸《け》想《そう》していたと悟られては、夫のある身で浮名の立つのを死ぬほど恐れている空蝉をも傷つけることになる。どうせ、ああまで逃げまわっている空蝉を追い求めても甲斐ない気がするし、それに、さきほど灯《ほ》影《かげ》でかいまみた、現代風な美女がこの娘であるなら、ええ、ままよという気になった。
娘をおびえさせないように、そっとやわらかく抱きよせて、低い声で源氏は、かねてから、あなたに思いをかけて、度々、方違《かたたが》えに来ていたのだ、といいつくろった。
娘はあんがい世なれていて、ひどくおびえたり騒いだりしない。源氏の言葉をたやすく受け入れ、忍んできた男の何者かも、すぐわかったようだった。
若いだけに信じやすいのが可《か》憐《れん》にも思われたが、源氏は空蝉を手に入れたときほどの充実感は得られなかった。それにつけても、こうまではぐらかされると、つれない人への執着はますます、物狂おしくなってゆくのである。今ごろは、どこかの隅で、自分のことをばかな男と笑っているかもしれない。この恋心は真実なのに、と空蝉を怨《うら》みながら、あの手ごわい女が恋しいのだった。あの人は、この娘のようにやすやすと身を任せたりしなかった。……そう思いながら源氏は娘の耳に、
「また忍んできます。小君に手紙を托《たく》しますよ。人に気づかれないようにして下さい」
などといっているのだ。源氏は、空蝉が脱ぎ捨てていった薄衣《うすもの》をそっと取りあげて出た。
小君が源氏を伴って妻戸をあけると、老女が、
「おや、こんな夜中にどなた」
と外へ出て来た。小君はうるさくなって、
「ぼくだよ。小君」
「もうお一人は?」
と老女は月影にすかし見て、丈の高い女房とまちがえたらしく、
「あなたも、今夜は宿直《とのい》ですか、私はおなか具合がわるくてね。下って休んでいたんだけれどお召しがあったので上ったんですよ。でもやっぱり痛くて。痛! 痛!」
といいながら、あっちへいってしまったので、やっと外へ出ることができた。心の冷える冒険は、どんな目にあわぬとも限らないから、つつしむべきだな、と源氏は思った。
源氏は小君を車に乗せて、二條院へ帰ったが、みちみち、小君にいきさつを語った。やっぱり子供は子供、あてにできないよ、などと怨みがましくいうので、小君は申しわけない気持でうなだれている。
「私は伊予の介よりも劣った男なのだろうかね、こんなに嫌われて……」
源氏はそういいつつ、かの薄衣を抱きよせて寝た。それはまるで蝉の脱けがらのようである。彼は小君に終夜、怨み言をきかせた。
小君は姉のもとへ帰ってもこっぴどく叱《しか》られた。
「ひどい目にあいましたよ。どうしてご案内なんかしたの? 何を考えてるの、お前は。世間の人にへんな噂《うわさ》をたてられたらどうするの、どうにかかくれたのだけれど……」
小君は両方から叱られ、責められてかなしく思いながら、源氏の手紙をさし出した。
空蝉は、さすがに、開けずにはいられなかった。走り書きのようにして、美しい手蹟《しゅせき》で、
〈空蝉の身をかへてける 木《こ》のもとに なほ人がらのなつかしきかな〉
とある。
「まあ。じゃ、あの単衣はお持ち帰りになったの?」
と空蝉は、みるみる羞恥《しゅうち》で、躯《からだ》が染まるような気がした。汗ばんではいなかったろうか、あのうすものは……。見苦しくはなかったか。
「お召物の下に引き入れておやすみになっていましたよ」
という小君に、空蝉は返事もできなかった。小君には、姉が、気むずかしく怒っているさまにみえたが、実はそうではなく、空蝉は感動していたのだ。源氏の愛執が肌に迫るばかり思われ、彼の息遣いをいまも耳もとで聞くような気がした。
「もう、おそいのよ……おそすぎるのよ……」
と空蝉はつい、つぶやきが唇から洩れる。
「おそいって、何が? お姉さま?」
「いいえ、こっちのこと……」
源氏が言い寄ってくれたのが、まだ娘のころだったら……と、返らぬことを思いこんで空蝉は内心、身《み》悶《もだ》えするばかり苦しかった。男の恋が、出来ごころの浮気ではなさそうだとわかった所で、夫をもつ今の身の上では詮《せん》ないことであった。
かといって、空蝉は、美《み》事《ごと》に逃げおおせて彼の手にぬけがらの薄衣一枚をのこした自分のやりくちを、よくした、とも思えなかった。
ああするほか、ないのだと思いつつ、ゆえ知らぬ心のこりが、重たく沈んでいる。
(しかたないわ、もっと前にお目にかかれなかった、わたくしの運命が拙ないのだ……こんなお文《ふみ》をいただいたところで、何になろう……おそすぎた出会い、というものはあるのだ……)
空蝉は白いあごを衿もとにうずめ、放心したようにじっと考えこんでいた。
西の対《たい》の、空蝉の継娘――軒端荻《のきばのおぎ》は、小君の姿が見えたので、胸をおどらせていた。もしや、あの人からの使者ではないかと思ったが、小君は一向に手紙らしいものを持ってくる様子もない。あのひめごとは、女房の誰も知らぬことだけに、誰にいうこともできなくて、軒端荻はひとり胸にたたんでいた。世なれぬおぼこ娘というのではないので、彼女は秘密の重みに充分、堪えているのだが、源氏をやっぱり忘れることはできないのだった。
そのころ、源氏は宮中の宿直《とのい》の部屋で、心おけぬ友人の頭《とう》の中将とくつろいで話していた。
宵からの雨が、そのまま、夜に入っても止《や》まず、殿上は人ずくなで、いつもより静まっている。
頭の中将は、源氏の正妻・葵の上の兄君である。左大臣と、内親王の出である北の方との間に生まれた嫡男で、源氏と同じほどな年ごろでもあり、学問でも遊芸でも好敵手の間柄だった。源氏は女たちの恋文を頭の中将に見せたりしている。無論、もっとも大切なものは深く秘めてはいるが……。
「いや、ずいぶんいろいろ集まりましたね」
と中将はいって、これは誰、これは誰と当て推量をした。そんなことから、話が女性論になった。
「非のうちどころもない女、なんていやしないものですよ」
と頭の中将はいっていた。
「まあ、どこにも取り柄のない女、というのもいないものだが。それにしても、上流の女は、これはちょっとよくわからない。大切に箱入娘で風にもあてず育てられていますからね。恋の狩人《かりゅうど》として面白い獲《え》物《もの》は、中流階級の女でしょうな。あまり下《げ》賤《せん》のものは、われわれとしては興味をもちにくいし。中流の、受領《ずりょう》あたりの階級の女に、あんがい掘出しものが多いんじゃないんですかね」
源氏は黙ってうなずいたが、かの空蝉のことを、胸に思い返していた。
生きすだま飛ぶ闇の夕顔の巻
源氏と頭《とう》の中将のもとへ、「御《おん》宿直《とのい》のお伽《とぎ》を……」と、左馬《さま》の頭《かみ》、藤式《とうしき》部《ぶ》の丞《じょう》といった人々がやってきた。
いずれも当代、聞こえた風流《みやび》男《お》で、弁も立つ連中なので、頭の中将は喜んで話に引き入れた。
「中流階級の女、というよりも……たとえば草深い家の、世間から忘れられているような邸《やしき》に、思いもかけぬ、美しいかしこい娘がいるとか、あるいはまた、太った醜い老人の父親、風采《ふうさい》の上らない兄などをみて、こんな家の娘は知れたものだと軽蔑《けいべつ》していたところ、これが意外に美人で才女だったりすると、男は心をそそられて、お、これは……とがぜん好奇心をもち、やがて恋になったり、するものでございますな」
と左馬の頭は、式部の丞をみていった。式部の丞には美人の妹がいて評判なので、それを当てこすっていうのかと、式部の丞は返事もしない。頭の中将は、
「そうだな。意外性、ということは男の恋心をそそるからね」
とうなずく。源氏は自分からはしゃべらず、微笑して聞くだけである。白い衣のやわらかなのに、直衣《のうし》をしどけなく着、脇息《きょうそく》によりかかっている横顔は、灯に照らされて何とも美しい。
「しかし、それもこれも、所詮《しょせん》は、生涯連れ添うべき、理想の妻を探し求めたい、というのが願いでしてね。いや、なかなか、理想の妻、なんていうものはいやしませんよ。やさしくて才気があるかと思うと、多情で浮気者だったり。家庭さえちゃんと守ってくれればよい、と申しましても、髪は耳へはさんで化粧けもなく、なりふりかまわず働く、という世話女房も味気ないものでございます。男は仕事の場でのおかしかったことや腹の立つことも、つい、家へ帰って妻に言いたいときがあるものですが、いやいや話したとて、どうせ妻にはわかるはずもなし、などと思って、ひとりごとをいってまぎらせている、などという図も、ぱっといたしません」
左馬の頭は源氏や頭の中将といった貴公子たちよりはずっと年上でもあり、その豊富な経験を披《ひ》露《ろう》するのが得意でたまらないらしかった。
「夫婦というものは良かれ悪《あ》しかれ、一生別れず扶《たす》け合い、添いとげてこそ縁も深く、ゆかしく思われるのです。それをちょっとしたことで拗《す》ねて尼になってしまい、あとから後悔して、泣き顔で短くなった髪にさわっている女、などというのは軽率なものです。夫に愛人ができたといってすぐ、つんけんする女も困ったもの、おだやかにそれとなくいう怨《うら》みごとは可愛くていいのですが、角《つの》を出してたけり狂うと、男もあとへ引けなくなってしまいます。そのへんを賢い女ならばよく心得ていますがね」
と左馬の頭がいうのへ、頭の中将は同意して、
「そうだね、聡明な妻なら、だまって耐えて長い目で夫を見ているだろうね」
といったのは自分の妹の姫君を思い浮べてのことである。しかし源氏は聞いているのかいないのか、言葉を挟《はさ》まないので中将は物足らなく思った。左馬の頭は、
「もう、何でございます、おふた方のような貴人はともかく、私どもでは、身分も容貌《ようぼう》も才気も問いません、片よった性質でなければ、そして、まじめで素直な人柄でさえあれば、生涯の妻と定めたいと思います。……じつは昔、この理想にほぼ似通った妻がございましてね。家事も手ぬかりなく、まじめでしっかりした働き者で、容貌はまあ、自慢できませんが、何より私にぞっこん惚《ほ》れていた女でして……」
「ほんとうの話なのか」
と頭の中将はいい、みんな笑った。
「ほんとでございます。ぶさいくな女ですが、私に嫌《きら》われまいとして化粧にも気をつけ、来客が参りましても、夫の恥になっては、と陰にかくれるようにつつましくふるまって、私の世話などもじつによくしてくれました。しかしただ一つ、やきもちで困りました。ちょっとほかの女に色目を使ったといっては邪推し、たけり狂って、言い合いになり、私の指にかみついたりするのです。私も腹が立ち、それから切れるの別れるのと大騒動、こらしめのつもりで、しばらく女の家へ足を向けませんでした。しかし忘れもしません、賀茂の
臨時祭《りんじのまつり》の調楽《ちょうがく》が御所であった夜です。退出がおそくなりましてね。おまけに霙《みぞれ》の降る寒さですよ。朋輩《ほうばい》はそれぞれに帰るべき家庭があるのです。私一人、御所の宿直《とのい》室で眠るのもわびしいし、色ごのみの女たちの所へいくのも、気ばかり張って寒い目にあう、結局、その女のところしか、行き先はないのです。暖かくて、おいしいものが食べられて『お帰りなさい、お疲れでしたでしょう』といってもらえそうなところは……。で、少々きまりが悪かったのですが、まいりましたよ。すると暖かそうな柔かい綿入れの着物を暖めて、寝るばかりに用意して待っているのです。私、すこし得意でございました。ところが、です。かんじんの本人は、父親の邸へ出かけてもぬけの殻。召使いたちがるす番をしている。憎らしいではありませんか。女の方は、私が今後絶対に浮気しない、ほかの女に目もくれぬ、と誓うなら元通りになってもよい、というのですよ。話し合いが長引いているうちに、女は心労で寝こんで亡くなってしまいました。あんなまじめな女に冗談は通じないものですね。今思うとかわいそうなことをしたと思います。相談相手にもなれるし、染物縫物、家事万般、みなよくできた女でございましたが」
「惜しいことをしたねえ。そこまで自己主張できる女、というのはあり難《にく》いもので、貴重な存在なのに……」
と頭の中将は話に興が乗ったのか、
「たよりない女、おとなしすぎる女、というのも困ったものだよ。ひとつ私の話をしよう。以前のことだが、私がひそかに囲っていた恋人があった。はじめは、かりそめの遊びのつもりだったが、長く馴染《なじ》んでいる間に別れがたい気になってね。父親もなく頼る人もない身の上なので、私ひとりによりすがっているから哀れで、可《か》憐《れん》だった。女の子も生まれた。――私も将来、いつまでも面倒を見るつもりだったが、向うにしてみれば、来たり来なかったりの私の態度に、さぞ不安もあったろうと今になってみれば思うけれどね。そのうち、私の妻の実家の方で、この女の存在を知って、ひどいことをいって脅したそうだ。いや、私はあとで聞いて知った。かわいそうに女はひとり、くよくよと思い悩んで、撫子《なでしこ》の花を使いにもたせてきたりしてね……」
「ほう。どんな手紙だったんだ?」
と源氏は聞いた。
「いや、別に。平凡ですよ。『山《やま》家《が》は荒れはてましても、咲き出《い》でた撫子の花には折々にやさしいお気持を忘れないで下さいまし』というふうな。それで私も早速行きますと、私を怨むでもなく、なつかしそうな風《ふ》情《ぜい》でしてね。気のいい女なんです。で、私も安心してまた、とだえているうち、ふっと行方《ゆくえ》をくらましてしまいました。まだ生きているならずいぶん苦労していることでしょう。私も愛していたのですから、もっと自分を強く主張して、何でも本心からうちあけてくれればいいのに、あどけないほどたよりなくて、ひとりでくよくよする女だったのです」
「女の子は、どうしているのだろうね」
と源氏はいった。
「そのことです。その撫子の花が心がかりで、私もどうかして探したいと思うのですが、いまだに手がかりがありません。たよりない女というのも心もとなくて、困ったものです」
頭の中将はそういって、今度は式部の丞に、
「式部の方はどうだ、面白い話があるんじゃないか」
「そうでございますなあ。べつに我々ごときはこれといって。そういえば、昔、まだ文章《もんじょうの》生《しょう》の時代に、ある博《はか》士《せ》の娘と結婚いたしました。これがたいへんな学識ゆたかな女でして、妻を師匠にして、学問をおさめました。閨《ねや》のむつごとにも学問の手ほどき、処世の教訓といったことを教えてくれるのです。仰げば尊しわが師の恩、ということは始終、考えておりましたが、どうにも窮屈でしてね。私のような無学な人間は肩身が狭うございました」
というので、また、みなみな大笑いになった。
「男からいえば、あるがままの女がいいですね。才女、賢女というのや、風流ぶった文学趣味の女はいやみなものですよ。知っていることでも、知らぬふりをする、言いたいことでも、一つ二つは言わずにすます、という程度のがいいですね」
左馬の頭がいうあいだ、源氏は心の中で、ただひとりの女《ひと》を想いつづけている。
あのお方こそは、足らぬ点もなく、まして才気をひけらかすということなど、露ほどもなさらない。たおやかでいらして、お心ばえが素直で……やさしくて、それでいてきりッとした気高いところがおありで……と、それからそれへと考えつづけると、源氏は胸が苦しみでふさがるのであった。
あの恋人、この恋人とそれぞれに美点欠点はあり、源氏を苦しめたり喜ばせたりするものの、彼の生涯の夢も恋も、真実をいえば、あげて一人の女人に集約されてしまう……。
あのひとにはじめて会った日のことをおぼえている。みずら髪の童形《どうぎょう》のころだった。
あのひとは十六、七、父帝《みかど》の女御《にょうご》として入内《じゅだい》され、あまりのお美しさに世の人は「輝く日の宮」と讃《たた》えて仰いだ。
御殿は藤壺《ふじつぼ》であった。
藤壺の宮は、先帝の皇女であり、身分もご容貌もお人柄も、何一つ不足はなく、誰も貶《おと》しめることはできなかった。源氏の亡母、桐壺《きりつぼ》の更《こう》衣《い》が、帝のご寵愛《ちょうあい》ふかいのを人に嫉《ねた》まれて悩み死にしたようなことは、藤壺の宮には起こり得なかった。帝ともっとも古く結婚され、東宮《とうぐう》の母君であり、宮中に勢威のある弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》ですら、藤壺の宮に対しては、ゆずる所があられた。
藤壺の御殿は、つねに春のような光とたのしい笑い、愛がみちみちていた。
「美しい子でしょう?……ふしぎに、あなたはこの子の母に似ていられるのですよ。この子は母に生きうつしといっていいほど似ていますから、まるで、あなたとこの子は親子のようです」
と帝は少年の源氏を、藤壺の宮の前に押しやるようにされた。
宮は、はにかんで、はじめてこちらをご覧になった。透きとおる白珠《しらたま》のような、気高い面《おも》輪《わ》に、すずやかなおん目もと、漆黒《しっこく》の髪は重く、冷たげに、手にあまるばかりゆたかに背に流れていて、近寄りがたい気品のある美女だったが、お声はやさしく甘かった。
「これからは仲よくいたしましょうね……お心やすく、うちとけて下さいましね」
と宮はすこし、お首をかたむけていわれた。
仄《ほの》かに、たきしめた香《こう》が匂った。
源氏は、三つで死に別れた母の顔をおぼえていない。亡き母に似ていられるという藤壺の宮のおもざしから、母君はこうもあったろうか、ああもあったろうか、とあこがれに似た視線を熱っぽくあてるのだった。
宮はすこし、赤くなっていらした。
「そんなに、おみつめ遊ばすと、消え入りたい心持がされます」
と、少年の視線を羞《は》じられた。
「あなたが、あまりにお若くお美しいので子供心にもみとれているのですよ」
そうとりなされる帝もご満足げだった。若く美しい妃《きさき》を得て、そのかみの最愛の恋人との死別のくるしみも、ようやく忘れようとされていた。そして、源氏は、数あるおん子の中でもことさら、目に入れても痛くないというほどのご愛《あい》子《し》であった――右と左に愛するものを置いて楽しまれる帝にもまして、少年の源氏はうれしかった。
あのやわらかな、白くかぼそいつめたい宮のおん手とふれ合ったり、おん息遣《いきづか》いがわが頬《ほお》にかかるほど近々と寄って一巻《まき》の絵巻物に見入ったり、宮の弾《ひ》かれる琴に笛を合わせたり貝合せに興じたり……あの、銀の珠を玉盤にころがすような宮の澄んだ笑い声を耳にしたり……源氏の少年の日々は、宮ひといろに塗りつぶされた。父みかどと宮に挟まれて夢のようにすぎた、藤壺御殿の春の日々よ。
あの甘い少年の慕情が、いつから、どすぐろい地獄の苦しみにとって代ったのか。
元服《げんぷく》して青年となった源氏は、もはや藤壺の宮のおそばへ寄る自由を失った。藤壺御殿に参ることはあっても、遠く御簾《みす》ごしにほのかにお声を聞くだけである。
御簾のうちへはいることのできる男性は、父みかどだけである。
源氏は、父みかどのうしろについて、御簾のうちへはいることのできた少年の日を、恋しく思った。あの室内の、どんなこまかなことも、あの佳《よ》き女《ひと》の、どんなわずかなしぐさも、源氏はありありとおぼえていた。はかない遊びごとにも、少年が面白がるようにと、やさしい思い遣《や》りを見せ、わがままをいうと、困りながらも、少年のいうようにしようと心を砕いて下さった。何をお話しても、話はぴったりあった。好きな音楽の曲目、好きな物語や、古典のたぐい……少年は、あのひとと趣味や嗜《し》好《こう》がぴったり一致していた。たのしくて、お話していると時のうつるのを忘れた。
五つ年上のあのひとは、少年の源氏にとって、姉のようで母のようで、幼ななじみのようで、そして最初の恋人だった。
あまり少年が藤壺にばかり親しむので、弘徽殿の大后は、少年の亡母桐壺の更衣への敵意をそのままに思い出し、少年をも藤壺をもこころよからず思われるようだった。
その思慕は突然、たちきられてしまった。
「もう、お近くでお目にかかることができないのかと思いますと、元服することはちっともうれしくありません」
元服式のすこし前に源氏がいうと、宮もすこしお淋《さび》しそうに、
「おとなになられて、手もとから離れてしまわれるのは淋しゅうございますが……御成人のりっぱなお姿はたえず拝見できるわけですし、あなたは行く末、国の固めとおなり遊ばすかたですもの。やはり、元服なさるのはおめでたいことですわ」
といわれた。しかし源氏のいいたいのは、宮のお膝《ひざ》で、いつか寝入ってしまったり、宮にお手ずから、髪を撫《な》でられたりした、そういう親しみが、もう遠くなってしまう悲哀のことだった。
あるいは、さかしい宮は、それと知って、わざとお話を逸《そ》らされたのかもしれないけれど……。
いま、源氏は青年となり、たくましくなって、宮のおん背《せ》丈《せたけ》をはるかに抜く長身となった。はじめて宮とあったときは、宮にあたまを撫でていただくほどの幼い少年だったのに。
源氏は元服して臣籍に降《くだ》り、官爵を得、結婚し、左大臣家の婿となった。
藤壺の宮は、源氏にとって、ますます遠いひととなった。それにしたがって源氏の胸の煩悩《ぼんのう》は消えるときなく、いよいよ強くなってゆくように思われる。昼も夜も、埋められぬ心の底の暗い裂けめに、劫《ごう》火《か》が燃えている。
その暗い裂けめは、まがまがしい情熱を源氏に与えた。あの三條邸での一夜は、魔に魅入られたからとしか、思えない。
藤壺の宮は、宮中から三條邸へ里帰りしていらした。源氏が顔をかくし、闇《やみ》に姿を消して忍んでいったとき、宮は、ほとんど恐怖にちかいような色を泛《うか》べていらした。源氏は言葉も出ず、だしぬけに宮のおん手をにぎりしめて、
「私は、こんなに……」
というなり、絶句してしまった。
「いけませんわ、いけませんわ……」
と、宮は途方に昏《く》れた子供のように、泣き出しそうなお顔で首を振られた。みるまに源氏の手のうちに握りしめられた宮のおん手が、こまかく顫《ふる》えて、じっとりと汗ばんできた。
「おわかりになっていらしたでしょう?……私の気持は」と、源氏はささやいた。ささやく、というよりわずかに唇のうごきで判断できるような、低い声だった。「いや、おわかりにならぬはずはない。私の思いは、どんなに遠くへだたっていても、あなたに届いたはずです」
宮はたどたどしく、おっしゃった。
「どうしてこんなおそろしいことをなさるのですか」
宮は詰問の調子でなく、不可抗力に対するかなしみのようにいわれた。源氏は、お返事を申上げることができなかった。宮の前に出ると、ちょうど日向《ひなた》の水月《くらげ》がみるみる溶けて、あとに透明な水だけがのこるように、「宮を愛している、宮を恋している」という思いだけが胸にたまり、あとはすき通るのであった。
「あ……」
と宮はちいさくふかい嘆息をもらされた。
「泣いていらっしゃる……光の君さま」
宮は、幼いときの源氏の呼び名をそのままに、そういわれた。源氏の涙が、宮の緋《ひ》のはかまに落ちた。
「光の君さま、どうかそのお美しいお歎《なげ》きも、お涙も、わたくしでなく、ほかの女人衆のためにお捧《ささ》げ下さいまし」
と宮は袖《そで》を重ねて面《おもて》を伏せたまま、くぐもるお声でいわれた。源氏は心も昏れ魂もまどう心地がして、宮を抱きしめ、涙の頬を、宮の匂いのいい白い衣《きぬ》に押しあてて、
「それは私を愛していられない、ということですか? そうなのですね?」
「わたくしには申せません、申せません」
と宮は苦しそうに身を捻《ね》じて、物をいう気力もなさそうに「どうか、わたくしをお苦しめ遊ばさないで。お願いです……」と、弱々しく、あらがわれた。
「あなたはそれでは、私のことなど愛《いと》しく思って下さったのではないのですね。義理に引かれて、仕方なくやさしくして下すっただけのことなのですね? それを私は、年頃日頃、おもいちがいをしていたのか」
「いいえ、それはちがいます。ちがいます」
と宮は烈《はげ》しくいわれた。
「光の君さまが元服あそばされ、もう御殿でお目にかかることがかなわなくなったとき、わたくしは、うれしかったのです。……もしあのままお逢いしつづけていたら、わたくしは、自分の心に自信がもてませんでした。光の君さまを、いつ愛してしまうかしれない心の傾きが、われとみずからおそろしかったのでございます。殿方となられた光の君さまに恋しているわたくし自身が、ありありと、目にみえるような気がしましたの……」
「私を愛する予感をお持ちになっていられたと? そういう大切なことを、なぜむざと今まで隠しておかれたのだ?」
と源氏はうれしさで、湯のような涙がふきあがってきた。宮のかぼそいお躯《からだ》をしっかり抱きしめて、「ねえ、それならば、私にあなたの運命を托して下さい。目をつぶって下さい。ひとえに何もかも宿《すく》世《せ》とお念じ下さい」
外は風が出ているらしく、几帳《きちょう》の裾《すそ》が煽《あお》られ、灯が消えた。
「いくら埋めても埋められない裂けめがあるのですよ……暗い、欲深な裂けめ……そこへ何を投げ入れても埋まりません。あなただけなのです」
と源氏はささやいた。宮はだまっていらした。二人の若い恋人たちは、いまはぴったりと躯を寄り添い、横たわっていた。源氏の腕は、宮の白い、まろやかな、はだかの肩を抱いていた。
「裂けめは埋まったけれど、二人して罪に堕《お》ちてしまいました」
源氏が宮の耳にいうと、宮はゆっくり、おん目を塞《ふた》ぎ給うた。
「いいのです。わたくしは、疾《と》うの昔に、罪に堕《お》ちていました。光の君さまのお姿をみるたびに、わたくしは心の内で罪を犯していました」
「おんなじだな!」
と青年はうれしさで目まで赤く染まって低く叫んだ。
「私も、あなたをみるときは、もしスキがあったらどこへまず先に唇をつけようかと、不《ふ》逞《てい》なことばかり考えていた!」
宮はちいさく、笑われた。それは源氏が久しぶりにきく宮の笑い声だった。
「罪ある人は、よく笑います」
と宮は悲しそうにいわれた。源氏はいった。
「想像できますか? この邸の大屋根の上には、斜めに天の川がかかっています。私は今《こ》宵《よい》、馬で来るとき見ました。……今宵、思いをとげられなければ死のう、と思ってきました。天の川は仄白く傾いて、若い日の甘美な後悔にも似たさまで横たわっていました」
「わたくしは、いまはうれしさで死にそうです……」
「私もだ。しかし今は生きたくなりました。まだ生きて、あなたとお逢いしたいために。こんどは、いつ……」
「いいえ。もう、これが最後ですわ。もうお目にかかることはできません」
源氏は、宮の閉じられた白いまぶたの上に接吻《くちづけ》していった。
「罪に堕ちれば、一度も二度も、おなじですよ……」
「いいえ。ちがいますわ。そのたびごとにちがいますのよ」
「誰知らぬことです。私は細心の注意を払ってまいります。次のお里帰りはいつですか」
「いいえ。なりません。わたくしがこう申すのは、光の君さまを愛すればこそ、です。昔、幼かったころのように、ききわけのないことをおっしゃって困らせられるのは、うれしいのですけど、こればかりはなりません」
宮は、ほそいが、凜《りん》としたお声でおっしゃった。源氏は深い喜びが昇華して悲しみに凝りかたまったような思いで、宮の重い黒髪に口づけした。宮はいわれた。
「光の君さまを手引きしてお入れしたのは誰?」
「王命婦《おうみょうぶ》です。彼女をお責めなさるな。私が強引に何年もかかってくどいたのです」
「信じていたのに……まさか、あれが……」
「王命婦がわるいのではありません。すべて、私が悪いのです。あなたの罪も私が引き受けて無《む》間《げん》地獄へおちるつもりです」
「冗談にでも、そんなことをおっしゃるものではありません」
「二度とお目にかかれぬのなら、その方がましです」
宮はお困りになって、指で源氏の顔をさぐるように撫でられた。源氏はその白いほそい指をとらえて、口にふくんだ。やわらかな、つめたい指。夜明けは近かった。この次の逢いは期しがたい。大きな幸福と、大きな不幸は裏おもてに貼《は》り合わされている。
「どんな女人衆も、光の君さまを愛さずにはいられないでしょうに……。光の君さまは、そのなかのどのお一人にも慰められないと思《おぼ》し召すのですか……可哀そうな、光の君さま」
宮は泣いていらした。そのお姿はとても可憐に、いとしかった。
あれは、去年《こぞ》のことか、おとどしの思い出だったろうか?
源氏は苦しさのあまり、それすらさだかでない。あのときの只一度の出逢いは、よけい源氏の煩悩を増し、裂けめを深くさせたにすぎない。餓鬼《がき》道《どう》に堕ちた亡者《もうじゃ》のように、その飢渇感は深まるばかりであるが、宮に逢う機会はない。
その烈しい、身を灼《や》く渇望が、宮に似た女人に近づかせるのだ。――源氏は、六條御息《みやすん》所《どころ》の邸にいた。あの思い出の夏の夜から、いくとせめかの夏である。銀河は今宵も夜空にかかっているが、向っているのは、宮よりも年上の貴婦人である。
六條御息所は、源氏のそばから静かに身を起こし、仄かな灯のかげで、鏡に見入った。
暗い鏡のおもてには、若い日、当代ならぶものなしとうたわれた美貌がうつってはいたが、見なれたおのが顔から、彼女は目をそらせた。どことなく、「青春の残骸《ざんがい》」というものをひきずっているかんじがされたからだった。
どうして、七歳も年下の源氏などを愛することになってしまったのだろうか。若い日、背の君であった東宮がもし早世されていなければ、自分は皇后として内《だい》裏《り》に入るところであった。その高貴な重々しい身分の束縛がわずらわしく、たちきられた女の生きの命にひそかに鬱屈《うっくつ》しているころ、源氏の熱い求愛にふと、ほだされてしまった。日ごと夜ごと、ひそやかな熱い息吹《いぶ》きを伝えるような恋文に、思わず走り書きの返事を与えてしまった。それがきっかけで、気がついたとき、御息所は源氏に恋をしていた。おそい恋に身を灼き、心も魂も燃やしつくしていた。だが、御息所は源氏より年上の、中年女の分別として、わが恋を、冷静にみる醒《さ》めた眼ももっていた。
(あのひとは、わたくしを愛していない……あのひとにとってのわたくしは、数ある情人のひとりにすぎない。わたくしにとってはあのひとは唯一人の恋人、いや、恋というより愛執《あいしゅう》、狂恋、怨念《おんねん》の極限のようなひとなのに……。暗いくらい妄執《もうしゅう》が、地獄の劫火のように燃えている、それほどのわたくしの恋を、あのひとはわからない……)
濃いおしろいの顔の奥に、源氏の顔が入ってきた。
「ご機《き》嫌《げん》がなおりましたか……?」
とそっと源氏はいって、御息所の髪に接吻した。
「私の訪れが間遠だとお怨みになるが……主《う》上《え》がおそばから離して下さらないし、これでも公務多端なので。でも、あなたのことはひとときも忘れたことはない。なぜそんな悲しげにするの? こんなに愛しあっていて、何をこの上、ご不満なのか」
しかし源氏は、それを、春の海面を叩く、春の雨のようにやさしくいう。と、御息所はもうあらがえない。源氏のことばを信ずるふりをして、源氏の腕の中に抱かれてしまう。
(これはいっとき、愛を偸《ぬす》んでいるにすぎないのに……)
と心の中で叫びながら。
朝まだき、源氏はたびたび女房に起こされて、ねむたげにためいきをつき、床を離れ、簀子《すのこ》へ下りたった。お見送り遊ばしませ、というつもりらしく、女房の中将の君が、一《ひと》間《ま》だけ格子をあげ、几帳をずらし、御息所にうなずいてみせた。
御息所はものうげに身を起こして、出てゆく若い愛人に目をあてた。すらりとした風姿に、えもいえぬ男のなまめかしさが添って、源氏は年と共に男の魅力を濃くたたえていくような気がされる。御息所は目をとじた。たとえ彼の訪れが間遠で、そのあいだ、地獄の責《せめ》苦《く》にあう苦しみを味わおうとも、自分は、彼と別れることはできない。御息所は、われとわが恋に、屈辱を感じて心を傷つけられた。
源氏のお供をして、中将の君は渡殿《わたどの》までゆく。庭の草花が美しく咲き乱れていて、木立のたたずまいも、教養ふかい女あるじの邸らしく趣きがある。
しかし、お供の中将の君も美しかった。源氏は、このさかしい、美しい女房が好きである。未明というのに、綺《き》麗《れい》に身じまいし、髪の下《さが》り端《ば》も鮮やかな美《い》い女。源氏は、隅の間《ま》の高欄《こうらん》にちょっと引きすえた。
「美しいな、中将。……うつり気だと思うだろうが、今朝はまた、格別だよ」
そっと手をとると、洗練された女らしく、そのままにして、ほほえみながら、
「ほんとうに、御《お》方《かた》さまはいつお見上げ申してもお美しい方ですわ」
と女あるじのことに話を引きめぐらせてしまう。
源氏は六條邸からもどる道々、御息所のことを考えている。
あのひとが自分を見る眼には、まさしく恋する人の物すさまじい狂乱がある。自分が、藤壺の宮を見るような眼。ものもいえず顫えわななきながら、しっかと源氏の躯を捉《とら》え、源氏の腕には、くいこんだ彼女の爪《つめ》あとがまだのこっている。彼女の、深い、せつない吐息。手にまといつく、冷たい、重い黒髪。
(ああ……持ち重りするひとだ……)
源氏は、彼女と会ったあとの心の重さをいつも、もてあます。
源氏が、御息所に熱心に求愛したのは、いまになって考えると、みたされぬ藤壺の宮への渇望が、意識下にあったからに違いないが、なみなみの女人に見られぬ、ふかい心の奥行きに魅せられたためだった。御息所の、教養と機智にあふれた会話や手紙は楽しかった。しかし恋が進み、なじみが深くなるにつれて彼女は粘く執拗《しつよう》に、源氏の心にからみつき出した。それは源氏を独占しようという彼女のおどろおどろしい妄執の影だった。――源氏は求愛の頃の熱心さにひきかえ、しだいに足が遠のくのを、どうしようもない。
わが心から、と知りつつ、またしても一つ、愛欲地獄をつくり出してしまった……。
その午後、源氏は思い立って、病気で臥していると聞いた乳母《めのと》を、内裏から退出の途中、見舞った。乳母は年老いて尼になり、五條のあたりに住んでいる。
源氏のおそば去らずの供の惟光《これみつ》は、この乳母の息子である。源氏の車を入れる正門が閉まっているので、それを開けるあいだ、源氏は小《こ》家《いえ》のたちならぶ五條大《おお》路《じ》をみわたしていた。
五條は下町である。源氏には物珍しい町のたたずまいだった。
乳母の家のとなりに、新しい檜《ひ》垣《がき》をめぐらし、半蔀《はじとみ》を四、五間《けん》上げてさっぱりと白いすだれをかけた家がある。美しそうな女の額《ひたい》が、すだれ越しにみえ、源氏はふと車の物見窓から、あのへんに額がみえるなら、ひどく背のたかい女ではないか、などと思ったり、こういう家にいる女、どんな身分の者たちだろうと、心をそそられたりするのだった。中が見通せそうな粗末な、はかない家であるが、板囲いに、青々とした蔓草《つるくさ》がからみついていて、白い花が、わがもの顔に咲いている。
「うち渡す遠方人《をちかたびと》にもの申す……」と源氏はふと、興をもよおしてつぶやいた。古今集にある有名な旋《せ》頭《どう》歌《か》で下《しも》の句は〈そのそこに白く咲けるは何の花ぞも〉というのである。
随身《ずいじん》(近《この》衛《え》府のお付き武官である)の一人が、下の句を心得て、ひざまずいていった。
「あの白い花は夕顔と申します。よく、こういう卑しげな家の軒に咲いております」
「あわれな花だ。一房、折ってまいれ」
源氏がいうと、随身は門へ入って花を折った。
すると、しゃれた感じの遣《やり》戸《ど》口《ぐち》から、黄色の生絹《すずし》に単袴《ひとえばかま》を着た、愛らしい少女が出てきて随身を手招きし、
「これにのせてさし上げて下さい。蔓がもちにくいんですもの」
と、香をたきしめた白い扇を出した。そこへ惟光が出てきたので、随身は惟光の手からさし上げた。
「門の鍵《かぎ》がみつからず、こんなむさくるしい道ばたで、長いことお待たせ申上げました」
惟光は恐縮していた。
乳母の尼のもとには、惟光の兄弟や、その連れ合いもちょうど集まっていて、みな、源氏の見舞いに恐縮し、感激した。尼は、病気が重いのであったが、源氏を見るとうれしさに、泣きながら起き上った。
「もうお目にもかかれぬと思っておりましたのに、お姿を拝みまして、これでいつ阿弥陀《あみだ》仏のご来迎《らいごう》を頂きましても心残りはございません」
「何をいうのだ……まだこれからも長生きして私の行末《ゆくすえ》も見ていて下さいよ。小さいときから、私は母君、祖母君とあわただしく死に別れた。可愛がっていつくしんでくれた一ばん身近なひとは、ばあやのほかには、いない。この年になってもまだ、頼っているよ……長生きしてほしいのだ、いつまでも……」
源氏は笑おうとしたが、ふと、涙ぐんでしまった。乳母はむろん、その子供たちも、みな、源氏のやさしい心に感動して涙をさそわれるのだった。
尼の病室を出て、そっと源氏はさっきの白扇をながめてみた。使った人の香りがゆかしく匂い立って、思いがけぬしゃれた筆蹟《ひっせき》で、歌が書いてある。
〈心あてにそれかとぞ見る白露の 光そへたる夕顔の花〉
夕顔の花のようにお美しいかた、もしや光源氏の君ではいらっしゃいませんか、という心であろう。こういうのが、いつぞやの、「中流の掘出しもの」というのではあるまいか。案外、こんな家に、はっとするほど美しい女がかくれているかもしれない。
源氏は興をおぼえた。
「この西隣の家は、どんな人が住んでいるのだ」
と彼は、惟光に聞いた。惟光は内心(またはじまった。女をみるとすぐ、好奇心むらむら、というお癖は直らないな)と思いながら、
「この五、六日、家にひきこもって病人の看護にあけくれましたので、隣のことは存じません」
と、すこしぶあいそに答えた。
「気に入らぬようすだな。しかしこの扇はなぞがある。まあそういわずに、このへんのことにくわしい男をよんできいてみてくれ」
しかたなく惟光は、隣の家の管理人にきいて、源氏に報告した。
「わかりました、隣は、揚名《ようめい》の介《すけ》の家だそうですが、主人が地方へいっていて、妻の姉妹《きょうだい》の、宮仕えする女房たちがよく来ているようです。それ以上のことは知らないようです」
源氏は、さてこそ、宮仕えの若い女たちらしいいたずらだと思った。懐《かい》紙《し》に、すこしいつもと筆蹟を変え、
〈寄りてこそ それかとも見めたそがれに ほのぼの見つる花の夕顔〉
近寄ってみたのではなく、たそがれにちらとかいまみたのでは、私が誰か、わかりませんよ、というほどの返事である。
それをさっきの随身に持たせて隣へやった。
女たちは昂奮《こうふん》して、このお返事はどうしようとざわめいている。随身は、内心、この女たちとはお身分がちがう、とおかしくなってさっさと帰った。忍びのこととて、従者の松《たい》明《まつ》も少なく、ほのかな光の中を源氏の車は帰っていった。隣の家は半蔀《はじとみ》をおろしてあり、またたく灯《ほ》かげが蛍火《ほたるび》のようだった。
惟光が五、六日して報告した。
「どんな方がいられるのか、家の下《げ》人《にん》にもわからないそうですが、ともかく女主人としてお仕えしているそうです。ちらとかいま見ましたら、美しい若い婦人が手紙をかきながら物思いに沈んでいられるのが、夕日の光でみえました。まわりの女房たちも忍び泣きしていました。何か、わけのあるかたらしゅうございます」
「素性《すじょう》が分らないものかなあ」
主従でひそひそ話しているところへ、
「伊予《いよ》の介《すけ》が上洛《じょうらく》してまいりました。お目通りを、と、申しております」
と女房がいってきた。伊予の介は、かの、空蝉《うつせみ》の夫で地方長官として任国にいたのである。
伊予の介は、日頃、左大臣家一門の恩《おん》顧《こ》をうけているので、上洛すると源氏の二條邸へまず伺《し》候《こう》するならわしになっている。
伊予から船旅をつづけてきたので日やけして、やつれた旅装束《たびしょうぞく》のままである。ぶこつな中年男だが、家柄もよく、さすがに人品いやしからぬ、おちついた態度である。源氏は空蝉のことがあるので、罪の思いにうしろめたく、伊予の介に向きあっているのがきまりわるくも思われる。
考えてみると、空蝉は、源氏と一度は恋の夜をもったものの、そのあとはつれなくあしらいつづけ、源氏はそれを恨んだのだが、この夫のためには、しおらしい心根の妻というべきであろう。
「このたび、娘は結婚させ、妻を任地に連れてまいる所存でございます」
と伊予の介はいい、源氏は、では空蝉は伊予へ下るのかと、今更のようにせきたてられる恋心をおぼえた。小《こ》君《ぎみ》をそそのかして、「いま一度の逢《おう》瀬《せ》を」というが、空蝉は夫のいないときでさえ、心づよくあらがったものを、まして夫がそばにいる身ではとても、とかたくなに拒みつづけた。
しかし空蝉は、このまま源氏に忘られてしまうのも悲しいので、折々の手紙には簡単な返事をかいている。
源氏はその文《ふみ》のやさしい情緒に、いまもひかれる。何というゆかしい女だろう、男心をひく女だろうと、つきせぬ興をそそられる。あながちに近よれば、うすものの衣《きぬ》を男の手に残して逃げ、手紙ではしおらしく可《か》憐《れん》に返事する。源氏は、空蝉のことが忘られないのである。もう一人の継娘《ままむすめ》の軒端荻《のきばのおぎ》のことは、たとえ夫ある身となっても、言いよればなびきそうに思えて、源氏は安心してみくびっているところがあった。
何日かして惟光がまた、五條の女について報告してきた。
「どうも、素性がよく分りませんがこの間、表の道を先払いの声を立ててすぎる車がございました。女の児が『右《う》近《こん》さま、中将さまがお通りになります』などと叫んでいます。すると、かなりの年の女房が出てきてのぞいていました。お供の名を誰々といい立てていましたが、車の主は直衣《のうし》姿で、随身たちもおりました。頭《とう》の中将さまの随身の名などのようで……」
「さてこそ、中将がいつぞや話していた、姿をかくした撫子《なでしこ》の女というのは、それではあるまいか。惟光、ひとつうまく工《く》夫《ふう》して、渡りをつけてくれないか」
と源氏はいった。
この惟光は、自身でも好色《すき》者《もの》で、こういうことにかけては、この上なく興趣をもち、また細工がうまいのである。彼はその家の女房と心やすくなり、うまうまと源氏を、女あるじのもとへ通わせることに成功した。
女の素性はわからぬまま、源氏自身の方も身分をかくしている。できるだけ質素にやつして、車にも乗らず、惟光の馬に乗り、惟光は徒歩で供をした。
「やれやれ、いい色男がかちはだし、女たちには見せられた図ではございません」
と惟光はこぼしている。
源氏が身分をかくしているので、女あるじについている女房たちも不安で、そっと源氏の一行のあとをつけたりするらしいが、二人三人ばかりの供をつれた源氏は、たくみに、あとをくらましてしまう。そんな危ない思いをしてまで、源氏は五條の女を――夕顔の花の縁にひかれて出あった女を忘れられない。
思いのほかに美しくて、素直な女だった。
「私は、あなたが何ものか知らない。あなたも私をご存じない。しかし、そんなことはどうでもいいではありませんか。どうしてか、昼も夜も、あなたのことが心を占めて、少しの間も離れていることができない」
源氏が夕顔をひきよせると、彼女は小さく、
「あたくしも」
という。あどけないほどなよらかで、筋ばったあらがいや、口答えはしなかった。若々しく素直だが、処女ではない。上品だが、高貴な身分の姫君というのでもなさそうだ。
源氏はますます、ひかれてしまう。いつかの、雨《あま》夜《よ》の話に出た、「下々《しもじも》の階級」の女に、あんがいな掘出しものがあるというのは、こういうのを指すのではないかと思ったり、する。
「おたがい、狐《きつね》か、物の怪《け》にでも魅入られているような気がするね」
と源氏は、彼女の躯を、黒髪ごと抱きしめた。
「私は変幻自在の狐だ」
「あたくしも狐?」
「人のいない所へ行って、ゆっくりと愛し合いたい」
「はい……でも、何か、おそろしくて……右近たちが、あなたを昔ばなしの三輪《みわ》の神さまのようだといいますわ……。昼間はお姿を見せられず、夜だけこっそり、お見えになるのですもの。――ほんとに、あなたはどなた?」
源氏は微笑した。
「神、でもよい、狐、でもよい、だまされていらっしゃればよいではないか」
とささやくと、おっとりと夕顔はうなずき、うす紅《あか》らんだまぶたを重げに、やわらかく胸にもたれてくる。あんまり柔媚《じゅうび》でやさしいので、源氏は、ほかの男が忍んできてもこう他愛なく身を任せるのではあるまいかと、鋭い不安が胸をかすめたりする。
世間に知れて噂《うわさ》されてもよい、彼女を二條邸へ拉《らつ》して据えておこうかと真剣に考える。
親友の頭の中将が話していた女は、この人ではないかという思いはますます濃くなっているが、女が何も打ちあけないのは、わけがあるのだろうと源氏も、ことさら探らない。
八月(陰暦、秋)十五日の夜、月の光がさしこんで狭い下町の家の中をくまなく照らし出した。夜明けが近いのか、近隣の貧しい家々の人たちが起き出すのも手に取るように聞こえる。
「やれやれ寒いなあ。こう世の中が不景気じゃしようがないねえ。田舎《いなか》の行商もさっぱりだ。なあ、北隣さんや、聞いてなさるかね」
などと、その日ぐらしのしがない稼《かせ》ぎの物音をたてはじめるのを、夕顔は源氏にはずかしく思うようである。
しかし、そのさまも、可憐でよかった。
もし、これが気取った女なら、おそらく屈辱感でいたたまれぬようすをみせたであろうが、彼女はおっとりしている。唐臼《からうす》が枕元《まくらもと》でごろごろと鳴る。この音ばかりは、貴公子の源氏には、何の音かわからない。麻衣を打つ砧《きぬた》の音、空ゆく雁《かり》の声。虫の音《ね》。
「町なかはお耳ざわりな物音が多うございましょう?」
と夕顔がはじらうのも源氏にはたまらず、いとしい。
「あなたと二人で聞くのなら、何だって風《ふ》情《ぜい》ありげに思えるよ」
源氏は遣《やり》戸《ど》をあけて夕顔と共に秋の夜あけの庭を見た。白い袷《あわせ》に、うす紫の衣《きぬ》を重ねた夕顔は、いたいたしいほどほっそりと、繊細な美女である。
「さあ、この近くに知っている家があるからそこへいこう。そこなら静かだ」
「でも……そんな急に」
と夕顔は思いあまったふうにいうが、さからうというのではなく、源氏が、
「私のいうままにしなさい」
というと、かすかに首をかしげて、困ったふうにうなずく。明るくなりきらぬうちに、と源氏は車に夕顔を抱いて乗せた。右近がついてきた。
源氏の心あたりの邸は住む人もないままに留守居役だけが守っている。門の内は、ゆくほどに木立が深く物《もの》古《ふ》りて、気味わるいばかりである。
「こわいですか? 隠れ家にはもってこいですよ」
源氏は西の対《たい》に車を寄せさせ、夕顔を抱きおろした。留守居役の男は、突然のことでおどろいて、接待に奔走していた。
「しかるべきお供が居りませぬとは……お邸へ連絡してお呼びしましょうか」
といったが、源氏は止めた。
「いや、わざわざ誰にもわからぬようにと、ここへ来たのだ。秘密にしてくれ」
食事がととのえられたが、食器も給仕人も揃《そろ》わず、そんな不自由さも源氏には、かえって目新しく面白かった。
日が高くなって起き、格《こう》子《し》を手ずからあげた源氏は、思ったより以上に荒れはてている庭におどろいた。
「鬼が出そうな所だね」
と夕顔を見返ると、何だかうすきみ悪そうに、ひしと源氏により添ってくるのも、あどけない。右近は今はもう、留守居役の男のたたずまいから、女あるじを連れ出した男が源氏だとわかっていた。
夕顔も、悟ったようである。
「私のことは知られてしまった……こんどはあなたのことを知りたい」
「そんな、申しあげるほどの身分のものではございませんもの」
と、夕顔は甘えたようにいう。
惟光がやってきて、食事の世話などするが、もし右近に会ったら「さては、隣のあなたが、ご主人さまの仲立ちをしたのね」ととっちめられるのではないかと、おそば近くへはいかず、離れていた。
それにしても、宮中でも左大臣家でも、さぞ今ごろは、行方がしれぬと大さわぎしていられるであろうと、源氏は思う。今はそういう配慮も、わずらわしくなった。
夕顔と二人、古びた廃邸の、物古りた木立の梢《こずえ》から昏《く》れてゆく秋の空をみたり、格子をおろした奥ふかい邸内で、あかるく灯をつけて、ものしずかな愛の動作を交す、この幸福は、何にもかえがたい。
向かいあっていると、たぐいなく、心はのびのびと解放され、やさしい平安な幸わせに身も心も浸される。それはあの、緊張した六條の貴婦人との関係には求むべくもないものである。
宵のころおい、源氏はとろとろとまどろんだ。と、その枕元に美女が夢ともうつつともなく立った。
「あなた。どうしてわたくしをお疎《うと》みあそばすのですか。こんなつまらぬ女をお愛しになって」
と、夕顔の体に手をかけようとする。
はっと目ざめると、あたりは灯が消えて、まっくらだった。源氏は太刀《たち》を引きぬいて、
「右近!」
と呼んだ。
「渡殿にいる宿直《とのい》を呼び起こして灯をもってこいといえ、右近」
源氏がいうと、右近は恐怖で声をふるわせ、
「こんな暗いのに、どうしてまいれましょう。おそろしくて……」
「子供みたいなことをいう」
源氏は苦笑して手を叩《たた》いた。と、その音が山彦のようにこだまするのもぶきみである。聞こえないのか、人は誰もこない。夕顔はただもう、おじ恐れてわななき、汗もしとどで、なかば気を失っているらしい。
「物おじなさる方でいらっしゃるので……」
右近も気づかわしげにいった。そういえば日の明るいうちから、心細そうに、おそろしそうに、空ばかり見ていたものを、と源氏は夕顔がいじらしくなる。
「よし。私がいって人を起こそう。手を叩くと山彦がかえってくるのが煩《わずら》わしい。右近、そばへきて、ついていてあげてくれ」
源氏は右近を夕顔のそばへ招き、自身、西の妻戸を押しあけると、渡殿の灯も消えていて、庭も邸内も真の闇である。
風が出て、人かげもなく、宿直《とのい》の者はみな寝込んでしまっている。この邸の留守居役の子で、源氏が身近に使っている若い男、それに少年、また、お供の随身《ずいじん》がいるばかりだった。若い男を呼ぶと、やってきた。
「紙《し》燭《そく》をつけてまいれ。随身にも弦《つる》打《う》ちして魔除《まよ》けに、声高く呼ばわれといえ。こう人《ひと》気《け》のない所で不用意に寝込むということがあるものか。惟光はどこだ」
「ご用がなさそうだから、夜明けにお迎えにまいりますといって帰りました」
この男は、瀧口《たきぐち》の武士なので、弓《ゆ》弦《づる》を、御所でいつもするように打ち鳴らし「火の用心」と呼ばわりながら、留守居役の居間の方へ歩いてゆく。
(そういえば、今頃、御所では名《な》対面《だいめん》もすんだ頃おい……瀧口の武士の宿直《とのい》申《もう》しは今ごろか)
と源氏は思った。名対面は、禁《きん》裏《り》警備の宿直の人々が定刻に、姓名を奏上することである。夜はまだ、そんなに更《ふ》けていないのに、このおどろおどろしい闇の、心ぼそさよ。
もとの部屋へかえって、暗い中を手さぐりに近づくと、夕顔はそのままうつぶして、右近がそのそばに震えていた。
「どうした……あんまりな怖《こわ》がりかたではないか。荒れた家には狐などが人をおどしてこわがらせるのだ。私がいれば、大丈夫だよ」
とまず右近を引き起こすと、
「もうこわくてたまりませんでした。御《お》方《かた》さまこそ、どんなにこわがっていらっしゃることか」
「そうだ、なぜこうも物おじするのか……」
と手さぐりに抱きあげると夕顔は息もしない。はっとして、源氏がゆすぶってみても、夕顔はなよなよとして正体もなく、くずれるように源氏の腕の中に倒れかかってくる。物の怪におびえて、気を失ってしまったのか。
やっと灯がきた。右近も動ける状態ではないので、源氏は几帳をみずから引きよせて夕顔の姿をかくしながら、
「もっと近くへ持ってまいれ」
といったが、留守居役の息子の瀧口は身分がら、源氏のそば近くまで寄ったためしもないので、すくんで、長押《なげし》にも上ることができない。
「ええい、かまわぬ。もっと近くまで持って来るがいい。遠慮も所による」
と、灯を近づけて夕顔を見ようとしたとたん、今さき、枕上《まくらがみ》にみた同じ女がふっと現われ、消え失うせた。昔の話にはあるが、と源氏は気味悪く思ったが、それよりも夕顔がどうなったかと心配で、いそいで抱きあげて、
「夕顔。どうした」
と声をかけた。しかし彼女の体は冷えていて、息は絶えていた。
源氏は動転して、考える力も失った。右近はなおのこと、声を放って泣き、女あるじの変りはてた亡骸《なきがら》にすがりつく。
「まさか、このままということはあるまい……夜の声はひびくから、あまり大仰《おおぎょう》に泣くな」
と源氏は右近をたしなめつつ、自身も呆然《ぼうぜん》とするばかりである。気をとり直して、さきほどの瀧口の侍をよび、
「ここに物の怪に憑《つ》かれた人がいるのだが、惟光の邸へすぐいって、いそいで来いと伝えてくれ……また阿闍梨《あざり》(僧)が家にいるならそれも一緒に、とそっといってくれ。大げさにいうな」
といった。強《し》いて冷静に、と心をおちつけようとするが、夕顔を、このまま死なせるのかと思うと、惑乱して悲しみに打ちのめされた。
風が荒々しく吹き出し、松の梢の音も物すごい。異様な鳥の声は、ふくろうなのか。
なぜこんな、心ぼそい邸になど泊まったのかと、返す返すもくやまれる。
右近は悲しみとおそろしさに夢中で、源氏の体によりそって、離れようともしない。もしや右近もどうかなるのではないかと、源氏は心細く彼女を抱え、どうかすると、みしみしと背後から何者かが近づいてくるような幻聴をおぼえた。
惟光、早く来い、と心で念じながら、源氏は夜のあけるのをまちかねた。暗い闇は、そのまま、永劫《えいごう》につづく無明《むみょう》の煩悩《ぼんのう》であるように思われる。
思えば、このひとを盗むように愛したのも、こんなところで死なせたのも、みな自分のまがまがしい愛欲の煩悩のせいなのだ。わが心からのせいで、このいとしい人を死なせてしまった。世に知られれば、どんな非難や指弾をうけることであろうと、源氏は千々《ちぢ》に乱れた心で思う。
夜があけてから、やっと惟光は来た。彼の顔をみると、源氏は、張りつめた心がゆるんで、夕顔の死が現実感でせまり、不覚にも、まぶたがあつくなった。
「惟光……たいへんなことになってしまった……」
惟光にしても若い者のことで、とかくの分別もすぐに浮ばなかった。ともかく、源氏がこの邸をすぐ去ること、夕顔の遺《い》骸《がい》を人目に立たぬ山寺へあずけ、ささやかに葬《とむら》いをすることが先決でしょう、といった。
「ちょうど知り合いの老いた尼が東山におりますゆえ、そこへまず、御方さまをお移ししましょう……それにしても、……突然のことで……御方さまは、おかげんでも悪くていられましたか」
「いや、そんな様子はないようだったが」
と源氏は魂のぬけた人のようにつぶやいていた。
衝撃が大きくて、源氏は、夕顔のおもてに見入ったまま、時のたつのも忘れて、純粋な悲哀に心はひたされている。きのう抱きあげて連れ出したときは、あのひとは、愛くるしく微笑していた。どこへいくの、といい、だまってついておいで、というと、素直にうなずいて、さからわなかった。しかしもうあのほほえみも、やさしい素直さも、二度と見ることはできない。彼女のまぶたは白い貝のようにとじられ、唇は歯をみせない。源氏は力も失《う》せはてて、亡骸を抱きあげることもできないので、惟光が、敷物に包んで、車に乗せた。
かわいらしく小柄で、黒髪が、はらはらと包みきれずこぼれるのもいたましかった。源氏は柱に顔を押しあてて、嗚《お》咽《えつ》をこらえていた。
「お気をたしかに。二條邸へ早くご帰還あそばしませんと。日が高くなりましては人目につきます」
と惟光は気強くなぐさめ、車には右近と夕顔を乗せ、自分の乗馬は源氏にゆずって、やっとおそろしいこの邸をあとにした。
源氏は邸へ帰ると寝込んでしまった。
(どちらからのお帰りかしら……ご気分の悪そうな)と女房たちが、ひそひそと噂をしているが、源氏は食事もとらず、なぜ、さっきあのひとと同じ車に乗って葬いにいってやらなかったかと悔んだ。せめて、その間だけでも、そばを離れず手をとり、黒髪を撫でていてやればよかったと、かえらぬ悲しい後悔に身をさいなまれるばかりである。
頭の中将が、御所からのお使いでやってきた。
「さっぱり、昨日今日、お行方が知れず、帝はご心配でいられました。どうされたのだ」
という頭の中将に、源氏は、
「穢《けが》れにふれたもので。乳母の家へ見舞いにいったところが、折あしく、そこの下《げ》人《にん》が亡くなった――御所には神事の多いことで穢れにふれた身ゆえ、つつしんでいたのだ。それに風邪《かぜ》を引いたらしくて、どうも具合もはかばかしくなくて困っていてね。君からよろしく奏上してくれないか」
「ではそう申上げておきます」
と中将は一たん出たが、また引き返して、
「どういう穢れですかねえ……くわしくお話し願えませんか」
と、好奇心むらむらという顔である。どうせ源氏の言葉を、親友同士のことで、まともにうけとってはいないらしかった。
「いや、そういうものではない、ともかく具合もわるいので失礼する」
源氏は、いつもは心たのしい友達との冗談ごとも、いまは避けたいほど、気が滅入《めい》っていた。ものをいえば、夕顔のことで胸がふさがり、悲しみがふきこぼれそうになるばかりである。
日が暮れて惟光がやってきた。
「どうだった。もしや……」
生き返りはすまいかと、源氏ははかない希望をかけていたのだった。
「やっぱり、だめでございました。……葬式は、お坊さんにたのんでまいりました。右近が悲しんで、あとを追おうとして、谷へとびこみかけたのを、やっとみんなで抱きとめました。五條の家の人に知らせようとしますので、まあもう少し様子をみてから、と止めた次第でございます」
源氏は、額に手をあててしばらく、じっとしていたが、それは悲しみをこらえるための動作だった。青年はつぶやいた。
「惟光。もう一度、葬いの前に、あのひとにあいたい。顔を見たい。あきらめきれない」
十七日の月が出ていた。
加茂川の河原を渡るころは、前《ぜん》駆《く》の松明《たいまつ》の火に、葬送の地・鳥《とり》辺野《べの》がうかぶ。ぶきみな場所であるが、源氏は悲しみにうちのめされて、怖くもぶきみともおぼえなかった。
物さびしい板屋に、惟光の知合いの尼が住んでおり、僧の念仏が聞こえる。女のしのび泣く声がするのは、右近であろうか……。清《きよ》水《みず》の方には木の間がくれにちらちらと灯もみえ参詣《さんけい》の人かげも望まれるが、こちらは悲しくしめやかに沈んで、静まりかえっていた。
はいってみると、右近は、遺骸と屏風《びょうぶ》をへだてて、泣き伏していた。
灯をそむけてあるが、死んだ夕顔は、いまも愛らしく、生きているようにふっくらとしてみえた。源氏は手をとり、すると涙が流れた。
「声だけでも、もういちど聞かせて下さい……なぜ、私をおいてゆく」
短い縁だったが、まるで前世からのちぎりだったように、源氏は身も心も夕顔にうちこんだ。束《つか》の間の逢《おう》瀬《せ》を予感してのことだったのか。
みじかくも烈《はげ》しく燃えた恋。
「ひとこと、別れのことばだけでも言っておくれ。夕顔」
源氏は死者の頬《ほお》を撫《な》で、涙で頬が濡《ぬ》れるのもかまわず、低く呻《うめ》いた。僧たちは、死者とつながりの深いらしい男の出現をいぶかしがりつつも、もらい泣きするのだった。
右近はましてうつつ心もなく、とり乱していた。
「幼い頃からおそばはなれずお仕えしたお方さまでございます。わたくしはただもうおあとを慕って、同じ煙に焼かれとう存じます……」
「尤《もっと》もだが、別れというものはいずれは来るのだ。あきらめて、私を頼るがいい。私について二條院へ来ないか」
と右近をなぐさめながら、源氏は、そういう自分こそ、消え果てて死ぬのではないかと思いまどい、目もくらむ心地がされる。
夜が明けます、と惟光に促されて、源氏は帰り道についたが、朝霧に巻かれながら思うことは、夕顔のあどけない美しい死顔のことばかりだった。彼女のなきがらに、自分の紅の単《ひと》衣《え》がうちかけられてあったことを思い出すと、馬の背から落ちそうに惑乱する。
やっとのことで二條院へ帰りつくと、寝こんでおき上れなくなってしまった。
源氏の病気を聞き伝えられて宮中でも父帝《みかど》は非常に心痛あそばされ、祓《はら》えや祈《き》祷《とう》をさまざまに試みられる。
左大臣も、重んじていられる婿君のこととて、その容態を心配して、みずからあれこれと指図して、看病のこともぬかりなく世話をされる。
二十日ばかりは、夢ともうつつともわからず、枕からあたまが上らなかったが、やっと快方に向った。
はじめて宮中に参るときは、左大臣が自身迎えに来られ、何くれとなく世話して退出のときも、自分の車にのせて邸へ伴って帰られるのだった。
「どんな物の怪《け》に魅いられたもうたのやら……美しい君は、天も嘉《よみ》したもうて早く召されるのではないかと、不吉なことを噂するものがあり、心配いたしました」
と左大臣はいわれる。その親身な心くばりに、源氏は申しわけなく思った。
臥《ふ》している間に秋は深まり、源氏は別の世界からよみがえってきたように自分を感じた。
秋たけて艶《えん》な世の風趣に劣らず、源氏も面《おも》やせして、男のなまめかしさが添ってみえるように、まわりの人々にはながめられた。
右近は今は、二條院に身をよせ、源氏に仕えている。あたりに人のいない宵、うすい色の喪服を身にまとった右近と、源氏は、しめやかに話すことがあった。
「なぜ、私にかくしつづけたのだろう……あのひとは。誰の娘、どんな身分と、うちあけてくれてもよかったのに」
「お隠しになるつもりはなかったのでございましょうが……。どうせ一時の浮いたお心から通っていらっしゃるのにきまってるわ、とおっしゃって、そんなことなら、と何もお打ちあけにならなかったのでございます」
「つまらぬ意地の張り合いをした。私も世間がうるさかったし、あんなに忍んで通わなくてはならない差《さ》し障《さわ》りもあった。――今はもういいだろう。あのひとのことをすべて話してくれ」
右近はまた涙ぐんでいた。
「何をお隠し申しましょう。御方さまの父君は三《さん》位《み》の中将でいらっしゃいました。たいそうお可愛がりになっていらしたのですが、ご不運つづきで若死にされました。そこへ頭の中将さまがまだ少将でおいでのころ、ふとしたことでお通い初めになったのでございます。三年ほどはこまやかにお通いでしたが、北の方さまのご実家の右大臣家から、こわいことを申されてまいりまして、御方さまは、ただもうおびえてしまわれました。身をかくしてあの五條の家へいらしたところでございました。お気弱でいらして、ひとり、くよくよと物案じなさるお性質の方でいらっしゃいましたから……」
「小さな女の子を行方不明にしたと中将がふびんがっていたが」
「はい。おとどしの春お生まれになりました。とてもおかわゆい姫君でいらっしゃいます」
「あのひとの形《かた》見《み》に引きとりたいものだ。頭の中将にもいずれ話はするが、あのひとをおそろしい目にあわせて死なせたと怨《うら》まれるのが辛《つら》い。――その姫君を引きとって世話してみたいのだが」
「そうなりましたら、どんなにかうれしゅうございましょう」
と右近は涙ぐみながらもうれしそうにいった。源氏は夕顔の話をいくらしても飽きない。
「年はいくつだった?……華奢《きゃしゃ》で、いたいたしいほどかよわくみえたが……やはり命みじかい生まれだったのだろうか」
「十九におなりでございましたろう……よわよわしくやさしい方でいられました。右近は、あのかたおひとりを、あるじと頼んで生きてまいりましたものを」
「よわよわしい女は好きだ。あまりはきはきして勝気な女は、私にはなつかしく思えない。どうかすると男にだまされそうな風の、男の心のままになるような気のやさしい女がいい。おとなしいそんな女性となら、たのしく暮らしていけそうに思うが」
「お好みにあったかたでいらっしゃいましたのに……」
と右近はまた泣いた。この女房は、美しい女というのではないが、情趣ありげで、まだ若く素直で、そば近く召し使っていい感じの女だった。
五條の家では女あるじと右近が突然、蒸発してしまったように姿を消したので、みんな心配していた。受領《ずりょう》の息子などが、夕顔を連れてひそかに任国へ下ったのではないか、と想像をめぐらしたりしていたが、それにしても右近が何もいってこないのもおかしいと、言い合った。右近の方も、夕顔の死に責任があるように責められるのが辛《つら》く、心にかかりながら、姫君の消息も聞けないでいるうちに日はすぎていった。
伊予《いよ》の介《すけ》は十月はじめに伊予へ下ることになった。源氏は餞別《せんべつ》を送ったが、秘めやかなおくりものとして、かの空蝉《うつせみ》に、夏のあの一夜の思い出の、うすい衣《きぬ》を返してやった。
空蝉もしみじみした返事のうたをよこした。
源氏は、いつまでも空蝉が忘れられないが、空蝉もそうであるらしかった。しかし彼女は源氏が自分を忘れないのをうれしく思いつつも、二度とあの夜の物思いを重ねようとは思わぬらしかった。
あけぼのの春ゆかりの紫の巻
年があけて春になってから源氏は瘧病《わらわやみ》にかかった。北山の寺に、徳のたかい僧がいるというので、加持《かじ》祈《き》祷《とう》をしてもらうために、源氏は少ない人数で、出かけていった。聖《ひじり》は高い峰の、巌《いわお》にかこまれたお堂に住んでいて、源氏にねんごろな祈祷をした。
源氏はそのへんをそぞろ歩いていると、かなたこなたに僧坊がみえる。その一つに、優美につくられた庵《いおり》があった。きれいな小《こ》柴垣《しばがき》、建物や廊のたたずまいも、よしありげである。
「あれは誰の住むところかね」
と源氏が問うと、某《なにがし》の僧《そう》都《ず》の庵、ということだった。美しい童《わらわ》が、仏の閼伽《あか》棚《だな》に花を供えたりしているのが、このへんは高みなのでよく見渡せた。
「おや……まさか僧都に、隠し妻もいられますまいが、女の姿がみえますな」
と目ざとい男の一人がいった。
大気がやわらかにかんばしく、澄みきって快かった。京の桜はもう散っていたのに、山々、谿々《たにだに》の桜は、いまが盛りであった。谿水の清らかさに目を洗われて、源氏は、久しぶりにさわやかな気分を味わった。
「絵のような風景だな」
源氏が嘆声を放つと、従者たちは、
「この山々などはまだまだ。富士、なにがしの岳《たけ》、などというところの風光など、お目にかけたいようでございます。近い所では、播《はり》磨《ま》の明《あか》石《し》の浦でしょうか」
「何か、かわった景観があるのか」
「海を見はらす景色が大らかで美しゅうございます。前播磨守入道《さきのはりまのかみにゅうどう》が、大事なひとり娘を、りっぱな館《やかた》に住ませて、かしずいております。片《かた》田舎《いなか》の浦辺ですが、どうして、ぜいたくな邸《やしき》でございます」
「どんな娘なのだね」
「美人らしいのですが、代々の守《かみ》が求婚しましても、けっして入道は承知しません。すこし偏屈者で、中央《みやこ》でのわが出世をあきらめて娘に野心を托《たく》しておりましてね、もし理想がかなえられなければ、海へ身を投げて死ね、と娘にいっているそうでございます」
「龍宮の后《きさき》にでもなるのかな」
と相《あい》の手を入れる男もあった。明石の話をしたのは、現在の播磨守の息子の良清《よしきよ》で、彼自身、その理想たかい娘に求婚したこともあるらしかった。
もう一晩、泊まって祈祷をうけることになったので、源氏はつれづれな春の夕ぐれ、そぞろ歩いて、さきほど見た小柴垣のもとまでいってみた。惟光《これみつ》だけ、ついてきた。
西向きの座敷に、尼君がいて、持仏を据えて勤行《ごんぎょう》している。簾《すだれ》がすこし上げられ、尼君は柱によりかかり、脇息《きょうそく》の上に経巻をおいていた。四十ぐらいで色白の、美しい婦人である。
ほかに上品な中年の女房が二人ばかり、そのほか、小さな女の子たちが、遊んでいた。
そこへ、十歳《とお》ばかりであろうか、白い衣に山吹がさねの柔かいのを着て走ってきた女の子は、そのへんにいる子とはくらべものにならぬ、生《お》い先のみえて美しい少女である。髪は扇をひろげたようにゆらゆらして、顔は、泣いたあとらしく赤らめ、尼君のそばに来た。
「どうしたの? 子供たちと言い争いでもしたの?」
といいながら見あげた顔とすこし似ているのでこの人の子だろうか、と源氏は思う。
それにしても――この少女は、どこかで見たことのある心地がする。この少女のみめかたちは、だれかを思い出させる。
春の夕ぐれ、源氏は熱心に、小柴垣のかげからうかがっていた。
「雀《すずめ》の子を、犬《いぬ》君《き》が逃がしてしまったの。伏《ふせ》籠《ご》の中に入れてあったのに……」
と美しい女の子は残念そうにいった。少納《しょうな》言《ごん》の乳母《めのと》と人が呼んでいるおちついた中年婦人が、
「またあのうっかり者が。雀はどちらへ逃げましたの。よく慣れて可愛くなっていましたのに。烏《からす》などにみつけられてはかわいそうですわね」
と立っていった。
尼君はためいきをついた。
「どうしてあなたはそう幼いの? 生きものをとじこめて飼うことは、罪ふかいことと、いつも教えていますのに……いらっしゃい、ここへ」
と招くと、美しい女の子は素直に坐った。
おもざしが非常に愛らしくて、眉《まゆ》も匂《にお》うばかり、子供っぽく無造作にかきわけてある額《ひたい》の髪のありさまなど、いいようなく美しい。
源氏は目をそらすことができなかった。(似ている……どうしてああまで……。あのいとしい女《ひと》のおもざしに、あまりにも似通っている)
そう思うだけで、はや源氏の心の中に、藤《ふじ》壺《つぼ》の宮に対する、熱いにがい涙が滴り落ちてくるのであった。その涙の熱さは思慕の熱さであり、苦《にが》みは、あう手だてもない苦痛のためである。
尼君は、女の子の髪をかきなでて、
「梳《と》くのをうるさがるけれど、いいお髪《ぐし》ね……。あなたがあんまり子供子供しているので、おばあちゃまは心配ですよ。亡くなったあなたのお母さまは、十二のとしに、おじいさまに死にわかれたのだけれど、そのころにはちゃんともう、物をよくわきまえておいでだった……あなたみたいにがんぜないと、もし、おばあちゃまが亡くなったらどうなるのかしら……おばあちゃまは死ぬにも死ねない気持ですよ」
と涙ぐんでいるのをみて、源氏も悲しく思った。女の子も、幼な心に悲しく思うらしく、しょんぼりと首をかしげている。するとはらはらと、こぼれかかる髪が美しい。
僧都が別棟からやってきて、
「おや、端近《はしぢか》なところにいるんですね。この山の上の聖《ひじり》の寺に、都から源氏の君がお忍びで療養に来ていられるそうですよ。……ひと目拝見したら寿命が延びるような、という評判の方ですから、どりゃ、私もご挨拶《あいさつ》申上げてこようか」
「まあ、そうでしたか。……何も知らずに端近にいましたが、誰かにのぞかれはしなかったかしら」
と尼君はいい、誰かが御簾《みす》をおろした。
源氏は山の上の寺へもどったが、なるほど世の好色《すき》者《もの》どもが、ここかしこと、足をそらに出あるくはずだとおかしく思った。たまに都を出て旅すればこそ、思いがけずあんな美少女を発見できたのだ。意外な幸運であった。
それにしても、美しい少女だ。どんな身分の姫だろう……あの秘めた恋人のかわりに手もとに置いて、朝夕見ることができれば、どんなにうれしいか……と、源氏は思った。
僧都は都でも重く思われている、人がらのいい、りっぱな人であった。端正な態度で挨拶するので、旅の軽装でくつろいでいた源氏は、気恥ずかしくなるくらいである。
「同じ柴の庵ですが、私の方はいくらか涼しげでございます。ぜひお越し下さいませ」
と僧都が鄭重《ていちょう》に招くので、源氏は、もしやさっきの幼い美しいひとにもう一度会えないものか、と考えたりしながら、伴われていった。
なるほど、こちらはずっと風流に作ってある。月もない頃なので、遣水《やりみず》のそばに篝火《かがりび》を焚《た》き、燈籠《とうろう》には灯も入っている。源氏のために、部屋も美しくととのえてあった。
僧都はいろいろと物語をするが、源氏の知りたいのは、あの美少女のことである。
「ぶしつけですが、ここにいらっしゃる方はどなたですか。夢に見たことがありまして、思い合わせたのですが」
「だしぬけの夢のお話でございますな」
と僧都は年長者らしい余裕をみせて笑った。源氏の質問に、若ものらしい色めいた好奇心を察したのであろう。
「しかしご期待に副《そ》えなくてがっかりなさいましょう。年とった尼がいるばかりでございます。私の妹でございますが、早くに、夫の按察使《あぜち》の大納言に死に別れまして尼になっております。このほど病気になり、私を頼って山へまいっているのでございます」
「大納言には、たしか姫君がおありと伺いましたが」
と聞いたのは、源氏のあて推量であった。
「娘が一人ございましたが、早くに先立ちました。この子に兵部卿《ひょうぶきょう》の宮さまが通っていられたのですが、宮さまの北の方は権勢のある、なかなかやかましい方でいらして、姪《めい》も気苦労が多かったのでございましょう。物思いがこうじてみまかりました」
源氏は、さてこそ、と心にうなずいていた。ではあの少女は、兵部卿の宮の娘ではあるまいか。とすると、藤壺の宮と兵部卿の宮はご兄妹でいられるので、叔母と姪の関係である。
似通っているのも道理である。
源氏はなおもたしかめたくて、
「お気の毒なお話ですね……それで、忘れがたみのお子はいられないのですか」
とわざとたずねてみると、
「亡くなります前に生まれました。それも女の子でございます。妹の尼も、年が年でございますし、孫娘の行末《ゆくすえ》を、心ぼそく案じております」
源氏はうなずいたが、生い立ちをきけばきくほど、美少女に執着が増した。
「唐突な申しようとお思いかもしれませんが……」
と源氏は、思わず嘆願の口調になった。
「私に、その小さな姫君を托して下さるわけにはいきますまいか。……将来の結婚を前提として。ご承知のように、私も妻はもちますものの、心に染まず形ばかりのこと、私は独り住みのように暮らしております。非常識な、とお思いかもしれませんが、私も幼いころ母や祖母におくれ、さびしく育ちました。姫君のお話をうかがいますと、ひとごとと思えません」
「それはうれしいお言葉でございますが」
と僧都はおどろきながらも、若者の性急さをおしとどめるように、おちついて答えた。
「まだあの子供をご存じないからそう思《おぼ》し召すのでしょう。ほんの、幼稚な子供でございまして、とてもお話相手にすらなれますまい。まあ、あの子の祖母ともよく相談いたしましての上のことでございます」
源氏は気はずかしくなって、たって言葉を重ねることもできなかった。
その夜、源氏はひそかに尼君のもとまで行って、ねんごろに小さい姫のことを頼んでみたが、尼君も、ただいぶかしく不安に思うようで、取り合ってもらえなかった。
「そんな年頃では、まだないのですよ……これがもう少し年でもたけておりますれば、うれしい仰せでございますが、ほんの子供でございまして」
と柔かく婉曲《えんきょく》に拒まれた。尼君は上品な貴婦人で、源氏も心おかれるものの、しかしいまもしここで、あの姫を得られなかったならば、あとどんな悔恨が残るだろうと思うと、必死に勇気をふるっていってみた。
「どうかお笑いにならないで下さい。真剣に申すのです。私を、あの姫の、亡くなられた母君の代り、と思し召して私の手に托して頂けませんか。幼くして母を失った私の不幸な身の上を、そのまま姫君に見るようで、おいたわしくてならぬのです。決して浮かれ心で申すのではございませぬ。まめやかにお世話したいのです……」
尼君は青年の情熱をもてあまし、その真意をはかりかねて当惑していた。
美しい面《おも》立《だ》ちを曇らせて、
「孫の年ごろを、お思いちがいあそばしていられるのではございませんか? あまりにも不釣合いな年ごろで……まだ人形あそびをしているような、いわけない童女《わらべ》でございますものを」
と、くり返すばかりだった。
明けゆく空はうらうらと霞《かす》みわたり、鳥たちはさえずり交す。花はとりどりに咲き乱れて地に散り敷き、錦《にしき》のようにみえ、鹿はそれを踏んで木立の間をたたずみあるく。
迎えに来た人々や、見送りの聖、それに僧都などが源氏をかこんで、花蔭《はなかげ》で時ならぬ宴となった。滝のほとり、岩蔭の苔《こけ》の上に並んで、人々は酒を汲《く》み交した。僧都にすすめられて、ひとふし琴をかき鳴らす源氏の姿は、老いた聖たちに涙を浮べさせるほど美しかった。
「この世の人とも思えませぬな」
僧都も涙を拭《ぬぐ》った。
少女の姫君は無邪気に、
「お父さまより、お綺《き》麗《れい》なかたねえ」
などというのである。
「それなら、あのお方のお子様におなりになりますか」
と女房たちがいうと、少女はうなずいて、
「ええ、いいわよ」
などというのだった。
それからはままごとでも、絵を描くときでも「源氏の君」というのを特別に作って、それには美しい着物を着せて大切にしていた。
山からもどって、宮中へ参内《さんだい》した源氏を、帝は、
「すこし痩《や》せてやつれたのではないか」
と心配そうに仰せられた。左大臣も御前に伺《し》候《こう》しているときで、邸でしばらくご休息あそばしては、とすすめられる。いそいそとして、
「これから私がお送りしましょう」
といわれると源氏も、心すすまぬながら義父の気持に逆らいかねて同道した。左大臣は自分の車に源氏を乗せ、自身は下《しも》座《ざ》に乗られた。
義父が源氏をたいせつにもてなし、かしずかれるのは、源氏への好意と愛情もさりながら、わが娘の可愛さにもよるのであろう。源氏は、左大臣の親心を思うと、せつなくて、心を動かされずにはいられないのである。
しかし、当の葵《あおい》の上《うえ》は、親や、源氏の深い心ざまを思いやろうともしない様子だった。
久しぶりの婿君のおとずれだというので、邸内は美々しく装われて、人々のたたずまいにも華やぎがみなぎっているのに、葵の上は例のように奥へ引きこんだきり、出てこない。
父君の左大臣に強《し》いてすすめられて、しぶしぶ、源氏のいる部屋にはいってきた。まるで絵に描いた姫君のように、静かに座につき行儀よく端座して、身うごきもしないかたくるしさに、源氏は物さびしく興ざめな思いがした。いまにはじまったことではないけれど、山ごもりのこと、山路の面白かった話などもしてみて、先方がいちいち反応してくれたらどんなに張り合いある夫婦の仲かと思う。
いつまでも源氏にへだてを置き、うちとけてもみせず、年は重ねてもよそよそしい他人行儀な妻を、源氏は淋《さび》しく思うのであった。
「折々は、世間ふつうの夫婦らしいようすもみせてもらえないだろうか……病気で苦しんでいたのを、いかがですか、ぐらいは声をかけて下さってもいいのに、それすらいわぬ人だね。まあいつものことだが、やっぱり恨めしく思うよ」
というと、葵の上はやっと口を開き、
「あなたはいかが? 長いこと、ここへもいらっしゃらなかったくせに」
と流し目に源氏をみていう顔の、けだかい、ひややかな美しさ。
「たまにいうと、それですか。夫婦は年月がたつほど情愛の深まるものと聞いているのに、あなたはいよいよ私を軽《かろ》んじられるようだ。どうすれば、あなたのお気持をやわらげ、私に心をひらいて下さるかと、私はこれでも、ああも試《ため》し、こうもこころみ、さまざま気を使ってきたのだが、年を重ねるほど、あなたは私を疎み、よそよそしくなってゆく。……まあいいだろう。長生きしていれば、いつかはわかってもらえると思うのだが……」
源氏は寝所にはいったが、葵の上はすぐには入ろうとしない。源氏がうながしても、返事もない。源氏は気重く横になり、いぶせくたれこめるわが心をもてあましている。
そして考えるのは、あの北山の草庵《そうあん》でかいまみた美少女のことであった。ひとめ見て思わず微笑をさそわれるような、明るい愛くるしい少女のすがた、おもざしであった。
源氏は都へもどってすぐ、僧都と尼君のもとへ手紙をもたせた。尼君へは、
「あの折は、思うことも充分言いつくせず残念に存じました。なみなみならぬ私の誠意をお汲みとり頂けたら、どんなに嬉しいかと存じます。
〈おもかげは身をも離れず山ざくら 心のかぎりとめて来《こ》しかど〉」
姫君の面影は身にそって離れない。私の心はすべて姫君のもとにおいてきたけれど、というような意味のうたである。
尼君は、源氏の手紙が、筆蹟といい料紙《りょうし》の心くばりといい、みごとなので、返りごとをするのも気はずかしく思ったが、こう書いた。
「たわむれのお言葉と存じ、さだかなお返事も申上げられませんでしたが、ごていねいなお文《ふみ》を賜わり恐縮しております。なにぶん孫はまだ手習いも充分にできぬ年頃ゆえ、おゆるし下さいませ。それにつけましても、
〈嵐《あらし》ふく尾上《をのへ》の桜散らぬ間を 心とめけるほどのはかなさ〉」
桜の散らぬ間ばかり、お心をとめていられるのが、いかにも頼み難う存じます、というほどの意であろう――思いつきの今だけを熱心に言い寄られるのでしょう、さてさていつまでつづくお心やら……という、年輩者らしい批判もそこに籠《こ》められていた。
僧都からの返事も同じようで、源氏は残念でならず、二、三日してまた惟光を使者に立てた。
「少納言の乳母《めのと》という人がいるはずだ。わけの判った人だから、会ってくわしく、こちらの誠意を話してくれ」
と源氏はいった。
惟光は、(さてもまあ、まめ《・・》な方だ。女性《おんな》のこととなると全く、なさることが早いんだから――まだあの姫は、ほんの子供だったじゃないか)と、自分もともに北山でかいまみた美少女のことを思い出しておかしくなった。
惟光は少納言にあっていろいろと話した。弁のたつ、心利《き》いた男なので、源氏の人柄のまじめさ、源氏の姫君に対する熱意をくわしくしゃべった。小さい姫を今後、生活全般、物心両面にわたって面倒を見、一人前に生《おお》し立てて、しかるのち、機が熟し、心がよりそい、まわりも祝福し、神仏も嘉《よみ》したまうことなれば、結婚したいという、ねんごろな源氏の心持を伝えた。
しかし、尼君のほうは、孫娘の幼さを思い、今からの結婚申込みなどとは非常識なように考えられて、現実感で以《もっ》てうけとりにくいようであった。僧都も同じことで、
「ともかく、尼君の病気が、少しでもよくなったら京の邸へ帰りますゆえ、お返事はそのときにでも――」
ということだった。源氏は心もとなく思った。
藤壺の宮は、かるいご病気で、宮中から里方のお邸へ退《さが》っていられた。帝がご心配になっていられるのを拝見するにつけても、源氏の心は痛むのであるが、しかし、この機会《おり》をはずしては、いつまたお目にかかれようか、と暗い情念が、源氏をつきうごかす。
いまはもう、妻のもとへも、他の恋人たちのもとへも足を向けない。源氏は心もそらに夢中で、宮中でも二條の邸ででも昼は物思いにくれ、夜になると、王命婦《おうみょうぶ》を責めあるいて手引きを迫っていた。
王命婦は負けた。
源氏のいちずな恋のあわれさと懊悩《おうのう》に負けた。源氏が憔悴《しょうすい》した顔で王命婦の裾《すそ》をとらえてはなさず、低い声で懇願しつづけるのに心打たれた。
「ようございます……」
王命婦は、ちいさくうなずいた。自分はもとより、源氏も、そして藤壺の宮をも捲《ま》きこむ破滅を賭《か》けた、恐ろしい逢《おう》瀬《せ》なのだが……。
王命婦は自分の胸ひとつにおさめて、多くの人目をさかしくかすめ、ひそかに手引きして源氏を、宮のおやすみになっていらっしゃる御寝所にみちびいた。
「あさましい夢をみているような心地がされます……」
と宮はお泣きになった。源氏は胸が迫ってものもいえず、宮を抱きしめるばかりである。
いまこうしてわが腕の中に宮がいられるのは夢ではないか、あまりに日夜、恋いこがれていたために、願望が幻となって自分をまどわせているのではないかと思われたが、わずかな灯《ほ》影《かげ》にみる宮の美しい面《おも》輪《わ》は、現《うつ》し身《み》のものであった。
「いつぞやの夜の想い出だけをたよりに、私は生きてまいりました」
と源氏は、宮のおん胸に顔をうずめながらいった。
「わたくしには、あの想い出は、つらい責苦でございました……もう二度と、おそろしい罪は重ねるまい、と決心しておりましたのに……」
宮は、悲しそうにいわれる――そのお声のなつかしさ、お言葉のしらべのおやさしさ。
「ああ、あなたと現実にお会いできたのですね、やはりこれは夢ではないのですね……」
と源氏は嬉しさが心に奔騰《ほんとう》して、このよろこびには、のこる生涯のすべてを引き換えにして悔いないと思った。
宮はこんな仕儀になったことをたとえようもなく心苦しく、悲しく、切なく思し召されているらしかった。そのせいか、かるがるしくうちとけてもみせられず、しかしそうはいっても、生来のおやさしいお心から、源氏をかたくなにもお拒みにならない。
思い屈し、なげきながら、柔かく身をゆだねていらっしゃるたたずまいが、源氏には、この上なくいとしく(ああ、どうしてこうまで、この方はすばらしいのだ……理想の女、女そのもののようなひとだ……)と讃嘆《さんたん》される。宮はとぎれとぎれに、
「恐ろしいあの罪の夜の想い出に、苛《さいな》まれながら、それはそれでおちついて、平和な日を送っておりましたのに……思いがけぬ罪をまたもや重ねてしまいました。この上のお慈悲は、わたくしが一生を賭けてこれから罪のつぐないをしたいという決心に、あなたもともにお力をお貸し下さることでございます……」
といわれる。
「私は、そんなつれないお言葉に、力をお貸しまいらすことはできません」
源氏は宮の黒髪を指で梳《す》いていた。
「もう一度……いや、二度、三度。三度めには四度、五度となるだろう。お目にかかりたい。……愛が、着物のように季節ごとに衣更《ころもが》えできるものならば、また自分に似合うか似合わぬか、身にひきあててみて、捨てたり取り上げたりできるものならば、私は疾《と》うに、あなたを思い切っています。思い切れぬ、あきらめきれぬこの宿《すく》世《せ》を、何とごらんになる」
源氏の情熱は、このたおやかな貴婦人には兇暴《きょうぼう》に思われるほど、手荒かったかもしれない。宮は、嵐に揉《も》まれる花のように、源氏に踏みしだかれ、散らされた。
「暁方《あけがた》、雨が通りすぎてゆきました……ご存じですか?」
青年は低くささやいた。外はまだ暗かった。
「いいえ」
宮はもの憂《う》げに瞑目《めいもく》したままお答えになった。
「あなたはしばし、よく眠っていらした。まるで美しい死者のようだった」
「わたくしが?」
「そうです。かならずお目ざめになるという確信がなければ、私もおくれをとらず死のうかと思うほど、あなたの寝顔は死顔に似ていられた」
「不吉なことを。光の君さまは、わたくしにお逢いになると、きまって、死や地獄や罪の話を弄《もてあそ》ばれるのですね」
「あまりに幸福なとき、人は不幸を連想するのです」
「死ぬときは、二人はべつべつでしょうに」
「その代り、生きているかぎりはおそばに」
と青年はいっときの間《ま》も惜しむように、宮の唇を、唇で封じた。源氏の躯《からだ》に、宮のおん指がつよくくいこむのがわかる。
(ああ、けだかい率直さをもったかただ……)
このひとを放したくない、この夜が明けねばよい、と青年は念じる……しかし、王命婦が、青年の直衣《のうし》などを抱えてやってきた。わかれのときがきた。
源氏は二條邸に帰って引きこもっていた。短い逢瀬は、悩ましさと惑乱を増すばかりであった。わが身をもちあつかいかねるまで苦しく、人知れず哭《な》いた。どんな魔に魅入られて、叶《かな》わぬ恋、道ならぬ恋に身を灼《や》く運命をえらびとったのか、起きても臥《ふ》しても、宮恋しさのほかには考えることもできない。
手紙をさしあげたが、いつものように王命婦から「ごらんになりません」と、そのまま突返されてきた。青年は天を仰ぎ地に伏しまろんで号泣したいほどの悲しさである。
宮中にも参内せず引きこもっているので、帝はご心配になっているであろうと思うにつけても、そら恐ろしい心地がされる。
藤壺の宮もまた、嘆きまどうて日を過ごしていられた。
宮中からはひまなく帝のお使いがきて、病気が癒《なお》ったら早く参内されるように、と促してこられる。宮はうつうつと迷っていられるうちに、折々、ご気分の悪いことがあった。
暑い折ではあり、臥したまま、夏をおすごしになった。
宮は、ご自身ではそれとおわかりになっていられて、(なんという辛《つら》い宿世のわが身であることか)といっそう、思い乱れ給うた。
三《み》月《つき》になると、おそばの女房も気付き、なぜ今まで帝にご内奏あそばされなかったのか、とふしんに思った。物の怪《け》のせいで、ご懐妊の御気配がみえなかったように、帝には奏上したようである。世の人も、そう思うようだった。
帝には、身《み》籠《ごも》られた宮をことのほかいとしく、こよなく思われるらしく、ねんごろなお使いが度々くるが、その深いお志に対しても宮は、身もすくむばかり辛く、憂く思われた。
御湯《おゆ》殿《どの》に近く奉仕して、昔から何事も宮のご様子にくわしい、乳母子《めのとご》の弁や王命婦などは、さすがに異《い》なこと、と内心、衝撃を受けていた。お里帰りは早い頃だったのに、時期が合わない。しかしかりにも口外すべきでない事なので、胸におさめて黙っていた。
王命婦には、すべてわかった。宮のご宿命のお気の毒さが思われるにつけても、その原因を作ったおのが罪の深さにおののかずにはいられない。彼女は、この秘密をかたく守って、墓場までもってゆく決心をした。
その頃、源氏はただごとでない夢をみることがあった。夢解きの者を召して尋ねてみると、あり得ぬ意外なことをいった。
「この夢をご覧になった方は帝王の父となられましょう。しかしその前に逆境におちいられることが起こりましょう」
源氏は「人の夢だ。口外するな」といったが、宮ご懐妊の噂《うわさ》をきいて、もしやと思い当った。いま一度宮にお目にかかりたいと言葉をつくして王命婦をかきくどくが、王命婦はおそろしく煩《わずら》わしく、また、こんな場合であるから、もし人目についたらとり返しのつかぬことになる。いかに源氏に同情しても、王命婦にはどうしようもなかった。
七月に、宮は参内された。面《おも》痩《や》せして、おなかがすこしふっくらとなされた宮に、帝は今までにまして深い愛をそそがれる。藤壺御殿の方にばかりいらして、管絃のあそびをもよおされ、そのときには、御愛子の源氏を必ずお呼びになった。
源氏は帝に命じられて笛を吹きながら、わが思い御簾《みす》のうちの佳《よ》き女人《ひと》にひびけと、心をこめた――たれこめた御簾のうち深くいる人は、その哀切な音色を悲しく切なく聞いた。
山寺の尼君は病気がややよくなったので都へ帰ってきた。源氏は尼君の京の邸をたずねあてて、幾度も手紙を出したが、かえってくる返事はいつも同じだった。それも当然であろうし、何よりこの何か月かは、藤壺の宮に対する思慕と惑乱にあけくれて、忘れるともなく、ほかのことはなおざりになっていた。
秋も末になった。月の美しい晩、源氏はやっと、うち絶えたままになっていた情人たちをたずねてみようかという気になった。御所からの帰り、六條京極《ろくじょうきょうごく》はすこし遠い気がしたが、六條御息所《みやすんどころ》をたずねるつもりで出かけた。
その途中、荒れた家の、木立なども古びて暗いような家があった。おそば去らずの供の惟光《これみつ》が、これが按察使《あぜち》の大納言のお邸です、という――あの尼君の邸なのである。尼君はひどく弱っていられて、少納言たちは心細がっているらしい、と源氏に話した。
「哀れなことだ。どうして早くそれを言わなかった。……よい折だ。お見舞いに上った、と申せ」
源氏は惟光にいいつけて、車をとどめさせた。
惟光は気を利かせて、わざわざ源氏が尼君のお見舞いにきた、というふうに案内させたので、邸内の女房たちは、突然のことにおどろき、恐縮した。尼君はとても、対面できるような容態ではないのだが、源氏をかえすことも恐れ多いし、というので、あわただしく南の廂《ひさし》の間《ま》をとりかたづけて、源氏を通した。
「いつも心にかかって、お見舞いをと思いながら、どうもついつい、れいの姫君のことで、はかばかしいお返事が頂けませんので、私も気がひけて、うかがえませんでした。お具合がこうもよろしくないとは存じませんで」
源氏のねんごろな挨拶を、尼君は御簾の奥ふかく臥したまま聞いた。少納言に返事を托して、「お目通りしてお見舞いのお礼も申上げられないのが残念でございます。私ももう長くはございませぬ。孫娘のことばかりが気になりまして……もしこの先もお心が変りませなんだら、あの子が大きくなりましてから、どうぞよろしくお願いします」と、とぎれとぎれにいうのも、心ぼそげであった。
尼君の切ない心は、源氏には痛いほどわかった。青年は言葉をつくして、小さな姫君に対する真情を誓った。それにつけても、いまひとめ、あの愛らしい姫に会いたかった。
「あの、あどけないお声だけでもお聞かせ願えないでしょうか」
と源氏がいうと、もうおやすみになっていらして、と女房たちは困ったふうに答えた。
そのとき、向うからかわいい足音がして、
「おばあちゃま。あの山のお寺にいらしていた光源氏の君さまがおいでになったのでしょ。どうしてお会いにならないの」
と無心に少女はいう。女房たちは当惑して、
「お静かにあそばせ」
と小声でたしなめていた。
「だって、光の君さまを拝見したら気分の悪いのがなおったと、おっしゃっていたもの」
と、姫君は、よいことを知らせてあげたと思っているようだった。源氏はその無邪気さにほほえまれたが、女房たちの困っているのが気の毒なので、聞こえぬふりをして、尼君にやさしい言葉をのこして辞去した。
(全く、ほんのねんね《・・・》だなあ……あのくらいの頃から心をこめて躾《しつ》けて、理想の女に仕立ててみたいなあ)
などと、源氏は帰る道々、思ったりした。
十月には朱《す》雀院《ざくいん》に行幸《ぎょうこう》がある予定で、宴の舞人《まいびと》にえらばれた名門の公達《きんだち》たちは、それぞれ技芸の習練にいそしんでいた。源氏もそのあわただしさにまぎれていたが、尼君の病があらたまり、再び北山の僧《そう》都《ず》のもとへおもむいたと聞いたので、使者をたてて見舞いをいった。僧都の返事には「先月の二十日、妹の尼はとうとう亡くなりまして」とあった。
源氏は世のはかなさが思われるにつけてもあの小さな姫はどう過ごしているかと、もはやひとごとと思えぬのであった。心をこめておくやみの手紙を書いた。少納言からたしなみのある、ゆきとどいた返事がきた。
忌中がすぎて、小さい姫君は京の邸へ帰ったと聞き、源氏はさっそく出かけていった。
ひとしお荒れまさってみえる邸で、少納言は源氏の訪れに泣く泣く、尼君の臨終の様子など話して聞かせた。源氏も物悲しい心地に誘われながら、彼女のくりごとを聞いた。
「お父宮さまのお邸へ姫君をお引き取りになろうかというお話もございましたが、姫君のお母さまが辛い思いをなさったご本邸の北の方さまのお手もとへ、ねえ……姫君をお渡し申上げるのも心許《こころもと》なくて。それに、姫君も中途はんぱなお年頃で、却《かえ》って赤児《やや》さまか、もうおとなでいらしたらよろしいんでございますが……。あちらのお腹ちがいのお子さまにまじってお育ちになるのも、おいたわしいことでございます。亡くなられた尼君も、それをお嘆きでございました……」
「だから私を姫の御後見にして下さいと申しているのです。姫を可愛くてならぬと思うのも、前世の契りのような気がするのだが……」
「お心は嬉しゅうございますが、これで姫君が、もう少しお年たけていらっしゃれば、ねえ……何といっても幼くていらして」
少納言はそればかりいって残念そうだった。
姫君は今夜も、おばあちゃまを慕って泣いていたが、遊び相手の童女たちが、
「お姫さま。直衣を召した人がいらしています。お父宮さまのお越しですよ、きっと」
というので起き出してきた。
「少納言。直衣をお召しになっていらっしゃるかたはどこなの? お父さまなの?」
といいつつ近づいてくる声が実に愛らしかった。源氏の心は喜びに明るんだ。
「お父上ではないが、よその者ではありませんよ。こちらへいらっしゃい」
というと、姫君はびっくりして、乳母《めのと》の少納言に身をすりよせ、
「あっちへいって寝ようよ。ねむたいの……」
とささやく。源氏は微笑した。
「今更、なんでお逃げになる――私の膝《ひざ》の上でおやすみなさい。もっとこっちへきて」
「この通り、ほんの赤児《やや》さまなんでございますよ」
少納言は、源氏の方へ姫君を押しやると、姫君は無心にされるままに坐った。源氏は几《き》帳《ちょう》のかなたへ手をさし出して探ってみると、なよらかな着物に、髪がつやつやとかかって、端はふさふさしている。さぞ美しいであろうと思われた。小さな手を捉《とら》えると姫君はなれない人がこうもそば近く寄ったのがおそろしく気味わるく、
「寝ようというのに……」
とあらがって、むりに奥へ入ろうとする。
源氏はすかさず、共々、几帳の内へすべりはいって、
「これからは、私だけが、あなたを可愛がる人なんですよ。――仲よくしようね」
少納言は困りきっていた。
「まあ、何をあそばすのでございます。何をおっしゃったとて、さっぱりおわかりにもなりますまいに」
源氏は笑った。
「心配するな、少納言。いくら何でも、こんながんぜない年頃の姫を、私がどうするものか。私の誠意だけを見て頂ければいいのだ」
外は霰《あられ》が音たてて降っており、物凄《すさ》まじいような、荒れた空だった。
女・子どもばかりの心ぼそいわずかな人数で、どうしてこんな恐ろしげな夜を過ごせよう、と源氏は立ち去りがたくなっている。
「御《み》格《こう》子《し》をおろせ。物恐ろしい夜ではないか。私が宿直《とのい》人《びと》になろう。姫君がお淋しくないように、みなみな、近くへ寄るがいい」
と、馴《な》れたさまで、寝所の御帳台《みちょうだい》のうちへ姫君を抱いてはいった。
あ、なんというご無体なことを、と女房たちは狼狽《ろうばい》し、困惑した。少納言は胸のつぶれる思いで、まああつかましいことをなさる方だと腹立たしいが、はしたなく咎《とが》めることもできず、ためいきをつくばかりである。
姫君はただ恐ろしく、どうなることかとおびえてふるえていて、美しい肌も寒そうである。源氏はそのさまも可愛くてならない。
単《ひと》衣《え》だけで美少女をくるんで、寄り添って臥しながら、源氏は、われとわが心がうしろめたく、こうした仕打ちも、弁解できぬ理不尽なことと自覚しているのだが、どうにもとどめることができぬのである。
わが腕の中に抱く可《か》憐《れん》な美少女が、かの恋しい藤壺の宮にそのままの面ざしなのに、源氏は心みだされる。この小さな姫君が愛らしく恋しく、掌中の宝珠《ほうしゅ》のように思え、しっかりと抱きしめて、やさしい言葉を耳に吹きこむ。
「私のうちにいらっしゃい。面白い絵や玩具《おもちゃ》もたくさんありますよ。ままごともできますよ。お友達もいるし」
と少女の喜びそうなことを親しみぶかくいうさまに姫君も、いつしか恐怖感はうすれたらしかった。それでもさすがにおちつかず眠ることもできぬようで、源氏の腕の中でみじろぎしながら、夜をあかした。乳母の少納言は心配で心配で、すぐ側ちかくに控えていて、これもまんじりともしなかった。
霧ふかく霜の白い朝、源氏は邸を出た。
まるで情人のもとからかえるような趣きだと源氏は興がりつつも、さすがにあいてががんぜない童女なのを物足りなく思うのであった。
女房たちは源氏の君にお泊まり頂かなかったら、ゆうべのような嵐の晩は、どんなに怖《おそ》ろしかったでしょう、とささめいていた。同じことなら、姫君が源氏の君にお似合の年恰《としかっ》好《こう》で、愛人として通っていらっしゃるのなら、どんなによかろうに、といい合ったりした。
源氏は少納言にいった。
「こんな淋しい所へもう一日も姫君を置けないよ。私の邸へお引き取りしたいのだがね」
「お父宮さまもそう仰せになるのですが、四十九日をすませてから、と思し召すようでございます」
「お父宮といっても離れて暮らしてらしたから、親しみはおありにならないだろう。私の方が姫君への志は深いはずだよ」
源氏は姫君の髪をかき撫《な》でて、いくどもふり返りながら去った。
愛らしい姫君の姿が目にちらついて忘れられない。姫君に手紙を書こうと筆をとったが、これをしも後朝《きぬぎぬ》の文《ふみ》というのであろうけれど、ふつうの情事の相手とちがい、幼い童女に与えるものなので、さすがの源氏も筆をとったまま、按《あん》じていた。
思い屈しつつ、いたずら書きに、手もとの紙に書きつけてみる。
〈手に摘みていつしかも見む むらさきの 根にかよひける 野辺の若草〉
はやくこの手に摘みたい。藤壺の宮のゆかりに繋《つな》がるあのわかわかしい姫を。
あの幼いひとを、誰の手にも渡したくない、という思いが源氏の胸に熱く燃える。そうだ、藤壺の宮に通わせて、あの姫を「紫の君」と呼ぼう。
紫の姫君の邸に、父宮がおいでになった。
荒れた邸に、人少なで淋しげに姫君がいるのをごらんになって、
「やっぱり私の邸に引きとろう。何も気がねなことはないよ。同じような年ごろの姫たちもいることだし、ここよりずっとにぎやかで楽しいよ」
と姫君の髪をかきなでていわれる。姫君の衣《きぬ》には、源氏の移り香がなまめかしく染《し》みていたが、もとより父宮は源氏が訪れたとは知るよしもおありでない。
「おう、いい匂いをたきこめているね……でも着物も古びてしまってかわいそうに。あちらの邸へもよこして下さいというのに尼君はおきらいになったから、この姫はしぜん、あちらの人々とも疎くなってしまった」
とふびんそうにいわれた。
「お移りになるのは少し落ちつかれてからでよろしゅうございましょう。今のところは夜ひる、おばあちゃまを慕っていらして、ものも召し上らぬほどでございますよ」
と、乳母の少納言はいわずにいられなかった。姫君はすこし面《おも》やせて、却って上品に美しくみえた。
「おばあちゃまはいられなくても、お父さまがいるのだから、心細がらなくてもいいよ」
父宮はやさしくなぐさめられるが、日が暮れて本邸へ帰ろうとされると姫君はしくしくと泣き出し、父宮も思わず涙ぐまれた。
「これはいけない。こんな小さな子をひとりにしておけない。今日明日にでもお迎えにくるからね、いい子でいるんだよ」
父宮はさまざまに姫君をなだめておかえりになった。
源氏は左大臣邸にいたが、今《こ》宵《よい》も葵の上は何に拗《す》ねたか、引きこもったまま、そばへも来ない。源氏は、あれこれと言葉をつくして妻の機《き》嫌《げん》をとるのもわずらわしくなるのであった。気ぶっせいなままに、和《わ》琴《ごん》をかきならして、小さい声で、「常陸《ひたち》には田をこそ作れ、あだごころ……」という、はやり唄を口ずさんでいた。
惟光が使いから帰ってきた。紫の姫君の邸へ、源氏の手紙をことづけたのである。
「どうだった、あちらは」
と源氏は、とみにいきいきして身をのり出してきいた。
「たいへんでございます、お父宮さまが姫君を明日、お邸へお迎えになるそうで、少納言たちはその用意に追われておりました」
「父宮のもとへ……」
源氏はがっかりしてしまった。
惟光は実のところ、あわただしい内にも少納言といろいろ話していたのであるが、それは源氏には告げなかった。少納言は、源氏が姫君のもとへ泊まったと父宮が耳にされたら、どれだけご立腹になるかもしれない、と困っていた。父宮のお邸へ引きとられるのも、姫君の苦労をまざまざと見るようでおいたわしいし、さりとて、このままでいらしたら源氏の君が通って来られたなどと、妙な噂が立つと嘆いていた。
惟光は、源氏と幼い姫君が、どんな風な一夜をすごしたのか、さっぱり要領を得なかった。どうしてこうまで主人が、いとけない少女に愛恋しているのか、さすがの惟光もはかりかねて、少納言の困惑を尤《もっと》もだと思った。
(あのとき、自分は一つの決心をした。どんな運命をも甘受して藤壺の宮に、愛を打ちあけようと決意した。しかしいま思えば、あのときの決意は、何か魔物につき動かされるような無我夢中の行動だった。しかしいま、自分は醒《さ》めている)
と源氏は煎《い》られるような焦燥感の中で考える。
(はっきり決意して、行動を撰択するのだ)
もう猶予はならなかった。人の生涯で二度とあるかないか、という勇気と決断を要求されるときであった。
奪おう。あの姫を。
源氏は決心して身を起こした。
「惟光」
「は」
「車を。随身《ずいじん》は一人二人、支度させよ」
「かしこまりました」
惟光がいそいで去ると、源氏は妻の部屋へいき、二條邸で急用があるので出かける、すぐ戻るから、といった。
葵の上は、どうせ浮《うわ》気《き》沙汰《ざた》の忍びあるきであろうと思うのか、はかばかしく返事もしない。
まだ暗い夜あけ、姫君の邸に着いた。
「まあ、こんなにお早く、どちらからのお戻りでございます」
少納言も、源氏が浮かれ歩きの帰途たちよったと思うらしい。
「姫君がお父宮のもとへ移られると聞いて、ひとことご挨拶したくてね」
「それはそれは。でも、うまくお返事がおできになれますかしら」
と少納言は笑ったが、源氏がずんずん奥へはいるのですこし迷惑になった。
「お姫さまはまだおやすみでございますよ」
「ではお起こししよう。こんなに朝霧が美しいのに」
姫君は無心に眠っていた。源氏が抱きおこすと、寝呆《ねぼ》けてお父さまが迎えにいらしたのか、と思っているらしい。源氏は姫君の髪をかきあげて、
「さあ、いらっしゃい。宮のお使いですよ」
というと、はじめて姫君は、父宮ではないと気づき、びっくりして怖がるのである。
「弱ったな、私もお父宮も、同じことなのに。さあ……」
とむりやり姫君を抱きあげて寝所を出ると、惟光も少納言もおどろいて、
「やや、これは……」
「どう遊ばすおつもりでございます」
と同時にいった。
「私の邸にお連れする。父宮のもとへいらしたらもうお目にもかかれなくなってしまうからね。――誰か一人、ついてくるがいい」
「お待ち下さいまし、お父宮がお見えになったらどう申上げていいやら、私どもがこまります」
少納言は狼狽してとりすがった。
「よし、それならあとでまいれ」
源氏はかまわず車を寄せさせて、姫君を抱いて乗りこむ。少納言はおろおろするばかりであったが、しかたなく、とりあえず昨夜縫い上げたばかりの姫君の衣裳《いしょう》を持ち、自身もいそいで着更《きが》えをして、車に乗った。
二條邸は近いので、まだ夜があけきらぬ内に着いた。源氏は西の対《たい》に車をつけ、姫君をかるがると抱いておろした。少納言は夢でも見ている気がする。呆然《ぼうぜん》として、
「私はどうしたらよろしいのでございましょう」
というと、源氏はさわやかに笑った。
「それは心まかせだ。ともかく姫君はお連れしてきてしまったのだからね。君が帰りたいというなら送らせるよ」
少納言はしかたなく車をおりた。父宮のお叱《しか》りも苦のたねであるが、それ以上に、姫君のゆくすえはどうなられることやら、あわれで思わず涙がこぼれ、不吉な、とわれとわが心をいましめて、涙をこらえていた。
西の対は、ふだん使われていないたてものであったから、惟光を呼んで、源氏は御帳台や屏風《びょうぶ》を据えさせ、東の対から夜具をとってこさせて、姫君を抱いて添《そ》い臥《ぶ》しする。
姫君はどうなることかと、おそろしがって震えていた。
「少納言のところで寝るの」
とあどけない声で、ちいさくいう。
「こんなお年になれば、もう乳母と寝るものではありませんよ」
源氏はしっかりと姫君を抱いて、耳もとへやさしくいう。姫君は心ぼそく泣き出し、乳母は気が気でなく、そば近く詰めて夜をあかした。
しかしあけゆくままに、あたりを見廻して乳母はあっと思った。
御殿のありさま、邸内のたたずまい、眼を奪うように善美をつくしてあった。庭の砂もまるで玉を敷いたようで輝くばかりである。
源氏は洗面の道具や、朝食なども、こちらへ運ばせる。召使いたちは、
「いったいどなたを連れていらしたのか。なみなみのご婦人ではあるまい」
などと、ひそかにささやき交していた。
「お仕えする女房たちをそろえなければ。それに、お遊び相手に、小さい女の子がいるね」
と源氏はいってたのしそうである。
日が高くなってから、源氏は、姫君を起こした。
「いつまでもご機嫌をそこねていてはいけないよ。……いいかげんな心持の人間なら、こんなことはしない。あなたを思えばこそ、だからね。女は、心がやわらかで素直なのがいいんだよ」
と、はや今から教育をしているのである。姫君は近くでみると、離れてみたのよりも美しくてかわいい。面白い絵や玩具などをとりよせて、少女のあそび相手になった。
姫君はやっと機嫌を直した。喪服の萎《な》えたのを着て、無邪気にほほえんでいるのが、源氏にはえもいえずかわいい。
源氏は二、三日、宮中にも出仕せず、紫の君を手なずけるのにかかっていた。
姫君へ、そのまま手本になるように、と思い、字や絵をかいて与えた。手蹟《しゅせき》も自分の思うように美しくあってほしいと望むからであった。
〈ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の つゆわけわぶる草のゆかりを〉
と源氏は紫の紙に書いた。まだわがものとしていないけれど、恋しくなつかしく思う若草の君よ。かの藤壺のゆかりの人よ、というような心である。
「さあ。あなたもお書きなさい」
と姫君にうながすと、
「まだ、よく書けませんもの……」
と源氏を見あげた幼い顔が、無心に美しい。源氏はほほえんで、
「上手にかけないといって、かかないでいてはだめだよ。教えてあげるから、……」
というと、姫君はむりに背を向けて書いている。そのありさまが、愛らしくてならず、心さわぎするほどである。
「書きそこなってしまったの」
と恥ずかしげに隠すのを、源氏はむりにみると、
〈かこつべき 故《ゆゑ》を知らねばおぼつかな いかなる草のゆかりなるらん〉
どうしてわたくしをかわいがって下さるのか、わかりませんわ、どんな、ゆかりがあってのことでしょう、というような意味でもあろうか、上手になりそうなふっくらした字で、亡き尼君の手蹟に似ている。うまく現代風の手本を習わせたら、上達しそうであった。
父宮は、姫君が行方不明になられたのを悲しくお思いになった。乳母がどこかへ隠したのだろうと、がっかりなさった。継母《ままはは》の北の方も、せっかく自分の手で引きとって育てようといきごんでいられた所なので、残念がっていられた。
そのころ、姫君はもうすっかり源氏になついて、源氏の膝に乗ったり、ふところに抱かれて寝起きしていた。源氏はこよない愛の対象が出来た思いで朝も夜も離れられない。
露しとど廃苑の末摘花《すえつむはな》の巻
源氏は夕顔を失った悲しみを、年月経《へ》ても忘れることはできなかった。
葵《あおい》の上《うえ》といい、六條御息所《みやすんどころ》といい、気位たかく身構えているような女人たちばかりで、源氏は気がおけて、心が安まらぬのであった。あの夕顔の、人なつこく、素直で親しみぶかかった人柄が恋しくてならなかった。
どうかして、もったいぶった身分ではなく、ただもう可愛らしく、へだてのないような女をまた手に入れたいと熱望していた。それと思われるところへは文《ふみ》をやったりするが、たやすくなびく女が多く、源氏の興は薄れてしまう。手ごわくはねつけるような女でも、やがて折れたりして、源氏はやはり、空蝉《うつせみ》を思い出さずにはいられない。あの女は心にくい女だった。――それとともに、灯《ほ》影《かげ》で見た美しい軒端荻《のきばのおぎ》のことも名残《なご》りおしく思われる。源氏はいったん愛を交した女のことは、忘れ去ってしまえない性質であった。
左衛《さえ》門《もん》の乳母《めのと》といって、大《だい》貳《に》の乳母についで、源氏がしたしみなついた乳母がいたが、その人の娘に、大輔《たいふ》の命婦《みょうぶ》という宮中に仕える女房がいる。浮気な若い女だが、源氏も宮中では召使っていて心やすい仲である。
彼女が耳よりな話をもたらした。
もう亡くなられた常陸《ひたち》の宮に、忘れがたみの姫がいらして、いまは一人で心ぼそくお住まいだという。命婦は父の縁で折々、この邸《やしき》に伺うそうであった。
「姫君のお気立てやご器量はよくも存じません。ただもうひっそりと、人づき合いもなさらず、琴《きん》の琴《こと》だけをお友達としていらっしゃるようでございます」
源氏はそんな話を聞くと好奇心がきざした。
「琴《きん》・詩《し》・酒《しゅ》を三つの友とすというからね。まさか、姫君は酒は友とされないだろうが……。その琴の音《ね》をきかせてくれないか」
「さあ……そんなにご期待あそばすほどのものではないかもしれませんわ」
「そう気をもたせられると、よけい聞きたくなるよ。この頃は朧月夜《おぼろづきよ》だからちょうどいい。そのときは、君もあちらへいっていてくれ」
命婦は面倒な、と思ったが、宮中を下《さが》って姫君のお邸に伺っていると、源氏は約束どおり、十六夜《いざよい》の月の美しい夜、やってきた。
姫君は、梅の香のただよう庭をながめていた。命婦はいい折だと思って、
「こんな宵は、お琴の音もきっと冴《さ》えまさるかと存じますわ、いつもあわただしく出入りしておりますのでゆっくりうかがえませんのが残念で」
とすすめると姫君は素直にうなずいて、琴を弾《ひ》き出した。その素直さが命婦にはすこし心の底浅く思われぬでもない。
姫君のほのかにかき鳴らす琴の音を源氏は遠くで聞いていて、面白く思った。達者というのでもないが、荒れはてた淋《さび》しい邸に、ひとり物思いに沈みつつ棲《す》む姫君の琴の音と思えば、あわれに見捨てがたかった。
命婦は才気のある女だったから、あまり長く源氏に聞かせない方が奥床《おくゆか》しい、と思って、
「雲が出てまいりましたね。今《こ》宵《よい》は客が来る約束でございました……のちほどまた、ゆっくり聞かせて頂きますわ。御《み》格《こう》子《し》をお下《おろ》ししておきましょう」
といって帰ってきた。源氏は、
「もう少し、という所で弾き止められたね。同じことならもっと近くで聞けないものだろうか」
「それはちょっと……物思いに沈んでばかりいられる方に、何だか悪い気がしますわ」
「私の気持をそれとなく、お伝えしておいてほしいのだがね」
源氏はそういいつつ、別の通《かよ》い所《どころ》へこれからいくらしく、たいそう忍んで出ていく。
命婦はそれを見てたわむれに、
「主上《うえ》が、あんまりまじめすぎるとご心配なさっているのが、おかしくて。こんなお忍びの浮気沙汰を、主上は夢にもご存じないのですもの」
源氏はそれを聞くと、二、三歩もどってきて笑った。
「誰のことだ、それは。君がそういえる柄《がら》かね。これを浮気沙汰というなら、君のはどういえばいいんだ」
源氏はかねて命婦の色ごのみをひやかしているからだった。
源氏が破れた透垣《すいがい》のところまで来ると、ついと男がそばへ寄ってきた。
「一緒に御所を退出したのに、私をおまきになったから、ふしんでお跡を慕ってまいりましたぞ」
というのは頭《とう》の中将だった。
「や、君か。驚いたな。尾行《つけ》てきたのかね」
「お一人歩きは危険ですぞ。これからは私をお供にお連れ下さい。恋の冒険というのは、お供の機転がきくのときかないのとでは、ずいぶんちがうものです」
中将は源氏の秘密を握ったと思い、得意そうにしている。何かにつけて張り合うこの親友同士は、恋の冒険でも、抜いたり抜かれたりして競い合っていた。しかし源氏は、かの頭の中将の思い者だった夕顔をひそかに盗んだことを、中将に対して得点をあげたように、心中思っていた。
それぞれゆくべき所はあったのだが、親友同士、冗談をいっているうちに離れがたなくなって、一つ車に同乗して左大臣邸へ着いた。
月が美しいので、興を催して管絃のあそびに夜がふけた。
「あちらから、お返事はありましたか……私の方はさっぱりですよ」
とある日、頭の中将がさぐりを入れた。常陸の宮の邸へ源氏はあれから度々文を遣《や》っていたが、どうやら中将もそうらしい。
「さあ、どうだったかなあ」
と源氏はとぼけたが、実をいうと源氏の方へもなし《・・》のつぶてで、何だか妙な感じであった。世間の慣習からいえば、男がしばしば文をよこせば、女もついには一行二行でも走り書きして返事するものである。とりわけ、趣味ある女ならば、季節にふれ折につけて似合わしい感懐などをさりげなくのべ、恋の浮気のというよりも、ともに世の情趣を解する男《おと》女《な》として、縁《えにし》の糸をむすんでいくものである。そこから恋に発展すればそれでよし、かりそめの浮気もそれでよし、という所であろう。……それなのに、常陸の宮の姫君は、まるでぴたりと貝が蓋《ふた》を閉じたように、押してもついても、音沙汰もないのであった。
源氏はへんな人柄だなあ、という予感を持ったが、しかし頭の中将もなかなかの色ごと師なので、もしや中将の方が弁舌たくみにくどきおとしてしまったら残念だ、という気がしていた。最初に言い寄った源氏の方が捨てられた形になってしまうのが、いまいましいのであった。中将より先に、常陸の宮の姫君と、特別な間柄(必ずしも愛人関係という意味はなくてもよい)になりたかった。
しかし源氏がそのあと、病気に罹ったりしている間に春は終り、夏の間は藤壺《ふじつぼ》の宮への物思いにすぎ、むなしく日はたってしまった。
秋がめぐってくると源氏は、今さらのように、かの可《か》憐《れん》な夕顔がなつかしかった。五條の賤《しず》が家《や》の枕《まくら》もとで聞いた砧《きぬた》の音も今は恋しい。ああ、あんな可愛い女とまためぐりあいたい。そう思うと、常陸の宮の姫君への好奇心とあこがれは、やはりおさえ難かった。
度々手紙を出すが、依然として返事はない。
「どういうことだ。何だか馬鹿にされているような気がする。こんなことははじめてだ」
源氏が命婦を責めていうと、命婦もすこし気の毒な気がしたが、
「たいそう人見知りして恥ずかしがりの方でいらっしゃるんですもの。それにこんなことに慣れていらっしゃらないので、どうお返事を書いていいやら、困っておいでなのですわ、きっと」
と姫君を好意的にかばっていった。
「それはあまりに幼稚だな。もうおとなのかただと思えばこそ、心こめた文を幾度もさし上げているのに。淋しい者同士、あの荒れはてた邸の簀《すの》子《こ》で語らえば、また気も晴れようかと思ってのことなのに……。命婦、姫君のお許しがなくてもいいではないか。会えるようにしてくれ。無《む》体《たい》なことはしない、と約束するから」
命婦は姫君があまりにも引っこみ思案なのを知っているので、どうかと思ったが、源氏の熱心さにもほだされたし、何より、あの邸の荒れた心細いありさまを思うと、源氏と姫君にもしご縁があれば、どんなことで、姫君のご運がひらけるかもしれないと思ってもいた。正直のところ、源氏のような物好きな青年でなければ、わざわざ狐《きつね》の出そうな浅《あさ》茅《じ》の生《お》い茂った庭をふみ分けてくる男は、なさそうであった。世に老い埋もれておしまいになるよりは、あんなにすばらしい貴公子と、かりそめの縁でもお結びになる方がいいかもしれないわ、などと命婦は思いはじめていた。
八月の二十何日か、月の出のおそい夜、命婦は姫君と昔語りをしていた。そこへ、源氏の訪れが告げられた。
命婦はいまはじめて聞いたように驚いてみせて、
「まあ、困りましたわね、源氏の君のお越しでございますわ。かねがね『お返事がないので直接、参上してお話をうかがおう』などとおっしゃるのを、私はお断わりしていたのでございますが。でも、ご身分ある方をすげなくお帰しすることもできますまい。ふすま越しに、お話をお聞きになるだけでも……」
というと、姫君はひどくはずかしがって、
「よその方とお話するなんて、とても……」
と奥の方へ尻ごみされるのが、うぶらしい様子だった。命婦は笑って、
「ま、子供っぽいことを。親御さまがおいでのお身の上ならともかく、お姫さまはおひとりでこれから生きていらっしゃらないといけないんですもの、すこしはお気強く、世間にもお馴《な》れ遊ばしませんと」
と教え聞かせるようにいうと、姫君は、さすがにおっとりと育てられているせいか、頑固に言い張ることはせず、うなずいた。
「おっしゃることを、ただお聞きするだけだったらいいわ。ここで格《こう》子《し》を閉めて」
「でも、源氏の君を縁にお坐らせするというのも失礼でございましょう。まさか、けしからぬお振舞いはなさるまいと存じますわ」
などと、うまくいいつくろい、二《ふた》間《ま》のあいだのふすまを自分でしめて、こちらの部屋に源氏の座をもうけた。姫君はたいへんはずかしく思った。男の客などに返事するすべも知らないが、命婦がさっさとことを運ぶので、こうしなければいけないのかしら、と思いつつも、途方にくれていた。
乳母などの老いた女房は部屋に入ってはやうつらうつらしていたが、若い女房二、三人は、世に評判の光源氏にあえると思って胸をときめかせている。命婦は姫君の衣裳《いしょう》を着更《きが》えさせ、化粧をお手伝いしたが、姫君はなんの感動もないさまだった。
源氏は入ってきた。今宵はことさら艶《えん》に美しくみえる。命婦は、源氏の美しさをわかる人がいないのを惜しく思った。ただ姫君がおっとりしているのだけは安心であった。(出すぎたおしゃべりをなさらないのだけは、取り得だわ)と思っていたが、あまりに無《む》防禦《ぼうぎょ》でおとなしい姫君を、もしや不幸にするのではあるまいか、という不安をふと感じた。
源氏は満足していた。ふすまの彼方《かなた》の姫君は静かでおくゆかしい様子の人に思われたから――。
源氏は年ごろ思いつづけた恋だったと、言葉たくみに言いつづけるが、手紙でさえ返事を書かぬ姫君が、まして返答するはずもない。何をいっても沈黙がかえってくるだけである。
「弱りましたね。無言の行《ぎょう》では歯が立たない。いっそはっきりおっしゃって下さい。おつきあい頂けるのかだめなのか、だけでも」
源氏が嘆息していうと、姫君の乳母の娘で、侍従《じじゅう》とよばれている、はしっこい若い女房が、見かねて姫君のかわりに返事をした。
「どうお答えしたらいいやら……言わぬは言うにいや優《まさ》る、と申すではございませんか」
若々しい声である。源氏は、姫君にしては重々しい所がないな、と思ったが、はじめて口を開かせたのが、うれしくなって、
「やっとお声を聞かせて頂きましたな。びっくりして私の方が黙りこんでしまいますよ。言わぬはまさる、と申してもほど《・・》というものがあります。あまりにもお口少なでいられる」
などと何やかや、冗談にしてみたり、まじめな話をしたり手をつくすが、さっぱり手ごたえがない。
これは一風変っている、男に対して特別な考えを持っている人だろうかと源氏はしまいにいらいらしてきたので、思いきって起《た》ってふすまをあけ、中へはいった。
命婦は(まあ、あんなことを……。私を油断させておいて)と困ったが、姫君がお気の毒になり、といってどうしようもなく、そのまま知らぬ顔で自分の部屋へ下ってしまった。
室内にいた若い女房たちは、世に評判たかい源氏の姿を目《ま》のあたりにしてみとれるばかりで、許しもなく押し入った無礼を咎《とが》めもしない。ただ、姫君が全くそんな心用意はなくていられたろうに、とみな気の毒に思ったが、命婦と同様、どうしようもなく、すべり出てしまった。
姫君はわれにもあらず動転して恥ずかしくきまりわるく思うばかりだった。源氏は慣れたふうに、そっとやさしく姫君を抱いたが、姫君は呆然《ぼうぜん》自《じ》失《しつ》のてい《・・》である。
(はじめての体験の折は、女はこんなふうなのがいい。深窓に生まれて大事に育てられてきた姫君なんだから、むりもない)
と源氏は思いもしたが、それにしても、あまりにも情緒がない。源氏がどんなに情をこめ、やさしい愛の動作で姫君につくしても、姫君からなんの反応も得られなかった。源氏は何だか丸木を抱いているような心地になり、物足らず、すこしもしっくりこない。
愛を交したあと、いっそうしみじみと恋心が募り、女へのいとしさが湧《わ》く、などということは夢にもなかった。源氏にあるのは索莫《さくばく》として、砂を噛《か》むような味気なさばかりである。夜もあけぬ暗いうち、がっかりして帰った。命婦は気になって臥《ふ》せったまま目をあけていた。源氏の帰る気配を知ったが、わざと見送りはしなかった。
二條の自邸に戻って源氏は寝たが、じっさい、理想の女というものはないものだと、つくづく思った。しかしあの姫君は身分が重いので、一回きりの情事で打ちきりにするわけにもいかない。しまったなあ、あんな女なら深入りするのではなかった、などと悩んでいるところへ頭の中将がやってきた。
「これはまた、わけありげな朝寝ですな」
というので源氏は起き上った。
「気楽な独り寝だから、ついゆっくり寝すごしてしまった。君は御所からの帰りなのか」
「そうです。まだ邸へ帰っておりません。朱《す》雀院《ざくいん》の行幸《ぎょうこう》の日の楽人《がくにん》や舞人《まいびと》の人選が今日あるそうだとききましたので、父に伝えようと思って退出しました。またすぐ御所へ帰ります」
と忙しげにしていた。では一緒に、と源氏も粥《かゆ》や強飯《こわいい》をとりよせ、中将と共にしたためた。車は各自あったが、一つ車に同車した。
「どうも眠たげにしていられる。私にお隠しになっていられる事が多いに違いない」
中将はうらみごとのようにしていう。
その日は御所で決定されることが多くあり、源氏は一日中、詰めていた。
常陸の宮の姫君には手紙だけでもと思ったが、夕方になってやっと使いを出した。後朝《きぬぎぬ》の文《ふみ》は早いほど実意がこもっているとされるのに、夕暮になって来たのを命婦は、姫君のためにいたわしく思った。姫君の方は、ゆうべの降ってわいたような大事件に混乱したままで、まして文が遅いことをとがめる気持さえ、ないようだった。
〈夕霧のはるる気《け》色《しき》もまだ見ぬに いぶせさ添ふる宵の雨かな〉
と源氏の文にはあった。雨にかこつけて来訪の意志がないことが仄《ほの》めかされてある。姫君の周囲の人々は辛《つら》い思いがしたが、「やはりお返事をなさいませ」と口々にすすめた。姫君は思い乱れていて、とても書ける状態ではない。これでは夜が更《ふ》けると侍従がまた気をもみ、歌を代作した。
〈晴れぬ夜の月待つ里を思ひやれ 同じ心にながめせずとも〉
皆にせめられてやっと姫君は筆を取る。紫の紙の、古くなって色もあせたのへ、手蹟はさすがに力のある、中古の書風で、上下をりちぎにそろえて書いた。
源氏は見るなりがっかりして、置いた。いよいよ、まずいことになった。たいへんなものをしょいこんだ形だぞ、と情けなくなる。――というのは、源氏はひとたび女とかかわりを持ったら、無責任にすます性質ではないからであった。もし、しん《・・》から浮気の性《さが》であれば、気に入らぬ女はうちすてて忘れてしまうであろう。しかし女の運命に自分もかかわりをもったと思うと、むげに交渉を断つことはできない。それは源氏の誠実さであった。
しかたない、こうなった以上は、末長く面倒を見なければいけない、と強いて気をとり直している源氏の心も知らず、姫君の周囲の人々は、源氏を冷淡だと恨んでいた。
行幸の日のための舞楽の練習で、公達《きんだち》はみな、ここ何月か大さわぎで過ごしている。
源氏も毎日ひまがなかった。どうしても逢いたい情人たちの所へは時間をぬすんでいくが、常陸の宮邸へは、どうも足が向かない。
行幸が近くなって、試《し》楽《がく》などとざわめいているころ、命婦がやってきた。
「こうおいでがなくてはお気の毒で、おそばの者が辛くてたまりません」
と泣かぬばかりにいう――源氏は命婦にもすまなく思った。命婦は、源氏と姫君を風流なつきあいにとどめておこうとしたのに、その心遣いをふみにじって姫君をわがものにしてしまったのだから、恨んでいるかもしれない。それにあの無口な姫君が一そう無口になって物思いに沈んでいるのも、想像できた。
「ひまのない折なんだ。悪く思わないでくれ」
と源氏は嘆息して、
「――あまり姫君が物わかりがわるいのでね、懲《こ》らしめてあげようとも思うのだ」
とにっこりした。その顔が若々しく美しいので、命婦もつい釣られて微笑し、(むりもないわ、女に恨まれるお年頃だもの。恨まれざかり、というのかしら……女に思いやり少なく、わがままなのもしかたないわ)などと思うのだった。
源氏は紫の姫君を自邸へ迎えてからは、この人を可愛がるのに夢中で、六條御息所のもとへも、とだえ勝ちである。まして荒れはてた常陸の宮の邸へは、かわいそうに思いつつもどうも気がすすまない。
しかし命婦にいわれてからは、それでも折々に足を向けた。いつも闇《やみ》の中の手ざわりだけだが、どうもたどたどしく、腑《ふ》におちないことが多く、いっぺん顔を見たいものだと思うが、まともに見るのも、気がひける。
源氏はある日、宵のころ、そっと内へ入った。格子のあいだからのぞいたが、姫君自身はむろん見えない。女房たちだけが、四、五人坐っていた。食膳《しょくぜん》や食器など、古びたものばかり、貧弱なたべものを、女房たちは御前から下ってきてたべている。
みな寒そうだった。古びてすすけた着物ながら古風な着つけをしていて源氏には見なれない。
「まあなんて寒い年なのでしょう。長生きしてると、こんなみじめな辛い目にあわなければならない」
といって泣く女房もいる。
「宮さまがご在世のころ、辛いなんて、どうして思ったのかしら、こうも心細い毎日でも、がまんしてお仕えしているんだもの」
と、飛び立ちそうに震えているのもある。
いろいろと内幕のぐちをいうのも聞き辛いので、源氏はそっと退いて、たったいま来たように格子を叩《たた》いた。女房たちは、「さあさあ」などといって灯をあかるくし、格子を上げて源氏を入れた。
かの侍従がいれば少しは現代風に若々しい雰《ふん》囲気《いき》になるのであるが、彼女は賀茂《かも》の斎院《さいいん》にもお仕えしているので、この頃はそちらへいって、姫君の方にいないのである。源氏はこの邸の気風が、すべて野暮《やぼ》ったく風変りに思われた。
年とった女房たちが心配していた雪が降りはじめた。空は烈《はげ》しく風が吹き荒れ、大殿油《おおとなぶら》の灯も消えたが、つけにくる人もいない。
源氏は、夕顔を死なせた、あの恐ろしい廃屋の夜を思い出した。しかしまだこの邸の方が、同じように荒れているといっても、人《ひと》気《け》があるだけ、ましである。
物すごい夜だが、また、風趣のないこともない。しかしかんじんの姫君が、なんの面白みもないのは、甚《はなは》だ残念である。
やっと夜が明けた。源氏は手ずから格子をあげて、庭の雪を見た。踏みわけたあともなく、はるばると一面、まっ白で、荒れはてたありさまも物淋しい。姫君をこのままおいて出てゆくのもさすがにあわれに思われ、源氏はやさしく声をかけた。
「きれいな空ですよ。ごらんなさい。いつまでもよそよそしくしていられないで、さあ、ここへきて一緒に……」
まだ仄暗いが、雪のあかりで源氏は清らかに若々しく見える。老いた女房たちは思わずみとれて笑みをたたえていた。
「早く、いらっしゃいませ。引きこもっていらっしゃるのはいけません。女は素直になさらなくては」
と姫君に教えていう。姫君はさすがに、いやとは言えぬ性質で、身づくろいして、いざり出てきた。
源氏は姫君を見ないようにして、外の方をながめていたが、その実ただならぬ流し目でみている。想像よりも美しければ、どんなにうれしかろう、と思うのも、男の身勝手であろう。
まず、座高がたかく胴長にみえるのには(思った通りだ)とがっくりとなった。
つづいて、(ああ、これはひどい)と心中叫んだのは鼻だった。鼻にばかり目が止まってしまった。普《ふ》賢《げん》菩《ぼ》薩《さつ》の乗っていられる象の鼻も、かくやと思われる。呆《あき》れるほど高くのびて、先はすこし垂れかげんに、赤く色づいているのが、ことのほかみっともない。顔色は雪をあざむくばかり白く青ざめ、額は腫《は》れているのに、なお下《しも》ぶくれにみえるのは、きっと、おそろしい馬づらなのであろう。痩《や》せたことといったら痛々しいほどで、骨が透けそうである。
(ああしまった。なぜこうすっかり見たんだろう)と源氏はひどく後悔しながら、しかしあまり珍しい容貌《ようぼう》なので、つい視線は姫君に釘《くぎ》付けになる。
あまりにも異様な姫君の醜貌にひきかえ、これはまた美《み》事《ごと》なものは、丈《たけ》なすみどりの黒髪であった。こればかりは、源氏の見知るかぎりの美女たちに勝《まさ》るとも劣らない。袿《うちぎ》の裾《すそ》にたまって、まだうしろへ一尺ばかりも引いていた。女のみめかたちは、悪いところばかりではないものである。
着ているものといえば、これまた物々しく野暮ったいものであった。紫のひどく色あせた衣《きぬ》、黒くなった袿、上には黒貂《ふるき》の皮衣《かわぎぬ》の、きよらかで香《こう》をたきしめたものを羽織っている。古風で由緒ある装束だが、何といっても若い姫君のよそおいにしては、物々しすぎるのが気になった。しかしこの皮がなくてはいかにも寒そうであるのを源氏は気の毒に思った。あまりの風変りに源氏は呆れて言葉も出ない。
それでも気をとり直し、何かと話しかけるが、あいかわらず姫君は恥ずかしがって口を掩《おお》うだけで返事しない。源氏は白けて帰り風が立った。
「頼もしい人もおありにならぬご様子だから、縁あって結ばれた私にもっとうちとけてほしいですな。どうも冷たいおあしらいをなさるので長居しにくい」
と、帰り風を姫君の責任にかずけて源氏は諧謔《かいぎゃく》をこめ、ふと口ずさんだ。
〈朝日さす軒の垂《たる》氷《ひ》は解けながら などかつららの 結ぼほるらむ〉
姫君はそれを聞いても「むむ」と笑っているだけで、とても返《へん》歌《か》するようすもないのが、見ていて気の毒なくらいだった。源氏はいそいで出てきた。
車を寄せた中門《ちゅうもん》はゆがんで倒れかかり、夜はわからないが、朝の光では、荒れ果てたさまがはっきり見えた。(いつぞや雨《あま》夜《よ》のつれづれに、馬《うま》の頭《かみ》などが話していた、草深い邸というのは大方こんな所だろう、こんな邸にかわいい女を据えて、気がかりにも恋しくも思って通ってみたい。そうすれば、藤壺の宮への道ならぬ恋の執着も、いくらかはまぎれように……邸のたたずまいは理想通りでも、かんじんの姫君があの調子では、どうにもならない)と源氏はがっかりして考えこんでいた。
しかしまた思うと……自分でなくては、あの姫君の醜貌や一風かわった人柄を、誰が辛抱するだろうか。自分がこうしてはからずも姫君と関係をもつようになったのも、亡き常陸の宮が、忘れがたみの姫君を気がかりに思われる、魂のみちびきだったのかもしれない。……そんなことを源氏は考えたりもするのだった。
正門はまだ開いていない。鍵《かぎ》を預かっているのはたいへんな年の老人だった。娘か孫か、すすけた着物を着た女が出て来て、寒そうにかじかんだ顔で老人に手をかして門をあけている。門はなかなか開かないので、源氏の供の者が寄って開けた。一面の雪であった。
姫君が人なみな容貌だったら源氏も思い捨てたかもしれなかった。しかしあれほど残りなく見たのちは、その醜さが却《かえ》ってあわれに思えて、色めいた気持でなく、親身な心で手紙や贈り物を持たせるのだった。絹、綾《あや》、綿など、老《おい》女房たちの着物から、門番の老人に至るまで、上下おしなべて物質的にゆきわたるように援助した。そういうことを恥ずかしく思う感覚は、姫君にはないようだったから、源氏も気楽であった。(よし、経済的に一切の面倒をみてやろう)と源氏は決心して、邸の生活費にも立ち入って世話をすることにした。
思えば――またしてもかの、心にくい人妻、空蝉《うつせみ》のことが思い出されるが――あの女は、きりょうはよくなかったが、身のこなしがおもむき深いので欠点がかくされて見やすかった。身分は姫君の方が高いのに、女の品格は身分によらぬものだ。いい女だったなあ、と源氏は自分の負けに終った恋のかけ引を今もなつかしむ。
年の暮れに、宮中の宿直《とのい》の部屋にいると、大輔《たゆう》の命婦がきた。源氏は気安く彼女を召使って冗談などいう仲なので、時々やってくるのだが、今日は何だか、もじもじしていた。
「困りましたわ、妙なことになりまして」
「どうしたんだ。例によって気をもたせるじゃないか」
「いえ、それが実は常陸の宮の姫君からのお手紙なんでございますが……」
「それが、どうして困るのだね」
と源氏は何気なく、文をとりあげるのを、命婦は目をつぶりたい思いでいた。
陸奥紙《みちのくがみ》の厚ぼったいのに、香だけは深くたきしめて、一生けんめい書いた、という筆蹟である。
〈から衣《ころも》 君が心のつらければ 袂《たもと》はかくぞ そぼちつつのみ〉
源氏が首をかしげていると、命婦は大仰な包みの衣裳箱の、重々しく古めかしいのを置いた。
「これをあちらから元旦の御装束に、と持っていらしたのでございます。まあ、私、お目にかけるのがもうきまり悪くって……。でもお返しすることもできませんし、私がとりこんでしまってもあちらのお志を無にするようですし、ともかくごらんに入れての上でと存じまして」
「君がとりこんでしまったら私は怨む所だよ。着る物の心配をしてくれる人もない身なんだから、うれしい心遣いじゃないか」
と源氏は冗談でいったが、呆れていた。男の元旦の装束をととのえるのは、正妻たる北の方の仕事で、姫君が世話をする筋合いではないのである。しかもこの歌のぎごちないよみぶり、これが自分でできる精一杯の所なのだろう。侍従がいれば添削《てんさく》するのだろうけれど、それにしても、まあどんなに心をこめて作ったことだろうと源氏は姫君の様子を想像して、
「こういうのが、おそれ多い歌というんだろうね」
と微笑した。命婦は自分の顔が赤くなる。贈り物の衣裳は、艶《つや》もなく古めいた、これまたどうしようもないしろものだった。うーむと源氏は唸《うな》るばかりで言葉も出ない。手紙の端に筆をとって、源氏はいたずら書きをしていた。命婦がふとのぞきこむと、
〈なつかしき色ともなしに何にこの 末《すゑ》摘花《つむはな》を袖《そで》にふれけん〉
などと書きつつ、ひとりごとに、
「色濃いはな《・・》だ……」
といっている。――好きな女でもないのにどうして、紅花の色の鼻をした女と契ってしまったのか……という意味であろうか。命婦は折々かいまみた姫君の容貌を思い出し、おかしくてたまらなくなって、口ずさんだ。
〈くれなゐのひとはな衣うすくとも ひたすらくたす 名をし立てずば〉
鼻が赤いからとて姫君をお見捨てなさいませんように……、という心だろう。源氏はせめて、命婦ぐらいの才分でもあの姫君にあれば、と思うのだった。
翌日、命婦が台盤所《だいばんどころ》(女房たちの詰所)にいると源氏がのぞいて、
「そら、昨日の返事だ。気が張っていけないよ」
と手紙を投げていった。そうして、「ただ梅の花の色のごと……」と歌を口ずさんでいく。命婦は(また、花の色のことを……)とおかしくなり、独り笑いをして朋輩《ほうばい》にとがめられた。
常陸の宮邸では、女房たちが集まって源氏の返事に感嘆していた。
〈あはぬ夜をへだつる中の 衣手《ころもで》に 重ねていとど 見もし見よとや〉
逢わぬ夜が多いのに、衣をかさねて、よけい仲をへだてようというのですか、という上品なよみぶり、白い紙に書き捨ててあるのもよい風《ふ》情《ぜい》だった。それに、姫君の衣裳も色々と、贈り物にしていた。こちらから奉ったものはお気に召さなかったのかしら、と老いた女房たちは思ったが、
「でも、あれは紅《くれない》の色が重々しゅうございました。向うさまからの贈り物にも負けぬ位ですよ。それにお歌だって、姫君のは堂々としていましたよ。あちらさまは、ただ口あたりがいい、というだけですもの」
などという。姫君も、一生けんめい考えて作った歌なので、書きつけておいた。
二條の院の紫の君は、とてもかわいく生《お》い立っていく。同じ紅でも、こんな美しい紅があるのだと、源氏は紫の君の美しい頬《ほお》をながめるのだった。
無紋の桜の細長を、やわらかく着こなして無邪気に源氏にまつわりついてくるのがたいへん愛らしい。古風なおばあちゃまの躾《しつけ》でお歯《は》黒《ぐろ》もまだしていなかったが、源氏が、現代風なお化粧をさせたので、眉《まゆ》がくっきりして、美しく清らかにみえる。
(わが心からといいながら、こんなかわいいものと一緒にいればいいのに、どうして次々とわずらわしい女性関係をつくっていくのだろう)
と源氏は思うのである。
いつものように、紫の君と、人形ごっこをして遊んだりする。絵を描いて見せたりなどした。紫の君は絵に色をつけたりする。
源氏は、髪の長い女をかいて、鼻に、紅色を塗った。
絵にかいてもみっともないかっこうである。
源氏は鏡台にうつった自分の顔を見つつ、鼻に紅色をつけた。紫の君は見て、おかしそうに笑う。
「私が、こんなにみっともなくなってしまったら、どうしよう」
というと、
「いやよ、お兄さまがそんなにおなりになっては」
と少女はいって、染《し》みつきはしないかと心配そうだった。源氏は拭きとるまねをして、
「しまった、大変なことになった。とれない……主上《うえ》はどんなにびっくりなさるだろう」
と、まじめにいうのを、少女は本気にした。
「どうしましょう、お兄さま……」
と一生けんめい、水で拭く。源氏は、
「平仲《へいちゅう》のように、墨の色をつけないでおくれ」
と冗談をいう様子は、仲のよい夫婦のようでもある。日はうららかに照って、かすみわたる梢《こずえ》の、花はまだ咲かぬが、梅だけははやほころびはじめていた。
燃ゆる紅葉のもと人は舞うの巻
朱《す》雀院《ざくいん》への行幸は十月の十日すぎということになっていた。その日は格別に盛大な舞楽の催しがあるのだが、行幸に従えない後宮《こうきゅう》の女御《にょうご》・更《こう》衣《い》がたは見られないので、残念がっていられた。帝《みかど》も、藤壺《ふじつぼ》の宮がご覧になれないのを惜しまれて、行幸の前に試《し》楽《がく》を御所で催された。これは当日と同じことを演ずるのであった。
源氏の中将は青海《せいがい》波《は》を舞った。舞の相手は左大臣家の頭《とう》の中将であった。頭の中将も、人にまさった風采《ふうさい》の青年だが、源氏と並ぶと桜のそばの深《み》山《やま》木《ぎ》のように見えた。
夕日の光はなやかにさし、楽《がく》の音《ね》のひとしきり高まるなかを、源氏はみやびやかに舞う。この世のものとも思えぬ美しさだった。舞のあいだに、詩句の吟詠《ぎんえい》があるのだが、はた《・・》と奏楽のやむ静寂《しじま》の中、源氏のすずやかな吟詠は清らかに人々の耳を打ち、心にしみた。
帝は感動して涙ぐまれた。目がしらを押える親王《みこ》・上達《かんだち》部《め》の方々も多かった。
吟詠が終り、舞手が袖《そで》を直すと、待ちうけていた楽の音が再びにぎやかにわきあがる、と、源氏の顔の色はほのぼのと冴《さ》え、光るように美しい。
弘徽《こき》殿《でん》の女御は、源氏の美しさをいまいましく思われるらしい。
「神などが魅入りそうなご様子だこと。却《かえ》って気味がわるいわね」
などといわれるのを、おそばの女房たちは、(お人のわるい……)とひそかに聞き咎《とが》めていた。
藤壺の宮は、わが心にやましい点がなくば、源氏の君の舞姿は、どんなに美しくみえただろうと思うにつけても、夢のような心地がされた。
その夜、帝は藤壺の宮を前に満足げに言われた。
「今日の試楽の最高の見ものは青海波だった。あなたはどうご覧になったか」
宮は、はっとしてお答えしにくく、
「格別に結構に存じました」
とだけ、言われる。
「相手の頭の中将も悪くなかったね。舞のさま、手づかい、名門の子弟はやはりどこかちがう。……試楽の日にこんなに歓を尽くしては、当日の紅葉《もみじ》の陰が淋《さび》しくなってしまうかと思ったが、あなたにお見せしたくてね」
と帝はやさしく仰せられた。宮のうつむかれたお顔は、美しい黒髪のかげに見えない。
翌朝、源氏は藤壺の宮に手紙をさしあげた。
「どうご覧下さいましたか。苦しい思いに心乱しつつ舞いました。
〈物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うちふりし心知りきや〉」
心乱れて舞うべくもない私でした。この気持、おわかり頂けますか、というほどの意味である。宮もさすがにあでやかだった源氏の舞姿を思われると、文を捨ておきがたく思い給うたのか、お返事を賜わった。
「〈唐人《からひと》の袖ふることは遠けれど 立居につけてあはれとは見き〉
ひときわ、心しみて……」
珍しいお文《ふみ》であった。源氏は嬉しさのあまり、少年のように心はずみ、まぶたまで熱くなってくる。なつかしいこのお手蹟《て》、美しい文字。青海波の舞は唐《から》から渡ってきたものであるが、宮はその方面にもご教養ふかくいらせられるようで、お歌の中にもうかがえる。
后《きさき》の品位がそなわっていらっしゃる方だと、源氏はうれしく笑みこぼれ、経巻のようにお文をおしいただいて、いつまでも見入っていた。
行幸の日は、親王方《しんのうがた》も一人のこらずお供した。東宮《とうぐう》もお出ましになった。奏楽の船は池を漕《こ》ぎまわり、唐・高麗《こま》の舞楽が数をつくして舞われる。楽の音、鼓《つづみ》の音は一日、空にひびいた。
試楽の日の源氏のあまりの美しさに、魔神が魅入らぬかと、帝はあれから、魔除《まよ》けの誦《ず》経《きょう》を寺々にお命じになったりしている。世の人々は「ご親《しん》子《し》のおん仲で、さもあろう親心だ」と共感したが、弘徽殿の大后だけは、あんまりな御偏愛だと、憎らしくお思いになるようだった。
この日の楽人は、殿上人《てんじょうびと》・地下《じげ》を問わず、すぐれた技量をみとめられている人々が選《よ》られていた。舞手はそれぞれこの日のために、長い稽《けい》古《こ》にはげんでいたのである。
紅葉のかげに、四十人の楽人が、めでたく奏でる楽の音に、まるで合奏するような松風は、まさに「深《み》山《やま》おろし」というべく、さっと風がわたると色々に散りかう秋の紅葉の中へ、青海波の舞手の源氏があらわれたさま、――これほどの凄艶《せいえん》な美はまたとあるまいと思われた。
かざしの紅葉が散り乱れ、源氏の美しさに気圧《けお》されてみえるので、左大将《さだいしょう》が、御前の菊をとってさし替える。
日ぐれ、わずかばかり時雨《しぐれ》が通り、空までが感動の涙をこぼしたようだった。源氏は菊の花を冠にかざし、今日は技《わざ》をつくして舞った。入りぎわの舞など、そぞろ寒くなるばかりの美しさだと人々はいいあった。物の心知らぬ下人たちも、木かげや岩のもとでのぞき見しつつ、感に打たれていた。
承香殿《じょうきょうでん》のお生みになった四の宮が、まだ童《どう》形《ぎょう》で秋風楽《しゅうふうらく》を舞われたのが、源氏につぐ見ものだった。この二つの舞に、今日の興は尽きた観があった。
その夜、源氏は正三位《しょうさんみ》に、頭の中将は正四位下に、ほかの上達部もそれぞれ昇進した。人々は、源氏の余光を蒙《こうむ》ったことを喜びあった。
藤壺の宮は、このごろお里帰りをなさっていられる、と源氏は聞いた。
もしやお目にかかる折はないかと、源氏はお里の三條邸をうかがい歩いていたが、ご様子が仄《ほの》かにでも知れるかもしれないと、思いきって参上することにした。
命婦《みょうぶ》や、中納言《ちゅうなごん》の君、中務《なかつかさ》、といった宮のおそばに仕える女房たちが出てきて、源氏を接待し、宮のお部屋から、遠く離れた所へ通される。
(よそよそしい、なされかただな)
と源氏はおだやかでないが、気をとり直して、世間ばなしをしている所へ、宮の兄君にあたられる兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が来られた。源氏の君がお越しになっていられます、と聞かれて、こちらへやってこられたのである。
兵部卿の宮は艶《えん》なご風采でいられる。源氏は、藤壺の宮の兄君という点からも、紫の姫君の父宮という点からも、ことさら、兵部卿の宮をなつかしく思わぬわけにはいかなかった。それは、人知れず、源氏ひとりで心の内に思うことであるが……。
兵部卿の宮は、まさか源氏が、わが娘の婿とは夢にもご存じないので、源氏がうちとけてなつかしげに話しかけるのを、快くお思いになっていた。
日が暮れると、兵部卿の宮は、御簾《みす》の内に入られた。源氏はうらやましく見送った。兵部卿の宮はご兄妹《きょうだい》のお間柄なので、心やすく藤壺の宮と、人を交えずお話になるのだろう。……その昔は父帝のおそばに侍《はべ》って、藤壺の宮のおひざもとへも近寄れたものを、いまは他人行儀にお疎み遊ばす、……と源氏はうらめしく思うのであった。
しかし、現世のおきてのきびしさを誰が破ることができよう。取りつぎを介して、
「宮へ度々参上いたすべきでございますが、何かご用でもございませんと、つい怠りがちになります。どうか、何事につけ、お心安くお命じ下さいましたら、嬉しく存じます」
と、固苦しい挨拶《あいさつ》をして、三條邸を退出した。
さすがの命婦も、手引きするすきはなかった。藤壺の宮は、源氏との辛《つら》い思い出を、お身《み》重《おも》のいまは前にまして苦しんでいられるようなので、命婦もお気の毒でならないのであった。こうして、逢う手だてはしだいに失われていった。「はかない契り……」と源氏は嘆き、宮もともに思い乱れ給うのであったが、憂《う》くつらく日はすぎてゆく。
二條の院の幼い姫君の身分を、世間はむろん、邸内のものも知らぬのであった。邸内で事情を知る者は、惟光《これみつ》ばかりである。
源氏は、しばらく秘めておこうと考えていた。姫君の方のたてものには、別に、家《か》令《れい》や事務を司る者をつけ、不自由なく面倒をみている。
教育にも心をつかい、まるで源氏は、よそにあずけてあった娘を、引きとったような心地だった。
紫の君は、それでもときおりは、亡きおばあちゃまを恋しがって泣くことがある。源氏がいると気が紛れているが、あちこちへ通う所の多い源氏が、夕方になって出かけようとすると、
「お兄さま、お出かけになるの?……」
とあとを慕ってきて泣くので、源氏はいじらしくてならない。外へ泊まる夜を重ねると、どんなに淋しがっているかとおちつかないで、(これではまるで母のない子をもったようだ)と、苦笑された。
北山の僧《そう》都《ず》は、こんな様子をきいて、ふしぎがりつつも、うれしく思っていた。源氏は、亡き尼君の法事も、ぬかりなくねんごろにするのであった。
紫の姫君の乳母《めのと》である少納言は、思いがけぬ幸運を、夢かとよろこんでいた。これも亡き尼君の、あの世からの加護であろうかと思った。源氏には高貴な身分の北の方、葵《あおい》の上《うえ》をはじめ、各所に愛人が多いので、姫君がおとなになられたら、いろいろ物思いのたねもできようが、いまとりあえず、こうも可愛がられて生《お》い立つ姫君は、幸わせというべきであろうと、喜ぶのであった。
おばあちゃまの喪服は十二月末に脱ぎ、紅《くれない》や紫、山吹などの無紋の小袿《こうちぎ》を着た紫の君はいよいよかわいらしかった。
元日の朝、源氏は、御所の朝拝に参内《さんだい》のため、美々《びび》しく装束をつけて、姫君の部屋をのぞいた。
「おめでとう。今日から少しは大人《おとな》らしくなったかな?」
姫君は人形ごっこに夢中だった。三尺の対《つい》の御厨子《みずし》にいっぱい、人形の調度を並べたてて、いそがしそうである。小さい御殿なども源氏は作らせてやったので、そこら一めんにひろげているのだった。
「鬼やらいをするといって犬《いぬ》君《き》が、これをこわしたの。……いま、つくろっている所よ」
と、一大事のように思っているらしい。
「しようのない犬君だね。よしよし、すぐ直させようね。今日はめでたい元日だから、泣いたら、いけないよ」
と源氏は微笑して出た。供の者があたりせまいまでつき従っているのを、女房たちも拝見し見送った。姫君は、
「いっていらっしゃいまし、お兄さま」
と送ってから、人形の中の、源氏に見たてているのを、御殿へ参内させて遊んでいた。
「一つ、年をおとりになったのですから、少しは大人らしくおなりなさいませ。十《とお》をすぎた方は人形あそびなどしてはいけないと申しますのに。あなたさまは、もう婿君もお持ちなのですよ、もっとおしとやかになさらなくては。お髪《ぐし》をお梳《と》かしするのも厭《いや》がられて……」
と少納言は姫君をたしなめる。
「わたくしの婿君は、それじゃお兄さまなの、少納言」
と姫君は、ふしぎそうにたずねた。
こんな、いとけない女君だとは、邸の内の者さえ、知らないのであった。
宮中の参賀を終えて、まっすぐに源氏は左大臣家へ来た。正妻と義父に対する源氏の心づかいなのであった。
しかし葵の上は、いつものようによそよそしく端麗な態度で、口かずも少ない。
「今年からは、もう少しうちとけてくれると、私は嬉しいのだがね」
などと源氏はいってみたが、葵の上は返事しない。
彼女は、迅《はや》い噂《うわさ》をもう耳にしていた……。二條の邸に、源氏の君は女を囲っていらっしゃる……至れりつくせりに大事に、かしずいていらして、まるで北の方をお迎えになったようなありさまだと申しますよ。……そこここのお忍びあるきでまだ足らず、わざわざ自邸に迎え取っていられるからには、よほどのご執心の女人《ひと》なんでしょうね……。そういう、さざなみのような、あるいは梢《こずえ》から梢へわたる風のような噂が、耳に入っていた。
(そのかたをこそ、あなたは生涯の妻、と思いきめていられるのではありませんか?)
と葵の上は、心の中で源氏に言い返している。
しかし、気位たかい彼女には、口に出して詰《なじ》ることはできないのであった。父の左大臣は最高の権力者であり、母は皇族の出身で、その間に生まれたただ一人の姫として、珠《たま》のようにいつくしまれ、大切にかしずかれて育った彼女は、おごりたかぶった気位をもっていた。いささかでも疎略に扱われるのは、堪えられなかった。
源氏が、いかに帝の御愛子であろうとも、自分も宮腹《みやばら》の姫、同等の身分、育ちではないか、という気構えが、はじめからあった。それに、葵の上は、源氏より四歳の年長である。
源氏の方はまた、妻のたかぶった性質をすこし矯《た》めなおし、躾《しつ》けてやろうという、男の気概があった。
暗黙のうちに、かたみに自我を張り合い、いつか、しらずしらず、夫と妻の心は冷えてゆく。
(こうやってはなればなれになさったのは、あなたではございませんか)
と葵の上はいいたかった。
(あなたはそもそものはじめから、だれかに心奪われていらした……わたくしがそれに気付かぬと思《おぼ》し召すのですか? あなたのお心は、いつも、どこかの空を翔《かけ》っていた。そうして、その女《ひと》を理想の女と思いきめ、何につけても、その女《ひと》と比較あそばす……。それも、わたくしが知らぬと思し召されますか)
葵の上は、膝《ひざ》を崩さず、身じろぎもしないで、思いつづける。
(あなた。あなたが心奪われていらっしゃるかたは、いったい、どんな女《ひと》ですか? それは二條の院に迎えられたという女《ひと》なの? それともどこかの姫との忍ぶ恋なのですか?)
けれども葵の上は、それをいえなかった。源氏にあからさまに問いただし、恨み、拗《す》ね、嫉《しっ》妬《と》の涙に黒髪もむれながら、物狂おしく源氏の膝をゆすぶったりすることは、わが誇りにかけて、死んでもできない。
彼女にできることは、最高の身分の貴婦人らしい品位を崩さず、ひややかな沈黙で答えることである。
源氏は葵の上が、もし、世間普通の妻のように「二條のお邸に女のひとをお迎えになったって、ほんとう?」と嫉妬と関心をはっきり示して聞いてくれれば、どんなにたのしいか、と思う……。虚心に率直に、怒ってくれれば「いや、なあに、ほんの子供なのだ、まだままごとをしているのだ」と打ちあけて笑いばなしにできようものを。あれこれとひとりで気を廻し、心をかたくなに閉ざして、気むずかしく構えている葵の上を、源氏は飽き足りず思う。こういう妻だから、自然に、浮かれ歩きもおきるのだと思いながら、いやいやどこといって一点、非の打ちどころのない美女の、葵の上にもともと落度があるわけではないのだ、とも思い返す。
すべて、自分の多情な男心のせいで、この人の恨みつらみを買うことになったのだ、とも思う。どんな女人よりも早くめぐりあった葵の上とは、さすがに断ちがたい愛のきずなでむすばれていた。――源氏の人生にとって、葵の上は、たしかな位置にいた。おろそかには思っていないつもりであった。
源氏は、葵の上の不機《ふき》嫌《げん》な沈黙に気づかぬふりをよそおって、肩を抱いてひき寄せる。――と、さすがに物がたくあらがわないで、沈んだ気《け》色《しき》ながら、引かれて寄り添うさまなど、美しく魅力があった。
翌朝、源氏が装束をつけていると、義父の左大臣が名高い宝物の玉帯《ぎょくたい》を持ってこられた。手ずから源氏の装束のうしろを引きつくろったり、沓《くつ》を取らぬばかりに世話をなさる。
大臣は、源氏と娘の仲のしっくりしないのを憂い、源氏の浮気ごころを恨めしく思いつつも、顔を合わせると、それも忘れ、源氏を歓待し、大切に思わずにはいられなかった。源氏は、大臣の好意や親心が、しみじみと身に沁《し》みた。玉帯を手にとって、
「立派なものですね。これは宮中の内宴などに使いましょう」
というと、
「そういう折にはもっとよいのがございます。これはただ珍しいというだけのもので」
と大臣は強《し》いて着けさせられた。大臣は源氏の、人のなさけや好意をゆたかに汲《く》みとる人間性を、たぐいないものに思っていられた。そのすぐれた風采といい、気品ある物腰といい、教養学識といい、申し分ない婿であった。大臣はほれぼれと笑みをたたえて、飽かず源氏を見上げられる。
藤壺の宮の、御産の予定は十二月であった。
しかしその兆《きざ》しもなく、正月もすぎた。宮中でも準備をしていらしたのに、これはどうしたことか。……人々は物の怪《け》のしわざかとさわぎ嘆いていた。
宮は憂くわびしく、人はどう思うであろう、わが身の破滅もこのことからあらわれるであろうと思い悩み給い、病気になられる位だった。
源氏は、御産のお気配がながびくにつけても、もしやわが子ではないかと思い合わされ、それとなく安産の御修《みず》法《ほう》などさせていた。このままで、宮との仲は終ってしまうのだろうかと、あれこれ思いみだれているうち、二月十日あまり、男御《おとこみ》子《こ》が、無事おうまれになり、世の人々も宮中も、愁眉《しゅうび》をひらいて祝いあった。
宮は、御産のときに死にたかったとひそかに嘆き給うた。しかし、弘徽殿の大后などがご安産をいまいましがっていられるという噂を聞かれるにつけても、もしあのとき死んでいれば、どんな物笑いになったかもしれぬとつとめて心を強く持たれ、ようやく、ご身心の衰弱も回復されていった。
帝は、早く若宮をごらんになりたいと、参内をまちかねていられる。
源氏もまた、誰知らぬことだが、ひそかな父親として一ときも早くあいたかった。宮のいられる三條邸へ伺って、人のいないすきに、
「主上《うえ》が、若宮にお会いになりたく、待ちこがれていられますので、私が先にお目にかかって、ご様子を申上げましょう」
といったが、宮は取り次ぎの女房にこう返事をされた。
「まだ生まれたばかりで、見苦しゅうございますから」
宮の拒絶には理由があった。若宮のお顔は、おどろくほど源氏に生きうつしだったからである。宮はお心の鬼に責められて苦しく、(これでは誰が見ても源氏の君と親子と思いはすまいか。わがあやまちも、このことから世間に洩《も》れ出て、人にうしろ指をさされることになろう)と悩みつづけられた。
源氏は命婦に会って必死にかきくどくが、命婦も、手引きする方法は、今はない。宮は用心あそばされて命婦を避ける気配を示していられる。
「せめて、若宮をひとめ拝見させてもらえないか」
と源氏は言葉をつくして懇願するが、
「いずれ、しぜんとお会いになる折もございましょうに、なぜそうおいそぎになるのでございますか」
と命婦ははぐらかしつつ、それでもたがいに言葉に出さぬ思いを分けあっていた。お気の毒な、と命婦は思いつつ、源氏の惑乱に同情しながら、どうしようもないのであった。
四月に若宮は参内された。なみの乳児よりもご発育がよく、そろそろ起きかえりもなさったりする。
まぎれもなく源氏に似ていられるが、帝はもとより夢にもご存じないこととて、美しいものは似るものだ、と思っていられる。
帝は若宮を格別に大切に思われていた。源氏をこよなく愛していられたが生母の身分が低いので東宮にもお立てになれず、臣下に降《くだ》されたことを今も心苦しく思っていられる。
しかし若宮は、母宮の身分も貴く、源氏と同じく光り輝くような美しさでお生まれになったので、これこそ「疵《きず》なき玉」としてかしずいていられる。そのお心を思うにつけても宮はお胸の思いの晴れる間なく、辛く思われた。
源氏が、藤壺御殿の管絃の遊びに来合わせていた折に、帝は、若宮を抱いて出ていらした。
「美しい子だろう……。御子《みこ》たちはたくさんいるが、そなただけをこんなに小さい頃から、毎日見た。だから、そなたの幼な顔を思い合わせるのだろうか、この若宮は、そなたによく似ている。……尤《もっと》も、小さいときは、みな、同じようにみえるのかもしれないね」
と仰せられて、若宮をたいへん可愛いとお思いになっているご様子であった。
源氏は顔色も変る心地がした。
罪のほども空おそろしく申し訳なく、しかし反面、うれしくもあわれにも、さまざま思い乱れ、涙が落ちそうな気がした。若宮が何かお声をあげて笑っていられるのが、非常に愛らしく、源氏は、思わず呆然《ぼうぜん》として、
(似ているのか……いや、似ていられる)
と見とれた。
宮はあまりの心苦しさに冷や汗を流していられた。源氏は若宮を拝見してかえって心地が乱れ、夢の中のように迷いつつ、宮中を退出した。
二條の邸へ帰って、源氏は額《ひたい》を支えて、うつうつと苦しんでいた。庭の撫子《なでしこ》を折って、命婦への手紙に添えた。
「〈よそへつつ見るに心は慰《なぐさ》まで 露けさまさる撫子の花〉
若宮は立派にご成長になりましょう。今はただ、はるか遠くから人しれず私の思いを捧《ささ》げるのみです」
命婦は、それを、宮にそっとお目にかけた。
宮も、堪えられぬ思いのまま、ほのかにお返事を賜わった。
〈袖ぬるる露のゆかりと思ふにも なほうとまれぬ大和《やまと》撫子《なでしこ》〉
(私にとっては、物思いのたねをつくる子でございます)……。
宮の高雅なご手蹟のお文に、源氏の涙がおちて、にじんだ。
物思いのあるときは、西の対《たい》の紫の姫君がこよないなぐさめなので、源氏はおとずれてみた。
姫君は撫子の花の露に濡《ぬ》れた風《ふ》情《ぜい》で、何やら物思わしげに所在なく坐っていたが、源氏のやってきたのをみて、つん《・・》として顔をそむけている。源氏が邸へ帰ったのに、すぐこちらへこなかったので、拗《す》ねているのであろう。
愛くるしい美少女の、拗ねた様子は、源氏には却って愛嬌《あいきょう》こぼれるばかりにみえて、ほほえまれた。端へ座をしめて、
「こっちへいらっしゃい」
といっても応じないで、すました顔で、
「入りぬる磯《いそ》の」
と、恋歌を口ずさんで、袖で口を掩《おお》っているさまがおとなっぽく美しい。
「おやおや、憎らしいことをいうね。だれだね、そんな早熟《ませ》たことを教えたのは。それは、
〈汐《しほ》みてば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き〉
という歌だね……そんなことは、恋の手だれのおとながいうことだ。あなたはまだ早いよ、このおませ《・・》さん……。それに、いつもそばにいると、却って見馴れてよくないものだよ」
源氏は女房をよんで琴をとりよせ、紫の君に弾かせた。
「箏《そう》の琴《こと》(十三絃)は、中の細《ほそ》緒《お》の切れやすいのが面倒だな」
と平調《ひょうぢょう》に調子を下げて弾いてみる。姫君の前に琴を押しやると、いつまでも拗ねている少女ではないので、たいへん可愛らしい様子で弾く。まだ体が小さいので、腰を浮かせて左手を伸ばし、絃を押える手付きが、源氏にはこの上なく、愛らしくみえる。
自身は笛を吹き鳴らしながら、姫君に教えた。怜《れい》悧《り》なたち《・・》で、むつかしい調子などもほんの一度でおぼえてしまう。何ごとにつけても、機敏でいきいきした資質の仄《ほの》見《み》えるのを、源氏は、(期待通りだ)と嬉しく思わずにはいられない。「保曾呂倶世利《ほそろぐせり》」という曲は、変な名であるが、源氏が節《ふし》おもしろく笛で吹くと、紫の姫君はまだ未熟ながら拍子もたがわず、上手に合奏するのだった。
灯ともしごろになった。二人で絵など見ているとき、かねて外出の用意をいいつけてあったので、供の人々が次の間へきて、
「いかがでございましょう、もうそろそろ……。雨になりそうな空模様でございますので」
と促すと、姫君は心細そうにしょんぼりしてしまった。絵を見かけたまま、うつむいているのが、源氏は可愛くて、姫君の黒髪の、美しくこぼれかかるのをかきあげてやりながら、
「私がよそへいっていると、寂しいの?」
ときくと、姫君は黙ってこっくりとうなずく。源氏はやさしく、
「私もだよ。私も一日でもあなたを見ないと寂しいのだけれど、あなたがまだ小さいから私は安心して置いて出られる点もあるのだ。よそには意地わるで気むずかしい人がいてね、まずその人たちを怒らせないように、今のうちはこうして出あるくのですよ。あなたがおとなになったら、私はもう決して、よそへなんかいくものか。ほかの人の恨みを買うまいと思うのも、みなひとえに、あなたと共に長生きして、幸福になりたいと思うからですよ。わかってくれるね……」
などと、こまごまと話すと、姫君はさすがに恥ずかしそうにして、何とも返事しない。
おとなしいな、と源氏が思ってふと見ると、姫君は、青年の膝によりかかったまま、寝入っているのだった。いじらしくなって、
「今夜はもう出かけないことにした」
と源氏がいうと、供人たちは一同立って出てゆき、やがて女房たちが、食事をはこんできた。源氏は姫君を起こして、
「もう出ていかないことにしたよ」
というと、
「ほんとう? お兄さま」
と、みるみる機嫌がなおってほほえむ。
一緒に食べはじめたが、姫君は心もそぞろなさまで、しるしばかり食べて箸《はし》をおき、
「ではお兄さま、早くおやすみ遊ばせ」
と、源氏が、まだ言いこしらえて外出しないかと疑って、衣の裾《すそ》をとらえて放さない。
なんという可《か》憐《れん》の姫君か、こんな可愛いものを見捨てては、たとい死出の道であろうともおもむきがたいだろうと、青年は思った。
こんなふうに、源氏が外出の足をとどめられる折々も多いのを、人づてに左大臣邸でも聞いて、女房たちはこころよからず噂しあっていた。
「いったい、どんな女《ひと》なんでしょう。あつかましいではありませんか。今までそんな噂も聞かなかったのに……」
「おそばにまつわって甘えたり媚《こ》びたりするなんて、きっといい身分の女《ひと》ではないのね」
「どんな素性《すじょう》か、わかるものですか。内裏《うち》あたりでふっと見染められた女《ひと》を、まるで北の方なみの扱いをなさって、世間に知れたら非難もあろうかと隠していらっしゃるのよ。まだほんの、ねんね《・・・》なのだとわざと弁解がましくいわれるのは、その照れかくしなのではないかしら」
などとかしましいことであった。
帝にも、源氏が二條の邸に、「女を据えている」という噂をお聞きになって、
「左大臣が気の毒ではないか。……そちがまだ分別もつかぬ頃から心こめて後見をし、婿にしてけんめいに世話をしてくれたその志のほどを、わからぬ年頃でもあるまいに、どうしてそう、薄情な仕打ちをするのか」
と仰せになるが、源氏はかしこまって恐縮しながら、返答も申上げられない。帝はお心の内に、(左大臣の姫君が気に染まぬのであろう)と源氏を可哀そうに思し召された。
「それにしても、かくべつ好色《すき》者《もの》の噂もきかず、婦人とのもめごとも見聞きせぬのに、いったい、どこを隠れ歩いて、こう、舅《しゅうと》や妻に恨みを買うのだろう」
とふしぎに思われるらしかった。なるほど源氏は、宮中でも世間でも、うわべはまじめな貴公子で通っていた。
帝はお年たけていらしたが、この方面にはさばけていられて、お食事係りの采女《うねべ》や、雑役の下級女房である女蔵人《にょくろうど》に至るまで、美貌で才気ある女人を喜ばれたので、宮中には美女才女が多かった。
そうした女人たちに、源氏は心動かされないらしくみえた。源氏がほんのたわむれ心に言葉をかけても、彼女たちはたいてい、たやすくなびいたから、源氏は珍しくなくなったのかもしれない。中には女人の方から、たわむれに見せかけて、言い寄るものもあったけれど、源氏は不風流でない程度にあしらって、情事にまで深入りすることはなかった。それで、女人たちの中には「物堅すぎてさびしいわ」などと思う者もあった。
しかし源氏は、たやすく手に入れられる恋には心動かぬという、厄介な癖をもった青年なのである。かの、年老いた色好みの、宮中に仕える女官とのおかしい情事も、その風変りさのゆえに、ふと源氏の興をひいたのであろうか。
五十七、八の典侍《ないしのすけ》――家柄もよく、才女で、宮中でも一目おかれながら、色の道にかけては軽々しいと、かげ口利かれている婦人である。
源氏はかねて、(あんな年輩で、なぜああも色好みなのだろう)とふしぎがっていた。
たわむれに言い寄ってみると、彼女は、不似合な仲とも思わぬのか、なびいてくる。呆れたものだなと思いながら、さすがに、こんな色ごともふと面白くて、ついつい源氏はかかわりをもってしまった。
しかし人に噂されてもあまりに不釣合な相手なのできまりわるくて、源氏はことさらつれなくよそおっているのを、老いた典侍はうらめしく思うようだった。
ある日、典侍は帝の御《み》髪《ぐし》上《あ》げの役をつとめていた。それが終ったので帝は、御袿《みうちぎ》の係りを召し、お召し替えに出ていかれた。あとには人もいず、源氏と典侍だけだった。典侍は常よりもさっぱりと、姿かたち見よく、あたまの恰好《かっこう》もなまめかしく、衣裳《いしょう》も花やかに派手なものを身につけている。
(いつまでも色気たっぷりの厚化粧だな……)
と源氏はうとましく思いつつも、いかなる男の好きごころか、ふと好奇心も動いて、いたずらをしてみたくなった。
裳《も》の裾を引いてみると、典侍は、相手を源氏と知りながら、
「まあ、どなた……」
と婀娜《あだ》っぽくいって、派手な絵をかいた扇で顔をかくし、こちらを流し目で見返る。その目も、まぶたはたるみ、黒ずんで落ちこんで、扇の外へこぼれる髪も、そそけ立っているのだった。扇も、年に似合わぬものよと目をとめて、自分の扇と取り換えて見ると、赤い紙の、顔が映るほど濃い色をしたのに、木《こ》高《だか》い森の絵を、金泥《こんでい》で塗りつぶしてあるというものだった。
片面には、古めかしい手蹟ながら、さすが趣きあるさまで、「森の下草老いぬれば」と書き散らしてある。
「ほほう……
〈大荒《おほあら》木《き》の森の下草老いぬれば駒《こま》もすさめず刈る人もなし〉……年老いれば、男も寄りつかぬというなぞですか。しかし、大荒木といえば、こんな歌もあるじゃありませんか。
〈ほととぎす来《き》鳴くを聞けば大荒木の森こそ夏の宿りなるらし〉……どうしてどうして、あなたのご艶聞《えんぶん》は耳に入っていますよ。ほととぎすならぬ、いろんな男たちが慕い寄ってくるそうではありませんか」
などとたわむれて源氏はささやきながら、もし人にこんな場面をみつけられたら、体裁《ていさい》が悪いな、と青年らしい虚栄心で人目を気にするのであった。
女の方はそんなことは全く気にかけぬさまで、
「森の下草は盛りすぎていますけれど、あなたのような若駒がいらしたら喜んで刈りますわよ」
などというのも若づくりに色っぽい。
「そうかな。たくさんの駒が、くつわ《・・・》をならべてせり合うことになっては難儀だよ」
と立とうとすると、女は青年の袖を捉えて、いまは恥も外聞もなく、
「ねえ、お待ち下さいまし。……打ちあけて申しますと、この年になるまで、わたくし、こんな物思いをしたことはございません……どうせなら、はじめからお情けをかけて頂かなかったらよかったのに……今となっては身の恥ですわ」
と泣くので、青年は閉口してしまった。
「そのうちにたよりをしますよ、いつも思いながら《・・・》つい……」
と袖をふり放して出るのへ、典侍は追いすがって、
「〈橋柱〉……というところでございますわね」
と、恨めしげにいう。――それは、〈津の国の長柄《ながら》の橋の橋柱古《ふ》りぬる身こそ悲しかりけれ〉の歌からであろう。
帝は御袿をお召しになり、御《み》障《そう》子《じ》のすきまから覗《のぞ》いていらしたのだが、あまりに不釣合な仲だとおかしく思われ、
「あれ《・・》がまじめすぎるとみな心配していたが、結構、浮気もしているのだな」
と破顔された。
典侍はきまりわるく思いつつも、憎からぬ人のためには濡衣《ぬれぎぬ》をさえ着たがる心のならいとて、あながちに弁解もせぬのであった。
御所の内に、源氏と典侍の浮名がぱっと立ってしまった。
誰よりも驚き、かつ、してやられた、と思ったのは、親友の頭《とう》の中将である。源氏のかくれた色恋沙汰を一つのこらず知りつくしているつもりだったのに、なるほど、典侍とは気付かなんだ、と思った。
しかし、これが男心のふしぎであろうか――色好みの多情女、という評判の典侍に、中将もまた、ふと心動かされたのである。そうして、いつとなく言い寄って、とうとう、彼までも、典侍の数多い情人の一人になってしまった。
頭の中将も人にすぐれた貴公子なので、五十七、八の典侍には、じつに好もしい情人とうつった。典侍はうれしくてならないのである。
けれども本心をいうと、つれない源氏の方に、典侍の心はよけいかたむいていた。
もう恋をやめようと思いながら、四十代では四十の恋を、五十代で五十の恋を、飽きずに典侍はくり返してきた。
自分のとしの半分にもならぬ若い恋人を得て、身も心もみずみずしくたっぷりとうるおい、命の華やぎにほてりながら、典侍にはまた、物思いも、それに比例して深くなってゆくのである。
典侍は、頭の中将のことを隠していたので、源氏は全く知らなかった。
あうと、典侍は、源氏の袖をとらえて怨《うら》みごとをいうので、源氏は敬遠していた。しかし、源氏には、つねに女に対して、一抹《いちまつ》のやさしみが失われずあるので、いちど躰《からだ》をかわした女を、すげなくあしらうことはしないのである。
(何といっても、お祖母《ばあ》さま、といった年なんだからな……年齢に対しても敬意を表《ひょう》さなくては)
と思い、やさしい言葉をかけてやろうと思いつつも、つい、おっくうなままに日がたってゆくのであった。
夕立がして、涼しい宵闇のころだった。
温明殿《うんめいでん》のあたりを源氏が歩いていると、典侍が、美《み》事《ごと》な琵琶《びわ》の音をひびかせていた。
いったいこの典侍は、音楽の道にもたけた才女で、男ばかりの管絃のあそびにも、一人女の身でうちまじって、まさる者ない、琵琶の名手なのである。そういう女が、ことさら、わが身、わが恋のはかなさを思い、もの思いに沈んで恨みがちに弾きすます楽の音色であってみれば、源氏の心を、あわれに打たずにはおかなかった。
(…………)
源氏は、思わず足をとどめて、耳をすませた。と、典侍は歌のひとふしを声あげて歌っている。声を聞くと、どうも若作りですこしきざ《・・》にも思われたが、折からの風趣にかなっていないこともない。
源氏は小声で、歌のひとふしを合わせつつ、近寄った。と、典侍はすぐ悟って、誘うような歌を口ずさむ。そのへんの呼吸も、恋の手だれ、というところで慣れたものである。
「軒に立っていらっしゃらないで、どうぞおはいり下さいまし……」
典侍は浮き立つ心をしずめて、ささやく。
「いや、ほんの雨やどりですよ……楽の音色にひかれて、つい」
と源氏も応酬する。
「雨やどりのお人の袖よりも、内にいるわたくしの袖のほうが、濡れているのは、なぜでございましょうかしら」
典侍は、思わせぶりにほうっと、つややかなためいきをついてみせる。
「さて、誰のために濡れた袖でしょうかね。あなたは私ばかりお恨みになるが、あちこちに、恨む相手は、たくさんおありではないのですか?」
「まあ。あなたではございませんよ」
源氏は笑って行きすぎようとしたが、どうも、さすがに薄情な気がして、思い返して典侍の部屋へはいった。典侍はさすがに年の功で、そのやりとりに手ごたえがあり、それにたくみに恋の気分を演出する力量充分である。
若い源氏はその面白さに、つい、ひきこまれ、典侍の部屋に泊まった。
頭の中将もゆくりなく典侍を訪れてきたのだが、源氏の姿をみつけて、嬉しくてたまらなかった。
かねて中将は、源氏が、まじめな顔をして、中将の浮気沙汰をいさめるのが、いまいましくてならず、いつかは源氏の忍んだ浮かれあるきのしっぽをつかまえようと思っていた。
全く、じつに幸運の機会である。
すこし脅して困らせ、「まいった」といわせようと中将は思った。
風が吹いて涼しく、夜はやや更《ふ》けたころ、内部《なか》の恋人たちは寝入ったようなので、中将は、折を見はからってそっと入った。
源氏はおちついて眠れなかった時なので、物音をききつけて、中将とは思いもよらず、
(さてはいまも典侍に未練があるという、修《す》理《り》の大夫《かみ》だな……)
と思った。(あの爺さんと顔を合わせるなんて、ぶざまだぞ)
引きあげるには、いい機会《しお》だ。
「ひどいじゃないか。あなたの恋人が来たらしいね。今まで私にいろいろ甘いことをいったのは、みな、いつわりなんだね」
などと巧みに責めながら源氏は直衣《のうし》だけ取って屏風《びょうぶ》のうしろに入った。
中将はおかしくてたまらない。
源氏のかくれている屏風のそばに近づき、わざとばたばたと音たてて、荒っぽい動作でたたんでいく。典侍は、老いたとはいえ、浮気女のことで、こんな場面にも今までの人生でたびたび遭遇しており、なれているのである。心をどきどきさせつつも、
(この人、源氏の君をどうするつもりかしら?)
とまずそれが気になって、震えながら中将の袖をつかまえていた。
源氏は、自分と知られないでこっそり忍び出よう、と考えていたが、しどけない姿で、冠もゆがんだまま走っていく後姿のぶざまさを想像するにつけても、あまりにもみっともないと、ためらっていた。
中将の方も内心、(私だと源氏の君に悟られるまい)と思うので、物もいわない。
ただ、嫉妬の怒りに燃え狂った態《てい》をよそおって、ぎらりと太刀《たち》を引きぬくと、典侍は、腰を抜かさんばかりにおどろいて、
「あなた、……な、なにをなさるの……」
と中将に向って手をすり合わせるので、中将はあやうく、ふき出すところだった。若作りの厚化粧をしているときは、かなりな美女にも見えるが、何といっても五十七、八の老女、あわてふためいてなり《・・》もかまわず、美しい二十代の貴公子の間にはさまれ、腰を抜かしているさまは、こっけいな見ものだった。
中将があまり大げさに、怒り狂った演技を見せるので、かえって源氏にはわかってしまった。
(ばかばかしい。中将じゃないか……私だと知って、わざとやったんだな)
と思うと、おかしくて、中将の太刀を抜いた腕をとらえて、したたかつねった。
中将は、残念だったが、たまらず笑い出してしまった。源氏は、
「おどろかすのではないよ、中将。わるい冗談だ。さあ、直衣を着よう。その袖を放せ」
「いや、そのまま。そのまま。しどけないお姿の方が、お浮かれ歩きの証拠になりますからな」
「どっちのことだね。それなら、君も一緒に脱ぎたまえ」
と、中将の帯をとって源氏がぬがせると、中将はそうさせるまいと争う。そのはずみに縫目がほころび、中将は叫んだ。
「これでは、隠せどもあらわるる、というところで、恋の冒険が表《おもて》沙汰《ざた》になってしまう」
「どうせ、そうなるのはわかりきったことじゃないか」
二人の貴公子は、同じようにしどけない姿で、そろってかえった。
源氏は、中将に現場をみつけられたことを残念に思いながら、自邸の二條院で寝ていた。
典侍のほうは、このさわぎをつらいことに思った。翌朝、落ちていた源氏の指貫《さしぬき》や帯を届けて、手紙をつけてきた。
「嵐《あらし》のような一夜でしたわ。あの嵐は、あなたとわたくしを引き裂いたばかりか、なごりの波が、こんなものを残してゆきました」
どうも、場馴《ばな》れしたようすが小つらにくいと源氏は思ったが、かわいそうでもあるので、
「波の荒いのには驚きませんが、次々と寄せる波の多いのにはびっくりしました」
と、典侍の浮気を諷《ふう》した返事をやった。
帯の色がちがうと、よく見ると中将のだった。中将の方からは、源氏の袖を、得意顔で届けてきた。全く、恋の冒険というのは、どんな目にあうかわからぬもの、好きごころでうかれあるいていて、たいへんなことになってはとりかえしつかぬと源氏は自戒したが、これも男心の常とて、いつもそう思うのはひとときだけのことである。
清涼殿《せいりょうでん》で源氏は中将にあった。
この日は公用が煩《はん》多《た》な日であった。源氏も中将も役目がら、いそがしかった。
源氏は、中将が、威儀を正して役職に精励しているのを見て、片はらいたくて、おかしくてたまらない。
中将もまた、源氏が重々しい顔で、公事《くじ》を議している姿に、ふき出しそうになる。二人の仲の良い貴公子は、ひそかに顔を見合わして微笑し合っていた。
七月に、藤壺の宮は、中宮にお立ちになった。源氏は、宰相《さいしょう》にすすんだ。
帝は御譲位を考えていられた。ついては、若宮を、次の東宮に、と思し召されるが、後見をされる方がいない。おん母方の親族はみな皇族方とて、後見になれない。皇族は政治にたずさわれないきまりであった。
せめて母宮の藤壺の宮を后の位に据え、ゆるぎない地位に置きたてまつって、若宮のお力添えに、と思し召されたのである。
弘徽殿の女御は、非常に、御不満に思われたが、それも道理である。女御は、いまの東宮の母君で帝とご結婚以来二十余年にもなられる。その方をさしおいて、お若い藤壺の宮を后の位に据えられることは理にかなわぬように、世間もうわさしていた。しかし帝は、
「東宮の御代も近いことです。そうなればあなたは皇太后ではないか。お心安い日々が待っているのですよ」
と慰められた。
中宮が入内《じゅだい》される夜のお供に、源氏も加わった。同じ中宮でも、この宮は先帝と皇后の間に生まれられた内親王で、その上、玉のような若宮もおできになり、帝のご寵愛《ちょうあい》も深いところから、世の人は格別に尊《たっと》んでいるのであった。
源氏は、中宮の乗っていられる御《み》輿《こし》ばかり、ひそかにみつめていた。御位もいよいよ高く、わが手のとどかぬところへ去っていかれる宮に、源氏はますます思慕を燃やさずにはいられない。
華やかにもおごそかな中宮入内の儀式のあいだ中、供奉《ぐぶ》する源氏の顔は、暗く沈んでいた。
花は散るおぼろ月夜の宴《うたげ》の巻
年あけて春になった。紫《し》宸殿《しいでん》では、春の一日、桜の宴が催されることになった。
帝《みかど》の玉座の右ひだりに、藤壺《ふじつぼ》の中宮と、東《とう》宮《ぐう》が御座《ござ》を占められる。
弘徽《こき》殿《でん》の女御《にょうご》は、それをごらんになるにつけても、御不快であった。当然自分がふむべき后《きさき》の位を、年若い藤壺の宮にさきを越され、身は、下《しも》座《ざ》についているのが無念に思われたが、しかし、こんな晴れやかな催しごとを見物するのはお好きなので、やはり出かけていらした。
よく晴れて、うららかな春の青空、鳥の声もさわやかな日だった。
親王方、上達《かんだち》部《め》などをはじめ、文学に心得ある人々は、みな、探韻《たんいん》を賜わって詩を作った。詩の中に踏む韻の字を紙に書いて、御前に伏せてある。それを各自取りにゆき、その場で開いて、わが名とその韻字を声高《こわだか》に披《ひ》露《ろう》するのである。
源氏は、
「『春』という文字を賜わりました」
と披露したが、聞く人々は、その態度や声《こわ》音《ね》の、凜《りん》として気品高いのに、すでに圧倒されるように思った。
つづく頭《とう》の中将は、源氏と見くらべられて気の張ることだろうと人々には思われたが、この青年もまた、なかなかに威《い》あって負《ひ》けめをとらぬ態度でよかった。
その他の人々は気圧《けお》されたかして、見栄《みば》えせぬものになってしまった。
帝や東宮をはじめ、学才・見識のある方々の多い御代《みよ》なので、人々は心が置かれるのである。
年老いた博《はか》士《せ》たちの、風采《ふうさい》はみすぼらしいが、さすが文学の道でもって仕えている身だけに、こういう折は場馴れた様子でいるのが、帝には、おもしろくお目にとまったらしかった。
長い春の一日も、ようやく暮れようとするころ、「春鶯囀《しゅんおうでん》」の舞が面白く舞われる。
東宮のご所望で、源氏はひとさし、ゆるやかに袖《そで》をひるがえして舞う。
「中将はどうした。舞え」
と帝の仰せで、頭の中将もつづいて柳花苑《りゅうかえん》という舞を舞った。これは、かねてこんなこともあろうかと心づもりしたらしく、ねんごろな美しい舞いぶりだったので、帝のご満足を賜わり、御《おん》衣《ぞ》を賜わって、中将も面目をほどこした。
詩の披《ひ》講《こう》がはじまった。源氏の作る漢詩が、一句よみ上げられるたびに、声ないどよめきや讃嘆《さんたん》が、宴につらなる人々の間に走る。珠《たま》をつらねたように流麗な詩句、奔放に躍動し、きらめく詩想、一句は一句と、聞く人々は耳洗われるように思った。
その道の博士や学者たちも嘆息して、うなずき交していた。帝のご満足もさりながら、中宮も、内心、動揺していらした。源氏の舞姿の美しさや、ゆたかな才分のほとばしりを、今さらのように目《ま》の当りにされ、必死にわが手で封じこめていらっしゃる心の底の恋が、また燃え上るのである。
この、心にやましい秘めた恋がなくて、源氏を見るのなら、どんなにかはればれと、この宴席の人々と同じように源氏を賞《ほ》めそやしたろうものを、とひとりお心に辛《つら》く思われた。
夜はふけて、やっと宴は果てた。
上達部はそれぞれに散り別れ、中宮も東宮もおのおのの御殿へ帰られた。
あたりは静もり、月はあかるく照って、何ともいえぬ美しい春の宵である。
源氏は快い酔心《よいごこ》地《ち》に、このまま引きこもるのも惜しくて、そぞろ歩いた。
やわらかな、かんばしい夜気。
心そそられる、夜のしじまである。
殿上《てんじょう》の宿直《とのい》人《びと》もみな寝入っているらしい。もしやこういう夜に、思いがけなく宮にお目にかかれはすまいかと、藤壺御殿をうかがってみたが、例の、手引きしてくれる折の戸口もみな、しまっていた。
源氏は失望したが、なおも物足らぬ心地で、弘徽殿の細殿《ほそどの》に寄ると、三番目の戸口が開いていた。
女御は、宴のあと清涼殿《せいりょうでん》の上《うえ》の御局《みつぼね》にあがっていられるので、御殿の中は、人ずくなの様子で、静もり返っている。
(不用心な……こういうことから、まちがいはおこるものだ)
と思いつつ、そっと長押《なげし》をのぼって、内をのぞいてみる。女房たちはみな寝入っているらしかった。
そこへ、若々しくきれいな声で、(たぶん女房ではあるまい。姫君と思われるような品のいい声だった)
「朧月夜《おぼろづきよ》に似るものぞなき……」
と歌いながら、こちらの方へ女がやってくるではないか。たぶん彼女も、宴のあとの火《ほ》照《て》りさめず、春の夜の快さにさそわれて、心ときめきをもてあましていたのであろう。
源氏はうれしくて、突然、彼女の袖をとらえた。女はおびえて、
「まあこわい。どなたなの……」
と逃げようとする。源氏はささやいた。
「あやしい者ではありませんよ……こんなおぼろ月夜にお目にかかれるなんて、おぼろげでない前世の約束ごとですよ」
と静かに女を抱きあげ、部屋へはいって戸をしめてしまう。
女は不意の出来ごとに動転してこわがっている様子が、愛らしく美しかった。ふるえながら、
「だれか、来て。……ここに知らない人がいるわ」
というのだが、源氏は女を安心させるようにやわらかく手を握りしめ、耳にささやく。
「人をお召しになってもむだですよ……。私は何をしても許される身なのでね……それよりも、静かになさって下さい」
源氏のしのびやかな声音と、微笑をふくんでおちついた口吻《こうふん》に、女は、すぐ、何者かを悟ったようだった。そうして、ややほっとしたらしい。
「ひどいことをなさるのね」
という声には、なかば媚《こび》めいた声音も添っていた。
「私が悪いのではありませんよ……春の宵のせいです」
源氏が引き寄せると、女は若々しいせいか、あらがうような手《て》強《ごわ》さはない。こんな冒険の相手が源氏と知って、女にもたわむれ心がきざしたらしかった。興ざめな抵抗をして、情け知らずのかたくるしい女、と思われたくない気もあったのだろう。
源氏は酔っている。
酔いごこちに身を任せて、それを口実にしているような、と自分で知りながら、もう引き返せない。
女が少しもあらがわずに、源氏のいうままになるのを、源氏は可愛く思う。
夜は早くあけて、いかにもあわただしい。
「お名前を知りたい。そうでなければどうして連絡ができよう。このままとは、あなたも思われないでしょう」
と源氏はいった。
「ほんとにお知りになりたければ、ご自分でおさがし下さいまし。それだけの熱心もおありにならないとしたら、それは、あたくしへの愛が足らないという証拠ですわ」
というさまが、なまめかしく見え、源氏はさらにこの、何ものともしれぬ女に魅力をおぼえる。
「しまった、これは私の言い方が悪かった。しかし、あなたの身もとを探ったりしていると、いつとなく噂《うわさ》が立って、私たちの仲に邪魔が入るのですよ。――なぜお名前を隠される。私をはぐらかすおつもりですか。まさか、もう二度とあわぬと思っていられるのではありますまい」
いううちに、はや、人々が起き出して、上の御局へ女御を迎えにいったり、あちらから退《さが》ってきたりして、ざわめきだした。
もう、とどまっていては人目に立つ。
「好きだよ……もういちど、あなたに会わずにおくものか」
と青年は女にささやいて、
「扇をとりかえよう。春の夜の思い出だ」
と、自分のを与え、女の扇をとって、そっと忍んで出た。
源氏の部屋に仕えている女房たちの中には、もう起きている者もいたが、源氏の帰りを見つけ、
「よくもまあ、お忍びあるきに精の出ること」
と、仲間どうしで、つつき合いしつつ、寝たふりをしていた。
源氏は横になったが、ねむれなかった。
(誰だろう?……美しい人だったが)
弘徽殿の女御の妹君の一人にちがいなかった。
妹の姫君はたくさんいて、その中には、親友の頭の中将の夫人で、中将とあまり仲がよくないという四の君や、帥《そち》の宮の夫人などもいる。みな美人のうわさ高いが、……しかし、かの、朧月夜の姫は処女だった。すると、五の君か六の君だろうか。
(いっそ、四の君のような、人妻だったらな。むしろあわれふかい恋のかけひきができて面白かったろうに……)
源氏はためいきをついた。
(六の君だったとしたら……これはたいへんなことになる)
六の君は、東宮と結婚の予定の姫君である。
つまり、源氏にとっては、兄君の婚約者ということである。
だが、五の君か、六の君かを知る手だてはいまのところ、全然ない。
源氏は、弘徽殿の女御にこころよからず思われている存在だから、あの御殿に、気を許せる手づるはないのである。
(あの女《ひと》も、このままで終るつもりはなさそうだったが……)
と、源氏は、なぜ手紙を通わすすべ《・・》だけでも打ち合わせてこなかったかと、くやまれた。
「ただいま北の御門から、女人衆のお車が出てゆくところでございます」
帝の御前から退った源氏に、良清《よしきよ》と惟光《これみつ》がさっそく報告にきた。
源氏は、ゆうべの朧月夜の姫君が、御所を退出するころではないかと、気が気でなく、心利《き》きたる従者の良清たちにいいつけて、見張らせておいたのだった。
「女御更《こう》衣《い》がたの御実家の方々らしゅうございますが、その中に、四位《しい》の少将や右中弁《うちゅうべん》といった方々が急いで出て来て、送っていられたのが、まさしく弘徽殿のお里のお車と見えました」
「四位の少将たちが送っているのならば、身分ある姫だな。やはり妹君たちか……どの姫かわからなかったか」
「さあ、それは……。お車も三つばかりございましたので」
源氏は手のうちの小鳥を、空へ放したようにがっかりした。
あの姫の身もとを探るにはどうすればいいか。
しかし、もし探ったとしても、姫の父、右大臣にまで知れたらどうしようか。大げさに婿あつかいされたら、源氏としては進退に窮する。すでに源氏は、左大臣の婿である。左大臣と右大臣は、かねて政敵の間柄ともいうべく、いまここで右大臣の姫君との仲が公然のものとなると、政治的にむつかしい状況に追いこまれてしまう。いや、それよりも何よりも……あの朧月夜の姫君が、どんな人柄、どんな気立ての女《ひと》ともわからぬままに、いつとなくずるずるに、婿あつかいされては、これもやりきれない。
あのときの様子では、愛らしく、人なつこいように思われたが……どちらにせよ、五の君か六の君か、はっきりわからないのは残念だった。
(どうしたものだろう……)
と源氏は物思いにふけった。あのときかたみに取り交した扇は、桜の地色に、霞《かす》んだ月が水面に映っている図柄だった。よくある絵だけれど、使う人の心がらのしのばれて、何となし、やさしい風《ふ》情《ぜい》がある。
あのときの、あの女《ひと》のもののいいざま、なよなよしたしぐさ、いまも源氏の眼にのこるようで、しばらく扇をみつめていた。
左大臣邸にもしばらくご無沙汰で、心苦しく思ったが、かの紫の姫君も気にかかるので、
(淋しがっているだろうなあ)
と思うと、いじらしくなって二條院へ、源氏はいってみた。
「おお……すこし見ないあいだに、何だかぐんとおとなびたね」
源氏は紫の君を見て思わず嘆声を洩《も》らした。
姫君は、童女期を抜け出して、匂やかな少《おと》女《め》に変貌《へんぼう》しつつあった。愛嬌《あいきょう》ある、愛くるしい笑顔に、明るい気立てが、源氏にはことにもうれしかった。……彼の年上の妻や情人たちの、重々しいつくろった雰《ふん》囲気《いき》を見なれていたので。
(充分だ……これなら、全く理想通りの、好みの女に生《お》い立っていきそうだ)
と、青年は深く満足した。思う通りに不足なく教育しようという源氏の期待に、この姫君なら、こたえることができそうであった。
ただ、男の教えることなので、すこし世間なみでない点もまじるかもしれない。世の深窓の姫君たちとちがって、幼いときから男に慣れて育ったので、開放的すぎるかな? と気にならないでもなかったが。
「あたくし、そんなにおとなになりました? ほんと? お兄さま」
と紫の君は、青年に見つめられると、すこしはにかんでいった。
「自分ではわからないけど……。でも、おとなになるの、いや。いつまでも子供でいたい」
「おとなになれば、子供のときよりもっと面白いこと、たのしいことがあるのさ……つらいこと、悲しいことも増《ふ》えるがね。でもそれは、面白いことや、たのしいことの味を、より深くする香辛料のようなものだ」
姫君は、つぶらな眼を青年に向けて、じっと彼の言葉を聞いていた。怜《れい》悧《り》な少女には、青年のいう言葉の一つ一つが、心の砂地に沁《し》みこんでゆくようにみえた。
いつものように琴を弾いたり、あそびごとに日を暮らして、宵になると源氏は外出の用意をはじめた。
「もうお出かけになるの、お兄さま」
と紫の君はつまらなそうにいったが、以前のようにしょんぼりしたり、裾《すそ》にとりついたりせず、物足らぬながらしかたないと、あきらめた風で、
「いってらっしゃいまし」
と可愛くいって送り出すのである。
「やっぱり、おとなになったよ。姫君は」
と、源氏は、見送りについてきた乳母《めのと》の少《しょう》納言《なごん》に笑いながらいった。
「おばあちゃまを慕って、しくしく泣いていたのは、ほんの昨日のことのようだのに」
「そうでございますね。お心ばかりでなくお身のほうもこの程、おとなになられました」
少納言は、よしありげにほほえんでいた。
源氏は少納言を、ちら、と見て、
「それはよかった……もう一人前の淑女あつかいしなくてはいけないんだな」
「おすこやかにお育ちでいらっしゃいます。これもみな、お殿さまのおかげでございますわ」
二條院へくると、たのしい明るい話ばかりなので源氏はここへくるときは心弾《はず》む。しかし、二條院から左大臣邸へ向うときは、まるで義理にひかれるように気が重い。
妻のもとへいくというのに、車の中で青年は、屈託ありげに嘆息をもらしたり、爪《つめ》を噛《か》んだりしていた。
源氏が来たというのに、葵《あおい》の上《うえ》はなかなか顔を見せない。化粧に手間どるのだろうか、もったいぶっているのだろうか……夫婦らしく、ふだん着の素顔を見せてくれればいいのに、と源氏はいつものことながら、手持ちぶさたに、物淋しい。
(男に、こうも所在ない気持を味わわせていいと思っているのかなあ)
などと、それからそれへと考えつづける。
(男に、いろんなことを考えさせるひまをあたえて、いいと思っているのだろうか、あの人は)
男が、女のもとへきて、さまざまな感慨にふけっているようでは、その男女の仲はおしまいである。
源氏は琴をとりよせ、かき鳴らして小声で、
「やはらかに寝《ぬ》る夜はなくて」
とはやり唄をうたっていた。
そこへ、義父の左大臣が来た。左大臣は婿のおとずれを、娘よりも喜んでいるのだった。
「花の宴は面白うございましたな。私もこの年になるまで、四代の帝にお仕えしましたが、このたびのように詩文の出来栄えがみごとで、舞や楽がすぐれていたのははじめてで、命も延びる気がいたしました。あなたがそれぞれの道の、物の上手をよくご存じで、おえらびになったためでしょうな。この年寄りまでも舞い出したくなる心地でございましたよ」
「いや、特に私の心くばりのせいではありませんが……それよりも、頭の中将の舞が美《み》事《ごと》でしたね」
源氏は心やさしいところがあるので、左大臣の愛息をほめるのだった。
「大臣ご自身もお舞い下さったら、どんなにか世の晴れでしたろうに」
そこへ、中将や弁《べん》といった子息たちもやって来て、管絃のあそびがはじまった。みなが高欄に背をもたせ、思い思いの楽器を手にして音色をしらべはじめてゆく。源氏はやっと心が明るんだ。この邸へくるたのしみは、妻よりもむしろ、男どうしのつきあいの面白さにあるように思われる。男性の身内に恵まれなかった源氏にとって、義父や義兄弟とむつみあうのは、たのしいことなのだった。
右大臣家の六の君は、四月ごろ、東宮妃として入内《じゅだい》することに内定したらしかった。源氏はその噂を聞くにつけても、朧月夜にあった女《ひと》が、その人かどうか、わからないのが気がかりである。
三月の二十日すぎ、右大臣邸では賭弓《のりゆみ》の勝負の催しが行なわれ、親王方や高官を招待した。そのまま、引きつづいて藤の花の宴がある。万事派手ごのみの右大臣家であるから、弘徽殿の女御のお生みになった姫宮たちの御《おん》裳着《もぎ》(はじめて女性が裳をつける祝いの儀式)の日のために、邸も新築されて磨き立てられていた。
右大臣は源氏を、ぜひに、と招待していた。
「まあお越し下さいませ。なみの宴会ならばこうも強いてお招きいたしませんよ」
源氏が帝にこのことを告げると、
「得意そうだな、右大臣は」
とお笑いになって、
「せっかくの招待なのだから、早く行っておやり。そなたにとっては異母姉妹の内親王たちも育った邸なのだから、右大臣も、そなたを他人とは思っていないだろう」
と仰せられた。
源氏は身だしなみに心をつかって、かなり暮れたころ、人々に待たれてから右大臣邸に着いた。
桜襲《さくらがさね》の直衣《のうし》である。表は、唐織《からおり》の白いうすもの、裏は紅だった。白のうすものには金糸がきらきらし、裏の紅が透けて優美にみえる。葡萄染《えびぞ》め(赤紫色)の下襲《したがさね》の裾を長く引き、源氏は人々に鄭重《ていちょう》にかしずかれて席へ入ってくる。
ほかの招待客たちは、みな黒の正装なので、その中でひときわ目立ってなまめかしくみえた。源氏は身分がら、うちとけて洒落《しゃれ》た平服を、どんな席でも許されているのだった。
管絃のあそびに面白く夜はふけた。
源氏は酔って苦しくなるふりをして、そっと宴席をすべり出た。
寝殿には、姫宮たちがいらした。源氏は東の戸口に出て寄りかかっていた。藤の花はこちらの端に咲いているので、それを見ようとて、格《こう》子《し》はみなあげてある。女房たちもいっぱいいた。色とりどりの袖口が派手やかにこぼれ出ていて、浮わついたあたりの雰囲気である。――それにつけても、源氏は、藤壺御殿の、たしなみある落ちついたたたずまいが、おくゆかしく思い比べられた。
「酒を強いられて、苦しくなりました。おそれ入りますが、ここへかくまって下さい」
と源氏が御簾《みす》の内へ上半身を入れると、
「まあいけませんわ、女の部屋に……」
という女性の声は、品よく美しかった。
部屋にたきこめた香《こう》が匂っていた。内親王方が見物なさるのに随《つ》いて、右大臣家の姫君たちも、ここにいるのにちがいない。香のくゆり、衣《きぬ》ずれの音……高貴な女人たちが幾人かいるらしい気《け》配《はい》がする。内親王方がいられるとしたら、遠慮しないといけないところだが、源氏は心がおどるのを抑えかね、立ち去ることができない。源氏はそっといってみた。
「扇に思い出はおありですか?」
「え? なんのことをおっしゃいますの?」
という一人の女人は、これは目当ての人とちがうらしい。が、その奥で、もうひとり、ひそかにつぶやく女《ひと》がいた。
「朧月に道をお迷いになりませんでしたこと?」
源氏は嬉しさでとび立ちそうだった。まさしく、あの女《ひと》の声ではないか。
めぐる恋ぐるま葵《あおい》まつりの頃の巻
父みかどが退位されたので、世の中はすっかり変ってしまった。弘徽《こき》殿腹《でんばら》の朱《す》雀帝《ざくてい》が即位され、東宮《とうぐう》は、藤壺《ふじつぼ》の宮のお生みになった若宮である。
源氏は、世のありさまがすべて昔と変ったので何となく物《もの》憂《う》く、それに、いまは右大将《うだいしょう》という重い身分にもなったので、以前のように気軽な忍び歩きもできにくくなった。
あまたの情人たちをたずねていく機会も、なかなか作れないので、彼女たちから人しれず、恨まれていた。
そして源氏自身はといえば、藤壺の宮が、あいかわらずつれなく、源氏のひめやかな文や、ことづてを無視されつづけているのを、お恨みしているのであった。
御位《みくらい》を譲られてのちの桐壺院《きりつぼいん》は、宮中を去られて、院の御所で、藤壺の宮と仲むつまじく寄り添いお暮らしになっていらっしゃる。
そのご様子は、全く、世の常の夫婦にたがわずお見受けされる。
弘徽殿の大后《おおきさき》はそれを嫉《ねた》ましく思《おぼ》し召すのか、いまは新帝とともに宮中にばかりいられる。それゆえ、藤壺の宮は、院とお二人きりのご日常に、お心も安らかであった。
桐壺院は、折ふしに管絃の催しなどなさって、お気楽に楽しい余生を送っていらした。
ただ以前のように、気ままに東宮にお会いになれないことだけを気がかりに思し召していられる。
「東宮にはしっかりした後見がいられない。ひとえにそなたに頼むぞ」
と院は仰せられ、源氏はうしろめたく面《おもて》を伏せつつも、東宮を托《たく》されたことを嬉しく思うのであった。
帝《みかど》の代が替ったので、伊勢神宮の斎宮《さいぐう》も、このたび替られることになった。新斎宮は、六條御息所《みやすんどころ》の姫宮である。亡き前東宮《さきのとうぐう》との間に儲《もう》けられた姫であった。
御息所は、この際、斎宮となった姫宮について伊勢へ下《くだ》ろうかと考えている。
まだ少女といってもいいほど幼い姫宮を、手《て》許《もと》から放して、伊勢へやるのも気がかりだし、何より、源氏の心があやふやで頼りにならぬのを思うからだった。御息所は、不安定な恋を、いっそ、わが手で断ちきりたかった。
桐壺院は、御息所が伊勢へ下るという決心をしたのを、人づてに聞かれたとみえ、源氏にいわれた。
「そなたは、あの方をどんなつもりで扱っているのか。あの方は、私の弟になる亡き東宮が、こよなく愛された人だ。そなたが軽々しく、なみの女人と同じように扱っていい人ではないのだ。私も、忘れがたみの斎宮を、わが子と同じように思っている。どちらの縁からいっても、あの方をおろそかにしてはならぬ。……男というものは、女人に恥をかかせたり、悲しい思いをさせたりしてはならぬ。女の恨みを買うようなことを、するものではない」
と、ご機《き》嫌《げん》がわるかった。
源氏は仰せがことごとく尤《もっと》もだと思われるので、恐縮してうなだれていた。それにつけても、深く秘めている大それた罪がもし、院に発覚した場合はどうしようと、心から恐ろしくなり、怱々《そうそう》に退出した。
院に訓戒されるまでもなく、源氏は、御息所を、もっと鄭重に扱わねばならぬことは、よく知っている。あの貴婦人を、ただの情人としておくのは不当である。
正妻に葵《あおい》の上《うえ》がいても、もし源氏がその気になれば、ちゃんと結婚して御息所を、晴れて源氏の夫人と世間に公表できるのだ。
身分ある男たちは、正式の妻を、二人三人と持つのが、世の習いだから……。
しかし源氏は、そこまで決心がついていない。
御息所もまた、年のちがいを思い、たえず控えめになってしまうし、それが愛情に屈折した影をもたらす。源氏もそれにつけこむような感じで、すっかり心を開かず、距離をおいた愛し方をする。そうして御息所の恋が燃えれば燃えるほど、男女《ふたり》の仲は微妙にたゆたい、ともすれば、ほどけがちな、きずなとなってしまう。御息所はあけても暮れても物思いは尽きなかった。
(疲れた……)
と御息所は思う。
それに彼女の恋には、高貴な身分ゆえの悩みもまつわって、よけい苦しくさせていた。
世間の人のみか、院のお耳にまではいってしまった二人の仲。年のちがいも恥ずかしく不似合いな、と御息所は思っているのに、まして年若の恋人に捨てられようとしているわが身。
世の人々はどんなに嗤《わら》っているであろうかと、御息所は貴婦人としての誇りを踏みにじられた気がしていた。前東宮妃という身分も名誉も地に堕《お》ちて泥にまみれた気がする。すまじきは恋。――御息所は思い屈し、嘆きながら、日も夜も迷う。
(あのひとときっぱり別れて、伊勢へ下ろうか?……)
(もしそうすれば、都へ還《かえ》る日はいつのことかわからない。あのひとともう二度とあえないかもしれない。わたくしにはそれに堪える力があるだろうか?)
そんなときにも、野《の》末《ずえ》の風のように噂《うわさ》はわたってくる。
「源氏の大将の君の、北の方はご懐妊だそうでございます」
「左大臣家では、たいへんなお喜びで、もう今からご安産のご祈《き》祷《とう》がはじめられているとか……」
「源氏の君にははじめての御子。さぞ珍しくも、いとおしくも、お思いでございましょうね……」
ひそやかに身辺にささめく噂話は、そのまま、心に降りつむ、まがまがしい暗い雪のように御息所には感じられた。それは御息所の恋をとじこめ、心のすみずみまでを凍らせる。
嫉妬《しっと》と愛執につかれて、彼女は、あるときは今すぐにでも伊勢はおろか、もっと遠い国へいってしまいたいと思う。
またあるときは、こういう不安定な恋だからこそ、去れないと思う。どちらかに決着がつくまで見届けないと……。もし、源氏がほんとうに彼女を愛しているとの確信を得られたならば、御息所は喜んで即座に都を捨てることができるのに……。
愛されていると信じる女は、男と別れることができるのだ。
いちばん別れにくいのは、相手の心がつかめないときなのだ……。
さて、ここにこんな御息所の恋の苦しみを、ひそかに察している女性がいた。
式部卿《しきぶきょう》の宮の姫君である。
式部卿の宮は、桐壺院や、亡くなられた前東宮とは御同胞《ごきょうだい》でいらっしゃる。その宮に姫君がいらして、美女の聞こえたかい。
源氏はかねて、式部卿の宮の姫君に懸《け》想《そう》して、文《ふみ》をとどけて言い寄っていた。美しく、心ざま深い姫君、という噂に心ひかれ、どうかして会いたいと思うのだった。いつぞや、朝顔の花につけて文を送ってから、源氏はその姫君を「朝顔」の姫、と呼んでいた。
朝顔の姫君は、いつも源氏にはさりげない返事ばかりを返していた。何かの折に、美貌の源氏をかいまみる時は、乙女《おとめ》らしい心さわぎをおぼえぬではなかったけれど、源氏の数ある情人の一人と指折られるようなことは決してするまいと、乙女らしい潔癖さで、わが身をいましめていた。源氏と契った女人たちがそれぞれに苦しむさまを、風の便りに聞くたび、姫君は、自分はその轍《てつ》をふむまい、と思った。――六條御息所の苦悩に同情しながら、姫君は、自分はちがう人生をえらぼう、と決心していた。
といって、きっぱりと憎々しげな、痛烈な返事を源氏に書いて、男に恥をかかせる、というような人柄では、姫君はなかった。
源氏の手紙は、四季につけて興ふかく、面白かったので、教養ある姫君には好ましいたよりだった。姫君は折々に風《ふ》情《ぜい》あることばや歌を返して、才気ある趣味人同士としての応酬をたのしんだ。
けれども、源氏が仄《ほの》めかす色めいたことだけは気付かぬふうに、さりげなくかわしつづけていた。軽率に情にほだされたりはしなかった。
源氏の方では、それゆえになお、朝顔の姫君が印象ぶかく心にのこる。
ここ幾年か――源氏と、朝顔の姫君の間には、文通のみの、恋とも友情ともいえぬ、一種の親愛感が通《かよ》っているのであった。
そのころ、賀茂《かも》の斎院《さいいん》も替られて、弘徽殿の大后の第三皇女が、新斎院になられた。院も大后もことのほか愛してらした姫宮なので、神に仕える身となられたのを心苦しく思われたが、ほかに適当な内親王がいられないので、よんどころなかった。
儀式など、ひときわさかんに行われる。
斎院の御《ご》禊《けい》の日、供奉《ぐぶ》の高官は慣例通り、数はきめられているが、ことに名士たち、それも風采《ふうさい》もりっぱな人々をえらび、装束《しょうぞく》から馬具に至るまで一式、みごとにととのえられた。
特別の勅命で、源氏もお供した。
この一行の行列を見ようとして、世間の人々は物見車を出そうとかねて用意している。
一條の大《おお》路《じ》は早くから空いた所もなく、大混雑である。
所々の桟《さ》敷《じき》に、それぞれ好みの飾りつけをしたり、そこから着飾った女たちの袖や裾が見えたりして、これもまた、見ものといっていいであろう。
左大臣邸の葵の上は、もともと、物見に出たりしない上に、懐妊中で気分もすぐれないから、外出するつもりはなかったのだが、若い女房たちが、
「せっかくのお殿さまの晴れ姿を、北の方さまがご覧なさらない、なんて残念ですわ」
「私どもだけで、こっそり拝見するなんて張り合いもございません。今日の物見は、ただ光の君さまだけに世間も注目しているのですもの。いやしい下々《しもじも》の人々も、ひと目拝もうと、遠い所から家族連れではるばる集まってくるそうでございます」
などと口々にいうので、母君の大宮が、
「ご気分も今日はよろしいようだし、みんなも、ああいうのだからいってらっしゃい」
とすすめられ、急に車の用意をいいつけて葵の上は物見に出かけることになった。日が高くなってから出かけたので、もうすきまもなく物見車が立ち並んでいて、何輛《りょう》もの車をつらねてきた左大臣家の一行は場所が取れなかった。
やっと、身分ありげな女房車がつづくあたり、賤《いや》しげな者のいない所をさがして、そのへんの車をのけさせることにした。
その中に、のかぬ車があった。
すこし古びた網《あ》代車《じろぐるま》の、しかし下《した》簾《す》垂《だれ》の上品なさま、内なる人は、奥に引きこもって、ほのかに袖口や裳《も》の裾などの清らかな色がこぼれてみえるだけである。どうやら、なみなみならぬ身分の人が、しのんでの見物と思われる。――その車の供の男たちは権高《けんだか》に、
「手を触れるな。このお車は、のけさせてよいようなものではない。無礼を働くな」
と、頑として動かない。
「何を! こちらのお車こそ、どなただと思うのだ」
左大臣家の供人もいきりたった。
「これ、そう手荒なまねをするものでない」
と、左大臣家の従者の中でも年かさの人々はおしとどめるが、若い男たちはどちらも酒が入っていて騒ぎたち、手のつけようもないのであった。
その、よしありげな車の主は、誰あろう、六條御息所なのだった。物思いのなぐさめにもと、思い立って忍んできたのだが、左大臣家の従者たちにも自然にわかってしまった。
「それぐらいの車に大口を叩《たた》かせるな。大将殿をかさに着ていばっているのだろうが、こちらをどなたと思うのだ」
などと荒けなくいい募る。
左大臣家の供人の中には、源氏の家《け》人《にん》たちもまじっているので、御息所を気の毒に思ったが、しかし葵の上は源氏の正妻ではあり、どちらにつくこともできない。面倒なので誰も知らぬふりをしていた。
とうとう衆をたのんで左大臣家の供人は、車を何台もたてならべてしまったので、御息所の方の車はうしろへ押しやられてしまって、何も見えなくなった。
それも残念だが、御息所は、わが忍び姿をそれと見あらわされたことがくやしくてならなかった。聞くまいとしても、向うの従者たちの心ない罵《ののし》り声は耳にはいっていた。左大臣家ではあんな卑しい下々の者にいたるまで、正妻であることを鼻にかけて、わが身を数ある情人の一人と思い貶《おと》しめているのだ。
御息所はくやしさと切なさに身も震えるばかりだった。
車の、轅《ながえ》をすえる台もみな押し折られてしまって、そのへんの車の筒《どう》に引きかけてあるのも、みっともないことだった。高雅な趣味人の御息所とすれば、堪えがたいはずかしさである。
もう行列も見ないで帰ろうと思ったが、車の抜け出るひまもなく、そのうち、
「来たぞ、来たぞ」
と人々のどよめきが渡ってくると、さすがに「にくいあの男《ひと》」の姿をひとめ見ようと待たれるのも、恋する身の心弱さでは、あった。
源氏は、後方に押しやられている御息所の車など、むろん気づかないから、つれなく過ぎてゆく。
どの車も、常よりも趣向をこらして、下簾垂のすきまには、とりどりの女の衣裳《いしょう》や、微笑や、色っぽいながし目がこぼれていた。
源氏はそしらぬ顔をしつつも、それと思いあたるあたりには、さりげない目くばせや微笑を送ってゆく。
左大臣家の一行はすぐ分るので、源氏はまじめに重々しく通ってゆく。供人は、葵の上の車の前は、かしこまって敬意を表しつつ、過ぎるのだった。御息所はそれを見るにつけても、屈辱感に心は蝕《むしば》まれた。
とはいうものの……。
あの目もあやに美しい源氏の晴れ姿を見なかったならば、それもそれで残念だったろうと御息所は思った。
美しいだけでなく、源氏は若々しく輝くばかりだった。供奉の人々も美々《びび》しくきらびやかに飾りたてていたが、源氏の水際《みずぎわ》立った容姿の美しさ、威《い》あってしかも瀟洒《しょうしゃ》で、凜《りん》とした気品にあふれながらも、愛嬌こぼれるばかりの魅力的な風采《ふうさい》、挙《きょ》措《そ》には、だれ一人かなうものもなく、光を失ってみえた。
恒例とちがい、今日は重々しい身分の人々まで源氏の供をしている。随身《ずいじん》として特別に、右《う》近《こん》の将監《ぞう》の蔵人《くろうど》が仕えていた。まことに世にもてはやされ、かしずかれている源氏の様子は、草木もなびく人望・威勢と思われた。
中流階級の娘たちも飾った車に乗って衣裳の裾を気取って出し、源氏の注意を引こうとしているのも面白い。世すて人や、卑しい下人たちまで、押しあいへしあい、こけつまろびつしつつ、源氏を仰ぎ見ていた。中には合掌して源氏をおがんでいる者どももあり、一條大路は、源氏のゆく道々、沸き立っていた。
源氏が忍んでかよう情人たちのうちには、このありさまを見て、
(こんなにもてはやされる方だもの……私ひとりのもの、というのはやはり無理だわ)
とひそかにため息をつく女たちも多かった。
折しも、式部卿の宮が、朝顔の姫君と共に桟敷から行列をごらんになっていらした。
「年を加えるにつれて、ますますすぐれた風采になられる人だな」
と姫君に仰せられ、
「あの源氏の大将の君は、そなたに長らく思いをかけて文《ふみ》をよこすと聞くが……。こんな、美しい公達《きんだち》ぶりを見ては、さしもに物堅いそなたの心も、とけるのではないか」
とたわむれられた。
「ほんとうにりりしい殿方ぶりですわ……変らぬお心で、長年、お文をお寄せ下さるまめやかさも、もったいのう存じますが、でもわたくしは、それゆえにこそ、あのかたと、現《うつ》し身《み》の上で、愛を契ったり恋をささやかれたりするのは避けよう、と決心いたしましたの。……こんな、男女《おとな》の愛もあるのですわ……わたくしは充分、あのかたと愛を交しあっていますの。お文のやりとりで……。心のうちで……。わたくしは生涯、それを貫きとうございますわ」
朝顔の姫君は、ものしずかに父宮にそう答え、けがれを知らぬ聡明な、澄んだ瞳《ひとみ》を、去りゆく源氏の行列にあてていた。
祭りの当日は、左大臣家では見物にいかない。
源氏は、車争いの一件を従者の一人から聞いて、御息所を気の毒にもいとおしくも思った。
それにしても――葵の上も、あまりに思いやりが足らぬではないか、と源氏は不満に思った。あたら重々しい身分の貴婦人でありながら、やさしい情愛に欠け、自身は悪意はないのだろうけれど、結果として御息所に思いがけぬ侮辱を与えることになってしまった。
夫にゆかりある婦人、と思えば、さりげなくいたわり、思いやりをわかちあうべきであろうものを。
葵の上は、そこまで人柄が練れていないので心くばりが冷たく、それにならって下々の者まで御息所に狼藉《ろうぜき》を働いたにちがいない。
御息所は繊細で、傷つきやすい感受性の、たしなみふかい女人《にょにん》なので、どんなに辛い思いをしただろうと源氏は同情した。
さっそく六條邸を訪れたが、「斎宮がまだ邸《やしき》にいられますので、神へのはばかりもございますれば」ということで、御息所は会うのを拒んだ。
その気持もわからなくはないが……。
(ああ、なんだってまた、こうも気むずかしい女《ひと》が多いのだ……どちらもこちらも、かどの多い女ばかり、そう、自我を張らずとも)
と源氏はむなしく帰る車のうちで嘆息が出るばかりであった。
祭りの日、源氏は二條邸から見物にいくことにした。西の対《たい》にゆき、惟光《これみつ》に車の用意をいいつける。源氏は、
「みんなもゆくかね」
と紫の姫君に仕えている女童《めのわらわ》たちに、快活にいった。
姫君は美しく着飾って待ちかまえていた。
「お兄さま、祭り見物に連れていって下さるのでしょ、あたくしも」
「むろんだよ。一しょに車に乗って見よう」
「嬉しい」
源氏は姫君の清らかな黒髪を撫《な》でながら、
「先を、久しく切ってないね。今日は髪そぎには吉日だろう」
と、暦《こよみ》の博士を呼んで、髪を切るのに縁起のいい時間を調べさせたりしている。
可愛く化粧した女童たちは、そわそわとおちつかぬ風である。
「みんな、先にもう行っているがいい」
と源氏は、微笑していった。少女たちは髪の裾もかわいく、花やかに切りそろえて、浮《うき》紋《もん》の上の袴《はかま》にかかっているありさまが、目もさめるばかりだった。
「あなたの髪そぎは、私がしてあげよう」
と源氏はとりかかったが、
「これはまた、多すぎてこまるくらいだね。今にどんなになるだろう」
と切りにくそうにしていた。
「長い髪の人でも額《ひたい》ぎわは短いものだが、……きれいに長くそろいすぎて愛想がないくらいだね」
といいつつ、切りおわると、こういうときの習わしで、
「千《ち》尋《ひろ》」
と縁起のいい言葉で祝った。千尋の長さにも黒髪ゆたかに伸びよ、という心である。乳《めの》母《と》の少納言《しょうなごん》は、源氏の、父とも兄とも夫ともつかぬ愛の深さを、しみじみうれしく思った。
「千尋の海の底まで――いつまでもゆく末長く、あなたを見守ってゆくからね」
と源氏がいうと、紫の君はさかしく、
「海はだめよ、お兄さま。潮がみちたり干《ひ》いたりして頼りにならないわ。お兄さまのお心がたのみがたいという証拠だわ」
「これはやられた、また、おませさんにやられた」
いっぱしの淑女ふうだが、まだどこか子供っぽい姫君が、源氏は可愛くてならなかった。二條邸の西の対には、あかるい笑い声がみちた。
今日も物見車がすきまなく立てこんでいる。
馬《うま》場《ば》の殿《おとど》のあたりで、車をたてる所にこまって(上達《かんだち》部《め》の車が多いからうるさいな)とためらっていると、ちょっとした女車の、たくさん婦人連が乗っているらしいそれから、扇をさし出して招くではないか。
「ここへお車をお立てなさいまし。場所をお譲りしますわ」
源氏は、どんな風流女だろうと好奇心をもち、場所もいい所なので、車をそこへ寄せて、
「どうしてこんないい場所をお取りになったかと、うらやましくて」
というと、女は、上品な扇の端を折って、
「まさか、あなたが、どなたとも知れず同車なさっているなんて知らないものですから、今日の葵《あおい》まつりを待っていましたの」
と書いてよこした。葵《あおい》(旧かなづかいであ《・》ふひ《・・》)は逢う日、にかけてあるのだろう。
手蹟《しゅせき》をみれば、かの色好みの老《おい》女房、源典《げんのないし》侍《のすけ》である。
呆《あき》れたな、若いつもりでいつまでも色っぽいことだと源氏はおかしくて、
「今日の葵は、みな人のかざすもの、あなたの逢うのは私だけではありますまい」
と、つれない返事を返した。
源氏が、誰ともしれぬ女人と相乗りして、車の簾垂を上げないのを、妬《ねた》ましく思う女たちが多かった。彼女たちは、
「先日の御禊の行列のときは威儀を正してらしたのに、今日はお気軽にくつろいでらっしゃるのね」
「どなたでしょう……ご同車の方は」
「あの方のことですもの、そりゃあ、なみなみの女《ひと》ではないと思うわ」
などと口々にいって推量していた。
六條御息所はあけくれ、物思いが深まさっていく。――ことにうとましいのは、この頃、何だか、わが心がふわふわと、身から離れていってしまうような、おぼつかなさであった。御息所はそれを、物思いがこうじての、病のせいかと思った。
葵の上には物の怪《け》がとりついて苦しんでいるので、左大臣邸では心配していた。熟練した修験者《しゅげんじゃ》たちが熱心に祈祷するのだが、さまざまの物の怪や生霊《いきすだま》の中で、ことに執念ぶかくとりついて離れないのがある。
葵の上は、その物の怪に苦しめられ、胸がせきあげて、しくしくと泣いているので、どうなることかと、両親も邸の者たちも恐れ、狼狽《ろうばい》しているのだった。
源氏も、さすがに妻のことなので気遣いもただならず、ことに懐妊中という大事の身ゆえ気がかりで、自室でも御修《みず》法《ほう》をさせたりしていた。
桐壺院からもお見舞いがひまなくあって、祈祷のことまでお心にかけて下さる。世間の人々も葵の上の病気を案じ、関心を寄せた。
六條御息所はそれを聞くにつけても、ただならぬ嫉妬と憎悪に心は燃えた。
今までは葵の上に対して競争心のようなものなどは決してなかった。だがあの車の所争いという、ごくささやかな事件が引き金となって、御息所の胸の業《ごう》火《か》は、一気に燃え上ったのだった。左大臣邸の人々は、まさか、そんなことになっていようとは、夢にも思っていなかった。
源氏は、御息所が病に臥《ふ》し、斎宮を憚《はばか》って、別の邸に移り、ひっそりと療養していると聞いた。そちらの様子も気になるので、見舞いに出かけてみると、御息所はふだんでも、しっとりと口少なの女《ひと》なのが、いっそうやつれて、うち沈んでいた。その風情をみると、源氏もしみじみと、この女《ひと》がいとしくなる。
「私は、そう心配はしていないのですがね、妻の両親が、年よりのことで気《き》遣《づか》いしておろおろしているのがいたわしくて、私も手を放せないのですよ。どこへも出かけられない現状でね。お心を広くもって許して下さると嬉しいのだが……。あなたのことは忘れたことはない。誓って」
源氏は御息所の手をとり、握りしめ、つめたい白い手の甲に唇をあてた。
「でも、そうはおっしゃっても、わたくしが伊勢へ下るのをおとめにはならないのでございましょう?」
御息所のささやきは小さいが、鋭く源氏の耳を打った。源氏は一瞬、口を噤《つぐ》んだが、
「私のような者に愛想をつかして去られるのを尤《もっと》もだと思わぬわけにはいかない。……しかし、今はやっぱり、数ならぬ私でも末々まで変らぬ心でいて下さるのが、縁というものですよ」
と、あいまいな言い方をした。源氏は御息所と持つ屈折した複雑な愛情の時間を、重苦しく感じはじめている。――それが、そんな捉《とら》えどころのない、どっちつかずの返事を、源氏にさせるのだ。御息所はそれを直観で知った。
二人の別れを意味する伊勢ゆきを、男が必死に反対してくれたら、御息所はどんなに嬉しかろう。また、いさぎよく承知してくれたら、このしぶとい煩悩《ぼんのう》からきっぱり脱《のが》れられるのだ。いっときは苦しいかもしれないけれど。
源氏のやさしさからかもしれないけれど、そんな優柔不断な返事をされると、迷い多い女心はよけい迷ってしまう。
たがいに心うちとけず、しっくりしない夜をすごして、未明に源氏は帰っていった。
朝霧にまぎれて去ってゆく美しい青年の姿を見ると、御息所はまた思い乱れてしまう。
ほんとうに、彼を手放して、遠くへ行けるのか、と。
しかし、こんどは彼の正妻で、身分高い女人に、彼のはじめての子も生まれるのだ。どうせ、都にとどまっても源氏の心は、葵の上で占められるだろうと御息所は考えあぐねた重いまぶたを閉じた。
夕方、源氏が、「病人の具合が思わしくなくて、うかがえません。お許し下さい」と御息所に手紙をやると、折り返し、返事がきた。
「あなたは、深い泥田に働く、農夫をごらんになったことがありまして? わたくしがそれですわ。袖をぬらすのみの不幸な恋だと知りながら、いつとなく、しだいに深みへはまってしまった自分を、心憂く存じます」
とあった。
その筆蹟は洗練されて高雅に美しい。
おそらく、源氏の知るかぎりの女人の中でももっともすぐれた書き手であろう。最高の教養、最高の趣味をもつ、稀有《けう》な女人だと源氏は今更のように御息所に惹《ひ》かれる。
(ああ、なんとまあ、――思い通りにいかない世の中だろう)
と源氏は嘆息せずにはいられない。
(あの女、この女、心立てもみめかたちも、それぞれとりどりに、いいところがありながら、さりとてまた、この女《ひと》一人、と思い定めることもできないのだ)
葵の上の容態は重くなっていった。
物の怪がついて離れないのを、「六條御息所の生霊か、もしくは御息所の亡き父の大臣の霊ではあるまいか」と世上で噂しているらしかった。源氏と深い仲にある御息所は、いわばこうしたとき、もっとも世の人の疑いを招きやすい立場にあった。
御息所は噂を聞いて、堪えられぬ思いを味わった。
彼女は、わが身一つのつらい不運を嘆きこそすれ……人の身を「悪《あ》しかれ」と詛《のろ》う心などさらにないつもりであった。ねたみ憎しみを感じこそすれ、それを力にして、人をそこなおうなどとは、誇り高い彼女には、思いもそめぬことだった。
しかし、御息所は、ふと不安である。物思いがこうじると、魂がいつとなく現し身をぬけ出し、あくがれ出ると聞くけれど、そうかもしれぬ、とひそかに思いあたることがあった。
この年ごろ、辛《つら》い思いはしつくしてきたけれど、あの御禊《みそぎ》の日からこっちのような惑乱はまだ知らなかった。あのとき、葵の上にさげすまれ、おとしめられたという屈辱感が、御息所の心にふかい刻み目をつけたせいだろうか……。うとうととまどろんでいるときの夢に、かの葵の上とおぼしい美女が、美しい姿で、ものにもたれている所へいって、自分がその人を押し倒している。
夢の中の自分は、自分であって、常の自分ではない。
野卑《やひ》で粗暴で、本能のままに猛々《たけだけ》しく、美しい姫君を打ちすえたり、黒髪をつかんで引きずりまわしたり、胸もとをつかんで烈《はげ》しくゆさぶったり、逃げようとする姫君の裾を踏んで引きおこし、頬《ほお》を平手うちしたりする。
とうてい現実の自分のすることではなかった。そんな夢をしばしば見た。
御息所は絶望した。魂がわが身を離れていくのだろうか。こんなことを世の人が知ったら「やっぱり……」としたり顔にうちうなずくのは目にみえている。
(なんという罪ふかい宿世《すくせ》のわたくしだろう……これも、つれない男《ひと》を恋した罪だ)
と、源氏を思い切ろうとするが、それは却《かえ》って、思いの深まさってゆくことでもあった。
斎宮は九月には野《の》の宮《みや》にお移りになるはずで、その準備もさまざまあるのだが、母君の御息所がこのさまなので、邸の人々は心配してしきりに祈祷していた。
御息所は、うつつ心を失ったように、ぼんやりと臥せって、はかばかしくない病状である。
源氏は御息所も気にかかるが、葵の上のことも気がかりで、心の休まるときもなかった。
まだその時期でないので、左大臣邸の人々が油断していると、にわかに葵の上は産気づいた。邸内にはいよいよ祈祷の声が高くなる。
しかし葵の上についている執念ぶかい物の怪だけは一向、離れない。こんなことは珍しいと、修験者たちもいっそう力をこめて祈ると、やっと調伏《ちょうぶく》されたのか、辛そうな泣き声をあげ、葵の上の口をかりて、
「すこし祈祷をゆるめて下さい。源氏の君に申上げたいことがございます」
といった。
さあ、きた、やっぱり何かわけ《・・》のある物の怪だろうと、人々は、葵の上の臥床《ふしど》にちかい几帳《きちょう》のうちへ、源氏をみちびき入れた。
まるで最期《いまわ》のような葵の上のようすなので、源氏にいいおくこともあるのだろうかと、父の左大臣も、母宮も、席をはずされた。その間も加持《かじ》の僧たちは彼方《かなた》で低く法《ほ》華経《けきょう》をよんでいるのが尊く聞かれる。
葵の上は苦しげに臥していた。
美しい手《た》弱《おや》女《め》の、お腹《なか》が高くなって苦しげにしているさまを源氏はかわいそうにもいじらしくも思った。出産のときの習わしで、白一色の衣裳に着更《きが》えているが、頬が上気して薄紅に美しく、長い黒髪は一つに引き結んで着物の横に添えてある。こういう、うちとけた、つくろわぬ姿で居てこそ、この人は愛らしく、艶《えん》にみえるのだと源氏は思った。
葵の上は、もしやこときれるのではないか、と思うと、源氏の眼に涙が浮んだ。
「気をたしかに持っておくれ――私に悲しい思いをさせないでくれ」
と妻の手をとると、ふだんは、恥ずかしそうにうちとけず視線をそらせてばかりいる葵の上が、ひたと源氏を見守って、ほろほろと涙をこぼすのだった。
残してゆく親のことを思うのか、また、自分との夫婦の縁の浅かったことを名ごりおしく思うのかと源氏は悲しかった。
「思いつめてはいけないよ……いまによくなる……大丈夫だよ。たいした病ではないのだから負けてはいけないよ」
源氏は、妻の髪を額からかきやり、力づけるように、手をにぎりしめてささやいた。
「私がついているからね……どんなことになっても、夫婦は夫婦だ。必ずまた、来世でめぐりあう縁は尽きないのだよ……お父上や母宮とも、親子という深い契りはあるのだから、この世であえなければあの世で再会できるのだ。みんな、あなたを愛している……安心して、病気に克《か》とう……いいね」
となぐさめると、葵の上は、ふかぶかと息を吸いこみ、細い声でゆっくり、いった。
「いいえ。そのことではございません。あまり調伏がきつうございますので、しばらくお祈りを止《や》めて頂こうとお願いしたかったのですわ。……こんな所へ迷ってくるなんて、思いもかけぬことでした。ほんとうに、物思う人の魂は、現し身をはなれて宙をとぶ、ということはあるものでございますね」
となつかしそうにいって、ほのぼのと、
〈嘆きわび空にみだるるわが魂《たま》を 結びとどめよ 下がひのつま〉
という声、その様子、それは全く、妻ではない。みるみる、御息所に変貌してゆく。源氏をみつめて、にっこりほほえむさま、かの御息所その人である。
源氏はかねて、御息所の生霊うんぬんの噂をきいていまいましく打ち消してはいたが、目の前にみて、世の中にはこんなこともあるのかと、総身に水を浴びたようにぞっとした。
「あなたはどなただ。私には判らぬ。名をいわれよ」
と源氏がいうと、
「申上げるまでもございますまい。おわかりでいらっしゃるくせに……」
という声も顔も、もはやまがう方なき御息所であった。源氏にあるのは、今は、御息所に対する恐怖と嫌《けん》悪《お》の念のみである。
源氏は戦慄《せんりつ》した。
まるで縛られたように身が動かなかった。
どれほどの時間がたったものか、それともほんの一瞬のことか。几帳の外では、
「いかがなされました」
と女房たちの声がする。御息所の顔になった妻を見せたくないと源氏は胸がとどろいたが、面影はいつか消えて、葵の上がそこにいた――几帳のうちの声がやんだので、
「すこしお楽になられたのかしら」
と母宮が薬湯を持ってこられ、女房たちが抱き起こした。と、――まもなくお産がはじまった。男君だった。
「よかった、よかった」
と両親も源氏も、うれしさは限りなく、邸内にはいっぺんによろこびの声がどよめいた。
憑鬼者《よりまし》に憑《つ》いた物の怪たちが、出産を妬ましがってわめき叫ぶ声がかしましく、こんどは後産《あとざん》のことも心配になる。
あるかぎりの願《がん》を立てたせいか、後産も平らかに終ったので、比《ひ》叡山《えいざん》の座主《ざす》や、名僧たちも、やれやれとほっとして、得意げに汗を拭きつつ、邸を退出した。
両親も源氏も、邸の人々も、やっと胸をなでおろした。
院をはじめ、親王たち、上達部から贈られた産養《うぶやしな》いのお祝いが並んだ。男君なので、作法がさまざまあり、みんなはめでたく酔った。
御息所は、葵の上ご安産、という噂をきいて、心がおだやかでなかった。
(一時は危篤、と伝えられたのに……)
と思うのも、われながらうとましい心の動きだった。あれこれ思いつづけているうち、ふと気付くと、着物に、護摩《ごま》に焚《た》く芥子《けし》のにおいがしみついていた。
ぶきみな気持で、髪を洗ったり、着物を着かえてみたりしたが、芥子の香は消えない。
もとより、御息所の邸で芥子のにおいはあるべくもないのに、どこからもたらされたにおいであろうか……。
われながら、自分の身があさましくなってくる。人にいえることではないので、心一つにおさめておくと、よけい夢うつつに胸は乱れるのであった。
源氏はやや気持がおさまってから、おそろしかった御息所の生霊のことをつくづくと思い返していた。あのときのぞっとするうとましさを、今後、あの女《ひと》と会っているときにも思い出さずにはいられないだろう。
そう思うと、いまあの女《ひと》に会うことはためらわれた。源氏の心には御息所への愛がまだためらいがちに残っていて、御息所を悪く思いたくないのであった。とかくして訪れは間遠になるが、青年は御息所の誇りと体面を重んじて、せっせと手紙だけを送りつづけた。
重態だった葵の上は、無事に出産が終った今も、油断はできない様子だった。父の大臣も母宮も心配そうなので、源氏も外出はせず、左大臣邸にこもりきりになっている。
葵の上はまだやつれて病に悩み伏しているので源氏を避けて、病室に籠《こも》りきりである。
源氏は生まれ出た小さな命に感動して、可愛くも珍しくも思い、大切にしていた。
父大臣はそれを見て、すべて自分の願う通りに事がはこんでゆく、と嬉しくてならなかった。この上は、葵の上の回復だけが待たれるが、何といっても、あれほどの重病だったのだから、快《かい》癒《ゆ》するには日もかかることだろうと、思っていられた。
源氏は、夕霧《ゆうぎり》とみな人の呼ぶ小さな若君が、東宮に似ているのを、ひそかにみとめていた。
そう思うと、東宮恋しさで胸は熱くなる。
藤壺の宮の面影をも宿された東宮は、今はおん年四歳の可愛ざかりで、源氏はひそかな愛着を寄せていた。夕霧と東宮は美しい目もとがそっくりである。
久しぶりに東宮にお目にかかりたいという気持が募ってきた。源氏は病室へゆき、
「御所にもここしばらく参内《さんだい》しないので気がかりだから、今日はじめて出てみようと思うが」
と物越しに、葵の上にいった。
「そばへよって話をしたい。病気でやつれているといって私をへだててばかりいるのは、すこし、よそよそしすぎはしないか」
と怨《うら》むようにいうと、女房たちも、
「ほんとうにそうでございます」
と葵の上にいった。
「ご夫婦の仲ではございませんか。いまさら身だしなみばかりをお気になさることもございますまい」
と源氏を、葵の上の臥しているそばへ案内する。葵の上は返事をする声もたよたよと、まだ弱々しい。
「夢のような心地がする。……ひとときはあなたを失うかと、胸がつぶれそうだったが、こうやって元気なあなたを見ると、奇蹟のようだよ」
源氏は妻の手をとって、やさしくいった。
「何もおぼえていませんの……ただ、たいそう息苦しかったのだけが……」
と葵の上はいうが、あのとき、一瞬、息絶えたかにみえた妻が、みるみる御息所に変貌していった恐ろしさが、源氏には思い出され、話を転じた。
「いろいろ話したいことはあるのだが、まだ、大儀そうだね。……しかしもう、危機は脱したのだから大丈夫だよ」
源氏は手ずから薬湯を捧《ささ》げて、
「お薬をおあがり……」
と夫らしい心づかいを見せて、病妻の介抱をする。女房たちは、(いつこんなことをおぼえられたのかしら)と源氏のやさしさを、しみじみ、あわれ深く思った。
美しい人が、ひどく弱ってやつれ果て、消えそうな露といった風情で臥しているさまは、源氏には痛々しく、いじらしくみえた。
髪は乱れた筋もなく、はらはらと枕にかかっている、その美しさ。なぜ自分はこんな美しく、しおらしい女《ひと》を、長い年月、あきたりなく、不満に思ったのだろうと源氏は思った。
妖《あや》しいまでに心をひきつけられ、源氏はじっと妻をみつめる。
「院などへ参って、すぐに退出してくるからね。こんなふうにして、いつも気兼ねなく会えるのなら私も嬉しいのだが。母宮がずっと傍《そば》につき切りになっていられるのに遠慮して、私は離れて気をもむばかりだった」
源氏が妻にささやくと、葵の上はほほえんだ。
「あなたのお気持は、わかっていましたわ、わたくしにも」
「私の愛を知って頂けたか……あなたに、もしものことがあったらどうしようと、私は生きた空もなかった。あのとき、心から思った。あなたは私の妻だ、と」
「気を失っていたときに……」
と葵の上はとぎれとぎれだが、ぜひこれだけは言いたい、というふうなひたむきさでいった。
「気がつくと、まっさきに、あなたが目にはいりました。あのときはうれしゅうございました。わたくしはあなたに守られている、とわかったからですわ」
「私たちは遠いまわり道をしてきたね。……でも、これからは新しい人生がはじまる気がする。かわいい子供も、私たちの間にはいるのだし。以前とはもう、ちがうんだよ」
「ほんとうに……あの子は、あなたそっくりですわ。色ごのみの点も似るかしら」
「おやおや。すこし快《よ》くなると、もう耳痛いことをいうんだね。意地悪さん」
こんな楽しい妻との会話は、はじめてであった。源氏はいまやっと、妻と心が一つに溶けあう気がする。
「早く快くなっておくれ。いま、はじめてあなたと結婚した気がする」
源氏は妻の耳に口をよせて、
「はやく、お前を愛したい」
とひめやかにいう。――はじめてそういう、うちとけた呼ばれかたをした妻は、やつれた白い頬に、いきいきと血の色をのぼらせた。
「自分でも気を強く持って、私たちの居間へ早く移って欲しい。ここではいかにも病人らしく、薬臭くなってしまう。母宮が子供扱いなさるので、あなたもつい、甘えが出るのだよ」
「ええ……早くなおるようにしますわ。なんだか、張りが出てきたような思い……」
「病気になったことで、かえってよかったのかもしれないね、私たちの仲にとっては……」
葵の上は、疲れたのか、だまってうなずきつつ、微笑している。
源氏は清らかに装束をととのえて出てゆく。ふだんよりは、葵の上は心をとめてじっと見送った。
源氏がふりかえってほほえみつつうなずくと、妻は寝たまま、視線をあてて、
「いってらっしゃいまし」
といった。それは源氏が耳にした女の声のうちで、もっとも深い、やさしい声だった。
この日は、秋の恒例の、司召《つかさめし》(官吏任免の評議)がある日であった。左大臣も参内し、子息たちも、望んでいる官職を得んがために左大臣のそばについていたから、みな宮中へつめていた。
会議もはじまらぬ間に、あわただしい使いが来た。
葵の上が危篤になったというのだ。
追いかけて、
「ただいま、おなくなりになりました」
という知らせだった。
誰もかれも、足を空に御所から退出した。
源氏は悪夢を見ている心地がする。
葵の上は、急に胸がせきあげて苦しみ、御所へ参内した人々の帰邸をまつ間もなく、こときれたという。
邸の人々は狼狽し、泣きさわいで、うろうろするばかりだった。
夜中なので、比叡山の座主《ざす》や、聖《ひじり》たちを呼ぶこともできない。(もう大丈夫だろう)と油断していたときに、こんなことになってしまったので、みなみな悲しみにとり乱し、邸のうちには慟哭《どうこく》の声がみちみちた。
いままでに物の怪が憑いて、気を失うことがたびたびあったので、今度もそれではないかと、枕の向きも生前のままに、二、三日をすごしてみたが、ようやく、死相があらわれてくるので、今はかぎりと、両親や源氏はかなしく思いあきらめた。
悲しみのあまり、源氏も呆《ほう》けたようになり、浮き世がうとましく、あちこちからの弔問にも、ものうく、味気ないばかりだった。
桐壺院も嘆かれて弔問の使者をつかわされた。それにつけても左大臣はその栄《は》えが却って悲しみを増すように思った。そうしてなおも、
「生き返るかもしれない……もしや……」
と、親心の闇《やみ》は尽きるときなく、葬送を見合わせていたが、いつまで待ってもせんないことであった。ついに鳥《とり》辺野《べの》に送った。
会葬の人々、寺々の念仏の僧などで、さしもに広い鳥辺野も埋まる位だった。院はむろん、中宮、東宮からも使者を遣わされた。
源氏は秋の有明《ありあけ》の野に、じっと立ちつくしている。彼の耳には、まだ妻の最後の声が聞こえている。
源氏は深い悔恨にうちのめされていた。
(そのうちには、とのんびりかまえて、妻の心を解く努力もしないうちに、彼女《あれ》は亡きひとになってしまった。最後に、やっと心が通い合ったと思ったのも束《つか》の間《ま》、もはや遅かった――自分という男に、妻こそ飽き足らず、いいたいことも多かったろうに……薄幸な結婚生活で終らせてしまった……)
思いつづけると、源氏は辛くてたまらなかった。鈍色《にびいろ》(薄墨色)の喪服を着るのも夢心地で、もし自分が妻より先に死んでいたら、葵の上はこれよりも濃い喪服を着ただろうと思いやるさえ、悲しかった。
ひまなく唇からひとり洩《も》れるのは、しのびやかな経である。「法界三昧《ほうかいざんまい》普《ふ》賢大《げんだい》士《し》」と唱える源氏の声には、心からの悲しみが湛《たた》えられていて、勤行《ごんぎょう》になれた僧のそれよりも、尊く聞かれた。
小さな若君をみても、源氏は涙ぐまれてならない。それにしても、この忘れ形見があることが、今はせめてもの慰めだった。
左大臣は、
「こんな老齢になって、若い者に先立たれて悲しい目をみようとは」
と涙にくれ、まして母君の大宮に至っては悲しみに沈んで、起き上ることもおできにならず、お命もおぼつかなく見えた。そのため、邸《やしき》ではまた祈《き》祷《とう》などをさせていた。
はかなく、日はたってゆく。七日ごとの法事も、悲しいかぎりであった。源氏は自邸の二條院にも帰らなかった。紫の姫君が淋しがっているだろうと思ったが、亡き妻に、心さびしい日を送らせた自分ばかり責められて、いまは仏への勤行にあけくれていた。あちこちの愛人には、手紙だけをやっている。
源氏は、小さな忘れがたみがなければ、出《しゅっ》家《け》したいと思うほどだった。
夜は、御帳台《みちょうだい》の内にひとり寝た。
宿直《とのい》の女房たちは、御帳台をとりまいて控えているが、かたわらに臥していた葵の上はすでにいないのだ。
人との別れはいつも悲しいものを、折しも秋のこととて、思いは一そう断ち切りがたい。
声のよい者をえらんでおいている僧たちの、暁《あけ》がたの念仏の声などは、耐えられぬまで切なく聞かれた。
深まる秋の風の音も身に沁《し》む。
ならわぬ独り寝の床に、めざめがちな朝、霧の中から、文がとどけられた。
咲きかけた菊の枝に、喪の色の青鈍《あおにび》の紙を結んである。
(心にくい文を……。誰だろう?)
と手にとってみると、かの御息所《みやすんどころ》の筆蹟だった。
「お便りをさしあげるのをご遠慮しておりました私の気持、お察し下さいますかしら。
〈人の世をあはれと聞くも露けきに おくるる袖を思ひこそやれ〉
秋の空の色をみるうちに、さまざま思いあまって、ついお文をさしあげたくなりましたの」
常よりも優美な字だと、源氏はみとれたが、それにしても〈おくるる袖を思ひこそやれ〉――愛する人に先立たれたあなたのお悲しみはどんなでしょう――というしらじらしい弔問が、源氏にはうとましく思えた。御息所の生霊《いきりょう》が、葵の上の命を縮めたということは、源氏のひそかな確信になっている。
死者は、いずれにしてもあれだけの寿命であったのだろうが、なぜ自分はああまで、はっきりと生霊の正体を見てしまったのだろうと、源氏は残念に思った。
御息所の怖《おそ》ろしい本性《ほんしょう》を見たという事実を、源氏は忘れることができないのである。
さりとて、このまま、ふっつり交際を断つのも残酷だし、あの高雅な女人の名誉を傷つけることにもなると、源氏は思い乱れた。
御息所の姫宮の斎宮《さいぐう》は、御《ご》潔斎《けっさい》のため、左《さ》衛《え》門《もん》の司《つかさ》にお入りになっている。
それゆえ、喪でけがれたこちらからは、御息所に返事をするわけにいかない。
しかしせっかくの手紙に返事しないのもつれないことだと源氏は思い返し、紫の鈍色がかった紙にしたためた。
「長く御無沙汰しました。いつもあなたのことは忘れてはいないのですが、何分、この日頃、喪に服しておりますこととて。
〈とまる身も消えしも同じ露の世に 心置くらん程ぞはかなき〉
――生き残ったこの身も、死んだ者も、同じ露のようにはかない存在なのです。こんな露の世に生きて、ひたすらな執念を燃やしつづけるなんてやりきれぬことだとお思いになりませんか――どうか、いちずに思いこまれませんように。執念もお憎しみもさらりとお忘れ下さい。喪中の消息は、ご覧になって頂けぬかと、こちらも遠慮していたのです」
御息所は源氏の手紙を読んで胸をつかれた。
源氏は、やはり、御息所の生霊のことを悟っていたのだ。彼は、そのことを仄《ほの》めかしている。
御息所は、わが身の呪《のろ》われた宿命を自分で責めているだけに、源氏に言われるとなおさら辛《つら》く、身のおきどころもなく心苦しかった。
源氏は、四十九日まではなお左大臣邸にこもりきりになっている。
源氏のなれぬ独り住みを、親友の三《さん》位《み》の中将は気の毒がって、いつも源氏の部屋にやってきては話相手になる。
時雨《しぐれ》が降って物あわれな夕方、中将は、鈍色の直衣《のうし》や指貫《さしぬき》の、今までのよりやや色うすいのに着更えてやってきた。たいそう男らしく、さっぱりと美しい風采《ふうさい》である。
源氏は西の妻戸の高欄《こうらん》によりかかって、霜枯の庭をながめながら、ぼんやり頬杖《ほおづえ》をついていた。風が荒々しく吹き、時雨がさっと通りすぎるのも、涙と争うように思われた。源氏は中将が来たので、今までくつろいで解いていた直衣の紐《ひも》をかけた。
源氏の方は、中将のより濃い色の喪服だった。亡き妻への哀惜の心が、いつまでも濃い鈍色をまとわせるのだった。やつれてなまめいてみえる源氏は、つねよりも一段と美しい青年である。
(なるほど……女だったら、こんな男を置いて死ぬのは、さぞ心残りだろうなあ)
と中将はひそかに色めかしい心で思った。
源氏の心を引き立てようと、中将は、いろいろとおかしい話などする。若者のうちとけた話題とて、いずれ女の話、色恋沙汰のことどもである。中でも、かの色ごのみの典侍《ないしのすけ》の話は、いつも二人の笑いの種だった。それにいつぞや末摘花《すえつむはな》の邸で二人が出あった折のこと、あの女、この事件と興がりつつ、やはり果てには、亡き人の思い出話になってしまう。
そして世の中のあわれをいって、源氏は涙ぐむのだった。
中将は、源氏の悲嘆が深いのをみて、
(ああ、ほんとうに、心から妹を愛していたんだな、彼は)
とふしぎにも、物悲しくも思った。今まで中将が見た所では、源氏は必ずしも、妹の葵の上を愛しているようではなかった。桐壺院《きりつぼいん》がつねにおさとしになり、大臣なども手厚くもてなされるし、また大宮は源氏にとっての叔母宮である。どちらへつけても振りすてがたい絆《きずな》でしばられているので、いやいやながらも葵の上を妻にしているのであろうと、中将は内心、源氏を気の毒に思っていたのであった。
しかしいま、源氏の悲しみを見ると、源氏は、やはり心から葵の上を愛していたのだ、とわかる。それがわかった今、葵の上は亡いのだ。中将は世の光が消えた気がして、気落ちするのだった。
このごろのやるせない気持をうちあける相手としては、源氏にとって朝顔の姫君しかなかった。何といっても、おとなの情趣を解してもらえる相手だから……。空色をした舶来の紙に、
「〈わきてこの暮こそ袖は露けけれ 物思ふ秋は あまた経《へ》ぬれど〉
物思いの多い秋は、何度も経験しましたがこの暮れ方ほど、袖のしめりがちな時はありませんでした」
と書いて遣《や》った。
つねよりも美しい手蹟に姫君は心動かされて、
「おさびしい御日常のほど、お察し申上げておりますわ。
〈秋霧に立ちおくれぬと聞きしより しぐるる空も いかがとぞ思ふ〉」
と書いた。
源氏が見るに、墨色も仄かにうすく、いかにも奥ゆかしかった。うちとけず距離を保ちつつも、しかも折々の風《ふ》情《ぜい》につけてやさしい情愛を示す、そんな仲であってこそ、男も女も終生変らぬ愛を抱き得るのだ、と源氏は思った。
暮れると源氏は灯をつけさせ、亡き人にそば近く仕えた、馴染《なじ》みの女房たちを召して、さまざまな思い出話をする。
その人々の中に、中納言《ちゅうなごん》の君という女房がいる。源氏は年来、ひそかに彼女を情人にしていた仲なのだが、葵の上の不幸があってのちは、却《かえ》って、ふっつりと情けをかけることもなくなった。中納言の君はそういう源氏にしみじみした、男の誠実を見せられて共感し、また感動しているのであった。
源氏は、女房たちみんなに、なつかしそうにしんみりといった。
「この日頃、悲しみが仲立ちとなって、みんなが心ひとつに結ばれて、今までになく親しんだ気がするね。しかしこれからは淋しいなあ。葬式よりあとが辛いね」
と源氏がいうと、女房たちはみな泣いた。
「御《お》方《かた》さまのご不幸はいってもかえらぬことでございますが、殿さままでこのお邸からお出《い》でになってしまわれますのが……もう、こちらにご縁のない方におなりになりますようで」
「縁がないことなど、あるものか。私をそう心浅い人間と思うのか。いつまでも気長く私の誠意を見てほしい。とはいうものの、人の命はあてにならぬものだからね。こんどのことで思い知らされた。いつまでも、とはいえないのが人間の運命だね」
源氏は涙ぐみながら灯を見ている。その睫《まつ》毛《げ》の涙に濡《ぬ》れたさまを女房たちは美しく見た。
亡き葵の上が、ことにも可愛がって召し使っていた女童《めのわらわ》が、親もないみなしごである上に、このたび女主人にも死に別れたので心細そうにしているのを、源氏は尤《もっと》もだと見た。
「あてきよ。お前はこれから、私を頼りにするんだよ、いいね」
というと、その子は泣きむせぶのもいじらしかった。
「亡き人を忘れない人は、淋しくても若君を見捨てないで、この邸に今まで通り仕えていてくれないか。みんなも散り散りになったら、亡き人の思い出さえ消えてしまう。私もそうなると心細いよ」
と源氏はいうが、女房たちは、今まででさえ源氏の来訪は間遠だったものを、こうなればひとしおうとうとしくなろうと、不安に思った。
大臣の悲嘆はいうまでもなかった。若君がいるのだから、よもや源氏はこのまま見限るということは、あるまいと思うものの、愛した娘婿《むすめむこ》と、今は縁が切れた気がして、辛くも残念にも思い、泣くのだった。
源氏が、久しぶりに御父の院に参上すると、
「たいそう面《おも》痩《や》せたではないか。毎日精進《しょうじん》していたためだろうか」
とご心配になって、御前で、お食事をとらせられた。そうして何かとお心遣いされるのを、源氏はうれしくも勿体《もったい》なくも思った。
中宮の御殿へ参上すると、しばらくぶりなので女房たちは源氏の姿を珍しがった。
中宮も命婦《みょうぶ》を取り次ぎにして、お言葉を賜わった。
「お悲しみは尽きることがあるまいとお察しいたします。日がたちましても、さぞお淋しさが増すばかりでございましょう」
源氏もしめやかに答えた。
「世の無常はかねて思い知っているつもりでございましたが、身近に不幸を見まして、改めて辛い思いをいたしました。浮世がいとわしくなりましたが、度々のおなぐさめのお言葉に勇気づけられて、今日まで生き長らえたという気がいたします」
つねのときでも、物思わしさのただよう源氏なのに、今は、一層沈んだけしきにみえた。
無紋の袍《ほう》に、薄墨色の下襲《したがさね》、纓《えい》を巻いた冠《かんむり》という喪服姿の源氏は、花やかなよそおいよりも、艶《えん》にあわれふかいと、女房たちはささやきあって見とれた。
二條の院では、どの部屋も掃除がゆきとどき、清らかに磨き立てて、男たち女たちが源氏を待ちもうけていた。女房たちもそろってきれいに着飾り、化粧して並んでいる。源氏はそれを見ると、かの左大臣邸の人々の、悲しみに沈んでいた様子が思い出され、胸が痛む。
源氏は着物を着更えて、西の対《たい》へいった。
冬の衣更《ころもが》えの季節のこととて、室内の調度から、若い女房、女童たちの衣裳まで、すっかり冬装束になって、目がさめるよう。
源氏は、乳母《めのと》の少納言の配慮がゆきとどいているのに満足だった。
紫の姫君は、美しく身じまいして坐っていた。
「おお、久しくあわぬ内に、ぐっと大人《おとな》びたねえ」
と、源氏が小さな几帳《きちょう》の帷《かたびら》をひきあげていうと、姫君はやや顔をそむけて恥じらう。そのさまも、艶に風情があって、匂うような乙女になっていた。
灯《ほ》影《かげ》の横顔、あたまのかたち、(ああ、よくも、あの恋しいひとにそっくりになってゆくものだ)と源氏はうれしくてならない。
「長く逢いに来ずにごめんよ、許しておくれ」
というと、姫君はかぶりを振った。
「そんなこと……。お兄さまはたいそう、悲しい目におあいになったのですもの。わたくしのことどころでないの、あたりまえよ。……おかわいそうなお兄さま、どんなに悲しかったでしょう」
姫君が純粋なやさしさと同情こめてささやくのを、源氏はうれしく聞いていた。悲愁にそそけ立っていた心を、やわらかにうるおしてくれるようであった。堂々たる一人前の男子の源氏が、幼いといっていいほど稚《わか》い姫君に、いたわられ、なぐさめられているのだった。
「辛かったよ、ほんとうに」
素直に源氏がいうと、姫君はうなずいた。
「わたくしはね、おばあちゃまのお亡くなりになったときのことを思い出していたの。お兄さまも、きっと、あのときのわたくしのように悲しんでいらっしゃるのだ、と想像したら、何だか、お兄さまがおかわいそうで、わたくしまで悲しくなって、泣けてきたの」
姫君は、いううちに、おのが言葉に誘われたのか、それともその時の悲しみを思い出したのか、ふと瞼《まぶた》を赤らめつつそれを自分で恥じて微笑《ほほえ》む。
そのさまを見る源氏は、いとしくてならず、思わず姫君を抱きしめて、その清らかな額に口づけする。この姫君のもっている心やさしさに、源氏は、永遠の母なるものを見る心地さえする。
「ありがとう。あなたになぐさめられて、私は元気になった気がするよ――これからはもうずっとこちらにいることになるからね、却って私のことを、うるさく思うかもしれないな」
などと源氏は姫君の髪をかきなでつついう。
少納言は几帳のうしろでそれを聞き、うれしく思いつつも、やはり心もとなかった。源氏は、正妻を喪《うしな》ったといっても、なおまだ身分高い情人があちこちにあるので、いつ、葵の上に代る女《ひと》が現われないとも限らない。そんなことに、あれこれ取りこし苦労をするのも、女心のつねかもしれないが、乳母としては、気を揉《も》まずにいられないのであった。
源氏は二條邸にひきこもったまま、まめやかな便りだけを、左大臣邸に遣っていた。外出もおっくうで、どの女のところへもゆく気がしなかった。
いまは紫の姫君とともにいることが、源氏のたのしみだった。
姫君はたおやかながら肉体も健康に、そして心ざまも深く、りっぱに完成された一人前の女性といってもいい。――もう、実質的な結婚をしてもいい時期ではないかと源氏はひそかに考えた。
つれづれなままに、姫君と碁《ご》を打ったり、偏《へん》つぎ(漢字のあそび)などして終日遊んだ。姫君は利発で、しかも愛嬌《あいきょう》があり、はかない遊びごとにも、すぐれた素質がみえる。源氏はますます、姫君にひかれてゆく。
紫の君が、ほんの子供で、女として見ていなかったころは、肉親のように可愛がるだけだったが、源氏は、今では、その愛が微妙に変化して、押えがたい悩ましさになっている。
それとなくすずろごとを言いかけてみても、紫の君にはまるで通じない。姫君のほうは無邪気そのものだった。
源氏は、ともに過ごす日を重ねるにつれて、物思わしく、苦しくなり増さるばかりである。
「お兄さま。どうか、なさったの。お兄さまの番よ」
と姫君にうながされるまで、呆然《ぼうぜん》と姫君に見とれていたりする。源氏は苦笑して、
「もう、そろそろ、お兄さまと呼ぶのは止《よ》そうじゃないか。あなたはもう、りっぱな淑女なのだから」
「お兄さまといってはいけないの? ではお殿さまと呼ぶの? 惟光《これみつ》たちがいうように」
「それは召使いのことばだ。あなた、と呼びなさい。もう、妻になるのだから……。ほんとうの結婚をするのだから」
「いまは結婚しているのではないの? わたくしは、お兄さまの妻ではないの?」
と、姫君は美しい目を見はった。
「少納言は、お兄さまはわたくしの婿君ですよ、といいましたもの」
「子どものときの結婚と、おとなになってからの結婚はちがうよ」
姫君は納得したような、しないような表情だった。そしてすぐ碁に心うばわれ、
「また、お兄さまの負けよ」
と嬉しそうに笑った。
小さいときから、一つの御帳台のうちに、ひとつ衾《ふすま》を被《かぶ》って、添《そい》臥《ぶ》しする習慣になっていることとて、紫の姫君はいまも、源氏に抱かれて眠ることをなんとも思っていないらしかった。
そうして、たのしくとりとめもない話を交しているうちに、姫君は、いつかすこやかなねむりに落ちるのがきまりだった。
「おやすみなさい、お兄さま」
と姫君は、重そうな瞼を、もう開《あ》けずにいう。
「私を愛しているかい?」
と源氏がいうと、姫君は半分、とろりと睡《ねむ》ったまま、ゆるんだ愛らしい花の唇から、
「だい好きよ」
と、ためいきとともにいう。
「ほんとう?」
「ほんとうよ、お兄さま」
「その証拠をみせてくれるかい?」
「証拠って――?」
姫君はそういったなり、うつつに寝入ってしまう。源氏の手枕《てまくら》が重くなった。姫君の愛らしい重みが、源氏にはもう堪えられない。
こんな無垢《むく》のおとめには、もうすこしの間、ときを与えて、おもむろに開花をまつべきかもしれない。しかし若い源氏はもう待てない。
長いあいだ、心からいとしんだものを、もう待ちきれない気がする。源氏は姫君にそっと唇を重ねる。やわらかい少女のままの唇。
「私の愛に免じて、私が何をしても許してくれるね?」
「いいわ、お兄さま……。何を?」
姫君は夢うつつのやさしい声《こわ》音《ね》でいった。けれども、それにつづくものは、源氏の若々しさを示す性急な男の動作だった。
「今朝は、お姫さまはおめざめが遅いのね」
「殿さまはもう、早くに東の対《たい》へいらっしゃいましたわ」
と女房たちが、言い合っていた。
「ご気分でも悪いのかしら」
と姫君を案じていたが、姫君は寝所にひきこもったきり、声もしない。
姫君の枕元に、硯《すずり》の箱がおいてある。
これは、源氏が、朝早く、自室へゆく際に、そっと置いていったものである。
人のいない暇に、姫君は辛うじてあたまをもたげてみると、引き結んだ文があった。
〈あやなくも へだてけるかな夜を重ね さすがになれし 中の衣《ころも》を〉
源氏の手蹟である。(今までなんというよそよそしい二人の仲であったことか。あんなに馴れ親しんだようにみえながらね。……これでやっと、二人のへだては、なくなったわけだよ)というような心であろうか……。
こんな気持でいる人とはつゆ思わなかった、と姫君は打撃を受けて混乱していた。
(こんな、ひどい人とは思わず、なぜわたくしは、心から頼っていたりしたのかしら)と思うと紫の君は、なさけなく悲しくなった。
昼ごろに源氏はやってきた。
「気分が悪いって。どうしたの? 今日は碁も打たないで淋しいではありませんか」
と御帳台の内をのぞくと、紫の君はいよいよ衾をひき被ってこもってしまう。女房たちはかなたへ退いたので、源氏は紫の君に近づいてささやいた。
「どうしてそう怒ってるの? 私を愛しているから、何でも許す、とあなたがいってくれたのは嘘だったのか。さあさあ、起きなさい。みんなもへんに思うから……」
と衾をとりのけると、紫の君は汗びっしょりになって、額髪(頬のあたりに垂らす前髪)も濡れていた。
「いや、これは大変だ、――そうご機嫌悪くては困ってしまうな。たのむから、ご機嫌を直しておくれ」
とさまざま言いなだめてみても、紫の君は心から源氏をひどい人と恨んでいるので、ひとことも、ものいわない。
「よしよし、それじゃもう、私はあなたの前から消えるよ。私の方がきまり悪くなってきた」
と恨みごとをいって、硯の箱をあけてみたが返事は入っていない。子供っぽいことだと一そう可愛かった。その日は一日、寝所につききりで、あれこれ慰めたが、紫の君の心はとけない。源氏にはそれもいとしかった。
その夜は、亥《い》の子《こ》の餅《もち》をたべる日だった。
十月はじめの亥の日に餅をたべると、万病を防ぎ、子孫繁昌《はんじょう》すると信じられている。
源氏は服喪中なのでことごとしくせず、ただ姫君の方にだけ、綺《き》麗《れい》な檜《ひ》破《わり》籠《ご》(檜の薄板の折箱)にいろいろ、趣きありげに詰めて持ってきてある。
源氏はそれを見ると南面《みなみおもて》に出て、
「惟光」
と呼んだ。
「この餅は、こうたくさんに大げさなものでなくて、明日の暮れ方、持ってまいれ。今日は、日が悪いのだ」
「は?」
と惟光はいぶかしげに見上げたが、源氏が微笑しているのを見ると、心利《き》いた、カンのいい男なので、すぐ悟ってしまった。くどくたずねもせず、
「心得ました。まことにおめでたのお餅は、日をえらんで召上るものでございますからね。――ところで、明日のお餅はどれほど作ってまいりましょうか」
と尤もらしい顔でいうと、
「今夜の三分の一ぐらいかな」
源氏はそう答えた。それで惟光はすっかり心得て、万事、飲みこみ顔で退《さが》っていく。気の利いた男《やつ》だと源氏は思った。
――新婚三日めの夜に、新郎新婦は、紅白の餅をたべるのが、めでたい習わしとなっている。「三日夜《みかよ》の餅」と呼ばれているのがそれだが、惟光は人にもいわず、自分で手を出さぬばかりに心を用いて、ひそかに家で作った。
源氏は、紫の姫君をいろいろなだめたが、ちっとも機嫌の直らないのに手を焼いてしまった。まるで、姫君をいまはじめて盗んできたような心地がするのも、(ありていにいうと)男として楽しかった。
(この何年か、姫君を可愛いと思ったのは、今の気持にくらべると物の数でもなかったのだ……。人間の心というものはふしぎなものだ。今はもう一夜さえ、離れられないというほどになってしまった)
と源氏は思っていた。
源氏のいいつけた餅を、惟光はたいそう夜がふけてから、こっそり持ってきた。
少納言のような年輩の者では姫君もきまり悪く思われるだろうと、惟光は察しよく気をつかって、少納言の娘の弁《べん》というのを呼び出した。香《こう》壺《ご》の箱を一つ手渡して、
「これをね、こっそりと姫君に差し上げて下さいませんか。たしかに姫君のおん枕上《まくらがみ》にさし上げるべきお祝いのものなんです。たのみましたよ。あだやおろそかに思わないで下さい」
というと、弁は、
「あだな女じゃありませんわよ、私」
などと、わけが分らないので、思い違いをして答え、箱をうけとった。惟光はあわてて、
「あだとか浮気なんて、忌みことばなのですよ、今夜は言葉をつつしんで下さいよ、おめでたい日なんですからね、いいですね」
そう念を押されても、弁にはさっぱり分らない。若い女なので、事情を深く察することもなく、いわれるままに姫君の枕上の几帳から箱をさし入れた。
源氏は、拗《す》ねたままでいる姫君に、やさしくいった。
「ごらん……三日夜の餅だよ。紅白の餅が美しく作ってある」
「…………」
姫君はまだものをいわないが、さすがに素直に、長い睫《まつ》毛《げ》を上げて、ながめた。綺麗な台に、美《み》事《ごと》な皿、そこへ餅が清らかに盛られてある。それを見る姫君の白い頬に、薄紅の血の色がのぼった。
「私たちは棚機《たなばた》の星たちのように、鴛鴦《おしどり》のひとつがいのように、たのしい妹《いも》背《せ》になろう。愛し合っているということは、生きていてよかった、ということなんだよ。――私と、あなたとならば、きっとそういう妹背になれると思う」
青年は坐っている姫君をしずかにうしろから抱きしめ、匂いのいい黒髪に顔を埋めていた。
「朝、目をさますのはお互いをみる喜びのため。離れていても心はいつも一つ、死が二人を裂くまで、かわらない。互いにあいてにのぞむのは、生きるのも死ぬのも一緒に、ということ。そういう男と女の仲を、ほんとうの妹背というのだ。……私と、あなたのことだよ。その、契りの餅なのだ、これは」
「…………」
姫君はやっぱり黙っている。そうして拗ねたように、つと顔をそむけるのだった。
女房たちは何も気づかないでいたが、翌朝、この箱が下げられたので、姫君のそば近く仕えている人々は、思い合わせることがあった。
惟光がいつのまにととのえたのか、台も皿も、普通のより美事でりっぱだった。
乳母の少納言は、うれしさに涙ぐんでいた。
源氏が、こうも本格的に結婚の儀式作法にのっとり、姫君を尊重するとは思っていなかった。その気持がありがたく勿体《もったい》なくて、少納言は泣かずにはいられない。
「それにしても、私たちに内々でおっしゃって下さればいいものを。惟光さんはどう思ったでしょうね」
などと女房たちはささやきあった。
紫の姫君と結婚したのちの源氏は、御所にも桐壺院にも、ちょっと参っている間でさえ、おちついていられず、姫君の面影ばかり目にちらついて困った。(何ということだ、これは)と自分であやしみつつ、一夜も離れていることができない。以前の情人たちからは、うらめしそうな手紙がたえずくるし、中には(悪いな)と思う婦人たちもあるのだが、はじめてわがものにした若い紫の君がいとしくて、源氏は外へ足が向かない。
「この頃は、身近に不幸をみて、ただもうはかなく憂《う》く日を過ごしております。そのうち、気も落ちつきましたなら、お目にかかりたく」
などというような返事ばかりを、女たちにあてて、源氏は書いていた。
弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》――ただいまの帝のおん母君である――は、お妹の六の君が、源氏に心寄せているのをいつかご存じで、腹を立てていられた。それに父の右大臣が、
「そういえば、左大臣の姫君も亡くなられたことではあり、源氏の君には北の方がいられないのだ。六の君と結婚されても何の不都合があろう」
といわれるのを、よけい憤《いきどお》っていらした。
大后は昔から源氏を目の敵《かたき》にしていられるのである。源氏などを妹婿にするものか、と六の君の宮廷入りをうながしていられた。
その噂《うわさ》をきくにつけても、源氏は朧月夜《おぼろづきよ》の君に未練があるので、残念だった。
しかし、何といっても只今《ただいま》は、紫の姫君のほかには心を分けることもできず、
(こんな、みじかい人生になぜそう迷うのだ? 自分はこの姫君を生涯の妻、と思い定めよう。人の恨みは二度と負うまい)
と、六條御息所の生霊で、こりごりしている。
御息所を、愛人としてのみ遇して、ついに妻としなかったのは気の毒なことだったが、生涯の妻とするには、何か気が重い。こんな愛人関係で、もし御息所が納得してくれるのならば、おりおりには会いたいと、源氏は虫のいいことを考えているのだった。さすがに長年の仲なので、御息所を思い切ることはできないのである。
紫の姫君の素性《すじょう》を、源氏は今まで世間に秘めてきたが、こうなったからは、社会に公表すべきだと思った。世の扱いもそれによって重々しくなろう。お父宮にもお知らせしようと源氏は考えていた。裳着《もぎ》のことなど並々ならずりっぱに準備した。
源氏の心づかいを、紫の姫君は、ちっともうれしいと思っていなかった。
姫君はいまだに源氏をうとましく思って、つんとしている。
(いままで何もかもお兄さまにたよってきて、何ておろかな、わたくしだったのかしら。まつわりついて何心もなく甘えていた自分が、ほんとにいやになる)
とくやしく思うばかりで、源氏と視線も合わせない。
源氏は何かと冗談をいうが、紫の君はつまらなさそうにふさぎこんで、まるきり浮き立たず、すっかり以前の明るさを失ってしまった。
源氏はそれも面白く、可《か》憐《れん》に思う。
「いままで仲良くしてきたのに、ずいぶん冷淡になってしまったのだね」
などと恨みごとをいい、あやしているうちに、その年もくれた。
正月元日は、例年のように桐壺院に参上してから、御所や東宮へ源氏は拝賀に参った。
そこから左大臣邸へいった。
大臣は、新年というのに昔のことを思い出し、亡き姫君のことをいって悲しんでいられるところだった。そこへ源氏が訪れたので、よけい大臣は切なく思われた。
源氏は年を加えるにつれ、重々しい威厳も出て来たようで、以前よりりっぱに大臣には見えた。
亡き葵の上の部屋へ源氏がいってみると、女房たちも珍しく見て、涙をおさえかねるようだった。
若君を見ると、少しのまに大きくなっていて、声あげて笑うのがあわれである。目や口のあたり、東宮にそっくりで、
(人が見《み》咎《とが》めて、不審に思わぬだろうか)
と源氏はひそかに思う。
部屋の装飾も、ありし頃に変らず、そのままである。
衣《い》桁《こう》に、例年の如く、新年のための新調の装束が掛けられてあるが、女の衣裳の並んでいないのが、さびしかった。
母君の大宮からお使いがきて、
「元旦なので、けんめいにこらえておりましたが、あなたが早々とお越し下さいましたので、かえって悲しみが深くなりました。あの姫がおりました頃のように、新年のならいのお衣裳を作りましたが、涙で目がくもって、色合いもわからず、お気に召さぬかもしれませぬ。でも、今日ばかりは、お召し替え下さいまし」
ということで、みごとに豪華な衣裳をそろえていられた。
源氏は、大宮の志を無にしては、と着更えることにした。ああ、今日伺ってよかった――もし、今日ここへ来なかったら、悲しみにくれている老いた人たちは、どんなに残念に思われただろうと、源氏はいとおしい。
大宮への返事に、
「春がきましたとお知らせしたく参上しましたが、あまりに切ない思い出ばかりがよみがえりまして、心乱れるのみでございます。
〈あまた年《とし》 今日あらためし色ごろも きては涙ぞふる心地する〉」
大宮のお返事には、
〈新しき年ともいはずふるものは ふりぬる人の涙なりけり〉
この邸では、悲しい新春であった。
秋は逝《ゆ》き人は別るる賢《さか》木《き》の宮の巻
斎宮《さいぐう》の伊勢下りが近くなるにつれて、御息《みやすん》所《どころ》は心細さが増すのであった。
世間では、左大臣家の姫君亡きいまは、御息所こそ、源氏の君の北の方よと噂《うわさ》し、邸《やしき》に仕える人々も心ときめかせていたのに、却《かえ》って源氏のおとずれは、ふっつり絶えてしまった。
余人は知らず、御息所自身は、源氏が冷たくなった原因を知っている。それで、ただもう、ひたすら未練をたちきって、伊勢へ下ってしまいたかった。
源氏の方では、いよいよ御息所が去るとなると平静でいられない。しんみりした手紙を送るのだが、御息所は返事もせず、逢いもすまいと心にきめていた。逢えばまたもや心乱れるのはわかっていた。
御息所の住まいしている野の宮は、神事のための潔斎《けっさい》の宮で、けがれを忌むところだから、男が情人をたずねていくというような場所ではなく、源氏も気にかかりつつ、そのままになっていた。
それに近頃、桐壺院《きりつぼいん》が、折々ご健康をそこねられることなどもあって、源氏も心安まらない。そんなこんなで、日はすぎてゆくが、
(あのひとは、私を怨《うら》んでいるだろうなあ)
と、心やさしい青年は気になってならないのだった。
(自分の冷淡な仕打ちは、あのひとを世の物笑いにするのではあるまいか)
とも思うと、御息所がいとおしい。足は重いが、気を引き立てて野の宮を訪れることにした。
九月七日の頃なので、伊勢下《げ》向《こう》はもう今日明日に迫っている。御息所は心あわただしくおちつかないのだが、
「ほんのちょっとだけでもお目にかかりたいのです」
という青年の手紙にやはり迷った。
御簾《みす》をへだて、それとなく逢おうと思う。
これで最後。これであのひとともお別れ。
そう思いきめると、はや、御息所の心も身も、恋人をまつ情念に濃く染まって、痺《しび》れてゆくようだった。
源氏が広々した嵯峨野《さがの》に分け入ると、秋のあわれは野にみちていた。花はすでに散り失《う》せ、浅《あさ》茅《じ》の原も枯れ枯れに、とだえがちの虫の音《ね》、松風の音も荒々しい。
その中を、野の宮の方から風に乗ってきれぎれに、楽《がく》の音色が聞こえてくるのは、やさしい風趣があった。
源氏は少ない供人《ともびと》に、忍び姿の外出だったが、心を用いた装いで、それは折からの秋ふかい野の景色に、いかにも似つかわしい。
源氏自身も、(なぜもっと、しばしばここへ訪れなかったのか。いい風《ふ》情《ぜい》のところなのに)と残念に思った。
野の宮は、はかない小《こ》柴垣《しばがき》をかこいにして板葺《いたぶき》の家があちこちに建っている。黒木の鳥居も神々《こうごう》しく、神官たちがたむろして、咳払《せきばら》いしたり、話し合ったりしているさまも、神域らしい、よそとは全くちがう趣きである。
神に捧《ささ》げる供《く》物《もつ》のための、神聖な火を守る火《ひ》焼《たき》屋《や》のみ、ぼっと明るい。
あたりは人けもなく、しめっぽく、身のひきしまる感じだった。女のもとへ忍んできた身には、おのずと気の負《ひ》ける思いである。
こんな淋しい所に、あの女《ひと》は物思わしい日を送っていたのかと、源氏はあわれで、胸がしめつけられるようだった。
北の対《たい》のものかげに源氏は身をひそめておとなうと、音楽の音色がはたとやんで、女房たちのひそやかな衣《きぬ》ずれの気配がした。
御息所は、女房たちを取り次ぎにして、自分は会おうとしない。源氏は語気を強めた。
「今の私の身の上では、世間へのはばかりもあって、こういう忍びあるきはできないのです。それを無理して、やってまいりました。どうかよそよそしいお扱いはなさらず、直接お目にかからせて下さい。今《こ》宵《よい》こそ、ゆっくり、日頃の思いをお話ししたいのですよ」
源氏のまじめで思い迫った態度に、女房たちも心打たれた。
「ほんとうに、大将の君を、ああして外へお立たせするなんてお気の毒でございますよ」
御息所はまだ迷っていた。この野の宮では人目も多く、また斎宮であるわが娘にも思惑があった。年《とし》甲斐《がい》もなく、若い恋人を引き入れたと思われはせぬかという気はずかしさ、さりとて、つれなくあしらうこともできない。
例の、屈折した重苦しい思いにうちひしがれ、なげきつつ、ためらいつつ、ため息をつきつつ、しずかに膝《ひざ》をすすめる御息所のたたずまいは、やはり源氏にとって魅力だった。
「この宮では簀《すの》子《こ》(縁)へ上ることはせめてお許し頂けますか」
と源氏は上って坐った。
花やかな夕月夜となった。しかし二人の恋人は胸迫ってものがいえなかった。
青年は、折って手に持っていた榊《さかき》の枝を、御簾の下へさし入れた。
「この榊の葉の色のように私の心は変っていませんよ。だからこそ、こうして神聖な場所をもはばからず訪ねてきたのだ。それをあなたは、冷たくあしらわれる」
「榊は、神さまの木ですわ。あだめいて、お手折《たお》りになるなんて……」
と御息所はつぶやいた。
「あなたのいられるあたりに、ゆかりのものはみな、なつかしいんですよ」
野の宮の雰囲気は、神事の場所だけに重々しく、源氏は気圧《けお》されつつも御簾の中へ身を入れ、長押《なげし》に寄りかかっていた。
久方ぶりの逢《おう》瀬《せ》は、青年の心を昔に引きもどしていた。
思えば――青年がいつも欲するときに御息所に逢うことができ、御息所の方が、彼をよりふかく愛していたときは、青年は彼女の愛に慢心して、かえりみなかった。そうして、彼女のすさまじい嫉《しっ》妬《と》や怨念《おんねん》の本性をかいまみてからは心冷えて、青年は離れていった。
しかしいま、こうして向きあってみると、昔の愛はまざまざと立ち戻ってくる。
この年上の恋人の、深い愛に気付かず、それに狎《な》れ、心驕《おご》った日のことが、くやしく思い返される。
「ほんとうに、伊勢へ下られるのか。私を捨てて行けると思われるのか」
この女《ひと》に心ひかれた昔の日の恋は、まだ源氏には強い力をもっていた。この女《ひと》を失ってしまったあとの空虚をどうしよう。良くも悪《あ》しくも、この貴婦人は、源氏の青春を埋めた重要な恋人だった。
「思いとどまってほしい。私はあなたを失うのに堪えられぬ」
「わたくしは、あなたには、もう過去そのものですわ……何をしてさしあげることもできないのでございますもの」
御息所は堪えかねて顔を掩《おお》った。
「いいや、そんなことはない。もし私が、力ずくでもあなたを伊勢へ遣《や》らぬ、といったら――」
「考えてもごらんなさいまし」
御息所は必死に涙をこらえ、微笑を浮かべようと努めていた。
「あなたとわたくしの仲が終ったいまは、もう、人に笑われるだけなのですわ、未練がましいそぶりは。……恋の邸は空家となり、人手に渡ったのでございます。わたくしたちはごきげんようと言い合って、おだやかにたのしく、お別れするのですわ」
いううちに、彼女の言葉を裏切って涙はひまなく流れおちた。それを見る青年も胸がせきあげて思わず御息所のそばに迫り、抱きしめてささやいたのだ。
「もういちど、やり直したい、すべてを水に流して、一から手習いをはじめよう、あなたも私も、ともにはじめからやり直すのだ、あの恋のはじめの日をおぼえていられるか?……はじめて会った日のように私たちは……」
「取り返しのつくことと、つかぬことがございます」
「いや、取り返しはつく」
青年の涙に御息所の涙がまじりあった。彼女は青年の頬《ほお》を撫《な》でて静かにいった。
「あなた……。あなたには新しい運命が待っていますわ。運命に、待たれておいでになるかたですわ。……もうわたくしではお役にたてないのです」
「あなたは強い女《ひと》だ」
「すべてを失うと、人は強くなりますわ。……さあ、月も落ちましたわ。やがて夜があけます」
それでも青年は恋人の躯《からだ》を離すことはできなかった。二度と恋人として逢う日がないとは信じられなかった。愛の日が終ったとは思いたくなかった。今は源氏の方が、御息所に執心して焦《こ》がれていた。
「あの昔の恋の日々を、まぼろしにしないでくれ」
青年は悲鳴のようにいった。この美女の中の美女、よき趣味人であり、当代きっての教養ある淑女、気位たかき貴婦人、愛執が凝《こ》って物の怪《け》となるまで青年を恋してくれた女《ひと》、その人を失うというのは、一つの世界が潰《つぶ》れるようにも、青年には思われた。
「さようならは、おっしゃらないで下さいまし」
御息所は低く哀願した。
「それから、お帰りのとき、こちらをお振り向きあそばさないで下さいまし。いつものように、明日か明後日とおっしゃって下さいまし……明日か明後日、また来る、と」
御息所はほそい指に力をこめ、青年の躯にすがっていた。
「さよならという言葉を、あなたからうかがうのが辛《つら》くて怖くて、わたくしはおびえておりました。こんなになった今も、その言葉をおそれております……」
御息所の胸から、この年月、つもりつもった恋のうらみは消えていた。青年の真率《しんそつ》な悲しみと懊悩《おうのう》をみると彼へのうらみつらみも溶けた。その代り、別れの決意もゆらぐようで、彼女は思いみだれ、よろめいた。
空は、いつか夜明けの色に変りそめ、風が出ていた。虫の音も秋のやるせなさを添えるかのようである。
「離したくない、あなたを手ばなせない」
青年は御息所の手をとって、にぎりしめ、口づけする。
「私はおろかだった、あなたと別れるときに、どんなにあなたを愛しているかがわかった。もう、永久にあの楽しい日は去ったのか」
「いいえ。あの日は去ったのではございません。生きているかぎり、忘れはいたしませんもの。あの恋はまぼろしではございませぬ」
青年は夜明けにうながされて去るとき、約束どおりふりむかず、「さよなら」ともいわなかった。しかし悲しみに茫然《ぼうぜん》として涙ぐみ、秋の野をやみくもに踏みしだいて歩いていた。
御息所の方も、心まどいはなおさらだった。(彼を失った、彼を手放した、ついにそのときが来たのだ)源氏のわかい唇、熱っぽい細い躯、彼のやさしさ、彼のわがまま、彼の身勝手、彼の笑い、彼のあの男の動作、あれらを永久に失うのだ。なんと年上の女は、失う能力に(不幸にも)多く恵まれていることか。
部屋にまだのこる青年の衣の香り、月かげにみた姿が目にのこって、御息所はしばし、秋の未明の空へ物思わしげな視線をさまよわせていた。
源氏から、きぬぎぬの文《ふみ》がきた。ふつうの仲の女ですら、手紙はこまやかに情《じょう》ふかく書きしたためる源氏の、ましてこれは格別のかかわりある相手、それも二度と会えるか会えないかというわかれの際《きわ》の文であってみれば、いっそうしみじみと、女心にふれるのだった。
御息所は、
(ああ、もういっそ、再び昔のように……)
と思い乱れぬばかりだったが、むろん、ここまでことが運んで、公的《おおやけ》にも発表されている以上、ひき戻すすべもなかった。
源氏からは御息所の旅装束《たびしょうぞく》をはじめ、女房たちのもの、また調度品など何くれとなく立派な餞別《せんべつ》を贈られてきた。御息所はそれをうれしく思う心のゆとりもなく、軽はずみな浮名を流して源氏に捨てられ、伊勢へ落ちてゆく身のなりゆきを、ただただ、はずかしく思っていた。――その辛さは今はじまったことでもないのに、伊勢下向の日が近づくにつれて、あけくれ嘆くのであった。
斎宮は若いお心に、いつまでも見通しのつかなかった伊勢出発の日取りが定まったことを、無邪気に喜んでいらっしゃる。世間の人は、母君が同行するのを前例のないことと非難もし、またある人は同情したりして、いろいろ噂していた。身分たかい人は、何をしても人目について窮屈なものなのだった。
十六日、桂川《かつらがわ》でお祓《はら》えをされる。常よりも儀式のりっぱさはまさっていた。長奉送《ちょうぶそう》使《し》(斎宮を伊勢まで送る役)やそのほかの上達《かんだち》部《め》なども身分高い、世に重く思われている人々を、朝廷ではえらばれた。院の思《おぼ》し召しによるものらしかった。斎宮が野の宮を出発されるころ、源氏からの文がとどいた。
「雷でさえも、恋人たちの仲は裂けぬ、と申しますものを。
〈八《や》洲《しま》もる国つ御《み》神《かみ》も心あらば あかぬ別れの中をことわれ〉」
国を守られる神よ、私の恋に同情して、二人が飽かぬ仲なのに別れねばならぬ事情をお考え下さい。……国つ御神というのは斎宮を指しているのだった。あなたが斎宮におなりになったがゆえに、私はかくも思いのほかの別れを味わわねばならぬ、という口吻《こうふん》が感じられる歌である。
たいそうあわただしい時だったが、斎宮はご返歌を、女官長にお書かせになった。
〈国つ神空にことわる中ならば なほざりごとをまづやたださむ〉
国つ神がご判断なさるお二人の仲だとしたら……まず、あなたの実意のなさをおとがめになるでしょうね。
(あなたの不実な、あだし心のゆえに、お二人は別れる運命になられたのではありませんこと?)
斎宮のご返歌には、そんな意味がひびかせてあるようであった。
源氏は、御所での斎宮の別れの儀式を見たかったが、いま人々の前に出るのは外聞《がいぶん》がわるい気がした。源氏は源氏で、御息所に捨てられた男、という印象を世間に与えているのではないかと気がひけるのだった。
二條院にひきこもって、うつうつと物思いにふけっていたが、届けられた斎宮のご返歌の、大人《おとな》びていられるのに、ふとほほえまれた。
(年齢以上におもむき深い方のようだな)
と心が動く。源氏のくせで、恋してはならぬ人に限って胸が鳴り、心ときめくのだから、始末がわるいのである。
(惜しかったな。いくらでも親しくなれた姫宮の幼いころに、無関係ですごしてしまった……しかし世の中というものはどう変るかわからないのだから、また会えるときもくるだろう)
と源氏は考えた。斎宮は、その帝《みかど》の御在位中は伊勢で神に仕えていられるものだから、時としては、永久《とわ》のわかれ、ということにならぬとも限らぬのだったが……。
奥ゆかしく、みやびやかな斎宮御母子の出発をみようと、当日は物見車がたくさん出た。
斎宮は申《さる》の刻(午後四時)に御所に参上された。御息所は、輿《こし》に乗るにつけても、わがこしかた、女の生涯が一瞬に思い返され、いいつくせぬ感慨が胸にあふれた。
思えば亡き父大臣が、娘を、ゆくすえは皇后にもと志して、大切にかしずいて下さったのだった。時うつり星かわり、わが身は年たけて、すべて運命は狂ってしまった。こんな身の上になったいま、御所を見るにつけても、さまざまの物思いに心は濡《ぬ》れる。御息所は十六で、亡き東宮《とうぐう》の妃《きさき》として入内《じゅだい》し、二十《はたち》で先立たれ、三十すぎたいままた、九重《ここのえ》の内裏《うち》を見ることになったのだった。
(わたくしの生涯は、何だったのだろう)
と御息所は悲しく思った。
斎宮は十四歳になられる。もともとお美しい姫宮であられる上に、今日は晴れのご装束に身を飾っていられるので、この世の女人ともみえないほどである。
若い帝は、この美しいおん従妹《いとこ》の姫宮に、お心を動かされたらしかった。
別れの儀式では、帝は斎宮のお額《ひたい》に、「別れの小《お》櫛《ぐし》」といって、櫛をさして、
「こののち、京をふり返りなさるな」
というお言葉があるのだが、帝はあわれに思われたのか、すこし涙ぐんでいらした。この若く美しい少女《おとめ》の姫が、あたら神に捧げた身として潔斎の人生を送られるのを、可哀そうにも可《か》憐《れん》にも、思し召すのであろう。
式果てて、斎宮ご一行が退出されるのを人々は待っていた。八省院《はっしょういん》の前に立てつづけたお供の女房たちの車から、のぞいている衣裳《いしょう》の、袖口《そでぐち》の色合いなども、御息所にお仕えする人々らしく、趣味がよくて平凡ではなく、人目を引いた。
殿上人《てんじょうびと》なども、女房たちと個人個人で別れを惜しむ者が多かった。
暗くなってから行列は出立《しゅったつ》した。二條から洞院《とういん》の大路を曲ると、二條院の前に出る。行列は邸の前を通ってゆくのだ。さすがに源氏は堪えかねて、榊の枝につけて歌を送った。
〈ふりすてて今日は行くとも鈴《すず》鹿《か》川 八《や》十瀬《そせ》の波に 袖はぬれじや〉
(私をふりすててあなたは伊勢へゆく。しかし鈴鹿川を渡られるとき、別れの悔いの涙に、あなたの袖はぬれるのではあるまいか)
その夜は暗く、あわただしかったからだろう、次の日、逢坂《おうさか》の関《せき》の彼方《かなた》から、御息所の返事があった。
〈鈴鹿川 八十瀬の浪《なみ》にぬれぬれず 伊勢までたれか思ひおこせむ〉
(たとえ鈴鹿川の浪に、私が泣きぬれたとしても、誰が伊勢の空まで思いやってくれましょうか……)
旅の空の走り書きだが、かえって筆蹟《ひっせき》はけだかく、それでいて優美で、風情がある。これで、歌にもう少し情《じょう》を添えたらと、源氏は惜しく思った。
霧のたちこめる秋の朝、源氏は、旅空の人を思いしのんですごした。西の対の紫の姫君を訪ねることさえもせず、青年は終日、たれこめて物憂《う》いためいきを洩《も》らしていた。
桐壺の父院のご病気が、十月に入っていよいよ重くなられた。世はあげて憂色に閉ざされた。この君を惜しまぬ人とてないのである。
帝もご心配のあまり、お見舞いに行幸《ぎょうこう》される。院はご衰弱されていられるが、東宮のことをかえすがえすおたのみになり、ついで源氏のことをも言い置かれた。
「私の在世中と変らず、あれを後見と思って、大小となく相談するように。若いが、あれは国の政治をとることのできる才幹がある。天下を任せられる相のある男だ。だからこそ、私は、あれが煩《わずら》わしい誤解を受け、政争にまきこまれたりするのを避けようとして、わざと親王にはせず、臣下に降《くだ》した。ゆくすえは大臣として国家の後見とさせようと思ったからです。わが亡きのち、私の配慮にそむかないように」
としみじみしたご遺言《ゆいごん》があった。
帝も悲しく聞かれた。「決して、お心にそむくようなことはいたしませぬ」とくり返しお誓いになる。
若い帝の、お年を添えられるにつけ、ご風姿もいよいよ清らかに立派になっていかれるのを、ご病床の院はうれしくも頼もしくもご覧になっていた。
お心はかたみに残るが、帝の行幸とあれば時刻も限りあり、いそいで還御《かんぎょ》になったが、ご対面ののち、かえって悲しみがまさるようだった。
東宮も、ご一緒にお見舞いにと思し召されたが、物騒がしいので日をかえて行啓《ぎょうけい》された。
東宮はおん年五歳であられる。年よりはおとなびてかわいく、父院を恋しく思うていらしたが、やっとお目にかかれて、無邪気に、うれしそうにはしゃいでいらっしゃる。
そのおありさまがいじらしくて、藤壺《ふじつぼ》の中《ちゅう》宮《ぐう》は涙に沈んでいらした。
院は最愛の人の悲しみを目にされるにつけても、さまざまお心が乱れ、お辛いごようすだった。東宮に、いろんなことをいいきかせられるが、まだがんぜないお年頃なので他愛もなく、院は、この幼い宮と、愛《いと》しい君を残してゆかねばならぬのを気がかりに思し召すのであった。
源氏にも、国務にたずさわる上の心がまえ、東宮後見の役目について、くり返しくり返し、いい置かれることがあった。
東宮は夜ふけておかえりになった。供奉《ぐぶ》する人々の多さ、そのざわめきは、主上の行幸にも劣らない。いとけない東宮との飽かぬ別れを、院はしみじみ悲しまれた。
弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》も、お見舞いにと思っていられたが、中宮がずっと付き添っていられるのでお気がすすまず、ためらっていられるうちに、院は格別のお苦しみのご様子もなく、崩《ほう》御《ぎょ》になった。
足も地につかず、悲しみまどう人々が多かった。
院は御位《みくらい》こそ去られたが、御在位中と同じく世の政治のかなめ《・・・》でいられた。それが、突如、崩御になったいま、これからどうなっていくのだろう、帝はまだお若くていられるし、御《ご》外戚《がいせき》の祖父・右大臣は、たいへん短気な、偏屈者という評判の方で、そういう人が政権を握る世の中になったら、どうなるのだろうと、上達部や殿上人はみな、不安がっているのだった。
藤壺の中宮や、源氏などの悲嘆はいうまでもなかった。
おかくれになってのちの御法事など心こめてつとめる源氏のさまを、世間も、(あの君は、亡き院の、ことにもご秘蔵の愛子でいらしたものを……)と、あわれに見るのだった。
源氏は喪服の藤衣《ふじごろも》に着更《きが》え、去年、今年とひきつづいて鈍色《にびいろ》をまとう身となった。
中宮は四十九日までは院にいられたが、のちは三條の宮へお移りになるのであった。
十二月も二十日のこと、――世の中の空のけしきも寒く暗いのにまして、中宮のお胸のうちも冷たい風が吹き荒れている。かの大后の、きびしくむごいご性格を知っていられるので、そのお心のままになるこれからの世の中は、どんなに住みにくく辛いだろう、と不安に思し召されていた。
しかしそれにも増して宮のお心を占めるのは、ここ幾とせ、いのちを傾けて熱愛して下さった亡き桐壺院のおもかげであった。院の大きな暖かい愛情が、今更のように切なく宮には思い返されるのであった。
年はあらたまったが、諒闇《りょうあん》の世の中はしんとして寂しかった。源氏はまして物憂くてひきこもってばかりいた。
かつては、一月の司召《つかさめし》(官吏任免の評議)の頃など、桐壺院の御在位中はいうまでもなく、御譲位後も変らず、源氏の勢望はたいへんなものだった。二條院の門前はすきまもなく来客の車や馬で埋まったものなのに、いまは打って変って訪れる人の数も少なく、詰所に宿直《とのい》のための寝具の袋を運んでくる者もいない。
長らく、親しく仕えている家《けい》司《し》(執事)たちばかりが、ひまありげに邸うちをぶらぶらしていた。源氏はそれを見て、
(今からは、こんな状態になるのだろうな)
とあじけない思いに胸がふさがる。
政権が右大臣側に移ったいま、源氏に任官のとりなしを頼んでも益《えき》ないことと、世の人の心はすばやく変ってゆくのだった。
弘徽殿の大后は、院がご在世の頃は遠慮もされていたが、お崩《かく》れになった今は、その烈《はげ》しいご気性《きしょう》から、いまこそ、年頃積もった怨みをむくいようと、源氏に対して目をつけていられるらしい。
ことごとにつけて源氏には心外で不快な仕打ちが加えられてゆく。かねて予期していたこととはいえ、今まで経験したことのない逆境に立たされて、源氏は人まじわりがしだいにいやになってきた。
左大臣も不快で、あまり御所へも参内《さんだい》しない。かつて、亡き葵《あおい》の上《うえ》を今の帝へとの内意があったにかかわらず、左大臣はそれを拒んで源氏と結婚させたことを、大后は今も根にもっていらした。だから左大臣への風当りも強い。
左大臣と右大臣の仲も、元来、あまりよくない所へもってきて、昔、故院のご在世の頃は左大臣が政治を専《もっぱ》らにしていたのが、時勢が変った今は、右大臣が得意顔にわが世の春をうたっている。左大臣が面白くないのは当然だった。
源氏は、葵の上がいた頃と変らず、左大臣邸をしばしば訪れて、若君を大切にし、古いなじみの女房たちにも、あたたかい思いやりを示していた。左大臣はそういう源氏の気持を、しみじみうれしくありがたく思い、娘の生きていたころに変らず源氏を大切にかしずくのだった。
源氏は、近頃あちこちの忍びあるきも気がすすまず、今までの情人たちとの関係もいつとなくうち絶えたままになっている。二條院にばかり引きこもっているために、かえってのんびりとした日常である。
世間では、二條院の西の対に住む紫の姫君の幸福をもてはやしていた。乳母《めのと》の少納言《しょうなごん》はひそかに、
(亡き尼上さまが、心こめてみ仏にお祈りして下さっていたしるしだわ)
と喜んでいた。
いまは、父宮の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮にも晴れて披《ひ》露《ろう》したので、思うままに文通もできるようになった。正妻のもうけられた姫君たちには、はかばかしい縁談がないのに、紫の姫君は思いがけぬ幸福な結婚生活を送っているので、継《まま》母《はは》の北の方は、ねたましく思われるようだった。――まるで古物語にあるような話である。
賀茂《かも》の斎院《さいいん》は、桐壺院の第三皇女でいられたので、このたび亡き父院のおん喪に服されるため、斎院を退かれた。その代りに朝顔の姫君が立たれることになった。
伊勢神宮に奉仕する方を斎宮、賀茂神社にお仕えする方を斎院と申上げるのであるが、これらはいずれも未婚の内親王がたが当られるのが恒例である。朝顔の姫君は式部卿《しきぶきょう》の宮の姫で、孫王《そんおう》にあたられる方なのだが、しかるべき内親王の姫宮がいられなかったためであろう。
源氏は年月を経た今もこの姫に想いを懸《か》けているので、神に仕える身となられたことを残念に思った。姫君のおそばにいる中将と呼ぶ女房にずうっと連絡はしていて、姫君への便りは欠かさないでいる。源氏も今は昔とちがい、万事逼塞《ひっそく》した身の上であるのだが、そんなことは気にもとめず、権勢の中心から離れてひまあるままに、あたらしい恋を夢みていた。
いったいに、この青年は、やさしげにみえながら、一面、剛腹《ごうふく》なところがあるのであった。不遇のときも、その運命に捲《ま》きこまれて萎縮《いしゅく》したりしない、ふてぶてしいものを秘めており、美貌に似合わぬ気骨のある青年なのである。彼は、失意の運命に挑戦して、かえって奔放に生きようとするかにみえた。
帝は、院のご遺言を違《たが》えず、弟の源氏を大切にお心にかけていらっしゃるのだが、何といってもお若いことではあり、お気立ても柔和すぎて、強いところはおありにならなかった。それゆえ、母君の大后や右大臣のいうままになられ、世の政治も帝の思われるようにならぬことが多かった。
こうして、源氏にとっては面白くないことのみ積もってゆくが、かの朧月夜《おぼろづきよ》に会った姫君、――右大臣家の六の君とは、人知れず心を通わし、無理な逢瀬をつづけていた。
姫君は、二月に尚侍《ないしのかみ》になって、かんの君と呼ばれ、後宮《こうきゅう》にあまたある妃たちの中でも、ことに帝のご寵愛《ちょうあい》がまさっている。
大后は、この頃お里にいられることが多く、たまに御所においでになるときは梅壺《うめつぼ》にいられるので、弘徽殿には、いま、尚侍《かん》の君が住まっている。
大后は、尚侍の君を重くお扱いになる上に、帝がことのほか愛していられるので、尚侍の君は、後宮で花やかにときめいていた。
しかし、心の中では、源氏が忘れられず、ひそかに文を通わせあっている。源氏も、人に知れたらどうなることかと恐ろしく思いながら、例の、道ならぬ恋、恋してはならぬ人を恋してしまう、わるい癖で、逢瀬がむつかしくなればなるほど、恋心がつのるのだった。
内裏で、五《ご》壇《だん》の御修《みず》法《ほう》がはじまった時であった。
これは、国家・主上のため、五大尊を勧請《かんじょう》して祈《き》祷《とう》する重い修法である。帝がご謹慎していられるすきをうかがって、源氏はいつものように、夢のような逢瀬を、尚侍の君と持った。はじめて会った朧月夜のときと同じ弘徽殿の細殿《ほそどの》の一室に、女房の中納言の君は人目をさけて源氏を案内した。
御修法のあるあいだは、人の出入りも多い上に、常よりも端近《はしぢか》なところなので、中納言はそらおそろしく思った。
めったにあえぬ恋人同士のしのび会いは、月の光のわずかに洩れる闇《やみ》の中だった。
「長かった……会うのをまちかねた……日も夜も、考えるのはあなたのことばかりだった」
源氏が、柔かい手弱《たおや》女《め》の躯を抱きしめると、美しい尚侍の君はおびえて震えていた。
「どうした。こわいのか」
「ええ……恐ろしい。でも、見つかったらそのときのことですわ。あなたとなら、どうなっても、あたくしはいいの」
「可愛いことをいう」
実際、源氏は朧月夜の君にだんだん深くひかれていく。この姫君は重々しいところはないが、愛らしく若々しく、情熱的でいちずだった。後宮に入ってからは、熟《う》れた女ざかりの美しさが添って、その艶麗《えんれい》さはくらべる女《にょ》人《にん》もないほどだった。いかにも兄君の帝が熱愛しているはずだと、源氏は嫉妬をおぼえる。
「でも、あたくしの愛しているのは、あなただけですわ。ほんとうよ、そうでなければこんな恐ろしい冒険をするはずがありませんわ、おわかりになっていらっしゃるくせに」
と朧月夜は必死にいう。
「どうかな。帝はあなたをおそばからお離しにならぬそうだ。しかし私はひと月、ふた月に一度という逢瀬だからね」
「なみの逢瀬ではありませんわ。みつかったら破滅ですもの。いのちを賭《か》けていますのよ。おそろしいけれど、それだけに、あなたにお目にかかるときは、幸福の絶頂みたいよ。……あたくしの気持がおわかりにならないの?」
「離れていて、あなたがほかの男に愛されていると思うときの、男の気持があなたにわかるものか。しかも相手は私の力及ばぬ尊い位の方なのだから、――私は絶望して堪えているだけだ」
「あたくしを、あのときの朧月夜のまま奪って下さればよかったのに……。そしたら宮仕えにも上らなくてすんだのですわ」
責めたり、苛《さいな》んだり嫉妬したりしながら、二人の若い恋人たちは、それでまた新鮮な恋の火をかきたてられ、前よりいっそう相手をいとしく思う――朧月夜は無邪気な幼さのぬけきらぬ姫なので、罪の意識というよりも、情事が露《ろ》顕《けん》したときの社会的な制裁や非難をおそれているのだった。そのおびえがなお情熱の油を火にそそぐことになって、烈しい愛を交しあい、蒼《あお》ざめた夜明け、美しく恋に憔《しょう》悴《すい》した二人は、静かに横たわっていた。
「あなたといると、夜明けが早い」
源氏が朧月夜に接吻《くちづけ》してささやいていると、突然、すぐ下の庭から、近《この》衛《え》の警備の役人が、
「宿直《とのい》申しでございます」
と声を張っていう。それはまるで二人の耳もとでいうように聞こえた。びくっとする朧月夜を、源氏は制して、小声でいう。
「私のほかにも、この近くの女の局《つぼね》へ忍んでいる近衛司《このえづかさ》がいるのだ。それを意地の悪い仲間が教えて、宿直申しをよこしたのだよ」
宿直申しは夜警の者が時刻を告げることである。源氏はおかしかったが、面倒だな、とも思った。その男はここかしこと歩いて「寅《とら》一《ひと》つ!」(午前四時)と呼ばわっている。
「まあ……」
と朧月夜はちいさい叫びをあげる。
「もう、そんな時刻?……時間のたつのが早いこと。こんどはいつ、お目にかかれるかしら。また物思いに日がすぎていくのだわ。あたくしの心から招いた苦労だけれど」
と心細そうにいうのが、源氏には、いじらしかった。
「あなただけではないよ。物思いは私も同じだ。とりかえしのつかない恋に落ちてしまって気が晴れるときはないよ」
源氏はあわただしく、心もそらにすべり出る。
「お気をつけ下さいまし……」
朧月夜はそっと口の中でいって見送ったが源氏に聞こえたかどうか……。夜深い暁月夜《あかつきづきよ》の、ほのぼのと霧のたちこめる中を、源氏は忍び姿に身をやつして出た。折も折、
「お……あれは? さても妙な所から出て来られたものだ」
と、じっと源氏を見送っている人影があった。帝の妃の一人、承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょうご》の兄君の、藤少将《とうしょうしょう》である。月かげの立蔀《たてじとみ》のもとに立っていたので、源氏は気付かず、通りすぎたのだったが……口さがない世間の噂《うわさ》が、そういう所から立てられ、やがて怖《おそ》ろしい運命の罠《わな》に陥《おと》しいれられようとは、もとよりその時の源氏には、知るよしもないことだった。
こんな色恋沙汰をくりかえしながら、源氏はやはり、藤壺の宮をお恨みしていた。院がおかくれになってのち、ますます、うとうとしく他人行儀に遠ざかってしまわれる宮に、源氏の恋は、いまもしぶとく、押さえようもなく燃えつづける。
藤壺の宮にとって、今はもう、御所は縁ない、よそよそしい場所になってしまった。
亡き院がせっかく中宮のみ位に据えおいて下さったけれども、その栄光も今はむなしく、御所にいらしても、まるで敵地に在るようにお心がおちつかれなかった。お里の三條邸にこもっていらっしゃることが多いが、そうなると、幼い東宮にお目にかかれない。宮は、それを心もとなく辛く思し召すのであった。
そんなこんなにつけても、源氏を後見としてご相談なさりたいのに、源氏はといえば、いまもなお、宮に烈しい恋心を抱いていて、機会を見ては思いを打ちあけようとばかりするのである。
宮は敏感にそれを悟られて用心ぶかく避けていられるが(その敏感さは宮が源氏へ抱かれる思いの裏返しでもある)ともすると危うく、足もとをすくわれそうな気がされて、お胸がつぶれそうになる。
(亡き院は、……わたくしとあのひととの秘めた罪を、つゆご存じなくお崩《かく》れになった。その大それた罪を、思い出すさえ、おそろしいのに、お崩れになったあとまで罪を重ね、それがまた世の人の口の端《は》にのぼりでもしたら、自分の身はともかく、東宮のおんため、今に必ずよからぬことが起こるにちがいない……)
宮はそれを恐れられた。
弘徽殿の大后側の人々が、何かのきっかけをとらえて、源氏の失脚や、東宮辞退をもくろむことは充分考えられることであった。廃立の権限は、大后側の手中にある現在、東宮のおん地位もあやういといわねばならない。
宮はお心をいためられた。源氏のわずらわしい煩悩《ぼんのう》の火が消えるようにと、ひそかに祈祷までおさせになり、源氏にはきびしい態度をとりつづけていらした。青年につけ入るすきは与えないように身を持していらした。
いや、そのつもりであったのに……。青年の情熱のほうが、宮の警戒心を上廻っていたのか……ある夜、宮は御帳台《みちょうだい》のなかに人影をみとめて、息もとまるかと驚かれた。
「眠れません……毎夜、私は眠れません」
と、青年は宮の耳許《みみもと》へ低く訴えつづける。
宮が、お顔をそむけたままでいられるのをしっかと抱き緊《し》めて、
「今夜はどうあっても、お目にかからなければ気が狂いそうだったからです。失礼をお許し下さい。命婦《みょうぶ》も、誰も知りません。一人で忍んできました。――私の愛をご存じでいらして、なぜお避けになる」
「当然のことですわ」
宮の、ほそいお声のうちには、しかし、凜《りん》としたひびきがこもっていた。
「わたくしたちのあいだで、愛という言葉は出さぬようにお約束したはずなのに……」
「そうです。お約束しました。だが」
青年は、宮にお目にかかるまでは、恋慕の情のほしいまま燃えるにまかせて、宮をわがものにしようとやたけに逸《はや》っていたのであるが、宮のけだかいお姿を前にすると、さすがに無《む》体《たい》なことはできなかった。
苦しい思いにうちひしがれ、怨みがましくやるせない涙にむせびつつ、かきくどく。
「私があなたを思い切れぬと知っていらして、そんなことを言われるのは、それはむごいというものです」
宮は何かに必死に堪えるように思いつめたお顔の色だった。青年の言葉を耳にも入れるまいとするように、お体をかたくしていられた。青年が思わず腕の力をゆるめると、恐怖と嫌《けん》悪《お》にみちて(男にはそう思えた)逃《のが》れようとよろめかれた。青年は今は、怨めしさ、恋しさに前後の見さかいもなく取り乱して、心も昏《く》れまどい、
「なぜそう、つれなくなさるのです。私の執心をどうしてそうお厭《いと》いになられる。私とのことがかつてなかったのならともかく、切れぬ契りがある仲ではありませんか。あなたが打ち消されても、事実は消えません。私の執心も消えないのです。……あなたが欲しい」
と夢中で宮を抱きすくめようとすると、宮は必死の手ごたえであらがうさまをみせられ、お体が急に重く沈んで、青年の腕の中で気を失ってしまわれた。
すぐ、異変に気付いたのは、宮のおそば近く控えていた女房の弁《べん》や命婦であった。宮はご心痛のあまり胸がせきあげて苦しまれるので、命婦たちはいそいでご介抱申上げたのだが、源氏が忍んでいると知って命婦たちは肝も冷える心地がした。
青年の方は、なかば無我夢中で、分別も失い、夜が明けようとするのに、出ることもできない。命婦たちはとりあえず、源氏を塗籠《ぬりごめ》にかくした。塗籠は壁で仕切った土蔵なので人目を避けるには具合がいいのだが、青年の装束を隠している命婦は、気が気ではなかった。
宮はお悩みのあまり、お気持が上気《のぼ》せて苦しそうにしていられるので、兄君の兵部卿の宮や、中宮職《しき》の長官などがお見舞いされ、祈祷の僧を呼べ、などと大さわぎになった。
源氏は、それを塗籠の中でわびしく聞いていた。ご病気は夕ぐれどきになって、ややおさまったようだった。
宮はまさか源氏が、あのまま帰らずに隠れているとは、ゆめにもご存じない。女房たちも、宮のお体に障《さわ》っては、と心配して、このことを申上げなかった。
宮が起き上られたので、よくなられたのかと、兵部卿の宮も退出された。宮のおそばには人が少なくなった。命婦たちはひそかに、
「どうやって、源氏の君をお帰ししましょう。もし今夜もあのままだと、また宮さまはお上《の》気《ぼ》せになりますわ、お気の毒に――」
と、ささやき合っていた。
源氏は塗籠の戸の細めにあいたのをそっとひらき、屏風《びょうぶ》を立ててある間をつたい歩いて、宮のお部屋に入った。
宮のお姿を近くでしみじみ拝見するのも珍しくうれしく、青年は、みつめているとまぶたが熱くなる。宮はもとよりご存じなく、
「まだ苦しいわ……命が尽きるのではないかしら」
と外を見やっていられるおんまなざしが、たぐいもなく、青年には優雅にみえた。
「御果物でもお召し上りなさいませ」
と女房たちがくだものを箱の蓋《ふた》などに盛っておすすめするが、宮は物思いにふけってらして、ご覧にもならない。
お髪《ぐし》のかかり具合、匂やかな白いおん肌の美しさ、二條の院の紫の姫君にそっくりである。あの姫君と長年住んだせいで、宮恋しさもいくぶん紛れる気もしたのではあるが、しかし、いまこうして目の前にお目にかかる宮は、やはり、長年、恋い焦がれたせいか、紫の姫君よりはお年かさだけに、たぐいもない美しさに思われる。青年にとっては、永遠の美女であった。
青年はこらえかねて御帳台のうちに忍び入り、静かに、宮のお召しものの裾《すそ》を引いた。
彼の衣《きぬ》の薫香《くゆり》がさっと匂い立ったので、宮はすぐ悟られた。宮は衝撃のあまり、うつぶしてしまわれた。
「せめて、私を見向いてでも下さればうれしいのに」
と青年は怨みつつ宮をとらえて引きよせようとすると、衣をぬぎすべらせて逃れようとなさる、しかし青年が宮のお髪《ぐし》まで手に巻きつけて離さないので、宮はおん身をすくませたまま、辛い気持で宿業《しゅくごう》の悪縁を悲しまれた。
青年は今はもう分別も条理もうちすて、理性も自制心も失ってしまった。うつつ心もなく妄執《もうしゅう》のとりこになって宮を責めるのだ。
「私を哀れと思って下さらないのですか。あのときの契りは、その場のがれのいつわりでいらしたのか。日も夜も、あなたと再び会いたいためにのみ、過ぎるように私は思っていたのに……」
「どうか、そうわたくしをお苦しめにならないで」
今は宮も、双《そう》のおん眼に、きらきらと露のような涙をいっぱいに湛《たた》えていらした。
「わたくしは弱い女です。限りなく堪える力があるとはお考え遊ばさないで下さいまし。……ほんとうを申上げますと、わたくしは、嫉妬しております」
「嫉妬。だれにたいして」
「あなたの、お身近にいらっしゃる、女人《にょにん》衆にたいして。あなたを、晴れて愛することができ、世の人の祝福を享《う》けてあなたに愛される女人衆にたいして」
宮が、おん眼を閉じられたので、あふれた涙は、宮の白い頬を伝わって落ちた。
「しあわせな女《ひと》たち。――わたくしはうらやましい。わたくしは、それができない身です。あなたを愛することも、愛されることも、世の掟《おきて》はゆるしません」
「……しかし、院は、すでにこの世にいられない」
青年の声は、罪を憚《はばか》るごとく低い。
「いいえ。院は今もなお、生きておいでになります。――わたくしたちの罪が消えないかぎり、生きておいでですわ、わたくしたちのあいだに」
青年は、いまは苦痛に心が捩《よじ》れるようで、宮を抱きしめたまま、涙をこらえていた。
宮のごようすには、お心に反した無体な仕打ちをゆるさない、犯しがたい気高さが、おありになった。青年はその気品に打たれ、宮のお言葉に逆らってまで思いを遂げられない。
「……しかし、愛しています。未来永劫《えいごう》に、私は、あなたを思い切れず、愛しています。たとえ、あなたの愛を得る希望のもてそうにない運命でも、私がそれとかかわりなくお慕いする自由だけは、どうか今まで通り、私に保留しておいて下さい。それすらもお取上げになる権利は、あなたにはおありにならぬはずです」
青年が涙をのみこみながら、きれぎれに、しどろもどろにささやきつづける言葉に、宮は堪えかねられたのか、そむけたお顔に涙を流しつづけていられた。
「ああ、もし、私が、あなたの人生で最初にめぐりあう男だったとしたら。――今ごろは幸福な妹《いも》背《せ》として、たのしい月日を送っていたかもしれない……」
「でも、わたくしは、院とめぐりあう運命でした。もう今となっては、この運命を誰にも変えることはできないのですわ」
宮はやさしいが、きっぱりとした口調でいわれる。しかしそのお声は、宮のお心をそのまま伝えて、あやしく顫《ふる》えているのだった。
命婦がそっと近寄って、夜が明けます、とささやく。――いつまでもいることは宮のお苦しみを増すことである。青年は夢ごこちで身支度をしながら、わが心をもて扱いかねて、
「死ねばよいと、私のことを思し召していられるのではないのですか」
と怨みつらみを言うのをやめられない。
「死んでも、私の妄執は残って、後世《ごせ》の罪障になるでしょうね……」
青年は拗《す》ねていた。悲しみと怒り、自責と自嘲《じちょう》がいりまじって、目もくらむようで、帰るみちみち、ものもおぼえなかった。
源氏は自分を拒み通した藤壺の宮に、ますます恋の炎を燃やすばかりだった。宮を冷淡と思い、薄情とも思おうとするが、すぐその心の下から、より物狂おしい慕わしさが募《つの》ってきて、堪えがたい辛さとなるのであった。――あの佳《よ》き女《ひと》は、自分の身近の女人に嫉妬するといった。
源氏に愛される女人を、うらやましい、とさえいった。何という気高い率直さであろう。
それは、愛の告白にほかならぬではないか。
それだけを聞けば、もはや、何も求めることは要らぬ、と思えるのに……愛というものは、ほんとうに強欲で貪婪《どんらん》なものなのだ。
宮を、わがものにできなかった恨み、満たされぬ不発の欲望に憔悴して、青年は苦しんでいた。
宮に許されなかった、ということで、青年の誇りは傷ついていた。
いまはこの上は、
(あわれと思って頂けようか)
という、拗ねてふてくされた心から、青年はひたすら、ひき籠《こも》っていた。やさしいひとに甘える拗ねた怒りのようでもあった。いっそ、世を捨ててしまったら、少しは、宮も自分に関心を持って下さろうかと、青年はそんなことすら、考えた。
しかし……何の屈託もない昔の若者ならともかく――いまは、彼だけをいちずに信じて頼っている、可憐な姫君、紫の君がいる身なのだ。あの純真なひとを、妻にしたばかりなのだ。藤壺にゆかりの姫君でもあり、青年はどうしても、自分の苦しみだけにかまけて、世を捨てるわけにはいかないのであった。
中宮もまた、苦しんでいらした。
源氏をきびしく拒まれたために、源氏がよそよそしくなるとすれば、東宮のおんためにも困ったことであった。
かといって――源氏が宮に懸《け》想《そう》しているということが、大后側に知れでもしたら、これ幸いと、どんな不利な噂を流されるか知れはしない。
宮はこの際、ある決心をされた。
東宮を守り、源氏をも傷つけるまいとすれば、それしかない、というご決意であった。
それにつけても、ひとめ東宮に、と思われて、そっと御所に参内された。
普通ならこんなとき、源氏はゆきとどいたお世話をして、行啓の供奉《ぐぶ》をするはずであるのに「気分がすぐれませぬゆえ」ということで、お送りにも来ず、ひきこもったままである。
中宮のおそばの、事情を知った女房たちは、
「まあ、ずいぶん悲観なすったものですね」
などと、源氏を気の毒がっていた。
東宮はたいへん可愛らしく、成長なさっていた。久しぶりの母宮とのご対面を珍しくも嬉しくも思われて、甘えておそばにまつわっていらっしゃる。
宮にはそれが堪えがたいまで愛らしくも、あわれにも思われた。このいとしいものを捨てて、決意を遂げることができようか。
しかし、御所のうちの様子も、すべて昔とちがって、大后の勢力下にある。中宮とはいい条、何かにつけて身分にふさわしくない取り扱いをされ、ご不快な思いをなさることが多いのだった。もし東宮にまで、わざわいが及ぶようなことがあっては……と宮のお心は千々《ちぢ》に乱れられた。
「しばらくお目にかからないでいるあいだに、わたくしの姿が変ったら、どうお思いになるでしょうね」
と宮がいわれると、東宮はじっと母宮のお顔を見まもられ、
「式部のように?……おたあさまがそんなにおなりになるはずはないでしょ」
と愛らしく笑われるのだった。あまりのいとけなさを宮はあわれに思われた。
「いいえ。式部は年取ったから醜くなりましたのよ。そうではなくて、髪は式部よりも短くなって、黒い着物など着て、夜中《よるじゅう》お祈りしているあの僧たちのようになってしまうの。そうしたら、お目にかかれることも、今よりもっと間遠になりますのよ」
宮は、お涙を抑えかねて泣かれた。東宮は幼な心にも悲しくなられたのか、まじめなお顔で、
「今よりもっと、おたあさまに会えなくなるの? さびしいなあ」
と涙をほろりとこぼされる。それを恥ずかしいと思われたか、小さなお顔をそむけていらした。お髪《ぐし》の清らかにゆらゆらと垂れ、おん眼もとの匂うような美しさ、成長されるにつれて、まるであの源氏そのままに似ていらっしゃる。おん歯が少し虫ばんで、お口の内が黒くみえ、笑っていられる様子は、女の子のようにやさしげにお美しい。こんなにも源氏に似ていられるのが玉の瑕《きず》のように、宮はお思いになった。
東宮ご出生の秘密はもとより誰知らぬことだが、きびしい大后側の人々の眼をわずらわしく、そら恐ろしく、宮は思し召すからだった。
源氏は心の晴れぬままに、紫野の雲《う》林院《りんいん》に詣《もう》でた。亡き母の、桐壺御息所《みやすんどころ》の兄の律師がここの僧坊にいられる。源氏は紅葉《もみじ》の色づく秋の紫野で、経文を読み、仏前にお勤めをして、しみじみした何日かを過ごした。学問のある僧たちを集め、仏教の論義をさせて聴いたりもした。
秋の夜明けの月光のもと、僧たちが、仏に水や花を奉ろうとて、花皿を洗ったり、からからと鳴らして重ねたりしている。菊の花や濃い紅葉、薄《うす》紅葉など折り散らしているさまも、はかなげに哀れなさまだった。しかし仏道にいそしんでいるあいだは、心をまぎらすことができた。
勤行《ごんぎょう》にあけくれる暮らしは後の世のためにも頼もしいことだが――さて、といって源氏は実際に世を捨てることはできない。紫の姫君が気にかかるのだ。
仏への勤行にいそしみながら、彼は、留守宅も心配で、若妻にあててたえず手紙を書いたりしている。
また、ここは賀茂にも近いので、斎院となられた朝顔の姫君にも、たよりを送った。あの姫君なら、秋の野の僧坊で、仏道修行をするあわれふかい情趣も解して頂けようか、と……。
「神に仕える身となられたあなたに、申すもかしこきことながら、昔の秋が思い出されますね。昔を今に、と思っても甲斐《かい》ないことですが、まるで取り返しのつくことのように思われて、昔恋しく」
となれなれしげに書いた。浅緑の舶来の紙に書いて、木綿《ゆう》をつけた榊《さかき》の枝に、手紙をむすび、神の儀式めいて仕立てたのである。そういう、すずろごとに源氏は心なぐさんでいた。斎院のお返事は、
「昔の秋が恋しいとはどういうことですかしら。わたくしには思い当りませんが」
とさらりと書かれてある。手蹟《て》は女くささのない、りっぱな字で、姫君の姿かたちもさぞ年と共に美しくなられたろうな、と源氏は心が動いた。(そういえば、去年のこの頃だった、野の宮の秋のわかれは)と源氏は思った。
六條御息所といい、朝顔の姫君といい、源氏はふしぎに恋人との仲を、神に裂かれることが多い。朝顔の姫君が神に仕える身となられてから、源氏はいよいよ恋と関心を姫君によせるのだった。神慮のほども恐ろしいことである。
源氏が天台六十巻の経典を読んで、学僧たちに不審の個所をたずねたりして仏道に思いをひそめているのを、僧たちは「みほとけの面目、山寺の光栄です」と喜び合っていた。
源氏は雲林院におびただしい御布施《おふせ》を、ある限りの僧俗には充分に物を与えて寺を出た。
人々は有難いことに思って、僧たちはもとよりいやしい木樵《きこ》り、柴《しば》刈《か》りの山人まで、涙をこぼしつつ見送った。
紫の姫君は、少し見ない間に、また美しくおとなっぽく、しっとりとしていた。
「み仏にお仕えしていらして、わたくしのことなどお忘れになったのではないかと、心配していましたわ」
というのも可憐だった。
「とんでもない。どんなことがあっても世を捨てて僧になったりできない、ということが今更のようにはっきりしたよ。――あなたがいるかぎりは。だから俗世へ喜んで帰ってきたのだ」
「ほんとう? それならうれしいわ。お心が何だかいつもたのみがたくて」
「わかってもらえないかね。――浮世のきずなは、あなた一人だよ」
と源氏はいいつつ、若妻の鋭敏な感受性にすこし、たじろいでいた。聡明な紫の姫君は、源氏が藤壺の宮や朝顔の姫君に心動かすのを、直観的に感じとっているのであろう。
「わたくしをおいて、どこへもいらっしゃらないで下さいましね」
と心細そうにいう紫の姫君の愛らしさ。――「どこへも」というのは、世を捨てて仏門に入ることも指すのであろうし、他の女人に心動かすことをも、いうのであろう。
「約束するよ。あなたを一人にはしないよ、これからは」
源氏に、まじめに誓われてやっと紫の姫君は安心したのか、美しい笑顔を見せ、
「まあ、きれいな紅葉……」
と源氏が土産《みやげ》に持ってかえった、山の紅葉の色濃いさまにみとれた。
中宮にも、あまり疎遠にしていると、かえって世間からも怪しまれそうなので、源氏は紅葉を、ふつうの贈り物のようにして、差し上げた。命婦に手紙を書いて、
「宮は御所に参られたとか。東宮とのお目もじはどのようでありましたろうか、心に掛っておりましたが、思い立って勤行したことですので、中途で帰ることもできず、つい日がたちました。秋の野はひとしおの風情でした。紅葉を一人で見るのも古歌の〈見る人もなくて散りぬる奥山のもみぢは夜の錦《にしき》なりけり〉で、残念ですから、よい折があれば、中宮にお目にかけて下さい」
と言い遣《や》った。
照り輝くような濃い赤さの紅葉で、都のそれとは、さすがにちがい、冷たい山里の露が染めあげた美しさは珍しかった。
藤壺の宮は喜んで、ご覧になっていたが、例のように、枝に小さく文が結んである。
「あ」
と、宮はお顔の色も変る気がされた。
まだ源氏は懲《こ》りずまに、文などをよこすのだ。よこしまな恋ごころは、あれだけ、ことをわけて話しても消え失《う》せないものとみえる。
思慮ぶかく、思いやりの心に富み、人間味のゆたかな性格の青年なのに、よこしまな恋に身を灼《や》くときは、一変して無鉄砲なことをする。――宮は、源氏の心をうらめしくお思いになった。おそばの人々も、どんなに変に思うかしれないのに。
宮はうとましく思われ、紅葉を瓶《かめ》にささせて、廂《ひさし》の間《ま》の柱のもとに退けてしまわれた。
そうして、強《し》いて事務的な用件の返事のみをされた。源氏はといえば、(何という冷たい方か)と、逆《さか》うらみに、お怨みするのであった。
藤壺の中宮の後見役は源氏ということになっているので、あまりうとうとしくしているのも世の臆測《おくそく》や疑惑をまねく恐れがあった。
源氏は中宮が御所を退出される予定の日に参内した。
先に、兄帝《みかど》の御前にうかがうと、ちょうどつれづれの折でいらしたらしく、
「珍しいではないか」
となつかしげに、いろいろな話をされた。
帝のお顔立は、父院によく似ていられるが、院よりも更に柔媚《じゅうび》な風情がおありで、御性質はやさしくなごやかでいらした。
帝も源氏をご覧になって、父君のことを思われるらしく、お互い、血を分けた兄と弟という、しみじみした思いにひたっていらした。
帝は、朧月夜の尚侍《かん》の君と源氏の仲が、まだ絶えないでいるらしい噂もお耳になさっており、また、尚侍の君のそぶりからも、ご自身そうと悟られるときもあるのだが、
(まあ仕方がないだろう、いま始まったことではなし、私よりも早く、源氏の君の方が彼《あ》女《れ》とめぐりあって恋人にしてしまったのだから……。考えれば、あれと源氏は、似合いの恋人同士といってもいい仲だし……)
などと思われ、源氏も尚侍の君も咎《とが》めようとはなさらなかった。柔和で温厚な、お気立なのだった。
源氏は兄帝のやさしいお気立を恐縮にも思い、また敬愛していた。昔今のこと、学問のこと、いろごとめいた歌の話など、若い兄弟らしく、話が弾《はず》んだ。
あの六條御息所の姫君が、斎宮として伊勢へ下られた日の、お美しかったことを、帝が思い出されて話されると、源氏も、つつまず、野の宮の哀切な暁の別れなども、お話し申しあげた。
二十日の月が昇って来た。
「ああ、いい風情になった。管絃の遊びでも催したいね」
と帝はいわれたので源氏は、
「実は中宮が、今宵、東宮御所から退出されますので……。院のご遺言もあり、後見役の人もほかには居られませぬゆえ、私がお世話申しあげております。東宮のご縁につけましても、中宮をなおざりにはできませず……」
「それはむろんだ。院は、東宮を自分の子と思って愛せよ、といい置かれたから、私も心にかけて大事にしているつもりだが、まあ、ことさら目立っても、と思って……。しかし、お年にしては東宮は字もお美《み》事《ごと》だし、この分では、ゆくゆくりっぱに生《お》い立たれて、何事につけてもたよりない私の名誉を挽回《ばんかい》して下さるだろう」
と帝がいわれるのも、お気弱でやさしいお心がらのせいだった。
「東宮はご聡明ですが、何といってもまだ幼くていらして心もとない事でございます」
源氏は、東宮のご日常のことなどお話申しあげて御前を退《さが》った。
源氏の前駆が忍びやかにゆくのを、立ちふさがるように横切る一行があった。頭《とう》の弁《べん》という青年である。弘徽殿の大后の兄君、藤《とう》大納言の息子で、いまをさかりと時めいている公達《きんだち》の一人だ。妹の、麗景殿《れいけいでん》の女御《にょうご》の御殿へたまたまゆく所らしかったが、源氏を見て立ち止まった。
時の勢いに乗じて、なんの遠慮も気がねもないのであろう、傲慢《ごうまん》な態度でながしめをくれて、
「白虹《はくこう》、日を貫けり。太子、懼《お》ぢたり」
とゆるやかに史記《しき》の一節を口ずさんでゆく。
あきらかに、源氏へのあてつけである。
燕《えん》の太子・丹《たん》は、秦《しん》の始皇帝を殺そうと、荊《けい》軻《か》を刺客として秦に送った。時に、不吉な天象があらわれた。白い虹《にじ》が太陽を貫くようにみえたのである。太子の丹は、事の成らざるを予感しておそれたという故事であった。
どうやら、丹と始皇帝との関係を、源氏と帝になぞらえ、源氏が帝に異心をいだき、帝に不《ふ》遜《そん》のふるまいをして、反逆をたくらんでいると、頭の弁は諷《ふう》しているらしかった。それはまた、弘徽殿・右大臣派の人々の、源氏を見る目でもあるのだろう。大后の源氏に対する反感は、いまは、あからさまなので、頭の弁のような若者まで、勢威をかさにきて、源氏をかろんずるのであった。
源氏は唇を噛《か》んだが、表だって相手になれなかったので、忍耐していた。しかし腹の底では憤《いきどお》りが煮えている。源氏は、兄帝とはちがう。柔和一辺倒の男ではないのだ。
なよやかにみえながら、剛《ごう》毅《き》で慓悍《ひょうかん》な性質を秘めている。以前の源氏なら、とって返して、頭の弁の無礼を面詰《めんきつ》したであろう。しかし、世はうつり変り、源氏をとりまく状況も一変した。加えて守らねばならぬ東宮御母子もいられるのだ。源氏は胸をさすり、自重してそしらぬ風でやりすごしたが、世に奢《おご》っていた若い源氏の、それは一つの成長であるのかもしれなかった。
「主上《うえ》の御前にいまして、今まで夜を更《ふ》かしてしまいました」
と源氏は中宮に申上げた。
「静かな夜でございます。院がご在世の頃は、こんな夜は華やかに管絃のお遊びなど、なさいましたろうに」
源氏の言葉に、中宮は王命婦《おうみょうぶ》を取りつぎにして仰せられた。
「御所の月を見るのも久しぶりでございます。霧がへだてているようで、御所へあがることもためらわれ、はるかに思いやるだけでございました」
間近いところだから、中宮のお声も仄《ほの》かに聞こえ、源氏はなつかしさに、日頃の怨み辛みも忘れて身に沁《し》む。中宮は、大后側の人々のあしらい、時世の変りなどをそれとなく仰せられているのに、源氏はわざととり違えた風に、
「恨めしいのは霧ですね。なぜ、へだてを置くのか……月の光は昔も今も変りませんのに」
と暗に、自分と中宮とのことにすりかえてしまう。
果して、中宮は黙してしまわれる。源氏は、東宮のおんことに話題を転じた。恋しいひとにお心安くお話し頂けるのは、あのひとの、母性の弱味につけこんだときだけだと、源氏はいち早く見抜いているのだった。
中宮は東宮のことになると、いたいたしいほど、もろくおなりになった。素直に、お心をひらいてしまわれる。東宮はまだ起きていらして、源氏の肩に倚《よ》りかかり、まつわってこられるのだった。
「今夜はお目が堅くていられますね。いつもはもっとお早くおやすみになるのに」
と源氏が申上げると、東宮は無邪気に、
「おたあさまは今夜、お退りになるのだもの。それまで起きているの。いいでしょう?」
と御簾《みす》のうちへ走り入られて、こんどは中宮にまつわりつかれるらしかった。源氏には美しい母と子が、しっかと抱き合っていられるのが、見えるような気がした。
あのひとが、どんなにいとしそうに、東宮に頬ずりしていらっしゃるかも……。
源氏が、一瞬、いかに深刻な羨望《せんぼう》と嫉妬を東宮に感じたか、それはいうもおろかなことであった。
しかし中宮もまた、あふれる思いを抑えかねていらした。こんど東宮にお目にかかるときは、すでに俗世の人ではないのだ。恩愛を絶ち、浮世のきずなを断って、この身はもはや、母と呼ばれ子と呼ぶこともなくなるのだ。
「宮さま、よろしいこと? 大将の君(源氏)や、ほかの人々の申されることをようくお聞きわけになって、おりこうに、おとなしくしていらして下さいましね……」
中宮は、東宮のお髪《ぐし》を撫《な》でて、かんで含めるようにいわれる。しかし幼い東宮には、そのお言葉にあふれる切ない思いを、お汲《く》みとりになられるはずがなかった。
「はい。おりこうに、おとなしくしていると、早く、おたあさまにお目にかかれるのですね」
とにこにこされる。中宮は、思わず東宮のお小さいお体を抱きしめて、
「ええ、そうよ、そうなのよ……」
と泣かれた。そのとき、中宮のお胸にあるのは、このいとけない東宮を守りぬこう、この人だけは守ってやらなければ、という強い母の決意だった。
そのためには、秘めた恋を葬らなければならなかった。中宮はそのとき、わが手で葬られるわが恋の終焉《しゅうえん》を、じっとみつめていらしたのだった。
はやくも、桐壺院のおん一周忌となった。
ご命日には雪が降り積もって物悲しかった。
〈別れにし今日は来れども なき人に ゆきあふ程をいつと頼まむ〉
院にお別れした日は、はやめぐってきましたが、もう亡き院にお目にかかる日はないのですね、というこころの歌を、源氏は中宮におくった。降る雪《・》にかけてよんだ歌だった。
〈ながらふるほどは憂《う》けれど ゆきめぐり 今日はその世にあふ心地して〉
今日まで長らえた世は辛うございましたが、ご忌《き》日《にち》の今日、院のいらした世に再びめぐりあった心地がしてなつかしゅう存じます……。
中宮からは、そうご返事をたまわった。
なつかしい、けだかいお筆蹟《て》。源氏はしかし今日ばかりは、恋の炎を強いてしずめて、あわれな雪のしずくにぬれつつ、しめやかに御供養につとめるのだった。
十二月の十日過ぎ、中宮御主催にかかわる、御八《みは》講《こう》が催された。これは法《ほ》華経《けきょう》八巻を、四日にわたって講説する法《ほう》会《え》である。
かねてお心を傾けてご準備していられたこととて、経巻から御仏具に至るまで、なみなみでなく善美をつくされた。
初めの日は中宮のおん父、先帝の御供養のため、次の日はおん母后のため、次の日は故院のおんためであった。三日めは、法華経の第五巻を講ずる中日なので、上達《かんだち》部《め》めなども、大后側への遠慮をこの時ばかりはうちすてて、たくさん集まった。
盛大で、おごそかな法会となった。
果《は》ての日、中宮は、ご自分の結願《けちがん》として、世を捨てるよし、仏に申上げられた。
法師が、声高く、中宮の結願を披《ひ》露《ろう》する。
一座はどっと、どよめいた。
源氏は、蒼白《そうはく》になった。
中宮の兄君の兵部卿の宮もおどろかれて、中途で御簾の内へあわただしく入られる。
「なんということ、また、唐突に……」
「かねてよりの決心でございますので」
中宮は静かに、凜《りん》とお答えになる。
すでに手配はされてあったのか、法会が終ると、叡山《えいざん》の座主《ざす》を召して、ご受戒《じゅかい》の儀を仰せつけられる。
中宮のおん伯父《おじ》に当る横《よ》川《かわ》の僧《そう》都《ず》が、お近くにすすんで、美しい黒髪をおろし奉った。
邸の内には、人々の泣き悲しむ声がみちた。
中宮おひとりは、珠《たま》のような面《おも》輪《わ》に、すでに心をきめた人のもつ、すずやかな微笑をたたえていらした。
源氏は血が凍ったようで、座を起《た》つこともできない。度を失って、何を考えることもできない。
(宮はこの私を捨て給うた。自分は宮に拒まれ、見捨てられた!)
源氏は唇をかみしめて、そう思うばかりである。
凝然《ぎょうぜん》と言葉もない源氏の前で、人々は代る代る、悲しみを抑えて中宮にご挨拶《あいさつ》申上げるのであった。
兵部卿の宮は、今は、泣いていらした。亡き桐壺院の皇子たちも、あんなに父院が愛してらした中宮の、華やぎ給うた昔に引きかえ、いま、花の盛りのお美しさで、世を捨てられる運命を、いたましくお思いにならぬ方はなかった。皆、こころから中宮をお慰めになるのだった。
源氏はやっと、力なく座を起った。人が見咎めて、なぜああも格別に嘆き悲しむかと不審の念をもつことが気《き》遣《づか》われたからである。
親王方が退出されたあとで、中宮の御前にうかがった。
人々の心まどいが少しおさまり、あたりは静かになっていた。女房たちは折々、涙を拭いてところどころにかたまって控えている。
月はくまなく明るく、雪の光る庭のありさまも、源氏にはこの世ともうつつとも分らぬ悲しみの目でながめられた。強いて心をしずめ、
「どういうことで、こう急なご出家を思い立たれたのでございますか」
と取り次ぎを介して申上げた。
「今はじめて思いついたのではございませんが……あらかじめ申しますと、物さわがしく反対もされましょうし、わたくしの心も乱れると存じまして」
といつものように命婦を通じてお返事があった。
御簾のうちの様子、女房たちの衣《きぬ》ずれの音など、しめやかに、悲しみの抑えがたい気配など、源氏には身に沁みた。
風は烈《はげ》しく吹き、御簾のうちの空薫物《そらだきもの》の、黒方《くろぼう》の香にまじり、仏前の名香《みょうごう》の煙もほのかにただよう。
東宮からの御使者も来た。あのときの東宮の愛らしいご様子を思い出されたとみえ、中宮は耐えられず、ご返事もおできにならない。
源氏が言葉を添えて、お使いにお答えした。
女房たちは近くに控えているし、誰もかれも心が悲しみに鋭く磨《と》がれているときとて、源氏も思うままのすべてを、申上げることはできない。
「ご出家の本意を遂げられて、ご自身は真如《しんにょ》の月を見るようにお心が澄まれるでしょうが、東宮のおんことは、お気がかりに思し召されませぬか。子を思う闇、と申しますれば」
と源氏はいった。
それは源氏の、中宮に対するひそかなる恨み、つらみであった。かくも自分を苦しめることのできる、情《つれ》なき人に対して、源氏は身《み》悶《もだ》えして怨み奉るのであった。
(あなたは、私に対してなぜそう、むごく当られる。どこまでお苦しめ遊ばすのだ……)
東宮に添えて、源氏は自分のことを匂わせているのだった。
「みほとけの弟子となって浮き世の絆《ほだし》は捨てましても、子供のことは思い切れませぬ。仰せのとおりでございます……」
という中宮のお返事が、命婦を介してもたらされる。
源氏の悲しみに同情した命婦の、すこしはお返事に脚色も加わっているようであった。
源氏は悲愁に心を重くして退出した。
二條院に帰っても自室にひとりひきこもり、源氏は眠ることもできなかった。
中宮が世を捨てられた、という衝撃が大きくて、この世に生きている甲斐もない気がされる。いっそ自分も共に世を捨てたい位だが、では、東宮はどなたがお守りするのか。
(故院は御後見のない東宮を気づかわれて、せめて母宮だけは、ゆるぎない地位として後見できるように、と、中宮にされたのだった。――それなのに世を厭《いと》うてご出家されたいま、自分まで東宮をお見捨て申したら、誰がご後見するのか)
考えつづけているうちに、悩みふかい夜はあけた。
源氏は重いためいきをつきつつ、身を起こした。
こんな場合でも、中宮への心づかいを源氏は忘れることはできない。今は仏道ご修行のお暮らしに必要なおん調度品をととのえ参らせなければ、と早くも気づかいするのだった。
かの命婦も、このたびの中宮ご落飾《らくしょく》のお供をして、共に尼になった。それもあわれふかいことだった。
源氏の恋の証人ともいうべき命婦までも、世を捨て、愛執を断つ生活に入るとは。
(あの恋は、中空《なかぞら》に消え、ついに、まぼろしとなるのか……)
源氏はわが手で消しかねる恋のほむらに、夜ごと、輾転反側《てんてんはんそく》する。しかし人間世界の愛欲・執着《しゅうちゃく》を断ち、黒髪をおろした人に、今は所詮《しょせん》、どんな想いも情念も、むくわれるはずはなかった。
新春がめぐってきた。
諒闇《りょうあん》も明けた御所は花やかで、内宴や踏《とう》歌《か》やとにぎわしかったが、中宮はしめやかに、み仏への勤行にいそしんでいられた。
世を捨てて、はじめてお心の平安を得られたようにも思われた。
西の対の南に建てられた御《み》堂《どう》で、心こめて勤行される。
源氏が参上してみると、いつもならひまもないほど参賀にあつまった上達部なども、今は、向いの右大臣邸にあつまり、宮の内は人少なであった。
宮司《みやづかさ》の古くから馴染《なじ》んでいるものたちばかりが、寂しそうに仕えている。そんな所へ、参賀に来た源氏を、人々はまるで千人もの人に匹敵《ひってき》するようなたのもしさに思うらしかった。
源氏は感慨ぶかく、言葉もなくあたりを見廻した。昔にかわる、このありさまよ。御簾の端《はし》も御《み》几帳《きちょう》も、青みがかった薄墨色であった。それは、尼となった人のものである。
仄見える女房たちの袖口も……。
「すっかりこの世ばなれた、お邸のご様子となられましたね」
と申上げると、お気配が少し近いのは、ご仏壇に奥の間をおゆずりになっているせいであろう、宮のお返事が仄かに洩れきこえる。
「世ばなれたところへ、よくお越し下さいました。なつかしく存じますわ」
源氏はまぶたが熱くなりそうで、言葉少なに退出した。
司召《つかさめし》の時も、この宮に仕える人々の昇進はなかった。当然あるべき加《か》階《かい》も行なわれず、中宮としての御封《みふ》(俸禄)も停《と》まった。
宮は、思い乱れられることも多かったが、(何はともあれ、東宮さえ、ご無事なら)と一心にみほとけを念じて勤行にあけくれていられる。人知れぬ罪を、みほとけに告白して(わたくしの身に代えて、東宮をお守り下さいまし。あのひとの罪をお許し下さいまし。わたくしは、どうなりましても……)
とひたすら、念じていられた。
源氏の邸の人々も、いまは世に打ちすてられたようなさまだった。
左大臣も、公私ともに世が面白くなく、辞表を奉られた。
帝は、故院のご遺言からも、それを残念に思し召したが、左大臣は強いて引きこもってしまわれた。
今は、弘徽殿の大后と右大臣の一派の人々のみ、ますます栄え、心ある人々は、世の重鎮であった左大臣の隠退を嘆くのだった。
左大臣の子息たちは、みな人柄もよく、世に用いられた人々だが、こんな世の中になってすっかり失望している。
源氏と親しい長男、今は、三《さん》位《み》の中将も、近頃は気を腐らせていた。出仕もせずに、源氏のもとをいつも訪れて、学問やあそびごとに身を入れている。
それを、(あてつけがましく、放縦《ほうじゅう》な ……)と非難する人々が多くなってゆく。
しかし源氏も中将も、驕慢《きょうまん》で剛腹な貴公子たちなので、
「なあに。いう奴には、いわせておけ。知るものか」
と打ちすてていた。
博《はか》士《せ》や学者、殿上人どもをあつめて、漢詩文を作ったり、韻塞《いんふたぎ》をして遊んだりする。賭《かけ》物《もの》をどっさり用意し、負けた中将側は、日をあらためて、勝った源氏側を招待した。
管絃のあそびになり、歌が出る。貴公子たちはこういう宴に、せめてもの憂さを晴らしていた。
そのころ、尚侍《かん》の君は、瘧《おこり》を患って御所から宿下りしていた。
祈祷のせいで、病いはよくなったのだが、得がたい機会なのを幸い、源氏はしめし合わせて毎夜のように右大臣邸へ会いにいく。
大后も同じ屋根の下にいられるころで、まさに敵地へ乗りこむような冒険である。
しかし、困難な状況の恋ほど、源氏の心を捉《とら》える。敵の目を掠《かす》めて、敵の美女を拉《らつ》するような面白さが、源氏を酔わせていた。
それに――久しぶりの朧月夜の君は、美しかった。いよいよ艶《えん》な女ざかりの風趣が、こぼれんばかりだった。病みあがりの、すこし痩《や》せた面立ちの匂やかさ。
「あなたを、こうも美しくしたのは誰だろうね」
「わかっていらっしゃるくせに。あなたへの物思いのせいですわ」
朧月夜は打てばひびくようにいらえる。
源氏は、この姫君の積極的な情熱と、まるで虎の尾を踏むような戦慄《せんりつ》的な状況に心をひかれ、毎夜、忍んでくるのをやめられない。
「もう、御所へ還《かえ》すものか」
と源氏は、恋人を抱きしめる。
「怖いわ。もし大后に知れたらどうしましょう」
尚侍の君は、大后の峻烈《しゅんれつ》な気性をおそれていた。
「知れるものか。女房たちもしゃべらないよ。私たちの味方だから……」
それは事実で、度重《たびかさ》なれば女房たちはみな源氏の忍んでくるのに気づいていたが、大后に知れるとわずらわしいので、誰も、口を噤《つぐ》んでいるのであった。
ある夜、雨がにわかに降り、雷鳴がすさまじくとどろいた。
殿中の人々が立ちさわいで、源氏は出る機会を失ってしまった。
そのうち夜があけた。御帳台《みちょうだい》のうちにいる源氏は、もはや女房たちに取りかこまれて、出ることはできない。
事情を知っている女房は二人ばかりいたが、困惑しきっていた。
そこへ、ふいに現われたのは右大臣だった。
「どうしているね。心配したろう。ひどい雷だったね」
雨の音で、右大臣の足音がきこえなかったらしかった。
大臣は弘徽殿の大后のところへ雷の見舞いにゆかれ、ついで、尚侍の君のところへ来られたらしかったが、無《む》雑《ぞう》作《さ》にひょいと部屋へ入るなり、御簾をひきあげられた。
「ひどい夜だったね。中将や宮の亮《すけ》は来ていたかな。怖かっただろう」
などといわれるのが早口で何だか軽はずみな感じだった。大臣らしいおちつきがない。
源氏はこんなせっぱつまった場合なのに、ふと左大臣の人となりと思いくらべられて、ずいぶん違うものだとおかしくなる。左大臣のほうは、重厚な威厳がある方だが……。
いやしくも、大臣ともいわれる身分の方なら、おちついて部屋へ入ってから、お口を開かれたらよいのに……。
尚侍の君は、困っておどおどして御帳台の外へ出てきたが、上気《のぼ》せて顔の赤くなっているのを、
「おや。まだ熱が下らないのか、困ったことだね」
と大臣は見咎められた。
「どうしてこう具合が悪いのだろうね。物の怪《け》などはしつこく長引くものだから、もう少し修《ず》法《ほう》させるのだった」
などといわれていたが、ふと、薄二藍《うすふたあい》の男物の帯が、姫君の衣《きぬ》にまつわって出て来たのに目をとめ、(やや?)と怪しまれた。
それと共に、字を書き散らした懐《かい》紙《し》が、几帳のもとに落ちているのも発見された。男手である。大臣はぎょっとされた。
「誰の書いたものだ、それは。おかしいではないか。よこしなさい。誰の筆蹟《て》か、調べてみよう」
といわれるので、姫君ははっとふり返って自分もそれを見つけた。
もういいまぎらわしようもない。朧月夜の君は動転して我を失っていた。そのさまを見れば、心のゆきとどく人なら、(いくらわが子といっても、きまり悪く思うだろうものを)と、察するところだが、大臣はそんな繊細な思いやりはない人だった。
性急で、いらいらしやすい性質から、前後の見さかいもなく、懐紙を拾い上げ、几帳の中をのぞかれると、なんと、男がいるのだ!しどけない恰好《かっこう》で、逃げかくれもせず、のんびりと横になっている。
大臣に見られたので、やっと夜着に顔をかくし、形ばかり隠れるそぶりをする。
大臣は驚倒された。
呆《あき》れはて、二の句もつげず、次には、
(な、なんということだ!)
と猛然と腹が立ったが、何で正面切って追いつめられようか。
大臣は憤《ふん》怒《ぬ》と驚愕《きょうがく》に目の前も暗くなる心地がして、その懐紙をもって、大后のおいでになる寝殿へ急がれた。
朧月夜の君は、気も遠くなる思いだった。
「ああ、もう破滅だわ……。どうしよう、すっかり知られてしまった。わたくしももうおしまい、あなたにも、たいへんな難儀がふりかかるのだわ。――どうしましょう」
姫君の傷心を、源氏はかわいそうに思った。(とうとう、来たな。せずともよい冒険を重ねて窮地におちいったという所だな)と思ったが、姫君が身も世もなく嘆いているのがいたいたしくて、
「仕方がないよ。なんとか、なるさ――そう心配しなくてもいい」
と、やさしくなぐさめていた。
「なんとかといったって……もしかしたらわたくしたち、これで堰《せ》かれて、二度と会えなくなるかもしれないのよ……」
朧月夜の君は昂奮《こうふん》してすすり泣いていた。
「大丈夫だ。それに、そうなったとしても今さら、もう取り返しのつかぬことじゃないか? 私とあなたの仲は」
源氏は、不敵に笑っている。
大臣は、忍び男が源氏と知って、憤怒は二倍になるように思われた。
まっすぐに弘徽殿の大后のもとへゆき、あらいざらい逐一《ちくいち》、報告なさった。大臣は元来、思った通りをすぐ口にされる方で、胸に畳んでおくということのない性質であられる。その上、老いのひがみまで添うているので、遠慮も斟酌《しんしゃく》もあらばこそ、あらいざらい、大后に告げてしまわれる。
「なんという、こちらをないがしろにしたことをなさる方だろう。ひどいことです」
「たしかに、源氏の右大将ですか。まちがいありませんか」
大后もおどろかれた。
「私が、目撃したのですよ。それに、この懐紙が何よりの証拠、この手は源氏の君にまちがいありません」
「尚侍《かん》の君と源氏の君は、ではやはり、切れてはいなかったのですね」
大后はみるみる、眉根をけわしくなされる。
「そうらしいですな。以前は私もうっかりしており、あの姫自体、ふわふわしたところがございますから、源氏の君に誘惑されてとんだ恥をさらしたのです。そのときも腹が立ちましたが、右大将のお人柄に免じて、事を荒立てずにおきました。それならいっそ、似合い同士でもあり、正式の婿になって下さればと思い、仄めかしたのですが、あちらではそれも気が進まぬふうで、とりあわれずじまいで……」
「それは、尚侍の君を情婦にならするが、正妻にはしたくない、というつもりだからでしょう。ばかにしているのです。源氏の君は我々を侮っているのです。あの人は昔から、そうなのです。あの人の亡き母の桐壺御息所からして、私をかろんじていたのですからね」
大后は憎々しげにいい放たれる。
「あの源氏の君も、こんな大胆なことをされるとは、思いも寄りませなんだ。宮仕えして、帝のご寵愛《ちょうあい》をうけていると知っているはずの六の君を、盗むなどと――」
大臣のお話はぐち《・・》になる。
「婿の話を一蹴《いっしゅう》されたときは、私も不快でしたが、まあ、縁のないものならしかたないとあきらめ、あやまちのある姫でも、帝は愛して下されるかもしれぬと、はじめからのもくろみ通り、帝にお仕えさせたのでございます。それも、本来なら、晴れて女御《にょうご》として奉るつもりでおりましたものを、まさか、男と浮名のたった姫を、そう晴れがましくは扱えませず、しかたなく尚侍《ないしのかみ》として宮仕えさせたのでございますよ。今でも、親としてはもう残念で、思いきれぬくらいです。それに、またいまこんな仕儀ですから、全く以《もっ》て、なさけのうございます」
大臣は、末姫の六の君を、ことに可愛がっていらしたので、裏切られた憤りはよけい、深いのだった。大臣は、そこまで言いつづけられると、もう、止めることができない。
「それにしても浮気沙汰《ざた》は男の常、とはいいながら、源氏の君もけしからんではありませんか。斎院のお噂をご存じですか」
「いいえ。存じません。私にはみな遠慮して何も聞かせません。私が怒ると思って――」
大后は身を乗り出される。
大臣は夢中なので、ご自分の一言一言が、大后を煽動《せんどう》し、烈しいご気性に火をつけているとは気付かない。
「呆れたことに、神に仕える斎院の姫君にいまだに言い寄っていられるそうですよ」
「まあ! なんと無礼で不謹慎な!」
「内々で忍んで恋文など通わせておられて、どうも怪しいという噂があります。しかしまあ、よもや斎院をどうこうということはありますまいが。もしそんなことでもあれば、神罰のほども恐ろしいことで、世のためによくないのはむろん、源氏の君ご自身のためにもならぬことです。あの君ほどの方が、まさかそんな無思慮なご所行《しょぎょう》はなさいますまいと思いますよ。何といっても、学識教養では当代ならぶものなしと一目おかれている位の方ですからな」
「いいえ、それはわかりませんわよ。信じられません。あの人は、驕《おご》りたかぶって人もなげな、無鉄砲をしでかす人です」
大后は、父大臣よりも激越なお気立てのこととて、いまは抑えようもない腹立ちに、言い募られた。
「だいたい、帝さえ、かろんずるような人なのです。あの人ばかりではありません。今でこそ、帝と申上げても、昔から、なぜか人々が軽い扱いをして、源氏の君ばかり重く扱うのです。あの引退した左大臣も、大切にかしずいていたひとり娘を、東宮でいらした兄君に奉らないで、弟の方の、しかも臣下に下った源氏の、年《とし》端《は》もゆかぬのが元服する時の添《そい》臥《ぶし》にとりのけておいたのです。東宮や私に対する侮辱ですよ、これは」
大臣は、大后が古い話をもち出されるので、相づちを打つのに困っていられた。大后の敵意は、かなり根深く、長いのだった。
「こんどの六の君のことだってそうです。もともとは帝と結婚させるつもりでいたのに源氏が掠めとって手をつけてあんな不本意なことになってしまったのです。それをいったい、誰が本気に咎めだてして非難しましたか。私ひとり怒っているだけで、みんな、大将の君の味方になって、六の君と結婚させたらいい、なんていっていたではありませんか」
「そのときはそう思ったのだが……」
「ところが、あの男はのらくらと言いぬけて結婚もしない、仕方ないから宮仕えさせたのじゃありませんか。女御とも呼ばせられず肩身のせまい思いは、私も同じです。でも私としては妹が可哀そうだからこそ、何とかして人にひけをとらず、栄えさせてやりたい、宮仕えの身であっても、帝のおおぼえめでたく、後宮第一の人となって世に時めいたら、妹を捨てた源氏の君へ仕返しもできる、とこう考えていたのですよ。それだのに、かんじんのご当人自身が、こっそりと、源氏の君に通じているのだから、手のつけようがありませんね。さだめし、源氏の君が言葉たくみに誘惑したのでしょう。斎院だって、このぶんでは、噂だけではなくて本当かもしれませんよ。――何ごとにつけても、帝に不敬な行動ばかり起こす人です。考えてみれば、それもそうでしょう、あの人はいまの東宮が、はやく即位されて、東宮の御代《みよ》になるのを待ちのぞんでいる人ですからね。帝にとってよからぬ謀《む》反《ほん》ばかり、たくらむはずです」
大后はずけずけと斟酌なく、いいつづけられた。大后のお言葉には、人が聞いたらどんな風にもとれる不穏な刺《とげ》がふくまれている。
さすがに大臣は、こうもこきおろされる源氏が気の毒になって(大后にいうのではなかった)と後悔された。
「まあまあ、ともかくこのことは当分、ご内密に。帝にも奏上なさらないで下さい。帝がおやさしいのに甘えて、あの姫はすこし、つけ上っているのでしょう。内々でご意見をなさってお叱《しか》り下さい。それでも聞きませんでしたら、罪は私がかぶります」
ととりなすようにいわれるが、大后のお怒りは積もってゆくばかりである。自分というものが一つ屋根の下に、つい近《ちか》間《ま》にいると知りながら、あえて忍んでくるのは、自分を嘲《ちょう》弄《ろう》しているとしか、思えない。そう思われると、いよいよ源氏が憎くなられるのであった。(この事件はあれを葬る、よい機会になるやもしれぬ)と大后はひそかに思いめぐらされる。
ほととぎす昔恋しき花散る里の巻
源氏の、人しれぬ恋の苦労はみずから求めて得たことで、誰を怨《うら》もうすべもない。藤壺《ふじつぼ》の中宮への思いといい、朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《かん》の君への恋といい……。すべて今にはじまったことではないのだが、その上にこのごろは、何かにつけて圧迫が多く面白くないことが重なってゆく。心ぼそくもあり、世の中が厭《いと》わしくもあるが、さりとて、捨てられない絆《ほだし》は多いのであった。
もと麗景殿《れいけいでん》の女御《にょうご》と申しあげた方と、その妹君も、そうした絆のひとつだった。
亡き桐壺院《きりつぼいん》の皇妃の一人、麗景殿の女御は、お子たちもなく、院がおかくれになってからは、いよいよお気の毒に、頼るもののないお身の上になっていられた。源氏はそれがおいたわしくて、あだめいた心からでなく、庇護《ひご》してお暮らしの面倒をみている。
この方の妹君と、源氏は、昔、御所で、はかない契りを交した仲である。かりそめの恋であったが、源氏は例の性質で、いったん情を交した仲の女を忘れない。かといって、特に大切に重んずるというのでもなかった。
そういう関係は、女にかえって気を揉《も》ませ、気の毒だ、とわかっているのだが……。
源氏も、このごろ世の中の面白くないのに気を腐らしているときとて、折々はその女《ひと》のことをしみじみと思い出したりし、五月雨《さみだれ》の珍しい晴れ間に、訪ねてみた。
いったい、その女《ひと》には、そんな気持をおこさせるところがあった。こちらが順調に人生を送って、わが世の春を謳《うた》っているときには、淡々《あわあわ》しい存在なのだが、失意の日々には強く思い出され、会いたくなるような心柄の女《ひと》なのである。他の女人にはいえないような、男の弱《よわ》音《ね》や愚痴を、ついこぼしたくなる、いやむろん男の矜持《ほこり》にかけて初めからそんなつもりはないのだが、結果としてついそうなってしまう、という気立ての女《ひと》なのだった。
わずかな供に、前駆《さき》もおわせず、目立たぬふうにして忍んで出かけた。
中川のほとりを通りすぎたときだった。
ささやかな家だが木立など趣きありげなところから、箏《そう》の琴《こと》を和《わ》琴《ごと》と合奏させ、美しくにぎやかに弾《ひ》いているのが聞こえた。
源氏はふと耳にとまった。門に近い小ぢんまりした家なので、車から身をのり出すようにして見ると、大きな桂《かつら》の木がある。その若葉の匂《にお》いに、ふと、賀茂《かも》の祭りの頃のことが思い出されて、あたり一たいのたたずまいに風趣があった。
(待てよ……たしか、ここはただ一度だけ、通った家だったっけ)
と源氏は気づいた。
(あの女、いまどうしているのか。一度逢っただけだから忘れているかもしれぬ)
と気がひけたが、すぎがてにためらわれた。
折から、ほととぎすが鳴いて渡るのも、心をそそのかすような気がして、源氏は、
「返せ」
と車を引き返させ、いつものように惟光《これみつ》をやって、こう言わせた。
〈をち返り えぞ忍ばれぬほととぎす ほの語らひし宿の垣根に〉
(おなつかしいですな。昔、かりそめの恋を語らった宿の垣根に、ほととぎすがほのかに鳴いていくものですから、つい通りすぎがたくて……)というようなこころである。
寝殿らしい建物の、西の端に女房たちがいて、何か話し合っている。惟光は、その声にもおぼえがあり、咳払《せきばら》いして、訪れを告げてから、源氏の挨拶の歌を伝えた。
若い女房たちがざわめく気配がして、誰だろうと不審がっているらしい。
〈ほととぎす こと問ふ声はそれなれど あなおぼつかな五月雨の空〉
(どうやらほととぎすらしいけれど、五月雨の空の暗さにまぎれてよくわかりませんわ)
女主人は歌の主を源氏と察したらしいが、わざとわからぬ風によそおっている。惟光は、
「失礼しました、お門《かど》違いでしたかな」
とさっさと門を出た。
女あるじの方は、人知れず心の内にうらめしくも心残りにも思っていた。が、突然の訪れだし、女とすれば婉曲《えんきょく》に拒むのが当然である。
源氏の方では、そんな女の態度を尤《もっと》もと思った。ほかにかよう男が、もう現われているのかもしれないし、女をつれないと責める筋合のものではなかった。
(そういえば、こんな、中流階級の身分の女の中では、筑《つく》紫《し》の、五《ご》節《せち》の舞姫に出たあの女が、可愛らしかったなあ……)
などと源氏は、若い日の恋や情事を思い出していた。女のことでは、源氏も苦労が絶えないようであった。一度、情を交しただけの女でも忘れずに優しい心をみせたりするので、なまじい女たちの物思いの種をつくるらしかった。
めざしてきた先の家は、源氏の推量通り、人の出入りもなく淋《さび》しげで、しみじみとあわれふかい。
源氏はまず女御の方へうかがって、昔の物語などするうちに夜が更けた。
二十日の月が昇った。高い木立のかげも暗く、軒近い橘《たちばな》の花の香が匂ってきて、なつかしかった。
女御はお年たけていられるが、心ざまがふかく、上品で、とりなしの物やわらかな方である。故院ご在世のころは、とりたてて花やかなご寵愛こそなかったものの、心の安まるやさしいかたとして、この女御を愛していらしたものだった。
そんなことを源氏は思い出していると、それからそれへと父院の思い出がよみがえり、こんなこともございました、あんなこともございましたね、と女御と話しつづけるうちに瞼《まぶた》があつくなるのだった。
ほととぎすが、さっきの垣根で鳴いていたそれだろうか、同じ声で鳴いてゆく。自分のあとを慕ってきたのかと源氏は風流に思う。
〈橘の香をなつかしみほととぎす 花散る里をたづねてぞとふ〉
と、源氏は口ずさんだ。
「ほととぎすが、橘の香りにひかれて訪れるように、私も、昔恋しいときは、こちらをおたずねするのが何よりです。こよなく悲しみがまぎれもし、またかえって思い出がふえてゆきもしまして。これも浮世の人情でしょうか、昔がたりをする相手も、だんだん少なくなってゆきますが、まして、こうつれづれのお暮らしでは、お気の紛れることもなくおさびしいでしょう」
源氏はそう女御をなぐさめた。時世が変った今は、源氏のその言葉にも真実性があった。
女御は身に沁《し》みて、それを聞かれた。
〈人目なく荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ〉
女御はしのびやかに、そう口ずさまれる。荒れた宿を訪れる人とてなく、ただ橘の花が源氏をこの宿にさそう手引きとなった。……そう、おっしゃりたいらしかった。そのご様子を、源氏は、やはりほかの女人とはちがう、すぐれた趣きだと拝見した。
源氏の愛人の妹姫のほうは西面《にしおもて》に住んでいる。源氏はわざわざ訪れたというようにみせず、静かになにげなくいってみた。
姫君は珍しい訪れを、素直に心から喜んでいるふうで、たおやかに羞《は》じらっていた。
源氏は自分の歌を思い出している。ほととぎすは、ほかならぬ自分で、橘の花散る里はこのひとなのである。ほととぎすは、花散里《はなちるさと》に慕い寄らずにいられぬのであった。
「長らくお目にかかれなくて、さぞお怨みだったでしょうね。今日はあなたのやさしい怨みつらみが聞きたくて」
と源氏は、花散里の姫君の手をとった。
「まあ。怨みつらみだなんて……わたくしがそんなこと……。おいで下さって、うれしいだけですわ。ほんとうですのよ」
花散里はおっとりと微笑《ほほえ》む。その誠実そのもののような表情に、源氏は心なごむ。そうして、花散里に心ひかれる理由を、源氏はいま悟った。この女《ひと》が気取りも見栄《みえ》もなく、のんびりしているからである。美女というのでもなく、打てばひびく才気もないが、向い合っている男の気が安まる女《ひと》なのである。
男の人生には、時としてそういう女が必要なときがある。
そういう女だけしか必要でない男もいるが……。
美しいというのでもないが、ふしぎに匂やかな雰《ふん》囲気《いき》にあふれている。とりわけ好もしいのは、このひとの物のいいぶりである。たどたどしいほどおっとりして、けだかい善意のようなものにみちあふれているのであった。
「うっとうしい世の中になってしまってね。いやな連中がのさばり返っているばかりだ。全くもう昔とはすっかり事情が変ったよ。公《おおやけ》でも近頃はわずらわしいことが多い。――こんな時代は隠忍自重《いんにんじちょう》して、嵐《あらし》の通りすぎるのを待つだけだ。一挙手一投足、目をつけられて非難弾劾《だんがい》のまとになるのだから、いやになってしまうよ。それでここへも来られなくて」
と源氏は打明けた。このひとの前だと、思ったことをその通りいっても、寸分たがわずうけとめてくれるのではあるまいか、と思われ、源氏はつい、訴える口調になる。
「時節というものはいたしかたございませんわ。わたくしにはむずかしいことはわかりませんが」
花散里の君は、やさしくなぐさめるのだった。
「でも、あなたはやがてはゆくすえ、国の固めとおなり遊ばす方ですもの。いつまでも人々がおろそかに思うはずはございません。時勢のうつり変りで、また、お心の晴れるときもきっとまいりますわ。それまでのご辛抱でございます」
「そうだろうか」
源氏は心がのびやかに解放されるのをおぼえる。この女《ひと》の見なれたたたずまい、したしみぶかいとりなし、交しなれた視線、そこからかもしだされる一種の雰囲気。源氏は、このひとの前でくつろいでいると、漂流していた船が母港へかえりついたような気がする。
長い間《ま》をおいて会っても、ついぞ、態度や心ざまが変ったことがない。それゆえに、源氏はいつまでも花散里のことが忘れられない。
正直いって、ほかの恋に夢中のときは、失念しているひとなのであるが。
「あ、また、ほととぎす……」
という源氏に、花散里はすこし首をかたむけて、その仄《ほの》かな声《こわ》音《ね》に耳を澄ませる。
そのさまも愛らしく、源氏には目あたらしい魅力だった。ふたりきりの夜、かぐわしい橘の花の香に包まれて、源氏は花散里の君の耳に、やさしい言葉を語りつづける。
女人というもの、全く、何の取り得もない女はいないものだ、と青年はしみじみ思う。
彼の相手にする女人たちは、みなそれぞれに身分たかく、教養あり美しいひとたちばかりのせいだろうか、――欠点ばかり、という女人はいないのである。
それぞれの美点を愛して、青年は忘れずに通ってくる。その訪れが間遠だと責め、自分ひとりを愛することを要求する女たちは、源氏にあきたらずに、みずから心変りしてはなれてゆく。
かの、中川のほとりの、ほととぎすの垣根の女も、そういう心変りの一人であった。
源氏は(女の気持としては尤もだ)と思っている。
海はるか心づくしの須磨の巻
源氏は都を離れる決心をした。
日ごとに大后《おおきさき》一派の源氏排斥《はいせき》の気運が募《つの》ってくるらしいことが察せられ、源氏にもたらされる情報によると、朝廷では流《る》罪《ざい》をも考えられているらしいという。
勅勘《ちょっかん》を蒙《こうむ》っての流罪となれば、これはもう、天下の罪人となってしまう。
身一つで追われ、所領は没収され、家族は離散し、たとえ家・邸《やしき》は残ったとしても、いつ、「原因不明の怪火」などということになって焼き立てられないとも限らない。
政治がいかに非情で冷酷なものであるか、それは今までの政変の歴史をふり返ってみるまでもないのだ。この世界には、正々堂々ということも、公正信義ということもあり得ないのだ。
源氏は政治の裏を知っている。
大后側の裏をかくとすれば……。
(方法は一つ。向うが手を打つ前に、都落ちするしかない)
謹慎の意を表して退去、ということになれば、大后側もどうすることもできないのだ。
(ぐずぐずしてはいられない)
と源氏は思った。
方針を定めると、源氏は機敏に準備をはじめた。腹心の惟光《これみつ》や良清《よしきよ》ともひそかに退去先を議《はか》りあった。そうして出てきた結論は、須《す》磨《ま》である。
昔、在原行平卿《ありわらのゆきひらきょう》が罪を得て須磨へ流された、ということも、源氏の記憶にあった。人里はなれて漁師の家もまばらな、さびしい所と聞く。あまり人の出入りの賑《にぎ》わしい所では、謫《たっ》居《きょ》の本意に悖《もと》るようでもあり、さりとてあまりに都を離れては、残してきた人々が気にかかるのだった。未練げに源氏は思い返し、やはり須磨がもっとも適当に思われた。ただ心乱れるのは、紫の君との別れである。
「どんな淋《さび》しいおそろしいところでも、わたくしはいといません。ご一緒できるなら。……わたくしをお伴《つ》れ下さいまし。わたくしを置いていらっしゃらないで。ね、お願い」
とひたむきに縋《すが》る紫の君に、源氏はしばらく言葉が出なかった。
幾夜、連れていきたいと思っては、打ち消したことだろうか。源氏の人生のいちばん大きな絆《ほだし》は、このひとである。一日二日見なくても心さわぐほど、いとしいひとである。ましてこんどの都落ちは、いつまた戻れるというあてもないのだ。
定めない人の世は、このまま永《なが》のわかれになるかもしれない。
しかし波風よりほか訪《おとな》う人とてない淋しい海辺に、こんな華奢《きゃしゃ》な、可愛いひとを置くわけにはいかない。それに……。
「勅勘の身は、日月の光にも当れぬ、というくらいだよ。――まして女を伴っていったとなれば、風流三昧《ざんまい》の遊興と噂《うわさ》されかねない……私たちのゆくすえの幸わせのためには、今の辛抱が大事なのだ――わかっておくれ」
源氏が、やさしくささやくと、姫君は素直にうなずいて長い睫《まつ》毛《げ》を伏せたが、たまっていた涙が、ほろほろとこぼれるのだった。それを見る源氏も、いじらしくて胸が痛くなる。
額《ひたい》の髪をかきあげて姫君の頬《ほお》を撫《な》で、
「私の留守《るす》のあいだ、あなたは女主人だ。あなたならりっぱに、この邸や、ここの人々を守っていけると信じているよ。――あなたはもう、私の妻なのだから。世間の人は、あなたを何と呼んでいる? 『二條院の上《うえ》』といって、源氏の君の北の方とみとめているのだよ」
「北の方なら、いっしょに随《つ》いていってはいけないの?」
と紫の君は大きな瞳《ひとみ》にうらめしげな色をたたえ、ともすると涙をこぼしそうになる。
なんという可《か》憐《れん》の人だろう。
「北の方は、男の留守を守るものだ。まして罪をおそれて身を隠す男の、留守の邸は世間の物嗤《ものわら》いになりやすい。それをとりしきって、うしろ指ささせない、というのはたいへんな仕事なのだよ。あなたでないと任せていけないのだ」
源氏が静かに、噛《か》んでふくめるようにいうのへ、姫君はさすがに、さかしく聞き、うなずいている。
もう、姫君ともいえなくなった。
紫の君は十八歳になり、匂やかに影ふかい、臈《ろう》たけた若妻になった。怜《れい》悧《り》でおちついた人柄は、姫君を年よりもおとなびてみせ、げんに、こんな場合も、源氏がことをわけて話すと、素直に源氏の言葉にしたがう。
そのくせ、一瞬ぱっと、昔の童女のおもかげにもどって、
「では、ほかの、どんな女のひともつれていらっしゃらない?」
「当然じゃないか」
「きっとよ、どなたもおつれにならないでね。わたくしたちは京と須磨で、たなばたの二つの星になって、夜空に呼び合うの」
源氏はものもいえず、紫の君を抱きしめる。この人を置いてどこへ行けようとも思われない。この人のいとしさには、男の肝魂《きもだましい》をも絞られる気がする。
しかしそれゆえにこそ、源氏はなお、この人を捨てて出発しなければならぬ。それが男の分別である。
出発は三月二十日すぎとひそかに定めた。
その前々日、源氏は闇にまぎれて左大臣邸へいとま乞いにいった。質素な網《あ》代車《じろぐるま》に、女が乗ったように見せかけ、こっそりと訪れたのである。
そのさまを見る左大臣邸の人々は、源氏の昔の威勢と思い合わせ、夢のようで、いたましく思うのだった。
古なじみの女房や、若君の乳母《めのと》たちも源氏の姿を珍しがって集まり、世のうつり変りに涙ぐんでいた。
若君の夕霧《ゆうぎり》だけは、走りまわって、
「お父さまがいらした、いらした」
と可愛くはしゃいで、源氏の膝《ひざ》に乗るのだった。
「ながらく見ないのに、お父さまを忘れないのが感心だね」
と源氏は夕霧のあたまを撫でた。夕霧は五つになるのだった。この可愛いものとも、これから会えないかと、源氏は辛くなった。
大臣も出てこられた。
「引き籠《こも》っていられる間、お見舞いに上ろうかと存じましたが、私も病気をし、位もお返しした身でございましてな。口うるさい世間は、御所へ参内《さんだい》もせぬ者が私用には大きな顔で出歩くなどとひがごとを言いふらしますゆえ、お目にもかかれませなんだ……全く末《まつ》世《せ》でございますなあ。天と地を逆さまにしてもよもやと思うような、あなたのご運のつたなさを見ますと、長生きしたのが辛うございます」
と大臣は、しおれていわれた。
「これもみな、前世の報い、というものでしょう。まあ、所詮《しょせん》は身から出た錆《さび》、とでも申しますか。聞く所によると、私を流罪に処すべしという動議も出ているそうです。自分が潔白だからといって平気な顔でおりましては、お上にはばかりもありますし、これ以上の恥にあわぬ前に、自《みずか》ら退いて謹慎の意を表した方が、と思いまして」
「それにしても故院は、あんなにあなたのことをご遺言《ゆいごん》でたのみおかれたのに、崩御《ほうぎょ》になると手のひら返すようなことになるとは」
大臣は直衣《のうし》の袖《そで》を目にあてていられる。源氏の方が、いろいろとかえって慰めるのだった。
夕霧が、祖父と父にまつわりついて、
「今夜は、こちらでお泊まりなのでしょ、お父さま」
と無心に喜んでいるさまを、二人ともあわれに見た。大臣はしみじみと、
「亡き姫のことはいまも忘られず悲しんでおりますが、こんな不幸を見ずに亡くなったのは、せめてもの幸わせかもしれませぬな。ただ、母の亡い若君が、年寄りの間にまじって育つのがあわれで……。それにしても、無実の罪で処罰されるのは外国にも例あることですが、この度のことは、追放、流《る》刑《けい》というほどの重罪も思い当りませんのに」
と大臣はいわれた。
親友の三《さん》位《み》の中将も来て、酒宴になり、夜がふけたので、源氏は泊まった。
亡き妻に仕えていた女房たちをあつめて、源氏は忍びやかな昔ばなしなどするのだった。
その中に、源氏がひそかに情人としていた中納言《ちゅうなごん》の君という女房がいる。彼女は口に出さずに、源氏との別れを悲しんでいた。源氏も人しれず哀れに思った。みなひとが寝静まってから、中納言の君とひそかに会った。
源氏が泊まったのは、この人がいたためである。
未明、夜ぶかいときに源氏は出た。有《あり》明《あ》けの月が美しい。木々の花盛りはすぎているが、月光に霞《かす》んでいるさまは、秋の暁よりも趣きがあった。源氏は隅の高欄《こうらん》によりかかってしばらく庭をながめていた。中納言の君は見送ろうと、妻戸をあけて、うしろに控えていた。
「いつまた会えるだろう。まさか、こんな身になるなんて思いも染めなかったものだから、いつでも会えた昔は、のんびり構えていた……。いまになると残念だ」
源氏がつぶやくと、女は耐えかねてむせび泣いていた。
若君の祖母君、大宮も涙に沈んでようお出にならず、別れのおことづけだけをされた。
「はや、おたちでございますか、いとけない人はよく眠っておりますのに……。あなたが須磨へいらしたら、亡き姫との縁《えにし》はますます遠くなってゆくような心ぼそい気がされます」
源氏は大宮のお嘆きをもっともと思った。
「亡き人との縁は切れるものではございませぬ。おそらく私は、須磨の浦で、漁師の塩を焼く煙をみては、かの日の鳥《とり》辺《べ》山《やま》の火葬の煙を思い出すことでございましょう。小さい者の顔を見ては出発の足も鈍りますゆえ、心強くふり切って会わずに出ることに致します」
と大宮にお答えした。
女房たちは源氏の去る姿を、のぞき見て泣いた。山の端《は》に入ろうとする月光に、源氏は美しく、物思わしげにみえた。情け知らぬ虎・狼《おおかみ》でも泣く、というのはこんなことだろうかと、左大臣邸の人々は、別れを悲しんだ。
みなみな、古い馴染《なじ》みで、源氏が元服したばかりの頃から、見なれ、仕えてきた人たちなのだった。
「つつがなく、都へお戻りあそばす日を、お待ち申しあげております。どうぞ一日も早う……」
人々の祈るような思いに送られて、源氏の車は忍びやかに去っていく。
二條院へ源氏が帰ってみると、源氏の居室に仕えている女房たちも、宵から寝もやらず嘆きあかした風で、あちこちに群れていた。
思いがけぬ運命の転変に、誰もかれも動転しているのであった。
召使いたちの控え室には人《ひと》気《け》もなかった。親しく仕えている者たちは、この際、源氏に従って須磨へ下るので、おのおのが、家族たちと別れを惜しんでいるらしかった。
さほど親しくない人々は、大后側ににらまれるのを恐れて、源氏を見舞いにも来なかった。以前は、門前も狭いまで集まった馬や車の影さえもなく、ひっそりしていた。
(世の中というものは、こんなものだ)
と源氏はあじけない思いを味わう。
人の出入りの多いときは、室内に台盤《だいばん》(長大な食卓)が並び、食物がゆたかに盛られて、時かまわず、誰かれがにぎやかに飲食していたものを、いまは人影もなくなったので台盤は塵《ちり》がつもり、敷物はとり片づけられてあった。
(自分がまだ、都にいるさえ、こんなありさまだ。これで須磨へ行ってしまったら、どんなに荒れるだろう)と源氏は思った。
西の対《たい》へいってみると、紫の君は、格《こう》子《し》もおろさないで物思いに沈んで夜をあかしたらしかった。簀《すの》子《こ》(縁)のあちこちには女童《めのわらわ》たちがうたたねをしている。源氏の姿を見て、いそいで起きてあたふた《・・・・》としているのも可愛い。
自分の留守が長年つづいたら、こんな人々も、やがては散り散りになってしまうのではないかと、源氏はふと気弱く思う。
「ゆうべは大臣のところで遅くなってね」
と源氏は紫の君に弁解した。
「あなたは、意外なことを疑っていられないかと思って。都にいられる、残り少ない日を、せめてあなたのそばから離れるまいと思うのだが、いよいよ出発となると、別れを告げておく所も多くてね。家にひきこもってばかりもいられないのだ……。定めない世だから、人に薄情者と怨まれたままになるのも気がかりだしね。それを意外な風にとらないでおくれ」
源氏がなぐさめると、紫の姫君は、
「いつも、そう、お口上手におっしゃるのだわ……でも、意外な、って、こんな目にあうより以上に意外なことはありませんわ。わかれわかれになるなんて……」
といったきり、悲しみをこらえていた。源氏にとって、この人の悲しみが、いちばんこたえるのであった。
紫の君の心ぼそさ、悲しさも道理であった。
父宮の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮とはもともと離れて育ったので疎々《うとうと》しく、むしろ源氏になついて、父とも兄ともまつわって育った紫の君だった。
それに兵部卿の宮は、源氏が大后側の敵となると、世間の人目を恐れて見舞いにもいらっしゃらず、よそよそしい態度でいられる。
紫の君は、そのことを、仕えている女房たちの手前もはずかしく、いっそ、ここにいることを父宮にお知らせしなければよかったと思ったりしていた。
ことに継母《ままはは》の北の方が意地悪な喜びを示して、
「あの人は突然幸福な身の上になったと思うと、また突然、不幸になるのね。ついていない人らしいわね。頼りにする人に、次々と別れる運命なのよ、きっと。縁起でもないわ」
などと噂されるのを風の便りにきいてからは、紫の君はなさけなく思って、こちらからもふっつりと便りをしなくなった。源氏に離れると、全く孤立してしまう身の上なのだった。
それを知って置いてゆく源氏も悲しかった。
「須磨に長くいても、なお、お上《かみ》のお許しがないようだったら、どんな岩の中だってあなたを迎えるよ。だがただいますぐに伴ってゆくということは、前にもいったように、謹慎のかたちにならない。むしろ敵側の好《こう》餌《じ》となるだけだ。わかってくれるね。あなたも辛《つら》いだろうが、私も辛いのだよ」
と源氏はくりかえし、紫の君に言い聞かせていた。源氏は日のたけるまで、紫の君と引き籠って、やさしい愛の時間を持った。
「帥《そち》の宮さま、三位の中将さまがおいでになりました」
と知らされたので、源氏は起きた。帥の宮は源氏の異母弟に当られる宮で、源氏にとくに親しんでいらした。源氏の親友・三位の中将と共に、大后側の思惑など意に介していらっしゃらない、誇りたかい青年だったから、わざわざ、車をつらねて別れをつげにいらしたらしかった。源氏は直衣を着た。「もはや無位の人間だから」と無紋の直衣を着たのが、却《かえ》ってなまめかしい男の色気を感じさせる。
鬢《びん》のみだれをかきあげようと鏡台に向った源氏は、われながら面《おも》痩《や》せたと思った。
「やつれたものだな……ずいぶん」
と紫の君を見返ると、紫は目にいっぱい涙を浮べていて、
「鏡の中だけでもお姿がとどまっているのなら、よろしいのにね。そしたら、お別れする淋しさがまぎれるのに」
とひとりごとのようにいい、柱のかげにかくれて、涙を拭いているのもいじらしかった。
帥の宮たちは名残《なご》り惜しげにしみじみ話されて、日暮れがた、帰られた。
花散里のもとへも、源氏は行ってやらねばならなかった。姉君の女御も、妹君の花散里も、源氏の庇護《ひご》をたのみに生きている人々である以上、どんなに時間がなくても、源氏は訪れて、別れを告げてやろうと思った。それは源氏の心やさしさであった。果して女御は、
「数ならぬ身を、こうしてお立ち寄り下さいまして」
と喜ばれた。花散里も、夢のように思った。
「わたくしのようなものにまで、あわただしい中を訪れて下さるとは思えませんでした」
源氏は、そういうつつましい女心を愛する。それゆえにこそ、花散里とみじかい別れを惜しみに来たのである。
「もう逢えないように嘆かないで下さい。その内にはまた、都へ還《かえ》れる日もくると思うよ。――考えてみれば、あなたと過ごした時間はいつもあわただしくて、のどかな時はなかったね」
源氏は、自分の気まぐれな心に思い出したときだけ、花散里を訪ねたことを、今更のようにすまなく思った。
「いいえ。わたくしには貴重な幸わせの時間でございました。こんな幸わせは、わたくしの身にあまると思いつづけてきましたの――このたびのお別れも、あなたのお心がわりのせいではないのですもの。わたくし、淋しいけれど、ご運の開ける日を一生けんめい念じて、お待ちいたしております」
美人といえない、地味な女人であるが、やさしい信頼できる気立てが、源氏には好もしかった。花散里の心変りせぬ誠実さこそ、いまの源氏を力づけてくれるように思われる。
どの女も、とりどりに好もしく愛すべく、源氏にはふりすてがたかった。
源氏は離京について、万端の整理をしなければならなかった。源氏に親しく仕え、大后側の権勢に媚《こ》びない、頼もしい人々を選んで、留守宅の役目を割りあてた。須磨へ随行するのは、更にその中から選んだ腹心の者たちばかりだった。
須磨での日常の調度は、必要最低限なものにとどめ、飾りのない質素なものを用いることにした。愛読書の漢籍、詩集など入れた箱に、七絃琴《しちげんきん》一つ。それのみを携えてゆくことにした。豪華な調度や衣裳《いしょう》は持たず、世を忍ぶ隠《いん》士《し》のように、源氏は簡素に暮らす決心だった。
仕えている女房たちはじめ、すべてのことはみな、西の対の紫の君に譲り渡した。所領の荘園《しょうえん》や牧《まき》場《ば》、その他の領地の権利書なども残らず紫の君に托《たく》した。また、財物を収めてあるあまたの倉庫や納殿《おさめどの》なども、紫の君の乳《めの》母《と》の少納言を、しっかり者と見込んで、源氏の信頼できる家《けい》司《し》(執事)を相談係につけ、紫の君が管理できるように、少納言に教えておいた。
源氏に仕えている女房たちの中で、中務《なかつかさ》、中将などという人たちは、源氏のひそかな情人だった。源氏からとくにこまやかに情けをかけられるというのでもないが、それでもそば近く仕えているうちは心なぐさんでいた。
しかし源氏が須磨へ去ってしまったら、何をたのしみにこの邸にいようと思われた。源氏は彼女たちに、
「命があってまた都へ戻る日もあるだろう。それを待とうと思う人は、西の対に仕えていてほしい」
といって、上臈《じょうろう》の女房も下ざまの人々もあげて紫の君の方に托した。女房たちの身分に応じて、さまざまの物資を配分し、また、若君・夕霧の乳母たち、花散里にも、日用品から、風流なものまで、至らぬ隈《くま》もなく、おびただしい贈り物をした。
朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》のもとへも、無理をして源氏は便りをした。
「今は限りです。私は都を去らねばなりません。思えば、あの逢《おう》瀬《せ》は命がけの夢でした。それが、流《る》浪《ろう》の原因となったとしても、私は悔んではおりませぬ」
人に見られては危険な文なので、くわしく書けなかった。
朧月夜の君は、悲しさと恋しさにたえがたく思った。
「いまひとたびの逢瀬を、とそれのみ夢みておりますが、都へお還りの日を待たずに、わたくしは、こがれ死にするかもしれませぬ」
泣く泣く心みだれて書いた筆蹟《ひっせき》が、美しかった。源氏はどんな無理をしてもひとめ会いたいと思ったりしたが、今更、憎い右大臣側の目を掠《かす》めて、彼女に会えることではなかった。
明日は出発、という日の夕方、源氏は、入《にゅう》道《どう》の宮(藤壺)のおん許《もと》へ伺った。院のお墓においとまごいをしようとて、北山へおもむく途中なのだった。
宮は御簾《みす》をへだてて、みずからお話しになる。
「院もお崩《かく》れあそばし、あなたも都を去られるようになりましょうとは。わたくしが世をすてた甲斐《かい》もございませんでしたのね……」
宮はお辛そうであった。
源氏は、宮を拝見すると、うらみつらみを申しあげたくてならない。
(こうなりましたのも、あなたが私にお辛く当られたためですよ……)
と筋ちがいなお恨みを申しあげたくて、万感が胸に迫るのだった。
宮も源氏も、たがいに物思い深い仲の二人である。言葉には尽くさないが、その思いを分ちあっていた。
「こんな思いがけぬ罪に落ちましたのも、ただ一つ、心に思い当ることがございまして、神仏はお見通しでいられるかと、空恐ろしい気がされます。私の身はなきものと思いましても、せめて東宮の御代さえ、ご安泰でありますれば」
と源氏が申上げると、宮も、お気持がつねならずさわいで、お返事もされなかった。源氏が必死に思いをこらえているさまも、宮はいとおしくご覧になるのだった。
「故院の御陵《ごりょう》にお参りいたします。おことづてはございませぬか」
宮はしばしためらわれ、
「東宮を、お守り下さいまし、と……」
とかすかに洩《も》らされた。
「かしこまりました。――父院と別れ奉ってもうこれ以上悲しい目にあうことはあるまいと思いましたのに、生きていると、まだその上の辛さが増さります……。この身は遠くにさすらいましょうとも、心はここに置いて御《おん》身《み》をお守りするつもりでおります。されば、これが永久《とわ》の別れとは思《おぼ》し召し下さいますな」
宮はお心乱れ給うたのか、お返事はなかった。
月の出るのを待って、故院の御陵のある北山へ、源氏は出かけた。
供の者は下人《しもびと》に至るまで源氏に親しい、ほんの五、六人で、源氏は馬に乗っていく。
昔に変る一行のありさまだった。
皆が悲しく思う中にも、右《う》近《こん》の将監《ぞう》の蔵人《くろうど》はことに感慨があった。
この青年は、過ぎたひととせの、かの賀茂の御禊《みそぎ》の日、源氏がとくべつの勅命で、輝くばかりの威儀をととのえ、華やかに前駆に立った、あのときの臨時の随身《ずいじん》なのだった。
彼はそれ以来、源氏一派の者と見られて、当然昇進すべき位も得られず、ついに殿上《てんじょう》の間《ま》の御《み》簡《ふだ》も削られ昇殿停止、近衛尉《このえのじょう》と蔵人の役も剥奪《はくだつ》されてしまった。
この青年は、そもそも伊予《いよ》の介《すけ》の息子で、継母が空蝉《うつせみ》というわけである。父子二代にわたって、源氏や、左大臣家の恩顧を受け、親しみ馴れて仕えているので、大后一派から「源氏の息の掛った同類」と憎まれ、逐《お》われたのも、無理からぬことであったが……。
青年は、いまは須磨への供に加わって都を落ちることにしていたが、下《しも》賀茂《がも》の御社《みやしろ》が見渡せるところへくると、かつての、世に時めいた日のことが思い出され、たえきれず、馬から降《お》りて、源氏の乗馬の口を取り、
「賀茂の御禊の日は、昨日のことのようでございますがなあ。
〈ひき連れて葵《あふひ》かざしし そのかみを 思へばつらし賀茂の瑞垣《みづがき》〉」
と口ずさんだ。
源氏はそれを聞いて、自分が責められるように心苦しかった。この男は、運命の転落をどんなに辛がっているだろう。思えばあの時は、人よりも花やかによそおい、若者らしく気負って得意満面でいたものを、と可哀そうになる。源氏も馬から降りて、御社をはるかに拝し、神にいとま乞いを申しあげた。
〈うき世をば今ぞわかるるとどまらむ 名をば糺《ただす》の神にまかせて〉
と源氏は静かに口ずさむ。
賀茂の糺《ただす》の神は、正邪曲直《せいじゃきょくちょく》をただして下さるにちがいなかった。源氏は大后一派が迫害の口実としているような、帝に対する不敬な政治的陰謀の罪は全く無実である。それより大きな罪、永劫《えいごう》に許されぬ罪の前には、頭をたれて黙《もく》するほかないものの……。
右近の将監《ぞう》は、源氏の物思わしげな敬虔《けいけん》なありさまに感動を誘われ、自分はどうなっても、この君と運命を共にしよう、とあらためて決心するのであった。
御陵は道の草も生い茂って露しげく、月は雲にかくれて、森の木立も凄《すご》いような気《け》色《しき》だった。
(私は都を逐われてゆきます。私は他国に流れてゆきます。父君よ、どこにおわすのですか。私を御覧下さい。
……私に、ありし日の御慈愛をお示し下さい。――ご遺言は、はや、泡沫《うたかた》と消えてしまいました。私の身を容《い》れる場所は、都にはもうないのです。これは父君の、私の罪に対するお瞋《いか》りのせいですか。私をお恕《ゆる》し下さい。許されざる大きな罪を、お恕し下さい……)
しかし答えるものは、颯々《さつさつ》と梢《こずえ》をわたる風の音のみであった。時も忘れてぬかずく源氏の前に、ふと、ありし時そのままの故院の面影が立った――お顔はおやさしく、お瞋りの色はなかった。ただ、物悲しげなおん眼差《まなざし》であられたが、源氏は思わず、寒気をおぼえた。
もはや出立《しゅったつ》まで時間はない。
未明に都へもどり、源氏は東宮にもおいとま乞いのご挨拶をする。入道の宮は、ご自身の代りに王命婦《おうみょうぶ》を東宮お付き添いとしていられるので、その部屋にあてて、文《ふみ》を托した。
「今日、いよいよ京を離れます。都を去る前に今一度、東宮に拝謁《はいえつ》し得なかったことが何事にもまさって辛く思われます。万事、ご推察下され、このよし東宮に申上げて下さい。
〈いつかまた春の都の花を見む 時うしなへる山樵《やまがつ》にして〉」
この手紙は、桜の花の散り透《す》いた枝につけてあった。
命婦は源氏の離京をお話し申上げて、手紙を東宮にお目にかけると、東宮は、おさないお心にも真剣になってご覧になる。
東宮はおん年八歳になられるのであった。
「お返事をどういたしましょう」
命婦が申上げると、東宮は無邪気に、
「しばらく会わずにいても、会いたくなるのに、遠くへいってしまったら、ずいぶん淋しいなあ、と書いておくれ。……大将の君はやさしくて、よく相手になってくれて、大好きだったのに、どうして遠くへいってしまうのだろう……」
と言われるのだった。
(なんという他愛ない、いとけなさでいられることか)
と命婦は哀れにみ奉った。
それにつけても、命婦は、禁じられた愛に身を灼《や》き、心を焦がした昔の源氏の、あの日、あの夜のありさま、恋の闇に心まどわれたかつての藤壺の宮のお苦しみを思い返さずにはいられなかった。あの恋さえなければ、源氏も宮も、なんの物思いもない世をお送りになったろうものを、と思うと、その責任の一半は、自分にもあるように思われて、命婦は切なく、悔まれる。源氏への返りごとには、
「いまは申しあげる言葉もございませぬ。
東宮はお心細げでいらっしゃいました。
〈咲きてとく散るは憂《う》けれど 行く春は 花の都を立ちかへり見よ〉
またいずれ必ずや、ご開運のときのくることを信じて」
と書いた。
東宮御所の内では、源氏の噂をして悲しみ嘆かぬものはなかった。
それは、源氏の周囲ばかりでなく、世の人々も同様で、心中、誰もかれも暗澹《あんたん》たる思いにうちのめされているのであった。
源氏は七歳のときから、故父帝のおん前に夜昼となく侍《はべ》って、この上ないご寵愛《ちょうあい》を受けていたので、源氏の申上げることはすぐお取り上げになった。源氏は世のため人のためよかれ、という気がつねにあり、父帝によく取り做《な》したから、源氏の徳を蒙《こうむ》らぬ人はないほどである。身分高い上達《かんだち》部《め》や弁官(官吏)などの中にも、源氏の庇護や引き立てを受けた人々は、かぞえ切れぬくらいであった。ましてそれより下に至っては、恩恵を受けた人々は無数にいる。
しかし、さし当っては大后側の権勢に屈服して、みな、心の中で、源氏に同情し、朝廷を非難するばかりであった。身を犠牲にして源氏を見舞ったところで、今の状態では、源氏に何の助勢もできないと思うのか、誰もみな、そ知らぬ顔で、よりつきもしないのであった。
源氏は人の心の裏を見た気がしていた。
出立までを源氏は、紫の君とゆっくり話して時を過ごした。
旅立ちの習いとて、まだ夜深いうちに出るのである。旅装束の狩衣《かりぎぬ》も目立たぬさまで、
「月が出たな。……もう少し外へ出て、せめて見送ってくれないか。これから先、毎日、あなたに話すことが積もったと思うようになるだろうなあ。一日二日あわぬ時でさえ、あれも話さなければ、これも言おうと思うことが多いのに」
と源氏はいいながら、御簾《みす》を捲《ま》き上げて紫をいざなった。紫の君は、泣き沈んでいたが、ためらいがちに膝《ひざ》で進んでくるのだった。月の光に浮び上るその姿は、美しい。
(須磨へ自分が流れて、そのまま命終ることでもあれば、この人はどんなあわれなさまで、世の中をさすらうことか)
と源氏は今更のように、置いていき難く思う。このひとのためにも自分は死ねない、とひそかに思う。しかし、それをいうとなおさら、紫の君を悲しませることになる。
源氏はかるく、ふっと唇にのぼった、というさまで、口ずさんでみせた。
「〈生ける世の別れを知らで契りつつ 命を人にかぎりけるかな〉
命あるかぎり、一緒にいようと約束したのにね。生きわかれというものがあることを忘れていたね」
源氏がいうと、紫の君はつぶやいた。
「〈惜しからぬ命にかへて目の前の 別れをしばし とどめてしがな〉
わたくしの命など惜しくありませんわ。命と引き換えに、唯《ただ》今のこのお別れを少しでも引きのばしたいの……もう少し、いらして」
源氏は、もはや返事しない。
応《こた》えていれば、それからそれへと言葉はつづき、心はあふれ、思いは煮えこぼれ、ついに、もう一日二日、出立を延引《えんいん》したくなるであろう……。
「いってくる」
源氏は低く言い捨てて、立ち上った。
忍びやかに供の者たちは控えている。まだあたりは暗いが、すでに空の一角は明るんでいる。都落ちの一行が明るくなってから出てゆくべきではなかった。いそがねばならなかった。
須磨まではまず、京から伏《ふし》見《み》へ陸路四里ばかりをゆかねばならぬ。伏見から船に乗り継いで、その日は一日がかりの船旅、難波《なにわ》は大《おお》江《え》の船着場に日暮れ方、着くのであった。
そこで一泊して、翌朝、海路十二里を須磨へ向う。
源氏は旅なれぬ身に、心ぼそくも、風趣あることとも思った。
ふり返ると、すでに都は、山にへだてられ、雲にさえぎられて三千里も来た如《ごと》く、遠くに思われた。はや、都の山も川も恋しかったが、何より源氏の胸を熱く焦がす面影は、可憐の人、紫の君だった。
源氏の住居《すまい》は、かの行平《ゆきひら》の中納言が〈わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻《も》塩《しほ》たれつつ佗《わ》ぶとこたへよ〉と詠《よ》んで、流《る》謫《たく》の憂き日々を送った場所に近かった。
海辺から引きこんだ淋しい山中である。
垣《かき》のさま、茅葺《かやぶき》の屋根、葦葺《あしぶき》の廊下など、田舎家《いなかや》めいて源氏の目には珍しくもあった。
こんな折でなければ、風流な、と興じたろうにと、源氏は昔のあそび心をふと思い出していた。
近くの所々の、源氏私有の荘園の管理人《つかさ》を呼んで、良清《よしきよ》が普《ふ》請《しん》の指図をした。少しの間に、たちまち、風情ありげな棲《す》みかとなった。
庭には遣水《やりみず》を引き入れ、木なども植えられてゆく。
(いよいよ、ここに落ちつくのか……何か月……いや、何年いなければならぬのか)
源氏は呆然《ぼうぜん》として、夢のような心地になる。
この国の守《かみ》も、源氏に親しいので、ひそかに心を寄せて便宜をはかるのだった。それゆえ、旅先といっても人の出入りも多くさわがしいのだが、はかばかしい話相手とてなく、源氏には知らぬ他国の気がする。気分が滅入《めい》って、
(こんな所で、どうやって年月を過ごそう)
と思い屈した。
家の修理や普請が一段落したころには、はや、梅雨の季節に入っていた。晴れるにつけ雨につけ、源氏は京が――京の人々が恋しかった。
あちこちへ宛てた文《ふみ》を、いちどに托して源氏は京へ使いを出す。
思いがあふれて、手紙に書ききれぬのは、二條院の紫の君と、入道の宮にあてたそれである。宮には、
「須磨の浦人《うらびと》は物思いに暮らしております。松島の海人《あま》はいかがおすごしですか……来《こ》しかた、ゆくすえ、思えば万感胸に迫ります」
朧月夜の尚侍《かん》の君のもとへは、おもて向きは、女房の中納言への私信のように見せかけて、中には秘すべき手紙を入れた。
「須磨に流れて、まだ懲《こ》りずまに、あなたのことを考えています。つれづれの日々が、あなたの思い出を、かえって鮮明にします」
何やかやと、心こめた言葉がつらねられてある。左大臣邸にも便りをし、夕霧の乳母《めのと》にも手紙を書いた。
二條院では紫の君は、源氏の文を読んでそのまま起き上らず、恋しがってしおれていた。
仕えている女房たちも慰めかねて、心細く思いあうのだった。
「このお琴を、いつも弾いていらしたのだわ……この柱にいつもよりかかってらしたわ……」
などといって紫の君は悲しむ。女房たちが源氏の衣《きぬ》を片づけようとするのを、
「いや。そのまま置いておいて。いつもたきしめてらした薫香《くゆり》が残っているのだもの……」
とすすり泣き、まるでもう世に亡い人のように言うのが、乳母の少納言には縁起でもないと、悲しく思える。少納言は北山の僧《そう》都《ず》に頼んで、源氏と紫の君二人のために祈《き》祷《とう》してもらっていた。紫の君の心をしずめ、また、源氏の君が一日も早く京へ戻られて、ふたたびもとのようにむつまじい妹《いも》背《せ》としてお暮らしになられるようにと……。
悲しみつつも、それでも少納言は紫の君がふといじらしく、ほほえまれるのだった。
あの、幾年か前の、まだ少女《おとめ》の日、妹背の初契りのあったころ、紫の君は何日も何十日も拗《す》ねてふくれてご機嫌がわるく、源氏も、少納言たちも困ったものだった。けれども、心なよらかに、身もすこやかな紫の君は、おのずと、あけぼのの空の色が染まるように蕾《つぼみ》がほころびそめていった。このすぐれた資質にめぐまれた少女は、源氏という巧者な愛の案内人の導きで、神や仏も微笑《ほほえ》んで嘉《よみ》したまう男女《おとな》の愛の世界へ、のびやかに飛翔《ひしょう》してゆくことができたのである。
父とも兄とも夫とも恋人とも馴れ親しんだ源氏に別れるのは、紫の君にとって堪えがたい辛さ、心ぼそさにちがいなかった。
別れのくるしみは、紫の君の心を深くし、艶《えん》冶《や》な美しさに染めあげていた。
少納言からみると、紫の君はこの日ごろ、またひとしお、おとなびまさって美しく、しっとりしたように思われる。
「そうだわ……悲しんでばかりいては、いけないわ。ご不自由なところで精進《しょうじん》していらっしゃるのだもの、お身廻りのことをととのえてさしあげなければ」
と、紫の君は涙をふきつつ、旅先での夜具や、イ《かとり》の、白い直衣《のうし》・指貫《さしぬき》、いまの源氏は無官の身とて、無紋のものをととのえるよう、かいがいしく指図するのだった。
少納言には(身びいきかもしれぬが)紫の君のそういうとりなし、気くばりも、すでにりっぱな北の方の風格にみえ、かぎりなくめでたく思うのであった。
入道の宮も、源氏の文に、情こまやかにお返事なさった。
思えば――この年頃、源氏には強《し》いてつれないあしらいを続けてこられたが、それは煩《わずら》わしい世間の目をおそれ、東宮と源氏の身に難が及ぶのを案じられたからである。しかしついに、その秘密は保たれた。それは源氏の献身的な努力のせいでもあったかと、宮は、今さらのように源氏の心づかいを、いとおしく思われるのだった。
「京も、須磨の海辺も同じでございますわ……。袖《そで》は涙に汐《しお》垂《た》れて、年へた海人は、嘆きを重ねております」
とお書きになる。
尚侍《かん》の君の返事は、女房の中納言の手紙に入れてあって、
「忍ぶ恋の身の、物思いに胸はくすぶるばかりですわ。煙が須磨の浦にまでとどきはしませんでしたこと?」
中納言は、尚侍の君が、源氏を恋しく思って、つねに物かげで泣いていられます、などとこまごま、したためていた。
それぞれにあわれな、都の返事であったがさすが源氏の心を濡《ぬ》らすのは、紫の君の文である。
「もう何日、あなたと会えぬ日が過ぎましたかしら。海辺の波は寄せては返すのに、どうして、あなたは帰っていらっしゃらないのでしょう。須磨は遠くない、と人に慰められますけれど、遠くないからこそ、かえって、心乱れます。いっそ、あずまやみちのくのように遠国《おんごく》ならば、あきらめもつきますのに」
紫の君が届けてきた衣や夜具の色合いも仕立ても、すべて上品で、源氏の趣味にもかなった。何もかもゆきとどいて、理想的な女性になったと源氏は思う。
(ほんとうなら、あのひとと二人きりで、しみじみ、むつまじく暮らしていられたものを)
と源氏は、過去の軽挙や、恋愛沙汰を悔いた。面影は胸から去らず、恋しい。
あの姫君を見たい。
あの人を抱きしめたかった。さまざまな彼女のしぐさ、表情の記憶は、匂いのように源氏の心に沁《し》みついている。
(いっそ、こっそりここへ迎えようか?)
と悩み、また思い返して、
(いやいや、それでは本意に悖《もと》る。自分の罪《ざい》業《ごう》を消滅することが先決だ)
と、あけくれ、仏道修行に精進していた。
手紙は、伊勢の御息所《みやすんどころ》とのあいだにも、やりとりせられた。白い唐《から》の紙四、五枚に散らし書きにしてある御息所の文は、やはり優雅であわれ深かった。
花散里《はなちるさと》からもたよりはきた。「長雨に築《つい》土《じ》もところどころ崩れて」とあったので、源氏は女ばかり住む、荒れた邸の心細さを思いやった。早速、二條院の家令に修理を命ずる使いを立てたりした。
さて、朧月夜の尚侍《かん》の君は、源氏の失脚の原因と人にはうしろ指さされ、世の物笑いになっていた。宮中へも上れず、邸の内ふかくたれこめて、失意に嘆き沈んでいる。
父の右大臣は、この姫を溺愛《できあい》していられるので、腹は立ちつつも、あわれでもあり、せつに帝や大后に許しを乞われた。
帝はおやさしいお気性とて、「そういえば、女御や御息所という身分でなし、宮中の女官というおおやけの宮仕え人なのだから」と思い直されて、おゆるしになった。
帝のご愛寵ふかいのを知っていて掠めとった源氏にこそ罪はあれ、この女《ひと》は、と見のがされたらしかった。
尚侍《かん》の君は七月になって参内《さんだい》した。そして帝はというと、尚侍の君への愛をまだ失ってはいられず、むしろ、時をへだてて会われて、なお御執着が増したらしかった。人の譏《そし》りもおかまいにならず、おそばからお離しにならない。怨みごとをいわれたり、変らぬ愛の約束をお強《し》いになる。
尚侍《かん》の君のほうは、帝の、清らかなお姿ややさしいお心に感動しつつも、心の底ではいまも源氏を忘れ得ないとは、全く、なんという罪深さであろうか。
管絃のお遊びのついでに、
「彼がいないのが淋しいね。私でさえそう思うのだから、ほかにもそう思う人は多いだろう。何をしても、あれがいないと栄《は》えない気がする」
と仰せられ、
「故院のご遺言にそむいて、あれを遠くへ放ってしまった。孝《こう》の道にそむいた罪を得るかもしれない」
帝は悄然《しょうぜん》といわれる。
「世の中は味気ないものだね。長く生きていたいとも思わないのだが……」
と帝がふと洩《も》らされるのは、万事お気弱なご資質から、政治の実権が大臣たちの手にあって、帝のご意向に添わぬことが多いのをいわれるのだろうか。
「もし、私がみまかったらあなたはどうする。悲しんでくれるだろうか。……しかし、このあいだの、彼との別れほどには悲しまないだろうね。それを思うと嫉《しっ》妬《と》を感ずる。〈恋ひ死なん後《のち》は何せん生ける日の ためこそ妹《いも》を見まくほりすれ〉という歌は、まちがいだよ。私は、生きているときも、死んでのちも、あなたを愛したい。……私の愛は、彼よりも深いはずだ。それが、あなたには、わかってもらえないのかなあ」
と帝はやさしく、しんみりと言いつづけられる。
尚侍《かん》の君は帝への申しわけなさや辛さで、ほろほろと涙をこぼすのを、帝はご覧になり、
「それ、その涙はどちらのためのものだ。私か、彼か」
と仰せられて、尚侍の君の手をとらえられる。
「どうして、あなたに御子ができないのだろう。それがさびしい。私たちの愛の記念《かたみ》が欲しい。……私はこうまで思いつめているのにあなたの心の半分は須磨へ飛んでいるのではあるまいか……」
尚侍の君は帝の腕の中で泣いていた。ほんとうに、帝の言われるように、心が二つに裂けて、二人の男への恋心で傷つき苦しんでいるのであった。
須磨に秋がきた。
源氏の住居から海はすこし遠いが、かの、行平《ゆきひら》の中納言が、
〈関吹き越ゆる須磨の浦風〉
と歌った、人に物思わせる秋風が、身に沁《し》みて吹きわたる。
夜は波音も近く聞こえた。
源氏のそばには人少なで、みな寝静まっているが、源氏ひとり眠れない。この小さな家の周囲を吹き包む荒い風を聞いていると、波もまるで枕《まくら》もとまでおし寄せてくるようで、やりきれぬ心細さをおぼえる。
源氏は起き上って、琴を手すさびにかき鳴らしたが、かえって悽愴《せいそう》な気分になってしまってやめた。
人々は目ざめたらしかった。
「いかが遊ばしました? 荒い波音で……」
惟光《これみつ》がすぐ起き出して、そっと傍《そば》へくる。
「〈恋ひわびて泣く音《ね》にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ〉
風は都から吹くのかなあ、惟光」
源氏がつぶやくと、惟光はふと、胸が迫って返答できないようである。ほかの若者たちも、みな懐郷《かいきょう》の思いに捉《とら》われたのか、しめりがちな気配になった。
(都恋しいのは自分だけではないのだ……)
と源氏は思う。自分一人の責任で、彼らをそれぞれの親兄弟や、恋人、妻子たちから引きはなし、こんな辺《へん》鄙《ぴ》なところへ漂泊《ひょうはく》させてしまった。それを思うと、彼らにすまない気がする。哀れなものたち。――彼らは自分一人を頼っているのだと思うと、その頼みの綱の自分が、悄然としたさまをみせてはいけない、と源氏は心をとり直すのだった。
全くの清潔な男所帯《おとこじょたい》で、夜ひる、そばに親しく仕えるものは、男たちばかりである。
源氏は強いて、彼らと冗談を言い合ったり、あそびごとを考えたりして、気分を転換させようとしている。
いろいろな紙を継いで、字を書き散らしたり、珍しい織りの、唐綾《からあや》などに絵を描いたりして、つれづれをなぐさめていた。それらを屏風《びょうぶ》に貼《は》ったりさせると、面白かった。
以前、都にいたころ、ひととせの春、病気の療養に北山へいったときに、美しい風景を源氏はあかず賞《め》でたことがあった。その折、人々は「まだまだ諸国には美しい景観がございます」といったが、ほんとうにそうだった。
現実に海辺に住んで、空の姿、磯《いそ》のたたずまいに感動した源氏は、興を催して、次々と描きつづけずにはいられなかった。
「お美《み》事《ごと》でございますなあ」
「画の名人の千《ち》枝《えだ》や常則《つねのり》を呼んで彩色させましたら、一そう面白うございましょうな」
と若者たちは興がった。
「この鳥など、生きて動いているようです」
「それは惟光をあらわしたものだ。惟光の早く恋人に会いたいという心を絵にすると、都へさして飛んでいく鳥になるのだ」
「おたわむれを」
若者たちの笑い声の中で、惟光は赤面する。
「では、この、岩に砕けている波の飛沫《しぶき》は何でございますか。まるで、裾も濡れんばかりに、いきいきと活写されていますが」
「それは良清の心だな。彼は都にのこしてきた思い女《びと》が、ほかの男に靡《なび》きはしないかと心配して、いらいらして、やけになっているのだ。良清の気持を象徴すると、砕ける水しぶきになるのさ」
「では、この、苔《こけ》の生《は》えた磯《いそ》辺《べ》の岩は」
「それが私だ。道心堅固に、不退転の決意をあらわしたものだ」
「恐れ入りました」
と、若い主従は、和《なご》やかな笑い声をたてるのだった。
惟光たちは、源氏に、家臣としてよりも、青年らしい傾倒を示していた。こんなに源氏の側《そば》近く、男ばかりでとり巻いて、馴《な》れ親しんで仕えることができるのを、誰も彼も、嬉しく思うらしかった。
源氏の姿は、秋の海辺に置いてみたとき、男がみても美しかった。
前栽《せんざい》(庭)の花も色とりどりに咲き乱れる、いい風情の夕ぐれ、海の見える廊に源氏はいる。
柔かな白綾《しろあや》の衣に、紫《し》苑色《おんいろ》の指貫、濃紫《こむらさき》の直衣。――帯しどけなく、くつろいだ姿のままに、
「釈《しゃ》迦《か》牟尼《むに》仏《ぶつ》弟子《でし》」
と名のって、ゆるやかに読経《どきょう》する。
沖にはひなびた船唄をうたいつつ、幾艘《そう》もの船が小さい鳥のように浮んでいた。黒木の数《じゅ》珠《ず》を手に、しずかに光を失って暮れてゆく秋の夕、ともすれば呆然と海に見入る源氏の姿は魅惑的だった。都の女が恋しくなっている若者たちも、源氏を見て気が紛れるのである。
「雁《かり》の音《ね》は、船の楫《かじ》の音に似ているね。――雁の歌を、みんなも詠《よ》んでみないか。
〈初雁は恋しきひとの列《つら》なれや 旅の空とぶ声の悲しき〉」
源氏が口ずさむと、良清がかしこまって続ける。
〈かきつらね昔のことぞ思ほゆる 雁はその世の友ならねども〉
惟光はそのあとへ、
「〈こころから常《とこ》世《よ》を捨ててなく雁を 雲のよそにも思ひけるかな〉
旅の渡り鳥を、いままでひとごとのようにみていましたが、思いがけず、自分が渡り鳥になってしまって」
といった。右近の将監《ぞう》は、それへつづけて、
「〈常世出《い》でて旅の空なる雁がねも 列《つら》におくれぬほどぞ慰む〉
旅の渡り鳥も、友だちと連なっていればこそ、心なぐさめられるのでございましょう」
といった。彼の親は、いまは常陸《ひたち》の介《すけ》になっている。赴任するときに誘われたのであるが、そこへはいかず、主君の供をして須磨へ下《くだ》ったのだった。彼は思い迷うこともあろうが、強いてうわべは明るくふるまっていた。
月が花やかに昇った。
(ああ、十五夜だった、今《こ》宵《よい》は)
と源氏は思い出した。清涼殿《せいりょうでん》の管絃の遊び、都で待つ女人たちのことを思うにつけても、月ばかり、眺められる。
まだみ髪《ぐし》を下ろさせ給わなかったころの、藤壺の宮が「霧にへだてられて……」といわれたときのことを思い出すと、源氏は胸が絞られるばかり恋しかった。
(もう、生きて二度とお目にかかる折はないのではないか……)
と思うと、源氏は苦しかった。
あの夜、兄帝《みかど》にもお目にかかったっけ……。
亡き院によく似ておわしたのも今になってみれば恋しい思い出である。あのとき、兄帝から賜わった御《おん》衣《ぞ》は、いまも身のそばにある。
弘徽殿の大后や右大臣にこそ恨みはあれ、兄帝を、源氏はお恨みする気はなかった。
「恩賜ノ御《ぎょ》衣《い》、今、此《ここ》ニ在リ
捧《ほう》持《じ》シテ毎日 余《よ》香《こう》ヲ拝ス」
という、菅公《かんこう》の詩を口ずさみながら、源氏は夜長をひとり、屈託してすごした。
その頃、筑《つく》紫《し》の、大《だ》宰《ざい》の大《だい》貳《に》が、任期満ちて都へ上って来た。一族が多く、娘もたくさんいたので、男たちは陸路をとったが、婦人連は船旅であった。そうして海岸沿いに、陸路と海路とで、各地の見物をしつつ、折々、合流して、都へのぼってきたのであるが、どこよりも風光美しい須磨を賞でていたところ、ここに源氏の大将の君が、佗《わ》びずまいをしていられるときいて、女たちはどよめくのだった。
娘たちの中で、以前、源氏のひそかな情人だった五《ご》節《せち》の君は、ことにゆきすぎがたく思った。源氏の弾《ひ》く琴なのか、海風にはこばれて沖まで聞こえると、源氏の悲運に、須磨の秋の佗びしさまで重ねて思われて、みな泣いた。大貳は手紙を書いて源氏に挨拶した。
「思いがけぬことでございます。このような所に、殿が御《ご》隠栖《いんせい》でありましょうとは。
ひなびた田舎から久しぶりではるばる都へ帰りましたあかつきは、まず何はおいても第一にお邸《やしき》に参上し、都の噂なども承ろうとたのしみにしておりましたのに、意外ななりゆきを、悲しくも勿体《もったい》なくも存じております。早速、参上いたしたいのでございますが、知人たちが出迎えにまいっており、大勢のこととて何かとわずらわしゅうございますので、私自身はまた、日を改めてうかがいます」
使者は、子供の筑前《ちくぜん》の守《かみ》だった。源氏が蔵《くろう》人《ど》にして、目をかけてやった青年である。彼は、源氏の生活のさまを見て、悲しく思ったが、人目をはばかってゆっくりもできない。
「よく立ち寄ってくれた。都を出てからは、昔、親しくしていた人々に会うことも難かしくてね。わざわざ寄って、ゆき届いた挨拶、嬉しく思うよ」
と源氏はねぎらって、大貳への返事もそう書いた。筑前の守は泣く泣くもどって、源氏のありさまを伝えると、大貳をはじめ、みな涙を落した。
五《ご》節《せち》の君は、むりをして伝手《つて》をもとめ、やっと源氏にたよりをことづけた。
「琴の音に、ふと心はたゆたい、過ぎがてにひきとめられます。ゆれうごくこの心、お咎《とが》めあそばしますな……」
源氏は微笑してながめた。
「私を思う心でたゆたうものなら、すぎゆくことはできないはずだが。それにしても、こんな所で漁師ぐらしをしようとは思わなかったことでした」
と返事をしたためた。五節の君は手紙を抱き、親兄弟に別れてでも、この浦にとどまりたい、と思った。
都では、月日のすぎるままに、帝をはじめ奉って人々が源氏を恋しく思う折々が多かった。源氏の同胞《はらから》の親王《みこ》たちや、親しくしていた上達部など、はじめは慰問や見舞いの文を通わすこともあった。情趣ふかい詩文が交され、源氏のそれが世の中に洩れ伝わって、ほめそやされたりした。
大后はこれを憎まれ、きびしく仰せられた。
「勅勘を受けた人というものは、気ままに普通人の生活をすることさえ、許されぬ筈《はず》です。それを何ということ、風流な家に住んで世の中を諷《ふう》刺《し》した詩を作ったり、したい放題を、あの者はするではないか。それにまた追従《ついしょう》する人々もいるのですね」
とご機嫌が悪かった。人々は面倒だと思い、やがて便りをしなくなった。
そういう世の中で、二條院の紫の君は、悲しみが深まるばかりだった。
ただ、邸のうちの人々の心は、今では、紫の君を中心に、かたく結束していた。
あたかも、須磨で、源氏が側近の若者たちに守られているように――。
はじめ、東の対《たい》に仕えていた女房たちが、みな西の対に移って、紫の君に仕えることになったとき、源氏が大切にするというその姫君を、それほどのお人でもあるまいと思っていたのだが、慣れるに従って、紫の君の人柄のなつかしさ、やさしさ、気高さ、思いやりのふかさに、みな感動してしまった。身分ある女房たちには、紫の君は折々、姿を見せ顔をみせることもあった。「やはり、源氏の君が格別に大切になさるはずだわ……」と女房たちは、紫の君の美しさを好もしく思い、この北の方を守って、源氏の帰りを待とうと、今は、暇《いとま》を願い出る者もなかった。
――さて、須磨に冬が来た。秋でさえ忍びがたい物哀れを、冬はことにすさまじかった。
雪の降り荒れる須磨の海辺はものすさまじい。
源氏は七絃の琴《きん》を弾きすさんで、良清に歌をうたわせ、惟光には横笛を吹かせて、すこし心なぐさめていた。
流《る》人《にん》――という言葉のひびきが、今さらのように重々しく感じられる。すでに愛する者を見ないこと久しい。雪の舞い狂う冬の海、満目《まんもく》荒涼とした風景の中に身をおいて、源氏は心まで凍ってゆきそうに思われる。
昔、漢の帝王が、愛する美姫・王昭君《おうしょうくん》を遠い蕃国《ばんこく》の王に与えてしまった、その別れの辛さを、源氏は思いやって、自分と紫の君のはなればなれの運命によそえたりした。
雪がやんで月があかるくさしこんだ。はかない旅ずまいには、月光は隈《くま》なく奥までさしこむ。床の上にいながら夜深い空も見られた。
ものみな凍るばかりの暁闇《ぎょうあん》――源氏はひとり眼ざめて、わが運命、わが罪業をひそかに思い返し、戦慄《せんりつ》することがある。
まるで闇の力ともいうべき、自分でも制御できなかった物狂おしい邪恋。つきうごかされ、押し流されてしまった、迷い多い自分。
そうして深い罪の陥穽《かんせい》に落ちた。
ひとときの春。
つかのまの花ざかり。
源氏は若さと美と権力を手にして驕《おご》った。自分をとり巻き拉《らつ》してゆく女や、情事や、恋のかけひきを愉《たの》しんだ。歓楽の宴は長夜つづくものと思っていた。しかし女たちの愛執は彼をめぐって渦巻き……黒髪は縺《もつ》れに縺れ、心は嫉妬の黒煙りに巻かれ、女たちはあるいは命をおとし、あるいは世を捨て、あるいは遠く別れていった。そのうえ最愛の可憐な人さえ、手放さなければならない。すべて無明《むみょう》長夜《ちょうや》の闇にさまよい、わが身の卑小さを知らず驕りたかぶった源氏の罪である。
そしてその上に、更に大きな罪が重石《おもし》のように全人生を圧していて、青年を苦しめる。
青年はそれを思うと夜々ねむれない。
まだ暗い未明、起き出して氷のごとき水をむすんで、手を清め、口を漱《すす》ぐ。身じろぎもせず、仏の前に額を伏して源氏は低く、念仏を誦《ず》しつづける。
……仕えている若者たちは、源氏の姿に感動した。こんなにきびしい求《ぐ》道《どう》的な源氏、思索と勤行《ごんぎょう》にあけくれる源氏を見たことはなかった。
彼らは心を打たれ、かりそめにも、都へ帰ることもなく、源氏のそばを離れず仕えていた。
しかし、――いつぞや、六條御息所が、源氏との秋のわかれにいったように、源氏はさらに新しい運命に待たれていた。ひたすら贖《しょく》罪《ざい》の生活を送ろうと決意している青年に、運命は、あたらしい恋を用意して待っていたのである。
明《あか》石《し》の浦は、須磨からは二里ばかり、這《は》ってでもいける近さなので、良清は、明石の入道の娘を思い出して、手紙などやったのだが返事も来なかった。
その代り、何思ったか、父の入道の方が、
「お話がございます。ちょっとお目にかかりたいのですが」
といってきた。娘に求婚してもどうせ承知しないものを、と良清は面白くなくてうっちゃっておいた。
この入道は一風かわった見識をもつ、頑固者であった。田舎へいくとその地の守《かみ》(長官)やその一族をみな重んずるものなのに、入道はそれらを歯牙《しが》にもかけず、実は、人がきくとおどろくような高望みをもっていたのである。
彼は北の方にこんなことをいっていた。
「なんと源氏の君が、朝廷のお咎めをこうむって須磨の浦に住んでいられるというではないか。やっぱりこれもご縁があるのだ。うちの娘をさしあげよ、という神の思《おぼ》し召しだろうな」
入道の昂奮《こうふん》ぶりを北の方は呆《あき》れて眺めた。
「まあ、あなた、とんでもございませんよ、源氏の君などと……。都の噂では、なんでも源氏の君はご身分たかい愛人方をたくさん持ってらして、まだその上に、みかどのご寵愛なさる方と、人目をぬすんで過《あやま》ちをなさったとか。そのため須磨にまで流されなすったのですもの。そんな方が、こんな田舎住まいの娘に、お心をかけられるものですか」
入道は腹をたてた。
「そなたにはわからん。私には心をきめていることがあるのだ。婚礼の心づもりをしておきなさい。機会を作ってここへ源氏の君をお迎えするから」
言い出したらきかない頑固さなのだった。
入道がそういうだけあって、たった一人の娘のために、まばゆいまで家の中を飾りたて大切にかしずいているのだった。北の方は夫の独断ぶりに閉口した。
「だってあなた……そりゃ、源氏の君はご立派な方でしょうけれども、なんでまた、あの娘《こ》のはじめての結婚というのに、罪を得て流されたような人を婿にしなければいけないのです。それに艶聞《えんぶん》の多い方だし……お戯れにしても娘にお心をとめて頂けるかどうか」
「何をいうか。罪を得るのは、唐土《もろこし》でもわが国でも、衆にぬきんでた人物にはありがちのことだ。一体、あの源氏の君はどんな方だと思う。あの方の亡き母御息所は、私の叔父《おじ》にあたる按察使《あぜち》の大納言の姫だった。美しくて聡明な方だったから、宮仕えに出られると、帝のご寵愛を一身にあつめて、ほかの方のそねみを買い、心労から亡くなってしまわれた。しかし源氏の君がそのおかたみで残られたのは、めでたいことだ。これでみても、女というものは、結婚については高い理想をもつべきなのだ。桐壺の更《こう》衣《い》がりっぱなお手本だ」
「でも、いくら理想の結婚をしても、不幸な若死にをしたのでは、なんにもなりませんわ……わたくしは、あの娘が平凡で幸福な結婚をしてくれれば、と願っていますのよ」
と、北の方には母親らしい夢があるのだった。
「ええい、何をいう。女の運のひらけるのは結婚相手次第なのだ。源氏の君がここに住んでいられるなんて千載一遇《せんざいいちぐう》の好機なのだ。こちらは田舎者になってしまってはいるが、何といっても、あの方の縁戚《えんせき》にはちがいないのだから、おつき合いは許して下さるだろう」
などと入道は言い張った。
この娘は、とびぬけた美人というのでもないが、物やさしく上品で、そしてたしなみふかいこと、教養のあることなど、まことに都の高貴な身分の姫たちにも劣らないのだった。
金持ち、物持ちでこそあれ、父は田舎住まいの無位無官の入道、身分の低いのを、娘はよく知っていた。彼女は怜《れい》悧《り》で、自尊心のたかい娘だった。自分の境遇や、自分の性格をよく洞察してわきまえていた。何も知らぬ、ただ大事に育てられた箱入娘ではないのである。無智な田舎むすめではなかった。
(父君はああいわれるけれど……身分の高い男性《ひと》が、なんでわたくしなどを顧みたりなさるだろう。かといって、身分相応の縁組みなどして、教養もなく通俗な、物のあわれも知らぬ男の妻になって一生を送るなんて、絶対に、死んでもいやだわ……このまま結婚もせず長生きして、父や母におくれるようなことがあったら、恥をかかないように尼になるか、いっそ海に入って死んでしまおう)
などと思っていた。
父の入道は、娘を目の中へ入れても痛くないほど可愛がり、大切にかしずいていた。年に二度は住吉《すみよし》の大明神に娘をおまいりさせ、神の霊験《れいげん》を人しれず、たのみに思っていた。
須磨に春が来た。去年植えた桜の若木もほのかに咲きそめ、うららかな空となった。
早や、一年は経《た》ったわけである。
あの別れの日のそれぞれに切なかった女《ひと》たちの思い出もさることながら、御所の紫《し》宸殿《しいでん》の、左《さ》近《こん》の桜も盛りであろう、過ぎしひととせの花の宴に、亡き父院の麗わしいご機嫌、そのころ東宮でいらした兄帝の、清らかなお姿、源氏の作った詩を誦《ず》して下さったことなど、それからそれへと思われた。
つれづれなある日、思いがけぬ訪問客が、源氏を喜ばせた。
親友の三《さん》位《み》の中将である。今は宰相《さいしょう》に昇進し世間からも重んじられているものの、源氏のいない世の中があじけなくて、毎日つまらぬ思いをしていた。それで、
(ままよ、大后一派が何といおうと、それで罪に落されるなら、それまでのことだ)
とばかり急に思い立って、須磨まで陸路二十なん里を、はるばる尋ねてくれたのだった。
「よく、来てくれた。感謝する」
源氏は親友の手をとって、しっかと握りしめてほほえみ、すると互いに思わず、まぶたの熱くなるのをおぼえた。それを紛らすように、
「いい所に住んでいるじゃないか!」
宰相の中将は陽気な嘆声をあげた。
「まるで唐《から》の絵のようだよ」
竹を編んだ垣、石の階段、松の柱など、簡素だが中将の眼には風流に面白かった。
源氏は田舎びとめいて、薄紅色の、黄色がかった衣《きぬ》に、青鈍《あおにび》の狩衣《かりぎぬ》・指貫《さしぬき》、という地味な身装《みな》り、それもかえってさっぱりと美しい。
調度も間に合せの粗末なもので、住居《すまい》も、奥まで見通しという簡略さである。碁《ご》、双六《すごろく》の盤、手まわりの品々、弾《たん》棊《ぎ》(石はじきの遊び)の道具など、田舎《いなか》細《ざい》工《く》ふうだった。
「君は、ここで全く、女気《おんなけ》なしなのか」
宰相の中将は揶揄《やゆ》した。
「見れば分るじゃないか。念仏三昧《ざんまい》だよ」
ほんとうに、使いなれたとおぼしい念仏のための調度がそろっていた。
ひなびた、田舎料理を源氏はととのえさせた。海辺でないと食べられないものを、と源氏は注文し、漁師たちは貝や魚をさっそく持ってきた。
宰相の中将は珍しがって、いろいろ問うのだが、彼には漁師たちの田舎なまりの言葉がさっぱり分らない。源氏が通訳して聞かせたりするのも、宰相の中将には面白かった。
「不漁《しけ》つづきだったり、潮が変ったり、――海次第の商売なのだから、つらい渡世だといっているんだ」
「なるほど。大臣といい、漁師というも、浮世の苦労は同じ、ということなんだな――それにしても君は、田舎言葉も耳なれたものだね」
「いまに本当に漁師になるかもしれない」
親友同士の話は尽きない。――男ばかりの生活、田舎家の風趣――馬がつないであって、秣《まぐさ》の藁《わら》など食わせているのを、二人は楽しく見やって、ふと催《さい》馬楽《ばら》の「飛鳥《あすか》井《い》」などを、青年たちは口ずさんだ。
〈飛鳥井に宿りはすべし蔭もよし 御《み》甕《もひ》も寒し 御秣《みまくさ》もよし〉
夜ひと夜、京の噂を何かと語り合った。
「夕霧は元気だよ。無邪気にかわいいのが、父にはかえって悲しくて辛そうだ」
と宰相の中将はいい、源氏は万感胸に迫ってふと絶句する。そうして酒をついで、
「まあいい、今夜は飲み明かそうじゃないか。いつまた会えることやら……往事ハ渺茫《びょうぼう》トシテ都《すべ》テ夢ニ似タリ。旧友ハ零落シテ半《なかば》ハ泉《せん》ニ帰セリ……」
源氏が盃《さかずき》をあげて白楽天の詩を口ずさむと、
「酔ウテ悲シンデ涙ヲ春ノ盃ノ裏《うち》ニ灑《そそ》グ」
と宰相の中将も高く和して杯をかかげた。
中将の供の男たちはそれを聞いて涙を流した。源氏に仕える若者たちも哭《な》いた。――彼らはおのがじし、旧知の間柄であり、都にいたときは親しい仲でもあった。久しぶりの対面のあわれは、彼らにもあるのであった。
旧友との再会は、かえって源氏の心をさびしくした。
宰相の中将は別れにのぞんで、
「私の形《かた》見《み》として」
と笛をおくり、源氏は黒い馬を贈った。
「流《る》人《にん》の贈りものは不吉かもしれないが、故郷の風が吹けば、この馬も嘶《いなな》くかもしれないから」
「これはすばらしい逸物《いちぶつ》だ」
と中将は喜んだ。見送る者、見送られるもの、名残《なご》りは尽きなかった。
「いつまたお会いできるか。永久にこのまま、ということは、あり得ないだろうけれど」
中将がいった。
「いや、わからない。いったんこんな境涯《きょうがい》に堕《お》ちれば、再び返り咲くのはむつかしいのが世のならいだ。都をまた見ようという色気は捨てているよ」
源氏はきっぱりと答えた。
「君のいない都は火が消えたようだ。特に私は毎日あじけなくて張り合いがない。考えてみてもくれ給え。振分髪《ふりわけがみ》の頃からの仲じゃないか。共に笑い共に泣き、してきた間柄なんだから、……淋しいというもおろかだよ。いつかまたきっと、都へ帰ってこられる日のあることを信ずる。それまで加《か》餐《さん》してくれ給え」
源氏と宰相の中将は、しっかと手を握り合い、肩を抱き合って別れた。
三月はじめの巳《み》の日のことだった。
「今日は、なやみごとのある人が御禊《みそぎ》すれば、運命の好転に効験《ききめ》のある日でございます」
と物知り顔にいう者があるので、源氏は、海の景色も見たくなっていってみた。海岸に、簡単に幕など引きめぐらし、旅の陰陽師《おんようじ》を呼んで祓《はら》いをさせた。舟に物々しい人がたを乗せて、それに源氏の禍《わざわ》いや穢《けが》れをうつし、流すのである。源氏はふと、口に出た。
「惟光《これみつ》」
「は」
「まるであの人がたは私自身のようではないか。波にもてあそばれて漂ってゆく。何だか、流されるのは私で、ここに坐っているのは、うつろな人がたに思われるよ」
「何を仰せられます。不吉なことを」
と惟光は顔色を変えた。
そのときだった。今まで、うらうらと美しく晴れていた空がたちまちかき曇り、風が出てきた。お祓いもし果てぬうちに、大粒の雨が降り出した。これこそ「肱笠雨《ひじがさあめ》」というのであろう、人々は狼狽《ろうばい》して笠もとりあえず、腕で面《おもて》をかばいつつ、たちさわぐ。
そんな気配もなかったのに、にわかな雷雨となった。突風はそのへんの、ありとあらゆるものを吹きちらし、波は逆《さか》まいて海岸を叩《たた》く。海面は稲妻がひらめいて白い衾《ふすま》を張ったようだった。いまにも雷が頭上に落ちそうで、人々は足を空にあわてふためいて、辛うじて家にたどりついた。
「こんな目にあったのははじめてだ」
「何の前ぶれもなしに嵐になるなんて、珍しい天気の変りようだな」
などと、若者たちはさわいでいた。嵐《あらし》は止《や》む様子もなく、烈《はげ》しい雨脚はまるで当ったところを貫きそうに思われる。世も終りかと人々は心細くうろたえている。
源氏はそのあいだ、静かに経を誦していた。
日が暮れるころ、風はまだ荒れ狂っていたが、雷鳴は止んだ。人々が神仏に祈っていた効験があらわれたのかもしれなかった。
「もうしばらくあのままだったら、津波にやられて、海へさらわれていただろうなあ」
などと男たちはいっていた。
夜あけ、やっと人々は寝入った。源氏もうとうとしていると、ふとあやしい者が現われ、
「なぜ宮からお召しがあるのに来ぬか」
と源氏をさがしていた。
はっと目ざめて夢だったかと思った。
あれは何だったのだろう――もしや海の底の龍王が自分に魅入って引き入れようとしたのではあるまいか。
そう思うと気味が悪くなって、源氏はこの海辺の住居がいとわしくなった。
憂《う》くつらき夜を嘆き明《あか》石《し》の人の巻
数日、雨風はやまず、雷鳴もおさまらない。
高潮の恐怖も去らない。しかも眠ると夢に異形《いぎょう》の者が夜ごとあらわれ、つきまとう。
源氏はここを立ち退《の》きたかったが、都へ還《かえ》ることは勅許も下りぬのに、物わらわれになるであろうし、山奥へ入って跡をくらまそうかと思うが、「嵐に怖《おそ》れて逃げた」といわれるのもいやだった。
その間もただ雨風に日は暮れる。京の消息も気がかりなころ、折も折、二條院から風雨をついて濡《ぬ》れねずみの使者がきた。
ひどい姿で、道でゆき違っても、人か何か見分けつかぬようなありさまだった。
常ならばそばへも近寄せぬ賤《いや》しい下《げ》人《にん》であるが、こんな折の都からの使者とあれば、源氏はなつかしくてたまらなかった。源氏は、高貴な身分の矜持《きょうじ》さえ失ってしまったかと、わが心の挫《くじ》けぶりが思われた。
紫の君の手紙には、
「空も、わたくしの心も閉ざされたままですわ。おそろしいこの雨風。
あなたと二人して、同じ雨に打たれ、波風に濡れとうございます。……」
あわれにかなしい言葉が書き連ねてある。
源氏は、封をあけるより早く、胸が熱くなった。
都のようすが知りたくて、源氏は下人を呼び寄せていろいろ聞いた。
「都では、この雨風は、ふしぎな神のお啓示《さとし》だといわれております。朝廷では厄払《やくばら》いの仁《にん》王《のう》会《え》の祈《き》祷《とう》をされると承りました――御所へ参内《さんだい》される上達《かんだち》部《め》も、雨風で道が通れませんので、政務は止まっているそうです」
などと、ぽつぽつ、聞いたことを話すのだった。
「とにかく、こんなに地の底まで通りそうに雹《ひょう》が降ったり、雷の何日も鳴るのははじめてのことで、誰も彼もおそれております」
という下人の、おびえた顔をみると、こちらまで心細くなるのだった。
次の日の暁から、さらに嵐は烈しく荒れ狂い、波は高く打ちよせ山も崩れんばかりである。雷が頭上に鳴りひびいたときは、誰もみなうつつ心も失い、
「どんな罪を犯してこんな悲しい目にあうのか、親やいとしい妻子の顔も見ないで、ここで死ぬのか」
と嘆いていた。
源氏は心をしずめて住吉の神に幣帛《みてぐら》をささげ、
「海の神、住吉大明神よ。ねがわくは慈悲を垂れて我らを救い給え」
と祈った。惟光たちも、わが身の不幸より、源氏がこの海で難儀にあうことをかなしんで、大ぜいが一心不乱に声をあわせて神仏に祈った。
「君は帝王の深宮に養われ、歓楽に奢《おご》り給うといえども、深きご慈愛は大《おお》八《や》洲《しま》にあまねく、苦しむ人々を多く救い給うたのです。罪なくして官位を剥奪《はくだつ》され、都を追われ給い、あけくれ安き空なく、あまつさえ、波風に苦しめられ給うは、何のむくいなのでしょうか。神仏おわしまさば、この苦しみをやすめ給え」
人々は住吉の御社《みやしろ》に向って訴え、また海の龍王に願《がん》をたて、声ふりしぼって必死に祈っていた。その頭上に、雷鳴は耳もつんざくばかりとどろき、源氏の居間につづく廊に落雷した。たちまち火は燃え上り、人々は肝《きも》をつぶしてあわてふためいた。
源氏は厨《くりや》に避難した。上下の区別もなく逃げこんでさわがしく、人々が泣きどよむ声は空の雷鳴にも劣らない。
空は墨を摺《す》ったように黒く、日もくれた。
ようやく風も収まり、雨脚がしずまり、星の光もみえた。源氏を居間へ移そうと惟光たちはあわただしく片付けていたが、焼けあとも物すさまじく、御簾《みす》も吹き払われてしまったので、ともかく夜があけてからにしよう、とみな、言い合った。
月が出て、潮のあとが、あらわにみえる。
源氏は柴《しば》戸《ど》を押しあけて、嵐のなごりの、荒い浪《なみ》を見た。まるで人生の過去・現在・未来が一瞬に凝縮されて眼の前に示されたような気がする――しかし、天変を卜《ぼく》し、人生を観じ、物の道理をわきまえてこれからの進退について相談するような人は、この辺《あた》りにはいないのだった。
賤しい漁師たちが、「貴いかたの御座《ござ》所《しょ》は無事だったろうか」とかけつけてそのへんに群がっていた。源氏が聞いてもよくわからぬ田舎《いなか》訛《なま》りでしゃべりあっているが、常ならぬ場合なので、追い払う者もいない。
「この風がもうしばらくやまなんだら、高潮が来て、このへんも残らなかったろうな」
「神のお助けかもしれぬなあ」
などと言い合っているのを聞くと、心細さはなおつのるのであった。
終日、煎《い》り揉《も》みするような烈しい嵐に、源氏は気強く堪えていたとはいえ、さすがに疲れ果てて、いつとなく、とろとろと睡《ねむ》りに引き入れられた。仮の居間なので、源氏は物に倚《よ》りかかったままで寝入っていたのだが、ふと、亡き父院がご生前そのままのお姿で、目の前にお立ちになった。
「どうしてこんな賤しい所にいるのか」
と仰せられ、源氏の手をとってお引き立てになる。
「住吉の神の導き給うままに、早く舟《ふな》出《で》して、この浦を去るがよい」
と仰せられるので、源氏はうれしくて、
「お別れして以来、いろいろと悲しいことばかりでした。今はこの海辺で命を終ろうと存じております」
と訴えるように申上げると、
「ならぬ。これはただ、いささかの物の報いなのだ。――この地で身を捨てるなどと考えてはならぬぞ。私は位にあったとき、過失はなかった。しかし知らぬ間に犯した罪の、つぐないをするためいそがしくて、この世を顧みるひまはなかったのだが、そなたが痛々しく不幸に沈んでいるのを見るに忍びず、海に入り、渚《なぎさ》に上って、やっとここへ来たのだ。――ほんとうに疲れたよ。このついでに帝《みかど》にも奏すべきことがあるから、都へいそがねばならぬ」
と仰せられて、立ち去られた。
源氏はなつかしく悲しく、おあとを慕って、
「お待ち下さい。私もお供させて下さい。しばし、お待ちを……」
と泣いて見上げると、はや、お姿はなく、月ばかりがきらきらと輝いていて、夢と思えなかった。まだおん気配がそのへんに残っていそうで、恋しかった。自分が危難に遭《あ》って命を落そうとしたのを、父院は救《たす》け給わんと天翔《あまかけ》ってこられたのだ。
なんという、かわらぬ深いご慈愛よ。
源氏は夢の中で、もっと父院と言葉を交せなかったのが、なごり惜しかった。
(父君……いま一度、お姿をお見せ下さい)
と強《し》いて目を閉じるが、かえって心みだれて寝入ることはできなかった。
そのころ――須磨に向けて、小さな舟が飛ぶように走っていた。舟の中には、明石《あかし》の入道の、期待にはずんだ顔があった。
「何事でございましょう」
と良清《よしきよ》がやってきて源氏にいった。
「明石の入道が、私に話があると申すのでございます。入道とは播磨《はりま》にいた頃からの知り合いですが、ちと私ごとで面白くないことがございましてそれ以来、疎遠になっておりましたのに。この雨風のさわぎにまぎれて、何をいって来たものでございましょう」
良清が、入道と面白くなくなった、というのは、たぶん、良清が、入道の娘に求婚して入道から拒絶されたことをいうのであろう。
源氏はふと、夢が思い出された。夢の中で父院は、(舟を出してこの浦を去るがよい)といわれたが、もしや、それに関連のあることではなかろうか。
「早く逢《あ》ってまいれ」
と源氏はいった。良清はさっそく行った。
「おお、これは久しぶり」
と入道は良清を迎えていう。良清は驚き、
「よく、あの嵐の中を舟が出せましたな」
「それがふしぎなのです――実は、三月朔日《ついたち》のことでしたが、夢の中に怪しの者が現われましてな。十三日に霊験《しるし》をみせるゆえ、舟の用意をして待ち、須磨の浦へ着けよ、というのでございます。夢のお告げの当日は、折も折、ひどい嵐。――源氏の君がお信じになる、ならぬはともあれ、お告げにそむくまいと舟を出しましたところ、ふしぎな追風が一すじ吹いて、ここへ飛ぶがごとく着きました。まことに神のおみちびきとしか、思えませぬ。もしや源氏の君にもお心に思い当られることはございますまいか。――お差し支《つか》えなくば、夢のお告げに任せ、ここから明石の浦へお迎えしたいのでございます。このよしを、どうか源氏の君に申しあげて下さいませぬか」
源氏は、良清の報告を聞いて、しばし思いにふけった。まさしくわが夢と合致するのは神仏のおさとしと、源氏にも思われた。軽率に居《きょ》をうつすと譏《そし》りを受けるかもしれないが、どうせ流竄《りゅうざん》のわが身、今更、なんの、世評を憚《はば》かることがあろうか。
夢の中での父院のお言葉もあったのだ。
明石の入道とやらのすすめに従おうと源氏は思いきめた。
「見知らぬ他郷へ流れきて苦労を重ね、自然を友としてわずかに心を慰めていたのですが、ねんごろなお言葉うれしく思います。明石には、静かに身を隠すべき所はあるでしょうか」
と入道に返事させた。
入道はかぎりなく喜び、
「ともかく、夜の明け離れぬ先に、御舟にお乗り下さいまし」
ということで、いつもの側近四、五人ばかりと源氏は舟に乗りこんだ。
まことに飛ぶように早く着くのだった。
明石の浦の風趣は、なるほど源氏がかねて聞いていたように美しかった。ただ、人の往来の多いのが、源氏の本意にそむいたが、入道の領地は海辺にも山手にもあって、よく手入れされ、いかにも富裕な土地の長者のたたずまいである。
風流な波打ち際《ぎわ》の苫《とま》屋《や》が作ってあるかと思えば、荘厳《そうごん》な念仏堂も建ててあり、更には倉もたてつづけてあって、日常の暮らしにも不自由ない営みを、と入道は心がけているらしかった。
源氏が舟を下りて車に乗り移るころ、日がようやく昇った。
入道は源氏をほのかに見て、わが老いも忘れるほど嬉しく、心中、住吉明神にお礼を申しあげた。
(なんという美しいお方だろう。こんな高貴な美しい方を、わが家へお迎えできたとは……まるで日月の光を両手におさめたようなものだ。いよいよ娘の開運もこれからだ)
と、心をつくして世話をする。
高潮に怖《お》じて、この頃、娘や北の方《かた》などは山手の方の家に移していたので、源氏はこの浜辺の邸《やしき》にゆっくりと暮らせるのだった。
この住居の結構なことは、都の貴族のそれにも劣らなかった。木立や、石組み、前栽《せんざい》などのありさま、入江の美しい景色など、下手な絵師では画《えが》ききれないぐらいである。明石は須磨よりも明るく、住みやすかった。
室内の装飾や調度の豪華さ、むしろ都のそれよりも、派手やかでりっぱである。
源氏はすこし心おちついてから、京へ手紙を書いた。
かの二條院から来た使者は、(とんでもないときに使いにきて、こわい目をみた)と辛がっていたが、あまたのものをやって労をねぎらい、都への便りをことづけた。
源氏がまず書くのは、藤壺《ふじつぼ》の入道の宮にあててである。
九死に一生を得て、亡き父院の夢に助けられたことなど、それからそれへと語りつづける相手は、源氏にとって、まず入道の宮なのだった。大雷雨のすさまじさ、龍神に魅入られそうになったこと、つい近くで落雷を見た恐ろしさ……源氏はそれらを綿々《めんめん》と書きつづって流離の悲愁を訴え、宮に甘えたかった。
紫の君への手紙には、彼女を心配させるようなことは書かなかった。こんな恐ろしい目にあうのだから、やはり伴わなくてよかった、と思うものの、明石へ移って都から更に遠ざかったと思うと、恋しさは堪えがたい。
一行書いては思い沈み、また筆をおいて額《ひたい》に手を当て、じっと考えを追っている源氏を見て、惟光たちは、
(やはり、二條院の女君へのご愛情は特別なんだなあ……)
とささやき合っていた。
惟光たちもまた、それぞれに家郷の人々にあてて、心細げな便りを托《たく》したらしかった。
空は、いまはすっかり晴れて漁師たちも勇んで漁に出かけてゆく。明石は晴れ晴れとながめのよい、まさに風光明《ふうこうめい》媚《び》という浦で、源氏の心もようやく明るんだ。
明石の入道も、源氏から見ると、気持のよい人柄だった。仏道修行に専念している、さっぱりとした気性《きしょう》の、上品な老人だった。
六十ぐらいで、勤行痩《ごんぎょうや》せ、というのか、清らかに痩せている。生まれがよいせいか、態度も心ざまも高雅にゆかしかった。
昔物語など話すのを聞くと、珍しく興ふかいこともまじっていた。しまいに源氏は、
(須磨・明石などという場所や、この入道やらとめぐりあわなかったなら、私の人生もさびしかったろうな)
と思うくらいだった。
ただ、この入道が、行い澄ました、清らかな仏《ぶつ》弟子《でし》の生活を送りながら、こと娘に関するかぎり、俗世の執着《しゅうちゃく》をむきだしにするのを、源氏はおかしく思った。
入道は、源氏に娘のことをしきりに仄《ほの》めかすのであった。源氏は、かねて美女だと聞く入道の娘に、ふと心うごくことはあるものの、いまの境涯では、考えられもしないことだった。
それに都では紫の君が、源氏の帰りを待ち佗《わ》びているのだ。あの可《か》憐《れん》な女君を思うと、とうてい裏切ることはできなかった。それで源氏は、かりにも入道の話に乗るさまはみせなかった。
「どうもいざとなると、なかなか思うように申上げにくいよ」
と入道は北の方にこぼした。
「端麗な美男でいらして、それにお身持ただしく、勤行三昧《ざんまい》に過ごしていられるのを拝見すると、娘のことをあからさまにお願いするのも気がひけてしまってねえ」
「それご覧なさいまし、あなたはいつぞや絶対に源氏の君にさし上げるから、その心づもりをしておけ、などといわれたけれど、そうはうまくこと《・・》が運ぶものですか」
と北の方は失望していった。
「お父さまは何でもひとり合点でおっしゃるから。ねえ」
北の方は娘をかえりみた。
「わたくし、そんなことは、思いも寄らないことと、あきらめていますわ」
娘自身は、きっぱりいうのだった。
「あんな身分のたかい、お美しい都の貴人が、わたくしなどと縁をお結びになるなんて考えられないわ。……お父さま、お願いだからもう、その話はお忘れになって」
娘は、ほのかに源氏をかいま見て、いつとなく、娘らしいときめきを胸に抱いていた。
けれども、親たちより現実的だった。源氏との結婚など、夢のような話だと思っていた。
そしてまた、たとえ源氏が、父の熱心な懇望に負けて彼女を一時の妻にしても、それは彼をとり巻く数多い女たちの一人に加えられるだけのこと、そんな恥多い、物思わしい愛人の地位など、なんの欲しかろう。
娘は親たちとは別の夢をみているのだった。
源氏が、彼女を一人の人間として認め、愛してくれるのならば。
かけがえのない恋人として熱愛してくれるのならば。
彼女に求婚した数多くの田舎名士の男たちのように、彼女の姿かたちだけを賞《め》でるのでなく、心や魂を愛し、女そのものとみとめてくれるのならば。
でも、そんな関係が、あのひととの間に結ばれるはずはなかった。娘は、いっそ、源氏の君が、ここへいらっしゃらなければよかったのに、とまで思った。
四月になった。
はや、夏の衣更《ころもが》えの季節である。源氏の装《しょう》束《ぞく》や御帳台《みちょうだい》の帷子《かたびら》など、入道は万般にわたってりっぱにするのだった。そうまでしなくとも、と源氏は思うが、入道が上品でおうような人柄なのでだまって任せている。
京からも、嵐の見舞いがひまなく、あった。
のどかな夕月夜、海上は曇りなく見わたされ、ふと、京の二條院の池のように思われたりする。
都が恋しい。心は京へあこがれて漂ってゆきそうな気がする。目の前の島かげは淡《あわ》路《じ》島《しま》だった。
久しく手もふれなかった琴《きん》を袋から取り出して、源氏はかき鳴らした。広陵《こうりょう》という曲を心つくして弾いていると、岡の辺の家にも聞こえ、物のあわれを知る若い女たちは、身にしみて聞くらしかった。心なき田舎人たちまで、酔ったように楽の音《ね》に聞き惚《ほ》れた。
入道もがまんできなくて、勤行を中止してやってきた。
「何とまあ、おみごとな。まるで極楽のような楽の音でございます」
入道は感激して岡辺の邸へ、琵琶《びわ》や箏《そう》の琴《こと》を取りにやり、琵琶法師になって珍しい曲を一つ二つと弾いた。
源氏は入道にすすめられ、箏の琴をすこし弾いた。都を思い出しつつ弾く源氏の琴の音は、哀々《あいあい》と海上はるかにひびいた。入道は心を動かされ、涙ぐんで聞いた。
「箏の琴というのは、女がやさしく、しどけなくうちとけて弾くのが面白いのだが」
と源氏が呟《つぶや》くと、得たり、と入道の瞳《ひとみ》がかがやいた。
「私は延《えん》喜《ぎ》の帝の御手から弾き伝えて三代目でございますが、娘がふしぎに真似《まね》をしてしぜんに会《え》得《とく》したようでございます。老いのひが耳には、松風とききまちがえたのかもしれませぬが、何とかして、ぜひ、娘の弾く音《ね》をお耳に入れとう存じます」
いううちに、入道は緊張のあまり声もわななき、ひざをすすめるのだった。
夜が更《ふ》けゆくままに、松風も涼しく、月も入りぎわになって冴《さ》えまさった。
静かな夜である。
入道は源氏に、それからそれへと物語るのだった。この浦に住みはじめたころの苦労話、勤行の日常、などの身の上話から、掌中の珠《たま》のように、賞でいつくしんでいる娘のことなど……。
老いのくりごとめいて源氏はおかしくもあるが、またさすがに、しみじみとあわれな点もあった。
「こんなことを申しあげては何でございますが、あなたさまのように尊い方が、こんな田舎にまでさすらって来られましたのは、もしかすると、この老法師が長年、願《がん》をかけておりましたのを、神仏があわれと思し召されて、祈りをききとどけて下すったのではあるまいか、と思われるのでございます」
「それはどういうわけでしょうか」
「はい。実は住吉の神に願をかけて、今年で十八年になります。娘が生まれましてより、どうぞこの子を世に出さしめ給えと、毎年春と秋に、お社《やしろ》に参詣《さんけい》しておりました。仏へのおつとめにも、私めの極楽往生《おうじょう》よりも、娘の出世をひたすら念じてまいったのでございます……。前世の因縁《いんねん》がつたないせいか、私めは田舎人になってしまいましたが、親は大臣にもなった者でございます。それを、娘が、私と同じように田舎者として朽ち果ててしまいましては、次々と賤しくなるばかりで、末はどうなりましょう。――しかし娘は、生まれたときから私に期待をもたせてくれました。どうかして、都の高い身分の方に縁付かせたいと思いましたため、身分相応の方々からの縁談にも耳もかさず、そのため世間の反感や嘲笑《ちょうしょう》を買ったこともございます。けれども人から高望みと嗤《わら》われようと、どうしても理想をすてる気にはなれません。もし運命つたなく、望みをとげられぬうちに親に死に別れるようなことになれば、海に入って死んでしまえ、と娘に言い聞かせていたのでございます――」
入道は涙を抑えて語っていた。
「そこへ、ゆくりなくも、あなたさまがおいでになったのでございます。……これをしも、神仏のおみちびき、お啓示《さとし》といわずして何でございましょう。鄙《ひな》の家に咲き出《い》でました花ひともと、おん手に摘ませ給え、と老法師の願いはそればかりでございます」
源氏は物思いに捉《とら》われていた。
何というふしぎな話だろう。――自分が思いもかけぬこんな片田舎にさすらうようになったのも、もしかしたら、大いなるもののおん手に、それとも知らず動かされていたのかもしれない、とは。
「浅からぬ前世の契り、というのは、こういうことをいうのでしょうか」
と源氏もしんみりとしていった。
「あなたの姫のことは仄かにうけたまわっていたのですが、流《る》人《にん》の身の私は、さすらいの月日のうちに心の張りも失《な》くしてしまって。……それに、都を離れてからは、無常を感じて、仏道修行三昧に日を送っておりましたから、いつか、独り寝に馴《な》れてしまいました」
顔をそむけてつぶやく源氏に、入道は膝《ひざ》をすすめた。
「あわれ深い浦の暮らしの独り寝の佗びしさは、あなたさまも疾《と》うにご存じでいられましょう――。私の娘も同じでございます。娘ざかりを長の年頃、この明石の浦に淋しく思いあかして、夜を過ごしておるのでございます。いや、娘ばかりではございませぬ。いたずらに、高い理想をもったばかりに、親の私どもも共に、明け暮れ、佗びしく過ごしておったのでございます。どうぞ、この気持をご推量下さいませ」
と入道はかきくどくようにいうのであるが、そのさまは真剣で、気品があった。
「そうはおっしゃっても、私はただいま無位無官の人間、旅の者にすぎないのですよ」
と源氏はうちとけた苦笑を洩《も》らした。するとその表情に、一瞬匂《にお》い立つような愛嬌《あいきょう》がこぼれる。
一瞥《いちべつ》で都の満天下の女性たちを魅了したと聞く源氏の魅力を、入道は、目の前に見た気がした。入道は熱心にいった。
「人の世の一栄一落が何でございましょう。私はただ、あいがたい世をめぐりあった縁《えにし》のふしぎさを思うばかりでございます。娘は、親の口から申すのも何でございますが、管絃の道だけでなく、歌の道もきらいではないようでございます。つれづれのおなぐさみのお話し相手ともお考え下されませ」
入道は、日頃、念じ暮らしていたことを残らず源氏に話して、胸のつかえが下りたような、晴れ晴れした顔をしていた。
源氏は、入道の娘に、あらためて強い関心をもった。
いったい、どういう娘なのだろう。
こういう片田舎にこそ、かえってすばらしい女性が埋もれているのかもしれない、などと思ったりし、久しぶりに、青年らしい、若々しい昂《たか》ぶりを感じた。
それは、都に置いてきた可憐な紫の君への愛情とは全く別のところで、うごめいている男の好奇心である。
源氏は、念を入れた手紙を書いた。
高麗《こま》からもたらされた胡桃《くるみ》色《いろ》の紙に、心づかいふかい筆蹟《ひっせき》で、
「旅衣も古びた、さすらいのこの身は疲れ果てました。仄かに聞くあなたの宿には、足をとどめ、心を休めるところがあるでしょうか。あなたへの関心を包みかくしていましたが、今は忍びきれなくて」
と書いた。
入道は、折も折、岡辺の家に来ていた。実は人知れず、源氏からの娘への求愛の手紙を心待ちしていたからである。
期待通りに手紙が来たので、入道は大喜びで、使者を下にも置かずもてなした。
娘はしかし、返事をなかなか書かない。
入道は待ちかねて、
「どうしたのだね。お使いの方は待っていらっしゃるのに」
と、娘の部屋へ入って促したが、娘は、
「わたくしには書けませんわ、お父さま」
と悲しそうにいった。
「こんなお美《み》事《ごと》なお手に、わたくしのようなつたない筆のあとでどうしてお返事ができまして?」
娘は、源氏の身分や、自分の身分を思ったりすると、なお気おくれして恥ずかしく、しまいに、気分が悪いといって横になってしまった。
入道は困ってとうとう自身で返事を書いた。
「勿体《もったい》ない仰せ、鄙の娘の小さな心にはうれしさを包みきれぬようでございます。恐縮のあまり、自身、筆もよう取りませぬ。さりながら、娘の思いもあなたさまのそれに同じでございましょう。こういうことを私めが書きますのも、何やら色めかしく、恥じ入られますが」
源氏が見るに、檀《だん》紙《し》に、古風な筆蹟ながら風格のある手紙であった。
(あのご老体、案外、色めいた方面にさばけているのだな)
と源氏はちょっとびっくりした。
源氏の文使いに、入道は立派な女の衣裳《いしょう》を贈っていた。
源氏は次の日、娘にあててまた書いた。
「代筆のお手紙はすこし、がっかりしました。――私のことを、心にかけてくれる人は、この浦にはいないのでしょうか、私の方は、まだ見ぬ人ながら、ひそかにお慕いしていますのに」
こんどの手紙は、柔かな薄様《うすよう》に、やさしい走り書きだった。
娘は、若い女らしく、心ときめかせてその手紙を見た。源氏の君が、貴族の姫君にするように自分をねんごろに扱って下さった、と思うだけで、娘は嬉しくて涙ぐまれるのだった。しかしそれだけに、よけい、源氏と自分の隔りが思われた。
いつものように娘は返事を拒んでいたが、まわりにせきたてられて、とうとう、筆をとった。香《こう》を焚《た》きしめた紫の紙に、墨つき濃く薄くまぎらわして、
「まだ見ぬ人を、恋するということなど、あるものでございましょうか。お言葉のおたわむれとしか思われませぬ」
源氏が見たその手紙は、筆蹟といい、手紙の気品といい、都の貴婦人にも劣らぬくらいである。――源氏は、さながら京にある心地がした。あの青春放浪の時期、恋愛沙汰に日を送った頃の心傲《おご》りの記憶が、いきいきとよみがえってくるのをおぼえて楽しかった。
しげしげと手紙を遣《や》るのも、人目が気になるので、二、三日おきくらいに、(つれづれな夕暮や、物あわれな明けがたなど)風情のあるとき、手紙を書いた。娘の返事は、充分、源氏に対抗する力量あるものだった。
(心ざまふかく、気位たかい娘だな)
源氏はいよいよ、娘に心ひかれてゆく。娘のみめかたちを、今は、この目で見たくなっていた。
それは娘を恋人とすることを意味している。
しかし源氏は、同時に、良清のことを忘れてはいない。良清がいつぞや、娘の噂《うわさ》を得意然としていたことをおぼえている。本来なら良清程度の男が、求愛してしかるべき身分の娘なのだ、という気が源氏には、正直のところ、あった。
それに……良清が年頃、娘に執心しているものを、彼の目の前で奪うというのも哀れでもあり、源氏はためらわれた。
(娘の方から積極的に働きかけ、近づいてくるのならば、良清に対して言いわけも立つのだが)
などと思うが、娘は娘で、都の貴婦人よりも気位たかい女なので、われからすすんで源氏になびくどころか、つんとして小憎らしいほど、身を高く持《じ》しているのだった。
こうして、根気くらべのようなかたちで、時はすぎてゆくのである。
その一方で、京に残してきた可憐の人も、ますます気にかかってならないとは、なんという男ごころのふしぎであろう。
須磨の関を越えて明石まで流れてくると、いっそう紫の君のことが心もとなく、
(どうすればいいだろう、こう気にかかるようでは、いっそ、こっそりここへ迎えようか)
と気弱く思う折々もあったが、
(まさか、いつまでもここにいることもあるまい――今になって外聞の悪いことはしないでおこう)
と源氏は自制していた。
そのころ、都では変事がつづいて、物さわがしく、人心は動揺していた。
かの嵐の日、故桐壺院《きりつぼいん》のお姿は、帝のおん夢の中にも立たれた。帝は院から源氏のことでお叱《しか》りを受けられた夢をご覧になった。
そのとき院に射るように視線をあてられて、そのまま、お目をわずらわれた。
太政大臣《だじょうだいじん》が薨《こう》じられた。弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》が病にたおれられた。
もしや、源氏の君を罪なくして流《る》浪《ろう》させたむくいではないかと、帝はお心よわく考えられるのだった。
明石に秋風が吹くようになると、源氏はもう、つくづく独り寝がわびしくなってきた。
それまでは何とも思わなかったのに、入道の娘という対象ができると、もはや、無関心でいることはできなかった。
「どうでしょう。何とか人目につかぬようにして、こちらへ寄こして下さいませんか」
と入道にいってみた。
自分から娘の家へ通うのは、不都合だなどと思っているのだった。
「姫の琴の音をお聞かせ頂きたいものですね。この季節を逃しては、せっかくの風流も、甲斐《かい》ないことですよ」
「まことにさようで」
と入道はかしこまっていった。
実は、今になってまだ、北の方が迷って躊《ちゅう》躇《ちょ》しているのだった。いや、内心をいうと、入道自身、
(娘を娶《めと》っていただけたとしても、もし源氏の君のお心に染まずに、すぐ捨てられるようなことになれば、かえって可哀そうだし。それならいっそ、はじめから縁付けない方が……)
と、親心の、はてしもない迷いを重ねているのであった。
しかし入道は、ついに決心して、内々、吉日を暦で調べた。まだ何かといっている北の方を無視して、召使いにも知らせず、結婚の用意をととのえた。
娘はとんでもないことだと思っていたが、準備は娘の思惑におかまいなく、着々とすすめられてゆくのであった。
十三夜の月の美しい夜。
入道は手紙を書いて源氏を迎えた。
「あたら夜の」
とだけ、ある。これは古歌の〈可惜《あたら》夜の月と花とを同じくは心知れらん人に見せばや〉から取ったのである。
月もよし、花はまさにわが娘。同じことなら、せっかくのこの人生の美を、あなたさまにこそ賞でていただきたいもの、……という意《こころ》であったろうか。
(いや、どうも風流気まんまんの爺さんだ)と源氏は苦笑したが、この機会をはずして、またの折もあろうと思われない。直衣《のうし》に着更え、身づくろいして夜更けてから出かけた。
車は目立つので、馬で、惟光だけを供に連れて出かけた。
入江の月影が美しい。
ああ、こんな月光に照らされた浜辺の美しさを、かの紫の君に見せてやったら、どんなに喜ぶことか、と、またしても源氏の心は、やはり京の人のもとに飛ぶ。源氏と紫の君は美しいものを美しと見、よきものをよしと思う心が、ぴったり一致した、こよない同志なのだった。たなばたの二つの星になって夜空に呼び合うの、といった可憐の恋人。
駒《こま》よ、駈《か》けれ。
雲井を駈けてあの人につかのまも逢わせよ。
岡辺の家は、木《こ》深《ぶか》く繁って、浜の邸よりも物寂び、おもむき深かった。草むらにすだく虫の声、岩に生えている松など、うら淋しい風情で、若い娘の住むには、あまりにもの思わしげなところである。
娘のいる一棟《ひとむね》のあたりは、ことさら美しく飾られ、清らかに掃除もゆきとどき、月のさしこむ槙《まき》の戸口が、人を誘い顔に、すこし開けられてある。
源氏は、そこから静かに入って、娘の部屋とおぼしいところからかなり離れて座を占めた。
「私の気持はおわかりになって頂けたでしょう。いや、おわかりにならぬはずはない。決して遊びのつもりではありません。それは折々の手紙にも、幾度も、重ねて誓った通りです。――あなたは宿命的なめぐりあい、ということを信じられますか? 私が須磨に来ず、あなたが明石に住んでいられなければ、めぐりあうことはなかった。大いなるもののおん手が、あなたと私をたぐり寄せ、結ばれたのですよ」
源氏はものやわらかに娘に語りかけるが、娘はよそよそしくうちとけず、そこにいる気配のみして、返事もしないのだった。
娘は、自分の気持も熟していないのに、からだだけ運んでゆかれるような、ことのなりゆきを、くやしく恥ずかしく思っているのだった。男の言葉にほだされ、無教養な田舎娘が、都の男というだけでやすやすと身を任せるような、あさはかな事はするまい、とかたく思いこんでいた。
源氏は、かつてたくさんの女を蕩《た》らしたあのやさしい口ぶりで、いろいろと言葉を重ねてかきくどくが、娘は、つんとしたままだった。
(何とまあ、貴族の姫君より自尊心のたかい女じゃないか。……どんなに身分の高い女でもこうまで男に言い寄られたら、心強くは拒めないものだが。――もしや、自分が流浪の身だと思って軽《かろ》んじているのか)
と源氏は不快にもなった。
さりとて、源氏は、親の入道が許しているのだからと、力ずくで娘をわがものにするのは本意ではない。田舎紳士ならそうもあろう、親がそれをのぞみ、また戸をあけて誘《いざな》い、人払いをし、娘とふたりで会わせているものを、と傲慢《ごうまん》にふるまう男どももいるだろう。
しかし源氏は、そんなやりかたはきらいである。――もっと若いころなら、末摘花《すえつむはな》の姫君にそうしたように、花を無理に手折《たお》ることも面白かった。だが、長い孤独に耐え、年齢を重ねてきたいまの源氏は、女の心に興があった。女の精神、女の愛を、感じ取りたかった。
源氏のそばにある几帳《きちょう》の紐《ひも》が、ふと箏の琴に触れて、かすかな音をたてた。
「琴を弾いていられたか?――今まで」
源氏は、くつろいで琴を掻《か》き鳴らしている若い娘の、美しいしどけない様子を好もしく想像した。
「かねて噂に聞く琴を、お聞かせ下さいませんか」
と源氏はいったが、娘は沈黙したままである。源氏は嘆息した。
「琴も聞かせて頂けず、お言葉もかけて下さらぬとは――」
(根気くらべだな)と源氏は思う。根くらべに負けてすごすご帰るというのも人聞き悪いし、押して挑《いど》みかかるのも不《ぶ》粋《すい》だし、と源氏はすこし思いあぐねていた。そうして、真実《まこと》・虚言《そらごと》とりまぜての、やさしい口《く》説《ぜつ》をひまなくつづける。
「心おきない人と、心おきない話を交す――それが欲しいのです、私は。そんな人がいれば、人生の憂苦は消えてしまうものですが」
娘が、はじめて口をひらいた。
「わたくしには、そんなちからはございません。お話し相手は、荷が勝ちすぎますわ」
(お)
と源氏はとっさに、思った。
(似ているな。六條御息所《みやすんどころ》の、あの洗練されたものの言いぶり、言葉のすみずみにゆきわたるこまかな神経の、高雅な気品――)
仄かに聞こえる声さえ、しっとりと美しく潤《うるお》いにみちて。
声や言葉は、その人柄をもっともあからさまに反映するものだった。
源氏は娘に好感をもてたことが嬉しかった。
「どうしてそう私を隔てられる。私をお厭《いと》いになるのか。ただしは軽んじていられるのか」
源氏がいうと、娘は一瞬ひるんで、
「まあ! 厭うなどと。まして、なぜ軽んじることなど、ございましょう。ただ、わたくしは、都のすぐれた女人《にょにん》衆にくらべられるのがはずかしいだけですわ。人数《ひとかず》にもはいらぬわたくし……なまじお近づきになって、あとで悲しい思いをするのはいやなのですもの」
娘は心乱れたふうで、立ってさらに奥の部屋へはいり、戸を締めてしまった。
源氏は強いて押しあけようともしない。
「それは、私の心をお疑いだからですね。では双方から疑っていたわけだ。私の方はまた、あなたの気位高さを、私を流人の身と侮《あなど》ってのことかと思ったりしていた」
源氏は率直にいった。率直はつねに、女に対する男の武器である。
娘は叫び声をあげた。
「わたくし、気位高いつもりはございません。――女は、自分で自分を高めないと、所詮《しょせん》は弱いものなんですもの。自分を大切にしているだけでございます。思い上っているのではございません」
「理想の結婚ができねば、海へ入って死ぬつもりとか。龍王の后、という人もいますよ」
源氏が揶揄《やゆ》すると、娘は羞《は》じらった。
「女は、水が低いところへ流れるように殿方に従って生きてゆく運命ですもの。心ない、情け知らずの殿方に運命を托したら、わたくしの一生も、情け知らずのそれになってしまいますわ……そんな生涯を送るくらいなら、死んだほうがましでございます」
源氏の、娘に感じた好感は、いまは強い、抑えがたい恋になろうとしている。
源氏は、したたかな手ごたえを示す娘の、せい一ぱい張りつめた心の昂《たか》ぶりが、この上なくいとしかった。
源氏はささやく。
「この戸を開けて下さい。あなたの手で。そちらから……」
娘は素直に戸をあけて、羞恥《しゅうち》のあまり、そこに居《い》竦《すく》んだように、隠れていた。
すらりとした、たおやかな躯《からだ》つきの、上品な、美しい娘だった。源氏の視線を避けて黒髪に顔をかくし、そむけようとするが、源氏はそっと娘の頤《おとがい》をもちあげ、黒髪を払った。
「おたがいに、誤解して意地を張り合っていたんだね――私はいま、流人の身になった運命にどんなに感謝していることか。あなたに会わせて下さった住吉の明神を、どんなにありがたく思っていることか……」
源氏に抱きしめられた娘は、美しく惑乱して、それでも崩《くず》折《お》れる心を必死に持ちこたえようと、自分とたたかっていた。
「でも、あなたはやがて、都へお戻りあそばすでしょう。そのとき、わたくしは辛い思いをしなければいけないんですもの。……」
「まだ疑うのか。もしこの地を離れることがあっても、あなたを連れてゆく。もう離さない」
「いいえ。こんな田舎でお目にかかったのですもの。実際よりも、よくわたくしを買いかぶっていらっしゃるに違いありませんわ」
娘は、いまは源氏の直衣の胸を涙に濡らして、すすり泣いていた。
「わたくしは、たまさかの、お手紙を頂くだけで充分でございます。きっと、その思い出だけで、生涯ふかい満足のうちに、この浜辺で朽ちてゆくでしょう。……噂だけ聞いてあこがれていたあなたを、思いがけなく仄かにかいまみたり、名人とうたわれた琴のしらべも風のまにまに、聞かせて頂きました。おやさしいいくつものお手紙。――わたくしには、もうそれだけで、身に過ぎた思い出ですわ。どうぞ、これだけの幸わせで終らせて下さいまし。幸わせが極まって悲しみにうつり変らないうちに……」
しかし源氏は娘の懇願を聞いてやらなかった。――源氏は久しぶりに、ほんとうの女にめぐりあった気がしていた。精神の所在を感じさせる女、女の魂の光りかがやく女。こんな女人を求めていたのだ。
「あなたのやさしさが、私にとって、かえって仇《あだ》であると知りつつ、またも私は、あなたのやさしさを当てにして、不都合を働いてしまった……」
源氏は二條院の紫の君あてに手紙をしたためていた。
紫の君が、風の便りや人づてに明石の君のことを聞いて、怨《うら》めしく思うよりは、むしろこちらから打ちあけたほうが、隠しへだてない心を知ってもらえようか、という源氏の気持なのだった。
「こんなことを打ちあけていうのも、つまりは、あなたへの深い愛以外の何でもありませんよ。それにくらべれば、この明石での出来事は、やがて褪《あ》せゆく夏の日の夢、波が消してゆく、砂に書いた恋文のようなものです……」
紫の君からの返事は、いつものようにやさしく、無邪気な言葉が愛らしくつらねてあった。そしてその終りに何げないように、
「お心ひとつに忍びかねた夢を、お洩らし下さって、お気持はようくわかりましたわ……でも、古い歌にも〈君をおきて仇《あだ》し心をわが持たば末の松山波も越えなん〉とあるではございませんか。……あなたのお帰りをひたすら待っているわたくしは、まさか波が、末の松山を越そうとは思いも染めぬことでした。砂の恋文を消した波は、明石の浜のそれでしたのね」
おっとりした書きぶりだが、やわらかく恨んでいる。
源氏はさすがにその手紙に心痛む。
紫の君にすまない気がして、いとおしく恋しく、しばらくは岡辺の家をたずねることもしなかった。
源氏が紫の君への愛から、岡辺の家を訪れぬことは、とりも直さず、一方で明石の君の嘆きを深めることでもあった。
(やっぱりだわ……あのかたは、かりそめの、戯れのおつもりだったのにちがいないわ。わたくしの方は親の野心を成就させるためではなくて、真実に、あのかたへの愛から結婚したつもりだったのに……)
かわりやすい男心。釣り合わぬ身分。明石の君の心は波に弄《もてあそ》ばれる小舟のように揺らぐ。
それでも明石の君はつつしみ深くおだやかな人柄から、決して源氏に怨みがましい、険《けわ》しいそぶりは見せなかった。
源氏はそのやさしい女心、怜《れい》悧《り》なとりなしに心ひかれ、明石の君への愛は日ごとに深増さってゆく。
けれども、最愛の紫の君が、京でひとり、どんなにあれこれと想像して苦しんでいるであろうかと思うと、せめてもの愛の証《あかし》のように、岡辺の家へ通うのを控えていた。そして、浜の邸で、独り寝をする夜が多かった。
(またも、自分の心から物思いを作ってしまった……)
と悔いつつ、憂《う》さを晴らすために、絵筆を走らせたりしていた。
ふしぎや、心が空をゆき通うのか、京の紫の君も、物あわれな折々は、絵日記などを書いて心を慰めまぎらしているのだった。
年が改まった。
帝の御病気のため、世間も何か落ちつかない。
帝はひそかにご譲位を考えていられたのである。御子《みこ》には、いまの右大臣の姫の、承香《じょうきょう》殿《でん》の女御《にょうご》にお生まれになった皇子がいられるが、まだ御年二歳、いかにも幼くていられる。
当然、皇位は、東宮《とうぐう》に譲られるのだが、その御後見をし、天下の政治をとり行なう人物としては、源氏以外の適任者はいない、と帝は考えられた。源氏の器量、才幹、人望などを考えられると、非運の中にこんな人材を、いつまでも零落させておくのは、国家としても惜しむべきことだとお思いになった。ついに帝は、源氏に対し、御赦免の沙汰を下《くだ》された。
大后は反対されたが、大后ご自身の病気も重くなられ、帝のご眼病もはかばかしくなく、帝はお心細く思われたようである。
七月二十日すぎ、再度、京へ戻れとの宣《せん》旨《じ》を捧《ほう》持《じ》した使者が明石へ飛んだ。
「宣旨が下りましたぞ!」
「京へ、都へお戻りになる日がきました!」
「待ちかねた日がとうとう……」
「殿、おめでとうございます!」
人々は喜びに沸きたった。
心ははやくも京へ飛び、にわかに源氏の館《やかた》はうれしい騒ぎにつつまれた。京からも迎えの人々が次々と到着し、再会を手を取り合って喜ぶ。
源氏は、喜びの反面、明石を離れることに悲しみと心のこりがある。それは、入道一家も同じであった。
「いつかはこの日が来る、と覚悟はしておりました。嬉しい一方で、胸ふたがるばかりにお別れが辛うございます。いや、しかし不吉なことを申上げてはなりませぬな。殿のお栄えは、また、私どもの身の晴れでもございますから」
と入道はいいつつ、やはり辛がっているのであった。
源氏は別れが目前に迫ると、たまらなくなって、この頃は毎夜、明石の君のもとへ通う。
明石の君は六月ごろから、身《み》重《おも》になっていて、そのせいでかなまめかしく窶《やつ》れ、悩ましそうにみえる。
別れが近付くにつれ、皮肉にも、源氏の愛は深まるばかりなのだった。
(どうして今も昔も、よしない恋心のために、われひとともに苦しみ、罪をつくるのだろう……)
と源氏は思い乱れる。折しも秋の半ば、物あわれは増さるころなのだった。
事情を知っているお側の者は、
「困ったものだな」
「例のお癖《くせ》がはじまった」
とひそかにこぼし合っていた。
今までは源氏は、明石の君との仲をふかく秘めて、人々に気どらせないようにまれまれに通っていたのに、別れが近付いたいまは、堰《せき》を切ったように、人目もかまわず、しげしげと通うのであった。
「あれではかえって、残される者の方は、あとに物思いの種をつくることだろう」
と人々は耳打ちしあった。
良清はことにも心を傷つけられていた。彼が年来、あの娘に思いを懸《か》け、それを自慢らしく、源氏に噂していたのは朋輩《ほうばい》たちも、みな知るところである。
良清は、恋を失い、面目を失った。惟光は傷心の良清をなぐさめて、
「かぐや姫なのだよ、あの姫は君にとって――。な、そう思えばいいじゃないか」
「…………」
良清はためいきをついて、酒を飲んでいるばかりである。
「かぐや姫は月に帰ったのだ。みかどのご威光を以《もっ》てしても、かぐや姫を取り戻すことはできなかった。――そういう運命なのだ。月の世界の人とは、縁がなかったのだ。な、良清。そう思ってあきらめろ」
惟光が、友の盃《さかずき》を満たしつついうと良清は、
「しかし、あのひとは、この明石の浦に取り残され、不幸な目をみるじゃないか。おれの恋いこがれた人が、不幸になるのは見ていられないのだ……。こんなことなら、なまじ殿は、情けをおかけにならずともよかったのに……」
「いや、殿は一度契った女人は、いつまでもお見捨てにならない。きっと大切に扱われるさ。かぐや姫の幸わせを、君はいさぎよく遠くから祈れ。それが男というものだ……ばかだなあ。泣く奴があるか」
惟光は酔い伏した良清の背を、どん、と叩《たた》いた。
出発はいよいよ明後日に迫った。京を捨ててゆく出発も悲しかったが、それでもいつかは戻れるという希望があった。しかし明石を出発したら、おそらくもう生涯に再び還ることはあるまい。
源氏は夜もあまり更けぬうちに、早々と岡辺の家へいった。
灯のもとで見る明石の君は、都の貴婦人にもこれほどの気品ある美女はそういないだろうと思われた。
「きっと迎えにくるよ。都へ帰っておちついたらすぐ迎えを出す。これは、ほんのいささかの間の、かりそめの別れだ、いいね?」
源氏が心こめていうのへ、明石の君は、今《こ》宵《よい》ばかりは、明るい灯に面をそむけもやらず、濡れた睫《まつ》毛《げ》の眼を、ひたと源氏にあてて、
「いつかは、と心をきめていましたもの……お恨みはしませんわ。今まで、ずうっと、この日のためにそなえて、強くなろうと、自分をはげましていましたの。おかげで、毎日毎日、はりつめてみち足りた日々でしたわ」
さわやかにいうのも可愛かった。
「では信じてくれるのだね、迎えをよこすのを。こんどあうのは、京で、だと……」
明石の君は返事はせずに、微笑してうなずく。その深い想いを湛《たた》えた黒い瞳《ひとみ》に、源氏は心を吸いこまれてゆくような思いをする。
「とうとう、あなたは琴を聞かせてくれなかったね。――では私が、あなたにあとで思い出してもらうために弾こう」
源氏は、京から携えてきた七絃琴《しちげんきん》を浜の家に取りにやって、心こめたひとふしをかき鳴らした。
澄んだ夜更けにそれは美しくひびき渡った。
入道も堪えきれず、箏の琴をとって几帳の中へさし入れた。明石の君は、いまはたかぶる心を抑えかね、涙ぐみながら、誘われるように弾き出した。
心にくいばかり澄んで冴《さ》えた、気品たかい爪音《つまおと》である。
(ああ……藤壺の入道の宮を思わせる……宮の琴の音《ね》は花やかさがあった。しかし、これは、底ふかく神秘的だ。ふしぎな女人だ)
源氏が、もっと聞きたいと思うところで、明石の君は弾きやめた。こんなすぐれた音色をなぜ今まで聞かなかったのかと源氏は惜しかった。
「この琴は、また一緒に弾くまでの形見に」
と源氏は、自分の琴を与えた。
「そんな日は、いつ来ますことやら……」
明石の君は、仄かに口ごもりつついう。
「気やすめにいうのではない。この琴の、中の緒《お》の調子の変らぬうちにきっと、都であおう。信じてくれ」
「でも、そんな先のことより、目の前のおわかれが悲しくて」
理性的な明石の君が、いまは自分を制御することができず、涙を必死にこらえているさまに、源氏はひとしおの愛と執着をおぼえる。
出発の日――まだ明けやらぬ暁に、住みなれた館《やかた》を発《た》つ。京からの迎えの人に囲まれ、はや、身はもう運命に運ばれてこの浦を去らねばならない。かの女《ひと》と別れを惜しむひまはなかった。源氏は心をひき裂かれる。
京を去る日は京に、明石を去る日は明石に。
どこまで煩悩《ぼんのう》の劫《ごう》火《か》にまつわられる身であるのか。
佳《よ》き女人《ひと》の住む館《たち》をふりかえる源氏の姿に断ちきれぬ未練がうかがえる。
供の良清はそれを妬《ねた》ましく眺めていた。
入道は、旅立ちの支度を美事にととのえていた。
源氏の側近の人々はもとより下人に至るまで、旅装束を餞別《せんべつ》に贈った。いつのまに、こんなに、と人々が驚くほどだった。
源氏の衣服はいうまでもなく、御衣《みぞ》櫃《びつ》(衣裳箱)を幾荷も、供に担《にな》わせるのだった。
都への土産《みやげ》のおくりものも、心ゆきとどいていた。
源氏の旅装束にと美しい新調の狩衣《かりぎぬ》がとどけられ、明石の君の手紙が添えてある。
「海辺で裁ち縫いました衣は、涙に汐《しお》垂《た》れて、お厭いになるかもしれませぬが」
源氏は好意を受けて着更えることにした。それまで着ていた衣を、形見にやり、
「また逢う時まで、たがいの衣をとり換えるべきだった――衣とともに、私の心も、あなたのもとへ置いていく」
あわただしい中だったが、走り書きをしたためて托す。
明石の君は、源氏の薫物《たきもの》の匂いの沁《し》みた衣をしばらく、抱きしめていた。
「娘のことを思い出して頂ける折もありましたら、どうぞ、ひとことのお便りでも……。世を捨てた身がこう申すのも恥ずかしゅうございますが、子ゆえの闇《やみ》、でございます」
と入道は萎《しお》れて、国境《くにざかい》まで送りつついうのであった。源氏は入道の悄然《しょうぜん》としたありさまを、あわれにみた。人いちばい子煩悩な入道にしてみれば、娘が捨てられはしまいかと、どんなに心をいためていることであろう。
「いうまでもないことです。ことに子供のこともあるのですから、私も心づもりはいろいろしております。私の誠意のほどはすぐお分りになりますよ。ただ、この浦の住みかを見捨ててゆくのだけが辛いですね」
源氏は、思い出ふかい海辺の景色を眼に焼きつけようとするかのように眺めわたした。
入道は涙をこぼしていた。ああ、もう去ってゆかれる、都へお還りになったら雲の上人、自分や、自分の娘ごとき、田舎住まいの、位もなき人間は、お目にかかることもできないのだ、と思うと悲しみと不安で、老いの涙がこぼれるのだった。
夢が消え、掌中の珠が砕けたように入道は思う。
源氏はそんな入道をやさしくなぐさめて、
「それより、気を張ってしっかりして下さい、あれ《・・》には子供が生まれるのですから――私の子供をよろしくお願いします」
入道が涙で見送るうちに、源氏一行の船は沖の彼方《かなた》に小さく小さくなっていった。いつまでも手を振る人々を乗せて……。
「とうとう……お帰りになったのね。都へ、美しい北の方や、愛人の待っていらっしゃる京へ、あのかたはいってしまわれたのね」
と、娘はいって、袖《そで》に顔をうずめてすすり泣いていた。
それを見る入道の方が、辛いのである。
娘は、もともと、おちついて理知的なところがあり、自分の感情をあらわにみせたりしない、つつしみぶかい性格なのに、いまはうらめしげに泣き惑うていた。
理性では、源氏の帰京を納得しながら、心はそれに抗《あらが》っているのであった。
源氏の前では、けなげに振舞って堪えていたものが、父や母や、乳母《めのと》という内輪の人々の前では、支えきれなくなってしまったのだった。明石の君は、母にすがりついて泣き沈んでいた。
母の北の方も、娘の背を撫《な》でて、もろともにおろおろと涙ぐみ、乳母も慰めかねて、もらい泣きする。
そういうとき、女たちの非難の鉾先《ほこさき》は入道に向けられるのである。
「ほんにどうしてこうも気苦労の多い結婚などさせたものか。お父さまが頑固に言い張られるのに負けてしまったわたしが悪かった」
と母北の方が嘆くと、乳母もおくれじと、
「いつになったらお姫さまのお幸わせなご結婚を見られるかと楽しみにして、やっと願いが叶《かな》ったと思ったのもつかのま、身重のお姫さまを置いて婿君はいっておしまいになるとは。……なんとふしあわせなご縁組でしょうねえ」
と愚痴《ぐち》をいったり、入道にあてつけたりする。
「ええい、うるさい。あの方は不実な方ではない。私の子供をよろしくたのむ、とはっきり仰せられた。心づもりをしている、と言って下されたのだから、お任せしておけばよい。娘に、心の静まる薬湯なと飲ませてやれ。おなかの子に障《さわ》ってはいけない――ええい、泣くなというのに。不吉な」
そういう入道の方が、悲しみになかば呆《ほう》けてしまって、昼はうつうつと眠り、夜は起き出して、数《じゅ》珠《ず》の置き場所も忘れ、まるで耄碌《もうろく》したようになって弟子たちに馬鹿にされている。月夜に外へ出て経を誦《よ》みつつ行道《ぎょうどう》しているものだから、遣水《やりみず》に落ちたりして、したたか岩角に腰を打ち、わずらって寝付いてしまった。しかし、
「ううむ、ううむ」
と痛さに唸《うな》っているうちは、気苦労も少しはまぎれているようだった。
源氏は難波《なにわ》でお祓《はら》いをした。
足かけ三年にわたる流亡生活中の、罪や穢《けが》れを落して都へはいろうとするのである。
不快な思い出や不幸な涙、まがまがしい悪夢の一切を、ふり払いたいのであった。
何より、こうして無事帰京できたのは、住吉の神のおかげである。このたびは急のことなので参詣《さんけい》できないが、いずれ改めて、願《がん》を果しにお詣《まい》りしますと、使者をたてて、神にお礼申しあげたことだった。
帰りの旅の早さ。帰心、矢のごとしとはこういうのをいうのだろうか。二條院へ着いたときは、帰った者、出迎えの者、ともに夢心地で、手を取り合って嬉し泣きの涙にむせぶばかり、今までの暗雲が晴れて、日の照るような晴れやかさだった。
源氏は心もそぞろに西の対《たい》へ向う。
几帳《きちょう》のうちに、紫の君はいた。
なぜか、かたく、目を瞑《つぶ》って。
源氏は微笑しながら、近寄った。と、紫の君は、顫《ふる》える声でいう。
「お召物の、薫香《くゆり》が匂うわ……ほんとうに帰っていらしたの?」
「そうだよ。なぜ、目を瞑っているの?」
紫の君は、今度は、白い両手で、わが目を掩《おお》ってしまった。
「はずかしいからよ、何だか……」
源氏がそろっと、彼女の手を取りのけようとすると、紫の君はぱっと手を放して、
「ほんとうだわ! 帰っていらしたのだわ!」
と信じられないように大きな瞳をみはった。
「夢がさめるといけない、と思って、眼をつぶっていたのかい?」
「いいえ! はじめてお姿を見る喜びを、二倍にするためよ!」
「何という欲深さんだろう……」
ひしと抱きしめた源氏も、紫の君も、うれしさに笑い出して、息もつけないくらいだった。
紫の君は、三年前より、もっと美しくなっていた。面《おも》立《だ》ちも躯付きも、大人《おとな》びた美しさにあふれながら、いきいきした表情は、かつての童女の頃そのままだった。
「もう、どこへもいらっしゃることはないのね?」
「どこへいくものか、これからはずうっと、あなたのそばで、こうしていられるのだよ」
死がふたりを裂くまで、と源氏は思った。
紫の君の黒髪に顔を埋め、この愛する人を見ずに、よくも長い年月、過ごせたものだと思われる。
「あなたを見ずに過ごした三年の月日が惜しい。とり返したい思いだよ」
「欲深さんは、どっちのことなの?」
と、ふたりでまた笑いあい、この幸福が現実かどうかをたしかめるように、恍惚《うっとり》とみつめあうのであった。
しかし、源氏の心の底では、その幸福に酔えば酔うほど、飽かぬ別れをした明石の君があわれに思い出される。
恋の苦労は、源氏の生涯についてまわって、心の休む間とてなさそうである。
紫の君は、再会のよろこびにすこし心がおちつくと、
「明石のかたは、あちらに置いていらしたの?」
と心がかりな風をみせてたずねるのだった。
「親もいることだから……」
源氏は問われることにだけ、返事をする。
「さぞ、お別れはお辛かったことでしょうね?」
「それはまあ」
「わたくしにはわかりますわ。あなたが京をお発ちになったときの、わたくしの気持と同じなのね、そのかたは。――もう少し、もう少し、お姿を見せて、とお引きとめにならなかった?」
源氏の胸に、必死に涙を堪《こら》えて琴を弾いていた明石の君の姿が浮ぶ。
「美しいかたなのね? さぞ……」
紫の君は、源氏の顔色を見て、さまざまな思いが、これも胸にあふれるらしく、つと顔をそむけて、
「お心のうちに棲《す》んでいるのは、わたくしだけじゃなかったのね……つまらない……」
と、すこしばかり拗《す》ねていう、その可《か》憐《れん》さ。
この人もいとしければ、かの浦に住む人も可愛いのだ、と。
この人がいとしければこそ、かの人もいとしいのだ、と。
紫の君あっての、明石の君だ、と。
それをどうして知らせられようか。男の愛はいくつもの容器《いれもの》があって、そのどれもが真実を湛えているのだ、ということを、どうやって女人に理解させられようか。
源氏は前官に復し、更に昇進して権大納言《ごんのだいなごん》になった。
源氏以下、源氏の失脚に連坐して欠官停任していた人々も、みな、もとの官位を返され、枯木に花が咲いた心地だった。
帝のお召しで源氏は参内《さんだい》した。御前にかしこまって座をしめる源氏を、人々は、なにかひと廻り大きくなったように頼もしく眺めた。
三年間の不遇時代の体験は源氏を鍛え、放縦な遊蕩《ゆうとう》児《じ》から、沈着重厚な、たのもしい国家の柱石に変貌《へんぼう》させたかのようだった。人々の期待や信望が、おのずと源氏の一身にあつまってゆく。――故桐壺院の頃から仕えている老いた女房たちは、「ごりっぱにおなりあそばして……故院がご覧になれば、どんなにか……」と、泣きながら、源氏をまたふたたび御所で見られたことを喜ぶのだった。
帝は日頃、お心地がすぐれずにいられたが、源氏をごらんになって、
「おお……久しかった。つつがなく帰って何より。そなたを見て、気分が晴れゆくように思われる」
と仰せられた。そのおやさしいお声の調子。源氏の胸にも、兄帝へのなつかしさ慕わしさがひろがってゆく。源氏は帰京の喜びを噛《か》みしめていた。
佗《わ》びぬればはかなき恋に澪標《みおつくし》の巻
久しぶりにお目にかかった東宮《とうぐう》は、たいそうご成人になっていて、源氏との再会をお喜びになった。源氏もなつかしく、いとしい思いはかぎりない。
御学才もすぐれ、やがては帝王として、世を保ちたまうにふさわしい、聡明なご資質に拝される。
母君の入道の宮の許《もと》にはすこしおちついてから源氏は参上した。
公けの席での挨拶《あいさつ》は、通り一ぺんのものであるものの――人知れぬ心を、源氏は宮に、熱い視線で訴えた。
(戻りました。おそばへやっと戻ってまいりました。三年の空白は、これからの献身に免じておゆるし下さい。もう、どこへも離れませぬ)
宮も、源氏を眺められて、春がたち返ったような喜びをおぼえていられた。源氏の不在は、どんなに源氏が宮にとっても大切な存在だったかを、お知らせしたのだった。しかしそれを言葉で伝えるすべもなく、また、もはや二人のあいだに、言葉での証《あか》しは、必要なかった。宮はつつましく仄《ほの》かに、
「つつがないお姿を拝見して、うれしく存じます」
と仰せられただけだった。
明《あか》石《し》から源氏を送ってきた人々――入道に仕える者たち――は、都で手厚くもてなされて、明石へ帰ってゆく。源氏は明石の君への文を托《たく》した。
「私の去ったあとの浪《なみ》の音を、あなたは夜、どんな思いで聞いていることか。私の耳にも、浪音と、あなたの琴の音がひびいて消えない。
〈嘆きつつ明石の浦に朝霧の 立つやと人を思ひやるかな〉」
源氏は、紫の君に見られないように隠れてしたためた。
かの、五《ご》節《せち》の君からも、人知れず文《ふみ》をよこしてきた。源氏も憎からぬ恋人であったし、須磨に恋文をよせてきたいじらしさを思い、返事をやったが、帰京後は身分も重くなり、公私ともに多忙で、軽々しい忍び歩きはできなくなってしまった。
花散里《はなちるさと》へも、手紙ばかりで、会いにゆく時間はなかった。花散里の君は、源氏が都へ帰ってから、かえって寂しい思いをしているらしかったが、温和《おとな》しい人柄の女性なので、例のように、怨《うら》んだりすねたりしていない。
源氏が帰京後、まっさきにとりかかったのは、故院の御仏事であった。
夢にありありと見たてまつったので、父院のご菩《ぼ》提《だい》を弔うため、十月に法《ほっ》華《け》八講《はっこう》を催した。世間の人々は争って参列し、源氏の威勢はまたもとに復したようであった。
弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》は、いまなお、ご病状がはかばかしくない。源氏を徹底的に排斥できなかったことをくやしく思っていられるが、帝《みかど》は源氏を呼び戻して、ほっとしていられた。
これで故父院のご遺言《ゆいごん》にそむかずにすむ、と安心なさったせいか、ご眼病もなおられてお心地がさわやかだった。
しかし、かねてからご病身のせいもあって、ご譲位のご決心は固まるばかりである。源氏をたえず内《だい》裏《り》に召し寄せられ、政治上の補佐役とされるので、世間の人々は、これでこそ理想的な状態よ、と喜ぶのだった。
皇位をおりようとされる帝は、愛妃の朧月《おぼろづき》夜《よ》の尚侍《かん》の君のことを、ふびんに思われ、心を痛めていられた。
「右大臣も亡くなられ、大后は病床に臥《ふ》していられる。私は病身で、短命が予感されるし……あなたを残して逝《ゆ》くようなことがあったら、あなたはどうなるのだろう。――あなたは以前から、源氏の君の方を愛していられたが、私が亡くなったら、わかりますよ。私の愛情が、いかに深かったか……」
帝は涙ぐんでいられた。
尚侍の君は顔を赤らめ、美しく上気して、涙をこぼしながら聞いていた。それをごらんになる帝は、どんな過失も罪も忘れてしまわれ、ただいじらしく可愛いばかりに思われる。
「どうしてあなたにお子ができないのか、残念でならない。将来《さき》のことはわからぬが、――私の亡きあと、源氏と結婚されることでもあれば、あれの子はすぐお持ちになりそうな気がして、くやしい。――だが、身分上、その子はただの臣下になってしまう。もし、私とあなたの子供ができれば、皇子皇女なのに……。私が繰《く》りごとをいうと思われるか……これもただひとえに、あなたの生涯が安かれ、幸わせなれ、と思っての、心くばりなのですよ」
帝がおやさしく、噛《か》んでふくめるように言われるのへ、尚侍の君は恥ずかしく悲しく、うつむいていた。「源氏の子供を……」などいわれると、尚侍の君は身のおき所もなく、恥ずかしかった。
帝はご容貌も清らかにお美しく、尚侍の君へのご愛情も年月とともに深増さりしてゆかれるようにみえる。なんという勿体《もったい》なさであろう。
それにくらべ、源氏は、魅力ある男性ではあるが、これほど変らぬ真実を長く持っていてくれたかどうか。
いまは、尚侍の君も、青春の日の無思慮をかえりみて、物ごとをわきまえるようになっていた。
(あのとき、どうしてあんな、あさはかな騒ぎをひきおこしてしまったのかしら……情熱のおもむくままに、はずかしい浮名を立て、帝のお心を傷つけ、源氏の君にも迷惑をかけてしまった……その無分別を、帝は、ひろいお心で許して下さったのだわ……)
尚侍の君は、物の道理がわかってくると、帝への申しわけなさで、辛い思いがしていた。
年あけて二月、東宮は御元服になった。
おん年十一歳、お年のわりに大きく、お美しくて、源氏と瓜《うり》二つといっていいくらい似ていられる。入道の宮は、そのことでひそかに、お心をいためていらした。
帝は東宮のご成長をたのもしく思われ、世を譲られることなどを、やさしく、東宮に教えておあげになる。
二月の二十日あまりに、譲位のことがあった。大后はおどろかれ、あわてられた。
「また、にわかにみ国ゆずりとは」
「退位してのんびりすれば健康も取り戻せましょうし、ご孝養もつくせようかと思いまして」
と、帝は慰められた。世の人は、位をおりたまうた君を、朱《す》雀院《ざくいん》とお呼びするらしかった。
東宮には、承香殿《じょうきょうでん》の女御《にょうご》のおん子が立たれた。
世の中の一切はあらたまり、花やかににぎわった。
源氏は大《だい》納《な》言《ごん》から内大臣になった――左右大臣の座はすでに占められていたからである。
そのまま摂政《せっしょう》として政治を見るのであろうと世人は思ったが、源氏は「そんな繁忙な重責には堪えられない」として、隠退した大臣にゆずった。亡き妻、葵《あおい》の上《うえ》の父君である。大臣は、すでに官を辞した上に、老齢だから、と否まれたが、乞《こ》われてついに太政大臣《だじょうだいじん》になられた。お年は六十三になられる。
子息たちも沈んでいたのが、打ってかわって花やぎ、浮かび上った。
かの、葵の上の兄、かつての宰相《さいしょう》の中将は、権《ごんの》中納言に昇進した。
北の方はもとの右大臣の四の姫である。その腹の姫君が十二になるので、いまの帝に入《じゅ》内《だい》させようと大切に育てている。若君は元服させ、数多い子女で、邸内はいつも賑《にぎ》わっているのを、源氏は羨《うらや》ましく思った。源氏は、権中納言にくらべ、子供は、葵の上にできた夕霧ひとりである。
夕霧は人目を引く美しい少年に育って、童《わらわ》殿上《てんじょう》(行儀見習いに貴族の子弟が、御所で仕えること)をしていた。それを見るにつけても葵の上の亡くなったのを、いまだに父大臣や、母の大宮は嘆いていられたが、源氏は、いまも昔に変らぬ心ばえで、大臣の邸をよく訪れる。
夕霧の乳母《めのと》をはじめ、古い女房たちにも、いろいろによく計らうのであった。
二條の院に仕えて、源氏の帰邸をひたすら待っていた者たちにも、源氏は厚く報いた。
また、中将や中務《なかつかさ》といった、情人にしている女房たちにも、それぞれに応じて心くばりをするので、外出しているひまさえないのである。源氏は愛人たちを集めようと思った。
二條院の東にある邸を改築して、
(花散里のような、心もとない人々をここへ引きとって住まわせよう)
という構想のもとに、修理をはじめた。
源氏は、公私怱忙《そうぼう》のうちにも、明石の君のことを忘れてはいなかった。
三月ごろになると、(そろそろ、産み月ではないか)と人しれず、あわれに思いやって、使いを明石に立てた。使者は急ぎ戻り、
「十六日に生まれられました。姫君でした。ご安産で、母君もおすこやかにいられます」
と報告した。源氏は嬉しかった。
はじめての女の子ではあり、(なぜ、京へ迎えとって出産させなかったのだろう)と残念だった。内大臣の姫ともあろうものを。
娘を駒《こま》に持つ――源氏は政界に、さらに強力な布石をしたわけだ。
源氏は、ひとりひそかに思いをめぐらす。
須磨流《る》謫《たく》後の源氏は、もはや、昔の源氏ではない。あの政治的失脚に際して、政敵たちがどんな酷薄・陋劣《ろうれつ》な手を使って、源氏を圧迫したか、源氏は骨身に沁《し》みたのである。
いま源氏は野心に燃える壮齢の政治家として復活した。源氏はもはやいったん握った権力を、どんな手段を以《もっ》てしても失うまいとする。
あらゆる政敵を蹴《け》落《おと》し、政治的生命を充実しつづけて、権力の中枢に居坐ろうと決意している。いな、それはまた、天下のためでもある、と思っている。自分を措《お》いて、この国を保つ者はいない。自分以上に、一国の執政たるにふさわしい器《うつわ》があるか。源氏は確信してゆるがない。
そのためには、源氏はあらゆるものを政治的に利用する気があった。
女の子が生まれれば――やがては、次代の帝に、入内させることも、あり得ない夢ではない。
源氏はかつて、運命を占わせたとき、
「お子は三人。帝と后が生まれたまう。低い身分の方は太政大臣となり、位《くらい》人臣をきわめられましょう。また、后は、いちばん低い身分の女人の御腹に生まれたまうでありましょう」
といわれたことがある。
源氏は、いまそれを思い出して愕然《がくぜん》とする。
三人の子のうち、一人は帝に、というのはまさしく、当帝《とうだい》の冷泉《れいぜい》帝のことではないか。人こそ知らね、源氏のおん子であられる。とすれば、后に、というのは、いま生まれた明石の姫君の遠い将来のことにちがいない。
尊い后の位にのぼるべき姫が、波あらい磯《いそ》の片ほとりで生まれたとは、ふびんな気がして、源氏は早急に、明石の君母子《おやこ》を、京へ引きとりたいと思った。
政治的野望をふくむとはいえ、――情《じょう》の濃い源氏は、遠く離れた明石の君母子に、満身の愛をそそがずにはいられぬのであった。
だが、源氏のよろこびを、紫の君はどう受けとめるであろう。紫の君に、どう告げるべきか。
紫の君には伏せたまま、源氏は次々と明石の小さな姫君に心づかいを示していた。
あのような田舎《いなか》では、はかばかしい乳母《めのと》などもみつかるまいと思って、まず、乳母を物色した。折もよく、ちょうど恰好《かっこう》の女があった。故桐壺院《きりつぼいん》にお仕えした宣《せん》旨《じ》の娘である。父親は宮《く》内卿《ないきょう》で参議だったが、もう亡くなっていた。宣旨だった母も亡くなったあと、心ぼそい暮らしの中に、かりそめの恋をして、子供を生んだと聞いて、源氏は仲立ちの人を介して、乳母に採用する話をすすめた。
女は、身寄りもなく貧しい暮らしに心ぼそい頃だったし、源氏からの話なので一も二もなく結構なことと思い、ふかくも考えず承知した。
源氏はそれを哀れに思って、外出の折に、そっと女の家へ寄ってみた。
女は、引きうけたものの、都を離れて明石へいくとなると、「どうしたものか……」と思い迷っていたが、源氏が自身訪れてくれたのに慰められて、決心がついた。
「行ってくれるかね。では、ちょうど日も吉《い》いから急いで発《た》ってもらいたい。思いやりのないことをいうようだが、あの子については私も、格別の考えがあってね」
と源氏は、やさしく女を説得した。
「明石というと、都落ちするように思うかもしれないが、私自身も佗《わ》び住居《ずまい》した所だから、それにならってしばらく、がまんしてくれないか」
などと、明石のことや、入道の一家のことなどくわしく語ってきかせるのだった。
源氏は彼女を見知っていた。故父院のおそばに母と共にお仕えしていた頃、見たことがあったのだが、そのころから見ると、たいへんやつれている。家も荒れ果て、大きな木々が気味わるいほど繁って、(こんな所でどうやって暮らしていたのか、哀れな)と源氏は思った。
女はまだ若く美しくて、情けありげで、源氏はふと興がうごく。これでは男が捨ておかないはずだと、源氏は、女から目も離さず見つめている。れいの癖が出て、
「明石へやるのが惜しくなったな。どうする」
と源氏は戯れた。
「ほんとに同じことなら、殿さまのおそばでお仕えしとうございますわ」
女はしみじみそういった。
「深い仲というのでもないのに、別れというのは辛いものだな。あとを慕っていきたくなった」
源氏がいうと女は笑って、
「わたくしのあとを追われるのは口実で、明石の御方さまにお会いになりたいのでございましょう」
と返す。さすがに洗練されて、男馴れた応酬だった。
乳母は車で京を出ていった。源氏は腹心の召使いをつけて、こっそり発たせたのである。乳母には、明石の姫のことは人に洩《も》らすな、と口止めした。お守り刀とか、そのほか必要な物一切、おびただしく持たせ、乳母にも充分な心づかいをした。
入道がどんなに小さな姫君を大事に世話し、愛しているであろうと源氏は思わずほほえまれる。と同時に、この手で抱きあげてやれない姫君を哀れにも思い、心から離れない。母になった恋人の明石の君への手紙にも、
「くれぐれもおろそかにせず、大事に育てて下さい。あなたと小さい姫を、一日も早く手もとへ引きとれる日を夢みている」
としたためた。
乳母の一行は摂《せっ》津《つ》の国までは舟で、それから先は馬で急いだ。
入道は待ち受けていて、限りなく喜び、都の方を向いて拝んだ。源氏の心づかいに感激すると共に、姫君がますます尊い存在に思われた。
乳母は姫君を見て、
「まあ、お美しいちごさま」
と感嘆した。源氏が先々のことを見通して大事にかしずこうとしているのも道理だと思った。なれぬ旅の苦しさも、都落ちした佗びしさも忘れ、姫君が可愛くなって、大切に世話をするのだった。
子持ちになった明石の君も、源氏と別れて以来、物思いに衰弱していたが、このたびの源氏の配慮でなぐさめられる気がしていた。
床からあたまをあげて、使いの者にも、できるかぎりのもてなしを命じたりした。
「すぐ帰ります」
と使者が帰京を急ぐので、明石の君はすこしばかり手紙をしたためた。
「わたくしが一人で育てるのは心許《こころもと》なく存じます。あなたの力強いお手に、ちいさい姫を抱きあげて頂ける日が、はやくまいりますように」
源氏はそれを見て、いよいよ、あやしいまで小さい姫君が心にかかり、早く会いたくてたまらなかった。
こういう、明石との往来が、いつかは紫の君の耳にも入らずにはいないだろうと、源氏は思った。
他人の口から聞いて紫の君が不快になるよりは、やはり、自分から告白しておかねばならない、と源氏は決心した。
明石の君のことは、それまで紫の君には決していわなかったのであるが。
「小さい姫が出来てね、明石に……。三月のなかばだった。――人生というものは皮肉なものだね。子供があって欲しいと思うあなたには出来なくて、思いがけぬ明石に出来たりするのだから残念だ。それに女の子だから、張り合いもなくてね。構わずにおいてもいいのだが、まあ、そういっても、打ち捨てるわけにもいかないし……。いずれ京へ呼び寄せて、あなたにも見せよう。憎まないでやっておくれ」
源氏がさりげない口調をつくろって、やさしくいうと、紫の君は顔を赤らめた。
「まあ。わたくしが憎むなどと。そんなに意地わるにみえますの? もし、そうなら、わたくしに物憎みや意地わるを教えたのはどなた?」
と可愛らしく怨んでみせるのだった。
「全くだ。誰が教えたのだろうね。そういわれると痛いよ。しかし、あなたが意地わるだなどとは、むろん思いもしないよ。私の言葉から気を廻して怨んだりすると悲しくなるね」
源氏は言葉をつくしてなぐさめる。
「子供ができたといってもそれは、そういう成りゆきのこと。私とあなたの仲の真実や、愛の深さは二人だけがよく知っていることだ。これにまさる何ものも、この世の中には、ないのだよ……子供は、かたちになって現われるから、大きな意味があるように人は錯覚する。しかし、目にみえない、手でつかめない愛が、二人のあいだに在るほうが、人生の意味は大きいのだ。それに比べれば、子供などは問題ではないよ――私は、愛、というものをそう考えている」
源氏は、心ざま深い男だから、子供を持てない紫の君の傷心を、思いやることができる。
もとよりそれは、男という制約のうちでの省察だけれども、世の心浅い粗暴な男の論理や思考とは、ずっと違っていた。
「あの、私が須磨にいたころ、互いに通わせあった愛の手紙や、こころざし。あの別れの苦しみを経て、育ててきた私たちの愛こそ、私たちの目にみえぬ子供、私たちの宝ではないだろうか……」
紫の君は素直にうなずく。
源氏の言葉で、彼女はかつての、別れ別れに棲《す》んで、たまらず源氏が恋しかったあの日々を思い出す。あの愛と信頼が真実であってみれば、源氏の、どんな浮気もいっときのたわむれにすぎないとも思われる。
「明石の女《ひと》にこうもいろいろ気を使うのは、ちょっと思う仔《し》細《さい》があるからなのだが、今はそれはいわずにおこう。あなたが誤解するから、そのうち、追々と話そう」
とも源氏はいった。
「明石のかたは、どういうかたなの?」
紫の君は、聞きたくもあり、聞くのも怖かった。
源氏がよくいえば悲しいし、悪くいっても源氏のために悲しかった。
「人柄が上品で趣味のいい人だったよ……しかしまあ、あんな物淋しい荒磯でめぐりあったのだから、珍しく思えたのかもしれないね」
そう源氏はいいながら、それでもあわれだった別れの宵、あの女《ひと》の悲しげな瞳《ひとみ》、その夜の琴の音《ね》、忘れることはできない思い出が、言葉のはしばしにふと洩れるのだった。
紫の君は、
(聞かなければよかった……)
と悲しかった。自分は源氏と別れ住んで、あけくれ嘆き佗びていたころ、この人はいっときのたわむれにせよ、ほかの女《ひと》に心移していたのだと思うと、恨めしかった。思えば恋人は一心同体なんて嘘《うそ》なのだ。明石の君を思っている源氏は源氏、自分は自分。別々のものだわ、と紫の君は背をみせてしまう。
「さびしいわ。どんなに愛し合っていても、所詮《しょせん》は孤独なのね……。あなたは明石のかたとご一緒にたのしくお暮らしになればいいわ。わたくしは一人さびしく死ぬのよ」
「何だって。情けないことを今さらいうんだね。誰のために、私が今まで海山をさすらって苦労したと思うの? みな、あなたのためじゃないか。どうしたら私の本心が分ってもらえるかね。つまらぬことで人の怨みを買うまいと気をつけているのも、ただあなたと末長く幸福に暮らしたいと思えばこそ、じゃないか」
源氏はさまざまに機嫌をとって、仲直りのために箏《そう》の琴を弾きすさび、紫の君にすすめたが、彼女は手も触れない。
「明石のかたはお上手だったのですってね、とてもひきくらべられませんわ」
と拗《す》ねていうのであった。もともと、おうようで、美しく柔らかい性質の紫の君だが、明石の女《ひと》のことに関しては、さすがに執拗《しつよう》な怨みや嫉《しっ》妬《と》をもっているらしい。
ふくれている紫の君はかえって愛嬌《あいきょう》があり、その怒った顔が、源氏にはまた、愛らしく見えた。
やがて五十日《いか》の祝いであった。生後五十日めに、すこやかな生育を祈願して、餅《もち》を赤児の口にふくませる祝いである。その日は五月五日にあたる。源氏は人知れず数えて、姫君をなつかしんだ。京で生まれたならどんなにか立派にとり行なってやったろうものを、と残念だった。
男の子ならこうも気にはしないのだが、姫となると、将来どんな尊い身分になるかもしれない。それには疵《きず》なき玉として、最高のかしずきをしてやりたかった。
源氏は五十日《いか》の祝いの使者をたてた。必ずその日に着くように、と命じたので、ちょうど五日に、使者は明石に着いた。
入道一家の喜びはいうまでもない。明石でも、祝いの設けは派手にしていたが、源氏の使いがなければ、闇夜のように見栄《みば》えがしなかったろう。源氏はさまざまの立派な贈りものに添え、明石の君にまめやかなやさしい文《ふみ》まで書いていた。紫の君にはみせられぬような……。
かの、若い乳母、宣《せん》旨《じ》の娘は、都から明石へ下ることを淋《さび》しく思っていたのだが、いまはすっかりこの地に馴染《なじ》んでいた。それというのも、仕える明石の君の、やさしくおくゆかしい人柄に傾倒したためであった。この君をこよない話し相手とも思い、共に過ごす日々を喜んでいた。
明石の君もこの乳母が好きになった。
仕える女房たちの中には、この乳母に劣らぬ身分の人々もいたが、それらは宮仕え女房の落ちぶれて尼にでもなろうかというようなくすんだ者たちばかりだったから、乳母はひと際《きわ》目立った。まだ若々しく、娘っぽく美しくて、その上、上品でもあり、気位も高かった。
話題も豊富で、話しぶりも洗練されていた。
都の噂《うわさ》や、源氏の、世にもてはやされているありさまなど、女らしい興の動くままにそれからそれへと話しつづけるのだった。
明石の君はそれを聞いて、あらためて恋人と呼ぶ男の社会的位置を知らされた気がした。
田舎にいては世間がせまく、何も知らないで過ぎるところだったけれど……。
(それにしても、あのかたに、時折は思い出していただけるよすがの、子供を持ったことは、やっぱりわたくしの運が強かったのかもしれないわ……)
と明石の君は思うようになっていた。小さい姫君を抱きあげて、無心にねむる顔をながめながら、
(ちい姫さん。あなたのお父さまは、天下第一の人の源氏の大臣《おとど》なのよ)
と幸福の笑みを浮べるのだった。赤児の姫は、「小さい姫君」というので「ちい姫さま」とよばれていた。
五十日《いか》の使いに托された源氏の手紙を、乳母ももろともに見せてもらった。
「どんな五十日の祝いをしたのだろうと気がかりでならないのです。
心もそらに、あなたのことを思いつづけています。あなたも姫も、私はこれ以上、そこへ置いておくのに堪えられない。はやくこの腕に迎えとりたい。思いきって上京して下さい。こちらへ引きとっても心細い思いは決してさせません。はやくあなたにあいたい」
乳母は心中、ためいきをつくほどうらやましかった。
(こんなに男に愛される幸福な女のひともいるのだわ。それにくらべて、私はどうだろう……)
などと思っていたが、源氏の手紙には、そのあとに、
「乳母はどうしていますか」
と、こまやかにたずねてあって、まあ、うれしい、気にかけて下すっているのかしら、となぐさめられる気がした。
明石の君の返事は、
「田舎住まいの身ですもの、ちい姫の五十日の祝いといっても、ひっそりしたものでございました。でも、あなたのお使いのおかげで、心が晴れ、うれしく存じました。いつも物思いにあけくれておりますが、あなたのお使いがきますと、命が延びるように嬉しくて。
それにつけても、ちい姫のことを、よろしくお願いします。どうか、あの子の生《お》い先に不安のありませぬように、あなたのおやさしいお心でおはからい下さいまし……」
源氏は明石の君の生《き》まじめな手紙をくり返しみて、吐息をついた。明石の君は、不安定な位置で持った、不安定な子供に、心ぼそい思いをし、それゆえにいっそう、切ない愛を子供にそそいでいるのであろう。彼女の頼るのは遠く離れた源氏だけなのだった。
明石の君の手紙には、いまはまめやかに子供のことばかりで、色めいた言葉の、一行《ひとくだり》もないのが、源氏には不《ふ》愍《びん》にもあわれにも思われた。
源氏が手紙を手にして屈託ありげに考えこんでいるのを、紫の君は流し目にみて、
「わたくしは、のけものなのね。いいのよ……」
とひとりごとのようにつぶやく。
「また、ひがむの? 何でもない手紙なんだよ、これは」
「でも、ためいきをおつきになっていらしたわ」
「やれやれ。それはただね、あちらへ流されていたころの私の苦労が思い出されたからなのだ。そんな何でもないことさえ、聞き流しできないのかね」
源氏は嘆息して、手紙の上包みだけを見せた。その字の、気品たかく美しいこと。都の貴族の姫君たちさえ、かなうまいと思われるような筆蹟なのを、紫の君はちらと見て、
(こんなすばらしい女人《ひと》だから、愛してらっしゃるのだわ……)
と思うのだった。
こんな風に、紫の君のご機嫌ばかりとっている源氏は、花散里を訪れるひまさえないのであった。気の毒には思うのだが……。
公務も繁多で、内大臣という身分にもなれば、気軽に外出もできないから窮屈である。
あちらから格別、おどろかせるような便りでもないかぎり、源氏は出かけないのだった。
五月雨《さみだれ》の、つれづれなころ、公私ともにすこしひまができたので、源氏は思い出して花散里のもとへいってみた。
訪れないときも、源氏はたえず、生活の庇《ひ》護《ご》はしているし、花散里の方も、源氏をたよりにしている。この女《ひと》の気立てとして、蓮《はす》っ葉《ぱ》に恨んだり拗ねたりすることはないので、源氏も気安いのだった。
家は、いよいよ荒れて、凄《すさ》まじいくらいになっている。
女御《にょうご》の君にまずご挨拶しておいてから、源氏は、恋人の部屋へいった。夜が更《ふ》けて朧月《おぼろづき》が軒からさしいり、仄明るい中へ、源氏が艶《えん》なすがたではいってきた。花散里は、こんな明るいところで源氏と向きあうのが恥ずかしかったけれど、今まで端にいて夜空を見ていたものだから、そのままで源氏を迎えた。
そういう、おっとりした、うちとけた彼女の態度は、源氏には好ましいものであった。
水鶏《くいな》が鳴いている。
「水鶏が戸を叩《たた》くから、開けましたのよ。まさか、訪れて下さるなんて思いませんでしたもの。いつも扉をあけても、入ってくるのは月ばかり……」
と、花散里はやわらかく、源氏の足の遠いのを恨んでみせる。
そうやさしく出られると男は弱い。
何てまあ、とりどりにどの女も見捨てがたい美点を持っているものだ。
(これだから、自分も、女の苦労は絶えないのだなあ)
と源氏は苦笑する。
「水鶏が叩くたびに扉を開けていてはこまるねえ。誰が入るか、わかりはしないよ。気になるな」
と源氏は戯れたが、もとより花散里に、そんな浮わついたことなど、あり得べくもない。彼女が、源氏の流《る》浪《ろう》中、ひたすら恋い焦《こ》がれて待ち暮らしていたのを源氏もよく知っており、決しておろそかに思っていなかった。
花散里は、源氏が京を離れる際、別れを告げに立ちよったときのことなど、話していた。
「あのときの苦しみや心配ごとは、今はかえってなつかしくなりましたわ。だって、都へお帰りになってもなかなかお目にかかれないのですもの。そのほうがかえって、辛《つろ》うございましてよ」
この人がいうと、恨みごとさえ、のんびりときこえて愛らしかった。
「しかしこうやって来ているではないか、愛していればこそ、ですよ。世の常の愛ではない、双方からひき合う強い力があるから、たまさかの逢《おう》瀬《せ》で充足できるのだ。世間の恋人たちをごらん……あの人々が、両方で愛し合っているというのはたいがい錯覚で、厳密にいえば、相手の愛が一方に反映しているだけのこと、だから、世間で愛といい、恋というも、それは愛することだけ、もしくは愛されることだけの、片方からだけの作業にすぎないことが多い。それにくらべ、私たちはどうだろう……」
源氏はそろっと、花散里の小さな肩を抱いて、ともに月を仰ぎながら、彼女の耳にささやきつづける。
「われわれだと、愛し愛される、その愛の完全な形ができあがっているではないか。離れていても、心はひとつ、というのは、私たちのことではないだろうか……」
全く、どこを押して出てくる言葉やら、――源氏は例のやさしい声《こわ》音《ね》と言葉を、暖かい雨のように彼女の耳にたえまなく灌《そそ》ぎ、花散里をうっとりさせるのである。
そうこうしている間も、源氏は、かの五《ご》節《せち》の君のことも忘れない。また会いたいと思うが、重々しい身分になると機会を作るのもままならなかった。
五節の君の方も、縁談に耳もかさず、源氏ばかりを慕っていた。
源氏は、気がねない邸《やしき》を作って、こういう恋人たちを集めたいと思った。もし紫の君に、姫でも生まれた時、こういう人々を後見にすれば親身に仕えてくれるだろう、などとも考えるのだった。それで、二條院の東の院の工事をいそがせていた。
もう一人、源氏の忘れられぬ恋人がある。
兄君の寵妃《ちょうひ》である、朧月夜の尚侍《かん》の君である。今もあきらめきれず、懲《こ》りずまに、尚侍の君を誘惑するのであった。
しかし、尚侍の君は、もはや昔の彼女ではない。いまは朱《す》雀院《ざくいん》の愛に目覚めて、源氏には応《こた》えなかった。源氏は、無鉄砲なことができた昔の、あの若い情熱がなつかしかった。
源氏も、もはや、ひそかに、人妻を掠《かす》めるということの出来ぬ年齢や境遇になっていた。
それは一面、淋しいことでもあった。
兄君の朱雀院は御譲位後、のどかに暮らしていられる。折々は管絃《かんげん》の御遊びなど催され、お気楽なお身の上だった。女御・更《こう》衣《い》など、お妃《きさき》方は、元のまま変らずお仕えになっているが、新しい東宮の母君、承香殿の女御は、今は院のそばを離れて、御所の、東宮のそばについていられる。この女御は、以前は尚侍の君のご寵愛が盛んで、その陰にかき消されたようになっていらしたのだが、お生みになった皇子が、皇太子になられたばかりに、昔に引きかえた晴れやかなお身の上だった。
源氏の御所での宿直《とのい》所は、昔の桐壺《きりつぼ》である。東宮は隣の梨壺《なしつぼ》にいられるので、源氏は何くれとなく東宮のお世話をしてさし上げている。
かの藤壺《ふじつぼ》の中宮は、すでに落飾されているので、女院《にょういん》と申上げ、それにふさわしい御封《みふ》(年俸)を受けられ、院《いん》司《じ》の役人もついて、打ってかわって花やかな御威勢になられた。
けれども女院ご自身は、仏道修行に励んでいられて、もはや世俗の栄《えい》華《が》にご関心はおありでなかった。ただ、今までは世間への遠慮で、宮中への参内もままならず、おん子にお会いになれぬことを嘆いていらしたのだが、今は思うようにお会いになれることを、たいそう喜んでいられた。
それを、弘徽殿の大后は複雑な思いで見ていられる。うつり変る時勢に、
「世の中とは、いやなものだこと」
と大后はともすれば愚痴をこぼしていられるが、しかし源氏は、老いたる大后に親切な心づかいをみせ、やさしくするのであった。
世の人々は、大后はどんなお気持だろうと口さがなく噂した。
源氏は都へ戻って、昔以上の権勢を手にしてからも、流浪時代つらくあたった人々に、仕返しをすることなど、絶えてなかった。
人は、その時々のなりゆきに任せて生きなければしかたのない、弱い存在なのだ。
時の権勢に従わねば一身の保全が完《まっと》うされない場合、心ならずもつれない仕打ちをする、そういう弱い人の心を、源氏は、咎《とが》めるつもりはなかった。
源氏は、流《る》謫《たく》の時節を経て、「大人」になって戻ったのだった。
しかし、そんな源氏にも、許せない人が一人いる。
紫の君の実父である、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮だった。
宮が、流浪中の源氏に意外に冷淡であられたのを、源氏は忘れることができなかった。
かねて源氏は、兵部卿の宮を、親しく思い、心をひらいてつき合い、好意をもちつづけてきたではないか。愛する紫の君の父君であり、また、ひそかな憧《あこが》れを捧《ささ》げる藤壺の中宮の兄君でもある人として、二重の縁《えにし》の深さを思い、敬愛を抱いて、接してきたつもりだった。
それなのに、兵部卿の宮は、源氏が須磨へ追放されると、弘徽殿の大后や右大臣側の思惑をおそれて、とたんに交わりを絶ってしまわれた。
わが身に累《るい》の及ぶのをおそれられたか、娘の紫の君に一片の同情さえ、示しては下さらなかった。もし兵部卿の宮が、源氏の留守のあいだ、紫の君を力強く庇護していて下されば、流浪している源氏の、どれほどか大きな心の支えになったであろうものを。
それを思うと、源氏は不快である。
かの親友、宰相の中将などに至っては、時の権力も恐れず、はるばる遠い道を会いに来てくれたではないか。
源氏は、兵部卿の宮だけには、いい顔をする気になれない。何かにつけ、ちらちらと薄情な仕打ちをして、はばからない。
入道の宮(藤壺)は、兄君のことだけに、お気の毒にも、こまったことにも思っていられた。
いまは天下の政治は、源氏と、太政大臣の二人の思いのままであった。
権《ごんの》中納言(昔の宰相の中将)の姫君が、八月に冷泉《れいぜい》帝の女御として入内《じゅだい》された。祖父の太政大臣が世話をされて儀式などりっぱになさった。
兵部卿の宮の、中の姫君も、入内させようとして準備していられるらしい。源氏は女院のゆかりからも親身に世話すべきであろうけれど、そ知らぬ風をしている。まだ少年でいられる冷泉帝の御結婚について、源氏がどんなもくろみを持っているのか、誰にもわからぬことなのである。
その秋、源氏は住吉へ詣《もう》でた。
住吉の神にたてた数々の願《がん》の、叶《かな》えられたお礼まいりだった。盛大な行列になって、世間はその噂でもちきりだった。上達《かんだち》部《め》や殿上《てんじょう》人《びと》など、われもわれもとお供に加わった。
ちょうど明石の君も、毎年の例の、住吉詣でをするところ、去年今年と、妊娠や出産で妨げられてかなわなかった。それで、久しぶりに思い立って、船でお詣《まい》りをした。
住吉の岸に船をつけて、ふと見ると、渚《なぎさ》はたいへんな騒ぎである。
参詣《さんけい》の人々はそのへんに満ちあふれ、奉納の宝物を捧げる人々が続く。さらに、神前に奉納する舞楽の十人の舞人《まいびと》の姿もみえた。
いずれも装束をととのえ、容貌の美しい人々だった。
「どなたさまのご参詣でございますか」
明石の君の供人《ともびと》が尋ねると、
「内大臣さまの、御《ご》願《がん》ほどきに参られるのを、知らない人もいるもんだよ」
と、とるに足らぬ下《げ》人《にん》まで、得意そうに嘲《ちょう》笑《しょう》する。
(まあ……なんてことかしら)
と明石の君は悲しくなった。
(日も多いのに、また選《よ》りにも選って、あのかたと同じ日に参詣したなんて……。あのかたのご様子を、遠くからしか拝めない、わたくしの身分を思い知らされるなんて。……こんな、つまらぬ下人でさえ、源氏の君にお仕えするのを身のほまれに思っている。わたくしは、あのかたと縁のふかい身でありながら、こうも盛んなご参詣のお噂もしらず、うかうかと出かけてきたのだわ……)
そんなことを思うと、明石の君はわれしらず、あわれな自分に涙ぐまれるのだった。
深緑の松原の中に、花や紅葉《もみじ》を散らしたように、色とりどりの袍《ほう》が見える。
「あれ、あそこに右《う》近《こん》の将監《ぞう》どのが……」
と、明石の君の供人は指した。
「今は、靫負《ゆげい》におなりだと……」
「ご出世なされて……」
噂されている、もと右近の将監は、いまは物々しい随身《ずいじん》を引きつれる蔵人《くろうど》だった。
「あれ、あそこに、良清《よしきよ》どのがいく」
その良清も、いまは衛《え》門《もん》の佐《すけ》、目立つ緋《ひ》の色の衣《きぬ》で、得意満面のすがただった。
明石で見知った、だれかれが、そのころとうって変って花やかにときめいていた。
若々しい、身分たかい殿ばらが、われもわれもと派手に着飾り、馬や鞍《くら》まで飾りととのえて、伊達《だて》を競っているありさまは、明石からきた田舎者たちの目には、壮観であった。
源氏の車を、明石の君は見るのも辛かった。
源氏は、昔の河原の左大臣の例を真似《まね》て、童《わらわ》の随身を帝から賜わっている。その少年たちは、美しい装束をつけて、みずらに結い、紫裾《すそ》濃《ご》の元《もと》結《ゆ》いもなまめかしく、身《み》丈《たけ》も姿もととのった一団で、めざましかった。
源氏の若君、夕霧も大切にかしずかれ、供の少年たちも揃《そろ》いの装束でりっぱだった。それにつけても、明石の君は、同じ源氏の子供ながら、わが生んだ姫君は物の数にも入らず、はかないありさまなのが悲しかった。
住吉のみ社《やしろ》の方を向いて心から、
(どうか、ちい姫にも幸わせをお授け下さいまし……)と祈らずにはいられなかった。
それにつけても、(こんなりっぱなご参詣にまじって、数ならぬ身がいささかの捧げものをしたとて、神さまは目にも止めて下さらぬであろう。といって、明石へ帰るのも心のこり、今日は難波《なにわ》に舟をとめて祓《はら》えだけでもしよう)
明石の君の乗った船は、淋しく住吉の浜を離れていった。
源氏は、そんなことを夢にも知らなかった。
摂津の守《かみ》が、源氏のもとにご機嫌うかがいに来て、ほかの大臣の参詣よりも、格別に心をつくして饗応《きょうおう》する。
源氏はその夜一夜、神の喜びたまう神事のかずかずをしつくし、にぎやかに夜を明かした。
惟光《これみつ》たちのように、源氏と苦労をともにした人は、神のご加護篤《あつ》かったことを感嘆していた。
「昔のことを思うと夢のようでございます」
と、惟光が、感無量の思いでいうのへ、源氏も、
「あの嵐《あらし》の怖《おそ》ろしかったこと。住吉の神、たすけたまえ、と念じたのをお聞き届け下されたのだな」
としみじみ、いうのだった。
惟光は、その顔色をみて、
「殿。じつは……」
と、明石の君が、源氏の参詣のにぎわしさに気おくれして、そっと離れていったことを告げた。源氏はおどろいて、
「そうか、それは知らなかった。かわいそうに……。あれ《・・》とは、住吉の神のおみちびきでめぐり合った仲ではないか」
走り書きの消息《たより》でもことづけたい、と思った。
住吉のみ社を出発して、所々の風光を賞《め》でつつ難波につき、祓えをする。所も、堀江であった。古歌の、
〈佗びぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思ふ〉
を、ふと源氏が口ずさんだのを聞いて、車にちかくいる惟光は、さっそく、ふところ硯《すずり》に、柄《え》の短い筆などをそっと、さし出す。
(いつにかわらず、気の利《き》く男《やつ》だ)
と源氏は好もしく、懐紙にしたためた。
「〈みをつくし 恋ふるしるしにここまでも めぐり逢ひける縁《えに》は深しな〉
やはり縁がありましたね、ここで逢えようとは」
手紙を、明石の家の事情を知っている下人にことづけた。
明石の君はうれしくて、涙がこぼれた。
〈数ならで難波のことも かひなきに など みをつくし思ひそめけむ〉
物の数にも入らぬわたくし、なぜこうも、あなたを愛してしまったのでしょう、というつもりだった。明石の君は、田《た》蓑《みの》の島で禊《みそぎ》をしたときのお祓えの木綿《ゆう》につけて、この手紙を返した。
(会いたいな……)
と源氏は吐息をついた。日も暮れ、夕潮が満ちて、入江の鶴が鳴き渡ってゆく。
そんな物あわれな夕に、手紙を受けとったせいか、いまは人目もかまわず、明石の君が恋しかった。
帰り道のあいだ中、明石の君のおもかげは源氏の心から去らない。
難波の入江に、遊び女《め》が集まってくる。色ごのみな若い公達《きんだち》は心ひかれるらしかった。
しかし源氏は、いろを売る女たちに関心はなかった。恋も情けも、女の個性あっての面白さだと思っている源氏は、誰かれの見さかいなく媚《こ》びを売る遊女たちを、うとましく見た。
明石の君は、源氏の一行をやりすごして、次の日に、住吉にあらためて参詣し、御供えもたてまつった。彼女も、わが身相応の、願ほどきのお礼まいりを果したわけである。
しかし、ゆくりなく源氏の姿をかいまみたので、物思いは深くなっていた。
(いまごろは、京にお帰りになったかしら)
と思うまもなく、使いがきた。
「近いうちに、京へ迎えたい」
という手紙である。
頼もしく、ねんごろに扱ってもらえることが、明石の君にはうれしかった。しかしまた、いざ、生まれ育った明石をはなれるとなれば、不安で心ぼそいことだろうと、思いなやむのであった。入道も、娘を手ばなす決心はつかないし、さりとて、このまま田舎で埋もれさすのもあわれだと、昔より物思いが尽きなかった。
かの、伊勢の斎宮《さいぐう》は、先帝のご退位のおり替られたので、母君の御息所《みやすんどころ》ともども、都へもどられた。
源氏は、昔にかわらず、御息所に求愛していたが、いまは御息所は、ふっつりとそういうことにはとり合わないでいた。
昔のあの、苦しみを二度とくりかえすまいと、決心しているのであった。
御息所に対する源氏自身の気持も、われながら自信のもてないところがあった。
自分でどう変ってゆくか、知れないのだ。
身分がら忍びあるきも面倒になっているし、強《し》いて御息所と逢うこともしないでいた。
ただ源氏の心を捉《とら》えるのは、御息所の姫宮、かの、もと斎宮がどんなに美しく成長なさったろうか、ということである。
またしても、仄《ほの》かな男の好色《すき》ごころが、こんどは、より若い姫君への好奇心となって、抑えても抑えても、ひそかに湧《わ》き出る。
御息所は、帰京後もやはり六條の旧邸にいた。邸を、きれいに修理させて、そこに姫君と二人で、みやびやかに暮らしていた。
高雅な趣味人らしい、風流な住まいだった。
上品な女房たちも多く、そうなると自然に教養ある人々や文雅の道にたけた男たちも集まってくる。
それで、物淋しいようだが、一面また何かと気の紛れる折もあるのだった。
そのうち、御息所はにわかにわずらって、病の床についた。寝込むと御息所は心ぼそくなった。
(思えば、今まで娘について、神に仕える地に長年いたため、仏へのお勤めもなおざりにし、後世《ごせ》のことを心にかけなかった。いけないことだったわ……)
などと思いつづけて、とうとう尼になった。
源氏は驚いた。
今では色の、恋の、という筋の人ではないにしても、こよなき話相手と信じて慕っていることに変りなかった。その御息所の急な出家は、ある衝撃に違いなく、とるものもとりあえず、六條邸を訪れた。
「私にひとことのお言葉さえなく……」
といったきり、源氏は唇をひきしめて、涙ぐむのをこらえている。
御息所は、枕上《まくらがみ》に源氏の席をもうけ、自身は脇息《きょうそく》によりかかって、几帳《きちょう》ごしに会っていた。
源氏は御息所がひどく衰弱しているのを察することができた。
(愛していた。いまも愛している。それを、この女《ひと》は、ついに悟らずに終るのではないか)
と思うと、源氏は額《ひたい》に手をあてて、涙をまぎらさずにはいられなかった。
御息所の前にいると、源氏はたちまち、あの目もくらむような青春の愛欲の日々を思い出す。愛に憔悴《しょうすい》しつくして寄りそい、彼が与えた長い接吻《くちづけ》の記憶。
嫉妬の沈黙や、怨みごとに倦《う》みはて、果てしなくいがみ合いながら、また、時をへだてて会うと、ひとときも体を離していなかった。二人とももうすっかり知りつくしている、おたがいの恋ごころや躯《からだ》について、たえず、なりたての恋人同士のような新鮮な驚きをくり返しながら、愛の日々を飽きずに重ねていくのだった。傲岸《ごうがん》で、そのくせ傷つきやすく、相手の顔色に一喜一憂しながら、それでいて、平気でつれない仕打ちができた、あの恋の惑乱の日々。
源氏は、まだ自分の躯のそこかしこに、この貴婦人の口紅の痕《あと》が残されていそうな気がする。それを思うと、魂も昏《く》れまどうような思いに、胸しめつけられる。ひととせの秋の日、野の宮の別れに、源氏は御息所をかきくどき、
(もういちど、やり直したい……)
とすがったくらい、愛していた。
けれども、気位たかいこの女人《ひと》は、二人の愛の臥《ふし》床《ど》から起《た》ちあがり、二度と引き返そうとしなかった。それは、かつて、いかに彼女が源氏を熱愛していたかの証左《あかし》にほかならないではないか。
「あなた……お悲しみにならないで下さいまし。わたくしたちは、ほんとうにたのしい時を過ごしました。わたくしは、生涯に充分すぎるだけのものを、あなたから頂きました。嬉しゅうございますわ……でもただひとつ心のこりがあって、それを、あなたにお願いしとうございますのよ……」
御息所は、熱っぽい躯を苦しげに脇息にもたせ、きれぎれに、ささやくのだった。
源氏は、涙をこらえて必死に唇をかみしめながら、やっといった。
「何なりとも。あなたの仰せは命に更《か》えても」
「姫のことでございます。わたくしが亡きあと、心細い身の上になりますのを、どうかお心にかけてやって下さいまし。ほかに頼るかたもなく、ほんとにひとりぼっちの孤児《みなしご》の姫なのでございます。わたくしのような者でも、もう少し生きていれば、分別のつくまでそばにいてやれたのでございますが……」
と言いさして御息所は烈《はげ》しく泣いた。
「何をいわれるのか。姫宮には、あなたがいつまでもついていてあげなければ。そんな心ぼそいことを仰せられてはなりません。――お言葉がなくても、むろん、私は力のかぎりお世話するつもりだ。まして、あなたのねんごろなご依頼を受けては、どうして捨ておけよう。安心してお任せ下さい」
源氏が心こめてなぐさめるのへ、御息所は、弱々しいながら、凜《りん》としていった。
「お言葉はうれしゅう存じますが、ぜひこの際、はっきり申しあげたいことがございますの。お気を悪く遊ばしますな」
「私が、何を、あなたに対して今更……」
「姫の世話をお願いすると申しましても、決して、婀娜《あだ》めいたお心をお持ち下さいますな。――ほんとうに、実の父親に任せるときでさえ、女親のない娘はあわれなもの――ましてあなたが、色めいたお心で扱われましては、またしても女同士の恨みそねみの渦にまきこまれましょう。わたくしは、姫にだけはあの辛さを味わわせとうございません。嫉妬したり恨んだり、呪《のろ》ったり、身も世もなく恋い焦がれ、恋の手だれの男《ひと》に弄《もてあそ》ばれて傷ついたり……そういう地獄の憂《う》きめにあわせたくないのでございます。あの姫には、安らかで幸わせな女の一生を用意してやりとうございますのよ」
(やられた……)
と源氏は思っていた。
御息所は、源氏のひそかな、男の好色《すき》ごころを俊敏に明察して、さかしくも、釘《くぎ》を打ったのだ。その言葉には愛執の煩悩《ぼんのう》地獄を味わわせた人、源氏に対するひそかな怨《えん》嗟《さ》のひびきもあった。
しかし源氏は色にも出さず、まめやかにいった。
「近頃は私も分別ができましたよ。昔の色好みの癖がまだ抜けないようにいわれるのは心外というもの。ま、おいおい、お分りになるだろうが」
外はいつか暗くなっており、部屋の内には灯が点じられていた。仄かに、室内のありさまが透《す》いてみえる。
源氏はさりげなく几帳のほころびから覗《のぞ》くと、心もとない小《お》暗《ぐら》い灯《ほ》影《かげ》に、御息所はいた。髪を形よくきれいに切って、脇息に寄っている姿、やはり美しく情緒ふかく、絵に書いたようだった。
御帳台《みちょうだい》の東にいられるのが、姫宮らしかった。几帳が無造作に引かれて、すき間ができているので、そこから目をとめて覗くと、宮は頬杖《ほおづえ》をついて、物悲しそうに沈みこんでいられた。
ちらとみえるだけだが、たいへん美しげな乙女《おとめ》だった。髪のかかり具合、あたまの恰好、面《おも》ざし、上品でけだかく、しかも愛嬌があって、源氏はいよいよ心そそられる。ありていにいえば、源氏は、若く美しい姫宮を手に入れたくなっている。
しかし、母御息所が、ああも心配しているものを、とうてい裏切ることはできない、とも思い返すのだった。
御息所は、気分が悪いといって、女房に扶《たす》けられて横になった。
「失礼いたします。どうぞもう、お引き取り下さいまし」
「私がお見舞いにきてお具合がよくなられた、というなら嬉しいのだが。そんなにお悪いとは心配だ。どんな風なのです」
と、源氏が近寄ろうとするので、御息所は遮《さえぎ》った。
「病みやつれて、おそろしいような姿をしておりますのよ。どうぞ、このままで。昔のおもかげのままでお別れ下さいまし。いまわ《・・・》の際《きわ》にお目にかかれて思いのこすことはもうございません。日頃、気になっていたこともすっかりお話し申上げましたし……」
「私を頼りにして頂けて嬉しいですよ。故院が、姫宮を実の御子《みこ》として扱っていられたのですから、私も、妹のようにお世話します。いや、もう私もそろそろ、父親といっていい年頃になりましたよ。それなのに子供が少なくて淋しいところなので……」
などとこまごま、言いなぐさめて源氏は帰った。それからは、しばしば御息所を見舞ったが、七、八日して、とうとう、はかなくみまかった。
源氏は人の世の無常が今さら思われる。
青春の日の一つの夢を奪って、あの女《ひと》は逝《い》ってしまった。源氏は哀切な悲しみに打ちひしがれて、御所へも参内《さんだい》せず、仏事にあけくれていた。
六條邸には源氏のほか頼る人もなかった。
源氏は自身、命令をして立派に葬儀をとり行なった。
姫君がどんなに悲しんでいられるだろうと源氏は、くやみの言葉を伝えると、宮は、
「何もかも夢のようで、悲しみにぼんやりしております」
と、女別当《にょべっとう》(斎宮寮の女官)を介して返事をもたらされた。
「母君からのご遺言もございます。母君の代りと思《おぼ》し召して何ごとも遠慮なくご相談下さい」
と源氏はいった。そうして、精進《しょうじん》のあいだも、姫君にはいつもたよりをしてなぐさめた。
姫宮は、すこし心おちついてから、自身で短い返事など返される――はにかみやの若い姫宮は、自筆の返事など躊躇《ちゅうちょ》されたのだが、乳母《めのと》などに、たってすすめられたからだった。
雪やみぞれがかき乱れて降る、ものすさまじい日。
どんな思いで姫宮はこの空をながめていられることだろうと、源氏は使いを出した。
「いかがお過ごしですか。さびしい空もようですね。亡きひとの魂は、この冷たい空の、どこを天翔《あまかけ》っているのでしょう」
空色の紙に、薄墨の色のぼかしになっているのへ、心こめて書いた。若い姫宮の興をひきつけるように、入念にしあげた手紙なので、いかにも美しかった。
姫宮は手にとられて、
「まあ……」
と小さいためいきをつかれた。
「こんな念のこもったお手紙には、へたなお返事はさしあげられないわ」
姫宮は、母君の亡いあと、忍び泣かれることが多かったから、瞼《まぶた》を可憐に薄紅く腫《は》らしていられた。姫宮は十九になっていられたが、壮年《おとな》の男性のあしらいかたもわからず、途方にくれるばかりの、うぶで世なれぬ、純真な乙女であられた。
姫宮はいつまでもたゆとうていらしたが、
「代筆のお返事は、具合悪うございます。やはりお手ずから……」
とおそばの女房たちがたっておすすめしたので、薄墨色の紙の、香を焚《た》きしめて艶《えん》なのへ、墨つき濃く淡く、ほのかに、
「かなしみに心もくれるわたくしは、雪やみぞれと共に消えてゆきそうな気がいたします」
つつましい書きぶりながら、品よくおっとりと、御手蹟はすぐれて巧者というのではないけれど、愛すべく、また貴婦人らしい気高さがみえる。源氏は、姫宮が期待通りの女人であられるらしいことが、うれしかった。
そもそも、源氏は、この姫宮が斎宮として、伊勢に下《くだ》られた頃から、実をいうとひそかに注目していたのである。
いま、斎宮の任は果てて、神に仕える暮らしから解放され、若く美しき一人の姫宮として、源氏の前に出現された。
いわば源氏が懸《け》想《そう》し、言い寄っても不都合なことはなくなったのである。源氏の、いまの権勢、男としての自信からいっても、それは遂げられぬ恋ではあるまい。
しかし源氏は、亡き御息所が死ぬ間《ま》際《ぎわ》にいいのこした言葉を忘れることはできなかった。
源氏は、亡き恋人への愛に賭《か》けても誠実でありたかった。御息所の志にそむいてまで、姫宮をわがものにすることは、御息所にも姫宮にも、いたわしいことであった。――単なる漁色漢《すきもの》なら、強引にそうしたろうけれど、源氏はちがう。
(それに、だ。世間も御息所と同じようなことを、この私の上に考えているにちがいない)と、源氏は思う。
(あの男のことだから、こんどはきっと姫宮に言い寄るだろうと、目引き袖《そで》引き、しているだろう。よし。世間の思惑の裏をかいてやるのも悪くない。きっぱりと姫宮には手を出さず、清浄潔白な、父親役になろう。そして主上がお年頃になられたら、あの姫宮を、入《じゅ》内《だい》おさせ申して、いろいろお世話しよう)
そんな未来の計画を考えていると、それはそれでたのしかった。
源氏は壮年期を迎えながら、年頃の娘を持たないので、親友の権《ごんの》中納言が娘を入内させているのがうらやましかった。わが娘代りに、あの姫宮を大切にかしずき、万端《ばんたん》のお世話をして、後宮《こうきゅう》に送りこむ、というのも、すばらしい思いつきであり、こよない心なぐさめだった。
源氏は、ねんごろに心こめて姫宮のお世話をし、自身でも折々は、六條邸へ出かけていくようになった。
「失礼ですが、私を母君のかわりとも思し召して、お心安くおつきあい下されば、本望《ほんもう》でございます」
などと申しあげるのだが、姫宮はたいへんな内気で、引っこみ思案の方で、お返事など夢にもなさらない。
男性に、声をきかせることさえ、はしたないことだと思っていらっしゃる。
「あまりに、はにかみやでいらして……」
と女房たちは、気を揉《も》んで、姫宮の極端な内気を苦にしていた。
この六條邸に仕える女房たちは、女別当《にょべっとう》や内《ない》侍《し》といった、斎宮の女官たち、また、姫宮と遠い縁つづきの、身分卑しからぬ婦人たちなどで、見識もあり、趣味もよい女房が多かった。
(こういう人々がついているなら、入内されても、宮中でのつきあいや、ほかの女御におくれをとられることはあるまい)
と源氏は、ひそかに考えている。
それにしても――どうかしてはっきり、姫宮のご美貌を拝したいものだな、と源氏は心うごくのを抑えかねる。清浄潔白に父親役をつとめよう、と決心しながら、ふと、色めいた心のうごくとは、怪《け》しからぬ父親である。
源氏は、われながら、自信がない。
それで姫宮ご入内の件は、自分の胸ひとつに深く秘めて、誰にも明かさなかった。
そうして、亡き御息所の忌《き》日《にち》ごとの仏事をねんごろに営むので、姫宮家の人々は、ありがたいことと、喜んでいた。
姫宮にとって、はかなく月日は過ぎてゆく。
母君を失われた悲しみは深まるばかりであった。仕えている人たちも、しだいに暇《いとま》を取って散りはじめていく。
六條邸は、下京《しもぎょう》の京極《きょうごく》へんにあるので人《ひと》気《け》少なく、山寺の入相《いりあい》の鐘などが聞こえてくると、姫宮は悲しさと心細さに、またしても、ほろほろと涙をこぼされる。
姫宮と御息所母子は、世の常の親子以上に親密でかたときも離れず、ひしと寄り添って暮らしていられたのだった。斎宮に立たれたときも、前例を破って、母君がつき添い、もろともに伊勢へ下られたほどだった。
しかし死出の旅だけは、共に連れ立たれることはできなかった。姫宮はあけくれ、涙のかわく間もなく、泣き沈んでいられる。
ところが、姫宮のお悲しみに関係なく、求婚者は身分の高い人も低い人も、次々と現われた。
それぞれ、お仕えしている女房たちに縁故を求めて言い寄るのである。
しかし源氏はその点をきびしく注意していた。「乳母《めのと》といっても、決して無断で、勝手なことをしてはならぬ」と、いましめている。
源氏は、わが若い日の体験から、その間《かん》の消息に通じているのである。女房や乳母たちの計らいひとつで、どんな大事に到るかもしれない。世なれぬ深窓の姫宮は、運命には無力で、とても男から身を守るすべはご存じあるまい。
源氏が、親らしくきびしく注意するので、人々も恐縮して、ほんのちょっとしたことづてや、手紙の使いさえしないで、姫宮を守っていた。
さて、姫宮に求婚する人々の中に、かの退位された朱雀院もいられた。
朱雀院の恋は、かつて皇位にあられたころ、斎宮として伊勢へ下《げ》向《こう》される姫宮の、大極殿《だいごくでん》でのおごそかな別れの儀式に、「別れの小《お》櫛《ぐし》」を手ずから姫宮のおん額に挿《さ》された、その日からはじまっているのである。
朱雀院は、姫宮の美貌を忘れかねていられた。
斎宮の任解けて帰京なさったとき早速に、母君の御息所にお申し込みがあった。しかし御息所は、朱雀院にはすでにたくさんの女御がたがお仕えになっていらっしゃるし、また、院がご病弱であられることなど考えたりして、迷ってそのままになっていた。
御息所亡きいま、再び、ねんごろに、院からのお申し込みがあった。
源氏はそれを聞いて、兄君の院がそうまでご執心でいられるものを、横取りして、まだご幼少の帝にさしあげるのは気の毒な気がした。
しかし姫宮の愛らしい美貌を思うと、手ばなすのもいかにも残念な気がして、入道の宮に相談申しあげた。
こういうとき、内輪の秘密を、腹を割って議《はか》り合える相手というのは、源氏にとってはついに、この宮しかないのであった。
「実はこれこれの次第で、考えあぐねております。あの姫宮については、特別な縁がございますもので……。
それと申しますのも、ご存じでありましょうが、姫宮の母君の御息所のことでございます。御息所はたしなみ深い、りっぱな貴婦人でいられましたが、私のために、あるまじき浮名を流され、私を怨まれたまま、世を去ってしまわれました。それでも、亡くなられる間際に、姫宮のことを返す返すもお頼みになられました。さすがに、私を頼りにされたのかと思いますと、申しわけなくて、これはぜひ姫宮をりっぱにお世話申して、御息所の霊をおなぐさめ申したいのです。つれなき薄情男《もの》よと怨まれた残念さを、雪《すす》ぎとうございます」
源氏は、姫宮を、朱雀院よりも、帝にさしあげたい本意を洩らした。
「主上はまだ幼くていられるものですから、少しは物の分別のつかれた女人が、おそばについておいでになるのもよかろう、と存じますが……。むろん、これもお心次第でございますが」
宮も、心を割った返事を、源氏にお与えになる。
「それは結構なご配慮と存じます。院がご所望になっていられるのに申しわけないようですけれど、御息所のご遺言を口実にして、知らぬ顔で帝に差しあげられればいかがでしょう。院はいまは仏道のご修行に熱心だともうかがっておりますし、そうなっても格別のご不興もなかろうと存じます」
「では、帝からの思し召し、というようにつくろって、私は、姫宮に入内のお口添えだけいたしましょう。いや、姫宮の、お身のふりかたには、ほとほと考えぬきました。宮にはこうして、内情をすっかりお話し申上げ、私の気持もおわかり頂けたかと存じますが、世間の人々は、またどう噂いたしますことやら」
源氏は、宮と微笑を交した。
それは二人の長い心の交流を思わせる。いつのまにやら、源氏も、そして宮におかれても、世を動かす権力者、長老《おとな》の世界へ入りつつあるのであった。
おとなの策謀で以《もっ》て、若い世代を支配しつつある年頃になっているのだった。源氏と宮との会話に、政治的思惑が入り組んでくるようになっていた。
二人の会話のうちに、可憐な姫宮の運命は定められてゆく。
源氏は、入道の宮のご助言通り、知らぬ顔で、まず姫宮を二條の院にお移しすることにした。
紫の君に事情を話して、
「お話あいてとしてはちょうどよいお方だと思うよ。同じようなお年ごろだし」
といったので、紫の君は嬉しく思って、姫宮を待ちかねていた。
入内といえば、もうひとかた、兵部卿の宮が姫君を早く入内させようとしていられる。
入道の宮は、源氏が、兵部卿の宮と親しくないので、どうなることかと心配していられる。
さきに入内された権中納言の姫君は、弘徽《こき》殿《でん》の女御と申しあげるのだった。そのかみの弘徽殿の大后は伯母《おば》上にあたられるのだが、この新しい弘徽殿の女御は、ういういしい少女の姫でいらした。太政大臣のご養女として、きらびやかにかしずかれていられる。
主上はおん年十一歳で、女御も同じようなお年ごろ、よい遊び相手になさっていて、ご結婚とは名ばかりである。
「兵部卿の宮の、中の姫君も同じようなお年ごろで、まるで、これではままごとです。お年上のおとなびた女性がおそばについていて、何かとお話し相手になれれば、主上のお心のご成長にもよろしいことでしょう」
と入道の宮は仰せられた。宮は、源氏が、何くれとなく幼帝のお世話、公的なご後見から日常の些事《さじ》にまで心をくばってお仕えするのを、うれしく頼もしく思っていられた。
それにつけても、少年から青年に変られる時期の帝のご教育に必要なのは、心ざまふかい、たしなみある年上の女人の存在である。近ごろは病いがちな宮は、ご自分の代りになる年上の女御の必要を、痛感されていられた。
露しげき蓬生《よもぎう》に変らじの心の巻
源氏が須磨《すま》・明《あか》石《し》にさすらっていたころ、都でも嘆き佗《わ》びている女人《にょにん》は多かったが、それでも、生活に不安のない身分の人々は、まだよかった。
紫の君などもそうである。経済的に恵まれた立場にある上、たえず便りは交しあっていたし、季節ごとの装束《しょうぞく》をととのえて送ったりして、気のまぎれることも多かった。
しかし、あわれなのは、源氏に一、二度、うすなさけをかけられてそのまま、忘られた女人たちだった。恋人の数にも入れられぬまま、源氏の都落ちをよそながら聞いて、人知れず悲しんでいた。
常陸《ひたち》の宮の姫君、末摘花《すえつむはな》も、じつはその一人だった。
父宮が亡くなられたあと、心細く、暮らし向きにも事欠くさまだった姫君が、思いがけなく、源氏と結ばれ、源氏の庇護《ひご》を受ける身となった。それは、姫君にとって、降って湧《わ》いたような幸運であった。源氏は、この醜い姫をあわれんで、生活の面倒をよく見た。
それは、源氏の威勢からすると、ごく些少《さしょう》なことだったけれど、受ける身とすれば、大空の星の光を盥《たらい》の水に映したように、身にあまる幸わせだった。
姫君一家はおかげで安らかに暮らしていたのだが、源氏の政治的失脚と共に、その平安はいっぺんに覆《くつがえ》った。
源氏は、わが身の憂《う》さにかまけて、殊更《ことさら》ふかい仲でない関係の女人たちのことは思い出しもしなくなり、うち棄《す》てたままになった。まして須磨へ落ちてからは、愛してもいない女性たちへ、わざわざ便りをすることなどは、絶えてなかった。要するに、末摘花の姫君は捨てられたのである。
源氏が都を離れてのちも、まだしばらくは、彼の援助の名残《なご》りで、生活はできた。
末摘花は、源氏の不運やわが身の薄幸を思って、泣く泣く過ごしていた。
やがて、ひと月たち、ふた月たち……半年一年とたつうちに、生活の困窮は深まっていった。
古くから仕える女房たちは心ぼそさに、寄るとさわると、
「なんとまあご運の悪い方でいらっしゃるんでしょうね。神か仏のような源氏の君が現われなすって、こんな結構なことも世の中にはあるものかと有難く思っていましたら、一転してまた不幸になられて……」
「よくせき、姫君は、ついていられない方《かた》なのねえ……」
と呟《つぶや》きあって嘆いていた。
貧しさに慣れていた昔は、それが当然と思い、気にせずに暮らしていたのであるが、なまなか、源氏の庇護で、ひとときいい目を見たあとは、誰もみな、いっそう今の貧苦が辛《つら》く思われるのであった。
源氏が面倒をみていたころは、物の役に立つ心利《き》いた女房たちも、自然に集まってきて、この邸《やしき》に仕えていたのであるが、今はその人々も、次第に離れ散っていった。
また、亡くなった者たちもあり、月日の経《た》つにつれて、仕える者たちのうち、身分高きも卑しきも、人数が少なくなっていった。
もともとから荒廃していた邸は、いよいよ狐《きつね》の棲《す》みかのようになって気味悪かった。
物寂しい木立に、
ホウ!
ホウ!
と梟《ふくろう》の声も朝夕聞かれる。
人かげが少なくなったので、木《こ》霊《だま》などの妖《よう》怪《かい》が、あやしいすがたを見せ、仄暗《ほのぐら》いかわたれどきなど、邸内をわがもの顔に翔《かけ》るのを、人々は感ずることができた。
わずかに残って、姫君に仕えている女房たちは、もう、おそろしくて気味悪くて、たまらなかった。
そういう邸に目をつけて、
「手放されるおつもりがあるなら、ぜひ、お譲り下さい」
と、人を介して申し込む者がある。
裕福な受領《ずりょう》などで、いまどきにない、古雅なおもむきある邸が気に入ったらしかった。荒廃してもさすが宮家だけあって、庭の木々さえ、由緒《ゆいしょ》ありげなので、買い求めて手入れしてみたい、と思うのであろう。
「いっそ、そう遊ばしてはいかがでございますか。ここはお売りになって、手《て》狭《ぜま》でも、こんな怖《おそ》ろしげでない所へ、お移りになったほうが、お心も晴れましょう」
「このままでは、お仕えする者たちも、恐ろしゅうございます」
女房たちはそうすすめたが、姫君は、
「まあ、よくもそんな……とんでもない」
と首を横に振るのだった。
「世間の聞こえもわるいことだわ。私の生きているかぎりは、この邸を売って跡形《あとかた》もなくしてしまう、などということはできません。こんなに恐ろしげに荒れ果ててしまっても、私には父宮や母君のおもかげが残る古いすみか、と思えば、心がなぐさめられるのよ……」
と、泣く泣くいうのだった。
手まわりの道具類なども、たいそう古風で、よく使いこまれた時代ものの美しい品々だった。世間には、そんなものに生半《なまはん》可《か》な趣味のある人々がいて、「故宮が、なにがしという名細工師にお造らせになったものだ」と由緒を知り、これもまた、
「お譲り下さい」
と申し込んでくるのも、貧しい邸と侮《あなど》ってのことらしかった。女房たちは、
「世間でも、よくあることで、どちらさまでも、不《ふ》如《にょ》意《い》な時はお手放しになるものですよ」
とすすめ、目の前の生活難をしのごうとするのだが、末摘花はどうしても、諾《き》かないのであった。
「父宮が、私に使うようにと作らせておいて下すったのよ。それをどうして身分低い人たちの家の飾りになどできましょう。父宮のお志にたがうような悲しいことは、したくありません」
女房たちは、ひそかに、
「そうおっしゃっても、誰ひとりあてにするかたもないお身の上なのに……」
「――お叱りになるけれど、売り食いせずにこの先、生きてゆけるとお思いなのかしら?」
「誰ひとり、見舞って下さるかたとてないじゃないの……」
とささやきあっていたが、そのうちの一人が、
「でも、そういえばほら、あの、姫君の兄上、禅《ぜん》師《じ》の君がお見えになるじゃないの」
「まあ、あのかたでも数のうちに入るの?」
女房たちは顔を見合わせ、堪えかねたように、ぷっと噴き出すのだった。
女房たちの忍び笑いも尤《もっと》もなことで、末摘花の姫君もかなり変った女性だが、兄君の方も、負けず劣らずの変人だった。
この、姫君にとってたった一人の同胞《きょうだい》である禅師の君は、早く仏門に入って、山に籠《こも》って修行していた。たまに都へ出てくると、それでも邸へちょっと立ちより、
「やあ。どうかね」
と声をかけるのだった。
いつも同じ言葉である。
姫君の返事も、きまりきったものである。
「べつに、変りはございません」
「あ、そう」
それだけでまた飄々《ひょうひょう》と去っていく。
禅師は、全く、世にも珍しいほど古風な人柄で、その浮世ばなれしたことといったら、ちょっと類がないほどだった。僧侶《そうりょ》というものは、世間の俗事からかけはなれているのが常とはいえ、この人はその中でも特別だった。
普通の生活常識のある男性なら、繁りに繁った蓬《よもぎ》や八重《やえ》葎《むぐら》を刈らせ、鬱蒼《うっそう》と枝を張った木々の梢《こずえ》を払わせたりして、女ずまいの荒れた邸をさっぱりと明るくするよう、助言したり命じたり、するであろう。
しかし禅師は、そんなことを考えつきもしない風で、腰まで繁った草をかきわけて訪れ、「あ、そう」ときまった言葉を交して、また平然と、草を踏んで帰るのであった。
こんなありさまなので、浅《あさ》茅《じ》は庭を埋め、蓬は軒まで生えるぐらい繁っていた。
茨《いばら》の蔓草《つるくさ》が西や東の門を閉じこめて生《お》い繁ったのは、用心がよいけれど、築《つい》土《じ》の垣《かき》を、馬や牛が踏みならして、往来と区別のつかぬようにしてしまった。春や夏ともなれば、邸の青草をよいことに牛馬を放ち飼いする、図《ずう》々《ずう》しい牛飼の少年どもまではいりこんでくる始末。
八月、野《の》分《わき》の烈《はげ》しかった年に、遂に、渡り廊下も倒壊してしまった。召使いの住む下《しも》屋《や》などは、はかない板葺《いたぶき》だったから野分に吹きとばされて骨ばかりとなり、いまは下《げ》人《にん》さえ住んでいなかった。
朝夕の炊事の煙さえたたないことが多くていまは、食べるにもこと欠く、あわれなさまになってしまった。
盗人《ぬすびと》なども、さすがにこの見《み》窄《すぼ》らしい邸は見逃すのか寄りつきもしなかったから、こんな廃苑《はいえん》の奥にも、寝殿のたたずまいは昔に変らず、そのままだった。清掃する人々はもういないから、塵《ちり》は積もっていたけれど、飾りつけやしつらえは、昔ながらの宮家の品格を保って、末摘花の姫君は日を送り迎えしていた。
こんな窮迫した暮らしでも、物語や古い歌に親しんだり、また自分でも、歌のひとつも詠《よ》んでみようという気があれば、つれづれも慰められ、趣味の世界に遊ぶことができて、生活のたのしみも生まれたであろう。
しかし末摘花には、そんな趣味はなかった。
また、気心の知れた友と、四季折々の風趣につけて便りを交しあったりするのも、若い姫君たちには、たのしい社交であろう。だが末摘花は、父宮の昔のお躾《しつけ》通りに、世の中と心やすく交わろうとしなかった。父宮は、宮家の身分、皇族の誇り、というものを姫君にきびしく教えられたのだった。
結局、末摘花の姫君には、心をうちあけて話せる、女友達もなく、文通する相手もなかった。昔からのことなので、末摘花はかくべつそれを淋《さび》しいとも思わず、ときに退屈したときは、古びた御厨子《みずし》(置戸棚)を開けて、「唐守《からもり》」「藐姑射《はこや》の刀自《とじ》」「かぐや姫」などの物語を、絵に描いたのを取り出して、慰めに見ていた。
また、歌の本などといってもそれも、趣きある古歌を撰《よ》り出して、題や読人《よみびと》なども書き添え、見ても面白く仕立てたのは興があるが、模様もない、古ぼけた紙に、古い、何の取り柄もない歌など書きつけてある、そんなものの、どこが面白いのかと思われるようなものを、末摘花は幾度もながめて、淋しさをまぎらわせていた。同じ物語、同じ絵、同じ歌をくりかえしくりかえし、眺め、昔からのものを何一つ変えず、そして音なく、時はすぎてゆく……。
姫君の身にも、荒廃した邸の上にも、静かに、時の塵は降り積んでゆく……。
そんな末摘花の邸に、ある日、思いがけぬ訪れがあった。それは、来訪というより、闖《ちん》入《にゅう》というような訪れであった。
「まあ、よくもこう、荒れたものだこと」
草を踏み分けて、邸へ車を乗り入れさせ、無遠慮な声を放ったのは、末摘花の姫君の、叔母《おば》なる人であった。
この人は末摘花の母君の妹に当るが、一介の受領の妻になって、身分はずっと低くなってしまっていた。
娘たちをたくさん持って大切に養育しているので、適当な若い女房を求めていた。その邸へ末摘花の乳母《めのと》子《ご》、侍従は折々、通っていたのである。
読者はおぼえておいでだろうか――
かの源氏が、はじめて末摘花に通いそめたころ、口少なの、才乏しい姫君に代って、源氏に答えたり、返歌を代作したりした、機転のきく、若く美しき女房を。
彼女は、乳姉妹《ちきょうだい》である末摘花の姫君のために、心をこめて世話をし、仕えてきたのだった。
けれども、いかにせん、末摘花の許《もと》にだけ仕えていたのでは、主従、食べるにも事欠き、生活していけなくなってしまう。仕方ないので、侍従は、斎院《さいいん》のお邸へもかけもちでお仕えしていたのだが、その斎院も亡くなられたあと、いよいよ生活に困って心細くなってしまった。
そんなところから、末摘花の叔母君が女房を求めているときいて、「全然知らぬ所よりは、母も前に出入りしていた所だし……」と、折々勤めるようになっていたのだった。
末摘花は、人見知りする気性《きしょう》なので、この叔母とも馴《な》れ親しんでいなかったが、侍従が両方の邸へ通っているので、おのずとつながりは保たれていた。
この叔母君は現実的な人で、心よりは物を、名誉や誇りよりは、お金を大事にする人だった。
だから、宮家の気風とはまるきり違った。
「姉君は、もともと私を軽蔑《けいべつ》なさっていてね。私が受領の妻などになったのを、不《ふ》面目《めんぼく》なことに思っていられたのですよ。ご自分は皇族の北の方だと鼻にかけてらしてね。だから、いま姫君がお気の毒な様子でいられても私はお世話する気にゃ、なれませんよ」
などと、叔母君は侍従に悪口をいっていた。
しかし、そういいつつも、折々は、姫君に便りはことづけていたのである。
いったい、もともと生まれのよくない人は身分高い人の真似《まね》をして、上品ぶるのが多いものだが、この叔母君は、やんごとない家柄に生まれながら、かえって品下《しなくだ》って、卑しい心根になっていた。そういう生まれつきだったのかもしれないが、
(私のことを、姉君も、宮さまも馬鹿にしておいでだったが、こう落ちぶれられた今は、こんどはあの姫君を、うちの娘たちの召使いにしてやりたいものだ。気は利かなくて世間知らずだけれど、素性は安心できるし、世話役としてはいいかもしれない)
と思って、末摘花に折々、手紙を書いていたのである。
「時々はこちらへもおいでになりませんか。お琴の音《ね》を、お聞きしたがっている者たちがおります」
姫君は誘われても、腰を上げなかった。
侍従もすすめるのであるが、末摘花はおそろしく非社交的な人柄であるから、馴れ親しもうとしないのである。それは、人に侮られまいと、肩肘《かたひじ》張っているせいではなく、ただもう、ひどいはにかみやのせいだった。しかし叔母君は、なついてこない末摘花を憎らしく思っていた。
「久しぶりに、こうやって来たのは、よい話をお耳に入れたいと思いましてね」
と叔母君は得意そうにいった。
「うちの主人が、こんど大《だ》宰《ざい》の大《だい》貳《に》になりましたの。ええまあ、栄転ですわね。それで娘たちをそれぞれ適当な所へかたづけて、落ちつくのを見届けてから、筑《つく》紫《し》へ赴任しようと思います。それにつけても、やっぱりあなたのことが心配でねえ……。こんな心細い様子で置いたまま、遠い所へゆけませんよ。京にいれば、ふだん会わなくとも、近いから安心していられたけれど、遠くへいってしまうとなると気がかりで……」
と言葉上手に誘うのだった。
しかし末摘花は、筑紫へ下《くだ》るなどとは、夢にも考えられないことだった。
「いいえ……せっかくのお話ですけれど」
と口ごもっていうのを、叔母君は、
(憎らしい。何さまだと思ってるのかしら。いまでも常陸《ひたち》の宮の姫君だと、鼻にかけているのかしら)
と誤解して、不快そうな顔色だった。
「あなたねえ、もしかして、源氏の君のことをまだ思っているのじゃない?」
叔母君はいくぶん馬鹿にしたようにいい、末摘花は黙っていた。
「源氏の大将が、たとえ都へ戻っていらしても、こんな荒れ果てた藪原《やぶはら》に住んでいる、あなたのことなんぞ、もう忘れてしまっていられますよ」
「……でも、あのかたは、私を愛すると、いつまでも捨てないとお約束して下すったわ」
と末摘花はつぶやいた。
「何をおろかなこと。それは、男の口《く》説《ぜつ》の常ですよ。あのかたは有名な女蕩《おんなた》らしで、いままで何人の女にも、そんなことをいっていらっしゃるのよ」
叔母は床を叩《たた》かんばかりにして、いうのであった。
「ほかでもおっしゃったかもしれないわ。――でも、私にも、心こめて言われたの。あのかたが、嘘《うそ》をつかれるはずはないんですもの……、おやさしいあのかたが」
末摘花は、夢みるようにいうのだった。
「ま! なんという世間知らずのねんね《・・・》なんでしょう、あなたという人は! こんな赤ん坊のような人を欺《だま》すなんて、源氏の君もお人の悪い……。いいこと? 男というものは、女にものいうとき、意識せずに嘘をいってしまうのです。男と女のあいだの嘘は、嘘にならないの。そう思っていなくても、その場ではまことしやかにいうのが、世の常の男女の情、というものなのよ。そんな言葉を、真《ま》に受ける人がどこにありますか。何というお人好しだろう! そんな夢のようなことをいつまでも考えていないで、自分の身のふりかたを、ちゃんと自分で考えなければだめですよ」
末摘花は悲しくなって、萎《しお》れ、うつむいてしまった。
「源氏の君はね、あなたのことなんか、とっくに忘れてしまわれたにちがいありませんよ――こういっちゃ何だけど、とびぬけた美人でもないあなたを、本気にあのかたが愛されると思うの? いいえ、意地悪をいうわけではないのですよ。でも、はっきり言わないと、すこしひびきの鈍いあなたには、納得できないだろうと思って――。あのかたには、いずれ劣らぬ、花のような美女才女の愛人たちが、たくさん取り巻いていられるのですものね」
叔母君がそういうと、末摘花はいよいよ悲しみに堪えられなくなって、ぽたぽたと涙を膝《ひざ》に落した。それでも、どうしても叔母君について筑紫へ下る、とはいわなかった。叔母君は、
(何という強情な分らずやだろう。なんの源氏の君が、こんな醜い娘を思い出されるものか)
といまいましがっていた。
浮世ばなれた末摘花の邸にも、いつか、源氏が許されて帰京した、という喜びの噂《うわさ》が伝わってきた。
世間の人々は、争って源氏を迎え、自分こそ源氏の帰りを誰よりも待っていた、という様子を見せたがるのであった。源氏はそれら男や女の心の底を見る気がして、さまざまな感慨があったが、源氏を待っている一人である、末摘花の姫君のことは、すっかり忘れてしまっていた。
そうして、月日は経っていく。
(ああ……もう、あのかたとの間も、これきりなのだわ)
末摘花は悲しかった。
(これまで私は、あのかたのご不幸、ひいてはわが身の不運を悲しく思って、よそながらでも、どうぞまたご運の開けますよう、春が来ますようにと祈っていた。でもめでたくご帰京になったいま、下々《しもじも》の人まで春にめぐりあって官位が昇ったなどと喜んでいるのに、私はそれをよそに聞かなければならないのだ……。須磨へ流されていられた時の悲しみは、私の身ひとつで背負うように思ったほどなのに、その甲斐《かい》もなかったのだわ)
末摘花はそう思うとせつなくて、日も夜も忍び泣いていた。
「それごらん、私のいった通りでしょう」
と叔母君は、人々に嗤《わら》った。
「どうしてあんな貧しく落ちぶれた、みっともない人を、源氏の君などがまともに相手にされるものか。仏さまでもお坊さまでも、罪の軽いものからお救いになる、というじゃないの。あんなに落ちぶれていながら、まだ負けぬ気で意地を張って、父宮や母君の生きていられたときのままに、気位たかく持っているなんて、まあ気の毒といおうか、何といおうか――」
と、いまは末摘花を、すっかり馬鹿もの扱いにしていた。そうして、重ねて手紙で促してきた。
「やっぱり、ご一緒に筑紫へお下りなさいまし。またお気持も変りますよ。田舎《いなか》へ下ると思えばお気がすすまないかもしれませんが、私どもとご一緒なら、決して悪いようにはいたしませんよ」
末摘花自身よりも女房たちの方がすっかり乗り気になった。彼女たちは年来の貧窮生活に気を腐らせていたので、内々、
「叔母君のご好意をお受けなさればいいのに。今のままでは将来、なんのいいこともおありにならないのに……」
「また何を思って、ああも意地を張っていらっしゃるのかしら」
と、ぶつぶつ、不平をいい合うのであった。
中でも侍従は、辛かった。
「筑紫へお下り遊ばしませんと、私はお別れいたさねばなりません……」
「どうして? 侍従もいってしまうの?」
「夫が……どうしても私を連れてゆく、と申すものでございますから」
侍従には、いつか男が通うようになっていた。それは大貳の甥《おい》であったから、一族と共に筑紫へ旅立つのであった。
「本意ではございません。辛うございます」
侍従は、姫君を一人ここへ残すに忍びなかった。さりとて、契った男と離れることも出来ず、間に立って苦しんでいた。
「そう……侍従も行くの。私は、それでは、ひとりぼっちになってしまうのね……」
末摘花はさびしくつぶやいた。
「ですから、筑紫へご一緒にお連れしとうございます。どうぞご決心遊ばしませ」
「でも、あのかたは、いつか、きっといらっしゃるわ。いつか、きっと、私のことを思い出して下さると思うの……」
末摘花はすすり泣きつついった。絶えて久しい源氏の君の心に、まだ姫君は望みをかけていた。その泣き腫《は》らした顔に、鼻だけが、まるで赤い木の実を押しつけたように、目立つのだった。
冬がきた。
末摘花の姫君は、いよいよ困窮し果てて、より所もなく、寒いひもじい日々を過ごしていた。
一方、そんなこととは露知らぬ源氏は、故院の供養のため盛大な御八《みは》講《こう》を催して、世の中はその噂でもちきりだった。
ことに僧なども、なみの者でなく、学識すぐれ修行を積んだ、徳の高い僧ばかりを選んでいたので、末摘花の兄君の禅《ぜん》師《じ》も入っていた。禅師の君は、その帰りに邸へ立ち寄った。
ふだんならこの人は、「やあ、どうだね……あ、そう」で帰るのであるが、今日は珍しく昂奮《こうふん》のおももちで、熱心に話すのだった。
「いやあ、源氏の権《ごんの》大納言殿の御八講へ参ったのだがね。その尊くてありがたいことといったら、まるでそのまま、極楽浄土のような荘厳《そうごん》さだったよ。音楽も舞も、生きながら浄土を見るように結構であった。あの方は仏《ぶつ》菩《ぼ》薩《さつ》の化《け》身《しん》でいられるのかも知れぬ――あんな方が、五濁《ごじょく》の世にどうしてお生まれになったのだろうなあ」
そう夢中でしゃべって、禅師の君は、つい、とそのまま、帰ってしまった。
さすがに末摘花は、兄君の後姿を、ぼんやり見送って、さまざまな思いにふけらずにはいられなかった。
もともとこの兄妹は世間普通のきょうだいのようでなく、うちとけて世間ばなしをする、などという習慣はなかった。それにしても――兄君は、末摘花と源氏の仲を知らないこともなかろうに、妹の姫君が源氏に捨てられて困窮しているのは気づきもしないさまで、自分ひとり、言いたいことだけしゃべって去るのであった。そのへんが変人の所以《ゆえん》である。
兄君も兄君だが、こんなに困っておちぶれたわが身を思い出しても下さらぬ、とは、なんといううらめしい仏菩薩でいらっしゃるのか、と末摘花はさびしかった。
(やはり、あのかたとの縁《えにし》の糸は切れたのだろうか……いつかは、風のたよりにも、私の哀れな様子を伝え聞かれて、きっとたずねて下さると信じていた。そのために、荒れはてた家を手放しもせず、道具類を散らしもせず、貧しくとも昔のままにひしと守って、お待ちしていたのだけれど……。やはり、もうご縁はなくなったのかもしれない)
そう思いながらも末摘花の純真な心のおくそこには、源氏がかつてしみじみと聞かせてくれた愛の言葉や、情《じょう》のふかい約束が強く焼きつけられていた。
世なれぬ、おぼこな心のまま、年古《ふ》りた末摘花は、とうてい叔母君のいうように、あれが男のそらごと、いつわりの口《く》説《ぜつ》とは思えないのであった。
叔母君が突然やってきたのは、それからしばらくたった日であった。
平生はそれほど親しくもないのに、今日はどうしても筑紫へ誘おうという下心があるので、末摘花に贈る衣裳《いしょう》などを新調して携え、立派な車に乗って、意気揚々とやってきた。
案内も乞《こ》わず、無遠慮に車を乗り入れさせたが、門を開けるや、あまりに物凄《ものすご》く荒れた邸のさまにみなびっくりする。門の左右の扉もぐらぐらで、供の男たちが手伝って大さわぎで開けた。
人の踏み分けた跡ぐらいあるだろうと、道をさがす有様だった。
わずかに南面《みなみおもて》に格《こう》子《し》をあげた所があったので、車を勝手につける。
姫君は、(あるじの許しもないのに不作法な)と思ったが、しかたないので侍従が、呆《あき》れるほど古ぼけて煤《すす》けた几帳《きちょう》をさし出し、応対する。
侍従はこの年頃、不如意な暮らしで苦労したのでやつれ、おとろえているが、やはりどことなく小ざっぱりと風《ふ》情《ぜい》ある姿で、こういうと悪いが、姫君と取りかえたいような、綺《き》麗《れい》な若い女だった。
叔母は几帳をへだてて、末摘花に話しかけた。
「筑紫へ出発しようと思いながら、どうもあなたのことが心がかりで……。でもお誘いしてもお聞き入れがないので、今日はとりあえず、侍従の迎えだけでも、と参りました。あなたは私にいい感情をもっていらっしゃらなくて、ちっともお越し下さいませんが、でも侍従を連れてゆくのはお許し頂けるでしょうね。それにしても、こんなにまで哀れなご様子で……」
と叔母君はさも同情したらしくいうが、ほんとうは夫の栄転に得意で、その方に心をとられていた。
「故宮がいらしたころ、私のことを不面目な親類のように見下げていられたので、自然に疎々《うとうと》しくなりましたけれど、私の方はそんなつもりはありませんでしたよ。ただ、あなたが気位たかくて、それに源氏の大将などが通っていられ、たいへんなご幸運を射止められて、まあ、えらい前世の因縁《いんねん》をもったかただと、私などは畏《おそ》れ多くて、おつきあいをご遠慮していたのですよ。でも、こんなことになって、世の中というものは、ほんとに分らないものですわね。われわれごとき庶民は、かえって気楽ですわ。及びもつかないと仰ぎみていたあなたが、こんなに悲しい目にあわれるなんて、見ているのが辛くてねえ……。京にさえいれば、いつでもお世話できると安心するのですが、遠い所へいくとそれもかなわず、気にかかって、あなたが気の毒でなりませんのよ……」
叔母君はさまざまに語るが、皮肉やあてこすりがまじっていて、末摘花は気を許して答えることもできなかった。
「おさそい下すってほんとうにありがたいのですけれど、人並みでない私が、よそへいって何ができましょう。こうやって、ここでこのまま朽ち果てたいと思います」
とだけいった。叔母君は語気を強めて、
「そういわれるのも無理はないけれど、あなたもまだ若いのに、こんな気味わるい所で朽ちはてることはないじゃありませんか。そりゃあね、源氏の大将どのが、ここをつくろって面倒みて下さるとでもいうなら、この邸も玉の台《うてな》になり変るかもしれませんが、あの方は世間の噂では、ただいまは、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮の姫君、紫の上に首ったけで、ほかの女性には目もくれない有様でいらっしゃるそうよ。昔から浮気な方で、あちこちへ気まぐれに通われる所が多かったけれど、そんな方々ともみな、手を切っておしまいになった。まして、こんな見《み》窄《すぼ》らしい藪原《やぶはら》で暮らしている人を、いくら操《みさお》を立てて待っていた、といっても、尋ねて下さることなんか、万一にもないと思いますけどねえ」
と教え聞かせるようにいう。末摘花は、ほんとに叔母のいう通りかもしれないと、涙を拭きながら聞いていた。
それでも、叔母君に従って、田舎へ下るとはいわないので、叔母君も説きあぐねて、
「ではともかく、侍従だけでも」
と、日が暮れるのでせきたてた。
侍従は心もあわただしく、泣く泣く姫君にいった。
「それでは仕方ございませんから、北の方をお送りするだけでも、筑紫にまいります。北の方がいろいろと申されるのも道理でございますし、また、お姫さまがお悩みになるのも尤《もっと》もと存じます。私は中に立って、ほんとうに辛うございます」
とそっというのであった。末摘花は、侍従までが自分を見捨ててゆくのかと思うと、怨《うら》めしくも悲しくもあったが、さりとて、どうやってとどめ得よう。
声を放って泣くのが、せい一ぱいだった。
侍従にかたみとして、身につけた衣をやりたかったが、それはあまりに古び、汚れていた。侍従の長い献身と厚意に対して、むくいるべき何ものも、もはや末摘花にはなかった。
仕方ないので、自分の髪の毛の、抜け落ちたのを集めて鬘《かずら》にしてあるのが、九尺あまりもの長さで、たいへん清らかなのを、風情ある箱に入れ、また昔の薫《くの》衣《え》香《こう》の、とりわけいい匂いのするのを一壺添えて、侍従に与えた。
「いつまでも離れることがない、と思っていたのに……思いがけなく別れることになったのね。亡くなったばあやが、私のことを乳姉《ちきょう》妹《だい》のあなたに言い置いてくれたから、こんな私でも、見捨てないでいつまでも、一緒にいてくれると信じていたのに……。ふがいない私を捨ててゆくのも尤もだけれど、あとを誰に任せていくのかと、怨めしくて……」
末摘花はそういって、烈しく泣いた。
侍従も、泣き伏してものもいえない。
「母の遺言《ゆいごん》は申すまでもございません。今まで長い年月、共に苦労を忍んでまいりましたのに、思いがけぬ運命で、遠い旅立ちをすることになってしまって……。でもお別れしても、決して、お姫さまのことは忘れはいたしません。捨ててゆく、とはとんでもないこと、命あるかぎりは、気にかかります。いつかまた、たち戻ってお世話させて頂く日も、まいりましょう……」
さめざめと泣きながらいうのであった。
叔母君は、あちらでじれじれして、
「どこなの、侍従は。何をしているの、早くしないと日が暮れるのに」
という。侍従は車に乗ったが、心も空に、ふりかえりふりかえり、邸を去っていった。
この年頃、苦労をして佗《わ》びしい思いをしながらも、末摘花から去っていかなかった侍従が、ついに別れてしまったので、末摘花は心細さのどん底におとされた思いだった。
年老いた女房の、もうどこへいっても役に立ちそうもない者たちまで、
「そりゃねえ、侍従さんが出ていくのも尤もですよ。若い人が、どうしてこんな邸にいられるものですか」
「私たちだってもう、こんな所にがまんできませんものね」
と、それぞれの縁故を思い出して出ていこうとするのを、末摘花は耳痛く聞いていた。
十一月頃ともなると、雪・霰《あられ》の降る日が多く、よそでは消える雪も、この邸では、朝日夕日をふせぐ蓬《よもぎ》や葎《むぐら》のかげに深く積もった。まるで、越中《えっちゅう》の白山を見るように雪の積もる中を、出入りする下人とて今はなく、末摘花はぼんやりと、思い沈みつつ、時を過ごしていた。
以前はまだ侍従が、冗談などをいって末摘花を慰め、泣いたり笑ったりして、憂さをまぎらせてくれ、若い女の声をひびかせて邸を明るくしてくれたものであった。
しかし、もう、その侍従もいまはいない。
寒い暗い邸は、森閑《しんかん》として冷え切っていた。
夜も塵《ちり》の積もった御帳台のうちに、人けのない淋しさを悲しみつつ、末摘花は臥《ふ》していた。
(みんなに見捨てられ忘られて、やがてこの邸で朽ち果てるのだわ……)
末摘花の冷たい頬《ほお》を、涙が伝うのだった。
二條院の人々は、久しぶりの源氏が珍しくて、皆して大さわぎでとりまき、源氏は自由に外出もできぬくらいだった。それで、かくべつ大切にも思わぬ女たちの所へは訪れもしない。
まして末摘花のことは、まだ生きているかとふと思うことがある程度で、訪ねていく気もないまま、年も変った。
四月の頃だった。源氏は花散里《はなちるさと》のことを思い出して、紫の君にそれと告げて、忍びやかに出た。
長雨の名残りで、まだすこし雨もよいの、趣きある空に、やがて月が出た。若かりし頃の恋の冒険の記憶がよみがえってきて、そぞろ心も躍《おど》る、なまめかしい夕月夜である。源氏は、昔のことをとりとめなく思い出しつつ車に揺られていたが、途中、見る影もなく荒廃した邸の、木が繁って森のようになった所をすぎた。
大きな松に藤が咲き垂れ、風が吹くと花房は靡《なび》く。そこはかとなき香りが匂い立って、橘《たちばな》の香とはまた違ったゆかしさで、源氏は車の簾《すだれ》を上げて覗《のぞ》いてみた。築《つい》土《じ》も崩れているので、柳の枝は土につくばかり乱れ、枝垂《しだ》れていた。
見たような気のする木立だ……と源氏は思い、すぐ、(お。ここは……)と気づいて、車を停《と》めさせた。
「惟光《これみつ》。ここは常陸の宮の邸ではないか」
惟光は、昔からこういう微行《しのび》あるきにはおそば去らずでついてくる男だから、今夜も供をしていた。
「さようでございます」
「荒れているな。あの姫君はまだ住んでいるのだろうか。訪ねなければいけないのだが――わざわざ来るのは大層だ。ちょうどいい折だから、入って声をかけてみてくれ」
「かしこまりました」
「待て。様子をよく探ってから話しかけることだ。人違いすると恥をかくぞ」
源氏はのんびりという――源氏でさえ、まさか姫君がそのままでいようとは、信じられないのだった。
ちょうどそのころ、――末摘花は常よりもいっそう物思いに沈んでいた。今日、昼寝の夢に、亡き父宮のお姿をありありと見たからだった。
悲しい思いで目覚めてみると、長雨に廂《ひさし》の間《ま》は雨《あま》漏《も》りして、なさけないことになっている。末摘花は老《おい》女房たちに拭かせたり、片付けさせたりしているうち、ますます悲しくなってしまった。その思いが結ばれて、末摘花の心を動かすのか、いつになく、歌が唇にのぼってきた。
〈なき人を恋ふる袂《たもと》のひまなきに 荒れたる軒のしづくさへ添ふ〉
その歌を聞かせる人も、今は誰もいない。
末摘花は、月が出るころになってもそのままの姿で、物思いにふけった。父宮さまが、いっそこのまま、あの世へお連れ下さればよい、と思う……。
彼方《かなた》で、老女房たちがひそひそとさざめいている。一人がやってきて震え声でいう。
「お姫さま。庭にあやしいものの影がさまようております」
「どうしたの?」
「狩衣《かりぎぬ》姿の若いきれいな男でございます。狐《きつね》のばけものかもしれません」
女ばかりの住居なので、みな恐ろしがって月光の庭に、目を凝《こ》らした。
惟光は邸内へ踏み入って、めぐってみたがしんと静まって物音もしない。
(無人かもしれんな。今まで、道の往復に覗いても、人の気配もなかったからなあ)
と踵《きびす》を返しかけたが、折から明るくなった月影に、ふと見ると母屋《もや》の格子が二間ほど上げてあり、簾の動く気配がする。こんな場所では、かえってぎょっとするものだが、惟光は気を取直して近寄って声をかけた。
と、ひどく老いた声で、まず答《いら》えの咳払《せきばら》いをし、
「どなたさまですか?」
という。惟光は名乗って、
「侍従の君とおっしゃる方がいられたら、お目にかかりたいのですが」
「侍従はよそへいきましたが、身内のものがおります」
という声、そういえばひどく老いているが、惟光にも聞きおぼえのある、侍従の叔母の少将という老女である。
「そういわれるお声は、少将さんですね。私ですよ、わかりますか、惟光です」
「まあ、惟光さんだ、惟光さんだ」
「ほんとうに惟光どの。狐ではなかったのですね」
老女たちは驚き呆れ、集まってきた。
「確かな所をお聞かせ願いたいのですがね。こちらの姫君はもとのままにお暮らしですか? 実は殿がおたずねになりたい思《おぼ》し召しでしてね。お心変りなさらず、今《こ》宵《よい》も、行きすぎがてにお車を停められました。姫君のお心はいかがでしょう。ご遠慮なく話して下さい」
というと、老女たちは笑い出した。
「姫君が心変りなさるくらいなら、こんな浅《あさ》茅《じ》が原にいつまでもいられますものか。この邸の荒れようを見てご推量下さいまし。私どものような年寄りでも、こんな方は珍しいと思うくらいでございますよ。惟光さん、お殿さまにようく申上げて下さいましな、それはそれは大変なご苦労なされまして……」
とくどくどとつづきそうだったので惟光は閉口して、
「いや、よくわかりました。とりあえず殿にそう申し上げて参りましょう」
と、いそいで源氏のそばへ戻っていった。
「どうしてこうひまが掛った。姫君はどうだった。昔の跡も見えぬほど荒れているが」
と源氏はいった。
「どうだった、どころではございません」
惟光は邸内の荒廃したさまや老女房たちの話をした。
源氏はさすがに心動かされた。――あの末摘花のまじめで融通利《き》かぬ、ひたむきな気性からすれば、まことにそうもあろうと思われる。
それにしても、こう荒れ果てた住居で、若い姫君はどんな気持で朝夕、暮らしていたのだろう。今まで忘れるともなく忘れていたが、末摘花の方では、朝に夕に、自分の薄情さを怨んでいたかもしれない、と思うと、源氏は心が痛んで、あわれさにまぶたが熱くなった。
「どうしたものかな。ちょっと逢おうか。今夜のような忍び歩きは、今の自分には難かしくて気軽に出られない。こんなついででなければわざわざ出て来られないからね」
そういいつつも源氏は唐突すぎる気がしてためらう。相手が、世間並みの貴婦人であればまず優雅な歌を贈るのが礼儀だが、あの末摘花では返歌に手間どって使者が立ち往生するのが気の毒である。
えい、ままよ、すぐ逢おう、と源氏は車を下りた。あの人にはその方がいいだろう。
「どうも、蓬の露がたいへんでございますな。露払いさせてからお入りになりませんと」
惟光はいう。源氏はふと、口ずさまれた。
〈尋ねてもわれこそ訪《と》はめ道もなく 深き蓬のもとの心を〉
ぼうぼうと繁った草を踏み分けて、操を守ったあの姫君にあいにいく。それは、姫君の誠実に対する源氏のあわれみと感動であって、男が女のもとを訪れる心のときめきや恋ではないのだった。
惟光は、源氏がずんずんと入ってゆくのであわてて馬の鞭《むち》をもって草の露を払いつつ、案内した。雨のしずくも、秋の時雨《しぐれ》のように木々の梢からそそぐ。惟光は傘をさしかけて、
「お傘を召しませ。これではとんと、東歌《あずまうた》の通りでございますなあ。木《こ》の下露は雨にまされり、というところで」
それは、〈みさぶらひ御《み》笠《かさ》と申せ宮《みや》城野《ぎの》の木《こ》の下露は雨にまされり〉の古歌をいうのであろう。
源氏の指貫《さしぬき》の裾《すそ》は、濡《ぬ》れに濡れた。
昔でさえ、あるかなきかだった中門《ちゅうもん》は、まして今は形もなく、奥へ入るにつれて、いっそう無残なさまだったが、見る人もないのだけは気楽だった。
「お召物をお着更《きが》え遊ばしませ。ほれ、あの叔母君の、大《だい》貳《に》の北の方が賜わったお衣裳がございましたろう」
「お姫さまはいやな人のくれた物だからとおっしゃって、お召しになりませんでしたが、こんな場合、いたしかたございませんよ」
老女房たちは、大さわぎして、末摘花に叔母君の贈った衣裳を着せた。それは香《こう》の唐櫃《からびつ》に入れてあったので、よい匂いが沁《し》みついていた。
姫君は仕方なくそれを着て、まだ夢心地だった。
「お待ちになった甲斐がございました、今までのお怨みを、洗いざらいおっしゃいませよ。ご苦労のありたけをお訴えなさいまし」
老女房たちは口々にそういうが、姫君は、源氏のおとずれを知らされたとたん、今までの苦労も悲しみもすっかり忘れ果て、嬉しさのあまり呆然《ぼうぜん》としている。もしや、狐や物の怪《け》に誑《たぶら》されているのではあるまいかと、いまでも半分は信じられない。
しかし、例の煤《すす》けた几帳をへだてて、ゆっくりと座についたのは、まちがいもなく、現実の源氏だった。
「やっと逢えましたね。長い年月をへだてても、私の心は変っていませんよ。あなたのことはたえず思い続けていたのですが、あなたが何もいってきて下さらないのが恨めしくて、わざとそしらぬ風をしていたのです」
「私が、どうして。私の方からどうして申上げられましょう」
末摘花は、源氏の言葉をなんでも正直にとるので、ようやくの思いで、必死にいうのであった。その声も嬉し涙に語尾が震えた。
「今夜、お邸の前を通ると、もうどうしても行きすぎがたくてね。……意地張りの根くらべに、私の方が負けてしまった」
源氏が几帳の帷子《かたびら》をすこし払って見ると、末摘花は、昔そのままに恥ずかしげにうつむいて、身をすくめていた。
痩《や》せて栄養の悪そうな、尖《と》がった肩のさき、そそけた髪。姫君の姿のあわれさに、源氏の胸はいっぱいになるのであった。気のやさしい源氏は、姫君を捨ててかえりみなかった自分が、責められてならなかった。
源氏は末摘花の耳に、そめそめとささやく。まこと・そらごととりまぜて。しかし今はその虚言《そらごと》も、姫君への同情と苛責《かしゃく》の念で、妖《あや》しくも、真実《まこと》にすりかえられてゆく。その一瞬のあわい《・・・》のきわどいすれすれを、やさしい言葉で源氏は縫うのである。末摘花を抱きよせて、
「こんな草深い所に、長いこと心変りもせず、過ごしてこられたあなたの愛とまごころを、私はどんなに貴重に思っていることか。だが私の誠意も認めて下さいよ。自分が心変りしないからこそ、あなたをも信じて疑わなかったのですよ。それ、こうやって草深い露を踏み分けて来たじゃありませんか。……これからはもう、あなたを決して離しませんよ」
「私は、あなたがいらして下さると信じていました。いつかはきっと、と信じていました……」
姫君の口ごもりつつ、小声でいう言葉は、源氏と違い、本心からの叫びであった。
常陸の宮邸に、春がよみがえった。
源氏は昔に増した威勢であるが、昔よりも年たけ、思いやりふかく、よく気がつくようになっていたから、万端にわたってこまかく世話をする。
荒れた邸《やしき》を清らかに修理し、草も刈らせ、遣水《やりみず》も流れるようにした。仕える者の下々《しもじも》にいたるまで着るもの食べものの心くばりをし、人々は源氏の邸を向いて拝むくらいであった。
源氏は末摘花の、いつに変らぬつつましさ、内気さを、(やはりこの人の美点だなあ)と思うようになっていた。
世の人は、かくも劣った姫君を大切に扱う源氏の心をはかりかねたが、源氏は、いったんかかわりをもった女を、向うから去るならともかく、こちらからは捨てられない、男のやさしさを持っているからだった。
四散していた人々も今は争って、再び仕えたがっていた。よそへ勤めに出て、旧主人の善良さが思い知らされた者もいる。おっとりして人のいい末摘花に比べると、身分の低い受領《ずりょう》の家などに勤めて、あまりのせちがらさに興ざめ、現金にてのひら返したように戻ってくるのであった。
末摘花は二年ぐらいこの家にいたのち、新築成った東の院に迎えられた。
源氏はこの人と夫婦の暮らしをするということはもうなかったが、邸内に迎えてからは近いので、通りすがりに覗《のぞ》いて話ぐらいはしていき、決して軽《かろ》んじた扱いはしなかった。
かの叔母君――大貳の北の方が帰京したとき、打ってかわった末摘花の幸運をどんなに驚いたか、また侍従が、姫君の幸せを喜びつつも、もうしばらくそばにいて開運を待たなかった心の浅さをどんなに後悔したか――それらは読者の想像に任せよう。
古き恋にめぐり逢坂《おうさか》の関屋の巻
かつて、伊予《いよ》の介《すけ》といった男は、桐壺院がおかくれになった翌年、常陸《ひたち》の介《すけ》になって任国へ下っていた。
妻の空蝉《うつせみ》も、このとき伴われていったのである。
源氏の君が須磨へ流されていったことをはるかに聞いて、空蝉は人知れずいたましく悲しく思っていた。しかしその想いを源氏に伝えるよすがもなく、筑《つく》波《ば》山を吹く風にたよりをことづけたいと思っても、それも今さら、人妻の身で――と憚《はばか》られ、まったく消息《おとずれ》も絶えた日を重ねたのだった。
流された身であれば、いつまでと期限のない源氏の旅であったが、やがて許されて京へもどった。その翌年の秋、常陸の介も、これは任果てて都へ上ってきたのである。
常陸の介一行が逢坂《おうさか》の関に入る日は、ちょうど源氏が、石山寺に御《ご》願果《がんはた》しに、参詣《さんけい》する日だった。石山の観《かん》世《ぜ》音《おん》に、無事帰京のお礼まいりにきたのである。
京からは常陸の介の子で、紀伊《き》の守《かみ》などといった者たちが、迎えに来ていたが、
「源氏の君が今日、石山寺にお詣《まい》りに来られるそうですよ。偶然ぶつかってしまって」
と知らせたので一行は道中の混雑を恐れてまだ明け方に宿所を出た。
かなり急いだつもりだが、一行は女車が多く、道いっぱいになってわらわらと進むので思いのほか手間取って、日が高くなってしまった。
打出《うちいで》の浜へ来かかったころ、
「殿は粟《あわ》田《た》山《やま》を越えられた」
ということで、源氏の前《ぜん》駆《く》の者が道もいっぱいに立てこんでたいへんなさわぎである。
これでは、通るわけにいかない。
常陸の介一行は逢坂の関山で皆おりて、源氏の行列に道を譲り、やりすごすことにした。
ここかしこの杉の下に、牛をはずした車を据え、木《こ》隠《がく》れに畏《かしこ》まって待つのであった。
車などは一部は後《あと》へおくらせ、また、先発させたりしたのもあるが、やはり一族が多いので、多人数の一行なのだった。十台ばかりの女車がつづいていて、女たちの衣《きぬ》の袖口《そでぐち》や襲《かさね》の色が、下簾《したすだれ》からこぼれ出ていた。それらは、田舎《いなか》びないで、趣きありげに美しかったから、源氏の供人《ともびと》たちもみな、目を奪われるようだった。
源氏は、斎宮《さいぐう》の伊勢下《げ》向《こう》の折の物《もの》見《み》車《ぐるま》を思い出したりしている。
「誰の一行だ」
と問うと、
「常陸の介が任果てて上洛《じょうらく》したのでございます」
と惟光《これみつ》は答えた。
(さてこそ空蝉がいるのだ、あの中に――)
源氏は、ゆかしい女車の魅力が、納得できる気がした。いまも忘れられぬ、美しい人妻への思慕は、源氏の胸の底に燻《くすぶ》っていた。
「奇遇だな……そうか。空蝉が」
感慨こめて呟《つぶや》く源氏に、惟光は機敏に、
「衛《え》門《もん》の佐《すけ》をお召しになりますか?」
衛門の佐は、かつての小《こ》君《ぎみ》――空蝉と源氏の間を取り持った、空蝉の弟である。可《か》憐《れん》の少年だった小君も、今は青年となり、衛門の佐であった。
女も、さまざまな物思いがいちどに胸にあふれた。
九月末のことなので、紅葉《もみじ》は濃く淡くこきまぜ、霜枯れの草が黄ばんで美しい。野山の秋気は冴《さ》え冴えしたところへ、関屋の建物から、さっと風に吹き立てられるように、源氏の供の男たちが出てくる。色とりどりの旅衣の襖《あお》(裏のついた狩衣《かりぎぬ》である)には、繍《ぬ》いや絞り染めも面白く、美しい見ものであった。
再び権勢の座についた源氏は、昔にまさる勢いで、供人も数知れず多かった。
空蝉は、源氏の運命の好転をよろこびながら、ますます離れて遠くなってゆく人に、思いは深く心は乱れる。
源氏の車は、簾がおろしてあった。
長い長い源氏一行の行列が通りすぎたあと、弟の衛門の佐が、そっと空蝉の車に近づいてささやいた。
「おことづけがありましたよ、姉上。『今日、こうして関までお迎えにあがった私の心を、よも、思い捨てはなさるまい』と――」
空蝉は返事をしなかったが、心は追憶に濡《ぬ》れていた。彼女は心で、源氏に歌を返した。
〈行くと来《く》と せきとめがたき涙をや 絶えぬ清《し》水《みず》と人は見るらん〉
都を去って常陸へ下《くだ》ったときも、都へ上《のぼ》ってきたときも、せきとめがたい涙が流れたが、人は、それを逢坂の関の清水と見るであろう。人こそ知らね、空蝉の涙は、源氏のために流れるのである。
しかし、源氏はそれを知るよしもないだろうと思うと、女は、はかなかった。
源氏もまた、しみじみと、古い恋の一夜を思い返していたが、人々の手前、たちいったことづけも出来なかった。
源氏の心には、あの夜の空蝉のしぐさがまだ、色あせずとどめられている。嘆きつつ、ためいきつきつつ、やさしくも執拗《しつよう》にあらがいつつ、それでもついに源氏に抱かれたのであった。人妻が仇《あだ》し男に身を任せるとすれば、あれほどの悩ましき惑乱以上に、美しいものがあるだろうか。――そして、夢かうつつか、という思いを男に残して、彼女は二度と再び、恋の夜を重ねようとはしなかった。
それゆえに、源氏は、その思い出に惑溺《わくでき》して、ついに脱け出すことはできないのである。
源氏が石山寺に数日籠《こも》って去る日、衛門の佐が迎えに参上した。
「過日は申しわけございませぬ。お籠りのお供もせず、そのまま京に入ってしまいまして」
この青年が昔、小君といったころ、源氏にたいそう可愛がられて、五位に叙せられるまでは源氏の恩を蒙《こうむ》っていたのだった。そのあと、源氏の不遇時代、彼は権門ににらまれるのをおそれて、姉の夫について常陸へ下ってしまった。源氏はそれを少し面白くなく思っていたが、顔色にも出さない。昔のようにはないが、今でもやはり、親しい家来の中に入れていた。また紀伊の守だった男も今は河内《かわち》の守《かみ》にすぎなかった。その弟の、右《う》近《こん》の将監《ぞう》を解任されて須磨へ供をした男を、源氏は格別に引き立てているので、衛門の佐も河内の守も、今では、(あのときなぜ軽々しく時勢に媚《こ》びたのだろう)と後悔しているのであった。
しかし、源氏は屈託なく、衛門の佐を招いていうのだった。
「便りをことづけたいのだが。お前の姉に――。佐《すけ》、こうやっていると昔を思い出すね。あれから長い月日が経ったが、いつも昨日のことのように思われる。あいかわらずの色好み、とあの女《ひと》に憎まれるかもしれないね」
源氏はそういって手紙を托《たく》した。普通の男ならもう忘れていそうな古い恋を、まだ捨てない源氏に、衛門の佐は感動していた。
彼は姉のところへ、手紙を持っていった。
「ともかくお返事をさし上げて下さい。――殿は、昔よりは私に疎々《うとうと》しくなさるだろうと思っていましたのに、一向変らぬお心で、おやさしく扱って下さいます。それがありがたくて、こういうお文の取り次ぎはよくないと思ったのですが、とてもご辞退できなかったのです。ましてあなたは女の身ですから、こんな場合、お手紙のやりとりぐらいは誰も非難しないでしょう」
などというのであった。
空蝉は昔でさえ人妻の身にあるまじいことと、はずかしかったものを、年も重ね、月日もへだたった今は、よけいにためらわれたが、さすがになつかしさに堪えきれず、源氏の手紙を読んだ。
「あの日のめぐりあいは、やはり目にみえぬ縁《えにし》の糸で私たちがつながれていたからでしょうか。その名も逢坂の関、せっかくあなたに逢いながら、言葉すらかけられなかった。あなたのそばで、あなたを守っている関守《せきもり》が、私にはどんなにうらやましく、憎かったことか」
空蝉はやはり、返事を書かずにいられなかった。
「逢坂の関は、嘆きに逢う関なのでございました。すべて夢のようでございます。あのめぐりあいも、やがては遠い昔の夢になってゆくのでございましょう」
源氏の方はしかし空蝉を、まだ思いきっていない。恋しくもうらめしく、折々は空蝉の心を動かそうとするのだった。
さて、空蝉の夫の常陸の介は年老い、病い勝ちで心細くなったのか、息子たちに、
「何事につけてもこの人の心任せにしておくれ。私が亡くなっても私のいた時と同じように大切にしておくれ」
と、空蝉のことをくれぐれも頼んで、若い妻を残してゆくのが気がかりのようだった。
しかしついにはかなく、身まかってしまった。
先妻の息子たちが大事にしてくれたのは、ほんの少しの間で、だんだん空蝉に辛《つら》く当るようになった。
息子たちの中で、河内の守だけは、昔から空蝉に野心があり、親切を装ってしきりに近づこうとする。空蝉は継《まま》子《こ》のよこしまな恋もわずらわしく、世の中もうっとうしく、人にも知らさないで、ひっそりと尼になってしまった。
仕える女房たちは嘆き、河内の守もにがにがしがって、「何だい、貞女ぶって」と陰口をきいたりしているようだった。
春の梅壺に風流《みやび》をきそう絵合《えあわせ》の巻
前斎宮《さきのさいぐう》の御入内《じゅだい》のことを藤壺《ふじつぼ》の女院《にょういん》は熱心にうながされていた。
源氏は、
(姫宮にはとりたてて御後見の人がいられない。こまかなお世話をしてさしあげなくては……)
と思うのだが、退位された兄君・朱《す》雀院《ざくいん》のお気持を憚《はばか》って、表立った後見役となるのは遠慮した。
それで二條院へお迎えするのも思い止《とど》まり、表面は関係ない立場のようにつくろいながら、内々では、御入内の準備万端を、親代りにお世話していた。
朱雀院は、恋しい人を帝《みかど》に奪われるのを残念に思われたが、今となってはせんかたない。
お便りを交されるのも、もはや人聞きもわるかろうと断念していられたが、入内の当日、美《み》事《ごと》な贈り物をとどけられた。
すばらしい御装束に、御《み》櫛《ぐし》の箱、乱れ箱、香《こう》壺《ご》の箱など、すべてぬきんでた品のかずかずを、お心こめてととのえられたものだった。源氏が拝見することを予想して用意なさったものらしいが、わざとらしい感じも、ないではなかった。
ちょうど源氏が、姫宮のお邸に来合わせていたときだったので、女別当《にょべっとう》が、おくりものの品々を披《ひ》露《ろう》したのである。
源氏が御櫛の箱の蓋《ふた》を見ると、繊細な細《さい》工《く》の、じつに美事な珍しいものだった。
挿櫛《さしぐし》の箱につけられた飾りの造花にお歌が添えてある。
〈別れ路に添へし小《を》櫛《ぐし》をかごとにて はるけき中と神やいさめし〉
源氏はそれを見て、胸の痛むのをおぼえた。
朱雀院は昔から、おやさしいご気性《きしょう》の君でいられるので、このたびの失恋も、お怒りにはならず、ひそかなためいきと共にひとり嘆いていられるのみである。このお歌には、その怨《うら》みが静かに流れている。
――あなたが、そのかみ、斎宮として伊勢に出立《しゅったつ》されたとき、私は帝として、あなたに別れの小櫛を挿《さ》しまいらせた。思えば、あの別れの小櫛は、われら二人の仲の象徴のように思われます。神は、ついにわれらを結ばれなかった。別れるべき運命として、定められたのでしょうか。……
院のお歌からは、そんな切ないお気持が滲《にじ》んでいる。
源氏は、自分も無理な恋ほど執着する癖があるので、院の今のお心の辛さがよくわかり、おいたわしくてならない。
斎宮としてはじめて逢われたときにはじまった恋が、いまこうして年経て、斎宮の任解け、京へ戻られ、やっと思いの叶《かな》うときになったのに、突如、恋しい人は、他に奪われた。しかも、相手は弟君とはいえ、おそれ多くも主上であるから、あらがうすべはない。
朱雀院のご心中はどうであろうか。
今は御位《みくらい》も去られ、権勢も離れられた物淋《さび》しいお身の上を、恨めしく思《おぼ》し召すこともあろうかと、源氏はお気の毒な心地に責められる。自分が院のお身になっても、きっと心がさわぐことだろうなどと思うと、苦しかった。
(なんだってまた自分は、この姫宮を入内させようと強行して、院をお苦しめしたのだろう。……須磨へ流されたとき、院をひとたびはお恨みしたこともあった、しかし院のご本《ほん》性《しょう》のおやさしく、なつかしい方でいられるのは、自分はよく知っていてお慕いしていたものだのに……)
源氏は、あれこれ思い乱れて、お歌をじっとながめたまま、考えにふけっていた。
だが――。
人の子としての源氏は、兄君に心から同情し、いたわしく思いつつも、政治家としての源氏は、情《じょう》に溺《おぼ》れることはない。
姫宮もまた、政治家・源氏にとっては持駒《もちごま》の一つであり、当帝《とうだい》の後宮《こうきゅう》に納《い》れて、自分の権勢の一翼を担うべき役目をふりあてているのである。今さら、情に流されて、政治的意図まで塗り更《か》えるような男では、源氏は、ない。
「このお返事は、姫宮はどう遊ばされたか? まだこのお歌のほかに、お手紙もあったのではないか」
源氏は女別当に聞いたが、彼女たちは、さすがに院のお手紙までは、源氏に見せない。
姫宮は、お気分がすぐれないご様子で、お返事を書くのもおっくうに思われるらしい。
「お返事をなさらないのは失礼になりましょう。院におそれ多いことでございます」
と女房たちが口々にすすめる気配を源氏は聞いて、
「お返事なさらぬとは、とんでもないこと、形だけでもなさいませ」
と申しあげる。
姫宮は恥ずかしく思われたが、また昔のことも思い出された――あの伊勢下《げ》向《こう》の折、朱雀院が、清らかな美青年の帝でいらして、別れを惜しんで涙ぐまれた、そんなご様子を少《おと》女《め》心にも、やさしくなつかしいことと身にしみて感じられた……あのときは、おそばにまだ母君もおすこやかで、ついていて下さったものだった……それからそれへと思いつづけられると、姫宮は悲しくて、お返事はただ、
〈別るとてはるかにいひしひとことも かへりて物は 今ぞ悲しき〉
とだけ、したためられた。(伊勢下向の折、別れのお言葉をたまわりました。都へ帰ったいま、あのお言葉が今さらに思い出されて悲しゅうございます)
お使いの者には、さまざまな品がおくられた。源氏は、姫宮のご返歌をたいそう見たかったが、さすがにそれは憚られて言い出せなかった。
朱雀院は、女にも見まほしいほどの美男でいられる方で、それに姫宮もふさわしいお美しさではあり、お年頃も、ちょうどよいご配偶といえる。むしろ、まだ少年の主上とよりも、院の方が好伴侶《こうはんりょ》であろう。
それなのにこうも無理を押し通すのを、姫宮は内心、不快に思し召されているのではないかと、源氏は気をまわして考え、胸もつぶれるほど思い悩む。
しかし今になっては中止できることでもない。入内《じゅだい》準備も手ぬかりなく指図し、信頼できる修理《すり》大《だい》夫《ぶ》の、参議の人に入内の世話を言いおいて御所へ参内した。朱雀院に遠慮して、公的な親代りというふうにせず、ただお喜びを申上げにきた、というようにつくろっている。
以前から六條邸には、よい女房たちが多かったから、姫宮の――いや、もはや女御《にょうご》とお呼びせねばなるまい――おそばには優雅で高尚な雰《ふん》囲気《いき》があふれている。
(ああ。御息所《みやすんどころ》が世においでなら、どんなにこの御入内を喜ばれて、いろいろとお世話なさったことだろう)
と源氏は思った。それにつけても、あれほどの高雅な教養高い方はいられなかった、ほんとの見識ある貴婦人でいられた、と源氏は何かの折につけて、御息所を思い出すのである。
女院も、御入内の夜は、御所においでになった。
帝は、新しい女御が今《こ》宵《よい》、御入内なさるとお聞きになって、若者らしく緊張していられる。御年齢よりはおとなびた方なのである。
女院も、
「りっぱな方が女御として上られるのですから、お気をおつけになって、お会いなさいませ」
と教えられるのだった。
帝はお心に、(年上の女のひとというのは、気はずかしいな)と少年らしい気がかりをおぼえられたが、深更になって参られた姫宮をごらんになると、たいそうつつましやかで、おっとりとして、小柄な方だった。
華奢《きゃしゃ》で、繊細な、美しい姫宮である。
おとなの女、という気づまりな雰囲気はなくて、たいそう愛らしく、しっとりしていられる。
(綺《き》麗《れい》な女《ひと》だな)
と、帝は好もしく思われた。
弘徽《こき》殿《でん》の女御の方は、帝はふだんからお馴《な》染《じ》みになっていられて、仲よく親しみやすく、可愛く思し召され、よいお遊び友達だった。
しかし前斎宮の女御の方《ほう》は、これは人柄のおくゆかしい、おちついたかたで、すこし気が置けるし、源氏の大臣が後見して鄭重《ていちょう》に扱っているので、帝も重く見ていられる。
夜の御殿《おとど》(ご寝所)へ参られる機会は、どちらもひとしかったが、うちとけた子供らしい遊びには、弘徽殿の女御をお相手になさることが多い。昼なども、たいてい弘徽殿へお渡りになっている。
権《ごんの》中納言は、わが娘を将来は后《きさき》にも立てようという心で入内させたのに、いま新しい女御が参られて、帝の愛情を競うようになった状態を、安からず思っていた。
まして、斎宮の女御の後見をしているのは強敵、源氏である。
かつての親友同士も、歳月を経て互いに第一線の権力者として並び立つようになったいま、政敵として相まみえることになるのは、避けられない宿命であろう。
朱雀院は、櫛の箱のお返事をごらんになるにつけても、恋を忘れることはおできになれない。
そのころ、源氏は、参上したのである。
こまごまと親しくお話しているうち、話が前斎宮のことに移った。実は、源氏は、院がどう思っていられるか知りたくて、そちらの方へ話をもっていったのである。
ところが、院は、前斎宮をぜひ得たかった、というお気持をお打ちあけにならないのだった。
源氏もむろん、院のご執着を知っていることは、気ぶりにもあらわさない。
しかし、話題を、斎宮の姫宮の上に持ってきたとき、院のご様子に、静かに深いお苦しみの色があらわれるのを、お気の毒に見奉った。
お気持のやさしくて弱い院は、それでも、姫宮に恋していた、あの女人《ひと》を欲していた、とはついにひとことも、お口に出されないのであった。
源氏はそれをお気の毒に見上げながら、しかし一方では、またぞろ、男の好色《すき》心《ごころ》が抑えきれず湧《わ》いてくる――かくも、院が執着なさる、姫宮の美《び》貌《ぼう》は、どんなにすぐれたものなのだろうか。
ひそかに自分も想いを懸《か》けながら、ついに見ること叶わぬのを、源氏はくやしく、じれったい思いでいる。
姫宮は貴婦人らしくおふるまいの重々しい、たしなみふかいかたで、夢にもかるはずみなことはなさらない。もし子供っぽい方ならば自然に、姿や顔をかいまみることもあろうけれど、奥ゆかしくつつましやかなご様子で、后、女御と仰がれるにふさわしい女性でいらっしゃる。
源氏は、それをめでたく思いつつも、ひとり誰知らぬ心の内で、そんな女人に心惹《ひ》かれている。
あるまじきこと、とわれとわが心をいましめながら、すきごころを抑えかねている。
弘徽殿の女御と、斎宮の女御は、はなやかに、帝の寵愛《ちょうあい》をきそいあっていられた。
お若い帝のご趣味は絵であった。
お好きなせいか、ご自身でもきわめて巧みにお描きになる。
たまたま、斎宮の女御も、絵がお上手でいられた。帝はそのため、斎宮の女御にお心が移って、女御のお住みになっていられる梅壺《うめつぼ》に渡られ、一緒に絵を描いて興じられる。帝はことのほか絵を愛するものを親しく思われるようである。殿上《てんじょう》の若い人々の、絵をよくする者などにもお心をとめられ、目をかけたりなさる。
それぐらいなので、まして、美しい女御の、風《ふ》情《ぜい》ありげに、奔放に描きすさばれるさま、美しくなまめかしく机に凭《よ》りそうて、さて、この次はどう筆をおろそうかと、筆の尻を頬《ほお》にあててお首をかしげていられるご様子の愛らしさなどに、すっかりお心を奪われておしまいになった。
今ではしげしげと斎宮の女御の部屋にお渡りになり、目にみえてご愛情の深まさってゆくらしいのを、権中納言は聞いて、負けじと張り合った。もともと、負けずぎらいの、年《とし》甲斐《がい》もなく好戦的な気分の人なので、「なにを。それならこっちはこっちで」とふるい立って、絵の名人を呼びよせ、きびしい注文を出して、美事な絵を、いい紙に描かせた。
「物語を絵にしたものが、やはり見て面白いものだ」
と、趣きある物語を選んで描かせたりする。
例の、一年十二か月の行事や風趣を描いた絵は、よくあるものだが、詞書《ことばがき》を珍しく面白く書いて、帝にお目にかけた。
権中納言が入念に作らせたものなので、たいそう大事にして、帝にも気やすくお見せしない。まして帝が、斎宮の女御にも見せたく思し召して持ってゆかれようとするのを、ひきかくして拒むのである。
源氏はそれを聞いて、
「権中納言のおとなげなさは、相変らずだな。私と張り合う気は、昔と同じに、ちっとも変っていないらしいではないか。むりやりに帝にも隠して、勿体《もったい》ぶって見せぬとは、けしからんことだ」
と笑った。
「私の手《て》許《もと》にも、古代の絵はいくらもございます。早速、献上いたしましょう」
と主上に申上げて、二條院で古い絵や新しい絵の入っている厨子《ずし》を開かせ、紫の君と共に、今の時代に喜ばれそうなものを、あれこれ選んでそろえた。
このたびは、新女御のためにも「長恨歌《ちょうごんか》」や「王昭君《おうしょうくん》」などを画題にしてある絵は縁《えん》起《ぎ》がよくないとて、献上しないことにした。
いずれも、夫に死別する女の物語で、おめでたいご新婚の女御には、ふさわしくあるまい。
あの、須磨《すま》・明《あか》石《し》の絵日記の箱を取り出して、よい機会なので、源氏は紫の君に見せた。
事情をよく知らぬ者でさえ、涙をもよおすような、あわれふかい絵のおもむきである。
まして、源氏にも紫の君にも、堰《せ》かれて逢えなかったあの歳月の苦しみは、生涯忘られぬ悲しい記憶だった。源氏が京を去る日の別れ、嵐《あらし》の日の恐ろしさ、……須磨の絵日記を見る紫の君は、あのころのことがまざまざと思い出されて、
「どうして今までこれをお見せ下さらなかったの」
と怨むのだった。
「あのころ、この絵を拝見していれば、ひとりで心細かった思いも、少しはなぐさめられたでしょうに――あなたと同じところに住むような気持がして、ご不自由なお暮らしを一緒に経験するように思って、悲しみも紛れたでしょうに」
と紫の君がいうのも、源氏には可愛かった。
「それだから、あなたには見せなかったのだ――こんな絵を見れば、よけい、あなたは淋《さび》しくなるよ。わかれわかれに生きる辛さに堪えがたくなっていたろうね」
源氏の耳に、海の潮騒《しおざい》、雁《かり》の鳴く音《ね》がいまも残っている。あのすさまじくも物悲しい海辺に、とても可《か》憐《れん》な人を住ませられなかった。
流浪の辛苦も、自分一人で堪えて、源氏は紫の君には、その辛さを味わわせたくなかった。
愛する紫の君は、浮世の雨風にも当てず、ひたすら大事にして、庇《かば》いたいのである。
しかし、藤壺の中宮、かの女院には、わが越しかたのさまざまを、残らずうちあけたい。
女院には、ぜひ、この絵日記をさしあげたい、と源氏は思う。女院との長い、ふかい心の交流の歴史が、そう思わせるのであろうか。共有の記憶が重たいせいであろうか。須磨での謫居《たっきょ》中、源氏は贖罪《しょくざい》の精進生活にあけくれた。その罪悪感を共有するのは女院しか、いられないのだ。
絵日記の、ことに出来のよいのを一帖《じょう》ずつ、女院に献上すべく源氏は選んでいった。浦のありさまが、あざやかに描かれているのを見ながら、源氏は、明石の人は、どう過ごしているかと、ひそかに想う。
源氏がこうして絵を集めていると聞いて、権中納言も、負けじと絵巻物の製作に夢中である。
軸や表紙、紐《ひも》などいよいよすばらしいものを整えるのにけんめいであった。
三月の十日ごろのこととて、空もうららかに人の心ものびのびしてたのしげな季節である。御所でも、三月は行事のないときなので人々は閑暇《ひま》をもてあまし、絵の比べ合いなどにうちこんで日を過ごしている。
「同じことなら、帝が、より一そう興ふかく思し召すようにしてさしあげよう」
と源氏は思いつき、気を入れて絵巻物を集めにかかった。
弘徽殿方、梅壺方(梅壺は、斎宮の女御のお住まいになっていられるところである)、どちらもさまざまな絵を集めていられる。
人々のよく知っている物語を原作として、絵にしたものなどは、ことに面白みがあり、なつかしく思われるものだが、梅壺方は、その物語絵の、古典的な由緒あるものを、弘徽殿方は、当世風な目新しい作品を集めていられる。ちょっとみたところでは、弘徽殿のほうのが、新鮮で、派手にみえた。
帝にお仕えしている女房たちも、絵に趣味のある人々はみな、絵の批評をするのをこの頃の仕事にしていた。
女院も御所にいられるころで、あれこれ、絵をご覧になって、もともとお好きなこととて、勤行《ごんぎょう》も怠りがちになられるほどだった。
女房たちを左と右に分けて、絵の批評、論議を戦わせたりされている。
梅壺の方は左とされて、平典侍《へいないしのすけ》、侍従の内《ない》侍《し》、少将の命婦《みょうぶ》、右の弘徽殿方には、大《だい》貳《に》の典侍《ないしのすけ》、中将の命婦、兵衛《ひょうえ》の命婦などである。
いずれも当代の趣味人で、それぞれ見識ある女性たちだった。たがいに論評する応酬を、女院は興ふかくお聞きになる。
まず、物語・小説の鼻祖《びそ》といわれる「竹取物語」に「宇津保《うつぼ》物語」を組み合わせ、争った。
左方は、「竹取物語」の絵巻をもち出して自慢する。
「なよたけのかぐや姫の物語は、昔から伝えられた古いお話で、別に珍しいことではありませんが、かぐや姫の、この世の汚《けが》れに染まず、ついに月の世界へ昇っていくという筋立は、浅はかな凡人の思い及ばぬ趣向です」
という。右は反駁《はんばく》して、
「かぐや姫が昇天したというのは、あまりにも非現実的ですわね。竹の中で生まれたなどというのも身分卑しく、帝のお妃《きさき》にも立つことができませんでした。かぐや姫の求婚者たちも滑稽《こっけい》すぎて、品格が劣りますわ。安倍《あべ》の多《おおし》は、火に焼けない火ねずみの皮を持ってきたけれど、かぐや姫が火をつけると、めらめら燃えてしまうし、車持《くらもち》の皇子《みこ》は蓬莱《ほうらい》の玉を持ってきますが、それもにせものだと見破られるし、すべて、卑近な題材ですわ」
などという。「竹取物語」の絵は、巨勢《こせ》の相《おう》覧《み》、字は、紀貫之《きのつらゆき》が書いていた。紙《かん》屋《や》紙《がみ》に唐《から》わたりの薄絹で裏打ちして、赤紫の表紙、紫《し》檀《たん》の軸など、世によく見る装幀《そうてい》である。
右の方は、「宇津保」の主人公、俊蔭《としかげ》のことを、
「俊蔭は遣唐使として出帆したとき、はげしい浪風《なみかぜ》にあって、見知らぬ異国へ流されました。でもはじめに志した目的も果し、ついに異国の朝廷にも日本の国にも、音楽の天才の名を残しました。人間のたかい理想を追い求めたという点では、こちらの方がすぐれています。また、絵としても、唐や日本と、舞台が広いので面白く、変化がありますわ」
と自《じ》讃《さん》するのだった。
「宇津保」の絵巻は、白い色《しき》紙《し》に青い表紙、黄色の玉の軸である。絵は常則《つねのり》で、詞書《ことばがき》の字は道風《みちかぜ》の書いたもの、現代的で派手やかに見る目もまばゆいほどだった。
左方は、右側に言い負かされて、だまってしまったので、「宇津保」の勝ちになった。
次に「伊勢物語」に「正三位《しょうさんみ》」を組み合わせて論評したが、これも勝ち負けがきまらない。「伊勢」を弁護するもの「正三位」の物語を推賞するもの、女の議論とて果てしがなく、女院がついに、
「何といっても、業平《なりひら》の物語はやはりゆかしくて捨てられますまい」
とお言葉を洩《も》らされて、にぎやかな騒ぎを収拾なさるくらいだった。
ふつうの女房たちは、この絵合せを見たがって、焦《こ》がれるほどであるが、絵に心得のある人々以外は、女院も内密にしていられる。
源氏は御所へ参内《さんだい》して、このさわぎを面白く思った。
「同じことなら、主上のおん前でこの勝ち負けをきめたらどうだ」
といったので、ますます大がかりなことになった。
源氏は(こんなこともあろうか)と、かねて思っていたので、ことにりっぱな名作は手もとに残しておいたのだった。
こんどの絵合せには、それらに加えて、須磨・明石の絵日記・二巻も、思うところあってとりまぜて入れた。
権中納言の方も、もちろん負けてはいない。
いよいよ督励して、絵を蒐《あつ》めさせている。
ただいまの世の中は、面白い紙絵を蒐集《しゅうしゅう》することが、大流行となった。
「こんどの絵合せのために、新しく描くのはつまらないことだ。手持ちのもので勝負しましょう」
と源氏はいうのだが、権中納言は人にも見せず、秘密の部屋を作らせ、ひそかに描かせているらしかった。
梅壺方が勝つか、弘徽殿方が勝つか――。
それはやがてそのままに、女御方の地位の象徴のように、世間は見るであろう。負けられないと、女御方の庇護《ひご》者たちが挑《いど》みごころを持つのも、むりからぬことなのだった。
朱雀院でも絵合せのことをお聞きになって、梅壺の女御に絵をお贈りになった。一年中の節《せち》会《え》の絵に、延《えん》喜《ぎ》の帝が御手ずから説明を書かれた古い絵巻、また、ご在位中のおもな出来ごとを描かせられた絵巻などだった。
あの、斎宮が伊勢へ下向された日の大極殿《だいごくでん》の儀式の思い出は、その折ふとお心を捉《とら》えたはかない恋によって、いっそうお忘れになりがたい。
それゆえ、ご自身指図されて、巨勢《こせ》の公茂《きんもち》が美事に描き参らせたのをお届けになった。
やさしい透《すか》し彫《ぼ》り沈香《じんこう》の箱。つけられた造花。
贈り物につけられたお便りはなく、ご口上で左《さ》近《こん》の中将がお伝えした。
ただ斎宮の御《み》輿《こし》が描き添えられた絵のそばに、
〈身こそかく 標《しめ》の外《ほか》なれそのかみの 心のうちを 忘れしもせず〉
とだけある。
(あなたは雲井の上の人になられた。もはや位も下りた私には手の届かぬ人。しかしあのとき芽生えた恋を、私はまだ忘れてはいない)
前斎宮である梅壺の女御は、院のしめやかな、変らぬ求愛を、恐れ多くも心苦しくも思われた。そのかみの斎宮時代に使われた櫛に添え、
〈標《しめ》の内は 昔にあらぬここちして 神代のことも今ぞ恋しき〉
(世はうつり変りました。私の身の上も変りました。私にはあの斎宮のころがなつかしく思われます)
櫛を、薄藍《うすあい》の、唐《から》の紙に包んで、お返しとなさった。院はそのお返事を、限りなくあわれと身に沁《し》みて思われた。御位にあった世を、取り戻したいようなお気持さえされて、源氏のやりかたを薄情にも思し召したのではなかろうか。それも、源氏追放の返報というのかもしれないが。
いよいよ絵合せの日がきた。簡素なしつらえだが、風流ありげに場所をつくり、左右からさまざまの絵が持ち出される。女房の詰所である台盤所《だいばんどころ》に、帝の玉座を設け、北と南に分れて、女房たちは座につく。殿上人は後涼《こうろう》殿《でん》の簀《すの》子《こ》に、それぞれ味方する方へ心を寄せつつ座についている。
左は絵を紫《し》檀《たん》の箱に入れている。それを蘇《す》芳《おう》の木の台に載せ、敷物は紫色の唐《から》の錦《にしき》だった。台の上の打敷《うちしき》は、薄紫の、薄い絹である。
控えている女童《めのわらわ》は六人。
赤い袿《うちぎ》、桜襲《さくらがさね》の汗衫《かざみ》。袙《あこめ》は、紅《くれない》と、藤襲《ふじがさね》の織物である。赤・紫の装束で統一してある。
右は、沈香で作った箱に、浅香《せんこう》の木の机。それに敷く打敷は緑青色《ろくしょういろ》の高麗《こま》の錦だった。
組紐、机の足に至るまで、現代風で新鮮な感じである。
こちらの組の女童は、総体に、青っぽい装束である。
青い上衣に柳の汗衫。山吹襲の袙を着ていた。
少女たちは、帝の御前へ、絵の箱を捧《ささ》げて置く。
主上付きの女房たちは、前列と後列で、装束の色合を分け、それぞれ左方《ひだりかた》、右方《みぎかた》と応援する方の色を着て区別をしている。
帝のお召しで、源氏の大臣と、権中納言が参内する。ちょうど、帥《そち》の宮(源氏の弟宮)も参内された。
この帥の宮はご教養ふかい方で、ことに絵の趣味は群を抜いていられるので、それとなく源氏が今日の催しにおさそいしたのだった。
表立ったお召しでなく、殿上の間《ま》にいられたのを、帝の仰せで、絵合せの審判者となられることになった。
なるほど、すぐれた名画が次々にあらわれて、容易に優劣の判定はつかない。
例の、朱雀院が梅壺の女御に賜わった年中行事の絵も、古の名人たちが面白い画題をえらんで暢達《ちょうたつ》に描き流したさまは、いいようなくすばらしい。
が、また右方の、現代的な新しい紙絵もいい。紙幅に限りあるので、技巧をこらし、飽かせぬようにしてあるから、古画にも劣らない。全く、それぞれ美点、長所があって論争も充実したものとなった。
朝餉《あさがれい》の間《ま》のおん襖《ふすま》をあけて、女院もお出ましになった。
宮が、絵についてのご造詣《ぞうけい》の深い方でいられることを、源氏は知っている。源氏はゆかしい心持がして、折々の判定に心もとない折は、おうかがいすると、宮は適切なお言葉をはさまれるのであった。
勝負がつかず、とうとう夜に入ってしまった。
左、すなわち梅壺方から、最後に須磨の絵巻が出てきた。
権中納言は心が騒いだ。右の、弘徽殿方でも用心して、最後の巻はことにすぐれた名作を選んでとりのけておいたのであるが、源氏の、須磨の絵巻にはついに及ばなかった。
絵の才能に恵まれた源氏が、運命の転変に悲嘆し、人の生死や盛衰や、愛について、ふかく思いをひそめ、ほとばしる心を絵筆に托した巻々は、見る人の胸を打たずにはいなかった。
帥の宮をはじめたてまつって、見る人は、感動して涙をとどめることができなかった。
あのころ、源氏の不運に同情していた人々も、この絵を見て、今更のように、源氏の流浪の辛苦が思いやられるのだった。
秘境の荒磯や海辺の風景がのこりなく書きあらわしてある。
草書に平仮名をまぜ、折々の物思いなど書きちらし、あわれな歌なども、まじっているのだった。
人々はこのほかの巻々も見たく思った。
興趣はすべてこの絵巻に尽きるようで、これ一巻の圧倒的な勝利となり、ついに、梅壺方の勝ちにきまった。
夜も、あけ方ちかくなるころ、源氏はしんみりした気分になって、帥の宮と酒を汲《く》み交しつつ、昔ものがたりなどした。
「私は幼い頃から、学問に身を入れてきましてね。父院は、すこしは漢学の方でものになりそうだと思し召したのか、こんなことを仰せられました。
『学才というものは、世の中で重んずるせいだろうか、学問にはげむ人は多い。しかし、知識・学問の道でたいそう秀でた人が、長生きして幸福になったことはすくない。すべて、みな充分ということはありえないのだ。身分たかく生まれ、知識・学問によらずとも人に負けないでいられるものは、無理をしてまで、学問を深く学ぶことはない』
そう、教えいましめられました。そうして芸術の方面を習わせられましたが、私はこれが下手というものもなく、さりとて、これだけは、と特別に得意なものはありませんでした。それが、どういうものか、絵を描くことばかりは、奇妙に好きでしてね。
つまらないことだけれども、何とかして心ゆくばかりかいてみたい、と思う折々がありました。
それが思いがけず、遠い田舎《いなか》にさすらって、海辺の景色を実見することができました。絵の心というようなものを、会《え》得《とく》することができたように思います。
しかし、筆には限りがありますね。実際の景色にくらべたら、心では思っていても、中々、及びません。それで今までお目にもかけず、かくしておりました。
こんなついでがなくては、お目にかける機会もありませんでしたろうが、どうも何やら物好きな、とのちのちまで噂《うわさ》されそうで……」
帥の宮は、興ふかく聞いていられて、
「何の道でも、心をうちこまねば、習えないものですが、それぞれの道によって師匠があります。学ぶことのできるものは、深さ浅さは別として、おのずと、師風をうつしますね。
ところが、その中で、書と碁《ご》だけは、持ってうまれた天分のものがありますね。深い勉強をしていない、つまらない者でも、ふしぎにもすばらしく書いたり、碁を打ったりするものです。
名門の子弟の中には、やはり、器量すぐれ、何ごとにも得意な才能をもつ人があります。
父院は親王・内親王のどなたにも、それぞれの才を学ばせられました。しかし、あなたは格別熱心にお教えになり、その甲斐あって、
『詩文の才はいうまでもなく、そのほかの芸術的なことでは、琴《きん》の琴《こと》を第一として、横笛、琵琶《びわ》、箏《そう》の琴《こと》を次々に習いとった』と、故院も、おっしゃっておいででした。
世間もそう思っていまして、絵はただ、筆のすさび、なぐさみごとの余技をあそばす、と思っておりました。
それなのに、こうもけしからぬほどごりっぱに物されるとは。
昔の名人もはだしで逃げることでしょう」
と、酔ってたわむれられた。そして、故院のことを思い出されたか、ふと、涙ぐまれるのだった。
二十日すぎの月が出た。
月光はさやかでないが、空の匂いが美しい。
書司《ふんのつかさ》の琴を取りよせ、権中納言に和《わ》琴《ごん》を弾くようにいった。
彼は、実に和琴をみごとに弾く。帥の宮は箏の琴、源氏は琴《きん》、琵琶は少将の命婦が弾いた。
殿上人のすぐれたのを召して、拍子をとる役をいいつける。
たいそう趣きふかい音楽のつどいになった。
明け放たれてゆくにつれ、人々の顔も花の色もほのかにみえて、鳥のさえずりもはれやかに、心地よい春のあさぼらけだった。
御《ご》祝儀《しゅうぎ》の品は、女院の宮から賜わった。
帥の宮は、重ねて御《おん》衣《ぞ》をたまわった。
「あの海辺の絵巻は、女院のおんもとに」
と源氏が申しあげたので、中宮はその前後の巻もごらんになりたく思われた。
「いずれ、そのうち」
と源氏は申しあげる。
帝は、絵合せの催しがお気に召したらしく、源氏はうれしかった。
かりそめの、こんな絵合せにさえ、源氏が梅壺の女御に熱心に味方するので、権中納言はわが娘の弘徽殿の女御のご寵愛が押されはしないかと、心配でならない。
しかし、主上は、早くから馴れしたしんだ弘徽殿の女御に愛情をもっていらっしゃるので、(ついにはやはり、こちらの方が)と、権中納言は、それをたのみにしていた。
冷泉《れいぜい》帝の御代《みよ》の栄えと、源氏の栄《えい》華《が》は、幕が上ろうとしていた。
しかし、源氏は、反面、この世の無常を感じはじめている。
位《くらい》人臣をきわめ、二つとない栄光を手にしたときの、運命のおそろしさに脅《おび》えている。
人しれず、山里に御堂をつくり、仏像などを準備しているが、浮世のほだしになる愛児たちをどうするつもりなのか。
久しき別れに松風のみ空を通うの巻
東の院の新築が成ったので、源氏は花散里《はなちるさと》をまず移らせた。西の対《たい》から渡殿《わたどの》へかけてをその住居《すまい》とし、政所《まんどころ》(事務所)や家《けい》司《し》(執事)の詰所などもしかるべく設けた。
東の対は、明《あか》石《し》の君がやがて上京してきたときのためにと予定してあった。
北の対はことに広く作った。ここには、源氏が、たとえひとときでも、いとしく思い、行末《ゆくすえ》までも、と契った女たちをあつめて住ませられるようにしてあった。いくつかに区切りをし、やさしい心づかいのみられる建物である。
正殿はあけておき、源氏がときどきいって休息できるようなしつらえを、しておいた。
明石にはたえず、源氏はたよりをし、上京を促していた。
しかし女はまだ、ためらっている。
自分より身分もたかい、すぐれた貴婦人たちでさえ、源氏に愛されるでもなく捨てられるでもなし、という扱いをうけて物思いしている、という噂《うわさ》を聞いていた。――自分のようなものが、どれほど愛されていると大きな顔をして、彼女らの間に交われようか。
ちい姫がいるといっても、その母は無位無官の田舎ものの入道の娘だと知られては、かえってちい姫の恥にもなるであろう。たまに人目を忍んで、源氏がちい姫の顔を見にくるのを待つ、というだけでは、どんなに物笑いになるかしれない……。
そうは思いつつも、また一方では、ちい姫がこんな田舎に育って、「源氏の君のおん子」といわれることもなく終るのも、かわいそうな気がした。
それゆえ、源氏のすすめを気強くふりきることもできない。
とつおいつ、思い乱れる娘の心に、入道夫妻もまことに尤《もっと》もだと嘆いた。全く、上京してのちのことまで思いめぐらすと、ほんとうに気苦労なことではあった。
そういう折も折、入道はふと、思い出したことがある。
昔、入道の北の方の祖父君で、中務《なかつかさ》の宮と申しあげた方の御別荘であった所が、大《おお》堰《い》川《がわ》のほとりにあったが、そののち、しっかりした跡継ぎの方もなく、年来、荒れたままになっている。あれをこの際、活用したら、と思いついたのだった。
代々つづいて預かり人になっている男を呼んで、入道は相談した。
「私は世の中を思い捨てて、こんな田舎に引きこもってしまったが、この年になって、子供に思いがけぬ運命がおきてね。都に、住居《すまい》が要るようになった。急に町なかへはいるのもおちつかないものなので、静かな場所を、とさがしてね、昔のゆかりを思い出したのだ。造作の入費はむろん送るから、修理して、人が住めるようにして頂けないだろうか」
すると預かり人は答えた。
「年来、お邸《やしき》の持主もいらっしゃらず、物凄《ものすご》い荒れようです。私は下《しも》屋《や》に手を入れて住んでおりますが、この春頃から、内大臣様が造営なさる御《み》堂《どう》が近くて、あのへんも騒がしゅうございますよ。立派な御堂ができるというので、工事の人々がたくさん入りこんでいます。静かな所をおのぞみなら、あそこはふさわしくないかもしれません」
「いや、それはかまわんのだ。というのは、内大臣家といささかのつながりがあるので、近い方がいいのだよ。こまかい家内の造作はおいおいにするとして、とりあえず大体の修理をしてもらいたい」
と入道がいったが、預かり人の強い関心事は、邸のことではなく、別荘についている田畑のことらしかった。
「まあ、私の土地ではありませんが、相続なさる方がいられないもので、人里はなれた田舎のことではあり、のんきに暮らしてまいったんでございますが、……この、ご領地の田畑ですな、あれが荒れる一方でしたので、亡くなられた民《みん》部《ぶ》の大輔《たゆう》さまに譲り受けまして、相応の金は納めたんでございます。それで以《もっ》て、私のものになり、耕作しておるんでございますが」
預かり人は、それも取り上げられないかと心配しているらしかった。髭《ひげ》づらの、ひとすじ縄でゆかぬような男、鼻を赤くしてまくしたてていう。
「いやいや、その田のことなどは、こっちは一向に問題ではない。今まで通りでよろしい。土地建物の権利書はこちらにあるが、何しろ世捨人だから、長いことうちすてておいたものでね。そのうち、はっきり整理することにしよう。いや、何しろ内大臣どのが、早く早く、と上洛《じょうらく》をせかされるのでねえ。すまぬが、邸の修繕は大至急でたのむよ」
さすがに入道は、世捨人とはいいながら、こういう男を扱うコツはのみこんでいるのであった。そのへんの処世の才たけた人なのである。男は、内大臣家と関係のあることを仄《ほの》めかされると、あとが面倒と、それ以上強欲《ごうよく》なことはいわず、入道から多額の費用を受けとって、大急ぎで邸を造営した。
源氏は、入道一家がこんな心づもりをしているのを、むろん、知らなかった。
それで明石の君が上京をためらい、いやがるのを、どういう理由かと、いぶかしんでいた。
ちい姫を、いつまでも田舎におけるものでもなし、のちのちのためにも、田舎そだち、と嗤《わら》われては、と心配もするのだった。
そこへ入道から、これこれの所を思い出して修繕しました、といってきたので、
(なるほど。そういうことだったのか)
と源氏は合点し、入道の処置にも、明石の君の心づかいにも感心した。いかにも、適切で聡明な、彼女の身の処しかただと思った。
誇りたかい彼女は、人なかに出てまじらい、一つ家に住むのには堪えられぬのであろう。
また、入道の財力も、娘の誇りを支え得るのだ。それもさわやかな生きざまに思われた。
惟光《これみつ》は、源氏の内緒ごとにはいつもかかわっている男なので、今度も大堰にやって、あれこれの世話をさせた。
「ながめがよい所でございます。ちょっと明石の海辺の風《ふ》情《ぜい》がございます」
と惟光がいうのを聞いて、あの女《ひと》の住む山荘にふさわしいな、と源氏は思った。
源氏が作らせている御堂は、大覚《だいかく》寺《じ》の南にあたり、滝を見るたてものなど、趣きが深かった。
明石の君の住むべき山荘は、大堰川のそばで、松林のかげに建てられた簡素な寝殿など、かえって山荘らしい、さびしい風情でよかった。屋内のしつらえは、すべて源氏が心をつかってととのえた。そして親しい召使いを秘《ひそ》かに明石へやって迎えにいかせた。
明石の君は、もはやこうなっては、この地にとどまれなかった。しかし、いよいよ上京するかと思えば、長いこと暮らしてきたこの海辺をはなれるのも悲しく、年老いた父・入道をここへ一人残すのもせつなくて、心はみだれ、すべて悲しかった。
(どうして、わたくしの人生って、こうも物思いがつづくのかしら。なまじあのかたに愛されたのが、物思いのはじめだったのだわ)
と思うと、源氏とかかわりをもたぬ人がうらやましくさえ思われる。
両親の入道夫妻も、本来なら、娘が源氏に晴れて迎えられ、上京するということは、宿願を果した喜びのはずなのに、いざとなると、娘にも、ちい姫にも別れて暮らさねばならない。
「ああ、もう、ちい姫にも会えなくなるのか」
と入道はあけくれ、呆《ほう》けたようにそればかり、言い暮らすのだった。
母君も、これはこれであわれだった。母君は娘について京へ、入道はこの地にとどまり、夫婦はわかれわかれになる。
今まででも、入道が出家《しゅっけ》してからは、夫婦ともいえず離れて暮らしていたが、それでも娘を仲に、夫婦親子の縁をつないでいたのだった。入道は偏屈者なので、母君も苦労したが、ともに老い朽ちるまで、と夫をたのみにしていた。それを、この年になって、別れ別れにすまねばならないのだ。
若い女房たちは、都へ上《のぼ》れることを喜んではいたが、もう二度とここへかえらぬとなると、さまざま、感慨があるようだった。
秋のころだった。いよいよ出立《しゅったつ》という日のあけがた、明石の君は海を見ていた。秋風も涼しく、虫の音《ね》も繁きころである。
入道はいつもの後夜《ごや》(未明の勤行《ごんぎょう》)よりも、もっと早く、夜深いうちにもう起き出して、鼻をすすりながら勤行していた。めでたい門出に、涙は不吉と思いつつ、堪えがたいのだった。
三つになるちい姫が、なんにも知らず、
「おじいちゃま、おじいちゃま」
とまつわりつくのが、入道にはたまらない悲しみだった。愛くるしく美しいちい姫を、入道は珠《たま》のようにいつくしんできたが、都へ上ったら、おそらくもう生涯、あうことはできぬであろう。
〈行く先をはるかに祈る別れ路《ぢ》に 堪へぬは老いの涙なりけり〉
と入道はつぶやいて泣いた。
「ほんとうに、あなたと共に都をすてたこの身が、こんどは一人でまた都へ上ることになりましょうとは」
母君も、娘にはついてゆきたし、夫も心のこり、という思い乱れた心に、嘆くのだった。
「いまお別れしたら、いつお父さまにおめにかかれるかしら。せめて、都まで、ご一緒して下さいまし」
娘もそういうが、入道は、晴れの門出に、出家したものがつき添ってゆくのはよくないと、いさぎよく思いあきらめているのだった。
「私はねえ、あなたのためだけを思って、この地へ下《くだ》ったのだよ。都での出世は、私の性分に合わないこととあきらめて、ただただあなたの運命ばかりを念じて、この地で、心こめて育てあげた。だんだん美しく生《お》い立ってゆくあなたを見て、こんな田舎家で朽ち果てさせるに忍びないと、仏さまに願《がん》をかけた。幸いにも、仏神のおみちびきか、源氏の君とうれしいご縁ができ、ちい姫まで生まれた。ちい姫に別れるのは辛《つら》いけれど、すばらしい運をもって生まれた人だからね。私は、あきらめますよ。しばらくの間でも、私にたのしい思いをさせて下さったもの、とちい姫をありがたく思うよ。これも、極楽へいくための、一時の苦しみと思おう。長いお別れになるだろうね。私が死んだと聞いても、法要などはいらないよ」
そういいつつ、入道は、
「最後の最後まで、ちい姫のことをお祈りしているよ」
と、涙をこぼすのだった。
辰《たつ》の刻(午前八時)に船出した。
明石の君の心には、父・入道との別れのつらさもさりながら、都での生活に期待と不安がいっぱいだった。
源氏の君の愛は。
ほかの夫人たちと寵《ちょう》を争うことになるときの自分の誇りは。
ちい姫の運命は。
物思いにふける明石の君の黒髪を、海風は吹き払い、船はすべるように朝霧に巻かれて都へ都へ、とはしる。
順風に乗って船は予定した日に都へ入った。人目に立つまいとの配慮で、明石の君一行は、陸路も簡素な旅《たび》支《じ》度《たく》だった。
大堰の山荘は、風情があってよかった。それに水のほとりなので、年来住みなれた明石の海辺にも似ていて、所が変った気はせず、人々をおちつかせた。
尼君(入道の北の方)などは、昔のことを思い出して、しみじみすることが多い。増築した渡殿《わたどの》なども、おもむきありげで、遣水《やりみず》のさまも面白かった。
まだこまかい造作はできていないが、住みついているうちにだんだんよい風情になりそうな感じで、明石からきた人々は、この山荘を喜んだ。
源氏は事情をよくのみこんでいる家《けい》司《し》に指図して、到着の祝いをさせた。
しかし、自身でただちに出迎えにいくことができない。公務も多端な上に、紫の君に対してもどういう口実で家を出ればいいか、あれこれ考えているうちに、日はたってゆく。
(やっぱり、京へ上っても、すぐお目にかかることはできないのだわ……田舎で思っていた通りだった)
明石の君はそう思って、捨ててきたふるさとも恋しく、つれづれなままに、源氏が与えた形《かた》見《み》の琴《きん》をかき鳴らしていた。
源氏恋しさともつかず、久しき別れの怨《うら》みともつかず、やるせない思いのたかまるままに、明石の君は心ゆくまで弾いた。人もいないので気をゆるして弾きつづけていると、折から、松風が烈《はげ》しくあらく、琴の音《ね》に合わせてひびきわたる。
尼君は、物悲しげにつぶやいた。
「松風は、明石と同じひびきなのに……。私はお父さまと別れて、その上、こんな尼姿で、ひとり都へ帰ってきたのだねえ」
「お父さまはお淋しいでしょうね。松風がこの琴の音を運んでくれないかしら」
と明石の君も、慣れぬ京の風は心ぼそかった。
源氏は、明石の君にあいたくて、いまはもう、慕情おさえがたくなっていた。なまなかに、都のちかくにいると思えば、矢もたてもたまらないのだった。
そして、紫の君にはまだ何も告げていない――けれども、もしや彼女がほかから明石の君のことを聞いたらどんなに不快であろう、それよりは自分の口からいおう、と源氏は決心した。
「桂《かつら》に用事が出来て、この間から気にかかりながら日が経ってね――それに、京へ来たら訪ねようと約束していた女《ひと》も、ちょうどそのあたりへ来て待っているので、それも気がかりなのだよ。ちょっと行ってみるよ。……それに嵯峨野《さがの》の御堂に、まだなんの御飾りもしていない仏のお世話やら、いろいろで、二、三日はかかるだろう」
と、なんでもないように、話のうちに織り交ぜ、気《き》遣《づか》いを知らせるまいと、さらりというのだった。
紫の君は、かねて源氏が、桂に別荘をつくりつつあるらしいことを人づてに聞いていたが、そこへ明石の君を置くつもりなのかと面白くなかった。
「斧《おの》の柄《え》も朽ちてしまうほどの長いお留守なんでしょうね。まち遠しいわ」
と、すねていた。昔ばなしに、仙人の碁《ご》を打つのを一局、ながめていた男が、気がついてみると斧の柄が朽ちていた、というのがある、それをたとえて、紫の君は機《き》嫌《げん》がわるいのだった。
「おやおや。またすねる。私も昔の浮気ごころは、今はすっかりなくなったという世間の評判なのに、気むずかしくいうのはあなた一人だよ」
と、源氏が何やかやと紫の君のご機嫌をとっているうちに、日もたけた。
忍びやかに、前《ぜん》駆《く》も親しい従者のみ選んで源氏は出発した。たそがれどき、大堰についた。明石の君は待っていた。
三年ぶりの再会であった。
明石の君が見た源氏は、みちがえるような壮年の男になっていた。そのかみの恋人は、まだ青年のおもかげをとどめて、丈《たけ》たかくすらりと痩《や》せていたが、いまは、よきほどに肉がついて、丈と釣合うような、男の貫禄《かんろく》を示していた。あのころは、身を窶《やつ》した狩衣姿《かりぎぬすがた》でいたが、それでさえも美しくみえた源氏の、今日は恋人にあうためにことさら、心をつかって着こなした直衣《のうし》すがたは、たぐいなく優美だった。
「三年は長かった……待ちかねたよ」
源氏の胸にしっかり抱きしめられたとき、明石の君はこの幸福がほんとうかどうか、信じられない思いでいた。長いあいだの嘆きの氷が、みるまに暖かく溶けてゆく気がする。
源氏も、かの須磨から帰ったとき、紫の君に再会した喜びにも劣らぬものを、明石の君に感じていた。
女は以前よりも年たけて艶《えん》冶《や》に、女ざかりの華やぎを黒髪に秘めていた。源氏はあうたびに、恋心を深められてゆくこの女《ひと》に、ふかい執着をおぼえずにはいられない。
それに、連れられてきた、ちい姫の可愛さ、めずらしさ。
なんという愛くるしい童女だろう。
葵《あおい》の上《うえ》の遺児、夕霧の美貌を世間でもてはやすのは、左大臣家の孫ということで、権勢におもねる心もまじるのであろう。
しかし、人知れず生い立った、ちい姫の美しさこそ、ほんとうの美貌というものだ。幼くてすでに、匂うような美しさがそなわっている。無心に、愛嬌《あいきょう》ある笑顔の愛くるしさ、源氏は可愛くて可愛くて、目を離すこともできない。
「ああ、この子が、こんなになるまで見なかった月日がくやしい。時間をとりもどしたいくらいだよ」
と源氏は思わず、嘆息した。
乳母《めのと》も、明石へ下ったころのやつれはすっかり消えて、美しい女になっていた。明石のころの暮らしを、何かとなつかしげに源氏に話すのであった。都ぐらしになれたこの女が、あんな海辺の田舎で、明石の君母子《おやこ》にまめやかに仕えていてくれたことを、源氏は感謝して、やさしくねぎらった。
「ここでも、まだ、京からは遠いな。なかなか訪ねにくいよ。やはり、私の用意したところへ移ってほしいのだが」
と源氏が明石の君にいうのも、いまは一刻《ひととき》もはなれていたくない愛着を、母子におぼえるからなのだが、
「まだ田舎ものでございますもの……もうすこし、都慣れいたしましてから」
と、明石の君はためらいつついう。この女《ひと》にすればそれももっともと、源氏は思う。何かにつけ、この女《ひと》のいうことの、適切で思慮ぶかく、しかもつつましやかなのを、源氏は非のうちどころなく思わないではいられない。
「あなたが明石を発《た》ったというしらせがあってから、ずうっと、この時を待ち焦《こが》れていた。大堰に着いたと知ってもすぐゆけない私の身なのだ。毎日、何も手につかなくてどんなにいらいらしたことか。あなたとちい姫にあうまでの空虚《うつろ》な気持が、わかりますか?……」
明石の君は、耳に男の熱い息を感じ、やさしい言葉を聞いて、三年の空白はいちどきに埋まったのを知った、と同時にまたふたたび、煩悩《ぼんのう》愛欲の世界へ投げこまれたことも――。
この男を愛するかぎり、愛の苦しみと歓びの業《ごう》にまつわられずにはいられない。この男は自分に何を与え、何を奪おうとするのだろうか。ああ、でもそういう省察は、山荘のみじかい秋の夜、無意味なことだ。明石の君もまた、やさしく、熱っぽいささやきで応《こた》える。二人のささやきを包んで、川音は高かった。
源氏はゆったりした朝の時間をすごした。
この山荘の手入れすべき所を、ここの預かり人や、新しく任命した家司に指図したりする。
源氏が桂の別院にくるという知らせがあったので、近くの領地の人々はそこへ集まっていたが、源氏をさがして、みなこの大堰の山荘へ来た。源氏は彼らに命じて前栽《せんざい》の木々の折れたのなどを手入れさせたりした。
「そこここの庭石など、転んだりなくなったりしているが、風情よくすれば、結構、面白い庭になりそうだな。しかし、こういう仮り住まいを、あまり念入りにするのも、どうかと思うものだ。生涯住むわけでもないのに、出るときに心が残って辛いものでね。……私も須磨や明石で経験があるが」
と源氏は笑って、うちとけていた。
源氏は、うちとけた、ふだんのつくろわぬ姿でいるときに、より魅力的な男である。
尼君は、そうっと源氏をのぞいて、うれしくてならなかった。こんなりっぱな殿方を、娘の婿君とよぶうれしさ、それに源氏が、わが家へ帰ったごとくうちとけている、楽しそうなその姿を見るうれしさ。
源氏は東の渡殿の下から流れ出る遣水のさまを、男たちに指図していた。袿姿《うちぎすがた》のままでくつろいでいるのが、男のなまめかしさにあふれてみえる。
源氏はふと、渡殿のそばに、仏の閼伽《あか》の道具などがあるのに目をとめた。
「お。尼君はこちらにおいでだったか。だらしのない姿で失礼しました」
といって、直衣を取り寄せて着た。そして尼君の部屋の、几帳《きちょう》のそばへ寄って、
「ちい姫がつつがなく育ちましたのは、尼君が日頃、み仏にお祈りして下さったせいでしょう。うれしく思っております。明石でお心静かに勤行の生活を送っていらしたのに、母子のためにまた俗世へ帰ってお世話いただきまして、お礼の申しようもございません。また、明石では入道どのが、ひとり残られて、どんなにかこちらのことを心配していられるでしょうな。尼君もさぞ、入道どのにお心が残られましょう。お察しいたします」
しみじみと、思いやりふかい言葉をかけるのも、源氏のやさしさだった。年老いた身には、思いやりふかい言葉こそ、うれしいものなのだった。尼君は涙ぐんでいた。
「一度捨てた浮世にまたもどってまいりまして思い乱れておりましたが、そんなにおやさしい思いやりを頂きましたので、長生きがうれしく存ぜられます。田舎の、荒磯《あらいそ》かげにお誕生になった姫君も、ようやく父君にお目にかかれて、たのもしい生い先をお祝いいたしますにつけても、母方の身分が低いのが、これからの幸せの障《さわ》りになるまいかと……心配でございますよ」
という風情に、上品な人柄や教養のみえる老婦人であった。この母親に、あの明石の君の品のよさはつちかわれたのだ、と源氏は好感をもった。
嵯峨野の寺に源氏はいって、毎月十四日十五日と、月末に行なう仏事や、堂の飾りなどこまごま定めたり、指図したりして、月光の中をまた、大堰の山荘へ帰ってきた。
明石が思い出される夜であった。
明石の君は、源氏が明石のころの日々を思い出しているらしいのを見てとって、形見の琴《きん》の琴をさし出した。こういう心の照り映えこそ得がたいと源氏は思う。しみじみした情趣をおぼえて、源氏はかき鳴らさずにいられなかった。
あのころと琴の調子もそのままに変らず、まるで、昨日のことのように思われる。
「琴の調子の変らぬように、私の心も変らぬ。今こそわかっただろう」
源氏がいうと、
「お誓い下さったお言葉を信じてお待ちしました。折々は涙ぐむ日もありましたものの」
と明石はやさしく返す。源氏に釣合って似合いの一対《いっつい》とみえるのは、明石の君にとっても身にあまる栄《は》えといって、よかった。
あのころより、明石の君はいっそう美しく気品たかく、洗練されていた。
この女《ひと》を、もはやどうして捨てられよう。
ちい姫の愛らしさも、目を離せないほどだ。
(ああ、どうしたものか……ちい姫をいつまでもここに置いていては、日陰の隠し子のような存在になって哀れだ。二條院へ引き取って紫の君の養女ということにし、充分に心ゆくまま大切に養育すれば、成長後、世間からも身分が低いとうしろ指さされなくてすむのだが……)
しかし明石の君が、ちい姫をどうして手放すだろうか。源氏は、明石の君の傷心を思うと、胸が痛んでいとおしく、口には出せなかった。
ちい姫は幼な心に、はじめは源氏を恥ずかしがっていたが、だんだんうち解けて、ものを言ったり笑ったりしてまつわりつく。無邪気に甘えてくるのが可愛らしかった。
源氏はおもわず、ちい姫を抱きあげて頬《ほお》ずりする。この子には、どんな幸福を用意してやっても足らぬように思う。人々は、ちい姫の幸運な宿《すく》世《せ》を思い、美しい父《おや》子《こ》に微笑《ほほえ》むのだった。
次の日は京へ帰るつもりで、朝おそく起き、直接ここから出発する予定だったが、桂の別荘には人々が多く集まり、ここへも殿上人《てんじょうびと》たちがたくさん来た。
源氏は装束をつけて、
「どうもきまりわるいな」
といっていた。
「ここの隠れ家は、人にみつけられたくなかったのだが」
人々と連れ立って出ようとしたが、このまま出ていくのが明石の君に心苦しいので、さりげなく人目をまぎらして彼女の方へいった。
戸口に、乳母がちい姫を抱いて出てきた。
源氏は可愛くてならない。ちい姫のあたまを撫《な》でて、
「見ないでいると、たまらないだろうなあ。どうも、にわか父親が身勝手なようだが……それにしてもここは遠い。困ったものだ」
と嘆じた。乳母は、
「明石ではるか離れて、お目にかかれるのをあきらめておりました頃より、これからのほうが気がもめることでございましょう」
と、女あるじの心を代弁するかのごとくいう。
ちい姫は手を出して、立っている源氏を慕うので、源氏は膝《ひざ》をついて、
「次から次と物思いが絶えない身だ。ちい姫としばらくでも別れているのは辛いな。……この子のお母さまはどこにいるのか。どうして出て来て、ちい姫と一緒に別れを惜しんでくれないんだね。そしたら人ごこちもつくのに」
というと乳母は笑って、それを、明石の君にいう。明石の君はなまじい源氏と逢ったために、却《かえ》って心みだれて物思いは増し、なやましく臥《ふ》していたので、急にも起きあがれなかった。源氏は、あまりに貴婦人ぶった振舞いだな、と思っていた。
女房たちが、気の毒がって気をもむので、明石の君はしぶしぶに膝をすすめた。几帳に半ばかくれた横顔のなまめかしさ、たおやかな姿、内親王といってもいい上品さだった。
源氏は几帳の帷子《かたびら》をひきやり、
「あなたといると時のすぎるのはまたたく間だよ。またしばらく会えぬかと思うと、辛いのだが、しかし前のように不安ではなくなった。私たちの愛を、あらためてたしかめ得たから、別れるときも、辛いけれども、安心して別れられる。この上の私ののぞみは、あなたが都へ移ってくれることだ。あなたを離したくないな。――しかし、もし毎日、あなたを見ることができるようになったら、私はうれしくて気が狂ってしまうかもしれないね」
などと、こまやかにささやきつづけていた。
「いつも大げさにおっしゃるのですもの……うそばっかり……」
といいかけた明石の君の唇を、源氏は接吻《くちづけ》でふさいでしまう。
出かけようとして、源氏がふり返ると、明石の君はさすが、波立つ心をおさえかねて、見送っていた。
女たちの見る源氏は、今や男ざかりの魅力にあふれていた。重い身分にふさわしく、躯《からだ》にも壮年の男の自信と貫禄が添ってきた。重厚さを保ちつつ、どこか、愛嬌があって、慕わしい気分にさせる男なのである。
あの明石時代、免官されて源氏につき従っていた蔵人《くろうど》も、またもとの官にもどり、靫負《ゆげいの》尉《じょう》で、今年は五位の位も得ていた。明石時代と打ってかわって得意げに、はれやかな面持《おももち》で、源氏の太刀《たち》持ちゆえ、太刀を取りに源氏のそばへ寄ってきた。そのあたりにいる女房たちの中に、明石時代ちょっと惚《ほ》れて、いささかのつきあいがあった女房がいるのをみつけ、なつかしくなって挨拶《あいさつ》した。
「あの頃はいろいろとお世話になりました。ご好意は忘れてはおりませんが、失礼かと思いまして、ようご挨拶にも上らなかったのでございます。お取りつぎ頂くつて《・・》もございませんでしたので、……」
ところがその女房はとりすまして、
「ここも山の中で、明石の浜に劣らず淋しいところでございます。昔の友もないかと淋しく思っていましたのに、古なじみの方がいらしてうれしゅうございますわ」
と様子をつくってこたえ、青年は、
(何だい、自分も結構、熱くなっていたくせに)
と興ざめたが、
「いずれ改めましてご挨拶に」
と彼は男らしくきっぱりいって、源氏のお供に加わった。
源氏が威儀をととのえ車にあゆむあいだ、前駆はかしがましく先をおう。車の後に、頭《とうの》中将・兵衛督《ひょうえのかみ》などを、源氏は乗せ、
「こんな軽々しい粗末なかくれ家を、みつけられてしまったのは工合わるいな」
と辛がってみせる。
「昨夜の月にお供におくれて残念でしたから、今朝は露を分けて参りました。山の紅葉《もみじ》はまだですが、野の草花は盛りでした。某《なにがし》の朝臣《あそん》は小《こ》鷹狩《たかがり》に加わっていまして、おくれましたが、どうしましたかな」
同車の青年らはいっていた。
源氏は、今日は桂の院で遊ぶといい、そちらへ車をやる。邸では急なもてなしに大さわぎで、鵜《う》飼《がい》などを呼んだので、彼らのかしましい話し声から源氏は、かの須磨・明石の、海人《あま》のさえずりを思い出した。
鷹狩をしていた青年たちが、小鳥をしるしばかりつけた荻《おぎ》の枝などを土産《みやげ》に、やってきた。盃《さかずき》が座をめぐり、おのおの、絶句の詩など作りあい、月はなやかにさし出るころ、管絃のあそびがはじまった。
秋の夜の、風情ある宴だった。
更《ふ》けゆくころ、殿上人が四、五人、うちつれてきた。
帝からのお使いであった。源氏の参内《さんだい》がないので、どうしたのかと仰せられて、この桂の院に滞在しているのを聞こし召され、
「〈月のすむ川の遠《をち》なる里なれば 桂の影はのどけかるらむ〉
いい所で宴をしていますね。
うらやましく思います」
というおたよりであった。源氏は恐縮してお詫《わ》びし、使者の蔵人の弁《べん》には、いそぎ大堰の邸から取りよせた女の装束をとらせた。
〈久方の光に近き名のみして あさゆふ霧も晴れぬ山里〉
と源氏は奉答し、やがては行幸《ぎょうこう》おまち申上げる意をひびかせた。
近衛司《このえづかさ》の名高い舎人《とねり》、東遊《あずまあそび》の上手などに加え、神楽《かぐら》歌《うた》の「其駒《そのこま》」など歌いみだれて、たいそうにぎやかだった。
源氏は舎人たちに着物を脱いで与え、そのいろいろは、まるで秋の紅葉を風が吹きひるがえすばかりだった。
大さわぎして引きあげる様子を、大堰の明石の君は淋しく聞いていた。
源氏もまた、
(手紙もことづけなかった――)
と、心にかかっていた。
二條院に帰って源氏はしばらく休息しながら、紫の君に山里の話をした。
「約束の日が過ぎてしまってごめん。いつもの風流気どりの連中が桂に訪ねてきてね、帰ろうとするのをひきとめられて、延びてしまった。今朝《けさ》は疲れたよ」
といって源氏は寝てしまった。
紫の君は機嫌がわるいが、源氏は気付かぬふりをして、
「あなたはねえ、あなたとくらべることもできないような人を、競争相手みたいに考えるのはよくないよ。自分は自分、と、思い上っていればいいのだ」
と教えたりする。
暮れかかるころ、参内する時に源氏は、紫の君に気取られないよう心をつかって、いそいで手紙を書く。自身、簀《すの》子《こ》へ出て、ひそひそと使いにいいつけたりするので、女房たちは紫の君の味方をして、憎んでいた。
その夜は内裏《うち》に宿直《とのい》する筈《はず》だったが、紫の君の不機嫌が気にかかって、源氏はかえってきた。
そこへちょうど、大堰からの手紙の返事がとどいたので、かくすこともできず、源氏は見た。
とくべつ、困るような点もないので、紫の君にそれとなく見せる。
「これは破り捨てて下さい。女の手の文《ふみ》なども、この年ではそのへんに散っているのも不似合いなことになってしまった。もう、うっとうしいよ」
といいつつ、源氏は脇息《きょうそく》に片肘《かたひじ》もたせ、心のうちには明石の君のことを考え、言葉少なになってゆく。
紫の君は、手紙がそこへ散ってひろがっているのに、目もやらない。
「ほらほら、……見て見ぬふりをしたりする」
源氏は笑うと、男の魅力があたりにこぼれそうだった。つと、紫の君に寄って、
「ほんとはね、……あちらでかわいい姫を見てきたんだ。怒らないできいておくれ」
紫の君は愕然《がくぜん》とする。この男は、いつもこうやって、ふいに女心をずたずたにするのであった。
「かわいい子だった……三つになるのだよ。前世の縁、ということなど思われて、しみじみした思いに打たれてきた」
源氏は、紫の君の耳にささやく。
「ただ、あそこで育てていては日《ひ》蔭《かげ》の子になってしまう。どうしたものだろう。あなたも私と同じ気持になって考えてみて下さらぬか。あなたに、きめてほしいのだ」
「なにを、ですの?」
紫の君はつぶやく。源氏は思いきっていった。
「ここで育てること……。もし、よければあなたの手で育ててほしい、と私は願っている。無邪気に、罪のない、かわいいあの子の顔を見ると、見捨てることもできないしね……。袴着《はかまぎ》をあなたの手でさせてやってはもらえまいか。あなたの養女ということにしてもらえれば、あの子の将来のためにもいいことだ。怪《け》しからぬことと思わないで、あの子の母親になってくれる気はないかね?」
紫の君の美しい頬が、ぽっと赤らんだ。
「まあ……ほんとう?」
彼女はいっぺんに、心が和《なご》み、明るんだ。
「うれしいわ。ようございますとも! あなたはいつも、わたくしが意地わるで嫉《しっ》妬《と》ぶかいと思いこんでいらっしゃるのですもの、そうお思いならそれでいいわ、とわたくしは拗《す》ねていただけよ。明石の姫君をよろこんでお迎えしますわ。わたくし、子供は大好きなんですもの!」
紫の君は、かわいらしい笑い声を立てた。
「わたくしも幼稚だから、きっと姫君のいいお相手になるでしょうよ。ちい姫は三つにおなりですって? どんなに可愛いでしょう!」
と、うっとりした表情を浮べるのだった。
子供を心から好きな紫の君は、もうはや、今から、ちい姫を腕に抱くことを想像しているらしかった。
そうなると、源氏は、
(明石の君は果して手放すのを承知するだろうか?)
と思い乱れる。
大《おお》堰《い》へゆく機会はなかなか来ず、嵯峨野《さがの》の御堂の念仏の折などを利用して、やっと月に二度ばかりの逢《おう》瀬《せ》であった。
七夕《たなばた》の逢瀬よりはあいだが短いというものの、明石の君には物思わしい日々だった。
入日の峰に薄雲《うすぐも》は喪《も》の色の巻
冬になってきて、川ぞいの住まいはいよいよ心細かった。明石の君はおちつかぬ心であけくれを過ごしていた。源氏も気がかりで、
「これでは淋しすぎるよ。やはり、二條院の近くに引っ越す決心をしなさい」
とすすめるが、明石の君は、なおもためらっていた。二條院の近くへ移っても、やはり源氏の訪れが間遠であったなら、よけい辛《つら》い思いをせずにいられぬだろうからであった。
明石の君は、源氏の愛の薄れるのを、まざまざと目にみることをおそれていた。
この大《おお》堰《い》の里にいれば、都から遠い、ということにかこつけて、源氏の訪れのまれなのも思いあきらめていられるが……。
「あちらへ移らないとすれば、ちい姫のことも考えなくてはならないね」
源氏は静かに切り出した。
明石の君の心を傷つけぬように、細心の注意を払いつつ。
「この子の将来については、私も特別に考えていることがあるから、いつまでもここに置くのはよくない、と思う。――実は、二條院のあの人が、前々から噂《うわさ》を聞いて、たいへんちい姫に会いたがっているのだがね。しばらく、あちらにちい姫を預けてなつけて、そのうちには、袴着《はかまぎ》の式なども表むきに行なって、世間へも、私の姫と晴れて披《ひ》露《ろう》したいと思うのだが」
源氏は、ねんごろに、しみじみと話す。
明石の君は、
(とうとう、……とうとう、このお話が出たわ――)
と胸がつぶれるように思った。いつかは源氏が、そういうのではないかと、想像してはいたが、とうとうその時が来たかと明石の君は激しくさわぐ心を抑えて目を伏せた。
「貴い身分のかたのご養女として頂きましても、いつか世の中には本当のことが漏《も》れますし、かえってご苦労なことになりはしますまいか」
明石の君は遠慮がちにいうのであった。ちい姫を手放しがたく思っている明石の君の心は、源氏も尤《もっと》もだと思うのだが、なお、やさしく説得してみた。
「ちい姫が、継母《ままはは》に育てられる、などという心配はしなくてもいいよ。あちらでは、結婚して長くなるのに、いまだに子供がなくて淋しがっているのだ。それで、斎宮《さいぐう》の女御《にょうご》が、お年も自分とあまりちがわれないのに、強《た》って親代りになって、娘としてお世話をするのをたのしみにしているくらいでね。――ましてこんなかわいいちい姫を、どうしておろそかに扱おうか。子供好きな人なんだよ」
源氏は、紫の君の人柄の、あかるくて素直で善良なことを、明石の君に話すのだった。
それは本当かもしれない、と明石の君は思った。
昔は、いったいどんな女性なら、源氏の腰もおちつくのかと、世間でも評判なほどの浮気心が、紫の君を得てからは、すっかり、鎮《しず》まってしまった。
それからみても、紫の君との宿《すく》世《せ》は、かりそめのものではなく、ふかい契りがあるのであろう。
たぶん、紫の君の美しさも、数ある愛人たちの中で、ぬきんでているにちがいない。
数の中にも入らぬような自分、とても紫の君と争えるようなものではない。
それが京へ迎えられていったなら、紫の君は、不快に思いはすまいか……。いや、自分はどうなってもよいが、生《お》い先長いちい姫は、結局は紫の君の世話にならなければいけないのだ。
もしそうなるものなら、ちい姫がものごころつかぬうちに、あのかたの手に渡してしまったほうが、よくはないかしら。
そう思いつつも、また、ちい姫を手放してしまったら、さぞ気になることだろう、手もちぶさたを、なんによって慰めようか。
あけくれは、いっそう淋しくなるであろう。
それに、ちい姫がいなくなれば、源氏の訪れも一そう遠くなろう、などと……。
明石の君は、さまざまに思い乱れ、わが身が憂《う》く、つらかった。
尼君は、思慮ぶかい人であった。
「心配はいらないと思いますよ」
と物しずかにさとすのであった。
「ちい姫を手放すのはさびしいけれど、やがては、それが、ちい姫のため。殿もいいかげんなお気持でおっしゃるのではありますまい。ただもう、殿をご信頼して、ちい姫をおわたしなさい。
母方次第で、帝《みかど》のお子たちにも階級ができるのですもの。源氏の大臣《おとど》をみてもわかることでしょう。殿は、だれよりもすぐれたお方とうたわれながら、臣下になっていられるのは、お母君の御息所《みやすんどころ》のお位が低かったせいですよ。まして、一般人は、いうまでもないことです。また、親王さまや大臣の姫君のおん子と申しても、ご本妻に生まれた姫でなければ、劣ったものと、世間では思うでしょう。
ちい姫だって、これから先、まだほかのすぐれた方々から姫君がお生まれになれば、その方々にけおされてしまいますよ。
女の子というものは、親に愛され、大切にかしずかれなければ、いい結婚はできないものなの。袴着の式だって、どんなにりっぱにしても、こんな山里ではなんの映えもありませんよ。ただ、殿におまかせして、ちい姫が大切にされている噂をきくだけで、満足した方がよろしいのですよ」
「…………」
明石の君は、母のいうことに耳かたむけつつ、あたまでは納得しても、心はやはり辛くて納得できにくかった。
明石の君は、物知りの人の意見をきいたり、占いをさせたりして、もろい母心の、迷いははてしなかった。誰にきいても、やはりお移りになった方が、姫君のご運は開けましょうというものばかりである。
源氏も、早くことをはこびたいと思いながら、明石の君のこころが哀れで、強《た》ってちい姫を連れ去れない。
「袴着のことをどうされるつもりか」
と手紙をやると、返事に、
「何につけてもふがいない私についておりましては、姫君も、生い先あわれでございますが、さて、そちらへ移りましても、人さまの間に交って物わらわれになりませぬかと心がかりで……」
と、思いきれないらしい様子を、源氏は、あわれに思った。
それでも、いつまでも、そうしているべきではないと、源氏は、吉日《きちにち》をえらんで、ひそかに引きとる準備をさせた。
明石の君は、ちい姫を手放す辛さが消えたわけではない。けれども、それがちい姫のためだと、必死に堪えているのだった。
「あなたとも、別れなければいけないわね」
と明石の君は、乳母《めのと》にいった。
「あけくれの物思わしさ、つれづれをも、あなたと語り合ってなぐさめてきたのに、あなたとまで別れることになろうとは、淋しいわ」
と、明石の君は泣いた。
乳母も、それを見て、涙をこぼした。
「ほんとうに、ふしぎなご縁で、思いがけずお目にかかってから、長いことご親切にして頂きました。お心づかいは忘れられませんわ。御《お》方《かた》さまのことを恋しく思っております限りは、縁が切れることはございますまい。また、おそばで暮らさせて頂く日はきっとまいりましょう。でもしばらくでも、はなればなれになって、知らない人のあいだにまじるのが、不安でございますわ」
などといいつつするうち、十二月になった。
雪・あられの降る日が多い。
明石の君は心ぼそさまさって、物思い多いわが身を嘆いた。
やがて間もなく、わが手から連れ去られるわが子、と思うと、いとしくて、明石の君はちい姫を、ひしと抱きしめ、手ずから、髪を梳《くしけず》ったり、着物を着せたりしていた。
雪が降りつもった朝、明石の君は、過去や未来のことをさまざま思いつづけ、汀《みぎわ》の氷などながめて放心したようになっていた。
「離れていっても、おたよりは下さいね」
と明石の君は乳母にいった。
「心は、御方さまにいつも通《かよ》ってゆきますわ」
乳母は涙を押えていった。
源氏が訪れた。
ちい姫を迎えにきたのだった。いつもはうれしい源氏の訪れが、今日は、明石の君にはうらめしかった。
ちい姫を手放すことは、最終的には明石の君の、決断によるものであった。もし自分が拒否したら、決して源氏はむりに奪い去りはしなかったであろう。
(なんであさはかに承知したのかしら)
といまさらのように明石の君は悔んだが、ここに至って断わるのも軽率なことだし、と強《し》いて心をしっかり持っていた。
姫君は愛くるしい様子で、もう馴《な》れて、
「お父ちゃま」
と源氏の前に坐った。
この春からのばしているちい姫の髪は肩のあたりにまでゆらゆらとかかり、美しい。ぱっちりした黒い瞳《ひとみ》、ふっくらした頬、目もとの愛嬌《あいきょう》あるかわいらしさ。この人をもうけた明石の君との宿縁の深さが、源氏にはしみじみ思われる。こんな可愛い子を手放す明石の君の悲哀とつらさが思いやられて、源氏は心苦しかった。ひと夜、まめやかに、言葉をつくして慰めた。
「いいえ、よろしいの、わたくしのような低い身分の者の子でないように、ちい姫を扱っていただけますなら、……所詮《しょせん》はそれがあの子の幸せですもの。何も悲しみませんわ」
と口ではいいながら、悲しみを怺《こら》えきれなくて泣くらしい様子が、源氏にはあわれだった。
ちい姫は、無心に、はやく牛車《ぎっしゃ》に乗りたいとせかせていた。
車を寄せたところまで、明石の君はみずから抱いて連れて出た。片言の声も、たいへん愛らしくて、明石の君の袖《そで》をとらえて、
「お母ちゃまも一緒、一緒ね?」
とふり仰ぐので、明石の君は目もくらむ心地がした。
「ちい姫に、こんどはいつあえるのかしら」
と言いもやらず、明石の君は声を放って泣くのであった。源氏は心痛んだ。
「実の母子《おやこ》じゃないか……あなたと私のあいだの縁が深いよりも、ちい姫とあなたは切っても切れない宿世の縁があるのだよ。そのうちには、母子で住める日も来る。気を長くして、その日を待っておくれ」
と肩を抱いてやるのだった。
明石の君も、理性ではそうと割り切っていながら堪えられぬ涙がこぼれるのである。
姫君のおともには、乳母と、少将という上品な女房だけが、お守りの剣や、天児《あまがつ》(人形)などをもって乗った。
お供の車には、見苦しからぬ若い女房や、女童《めのわらわ》などを乗せ、姫君の見送りにやった。
帰りの道すがら、源氏は、あとへ残った明石の君の心を思いやって、
(なんという、罪ふかいことをしたものか……それもこれも、自分が蒔《ま》いた種なのだ)
と考え沈んでいた。人を愛することがゆくりなく、人を傷つけることになってゆく自分の宿命を、源氏は凝然《ぎょうぜん》と思い返す。
暗くなって二條院へ着いた。
牛車を寄せるや否や、華やかな雰《ふん》囲気《いき》が感じられ、大《おお》堰《い》の山里とは様子がまるでちがう。
田舎《いなか》びた女房たちは、こんな所でお仕えするのかと気おくれして不安だったが、姫君のためには西面《にしおもて》の部屋を格別にととのえて準備されていた。
小さい調度、道具類も、かわいらしくそろえてあった。乳母《めのと》の部屋は、西の渡殿《わたどの》の北にあたる所にもうけられていた。
姫君は、途中で寝込んでしまっていた。車から抱きおろされても泣いたりはしない。
紫の君の部屋でお菓子など食べていたが、ようようまわりを見まわして、母君の見えないのに気付き、愛くるしい泣き顔になって、
「お母ちゃま……」
と呼ぶのが可《か》憐《れん》だった。いそいで乳母が呼ばれ、何かとなぐさめ、気をまぎらわせた。
それを見るにつけ、感情ゆたかな源氏は、明石の君の寂しさを思いやらずにいられない。ちい姫を可愛ゆしと思う心は、そのまま、明石の君の傷心への同情となるのであった。
しかしまた、愛する紫の君と、これから二人で、このかわゆいものを思うままに養育してゆくのだと思うと、うれしくもあるのだった。
(この人が姫君を抱いているとまさしく、似合いの母子だ……同じことなら、どうしてこの人に出来なかったのか。身分といい器量といい瑕《きず》のないこの人に)
と源氏は、さすがにそれが残念だった。
姫君は、二條院へ迎えとられてからは、重々しい扱われかたになって、もう「ちい姫」とは呼ばれない。
はじめは、母君や尼君や、馴染《なじ》んだだれかれを求めて泣いたりしていたが、大体が素直で、人なつこい性質なので、紫の君によくなついてしまった。
紫の君は、
(なんてかわいいものを手に入れたことだろう!)
とすっかり満足していた。姫君にかかりきりで、抱きあるき、遊び相手になって、夢中である。
乳母も、自然と、紫の君に近づき、親しみ馴れて仕えるようになった。ほかに、またひとり、身分のある婦人で、乳の出る人が、乳母に加えられた。
袴着《はかまぎ》の式は、そんなに大層な用意がされるのでもなかったが、やはり並々ならぬ様子だった。
袴着は、幼児がはじめて袴を着《つ》ける儀式である。
式のための飾りつけは、みな小さく雛《ひな》あそびのようでかわいかった。
当日は、祝いに来た客人たちも多かったが、大体が来客の多い邸《やしき》なので、さして目立つこともなかった。
ただ、姫君の、袴の腰の紐《ひも》を、たすきのように結んだ胸のあたりの恰好《かっこう》が、とてもかわいらしかった。
大堰では明石の君が、姫君を手放してしまった自分を責めて泣いていた。幾度、後悔したかしれない。尼君も涙もろくなっていたが、姫君が二條院でかしずかれ、りっぱな袴着の式をあげて貰ったという噂をきくと、うれしかった。
充分にされているらしい姫君に、なんの贈り物をすることができよう。ただ、乳母をはじめ、お付きの人々に、華やかな衣裳《いしょう》を贈ることにした。
源氏は、年内にまた、大堰へ忍んで出かけた。子供を取りあげたら、もう用はないように来なくなった、と明石の君が思うならば、あまりにもいとおしいので……。
そうして、行かないときも絶えず源氏は手紙を遣《や》っていた。明石の君への源氏のこまやかな心遣いを、いまは紫の君も、咎《とが》めたり怨《うら》んだりはしなかった。
愛らしい姫君に免じて、源氏が大堰へゆくのを、大目に見ている。
年も改まった。うららかな空に、二條院は幸福にみちあふれていた。高官たちは車をつらねて年賀につどい、若い公達《きんだち》は身分たかきも卑しきもみな一様に、この世の春をうたうような、晴れやかな御代《みよ》だった。
東の院の、花散里《はなちるさと》の君も、いまは幸福な生活を送っていた。仕える女房や女童《めのわらわ》の姿なども趣味よく礼儀正しく、上品な雰囲気である。
源氏の住まいから近いのも、花散里の幸わせで、ひまができると、源氏はここへ寄っている。
しかし、夜をすごすために、わざわざ来ることはなかった。
花散里がそれで以《もっ》て怨むということはない。この人はもともと、性質がおっとりして子供のように素直で、「自分はこれだけの運」と信じて、たのしく平安に生きている、女には珍しい無欲な人だった。
源氏にとって、この人の前ほど心やすまるところはない。
だから季節季節の心づかいなども、本邸の紫の君と同じように扱って、決してかろんじてはいなかった。人々も紫の君と同じように花散里に敬意を表し、家事を司《つかさど》る者も、おこたりなく勤め、むしろ本邸よりきちんとととのって、見た目にも気持のよい別邸をつくっていた。
源氏は、かたときも、大堰の里に佗《わ》び住まいする佳人を忘れられない。彼女の傷心の原因は自分だという責めに加え、かの人に、やはり、ひかれている。少しあわないでいるとたまらなく慕わしい。
公私ともに正月の行事の物さわがしさが過ぎたころ、大堰へ出かけようとした。いつもより殊に身づくろいする。桜の直衣《のうし》の下に、美しい色の衣を重ね、香をたきしめ、「いってくるから」と紫の君に声をかけるのだが、その源氏の顔に夕陽が映えて、なまめかしく美しかった。
紫の君は、
(ずいぶん入念におめかしなすって、お出かけになるものだわ)
といささか、おだやかでなかった。
姫君はがんぜなく源氏の指貫《さしぬき》の裾《すそ》にまつわって、
「お父ちゃまと一緒に、お車に乗る、乗る」
と跡を慕ってくる。そうして、御簾《みす》の外へ出そうになるので、源氏は立ち止まって、可愛さのあまり抱きあげた。
「お父ちゃまは明日帰ってくるからね。おりこうにして待っておいで」
「一緒に。一緒に」
と姫君は、足をばたばたさせる。源氏はなだめすかして、乳母に姫君を托《たく》した。
「明日帰りこん」
という催《さい》馬楽《ばら》の一節を、源氏は口ずさみながら出ようとすると、渡殿の口に、女房の中将の君が待っていて、紫の君の言葉を伝える。
「あちらのお方がおひきとめにならなければ、明日にもお帰りでございましょうが」
源氏はにっこりと愛嬌よく笑って、
「明日はきっと帰るよ。あちらのお方がどんなにひきとめてもね」
姫君は何にもわからず、無邪気にはしゃいでいるのを、紫の君は可愛くて、明石の君へのねたましさも、いまはうすれてゆくのであった。
いや、姫君をいとしく思えば思うほど、紫の君は、明石の君の気持を思いやるようになっていた。
(あちらではどんなにこの小さな人を恋しく思っていられることか。わたくしにしてもこの子と別れたら恋しくてたまらないだろうに)
と姫君をみつめ、愛らしさのあまり、ふところに入れて、衿《えり》をくつろげる。
子供を産んだことのない紫の君の、清らかで可愛らしい乳房を姫君にふくませたりしてたわむれていた。
まるで、絵のように美しい母子にみえた。
女房たちはためいきをつき、
「どうして、お子がお出来にならないのかしらねえ……くやしいわ」
「同じことなら、御《お》方《かた》さまにお出来になればよかったのに……」
「思うようにならない世の中ねえ」
と、ひそかに話し合うのだった。
大堰の山荘は風《ふ》情《ぜい》ありげだった。
家のたたずまいも、さま変って風流である。
明石の君は、逢《あ》うたびに美しさと気品が増さってゆく。高い家柄の姫君に、決して、ひけを取らぬ女人《ひと》だった。そのみめかたちといい、心ばせの気高さが匂う物腰といい、教養のふかさ、洗練された会話といい……いや、これほどの気品ある美女は、内親王がたの中にもさがすことはむつかしいであろう。
それなのに、形式的な親の身分ということだけで、位ひくき人、と定められる世の中の矛盾を、源氏は痛切に思わぬわけにいかない。そのゆえに、生んだ姫君まで、この女《ひと》の手から拉《らつ》してしまった無残な所業を、源氏は辛く思っている。
しかし本来からいうと、この女《ひと》の気品も当然のこと、もともと素性《すじょう》たかき、尊い血すじの人なのだ。ただ、親の入道が偏屈で頑固なばかりに、名を捨て都に背を向け、位を抛《なげう》ってしまったのだから……。
山荘での逢《おう》瀬《せ》はいつも短くて、源氏は飽かぬ別れに心が落ちつかなかった。
(かえって物思いが増すばかりだ……)
と源氏は思う。箏《そう》の琴《こと》を引き寄せ、
「明石の夜が思い出されるではないか。あなたも琵琶《びわ》を弾きなさい」
と強《た》って所望《しょもう》すると、女はすこしばかり掻《か》き鳴らして音を合わせた。彼女が何をしても、すぐれてゆかしかった。源氏は日とともに、この女《ひと》に強く心を惹《ひ》かれていく。
源氏は、この女《ひと》がいまいちばん知りたがっていること、――姫君の日常を、こまごまとくわしく話して聞かせた。姫君の将来への夢や、それにまつわるよろこびなど、二人で話していると時の移るのも知らず、それは今までに増して二人の心を結びつけるのだった。
大堰は淋しい山里だが、こうして源氏が折々に泊まっていくこともあるので、ちょっとした間食物や強飯《こわいい》ぐらいは摂《と》ることもあった。
嵯峨《さが》の御堂や、別荘の桂《かつら》の院にゆくようにみせて、源氏は、この山荘を訪れるのだった。
本邸をうちすててまで、ここの女《ひと》に溺《おぼ》れるというのではないが、決して、通りいっぺんの扱いではなかった。源氏の、明石の君に対する愛情は、姫君を得て契りが深くなったいま、ますます強く、ほんものの愛なのだった。
明石の君も、源氏の愛を、いまは感ずることができた。だからといって、彼女は、その愛に狎《な》れて、たかぶったり、思い上ったりする性質ではなかった。
さればといって、また、卑下して、源氏の心をつなぎとめようと、おどおどするような女《ひと》でもない。
明石の君は、いまの幸せを、ただじっと大切に守りたかった。
ほのかに聞いたところでは、源氏は、ほかの身分たかい愛人たちのもとへいっても、ここでのように、くつろいで物をたべたり、泊まったりはしないそうである。
子まで生《な》した仲の、明石の君のもとでは、ことさら、気をゆるしてくつろぐのかもしれなかった。
明石は、そんな源氏の心がうれしかった。
(これでいいわ……。もし、都に呼ばれておそばにいるようになったら、かえって目馴れて、飽かれるかもしれないわ。そうなったら、お邸のたくさんの女の方々にも、物笑われになるかもしれないし。……それよりは、たまさかでも、こうしてわざわざおいで頂くのは、わたくしの強みだわ)
と思ったりする。
明石にひとり残った入道は、送るときは心強くいって送り出したものの、源氏の気持や、娘たちへの扱いを知りたがって、たえず使いをよこしていた。
そうして、姫君を渡したと聞いては胸を痛めたり、また、姫君の手あつい養育、娘に対する源氏の愛情など聞いては、名誉にも、うれしくも思ったりして、ことごとに一喜一憂しているのであった。
そのころ、亡き葵《あおい》の上《うえ》の父、太政大臣《だじょうだいじん》が亡くなられた。国家の重鎮ともいうべき方だったので、主上もお嘆きになられた。左大臣のころ、一時不遇で、しばし官を辞して家に籠《こも》っていられた時でさえ、天下は惜しんでいたのに、亡くなられた今は、まして世をあげて悲しんだ。
源氏も名残《なご》り惜しかった。政務を大臣に譲っていたので、今までは暇もあったのだが、これからは自分の双肩に重い責任がかかってくる。今までは、大臣の陰にあって、ひそかな世を動かす力として動けばよかったが、いまからは、否応《いやおう》なく表立たねばならなかった。
冷泉《れいぜい》帝はおん年十四歳、お年よりはしっかりしていられて、天下の政治《まつりごと》をなさるのに不安はないが、やはり御後見の補佐役は必要であった。
その役目はやはり、源氏を措《お》いてない。
源氏はその任を完《まっと》うしようと決意しつつも、数年前から、胸にはかなく、時折萌《きざ》す将来の自分の姿――出家《しゅっけ》して仏道にいそしむ理想生活――がますます、遠くなることを感じる。
大臣薨去《こうきょ》後の追善供養なども、源氏は、故大臣の子や孫にもまさるくらい、鄭重《ていちょう》にとむらった。
その年は、世間一般、疫病でさわがしかった。
何かの前兆のような天変がしばしば見られ、人心は動揺していた。
陰陽《おんみょう》・天文《てんもん》の、その道の学者たちが、それらの怪異を研究して、朝廷へ奉った報告書にも、世にも奇怪なことがあった。
なぜかくも、しばしば異変が起こって、世間を悩ますのか?
人こそ知らね、源氏は心の内ふかく秘めた暗い罪に思い当って、おののいている。
神は、ひそかに怒り給うているのかもしれない。
亡き父君に代って、源氏の罪を咎めていられるのかもしれない。
源氏の手に、この天下が托されようとするときに当って、許されざる深き罪を忘れるなかれ、と譴責《けんせき》されているのかもしれない……。源氏は誰にもその恐ろしさをわかち合えないがゆえに、なお、恐ろしく、胸痛かった。
いや……、ただひとり、その悩みを打ちあけ奉るべきひとは、いま、病んでいられた。
萎《しお》れる花のごとく。
藤壺《ふじつぼ》の女院《にょういん》は、この春から、ご病床にあった。
三月には、ついにご重態におちいられた。
帝もお見舞いに行幸《ぎょうこう》される。
帝がおん父の桐壺院《きりつぼいん》に別れられたのは、まだいわけないおん年五歳のころだったから、格別のご記憶もなかった。しかし、このたびの母宮との別れを、帝は堪えがたく悲しまれるので、女院の宮も、お辛そうだった。
「今年はいよいよ、命を終る年、というような予感がいたしましたのよ」
母宮は、帝のお顔を、よくおぼえておこう、というように、じっと、視線をあてていられた。
「でもそれほど取りたてての病気というほどでもございませんでしたので、死期を悟ったふうな様子を見せるのも大げさですし、後世《ごせ》のための法《ほう》会《え》も殊更《ことさら》、いたしませんでした。そのうち、御所へ参って、ゆっくり、昔ものがたりでも申上げようと思いながら、気分のよい時が少のうございましたの……心にかかりながらとうとう、今日まで過ぎてしまって残念でございます」
宮は、とぎれとぎれにお話しになる。
そのおやさしいお声も、いまは力よわく、帝は、まぶたが熱くなられた。
「まだお若いお身ではありませんか……こうしてお見あげすると、盛りのお年のお美しさにみえます。お心を強くお持ちになって下さい、そしていつまでもいつまでも……」
帝は涙を怺《こら》えようと、必死に唇をひき結ばれている。
宮は帝のお顔に、おやさしい視線をあてて、微笑していられるばかりだった。
宮はおん年三十七になられる。――世の中でいう、厄年なのであった。常からご病弱になっていられたので、目立たなかったのであるが……この頃になって、いそいで帝は、加持《かじ》や祈《き》祷《とう》をおさせになっていた。
源氏も動揺して、心をいためていた。
行幸とあれば時間にも限りあり、帝は心を残してお帰りになった。悲しいお別れだった。
宮は苦しくて、はかばかしく、ものもおっしゃることができず、見送られた。
昔、(この東宮さえご無事ならば、わが身はどうなっても)と仏に祈念されたことなど宮は思いつづけられる。東宮はめでたく帝位に登られ、宮の秘願は叶《かな》えられた。
宮は、それからそれへと、思いつづけられる……。
皇女として生まれられ、中宮に立たれ、今《きん》上《じょう》の国母となって、女人としては並ぶものなき高い位に即《つ》かれた。女の幸《さち》の極まったもの、と人は思うであろう。
しかし、充たされぬお心の苦しさを、だれがいったい、知り参らせたであろうか……。
むりやりに踏みにじられ、消された恋の炎。
帝が、夢にも、源氏との関係をご存じでないのを、宮はいたわしく思われた。
それだけが、宮は気がかりであるが、すべては、み仏のお心に任せなければしかたないのだ……。
源氏の嘆きは深く、ひめやかだった。
祈祷も、手をつくして行なわせている。
この年ごろ、わが手で断ち切っていた宮への恋を、いまいちど打ちあけずにこのまま、やむのかと思うと、源氏は、いても立ってもいられなかった。
かの夜、佳《よ》き女《ひと》と交した会話は、今もおぼえている。
あの言葉は、ゆくりなくも、まさごとになってしまった。
源氏は、宮にいったのだった、「あなたの寝顔はまるで美しい死者のようだ」と。
宮は「不吉なことを」と遮《さえぎ》られた。
(あなたは、わたくしにお逢いになると、きまって、死や地獄や罪の話を弄《もてあそ》ばれるのですね)
と。源氏はいった。
(あまりに幸福なとき、人は不幸を連想するのです)
(死ぬときは、二人はべつべつでしょうに)
(その代り、生きているかぎりはおそばに)
あのときの、宮の唇のつめたさ。
暁方《あけがた》の通り雨。
二人でかわした死顔についての会話は、理由のないことではなかった。宮におくれ奉ることは、まさしく、源氏自身の心の一枚がむしり取られ、死んでしまうことだから……。
(生きているかぎりはおそばに)
と願ったのもむなしく、ついに、この世では、あのときを最後に、恋はたちきられた。
源氏は、涙をのんで、ご重態の宮のもとへ車を走らせる。
宮のご病床にちかい几帳《きちょう》のもとに源氏は寄った。
「ご容態は?……」
としめやかに女房たちにたずねる。
そこに控えているのは、日頃、宮が親しくお使いになる、そして源氏も長年の馴染みになっている人々ばかりであった。
「ここもう何か月か、ご病気をおして、仏さまのお勤行《つとめ》を怠らずおつづけになっておられました。そのお疲れが、どっと出られたようでございます」
「このごろでは、たいそうお弱りになられまして……」
「柑《こう》子《じ》のようなものさえ、お召しあがりになれません。もしや、再びお元気なお姿を見上げることは叶わぬのではあるまいか、と……」
と彼女たちは交々《こもごも》いっては、泣くのであった。
宮は、女房を取りつぎとして、源氏にお言葉をかけられる。
「故院のご遺言《ゆいごん》をお守り下さいまして、主上《うえ》のご後見役をよく勤めて頂きましたご厚意、わたくしには何かにつけてよくわかりまして嬉しく存じておりました。このお礼の気持をどうかした折にお知らせしたいものと思いながら、のんびりと構えておりまして……もはや、その折もなくなりましたわ……それが、しみじみ、残念でございます」
と、消え入るようなお声で仰せられる。
几帳のそとの源氏の耳にも、そのお声は仄《ほの》かに聞こえた。源氏は答えることもできず、顔もあげられない。その頬を、ひまなく涙が伝う。
どうして、こうも心弱く取り乱すのか、人目もあるではないかと、源氏は、われとわが心を叱《しっ》咤《た》するのだが、堰《せき》を切った涙は、とどめようがなかった。
そのかみの、お若くお美しかった宮。輝く藤壺と仰ぎ見られた宮に、少年の日の初恋は芽生えた。秘められた、罪ふかい激しい恋の夜の記憶が、源氏の胸を一瞬、鮮やかに過《よ》ぎってゆく。
わが恋はさておき、これほどまでのすぐれた方が、若くして逝《ゆ》かれるとは、なんという惜しいことか、人の寿命ばかりは思うにまかせぬのが、この世の習いとはいうものの。
源氏は限りなく悲しかった。
「無力な身ながら、主上の御後見のことは、昔から心こめて勤めておりますが、太政大臣のご逝去《せいきょ》で世はあわただしく、私自身も衝撃を受けております。そこへ、このようにお弱りになっていられましては、私は悲しみに心乱れるばかりでございます。私も長くは生きられぬような心持がいたします……」
源氏の言葉は、さながら、恨み奉るような口吻《くちぶり》になってゆく……自分を見捨ててかなたの岸へ、翔《かけ》り去る人に。ひとり生き残ることを強《し》いた、つれない人に。
源氏の言葉も終らぬうちに、宮は、ともし火の消えるように、静かに亡くなってしまわれた。
源氏は深い悲愁に心を閉ざされている。
高貴なお生まれの方々の中でも、ことに宮はけだかいお人柄だった。世の民草《たみくさ》に慈愛をそそがれること深かった。権勢ある者はおのずと人を虐《しいた》げることもあるものだが、宮には絶えて、そんなことはおありでなかった。
宮のおんために何かをしてさしあげようとしても、それが世の民の負担になることならば、宮は制止されるのであった。
功《く》徳《どく》を積むための仏事供養なども、人のすすめるままに荘厳《そうごん》になさる方も多いが、この宮は決して大げさなことはされなかった。
ただ、ご両親のご遺産の宝物や、朝廷から賜わるお手当ての収入の範囲内で、本当に心のこもった供養や寄進をなさるのであった。だから下々の僧にいたるまで、宮のお崩《かく》れになったことを悲しみ、惜しんだ。
御葬送のときは、世の中、あげて哭《な》いた。
殿上人など、みな喪の色に黒く沈み、さびしい春であった。
源氏は、二條院の庭の桜を見るにつけても、そのかみの花の宴を思い出さずにいられない。
御父帝と、藤壺の中宮が並んでご覧になる前で、源氏は桜吹雪《さくらふぶき》を身に浴びて舞った。宮のおんまなざしを熱く感じながら。――〈深草の野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは墨《すみ》染《ぞめ》に咲け〉という古歌を源氏は口ずさみ、人目をはばかって、邸内の念《ねん》誦《ず》堂《どう》にこもって、一日泣き暮らしていた。
夕日があかあかと華やかにさし、山際《やまぎわ》の梢《こずえ》があざやかにみえる所へ、雲がうすくかかっている、それさえも喪の色に似て、薄墨いろであった。
何をみても源氏には味気なく、心なぐさめるものがなかったが、喪の色の雲のみは、しみじみと目に止まった。源氏はつぶやく。
〈入日さす峯にたなびく薄雲は 物おもふ袖に 色やまがへる〉
源氏の袖も雲の色も、そして心も、薄墨色である。
母宮の四十九日の御法要も終り、ひとしきり静まってみると、若い帝は心細くお思いになった。
すこしおやつれになって、物思いがちな明け方のひとときを、加持祈祷の老僧あいてにしみじみとお話などされる。
僧《そう》都《ず》は宮のおん母后《きさき》の代からひきつづき加持祈祷の僧としてお仕えしており、亡き宮も信頼され、尊敬されていた。
帝も大切に扱われ、重い御《ご》願《がん》なども承って世間でも重んじられている貴い聖《ひじり》であった。年は七十ばかりで、今は来世のための勤行をしようとて山に籠っていたのを、宮のご平《へい》癒《ゆ》祈願のため、山から下りてきたのだった。
帝はこの老僧をお召しになり、おそばにお置きになっている。源氏も、以前のように、ずっと内《だい》裏《り》にお仕えするようにすすめたので、僧都は、
「この年では夜居《よい》のつとめも出来にくうございますが、主上《うえ》の仰せも勿体《もったい》のうございますし、また、亡き宮さまのお情けにお報いすることにもなりましょうから」
と、お仕えすることになったのだった。
静かな暁、帝のおそばにはたまたま誰もいず、いままでいた者も退出して、僧都ひとりであった。
僧都は、古風に老人らしく咳《せき》ばらいしながら世の中のことをあれこれ、お話し申上げていたが、かたちをあらためて、いうのだった。
「実は……まことに申上げにくいことで、申上げてはかえって罪にもなろうかと憚《はばか》られるのでございますが、もし主上がお知りになりませなんだら、いよいよ罪が重くなるのではあるまいかと、天の眼《まなこ》が恐ろしく存ぜられます。主上はこのほどの天変地異、大臣、母宮のご薨去、とうちつづく不祥事をなんとご覧あそばしましょうか。――そのことにつき、奏上しようかしまいか、苦しんでおることがございますが、もし申上げずに命が終りますれば、その苦しみも何の役にも立たず、かつは仏も、不正直者よと、お叱りになるであろうと存じられまして……」
と申しあげ、躊躇《ちゅうちょ》して言葉がつづかない。
主上は何事だろう、といぶかしく思われた。
この世に何か執着が残ることでもあるのだろうか、高僧といっても、僧というものは意外に嫉《しっ》妬《と》心《しん》や執念がふかく、うるさいものだと聞くが、……と思《おぼ》し召されて、
「何事だろうか。幼少のころから、へだてなくあなたを信頼していたのに、あなたの方で私に言えぬかくしごとを持っていられるとはうらめしい」
と仰せになった。
「勿体ない仰せを。仏が秘めよとお禁じになった、真言《しんごん》秘密の奥《おう》義《ぎ》をも、主上にはご伝授しております。まして私めが、何のかくしごとがございましょう。このことは過去未来の重大事でございます。もし、これを申しあげずにおりましたら、お崩《かく》れになりました院、女院さま、更には、ただいま世の政治を行なわせられる源氏の大臣《おとど》のため、かえってよくない噂《うわさ》となって世間に漏れることもございましょう。私ごとき老法《おうほう》師《し》は、たとい災《わざわ》いに遭《あ》いましょうとも、何の悔いがございましょうや。ただ、仏天のお告げがあるによって、この大事を奏上いたすのでございます」
主上はただならぬ予感に、身をかたくして聞いておいでになる。
「主上をご懐胎になりましたときから、故宮は深くお嘆きになることがございまして、私にご祈祷をお命じになりました。くわしい仔《し》細《さい》は、出家の私にはわからぬことでございます。大臣が無実の罪にあたられまして失脚なされたとき、故宮はいよいよ恐れられて、重ねてまたご祈祷をいろいろ仰せられたものでございました。大臣もお聞きになり、さらにご自身からも私に、お命じになりました。それは主上が御即位あそばすまでつづけられたのでございます。
故宮はなにゆえ、それほど怖《お》じ恐れられたのでございましょうか。
大臣は、なぜ、私にご祈祷を重ねて命じられたのでございましょう。
そのふかいわけは、こうでございます」
僧都は、くわしく物語った、亡き宮と源氏と、帝とのおそろしくもおどろくべき関係を。
主上はおん耳を疑われるお心地だった。思いもかけぬ話に、恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心みだれ、凝然《ぎょうぜん》としていられる。
お言葉もなかった。
僧都は、おたずねもないのに、こちらから押して秘密をお知らせしたことを、ご不快に思し召すのだろうかと恐縮して、そっと退出しようとすると、帝はお呼び止めになった。
「それを知らずにいたら、来世までの罪の障《さわ》りになったことだろう。今まで隠していられたことが、かえって恨めしい。――このことは、あなたのほかに知っている者がいるのだろうか」
と仰せられた。
「私と王命婦《おうみょうぶ》のほかは、この秘密を知る者はございません。それだけに、私には恐ろしいのでございます。このところ天変がしきりに起こって前兆を知らせ、世の中がおだやかならぬのは、このためなのでございます。――主上がご幼少で、物ごとのご分別なき間は、事なく済んだのでございますが、ご成人になり、道理をおわきまえ遊ばす時が参りますと、天が咎めを示すのでございます。
このごろの天変の原因は、すべて主上のおん親の御代《みよ》から始まっているのでございます。それを、主上は何の罪によって起こったともご存じなくいらせられますのが、私には恐ろしくおいたわしいのでございました……。そのため、胸ひとつにおさめて決して明かすまいと思いました秘密を、思い切って申上げたのでございます……」
と泣く泣く申しあげているうち、夜が明けたので、僧都は退出した。
帝は隠された秘密をお聞きになって、夢のように思われた。――お若い帝には、お目もくらむ衝撃なのであった。
帝は日が高くなっても夜の御殿《おとど》(ご寝所)からお出ましにならず、それからそれへと思い悩んでいられた。
亡き桐壺院のためにもお心がとがめることではあり、また、源氏が実の父君でありながら、臣下として仕えているのも、悲しく勿体ないことに思われ、お心の乱れは果てもなかった。
源氏は、帝がお籠りになっていられると聞いて、お体にお障りでも、と驚いて参内《さんだい》した。
帝は源氏をご覧になって、万感がお胸にあふれ、思わず落涙あそばされた。
源氏は、
(亡き母宮のおんことを忘れる間もなく恋しがっていられるのだろう)
といとおしくお見上げする。
たまたま、その日、式部卿《しきぶきょう》の親王《みこ》も薨去されたことを奏上すると、帝はいよいよ、世の中がおちつかないことを嘆かれた。
こんな折なので、源氏は二條院へも退《さが》れず、ずっと帝のおそばについていた。しんみりしたお話のついでに、帝は、
「私の寿命も尽きようとしているのだろうか、心ぼそく、気分も常とはちがう心地です。世の中も天変やわるいことがうちつづいて、おちつきません。これは、わが身の不徳の致すところ、と思います。母宮ご在世ならば、そのお嘆きを思って退位も憚られましたが、亡きいまは、位をゆずり、心のどかに暮らしたいと思うのです」
「何を仰せられます。ご譲位とは、あるまじきことでございます」
源氏はおどろいて帝を強くおいさめするのだった。
「世が静かでないのは、必ずしも政治の善悪にかかわりませぬ。古代の聖賢の世にも、天地の妖《よう》異《い》はございました。唐土《もろこし》にも日本にも、その例は多うございます。まして天寿を完《まっと》うして世を去られた方々を、主上がおん身の不徳などと思われてはなりませぬ」
源氏は言葉をつくして、帝の萎《しお》れたお心をお慰めする。政治向きのむつかしい話も、出たようであるが、女の筆ではそれはうつし得ぬことである。
喪服を質素にお召しになっていられる帝の美しいお顔は、源氏に生写《いきうつ》しといってもよかった。
実は、帝も日頃、鏡をご覧になるたび、(源氏の大臣《おとど》に似ているなあ)と何気なく思っていられたのであるが、僧都の話を聞かれてからは、あらためて源氏をなつかしくながめられるのであった。
すると源氏の面立ちには、まるでわが影を見るような相似がみとめられるではないか。
もはや、わが身は父君にも母君にもおくれ奉ったもの、とさびしく思っていられたのに、まことの父はまだ健在であったのだ。帝はうれしくもなつかしくも、あわれにも、しみじみと源氏を慕わしくお思いになる。
幼い日から、陰に陽に、心を砕いて、庇《かば》い、育て、仕えてくれた人の愛情は、思えば、まことの父の愛であったのだ……帝は、お胸にあふれる思いを、どうかしてそれとなく源氏に伝えたい、愛と感謝となつかしさ、慕わしさ、更には秘密を知った重みに堪えかねる心を、源氏に支えてもらいたい、そうお思いになるのであるが、やはりお口に出しては、おっしゃることができないのであった。
源氏が恥じ、きまりわるくも思うであろうし、どう切り出していいものか、お若いお心に羞《は》ずかしくも思われ、ついにそのことには触れずにおしまいになった。そして何とはない世間話を、ふだんよりは格別に、なつかしげに、したしみぶかく、源氏に話されるのであった。
鋭敏な源氏は、帝のおんそぶりの変化に気付いた。帝が、打って変って、どこか畏《かしこ》まったご様子に、今までとは違ってみえるのをふしぎに思った。
しかし、まさか、帝が秘密をすっかりお知りになったとは、思いもよらない。
帝は、王命婦にくわしくたずねたいと思し召すのであるが、母宮がついに一言も洩《も》らされず亡くなられたことを思われると、今更、秘密を知ったと、命婦にも思われたくない、ただ、源氏の大臣にどうかしてそれとなくたずねて、昔にもこんな例《ため》しがあったかどうかを聞きたい、と思し召した。
源氏の子という秘密が事実であれば、臣下の子が天子の位に即《つ》いたことになる。それは天をも恐れざる僻事《ひがごと》ではないかと、お若い、潔癖なお心に、帝は悩み給うのであった。
源氏にそれを話す機会もなかなか来ないまま、帝はいよいよ学問に精進《しょうじん》されて、和漢の書物を読破された。古来の史実を尋ね、こんな先蹤《せんしょう》があるかどうか、自分は何をなすべきかを探りたい、とお思いになるのだった。
唐土《もろこし》では、公然と、また内密にも、帝皇の血統は乱れていることが多かった。
しかし日本には、皇統の乱れは、さらに見《み》出《いだ》せない。代々、血すじ正しき天子が御位を承《つ》いでいられる。
よしんば、ひそかに何かがあったとて、このような隠しごとが、どうして一国の正史にとどめられようか。
帝の物思いは、それからそれへと深まってゆかれる。
皇子が臣籍に降下されて、源氏の姓を賜わり、納《な》言《ごん》や大臣になってのち、あらためて親王となり、帝位にも即かれた例は、たくさんあった。
源氏の大臣の人柄が賢明だからという理由をつけて、位を譲ろうか、と帝はお考えになった。
秋の司召《つかさめし》(官吏任命)に、源氏を太政大臣にというご内命のついでに、帝は、かねてのご譲位のご意志を洩らされた。
源氏は愕然《がくぜん》とした。
自分を帝位に、とはそらおそろしいような帝の御示唆《ごしさ》ではないか。
「それこそ、あってはならぬことでございます」
源氏は言葉をつくして拝辞する。
「故院は、あまたの御子《みこ》たちのうちで、私を特別に可愛がって下さいましたが、御位を譲られることなど、思いもなさいませんでした。そのご遺志にそむいて、どうして及びもつかぬ御位に登り得ましょう。故院のお心のままに、臣下としてお仕えして、もう少し年を取りましたら世を捨て、仏道修行に余生を送る――これが、私の望みでございます」
と、平生に変らず、申上げる。帝はたいそう残念に思われた。
太政大臣に、との御沙汰があったが、源氏は思う所あって、しばらく元のままにとどまり、ただ位だけ昇進して、牛車《ぎっしゃ》に乗ったまま内裏への出入りを許された。
帝は、それだけでは物足りなく、勿体なく思われ、源氏を親王に改めようと仰せられるのであるが、親王になれば、政治の御後見役は出来ない。
権《ごんの》中納言が大納言になって右大将を兼任しているが、もう一階級あがったら、彼に政務をゆずろう、と源氏は考えていた。あとはどうなろうと、閑暇のある身になるのもよい、と思うのだった。
それにしても……帝は、あの秘密をどうやらお知りになったのではないか、と源氏は察せずにはいられなかった。
亡き宮のためにも、おいたわしく、また、帝がかくも悩んでいられるご様子を拝見するのもお気の毒である。だが、そもそも、
(いったい、誰が帝に申しあげたのか)
と不審だった。
王命婦は、御匣殿《みくしげどの》の別当がよそへ変ったあとの部屋を頂いて、いまもお仕えしているのだった。
源氏は王命婦に会って、
「あのことを、亡き宮は、物のついでに、ちらとでも帝にお漏らしになることがありましたか」
ときいてみた。王命婦はおどろいた。
「とんでもございませんわ。宮さまは、主上《うえ》のお耳に少しでも入ったら大変、と用心していらっしゃいましたが、でもまた一方では、主上が何もご存じないため、お父君のご愛情にお気がつかれず、み仏の罪を得ることになられはすまいか、とお嘆きでいらっしゃいました」
といった。
源氏は今更のように、宮のふかいお心づかいや、ゆかしいお気持を思って、つきぬ恋しさをおぼえた。
斎宮の女御は、源氏が予想した通り、帝のよいお相談相手となられ、ご寵愛《ちょうあい》も深かった。やはり、六條御息所《みやすんどころ》の姫君だけあって、お人柄のゆかしいこと、お心づかいの深さ、やさしいお取りまわしなど、すべて申し分なくすぐれていられる。
源氏はめでたいことに思って、いっそう大切に、お世話申しあげるのであった。
秋のころ、女御は二條院にお里帰りなさった。源氏は寝殿の飾りつけなど輝くばかり美しくして、今は全く親代りといったてい《・・》で、女御をお迎えし、お世話する。
秋の雨が静かに降り、寝殿の前の前栽《せんざい》に、色とりどりに咲き乱れている花の、露しとどにうなだれているさまなど見つつ、源氏は、過ぎた昔を回想する。わが邸に迎え奉ったあの女御は、かつての恋人の忘れがたみである。
御息所との恋のおもい出、姫君を、帝の女御に奉るまでのあれこれのいきさつ、姫君におぼえた仄かな、ひめやかな恋。朱雀院の失恋。それにしても、御息所も逝き、藤壺の宮もすでにみまかられた。秋雨にさそわれて、源氏の心も濡れるのである。
源氏は女御のお部屋へうかがった。
濃い鈍色《にびいろ》の直衣《のうし》姿である。世の中が騒がしく、為政者として謹慎するというのが口実だが、実は、あのまま故宮のための精進をして、喪服でいるのであった。数《じゅ》珠《ず》を袖の中にひきかくして、さりげなくつくろっているありさま、花やかな色の衣をまとったよりも、却《かえ》って、男のなまめかしさに溢《あふ》れてみえた。
源氏が御簾《みす》のうちへはいると、女御は、几帳をへだてて、取り次ぎなしに、ご自身でうけ答えなさる。源氏はいった。
「前栽の秋草もみな咲きましたね。今年はいいことが何にもない、物憂い年でしたが、花だけは、無邪気に、その時がくると咲くものですね。あわれに思われませんか」
柱によりかかっている源氏に、秋の夕日がさして美しかった。
「そういえば、亡き御息所を野の宮におたずねしたのも秋でした」
源氏がしみじみと、野の宮の暁のわかれのことなど話すのを聞いて、女御も、亡き母君を思い出されるのか、涙ぐんでいらっしゃるご様子だった。
袖で涙を抑えられるらしいご気配の、なよらかな、愛らしい身じろぎが伝わってくる。
源氏は胸さわぐ。お姿を見たい。几帳を押しやって、お顔をながめたい、と男の好色《すき》ごころはとめどない。困った癖である。
「昔のことを思いますと、我から求めて恋の物思いを重ねたものだと……感慨がありますね。苦労せずともすんだ人生を、ことさら生きにくくしていたのでございますな」
源氏は、ものやわらかに、若き女御に話しかける。
「それも、恋してはならぬ人を恋する、という厄介な癖が、私にはありましてね……その中にも、ついに思いが相手の人に届かず、心のこりになった恋が、二つございます。まずその一つは、亡くなられた、あなたの母君のことでございます。私をつれない男とお恨みになったまま、お亡くなりになった。私には、永久に消えぬ悲しみです。こうして、あなたさまにお仕えして、お世話申しあげることをせめてもの慰めと思っておりますが、しかし亡き人の恨みが解けぬままだったことを思うと、心は曇ります」
といって、もう一つの恋は、いいさしたまま、源氏は話を変えた。
「かつて、私が落ちぶれておりましたころ、ああもしたい、こうもしたい、と思っていたことは、ここ数年のうちに、すこしずつ叶《かな》えられました。――たとえば、東の院に住んでおります花散里《はなちるさと》、この人も頼りにする人もない身の上なので、私は気がかりでございましたが、今は東の院に移して何の不自由もなく暮らしておりまして、安心でございます。善良な人柄の人でしてね。みなにも好かれて、朗らかに暮らしております……私は、京へ帰って朝政にあずかることになりましたが、そういう方面の成功は大した喜びとは思えないで、こういう、恋の苦労や、妻たちの運命の方が気にかかる男でしてね……あなたさまにも、ひとかたならぬ思いを抑えてお仕え申しあげているのです。――思わず、本音を申しました。
この気持、おわかり下さっていましたろうか。あわれ、とひとことお言葉を頂けなければ、結ぼれた切ない心は晴れませぬ……」
女御は、黙っていられる。
唐突なので、お返事もおっしゃることができない。
「よしないことを申しました。お困らせするつもりではありませんでした」
源氏はさりげなく話題を転ずる。
「今の私の望みとしては、閑職について、後《ご》世《せ》の往生《おうじょう》をねがう勤行をすることですが、この世の思い出になることを、一つも残すことのできなかったことが残念に思われます。男の人生というものは、何か空《むな》しいものですね。
子供を残した、ということになるのでしょうか。――子供はまだ小さく、ことに娘は人かずにも入らぬ幼さ、生い先まち遠しく思われます。恐れ多いことですが、どうか、あなたさまのお力で、私の一門を栄えさせて下さいませ。私の亡いあとも、娘をお引きたて下さいますように」
女御はそれに対して、おっとりと、辛うじてひとことばかり、仄かにお返事をなさった。
そのなつかしい御気配に、源氏は聞きほれてしまう。
しみじみとした心地で、源氏は日の暮れるまで話しこむのであった。
「まあ、そういう現実的なことはさておき、四季おりおりの自然の美しさは、生あるかぎり、たのしみたいものだと心から思いますね。春の花、秋の野の盛り、それぞれを人々は論じておりますが、どちらがよいともきめがたいもの――。
唐土《もろこし》では、春の花の錦《にしき》にまさるものはない、といっておりますし、わが国では、秋のあわれを、ほめたたえております。いずれもその時々につけてすばらしく思えますから、目移りして、花の色、鳥の音、みなようございますね。
狭いわが家の垣《かき》根《ね》のうちでございますが、四季折々の風情を味わうことができるように、春の花の木を植えならべ、また、秋の草を植えて、鳴く音よろしき虫なども放ち、おなぐさめしたいと思っております。
春と秋、あなたさまは、どちらに、お心をお寄せになりますか」
源氏がいうと、女御は答えにくく思われたが、何も返事しないのも興ざめなことと思し召して、
「わたくしなどが、春と秋のどちらがよいとは、どうしてきめられましょう。でも、強《し》いてと申しますれば、はかなくみまかられた母君のゆかりで、秋がことにも身に沁《し》みます。あの折は、ひときわ心いたむ秋でございましたから……」
とたよりなげにいい紛らされるお口ぶりの愛らしさ、源氏は思わず、口にしてはならぬことを口走ってしまう。
「私も、秋をことさらに。同じ思いでございます私にも、どうか、あなたさまのおやさしさをおかけ下さい。自制しているのですが、忍びかねる折々もあるのです。わかって頂けますか」
女御のお返事は、あるはずもない。
ひそとして、身じろぎもなさらない。
可憐な困惑のご様子だけが伝わってくる。
意外な、と途方にくれていらっしゃるらしかった。
「おわかりになりませなんだか、かねての私の気持が。兄君の朱雀院より先に、私は、あなたさまに執心していたのです。しかし、亡き人のお言葉を守って、じっと耐えてまいりました。この辛さだけは、ひとこと、申しあげずにいられなくなりました……この、秋の夕のあわれが、いけないのですよ」
源氏は、ほとほと、恋の恨みを口にしているうちに、もう少しのところで不心得なことをしでかしそうであった。
しかし、さすがに、そこまでふみこめない。
女御が、あまりのことに困りきっていらっしゃるらしいのももっともだし、我ながら、いまさら間違いを敢《あえ》てするのも怪《け》しからぬことと、思いとどまる。
源氏は、嘆息し、沈黙する。そういう男のなまめかしく悩ましい色気は、お若い女御の宮にとっては、かえって、うとましかった。
人生経験や、恋愛の経験を経た女たちには魅力あるだろう源氏のそれは、清《せい》楚《そ》な女御には、手に負いかねる圧迫感にちがいなかった。
女御は、思わず、すこしずつ、あと退《じさ》りして、奥の方へ引きこもっておしまいになるのであった。
「いや、これは……」
源氏は敏感に悟って、
「こころないことを申しあげて、ご機《き》嫌《げん》をそこねてしまいましたね。……情けを解する女人は、そうはなさらないものでございますよ。まあ、これからも、私をそうお憎しみなさらないで下さい。あなたさまに嫌われましたら立つ瀬がございません」
といって、源氏は立ち去った。
女御はしめやかな源氏の衣の薫《かお》りが、茵《しとね》に残っているさえ、うとましく、お思いになるのであった。
女房たちはそれとも知らず、御《み》格《こう》子《し》を下して、
「このおん茵のうつり香《か》の、おくゆかしいこと……」
「すばらしい方ですわね」
「どうしてこんなに、柳の枝に、桜の花を咲かせたような方が、現実にいらっしゃるんでしょう」
などと噂しあった。
源氏は西の対に渡ったが、すぐには内へはいらず、物思いにふけって横になっていた。
灯籠《とうろう》の灯を遠くにともさせ、女房たちをそばへおいて話などをさせていた。
思ってはならぬ人を思う癖は、まだ自分にはなくならない。
年をかさね、分別も増したかにみえながら、なおまだ、理性で割りきれぬ情熱が、自分には残っている。
自分自身、おそろしいような恋である。
むしろ、これは、若き日のあやまちであった、藤壺の宮への恋よりも、おそろしい、罪ある恋であった。
若い日の過失は、若かったがためと、神仏も許したまうであろう。しかし、この恋ばかりは、人にも神仏にも許されない。
源氏はしみじみ、そう考え、思えば、思慮分別も、すこしはできたかと思ったり、した。
女御は、秋のあわれをわけ知り顔にお返事されたことをすら、後悔されていた。
それをはずかしく苦しく、気がふさがれて、なやましげにとじこもっておいでになる。
源氏は、それを気づかぬふうで、いつもより親らしくふるまい、世話をやいているのであった。
紫の君に、
「女御が、秋に心をお寄せになるのも、あなたが春のあけぼのがよい、というのもそれぞれ尤《もっと》もだね。四季折々の自然をたのしむ、催しごとをして、管絃のあそびをしてみたいものだ。――いろいろ考えることはたくさんあるのだが、その一つに、出家ののぞみをとげる、ということもある。しかし、愛するあなたとは別れられないから、そればかりは、まだまだ、おあずけだね」
といっていた。
大堰へも、ますます公私ともに多忙で、いく機会はめったにない。
明石の君が京へ出てくればいうことはないのであるが、思い上った気位のたかさが、それを拒んでいるらしかった。
とはいっても、源氏は、不《ふ》憫《びん》でもあり、嵯《さ》峨《が》の御堂の念仏にかこつけて、訪れた。
明石の君は、源氏を見て、姫君のことやら何やらで、胸せきあげて辛い気持でいっぱいになるらしく、源氏は言葉をつくしてなだめるのであるが、明石の君のふかい怨み、つらみは解くよしもない。源氏は、夜ひと夜、愛《あい》撫《ぶ》でこたえるばかりである。
木立の茂みの間から、川の篝火《かがりび》が、遣水《やりみず》の蛍《ほたる》のようにみえる山荘のけしきは、面白かった。
「明石のころのいさり火のようですわね。わたくしの辛さは、あのときのまま……」
と明石の君はつぶやく。
「私の心が分らないのかね。あなたはまだあの火のように揺れているではないか」
源氏は恨むごとき口吻《くちぶり》になる。
源氏は女の心をなだめるごとく、しばし、いつもよりも長く、滞在していた。
恋の夏すぎてあるかなきかの朝顔の巻
かの朝顔の斎院《さいいん》は、父君の桃園式部卿《ももぞのしきぶきょう》の宮の喪に服されて、斎院をお下《お》りになったのであった。
源氏は例のごとく、いったん恋した女人《ひと》を忘れることのできぬ癖で、弔問にことよせてしばしば斎院に手紙を送っていた。
朝顔の宮は、斎院ご在職のころ何かと噂《うわさ》されたのをわずらわしくお思いになって、うちとけたご返事もなさらない。それが源氏に、なお執着させる原因ともなるらしかった。
九月になって、宮は桃園のお邸《やしき》にお移りになったと、源氏は聞いた。このお邸には、源氏にとって叔母《おば》君にあたる女五の宮がお住まいになっているので、そのお見舞いにかこつけて、朝顔の宮を訪問した。
亡き父君の桐壺院《きりつぼいん》はおん弟妹《きょうだい》に対してもおやさしいかたで、お妹宮の内親王方をもねんごろに扱っていられた。それで源氏もひきつづき今にいたるまで親しくおつきあいをしているのであった。
女五の宮と朝顔の宮は、同じ寝殿の東と西に別れてお住まいになっていた。式部卿の宮がお亡くなりになってからまだ日も浅いのに、はやお邸は荒れた気配で、あわれにしめやかな雰《ふん》囲気《いき》だった。
女五の宮は源氏にお会いになってお話をなさる。この叔母君はひどくお老《ふ》けになって、咳《せき》こまれたりする。
この叔母君にくらべると、姉に当られる故太政大臣《だじょうだいじん》の北の方、つまり葵《あおい》の上《うえ》の母君の、大宮の方はずっと若々しく、いまも美しさを保っていられる。しかし女五の宮はお声も嗄《か》れて、老人じみ、もはや中性的なごようすにみえた。幸福な結婚生活を送って年を重ねられた大宮と、世の片隅で淋《さび》しい独身生活を過ごされた女五の宮とでは、同じご姉妹《きょうだい》といっても、おのずからご様子も違ってくるのであろう。
「院がおかくれ遊ばしてのち、何かにつけて心ぼそく過ごしておりましたが、そこへまた、ここの宮にまで先立たれ、いよいよ涙がちで、あるかなきかに生きております――こうやっておたち寄り下さいまして、ほんとうにうれしくて、物思いも晴れる心地がいたします」
と宮はいわれる。お気の毒に、ずいぶんお年をとってしまわれたものよと、源氏はいとおしくて、ていねいにいたわってさし上げた。
「院がおかくれになりましてからは、万事につけ、昔とはかわりましたね。この身も、おぼえのない罪を被《き》せられ、遠いところへ漂泊《さすら》ったりいたしましたが、幸い、帰京を許され、政務に携わるようになりました。そうなりますと、忙しさにとりまぎれて、暇がございませず、ご機《き》嫌《げん》うかがいに上って、昔ものがたりなどしたいと思いながらついつい、今日まで果せなくて気にかかっておりました」
「やさしいお言葉を頂いて……」
と女五の宮はおうれしそうだった。
「不幸ばかりつづいて、世の無常を目の前にみせられたときは、長生きがかえって怨《うら》めしく思われましたが、あなたがこうしてまたお栄えになったのを拝見すると、ほんに、長生きしてよかったと思いますよ。先年の、あなたのご不運のころに死んでおりましたら、さぞ、心残りでしたでしょうねえ」
と、お声も、老人らしく震えている。
「それにしても、あなたはまあ、いよいよごりっぱな殿方になられて。童《わらわ》でいらしたころ、はじめてお目にかかって、よくもこう光りかがやくように美しい方が、この世におうまれになったものよと驚いたものでしたが、そののちも時々お見上げするたびに、あんまりお美しくて気味わるいくらいでしたよ。いまの主上《うえ》が、あなたによく似ていらっしゃるという噂ですが、そうはいっても、あなたほどお美しくはおいでになるまいと、想像しておりますよ」
と、長々と言われる。面と向って容貌《ようぼう》を讃《ほ》める人もないものだと、源氏はおかしかったが、
「いやもう、田舎《いなか》へおちぶれました頃から、すっかり衰えてしまいました。それはもう、主上のお姿、ご容貌の方が、並びなくご立派でいらせられます。ご想像ちがいですよ」
「そうかしら……ときどき、あなたにお目にかかれましたら、私の寿命も延びましょうね。今日は老いも忘れ、世の憂《う》さも消える心地がしますよ……私は、いつも淋しい独り住まいでしたもの」
とお泣きになるのが、あわれだった。
「思えば、姉君の三の宮はうらやましいこと。あなたを姫君の婿になさって、おん孫さえお持ちになり、その縁で、始終あなたにお会いになれるのですものねえ。私は、羨《うらや》ましくてなりませぬ……そういえば、ここの、亡くなられた式部卿の宮も、あなたを姫君の婿にできなかったことを、後悔していらっしゃいましたっけ」
源氏は長々しい老人のくりごとの中で、その個所だけ、さすがに耳に止まった。
「もしそんなご縁ができておりましたら、どんなによかったでしょうに、……はっきりしたお気持を示して頂けなかったのが残念です」
と源氏は思わず怨めしげな強い口調になった。
あちらの、朝顔の宮の庭を見やると、前栽《せんざい》の枯れ枯れな風趣がやるせなく、静かにそれを眺めていられるであろう佳《よ》き女人《ひと》がしのばれて、源氏は恋しかった。もはやじっとしていられなくなって、
「ちょうどよい折でございますから、姫宮にもお見舞いを申しあげてまいりましょう。ここまで参ってご挨拶《あいさつ》いたしませんでは失礼になりますから」
といって、そのまま、簀《すの》子《こ》伝いに、姫宮のお住まいの方へいった。ほんとうは、朝顔の宮の方へまず行きたいところだった。――女五の宮は口実なのだけれど、年寄りにやさしい源氏は、叔母君にあえば、ゆっくりと言葉をかけてさしあげずにはいられないのであった。
夕まぎれ、宵闇《よいやみ》の濃くなる頃おい、喪中のお住まいは、鈍色《にびいろ》の縁の御簾《みす》に、黒い几帳《きちょう》の透影《すきかげ》もおくゆかしい。
薫物《たきもの》の追風《おいかぜ》がなまめかしく奥から吹きぬけて、趣きふかい風《ふ》情《ぜい》である。
大臣を簀子に坐らせては失礼だと女房たちの心づかいで、南の廂《ひさし》の間《ま》に請《しょう》じ入れられた。
女房の宣《せん》旨《じ》がお目にかかって、姫君のお言葉を取り次ぐのだった。
「これは水くさいなされようではないか」
と源氏は不満だった。
「今更、御簾をへだてて、とはよそよそしくお疎《うと》み遊ばす。長い年月、どんなにあなたには心のありたけを捧《ささ》げて、尽くして参りましたことか。今はもはや御簾の内へ自由に出入りするのをお許し頂けるもの、と信じておりましたのに」
と怨んだ。姫君は宣旨をして、
「昔のことはみな夢のようでございます。まして父亡きいまは、夢さめてなおはかなく、夢もうつつもわかちがとう存じます。あなたさまのお心づくしも、おちつきましてから、よく考えさせて頂きます」
と言わせられた。父君におくれられた姫宮のお心としてはそうもあろうかと、源氏は思うが、それにつけても、この朝顔の宮に、若い日から想いをかけて、長い年月がたったことを、しみじみ思い返さずにはいられぬ。
「あなたが、斎院として神に仕えていられたあいだ、私は人しれず、焦燥して待ちこがれました。長い年月に思われました。そのおつとめも終り、斎院を下りられたいま、神の御禁制はもはやないはず。なぜ私をお拒みになる。思えば、堰《せ》かれた不運な、私の恋でした。私は他郷をさすらい、あなたは神に仕える身となられた。……そうして、年月を経て、なんの障害もない身の上となって、やっと、めぐりあった我々ではありませんか。古い恋。年を重ねた男と女。……
おたがいに、物思いを積み、人生を味わってきました。
こんな私たちなればこそ、恋の味も格別に深いのです。しめやかに、たがいの物憂さを語りあい、生きる重みを、わかち合おうではありませんか……」
と、迫るようにいう源氏のたたずまいには、男ざかりのなまめかしさに添え、中年の深みが人柄に出ていた。しかし中年といっても、まだ内大臣という重い身分がふさわしくないほどの、華やいだ若さがある。
「何と申しましても、一度は神にお仕えした身ですもの。やはり、浮いたことは神がおとがめになりましょう」
と姫宮は、宣旨をしてお伝えになる。
「何を仰せられる。斎院にいらしたころの神のいましめは、風と共に消えたはずですよ」
源氏の様子は愛嬌《あいきょう》があって、憎めない。
「古い歌の通りですよ。
〈恋せじと みたらし川にせし御禊《みそぎ》 神は受けずもなりにけるかな〉
あなたを思い切ろうと何度も決心して御禊して誓いましたが、神はおききとどけ下さいませんでした」
などというさまも色めかしく、男の魅力があふれるようであったが、実直なお心立ての姫宮には、すこし聞き苦しく思われるのだった。
恋の経験もなく、物なれない姫宮なので、お年を重ねられるにつれ、いっそう内気に、考えぶかくなられて、慎重である。源氏にお返事もなさらないので、女房たちは源氏が気の毒でもあり、困ってしまった。
「思わず、色めいたお話になってしまって申しわけございません」
と源氏は深い嘆息を洩《も》らして立ち上った。
「年をとりますと、どうも恥ずかしい目にあいます。恋やつれの男のうしろ姿をごらん下さい、と申しあげたいところですが、そのご様子では、それだけのお気持もございますまい」
源氏が去ったあと、女房たちは口々に、源氏の魅力について話し合っていたが、姫宮はひとり、じっと物思いに沈んでいられた。
秋の空の景色、木の葉の散る音につけても、昔の、あのころ、このころの源氏の手紙が思い出される。
折々の季節につけての源氏のあわれふかい手紙。心をゆさぶられることが、全くなかったとは、姫宮は断言がおできになれない。
しかし、ゆらぐお心をしずめて、源氏と恋に陥《おちい》るまいと、かたく決心された若い日の思いを、姫宮は貫こうとしていられた。
源氏は心の晴れぬまま帰って、夜ひと夜、まんじりともしなかった。
源氏は、執念《しゅうね》き恋に、とりつかれてしまったのである。なびかぬ姫宮に、恋の炎は、あやにくに燃え上るのである。
源氏は早朝、部屋の格《こう》子《し》を上げさせ、朝霧の流れる前栽を眺めた。枯れた千《ち》草《ぐさ》の中に、朝顔が、そちこちの草にはいまつわって、あるかなきかの小さな花をつけている。
色も褪《あ》せ、衰えた花を源氏は折らせて、朝顔の宮に手紙をつけ、贈った。
「つれなきおんあしらいに、私は人目も恥ずかしく帰りましたが、哀れな私のうしろ姿をどうご覧になったことでしょう。お嗤《わら》いあそばされたのではないかと辛《つら》いのです。とはいえ、
〈見しをりの 露わすられぬ朝顔の 花のさかりは過ぎやしぬらん〉
長い年月、どんなにあなたをお慕いしていたことか。『あわれ』とだけでもお思い下さろうかと、はかない望みをつないでおります」
と書いた。
もはや、若い日の熱烈な恋文ではなかった。
それは、幾歳月をくぐってきた同志に寄せるような、おちついた、大人《おとな》の手紙であった。
それだけに、朝顔の宮のお心も、しみじみと濡《ぬ》れてゆく。こんな手紙に返事しないのも、情け知らずの、ぶこつなことだと、宮はお思いになった。また、おそばの女房たちも御硯《すずり》を用意しておすすめするので、宮は、返事をお書きになった。
「〈秋はてて霧のまがきに むすぼほれ あるかなきかにうつる朝顔〉
花のさかりの移ろうた朝顔は、まことにわたくしに似つかわしきおんたとえでございました。
夏は終ったのでございます」
源氏は、その手紙を、手から離しがたく、いつまでもながめている。ことさらにすぐれたというひとふしもないのに、心ひかれる手紙なのだった。青鈍《あおにび》色の紙のなよやかなのに濃く淡く墨つきも美しげであった。
(このような贈答の消息《たより》というもの、書いた人の身分や書きかたなどに補われて、そのときは、みごとな文章、歌などに思われるが、後日、あらためて本に書くと、その折の風趣は消えてしまう。その情緒をたしかに伝えることのできぬのは筆者として残念である)
この年になって、昔の若いころのように、恋の手紙を送るようになろうとは思わなんだ、と源氏はほろにがい気持になっていた。
朝顔の宮は昔から、源氏に好意を持って下さっていたのはまちがいないと思われる。むげに振り捨てもなさらず、さりとて、つねに距離をおいて応《こた》えていられた。そうして年月は経《た》ったのである。源氏は折々の感懐を、宮にうちあけ、どれほど慰められてきたかしれない。
宮に対する気持の中には、恋というより以上に、年上の女人に対するあこがれや、信頼や、友情、連帯感、同志愛のようなものさえあった。
それらがつきまぜられて、複雑な陰影をもつ恋ごころを育て、やがて、――宮と自分の残る人生を、もろともに重ねたい、宮のお心のすべてを残るくまなく、自分で占めたい、という男の欲望になっていった。
源氏はもうあとへひけぬ気持である。
若い日に返ったような情熱をおぼえて、熱心に手紙を送りつづけている。そして、二條院の東の対に、朝顔の宮の女房、宣旨を招いて、ひそやかに、あれこれと相談したりするのであった。
宮のおそばに仕えている女房たちの中でも、浮気な女たちは、源氏に声をかけられたらすぐにでも靡《なび》きそうに夢中になっていた。しかし宮は、お若いころでさえ、源氏に恋すまいと決心していられたものを、まして、今は色めかしいことのあるべき年齢でも身分でもないと考えていられる。世の聞こえをはばかられて、はかない草や木につけた、四季折々の消息《たより》を交すことさえ、人々は軽率なことと噂するのではなかろうかと、いっそう控えめになさる。
うちとけようとなさらない宮のご様子を、源氏は、
(昔のままの冷たさでいられる。世にも珍しい女人だ、そこがまた……)
とくやしくも、なお心ひかれてゆく。源氏にはどうしても、とどかぬ高《たか》嶺《ね》の花のような、仰ぎ見る恋人の存在が必要らしかった。そして、そういう女人は、源氏より年たけ、身分重く、容易に靡かぬ女《ひと》であらねばならぬらしかった。
二人の噂ははやくも、世に散り初《そ》めていた。
世の人々は、「前《さきの》斎院に、源氏の大臣が求婚なさっているそうな。叔母君の女五の宮も、このご縁談を喜んでいられるらしい。ほんに、そういえばご身分からいっても、お続き柄からいってもお似合いのご縁であろう」と噂していた。
紫の君は、それを人づてに聞いた。――いや、もはや紫の君と呼ぶべきではなく、紫の上と称すべきであろう。二條院の女あるじとして、小さい姫君の母君として、源氏の二なき妻として世にも重んじられており、そのかみの童女も、いまは堂々たる貴婦人なのだった。
紫の上は、
(もしそんなことがあったとしたら、わたくしにお打ちあけになるはずだわ)
と思った。源氏とは、何でも隠し隔てなく話しあう間柄だ、という自信があるのだった。
しかし、源氏の態度をよく見ていると、いつになくそわそわして、心もそらに、何かに奪われているさまが、よくわかった。
源氏はまじめに結婚を考えているらしい。
それを、紫の上にはわざと冗談ごとにとりなして、言いつくろっているのである。それで見ても、源氏のたんなる浮気とは思えない。
紫の上は傷ついた。
(朝顔の宮はわたくしと同じ宮家のご出身だけれど、昔から世間ではとりわけ重んじられたかた、それに、あのひととのおつきあいも、わたくしより長いんだわ……わたくしとの間とはべつに、宮様とあのひととの仲は裂きがたい絆《きずな》で結ばれていらっしゃるんだわ)
源氏が以前から、朝顔の宮をことに高貴な方と尊んでいるのを彼女は知っていた。源氏が宮に心を移し、愛したならば、自分はどうしたらいいだろう。この年つき、源氏に並ぶものなく愛されてきて、それに彼女は馴《な》れていた。
今さらどうして、ほかの女人の下につくことなどできようか。
(あのひとは、わたくしを全く見捨てるということはなさらないにしても、幼いときから養い育て、世話をしてきたということで軽くごらんになっているかもしれない。そうして、重んじ尊ばれる本妻は、あの宮さまのほうになってしまうかもしれないわ)
などと紫の上は悩んだ。それで、一通りのこと、たとえば明《あか》石《し》の君のこととか、ほかのことについては、拗《す》ねたり怨みごとを言ったりして、かわゆいふくれかたを見せるのであるが、朝顔の宮のことは、しんそこ辛いと思っているので、紫の上は却《かえ》って、気《け》ぶりにもみせなかった。
源氏も端近くぼんやりと物思いにふけることが多くなり、御所に泊まる夜が重なった。仕事といえば宮にあてて手紙を書くことである。
(人の噂はほんとうなんだわ。わたくしとの仲だもの、それとなくぐらいは、お打ちあけ下さればいいのに)
と紫の上は、源氏をうとましく思った。
冬のはじめも、藤壺《ふじつぼ》の入道の宮の諒闇《りょうあん》で、神事なども停止になってさびしかった。つれづれのあまり源氏は女五の宮のもとへお見舞いにいく。むろん、それは朝顔の宮を訪れるための口実である。
雪がちらついて艶《えん》な夕方であった。着馴れてなつかしく身に馴じむ衣裳《いしょう》に、ことに香をたきしめ、早くから念入りに身支度する源氏の美しさ、心の弱い女なら、靡かずにはいられないと、自信をなくすばかりの男ぶりである。
さすがに出がけに、紫の上に声をかけていく。
「女五の宮がご病気でいられるので、お見舞いにいくよ」
と坐っていうのを、紫の上は振り向きもせず、小さい姫君をあやして知らぬふりをしている。ただならぬ気配は源氏にも分った。
「どうもご機嫌がわるいね。私のどこがお気に召さないのかな。あまり見馴れすぎると見映えがしなくなるかと気を遣って、わざと御所で泊まったりして離れているのを、あなたは邪推しているんじゃないかね」
「馴れてゆくと見映えのしないのは、わたくしのほうではなくて?」
といって、紫の上は顔をそむけ、物によりかかってうつむいてしまう。それを見捨てて出ていくのは、源氏にも気のかかることではあるが、五の宮には、すでに参上しますというお便りもさしあげてあることなので、しかたなかった。
こんなことは、世の常の夫婦の仲にはよくあることなのだ、と紫の上は自分に言い聞かせた。いったい、どれだけのたくさんの夫と妻が、こんないざこざを経験したであろう。夫が、愛人のもとへ出かけていくのを、いかに多くの妻たちが不服顔で見送ったであろう、しかしわたくしだけは、そんな苦労も知らず、今まですごしてきた。
思えば、苦労のないことが、ふしぎなくらいだったのだ。――そう思った。
源氏は鈍色の喪服だったが、その色合いといい襲《かさね》の濃く淡きさまといい、じつに美しかった。雪の光に映えて艶な姿である。もしこのまま、源氏と、別れるようなことがあれば、どんなに切ないだろうと、紫の上は悲しかった。
前駆も、内々の人々だけにして忍びやかに源氏は出かけた。
「御所に参内《さんだい》するほかの外出は、今ではもう、面倒な年齢《とし》になってしまったよ。ただ、女五の宮が心細そうに暮らしていられるのを、式部卿の宮に今までお任せしておいたのだがね、お亡くなりになってしまったので、これからは私をお頼りになるものだから、それがお気の毒で、こうして度々、お見舞い申上げるのだ」
などと供の者に源氏は弁解がましくいっていた。
「いやもう、何といわれても、浮気のお心がいつまでも止まらないのが、玉に疵《きず》というところだな」
「ご身分にも疵がつきはしないか。昔とはちがうからな」
などと、供の男たちはささやきあっていた。
桃園の邸の、北の裏門から入るのは、大臣として軽々しいようであった。下《げ》人《にん》たちも出入りするからである。
西の正門を開《あ》けて頂くように、供の者に挨拶させると、女五の宮は、
「今日は雪もよいでもあり、よもやおいではなかろうと存じましたものを……」
と驚かれて、さっそく門をあけさせられた。
門番の男が寒さにそそけ立った姿で出て来て開けようとしたが、すぐには開かないのであった。
どうやら、この男よりほかの下人はいないらしく、一人で、がたがたといわせて開け困《こう》じながら、
「錠が、ひどく銹《さ》びついているようで、なかなか開きませぬ」
とこぼしているのを、源氏はふと、身にしみて聞いた。
そういえば……こんな場面が、いつか、どこかであった。おお、ほんに、あれは末摘花《すえつむはな》の姫君の、常陸《ひたち》の宮邸だった。雪の朝、銹びた門を、門守《かどもり》が開け悩んでいたっけ。
もう十なん年の昔になる。
あの頃は若く、無鉄砲だった。恋の冒険を重ね、若さに奢《おご》っていた……。いま中年に達して、世の無常、恋のはかなさを思い知りながら、なおまだ煩悩《ぼんのう》の闇にさまよい、かりそめの宿りを思い捨てられないのだ。
雪の朝の、常陸の宮邸のことは、昨日のように思われるのに……。
女五の宮の御前に参上して、いつものように、お話し申上げていると、宮は昔ばなしをとりとめもなく長々となさる。源氏は興もなく眠たくなってきた。宮も欠伸《あくび》を洩らされて、
「年でございますね。宵の口から眠くなってしまって……」
とおっしゃる間もなく、鼾《いびき》を立てられた。
源氏はいい機会《しお》とばかり立とうとすると、年寄りらしい咳《せき》払いをして近づく人影がある。
「お忘れでございますか。このお邸におりますことを、ご存じとばかり思って当てにしておりましたのに……。亡き院が、お祖母《ばば》どのとお笑いになりました、わたくしでございますよ」
と名乗るものを見れば、おどろいたことに源典侍《げんのないしのすけ》である。
そういえば、この人は尼になって、女五の宮のお弟子として仏道修行をしているとは聞いていたが、いままで生きているとは思わなかった。源氏は思いがけなくて呆《あき》れてしまった。
「おお……これは。故院ご在世のころのことは、みな昔話となって、はるかに思い出すさえ心細い気のしますものを、なつかしい方にお目に掛ったものですね。お祖母《ばば》さま、久しぶりに、おいつくしみ下さい」
と源氏が笑みをふくんで身を寄せる気配に、源典侍は昔を思い出したのか、今も変らず色っぽい科《しな》をつくって、歯の抜けてすぼんだ口つきの思いやられる声で、
「もう、だめでございますよ、わたくしもこんなに年とってしまって」
と甘えてしなだれかかってくる様子に、源氏の方が恥ずかしくなった。
(いま急に年をとったようなことをいう、あの頃でさえも)
と源氏はおかしかった。
しかし、また、典侍の長生きも思えば感無量である。あのころ、後宮《こうきゅう》に帝の寵愛《ちょうあい》をきそいあっていられた、花の女御《にょうご》・更《こう》衣《い》がたも、あるいは亡くなられ、あるいは行方もしれず零落された方もある。そして、すべての点ですぐれていらした藤壺の宮のおん齢《よわい》のみじかさ。――
それにくらべ、お年かさで、しかもお心ざまも頼りなくいらっしゃる女五の宮や、いかがわしい醜聞で半生を彩《いろど》ってきた源典侍がかえって長生きして、のんびりと心安らかに仏の道にいそしんだりしている。世の中のことは、定めないものだ、と源氏はしんみりさせられてしまった。
典侍は、源氏の、物思わしげな態度を、いまも自分に心が動くのかと誤解して、気も若やぐようであった。
「おぼえていらっしゃいます? あの宵のこと。――ほら、中将さまと一緒の。お祖母《ばば》さまと、たわむれながら、抱いて下さいましたわね」
と、ながしめするのが、源氏はうとましくて、
「お祖母さまですからね、何を忘れましょう、あの世までも、ですよ。そのうちにゆっくり」
と、怱々《そうそう》に立ち去った。
朝顔の宮の住まれる西面《にしおもて》の間では、御《み》格《こう》子《し》をおろしはしたが、源氏の訪問を厭《いと》うようにみえては、という心遣いで、一《ひと》間《ま》・二間は、おろさずにおいてあった。
月がさし出て、薄く積もった庭の雪に映え、みやびやかな趣きだった。
今《こ》宵《よい》は、源氏は、まじめに姫宮に話すのである。
「私は眠れぬまま、うかがいました。今夜はしきりにあなたのことばかり思われるのです。お許しの出る希望もないまま、こうしてむなしく長いこと恋いわたる苦しさは、なまじ手きびしい拒絶をいただくよりも、身にこたえます……。
この上は、せめて一言《ひとこと》、私を愛せない、と人づてでなく、ご自身でお聞かせ下さいましたら、私はあきらめます」
と、真剣に言い寄るのであるが、姫宮は、黙《もだ》されたまま、お声を聞かされない。
(若かったころ、父宮がこのかたと結婚させようと思し召されたときでさえ、わたくしはお否《いな》み申上げた。それを、もはやこの年になって、いまさら、このかたと縁を結ぶことができようか、声を直接に、お聞かせすることも恥ずかしいものを……)
と姫宮は思われている。
源氏は、恨めしいお心よ、とほっとためいきを洩らす。朝顔の宮は、それでも、冷たくあしらわれるというのではなく、人づてのご返事はおっとりとなさるので、源氏はよけい、気が揉《も》めて苦しかった。
夜はふけてゆく。風も烈《はげ》しくなるままに、源氏は心細く、荒涼たる思いに打ちのめされるようであった。
「懲《こ》りずまに、つれないあなたを、慕いつづける、自分自身が情けなくなります。これもみな、私の心からのことですが……」
源氏の嘆息を、女房たちは、気の毒がって宮にお返事をすすめるのであるが、
「わたくしは、いったんきめたことを、変えるということがございませんので……どうか、おゆるし下さいまし」
などと、宮は人づてに答えられた。
部屋のうち遠くから、かすかなおん気配が偲《しの》ばれるだけで、お声さえ仄《ほの》かにも洩れてこない。
源氏は言葉もなく、気をおとすのである。
本気に怨みごとをいって去るのも、青年ならともかく、中年としてはふさわしくなかった。源氏は心をとり直して、
「世間の物笑いになりそうな、私のこの姿、ゆめ、お洩らしなさいますな。――と申しましても、あい初《そ》めてのちの、口止めではございませんが、あまりにも、こんな姿は、一個の男として、恥ずかしいものですから」
と、宣旨にささやいた。
女房たちは、
「まあ、勿体《もったい》ないことですわ。なぜ姫宮はこうもつれなく、おもてなしになるのでしょう」
「大臣《おとど》は、軽々しく、無《む》体《たい》なことはなさらないと思われますのに、せめて、お声ぐらいはお聞かせ申上げれば、ようございますのに」
などと、言い合っていた。
姫宮は、
(あのかたの魅力も、価値も、わたくしはようく知っているわ)
と思っていられた。
(でも、誰も彼もが、あのかたに靡くように、わたくしも、皮相な恋で、あのかたのものになる、と思われるのはいやなのだ。――わたくしは、あのかたを愛している、ほんとうに愛している。それだけに……)
愛を、源氏に知られることを、姫宮は、おそれていられた。
(わたくしの愛が、なまじあのかたと、結婚することによって、現世の、通俗な情愛にまみれてしまうのには、堪えられない。
せっかく、清らかに守ってきた、あのかたへの強い愛を、夫や妻という、現実の地上の愛に堕《おと》してしまいたくないのだわ……)
姫宮は、清らかな瞳《ひとみ》を、じっと、燈火に向けて考えこまれた。
その怜《れい》悧《り》な、白いお顔に、美しい苦しみが浮かぶ。
(わたくしは、地上の愛を超《こ》えて、あのかたを愛しぬこう。これからも、へだてを置いて、この愛を傷つけないよう、おつきあいをしてゆこう。いまさら、わたくしたちの間に肉の愛は必要でない。霊的な愛で、もうむくわれるのだわ……)
姫宮は、神に仕える身となられていたので、仏道の勤めは、しばし遠ざかっていられた。
それで、残る人生は、仏へ、捧げたいともお思いになっている。しかし姫宮は思慮ぶかい方なので、尼になって世の耳《じ》目《もく》をそばだてるというのでもなく、また、さりとて、源氏との交際をいっぺんにうちきる、というのでもなく、ただひそやかに、世間の取り沙汰《ざた》のまとにならぬよう、細心の注意を払っていられた。
女房たちが、源氏に傾倒しているので、もしや隙《すき》があれば乗じられはしまいかと、女房たちにもお心をゆるさず、身をつつしんでいられる。
しかし、頼るご兄弟とてなく、日々にさびれてゆくお邸に、女房たちは、みな心の内には、姫宮と源氏の結婚を切望しているのであった。それも、人情の自然であろうが。
源氏は、是が非でも朝顔の宮との結婚を、強行する意志はなかったが、宮の気高いひややかさ、情《じょう》の強《こわ》さが恨めしく、このまま引きさがるのがいかにも残念だった。
いまの源氏は、天下の一の人として世の声望もあり、分別にも富み、経験を積んで、酸《す》いも甘いもかみわけた年頃である。
今更の浮気沙汰は、世間の批判を招こうかとも思うが、しかし失恋したということになれば、いよいよ世の物笑いになるであろう。
さすがの源氏も、進みも退きもならず、手を束《つか》ねて、思いあぐむばかり、
(どうしたものか……)
と内裏《うち》泊まりを重ねて、二條院に帰らぬ夜がつづいた。紫の上は、冗談ごとと見すごし難くなっている。萎《しお》れて、源氏の前で涙ぐむこともあった。
それを見ると、源氏はやはりいとしくて、
「どうしたの? ご機嫌が悪いようだが」
と紫の上の額髪《ひたいがみ》をかきあげてやって、頬《ほお》をそっと、手ではさむ。そうやっている二人は、絵に描いたような相思相愛の美しい恋人たちであった。源氏はやさしく囁《ささや》く。
「女院がお崩《かく》れになってから、主上《うえ》がたいそう淋しがっていられるのがおいたわしくてね。それに、太政大臣もいられないこととて、政《しご》務《と》を譲る人もなくて忙しいのだよ――わが家にいるときが少ないのを、あなたは今までにないことと疑うのは無理はないが、そんな心配はいらないことだよ。もう今となっては、いくら私でも、よその女人にどうこうということなど、あるはずもない。……まだ怒ってるの? あなたはもうおとなになったはずなのに、まだ少女めいたわがままが残っていて、思いやりがないね。ちっとも私の心をわかろうとしないのだから……。尤《もっと》も、そこがあなたの可愛いところだが、こちらをお向き。ほれ……」
と源氏は、涙に濡《ぬ》れて縺《もつ》れた額髪をかきやるが、紫の上はいよいよ拗《す》ねて、顔をそむけてしまう。
「おやおや。子供みたいに聞きわけない。そんなに拗ねることを、誰があなたに教えたのだろう」
短い定めない世に、愛する者からこうまで恨まれるのは、つまらないと源氏は思った。
何といっても、紫の上は源氏にとって、誰にもかえられない恋妻であった。たとえひとときでも、心が離れ離れになることに堪えられない。
愛を信じるがゆえに、源氏は、人の世のはかなさに、怯《おび》えている。六條御息所《みやすんどころ》も、藤壺の宮も逝《い》ってしまわれた。人は脆《もろ》いのだ。
物欲を信ずるものは永遠を信じ得ようが、愛を信ずる人間は、人のいのちの有限を知って戦《おのの》かずにはいられない。愛が一日も永かれと祈るあまりに――。
「前《さきの》斎院との何でもないやりとりを、あなたはひょっとして気をまわして誤解しているのではないか。それは見当ちがいというものだ。そのうちにはわかるよ。あの方は、昔から色めいたことには縁遠い方だった。ただ、こちらが手持ち無沙汰だったりしたときに、折々、風流なお便りをすると、あちらもつれづれなお暮らしなので、たまさかにお返事を下さる。それだけのことで、恋の色の、というものではないよ。だから、いちいちあなたに経過をうちあけて、報告するようなものではないのだから、安心なさい」
などと、一日中、紫の上のご機嫌をとっていた。
「ほんとう? それは……。もし、あなたがわたくしのほかに愛するかたができたら、一々報告して下さるの?」
紫の上は拗ねて、まだ袖《そで》に半分、顔を隠していた。
「あなたのほかに愛する人など、あるはずもないが、……もし、できたらそうするよ」
と源氏は笑った。
「何でもうちあけて話せる、というのが、私たちの仲のよさの誇りでもあるのだからね」
雪のかなり積もった夕暮れだった。
庭の、松や竹も雪を頂いてそれぞれ趣きある姿だった。源氏の面《おも》輪《わ》も、雪に映えて美しい。
月が出て、白一色の世界を隈《くま》なく照らす。
「花の春、紅葉《もみじ》の秋よりも、冬の夜の冴《さ》えた月に、雪が積もって照り映えている、そんな光景がいいねえ……花やかさはないが、神秘的で身に沁《し》む。まるで、この世のほかの、別世界のようではないか。ふしぎな夢見ごこちに誘われてしまう……冬の夜の月を興ざめなもの、と世間ではきめているが、それは心浅いことだね」
源氏は御簾《みす》を上げさせた。冬枯れの前栽《せんざい》の草木も淋しく、遣水《やりみず》も凍ってとどこおり、池の面《おも》もすさまじく氷が張っている。
「そうだ、この荒涼とした寒々しい景色の中に、少女《こども》たちを置いてみると、じつにいい風情なのだよ。……」
源氏は、元気のいい女童《めのわらわ》たちを庭におろして、雪転がしをさせた。少女たちは大喜びでわれもわれも、雪まろげに熱中しはじめる。
愛らしい姿や、黒髪が月光に映えて美しかった。年かさの、もう大きい、物なれた女童は色とりどりの袙《あこめ》をつくろわず着て、袴《はかま》の帯もしどけない宿直《とのい》姿がなまめかしかった。長い黒髪が雪にあざやかに浮き上る。
小さな女の子たちは、子供らしく走りまわり、扇をおとしたりしている。源氏と紫の上の前ということも忘れ、はしゃいで遊んでいるのが可愛かった。
もっと大きくしようと欲ばって雪の玉を転がすうち、動かせなくなって困ったりしている子もある。庭へ下りない子は東の縁先に出て、それを見つつ、口を出したり笑ったりしていた。
静かな雪の庭には、可愛い笑い声がみちて、ほのぼのと、辺《あた》りへひろがっていった。
源氏と紫の上は、部屋のうちでそれを見ながら、しんみりした話に、落ち着いてゆく。
「いつの年だったか、藤壺の中宮のお庭に、雪の山が作られたことがあった。誰もよくすることだが、どこか面白い工夫をなさっていた。何かの折につけて、あのかたのなさったことは、普通とは違っていたと思うと、お亡くなりになったことが今更、残念でならない。――たいそう気《け》遠《どお》く、隔てをおいておつきあい遊ばすので、くわしくお姿を拝見したことはなかったけれど……」
源氏は、さすがに、紫の上にも、宮とのことは打ちあけられなかった。
「中宮が内裏《うち》にいらしたころは、私を頼りにして下さった。私も、中宮をご信頼して、何かにつけご相談したものだが……目立った才気はお見せにならなかったが、的確で聡明なうけ答えをして下さって、ご相談のし甲斐《がい》があったよ。何をなさっても、過不足がなく妥当な処置をとられた。ご教養深く、見識あり、あたまのいい、それでいて、それを表面にお見せにならない、やさしい、なつかしい方でいらした。……この世にまたと、あんなすばらしい方はいられないだろうねえ」
源氏の嘆息を、紫の上はふかく、うなずいて聞いていた。
「あなたはそのお血筋を引いてよく似ているのだが、すこし嫉《しっ》妬《と》ぶかいのが難といえば難かな。勝気でわがままの点も困りものだよ」
紫の上は、恥じて、可愛らしく微笑する。
「前斎院のお気立ては、中宮ともまた、ちがっていられる。――こちらの淋しいときに、とりたてての用はなくとも便りを交し、しかもそれが、先方が趣味のいい方なので、こちらも緊張する、そんなおつきあいの面白さ、張り合いのある相手、という点では、もはや当代ではこの方ひとりになってしまった」
と源氏はいった。紫の上は、じっとさかしく耳を傾けて、源氏の、朝顔の宮に対する真意をはかろう、とでもいうように目の色を沈ませていたが、源氏が宮との交際の中で、趣味を同じくする者同士の親近感を、色恋よりも大切にしているのがわかった。
「朱《す》雀院《ざくいん》の尚侍《ないしのかみ》はいかがですの?」
紫の上は、朧月夜《おぼろづきよ》の君のことに話題を転じた。朝顔の宮のことについては、自分の取越し苦労かもしれないと思うようになっていた。
それに、性質の素直な紫の上は、源氏になだめられると、たやすく、紙が水を吸うように信じるのである。
「尚侍はかしこくておくゆかしく、立派な方とお聞きしていますわ。軽率なことはなさらないはずなのに、あなたとの恋愛沙汰は、とても、わたくしにはふしぎなの。世間から非難されなすって、肩身狭い思いを味わわれて、お気の毒でしたわ」
「そういわれると、自分としては一言もない。尚侍は優美で、あでやかな美女の例としては、やはり引き合いに出すべき方だろうね。あの方には気の毒で、後悔することがあるよ。――男は年とるにつれて、後悔することがふえる種族だね。私は、若いころ恋をしても、あいての女人を傷つけないようにと念じて、軽率なことはしないつもりだったのに、やはり、悔いが残った。あと先見ずの好色《すき》男《もの》だったら、あとで半生を思い出してどんなに悔いが多いだろう」
源氏は、朧月夜の君のことを思い出すと、やはり心がいたむのだった。
「あなたが数にも入らぬように見《み》下《くだ》していられる、大《おお》堰《い》の山里の女《ひと》は、身分のわりには貴婦人の見識をそなえた人なんだが、たいへん誇りの強い、気位の高いところがある。おのが身分の低さを思って、よけい心を高く持っているのだろうが、その気の張りが劣等感の裏返しのようで、やや白けた感じを抱かせられぬでもない」
源氏は聡明な紫の上を相手に話すときは、まるで男同士の会話のように客観的に淡々と話せるのである。
「下層の女たちとはつきあいがなかったから、この世の女人という女人を見つくした、ということはできないが、しかしそれにしても、女ですぐれた人柄、というのは、あり難《にく》いものだね。私の見た中では、東の院の花散里《はなちるさと》が一番だった。いつまでたっても古びず、可愛らしい。なかなか、こんな人はいないよ。のんびり、おっとりした所が何とも好ましくて、お世話するようになったが、もう長いつきあいなのに、いまも遠慮深くつつましくて、欲がない。今になっては、信頼が私たちを結びつけて離れられない。男と女の情愛とはまた、べつの深いあわれを感ずるよ」
「じゃ、わたくしは?」
「ほらほら、すぐ自分のことに話をもってゆきたがる欲深さん。――いままでの話で、私があなたをどう思っているか、わからないのかね。ほかの女人たちのうわさを、あなたと話し合えることこそ、あなたと私の仲よさのしるし《・・・》ではないか。こんな話を、私はほかの、どんな女《ひと》とも交したことはないし、交したくもない。あなただけは別だ。最初で、最後の人だよ」
源氏は、紫の上をひきよせて、静かに接吻《くちづけ》する。月はいよいよ澄んで、人声も絶え、静かに、この世ならぬ雪景色である。
「池の鴛鴦《おしどり》が鳴いているわ」
と、庭を見やる紫の上の横顔の、何とまあ恋しい藤壺の中宮に紛らわしくも似ていることか。朝顔の宮に向いていた心が、取り戻される気がした。
その夜――とろとろとまどろみかけた源氏の枕《まくら》もとに、夢ともうつつともなく、亡き中宮が立たれた。
藤壺の宮は、お恨みをいわれる。
「あれほど、秘めごとは明かすまじとお約束下さいましたのに、あやまちは隠れなく知れて、恥ずかしく苦しい目にあっております。お恨みに存じますわ……」
と仄《ほの》かに仰せられ、源氏はお答えしようとして何かに魘《おそ》われたように胸苦しく、呻《うめ》くばかりだった。紫の上が、
「まあ、どうなさって?」
と起こしたので、源氏は目がさめた。
名残《なご》り惜しく、胸さわぎは静まらず、涙ばかり流れる。あのかたは、もうこの世にはいられないのだ。目ざめてからの冷たい孤独の涙。
紫の上は、(どうなさったのかしら?)と心配していたが何もいわない。源氏も黙したまま、身じろぎもせず、臥《ふ》していた。
なまじ夢でお目にかかったことがかえって悲しみを増すようで、源氏は早起きすると、早速、それとは言わず方々の寺に、お経を上げさせた。「苦しい目にあって……」と夢で源氏をお恨みになったのも、罪ふかき秘密のために、あの世で地獄の苦《く》患《げん》にお遭《あ》いになっているのではないか。
(代ってさしあげられるものならば……寂しい世界で、大いなるもののおん前に引き据えられ、贖罪《しょくざい》に苦しんでいられる宮のために、私が代れるものならば)
と源氏はひそかに思う。宮のために特別な法要を営むことは、世間の目をそばだて、また帝に、疑惑のお苦しみを強《し》いることであろうと憚《はばか》られる。源氏は一人、心の中で、宮のおんために阿弥陀《あみだ》仏《ぶつ》を念じつづける。
宮が極楽浄土に生まれ代られるように、そのうちわが身も「同じ蓮《はちす》に」と思うのだった。
初恋は空につれなき雲井の少女《おとめ》の巻
その年も明け、女院《にょういん》の御一周忌も過ぎたので、世の中は喪服をぬぎ、まもなく四月《うづき》の衣《ころも》がえとて、夜があけたように花やいだ。
やがて賀《か》茂祭《もまつり》であった。
空は青く張りつめて快晴の日がつづく。美しい初夏のおとずれである。
今は斎院《さいいん》の任《にん》下《お》りたまうた朝顔の宮は、華やかな世間に背を向けるようにひっそりと、物思い勝ちに過ごしていられた。斎院時代とは打って変ったお寂しい環境である。
お庭の桂《かつら》の、木《こ》の下かげを吹く香りに、若い女房たちは、華やかに時めいた賀茂祭のころをなつかしがったり、思い出したり、しているらしかった。賀茂祭には、桂の若葉を冠に挿頭《かざ》すものだからである。そこへ源氏から、
「御禊《みそぎ》の日も、いまは静かで、のんびりしていられることでしょう」
という手紙が来た。紫の紙で、きちんとした立文《たてぶみ》の形にととのえ、藤の花につけてある。
〈かけきやは 河瀬の波もたちかへり 君が御禊の藤のやつれを〉
と歌があった。
(去年《こぞ》の今頃は思いもかけないことでした、あなたがお父宮のご薨去《こうきょ》で斎院を下り給い、一年の喪が明けたいま、同じ御禊は御禊でも、賀茂祭のそれでなくて除服の御禊をなさろうとは)
今日は色めかしい恋文ではなく、格調正しい、大人の挨拶《あいさつ》である。折も折とて、姫宮は感慨ふかく思われるままに、いつになく、すぐお返事の筆をとられた。
「〈ふぢ衣 着しは昨日と思ふまに 今日は御禊の瀬にかはる世を〉
はかないものでございます」
(藤の衣――喪服をまといましたのは、つい昨日のように思われますのに、はや喪はあけました)
源氏は、例のように、そのお手紙にじっと目をあてていた。
前《さきの》斎院が、喪服を脱がれる時にも、源氏から女房の宣《せん》旨《じ》を通して、おびただしい贈り物があった。宮は(まるで思い人《びと》扱いのような……)と迷惑に思われ、そういわれもしたが、宣旨は、懸《け》想文《そうぶみ》でも添えてあるならともかく、まじめなお便りで、年来、表むきの文通はあったことだし、どういってご辞退できようかと思い、源氏と姫宮のあいだに立って困りきっていた。
源氏は、女五の宮の方にも、折につけ、お見舞いをし、物質的援助も惜しまないので、老いたる叔母君は、嬉しく思っていられた。
「源氏の君といえば、美しい少年《こども》の印象が強くて、昨日今日まで、ほんの子供と思っていたのに、まあ、いつのまにか大人びた心遣いをみせていたわってくれるようになって。お顔立の美しいのに添えて、お気持も人よりすぐれていらっしゃるのだねえ」
などと讃《ほ》めちぎっていらっしゃるので、若い女房たちは笑うのであった。
女五の宮は朝顔の宮にお会いになると、
「源氏の大臣《おとど》が、あなたに熱心に求婚していらっしゃるようだけれど、いいご縁ではないかしら。お迷いにならず、お受けなさいましよ」
とおすすめになるのであった。
「あなたへのご執心は今に始まったことではないのですもの。亡くなられたあなたのお父宮も、源氏の君が他家にご縁組なさったことを残念がってらして、『自分は望んでいたのに、姫が取りあわずに断わったから』とおっしゃった。源氏の君を御婿君《むこぎみ》にできなかったことを惜しがっていらっしゃいましたよ。けれど、故太政大臣《だじょうだいじん》の姫君が、源氏のご本妻でいられた間は、母君の三の宮のお心遣いが気の毒なので、私はお口添えできませんでした。
でも今ではそのご本妻も亡くなられ、太政大臣も世を去られたのですもの。あなたが源氏の君のご本妻になられて何の悪いことがありましょう。あのかたが昔に返って熱心に求婚して下さるのも、もともと、そうなるべき宿縁なのではないか、と私も思いますよ」
などと旧弊ないいかたをなさるので、姫宮はご不快だった。
「わたくし、亡き父宮にも、強情もの、と思われて過ぎてまいりましたの。いまさら周囲に押し流されるようにして結婚するのは、わたくしに似つかわしくございませんわ」
とおっしゃって、その話題さえ恥ずかしそうになさるので、女五の宮も強いておすすめになることができない。
お邸の内の人々は、上下そろって源氏のお味方であったから、いつ、誰が手引きして源氏を引き入れるかもしれないと、姫宮は不安で、警戒していられた。この姫宮は、そこまで考えをめぐらされるほど、怜《れい》悧《り》で慎重で、自尊心に富んでいられたのである。
しかし、やはりそこらが世なれぬ姫宮の限界であろう。
源氏はもはや、若き日の源氏ではない。分別と理性をそなえた中年男性である。源氏はわが心を尽くし、まことをお見せして姫宮のお心の溶けるのを待とうという気でいる。昔のように、また、姫宮がひそかに恐れていられるように、むりやりに女の心を踏みにじってわがものとすることは、夢にも考えていないのである。
姫宮はいかにさかしくいられても、そこまで男の心を洞察することはおできにならぬらしかった。
さて、亡き葵《あおい》の上《うえ》の忘れがたみ、夕霧《ゆうぎり》の君の元服《げんぷく》の用意を、源氏は急いでいた。
母の顔も知らず生《お》い立った源氏の長男は、はやそんな年齢に達していたのである。源氏は自邸の二條院で上げたいと思ったが、祖母君の大宮がその式をご覧になりたいと思われるのが、尤《もっと》もなことだし、おいとおしくもあるので、やはり、そちらの御殿の三條邸で、行なうことにした。
その昔の頭《とう》の中将、源氏の親友は、いまは右《う》大将《だいしょう》として世に時めいているのをはじめ、母方の叔父《おじ》たちはみな、立派な上達《かんだち》部《め》で、帝の御おぼえも殊に篤《あつ》い人々である。主人役の三條殿では、われもわれもといろいろの贈り物をしてたいそう華美だった。世間までが、夕霧の元服式の噂《うわさ》を言い騒いだ。
源氏ははじめ、夕霧を四位《しい》にしようと思い、世間の人々も「そうなさるであろう」と思っていた。親王のおん子は、元服後、従四位下に任じられるのが、ならわしである。
しかし源氏は考えた。まだ幼少であるのに、いくら親の自分の心まかせになる世の中だといっても、最初から四位にするのは、かえって世間なみの通俗な奢《おご》りにすぎぬのではないか。
夕霧はかくて、六位の浅《あさ》葱《ぎ》色《いろ》の袍《ほう》を着せられ、殿上《てんじょう》に戻った。
夕霧を赤児のうちから手塩にかけて養育された祖母君の大宮は、それが意外でもあり、強いご不満であった。
それで、源氏と対面なさったとき、そのことを訴えられた。源氏は、自分の考えを噛《か》んで含めるように、お話し申上げる。
「夕霧は十二になります。まだ小さいのに、むりに元服を早めて大人の仲間入りをさせることはないのですが、思う所あって、大学寮に入学させ、学問をしばらく、みっちりやらせようと考えております。この二、三年を、無駄にするつもりで、世間なみの出世とは没交渉に、ひたすら学問に打ちこませたいと思うのです。そのうち、自然に朝廷《おおやけ》のお役に立つように成人すれば、一人前ともなれましょう。
私は、御所の内ふかく育ちました。世間のことも見知らず、一日中、父みかどのおそばにおりまして、漢籍などほんの少し学んだだけです。故院みずから色々お教え下さったのですが、私はどうしても殿さま芸で、学問でも芸術でも、辛抱強い修練を致しませんから、不充分なものでございました。つまらぬ親にまさって賢い子ができるということは中々難かしいことで、まして次々と子孫が劣ってゆくようでは困りますから、この際、夕霧にはしっかり学問させようと思ったのでございます。
身分の高い家の子に生まれますと、官位も思うままで、栄華に奢る癖がつき、学問などに身を苦しめることは思いもしないようになります。そうして、遊び事にふけりながらも位ばかり高く昇りますと、世の人は、陰でせせら笑いながらうわべでは追従《ついしょう》をし、お世辞をいって従います。そんなありさまのうちは自然、ひとかどの人間とみえ立派にはみえますが、いったん時勢がうつり、頼りになる人々にも死におくれて、権勢も衰えてしまったのちは、人に軽蔑《けいべつ》され、おちぶれてしまうものでございます。
男子たるもの、やはり学問教養を基本としてこそ、処世の才能や、良識など、大人の能力を発揮できるのです。
もどかしいようでも、当分は学問に専心させてやりましょう。将来、国家の柱石となるべき教養を身につけさせておきますと、私の亡きあとも安心でございます。今のところは、くすんで、ぱっとしませんようでも私が控えております以上は、貧乏書生と笑いあなどる者はおりますまい」
大宮はふかくうなずかれた。
「そこまでお考えでございましたの。こちらの大将なども、六位とはまた、あまりに、と不審がっておりました。夕霧も大将や左衛《さえ》門《もんの》督《かみ》などの子供を、自分よりは下に見ておりましたのに、六位の浅葱の袍を辛《つら》いと思っているらしいのが、可哀そうでなりませなんだ」
「はははは。一人前になまいきな不平を申すのですね。子供だから無理もないが。――まあ、学問して少し物の道理が分るようになれば、そんな恨みはおのずと消えましょうが」
源氏は夕霧を、可愛ゆく思った。
大学寮の入学に際し、漢学をまなぶ者のきまりとて、夕霧の字《あざな》をつける式が行なわれた。式場は東の院の、東の対《たい》にしつらえられた。
上達部や殿上人は、この式を珍しがってわれもわれもと集まってきた。博《はか》士《せ》たちも、かえって気おくれしそうなほどである。
「身分に遠慮せず、先例どおりに、厳格に行なって頂きたい」
という源氏からの申し出があったので、博士たちは強いて沈着をよそおい、借着の身にあわず恰好《かっこう》わるいのを恥じもせず、顔つき、声《こわ》音《ね》、尤もらしくふるまってずらりと座についたそのようす、ちょっとした見ものだった。
若い公達《きんだち》はたまらず、ふき出してしまった。
実をいうと、軽々しく笑ったりしない、おちついた年配の人々を選んで、酌をさせていたのであるが、何分、ふだんと勝手のちがう宴会なので、右大将、民部卿《みんぶきょう》などといった人々が、おずおずと盃《さかずき》を受けているのを、博士たちは口やかましく見《み》咎《とが》め、叱《しか》りつける。
「大体、相伴役《しょうばんやく》の方々が無作法ですぞ。儒者《じゅしゃ》としてこれほど有名な私を知らずして、よくも朝廷に仕えていられることだ。おろかものめが」
などというので、人々はまたこらえかねて失笑すると博士たちは、
「静粛に。静粛に。さわがしい人は以《もっ》てのほかのこと、退席されたい」
などと、居《い》丈高《たけだか》にいうので、また人々の笑いをさそう。
見なれぬ人々は、面白いことに思い、大学寮出身の上達部は、得意げに微笑していた。
そうして、源氏が、学問を愛好して子息にもそれを修めさせようとしている見識に、感じ入っていた。博士たちは人々が私語するのも制し、いささかの無作法をも咎める。やかましく罵《ののし》る博士たちの顔も、夜に入って明るい灯《ひ》に照らされたのを見ると、本人は威厳をつくろっているようでも却《かえ》っておどけてみえるのや、みすぼらしげなのや、醜いのや、さまざまであった。全くどれもこれも学者というのは、一風かわったものであった。
源氏は、
「私のように無作法で、規則ぎらいな者は、席に出たらさぞうるさくいわれて、まごつくだろうな」
といって御簾《みす》のうちにかくれて見ていた。
設《もう》けの席の数が足らず、帰ってゆく大学の学生《がくしょう》たちもあると聞いて、源氏は釣殿《つりどの》でもてなし、贈り物などした。
式が終って退出する博士や、詩文にたけた人を呼んで、源氏は漢詩の会を催した。上達部、殿上人など、その道に嗜《たしな》みある人はみなとどめた。博士の人々は律《りっ》詩《し》、学者以外の人々は源氏をはじめ絶句を作った。文章博士《もんじょうはかせ》が面白そうな題を選ぶのである。
初夏の、みじか夜のことだから、しらじらと夜があけはてるころ、一同のものする詩が披《ひ》講《こう》された。
左中弁《さちゅうべん》が、講師となって、よみあげる。彼は美男で、声の調子も重々しい人である。それが神《かん》さびて読みあげるさま、たいそう趣きがあった。世の信望も殊にあつい博士である。
夕霧が、栄華をほしいままにする家に生まれながら、螢《ほたる》の光、窓の雪をたよりに勉学にいそしんだ古人に倣《なら》おうとする、その志のけなげさを称揚する句が多かった。どれもみな傑作で、世の人は、唐土《もろこし》にまで伝えたい、といったほどだった。
源氏の作はいうまでもない。父親の愛情も添えられ、ことにすぐれたものと人々は涙をおとして感激したが、女の身で、漢詩などをわけ知り顔にあげつらうのは見苦しく、憎らしいことと世の人もいうから、ここには記さないことにしよう。
それにひきつづき、夕霧に大学入学の式をさせ、そのまま東の院の中に部屋を作って、学識ふかい師に托し、学問をさせることになった。
もはや、祖母君・大宮のもとへも、夕霧はほとんど出かけない。それは源氏の指図によるものである。大宮は夕霧をお可愛がりになっていて、夜も昼もおそばにおき、幼児のように扱われるので、そんな所では、とても勉学に励むわけにはいくまい、と静かな所に籠《こも》らせたのだった。そうして、ひと月に、三度ぐらいは、大宮のもとへご機《き》嫌《げん》伺いにいくことを許した。
少年は、ずっとひきこもっていて、気が晴れない。父親の処置に不平をもっている。
(ずいぶん、ぼくにきびしく当られるものだな。こんなに苦しい勉強をしなくても、高い位に昇り、世間で重んじられる人もないではないのに)
と父親を恨めしく思ったりするが、もともと質実な、浮いた所のない性格なので、がまんして、ひたすら勉強にうちこんでいた。
(何とかして、読まねばならぬ漢籍のたぐいを早く読み終え、一日も早く世の中へ出、朝《おお》廷《やけ》にもお仕えできるようになろう)
と決心して、わずか四、五か月のうちに、史記などという書物は、読み通してしまった。
そろそろ、大学寮の試験を受けさせようと源氏は考え、まず、自分の前で夕霧の学力を試みさせた。大将、左大弁、式部の大輔《たゆう》、左中弁といった人々を招いて、夕霧の家庭教師の大内《だいない》記《き》に命じ、史記の難解な巻々の、寮試《りょうし》に出そうな個所を抜き出して一通り読ませる。
少年はすみずみまで明快に解釈し、ゆきとどかぬ点もない。模擬試験は上々の成績であった。天与の才であろうと、人々は感動して、美少年をいとしく思い、涙ぐむのだった。
伯父《おじ》にあたる大将はまして、
「ああ、亡くなられた太政大臣がいらしたら、どんなにお喜びになっただろう」
と涙を抑えた。
源氏も気を張ってはいたが、気強くばかりしていられなくて、
「親馬鹿というものを、人の上で見るときは見苦しいと思っていたのだが……どうしようもないものですね。子供が大人びてゆくのに、親がおろかになってしまって、まあ、これが世間というものかもしれないが。――私などはまだ、それほどの年齢《とし》でもないのに」
と、瞼《まぶた》を熱くするのであった。
それを見る大内記は、(若君をお教えした甲斐《かい》があった)とうれしく、面目あることに思った。
源氏が大内記に盃をさすと、すっかり酔ってしまった。痩《や》せて貧相な顔である。この人は変り者との評判で、学才のわりには世に用いられず、引き立てる人もなく、貧乏に苦しんでいたのを、源氏は見込んだ所があって、特別に乞《こ》うて夕霧の師としたのである。
身にあまる愛顧をうけて、源氏のおかげでたちまち幸運をつかんだのだった。将来、夕霧の信望をもあつめることであろう。
夕霧が大学に寮試を受けにいく日は、正門に上達部の車が数えきれぬほど並んだ。ここへ来ない人はないだろうと思われるほどだった。
そこへ人波を払って夕霧が入ってきた。とりわけ大切に人々にかしずかれている若君のありさま、一般の貧しい大学の衆の仲間にまじるにはまことに勿体《もったい》ないほど、上品で愛らしい美少年だった。
ここは学問の場であるから身分を問うことなく、長幼の序に従って座につく。例の、字《あざな》の式の日に来ていた偏屈な、あるいは頑固な、また貧相な学者・儒者たちの末座に席をしめるのを、夕霧は、面白くない風でいた。
この席でも、やかましく叱りつける学者がいたりして夕霧は不快だったが、少しも気おくれせず、終りまで読み通した。
昔、醍《だい》醐《ご》の御代《みよ》の頃、大学が盛んで、学芸が興隆して人材が雲のように輩出したときがあったが、ちょうど今は、それに似ていた。
上流階級の人々も、中流も、もっと下の人々の子弟も、われもわれもと学問に志し、大学に入ることを望んだので、世の中にはいよいよ、才幹あり有為な人材が多くなった。
少年も文人《もんにん》擬《ぎ》生《そう》の試験をはじめ、ほかの試験も順調に合格してゆく。今では一心に学問にうちこみ、師も弟子も一層、励んでいた。
源氏は、自邸でも詩文の会をよく催したので、博士や、才ある人々は得意げであった。
学問だけでなく、それぞれの道に才能ある人が、実力をみとめられ、報われるよき時代であった。
冷泉《れいぜい》帝の中宮を定められなければならなかった。
源氏は、斎宮の女御《にょうご》を中宮に、と推している。
「亡き母宮の藤壺《ふじつぼ》の女院《にょういん》が、斎宮の女御を主《う》上《え》の御後見《うしろみ》にと、私に望まれたから」
と源氏は、藤壺の宮のご遺言《ゆいごん》にことよせて主張する。
しかし世間は、二代の后《きさき》がつづいて源氏出身(皇族出身ということでもある)であることを歓迎しない。
「弘徽《こき》殿《でん》の女御は、どなたよりも先に入内《じゅだい》なさったのだから、それをさしおいて、あとの方を中宮に、とはいかがなものか」
など、斎宮の女御方、弘徽殿方に心をよせる人は、それぞれ内々気を揉《も》んでいる。
そればかりではない。今ひとところ、兵部《ひょうぶ》卿《きょう》の宮、この方はいまは式部卿《しきぶきょう》の宮、と申上げるが、帝《みかど》の御伯父に当られるので、いまは世に時めいていられる。その方の姫君が、かねてのお望み通り、入内なさった。王女御《おうにょうご》とよばれていらっしゃる。紫の上の異母妹に、あたられるわけである。
「斎宮の女御も皇族ご出身という点ではご一緒だけれど、同じことなら、御母方の、帝と御従妹《いとこ》にあたられる方のほうが、母代りのおん後見《うしろみ》という点では、ふさわしいのではないか」
などと、とりどりに、王女御方の人々は主張した。三人の女御をめぐって、宮中は火花を散らす暗闘がくりひろげられたのである。
いうまでもなくそれは、それぞれの女御の後援者、庇護《ひご》者《しゃ》たちの争いにほかならぬ。このたびは、立后という直接的な形だけに、以前の絵合せの争いなどよりもっと、熾《し》烈《れつ》な、切迫した、政界実力者間の争闘である。
ついに、再び、源氏は勝った。衆論を導いて、斎宮の女御立后が決定されたのである。女御は、晴れて、冷泉帝の中宮に冊立《さくりつ》された。
亡き母君、六條御息所《みやすんどころ》のご不運にひきかえ、なんという幸運なおかたであろうと、世間の人々はみな、おどろくのだった。
源氏は太政大臣に昇り、大将は内大臣となった。
そして源氏は、天下の政務《まつりごと》を、内大臣に譲った。源氏の政治的処理の手腕は、あざやかである。
そのかみの頭《とう》の中将も今は天下の権勢を握る内大臣となった。
いったい、この人は人柄が剛直で、しかも派手好きであり、才覚もあった。学識も深く政治的能力も抜群であり、源氏をのぞいてはまず、一《いち》の人と称してもよかった。
夫人は多く、それぞれに生んだ子供たちが十余人もあって、源氏に比べると子福者である。ほとんど男の子たちで、次々に成人して相応に出世してゆき、源氏に劣らず家運の隆盛な一家であった。
内大臣の娘は、二人しかいない。
一人は、弘徽殿の女御である。
いま一人の娘は、雲井雁《くもいのかり》とよばれている。
この姫は母君が皇族出身で、血筋の貴いことは女御に劣らなかったが、境遇はふしあわせだった。何となれば、母君は、内大臣と離婚し、按察使《あぜち》の大納言と再婚していたからである。再婚先でも子供が多くできたので、少女は、実父の内大臣に引き取られたのだった。
内大臣は、雲井雁を、新しい継父《ままちち》に渡すのを哀れんで引き取ったのではあるが、しかしそれほど可愛がってはいなかった。内大臣の愛情は、もう一人の、女御になられた方の姫に、より深く、扱いも格別に、そちらを重んじていたのである。
雲井雁は、祖母君の大宮の手もとで育てられていた。父母の愛うすいとはいえ、――少女は美しく愛らしく、人柄も素直な、かわいい姫であった。
さて、大宮の手もとで育てられる子供はもう一人いた。亡き葵の上の忘れがたみ、夕霧である。いとこ同士の少年少女は、兄妹のようにむつみ合って一緒に育ったが、それぞれ十歳《とお》を越えてからは、部屋も別々にされた。
父の内大臣の配慮によるものであった。
「いくら親しい仲だといっても、女は男の子になれなれしくうちとけるものではない」
と雲井雁に教えて、心安い往《ゆき》来《き》を禁じた。
幼な馴染《なじ》みの少女との仲を、急に割《さ》かれてしまった少年は、淋しくてたまらなかった。
折々の、花や紅葉《もみじ》につけて、はかない言葉をことづけたり、ままごとの相手にも、ご機嫌とりをして、ひまさえあれば少年は少女に熱心にまつわりついていた。
それゆえ、雲井雁も、夕霧を慕いなつかしみ、やがてそれは仄《ほの》かな淡い恋ごころに色染められていった。
後見役の乳母《めのと》たちは、大人の雑駁《ざっぱく》な放胆さで、たかをくくっていた。
「十歳《とお》をすぎたら、男と女として分けへだてよ、と大臣《おとど》はおっしゃいますが、何といってもまだ、幼な心のぬけないお年頃ですもの」
「長いこと、ご一緒に育ってらしたのですから、いいお遊び相手でいらっしゃるのですよ。そう急に、むりやり引き離して、お説教申しあげることもありますまい」
少女の姫は、それこそ、無垢《むく》で純真で、あどけなかったし、少年の若君もまだ子供っぽく、一人前とはみえないので、人々は、安心していたのである。
しかしそれは、思春期の少年少女の、動揺しやすい、玄妙不可思議なこころのはたらきを知らぬものであった。
たゆたいながら、恥じらいながら、ひそやかに、ひとしずくずつ滴りはじめた初恋の露の、いつかそれが若い心になみなみと湛《たた》えられてあふれたとき、心と心は相寄り、人目を忍ぶようになっていた。
人目を盗んでの、あわただしい逢《おう》瀬《せ》。幼い誓いの指切り。
「ぼくのこと、好き?」
とささやく少年の声が低いのは、おとなたちの目を恐れて、というより、自分自身の胸の動《どう》悸《き》が烈《はげ》しくて、声も掠《かす》れるのであった。
少女は頬《ほお》を染めて、言葉もなく、こっくりとうなずく。おずおずした、はじめての接吻《くちづけ》。まだ青い恋の味である。
少年は、雲井雁に思うように逢えないのが辛くて、しきりに手紙を書いた。おのずとそれは、年齢《とし》に似げない熱っぽい恋文になっていった。
まだ子供らしさのぬけぬ筆蹟《ひっせき》ながら、生《お》い先美しくなりそうな字の、幼い恋の手紙が、つい落ち散って、大人たちの目に触れることがあった。――そこが、若さのゆえの不用意なのであろう。
雲井雁つきの女房たちの中には、それと察して、仄かに二人の関係を知る者もあるらしかったが、どうして、内大臣に告げ口などできようかと、みな胸におさめて知らぬ顔をしているのであった。
それぞれの大饗《だいきょう》の宴も終った。これは、太政大臣、内大臣の任官披《ひ》露《ろう》の宴である。
朝廷の政務もひまになり、のどかな気分になった頃、たまたま時雨《しぐれ》が降り、荻《おぎ》の葉を吹く風もあわれをおぼえる夕暮れ、内大臣は、母君の大宮を訪れた。雲井雁を呼び、琴など弾かせたりする。
大宮は、管絃の道にもご堪能《たんのう》な方なので、雲井雁にもお教えになっている。内大臣はいった。
「琵琶《びわ》というものは、女が弾く姿、男性ぽくていいものではありませんが、しかし音《ね》色《いろ》は上品で優美ですね。現代では正しい弾奏を伝えている人は殆《ほとん》どいなくなってしまった。わずかに、某《なにがし》の親王《みこ》、某の源氏……」
とかぞえて、
「女の方では、源氏の太政大臣が大《おお》堰《い》の山里に囲《かこ》っていられる明《あか》石《し》の女人《ひと》が、名手だと聞いています。何でも、名人の子孫だと聞きますが、庶民になり下って田舎《いなか》暮らしの長い人が、どうしてそう上手に弾けるのでしょう。大臣もその才能に感心されて折々、そのお話が出ますがね。――ほかのことはともかく、音楽の才能だけは、多くの人々と合奏したり、違う楽器と音色をくらべたりして上達するものですね。独習して名手となるというのは珍しいことですよ」
などといって、大宮に弾くようにおすすめする。
「年をとりましたから、柱《じゅう》を押すのもたよりなくて」
と大宮はおっしゃったが、やはり面白く美《み》事《ごと》にお弾きになる。大宮はお邸《やしき》のうち深く暮らしていられるが、世間の噂はお耳に入ってくるとみえて「明石の女人《ひと》」のこともご存じであった。
「幸運にめぐまれた上に、よくできた方のようではありませぬか。あのお年になられるまで、姫をお持ちになれなかった源氏の大臣《おとど》に、姫を生んであげられた上、ご自分で納得して手放され、立派な身分のご本妻に預けられたとか――。ほんとにかしこい女人《ひと》ですね」
などと大宮は話される。内大臣は、それにつけても、自分の姫の女御のことで愚痴が出るのであった。
「女は心がけ次第で出世するものですが、私は、弘徽殿の女御を、人に負《ひ》けはとらぬよう育てたつもりでございます。それなのに、思いもかけぬ方に負けてしまって、私は世の中というものは思いのほかの物だと、つくづく悲観いたしました。せめて、この姫だけは何とか希望通りにしたいと思っています。東宮《とうぐう》の御元服がもう間近ですから、雲井雁を東宮妃《ひ》に、とひそかに考えていますが、運の強い明石の女人《ひと》の生んだ姫君が、東宮妃候補として、あとから追いつきつつあります。これは太政大臣の姫君ですからね、この方が入内《じゅだい》されたら、競争するのはまた、たいへんなことです」
内大臣も、母君に向うと、おのずと、腹蔵ない愚痴を洩《も》らして嘆くのである。
「そんなことはありますまいよ。亡き大臣《おとど》も、この家から后が出られないはずはないと、弘徽殿の女御入内のときも熱心にお世話なさったのですもの……。お父さまがおいでになれば、こんなあてはずれなこともなかったでしょうにねえ」
大宮は、このことについてだけは、源氏をうらめしく思われるらしかった。
姫君は、大人たちの話のあいだ、黙っておとなしく琴を弾いていた。
幼げに、愛くるしい美少女の、黒髪のかかり具合など、品よくもなまめかしかった。
父の内大臣が、視線をあてると、羞《は》じらって少しそむける白い横顔の美しさ、頬がふっくらして言いようなくかわいい。
左手で琴の緒を押えている手つきも、造り物のように小さかった。大宮は、可愛くてたまらぬようにご覧になっていらっしゃる。
姫君は短くひとふしだけ弾きすさんで、琴を向うへ押しやった。
内大臣は和《わ》琴《ごん》を側近く引き寄せ、古風な和琴をかえって当世風に派手に弾いた。この人はかねて名手で、それが興の向くまま弾きすさぶ音色は、面白かった。
庭先の木の葉も、ほろほろと散って梢《こずえ》も透《す》けてみえ、身に沁《し》む情趣の夕暮れ、老いた女房たちは、感動して涙ぐみながら、あちこちの几帳《きちょう》の後に頭をあつめて聞き入るのであった。
「落葉ハ微風ヲ俟《ま》チテ以テ隕《お》ツ、
而《しか》ウシテ風ノ力ハ蓋《けだ》シ寡《すくな》シ」
内大臣は感興に駆られ、「文選《もんぜん》」の古句を朗誦して、
「あわれ深い夕だ。琴の音《ね》に心さそわれた。もっとお弾き」
と雲井雁にすすめ、秋風楽《しゅうふうらく》の曲にあわせて歌った。
大宮は、内大臣の歌も情趣ふかく思われ、またこれほどくつろいだ姿を見せてくれるのも、お嬉しく、姫君は無論、内大臣をもいとしくお思いになっていた。
そこへ、宴の興をなお盛り上げるごとく、夕霧の君がやってきた。
内大臣は喜んで、「こちらへ」と、姫君と几帳をへだてて招き入れた。
「なかなか君にもお会いできないね。どうしてこうきびしく学問を強いられるのだろう。あんまり学問ができすぎるのも却って不幸を招くものだとは、君のお父君もよくご存じのはずなのに。それなりのお考えもあってのことでしょうが、引き籠って勉強ばかりしていられるのが、気の毒に思いますよ」
などと親しげに話して、
「たまには、気晴らしもなさい。笛の音《ね》にも、古《いにし》えの聖賢の教えは伝わっているものだよ」
と、笛を渡した。
少年は、若々しく美しい音色に吹いた。それがすばらしいので、内大臣は琴をやめ、思わず笏《しゃく》で拍子を打って「萩《はぎ》が花ずり」など催《さい》馬楽《ばら》を謡《うた》った。
「太政大臣もこんな遊びがお好きで、忙しい政務から逃げていらっしゃる。全く、人生というものは、こんな気晴らしでもなければやりきれない」
と、内大臣は酒を飲んでいる。暗くなったので燈火を点じ、人々は夜食の湯漬《ゆづ》けや果物を摂《と》った。
だが、雲井雁は、内大臣のいいつけで、はやばやと、遠い居間にやられた。夕霧が来たので強いて引き裂くように、離されたのである。琴の音さえも夕霧に聞かせまいとする如く、むげにへだてるのを、大宮に仕える老《おい》女房たちは気の毒がって、
「おかわいそうに……。あんなことをなされたら、かえって逆効果になるんじゃないかしら……」
とささやき合っていた。
内大臣は、大宮に仕える女房の一人を、ひそかに情人にしていた。それで、帰ったふりをしてそっと忍んで廊下をゆく途中、暗い部屋の内部《うち》で、ひそひそと内緒ばなしをしている女房たちがいる。若君が、姫君が、という声に不審を催して立ちどまって聞くと、自分が話題になっているのだった。
「賢そうにしてらしても、やっぱり親御さんは甘いわね。これが親馬鹿というのかしら。姫君と若君を並べてご覧になっていてもまだおわかりにならないのですもの」
「今に、とんでもないことが起こってから、ああ、しまった、そういえば、とお嘆きになるのでしょうよ」
「とんでもないことって……」
「雲井雁さまは、もう、お妃《きさき》がね《・・》というような晴れがましいお身じゃありませんよ」
「まあ。あの若君も、ずいぶんお堅そうにみえながら……」
「やはり、お父君さまの御子でいらっしゃるだけあって……」
「でも、大殿さまがそのことをお知りになったらたいへんね、今夜は何もご存じないから、ご機嫌よくしていらしたけれど」
「子を知ること親に如《し》かず、というのは嘘《うそ》らしいわね」
などと、忍び笑いを洩らしている。
内大臣は愕然《がくぜん》として、水を浴びたような気になった。
(なんということだ)
内大臣の胸に、ふつふつと滾《たぎ》るのは憤《ふん》怒《ぬ》である。
女御の姫が後宮の争いにおくれをとったから、せめて雲井雁を東宮妃に、という政治的目算も、すっかりこれではずれてしまった。こういうことを危惧《きぐ》していたのだが、まだ幼い者同士だと油断していたのが失敗だった。
それにしても、世の中というものは、何とこちらの思惑通りに運ばないものだろう、と内大臣は情けなくなった。
おそらく、女房たちのいうのは真実であろう。親の子を見る眼は曇ってもいよう。そうか、すでに二人は恋仲であったのか、と内大臣は何ともいえない心持で、そっと出てきた。
もう情人を訪れる気もせず邸を出たのである。いかめしい前《ぜん》駆《く》の声に、女房たちは、
「殿さまはいまお帰りになるのね。今までどこへ隠れていらしたのでしょう」
「あのお年になられても浮気ごころはおなくなりにならないのね」
といい合っていた。
内緒話をしていた女房たちは顔を見合わせ、
「あらどうしましょう。さっき、いい匂いが漂ってきたのは、若君がお通りになったのかと思ったのに」
「殿さまだったら、たいへんだわ、内緒話をちらとでもお耳に挟《はさ》まれたのではないかしら」
「気むずかしい方でいらっしゃるから」
と、困っていた。
内大臣は帰る道々、娘のことばかり考えた。
(夕霧とでは、全く不釣合でいけない、という仲ではないが、いとこ同士の結婚というのは、この場合、二人が共に育てられたこともあり、いかにも手近で間に合わせたようで見《み》栄《ば》えがせぬ。世間もそう噂するであろう)
源氏が、後宮の争いに勝って、女御を圧倒したことを内大臣は心中ふかく恨んでいる。
だから、こんどは雲井雁を東宮に奉り、あわよくば、この姫こそ后の位に、と望みをかけていたのに、
(なんという、残念なことをしてくれたものだ)
と内大臣は太い吐息をもらした。
源氏と内大臣はいまも友情を保ちあってはいるが、政治権力をめぐる争いになると、別であった。若い頃、互いに何かにつけ張り合ったことも思い出され、内大臣は気がふさいで、まんじりともせず、夜を明かしてしまった。
(そういえば、女房たちはいっていた。大宮もうすうす、二人の気配を悟っていられるらしいのに、たいそう可愛がっていられるお孫さまたちのことだから、知らぬ顔でいられるらしい、と。大宮さえしっかり監督していて下されば、こんな手抜かりはなかったのだ)
そう思うと、内大臣は腹が立ってたまらなかった。内大臣はいっこくで強情な、利《き》かぬ気の気性であり、腹が立つと、ぐっと押えるということができないのであった。
二日ほどして、内大臣は大宮を訪れた。こんな風にたびたび訪れるときは大宮もご機嫌よく、お嬉しそうであった。尼そぎの額髪《ひたいがみ》をかきつくろい、綺《き》麗《れい》な小袿《こうちぎ》をお召しになった。内大臣はわが子ながら、堂々として立派な男性なので、大宮は、お年を召してもつつましく女らしいご様子に、まともに向き合われず、控えめにお会いになるのだった。
内大臣はしかし、機嫌が悪かった。
「こちらにお伺いするのもきまりが悪いのですよ。女房たちが私をどんな目で見ているかと思うと気がひけます。不甲斐《ふがい》ない息子の私ですが、生きている限りは、母上を絶えずお見舞いもし、お淋しくさせるまいと気を使ってきました。
それなのに、けしからぬ娘のために、母上をお怨《うら》みするようなことになってしまいました。こんなことは申したくなかったのですが、やはり、申しあげずにはいられませんので」
と、内大臣はくやしさで声も震えた。
大宮はおどろかれ、お化粧なさったお顔の色も変った。お目を大きく見張られて、
「それは一体、どういうことですか、なぜこんな年寄りの私に怨みごとなど、おっしゃるのです」
といわれる。さすがに内大臣は気の毒になったが、敢《あえ》ていった。
「私は母上を信頼して、娘をお預けしました。私はあの姫を、小さい時から世話をしませんで、手もとにいるほうの、女御の姫の世話にかまけておりましたが、何といっても母上にお預けしておけば、立派に成人させて下さるだろうと頼みにしていたのでございます。それがこんな思いがけぬことになって、全く残念でなりませぬ。
まあ、それは夕霧は学問もでき、よい人物ではありますが、一つ家で育った者同士の結婚は、あまりにも軽々しい感じを与えます。身分低き者も、いとこ同士の縁組は避けるのが習い、結婚というものは、血筋はなれた家の、立派な家庭へ華やかに迎えられ、婿としてもてはやされてこそ、男として幸福なのです。血つづきの者が、親しみ馴《な》れているうちに、いつか一緒になった、というような仲は世《せ》間態《けんてい》もよくありません。源氏の大臣も、お聞きになったら、きっと、いい気はなさらぬでしょう。
それはそれとして、母上が、こうこういうことがあるとそっとお話しして下さっていたら、こちらもそのつもりで、多少は改まった扱いをして、世間が見てもいくらかは見よいような形式をととのえてやることができたのです。
それを、年《とし》端《は》もゆかぬ者たちのするにまかせ、そのままに捨ておかれたのが、私は心外でなりません」
大宮は呆《あき》れて、びっくりされた。夢にもご存じないことであった。
「それがほんとうなら、おっしゃることも尤《もっと》もだけれど、私は夢にも二人のことは知りませんでした。くやしい、心外な、というのは、あなたより、私の方こそですのに、私にまで罪をきせられるのは恨めしく思いますよ……」
大宮は涙を拭いていらした。
「あの姫をお預かりしてからは、格別にいとしゅうて、あなたのお気づきにならぬことまでいたらぬくまなく気をくばって育てたつもりですよ。どうかして人よりすぐれた姫君に育てようと、心こめて丹精《たんせい》しました。まだ分別もつかぬ幼いものを、孫可愛さに急いで結婚させようなどとは、思いもよらぬことです。
それにしても誰が、こんなことをお耳に入れたのでしょうね。無責任な噂《うわさ》を、大《おお》袈裟《げさ》にとりあげて事を大きくなさっては、もし根も葉もないことだったら、姫君のお名に傷がつきますよ」
とおっしゃった。内大臣は、
「根も葉もないことではありませんよ。女房たちも陰では笑っているのです。恰好が悪いやらくやしいやら、私は煮えかえる思いですよ」
といって帰った。
事情を知っている女房たちは、大宮をも内大臣をもお気の毒に思った。あの夜、内緒話を内大臣に聞かれた人々は、まして責任を感じて、「どうしてあんな内輪の話を不用意にしゃべってしまったのか」と後悔していた。
雲井雁は、自分のしたことの意味もわからず、無邪気に愛らしいさまだった。部屋をのぞいた内大臣は、憂鬱《ゆううつ》になった。
「わかいといっても、これほど無分別な人とは思わなかった。こんな人を、人なみにと心砕いていた私が、いやになるよ」
と内大臣はいって乳母《めのと》たちを責めるのであった。乳母たちも返事のしようがなかったが、
「こんなことは、尊い帝の、大切になさっている姫宮にも時々おこる過《あやま》ちでございます。それはおそばの人が男の手引きをしたりしてお逢わせするからで、そんな場合は、おそばの者も責められますが、お二人はあけくれご一緒にお育ちだったのでございますもの」
「幼い方ですから、大宮さまをさしおいて、私どもが分けへだてすることもできるまいと思っていました。でも一昨年《おとどし》ごろからははっきりとけじめをつけて別々になさいましたので、安心しておりました」
「若い方の中にも、年に似合わず世馴れて早熟な、油断ならぬ方もおられますが、若君の夕霧さまは、夢にもそういう所はなくて、まじめなお堅い方でしたので、まさかと、私どもも気を許していたのでございます」
などとそれぞれ、弁解がましい嘆きを洩らし合うのであった。
「まあ、よい。今さらくやんでも始まらぬ。このことはしばらく秘密にしておこう。どうせ、隠しおおせることでもないだろうが、せめて、何もなかったように言いつくろってくれ。そのうち、姫を私の邸に引き取ろう。大宮がもう少し注意していて下されば、と、つくづく思うよ――そなたたちも、まさか、こんなことになってほしいとは思わなかったろう」
と内大臣はいった。乳母たちは、非難の鉾《ほこ》先《さき》が大宮に向けられたのにほっとして、
「むろんでございますわ、お姫さまの義理の父君・大納言さまのお耳に入ったら大変ですもの」
「若君がどんなにご立派でも、ただの臣下ですわ。私どもは、もっと上のご身分と、姫君がご縁組あそばすように祈っておりましたのでございます」
というのだった。
姫君は無邪気に、幼げに、しょんぼりしていた。父の内大臣がいろいろ言って聞かせても、通じないで、なぜそう叱られるのかといいたげな風だった。つぶらな眼を悲しげに張って、じっと見上げている可《か》憐《れん》さに、内大臣は胸もふさがる気がした。
大宮は、孫たちのために心をいためていらしたが、とりわけ夕霧の方に強い愛着をお持ちになっていらっしゃるせいか、むしろ、
(いつのまに、おとなびた恋をおぼえるようになったのかしら、あの子が)
と、微笑《ほほえ》ましく可愛ゆくお思いにならぬでもなかった。
それゆえ、内大臣が一概に思いやりもなく、とんでもない過失のように言いたてるのを、
(なぜそう叱るほどのことがあろうか)
と反撥《はんぱつ》されていた。
(もともと内大臣は、この姫君をそう可愛がっていられなかった。私が大事に育てているのを見て、東宮妃に、と思いつかれたのだろう。それが叶《かな》わずに、ただ人《びと》に縁組みさせるとしたら、夕霧よりほかにりっぱな婿がいるだろうか。みめかたちといい、ありさまといい、夕霧ほどの公達《きんだち》はめったにいるものではない。夕霧ならば、この姫よりもっと身分高い姫、内親王さまと結婚してもいいくらいなのに……)
大宮は、夕霧へのご贔《ひい》屓《き》のあまり、そんなことまで考えられて、内大臣を恨めしく思っていられた。そのお心を知ったら、内大臣はまたどんなに大宮をお恨みすることだろう。
こんなに騒がれているのも知らず、夕霧は大宮のもとへやってきた。先夜、人目が多くて姫君としみじみ話も出来なかったので、少女恋しさに堪えられず、夕方に来たのだった。
大宮は、いつもなら、夕霧を見るなりたいそうご機嫌で、にこにこと迎えられるのに、今夜は、まじめなお顔で、話されるのである。
「あなたのことで、内大臣が私をお恨みになるので困りましたよ。馴れ親しんだ仲で、いつとなく、というのは、だらしない印象を世間に与えて、よく言われぬもの、そのへんのところを、もっとようく考えて慎重にして下さるべきでしたねえ。私の立場がなくなって困りましたのよ。こんなこと、おばあちゃまとしても、あなたのお耳に入れたくなかったのですが、事情を全くご存じないのも、と思っていうのですよ」
とおっしゃると、かねて夕霧も、気が咎《とが》めることなのですぐわかって、さっと赤くなった。
「何のことでしょう。二條院の勉強部屋に籠《こも》ってからは、誰とも会いませんので、伯父上のご機嫌を損じるようなことは、ないはずだと思いますが」
と言いつくろいながら、正直な少年はなお赤くなって羞恥《しゅうち》に堪えないふうだった。
大宮は少年がしみじみといとしくあわれに思われて、
「まあよろしい。これからは気をおつけなさいよ」
と、ほかの話に紛らされた。
今までよりもっと手紙を交すこともむつかしくなるだろうと思うと少年は悲しかった。
食事をとる気もせず、寝室に入ったが、心も空《そら》に少年はぼんやりしている。人が寝静まった頃に、姫君の部屋との間の襖《ふすま》を開けようとしたが、いつもはそんなこともないのに今夜はしっかりと錠をおろしてあって、人の声もしなかった。
少年は心細くなって、襖によりかかっていた。
少女のほうも目をさましていた。
風が竹をさやさやと鳴らす音、雁《かり》の鳴き渡る声に、幼な心にもあれこれ思い乱れるのか、
「空の雁も、あたくしのように悲しんでるのかしら」
とひとり言をいっていた。その気配は、無邪気に可愛らしかった。
少年はたまらなくて、ひそかに、
「ここを開けて下さい――小《こ》侍従《じじゅう》はいないの」
といったが、物音もしない。小侍従というのは姫君の乳母の子であった。
少女は、ひそやかなその声で、つい近くに少年が居り、自分のひとり言を聞かれたと知った。恥ずかしくて、夜着の中に身をちぢめ、顔をひき入れてしまったが、寝入ることはできない。
さりとて、起きて襖の懸金《かけがね》を開け、少年と忍び会うような才覚もない。少年に会いたくてたまらないのだが、横に寝ている乳母がこわくて、身じろぎもできないでいる。
(ごめんなさいね……ごめんなさいね)
と少女は心の中で言いながら、声も出し得ないのである。そうして何とはないやるせなさに、うすい涙をため、胸を切なくさせていた。幼いながら恋のあわれを知るごとく――。
少年のほうも、腕で頭を支え、襖によりかかりつつ、幼い恋人の気配をつい近くに感じながら、とうとう、ひとこともものがいえなかった。
風の音ばかり、身に沁みた。
重い足を返して、むなしく大宮のおそばに戻ったものの、ついもれるためいきに、おやすみになっていられる大宮が気付かれはしまいかと、寝返りばかり打って夜を明かしてしまった。
少年は人とあうのが恥ずかしかった。
自分と雲井雁とのひめごとが、白日のもとに曝《さら》されて、みな人が自分を指さしているように思われた。自分の部屋へ早くから籠って、少女に手紙を書いたが、小侍従にも逢えず、姫君の部屋へもゆくことができず、胸をいためていた。
姫君の方は、ずっと無邪気だった。父の大臣に叱られたり、乳母たちに騒がれたりするのを恥ずかしく思うだけで、自分や夕霧の将来のことなどは、考えていなかった。少年とのことを、大人たちが寄ってたかって、こんなに大さわぎするとは、思いも染めなかったことなのだった。
少女は美しく可愛らしい様子で、きょとんとしている。乳母たちは、夕霧のことをわるくいうが、少女は内心、
(ちがうわ……あのひとは、いいひとだわ。みんながわるくいうような、いやなひとではなくってよ)
と思っていた。
(あたくしは好きだわ……夕霧が好きだわ)
と思っているが、乳母たちが、きびしく姫君を叱るので、手紙を書くこともできなかった。
おとなびた恋人たちなら、ぬかりなく機会を作るだろうが、少年も少女もまだ分別も幼く、力はなかった。ただ双方からひそかに、恋しく思い、仲を裂かれたのを悲しむばかりであった。
内大臣はあれ以来、大宮のもとへいかず、いまだに恨んでいる。北の方には、雲井雁の事件についてはひとことも洩らさなかった。雲井雁は、この北の方の生んだ娘ではないのである。
内大臣は近頃、不機嫌である。
「女御の、お里下《さとさが》りをお願いしようと思うのだがね」
と、北の方にいった。
「中宮が華やかに御《ご》入内《じゅだい》なさったので、女御が気を腐らせ、思い悩んでいられるのではないかとおいたわしくてね。退出させてしばらく、のんびりとさせてあげたい。后《きさき》にはお立ちになれなかったといっても、主上《うえ》のご寵愛《ちょうあい》は深いようで、夜ひる、おそばからお離しにならぬそうじゃないか。お仕えしている女房たちも気疲れするといっているようだから、この際、ゆっくりと、里下りをして休まれたほうがいい」
にわかに、女御の里下りがきまった。帝のお許しはなかなか出なかったが、言い出したらきかぬ内大臣が強《た》っていうので、帝もしぶしぶ、お許しになったのである。
里下りなさった女御に、内大臣は、
「つれづれをお慰めするために、妹姫をこちらへお移ししましょう。合奏のお相手にもなりましょう。大宮にお預けしておくと安心なはずですが、あちらには早熟《ませ》た、油断ならぬ男の子がおりましてね。雲井雁のためにもよくございません」
といい、急に、雲井雁をこちらの邸へ引き取ることにした。
大宮はがっかりしておしまいになった。
「私にとって葵《あおい》の上《うえ》は一人むすめだった。あの姫が亡くなってからは淋しくて心細かったのに、うれしいことにこの姫君をお預かりして、私も生きている限りは世話しようと、朝夕、張り合いが出て来たものですよ。老いの身のさびしさも慰められるように思っていましたのに、あなたは私から、老いの生き甲斐を取り上げなさる。――ひどいことをなさるのですねえ。そんなに私が信じられないの」
とさびしそうにおっしゃった。
内大臣は恐縮して、
「どうもお恨みを買ったようで申しわけありませんが、私は、こうと思ったらつい正直に申してしまうものですから。母上を信用申しあげないというのではないのですが、女御の姫が里下りをしておりまして、この頃、ふさぎ勝ちでございます。それがいたわしくて、ここの姫を遊び相手にでもと思いつき、しばらくの間、つれてゆくのでございます。むろん、雲井雁をお育て下さって、ここまで成人させて下さった御恩は、決して、あだやおろそかには思いませぬ」
といった。
内大臣はいったん思い立つと、誰が何といっても思い直す性質ではなかった。大宮はどうしようもなく、残念に思われた。
「人の心というものは、なかなか通じないものなのねえ。夕霧たちがそうですよ。私にかくれて、人さわがせなことをしてしまった。あんなに可愛がっている私にもだまって……。大臣《おとど》もそうですよ。分別もある、いい年頃の人なのに、理不《りふ》尽《じん》に私を怨んで、姫君を連れていってしまうのね。あちらの邸へつれていっても、ここより、あの姫が幸せになるということはないのに……」
と、泣きながら大宮はいわれたが、それで心を動かされて翻意する内大臣ではないのであった。
そこへ夕霧がちょうど来た。もしや、少女にほんの一目でも会えぬかと、この頃は、しげしげ大宮のもとを訪れるのであった。
内大臣の車があったので、夕霧は気が咎めて何やら恥ずかしくなり、そっと隠れて自分の部屋へ戻ってしまった。
しげしげと大宮のもとを夕霧が訪れるのは、雲井雁に会いたいためではあるが、また、大宮ご自身が、お部屋の御簾《みす》のうちに入るのを、夕霧にのみ、許していられるからであった。
大宮は、同じ孫の公達《きんだち》といっても、内大臣の若者たち、――左の少将、少納言、兵衛《ひょうえ》の佐《すけ》、侍従、大《たい》夫《ふ》などは(その人々も大臣と一緒に参上していたが)御簾の内へ入ることをお許しにならない。
故太政大臣の、ほかの夫人たちに出来た、内大臣の異母弟の殿ばら、左衛《さえ》門督《もんのかみ》、権《ごんの》中納言なども、亡き父・太政大臣のお躾《しつけ》通りに、いまも大宮を敬い、まめやかにご機嫌伺いに参上していた。その子息の公達もそれぞれにたくさんいるのであるが、その中でも夕霧ほど美しい若君はいない。
大宮のご愛情は、夕霧にいちばん多く注がれていた。少年が二條院の学問所に引き移ってからは、雲井雁ひとりを、またなくいとしいものと可愛がって、お側を離さずいつくしんでいらしたのに、内大臣に連れていかれてしまったら、これからどんなに淋しくなろう、と、大宮は悲しまれるのであった。
内大臣は母君の愚痴を聞くのに閉口したのか、
「今のうち、参内《さんだい》して、夕方、迎えにまいりましょう」
と出ていった。
内大臣は道すがら考えていた。
(今さらすんでしまったことを、とやかくいっても仕方がない。いっそ穏便《おんびん》に、こちらから折れて結婚させてもいいのだが……)
しかし、内大臣の剛《ごう》毅《き》な気性からすれば、それもやはり、業腹《ごうはら》であった。
(せめて夕霧が少し官位も進み、身分も重くなり、釣合がとれてからのことにしよう。姫への誠実があるかないかも見定めた上のことだ……よしまた、結婚を許すとしても、ずるずるに同居というのは芳《かんば》しからぬ。格別に改まった扱いをし、形式を踏んで結婚させよう。いくらきびしく言いきかせても、何しろ、幼な気のぬけぬ二人だ。一所《ひとところ》に置いては、世間の噂になることもしでかすだろう。大宮もたっては制止なさらぬだろう)
内大臣は、いろいろ考えあぐねたが、やはり雲井雁を、女御のお相手という穏やかな名目で自邸へ連れ戻るのが、賢明な処置だ、という結論に達したのであった。
大宮は雲井雁の姫君に走り書きして女房にことづけられた。
「かわいい姫や。
お父さまは私をお恨みかもしれないが、あなたは、おばあちゃまが、どんなにあなたを可愛がっていたか知っておいででしょうね。出ていく前に、こちらへ来て、おばあちゃまにお顔をみせておくれ」
姫君はそれを見て、美しく着飾った姿でやってきた。十四歳になるのだった。まだ成熟していない躯《からだ》つきの、稚《おさな》げな美しさながら、しっとりして愛らしかった。
大宮は姫君の手をとって坐らせ、
「ほんとうに移ってしまうの? かたときも側から離さず、朝夕、あなたを見ることを楽しみにしてきたのに、行ってしまったら、おばあちゃまはどんなに淋しくなるでしょう。先の短い私ですから、あなたの生い先を見届けられないでしょうと、寿命のことばかり思って辛がっていたのだけれど、今になると、おばあちゃまを離れて、あなたはどうなるのかしらと思うと可哀そうでたまりませんよ」
と、お泣きになった。
姫君は一緒に泣いていた。祖母君をこんなに悲しませることになった原因は、自分と夕霧とのことからだ、と思うと、少女はやはり恥ずかしくて顔も上げられず、泣くばかりだった。
夕霧の乳母の宰相《さいしょう》の君が出てきて、
「私は今までお姫さまを若君と同じように、ご主人さまと思っておりましたのに、こうしてよそへお移りになるのは残念でございますわ。大臣《おとど》が、よその方と結婚させようとなさいましても、御承知あそばしますな」
などとささやくので、姫君はますます恥ずかしくなって、ものもいえない。
「まあ、そんな面倒なことは、いま、この子に言ってやらぬほうがよい。人の縁というものは、自分の心では定《き》められぬものだから」
と大宮は仰せられる。乳母は内大臣をよく思っていなくて、
「いいえ、殿様は若君を物の数でもないように蔑《さげす》んでいらっしゃるようですわ。でも若君が、ほんとに人より劣っていらっしゃるかどうか、どなたに聞いて頂いてもよろしゅうございます」
と腹の立つままに言い散らしてくやしがっていた。
夕霧は物陰に隠れて恋しい少女を見ていた。人目を気にして苦しい思いをしたのもこれまでのこと、もう、別れる今となっては、それどころではなかった。
少年は柱に顔を押しあてて涙を拭きながら立ちつくしていた。
乳母は、夕霧いとしさに、可哀そうでならない。大宮には何かと言い繕《つくろ》って、夕まぐれのざわめきに二人をこっそり会わせた。
おたがいに、何となくはずかしく、胸がどきどきして、いうことはいっぱいありながら話ができない。涙をこぼすばかりである。
「伯父様のお仕打ちがあんまりひどいから、ぼくはもう、きみをあきらめてしまおうと決心したんだけど、でも別れたら、どんなに恋しく思うだろうなあ……。なぜ、以前《まえ》にもっとたびたび、会っておかなかったんだろう。あの頃は会おうと思えばいつでも会えたのに」
という少年の切ない声のひびきに、少女も心動かされた。少女は悲しくて、
「あたくしも、よ。きっと、あなたのことばっかり考えていてよ」
「ほんとう? 別れても、ぼくのこと忘れない? 恋しいと思ってくれる?」
少年がいうと、こっくりとうなずく姫君のさまが、可憐で愛らしかった。
「きっとだよ。約束してね」
少年と少女は、戦《おのの》きながら、稚げな接吻《くちづけ》を交していた。
と、邸内に灯が点じられ、内大臣が内裏《うち》から退出して来たらしく、物々しい前駆の声がする。邸内の人々が、「それ、大臣《おとど》がお帰り遊ばしました」と恐れ騒ぐので、姫君はおびえてわなないている。
(大臣が何だ。騒ぐなら騒げ。どうなろうとかまうものか)
と少年は、少女を抱きしめて離さないのである。
そこへ、姫君の乳母が探しに来て、このさまを見、驚いた。
(まあ、何てこと……やはりこれは殿様のおっしゃる通り、大宮もご承知の上のことだったのだわ)
と思うと、乳母は恨めしくて聞こえよがしに、
「情けないことだわ、殿さまのお腹立ちはいうまでもないけど、義理のお父さまの大納言さまも何とおっしゃるやら、……花婿が六位の下っぱ役人とは」
とあてつけがましく呟《つぶや》いた。
二人のついそばの、屏風《びょうぶ》のうしろでいうので、少年の耳へもそれははいった。
この侮辱は少年の身にこたえた。位のない身を乳母にまで侮《あなど》られたかと思うと、世の中もいやになって、恋もさめる心地がする。
「あんなことをいってる……。きみを愛してるぼくの心は、身分や位でははかれないのに……。あんなことしか、大人は考えられないのかしら。くやしいよ」
少年がいうと、少女はいそいで慰めた。
「あたくしだけは知ってるわ……あんなこと、いうひとには言わせておけばいいわ。あなたはあたくしにとっては、大臣や大将よりすてきな人よ……」
言いも終らぬうちに、大臣がやってくる気配がした。姫君はいそいで躯を離そうとした。
少年は、手に捲《ま》きつけていた少女の黒髪を、離さないではいられなかったのである。
少年はあとにとり残され、人の手前もはずかしく、悲しみに胸はふさがり、自分の部屋で横になっていた。
車が三輛《りょう》ばかりつづいて、そっと出てゆくらしい気配だった。少年は耳を塞《ふさ》ぎたい思いで、心は乱れていた。大宮から、「こちらへいらっしゃい」というお使いが来たが、寝たふりをして身動きもしなかった。
涙の顔を見られるのが、少年は切なかったのである。
涙がとまらず、夜を明かした。霜の白い早朝、少年はいそいで、二條院の学問所へ帰っていった。
泣き腫《は》らした目を、人に見られるのも恥ずかしく、それに、
(おばあちゃまはきっと、おそばを離して下さらぬだろう)
と思われたからだった。そしたら雲井雁《くもいのかり》のことが話題になる。それは、少年には、傷口に触れられるような痛みだった。大宮になぐさめられることも、気を遣ってそれに触れられぬことも、どっちも、いまの少年には辛かった。少年は、つい口癖で、いまも幼児のころそのままに大宮のことを「おばあちゃま」と呼んでいたが、おばあちゃまの膝《ひざ》に伏して泣き、背中を撫《な》でられるのは、いやだった。
まだ年端のゆかぬ少年ながらに、夕霧も男だった。
失恋の悲しみを、おばあちゃまに慰められ、もろともに愚痴をいって泣きたくなかった。
(男なら、一人で忍ぼう。一人で耐えよう)
と、少年は自分に言い聞かせ、涙を払い、唇を噛《か》みしめていた。
いま少年に、心の安まる所といえば、殺風景な学問所しか、なかった。
夜はまだ明け切っていず、霜氷に閉じられた寒い朝だった。
ああ、この寒さも暗さも、ぼくの心そのままだ、と少年は道すがら思う。しかし、この苦しみは、人に強いられたものではない。おのが心から求めて得た結果の苦しみだ。あのひとを恋すればこその苦しみなのだから、逃げてはいけない。ぼくは男なんだ。
けれども、運命は、この傷心の少年に、あたらしい人生を用意していたのである。
源氏の大臣《おとど》は今年、新嘗祭《にいなめまつり》の節《せち》会《え》に、五《ご》節《せち》の舞姫を出すのだった。とりたてて準備はないが、舞姫の付添いの女童《めのわらわ》の衣裳《いしょう》などを、日も近づいたので急がせていた。
東の院の花散里《はなちるさと》は、舞姫が宮中へ入る夜の、お供の女房たちの衣裳を引きうけて作らせていた。
源氏は、準備万端の指図をした。
中宮のほうからも、下々まで美事な衣裳を仕立てて下された。
去年は、入道の宮の諒闇《りょうあん》で、五節も中止になって淋しかったから、今年はそれを取り戻すように人々は華やかにしたがっていた。
五節の舞姫を奉る家々では、互に争ってたいそう立派に贅《ぜい》美《び》をつくす、という噂だった。
公卿《くぎょう》から奉るのは、按察使《あぜち》の大納言、左衛《さえ》門督《もんのかみ》、殿上人《てんじょうびと》から奉るのは、良清《よしきよ》だった。良清も、今は近江《おうみ》の守《かみ》で左中弁を兼ねる殿上人に出世している。
舞姫はそのまま内裏にとどめて、宮仕えするようにと、今年は特別の仰せがあったので、それぞれ、秘蔵の娘を奉るのであった。
源氏の大臣の舞姫には、惟光《これみつ》の娘を出すことになった。
惟光も今は、摂《せっ》津《つ》の守で、左京の大《だい》夫《ぶ》を兼ねている。その娘は美人の評判が高かった。
「いえもう、私の娘などは、ゆきとどかぬ者でございますので……」
惟光は、ことに娘を目に入れても痛くないように愛して、大事に育てているので、そんな晴れがましい場へ出すのは気がすすまなかったのであるが、大納言のような顕官が、脇《わき》腹《ばら》(側室)の姫をあげられるのだから、あなたがご秘蔵の娘を出されて何の恥ずかしいことがある、と人々に責められた。それで、どうせ手《て》許《もと》から離して舞姫に奉るのなら、そのまま宮仕えさせようと、惟光もようやく、決心した。
舞の稽《けい》古《こ》など、家で充分に習わせ、娘の世話役や付添いの女房など、身近に仕える者をよく選んで、五節が内裏へ参る日の夕方、二條院に上らせた。
源氏の方でも、紫の上や花散里などで使っている女童や下仕えの者の中から、とくにすぐれた美しい子を選んでいた。選ばれた子たちは誇らしげだった。
五節の行事の一つに、帝が舞姫を御前に召してご覧になる、そのときのための稽古に、源氏は自分の前を通らせてみた。さらに美しい子や身ごなしの品のいい子などを選んで、舞姫の付添いにするのである。
「もう一人分の舞姫も、こちらからさし上げようか」
と源氏が笑うほど、とりどりにみな、美しかった。
この華やぎを、夕霧はよそに聞いていた。
胸は悲哀にふさがって、食事も取れない。
何を見ても面白くなく、書物を読む気もおこらず、横になっていたが、折々は気分がまぎれようかと、部屋を出て、あちこち歩いた。
夕霧は姿がほっそりとしなやかに上品で、おだやかな、おちついた少年だった。女房たちは、
(お美しい若君ですこと……)
と後姿を目で追って、ささやき合うのだった。
源氏の、夕霧に対する躾はきびしかった。
紫の上の部屋近くへは、御簾《みす》の前にさえ少年を寄せつけない。わが若き日のあやまちを、夕霧にもくり返させてはならないと決心しているためか、紫の上と夕霧は、ずっと疎遠なままである。
紫の上付きの女房に、少年は知り合いもないくらいだった。
だが今日はいつにない人の出入りや混雑に、少年はふと好奇心に駆られ、まぎれ入って、あちこちを物珍しげに眺めていた。
ちょうど、五節の舞姫が着いた所なのだった。みんなで大切に舞姫を車から扶《たす》けおろし、廂《ひさし》の隅の間《ま》に、屏風などたてて、いっときの休み部屋をつくり、舞姫を休ませていた。
少年が、そっと近付いて覗《のぞ》くと、舞姫――惟光の娘は、疲れたのか、物《もの》憂《う》げに、物に寄りかかっていた。
年ごろは……そう、ちょうどあの雲井雁ぐらい、ただ背は少し高いかもしれない。姿かたちのあでやかさ、何となく物なやましげな気配の美しさは、むしろこの人の方がまさってみえる。
暗いのでよく見えないが、舞姫の感じが、恋しい少女にあまりに似ているので、気が移るというのではないが、少年は見過ごしにくくなっていた。
何か話をしたくて、彼女の注意を引こうと衣裳の裾《すそ》を引いてみる。
と、衣《きぬ》ずれの音が、静かな部屋で耳に入った。世慣れた女なら、すぐ、男のそれとない挨拶《あいさつ》だな、と悟るのだが、舞姫はただもう初《う》心《ぶ》で無邪気なので、あたりを見廻し、
(あら――変だわ)
などと思っていた。
「舞姫さん」
少年は、そっと呼んでみた。
「ぼくと、お話ししてくれませんか。――はじめて会ったような気がしないんです。……」
少年は、自分でも思いがけなく、そんなことをいっていた。
舞姫はびっくりしたが、どこから言われているのか分らない。若々しくやさしい声だが、誰ともわからず、気味わるくなった。
そこへお化粧を直しましょうと、世話役の人々がはいってきたので、夕霧は心を残しながら、去っていった。
六位の浅《あさ》葱《ぎ》色《いろ》の袍《ほう》が気に入らないので少年は参内《さんだい》もせず、気もふさいでいたが、五節にかこつけて、直衣《のうし》の、好きな色を着るのをゆるされたので、御所へ参った。
少年らしく清潔そうな風采《ふうさい》だが、おちついてどこか大人びた態度で、宮中を歩いていた。
帝をはじめ、人々もこの少年を大切にすることは一通りでない。少年ながら、夕霧は、なぜか人望があって愛されているのだった。
五節の参内の儀式は、それぞれ立派であったが、中でも、舞姫の美しさは、源氏の太政大臣のと、大納言のとがすぐれていた、と人々は噂《うわさ》した。
二人とも美しいが、おうようであでやかな美しさでは源氏の舞姫の方がまさっていた。
すっきりと現代的に、五節ふうでないように化粧した美しさが、人々の賞讃《しょうさん》を博したのであろう。例年の舞姫よりはみな少し大人びていて、ほんとうに今年は格別の年であった。
源氏は参内して見ているうちに、若いころ目にとまった筑《つく》紫《し》の、五節の舞姫を思い出した。
節《せち》会《え》の当日の夕方、あの筑紫の五節の君にたよりをことづけた。その内容は、読者の想像に任せよう。
〈少女子《をとめご》も神さびぬらん 天つ袖《そで》 古き世の友 齢経《よはひへ》ぬれば〉
(昔の天女のような少女よ。あなたも年古《ふ》りたかね。古い友もはや年を重ねたよ)
過ぎた昔を思い返して、心は情緒に濡《ぬ》れ、忍びかねてみじかい手紙をやったばかりのことであった。しかし、五節の君にとっては、それもなつかしかった。
〈かけていへば今日のこととぞ思ほゆる 日《ひ》蔭《かげ》の霜の袖にとけしも〉
(五節の舞姫に出たのは、まるで今日のことのようでございます。同時に、あのときのあなたとのはかない恋の思い出も……)
青《あお》摺《ず》りの紙が、五節の唐衣《からぎぬ》の色を思わせて、筆蹟を誰か分らぬようにまぎらわせて書いている。濃くうすく墨をぼかし、草《そう》の仮名《かな》をまぜた乱し書き、彼女の身分にしては、趣きある文を書く、と源氏は見ていた。
夕霧は、惟光の娘のことが、この頃は気になってならない。しかし相手の娘はそんなこと思いもそめず、きっぱりした態度なので、夕霧は、ひとりくよくよするばかりだった。
娘の美貌に心ひかれ、
(あの去ってしまった人の代りの慰めとして、もういちど会って、ゆっくり話をしたい。いろんなことを話し合いたい)
と思っていた。
舞姫はそのまま内裏《うち》にとどめられ、宮仕えをさせよというご内命があったのだが、親達が一応、実家へ帰らせ、あらためて宮仕えに上げることになった。
惟光は、
「典侍《ないしのすけ》の欠員に、私の娘を」
と源氏に願っていたので、源氏はそのように取り計らってやろうと思っていた。
夕霧はそれを聞いて、たいそう残念だった。
典侍に任命されて女官になれば、もう、あの美しい娘は、夕霧の手のとどかぬ処へ去ってしまう。
自分の年や位が、も少し人なみであったなら、娘を下さい、といえるのだが、この恋しく思う気持も知ってもらえず終るのかと思うと、少年は何もかも悲しくなって、ふっと、涙ぐまれてくる。
舞姫への思いは、雲井雁に対する恋ほどではないけれど、でも、雲井雁といい、舞姫といい、
(どうして、ぼくの恋は、何一つむくわれず、実をむすばないんだろう……)
と思うと、雲井雁への切ない慕情も加わって、悲しみに心がふさがるのだった。
惟光の娘の弟で、童殿上《わらわてんじょう》している少年がいる。
その子がいつも夕霧のほうへ来て仕えているが、夕霧は常よりもなつかしげに、あれこれ話した末に、
「五節はいつ、内裏《うち》へ参るのだね」
ときいた。
「今年中には、ということでございます」
「美しい子だったので、忘れられない。お前はいつも見られていいね。うらやましいよ。ぼくにも一度、会わせてくれないか」
と夕霧はいった。
「とんでもございません。姉弟《きょうだい》の私でさえ会えません。父がきびしくて、男は兄弟でもなれなれしくしてはいけないと、そばへもよせてくれないのでございます。ましてどうして、若君をお会わせすることができましょう」
夕霧はためいきをついた。
「それでは、せめて、手紙だけでも渡してくれないか……」
五節の舞姫の弟はこまってしまった。以前から父に、手紙を姉に取り次ぐようなことをしてはならぬ、ときびしく言われていたからである。
しかし、若君の夕霧に、たってといわれて渡されたので、断わるのも気の毒な気がして、こっそりと姉に渡した。
娘は感じやすい、恋にあこがれる年ごろの女の子だった。まだごく若く素直だったから、道徳家ぶって手紙をつき返したりせず、わくわくしながら読んだ。
緑の薄様《うすよう》に、しゃれた色を重ねた紙、筆蹟《ひっせき》は幼げながら、生《お》い先、上達しそうな美しい字で、
「おわかりになっていたでしょうか。天女のひるがえす羽衣《はごろも》の袖に、胸ときめかせていた私の気持を」
とある。
「美しいお手ね」
と姉弟が見入っているところへ、不意に父の惟光がやってきた。突然だったし、父に叱られるのが怖くて、とっさに隠すこともできない。
「何だ、それは。誰の手紙だ、よこせ」
と惟光は手に取った。二人はさっと赤くなってもじもじしている。
「あれほどかねていってあるのに、手紙の取り次ぎをしたな。怪《け》しからん……こら、待て」
惟光は逃げ出そうとした息子を呼びとめ、
「誰の手紙だ!」
と怖い顔をした。息子はしかたなく、
「殿の若君だよ……どうしても、とおっしゃるのでおことわりできなかったんだ……」
「なに、若君だと? あの夕霧の君か?」
惟光は打って変ってにっこりした。
「それなら話は別だ。なんてまあ、可愛い恋文ではないか。この風流を見習いなさい。同い年でも、お前などは話にもならぬ他愛なさだ」
と讃《ほ》め、その手紙を妻にもみせた。
「若君がうちの娘をほんとうに可愛がって下さるものならば、宮仕えさせるより、さし上げた方がいいかも知れない。私も殿に何十年とお仕えしてきて、お気立てをよく知っているが、一度愛された女性は、ご自分からは決して見捨てたりなさらない。まことにおやさしくて頼もしい。若君はまじめなお人柄でいらっしゃるし、なおのこと、いついつまでもお心変りなさらぬに違いない。――おい、これはひょっとすると、私も、明石の入道みたいになるかもしれないよ」
というが、妻はまじめに取り合わなかった。
「何を夢みたいなことを――それより、宮仕えに出すまで、もう日がありませんよ」
と、その準備に一家あげて大さわぎだった。
夕霧はその後、雲井雁とはふっつり、別れたままだった。
手紙を交すすべもなく、さすがに五節の娘よりは、雲井雁への失恋の痛みが深かった。
忘られず、辛いままに日は経ってゆく。身も世もなく恋しい面影に、
(もういちど逢いたい……)
と、心を焦《こ》がすばかりの毎日だった。
大宮のもとへも、気が進まなくてお伺いしないでいる。
長年住みなれた三條邸だが、今までかの姫君と遊び馴れたところなので、何かにつけて思い出され、それが切なくて、足を向けるのも物憂くなるのであった。
少年は、今では東の院にばかり籠《こも》っていた。
源氏は少年の世話と監督を、西の対の花散里に托《たく》そうと思った。
「大宮の御寿命も、残り少なげに思われるから、あなたにおまかせしたいのですよ。大宮の亡くなられたあと、この子の母代りになって後見をお願いします。そのためにも、どうか幼いうちから親しみ馴染《なじ》んでやって頂きたいのだが」
と源氏はいった。
「よろしゅうございますとも。及ぶかぎりのお世話をさせて頂きますわ」
やさしい気立ての花散里は、愛情の対象ができたので大喜びだった。もともと、源氏のいうことは何でもその通りに諾《き》く素直な性質の女人ではあるが、夕霧が温和で怜《れい》悧《り》な少年なので、いとしく可愛く思い、大切に世話をするのであった。
夕霧も、花散里に心を開いて、うちとけるようになった。
俊敏な少年の心にも、花散里の純な、くもりない澄んだ人柄がすぐ反映した。
(いいかただなあ……)
と心から、思った。
(お父さまはきっと、このかたのお人柄を愛していらっしゃるのだろう)
と考えたり、する。
というのも、少年が仄《ほの》かにかいまみる花散里は、決して美人とはいえなかったからである。もともと美貌ではないが、若い頃はまだ若さで見られたものだった。今では女盛りも過ぎたので、躯は痩《や》せ、肌は色艶《いろつや》を失い、髪も抜けおちて少なく、年よりも老《ふ》けてみえた。
ただ、声だけは、その性質を反映して、明るくやさしく、澄んでいたけれども。
少年の見る身近の女人たちはみな、美しかった。
祖母君の大宮でさえも、お年を召して尼そぎになっていらっしゃるが、清らかでいられるし、女房たちもみな美しいから、「女というものは美しいものだ」と思いこんでいたのだった。
しかし不器量な花散里の、たぐい稀《まれ》な、純粋な心に感じ入って、少年は、
(女人というものの値打ちは、みめかたちばかりではないらしい……)
と発見したのである。雲井雁の姫君の美貌ばかりを心にかけて恋しく思っていた自分の、心浅さも反省せられて、
(自分も、こんな素直な、心の柔らかな女《ひと》と愛し合いたい)
と思うようになった。そう思いながら、
(だけどまた、……面と向ってげんなりするような醜女も、目のやり場にこまるだろうし、向うが卑下《ひげ》したらこちらも気の毒になるだろうし、な……。お父さまがあのかたと長年連れ添っていられるのは、あのかたの性質に魅力を感じられてのことだろうけれど、女性として惹《ひ》かれていられるのではないだろう……男と女として結ばれるというより、精神的なつながりを尊んでいらっしゃるに違いない。だって、お泊まりになることもないし、お逢いになるときも、さりげなく几帳《きちょう》などを隔ててお話しなすったり、していらっしゃるもの……)
などと、少年のひそかな観察力は、なかなかにするどく、考え方も深まっていた。聡明な少年は、男女関係の考察についても早熟で心ざま深かったが、内向的な性質から、ひとりでそんなことを考えているだけで、それを人に語ることもなく、もとより話し相手もいない。
年の暮れになると、大宮は正月の装束《しょうぞく》を、夕霧のために急がれた。今年は、夕霧一人のためにかかりきりになっていられた。
幾組もの装束を、たいそう美事に仕立てられたが、それらはみな六位の服装なので、夕霧は見るのも憂鬱だった。
「元旦にはぼくは参内する気もいたしませんのに、なぜこんなに急がせてお作らせになったのです」
というと大宮はおどろかれて、
「どうしてそんなことをいうの。まるで年とって気の弱った人のようなことをいうのね」
とたしなめられた。
「年よりではありませんが、このごろは何をする気もしなくって。人前に出るのもおっくうなのです……」
と、独り言のようにいって少年は涙ぐんでいた。雲井雁のことを思っているのだろうと大宮はいとおしく、眉《まゆ》を曇らせられたが、少年の気を引き立たせようと、
「そんなことではいけませんよ。男は低い身分の者でも、気位高く持つべきだ、といいます。くよくよしてはだめ。お正月も近いのに、そう沈みこんでばかりいては、縁起がわるいではありませんか」
とおっしゃった。
「くよくよする、というのではないのですけど、……六位だと、人が侮るのが憂鬱なので、御所へ参内する気もしません。お祖父《じい》さまが生きていらしたら、こんな侮辱をうけることはなかったでしょうね」
「ほんとうにね」
と大宮は、夕霧へのいとしさで胸がいっぱいになられて、抱いてやりたいばかりに思われる。
「でも、お父さまにはお父さまのお考えがあってのこと。みな、あなたのためを思われてのことですから、お恨みしてはいけませんよ」
「それはわかっています。でも、お父さまはほんとに、ぼくを可愛く思って下さっているのでしょうか?」
それは、孤独な少年の、ふだんから考えている深刻な疑問だった。
「お父さまは隔てのない実の親のはずなのに、なぜかよそよそしくぼくを突き放されています。お父さまはご自分の生活をたいへん大事にしていられて、ぼくのことは生活の一部にはなっていないみたい……ぼくは、お父さまのおそばへも気安く近寄れないのです。――世間のふつうの父子《おやこ》のように、むつまじくするということは絶えてありません。ただ、東の院にいらしたときだけ、おそば近くに参れますが、ふだんは、寄せつけても下さいません……なぜなのでしょう?」
少年は、長い睫《まつ》毛《げ》をしばたたいて、考えこみながら、ぽつりぽつりというのである。
「東の院の、義理のお母さま、花散里の上だけは、ぼくにやさしくして下さいます。それにつけても、ほんとのお母さまが生きていらしたらなあ、と思わずにはいられません」
と、涙ぐむ様子に、大宮はもう堪えがたくいとしくお思いになって、涙をほろほろとこぼされた。
「母親に先立たれた人は、それぞれの境遇に応じて悲しい目にあうもの、でもねえ、夕霧や、一人前に成人すれば、人は誰も蔑《さげす》んだりしませんよ。あまり、思いつめないでいらっしゃい。――ほんとに、お祖父ちゃまがも少し長く生きていて下さればよかったのにねえ。あなたのうしろには、頼もしいお父さまがついていらっしゃるとはいうものの、やはりお祖父ちゃまと違いますからねえ……。伯父さまの、内《うち》の大臣《おとど》は、世間では、やり手だという評判だけれど、私には昔と違ったお仕打ちをなさるようになった……長生きするのも、辛くなってきましたよ。生い先長いあなたまで、そうくよくよしているのでは、お祖母《ばあ》ちゃまはどうしたらいいの。長生きが恨めしいなんて、悲しいことを考えさせないでね……」
とお泣きになるのがあわれだった。
元旦。
源氏は拝賀にも参内せず、のどかにしている。最高の位の太政大臣は、何の仕事もないのである。御所での儀式の通りを、私邸でも行ない、その威勢は天下を払う。
富と権力を握った源氏が、何を考えているのか、少年・夕霧でなくても、近づいてうかがい知ることはできない。
二月の二十日すぎ、帝が朱《す》雀院《ざくいん》に行幸《ぎょうこう》された。
花にはまだ早いが、三月は故藤壺の宮のお亡くなりになった御忌《き》月《づき》に当るので、行幸を早められたのである。
ちらほら咲きの桜も面白く、朱雀院では心こめた御準備をされてお待ちになった。
お供の人々はみな、青色の袍《ほう》に桜襲《さくらがさね》を着ていた。帝は赤色の袍をお召しになっている。特にお召しがあって源氏の太政大臣も参っていたが、同じ赤色の袍なので、ますますよく似てどちらがどちらとも見《み》紛《まご》うばかり、そろって輝くように美しくみえた。
朱雀院はお若いころよりもむしろ、お年を召すにつれてご風采《ふうさい》もすがすがしく、お心ざまも嗜《たしな》みふかく、雅《みやび》やかにおなりになっていた。
今日は専門の詩人はお召しになっていない。ただ、詩才の聞こえ高い学生《がくしょう》十人を選んでお召しになっていた。彼らに、式部省の試験のような題を賜わって勅試をなさるのである。それは源氏の子息・夕霧の学才をためされたい帝のお心積もりであるらしかった。
学生たちは一人ずつ舟に乗せられ、池に離れていった。気《き》臆《おく》れする者たちは心細そうに、途方にくれている。
日はようやく傾いて美しい夕暮れとなった。楽人《がくにん》を乗せた船はゆるやかに漕《こ》ぎまわり、山風にひびきあって面白い楽《がく》の音《ね》を吹き散らしている。
池の面にそれがひろがってゆくのを聞きながら、学生たちは一人ずつ乗せられた小舟の中で、必死に詩文を創作しているのだった。
夕霧もその一人だった。彼は詩句を按《あん》じ、苦吟しつつ、ふとあたりを見廻して溜息《ためいき》をつくのだった。
(なぜこう苦しんで学問をしなければいけないのだろう?……花。音楽。酒。女。人生には面白そうなことがいっぱいあるのに……)
早咲きの桜を背景に、庭では「春鶯囀《しゅんおうでん》」の舞がはじまっていた。それは人々を、そのかみ、桐壺院《きりつぼいん》おわしましし頃の、花の宴の思い出へ誘《いざな》った。朱雀院は、
「あのときのような感動的な宴は、二度とないだろうね」
としんみり仰せられ、源氏も感慨無量だった。舞果てて源氏は院に盃《さかずき》をさしあげた。
「舞は同じでございますが、世は移り、人は変りましたね」
「しかし、あなたの心は変らないのが嬉しいよ。こうして世を離れた私のもとへも訪れてくれたのだから」
と院も返された。
帥《そち》の宮、と申上げた、院や源氏の弟宮に当られる親王は、今は兵部卿の宮でいられるが、帝にお盃をさし上げつつ、
「笛の音《ね》も鶯《うぐいす》の声も昔の盛んな御代《みよ》そのままでございます。当代の隆昌《りゅうしょう》、まことにおめでたく存じます」
「いやいや。古《いにし》えの聖代《ひじりよ》には及ばぬが、みな、そなたたちのおかげです」
帝はお若くていられるが、ご立派なおくゆかしいご様子であった。
奏楽の場が遠いので、楽の音はさだかに聞こえず、帝は御前に楽器を召される。兵部卿の宮は琵琶《びわ》、内大臣は和《わ》琴《ごん》、院は箏《そう》の琴《こと》、琴《きん》は源氏が弾いた。いずれも当代の名手が心こめて弾く音はすばらしかった。
歌を謡《うた》う殿上人たちがあまた控え、催《さい》馬楽《ばら》の「安《あ》名尊《なとうと》」、「桜人《さくらびと》」などを謡った。月がおぼろにさし出て風情おもしろきころ、池の中島のあたり、ここかしこ篝火《かがりび》が点じられて、宴は終った。
お帰りになる道の途中に、弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》のお住まいになる御殿がある。夜は更《ふ》けたが、こんな折に素通りもすげないことと、帝はお立ち寄りになった。源氏もお供する。
大后は喜んでお待ちになっていられた。ひどくお年を召していられるがまだお元気で、それにつけても帝は、故母宮のご早世を残念に思《おぼ》し召すのであった。
「よくお越し下さいました。有難いことでございます。私も年取りまして古いことはみな忘れてしまいましたが、今さらに昔の御代が思い出されます」
と大后はお泣きになった。帝は慰められ、
「頼りにする方々に先立たれ、淋しい思いでおりましたが、今日はお目にかかれて楽しゅうございました。また時々お伺いいたしましょう」
と仰せになる。源氏もしかるべく挨拶して改めて参上を、と申上げて辞した。あわただしく供の人々はざわめき、ひとかたならぬ源氏の威勢が思われた。
大后はそれをご覧になるにつけても穏やかではなく、源氏の天《てん》下《か》人《びと》たるべき幸運は、自分がいかに圧迫しようとしても消すことはできなかったのか、あの君は、昔の私の仕打ちをどう思っているであろう、と悔まれるのであった。しかし大后はお年を召すにつれ、気むずかしさも募《つの》られて、朝廷への折衝《せっしょう》ごとなど、思うようにならないときは、たいそう腹を立てられた。万事につけ、ご自分の意のままになった昔の全盛時代をなつかしみ、口やかましく不機嫌でいらっしゃるので、御実子の朱雀院でさえ、もてあまされる時が多い。昔と今の身の上を思い合わせるのは大后ばかりではない。
かの朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《かん》の君も、昔を思い出して胸の痛む折ふしが多かった。それで、何とはない折、風のつてに、仄かな便りは、源氏との間に交し合っていた。
大学に学ぶ夕霧は、行幸の日の試験に、美事な詩文で応じて進《しん》士《じ》に及第した。その日の受験生は、長年、修学した者たちを選ばれたのだが、及第したのは三人であった。
夕霧は、秋の京官除《じ》目《もく》に五位に叙せられ、侍従になった。
かの姫君、雲井雁への思慕は忘れるひまもないが、内大臣が監視して、少年を寄せつけないようにしているのに反撥《はんぱつ》を感じ、無理をしてまで逢おうとしないのであった。
ただ、好便をとらえてはかない文《ふみ》を交すだけの、苦しい恋だった。
源氏は中年に達して、あることを思い立った。
閑静で広々として、眺めのよい大邸宅を作ろう、と考えたのである。二條院も建て増しがつづき、大《おお》堰《い》の明石の上を迎えるには、もう場所もなかった。源氏は、別れ住んで心もとない彼女たちを、ぜひ、ひと所に集めたかった。それに、やがては成長する明石の姫君のため、また、源氏の邸を実家とされる梅壺《うめつぼ》の中宮の、お里帰りのため……。
六條京極《きょうごく》のあたり、梅壺の中宮の古いお邸の近くに四《よ》町《まち》ほどを買い占め、すぐさま新邸の造営にかかった。
式部卿《しきぶきょう》の宮は、来年ちょうど五十におなりになる。その御《おん》賀《が》のことを紫の上が準備しているので、源氏も知らぬ顔はできぬと思い、同じことなら、新しい邸で、といよいよ工事を急がせていた。
年が改まったので、祝賀の宴や精進落《しょうじんおと》しの用意など、ますます忙しい。花散里もその仕事を分担して用意する。紫の上と花散里はいまでは、やさしく、優雅な友情で支えられていた。
式部卿の宮は、世間の評判にもなるほどの御賀の準備を、誇らしいことに思っていられた。
今まで源氏は必ずしも、式部卿の宮に好意的ではなかった。いや、それのみか、ことごとに辛く当るような仕打ちもみせた。それはたぶん、源氏の逆境時代、式部卿の宮が冷たかったことへの報復であろう、と宮はあきらめていられる。
しかし宮の姫君、紫の上が、源氏のこよない愛妻になっていることを、宮は喜んでいられた。紫の上の幸福を父としても祝福し、交際はないけれども、源氏を婿の地位に持つことを、名誉なことと、ひそかに考えていられたのである。
それが、このたびは、紫の上の縁で、宮の五十の御賀を源氏が準備していると聞かれて、宮は、老年の望外のほまれ、と喜んでいられた。
宮の北の方は、面白くなく不快でいられる。ご自分の姫君が女御に上られたときに、源氏がつれなかったことを恨んでいられた。紫の上の異母妹に当られるのだから、お世話下さってもよいのに、源氏が知らぬ顔でいた、と根にもっていられるのであった。
八月、六條院が完成し、源氏は引き移った。未申《ひつじさる》(西南)の一区画《まち》は中宮の旧邸なので、お里下りのときはそちらにお住まいになる。
辰《たつ》巳《み》(東南)は源氏の居所、丑寅《うしとら》(東北)は花散里、戌《いぬ》亥《い》(西北)の一区画は明石の上、ときめられた。
この広大な邸の造作もさりながら、庭園の美は贅《ぜい》を尽くしていた。
前からあった池や山も、見どころなきは崩し変え、水の趣き、山の形も改めて、住む人の好みに合わせて造ってあった。
東南は山高く築き、春に咲く花の木を数知れず植え、池も趣きありげに、春の好きな紫の上のため、五《ご》葉《よう》・紅梅・桜・藤・山吹・岩《いわ》躑躅《つつじ》など、春の花が、また所々、秋の木も仄かにまぜて植えてあった。
中宮のいられる一区画《まち》は、秋をお好みの中宮のため、紅葉《もみじ》の色濃いのを植え、泉の水を流し、水音を高くするため、岩を加え、滝を落し、まるではるばる秋の野を見はるかすように作ってあった。ちょうど秋の季節なので、秋の草花は咲き乱れ、嵯峨《さが》の野山をそのまま見るようだった。
東北は夏向きに作ってあった。庭先の呉竹《くれたけ》を吹く風も涼しげに、木《こ》深《ぶか》い森のような木々、山里めいた趣きの、卯《う》の花の垣根、夏の花々の花たちばな、撫子《なでしこ》、薔《そう》薇《び》、龍胆《りんどう》、さまざまを植えてある。いかにも夏にゆかりある花散里の住居らしかった。
東の一部に、特に馬場の建物を作り、柵《さく》で囲んで五月の遊び所にしてある。池のほとりに菖蒲《しょうぶ》を植え、向いに御《み》厩《まや》を造り、幾頭もの名馬を飼ってある。
西の一区画《まち》は、北側を築《つい》地《じ》にして蔵が並んでいた。その垣に漢竹《かわたけ》を植え、松を茂らせ、雪を賞《め》でる景色を作ってある。これは明石の上の風情にふさわしく、冬のはじめに朝霜が置くように、と菊の籬《まがき》が結《ゆ》いまわされ、紅葉の柞《ははそ》、名も知らぬ深《み》山《やま》木《ぎ》など、さながら奥山そのままに移し植えられていた。
彼岸の頃に引き移った。みな一度に、と源氏はいったが、あまり大げさになりそうなので中宮はすこし延ばされた。おだやかで、気取らぬ性質の花散里は、その夜、紫の上と一緒に引きうつった。紫の上の移るときは、女車十五、従う人々も大げさでなく、世を憚《はばか》って簡略であったが、花散里も、夕霧がつき添って世話をし、これも結構なことであった。
五、六日後、中宮が多くの供を従えてお里帰りされる。区画《まち》ごとの仕切りには、塀《へい》や渡《わた》殿《どの》があり、どちらもへだてなくゆき来して、むつまじく交際できるようにしてあった。
九月になると紅葉が色づき、秋景色を賞でるにふさわしい中宮の御殿の庭は、まことに美しかった。
中宮は趣向を凝らして、紫の上にお便りをなさる。風の吹く夕、箱の蓋《ふた》を盆にして、色とりどりの花や紅葉をまぜ、美少女の使者に持たせてよこされた。濃い紫の袙《あこめ》に紫《し》苑《おん》の上衣、その上に赤朽《あかくち》葉《ば》のうすものの汗衫《かざみ》を着けた美少女が、ものなれたさまで廊や渡殿の反《そり》橋《はし》を渡ってこちらへくるさまは絵のようであった。
中宮のお手紙には、
〈こころから春まつ苑《その》は わが宿の 紅葉を風のつてにだに見よ〉
(ご自分のお好みで春がお好きなのでしょう。いまは、秋、お庭にはなんの風情もございますまい。せめてこちらの秋景色のみごとさを風のたよりにごらん下さいまし)
紫の上のほうでは、このお便りがたいそう興ふかく思われた。
さっそく、盆に苔《こけ》を敷いて、岩などあしらい、五《ご》葉《よう》の松につけた歌をお返しする。
〈風に散る 紅葉はかろし 春のいろを 岩根の松にかけてこそ見め〉
(紅葉ははかなく風に散りますわ。松の色こそかわらぬ春の緑でございます)
よく見ると岩も松も精巧なつくり物で、これには中宮も大いにたのしまれた。
そんな風に、したしく友情を交しあっているのであった。
十月、明石の上はそっと引き移ってきたが、源氏は、ほかの邸に劣らぬ立派な飾りつけをして待っていた。
こうして、花多き邸に、花の如き女人《にょにん》もまた、咲き競うように集められた。
恋のわすれがたみ日蔭の玉鬘《たまかずら》の巻
源氏はいまも、はかなく世を去った夕顔のことを忘れることはできなかった。
さまざまな女人を遍歴した人生に、なおも、(あれが生きていたならば)と愛執の念を断ちがたいのは、夕顔であった。
読者はご記憶であろうか?――かの、夕顔の最《さい》期《ご》に、ともにいた女房の右《う》近《こん》を。
彼女は女あるじを喪《うしな》ってよるべない身を、そのまま源氏に仕えていた。平凡な女ではあるが、源氏は夕顔の形《かた》見《み》のようにも思って目をかけていたから、いまでは古い女房の一人として、重んじられていた。
源氏が須磨《すま》へゆくとき、紫の上の方へ、すべての女房を預けていったので、右近もつづいて、そちらへ仕えていた。気立てのいい、おとなしい女房だと、紫の上は思って可愛がっていたが、右近は心の中で、
(あのお方がいまも生きておいでになったら……)
と思わぬときはなかった。
(あんなに源氏の君に愛されていらしたのだもの、明石の上よりもっと深いご寵愛《ちょうあい》だったに違いない。殿さまは、それほど愛していられない女人でも、決してお見捨てにならず、お世話なさるお気質。あのかたなら、紫の上ほどにはいかなくとも、この六條院に移られる方々のお一人には、なっていられたろうものを……)
と右近は飽かず悲しかった。
夕顔の君の忘れがたみの姫は、どうなっていられるであろうか。
西の京の家に残してきた幼い姫君のことも、右近は忘れられない。まがまがしい不意の死だったので、動転して、人に告げ知らせることもできず、また源氏が「わが名を洩らすな。今更、どうにもならぬことだ」と口止めしたのに遠慮して、右近は、尋ねてゆくこともしないままに、姫君の消息は、ぷっつりととだえてしまった。
姫君は、都から、連れ去られていたのである。姫君が四つの年のことだった。
乳母《めのと》の夫が、太《だ》宰《ざい》の少貳《しょうに》に任官して筑《つく》紫《し》へ赴任することになったので、乳母も、姫君を連れて下ったのであった。
夕顔の君の行方《ゆくえ》を知ろうと、乳母たちはあらゆる神仏に祈り、夜昼、泣き暮らして手をつくして探したが、ついに手掛りさえつかめなかった。
しかたない、今は、この姫君を、御《お》方《かた》さまのお形見として大切にお育てしよう、と思いつつ、また、賤《いや》しい私たちと共に、遠い田舎《いなか》へ行かれるのが、おいとしい、と思ってもみたり、さればといって、姫君の実父である中将(現在の内大臣である)に、そっとお知らせするにも、しかるべきつて《・・》もなかった。
「この子の母はどこにいる、と中将さまがお尋ねになったら、なんとお答えしよう」
「それに、姫君は、まだお父君に馴付《なつ》いていらっしゃらないし」
「中将さまに引きとられなすっても、私どもが気にかかるわ。おかわいそうよ」
などと乳母や娘たちは話し合って、やはりお連れしよう、ときめたのだった。
姫君は愛くるしかった。もう今から、気高く清らかな生《お》い先をみせていた。その美しい童女を、殺風景な船に乗せて、都を離れて漕《こ》ぎ出したときは、乳母はしみじみあわれで、姫君の黒髪を撫《な》でるのだった。
姫君は、幼い心にも、母君を忘れずに、
「お母ちゃまのところへいくの?」
と聞くのだった。
乳母も娘たちも涙がこぼれた。
夫の少貳は、「船旅に、涙は不吉だ」と叱《しか》るのであったが、女たちは、景色の美しい所へ来ると、
「まあ、御方さまにお見せしたいわ。お心の若々しい方だったから、きっとお喜びになってよ」
「でも、御方さまがいらしたら、こうして都を離れることもなかっただろうものを」
などといい合った。都恋しい人々の目には、寄せては返す波さえうらやましく、心細かった。
筑紫は遠かった。
都は、夢のようにはるかな世界に思われる。
「御方さまはこうだった」
「御方さまは、こんなことをおっしゃった」
などと、夕顔の噂《うわさ》を口ぐせのようにいい交し、今は姫君を、別れた女主人の代りと思い、人々はたいせつに養育していた。
はかなく、日は過ぎてゆく。
乳母の夢に、たまに夕顔の君が現われることがあった。そのとき、そばに同じような美しい女が添っているのが不気味だった。目ざめてみれば気分あやしく、病気になったりするので、これは、吉《い》い知らせではない、やはり、御方さまはもうこの世の人ではいられないのかしら、などと思うのも悲しかった。
少貳は任期が終って、京へ上ろうとした。
しかし都までは遠く、格別の権勢もない身には財力の貯《たくわ》えもなく、何かとぐずぐずとしているうちに、ふと、重い病気に罹《かか》り、命も危なくなった。
少貳はいまわのきわまで、姫君のことを心配していた。姫君は十ばかりになっていて、こよなく美しかった。
「私は、死ぬに死ねないよ。私の亡《な》いあと、姫君がどうなられるかと思うと……。こんな果ての田舎で成人なさるのはお気の毒で、勿《もっ》体《たい》ないことだ、一刻も早う、京へお連れして、つて《・・》を求めてお身内の方にもお知らせし、おん宿《すく》世《せ》にまかせた幸福な将来もみよう、と思ったのに。都は広い所、姫君の田舎育ちも人に知られず、心安いことだろうと思い、ただただ早くお連れしようと思ったのに、ここで死ぬとは、残念な……」
と、姫君の将来を案じるのだった。
息子たちは三人いたが、彼らに向って、
「ただ、この姫君を京へお連れすることだけを考えてくれ、わしが死んでも、仏事供養などは要《い》らないから……」
と言いおいて、とうとう亡くなってしまった。
残された家族は心細く、今は早く上京したかったが、少貳と仲の悪かった者もこの国には多かったので、旅を妨げられたりするのを恐れて、出発を延引しているうち、心ならずも筑紫で年を重ねることになった。
姫君は、おとなになるにつれて、母君よりも美しくなった。父大臣の血筋のせいか気品たかく、艶麗《えんれい》なことたぐいもなかった。
姫君の素性《すじょう》は、かたく秘められていて、邸《やしき》の者にも知らせられていない。ただ、「孫なのだが、とりわけちょっと事情があって大切にかしずかねばならぬ人」というふうに言いつくろってあった。
それで人にも会わせず、風にも当てぬようにして、かしずき育てていたが、姫君は美しいばかりでなく、気立てもおっとりと、いかにも高貴の姫らしくなよやかな、好ましい性格であった。
噂を聞きつけて色好みな田舎の男たちが興味を持ち、恋文を送ってきたりするのが多いが、
「とんでもないことだわ。尊いお姫さまをどうしてこんな片田舎の賤しい男などに」
と、乳母をはじめ、みな、あたまから問題にしていなかった。
「器量はともかくとして、人なみでない所がございますので、結婚などはさせず、尼にでもして、私の生きている限り世話をしてやろうと思っています」
というふうに乳母はいって、ごまかしていた。
「故少貳の孫は、普通じゃないというじゃないか、あたら妙齢の娘が惜しいものだな」
と人々が言いふらすのも、いまいましく情けなく、
「どうにかして早く都へお連れしたいものだねえ。父大臣《おとど》にお知らせしたいねえ。姫君が幼いころ、あんなに可愛がっていらしたのだから、長く会わなかったといっても、おろそかにはお思いになるまいに……」
と嘆きながら、神仏に願《がん》をかけて、どうぞ早く都へ上れますようにと祈っていた。
そう思いつつ、はかないのは人の暮らしであった。息子たちも娘たちも、いまはそれぞれに棲《す》みついた土地で馴染《なじ》みが出来、結婚していた。そうなると縁につながったしがらみ《・・・・》は身を縛り、心の内にこそ、都へ早く、と思いつつも、現実には、ますます都は遠いものになっていった。
姫君は成人して物思う年頃になっていた。
わが身の数奇な運命が悲しく、後世《ごせ》のために年に三度の長精進《ながしょうじん》などしていた。
はたちばかりになるころには、いいようない美しさに整い、こんな田舎に沈めておくには勿体ないほどだった。
このあたりは、肥《ひ》前《ぜん》の国である。このへんの、少し主だった有力者とか、多少なりとも家柄のいい者などは、みな少貳の孫の噂を聞き伝えて、やかましく求婚してくるのがうるさいほどであった。
その中に、大《たい》夫《ふ》の監《げん》という男がいた。
肥後《ひご》の国に住み、一族も多く、この地方では声望と威勢をもっている有力者である。むくつけき田舎武士《ざむらい》だが、ちょいとした好《す》色心《きごころ》も持っていて、金と力にものいわせ、美女を蒐《あつ》めたがっていた。この姫君のことを聞きつけて、
「そぎゃんよかおなごなら、どぎゃんひどか片輪でん、かまわん。俺《おる》が女房にして面倒ば見ろごたる」
と、熱心に申し込んだ。乳母は恐ろしく、うっとうしくて、
「とてもとても。本人は耳もかさずに、尼になると申しています」
といわせると、大夫の監はいよいよ執着し、尼になられては大変だと、肥前まで押しかけてきた。
そうして少貳の息子たちを呼び寄せ、
「どうな。力ば貸さんか。俺《おる》が思《おも》とるごつなったら、主《ぬし》たちにも、よかごつすッぞ」
ともちかけたので、次男と三男は監の味方についてしまった。二人は家族を説得して、
「それはまあ、最初のうちこそ、とんでもない縁だと思っていたが、監は頼もしい庇護《ひご》者《しゃ》ではありますよ。この男に憎まれたら、このへんでは生きてゆけませんよ」
「尊いお血筋といっても、親に認めてもらえず、世間にも知られないというのではどうしようもないじゃないか――監がこう熱心に求婚するのこそ、姫君の現在の幸福と申すもの」
「まあ、これもめぐり合せ、こうなられる運命だったのでしょう、逃げ隠れされても、これよりいいことがあるかどうか」
「監は負けぬ気の強い男ですからね。怒ったらどんな乱暴するかわかりませんぜ」
次男と三男は、そういって母と長男を脅《おど》した。
長兄の豊《ぶん》後《ご》の介《すけ》だけは反対だった。
(いや、姫君を監の妻になどとは、勿体ないことだ。亡き父上の遺言《ゆいごん》もある。やはり何とかして、京へお連れせねば)
と、心中ひそかに決心していた。
娘たちは、次男や三男の言葉に途方にくれて泣き惑うていた。
「お母君がお行方さえ分らなくおなりになった、その代りに、姫君に人なみなご幸福を、と夢みていたのに、あんなむくつけき田舎侍に縁づかれるなんて……あんまりおいたわしいわ」
などと嘆き合うのを、当の、大《たい》夫《ふ》の監はむろん、夢にも知らぬわけだった。
(俺《おる》も名士だけん、教養があり、風流なとこば、見せんといかん)
と監は気張って、手紙などよこしてくる。
筆蹟《ひっせき》もそんなに見苦しくなく、上等の舶来の紙に、よい香《こう》をたきしめたりしている。
「よう出来《でけ》たろが」
と自慢げにいうが、その言葉はひどいお国訛《なま》りであった。
そして、この家の息子の次男を味方にして、自身、連れ立って押しかけてきた。三十ばかりの男で、背が高くがっしりして、思ったよりは醜くないが、強引そうで、荒々しい振舞いに、女たちはおびえた。
血色はつやつやと栄養もみち足り、力の強そうな男で、濁《だ》み声でよくしゃべった。
色めいた密《みそ》かごとは、夜にしんみりと、というのが、世の風流であろうに、監は堂々、白昼に来て、求婚するのである。
乳母は、監の機《き》嫌《げん》を損じまいとして、出ていって会った。
「亡くなんなった少貳は、ご立派な方だったですね。したしゅう、つき合《お》うち貰おうと思《おも》とったうちに、死んでしまいなって、ほんなこつ、残念ですたい」
と監は、世故たけて追従《ついしょう》をいった。
「そン代り、というちゃ何ですばってん、ご遺族の皆さんに、誠意ば汲《く》んじ貰おうと、来にッかとこば、元気出してやってきました。――こちらの姫君は、とても、よかとこの出と聞いとりますけん、勿体なかこつですばってん、いっちょ、俺《おる》が嫁サンになって貰われんでッしょか。頭の上にさし上げち、大事にしますばい。祖母《ばば》さんが、この縁談に気乗りしならんとは、俺《おる》が、今までつまらん女《おなご》たちとつき合《お》うとッたつば、聞きなはって、いやがンなっとッとでしょう。なんし、そぎゃん奴たちと姫君ば、一緒にしたりするもんですか。姫君はもう、そるこす、皇后さんにも負けんごつ、大事にしますばい」
などと、監は調子よく、まくしたてていた。
乳母はしかたなく、
「結構なお話で、孫娘もありがたい仕合せでございますけれど、あの子は前世の運がわるいのでしょう、人さまの前にも出せない生まれつきなんでございますよ。当人も、結婚などはあきらめておりますので、お心持だけありがたく頂戴して、どうぞこのお話はないものと、お忘れになって下さいませ」
と答えた。が、それで引っこむ監ではない。
「なあに。遠慮しなはりますな。どこがお悪いのか知りまッせんばってん、たとえ、眼がつぶれ、足が折れとんなってでん、俺《おる》がお世話して、直してみせますばい。国中の神仏は、いうちみりゃ、この俺《おる》が言いなりですたい。わはわはは」
と、傲慢《ごうまん》に言い放つ。
「善はいそげ、ですたい。いつごろお迎えに来まッしょか。なンな、もう迷わるこつはなかじゃなかですか」
「でも、まあ、ともかく、今月は、縁組みにはよくない月だと申しますので……」
乳母は田舎びた古いことを言いたてて、やっとその場のがれをいっていた。
監は出てゆきがけに、歌を詠《よ》みたくなったのか、しばし思案して、
「〈君にもし 心たがはば 松《まつ》浦《ら》なる 鏡の神を かけて誓はむ〉
どぎゃんですか。ようでけましたでッしょ。姫君に心変りでんしたら、肥前・松浦の鏡の明神《みょうじん》の罰ば受けてもよか、という心ですたい」
にこにこと嬉しそうに得意げにしている所を見ると、今までこんなに風流なつき合いの女はいなかったらしい。
乳母は監が恐ろしくて、返歌する気にもなれない。娘どもにいっても、みな、怖《お》じて尻ごみするばかりなので、時がたった――乳母は惑乱して心にうかんだままに、
〈年を経《へ》て 祈る心の たがひなば 鏡の神を つらしとや見む〉
と、震えながら返歌したのへ、監はうなずいたが、ふと首かたむけ、
「むむ? こら、どぎゃん意味でいいなッたつですか」
と、不意に近寄ってきたので、乳母は怯《おび》えて、顔色をなくした。
娘たちはさすがに心強く笑って、
「姫君は、人なみの方でないので、もし、あなたのお心が変ったら、恨めしく思われるだろう、ということを、母はもう耄碌《もうろく》しておりますので、へんな風に詠んだのですわ」
と、とりなした。
「なるほど、そぎゃんですか、そぎゃんですか」
とうなずいて、
「やっぱり風流ですな。俺《おる》たちも、田舎《いなか》者《もん》のごたるといわれますばってん、全然、風流が解らんちいうわけじゃありまッせん。都ン人だけんちゅうて、どぎゃんこつがありまっしょか。歌ぐらい、俺《おる》たちでン、詠めますばい。そぎゃんばかにしなったもんでもなかですばい」
といって、また詠もうとしたらしいが、うまくいかなかったとみえ、帰っていった。
次男が、監の味方についてしまったので、乳母《めのと》たちは、おそろしく情けなかった。長男の豊後の介に、泣いて責めると、長男も困《こう》じはてているのであった。
「どうしたらいいかなあ。相談する人もないし、多くもない兄弟は、監に味方して仲違《なかたが》いしてしまった。監に睨《にら》まれたら、ここではやっていけないしなあ。出ようによったら、どんなひどい目にあわされるか分らない」
などと考えあぐねていたが、姫君が、悩んで思い沈み、(もし監の妻にむりやりされるようだったら、死んでしまった方がましだわ)などと悲しんでいるのも気の毒で、ついに、
「よろしい。ひそかに、この地を捨てよう……」
と決心した。
「みな、姫君にお付き添いして、京へのぼるか?」
と妹たちにきくと、
「ええ……行くわ」
と妹たちはいった。彼女たちは、この地で結婚した夫を捨ててゆくのであった。
「お姫さまと別れては、このさき、またお目にかかれるやらどうやら。でも、夫はこの土地の男、命さえあれば、また会えるし、京へ呼ぶこともできるのですもの……」
と、ひそかにいう。
豊後の介も、妻子をおいてゆくのだった。
足手まといをつれて、逃げてゆくことはできなかった。妻子は、その親が庇《かば》って何とかしてくれるだろう、やがてそのうち、運が向けば呼びよせることも出来ようかと、豊後の介は考えていた。
大夫の監は肥後に帰っていって、四月二十日のころ、吉日を選んで迎えに来ようといっているので、いそぐ必要があった。
ある夜――少貳の邸から、春の闇《やみ》にまぎれて、黒い人影がひそかに旅装束で、出ていった。
ふりかえり、ふりかえり、人々はこの地をあとにした。
豊後の介は妻子に、妹たちは夫に、心ひかれながら、やはり、姫君の運を賭《か》けて何が待っているかわからぬ京へ、思いきって一歩、ふみ出したのである。
用意された船は、静かに筑紫をはなれてゆく。
乳母の娘たちのうち、上の姉は、子供がたくさん出来ていたので、九州を離れることはできなかった。たがいにひそかに別れを惜しみ、再び逢う日の早く来るのを願いながら、妹たちは悲しかった。
ことに心ひかれる土地というのでもないが、ただこの姉とのわかれと、松《まつ》浦《ら》の宮の前の、渚《なぎさ》の景色ばかりは心のこりであった。
「風まかせに、ただよってゆくのねえ」
姫君は、そういって心細げであった。
監にきこえたら、たちまち追《おっ》手《て》がかかるのではないかと気が気ではなかったが、早船といって特別のしかけがある上に、ちょうど順風に恵まれ、快速力で船は東へと奔《はし》った。
筑前《ちくぜん》の、響《ひびき》の灘《なだ》もことなく過ぎた。
「海賊の舟ではないか。小さい舟が飛ぶようにくる」
などいうものもある。海賊よりも、もしやあのおそろしい監が追ってきたのではないかと、乳母たちは、生きた心地もなかった。
そんなことに気をとられ、難所も難所と思わず、すぎてしまった。
摂《せっ》津《つ》の国の河尻《かわじり》という所が近づいたという舟人の声に、やっと乳母たちは少し生き返った気がした。舟《ふな》子《こ》たちが、舟唄をうたっている。
「唐泊《からとまり》から河尻へ
漕ぐほどに 押すほどに」
とうたう声、荒々しいが、あわれにきこえた。
豊後の介も、妻子を思ってしみじみした。
思わずついて舟唄をうたう。
「いとかなしき
妻子《めこ》をも忘れぬ」
ほんに思えば、残された妻子はどうしているだろう。少しでも役に立ちそうな家来は、みな連れてきてしまった。
監が、憎んで、妻子を追い惑わしているのではなかろうかと思うと、捨てて出て来たことが、いかにも無分別に思われて心ぼそく、涙ぐまれた。
京にたよるあてとてはなかった。
しかも、引き返すすべもない。
心細い人々を乗せて、船は京へ入った。
九條に、昔の知人が残っていたのを探し出して、一行はそこを仮の宿りとした。
このあたりは都のうちといいながら、はかばかしい人の住む所ではなく、賤しい物売り女《め》や商人にまじって気のふさぎ勝ちな暮らしをつづけているうちに、はや、秋となった。
来《こ》しかた、行く末を思いつづけると、みんな心ぼそく悲しい。豊《ぶん》後《ご》の介《すけ》一人が頼りであるが、その彼でさえ、都では、まるで水鳥が陸《おか》へ上ったようにまごついて、どうやってこれから生きていったらいいやら、前途は暗澹《あんたん》とした思いである。
今さら九州へ帰るわけにもいかず、あまりにもあと先見ずに京へ来たことよ、と思ったりしていたが、連れてきた従者たちの内にも、縁故をたどって逃げるのもあれば、もとの国へこっそり帰ってしまうのもいた。
「九州にいれば、お前も人に名も知られ、ちっとは羽ぶりもよい人間だったのに、何もかも捨てて都へ来てしまったから……そこらの、賤しいただびとの一人におちぶれてしまったわねえ。――かわいそうに」
と母は息子をいとおしく思って嘆くのだった。
「なあに。私ひとりくらいの始末はどうにもつけられますよ。姫君のためなら、どうなったってかまうものですか。――どんなに金や地位を得てえらい羽振りになっても、姫君を大《たい》夫《ふ》の監《げん》なんかに売り渡して、のうのうと生きていられますか」
と豊後の介は母を慰めて、
「この上は神仏のお力におすがりしましょう。きっとよいことがあるようにお導き下さいますよ。都に近い石《いわ》清《し》水八幡宮《みずはちまんぐう》は、九州でも姫君がいつもお詣《まい》りなさっていた松《まつ》浦《ら》・箱崎《はこざき》と同じ神さま、国を離れるときにも多くの願《がん》をお立てになりました。おかげで無事に京へ帰れましたと、早くお礼まいりをなさいませ」
とすすめて姫君を八幡宮に参詣《さんけい》させた。
「つづいては初《はつ》瀬《せ》へお詣りなさいませ」
と豊後の介はいうのだった。
「仏さまの中では、大和《やまと》の初瀬の観音様が、日本中に霊験《れいげん》あらたかと、唐土《もろこし》にまで噂されているそうです。辺《へん》鄙《ぴ》な田舎にいられたとしても、日本の国のうちのこと、姫君にきっとお恵みをおかけ下さるでしょう」
といって、初瀬詣りに出立《しゅったつ》させた。
仏に願を立てるためなので、ことさら歩いてゆくことにきめた。
姫君は馴《な》れないことで辛《つら》く苦しかったが、人々のすすめるままに、夢中で歩いた。
(どんな罪ふかい身とて、この憂《う》き世にさすらわねばならないのかしら。お母さま、もう亡くなっていられるにしても、わたくしをかわいそうに思われるなら、いまおいでの所へお誘い下さいまし。もし生きていらっしゃるなら、お顔をみせて下さいまし……)
と仏に祈りながら、しかし姫君は、幼い頃に別れたので、母君の顔さえおぼえていない。(お母さまさえ生きていらしたら、こんな苦しい目にもあわなかったろうものを)と嘆きつづけながら、馴れぬかち《・・》の旅の辛さも添うて耐えがたい。
辛うじて、椿市《つばいち》という所に、四日目の巳《み》の刻(午前十時)ごろ、生きた心地もなく、たどりついた。
姫君はここまで歩いてくるのがやっとで、何かといろいろ手当てをしたが、もう足が疲れて動けない。しかたなく、ここで休むことにした。
姫君の一行は、頼りにする豊後の介のほかは、弓をもった家来二人、ほかに下《げ》人《にん》、童《わらわ》など三、四人、女は、姫君はじめ乳母たち三人が壺装束《つぼしょうぞく》をしていた。そのほかは下女《しもおんな》が二、三人ばかり、人目に立たぬよう、ひっそりした一行だった。
仏さまへのお燈明料のことなど、ここでたのんだりしているうち、日が暮れてしまった。
宿のあるじの僧が来て、
「予約してあった方をお泊めしようと思っていたのに。誰をいったい泊めたのだ。ばかな女どもが、勝手なことをしおって……」
と叱言《こごと》をいうのが聞こえる。一行は不快な気持でそれを聞いていると、なるほど、僧のいう通り、参詣の人々がやってきた。
これも、歩いて来たらしい。
相当な身分らしい女が二人いた。供の下人は、男女とも人数が多く、馬を四、五頭曳《ひ》かせていた。目立たぬようにしているが、かなりの家の人々であるらしく、様子のいい男なども交っていた。
僧はその人々をどうしても泊めたいらしく、頭をかきながら部屋の確保に奔走していた。
姫君の一行は気の毒だとは思うものの、今から宿を替えるのも面倒だし、工合わるいので、相《あい》部屋《べや》ということになった。
そのかわり、供の人々は奥の部屋や別棟《べつむね》へ移らせ、姫君はじめ乳母たちだけ、部屋の隅へ残って、軟障《ぜじょう》(幕のようなもの)を引きめぐらしていた。
新しい客たちが、案内されて入ってきた。
この人々も、不作法な客ではなかった。どちらもひっそりと、互いに双方、遠慮しあって、物静かな相客同士である。
なんという偶然であろう。
あとから来た新しい客というのは、常日ごろ、姫君の行方を恋い慕っている右《う》近《こん》なのであった。
年月のたつにつれ、気骨の折れる奉公にも疲れ、また寄るべない身の将来をも悩み、姫君のことも案じられ、この初瀬寺へ、たびたび詣《もう》でているのであった。
いつものことで慣れた旅ではあるものの、さすがに長道をあるいた疲れは堪えがたくて、物に寄りかかって臥《ふ》していると、隣りの軟障《ぜじょう》のそばで男の声がする。どうやら食べものであるらしい、折《お》敷《しき》を手ずから取って、
「これを姫君にさし上げて下さい。御《み》台《だい》もなくて、申しわけありませんが」
などといっている。
右近はふと、相客の素性《すじょう》に興をおぼえた。この男の鄭重《ていちょう》な口吻《こうふん》や物腰から察するに、自分たちと同じ階級の人ではないらしい、しかるべき身分の人であろう、それにしては人目を忍んで簡素にすぎる一行である。
右近は物の隙《すき》間《ま》からのぞいた。
その男の顔に見おぼえがあるが誰だか思い出せない。――それは、豊後の介なのだった。
右近は、豊後の介のずっと若かった頃しか知らない。彼も今は太って色黒く、身なりもやつれているので、長く逢っていない右近にはわからないのである。
「三條、姫君がお召しになっているよ」
と男が呼び、そこへ来た女を見て、右近はまた、あっと思った。
(知っている! この人も……)
たちまち思い出された、この女は、亡き夕顔の御《お》方《かた》に、下女ではあるが、長いこと仕え馴れて、かの、五條の隠れ家までつき従っていた者だ……。
(夢じゃないかしら)
右近は茫然《ぼうぜん》とした。この人々が仕えているあるじが、何びとか、それを知りたかった。
(この女にきいてみよう。あの男も、昔、兵《ひょう》藤太《とうだ》といった人にちがいない、今は何と呼ばれているか知らないけれども……。もしかしたら、姫君もいらっしゃるかもしれない)
と思いつくと、もうじっとしていられなかった。中の仕切りのところにいる三條をいそいで呼ばせたが、ちょうど食事中で、夢中で食べているものだからすぐに来ない。右近は憎らしくさえなったが、それも勝手な話だった。やっとのことで女は食事をすませ、
「お呼びになりましたのは私ですか。どうもわかりませんねえ。筑紫の国に二十年ばかりも暮らしました卑しい私どもを、ご存じだとおっしゃる都のお人が、あろうとは……。お人ちがいではございませんか」
と、右近のそばへにじり寄ってきた。田舎びた紅《くれない》の練絹《ねりぎぬ》を下に着て、見ちがえるように太って、老《ふ》けていた。
それを見る右近も、自分の齢が今さら思われて恥ずかしいが、
「もっとこちらへ寄って、よくごらんなさい。私よ。おぼえていない?」
と、三條に顔を向けた。女は、はっと目をみはり、手を打って叫んだ。
「まあ、あなたでございましたか! やれうれしや。おお、うれしや。どちらから、ここへ。そしてまた、御方さまは……御方さまはいらっしゃいますか」
と大声で泣き出した。
若かったころの三條を見馴れていた右近は、長い年月のへだたりが思われて、涙を誘われた。
「まず、乳母《めのと》の君はいらっしゃるの、姫君はどうなられました、『あてき』といった人は」
と右近は矢つぎ早やに聞く。夕顔の上のことは、三條たちを悲しませるので口にせず、かえって右近の方が質問するのだった。
「みないらっしゃいます。姫君も大人《おとな》になられました。まあ急いで乳母のおとどにこのことを申しあげなくては」
と三條は人々に告げた。姫君の一行のおどろきはいうまでもない。
「夢のような心地がします。御方さまと共に行方知れずになって、お恨みしていた人にここで会うなんて……」
と乳母たちは寄ってきた。間をへだてていた屏風《びょうぶ》のようなものも押しやって、かたみに物もいえず、泣き交した。
乳母は、ようやくのことで、
「御方さまはいかが遊ばしました。長いあいだ、夢にでもお会いしたいと神仏に願をかけましたが、遠い田舎の果でございますもの、風の便りにもお噂が知れませんで、ほんとうに悲しゅうございました。年とって生き残るのも辛いことでしたが、捨てていってしまわれた姫君がおかわゆくて、おいとおしくて、この方が気にかかりましてね。後世《ごせ》の障《さわ》りになりそうで、いまだに、目をつぶることができないのですよ」
と言いつづけた。
右近は昔、夕顔の急死にあって、ともに死にたいと惑乱したとき以上の、苦しい思いに責められた。
しかしもはや、黙っていられることでもなく、
「さ、その御方さまは……申しあげても甲斐《かい》ないこと、もう早くに亡くなられたのですよ」
というと、乳母や三條たちは咽《む》せかえって泣き沈んだ。
日が暮れたと供の者がせきたて、お燈明の用意などして急がせるので、双方、話がつきぬままにあわただしく別れた。右近は、
「ご一緒におまいりいたしましょう」
といったが、互いの供の者が怪しむだろうし、乳母も、豊後の介に告げるひまもなく、みな宿を出た。
右近はそれとなく、一行に目をとどめていた。――中にひとり、目立つ美しいうしろ姿の女《ひと》がいる。あれが姫君であろうか……。
少し歩き馴れている右近は、姫君たちより先に御《み》堂《どう》に到着した。
あとから来た一行は、姫君の歩き悩むのを介抱しながら、やっと初夜《そや》の勤行《ごんぎょう》のころ、登ってきた。御堂の中は参詣人で混雑し、がやがやとやかましかった。
右近の部屋は、御本尊の右手に近いところをとってあった。姫君の方は、頼んでいた僧と馴染《なじ》み薄いせいか、西の間《ま》の遠い所だったのを、右近は探し出して、
「どうぞこちらへおいで下さいまし」
といってやった。それで乳母は、供の男たちをそこへとどめ、豊後の介にこうこうと、いそいで事情を話して、姫君と共にそちらへ移った。右近は姫君たちを迎えて、
「私はたいしたものではございませんけれど、唯今《ただいま》の太政大臣《だじょうだいじん》さまにお仕えしておりますから、こんな忍びの道中でも、誰も失礼なことはするまいと、安心しておりますの。地方から来た人とみると、足もとを見てつけこむ、たちのわるい者がここらには多うございます。姫君にもったいなくて」
といった。ゆっくり語りたいのであるが、勤行の混雑で話し声もよくききとれず、おちつかなかった。右近はともかくも、心こめて仏に祈っていた。
(ありがとう存じます、観音さま、どうかしておさがししたいと願っていたお姫さまに会わせて下さいまして、ありがとうございます。やっとお目にかかれましたからには、今度は、源氏の大臣《おとど》の君にお知らせ申上げましょう。大臣の君は、姫君のおゆくえをいつも心痛遊ばされていましたから、わが子のようにおいつくしみ下さるにちがいございません。この上はどうぞお姫さまに、幸福をお授け下さいまし……)
国々から、田舎の人々がたくさん詣っていた。この大和の国の、国守の北の方も参詣していた。供も多く、寺僧たちにねんごろに扱われて、たいそういかめしい勢いだった。
三條は羨《うらや》ましげに眺めていたが、やがて仏の前で、額《ひたい》に手をあてて一心に祈りはじめた。
「大慈大悲の観音さま、ほかのことは何もお願い申しません、ただもう、大事なお姫さまを、大《だい》貳《に》の北の方でなければ、この国の受領《ずりょう》の北の方にしてあげて下さいまし。この三條も、相応に出世しましたなら、お礼まいりをさせて頂きます」
といっているのだった。
「まあ、何てことをいうの」
と右近は呆《あき》れて、
「ずいぶんけちなお願いだこと。縁起でもないわ。あなたもすっかり田舎者になってしまったのね。受領の妻ぐらいが何の出世、お姫さまの父君の中将さまは、あのころでさえたいそうなご威勢だったじゃないの。まして今は、天下を思いのままにしていらっしゃる内大臣さま、そのまぎれもないお子さまなんですもの。一介の受領の妻などになられるものですか」
「ああ、もう、横からよけいな口出しをなさらないで下さいな」
三條は真剣なのである。
「大臣も公卿《くぎょう》もありませんよ、大貳の北の方が、清《し》水《みず》の御寺の、観世音寺にお詣りになったときのご威勢ときたら、帝《みかど》さまの行幸《ぎょうこう》にも負けないくらいでしたよ。それをご存じないからですよ」
といって、いっそう熱心に拝んでいるのであった。
筑紫から来た人々は、ここで三日、お籠《こも》りするつもりでいた。右近はそんなに長く参籠《さんろう》するつもりではなかったのだが、この折に、一行とゆっくり話もできようかと、御師の僧を呼んで自分もお籠りするむねを告げた。願《がん》文《もん》の書きかたなどは、僧はくわしいから、毎回してもらっている通りにはこんでくれる。
「いつもの藤原の瑠璃《るり》君《ぎみ》というお方のために願文を奉ります。よくお祈り下さいまし。その方に、このほどやっとお目にかかりましたので、そのお礼参りもさせて頂きます」
と右近はいった。筑紫の人々はそれを聞いて、右近がどんなに姫君のことを思っていたかがわかって、しみじみした思いに打たれるのであった。
「それはようございました。やはりみ仏の霊験はあらたかですな。怠りなくお祈り申していたのをお聞き届け下さったのでしょう」
と僧はいった。
一晩中、さわがしい勤行の声はつづいていた。
夜が明けたので、右近は知り合いの法師の坊へ、人々を誘って下りた。ゆっくりと積もる話をしたいと思ったのだった。
あかるい所で見る姫君は、ほんとうに美しかった。旅やつれして、恥ずかしそうにしているそのさまが、右近にはいっそう、あでやかにみえる。右近は姫君に見惚《みと》れながら、
「私は、思いもかけず身分高い方々のあたりへお仕えしまして、多くの女人衆《にょにんしゅう》を拝見いたしましたが、その中で、源氏の大臣《おとど》の北の方、紫の上のお美しさに及ぶ方はあるまいと長年思ってまいりました。それからお小さい明《あか》石《し》の姫君、このかたも、当然のことかもしれませんが、たぐいもないお美しさでいらっしゃいます。
でもその方々が大切にかしずかれていられることはいうまでもないこと、ご器量も、それによって一段と映えられるのでございましょう。……ところが、こうして、いま、拝見いたしますお姫さまの、おやつれになっていらっしゃるのに、お美しさはかのお二方にも劣りません。なんというめでたきご器量でございましょう。
大臣《おとど》の君はよくおっしゃいます。
自分は、御父みかどの御代から多くの女御《にょうご》・后《きさき》、それより下の女人は無数に見たが、ほんとうの美貌というのは二人だった。今の帝の御母君、藤壺《ふじつぼ》の宮と、娘の明石の姫君だ、と。
でも、私など、無論、后の宮は拝見したことがございませんし、姫君はお美しいとは申せ、まだおん年七つでいらっしゃいます。何と申しても、北の方のご器量は、くらべる人もあるまいと思われるのでございますよ。
いえ、実を申しますと、殿も、北の方が一番だと内々は思っていらっしゃるのですよ。でもお口に出してはおっしゃることが出来ず、わざと無視なさるのですわ。冗談で『あなたは私と結婚できたなんて、大変な幸福ですよ』なんておっしゃって。それはもう、たいそうおむつまじく、お二方そろってお美しく、お見上げしているとこちらまで命が延びるような気がするんですの。こんな方は、またとあるまいと思っていましたが、どうでしょう、このお姫さまは、私の拝見したところ、北の方にも劣っていらっしゃいませんよ。
これ以上、お美しい方を捜《さが》すとなれば、もう仏《ぶつ》菩《ぼ》薩《さつ》ですわ。お頭《つむ》の上から後光がさしてしまいますわ。
ほんとうに、非のうち所のないお美しいお姫さま……」
右近は微笑《ほほえ》んで、姫君から目を放すことができなかった。心から嬉しかった。
老いた乳母は、嬉しそうだった。
「あなたもそうお思いになりましょう。こんなめでたい姫君を、もう少しのところで片田舎にお沈めするところでしたよ。それが勿体《もったい》なくて悲しくて、私は家も財産も捨て、頼りにする息子や娘とも別れて、今はかえって他国のような気のする京に戻ったのでございます。ねえ、右近さん、あなたどうぞ一日も早く、お手引き下さいまし。貴い方にお仕えしていられるのですから、自然に手《て》蔓《づる》もおありでしょう。お父君の内大臣さまのお耳に入れなすって、姫君をわが子の一人とおみとめ下さるよう、お計らい下さいまし」
乳母がいうのを、姫君は恥ずかしげに、身をそむけていた。
「ええ、そりゃもう……。私はつまらぬ身ですが、殿が親しくおそばで召し使って下さいますので、何かの折ごとに私が姫君のお噂をいたしますと、自分もどうかして捜したいが、そちらで何か消息を耳にしたらすぐ知らせよ、とおっしゃっていますので」
右近がそういうと、乳母はすこし困惑のさまだった。
「大臣の君はご立派な方ですけれど、さきのお話のようなすぐれた北の方や、ご愛人がたくさんおいでではねえ……。それよりも、まず、本当のお父君、内大臣さまにお知らせしたいのですよ」
右近は、乳母の誤解を知って、
「いえ、そういう意味ではございませんのよ。源氏の大臣は、お亡くなりになった御方さまをいまも恋しく悲しんでいらして、忘れがたみの姫君のお世話をしたい、とおっしゃるのでございます。『子供が少なくて淋しいので、わが子を引きとったと世間にはいって、姫君を迎えたい』と、その頃からおっしゃっていたのでございます……と申しますのも、あのころの御方さまの恋人は、誰あろう、源氏の大臣でいらっしゃいましたのよ。当時は中将であられましたが、ご身分をかくして忍んで通われました。御方さまのことを思いつめられて、今から思うとまるで魅入られたように烈《はげ》しく愛していられました」
そうして右近は語った、源氏の夕顔に対する烈しい熱愛と、そのさなかに死の手に夕顔を奪われた源氏の惑乱と悲しみ。……古い邸の物の怪《け》のおそろしさ。右近も取り乱して、あとを追おうとしたこと……。
「私は若くもあり、動転もしておりました。事実をありのままに、皆さまにお告げする勇気がなかったのでございます。とつおいつ、気おくれしておりますうちに、ご主人が少貳に任官なさったことはお名前を聞いて知りました。赴任のご挨拶《あいさつ》に、殿の御殿へおいでになりましたとき、ちらと拝見いたしましたが、お話しすることもできないでしまいました。それでも姫君は、あの夕顔の花の咲く五條の家にお置きになったのだとばかり思いました。筑紫へお連れになったとは……。でもまあ、ようございました。よく京へお戻りなさいました。このまま田舎へ埋もれておしまいになったら、あたらこのお美しさ、貴いお血筋を勿体ないことでございました」
話は尽きなかった。乳母にも姫君にも、はじめて聞く話も多く、また右近も、筑紫での話を聞くのはあわれ深かった。
そこは高台で、参詣者たちを見おろせる場所だった。前を流れる川は初瀬川である。右近は胸にあふれてくるものがあって、口ずさんだ。
〈二本《ふたもと》の杉のたちどを尋ねずば 布留《ふる》川のべに 君を見ましや〉
初瀬の二本杉は古歌にもうたわれ名高い。初瀬に参ればこそ、姫君にもお目にかかれたと、右近は目がしらを押えるのだった。
〈初瀬川 はやくのことは知らねども 今日の逢ふ瀬に身さへながれぬ〉
と姫君も仄《ほの》かに返して、泣いていた。物心もつかぬ昔のことは知らぬけれど、初瀬のめぐりあいのふしぎさ、うれし涙が流れます……。姫君のようすは上品で愛らしかった。
母君はおっとりと、やわやわした、ただもうなよやかな方だったが、この姫君はけだかく奥ゆかしい物腰である。まあよく、こうも立派にお育てしてくれたことと、右近は乳母に感謝したい気持だった。
日が暮れると、御堂にのぼり、あくる日も一日、念仏をとなえて勤行《ごんぎょう》に暮らした。
秋風は谷から吹き上って肌寒く、人々の物思いを誘うのであった。
姫君に人なみの運がひらけるのは、むつかしいのではないかと、乳母たちは悲観していたが、右近の話を聞いて、希望が湧《わ》いてきた。右近は、
「父君の内大臣さまはお子さまがたくさんいらっしゃいます。でもお一人のこらず、――それはもう、身分低い方々に儲《もう》けられたお子さまでも、みんな相応にお取り立てになって、りっぱに成人させていらっしゃいますわ」
というのであった。
「では、日《ひ》蔭《かげ》の姫君が、今ごろ名乗り出されても、父《おや》子《こ》の契りをあわれに思《おぼ》し召していただけましょうね……」
乳母は姫君のゆくすえに心が明るんだ。
御寺から帰るときは、互いに都の住居《すまい》を教え合い、
「またもや、お姫さまの御消息が知れなくなっては大変だわ」
と右近は心配した。幸い、右近の家は、六條院の近くなので、姫君一行の九條の宿とはあまり離れていない。右近は今後の相談もあるので、家が近かったのを好都合に思い、喜んだ。
右近は六條院へ出仕した。源氏に、このたびのめぐりあいをそっと耳に入れたいと思っていそいだのである。
門に車を乗り入れるや、もう六條院のさまは外の世界とはかけはなれていた。ひろびろした中庭、うちつづく美《み》事《ごと》な建物、その中を出てゆく車、入ってくる車が数しれず、人々はゆき交《か》って混雑している。権門の家の華やかな活気がみちみちて、右近は、数ならぬ自分のような者がたちまじるさえ、まばゆい気がするのであった。
その夜は御前にも出ないで、自分の部屋で右近は物思いしながら休んでいた。
翌日になって、紫の上から、
「右近が帰っているの? 顔をお見せなさいな」
とお召しがきた。昨夜、里下《さとさが》りから戻ってきた上臈《じょうろう》や若い女房はたくさんいたのに、特に右近を選んで召されたので、右近は面目《めんぼく》に思った。
参上してみると、源氏もいた。
「右近。なぜそんなに長く里下りしていた。ひとり者が、おかしいではないか。いつもより若返っている所をみると、面白いことがあったのだろう」
と、いつものように、こちらを困らせる冗談をいう。
「七日のお休みを頂いたのでございますが、私などに、なんの面白いことがございましょう。でも、初瀬の山で、思いがけぬかたにお会いいたしました」
「誰だね、それは」
と源氏は尋ねたが、右近は口を噤《つぐ》んだ。
ここで姫君の話をするのは不用意であった。紫の上は、そのいきさつを知らぬはずである。姫君のことをいうとなれば、その昔の、源氏と夕顔の恋からはじめなければならぬ。
(大臣《おとど》のお耳に、そっと申上げるにしても、あとで上《うえ》がお聞きになれば、私が隠し隔てをした、とお思いになるかもしれないわ……)
慎重で考えぶかい右近は、そんな懸《け》念《ねん》をして、
「そのうちに申上げます」
といっているうちに、女房たちが参上したので、そのままになった。
灯《ひ》が入った。
源氏と紫の上とがくつろいで並んでいるさまは、みとれるばかりだった。
紫の上は二十七、八、女盛りの美しさで、
(里下りをしていた、しばらくのあいだでさえ、またあでやかさが増されたような気がするわ……)
と右近はしみじみ思った。かの姫君を、ほんとうにめでたいご器量だと思ったが、やはりこうして拝見すると、上《うえ》の方が格別にすぐれていらっしゃる、女人の美しさというものは、幸・不幸の境遇で、それぞれ差が出来てくるもの、
(上《うえ》のお美しさは、殿のゆたかなご愛情で花開かれたにちがいないわ……)
などと、右近は思ったりするのだった。
源氏は寝ようとして、脚を右近にさすらせていた。
「若い人はこういう役を面倒がってね。やはり、年寄りは年寄り同士、気ごころが知れていいよ」
と源氏が戯れていうと、若い女房たちはくすくすと笑っていた。
「そんなこと……誰も面倒がったり、いたしますものか、殿のご用ならば」
「そうよ。ただ、殿は返事にこまるようなご冗談ばかりおっしゃるのですもの。みんなつい、警戒いたしますのよ」
などと、笑いさざめいている。
「年寄りは年寄り同士といっても、これまた仲よくしすぎると、上《うえ》のお気にさわるのだろうな。気むずかしい方だからな」
などと右近にいって源氏は笑っていた。男の愛嬌《あいきょう》があって、粋《いき》な風《ふ》情《ぜい》である。
今は太政大臣だが、公務も多忙というわけではないので、気楽な日常である。冗談も気軽にいい、人々の応酬や反応を源氏はたのしむゆとりがあった。
そういう中年男の源氏にとって、手ごたえがあって面白いのは、やはり若い女より、右近のような中年女である。
「さっきの話だが、会ったというのは誰だね。尊い坊さんでもくどいて駈《か》け落ちしてきたのかね」
などと源氏は冗談をいう。
「まあ人聞きのわるいことを仰せられます。まじめな話なのでございますのよ――あの、はかなく世を去られた夕顔の君の忘れがたみのかたに、めぐりあったのでございます」
「何だって。ほんとうか」
源氏はおどろいて、
「この年ごろ、どこにいたのだね」
と聞いた。
右近は、あまりに率直にいうのも、人の耳もあることではあり、姫君のためにも……と考えて、
「都はなれた、さびしい山里にお住みでございました。昔の人たちもかわらずにお側《そば》に仕えておりました。あのころの思い出話をして悲しゅうございました」
などと話した。
「よし、わかった。この話はそこまでだ。事情をご存じない方もいらっしゃるからね」
と源氏が隠すようにいうと、紫の上は、
「わたくしのことならご遠慮なく。眠いんですもの、なんにも耳にはいりませんことよ」
と、袖《そで》で耳を掩《おお》っていた。
「どんなかただった。昔の夕顔にも劣らぬくらいかな」
と源氏はやはり、聞かずにいられない。
「かねて、あれほどではおありになるまいと存じていましたが、この上なくお美しくて、亡き御方よりもすぐれていられました」
「それはすばらしいな。どんな程度だろう。たとえば、この上《うえ》とではどうだね」
「まさか。それほどまでは。でも、かなり」
右近がいうと、源氏は、
「得意そうだな。何にしても、この私に似ていれば、そう見苦しくないはずだよ」
と、わざと実の親らしく源氏は言いなすのだった。
源氏は、あとで、右近一人を呼んで、くわしく話を聞いた。そして、
「姫君を、ここへ移そう」
といった。
「長い年月、あの忘れがたみのことを思って心にかかっていた。やっと見つかったのが、何とも嬉しいよ。居所がわかった上は、早く会いたい。父君の内大臣に知らせる必要なんか、ないよ。大勢の子たちがいてにぎやかにしていられる中へ、数にも入らぬ身で、今からその中へ入るのは、気苦労がいろいろ多いだろう。かえって、来なければよかった、と思うこともあるにちがいない。
それより、私のもとへ引き取られる方が、ずっと姫君には幸福だよ。
私は、このように子供が少なくて淋《さび》しいから、思いもかけぬ所から娘を探し出したというように、世間には言いつくろおう。世の好《す》色《き》者《もの》の貴公子たちが、心を寄せて恋いこがれるような娘にして、大切に育ててみたいよ」
などと、話した。右近は、姫君のためにうれしくて、
「殿のおはからいにお任せいたします。内大臣さまにお知らせ申すにしましても、殿のほかに、どなたがお耳に入れて下さいましょう。はかなくみまかられた亡き御方の代りに、姫君をどうかしてお幸わせにしてあげて下さいまし。殿の罪ほろぼしというものでもございましょう」
「おい、それはどういうことだね。お前は、あの夕顔のために私をいつまでも責めるのだね」
と源氏は微笑しながらも、涙ぐんでいた。
「あわれに、はかない契りの女人《ひと》だった。今も、忘れることができない。この六條院にいる女《ひと》たちの、だれを思いくらべても、あの夕顔ほど思いつめた女《ひと》はなかった。永らえて、私の心の変らぬのを見とどけた女《ひと》は多いのに、なぜ、あの女《ひと》は、早く逝《い》ってしまったのか。かたみとては、右近ばかり残されて、お前を見るたびに、夕顔を思い出していたのだ。そのわすれがたみを、ここへ引きとることができれば、ほんとに、長い年月の空虚が充《み》たされる気がするだろう」
源氏は、姫君に、手紙をまず出したい、と思った。
源氏は、夕顔の娘については、期待と不安が半々だった。夕顔に似ていれば美人だろうが、筑紫のような田舎で育って、無教養で風情のない田舎娘になってはいまいか、とのおそれもあった。
あの末摘花《すえつむはな》のこともあるから……。あの姫君の、高貴な身分と由緒《ゆいしょ》ありげな荒廃した邸の趣きに心そそられて、わがものにしてみたものの、よく知ってみれば、姫君は思いのほか、情趣に乏しく、がっかりさせられた、にがい経験があるのだ。
手紙の返事を見て、どの程度の人となりか、まず知りたいと源氏は思うのだった。
源氏はまじめにこまごまと、親のような思いやりを示したやさしい言葉をつらね、
「二人の仲の縁《えにし》の深さをあなたはご存じない。水の辺に生えている、三《み》稜草《くりぐさ》の筋《すじ》のように、絶えせぬ筋が、あなたと私を、ひそかにつないでいるのです」
と結んだ。
右近がそれを持って姫君の宿へゆき、自分も口を添えて源氏の意向を伝えた。
源氏から姫君や女房たちへ、贈り物の装束がさまざまもたらされた。紫の上にも相談したらしく、御匣殿《みくしげどの》(裁縫所)で出来た衣類をとり寄せ、色合いや仕立ての、殊によいものを選んで贈ったので、田舎に長くいた人々の眼にはなおさら、すばらしく見えるのだった。
しかし姫君にはそれも嬉しくなく、心苦しいばかりだった。
「こんなにりっぱなものを頂くよりも……しるしだけでもいいわ、これがほんとうのお父さまからのお気持だったらどんなに嬉しいでしょう。なぜまた、見も知らぬ方のお邸へ引き取られなければいけないの?……お邸の方々と、どうやっておつき合いすればいいの?」
と辛そうだった。
「そうお思いになるのも尤《もっと》もでございますけれど」
右近は、姫君が、しっかりした、自分の考え、意志を持っている人柄なのに好意を持った。(この姫君は、人形ではいらっしゃらないわ)と思うのも嬉しかったが、
「でも、ここはやはり、お招きに応じて、あちらへお引き取られなすったほうがおよろしいと存じます」
乳母や女房も、口々にすすめた。
「源氏の大臣《おとど》のお邸で、お姫さまがりっぱなご身分になられましたら、自然とお父君さまのお耳にも入り、親子の名乗りをなさる日もまいりましょう」
「親子の契りは絶えるものではございませんよ」
右近もいった。
「私などのような数ならぬ者さえ、神仏のご加護があって姫君にお目にかかれたではございませんか。双方ともお達者でおいでになれば、そのうちには必ず、お父君さまともお会いになれますわ」
と、口々に、慰めた。
ともかくもお返事を、と強《し》いてすすめると、
「いやだわ……田舎びた字なのに……」
と姫君は恥ずかしく思ったが、仕方なく乳母が出して来た唐《から》の紙の、香《こう》ばしく薫《た》きしめたのに、したためた。
「縁と仰せられますが、数ならぬ身のわたくしなどがなぜ。
三稜草の浮き根のように、なぜ私はこの憂き世に生まれて苦労するのでございましょう」
墨色もほのかな、手紙だった。
筆蹟はまだ頼りなく、固まっていなかったが、上品で見苦しくなかったので、源氏は安心した。
姫君を住まわせるべき所を源氏は考えたが、南の区画《まち》の紫の上のいる所には、空いている棟はなかった。ここは晴れがましくいつも賑《にぎ》わって人の出入りも烈しかった。
中宮のお住居の一画は、のどやかでいいのだが、ここへ姫君を住まわせると、中宮にお仕えする女房にまちがわれて気の毒である。
そこで、すこし陰気だが、東北の、花散里《はなちるさと》の住居の、西の対《たい》は文《ふ》殿《どの》(図書室)になっている、それをよそへ移して、そこへ姫君を住ませようと思った。相住みする花散里は、つつしみぶかい、やさしい人柄の女人《ひと》なので、仲良くできていいだろうと源氏は考えた。
紫の上にも、いまはじめて夕顔との昔の恋を物語った。
「まあ……そんなに深くお心にかくしてらしたことが、おありでしたの? わたくしにはちっとも打ちあけて頂けなかったのね」
と紫の上は怨《うら》んだ。
「それは無理だよ。生きている人のことでも、聞かれないことは言えないよ。まして亡き人のことだからね。――こんなついでに隠さず打ちあけるのは、あなたを特別に思っているからだ」
源氏は夕顔のことを思うと、いまもなお愛《あい》憐《れん》の念に胸はしめつけられる。
「自分ばかりでなく、他人の身の上でも多く見て、つくづく思い知らされたことがある。女というものは、愛がなくても、嫉《しっ》妬《と》や執念の烈しく深いものだ、ということをね。だから自分は色恋に足を取られまいと、いましめてきたが、その決心も守りにくくて、ずいぶん、いろんな女《ひと》とかかわりを持ってきたものだ――。しかしその中でも、あの夕顔ほど可愛くてならぬ女はいなかった。いまも生きていたら、北の町に住む明石の上と同じくらいに愛さずにはいなかったろうね。それにしても、人の性格は十人十色だが、夕顔は才気があって感心させるという点では劣っていたが、上品で可憐で、愛らしかった」
紫の上は、かくも源氏の心を占めて死んでしまった夕顔よりも、生きている明石の上に嫉妬していた。
「何かの例には、あのかたを引き合いに出されるのですね。それじゃきっと、生きていらしても、明石の上ほどにはお愛しにならなかったと思いますわ」
紫の上は、心の底では明石の上をいつも意識せずにはいられない。しかし、そばで小さな姫君が、ほんとにあどけないようすで、無邪気に二人の話を聞いているのが可愛らしくて、
(何といっても、こんなお子まで出来た仲だもの。前世の深い宿縁があるのだわ、あのひとをお愛しになるのも無理はないわ)
と紫の上は思い直すのだった。
これらは九月のことだった。姫君の移転は簡単に運ぶものではなかった。まず、適当な女童《めのわらわ》や若い女房など、お付きの人々を探さなければならない。筑紫では京から下ってきた人々などを、つて《・・》を求めて呼び集め、仕えさせていたが、あわてて出立《しゅったつ》するときにみな置いてきたので、今は、はかばかしい女房もいない。
それでもさすがに京は広い。市《いち》女《め》というようなものに頼んでおくと、適当な人を探して連れてきてくれるのだった。
姫君の素性をいわずに、まず右近の里の五條にそっと移し、女房たちを選んで、衣裳《いしょう》も整え、十一月に六條院に移った。
源氏は、花散里に姫君のことを頼んだ。
「昔、愛した人が、私の訪れないのを悲しんで山里に身を隠してね。小さい姫もいたものだから、ひそかに探していたのだが、とうとう年頃の娘になるまで行方が知れなかった。それが思いがけぬ所から、ありかがわかってこちらへ呼び寄せたのですがね。――母も亡くしている子なのですよ。夕霧の中将の世話をお願いしているのだから、ついでにこの姫も面倒を見て頂けないだろうか。田舎育ちだから洗練されないことも多いでしょう。何かにつけて、教えてやって下さい」
「まあ。そんな方がおいでとは存じませんでした。姫君がお一人きりでお淋しいと存じておりましたのに、それはほんとうによろしゅうございましたこと」
と、花散里はおっとりといっていた。
「その母親は性質の素直なやさしい女でした。あなたのお気立てに似ている。安心してお預け出来るように思うから」
源氏がいうと花散里は心から喜ばしげだった。
「母親代りにお世話できることがあまりなくて、つれづれでございましたの。姫君のお世話は、私こそ嬉しゅうございますわ」
と、いそいそして、楽しみにしていた。
六條院の女房たちは、源氏の姫君とは知らずに、
「どんな方をまた連れてこられたんでしょう。古馴染みをあちこちから探されるのが、よくせきお好きなのねえ」
と陰口を利《き》きあっていた。
姫君は車三輛《りょう》ばかりで六條院へ移ってきた。供人の身なりなども、右近がついているので野暮《やぼ》ったくなく、美しく仕立てていた。源氏からは、引越し祝いとして、姫君に、綾《あや》やそのほか、美しい織物を届けられた。
その夜、さっそく源氏は姫君のところへいった。
姫君や乳母、女房たちは、かの噂にたかき光源氏を、はじめて見たわけである。姫君の乳母子《めのとご》の女房、兵部《ひょうぶ》の君など、昔から光源氏の名は聞いていたけれど、長年の田舎暮らしに、いつしか関心も薄くなっていた。いまほのかな灯のもと、几帳《きちょう》の隙《すき》間《ま》からはじめて源氏の美貌を見て、恐ろしいようにさえ思うのであった。
右近が源氏のために妻戸を開けると、
「何だかまるで、恋人に逢いに忍んできたようではないか」
と源氏は笑って、廂《ひさし》の間《ま》に座をしめた。
「灯が仄暗くて、胸がときめくね。――親の顔はなつかしいものというが、あなたはそう思われませんか」
と几帳を少し押しやった。
姫君はどうしていいかわからぬほど恥ずかしくて、顔をそむけている。源氏はその様子が感じのいいのに嬉しくなって、
「もう少し明るくしたらどうだ。思わせぶりに暗すぎるよ」
というと、右近が燈芯《とうしん》をかき立て、燈台を姫君の方にすこし寄せた。
「恥ずかしがりなんだね」
と源氏は笑う――なるほど、昔の夕顔に似ている目もとの美しさだった。源氏は他人行儀でなく、親らしい言葉遣《づか》いでいうのだった。
「長い間、あなたの行方が知れなくて心配したよ。こうして会っていても夢のような気がして、昔のことが思い出され、悲しくなる」
源氏は、さながら夕顔を目の前に見る心地がして涙ぐんだ。姫君の年を数えて、
「親子で、こうも長く会わなかった例はほかにもないだろうね。恨めしい宿縁というべきでしょう。……どうしたの? あなたももう子供ではないのだから、恥ずかしがってばかりいないで、これまでの積もる話も聞かせておくれ。なぜ黙っているの?」
源氏がやさしくいうと姫君は恥ずかしく、
「三つで筑紫へ行ったのでございますもの。何もかも夢のように日がたちました」
と仄かに答える声が、昔の夕顔によく似て若々しい。源氏は微笑して、
「あなたが苦労した分を、私がこれから幸せにしてあげようね」
といって立った。源氏は、姫君の美しさにも、怜《れい》悧《り》そうな様子にも満足していた。
姫君が難のない女人であったことを源氏は嬉しく思って、紫の上にも話した。
「あんな片田舎で育ったのだから、みっともない風ではないかと軽んじていたのだが、どうしてどうして、予想外にこちらが気恥ずかしくなるような女人だったよ。こんな美しい姫がここにはいると世間に知らせて、この邸へよく遊びに来られる、弟の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などを悩ませてあげたいものだ。風流な色好みたちが、この邸ではまじめくさっているのは、年ごろの姫がいないので張り合いがないのだよ。あの姫を大切にかしずいてみたいな。そうして、男たちがそれぞれ思いを懸《か》けて、目の色変えるのを、じっくり見て楽しんでやろう」
などと源氏はいうので、
「まあ、へんな親もあるものね」
と紫の上は呆《あき》れた。
「それでも父親といえて?――殿方たちを惑わすことをまず考えるなんて、ひどい方《かた》ね」
「ほんとをいうと、あなたを得たときにそうしてみたかったな。あの頃の私が、今のように余裕があれば、ね。若かったから、あと先見ずにあなたを妻にしてしまったけれど、あなたを操って男たちが焦《こ》がれたり、じれたりして苦しむのを見ているのは、面白かっただろうな」
と源氏は笑った。
「まあ。なんてことおっしゃるの」
紫の上は面を赤らめたが、そのようすは若々しく美しい。
源氏は硯《すずり》を手もとに引き寄せ、そぞろ書きの筆を動かしていた。
〈恋ひわたる身はそれなれど玉鬘《たまかづら》 いかなる筋を尋ね来つらむ〉
亡き恋人を慕いつづけるわがもとに、その娘が来たとは、何というふしぎな縁《えにし》の糸でむすばれていることであろう。さながら、玉をつらねた緒《お》のように、おのずと運命が、あの佳人をたぐり寄せた……。
そうだ、あの顔佳《よ》き姫を、これから「玉鬘」と呼ぼう……。
「人生というものは面白いものだな」
源氏が、しみじみとひとりごとをいっているのを紫の上は眺めながら、
(夕顔とかおっしゃった方を、ほんとうに愛してらしたのだ……そういう方の忘れがたみなんだもの、お思いが深いはずなんだわ)
と思っていた。
源氏は息子の中将・夕霧にも、
「長いあいだ行方の知れなかった娘をやっとさがして引き取ったからね。そのつもりで仲よくしなさい」
といった。夕霧にも源氏は真実を打ちあけないのである。
夕霧はさっそく玉鬘の部屋へ赴いた。
「はじめてお目にかかります。ふつつかな弟でございますが、何かの折にはお力に思《おぼ》し召して下さいませ。こちらへお越しの折には、存ぜぬこととは申せ、お手伝いにも上りませんで」
律《りち》儀《ぎ》な夕霧が、実の姉弟と信じて、まめやかに挨拶するので、事情を知っている人々は、気の毒で、たいそうきまりわるい思いをした。
玉鬘たちにとって夢のように豪奢《ごうしゃ》な、六條院での生活がはじまった。
筑紫での住居も、かの地にしては存分の贅《ぜい》沢《たく》をつくしたものであったが、ここへ来てみると、比較することもできぬ、田舎びたものであったと思い知らされた。
六條院の室内装飾や家具調度の、すべて現代風で洗練された趣味のよさ、それに、新しい家族となった、源氏はじめ一家の人々の風《ふう》采《さい》や容貌、たたずまいの美しさ、立派さ。
今にしてはじめて、三條も、大《だい》貳《に》のことをみくびるような気になった。まして大《たい》夫《ふ》の監《げん》の強引な、高圧的な態度は、思い出すさえ身ぶるいされた。
それにしても、よく思い切って筑紫を脱出したもの――ひとえに豊《ぶん》後《ご》の介《すけ》のおかげであった。彼の誠意は姫君も身にしみてわかった。右近もつくづく感じて、豊後の介をほめるのであった。
源氏は、おおざっぱな扱いではゆきとどかぬ点もあるであろうと、玉鬘づきの家《けい》司《し》をさだめ、事務をとらせた。豊後の介も、家司となった。この日頃、田舎から出てきた失業者としてうらぶれていた身が、にわかに晴れがましく時めき、かりにも自分などが出入りできると思えなかった大臣のお邸を、朝夕、自由に出入りする。人を指図し、仕事を取りしきる身になったことを、たいへんな名誉だと豊後の介は思った。これも源氏のゆきとどいてこまやかな心遣いのせいであった。
年の暮れになって、源氏は、玉鬘の部屋の装飾や、新調の衣裳のことなどを、ほかの身分の高い人々、紫の上や花散里や、明石の上などと同じように扱った。
玉鬘は思いのほかに美しくはあったが、何といっても田舎育ち、趣味はすこし野暮ったくはないかと軽くみる気が源氏にはあって、すでに仕立てた衣裳を、彼女に贈ることにした。
そのついでに、模様を織り出した絹の(職人たちが技術の粋を凝《こ》らして織り上げている)細長《ほそなが》や小袿《こうちぎ》に仕立てた色さまざまなのを、源氏は眺めて、
「またたくさんあるものだね。どちらにも公平に分けなくてはいけないな」
と紫の上にいった。そこで紫の上は、邸の御匣殿《みくしげどの》(裁縫所)で仕立てたものも、こちらで作らせたものも、みな源氏のもとへ持ってこさせた。紫の上はこうした衣裳の趣味についても、非常に高度な感覚をもっていて、すぐれた色合いや艶《つや》を染め出させるので、源氏はその点でも彼女に感心していた。
あちこちの擣殿《うちどの》からさし出した擣絹《うちぎぬ》のいろいろを源氏は見くらべ、紫の濃いもの、赤などあれこれ選んで、衣筥《ころもばこ》などに入れさせた。うちぎぬというのは砧《きぬた》で打って、つやつやとさせた絹である。年配の、もの慣れた上臈《じょうろう》などがそばに控えていて、これを誰に、それはかしこに、と源氏の命じるまま、御衣《みぞ》櫃《びつ》に入れている。
紫の上はそれを見ていたが、
「どれも劣り勝りなくよくできていますわ。だから、お召しになるかたのお顔によくお似合いになりそうなのを見立てて、おあげなさいまし。お召しものがその方に似合わないのは見苦しいんですもの」
といった。源氏は笑って、
「そ知らぬふうで、着物の色や柄から人々の器量を推察しようという気持だね。それであなた自身はどれが似合うと思うの?」
「そんなこと、鏡を見ただけではわかりませんわ」
とさすがに、紫の上ははにかんでいた。
紅梅の模様の浮いた葡萄染《えびぞ》め(赤紫)の小袿、それにいま流行《はや》りの濃い桃色の下襲《したがさね》は紫の上のもの……いかにも華麗である。
桜襲《さくらがさね》(表は白、裏は赤)の細長に、つやつやした掻練《かいねり》の絹を添えたのは明石の姫君の春の衣裳で、いかにも童女らしく可愛い。
薄藍色《うすあいいろ》に、波や藻《も》や貝を織り出した、上品ではあるが地味なものに、濃い紅の掻練を添えたのが、花散里。
鮮やかな赤に山吹の花の細長は、西の対の姫君――玉鬘への贈り物であった。紫の上は見ぬふりをしながら、ひそかに心の中でうなずかれる所があった。そういえば内大臣は派手でぱっと目立つ美男だが、繊細ななまめかしさという点はない、そのおん娘だから、その点も似ていらっしゃるかと推察するのだった。源氏が見ると、紫の上はつねならぬ顔色である。
「まあいい、もうやめよう。人の器量によそえて着る物をえらぶなんて、もらった人に腹を立てさせるだけだ。どんなによくできていても物の色には限りがあるし、そこへくると人のみめかたちというものは、どんなにぶ器量でも奥ふかいよさがあるものだ」
そんなことをいいつつも、源氏は末摘花のために、柳の織物(表は白、裏は青)に、上品な唐草の乱れ模様を織り出したものを選んだ。それがあまりになまめかしいので、着る人との対照のおかしさに、源氏は人知れず皮肉な笑みを頬《ほお》に刻んだ。
明石の上には、梅の折り枝、蝶《ちょう》、鳥など飛び違う、唐風《からふう》の白い浮き模様の小袿に、濃い紫を重ねた、高雅でしかもあでやかなもの――それから想像するに、明石の上は趣味よく気品たかき美女なのか。今までの中では最高に洗練された衣裳を与えられている……と、紫の上は、心の中では面白くないのであった。
空蝉《うつせみ》の尼君には青鈍《あおにび》の趣きある織物を見つけた。それに源氏自身のに仕立てられてあった梔子《くちなし》(黄色)の着物、薄紅の着物を添えて贈った。元日にはお召し下さいと、源氏はどちらへも手紙を書いた。それぞれ似合っている姿をみようとの心であった。
春着の贈り物を受けとった女人たちの返事はみな立派で、使者への禄《ろく》もそれぞれ心を遣ってあった。
その中に末摘花は、離れた二條の東の院に住む身であるから、六條院の中の人々よりも、使いの禄など気が利いていなければならないのに、ぞっとしないものを出すのであった。几《き》帳面《ちょうめん》で、形式だけはちゃんとする人なので、出すことは出したが、山吹色の袿《うちぎ》の、袖口のあたりが古ぼけて煤《すす》けたようなものを、襲《かさね》もなく一枚きりであった。
手紙は、ひどく香《こう》をたきしめた陸奥紙《みちのくがみ》の、年代ものになって厚ぼったく黄ばんでいるのに、
「何と淋しいことでございましょう。お越しも頂けず、賜わりものばかりとは。
〈着てみれば うらみられけり唐衣《からごろも》 返しやりてむ袖を濡《ぬ》らして〉」
字はことに古風になっていた。源氏は思わず笑いを忍びかねて手紙を見ているので、紫の上は何ごとかと思った。
末摘花があまりにみすぼらしい禄を渡したので、なんと気が利かぬと源氏は機嫌がわるい。使者の方がきまりわるくなって、そそくさと退《さが》った。女房たちは忍び笑いをしあっている。
全く、末摘花は時代おくれの間の抜けた所があって、なまなかそれなら何もしなければよいのに、人なみに出すぎたことをするので、こちらが恥をかかされるのである。源氏はもてあましてしまって紫の上に愚痴をこぼした。
「いやもう、歌の心得というものをちゃんとわきまえていらっしゃる方だから、かなわないよ。昔風に『唐衣』とか『袂《たもと》濡るる』とかいう言葉を必ず使うものだと思いこんでいる。まあ私などもそのくちだが、歌のきまりをあまり守りすぎると面白おかしくもない。あのかたの亡き父君、常陸《ひたち》の宮のお書きになったものを贈られたがね、作歌の心得がぎっしり書きこんであって、規則によわい私なんか、見ただけであたまが痛くなって返してしまったよ」
「またどうしてお返しになったの。こちらの姫君のために残して下さればよかったのに」
「いや、女が、一事にうちこんでいるのは見苦しい。本性《ほんしょう》がしっかりして、うわべはおだやかに、一応の芸は一通り心得ている、というようなのがいいよ」
紫の上はしかし末摘花が気の毒になって、返事を書くように源氏にすすめた。気のやさしい源氏なので、気やすくすぐ筆をとった。
〈返さむといふにつけても片敷の 夜のころもを思ひやるかな〉
幼なうぐいすの初《はつ》音《ね》惜しまじの巻
雲ひとつない、うららかな元旦となった。
初春の声を聞けば、どんな家の庭も、雪《ゆき》間《ま》の草が緑に萌《も》え、春めいて木の芽も煙り、人の心ものびのびするものである。
まして、玉を敷き並べたような六條院のありさまは、庭園の美といい、女人の館《やかた》のみがきたてたみごとさといい、言葉につくしがたいほどであった。
紫の上の住居《すまい》である春の御殿は、とりわけ梅の香《か》も、御簾《みす》のうちの香と紛《まが》うばかりで、現世の極楽浄土のようである。紫の上は、さすがに源氏の最愛の恋妻でもあり、六條院の北の方として、いまは押しも押されもせぬ存在であるから、ゆったりくつろいで住みなしていた。
仕える女房たちも、若くて美しい人は姫君付きに選び、こちらには少し年かさの、おくゆかしい人々が仕えているのだった。
彼女たちは正月らしく美しい衣裳《いしょう》をつけ、あちこちに集まって「歯《は》固《がた》め」の祝いをしていた。鏡餅《かがみもち》に向って古い和歌の〈万代を松にぞ君を祝ひつる千《ち》歳《とせ》のかげに住まんと思へば〉を歌い、長寿と繁栄を祈るのである。笑いさざめいて祝っているところへ、
「おめでとう。――これはまた、にぎやかだね」
と源氏が覗《のぞ》いたので、女房たちはあわてて居ずまいを正して、
「はしたないことでございました」
ときまりわるがっていた。
「豪勢なお祝いをしているじゃないか。皆、それぞれに願いごとがあるのだろうね。すこし聞かせてくれないか。私も祝ってあげるよ」
と源氏は笑った。――ゆったりとおちついた中年の魅力があって、まず新春に源氏の輝くような微笑を見られるのは、こよない喜びだと、人々は思うのであった。
古参の女房で、源氏とは古馴染《なじ》み、と自負している中将の君が、代表して、
「殿の千歳のおん齢《よわい》を、鏡餅にお祝いしていたのでございますわ。めいめい個人のことなど、どうして祝いましょう」
といった。
元日の午前中は年賀の人々で混雑したが夕方になって、源氏は邸内の女人たちに年賀の挨拶《あいさつ》にゆくため、念入りに身なりをととのえよそおった。何年も仕える女房たちも、その美しい姿に、いつも目を奪われるのである。
紫の上に、源氏はいった。
「今朝、ここの人々が楽しそうに祝い合っていたのが羨《うらや》ましかったよ。あなたには私が、千歳の祝いをしてあげよう」
そして鏡餅に向って、冗談ごとなどまぜつつ「千歳のかげに」と歌って祝った。
「二人の千歳を祝おうね。一人だけ長生きしてもしかたないじゃないか。二人そろってこその幸福だよ。私の幸福は、あなたがいればこそ、だ」
と、紫の上に源氏はささやく。
「わたくしも、よ。いつも一緒よ。一人にしないと誓って下さいね」
と、源氏を見上げる紫の上。ほんとうに、相思相愛の理想的な恋人同士にみえた。そういえば今日は子《ね》の日、この日は小松を引きぬいて千歳を祝うめでたい日なので、永遠の愛の誓いを交すにはふさわしかった。
小さい姫君の部屋に源氏がいってみると、女童《めのわらわ》や下仕えの女たちが、庭の築山《つきやま》の小松を引いて遊んでいた。新年の楽しさに若い人々は弾《はず》んでいるようだった。
北の御殿の明《あか》石《し》の上から、正月のためにわざわざ作らせたらしい贈り物が届いていた。果物や菓子など美しく盛った竹籠《たけかご》や、料理を詰めた破《わり》子《ご》である。美《み》事《ごと》に作った五《ご》葉《よう》の松の枝には、これも作り物の鶯《うぐいす》がとまらせてあって、手紙が結びつけられていた。
「〈年月をまつに引かれて経《ふ》る人に 今日うぐひすの初《はつ》音《ね》きかせよ〉
ながらくお目にかかりませんね。お丈夫でお幸せにご成長なさいますよう祈りつつ、またお目にかかれる日を待っております。どうか、あなたのかわいらしい初春のおたよりを下さいまし」
源氏はそれを読んで瞼《まぶた》が熱くなった。元日に涙は不吉というものの……。
「このお返事は自分で書きなさい。代筆させたりしていい人ではないよ」
と硯《すずり》の用意をさせて、姫君に書かせた。姫君は八つになるのだった。朝夕見なれている人でも、見飽きない気のする、愛くるしい童女だった。それなのに別れてから明石の上には会わせてやっていないのを、源氏は罪なことだと、心痛んだ。
「〈ひき別れ年は経《ふ》れどもうぐひすの すだちし松の根を忘れめや〉
長いことお別れしていても、お母さまのことを忘れはいたしませんわ……」
子供らしく、姫君の返事はこまごま、くだくだしく書いてあるようであった。
源氏は花散里《はなちるさと》のほうへいった。ここは、夏の御殿と呼ばれ、夏の風《ふ》情《ぜい》を主にして作ってあるところだが、早春のいまは時季はずれなので物静かに上品に暮らしていた。
年月のたつにつれ、源氏と花散里の仲は心の隔てもなく、しっくりと寄り添い、理解と信頼が二人をかたくむすびつけていた。今では、花散里のもとに泊まるということは絶えているが、情愛のこまやかさでは、世の常の夫婦以上だった。
間に几帳《きちょう》をへだてて花散里は坐っていたが、源氏がそれを押しやると、そのまま、退《の》きもせず、いる。
年末に源氏の贈った衣裳が、それぞれの女人たちに、どのように似合うか、楽しみにしていた源氏であったが、花散里にかの縹色《はなだいろ》の小袿《こうちぎ》は、なおこの人を地味にみせていた。髪の毛も盛りを過ぎた風情で、少なくなっている。
(かもじを添えでもしたらいいかもしれないなあ。あれは、あまりいい趣味といえないが……)
と、源氏は思っていた。
(ほかの男なら、色《いろ》香《か》も褪《あ》せた不美人として興ざめするかもしれないこの女《ひと》が、自分にはどんなに愛らしく、美しく思えることか……。年月と共に、この女《ひと》の値打ちがわかり、この女《ひと》もまた、心変りしなかった……)
二人の仲は、一種の強い友情とでもいうべきもので支えられている、そういう仲もまた、源氏には理想の男女関係の一つなのであった。
こまごまと、去年の話などを、やさしくし合って、源氏は西の対《たい》へいった。
玉鬘《たまかずら》はまだここに住んで間もないが、それにしては西の対の雰《ふん》囲気《いき》はよかった。かわいらしい女童《めのわらわ》の姿もなまめかしく、女房もたくさんいた。調度なども充分に調ってはいないが、それなりに小ざっぱりと住みなしている。
玉鬘自身も花やかな美人だと源氏は思った。
あの山吹襲《やまぶきがさね》の衣裳がよく似合う、ぱっと花の咲いたような美人で、陰気なところは一つもない。筑《つく》紫《し》からこっち、苦労をしたせいか、髪の先の方がすこし細くなって、さらさらと衣の裾《すそ》にかかっているのも、無垢《むく》な乙女の清らかさにみえた。
(よくもまあ、こんな美しい女《ひと》を、手放さずにすんでよかった。自分が引きとらなかったら、さぞ残念だったろうな。――それにつけても)
と源氏はひそかに思う。
果して、この美しい姫君に、自分は何の野心ももたず、見過ごすことができるかどうか。源氏は自信がない。
こうやって娘分の扱いをして、家族の一員として遇し、へだてなく見馴《みな》れてはいるものの、考えれば二人は他人なのだ。源氏が、実の娘と思うに思えず、ものたりぬ妖《あや》しいときめきをおぼえるのと同じように、玉鬘も、源氏になつきながら、実の父のようにうちとけられない、他人行儀なよそよそしさが、一点ある。
しかし、そのあやうい心理の揺曳《たゆたい》を、中年男の源氏は、ひそかに興じてもいる。
「どうですか。すこしは住みなれましたか。私の方では、もう長いこと、一緒に住んでいるような気がして、満足していますよ。あなたも、もうこの家の人になったのだから遠慮しないで、あちらへもいらっしゃい。琴の手ほどきをうけている小さい人もいますから、一緒に稽《けい》古《こ》をすればよい。みな気立てのいい人ばかりだから」
と源氏がいうと、
「おっしゃる通りにいたしますわ」
と玉鬘は素直に答えた。
夕暮れどきに、源氏は明石の上の方へいった。居間に近い渡殿《わたどの》の戸をあけたときから、御簾のうちに薫《た》きしめた香《こう》の追風がなまめかしく漂って、やはりどこよりも、高雅な風情である。明石の上の姿は見えない。
見廻してみると、机上の硯のあたりは賑《にぎ》やかに草《そう》子《し》などが取り散らしてある。源氏はふと手に取って見たりしていた。唐《から》わたりの東《とう》京錦《ぎょうき》で豪華な縁《ふち》取《ど》りをした茵《しとね》に、よき琴を置き、風流な火《ひ》桶《おけ》に侍従香《じじゅうこう》をくゆらして、あたりのものすべてに薫きしめてある。そこへ、着物に薫きしめる衣被《えび》香《こう》の香りがたちまじっているも艶《えん》であった。
手習いしていたらしい紙がある。明石の上の筆蹟《ひっせき》は、無造作な走り書きさえ、ぬきんでて上品でゆかしかった。当節の女たちがよくやるように草体の仮名《かな》などをことごとしく書き散らしたりせず、無造作な、気取らない美しい字であった。
姫君の返事がよほどうれしかったのか、おさえかねる心のままに、身にしむ古歌など書きながして、
〈めづらしや花のねぐらに木《こ》伝ひて 谷の古巣を訪《と》へるうぐひす〉
明石の上には、何よりの新春の贈り物であったのであろう。源氏はほほえみながら、それを見ていた。自身も筆をとって書き散らしているところへ、明石の上が、いざり出て来た。
豪奢《ごうしゃ》に住みなし、気位たかい女《ひと》であるが、明石の上は源氏に傲《おご》った態度はみせず、つつましく控え目であった。愛に狎《な》れて無遠慮になったりしない聡明さに、源氏はやはり心ひかれる。
源氏の贈り物の、唐綾《からあや》の白い袿に、黒髪があざやかにかかっている。裾がすこし薄くなっているのもなまめかしかった。明石の上の瞳《ひとみ》は、今日は輝いていた。小さい姫君の可愛らしい返事が、心の奥に灯をともしたように、つつましく気位たかいこの女《ひと》に、華やぎを与えていた。
「年を重ねるにつれ、あなたは美しく魅力的になるね――思ったとおり、その白い唐綾は、あなたによく似合う。今夜はこちらに泊まるよ」
「……新年早々では、対の上はどう思《おぼ》し召すことやら……」
明石の上は源氏の腕の中で絶え絶えに答えたが、切れ長の瞳はつややかな情感にうるんだ。
源氏は、明石の上のもとで泊まるつもりで来たのではなかったが、艶な情趣に負けてしまうのも楽しかった。明石の上とのあいだが、そういう緊張した関係であるのも源氏には面白かった。
紫の上の不快を思わぬでもなかったけれど――。
それでもさすがに、まだ明けきらぬころ、南の対に帰っていった。明石の上は、こんなに早く帰らないでも……と、源氏の去ったあと、よけい物思いが深まる気がした。
紫の上は、果して、機《き》嫌《げん》が悪そうである。
「うっかりうたたねしてしまった。若い者のように眠りこけているのを、誰も起こしてくれないものだから」
と弁解がましくいっているのを、女房たちはおかしがっていた。紫の上は返事もしないので、源氏は面倒に思って、そら寝入りをし、日が高くなってから起き出した。
正月二日は臨時客の饗応《きょうおう》がある。それにまぎらして、源氏は紫の上と顔を合わせないでしまった。
上達《かんだち》部《め》や親王《みこ》たちもいつものように残らず来られる。管絃の遊びがあって、引出物・禄《ろく》など、六條院らしい贅《ぜい》を尽くしたものが用意されてあった。
あまたの貴族があつまる中でも、源氏ほどの容儀風采《ふうさい》の人はいないのであった。一人一人をみればそれぞれすぐれた公達《きんだち》であるが、源氏の前へ出ると、光を失うようにみえた。
つまらぬ下人でさえ、この六條院へくるときは、ことに気を配るのだった。まして上達部の青年たちは、近ごろこの邸《やしき》に養われているときく深窓の姫君のために心あこがれ、緊張しているさまなど、いつもの年とは違っていた。
花の香をさそう夕風がのどかに吹き、庭の梅もほころびはじめる。
たそがれどきになるにつれ、管絃の調べもおもしろく、興がたかまってゆく。拍子も花やかに催《さい》馬楽《ばら》の「この殿《との》」が謡《うた》われるのであった。
〈この殿は、むべも富みけり、三枝《さきくさ》の、あはれ、三枝の、はれ、三枝の、
三つ葉四つ葉の中に、殿造りせりや、殿造りせりや〉
源氏も時折、声を添え、「三枝の」という部分などことに微妙にふし面白く聞こえた。源氏が加わると、何ごともにわかにいきいきと活気を帯び、光り輝くように思われるのだった。
六條院は広大であるから、このにぎわしさを楽しめるのは、南の対の紫の上のみであった。離れた棟《むね》に住む女人たちは、歓楽の宴のどよめきや、馬・牛車《ぎっしゃ》の行き交う物音を遠くに聞きつつ、まるで極楽浄土にいながら、開かぬ蓮《はす》の蕾《つぼみ》の中に閉じこめられている気がして、物足らなかった。
まして、離れた二條の東の院に住んでいる人々は、年月のたつにつれ、つれづれに寂しかったが、俗世を離れて山里にかくれ住んでいると思えば、それもまた、よき生活であった。源氏の訪れないのを怨《うら》むような、なまなましい感情もすでに消失している。暮らしむきの心配はないので、空蝉《うつせみ》は、尼として仏道修行に励み、末摘花《すえつむはな》は、仮名文字の草子の学問に没頭するという風で、それぞれ好みのままの趣味生活を送っていた。源氏は大きな庇護《ひご》の翼で彼女たちをはぐくんで、安らかな人生を提供してやっているのである。
新年の騒がしさがすこしおちついた頃、源氏は二條院の東の院を訪れた。
末摘花は、何といっても常陸《ひたち》の宮の姫君という身分なので、源氏は人前だけでも鄭重《ていちょう》に取り扱う風をみせるのだった。
末摘花も若盛りをすぎ、かつてこれだけは、どんな人にも劣らなかった美しい黒髪も、はや抜け落ち、おびただしい白髪がまじっていた。
源氏は気の毒で、まともに見ていられない。
彼女に贈った柳襲《やなぎがさね》の小袿は、あのとき思ったように、やはり似合っていないが、ありていにいえば、着手《きて》が悪い、とでもいうべきであろう。艶《つや》も失《う》せて黒ずんだ掻練《かいねり》の、さわさわと音のするほど糊《のり》のきいた衣を一枚着て、その上に柳の織物の小袿を着ているのだが、ひどく寒そうで、みるからに哀れである。
普通なら、掻練の下に、袿を幾《いく》重《え》もかさねて着るものであるが、袿は、なぜ着ないのであろうか……。
鼻の色ばかり、これは霞《かすみ》にも紛れるまいと思われるほどしるく、真ッ赤になっている。
源氏はためいきを洩《も》らしてわざと几帳を引き寄せ、二人の間の隔てとした。
かえって末摘花の方が、源氏に対して羞《は》じらいを失っていた。いまは、かくも長いこと心変りせず面倒を見てくれる源氏の大きな愛情に甘えて、安心していた。昔はあんなに臆病で内気で、恥ずかしがりであった人が、いまはすっかり源氏に狎《な》れて、うちとけ、ひたすら頼りにしているのも、源氏にはあわれであった。
そういう幼稚なあわれさ、ふつうの女人《ひと》より一拍《いっぱく》ずれたのを自分でも気付かぬ物悲しさが、末摘花にはある。
(自分が先々まで面倒をみてあげなければこの人はどうなることか。決して見捨てまい)
と源氏はひそかに思う。男の誠意、というよりも、彼の天《てん》賦《ぷ》の優しさのせいなのだろう。
源氏のそんな心も知らず、末摘花は何かと話していたが、ひどく寒そうで、声もわなないているのであった。源氏は見るに見かねて、
「お召物などの世話をする人はいますか。人も来ない気楽なお住居だから、恰好《かっこう》などかまわず、くつろいで、柔かい綿入れでも着ていらっしゃるがいい。体裁《ていさい》をつくろって薄着をしていらっしゃるのは、よくないですよ」
と、現実的な日常の注意までするのである。末摘花はさすがに恥ずかしそうに、ぎごちなく笑った。それは皺《しわ》の多い、盛りすぎた女の笑顔である。
「醍《だい》醐《ご》の阿闍梨《あざり》の君のお世話をいたしておりまして、自分の縫物にまで手が廻りませんものですから……。皮衣《かわぎぬ》まで借りてゆかれまして、寒うございます」
というのは、これも赤鼻の法師の、兄君のことだった。女人の素直なのはいいというものの、あまりに裏も表もない。少しはみば《・・》よく、言いつくろった方が女らしいのに……と源氏は思うが、彼女のもとへくると、源氏はすっかり色気ぬきの、実直な人間になっている。
「皮衣はそうなさった方がよかった。修験者《しゅげんじゃ》の蓑《みの》にちょうどいい。それよりあなたはもっと着物を重ねて着なさいよ。白い衣なら惜しげがないから何枚でも重ねなさい。入用のものがあれば、私の忘れているときは催促して下さい。私もぼんやりしている上に、ゆきとどかぬことが多く、ついあちこちの雑用にとりまぎれてしまうものでしてね」
と源氏はいって、向いの二條院の倉をあけさせ、絹や綾をとり出して末摘花に与えた。荒れたというのではないが、男のあるじの住まぬ所とて、どことなく沈滞して物さびしかった。庭の木立だけは面白く、紅梅も咲いているが、賞《め》ではやす人もない。
〈ふる里の春の梢《こずゑ》にたづねきて 世の常ならぬ はなを見るかな〉
と源氏は口ずさんだが、末摘花にはなんのことか、わからなかっただろう。
空蝉のところも源氏は尋ねた。この人は得意顔にする人ではなく、小さな部屋にひっそり住み、母屋のほとんどを仏間にして、ひたすら勤行《ごんぎょう》につとめていた。経巻、仏具の飾り、何でもない閼伽《あか》の道具なども、ゆかしく、趣味よく、上品な人柄がしのばれた。
青鈍《あおにび》の、喪の色の几帳もしみじみなつかしい感じである。佳《よ》き女《ひと》は几帳のかげに深くかくれて、ただ年末に源氏の贈った衣の、梔子《くちなし》色の袖口《そでぐち》だけが仄《ほの》かにみえるのだった。
「尼姿のあなたを、遠くから思うだけで、訪ねるべきではなかったかもしれませんね」
源氏は胸いたく、つぶやいた。
「思えば昔から、悲しいめぐり合せの二人でした。しかし、こうやって時折、話を交すことのできる縁が、つづいているだけでも、私は嬉しいのですよ」
尼君の空蝉も、さまざまな感慨が胸にあふれた。
「あなたさまに、こうしてお頼りする運命になりましたのも、浅からぬ前世の因縁《いんねん》でございましょうね」
「あのころの恋の罪の報いを、あなたはみ仏に懺《ざん》悔《げ》しておいでなのでしょうか。いとおしいと思います。しかし、今ではお分りになったでしょう……男というものは私のように純情な者ばかりでもないということが。あれからのあなたの人生で、思い知られる機会がおありだったのではありますまいか」
そういわれると、女も、昔、継《まま》息子《むすこ》のよこしまな恋に苦しめられたことを源氏は知っているのかとはずかしく、やるせなくて、
「こんな尼姿を、お目にかける以上のつらい報いが、どこにございましょうか」
と泣いた。
昔よりもいっそう、しっとりとした情趣が深まって、源氏は捨てがたく心ひかれるが、もとより尼になった人に浮かれごとをいいかけるわけにもいかなかった。いろいろな世間話を交しながら、せめて末摘花も、これぐらいの話相手になってくれれば、と思わずにはいられなかった。
こんなふうに源氏の庇護で生きている女人は多かった。源氏はひとわたり訪れてやさしい言葉をかけた。どんなにでも傲慢《ごうまん》になり得る現在の源氏の身分であるが、思い上らず、ほどほどにつけてどの女人にもやさしくするので、みな、そのやさしさに慰められて、年月を送っていた。
今年は男踏歌《おとことうか》がある。これは正月十五日、若殿ばらがうち連れて催馬楽を謡いつつ、貴人の邸を巡回する行事であった。
行列はまず、御所から朱《す》雀院《ざくいん》に参り、ついで六條院に来た。道が遠いので、六條院へ着いたころは夜あけがたになっていた。月が明るくさし、薄雪の少し降った美しい庭で行なわれる踏歌は見ものであった。
殿上人《てんじょうびと》に音楽の上手な人の多いこの頃のこととて、笛の音《ね》も殊更《ことさら》、面白い。源氏は紫の上はじめ女性たちに見せようとて、席をもうけていた。玉鬘ははじめて南の対へ来て、小さい姫君に対面した。紫の上も、几帳を隔てて話をした。
月は凄《すご》いまでに冴《さ》えわたり、雪の積んだ庭に松風は吹きおろし、踏歌の青年たちをあでやかにみせる。夕霧の中将、内大臣の子息たちが、ことに目立って花やかにみえた。
夜はほのぼのと明けてゆく。雪が散って寒い中に「竹河」を謡いつつ舞人《まいびと》の袖ふる姿、のびやかな歌声、それに、なみいる女人たちの、御簾《みす》の下からこぼれ出た美しい袖口のさまざまな色合い、この世のものならぬ優美なみものだった。
源氏は息子の夕霧の歌が風流でみごとなのを喜んだ。息子は実直な官吏に仕立てようと志していたが、やはりひとかどの教養人として芸術にも通じていて欲しいと願っていた。夕霧は風流をも解する公達であるようだ。源氏は息子に満足して可愛く思った。
春の夜の夢に胡蝶《こちょう》は舞うの巻
三月の二十日すぎ――もう春も闌《た》けようという頃なのに、ここ六條院の春の御殿の庭は、いまなお、盛りの美しさだった。ほかの御殿の人々は、庭の木立や、池の中島や花園の匂《にお》やかさなど、遠くかいま見てあこがれていた。
源氏は、それで思いついて、かねて造らせてあった唐風《からふう》の船を、彼女たちのためにいそいで装飾させ、池におろすことにした。はじめて船を池に浮べる日は、雅《う》楽寮《たづかさ》の人を召して船楽《ふながく》を奏せさせた。親王たち上達《かんだち》部《め》なども大勢、来られた。
中宮は、このごろ、ちょうどお里帰りしていられる。いい折なので、源氏は春景色をお目にかけてお慰めしたいと思ったが、ご身分がら、中宮はそれもお出来になれない。同じ邸内ではあるが、おついでもないのに軽々しくあちこちとお歩きになることはできないのであった。
それゆえ、こんな風な遊びごとや、美しいものを見るのが大好きな、感激しやすい、若い女房たちだけを、船でこちらへよこされた。
南の池は春のお庭と通じているが、小さい山が間にあって、庭をへだてている。船はその山のさきを漕《こ》ぎまわって春の御殿へ着くのであった。
紫の上のほうでは、東の釣殿《つりどの》に、若い女房たちを集めていた。彼女たちはここから乗りこむ。
龍頭《りゅうとう》・鷁首《げきしゅ》の船を唐風に飾りたて、楫《かじ》とりの童《わらわ》も、棹《さお》さす童も、髪はみな、みずらに結《ゆ》わせ、唐風の装束をさせてある。
そんな船に乗りこんで、大きな池の中に漕ぎ出したときは、若い女房たち、殊に春の御殿をはじめて見た中宮方の女房たちは、まるで夢の国へでも迷いこんだようにうっとりした。
中島の入江の岩かげに船を漕ぎよせてみると、何げない石のたたずまいもおく床《ゆか》しく、あちこちの梢《こずえ》は霞《かすみ》に煙っている。
ここからは春の御殿の庭がはるばると見わたせた。青々と緑の糸を垂れた柳、紅い霞のような花々。よそでは散った桜も、ここではいまが盛りだった。渡殿《わたどの》をめぐる藤も、濃紫《こむらさき》の花房をゆたかに垂れ、澄んだ池水に映る山吹は岸に咲きこぼれていた。
水鳥はつがいを離れず、幾組も池に浮んでいた。細い枝をくわえて飛びちがうさま、鴛《おし》鴦《どり》の波の綾《あや》に模様を置いたようにみえるさまなど、さながら絵に描きとりたいようだった。
「時を忘れますわね、こんな所にいますと」
「ほら、不老不死の仙境という蓬莱山《ほうらいさん》とやらは、こんな景色ではないでしょうか」
「蓬莱山は、この船の中のことではなくて?」
と女房たちは夢中になって楽しんだ。心あこがれるままに彼女たちは歌を詠《よ》んだが、ここでは、そのうちの一首だけを書きとどめることにしよう。
〈春の日のうららにさしてゆく舟は 棹のしづくも花ぞ散りける〉
夕ぐれになって皇ー《おうじょう》という祝賀曲が、まことに面白く聞こえてくるので、まだ興奮のざわめきのうちに、船は釣殿にさしよせられて、人々は下りた。この釣殿は簡素だが、上品な造りであった。そこが、若い美しい女房たちでいっぱいになった。中宮方、紫の上方の女房たちの、それぞれ「われ劣らじ」と華美をつくした衣裳《いしょう》、顔かたち、さながら水上に浮んだ一つの大きな花束のようであった。
夜に入っても歓は尽きず、庭に篝火《かがりび》を焚《た》き、正面の階《きざはし》の下の苔《こけ》の上に楽人《がくにん》を召し、上達部や親王たちもみなそれぞれ、お得意の楽器をとられて合奏がはじまった。専門家の楽人たちの、殊にすぐれた人々が双調《そうじょう》を笛で吹き、それを待ちうけて堂上の人々は琴をはなやかにかき鳴らして迎え、歌い手は、催《さい》馬楽《ばら》の「安《あ》名尊《なとうと》」を謡《うた》った。
その楽の音《ね》色《いろ》は春の夜空に吸われてゆく。何もわからぬ一般の下人《しもびと》たちまで感動して、六條院の門のあたり、ぎっしり立ち並んだ馬や牛車《ぎっしゃ》のあいだにまじり、聞き入っていた。
夜もすがら、音楽会はつづいた。呂《りょ》から律《りつ》に調子が変り、喜春楽《きしゅんらく》となると、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は催馬楽の「青柳《あおやぎ》」を繰り返しみごとに謡われる。源氏も声を添えた。
やがて夜もあけた。中宮ははるか離れた御殿で、この世のものならぬ楽の音《ね》を、うらやましくお聞きになっていられた。
しかし実をいえば――見ぬものに心あこがれ、ゆかしく思っていられるのは中宮ばかりではないのであった。春の宴に招かれた青年貴族たちは、みな、この邸《やしき》の西の対《たい》にあらたに迎えられたと聞く姫君・玉鬘《たまかずら》に、心焦《こ》がしていたのである。
いつも魅惑的な六條院ではあるが、今まで青年たちのあこがれをそそる、妙齢の姫君のいないことだけが物足らなかった。それゆえ、西の対の姫君の美貌や、源氏がねんごろに世話をし、大切にしている有様などが世間の噂《うわさ》になると、(源氏の予想にたがわず)男性たちが関心を寄せはじめたのである。
自分こそ、と自負している人は、女房に手《て》蔓《づる》をもとめて手紙を送ったり、あからさまに意中をうちあけたり、しはじめていた。しかし、ひそかな思慕を胸に抱いて、口に出せない若い公達《きんだち》もいるようであった。その公達の中には、内大臣の長男、中将・柏木《かしわぎ》もいた。
彼は事情を知らないままに、玉鬘が異母姉とは夢にも思わず、思いをかけているのであった。
兵部卿の宮もまた、北の方を失われてこの三年ばかりは寂しい独身生活をしていらしたので、熱心に求婚していられた。今朝も、ひどく酔ったふりで藤の花を冠にさし、なまめいた乱れ姿をしていられるのが面白い。源氏は思う通りにいったと心の中で思ったが、強《し》いて知らぬふりをしていた。
盃《さかずき》を廻されると宮はご迷惑な顔色で、
「酒はもうお許し下さい、ほんとは、このお邸にあこがれの君がいらっしゃらなかったら、とっくにもう、退出していた所なんですよ」
と拒まれる。たわむれのように、
「あこがれの君のためには、浮名が立っても惜しみませんよ」
源氏は微笑を抑えかねた。
「そのご執心がほんものかどうか……」
宮は源氏にひきとめられてお立ちになれない。今朝のお遊びは常に増して興深かった。
今日は中宮の御《み》読経《どきょう》のはじめの日なのであった。これは春秋の二季に、四日間にわたり大般若経《だいはんにゃきょう》をよませられるものである。来客たちは昨夜の宴からひきつづいてなので、そのまま自邸に帰らず、六條院の一間を休息所に借りて、正装の束帯《そくたい》に着かえる人が多かった。障《さわ》りある人は、六條院から帰った。
正午ごろ、一同、中宮の御殿に参上する。源氏をはじめ、殿上人《てんじょうびと》はみな座についた。源氏の威勢で、すべておごそかにも華やかな法《ほう》会《え》となった。
紫の上から御供養として、仏に花が奉られたが、この献花のありさまも絵巻物のようであった。
美少女たち八人に、鳥と蝶《ちょう》の衣裳を着せてある。鳥には銀の花瓶《はながめ》に桜をさしたものを、蝶には黄金《きん》の瓶《かめ》に山吹をさしたのをもたせ、池をめぐる船に乗せたのである。紫の上の前庭から船を漕ぎ出し、中宮の御殿の前に出るほどに、そよ風が吹いて、はらはらと桜の花が散った。
うららかに晴れた春の空、霞の奥から花を捧《ささ》げた美少女たちの船が漕ぎ出してくる、その優雅な美しさ、人々の唇から思わずためいきが洩《も》れる。楽の音のうちに少女たちは階の下まできて花を献じた。
行香《ぎょうごう》(香炉を捧げて練る役)の公達がこれを受けとり、仏前にそなえた。紫の上からの手紙は、中将・夕霧の君がたずさえて来て、中宮に奉った。
〈花ぞのの胡《こ》蝶《てふ》をさへや下草に 秋まつ虫はうとく見るらむ〉
(秋をお好みのあなたさまには、春の花も蝶もうとましくお眺めになりましょうか)
というものだった。中宮は、かの紅葉《もみじ》の歌のお返しなのだわ、とにっこりしてご覧になった。昨日の船遊びに招かれた女房たちは、口をそろえて、
「ほんとうに、春の御殿のすばらしさは、秋よりも上かもしれませんわ」
と申上げるのだった。うぐいすの音に、迦《か》陵頻《りょうびん》伽《が》の楽の音が華やかにひびき、鳥舞の少女たちは春の精のように舞う。かわって蝶の少女は夢のようにひらひらと飛び交《か》い、山吹の垣《かき》根《ね》にさながら蝶のごとく舞いに舞う。
中宮の亮《すけ》(中宮職の次官である)をはじめ、しかるべき殿上人たちが、手伝って、禄《ろく》を少女たちに賜わった。鳥の少女たちには桜の細《ほそ》長《なが》を、蝶には山吹襲《やまぶきがさね》の細長、まるで前以《もっ》て用意してあったようである。
楽師たちには白い単衣襲《ひとえがさね》、あるいは巻絹などを賜わった。夕霧には藤襲《ふじがさね》の細長をとり添え、女の装束一かさねをかずけられた。
紫の上への、中宮のお返事は、
「昨日はうかがえなくて残念で、泣きたい思いでございました。胡蝶のように飛んでゆきたく思いました」
六條院の朝夕は、この世のものならぬ豪奢《ごうしゃ》な悦楽にみちていた。紫の上と中宮はむつまじく、手紙のやりとりに友情を交し合っていた。
西の対の玉鬘は、あの踏《とう》歌《か》の日以来、紫の上とも手紙を交すようになった。ふかい点までは分らないが、気が利《き》いてなつかしい人柄で、意地わるくないので、花散里《はなちるさと》も紫の上も彼女に好意をもった。
玉鬘に求婚してくる人は多かった。だが、源氏はこの男、ときめることはできそうにない。誰にも洩らせない胸の内では、われながら、実の親として押し通す自信がないので、いっそのこと内大臣に知らせてしまおうか、と思うときもあった。
源氏の息子の夕霧の中将は、人よりは少し親しく、御簾《みす》のそばに寄って話をする。玉鬘は自身で返事をするのを恥ずかしく思ったが、
「ご姉弟《きょうだい》でいらっしゃるのですから、当然でございますわ」
と女房たちはいうのだった。だが中将は実の姉弟と信じているから、たいそうまじめ一方である。
夕霧とは幼時からの友人である、内大臣の長男、柏木は、六條院へ来るたび、玉鬘に恋ごころを仄《ほの》めかしていた。玉鬘は、(あの人こそ、ほんとの姉弟なのに)と思うと心苦しくて、
(ああ早く、実のお父上に、ここにいるとお知らせしたいわ)
と辛く思うものの、そんなことを源氏に洩らしはしなかった。みんな源氏に任せて、ひたすら頼りきっている所が、源氏にはかわいく、若々しく思われる。
どこが似ているというのでもないが、やはり母の夕顔に似《に》通《かよ》い、しかも彼女は、母よりもしっかりして聡明だった。
四月になると、玉鬘の姫君への求婚者は、さらにふえた。
源氏はさまざまの男たちの狂奔《きょうほん》ぶりが面白くてならない。ひまがあると玉鬘の部屋へ来て、男たちの恋文を見、これには返事せよ、これは今しばし……などと玉鬘に教えるのであった。そうして玉鬘の美しい困惑を娯《たの》しんでいた。
玉鬘の姫君にもっとも頻繁《ひんぱん》にくる手紙は、兵部卿の宮と、鬚黒《ひげくろ》とよばれる右《う》大将《だいしょう》のそれであった。
源氏は、二人の恋文を見て、笑いを洩らしている。
「兵部卿の宮とは、私は小さい時から気が合ってね。たくさんの兄弟の親王たちの中でもとりわけ仲よくして来たが、女性関係については打ち割った話はしたことがない。この年になってこんな恋をされたのか、と思うとしんみりするね。あの人は、恋のあわれのわかる人ですよ。手紙のやりとりをして面白い人だと思うね」
源氏は、若い姫君の興をそそりそうなことをいうが、玉鬘は恥ずかしそうにしているだけである。
鬚黒の大将《だいしょう》の方は、まじめ一点張りで、しかも熱心な手紙である。
「この人は、朴訥《ぼくとつ》で質実な人柄の中年男だがね。鬚黒がこうも恋い焦がれるとはまた前代《ぜんだい》未《み》聞《もん》だよ。恋の山には孔《こう》子《し》もつまずく、ということわざ通りだね」
源氏が笑みをふくんで見ていると、はらりと、結《むす》び文《ぶみ》が落ちた。唐《から》の空色の紙に、香《こう》の匂いしみた、細い結び文である。源氏はあけてみた。
「岩もる水のように、あなたを思う心はわき返りあふれていますが、おわかりにならぬでしょうね」
としゃれた書きぶり、
「誰ですか、これは」
と源氏は聞くが、玉鬘ははかばかしく答えない。源氏は右《う》近《こん》を呼んで注意した。
「手紙をよこす人には、返事をする人と、しなくてもいい人と、よく見きわめてほしい。男への返事というものにこそ、女の人柄が出るものだよ。浮気な男が、女のもとへ忍び入って、あながちに不都合なことをしでかすというのも、男の咎《とが》とはいえない。女が招いた罪ということもあるからね。
私自身の経験で考えてもそうだが――返事をしない女を恨めしい、情けしらずだと怨《うら》むが、またかえって心をかき立てられることもある。
しかし、いいかげんな男の手紙に、すぐ返事をするのは、あまりほめたことではない。大体、女というものは、つつしみなく、感情のおもむくままに、物のあわれを知り顔にしていると、ろくなことにならない。そうかといって、宮や、大将のように、りっぱな男性に、まるきり無愛想に、とりつく島もなく、返事もしないというのは失礼にあたる。そのけじめがむつかしいのだがね……。
右近は年配者ではあるし、そのへんのところも、察していよう。手紙の主の執心のほどを見て、返事すべきはするように、姫君に教えてあげなさい」
玉鬘はただ恥ずかしげに、横を向いている。撫子襲《なでしこがさね》の細長に、季節にふさわしい卯《う》の花の小袿《こうちぎ》を着ているのが、あでやかだった。
いまでは六條院の女人たちを見習って化粧もはなやかに、田舎《いなか》育ちのひなびたところはすっかり、なくなっている。
(この美女を、人のものにするのは惜しいな)
源氏は、そう思いつつ、盗み視《み》ている。
右近は、源氏の心の内がわかる気がして、ほほえんで二人を見比べていた。
(殿は、親代り、なんておっしゃるけれど、……ほんとうは、どうだか。そばから拝見していても、親子というより、めおと、と申上げた方がぴったりだわ)
そう思いながら、源氏の注意にうなずいていた。
「それはもう。ほかからのお手紙は一切、お取り次ぎいたしておりません。お返事は、殿がお言いつけの分だけでございます。それさえ、姫君はおいやそうになさいますわ」
「ではこの結び文は誰のだね。気取って書いているが」
「それは使いの者がどうしても、といって置いてまいりました。内大臣の中将さまが、こちらの女童《めのわらわ》のみる子をご存じでいらっしゃいまして、みる子が置いてまいりました」
「中将か。かわいいな。官位はまだ低いが、あの人には恥をかかせてはいけないよ。若いが声望のある人でね。内大臣の子息の中でも出来のいい人だ。……あなたと姉弟だということは自然に知れようから、今のうちは、おぼめかせておく方がいい。それにしても、いい手紙を書くね」
と、源氏は微笑《ほほえ》みつつ、見ている。
「こんなに、あれこれ指図するのを、不快に思われますか?」
源氏は、玉鬘をかえりみていう。玉鬘は、あるかなきかに返事して、黙っていた。
「あなたがいま内大臣のもとへ引きとられたとしても、幸福かどうか。それより、縁談もきまり、身のふりかたもついた上で、親子の名乗りをなさった方がよいのではないかと思う。――その縁談だが。
兵部卿の宮は、お一人住みだが、お人柄がすこし浮気で、通われる所も多く、お邸の女房には召人《めしゅうど》とかいう名の愛人もいるそうですよ。それを承知で、おだやかにおのずと浮気のやむようにもっていける人ならば、宮の北の方としてつとまるでしょうが、むつかしいことでね。……あながち、私はすすめられない。
また、右大将は年上の夫人がすでにあるが、結婚生活は冷えて、同じ邸に住みながら別居同然という噂です。それで、あなたに申し込んできたのだろうが、これは、北の方の実家との間に、ひと悶着《もんちゃく》おきそうだし、さて、どうしたものか。
女からは希望をいいにくいかも知れないが、あなたも子供ではなし、自分で判断もして、私に何でも相談して下さい。あなたのお母上と同じに思ってほしい。ご不満をお持ちになっていると思うと、切ない」
玉鬘は、源氏にどう返事してよいかわからない。
彼女は、いま縁談に興味はなかった。
いつも考えているのは、実の父に会うことであった。親でもない人の邸に養われる不安定な運命に、辛い気持をもっていた。しかしかしこい玉鬘は、源氏の親切もよくわかり、自分のわがままを通すことはしなかった。
「物心のつかぬ頃から、親はいないもの、と思って育ったのでございますもの……親のように思え、とおっしゃって下さいますのはうれしいのですが、どう考えてよろしいやら」
と玉鬘が、当惑したように仄かにいうのを、源氏はもっともなことだと聞いた。
「生みの親より育ての親、といいますからね。私の気持も追い追いにおわかりいただけますよ」
源氏は、玉鬘が日一日と好もしく、愛《いと》しくなりはじめている。
「ああしかし、いつかは、あなたを実の親にもお返しし、やがては、どこかの男のもちものに、さらわれてしまうのですね」
源氏が狂おしい気持を抑え、冗談めかしていうと、玉鬘はつぶやいた。
「わたくし、どこへもいきたくございませんわ。……わたくしは、世間のことは存じませんが、古い物語など読んだりするうちに、実の親でも、こうはいつくしんで下さるものではない、ということもわかりました。ほんとうにいま親のもとへ引きとられても、幸福かどうか、どうしてわかりましょう。……お父さまが」
と、言いさして玉鬘は、うすく頬《ほお》を染めてうつむいた。
源氏は父親ぶって、明《あか》石《し》の姫君と同じように、自分のことを「お父さま」とよぶように玉鬘に命じているのだった。
「仰せの通りでございます。でも、結婚もわたくしには、あんまり気がすすみませんの」
「こまった人だね……では、いつまでも、ここにいるかね?」
「…………」
玉鬘は羞《は》じらって当惑していた。
「私のそばにいてくれますか? いつまでも」
源氏が、微笑をたたえながら、玉鬘のそばににじり寄ったので、玉鬘は、不安な心地にふと、おそわれた。
「私も、実をいうと、あなたを、どんな男にも渡したくない心地ですよ。はははは。世の男親が、娘を結婚させたくない気持が、いまになってわかった」
源氏はそういいながら、玉鬘に触れんばかり近づいてゆく。
「あなたの縁談など、何で私が喜んで世話するものですか。どんな男をもってきても、あなたにはふさわしくないという気がする。では、ふさわしい男は誰なのだろう? といわれると困りますが。あなたは、よそながら、このあいだの花の宴でも、男たちを見たでしょう。これこそ、という男は、お目に止まりましたか」
「わたくしにはわかりません……殿方のことも縁談も。お父さまのお心にお任せいたします」
玉鬘は素直にいった。
源氏は、玉鬘の肩を抱き、黒髪を手に捲《ま》きつけたくなるのを、必死に堪えて、出てきたが、いっそう恋しくてならない。
「いい子なんだよ。なつかしい人柄の女人だな」
源氏は、紫の上に、玉鬘をほめていた。この二人の仲のふしぎさは、そういうことが話題にできることだった。
「そうみたいね。あなたがお好きになるはずだと、お目にかかったとき思いましてよ」
紫の上はうなずいた。
「あの姫の母なる人は、あまりにやさしすぎて頼りなかった。しかしあの人は聡《さと》くて、しかも才気もあり、愛嬌《あいきょう》もあり、申し分ないよ」
紫の上は、すこし、つんとしていた。
「かわいそうなあのかた。そんなに聡くて才気もおありの方が、何にもご存じなく、あなたに頼っていらっしゃるなんてお気の毒ね」
「どうして、私に頼っていて、かわいそうなんだね」
「だって、わたくしのときもそうでした。わたくし、あなたをお父さまかお兄さまのように頼りきっていて、とんでもないことになってしまったのですもの。あのころは、どんなに、あなたを怒ったり、恨んだり、拗《す》ねたり、しましたことか……」
「おい、昔の話はもういいじゃないか」
「あのかたが、実の親のように頼っていらして、またわたくしと同じような目にお会いになるのじゃないかしら、と思ったから、お気の毒に、と申しましたのよ」
紫の上はにっこりする。源氏は、紫の上の勘の早さに舌をまいた。
「へんな邪推は止《よ》しなさい。もしそうなら敏《さと》いあの人はすぐ察するはずだよ」
源氏は、やましい所が一点あるので、いそいで話を切り上げたが、紫の上の推量どおりに押し流されそうな危うさを、自分でも気付いている。いつまでも怪《け》しからぬ心の失《う》せぬ自分を、うしろめたく反省しながら……。
源氏は玉鬘のことが気になってならないので、しばしば西の対へあいにいった――雨あがりのしめやかな空に、庭の若楓《わかかえで》と柏《かしわ》の木が青々と繁ってさわやかな夕べ、そっと、また玉鬘の部屋をのぞくと、姫君は手習いなどしてくつろいでいるところだった。
源氏が来たので、居ずまいを正したが、ほんのり、うす赤くなる顔色がつややかに美しい。
やわらかな物腰に、ふと昔の夕顔が思い出されて、源氏はやるせなかった。
「だんだん、あなたは亡き母君に似てきますね――もしや、あの人が生き返って目の前にいるのかと思うばかりですよ。……こっちをむいてごらん」
源氏はやわらかく玉鬘を抱きしめてささやく。
「敏感なあなたゆえ、疾《と》うから気付いていられたでしょう。私の気持を。愛している。誰にも渡したくないのです。なぜそう、お厭《いと》いになる……」
玉鬘は聡明な姫君といっても、何しろ、おぼこなので、男の腕に抱かれるなどというのははじめてのこと、すっかり動転してしまいどうしていいか、わからなかった。
辛うじて、
「わたくしが母に似ていますなら、きっと母と同じように、はかなく消えてしまいますわ……」
と可《か》憐《れん》な掠《かす》れ声でこたえた。
「そんな目にはあわせないよ。私の愛に賭《か》けても」
玉鬘が悩んでいるさまが源氏は愛らしくて、彼女の手をじっと握りしめる。ふっくらした小さな白い手である。黒髪をかきわけて白い頬や咽喉《のど》もとに唇をあてると、みる間に、玉鬘はきめこまかな肌に、しっとりと冷や汗をうかべて慄《ふる》えていた。
「静かにして……あちらにいる女房たちの耳に入らぬようにしなさい。
私は、運命があなたと私を逢わせたと信じています。それでなくて、ひと目みてこんなに心を奪われるはずがない。同じ邸に棲《す》んでいるのに、恋しくて、いっときも離れていられない。
私は青春がもう終ってしまったと思っていた。ところが、まだ燃え尽きてはいなかった。それを知らせてくれたのは、あなたですよ」
源氏が、玉鬘の瞼《まぶた》の上に唇をあててささやくと、彼女は必死でいった。
「まことの親と思え、お父さまと呼べ、とおっしゃいましたから、わたくしは、そう信じてまいりましたのに……」
「そうだよ。親子の情《じょう》の上に、もっと深い愛が加わるのだから、こんなに深い縁はないではないか」
源氏は動じないで、微笑んでいる。
「兵部卿の宮や、鬚黒の大将などより、私の愛はもっと深い。あの人たちに、あなたをやる気などしないのは、当然でしょう」
女房たちは、二人が仲のいい親子の語らいをつづけているものと遠慮して、遠くへ離れていた。
雨がやみ、風は竹の葉をそよがせ、月がさやかにさしている。身に沁《し》む風《ふ》情《ぜい》の宵である。
「おいで」
と源氏は、着馴《きな》れて柔かくなった衣《きぬ》の、衣ずれの音を巧みにまぎらせながらそっと脱いで、玉鬘のそば近くに臥《ふ》せった。
そうして、腕をのばして玉鬘を抱き寄せる。あらがいかねて玉鬘は、衣に埋もれるように倒れたが、横たわった源氏の胸に抱きすくめられた。
こんなところを女房に見られたらどうしよう、何と思われることだろうと、玉鬘は、身も心も衝撃を受けてわなないていた。
(こんな仕打ちをなさるなんて……もし、ほんとうの親なら、どんなに冷たく打ちすてておかれようと、こんな困った、辛い立場にはならないだろうものを)
と思うと、玉鬘は涙がこぼれて来て、袖《そで》に顔をかくしてしまった。
「何を泣く。これ以上のことは何もしませんよ。あなたの心に逆らってまで、恋を遂げようとは思わない――それにしても、こうまで想われたら世間普通の女なら、相手が他人の男でも柔かく身を任せるものだがね。あなたと私とは、かくべつにむつまじくした仲なのに、却《かえ》って、こうお疎《うと》みになるのは辛いことだ……」
源氏は玉鬘をさしのぞいて、
「私がきらいになりましたか? 真実を打ちあけてご不興を買ったかな?……それもこれも、あなたへの愛が深ければこそ。あなたがいとしいから、私は必死に堪えているのですよ。ほかの男なら、こんなことではすまない。それがわかって頂ければいいのだが――。あなたを見ていると、昔の恋人がそのまま、重なってみえる。恋心はなお強くふかくなり、ついにはあなたか恋人か、わかちがたく、おぼろになって、分別も理性も妖《あや》しく鈍ってくる。……そんな危うい男ごころを、まだ世なれぬ姫君のあなたに、理解してくれというほうが無理かもしれないが……」
源氏は玉鬘の黒髪を撫《な》でて、しみじみと言い聞かすのだが、玉鬘は源氏の動作に、目もくれ心も惑うて、言葉が耳に入らぬようだった。
ただもう、源氏の腕から離れようと、必死になっている。
「これは、きつい嫌《きら》われようだ……」
源氏はおちついて、笑みを含んだ声でそういい、腕の力をゆるめ、玉鬘を解放した。姫君は黒髪を乱しながら、起きあがって、顔をそむけたまま、袖で隠しているのだった。
――以前の、大《たい》夫《ふ》の監《げん》とはくらべものにならないけれど、でもやっぱり、玉鬘にとってはいとわしい求愛であるにちがいなかった。
「おぼこさんだね。そんなに、われにもあらぬ風で怖がることはないではないか。何も無理なことは強《し》いない、と約束しますよ。ただ、こうやって、私の気持を知ってほしいだけだから」
源氏は起きて衣を着《つ》けた。
「私が昔の恋人に逢ったように幻惑されているときは、あなたも、昔の人になったつもりで返事して下されば、どんなにうれしいだろう……そんな、夢のようにはかないことをふと考えたりする。この気分は、二人だけの秘密にしておこう。私も人に気取られぬようにするから、あなたも、人に知られないように心がけて下さい。あなたのことだから、そのへんはよくわかっているだろうが」
それは、玉鬘を、恋の共犯者に引きずりこもうとすることである。玉鬘は顔をそむけて言葉もなくいると、
「こまったねえ。こんなに嫌われてしまった。お怒りの解けるまで謹慎しなくては」
と源氏は微笑して、ゆっくりと出ていった。
玉鬘は、落ちついた男の足音が消えるまで、身じろぎもしないで、恐ろしそうにすくんでいた。
いつか、躯《からだ》はしとどの汗に濡《ぬ》れている。
年を重ねてはいても、玉鬘は世なれず、男女の道に暗かった。都そだちの早熟な少女とちがって、素朴な田舎ぐらしの明け暮れ、おそばの乳母《めのと》や乳姉妹《ちきょうだい》も、まじめな堅《かた》気《ぎ》の女たちだったので、軽やかな色ごとめいたたわむれ、きわどいすれすれの恋や情事のあそびのかけ引きを、夢にも経験したことがなかった。
玉鬘の知っている、男女の世界は、紙の上のそらごとの、雅《みやび》やかな風流、教養としての恋のあわれであった。
突然、現実の男に言い寄られ、抱きすくめられたので、玉鬘は混乱してしまったのだった。
しかも、かりそめにも、「お父さま」と呼ばされていた男性だから。……
玉鬘にとって、男女の道というのは具体的知識があるわけではないので、源氏のとった行動以上のことがあろうとも思われない。
(とり返しのつかないことになってしまったわ。どうしたらいいのかしら……)
死にたいようにも思っている姫君の心も知らず、女房たちは、
「殿はほんとうにおやさしく、お姫さまのお話相手をして下さいますのね」
と感心し、玉鬘が実子でないのを知っている女房たちは、事情を知る者たちだけで、
「実の親でもああまで可愛がって、お世話なさるかたはありませんわ。ありがたいことですわ」
と言い合っていた。しかしまさか源氏が、その埒《らち》を越えて、男と女の愛に大胆にも踏み込もうとしているとは知らない。
玉鬘が、乳母にもうちあけられず、煩悶《はんもん》して、寝《い》ねがての一夜を過ごした翌朝、はやばやと源氏から手紙がことづけられた。
玉鬘は見る気もしなかったが、女房たちの手前、そんなわけにもいかなかった。
白い紙に、美《み》事《ごと》な男らしい手蹟《しゅせき》である。
「まだご機《き》嫌《げん》は直りませんか。おそばの人たちは何と思うでしょうね。――
〈うちとけて ねも見ぬものを若草の ことあり顔に結ぼほるらむ〉
さあ、いつまでも子供じみた風をみせないで。早くおとなになりなさい」
と、親ぶって書いてある。
姫君は、落ちつき払った男の態度が、手紙から目に浮ぶようで、憎らしくなった。
歌の意味は――ほんとうの関係が成立したのでもないのに、なにをくよくよ物案じして、心配しているのです、とでもいうようなものであろうか。
玉鬘は返事をしたくなかったが、女房たちがいぶかしく思うかもしれないと、まじめな風情の、厚ぼったい陸奥紙《みちのくがみ》に、
「拝見しました。
気分がすぐれませんので、お返事は失礼」
とだけ書いて持たせた。
源氏は受けとって、
(面白い。しっかりした女《ひと》だ。相手にとって不足はないな)
などと、よけい玉鬘に、関心と愛情を寄せるのだから、困った好色《すき》心《ごころ》である。
源氏は、いったん愛の告白をしてからは、直截《ちょくさい》にしばしば言い寄った。玉鬘は身のおきどころもない思いで、物思いがこうじて、病気のようになってしまった。
(こんなことが世の中に知れたら、どんなに物嗤《わら》いのたねにされることであろう……実のお父さまも、もしわたくしが、こんなことで困っているとお知りになれば、それはわたくしの至らぬためとお蔑《さげす》みになるのではなかろうか……)
などと思いみだれ、姫君は憔悴《しょうすい》していった。
そんなこととも知らず、「六條院の美しき姫君」への思慕に心焦がす兵部卿の宮と、鬚黒の大将は、どちらも熱心に恋文をよこして求婚していた。源氏がこの二人を、それとなく姫君の相手に擬《ぎ》しているということを人づてに聞いて、二人はいっそう熱をこめているようであった。
恋の闇《やみ》路《じ》にほのかなる螢の巻
玉鬘《たまかずら》の悩みは、日ごとに深まってゆく。
源氏は、いったん恋心を口に出すと、もう自制の垣《かき》根《ね》が取り払われたように、人《ひと》気《け》のない折はただならぬ懸《け》想《そう》の心を口にするのであった。
玉鬘は胸がつぶれた。
しかし、はしたなくきびしく退けるわけにもいかず、ただ気がつかないふりをしてまぎらわせている。
そうして強《し》いてまじめに、固くるしくみえるようにと、心づかいしていた。
しかし人柄が柔和《にゅうわ》で人なつこいので、まじめにしていても、どこか愛嬌《あいきょう》がこぼれるようにみえるのは、玉鬘にとって幸せなのか、不幸なのか。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮は、むろん、源氏が玉鬘に言い寄っていることなど、夢にもご存じない。
いや、この姫君が、源氏の実の娘でないことも、ご存じない。
それで、熱心に求愛の手紙を送ってこられ、返事をまち焦《こ》がれていられた。
早くも五月に入った。
五月は、結婚のためには忌《い》み月《づき》だと世間ではいう。
兵部卿の宮は、怨《うら》みごとをいってこられた。
「もう少しお側ちかく寄ることをお許し下さい。お慕い参らせる心の片はしでも、申しあげとうございます。そうすれば、五月《さつき》闇《やみ》のようなこの心の暗さも、少しは晴れましょうに」
源氏は例のように、男たちの恋文を興ふかく見て、娯《たの》しんでいる。
「ふふふふ。焦《じ》れているな。面白いではありませんか。あんまり、無愛想な返事をなさるな」
こうこういうお返事はどうだ、と示唆するのであるが、玉鬘は、源氏のそんなやりかたがうとましく、
「気分がすぐれませんので」
と、返事を書かずにいた。
玉鬘の姫君に仕えている者は、急いで集めた女房が多かったので、頼もしい人とてはいない。
ただ、母君の叔父《おじ》に参議なる人がいたが、その人の娘で宰相《さいしょう》の君というのをさがし出してそばにおいていた。
字などもよく書き、人柄もよいので、手紙の返事は彼女に代筆させることが多い。源氏は玉鬘が逃げてばかりいるので、宰相の君に教えて、返事を書かせたりする。
玉鬘は、源氏の心をもてあまして困惑するあまり、兵部卿の宮の文に、ふと心ひかれる折があった。
宮に愛を感じたのではないが、うわべは親顔をつくろいながら、言い寄ってくる源氏の男心のうとましさに、(いっそ宮のいうままになれば、源氏のおとども、よもや……)などと、いつかしら女めいた分別がついて考えこんだりしていた。
宰相の君が、源氏にいいつけられてどんな文をさし上げたのやら、兵部卿の宮は、いつになく色よい返事だと喜ばれて、玉鬘をひそかに訪れられた。源氏が、忍んで様子を見ようと待ちうけているのもご存じない。
廂《ひさし》の妻戸の間に宮の御茵《しとね》を参らせて、几帳《きちょう》だけをへだて、玉鬘は近くにいる。
源氏はいろいろ心をくばって、空薫物《そらだきもの》の香りもゆかしく、玉鬘の世話をしている。
宮が何かをいわれると、宰相の君が、お返事するが、源氏はかげで、
「もっと積極的な返事をしろ。あまり引っこみ思案にすぎる」
などと宰相の君をつねったり、している。
宰相の君は困っていた。
夕闇すぎ、空はおぼつかない雲合いであった。兵部卿の宮はしんみりした御けはいで、あでやかな男ぶりでいらっしゃる。
「なんという、心にくい薫物の香りでしょう。まだ見ぬ恋にあこがれる私の心をなお、燃えさせようとしてでしょうか。今《こ》宵《よい》は、姫君のお声を間近にお聞かせ頂いて、あてどなくさまよう私の心を、しばしは引きとめて頂きたいのです。人づてのお返事ではなく――」
と、しみじみと仰せられる。
軽佻《けいちょう》な浮気男のようすとはことかわり、物静かな、おとなの男の言い寄りかたなので、源氏は、
(なかなか、やるな)
などと面白そうに聞いていた。
玉鬘は、部屋にひきこもって、出ようとはしない。宰相の君が、
「宮さまは、ああ仰せられていられます」
というのについて源氏も口を添えた。
「こんな場合は、自身でひとことふたことご返事なさるのが風流というもの。いつまでも子供っぽく恥ずかしがっていてはいけない。この宮には、人づての返事など、失礼に当るよ……」
玉鬘はしかたなく、几帳の内側へ、滑るようにはいって坐った。
宮はその気配をお知りになって、心ときめいてお話をつづけられる。玉鬘がお返事をためらっている、そのときであった。
源氏は玉鬘のそばへ寄った。几帳の帷《かたびら》を一幅だけあげると同時に、ぱあっと、何かが光って、紙《し》燭《そく》でもさし出したのかと、人々を驚かせた。
それは螢《ほたる》なのだった。
夕方、たくさんの螢を、薄衣《うすぎぬ》に包んで、源氏はさりげなく袖《そで》にひきつくろって隠しながら持ちこんだのを、放ったのだった。
玉鬘はおどろいて、
「あ」
と口の中で小さくつぶやき、扇をかざして顔をかくしたが、一瞬、無数の青白い光に浮かび上った横顔の美しさ、宮のおん目にも止まり、宮は息が詰るように思われた。
(宮は、まさかこうもこの姫君が美女だとは思っていられなかっただろう。螢の光でみた美しさに目がくらみ、好色《すき》者《もの》の宮は、ますます迷いこまれるにちがいない)
源氏は、自分のたくらんだ趣向を、おかしがっている。全く、実の娘なら、こうも物好きなことはしないはずである。源氏は騒ぎにまぎれてそっと自分の部屋へ抜け出していってしまった。
兵部卿の宮は、源氏の術中におちいって、茫然《ぼうぜん》としていられた。
宮は、姫君の近づいたのを見て、ぽっとお心をときめかされたところへ、青い光が明滅し、一瞬あたりが浮き上ってみえた。そのとき、螢のあかりでちらとみえた姫君の美しさ、けだかさ。
螢はやがて女房たちが紛らせて追い払い、再びあたりは薄闇に沈んだが、宮はもう夢みる人のように、うつつ心もなくなってしまわれた。
恋心は身に沁《し》み、あこがれは深まさり、
「〈なく声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消《け》つには消ゆるものかは〉
螢の火でさえ消せませんよ……まして、人の燃える恋心が、消せるものと思われますか」
と、宮は思いつめられた声《こわ》音《ね》で迫られる。
玉鬘は、さすがに、黙っていられなかった。
〈声はせで身をのみ焦がす螢こそ いふよりまさる思ひなるらめ〉
(燃ゆる恋心だの、あこがれだの、とおっしゃいますけれど……もし、ほんとうの恋でしたら、あの螢のように、鳴き声もたてず、身を焦がしているだけではありませんこと?)
玉鬘は、そっと、奥へひきこもった。
宮は玉鬘のつれなさを恨まれながら、夜ふけて帰られた。
軒のしずくに身を細め、涙か雨かわかちなく、頬《ほお》をぬらされながら……。
玉鬘は、源氏の面白がってたくらんだ趣向が不愉快だった。
なぜあのかたは、人の心を弄《もてあそ》んで楽しまれるのであろう。わたくしばかりか、宮様までも。
何も知らぬ女房たちは、源氏がゆうべ、いろいろ心をつかって世話をしたのを「女親も及ばぬような」と感激しているが、玉鬘は、いとわしかった。
しかし、源氏の方は、本音をいえば、何がなんでも玉鬘を愛人にしたい、というのではない。情人や隠し妻というような身分に、彼女をおくのはあわれでも気の毒でもある、とわきまえている。
ただ、玉鬘が美しく、魅力的な人柄なのを見すごしに出来ない、自分の人生と、なんのかかわりもない人ですごすには堪えられない、そういう気なのである。
それは、秋好《あきこのむ》中宮に対してもそうである。かの六條御息所《みやすんどころ》の忘れがたみである中宮に、源氏はいまも思いをかけている。
折々は胸ひとつに抑えかねる思いを口に洩らすことはあるが、しかし何といっても、中宮という重々しいご身分でいられ、また、冷《れい》泉《ぜい》帝とのつながりからいっても、源氏は罪あることはできないとわきまえている。しかし、なお、中宮に寄せる思いは心の底ふかく秘められて消えていない。
玉鬘に対しても、同じようなことであった。
この姫君に幸福な結婚を、と思う心は真率なものにちがいないが、われながらあやうい恋を、恐れつつ、いましめつつ、しかも抑えきれない。
それに玉鬘が、気づかぬふうにさりげなくうけ流す愛らしさ、かしこさが、なお源氏の心を煽《あお》り立てもする。
いつ、とり返しのつかぬまちがいをしないとも限らない、まさかと思うが、どうなるか、自分でも自信をもって断言できない恋の危機を、源氏は人知れず自分の胸ひとつに収めて、困りつつも、娯しんでいる。
そのくせ、玉鬘のもとへいって、
「どうですか。宮は、いつごろまでいられたかな。あまり、なれなれしくなさらぬ方がよい。あのかたは、女をくどくのが巧みな方ですから、ゆめゆめ、足もとをすくわれぬように」
と、宮をほめるかと思えば、悪くもいったりして、玉鬘をよけい混乱させる。
玉鬘は、不快だと思った源氏を、目の前にみると、微妙に、心持が変ってゆくのであった。
おちついてやさしげな態度といい、頼もしい、慕わしくなる雰《ふん》囲気《いき》といい、趣味のいい直衣《のうし》に、香《こう》の燻《くゆ》り……洗練されきった好もしい中年男性なのである。
(人知れず言い寄って、あたくしを困らせたりなさる、あのお心ぐせさえなくば……)
と玉鬘は、ほっと内心、ためいきをつくのだった。玉鬘は、不快がりながら、源氏に惹《ひ》かれてゆく自分が怖かった。
(このおとどとは、どっちにしろ、結ばれる縁ではないのだもの……。このかたのお名に疵《きず》がつかぬままに、お別れする方法はないかしら?)
五月五日の節句の日だった。
源氏は花散里《はなちるさと》の住居《すまい》をのぞいて、
「中将(夕霧)が、今日の左《さ》近《こん》衛府《えふ》の競射のあと、友達を連れてくるようなことをいっていたから、そのつもりでいて下さい。明るいうちに来るらしい。ここで何かするというと、親王《みこ》がたが聞きつけて集まられるから、用意をたのみます」
といった。
五月五日を中にその数日、左右近衛武官たちの騎射競技が、行なわれる。ここ、六條院でも夕霧たち青年武官たちが競射をするらしかった。
馬場はこちらから見通せるほどで、そう遠くない。
「若い人々は渡殿《わたどの》の戸をあけて見物するがいい。左近衛府には、いま、好青年が多いよ。殿上人《てんじょうびと》にも劣らぬくらいの若者がいるからね」
と源氏がいうので、若い女房たちは、競射の見物をたのしみにしていた。
西の対《たい》からも、女童《めのわらわ》たちが見物に集まってくる。
渡殿の戸口に御簾《みす》を青々と掛けわたし、美しい裾《すそ》濃《ご》の几帳を並べてある。
それだけでも、若い男性客は目を奪われるのに、ゆき来する美少女たちの姿がまた、華やかだった。西の対は、菖蒲襲《しょうぶがさね》の袙《あこめ》に、二藍《ふたあい》のうすものの汗衫《かざみ》、東の御殿の少女たちは濃い紅の単衣《ひとえ》の上に、撫子襲《なでしこがさね》の汗衫。
若い殿上人など、色めきたって昂奮《こうふん》していた。
未《ひつじ》(午後二時ごろ)のころに、源氏は馬場殿にいった。やはり、親王方も集まっていられる。
騎射がはじまった。近衛の中将、少将といった青年士官や、舎人《とねり》たちが、双方にわかれ秘術をつくして騎射を争い競うのであった。
馬場は南の、紫の上の御殿までつづいているので、そちらでも若い女房たちが見物している。
青年たちは、多くの女性の視線を集めて、なお上気して汗もしとどに熱戦した。
試合が果てて音楽がはじまった。打毬楽《だぎゅうらく》、落蹲《らくそん》といった曲が奏せられ、勝った方は笛・笙《しょう》を吹き鳴らし大さわぎのにぎわいのうちに日も暮れた。舎人たちにも禄《ろく》をたまわり、夜おそく、客は帰られた。
源氏は花散里のもとに泊まった。今日のことを語り合って、話がいつまでも弾んだ。
「今日いらした客人を、拝見したかな? 兵部卿の宮は、やはりほかの人より、立派だね。美男というよりも、心遣いや物腰がすぐれていられる。愛嬌もおありだし。――しかし、何か、もう一息、というところもあるね」
花散里は微笑《ほほえ》んで聞いていたが、
「あなたの弟宮さまでいらっしゃいますが、宮さまのほうが、老《ふ》けておみえになりますわ。昔、御所で仄《ほの》かにお見かけしてから、何年ぶりでございましょう。このお邸《やしき》にはよくお見えになるそうでございますが、お目にかかる折がございませんでしたもの……ほんとに、ごりっぱな中年の殿方になられて」
「宮の弟宮、帥《そち》のみこは拝見したかね」
「はい。帥の宮さまもご立派でいらっしゃいましたが、……どこか、お品《しな》が下《くだ》って、親王というより、諸王のお一人、というようにお見受けいたしましたわ」
源氏は、花散里の観察眼のするどいのに、思わず微笑した。この女人《ひと》は、無垢《むく》な心だけに、すんなりと物の本質を見ぬくのかもしれない。源氏も同じことを帥の宮には感じているが、源氏がいうと悪口になるので、黙って微笑んでいるだけだった。純真な花散里が、天衣無縫にいうことばは、悪口にならないけれども……。
源氏はそれに、他人の欠点をあげつらったり、悪口をいったりするのは好まない。だから一切、自分の胸に収めて言わないが、かの鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》についても、世間の評判ほどに買い被《かぶ》ってはいない。
いや、なんの関係もないならば、鬚黒の大将も、よくできた男性、といえるであろうが、玉鬘の夫になるかもしれぬといういま、源氏には、大将に対する不足も、多々あるわけである。
「ではおやすみ遊ばしませ」
と、花散里は帳台を源氏にゆずり、几帳を間において寝るのだった。
いつのまにか、そんな習慣になってしまったのを、源氏は心苦しく思った。
いつからであろう?
つつましい花散里は、源氏の気付かぬうちに、茵《しとね》を別にしてしまった。
「いくら心は一つに結ばれているといっても、離れていては淋しいね。こちらへ来て、やすみませんか……」
源氏はそっと声をかけてみた。
仄かな灯の透《す》ける、几帳の向うで、
「……まあ。あなたったら」
と、花散里の、おかしそうな声がきこえた。
「……わたくしは、やはりご遠慮いたしますわ。もう、わたくしは、そんな年齢《とし》ではなくなったのですもの。……いいえ、そうおっしゃって頂くお気遣いは、とても嬉しゅうございますわ。でも、わたくしにはそのお心持だけで、充分。とても幸福ですわ」
花散里は、本当にそう思っている風だった。
「今日は、たのしゅうございました。あんな素晴しい遊びが見られて。こちらで催して下さって光栄でございました。まだ、瞼《まぶた》のうらに、華やかな、お若い殿方の、勇ましいお姿や、女の人たちの美しい衣がありありと残っています。……何だかまだ夢からさめないようで……」
花散里は、いままで邸のどこで派手な催しをしようと、それで拗《す》ねたり、嫉《しっ》妬《と》したりする女性ではなかったが、今日は、こちらの御殿の晴れをした、と心から喜んでいるふうだった。子供のように昂奮しているのが可愛かった。
源氏は強いて帳台へ呼ばないで、几帳をへだてながら、はかない物語を、とりとめもなく交していた。
さて、長雨が例年より長く続いて、つれづれな毎日を、六條院の女人たちは、絵入りの小説などに興じていた。
明《あか》石《し》の上は、物語にも趣味があるので、紫の上のもとにいる姫君に、いろいろ写して贈った。
玉鬘は、まして小説に興味があったので、終日、読んだり書き写したりした。こちらでは、こんなことの好きな若い女房が幾人もいた。
さまざまな物語を書き蒐《あつ》めた小説の中にも、自分のようなふしぎな運命の者はいないだろうと、玉鬘は思った。
源氏は、このところどこへいっても、小説類や物語が目に止まるので、玉鬘に笑っていった。
「よくまあ、飽きもせず、こんな作り話に打ちこんでいるね。女というものは、人に欺《だま》されるために生まれてきたようなものだ。こんなに氾濫《はんらん》する作り事の中には、本当のことはごく僅《わず》かですよ。それを知りながら、夢中になって、だまされて、この暑苦しい五月雨《さみだれ》どきに、髪ふり乱して書き写しているんだね」
「……だって、面白いのですもの」
と玉鬘はいった。
「まあ、ひまつぶしには打ってつけだろうがね。作り話といっても、中には、人間の心理をうまく捉《とら》えていて、なるほどさもあろう、と、読者の心をひきつけるものもある。面白い小説だと、まるでこちらが登場人物になったような気にさせられる。美しい姫君が物思いに沈んでいる情景など読むと、知らず知らず、本当にあることのようにひき入れられてしまったりしてね。また、荒唐《こうとう》無《む》稽《けい》で不自然な筋でも、ふと、ひとところ、人生の真実を教えられたりする。
小説というものはふしぎなものですよ。
この頃、小さい姫君に、女房などが小説を読んでやったりしているのを聞くと、まあ、話上手なものが世の中にはいるものだと感心してしまいますよ。小説を書く人間というのは、嘘《うそ》を言い馴《な》れた人なんだろうね」
「そうでございましょうか。嘘を言い馴れたかたは、そうお考えになるのでしょうね。わたくしには、みんな本当のことのように思えますけれど」
と、玉鬘は、硯《すずり》をわきへ押しやって、横を向いた。
「おや。ご機《き》嫌《げん》を損じたかな。せっかく熱心に小説に心を入れていらしたものを」
源氏は笑った。そして、ややまじめになり、
「ほんとをいいますと、小説、物語というのは、神代からこの世にあることを書き残したものでしてね。正史といわれる日《に》本《ほん》紀《ぎ》などは、ほんの社会の表面の一部分に過ぎないのだよ。小説の中にこそ、人間の真実が書き残されているのだ。
小説というものは、誰かの身の上をそのまま、書くのではない。うそもまこともある。よいことも悪いことも書く。
ただ、この世に生きて、人生、社会を見、見ても見飽きず、聞いて聞きのがしにできぬ、心ひとつに包みかねる感動を、のちの世まで伝えたい、と書き残したのが小説のはじまりですよ。そこでは善も悪も誇張してある。しかし、それらはみな、この世にあることなのです。異朝や外国の小説でも、みな同じです。小説をまるでうそだ、作り物だということはできない。仏のお説きになる法《のり》にも方便ということがある」
「ええ……」
玉鬘は、ひたと源氏を見つめてうなずく。
まじめに説いてくれる源氏の言葉を、彼女は何ひとつ、きき洩らすまいと、聡明な眼をみはって聴《き》いていた。源氏の言葉に、玉鬘は示唆《しさ》をうけたり、学ぶところが多かった。やはり源氏は、人生の先達《せんだつ》でもあり、師でもある、大きな存在であった。
「悟りを得ていないものは、仏の教えがあちこちで矛盾していると疑いを起こすかもしれない。しかしそれは、結局おなじこと、菩《ぼ》提《だい》つまり悟りと、煩悩《ぼんのう》、つまり迷いとの差なのですよ。小説の中の善も悪も同じこと、人間の善いこと美しいことと共に、人の悪いこと醜いことも書くのが小説。いうなら、どんなものも人間にとって、無益なものはない」
と小説の弁護をするのであった。
「それはそれとして、古い小説類の中でも、私のようにまじめに愚直な男が出てきますか? それからあなたのように情《つれ》ない姫君も。私たち二人のことを書けば、今までなかった珍しい小説になりますよ」
源氏は玉鬘に近々と寄ってささやく。玉鬘は顔をそむけて、
「小説にしなくても、こんな珍しい仲、噂《うわさ》でひろまってしまいましてよ」
「珍しい。おっしゃる通り。……親が子に恋するなんて。しかし不孝の罪は仏もお許しになりませんよ」
源氏は静かに玉鬘を抱きよせて、黒髪を撫《な》でる。玉鬘は声も絶え絶えにやっといった。
「そんな親心は仏さまも驚かれましょう」
源氏はひるんで、それ以上の手出しはできない――しかし、間髪を入れず返してくる玉鬘のけざやかな人柄に、なお、魅せられてゆく。……
紫の上も、小さな姫君にねだられるままに、小説類を集めていた。
姫君はそれを読みかけたまま、いつか、うとうと、寝入っている。
その愛らしい姿を見ながら、
「ごらん遊ばせ……まるで、昔のわたくしみたい」
と紫の上は源氏の袖をひいて微笑した。
「ほんとうだな……。こんな小さい時から、私は待っていたのだよ、あなたの成人を。――何と私ぐらい気の長い男もいないだろうね。あなたたちがよろこんで読んでいる小説にも、こんな辛抱強い男は、出て来ないだろう」
と源氏がいうと、紫の上は、面《おもて》を赤らめて返事しない。
「小さな姫に、あまり恋愛小説などは読ませないほうがいいよ。恋のかけひきや、手くだなどをおぼえさせることはない」
源氏の言葉を、玉鬘が聞いたらどう思うであろう。ずいぶん、自分にいうのとは違うと恨むかもしれない。
源氏は玉鬘を、理性も情趣も兼ねそなえた、男と太刀打《たちう》ちできる女にしたい、と考えている。
しかし、小《こ》姫君は、それこそ世間の風にもあてず、雲の上人《うえびと》として瑕瑾《きず》なき珠《たま》と育てたいと願っていた。
「そういたしますわ。でも小説を読むと、女主人公をわが身にあてはめて、批判したり共感したりして、勉強にもなるのですけれど」
紫の上はいった。
「ほら、宇津保《うつぼ》物語の中に出てくる、あて宮という姫は、あんまりしっかりして重々しく、女らしくないでしょう。そういうのを読むと、いろいろ考えたり、いたしますし、教育にはなりますわ」
紫の上も、いまは、姫君の教育に心くだく年頃になっていた。
「それはそうだがね。――女の子の教育というのはむつかしいものだ。見識のある親が心こめて育てた娘が、おっとりしているというだけが取り得で、あとは何の見どころもない、というようなのがいるが、いったいどういう教育をしたのかと気の毒になるよ。中には、さすがあの人の娘、といわれるような、りっぱな姫君もいるがね。しかし、乳母《めのと》や女房たちがほめちぎるほど、いい所が一向見当らぬ、という女の人の方が多いものでね……」
源氏は数多い恋の経験者であるから、笑みを含んでいう言葉の一々に、含蓄がある。
昔の小説には、継母《ままはは》の意地わるさを書いたものが多いので、源氏は注意してそれらを姫君の目にふれないようにしていた。
源氏は姫君を、悪意も邪念も知らぬ、天女のようにやさしくけだかい女人に育てたかった。それが源氏の夢である。
源氏は、息子の夕霧の中将を、紫の上に近づけていない。自分の犯したあやまちを、息子がくりかえすのを懸《け》念《ねん》しているのである。
しかし、小さい姫君とは仲よくさせていた。
たった二人の兄妹だし、自分亡きあと、夕霧の庇護《ひご》に任せなければいけないので、情愛を深くしておいてやらねばと考え、小姫君の部屋の御簾《みす》の内へ夕霧が入ることをゆるしていた。
けれども紫の上の女房たちの詰所へ入ることは許さなかった。
夕霧はおもおもしく実直な性格の青年なので、源氏は将来も妹のことを任せていけるだろうと安心していた。
姫君も、夕霧になついていた。
「お兄さま、ままごとしましょ、ご一緒に」
とまつわられて、夕霧は相手をしていたが、思いはいつとなく、引き裂かれた恋人、雲井《くもいの》雁《かり》に移ってゆく。
(おばあちゃまのもとで、あのひとと、こんなことをして遊んだっけ……)
思えば、ほんとうの筒《つつ》井《い》筒《つつ》、幼馴染《おさななじ》みであった。雲井雁への失恋のいたでは、まだ癒《い》えていない。
それゆえに、夕霧の中将は、あれ以後、恋人も作っていなかった。恋人といわれぬ程度に、女性へのはかないたわむれごとはいいかけるが、決して本気で将来を誓うことはなかった。
青年の胸には、今も恋と屈辱がくすぶっていた。
六位と蔑《さげす》まれ、下っ端役人と聞こえよがしにいわれた屈辱を、忘れられない。無理に伯《お》父《じ》の内大臣に頼めば、雲井雁との結婚を許してくれるかもしれないが、夕霧としては、伯父のほうが折れて出て「どうぞ娘を貰《もら》ってくれ」とあたまを下げなければいやだ、という、男の意地がある。
それで、うわべは冷静な顔をして、落ちつき払っていた。内大臣の息子たちは、そんな夕霧を小憎らしくも思うようであった。ほんとうは、夕霧は、雲井雁自身には、熱烈な恋文をいまも送りつづけているのだが。
内大臣の長男、柏木《かしわぎ》の中将は、玉鬘に思いをかけていた。
「君、なんとか橋わたしをしてくれよ、君の姉君ではないか」
と夕霧に泣きつくが、
「人のことどころじゃないよ」
と夕霧はすげなくいっていた。しかしこの二人の青年は仲よしで、ちょうど、彼らの父親の若かったころの友情に似ていた。
内大臣は源氏とちがって子福者であった。北の方はじめ、たくさんの愛人に、それぞれ子供が多くいる。母方の身分や、当人の器量に応じ、適当な地位を与えていた。政権が手中にある内大臣としては、すべて思いのままであった。
しかし、姫君は数少ない上に、あまり幸運ではなかった。后《きさき》の位に負けた弘徽《こき》殿《でん》の女御《にょうご》と、幼い恋に身をあやまった雲井雁である。
内大臣は、それを思うとくやしくてならなかった。
折にふれて、夕顔のわすれがたみの女の子を思い出した。
どうしているであろう。母親が頼りない女だったから、可愛ざかりの娘をあたら行方《ゆくえ》不明にしてしまった。全く、女というものは頼りなくて目も放せない。
(どこかで零落《おちぶ》れて、内大臣の娘だと、言いふらしているのではないか。何でもいい、名乗り出てくれたら引き取ろうものを)
と内大臣は思っていた。息子たちにも、そんな噂を耳にしたら、注意して聞き合わせてくれ、といっていた。
「若い頃はよく遊んだが、あの女だけは決して遊び相手ではなかった。ほんとに愛していたのだ。だが気の弱い女だったから、くよくよ悩んで身をかくしてしまった。そのために、あたらせっかくの娘を見失ってしまった」
と口癖のようにいった。
内大臣も、一時は夕顔のことなど忘れていたのである。
しかし源氏の太政大臣《だじょうだいじん》が、娘を大切にかしずき育てているという話をきくと、本意通りにいかなかったわが娘が残念で、幼い頃に別れた娘を思い出さずにはいないのであった。
夢判断の者に占わせると、
「年来、別れ別れになっていらっしゃる姫君が、よそで養われていらっしゃいますね……そういうことがお耳に入りませんか?」
といった。内大臣はいぶかしんだ。
「男は養子にも貰われるだろうが、娘が人の家で養われることはないはず……はて」
常夏《とこなつ》の夕映《ば》えに垣根なつかしき撫子《なでしこ》の巻
京の夏は暑い。
とくに堪えがたい暑さの日、源氏は東の釣《つり》殿《どの》に出て涼んでいた。釣殿は池の上に張り出したたてもので、水上をわたる風が涼やかである。
夕霧や、親しい殿上人なども数人、そばにいた。桂川《かつらがわ》の鮎《あゆ》、加茂《かも》川《がわ》の石伏《いしぶし》などいう魚を、目の前で調理させていると、例のように内大臣の子息の青年たちが、夕霧を訪ねてやってきた。
源氏は喜んで迎えた。
「よい所へみえられた。退屈して眠くなりかけていましたよ」
座が弾んで、酒が出、氷《ひ》水《みず》が取り寄せられる。水飯《すいはん》など食べる人もあり、さざめいていた。風はよく吹きぬけるが、雲ひとつない快晴の空、西日になる頃には油蝉《あぶらぜみ》の声も暑くるしい。
「水の上にいても暑いな。ちょっと失礼しよう」
源氏は横になった。
「こう暑くては、音楽を聞く気にもならないし、一日をもてあますね。御所づとめの若い人は大変だろうな。この暑さに直衣《のうし》の紐《ひも》も解けないんだから。――せめて私のうちだけでも気楽にしていて下さい。何か面白い話はないかね。ねむけざましに聞かせて下さい。近頃は私も年寄りじみた気分になってしまって、世間のことにうとくてね」
と源氏はいうが、
「さあ、格別のこともございませんが」
と青年たちは涼しい高欄《こうらん》に背中を押しつけて、かしこまっていた。
「そういえば、内大臣が、よそに出来た姫を近頃ひきとって、大事にされているという噂《うわさ》を耳にしたが……ほんとですか」
と、弁《べん》の少将に源氏は聞いた。弁の少将は柏木《かしわぎ》の弟である。弁の少将は言い辛《づら》そうであった。
「くわしく存じませんが……世間でことごとしく言いふらすようなことでもございません。父が夢占《ゆめうら》をさせましたのを伝え聞いた女が、名乗り出たのでございます。それを、兄が聞きつけて調べましたようですが、どうも世間に恰好《かっこう》の噂話を提供したようで、我々も弱っております」
「ほほう……。内大臣はたくさんのお子がおありなのに、まだ列に離れた子《こ》雁《かり》まで探されるとは欲が深い。私こそ、子供が少ないから欲しいのだが、名乗り出てくれる者もない。頼り甲斐《がい》もない親と、思われているのだろうね。――しかしその姫君は、内大臣のご落胤《らくいん》かもしれませんよ。お若いころはずいぶんお盛んだったからね。ひどいのも相手にされていたからそのお子とあれば――。底のにごった水に、澄んだ月がうつるはずはない道理でね。ははは」
源氏は笑う。
夕霧もうすうす事情をきいているので、笑わずにいられなかった。
弁の少将とその弟の藤侍従《とうじじゅう》は辛そうな顔をしていた。
「夕霧。お前もそういう落葉でも拾えばいいよ。失恋してみっともない恥をさらすより、同じ姉妹だから、それで慰めるんだな」
と源氏は夕霧をからかった。
源氏と内大臣は古い親友ではあるが、一点性格の合わぬ所があるし、また近来は、夕霧と雲井雁《くもいのかり》の仲を裂き、夕霧に失恋の苦しみを味わわせたということで、内大臣を快く思っていなかった。
夕風がたつにつれて、釣殿は涼しくなってきた。青年たちは立ち去り難いようであった。
「まあ、ゆっくりくつろいで涼んで下さい。私は失礼するが。――どうやら、そろそろ、私も若い人々から煙たがられる年齢《とし》になったようだ」
源氏は座を立った。西の対《たい》へゆく源氏を、青年貴公子たちは見送りのためお供した。
「もっと端近《はしぢか》に寄って、外をごらん」
西の対へいった源氏は、玉鬘《たまかずら》にささやいた。
玉鬘がそっとのぞくと、はや物の隈《くま》もおぼろな夕ぐれ、直衣《のうし》の色も見分けにくいが、数人の公達《きんだち》が、庭の撫子《なでしこ》にみとれていた。
「少将や侍従たちを連れてきた。いい若者ばかりだろう……あの男たちはあなたにあこがれ、このへんへ来たくてたまらないのだが、夕霧の中将が堅物《かたぶつ》だから連れてこないのだよ。
未婚の娘のいる家には、男はみな心そそられるものだが、この六條院もあなたのおかげで、いまや世間の男どもの関心のまとになっている。なぜか、ここの邸《やしき》は、男どもの心をそそる所らしいのだが、あいにく今までは私の妻たちしか住んでいなかったからね。あなたがここに養われてからというもの、男たちの目付きがちがってきた……面白いことになりそうで、わくわくするよ」
「まあ。……ひどいかた」
前栽《せんざい》には撫子ばかり、色美しいのを植え、垣《かき》根《ね》もなつかしくやさしく、夕やみの中に咲きみだれていた。青年たちはそこここにたたずんで花にみとれている。
「みな好青年だな。それぞれ、教養もあり、人柄もいい若者たちだ。ここにはいないが、柏木の中将は、更におちついて上品でいい青年だよ。どうかな、あれから中将の便りは来るかな。あんまり取りつく島もない、というお扱いはなさるなよ」
さかしい玉鬘は、話題を転じてささやいた。
「夕霧さまの、お美しいこと……」
夕霧はしなやかな躯《からだ》つきの青年で、少将たちと何ごとか話し合って笑っていた。源氏は、
「内大臣はなぜこの夕霧をお疎《うと》みになるのか、私は心外ですよ。藤原一族の純な血統を誇りにしていられる方だから、皇族《おおきみ》の血がはいることを喜ばれないのかも知れぬが」
「歌にもございますのに。〈大君きませ、婿にせん……〉と」
「〈御肴《みさかな》に何よけむ〉かね」
源氏も、催《さい》馬楽《ばら》の歌詞で受けて、
「ま、それほど下にもおかぬ待遇で婿にして欲しいというのではない。ただ幼な馴染《なじ》みの二人の、かわいらしい初恋を引き裂いて、長の年月、抛《ほ》っておかれるのが薄情だというのです。まだ官位が低いから世《せ》間体《けんてい》がわるいと思われるなら、知らぬ顔でこちらへ一任して下されば、悪いようにはしないのに……」
と嘆息した。
玉鬘にははじめて聞く話であった。実の父と源氏のあいだに、そんな感情のゆきちがいがあるとは知らなかった。
(そういう間柄でいらっしゃるなら、いよいよ、ほんとうのお父さまに会えるのはいつのことか、わからないわ……)
玉鬘は悲しく思った。
いつか青年たちは去り、あたりは濃い闇に包まれた。月もない頃なので、軒に吊《つ》られた燈籠《とうろう》に灯が点じられる。
「灯が近くて暑くるしい。篝火《かがりび》の方がよい」
源氏は人をよんで、
「この庭に、篝火を一つ焚《た》け」
と命じた。
いい和《わ》琴《ごん》をおいている。源氏が引き寄せてかき鳴らしてみると、律《りち》のしらべにととのえてある。音色もよかった。
「音楽のご趣味はないのかと誤解していましたよ。和琴はお好きかな? 少しお弾き下さい」
源氏がすすめるが、玉鬘は恥ずかしがって手を出さなかった。筑《つく》紫《し》の片《かた》田舎《いなか》で、京の生まれという王族の老女に、ほんの少し手ほどきを受けただけのこと、源氏の前で披《ひ》露《ろう》できるような腕前ではないと、玉鬘は思うのだった。
「和琴は好きでございます。どうかして上手になりたいものと願っておりますの」
「それはいい。和琴はどんな楽器にも合うものでね。簡単だが深みのある楽器です。むつかしくはないが、これでなかなか上手に弾けない。
今の世の名人は、内大臣かな。何でもない菅掻《すががき》にも、世にも妙《たえ》なる音色を出される」
玉鬘は、父君のその音色がぜひ聞きたかった。
「こちらで、管絃のお遊びのあるときにでも、聞かせて頂けましょうか。田舎でも折々弾く人がおりましたが、名人上手とうたわれるかたの音色は、どんなにすばらしゅうございましょうね」
と、熱心にいった。
「内大臣が、秘術をつくして鮮やかに弾きならされるということは、めったにないだろうね。名人といわれる人は、気安く技倆《ぎりょう》を公開しないものだから。――しかし、あなたは別だ。そのうち、聞かれる折があるでしょう」
源氏はそういって、琴をかき鳴らした。華やかな、優《すぐ》れた音色である。これより上手だという父君の琴の音はどんなのであろう。いつになったら、父君が、娘のためにと弾いて下さる琴を聞くことができるだろう、と玉鬘は、親恋しい気持になった。
源氏は弾きながら催馬楽を口ずさむ。
〈貫河《ぬきがは》の瀬々《せぜ》の やはら手枕《たまくら》 柔かに 寝《ぬ》る夜はなくて 親離《さ》くる夫《つま》〉
親離くるつま、のところを笑いながら弾いた。それにつづく菅掻があざやかに面白い音色だった。
「さ、お弾きなさい。芸ごとは、未熟なのを恥ずかしがっていては上達しないよ」
「でも、もう少しお父さまのをおきかせ下さいまし。どうぞお手をお止めにならないで、そのお美《み》事《ごと》な音色をおつづけ下さいまし」
玉鬘は思わず知らず源氏にいざり寄って、
「ほんとうにふしぎ。どんな風が吹き添うて、こうも美しい音色を奏でるのでしょう」
と、首をかしげていた。その姿が愛らしいので、源氏は思わず微笑してからかう。
「あなたは、私がこちらへいらっしゃいといっても来ないのに、琴を弾くと、寄ってくるんだね。どんな風が吹き添うのか、ふしぎですよ」
玉鬘は返事に窮する。
しかし源氏も、今夜は、つい近くに女房たちがいるので、いつものように玉鬘を抱き寄せたり、恋めかしい言葉をささやいたりできない。琴を押しやって静かにつぶやいた。
「撫子の花もみえぬほど暗くなったな。――撫子の花には思い出があるのですよ。その昔、あなたの父君は、幼くて別れたあなたを撫子とよんでなつかしがっていた。あなたのことを知らせたら、どんなに喜ばれるだろう。そう思いながら、しかし、あなたの母君のことを訊《き》かれるのが辛くてね」
玉鬘は萎《しお》れた。
「鄙《ひな》びた片田舎に育ったのですもの、たとえお目にかかっても可愛がって下さるかどうか……。こちらのお父さまのようにはおやさしくして頂けないかもしれませんわ」
と仄《ほの》かにいう――実の父親を慕いながら、源氏にも心づかいするそのやさしさに、源氏はいっそう玉鬘がいとしくなる。
源氏は沈黙して庭の篝火をみつめる。玉鬘への恋に、いまは源氏は堪え切れない思いである。
あまりにしげしげと玉鬘のもとを訪れては、人目を引くであろうと、源氏は気が咎《とが》め、強《し》いて控えている。そうすると手紙だけでも遣《や》らずにはいられない。
明けても暮れても玉鬘のことばかりに心は占められる。なぜこうも、あの女《ひと》のために心を乱すのか、いっそ思うがままに恋を貫いたらこの苦しみもないだろうに。
しかしそうすれば、世の非難や嘲笑《ちょうしょう》をまぬかれない。自分はよいとして、あの女《ひと》に気の毒である。
どんなに玉鬘を愛しても、源氏としては紫の上ほど愛することはできないのを自分で知っている。
その下の地位、明《あか》石《し》の上や花散里《はなちるさと》らと同格に玉鬘を扱うとすれば、彼女にとってなにほどの幸福であり、名誉であろう。源氏のたくさんの愛人の一人とされるよりは、むしろ、平凡な、身分ひくい納《な》言《ごん》あたりの男の、ただ一人の妻として愛される方が、女としてはどんなに幸せかしれない。
あれこれ思うと、源氏は玉鬘がかわいそうで、とうてい、わが思うままにふるまって、強引に自分の恋人にしてしまうことはできなかった。
(いっそ、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮か、鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》に、かたづけてしまおうか……そうすれば、われながらもてあます執着も断ち切れるかもしれない……)
そう思いつつ、玉鬘の姿をみるとその決断も鈍ってしまう。この頃はとくに琴を教えるという名目ができたので、そばへ身を寄せ、手をとることもあるが、玉鬘は次第に馴れて、はじめのように警戒したぎごちない態度をみせることもなくなった。
源氏が、女の扱いにかけては巧者で、やさしく物慣れており、強引な不意打ちや力ずくということはしないのを、怜《れい》悧《り》な玉鬘はおのずと悟ったのであろう。若いさかりはともかく、中年になった源氏は、女の気持を尊重する。女の意に反してことを運ぶ、やみくもな無分別はしない。
そういう洗練されたやさしさが、若い玉鬘にもわかったのか、源氏に馴れて、ほどよい返事をしたり、うちとけたりするようになった。
見れば見るほど美しい姫君である。近まさりする美女、というのは玉鬘のような女人のことをいうのであろうか……。
源氏の胸のおくそこに、不《ふ》逞《てい》なもくろみが陽炎《かげろう》のようにたちのぼる。胸の底の秘めたもくろみは、消しても消してもくすぶっている。それは、玉鬘をこのまま、ここに住まわせて婿をとり、結婚させてのち、源氏が言い寄ることである。
まだ玉鬘が、世なれない無垢《むく》の処女でいるから、源氏は言い寄るのも哀れに思われて、手折《たお》れないのだが、結婚して男を知り、もののあわれも人の情けも解するようになれば、忍びあうのに無理はないかもしれぬ。
夫の目を掠《かす》め、世間の目をごまかして、玉鬘への思いを遂げることもできるかもしれぬ。
だが、そうなったらまた、それはそれでどんなに気が揉《も》めることだろう。
(玉鬘の夫になる男に、自分はどんなに嫉《しっ》妬《と》することか。要《い》らざる物思いを招くことだろうなあ……)
と源氏はそのときの苦労が目にみえる気がする。しかしこのまま結婚もさせず、わがものとするでもなく、永遠の乙女としてとどめておくわけにもいかぬ。さりとて、さしあたって玉鬘をほかの男の手に托《たく》すことも(正直いって)したくないのである。
さしもの源氏も身動きとれぬ思いで、考えこむ。――中年の恋は、あれを思い、これを考え、慎重で細心にならざるを得ない。
「聞かれましたよ、源氏の大臣《おとど》に」
弁《べん》の少将は、父の内大臣にいった。
「お宅では新しい御娘をさがし出されたそうですな、と皮肉まじりに」
「源氏の大臣は、この家のことだと、ずいぶん、早耳だな。気になってならぬらしい。光栄だよ」
内大臣は笑ったが、じつは、源氏と張り合う気持は内大臣の方が強いのである。
そうして、近頃、内大臣はくさくさしていた。源氏が玉鬘の姫君を引きとったという噂《うわさ》に対抗するように、こちらでも娘だと名乗って出た女を、すぐ邸に引きとったものの、(娘は近江《おうみ》から来たので、近江の君と呼ばれていた)これが厄介なしろもので、心中、内大臣はいまいましく、軽率なことをしたと後悔していた。
弁の少将も浮かぬ顔で、
「六條院に引きとられた姫君は、難のない方のようですね。兵部卿の宮が熱心に求婚されているとか」
「なあに。それはあの方の御娘だというだけで評判がいいのだろう。あの方も気の毒に、ご本妻のあいだにお子が出来なくて、さぞ心細いだろうな。こんど新たに引きとられた姫君だとて、ご実子かどうかわかるものか。あの大臣はひとすじ縄ではいかぬお人、他人の子をわが子として育てるくらいのことはなさるだろう。何を考えていられるのか、わからぬところのあるお人だからな」
内大臣の言葉は源氏に向うとき、棘《とげ》をふくむ。
「さあて。その姫君を、どこへかたづけられるのか。兵部卿の宮なら、大臣との仲もよろしく、よくできた方だから、願ってもない婿・舅《しゅうと》というところかな……」
それにつけても内大臣は、大宮の所から引きとった雲井雁《くもいのかり》のことが、くちおしかった。源氏に負けず、こちらも雲井雁を秘蔵の姫君とかしずいて、誰を婿にするのかと、世間の関心をあつめたかった。
それを、はやくも恋愛事件などひきおこして、名を傷つけてしまった。相手の夕霧と結婚させてしまうのがいちばんよいが、もっと男の官位が昇らなければ、許せない、と内大臣は思っている。それも源氏が口添えして懇望するなら、しぶしぶというふりで許してやってもいいと思っているのだが、先方ではどういう考えなのか、この件に関しておちつき払っていて、焦《あせ》ったようすはみせない。
内大臣としては心中、やきもきしているのであった。
内大臣は、ふと思い立って、雲井雁のところへいってみた。
姫君は、羅《うすもの》の単衣《ひとえ》を涼しげにひっかけて、うたた寝をしていた。
かわいらしく、ほっそりと小づくりで、羅から透《す》いてみえる肌の色も美しかった。
愛らしい手付きで扇をもったまま、肘《ひじ》を枕《まくら》に寝ている。しっとりした黒髪が、体にそうて流れていてなまめかしい。
女房たちも物かげでみな、昼寝しているようだった。
内大臣は扇を鳴らした。
雲井雁はふと目ざめて、なに心もなく父を見あげ、羞《は》じらって頬《ほお》を染めた。その愛らしい無邪気なさまが、内大臣の心を打つ。
「不用意なことをする」
内大臣は娘がかわいいので、つい、叱言《こごと》も出るのである。
「女が油断してうたたねとは何ごとです。軽々しい。女房たちもそばについていないとは怪しからぬ。女というものは、いつも隙《すき》のないように用心ぶかくしていなければならない。人目がないといってだらしなくしているのは下品なことだと、いつも教えているでしょう」
「ごめんなさい」
「まあ、あまり、利口そうによそよそしく勿《もっ》体《たい》ぶっているのも、女は可愛げがないことだが。――六條の大臣が、やがてはお后《きさき》にと育てていらっしゃる明石の姫君の教育もそうらしい。利口ぶらず、さりとて頼りないということのないように、というのが、根本方針でいられるらしい。お后候補としてはさもあろうが、人にはそれぞれ、個性があるからね。あの姫君が成人されて宮廷へ入られるころには、どんな風になっていられるか、たのしみだな」
内大臣は、おのずと羨《うらや》ましげな口吻《くちぶり》になってゆく。雲井雁はうつむいていた。
「私も、以前はあなたをお后候補に、と思っていたが、あてがはずれてしまった。しかし、何とか世間にうしろ指さされぬようにしてあげようと、よその娘の噂をきくたびに、思いみだれている。私にも考えがあるのだから、口上手に言い寄ってくる人たちに誘惑されてはいけないよ。わかっているね?」
内大臣は可愛くてならないので、噛《か》んでふくめるように言い聞かせるのであった。
雲井雁は、恥ずかしくて顔も上げられなかった。昔は幼な心地に深い考えもなく事件をひきおこし、父に叱《しか》られても、きょとん、としていたが、物思う年頃になってやっと自分のしたことや、父の傷心がわかったのである。
大宮――三條のおばあちゃまからは、会いにきておくれというお手紙が始終来るが、雲井雁は父の意向をおもんばかって、おばあちゃまを訪れるのにも気がねしている。
内大臣は実のところ、雲井雁よりも、新しい娘の処置に頭を悩ませている。引きとったものの、よくないからまた送り返すというのは、いくら何でも非常識である。かといって、この邸に置けば、あんな娘を大事にかしずくのかと思われるのも片腹いたい。
そうだ、弘徽《こき》殿《でん》の女御《にょうご》のもとに仕えさせよう。むしろ人前に出して、風変りな個性を売り物にした方が、内々もてあますよりはましだろう。器量も、そう悪くはないし、と思案して、内大臣は長女の、女御にいった。
「あの近江の君をさし出しますから、よろしく。見苦しい所は年輩の女房などにいって遠慮なく教えてやって下さい。軽率な娘だから、人の笑われ者になるだろうが」
「そんなことをおっしゃってはお可哀そうですわ。あまりに期待されすぎたから、あのかたはかえって気おくれしていらっしゃるだけでしょう」
女御はやさしく微笑《ほほえ》んで、新しい妹、近江の君を弁護する。わが娘ながらおくゆかしく、梅の花が朝ぼらけ、ひらき初《そ》めたような美しさで、やはりぬきんでた品格だと、内大臣は親の欲目でなく思う。
「中将がいけないのだ。よく調べもせずに騒ぎたてて邸へ引きとらせるからだ」
内大臣は腹をたてているが、どこへ尻を持ってゆくこともできない。当の本人の所へいってみると、簾《すだれ》を高く押し出すように張って、近江の君は五《ご》節《せち》の君という活溌《かっぱつ》な若い女房と双六《すごろく》をしていた。近江の君はしきりに両手をこすり合わせ、賽《さい》の目に小さい数が出るようにと、
「小賽《しょうさい》小賽!」
と口早にまじないをいっている。
(あの早口がどうも下品だなあ)
と内大臣はうんざりし、お供の人々が声をかけようとするのを制して、妻戸の隙間から覗《のぞ》いていた。
相手の五節の君も落ち着きのない女で、
「お返しお返し」
とやかましくいって賽を入れた筒をひねっている。全く何の苦労もなさそうな二人である。
近江の姫君は小柄で愛嬌《あいきょう》のある、ちょっとした美人であるが、額《ひたい》の狭いのと、声が上ずってきんきん声なので損をしている。近江の君のおもざしに、一点、自分に似ている所があり、内大臣は前世の因縁《いんねん》が憂鬱《ゆううつ》になる。
二人は内大臣をみとめて、あわてて双六の手を止めた。
「どうだね。ここにいてもつまらないだろう。私は忙しくて、始終、来てあげられないし」
内大臣がいうと近江の君は早口で、
「いいえ、ここに居《お》らしてもろて、なんにも不足はあらしまへん。長年、会いたい会いたい、思《おも》てたお父さんに会えたんやし。ただ毎日お顔見られへんのだけが、双六にええ目ェの出えへんような頼りなさだすけど」
「身近にあなたをおいて、身の廻りの世話でもしてもらおうかと、思ったりしたこともあったがね。なまじ私の身分では、あの人の娘だ、あの人の姉妹だ、と人の口の端《は》にのぼるのが面倒でね。それもいい評判なら……」
と、さすがに内大臣はその先はいえない。
近江の君はそれを察しもせず、
「いえいえ、そんなご心配はご無用だす。うちはもう、ごく気さくに使うて頂くほうがうれしおます。便所掃除でも何でもしますさかいに遠慮無《の》う、こき使うておくれやす」
というのが物凄《ものすご》い早口である。
内大臣はこらえかねて失笑し、
「そうまでしなくとも、久しぶりに会った親に少しでも孝行する気があるなら、もう少し、ゆっくりしゃべってくれないかね。そうしたら私も長生きできるように思うが」
内大臣は冗談をいうのが好きな方である。
「申訳ないことや思うてます。うちの早口は生まれ付きのものですやろう、亡くなったお母さんが、うちの早口を苦にしてはりました。うちが生まれたとき、妙法寺の坊さんが産《うぶ》屋《や》で祈《き》祷《とう》してくれはりましたが、その坊さんが早口で、それがうつって早口になったんやと、お母さんが嘆いてはりました。ほんまに、どないぞして、この早口を直して、お父さんにご心配かけんように、せないかん、と、気を揉んでますねん」
近江の君は、悪《わる》気《げ》はない娘なのだった。本気にそう思って、困っている風であった。
「うーむ。とんだときに早口の坊さんを頼んだものだね」
と大臣はいいながら、このような娘を、あの、わが子ながらおくゆかしくみえる女御のもとへさし出したら、どんなに人に取り沙汰《ざた》されることやらと、今から、冷や汗が出る思いがするが、
「女御がいまお里帰りしていられるから、時々はあちらへお伺いして、行儀見習いするといいね……」
内大臣が言い終りもせぬうちに、
「ひやあ、それ、ほんまだすか、嬉しいおます。うち、もうどないぞして、皆さまにおつきあいして頂きたいもんやと思《おも》てるのだっせ。もし、身内のはしくれと思うて頂けるんなら、水汲《く》みしてあたまで運んでも、お仕えさして頂きとうおます」
と機《き》嫌《げん》よく早口でさえずるのだった。内大臣は閉口して、
「ま、そんな雑用はしなくてもいいから、女御の御前ではなるべくゆっくり、ものをいうように心がけるんだね」
「そらもう、お父さんのお顔つぶすようなことはせえしません。見てておくれやす。ほんで、いつ女御さまのところへ、参上したらよろしいねんやろ」
「ま、その気になったら今夜にでも」
「ひやあ、嬉し、大きに、ありがとうさんでおます、お父さん」
近江の君は有頂天になって手をたたく。――この内大臣は、大臣の中でもことに美しく威厳あり、人々はその威に打たれて気おくれするような人なのだが、近江の君はそんなことは露しらず、心安げに「お父さん、お父さん」と連発していた。
近江の君はうっとりと、内大臣を見送っていた。
内大臣には立派な四位・五位の官人がお供して、身じろぎ一つするにも、たいへんな権勢がうかがわれる。
「いやあ、ほんまに、見とおみ、あのごりっぱなお姿」
近江の君は、女房の五節の君にいうのだった。
「あんなすばらしい方をお父さんにしながら、うちはまた、なんであんなみすぼらしい貧しい家に生まれたんやろ」
「そやけど、あんまりご立派すぎる殿方どすなあ」
五節は正直なのである。
「あんな仰々しいご身分や無《の》うて、もっと頃合いのところで、よう可愛がってくれはる親御さんに、引きとられはったら、よろしゅうおしたのに。何や、あんまりご立派すぎて、身分違いみたいで気がひけますわ。上流階級のおかたは、下々《しもじも》とちごうて、親身な情愛もうすいのんとちがいますか」
と、ずけずけいう。
「また、あんたは水をさすようなことばっかりいう。失礼やないの。うちはもう、あんたとは身分が違うのやよって、友達みたいな口の利《き》きかたはせんといて欲しいわ。いまにうちは、内大臣家のお姫さんと、世間のみんなにも尊敬されるようになるねんから」
近江の君は腹をたて、まくしたてていた。
この人、顔立ちは見苦しくないばかりか、愛嬌のある美貌といってもよい。すこし蓮《はす》っぱではあるが、いきいきした表情、無邪気なしぐさは、見る人によっては、かわいいと思うであろう。しかし、片田舎に育ったので教養もなく、上流階級の行儀作法をわきまえていないのである。
第一、その早口がいただけない。
女というものは、なんでもない言葉でも、おちついてのどやかに話せば、おくゆかしくきこえるものである。こんな早口では、ぶちこわしである。それに、言葉の田舎訛《なま》りもとれず、人には耳につくその訛りを本人は気付いていないのであった。乳母《めのと》のふところで、わがままいっぱいに育って、躾《しつ》けられることがなかったから、天成の美質も、かくれて見えないのかもしれない。
惜しいといってもよい。
元来が、あたまのわるい人というのではなく、即座に歌をよみすてたりする才能もあるのだった。尤《もっと》も、上の句と下の句とよくつかない腰折れだったりするけれど。
「女御さんのもとに伺えと、せっかくおっしゃって頂いたんやから、早うお伺いせなんだら、しぶしぶ来たのかとご機嫌をそこねてしまうやろ。お父さんに可愛がられても、女御さんがたに冷とうされたら、このお邸に置いてもらわれへん。なあ、五節、あんた、そない思わへんか」
近江の君は、腹心ともいうべき五節には、何でもうちあけてしゃべってしまう。
そのへんも、上流階級の人間からみれば軽率だということになるのであろうが、近江の君はただ、率直なのである。
「そらそうどす」
と五節も、力こめて答えた。五節はずけずけ言いではあるが、近江の君と仲が良く、友達として、近江の君よかれと願っているのである。
「さきに、お手紙さしあげてから、伺うたほうがええやろうなあ」
「そうどすなあ。向うさんからお迎えでもよこしてくれはるのならともかく、こっちから推してお伺いするのに、前ぶれなしに突然あがる、いうのも失礼どっしゃろ。うちかて、こんな場合、どないするのが高貴なお方らの習慣か、ようわかりまへんけど」
と、五節も心細かった。相談する人もなく、二人だけで、嗤《わら》いものにならぬよう、智恵を絞らなければならない。
「ほんまいうたら――」
と五節はすり寄って声をひそめた。
「こないな、上流の方々とのおつき合いは気骨が折れますなあ。――田舎に居ったときみたいに、大声張りあげて、ちょっと遊びにいってもええ?――ふん、どうぞお越しやす、いい合《お》うてるほうが、なんぼ気楽かわかりまへん」
「また! なんであんたはいつもそんな、夢をこわすようなこというのん。せっかく、内大臣家のお姫さんになったのに、田舎暮らしみたいなこと、でけるはずないやないの」
近江の君はたしなめて、一生けんめい考えた、気どった手紙を書いた。
「古歌に申します『葦垣《あしがき》の間近』い所に侍《はべ》りながら、古歌にいう『影ふむばかり』お近くへまいることもできませず、古歌にある『勿《な》来《こそ》の関』をお据《す》えになってへだてられるのかと、怨《うら》めしく存じておりました。古歌にうたわれる『知らねども武蔵野といへば』とあるごとく、まだお目にかからぬ妹でございます。今後とも、どうぞ、よろしくよろしく、またまた、よろしく、ひたすらよろしく」
と、びっしり書いて、やたらと古歌知り顔を仄めかせ、紙の裏にはまた、
「実は、今夜にもお伺いしとうございますが、古歌にある『いとふにはゆる』で、敬遠されるとますますかえってお目もじいたしたく、女御さまにあこがれております。乱筆ごめんくださいませ」
と書いて、更にまた端《はし》に、
「〈草若み常陸《ひたち》の海のいかが崎 いかであひ見む田子の浦波〉
お慕いしております」
青い色《しき》紙《し》をかさね、変体仮名の多い、いかつい角ばった字、誰の書風ともわからず、よろけた字くばり、しかも、「し」の字は長くひっぱって、むやみと気取ってかいてある。
行《ぎょう》などもとなりに倒れかかりそうになっているのを、当人は得意げに、微笑んでながめ、それでもさすがに女らしく細く小さい結び文《ぶみ》にして、撫子の花につけた。
文使いは、樋洗童《ひすましわらわ》の、ものなれた綺《き》麗《れい》な少女を使った。女御の御殿へいき、台盤所《だいばんどころ》をのぞいて、
「これをさし上げて下さいまし」
と渡すと、下仕えの女が顔を見知っていて、
「北の対の、近江の君にお仕えする子だわ」
と手紙を取りついでくれた。
大輔《たゆう》の君という女房が、女御にお取り次ぎする。
女御はご覧になるとほほえんでうち置かれたが、中納言の君という女房がおそば近くにいて、横目遣いに手紙を見ていた。
「しゃれたお手紙のようでございますね」
と見たそうにしている。
「草《そう》仮名《がな》は、見つけないせいか、この歌はむつかしいわねえ……」
と、女御は手紙を渡された。
「やはりお返事も、こんな風に仰々しくしないといけないかしら? あなたが代りに書きなさい」
若い女房たちは、手紙をまわし読みして、忍び笑いをこらえるのに苦労していた。
お返事を使いが待っている、というので、中納言の君は、
「さ、こんな、学のあるお手紙へのお返事はむつかしゅうございますわね。さりとて代筆らしく書いては、失礼に当りますし、がっかりもなさいましょう」
と、女御のお文のように仕立てて書いた。
「近くにいらっしゃるのにお目にかかれぬのは残念ですわ。
〈常陸なる駿河《するが》の海の須磨の浦に 波たちいでよ 箱崎の松〉」
近江の君の歌が、歌枕の名所を手あたり次第によみこんであるのに合わせ、こちらの返歌も、所きらわず、名所の地名をつづり合わせたもので、
「まあ。こまるわ。わたくしが詠《よ》んだように噂されては」
と女御は、美しいお眉《まゆ》をひそめて迷惑そうにおっしゃったので、もう女房たちはたまらず、どっと笑うのであった。
「それは聞く人がわかりますわ」
中納言の君は、手紙を包んで使いに持たせた。近江の君は飛び上ってよろこんだ。
「いやあ、やっぱり、何という、すばらしいお歌やろ。『箱崎の松』――まつ、というて頂けたんやわ。……五節、五節、早う、用意をしてんか」
近江の君は、いそいで薫物《たきもの》を着物に匂わせるやら、紅《べに》をつけるやら、大さわぎである。
女御のお前で、彼女の手紙が、満座の失笑を買ったことなど、知るよしもなく……。
夕月はすでに沈んだ。
秋。人恋しい夕べである。うす曇りして肌さむい夕べ、源氏は琴を枕にして、玉鬘《たまかずら》に添い寝している。
内大臣の見出した、あたらしい姫君のことを、世間では早くも恰好の噂話にしていた。
玉鬘はそれを聞くにつけても、やはり源氏のもとにまず引きとられてよかった、実の親といっても気心の知れぬうちは、どんなお取り扱いをして頂けたことやら……と、思うと、今さらのように源氏のやさしさが身に沁《し》みる。
けしからぬ恋心には当惑させられるけれども、さればといって、源氏は、無《む》体《たい》な振舞いを敢《あえ》てするというのではなく、玉鬘もこのごろでは、源氏に慣れて、いよいようちとけるようになった。
秋風がたつ頃には、源氏は、西の対に絶えず通う。和《わ》琴《ごん》を教えるという口実で……。
「こんなにうちとけて、心をゆるし合いながら、あなたと私とのあいだに何ごともない、などということが信じられない……」
源氏は、やるせなくためいきをついて玉鬘を引き寄せる。
琴の枕はなまめかしいが、人があやしむかと、たゆたいながら源氏は起きた。
「篝火《かがりび》が消えている」
源氏は、男たちに命じて明るく焚《た》かせる。
涼しげな遣水《やりみず》のほとり、枝をひろげた檀《まゆみ》の木の下に、それは明るく焚かれた。
部屋から遠ざけてあるので、明りは、ほのかに及ぶ。玉鬘は、源氏が手を執《と》ると、いまは慣れて、引きこめたり、しない。されるままになって羞じらっている。
源氏は立ち去りかねて、ためいきをつくばかりである。
「あの篝火をごらん。私の恋のようだ。いつまでも、消えようとして消えない」
玉鬘は、源氏の言葉に、あるかなきかに、こたえる。
「篝火なら、いつかは消えますわ。燃えつきて……。
お手をお離し下さいまし。
人が、みていますわ。暗闇から……」
野《の》分《わき》の風に垣《かい》間《ま》見し美しき人の巻
六條院の中の、中宮のお住居《すまい》の庭に、秋草が例年より美しく咲いた。風流な黒木・赤木の垣《かき》などが結《ゆ》われ、枝もたわわに咲きこぼれる秋草の、朝露・夕露にかがやくさまは、春のさかりの景色より美しくみえた。
中宮は秋草にお心ひかれて、ずっとお里住まいをなさっている。管絃の御遊びをなさりたいと思われたが、八月は中宮の御父君の御《ご》祥月《しょうつき》であるから、音楽はご遠慮なされていた。
日々、秋の花を賞《め》でていられるうちに、野《の》分《わき》の吹く頃となった。
今年の野分はことにも烈《はげ》しい。
「おお、これでは花が……」
と中宮は、風に吹きとばされ、無残に撓《たわ》んで折れてゆく秋草に心をいためられた。
日暮れになるほどに、いよいよ風は烈しく人々は、不安になって御《み》格《こう》子《し》をおろしてしまった。中宮は、烈しい風音に、萎《しお》れる花を案じていらっしゃる。
南の対《たい》の、紫の上の御殿でも台風は吹き荒れていた。
「せっかく手入れした小《こ》萩《はぎ》が、まあ、あんなに折れてしまって……」
紫の上は、思わず端近に出て庭を眺ながめずにはいられなかった。
源氏は、小さな姫君の部屋にいっている。
夕霧の中将が、台風見舞いにきたのは、そのときであった。
東の渡殿《わたどの》の小さな衝立《ついたて》越しに、妻戸の開《あ》いている隙《すき》間《ま》をなにげなく見ると、女房たちがたくさんいる。
夕霧は立ち止まって、そっと見ていた。
風が烈しいので屏風《びょうぶ》もたたまれ、片寄せてあるので、室内まであらわに見通しである。
廂《ひさし》の間《ま》に、夕霧が(あっ)と思うように美しい女《ひと》がいた。
その女《ひと》は女房たちとはちがう。まぎれもなく、話に聞く、かの紫の上であるらしい、と夕霧にはすぐわかった。
けだかくて美しくて、あたりがさっと匂うばかりの美貌だった。
春のあけぼのの霞《かすみ》の間から、華やかな樺桜《かばざくら》が咲き乱れている……夕霧はそんなことをふと思った。呆然《ぼうぜん》とみとれている青年の顔にも、そのあでやかさが照り映えるかと思われるばかり、愛嬌《あいきょう》はこぼれるようだった。
あんな美しい女《ひと》も、この世にはいるものかと、青年は搏《う》たれたように思った。
御簾《みす》が風に吹きあげられるのを、女房たちが押えていたが、どうしたのか、佳《よ》き女人《ひと》はそちらの方を見ながら、にっこりした。
その笑顔の、何という美しさ、愛らしさ。
青年は心も魂も吸われてゆくように思った。
その女《ひと》は、花が気になって奥へはいれないようすである。
そばにはそれぞれ美しい女房たちもいたが、その女《ひと》にくらべることもできない。
父上が、自分をこの女《ひと》に近づけないようにしていられたのは、なるほどこの美貌に迷って万一のことがありはすまいかと、懸《け》念《ねん》なされたからであろう。
なんという周到な父上のご配慮かと思うと、青年は、こうしてかいまみているのが、そら恐ろしくなった。
立ち去ろうとすると、ちょうどそのとき、姫君の部屋から源氏が奥の障子《しょうじ》をあけてはいってきた。
「いや、ひどい風だね。格子を下ろしなさい。男たちがそのへんにいるだろうに、これではまる見えになってしまう」
といっている。
青年はあらがいがたい好奇心にかられ、またそっと引き返してのぞいた。
源氏は微笑《ほほえ》んで、紫の上に何か話している。
成人した息子をもつ親とも思えぬ若々しさ、清らかにも艶《えん》に、男ざかりのなまめかしさにあふれている。
紫の上も、これは女ざかりの優雅さが匂うばかり、夕霧はおとなの男女の美しさのきわまりを見た思いで、ことに紫の上のなつかしさは身に沁《し》むようにおぼえたが、折から吹き立てる風のいっそう烈しく、渡殿の格子が飛ばされてしまった。
姿がまるみえになってしまう。
青年はそれに恐れて退き、いま来たばかりのように咳払《せきばら》いして、簀《すの》子《こ》(縁)の方へあるいてきた。その声が間近く聞こえたせいか、
「それごらん。言わないことではない。見通しになっていたよ」
と源氏はいって、はじめて妻戸が開《あ》いていたことに気付いた。
夕霧は内心、紫の上をかいま見られたことがうれしかった。風というものは何とたいしたものではないか、岩をも吹き上げるというけれど、あんなにつつましい深窓の美女を、かいまみさせてくれたのだと思うと、うれしくて、いまは野分に感謝したい気持なのであった。
邸《やしき》の男たちが参って、
「風がひどくなりました。東北の方から吹いておりますから、この御殿は大丈夫ですが、馬場殿と南の釣殿《つりどの》は危険でございます」
と、暴風にそなえて準備に大さわぎしている。源氏は夕霧にどこから来たか、と聞いた。
「三條の大宮の御殿でございます。風がいよいよ烈しくなりそうだとのこと、こちらの様子も不安なのでお見舞いにまいりましたが、またあちらへ戻ります。おばあさまはもう、子供のように怖がっていられるのがお気の毒ですので」
「そうだな。早くいってさし上げなさい――おことづけを頼むよ。風がひどうございますが、夕霧がおりますからご安心なさいませ、私は息子に任せて失礼いたしますが、と――。よくお慰めしてくれ」
源氏は、いつに変らず、亡き妻の母にやさしかった。
道すがら、眼もあけられぬ暴風雨だったが、夕霧は無事、三條邸に着いた。
この青年は篤実な性格で、毎日きちんと、祖母の三條邸と、父の六條邸へ顔を見せていた。御所の御物忌《ものいみ》などで宿直《とのい》するときのほかは、どんなに公務が多忙な日でも、まず六條院に参って、そのあと三條の宮にゆき、そこから参内《さんだい》する、という日課なのだった。まして今日のような暴風雨の日は、夢中で見舞いにあるくのも、殊勝なことであった。
大宮は、夕霧の見舞いを、うれしくも頼もしく、待ち受けていられた。
「この年になるまで、まだこんなひどい野分は知りませんよ」
と、大宮は恐ろしそうにふるえていられる。
戸外では、大きな木の枝でも折れるのか、めりめりという音の聞こえるのも物すごい。
「屋《や》根瓦《ねがわら》も飛んでいるという中を、よくまあ、無事でおいで下さったこと」
と、大宮はうれしそうにおっしゃった。
昔は、あんなに権勢のおありになった方だが、いまは、ひっそりと寂しいお一人ぐらし、孫息子の夕霧のみをたよりにしていられるのだった。おん子の内大臣は、あまり大宮にやさしくないのである。
夕霧の中将は、夜もすがら荒い風の音をききながら、そぞろに人恋しく、寝つかれなかった。
いつも心にかかって恋しい、あの雲井雁《くもいのかり》とは別に、紫の上のおもかげが瞼《まぶた》にただようて消えない。
(これはどうしたことだ。あるまじき物思いをするとは……。恐ろしいことだ)
と、まじめな青年は、自分で打ち消し、強いてほかのことを考えようとするが、またしても心は宙に漂い、紫の上のことを思いつづける。
あんなに美しい人にくらべたら、父上が自分の世話を托《たく》された花散里《はなちるさと》の上は、ものの数ではない。気の毒なくらいである。しかし、花散里の上の、たぐい稀《まれ》な素直さ、柔和《にゅうわ》な気立てを父上は愛していられるにちがいない。
女のよさをみとめる力の深さ、大きさでは、とてもまだ若者の夕霧は、父・源氏にかなわない。
夕霧は、夢うつつに美しい紫の上のことばかり思いつづける。朴訥《ぼくとつ》でまじめな青年であってみれば、万一にも大それたことは夢みないけれど、しかし、
(あんな美しい女《ひと》を一生そばで見つづけて暮らしたならば、どんなに晴れやかな人生だろう……)
などと、うっとりするのだった。
明け方に、風はすこし静まり、折々は、ぱらぱらと雨が降った。六條院では、離れの建物が倒れたと知らせてくる者もある。
ほんに、東の御殿の花散里の上は、人も少なくどんなにお心細かろうと、夕霧は気付いて、夜も明けきらぬうちに六條院へもどった。
その途中も、横ざまの雨が冷たく降り、空のけしきも物すごい。魂はいつかあこがれ出て、はっと気付くと、紫の上のことを考えている。
(……自分としたことが)
と青年は狼狽《ろうばい》して我とみずから、見る人もないのに頬《ほお》赤らめ、物狂おしい。
花散里の方は、怖がっていた。
いろいろ元気づけて、こわれたところを修繕するよう人々にいいつけたりし、南の御殿へいった。
まだ格子も上げられていない。
青年は居間の前の高欄《こうらん》に寄りかかって見渡すと、嵐《あらし》のあとの庭は荒れていた。木々は倒れ、枝は折れ、檜皮《ひわだ》、瓦、透垣《すいがい》など乱れ散っている。朝日の光がわずかにさしそめ、涙かともみえる庭の露もきらきらとして、空はおどろおどろしく霧が立ちこめていた。
夕霧は物がなしい心地を静めて、そっと咳払いする。
「中将が来たらしいな。夜はまだ深いだろうに」
と、源氏の声がして、起きるようであった。
紫の上の返事は、夕霧の耳には聞こえないが、源氏は笑って、
「若い頃でさえ、あなたに味わわせなかったあかつきの別れですよ。今になってお気の毒に」
といっている。紫の上の返事は聞こえぬが、二人の仲らいの親密さは、仄《ほの》かな会話のはしばしにうかがえた。
やがて源氏は出て来たが、夕霧はひとり、うっとりと物思いにふけっている。聡明な源氏は、なにを思ったか、つと戻って、紫の上にささやいた。
「昨日の嵐のさわぎに、あなたを中将が見たのではあるまいか。あの妻戸が開いていたからね」
思いがけぬ言葉に紫の上は顔を赤らめて、
「そんなこと……。だって渡殿《わたどの》の方には、人の足音もしませんでしたもの」
といった。
「そうかな? しかし、おかしい」
源氏はひとりごちた。
源氏は、息子の夕霧を使者にして、あちこちへ風の見舞いをした。大宮が、夕霧の訪れを涙もろくお喜びになったと聞いて、
「そうだろうな。先の長くないかただから、やさしくしてさしあげてくれ――内大臣はどうも、しんみりした情《じょう》のある親孝行をする人ではないからね」
と、息子相手になると、源氏も、つい男同士の内輪ばなしという風になるのであった。
「といっても、あの人はやはり、才幹といい識見といい、当代一流の人物ではあるがね」
そういうことをいいあえるほど、夕霧もいっぱしの社会人になっているのである。
源氏は、更に、中宮のもとへも、夕霧を見舞いにやった。霧ふかい朝、まだ明けやらぬ仄暗い庭に、女童《めのわらわ》たちがうちつれてさまよっている。
虫籠《むしかご》に露を与えているのだった。紫《し》苑色《おんいろ》や撫子《なでしこ》の色の、濃い、あるいは薄い紫の衣《きぬ》が、霧の彼方《かなた》に浮んでいるのも、艶《えん》な風《ふ》情《ぜい》だった。
中宮は、昨夜の嵐に、子供のようにおびえていられたとのことなので、源氏は夕霧にそのことづてを聞くと恐縮して、
「あえかに、繊細なおかただから、どんなにお心ぼそく思《おぼ》し召したろう。申しわけないことをした」
と、早速、自身で、中宮のお見舞いにゆく。夕霧も、供をして廻った。
源氏は中宮の御前から、明《あか》石《し》の上の住居へまわった。ここでも庭に散り乱れた龍胆《りんどう》や、朝顔の垣根を、人々は起こしてつくろったりしていた。
明石の上は、ものあわれな心地のまま、箏《そう》の琴《こと》を弾きすさんでいたが、源氏が訪れたので、手早く衣《い》桁《こう》から小袿《こうちぎ》をおろして身にまとい、源氏を迎える。
そういう、きちんとした、狎《な》れない態度が、いつまでもこの女人《ひと》をおくゆかしくみせる。
「どうだった、昨夜は恐ろしかったろうね。あいにく私は持病が出て、一夜中、悩んで臥《ふ》していた。そばにいてあげられなくて、気になってたまらず、今朝は一ばんにお見舞いにきたよ」
と源氏はやさしくいって、坐ったかと思うと、もう起《た》つのだった。
明石の上は、源氏の言葉のうわのそらのやさしさを見抜きながら、それでも、
「お見舞い頂いて、やっと嵐の怖さを忘れましたわ」
と柔かに礼をいった。
西の対の玉鬘《たまかずら》の姫君のところでは、源氏は先払いさせず、そっとはいっていった。
玉鬘は、野分の烈しさに、一夜中眠られず、あけ方うとうととして、いまやっと起きたところであった。朝の化粧のため、玉鬘は鏡に向っていたが、屏風《びょうぶ》などもたたみ寄せ、日があかるくさし込んでいるので、玉鬘の姿があざやかに美しくみえる。
源氏はそばへ坐って、
「昨夜の野分は、私の心が起こす煩悩《ぼんのう》の嵐といってもいい」
などと耳もとへささやく。
「あれでもまだ内輪な程度だろうね。すこしは分って頂けたかな。恋のあらしの烈しさが」
玉鬘は、聞くのもわずらわしく、うとましく思えた。
「あたくし、ゆうべの風に吹き立てられてどこかへ飛んでいってしまえばよかった、と思いますわ」
と、横を向いて不快そうにするが、佳《よ》き女《ひと》は、不快な表情まで美しかった。
「ほほう。すると飛んでいく先の心あたりがあるわけだね、お目あてはどこです。螢《ほたる》の宮か。鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》か」
源氏がすかさずいうと、
「まあ……」
と玉鬘は笑ってしまう。花がぱっと開いたような匂やかな美しさで、ふっくらした頬は桜色に輝き、愛嬌がこぼれるようである。
上品で近寄りがたい気品、というのはないが、愛嬌という点では、ならびない美女かもしれない。
夕霧は、どうかして、いっぺん玉鬘の姫君を見たいものだと思っていた。
源氏がなかなか出て来ないので、そっと御《み》簾《す》を引きあげてみると、屏風や几帳《きちょう》などが片付けてあるので、奥までよく見通せた。
そうして、夕霧は、一瞬、目を疑ったのである。
玉鬘の姫君が、源氏の腕に抱き寄せられているではないか。
玉鬘は柱がくれにいて横を向いているのを、源氏がためらいなく引き寄せ、自然にやわらかく抱きしめてしまう。玉鬘の黒髪がはらはらと顔にこぼれかかり、源氏に引き寄せられるのを拒むに似せて拒むでもなく、いつか、やわらかに、おだやかに、すっぽりと源氏の腕に入っている。
そのさまは、いかにもその姿態に狎《な》れたことを思わせる。
(いやはや。これは何だ。どういうことだ)
と夕霧は、度を失った。
(親子といっても、年頃の娘を、あんな風にするものだろうか)
源氏に見つけられはしないかと恐れながら、夕霧は目が放せない。
(女にかけては隅におけないかただから、手もとで育てないと、娘でもあんな気になられるのだろうか。それにしても、あんまりじゃないか)
夕霧には衝撃的な情景だった。
なるほど、夕霧自身も、まちがいを起こしかねないような姫君の美しさではある。昨日みた紫の上の美しさにはやや劣るが、こちらはたとえていえば、八重《やえ》山吹《やまぶき》の咲き乱れたのに、夕映えが露も花やかにさした、とでも形容しようか。
源氏はこまやかに何ごとかささやいていたが、ふと、真面目《まじめ》な様子になって立ち上った。
玉鬘が、
「あまりご無理おっしゃると、あたくしは女《お》郎花《みなえし》の花のように荒い風に萎《しお》れてしまいましてよ」
と、つんとしていうのが夕霧の耳にとまった。源氏は笑って、
「強情を張るからですよ。風の吹くままに靡《なび》けば折れも萎れもしない。なよたけをごらん。……」
といっている。夕霧はそこまで聞いて、身を隠すべく、そっと離れたが、胸は波立っていた。親子にあるまじき会話ではないか。
源氏は花散里の見舞いにもいった。
花散里は、野分の翌朝の寒さに思い立ったのか、女房たちが、裁縫に精を出していた。
美しい朽《くち》葉《ば》色《いろ》のうすものや、紅色の絹が、そのへんに散らばっていた。
「中将(夕霧)の下襲《したがさね》ですか。せっかく用意しても、この野分で、御所の壺前栽《つぼせんざい》の宴も中止になるだろうな。今年の秋はさんざんでしたね」
源氏は、自分のために、花散里が染めさせた衣を見た。露草や紅花でうっすらと染めてある色はこよなく美しい。花散里は、こんな染色の趣味もふかく、たくみなことは、紫の上に劣らなかった。
「それは、若い人向きにいいね。中将に着せてやって下さい」
などと源氏は話して、座を起った。
夕霧は、源氏の供をして、方々の見舞いにあるいて疲れて来た。青年自身も、書きたい見舞いの手紙などあったのだが、すっかり日が高くなってしまった。
彼は、妹の小さな姫君の住居へいった。
「まだお母さまのところにいらっしゃいますのよ。ゆうべは風に怖《お》じられて大変でした」
と乳母《めのと》がいった。
「そうでしょうね。こちらで宿直《とのい》しようか、と思ったけど、三條のおばあさまが心細がられるものだから……。ままごとの御殿はどうでした」
と夕霧が冗談をいうと女房たちも笑った。
「扇の風さえ大さわぎなさるのですもの。ままごとの御殿のお世話で大変でしたわ」
青年が、いくらか馴染《なじ》みのあるのは、この明石の姫君付きの女房たちだけなのだった。
「ありきたりの紙でいいですから、頂けませんか。それと、あなた方のお使いになってる硯《すずり》を拝借したい」
と青年は頼んだ。女房が姫君の置《おき》戸《と》棚《だな》から一巻の紙を硯の蓋《ふた》に入れて出した。
「いや、こんなりっぱなものでなくとも」
と夕霧はいったが、それで手紙をしたためた。紙は紫の薄様《うすよう》である。
青年は注意ぶかく墨を磨《す》り、筆の穂先に気をつけて、心こめて手紙を書いていた。
女房たちは、(どなたへのお手紙かしら?)
と、奥ゆかしがって、ぬすみ見ていた。
しかし、実をいうと、青年は儒学者出身であるから、ぎごちない、かたくるしい歌を詠《よ》んでいるのである。
〈風さわぎむら雲まよふ夕べにも 忘るるまなく忘られぬ君〉
それを、吹き乱れた苅萱《かるかや》につけた。
「あら、風流なお手紙は、たいてい、紙の色と同じ花の枝に、おつけになるものですわ」
女房たちがいうと、
「そうですか。どうも私は、そういうことにうとくて。どんな花がいいのか、よくわからないのです」
青年は真面目《まじめ》で、寡黙で、女房たちとも、馴れ馴れしくしない。上品な態度だった。
もう一通書いて、従者の右《う》馬助《まのすけ》に渡した。右馬助は小綺《こぎ》麗《れい》な少年に一通を、物馴れた随《ずい》身《じん》に他の一通を与え、耳打ちして使いにやるのを、若い女房たちは好奇心に駆られ、あて先を知りたがった。
小さい姫君が、紫の上のもとから帰ってくるというので、女房たちは出迎えにざわめいている。
青年は、この頃ではもう、妹とはいえ、姫君を目のあたりに見ることはできなくなっている。それでも、さきほど見た美しい人とくらべてみたくなって、いつにないことだが、妻戸の御簾に半身を隠し、几帳のはざまから覗《のぞ》いてみた。
異母妹の、幼い姫君が通りすぎてゆくのが、ちらとみえた。大勢の女房たちがゆき来するのではっきり見えないから、もどかしいのだが、薄紫の着物に、髪はまだ背《せ》丈《たけ》ほどもなく、末は扇をひろげたよう、体つきは細く小さく、いたいたしいほど愛らしい。
(美しいなあ。年ごろになったらどんな美人になるだろう。この姫君は、たとえれば、藤の花というところだろうか……)
青年は、美しい人々からきびしくへだてる父親の心が恨めしく、魂はあこがれて、うつつ心しない思いだった。
雪ちる大《おお》原野《はらの》にめでたき行幸《みゆき》の巻
玉鬘《たまかずら》の身のふりかたに苦慮する源氏は、ついに一つの方法を発見した。
宮仕えに出してやることである。
求婚者たちをあきらめさせ、かつ自分の恋も、断ち切るでもなし活かすでもなし、という、あやふやなままにおいておくとすれば、諸人の手の届かぬ宮中へ、玉鬘を送りこむのが一ばんかもしれなかった。それも、公式の、高い身分の女官・尚侍《ないしのかみ》という位置へ。
その年の十二月、洛西《らくせい》の大原《おおはら》野《の》に行幸《ぎょうこう》があった。
世間の人々は、あげて拝観しようとさざめいている。六條院の女人たちも車を並べて出かけることになった。
このたびの行幸は、近年まれなる美々《びび》しき盛儀であった。
行列は卯《う》の刻(午前六時)に御所を出、朱《す》雀《ざく》大路を南下し、五條大路を西へ折れる。桂《かつら》川《がわ》まで見物の車はひまなく並んだ。
親王がた、上達《かんだち》部《め》まで特別に馬・鞍《くら》をととのえ、随身《ずいじん》・馬副《うまぞい》の人々に至るまでよりすぐった美男を揃《そろ》えてあったから、いかにも見ものであった。
左右の大臣・内大臣・納《な》言《ごん》以下、お供をしない者はない。男たちは青い袍《ほう》に薄紫の下襲《したがさね》を身にまとっていたが、そこへ雪がはらはらと散りかかるさまは、世にも美しい。
女たちは夢中で見とれた。
玉鬘も、見物の車のなかにいた。
今日を晴れと着飾る、いずれ劣らぬ美男ぞろいの貴族たちの中にも、やはり、ひときわぬきんでてめでたきは、若き美貌の帝《みかど》であられた。玉鬘の視線は帝に吸い寄せられる。
帝は赤色の御《おん》衣《ぞ》を召され、輿《こし》の中に端麗な横顔を見せていられる。
だれそれの中将がすばらしい、いや少将が、と若い女房たちは騒いでいるが、帝をいちどお見上げしたら、比ぶべくもない。
玉鬘はそれとなく、実父の内大臣をさがしてなつかしく眺めた。男ざかりの貫禄《かんろく》ある、りっぱな中年男性であるが、威厳の点で帝に及ばない。美しさでは、源氏の大臣《おとど》は、帝と瓜《うり》二つであるものの、なお、若さと品位に於て、帝は輝くばかりたちまさっていられる。
玉鬘は、かねて源氏に示唆されていた、宮仕えについて、帝を拝見してから心が動いた。
後宮に入って、ほかの女御《にょうご》と共に帝寵《ていちょう》を争う、というのは気がすすまぬが、おおやけの女官として勤務するというなら、いいかもしれない、などと玉鬘は、娘心にいつか、美貌の若き帝にあこがれをおぼえていた。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が通られる。
鬚黒《ひげくろ》の右《う》大将《だいしょう》もいる。
この人は朴訥《ぼくとつ》な人で、平素は重々しく野暮《やぼ》ったい身なりだが、今日は武官として華やかなよそおい、胡f《やなぐい》(矢を入れたもの)などを負うて粋《いき》な姿でお供している。堂々たる体《たい》躯《く》、黒い鬚に面《おもて》を半分掩《おお》われた、たのもしい武官である。
しかし、玉鬘にはうとましくみえた。若い娘の心には、逞《たくま》しい中年男よりも、女にも見まほしい美青年の帝のほうに、熱いあこがれをいだくのであった。
(……なんと、むくつけき男性《ひと》だろう。……あんなおそろしげな、鬚なんか生やして。だから、あのかたのお手紙も、無《ぶ》骨《こつ》で、ぎごちないのだわ……)
と、玉鬘は興ざめた。
その翌日である。
源氏の手紙が、玉鬘のもとへとどけられた。
「昨日、帝をお見上げなさいましたか。
かねて私のおすすめする宮仕え、大分その気になられたのではありませんかな」
白い紙に無造作な、うちとけた走り書き、
「……いやだわ」
と玉鬘は、源氏の鋭い洞察力《どうさつりょく》にふと、笑いを洩《も》らしつつ、
「散りかかる雪に遮《さえぎ》られ、みかどをお見上げすることはできませんでした」
と返事を書いた。源氏はそれを紫の上に見せながら、
「宮仕えのことをすすめているのだよ」
と、紫の上には、なんでもうちあけて話すのである。
「帝を拝見したら、どんな女人だって宮仕えして、おそばにあがりたくなると思うね」
「そんな、主上《うえ》に向ってはしたないことが……」
と紫の上は笑う。
「そういうあなたが、まっ先にぽうっとなってしまうだろうな」
源氏は玉鬘の心が宮仕えにかたむいているのを見てとって、計画をいろいろ練っている。
その前にまず、玉鬘に裳着《もぎ》の式を行なわねばならない。これは、貴族の姫君の成人式とでもいうべきもので、はじめて裳《も》・唐衣《からぎぬ》を着て正装し、しかるべき人を頼んで、裳の腰紐《こしひも》を結んでもらう儀式である。
源氏は式のための調度類を、ことに念入りに準備させた。裳着の式にことよせ、この際、内大臣に真実を知らそうと思ったからである。
感動ふかい式になりそうなので、すばらしい雰《ふん》囲気《いき》を作り、玉鬘の新しい人生へのはなむけとしてやりたかった。
年があらたまり、式を二月に、と源氏は心づもりした。
玉鬘の宮仕えが具体化すれば、出自《しゅつじ》も明らかにし、氏神へもお詣《まい》りせねばならぬ。玉鬘は、内大臣の子であってみれば、藤原氏一族の姫である。源氏の子と、いつまでも偽っておくことは、藤原氏の氏神、春日明神《かすがみょうじん》の神慮にも違《たが》う。身分がら、いつまでも、あいまいにしておくわけにもいかず、
(何といっても親子の縁は切れないのだ……。同じことなら、こちらから内大臣に打ちあけよう)
と源氏は決心し、裳着の式の、腰結《こしゆい》といって紐をむすぶ役目を内大臣に依頼した。
内大臣は、大宮が、去年の冬からご病気なので、と辞退してきた。
それは事実で、夕霧も、祖母宮の看護に、懸命の毎日である。
折《おり》悪《あ》しきことだと源氏は考えこんだが、もし大宮に万一のことでもあれば、玉鬘も服喪しなければいけない。他人のままでおいておくことはできない。大宮のご存命のあいだにこのことは明かしてしまおうと源氏は、三條の宮へ出かけた。
微行のつもりであるが、やはり源氏が出かけるとなると、まるで行幸のような大層な威儀になってしまう。
大宮は久しぶりの源氏の訪れを喜ばれて、起き上られた。脇息《きょうそく》によりかかって弱々しくお見えになるが、よくお話しになる。
「それほどお悪くはみえませんね。夕霧などが大げさに申しますから、たいそう心配でしたが、お元気そうに見えますよ」
と源氏は慰めた。
「年齢《とし》でございますから……」
と大宮は仰せられる。
「もう、いつお迎えがきてもよいと思っております。惜しい年ではございませんよ。――あなたにもお目にかかれて思い残すこともございません。ただ、この夕霧がやさしく世話してくれますので、それに心をひきとめられて長らえておりますのよ」
とお泣きになるのもいたわしい。源氏は、
「内大臣は毎日お見舞いに来ておられるのでしょうな。こんなついでにお目にかかれれば嬉しいのですが。お話したいことがあるのですが、なかなかよい折がございませんで」
「あの人は仕事が忙しいのか、情味が薄いのか、あまり顔をみせてくれませぬ。お話といわれるのは何でございましょう。夕霧と雲井《くもいの》雁《かり》のことでしょうか。……あれも、言い出したらきかない人なので……」
大宮は、夕霧と雲井雁の結婚を、源氏が内大臣に頼みたいのではないかと、思われるらしかった。源氏は笑って、
「いや、あのことはなりゆきに任せております。私が口を出しますと却《かえ》ってこじれましょうし、二人に立った浮名が消えるわけのものでもありません。時間が解決してくれましょう。私としては、内大臣がこの件でまだ怒っていられるのをお気の毒に思うばかりです」
などといって源氏は本題に入った。
「実は、お驚きになるかもしれませんが、内大臣のお子を、私の子供と思い違いして、引き取って育ててまいりました。先方も詳しいことを話してくれませんし、私もそのまま強《し》いて調べるということもせず、なにしろ子供が少なくてさびしいものですから、先方のいうまま引き取りました。たいして世話もせず親しみもせず、いつのまにやら日がたちました……睦《むつ》まじく話などしたことはございませんが、美しい姫君です」
「まあ、ふしぎなお話……。どうしてそのひとはまた、あなたのお邸《やしき》へ願い出たのでしょう。誰かに教えられたのでしょうか」
大宮は、びっくりしていらっしゃる。
「いろいろわけもありますが、内大臣はお話すればわかって頂けましょう。世間にもいつとなくこの噂《うわさ》が洩れ、主上《うえ》から、尚侍《ないしのかみ》として仕えないか、とお話がございました。尚侍は高貴な家柄の姫で、世のおぼえもめでたい女人でなければなりません。女性の身で公職につく、ということも、また、立派なことです。そのお話があったので、私がいろいろ当人の生まれ年など聞き合わせて、その結果、内大臣のお子ということがわかったのです……」
大宮はいそいで内大臣を呼びよせられた。
雲井雁のことか、と内大臣は考えた。
(いよいよ辞を低くして頼みに来たか。いや、まだまだ、許諾できないぞ)
と思ったりしていたが、旧友同士、久しぶりに会うと、日頃のわだかまりは消え、負けじ魂も忘れ、若い頃の気分にいつか引き入れられてゆく。盃《さかずき》はめぐり、昔のこと、いまのこと、話が弾《はず》むうちに、源氏は、玉鬘のことをうちあけた。
「えっ。ではあの夕顔の忘れがたみ……」
と内大臣は呆然《ぼうぜん》とした。
「生きていてくれたのですね、つつがなく生《お》い立っていてくれたのですね……」
内大臣は思わず、盃をおいて目がしらを拭《ぬぐ》った。
「あの頃から、行方《ゆくえ》をさがしていました。あちこちに落ちこぼれた子供を、恥ずかしく思いつつ拾って育てるにつけても、あの子のことを忘れたことは、なかったのですが……そうですか、あなたの手もとに……」
「若い日に、雨《あま》夜《よ》の品定めのとき、あなたののろけを聞かされたっけ」
と源氏が戯れると、
「いや、お互いに、恋の冒険においては張り合っていましたな。二人とも、よい勝負だった……」
と内大臣も応酬し、旧友二人は泣きつ笑いつ、若い日の思い出話に興じ、太政大臣《だじょうだいじん》・内大臣という身分を忘れてうちとけあった。
何十年の昔に、いっぺんにたちかえったようだった。
大宮は、それをご覧になって、涙ぐんでいられた。大宮にとって昔を今になすよしもない悲しみは、この二人をむすびつけていた葵《あおい》の上《うえ》が、疾《と》うに亡《な》いことだった。
源氏も内大臣も、夕霧の話はもち出さなかった。その点に関しては、二人にわだかまりがある。どちらも、わが子のことゆえ、こちらから折れて出られぬ、という気があって、口にはしなかった。
「では、姫君の裳着の式の日にお忘れなくおいで下さい」
と二人は機《き》嫌《げん》よく別れた。内大臣の供の人々は、
「ご機嫌がいいが何ごとだろう。また政治向きのことで、太政大臣からお譲りがあったのだろうか」
などと推察し合っていたが、まさか、姫君の譲りとは思いもしなかったであろう。
内大臣は、源氏の話を聞いたときから、玉鬘にあいたくてたまらなかった。しかし、急に、父親顔をして引きとるわけにもいかない。
第一、源氏も手放すまい。
源氏はすでに玉鬘を愛人にしたのではないか、と内大臣は疑っている。あまたの夫人たちに遠慮して、急に、自分へ親の権利を譲ったのではないか。
それを思うと、いささかくやしくもあるが、しかしまた、玉鬘が、源氏の夫人の一人となっても、そう不名誉なことでもないように思われる。
宮仕えさせるにしても、何にしても、ともかく源氏の意向にしたがわねばなるまい、と内大臣は思った。
この話のあったのは二月上旬のことだった。
十六日が吉日だというので源氏は裳着の式を行なうことにして、玉鬘にいろいろ話した。
内大臣との会見のようす。
裳着の式の心得。
おちついて、心こまやかに注意をあたえる源氏は、全くたのもしい、やさしい父親の態度だった。玉鬘はうれしくも慕わしい心地になりながら、さすがに、実の父にあえるという喜びは強かった。
源氏は、夕霧にも、やっと事情をうちあけた。
「さようでございましたか。内大臣の姫だったのですか……」
夕霧はうなずきながら、心中ひそかに合《が》点《てん》していた。いつぞやかいまみた、源氏と玉鬘のただならぬ痴態は、あれはやはり、実の父《おや》娘《こ》ではないためなのだ。
それならば、自分と、あの美しい玉鬘姫のあいだに、恋が生まれても、べつに怪《け》しからぬ道理はないのだ……せっかくこの邸に住んでいる美しい女人《ひと》に、思いをうちあけずに終るのは残念な……と、夕霧はふと思って、いやいや、考えれば、あの玉鬘は、恋人、雲井雁の姉に当る人ではないか、とまじめな青年は思い返し、みずからをいましめるのだった。
裳着の式の当日、三條の大宮から、忍びやかなお使いがきた。おばあちゃまからの贈り物として、新たにふえた孫の玉鬘に、今日の式のための櫛箱《くしばこ》を下さったのだった。
「尼の私がお祝いをするのもふさわしくございませんが、長生きだけはあやかって下さいまし。かわいい孫がひとりふえて、なつかしく、うれしく思っておりますよ」
というお手紙が添えられてある。
源氏はそれを見て、
「昔は美しい字をお書きになるかただったがなあ……お年を召して、字も震えがちのようだ」
と感無量である。
今日の式のために、あちこちから贈りものがあった。中宮からは白い裳、唐衣《からぎぬ》、そのほか、香《こう》の壺《つぼ》には舶来の薫物《たきもの》のすぐれたのをお届けになられた。
ほかの夫人たちからも、それぞれ、趣向を凝らして、衣、櫛、扇などみごとなものを調えて贈った。洗練された趣味の人々が競って用意したものだから、みな格別に美《み》事《ごと》だった。
東の院の人々は、六條院の女君たちとは身分も立場もちがうので、裳着の式のあることは聞いていたが、遠慮してひかえていた。
その中で、末摘花《すえつむはな》の君だけは、形通り贈り物をととのえないと気がすまないたちである。
青鈍《あおにび》色の細長《ほそなが》、古風な昔ものの、色褪《あ》せた袴《はかま》。紫色が白っぽく飛んでしまったような小《こ》袿《うちぎ》。それらを衣裳箱《いしょうばこ》に入れ、大層に包んで贈った。手紙には、
「私などが贈りものをさしあげますのはどうかと存じますが、知らぬ顔をするのもどうかと思いまして。つまらぬものですが、お付きの人々にでもさしあげて下さいまし」
源氏はそれを見ると、顔が赤くなる気がする。舌打ちしたい思いで、
「またよけいなことをする人だ。とんまな人はいっそひっこんでいればいいのに、へんな所で律《りち》儀《ぎ》にやるから、却って恥をかく」
そういいながら、玉鬘に、
「しかし、返事はさしあげて下さい。気にするだろうからね。亡き父君の宮が大切にしていられた姫なので、それを思うと哀れでもあってねえ」
末摘花は、小《こ》袖《そで》に歌も入れていた。
〈わが身こそうらみられけれ唐《から》ごろも 君がたもとに馴《な》れずと思へば〉
長いことあなたと離れ住んでいるわが身が恨めしゅうございます、という常套《じょうとう》的な、儀礼の歌である。
(あいかわらずだな……。歌は進歩していないし、字に至っては後退している)
源氏はしまいにおかしくなってきた。
「これだけよむのに、まあ何日かかったことやら。このご返事は、私がしよう」
といって、さらさらとしたためた。
「よけいな贈り物は、なさらぬ方がましですよ」
と、ずけずけ書いて、
〈唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる〉
という歌を添えた。
「唐衣という言葉が、あの人はお好きでね。これさえ使えば歌になると思っているから」
と玉鬘にみせると、玉鬘は堪えかねて、
「ほほほほ」
と吹き出してしまった。
「でも、あんまりですわ、そんな。まるでからかっていらっしゃるみたいで」
「なあに。これくらいいわないと分らない人でしてね。はっきり、いった方が、あの人のためなのです」
内大臣は、(この人に珍しく)定刻より早く来た。いつもは、そういう軽々しいふうをみせぬ人であるが……。
ゆきとどいた、りっぱな準備がなされていて、内大臣は源氏の好意を喜んだが、また、実子でもないのにここまでする源氏の真意をすこしはかりかねたのも事実である。
亥《い》の刻(午後十時)に、内大臣を御簾《みす》の中へ案内した。まばゆいしつらいの中で、内大臣に肴《さかな》をすすめる。灯もあかるくして、親子の対面に、内大臣がよく見られるようにと心遣いしてあった。
内大臣はしげしげと見たいと思いながら、万感が胸に迫って、やっと裳の腰を結んだ。
源氏は、
「今日は、昔のことはいわず、普通の作法のようにお願いします。事情を知らぬ人たちもいますので」
と、内大臣にいった。
「いろいろのお心遣い、まことにかたじけなく思います」
と内大臣は盃をすすめられて、
「ご親切はうれしいが、今まで私に何も知らされなかったのが、うれしいやらうらめしいやら……」
玉鬘も萎《しお》れて、気おくれしてだまっているので源氏が、
「取るに足らぬ身と思いこみ、迎えて下さるかどうかと、気おくれしたのでしょう」
と代ってこたえた。内大臣は、夕顔のことやら何やら、胸せまる思いであるが、口にはせず、ただ、うなずいて、美しい玉鬘をじっと見つめ、やがて御簾を出た。
内大臣の子息たちで、玉鬘に求婚していた青年たち、柏木《かしわぎ》の中将や弁《べん》の君(少将)は、真相を知らなかったとはいいながら、すこし恥ずかしい思いもし、また、玉鬘が姉弟《きょうだい》であったことをうれしくも思っていた。
「よかったよ。もう一歩踏みこまないで」
と、弟の弁は、兄にささやいていた。
「どうもあの六條の大臣《おとど》は、姫を引きとって育てるのがご趣味らしいな。中宮と同じように、ご養女になさるのかもしれない」
それは世間の声でもある。源氏はより慎重に、玉鬘の進退をきめようと思った。
兵部卿の宮は、もう裳着の式もすんだ今はぜひ結婚を、と熱心にいわれるが、源氏は宮仕えを、主上のご意志と称して婉曲《えんきょく》に断わっていた。
内大臣は、娘の女御にだけは、玉鬘のことをはっきりうちあけたが、いつか、世間に洩れきこえて、やがて近江《おうみ》の君も知ったらしい。
「また、お父さまは新しいお姫さんをみつけはったそうですけど、まあ、えらい幸せな人ですわなあ。両方の大臣のおうちで可愛がられはって。そして、聞いてみたらやっぱりそのおかたも、身分の低い女の人のお子やいうやおませんか」
近江の君は、女御の前へ来て、兄の柏木や少将にいうのであった。
女御は聞き苦しく思われて何もいわれない。
柏木はしかたなく、
「その方は大切にされる事情がおありになるからでしょう。それにしても、大きな声でそんなことを言い触らされると、わけを知らない人が好奇心をもって口さがなく噂しますから、うちうちのことは見さかいなくいわないで下さい」
といった。
「そんなんいいはったかて、うち、何でも知ってます。そのお姫さん尚侍《ないしのかみ》にならはりますのやろ、うちの方が早うお邸にきたのに、そのお姫さんの方をみんなで可愛がって引き立てはるのです。うち、人のせえへんことまで引きうけて、一生けんめい働いてるのも、尚侍にして頂けるかしらんと楽しみにしてるのに……」
「尚侍に欠員があれば、私たちがしてもらおうと思っていたのだが」
と柏木が冗談をいうと、みなどっと笑った。
「まあ、うちをばかにしやはる」
と近江の君は腹をたてた。
「ええ、どうせ、あなたがたはごりっぱなお生まれですやろ。うちはどうせ生まれが卑しいのやから。お兄さんが悪いのんや。うちは何も頼めへんのに、引っぱり出してお邸へ引きとってやる、いうて、なぶりものにして、みんなで笑わはるのや。こわいお邸や、こわいお人らや……」
と近江の君は目を吊《つ》りあげてにらむ。
「あなたがよくしてくれるのは、知っていますわ。そう怒らないで」
と女御はやさしくいわれると、
「そない、いうてくれはるのん、女御さんだけです。何でもしますさかい、尚侍にしてほしおます、お便所掃除でも何でも」
近江の君はほろほろと泣きながらいい、人々はこらえかねて、また笑うのである。
露じめりして思いみだるる藤袴《ふじばかま》の巻
薄い鈍色《にびいろ》の喪服をしなやかに身にまとい、玉鬘《たまかずら》は夕暮れの空をながめていた。
かの、裳着《もぎ》の式のあと、三條の大宮はついにみまかられた――実の祖母宮であったから、玉鬘も、喪に服したのだった。それとなく、ひっそりと……。
まだ世間には、内大臣の実の姫君と公表していなかったからである。
夏はあわただしく過ぎ、秋を迎えた。やがて、喪が明ければ、宮仕えのときがくる。
玉鬘は、一日一日と憂愁の度を深めずにいられない。
後宮の中で多くの女人にたちまじっての生活は、どんなに心労多いものであろう。
さればといって、いつまでもこの六條院にいるわけにもいかない。源氏はいまはなお、あからさまに玉鬘に言い寄り、世間も、二人の仲を怪しみ出しているらしい。実の父の内大臣も、源氏に遠慮して、わが邸に引き取るとは言い出しかねているようである。
玉鬘には相談すべき女親も姉妹《きょうだい》もなかった。聡明なだけに、却《かえ》って思い乱れることが多かった。玉鬘は秋の夕空をみやりながら、ほっとためいきをついた。
そこへ夕霧の中将が、父の使いできた。これも鈍色の、玉鬘のそれよりやや色濃い直衣《のうし》に、冠の纓《えい》を巻いた喪服姿、なまめかしくも清らかな美青年である。
かねて姉弟《きょうだい》の扱いをしていたから、従姉《いとこ》だということがあきらかになっても、急に態度を変えるのはおかしい――玉鬘は、御簾《みす》や几《き》帳《ちょう》をへだて、人づてでなく直接、言葉を交すのである。
夕霧の使いは、宮仕えを促される主上の仰せをことづてたのであった。
青年は、それだけでは気がすまない。
玉鬘の要領のよい、それでいて女らしいもの柔かな返事、やさしい態度を見ると、この女《ひと》を、競争相手の多い御所へやって苦労させたくない気がする。
姉だと思ったから自制していたが、いまは熱い恋ごころが、抑えようもなく溢《あふ》れてくるのを、青年は自覚している。
「父から内密の話をことづかってまいりましたが」
と夕霧は仔《し》細《さい》らしく、声ひそめていった。
本当は、そんなものはありはしないのである。
青年は、玉鬘に近づきたいのだった。
そばにいた女房たちは心得て退《さが》ったので、青年は膝《ひざ》をすすめた。
「主上《うえ》はあなたが宮中へ上られるのを待ちかねていられます……。あなたに対する主上の御恋慕と御関心は、ただならぬものがあります。主上のご寵愛《ちょうあい》はかたじけないことですが、中宮や女御《にょうご》がたの関係もあり、その点はくれぐれもお心遣いが肝要、と父も心配しております」
と青年は、そらごとを真率らしく伝えたが、それは実は彼自身が訴えたいことなのだった。
彼は、野《の》分《わき》の日にちらとかいま見たこの美しい女《ひと》を、後宮に奪われるのは堪えられない思いなのだった。
玉鬘は、返事の言葉も出ず、忍びやかにためいきをつく。
そのさまは、夕霧が抱きしめたくなるほど愛らしい。夕霧はなおも話しかけたかった。
「喪服も、いよいよ脱がねばなりませんね。十三日は日がいいので、除服のお祓《はら》えに賀茂《かも》の河原《かわら》へおいでになるがよいと父が申していました。私もお供します」
「ご一緒では人目にたちますわ……なるべく、そっとしとうございます」
玉鬘は考え深くいった。
「どうしてです? なぜそう控え目になさる。同じ三條のおばあちゃまの、孫同士ではありませんか」
夕霧は、美事な藤袴《ふじばかま》のひともとを携えてきていた。それを御簾の下からさし入れて、
「従姉弟《いとこ》の縁につながる私たち……同じ喪服の藤ごろもを着る仲ですよ。お疎《うと》みなさるな。お慕いしています」
玉鬘は、藤袴を夕霧がいつまでも離さず、さし入れたままなので、しかたなくそれを手に取ろうとした。
と、青年は、すばやく玉鬘の手を捉《とら》えた。
「あ」
と玉鬘は小さく、声をたてた。そして、
「ふかい御縁というのではございませんのに。この藤袴の花の薄紫に似て、薄い遠いつながりがあるばかりですわ……」
するりと、花と共に、玉鬘の小さい手は青年の手から消えてしまった。
「お気を損《そこ》ねましたか。本当は私は、主上に嫉《しっ》妬《と》しているのですよ。畏《おそ》れ多いことですが、あなたを宮中へも、ほかの誰にもやりたくないのです。永遠に私の美しき姉上としてあがめていたいのです。今は友人の柏木《かしわぎ》の中将が、ねたましい。以前と反対の立場になってしまいました。あなたに憧《あこが》れる私の気持を、あわれとだけお思い下さい」
玉鬘は(……まあ、また面倒な……)と思ったが、
「お許し下さいまし。わたくし、気分が悪くなりまして」
と、そっと奥へ入ってしまった。
夕霧の中将は、源氏に、玉鬘の返事を伝えていた。
「やはり、宮仕えは気が進まぬようかな」
と源氏はいった。
「そのようでございます。それに、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮も、どう思《おぼ》し召すでしょう。あんなに熱心に求婚なさっているのをさしおいて、ということになると、お気を悪くなさいませんか」
夕霧は大人っぽく意見をいった。
「むつかしい所だ。私の一存できめられないのに、鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》まで私を恨んでいるそうだな。――しかし、あれはしっかりした女《ひと》だから、宮仕えの公務の方も手落ちなく勤めるだろう。結婚するとすれば兵部卿の宮の北の方がふさわしいかもしれない。現代的で華やかなところ、宮とは似合いかもしれぬ。あの、もっさり《・・・・》した鬚黒よりも」
と源氏は笑った。
本心からそう思っているのかどうか――。
夕霧は、父の本《ほん》音《ね》を知りたく思う。
「内大臣は、内々で鬚黒の大将に許可なさったそうですが、どうやら父上のご真意を誤解していられるようですよ」
夕霧は思い切って、一歩ふみ込んでみた。
「六條院には、歴々の夫人方が揃《そろ》っていられる。そこへ玉鬘の姫を加えるのは具合悪いので、内大臣の姫という身分を明かし、表向きは宮仕えという名目で、どこへも結婚させず自分のものになさる、なかなか考えていられると、感心していられるそうです」
「それこそ、邪推というものだ――まあ、いまにわかって頂けよう、私があの姫を引きとって育てたのは、全く、あの姫の母なる人への愛情からだ。愛した女《ひと》の忘れがたみだったからだよ」
夕霧には、うすく笑っている父の真意は、ついにはかりしれない。かの日、かいま見た父と玉鬘の妖《あや》しい痴態は、青年の心に不可解な影を落してわだかまっているが……。
源氏のほうでは、
(もしも内大臣が、そんなことをいったとしたら、よく看破したというべきだな)
と思っていた。
宮仕えという名目にかこつけ、玉鬘を離しもやらぬわが心の迷いを、さすが内大臣は見抜いたのかもしれぬと、いい気はしない。
玉鬘は喪服をぬいだ。それは八月だった。
九月は入内《じゅだい》には忌《い》み月《づき》である。
いよいよ十月に、宮仕えということになった。
主上は、玉鬘が新任の尚侍《ないしのかみ》として宮中に上るのを、まちかねていらっしゃるようであった。
求婚者たちは、誰もかれも、がっかりしていた。
どうかして、九月のあいだに埒《らち》をあけてしまいたいと、それぞれ、手づるの女房たちを督促していたが、何しろ、宮仕えに出る、ということを引きとめるわけにもいかず、
「いくら拝まれましても、こればかりはどうしようもありませんわ」
と女房たちもいっていた。
姫君のところへ忍びこむ、ということも、ほかの邸なら知らず、天下の六條院の邸内ふかく養われている玉鬘であってみれば、無謀なことはできない。
内大臣の子息たちは、以前は何も知らず玉鬘に求愛していたが、姉弟《きょうだい》とわかってからは恥ずかしくなって、ぷっつりおとずれなくなり、女房たちはみなおかしがっていた。
しかし玉鬘の入内の日は、いろいろ世話をしようとはりきって待っている。
玉鬘に、あんなに恋いこがれていた、内大臣の長男、柏木の中将は、
「思えばおろかな恋文をさしあげて……しかし、あの真心はいまも変りませんよ。私を相談相手と、たのもしくお思い下さい」
といっていた。
この柏木の中将の上司が、鬚黒の大将である。
大将は、柏木をいつも呼びつけて、玉鬘への求婚を熱心に申し入れていた。内大臣にも正式に申し込んでいる。
内大臣に否《いな》やはない。
鬚黒の大将は人柄もよく、将来は政界実力者と目《もく》されている人物である。内大臣の婿として不足はない。
ただ、玉鬘は源氏に養われているので、養父の意向を無視することはできないから、一存で返事はできなかった。大将は東宮の御母女御の兄君であり、次の帝の伯父になる人である。主上の信任あつく世の声望もたかい。
玉鬘の婿としては、立派すぎるくらいの社会的地位なのであるが、結婚の資格としては、源氏はいい点をつけていない。
大将には、むろん、すでに北の方があるし、子供もいる。だが、大将は北の方とは別居同然だった。
この北の方は、式部卿《しきぶきょう》の宮の長女で、紫の上の異母姉に当るわけである。年齢が三、四歳、大将より年長で、ここ数年、体具合も思わしくなく、夫婦仲はよくないという噂《うわさ》だった。
大将は夫人を、かげで、
「おばあさま」
と呼んでいるという噂も伝えられた。
ついぞ艶聞《えんぶん》もない大将が、どういう風の吹きまわしか、このたびばかりは、憑《つ》かれたように玉鬘に執心し、どうあっても、この人を得たいと心を燃やしているのであった。
弁《べん》のおもとという女房に、大将はつて《・・》があり、しきりにせっついて取り持ちをたのんでいた。
いよいよ九月になった。この月が過ぎれば玉鬘は、どんな男たちの手にもとどかぬ宮中へ入ってしまう。
求婚者たちはいよいよ、いらだってさまざまな意匠や趣向をこらした文《ふみ》をとどけてきた。
玉鬘は、兵部卿の宮への手紙だけをほんの一筆、書いた。
好んで出る宮仕えではなかった。しかし、もう、大きい流れにただようこの身を、玉鬘はとどめるすべもない。螢《ほたる》の宮のやさしい文の情趣だけはさすが、うち捨てがたくて返事したけれども……。だが、玉鬘は、自分を待つ意外な運命を知らなかったのである。
愛怨《あいえん》の髪まつわる真木《まき》柱《ばしら》の巻
鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》が、玉鬘《たまかずら》に求愛するについて、手づると頼むのは「弁《べん》のおもと」と呼ばれる女房だった。
まだ若いが、かなりしっかりした女房なので、大将はあて《・・》にして、熱心にたのみこんでいた。
「十月になれば入内《じゅだい》される。そうなっては手おくれだ。もしかして主上《うえ》のご寵愛《ちょうあい》をうけられるようなことになれば、万事休す、どんな求婚者も、すごすごと引き下らねばならぬことになる。たのむ。入内される前に、ぜひよい機会をつくってくれ。たのむ」
大将は、弁のおもとに手を合わせてたのんだ。もう、なりふりかまわぬ、という様子で、必死のおももちであった。
「姫君も、ご入内なさるのはお心が進まぬご様子でいらっしゃるのですが……源氏の殿がおきめになったことでございますもの。どうしようもございませんわ……」
弁のおもとも、ためいきをつくばかりだった。鬚黒はたたみかけて、
「姫君が内心、宮中へあがるのを厭《いや》がっていられるのなら、私と結婚することをお厭《いと》いになるまい。それこそ、私を救いの神のように感謝なさるにちがいない。ご実父の内大臣も、内々、承知していられることなのだ、どちらから考えても、姫君と私は結ばれる縁のように思われる。十月になる前に、首尾よういくように頼む。この通りだ」
鬚黒はこうと思いこむといちずな性格なので、もうそのことのほかは考えられない。
「いっときは姫君も動転なさるだろうが、怜《れい》悧《り》なかただ、運命の流れを見通される力がおありだろう。私の愛情も理解して頂けて、弁、あなたにも感謝なさるにちがいないよ。内大臣はご満足だし、四方まるくおさまるというものだ」
「でも、源氏の大臣《おとど》が何と仰せられますか、もしお心に違《たが》うことになったとしたら、怖《おそ》ろしゅうございますわ……」
弁のおもとは、時の権力者としての源氏の怖さを知っている。源氏の思惑をくつがえすような冒険を敢行するとなれば、そらおそろしかった。
「そんなことはあるまい」
鬚黒の大将は、自信にみちて断言した。
その声は、人の耳を憚《はばか》って低かったが。
「もしほんとうに源氏の大臣が私を拒否なさるなら、疾《と》うに私は求婚者の群から追い払われていたろう。あれほど政治力のあるかただ。姫君をその道具にお使いにならぬはずはない。大臣はご自分からは動かず、おのずとそうなったようにみせかけて、次代の帝の世にも力を保ちつづけようと、考えていられるにちがいない。そのためには私と反目することは不利になる。なぜだか、わかるか? 弁のおもと」
「ええ。大将さまは、東宮《とうぐう》の伯父《おじ》君、次のみかどの御代《みよ》の柱に、なられるかたですもの」
と、弁のおもとの省察はさかしかった。
「そうだ。そのためには私と仲違《なかたが》いしてはならぬ。その意味で、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮などへは、まちがっても姫君を渡される気遣いはあるまい。宮は、皇族の身分がら、政治に近づけない方《かた》。そういう所へせっかくの姫君を与えても何にもならぬというものだ。源氏の大臣も、内心ではこの私にこそ、と思っていられるが、さりとて、あの美しい女人《ひと》をむざとやるのも業《ごう》腹《はら》、それで最後の決断がなかなかつかぬ、一寸のばしに宮中へあがらせ、求婚者の熱をさまし、婉曲《えんきょく》に遠ざけよう、というところだろう。あの、ひとすじ縄でゆかぬ深慮遠謀の源氏の大臣の胸の内、解いてみれば、まずざっとこんなところかな」
鬚黒は、会心の笑みを浮かべて言いきった。
「まあ、そんなにお詳しく、よくも掌《たなごころ》を指すようにおわかりになれますこと」
弁のおもとは目をみはる。
「それもこれも、恋のおかげだよ。恋の与える明晰《めいせき》で、あの女《ひと》に関することだけはようくわかるようになった。しかし、そのほかのことはさっぱり、もう馬鹿のようになってしまった。あたまの中は霞《かすみ》がかかったようだ。ただもう、考えるのはあの女《ひと》のことばかり、仕事もなにも手につかない。物笑いの種になっているのはよくわかるのだが……」
鬚黒は苦しげな自嘲《じちょう》の笑いを頬《ほお》に刻んで、
「いい年をして、という者もあるだろうな。――自分でもこの執心の烈《はげ》しさにとまどっている。自分で自分を恥じてもいる。しかしどうしても思い切れないのだよ。あのとき、なまじ、ひと目かいま見たばかりに、こんな物思いをつくることになってしまった。弁、あなたにも責任があるよ。このままの状態では宙ぶらりんのようで、死ぬより辛《つら》いよ」
「ええ、よくわかりますわ……」
「私は今まで堅物《かたぶつ》で通ってきた男だ。色めかしい噂《うわさ》もついぞ立てられたこともない。不風流、野暮《やぼ》、情け知らずと陰で嗤《わら》われていたのも知っている。そういう身には似つかわしくない恋だと、あなたも思うだろうが……」
「いいえ、ご同情申上げておりますわ、ですから、『姫君をひと目でいい、拝ませてくれ』とおっしゃったのを承知して、ひそかにお手引きしたのではございませんか」
「なまじ、その同情がわるかった。よけい煩《ぼん》悩《のう》の火が燃えさかってしまった。玉鬘の姫の美しい面影が朝も夕も目にちらついて忘れられない。……弁、どうしたらいいのだ、私は。……さぞ滑稽《こっけい》だろうなあ」
鬚黒は、顔半分を掩《おお》うような黒い鬚面《ひげづら》を、両手で掩って苦しんだ。
体《たい》躯《く》の堂々として強大な、いかめしくもぶこつな武官が、恋に憔悴《しょうすい》しているさまは、みる人によれば滑稽でもあろうけれど、弁のおもとは深く心を動かされた。
彼女は鬚黒の大将の人柄に、好意をもっていたのである。
およそ、いまの時代でこの大将ほど、恋の風流に縁遠い人はなかった。それかといって家庭的にも幸福というのではなかった。
式部卿《しきぶきょう》の宮の長女の姫である北の方はもう長いこと物の怪《け》がついて、常軌を逸したふるまいが多く、大将は、今は同じ邸内にいても別居同様の毎日だった。ただ、若い頃の愛情はいまだに尾を曳《ひ》いていて、北の方へのあわれみとやさしさを、大将は失っていなかった。それに子供たちもいることではあり、大将は子供の可愛さにひかれて、北の方を捨てる気にはならない。しかし北の方といて、心なぐさめられる雰《ふん》囲気《いき》ではなく、邸《やしき》の内は冷え、家庭は荒廃していた。常人でない夫人を守って、大将はただ子供たちをたのしみに、味気ない中年の日々を送り迎えしていたのである。邸の若い女房の一人二人を、情人にしたりもしたが、心の淋しさは、それで埋められるものではなかった。
弁のおもとは、そんな鬚黒の淋しさをよく知っていた。それで、鬚黒の大将が、玉鬘の噂を聞き、好奇心と関心を寄せ、しだいに見ぬ恋の烈しさを募らせていったときも、ほかの人々がいうように、
「大将にも似合わない……」
とふき出して笑い話にする気にはなれなかった。
玉鬘にしたしく仕え、姫君の聡明さや、ふかい心ざま、おくゆかしいたしなみなぞをよく知っている弁のおもとは、
(そうだわ……あの大将となら、まんざら似合わないご縁でもないわ)
と思ったりしていた。人々のあいだにたちまじり、世間を見ている弁のおもとは、玉鬘よりもおとなだった。いくら、輝くような美青年でおわしても、帝のもとへあがることは、後宮の女性たちとの気苦労も多く、またどんなに風流で教養ふかかろうとも、兵部卿の宮は、第二第三の愛人を作られるおそれもある、と見ている。
(私なら、鬚黒の大将をえらぶわ……女の幸福は、ただ一人の男に、ただ一人の女として愛されることだもの)
弁のおもとはひそかにそう考え、鬚黒の大将の恋文使いを引きうけていたのである。それのみか、
「そっと、かいまみさせてくれ……」
という大将の嘆願を容《い》れて、邸内へ案内したこともあるのだ。さすがに恐ろしくて、ただ一度きりであったが……。
秋の夕ぐれ、玉鬘の姫君がまだ、喪服を着ていられるころ、物思いに沈んで端近《はしぢか》にいるのを、庭先からかいま見させた。
そこへ夕霧の中将がきたので、弁のおもとは大将の姿をかくすのにせい一ぱいだった。
大将は雲を踏むような足どりで、夢うつつにその場をぬけ出た。
「あれがいけなかった。……面影が身に沁《し》みついてしまった」
大将は、両手で顔を掩ったまま、くぐもった声でいう。
「どうしても結婚したい。あの女《ひと》を思い切れない。一個の男が未練たらしいと、弁は思うだろうが、……私はもう恋の奴《ど》隷《れい》だよ。今まで、こんな思いをしたことは一度もない。あまりにも、私の人生は淋しかった。冷たい氷のような家庭で、私の人生は半分、死んでいたのだ。あの女《ひと》を知って、よみがえった気がする。あんな女《ひと》と愛し愛されて、もう一度、生き直したい。ちがう人生を味わってみたい……」
大将は、黒い鬚面に涙を滴らせていた。
「そんな、ことを……思うようになった。これは身分不相応のねがいだろうか?……男として願ってはならない、女々《めめ》しい希望だろうか?」
「そんなことがございますものか……大将さまのおっしゃる通りでございますよ」
弁のおもとも涙ぐんだ。
しっかりしているといっても、やはり若いだけに、彼女はすっかり大将に同情してしまわずにはいられなかった。
大将のために、何とかやってみよう、と弁のおもとは、心の中でうなずいた。それほど、しょんぼりした中年男のあわれさは、それが鬚の黒々といかめしい立派な高官であるだけに、よけいしみじみした感じを与えたのである。
鬚黒の大将は、取り持ち役の弁のおもとにおびただしい心づけの金品を贈っていたが、弁は、それで心を動かされたわけではない。大将への好意と同情からである。
それに、大将が、源氏の胸中の思惑を分析解明してみせたことも、弁のおもとを勇気づけていた。
源氏が、どっちみち結婚させるなら大将に、と内々心づもりしているというのも、ありそうなことに思われた。その路線でいくと、大将を玉鬘に取り持っても、源氏の怒りを買うことはあるまい。ただ源氏の心づもりより時期が早くなったというだけであろう。
それよりも弁のおもとの心配は、源氏の、玉鬘に対する愛情である。玉鬘を奪われた源氏の嫉《しっ》妬《と》が、どんな予想外の波乱をまきおこすかわからない。
しかしそれについても、弁のおもとは、
(大臣《おとど》のことだもの……決して表立った嫉妬や怒りや失望はお見せにならないわ。ぐっと抑えて、穏便《おんびん》にとりつくろわれるにちがいないわ)
と見きわめていた。源氏が報復を加えるとしても、相手が鬚黒の大将では、如何《いかん》ともしがたい、ということもある……何よりも、
(大将のいわれるように、この結婚はご実父の内大臣が双《もろ》手《て》をあげて賛成していられるのだもの。これほど強力なうしろ楯《だて》はないわ)
その自信が、弁のおもとに勇気を与えた。でなければ、こんな大胆なことはできなかったであろう。玉鬘の居間へ、大将を案内する手引きをしたのである。大将は狂喜して忍んできた。
「ようございますね、これから先は大将さまのお腕ですわ。大将さまのご愛情と誠意の深さをお見せになって、姫君のお心を動かして下さいまし。
まごころはきっと通じますわ。
でも、首尾を焦《あせ》ってむりやりにお気持を遂げようとなさっては困ります。女は傷つきやすいものですから、きっと姫君のお心に違《たが》うでしょう。言葉をつくし心から誓われたら、きっとおわかり頂けましょう」
「私は、ふ、風流なうまい言い廻しは、苦《にが》手《て》だが……」
大将は年《とし》甲斐《がい》もなくうわずって、言葉も縺《もつ》れていた。
「いえ、風流も嗜《たしな》みも、まごころの前には飛んでしまいますわ。姫君はお心のゆきとどいたおとなっぽいかた、きっと大将さまの誠意をたかく評価なさいます」
弁のおもとはそういって大将を勇気づけた。
大将は、今夜は衣《きぬ》ずれの音がしないように柔かく萎《な》えたものを着ていたが、もしそうでなければ、困ったことになったであろう。大将の躯《からだ》は昂奮《こうふん》と期待にこまかく震えて、じっとしていても、音を立てそうなほどだったからである。
玉鬘は夜の更《ふ》けるまで物語の冊子に読みふけっていたので、床へ就くと、すぐうとうとし、すこやかな睡《ねむ》りにひきこまれたが、そのうち何やら人の気配を感じて目ざめた。
(右《う》近《こん》かしら、宰相《さいしょう》の君かしら……)
乳母《めのと》はこのごろ老いて、夜は早くやすむので、女房たちの一人が近寄ったのかと思った。
しかし、その影は巨《おお》きい。薫《た》きしめた香も、玉鬘にはおぼえのないものだ。源氏か、と思ったが、どうも様子が違う。
本能的な恐怖を感じて、玉鬘は起きあがり、声を立てようとしたが、
「……お静かに」
という男の声で息を呑《の》んだ。源氏ではない男が身近く迫ってくる。玉鬘は救いを求めるようにあたりを見廻したが、遠くに小さな灯がまたたいているだけで、人影もない。
「あやしい者ではありません。何度も手紙をさしあげている鬚黒の大将です」
玉鬘は、行幸《ぎょうこう》の日に大将を見たことがあるので、すぐ本人だとわかった。ふしぎなことに、そうわかった途端、恐怖心は薄れていった。
「さぞ、びっくりなさったでしょう。おどろかせて申しわけない。こんな手段をとりたくなかったのですが……」
大将は冷静になろうと努めているらしいが、夢中なので、言葉もしどろもどろに閊《つか》えがちであった。
闖入者《ちんにゅうしゃ》のほうがのぼせているので、玉鬘の心に余裕ができた。
それも、鬚黒の大将に対して、(というより大将の求愛に対して)身近の女房たちや源氏が何となく軽侮の念をもっている。そんな風潮に影響されていたからかもしれない。源氏でさえ、「恋の山には孔子もつまずく、という位だからな」と大将の執心を嗤《わら》っていたではないか。
玉鬘は、突然侵入してきた大将に、恐怖や警戒心をもつよりも、その不作法を詰《なじ》りたい気持だった。玉鬘の咎《とが》めるような沈黙にあうと、大将はいっそう性急にいった。
「本来ならば、あらかじめ人を立て日を定め、然《しか》るべく手続きを踏み、あなたのお心の解けるのも待ってお目にかかるのが順序だったでしょう。し、しかし、そういうことをしていては時が移り、あなたは宮中へ上ってしまわれる。そうなっては手おくれです。時間がないのです。非常手段に訴えても、私の気持を直接《じか》に聞いていただかなければ、間に合わないことになります」
大将はたまりかねたように、二人をへだてる几帳《きちょう》をずいと押しやったので、玉鬘は思わず身を引いた。
「大臣《おとど》は、何とおっしゃるでしょう……」
玉鬘は、非難がましくささやく。
「なあに。これでよかった、とお思いになります。大臣のお心にもかなうことですよ」
そして大将は語った、源氏の思惑や、政治的背景のあらましを。
玉鬘にははじめて聞く男の世界の内幕である。いかにもありそうなことに思われ、何より、源氏の暗黙の了解がなければ、鬚黒の大将が、こんな邸内の奥ふかく忍んでこられるはずがない、とも思った。
手引きした人間がいるのだ、と気付き、玉鬘は愕然《がくぜん》とした。それも源氏の意を受けてのことだろうか?
玉鬘は、流されてゆく自分の運命を見たような気がして、呆然《ぼうぜん》とした――自分は鬚黒の妻になる宿命だったのだろうか。さすがにさかしい玉鬘も、思い乱れて黒髪の中に突っ伏してしまった。今の今まで、そんなことを考えもしなかった、求婚者の群の中で、最も玉鬘の心から遠い男は大将だったのに……。
玉鬘の白い頬に涙が流れる。それは黒髪を固まらせ、袖《そで》を湿らせて重くする。大将はその美しい混乱を見て、理性も分別も取り落したように夢中になって、玉鬘を引き寄せた。
「突然のことだからお気持が乱れるのも無理はない。しかし、あなたを一番幸福にできるのは私ですぞ。后《きさき》の位より私の妻のほうが」
彼は玉鬘が、息もつけないほど、きつく荒々しく、逞《たくま》しい胸板の中に抱きしめていた。
大将はもう、弁のおもとの忠告なんか頭になかった。(首尾を焦ってむりやりにことを運ばれようとしたら姫君のお心に違《たが》いますよ)と釘《くぎ》をさされたが、言葉でくどくようなまどろこしいことは大将にはできない。情事の経験に乏しいので、女人の扱い方は洗練されていなかった。
しかしむしろこの場合は、そのほうがよかったのかもしれない。
玉鬘のように聡明な姫に、ものを考える時間を与えなかったほうが。
大将としては、そんな計算をして迫ったわけではなかった。あまりにも生《き》まじめで一《いち》途《ず》な大将の性格が、彼を強引にし、わきめもふらず突走らせるのであった。
「あなたが好きです。しんそこ、惚《ほ》れています。いや、こういう言い方は若い姫にはお気に入らないか。あなたを生涯ただ一人の女として熱愛します。私には子供も妻もいますが、妻とはもう、心が通い合っていません。長い淋しい半生でした。人生はこんなものかと諦《あきら》めていたのです。しかし、あなたを知って欲が出ました。どうしてもあなたが欲しい。も一度十七、八の若い頃に戻ったような新鮮な気力が生まれて、私は生き返った――真剣です。私は真剣にあなたを思いつめている。大臣がたとえ反対しても、あなたを攫《さら》っていく」
玉鬘は、いままでこんな荒々しい力で拉《らつ》し去られようとしたことはなかった。これにくらべれば、源氏の言い寄りかたは春のそよ風のようなものだった。そうして玉鬘は、男と女の仲は、そういうやさしい心遣いの照り映え、気を惹《ひ》くしぐさ、心ときめく甘美な不安、そんなものがすべてだと思っていたのだ。
しかし、大将の仕打ちは無残で、奔放だった。玉鬘は何を考える力もなくして、嵐《あらし》に揉《も》まれる花のように、大将のするままに任せていた。
「世間の噂はまちがっている。あなたと源氏の大臣は何でもなかったのだな……」
鬚黒の大将は深い声《こわ》音《ね》でいって、熱い唇を玉鬘の咽喉《のど》に押しつけた。玉鬘は死んだように目を瞑《つむ》って、あるかなきかのありさまだったが、大将のほうは、反対に、いまはゆったりと落着いていた。
「もう離しませんよ、あなたを。これも宿《すく》世《せ》と思って下さい。追々《おいおい》に私の心もわかって頂けると思うが……」
大将はいとしそうに玉鬘の髪を掻《か》きあげていた。寒い初冬の夜ふけというのに、玉鬘はうっすらと、かぐわしい汗を滲《にじ》ませている。汗か、涙か、濡《ぬ》れて重たい黒髪を手に捲《ま》いて、大将は、玉鬘のうぶな、いたいたしい悩乱が可愛くてならない。
世間にひそかに取り沙汰されていたような事実はなかった。玉鬘は無垢《むく》の処女だった。その発見も、いよいよ大将に、玉鬘への物狂おしい愛執を深めさせていた。
「こうなったからには、一日もはやくあなたを私の邸に連れていこう。私は忍んで女の許《もと》へ通う風流《みやび》男《お》の慣らいを好まない。朝も晩も、自分のそばにあなたをおかないと落着かない。そうして、可愛い男の子や姫をたくさん産んで下さい」
と、大将の言葉は、後朝《きぬぎぬ》の愛のささやきにしては、現実的で飾らず直截《ちょくさい》である。玉鬘はその言葉も耳に入ったのか入らないのか、おぼつかなく面《おもて》をそむけて身じろぎもしない。
さて、朝霧のたち罩《こ》める空の一角が、仄明《ほのあか》るく群青色《ぐんじょういろ》にひらけてきて、もう黎明《れいめい》はおとずれたらしい……。
鬚黒の右大将が、玉鬘をひそかにおとずれたという事実を、源氏は、翌朝、いちはやく耳にした。
「右大将が」
源氏はそういったきり、黙然としている。
耳打ちした女房は、源氏が不興を催したのかと思って恐縮し、
「何しろ、私どもも全く、思いもよらぬことでございましたので」
玉鬘に仕えている女房たちは、自分が責められたようにうなだれていた。
「どうしようもないことだ。それよりも、このことはしばらく内密にしておくように。玉鬘の宮仕えを心待ちにしていられる主上《うえ》に対しても恐れ多いから、世間には言いひろめないように」
源氏はきっぱりと注意したがまた、
「それで。右大将はもう帰ったのか?」
「いいえ、まだ、お籠《こも》りでいらっしゃいますが……」
女房たちは、源氏にくわしく様子をものがたるのを避けていて、たがいに顔を見合わせるのだった。
夜《よ》深《ぶか》く忍んでくる風流な恋人は、必ず、暁のかわたれどきに身を紛らせて帰るものである。そうして早々と、露じめりした後朝《きぬぎぬ》の文《ふみ》をよこすのが、恋する男の習いである。
しかるに大将は、日が昇っても、玉鬘のもとから離れない。
公務も今はしばし打ち忘れて、玉鬘の機《き》嫌《げん》をとるのに必死になっている。
あかるい所で見れば見るほど美しい姫君だった。それが、物思わしげに愁いをふくんで顔をそむけているのを、大将は魂も天外に飛ぶ思いでみとれている。こんなに美しい人を、もしも他の男のものにしていたならどんなにくやしかったろうかと、思うさえ胸つぶれるようである。
それにつけても大将は、日頃信仰している石山寺の観《かん》世《ぜ》音《おん》と、弁のおもとを並べて拝みたいような気がする。
「いつまでもそうお疎《うと》みでは情けなく思います。こうなったのも、二人を結ばれた仏の宿縁があったのでしょう。お気をとり直して下さい。……これからはじまる新しい生活や人生に、どうかご期待なさって下さい。男の誠実というものを、思い知って頂きたいのです」
大将は玉鬘の手をとり、言葉をつくして誠意を披《ひ》瀝《れき》するのであるが、玉鬘は身をかたくして、思いの濃いためいきを洩《も》らすのみである。
それでも、口上手でない大将が、ぼつぼつとけんめいに語り継ぐのに、さすがつれないままでいられないと思ったのか、
「ただ、思いがけないばかりで……。も少し気持のおちつきますまで、お許し下さいまし」
と絶え絶えにいって、つっぷしてしまう。
大将はその美しい惑乱をみると、思い切っても起《た》ちかね、このまま帰ったら、この幸福は煙のように手の中から消えてしまいはせぬかとあやぶまれる。
女房たちは、はらはらしながら、私語しあってなりゆきを見守るほか、ない。
「大将のおもてなしを鄭重《ていちょう》にせよ。構えて粗略なことがあってはならない」
と源氏は人々に命じた。
「三日夜《みかよ》の餅《もち》の用意はできているか。宴の準備は……」
源氏は、鬚黒の大将を玉鬘の婿としてみとめ、鄭重に扱うことで、自分も、この結婚に異存はないのだ、ということを世間に印象づけようとしている。世間は意外ななりゆきにおどろくであろうし、だしぬかれた求婚者たちはくやしがるであろうが、最もおどろき、残念に思ったのは、実は源氏である。源氏は大将の強引なやりかたに、強い不快の念を抱いている。
しかし、実父の内大臣の内諾を得ている相手に、しかも玉鬘の庇護《ひご》者《しゃ》を以《もっ》て任じている自分が、とやかくいうことはできない。いずれは、とも思っていた大将であるが、まるで鼻先から掌中の珠《たま》を盗まれたようなやりかたをされてみると、源氏は心中、ただならぬ思いである。
(自分はすこし計算ちがいをしていた……まさかあの男が、そこまで思いきったことをするとは思わなかった。あの男の直情径行ぶりを計りそこねた)
と源氏はどす黒い嫉妬や憤懣《ふんまん》に心は煮えて、ひと知れず、いまいましく思っているが、気ぶりにも出さず、婚礼の儀式を、華やかにとりおこなった。それは、玉鬘への心づくしでもある。
内大臣は、このことを聞いて、心から、よかった――と思った。大将に愛されて気楽に暮らすほうが玉鬘の幸福であろうと、内大臣は考えている。源氏は宮仕えをすすめているらしいが、内大臣は必ずしも賛成ではなかった。思う通りになったので、内大臣は娘のために喜んでいた。それに源氏が盛大な婚礼の式を、作法通りとり行なってくれたと人づてに聞いて、いまはしみじみ、源氏の尽力に感謝していた。
源氏が玉鬘に、下心を持っているのではないかというかねての疑いを、内大臣はすっかり払拭《ふっしょく》した。
「あの姫も、やっとこれでおちついた。私も肩の荷をおろしたよ。源氏の大臣《おとど》には、世話になった。あの姫のことではあたまがあがらない」
内大臣は、親らしく上機嫌に、まわりに洩らしていたが、源氏の心中は、だれにもわからない。
大将は、婿としてみとめられた以上、一日もはやく玉鬘を自邸に引き取りたいと熱望しているが、源氏の賛成を得られないので、やきもきしていた。
源氏は玉鬘を通じて、
「いそぐことはない」
と牽制《けんせい》していた。
もとより玉鬘も、大将邸へ引き取られたくなかった。われから望んで大将と結婚したのでない身は、六條院を離れて大将邸へ移るのは、まだ決心がつかないのであった。
「お邸には北の方がいられるのですもの。快く迎えて頂けるはずはなし、いますぐ移るのは軽率だと、殿もおっしゃっていました」
と玉鬘は源氏にことづけていった。
「しばらくはここでゆっくりして世間の噂もおさまり、北の方のお心も和《なご》み、人目をそばだてないようになって、ゆるゆる、移ればよいと仰せでございます。大将さまにも世の人の非難があつまらぬようにと、殿は、北の方のご実家の思惑も心配していらっしゃいます」
と玉鬘に訴えられると、大将も、力ずくで玉鬘を拉《らつ》してゆくこともできない。それでも婿としての待遇はいたれりつくせりなので、そのことに満足して、六條院へ通った。かねて有名な堅物のまじめ人間である大将が、人がかわったようにいそいそと、夜ふけ・暁、忍んで出入りするなまめかしさを、女房たちはおかしくながめていた。
十一月になった。
玉鬘の、風変りな結婚はいつしか世上に洩れ、人々の好奇心をそそり、噂はかくれなく主上のお耳にまで達した。
「そうか。結婚したのか」
主上は残念に思《おぼ》し召された。
「しかし、尚侍《ないしのかみ》という公職に任じた以上、その仕事をするのに差支《さしつか》えはない。やはり宮中に仕え、公務をとるように」
と仰せられた。
十一月は神事の多い月で、内侍所《ないしどころ》は多忙をきわめ、尚侍たる玉鬘のもとへは、女官や内侍たちが入れかわりたちかわり、公務の連絡にくるから、花やかに活気があった。
その中で鬚黒の大将は、日中も、玉鬘の部屋に忍んでこもりきり、いっこう帰邸しようとしない。
玉鬘はそのため、不機嫌である。
いつも明るく、快活だった玉鬘は、この頃沈みがちになった。
大将のほうは、日を重ねれば重ねるほど、いよいよ物狂おしく玉鬘に溺《おぼ》れてゆくが、玉鬘の心は、さわやかに晴れない。大将の強くなりまさる執着を、うっとうしくも、気重くも思うばかりだった。この上、大将の邸に引きとられていったならば、気ぶっせいなこの重い心は、よけい閉ざされるであろう。玉鬘は、人にあったり、話したりせねばならぬ公務のいそがしさを感謝した。大将はいやがるが、宮中へあがってしまうのもいいかもしれないと、玉鬘は思うようになっていた。
大将は、ともすると離れてゆきそうに思える玉鬘の心を捉《とら》えるのに、やっきになっている。そうすればするほど、若い女の心が離れてゆくのを、律《りち》儀《ぎ》いちずの大将は知らない。
(まだ、乙女のままのような人だから……。心も躯も、ねむったままだ。そのうち、根気よく誠意をもって愛しつづけていけば、きっとめざめてくれるだろう)
と大将は信じているが、男と女の仲は、誠意だけでは片づかないものがあるから、厄介である。それを、大将は知らない。
(男の一念は、岩をも通すだろう)
と信じている。
あまたの求婚者の中でも、兵部卿の宮の嘆きと恨みは深かった。宮は、失恋のいたみを長くお忘れになれなかった。宮のお嘆きのようすが玉鬘の耳にも入った。宮の風流な、嗜《たしな》みふかいお手紙、みやびやかな恋の口《く》説《ぜつ》、そんなものを思い出すと、玉鬘はわけもなく悲しくて、涙ぐんだ。あのやさしい恋の風趣はもはや、私の人生から遠いものになってしまった。……
しかし、玉鬘は、本当をいうと、宮よりも源氏への思慕が強くなっていた。源氏に思いをかけられた心苦しさは、いまはかえって甘美な思い出になり、玉鬘の心を、わけもないあこがれへ駆り立てた。あの、女ごころを蕩《と》ろかすような甘い言葉に酩酊《めいてい》して、あやめもわかぬ恋の闇《やみ》路《じ》にふみまよい、そのまま、やみくもな情熱に身を委《ゆだ》ねてしまったほうが、むしろ女の人生・女の愛としては充実していたかもしれない……。若い玉鬘は、何かしらみたされぬ不満に涙ぐみながら、そんなことを考えるようになって、はじめて源氏を恋しく思った。
「あなたは疑っていられたが、私は潔白だったよ。こんどの玉鬘の姫の結婚で、よくわかっただろう」
と源氏は紫の上にいったりした。華やかにも盛大な結婚の宴が行なわれ、鬚黒の大将が意気揚々と通うさまをみれば、紫の上ばかりでなく、世間の人々もやっと、玉鬘と源氏の仲についての疑いを晴らしたようだった。
しかし源氏の心はまだあやういとまどいの中にいる。
大将のいない昼間、源氏は西の対《たい》にいった。
玉鬘はもの思いにやつれ、沈みがちに萎《しお》れていたが、源氏が訪れたというので、やっと身をおこして、几帳《きちょう》に隠れて逢った。
源氏は、昔のようにはしない。もう玉鬘は人妻なので、遠慮して離れたところに座をしめ、ものやわらかに体具合のほどを聞いたりする。
大将のぶこつな、荒々しい挙《きょ》措《そ》や、平凡な会話に反撥《はんぱつ》を感じている玉鬘には、源氏の雰囲気や容姿が、われにもあらず慕わしかった。
それにつけても、思いのほかの運命の展開が悲しくなって、玉鬘は、涙ぐんでしまう。
源氏にはずかしくもあり、途方にくれる心地でもある。
「幸福ですか。大将はあなたのことを思いつめているから、大切にするでしょう」
話が内《うち》輪《わ》のことになったので、源氏は脇息《きょうそく》にもたれ、几帳へ半分、身を入れて声をひそめた。
玉鬘は返事をしない。
面《おも》やつれしたさまも愛らしく可《か》憐《れん》で、源氏はこんな人を、むざむざ他の男に譲ってしまったとは、何と気のいいことだと心中、舌打ちする思いである。
「率直にいって私は、予期に違った思いをした。あなたを大将に奪われて、こうも苦しい思いをするとは思いませんでした」
玉鬘は、うつむいて、あるかなきかの声でこたえた。
「昔はわたくし、このお邸にいるのが心苦しくて早くどこかへゆきたいと願っていました。でも今は、……いつまでも、ここに、おそばに棲《す》まわせて頂きたい気持でございますわ」
「おわかりになったようだな、やっと、私の気持が。篝火《かがりび》の燃える暗闇の夜。それから琴を枕《まくら》の添寝。おぼえていますか。私は何もしなかったでしょう。こんな愚かしい、こんなまじめな男はめったにいないものですよ」
源氏が戯れにまぎらせていうと、玉鬘の頬はさっと赤らみ、瞼《まぶた》まで、血の色がのぼってきた。
源氏は、主上の仰せがあったということにかこつけて、形式的にも一応、参内《さんだい》した方がよい、といった。大将がその邸へひきとったら最後、もはや玉鬘を外の風にも当てず、両手で囲うように包みこむにちがいないからである。
大将は甚《はなは》だ不満であったが、
(よし、ここは折れて、一旦、参内させよう。一、二日して退出の折、そのままわが邸に連れ帰ろう)
とひそかに決心し、「ではちょっとの間だけの宮仕えなら」と許した。
大将は若い頃ならともかく、中年の今となっては、夜々、女の邸へ通うのは大儀でもあり、不自由でもあるから、一日も早く自邸に玉鬘を迎えとることばかり考えている。
それで、この頃にわかに邸の修理をいそがせ、荒れるに任せてあった家を美しく磨きたてた。家具調度も新調し、若く美しき新妻を迎える準備は、着々とすすみつつあった。
そうなると、いちずな性格だけに、北の方の気持も省みず、可愛がっていた子供たちも目に止まらないほどだった。
女で苦労した粋人ならば、人の気持も思いやり、こうもむきつけに、残酷なことはしないであろうが、大将はそこまで練れていない。
まじめなだけに気が利《き》かず、周囲を傷つけてしまうのであった。
大将の北の方とて、決してかろんじていい身分の女性ではなかった。式部卿の宮の姫君、おん父宮がとりわけいとしまれた長女の姫で、世にも重んじられ、若いころは美しかった。
ただ惜しいことに、物の怪《け》が執念ぶかくとりついて、この数年来は常軌を逸した振舞いが折々ある。大将は、夫人の発作を、いとおしく思いながらも、いまは疲れ果てていた。
いつとなく、夫婦の仲は離れていったが、しかし、北の方を唯一人の妻として、大将が尊重しているのに変りはなかった。
子供たちの母でもある北の方を、大将は、やはり大切な人として遇していた。
しかし、玉鬘に対する恋をおぼえてからは、どうしようもなく心が玉鬘に占められてゆく。
まして大将も世間も疑っていたように、源氏と何事もなく玉鬘は清らかなままの処女だったことを知って、大将はなお、執着を増していた。北の方も子供も、捨てて省みないほどに、のぼせつめてしまったのも、むりはないのではあるが……。
「なぜそんな邸に、いつまでもいる。新しい女が迎えられようという邸に、いつまでもいることは世《せ》間態《けんてい》もわるい。私が生きている限りは笑いものにはさせない。帰って来なさい」
と北の方の実家の父宮、式部卿の宮はそういわれるが、それでも、北の方は思いきって帰る気にもなれなかった。
夫に捨てられて実家の両親のもとで嘆き暮らすのも辛く、ここにいるのも苦しく、ますます思い乱れ、半狂乱になって嘆いていた。
北の方の苦しみを、さすがの大将も少しは察することができた。
大将は重い気をひきたてて北の方の部屋へ見舞いにやってきた。北の方は、病み呆《ほう》けて枕からあたまも上らぬ、あわれなさまだった。
もともと美しく、かよわげな上品な人であったが、いまは痩《や》せおとろえ、髪も脱けおちて、涙でかたまり、櫛《くし》も通らぬほど、もつれている。
気《き》鬱《うつ》がつづいて何をするのも物《もの》憂《う》く、身だしなみもせず、室内も埃《ほこり》に埋もれて、見るめもいぶせきありさまだった。
輝くような六條院の美しい姫君とはくらぶべくもないが、しかし、長年つれ添い、子供までつくった仲の北の方に対して、大将の心には、にぶい憐愍《れんびん》の念と、やるせないいとしさが湧《わ》いてきた。
「宮が、あなたをお引きとりになりたいと仰せられているそうだね。……私は反対だよ。ここにいて欲しいと思うのだがね。身分のある者は、喧《けん》嘩《か》別れなどして世間に取り沙汰されるようなことは避けなければいけないと思う……どうか今まで通り、ここにいて下さい。病気のあなたを、私は今までずっと世話して面倒をみてきたではありませんか。末始終を添いとげよう、子供たちもいることだからと私は、幾度もあなたに契った。どんなことになっても、あなたを見捨てるつもりはない。私を信じて下さい。――」
「でも、あなたのご本心は、わたくしにいてほしくないと思われるのでしょう」
「そんなことがあるものか。あなたの病気がそう言わせるのだと思うが」
「六條院の噂は、わたくしの耳にまではいっていますもの。わたくしなど死ねばよいと思っていられるのではありませんの」
「何をいう……。あなたのことを私はいつ忘れたことがあるか。宮も、噂を信じて私を信じて下さらないとは恨めしい。あなたをお引き取りになろうというのは、すこし軽率ではあるまいか」
「わたくしのことは何とおっしゃってもかまいませんけれど、お父さまの悪口はおっしゃらないで下さいまし」
北の方は正気でいるときなので、そういってすすり泣いていた。大将は心を動かされて、北の方の髪を撫《な》で、肩をさすり、口重《くちおも》ながら一生けんめい、なぐさめた。
「たしかに私は六條院の人を愛してもいるが、しかしあなたに対する愛情も本当のものだよ。どうかここにいて、私に、あなたの看病をつづけてさせてほしいのだ。いいね?」
「わたくしの病気は、いつ、なおるものやら。……それにしても、怨《うら》めしいのは源氏の大臣《おとど》の北の方、紫の上ですわ。あのかたは、まんざら他人ではなく、わたくしの腹ちがいの妹にあたるかたではございませんか。それなのに、ご自分が親代りになって、玉鬘の姫とやらを、あなたに取り持とうとされる……わたくしたちにふくむ所でもおありなのでしょうか。お父さまもそういってお恨みです」
「それこそ、邪推だよ。大臣の北の方は何もご存じない。あのかたはそんな政略的なことをなさる方ではない。まるで源氏の大臣の秘蔵娘のように、掌中の珠のようにいつくしまれているかたで、世間のことは何ひとつ、ご存じないのだ。宮まで、そんなことを考えられるとはこまったことだ。大臣に聞こえたらたいへんだよ」
大将は、日がな一日中、噛《か》んでふくめるように、北の方に言いきかせ、なだめていた。
しかし、日が暮れてくると、大将は心も空に浮き足だって、何とかして早く、玉鬘のところへいこうと思うのだった。
そのうち、雪が降り積んできた。
こんな空模様をおして出かけるのも人目につく。それに、北の方が、いつになくいじらしく、しょんぼりと正気でいるのもあわれで大将は迷いながら、そわそわしている。
「あいにくな雪でございますね。でも夜がふけますから、早くおいでなさいまし」
北の方はすすめた。止めても無駄だと思っているらしいのが、大将にはいじらしかった。
「この雪ではどうも……」
とためらうような口の下から、大将は、
「しかし、やはり行こうか。太政大臣《だじょうだいじん》も内大臣も心配なさるから、当分の間は、通わなければ。悪く思って下さるな。これもあちこちに義理をたてねばならなくてね。……あなたがそう素直に、病気もおさまっていられるのをみると、ほんとうにあなたがいとしい。やはり、一番好きなのは、一番早く愛したあなただよ」
これは、大将の本心なのであった。
「嬉しゅうございますわ。ここにいらしてもお気持がよそへいってらしたらかえって辛いのですもの。よそへいらしても、わたくしのことを思って下さるなら、そのほうが女は嬉しいものですわ」
北の方はやさしくそういった。そして、やおら起きて夫の身支度を手伝う。火取りをとりよせ、大将の着物に香を薫《た》きしめた。
大将は、大儀らしくよそおいながら、しかし心はもう、玉鬘のもとに走っているのである。衣裳《いしょう》を美々しくつけると、男ざかりのりっぱな姿で、中年男性の貫禄と美しさにあふれていた。
お供の人々は「雪が小止みになりました」
と遠慮がちに促しにくる。
北の方は悲しみをおしかくして、いじらしげな姿で、脇息に伏していたが、一瞬、起きあがり、あっという間もなく、大きな伏《ふせ》籠《ご》の下にあった火取りをひきよせ、大将のうしろからぱっと浴びせた。灰が真っ白に舞い立ち、大将は呆然とし、人々がおどろきさわぐ中を北の方は金切り声をあげた。発作がおこったのである。
「ほほほほ。いい気味だ、その恰好《かっこう》で六條院へ行かれるがよい。玉鬘の姫君とやらが、さぞ可愛がって下さいますよ……」
北の方は声を限りに叫んでいた。
「いい気味だ、灰かぶりの色男! その姿で出られるものなら、出てごらん……」
大将は目にも鼻にも、こまかな灰が舞い入って、あたまも真っ白になり、何を考えることもできない。衣裳を払うと、あたりいちめん、濛々《もうもう》と灰が舞い立った。
人々は、あわてふためいて、火種を拾っているが、焦《こ》げくさい臭《にお》いがただよう。北の方をとりしずめる人々、大将の衣を脱がせる人々、大さわぎになった。
「北の方さまはご正気ではございません。物の怪《け》がさせるわざでございます。どうか、北の方さまを、お悪くお思いにならないであげて下さいませ」
と、北の方づきの女房の中将の君が、けんめいにとりなしていう。この中将の君を、大将は、ひそかな情人にしていたが、大将にあらたな恋人ができたいま、ほとんど彼女をかえりみていなかった。中将の君は、自分のこともさりながら、北の方がいたわしくて気の毒であった。
大将は、女房たちに手伝われて衣裳を着かえているが、何しろ鬢《びん》も眉《まゆ》も鬚も、灰まみれになって、これでは善美を尽くした六條院を訪れることなどできない。
(いくら物の怪《け》といってもあんまりではないか……)
と大将は、愛想もつき果てる思いがした。しかし、ここで自分の方が怒りくるって手荒な態度に出ては、狂乱の北の方を、よけい狂わせるだけである。大将は自分の方こそ、どなりたいのをぐっと怺《こら》えて、口を噤《つぐ》んでいた。
「出られるものなら出てごらん、さあ、その姿で女どもに笑われにいくがいい、灰かぶり殿と手を打って世間の物笑いになるだろう、いい年をして若い女に狂った報いだ、あはははは……」
北の方の狂おしい哄笑《こうしょう》は、屋内にこだまする。誰も誰も、耳をふたぎたい思いである。身分たかく、気品ある深窓の貴婦人に、いまとり憑《つ》いている物の怪は、よほど下品な邪悪な、たちのわるいものであるらしい。女房たちは、いまは北の方のために泣きながら、とり抑えていた。
いちばん耳を塞《ふた》ぎたい思いをしているのは大将である。金切り声の叫びをあげている北の方をみると、蒼白《そうはく》な顔に目は血走って吊《つ》りあがり、唇は強く噛みしめたので血がにじんでいる。頬は削《こ》け、兇暴《きょうぼう》な光が眼にぎらぎらとみなぎって、まるで鬼としかいいようがない。大将はなさけなくあさましくなって、重い悲愁に心が閉ざされた。北の方への嫌《けん》悪《お》感《かん》を抑えることができず、ついさっきまで、いとおしく思った心も、さめ果ててしまう。
だからといって、大将は、北の方を突き放して打ちすてることのできる性格ではない。
「よし、わかった、わかった。静かにしなさい……」
大将は、狂った妻をなだめながら、抱えこもうとした。
「私は、今夜は出ない、どこへも行かぬから、鎮《しず》まりなさい……気をおちつけて」
北の方は、平生は、筆をとる手もたゆげな、あえかな人であるのに、いまはおそろしい怪力で暴れまわり、大将の、男の腕力を以てしてもおさえかねるほどである。大将は、うつつ心もない北の方に、爪で掻《か》きむしられたり、叩《たた》かれたりしながら、人々に、
「早く呼べ、加持《かじ》の僧を、早く……」
と、声も嗄《か》れる気がした。
北の方は、夜一夜、祈《き》祷《とう》の僧たちに祈り伏せられ、数《じゅ》珠《ず》で打たれ、引き倒された。僧たちが数珠で打っているのは北の方ではなかった。北の方の躯《からだ》にはいりこみ、とりついている物の怪を責めているのだった。
物の怪は、僧たちの祈祷に弱まったのか、やっとあけがた、北の方はうとうと眠りにおちた。
大将は吐息をついて、静かになった邸内に凝然《ぎょうぜん》としている。北の方が落着くと、考えることは六條院のことばかりであった。大将はたえきれず、玉鬘にあてて手紙を書いた。
「昨夜は急病人が出ました上に、雪空で、つい出かけそびれてしまいました。あなたと一夜でも離れていると、身も心も冷え切った思いです。よんどころない事情での夜離《よが》れでしたが、お怒りにはならないで下さい。おそばの人がどうおとりなしになったか、心配です。空にみだれる雪のように、心は乱れ、冷えております。早くお目にかかりたい」
と、まじめな文面で、几帳面《きちょうめん》に書いてある。
べつに風《ふ》情《ぜい》もなく趣きもないが、手蹟《しゅせき》は男らしく、立派だった。大将は、漢学に秀でている人なのである。
玉鬘は、大将が来ないことなど何とも思わないので、手紙を見もせず、返事もしなかった。
大将の方では、わくわくしながら返事を待っていたのに、何も来ないので、落胆している。北の方のためにひきつづき御修《みず》法《ほう》をさせながら、大将は、
(いま、どうこうということがあってくれるな)
と、念じるのはそのことばかりである。
北の方が、正気でいるときは、やさしい、いじらしい女人であるのを、大将は知っているからこそ、こうして看病できるのであるが、そうでなければ、とても、がまんなどできない。
大将をはじめ人々の看病のせいか、北の方はややおちついて、事なく、一日おとなしくしている。やがて日暮れになった。
北の方がおさまったとみると、もう大将はじっとしていられない。玉鬘のもとへ出かけようとして身支度をしたが、北の方がこのありさまでは、装束《しょうぞく》を充分にととのえることができず、見苦しいことになった。新しい直衣《のうし》が間に合わないので、昨夜のを取り出させてみると焼け穴だらけで、しかも焦げくさい臭《にお》いがして、とうてい着られたものではない。
よんどころなく、古い衣裳をつけて出ることになったが、こんどは下着にも焦げくさい臭いがしみついているのを発見し、大将はいそいで、入浴し直したりして、
(まあ……たいそうおめかしなすって)
と女房たちに思われている。
木工《もく》の君、というのは大将付きの女房で、これも、かつては大将のひそかな愛人であった。大将の衣裳に香を薫《た》きしめながら、
「北の方さまのお嘆きが、お召物を焦がしたのでしょうね……」
などと、ちょっぴり、いやみをいう。
この女房も、垢《あか》ぬけた美人であったが、大将は、(どうしてこんな女に手を出したのだろう)と、今になっては思うのだから、男心というものは現金なものである。
「おいおい、被害者は私の方だよ。こんな騒動が、世間へ知れてみろ、六條院でも何と取り沙汰されるかしれない。男の面目は丸つぶれだよ」
大将はためいきをついて、今はもう誰の思惑をかえりみる余裕もなく、六條院へ出かけた。
一夜しか離れていないのに、大将には玉鬘がなお美しくなりまさったように見えた。
「もう、あなたと離れていることはとうてい、できませんよ。ゆうべ一夜で思い知りました」
大将は玉鬘の美しい手を両手にはさんで熱っぽくささやく。こちらへくると、急速に、北の方のことは忘られて、そのまま、夢のように何日かをすごし、いまは邸に帰ることも忘れたかのようだった。
北の方の病気は、一進一退、はかばかしくない。
大将が帰ると、なおのこと、病気はぶりかえし、病人は狂い立って罵《ののし》り叫ぶ。大将はこの前の経験に懲《こ》りて、北の方に近づかず、帰っても、別の棟《むね》に住んでいた。
(今度は、顔に火《ひ》鉢《ばち》の火でも投げつけられては大変だ)
などとも思う。
ただしかし、大将も、子供は可愛いので、別棟の部屋に子供たちを呼びよせ、会っていた。
大将の子供は三人いる。十二の娘をかしらに、その下に息子が二人いるのだった。大将は、子供たちにだけ会うと、蒼惶《そうこう》としてまた、六條院にもどり、北の方に会うのは気が重いまま、避けていた。
北の方や、その周囲の女房たちは、
(薄情なお仕打ち――)
と、大将を恨んでいた。
父宮の式部卿の宮は、
「もう、そこまでされて辛抱していることはない。戻ってきなさい。私がついていて、世間の笑い者にさせたくない」
と仰せられて、迎えの車をよこされた。
北の方は、病気がややおさまって、正気でいられる頃だった。迎えの車が来たというので、強《し》いてとどまって、夫にいやがられるよりは、と思い切って、この邸を去ることにきめた。
北の方のご兄弟が迎えに来ていられるのだった。もう、どうしようもなく荷物をとりまとめ、残る人、北の方についてゆく人、それぞれに名残《なご》りを惜しみ合う。
「お幸わせのうすい北の方さま」
と、女房たちは泣かぬものもなく、北の方はなおさらだったが、小さい若君たちは何ごともわきまえず、無邪気に走りまわって遊んでいる。
北の方は三人の子供たちを呼んで、
「お母さまは、このお邸を出てゆくことになりました。ふしあわせな身を、今さら恨んでもしかたがないけれど、あなたたちがかわいそうで。ここにいても、新しいお母さまが、あなたたちを可愛がって下さるとは思えないから、みな一緒に、お祖父さまのお邸へ移りましょう。残しておいてはどんな目にあうかと思うと、お母さまは気がかりで死ぬにも死ねませんから」
と話して聞かせるうちに、ほろほろと泣き出し、それに釣られて、乳母《めのと》たちも泣く。
若君たちは、事情がわからぬながらも、何となく物悲しくしょんぼりした。
それでも、いちばん幼い若君などは車に乗れるというのではしゃいでいて、それはそれであわれである。
年かさの姫君は、大将が目に入れても痛くないほど可愛がっている娘だったが、姫君も、父になついていた。
「お父さまは?……まだ、おかえりにならないかしら……」
姫君は、父に会わずに邸を出ていきたくなかった。
「いやよ、お目にかかって、さようなら、って、ご挨拶《あいさつ》してから、いきたいの」
少女は泣きじゃくって、柱にすがりついたまま、動こうとしなかった。
日も暮れ落ち、雪が降り出しそうな、心ぼそい空模様になった。
「降らないうちに、早く」
と、迎えにきた北の方の弟君たちは促すのだった。
北の方は自身も迷って、この邸を立ち去りにくいが、それでも姫君が泣きじゃくるのをなだめていた。
「お母さまと一緒にゆくのがおいやなの? そんなにききわけのないことをいって、お母さまを苦しめないで頂戴」
と姫君を、さまざまに言いこしらえるのだった。
姫君にも、こうとっぷりと暮れてしまっては、もうお父さまはお帰りになるはずない、とわかっていた。姫君は泣く泣く、手紙を書いて、おいてゆくことにした。
居間の、いつも姫君が寄りかかっていた東《ひがし》面《おもて》の柱に別れるのも悲しかった。これからは、この場所にどんな人が坐り、どんな人がこの柱によりかかるのだろう……お父さまの愛情は、これからはもう、その人に移ってしまって、わたくしのことはお忘れになるのかしら。
姫君は涙を拭き拭き、檜皮《ひわだ》色《いろ》の紙に歌を書いて、それを柱のわれ目に、笄《こうがい》の先で押し込んだ。
〈今はとて宿離《か》れぬとも馴れ来つる 真《ま》木《き》の柱はわれを忘るな〉
わたくしが去っても、真《ま》木柱《きばしら》よ、ここにいつももたれていたわたくしを忘れないでね、という少女らしい歌だった。
「もうだめよ、すべては終りですよ。ここへ戻ることは二度とないでしょう。お父さまのお心が変ってしまったのだもの。あなたたちのことさえ、お忘れになってしまわれたのですもの……」
北の方はそういいつつも、車の窓から、長い年月住み馴れた邸、いま捨てて出ていく邸が遠ざかるのを、じっとながめつづけていた。
父宮は、北の方一行を迎えられて、老いた身にこんな悲しみを味わおうとは、とお嘆きだった。母君の、大北の方は泣き騒ぎ、はては、源氏の大臣《おとど》への怨みつらみを声高《こわだか》にのべたてるのである。
「ひどいではございませんか、源氏の大臣も。どんなお恨みがあるのか、わが家の家族には、ことごとに辛く当られます。この家から入内《じゅだい》している女御《にょうご》にもよくして下さいませんし、こんどは、この姫の婿までお取りあげになって。どこの馬の骨やらわからぬ娘を拾いあげて、ご自分が手をつけた罪ほろぼしに、まじめな男と一緒にさせるなんて、あんまりですわ」
「聞き苦しい。やめなさい」
宮はにがにがしげに制される。
「大臣の非難はしなさるな。須磨《すま》に流されていられたときの、こちらの態度を、まだ根にもっていられるのかもしれないが、あのときは、こちらにも非があったのだから、仕方ないのだ。しかし、あのあと、紫の上につながる縁というので、私の五十の賀を、盛大に祝って下さったり、したのだからね」
大北の方は、それを聞くと、ますます腹をたて、源氏と紫の上を罵り散らしていた。
鬚黒の大将は、北の方が実家へ引き取られた、という知らせを受けて、当惑した。
あのよわよわしい、うつつ心のない北の方が、自発的に帰るはずはない。
父宮の指図にちがいない。
(みっともないことをして、世間の物笑いを招かれるものだ。若い夫婦の痴話《ちわ》喧《げん》嘩《か》ではあるまいし、中年の夫婦の、子供もいるのに、今頃になって、何だってまあ……)
と大将は、舅《しゅうと》の軽率さが不快だった。このままうちすてておくわけにいかない。大将は、北の方を持ち重《おも》りする存在に感じているのは事実であるが、決して別れるつもりはないのである。
「面倒なことになりましてね」
と大将は、強いて玉鬘にかるく知らせた。
「あれはおとなしい病人で、邸の片隅にひっそり暮らしている人なのに、父宮がむりに引きとられたものと見えます。このままでは薄情なようですから、ちょっと顔を出してきます」
といって出かけた。
大将は、豪奢《ごうしゃ》な袍《ほう》に、柳の下襲《したがさね》、青鈍《あおにび》のうす絹の指貫《さしぬき》を着ている。身づくろいすると、右《う》大将《だいしょう》らしい貫禄があって立派であった。玉鬘と似合いの一対《つい》にみえたが、玉鬘は、自分から、そんな悶着《もんちゃく》が起きたのだと思うと、いっそう憂鬱《ゆううつ》になり、とても大将の魅力など見直している気になれなかった。
大将は、舅の式部卿の宮の邸へいく前に、まず自邸へ戻った。子供たちはどうなったか、北の方たちが去るときの様子など知りたかったのだった。
木工《もく》の君は、大将づきの女房なので残っていて、その折の話をした。
姫君が、
「お父さまに会って、さようならと、ご挨拶してからいきたいの」
と、柱にすがって泣きじゃくっていた有様などを聞くと、大将は、たまらなくなった。男らしく怺《こら》えていたものの、姫君が柱のわれ目に挟《はさ》んでいった置き手紙の、かわいい稚《おさな》い字をみると、とうとう堪えかねた涙が、その上に落ちた。
大将は、涙の顔を人々に見られないようにして、すぐ、宮のお邸へ車をやった。道々、真木柱の姫君の手紙を見ては、娘可愛さに胸をしめつけられる思いがした。どんなに玉鬘を愛してはいても、娘のいとしさはまた、別のものである。
(今まで私はけんめいに、妻にはつくしてきたつもりだ。世間のわがままな男なら、こうまでして連れ添うているはずがない。そういうことを、宮はお考えになって下さらないのだろうか。将来のある子供たちまで連れて行かれるとは、どういうお気持なのだ)
と、大将は憤懣《ふんまん》に堪えなかった。
宮の邸に着いたが、北の方は無論、会わない。父宮は、
「若い妻に夢中になっている男の心が、今さら元へ戻るはずはない。会う必要はない」
とひきとめていられるのだった。
大将はなおも押して、
「こうもだしぬけに帰られるというのは、あまりにも大人《おとな》げないことです。子供もいるし、別れることなど思いも染めなかったものですから、私は、ついのんびりと気を許していた。もっとまめ《・・》に私の気持をお話しておくべきだったが、長いこと連れ添った仲ゆえ、そのへんは、他人行儀に説明しないでも理解して頂けると信じていました。それが私の怠慢というべきかもしれません。ともあれ、もういちどお帰り下さい。私も反省していますから、どうかこのたびはお許し頂きたい。今後もし私に不《ふ》埒《らち》なことでもあれば、世間も、あれなら別れてもあたり前だと納得するでしょう、そうなったら、ここへ戻られてもしかたありませんが……」
大将は、言葉をつくして説得してみたが、北の方の返事はない。
(真木柱の姫でも、顔を見せてくれないか……)
と大将ははかない望みをかけていたが、誰も、会わせてくれそうになかった。
男の子たちだけが、出てきた。
大将の息子は、上が十歳、下が八歳であった。上の男の子は、童殿上《わらわてんじょう》をしていて愛らしい子だった。利口で、物の分り出した年頃で、人にもほめられるような、いい子である。
次の八つの男の子も愛くるしく、この子は真木柱の姫君にも似ているので、大将はあたまを撫《な》でて、
「お前を、お姉さまの形《かた》見《み》と思って見るほかないね」
と涙ぐんだ。
大将は、宮にお目にかかりたいと思ったが、
「風邪《かぜ》をひいて籠《こも》っております」
とことわられ、取りつく島もないあしらいだった。しかたなく、二人の若君だけを車に乗せて帰ってきた。
しかし、六條院へ、子連れでゆくわけにいかない。
「お父さまは出かけるからね。ここに、今までのように暮らしておいで。お父さまは時々帰ってくるから、そのときに会えるからね」
と、二人の幼い兄弟をおいていくことにした。
「お父さま、明日は帰っていらっしゃるの」
と、心細そうに若君は聞き、大将は、二人にまつわりつかれると、いじらしくて、出てゆく足も鈍る思いだった。中年の恋は文字通り、足手まといが多いものである。
しかし、玉鬘の美しい姿を見ると、大将には、新しい勇気が湧く。よみがえったような気がして、どんな犠牲をも、払う値打ちがある、と心をとり直すのであった。
北の方へ、大将は、ふっつりと便りもしなくなった。父宮の冷たいおあしらいが、大将にはこたえ、男の面目を傷つけられた、と大将は思っている。
宮のほうは、そういう大将を、冷淡な仕打ち、とくやしがっていられた。
紫の上は、
「こまったわ。わたくしまで怨まれてしまって……」
と、玉鬘の結婚が、まわりにひき起こした意外な波紋に、心をいためていた。
「しかたないことだ。怨んでいる人々は多いよ。主上《うえ》まで何やらご不満のようだし、螢兵《ほたるひょう》部卿《ぶきょう》の宮も拗《す》ねていられる。しかしまあ、いずれはわかって頂けるだろう……」
と源氏はなぐさめた。
玉鬘は、あれこれ揉《も》めごとを聞くにつけても、ますます物思いが積もって、気は晴れなかった。大将は、それをいとおしく思った。
「宮仕えに出て、気を晴らしてみませんか」
大将のほうからすすめるとは、たいそう事情も変ったものである。
「この前は私が、せっかくの宮仕えの準備を中止させたようなことになったが、それでは主上に申訳ないし、大臣も割り切れぬ思いでいられるかもしれぬ。ちょうど今年は、男踏《おとこどう》歌《か》のある年、よい折だから、参内《さんだい》してみてはどうだろう」
大将の意向は方々に、すぐ受け入れられて、玉鬘は美々しい儀式のうちに、参内した。
華やかにも、人目をそばだてる威勢となった。何しろ、内大臣・太政大臣という強いうしろ楯《だて》がある上に、夫は鬚黒の大将、男きょうだいに加え、夕霧の中将の後見もある。
後宮はそれぞれ妍《けん》をきそう方々が時めいていらしたが、玉鬘は承香殿《じょうきょうでん》の東面《ひがしおもて》の居間を頂いた。
踏歌は、青年貴族たちが催《けん》馬楽《ばら》をうたってまわりあるく行事である。仄々《ほのぼの》とあけてゆく美しい冬空に、青年たちが酔い乱れて「竹河《たけかわ》」など謡《うた》う面白さ、玉鬘の局《つぼね》のあたりの女房たちの華やぎ、玉鬘は久しぶりに、心がはればれしてたのしかった。
一方、大将はいらいらしていた。
(今日一日だけ過ごして、今夜は退出させよう。このまま居付いて宮仕えしたいなどと言い出されてはたいへんだ)
大将はひそかに、この機会に玉鬘を自邸に引き取ろうというたくらみを持っている。
それでやかましく、退出を促すのであるが、玉鬘はとりあわない。
女房たちが、
「源氏の大臣が、今日参内して、今夜の退出では、あまりにあわただしい。主上が得心《とくしん》あそばされるまで御所にいて、お許しを得て退出するがよい、と仰せられています」
と大将にいってきた。
(弱ったな。こんなことになるのではないかと心配したのだが――。だから参内まえにすぐ退出するように、と念をおしたのに)
大将はいらいらしている。
兵部卿の宮は、帝の御前の管絃の遊びの席にいられたが、玉鬘が参内していると聞かれて、平静ではいられないで、とうとうお手紙をことづけられる。大将からのようにして托《たく》されたので、玉鬘はしぶしぶ受け取ったが、それは螢の宮のお文であった。
「御新婚のおん仲もむつまじいようで、私には辛い新春《はる》です」
玉鬘は、宮に申しわけないやら恥ずかしいやらで、顔も赤らむ思いがした。そこへ、思いがけなく、主上のお渡りがあった。
明るい月の光に、若い帝のお姿は清らかにも美しい。源氏の大臣によく似ていられる。
「あなたの宮仕えを心待ちにしていたが、あわただしく結婚してしまったのだね」
とやさしくお恨みになるのであった。玉鬘はお返事の申しあげようもなくてうつむいて顔をかくしていると、
「なぜ黙っている。あなたを三《さん》位《み》に叙したのも私の好意からですよ。私の気持はおわかりのはずと思うが」
玉鬘はまだ宮仕えの功労もないのに、早くも三位の位をいただいたのであった。
「主上のご恩はよくわきまえております。ご恩にお報いするように心こめて仕えさせて頂くつもりでございます」
と玉鬘はつつしんでお答えする。
「どのようにして報いてくれるというのか」
主上は微笑を洩らされる。
「すでにあなたは、大将のものではありませんか。その恨みがひとこと、言いたくて」
艶《えん》な美青年の帝が、声をおとしてささやかれるのへ、玉鬘は身を固くしている。
(また、わずらわしい……)
と玉鬘は困惑していた。玉鬘はその場の雰《ふん》囲気《いき》に引かされて、思わせぶりな、情理《わけ》知り顔をしてみせる女ではなかった。玉鬘の聡明さは、情に流されることを嫌《きら》った。
ただかしこまった風でいるのを、帝は、
(まだ内裏《うち》の空気にも、私にも馴れないので、堅くなっているな……)
とお思いになった。それ以上のご冗談も、押してはお言いになれず、
(そのうちに追々と……)
とお思いになる。
「なに。主上が、玉鬘のもとへお渡りになっているというのか」
大将はもう、居ても立ってもいられない。
主上の、玉鬘にかけられるご執心のほどを知っている大将は、気が気ではなくなって、矢のように退出を促してくる。
玉鬘も、このままいると、のっぴきならぬ立場に立たされる恐れがあって、気がせかれた。
父の内大臣も、退出の口実をうまくとりつくろって、主上にお暇《いとま》を頂くよう、願い出てくれた。
「仕方がない。退出してよい」
主上は残念そうにお許しになった。
「私のほうが、誰よりも早くあなたに思いをかけていたのに……」
噂に聞いていられたのより、はるかに美しい玉鬘を、主上はお手放しになるに忍びない思いがされた。
もう、車も用意され、双方の大臣方の供人《ともびと》も退出をまちかねている。大将はそわそわして、うるさいほど玉鬘をせかすのである。
しかし、主上は、まだ玉鬘をお離しにならない。
「うるさい大将だ。さすが近《この》衛《え》の大将だけあって、あなたをつききりで守っているよ」
と主上は玉鬘に皮肉をいわれる。
「あなたを離したくないが、それだけに大将の焦《あせ》りも同情できるから気の毒だ。しかしこれからはどうやって便りをしよう。大将に堰《せ》かれて、あうこともむつかしかろうからね」
「恐れ多いことを……」
玉鬘は主上のおやさしいお言葉を、勿体《もったい》なくも心苦しくも思った。
「おそば近くお仕えできるようなわたくしでもございませんが、折ふしは風の便りでもおことづけ頂きますれば、身にあまる光栄でございますわ」
主上のお言葉にすこしほだされ、美しいためらいを見せつつ心残りらしくいう玉鬘に、主上もなお物思いをふかめられた。ちらと仄《ほの》見《み》ただけで拉《らつ》し去られるように消えてゆく美女を、主上はお忘れになることができない。
あらかじめ、大将の自邸へ連れ帰るというと、とても許可は出ないだろうと、大将は思った。それで玉鬘が退出するや否や、
「どうも風邪をひきこんだようです。自宅で養生したいと存じますが、別々では気がかりなもので、伴って帰りたいのですが」
とおだやかに了解を求めて連れ帰ってしまった。
内大臣は、(急なことだな。自邸に迎え取るとなればいろいろ儀式もあるだろうに)と、この人らしくすぐ世間態を気にしたが、そんなことを申したてて大将の気を悪くしてもはじまらぬと思い、承知した。
源氏も不本意ではあるが、夫である男が自邸へ伴うというものを、異をとなえるわけにもいかない。
玉鬘はまして、自分が流されてゆく運命にさからうすべはなかった。風に吹きなびく煙のような女の身だと、はかなく思っている。
ひとり、悦に入っているのは大将だった。
邸はみごとに造営され、新妻を迎えるらしい華やぎにみちていて、少し前とは見違えるばかりである。
(思うままになった)
と大将は深い満足感を味わっている。わが邸に迎えた玉鬘を、
(盗んできた姫君というのはこうもあろうか)
とうれしくいとおしく、文字通り自分一人のものになった気がしてはじめて安心する。
落着いてみると、参内の夜、主上が玉鬘の部屋を訪れられたのが気になった。
「主上は何を仰せられた? まさか慮外なことはなさらなかったろうね? 私の妻だということはご存じなのだから……。いや、しかし、男と女のことはわからない。あなたも少しは、心を動かされたのではないか。主上はあのとおり、たぐい稀《まれ》な美男でいられるからな」
大将は嫉《しっ》妬《と》しているのである。
「ほんとうに何もなかったか」
とくどくいうのが、玉鬘にはうとましく思われる。主上は最高の権力者であられながら、玉鬘はすでに人のものと自制なさって、やさしい物怨《ものえん》じのお言葉だけがあった、そのときにゆきかう心と心は、主上と臣下のそれではなくて、縁なく終った男と女のはかないあこがれの詠嘆《えいたん》であった。
そういう仄かな、あるかなきかの慕情、あわれさ、などを、この実直なばかりの大将にどう説明したらよかろう。
「どうだった、手ぐらいはお取りになったのではないか」
などと嫉妬を露骨に示されると玉鬘は、
(何て品のない人かしら……繊細、ということから、およそ縁遠い人だわ)
と憂鬱になってしまう。
しかし大将は、恋妻に夢中なので、嫉妬も猜《さい》疑《ぎ》もかくすことを知らない。
二月になった。
源氏は玉鬘のことが恋しくてならない。
大将には、してやられてばかりいる。まさかこう、大将がきっぱりと玉鬘を連れていこうとは思いもよらなかった。
いちずな男は、何をしでかすか、油断も何もできない。源氏が人の心を重んじ、あれを思いこれを思いして、たゆとうているのと対照的に、大将は思いこんだら直情径行で、果敢に断行してしまう。源氏は今になって玉鬘が恋しくてならなかった。
大将のように風流もわからず、無愛想な男に連れ添って、玉鬘は日々何の面白みもなく過ごしているのではあるまいか。
雨の降るつれづれ、源氏はそっと、玉鬘の女房・右近に、玉鬘への手紙をとどけた。
「〈かきたれて のどけき頃の春雨《はるさめ》に ふるさとびとをいかにしのぶや〉
昔のことを思い出して怨めしい気がします」
右近は、玉鬘に、それを人目のない折みせた。
玉鬘はなつかしさのあまり、涙ぐんだ。
右近は、ほんとうのところ、玉鬘と源氏の仲の真相を疑っている。玉鬘があやしいまでに、源氏をなつかしみ、源氏の文に顔を埋めて泣くのを見ても、二人の仲の真実は、よくわからないのである。
「〈ながめする軒のしづくに袖ぬれて うたかた人をしのばざらめや〉
長いことお目にかかりませぬ故、淋しさもつのってまいります。お見舞い、ありがとうございました」
と、他人行儀に、ていねいに、玉鬘は返事を書いた。
源氏はそれを見て、胸がいっぱいになる。
まるで若い日の恋のようだった。かの若かりし日、朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《かん》の君と忍んで恋し合い、弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》にきびしく堰《せ》かれたことなども思い出された。恋しやすい人間は、求めて苦労をするのだ、と反省しつつも、恋しかった。
三月になって、六條院の庭の花々が美しく咲いた。源氏はいまは住む人もない西の対にいって、ここに玉鬘が美しい様子で坐っていたのをもう二度と見られぬかと思ったりした。
鴨《かも》の卵がたくさんあるので、あり合わせのものを贈るように何げなくつくろい、玉鬘に贈った。その手紙も、人目につくかと案じて、親らしく書いた。
「お目にかかる折もなくて残念です。誰が抱えこんでいるのでしょうね、わが家でかえった雛鳥《ひなどり》を」
大将はこの手紙を見て笑った。
「おかしいではないか。実の親でもないのに、たえず逢いたい逢いたい、とうらみごとをいわれるのは」
玉鬘は、その得意そうな表情を、憎らしくさえ思う。返事を書き渋っていると、大将は、
「よし、私が代筆しよう」
といって、返事を書いた。
「雛鳥もいまは一人前に成長いたしましたもので、こんどはおのが巣造りにいそしんでおります」
源氏はこの手紙を見て、あの大将がこんな洒落《しゃれ》で返すのは珍しいと笑ったが、いかにも玉鬘を独占している得意顔が、憎らしかった。しかし、鬚黒の大将が得意顔なのも道理、玉鬘はすでに懐妊していたのである。
鬚黒の大将の、もとの北の方は、いよいよ痴《ち》呆《ほう》のようになって暮らしていた。
大将は北の方への見舞いもかかさず、ゆきとどいた世話もし、生活上の面倒はみていた。
手もとにひきとった男の子たちを可愛がり、子供たちは母の邸へもゆくので、北の方も、大将とすっかり縁を切ってしまうことはできなかった。
大将は、娘に逢いたくてたまらないのであるが、北の方も父宮も、どうしても逢わせない。
姫君のほうも、父に逢いたがっていた。
少女は、祖父母や母が、大好きな父をわるくいうのを悲しい思いで聞いていた。
わずかに、弟たちが父の噂《うわさ》をするのを、たのしみに聞いているのだった。弟の若君たちは、また、玉鬘の噂をも、もたらした。
「とてもお綺《き》麗《れい》なかたなんだ」
「ぼくたちのことも可愛がって、やさしくして下さるよ」
「一日中、面白い風流なことをして楽しそうに暮らしていらっしゃるんだ」
姫君はそれを聞いてうらやましかった。
「いいわねえ……男の子は、あっち、こっちの邸をゆき来できるんですもの。わたくしも、どうして男に生まれなかったのかしら。それで、お父さまはどうしていらして?」
「始終、おねえさまのことをぼくたちにおっしゃってるよ。ときどき、おねえさまのお手紙を見て泣いていらっしゃるよ。ぼく、見たんだ」
無邪気な幼い弟の言葉に、姫君は思わずぽろりと涙を落すのである。
玉鬘の子供が産まれたのは十一月だった。
可愛い男の子であった。大将がどんなに狂喜したか、また、誕生後のいろんな儀式がどれほど美々しく盛大であったか、一々しるすまでもないであろう。
実父の内大臣も、ふかく満足している。玉鬘は、内大臣が大切にかしずく女御《にょうご》にも劣らず、美しくたしなみある姫君であったが、こんど大将の妻となり、男の子さえ儲《もう》けた上は、もはや押しも押されもせぬ貴婦人であった。
内大臣は、玉鬘の、おのずとひらけゆく運命に、またその運命に流されるようにみえながらその中でもっとも聡明に、人生の花を咲かせる玉鬘に満足しているのだった。
長男の頭《とう》の中将・柏木《かしわぎ》は、いささかちがう。
以前、何も知らずに懸《け》想《そう》していたころの、甘いあこがれは今も胸のそこにある。
美しい姉の玉鬘が、鬚黒の妻などになるより、宮中へ入って主上の寵幸《ちょうこう》を受けていたほうがよかったのに、とひそかに思う。
(主上はまだ男皇子《みこ》がおありでない。こんなに玉のような美しい皇子を儲けられたら、どんなにわが家の面目であったろうに)
などと身勝手なことを考えたりもするのであった。
玉鬘は、尚侍《ないしのかみ》としての公務も、在宅のまま執《と》ることになった。参内することはもう、ないであろう。
玉鬘が、いまやどんな人にも褒《ほ》められ、尊敬され、愛されてゆくのにくらべ、いよいよ困りものになってゆくのは、内大臣の拾った子のひとり、近江《おうみ》の君である。
近江の君は尚侍になりたがっていたが、この頃はすこし色けづいたというべきか、公達《きんだち》をみるとそわそわして、大臣もすこしもてあまし気味である。
女御は、
(いまにみっともないことをしでかすのではないかしら)
と、はらはらしていらっしゃる。大臣は、
「人中へあまり出ぬように」
と近江の君を制止するのだが、近江の君は平気で出てくるのであった。
女御の御殿に、殿上人《てんじょうびと》の、それもことに立派な貴公子たちが参上して、音楽をたのしんでいたことがあった。
風《ふ》情《ぜい》のある秋の夕べなので、宰相《さいしょう》の中将・夕霧もこの御殿にたち寄った。
いつもは生真面目《きまじめ》な夕霧がいつになくうちとけ、女房たちに冗談などいいかけているのを、人々は珍しがった。夕霧の様子は、やはり、なみの青年たちよりすぐれてみえる。
そこへ近江の君が、女房たちを押し分けて出て来た。(まあ、困ったわ)と女房たちは当惑して、小声で、
「どうなさいますの……」
と袖《そで》をひきとどめるのに、
「かめしまへん。抛《ほ》っといとくれやす」
とにらんで、近江の君は御簾《みす》のそばに坐りこんでいる。人々は、何を言い出すかと冷や汗が出てつつき合っているのに、近江の君は、
「あの人が夕霧の中将さんどすか、こっち向いてぇーっ」
と叫びたてた。
人々は、耳をふさぎたいような思いでいる。
近江の君は頓着《とんちゃく》なく、さわやかな声で、
「まだ独身でいてはりますねんとなあ。北の方がおきまりやないなら、うちにきめとくれやす。小舟が波に揺れるように、ふらふらと、一人のかたばっかり思うてやはるそうやけど、うちもあのかたの姉妹《きょうだい》の一人、どないどすか、自分で売り込むみたいで恥ずかしおすけど、北の方にしてぇーっ」
おどろいたのは夕霧である。
彼の方がまっかになってしまった。
この御殿は上品で趣味のいい人々ばかり、こんなつつしみのない無作法なことをいう人はいないはずなのに、と考えているうち、はたと思いあたった。
(噂に聞く近江の君とは、この人だな……)
おかしくなって、
「波にただよう小舟も、気の向かぬ磯《いそ》には寄らぬものでしてね」
とさりげなくかわした。全く、現代では珍しい品行方正な貴公子である夕霧に、むきつけに、いい寄りもしたものである。たちまち、語り草になった。
花散りし梅が枝《え》に残る匂いの巻
源氏は明《あか》石《し》の姫君の裳着《もぎ》の準備に没頭していた。
東宮《とうぐう》も同じ二月に御《ご》元服《げんぷく》される。ひきつづいて姫君の入内《じゅだい》があるはずだった。
正月の末で、公私ともにひまな時だったから、源氏は薫物《たきもの》を調合していた。太《だ》宰《ざい》の大《だい》貳《に》などが舶来の香《こう》などを献上しているが、しかし古くからのものがやはりすばらしいようである。
新しいものと古いものをとりそろえ、
「二種ずつ、調合して下さい」
と源氏は六條院の夫人たちにいった。
六條院はこのところ賑《にぎ》わっている。裳着の式にそなえて、人々への贈り物、引出物など用意するだけでも大さわぎなのに、香をそれぞれ調じようというので、ここでもかしこでも、香をくだく鉄臼《かなうす》の音がやかましいほどである。
源氏は寝殿で一人、仁明《にんみょう》帝ご秘伝の香を調合している。
紫の上は東の対《たい》の放出《はなちで》にこもり、八條の式《しき》部卿《ぶきょう》の宮の秘法により調合していた。どっちもひたかくしにしている。
「匂《にお》いの深い浅いについても勝負すべきだ」
と源氏はいい、二人で競い合っているさまは、まるで青年のようである。
香の調度類も善美をつくし、すぐれた香を取りそろえ、源氏は姫君のために万全の用意をしようと思っている。
二月の十日、雨がすこし降って、庭の紅梅は色も匂いもさかりである。そこへ兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、
「御裳着の式も近くなりましたね。何かとお忙しいでしょう」
と見舞いに来られた。
昔からむつまじい仲なので、源氏は喜んで迎え、隔てなくあれこれ話して、花を賞《め》でていると、そこへ、「前斎院《さきのさいいん》から」と散ってしまった梅の枝に、手紙をつけたのが届けられた。
宮はかねて、源氏と、前斎院・朝顔の宮との恋愛事件を耳にしていられるので、
「ほほう。あちらからわざわざどんなおたよりが」
とご覧になりたそうである。源氏は微笑して、
「いやなに。こちらからあつかましくお願いしたのを、宮は真正直に、すぐして下さったのですよ。薫物をお願いしましてね」
といって、手紙はひき隠した。
朝顔の前斎院がもたらされた香は、優美だった。
沈《じん》の箱に、瑠璃《るり》の香《こう》壺《ご》を二つ据《す》え、その中に大きく丸めた香が入れてある。
贈り物につける飾りは、紺瑠璃のには五《ご》葉《よう》の枝、白瑠璃には梅を添え、むすんだ糸もあでやかだった。
「ははあ。何とも優婉《ゆうえん》な」
と兵部卿の宮は感心していられる。歌がつけてあった。
〈花の香は散りにし枝にとまらねど 移らん袖に あさく染《し》まめや〉
この香の薫《くゆ》りは、花の散った枝のような私には染みませんが、美しく若き姫君には、ふかく沁《し》みわたることでございましょう、というような意味でもあろうか。
兵部卿の宮は、墨色も仄《ほの》かなその歌を、興に入ってことごとしく、詠《よ》みあげられる。
夕霧は、お使いの者をとどめ、酒をふるまってもてなし、紅梅襲《こうばいがさね》の女の装束《しょうぞく》を与えた。源氏は、返事を紅梅色の紙に書き、庭先の梅の花を折らせてそれにむすびつけて渡した。
「どんな中身でしょう。どうもおかくしになるのがあやしい」
兵部卿の宮は、のぞきたそうにしていられる。
「なんの、変ったこともありませんよ」
と源氏は話をそらして、
「何といっても一人むすめですから、こうも大さわぎをしております。裳着の腰結《こしゆい》を、中宮にお願いすることにしました。りっぱな方なので、なみなみの儀式では失礼でもありますし、どうしても大げさになってゆきます」
「そうですね。中宮のご幸運にあやかられるためにも、結構なことですよ」
と宮は賛成なさった。
よい折なので、源氏は、女君たちに使いをやって、調合した香をとり寄せることにした。
「ひとつ審判していただけますか。あなたのほかには、これをお願いするかたは居られませんよ」
と源氏は火《ひ》取香《とりこう》炉《ろ》をとりよせて宮にお願いする。
「折よく、雨で夕じめりしていますから、香を聞くのにふさわしい」
「いや。私など、その任でもありませんが」
と宮は謙遜《けんそん》されたが、次々と、あちこちから香が届けられた。
六條院の空に、ゆるゆると、心にくい香がたちのぼり、人々を酔わせてゆく。
源氏の調合した香も、いまはじめて取り出された。
香というのは乾燥させてはならない。適度の湿り気を与えるため、御所ならば右《う》近《こん》の陣の御《み》溝水《かわみず》のほとりにお埋めになる。源氏もそれになずらえて、六條院の西の渡り廊下の下を流れる遣水《やりみず》の、汀《みぎわ》ちかく、香を壺《つぼ》に密封させて埋めていた。それを、惟光《これみつ》の宰相の子の兵衛《ひょうえ》の尉《じょう》が掘ってきた。この青年は、かの五《ご》節《せち》の舞姫に出た娘の弟である。
宰相の中将・夕霧が取りついで、源氏と兵部卿の宮の前に捧《ささ》げてくる。
香の調合は、どれもみな同じではあるが、人によって深さ浅さができるのも面白い。
なかで、斎院の調合された黒方《くろぼう》はさすがにおくゆかしく、しっとりした香である。
侍従《じじゅう》、という香では、源氏の調合したのがすぐれて上品で、しかもほのぼのしている、と宮は判定された。
紫の上の調合したのは、侍従、黒方、梅《ばい》花《か》とある中に、梅花が現代風ではなやかで、斬《ざん》新《しん》な感じが添えられている、と宮はほめられた。
花散里《はなちるさと》は、れいの控えめな気質から、荷《か》葉《よう》を一種だけ調《ととの》えていた。これはまた、おもむきもかわり、あわれになつかしい。
明石の上はすこし変った趣向をこらしていた。同じような香ではほかの人に負けてしまうと、百歩《ひゃくぶ》の香を調えたのである。これは 源公忠《みなもとのきんただ》が宇多帝の秘法を伝承して工夫した、薫《くの》衣《え》香《こう》であった。
なまめかしくもきよらかに、この香は、百歩の外まで匂うといわれ、その名も百歩とつけられている。
宮はこれにも讃《さん》辞《じ》を惜しまれなかった。
「何ですか、どちらにも花を持たせられて、それでは審判者にならないではありませんか」
と源氏は笑った。
月が出た。源氏は宮と酒を汲《く》みかわし、昔の話などする。月影はゆかしく霞《かす》み、雨の名《な》残《ご》りの風は花の香を誘うて、邸中《やしきじゅう》、梅の香りにみちている。人の心も浮きたちなまめかずにはいられない。
明日は、いよいよ、明石の姫君の裳着の式である。
六條院の蔵人所《くろうどどころ》(事務所)の方では、明日の儀式の音楽のため、楽器をそろえたり、殿《てん》上人《じょうびと》が笛を吹いたりしている。
内大臣の息子の頭《とう》の中将、弁《べん》の少将などが挨拶《あいさつ》に来たのを源氏はとどめ、楽器をこちらに運ばせて、管絃のあそびがはじまった。
宮は琵琶《びわ》、源氏は箏《そう》の琴《こと》、頭の中将は和《わ》琴《ごん》を受けもつ。頭の中将は、父の内大臣にも劣らず、美《み》事《ごと》にかきならす。
夕霧は横笛を吹いた。
弁の少将は拍子をとって、澄んだ美声で、催《さい》馬楽《ばら》の「梅が枝」をうたう。早春のあけぼのの空に合奏の音はたぐいなくおもしろく、うらうらとひびきわたる。
「おお、身も魂《たま》もあこがれ出てゆくような」
「鶯《うぐいす》も共に鳴き出すかもしれませぬな」
人々は酒に酔い、楽《がく》の音《ね》に酔い、花の香に酔うて、あけがたようやく散った。
姫君の裳着は、西の対で、戌《いぬ》の刻(午後八時)にはじまった。
中宮のいられる西の対の放出《はなちで》に、儀式の設けがされてあった。御《み》髪《ぐし》上《あ》げの内《ない》侍《し》なども、こちらへ参っていた。
紫の上も、このついでに中宮にお目にかかった。双方の女房たちの参りつどうもの、数知れずみえる。
式はとどこおりなく、子《ね》の刻(夜中の十二時)に姫君は裳をつけた。中宮が腰結《こしゆい》をされるのも、かつてないことである。
大殿油《おおとなぶら》の光も仄かに、中宮は姫君をご覧になって、
(まあ、美しいかただこと)
とお思いになった。
源氏は、
「ご好意に甘えて失礼なお役目をお願いしました。のちのちの例にもならぬかと恐縮しております」
と中宮に申上げる。中宮は、
「そんな大層なこととはわたくしも思いませんでしたのに、お気を遣って頂きますと、かえって、心おかれまして……」
と軽くとりなされるごようすが、いかにもおやさしく、愛嬌《あいきょう》がある。
(いいかただなあ)
と源氏は思う。
源氏は一人娘の人生のかどでともいうべき式を無事にすませ、感慨ふかかった。実の母の明石の上が、この晴れ姿を見られないのがふびんで、源氏はよほど呼んでやろうかと思ったが、人の噂《うわさ》をおそれて、ついに呼ばなかったのであった。
東宮のご元服はその月の二十日すぎである。
東宮に姫君を入内させようと思っている人々は、源氏の出かたをまってためらっていた。
源氏は、
「たくさんの女御《にょうご》がたが少しの優劣の差を争うのが、宮仕えの面白みでもあり、本意でもある。すぐれた姫君たちが、ひきこんでしまわれたのでは、張り合いがなくてさびしい」
といったので、まず左大臣の姫君が入内された。麗景殿《れいけいでん》と申しあげることになった。
源氏は、御所における自分の宿直所《とのいどころ》であった桐壺《きりつぼ》を、姫君のために修理した。東宮も、明石の姫君をまちかねていられるようなので、入内は四月に、ときめられた。
入内の調度類は、善美をつくしてととのえられたが、なかんずく、源氏の力を入れているのは、今のところ、仮名《かな》のお手本である。
「すべて昔よりは物が劣ってゆく現代だが、仮名の字だけは、今のほうがよくなっているね」
と源氏は紫の上に話していた。
「昔は型にはまっていたが、今はのびのびした優美な仮名を書くようになった。今まで見た中で、もっともすぐれた字は、六條御息所《みやすんどころ》だった。何げなくさらりと、一行ばかり書き流された字の、魅力的だったことは忘れられない。私はあのかたの字を仮名のお手本にしたよ。中宮のお手蹟《て》はこまやかで優美だが、母君ほどの才気はおありでない」
と源氏は少し声を低めていう。
「藤壺《ふじつぼ》の宮のそれは上品でいらしたが、すこし弱々しくて趣きに乏しかった。朧月夜《おぼろづきよ》の尚《ないし》侍《のかみ》は、女字の妙手として当代一だが、どうも気どりすぎた所があって癖《くせ》が多い。それでも、この方と、前《さきの》斎院と、あなたとが、仮名の三名人という所かな」
「まあ。わたくしなぞ、その中に入れて頂くなんて」
と紫の上は顔を赤らめた。
「お世辞ではないよ。女らしい字、という点ではあなたが一ばんかもしれない」
源氏は兵部卿の宮をはじめ、宰相の中将や頭の中将など若い人々にいたるまで、
「葦《あし》手書《でが》き(水の絵に、葦のように仮名を乱れ書きしたもの)でも歌絵でも、思い思いに描いて頂きたい」
と頼んだので人々は競って書くのであった。
花ざかりもすぎ、春もたけて、新緑が明るい空に映える初夏の午後、源氏は寝殿に人を避けて清書している。女房二、三人ばかりに墨をすらせ、源氏は古歌など思いめぐらしている。
草仮名、女文字などを書くのである。
御簾《みす》をあげ、脇息《きょうそく》の上に草《そう》子《し》を置いて、源氏は廂《ひさし》の間《ま》にくつろいでいる。筆の尻を咥《くわ》えてあれこれ、うっとり思案している源氏の姿は、見馴《みな》れた者たちの眼にも、あざやかに美しい。
唐《から》の紙に書いた草仮名。高麗《こま》の紙の、柔かなのに書かれた端正なひら仮名。わが国の紙《かん》屋《や》紙《がみ》の、華やかな色合いのに書かれた乱れ書きの草仮名。
源氏の手もとに蒐《あつ》められた草子類の中で最もすばらしいものは、兵部卿の宮から贈られた宝玉の如き書である。一つは嵯峨《さが》の帝《みかど》が古《こ》万葉集《まんようしゅう》からえらんでお書きになった四巻。一つは醍《だい》醐《ご》帝がお書きになった古《こ》今集《きんしゅう》。それはことに美事なもので、唐《から》の浅縹《あさはなだ》の紙を継いで書いてある。紺の唐の綺《き》の表紙。紺の玉の軸。ヲ《だん》の唐組《からくみ》の紐《ひも》。その優美な表装に加え、中の書は、巻ごとに書風を変えて書かれてある。
源氏は姫君に持たせる調度の中へは、最高のものしか入れない。よりぬきのものの中でも、宮の贈り物の二点は、世の人々をうらやましがらせた。
内大臣は、これらの入内準備を聞くにつけても淋しく、取りのこされたような心地を味わった。
わが家の姫君、雲井雁《くもいのかり》も、いまを盛りに美しく一点、非のうちどころのない姫君である。
もし、夕霧との恋愛沙汰《ざた》がなければ、内大臣は、負けずに東宮に入内させたであろう。
いまさらいってもせんないことと思いながら、さすがに内大臣は、萎《しお》れて月日を送っている姫君があわれでもある。
相手の宰相の中将・夕霧が、そ知らぬ顔でいるので、内大臣は進退に窮している。今さらこちらから折れて出るのも外聞がわるく、こんなことなら、あちらが雲井雁と結婚したがったときに許していればよかったと、気よわくもなったりするのである。
宰相の中将の方では、内大臣が、気弱になっているというのを耳にするが、何といっても、情《つれ》ない仕打ちで恋人の仲を引き裂かれた怨《うら》みを忘れることができない。六位の下っぱ役人と乳母《めのと》に侮《あなど》られた屈辱も消えず、せめて納《な》言《ごん》になってから、姫君に求婚しようと決心していた。しかし雲井雁への思慕は、このまじめな青年の心に深く根をおろしていたので、ほかの女人に思いを分けることは、ついぞないのであった。
源氏は、いつまでも長男の身が定まらないので案じていた。
「雲井雁の姫君のことはどうしたのかね。あきらめたのなら、右大臣や中務《なかつかさ》の宮などから、縁談が来ているから考えたらよい」
と夕霧にいうのであるが、夕霧はうつむいたままで答えなかった。
「意見をするのではない」
源氏はおだやかにいった。
「私自身も、こんな問題については亡き父みかどのご教訓に従えなかったのだから、べつにお前に意見しようというのではない。しかし今になると父君のおさとしがよくわかる。いつまでも独身でいると誤解も招くし、ずるずるにつまらぬ女と一緒になったりしては外聞もわるく、志とも違うことになる。女のことで身をあやまる例は昔から多いのだ。高望みをしても、女のことは、思うようにいくものではないからね。
私は小さいときから御所で育ったので、ちょっとした咎《とが》でもあるとすぐ目立ち、窮屈だった。それで身をつつしんでいたつもりだが、好き者と非難されて自由な暮らしはできなかった。お前は身がるだと思って翅《はね》をのばしてはいけないよ。
定まる妻を持たぬ男は、とかく浮名をたてられやすく、また、道ならぬことに深くなり、相手にも浮名をたて自分も恨みを負うたりすると、終生、悔恨のたねとなる。
相思相愛の男女が結婚し、そのまま生涯、かわることなければそれが理想なのだがね……。なかなか、現実にはそれはむつかしい。
結婚して性格が合わぬのに気付き、気に入らぬときでも、やはり少しはがまんして、思い直すようにするがよい。女の親の気持も考えてやって、それに免じて、心を傷つけるようなことはするな。もしまた親がなくて暮らしに困るような女でも、その人柄にどこか一点可愛い所があればそれを取り得にして、末長く面倒を見、添いとげてやるがよい。自分のためにも人のためにも、よいようにと分別するのが、男の、女に対する思いやりというものだ」
源氏は諄々《じゅんじゅん》と説ききかせるが、夕霧の考えているのは雲井雁のことばかりだった。
宰相の中将・夕霧と、中務の宮の姫君の縁談がすすんでいるという噂《うわさ》を聞いて、内大臣は心を傷《いた》めた。
雲井雁のところへいって、
「こういう噂を聞いたがね。ほんとだとしたら夕霧もひどいね。尤《もっと》も、私が強情を張って、源氏の大臣《おとど》の口ききにも色よい返事をしなかったから、いまだに根にもっていられるのかもしれないが……。いまここで私が折れたら人聞きもみっともないし。かといって、お前もかわいそうだし」
内大臣は涙ぐんで娘をふびんがっていた。
雲井雁はしょんぼりしてうつむく。そしていつのまにか、はらりと一滴二滴、涙をこぼしているのを、自分でも恥じて、顔をそむけるのが可《か》憐《れん》だった。それを見る内大臣は、あわれで、ここはどうあっても、娘のために自分が折れて出なければいけないだろうか、とかぎりなく思い乱れ、ためいきついて起《た》つのだった。
雲井雁はひとりになって考えていると、いいことは考えない。
(きっと、あのかたは、中務の宮さまの姫君と結婚なさるわ……そしたらあたくしなんかのことは、すぐにお忘れになるわ)
と思うと悲しくて、涙があとからあとから出てくる。それにつけても、
(お父さまは、さっきの、あたくしの涙を何とご覧になったかしら。……やっぱり夕霧さんのことが忘れられないでいるとお思いになったかもしれない)
と考えると、恥ずかしくてたまらなかった。
夕霧を恋しく思っているくせに、それを人に知られるのを雲井雁は恥じていた。
そこへ、夕霧からの手紙が来た。この幼な馴染《なじ》みの恋人たちは、忍び忍びに、恋文だけをいつもとり交しているのだった。
「このごろどうしたの?
ちっとも手紙をくれないね。
やっぱりあなたも世間なみに、『去るもの日々に疎《うと》し』というところなのか。
私のほうは、去れば去るほどあなたが恋しくなるのに。私が、変人なのかもしれないね」
あて名も署名もない、秘めやかな恋文である。だが、まぎれもなく、いつものように夕霧の手蹟《て》である。雲井雁はすぐ返事を書いた。
「あなたこそ世間なみよ。あたくしにだまって、ほかのひとと仲よくなさるなんて。みんな聞きました。あなたはそのかたと、ご幸福にお暮らしなさいませ」
青年は、その返事をうけとって、
(何の意味だ?)
と小首をかしげていた。彼は恋人をこうも拗《す》ねさせるようなことを何かしたか、と一生けんめい考えた。
藤のうら葉は色も褪せじの恋の巻
夕霧は、中務《なかつかさ》の宮であろうが誰であろうが、どこの姫君とも結婚する意志はなかった。
それどころか、六條院では姫君の入内《じゅだい》の準備で大さわぎなのに、そんな中で夕霧ひとり、ぼんやりと物思いにふけることが多い。考えるのは雲井雁のことばかりだった。
われながら何という執念ぶかさであろう。
こうも苦しい恋ならば、伯父《おじ》の内大臣もかなり気が折れたという噂《うわさ》だから、こっそりと忍んで通って既成事実を作ってしまう、という手もあるのであった。伯父も目をつぶって知らぬ顔で通してくれよう。そうしていつのまにか、夫婦としてみとめられるようになるかもしれない。
しかし夕霧は篤実な性格だから、そんなこともできない。せっかくいままで待ったのだから、やはり苦しくても伯父から正式な交渉があっての結婚の方が、お互いの名誉のためにも不《ふ》体裁《ていさい》でなくていい、などと考え、じっと辛抱しているのである。
内大臣の焦燥《しょうそう》もそれに劣らない。もし夕霧が中務の宮の婿になったとしたら、いそいで雲井雁に別の縁談をさがさねばならぬが、それには雲井雁と夕霧の恋愛沙汰は、世上に知られすぎている。
婿になる青年も、世の物笑いになるだろうし、かつこちらも外聞がわるいことだ。
どう考えても、ここは、こちらが負けて夕霧を婿に迎えるにしくはない。といって、夕霧と内大臣は、双方、ふくむ所のある仲なので、いま急にちやほやするのも、恰好《かっこう》のわるいことであった。
いい機会があればなあ……と、内大臣は考えていたが、そのうち三月二十日は、亡き大宮のご命日、一族、極楽寺におまいりすることがあって、そこで夕霧と会った。
内大臣は子息あまたひきつれて威勢もあたりを払うばかり、上達《かんだち》部《め》もたくさん参り集《つど》うたが、その中でも夕霧の中将はぬきんでた風《ふう》采《さい》と挙《きょ》措《そ》である。りりしくて、しかも猛《たけ》からず、おちついていて美しい貴公子だった。
夕霧は内大臣に対しては気が置けるとみえて、慇懃《いんぎん》な態度で用心している。それを、内大臣はことさら目をとどめて見ていた。
御布施など、六條院からも出された。夕霧は、やさしかった祖母宮の御供養なので、ことに心をつくしてつとめた。
夕方、みんなが帰りかけるころであった。
花は散り乱れ、夕霞《ゆうがすみ》がおぼろにたちこめる物なつかしい春の夕べ、内大臣は心そそられて思わず立ちつくしている。
夕霧も、春の夕のあわれにさそわれたか、
「雨模様だ」
と人々が言い騒いでいるのも耳に入らず、空をながめてうっとりしていた。内大臣はそれをみると、(かつてないことだが)心うごかされ、何かしら、郷愁にも似た思いで、夕霧に対する愛情がこみあげてきた。
思えば雲井雁の事件の前は、内大臣はこの甥《おい》をよく可愛がり、甥もまた伯父になついていた。早く母を失った甥を、内大臣はふびんに思い、息子のように目をかけたものだった。
雲井雁とあやまちを起こしたからといって、甥をにくむのは、行き過ぎではなかったろうか? 亡き大宮がいわれたように、雲井雁と結婚させるとしたら、夕霧くらいよくできた婿はあるまい。自分が、雲井雁を主上か東宮に納《い》れようと思ったばかりに、ことは紛糾し、反目と誤解がいりみだれてしまったのだ……。
内大臣はおぼえず知らず、夕霧のほうへ、笑みをふくんで歩み寄っていた。
「今日はご苦労だったね、中将」
と夕霧の袖《そで》を引いて話しかけた。
「なぜそう、よそよそしくする。今日の法《ほう》会《え》の縁を思うだけでも、もっとうちとけて親しくしてほしいものだ。もうおい先も長くない年寄りの私に、つれなくするとは恨めしいではないか……」
「は。いやべつに、私は」
と青年はかたくなっていた。
「亡きおばあさまも、伯父上をたよりにさせて頂くようにとご遺言《ゆいごん》がありましたが、……どうも伯父上のご機《き》嫌《げん》を損じた様子なので、恐縮してご遠慮申上げておりました」
折から雨風がはげしくなり、人々はいそいで散ってしまったが、夕霧は伯父の言葉をしきりに考えていた。
なぜ急に伯父は親しみをみせて、寄ってきたのか。何か、意図があるのか。
もしや雲井雁を、自分にゆるそうというのか。いや、まさかあの傲岸《ごうがん》で権高《けんだか》な伯父が。
青年はとつおいつ考えて、寝もやらずその夜は明かしてしまったのである。
内大臣はあの法会の日以来、意地も折れて、夕霧と和解する、よき折もがな、と思いつづけていた。
四月はじめであった。庭先の藤の花が面白く咲き乱れ、例年より色濃く美しいと人々は賞美して、このまま見過ごすのも残念なと、管絃の遊びを催すことになった。
内大臣のもくろみは、夕霧を招くことにあった。
雲井雁と結婚してもよい、いや、結婚して下され、と正面切って話し合うような、はしたないむきつけなことはできない。花の宴にかこつけ、何ごとも優雅に自然に、なだらかにたのしく、ことをはこばなければならぬ。
教養ある貴族のたしなみとして。
内大臣は、長男の頭《とう》の中将を使者にたてた。
「いつぞやの花かげの対面は、あわただしくて名残《なご》り惜しく思われました。今日、おひまがあればお越し下さい」
という口上に添えて手紙がある。
〈わが宿の藤のいろ濃きたそがれに 尋ねやは来《こ》ぬ 春の名残りを〉
歌の通りに美事な色の藤の花房の一枝に、文《ふみ》はつけてあった。
夕霧は胸がとどろいた。この歌は、
(大君来ませ、婿にせん)
という意味ではないか。
(ゆるす。雲井雁をゆるす。そなたは今夜からわが家の婿君。美々しくみやびやかに、威を張って来られよ)
という意味ではないか。
夕霧はどきどきしながら、とりあえず礼をいって歌を返した。
〈なかなかに 折りや惑《まど》はん藤の花 たそがれ時のたどたどしくは〉
(伯父上のお考えを、それと推量してもよいのでしょうか? 迷っています。ほんとにおゆるし頂けるのか、そうでないのか、途方にくれます)
という意味がこめられてある。
「珍しいご招待だから上《あが》ってしまった。君、この歌がおかしいようだったら、直してくれないか」
と夕霧は、頭の中将にいった。
「とんでもない、痛み入るよ。……お供をさせて頂こう、このまますぐ」
頭の中将はうながしたが、
「いや、気の張る随身《ずいじん》はおことわりだよ」
といって夕霧は頭の中将を帰した。
夕霧は父の前に、内大臣の手紙を持っていって、話した。
「どう思われます?」
「うむ。何か考えていられるのだろうな。先方から折れて出られたとなれば、これでまあ、亡き大宮への不孝の罪も消えようというものだ。大宮が仲介の労をとられようとしたのに、先方は一向、おきき入れなかったのだからな」
源氏も、こと内大臣に対しては、傲岸な態度を崩さない。
「そうではないでしょう。案外、下ごころもなく、藤の花を賞《め》でる宴会かもしれません」
夕霧はわざとそう言ったが、胸がとどろいている証拠に、頬《ほお》を赤く染めていた。
「何にせよ、わざわざの使者だ、早く出かけた方がよい」
源氏はそういったが、息子の衣裳《いしょう》に目をとめて、
「その直衣《のうし》は色が濃すぎて安っぽくみえる。非参議や役のない若者には二藍《ふたあい》もよいものだが、そなたは参議で中将なのだから、今日はことに身づくろいして、も少しよいものを着てゆくがよい」
源氏は自身の衣裳の中から、ことに立派な直衣に、下襲《したがさね》の美々しいのをとりそろえ、夕霧の供の者に持たせた。
青年は自分の部屋で念入りに身づくろいした。果して、今夜の宴で首尾よくいって、恋人に再会できるかどうか――青年の手は緊張と期待で震えている。
夕霧の中将は入念に身づくろいしてたそがれもすぎたころ、先方が待ちかねている中を、内大臣邸に着いた。
主《あるじ》がわの公達《きんだち》、頭の中将をはじめ七、八人がうちつれて出迎える。みな美しい貴公子たちだが、夕霧はきわだってすぐれた風采にみえた。
内大臣は、鄭重《ていちょう》に夕霧をもてなすよう、指図していた。冠をつけて座に出ようとして、北の方や、若い女房たちにいった。
「のぞいてごらん。じつにいい青年だ。年がいくにつれ立派になってゆく人だ。態度がおちついて重厚なところは、父君の源氏の大臣《おとど》よりすぐれているかもしれんな。父君の方は愛嬌《あいきょう》があって皆に好かれたが、少し軟派で、実務の面ではやや放縦に流れた。しかしこの人は真面目《まじめ》で学才もあり、気立ても男らしい。世間の評判もいいよ」
内大臣は、身なりをととのえ、礼をつくして夕霧と会った。
かたい挨拶《あいさつ》はかたちばかりにして、すぐ、くだけた会話になった。
「春の花は美しいが、みな、すぐ散ってしまうのが惜しいね。そこへ来ると藤は、ややおくれて咲くのがゆかしくていいものだ」
と内大臣は藤にみとれながらいう。
月は昇ったが、おぼろにあたりは霞んでいる。盃《さかずき》がめぐり、管絃のあそびがはじまった。
内大臣は空《そら》酔《よ》いして、しきりに夕霧に盃を強《し》いた。
「いえ、私はもう……」
青年は困って辞退していた。
「そういわずに。あなたは天下の秀才だから、長老を大切にすることも心得ていられよう。いつまでも昔のことにこだわらずに、ひとつ、私の年齢《とし》に免じて許してほしいものだ」
内大臣は酔いにかこつけて、長年のしこりを吐き出してしまいたいようであった。
「許すとはとんでもない。私は、亡き母上や祖母上の代りと思って、伯父上にお仕えしておりますものを。ゆきちがいがあったとすれば、私の至らぬためです」
と青年は心から伯父に詫《わ》びた。彼はいまは伯父の好意を信じてもいい気になっていた。
内大臣も、快さそうであった。
〈春日さす藤のうら葉の うらとけて 君し思はばわれも頼まん〉
と古い歌をゆるゆると朗誦《ろうしょう》する。たがいに心とけたこの場にふさわしい、いい歌である。
その歌のこころに添うごとく、頭の中将が紫の色濃い藤の花房を折って、客の盃に添えた。
夕霧は酒をつがれて、困っている。
内大臣は、
〈紫にかごとはかけん藤の花 まつより過ぎてうれたけれども〉
と歌を口ずさんだ。
内大臣の心は、これではっきり、夕霧にもわかった。
慶《よ》きことが、のびのびになりましたなあ、待ちましたぞ、今日の喜びの日を。しかし結婚が延びたのも、もとはといえば、こちらのせい、怨《うら》みますまい、あなたを。
そういう意味の歌だからである。
夕霧は盃を持ち、形ばかり拝《はい》舞《ぶ》した。そのさまは好もしいものだった。
この盃は、花嫁の父から婿への盃である。
夕霧も歌で返す。
〈いくかへり露けき春をすぐしきて 花のひもとく折にあふらん〉
やっとお許しがでましたか。この喜びにあうまで、幾春、辛《つら》い思いを過ごしたことやら。
夕霧は、頭の中将に盃をまわした。頭の中将も、親友と妹の結婚が、嬉しからぬはずはなかった。
〈たをやめの袖にまがへる藤の花 見る人からや色もまさらん〉
あなたという好配偶を得て、妹も、女の人生の花を咲かせることでしょう。
頭の中将も、歌で祝福した。
七日の夕月は影も仄《ほの》かに、池の面《おも》は澄んでいた。梢《こずえ》の若葉は萌《も》え出ていないが、松が風《ふ》情《ぜい》あるさまで横たわり、それに姿よく藤の花がしだれているのも面白い。
頭の中将の弟、弁《べん》の少将は歌のうまい青年で、催《さい》馬楽《ばら》の「葦垣《あしがき》」など歌う。
「葦垣真《ま》垣《がき》かきわけて」という歌は、男が女を盗み出した、という歌だった。
「めでたい日に、何という歌を歌うのだ」
と内大臣は笑って、歌詞の中の、「女がいなくなって家中大さわぎ」というところを、「婿がきて家中大よろこび」と変えて歌うのだった。皆はそれにいっそうくつろいで、どっと笑い、いまは全く、夕霧と内大臣の長年の感情のもつれも解けたようだった。
「すこし御酒を頂戴しすぎました。これでは家まで帰れません。泊めて頂けますまいか」
夕霧は、頭の中将にさりげなく、いう。
「柏木《かしわぎ》よ、お世話をしてさしあげよ。年寄りはもう酔ってしまったから、退《さが》らせて頂くことにしよう」
内大臣は言い捨てて部屋へはいってしまった。頭の中将は揶揄《やゆ》する。
「花のかげの旅寝かい? 旅人に一夜の宿を、さあお貸ししたものかどうか」
「一夜の宿とはまた、縁《えん》起《ぎ》でもない。長い旅を重ねて、ここまで来たんだよ。君も知っているはずじゃないか。旅人はくたびれ果てて、はやくやすみたいんだよ」
頭の中将はやりこめられて、返事もできない。とうとう、父が折れて出たことは、ちょっぴり残念だったけれど、何といっても夕霧のように好もしい青年が妹婿になってくれることは嬉しかったから、快く、夕霧を雲井雁の初床《にいどこ》へみちびいたのであった。
夕霧は夢のような気がする。
(よくもいままで堪えて待ちつづけたことだ)
とわれながら、自分の忍耐心や、辛抱強さを思った。
目の前にみる雲井雁は、夕霧がこうもあろうかと思っていた以上に、美しく匂やかな乙女になっていた。別れたときの、童女のおもかげを残しながら、さすがに、さかりの春の悩ましい美しさに熟《う》れきっているのだった。
「やっと会えたね」
夕霧が、雲井雁の手を取ると、彼女は顔をそむけて、几帳《きちょう》のうちへ退《すさ》ろうとする。
今夜は、あらかじめ夕霧が来ることを知らされて、女房たちも、その用意をぬかりなく、鄭重にととのえてあった。だから、不意うちの出現ではないのだが、雲井雁はまだ心の用意が出来ていなかった。あまりに大きな嬉しさのため、雲井雁のういういしい心はまだ羞《しゅう》恥《ち》に閉ざされていた。
「どうしてそんなに冷たいの?」
夕霧は、膝《ひざ》で進んで、雲井雁を逃がすまいと捉《とら》える。
「何年待っただろう……世間の人が面白がって私たちのことを噂にするくらい、風変りな恋だった。私が、どんなに苦しかったか、わかりますか? それがおわかりなら、そんな薄情なことはできないはずだよ」
と恨みごとをいいながら、雲井雁を抱きしめた。
「ああ、こうしていると、何年か前、むりやりに引き離されたときのことを思い出す……別れてもぼくのことを忘れないね、と。恋しく思ってくれるかい、と聞いたら、あなたは、こっくり、したっけ。おぼえている?」
夕霧がいうと、雲井雁も、夢みるように長い睫《まつ》毛《げ》をあげて、夕霧をみた。
「ええ……」
と仄かに答えて、
「乳母《めのと》にみつけられたわね、あのとき」
「そうだ。そしてあてつけて乳母が聞こえよがしにいったっけ。花婿が六位の下っぱ役人とは人聞きもわるい、と……」
「でも、わたくしはそのとき、あなたに誓ってよ。あなたは、わたくしにとっては、大臣や大将より、すてきな人だって」
二人で話しているうちに、昔の強い思慕が、しだいに現実の、いまの時点に重なり合い、二人は、にっこりと微笑《ほほえ》み合うのであった。
「……夢みたい。……」
雲井雁はうっとりつぶやく。
夕霧は、いまは、いとしくてたまらないように雲井雁の黒髪に接吻《くちづけ》していた。
「あれから、あなたを忘れようとしてけんめいに学問に励んだりしていたけど、だめだった。一ときも忘れられなかった。――どうしてこんなに執念ぶかい恋をするのだろうと、自分で自分がいやになるくらい、苦しかったよ。それも昨日までのことだ。今夜からは、晴れて、あなたと暮らせるのだ。待った甲斐《かい》があった。伯父上にもみんなにも祝福されて結婚できたのだもの」
夕霧は、雲井雁に、いたずらっぽく笑って、
「さっきの、弁の少将の歌った『葦垣』を聞いたかい?」
「ええ、聞こえたわ」
「ひどい奴《やつ》だね、盗んでいったなんてあてこすって。盗んで出なくても、すでにもう何年も前からの仲じゃないか、みんなの目を掠《かす》めて……ね?」
それはもう、二人だけの世界、共犯者のみだらにも美しい秘めごとの世界の話であった。
ささやきも、妖《あや》しく低く甘くなった。
「いやなかた。浮名が立ったのは、あなたのせいなのに」
と拗《す》ねる雲井雁のようすは無邪気でかわいい。
「私のせいばかりにするの?」
夕霧は堪えられずに、雲井雁の黒髪を手に捲《ま》きつけ、やわらかく横たえて、
「待ったよ。このときを。ずいぶん長かったよ……」
夜があけた。
花嫁の初床《にいどこ》は重く暗く帳《とばり》をたれこめて、ひそとの音もしない。
女房たちは、起こすこともできず、困っていた。
内大臣はそうと聞いて、
「したり顔に朝寝しているな」
とちょっと厭《いや》味《み》をいった。内大臣はこんな事態になってもなお、自分の方が折れたということで、一抹《いちまつ》の屈辱感を拭《ぬぐ》い去ることができないのである。
しかし、夕霧はすっかり明けきらぬうちに起きて帰った。鬢《びん》がほつれた青年の寝乱れ顔は、なまめかしくも美しかった。
後朝《きぬぎぬ》の文《ふみ》は、以前と同じく人目を忍ぶかたちで来たが、晴れて夫婦となった今は、却《かえ》って雲井雁は恥ずかしくて返事できない。
女房たちは微笑を交しあっていた。
そこへ内大臣が来て、婿の手紙を見た。
「つれないひとへ。
ゆうべはちっともうちとけてくれなかったね。私も、自分のことばかり考えて、あなたをいたわる余裕もなかったかもしれない。
許して下さい」
馴々《なれなれ》しい書きぶりである。内大臣は満足げに、
「お筆蹟《て》が上達されたようだな。笑われぬようなお返事を書きなさいよ」
と雲井雁にいった。
いままで人目を忍んで来ていた使者は、今日は晴れて祝儀を頂き、兄の頭の中将が心こめてもてなしたので、使者はやっと、人なみな心地がした。
源氏は、夕霧の首尾が上々だったことを、人々から聞いて、
「おお、それはめでたかった」
と、親心に、嬉しい思いをしている。
そこへ夕霧がきた。ふだんよりも輝かしい顔をしているのを見て源氏も上機嫌に、
「今朝はどうだった。もう、あちらへ文は遣《や》ったか」
「は」
夕霧は、美しく顔を染めていた。
「よかったね。長い間の苦労が報われたというものだ。よくやった。なかなかできないことだといってもよい」
源氏は息子をほめてやった。
「聡明な男でも、恋愛問題ではつまずく者が多いが、見苦しく未練をみせたり焦《あせ》ったりせず、おちついて待ったのは、なみの人間にはできない。その点はみとめるよ」
源氏はやさしくいって、ふと微笑をふくみ、
「内大臣があんなに強硬になっていたのに、自分から折れたことは、世間の噂になるだろうな。かといってお前が得意顔になってはいけない。まして、いい気になって浮気心などおこしてはならないよ。あの内大臣は寛大なようにみえるが、本当は男らしくないところがあって、つきあいにくい方なのだ。気をつけなさい」
などといつものようにいって聞かせている。
源氏は、似合いの夫婦だと夕霧のことを思った。
二人揃《そろ》っていると、親子というよりも、源氏が若々しいので兄弟のようだった。
源氏は薄縹《うすはなだ》の直衣《のうし》に、白い唐織《からおり》めいた衣、模様がつややかに透《す》いているのを着て、品よくあでやかなすがた。宰相の中将は、源氏よりすこし濃い色の直衣に、丁字《ちょうじ》染《ぞ》めの焦《こ》げるほども色濃く染めたのと、白い綾《あや》のなよやかになったのを下に着ている。その姿も、ひとしおなまめかしい美青年だった。
今日は四月八日の灌仏《かんぶつ》会《え》であった。
六條院も御所と同じような作法があって、たくさんの公達《きんだち》が参集している。しかし、一人、夕霧はそわそわしておちつかない。身だしなみをととのえ、新妻のもとへいそいそと出かけるのである。
女房たちの中には、ふかい仲ではないが、夕霧に心を寄せている者もあり、それらは夕霧の結婚を恨めしく思っているらしかった。
しかし夕霧は、長年の恋がみのったので、新妻の雲井雁との仲は、水も洩《も》らさぬむつまじさである。
内大臣は、親しくなればなるほど夕霧のりっぱさがわかって、婿がかわいくなり、鄭重にかしずき、もてなすのであった。自分から折れたというのは今でもくやしいが、夕霧が長の年月、ほかの女性に目もくれず、雲井雁を思いつづけてくれた誠実さには、文句のつけようがなかった。内大臣はその点で、夕霧に一歩も二歩もゆずって感謝せずにいられなかった。
雲井雁の幸福は、いうまでもない。
むしろ、女御《にょうご》のおん有様よりも花やかに楽しげな新婚生活なので、継母《ままはは》の北の方や女房たちは、嫉《しっ》妬《と》するくらいだった。だが、夕霧というたのもしい夫を得た雲井雁に、いまはなんのひけめも物思いもあるはずはなかった。
雲井雁の実母は、今は按察使《あぜち》の北の方になっているが、その母君も、別れた夫の家においてきた娘が、幸福な結婚をしたことをたいそう喜んでいた。
いろいろな事件があったが、六條院の姫君の入内《じゅだい》は四月二十日過ぎとなった。
賀茂《かも》祭《まつり》の日、紫の上は朝早く詣《まい》り、帰りに行列を見るため桟《さ》敷《じき》についた。六條院の女君たちの、女房がそれぞれ車をつらね、桟敷の前を占めた様子は壮観だった。
「あれこそ、源氏の大臣《おとど》の北の方よ」
と遠くからでもわかる、派手やかな威勢である。
賀茂祭をみると、源氏は遠い昔、葵《あおい》の上《うえ》と六條御息所《みやすんどころ》が争った事件を思い出す。その話を紫の上にもせずにいられない。
「時の勢いを笠《かさ》に着て驕慢《きょうまん》な振舞いをするのは心ないやりかただ。葵の上は、あのときの恨みを負うて死んでしまった。思えばふしぎなものだね。あのとき驕《おご》った女人《ひと》の子供は、臣下で少しずつ出世してゆくだけだが、苛《いじ》められたほうの女人《ひと》のおんむすめは、いまは中宮という尊いみ位にのぼり、万人に仰がれていらっしゃる……」
「ほんとうに、わからないものですこと」
「人間の将来というのはどんなことになるかわからない。だから生きている間だけでも思うままの暮らしをしたいものだが、もし私がなくなったら、あなたがどうなるだろうかと思ってね。あまりに驕った生きざまをすると、私の亡《な》いあとあなたがひどく零落したりしはしまいかと、恐れたりもするのだよ」
源氏にとってやはり一番の心がかりは、最愛の紫の上のことである。
近《この》衛府《えふ》から出る賀茂祭の勅使は、頭の中将であった。上達《かんだち》部《め》たちは内大臣邸の、勅使が出発するところへ集まり、それから、源氏の桟敷へ来た。
藤典侍《とうないしのすけ》も勅使であった。
読者は、この藤典侍をご記憶であろうか?
惟光《これみつ》の娘で、かの、五《ご》節《せち》の君になった美少女である。
夕霧が雲井雁との恋を堰《せ》かれ、悶々《もんもん》としていたときに、ふとかいまみて、心乱した娘であった。夕霧はまじめな性格だけに、いったん見染めた彼女を、いまも忘れていず、ほのかに想いをかけている。
夕霧は典侍《ないしのすけ》の出立《しゅったつ》する所へ使いをやった。
二人の仲は、少年少女のころから進展してはいなかった。それだけに、清らかな秘めた恋は手《て》垢《あか》に汚されず、いまもあざやかだった。
典侍は、夕霧が、このほど相思相愛の、やんごとない姫君とめでたく結婚して、身が定まったことを聞いて、辛く思っている。夕霧への思慕を、人知れず胸にはぐくんできた彼女は、恋人の結婚に平静でいられなかった。
といって、どうしようもないことだった。
典侍が正式に夕霧の夫人になるには、身分がちがうのだし……。
それゆえ、夕霧の手紙は、なつかしくも、憎かった。
「賀茂祭に、頭にかざす草は何といったっけ……。いつかは、と切《せつ》なくて」
とある。
祭の日の挿頭《かざし》は葵《あおい》である。夕霧は「逢う日」にかけているのだった。
さすがに典侍は嬉しくて、車に乗る間《ま》際《ぎわ》で気がせかれたが、返事をことづける。
「挿頭をお忘れになるなんて、あなたのような物知りの方が……信じられませんわ。挿頭の草より、もっと美しい花をお身近く、見なれていらっしゃるのですもの、無理もありませんけれど」
夕霧は、その手紙を見て、恋心をかきたてられた。
雲井雁と結婚するまでは、ふしぎや、典侍との仲に深入りする気になれなかったのに、結婚してみると、さらにまた、典侍をも得たいという情熱が、実直男《まめびと》、夕霧の心を熱っぽく捉えた。
いよいよ、入内の日は近づいた。
入内には母君が付添っていなければいけないが、紫の上は始終、付添っていることはできない。源氏はこの際、実母の明《あか》石《し》の上を後見役にすればよいのだが、と考えていた。
仲のよい夫と妻は、おのずと考えることも似《に》通《かよ》うていくのか、紫の上が源氏にいったのも、まさしくそのことであった。
「ちょうどいい折ですわ。あちらの実《じつ》のお母さまに姫君のお世話をお願いしたらどうでしょう。離れ離れになって辛がっていらっしゃるにちがいないし、姫君も、だんだん、ほんとうのお母さまでないといえないことが出てくる頃だと思いますのよ」
自分の存在が、明石の上母《おや》子《こ》にとって重く感じられるのも辛いし、ということは、さかしい紫の上は源氏にいわない。
「姫君はまだ子供っぽくていらして心配ですし、おそばの女房も若くて気がつきませんわ。乳母《めのと》といっても、心づかいは限りがありますし、やはり実のお母さまのご後見なら、私のいないときも安心して、お任せしておけますもの」
「よく心づいて、言ってくれた。実は私もそう思っていたのだよ」
源氏は喜んで、明石の上に早速話した。
明石の上は、平生の願いがかなったように喜んだが、祖母の尼君は、
「入内なされたら、もう姫君にお目にかかる折もあるまいねえ」
と悲しんでいた。
入内の夜は紫の上がつき添っていった。紫の上は、姫君が可愛くてならなかった。明石の上に托《たく》するよりも、本当は自分がいつまでも世話をし、付添っていてやりたかった。
実の娘であったら――と思わずにいられない。
源氏も夕霧もそのことだけを残念に思う。
入内の儀式は質素に、と源氏は念じていたが、それでもおのずと美々《びび》しきものになってゆくのはしかたなかった。
三日たって紫の上は内裏《うち》から退出した。入れかわりに明石の上が参内《さんだい》した。そのとき、二人ははじめて対面したのである。
「こんなに姫君がご成人なさいましたのにつけても、長い年月が思われます。あなたとわたくしも長いおつきあい、ということでございますわ。いまさら、他人行儀なことは止《よ》しましょうね」
と紫の上はなつかしそうにいって、何かと話をするのであった。
明石の上は、物の言いぶりもおくゆかしく、なるほどこれでは、殿がお愛しになるはずだわ、と紫の上は感心せずにいられなかった。
明石の上はまた、紫の上の、上品であでやかな盛りの色《いろ》香《か》に目を奪われる心地がして、飽かず感嘆した。
(こんな方だから、殿も、最愛の女《ひと》として大事にしていられ、ならびなきご威勢の北の方として定まっていられるのだわ)
そう思った。しかし、その紫の上さえ持たぬ子供を、明石の上が持ったということは、やはりなみなみならぬ運の強さではないかとも、明石の上は思う。
姫君はまことに美しく、雛《ひな》人形のようでいられた。
東宮に御入内されたからには、もうわが子であってわが子ではない。尊いご身分になられたのだ。明石の上は嬉しくて涙がとどまらなかった。
紫の上は姫君を一点、非のうち所なくお育てしていた。もともと怜《れい》悧《り》なおうまれつきでいられる上に、誰からも愛される円満なご性格のようであった。それに父君ゆずりの美《び》貌《ぼう》に恵まれていられるので、東宮のお若いお心にも、かくべつに思われるようであった。明石の上も心こめて後見したので、この、新・女御の御殿は花やかにときめいてゆく。
源氏は来春には四十歳になる。
四十の賀の祝いを、朝廷はじめ世をあげて準備していた。
秋には源氏は、準太上《だじょう》天皇の御位《みくらい》をたまわった。太上天皇とは、天子の御位を下りられた方への尊称である。源氏は、それになずらえる位となったのであった。封戸《ふご》が加わり、年官年爵も添えられた。年収・所得がさらに増したことである。
今までにも何の不足もなかったのであるが、更に格式があがったので院《いん》司《じ》も任命され、重い身分になった。気軽に参内もできなくなるだろう、と源氏はそのことを残念に思う。
しかし帝《みかど》は、源氏をこんなに待遇なさっても、まだ足らず思《おぼ》し召された。
本来ならば実の父君であるのに、皇位をゆずれないことをひそかに悩んでいられる。
源氏は、まさに、位、人臣をきわめたといってもよい。
何不足ない身分になってこのごろ源氏は、人にもいわずわが心のうちで、出家《しゅっけ》のことを考えている。望んだものはみな手に入れ、きわめるべきものは、きわめつくした。源氏は最後のしめくくりを、わが手で閉じたくなっている。
気にかかっていた夕霧も結婚して身を固め、姫君も入内させた。紫の上に、子供のないのが不安であるが、しかし中宮が母代りとおぼしめしていて下さるから、心配もあるまい。それに、入内した姫君も、長年養育した紫の上をおろそかにはお思いになるまい。
花散里《はなちるさと》が、これも一人で淋しくなるであろうが、この人は夕霧の義母として源氏がとりはからっておいたので、やさしい夕霧のことだから大切に面倒をみてくれるであろう。
源氏は心にかかる人々の行末《ゆくすえ》を、それぞれ頼もしい若人に托し、自分は身軽になって、愛欲煩悩《ぼんのう》から遠くはなれた清らかな彼《ひ》岸《がん》へ、飛翔《ひしょう》し去る日のことを夢みている。
それは、わが生涯が充《み》たされきったと信じている人の、さらに新たなる希求に賭《か》ける幸福である。
源氏が「院」とよばれ、太政大臣《だじょうだいじん》を辞したのにかわって、内大臣が太政大臣となった。
宰相の中将・夕霧は、中納言に昇進した。
昇進のお礼に参内する中納言・夕霧は、風《ふう》采《さい》といい、挙措といい、おちついた人柄、ゆたかな学殖といい、何の不足もない。舅《しゅうと》の大臣は、いまは、心から、雲井雁の結婚を喜んでいた。後宮《こうきゅう》での心労多い競争よりは、この得がたい青年を婿にして、相愛の結婚生活をおくる方が、どれほど女として幸福か、しれない。大臣は娘のためにもうれしく、また、いよいよ夕霧が好もしくなっていた。
中納言になってからはいままでの部屋住みでは手ぜまとなり、三條殿に移ることになった。
ここは亡きおばあちゃま、大宮のお住まいになっていた、二人には思い出の邸《やしき》である。
夕霧もいよいよ、一戸を構えて独立する年代になったのであった。
荒れていたのを修理し、大宮のお住まいだった部屋に手を入れ、調度も新しくして住むことにした。
なつかしい思いで、わかい夫と妻はこの邸に移ったのである。
あのころは庭の木々も小さかったが、今は大きく繁って、蔭をつくっていた。ひとむらすすきも乱れているのを手入れさせたりして、いい眺めの庭になった。
秋の夕べのひととき、庭をながめている夕霧と雲井雁には、はてしなく幼いころの記憶がよみがえってくる。――雲井雁が、連れ去られるという夕、少年が忍んで泣いた部屋の柱。
(ここをあけて)
とささやいた少年に、つめたく閉ざされていた妻戸のかけがね。
「こんなこともあった、ほら……」
「ええ、あんなことも……」
と二人の思い出話は尽きない。
「おぼえてるかい?」
と夕霧が、わか妻の耳にささやく、ひそやかな話に、
「……まあ」
と雲井雁は耳まで赤くなって、女房たちの見る目もほほえましい、むつまじい二人だった。
「そういえば」
と夕霧は、雲井雁の乳母《めのと》、大輔《たゆう》の君に笑う。
「六位の下っぱ役人が花婿では、といやみをいわれたっけ……」
夕霧は、美しく咲いた菊を乳母に手渡した。
〈あさみどり若葉の菊を露にても 濃き紫の色とかけきや〉
と、歌を口ずさんだ。あの頃は六位の浅緑の袍《ほう》を着ていたがね、今は三《さん》位《み》の濃紫《こむらさき》の袍だよ。こんなになるとは、思いがけなかったろうね。
「あのとき言われたひとことは、今も忘れられないよ」
夕霧が笑いながらいうと、乳母はきまりわるく恥ずかしくもあり、また夕霧がかわいくもあるのだった。
〈二葉より名だたる園《その》の菊なれば 浅き色わく露もなかりき〉
と乳母は返す。――名門の若君でいらっしゃいますもの、低い位とばかにするなんてことはございませんけれど……。
「まあ、どんなにかあのときは、ご不快に思《おぼ》し召されたでございましょうねえ。おゆるし下さいまし」
乳母の当惑顔が、また興をさそって、この邸には、わかわかしい笑い声が、絶えることなく、わきあがるのだった。
ちょうどその折、父太政大臣が、御所から退出の道すがら、この邸の紅葉《もみじ》の美しさにひかれて立ち寄った。
大宮がご在世のころに変らず、邸を美事に手入れして、わかい夫と妻が楽しげに住んでいるのを、大臣は感無量で、うれしく見た。
「おばあちゃまが生きていらしたら、どんなにお喜びだったろうねえ。どちらも可愛がっていらした孫同士が、こんなに幸福な結婚をしたのをごらんになったら」
と大臣は涙ぐみ、
「新婚家庭に、老人の涙は縁起でもないね」
と、同年輩の老《おい》女房をかえりみて、微笑する。
「いいえ、ほんとうに、私どももつい、昔話など申しあげては、お若いお二人に笑われております」
と、昔を知る老女房たちは、いう。
「年寄りはこまるのですよ」
と夕霧は笑うのだった。
「昔話といっても、おばあちゃまの思い出やらそのほかの世間話ならいいのですが、どうしても、私たち二人のことになってしまって。――何しろ、どっちの小さい頃からのことも、よく知られているので、年寄りにはかてません」
「それはもう」
と、夕霧の乳母が、しゃしゃり出た。この乳母は、昔、大臣が夕霧につらくあたったのを忘れないでいる。
「お二方の昔からの仲よしこよしを、一ばん存じあげているのは、私どもでございますから。はい、親御さまもご存じない、仲のよい幼な馴染《なじ》みでいらっしゃいますもの、いまこうして晴れてお二方お揃《そろ》いのところを拝見しますと、もう嬉しくて嬉しくて、つい、申上げずともよい昔話に、ふけってしまうのでございますよ、どれだけ若君がご苦労を――」
「わかった、わかった、そなたにはかなわぬ」
大臣の言葉に、一座はまたどっと笑い、雲井雁はあかくなってうつむくのも、ういういしかった。
十月の二十日すぎ、六條院に行幸《ぎょうこう》があった。
紅葉《もみじ》の盛りでございますゆえ、と申しあげたので、主上は朱《す》雀院《ざくいん》をもお誘いになり、お揃いで行幸になる。
めったにない光栄で、世間はめざましく思っている。主人側の源氏は、趣向を凝《こ》らしてご接待申し上げる。
巳《み》の刻(午前十時ごろ)に行幸がある。
馬場殿にまずおいでになる。左右の馬寮《めりょう》の馬を引き並べ、左右の近《この》衛《え》武官が馬に添って並んでいるさまは、そのまま、五月五日の競《くらべ》馬《うま》の作法のようである。
馬術の見物のあと、午後二時すぎ、南の寝殿に移られる。
お通り道の反橋《そりはし》・渡殿《わたどの》には錦《にしき》が敷かれる。
外からまる見えの所は、軟障《ぜじょう》(幔幕《まんまく》)が張られ、いかめしい。
東の池では、お道筋の座興に、鵜《う》船《ぶね》を浮べて、鵜飼をお見せする。
築山《つきやま》の紅葉がよくお目にかけられるように、廊の壁をこわし、中門《ちゅうもん》を開け放って、目ざわりのものを取り払ってある。
主上と朱雀院の二つのおん座より一段下って、源氏の座はしつらえられてあったが、それを勅命で、同列に直された。
池の魚を左の少将が、北野の鳥を右の少将が捧《ささ》げ、寝殿の東から御前にすすみ、正面階段の左右にひざまずいて捧げる。
それを調理してまいらせるのである。
親王がた、上達《かんだち》部《め》などのご馳《ち》走《そう》も、源氏はつねにない目新しい趣向でさしあげた。
みなみな、快く酔った。
日ぐれがた、源氏は御所の楽人《がくにん》を呼んでいたので、優雅に楽の音《ね》をひびかせ、殿上童《てんじょうわらわ》が舞をごらんに供する。
源氏は、そのかみの紅葉の賀《が》のことを思い出していた。
菊を折って、太政大臣に、
「そういえば、あの折、青海《せいがい》波《は》を共に舞いましたっけなあ」
と話しかけた。
大臣は、色あざやかな菊を手渡されて、
「ほんに。……あのころも、あなたには及びもつかぬと思うていましたが、今日はひときわ、しみじみ、そう思います。
〈紫の雲にまがへる菊の花 濁りなき世の星かとぞ見る〉
この濁世《じょくせ》にあらわれた星でいらっしゃる」
風がさっと渡ると、紅葉の葉が散り、庭の苔《こけ》も、池の面も、錦を敷いたよう。
名門のかわいい公達《きんだち》が、愛らしく舞うさまは見あきない面白さである。
朱雀院も、興たけなわのころ、久しぶりに和《わ》琴《ごん》を弾かれる。院はどうお思いになって、今日の宴にのぞまれたのであろうか。
主上と源氏と、中納言はよく似通っていられる。たのしげに盃をまわされる。
ひとり朱雀院は、お淋しげに、楽の音に耳かたむけていられる。
君がため若《わか》菜《な》つむ恋の悲しみの巻
六條院への行幸《ぎょうこう》があってのち、朱《す》雀院《ざくいん》は、ご病気がちで臥《ふ》していられる。
もともとご病身であられたが、こんどは心ぼそい思いをされて、
「年来、出家《しゅっけ》の本意が深かったが、母大后《おおきさき》がご存命のあいだは憚《はばか》って、ご遠慮していた。しかし、信仰への深い思いは、私を誘ってやまない。このたびは、もう先も長くないような気もされる」
と仰せられて、それとなくご出家のための準備をはじめられた。
その中にも、朱雀院にとって後髪ひかれるように心のこりなのは、最愛の内親王、女三《おんなさん》の宮のことであった。
朱雀院の御子《みこ》は、五人、おいでになる。
男御子《おとこみこ》は、いまの東宮《とうぐう》で、あと四方《よんかた》はみな、姫宮である。お母君は、それぞれ違っていられるが、その中に、かの、前《さき》の藤壺《ふじつぼ》の中宮の妹宮にあたられる方がいられた。本来なら后に立たれるところを、ご実家の勢威もなく、そのうち、朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》が、とくにご寵愛《ちょうあい》あつかったりして、いつしか影もうすくなられ、そのうち朱雀院も譲位されたので、何もかも不本意のうちに亡くなってしまわれた。
朱雀院は、その女御《にょうご》を、いとおしく、あわれにも思っていられた。
そのかたの忘れ形《がた》見《み》の姫宮が、女三の宮である。十三、四ばかりになられる。
朱雀院は女三の宮がとりわけお可愛くて、大切にかしずき育てていられる。自分が世を捨ててしまったならば、母も亡く後楯《うしろだて》もない幼い姫は、どうすごしてゆくであろうかとお心にかけていられた。
ご出家後、お移りになるはずの西山の御《み》寺《てら》ができあがり、いよいよ、移られることとなったが、一方で、院は三の宮の御《おん》裳着《もぎ》の式をも準備されていた。そのための御調度品や財宝はあげて三の宮にお譲りになり、ほかの姫宮は、あまりかえりみられぬようすである。
東宮がお見舞いにこられたときも、そのお話ばかりあった。
東宮は、おん父君のご病気と、ご出家の意志を聞かれてお見舞いされたのであるが、院は、東宮に、国を治める上の心づかいなど、いろいろご教訓になった上、
「女御子《おんなみこ》がたくさんいるのが、この世に残る気がかりです。どの姫宮もあなたの姉妹、どうか気をつけて世話をしてやって下さい。女の生きざまは、人の口《くち》端《は》にかかりやすいのが、あわれにも悲しい。まして三の宮は頼るべき家もなく、年も幼い。この子の行末《ゆくすえ》が気にかかってならぬ。くれぐれも頼みますぞ」
と、まぶたを押えながらいわれた。
東宮は素直なかたなので、つつしんで父君の仰せを聞かれているが、しかし、妹宮の身の振りかたについて、どうというお考えもまだおありでない。
院は日夜、このことを嘆いていられる。
ご心労に加え、ご病気はいよいよ重くなってゆかれた。
もう、この頃では御簾《みす》の外へお出になることもできない。いよいよ、先も短いのではないかと、お心も弱られる。
世の人々は、朱雀院のご病気を案じていた。
御位《みくらい》こそお下《お》りになったが、おやさしいお心の院に、ご庇護《ひご》をうけた人々が多いからであった。
六條院からも、たびたびお見舞いの使者がきた。
「近々、参上いたします」
という源氏のことづては、殊に院をお喜ばせした。夕霧中納言がお見舞いにきたのを、院は御簾のうちに招かれて、
「あなたを見ると、若い日の源氏の君を見るような気がする――亡き父帝《みかど》が、ご臨終に私を呼ばれ、いまの主上と、あなたの父、源氏の君のことをくれぐれも仰せ置かれることがあった。
しかし、位に即《つ》いてからは、私も若かったため、なかなか、心では思っていてもその通りにできぬことが多く、ゆき違いもできて、好意をもちながら結果としては、辛く当るような形になってしまったのです……しかし、六條院はそのことを、つゆ、根にもつ風《ふ》情《ぜい》はおみせにならず、やさしくして下さった。それどころか、東宮の後見も親身にして下さり、いままた、あなたの妹姫も入内《じゅだい》されて、いよいよ親しみは増し、私としては嬉しく思っています。
東宮のことは、六條院やあなたに任せておいて大丈夫でしょう。父帝のご遺言《ゆいごん》により、御位をお譲りした主上も、聖明《せいめい》の天子でいられて、ゆきとどかぬ先代の私の不面目を回復して下さった。みな、それらの点では、私は満足しています。
この秋の六條院の行幸は楽しかった……。
来《こ》しかたのことがいちどきに思い出された。
もういちど、あなたの父君にお目にかかりたい。お話したいこともあるので、ぜひ、おいで下さるように、あなたからも頼んで頂けまいか」
と、朱雀院は涙ぐんで仰せられる。
お優しいかたなので、しみじみと仰せられる物語は、青年の心に同情をさそう。朱雀院が「ゆき違いもできて」と言われるのは、たぶんそのかみの須磨流《すまる》謫《たく》事件のことをさすのであろう。朱雀院は、そのことを何十年たっても、心の傷として、とどめていられるにちがいない。
自分の力で、源氏の流《る》浪《ろう》をとどめてやれなかったご自責が、今もお胸を噛《か》んでいるのかもしれない。お気弱なご性質だけに、その悔恨は内攻して傷つかれたのであろう。
そう思うと、夕霧は、伯父《おじ》君の院が、いたわしくなる。
「昔のことは、私には何もわかりませんが」
と夕霧は、院をおなぐさめする。
「長じまして、朝廷《おおやけ》にたちまじるような身になりましてからは、父は、対外的にも私的にも、何くれとなく私に話しますが、昔、苦労した、などということはかつて仄《ほの》めかしたこともございません。院には、昔も今も、心からの敬愛を失ってはおりません。
父も朝廷のご後見役を辞退し、引きこもっております身、同じく政治《まつりごと》をお譲りになった院と、折々はくつろいで楽しい昔語りでもしたいと、いつも申しておりますが、何にせよ、身分が重々しくなってしまって身軽にうごけず、ついご無沙汰《ぶさた》がちになってしまうのが残念だと――父は嘆いております」
朱雀院は、やさしくいたわりの言葉をのべる、青年中納言の姿に、しばし、目をあてていられる。
すがすがしい、さわやかな美青年で、言葉も明晰《めいせき》に、何より気質《きだて》のやさしさが匂《にお》うようで好もしい。その上、品位があって堂々としている。
「中納言は、いくつになられる」
と院は唐突に問われた。
「は。二十歳《はたち》には、まだ少しばかり……」
夕霧は頬《ほお》を染めている。
「太政大臣《だじょうだいじん》の姫と結婚して、身を固められたそうだね」
「はい」
「ここ何年か、その姫との縁談がこじれたというので、気の毒なと思っていたが、めでたく納まって結構であった。――これでひと安心、とはいうものの……私も姫御子《みこ》を持つ身、うらやましいような、ねたましいような思いだよ」
と院はいわれる。
(どういう意味か)
と青年は心中、いぶかしんだ。そしてふと、朱雀院が「三の宮を、どこかへ縁付けて、身の振り方をきめてから出家したい」と仰せられているということを、ある人から洩《も》れ聞いていたので、そのことか、と思い当った。
しかし返事のしようもないので、
「はかばかしくない身ですから、なかなか縁もまとまりませんで……」
とだけ、申しあげておいた。
院は、なおも、思いのふかいお目で夕霧をみつめていられる。
夕霧が退出してから、おそばの女房たちは、
「おりっぱな公達《きんだち》でいらっしゃる……」
「くらべようのない、お美《み》事《ごと》なかた。おちついていられて、しかも傲《おご》りたかぶった所などおありでなくて、まじめで、お美しくて」
と手放しの讃《ほ》めようである。中には、
「そうはいっても、あのかたのお父君、源氏の君とはくらべものになりませんよ。光る君と申上げたほど、輝いていられたのですもの」
と、昔を知る老《おい》女房はいうのだった。
院もお聞きになって、
「そうだな。源氏の君は魅力があった。公的な場ではきちんと重々しく仕事のできる人だったが、うちとけて冗談をいってたわむれるときは、何ともいえぬ愛嬌《あいきょう》があふれ、人なつこく、可愛気があって楽しかった。あんな男は、めったにいなかった――亡き父帝が掌中の珠《たま》のように愛されていたが、それでも二十歳《はたち》にもならず納《な》言《ごん》に昇ったということはない。それにくらべると、夕霧の出世は早い。
しかしこの青年は、実務の才も徳もあるから、親にも劣らぬ、国家の柱石になるだろうね」
と、夕霧をおほめになる。
女三の宮は、おっとりとかわいいご様子で、みんなの話を聞いていられるが、源氏も夕霧もごらんになったことがないので、関心も興味もおありでなくて、ぼんやりしていられる。
あどけないばかりの姫宮である。
「この宮をねえ……」
と院は、いとしそうに、三の宮をごらんになった。
「あの中納言に嫁《かた》づけたらよかった……。ほんとうは、この姫をひきとって、たいせつに養育し、一人前の女に教え育ててくれる、そういう、しっかりした男が、夫になってくれれば一ばんいいのだが……。あの六條院が、式部卿《しきぶきょう》の宮の姫君、紫の上を育てて妻としたように、ね。だが、そんな人は、いまどきの男の中にはいない。あの中納言が独身のうちに仄めかしておけばよかったな……」
「まあ、それは無理と申すものでございましょう」
と姫宮の乳母《めのと》はいった。
「中納言はまじめなかたで、長いあいだ、太政大臣の姫君と別れていても心を移さなかったという、当代珍しい純情な人でございますわ。やっと恋が叶《かな》って結婚したのですもの、水も洩らさぬ仲のよい夫婦仲、と聞いております」
「中納言よりは、むしろ、お父君の源氏の君、あの六條院さまの方は、いまでもやっぱり、この道にご関心がふかくて、お心が多くて若々しくいらっしゃるとか……」
と女房の一人は笑った。
「それに、六條の院は、身分たかき、ご秘蔵の姫や、やんごとないあたりの女人に、ひとしおお心を寄せられるお癖《くせ》とか。前斎院《さきのさいいん》には、いまもお文《ふみ》を通わせられるとのことでございますわ……」
「いくつになっても、なおらぬ癖だね」
と朱雀院は仰せになったが、ふと思いつかれた。
(そうだ。このたよりない、あどけないばかりの姫を托《たく》するのに源氏よりほかの適任者があろうか。四十歳の夫ほどたのもしい夫を、どこに求めようか)
女三の宮の乳母で、重《おも》だった御後見役である人に、左中弁《さちゅうべん》なる兄がいた。
この弁は、六條院へも年来親しく出入りしており、また朱雀院にも、妹の関係で女三の宮に心を寄せてお仕えしている。
乳母はこの兄に、話のついでに姫宮のことを話した。
「院は、姫宮を六條の院へおかたづけになりたいご様子ですよ。折があれば、六條院のお耳へ、そのことをそっと入れて下さい。まあ、内親王さまは生涯、独身でいらっしゃるのが、きまりのようになってはいますが、でもやっぱり、しっかりした庇護者がいられるにこしたことはありませんもの……お独りでいられると、とかく噂《うわさ》が立ったりしてお気の毒ですわ。院がまた、とりわけてこの宮をおかわいがりになっていらっしゃるので、妬《ねた》まれるかたもおいででしょうし、むつかしいところなのですよ。院がご出家なさらぬうちに、姫宮をおかたづけになれば、私もこの先、ご奉公しやすいのですけど」
「ふーむ。三の宮を六條の院に、ねえ」
と弁は考えこんだ。
弁は、六條院の内部の人間地図に明るく、源氏の人柄もよく知っていたが、この問題には首をかしげざるを得ない。
「これこそ、むつかしいところだよ。六條の院へ姫宮がお輿《こし》入《い》れなさって幸福になられるかどうか――。六條の院は、ふしぎなほどお気の変らない方で、いったん愛された女性は、少々お心にかなわなくても親切に引きとって、いつまでもお世話なさる。だから、そういう方々が、お邸《やしき》にはたくさんいらっしゃる。――しかし、ほんとうに二なく愛して大切にしていられるのは、これはもう、まちがいなし、対《たい》の御《お》方《かた》、紫の上おひとりでね。お邸のほかの夫人がたは淋しい思いをしていられることだろう。
そこへ、姫宮が加わられるとなると、どうなるか、私にも見当はつかない。
ただ、何といっても、内親王さまのご身分がら、まさか対の上にけおされなされることはあるまいと思うけれど、さ、それもどうだか、私には断言できないね。
尤《もっと》も、折々に六條の院はこうおっしゃっている。『自分はこの世の栄華をきわめつくしたが、女のことではしばしばつまずいて、世の非難も浴びた。自分でも、結婚問題では不満に思えることがある』――と、ね。これは、愛していられる対の上のことではないかと、ひそかに思い当るのだが、あの紫の上のお人柄や愛情にご不足はないようなものの、しかし正式に結婚なさったわけではないからね」
「それはそうですよ。あのかたは、お噂によると、世間へのご披《ひ》露宴《ろうえん》もなく、いつとなし、奥さまのようになってしまわれた、というだけで、六條の院はそのかみの、亡くなられた葵《あおい》の上以来、正式な夫人はおありではないのですもの」
乳母は、勢いこんでいった。
「ま、六條の院がそう仰せられるのは、あくまで冗談めいた内々のお話なので、どこまでがご本心かわからないが……」
弁はそういいながらも、姫宮への身《み》贔《びい》屓《き》から、
「もし、こちらの宮さまが院の北の方となられたら、これはもう、ご身分がら、どんなにお似合いのご夫婦だろう」
といった。
乳母は兄の意見に力を得て、朱雀院に、ことのついでに申しあげた。
「六條の院では、きっとご承知なさるだろう、と弁は申しております。六條の院は、かねて身分貴き、正式な夫人を、とお望みになっていらしたらしゅうございます。正式のお話があれば、橋渡しをしてお伝え申し上げると、弁は申しております。
六條の院には多くの女人がおいでで、そのなかで、姫宮がご苦労なさいますのもお気の毒ですが……」
「そのことだ」
と朱雀院のお迷いも深い。
「いま、三の宮には三人の男から縁談が来ている。兵部卿《ひょうぶきょう》の宮と、藤《とう》大納言と、太政大臣の長男、柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》だ。しかし、どれも一長一短でむつかしい。みなそれぞれに、三の宮を大事にする、と誓ってくれてはいるのだが、あまりに宮がいたいけで、初心《うぶ》なので、妻としての心もちいが不充分ではあるまいか……その点からいうと、六條の院のように、中年の、りっぱなおとなに托したほうが、安心できる気がする」
院は、内親王が、世の常の結婚をして、人妻の暮らしに入ってゆくのをよろこばれなかった。
また、人妻につきものの、嫉《しっ》妬《と》や気苦労を、いたいけで高貴な姫宮に強《し》いるのもお避けになりたかった。
といって独身で過ごさせるとなると、庇護者のない、たよりない姫宮は、世の荒波を防ぎかねて、どんな辱《はずか》しめや過《あやま》ちに身をさらされるかわからない。
「もう少し、せめてこの宮がもっとしっかりなさる年頃までそばにいてあげられればいいのだが――」
と朱雀院は嘆息された。
「こう病が重くては先も短いように思われて心がせかれる。早く姫宮を結婚させて世をのがれたい。……いろんな点から考えて、やはり六條の院しか、適任者はいないように思われる。あの人なら、姫宮をかばい育てて、夫ともなり親ともなり、守ってくれるであろう」
朱雀院が、こうもお心を砕いていられることが世上に洩れ散って、女三の宮にあこがれる男たちはふえるばかりであった。
ほかの姫宮には、縁談も来ないのに、三の宮にはわれこそ、と思う男たちが、手づるを求めて熱心に求婚する。
それはまるで、あの、玉鬘《たまかずら》の姫が、男たちの恋心をそそったのに似ていたが、しかしこのたびは、朱雀院の鍾愛《しょうあい》なさる、やんごとない内親王であられ、雲の上の麗人でいられるので、男たちのあこがれの熱っぽさは、いちだんとたかまっていた。
貴い血すじの姫に惹《ひ》かれる男ごころの常として、誰もかれも、見ぬ恋に心を焦《こ》がすのであった。
その中の有力な求婚者の三人は、ことにも、自分こそはと躍起になっていた。
柏木の衛門督。夕霧の友人であるこの青年は、夕霧より年上なのに、まだ独身でいる。
それは、かねてより、女三の宮に思いをかけ、内親王以外の女性を妻に、とは考えてもいなかったのである。
柏木は、父の太政大臣に運動をたのむ。
大臣の北の方は、朱雀院の寵妃《ちょうひ》、朧月夜の尚侍《かん》の君の姉にあたる。尚侍の君は大臣にたのまれて、甥《おい》の柏木のために朱雀院に、三の宮の降嫁をおねがいしている。
兵部卿の宮は、玉鬘に失恋なさったあと、結婚するなら、あれ以上の女人《ひと》を、と考えていられるので、こんども熱心に求婚していられる。
藤大納言は、長年、院の別当をつとめてきた人で、ぜひ姫宮をご後見して、妻というよりも、女主人のように大切にあたまに頂いて仕えたいと申しこんでいる。
朱雀院は、その中では、一番、柏木にお心が動かれるが、三の宮の夫としてはまだ身分が低いと思われた。大納言はあまりにも凡庸なただびとであり、兵部卿の宮は、お人柄はよいが、あまりに伊《だ》達男《ておとこ》で、風流好みに過ぎ、軽々しくたよりない、と見ていられる。
朱雀院のお悩みをお聞きになって、東宮は、お父君のほんとうの意のあるところを察しられた。
「なまじい臣下におやりになるよりも、やはり、のちのちの例にもなることでありますから、人柄本位よりも身分の釣合、をお考えになったほうがよろしゅうございましょう。それには、何と申しても、六條院をおいてはほかにございますまい」
東宮のお言葉に、朱雀院のお心は、たちまち晴れた。院は、どちらかというと、優柔不断でいらっしゃるのであった。
「よくいってくれた。その通りだと思う」
朱雀院は、弁を使いとして、六條の院、源氏の意向を打診させられた。
院のさまざまなお悩みを、源氏は、疾《と》うに聞き知っていた。
それゆえ、唐突なお申し出として、おどろくことはなかったが、さすがに即答してお承《う》けできることがらではなかった。
「ご心配なさっていることはかねてより、お察ししていた。しかし、私に托されるといっても、この私も、院よりどれほど長生きできるというのか。べつに結婚などせずとも、院の御子たちであってみれば、私が知らぬ顔をするはずはない。生きている限りは、お世話するつもりでいるのだからね」
源氏は、重くるしい問題を押しつけられて、内心、困惑していた。
「それなのに、まだ若い宮と結婚、ということになると、これはどうも……。末長く添いとげられないで、かえって宮にはお気の毒なことになる。むしろ、息子の中納言のほうが、似合わしい縁組みであるかもしれないがね。まだ若くて位もこれからというところだが、実直な人柄で、朝廷の後見ともなれる実力がありそうに思うし……」
「しかし中納言さまは、何と申しましても太政大臣の姫君とご結婚なさっておん仲もむつまじいとか。そういうところへ、ご降嫁なさるのも……」
と弁はいってみた。源氏自身も、中納言が三の宮との結婚を承引《しょういん》するはずはないと知っている。知っていて、この場をつくろい、自分も逃げているのである。弁は、そのへんのところを察していた。
弁は、院が、あれこれ考えあぐねられた上、やっとたどりつかれた結論であることを、くわしく源氏に話した。朱雀院のご心労をよく知っている弁にしてみれば、はじめから取り合わない源氏の態度が、たいそう残念で、朱雀院に同情せずにはいられなかった。
源氏は、ためいきを洩らし、
「そうだろう、それは分るのだが」
とうなずいて、朱雀院の親心に共感した。
「おかわいがりになっていらした姫宮だからな。どんなにしておいてあげても、し足りないように思われるのだろうね。――それならいっそ、御所へ入内させられればどうだろう。あとから入内されたかたが、もっともご寵愛あつくなるということも、ないではない。――亡き桐壺院《きりつぼいん》のときもそうだった。あとから入られた藤壺の中宮が、いちばん時めいて愛されていられた。……おお、そういえば、女三の宮の母女御は、藤壺の宮のお妹にあたられる。このかたもお美しかったと聞くから、三の宮はどちらに似てらしても、お美しい筈《はず》……やはり、かの藤壺の中宮のおもかげを伝えていられるのだろうか」
源氏はふと、視線をさまよわせた。
女三の宮への好奇心とあこがれが、胸のうちに萌《きざ》したようであった。
その年も、何やかやのうちに暮れちかくなった。
朱雀院はご病気がはかばかしくない。お気がせかれて、女三の宮の御裳着の準備をすすめられていた。
その御用意のりっぱなことは、近来にないめざましさである。世間にも評判になるほどだった。
御殿の装飾は善美をつくしたもので、式場になる柏殿《かえどの》の西面《にしおもて》の、御帳台《みちょうだい》・御《み》几帳《きちょう》をはじめ、すべて舶来の、唐《から》の綾《あや》・錦《にしき》をお用いになった。唐土《もろこし》の皇后の威儀になぞらえられて、輝くばかり結構なしつらいである。
御腰結《こしゆい》の役は太政大臣をおたのみになっていた。
万事、大仰でもったいぶった人なので、そういう役目は軽々しく引き受けない上に、女三の宮とは血縁もないので腰重かったが、ほかならぬ朱雀院のおたのみなので、承って参上した。
左右大臣、ほかの上達《かんだち》部《め》、親王がた、それより下の殿上人《てんじょうびと》はいうまでもなく、あげてこの儀式に参りつどうた。それでいかめしくも美々しき盛儀になった。
朱雀院が仏門に入られたなら、院が主催なさる催しとしては、これが最後になるであろう、と人々は暗黙のうちに、おいたわしく思い、心を寄せ奉ったのだった。
帝や東宮からもさまざまの贈り物がある。
六條院からも贈り物はあった。正客への引出物、参会者への禄《ろく》などは、六條院からさしあげた。
中宮からは、姫宮へのご装束と櫛《くし》の筥《はこ》の贈り物がある。
その中に、昔、入内の折、朱雀院から贈られた御《み》髪《ぐし》上《あ》げの調度を、ゆかしく手を加え、(といっても、もとの品の風情を失わぬようにして)奉られた。
この秋好《あきこのむ》中宮がまだ姫宮でいられたとき、朱雀院が思いをかけられたのを、冷泉《れいぜい》帝へ入内、ということになってしまって、朱雀院は恋を失われた。入内の日、院は贈り物の櫛の筥を奉られ、哀切な歌を添えられたことがあった。
それを、中宮はいま、美しく手を加えられて、姫宮の成人を祝い、贈り物にされたのである。
〈さしながら昔を今につたふれば 玉の小《お》櫛《ぐし》をぞ神さびにける〉
というお歌を、中宮は添えられた。
そのかみ頂いた櫛を、愛用してまいりました。こんなに古びましたけれども、あの折のご好意をそのままに、私から姫宮へ、人生の首途《かどで》のはなむけに――というような意味であろうか。
朱雀院は昔を思い出されて、あわれに思われること、限りない。この中宮への失われた恋、あのこと、このこと、……朱雀院の半生は、なぜか心のこりと、秘めた失意にみちていたお気持もされる。
せめて、最愛の姫宮だけは、自分のみたされぬ人生を埋めつくしてあまりあるような、幸福な、輝かしい人生であってほしい……。
いまは、過去のわが失恋よりも、生《お》い先長い姫宮の将来に、望みをつながれる院であった。
〈さしつぎに見るものにもが万世《よろづよ》を つげの小《を》櫛《ぐし》も神さぶるまで〉
中宮のみ位にのぼられたあなたに、姫宮の将来も、あやかってほしいものと思います。
院はそうお答えになった。
朱雀院はご病気でお苦しいのを堪え、御裳着の式を終えられると、三日後、御剃髪《ていはつ》になった。まわりの人々の悲しみはいうまでもない。
なかでもことに、朧月夜の尚侍《ないしのかみ》の君は、院にぴったりと添うて、
「ほんとうにご出家なさるのですか、わたくしを捨てて、この世を逃れておしまいになるのでございますか」
と、すべもなく、声を限りに泣き伏してしまう。
「かねて、あれほど言いきかせてあったのに……」
と院はいろいろに、言いこしらえて慰められるのも、しみじみした悲しさである。
「子を思いきることは出来るが、こうも思い合った妻との別れは堪えがたい。男と女のふかい仲を断ち切ることは、親子のわかれより断ちがたい……」
と院はお心も乱れぬばかりであった。しかし、かねて思いきめられたことなので、病中の苦しさを押えられて、脇息《きょうそく》に寄りかかられ、出家の御儀式をすすめられる。
比《ひ》叡山《えいさん》の座主《ざす》をはじめ、御授戒の阿闍梨《あざり》がおそばに三人いて、法服をお着せする。
この世を捨てられる儀式の、さまざまの作法は、かなしいかぎりである。もはや、生きて彼方《かなた》の岸の人になられるわけであった。
姫宮がたや、女御更《にょうごこう》衣《い》、この御殿に仕える人々みな、泣き悲しんだ。
院は、ご出家後はすぐさま、閑静な山にこもられるつもりであった。女人たちの泣き声をふりすてて、静寂なところで法《のり》の道にふみ入られるつもりであったが、ただただ、女三の宮のお身のふりかたがつくまでと、心ならずも、そのままに、御殿の中にいられた。
帝をはじめ、あちこちからのお見舞いは多い。
源氏も、すこし院のご気分がよいということを聞いて、早速、お見舞いに出かけた。
儀式ばらずに、お目にかかることにする。
院は源氏をよろこんで迎えられたが、院の変られたお姿を拝見して、源氏は涙がこぼれるのをとどめられない。
「父院におくれ奉ってから、私も世の無常を知り、いつかはと出家の志を持っておりましたが……」
と源氏はいった。
「はからずも、院のご出家姿を、さきに拝するようになりましょうとは。私など浮世のほだしが多くてなかなか、思い切りがたいものでございます」
源氏は、ありきたりの挨拶《あいさつ》もできず、また、平静でもいられなくて、言葉もとぎれがちであった。
もとより院も、お心弱くなっていられることとて、しおれたご様子にみえた。
「命も長くないようにみえたから、かねて出家の志をもっていましてね……何ごとにも決断力のない私のこと、今までのびのびになっていたが、こうやって見かけ《・・・》だけでもその形をとろうと思って……」
院は、例のことを、お打ちあけになりたいようで、しばらく、ためらわれた末、
「女御《おんなみ》子《こ》を、あまたおいて出家するのが気がかりでならないのですよ。なかでも、寄るべのない子が、ことに気がかりで……。この子は母もいませんし、私が出家するとどうなることやらと……」
と、院のお癖から、単刀直入に、言葉に出して源氏にたのむとは仰せにならない。源氏は、その兄君の優柔もいまはお気の毒にもいたわしくも思うのである。
それとともに、女三の宮への関心がないでもない源氏としては、この際、そしらぬふうで、院のお話を逸《そ》らせることもできなかった。
なにげない会話のようにみえながら、このときのやりとりが、大きな運命の転回をまねくことになろうとは、どうして源氏が知ろう?
もし源氏に、全く、女三の宮を引きとる意志がなければ、さりげなく院のお言葉に気付かぬよう、ほかの話題にすりかえてごまかしたであろう。お気弱の院は、すぐ源氏の意のあるところを察しられて、決して、押してはお言葉を重ねられなかったであろう。
しかし源氏の気持の底にはすでに、女三の宮に対して、やみがたい好奇心の靄《もや》が揺曳《ようえい》しはじめている。それは吹き払っても吹き払っても、いつとなくただよい、まつわってくる。
「ご身分がら、内親王のような方は、ご後見役がなくてはかないますまいな。東宮がりっぱにいられて、お妹の宮たちをお世話なさいましょうから、ご心配はございますまいが、しかし、帝位にのぼられては、やはりこまかいところまではゆきとどきますまい。……何と申しても、単なるご後見役という以上に、結婚なさった夫が、お世話するというのがいちばんご安心でしょう。いまのうちに、内々、しかるべき人を選んで、おかたづけになればいかがですか」
源氏の言葉は、朱雀院の意をむかえて、さそい水になっている。
源氏は、女三の宮への関心と同じくらいの重さで、院のお心を喜ばせたい、お気持に副《そ》ってあげたい、という気になっている。いつも失意を味わってこられた院の、かならずしも順調でなかったご生涯のうちに、ひとつはご満足のゆくような、お気の晴れるようなことをしてさしあげたくなっている。
果して、院は、ほっと顔色をゆるめられた。
「そう私も思うのだが、これがなかなか、むつかしくてねえ……。内親王の結婚相手は人選がむつかしいのです。父が帝位にあって盛りのときでさえむつかしいものを、まして出家してしまった今ではねえ。まことに申しにくいことだが、あなたの手もとにひきとって頂けますまいか。ほんとうは、あなたに育てていただいて、しかるべき人にかたづけて頂きたい、と申したいところだが……。権《ごんの》中納言などが、独身でいるときに、申しこむべきであった」
「中納言は、実直な者ではございますが、何ごともまだ若いのでたよりのうございます」
源氏は、夕霧を苦しめたくなかった。院の仰せとあれば、夕霧と結婚させなくてはならない。しかし、雲井雁《くもいのかり》しか眼中にないいまの夕霧は、ご降嫁を承諾できず、どんなに困惑することであろう。
源氏は、自分で自分を追いこんだ形になった。
「勿体《もったい》のうございますが、私が、心こめてお世話申上げましょう。お父君がわりともなりまして……。ただ、宮にくらべて、私の生い先短く、長くご後見できぬであろうことが、心苦しく存ぜられますが……」
「おお……。そうおっしゃって頂ければ、これにすぎるよろこびは、ありません。母を亡《うしな》い、父に捨てられた稚《おさな》いあの三の宮を、どうか、ゆくすえ長く、いたわって、お気に入るように育てあげて下さい。……いや、これで心の迷いの雲も晴れました。たのしく、修行の道にいそしみ、本意を遂げることができそうに思われます」
院は、晴れ晴れとおっしゃった。
源氏はうなずいたきり、だまっている。
とうとう、承引してしまった。
姫宮は、養女として源氏のもとにおいでになるのではない。いろいろに言葉は飾られても、ご降嫁になることにまちがいはない。
紫の上に、この事実を、どう語り聞かせたものであろう?……
源氏は思い乱れている。
紫の上に、どう語り聞かせればよいのかを。
紫の上も、かねてちらほらと、源氏と女三の宮の縁談を、耳にしないでもなかった。
(まさか実現するはずないわ……。前斎院《さきのさいいん》のときもあれほどご執心だったけれど、ご自分から断念して踏みとどまられたのだもの。こんども、まさか……)
と思って、「こんな噂がありますけれど、事実なの?」と源氏に問うこともせず、無心に過ごしていた。
源氏は、紫の上の、自分を信じきったさまに心を痛めずにはいられない。すまない気がする。
(朱雀院との約束を話したらどんなに驚き嘆くだろう……たとえ姫宮を迎えたとしても自分の、この女《ひと》に対する愛はつゆ変るはずもなく、むしろそうなれば、かえってこの女《ひと》の方をいとしく思うだろう。だが、その本心をこの女《ひと》がしっかり見定めてくれるまでは、さぞいろいろ苦しんだり、疑ったり、するだろうなあ……)
と源氏は思い迷った。
このごろの年月、もはや源氏と紫の上のあいだには、紙ほどのへだてもなく、信頼と愛でかたく結びついた仲なので、なんの隠しごともなかった。それだけに、源氏は、姫宮のことを黙っているのが心苦しく気が晴れない。
しかし、どうしても言い出せない。
ついに源氏は、その夜は、何も言わずに過ごしてしまった。
翌日は雪が降った。
ものあわれな空のありさまだった。源氏は紫の上とそれを見やりつつ、昔のこと、これからのこと、とりとめもなく語り合う。いつか、話題は、昨日の朱雀院に移っていった。
「恐れ多いことだが、院はすっかり弱ってしまわれていてね。あれこれ、ものあわれなことが多かったよ。院は女三の宮のお身の上が心がかりのご様子で、いろいろとお話があり、どうかよろしくと仰せられた。
私はご辞退できなかったよ。お気の毒で。――
このことを、さぞ世間の人はいろいろに噂《うわさ》するだろうが、私の心からではない。
自分ではこの年になって若い姫宮を迎えるというようなことも気恥ずかしいし、心も動かないから、人づてにそのことを仄《ほの》めかされたときは、とりつくろって言いのがれてきたのです。
しかし、直接にお目にかかって、院がねんごろにお頼みになり、あれこれ、哀れぶかいお言葉を承るとすげなくお断わりできなかった。
母君を亡くされ、父君は世を棄《す》てられる、頼り所のない姫宮へのおいつくしみを察すると、むげにきっぱりと拒むことも心苦しかった。
院はやがて深い山へお籠《こも》りになろうが、そのころには姫宮をここへお迎えせねばならないだろうね。
わかってくれるね? 味気ない思いをなさるだろうけれど、私の立場を理解してほしい。
姫宮がこの邸へ来られたにしても、あなたへの気持が変ることは決してない。姫宮を大事にするのは、院のお気持を尊重してのこと、あなたを疎略にするようなことは、決してないのだ。
あなたは無論、ほかの女《ひと》たちも、心を平らかにして、みな、仲よく暮らしてほしい」
聡明な紫の上ならわかってもらえるのではないかと、源氏は思いながらも、心こめて話しつづける。
紫の上はそれまで源氏の、ちょっとした軽い浮気ごころにも、面白くないような顔で拗《す》ねるところがあった。(その嫉妬ぶりも、源氏には可愛かったのであるが)
この話にはどんなに、穏やかならぬ風を見せるであろうかと、源氏は考えていたが、紫の上にはそんな反応はなく、無心のさまで、
「おいたわしい院のお頼みですのね。おことわりになれなかったあなたのお気持、ようくわかりましてよ」
とうなずくのであった。紫の上には日ごろ源氏は、あのことこのこと、過去から未来にわたって自分の人生を語りつづけているので、源氏の人生と紫の上の人生はぴったり重ね合わせられたようになり、源氏の身のまわりの人間地図も紫の上のあたまには、はいっていた。
それゆえ、院と二人きりの雰《ふん》囲気《いき》、院のおことばのものあわれさも、くまなく紫の上には想像できた。
伝え手と、受け手と、どちらの資質もすぐれてさえいれば、仲のよい男と女の場合、くまなく理解し合うことは可能なのだった。
「どうして宮さまをわたくしがうとましく思いましょう。ここにこうして、わたくしが住んでいるのを、宮さまが目ざわりにお思いさえなければ、わたくしも気持よくここに居りますわ。仲よくおつき合いして頂ければ、どんなにいいでしょう。
わたくしも宮さまも、早くに母と死に別れた同じような身の上。よそごとに思えませんわ。――それに、宮さまの母君は、わたくしの父君のお妹でいらっしゃるのですもの。宮さまとわたくしは従姉妹《いとこ》同士というわけね。宮さまもそうお思いになってわたくしと仲よくして下されば嬉しいのですけど」
「本心かね? それは」
と源氏は微笑《ほほえ》んだ。紫の上は拗ねて、
「いやなかた。まじめに申しあげたのに」
「いや、あんまり素直に、こちらの申出をみとめていただけると、どうなっているのかと不安になる」
「それでは、いかにも、わたくしがふだんは分らずやみたいではありませんか」
源氏は笑ったが、ふと真顔になっていった。
「ほんとうは、そんなふうにうちとけて仲よくして頂けるとどんなに嬉しいだろう。
あなたに、つまらぬ中傷や陰口をいう人があるかもしれぬが、そんなことを耳に入れてはいけないよ。世間の人の口というものはまちがって伝えられやすい。夫婦の仲のことでも周囲から見ると全く違ったことをいいふらして、とり返しのつかぬように騒ぎが大きくなってしまう。
そんなことにならぬように、自分の胸一つにしずかにおさめて、じっと成行きを見て判断するんだよ。
何事もないのに、早まって軽率な嫉妬をしたりして、人の物笑いにならぬようにしておくれ……わかっているだろうけど」
紫の上はうなずいた。
源氏の語っているのは真実であろう。女三の宮を迎えても、あなたへの愛は変らない、というのは。
しかしそれは「男の真実」である。「男の真実」と「女の真実」とは、すこし質が違う。
けれども源氏は、紫の上なら、その違いをのり超《こ》えて、わかってくれるだろうと恃《たの》んでいるのだ。
まさしく、紫の上には、源氏の立場も、彼の愛情もよくわかる。
(そうだわ……この縁談は空から降ったようなもので、殿には逃《のが》れられぬ災難のようなものなのだわ)
紫の上には、その認識が出来る怜《れい》悧《り》さがあった。
(それを憎さげに怨《うら》んだりしちゃいけないんだわ……宮さまもあのかたも、双方、恋愛なさって結婚されるとでもいうなら、ともかく。――あのかたがわたくしに遠慮なさったりわたくしが諫《いさ》めたりしたって、それで取り止《や》めになるというたち《・・》のものではない。院のお考え、まわりの人の思惑、身分や世間のきまり……そんなものがいく重《え》にもかさなって、のっぴきならぬ状態になったのだもの……みっともなく嫉妬したり、恨んだり、思い悩んだりしているさまを、世間の人に洩らしたくないわ)
紫の上は、あたまではそう割り切って考えながら、情念はなお燻《くすぶ》っていて、女くさいあやしげな暗い心になってゆく。
(もし、こんどのことを、あの継母《ままはは》の君〈式部卿の宮の大北の方〉がお聞きになったら、それ見たことかとお思いになるかもしれない……あのかたは、いつもわたくしの幸運を呪《のろ》ってらして、わたくしがどうしようもない鬚《ひげ》黒《くろ》の大将《だいしょう》の再婚さえ、わたくしのせいだと恨んでいらっしゃる。これこれと聞かれたら、呪いの効果があったと、それこそ手を拍《う》っておよろこびになるかもしれないわ)
いつもはおおらかで、やさしい性質の紫の上も、さすがにそんなことを考えたりもするのであった。
(ああ、それにしても……もうこんなになったら、あたらしい浮気も恋もなさるまい、競争者もあるまいと、わたくしはあのかたを信じきって、自分こそ唯ただ一人の北の方と思いあがっていた……。今までは何の心配もせず、平気で暮らしていたが、これからは、人の物笑いになることもできるかもしれない。――愛と、矜持《ほこり》の重さを、くらべるときがあるようになるかもしれない……)
紫の上はそんなことを愁えながらも、表面はおだやかに、やわらかい態度で暮らしていた。
年が明けた。
朱雀院では、姫宮を六條院にお移しになる準備に明け暮れ、いそがしがっていられる。
求婚していた人々は、すっかり落胆していた。帝もその思《おぼ》し召しがあったのだが、縁談がきまったことを聞かれて、おあきらめになった。
源氏は今年、四十になったので、四十の賀《が》を国あげて執り行なおうと朝廷でも考えていられたのだが、儀式ばった堅くるしいことは源氏は好まないので、ご辞退したのであった。
しかし、思いがけぬ人が、祝ってくれることになった。
かの鬚黒の大将の北の方、玉鬘《たまかずら》が、養女という資格で、正月二十三日の子《ね》の日の祝いにことよせて、用意をしてくれたのであった。
かねてそうとは洩らさず、内密で準備していたので、突然のことゆえ、源氏も断わるひまがなかった。
玉鬘は、一家をあげて六條院にやって来て、祝いの宴を催した。
内輪で、という心づもりであったが、玉鬘の夫も父も、今を時めく権門であるから、自ずと派手に、賑《にぎ》やかになってゆくのは仕方がなかった。
南の御殿の放出《はなちで》に、源氏の席は設けられた。
調度や室内の飾りは、玉鬘が美しく、新調したのである。風流を解する彼女の感覚は、どんなこまかい道具にも照り映えて美事であった。彼女は心こめて養父のためにつくしたのであった。
源氏は久しぶりで、玉鬘と会った。この女《ひと》は何とまあ、――女ざかりのなまめいた、それでいて顕官の北の方らしい重々しさをそなえた貴婦人になったことであろう。
見るたびに成長し、りっぱになってゆく玉鬘に、源氏は瞠目《どうもく》する。
久しぶりに玉鬘を見た源氏の心には、そのかみ、六條院に彼女がいた頃、はかない思いに心を焦《こ》がし寄り添った頃のことが――まざまざと思い出された。
あれからなんとこの女《ひと》は、歳月と共に美事な変貌《へんぼう》をとげたことか。
玉鬘の方でもなつかしかった。
源氏は、四十歳というのも何かの間違いではないかと思えるほど若々しく、なまめかしい。いまもなお、玉鬘にとって源氏は、父に似て父より心ときめきする、恋人に似て恋人よりなつかしい、ふしぎな慕わしさをもつ男性であった。
恥ずかしげにしながら、玉鬘は、さながら、久しぶりに里帰りした娘のように、へだてなくうちとけて源氏に話すのだった。
連れて来た若君二人も、たいそうかわいらしい。
三つ四つの年《とし》子《ご》の公達《きんだち》で、玉鬘のそばに、同じような振分髪《ふりわけがみ》の無邪気な直衣《のうし》姿で、ちょこんと坐っている。つぶらな瞳《ひとみ》が玉鬘に似ていて愛くるしい。
「おお、もうこんなになったのかね……」
と源氏は、幼い若君たちのあたまを撫《な》でた。玉鬘は恥ずかしそうであった。
「こんなに何人もお目にかけなくてもよいのにと思いましたが、主人が、よい折だからお連れしろと申しまして」
「いや、その方がうれしい。夕霧のところも次々に生まれているそうだが、もったいぶってまだ見せてくれない。あなたがこうやって若君を連れて来て下さったのは、まことにめでたくて楽しいのだが……それにつけてもこちらが年をとったことを思い知らされてしまってね。いつまでも若いつもりでいるのだが」
と源氏は笑った。
「いいえ。いまでもお変りなくお若くていらっしゃいますわ。私からお見上げするお父さまは、はじめて右《う》近《こん》に連れられてお目にかかったときと、ちっともお変りではありませんわ」
玉鬘は、紅染めた眼もとに艶《えん》な恥じらいを匂わせて、やさしくいうのだった。沈香《じんこう》の折《お》敷《しき》(角盆)四つに、若菜の料理を形のごとく盛って、源氏にすすめる。
〈若葉さす野べの小松をひきつれて もとの岩根を祈る今日かな〉
と玉鬘は強いておとなびて詠《よ》んだ。源氏の前に出ると、甘えたり拗ねたり、心ときめいたりした娘の日の気分にかえりそうであるが、今日は、小さい子供を引きつれ、人の親として、養い親たる源氏に、四十の賀をのべにきたのだ。世間なみの主婦らしい心づかいもみせなければ、と、玉鬘は、きちんと儀礼にかなったよみぶりである。源氏も土器《かわらけ》を取った。
〈小松原末の齢《よはひ》にひかれてや 野べの若菜も年をつむべき〉
子供たちの末長い年にあやかって私も年を重ねることにしよう。源氏もおだやかにめでたく受ける。
いつか、上達《かんだち》部《め》の人々が、たくさん南廂《みなみひさし》の座についている。宴が、これから始まるのである。
式部卿《しきぶきょう》の宮も招待されていられたが、ご出席を躊躇《ちゅうちょ》していられた。
鬚黒の大将が、宮の姫君と離婚している。
いや、離婚というより、宮が腹をたてて、むりに連れかえってしまわれたのだ。
そんないきさつがあるので、今日、大将が六條院の婿の資格で、得意顔に采配《さいはい》を振っている場へ出席するのはご不快であった。
しかし招待を受けていられる上に、源氏とのつづき柄からいっても出席しないのは目立つので、おそくに出かけられた。
大将の姿は不快であったが、宮にとってお孫の若君たちが、(大将の前北の方のお生みになった公達である)かいがいしく用をつとめていられた。この方々は、紫の上とも縁つづきになる若君なのだった。
籠《かご》に入れたくだもの四十、折櫃物《おりびつもの》四十、夕霧の中納言はじめ縁故の人々が捧《ささ》げて源氏の前に並ぶ。盃《さかずき》がめぐり、若菜の羹《あつもの》が出る。
朱雀院のご病気をはばかって楽人《がくにん》は召されていないが、太政大臣がかねて用意の楽器をそろえていた。
和《わ》琴《ごん》は太政大臣の秘蔵のものを、長男の衛《え》門督《もんのかみ》が、とくに源氏の懇望で面白く弾きこなした。即興にかき鳴らす曲の方に、あやしいまで面白い興趣が生まれ、人々をおどろかせるのである。
この一族は、楽才があって、父の大臣の和琴も、琴の緒《お》ゆるく調子をおとし、余韻ゆたかにかき鳴らして面白いが、息子の衛門督はあかるく朗々とした音色で、愛嬌《あいきょう》がある。
「柏木《かしわぎ》が、これほどの名手であったとは」
と、親王がたもおどろかれたほどである。
琴《きん》は兵部卿の宮がお弾きになる。源氏も興押えがたく、弾きならして、内々のゆかしい管絃のあそびとなった。
唱《うた》い手を御《み》階《はし》の下に召し、すばらしい声の限りをつくして歌う。やがて楽はしだいに、うちとけたしらべにかわり、催《さい》馬楽《ばら》の「青柳《あおやぎ》」となった。
〈青柳を、片糸によりてや、おけや、鶯《うぐひす》の、おけや、
鶯の、縫ふといふ笠は、おけや、梅の花笠や〉
うぐいすももろともに啼《な》き出しそうな宴になった。
あけがた、玉鬘は帰った。
「ありがとう。世を捨てたように暮らしていた私に、年月の積もりを知らせていただいた。また折々には、おいで下さい。私の方は気がるに出かけられないので残念だが」
源氏は玉鬘とのあわただしい逢《おう》瀬《せ》が惜しまれてならなかった。玉鬘は、やはり源氏にとっても特別な女人である。玉鬘も、実父の大臣は、ただ血すじの上の肉親というだけであるが、源氏は、精神的な近親者であった。源氏の、こまやかな心づかい、やさしい情愛、それらは、年を経て、人妻となり、人の母となってゆけばゆくほど、しみじみと思い知られるものであった。
「お父さまのお幸わせを祈っております。いつまでもお元気でいらして下さいまし」
玉鬘は、心から、そういった。
二月十日すぎ、いよいよ、朱雀院の女三の宮が、六條院へお輿《こし》入《い》れなさることになった。
六條院でも、その準備はたいていではない。
若菜の宴のあった西の放出《はなちで》に帳台をたて、西の一の対《たい》、二の対から渡殿《わたどの》にかけ、女房の局《つぼね》にいたるまで、入念に磨き立てられる。
結婚の作法は、御所へ入内なさるかたと同じようであった。朱雀院から調度は運び入れられ、女三の宮が移られる儀式は、いまさらいうまでもなく美々しい、盛んなものとなった。
上達部があまた送って来たが、その中に、姫宮に求婚していた大納言も、気のすすまぬながらお供していた。
姫宮のお車が、邸にお着きになった。
車寄せに出て、源氏は自身、腕を伸ばして宮を抱き降ろしてさしあげる。
内親王を妻にした男は、わが邸へ迎えたとき、車から抱きおろしまいらせるのが、きまりである。
しかし源氏は、ただの臣下ではなく、準太《だ》上《じょう》天皇という身分なのであるが、姫宮の身分の方を上にしてへりくだったのだった。それは源氏の、やさしい心づかいである。
そのことだけでも違例であるが、御所への入内でもなく、臣下への降嫁でもなく、世に類例のない、珍しい夫と妻であろう。
三日間、婚儀の宴はにぎやかに張られた。
紫の上は、それらのにぎわしさを、さすがに平静で聞きすごすことはできなかった。
しかし源氏のいうように、いままでと打ってかわった仕打ちをされようとは信じられない。
(わたくしとあのかたの仲だもの。あんなに信頼し合った仲だもの、宮さまがいらしたからといって、てのひらを返したように、わたくしを扱われることはないわ)
と信じながらも、
(でも、宮さまは、わたくしよりずっとおわかい。それに、何といっても、ご身分もたかく、ご威勢も世間の重みもちがう。どうしても宮さまの方にお心が向くかもしれない)
などと思い屈したりしていた。
けれども彼女はそれを気《け》ぶりにも出さず、お輿入れの前後は、源氏と心を合わせて準備にけんめいになり、
「その調度は、こちらのほうが……」
とか、ときには、
「それらはわたくしが見立てておきましょう」
と自身で手を下したりするのであった。
それは、源氏と、ほんとうに一つこころで生きている人のとりなしである。紫の上は、何ごともみな、源氏のためを思い、源氏の身になって考えたり、実行したりしているのであった。
源氏は、紫の上を、前にもましていとしく可愛く思わざるをえない。
それにくらべて、女三の宮には源氏はひそかに失望させられていた。
宮はただ若々しくあどけなく、子供っぽいばかりでいられた。
人に言いきかせられていらしたのか、
「こちらへ」
と源氏がいうと、
「はい」
と物おじせず、人なつこく寄られるが、言われたことへのうけ答えだけで、ご自分からなんの意思表示もなさらない。
純真で、おとなしくいられるが、張り合いもない。
源氏は、その昔、少女の紫の上を引き取ったときのこととくらべないではいられない。
あのころの紫の上は、少女ながらに個性の手ごたえがあった。打てばひびく才《さい》気《き》煥発《かんぱつ》の面白さがありながら、勝気ではなく、無心に愛くるしかった。
もうおとなの源氏が、細心の注意をこめて応対しなければ負けそうな、張りつめたたのしい手ごたえがあった。
しかしこの宮は、同じようなお年なのに、なんと、子供っぽいたよりなさであろう……。
こちらがだまっていると、いつまでもだまっていられる。その美しい黒いお眼は、美しいが故になおさら精神の不在を思わせて空虚である。その底には、まだなんの女の感情も、いや、人間的な自我さえも宿っていない。
恐れげもなく恥ずかしげもなく、源氏を見つめていられる。そこにあるのはただ運命に対する従順さばかりである。
(しかしまあ、……我の強い意地を張るような、憎さげな性格よりはましだろう……)
と源氏は思いつつも、このひとを教えて、好みの女に仕上げようという情熱と根気は、もはや自分にはないのを知った。
三日のあいだは、夜離《よが》れなく、源氏は宮のもとへ通う。結婚後の三日間は、どんなことがあっても男は女のもとへ通わねばならない。それがきまりである。
紫の上は、三日も源氏と離れているなどということは、もう長らくないので、さすがに萎《しお》れていた。
源氏の衣裳《いしょう》に香をたきしめながら、沈んでもの思いにふけっているさまは、愛らしくもいとおしかった。
(これだけの女人は、この世にまたといない……)
源氏はそう思わずにはいられない。
(なぜ彼女を苦しめるようなことをしてしまったのだろう。自分の弱気と、浮気ごころのせいでこんな目にあわせてしまった。若くても夕霧の場合は、院もあきらめておしまいになったのに)
と自分の優柔不断が源氏には辛くさえおもわれる。ためいきまじりに、
「今夜だけはしかたないことと、許して下さいよ。これからのちは、あなたをおろそかにするようなことは決してないから。……ただ、あちらも、あまりなおざりにすると、朱雀院がどうお思いになるかという気がねがあってね」
と、煮えきらぬ語尾になって苦しげである。
紫の上はすこし微笑んで、
「ほれ、ごらんあそばせ。ご自分のお心にもおきめになりかねていらっしゃることを、わたくしがどうして……」
源氏はその言葉が痛く、また心ひかれて、座を立つことが出来ない。物によりかかり、頬杖《ほおづえ》ついて、思い屈した風情である。机の上をふとみれば紫の上が書き散らした文《ふみ》反故《ほご》があり、
〈目に近くうつれば変る世の中を 行く末遠く たのみけるかな〉
とある。なるほどそうも思うであろう。
しかし、女三の宮を新たに迎えたとて、紫の上への愛は何も変質せず、減少していないのだ。いや、彼女がどんなにすばらしく、愛すべき女性であるかということが、以前に増して思い知られ、断ちがたい契りとなっている。それは命が絶えても、紫の上との契りは絶えるまいというほどの、深い想いになっている。源氏は口のうちに、つぶやく。
〈命こそ絶ゆとも絶えめ 定めなき 世の常ならぬ仲の契りを〉
紫の上は、わざと聞こえなかったふりをして、
「さあ、早くあちらへおいでなさいませ。お待ちになっていらっしゃいますわ。人もへんに思いましてよ」
やわらかく萎《な》えた衣裳にいい薫《かお》りをたきしめ、口少なに身支度して出てゆく源氏を、紫の上は不快な顔をせずに見送った。
しかし紫の上の気持は、もとよりおだやかではない。この年ごろ、大小さまざまの源氏の恋愛事件があったが、みないつとなく、事なく流れ過ぎた。いちばん心配したのは、身分たかい朝顔の前斎院との事件だったけれど、あのときは、前斎院にそのお気持がなく、それも源氏のひとり相撲《ずもう》に終ってしまった。
もう、いまとなっては、大丈夫であろうと安心していたときに、人聞きも恥ずかしいこんな目にあうなんて。
(ああ……夫婦というもの、これで安心、ということはないのだわ。一瞬一瞬でどう変るか、知れはしない。男の心って捉《つかま》えにくいものなのだわ……)
紫の上はそう思いながらも、それを口に出して大げさに嘆いたり、拗《す》ねたりできる性格ではなかった。常と変らず、平静を装っていた。
そばについている女房たちは、それぞれ、
「まあ……意外なことになったものですわね」
「殿にはたくさんの方々がいられると申しても、みな、こちらの上《うえ》のご威勢を憚《はばか》って、控えめにしてらしたから、これまで事なく済んでいたのですわ、それがどうでしょう、あの宮さまの威張ったなされかたは……」
「こちらが負けていられることはないと思いますわ」
などといい合っていた。
紫の上は、常の日課のように就寝前のひととき、女房たちとたのしくとりとめない世間ばなしをするつもりであったが、源氏のいない留守に、女ばかりでそういう陰湿なかげぐちになるのがいやであった。彼女は、悪意に堪えられない性格だった。女らしい愚痴や中傷を、まことに聞きにくく思った。
「そうじゃないわ」
紫の上は、朗らかな微笑みをうかべていた。
「殿には女君が大勢いられるといっても、現代的な花やかなかたはいらっしゃらなくて、お淋しいと思うわ。そこへお生まれもよくお若い姫宮が、正式にお輿入れなさったのは、ほんとによかったと思うの。わたくしは子供っぽいのかしら、宮さまぐらいの年頃の気持がまだ残っていて、お遊び友達に加えて頂きたい気持よ。それなのに、どうして、宮さまのことをわるくお取りするんでしょう。目下の人ならわるくいうこともできるけれど、宮さまは院のお頼みで、殿が引き取られたとうかがっています。こちらが隔て心をもったりしたらお気の毒よ。仲よくしてさしあげなければ」
中務《なかつかさ》や中将といった女房たちは、紫の上の言葉を聞いて、目くばせしつつ、
(あんまりお人がよすぎるわ)
(そうまで宮さまにお気を使われなくとも)
と言い合っていた。彼女らはもともと源氏に仕え、目をかけられていた女房たちであるが、この年頃は紫の上に仕えていて、みな、心から紫の上を慕い、紫の上の味方であった。
ほかの夫人たちからも、
「たいへんなことになりましたのね。お心の内ご同情申上げます。私どもはもう、殿にとっては数ならぬ身とあきらめていますから、かえってこんな場合、心労もなく気楽でございますが」
という見舞いの手紙が、紫の上に寄せられたりする。
それはまちがいなく同情なのか、それとも好奇心なのか、皮肉なのか、誰が知り得よう?
愛憎の渦に巻きこまれたとき、女の同情や共感は、たやすく皮肉や好奇心に裏返るのである。聡明な紫の上には、そのへんを見抜く力があった。
こちらの心理を推量したつもりの慰め顔がわずらわしい。先のことはわからぬ男と女の仲に、いちいち捉《とら》われてくよくよするのはおろかなこと、と紫の上は思い定めるのだった。
あまり長く夜ふかしをしているのも、人々がいつもと違うと咎《とが》めるであろうかと、紫の上は寝所にはいった。
ここしばらく独り寝の床で、そばに源氏のいないのに、紫の上は馴《な》れることができなかった。まじまじと闇の中にめざめていて、あれこれ思いつづけると、心は波立たずにいられない。
久しぶりに、須磨《すま》に源氏がいっていた頃のことが思い出される。あのころは、生別が悲しく辛く、源氏が無事でさえいればいい、とそれのみ念じて辛い月日を送っていた。あのとき、源氏も自分も、あの悲しみに堪えきれず命を落していたなら、いまになって、こんな嘆きをすることもなくなっていたであろう。
(いいえ……でもやはり、あのとき死ななくてよかった。わたくしたちはあれからどんなに楽しい人生、生きて甲斐《かい》ある愛の生活を送ったことか。それを思えば、こんどのことの嘆き苦しみも、何でもないわ……やっぱり、生き甲斐ある生活なのよ。生きていたいわ……)
風が烈《はげ》しく渡って衿《えり》もとが寒かった。紫の上は、なかなか眠りにつかれなかったが、しかしあまりそういう様子をみせては、ちかくの女房たちが心配するであろうと、身じろぎもせずにいる。苦しい夜である。
まだ夜ぶかいというのに鶏の声が聞こえるのもものあわれで、それにしてもまあ、夜というものは、かくも長いものであったろうか?
源氏に対してわだかまりをもつというのでもないが、寝《い》ねがてにする紫の上の心乱れが、源氏に感応したのか、源氏はないことに、紫の上の夢をみた。
胸さわぎがしているうちに、鶏の声が聞こえた。暁には間があるが、いそいで女三の宮の部屋を出た。
子供っぽい女三の宮は、ぐっすり眠りこんでいる。乳母《めのと》たちが近くに控えていて、妻戸を押しあけて源氏を見送った。まだ暗い空に、わずかに雪明りで姿をそれと知られるほどの頃である。源氏は、薫《た》きしめた衣の残り香《か》だけをただよわせて、大いそぎで去った。
雪は庭の面《おも》に、ところどころ消え残っていて、白砂と見きわめつかない。
源氏は紫の上の、東の対の格《こう》子《し》を叩《たた》いた。
女房たちは、めったにない源氏の夜歩きをいまいましがって、しばらく空《そら》寝《ね》して気付かぬふりをする。紫の上に味方して、懲《こ》らしめというつもりもあるのであろうが、それが戯れとも本気とも区別のつかぬあやふやなところが、女ごころの妖《あや》しさである。
「おいおい、意地わるをしないでおくれ」
と源氏は出迎えた女房に文句をいって、紫の上の部屋にはいっていった。
「ひどく待たされて、体が冷えきってしまったよ。いいかげん、びくびくして帰って来ているのに、こう意地わるされちゃたまらない。お手やわらかに頼むよ。そんなに罪を犯したつもりもないのだがねえ」
といいながら源氏は、紫の上がかぶっている衾《ふすま》をそっと取ると、
「まあ……つめたいお手」
と紫の上は、にっこり、する。
しかし源氏が触れた紫の上の単衣《ひとえ》の袖《そで》こそ、冷たい。
それは彼女の涙で濡《ぬ》れていたのではないだろうか。源氏はささやく。
「雪のように冷えた。あたためておくれ」
「おかしいわ……冷えたのは、わたくしのほうのはずなのに。ひとりでいて、暖かいとお思いになって?」
それを、紫の上はなよやかに、うちとけておかしそうにいう。
美しく微笑して。ひとり寝の床にも身だしなみよく美しく、いつもの慣れた香をくゆらせて、恨みもひがみもしないで、ふんわりと源氏を包む。
(この女《ひと》こそ、たぐいなく、けだかい女《ひと》だ。この上ない高貴な生まれといっても、それは血すじのこと、精神のけだかさは、この女《ひと》にまさる女《ひと》があろうか)
源氏は、女三の宮と、くらべずにはいられないのであった。
その日は一日、源氏は紫の上にやさしくあれこれと語らう。源氏がうしろめたい気でいるせいか、紫の上はどことなく近寄りがたい、うちとけぬ風である。
「そんな顔色でいると思い出すよ。……何年前になるかね。私のことをお兄さまと呼んで、まつわりついていたあなたが、あるときから急に怒って拗ねて、何日もものをいってくれないときがあった。……おぼえているかね?」
「いやね。なにをおっしゃるの?」
紫の上はさすがに頬を染めてしまう。
「わたくし、もう忘れてしまいました、そんな昔のこと」
「なぜあんなに、ふくれ顔をしたのだろうね。あのときの、まだ子供げのぬけきらぬふくれ顔はとても可愛かったが、いまのあなたは怖いよ……思えば私たちの仲には、いろいろなことがあった。でも年月がたつにつれて契りは深く強くなってゆく」
そんなことを一日、言い暮らして、源氏は紫の上の心を解こうとしていたので、夜になっても女三の宮の方へ行く気がしなかった。
「今朝の雪で体具合をわるくしましたから気楽なところで休んでおります。あしからず」
という手紙だけをことづけた。
宮の乳母から返事が来た。
「そのように申上げました」
とだけ、ある。事務的な返事だと源氏は思った。朱雀院がどうお思いになろうかと気がねもあり、結婚後しばらくでも熱愛しているふりを見せてさし上げないといけないが、どうも、その気になれない。
(こんなことだろうとかねて思ったのだが――ああ、うっとうしい)
と源氏は思いわずらう。
紫の上は、源氏が宮のもとへゆかないのを辛がっていた。
(まるでわたくしが引きとめているように、宮ではお思いになるかもしれないわ……そのへんのところを、察して下すって、あちらへいらした方が、わたくしはどんなに気楽かしれないのに……。思いやりのないかた)
源氏は紫の上の部屋に、ふだんと同じように寝て、翌朝、宮に手紙をやった。
宮は子供っぽくていられるから、一人前の教養・才気・風流の嗜《たしな》みふかい女人に対するような心づかいは、源氏はしない。そんなに気をつかっても、
(わかる女《ひと》ではない)
と見くびっているところがある。それでもいい筆をえらんで白い紙に、
〈中道《なかみち》を 隔つるほどはなけれども 心乱るる今朝の淡雪《あはゆき》〉
としたため、白梅の枝につけた。
西の渡殿《わたどの》からさし上げよ、と使いをやったあと、源氏はそのまま庭を見て、端近《はしぢか》で返事を待っていた。紫の上に、宮の返事が目に触れぬようにという配慮である。
前の雪が仄《ほの》かに残っている上に、ちらほらと友雪《ともゆき》が降り積んで、鶯《うぐいす》が紅梅に、明るく鳴いている。源氏は手にした梅の枝の、花に障《さわ》らぬよう、御簾《みす》を押しあげながら見ている。
粋《いき》でなまめかしい男の身ごなしである。
とても、子女を結婚させたほどの年頃にはみえない。
返事がおくれそうなので、源氏は内へはいって、紫の上に梅の花をみせた。
「いい匂いだね。桜にこの匂いがあったら、最高だろうが……」
「ほんとうに……」
と紫の上も寄ってきた。そこへあいにくの宮のお返事が来た。紅《くれない》の薄様《うすよう》の紙にあざやかに包まれたもので、隠しようもない。源氏は胸つぶれる思いがした。紫の上に隔て隠しをするというのではないが、宮のお手紙を、紫の上に見せたくないのである。あまりに幼稚でたどたどしいので、内親王という身分がら、人の軽侮を買うことになっては気の毒だ、という考えがあるのであった。
といって、全く隠してしまうと紫の上は気を悪くするだろう。源氏はさりげなく端だけひろげて読む。
紫の上はそれを流し目にみつつ、物に寄りかかっていた。
〈はかなくて上《うは》の空にぞ消えぬべき 風にただよふ春の淡雪〉
と、宮のお返事にはある。お手蹟《て》が子供っぽい。十三、四ともおなりなら、こんなことではないはず、と紫の上はすばやく見てとって思ったが、見ぬふりをして黙っていた。
これがもし、ほかの女人の文ならば、
(ごらん。この手のたよりなさ……)
と紫の上に源氏が示し批評するところであるが、宮のこととて源氏も敢《あえ》て口に上らせず、紫の上もいわない。
それでも、二人の心は通じ合い、ひびき合う。源氏が、宮のお文を巻きながら、
「ね? わかっただろう。……こういうかたなんだよ。あなたは安心していていい」
(こんな幼稚な、たよりない人に、私が愛情を移すはずはないじゃないか……)
という意味が言外に籠《こ》められている。紫の上は返事をしない。白い頬に、あるかなきかの微笑みを刻んでいる。それは、
(さあ……どうかしら?)
といっているようでもある。
今日は、昼間、宮のお部屋へ源氏は行った。
宮の女房たちは、明るいところであからさまに源氏を見たのは、はじめてである。彼女たちは昂奮《こうふん》してみとれているようであった。
年とった乳母たちは、考えることが違った。
「ご立派な婿君だけれど、紫の上はじめ、たくさんの女君がおいでなのだから……こちらの宮さまもご苦労あそばされるのではないかしら」
とためいきをついたりしているのであった。
だが、当の三の宮は、苦労など夢にも知らないように、おっとりしていられる。お部屋のしつらいも、ありさまも、善美をつくして立派に、おごそかに飾りたててあるが、その中に据えられた姫宮は、ただなよなよと、はかなく無邪気に、愛らしいばかりであった。
ほっそりと小柄なおすがたは、大層な衣裳の中に埋もれて、ただもう、華奢《きゃしゃ》である。
源氏の前でもことさら恥ずかしがったりなさらず、人見知りしない幼児のようで、源氏は気がおけない。
可愛らしくはあるが、それだけのものである。
「ゆうべはお淋しかったでしょう」
と源氏が微笑むと、
「いいえ。べつに」
とあどけなく、正直にいわれる。
お心に浮んだままを、すぐお口に出していわれる。
「何か遊びごとで時を過ごされたか」
「お話をして……」
「ほう。どんなお話が出ました?」
「何だったかしら?……」
「宮のお付きの人々の中では、誰がお話上手かな? 面白いお話が出ますか?」
「さあ……」
「今日は私も仲間に入れて頂いて、楽しもう。宮は、どういう風なお話がお好きなのか、私も何か、宮を面白がらせるお話を考えてみよう。しかし、作り話となるとこれは、男は女にかなわない。嘘《うそ》をつくのは、男より女のほうが巧いのだからね。はははは」
「ああそう、女のほうが、男より嘘をつくの?」
と宮はうなずいて、源氏の言葉に笑いも反《はん》駁《ばく》もなさらない。機智や諧謔《かいぎゃく》を手玉にとって会話をたのしむ習慣は、宮にはおありにならぬようだった。
(朱《す》雀院《ざくいん》は、漢学などの、男の才学は劣っていられたが、風流にお嗜みふかく、情緒を解していられたはず。それなのに、なぜこうも物足らぬ姫宮に育てられたのか。ご秘蔵の内親王と聞いていたのに)
と源氏は失望して、残念な気がした。
だが、さればといって、宮がかわいくなくはない。素直で、頼りないさまが、また可愛くもあるのだった。
(昔の自分だったら、あき足りぬ思いをして、軽んじたろうが……)
と、源氏は思う。
若い男の心は、生まじめで、狭い。いろんなものの価値をみとめない。
しかし中年に達した源氏は、すでに、ものそれぞれ、ひとさまざまにつけて、長所があるものということを知っている。何につけても、いい所ばかり、わるい所ばかり、というのはない。
この宮なども、世間から想像すれば、申し分ない方にみえるだろうと、源氏は思ったりする。
それにつけても、紫の上こそ何という好もしい女性であろう。われながらよくもああ美《み》事《ごと》な女性に育てたことだ、などと源氏は思う。
いよいよ紫の上に対する愛は深まさり、一夜はなれていてさえ、気になってならなくなる。――こんな愛情は、もしや、紫の上を早く喪《うしな》う運命の前兆ではないかと、源氏は、不吉な思いに胸をしめつけられるほどだった。
朱雀院は、二月のうちに、御《み》寺《てら》に移られた。
そのころ、源氏に、しみじみとしたお便りがもたらされた。姫宮のことどもや、それから源氏が、院に遠慮することなく、思いのままに宮を教え育ててほしいと、お頼みになっている。今更のように、姫宮が子供っぽいのをあわれに思われるらしかった。
院からは紫の上にもお文があった。
「まだ心幼い人がおそばへ行って、さぞ気が利《き》かず、ぼんやりしていることでしょう。何ごとも大目にみて頂いてよろしくおねがいいたします。あなたと宮は従姉妹《いとこ》どうしの縁でもありますれば。
世を捨てた身が、この子ゆえに迷う心、おろかしゅう思われましょうが」
源氏は、院のお手紙をいたわしく思った。
「お気の毒だ。勿体《もったい》ないことだからお返事をさしあげなさい」
紫の上は、どういう返事をしていいのか、わからない。
しかし、風流めかしてこたえるべき場合ではない。まじめに、つつしんで書いた。
「さぞお気がかりであられましょう、お心のうちお察しいたします。ご出家のお身の上と申しましても親心に変りはありませぬ。宮さまのおんことも、強いてお忘れになろうとなさいますな。私も、及ぶかぎりのお世話はさせて頂いて、いつまでも仲よくして頂こうと思っております」
院の使者は手あつくもてなされ、紫の上の返事を携えて戻った。院は、紫の上の手蹟の美事なのをみて、こんなにすぐれた女人のそばでは、姫宮はさぞ見劣りしてみえるであろうと不安に思われた。
さて、院が山寺へ去られたので、寵妃《ちょうひ》たちもそれぞれ、別れ別れになられた。
その中に、かの朧月夜《おぼろづきよ》の女君がいた。
源氏は、忍んで手紙を書いた。彼女への思いはまだ、失《う》せていない。
朧月夜の尚侍《かん》の君は、亡き弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》が住んでいられた二條の邸《やしき》にひきこもっている。
朱雀院は、女三の宮のほかは、この女《ひと》のことが気がかりでいられた。尚侍の君は院のおあとを追って尼になりたいと思ったが、院は、
「何もそう、あわただしく世を捨てなくとも……」
と制止されたのだった。
朧月夜は、やがてそのうち、ひっそりと尼になろうと、その準備をはじめていた。
源氏は朧月夜に、いま一目、あいたくてならない。飽かぬ別れをして裂かれた恋は、まだ消えもやらず、しぶとく胸の底にくすぶりつづけていた。あの女《ひと》のために浮名を流し、醜聞は源氏の須磨流浪をもたらしたのである。
それを思えば、会うこともつつしまねばならないが、朱雀院も世を捨てられ、朧月夜は別れて独り身となったのだ。ひっそりと、しのびやかに暮らしている、と聞けば、源氏は見すごしにできない。
通りいっぺんの見舞いにことよせ、手紙を送った。
もはや、若者の恋ではなかった。朧月夜も中年を迎えて、あわれを知る年頃となっている。しみじみと返事を書いた。
その筆蹟に好もしい中年女の成熟がある。
匂やかに高雅でいながら、さだ《・・》すぎた女の美しい翳《かげ》りがまつわりついている。
源氏は恋心を抑えがたくて、昔の中納言の君のもとへ、ひそかに無理をいってやった。
「会わせよ」
というのである。中納言の君は、そのかみ、朧月夜と源氏の仲を取り持った女房だった。
その兄の、前《さき》の和泉《いずみ》の守《かみ》を召し寄せて源氏は青年の日に返ったように若々しい相談をするのだった。
「あの女《ひと》と、人伝《ひとづて》でなく話したいことがある。しかるべく申上げてくれないか。――ごく微《しの》行《び》で伺うから。もう夜あるきもできぬ私の身分だし、どんなことがあっても隠さねばならぬことだから、私とあの女《ひと》とのことは、夢にも人に洩らさない。全く、秘密のうちの再会なのだ。それをようくわかって頂いてくれ」
守《かみ》はそれを伝えた。
「とんでもないことだわ」
朧月夜は、はげしくいった。
「なぜ今ごろになって、お目にかからなくちゃいけないの? わたくしはもう、昔のわたくしではありません。少しは人生も見たわ。あのかたは単なる色好みの、うす情けのかたなのよ。わたくしに真実の愛を持って下すったのは院だけだった。ご出家なすった院の、あわれに悲しいお心を、わたくしは忘れられないわ。それなのに、なにを今さら、源氏の君とお話することがあるの? 世間の人に秘密にしても、自分の心に問うてみて恥ずかしいことだわ」
きっぱりと拒絶するのである。
源氏は、あきらめられない。
昔、あんなに情況のむつかしいときでも無理な首尾をして逢ったのだ。
どうしても朧月夜に逢いたい。
朱雀院には申しわけなく、うしろめたいが、もともと、院よりも早く自分とあの女《ひと》の関係ははじまっていたのだ。
(いまさら清いことをいう仲でもなかろう)
源氏は不敵に心を据えている。
紫の上には、
「東の院にいる末摘花《すえつむはな》がずっと病気でね。ここしばらく取りまぎれて見舞ってあげられなかったので行ってくるよ。昼は人目につくので、夜にちょっとのぞいてこよう。大げさになるから人にも言わないでいってくる」
と身支度をした。
(まあ……あそこへいらっしゃるのに入念な身づくろいなさるなんて、はじめてだわ。おかしいわ。……もしかしたら)
と紫の上は思い当ることがある。
しかし、彼女はこのごろは以前のようでなく、思うことをすぐ口にしたりしない。源氏にすこし隔てをもっていて、わざと気づかぬふりをしていた。
その日は源氏は、女三の宮の部屋へも行かず、手紙だけやった。衣裳に薫物《たきもの》の香をたきしめ、夜を待つ。
暮れてから、特に身近の者四、五人ばかりを供に、網代車《あじろぐるま》で出かけた。若い頃の夜々の忍びあるきを思い出させる車である。
朧月夜は、源氏が訪れたと聞くと、
「まあ。何ということ。わたくしの返事をどう申上げたの? お帰り頂きなさい」
と不機嫌に和泉の守を咎めた。
「せっかくおいでになったのでございますから、風情ありげにおもてなしをして、お帰り願われたらよろしゅうございましょう。いくら何でもすぐ追い帰すというのは失礼ですから……」
和泉の守は苦しく答弁して、無理に才覚し、源氏を案内した。
源氏は見舞いの挨拶《あいさつ》を人にとりつがせ、
「もうちょっとお近くへ。几帳《きちょう》越しでもよい。人づてでなく、お声が聞きたい。昔のような不《ふ》埒《らち》なけしからぬ心は、今の私にはゆめゆめ、ないのですから、そう警戒なさいますな。さあ、こちらへ」
強く源氏に言われて、朧月夜はしかたなくためいきつきつつ、いざり寄る気配である。
「昔と同じでいらっしゃるわ。……強引なところはそのままね……」
仄かに聞こえる声は怨《うら》みをふくんで、嘆きのためいきとも、かすかななつかしさともとれる。
「ああ、久しぶりのお声だなあ」
源氏は低くいう。彼の言葉のままに、嘆きながらも膝《ひざ》をすすめてくる朧月夜の、人なつこさ、気安さが、昔のままである。なつかしさが源氏の心に溢《あふ》れて堰《せき》が切れた。
「お顔が見たい。あいだの障子《しょうじ》(ふすま)をお開《あ》け下さい。掛金をおはずしなさい。子供っぽい仕打ちをなさる」
そこは東の対であった。辰《たつ》巳《み》(東南)の廂《ひさし》の間《ま》に源氏の座を設け、障子の裾《すそ》だけ掛金をかけてあるのだった。朧月夜は、その向うにいた。
「長の年月、あなたのことを忘れたことはなかった。あなたのために逆境に落されて、あなたのために世間から非難の石つぶてを受けたのに、あなたが忘れられなかった。そんな私を、なぜこうも疎々《うとうと》しくお扱いになる」
「お開けできませんわ、わたくしには。わたくしたちは今ではもう、何でもないのですもの」
「昔、あなたは」
「昔のことは忘れてしまいました」
夜は更《ふ》け、池の鴛鴦《おしどり》の声がものあわれにひびくばかりである。
しめっぽい邸のうちは人かげも少なく、さびれている。かの弘徽殿の大后が、ご威勢盛んだった頃のおもかげは、もうこの邸にはない。
移り変る世。
移り変る身の上。
「しかし、私の心は変っていない。この障子を、閉めたままで帰すつもりですか」
源氏は障子を引き開けようとする。
「とんだ逢坂《おうさか》の関だな。しかし、心は関でとどめることはできないよ。それは、あなたも知っているはず」
「いいえ。心も関所でとどめていますわ。わたくしたちの間はもう、みんな、ぷっつり切れたのですもの」
「心も涙も、堰《せ》きとめることはできないよ……」
源氏の声も朧月夜の声も、ひめやかに低くほとんどささやきにちかくなる。
源氏のいう通り、朧月夜は涙に白い頬を濡《ぬ》らしている。言葉では拒みながら、心も涙も言葉を裏切って、はかなく弱く、聞き分けなく、うなだれ、力を失ってゆく。自分との向う見ずな恋のために、源氏は都を追われ、辛《から》い目に会った。あのころの世のさわぎ、朱雀院の悲しみ。
なんという罪ふかい身であろうか。人の心を傷つけ、裏切り、それでも源氏と別れることができなかった、無分別な若い日の恋。
「そうですよ。……私とあなたは無分別に身を過《あやま》った。輝かしい、あやまちの季節を共有した。その共通の記憶を、忘れたとはいわせませんよ。二人の仲が切れるわけはないのだ。……わかりますか? もう一度だけ逢って下さい。もう一度だけ」
朧月夜は気強くふりすてることはできなかった。彼女は震える手で、掛金をはずしたのである。
「何年ぶりだろう……」
源氏は朧月夜を夜もすがら手離さない。
「いまはじめて逢う気がする……」
それは背徳の匂い濃い、成人《おとな》の恋である。
世間を憚らねばならぬ故に、いっそう愛執の強い、ひめやかな恋である。
愛の動作は言葉なく、声は音もない接吻《くちづけ》に封じられて、妖しい、淫《みだ》らな静けさだけがある。
朧月夜は、深い悔恨にしたたか鞭《むち》打たれて涙ぐんでいる。
その姿は、源氏には愛らしい。
昔の、若かったときのこの女《ひと》より、いまの陰影ふかい中年のこの女《ひと》のほうが、ずっと美しく、愛らしい。
恋の嘆きと悔恨に、心蝕《むしば》まれ、辛がっている、そんな女のすがたは美しい。
源氏は、彼女の黒髪を撫《な》でて、なぐさめの言葉を並べている。心ひかれ、あわれにもやさしい情趣に魅力を感じて。
(だめだ……とても、これ一度きり、というわけにいかない……)
と思う。
朧月夜は、昔から、意志強固という女人ではなかった。情にもろく、男に迫られるとあえかに崩れてしまう。それはいまも変らないが、さすがに、それに嘆きが加わって、躊躇《ちゅうちょ》し、なやみ、つれなくしつつ、やがて、あらがいがたく崩《くず》折《お》れてしまう、その風情が、源氏にはかぎりなくいとしく、好もしい。
「もう、手離せなくなった、あなたを」
と源氏は、朧月夜の耳にささやく。
夜は明けてゆく。
源氏は妻戸を排して、外へ出てみた。
朝靄《あさもや》のなかに、梢《こずえ》のうすい緑の木立がけぶり、美しい晩春の暁である。
美事な藤の花が咲いていた。そういえば、朧月夜の君の父大臣が、藤の宴を催したのはこの頃であったか。
「ああ美事だな、この藤の色は……」
源氏は、立ち去りがてに、心を朧月夜に残す。中門《ちゅうもん》の廊に車を寄せた供人《ともびと》は、遠慮がちに咳《せき》払いをして帰りを促していた。
源氏は寝乱れた姿でそっと朝帰りした。
待っていた紫の上は、
(やっぱりだわ……朧月夜の君と逢っていらしたにちがいない)
と悟ったが、気付かぬふりをして迎えた。
源氏は、嫉《しっ》妬《と》したりふくれ顔をみせたりしない紫の上に、何か落着かぬ心でいる。まだしも拗ねたり恨みごとをいわれたり、されるほうがいい。
自分を見放してしまって冷たくなったのかと、源氏はさまざまに紫の上の機嫌をとる。
そうして、この女《ひと》だけにはついに、言わでもの朧月夜との一件を白状してしまう。もっとも、
「物越しに、ちょっと逢っただけだ。……心のこりでねえ……どうかしてもう一度、人に見つからないように逢う方法はないかね」
と事実を半分隠して、うちあけるのである。
「ずいぶん若返られたのね」
紫の上は笑った。
「宮さまだけでなくて、昔のかたをまた加えられるなんて。わたくしはいよいよ、霞《かす》んでしまいますわね……」
彼女は物思わしげに、しおれた花のごとく面《おもて》が曇ってゆく。源氏はあわてた。
「そんなことはないよ。あなたがいればこそ、だよ。そう沈んでしまわれると私が辛い。以前のように、率直になって、つねるなり、引っ掻《か》くなり、して怒ってほしいよ。そのほうがたすかるよ。奥歯に物が挟《はさ》まったように隔てのある様子をみせられては、私は悲しくなる。そんな冷たいひとには育てなかったつもりなのに、気むずかしい気立てになってしまったね」
「あなたのせいよ。わたくしがこうなってしまったのは。隔てのあるのは、あなたじゃありませんか」
「私がいつ」
「朧月夜の君と、物越しにちょっと逢っただけ、なんて……。嘘でしょう? ほんとうにお逢いになったのでしょう?……お二人を堰きとめる逢坂の関の戸は、開いたはずだわ」
「すまない」
源氏は、紫の上の俊敏な明察の前には、あれこれ弁解を弄《ろう》することができない。
男らしく、あやまるほかない。
「昔の、あの頃と同じように藤の花が盛りに咲いていた……」
源氏は、ほかの人間には口が裂けてもいえない恋の秘めごとを、紫の上には自然に洩らしてしまう。最愛の彼女はまた、おのが分身であるような気もされて。
紫の上には、そのかみの、朧月夜との忍んだ恋愛も、みなうちあけてある。
朧月夜の君が朱雀院の寵妃であったころ、道ならぬ恋に、源氏が身を焦がし、人目をかすめて忍び逢ったこと。弘徽殿の大后にかくれてその邸に忍び、朧月夜と逢っている最中、父大臣に見《み》咎《とが》められたこと。
それらを紫の上に物語っていた。
だから紫の上にも、久しぶりに年経て再会した古い恋人同士が、どちらからともなく、雪が日に溶けるように心が溶けてゆく、そのさまが想像できた。
「あの女《ひと》は、それに、やわやわとした心の女《ひと》でね……ついに拒み通す、というところはない。朝顔の宮とはちがう」
「そのやさしさが、あなたには魅力なのでしょう?」
「お見通しの通りだよ」
と源氏は紫の上にかぶとをぬぐ。思えばふしぎな二人の仲である。源氏の恋を、二人して話題にすることができるのだった。何もかもうちあけてしまうことになり、かえってそのことが紫の上の機嫌を直すことになるらしいのを、源氏は察知していた。
紫の上に、源氏は甘えているのかもしれない。
そうやって、なだめたりすかしたり、こちらが甘えたりしているので、源氏は紫の上のそばを離れることはできない。三の宮のところへ行く気はしなかった。
宮ご自身は何とも思っていられないが、おそばの女房や乳母《めのと》たちが気にしているようである。
もし宮が、気むずかしい方なら源氏も苦労しただろうが、宮は子供っぽく、無心にしていられるばかりである。
源氏はそんな宮が可愛くて、これはこれで、可愛い玩具《おもちゃ》のように思っている。
東宮の女御《にょうご》になられた明《あか》石《し》の姫君は、東宮から宿下《やどさが》りのお許しが出ないので、ずっと実家へ帰っていらっしゃれない。
今までのんびりと暮らしていられた若い方だけに、気骨の折れる内裏《うち》住まいを、苦痛に感じていられた。
ことに夏はご気分がすぐれないのに、ずっと引きとめられていられたので、
「ひどいわ……」
と東宮を怨んでいられた。
ご気分のすぐれないのは実は、ご懐妊だったのである。
まだひよわなお体、いたいけなお年頃なのであるから、周囲はみなたいそう心配した。
やっとのことで東宮から退出のお許しが出、実家の六條院に宿下りなさる。
女御のお部屋は、宮の御殿の東向きに設けられることになった。明石の上は、いまはずっと女御につき添うて御所を出入りしている。人々は、明石の上を、幸運の星の下に生まれた人だと言いあうのであった。
紫の上は、宿下りしてこられた女御に逢うついでに、宮にも逢いたいと思った。
「同じ御殿ですから、中の戸を開けてご挨拶にうかがいたいわ。これまでもそうしたかったんですけれど、いい折りがなくて。ちょうどいい機会ですから、お目にかかってお近づきになりたいわ、宮さまに」
と源氏にいった。
「それはいい。願ってもないよ」
源氏は嬉しかった。
「宮は子供っぽい方でね。あなたから何かと教えてあげてほしいな」
源氏は紫の上がそういうのを、自分に対する愛のように聞いた。
宮のお部屋へゆき、さっそく、そのことを伝えるのだった。
「夕方に、あちらの対《たい》にいる女《ひと》が、女御に逢うついでに、こちらへ伺ってお近づきになりたいといっていますよ。逢ってやって下さい。気立てのよいひとですよ。気分も若々しいので、お遊び相手にもちょうどよいと思う」
源氏がいうと、三の宮は、
「はずかしいわ……なにをお話すればいいのでしょう」
と、おっとりと言われる。
「人との応対は、そのときそのときで出てくるものですよ。思った通り、素直におっしゃればよい。あちらの女《ひと》はやさしい素直な性格だから、あなたも隔てをおかず、うちとけられたほうがよい。緊張なさることはなんにもありませんよ。お姉さまにでも、ものいうつもりでいられればよい」
源氏はていねいに、こまごまと教える。この宮には、何ごとでも、わかりきったことにしろ、噛《か》んでふくめるように、こまごまと言ってさしあげないと、理解できないのだった。
こういう子供っぽい、あどけない三の宮のご様子を、紫の上に見あらわされるのも恥ずかしく、きまりわるくも思われるが、しかしせっかく紫の上が、「仲よくなりたい」といってくれるのを拒絶するのも穏当でない、と源氏は思った。
紫の上は、自分からそう申し出たものの、やはり、物思いに捉われてしまう。
自分は源氏にとって最愛の妻であるべきはずではないか。源氏は幾度もそれを誓い、自分もそう信じてきた。それなのに、なぜ今になって、自分より身分の高い、世間にも重んじられる貴い姫宮が、新しく本妻として据えられるのか。自分の欠点といえば、幼いころから源氏に養われ、いつとなく妻になって、世間なみの派手な結婚式をしてくれる、しっかりした親許《おやもと》がなかった、そのことだけではないか……。
紫の上にも、女らしい嫉妬や見栄《みえ》があるのだった。そう思いつづけると、おのずと、愁わしい色が、顔にも現われるが紫の上はそれを、おもてに出すまいと、注意ぶかく気をつけていた。
源氏は敏感にそれを察している。
そのたびに源氏は、言葉をつくして紫の上に誓う。
「あなただけを愛している。昔から私の心は変らない」
と。
それは事実であった。源氏は、女三の宮や女御など、さまざまとりどりに、若く美しい女人を見たあとでも、なお美しく見えるのは紫の上であった。
長年、身近に暮らし、馴れきったはずの女《ひと》が、なおたぐいなく、目ざめるばかり美しく思われる。
気品高く、華やかになまめいて、女ざかりの美しさはいまが絶頂である。去年より今年はまさり、昨日より今日は珍しく、たえず新鮮な感動を強いられる。
(どうしてこう、魅力的なのか)
と源氏は、紫の上を見賞《みめ》でて、飽かない。
かくも愛する女人《ひと》がいながら、それとこれとは別の次元で、源氏は朧月夜の君のことを考えている。
今夜は、紫の上と三の宮が逢うとすれば、源氏には時間が出来るわけである。無理算段をして、二條の、朧月夜の邸へ忍んでゆく。
あるまじきことと自制しても、どうにもできない。こまった男心である。
女御は、実母の明石の上よりも、紫の上に親しみ、頼りにしていられる。
愛らしい姫であられたが、東宮とご結婚なさってからは、おとなびて女らしくなられたのを、紫の上はしみじみ可愛くお見上げする。積もる話をなつかしく交してから、紫の上は、宮のお部屋へうかがった。
かねて想像していたより宮は、他愛なく、お人形のようでいられる。
紫の上は、まるで姉か母親になったような気がして、お可愛く思った。
「はじめてお目にかかる気がいたしませんわ。宮さまとわたくしは恐れ多うございますが、従姉妹《いとこ》なのですもの。早くこうしてお目にかかりとうございましたけれど、いい折りがなくてご遠慮申しあげておりましたの。今日からは仲よくして下さいまし。宮さまは、何がお好きでいらっしゃいますか?」
「そうねえ。何かしら……」
と宮はあどけなく、あたまを傾《かし》げられる。
紫の上はそのさまに、微笑しつつ、
「絵などお好きではございません? わたくし、宮さまのお年頃には、絵物語など大好きで、毎日眺めておりました。それにままごとのお人形も、そんな年をして、と人に笑われながらいつまでも捨てかねて……」
「ええそう。わたくしも、よ!」
宮は嬉しそうに応じられる。宮は、
(殿がおっしゃったように、ほんとうにこのかたはお姉さまのようにやさしいかた!)
と、幼いお心に、うちとけられるのであった。
十月に紫の上は、源氏の四十の賀《が》を催すことにした。
嵯峨野《さがの》の御《み》堂《どう》で薬師仏の供養をし、精進落《しょうじんおと》しを二條院で行なうのである。
「目立たぬようにしておくれ。仰々しい、儀式張ったことはもう、肩が凝《こ》る」
と源氏がいうので、紫の上はしのびやかに行なうことにした。
源氏の無病息災を祈る供養である。仏像のお飾り、仏具など美々しく、まるで極楽を見るかのようだった。最勝王経《さいしょうおうきょう》、金剛般若《こんごうはんにゃ》、寿《ず》命経《みょうきょう》など、堂々とした祈《き》祷《とう》である。
上達《かんだち》部《め》がたくさん参りつどうた。
嵯峨野の秋はあわれふかい。紅葉《もみじ》の林に入り、また紅葉にかくれ、霜枯れの野をゆく馬や車が、引きもきらず行き交《こ》うた。
僧への布施など、六條院の女君たちはわれもわれもと、立派にした。
精進落しは二十三日であった。紫の上は、六條院はたくさんの人々で手狭なので、二條院ですることにした。彼女は、六條院よりも、少女の日から長く住んだ二條院こそ、自分の住居のような気がしている。
その日の装束のことなども、みな紫の上がするのであったが、六條院の夫人たちも伝え聞いて、
「お手伝いさせて下さいませ。分担して用意させて頂きとうございますわ」
と申し出た。
寝殿の放出《はなちで》に、賀宴のしつらいをして、螺《ら》鈿《でん》の倚子《いし》をたて、源氏の席を設ける。
西の間には装束をのせた机がずらりと十二並び、それらには紫の綾《あや》の覆《おお》いがきちんとかけられてある。
源氏の前の席に置物の机二つ、これには丁《ちょう》字《じ》染《ぞ》めの裾《すそ》濃《ご》の覆いがしてある。挿頭《かざし》の台は、沈《じん》の香木の華《け》足《そく》に、黄金の鳥が銀の枝にとまっている趣向で、これは明石の女御が贈られたものである。女御には、かの趣味ゆたかな明石の上がおつきしているので、さすがに洗練されたものだった。
席のうしろの屏風《びょうぶ》は、紫の上の父君・式部卿の宮の調進されたもの、美事な山水の景色である。飾り物をのせた御厨子《みずし》ふたそろい、調度装飾はかぎりなく美々しく、上達部、左右大臣、式部卿の宮以下、高位顕官の人々はのこらず参列する。
舞楽の舞台が設けられてあって、楽人《がくにん》の幕舎がたてられ、東西に祝儀《しゅうぎ》の品々が積まれてある。屯食《とんじき》(まるい握りめしである)八十人分、引出物を入れた唐櫃《からびつ》四十、ずらりと並んでいるのであった。
未《ひつじ》の刻(午後二時ごろ)、楽人が来た。万《まん》歳楽《ざいらく》、皇ー《おうじょう》などという舞曲を舞って、日も暮れかかるほどに、高麗《こま》楽《がく》の乱声《らんじょう》の笛に合わせ、落蹲《らくそん》という舞がある。
平素は見られぬ珍しい舞なので、舞い終ったころ、権《ごんの》中納言・夕霧と、衛《え》門督《もんのかみ》・柏木《かしわぎ》の二人の貴公子が興に乗って庭に下り、ひとさし舞って、紅葉のかげにかくれた。
いずれ劣らぬ名門の美青年たちの、散りかかる紅葉を身に浴びながら、仄《ほの》かに舞う姿のあでやかさは、いつまでも人々の瞼《まぶた》に残った。
「おお、そういえば……」
と感興に酔った人々は、ささやき交すのだった。
「昔、桐壺の帝の紅葉の宴の折り、お若かった源氏の君と、その頃の頭《とう》の中将が舞われましたな」
「それよ。そのままに、ご子息たちが立派になられて、お二人で舞われるとはめでたい」
「お年も、それぞれ、あのころと同じほどですが、官位は父君たちより進んでいられる」
「ご果報なご両家よ」
源氏も夕霧と柏木に、おのが青年時代を見る心地がして、感慨があった。それにしてもなんと、青春の時のすぎゆくのは早いことか。
今日の紅葉もあのときの紅葉もかわらぬものを、いまは早や、わが身は四十を数えたのだ。
夜に入って楽人は退出した。紫の上付きの執事が、部下に指図して祝儀の唐櫃から衣裳《いしょう》を一つずつ与えてゆく。白い衣を頂いて肩にかけた人々が、築山をめぐって池の堤を過ぎるさまはまるで鶴が舞いめぐるようにみえた。
夜は、音楽の遊びになる。楽器は、東宮が調えられた。
源氏には、みな、なつかしい楽器であった。
朱雀院から東宮に譲られた琵琶《びわ》・琴《きん》、今の帝から賜わった箏《そう》の琴《こと》、みな源氏には思い出がある。
それらを弾きすさぶと、なつかしい音色が流れる。その音色は、昔の恋、昔の悲しみを呼びさます――藤壺の中宮がいまもおわしましたならば、自分はどんなに心から喜んで、このような御賀を仕えまつることか。ご在世中に、何一つ自分の献身をお知らせすることができなかった、何かにつけ人目を恐れ、人の耳をはばかって、ついに飽かぬ別れとなってしまった――源氏はいつまでたっても恨めしく、あきらめきれない。
帝も、そのお恨みがおありであった。
母宮が早逝《そうせい》されて、何ごとも張り合いなく淋しく思っていられる。それにつけても、源氏を実父として待遇し、ご孝養を尽くせないことを残念に思《おぼ》し召すのであった。
四十の賀にかこつけて、六條院へ行幸なさりたいお気持がおありだったが、「世間のわずらいになることは遊ばしますな」と源氏が辞退したので、帝は心残りながら思い止《とど》まられた。
十二月の二十日過ぎ、中宮が御所から退出されて、源氏四十の賀の、今年最後の御祈願をされる。奈良の七大寺に御《み》読経《どきょう》のお布施として白布四千反、京に近い四十の寺に、絹四百疋《ぴき》を分けて納められた。
源氏の行き届いた後見や庇護《ひご》に、中宮は深い感謝の念を持っていられる。盛大に御賀を催したく思われるのだが、源氏が切におことわりして、
「先例によりますと、四十の賀のあと、長生きしている人は少のうございます。このたびは内輪にして頂いて、五十の賀のときにお祝い下さい」
といった。
しかし、やはり中宮のご身分柄、御祈願の催しも、たいそういかめしいものになった。
参りつどう高官たちへの禄《ろく》も、それぞれ美事なものであったが、ことにすばらしいのは源氏に中宮から贈られた装束である。
贅沢《ぜいたく》で美しいもので、とりわけ珍重すべき宝物が添えられていた。
世にも名高い石帯《せきたい》(正装のときの飾り帯)と、佩刀《はいとう》である。これらは中宮の亡き父君、前《さきの》皇太子のお持ちになった名品であった。それらが御女《むすめ》の中宮に伝わり、さらに源氏に贈られたのもあわれ深いことであった。
帝はせっかく思し召したたれた源氏の賀を、そのまま中止するのはやはり残念な、と、夕霧に命じて行なわせられることになった。
ちょうどそのころ、病で辞した右大将がいたので、夕霧の中納言を昇進させて据えられた。源氏の賀に、喜びを更に加えようと思し召されてのことである。
「身にあまる喜びながら、当人では早すぎる気がします」
と源氏は謙遜《けんそん》した。
勅命とあって、こんどの祝賀こそ、派手やかな、しかも重々しいものになるのはどうしようもなかった。
六條院の東北の建物が儀式の場所となった。
帝の仰せで太政大臣も出席した。いまはこの大臣も堂々として清らかに、ものものしく太って、さかりの貫禄《かんろく》にみえる。源氏のほうはいまなお、青年時代の美しさをとどめて、若々しい風姿である。
帝が主催される祝賀の宴とあって饗応《きょうおう》の品々は御所から運ばれる。主上ご自身お書きになった屏風《びょうぶ》、調度や楽器などは、蔵人所《くろうどどころ》から賜わった。
夕霧の大将の威勢もいかめしくなり増さっていることとて、今日の宴はいっそう盛大になった。帝より賜わった四十匹の馬を、左右の馬寮《うまつかさ》、六衛府の官人が上位の者から次々、庭に引き出して並べる。目を奪う壮観さである。
そのころにはもう日が暮れ果てていた。
暮れれば、万歳楽《まんざいらく》、賀《が》皇恩《おうおん》などという舞が行なわれ、音楽のあそびがある。
今日は太政大臣も出席しているので、人々は栄《は》えに思って、心こめて演奏するのであった。兵部卿の宮は琵琶《びわ》、源氏は琴《きん》、太政大臣は和《わ》琴《ごん》を弾いた。
しばらく源氏は、この大臣の琴の音色を聞いていないせいか、たとえようなく美事に、あわれに聞こえる。源氏も技《わざ》をつくして競った。
「昔に返ったようですな」
「あのころから二十なん年たったとは思えませぬな」
盃がめぐり、楽の音《ね》に面白さを添え、やがて昔話にふと、まぶたをあつくしたりして夜のふけるのも忘れる。源氏は、長いつきあいの親友に、感慨無量の盃をさす。人生の中途で、時に挑《いど》みあい、対立もしあったけれど、いま、それぞれの息子と娘が結婚して、かたみに二重三重の縁で結ばれることになった。
思えばなつかしくも、奇《く》しき交友である。
「いや、今日はよい賀宴であった。――帝もさぞお喜びになられましょう」
大臣も満足して辞去した。源氏は贈り物として、すぐれた和琴一つ、気に入りの高麗《こま》笛《ぶえ》を添え、更に紫《し》檀《たん》の箱の一対《つい》に、本を入れて大臣の車に追いかけて贈った。
六衛府の官人の祝儀は、夕霧の大将が与えた。
源氏は、息子としては夕霧ひとりで心もとなく思っていたが、いまや夕霧も押しも押されもせぬ公達《きんだち》で、世間の信望もあつく、充分、国家の柱石たるにふさわしい人柄となった。
早くに亡くなった葵《あおい》の上と、六條御息所《みやすんどころ》のことなど源氏は思い出すにつけ、さまざまな思いに打たれる。
この日の大将の装束は、花散里《はなちるさと》がひきうけたのだった。ほかの人への禄などは、大将の、三條の北の方、雲井雁《くもいのかり》が用意した。
花散里は「夕霧の母代りとなったおかげで、晴れがましい交わりをさせて頂けた」とつつましいこの女《ひと》らしく、身の栄えを喜んだ。
源氏の四十歳の年は、賀宴に明け、賀宴に暮れた。
新年になった。
東宮の女御の御産が近づいたので、六條院では正月から、安産の読経が絶えまなく行なわれている。寺々や神社にも数知れぬ祈祷をさせている。
源氏は、葵の上が、夕霧を出産して亡くなったのを見ているので怖くてならない。紫の上に子供の出来なかったのを残念に思っていたが、一面、愛する女《ひと》をそんな怖い目にあわせなくてすんだことで嬉しく思うくらいだった。
女御はいたいたしいほどひよわなお年頃なので、源氏は心配でたまらなかった。二月に入ってご様子が変り、お苦しみになる。そこで明石の上の御殿にお移しした。
安産祈祷の読経が遠くで聞こえるお部屋で、悩ましげに臥《ふ》していられた女御は、ふと、人の気配にあたまをもたげられた。
いつのまに来たのか、老い呆《ほう》けた尼君が、影のように坐っている。女御は「あっ」とおどろかれた。
「お驚きなさいますな。私は、あなたさまの祖母《ばば》でございますよ。……」
老いた尼君は、満面に笑みをたたえながらにじり寄った。
その姿は小さく、清《せい》楚《そ》であるが、何しろ、女御の君は、身近にはじめてご覧になった尼なので、無意識にうしろへ退《すさ》ろうとなさるのである。
「なんとお綺《き》麗《れい》に、ご立派になられましたこと。……ちい姫とお呼びしていたころのおもかげは、どこにもみえませぬな。それでも争われぬもの、あなたさまは、母君の若いころにそっくりでいらっしゃいますよ」
尼君は、ほたほた、と笑みまけて、女御を見上げつつ、涙ぐむのであった。
(ちい姫?……)
女御はふっと、失われた記憶が心のどこかによみがえり、色をとり戻してゆく気がされた。
(ちい姫……。どこかで、聞いたことのある言葉)
「あなたさまのことを、そうお呼びしておりましたよ……よもやおぼえておいでにはなりますまいねえ。お年が三つのがんぜない頃でいらっしゃいました。明石から京へお連れしたのでございますよ」
「明石から?……」
と女御はつぶやかれた。
女御はご自分の生いたちについて、何もご存じなかった。紫の上の手もとで育てられ、そのまま東宮妃として、御所の内ふかくはいってしまわれ、何も聞かされず、知らされない人生を過ごしてこられた。
ただ、東宮とご結婚後は、おそばに明石の上がずっとおつきしている。その人がどうやら、実の母らしい、その人は「明石の上」と呼ばれるところを見ると、明石からきた人らしい、ということは薄々、気付いていらしたものの……。
嗜《たしな》みある女人として、女御はそういうことを根掘り葉掘り探ろうとはされなかった。いつか知らせられる時もあるだろう、大人たちのあいだに、何か事情があるらしいと、さかしく感じていられたのである。
尼君は喜びのあまり語りつづけた。
父君たる源氏の院が、明石の浦においでになったころのこと。母君とのめぐりあい、それにつづくちい姫誕生の喜び……。
やがてその喜びがかえって悲しみとなってしまったかのような、源氏の君の帰京。
「もうこのまま、縁が絶えるのか、これを限りの契りであったかと、誰もかれも嘆きました。それをちい姫のご縁で、また都へ呼び戻して頂くことができたのでございます。対《たい》の上(紫の上)に、あなたさまをお渡しした日、まあどんなに、母君も私も泣きましたことか。これでよいのだ、これでちい姫のご運が開けるのだと、思いながらつい、あなたさまが恋しくて……」
尼君は、ほろほろと涙をこぼしながらも、それは嬉し泣きである。
「それがいまやっと、お姿を拝めました。ご立派になられて、そしてこのたびのおめでたも、きっとご安産でございましょう。明石におります法師も、心こめてお祈りしておりますほどに。はい、入道はあなたさまの祖父《じじ》でございますよ」
尼君は更に語った。
明石から都へと船出する朝、三つになるちい姫が何にもわからず、無邪気にはしゃいで、
「おじいちゃま、おじいちゃま」
とまつわりつくのに、入道は泣きながら、
〈行く先をはるかに祈る別れ路に 堪へぬは老いの涙なりけり〉
とつぶやいていたこと……。
女御は思わず、美しいお指で涙を払われた。
「お話をうかがって、よかったと思います」
女御は、やさしく尼君に言われるのだった。
「もし、あなたがおっしゃって下さらなかったならば、いつまでも知らないままで過ごしたことでしょう……そうですか。わたくしは、明石で生まれたのですか……そして、かの地に、わたくしのおじいさまはまだ独りでとどまって、わたくしの幸せを祈りつづけていてくれる、というのですか……」
女御はしみじみした思いに浸っていられる。
自分は本当は、都に遠い鄙《ひな》に生まれて、いまのように東宮妃という晴れがましい身分になれる運命ではなかったのだ……。
紫の上が自分の子としてやさしくいつくしみ、大切に育てて下さったおかげで、尊い身分に磨かれて、人から一目《いちもく》おかれるようになったのだ……。
自分は御所へ上って時めいていたので、ほかの女君たちに、いつとなく心傲《おご》りしていたが、何というあさはかなことであったろう。事情を知る人たちは陰で何と噂《うわさ》していたことであろう。
女御は、そう反省された。
生みの母君を、家柄の低い家の人らしい、と推察されていたが、ご自分がそんな片《かた》田舎《いなか》に生まれられたとは、つゆ思いもかけぬことであられた。
あれこれ、思い乱れていられるところへ、明石の上が来た。
「まあ。こんなところに」
あたりに女房もいず、尼君が得々としておそばについて何かお話しているのを見て、明石の上は、はっとした。見れば、尼君も瞼《まぶた》を濡《ぬ》らし、女御も、物思いに沈んでいられるさまではないか。
「短い几帳でもお体を隠していられればよいのに。風が吹いたら向うから見えてしまいますよ。そんなお姿でおそばにいてはみっともないですわ」
と尼君をたしなめたが、耳もすこし遠くなっている尼君は、
「いいのですよ、いつかはお耳に、と思っていたのだもの」
と勝手な返事をしている。
「昔のことでも申しあげましたか? 年寄りはうろおぼえの昔話などいたしますから、妙なことも出て来ましたでしょうねえ。夢のように思われましたか」
と明石の上は微笑して、女御を見あげた。
女御は上品であでやかに、しかも、思いがけぬ話を聞かれたばかりなので、しっとりと沈んでいらっしゃる。明石の上は心を痛めた。
(ご出生のころのことなどお聞きになって衝撃だったのかしら。后《きさき》の位にお立ちになった時にでも、改めてお話ししようと思っていたのに……。お気の毒に、気おくれなどなさらなければいいけれど)
加持《かじ》の僧たちが祈祷を終って退出すると、明石の上は果物などを女御にさしあげ、
「こんなものでもすこし、お召し上りなさいませ」
といたいたしく思ってすすめるのであった。
愁わしげに瞼を薄紅に染めていらっしゃる若い女御のお姿は、みとれるばかり美しい。
尼君はただもうお可愛くてお可愛くて、口元は笑みほころびながら、眼は涙でしぐれてゆく。
「年寄りは涙もろいものでございましてね。でも、年に免じてお許し下さいませ」
と尼君はいいつつ泣いた。
「わたくしの生まれたところへ、行ってみたいと思います。いつか、おばあさまとご一緒にいってみたいものですわ……」
女御は、記憶の中に残っていないふるさとを思いやるようにつぶやかれる。
「そのお心は、きっと明石のおじいちゃまにも、とどいていることでございましょう」
明石の上はそういった。祖母、母、娘と三代の女人が、はじめて心ひとつに溶けあった気がされた。
しかし女御は、生まれ故郷のことを夢の中でさえ見ることがないのを、もどかしく切なく思われるのであった。
三月十日過ぎ、女御は御安産なさった。かねてたいへんな心配で、大げさな加持祈祷をしていたが、思いのほかやすやすと、しかも男御子《おとこみこ》でさえいられたので、いうことはなかった。
源氏も、やっと安《あん》堵《ど》した。
明石の上の住居《すまい》であるこちらの御殿は、盛大な儀式を行なうにはちょっと引っこみすぎなので、やがてもと通りの南の寝殿に移られる。
紫の上も、こちらへ来た。
お産の時の作法通り、白い衣裳を着《つ》けてまるで母親のような顔で、若宮をしっかり、お抱きしている。そのさまは、美しかった。
自分は子を持ったこともないし、人のお産にも立ち会ったことがないので、紫の上は、生まれたばかりのみどり児を、はじめて見たわけである。彼女は珍しくって可愛くってたまらなかった。
まだ首も据わらず、抱きにくい若宮を、彼女はずうっと抱いて世話をしているので、明石の上は、若宮を任せていた。そうして、女御のお世話をする。
お生まれになって六日め、南の寝殿に移られた。七日の夜には、主上から御産養《おんうぶやしな》いがあった。次々の親王や大臣からのお祝いの美事さはいうまでもなかろう。
源氏も、いつもは、
「控えめに、簡略に」
と口ぐせのようにいう行事を、このときばかりは派手に行なったので、そのにぎわしさは世にひびくばかりであった。
源氏は若宮を抱きあげて、
「夕霧は、何人も子供をもうけていながら、まだ見せてくれないのが恨めしかったが、こんなに可愛らしい若宮を授けて頂いた」
と喜んだ。
乳母《めのと》も気心しれた人をえらび、日々、ものを引きのばすようにいつくしんで、お育てしている。
紫の上も、新しい生き甲斐《がい》ができたように心に張りを持った。いまは若宮を中に、紫の上と明石の上は、こよない親しい友となった。
明石の上の人柄を、ほめない者はない。上品で控え目で、かりにも女御の実母と驕《おご》りたかぶる所はなく、それでいて、誇りたかい、りっぱな取りなしである。
いっときは、あれほど意識して、許せないもののように思っていた明石の上であるが、いまは紫の上にとっては、むつまじい友となった。
若宮を中に、二人の笑い声が聞かれるようになった。
明石の上も、紫の上の人柄をますます好もしく思った。紫の上は子供好きで、お守りの天児《あまがつ》なども自身で作り、若宮の世話にかまけて日を過ごしている。
尼君は、ゆっくり若宮を拝見できなかったのが、残念でたまらなかった。六條院では、若宮を中心に一日じゅう、喜ばしげな笑い声で満ちた。
さて、明石の浦にも、このおめでたの話は風のまにまに伝わった。
「終った。――わしのかけた願《がん》は、これですべて果された」
明石の入道はそう思った。
彼は家を寺にし、財産はあげてその寺の寺領とし、自身は人も通わぬ深い山へはいってあとをくらまそうと決心した。
明石の入道は、都の女御のことだけが気にかかっていたのであるが、東宮と結婚され、若宮もご誕生になったと聞くと、もう、思いのこすことは何もなかった。
近年になっては、とりたてて変ったことがなければ京へ使いもやっていない。
ただ、京から来る使いにことづけて、尼君へ、一行ばかりの便りをするのみであった。
しかし、いよいよこの世を捨て、深山に隠れ籠《こも》って跡を絶とうという際《きわ》になって、娘の明石の上に、はじめてしみじみした長い手紙を書いたのである。
「この年来、あなたは京に、私は明石に棲《す》み、まるで別世界のように暮らしてきましたが、格別のこともない限りお便りもせず、また手紙を書いてほしいという気もおこりませなんだ。仮名《かな》の手紙は見るのも時間がかかり、念仏申す障《さわ》りになるようで無駄なことに思われましてな。
人づてに承れば、ちい姫は春宮《とうぐう》の女御となられ、男御子がお生まれになったよし、深くお喜び申上げます。
これは何も、こんな片田舎の貧僧が一身の栄華を願うからではありません。あなたにかけた願が果されたことで、深く感動しているのです。
私は過去の長いあいだ、俗界に未練がましく執着して、六時の読経勤行《ごんぎょう》にも、ただただあなたのことばかり心にかけてお祈りしてきました。自身が極楽に生まれるよりも、あなたの幸福を願ってきたのです。
娘よ。あなたが生まれた年の二月のある夜、私はこんな夢を見ました。
私が須《しゅ》弥《み》山《せん》を右の手に捧《ささ》げていると、山の左右から日月の光がさやかにさし出して世を照らした。しかし私は山の下陰に隠れて、その光には当らないのです。そして須弥山を広い海に泛《うか》べ、自分は小さい舟に乗って西の方へ漕《こ》ぎ去ってゆく……そんな夢でした。
私はその夢をみてから、急に、数ならぬ身に希望を抱きはじめました。何か大きな、たぐい稀《まれ》な幸運が私を待っているにちがいない。そう思ったのです。しかしそんな幸運がどうやって私の上に訪れてくるのか、よくわかりませんでした。
そのころ、あなたが生まれた。それで私は思い合わせることがありました。仏典やらそのほかの書物を読んでも、夢を信じてもよいように思われる。私は賤《いや》しいわが家に、夢のお告げの子が生まれたと思って、大切にかしずき育ててきました。
しかし京にいてははかばかしくないので、官位を捨てて播磨《はりま》の国に下り、二度と都へは帰るまいと思い、この地で生活をたてることにしました。あなただけを、ただただ、頼りとして、心一つに多くの願を立てたのです。
その願は果されました。あなたのお生みしたちい姫は、やがては国母とおなりになるでありましょう。その暁こそ、住吉の御社《みやしろ》はじめ、ほかの神仏にお礼まいりをなさいませ。
あの夢は、正夢《まさゆめ》だったのです。
されば、この身もはるか西方、十万億土のかなたの極楽に生まれる望みは、疑えぬところとなりました。お迎えのくるのを待つあいだ、その夕暮まで、水や草の清らかな深山に入って勤行しようと決心しております。
〈光出でむ暁近くなりにけり 今ぞ見し世の 夢がたりする〉」
入道は、それに月日を書きつけて更に、
「私の命日だの葬儀だのと、よけいな心配はなさるな。喪服なんかお召しになることはない。あなたは、自身で、神仏の生まれかわりとお思いになって、この老法師のために冥福《めいふく》をお祈り下さい。現世の楽しみにつけても後《ご》世《せ》のことをお忘れなさるなよ。極楽でまた、親子がめぐり逢える日を楽しみにいたしましょうぞ」
と書き、住吉の社に毎年たてた願文《がんもん》などをすっかりまとめて大きな沈《じん》の文《ふ》箱《ばこ》に封じこめ、娘の明石の上に送った。
尼君にはくわしくは書かず、ただ、
「この月の十四日に、草庵《そうあん》を捨てて深山に入ります。生きて甲斐ない身を熊狼《くまおおかみ》の餌にでも施そうと思います。
あなたは長生きして、若宮のご即位の日まで見とどけて下さい。極楽浄土で、またお会いしましょう」
とだけ、あった。
尼君はこの手紙を見て、使いの僧に、事情を聞いた。
「このお手紙を書かれて三日めに、入道は人《じん》跡《せき》絶えた山の奥へ移られました」
使いの僧は悲しげであった。
「私どももお見送りに麓《ふもと》までまいりましたが、僧一人、童《わらわ》二人だけを供に連れて、あとの者はお供がかないませんでした。ご出家なさったときも悲しく思いましたが、まだ悲しい別れが残っていたわけでございます。
ふだん折々にかき鳴らしていられた琴《きん》の琴《こと》と琵琶を、ひとしきり弾かれて仏においとま乞いをされ、御《み》堂《どう》に楽器は寄進なさいました。お弟子ども六十何人、親しい者ばかりがお付きしておりましたが、それぞれ応分に形見わけなさいまして、残ったものは京の方々の分としてお送りなさいました。
そうして今はこれまでと、深い山に行方《ゆくえ》知れずに入られたのでございます。はるかな雲かすみに紛れてお姿も見えなくなってしまいました。お見送りの者どもはみな、悲しくて泣きました」
この僧は、幼い頃、入道について一緒に京から下った人であった。今は老《おい》法師となって明石にとどまっているが、入道に別れて心細がっている。まして尼君の悲しみは限りなかった。
明石の上は入道の便りがあったと聞いて、そっと尼君のもとへ来た。そうして灯を近く寄せて入道の便りを読むうち、涙があふれてきてとまらなかった。
とうとう父君と逢えないままで終ってしまったかと思うと心のこりで、今更ながら父恋しく、涙がこみあげてくる。
はじめて知る夢の話である。
ひとときは、父君の独断的な考えで、身分ちがいの源氏の君などに縁付かせられ、しなくてもよい苦労をさせられたと怨んだこともあったが、それも実は、こんなはかない夢に頼みをかけて望みを高くもっていられたせいかと、思い合わせられたのであった。
尼君の悲しみは、俗世の夫婦であっただけに、またひとしおである。
「あなたのおかげで、身の栄えも幸せも人一倍だったけれど、悲しさも人に増して味わうことになるのねえ。年老いてこその夫婦なのに、それが別れ別れに住むようになって……とうとう、あのときの別れが永《なが》の別れになってしまった。
お父さまは若い時から一風変ったかたで、世をすねて暮らしておいでだったが、私とは信じあって契りも深かった。それが、どうして、大して遠くもないところなのに、別れ別れになってしまうようなことになったのでしょう」
と、またしても返らぬ繰《く》り言《ごと》になってしまう。明石の上も、心の傷《いた》みは深かった。
「身の栄えも名誉も、わたくしはもう、どうでもいいわ。どうせ表立って栄華を誇れる身分ではないのですもの。それよりお父さまとこのままになってしまうほうが悲しいわ。……みな、こうなる宿縁と思わなければいけないのでしょうね。それにしても、山へ籠られたら、いつどのように亡くなられても、わからないではありませんか」
母娘《おやこ》は、夜もすがら、あわれに悲しいことを語りつづけた。
「ああ、もう朝がきたわ……女御のおそばへゆかなければ。昨日も、殿が、わたくしのいたのを見ておいでになったので、どこへ行ったかとお思いになるでしょう。女御のためにもわたくしは軽々しく振舞えなくて」
と、明石の上は寝殿に帰ろうとした。
「若宮はどうしていらっしゃるの。お目にかかりたいねえ」
と尼君はまたしても、ほろほろと涙をこぼす。
「ええ、そのうちお逢いになれるわ。女御の君も、おばあさまはどうしていて? と心にかけてたずねられますのよ、殿も、何かのついでに、尼君も長生きして若宮の代《よ》になられるのを見てほしい、とおっしゃっていますわ。……」
「まあ、そうなれば、この私も、世にためしのない運命だね、帝《みかど》のおばあちゃまなんて」
尼君はそういって、やっと微笑んだ。
明石の上は、願文を入れた文箱を持たせて女御の御殿へいった。
このところ東宮からは、しきりに早く御所へ戻るようにとのご催促がある。
「ご尤《もっと》もね。若宮までお生まれになったのですもの。どんなに待ち遠しくお思いでしょう」
と紫の上はいって、若宮をそっとお連れする心遣《こころづか》いをしていた。
「いったん御所へ帰ると、なかなか退出のおゆるしが出ないのですもの。いい折ですから、少しゆっくり休みたいわ」
女御はそう言われている。お年若なお体に、怖《おそ》ろしいお産を経験なさったので、すこし面《おも》やつれなさって、それがかえってなまめかしく、あでやかだった。
「御所ではくつろいでおいでになれませんでしょう。こちらで充分、ご養生なさったほうが」
と明石の上も、いとおしく思っていた。
「いや、なに、こういうふうに面《おも》痩《や》せて、やつれた風情の女人は、男にとってあわれでいとしいものなのだ。東宮もそうお思いだろうよ」
などと源氏はいっている。
紫の上が若宮をお連れして、居間のほうへいき、かたわらに人けの少ない静かな夕方、明石の上は女御に文箱をお見せして、入道が山籠りして跡をくらませた事情など、こまごまと話した。
「もっとあとでお目にかけようと思いましたが、世の中は、先の分らぬもの、わたくしもいつまでおそばにいて御後見できるかわかりません。わたくしが亡くなるときも、あなたさまのご身分がら臨終にお目にかかれるとは限りませぬ。それゆえ、わたくしのこうして元気でおりますうちに、つまらぬこともお耳に入れておかねばなりません。あやしげな字でございますが、これをご覧下さいまし。そしていつかは、この願ほどきのお礼まいりをお果し下さいまし。ここまであなたさまもご立派になられましたからは、わたくしも出家したいと思うようになりました。のんびりしていられぬ気持でございます。
それにつけても、紫の上のご愛情を、あだやおろそかにお思いなさいますなよ。ほんとうに心から、あなたさまを愛して下さるのでございますよ」
明石の上の言葉は、入道の文にさそわれて、いつか自分も遺言のような口吻《くちぶり》になってゆく。
女御は、陸奥紙《みちのくがみ》の古く黄ばんだ入道の手紙をお読みになりながら涙ぐんでいられる。
額髪《ひたいがみ》が、おん涙にぬれて重く、白い頬にかかる。その横顔は、上品にもなまめかしい。
源氏が、ふいにそこへはいって来た。
源氏は、女三の宮のほうへ来ていたのだが、仕切りのふすまをあけて、ふいに、娘の女御の部屋へはいってきたのである。
「若宮はお目ざめかな。少しでも見ないと恋しいものだね」
といったが、女御の君は、今まで涙ぐんでいられたので、とっさにお返事もおできになれない。明石の上が、
「対《たい》の上があちらへお連れになりました」
と代って答えた。
「またか。怪《け》しからんことだ。対では若宮を独占して、懐《ふところ》から離さずに抱いて、おかげで着物をみな濡らしたりしている。たえず着更《きが》えているようだよ。かるがるしく若宮をあちらへお渡しなさるな。あちらが、ここへ若宮を拝見にくればいいのだ」
「まあ。そんなことおっしゃってはいけませんわ。いくら尊い宮さまと申しても、男御子《おとこみこ》でいらっしゃるのですもの。風にも当てず人にも見せず、お育てするわけにはいきませんわ。紫の上のお可愛がりようをご覧あそばせ。そんな意地悪を、おっしゃいますな」
明石の上の言葉に、源氏は笑った。
「わかったよ、あなたたちに任せて、私は構わないほうがいいらしいな。私をのけ者にしている人のほうが、意地悪ではないかな」
と源氏が戯れて几帳《きちょう》を引きやると、明石の上は母屋《もや》の柱によりかかって、上品な美しい様子で微笑している。
その膝元《ひざもと》に、入道からの手紙や、文箱があった。
「何の箱だね。曰《いわ》くありげだな。若い恋人の、長々しい恋歌でも封じこめてあるような感じではないか」
「ご冗談ばかり。ご自分が若返っていらっしゃるものだから、思いも寄らない言いがかりをなさいますのね」
と明石の上は微笑したが、おのずと愁い多い、物あわれな影がたち添うのである。源氏が不審そうなようすなので、明石の上はいまはつつまず、山へ入って跡を消した父入道のことをうちあけたのであった。
「そうだったのか……それでは、この手紙が遺言となったのか。尼君はどんなにお悲しみだろうな。親子の仲よりも、夫婦の契りはまた別だからな……」
と源氏は、瞼を熱くした。気のやさしい彼は、年老いた人の気持をまず思いやる想像力があるのだった。
「ふしぎな夢の話がございます。思い合わされることもあるかもしれません。見苦しい筆蹟でございますが、ご覧下さいまし。……思えば、明石の浦を出ましたあの時が、父との永の別れになりました」
と明石の上は、指で涙を払った。泣き萎《しお》れるさまも、この佳人は、美しかった。
「ご立派なお筆蹟《て》だ。まだまだ老い呆けてはいられないようだ」
源氏は手紙を手に取った。
「あのかたは仏道に悟り深くいられながら、風流の嗜みもある、なつかしいお気立てのかただった。教養も高かったが、ただ処世の才に恵まれていられなかった。先祖は大臣にもなった人があるのに、子孫は先細りしたと世の人はいうようだが、しかし、あなたが立派に跡を継いでいるのだからね。これも入道の多年の勤行の功《く》徳《どく》だろうね」
源氏は入道の手紙を読みすすむうち、ふしぎな、厳粛な気分に打たれた。
こんな夢のお告げがあって、入道は自分と娘の結婚を強引に押しすすめたのか。流浪している最中の明石の上との契りを、われながらうしろめたく、悔いもまじって不安であったのだが、それもこれも、大きな神意によるものだったのかもしれない。更にいえば、須磨明石へのさすらいの旅も、ひとえにちい姫をもうけるがための神の摂理であったのかもしれぬ。
入道はそのために、一人娘を気位たかく育てていた。龍王の后にするのかと世間に嗤《わら》われながら、運命のひらけるのをじっと待っていた。
そこへ、大いなるものの御手にみちびかれ、都の貴い血筋の源氏が、風に吹き寄せられるようにさすらってきた。入道は神仏の啓示をそこに見たのであった。
はじめて源氏は、大きな宇宙の力をかいま見た気がした。人間は小さな、不安な存在にすぎない。
しかしそれにしても、入道の心の、なんとすがすがしい、いさぎよいことであろう。夢に賭《か》けた願は果されたと知って、行方も知れず身をかくしてしまうとは。
この世にとどまって世俗の栄華を貪《むさぼ》ろうとしない、その清廉《せいれん》な信念に、源氏はあらためて深い尊敬を抱かざるを得ない。
「あなたも、これで、お生まれになったときの事情はおわかりになったでしょうね」
と源氏は、女御に申上げた。
「はい……」
女御は深い思いをこめてうなずかれる。
「それにつけても、あちらの紫の上の愛情をおろそかに思ってはいけませんよ。実の親子兄弟夫婦の仲のむつまじさよりも、赤の他人の、ほんの少しの情けや、好意のあるひとことのほうが、はるかに貴重なことなのです。他人が他人に示す愛や好意というものは、これはたいへんなもの、並《なみ》ひと通りのものではないのですよ。
わかりますか?
あなたに実の母君がお付きして、お世話するようになってからも、対の上は初めの愛情に変らず、あなたを深く愛している。そのへんのところを、ようくお考えなさいよ」
源氏は、入道の手紙で、人の運命のふしぎさ、人に愛され、神仏に扶《たす》けられ、生かされている人間のふしぎさを、若い女御の君に知って欲しいと思う。
それからして、また、女御に、人の心の奥ゆきや愛の強さをしみじみと思い知る、豊饒《ほうじょう》な女人《にょにん》になって頂きたいと願う。
生《な》さぬ仲の紫の上と女御の君は、実の母娘《おやこ》以上の愛情で、しっかと結ばれてはいるのだが、そのあいだにたつ父親としては、紫の上の善意を、言葉ではっきりと印象づけたいのである。
女御の君に、こうまで、突っこんだ話をしたのははじめてである。
女御の君も、人の子の母となられた。今こそ、はじめて、人間の愛の何たるかをお知りになるであろう。血のつながらぬ人間同士のあいだに通う愛を、世にも稀な、あり難《にく》いものと悟られるであろう。
紫の上の、たぐい稀な天性のやさしさを、源氏は、夫や父としてでなく、一個の世なれた社会人として、高く評価したいのだった。
その思いを、どうかしてこのついでに、女御の君に伝えたいと願うのである。
「昔からよく、継母《ままはは》継子の争いはあるがね、――世間には、小ざかしい継子がいてね。『継母というものは、うわべは大切そうに育てているが内心はわからない』などと小利口にいうが、そういう心からはうちとけた愛は生まれない。意地わるな継母に対しても、子供から裏おもてなくなついてゆけば、継母も、こんないい子に意地悪はできないと、思い直すものなのですよ。
女人はみな、本性は善なのだと、私は信じている。
前世の仇敵《きゅうてき》というのでもない限りは、少々のいきちがいはあっても、自然と仲よくできるものなのです。まあそれも、どちらかが、とびきり無愛想で、棘《とげ》のある人柄で、何かにつけて難癖つけるというような、厄介な性格ならば、仲よくすることはむつかしいだろうがね。
こういう、ひと癖もふた癖もある性格の女人は、ほんとうに困るね。継母・継子の関係だけじゃない。夫婦になってもうまくいかないものだ。
結婚は、究極のところ、性格と性格の相性《あいしょう》だからね。ただそういう人にも取り柄はある。
私もそうたくさんの経験でもないが、今まで人を見て来て、それぞれの個性で長所があるものだと思うようになった。取り柄の全くない、という人間はないものだ。
さりとて、ではこれこそ生涯のわが妻に、と頼りにして選ぼうとすると、また、決定的な人はないものだ。
心の癖がなく、善意にみちていて、素直な、という点では、やはり、紫の上だろうかね。
しかしまた、いくら人がよいといっても、あまりにしまりがないのも、頼りなくて、男は妻としにくいものでね」
源氏は思わず、女三の宮のことを思い浮べつつ、いってしまう。
女御のそばを離れて、源氏と明石の上だけの、おとなの会話になった。
「あなたが情理《わけ》知りのお方でたすかった。紫の上とむつまじくして、女御の後見を一つ心でして下さいよ」
源氏は明石の上の聡明な出処進退を信頼している。全く、源氏から見ると、紫の上と明石の上の二人のみ、男と対等に話せるおとななのである。
「仰せまでもなく、対《たい》の上がよくして下さいますのでありがたいことに思っております。わたくしのことを、不快にお思いなら、こうもご親切にして下さいませんでしょう。たいそうお気を遣って下さって、わたくし、まぶしいほどですわ。わたくしなど人前に出てはいけないと思いまして、いつも世間態《てい》を気にしているのですけれど。対の上に、至らぬところは庇《かば》っていただいて、何とか過ごしておりますのよ」
明石の上はつつましくいった。
「あなたに気を遣ってはいないだろうよ。女御の君に始終、ついていられぬのが心配で、あなたに任せているのだろう。それもまた、あなたが親顔をして出しゃばった振舞いがないのが目安い。物のわからない人は、こういうとき、権勢を振《ふる》って取りしきったりして、まわりが迷惑するものでね――その点、あなたはよくできた方だから、何を任せても穏当で安心していられる。私も嬉しいよ」
と源氏は率直に感謝した。
明石の上は、よくこそ、今までへり下《くだ》って進退に気を遣ってきてよかった、と思った。
源氏は、決して人の目の前で、ほめたり貶《けな》したり、する男ではなかった。どんなに気に入らぬことがあっても胸一つにたたんで、決して非難したり譴責《けんせき》したり、することはない。
褒《ほ》めるのも、間接的である。それだけに、はじめて明石の上を、あからさまに褒めたのは、長い人生を共に歩んできた彼女への信頼といたわりであろうか。
源氏は紫の上の居間へ帰った。
その後姿を見送って、明石の上は、
(対の上は、いよいよご寵愛《ちょうあい》が深まさってゆくようだわ……それにくらべて、宮のほうは、ちっともご愛情をお持ちになってないみたい……)
と思っていた。
さて、人妻になりながら愛されること薄き女三の宮に、それゆえにこそなお、心焦《こ》がして思いを寄せる男がいた。
柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》である。
女三の宮に、ひそかなる関心を持っている男は、実をいうと衛門督だけではない。
夕霧の大将もそうなのだ。
朱《す》雀院《ざくいん》が、夕霧を宮の婿にと、一度は擬《ぎ》せられたことを知っているだけに、間近い所に住んでいると心さわぐのである。
用事にかこつけて宮のお部屋のあたりへ行き馴れているうち、おのずから、その御殿の気風がわかった。
源氏は宮をきわめて立派に、下へもおかぬように敬意を払って扱っているが、当の宮は、おっとりと子供っぽくいらして、重々しいところはおありにならぬらしい。
お付きの女房なども、経験深い年配者はいなくて、若い派手やかな、遊び好きの美人の女房などが、たくさん宮にお仕えしている。軽佻《けいちょう》な雰《ふん》囲気《いき》なのである。
こんなところにいれば、おちついた人でも軽々しい遊び好きに感化されてしまうであろう。
少女たちなども、ただもう明け暮れ、幼稚な遊びごとに熱中している。
源氏はそれらを不快に思うこともあるが、もう若い時のように、一糸乱れずわが思うままに統率し、好みの風に染めようという気はなくなっている。何事も大目にみて、
(……まあ、あれはあれでよかろう)
とひろい心でみとめてやり、咎《とが》めたりしない。のびのびと自由にさせてやっている。
ただ、宮ご自身には、何かにつけてお振舞いのあれこれ、おたしなみなどを教えてさしあげる。そのせいか、宮も少しずつ、おとなっぽい風情を増してゆかれるようであった。
夕霧の大将は、そのへんの事情を悟っている。
(なるほど。身分たかく、人々に重んじられている皇女さまでも、物足らぬ点はあるものらしいな。……すべてに於《おい》て完全という女人はいないものらしい。それから思えば、やはり紫の上は見上げたかただ。
あのかたこそ、一点、非の打ちどころがおありにならぬ……)
夕霧は、いつぞやの野《の》分《わき》の日に、ちらとかいま見た紫の上の面影が忘れられず恋しい。
あの貴婦人は、長の年月、源氏の北の方としてここに君臨しながら、奥ふかく物静かに籠って、かりにも人に目立たず、口の端にのぼる噂《うわさ》も立てられない。
しずやかに落ちつき、ほかの女人を見下げたりせず、それでいて、自分も誇りたかくおくゆかしく身を持している。
(あのかたにくらべれば、雲井雁《くもいのかり》は……)
と夕霧は思わず、わが愛妻を考えてしまう。
雲井雁はたしかに可愛い妻ではあるが、対等の話し相手になれるとか、打てばひびく才気があるという女性ではない。
結婚してわがもの、となってみると、雲井雁への安らぎや情愛も強まるものの、その一方で、物足らぬ点も出てくる。
青年・夕霧としては、父の邸にあまた集められた佳人麗姫たちの、とりどりの趣きに目うつりせずにいられない。
中でもわけて宮に、夕霧の関心は高い。
重々しい身分にふさわしく、父・源氏は鄭《てい》重《ちょう》に扱っているが、それはうわべだけで、たいして愛情は持っていないらしくみえる。
なぜだろう?
美しい女人《ひと》と聞くのに……。
宮はいかに充たされない思いを抱いて毎日を送っていられるだろうか。夕霧はそんなことを思い、まじめな青年だけに、だいそれた願望をもつというのではないが、もしや、かいまみる折もあるであろうか、と、宮の御殿のあたりをそぞろ歩くときは、うわの空にあこがれるのだった。
まじめ男の夕霧でさえ、そうなのであるから、かねて熱烈に女三の宮に恋していた衛門督にいたっては、尚更である。
青年はいつまでたっても、宮をあきらめきれない。
この青年・柏木は、少年の頃から朱雀院のおそばに近侍して、親しくお仕えしていたので、院が女三の宮を掌中の珠《たま》のようにいつくしまれる事情をよく知っていた。
そのころから、宮に思いを懸《か》けていたのである。
婿えらびのときにもまっ先に求婚し、院も青年を候補者の一人とおみとめになったにかかわらず、さまざまのいきさつで、源氏に降嫁されてしまった。柏木は、残念で、胸痛む心地がする。
あきらめきれなくて、その頃からの手《て》蔓《づる》の女房の口から、宮のご様子を聞くのをなぐさめにしている。われながら、はかない、あわれな恋であった。
世間の噂では、紫の上のご寵愛には及ばない、ということである。
「ほんとにそうなのかね?」
青年は、手蔓である、小《こ》侍従《じじゅう》という宮の女房に、血相変えて聞く。
「源氏の大臣《おとど》は、宮さまを愛していないというのは真実か?」
「そうでございますね。お渡りもあんまりなくて……。ただ宮さまはおっとりなすったかたですから、そのことを苦にはしていらっしゃいませんけれど」
「ああ、勿体《もったい》ないことを。私と結婚していらしたら、そんな物思いはおさせしなかったものを。もっとも、私では、宮にふさわしい身分、というわけにはいかないが」
柏木の恋には、貴い血すじの皇女へのあこがれもあるのだった。とはいっても、彼も、太政大臣の長男、出世を約束されている貴公子である。
(いつかは、宮を頂いても不《ふ》遜《そん》でない身分になれよう……それに)
と、柏木の衛門督は、ひそかに期待するところもある。
(源氏の大臣も年だ。世の中はわからない。いつ、出家して世を捨てるか知れない。そのときには)
柏木は、油断なく小侍従につきまとって、機会を待っていた。
三月、空はうららかに晴れ、のどかな日である。
六條院に、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮や衛門督が遊びに訪れた。源氏は退屈していた。
「いや、今日この頃はひまでね。朝廷でも家の内でも天下泰平だ。何をして暮らそうかと思っていたところですよ。そういえば、今朝、大将が来ていたようだったが、どこへいったのか。淋しいから、小弓でも射させて見物するのだった。――小弓に堪能《たんのう》な若い者も来ていたのに。残念だな、帰ったか」
と尋ねさせた。
夕霧は花散里《はなちるさと》の御殿のほうで、人を集めて蹴《け》鞠《まり》を催し、見物しているそうだった。
「お。それはいい。気の利いた遊びだ。活溌《かっぱつ》だから眠気ざましによかろう。こちらでしないか」
と源氏は呼び寄せた。
大将をはじめ、若い公達《きんだち》がぞろぞろとやって来た。
「鞠は持って来たかね。誰々が来ている」
と源氏が夕霧に聞くと、夕霧は若い貴公子たちの名をあげた。
「では、こちらでしたらどうだ」
源氏は寝殿の東面《ひがしおもて》に呼びこんだ。ここは、女御の君のおられたところであるが、いまは若宮をお連れになって御所へ帰られたので、空いているのである。
蹴鞠に都合のよい場所を、人々はえらんだ。鞠壺《まりつぼ》(蹴鞠場)は平坦《へいたん》な方形の空地で、四隅に桜、柳、松、楓《かえで》が植えてあるのがきまりである。
太政大臣の子息たちが、みな蹴鞠に巧みであった。柏木の弟になる、頭《とう》の弁《べん》、兵衛《ひょうえ》の佐《すけ》、大《たい》夫《ふ》の君など、年かさのも、年少のも、それぞれにすぐれた美技を披《ひ》露《ろう》できる人たちである。
春の日はようやく暮れかかってきたが、風も吹かず、鞠にはうってつけの日である。
弁の君も、しまいに見ていられないで、加わった。源氏は笑って、夕霧をかえり見た。
「お堅い役人の弁官《べんかん》でさえ、辛抱しきれずに鞠を蹴っているよ。上達《かんだち》部《め》といっても、夕霧たちは衛府《えふ》の武官ではないか。遠慮せずに思うさまやったらどうだ」
「は」
「私も若いころは蹴鞠に加わるのが恰好《かっこう》わるいやら、さりとて加わらぬのが残念なような気がしたものだ。いや実際、身分ある人間のするざまではないからな。あの蹴鞠の恰好というものは。……しかし、若い男なら、じっと見ていられないだろう、加わるがよい」
源氏に促されて、夕霧の大将も、柏木の衛門督も、待っていたように庭上に下り、蹴鞠の仲間に加わった。
桜の花の散りまがう下で、若々しく活溌に鞠を蹴る青年貴公子たちの姿は、清らかにも美しい。
若者たちはわれおとらじと技《わざ》をきそいあっているが、中で、衛門督が無《む》雑《ぞう》作《さ》に蹴るようでありながら、その技にかなうものは一人もない。
なまめかしい美青年が、乱れぬように身だしなみに気をくばりつつ、それでもさすがに熱中するにつれ夢中になるさまが、好もしかった。
源氏も兵部卿の宮も、隅の高欄《こうらん》によって興に入って眺めていた。
回数がすすむにつれ、身分たかき人々もいまは昂奮《こうふん》し乱れて、冠の額もゆるんでいる。
夕霧の大将の、常は沈着な青年なのが、いまは快活にはしゃいでいて、それも魅力的だった。桜襲《さくらがさね》の直衣《のうし》のやや萎《な》えたのに、指貫《さしぬき》の裾《すそ》を少しばかり引き上げ、上品でさわやかな姿である。
「疲れたね。ひと休みしないか」
雪のように降りかかる桜の花を見あげ、撓《たわ》んだ枝を折って、夕霧は、寝殿の階段の中ほどに腰を下ろした。
柏木もつづいて坐って、
「おお、花吹雪《ふぶき》で真っ白だね……風よ心あらば桜を避けて吹け、というところか」
などといいながら、女三の宮の居間のほうへ、おちつかぬ視線を走らせた。
宮の居間は、西の端である。
例によって何やら、しどけないあたりの気配で、御簾《みす》の外にこぼれたり、透《す》けてみえる影の、女房たちの衣裳、まことにさまざまの色で、派手やかである。
几帳《きちょう》などもしどけなく片隅に寄せられてあって、女房たちの姿もついそこに、男馴れしたさまでいるのがなまめかしい。
そこへ、唐猫《からねこ》の、ごく小さな可愛らしいのを、少し大きい猫が追いかけて来て、急に御簾の端から縁に走り出た。女房たちはびっくりして、
「あら、たいへんだわ」
などとたちさわいでいるらしい。衣《きぬ》ずれの音が、外にいる柏木たちの耳にもかしましいほどである。猫はまだよく人になついていないらしく長い綱がつけてあるが、物にひっかけて体にまといついてしまった。逃げようと引っ張る拍子に、御簾の端がひっかかり、さっと上ってしまった。女房たちは猫に気をとられて、急いで御簾を元へ直そうとする人もない――。そして、柏木の衛門督は見てしまったのである。御簾のうちなる女《ひと》を。
几帳からすこし奥に入ったところに、ふだん着で立っている女人《ひと》がいた。
柏木の衛門督が腰をおろしている寝殿正面の階段から、西へ二つ柱を隔てた東のはずれなので、こちらから何の障害もなくはっきり見られた。
その女人の袿《うちぎ》は紅梅襲《こうばいがさね》であるらしい。紅の濃いのから薄いのへ、次々にたくさん着重ねていられる色合が華やかで、まるで色紙を綴じた草《そう》紙《し》の端を見るようであった。その上に着ていられるのは、桜の細長《ほそなが》であるらしい。
御《み》髪《ぐし》は裾までけざやかで、絹糸を縒《よ》ったようにしっとりと重くながれ、裾はふさやかに切りそろえられている。なんとも美事な美しい髪で、身《み》丈《たけ》より七、八寸ばかりも長い。
小柄なかたで、お召物に埋もれるばかりのほっそりした華奢《きゃしゃ》なからだつき、髪のかかっていられる横顔など、いいようもなく上品に愛らしく見えられる。夕暮れの光のもとなので、はっきり見えず、奥の暗さにともすれば溶けてしまいそうなのが柏木には残念でならない。
女房たちは、蹴鞠の青年たちが花を散らして技をきそい合うのに熱中して見とれていた。まさか猫の綱で御簾が捲《ま》き上げられ、宮のお姿があらわになっているとは知るよしもない。
猫がしきりに啼《な》くので、宮はふり返ってご覧になる。
そのしぐさやお顔の表情など、おっとりして若々しく、
(なんと愛くるしいかただろう!)
と柏木は、魂も天外に飛びそうに思えた。
実は夕霧の大将も気付いていた。
(これはしたり、まる見えになっている)
と自分のほうがきまり悪い思いをしたが、御簾を直しに、いざり寄ってゆくのもかえって軽々しいので、それとなく気付かせようと咳《せき》払いした。
宮は果して、そっと奥へ身を隠してしまわれた。
大将自身も本当のところは宮をもっと拝見したくて物足りぬ心地なのであるが、そのときはすでに猫の綱もゆるめられて、もと通り御簾は下りてしまっている。思わず知らず、ためいきが出るのだった。
まして、かねて思い焦がれていた衛門督のほうは、胸がいっぱいになって目もくらむばかりである。
(あのかただ! まちがいはない。ほかの人にまぎれようもないあの美しいお姿、まさに宮だった)
衛門督は強いて何げない風でいるのだが、大将にはわかった。
(彼も見たのだな――)
と思うと、大将は宮のために気の毒になった。
衛門督は遣《やる》瀬《せ》ない思いに胸もふたがり、猫までなつかしくて抱きあげてみると、宮の移り香か、香《こう》ばしいいい匂いがする。可愛らしい声で鳴くのでたまらなくなって、青年はまるで女三の宮であるかのように抱きしめるのも、物狂おしいことだった。
源氏は夕霧たちのほうを見て、
「上達部の座が端近《はしぢか》で軽々しいな。こちらへ来られるがよい」
と対《たい》の屋《や》の南おもての間に入った。それで人々はみな、そちらへ移った。兵部卿の宮も座を移されて話の仲間に加わられる。
下の位の殿上人《てんじょうびと》たちは、簀《すの》子《こ》に円座《わろうだ》を敷いて、椿餅《つばきもち》、梨《なし》、柑《こう》子《じ》などさまざま箱の蓋《ふた》に盛ってあるのを食べた。椿餅は蹴鞠の折に供されるたべものである。青年たちは冗談をいいつつ、にぎやかに食べるのだった。
こちらの上達部のほうは、ちょっとした干物を肴《さかな》に、盃がめぐらされた。
衛門督はその中で、ひとり沈みこんでいる。ややもすれば桜の枝に視線をさまよわせて、呆然《ぼうぜん》としているのである。夕霧の大将は事情を知っているので、
(御簾のうちをかいま見た、まぼろしのような姿にあこがれているんだろうなあ……)
と想像した。夕霧自身も惹《ひ》きつけられたのだから無理もないが、しかし深窓の貴婦人は、かりにも端近に立って、夫でもない男に顔を見られることはしないものなのだ。それを、あの宮はご身分柄にしては、なんとも心稚《おさな》く、軽率ではあるまいか。
そこへくると対の上、かの紫の上こそは、断じてそういう、はしたないことはなさらない。なるほどなあ……こういう風だから、世間で重んずるほどには、父君は宮を愛していらっしゃらないのかもしれない。女というものは心ざまが浅くて幼稚なのは、可愛らしくはある一面、どうも危なかしくて見てはいられぬものだ、と夕霧は思い、宮を軽んずる気持にもなるのであった。
しかし衛門督は軽んずるどころではない。宮の欠点など考えられもしない。思いもかけずちらとかいま見られたことを、
(かねての恋慕が叶《かな》えられた証拠かもしれない。これも前世の契りであろうか)
と思うのも嬉しく、それにつけても、もうひと目見たいものと、うっとりしつつ、心は空にあこがれてゆく。
「どうなされた。疲れられたか」
源氏の声で、衛門督ははっと現実にひき戻された。
「今日のあなたの鞠は美事だったよ。目にも止まらぬあざやかさだった。――あなたの父上の太政大臣とは、私は若いころから何かにつけて勝ち負けを争った仲だが、鞠だけはどうにもかなわなかった。血筋は争えないね」
源氏は機嫌よかった。衛門督は微笑して、
「学才や実務の才ではさっぱりの家風でございます。鞠などの技が伝わるのはあまりほめたものではございますまい」
「そんなことはない。何によらず長所というものは書きとどめて伝えるべきだろう。家伝などに『蹴鞠に長じ』と記録しておかれることをおすすめするよ」
など冗談をいっている源氏の姿は、中年の男の貫禄もあり、魅力もあって立派である。
こんな男性を夫に持った女人が、どうしてほかの男に心を移すことがあり得ようか?
いったいどうすれば、長い間の自分の恋をあわれと思い、心をゆるして下さろうか、と柏木は絶望的になる――宮の身分はたかく、おのが身分は低い。それに加えて六條院の奥ふかくかしずかれる人妻ではないか。
衛門督はうちひしがれて六條院を退出したのである。
帰途は夕霧の大将と同車して、話しながら帰った。衛門督はいった。
「やはり、この院へ伺うと気が晴れるね、面白くて」
「そうだな。『また閑《ひま》ができたら花の散らぬうちに来るがよい』といわれたから、春を惜しみがてら、この月のうちに小弓を持たせてこようじゃないか」
と約束ができた。親友同士、とりとめもない話を楽しく交していたが、衛門督はどうしても女三の宮のお噂をしたくてたまらなかった。
「院はどうも対にばかりおいでらしいね。対の上を一ばん愛していられるからだろうね。三の宮はどうお思いだろう。父みかどがあれほど可愛がっていらした方なのに、ご降嫁ののちは院に愛されなくて、物思いしていられるのではないか。それを思うとお気の毒だ」
衛門督の言葉は、いわでもの、無遠慮な出すぎた発言である。大将は当惑した。
「君、つまらぬ推量でものをいってはいけないよ。そんなことがあるものか。対の上のほうは何といってもお小さい時から育てられたということがあるから、馴染《なじ》みも深いだろうけれど、宮さまは別だよ。この上なく大事にしていられるよ」
というのであるが、衛門督は耳にも入れない。
「わかっているんだよ、君がそう言いつくろう気持はわかるが、私はいろいろと聞いているのだ。宮は抛《ほ》っておかれて、飾り物の妻だという話じゃないか――君は、知らないかもしれないが、あのかたは朱雀院がそれこそ、手のうちの珠のように大切に、いつくしまれていた姫宮なのだ……院が冷たくあしらわれるというのは、真価をお知りにならぬ、というものだよ」
と、むきになって言い募《つの》るのであった。
「どうして宮を愛されないのか、院のお心がわからないよ、私には」
大将は(さしでがましい口を利くものだ、やっぱり彼は女三の宮に懸《け》想《そう》しているな)と思い、やや、そっけなくいった。
「対の上は対の上、宮は宮で愛していられると思うよ。何しろ父院も女君が多いから、一人に絞ることはできないのだろうよ」
君がよけいな心配をすることはないよ、といいたいのを怺《こら》え、大将はわずらわしくなって話題をそらせた。それからは女三の宮の話は出ないまま、青年たちは別れた。
衛門督は理想が高いので、まだ独身をつづけて父の邸内の、東の対に住んでいた。
友人たちはみな結婚しているのに、ひとり独身でいるのは、心柄とはいいながら淋しいときもあるが、自分をたのむことあつく、高望みしているのである。
それが、ひと目、女三の宮を見てから物思いにとらわれるようになった。
どうすればもう一度あえるだろう。身分低い女なら外出の機会もあるだろうが、六條院の奥深く住まれる宮には、心を通わせ思いを届かせる手だてはない。青年は焦燥に駆られ小侍従にあてて、手紙をかいた。
「先日、春風に誘われ、そちらのお邸の内へ入ることがありましたが、宮さまは私の姿をご覧になってお嗤《わら》いになりませなんだか。私の方は、あの夕べから恍惚《こうこつ》となってゆめうつつとも分ちがたく、宮さまをお慕いしています」
小侍従は蹴鞠の日の事情を知らなかったので、手紙の意味がよくわからなかった。今まで通りの恋文だと思って宮の前に笑いながら持っていった。
「また参りましたよ。いつものお文が。あんまり熱心におっしゃるのでお気の毒になって、しまいにはお仲立ちする気も起こるかもしれませんわ――むろん冗談でございますけど」
といって青年の手紙を渡した。
「いやな小侍従。へんな冗談いわないで」
と何心もなく宮はおっしゃって、手紙をご覧になった。
宮のお顔はさっと赤らんだ。猫のさわぎで御簾が引き上げられたときのことを思い合わせられると、この青年にあのとき姿を見られたのだ、とおわかりになったのである。
平素、源氏が事のついでにたえず、
「夕霧の大将にお姿を見られないようになさい。あなたは子供っぽいところがおありだから、どうかするとうっかりしてお姿を見られるという失態があるかもしれない」
といましめているのが思い出された――あの蹴鞠の日の不注意を大将が源氏に告げ口したら、自分はどんなに殿から叱《しか》られるであろうか、どうしよう。こまったわ……。
衛門督に見られたことよりも、源氏に叱られることのほうが、宮には重大で怖かった。なんと他愛ないお心であろう……。
君がため若《わか》菜《な》つむ恋のくるしみの巻
小《こ》侍従《じじゅう》は、青年に返事を書いた。
「お手紙、何のことをおっしゃっていられるのかしら……。あなたさまの恋はどうせ手のとどかぬ高《たか》嶺《ね》の花、かいなき御懸《け》想《そう》というものですわ。色に出ぬようご用心あそばしませ」
さらさらと走り書きした返事を読んで、衛《え》門督《もんのかみ》は、気を腐らせた。小侍従のいうのは尤《もっと》もで、それはわかっている。わかっているのだが、
(腹の立つ言い方をする奴《やつ》だ)
青年はもう、こんなうわすべりするあしらいをされて、満足してはいられない。
(ええい。人《ひと》伝《づ》てでなしに、どうかして直接、宮と言葉を交すことはできないものか!)
青年はあたまを抱えて苦しんだ。渇望と思慕に思い乱れ、苦しむ心の底には、源氏への嫉《しっ》妬《と》がある。今までは何かにつけ源氏を敬愛し、傾倒していた衛門督であったが、近頃は源氏にひそかな悪意やわだかまりを持つようになっていた。
三月の末、また人々が六條院へ集まることがあった。
衛門督は気がすすまず、そわそわしていたが、女三《おんなさん》の宮の御殿のあたりの花でも見て心を慰めようと思っておもむいた。
御所の賭弓《のりゆみ》が二月にあるはずだったのが、行なわれず過ぎ、三月は主上の御母宮の御忌《き》月《づき》だから催しごとはない。人々は残念に思っていたので、この六條院で行なわれると聞いて、例のようにたくさん集まった。
近《この》衛《え》の左《さ》大将《だいしょう》は、源氏の養女・玉鬘《たまかずら》の婿君、鬚黒《ひげくろ》であり、右大将は嫡男・夕霧、いずれも源氏に近しいのでそろってやってきた。それゆえ、中将少将たちも互いに競いあって射た。
弓技に自信のある殿上人《てんじょうびと》たちを左右にわけて、競射させるのである。
暮れゆくままに、風にさそわれる花吹雪を浴びて青年たちは、若々しい挑み心に矢を放つ。さわやかにも艶《えん》な風趣で、客たちは快く酔うのであった。
賭弓《のりゆみ》は、品物を賭《か》けて争う競射である。賭《かけ》物《もの》は、六條院のあちこちの御殿から出されるので、男たちの興趣をそそった。
「ご婦人がたの趣味を反映した、風流な賞品なのだろうな」
「舎人《とねり》たちが百発百中ではないか。得意顔で賞品をひとりじめするのは面白くない」
「このへんで、少しはおっとりした公達《きんだち》の手ぶりを拝見したいものだな」
そこで、鬚黒や夕霧たちが庭上に立って射ることになった。ただ、衛門督ひとり、ほかの人より目立ってぼんやりと物思いにふけったさまである。事情をうすうす察している夕霧の大将《だいしょう》は、困ったな、と思っていた。
(面倒なことにならなければいいが)
自分まで悩みの種を背負いこんだ気がする。
この青年たちは、たいそう仲がよかった。
とりわけての親友ともいうべく、互いに隔てなくつきあっていたので、衛門督が少しでも思い沈んでいる様子を見ると、夕霧も心をいためずにはいられないのであった。
衛門督は良心の鬼に責められて、源氏を見るのがまぶしかった。
源氏の夫人に思いを懸《か》けるとは、なんという大それたことをしてしまったのだろう。
衛門督は軽佻浮薄《けいちょうふはく》な青年ではなかった。真率で、正直な性格であった。名門の誇りもふかく自覚して、ふだんから端正に身を持し、かりにも人の非難を買うような振舞いはあってはならぬと、まじめに生きてきた。快活でもあり、人にも愛せられる貴公子であった。
それが、いまではすっかり変った。
(私としたことが。何というおそろしい、人の道にはずれたことを考えるのか)
自分のあたまを打っても、憑《つ》いた恋の奴《やっこ》は去らないのである。
恋は人を狡猾《こうかつ》にする。
(そうだ。せめてあのときの猫でも手に入れられないものか。恋を語りあえなくとも、ひとり寝の淋《さび》しさを慰めるのに、なつけてみよう)
と思うのも物狂おしい。どうやって、あの猫を盗み出そうかといろいろ考えてみたが、それさえもむずかしいのだ。
衛門督は気を紛らそうとして、妹君にあたる、弘徽《こき》殿《でん》の女御《にょうご》の御殿へ参り、あれこれ物語をしていた。女御はお嗜《たしな》み深く、御簾《みす》の奥にいられて、兄妹といっても、直接に対面なさることはない。
(つつしみぶかくなさるものだなあ。深窓の貴婦人はみな、その用心深さをもっていられるはずなのに、あのとき女三の宮をかいま見られたのは、何というふしぎな僥倖《ぎょうこう》だったのだろう!)
と、青年の物思いはまたしても、恋人の上にただよってゆく。宮に恋しぬいている彼にしてみると、宮の不用意な軽率さが、そういう事態をひきおこしたのだとは、夢にも思わないのである。
東宮《とうぐう》の御前へ参上しても、考えることは、
(ご兄妹だから、きっと似ていらっしゃるのだろうなあ)
ということである。あけてもくれても、そして見るもの聞くもの、悉《ことごと》く、女三の宮につながってゆく。恐れ多いことながら東宮を拝見して、宮のおんおもざしに似通っていられるところをさがしたいのであった。
東宮は、女三の宮のように華やかな雰《ふん》囲気《いき》ではいらっしゃらないが、さすがに上品に、みやびやかであられる。
御所には猫が多く飼われている。子猫をたくさん引き連れて東宮の御殿へも来ている。その愛らしいさまを見るうち、青年の胸に計画が浮んだ。
「六條院の宮さまのところで飼っていられる猫は、ちょっとこのあたりで見ない、可愛い顔をしております。ちらと見ただけですが」
と申しあげると、東宮は猫がお好きなので、膝《ひざ》を乗り出された。
「どういう風なのだね」
「唐猫《からねこ》で、日本産とはちがう様子をしております。猫はみな同じようなものですが、人によく馴《な》れているのはしみじみ可愛いものでございますね」
と、東宮の御関心をわざとそそるように誇張して申上げた。
果して東宮は、明《あか》石《し》の女御を通して、女三の宮へ猫をご所望になった。宮はさっそく、差しあげられた。
「ほんとうに、可愛らしい猫ですこと」
と人々は興じて、珍重するのであった。
衛門督は、もう猫が東宮御殿へきただろうな、というころを見はからって、数日して参上した。青年の計画が図に当ったわけである。
いったい、この衛門督は、少年のころから、朱《す》雀院《ざくいん》の帝の、格別のご寵愛《ちょうあい》を頂いて、おそばで仕えていたのだった。院が山へお籠《こも》りになってのちは、東宮の御殿へもしたしく参上してご用をつとめていた。御琴《こと》などをお教えするついでに、心安だてに、
「猫がたくさんいますね。どこにいるのでございます、六條院でかいまみた美人は」
といって、例の唐猫をみつけ出した。可愛らしくってたまらずに、背中を撫《な》でていると、東宮も、
「ほんとうに可愛いね。しかしまだ人見知りしているのか、なつかないよ。あなたは格別にちがう、といったが、ここに元からいる猫も、そう見劣りはしないが」
と仰せられた。
「猫の人見知りというのもあるのでしょうか。しかし賢い猫は、あんがい、そんな分別もあるのかもしれませぬな。……仰せのようにここにはいい猫がたくさんいるようでございます。これは、私に当分、おあずけ下さいまし」
青年は首尾よく、猫を抱いて帰ることができた。心の底では自分の物狂いに、実のところばからしい気もして反省されるのであるが……。
(ああ。とうとう、お前はそばに来てくれたね)
青年は、やっとのことで手に入れた猫を抱いて頬《ほお》ずりする。
夜が明けると猫の世話をして撫でさすっている。人になつかなかった猫も、いつかよく馴れて、ともすると青年の衣《きぬ》の裾《すそ》にまつわり、体をすりよせ、じゃれるのであった。衛門督は心から可愛いと思った。
物思いに沈みこんでいる青年は、端近《はしぢか》で臥《ふ》している。猫はそこへきてまつわり、どうしたの? というふうに顔をみつめて、
「にゃあ。にゃあ」
と啼《な》く。青年は背を撫でて、
(啼くなよ。あの女《ひと》のことを思い出してよけい辛《つら》くなるじゃないか)
とにがい笑いが口もとに浮ぶのであった。
「愛しているよ」
と猫を抱きあげて呟《つぶや》く。そのやわらかな、あたたかい手ざわりをいとしみながら、女三の宮の身代りのように、猫を思う。
「いつかは、私の心をわかっていただけるね」
と猫の眼をのぞきこんでいう。――猫は、青年の胸でしきりに啼くのだった。
女房たちは、
「ふしぎね。どうなすったのでしょう。これまで猫なんて見向きもなさらなかったのに」
と不審がっていた。
東宮から「猫を」と仰せられてもお返ししないで、手《て》許《もと》から離さず、青年は猫にうちこんでいた。
さて、かの鬚黒の大将が、前夫人とのあいだになした真《ま》木柱《きばしら》の姫君も、婿えらびする年頃となった。
大将は、いまは前夫人と全く、縁が切れてしまって、玉鬘をこよなく大切にしていた。
玉鬘は男の子ばかり産んでいるので、大将は姫君を引き取って世話したいのだが、祖父の式部卿《しきぶきょう》の宮が、許可されないのである。
「せめてこの姫だけは、世間の物笑われにならぬよう育てて、りっぱな結婚をさせたい」
といっていられた。
式部卿の宮は、世間の信望あつく、主上も、御伯父《おじ》に当らせられることとて、ご信頼は深い。
また、鬚黒の大将も、東宮の御伯父に当り、次代の実力者である。
真木柱の姫君は、こうして父君も祖父君も、重々しい方なので、縁談はひっきりなしにあった。
「衛門督が、求婚を仄《ほの》めかしたならば」
と、祖父宮などは、衛門督を第一の候補者に考えていらしたが、青年の方は、美しい姫君より、ただいまのところ、猫のほうがよいとみえて、縁談など思いも染めぬようであった。
姫君は、実の母君が物狂いで廃人のようになっているのを悲しく思いつつも、継母《ままはは》の玉鬘にあこがれていた。さすがに若い姫君だけに、現代的なのだった。
兵部卿《ひょうぶきょう》の宮はまだ独身でいられた。
玉鬘を妻にと望まれて成らず、女三の宮を得ようと奔走されたがそれも空《むな》しくなり、世の中をつまらなく、世間態《てい》もわるくお思いになっていた。
しかしいつまでも独身でいるわけにもいくまいと、式部卿の宮の孫姫、真木柱の姫君に意のあるところを仄めかされた。
祖父宮はあんがい簡単に、
「いいだろう。大切にかしずいている姫は、御所へ入内《じゅだい》させるのでなければ、親王たちに縁付かせるべきだ。近頃は、真面目《まじめ》な男ならよい、といって臣下に縁付ける家が多いが、品のないことだ」
とおっしゃって承知された。兵部卿の宮はあんまり簡単に承知されて張り合いがなく思われたが、何しろ宮家の姫とてかるがるしく扱える相手ではない。積極的に望まれるところまではゆかなかったのだが、仕方なく通いはじめられた。
宮家では、この婿君を大切になさることは一通りではない。
式部卿の宮は、
「姫たちをたくさん持ってそれぞれに苦労したから、もう懲《こ》りそうなものであるのに、まだこの真木柱のことが捨てておけない。母君は年々物狂おしくなるばかりだし、父君の鬚黒は私と仲良くないために離れているから、この姫がふびんでならぬのだ」
とおっしゃって、新婚夫妻の部屋の調度までご自身命じたりなさるほどの、お心入れであった。
兵部卿の宮は再婚である。先にお亡くなりになった北の方を、いつまでも恋しがっていられて、亡き人に似た女人と結婚したいと思っていられた。真木柱の姫は、美しくはあったが、似てはいなかった。宮は気を落されてお通いになる足も、すすまない。
祖父の宮は、心外な、と不満に思われる。母君も、正気に返られた折々は、婿の君の不誠実を悲しんでいた。
父君の鬚黒の大将も、
「いわないことじゃない。兵部卿の宮は浮気な方だから、はじめから自分はこの結婚に乗り気ではなかったのに」
と不快に思った。
玉鬘はそれを聞いて、複雑な気持だった。
兵部卿の宮が熱心に自分に求愛されていたとき、もしほだされて結婚していたら、ちょうどいまの真木柱の姫のような目にあっていたかもしれない。
源氏も実父の太政大臣《だじょうだいじん》も、どんなに心を痛めたことであろう。
それを思うとおかしくもあり、また、兵部卿の宮も、真木柱の姫も、気の毒な気がした。
あのころでも、宮の愛を受け入れる気はなかった、ただただ、風流な、情趣ふかい口《く》説《ぜつ》や手紙に心ひかれただけである。
運命は、彼女を宮とはまるで正反対の、無骨な男、鬚黒の妻にしてしまった。
宮はお聞きになって、「ほう、あの不風流男に」と玉鬘を軽《かろ》んじられたかもしれない。そう思うと、玉鬘は、ひとりでに頬の赤らむ心地がする。
いままたふしぎな縁で、夫の先妻の姫が、その人の妻になった。真木柱の姫に、兵部卿の宮が、私のことを噂《うわさ》なさるかもしれないと玉鬘は思ったりした。
しかし玉鬘は、ゆきとどいた女人《にょにん》なので、真木柱の姫の世話は義理の親として、よくつくしていた。それに玉鬘は、姫の兄弟の公達《きんだち》をも、兵部卿の宮とむつまじくするように教えていた。青年たちは、義母にいわれて姉君と宮の夫婦仲のよそよそしさを知らぬ顔に、如才なく、宮にまつわりついていた。
それやこれやで兵部卿の宮は真木柱の姫をお気に染まぬとはいえ、見捨てられるお気持はなかった。
それなのに、波を立てるのはまたしても、祖母宮の大北《おおきた》の方《かた》である。
「皇族がたというのは、暮らしがぱっとしない代りに、浮気もなさらずご夫婦仲がよいのがせめてもの慰めというもの。そのつもりで姫を結婚させたのに、あの宮は……」
と辛辣《しんらつ》にいわれる。
「妙なことを聞く」
と宮は、むっとなさった。
「昔、あれほど愛していた北の方がいたときでさえ、ちょっとした浮気はあったが、それにしてもこう辛辣な皮肉をいわれたことはなかった」
宮はそう思われると、いっそう、亡くなった人恋しく、ご自分の邸《やしき》に籠《こも》って、ぼんやり物思いにふけっていられる。
そういいながら二年ほどはまたたく間に経ち、真木柱の姫は、情《じょう》うすい良人《おっと》にも馴れてつめたい夫婦仲のまま、暮らしていた。
いつしか年月が経ち、帝《みかど》が即位なさってから十八年たった。
帝は譲位を思い立たれた。次代を継ぐべき親王もおわしまさず、かつ、世の中もはかなく思われたので、公的生活を終えてのんびりしたいとお望みになったのだった。しばらくご病気になって、それもご決心を早めるもとになられたのかもしれない、俄《にわ》かにご譲位のことがあった。
世間は惜しんだが、東宮もご成人のことではあり、世の政治が変ることはなかった。
ただ、太政大臣が辞表をたてまつって引き籠った。
鬚黒の左大将が、右大臣になり、廟堂《びょうどう》の第一人者となった。鬚黒の妹君の女御が、東宮の母君であったが、東宮が即位される晴れの日を待たれず亡くなってしまわれた。
新しい東宮には、明石の女御のお生みになった一の宮がお立ちになり、予期されていたことながら、世人は六條院の源氏一族の好運に目をみはるのであった。
夕霧の右大将は大納言になった。新右大臣との仲もよく、万事、好調である。
源氏は冷泉《れいぜい》帝のご譲位を複雑な思いでうけとめた。お世《よ》嗣《つぎ》がお出来にならなかったことをひそかに残念に思っている。新東宮も源氏の血筋にはちがいないが、冷泉帝への愛情は、一種特別である。
冷泉帝の御代は、幸い、平穏に過ぎた。
かくされた罪ふかいあやまちも、ついに曝《あば》かれることなく終った。その代り、藤壺《ふじつぼ》の中宮と自分との恋からみのった花は、一代かぎりで凋《しぼ》んでしまった。
源氏はそれがさびしく物足らなかったが、夢にも人に言えないことなので、わが心に佗《わ》びしくとじこめておいた。
明石の女御はつぎつぎと御子《みこ》を儲《もう》けられてご寵愛は並ぶものはない。藤原氏でなく源氏出身の姫がつづいて后《きさき》の位にあるのを、世の人は批判している。冷泉院の中宮は、お子も無かったのに、源氏の後見で、后の位に即《つ》かれたのであった。
中宮は源氏の庇護《ひご》を、しみじみ、ありがたく思っていられた。
み位を下り給うた新院は、あちこちの御《み》幸《ゆき》もお気軽になられ、のんびりと暮らされている。
明石の上も、尼君も、幸福に暮らしていた。
尼君はまさしく、「東宮のひいおばあちゃま」になったわけである。世間の人は、出世と幸運の象徴のように、尼君を讃《たた》えた。
女三の宮を、新帝はお心にかけ、何くれとなくお世話なさる。
こうして、充《み》たされた人生を謳《おう》歌《か》するばかりの人々の中で、紫の上は、ある日、微笑《ほほえ》みつつ、源氏にいった。
「どうか『よろしい』とおっしゃって下さいまし。わたくしのお願いすることを、ひとこと『許す』とおっしゃって下さいまし」
「あなたの願うことで、私が拒んだことがあったか」
源氏はふしぎそうに反問した。
「あらたまって、わざわざいい出したのは、よほどのことなのだね。いいよ。何の願いか、言ってごらん」
「わたくしも年のせいかしら、こう、ざわざわした住居《すまい》が疲れました。静かに仏の道を修行したくなりました。たいていのことは見尽くした気もする年になったのですもの。どうか、お許し下さいまし」
紫の上は、三十八になるのだった。源氏はすでに四十六である。
紫の上は微笑んでいるが、真《しん》摯《し》な願いだということは源氏にもわかった。それだけに源氏は恨みがましい辛い気持を抑えられなかった。
「ほかならぬあなたの頼みだが、こればかりはきけない。よくそんなむごいことを」
源氏は顔色も変る気がした。
紫の上の手を取って、
「私を捨てて出家《しゅっけ》する、とあなたはいうのかね? 情けない。そんなことができると、あなたは思うのか。私こそ年来、出家の志があったが、あなたがあとに残されてどんなに淋しがるだろうかと、昨日に変る不《ふ》如《にょ》意《い》な暮らしをしはしまいかと、それが気がかりで、こうして世に生きているのですよ。私が出家したあとなら、あなたもどうにでも考えるままにすればよいが、いまはまだいけない……」
と、必死にとめるのであった。
源氏は住吉神社への願《がん》ほどきを果したいと思った。それを兼ねて東宮の女御のための祈願もしたい。みな一緒に引きつれて参詣《さんけい》しようと思い立った。
明石の入道の願文《がんもん》の箱を開けると、数々の大願がいかめしく書き並べてあった。才気のある文章で、大それた大願をかきしるしてある。いまの源氏の威勢でなくては、それに対するお礼参りはとうてい、できなかったであろう。
このたびは紫の上も一緒に連れてゆくことにした。源氏の参詣ということで、世はあげてどよめき、派手な美々《びび》しい行列となった。
上達《かんだち》部《め》は大臣をのけて、みな加わった。舞《まい》人《びと》、陪従《べいじゅう》、その道のすぐれた人々をそろえ、御《み》神楽《かぐら》の人々も供に加わる。
上達部の馬・鞍《くら》、馬添《うまぞい》、随身《ずいじん》、小舎人《こどねり 》童《わらわ》、それ以下の舎人まで、今日を晴れと整え飾った美しさは、またとない見ものであった。
東宮の女御は紫の上と一つ車に乗られる。
つづいて明石の上と尼君。昔からの馴染《なじ》みで、女御の乳母《めのと》が同車した。
お供の女房の車は、紫の上のが五輛《りょう》、女御のが五輛、明石の上のが三輛、こぼれるばかり飾りたてた女房たちの、装束《しょうぞく》や姿かたちのありさまは人目を奪った。
それは十月二十日のことであった。社《やしろ》の玉《たま》垣《がき》の葛《くず》の葉も色づき、松の下草も紅葉《もみじ》して秋の気配は深かった。
波音、風音にひびきあい、松風に楽の音《ね》がまじって、神前の舞楽はあわれ深かった。
東遊《あずまあそび》の「求子《もとめご》」が舞われる。
若い上達部は、黒い袍《ほう》の右肩をいっせいに脱ぐ。と、あざやかな蘇芳《すおう 》襲《がさね》、葡萄《えび》染《ぞめ》の袖《そで》がこぼれ、真紅の袂《たもと》に時雨《しぐれ》がかかって、松原の中の舞は飽かずおもしろかった。
源氏は、須磨《すま》明《あか》石《し》の流《る》浪《ろう》時代を思い出した。あのころのことはつい昨日のように思われる。その話を語り合いたいと思う相手は、ふしぎなことに、人生の幾山河を共に経てきたなつかしい旧友の、昔の頭《とう》の中将、辞職したさきの太政大臣であった。
源氏は明石の上や尼君の車に、そっと便りをことづけた。
「あなたと私のことをくわしく知るのは、住吉の社頭の松だけですね」
尼君は懐紙に書かれたその走り書きを見て、明石でのことをいろいろ思い出さずにいられなかった。
「尼の身にも生きて甲斐《かい》ある世と思い知りました。住吉の明神にかけた願いを今さらのように思い返しております」
早いだけが取り柄、と返した。
その夜は夜もすがら神前に捧《ささ》げる歌や舞で明かした。二十日の月ははるかに澄み、海はひろびろと、社前は霜で白い。ほのぼのと夜があけるにつれ、庭《にわ》燎《び》の光も消えそめる。神楽うたをうたう人々は、祝い酒に酔いつつ、榊葉《さかきば》をうち振って「万歳、万歳」と祝福する。興ふかき社前の盛儀であった。
出家なされた朱雀院は、その後、仏道の修行にひたすら励んでいられて、俗世への思いは断たれていた。
ただ、女三の宮へのお気がかりは、今なおお捨てになることができず、源氏の後見をたのみにしていられるが、
「あの姫宮をよろしく頼む」
と、帝に御依頼になるのであった。
帝は、お妹宮を二《に》品《ほん》の位にされた。それによる所領の御封《みふ》なども増え、女三の宮はいよいよ花やかに、御威勢は添ってゆかれる。
源氏も、こうなると、朱雀院や帝へのお手前もあって、宮をなおざりにできなくなり、ようやく、宮のもとへ通う日は、多くなってゆくのであった。
(当然のことだわ……)
と、紫の上は思う。
(疎略にお扱いしているなどと、主上《うえ》や院のお耳に入っては畏《おそ》れ多いのですもの……)
そう思いながら、女三の宮を世間が重々しく遇すれば遇するほど、わが身がかえりみられて心ぼそい思いが増すのだった。
(わたくしには、庇《かば》って下さる院も主上もない。ただ、殿のご愛情だけを頼みに、人に負けない暮らしをしているけれど、醜く年をとったら、いつかはそのご愛情もさめてしまうわ。……そんなさびしい目にあうより前に、自分から世を捨てたいわ)
そう思ってはいるが、自分から、人の気持をさきくぐりしていうように源氏が思いはすまいかと、彼女は口を噤《つぐ》んでいた。
彼女がいま、いちばん心かたむけて可愛がっているのは、明石の女御が生まれた姫宮であった。姫宮をこちらの御殿で大切にお育てして、源氏のいない夜も、心を慰めることができるのだった。
花散里《はなちるさと》は、紫の上が、可愛い孫宮のお世話に追われているのがうらやましくて、こちらはこちらで、夕霧と典侍《ないしのすけ》のあいだに生まれた姫宮を切に乞《こ》うて引きとり、育てることにした。美しい童女で、年齢よりは大人《おとな》びてさかしいので、源氏も可愛がった。
源氏の子は、息子一人娘一人で、いかにも少ないように思っていたが、末々はひろがって、子供たちが増え、源氏のつれづれを慰めるのであった。
養女ともいうべき玉鬘も、いまではしげしげと、よくこの六條院に顔を出し、紫の上とむつまじい間柄になっている。その夫の鬚黒の右大臣も、源氏と親しい。玉鬘も、いまは押しも押されもせぬ高官の夫人らしい威厳があり、源氏はかの昔の好色《すき》心《ごころ》も思いはなれたようである。若かった人々も、みな、中年者《おとな》になったのであった。そうして、心ひらいたたのしいおとなのつきあいになってゆく。たがいの人柄を敬愛し、親しみむつみ合う、たのしいおとなの世界が展開されてゆく。
そんな中で、ぽつんとひとり、取り残されているのは、いつまでも未成熟な女三の宮であられた。源氏は、実の娘の女御は、もはや結婚相手の帝《みかど》にお任せして、いまは女三の宮をいとけない娘のようにいたわり育てていた。
朱雀院から姫宮にお便りがあった。
「臨終のときが近づいた気がしていますが、死ぬ前にはもういちどお会いしたいと思うのです。仰々しくしないで、そっとこちらへ来て頂けまいか」
といわれるのであった。源氏は尤《もっと》もなこと、と思った。それにしても、何か、風《ふ》情《ぜい》のある名目を、と考えて、今度、院は五十歳におなりになるはず、若返りということばにちなんで若菜など調理してさし上げようか、と思いついた。その設けのいろいろ、何しろ出家なすった方のことなので、普通とはこと変る作法もあり、源氏はさまざま心を砕いて、朱雀院をお喜ばせしようと準備しはじめた。
朱雀院は音楽愛好家でいられるので、楽人《がくにん》や舞人を、入念に撰《えら》んだ。各宮家や名流の子弟、えらばれた人々は、今日このごろ、音楽や舞の稽《けい》古《こ》に余念もないありさまである。
朱雀院は、女三の宮の琴をお聞きになりたい、と仰せられたそうであった。源氏に教えられて少しは上達したろうか、と親心にたのしみにしていられるらしかった。
源氏は、いそいで、熱心に女三の宮に教授をはじめた。
「宮が恥をおかきになっては、おいたわしいから、しばらく、つき切りでお教えするからね」
と紫の上にことわって、明けても暮れても宮に、琴《きん》の琴《こと》をお教えする。素直な方なので一生けんめい習われて、少しの間に、大そう手をあげられた。調べの殊にかわった手を二つ三つ、面白い大きな曲、四季によって変化する調子、寒さ暖かさによって調べをととのえなければいけない、そういう微妙で繊細な弾《ひ》き方を、源氏は知るかぎり熱心に教えこんだ。
少しまだ頼りないところはありながら、宮はようやくに会《え》得《とく》されるにつれ、美しい音《ね》色《いろ》を奏でられる。
女御の君は、うらやましがっていられた。
「わたくしにも、教えていただけませんでしたわ。ぜひ、その秘曲をお聞きしたいわ」
とおっしゃって、なかなか出ない退出のお許しを、
「ほんのしばらくの間」
とお願いして、やっと六條院へ里下りなさった。もう御子はお三方おいでなのに、いままたご懐妊で、五《い》つ月になられる。
いつしか冬であった。源氏は、冬の月が好きなので、月の光のもとで、この頃は女房たちをあつめて合奏に余念がない。紫の上は、
「年があけて春になりましたら、ゆっくり宮さまのお琴をお聞かせ下さいませ」
といっていた。年の暮れは、六條院の主婦たる彼女は忙しいのである。あちこちの人々の春の衣裳の調製に、指図したり考案したりしなければならないのであった。
年あけて、朱雀院の五十の御賀は、御所でまず行なわれ、六條院は二月の十何日と定められた。その日にそなえて音楽の練習が、いよいよさかんになる。
「お上手になられましたね」
と源氏は女三の宮の琴《きん》の音色をほめた。
「対《たい》のひとが、あなたの琴を聞きたがっていますよ。邸《やしき》の女人たちで合奏して、女楽《おんながく》を試みたいものですね。今の時代の名人上手でも、この邸の人たちにはかなわないくらいですよ。あなたもそうだ。あなたくらい弾ける人は、そうざらにはいませんよ」
「ほんとう?……」
宮は無邪気に嬉しそうにしていらっしゃる。
「そんなにわたくしは上手になったの?」
宮はご自分では何もおわかりにならない。師匠が受け合われたので、自分の上達を、自分で心から嬉しく思われる。
二十一、二ぐらいにおなりだが、まだ少女っぽくて、体つきもほっそりと弱々しく、やさしく愛らしい。
「お父院にも長らくお目にかかっていられないのですから、今度、会われたら『立派に成人した』とご満足なさるように、よくよく気をつけてご挨拶《あいさつ》なさるがよい」
「はい」
と宮は、源氏のいうことは、何ひとつ違えるまいと緊張してうなずかれる。源氏に、何かにつけ教わらなければ、何ごともおできになれない。
(ほんとうに、殿がこうしてお指図なさり親代りに教え育てられなかったならば)
と、おそばの女房たちはひそかに思うのであった。
(宮さまの幼稚さが物嗤《わら》われになったかもしれぬ……殿のおかげで目立たずに庇われているけれど)
正月二十日頃のことで、空ものどかに、風も暖かくなっていた。梅もほころびはじめ、庭の木々の梢《こずえ》は芽ぶいて霞《かす》みわたっている。
源氏は、女人たちばかりの音楽会を催したいと思った。二月になればもう御賀の準備で物さわがしい。楽の音をひびかせていると、試《し》楽《がく》のように人は噂するであろう。今ごろがさりげなくていい、と思うのである。
紫の上を、宮のお部屋のある寝室へ伴った。
音楽に堪能《たんのう》な女房たちがお供する。女童《めのわらわ》は美しい子ばかり四人を連れていった。
つどう女人たちは、紫の上に女御の君、それに明石の上である。迎えるのは女三の宮であった。
それぞれに、美しい女人たちが、また花のような美少女たちを引き連れてゆく。四ところの女人は、それぞれの美少女を、趣向を凝《こ》らせて着飾らせるので、そのはなやかな、心おどる美しさについて、筆を惜しむことはできない。
まず紫の上の女童たち四人は、赤色の上着に桜襲《さくらがさね》の汗衫《かざみ》を着て、薄紫の袙《あこめ》、浮紋《うきもん》の表袴《うえのはかま》、つや出しの紅《くれない》の下衣《したごろも》、ものごしも洗練されてみやびやかである。
女御の方の美少女たちは、青色の上着に、蘇《す》芳襲《おうがさね》の汗衫、唐綾《からあや》の表袴に、山吹色のうすものの袙である。おそろいの装束であった。
明石の御《お》方《かた》のほうは、紅梅襲《こうばいがさね》二人、桜襲二人、青磁色の汗衫を着せ、袙は濃紫《こむらさき》や薄紫であった。ことにも趣味がよい。
女三の宮は、人々が心をつけて衣裳を着せると聞かれて、女童をことにつくろわせられた。青《あお》丹《に》色《いろ》の上着に、柳襲の汗衫、赤紫いろの袙など、格別、珍しいというのでもないが、さすが重々しく気品ある風趣が御殿全体に漂っていた。
廂《ひさし》の間《ま》のへだての襖《ふすま》をとり払い、あちこちに几帳《きちょう》だけを置いてある。中の間には源氏の席が設けられた。
今日の拍子合せには子供を呼ぼう、という源氏の意向で、鬚黒の右大臣の三男、玉鬘との間にできた上の公達《きんだち》に笙《しょう》の笛、夕霧の左大将の長男に横笛を吹かせる。少年二人は簀《すの》子《こ》(縁側)にかしこまっていた。
廂の間には御茵《しとね》を並べ、琴どもが女人たちの前に置かれた。秘蔵の名器の、美《み》事《ごと》な紺地の袋などに入れてあるのを取り出して、明石の御方に琵琶《びわ》、紫の上に和《わ》琴《ごん》、女御の君に箏《そう》の琴《こと》、宮には、
「こういう物々しい名器はまだお扱いになれぬかもしれぬな」
と、源氏は、宮が日頃弾きなれていられる琴を、自身調律してさし上げる。
「箏の琴は絃《いと》がゆるむというのではないが、ほかの楽器と合奏する時の調子によっては、琴《こと》柱《じ》の位置が狂うものだ。気をつけて琴柱の立ちどをきめておけばいいのだが、女では絃をしっかり張れまい。やはり大将を呼んだ方がいい。この笛吹きたちでは、あんまり幼くて拍子を整える頼りにならない」
と源氏は笑って、夕霧を呼ぶようにいった。
女人たちのあいだにざわめきが走った。みな夕霧に聞かれるのがはずかしくて、気が張る、と思うようである。
夕霧も緊張し、気をつかって格別に身づくろいしてやってきた。色あざやかな直衣《のうし》の、袖にも下衣にも深く香をたきしめて……。
彼は、紫の上の音色を洩れ聞くこともできようかと、心おどらせていたのである。
春の夕ぐれ、梅は去年《こぞ》の古雪と見まがうばかり咲きみちて、えもいえぬ匂いを放っている。
それに御簾《みす》のうちの美しき女人の薫香《くゆり》がまじって人を酔い心地にさせてゆく。
源氏は御簾の下から、夕霧の大将に箏の琴の端《はし》をすこしさし出した。
「わるいがね、夕霧よ、この琴の絃《いと》を締めて調子を合わせてみてくれないか。ここは内々の者ばかりだからね」
というと夕霧はかしこまって受けとった。
態度が端正でしかも親しみぶかい物腰の青年である。壱越調《いちこちちょう》の音に基準を合わせたが、弾くことはしない。源氏が、
「やはり、調子を合わせるほどにはかき鳴らしてほしいな。音楽の宴の誘い水だよ」
というと、
「とんでもございません。今日の管絃のお遊びのお相手ができるほどの腕ではありませんので」
と固くなって辞退する。
「それはそうかもしれぬが、女ばかりの音楽会に負けて逃げ出したと噂されては、そなたの名折れだろう」
源氏は笑った。夕霧は仕方なく、調子を合わせ終ると、趣きのある一曲を弾いて、琴を返した。
夕霧の長男の少年、鬚黒の三男の少年、かわいい公達がいっせいに笛を吹き立てる。まだ音色は若々しいが、上達しそうな冴《さ》えた音色である。
女人たちのかき鳴らす琴の音はいずれもすぐれて堪能であるが、中でも明石の上の琵琶の音色は澄み切って神々《こうごう》しいばかりである。
夕霧は紫の上の弾く和琴の音色に耳かたむけた。やさしくて親しみ深い愛嬌《あいきょう》ある爪音《つまおと》である。その道の専門家の、もったいぶった弾き方とは別に、かろやかな天衣無縫の弾きかたなのだった。
女御の君の箏の琴は、ほかの楽器の合間に仄かに洩れてくるが、愛らしく優美である。
女三の宮の琴《きん》は少々まだ未熟だが、習練の功あって、ほかとよく調和がとれていて、
(おお。上達なさったものだ……)
と夕霧も思う。
夕霧は扇で左の掌《たなごころ》を打ちつつ歌った。源氏もそれに加わる。青年の澄んだ朗々たる歌声に合わせて源氏の重々しい声がまつわり、夜空にたちのぼってゆく。面白い、なつかしい遊びの夜とはなった。
月の出のおそい頃なので、燈籠《とうろう》をここかしこにかけて、よきほどに灯を点じさせる。
源氏は、周囲の美しい女人たちをかえりみた。
女三の宮は小柄でいらして、御衣裳に埋もれてしまわれたような、あえかな愛らしい方である。青柳のしだれ初《そ》めたころの、なよなよした風情といえばよかろうか、華奢《きゃしゃ》でよわよわしい美しさ。桜の細長《ほそなが》を着ていられて、黒髪はそれこそ、柳の糸のようにはらはらとこぼれている。
女御の君は女三の宮よりいま少し、なまめかしさがまさっていられる。おとなびたゆかしさといおうか、その風趣は、風にゆらぐ藤の花のよう。おなかがもう大分、大きくなっていらっしゃるので、もの憂《う》げに脇息《きょうそく》によりかかり、お琴はかたわらに押しやっていられる。紅梅襲《がさね》のお衣裳に散りかかるお髪《ぐし》の美しさ。お体つきがお小さいので、脇息が大きくみえ、特別に小さいのを作ってさしあげたくなるようないたいたしさである。
紫の上は葡萄《えび》染《ぞめ》らしい色濃い小袿《こうちぎ》に、薄い蘇《す》芳《おう》の細長。
髪は多すぎるほど裾にたまって、体つきもほどよい大きさで、ゆったりした物腰の気品、いうならば桜の花ざかり、というところでもあろうか、これこそ成熟した女人の、きわまりの美しさである。
明石の上はまた柳襲の細長に、萌《もえ》黄《ぎ》色《いろ》の小袿。そうして身分たかき女人と同席するつつしみを仄見せて、わざと女房風に、羅《うすもの》の裳《も》を形ばかりつけている。
そうして、青地の高《こ》麗錦《まにしき》の縁《ふち》の茵《しとね》に、遠慮してまともに坐らないでいる。
彼女は、琵琶を下に置き、ただ形だけ膝《ひざ》にかけてしなやかに弾きならすのであるが、その様子の凜《りん》として気高いさま、花たちばなの香りのような、といったらよかろうか。
かえって高雅な気品は、この女《ひと》のほうがまさる、といいたいほどである。
夕霧の大将は御簾のうちの女人たちに心ひかれるが、とりわけ、紫の上を想うと、ゆかしくてたまらない。いつか野《の》分《わき》の朝にかいまみた時よりも、いっそう年を加え美しさは添うていられるだろうなあ、と思うと、心が騒ぐのであった。
女三の宮にも関心がないとはいえない。父院が自分を候補者に、と考えていらしたのを、自分の決心もつかず、官位も低く、ために縁談は成立しなかった、そのことを今も幾らかは残念に思い、姫宮に心ひかれてもいる。しかし、あのあと、猫の一件で、宮の子供っぽさを知って、軽侮するというのではないが、関心はかなり薄れてしまった。
そこへくると紫の上への思慕は、年々に深増さってゆくばかりである。あの美しき若き義母に捧げる敬愛の念を、どうかして知って頂きたいと思うが、伝えるすべはないのだ。
(いつの日にかは……)
と夕霧は嘆きつつ、遠いあこがれに向ってためいきを洩らすのであった。
しかしまじめな彼は、それかといって、あながちに大それたことは考えなかった。怪《け》しからぬ、道にはずれた恋を抱いているのではない、ただすぐれた女人への敬慕の真情を知って頂きたいだけなのだ、と、強《し》いて自分の心に言い聞かせていた。
更《ふ》けゆくままに、夜気はひややかになった。臥待《ふしまち》の月が、やっとさし出した。
「もどかしい春の朧月夜《おぼろづきよ》だ。楽の音もかすむね……秋の楽の音は澄んで、そこへ虫の声もまじって面白いものなのだが」
源氏はいった。夕霧はうなずいて、
「秋は、音色が冴えますが、あまりに道具立てがととのってことさら作ったようですね。春はおぼろな月影にかすむのが、かえってよい所ですよ。昔の人は、『女は春を憐《あわ》れむ』といいましたが、まことにそうで、春の夜の楽の音こそ、物なつかしくやさしいものでございます」
夕霧が春を弁護するのは、紫の上が、春を好きだということを仄かに聞いていたからだった。
「春秋の優劣、というのは昔から決着のつかないものだが、ま、それはそれとして」
源氏は夕霧に向って、
「どうだろう。この頃、名人上手といわれる人の演奏を、主上の御前で聞いても、これは、という堪能な人が少ない。私は近頃、世間に出ないので耳がうとくなっているのかもしれないが、この邸の婦人連の音楽の方がすぐれているように思えてしかたないのだよ。そなたはどう思う」
「いや、それを申しあげようと思っていたところですが、差し出がましいかと控えて居ましたのです。――はるか昔は存じませんが、現代では柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》の和琴、兵部卿の宮の御琵琶が、名人上手とうたわれております。しかしながら、ただいまうかがった楽の音ほどお美事なのは、聞いたことがありません。すばらしいものでございました。ことに和琴は、かの前太政大臣が名手で、折々に感興ほとばしるが如く弾きこなされましたのを、まだおぼえておりますが、今《こ》宵《よい》のそれも、まさるとも劣らぬものでした」
とほめた。それは紫の上をたたえることである。
「大げさに讃《ほ》めたものだね」
と源氏は笑って、
「明石の琵琶は別として、ほかはまあ、わるくはない弟子だね。ここまでするのは大変だったよ」
(まあ、お師匠さん顔をなさって)
と、女房たちは忍び笑いをしている。
「芸術の道は、学びはじめると際限のないものだね。ことに琴《きん》の奥義を会得するのはむつかしい。私が、これに夢中になっていた頃は、この国に伝わるありとあらゆる譜を研究して、とうとう師と仰ぐべき人もないほどに熱心に習ったものだが、それでも昔の名人にはかなわない。まして後の世には、伝えるべき才のある子孫もいないのはさびしいことだ」
と源氏はいった。夕霧は父ほどに音楽の才に恵まれていないのを知っているので、はずかしくも残念にも思う。源氏はむしろ、孫の宮に期待をかけていた。
「二の宮は楽才がおありのようだね。私が手をとってお教えしたい。尤《もっと》もそのお年頃まで私が生きていれば、だがね」
明石の上は嬉しさに涙ぐんで聞いていた。
女御の君は疲れられたのか、箏の琴を紫の上に譲られ、物によりかかって休んでいられる。紫の上は和琴を源氏に托《たく》して、自分は箏を弾いた。
「葛城《かずらき》」を合奏して、うちくつろいだ演奏になった。源氏のくり返し唄う声は華やかに面白い。月はようやく上り、花の色もけざやかになる。
紫の上の琴の音は親しみあり魅力的であった。女三の宮の音色もきれいに澄んで、むつかしい奏法を巧みに、源氏のお教えした通り、弾きこなしていらっしゃる。源氏はおかわゆくも、面目にも思う。
若君たちが一生懸命に笛を吹き立てているのを、源氏はかわいく思って、
「もうねむたいだろうに可哀そうなことをしたね。今日はほんのちょっとの間、と思っていたのだが、面白さに止《や》められなくなってしまった。それに、各々がみな上手なのでね。どなたが巧みかと聞き比べようとしているうちに、夜が更けてしまった。心ないことをしたね」
といって、笙の笛を吹いた少年に盃《さかずき》をさし、衣裳を与えた。横笛の少年には紫の上から衣裳の引出物が出た。
夕霧には女三の宮から御衣裳のひと揃《そろ》えが下される。源氏は、
「けしからぬことだ。何でも、まず師匠にこそ、ご褒《ほう》美《び》が出るはずなのに」
と冗談をいうと、宮から笛がさし出された。源氏は笑って受け取り、すこし吹き鳴らす間に、夕霧たちも座を立つ。夕霧は子供の笛をとりあげて面白く吹き合わせ、たのしい宴の別れぎわとなった。
夕霧の大将は、若君たちを車に乗せ、月の澄む夜空のもとを、邸に帰っていった。
道すがら、紫の上の琴の音色が耳についてはなれなかった。
あの音色を日に夜に、聞くことができたら……と恋しかった。
妻の雲井雁《くもいのかり》は、亡くなられたおばあちゃまの大宮に、琴を教わっていたものの、熱心に習うところまでもゆかぬうちに別れてしまったので、あまり上達はしていないらしい。恥ずかしがって夫の前では弾かないのであった。
おっとりとうちとけた人柄の雲井雁は、何ごともあけ放しで、目下のところ、次々に生まれる子供の世話にあけくれている。
ごく普通の主婦なのである。
男心をそそるおくゆかしさにも風情にも乏しい。しかしさすがに時折は、嫉《しっ》妬《と》もするのだった。夕霧のもう一人の妻、典侍《ないしのすけ》とのことで口争いになるときもある。
そういうときの雲井雁は、愛嬌があって可愛らしかった。夕霧は、嫉妬して怒っているときの妻に、筒《つつ》井《い》筒《づつ》の童女のおもかげを見つけて、可愛くも面白くも思うのであった。
源氏はあくる日に紫の上の部屋で話しこんでいた。
「宮のお琴は上手になられただろう?」
「ええほんとうに。以前は少し、たどたどしくお聞きしましたけれど、昨夜はほんとうに上達なさっていて、びっくりしましたわ。そのはずよ。あんなに熱心にお教えになっていたのですもの。一々、手をお取りになって」
紫の上は、すこし皮肉をいっているのである。源氏は苦笑して、
「あなたが小さかったときは、私も忙しかったものだからね。しかし利発なあなたはひとりで上達したね。私も鼻が高かった。大将など、感嘆して聞きほれていたではないか」
源氏は、まさに紫の上ほど非のうち所のない女人はないと思うと、いつものことながらかえって不安になる。そういえば藤壺《ふじつぼ》の宮のお崩《かく》れになったのと同じ、今年は紫の上も三十七であった。無病長寿の祈《き》祷《とう》をあちこちでさせなければならぬと思った。
「それにしても長い年月を、二人で過ごしてきたものだね。――この上とも長生きをしてもらわなければ。
私は小さいころから並みの人とちがう身分に生まれ、恵まれた人生を送ったようにみえながら、また一方では、たぐいなく悲しい思いばかりしてきた。母、祖母、父帝《みかど》、私を愛してくれる人に次々と死別してきた。その不幸のおかげで、今まで生き永らえているのかもしれないがね。
それにくらべると、あなたは幸福といってもよいのではなかろうか。あなたが辛い思いをしたのは、あの須磨と京に別れていたあいだだけではなかったろうか。
帝のお妃《きさき》となっても、気苦労は絶えないものだし、それにくらべれば、こうして親もとにいるようなあなたの境遇は、ずっと気楽なものと、いってもいい。
女三の宮がお輿《こし》入れになったのは、あなたにとって心外だったかもしれないが、しかしそれ以後、あなたへの私の愛情は、以前の何倍にも深まった。あなた自身は、自分のことだからそうも思えないかもしれないけれど、しかし、頭のいいあなたのこと、そのへんのことはようく知っていて下さると思うのだけれどねえ……」
源氏の述懐に、紫の上は、深い思いのこもった微笑を浮べた。
「おっしゃる通りですわ。よるべのないわたくしを大切に扱って下さって、身にすぎた幸わせとよそ目には見えましょうけれど……心ひとつに包みかねるさまざまの思いが、ないわけではありませんわ。その物思いが、かえってわたくしを支えて、生かせてくれたのかもしれませんけれど……」
と紫の上は言葉を言い残して、あからさまに言いつくさない。そのさまはゆかしくも、凜《りん》としていた。
「ほんとうを申しますと、無病長寿のご祈祷よりも、出家したい願いがございますの。お許しが出れば嬉しいのですけれど」
「とんでもないことだ」
源氏は強く遮《さえぎ》る。
「あなたが世を捨てたあと、私に何の生き甲《が》斐《い》があるとお思いか。こうして何ということなく過ぎてゆく月日だけれど、朝夕、隔てなく顔を見られる、その喜びだけは、何にも代えられないと、私は思っているのだよ。あなただけを愛している。私の、この気持を、行く末長く、見とどけてほしいのだよ」
紫の上は涙ぐんでいた。源氏はそのさまがいじらしくもあり、また、言葉をつくして自分の真情を吐露しても、彼女の心にもう届かないのではないかという、もどかしい不安を感じるのであった。
源氏はその不安を紛らせるかのように、うちとけた話をはじめた。こういうときの例で、話題はおのずと、過去の女人たちの身の上になってゆく。かつての女性関係を話し合えるのは紫の上とだけだということを思い知らせ、彼女と源氏は運命共同体だと強調するかのごとく――。
「私はたくさんの女性を知っているわけではないが、ほんとに気が大らかでやさしい女《ひと》というのは、なかなかいないものだと痛感するようになった。
夕霧の母の葵《あおい》の上とは、まだ幼かったころに結婚したのだが、貴い身分の人で、疎略に扱ってはいけないと思いながら、しっくりしないまま終ってしまった。立派で賢い人だったが、気づまりで、会っていても楽しくなかった。
中宮の母君、六條御息所《みやすんどころ》はおくゆかしくて、優雅で教養たかい貴婦人でいらしたが、つきあうには緊張の連続でねえ。そして独占欲が強くていられて、まあ、若い私は恨まれるのが当然のようなこともしたかもしれないが、それを深く思いつめて根にもっていられ、気の休まるときがなかった。いま、中宮をお世話してさし上げているのも、あのかたを悲しませた償いと思っているのです。女御《にょうご》の後見である明石の上は、はじめは身分も低い女《ひと》と、気やすく考えて扱っていたのだが、どうしてどうして、自尊心たかく、心の底の見すかされない、深いものをもっている人でね。うわべは人になびき、素直におだやかなようだが、自分というものを見失わない。それで向っていると、何となく気がおける女《ひと》なのだよ」
紫の上はうなずいた。
「そうかもしれませんね。ほかのかたはお目にかかっていないからわからないけれど、明石の御方《おんかた》とはちょいちょい、それとなくお会いする折がありましたもの、わかりますわ。しっかりしてらして、うちとけにくくご立派で、それにくらべるとわたくしなど、ほんとにあけひろげなんですもの。あちらはどんなに思っていらっしゃるか、恥ずかしいわ――でも、女御はそんなわたくしをわかって下さっていると思いますけれど」
といった。
紫の上は、明石の上だけは許せないと、嫉妬していたのだが、いまは理解し、人柄ものみこんで親しくゆき来している。それもこれも、自分の娘としてお育てした女御のおんためを思う真心からなのだ、と源氏には、わかっていた。
そういう紫の上が、源氏にはこの上なく、すばらしい性格の女人に思われる。心に物思いがないわけではないが、よく自分を抑え、やさしく人々を抱擁する。
「あなたのような女《ひと》はまたとない。時々、嫉妬するのが、玉に瑕《きず》というところだが」
「そんなにわたくしは嫉妬しませんわ」
「自分のことは自分で分らないものだよ」
「どっちのこと? それは。あなたにそういってさし上げたいわ」
それで、源氏と紫の上ははじめて声を合わせて笑った。
源氏は、紫の上の笑い声を聞くことができてうれしかった。やっと安心した気になって、
「どれ、それでは宮に上手にお弾きになったお祝いを申上げてこよう」
と、夕方になってから、宮のもとへうかがう。
宮は、ご自分の存在が、誰かに苦悩を強いる原因になっていようなどとは、つゆ、思いもかけない風でいられる。たいそう若々しく、ただもうひたすら、今のところは琴の練習に夢中になっていられる。
「どうかもう、師匠にもおひまを下さって休ませて下さい。日頃の苦しい練習の甲斐あって、たいそうなご上達でしたよ。師匠へのお礼は、何を頂きましょうかな」
源氏は、宮のお琴を押しやり、宮を抱き寄せた。
紫の上は、源氏のいない夜は、夜おそくまで起きていて、女房たちに物語など読ませて聞いている。
そのあいだは、聞くふりをしながら、自分の物思いにふけっていられるので、よかった。
物語には、いろんな男や女が出てくる。浮気な男、色好みの男、ふた心をもつ男にかかわりあって苦しんでいる女、さまざまの人生や男女関係が出てくる。それでも、男というもの、いつかは誰か一人の女に定着してしまうようだ……それなのに、自分は不思議に、いつまでたっても浮草のように不安な状態ではないか。
あのかたは、自分に何度も誓われる。あなたひとりを愛している、と。何の物思いもさせなかった、親の家にいるようにのびのびとさせた、あなたは女人の中でも、いちばん幸福な人といってもよい、と――。
愛されているのはわかるけれど、それでも世の人妻たちなみに、嫉妬の苦しみや物思いから、一生解放されることなく、死んでしまうのではないかしら。
(ああ……重い人生)
紫の上はそんなことを考えつつ、夜更けて床についた。
そのあけがたごろから、胸が苦しく痛んできた。女房たちはあわただしく介抱し、
「殿にお知らせいたしましょうか」
と心配するのを、
「いけないわ……宮さまのほうへお渡りになったばかりなのにご心配かけては」
と紫の上は制した。堪えがたい苦しみを抑えているうち、やっと夜はあけたが、熱も出たらしく、気分もわるい。ちょうどそこへ、女御の君からお便りがあったので、「気分が悪くて」と申しあげると、女御は驚かれて、早速、そちらから源氏にお知らせになった。
源氏は聞くなり胸がつぶれて急いで帰ってきた。
「どんな気分だね」
と源氏は紫の上の躯《からだ》に手をあててみると、おどろくほど熱い。眼の光も弱って苦しそうなので、
(厄年の祈祷をさせなければ、と思った直後に、果して……)
と源氏は恐ろしくなった。粥《かゆ》などを運ばせたが、紫の上は見もしない。ひとくちの果物すら、咽喉《のど》も通らないで、大儀そうにして、起き上ることもできぬうちに日は過ぎてゆく。
源氏はそばを離れもやらず、何くれとなく介抱して、不安で気が気ではなかった。
(おそろしいことだ。藤壺の宮のお崩《かく》れになった、まがまがしい三十七という年齢《とし》。どうか神よ仏よ、この女《ひと》をお護り下さい)
源氏はあちこちの社《やしろ》や寺に、数知れぬ祈祷をさせた。邸にも僧を呼んで加持《かじ》をさせる。
紫の上はどこが悪いというのではなく、ただ、ひどく苦しがるのであった。胸の痛みのおこるときは堪えられぬほど辛そうで、源氏は助けてやることもできず、おろおろするばかりである。
祈願はさまざま立てるが、その効験《ききめ》もなく快《よ》くなるしるしは見られなかった。
源氏は心細くて悲しかった。
紫の上を喪《うしな》うことになっては、もはや生きている気もしない。いまは彼女の病気のことばかりがあたまを占め、予定していた朱《す》雀院《ざくいん》の御賀のことも、いつか立ち消えになってしまった。朱雀院からも、ねんごろなお見舞いがあった。
病状ははかばかしくなく、二月も過ぎていった。源氏はいても立ってもいられぬ気持で、
「ためしに住居《すまい》を変えてみたらどうだろう」
と、紫の上を二條院に移すことにした。
六條邸の人々は嘆き悲しみ、冷泉《れいぜい》院もお嘆きになる。
夕霧の大将《だいしょう》も一生けんめいお世話をした。
(この女《ひと》がもし亡くなられたら、父君も世を捨てられるだろうなあ)
夕霧自身も、紫の上を快《かい》癒《ゆ》させるためにはどんなことでもするつもりだった。本復《ほんぶく》祈《き》祷《とう》も、源氏のは別として、自分のほうでも僧に頼んで熱心にさせていた。
紫の上は、意識のしっかりした時には、
「前からお願いしています出家のこと……よろしいでしょう? いけないの?」
と源氏を怨《うら》むのであった。
「それはいけない。許せないよ」
源氏はやっと答える。命に限りあって死別するならともかく、目の前で、最愛の恋人がわが心から尼になる姿を見て、自分が堪えられようとは、源氏には思えなかった。
「私の方こそ、昔から出家の志があった。しかし、あなたがあとへ残って淋しがるだろうと、それがいとおしくて今まで実現できなかった。あなたは反対に、私を捨てていこうとするのか」
源氏はそういって、許さないのであるが、紫の上は、日一日と弱ってゆく。もしや、長くはないかもしれない、それならば本人がこんなに願っている出家を遂げさせてやれば、あるいは安心して、病気も快くなるのではなかろうかと、源氏は、とつおいつ思い乱れるばかりである。
女三の宮の方へは、もう、全く行かない。紫の上のそばにつききりであった。楽器はみな、手を触れることもなく取り片づけられ、六條院に仕えている人々も、みな二條院に参りつどう。
六條院の邸内は、火が消えたようになってしまった。ただ女三の宮はじめ、女君たちが、ひっそりと住んでいられるのみである。
今までの六條院の華やぎも栄光も、すべては、紫の上がいればこそ、というものであったと、人々は今更のように思い知るのだった。
女御の君も、二條院にお渡りになって、源氏と共に看病なさるのであった。
「常のおからだではいらっしゃいませんのに、物の怪《け》など憑《つ》いては恐ろしゅうございます。早く御所へお上りなさいませ」
と紫の上は、苦しい心地にも、女御をお案じする。女御が、お連れになっている女一の宮のお可愛いのを見て、紫の上はひどく泣いた。
「姫宮が、大きくなられるのを、もうお見上げすることはできますまいねえ……。わたくしのことも忘れておしまいになるでしょうね」
「そんなことを、おかあさま……」
と女御も、涙をとめられないで、お悲しみになる。
「不吉なことをいうものではない」
源氏は強くたしなめた。
「そんなことがあるものか。何事も心の持ち方次第、心のゆったりした人には幸運もそれにつれてくる。心のせまい人は幸運がきても保ち切れない。気みじかな人も、いらいらしてうまくいかない。のんびりと、おっとりしておだやかな人こそ寿命もおのずと延びるものだよ」
源氏は、女人たちの愁嘆場《しゅうたんば》の緊張をときほぐすように、ことさら、そんなことをゆるゆる、言い聞かせたりする。しかし、そういう源氏の心のうちは、誰よりも不安と悲しみで張り裂けそうになっていた。
(神よ仏よ。この女《ひと》をお救い下さい。女人に珍しく罪障かろき、心ばせの美しい女《ひと》なのです)
源氏は神仏への願文《がんもん》に、心こめて紫の上の美質を強調してしたためたりした。
加持祈祷を行なう僧たちは、源氏の苦悩を目《ま》のあたり見て、気の毒で、これも必死に祈るのであった。
すこしよくなるときが五、六日交ってはまた重くなり、して月日はむなしく過ぎてゆく。
(どうなるのか……このまま、ということはよもやあるまいが)
と源氏は物狂おしく嘆く。
さりとて、物の怪が現われる様子もなかった。どこが悪いということなく、日がたつにつれて弱ってゆくのみである。美しい面《おも》輪《わ》が日に日にやつれてゆくのを、源氏はなすすべもなく苦しんで見守っている。
もはや、一刻も心の安まる間もなく、そのほかのことは考えられなかった。
そういえば、かの、柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》は、中納言に昇進したのだった。
主上のお覚えもめでたく、世に時めいている青年である。世の信望が重くなるにつけても、女三の宮への恋が叶《かな》わぬ悲しさが、柏木には、こたえた。せめてものことに、柏木は女三の宮の異母姉に当られる、女二の宮と結婚した。
女二の宮のご生母は、身分の低い更《こう》衣《い》であったので、柏木は、皇女を北の方に頂いたといっても、少し軽く見ていた。
女二の宮のお人柄もお姿も、なみの女人よりはすぐれていられるのだが、柏木の心に深く染《し》みついた女三の宮への思慕を、消すことはできない。
柏木は、女二の宮では慰められなかった。
ただ世間に怪しまれない程度に、妻らしく扱っているにすぎなかった。
柏木は、女三の宮への思いを捨てていないで、小《こ》侍従《じじゅう》という女房に、いまも連絡をとっていた。
この小侍従は、もともと、宮の乳母《めのと》の娘で、その上、乳母の姉が、柏木の乳母になっている人であった。そんな縁からも、柏木は、早くから女三の宮のお噂《うわさ》を、乳母を通じて聞いていた。宮が幼いころからお美しかったこと、父帝がことにご寵愛《ちょうあい》になったことなどを聞いていて、そのころから恋ごころが芽生えていたのである。
そんな柏木にしてみれば、紫の上の病気で源氏がそれへかかりきりになり、六條院が人少なになっているらしい今が絶好の機会とも考えられる。
自分の邸《やしき》へ小侍従を迎えて、夢中でくどくのであった。
「一向に頼みを諾《き》いてくれないんだね、小侍従。昔からこんなに死ぬほど恋い焦《こ》がれている私に、ちょうどあなたのような親しい手《て》蔓《づる》があって、宮のご様子を洩れ聞いたり、こちらの気持もそれとなくお伝えできたりして、頼もしい相談相手と思っているのに、一向、はかばかしい、色よいたよりをもたらしてくれないじゃないか。
御父院も今では、六條院へ宮をご降嫁させられたのを少し、後悔なさっているらしい。六條院は女君がたくさん居られ、特に紫の上に宮は圧倒されて、ひとりつれづれの夜をお過ごしになることが多い、ということを聞かれ、『同じ臣下にかたづけるなら、真面目《まじめ》に世話をしてくれる青年の方がよかった』と洩らされたらしいよ。『女二の宮の方が、かえって安心のできる結婚だったかもしれない』といわれたとも聞いた。お気の毒とも残念ともいいようのない気持だった。同じご姉妹《きょうだい》だからと思って、せめてもの心やりに女二の宮を頂いたが、やっぱり、同じではないからね」
と青年はためいきをつく。
「まあ、大それたことをおっしゃる。女二の宮がおいでになるというのに、まだその上に、なんと欲深なことを……」
小侍従は呆《あき》れて、咎《とが》めるようにいう。
「欲深でない恋があるかね?」
青年はたじろがなかった。
「ご無理をおっしゃいますな。まあ考えてもご覧なさいまし」
小侍従は口達者《くちだっしゃ》な女である。
「人にはそれぞれ、相応の前世の因縁《いんねん》があるのですから、しかたないではございませんか。六條院が姫宮をおあずかり申しましょう、とご降嫁を承諾なすったとき、あなたはそれに張り合って、横から口出しできるご身分でいらしたと思われますか? いまでこそ、少しはご身分も高く貫禄《かんろく》もつかれて、御衣裳の色も深くなりましたけれどね」
というのは、柏木が中納言になって、濃い紫の袍《ほう》になったことをあてこすっているのである。
柏木はやりこめられて反駁《はんばく》もできず、
「わかったよ。過去はもういい、だが、いまは滅多にないいい折じゃないか。人の少ないときに、宮のおそばへいって、日頃の胸の思いをすこしでも打ちあけられるように、計らってくれないか。――むろん、大それた下心などはないよ。考えてもみてくれ、そんな恐ろしいことはできるはずがない。ただ、ひとことふたこと、お話申したいだけなのだ」
「なにを考えられるやら……宮のおそばへなどと、これ以上の大それた下心などありましょうか。全く、あなたのところへ伺うと、何をきかせられるかわかったものじゃありませんわね」
小侍従は、口をとがらせて文句をいうのである。
「おい、そうむごくいうなよ。小侍従は怒るがね。男女の仲ほど分らないものはないよ。女御《にょうご》・后《きさき》といった高貴な身分の方でも、どうかしたはずみでほかの男に身を任せられる例もないではない。まして女三の宮は、朱雀院ご寵愛の内親王で、六條院の北の方という、たいそうなご威勢だけれど、実際の生活は、ご幸福だろうか。たくさんの、身分の低い女君たちとひとしなみに扱われて、さぞ面白からぬこともおありだろうと、拝察しているよ。宮の、そういう憂わしいお噂は、私も耳にしているのだ。世の中は変りやすいもの……何ごともそう、あたまからきめてかかって、情け知らずにいうものじゃない」
柏木は、自分の恋に夢中で、宮に対して無礼な言葉を吐いているとも気付かない。
「何ですって。あんまりですわ、それは……」
とうとう、小侍従は怒り出してしまった。
「宮さまを何だと思ってらっしゃるんです。そのへんの遊び好きな青女房を相手にされるのとはちがいますよ。――六條院の女君たちにけおされていらっしゃるといっても、今更、わりのいい方へご再婚なさるわけにもいかないのですよ。このご結婚は普通のご結婚じゃありません。御後見役として親のつもりで、と朱雀院がお頼みになったのですよ。だから六條院の殿も、宮も、そんなふうにお思いになっていらっしゃいますのよ。それを勝手にご自分に都合よく解釈して、わるくおっしゃるなんて」
小侍従を怒らせてしまったら、もう、手づるは切れてしまう。
青年は、あわてて、一生けんめい、下《した》手《で》に出て、あれこれ弁解したり、なだめたり、した。
「いや、本当をいうとね、あんなりっぱな六條院のおん有様を見馴れていらっしゃる宮が、私のように見すぼらしい男を、親しく見て下さるはずがない。欲はいわない。ただ一ことだけ、物を隔てて、お話したいだけなんだ。それぐらいのこと、宮のご名誉を傷つけることでもあるまい。神や仏にも、思うことをいって何の罪になるのかね」
青年は何べんも誓言して、決して、非礼なことはしないから、と泣くように頼む。
はじめのうちこそ小侍従も、
「宮さまのお近くへご案内するなんてことはとてもできませんよ」
と拒んでいたが、何分、若い女のことで、青年の熱情に押し切られてしまった。命に代えても、という青年の頼みに、しまいに根気負けして、不承不承に、
「そうでございますねえ……もしかして、適当な折がございましたらお知らせしましょう。殿がおいでにならない夜は、御帳台《みちょうだい》のまわりに女房たちがたくさんいますし、おましどころのそばにも、しっかりした年輩の人たちが詰めていますのよ。なかなか、難かしいんですけれど、仕方がありません、なんとか考えてみますわ」
「頼むよ、この通りだ、小侍従」
「私を拝まれたってどうしようもございません」
小侍従は困惑して六條院へ帰っていった。
柏木から、
「どうした。まだか。どうなっているのか」
と毎日責められるので、小侍従は困り果てていた。そのうち次第に追いつめられて、今更、拒絶することもできなくなってしまう。
ついにある日、小侍従はよき機会を捉えて、柏木に便りを出した。
柏木は喜びながら、目立たぬように身をやつして六條院に忍んできた。
(ああ、自分は何をしようとしているのか)
と、柏木は思う。自分で自分をおそれながら、しかも恋に目《め》眩《くら》んだ身には、もし宮に近づいたりしたら、かえって物思いが深まり、煩悩《ぼんのう》が増すだろう、などということまで考えられない。
(あの春の夕ぐれ。仄かにお召物の裾ばかりを見た時から、一刻も忘れたことはない。あのお姿をいま少し近くで見て、積もる思いをうちあけたなら、一行のお文でも下さるかもしれぬ。あわれと思って頂けるかもしれぬ)
それは四月十日すぎのことであった。賀《か》茂《も》祭《まつり》に先立つ御禊《みそぎ》が、ちょうど明日だというので、六條院からも斎院《さいいん》にお手伝いとして女房が十二人、出ていた。
身分の高くない若い女房や女童《めのわらわ》たちは、それぞれ明日の物見の支度に、いそがしそうに物を縫ったり、化粧したり、していた。
女三の宮の御前は、ひっそりと、人少なである。
お側にお仕えしているはずの按察使《あぜち》の君も、時々通ってくる恋人の源《げん》中将が、無理に誘い出したので、自分の部屋に下っていた。
だから宮のおそばには、小侍従ひとり、いるきりなのだった。この折をはずしてはない、と思って、柏木に連絡したのである。
小侍従はそっと、柏木を、宮の御帳台の東側の御座所の端に、坐らせた。
それが、あとで、どんなに重大な運命を招くともしらず……。
宮は、何心もなくおやすみになっていたが、身近に男の気配がするので、
(殿かしら……)
と思っていらっしゃると、六條院より若々しい男の声で、低くささやく。
「お驚きなさいますな。怪しいものではございません。お声をお立てにならないで下さい。決して失礼はいたしません」
そういいながら、男はかるがると宮を抱きあげて、御帳台の下におろした。
宮は、悪夢に魘《うな》されたような気持におなりになって、物もわからず、されるままになさっていて、ぼんやりとご覧になると、源氏ではない、未知の男である。
何か、低い声でしきりに訴えつづけているが、驚愕《きょうがく》された宮には、ひとことも耳に入らない。
気味わるくておそろしくて、やっとのことで、小さく人をお呼びになるが、近くには誰もいないので、参る者もない。
ただ、わなわなと顫《ふる》えていらっしゃる。
冷汗は水のように流れ、手足は冷たくなり、半ば正気を失っていらっしゃるようなご様子は、お気の毒にもあるが、また、いいようもなく可《か》憐《れん》であった。
「お気をたしかに。私は怪しいものではありません。ただ、私の申しあげることをお聞き頂きたいだけです……どうか、お気持をお静め下さい……」
青年は必死になって、ささやいている。
宮の恐怖と惑乱を静めようとして、低く、ゆっくり、噛《か》んで含めるように、そめそめとささやきつづけている。
そのうち、やっと宮のお耳にも、青年の言葉が、はいってきた。
それは、心の奥底から出てくるような、傷《いた》みをもった深い声である。
「物の数でもない身ですが、そうもいとわしくお嫌《きら》いになるような者でもございません。昔から、宮さまに対して身の程も知らぬ思いを捧《ささ》げておりました。それをひたすら胸一つにおさめておりましたならば、外には出なくてすんだでしょう。
私の心に、埋めがたい深い穴はあいても。
しかし、私は、抑え通すことはできませんでした。
なまじい、宮さまを賜わりたいという希望を、明かしてしまいました。朱雀院は私の願いをお聞きになって、満更、身の程知らずとも思われず、いくらかはお考え頂いたようでした。私は、もしやと、望みをかけていたのですが、そのころはまだ身分も低く、ついに宮さまは六條院にご降嫁になりました。
どんなに嘆いても、もう運命は定まってしまったのです。悲しんでも口惜しくても、今は甲斐《かい》ないこと、と思いながら、この年月、失われた恋の傷《いた》手《で》は、深増さるばかりでございました。
六條院が憎らしく、宮さまがあわれにも恋しく、物思いは乱れるばかりです。
自分で自分の心を制御できませんでした。
とうとう、こんな大それた振舞いをして、宮さまをおどろかせてしまいました。
何という失礼な男かと、お蔑《さげす》みになりましたでしょう。無思慮な行動を、自分でも羞《は》ずかしく思います。
これ以上の罪を重ねる心は決してありませんから、ご安心下さい」
青年の言葉で、宮は、
(……では、あの、いつも手紙をよこす、柏木の衛門督なのだわ)
と気がつかれた。あの情熱的な手紙をひそかに届けてくる青年が、とうとう、邸の中へ忍びこみ、現実に、身近にいると気付かれると、宮は、いっそ物の怪におそわれるよりも、戦慄《せんりつ》と不安を感じられた。
お声も出ないで、わなないていらっしゃるのであった。
「宮さま。何か、おっしゃって下さい」
青年は、宮のお体をゆすぶる。
それは、しらずしらずのうちに、情熱に流されて、手あらなしぐさになっている。
「驚かれるのは無理もありませんが、人妻を恋することも世にためしはあることです。あまりにつれなくなさるなら、かえって男は自棄的になりますよ。何をするか、もう自分でもわかりません。どうか、あわれな、と一言だけでもお言葉を下さい。
それだけを唯《ただ》一つの喜ばしいなぐさめとして、退出いたします」
青年はかきくどくが、どうして、宮に、ものがおっしゃれようか。
まだお目にかからぬうちに柏木が想像していた宮は、端麗で、近よりがたい気高さをもっていられる女人であった。
だから、思いつめた心のほんの端ばかりでもお耳に入れて退《さが》ろう、とてもそれ以上の手出しはできまい、とばかり思っていたのに、現実に拝見すると、したしみやすい愛くるしい方だった。
しかも、なよなよとしていられて上品で可憐で、えもいえず、やわらかな暖かいお躯である。まるで柏木が抱きしめると、淡雪のように消えてしまいそうな、はかなげな、宮のおん有様である。
青年は自制心を失ってしまった。
分別も何も、一瞬に消えてしまって、
(もう、どうなってもいい……この宮をどこへでも盗み出して、私ももろともに身を隠したい……浮世を捨てて、跡をくらましてしまいたい)
衛門督は思い乱れて狂おしい闇の情熱に押し流されてしまった。
「私は狂ってしまいました。正気の沙汰《さた》とは申せません」
青年は夏の夜の静寂《しじま》に溶け入りそうな、暗い低い声で、宮を抱いてささやきつづける。
宮は、現実とも思われない出来ごとに動転して、正気を失われたように、呆然《ぼうぜん》としていられた。
夜の闇の向うには人かげもなく、物音もない。
遠い灯がまたたいているだけである。
青年の衣《きぬ》と宮の衣は、ためいきのように夜風に吹かれてまつわりつく。
宮の、きめこまかなお肌は、しっとりと汗ばんでいられる。清らかな、けだかい湿りである。
「悪縁とお思いになりますか? しかたがありません。
前世からきめられた契りだったのですよ。
のがれぬおん宿《すく》世《せ》なのです。おあきらめ下さい。もっとも、無理もない。私自身さえ、現実と思えないのですから……」
青年は、宮の黒髪を手に捲《ま》きつけて、うつつ心もなくささやきながら、お躯を抱きしめていた。
「このまま、宮と、跡をくらましてしまいたい。失踪《しっそう》したいのです。私は。
人の来ない山奥へなりともいって、時雨《しぐれ》やみぞれの中で、愛を守りたい。都も、官位も、家門の名誉も棄て、親も妻も棄てて。宮とならば、それらの一切を棄てて悔いはありません。宮は、棄てていただけますか? この世の名利《みょうり》のすべてを、私との恋に代えて頂けますか?」
青年のあたまに浮ぶ都の想い出とは、官位や昇進や物質の欲望のほかに、さまざまの人生の悦楽がある。
邸の池に、霊鳥をかたどった船を浮べての水あそび。
ゆきずりにかわす、色ごと師どもの目くばせ。
しみじみした、好き者たちの付け文。
また、祝祭の日の都大路《みやこおおじ》を練りあるく緋衣《ひい》黒《こく》衣《い》の男たち、雪の降る庭で行なわれる宮中の秘儀。また、紅葉《もみじ》をかざして舞う美少年どもの、あのなまめかしい青海《せいがい》波《は》の衣。
怪異な舞楽の面。秋の夜の音楽の遊び。
さざなみのように伝えられてゆく人々の噂。
気を腐らせたり、心躍らせたりする、女たちの恋文。
御簾《みす》の下にこぼれる、目もあやな女たちの五彩の衣のいろ。
心ありげに妻戸から手まねく、白い女の手。
冬の暁の月光のもと、雪を踏んで、しのびやかに帰ってゆく、誰かの牛車《ぎっしゃ》。
あれら、あの思い出は、若い男にとって心おどる人生の愉悦だった。柏木は、それらを愛していた。
それらの思い出が、めまぐるしく彩色された影像となって、目交《まなかい》をよぎってゆく。そして、いちど過ぎ去れば、もはや二度と、還《かえ》ってこない。
あれほど柏木の愛した人生のたのしみ、社交のたのしみ、音楽や恋文のたのしみは、今は遠くなってしまった。
宮のことで、青年の心の中はいっぱいになってしまった。
宮と二人きりでこの世を棄てて暮らせるものなら他のすべての愉悦も捨てよう。
この女《ひと》の視界から、自分以外の人間の姿を消してしまえるものなら。
「もし、そうできるものなら、命に代えてもいい」
と柏木は呻《うめ》いて、宮の胸に、祈るように顔を伏せた。
夢をみているとしか、思えない。夢のうちに猫が啼《な》いた気がした。あの唐猫《からねこ》を、宮にさしあげようと思って抱いてきたような気もするが、はっと気付いてみると、それは、そら《・・》耳《・》であったらしかった。
宮は、なお、死んだように目を瞑《つむ》っていられる。
何にもおっしゃらずに、目じりから涙をこぼしていられた。
(どうしよう……なんということになったものだろう)
と宮は、どうしていいかわからずに、幼い子供のように、お泣きになるばかりである。
(殿に知られたら、どんなにお叱りになるかしら。どうしよう)
ということしか、お考えになれない。
(殿にお合わせする顔がないわ)
とお泣きになっているのに、青年の方は、いつぞやの春の夕、御簾の端が猫の綱で引きあげられて、お姿を見たことなど、まだ話しつづけている。
(そういえば、そんなことがあったわ……あのときに、見られたなんて)
と宮はくやしくも悲しく、よけい、お言葉も出てこない。
「何か、おっしゃって下さい。お声を聞かせて下さい。お辛いのですか? 私は、今はふしぎな気持です。今まで二十なん年かの人生は、みんな消えてしまったのです。
今まで面白いと思い、たのしいと思い、価値あると思ったことが、すべて、煙か灰のように消えてしまったのです。
それらは私にとって、無価値なものになりました。
いま、大切なのは、宮お一人です。どうか、そうお悲しみにならないで下さい」
柏木は自分も涙ぐみながらそういって、宮の頬の涙を吸い取るのであった。
夜は明けてゆく。
青年は、帰らねばならないが、いっそう惑乱して帰れない。
「お別れしたくない。いまお別れしたら、もうお目にかかれないかもしれません。
憎んでいられますか、私を。でも、一声だけでも、何かお言葉をかけて下さい」
それでも、宮は、お言葉もなく、顔をそむけて、うつぶしていられるので、
「よくせき、おきらいになったのですね。つれない方ですね。死ね、とでもおっしゃるのですか」
青年は、宮を抱きあげて、隅の間の屏風《びょうぶ》をひろげて外へ出た。私をどこかへ連れていくのかしら、と宮はいっそうおどおどして度を失ってしまわれる。
柏木は、戸を押し開けた。渡殿《わたどの》の南の戸の、昨夜入ってきた所が開いたままになっていた。
かわたれどきの暗さの中で、青年は宮のお顔が見たくて、そっと格《こう》子《し》を上げる。
「死ねとおっしゃるなら死にますよ。辛いお仕うちですね。宮に嫌われて、どうして私が生きていけましょう。今宵限りの命です。もしも、思い止まるようにと、考えて下さるなら、『かわいそうに』とだけでも、お洩らし下さい。そうでなければ、私は、死にますよ」
と脅《おど》すようにいうと、宮はいよいよびっくりされて、わなないていらっしゃる。
子供のようにあどけなく、他愛ない可憐さである。
空は、みる間に白々とあけてゆく。
青年は気が気ではない。
「もっと申しあげたいことはたくさんあるのですが、こうもお嫌いになっているのではしかたございません。やがては、私のこともおわかり頂けましょう。露に濡《ぬ》れて帰ってゆきます。私を、お忘れになりますか? 宮は」
柏木は泣いていた。
宮は、青年の涙に動かされて、というより、(帰る)といったのに、ほっと安心なさって、
「忘れたいわ。……何もかも夢だったと思いたいのです。露のように、この身が消えてしまえばいいのに……」
と仄かにいわれた。
その声の愛らしい若々しさ。
嘆きの添う切ない口調を、青年はいつまでも耳にとどめて忍び出たが、魂は、身をあこがれはなれて、宮のおそばにとどまる気がするのであった。
彼は、妻のもとへかえらず、そのまま、父の大臣の邸へ忍んでもどった。
横になっても眠ることもできない。
何という大それた過《あやま》ちをしでかしたのだろう。この先、平然として、今まで通りの生活が、人前でつづけられるだろうか。
そらおそろしく、恥ずかしかった。
柏木は、外出もしないで、ひきこもっている。
帝のご寵愛のお妃《きさき》などを恋してそれが露見したとき、死ぬほどの苦しみを味わうだろうし、制裁も受けるであろう。源氏ならば、帝に対しての不敬というほどの重罪ではないけれど、しかし源氏ににらまれることは恐ろしくも心苦しく、恥ずかしい。
そうは思いつつも、はや、別れたばかりの宮が恋しく、青年は渇《かつ》えてこがれていた。夢の中でさえも、見ることはできないかと苦しんで。
高貴な女人でも、恋の諸《しょ》わけを知っている女《ひと》、うわべは優雅につつましくみせながら、本心はわりに色好みな、そういう女《ひと》ならば、かりそめの恋のたわむれに男に靡《なび》き、何くわぬ顔をしているといったこともできよう。
しかし女三の宮は、そういうおとなではいらっしゃらない。
いうなら、災難に遭《あ》われたような気がされるだけである。
あの夜のみそかごとを今にも人が知って噂しているのではないかと、ひたすら、恐れおののいていらっしゃる。
おどおどとおびえて、明るいところへもお出になれない。辛いことになってしまったとばかり嘆いていられた。
「お具合がよろしくないようでございます」
と源氏は知らされて、紫の上の病状に心をいためているのに、更に宮までが、と驚いてすぐ六條院へきた。
宮は、どこが苦しいというさまでもなく、ただ恥ずかしげに沈んで、視線も合わそうとなさらない。
(あちらの看病のために宮をうちすてたようになっていたのを怨めしく思われたのか)
と思うとさすがに源氏はふびんな気がして、紫の上の容態など、こまごまと話した。
「たぶんもう、あちらは長くないと思われます。こんなときですから、薄情なと恨まれぬよう看護に手を尽くしているのですよ。ご存じのように、あちらの女《ひと》は少女時代から世話をしてきたので、今更、見放すこともできません。あなたをおろそかにしているわけではないのですよ。やがては、わかっていただけるでしょうが」
源氏はやさしく弁解している。何か月かの看病で源氏はやつれているが、宮にも言葉惜しみせず、情理をつくして話しかけるのであった。
宮はやさしくいたわられれば、いたわられるほど、秘密の恐ろしさに戦慄された。源氏は夢にも、宮の罪を知らない。宮は源氏を気の毒にも心苦しくも思われ、人知れず涙ぐまれるのである。
衛門督は女三の宮にも増して、物狂おしい日を送っていた。
あけくれ、宮が恋しくてならない。
賀茂祭の日も、物見にゆく友人の公達《きんだち》が誘いにくるが、
「すまない、気分がすぐれないんだよ」
といって横になり、ぼんやりしていた。
北の方の女二の宮を、表面だけ大切にしているが、いつまでたってもうちとけず、ろくに顔も合わさず、自分の部屋にとじこもっているのだった。晴れやらぬ心を抱いて、祭のにぎわいをよそごとに聞いていた。それもこれも、われから招いた苦しみである。
女二の宮は捨てられた妻といってよかった。
夫の面白くないようす、物思わしげな憂悶《ゆうもん》が、二の宮にもおわかりになる。
(なぜだろう?……何がお気に入らないのだろう……わたくしにご不満がおありのせいでなのか)
二の宮は味気なくもあり、夫に疎《うと》まれる自分が恥ずかしくもあり、腹立たしくもあった。
女房たちは、祭見物にみな出払って、邸内は人少なであった。
二の宮は物思いに沈んで、箏《そう》の琴《こと》をなつかしく弾《ひ》きすさんでいられる。
そのさまはさすがになまめかしく上品であったが、衛門督は、
(同じことなら、お妹の三の宮を頂きたかったものを……。叶《かな》わぬ宿《すく》世《せ》の味気なさよ)
と思いつつ、ふと、こんな歌を書きすさんでみる。
〈もろかづら落葉をなにに拾ひけん 名はむつまじきかざしなれども〉
賀茂のまつりの挿頭《かざし》は、桂《かつら》の葵《あおい》の諸鬘《もろかずら》、同じようなものながら、私の拾ったのは落葉だった。――同じ姉妹《おとどい》ながら、私の引きあてたのは落葉にも似て魅力なき女人《ひと》。
(……落葉の宮か)
衛門督は苦笑する。恋に目のくらんだ彼は、妻をさえ、落葉の宮とおとしめるようになっている。
源氏は、女三の宮のもとへ久々に来たので急に帰りもならず、気が気ではないところへ、
「ただいま、息が絶えられました」
と二條院から急使が来た。
源氏は目の前が暗闇になる心地がして、分別もつかず、二條邸へ取って返した。途中ももはや何を考えることもできない。
二條邸の近くまで来ると、道にまで人があふれて騒いでおり、邸内には泣声が充ちている。源氏は夢中で、あわただしく奥へ入った。
「ここ二、三日はすこし持ち直していられましたのに、にわかに容態が変られました」
と女房たちは告げ、
「お供をしとうございます」
と泣き惑うているのである。はや、加持の壇なども壊し、僧たちも、臨時に頼んだ者などは、最《さい》期《ご》とみてとってばらばらと帰りかけている。
もう望みはないのかと思う悲しみを、何にたとえよう。源氏は強いて心をとり直し、
「待て。物の怪の仕《し》業《わざ》かもしれぬ。むやみに騒ぐな」
と制して、僧たちに一層烈《はげ》しい祈願を立てさせた。すぐれた修験者《しゅげんじゃ》をあるかぎり集め、頭から黒いけむりが出るばかり必死の修《ず》法《ほう》をさせる。
「限りある定業《じょうごう》のお命としても、しばし、延命を賜わらんことを」
と、哀訴の祈願の声は邸内をゆるがすばかり。
源氏も、
「もう一度、一度だけでよい、私を見て下さい。あまりにもあっけない別れではないか、このままではあきらめられない」
と取り乱して紫の上の体を揺すぶっていた。
(殿も、おあとをお追いになるのじゃないかしら……)
と人々は泣きながら思ったほどである。
源氏の悲嘆が仏のお心に届いたものか、この何か月のあいだ、修法しても一向に現われてこなかった物の怪が、小さい女童《めのわらわ》にのり移った。
憑依《よりまし》の女童が叫び罵《ののし》るうちに、紫の上はようやく息を吹き返した。
「おお……生き返った。あの物の怪のせいだったのか。嬉しや、よう生き返ってくれた」
と源氏は紫の上の手を握り、額髪《ひたいがみ》を払って涙に目がかすむ。再び絶え入りはせぬかと気が気でなく、おろおろとするばかりである。
物の怪は烈しく調伏《ちょうぶく》されて躍りあがって叫ぶ。
「人はみな去れ。院おひとりに話したいことがある。この何か月、私を祈り伏せようと苦しめられるのが憎さに、紫の上を取り殺そうと思ったが、院があまりにお嘆きになるゆえ、思い直した。今こそこう浅ましい物の怪の身の上だけれど、もとはといえば人間、源氏の君恋しと心に沁《し》みついた思いは失《う》せていない。……物の怪の私の正体を知られたくなかったのだけれど……」
と髪をふりみだして泣くさま、その昔、亡き葵の上にとりついた六條御息所《みやすんどころ》の物の怪そのままではないか。
(これはしたり)
源氏は寒くなった。あのときの不気味さ、恐ろしさがまざまざとよみがえる。源氏は物の怪の憑《つ》いた童の手を捉え、しっかと抑えこんで、身動きを封じながら、
「まことにその人の物の怪か。悪い狐《きつね》などが世に亡い人の名を騙《かた》って辱《はずか》しめることもあるそうだが、たしかに名乗れ。人の知らぬことで、私だけにわかるようなことをいってみよ。それなら信じよう」
というと、物の怪ははらはらと涙をこぼして、
「まあ。おとぼけになって。私の正体はおわかりのくせに。私はこんな浅ましい身になりましたが、あなたは昔ながらにつれない方なのですね。うらめしいわ。この薄情もの」
と泣きながら、さすがに艶《えん》に羞《は》ずかしそうにいうありさま、さながら、六條御息所そのままである。
源氏はぞっとして、うとましく不気味になった。物の怪はいいつづける。
「中宮を、色々お世話頂いて、あの世で、魂は天翔《あまがけ》りつつ喜んでおりますが、はや別世界のことのようで、わが子のことは深く心に沁《し》みません。それよりも、報われぬ愛の傷《いた》み、愛されなかったつれなさへの恨みばかりが、執念となってこの世にとどまっておりますの。……その中でも、生きているうち、ほかの人よりも愛されなかった怨《うら》みより、なお、憎いと思う怨みがございます。
あなた。
あなたは、紫の上とおむつまじい物語のうちに、私のことを貶《おと》しめられましたわね。気位たかい、うちとけぬ、可愛げのない女だとお話しになりました。お怨みに思います。
死者は、もう何ごとも大目に見許して頂いて、たとえほかの人が悪口を申しても、それをとりなして庇《かば》い立てて下さるとばかり思いましたのに。
その怨み辛《つら》みで、この女《ひと》に憑きました。この女《ひと》を憎んでいるのではありませんが、あなたには神仏のご加護が強くて、とりつけないのです。
どうか、この浅ましい妄執《もうしゅう》の罪のかろくなるような供養をして下さいまし。
調伏の読経《どきょう》が苦しくてなりません。
身には炎がまつわっております。尊いお経も聞こえません。悲しゅうございます。
あなた。
中宮にもどうかこのことをお伝え下さいまし。女の嫉妬の悪業の浅ましさを伝えてやって下さいまし。宮仕えの間にも、かりにも人を嫉《そね》んだり、争ったりなさいますな、と。……」
などといいつづけるのであった。
源氏はもはや言葉もなく、あわただしく女《めの》童《わらわ》を一室にとじこめ、紫の上を別の部屋にそっと移した。
世間へは、
「紫の上が亡くなられた」
という誤聞がひろまっていた。
人々が弔問に駆けつけるのも、源氏には不吉に思われる。
折から、祭の翌日、雨がそぼふった。
「紫の上の死を悼《いた》む涙だ」
と人々は言い合ったりした。
賀茂祭の翌日は、上賀茂から帰りの行列がある。それを見物に出た上達《かんだち》部《め》たちは、
「何不足ない人は、長生きできぬものよ」
「桜のようなものでしょう。散ってこそ、惜しまれる」
「こういう光栄につつまれた人がいつまでも長生きして栄えると、まわりの人が迷惑ですよ――」
「これからは、二《に》品《ほん》の宮(女三の宮)がお栄えになるんじゃないか。今まで、あまりにも、気圧《けお》されていられたから」
などと、ささめきあうのであった。
柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》は、昨日一日、うつうつと心晴れやらず、過ごしかねたので、
(これなら祭見物にいった方がまだましだ)
と、今日は弟君の左大弁、頭《とう》の宰相《さいしょう》などを車に一緒に乗せ、賀茂祭の帰りの行列を見物にいった。
その出先で、紫の上がみまかったという噂を聞いた。
「えっ。あの対の上が……」
衛門督はおどろき、彼もまた反射的に、
(桜と同じだ……佳《よ》き女《ひと》は散って惜しまれるのだなあ)
と思った。弟たちに、
「たしかなことか、それは」
「わかりません。弔問にいってもし事実でなければ失礼になりましょう。ただのお見舞いということで、とりあえず参上してはいかがです」
衛門督たちは揃《そろ》って二條院へ行った。
と、あまたの人々が立ち騒いでいて、泣き悲しんでいる。ひっきりなしに出入りする車の中に、紫の上の父君・式部卿の宮が着かれて悲しみに呆《ほう》けられたご様子で奥へ入られる。
「やはり事実だったのか」
衛門督は驚いた。あたりは混雑していて源氏に見舞いをとりついでもらえそうにもない有様だった。
そこへ、折よく、夕霧の大将が出て来た。
彼も見舞いに駆《か》けつけたらしく、涙を拭いていた。衛門督は、
「おお、よい所でお目にかかれた……」
とせきこんできいた。
「それでどうなのだ、不吉なことを聞いたので、取るものも取りあえず参上したが、まだ信じられないのだがね。ただ、長いご病気とうかがっていたので、心配で、お見舞いにあがったのだが……」
「ありがとう。おかげで持ち直されたよ。いまは折り合っていられるようだ」
夕霧の目は真っ赤だった。泣いたらしくて瞼《まぶた》も腫《は》れていた。
「病気が重くなられて久しかったが、この暁《あけ》方《がた》から危篤でね。とうとう息が絶え入ってしまわれた。どうも物の怪の仕業だったらしくて、修法や読経やと、さまざまに手をつくしてやっと息を吹き返されたということだよ……いま、邸の者もほっとひと安心したところだが、まだ心ぼそいことで、心配でならないよ」
といいながら、大将は、思わず片手で、眼をこすっているのであった。
ひとたびは絶え入ったという紫の上に、大将は動転して、泣きむせんだのだろうか。泣き腫らした顔の大将を見て、衛門督は、
(あまりな嘆きだ……姿を見たこともないはずの、疎々《うとうと》しい継母を、どうしてこうまで嘆き惜しむのか)
と、怪しんで、親友をじっと見つめた。
(もしかしたら、この男も、許されぬ恋に身を灼《や》いているのではないか?)
と考えめぐらすのも、おのが身に引きくらべてみるからだった。
源氏はたくさんの人々が見舞いにかけつけたと聞いて、挨拶《あいさつ》を人づてにさせた。
「かねて病気の重かった者が、にわかに息を引きとったようにみえましたので、女房たちが騒ぎたてたのです。私もおちつかず心あわただしくしておりますので、お目にかかれませんが、いずれ、お見舞い頂いたお礼は、改めましてのちほどに」
衛門督は、そういう源氏の挨拶の言葉にすら、胸にぎくりとこたえるのであった。
こういう混雑の折でもなければ、源氏のそばへ寄ることもできそうになかった。
源氏に対して後めたく、そういう自分を恥じてもいた。
紫の上が命をとりとめたことで、源氏はかえって、よりいっそう、彼女の死を恐れる心地になっている。いまは狂するごとく、熱心に祈祷や修法を行なわせ、彼女の延命を願っている。
それにしても何という執念ぶかく恐ろしい御息所の霊であろうか。
あの貴婦人は、生きていたときから、何か怖く気味わるかった。ましてその魂が怪しく姿をかえて、いつまでも源氏の周囲にまつわりつく不気味さを思うと、御息所にかかわるすべてが、いとわしくなってくる。
源氏は、御息所のおん娘というだけで、中宮のお世話をするのも、いまは気が進まぬくらいであった。中宮には何の罪も、おありにならないのであるが……。
(女は罪障のふかいものだ……しかし、そうさせたのは男なのだ。考えてみると、男と女の仲は、なんと気《け》疎《うと》い、おぞましいものであろう。あらゆる罪のもとといってもいい)
そこから生まれた御息所の執念ぶかい物の怪は、源氏と紫の上しか知らぬ二人だけの会話を、言い立てたではないか。源氏はそれを思うとぞっとしてくる。
紫の上は、いまはしきりに出家したい、というようになっていた。
(せめて五《ご》戒《かい》だけでも受けさせれば、それが、本復《ほんぶく》への力になるかもしれぬ)
と、源氏は考えて、とうとう許してやった。
頭《つむり》のいただきの髪を、ほんの形だけ切って在《ざい》家《け》のままで、五戒を守ることを誓い、仏門に入ったしるしとするのである。五戒というのは、殺生《せっしょう》・偸盗《ちゅうとう》・邪淫《じゃいん》・妄《もう》語《ご》・飲酒の五つのいましめであった。
授戒《じゅかい》の師の僧が、五つの戒めを守ることの尊さを仏に申しあげる言葉も、あわれに尊い。
源氏は今は人目もかまわず、紫の上にひたと付き添って、涙を拭きつつ、一緒に念仏をする。
(この女《ひと》の心がおちつくなら、どんなことでもさせてやろう。命をとりとめるためならどんなことでもするものを)
と、源氏の思うことは、それのみである。
源氏の知性も分別も押し流されてやみくもに、何も弁《わきま》えられない。紫の上の容態に一喜一憂し、心惑うてぼんやりし、面《おも》やつれしているのであった。
五月頃は長雨でうっとうしく、紫の上は少しも快方に向わない。
今も物の怪は折々現われ、悲しげなことをいっては去りやらぬのである。罪障を救うため、尊い法《ほ》華経《けきょう》を毎日、一部ずつ読ませたりするが、暑い夏の盛りは、病人はいよいよ弱って、息もたえだえであった。
「生きていてほしい……物もいえず、身動きもしなくていい……生きていてほしい」
と源氏は、夜昼、紫の上のそばを離れず、言葉もなく、祈るばかりである。あまりに深い愁嘆のために、涙も出なかった。大いなるものに対して「生かせて下さい」とひたすら、現《うつ》つ心《ごころ》もなく、すがるしかなかった。
彼女を喪《うしな》うくらいなら、共に死にたい気がする。ねがわくは、できることならば、
(自分の寿命を縮めて、この女《ひと》にお与え下さい……)
たとえ一年でも二年でも、共に生きたいという渇望ばかりであった。
もう、ほかの人間の姿も、源氏には眼に入らない。紫の上の看護も、人手にまかせない。
明け暮れ、死が彼女を拉《らつ》し去ることをおびえて、彼女の面《おもて》ばかりを見守りつづけているのである。
紫の上は生死のあいだを夢うつつにさまよいながら、源氏の悲嘆を、いとおしく感じていた。
(そうだわ……わたくしは死んでもいまさら心のこりはないけれど、こんなに悲しんでいらっしゃるのを見捨てて逝《ゆ》くことはできないわ……)
紫の上は、すこし気分のよいときは、源氏に微笑《ほほえ》んでみせるのであった。(大丈夫よ……)というように。
自分が亡くなったら、源氏がどんなに人生の張りを無くして崩折れてしまうかも、彼女は病人のするどい直観で見通すことができた。
源氏の愛人、という以上に、彼女は、源氏の存在の半分だったのである。
紫の上は、それを感ずることができた。
すると、源氏に対して抱く想いは、いとおしさ、とか、ふびん、とかいうものになった。
(こんなに悲しい思いをさせてはお気の毒だわ。ひとり残してわたくしが先に逝ってしまうなんて、そんな、無情な仕打ちはいけないわ。かわいそう。思いやりがなさすぎるわ)
紫の上は、まるで、幼な子をのこして逝く母親のような気になってしまう。
(元気になってさしあげなければいけない。殿のために)
と、強いて薬湯《やくとう》などを飲むように努めていた。
そのせいでか、六月ごろになると、ときどきは、床に半身を起こすこともできるようになった。
源氏はそれが思いがけなく嬉しくてならない。しかし、まだ油断ならなくて病状をおそれていた。そんな具合なので、六條院の姫宮のもとへは、ほんのかた時でも足を向ける気になれなかった。
女三の宮のほうは、悪夢のような柏木の衛門督との一夜からこっち、思い乱れていられた。お体の具合もよくなく、お苦しそうであるが、といってとりたてて御病気というのではない。あれ以来、お食事もすすまず、たいそう青ざめてやつれていられる。
柏木は、恋しさに耐えかねる夜は、いまも折々、夢のように現われて宮に忍び逢う。おのずと大胆になって、人目を掠《かす》め、宮と契りを重ねてゆく。
青年は恋に目がくらんでいるので、どんなに危うい、恐ろしい瀬戸際にいるか、わからない。もはや冷静な判断力も麻痺《まひ》しているのである。
宮のほうはいつまでたっても、
(ひどいわ……)
というお気持しかなかった。源氏を恐れ、怖がっていらっしゃるだけで、とても青年の気持や熱情を汲《く》み取るほどのお心のゆとりはなかった。
衛門督は上品な美青年で、人柄もよく、世間からは魅力的な貴公子と思われているのであるが、宮にしてみれば、幼いころから源氏の手に托され、男性といえば源氏しかご存じないこととて、すべての発想のよりどころは源氏である。
(どんなにお叱りを受けるだろう……これが殿に知れたら)
と、ひたすらおどおどしていられる。衛門督の魅力に気付かれるどころではなく、青年を、ただもう無《む》体《たい》な、心外な、とばかり思っていられる。それでいて、青年を拒み、しりぞけられる才覚も分別も、おありでなくて、嫋々《じょうじょう》と身を任せておしまいになる。あわれなご宿《すく》世《せ》というべきは、お近くに仕える乳母《めのと》たちが、
「ご懐妊なされましたのでは?……」
と気付いたことである。
「おめでたというのに、殿には一向、お渡りもなく……」
何も知らぬ乳母たちは、源氏を怨んでいた。
「宮のお具合がよろしくないというので、ちょっと六條院へお見舞いにいってくるからね」
と源氏は紫の上にいった。
紫の上は、暑くるしいので髪を洗って、少しさっぱりとしたようすであった。
横になったままで、長い髪はひろげて乾かしてある。
急には乾かないのだが、少しも癖があったりふくらんだり、もつれたりしているところはなく、清らかにゆらゆらした黒髪である。
顔色は青ざめてみえるほど白く、透き通るような肌になっていて、それも源氏には可憐に、愛らしく思われる。
さながら虫の脱け殻のようにはかなげな、たよりないようすである。
この二條邸は長く住まないので荒れてもいたし、ひどく狭いようにみえた。それは、紫の上がここへ療養に来て、人々がたくさん住むようになったからであろう。
紫の上が、この数日来、容態がやや好転して気分もかるくなったというので、庭の手入れも心をこめてさせていた。
紫の上は、遣水《やりみず》や草木のすがすがしさに目をあてて、しみじみと、
(……よくも生き延びたものだこと)
と思う。
池の面《おも》は涼しげで、蓮《はす》の花が一面に咲いていた。葉は青々として、露の玉が、きらめいている。
「あれをごらん」
と源氏は紫の上を誘《いざな》う。
「自分ひとりだけ、涼しそうにしているよ」
紫の上は身を起こして、池の面を見た。彼女が起き上る姿をみるのも、何か月ぶりであろう。そう思うと源氏は胸が迫って、
「こんなに快《よ》くなったあなたを見るなんて、夢のような気がする。もういけないか、と何度思ったか知れない。あなたばかりか、私自身までもろともに、これが終りかと思ったこともあったのだよ」
源氏は、涙を泛《うか》べていう。紫の上は、わが身も源氏も、あわれに思う。生き死には、二人、もろともという気がする。天地に、二人だけの命、と思うのであった。
「あの蓮の葉の露みたいね……生きているあいだって、短いものですもの……」
「短くはないよ。あの世でも一緒にいるのだから、長いものだよ。来世もこうやっていつも一緒にいると約束しておくれ」
源氏は、紫の上とかたときも離れたくないのであるが、宮のご不例を聞いてうちすてておくのも、主上や朱雀院にたいして義理がわるく、しかたなく、六條院へいった。
宮は、衛門督とのことが良心に咎《とが》め、お心の鬼のように、苛責《かしゃく》を感じていられる。
源氏にお会いになるのも恥ずかしく、避けたく思っていられる。
源氏が話しかけるのへ、お返事もとぎれがちで、口ごもっていられる。源氏の方では、
(この所、疎遠にしていたので、こんなおっとりしたかたでも、やはり、ふくれていらっしゃるのか)
と、ややすまない気持がして、何かとやさしく機嫌をとっていた。
年配の、しっかりした女房を呼んで、
「お具合はどうかね」
と聞いたりする。
「ご懐妊のごようすでございます」
女房の答えに、源氏は、
「珍しいことを聞く。いまごろ……」
とつぶやいた。
(宮はここへご降嫁になって七、八年にもなろうか。ほかの女《ひと》たちにも、もう長年、そんなことはなかったのに)
もしかしたら、まだはっきり、妊娠ときまったわけではないかもしれないと源氏は思い、宮にはとりたててそのことを話題にしなかった。
宮の物思わしげなごようすが、これはこれで愛らしくて、いとしいと思って見ていた。
しかし、やはり、何にも増して気になるのは紫の上である。やっとのことで来た六條院なので、来てすぐさま帰るわけにもゆかず、二、三日は心ならずも滞在していたが、そのあいだも、紫の上の容態ばかり案じられて、しきりに手紙を書いていた。
「まあ、よくもあれだけ、お手紙をお書きになること」
「お書きになることが、あれほど積もるものかしら」
「宮さまのところへおいでになってらして、これですもの……お気の毒なのは宮さま」
宮の過失を知らぬ女房たちは、口々にそんなことをいいあっていたが、小侍従だけは、胸がさわぐのであった。
さて、かの柏木の衛門督は、「六條院が宮のところにおいでになっている」と聞くと、身のほども忘れ、嫉妬に燃えるのである。彼が嫉妬するのは筋違いなのに、青年は自制できなくなって、手紙をかいた。
「こうしている間も、あなたは院の御腕の中かもしれませんね。もとより、あらぬ嫉《ねた》み心ですが、この恨めしさを誰に訴えればいいのでしょう。そうです、私は嫉妬に狂っています……」
青年は綿々と苦しみや辛さを綴《つづ》って小侍従に托した。青年に同情している小侍従は、源氏が、対《たい》の御殿の方へちょっと行った隙《すき》に、人もいない折だったから、そっと宮にその手紙をお見せした。
「いやよ、そんな、煩《わずら》わしいものを。よけい気分がわるくなるのに」
宮はお手も触れず、臥《ふ》したまま、いわれた。
「ではございましょうが、ちょっとだけでも……。このお手紙の、はじめの方だけでもご覧なさって下さいまし。お気の毒なのですもの」
とひろげたとき、女房が近くへくる気配だった。小侍従は困って、宮のおそばへ御《み》几帳《きちょう》をひきよせて退った。
宮は、衛門督の手紙をちらとご覧になっただけで、もう、たいへんな悪事を重ねたように、胸がどきどきなさる。そこへ源氏が入ってきたので、ちゃんと隠すこともおできになれず、咄《とっ》嗟《さ》に、御茵《しとね》の下に挿《さしはさ》んでおかれた。
源氏は二條邸が気になっている。
「そろそろ、今夜あたり、あちらへ帰ろうかと思うのですよ」
と、宮にそのご挨拶を申上げにきたのだった。
「あなたのほうは、とりたててお悪くもみえないが、二條の女《ひと》はまだおぼつかなくてね。うち捨てておくように思われても可哀そうだから。あちらばかり大事にして、あなたを軽んずるようにひがんだことを申しあげる人があっても、それを真《ま》に受けたりなさってはいけませんよ。やがては、私の気持もおわかりになるでしょうからね」
などと、噛《か》んでふくめるように、源氏は話してさしあげる。
宮は、長年のあいだに源氏にお馴れになって、父か兄のように睦《むつ》んでいられた。それで、いつもなら久しぶりに来た源氏にまつわって、少女のようにはしゃいで、心おきない冗談もいわれたりするのに、今日はうちとけられないで、思い沈んで、源氏に視線も合わせられない。源氏は(拗《す》ねていられるのだな)と思っていた。
昼の御座所《おまし》に二人で横になって、とりとめもない物語などしながら、源氏は宮の相手をしていた。とろとろとまどろむともなく、まどろむうちに、蜩《ひぐらし》が花やかに鳴くので、源氏は目を覚ました。
「では、道が暗くならないうちに」
と、着更《きが》えていると、
「月が出るまでお待ちになれば?」
と宮が、可憐な声で、おっしゃった。
「そのあいだだけでもいらして。昔の歌にもありますもの」
と宮がいわれるのは、「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわが背子その間にも見む」の歌のことであろう。
源氏は敢《あえ》てふり切って出ることもできずに、たちどまってしまう。宮は、たどたどしく、
「蜩が鳴くから帰っておしまいになるの? いつもと反対ね。いつもなら、蜩が鳴くころに、来て下さるのに。夕方になってお帰りになるなんて……心ぼそい」
「これは困った」
と源氏は、また、坐ってしまった。
(蜩は、二條でも鳴いているのだよ……)
といいたいけれど、宮が、子供っぽく、心細そうなのが、さすがにあわれでいとしく、情剛《こわ》く出てゆけない。
「よろしい、そしたら、もう一晩、いようね……」
宮は、源氏の前にいることは恐ろしく恥ずかしいのに、源氏に頼っていられる。
秘密の重さにおしひしがれながら、うちあける頼もしい人もないあまりに、源氏にすがっていられるのであった。
もとより、源氏は知らない。
宮の子供っぽい聞きわけなさをもてあましながら、さすがにかわいそうで、愛らしくもあって、躊躇《ちゅうちょ》しつつ、もう一晩泊まった。
泊まっても、おちつかない。
紫の上のことが心配で、果物のようなものだけ食べて寝た。
朝早く、涼しい間に、二條邸に帰ろうとして源氏は起きた。
「昨夜の蝙蝠《かわほり》をどこかへおとしてしまった。これは風がぬるくていけない」
と源氏は扇をおいて、蝙蝠をさがしていた。蝙蝠は、紙張りの扇子である。扇は、檜《ひのき》の板をとじたものなので、風当りがぬるいのだった。
昨日うたたねした御座所《おまし》のあたりを、源氏はさがしていた。
茵が少しまがっているその端から、浅緑の薄様《うすよう》に書いた手紙の、押し巻いた端がみえる。
何気なく源氏が引き出して見ると、男の筆蹟である。
薫《た》きしめた香も艶《えん》な風情で、意味ありげな文章である。
二枚の紙にこまごまと書いた手紙、源氏はその筆蹟を知っている。まぎれるかたなく、
(あの男だな……)
と知った。
源氏のそばには、髪をととのえるために、女房たちがいた。鏡の筥《はこ》をあけて、源氏に見せている女房は、(何かのご用でご覧になっている手紙なのだろう)と、何心もなくいるが、小侍従だけは、それを見てはっとして、
(昨日のお文の色と同じだけれど……)
と、胸がとどろき、顔色も変る気がした。
人々は、源氏に朝食の給仕などしているが、小侍従は呆然《ぼうぜん》とつっ立ったままである。
(まさか、いくら何でも、殿のお手に入るなどということは……宮さまがうまくお隠しなさったはずだわ)
と、強いて思おうとしていた。宮はまだ、おやすみになっていらっしゃる。
源氏は衝撃を受けていた。
(なぜ、あの男が……)
と思うが、色にも出さない。
それにしても、まず考えられたことは、
(拾ったのが自分でよかった……)
ということである。
ほかの人間が拾っていたら、どんなことになったろう。忌《いま》わしき噂《うわさ》が風のように、たちまち、舞い立っていたかもしれない。
(何という頼りない、子供っぽいことを。こんなものを何の心そなえもなく、投げ散らすということがあるものだろうか……)
と、女三の宮の幼稚さに、舌打ちしたい気がおきる。
(だから、前々から思わぬことではなかった、あまりの考え無さを、飽き足りなくも頼りなくも、危惧《きぐ》した通りだった)
帰る道々、源氏は黙然と物思いにふけっている。
源氏が帰ったので、女房たちは、宮のおそばから離れて人少なになった。小侍従はいそいでおそばへ寄り、
「昨日のお文はどう遊ばしました。今朝、殿がご覧になっていたお文の色が似ておりましたけれど」
と申上げると、宮は、
「えっ」
とびっくりなさって、それでは、殿のお手にわたったのかと、おどろきと恐ろしさで、涙をぽろぽろこぼされる。
おいたわしいものの、小侍従は、
(ま、なんと他愛のない、たよりないかたでいらっしゃるのか)
と、いらいらした。
「どこへお置きになりましたの。あのとき人がおそばへ参りましたので、何だかわけありげに、宮さまのおそばにいては疑われると、私はそれほどまで気を遣って離れたのでございます。あれから殿のおいでまで、少し時間がございましたから、きっとうまくお隠しになったとばかり思っていましたのに」
小侍従にいわれて、宮はいっそう、おどおどと、
「あの、手紙をみているうちに、殿が入っていらしたので、すぐに隠すことはできなかったの。……茵の下に挾《はさ》んでしまったのを、忘れてしまって……」
と、涙をこぼしながらいわれる。
小侍従は呆《あき》れて、お返事の言葉も出てこない。御茵に寄ってさがしてみたけれど、もとより、あろうはずもなく、
「まあ、大変なことだわ……あのかたも、それは殿を怖がっていらして、この秘密が、ほんのちょっとでも殿のお耳に入っては一大事とおびえていらっしゃいますのに。お逢いになってまだそんな月日もたっていないではありませんか。それなのに、もうこんな失敗がおこるなんて。すべて宮さまの子供っぽさが原因ですわ。もともと、宮さまが、うっかりと、あのかたにお姿を見られなすった不用意がいけなかったのです。あのかたはそれ以来、宮さまを忘れられなくなって、ずうっと私に、逢わせよと恨みごとばかり、いっていられました。だけど、こんなにまで深入りなさるなんて、思ってもいませんでした。
ああ、とんだことになってしまいましたわ。
殿は秘密をお知りになったにちがいありません。宮さまにも、あのかたにも、最悪の状態になってしまいましたわ……」
小侍従はずけずけいった。
宮はお若くていられるので、あるじに仕えるというより、女同士の友情で結ばれているような二人のあいだ柄なので、小侍従は本当に宮を案じて、思った通り、しゃべってしまうのであった。
宮はお返事もなく、ただ、泣いてばかりいられる。
ほかの女房には、ことの次第はわからなかった。非常に宮のご気分が悪そうで、ものもめしあがらないので、
「こんなにお加減が悪そうなのに、院はうち捨てられて、紫の上のお世話ばかりなさって。あちらはもう、すっかり快くおなりだというじゃありませんか」
などと、源氏を非難していた。
源氏は例の手紙について、やはりまだ不審が解けない。
(まさか……)
あり得ることではない、と打ち消して考えたりする。
(あの衛門督が。あの宮が)
源氏は、人のいないところで、手紙をうち返しうち返し眺めた。
(もしや、宮にお仕えしている女房の中で衛門督に似た筆蹟の者が書いたのか……)
とも思うが、筆蹟はともかく、文面はまぎれようもない。はっきり、名指して、人の名を書いてある。
長いあいだ恋い焦《こ》がれていた苦しさ、やっとのことで望みが叶《かな》って、それゆえになお、逢えぬ日の辛さ恨めしさ、それらを綿々と綴っている恋文は、真率な迫力にみち、よむ者の心を打ちはするが、
(ああ……何という、近頃の若いものの愚かしさよ)
と、源氏はにがい笑いを頬に溜《た》めずにはいられない。
恋文に、かくも麗々しく人の名を書く馬鹿者があろうか。かの青年ほどの聡明な男が、相手の女人への思いやりに欠けているではないか。忍び文といいながら、人に托する手紙は、いつどこで、思いもかけぬ人の目に触れることも、ないではない。だから、自分も、このようにこまごまとわが心持をいいたいときでも、涙をのんでわざと簡略に、しかも、あいまいに、紛らして書いたものだ。それが男の、女への思いやりというものである。
(衛門督ほどの男も、恋には無思慮になるとみえる)
と、源氏は、好感を抱いていた青年だけに、見おとす心地になった。
それにしても。
宮を、これからどう扱えばいいのか。
(ご懐妊、というのはこのゆえだったのか)
源氏ははじめて、宮の物思わしげな風《ふ》情《ぜい》やら、沈んだお顔色やら、何もかも、その理由が、直観的に、合点がいった。
何という、情けない、忌わしいことがおきたものだ。人づてに聞いたのなら、まさかと信じられないかも知れぬが、わが手で、のがれない証拠を掴《つか》んでしまった。
しかも、宮の場合は、それならといって別れることもできない。知らぬ顔を通して、今まで通り、妻としてねんごろに待遇しなければいけないのだ。
形はそうだとしても、もはや自分には、今まで通りに、隔てなく宮をいとしむことなど、できはしない。
さして愛していない女でも、ほかの男に走ったなら不快なのが、人情の自然である。
まして宮は、特別のかたである。ご身分もたかく、自分も、どれほど大切にし、気を遣っているかわからない。
そんなかたを盗むとは、また、大胆不敵な男もあったものだ。
主上の后《こう》妃《ひ》と過ちをおかすということも、間々あるが、それは事情もあろう。女御・更衣といっても、主上のご寵愛の厚からぬ人もあり、軽はずみな人もあり、不身持も表面に出ないでかくれていることも多い。
しかし、宮はちがう。
源氏の北の方として、ならびなく大切にかしずき、自分では内心、最も愛している紫の上よりも、鄭重《ていちょう》に扱っている。世間も、宮に注目し、重んじている。そういう人とひそかに通じているとは、今も昔も、
(聞いたことのない不祥事だ)
と源氏は、憤《ふん》怒《ぬ》を抑えきれない。
(私は衛門督に見かえられたか。この私が)
あれ風情の男に、宮は心を寄せられるのだろうか。
源氏は心外でもあり、不快でもある。だが、それを、顔色に出すこともできないで、おのずと、暗く重い愁いの影が、面を隈《くま》どってゆく。
苦しみながら、源氏はある夜、愕然《がくぜん》と悟って、はね起きた。
(故・父院は、もしや、いまの自分の苦しみのように、私と藤壺の宮のことをご存じでいて、知らぬふりをなさっていられたのではないか)
と思ったのであった。
今にして思えば、あの頃の狂おしい邪恋は、何というおそろしい罪、あるまじき過ちであったことか。
衛門督を弾劾《だんがい》し責めるべき資格が、自分にあるのだろうか。身のほどを弁《わきま》えぬ大それた恋の冒険、大胆放埒《ほうらつ》の、不祥事の、と青年を指さして非難することができようか。
恋の山路によろめきつつふみまよう、人間の心の弱さ、おろかしさを、高飛車に裁くことができようか。
さらに、すべてを知りながら、じっと耐えて、終生、やさしくいたわって下さった故・父院の苦悩と煩悶《はんもん》を、自分は何十年、気づかなかった。いま、自分がその場に立たされて、あからさまに難詰することができるかどうか……。
源氏は何気ないふうを装っているが、日ごとに物思いの深くなる様子を紫の上は見て、べつな見方で解釈していた。
(やっと、命をとりとめたわたくしをあわれんで、二條院へおいでになったのだけれど、やはり、あちらの宮さまがご心配なのだわ)
と思った。
「どうぞ、六條院へいらして下さいまし」
と紫の上は、源氏にやさしくすすめる。
「わたくしはもう、すっかり快くなりました。六條院の宮さまこそ、お具合がわるいと承っておりますのに。お気の毒ですわ」
「いや、それほどお悪くもないよ。それなのに、御所からは度々、お見舞いの手紙が来る。今日も来たよ。朱雀院が、よろしく頼む、とおっしゃったので、主上《うえ》が鄭重になすってね。ちょっと疎略にお扱いすると、お二方がたいへんな騒動だ。大層お気を遣われるから、気の毒でねえ」
源氏は嘆息するようにいう。
「主上や院の思《おぼ》し召しよりも、宮さまが、殿をお恨みになるとお気の毒ですわ。宮さまはいいかたですから、何もお咎めなさいませんけれど、まわりの人々が、きっと悪くとって宮さまに告げ口するかもしれません。わたくしが、辛うございますもの」
紫の上は、そのへんのところを、さかしく察していた。
「よく気のつくことだ。私は、主上のお気持を推しはかるだけで、宮のお気持など、考えたこともないよ。――それだけ、宮に愛情が薄いということかもしれないね」
源氏は、複雑なうす笑いを泛《うか》べている。
「六條院へ帰るときは、あなたと一緒に帰ろう。そこでゆっくり養生すればいい」
と源氏はいうのであるが、紫の上はもとより、源氏の口調にかくされたにがみに気付かなかった。
「わたくしはも少しこちらで、のんびりさせて下さいまし。あなたは一足先にお帰りになって、宮さまのお気持を晴れさせてあげて下さいまし」
などといっているうちに、日はまたたく間にすぎてゆく。
宮は、源氏が来ない日が重なるのを、以前なら、源氏の薄情からとばかり考えていらしたが、今は、ご自分の過ちのせいもあるのかとお気づきになる。
(御父院のお耳に入ったら、どうお思いになるかしら)
とお考えになるとさすがに顔向けもならぬように、気恥ずかしくお思いになる。
衛門督からは、逢いたいとたえず手紙がくるが小侍従は、あの一件以来、それどころではなかった。
「お文が殿のお手に入りましたのよ」
こうこういうようなわけで、と知らせてやると、柏木もぎょっとした。
(いつのまに、そんなことが……。どうせこういう、密《みそ》か事は長いことたつうちに、いつかは洩れて出るものだが……)
青年は気がとがめ、そらおそろしくなる。そうでなくても、さながら虚《こ》空《くう》に目があって、いつもそれにみつめられているような気がしていたのに、まして、ああもはっきり、人の名も紛れなく書いた手紙を、源氏に見られたとは。
源氏に恥ずかしくきまりわるく申訳なくて朝夕、暑い頃だというのに、青年は鳥肌たつ思いを味わった。
(思えば、院にはよく可愛がって頂いた身だった。長い年月、公的な仕事の面でも、私的な遊び事にも、よく目をかけて下さり、招かれて、親しくまつわった。人よりはこまやかに親切にされ、自分もなつかしく思い、心から敬愛していた。
こんな怪《け》しからぬ大それたことをして、院に疎まれ、憎まれては、どうしてお顔を合わせられよう。かといって、ばったりと六條院へ出入りしなくなってしまえば、人目にもあやしまれるだろうし、院も、さてこそ、と合点なさるだろうし……ああ)
青年は進退に窮してしまったのである。気分も悪くなって、御所へ参内《さんだい》もしない。
法的な制裁を受けるというのではないが、自分の将来も、これで終りかと思われて、予期しないことではなかったと、自分で自分の心が情けなかった。
(それにしても、何とたよりない、浅はかなお心の宮であることか。かの、御簾《みす》のあいだからお姿をかいまみられるというところも、貴婦人にあるまじい軽率さだった。夕霧の大将も、感心しない顔色をしていたっけ……)
今になって、青年は、思い合わせるのだった。
強いて、宮の欠点を思い出して、恋の炎を消そうとする気持が、無意識に働いていたのかもしれない。そう思いつつも、
(おっとりしているのがいい、といっても、あんまり上品な人は、世間も知らず、周囲の者まかせになり、結局は、ご自分のためにも相手にも難儀な目にあわれるのだなあ)
と、宮がおいとしく、とても思い捨てることはできなかった。
宮は可《か》憐《れん》なごようすで、ご気分が悪そうである。
源氏はそれを見るとやはり気がかりで、時には宮をうとましく捨てたく思うものの、あいにくに、可愛さも募ってきて、われながら収拾つかぬ愛憎の感情をもてあましている。
逢わぬときはうとましいが、六條院へいって宮にお逢いすると、胸いたいまで、宮がいとおしく、切なかった。
御安産の御祈祷などいろいろにさせ、大体は、昔よりも大切に、いたわっているのであった。
しかし、二人きりでいるときは、もう昔のようなむつまじさはなかった。源氏はどうしても、白けてよそよそしくなってしまう。それでは宮にお気の毒なので、人目のあるときは、以前のような親しみをつくろっているが、もはや二度と、以前の気持には戻れない気がする。
宮にも、それはおわかりになるらしく、お辛そうであった。
源氏は、自分からは「柏木の恋文を見た」とは明言していない。しかし宮のほうがひるんで、おどおどしていらっしゃるのだった。
(こんなところが、子供っぽい幼稚なところなんだな)
と源氏は思う。
(心利《き》いた女なら、自分もそしらぬ風をして、暗黙のうちに男の嫉妬をそらせ、心を和《なご》ませるのだろうが……宮には、それを求むべくもないな)
そんなことを考えているうちに、男女関係のすべてが不安になってきた。娘の明《あか》石《し》の女御がおっとりとやさしい気質でいられるのも心配になってくる。女は柔和《にゅうわ》で素直なのがよい、ひたすら人の悪意など知らぬように、と育てたのも今となっては不安になる。もし女御を恋い慕う男でもでてきたら、この宮のような運命にたやすく落ちてゆかれるのではないか。
そういえば、何といっても美事な女は、あの玉鬘《たまかずら》だった。頼りになる庇護《ひご》者《しゃ》もなく、幼い時から九州の田舎《いなか》をさすらって成人したのに、しっかりした性格で、あたまもよく、判断力もあった。
源氏は彼女を引きとって親らしい顔をしていたが、彼女を憎からぬ者と思い、それとなく言い寄ったりしたことがあった。しかし玉鬘は、おだやかに、角《かど》のたたぬよう、気付かぬふうにそらせていた。
鬚黒《ひげくろ》が、無分別な女房の案内で忍んできたときにも、自分の心から男を引き入れたのではないことを、人々に態度で知らせ、あらためて周囲や世間に祝福されるようにして、鬚黒の邸に迎えられた。そうして、いまではむつまじく暮らしている。世間の尊敬も得、まったく、賢い女は、やることもけざやかだと源氏は思わずにはいられない。
かの朧月夜《おぼろづきよ》の君、いまは二條の邸に住んでいる尚侍《かん》の君を、源氏はなお思いつづけていたが、宮の一件があってから、女性をみる眼が少し変った。
女も、あまりやさしく、男に靡《なび》きやすいのは、かるがるしいものだと、尚侍の君をおとしめる気もおこるのである。それに、うしろめたい秘密の情事は、宮のことが思い合わされて、源氏にはうとましかった。
そのうちに、尚侍の君が、ついに出家したと聞いた。
さすがに未練もあって、心が動かされ、あわれにも、口惜しい気持がした。見舞いの手紙を源氏は出した。
「世を捨てます、とひとことのお言葉も、私にはなく、思いたたれたのですね。つれない方ですね。私が、この知らせを人ごとと聞けましょうか。あなたゆえに、須磨《すま》の浦で涙に濡《ぬ》れた私ではありませんか。
思えば、長く生きてきました。
さまざまな世の無常、人の身の上の転変を見ました。私も出家を、思いつめながら、あなたに先を越されたのは残念ですが、あなたのご回《え》向《こう》の中には、まず私を入れて下さるでしょう、と想像しています」
源氏の手紙は長かった。
尚侍の君は、しみじみとそれを見た。出家のことは早くから考えていたのだが、今まで源氏に止められて延びたのであった。
人にはいえないが、源氏との長い契りがいまになってさまざま、思い出される。
尚侍の君にとって、源氏はやはり、生涯に大きい影を落した男であった。それももう、世を捨てた今となっては、はかないすずろごとであるが……。
(これが最後の手紙だわ)
と尚侍の君は思って、心こめた返事をかいた。墨つぎなど、とりわけて美しかった。
「先を越されたとおっしゃいますけれど、世のさだめなさは、私は早くから身に沁みておりましたの。回向は一切衆生《しゅじょう》のためのもの、あなたのためにも、どうして念じないことがございましょう」
濃い青鈍色《あおにびいろ》の紙の手紙が、樒《しきみ》の枝にさしてある。いつものことだが、しゃれすぎるほどしゃれた、趣味のよい筆蹟、やはり昔ながらにちっともかわらず美しかった。
二條院にいたときなので、源氏は紫の上にその手紙を見せた。もはや、尚侍の君とのことも、過去の事件になってしまったからである。
「出家がおくれて、尚侍の君に嗤《わら》われてしまったよ。じっさい、あれこれ心細い世の中に、よくまあ、耐えて生きていると思うよ。
世のあわれや、物の面白さを話し合える人といっては、朝顔の前斎院《さきのさいいん》と、この尚侍の君だけだった。それが、次々に、世を捨てていく……。
朝顔の宮など、もう仏道修行三昧《ざんまい》でいられるらしい。嗜《たしな》みのある、風流な、それでいて思慮ぶかいかただったがねえ。
それを思うと、女の子を育てるのはむつかしい。朝顔の宮のようにすぐれた方は、なかなか、いられない。
子供だって、持って生まれた素質があり、親の心のままにならないのだからね。といって、教育もなおざりに出来ないし、よくまあ、私は子供が少なくてよかったと思うよ。若いうちは、たくさんの子供が欲しいと思ったものだがね。
女御のお生みになった、女一の宮を、あなたは気をつけて育てて下さいよ。内親王は、人から非難されないようにお育てしなければ。男女問題でつまずくようなことはないように気をつけて教育しないと」
というのは、おのずから、宮のことが、あたまにあるからだった。
紫の上は、
「もちろんですわ。及ぶかぎりのことはいたしますけれど、でも、わたくしの命が、いつまでもつものか、わかりませんわ」
紫の上は、尚侍の君や前斎院のように、出家して仏道にはげんでいる境遇を、うらやましく思うようだった。
朱雀院の五十の御賀は、延び延びになっていた。はじめは秋のつもりだったが、八月は葵《あおい》の上の、九月は弘徽《こき》殿《でん》の大后《おおきさき》の、それぞれ忌《き》月《づき》で具合わるく、十月に、と心づもりしていると、宮のお具合がわるくなった。その代りに柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》の北の方、女二の宮が御賀に参上なさった。
これは前太政大臣が実質的に企画し、指図したのであった。いかめしく美々しい御賀となった。このときは柏木も元気を取り戻して参上した。とはいうものの、やはり体調はすぐれない。
月が重なるにつれ、宮は身《み》重《おも》のお体が、ひとしお辛そうであった。
源氏は、宮のことを気重く思うものの、あえかに愛らしいさまで、苦しげにしていられるのをみると、
(無事に、このかよわいお体で、ご出産に耐えられるかどうか)
と心配になってくる。祈《き》祷《とう》はひまなく手厚くさせ、それで今年も、いそがしくすぎてしまった。
父院も、山で、宮のご懐妊をお聞きになって、いとおしく、恋しく思われる。院は、源氏と宮との間が、一点、しっくりしないという噂をお聞きになり、何かあったのではなかろうか、と、ひそかにお心をいためていられるのであった。
山にお籠《こも》りになっている朱雀院は、宮に手紙をお書きになった。
「お体の具合はいかがですか。案じられてなりません。ご夫婦仲がよろしくないとお聞きしているが、辛いことがあっても、心を鎮《しず》めて辛抱なさいよ。嫉妬したり恨めしそうなようすを仄《ほの》めかすのは、女として品のないことですよ」
などと教えていられる。
源氏はたまたま、宮のもとに来ているときだったので、それを拝見して心苦しく思った。
院は女三の宮のあさましい過失など夢にもご存じなく、ただ自分の不実をあきたりなく思っていらっしゃるだろうなあ、と思われる。
「ご返事はどうお書きになりますか。お気の毒なおたよりだ。私のほうが辛くなる。私は少々の気に染まぬことがあっても、決してあなたを疎略に扱ったりしなかったつもりだが、誰が、わざわざ院のお耳につまらぬことを入れたのだろうね」
宮は返事しかねて顔をそむけていらっしゃる。面《おも》痩《や》せ、物思いに沈んでいられるお姿は上品で愛らしかった。
宮を見ると、源氏は思わず吐息まじりに、いわずにいられない。
「あなたの子供じみた幼さを院が見ぬいていらっしゃればこそ、あんなにもご心配なさったのだ、と今になって思い合わせられる気がしますよ。これからも気をつけて下さいよ。
こんなことは申上げたくないのだが、……深いお考えもなく、甘い言葉に釣られやすいあなたのお心には、私の態度が情うすいように思われたかもしれぬ。また、年のいった私など、若盛りの青年にくらべられると見劣りして、軽んじ侮《あなど》られるかもしれぬ。あれこれ思うと私は口惜しくも不愉快にも思うのですが、どうか、院のご在世の間だけでも、せめてお身をつつしんで下さいよ。そして院がおきめになったこの縁を重んじて、私をも軽んじないで頂きたい。――ま、宮には、ほかに大切に思われる方もあるかもしれませんがね」
源氏は、諄々《じゅんじゅん》と話しつづける。かねてから出家の願いがあったのだが、院に、宮のご後見を頼まれ、そのお心もあわれに嬉しく、棄《す》てようと思ったこの世に永らえて、若い宮と人生をすごすことになったこと。いまはほかに気にかかる人もなくなり、宮ひとりが、源氏の、この世の絆《ほだし》になっていること。
院ももうお長くはあるまい。それなのに、宮の思いがけぬ浮いた噂などお耳に入ってはさぞお心を乱され、仏道修行のお妨げとなろう。
「くれぐれも、自重なすって下さいよ」
源氏は、はっきりと指摘したわけではないが、宮は、源氏の話のあいだ中、責められる心地で、涙をひまなく流されて、われにもあらずぼうっとしていられる。
源氏は自己嫌《けん》悪《お》におちいって、
「ああ、人のことでもくどくどしいと聞いていた年よりのくりごとを、いま、自分がいうようになったか。あなたも『うるさい説教をする老人よ』と、いっそうお嫌いになるだろうね」
と自嘲《じちょう》しつつ、硯《すずり》を引き寄せて手ずから墨をすり、紙などを見つくろって、お返事を書かせようとするが、宮はお手もわななき慄《ふる》えて、お書きになれない。
(衛門督が、あんなにこまごまと書いていた恋文の返事は、さらさらとお書きになったであろうものを)
と源氏は思うと、宮が憎くなる。いとしさと憎さで、交互に心はゆすぶられ、あげくに疲れはてて、すべてがいやになるのであったが、ともかく、いろいろ言葉を教えて、お返事をかかせた。
院の五十の御賀がのびのびになっている。
女二の宮が、先に立派なお祝いを催されているので、三の宮もいつまでもお延ばしになるわけにはいかなかった。
「日が経つほどそのお姿も見苦しくなるし、年の終りはあわただしいが、十二月に催しましょう。院はあなたにお会いになるのをまちかねていらっしゃる。そんな暗い顔をなすってはいけません。くよくよせずに、明るく気を取直して、面やつれなさったそのお顔を、もと通り、ふっくらとなさらないといけないね」
などと源氏は、宮の頬を両手ですくっていいながら、さすがに可愛いのであった。
宮を見ていると、反射的に衛門督のことが思われる。何か邸で風流な催しのあるときには、必ず呼び寄せて相談相手にしていたが、この頃は絶えて便りもしなかった。「人もあやしく思うだろう」と源氏は思うのだが、顔を合わせるのもいやであった。自分の間《ま》ぬけ面《づら》を見られるのも恥ずかしく、柏木と面《めん》と向えばどうしても動揺は抑えられないだろう、とも考える。だから、ずいぶん長く、柏木が邸へ出入りしないのもうちすてていた。
世間の人は、柏木が病中でもあり、また六條邸でも病人を抱えて、管絃の遊びなどしばらく催しごとがないからだろう、と思って、特に不審はもっていなかった。
ただ、夕霧の大将のみは、
(何か、あるな……)
といぶかしんでいた。
(あの蹴《け》鞠《まり》の日以来、衛門督は変った。もしかすると……)
と思っていたが、その夕霧でさえ、まさかあの一件が、くまなく源氏に露《ろ》顕《けん》してしまっているとは、思いも染めないのであった。
十二月になった。朱雀院の御賀は十日すぎときめられた。六條院では、舞などの練習に大さわぎである。
紫の上は、二條院で養生していたのだが、この試楽が聞きたくて、とうとう六條院へ帰ってきた。女御の君もお里帰りなさる。久しぶりの音楽の催しとて、邸の人々の心は浮き立っていた。
女御の君に、こんどお出来になったのは、また男《おとこ》 御子《みこ》であった。次々に美しい若宮がお生まれになるのを、源氏は可愛く嬉しく思う。
試楽には、右大臣の北の方、玉鬘も六條院へ来た。
こういう折に、衛門督を呼ばないのは淋しく、催しも引き立たないで栄《は》えない。柏木はこんな席に欠かせぬ風流な趣味人として、有名なのだ。人もあやしむであろうと、源氏は招待したのだが、
「病気が重うございまして」
と、断わってきた。
どこがとくに悪いという病気ではなさそうなのに、やはり自分の前へ出て来られないせいであろうかと源氏は思うと、さすがに青年が哀れであった。押してもう一度、丁寧な招待状を送った。柏木の父の大臣も、
「どうしてご辞退したのだ。ひがんでいるようにお思いになるかもしれぬものを。そんなに重病というほどでもなし、元気を出してぜひ伺うがよい」
とすすめた。源氏が重ねて招くのを辞退するのも不自然である。柏木は、苦しい心を抱きながら、六條院へいった。
源氏はいつもと同じように、そば近い御簾《みす》の中に柏木を招いた。
なるほど、病気というのはまことらしく、衛門督はひどく痩せている。顔色は青ざめ、いつも思慮深げな様子の青年が、今日はいっそう、沈んでおちついている。品のよい青年で、これなら、内親王の婿君としても恥ずかしくないようなものの、しかし道ならぬ恋のうしろ暗さだけは許しがたいと、源氏は衛門督を見る目が鋭くなる。
だが、源氏は、さりげなく、やさしくいう。
「ずいぶん久しぶりだね。私も長いこと病人の世話に追われていてね。三の宮が院の御賀をなさる計画がだんだんに延びてしまいましたよ。御賀というと大げさなようだが、わが家に生《お》い出た一族の小さい子供たちの舞でもご覧に入れようと思ってね。それの拍子を調《ととの》えるのは、あなたをおいてないものだから、長いこと来て下さらぬ恨みも忘れて、お願いした次第ですよ」
衛門督のほうは、何の底意もないようにみえる源氏ではあるものの、顔色も変る気がして、とみに返事もできなかった。
「持病の脚《かっ》気《け》で、寝込んでいまして、長いこと失礼しました。ご病人のお見舞いもいたしませず……。
朱雀院の五十の御賀は、ご恩も蒙《こうむ》っておりますので、父にすすめられ、病をおして参上しました。院は、俗世をはなれて行ない澄ましていられる御身、むしろ仰々しい御儀式はおのぞみではないように拝察されます。それより静かに積もるお話でもなさりたいようでございます。内輪に、略式になさる方がお心に叶いましょう」
と、衛門督は、やっとのことで意見を言った。
先の女二の宮の催された御賀はいかめしく盛大であったが、柏木はそのことを言い立てたりしない。そういう心くばりが、やはり、この男はゆきとどいている、と源氏はうなずくところがあった。
「そうか、いや、そういって頂いてほっとした。ご覧のように、このたびは簡素な催しでね。世間は志が浅いと見るかもしれないが、簡素な方が、院のお心に叶うと、あなたが保証して下さったので、安心した。夕霧は実務家だが、こういう風流は向いていないのでね。こんなことには、やはり、あなたをあてにしたくなる。朱雀院は、世を捨てていられても音楽に深い造詣《ぞうけい》をお持ちのかただ。ぬかりのないように準備しなければ。どうか、大将と共に、宴の世話をして頂けないだろうか。舞の童《わらべ》たちの衣裳《いしょう》や心得など、気のついたことは注意してやって下さい」
などと、親しみをこめて源氏がいうのを、柏木は嬉しくもあり、辛くもあり、冷汗が出るようにもおぼえ、おのずと口少なになって、源氏の前を一刻も早く立ち去りたかった。いつもは、こまごまと、むつまじく語り合うのに、怱々《そうそう》に座を立ってしまった。
柏木は、楽人《がくにん》や舞人《まいびと》の装束に趣向をこらし、さまざまなくふうを加えて、いやが上にも洗練された趣味で、全体の宴の雰《ふん》囲気《いき》をととのえようとした。柏木のようにすぐれた趣味人でなければ、出来ないことなのである。
邸の婦人たちも、試楽を見るので、見物のし甲斐《がい》のあるように舞の少年たちは衣裳をそろえていた。青色の袍《ほう》に蘇《す》芳襲《おうがさね》である。楽人三十人は、白襲であった。
築山の南の裾から正面に出るあいだ、仙遊《せんゆう》霞《か》という曲が奏でられる。梅が咲きそめて美しい日である。
玉鬘の生んだ右大臣家の四郎君《ぎみ》、夕霧の三郎君、兵部卿の宮のお子、これらの家柄よき美しき少年たちが、次々に「万歳楽《まんざいらく》」や「皇《おう》ー《じょう》」といった舞を舞うのであった。そのみやびやかさ、愛らしさ、年とった上達《かんだち》部《め》たちは涙を落し、式部卿の宮も、孫宮かわいさに、鼻を赤くして涙ぐまれるのである。源氏は、
「年とると酔うて涙のこぼれるのは抑えがたいものですね……おや、衛門督が私を見て笑っている……年よりのくりごととお笑いなのかな」
といい、じっと衛門督に視線をつけ、青年は凝然《ぎょうぜん》となった。彼は、この楽しい宴の最中もひとり沈み、笑ってなどいなかったのに……。
「衛門督は、私の老いぼれを嗤《わろ》うていられるのかもしれぬ。恥ずかしいことだ」
源氏は、わざと、柏木を名指していう。
青年は一座の視線を一身に浴びて、言葉も出ない。
「だが、君の若さも、ほんのひとときだよ。逆さまに流れぬのが年月というもの――誰も誰も、老いから逃げることはできないのだよ。なあ、衛門督よ」
源氏はじっと柏木に視線をつけている。
宴のあいだ中沈みこんでいる青年が、何を嗤おうか。敢て名指している源氏の真意は、青年の胸にひびいた。若さへの嫉妬、憎しみが、宮を掠《かす》められた苦しみと綯《な》いまぜられて、隠微な恨みつらみとして、噴きあがるようだ。その毒を、全身に受けたように、衛門督は感じたのである。
源氏は酔ったふりをしているが、酔わない眼を青年に、ひたとつけている。人々は座興のたわむれごとと思っているが、柏木は、胸もつぶれるばかりであった。
盃がめぐってきても、柏木は頭が痛くなって飲むふりをして紛らせている。
「お、これはしたり、まだ足らぬそうな」
と源氏は彼に盃を持たせ、たびたび、強いた。
「お許し下さい、もうこれ以上は」
と当惑してもてあましている柏木の衛門督の姿は、ほかの青年たちより、やはりぬきんでて、上品に美しかった。
そのうち、青年はほんとに気分がわるくなってきて、堪えられないので、宴半ばでそっと退出した。
(どうしたというのだ、この乱れ心地は。いつもなら、もっと酔っても、こうまで気分わるくならないのに。やはり、六條院に対する苛責《かしゃく》の念で、のぼせていたのだろうか。――これほど意気地のない自分とは思わなかった。ええ、腑甲斐ない)
と青年は、自分に舌打ちしたい気だった。
だが、彼の体調の異変は、一時の酔のためだけではなかった。そのまま引きつづいて柏木は寝込んでしまった。
父君の大臣も母君の北の方もひどく心配して、
「手もとで養生させたい」
といった。
柏木は、北の方の女二の宮のお邸で、そのまま患《わずら》いついて寝ていたのである。
「あちらへお移りになりましては、わたくしがご看病することも、かないませんのね」
と二の宮は悲しまれた。
柏木も、いま二の宮に別れてしまうと何となく、このまま限りになりそうで悲しかった。
情《じょう》のうすい夫婦仲ではあったが、それはまだ将来があると信じていたから、のんきにうち棄てられたのであった。しかし、もしや最期ではないかと、心ぼそくなってくると、今まであまりにも疎々《うとうと》しく、水くさかった妻との仲が省みられ、心のこりに思われる。このまま、永久に別れてしまったら、どんなに二の宮は、はかなくも悲しくも思われるであろう。
柏木は、今更になって、二の宮につれなかった自分を、すまない、と思う。
宮の母君の御息所《みやすんどころ》も、お嘆きになった。
「世間の常識では、親はともかく、夫婦はどんな折にもお離れにならぬのがならわしですわ……あちらのお邸でご養生なさるといっても、私どもは心がかりでなりません。どうぞ、今しばらくでも、こちらで療養なさいまし……」
と、柏木に訴えられる。
「ご尤《もっと》もです」
柏木は、今になって、二の宮にも御息所にも謙虚な気持になっていた。
「数ならぬ身の私が、勿体《もったい》なくも内親王を頂くことになりました。その光栄のためにも、長生きして出世もし、宮を幸わせにしてさしあげたいと思っていましたのに、思いがけずこんな病気になってしまって、私の真心を、宮に知って頂くこともできなくなりました。宮をおいて、死ぬにも死ねない心地でございます」
柏木も泣き、なかなか、父の邸へ行こうとしなかった。
母北の方は、柏木が来ないので気が気ではなく、
「なぜ、すぐに親に顔を見せてくれないの。私は病気のときは、ほかに子供はたくさんいても、まず、長男のあなたを頼りにして会いたく思うものなのに。気がかりだから、早くこちらへ移ってきて」
と、あちらはあちらで、息子を案じていた。
柏木はしかたなく、宮に、
「母もあわれなので、あちらへゆきますが、もしや危篤とお聞きになったら、そっとお忍びで、あちらの邸へ会いに来て下さい。きっとですよ。あなたに会わなければ、死ぬにも死にきれない」
柏木は、宮のお手をとって握りしめた。
「私を許して下さい。おろかに、罪深い私を。あなたに冷たくしたようにお思いだったかもしれない。今は心から、そのことを後悔しています。……こんなに短い命とは知らずに、将来をたのみにしていました。もし、こんなに早く、あなたと別れると知っていたならば……」
しかし二の宮は、その先をお聞きになることはできなかった。
宮ご自身、泣きくれていられたし、大臣邸から迎えが来てしまったから……。
宮は一條邸にとどまられて、柏木を恋しく心細く泣きくらしていられた。つれない夫よと思われたときもあったが、別れる間際の柏木の声も眼の色も、嘘《うそ》はなかったと、宮には感じられたからだった。
大臣邸では柏木を待ち受けていて、早速、加持よ祈祷よと、さわいでいた。
柏木の容態は、急に危篤になったというのではなく、次第次第に弱ってゆくのである。幾月か、食事も咽喉《のど》に通らないのが、いまは、ほんの少しの柑《こう》子《じ》のようなものさえ、食欲はおこらない。何か、ものに引き入られるように衰弱してゆくのであった。
柏木のように当代一流の学識ある人物が重病だというので、世間は惜しみ、見舞いに来ぬ者はなかった。御所からも、朱雀院からもお見舞いは始終来た。親たちはそれにつけても悲しみ惑うていた。
六條院の源氏もおどろいて、たびたび父大臣に見舞いをした。夕霧の大将はふだんから仲のよい親友なので、病床を自身見舞って嘆いていた。
朱雀院の御賀は十二月二十五日にあった。柏木が重い患いをしているので、身内の上達《かんだち》部《め》など、心が引き立たないのであるが、次々に延びてきたことなので、中止するわけにはいかなかった。
御賀をつとめる女三の宮は、柏木の重病を何と聞くであろう、と源氏は思う。
幼げなお心にも、やはり悲しいであろうか。恋は、世間知らずの宮を、すこしは成長させたであろうか。
落葉ふる柏木《かしわぎ》の嘆きの巻
衛《え》門督《もんのかみ》の病は癒《なお》らないままに、年も明けた。
父母の嘆きを見ると、柏木は、親に先立つ不孝の罪をひしひしと感じる。内心には、もはや、命を捨ててもよいとさえ思うのであるが……。
幼い頃から、自尊心あつく、人に負けるまいと理想を高く持っていた。しかし、女三の宮を所望《しょもう》して得られず、あれから自信を失《な》くしてしまった。世の中がすっかり味気なくなり、一時は出家遁世《とんせい》を考えたりもしたが、親たちの嘆きにためらいつつ、そのうち、世にもおそろしい罪にまよいこんでしまった。
人の妻になったその人を忘れられず、世の埒《らち》や掟《おきて》を超えて愛してしまったのだ。
しかもその夫の源氏は、世の中の第一の実力者であり、私的にも、長年、自分を何くれとなく面倒を見、愛しつづけてくれた人。
そういう人を、裏切ってしまった。
もうこれで、世の中にも立ってゆけない。人交わりもできぬ身になった。
何の面目あって、源氏にも、二度と顔を合わせられようか。知られてしまった上は。
だが、そういう袋小路に追いつめたのは、ほかでもない、自分自身なのだ。誰を恨もうすじもないのだ。神仏をお恨みしても仕方ないのだ。これもみな、自分の宿命かもしれない。
どうせ限りある命なら、このまま死んでもいい。世の人にも、
(柏木《かしわぎ》は、もしや、宮に?……)
と仄《ほの》かに拡まって惜しまれるかもしれない。
(恋に死んだ若者よ)
と泣いてくれる人もあるかもしれない。
いや、なによりも、あの佳《よ》き女《ひと》が、自分の死をあわれと思い、ひとしずくの涙をこぼしてくれるかもしれない。向う見ずに燃えた恋の火に身を灼《や》いて、失った命も、それでむくわれよう。
もしこの上永らえていれば、きっとあの女《ひと》との浮名が、いまわしく世には流れよう。生きての浮名は、あの女《ひと》も自分をも汚してしまう。死は、すべてを浄化するであろう。
それに、自分に憎しみを持っていられる源氏の院も、死ねば許して下さるであろう。死は、どんな罪をも消してしまう。
自分は、宮との恋のほかには、何の罪もおぼえがない。この年来の院のご愛情も、自分が死ねばまた、もどってくることであろう。
……柏木はそんなことを思いつづけつつ、人にいえない涙を流していた。
人のいない間に、彼は、宮にあてて、手紙を書いた。
「いまは限りの命と、風の便りにお耳にも入っていましょうに、どんな具合かとおたずねも下さらないのは、ご尤《もっと》もと思いながら、辛《つろ》うございます」
手は、病気で力も出ず、慄《ふる》えて、思うことも充分書きつづけられない。
「私の命終る日、なきがらは燃えても、あなたを思う心は、いつまでも燃えません。
永遠に、くすぶりつづけることでしょう。
あわれとだけでも、ひとことを。
そのお言葉を私は、ひとり赴く死の闇の道の光として逝《ゆ》きます」
柏木は、それを小《こ》侍従《じじゅう》に渡した。小侍従も、古く馴染《なじ》んだ柏木の重病に涙ぐみ、受けとらずにはいられなかった。
「どうぞこのご返事だけは。ほんとうに、これだけは。あのかたの、最後のお文でございます」
と、小侍従は宮に必死に申上げるのであった。
「わたくし自身も今日か明日かに思われるのに……」
宮は、お書きになろうとなさらない。
「柏木が最《さい》期《ご》と聞けば、それはわたくしだって悲しいけれど、手紙だけはいや」
と宮は呟《つぶや》かれた。
「この前のことで、手紙はもう、懲《こ》りたの」
宮は分別や才覚のおありになる方ではないが、それでも、柏木とのことを源氏に知られて以来、源氏が時折仄めかす言葉や態度のきびしさ、冷たさだけは、おわかりになるのだった。
小侍従はそんな宮を言葉をつくして説得し、お硯《すずり》まで世話をしてすすめたので、宮はしぶしぶお書きになった。小侍従はそれを頂いて、宵闇《よいやみ》にまぎれ、人目を忍んで柏木の邸《やしき》へ行った。
邸内は修《ず》法《ほう》や読経《どきょう》の声がまがまがしく充満していた。父大臣はいまはもう、何かにすがりたい思いで、人が、あの験《げん》者《ざ》がよい、この山伏《やまぶし》がよい、というままに、息子たちをやって集めさせ、祈らせているのだった。だから邸内には人相のわるい山伏などまで、いっぱいに詰めているのであった。
柏木の病気は一向に回復しない。陰陽師《おんみょうじ》たちは「女の怨霊《おんりょう》のしわざです」というが、それらしい物の怪《け》も現われない。父大臣は心痛して、いまは手当り次第に、たのみをかけるのであった。
葛城《かずらき》の山からは、聖《ひじり》と呼ばれる験者もきた。
大男で目付きの冷たく気味わるい聖は、荒々しくおそろしげに陀羅尼《だらに》を読む。
柏木は聞いていて、まるで地獄からの呼び声のように不吉なものを感じ、聖の声を憎んだ。
「もう寝た、と申上げてくれ、父上に」
と女房たちをして言わせると、父大臣は彼《かな》方《た》で聖にそっと、
「病人はやすんでいるようです」
といっている。
この大臣は年はいっても陽気で賑《にぎ》やか好きの性質で、よく笑う人であった。それが今はめっきり老《ふ》けこみ、心痛のあまり笑いも忘れ、こんな山奥の荒々しい験者に頭を下げてたのんでいるのだった。
「どうか、あれに憑《つ》いている物の怪を追い払って下され。一日も早う本復《ほんぶく》させてやって下され、頼みます、頼みます」
「聞いたか、小侍従」
柏木はそっと招き入れた小侍従にいう。
「お気の毒な父上。父上は何もご存じない。私の罪でこんな病になったとはご存じもなく、心をいためていられる。おいたわしいことだ。――験者たちは、私に女の霊が憑いているというが、それは宮の生霊《いきりょう》だろうか。ああ、もしそうならどんなに嬉しいか。われながら厭《いと》わしいこの身も、尊く思えるというものだ。それにしても何という大それた罪を犯したものだろう。わが身を滅ぼし、あの女《ひと》をも追いつめてしまった。院に過《あやま》ちを知られた上は世に生き永らえることもできない。院にお合わせする顔もない。
あの宴のとき、私を射すくめるように見られた院の眼の光に、私は心をかき乱された。そのまま魂はわが身を離れてわずらい付いてしまったのだよ。
私の魂よ。私の霊よ。
どこへ迷ってゆこうとするのだ。
もし六條院の邸のうちにさまようものならば、宮のおそばに留《とど》めておいてくれ」
柏木はよわよわしく、脱け殻のようなようすで、泣いたり自分を嘲笑《わら》ったりしつつ、小侍従に語るのであった。
「宮さまもおやつれになって、肩身せまく、物思わしげに、小さくなってお過ごしでいらっしゃいますのよ」
と小侍従は宮のこのごろのさまを伝えた。それを聞く柏木には、しょんぼりと沈みこんで面《おも》痩《や》せていられる宮のお姿が、目の前に見える気がする。いとおしく恋しくて、心は痛いまでに切なく、なるほどこれでは自分の魂は宮のおそばへまつわりついているであろうと、やるせなかった。
「もう止《よ》そう。今更に宮のことを口に出してもどうもならない。今生《こんじょう》でお目にかかれることは、もうないだろう。私の執念だけがこの世にいつまでも残って、宮のおそばにまつわりついていることだろう。宮は生々《しょうじょう》 世々《せぜ》、私の執念に妨げられなすって、成仏《じょうぶつ》がお出来にならないかもしれない。それを思うと、いとおしい。――せめては、ご安産なさった、ということだけを生きているうちに聞きたいが、無理かもしれないなあ。
宮が私の子をお産みになることを、前以《もっ》て予感したことがあった。そんなことをしみじみと語り合う人もいないのが佗《わ》びしいよ」
柏木が深く思い込んでいるさまが、小侍従にはすこし恐ろしかった。ただならぬ執念を不気味に思いつつも、さすがにあわれで、小侍従も泣かずにはいられなかった。
柏木は紙《し》燭《そく》をとり寄せ、宮のご返事を見た。お手蹟《て》はいつもながら頼りなげな字であるが、美しかった。
「おいたわしく存じますが、私がどうしてお見舞いにまいれましょう。ひとりでお案じするばかりですわ。お手紙では、なきがらは煙になっても、胸の思いは残るでしょうとありましたけれど、私も一緒に煙になりとうございます。苦しい思いはどちらがまさるかとの煙くらべに。
あなたに後《おく》れて生きていられるとも思えませぬ」
とだけ、書いてある。柏木はしみじみと嬉しかった。
「煙くらべか――。このお言葉だけが、生涯の収穫となった。この世の思い出はこれ一つ、とは何というはかないことだ」
といっそう泣いた。
臥《ふ》したまま、休み休み、宮への返事を書いた。文章もとぎれがちに、字もおぼつかなく、
「身は煙となって空へ昇っても、心はあなたのそばを離れはしないでしょう。私が死んだら、夕暮れにはとりわけ、空を眺めて下さい。もはや、あなたを咎《とが》める人目もなくお気持は楽になるでしょう。そして時々は、私のことをあわれな男と、お思い出しになって下さい。それも亡きあととなっては、甲斐《かい》ないお心づくしですが」
と乱れて書いているうちに、気分が悪くなってきたので、
「もう、これでいい。あまり夜が更《ふ》けないうちに帰って、宮に申上げてくれ、今を限りの様子に見えました、と。世間で、宮と私のことをあやしく思い合わせたりしないか、と今更になって心配だよ。どうしてこうも苦しい恋に捉《とら》えられてしまったのか」
と泣きながら内へはいってしまった。いつもなら、小侍従をいつまでも引きとめ、無駄話をしたりしていたのに、今は弱って口数も少なくなっているのが、小侍従には悲しかった。
小侍従の伯母《おば》である乳母《めのと》も、泣いていた。父大臣もうろたえまどい、
「昨日今日、少しよくなったように見えていたのに、どうしてこうも弱ったのか」
と嘆いている。
「これまでの命だったのですよ、父上」
と言いながら、青年の頬《ほお》を、人知れぬ涙がひまなく流れおちるのである。
宮はその日の夕方からお苦しみになっていた。いよいよ御産がはじまるとみて、女房たちは大騒ぎして源氏に伝え、源氏もおどろいて宮の御殿へやってきた。源氏は内心、
(ああ、何ということだ。はっきりとわが子とわかるならば、久しぶりの誕生とてどんなに嬉しいだろうに)
と口惜しい気持があるが、そんな気配は人には塵《ちり》ほども洩《も》らせないことなので、験者などを呼んで、いかめしく修法や加持《かじ》をさせる。
夜《よ》一《ひと》夜《よ》、宮は苦しみ明かされて、日がさし昇るころ、男児をご出産になった。
男の子と聞いて源氏は複雑な気持である。生まれた子が、あいにく柏木にそっくり似ていたら何としようか。女の子なら深窓に育って人と顔を合わせることもないからよいが、男の子なら、口うるさい世間に何かと陰口を利《き》かれはすまいか、などと思ったりする。
しかしまた、男の子でよかったとも思う。暗い秘密を負って出生した子は、手のかからない男の子の方がよかったかもしれない。
それにしてもこの運命のおそろしさ、不思議さ。
自分が生涯、恐れていた罪の報いが、いま目の前に現出したのだ。運命はいま自分に、報復を加えたのだ。現世で、意外なところで源氏は不意打ちの報いをうけた。その分、後の世の罪も軽くなるのではなかろうか、と源氏は思ったりもする。それは、これから、この子を見るたびに受けるであろう苦しみを、今から予感していることでもあった。
無論、人はそんなことは知らない。
「こんなにご身分のたかい宮さまにおできになったお子ですし、また、おそくに儲《もう》けられた若宮ですもの、さぞお可愛くおぼすことでしょうね」
と喜び合って、けんめいに世話をしている。産《うぶ》屋《や》の儀式、出産祝いのさまざま、いかめしく立派であった。五日の夜は中宮からお祝いがある。源氏は邸の下々《しもじも》に至るまで招いて盛大に振舞った。
七夜は、産養《うぶやしな》いの日で、御所からも公式の祝いがあった。柏木の父の大臣は、こんなとき格別に祝うはずであるが、いまは柏木の病気が心配で、ひと通りの祝いだけであった。しかし、親王がたや上達《かんだち》部《め》は大勢、参上した。
源氏は、祝賀の空気に馴染《なじ》めないで、客を接待する気にもなれず、管絃の遊びなどは行なわれなかった。
宮は、かぼそいお躯《からだ》に、おそろしい出産を経験なすったので、動転していられて、お薬《やく》湯《とう》なども召し上らない。
あれこれと物思いをつづけられて、
(もう、いいわ、いっそこの機会《おり》に死んでしまいたい……)
などとお思いになる。
源氏は生まれた子を見ようともしない。
そんなことも、宮のお心を苦しめていた。
産養いの儀式は世にとどろくほど盛大に立派にやって、人目を体裁よくつくろっているだけで、源氏は子供を見ることに興はないらしい。
年とった女房たちは、
「まあ、殿の冷淡でいらっしゃること。久しぶりのお子の誕生というのに。それに、こんなにかわいい若君でいらっしゃるのに」
などと、赤ん坊をいつくしんでいる。宮は小耳に挟《はさ》まれて、
(お疎《うと》みになっていらっしゃるのだわ、この子もわたくしも。これからはだんだんと冷たいお仕打ちがまさってゆくかもしれないわ)
と思われると、源氏が怨《うら》めしくわが身が辛く、
(尼になってしまいたい)
という考えが、宮のお心のうちに大きくなっていった。
源氏は夜を、宮のおそばですごすことはもう、なくなっている。
昼の間にいって、
「このごろ私はなぜか、世の中がはかなく行《ゆく》末《すえ》短く思われてね。仏の道に心を入れておつとめしていますよ。赤ん坊の泣き声などは煩《わずら》わしくなってこちらへ足が向かないのだが、いかがかな、少しは気分がさっぱりしましたか。気にはなっていますが」
と几帳《きちょう》のうちをのぞいて、臥していられる宮にいう。
宮にはそのことばも冷たくひびいた。生まれたばかりのみどり児に対しても、何というつれない言い方であろう。宮はお頭《つむり》をもたげられて、
「もう長く生きていられないような気がいたします。お産で死ぬのは罪が重いということですから、いっそ尼になってしまおうと思います。そうすればその功《く》徳《どく》で命をとりとめることができるかもしれませんわ……もしまた死にましても、罪障が消えるかもしれませんもの」
と、いつもよりは大人《おとな》びた様子でいわれるのであった。
「何を不吉な。どうしてそうまで思いつめるのです。お産は恐ろしい大役ですが、死ぬものと定ったわけではないのですよ、元気をお出しなさい」
そう答えながら源氏は内心、
(本当にそう思っていられるのか。もしそのお覚悟があるなら、尼になられて私がお世話するというのもむしろ落ち着いていいかもしれぬ。宮も何かにつけ、あのことにこだわられ、自分もまた、宮の過失を忘れることはできない。こんな状態でいては、やがておのずと人にも見咎められ、朱《す》雀院《ざくいん》のお耳にも入ろう。院が自分を薄情なものとお恨みになるだろうことも心苦しい。そんなことになるよりは、いっそ宮のご病気をよい折に、尼におさせ申した方が)
と思ったりする。しかしまたうら若い宮を尼姿にさせるのも残り惜しく、こんなにも長いみどりの黒髪を短くしてしまうのも勿体《もったい》なく、いたましい。
「やはり出家《しゅっけ》はお許しできぬ。お気を強くお持ちなさい。大したことはありませんよ。もうだめかと思った対《たい》の上でさえ、回復した例もあること、気の持ちようですよ」
などといって煎《せん》じ薬《ぐすり》など宮におすすめする。
宮は透《す》き通るように青ざめ、痩せ、手に取ると消えるかのようにはかなげなご様子で、臥していられる。なよなよと力なく愛らしく、それを見る源氏は、どんなあやまちがあるにせよ、許さずにいられないようにも、思うのであった。
山のみかど(朱雀院)は三の宮のご安産をお聞きになって、なつかしくお会いになりたく思っていられる。まして宮のご病気を聞かれてはいっそうご心痛で、朝夕の勤行《ごんぎょう》も乱れがちでいられた。宮がものも召し上らないで衰弱されて、「父君が恋しくてならない。もうお目にかからずに終るのかもしれない」とお泣きになっていると聞かれると、堪えがたく、居ても立ってもいられぬ気持になられて、急に、夜にまぎれて六條院へお渡りになった。
突然のことなので、源氏はおどろき恐れ入ってお迎えする。
「出家の身で、子供可愛さだけは思い切れません。会えずにこのまま、あの子に先立たれましては、あとあとまで思いがのこるだろうと、無理にこうしてやってまいりました」
朱雀院はしおれて仰せられる。いかめしいご法衣ではなく、人目をしのんだ墨染《すみぞめ》のお衣が、上品で清らかであった。
源氏はうらやましかった。自分のようにいまだに愛執煩悩《あいしゅうぼんのう》の地獄からぬけ切れない身とちがって、仏の道に日夜いそしまれる清らかな院のご生活が。
「大したご病気ではないのですが、ここ何か月か衰弱されて、ものも召し上らないので、いっそう弱られたようなのです」
と源氏は宮の病状を説明して、「失礼な場所ですが」と御帳台《みちょうだい》の前にお敷物を用意して入れた。女房たちが宮をお起こしして、床《ゆか》の下《しも》にお坐らせする。
「やってきましたよ。私に会いたかったとか。さぞ心細かったろうね」
と院はお涙を抑えられる。宮も弱々しく泣かれて、
「わたくしはもう長く生きられない気がします。こうしてお越しになったおついでに、尼にして下さいまし」
と父院に願われた。
「尼に」
朱雀院は驚かれたが、全然、思いもよらぬというようなことでなく、お心のうちに一抹《いちまつ》、
(ああ、やっぱり……)
という気持もおありになる。しかし宮には、
「そういうご本意があるのは尊いことだが、寿命のほどはわからぬもの、若い人は早まって出家しても、のちに後悔して世間の謗《そし》りを受けるようになる。まあしばらく、ようく考えて……」
と仰せられたが、源氏には少しちがう口吻《くちぶり》でいわれる。
「宮自身が望んでいることゆえ、もしこれが最後ならば、しばらくの間でも出家させて、その功徳があるように、はからってやればいかがでしょう」
「この頃はいつもそのようなことをいわれるのです。物の怪《け》などが人の心をたぶらかして出家を勧めることもあるのだからと、私は聞き入れないのですが」
と源氏は苦しい気持でいった。
「物の怪がたぶらかすといっても、悪いことを勧めるならともかく、こう弱っている人が、これを最後と頼むのですから、聞いてやらないとのちのちまで悔いを残すことになりませんか」
院はお心のうちに考えられる。源氏ならばと安心して姫宮を托《たく》したのに、源氏の愛は薄く、宮は幸わせそうでなかった。不満はあるが、口にすべきことでもない。宮が疎んじられているという世の噂《うわさ》は口惜しいが、こんな際に出家させてしまったら、物笑いにもならず、源氏を恨んでの仕打ちともみえなくて、いいかもしれない。やはり何といっても源氏は頼りになる男であるし、憎んで別れたというふうな形でない方がいい、……おお、そうだ、故桐壺院《きりつぼいん》から遺産として頂いている邸がある、そこを修理して宮を住ませよう。自分の存命中に尼になるなら、心配のないようにしてやりたい。また、何かといっても源氏はよも、宮を見捨てはしないだろうと、あれこれ考えつづけられて、静かに、言い放たれた。
「では、こうして参ったついでに、せめて五《ご》戒《かい》をお受けなされて仏との縁を結ばれたがよろしいでしょう」
「何ということ、しばらくお待ち下さい」
源氏は、宮を疎ましがり、憎んでいたことも忘れ、堪えられずに几帳を押しやって宮のそばへ寄った。いちどは考えたこともあるものの、やはり宮を失うのは惜しかった。
「なぜそんなことを申されます。あといくらも長生きできぬ私をふり捨てて、なぜそんなご決心をなさいました。お気持を鎮《しず》めて下さい。お薬湯を召しあがれ。食事をなさいませ。まず、まず、ご健康をとりもどされることです。それから、出家のこともお考え下さい。尊いご決心も、お体がよわくては修行もかないますまい。まず、そのご病気を癒《いや》されてから……」
源氏は必死にかきくどくのであるが、宮はお頭《つむり》を振られて、一こともものいわれない。愛らしい唇はかたく結ばれて、言葉は洩れない。ひややかな宮の沈黙からは、
(そんなことをおっしゃるのは、うわべだけのみせかけのお優しさ。すべて、世間態《てい》をつくろうためのつれないお言葉。しん《・・》から、わたくしの出家を惜しみ、わたくしをいとしんでくださるのではありますまい)
という無言の抗議が感じられる。
子供っぽい宮ながら、さすがに心のうちでは、自分の仕打ちを冷酷な、と思っていられたのかと源氏は今さらのようにわかって、宮がいじらしくなる。
源氏が反対し、宮が沈思され、あらがわれ、また、源氏の哀訴に、いくども議論が交されるうち、夜は明けはじめていった。
「帰るのに昼となっては、明るすぎて人目にもつく。いま、この間に」
と院はお急ぎになり、宮のご受戒の用意をされた。ご病気祈願に詰めている僧の中に、身分の高い尊い僧を呼び入れ、宮の御髪《ぐし》をおろしてさし上げた。今を盛りの清らかな御髪をそぎ落し、五戒をお受けになる作法の悲しさ、とり返しつかぬくちおしさ、源氏は見るに見られなくて、涙ぐんでしまう。
院はもとよりであった。
格別にお可愛がりになって、人よりも幸福に、と願われた三の宮を、この世では生き甲《が》斐《い》もない尼姿にしてしまった意外さ、悲しみに、涙にくれてしまわれる。
「こんなお姿の宮を見ようとは。でもまあ、早く回復されるように。尼となられたからは念《ねん》誦《ず》をおつとめなされよ」
と宮に仰せられていそいで明けきらないうちに六條院を出られた。宮は消え入るように弱々しくなられて父院のお見送りもおできになれない。
「夢のような気がします。せっかくの御《み》幸《ゆき》のなつかしさも、意外な宮のご出家にとりまぎれて……何も申上げることもできません」
源氏はとり乱したままである。朱雀院はいまはかえって、源氏を慰めるようにいわれた。
「この年月、宮をお世話頂き、おかげで私も心安く過ごしてきました。もし宮が命をとりとめ、本復なさったときには、尼姿で、人の出入りの多い住居《すまい》はふさわしくありますまい。さりとて草深い山里も心細いでしょうし、その折はまた、どうか考えてやって下さい」
「何とご返事してよいやら……行き届かぬお世話が省みられ、恥ずかしゅうございます。心が乱れてどうしてよいやらわきまえもつきません」
源氏は混乱して何を考えることもできない。
その夜半、宮のご病気平《へい》癒《ゆ》の祈《き》祷《とう》最中、物の怪が憑依者《よりまし》に憑いた。
「ほほほほ。それごらん。対の上のお命をうまくとりとめたと思っていられるのが憎らしいので、こちらへきてさりげなく宮に憑いていたのだよ。とうとう宮を尼にしてしまってやった。さあ、もう帰ろうか、おほほほ、ほほ……」
と嬉しげに、笑う。
(あさましい。――六條の御息所《みやすんどころ》の物の怪がここにもさまようていたのか)
源氏は耳を掩《おお》いたいようで、宮があわれに思われ、世を捨てさせたことが惜しくてならないのであった。
柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》は、宮が出家されたことを聞いて身も心も消え入るように思った。もうもと通りの健康を回復することはついに無理なように思った。
もしこのまま命終るものならば、もう一度、妻の二の宮に会いたかった。
こちらの邸へ二の宮をお呼びすればよいのだが、高貴な身分は、こういうときに不便であった。宮は軽々しくお出歩きになれないのである。
「どうかして、あちらへいま一度、ゆきたいのです」
柏木は泣いていうが、両親はどうしても許さないのであった。
柏木は誰かれなしに見舞いにくる人をつかまえては、
「二の宮をよろしくたのむ」
といっているのも哀切なことだった。もともと、二の宮の母君の御息所は、この縁談に乗気になっていられなかった。それを、柏木の父の大臣が熱心に奔走して結婚に漕《こ》ぎつけ、院もしぶしぶお許しになったのだった。しかし、三の宮にくらべて、
「かえって二の宮の方が、幸わせな結婚だったかもしれない。頼もしい相手だから」
と洩らされたそうである。
柏木はそれをうかがって、心苦しかった。
「宮をお見捨てして逝《ゆ》くのが辛い。私の亡《な》いあとも、宮をお願いします」
と、母君にたのむのであった。
「何をいうの。縁《えん》起《ぎ》でもない。あなたに逝かれたら、私も生きてはいられませんよ」
母君は泣いてばかりいた。二の宮のことどころではなく、柏木のことで今は、あたまが一ぱいなのだった。
柏木は、すぐ下の弟、左大弁の君にも、亡くなったあとのことを、こまごまと頼んだ。
柏木は弟たちをよく世話して、やさしい兄であったから、みな、親のように柏木を頼っていた。弟たちは、柏木の言葉を聞いて泣かないものはない。
朝廷でも柏木の重病を惜しまれた。死期が近いと聞かれてにわかに、権《ごんの》大納言に昇進させられた。喜びに元気をふるい起こすことにもなろうかと、ありがたい主上の思《おぼ》し召しにかかわらず、柏木は再び参内《さんだい》することもかなわなかった。病床からお礼を申上げるだけである。父大臣の悲しみはいうまでもない。
夕霧の大将《だいしょう》は、親友の死病を嘆いて、たえず見舞いに来ていたが、このたびの昇進のお祝いを述べにまっさきに来た。
門前には馬や車がたてこんで、人々はざわめいている。
柏木は親友の見舞いに起き上りたかったが、それもできないほど弱っているのが、われながらくやしかった。
「取り乱したさまをお目にかけて申しわけないが、君なら許してくれるだろう。ずっとこちらへ来てくれないか」
柏木は枕元へ招じ入れた。加持の僧などをしばらく退出させ、久しぶりで、夕霧と会った。
夕霧は幼な馴染みの友と、近い将来に別れることを思うと、胸が詰ってくる。今日は昇進の祝いを述べにきたのだから、少しは晴れやかな顔も見られるかと思ったのに、弱っている友の顔を見るのは悲しくも残念であった。
「どうしてこうも弱ったのだ。今日は昇進の喜びに少しは持ち直しているかと、楽しみにしてきたのに……」
と几帳の端を引き上げて、病む友に手をのべた。
「いやもう、自分が自分でないような気がするよ……」
柏木は烏帽子《えぼし》を形ばかり冠《かぶ》って少し起き上ろうとするが、ひどく苦しそうだった。
白い衣《きぬ》の、なよらかに萎《な》えたのを多く重ねて、その上に夜着をかけている。病床のあたりは清らかに片づき、薫物《たきもの》も香ばしく匂って、おくゆかしい風《ふ》情《ぜい》だった。重病人といえば、髪も髭《ひげ》も乱れ、むさくるしくなるものだが、柏木は痩せ衰えながら、色白く上品にみえた。
枕《まくら》を立ててそれに寄りかかり、夕霧にものいうさまは、息も絶え絶えで、弱々しかった。
「長患《ながわずら》いにしては、やつれてみえないよ。いつもより綺《き》麗《れい》にみえるよ」
と夕霧はなぐさめつつも、涙を落してしまった。
そうなると、もう制止ができなくなって、
「死ぬときも一緒に、と約束し合ったことがあったっけね――子供のころに。君はおぼえているかい?……それなのに、こんなことになるなんて。どうしてまた、こうまで病気が重くなったのだろう。親友の私にさえ、そのへんのところが、少しもわからない」
と、涙を拭《ふ》きながらいった。
「私にもわからないよ」
柏木は低い、弱い声でいった。
「理由もそれとはわからないうちに、日と共に衰弱してしまって、自分自身も正気を失った気がする。惜しくもない身を、祈祷や願《がん》で引きとめられるのも苦しくて、もう、早く死んでしまえばいい、と思ったりする。
心のこりはあるよ、無論――。親たちに孝養もつくさず、心配をかけ、主上にもまだ充分お仕えしていない。そのほか、自分の周囲にも心残りが多い。
とりわけて一つの悩みを持っているのだよ。こんな、最期《いまわ》のきわに洩らすべきではないかもしれないが、君のほかに誰に訴えられるだろう。弟たちにいうべきことでもないのだ。
それは何かというと、六條院と私の関係だ。
院との間に、少しばかり行き違いがあった……」
夕霧は、思いがけず、父の名が出たので緊張して聞いていた。柏木は苦しげにつづける。
「私は院に心の内でお詫《わ》びしていたが、それ以来、悩みが積もって、人前に出るのも気ぶせく、気分が鬱屈《うっくつ》してしまった。その頃、久しぶりに院のお召しがあって、朱雀院の御賀《が》の、試《し》楽《がく》の日に伺ったところ、院は、やはり私を許せないものと、怒っていられるらしかった。
院は私に強い視線をあてられた。
私はそれに衝撃を受けてしまった。帰るなり寝付き、心は鬱々とたのしまず、生きる張りも精もなくしてしまった。
私は院を、子供の頃から敬愛していた。その心持をご存じでない筈《はず》はない。何か讒言《ざんげん》する者があったのかもしれない。
このことが、気がかりで、後世《ごせ》の妨げになりそうな気がする。どうか機会があったら、院によろしくお取りなしをたのむ。死んだあとでも、院のご不興が消えたら、君をありがたく思うよ」
夕霧は、苦しげに語り終えた柏木を見ながら、
(では……もしや彼は)
と思い当ることがないではないが、この際、たしかめるすべもなかった。
「それは君の疑心暗鬼じゃないのか。父はそんな様子は見えないよ。君の重態を聞いて残念がっているけれど――。それにしても、どうして今まで私に話してくれなかったのだ。そんなに苦しんでいたのなら、君と父のあいだに立って何とでも調停して、はっきりさせたものを……今になって、君……」
と、夕霧はとり返しつかないように思って悲しんだ。
「こんなに病気の重くなる前に言ってくれれば……」
「そうだね。も少し早く打ちあけて君に助けてもらうべきだった。しかしまさか、急にこうも重くなろうとは思わなかったので、うかうかと日を送ってしまった。
このことは、人には言って下さるな。しかるべき折を捉えて院に申し上げてほしい。……それから一條にいられる女二の宮を見舞ってあげてくれたまえ。朱雀院もご心配なさるだろうから、どうか、零落したりなさることのないよう、よろしくたのむ」
まだ言いたいことはあるのだが、柏木はそこで力もつき、
(帰ってくれないか)
と、やっと手真似《てまね》でいった。僧たちも戻って来、父大臣や母君も病床に集まって女房たちも泣き沈むので、夕霧は泣く泣く帰った。
それが最後の対面となった。
日をおかず、泡《あわ》の消えるように、柏木ははかなくみまかった。
柏木の弟たちばかりでなく、妹たちの嘆きも深かった。女御《にょうご》の君はいうまでもなく、夕霧の北の方になっている雲井雁《くもいのかり》、それに、鬚《ひげ》黒《くろ》の右大臣の北の方、玉鬘《たまかずら》も悲しんだ。
女二の宮は、いうまでもなく、悲しみにくれていられる。
世の常の夫婦なみではなく、情のうすい夫にみえたが、今にして思えば、こんなに薄命な人だったからかもしれないと、宮は淋しく思われた。御母御息所は、姫宮のはかない結婚生活をあわれにも、くやしくも思っていられる。
しかし柏木の両親にまして、悲しみに沈んだ人々はあるまい。
女三の宮は柏木の命長かれともお思いにならなかった。しかし死んだとお聞きになると、さすがにあわれに思われた。
(若君のことを、あの人は、わが子と知って逝《い》った)
これも、生まれる前からきめられていた、ふしぎな契りかしらと思うと、物心ぼそくて、人知れず泣かれるのであった。
春三月、空はうららかに、若君は五十日ばかりになった。
色白く美しい稚児《ちご》である。発育がよく、声をあげたりする。源氏は三の宮の御殿にきて、
「どうですか、気分はさっぱりなさいましたかな。しかし、尼姿を拝見するのは、張り合いがなくて。昔のままのお姿なら、どんなにか嬉しいでしょうに、私を捨てられて」
と、恨みがましく沈んだ口調になってしまう。
源氏は、宮が尼になられてからは、かえって前より大切に世話をし、毎日、やってきた。
五十日《いか》の祝いもはなやかに行なった。
(ほんとうなら、この子はまことの父の喪中なのに)
と思うのも、源氏は感懐ふかい。
宮は以前よりいっそう痩せてしまわれた。
お髪《ぐし》は、尼そぎといっても形ばかりなので黒髪はお背に広がっている。
鈍色《にびいろ》のお召物は、少女のようなかわいいお顔にまだしっくり、しない。なまめかしく美しい尼である。
「なさけない。墨染の色はまわりを暗くしてしまう……こうしてお目にかかれるだけでもありがたい、と思わねばならないのだが、取り返せるものなら、と返らぬことを思ってしまう」
源氏は若君のほうを見た。
色白くかわいく太っているが、夕霧の幼な顔には似ていない。
明《あか》石《し》の女御のお生みになった宮たちは、お血筋もあってさすがに気高いが、とりわけお美しい、というほどでもなかった。
しかし女三の宮のお生みになった若君は、上品でその上、愛嬌《あいきょう》があり、目もとのすずやかなこと、笑い顔の可愛らしさ、似るものなく、
(おお……可愛い)
と源氏はあわれ深く目をとめる。
思いなしか、やはり、柏木の衛門督に似ている。幼いながら匂やかなまなざし、品のよい顔立ち、柏木にそのままである。
――こんなに似通っているとは、宮はお気付きであるまい、ほかの人々もなお更、夢にも知らぬこと、源氏一人、心のうちで、
(可哀そうな柏木。はかない契り……この子を見ることもなくみまかったか)
と思うと、世の定めなさも思われて、涙がほろりとこぼれるのである。
今日は五十日《いか》の祝い、縁起でもないと目がしらを拭《ぬぐ》う。秘めた事実を知る者が女房たちの中にいるはずだ。その者は自分を愚かしく見ているだろうなあと思うと源氏は心穏やかでないが、宮に噂《うわさ》が立っては気の毒だと、顔色にも出さなかった。
若君は無邪気に何か言い、笑っている。まなざしや口もとの愛らしさ。源氏は何度見ても、柏木に似ているように思える。
柏木の親は、せめて子でもいたらと嘆いていると聞いたが、ここにこう、というわけにもいかない。
人知れず、はかない形《かた》見《み》をのこして柏木は逝ってしまった。あんなに誇りたかく思慮ぶかく老成していた青年が、わが心から前途有望な人生を破滅させてしまった。それを思うとあわれでもあり、また、いまでも一点、許しがたい怒りが残ってもいて、源氏の心を惑わせる。
女房たちが退いたひまに、源氏は宮のおそばへ寄り、
「この子をどうお思いになる。こんな可愛い子を捨てて出家なさるとは。なさけないかたですね」
といった。とっさのことで宮は顔を赤らめていられる。
「だれに似ているとお思いになる」
低く源氏がいうと、宮は返事もお出来になれず、突《つっ》伏《ぷ》してしまわれた。
お返事はできぬのが当然であろう。
源氏は強《し》いてもいわないが、いったい、柏木とのことを、どう思っていられるのであろう、と思う。深く考えるという方ではないが、しかし、これほどのことを平気ではいられないだろうと推察するのも、にがにがしく心苦しかった。
夕霧の大将は、亡き柏木が心にあまって仄《ほの》めかしたことを、
(一体、どんなことだろう?……)
と考えつづけていた。
(も少し、彼が元気で、気力のあったときに聞いておけばよかった。もう臨終の折だったから、動転してそれどころではなくなってしまった)
と悲しかった。親友の面影が忘れられず、柏木の兄弟たちよりも、大将は悲しんでいた。
(三の宮がご出家なさったのも奇怪だ。そんな重病というほどでもなかったのに、よくも未練げもなく思い立たれたものだ。父上も父上、どうしてお許しになったのか。紫の上があれほど危篤になられて、泣く泣く出家を願われたときも、父上は頑《がん》としてお聞きにならず、許されなかったものを。
やはり、柏木は、宮に恋して忍んで通ったのだろうか。彼の恋は昔から察してはいたが。
彼は慎重でおちついた男だったが、反面、情に引きずられる、意志の弱さもあった。
しかしどんなに恋していても、埒《らち》をこえてはいけないものを、相手の方にも気の毒ではないか、それに自分の命まで失ってしまうとは、なんと情けないことになってしまったものだろう。宿縁とはいいながら、あまりにも軽率だった)
と、柏木のことを惜しんだ。しかし沈着な夕霧は、妻にもそのことを言わず、折もないので父にも言わなかった。
もし、いつか、よい折があれば、
「柏木がこんなことを仄めかしておりました」
と、それとなく父の様子を見てみたいと思っていた。
柏木の両親は嘆き悲しむばかりで、法事の準備などは、みな柏木の弟や妹がとり行なった。
一條の宮でも淋しい毎日であった。
妻なのに、臨終にも会えなかった残念さが、宮にはいつまでも悲しく、お忘れになることができない。
日がたつにつれ、広い御殿の内は人影も少なくなる。
柏木が親しく使っていた人々は、今もなおお見舞いに参上していた。柏木の愛した鷹《たか》や馬の係りの男たちも主《あるじ》を失ってしょんぼりと出入りしている。
二の宮はそれも悲しくごらんになる。
柏木の使った調度、つねに弾《ひ》いていた琵琶《びわ》などの緒《お》もとりはずされ、もう永久に音はたてない。
花は咲いても二の宮のお心は晴れない。
お側《そば》の女房たちの鈍色の喪服姿も淋しく、つれづれな昼、前《ぜん》駆《く》を物々しく、花やかに追うて、やってくる人があった。
「ああ、殿がおいでになったかと、ふと思ってしまいましたわ」
と泣く者もある。それは夕霧であった。
人々は、はじめ柏木の弟の弁の君か、宰相《さいしょう》の君かと思ったらしい。
夕霧がおちついた姿で入っていくのを、母《も》屋《や》の廂《ひさし》の間《ま》に坐りどころをしつらえて迎えた。
なみの客のように女房たちが応対するには身分たかく、恐縮だとして、いそいで御息所《みやすんどころ》が対面なさった。
「ご不幸をお悔みする心は、お身内の方々にもまさるものがございます。しかしお身内ならぬ身には限界があって、御弔問もありふれたことになってしまいます。私は、ご臨終のときお聞きしたことがございますので、こちらさまのことをおろそかには思いません。人の命は引きとめようもございませんが、生きております限りは誠意をもってお尽くししたいと思います。
親が子を思う心の闇も当然ですが、ご夫婦の仲は格別。どんなに柏木の君が、宮さまに心をのこして死なれたろうと思いますと、悲しみは申上げようもございません」
といいつつ夕霧は涙ぐんだ。
御息所も、鼻声になってお返事をなさる。
「年とった者は、定めない世だからとあきらめますけれど、お若い宮が沈んでしまわれるのが辛くて。老いた身に、こんな逆縁《ぎゃくえん》の悲しみを見ることになってしまいました。
亡き人とはお親しくしていらしたとか。おのずとお耳にも入ることがありましたろうが、この縁談ははじめから、私は気がすすみませんでしたのよ。
あのとき、たっておことわりすればよかったと、今になって残念でございます。内親王は結婚なさらず独身ですごしたほうがよいと、私など古風な考えで思っておりましたのに……。
未亡人になって人の口《くち》端《は》に上るのもいたわしくて、いっそ跡を追って同じ煙に消えておしまいになった方がよかったかもしれません。
でも、そういうことも叶《かな》いませず……。
ご親切なお見舞い、ありがとう存じます。そうでございますか、あのかたがご臨終にそんなにも、心にかけて頼んで下さいましたのですか。
ご生前中は、あまり情のあるかたとも見えませなんだが、やはりこちらのことを思っていて下すったのでございますねえ。
いろいろな方に、『二の宮をたのむ』といい置いて下すったらしくて、悲しい中にも、うれしいことがまじる心地でございます」
と、しきりに泣いていられるようであった。
夕霧も、しめやかに涙を拭きつつ、亡き友のことを話し合った。心から友を思う気持はおのずと言葉にも態度にもあらわれ、
「あの人はこうだった」
「こんなこともあった」
とやさしく、こまやかに友の義母に話し、なぐさめて帰っていった。
「まあ、おやさしい方でいらっしゃいますこと」
「亡き殿は、大将の君より五つ六つ、お年かさでいらしたけれど、若々しくて、なまめかしくいらした。それにくらべ、大将の君は重々しく男らしい態度でいらっしゃいますねえ」
「でも、お顔立はお若くて、そしてお綺麗なかた……」
女房たちは口々にいって、少しは悲しみも紛れるようであった。
夕霧は庭の桜を見て口ずさんだ。
〈時しあれば変らぬ色に匂ひけり 片《かた》枝《え》枯れにし宿の桜も〉
時が来て、桜は咲きました。どうか二の宮よ、亡き人のために、あまりにお悲しみになってお心を破られることないように。
御息所は、間をおかず、お返しになる。
〈この春は柳の芽にぞ玉はぬく 咲きちる花のゆくへ知らねば〉
ことしの春は、かなしい春。
目に涙の玉のやどる春。咲く花のゆくえも知らず、たれこめて物思う日々です。
このかたは、宮中で才気があると噂された更《こう》衣《い》であられた。さすがに、嗜《たしな》みがあると夕霧は、感じ入った。
夕霧はそのまま、亡き友の両親をたずねた。
大臣は、夕霧を見ると、まるで息子を見る気がして、涙が流れるばかりである。
「あなたの母君、葵《あおい》の上が亡くなられた秋も悲しかったが、そうはいっても女のこと。息子は男ゆえ、朝廷にたちまじって、やっとひとかどの者になり、私も頼りにしていただけに、悲しみはいっそうたえがたいのですよ。どうしたら、忘れることができましょう」
と、顔を掩《おお》って泣くのであった。
夕霧も、あれほど気丈でしっかりしていた大臣が、こうも取り乱しているのを見るのは辛かった。
ここでも、みな集まって柏木のことばかり言い、手をとり合って嘆いた。
さて、夕霧は、しばしば、二の宮を一條邸に尋ねるようになった。物思いにしめりがちの邸に、夕霧が来ると、華やぎが流れ、夕霧自身も、いつかここへ見舞いにくるのを、たのしみに思うようになった。
夕霧の大将は、一條の宮へ、絶えず見舞いに上っていた。
いつか、春が来ていた――卯《う》月《づき》の空は心地よく晴れわたり、いちめん緑に霞《かす》んでほがらかであるが、ここ一條邸は悲しみに沈んで心ぼそく、物思いがちに日を送っていられる。
夕霧が来てみると、庭には青草が萌《も》え、ここかしこ敷砂の薄いところに、青い蓬《よもぎ》がいきおいよく生えていた。
亡き柏木の衛門督は、庭づくりに趣味のある人だったので、庭木を丹精していたが、今はそれらが思いのまま繁りあい、ひとむら薄《すすき》もすっかり広がってしまった。
さぞ、秋になれば虫の音《ね》誘うことであろう。
大将はそれらを見るにつけても、亡き友のことが思われる。
邸内の母屋《もや》には、喪中とて伊予《いよ》簾《すだれ》がかけ渡してあった。鈍色の几帳も、夏のものに衣更《ころもが》えしてあるので、かなたの物かげが涼しそうに透いてみえる。仕える少女たちの鈍色の喪服や、髪など美しげに仄見えるが、やはり、喪の家はしめやかに沈んでいた。
夕霧には、それもなつかしく、好もしい。
彼はいまは、この邸を――ひいては、この邸の女あるじを慕わしく思い初《そ》めているのであった。
簀《すの》子《こ》(縁側)に夕霧は坐ったので、女房たちは茵《しとね》をさし出しつつ、
「あまり端近《はしぢか》で、失礼なお席でございますわ」
と、宮の母君の御息所にいそいで申上げたのだが、御息所はこのごろお体のお具合がよくないので臥《ふせ》っていらっしゃる。
女房たちが代ってお相手をしていた。夕霧は庭の木立の美しいさまを興ふかく見ていたが、その中に、柏木と楓《かえで》がひときわ綺麗な色に目立ち、枝をさしかわしているのを見て、
「いいな。枝をつらね、葉を重ねる仲のよさ……」
そっと彼は宮のいられるとおぼしい部屋のかなたに向ってささやくのである。
「彼は許しました。彼と同様に、私をもお考え下さいませんか。おそばに近づき慣れるのを。御簾《みす》のへだてが恨めしゅうございます」
彼は、簀子から一段高くなっている廂の間の、長押《なげし》に寄りかかっている。
(なまめいたお姿がまた、よくて……)
(男っぽい重々しい殿方だと拝見していたけれど、しなやかな色めいたところもおありになるのね)
と女房たちは低く、言い交している。
宮は、ご接待役の少将の君という女房を通して、お返事なさる。
「わたくしには、もはや連ねる枝も重ねる葉もございません。曠《あら》野《の》にひとり立つ木でございますわ。どんな枝とも重ねるつもりはございませんのに、だしぬけなお言葉、いままでのあなたのご親切も、浅はかに思われてまいります」
夕霧は取り次ぎの言葉に、一言もない。
「なるほど。仰せの通りです」
と苦笑した。
御息所が挨拶に出られたらしい気配が、御簾のかなたに感じられるので、夕霧はそっと居ずまいを正した。
「悲しく辛い浮世を見まして、気分もすぐれずぼんやりしておりますが、こうも度々のお見舞い、うれしく有難く存じておりますのよ」
と、御息所は、ほんとうにお加減が悪そうであった。
「お嘆きはご尤《もっと》もと存じますが、また、そうばかり沈んでいられては、よろしくございません。何と申しましても、前世の因縁《いんねん》できまったこと、限りある世の中でありますから」
と、夕霧は御息所をさまざま慰めるのであった。
そういいつつ、二の宮に対する恋心が募ってゆく……亡き友の妻ではあるが、宮は、噂に聞くよりもいっそう、心の奥ふかくゆかしい人柄であるように思われる。
夕霧の恋には、宮への同情もこめられている。内親王の身分は、たださえ世の好奇と関心を集めやすいもの、ご降嫁になって、あまり年もおかず未亡人になられた、世の心ない注目を、宮はどんなに内心、辛く思い悩んでいられるであろう。そう思うと夕霧はいっそう、宮を守りたい、という気がする。
それとなく御息所に、宮のご様子をたずねたりするのであった。
(美しいかたなのだろうか……いや、柏木があまり熱心に通わなかったところを見るとさして美女という方ではないのかもしれない。しかし、よっぽど見苦しい醜女というのでなければ、容姿で女の価値をきめるのは不都合なことだ。美しくないというだけで疎み、美しいというだけで、道ならぬ恋に落ちたりする、というのは、成人《おとな》の男の恋ではない……。
自分なら、いつまでも見飽きぬものは女の心ばせ。気だて。
女の性質や心ばせに、私なら惹《ひ》かれるだろう。
それは年うつり容色がおとろえても、かわらない魅力だから……。
いや、むしろ、年を加えるごとに深まさり色濃く人格を染めてゆく匂いだから……。
慕わしい宮。
好もしい宮)
そんなことを、夕霧は考えつづけ、御息所に対して、ねんごろに、
「今は、亡き人の代りとして私を他人とお思い下さいますな」
というのであった。宮への求婚とか、言い寄るさまにはみせず、しかし一抹《いちまつ》、宮への想いを仄めかしつつ、話すのである。
夕霧の直衣《のうし》姿は男らしく、体《たい》躯《く》は堂々として威厳があり、美《み》事《ごと》であった。
「右《ゆう》将軍が塚に草はじめて青し」
と夕霧は口ずさんでいた。その詩は、近い世に亡くなった右大将藤原保忠《やすただ》の死を悲しんでうたったものである。亡き柏木のことを思い、ゆくりなくその妻に恋してしまった自分のことを思い、夕霧は、あわれ深かった。
(亡くなられた殿は、何かにつけ物なつかしく上品で、愛嬌がおありでしたわ)
(大将殿のほうは男らしくてさっぱりして、堂々としてらして、お綺麗なところが似る人もなくて)
女房たちは、夕霧のことを、こうささめき合い、いつとはなく、忍んだ願望が邸中にこもりはじめていた。
「同じことなら、あの大将の君が、宮さまの新しい背《せ》の君としてお邸にお出入り下さるようになれば、どんなに嬉しいことでしょうねえ」
人々はそう言い合った。
柏木の死は貴《き》賤《せん》を問わず、世の中に惜しまれた。学識、才芸に秀でていたこともさりながら性質が人なつこく、情《じょう》の深い青年だったから、関係のそれほど深くもないような官人や老いた女房たちまで、柏木を惜しみ恋しがった。
主上も、管絃のお遊びの折などには、思い出されて柏木を惜しまれる。
「ああ、こういうときに衛門督が居たならば」
と何事につけ、いわぬ人はなかった。
まして源氏は、柏木を思うことは日と共に多かった。源氏は若君を、柏木のかたみと思っていたが、人に言えぬ秘密なのでそれもはかないことであった。
秋のころには若君も這《は》い歩きをするようになった。何とも可愛い姿なので源氏は抱きあげてあやさずにはいられない。あながちに人目をごまかすためだけではないのであった。
この子が何も知らず、あどけなく笑っていることよ、と思うと源氏はふびんであった。
柏木の一周忌には特別に誦経《ずきょう》をさせ、追善のため黄《こ》金《がね》百両を寄進した。柏木の父大臣は事情を知らないので、ただ恐縮してお礼を言うのであった。
夕霧の大将も、柏木の追善供養を心こめてとりしきった。一條の宮のもとへも、一周忌のころにはことに心こめて見舞い、柏木の弟たちよりもまめやかであった。
「こんなにもご親切に心をつけて頂いて」
と、父大臣や母君は喜び恐縮していたが、夕霧の友情もさりながら宮への執心があってのこととは、知らないであろう。亡きのちにもこうまで人に慕われる柏木を、両親は、今さらのように惜しみ、恋しく思った。
空《むな》しき調《しら》べに夢ふかき横笛《よこぶえ》の巻
山の帝《みかど》(朱《す》雀院《ざくいん》)は、二の宮が若くして未亡人になられ、三の宮が世を捨てられたことを嘆かれたが、俗界のことは思い捨てよう、と決心して、こらえていられる。
三の宮が同じ道に入られたことゆえ、今は何かにつけ、お便りをなさっていた。
御《み》寺《てら》の近くに生えた筍《たけのこ》、そのあたりの山で掘った山芋など、いかにも山家の野趣にあふれたものを贈られるついでに、やさしい、こまごましたお手紙をお書きになるのであった。
「春の野山は霞《かすみ》がたちこめてたどたどしいのですが、あなたのためにと、掘らせましたよ。私の志のしるしです。
〈世を別れ入りなむ道はおくるとも 同じところを君も尋ねよ〉
かわいい姫よ。私に遅れてもお互いに仏の道に入った身、同じ極楽浄土を求めなされよ。
修行はむつかしいものだけれど」
そんなお手紙を、三の宮は涙ぐんで見ていらっしゃるところへ、源氏が入ってきた。
「おお、珍しい山家の幸《さち》があるね」
と目にとめて、朱雀院からのあわれ深い手紙を拝見した。長くもない命を、宮に思うように対面できぬ淋しさが、こまごまと書いてあって、源氏の心を打つ。
仏門に入られた方らしいお歌も、素朴である。心配していらっしゃるのだ、この上自分までが、宮をおろそかに扱って、院のお心を傷つけてはいけないと、源氏は思った。
宮は、源氏がそばにいるので羞《は》ずかしそうに返事をお書きになり、お使いには、青鈍色《あおにびいろ》の綾《あや》の衣《きぬ》をひとかさね、お与えになる。
書き損じて書きかえられた紙が、御《み》几帳《きちょう》の端から仄《ほの》見えるのを源氏は取って見ると、ご筆蹟《ひっせき》は幼稚で頼りなくて、
〈憂《う》き世にはあらぬところのゆかしくて そむく山《やま》路《ぢ》に思ひこそ入れ〉
憂き世でないところが、私には恋しく思われます。お父上の修行していられる山奥が慕わしくて。
「そんなことを考えていられるのですか」
源氏は言わずにいられない。
「お若い身空で世を捨てられたのが惜しいのに、まだ山奥を慕っていられるとは、よくせき私のもとにいられるのがおいやなのか。辛いことですね」
宮は、尼姿になられてからは、まともに源氏とお顔を合わせるのを避けていられる。しかし額髪《ひたいがみ》やお顔立ちの愛らしさ、まるで少女のようである。
源氏はいまさらのように宮に、愛恋の欲望が起きるのをおぼえる。
(なぜこんなお姿にしてしまったのか)
そう思うのも、仏罰を蒙《こうむ》りそうな、ふてぶてしい考えであろう。
女三の宮の若君を、これからは、薫《かおる》と呼ぼう。――若君の薫は、乳母《めのと》のそばで寝ていたが、起きて這《は》い出してきた。源氏の袖《そで》をひっぱったり、まつわりついたりする様子が、たいそう可愛かった。白い紗《しゃ》の上衣に、唐綾《からあや》の紅梅の小紋の下着を着せられている。裾《すそ》をしどけなく長く引きずり、子供がよくするように、着物はうしろに丸まって、体がむき出しになっている。愛らしいさまである。
色は白く、すんなりして、まるで柳を削って作った人形のよう、あたまは露草でいろどったように濡々《ぬれぬれ》とした黒髪である。
口もとの愛らしさ。
目もとの涼やかさ。匂うようなまなざし。
どことなく、亡き柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》に似ている。しかし彼はこうまで気高くなかった。母君の三の宮にも、この若君は似ていない。
この品のよさ、奥ふかい匂いは、むしろ源氏に通うところもある。
薫の君はやっとよちよち歩きをするころである。筍の入れ物に無心に寄っていって、あわただしく筍を取りちらかし、かじったりしていた。
「これこれ、無作法な。いけません」
源氏は抱きあげて、女房たちに、
「筍を片付けてしまいなさい。口さがない人に『食べものに目のない方』などといわれては色男も台なしだよ」
と笑った。薫はにこにこして、手でつかんだ筍を離さない。その顔を源氏は眺めて、
「この子は、なみの子とちがう……何か、特別の風《ふ》情《ぜい》をもっている。そんなにたくさんの幼な児を見つけないからかも知れないが、このぐらいの子はただあどけないだけだと思っていたのに、この子は奥ふかい何かがあるね……どんな若者になるのだろう……美しくて心ざまの深い青年に生い立つかもしれない。この邸《やしき》には姫宮も一緒に育っていらっしゃるから、こんな美しい男の子がいては、将来、心配ごとの種になるかもしれない。まあ、そのころには私もいないだろうけれどね。この人たちのゆく末の花の盛りを、見届けることはできまいけれど……」
と、薫を見守りつつ、いった。女房たちはいそいでいう。
「まあ、不吉なことを」
「縁起でもないことを仰せになります」
薫は歯の生えはじめる頃である。噛《か》もうとして筍をしっかり握って、涎《よだれ》をたらしながら食べている。
「おやおや、変った色好みだね」
源氏は筍を取り上げながら、薫をかわゆく思う。忘れがたい屈辱の記憶はまつわるものの、やはりこの幼な児は可愛かった。薫は無心に笑って何も知らず、源氏の膝《ひざ》から這い下りてごそごそしている。この子が生まれるべくして、宮と柏木との不幸な恋があったのだろうか、これも前世に定められた宿縁かもしれない……と源氏は思い直すのであるが、それにしても、一身の栄《えい》華《が》をきわめつくしたように人から見られる源氏も、物思いは多い。宮に裏切られた、という記憶は、ゆるしがたく消しがたいのであった。
夕霧の大将は、亡き友が臨終に言い残したことをいつも思い出していた。父に、どういうことかと聞きたくもあり、様子を探りたいと思うのだが、うすうす、それかと推量されることもあるだけに、かえって言い出しにくかった。
いつかよい折があれば、くわしい事情も知りたいし、また亡き人があんなに思い込んでいた様子も父の耳に入れたいと、思いつづけていた。
秋の夕暮れの物あわれに、一條の宮がしのばれて夕霧は出かけていった。
宮はくつろいで、しめやかに御琴《こと》など弾《ひ》いていられたらしかった。急の訪問に、楽器をとり片付ける間もなく、そのままに南の廂《ひさし》の間《ま》に夕霧を招き入れられた。
今まで端にいた女房たちが、静かに母屋《もや》の奥へ入ってゆく気配も、はっきり知られる。衣《きぬ》ずれの音や、部屋じゅうにたちこめる空薫《そらだき》物《もの》の匂いが、けだかい佳人のすむ館《やかた》らしく、おくゆかしかった。夕霧は、いつものようにお相手に出られた御息所《みやすんどころ》と話を交しながら、いよいよ、この邸に心は惹《ひ》かれてゆく。
夕霧の自邸は子供も多く、人の出入りも騒がしく、活気があるから、まさにこの邸とは対照的である。
人《ひと》気《け》も少なく荒れてみえるが、前栽《せんざい》の花の咲き乱れたのへ夕映えがさしている。ひそやかな美しさ。夕霧には何もかも身に沁《し》む心地がする。
彼は和《わ》琴《ごん》を引きよせてみた。律《りち》の調子に整えられてあるそれは、よく弾き馴《な》らされてあって、弾き手の移り香も沁みてなつかしい。
(こんな折に、あつかましい好《す》き者《もの》は軽率な浮名をたてるのだろうなあ)
と夕霧は思った。自分は、それらの軽々しい色好みと同じような振舞いをしてはならない、自分の真率な想いを、浮気者のそれと一緒にされたくない、と思いながら夕霧は、琴を掻《か》き鳴らしていた。
「この琴は、亡き人の手なれの琴ですね」
夕霧は面白い曲をすこしばかり弾いて、
「ああ、とてもあの方には及ばない。いい音《ね》色《いろ》を奏でられたものでしたよ。宮にはきっと、柏木の君の音色が伝えられていることでしょう。お聞かせ下さいませんか」
というと御息所は答えられた。
「宮は、あの方が亡くなられてからというもの、ふっつりとお琴には手もお触れになりません。その昔は、父院にもおほめ頂きましたものを。今はもう、ぼんやりと思い沈んでいられて、お琴も、悲しい思い出を誘うばかりなのでございましょう」
「ご尤《もっと》もですね、恋しさは限りもないことでしょうし」
夕霧は嘆息しつつ、琴を御息所に押しやった。御息所は、かえって夕霧にすすめられる。
「あなたさまがどうぞ。亡き人の音色が伝わっておりますかどうか、いぶせく思い沈んでおります耳を、朗らかにして下さいまし」
「私など他人よりは、ご夫婦の仲にこそ、よき音色は伝えられておりましょう。それを承りたいものです」
と御簾《みす》のそば近く、琴を押しやったが、宮は急にはお引きうけにならない。夕霧も強《し》いてはすすめない。
折から月が昇った。
澄んだ夜空に、列をなして雁《かり》がゆく。翼を交して仲よく飛ぶ雁の声を、宮はうらやましくお聞きになるのではないか。
風は肌寒く、夜はふけわたり、物あわれな情趣に誘われなされたのか、宮は箏《そう》の琴を仄《ほの》かにかき鳴らされた。いかにも深みのある音色である。
これなら、和《わ》琴《ごん》もさぞかし、美しい音色を奏でられることであろうと、夕霧はいよいよ魂あこがれて、こんどは琵琶《びわ》をとって「想《そう》夫《ふ》恋《れん》」という曲を弾いた。
親しみぶかい弾きかたである。
「何だかお心の内を当てるようで恐縮ですが、この曲なら和琴で合わせて頂けるかと存じまして」
としきりに御簾のうちへ向っておすすめするが、宮は羞《は》ずかしがられて、応じられない。「想夫恋」という題の曲に、いっそう内気になっていられるのであった。
「お言葉に出される以上にお気持はわかります。『想夫恋』という曲に、物思いに沈んでいらっしゃるところを拝見しますと」
と夕霧はいった。
宮は、終りのほうの曲を、ほんのすこし弾かれて、
「この琴の音《ね》が、ご返事でございますわ」
夕霧はあまりにも短い、はかない琴の音を惜しく、物足らなく、怨《うら》めしく思った。
「長居をいたしました。琵琶や琴を弾きちらし、いかにも風流めかしいことをして失礼したかもしれませぬ。あまり夜更《よふ》けまで長居をしては亡き人に咎《とが》められましょう、これでお暇《いとま》いたします。またいずれ改めてお伺いいたしましょう。それまでこの御琴の調べを変えず、お待ち頂けますか? ほかの男《ひと》がこの御琴を弾くことはないとお約束頂けますか? 琴のしらべも約束も、たがえやすい世の中、私は心配なのです」
それは公然とではないが、仄かに匂わせた宮への求愛である。
御息所は気付かぬふうに、
「今《こ》宵《よい》のご風流は亡き人も許しましょう。昔物語に紛らされて、ゆっくり聞かせて頂けなかったのは残念でございます」
御息所は、お礼の贈り物に添えて、笛を、夕霧に贈られた。
「この笛は、由緒《ゆいしょ》ある笛だそうでございます。こんな草深い家に埋れさせるのも勿体《もったい》なく存じますので、さし上げます。前駆《おさき》を追う声に負けずお吹きになる音色を、よそながらでもお聞きしたくて」
「こんな立派なもの、私には似合わぬ随身《ずいじん》ですね」
と夕霧が見ると、亡き柏木が肌身離さず大事にしていた名笛《めいてき》だった。柏木自身「自分では吹きこなせない。妙手の人に伝えたい」とつねづねいっていたものである。夕霧は試みに吹いてみて、いかにも晴れがましくてやめてしまった。御息所は歌を詠《よ》みかけられる。
〈露しげき葎《むぐら》の宿にいにしへの 秋に変らぬ虫の声かな〉
夕霧は返した。
〈横笛の調べはことに変らぬを むなしくなりし音《ね》こそつきせね〉
夕霧は帰りがたい思いである。とやかくしてためらっているうち、夜は更けに更けた。
三條の自邸へ帰ったのは深夜だった。
格《こう》子《し》など下ろして、人々は寝静まっていた。(一條の宮にこの頃、ご執心で、親切にしていらっしゃいます)などと告げ口をする女房がいるので、北の方の雲井雁《くもいのかり》は、夜更けに帰ってくる夫を憎らしく思う。
入ってきた気配を知りつつ、わざと寝たふりをしている。夕霧は機《き》嫌《げん》がよい。催《さい》馬楽《ばら》の、
「妹とわれ、いるさの山の」
などといい声でひとりで歌っていた。それも雲井雁には憎らしい。
「おやおや。どうしてこんなに格子を閉めきるのだ。うっとうしいではないか。今宵の月を見ないとは」
と叱《しか》って女房たちに格子をあげさせ、自分も手ずから御簾を上げさせて、端近《はしぢか》に寝た。
「美しい月夜だ。こんなときに気楽に眠っている人があるものか、まあ、ちょっとこちらへ来てごらん」
夕霧は妻を呼ぶが、雲井雁は不機嫌にそら寝して、相手にならない。
夕霧の心は、またあの一條邸にはるばる飛んでゆく。
夕霧は笛を吹いていた。柏木遺愛の笛である。
(私の去ったあと、一條の宮はじっと物思いにふけっていられるのではあるまいか。お琴を弾いていられるだろうか)
などと思いつづけつつ、横になった。
(それにしても、なぜあの柏木は、宮に深い愛情をもたなかったのだろう。ご器量がお悪くていらっしゃるのだろうか……)
夕霧は、疎々《うとうと》しい夫婦仲、というものについては、想像しにくかった。夕霧自身は、雲井雁と仲むつまじい間柄だったから……。夕霧の浮気沙汰《ざた》から妻の嫉《しっ》妬《と》を買う、ということもなく、平穏なやさしい月日を送ってきた。
それゆえにこそ、雲井雁は、夫の誠実に馴れていまもわがままで、我《が》を張り通すところがある。夕霧の方が折れてしまう。そんなことも、しみじみとかえり見られた。
いつのまにか、うとうとしていたと見え、亡き柏木の衛門督が、夢に出てきた。生きていたときのままの白い袿姿《うちぎすがた》で、夕霧のすぐ側にいて笛を手に取って見ていた。夢の中と、夕霧はわかっていて、
(おお、この笛に執念を残して現われたな)
と思った。
柏木は悲しげに、
「この笛は、子孫に伝えたかったのだよ……予期に反して君の手に入ったのだねえ」
という。夕霧は誰の手に伝えたいのかと尋ねようとして、小さい若君の夜泣きする声に夢がさめた。
若君はひどく泣いて乳を吐いたりするので乳母は騒いでいる。雲井雁も灯を近く取りよせ、額髪《ひたいがみ》を耳へはさんで、そそくさと世話をし、若君を抱きあげた。
雲井雁はよく太って肉づきよく、豊満な美しい胸をあけて、赤ん坊にお乳をくわえさせていた。幼い若君も色白でかわいらしい児である。お乳は出ないが、気休めにふくませているのだった。
「どうしたのだね」
夕霧はのぞきこんだりした。魔除《まよ》けのまじないの米をまき散らしてあたりは騒がしく、夢も忘れてしまった。
「この子が苦しそうにしていますわ。あなたが若い人みたいに浮かれて夜歩きなどなさるからよ。夜ふけに月を眺めるなんておっしゃって格子を上げたりなんぞなさるから、例の物の怪《け》が入ってきたんですわ」
雲井雁は怨みごとをいうが、その顔は、若々しく愛らしいのだった。
夕霧は笑って、
「物の怪の道案内を私がしたというのかね。なるほど、私が格子を上げなければ物の怪も入れなかったろうよ。たくさんの子供を持つと、いろいろとよく気のつくことだ」
と、子供を抱いている妻を眺めた。
雲井雁は夫をまぶしそうにして、
「どうぞあちらへいらして。見苦しいなりをしていますから」
と、明るい灯の下ではだけた豊かな胸元を羞じらっていた。憎からぬ、美しい妻である。
――赤ん坊は、ほんとに終夜泣きむずかっていた。
夕霧は夢のことを考えると、この笛を持っているのが重荷になってきた。亡き人が執着していたものを、自分が持っているのは適当でないと思われる。柏木は何と考えているのであろう。いまわの際《きわ》の執念はのちの世までもまつわりつくという。
夕霧は柏木の葬送をした愛宕《おたぎ》の念仏寺で誦《ず》経《きょう》させたり、故人が帰依《きえ》していた寺で供養させたりしたが、この笛を寺に寄進してしまうのもはかない気がして手放せなかった。彼は六條院へ参上した。
源氏は、娘の、女御《にょうご》の居間の方にいる。女御のお生みになった三の宮はいま三つばかり、ご兄弟の中でもとくにお可愛い若宮である。
紫の上が引き取ってご養育しているのであった。
宮は夕霧を見つけて走って出てこられた。
「やあ大将だ。宮をお抱きしてあちらへお連れして頂戴」
と、まわりの者の言葉を真似《まね》られるのであろう、自分自身に敬語を使ってしどけなく言われるのも、無邪気でほほえましい。
夕霧は笑いながら、
「こちらへいらっしゃいまし。でもお居間の御簾の前を通るのは不作法ですね」
といって抱きあげていると、
「誰もみないよ。大将の顔は、ぼくがかくしてあげるよ。ね。ね」
とご自分の小さい袖で、夕霧の顔を隠されるのが何とも可愛くて、夕霧は、お抱きしたまま、女御のお部屋の方へいった。
こちらでは兄宮の二の宮が、若君の薫といっしょに遊んでいられるのを、源氏が相手になっているところだった。隅の間に、夕霧が三の宮を下ろしたのを、二の宮がみつけられて、
「ぼくも大将に抱いてもらおうっと」
とおっしゃるのを、三の宮は、
「だめだよ。ぼくの大将だよ」
と遮《さえぎ》られる。源氏はそれを見て、
「これこれ、お行儀のわるい。近《この》衛《え》の大将は主上《うえ》をお守りするお役目ですぞ。ご自分の家来にしようと競争なすってはいけません。三の宮はどうもおよろしくない。いつもお兄君に負けまいとなさいますね」
と叱って仲裁していた。夕霧は笑って、
「二の宮は何ごとにもすっかりお兄さまらしくて、弟宮にお譲りなさいますね。お聞きわけよくかしこくて、お年の割にはしっかりしていらっしゃいます」
とほめた。源氏はどの宮も可愛くて微笑《ほほえ》んでいるのであったが、
「さ、あちらへいこうか。そんな所は、公卿《くぎょう》の座としては軽々しい」
と、夕霧をいざなった。
宮たちは夕霧にまつわって離れようとなさらない。
夕霧がふと見ると、宮たちのほかに、もっと小さな、二つばかりの若君がいる。薫である。
薫は、本来なら、宮たちと同じように扱ってはならない、臣下の身分なのであるけれども、分けへだてしては、尼君の女三の宮が、心の負い目から、ひがまれてしまうのではないかと源氏は気を使っている。それで宮たちと同じように大切に世話をして可愛がるのも、源氏のやさしい配慮だった。
夕霧の大将は、薫の君をまだつくづくと見たことがなかった。薫は御簾のあいだから、顔をさし出している。
「いらっしゃい、こっちへ」
と夕霧は桜の枝の枯れておちたのを取って見せながら、手で招くと、薫は走ってきた。
何という美しい子だろう。
色白で気品があって、ふっくらと太っている。宮たちより愛らしく美しい。
そう思って夕霧が見るせいか、切れ長の匂うような目もとが柏木によく似ている。
薫が、にこにこと笑う。
はっとするほど、口もとも柏木にそっくりである。これでは父君も気付かれぬはずはあるまいと、夕霧はいっそう、父の気持が知りたくなってきた。
宮たちは、親王と思うから気高くみえるものの、いうなら世間なみの可愛いお子、というだけである。この薫は、とびぬけて美しく気品たかく、抱きしめずにいられないような、心を惹く幼な児であった。
(亡き友の両親が、忘れ形見でもあればと泣き悲しんでいられたが、ここにこうして、とお知らせしないのは罪ふかいことではないだろうか)
と夕霧は思いもするが、そういう心の底からまた、
(まさか……まさかあるべきことではないが……しかし)
と思い返す。決定的なことは判断のしようもなかった。
「ぼくも、だっこ、して」
と薫は、宮たちを真似て、片言でいう。顔立ちの愛らしさばかりでなく、気立ても素直にやさしく夕霧になつくので、夕霧は可愛くてたまらなかった。
夕霧の大将は父と共に対《たい》へいって、ゆっくり話し込んでいるうちに日も暮れた。昨夜、かの一條の宮にまいったときの様子など話すのを、源氏は微笑して聞いていたが、
「『想夫恋』を弾かれたとか。どんなお気持だっただろうね。奥ゆかしい、つつましやかなお人柄のようだな。しかし女というものは、それすらも意思表示しない方がいいと、この年になってしみじみ思うことがある。――夕霧も、亡き人への友情を忘れず、未亡人に力になろうというのなら、同じことなら潔白な親切だけでお世話する方がよい。いっときの過《あやま》ちなどない方が、双方にとっても後悔のたねを作らずにすむと思うがね」
源氏の言葉は、息子の夕霧には片腹いたい。
人に教訓するときはかたいことをいわれるが、さてご自分の恋愛沙汰はどうなんだ、と心中、思いながら、
「私に、何の過ちなどございますものか。遺言を守ってお世話しているだけですよ。今、急に手を引いてしまっては、かえって世間の疑いを招くようなものです。『想夫恋』も、ご自身、進んで弾かれたというのでなく、物のついでに仄かにかき鳴らされただけで、それゆえ、情趣ふかく感じられました。それもあのかたらしくて。あのかたも、そうお若いというほどでもありませず、私も浮気っぽい軽々しい性格でもございません。野暮《やぼ》なほどまじめな点をおみとめ下さっているのでございましょう。りちぎ者同士といってもいい。それでお気を許して下さっているのでしょう。おちついた、やさしいお人柄ですよ」
などと話すうちに、ちょうどよい折だと思って、側に近寄って、あの夢の話をした。
源氏は黙然と聞いていたが、
「それはこちらへ預かろう。もともと陽成院《ようぜいいん》の御笛でね、故式部卿《しきぶきょう》の宮が伝えていられたのを、衛門督が妙手だったので感心されて、贈り物にお与えになったのだ」
源氏はそういいつつ、笛の伝え手は薫にこそ、と思っていた。亡き人もそれを期待していよう。
(夕霧は思慮ある男、この秘密を、もしかしたら勘付いているのかもしれぬ)
と源氏は内心、思っている。
夕霧の方は、源氏の様子を見て、どうも柏木のことを言い出しにくかったが、どうかしてやはり一度は耳に入れたいと思うので、いま思い出したふりをしながら、
「柏木の臨終に見舞いに参りましたら、いろいろ遺言しましたうちに、六條院におわびせねばならぬことがある、くれぐれもよろしくと申しました。何のことかそのわけが分りませんが……」
と心得ない風にいった。源氏は(やはり夕霧も知っていたな)とわかったが、真相を何で打ちあけられようか。しばし考えるふりをして、静かにいった。
「人の恨みを買う様子など、見せたおぼえはないのだがね。……それはともかく夢の話は夜はしないものだと、女房たちはいうから、そのうちまたゆっくり話そう」
夕霧ははずかしくなって口をつぐんだ。
つらき世をふり捨てがたき鈴虫の巻
夏の、蓮《はす》の花の盛りに、御出家なさった女三の宮の、御持《じ》仏《ぶつ》の開眼《かいげん》供《く》養《よう》があった。源氏は宮の御念仏堂を建立《こんりゅう》してさし上げようと、心こめて調度をそろえた。
仏前にかける幡《はた》は舶来の錦《にしき》を縫わせたもの、これは紫の上が用意したのであった。花机の掩《おお》いは美しく色どりもあざやかである。
御帳台《みちょうだい》の帷子《かたびら》を四方みな上げて、後の方に法《ほ》華経《けきょう》の曼《まん》陀羅《だら》をおかけしてある。
白銀の花瓶《はながめ》に立派な、丈のたかい蓮の花が活けてあった。仏前の香《こう》は、唐《から》の百歩香《ひゃくぶこう》であった。
阿弥陀《あみだ》仏《ぶつ》も、脇士《きょうじ》の菩《ぼ》薩《さつ》も、それぞれ白檀《びゃくだん》で作られてあり、それはこまやかに念入りな細工の、美しいみ仏であった。
源氏は、宮のご持経《じきょう》を自ら書いた。この世での二人の縁は薄かったが、せめてこの経文《きょうもん》を縁として、あの世ではお互いに極楽へみちびき合おう、という趣旨の願文《がんもん》を書いた。
宮が、朝夕、お手馴《な》らしになる経は、唐《から》の紙は紙質がもろくていけないと、源氏は特別に、紙《かん》屋《や》紙《がみ》を漉《す》く人々にいいつけて、とりわけ美《み》事《ごと》な紙を漉かせた。
それへ、源氏は春頃から、心こめて経を書いた。罫《けい》は金で引いてあり、源氏の筆蹟は美事であった。
そのお経は、沈香《じんこう》の机にすえて、仏と同じ御帳台に飾られた。
御《み》堂《どう》の飾りがすみ、法《ほう》会《え》の講説をする講《こう》師《じ》も参上した。
行道《ぎょうどう》(読経しつつ、仏前をめぐりあるくのである)の公卿や殿上人《てんじょうびと》も集まってきたので源氏は、宮のいられる廂《ひさし》の間をのぞいた。
狭い仮のお居間に、女房たちが着飾って窮屈そうに集まっている。五、六十人もいるだろうか。女童《めのわらわ》などは、簀《すの》子《こ》にまではみ出していて、空薫物《そらだきもの》をむせかえるほど煽《あお》ぎ散らしていた。
「まるでこれでは富士の噴火のようだね。空薫というのはそこはかとなく漂うのがいいのだ」
源氏は、思慮のない若い女房たちに教えさとすようにいうのである。
「説法のあいだは静かにして、衣《きぬ》ずれの音をたてたり私語してはいけないよ。若君はあちらへお連れしなさい――北廂の間へ、若い人は移るように」
宮は、あまりのたくさんの人々に気圧《けお》されて、小さく、可愛げなご様子で、物によりかかっていられた。
あたりを静かにして、源氏は、今日の法会についての心得などを、宮にお話する。
宮のご座所は、今は仏にお譲りしてあり、そこはすでに仏壇になっていた。源氏はそれを見るにつけても切ない思いをする。
「こんなご供養を、私が一緒にしようとは思いもかけぬことでした。悲しい別れになってしまいましたね。せめて来世は一つ蓮《はちす》に、と思いますよ」
源氏がしみじみとつぶやくのへ、宮は、
「一つ蓮――。そうかしら。ほんとうにそうお思いになって? あなたはわたくしなどと同じ蓮の上に、とは本心お思いにならないのでしょう」
と小さくいわれる。
「なぜ、そんなことを」
と源氏は笑いにまぎらせながら、あとはつづけられない。
親王がたも多く出席され、六條院の女人たちがわれもわれもと、お供えする献上のお供物は数多かった。布施の法服は紫の上が調製したもので、みな美事なものだった。
講《こう》師《じ》の僧は、宮が美しく若い盛りのお年頃に一切を捨てて仏門に入られ、源氏との契りを法華経に結ばれた、そのお志の尊く深いことを願文に説き、説法する。それは人々の眼に涙を浮べさせるような感動的な説法であった。
山の帝《みかど》や主上からのお使いも来て、はなやかな催しとなった。
源氏は、宮を惜しむ心が強くなっている。
山の帝は、宮にお譲りになった三條の邸にお住みになるように、と、すすめられるが、源氏は宮を手放したくない。三條邸を修復し、宮のご財産を運びこんで、厳重に保管しているが、宮をやはり六條邸にとどめてお世話していた。
秋になった。
源氏は宮のおいでになる御殿の、西の渡殿《わたどの》の前、中の塀《へい》の東のきわを、一面の野原のさまに作らせた。簀子に、仏に奉る御水や、御花の棚《たな》などを作り、尼宮のお住居《すまい》らしくしてあるのも、風雅なおもむきだった。
宮のお供をして、剃髪《ていはつ》を申し出た者の中で、ほんとうに志の堅固な者だけをえらんで、源氏は尼になるのを許した。
源氏は、この野原の趣きに作った庭に、虫を放っている。
「虫の音《ね》を聞きたい」
といって、風のすこし涼しくなった夕暮れ、宮のもとを訪れた。
十五夜の月がまだ昇らぬ夕方であった。
宮は仏前にいらして、端近《はしぢか》なところで、物思わしげに念《ねん》誦《ず》していられた。若い尼たちが二、三人、仏に花を奉るとて、閼伽《あか》坏《つき》の金具の触れあう音や、水を汲《く》む音をたてている。
俗界とはなれた用事をしているのも、あわれ深い様子である。
「降るような虫の音ですね」
源氏は宮のおそばへいって、自分もひめやかに経を読む。
とりどりの虫の声の中に、鈴虫がひときわ花やかに鳴き出したのが面白かった。
「秋の虫の音はどれもすばらしいが、かつて中宮が、松虫を愛されて、庭に放されたことがありましたが、いつまでも鳴きつづけるのは少ないね。松虫という名にしては命がみじかいのか。……人《ひと》気《け》はなれた野の果ではよい声で鳴くが、人には馴れないのだろうか。鈴虫は、どこででも花やかに鳴いてくれて、可愛いですね」
源氏は、宮にやさしく話しかける。
「秋の虫の声は淋《さび》しいものですわ。どうせ、すぐ死に絶えるのですもの。それに、そんなに可愛がられても、いっときのことですわ。すぐお飽きになるのでしょう」
と忍びやかに宮のいわれるのは、源氏にはなまめかしく、愛らしくみえる。
「飽きるとは、また、何をいわれるのだ。鈴虫の方から逃げてゆくのですよ。しかし、鈴虫の音を、私は思い切られない……おわかりだろうか、この気持は」
源氏は静かに、宮に擦《す》り寄ってゆく。
「あきらめられないのですよ、私は……」
源氏は、宮のおそばにゆったりと座をしめて、お耳に、低くささやく。
「こんなお姿のあなたを見ようとは。――悔んでも悔み切れない。どうしたらよいのでしょう」
宮は、困惑して、面《おもて》をそむけていらっしゃる。
おそばの尼たちは遠慮して、遠くへ退《さが》っている。
降るような鈴虫の音だけが、二人の周囲を埋めつくす。
「あなたを、こんなお姿にしてはじめて、どんなに私は、あなたを愛しているかがわかりました。おろかなことです。取り返しのつかぬことをしてしまった。……宮を愛しています。と申しあげたら、仏罰を蒙《こうむ》るだろうか。いとしい人にかわりはないのに」
宮は、お返事も、おできになれない。
源氏はあのころ、人前でこそつくろっていたが、内々では、宮をいとわしく、憎く思っていたことは、誰よりも、宮がいちばんご存じでいらっしゃる。
源氏の仕打ちは、つれなく、冷たかった。
生まれた薫《かおる》にも冷淡だった。
宮は、もう、源氏と二度と会えないというお気持になられ、出家を決心なさったのであった。
源氏とはもう、縁が切れた、これで心も安らかに日を送れるであろうと、思っていらしたのに、また、こんなことを源氏に言われるのは、宮には辛《つら》く、苦しく思われる。
源氏は、宮の困惑を見て、琴《きん》をとりよせて弾きはじめた。
月は明るく照り、宮は思わず、琴《こと》の音に耳すまされる。お数珠《じゅず》をくるのも忘れて、聞き入っていられる、宮の美しい尼姿を見て、源氏は、胸がいっぱいになる。
あの女《ひと》。
この女《ひと》。
源氏が人生でかかわりをもち、恋い焦《こ》がれ、苦しめられた女人たちは、すでにもう、何人か、こういう風に尼になって世を捨てた。
女三の宮。前尚侍《さきのないしのかみ》。朝顔の斎院《さいいん》。
さまざまに移り変る世。
はかなく空に消えた昔の恋。
十五夜なので、月見の宴があるだろうかと、兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が、夕霧たちと共に来られた。
「お琴の音をたずねあてて、参りました」
源氏は喜んで、席を設けてお招きする。
いつか、殿上人たちも次々にやって来て、虫の音の品定めや、琴の合奏に、宴の興がたかまった。
「今宵は鈴虫の宴ということにして、飲み明かそう」
源氏は、土器《かわらけ》をめぐらせる。
「月の光というのは、いろんな思い出を誘う。亡き権《ごんの》大納言、柏木《かしわぎ》のことは、ますます思い出されてならない」
源氏はそういった。
「こういう催しごとのあるたびに、柏木のいないのが物足らない……。折ふしの催しの栄《は》えがなくなった気がする。あの青年は花の色、鳥の音につけて、情趣をよく解した、すぐれた感性をもつ人だった」
そういう源氏の心には、御簾《みす》のうちの宮も耳とどめて聞いていられるかと妬《ねた》ましくもありながら、しかし、柏木を惜しみ、感傷的になる気持は、真実のものなのだった。
酒がめぐったころに、冷泉院《れいぜいいん》からおたよりがとどいた。
「同じことなら、あたら名月を一緒に見ませんか」
と畏《おそ》れ多いお召しである。
いそいで、一同は車をつらね、前駆《さき》を追うて冷泉院へ参上した。月は高く、夜ふけの空の風《ふ》情《ぜい》はおもしろいので、お供の若い人に笛など吹かせ、前駆もひかえさせて、しのびでの参上である。
冷泉院も御位《みくらい》をお降りになってからは、閑静にすごしていられる。源氏の参上したのをたいそう喜ばれた。
源氏は、明《あか》石《し》の女御《にょうご》や夕霧に増して、冷泉院のことをふかくお思いしている。しのびやかな内《うち》輪《わ》の鈴虫の宴が、思いがけず、にぎやかな月見の宴となったのであった。
源氏はそのあと、中宮の方へ参上した。
おっとりとしていられるが、中宮には強い希望がおありになる。
それは出家のお望みである。
御母御息所《みやすんどころ》が怨霊《おんりょう》となって、いまも人々の噂《うわさ》にのぼることを(源氏はあのときのことを、ひた隠しにしているのであるが、いつか世にひろまったものらしかった)悲しく辛く、中宮はお思いになり、いまは、ご自分が尼となって、母君の罪障の業《ごう》火《か》をしずめてさし上げたいと思《おぼ》し召すらしかった。
源氏は心を打たれる。中宮のお気持としてはさもあろう、といとおしかったが、
「罪障は、どの人もまぬがれぬところなのですよ」
とお慰めする。
「いますぐに御位をお捨てになってもあとへ悔いのみのこり、母君をお救いできるとは限りません。お心のお苦しみの、せめても少しは晴れますように、ご供養をひたすらなさいましたら、いかがでございますか――そう申す私自身も、いつかは心静かな勤行生活をして、私自身の後世《ごせ》を願うと共に、母君のご供養もしたいと思いつつ、なかなか、浮世のほだしにしばられて、思うに任せませぬ」
中宮といい、源氏といい、まだなおこの世を捨てられる身ではなさそうであった。
昨夜、気軽に参上したのが今朝は知れわたって、上達《かんだち》部《め》なども、みな源氏の見送りに供をする。源氏は、明石の女御も夕霧の大将もわが子としては可愛く、深く満足しているのであるが、尚この冷泉院に寄せ奉る心は、それらを上まわって深かった。冷泉院も源氏に久しぶりで会われて、しみじみとあわれ深い思いであられたようである。
山里の夕霧にとじこめし恋の巻
堅物《かたぶつ》という評判の夕霧であったが、亡き友・柏木《かしわぎ》の未亡人、一條の宮への思慕は日に日に増さるばかりであった。
世間の手前は、亡き友との友情のため、とみせかけつつ、熱心にお見舞いにゆく。宮の母君・御息所《みやすんどころ》も、
「ほんとうにご親切な……」
とお喜びになって、淋しい日々の慰めにしていられるが、真実のところは、夕霧の恋のためなのである。
(このままでは引きさがれない……しかし今まではそんなそぶりも見せなかったのに、急にてのひらを返したように求愛して言い寄るのも気はずかしい。……深く心こめて尽くしているうちに、先方でも心がとけ、こちらの気持を汲《く》んで下さるかもしれない)
夕霧はそう思い、何かにつけて宮のご様子を探ろうとするが、宮はご自身で応対なさることは全くなかった。
(どうかして私の恋を残るくまなくお話し、宮のお気持も知るような折が来ぬものか)
と夕霧が思っているうちに、御息所が病気になられ、小野の山荘へお移りになることになった。かねてよりご祈《き》祷《とう》の師として物の怪《け》などを調伏《ちょうぶく》したことのある律《りつ》師《し》が、比《ひ》叡山《えいさん》にこもって修行している。山ごもりの間は里へ下りないと誓いをたてているのであるが、麓《ふもと》近くであるからと頼んで、下りてもらうためであった。
小野までのお車も供人《ともびと》も、夕霧の大将《だいしょう》がご用立ててさし上げたのだった。柏木の縁戚《えんせき》の人々も、今はそれぞれの生活の忙しさに紛れ、宮のお世話までゆきとどかない。柏木の弟の弁《べん》の君は、宮にすこし思いをかけていたが、「とんでもないこと」というような宮の反応だったので、それからはお見舞いにもこなくなってしまった。
夕霧の作戦の方がずっと巧妙だったわけである。彼は、夢にもそんな気はない風をみせて親身に世話をし、御息所と宮のご信用を得たのであった。
修《ず》法《ほう》などさせられると聞いて、夕霧は僧への布施などもこまごまと気をつけてさし上げる。御息所はお具合がお悪く、お返事もお書きになれないので、お側の女房たちがすすめて、宮にお書かせ申上げた。夕霧の身分に対し、代筆では失礼に当りましょう、と助言したのである。
(おお……これが、宮のお手蹟《て》か……)
夕霧は、ただ一行ばかりのお文に目をあて、心ときめかせた。
おっとりしたご筆蹟《ひっせき》、言葉にもやさしいお気持が匂わせてあって、いよいよ夕霧は心ひかれる。宮をどうしても、わがものにしたい、という気持がこうじて、しげしげと手紙をさし上げる。
雲井雁《くもいのかり》は、夫の異変に気がついてこのごろは、疑いの目を向けるようになっていた。夕霧はそれが煩《わずら》わしくて、小野の山荘へお見舞いにいきたいと思いながら、自由に出られないのであった。
八月の二十日頃、野原の情趣も面白い折、小野の山里はどんなであろうと思われ、
「某《なにがし》の律師が珍しく山を下りていられるので、どうしてもご相談したいことがある。御息所をお見舞いがてら、行ってくるからね」
と雲井雁には、通り一遍の見舞いのように言いこしらえて、夕霧は出た。大げさな行列にせず、親しく使う者五、六人ばかり、狩衣《かりぎぬ》姿《すがた》で供をする。
格別に山深い道というのでないが、秋のあわれは、数寄《すき》をこらした都の大邸宅の庭よりもさすがに増さっている。
山荘は、はかない小《こ》柴垣《しばがき》もゆかしく、仮の宿ながら上品に住みなしていられる。
寝殿と思《おぼ》しき建物の、東の放出《はなちで》に修法の壇を設け、御息所は北の廂《ひさし》に、宮は西面《にしおもて》にいらっしゃる。物の怪《け》が御息所を苦しめているので、宮に移ったりしては、と都に留《とど》まるようにおすすめしたのだが、母君に離れているのはいやと、宮が強《し》いて、ついてこられたのだった。それゆえ、御息所とは少しはなれたところに、宮はおいでになっていた。
来客を通すところもないので、夕霧は宮のお居間の、御簾《みす》の前に通された。お取り次ぎを身分高い女房たちがする。
「ほんとうにご親切にお見舞い頂きまして、もしこのままはかなくなっておりましたら、このお礼も申上げられないところでございました。それを思うと、もうしばらくこの世に生きていたい心が起こるのでございますよ」
御息所は取り次ぎを介して、感謝される。
「こちらへおいでになるお見送りもしたかったのでございますが、六條院で父の用をしておりまして失礼しました。日頃も、何かと忙しさにかまけて、充分にお世話もできませず、心ほどにもゆきとどきませぬことを、苦しく存じております」
といいつつ夕霧は、宮のご気配ばかりに神経を磨《と》ぎすましていた。
宮は奥のほうにそっと坐っていられるが、何しろ仮の、旅の宿りのこととて狭く、浅い奥ゆきの部屋、宮のご気配はつい近くに感じられるのである。
ものやわらかに身じろぎなさる衣《きぬ》ずれの音、
(あのあたりにいられるのだな……)
と知られて、夕霧は魂もあこがれ出るように思った。
「こうしてお見舞いにくるようになってもう三年になりますのに、いつまでも他人行儀なお扱いですね」
夕霧は、御息所へのお取り次ぎが手間どっているすきに、そばにいる少将の君などの女房に怨《うら》むがごとくいう。
「御簾ごしのお取り次ぎを、いつまでも馬鹿正直に守って、あなた方にもさぞ、昔かたぎの律《りち》儀《ぎ》者《もの》と嗤《わら》われているのではあるまいか。もっと若かったころに色めいた経験を積んでいたなら、この年になってきまりのわるい思いをせずにすんだでしょうが。実際、いい年をして、こうも生真面目《きまじめ》な愚か者はめったにいるものではありませんぞ」
夕霧の様子には、かるがるしく扱えない威風があって、女房たちは顔を見合わせ、
(やっぱり……)
(もしや、と思っていたけれど、宮さまに思いを懸《か》けてらしたのですわね)
(人づてのご返事が、お気に入らないのですわ)
といいあうのだった。
宮に、そっと、
「あんなにまで仰せられますものを、知らぬ顔で押し通されるのは失礼にあたりましょう」
と申しあげる。宮は、
「母に代りましてお相手するはずでございましたが、看病に疲れまして、あるかなきかの心地でおります。お許し下さいまし」
と仄《ほの》かにいわれる。
「これは、宮のお言葉ですか」
夕霧は居ずまいを正した。
「ご病人のお悩みを身に代えてもとご心配しておりますのも、何のゆえかと思し召すか。御息所がご快《かい》癒《ゆ》なされば、宮さまも晴れ晴れとなさるであろうと思えばこそ、でございます。御息所がお元気になられれば、どなたのおんためにも、お心強いことでございましょう。
私のお見舞いを、御息所のためとばかりお思い遊ばされましたか。
長の年月、積もる私の心づくしを、宮にお認め頂けませぬとは、くちおしく存ぜられます」
日も入り方になった。
空には夕霧がたちこめ、山かげは小《お》暗《ぐら》く、ひぐらしがしきりに鳴く。垣《かき》根《ね》の撫子《なでしこ》が、風に靡《なび》いているのも美しく、前栽《せんざい》の花は乱れ咲いて水音は涼しい。山風、松のひびき、それに不《ふ》断経《だんぎょう》をよむ僧の声、鐘の音。
所がら身にしみて、すべてがあわれに、夕霧は帰る気もしない。
御息所が苦しげにしていられるというので女房たちはあちらに参って、宮のお前は人少なになった。宮はじっと物思いに沈みこまれ、あたりはしめやかな気配になっている。
(心に秘めた思いを打ちあけるには絶好の機会ではなかろうか)
夕霧はそう思った。折から、霧が、軒《のき》端《ば》にまで白々とたちこめてくるのであった。
「帰る道すら見えなくなってしまいました。どうしたらよいのでしょう。まるで、霧が私を引きとめるような……」
と申しあげると、宮は、
「なんの霧がおみ足を引きとめますものか……うわのそらなことを仰せられるかたなどを……」
とつぶやかれる。夕霧は胸しめつけられる思いがして、いよいよ帰る気を失ってしまった。
「どうすればよいのか。霧で家路はみえず、さればといってここに止まるべくもなく追い払おうとなされます。こういうことに馴《な》れぬ私は、途方にくれてしまいます……」
夕霧は立ち去りがてにして、ひそかに、この年月の、抑えきれない思慕の念を仄めかす。
宮は、今まで全くお気づきにならぬでもなかったが、知らぬ顔で通していられたのだった。
それを、かくもはっきりと、言葉にして怨みをいわれると、煩わしくお思いになる。
いまはもう、お返事もなさらない。
夕霧は落胆しつつも、(いや、こんなよい機会はまたとあろうか)と思いめぐらしていた。(思いやりのない無礼な男と思われてもままよ、どうにかして、思いのたけをだけでも、今《こ》宵《よい》は宮にお知らせせずにおくものか)
夕霧は供を呼んだ。
右《う》近《こん》の将監《ぞう》から五位になった、身近に親しく使っている男が来たので、夕霧はそっと、
「ここの律師にぜひご相談することがあるので今夜はここに泊まる。この者、あの者はここに控えさせよ。随身《ずいじん》の男どもは栗《くる》栖野《すの》の荘《しょう》園《えん》が近いので、あちらで秣《まぐさ》など飼わせよ。ここでは大ぜいいて声などやかましくたてるな。こんな旅寝は軽々しいと人も噂《うわさ》するだろう」
男は、何かわけがあるのだろうと心得て立った。
「霧で帰る道はみえませぬ。どこに宿借るも同じことなら、この御簾のもとをお借りしとうございます。阿闍梨《あざり》が勤行《ごんぎょう》を終られるまで、ここに居らせて下さいませ」
と夕霧はおちついていった。
いつもなら、長居はしてもこんな色めいたことはしないのに、と宮は不快に思われたが、今更、そわそわと御息所の方へ席を立ってしまわれるのもわざとらしいようなので、ただ息をひそめてじっとしていられた。
夕霧は何かと話しかけつつ、折からお取り次ぎの女房が宮のおそばへ参った、そのうしろについて、御簾の内へ入ってしまった。
まだ夕暮れだが、霧がたちこめて、室内は暗くなっている。女房は、あっとおどろいてふり返ったが、宮のほうも動転なさって、北の障《そう》子《じ》の外にいざり出ようとされるのを、夕霧はうまく手さぐりして、宮をお引きとめした。
宮のお体は障子の向うに入られたが、お衣《い》裳《しょう》の裾《すそ》はこちらに残って夕霧に抑えられている。障子は向うから掛金をさすことはできないので、お体はふるいわなないて、水のように汗を流していられるのであった。
女房たちも動転してどうしていいか、わからなかった。
「そんなお心とはゆめにも思い寄りませんものを」
と泣かぬばかりに夕霧に訴える。
「ただこうしてお側にいるだけですよ。私の宮さまに対する想いは、長年のあいだにおのずと感じ取って頂けたと思うのですが」
夕霧は静かにおちついていう。しかし宮はただもう、
(ぶしつけな。……)
と夕霧の所業をくやしく思っていられるだけで、ましてお返事など、あるべきはずもなかった。
「お年にしてはお聞き分けのない、稚《おさな》いご態度ですな。人知れぬ胸の想いが思わず溢《あふ》れて失礼なことをいたしましたが、これ以上のなれなれしいことは、お許しがない限り、決していたしません。私は千々《ちぢ》に砕ける心を堪えてまいりました。お分りにならぬはずはない。それを強いてうとうとしくお扱いになるので、ええもう、お腹立ちを蒙《こうむ》ろうと、おさげすみを蒙ろうと、このまま朽ち果てるものか、ぜひともこの切ない想いを聞いて頂きたい。――そう思っただけなのです。
それなのに、何とつれない、つめたいおあしらいだろう……しかし私とて理性も分別もございます。宮さまのご身分に対してもこれ以上畏《おそ》れ多いことはいたしません」
と、夕霧は自分の心を抑え、きっぱりいうのであった。
宮は、鍵《かぎ》もかからない障子を、押えておいでになる。夕霧はあえて開けようとしない。
「大丈夫ですよ。私は開けません」
と笑って、ゆったりとしていた。
宮のご様子はお美しかった。柏木はあまり愛せなかったようだけれど、宮はやさしく上品な佳人である。長い物思いに痩《や》せられて、はかなく、かぼそく、弱々しげでいられる。
柔かに着馴れていられるお袖《そで》のあたりも好ましく、たきしめられた香も何もかも、夕霧にはかわいらしく、なよやかにみえた。
風は心細く吹き、夜はふけていった。
鹿の声、滝の音。なんと身に沁《し》む風《ふ》情《ぜい》だろう。
格《こう》子《し》も上げ渡したままになっているので、入り方の月が山の端《は》にかかっているのもあわれだった。
「まだ私の心をお分り頂けませんとは、かえって宮さまのお心が浅く思われますよ。私は世間に嗤われるくらい、女性の意志や感情を尊重する男だと思っています。それなのに、あまりにも私をお蔑《さげす》みになるのでしたら、私は自分で自分が抑えきれなくなるかもしれません……宮さまも一度は結婚を経験なされた御身、男女の仲をむげにご存じないわけでもありますまいに」
夕霧は言葉をつくして責める。宮は、
(わたくしが結婚した身だからといって、言い寄っても許されるような、心安い言い方をするのね)
と心外にもくやしくも思われた。なぜこんな不運な目にばかりあうのかしらとお考えになると、悲しくて、死んでしまいたいようなお気持になるのであった。
「結婚したのがわたくしの過《あやま》ちだとしましても、どうしてわたくしは、見下げられなければならないのでしょう。まだその上に世の噂の的にされるなんて、わたくしが、何の悪いことをいたしまして?……」
と泣きながら、かすかにお話しになる。
「これは失礼を申上げました」
夕霧はおちついて微笑さえ含みながら、
「しかし、一度ご降嫁になった御身、再婚なさってもなさらなくても、世間の見る眼は同じことですよ。どうかもうお迷いにならず、お心をおきめになって下さい」
夕霧は、
「さあ」
と宮のおからだへ手をのばして誘《いざな》った。月の明るいところへ引き寄せようとするのである。宮は必死に抗《あらが》われるが、夕霧は難なく抵抗を封じて、宮を抱きしめた。
「宮さま。私の較べるものもないほど深い志をどうかおわかりになって頂きたい。……ご安心下さい。お許しがなければ決してこれ以上の失礼なことはしません」
夕霧の態度はまじめである。
月は隈《くま》なく澄みわたってさやかにさし入った。宮はあまりに月光が明るいので、恥ずかしそうに面《おもて》をそむけていられる。なまめいた美しいお姿である。
「……私を、柏木の君より劣った男と思し召すか」
夕霧は宮のお耳に低く、怨みごとをささやく。宮は、
(正式に父院母君のお許しがあって結婚した時でさえ、夫亡きあとは世の噂の的になった。ましてこの君とどうこうあっては、どんなにひどいことをいわれるやら……。亡き人の父君、わたくしの母君、父院もどう思われることやら……)
ご自分としては、夕霧を拒み通すおつもりでも、このことが知れたら、母君は何とおっしゃるかしらと思われると辛くて、
「どうか、夜のあけぬうちに、お帰り下さいまし……」
と追い払うことばかり考えていらっしゃる。
「情けないことをいわれる。事あり顔に帰ってゆくのを朝露も何と思いますかねえ。よろしい、おぼえていて下さい。こんなに軽くあしらわれてですね、うまく欺《だま》して追っ払ってやったと、あなたが私のことをお考えになるのなら、そのときは私も考えがございますよ。自制できなくて何をするかわかりませんよ」
夕霧はこのまま帰るのはどうにも気がかりであるが、しかし彼は、出来ごころで女性に手を出すことはできないたち《・・》であった。宮を心から愛しているので、宮を強いるのは可哀そうでもあり、かつ、宮が自分を軽蔑《けいべつ》されるかもしれないと自制した。
宮のためにも自分のためにも、霧にまぎれて出てゆくのがいちばんいいと思われた。
「では私は、露にぬれて帰ってゆきます。あなたと私の名もぬれるでしょう。それもこれも宮さまの、つれないお心からですよ」
夕霧はそういった。
宮は、人に弁解しても信じてもらえないようなこの一夜を辛く思われたが、自分ではやましいところはないと思っていられるので、凜《りん》としたご様子で答えられた。
「露にぬれるのは、そちらでしょう。わたくしまでぬれ衣《ぎぬ》をきせようとなさいますの」
宮の非難なさるお口ぶり、ご態度は気品たかく、夕霧は恥ずかしくなる。
夕霧は自分のしたことを反省しつつも、しかしこうも宮のいわれる通り実直に従っていても、あとで馬鹿をみることになるんじゃないか、など、さまざまに思い乱れつつ帰った。帰る道の露は草いちめんで、夕霧はしとどにぬれた。
こんな朝帰りは、夕霧はしたことがない。
三條の邸へ帰ったらまた、雲井雁に怪しまれると思って、六條院の東の御殿へ帰った。
ここは花散里《はなちるさと》の住居《すまい》で、夕霧の着るものも揃《そろ》えてある。
「珍しいお忍びあるきをなさったようですね」
女房たちが、ささやき交していた。
夕霧は、宮に手紙を書いたが、宮はご覧にもならない。宮は侮辱されたように腹を立てていらっしゃる。母君がこのことをなんにもご存じないのが辛く、かといって自分からは恥ずかしくて話し出せず、宮は悩んでいられた。
この宮は、母君と、たいそう仲のよい母子《おやこ》でいらっしゃるのだった。
女房たちは、
「何もございませんでしたものを、かえってご心配をおかけするばかりですから、……それより、お返事を大将さまになさいませ。まるでお返事なさらないのも、あまり子供じみて。ともかくまあ、ご覧なさいませ」
とおすすめした。
「見たくないわ。あんな目にあったのも、わたくしの油断からで、落度だと思うけれど、でも、あのなさり方はゆるせないわ」
夕霧の手紙は、情のこもったやさしいものだったけれど、女房たちも遠慮して見ることはできない。宮と夕霧のあいだに、あの夜、どんなことがあったのか、誰にも本当のことはわからない。
そのころ、母君の御息所の病床では、加持《かじ》をしている阿闍梨《あざり》が、御息所のご気分のよいのを喜んで、いろんな話のついでに、
「そういえば、夕霧の大将の君は、いつごろからこちらの姫君にお通いになっておられるのですか」
と聞いた。
「そんなことはございません。大将の君は亡き柏木の大納言の親友でいらしてお見舞い下さるのでございますよ」
御息所はそう答えられた。
「いやまあ、何も私にまでお隠しになることはないではございませんか。今朝、後夜《ごや》のお勤行《つとめ》に参りました折、西の妻戸から立派な男の方が出てこられました。私は霧が深くて見分けられませんでしたが、法師たちが口々に、『大将殿が帰られる。昨夜、車を帰してここへ泊まられた』と申しておりました。しかしこのご縁はいかがなものでしょう。大将殿のご本妻のご威勢が強いですからな。お子さまも七、八人おありになるはず。ここの姫君でも、ご本妻をしのぐことはお出来になれますまい。それやこれやで嫉《しっ》妬《と》したり憎んだりなされますと、もともと罪障ぶかい女人《にょにん》の身、長夜《ちょうや》の闇《やみ》に惑うて地獄のからい目にあわれるかもしれません。私はこのご縁談は賛成できませんなあ」
と、ずけずけ言い放つのであった。
「おかしな話ですね。そんな事実はございませんよ。大将の君は、私を見舞って下さったのですわ。あのかたはたいそうまじめなお方でいらっしゃって、そんな素ぶりはお見せになりませんものを」
と御息所はおっしゃりつつ、しかし思い当られるふしも、ないとはいえない。
律師が立ったあとで、女房の小《こ》少将を呼ばれて、
「昨夜の話をききました。どういうことだったの。まさか、宮との間に……」
といわれるので小少将は、ご病気の御息所にご心配をかけるのがおいたわしかった。
「いえ、べつに何にも。ただ大将の君が、お心の内を、宮さまに直々《じきじき》にお話しなすった、というだけで、間の障《そう》子《じ》なども閉めてございましたし……」
と、とりつくろって申上げる。
「でも、大将の君の帰られるお姿を、口さがない人々が見てしまいました。世間にはもうよくない噂が立つでしょう。たとえ潔白であったとしても誰が信じますか。……宮さまをここへお呼びしておくれ」
御息所は、ほろほろと涙をこぼしてお泣きになる。
宮は、母御息所がお呼びになるままに、涙にぬれた額髪《ひたいがみ》を梳《と》かされたり、昨夜、夕霧に引っ張られてほころびた単衣《ひとえ》を着更《きが》えられたりしたが、どうしても立ち上ることがお出来にならない。
(お母さまはどう思われるかしら。まわりの人々も、大将とわたくしとの間に、何かあったように思っているにちがいない……)
そう思われるといつものお癖で、のぼせてしまわれ、また臥《ふ》しておしまいになる。
「御息所には、障子はしっかりしめてございました、と申上げました。もしお問いになりましたら、宮さまも同じようにお答えなさいませ」
と小少将はいう。宮は涙が御枕からこぼれおちられた。潔白だったけれども、かりにも皇女の身分で、男にそばまで来て言い寄られるような隙《すき》をみせてしまったと、とり返しのつかぬように嘆かれるのであった。
夕方、御息所のほうから重ねてご催促があったので、宮は重い足を母君のもとへ運ばれる。
御息所はお苦しい中にも起き上って、
「この二、三日、お目にかからないだけなのに、長い年月のような気がします。はかない命ですもの。親子は一世の縁、と申しますから、次の世では、めぐりあえませんのね。この世だけの親子の、短い縁なのに、こんなにむつまじく過ごしてきて、今となってみればそれも、却《かえ》って辛うございます」
とお泣きになった。宮も悲しくなられてお返事もお出来にならない。
いったい、宮は内気なご性質で、昨夜のこともはきはきと弁明なされるような方ではなく、ただ恥ずかしくばかりお思いになっている。御息所はいとおしくて「どんな風であったのか」ともおたずねになれなかった。
日は暮れて大殿油《おおとなぶら》を灯《とも》し、御息所手ずから宮にお食事をすすめたりなさる。そこへ夕霧からまた手紙がきた。事情を知らない女房が、
「大将さまから小少将の君にお手紙でございます」
と取り次ぐので、小少将も宮も、御息所の手前、困ってしまった。
「どういうお手紙なの」
さすがに御息所はお気になさるようであった。御息所は、もともと宮を、この先、内親王の運命にふさわしく、独身のまま生涯を過ごさせたいとお思いになっていたが、もし夕霧から求婚があるのならば、それはそれで、夕霧に許してもよいと、お気弱になっていられた。
しかし夕霧からの手紙が来たというのであれば、本人は、今日は来ないつもりらしい。御息所は胸騒ぎなさった。
「お手紙にはお返事なさいまし。噂をよいように言い直してくれる人はいないもの、こうなったら素直にお手紙をやりとりなさった方がよい」
御息所は夕霧の手紙をご覧になる。
「情知らぬつれないお心でした。一度立った浮名は、とどめかねる川の流れのようなもの、堰《せ》きとめられるものではありませぬ。私はもう何をするかわかりませんよ」
いろいろ言葉をつらねてあるが、御息所は読み果てられないでおかれた。後朝《きぬぎぬ》の文《ふみ》にしては傲《おご》った手紙、自身はお出《い》でにもならず、実《じつ》がないとお思いになる。致仕《ちじ》の大臣《おとど》や、その御娘の雲井雁の君も、この噂をお聞きになったらどういわれることかしら、と御息所はあれこれ思いつづけられて、せめて大将の真意を探りたいと、ご気分の悪いのを押して、お返事を書かれる。
「先が長うもありませぬ私を気遣うて、宮が見舞いにお越しの折、お文がまいりました。お返事をすすめましたがご気分が晴れぬようですから、見かねて私が代ります。
〈女郎花《をみなへし》しをるる野辺をいづことて 一《ひと》夜《よ》ばかりの宿を借りけん〉」
とだけお書きになって、ひねり文《ぶみ》にして御簾の外へ出され、やっと横になられたが、たいそうお苦しげになさり、容態がかわってゆく。
「すこしお具合がよろしいようにみえていたのは、物の怪が油断させていたのでしょうか」
女房たちは騒ぎ、僧たちはいそいで大声で加持をはじめる。宮に、「あちらへ」と申上げるが、宮はどうしてお去りになれよう、
「いいえ、お母さまのおそばに」
とひたと御息所のお側についていられるのであった。
夕霧の大将はその日の昼頃、三條邸へ帰った。夕霧は小野へ今夜も出かけたいのだが、いかにも宮と事あり顔ではあるし、と、今は昔よりもかえってなお、不安と期待にいらいらしていた。
北の方の雲井雁は、夕霧の恋愛沙汰《ざた》を快かろうはずはないが、そ知らぬふりで子供たちの相手をして気をまぎらわせ、居間で横になっていた。
宵のすぎるころ、小野から御息所のお文を持ってきた。お具合の悪いときにお書きになったものとて、乱れた御筆蹟を夕霧は急には読み辛くて、灯を近く寄せて見ていると、雲井雁は目ざとく見つけ、そっと近寄って後から奪ってしまった。
「お、何をするのだ……怪しからぬ。それは六條院の花散里の上のお文だよ。お風邪《かぜ》で悩んでいられるお見舞いをさし上げたお返事なのだ。見なさい、恋文の書きようかね。それにしても品の悪いことをなさる。年月につれて私を軽く見て馬鹿にするんだね。私にどう思われても、恥ずかしいという気はないのかなあ」
夕霧は嘆息して、手紙に未練そうな顔は見せず強いて取り返そうとしない。雲井雁は奪ったものの、見る気は起こらないで手に持っていた。
「年月につれて馬鹿にするなんて、あなたのひがみよ」
雲井雁は夫が一向に動じないので、自分のやったことがちょっと反省されたらしい様子である。そういうのが若々しく可愛らしいさまだった。夕霧は笑って、
「まあ、それはいい。しかし私みたいな男がほかにまたといる、と思うのかね。かなりの身分で、長年、一人の女を守りつづけているなどというのは。臆病な雄鷹《おすだか》のようにおどおどして、と人の物笑いだよ。こんな堅物と連れ添っていたって、あなたの手柄にもなりはしない。たくさんの女たちの中で一人ぬきんでて愛されてこそ、世のおぼえもゆかしく、自分の気持もいつも新鮮で、面白い目にもあうんだろうけどね。こんな律儀一点張りの男ではあなたの名誉にもならないだろう」
夕霧は巧くだましすかして、手紙を取ろうと思っているから、それからそれへという。
「堅物とおっしゃるけど、あてになるものですか。急にこの頃は若々しくおめかしなどなさったりして。前から浮気っぽい方なら私もそのつもりでいますけど、なまじ律儀な方と信じていたから、わたくし、どうしていいか心配になるじゃありませんか」
と怨み顔でいう妻が、夕霧にはさすがに可愛くなくもない。
「私のどこが心配なんだ。よくないことを告げ口する人があるらしいね。あちらの宮さまにもお気の毒だよ」
と夕霧はおちつき払っていた。しかし、結局は宮を、妻の一人とすることになるだろうと思うので、強く否定することはしない。
そ知らぬ風で寝たものの、夕霧は内心、手紙をとり返そうとして気が気ではなかった。
(御息所のお文だった。何が書いてあったのだろう)
と思うと眠ることはできない。雲井雁が寝入ってから、ゆうべの茵《しとね》の下などそれとなく探してみたがない。隠したのだろうか。広くもない場所なのだがみつからなかった。夜があけたが、夕霧は起きないでいる。
雲井雁は子供たちに起こされて帳台《ちょうだい》を出たので、そのあいだに探ってみたが、見付けることはできなかった。
雲井雁の方は、夕霧が、それほど手紙に執着しないので(恋文ではなかったのだ)と思って、気にもとめていなかった。男の子たちは朝から跳《は》ね廻っている。女の子たちはお人形遊びをしたりして、中に年かさな子供は勉強や手習いをはじめるなど、雲井雁はその世話に忙しかった。小さい子が這《は》いまわって着物をひっぱったりする。雲井雁は、手紙のことなど、すっかり忘れてしまった。
夕霧は、手紙のことしか考えていない。返事を早く書かねば、と気が気でなかった。
昼すぎ、みんな食事をすませて静かになったころ、ついに口に出した。
「昨夜のお手紙には何とあったね? お返事をさし上げないといけないが」
夕霧が何げなくいうので、雲井雁は、昨夜のしわざが恥ずかしくてわざと触れず、
「小野で引きこんだ山風がそっちへもうつりましたとでも、お書きになれば」
と冗談をいう。
「おいおい、何をいうのだ。世間なみの道楽者と同じようにいわれてもこっちが気恥ずかしくなるよ。――手紙を出しなさい」
しかし雲井雁は出さない。何やかやしているうちに日暮れになってやっと夕霧は、居間の敷物の下からみつけた。
御息所《みやすんどころ》のお文をみて、夕霧は胸さわいだ。
かの一夜のことを、御息所はお気にしていられる。咎《とが》め、恨む口吻《くちぶり》のお手紙である。とすれば、昨夜行かなかったのを、どんなに辛くお思いだったろうと、心苦しかった。しかもお返事すらさし上げないで。
かくも乱れたお手をみると、ご容態の悪いのを押して書かれたとおぼしく、それほどまでに気にしていらしたのに、何ということだ、いや、これもそれも、自分の妻の教育がわるいせいだと夕霧は反省して、泣きたいくらいである。
そのまますぐ出かけようとしたが、行っても宮は心やすくお逢い下さるまい、しかし御息所は暗《あん》に、(長く心変りせぬ契りなら……)と期待されているらしきお文でもある、訪《おとな》うべきか訪わざるべきか、今日は暦の上では凶日であるから、もしかして御息所が、自分に宮を許そうというお気持があるなら、将来の縁起のためにも、今日は日《ひ》柄《がら》もわるい、と、夕霧は几《き》帳面《ちょうめん》な性格からそう考えるのであった。そしてまず手紙を書いた。
「珍しいお文を嬉しく拝見しましたが、お咎めを受ける事実は何もないのです。罪があるとすれば、昨夜お伺いしなかったことでしょうか」
夕霧はこれを、先夜の五位の男に渡し、別に宮にもこまごまと書いた手紙を添えて、
「昨夜から六條院に上っていて、ただ今退出しましたので、と申上げよ」
と、口上をひそかにささやく。
小野では御息所が心痛していられた。夕霧は姿を見せず、出されたお手紙に返事もしてこない。それではやはり、一時のたわむれ心であったのだろうか、と思われると、宮がおいたわしくて何と不運な方なのだろうと、
「今更にお咎めするのではございませんが、宿《すく》世《せ》と申しながら、お考えが浅くて人にうしろゆびを指されるようなことをなさって……。こんどのことはもう取り返しがつきませんが、今よりのちは、お気をおつけ下さいませ。やっぱりまだ世間知らずでいらして、ご分別もそなわらぬかと思いますと、まだしばらく私が生きておそばについていてさし上げとう存じますよ。世の噂はともかく、大将殿にやさしいお気持がおありなら、世間なみのご夫婦のように幸福になられたかもしれないけれど、一夜限りで文のお返事もなさらないなんて、薄情なお心でいらっしゃるとは……」
そうおっしゃるうちに、にわかにお苦しみになり、意識を失われて、お体は冷えに冷えてゆく。律師たちはいそいで大声で祈《き》祷《とう》をはじめるのであった。この騒ぎのうちにも、大将殿のお手紙、ということをお聞きになって、今夜もそれではお越しがないのだ、何という情けないことを、と思い乱れていられるうち、そのまま息絶えてしまわれた。
宮はもろともに、と思いつめられてじっと母君のなきがらにとりすがっていられる。女房たちは、
「今はもう、どうしようもございません。お涙は亡き君の往生の障りでございます。さ、どうぞあちらへ」
とお連れしようとするが、宮は体がすくんだようでお動きにもなれない。
御息所が亡くなられた、ということを聞き、夕霧の大将はいそいで出かけた。
どんなに宮が嘆いていられることかといとおしく、心はせかれるのに道のりは遠かった。
やっと着いた小野の山荘では、もう葬儀の用意がはじまっていて、物々しいようすである。亡き御息所の甥《おい》の大和《やまと》の守《かみ》が泣く泣く出てきて挨拶《あいさつ》した。この人が、万事の采配《さいはい》を振っているのであった。
夕霧は小《こ》少将の君を呼んで宮にお悔みをいうのであるが、宮は、
(このかたのため、お母さまはご心労で亡くなられたのだわ)
と思われてお返事もなさらない。
女房たちは気を揉《も》んで、
「近《この》衛《え》の大将という重いご身分でありながら、こうして急いでお出かけ下さったのですわ、そのご好意を知らぬふりなさるのはあまりにも失礼なようでございます」
と宮に申上げる。
「わたくしはもう何にもわからなくなったの。適当にご返事して」
と宮は床に臥したままいわれる。無理もないことであった。
夕霧は女房たちから、宮が悲嘆に昏《く》れて半ば死んだようになっていられることを聞いた。
そういう女房たち自身、涙にむせんでいるのであるが、夕霧の問うままに、かの御息所の亡くなられた夜のことを、少しずつ話すのであった。
夕霧は自分の返事がおくれたことで御息所を心痛させたと知って、いっそう気持も闇に迷う気がする。宮のお声をひとことでも聞きたいと思ったが、いつまでもいるわけにいかないので、ひとまず帰ることにした。
葬儀は夕霧が心を配ったので、立派に行われ、大和の守も喜んだ。
宮は、葬儀がすんでも都へ帰ろうとはなさらない。
(お母さまを煙にしたこの地で一生を終りたい)
と思いこんでいられる。悲しみはつきるときもなく、やがて九月になった。
山里の秋は闌《た》けた。比《ひ》叡《えい》の山おろしも烈《はげ》しく、木《こ》の葉も散り果て、心淋しい頃であった。
夕霧の大将からは毎日、お見舞いの使者が来、念仏の僧へは慰問の品々が贈られてくる。そして宮へは夕霧の心こめた手紙が届けられる。
しかし宮は、手にとってご覧になろうともなさらない。
夕霧は宮のあまりにもかたくななお心が恨めしかった。手紙には、母君を亡くされた宮のお悲しみに同情して、しみじみと慰めの言葉を書いたのである。何も、花や蝶《ちょう》やとのんきに風流な話や、懸《け》想《そう》めいたことを書いたのではない。夕霧はその昔、三條のおばあちゃまに死に別れたときの悲しみを思い出して、心からなぐさめたのであった。物心つかぬうちに母を失った夕霧にとって、三條のおばあちゃまは母代りであった。亡くなられたときは悲しくてたまらなかったのに、致仕《ちじ》の大臣《おとど》は直接のお子でありながらそれほども悲しまれず、通り一ぺんの法事をなさっただけだった。かえって実子でない父の源氏の君が、心から悲しんでねんごろにあとを弔った。夕霧は(やっぱり父上は、情のあつい方だ)と、味方のように思ってどんなに嬉しかったか。
そのとき、柏木《かしわぎ》の衛《え》門督《もんのかみ》も、夕霧と同様に、おばあちゃまの死をふかく悲しんでいた。夕霧はそんなことがあってなお、柏木を親しくなつかしく思うようになったのだった。
(柏木は心柄のふかい、あわれを知る若者だった――)
夕霧はそんなことを思い暮らしつつ、一行のお返事さえ下さらない宮のお心を、はかりかねている。
雲井雁《くもいのかり》は、夫と宮との関係がどうなっているのかさっぱりわからないで気を揉《も》んでいた。
「あなたは、どちらの方《かた》のことを思っていらっしゃるの? 亡くなられた方? それとも生きていらっしゃる方?」
夕霧は、妻が、御息所と自分との間まで疑っているのかと思うと、微笑されてくる。
「よく気を廻すことだ。どちらというのでもないよ。この世ははかないものなのだから」
夕霧はこのごろ、ぼんやり思いに沈んでいる。妻がそういう自分をじっと見つめているのはわかっているが、どうしても宮のことが思い切れない。
せめて四十九日の御忌中を過ごしてゆっくり訪れようと心を静めてみるが、もう待ち切れなくなり、小野の山荘へ出かけた。どうせ一度立った浮名だ、包み隠したとて仕方ない。この上は世間なみの男のように言い寄って思いを遂げるまでだ、と不《ふ》逞《てい》な考えをもつようになっている。雲井雁が、宮の所へ出かけるのだろうと推察しても、あながちに打ち消したりしないのである。
(宮は私を拒絶なさるかもしれないが、御息所のお手紙は、私を黙認して下さっていた。一夜かぎりの契りは不実だと恨んでいられた。それを楯《たて》にとって宮に迫ってみよう。宮とて、いつまでも拒みおおせられるものでもあるまい)
それは九月十日過ぎのころであった。
山風に堪えぬ木々の梢《こずえ》も、峯の葛《くず》の葉も心あわただしく散りまがう中に、尊い読経《どきょう》の声が聞こえる。山荘には人の気配も少なく、木枯しが吹き渡ってゆく。
鹿が垣根のすぐそばにたたずんでいたりする。田の鳴《なる》子《こ》の音にもおどろかず、黄《こ》金色《がねいろ》の稲の中に立って、あわれを誘うような声で鳴いているのだった。滝の水音はとどろき、草の虫の音、りんどうの花など、夕霧にとっては物思う身のせいか、所がらのせいか、晩秋のあわれに心しめつけられる気がする。
いつものように宮のお部屋の、妻戸のもとに立ってそのまま景色を眺めている夕霧の姿は美しかった。
着萎《きな》えて体に馴染《なじ》んだ直衣《のうし》は、下の濃い紅の衣《きぬ》が美しく透《す》けてみえる。夕日が顔にさしたので夕霧はまばゆそうに扇を顔にかざしつつ、小《こ》少将の君を呼び出した。
「もっと近くへ寄ってくれ、小少将。こんな山里へやってきたのだよ。そんなに薄情にするな」
夕霧は几帳の向うの小少将に、かきくどく。
「宮のお嘆きは尤《もっと》もだけれど、あまりにもつれないお仕打ちではないか。私は魂もあこがれ出るような気がして、もう耐えられない」
小少将は濃い鈍色《にびいろ》の喪服の袖で涙をふいて、
「宮さまはもうご自分も死にたいと、お悲しみに昏れてぼうっとしていらっしゃるのですもの。お返事などお出来になる状態ではないのでございます」
「そこだよ。そんなに頼りなくていらして、これからどうして過ごされるおつもりだ。誰を頼ろうとなさるのか。お父帝《みかど》も世を捨て、山へこもってしまっていられる。今はもう、頼られるのは私しか、いないではないか。死にたい、などとはとんでもない仰せだ。何もかも前世できめられた宿縁とお思い頂くのだな」
しかし夕霧に与えられた宮の、取り次ぎを介してのご返事は、
「まだ夢のような気がして、うつつ心もございません。夢さめて人心《ひとごこ》地《ち》もつきましたら」
という、取りつく島もないような、冷淡なものだった。夕霧は失望して帰ってきた。
十三夜の月が花やかにさす夜である。
宮のおるすのお邸《やしき》、一條邸は、その道筋にある。いよいよ荒れて、西南の築《つい》地《じ》の崩れから覗《のぞ》いてみると、見渡すかぎり邸の格子はおろされ、人影もみえなかった。亡き柏木がここで宴をしたことなど夕霧は思い出しつつ、三條のわが邸に帰ったが、心は空にあこがれて、身から離れるような気がする。
女房たちは、
(お見苦しい。今までなかった朝帰りをなさる)
と悪口を言っていた。
雲井雁はまして情けなく、辛かった。
(あんなに誠実で堅い男と世間で評判された方が、すっかり変ってしまわれた……親兄弟にも、果報者といわれた私が、今になってこんな人聞きのわるい目にあうなんて)
二人はたがいに言葉を交すこともなく、背を見せ合ってそれぞれに屈託して夜を明かした。
夕霧は、夜の明け方近く、もう起き出して宮へ手紙を書く。雲井雁はそれを横目で見つつ、もういつぞやのように奪い取ろうとはしない。夫が、
「夢さめて、人心地がついたなら、といわれたがそのときはいつだろう……」
と手紙を書きつつ呟《つぶや》くのが耳に入ったが、じっと耐えていた。夕霧は人を呼んでその手紙を渡した。雲井雁は、宮と夫の仲がどのへんまで進んでいるのか、せめて、返事を見て真相を知りたいと思う。
小野から返事が来たのは、もう日が高くなってからである。
紫の濃い紙に、小少将がきちんと、まじめに書いている。お手紙を取り次いだが、宮は同じようにお心を解いてはいらっしゃらないこと、
「あまりにお気の毒に存じましたので、大将さまよりのお文の端に、お手すさびに書かれましたものを盗みました」
と、宮のお書きになったところを引きちぎって入れてあった。
(それでは、私の手紙をご覧になったのだ)
と思うだけで、夕霧の胸は嬉しさに高鳴った。みっともないと自分で自分を叱ってみても駄目なのである。
宮はそこはかとなく書き散らしていられた。
〈朝夕に泣く音《ね》をたつる小野山は 絶えぬ涙や音なしの瀧〉
とあるのだろうか。美しいお手である。
夕霧は、今まで人の身の上で、こんな色恋沙汰にうき身をやつしている男を見ると、はがゆくもあり、馬鹿げたことだと思っていた。
ところが、自分の身になると、はじめてどんなに苦しいものかがわかったのである。
(ああ、私としたことが。どうしたというのだ、この物狂おしい恋は)
と反省するのであるが、理性も分別も、いまの夕霧にはなくなっているのであった。
源氏もこの噂はきいていた。
夕霧はかねて老成した人柄で、思慮ぶかく人の非難を受けたことのないのを、親として誇らしく思っていた。自分は若いころ、恋の狩人《かりゅうど》として浮名を流したが、その不名誉を挽《ばん》回《かい》してくれるように嬉しく思っていたのである。しかし二の宮との事件が起きてみると、夕霧があわれでもあった。雲井雁や致仕《ちじ》の大《おと》臣《ど》もどう思うであろうか、そのあたりのこともわからぬ夕霧ではあるまいと思うのに、宿縁からは逃れられないのだろう。
(自分の口をさしはさむことでもない)
と源氏は口をつぐんでいた。
こんなに堅い男が、いったん思いつめたことは、周囲がいくら意見しても耳に入るはずはないと思うのであった。ただ、女の身のあわれさだけが思われる。
源氏は、夕霧の恋愛沙汰に心を痛めるにつけても、紫の上のことが心配である。
「もし、私が亡くなったら、あなたも、二の宮のようにいろいろ苦労するのではないかと思うと、気がかりでならないよ。いろんな男が言い寄って、あなたを悩ますのだろうね」
というのであった。
紫の上は顔を染めて、
「まあ。わたくしをあとへ生き残らせるおつもりなの?」
といった。
紫の上も、夕霧と二の宮の恋について、さまざま思いめぐらしていた。
(女ほど、生きにくいものはないわ――人生の深いたのしみ、尽きせぬ面白みなんかを大きな顔で味わうこともできないんだもの――。女は自分の自我を出してはいけないといわれ、自分を殺すように、しつけられてしまっているのだもの……そんな人生に、ほんとうのたのしさや生き甲斐《がい》があるかしら。人のいうままに自我を殺して生きてると、やがて物の道理もわからず、かたくなで無感動な女になってしまうのだわ。まさかそんな女に育てようとは、親も思いはしないだろうに。いいたいこともいわず、判断力も批判力もありながら自分を抑えているなんて、なんと辛い、苦しいことでしょう。二の宮もきっと、さまざまなことを考えていらっしゃるはずだけれど、じっと胸を撫《な》でて辛抱していらっしゃるんだわ。
女ほど生きにくいものはない。
さて、どういう風に教育してさし上げればいいものか。
自分を抑えて女らしい女になっても、個性をそこなってしまっては何もならないし……)
と思うのは、いまわが手《て》許《もと》でお育てしている明《あか》石《し》の女御《にょうご》のお生みになった、女一の宮のことに、おのずと思いがゆくからだった。
夕霧が源氏のもとへきたとき、源氏は息子がどう思っているか知りたかった。
しかし面と向うと、やはりむきつけにはいえなくて、
「御息所の四十九日はすんだのかね。世の中ははかないものだね。あの御息所は教養ある、たしなみ深いかたとして人々に敬愛されていられたが――残された宮もどんなにお悲しみだろうね。あの宮は、朱《す》雀院《ざくいん》が、こちらの三の宮の次に、お可愛がりになっていたかたでね。お人柄もいいかただろう」
と、それとなく探りを入れていた。
「どうでございましょう。御息所は物ごしのご気配など、すぐれてたしなみふかい方とお見受けしましたが」
と、夕霧は、宮のことは白を切って口にしない。源氏は、
(こんなに思いつめているものを、とやかく忠告してもむだだ)
と思った。
かくて御息所の四十九日の法事は、夕霧の大将《だいしょう》がすべて引き受けてした。噂は、柏木の父・致仕《ちじ》の大臣の耳にも入らずにいない。
「あの夕霧が。では、二の宮はもう再婚なさるおつもりか。そうか、そんな軽々しい方だったのか――心外なことだ」
そういう解釈は、二の宮にとって、お気の毒だった。
宮はこのまま、小野の山里で埋もれたいと望んでいられる。それを父君の山の帝がお聞きになって、
「出家は思い止《とど》まった方がよい。三の宮が尼になったばかりではないか。私の姫たちがみな世を捨ててしまうのはさびしい――皇女が再婚するというのも、あまり世の聞えはよくないが、しかし、庇護《ひご》者《しゃ》もなく出家してもあれこれ噂のまとにもなる。まあよく考えて」
といっていられた。
夕霧の方は、今はもう、実力行使しかないと考えている。いろいろ言葉をつくして訴えてきたが、宮のご様子では靡《なび》いて下さる気配もない。
宮とのことは、亡き御息所の御遺志であり、認めて下さっていたと、世間にはいっておこう。ほかに手段はないのだ。すべて亡き人のせいにして、宮との関係はいつからはじまったともわからず、ぼかしておこう。
(宮はすこし、私をナメていられる)
夕霧はおちついてそう考える。
(今さらまた、振り出しに戻ってもう一度言い寄り、涙をこぼして宮にまつわるような、子供っぽいことができるものか――よろしい。おとなの男の実力を見せてさし上げますぞ)
もう、躊躇《ちゅうちょ》しない。
宮が一條の邸へお帰りになる日を何日と定めて、大和《やまと》の守《かみ》を呼んで準備を命じた。一條邸も掃除させる。今までは女あるじの住居とて、荒れて草深くなっていたのを、磨き立てたように美しくした。壁代《かべしろ》、屏風《びょうぶ》、几帳、家具調度のたぐいまで一切新調させた。
当日、夕霧は一條邸にいて、迎えのお車や御前駆《おさき》の供人を小野へさしむけた。
「帰りたくない……お母さまのなきがらを煙にしたここで、一生を終りたいの」
宮はそういわれるが、大和の守は反対した。
「何を仰せられますか。宮のお気の毒な心細いご様子がいたわしくて、これまで私はできる限りのお世話をしてまいりました。しかし私も、もう任国へ帰らねばなりません。あとを托するしっかりした人もいないので心がかりでしたが、幸い、大将の君が、あんなにご親切にお世話下さいます。内親王さまのご再婚は、あまり見よいことではないと申せ、昔からよくあることです。宮のご境遇は世間もよく承知のこと、何の非難するものなど、ありましょう。――女人のお身で、生活万般のことまで采配なさることはとてもできません。やはり、男が大切にあがめ、尊んで、お世話してこそ、女の人生は花開いて、お心持もふかく豊かになるのです。ご分別もつくのです。このへんの道理を、お側の方々がどうしてよく申上げないのか。はじめに、よしないお手紙の取り次ぎだけはしながら……」
と大和の守は、最後の方は、お側の女房の小少将や左《さ》近《こん》を責める口吻になる。
人々は宮をなだめたり、すかしたりしてご用意させる。宮は、色あざやかなお召物を、すすめられるままにまとわれたが、夢かうつつかというお気持である。
「まあ、美《み》事《ごと》なお髪《ぐし》……これを削《そ》ぎたいと仰せられるなんて、とんでもないことでございますわ。六尺ほどもおありになる……」
女房たちは感嘆するが、宮は、お髪を指で払ってかえり見られ、
(いいえ……脱けおちてみすぼらしいわ。ひどく衰えてしまった。もう男に愛されるような身ではないわ)
と気が滅入《めい》ってまた臥《ふ》してしまわれる。
宮のお心には、愛されること薄かった、不幸な短い結婚生活の記憶が影を落していて、ご自分に自信を失っていられる。
夕霧は私を見て、きっと失望し、愛もさめてしまうにちがいないわ、……そういうお気持が、宮をかたくなにし、(もう二度と、みじめな思いをしたくない)と思い込んでいられるのであった。
「予定の時間がすぎましたわ」
「夜も更《ふ》けました、どうぞ宮さま」
人々は騒がしく促す。時雨《しぐれ》はざわざわと風に乱れて吹きつけてくる。
(お母さまと共に死ねばよかった……もうどんな男とも添う気はないのに)
宮は泣く泣く車に乗られる。女房たちはみな、お邸へ帰るのでいそいそしていた。櫛《くし》や手箱、唐櫃《からびつ》など先に運び出してしまっているので、宮お一人でお残りになることもできない。出家したいとお思いになりつつ、それもかなわず、黒髪は長いまま、ついに小野をお去りになるのであった。
お側の人々は、かねて宮がおひとりでお髪《ぐし》を削がれたりなさらぬようにと、鋏《はさみ》のようなものはみな隠して警戒していた。そんな人々の気持に逆らって、かたくなに、世を捨てるということも、宮はお出来になれない。
おっとりした気高いお心でいらっしゃるのだった。
お車に乗られるが早いか、宮の御眼に、どっと涙があふれた。
いつもお隣には、母君が坐っていらした席が空《あ》いているのだ。
(ここへ来たときもご一緒だった。あのとき、お母さまはご気分が悪いのに、わたくしの髪を撫でて下さったり、車から降りるときもお世話下さったのだわ……)
と思われると、涙で何もお見えにならない。
母君のお形《かた》見《み》の、守り刀と経箱《きょうばこ》が、いつも宮のおそばにあった。経文を入れる箱は、母君が朝夕、お手馴らしになった螺《ら》鈿《でん》の箱であった。
(浦島の玉手箱のように、この箱を開けたら、お母さまが出られるものなら……)
悲しみに胸ふさがってしまわれる宮を迎えて、一條の邸はにぎやかに、見違えるばかり立派に飾られていた。
宮は、住み馴れたわが家ともお思いになれず、うとましくて、すぐにはお車からお下りにならない。
「ま、なんと子供っぽい……」
女房たちは困ってしまった。
夕霧は東の対《たい》の南おもてを自分の居間にしつらえて、主人然として居坐っている。
喪中なので、新婚というには縁起がよくないのであるが、食事も終って一段落し、みな落ちついたところで、夕霧は少将の君に、
「宮のおそばへ案内せよ」
と責め立てた。少将は困惑した。
「今夜はお許し下さいまし。末長くとお思いなら、今日明日は過ごされて、宮さまのお気持も平静になられてからお会い下さいまし。こちらへお戻りになって、宮さまは却《かえ》って物思いに沈まれて、死んだようになっていらっしゃるのですもの。私どもがお取りなししても、うとましそうになさいます。ご機《き》嫌《げん》をそこないましては、うまくいくことも、いかぬようになってしまいます」
「想像していたよりは幼稚なかたでいらっしゃるのだね」
夕霧は不機嫌にいって、宮は結局、自分と結婚なさることが宮のご幸福、ご安泰であること、この結婚によって世間から非難を受けることはないはずだという自信を少将にいいつづけている。少将は、
「いえ、もうそれはようく、わかっているのでございます」
と必死にいった。
「ただ、いまのところは我《われ》彼《か》の状態でいらっしゃる宮さまに、もしものことがあったらと、私ども心配でならないのでございます。どうか、無理を通して一方的なことはなさらないで下さいまし。お願いでございます」
と手を合わせて拝むのであった。
「こんな目にあったのははじめてだ。柏木に比べて私はずいぶん嫌《きら》われてしまったものだな。あんまりなお仕打ちだ。私のいうことに非があるかどうか、人に判定してもらいたいくらいだ」
夕霧はいらいらして不快げなさまを隠さない。少将も同情しないではいられなかったが、
「さ。人に判定させましたらどちらに理があると申しますか。あなたさまは恋の諸訳《しょわけ》や女心をまだ充分にご存じないのですもの」
と少し微笑する。
「それはそうだ。それは私も認めるが、しかしもう、そう悠長なことはいっていられない気持なんだよ」
少将がどんなに押しとどめてふんばってみても、夕霧の情熱にはもう克《か》てなかった。
夕霧は少将を引き立てて、このあたりと推察される宮のお居間へ入った。
宮はお心を硬《こわ》ばらせてしまわれた。
(何という思いやりのない強引なかたかしら……)
宮はきっぱりと拒絶なさる決心である。
(大人げないと非難されてもかまわない)
と、塗籠《ぬりごめ》に敷物を一つ敷かせて、中から錠をかけておやすみになった。塗籠は、壁にかこまれた部屋である。
このはかない抵抗もいつまでつづくことか、女房たちはみな浮き浮きして、夕霧の味方についてしまっているのだもの……と、宮は悲しく思われて、暗闇の中でお眼を閉じていられる。
夜《よ》一《ひと》夜《よ》、夕霧は錠をお開けにならない宮をもてあまして、ため息をつきながら引きあげた。
自邸へ帰る気もしない。
六條院の、東の対の自室で休んでいた。花《はな》里《さと》の上は、
「宮さまを、恋人になさったと、北の方のお実家《さと》でおっしゃっているのは本当ですか?」
としごくおっとりと聞くのである。間に几《き》帳《ちょう》があるが、姿はちらほらと、夕霧には見えている。
「まあ、まんざら根のないことでもございません。亡《な》き御息所のご遺言で、後見をたのむという仰せでした。もともと柏木の君との友《ゆう》誼《ぎ》もあり、自分もそのつもりでおりましたが、宮ご自身は、尼になりたいと思いつめていられるようです。それならそれで、色恋はなれてご後見をしてさし上げたいと思っておりますが、世間ではさぞ、いろいろと取り沙汰いたしましょう。――父上も、この年になって不《ふ》料簡《りょうけん》を、とお思いになるかもしれませんが、何かのおついでがあればよろしくお伝え下さい。しかし、ここだけの話ですが、この道ばかりは人の諫《いさ》めも耳に入らず、自分の分別も曇ってしまうものでございますな」
夕霧は、やさしい義母には、ついしみじみと本《ほん》音《ね》を洩《も》らすのであった。
「まあ。人の噂《うわさ》だけかと存じていましたら本当のことでしたの。……男の方にとってはよくあることですけれど、三條の姫君はおかわいそうね。今までそんなご苦労をなさってらっしゃらないのですもの」
「姫君とはまた、可愛らしげにおっしゃる。鬼みたいな口やかまし屋ですよ。――女というものは素直なのが一番ですね。失礼ですが義母《はは》上《うえ》を拝見してもそう思います。口うるさい女には、男は面倒なので折れますが、そういつまでも言いなりになってはいられない。ごたごたが起きたとき、お互いに憎むようになってしまいますからね」
「そんなことおっしゃって頂くと、却って私のぱっとしない身の上が思い知らされて」
と花散里は笑いながら、
「それにしてもおかしいのは、お父さまですわ。――院はご自分のことは棚にあげて、あなたにお説教なさるんですものね」
「そうなのですよ。いつも女性関係のことでご訓誡《くんかい》を受けています。仰せまでもなく身をつつしんでいるつもりですがね」
と夕霧もおかしがり、この義理の母と子は仲よく、へだてなく、話が弾むのであった。
日が高くなってから夕霧は三條の邸へ帰った。すぐ若君たちが次々に可愛らしく、まつわりついてくる。雲井雁は帳台の中に臥していて、夫が入っていっても視線を合わそうともしない。
(拗《す》ねているな)
と夕霧は思ったが、下《した》手《で》に出ないで、妻の引きかずいている衣をはねのけてみると、
「ここをどこだと思ってらっしゃるの? 私はもう、とっくに死にましたわよ。いつも私のことを鬼、鬼、とおっしゃるから、いっそ鬼になってしまおうと思って死ぬの」
と雲井雁はきっとしていう。
「なるほど、鬼になっていられる。でも、お顔は可愛いね。こんな可愛い鬼を捨てられるものか」
と夕霧が平気で抱き寄せようとするのも雲井雁には腹立たしい。
「おめかしして浮き浮きしてらっしゃるような方の側に、私みたいなお婆さんはもうご一緒にいられませんわ。どこかへいってしまいます。私のことなんかお忘れになって下さい。長い月日、一緒にいたのさえ、今になるとくやしいわ」
雲井雁は起き上り、むきになって言い募《つの》っているが、その顔は上気してほんのり赤らんで、とても可愛らしいのだった。
「ようしよし、よく怒る人だ。あんまり子供っぽく怒るから見馴れて、この鬼は怖くなくなってしまった。鬼ならもっと神々《こうごう》しく怒らなくては」
夕霧はからかって冗談にしてしまおうとする。
「何をおっしゃってるの。私、本気ですわよ。あなたも文句を言わずに死になさい。私も死にます。あなたを見れば憎らしくなるわ。声を聞くのも腹が立ちます。そうかといって私一人で死ぬのも気がかりだし」
夕霧は妻の言い草が可愛くて、思わず笑ってしまった。
「見れば憎らしいといったって、離れていても、私の噂を聞いたら、また憎らしがるんだろうね。もろともに死のう、というのは夫婦の契りの深さを思い知らせようというつもりかい?」
「いいえ、違いますわよ」
「なぜ? 昔のことを忘れた? 一人が死んだら、すぐのこる一人も、あとを追おうと約束したことがあったじゃないか」
夕霧は巧妙に言いつくろって、なだめた。雲井雁は無邪気で可愛げな気性なので、
(また、あんな口先だけの気やすめを……)
と思いつつも、いつしかに機嫌は直ってゆく。夕霧はそれを哀れと見ながら、宮のこともたえず心の片すみにある。
(我《が》の強い方にもみえなかったが……もし宮が、ほんとうに尼にでもなってしまわれたら、私は馬鹿な目にあう)
そう思うと、当分は、途絶えることなく一條邸に詰めなければいけない、とあわただしい気になる。
日暮れになるにつれ、夕霧は心も空になったが、強いて、妻のそばにいた。
雲井雁は昨日今日と、食事も摂《と》れなかったが、やっと気を取り直して、夫と食事をした。
そのあいだ中、夕霧は言い続けていた。
「昔から、あなたを愛する気持は一通りのものではなかった。あなたの父上が辛く当られて、二人を裂かれたとき、私は世間から変人と笑われるほど、ほかの縁談をふり向きもせず、じっと堪えていたのですよ。あなた一人に心と操を守っていたのだ――あんな辛抱は女でもできないのに、まして男が、と世間の人はみな笑い者にしたり、非難したりした。どうしてあれほど純情に思いつめたものか、われながら感じ入るばかりだよ。……今になって憎み合うことはないじゃないか。そうだろう」
「…………」
「子供もたくさんいるし、見捨てられないよ。あなたの勝手で出ていけるものでもないでしょう。まあ、気持を大きくもって、私を信じて欲しいのだがね。命こそ、さだめない世だが、いつまでも愛は変らないはずだよ」
と、しんみりいうと雲井雁も、昔からのことを思い出し、(そうだわ……二人の仲は誰を持ってきても離せない、深い契りなんだわ)
と思うのだった。
それでも夕霧が装束《しょうぞく》をあらため、香を薫《た》きしめて出ていこうとすると、雲井雁はこらえきれない涙が出て来て、夫の脱ぎ捨てた衣をひきよせ、
「私は疎《うと》まれてゆくのね……尼になりたいと思うわ」
とつぶやくのであった。夕霧は行きかけて立ちどまり、面倒であるが、
「尼だなんて、情けないことをいわないでおくれ」
そういいつつ、心は一條へ急《せ》いていた。
一條邸では宮がまだ、塗籠《ぬりごめ》にこもって錠をさしたままでいられる。
「いつまでもこんなことをなさっていてはいけませんわ。宮さまのお心のうちをすっかり、大将さまにお話なさいませ」
と女房たちはすすめるが、宮は夕霧に対してお気持が解けていらっしゃらない。
夕霧は女房を通して、
「いつものお部屋にお戻り下さいませ。几帳越しに私の思うことを申上げ、決してお心を傷つけることは致しません」
と申上げるのであるが、宮は、
「母君の喪中で、わたくしの心も乱れているときに、無理を通そうとなされる。うらめしいお心に存じます」
と突き放されるだけである。
夕霧は少将を責めて、
「もし私が、これきりここへ伺わなくなれば、宮は私に捨てられなすったという噂が立つのだ。どっちにしても宮のお名に傷がつく。これ以上、子供めいたお振舞いを許すのは、宮のおんためにも気の毒なことになるよ」
といった。少将は夕霧が気の毒になり、塗籠の北の口の、女房が出入りするところから夕霧を入れた。
(みんな、わたくしの味方ではなくなったわ)
と宮は、女房たちの仕打ちを悲しく思われた。
夕霧はじゅんじゅんと宮に、言葉をつくしてお話する。
「もう今更、取り返しもつかないのですよ。私があなたに恋してしまったのだから、どうしようもありません。宮さまのお名も、元通りにはならないのですよ。運命だと思っておあきらめ下さい。私の志を深い淵川《ふちかわ》だとお思いになって、身を捨てたものと、思《おぼ》し召し下さい」
宮は単衣《ひとえ》のお召物を、お髪《ぐし》の上から被《かぶ》って声を出して泣いていられる。
(いや、弱った弱った。どうしてこうお嫌いになるのか、いくら強情な女《ひと》でも、ここまでくれば気持もとり直すものだが、岩木のように靡こうとなさらないのは、前世の縁で、よほど相性《あいしょう》でもわるいのだろうか……)
夕霧はそう思いつつ、悲しむ妻の顔など思い出され、みなこれも、自分が招いたことなのだと、味気ない気がして、ためいきをつきつつ、夜を明かした。
夕霧はその日、一日中、一條邸にいた。
塗籠の中には、さしたる調度はなく、手近な、間に合せの居場所にしてある。内は暗いが、朝日が射《さ》して明るくなった。
夕霧は宮の被《かず》いていらっしゃる衣をのけて、乱れたお髪《ぐし》をかきやり、はじめて仄《ほの》かに、宮のお顔を見た。
この上なく気品たかく女らしく、なまめかしい方だった。
「私をご覧下さい」
と夕霧は、微笑《ほほえ》みながら、宮にささやく。
宮は夕霧に視線を当てられた。くつろいで微笑している夕霧は、男ざかりの美しさがあって、そして柏木よりも大人びて、やさしかった。柏木は、宮のご器量が気に入らぬ風だった。あの頃より衰えている私の容色を、夕霧は気に入るはずもないと、宮は、かたくなに考えていらっしゃる。
父君の山の帝や、舅《しゅうと》の致仕《ちじ》の大臣《おとど》が聞かれたら、この関係を何と思われるだろうか、宮はそれからそれへと考えられると、お辛くてならない。
「新しい人生がはじまるのですよ。宮さまにも私にも。私にみんな任せて下さい。いいですね。世間の非難も何も恐れることはない」
夕霧はゆったりと慰める。その声はやわらかでいて力強く、宮のお心を抵抗できないように封じてしまう。
朝の手水《ちょうず》や食事は、常の居間で出された。喪中ゆえの家具調度は新婚の朝にはふさわしくないので、東の廂《ひさし》の間《ま》に屏風を立て、母屋《もや》との境に香《こう》染《ぞ》めの几帳を立てている。沈《じん》の二階棚などおき、心にくくしつらえてあった。大和の守の配慮なのであった。
女房たちも派手ではないながら、山吹襲《やまぶきがさね》、紅や紫、青鈍《あおにび》の色などに着更えさせて、食事の給仕をさせる。
夕霧というあらたな主《あるじ》をいただいて邸内はにわかに活気づき、大和の守は一人で、てきぱきと采配《さいはい》を振っていた。
いや、大和の守だけではない。羽振りのよいあるじがいられると聞いて、今まで勤めを休んでいた家《けい》司《し》などもいそいで参上し、邸のご用に励もうとするのであった。
夕霧が一條の宮から帰ってみると、若君たちが慕い寄って、
「お母さまはいっておしまいになったの」
「お母ちゃま、お母ちゃま」
と幼い子たちは泣いているのだった。
雲井雁《くもいのかり》は、姫君たちと、ごく小さな若君たちだけを連れて、実家の父大臣の家へ帰ってしまったのであった。
(まじめな人が狂い出すと、もうもとへ戻らないって、ほんとうなんだわ)
と雲井雁は思い込んでいた。
夕霧は妻の気強さが不快だったが、舅《しゅうと》の思惑もあるので、日が暮れてから迎えにいった。
雲井雁は居間にいない。
ちょうど弘徽《こき》殿《でん》の女御《にょうご》がお里帰りしていられるころなので、そちらへ話にいって遊んでいた。夕霧は腹が立った。
「よい年をして何だね。ここかしこに子供たちを抛《ほう》り出して遊んでいるなんて。昔からの仲だし、子供もたくさんいること、何といっても互いに別れられるものではないと、当てにしていたのに、ほんのちょっとしたことでこんな仕打ちをするのか」
「どうせもう、私などはお見捨てになったのですから、どんなにしたってお気に入りはしますまい。子供たちだけはよろしくお願いしますわ」
と雲井雁は顔は見せずに返事だけよこした。
「殊勝なことを。世間の物笑いになるのは結局、どっちだと思うのだね」
夕霧は強《し》いて三條へ帰るようにもいわず、その晩は一人で寝た。
中途半端なおちつかぬ気持で、子供たちを傍に寝かせている。
(一條の宮は、私が行かないことで、また思い乱れていられるのではないか)
と思うと平静ではいられない。
(全く、恋というものはもう、懲《こ》り懲《ご》りだ、どこの物好きが、こんな恋《こい》路《じ》を面白がるのだろう)
と夕霧は思ったりした。
夜が明けて、夕霧は妻にいってやった。
「人の手前も恰好《かっこう》わるいから、あなたがいうようにしばらく別れているかね。姫君たちをよこしなさい。ここへ私がいつも逢いにくるわけにもいかないし、三條の子供たちも淋しがっているから、あちらで一緒に面倒をみるよ」
姫君はみな、小さくて愛らしかった。夕霧はその髪を撫《な》でて、
「お父さまと一緒に行こうね。――お母ちゃまのおっしゃることを聞いてはいけないよ。お母ちゃまみたいに頑《かたく》なに強情なのはいけないことですよ」
と教えたり、していた。
一條では、宮はこのことをお聞きになってよけいお心がふさいでいられる。
雲井雁の父の、致仕の大臣は心を痛めていた。夕霧のことだから、と思うものの、女二の宮をも快く思うはずはない。
柏木の弟の、蔵人《くろうど》の少将を使いにして、宮へ手紙をことづけた。
「柏木との縁がうすく、お気の毒に存じておりましたが、このたびはまた、娘のことでは、お怨みに思うことになりましょうとは。こちらの立場もお考え下さい」
蔵人の少将は父の手紙を持って、ずかずかと、宮のお邸へ入った。
「お久しぶりですね。他人行儀になさいますな。ここへくるとなつかしくて」
女房たちは接待がしにくい気持である。まして宮はお返事などお書きになれない。しかし人々にすすめられてようやく、
「物の数にもはいらぬ私、お心を悩ませることなど、できるはずもございませんのに……」
と、お心に浮んだだけ、お書きになる。
少将は女房たちと話していて、
「これからも時々、うかがわせて頂きましょう。今までは兄君の北の方、これからは姉婿どののお連れ合い、ご縁は切れません。熱心に通えば、今度は私の番かもしれない」
と、いやみなあてこすりをいって帰った。宮が心を痛められたのは無論である。
夕霧はそのご機嫌をとるのにあれこれ気を遣う。夕霧には妻の雲井雁のほかに、もう一人、古くからの愛人、藤典侍《とうのないしのすけ》がいて、彼女とのあいだにも五人の子供をもうけているが、雲井雁と藤典侍は、あたらしい恋仇《こいがたき》の出現に、
「北の方がお気の毒ですわ」
「まさか私がこのような目にあうとは思いませんでしたわ」
と、珍しく、心を通わせ合うのであった。
雲井雁には長男、三男、五男、六男、次女、四女、五女の子供が出来、藤典侍には、長女、三女、六女、次男、四男といる。合わせて十二人の子供をもつ夕霧なのであるが、どの子も美しく才気がある。
ことに、典侍の生んだ男の子たちは器量すぐれ、利発であった。
典侍腹の三女と次男は、花散里の上がたいせつに育てており、源氏もいつも見て、かわいがっているのである。
女二の宮に執心する夕霧は、律儀者の子沢山ともいうべき男なのであった。
露の世の別れはかなき御《み》法《のり》の巻
紫の上は、あの大病以来、たいそう体が弱ってしまっていた。
どこがひどく悪いというのではなく、衰弱してゆき、病い勝ちな年月を重ねて、いまはたいそうたよたよと、触れれば消えそうな、あえかなさまになっていた。
源氏の心痛は限りもない。
紫の上に死なれて、しばらくでもあとへ残ることができようと思えない。
紫の上の方は、この世にもう、思い残すことはなかった。
(いろんなことを見つくした気がするわ……。心にかかるわが子もいないし、強《し》いて長生きしたいとも思わないわ)
そう思うものの、
(でも、殿をおいて死ねないわ。この方に悲しい思いをさせるのは辛《つら》いわ)
と、それだけを嘆くのであった。
後世《ごせ》のために紫の上は出家《しゅっけ》して、命のある少しの間だけでも、仏道修行に励みたいと思っている。しかし源氏は、どうしても許さない。
「世を捨てるなら、もろともに捨てたい。しかし、出家したなら、もう、この世のことはすべて思い捨てなければならないのだ。そうなれば、あなたの看病もできなくなるのに」
と源氏は、紫の上にどんなに怨《うら》まれても、出家させないのであった。
紫の上はここ長年、自身の発願《ほつがん》として、人々に法《ほ》華経《けきょう》千部を書かせていた。それをいそいで供養することとした。
二條の邸は、自分の邸のように思われるので、そこで行うことにした。法《ほう》会《え》をつとめる僧たちに下賜する法服や、儀式のすべてを、紫の上は手落ちなく準備した。
楽人《がくにん》や舞人《まいびと》のことは、夕霧が世話をした。
花散里《はなちるさと》や明《あか》石《し》の上も、この法会に出席した。
三月の十日のことだった。
花盛りのもと、さながら極楽浄土もかくやと思われるばかりの有様であった。多くの僧たちが行道《ぎょうどう》しつつ、法華経を褒《ほ》めたたえる歌を歌う、その声のひびきも、弱っている紫の上には、常よりも身に沁《し》みて聞かれた。
紫の上は、明石の上に、三の宮(明石の中宮のお生みになった皇子である)をお使いにしてこういった。
「惜しからぬ命ですけれど、この法会が、私の最後の法会かと思いますと悲しくも思われます」
明石の上に、それとなく別れを告げたのだった。
「いいえ、御《み》法《のり》がいつまでもつづくようにあなたのご寿命も末長いことと信じていますわ」
明石の上からの返事にはそうあった。
夜もすがら読経の声に合わせる鼓《つづみ》の音が絶えず、趣きふかいことであった。ほのぼのと明けてゆく朝ぼらけ、霞《かすみ》のあいだから花は咲きこぼれ、鳥は囀《さえず》りはじめる。陵王《りょうおう》の舞が急調子となって終りの楽は華やかであった。
人々は、舞人に衣《きぬ》を脱いで与えている。その色とりどりの美しさ。
(美しい……この世は美しいわ。なんと美しいもの、あわれ深いもので、この世は充《み》ちているのだろう……)
紫の上の澄んだ瞳《ひとみ》に、ものみな、麗わしく佳《よ》きものとして映るのであった。
(この楽の音《ね》。あの人の舞、この方の笛の音。今日が聞きおさめ、見おさめであろう……)
そう思うと、紫の上は世のすべての人がなつかしく好もしく、慕わしかった。
折々のこんな催しごとや遊びを共にした、明石の上や花散里とももう会えないのかと思うと、たまらずなつかしい気になる。
(明石の御方に嫉《しっ》妬《と》したこともあった……可愛い姫を、あのかたのお手から取り上げて、わたくしは嬉しかったけれど、あのかたに心からすまないと思ったこともあった。長い年月のつき合いに、いつしか心とけて、むつまじくしたものだった。ふしぎな縁で結ばれた人々。さようなら……わたくしは、ひと足お先に旅立ちます)
法会が終り、それぞれ帰ろうとする人たちに、紫の上は、これが最後の別れのように思われて、花散里にことづけた。
「尊き御法をご縁に、あなたさまとは、またあの世でもお目にかかり、仲よく致しましょうね」
花散里は、
「私こそ末短い身でございますが、あなたさまとのご縁は絶えますまい」
と、しみじみ返した。
夏に入ると紫の上はもう凌《しの》ぎかねて、絶え入るような思いをした。そばの女房たちは悲しくて、目の前が暗くなるここちがする。
容態が思わしくないので、明石の中宮は二條の邸《やしき》に里下りされた。中宮の行啓《ぎょうけい》に、誰かれの上達《かんだち》部《め》が、大勢お供してくる。その人々の名《な》対面《だいめん》を、紫の上はじっと聞いた。これは公卿《くぎょう》たちが、自分の官姓名を名乗るのである。
(あの人も……ああ、あの人もいられる)
紫の上は聞きおぼえのある声を耳にとめて、その人々にも別れを心の中で告げるのであった。
中宮にお目にかかるのは久しぶりで、紫の上は話が積もっていた。こまやかに話していると、そこへ源氏がはいってきて、
「おやおや、お二人でしっとりとお話になっていて私は仲間はずれだね。巣から落ちた鳥のようだ。あちらへいって私はやすむことにするよ」
と、自分の居間へいった。紫の上が起き上っているのを見て、嬉しそうであった。それを見るにつけても紫の上は、源氏がいとおしい気がする。
中宮は里下りのあいだは、東の対《たい》がお居間になるはずで、その準備がしてあるのだが、紫の上のそばをおはなれにならない。
「別々になっていますと、お母さまが心配ですし、あちらへお越し頂きますのも勿体《もったい》なくて」
とおっしゃって、そのまま、寝殿にいられる。そこへ明石の上も来て、心づかい深い話をしんみり交す。
紫の上は、さかしげに「私の死後は」などと、遺言めいては口に出さない。しかし、中宮が連れていらした幼い宮たちを拝見して、
「宮さまたちの大きくおなり遊ばすのを見られないのが残念で……」
と涙ぐんだ。清らかに痩《や》せた面《おも》輪《わ》がひときわ美しく、中宮もお泣きになって、
「どうしてお母さまはそう、心細いことばかりおっしゃいますの。そのうちには快《よ》くおなり遊ばすにちがいありませんわ」
と力づけられる。紫の上は微笑して、
「長いこと、わたくしに仕えてくれた人の中でも、頼るところのないあわれな身の上の人などは、わたくしがいなくなっても、お心にかけてやって下さいましね」
などと中宮に申しあげるのであった。
紫の上は、中宮のお生みになった宮たちの中でも、とりわけ、自分が手もとでお育てした三の宮と、女《おんな》一の宮が可愛かった。この宮たちのご成長を見ずにこの世を去るのは名残り惜しい気がされる。
三の宮は今年、五つになられる。愛らしいご様子で走りまわっていられるのを、紫の上は気分のいくらかよい時に、前にお坐らせする。人があたりにいないころであった。
「わたくしがいなくなりましたら、宮さまは思い出して下さいますか」
とおたずねすると、
「お祖母《ばあ》ちゃまどこへいらっしゃるの? ぼくは御所の主上《うえ》よりも中宮さまよりも、お祖母ちゃまが大好きだもの。いらっしゃらなくなったら、いやだよ。悲しくなるもの」
と目をこすって涙を紛らしていられるお可愛らしさ、紫の上は微笑しつつ涙が落ちた。
「大きくなられたら、この二條院にお住みになって、この対《たい》の前の紅梅と桜は、花の季節には忘れずに眺めてお楽しみになってね。時には花を仏様にもお供え下さいね」
と申上げると宮は紫の上の顔を見守って、涙をいっぱいためていらっしゃる。
やっと秋になって、いくらか涼しくなり、紫の上は少し爽《さわ》やかな気分をとりもどした。しかしそうなると、涼しさがまた体にこたえて、心地はいっこうに晴れ晴れしないのであった。
中宮はもう、御所へ帰られなければならなかった。紫の上は、
(もうしばらくここにおいでになって下さいませ)
とお引きとめしたいのであるが、さしでがましいようでもあり、また、主上も待ちかねていらしてお使いがひまなく来るので、そうそうお引きとめすることもできない。
中宮は東の対から、紫の上をお見舞いにこられた。
紫の上は消え入るばかり痩せほそっているが、かえっていまは、気高くこの世のものならぬ美しさにみえる。
かつては、あまりにも艶麗《えんれい》にあでやかであったその美しさに、陰影が添えられ、世のはかなさがその細い肩ににじんで、清らかにもたぐいなく可《か》憐《れん》なすがたなのであった。
風が荒々しく吹く夕暮れだった。
紫の上は、前栽《せんざい》の景色を見ようとして起き上って脇息《きょうそく》に倚《よ》っていた。
源氏がやって来た。
「おお、今日はよく起きているね。中宮のお顔を見ると、たいそう気分がよさそうだね」
と嬉しそうにいった。
(ほんの少し気分がよいのをご覧になると、こんなに喜んで下さるのだわ……もし、わたくしが亡くなったらどんなにお嘆きになるかしら)
と紫の上は思うと、源氏を置いて逝《ゆ》くのがいまさらのように悲しかった。
「でももう、だめですわ。わたくしね、萩《はぎ》の花の露を見ていますの……ほら。風に乱れて散ってゆきますわ。あんなふうに命の露も」
というと、源氏は耐えられなくて、
「死ぬときはもろとも。あなたを先立たせて長くは生きていられないよ」
とせきあえぬ涙があふれてくる。
「お母さま。花の露なんてさびしいたとえをおっしゃらないで下さいまし」
中宮は紫の上にすがって泣いていられる。
源氏のもっとも身近な女人たち、紫の上といい中宮といい、どちらも劣らぬ、こよない佳人たちであった。この美しさをそのままに、みんなで幸福に千年も生き長らえることができたらと、源氏は思わずにはいられなかった。
しかし、花の命をとりとめることはできないのだ。
「どうぞもう、あちらへおいで下さいまし。気分がたいそう苦しくて。失礼して横にならせて頂きますわ……」
と紫の上は中宮にいい、几帳《きちょう》を引き寄せて臥《ふ》したが、そのさまがいつもより弱々しげなので、
「お母さま、どうなさいましたの、しっかりなすって下さいまし」
中宮が紫の上の手をとって泣く泣くご覧になるうち、消えゆく露のように紫の上は絶え入った。
臨終とみえたので、たちまち、祈《き》祷誦経《とうずきょう》の使者たちが数知れず、寺々へと立てられる。
邸内はざわめいた。
前にもこうして絶え入っては蘇《そ》生《せい》したことがあったので、こんども物の怪《け》のしわざではないかと、夜もすがら祈祷をこらしたが、その甲斐《かい》もなく、夜の明けるのも待たず、紫の上は亡くなった。
(御所へ帰らないでよかった。お母さまのご臨終におそばにいられたのだもの……)
中宮は涙に沈まれつつも、紫の上との契りの深さを限りなくあわれに悲しく思われた。
誰も彼も、正気でいるものはなかった。夢のような心地がして、女房たちは呆然《ぼうぜん》としているのだった。
源氏はましてどうしていいかわからない。乱れる心をおし鎮《しず》めるすべもなく、夕霧がそば近く来たのを几帳のかげへ呼んで、
「とうとう、こんなことになってしまった……この年頃、あんなに望んでいた出家のことを、叶《かな》えさせずにしまったのがいとおしくてね。加持《かじ》に参っていた大徳《だいとこ》や僧たちはもう帰ったらしいが、それでも一人二人はまだいるだろう。このひとに仏の御功《く》徳《どく》を授けて頂いて、暗い冥《めい》途《ど》のみちの光にしてやりたい……髪をおろすようにいってくれないか」
そういいつつ源氏の頬《ほお》には、ひまなく涙が流れる。気を張ってしっかりしていると自分では思っているのだが、さながら、源氏自身も死んだようになって顔色もただならず、悲嘆に心は破れて、涙がとまらない。
尤《もっと》もなことだと、夕霧は同情した。
「物の怪の仕《し》業《わざ》で、父上のお心を乱そうとして、こんな風にしているのかもしれません。それなら何はさておき、ご本意のようにしてさしあげたらよろしゅうございましょう。たとえ一日一夜の受戒でも、効験はあらたか、と申しますから。……しかしもし、ほんとにこと切れておしまいになったのでしたら、ご剃髪《ていはつ》になっても甲斐はございますまい。眼の前のお悲しみがまさるばかりでしょう」
夕霧は、源氏よりもまだしっかりしていた。慰めてそういいつつ、僧たちにいろいろ指図をしたが、夕霧の心は、源氏とは別の悲しみでいっぱいになっていた。
(長い年月、自分はあのかたにあこがれを捧《ささ》げてきた。大それた恋心というのではなかったけれど、どうかしてもういちどかいま見たい。あの野《の》分《わき》の日にちらとみた面影を、いや、せめてほのかにお声だけでも聞きたいものだと願いつづけてきた。それもいまは空《むな》しくなった。もう永遠に、お声を聞くことも叶わなくなったのだ……)
夕霧はいまは人目もかまっていられず、涙を拭《ぬぐ》った。尤も、周囲には声限り泣きまどう声がみちていたから、夕霧の涙もその中に紛れるのであったが、
(そうだ……せめて、むなしくなった御亡骸《なきがら》だけでも、お見上げしたい。このときをおいて、あのかたを見るのは、もう二度とないのだ)
そう思うと、泣き叫んでいる女房たちに、
「静かに。ちょっと静かに」
と制止しつつ、源氏にものをいうのにかこつけて、静かに几帳をひきあげて、臥している女《ひと》を見た。
夜はほのぼのと明けてゆくが、まだ光は室内に射さず、暗かった。灯を近くかかげて、源氏は紫の上の死顔を、じっとみつめていた。
見飽きぬ美しさ、限りもなく清らかに、愛らしくもある紫の上である。源氏はあきらめきれない。
夕霧が覗《のぞ》いているのを知りながら、もはや強いて隠す気にもならない。
「こんなに、生きているときと同じ様子なのに、……やはり、死んだのだね。もう、眼も開けてくれないし、呼んでも答えてくれないのだ」
源氏はそういって袖《そで》を顔におし当てて慟哭《どうこく》する。
夕霧も、涙にくれる目を強いて見開いて紫の上を見た。見なければ心まどいも起きなかったであろうものを、こんなにも美しい女人《にょにん》だったのかと、見たのちはかえって、思い乱れるのであった。
魂が天界へ還《かえ》った女《ひと》は夢みるような微笑をさえ浮べて、身じろぎもせず横たわっている。
髪はつくろわずただそのままにうちやられているが、ふっさりと多く、もつれもせず、艶々《つやつや》としていた。明るい灯のもと、顔色は白く光るようで、生前の化粧をした顔よりも、いま、無心に目を閉じているやさしい死顔のほうが、ずっと美しかった。
(ああ、この女《ひと》は逝ってしまわれた……自分の魂も、この美しき骸《むくろ》にとどまりそうな気がする)
夕霧は魂を奪われて恍惚《うっとり》と見守るのであった。
紫の上の側近く仕えた人々はみな、夢うつつのようでぼんやりしていて、頼りになる者もない。源氏は強いて心を取り直して葬儀の指図をした。昔も、悲しい死別にはたくさん遭《あ》ってきた。しかし、自身、手を下《くだ》して葬い万端の差配をするのは始めてであった。しかも最愛の人の……。
過去にも未来にも、
(二度と、こんな辛い思いはしないだろう)
という気が、源氏には、している。
その日、葬送が行なわれた。いつまでも亡《なき》骸《がら》をとどめておくことは許されないのだ。
(別れというもの、なぜこの世にあるのだろう)
はるばると広い鳥《とり》辺野《べの》の野辺《のべ》送りであった。人や車がいっぱいに立ちならんで、いかめしい儀式だった。その中を、紫の上は、はかない煙となってたちのぼっていった。
(煙よ。煙よ。煙になったのはあれ《・・》か、それとも私自身なのか)
源氏は宙をふむ心地で、人に扶《たす》けられて歩む。
(もろともに死んだ。あれ《・・》が息絶えたとき、自分もまた、死んだ。私の、人生は、終った)
源氏は夢うつつにそう思いつつ、よろめきあゆむ。そのさまを見て、あんなに尊い身分の方が、とみな、泣かぬ者はない。まして付き従う女房たちは悲嘆にくれて、車からころび落ちぬばかりである。
源氏は昔、葵《あおい》の上を亡《うしな》ったときのことを思い出していた。あのときはまだ今よりも正気が残っていた。葬送の野に、月が出ていたのをおぼえている。
しかし、今《こ》宵《よい》は涙のために、あたりは暗く沈み、もはや何も目に入らぬ。無明《むみょう》の闇だ。
亡くなったのは十四日で、野辺送りは十五日の暁方《あけがた》であった。
日が明るく昇り、野辺をくまなく照らす。
源氏はもう、かくも明るい世の中に生きている気はしない。紫の上に死におくれていつまで生きられようか。出家したいと思うが、妻に死なれて心弱くなったと噂《うわさ》されるのもわずらわしく、
(ここ当分を過ごして)
と思ったりする。源氏の傷心は、もう、何ものを以《もっ》てしても埋めることはできない。
夕霧も忌《いみ》に籠《こも》って、朝夕、父のそばを去らず、心から慰めていた。風が野分めいて吹く夕ぐれ、
(あれはやはり野分の日……あのかたをほのかに見て、心あこがれたものであった)
と夕霧は思い、そのあこがれを心の底にじっと秘めて、いま再びその面影を見たときは、臨終の折であった、そのあわれさが、たまらず悲しい。
人目をはばかって強いてこらえ、
「阿弥陀《あみだ》仏《ぶつ》、阿弥陀仏」
と唱えつつ数《じゅ》珠《ず》を爪《つま》繰《ぐ》り、涙の玉を払う。
きまりの念仏はいうまでもなく、僧たちに法華経などよませ、夕霧の悲嘆とやるせなさは、源氏にも劣らなかった。
定めの四十九日間の法事も、何につけて悲しいばかりである。
源氏は寝ても起きても涙の乾く間はない。人目には呆《ほう》けたさまにみえぬよう心を配っているが、目は涙で霧《き》りふさがってしまっている。いつ、夜が明け、いつ、日が暮れたかもおぼえなかった。
すべてに恵まれた身のようにみえながら、何度、幼い頃より死別生別を重ねてきたことだろう。母君、祖母君、父帝《みかど》、そして、夕顔、葵の上、藤壺《ふじつぼ》の中宮、……仏は、世の無常を知れとおさとしになったのだ。それを心強くも知らぬ顔で押し通して、ついに、来《こ》し方ゆくすえも、またとあるまいと思われる悲しさにめぐりあってしまった。
かの女《ひと》を失って、もはやなんの、この世に思いのこすことがあろうか。すぐさま世を捨てて出家したいが、こうも悲しみに心乱れていては仏道修行も難しいであろう。どうか、この嘆きをすこしは忘れさせたまえ、と、源氏はひたすら阿弥陀仏を念じるのであった。
御所をはじめ、あちこちから弔問は数多くあったが、源氏は出家の決心を固めているので、もう何ごとも耳に入らず、目にも止まらなかった。
致仕《ちじ》の大臣《おとど》からも心こめた見舞いがあった。
源氏は、鄭重《ていちょう》に返事し、感謝の意をこめて礼を伝えたが、悲しみにくれるわが本心を、そのままあからさまに打ちあけたりはしなかった。大臣はそんなとき(何という心弱いことだ)という反応を示す性格である。長いつきあいの源氏は、それを知っているのであった。
かつての葵の上のときよりは、更にいっそう濃い鈍色《にびいろ》の喪服を、源氏はまとっていた。
法要のことも、源氏ははかばかしく指図しないので、すべて夕霧が準備する。
亡き紫の上は、不思議なほど、どんな人々にも慕われ、敬愛され、好意をもたれた女人《ひと》であった。側近く仕えていた女房たちの中には、悲しみのやり場がなく、尼となろうとする者もいた。
冷泉院《れいぜいいん》の后《きさい》の宮からも、しみじみしたお文がとどけられた。
「亡きかたは春がお好きでいらっしゃいましたわね。ものみな枯れ果てる秋の野辺の佗《わ》びしさをお厭《いと》いになったのでしょうか。今になってみれば、まことにその通りに思われまして……」
源氏はくり返しそれをながめ、風雅を解する、嗜《たしな》みふかいひと、心の慰めとなるような情趣《わけ》知りのひととして、いまはこの宮だけが残っていらっしゃる、と思ったりした。
源氏の身辺から、そういう存在は、一人ずつ消えてゆく。そう思うさえ、涙がこぼれる。
「この秋は、もうつくづく、生きているのに飽きはてた気がします。后《きさい》の宮にこう申すのも恐れ多いことながら、無常の思い、秋のあわれを共感して頂けるように思うのは、宮さまだけとなりました。千《ち》歳《とせ》も共にと願いつつ、ひとりあとへ取り残された口惜しさ、悲しさ、宮さまならば、ご理解して頂けましょう」
源氏は手紙を書き、上包みに包んだのちも、まだしばらく、じっとそれをみつめて物思いに沈んでいた。
夢にも通えまぼろしの面影《おもかげ》の巻
新春となったが、源氏の心は悲しみに閉ざされて、年賀の人々に会う気もしない。ただ、親しい弟君の兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が来られたときだけ、くつろいだ部屋で会うのであった。
紅梅はちらほらと咲きかけて風《ふ》情《ぜい》のある美しさだったが、管絃の遊びもなく、人々は濃い色の喪服を着て、常とは打って変った新春である。
源氏は今では、絶えて女君たちを訪れることもない。紫の上が亡くなってからずっと二條院に籠《こも》っている。
この年頃、源氏が、本心から愛したというのではないが、ちょっと気を惹《ひ》かれて、ひそかに情人にしていた女房も、何人かいた。紫の上が亡くなって寂しい独り寝になると、源氏はかえって彼女たちを近づけず、ほかの大勢の女房たちと同じに扱った。
夜は、帳台《ちょうだい》から遠くはなれて、女房たちを大勢、宿直《とのい》させていた。
つれづれなままに、源氏は彼女たちを相手に、紫の上の思い出話や、昔のことなど話すのであった。
源氏は俗世への執着が次第に薄れて、仏の道へ入る心が深くなっている。それにつけても、昔のあの、朧月夜《おぼろづきよ》の尚侍《ないしのかみ》との実りのない恋、朝顔の斎院《さいいん》への片思いなどで、紫の上を苦しめたことがいとおしく、辛《つら》かった。
紫の上はあのころ、恨めしげな色をみせたりしたことがあった。
(朧月夜の君とのことは一時の気まぐれだった。女《おんな》三の宮のときは、義理やら何やらで、のっぴきならぬ立場に立たされ、やむを得なかった――とはいうものの、なぜ、あれ《・・》を裏切るようなことをしてしまったのだろう。あのひとは何事につけても深い理解力に富み、聡明だったから、私の気持もよく察してくれた。嫉《しっ》妬《と》や憎悪をふりかざして私を悩ませたりせず、二人の愛情を信じていてくれた。しかしどんな時も一応は、この先どうなるのだろうと、心を痛めたにちがいないのに……)
たとえひとときでも、自分の所業で紫の上を苦しめたと思うと、源氏は自責と、やるせないくやしさ、いとおしさで胸が一ぱいになる。
女房たちも、みな古くから仕えている人々であったから、その折、かの折の事情を知り、紫の上の苦悩も見ていて、それとなく、そんな話をする者もあった。女三の宮が六條院にご降嫁になった頃のこと。
紫の上は顔色にも出さず、いつに変らず温和でやさしかったが、何かにつけ、味気なさそうな屈託ある様子のみえるのがあわれであった。
ことにも源氏は忘れられない。
雪の降った明け方、女三の宮のもとから帰ったとき、格《こう》子《し》のそとでしばらくたたずんでためらっていた。わが身は凍るばかり冷え、空も荒れていたが、迎えた紫の上は、おっとりとやさしかった。
(まあ、つめたいお手)
とにっこりしながら、彼女の袖《そで》は涙に濡《ぬ》れて湿っていた。それを隠して、さりげなく紛らせていた、あのときの微笑《ほほえ》み。
(雪のように冷えた。あたためておくれ)
と源氏がいうと、
(おかしいわ……冷えたのは、わたくしのほうのはずなのに。ひとりでいて、暖かいとお思いになって?)
彼女はそれをうちとけて、おかしそうにいう。暖かく微笑して、源氏をふんわりと包みこむ。……
それからそれへと記憶をたどり、源氏は夜もすがら思い返していた。
夢にでも、立ちあらわれよ。恋しい人。
いつの世にか、生まれ代ってめぐり逢うことでもあるならば。
明け方、自分の部屋にさがる女房であろうか、
「まあ、雪がたいそう積もったこと」
という声が聞こえた。
さながら、あの日の朝そのままの心地がして、源氏はもう耐えきれず、涙がほとばしり落ちる。あの日の朝そのままでありながら、もはやそばに、紫の上はいないのだ。
源氏は悲しみを紛らせようと、いつものように、手や顔を洗い清め、勤行《ごんぎょう》する。女房たちは埋《うず》み火《び》をかきたてて火《ひ》桶《おけ》をすすめた。源氏の思い者である中納言の君や中将の君などがそばにいて話相手をする。
「昨夜は常よりも淋しかった。独りぼっちだという気持が、しみじみした。こうして念仏を唱《とな》え、悟りきって過ごすこともできたのに、俗世のことにあまりにもかかずらいすぎていたと思うよ」
源氏は、もし自分が出家したら、この人々がどんなに淋しがるだろうかとあわれになる。
中将の君というのはわけてもいとしい気がした。この女房は、紫の上が可愛がり、幼い時から育てて召使っていたので源氏も見馴《みな》れていた。愛らしい女なので、源氏は見過ごすことができなくて、ひそかに思い者にしていたのである。中将の君はそれを紫の上にすまないことに思って源氏を避けようとしていたが、紫の上が亡くなってみると、源氏は、色めいた気でなく、彼女が紫の上の形見のように思われていとしかった。
こうして源氏は、近しい女房たちに囲まれ、ひっそりと暮らしている。訪問客にももう逢わない。
上達《かんだち》部《め》や親王がたがたえず見舞いにこられるが、源氏は対面しなかった。
「ここ幾月か、私は放心して、自分で自分がわからない状態だった。そんな醜態を人々にさらして、世の物笑われになりたくない」
といって、夕霧にさえ、御簾《みす》をへだてて話す。
あれほど、来客を歓待し、人と会うのをよろこんだ源氏が、今や、全く人が変ったように、人ぎらいになってしまった。
春は深くなり増さり、二條院の庭は昔に変らず花が咲くが、それを賞《め》でた人はいない。
源氏はもう、花も見たくない。胸痛むからである。
「お祖母《ばあ》ちゃまがおっしゃったから」
と、三の宮は、紅梅と桜を大切に世話していらっしゃる。明《あか》石《し》の中宮は御所に上られるとき、
「お父さまのお淋しい時のお慰めに」
と、三の宮を二條院に置いて行かれたのであった。
二條院の庭は、春の花の好きな紫の上が、次々に咲くようにといろんな種類の花を植えておいたので、つねに匂いみちていた。紅梅、山吹、樺桜《かばざくら》、八《や》重桜《えざくら》、藤。
「ぼくの桜が咲いたよ」
と三の宮は得意そうにいわれる。
「いつまでも散らさないようにするには、どうしたらいいかなあ。木のまわりに几帳《きちょう》をたてて、帷子《かたびら》を上げずにおいたら、風も吹いてこられないね」
と、いいこと考えた、というふうなお顔が可愛いので、源氏もつい微笑を誘われた。
「そうですね。花を散らさないために大空を掩《おお》うほどの袖が欲しいと昔の人はいったけれど、宮さまの方がずっと賢い方法ですね」
源氏は、三の宮が、慰めであった。
「宮とこうしてお話できるのも、あと少しですよ」
源氏は涙ぐみ、
「やがてお目にかかれなくなってしまうのですよ」
「お祖母ちゃまとおんなじことを、おっしゃるのですね。縁《えん》起《ぎ》がわるい」
と宮は伏目になって、ご自分の袖を引っぱったりしながら、涙を紛らしていらっしゃる。
つれづれなままに源氏は、女三の宮のもとへ出かけた。若宮も女房に抱かれて共に六條院へおいでになる。こちらの薫君《かおるぎみ》と一緒になって走りまわって遊んでいられる。
尼宮は仏前で経を読んでいられた。深く悟って入られた仏の道でもないが、のんびりと俗世を離れて行ないすましていられるのが源氏はうらやましい。
閼伽《あか》桶《おけ》に入れてあるお供えの花に夕日が映えているのが美しかったので、ふと源氏は、
「春の好きだった人がいなくなって、今年は花を見る気もしなかったが、花は仏の飾りのためのような気がしますよ。……そういえば、対《たい》の山吹は美《み》事《ごと》に咲いていますね。花房が大きくてね。花やかで賑《にぎ》わしくて綺《き》麗《れい》です。植えた人が亡くなったとも知らず、例年よりも美事に咲いているのがあわれな気がしてね」
と、しみじみいうのであった。
尼宮は何ごころもないさまで、
「そうでございますか。わたくしは日々勤行《おつとめ》にいそしんで、花が咲こうが散ろうが、気にもとめませんで、物思いもなく過ごしておりますから」
と答えられる。
(ほかにいいようもあろうに、思いやりのないお言葉よ)
と源氏は興ざめ、味気ない思いをする。紫の上の死に傷つきやすくなっている源氏の心には、思慮のない、心浅い尼宮の言葉が手痛かった。
思えば、かの紫の上は、こんなふうの、ほんのちょっとしたことでも、人を傷つける言葉などは口にしなかった。紫の上の幼かったころからのありさまを源氏は思い出し、その折、かの折、時々につけて気転も利《き》き、才気に溢《あふ》れ、それでいて温かくやさしかった心ばせ、しぐさや言葉、それからそれへと思い続けていると、またしても源氏は涙があふれるのであった。
夕暮れの霞《かす》みわたった、しっとりした時分なので、源氏は心をそそられて、そのまま明石の上の部屋を訪れた。
長らく顔出しをしなくて不意だったから、明石の上は驚いたが、こころよく自然に迎え、身のとりなしも上品である。
やっぱり、なみの女人よりはすぐれた女《ひと》だと源氏は思うが、心ない人を見れば見るで亡き人が思い出され、すぐれた女人を見ればまた、亡き人とくらべられてしまう。面影に苦しめられるのは、まぬがれがたいのである。
こちらでは、源氏はのどかに昔がたりなどする。
「人をあまりに愛するのは、仏道にはよくないことと、昔から私は弁《わきま》えているつもりだった。どんなことにも深い執着を持たないようにしようと、気をつけてきた。須磨《すま》明石の流《る》浪《ろう》の時代には、さまざま苦労を見つくして、もうこれで野山に命を捨ててもかまわないとも思ったりしたものだった。――それなのに、晩年になってこうもいろいろと絆《ほだし》にからまれて、泣いたり苦しんだり……人の世の執着というのはふり捨てがたいものだね。われながら、心弱くも、もどかしくも思われるよ」
源氏は、浮世のほだし、というように一般のことにおぼめかせて話しているが、聡明な明石の上は、紫の上のことを源氏がいっているのだとすぐわかった。
かくも悲しんでいる源氏が、明石の上にはいたわしかった。長い契りの二人のあいだでは、まことにそうもあろうと、想像できる心のゆたかさが、明石の上にはあった。
「そうでございましょうね。浮世を捨てても何の惜しげもないようにみえる人でさえ、いろいろの絆《ほだし》が多いのですもの。まして、あなたがどうして気安くこの世をお捨てになれましょう。そのようにお苦しみになってためらわれるお心こそ、かえって道心かたいご出家《しゅっけ》の道を完《まっと》うなさるのですわ。でも、出家の動機としては、何かで心を動かされ、いちずに思いこんで世を捨てるようなのは不純だといわれております。どうかお気持をのどやかに、しばらく延期なさって、宮さまがたがご成人遊ばし、一の宮の地位もゆるぎなくなられるのを、お見届け下さいまし。それまではお変りなくいらして下さったら、私も安心して、うれしく存じます」
明石の上の言葉はゆきとどいて思慮ぶかい。まことに大人《おとな》の手《て》応《ごた》えを感じさせる女人である。源氏は彼女を相手に話していると、心がおちつき、異和感がない。
「そこまでゆっくり構えていたら、いよいよ出家の道にも遠離《とおざか》るだろうね」
源氏は、彼女には何を話してもよく理解してもらえそうな気がして、昔からの死別の悲しみをうちあけるのであった。藤壺《ふじつぼ》の宮とのお別れ。紫の上。……
「もののあわれ、というのは単に恋や愛情から生まれるのではないね。その人といかに深く広く、人生でかかわりあったかということなのだよ。夫婦だったからあわれをおぼえるのではない。幼い時から育てて、何十年かを共に暮らし、あまりにも共有した思い出が多すぎるのでね……」
などと源氏は話しつづけていた。
(このまま、ここに泊まろうか)
と思いながらやはり、自分の部屋へ帰ってしまった。明石の上にも感慨はあったであろう。源氏自身、
(こんなにこの女《ひと》に心が寄り添っていながら、もう夜を共に過ごす気にもなれないとは、私も変ったものだ……)
とつくづく、思った。
自室でいつものように念仏読経をし、翌朝、明石の上に手紙をやった。
「春に帰る雁《かり》のように私は帰ってしまった。あなたのお恨みを買ったろうか? 許してほしい。世は仮の宿り、という気がしてならぬこの頃なのです」
女は、恨めしさもさりながら、あんなにまで悲しみに呆《ほう》けていた源氏は、はじめてであったから、いとおしくて涙ぐまれた。
「雁はきっと、何もかもを持ってかえってしまいましたのね。わたくしのところへ残して頂けるはずのぶんまで。でもお恨みには思いませんわ。仮の宿り、と思い澄まされるお気持、まことにご尤《もっと》もにも、おいたわしくも存じますもの」
いつに変らず優雅な書きぶりである。
(そうだ。……この女《ひと》のすぐれた気高さを、紫の上はみとめていた。はじめのうちこそ、許せない存在として敵対心を持っていたけれど、のちには互いに気心の知れた者として信頼し合い、仲良くしながら、しかし馴れすぎるということをせず、おくゆかしくつき合っていたものだが……)
その紫の上の気持を、最もよく知るのは源氏だけであろう。明石の上さえも、源氏ほどには知るまい。
更衣《ころもがえ》の季節となった。
いままでは妻の仕事として夏の装束《しょうぞく》を紫の上が源氏に贈っていたが、今年は花散里《はなちるさと》が、衣裳《いしょう》を新調する。
「新しき夏ごろもにも、古い思い出はさぞ御身にまとうことでございましょうね」
と、花散里は走り書きを添えていた。
やさしい思いやりである。
賀茂《かも》祭《まつり》の日も、源氏はつれづれである。女房たちに、「里下りして、祭見物にいくがよい」といっていた。
中将の君が東面《ひがしおもて》の部屋でうたたねしていた。源氏が歩み寄ってみると、小づくりな、可愛らしい様子でいそいで起き上った。花やかにぽっと上気した顔を扇で隠して、髪が乱れているのも、あだっぽく美しい。
中将はまだ喪服を着ていた。紅《くれない》に黄ばんだ色の袴《はかま》に単衣《ひとえ》、濃い鈍色《にびいろ》の袿《うちぎ》という衣裳である。それらが寝乱れて重なっているのを、あわててとりつくろい、脱ぎ滑《すべ》らせていた裳《も》や唐衣《からぎぬ》をひきかけたりしている。
葵《あおい》が、側にあるのを源氏は手にとって、
「この草の名は何だったっけ。忘れてしまった」
とつぶやく。葵は「逢ふ日」、思えば源氏は、中将をも長くかえりみていなかった。
「草の名をお忘れになるくらいですもの、私も……」
と中将は多くをいわず恥じらっていた。
「何もかも忘れはて、思い捨ててしまった世の中だけれど、あれ《・・》の形《かた》見《み》のお前だけは可愛いよ」
しかし源氏にはそれも、何か遠い追憶のような気がして、いまは、なまなましい思いではなくなっていた。
五月雨《さみだれ》のころはましてぼんやり沈んで過ごした。
十日あまりの月のあざやかな宵、夕霧がやってきた。村雨《むらさめ》が通って、吹き立てる風に燈《とう》籠《ろう》の灯も消え、空は暗い。
「お淋しいことでしょう」
と夕霧がいうのへ、
「独り住みというのはわびしいものだね。しかし深山にこもって仏道に入るというときには、こんな風に体を慣らしておくと、心も澄みきっていいだろうと思う」
と源氏は、女房を呼び、
「ここへくだものなどを参らせよ。男どもを呼ぶにも大げさな時刻だ」
などといっていた。夕霧は、父の傷心を痛々しく見守っている。
「昨日今日のように思われますが、一周忌ももうすぐになりました。法要はどういう風にとお考えになっていられますか」
と夕霧は聞く。
「世間なみでよい。あれ《・・》がかねて発願《ほつがん》して描かせておいた極楽曼《まん》陀羅《だら》など、この折に供養することにしよう」
「ご生前にそんなことを心がけておられたのでございますか。後世《ごせ》のためには安心なことですね。しかしお形見ともいうべきお子が一人もいらっしゃらないのは残念でございます」
「私は、あれ《・・》だけではない。ほかの人々との間にも子供運は薄かった。私の宿縁のつたなさだろう。その分、夕霧は子宝に恵まれたから、家門を繁栄させてくれるだろう」
山時鳥《やまほととぎす》が鳴いて渡ってゆく。源氏はことさら昔ばなしはしない。夕霧はその夜、宿直《とのい》をした。紫の上の生前は近づきにくかった居間のあたりが、いまは夕霧には遠くもなくなり、思い出すことも多かった。
夏のさかり、源氏は涼しい部屋で池の蓮《はす》を見ている。露の玉は涙かと思われ、そのまま、心もうつつなく日も暮れてゆく。
蜩《ひぐらし》の声は華やかに、庭の撫子《なでしこ》の花に夕映えしているのを、ひとり見たとて何としよう。
夕闇に飛ぶ蛍《ほたる》もたなばたの星も、その興を共にする人はいないのだ。
夜深いころひとり起きて妻戸を押し開けると、前栽《せんざい》の露しげく、それが渡殿《わたどの》の戸から見渡される。
織女星《たなばたつめ》と牽牛《ひこ》星《ぼし》は天上で一年一度の逢《おう》瀬《せ》をよろこぶが、地上では幸うすき人が、涙の露にぬれているのであった。
風の音も物淋しい秋になると、法事の準備でやや、気も紛れる。
(よくも今日まで、長らえたことよ)
と源氏は、我ながら思う。
一周忌の命日には人々は精進《しょうじん》して、曼陀羅の供養などをした。
十月の時雨《しぐれ》はひとしお気が滅入《めい》る。大空をわたる雁も、源氏にはうらやましい。雁は女《め》夫《おと》で翼をうち交して飛んでゆくというものを。
〈大空を通ふまぼろし 夢にだに 見えこぬ魂《たま》の ゆくへ尋ねよ〉
その昔の「長恨歌《ちょうごんか》」にはある。亡き楊《よう》貴妃《きひ》の魂を尋ねて幻術士が大空を翔《かけ》り飛んだ、と。
紫の上よ。夢にさえ見えぬ紫の上の魂よ。源氏は、幻術士に、紫の上の魂を尋ねさせることができたらと思う。
世間は、五《ご》節《せち》の舞で、華やかに浮き立っている。夕霧が童殿上《わらわてんじょう》する若君たち二人を連れて挨拶《あいさつ》にきた。かわいい少年たちである。
少年たちには、母方の叔父《おじ》に当る頭《とう》の中将や蔵人《くろうど》の少将なども共に来た。若々しいさわやかな青年たちであった。
世の中は悲嘆に沈む源氏を取り残して、次の世代へと変りつつあるのであった。
紫の上の死後の一年、源氏はやっとの思いで過ごして、(いよいよ、世を捨てるときがきた)と決心した。この世にあわれは尽きないが、出家の準備をはじめる。仕える者たちにも身分に応じて形見を分けた。女房たちは、それと察して年が暮れてゆくのを心細く、悲しく思う。
源氏は、「捨てるには惜しい」と取りのけてあった昔の、女人たちからの文《ふみ》を、みな破らせたりした。
須磨にいたころ、女人たちから手紙は数々来たが、その中で紫の上の手紙は別にまとめてあった。それは源氏自身が愛惜して、ひとつに結《ゆ》わえておいたのであるが、それも、
(ああ……遠い昔のことになった……)
と思わないではいられない。
たった今、書いたばかりのような墨の色など、まこと千年ものちまでの形見になりそうだが、世を捨てたのちは、この手紙にも未練や愛着を残してはならない。
源氏は破ろうとして、ふと、紫の上の文字に視線が落ち、思いは須磨と京に別れていたあのころのことに戻った。いまは冥界《めいかい》から恋しい人の手紙がくるよしもないのだ。
(ああ女々《めめ》しい。わが思いも共に煙になれ)
と源氏は、紫の上の手紙を、みな焼かせた。その煙を見上げつつ、せきあえぬ涙に目も昏《く》れ、心はまどう。
御《お》仏名《ぶつみょう》も今年かぎりと源氏は思うせいであろうか、錫杖《しゃくじょう》を突いて唱える声々など、あわれに聞かれる。これは三千諸仏の名を唱えて年内の罪業を消滅させ、長寿を祈る行事である。
仏はどうお聞きになるであろうか。世を捨てようとしている一方で、長命を祈るこの矛盾を、源氏は恥ずかしく思う。
雪が降り、すっかり積もってしまった。
導《どう》師《し》は退出しようとする。それを召して盃《さかずき》をさしてもてなした。常の作法よりねんごろに、禄《ろく》も格段に取らせるのであった。
この導師は何年来、朝廷にも仕えているので、源氏は古くから知っていた。ようやくに老い、頭《かしら》の色も老人らしくなってしまったのを、源氏は感慨をもって見た。
今日は上達部や親王がたもご参会になっている。梅の花もほころびはじめ、例年なら管絃の遊びもあるべきところであるが、源氏はやはりまだ、その気にはなれないのであった。
その日、はじめて源氏は人々の前に姿をあらわしたのであった。
昔にも増して光るような美貌を、年古《ふ》りた導師の僧は涙こぼしつつ見た。
やがて心ぼそい、大《おお》晦日《みそか》が来た。この日は鬼やらいの日である。三の宮が元気よく、
「鬼やらいだ、鬼は外、福は内。もっと大きな音をたてないとだめだよ……」
と走り廻っていらっしゃる。この愛らしいお姿を見ることも、もうできなくなるのだ。この世の愛欲や煩悩《ぼんのう》から離脱し、恩愛を断って、あらたなる旅立ちへ向うのだ。世に傲《おご》り、人に愛執していた旧《ふる》い自分は死に、荘厳《そうごん》な浄土を欣《ごん》求《ぐ》してひたすらいそしむ新しい自分が生まれるのだ。
〈物思ふと過ぐる月日も知らぬ間に 年もわが世も 今日や尽きぬる〉
紫の上との死別以来、月日は物思いのうちに過ぎていった。わが世も、今年も、今日でいよいよ尽きてしまうのだ。
年が明ければ怱々《そうそう》にも、源氏は世を捨て、出家する心組みであった。
雪は降り積もる。
迷い多かりし源氏の生涯を、浄めるかのごとく雪は降り積もる。
暗い大空に舞う雪を眺める源氏の眼は澄んで、おだやかに、光があった。
『源氏物語』とつきあって
田辺聖子
初めて『源氏物語』に接したのは、女学生の頃でした。十五、六歳だったかしら、丁度、谷崎潤一郎先生の御本がはやってて、本の造りが素敵だったんですよ。表紙もきれいでしたし、なかも、各章の扉のところに、色変りの薄い紙がはさんであって、そこに、「桐壺《きりつぼ》」とか、「帚木《ははきぎ》」とかが、優しい字で書かれてありましてね。そんな雰《ふん》囲気《いき》にひかれて一生懸命、読みました。まだ王朝時代の歴史にも何にも通じていなかったものですから、すらすら読めなくて注釈を見るんですけど、その注釈がまた難しくて、なかなか頭に入らないのね。
戦後、与謝野晶子先生のを読みまして、これは意訳なので、よくわかって、新鮮な感じがしましたね。紫の上のことを、「奥さん」なんて書かれてますでしょう。ただ、あまりにも近代的すぎて、面白いことは面白いんですけれど、あの、平安という時代の香りがもうちょっと出てもいいな、と思ったりしたものです。
そんなこんなで、いつか『源氏物語』を注釈を見なくてもすらすら読める、そして不《ふ》遜《そん》ながら原文の香気の失《う》せない面白いよみものにして書いてみたいナと思っていました。
たまたま「週刊朝日」から連載のお話がありまして、思いきってとりかかってみましたけれど、予想以上にしんどい仕事でしたね。まず、文体を見つけるまでが大仕事でした。いろいろ考えまして、結局は、『クレーヴの奥方』みたいなのにあこがれて、いわゆるフランスの“閨秀《けいしゅう》作家”の文体で、優美で楽しい作品にしたいと思いました。
原文の中で日本語としてきれいな言葉、好きな言葉、わかりやすい言葉はそのまま残しましたけれど、出来るかぎり新しい現代の言葉を使いました。舞台は平安時代でも恋愛心理というのは、これはもう殆《ほとん》ど全くといっていい位、現代と変りませんからね。ただ、現代の感覚からみて、余りにもわかりにくいところは、補ったり削ったりしましたし、それから登場人物の呼称なんかも、当時は、位がかわったりすると、どんどん変えてましたので、そんなところも、慣習的に呼び慣らわされている名前――たとえば、夕霧とか葵《あおい》とかの固有名詞にしたりして工夫してみました。
勿論《もちろん》、先覚の御研究にずいぶんたすけられました。特に円地文子先生の現代語訳は、素晴しいお仕事ですね。現代の言葉にするのが難しくて、考えても考えても解らない部分に行き当ったりしたときに、円地先生の訳を拝見させて頂きますと、本当に見事な現代語で、これ以上の言葉が見つからない、という場合がしばしばありました。こういうお仕事がなされてなかったら、現代の小説にしてみようなんていう、大それた思いは遂げられなかったと思います。
書き終えてみますと、『源氏物語』は、本当によく出来た愛の小説と思いますね。今はどちらかというと、学問とか教養として読まれることが多いようですけれど、そういった部分だけでは、一千年もの間、読みつがれなかったでしょうね。やはり面白いから読まれたのでしょう。小説としての面白さの原形を実にたくさん備えていますから。
義母、藤壺《ふじつぼ》との苦しい不倫の恋や、あるいは玉鬘《たまかずら》みたいに流浪《るろう》しているうちに思いがけず、見《み》出《いだ》されて出世するシンデレラ物語の要素もあるし、それから紫の上みたいにちっちゃな子を見つけて、それを自分の思うように教育して理想の妻とする話とか、どこを取っても、広く読まれる物語の要素が入っていますね。それと面白いのは、話のつむぎ方が、女の井戸端会議みたいに、それからそれへと飛んで行くのね。話が途中で切れてしまったりするところもありますけれど、それは最初から起承転結《きしょうてんけつ》を一貫して統一、構成された物語ではないからでしょう。少しずつ書きつがれ、途中、誰かが順列をおきかえたりしたのではないかと思われる部分もあるようです。そういう成立事情があっても、登場人物の性格などは、よく読めば見事に筋が通っていますよ。これは大変なものだと思います。それでも確かに、女の好きそうな噂話《うわさばなし》という要素はあるので、わが男友達カモカ氏は、読んで退屈きわまりないところがある、源氏物語は女のおしゃべりの集大成みたいなもんで、一千年の間、面白いといって読んできたのは女だけやないか、なんて珍説を申し立てておりますけれど、それはどうでしょうか。
当時は、感情、情緒の性差別に大らかな時代でしたから、今みたいに女と男の意識がはっきり区別されていなくて、男でもわりと自分の感情に忠実ですぐ泣いたりわめいたりしたようですし、いってみれば社会全体が、今でいう“女性文化”の時代だったと思うんですよ。
『源氏物語』にしても時の天皇が面白く読んだという記録ものこされてますし、やはり、男も女も一緒になって読んだんじゃないかと思います。男の涙は生涯で一度、女のごちゃごちゃ言うことは聞いてられない、女の書くものなんて読めないという現代の風潮とは大分、趣きが違いますね。私が感動するのは藤原定《てい》家《か》が、もの凄《すご》い戦乱の中で、『源氏物語』を守ったという話ね。やはり定家みたいな男の人がいたから、後にのこるのね。勿論、別の観点から言えば、戦乱の時代にも、命を賭《か》けて守るだけの価値が『源氏物語』にはあるわけですけれども……。
『源氏物語』に長いことつきあって考えたことは、作者の紫式部のことですね。細かく読めば読むほど、面白い、素晴しい女の人と思います。女の心理もよく書けてると思うけど、男の心理・生理も見事に捉《とら》えてますね、それも多種多様な。もっとも私も女ですから、そんな男の本質というのも“女の書いた男”かもしれませんけれど、少くとも今の時代の、女が男を見る目とちっとも変らないし、もっと深く洞窟《どうさつ》してるんですね。それと、とにかくありとあらゆるものをよく知っていることに感嘆しました。調度、家具、衣裳《いしょう》のさまざま、男の服装のセンスについてもゆきとどいているんですね。石帯《せきたい》がどうの、直衣《のうし》の色《いろ》目《め》がよいとか悪いとか、男の服装について一家言持ってるし、男の容姿もよく見てるのね。明《あか》石《し》の上が久しぶりで源氏に会ったときの感想に、初めてお会いした頃はほっそりしておいでになったけれど、いま中年にならはって、丁度よいように肉がつきはって、貫禄《かんろく》出てきはったわァと感心して、ほれぼれとするところがあるんですが、かなり男を見て、よく観察していたみたいですね。
「絵合《えあわせ》」とか「初《はつ》音《ね》」「胡蝶《こちょう》」などは、最高の芸術品を見て、知ってる人でないと絶対に書けませんね。それと、よく遊んでる人でないと書けない、碁《ご》将棋《しょうぎ》、酒宴、音楽会の場面もいっぱいありますね。音楽論なんかを滔々《とうとう》と述べるところもあります。琴はどう、箏《そう》はどうとか、琵琶《びわ》は女が弾《ひ》くと格好が悪い、とか。これは、自分で弾いたことがないとわからないんじゃないかしら。
学識・教養の方は、学者の家に育ったということもあって、これまた古今にわたって詳しいんですね。仏教にもよく通じ、かなり仏典なども読んでいたみたいですし。そして上流階級のことばかりでなく、下層階級のこともよく知っているんですね。それも大雑《おおざっ》把《ぱ》な表現でなく、庶民のしたたかさみたいなものを、うまく書いていますね。学者のお父さんが、女の子にしておくのがもったいないと嘆いていたらしいけど、今でもちょっとこれだけの人はいないでしょうね。三、四カ国語ペラペラ、芸術がわかり、哲学がわかり、宗教がわかり、しかも素晴しい物話を書く、いう人は。
紫式部については、殆どはっきりしたことがわかっていないようです。当時の人にしては結婚が遅く二十二、三歳頃、二十五、六にはもう夫と死別したらしい、それから宮仕《みやづか》えにあがったのが三十過ぎでしょうか。子供をひとり生んだらしいけれど、これは作品を読むとわかりますね。子供を膝《ひざ》のうえに抱いて、その温《ぬく》みと重みを知ってる人の書き方です。『枕草子』の清少納言にも子供の描写があってこれも見事な描写ですけれども、子供の外側の可愛らしさなんですね。清少納言は子供を持たなかったと思うけれども、紫式部は子供を生んだ女と思いますね。
紫式部の夫はかなり年上で、利発な若い妻が可愛くていろんなこと教えたりしたとは思いますけれど、ひとりであれだけのことは教えられないですね。結婚年数も短かかったし。私の想像ですけれども、紫式部は男友達を年代別に沢山もっていたんじゃないかと思うの。それもかなり親密な関係で。ただお勉強しました、というだけでは、これだけのことは書けないですよ。血肉にならなくては『源氏』みたいな小説は書けませんね。よく、藤原道長が手伝ったんじゃないかといわれるんですけれど、これも無理と思いますね。大体が道長は雑駁《ざっぱく》な人で、細かい心理の綾《あや》みたいなものは面倒臭くてつきあいきれなかったでしょうし、道長が手伝ったら、政治の場面がもっと増えたに違いないですから。
新しく小説として書くことは、身に余る苦しい作業でしたけれど『源氏物語』の一字一句とつきあって、紫式部のことやその周《まわ》りのこと、登場人物のことを考えたりして遊ぶのは、これはもう本当に楽しいことでした。『新源氏物語』は、光源氏を中心に、源氏が出家を決意するところまでを書きましたけれど、そのあとの、薫《かおる》の君を主人公にした物語を、又、ゆっくり書きついでみたいと思っています。〈談〉
(『波』昭和五十三年十二月号より)
主な参考文献
山岸徳平校注『源氏物語』〈日本古典文学大系〉 岩波書店刊
阿部秋生、秋山虔、今井源衛校注・訳『源氏物語』〈日本古典文学全集〉 小学館刊
石田穣二、清水好子校注『源氏物語』〈新潮日本古典集成〉 新潮社刊
円地文子訳『源氏物語』新潮社刊
谷崎潤一郎訳『源氏物語』中央公論社刊
与謝野晶子訳『源氏物語』〈日本の古典〉河出書房新社刊
解説
石田百合子
田辺聖子氏が古典について語った『文車《ふぐるま》日記』というエッセイの中に、源氏物語をむさぼり読む更級《さらしな》日記の作者のことを書いた「少女と物語」という一章がある。少女にとっての源氏は、田辺聖子氏の少女時代でいえば「風と共に去りぬ」であり、「大地」であり、吉屋信子の少女小説の数々であったという。小説好きの女性なら誰しも、親に電気を消されたり、授業中に机の下でそっと広げたりしながら、どうしても中途でやめられずに読み耽《ふけ》った幾つかの小説の思い出があるであろう。源氏物語は、かつて女性にとってこういう類《たぐい》の読み物であった。
この物語が書かれてから千年に近い年月がたって、今またちょっとした源氏ブームである。しかし近頃の読み方は、講座や読書会などで、研究者の講義を聞きつつ古典として勉強し、教養として身につけるといった趣きのもので、小説として楽しむというものではない。考えてみればそれも無理はないのであって、鎌倉時代初期から、源氏物語は早くも学問の対象であった。そして延々と現代に至るまで、錚々《そうそう》たる学者たちが、あるいはその構成について、あるいは語彙《ごい》語法について、またその思想についてと、あらゆる面からこの物語を研究し続けて来たのである。そしてこの源氏という作品が、それに堪えるだけのものを持っていることもまた確かではあろう。しかし、かつて源氏は、女性が寝る間も惜しんで読み眈るほどに、面白く感動的な読み物であった。これが一千年近くも読み継がれて来たについては、学問の場とは別に、しんから小説の好きな女性達の、この物語に対する情熱があったに違いない。現代の小説ファンにも、源氏物語を小説として読む楽しさを味わわせたい――この思いが著者にこの『新源氏物語』を書かせたのであろうかと思う。
とすれば、読者は日本の偉大なる古典「源氏物語」のことはさらりと忘れて、この『新源氏』を小説として素直に読むべきである。原作がどうの、紫式部がどうのと解説を加えるのは、全く無駄な、著者の意図に反することになるであろう。しかもこの『新源氏』の著者には『文車日記』とか『小町盛衰抄』とか、古典を語る幾つかの作品があって、著者が当代随一の古典の読み手であることは誰もが認めるところなのであるから、もう頭からこの『新源氏』が原作の源氏の真髄を伝えていることを信じて、小説に没入してそこに生きる人々と、共に泣き、共に笑い、悩みをわかち合えばよいはずである。がしかしそうは言っても、今や外国語よりも難解といわれる源氏物語を、これほど見事に現代の小説として再現して見せられると、著者は一体どのような手を使ったのか、その一端ぐらいはのぞいてみたいと思うのも田辺文学のファンとしては、また自然の情ではないかとも思う。
『新源氏物語』は「眠られぬ夏の夜の空蝉《うつせみ》の巻」から始まる。そもそもこの巻名が、すべていかにも著者好みのに優艶《ゆうえん》なことばの連なりになっていて、源氏に遊ぶ著者の楽しげな風《ふ》情《ぜい》がいっぱいに漂う。もとの巻名を織り込みつつ、その巻の内容もあらわすといった凝《こ》った趣向である。桐壺《きりつぼ》、帚木《ははきぎ》、空蝉、夕顔……、これが源氏物語の最初の巻々であるが、これを光源氏の恋の物語として読む時、源氏の恋の相手として最初にはっきり姿を現わすのは、空蝉という人妻である。桐壺の巻は、光源氏が恋を語る資格を得る成人の日までの生《お》い立ちを語り、帚木の前半は、源氏を囲む若者達の女性談義であるが、これらの内容はすべて「眠られぬ夏の夜の空蝉の巻」や次巻の「生きすだま飛ぶ闇《やみ》の夕顔の巻」に巧みに織り込まれて、この『新源氏』はいかにも恋の物語らしく、青年光源氏と空蝉の出会いで幕をあける。以後、原作通りの順で巻々は進み、途中に篝火《かがりび》というごく短い巻がカットされるだけで、「夢にも通えまぼろしの面影の巻」に、最愛の妻紫の上の死後の源氏の悲嘆と出家《しゅっけ》の決意を語って、この物語は幕をとじる。
『新源氏物語』はしかし源氏物語のダイジェストではない。そしてまた文章を忠実に訳した口語訳でもない。源氏物語という作品は、作家達に一度はこれを口語訳してみたい、自分で語り明らめてみたいという誘惑を感じさせるものなのであろうか、与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子等、それぞれに特徴のある、すぐれた訳業がある。その中の与謝野源氏について、この『新源氏』の著者は『千《ち》すじの黒髪』という晶子の伝記にこう書いている。
彼女の口語訳による「与謝野源氏」は、谷崎潤一郎の「谷崎源氏」が原作のムードを尊重しているのとは、別な訳しかたをした。もっと直截《ちょくせつ》に、グサリと「源氏」の魂の深部へつきささり、奔放《ほんぽう》に「源氏」を切りとり、ちりばめ、自由自在につづってゆく。晶子の口をかりて、晶子の肉声で語られる「源氏」なのである。私は晶子訳を好ましく思う。晶子は肉体で「源氏物語」を消化し、読み馴染《なじ》んだのである。
田辺源氏から受ける印象もこれに近い。田辺源氏の世界を染めあげている情調は、与謝野源氏にくらべてはるかに優しく、やわらかく、優艶でふっくらしている。しかし田辺聖子氏もやはり肉体で消化し、読み馴染んだ源氏の魂の深部を、現代の読者に深々と語ろうとしているように思われる。ことばを選び、縦横に場面を切り取り、人物をふくらませ人々にやさしい言葉を語らせて。田辺源氏が源氏の魂の深部とするものは何なのか。
「めぐる恋ぐるま葵《あおい》まつりの頃の巻」に、葵の上が夫の源氏とこんな会話を交す場面がある。久しぶりにうちとけた対面をよろこぶ夫のことばに葵の上が答えて、
「あなたのお気持は、わかっていましたわ、わたくしにも」
「私の愛を知って頂けたか……あなたに、もしものことがあったらどうしようと、私は生きた空もなかった。あのとき、心から思った。あなたは私の妻だ、と」
「気を失っていたときに……」
と葵の上はとぎれとぎれだが、ぜひこれだけは言いたい、というふうなひたむきさでいった。
「気がつくと、まっさきに、あなたが目に入りました。あのときはうれしゅうございました。わたくしはあなたに守られている、とわかったからですわ」
(中略)
源氏がふりかえってほほえみつつうなずくと、妻は寝たまま、視線をあてて、
「いってらっしゃいまし」
といった。それは源氏が耳にした女の声のうちで、もっとも深い、やさしい声だった。
そしてもう一箇所、「秋は逝《ゆ》き人は別るる賢《さか》木《き》の宮の巻」から。この葵の上と源氏の愛を争い、結局伊勢《いせ》に下る決心をした御息所《みやすんどころ》と源氏の別れの場面である。出発を思いとどまるように懇願する源氏に御息所は言う。
「さようならは、おっしゃらないで下さいまし」
御息所は低く哀願した。
(中略)
「さよならという言葉を、あなたからうかがうのが辛《つら》くて怖《こわ》くて、わたくしはおびえておりました。こんなになった今も、その言葉をおそれております……」
御息所の胸から、この年月、つもりつもった恋のうらみは消えていた。青年の真率《しんそつ》な悲しみと懊悩《おうのう》をみると彼へのうらみつらみも溶けた。その代り、別れの決意もゆらぐようで、彼女は思いみだれ、よろめいた。
葵の上も、御息所も、源氏にとってもう一つ不満のある妻であり、恋人であった。葵の上はその冷やかさで、御息所はその重すぎる執着心で。しかし御息所は勿論《もちろん》、葵の上も、心のうちではひたすら源氏の愛を求めていた。そういう女の気持も、田辺源氏は原作よりずっとていねいに書き込んで行く。ここにあげた二つの場面は、それぞれ心に抱《いだ》きつつ通じ合わなかった愛が、一瞬すっと溶けあった場面である。恋する女性が恋の相手に祈るような気持で夢みるこの一刻《いっとき》、そうした時が一刻でもあるなら、愛をわかつ他の女性への嫉《しっ》妬《と》も恋の苦しみも、一切消えてしまうであろう。その一刻の尊さを知る女と男、源氏の世界に住む人々は、光源氏をはじめ紫の上も明石の上も、みんなそうしたやさしい、やわらかい心を持った人々であった――と、こうした場面を切々と美しく書く田辺源氏は強調しているように思われる。この『新源氏』が刊行された時、著者はこれをとくに若い人に読んでほしいと語られたという。恐らく著者は、ひたむきに人を愛する心と、人の愛を深く謙虚に受けとめる聡明な心とを、これを読むことによって知ってほしいと願われたのであろう。もう若くはない私のような読者にも、このことはしんとした思いで胸に響く。
『新源氏』の人物は、どれも生き生きとその個性を発揮しているが、中でも田辺聖子氏の面目躍如といった趣きの強いのは、玉鬘《たまかずら》の夫となった鬚黒《ひげくろ》の大将《だいしょう》であろう。この武骨で愛の表現にもすこぶる無器用な男性は、風采《ふうさい》、挙措、すべて優雅でない、夢がないということで女性からは軽《かろ》んじられるが、現実には実力はあり将来性はあり、女への対し方にしても甘さは足りないが誠意があり、といった人物で、こうした人物がこの著者の手にかかって悪かろうはずがない。めでたき物と美しき人と甘いささやきと、女の夢の結晶のような源氏の住む六條院のみやびやかな世界も、活力あふれる現実派の鬚黒の世界がこうかっきりと描かれることによって、一層あざやかに際立つのである。そして女は、現実の確かさを知りつつ、やはり夢の世界にあこがれることも、玉鬘ともども読者は思い知らされる。
『新源氏物語』は光源氏の出家の決意を書いて終る。原作ではこの後に次の世代の物語が続く。「落葉ふる柏木《かしわぎ》の嘆きの巻」で、源氏が万感を胸にしつつ抱いた薫《かおる》が主人公である。彼はどんな人生をあゆむのであろう。例の更級日記の少女は、源氏物語のほんの一部しか手に入らなかった頃、どうぞこの続きを読ませて下さいと神に祈り、親にせがんだという。我々読者も今同じ気持で薫の行方《ゆくえ》を知りたがっていることを、著者によくよく御承知置きいただきたいと思う。
(昭和五十九年四月、上智大学講師)