田辺聖子
イブのおくれ毛 U
目 次
ワタシわるいのんちがう
花の批評家
手 の 長 さ
子 供 な み
掌 中 の 玉
下着考現学
悪事について
愛蔵品と愛用品
こし方ゆく末
旅の不愉快
女 性 蔑 視
いやらしいCM
悪 人 列 伝
飲む・する・吹く
中年女のくどきかた
諸悪の根源
子 ダ ネ 屋
差別コトバ
非常識ごっこ
女 を 罵 る
大正ニンゲン
蛮  行!
悲 母 観 音
ヘンな町・神戸
空  閨
スポーツ精神
好 色 癖
轡 一 文 字
東西文化(日本の)
東日・西日
小 説 の 題
大人物=その一
大人物=その二
大人物=その三
タカガ大人物
空襲と花束
隠すところ
醜 女 好 み
ハラに据えかね……
女実業・男虚業
男イチコロ女の告訴
ご 落 胤
貢ぐ貢がせる
男のうとましさ
テレビのタノしみ方
すれっからし
婚 前 交 渉
一ねん三くみ
一くみと三くみ
三くみの困惑
ワタシわるいのんちがう
私はおひるごはんを十二時に食べる。官公庁と同じ。而して、NHKテレビのニュースを見ている。
前々から私はふしぎでならないのでありますが、あそこへ出てくる海外ニュース、社会主義国から入ってくるニュースはみな明るい建設的なニュースばかり、自由主義陣営のお国はそれぞれ、ロクなニュースはない。
この対照の一ばん顕著なのは、ベトナムのニュースである。
北ベトナムの人々はみんなハレバレした顔で鼓腹撃壌《こふくげきじよう》して暮らしておる。幼稚園児はかしこそうな、かわいい顔でお遊戯なんかにうち興じ、青年子女は前途洋々という感じで、この世になんの懐疑も持たぬかの如く、それぞれの仕事にいそしんでいる。次々と建設されるダム、人民たちの住宅、学校。農園ではみのりの秋の、ゆたかな収穫。町では晴着の美しい娘たち。バンザイバンザイ、というようなニュースばかり。
片や南ベトナムはというと、暴動、デモ、物価高騰。麻薬にテロに食糧不足。人々は憑《つ》かれたような顔、あるいは奸譎《かんけつ》な顔、陰謀を企んでいるような顔でうろつき、町は騒擾《そうじよう》と混乱のるつぼであり、作物は稔らず日も暗い。そういう、おどろおどろしきニュースばかり流す。
それはアメリカも同じで、人種差別、銀行強盗、銃撃戦なんて、そんなニュースを見ると、毎日がオドロオドロのくり返しみたいに思われ、アメリカという所はこの世の地獄に思われる。アメリカ人の大半の男が、朝は早く起きてつとめ先へいそぎ、主婦は洗濯して床《ゆか》をみがき、子供は学校へゆくという生活をしているにもかかわらず、ニュースには、そういう平凡なものは出てこないのだから、しかたない。
尤も、ロクでもないわるいニュースを流す国というのは、何か安心できるものである。もしそれ、北ベトナム、北朝鮮あたりも、
「この頃、青少年に麻薬がはやってこまる」
などというニュースをNHKテレビなどで見ていると、親近感が湧くだろうし、
「天安門附近に出没する夜の女狩り」
なんてニュースが出ると、これまたたのしい。
「北京で未婚の母激増!」
というのも、何か、人なつかしい感じ。カモカのおっちゃんにいわせると、
「隣りに坐ってる人がオナラをしたようなもんですな」
ヘンなたとえ。
「それにしても、こうも明暗くっきりに分ける、というのもおかしな感じね。明るいニュースばっかり流してるのは、却《かえ》って、いろんな想像をさせてしまうんやけど。昔、戦争中に、皇居に空襲があったとき、直ちに流されたニュースは、『宮城・大宮御所は御安泰、両陛下はつつがなし』というもので、人々はすぐ反射的に『やられはったんちがいまっか』といってました。そういうことが、あるからね」
「しかし、ああいう国というのは、ヨソから勝手に出かけていってニュースをとるということがでけへんのやからね、先さまの提供されるものを頂くのですから、しかたありますまい」
とおっちゃんはいった。
「しかし流してもらうとき、もっとホカに、おもろいニュースはおまへんか、と請求しちゃいけないもんなんでしょうか?」
「そんなことがいえますか、ええかげん、ああいう国のご機嫌を損じてはいかんと、みんな、×××にさわるようにしてるのに」
なぜ、こんなところへ、×××が出てくるのだ。どういう意味や、それは。
「それもいうなら、ハレモノにさわるというべきではないでしょうか。ヘンな言葉をつかわないで下さい」
と、私は凛然《りんぜん》といった。だってそうでしょ、政治形態と情報の関係についてマジメに話してんのに、おっちゃんときたら、マジメな話の中でも平気で、オナラだの×××だの、いうんだもん。
(この際、関東の方は、××××と四字になるはず。筆者註)
「いや、ハレモノにさわるというのは常套句ですが、もういまや、ハレモノどころではない、もっと気をつけてソフトタッチでさわらないかん。そういうときは、×××にさわるような按配《あんばい》という」
「もう、よろしい」
わるいニュースもいいニュースも、とり方次第で、どうにもなるのであり、編集・解説次第で、魔法のようにかわるのは、周知の事実である。学生と警官のモメゴトでも、学生が警官に袋叩きされているフィルムばかりあつめて編集するのと、警官が学生にとりまかれてどやされているフィルムでもって編集するのとは、同じ事件でもコロリとちがったものになるであろう。
而うして私の感じでいえば、ニュースカメラマンというのは、事件をとっている間じゅう、
「ワタシわるいのんちがう」
とか、
「ワタシは知らんで、知らんで。ともかく、こんなん、カメラにうつっとるだけやで」
と心中、つぶやきつづけているような気がする。
「ワタシわるいのんちがう」
といいつつ、誰もかれも流れ作業で次々と先へ送り、最後の人も、
「ワタシわるいのんちがう」
といってテレビに流す。受け手の一般視聴者はどこへもいうていくところがないので、こまるのだ。おっちゃんはハタとひざを打ち、
「カメラマンはともかく、女はすぐ、ワタシわるいのんちがうというなあ。女を、一言もってこれを掩《おお》えば、『ワタシわるいのんちがう』という発想です。どんな失敗、悪事を働いても必ず何か弁解みつけよる、そうして、『ワタシわるいのんちがう』とすましていいよる」
「何ですって! 女のワルクチいうの?」
「いやいや、失礼。――これやから、女にモノいうときは、×××にさわるようにヒヤヒヤものでそーっと、ソフトにいかな、あきまへん」
花の批評家
テレビで見られるものは洋画だけ、という人が多いが、私はあの解説が好まれるのだと思う。
ことに淀川長治サンの陶酔的な話しぶりがおもしろい。熱狂的愛好者らしい熱をまきちらしているのが、見ていると快くてたのしいものである。
私はいつも思うが、小説の批評で、どうしてそれをやっていけないのであろう。
散文は批評せずに陶酔してしまったら処置にこまることもあるが、でも、モノによったら、そんな批評の方がいいこともあるのだ。
私は、毎週、新聞の書評をよむが、がっかりする。私の本の書評がのっていないためではなくて、全般にレベルが高すぎて晦渋《かいじゆう》難解だからである。
それぞれ有益な本を的確に批評紹介して下さっているのであろうが、私の感覚によれば、あそこには売りたくない本ばかり取り上げてあるのではなかろうか、と思うものだ。
それに、文芸時評というのは、どうしてもおかたい小説にかたより、大衆文学、中間小説というものに対する批評はあまり多くない。
私は、これらの中間小説の批評には、批評家というより陶酔家みたいな人がでてもいいのではなかろうかと思う。
小説をよむのが好きで好きでたまらない、という人がきっといるはずだ。
そんな人が、たくさん出てきて語ってくれればいいのに。熱をこめて、ここがいい、あそこが好き、と口走ってほしい。文学的な批評テクニックは飛びこえてしまって、ほんとうに読者と作品との蜜月を期待したいものである。
じつをいえば、私は、ほんとうはそんなのをやりたいのである、小説書くよりも。
私は「週刊文春」にのっている松本清張氏の『西海道談綺』を愛読しているが、陶酔的批評でいうと、
「はい、こんにちは。こわいですねー、こわいですねー。
はじめ山伏が出てきますね。山伏というのは何となく不気味で、異形のもののように感じられますねー。それらが列をなし、たいまつを手に手に、夜の山の峰をうごいてゆくシーンのおそろしさは、忘れられませんねー。ハイ、私は子供のころ、ワルサをしたり、夕方おそくまで外であそんでたりすると、おとなたちに、ホラ山伏のおっちゃんがくるよ、カモカのおっちゃんに咬《か》もかーいわれるよ、と脅かされましたねー。山伏さんが吹く法螺貝《ほらがい》のヴォーという音が空にこだまするのは、幼心《おさなごころ》にとても神秘でしたねー。
それがここではうまァくつかわれてます。しかも、この山伏たち、宇佐石体権現という名からして、まがまがしそうでこわいんです。それへ隠し金山がからんで、主人公の太田恵之助の過去がだんだんあばかれていきますねー。あのあたまの白いお島さんは何者でしょう。それからおえんさんはかわいいかわいい女ですね――。恋人の恵之助の跡を慕って、はるばるお江戸からやってきます。それにしても、山伏にとらわれたおえんさんは大丈夫でしょうか。危うし、おえんさん。
清張先生は、たくさんの登場人物をタテ糸に奥深い根のある事件を横糸にして一糸乱れず織りあげる手腕の作家で、このへんは先生の独壇場ですねー。ハイ、ごらん下さい、絵も緊迫惑があっていいですね、白と黒がよくいかされてますねー。
さあ、来週もおたのしみにごらん下さい」
と、こう書いてくると、何だか、紙芝居の宣伝のようになりますが、ナニ、私だってこれ専門でおまんまを頂こうとなれば、モウ少し、食欲をそそるように精進いたしますけれど。
小説だけじゃない。
詩も、陶酔的解説をほどこしてしまう。
子供の詩、新聞の投稿欄にのっている短歌俳句のたぐい。お菓子のしおり、本の帯まで対象にしてもよい。
「ハイ、こんにちは。
石濱恒夫さんという作家で詩人の人の詩に『日本書紀』というのがあります。
みかどは おこりむし
わたしは よわむし
みかどが かりをした
いのししも おこりむし
いのししが たてた
うなりごえに おどろき
よわむしが にげのぼった
おかのうえの はりの木のえだ
いっぽんの はりの木のえだ     ――詩集『道頓堀左岸』
おもしろいですねー。だんだん視点が上へあがっていって、丘の上の青空まで見えますねー。やさしい子守唄のような詩ですねー。
やさしいけれど、正確なリズムが、小人の行進のように小きざみにありますねー。おこりむし、よわむし、という字の、まあどうでしょう、ふしぎなつかいかた! 私たちはふだん、ふつうの会話の中で、弱虫、怒り虫というのをつかいますが、ここにあるのは、また何か、べつのいのちを持ってるみたいですねー。詩でつかう言葉は、みな、とくべつの匂いがあるから、詩人という人はふしぎな人種ですねー。何でもないコトバをつかって、いい匂いをいっぱい、つくるんですねえ。この石濱さんは、みなさんおなじみの、『こいさんのラブコール』や『硝子《ガラス》のジョニー』の作詞者で、アイ・ジョージやフランク永井の歌を、たくさん書いています。おもしろいおもしろい詩人なの。お父さまは西域学者で、作家の藤澤桓夫さんは、石濱さんの従兄にあたられますねー。大阪にあるおうちのひろい庭にはワシがくるそうですよ。一年に何べんか航海に出て、夕焼とスコールと潮風をたのしみます。大阪にはこんな人が多いですねー。ハイ、サイナラ、サイナラ、サイナラ……」
私が夢中でしゃべっていると、カモカのおっちゃんはおもむろにいった。
「僕は、女性の陶酔的解説者になりたいですなあ。女性ならもう、老若肥痩は問いません……ハイ、みな陶酔します。太い太い人ですねえ。まん丸なかわいい団子鼻ですねえ。下り眉に平《ひら》あたま。お鼻の上にホクロがありますから、これは点々とよむんでしょうか。すると、これはおせいさんでなくておぜいさんですねー。ハイ、サイナラ」
手 の 長 さ
人間のからだというのは、神サンがよく考えてつくってあるものだそうで、手が内へ曲るのは食物を口まではこぶため、また手の長さは、何を目安にきめたかというと、
「前おさえるようになってる」
ためだそうである。歴史学者の中村直勝先生はそういっていられる。
先生は八十四歳、いまなお、矍鑠《かくしやく》として学究生活を送っていられるが、このセンセイの漫談が洒脱でたのしい。『大阪春秋』四号にのっている。
いったい、大阪という町は、時としておもしろい雑誌の出るところで、たとえばその一つに、木津川計氏の出していられる『上方芸能』がある。隔月刊で、もう通算三十七号も出ているが、落語、漫才など伝統芸能に関する懇篤《こんとく》地道な研究誌である。ハナシ家、愛好者《フアン》、作家、研究家、それぞれが手弁当で書いている。書く方もそうなら、つくる方も一切報酬なしである。落語の、こういうことで書いてくれへんか、漫才のこんな点、どない思う、などと編集部からいってくる。「よっしゃ、書くで」とタダで書くという雑誌である。お互いの情熱がジカに感じられるおもしろい雑誌で、上方芸能研究家には貴重な話がよくのっている。
もう一つ『大阪春秋』も四号まで出ているが、大阪の古い歴史などがよく掘り起されていておもしろい。ところでこの四号の、直勝センセイ漫談は、いろんなところへとんでいておもしろいが、まず、長生きの秘訣は、というと「そんなもんあらへん」といわれる。
センセイは菜食主義者であるが、それを強要されないところがいい。たいてい、イヤミな人間は、自分がこうだから、こうせよ、と指図するものである。しかしセンセイは、「自然に」しとったらええ、「きらいなものは食べんでもええ、だからお酒好きな人は酒飲んだらええ」といわれる。これは阿呆にはいえぬ言葉である。
更に、大徳寺の立花|大亀《だいき》和尚との対話がおかしい。センセイは和尚に聞いた。
「あんた、悟り開《ひら》いたか」
「もちろん、開いたでえ」
「悟り開いた瞬間に迷《まよ》うのんとちがうけ」
「そやね、その瞬間に迷うんやでえ」
「ほな、同じことやないか、わしらと。わしら開かんと迷《まよ》てるけど、あんた開いて迷てるんやから」
「そやなあ、そうなるな」
和尚は「お前のいう通りや」といい、センセイは、いい負かしたったとうれしそうだが、何ともおかしい問答で、しかもこの和尚がじつに男らしくていい。男はなかなか「そやなあ、そうなるな」などと素直にいえぬものである。じつにかわいらしい男はんである。この和尚、そうかと思うと、センセイが、
「佛《ほとけ》さんと凡人と、どこがちがうねん」
とたずねると、澄まして、
「アノナ、佛というのはな、あの字見てみい、ニンベンに弗《ドル》と書くやろ、金のほしい奴は佛やでえ」
などと煙に巻くのである。
センセイは、負けた、といい「お賽銭をあげた」そうであるが。
ところで、直勝センセイの主張によれば、動物でも人間でも一番だいじなのは食べることと生殖であるから、体はその二つの機能が全うせられんためにつくられてある。動物の口が目より先へ突き出ているのは、口で直接、ものを食べるからであるという。その|でん《ヽヽ》でいくと、手は、
「どなたでも前おさえるのに都合よう、手の長さがでけてる筈ですワ」
ということだ。
ほかに反駁する材料が見あたらぬ以上、むりのない学説というべきであろう。
それによって考えると、目が、体の前方にだけついていて、うしろにないのは不便だと、私はかねがね思っていたが、その代り、耳が体の両サイドについていて、後方の音もあつめるようになっているのは、神の深いおもんぱかりのせいなのかもしれない。
「すると、手はなぜ、体の前方、胸のとこから生えてないか。前おさえる為やったら、その方が当然」
とカモカのおっちゃんはいった。
「手はなぜ、体の両サイドに生えてるか、というと、うしろの門へも廻るようになってるため。耳や鼻はうごかないのに、目の玉がうごくのは、女房《よめはん》と一緒のとき、ほかの女を見るため」
こういうことをおっちゃんにいわせておくとキリがない。私はさえぎり、
「目の玉がうごくのは、電車に坐ったとき、隣りの人の新聞・週刊誌をよむためでしょう」
「それもありましょうが、手の長さについては僕は異存がありますな」
「何か新説がありますか」
「あれは、わが前をおさえるためではありません。何のために、前おさえまんねん」
「アノ、それはですね、やはり、自衛本能でしょ」
「それは股をすぼめればすみます。そのために、膝は曲り、股関節がうごくようになっとりまんねん。手の長さは、わが前をおさえるのに見合ってるのではないんですわ。つまり、隣りに坐った女の尻を抱くようになっとるのや」
「うそつけ」
「しかも手の長さを両方、同じにしてるのは、両隣りひとしく抱くように神サンが考えてはる」
「そうかなあ。すると、女も、両隣りの男を抱くような長さにつくってあるわけですか」
「いや、女はちがう。男にくらべて女は小さくつくってある。女が両隣りに坐った男の尻を抱こうなどと不遜《ふそん》なことを考えたとて、女の手は短いから届きまへん」
「では何に見合った長さですか」
「つまり男の肩を叩くとか、腰を揉むとか、あんまマッサージ、トルコ嬢にまぎらわしきことも含めて、男の世話をするのに適した長さでございます」
子 供 な み
茨木の郵便局で、年賀はがきを大量に隠匿していた事件があった。配達忘れであるが、時期を失してこっそり処分しようとしたのを発見された。この、係りの人が四十二歳(男性)というところが興深い。
私は、こういうときの当事者の内心のヤキモキがよくわかり、ヒトゴトとはとうてい、思われない。新聞にあるように、無責任の、杜撰《ずさん》のと筆誅《ひつちゆう》を加えることができない。私だっていつ、この手のことをやらかすか、しれない。
ダマッて隠してる、毎日毎日、気になると、一日は一日と重荷が増していく、お年玉くじの当選引きかえの期限もすでにすぎ、はや秋風が立ち、来年の年賀はがきも売り出されようという頃おい、今さら配達忘れでもあるまい、どないしょう、早いこと焼却炉へでも抛りこむしかない、うっとうしい、考えるたびゆううつ、酒飲んでるあいだだけ忘れたりする、あほらしい、いらいら、ヤキモキ、ほんまになさけない、――とこんな具合だったろう。
あんまり、この人を苛めないであげて下さい。
ただ、ヘンな気がするといえば、この人が四十二にもなっているということである。人はたいてい、こんなイライラヤキモキを一度二度は子供の頃に経験するはずで、そのころに骨身にしみ、したたかに思い知らされることになっているのだが……しかし、なま身の人間であってみれば、そう杓子定規にもいくまい。
私は小学校四年生のとき、そういう経験があった。全員の試験の答案を綴じて各家庭に廻すという、えげつないことを、学校がした。昔の小学校は、こんなえげつないことをやったものである。
(さすがに、このとき一回きりで終った。それはそうでしょう。満点をとる子はよいが、零点や二十点三十点しかとれない子の切ない胸の内を思いやるがよい。クラス全員の家庭に回覧されたりしたら、アホの人相書を廻されるようなものである)
私は、その試験のときに限り、ヒドイ点になった。いつもはもっとマシなのに。私にはそんなところがある。ここ一番、というときに限り失敗する。ここ一番、というときに実力以上の成果を収める人があるが、私から見れば神サマである。
四十点か五十点か、ともかくヒドイ点であった。私はその綴じた答案がわが家へ廻ってくるのをひたすら恐れていた。教育ママの母親にどんなに叱られるかしれない。すでに自分の点は知っている。先生がよみ上げて発表したときから、私はどないしょうと思い、小さい胸をいためていたのだ。今日は何々くんの家、明日はダレソレさんの所、と答案は泊り泊りを重ねてわが家に近づきつつある。そのときのドキドキする不愉快な辛さは、今思っても切ないほどである。とうとうわが家にきた。
ある日学校から帰ると母親の血相がかわっていた。私は夜まで膝をつき合わせて叱られ、涙が涸れるほど泣いた。泣きながら、
「そうかてナガタさんも三十点やもん」
というと、また、あたまを撲《は》つられて叱られた。母親は、父兄会でホカの親に恥ずかしくて顔が合わせられないといきりたっていた。とうとうしまいに、一年じゅう階下の茶の間を出たことのない曾祖母まで、えっちらおっちらと二階へ上ってきて、まあまあ、と母親をなだめるしまつ、家じゅう大騒動であった。私はヒクヒクとしゃくりあげながら、
「お母ちゃんのバカヨイ」
といって、父親のふとんへはいって泣き寝入りに寝た。
こういう思い出があるので、「失敗《しも》た、どないしょう!」という身も世もあらぬ切なさは、じつによくわかるのである。
列車の運転士が、とまるべき駅を、ウッカリ通過してしまい、あわててブレーキをかけ、自分は線路へ飛びおりた。そのままふらふらと対向列車の線路へさまよい出て、驀進《ばくしん》してきた列車にはねられて死んだ事件がある。
こういう動転も、私にはじつによくわかる。
私は子供の頃から「ウッカリ者」とよく叱られた。
「ホラホラ、ウッカリして!」
と叫ぶ母親や、おとなたちの叱り声が、四十年たったいまも耳についてる。
「この子はアホとちゃうか」
と何べんもいわれた。
お習字のスミをすっている。硯箱の端をひっかけて、墨がモロに洋服にかかり、新しい洋服はまっくろけ。これが二度あった。
小学校の築山の池であそんでいて、
「見て見て。サーカスやし」
と池のふちの石の上を爪先立ちで歩き、平衡を失って池へどんぶり。水は、子供のスネぐらいまでしかないが、服はびしょびしょ。泣きべそをかいて家へ走って帰る。叱られて着がえるまもなく、ぬかるみですべって泥んこになり、また帰ってまた叱られる。アホとちゃうか、と叩かれる。
この間、北陸銀行で、銀行員がつとめ先から大枚の金をぬすみ、じっと隠していて、みつかりそうになると返しにいった事件がある。一銭もつかっていないから罪はかるいだろうと考えていたというのだ。これも女房持ちの一人前の男であるが、子供の私と同じことをしている。
私は、同じく小学生のころ、遠足にいって時計を落し、母親にいうと叱られるので、だまっていた。毎日毎日、いつ紛失がばれるかと地獄の責め苦であった。
とうとう次の父兄会のときに、先生が母親に「小学生に時計を持たせたりするからこんなことになる」と文句をいい、私がだまっていたのがばれた。私はまた叱られた。じつにどうしようもない子であった。
現代の世相を見るに、過失や犯罪はマスマス退化して幼稚化している。子供なみに下っているのである。人間には、進歩などということは決してありえないらしい。カモカのおっちゃんいわく、
「そらそうでっしゃろ、これだけ回を重ねても、おせいさんの原稿が期日に間に合うたためしがないねんさかい。三年たってもちっとも進歩しとらんのん見ても、わかります」
ほっといて下さい。
掌 中 の 玉
このあいだから私の家の中は造作さわぎで大変だった。住居は雨露をしのぐもの、というのが最低の定義なのに、雨が漏り放題で、くばってあるくバケツや洗面器のかずが足らなくなっちゃう。思いきって屋根屋さんに来てもらい、大工さんをたのんで台所を改造(もうゴキブリも出ないと思うんだ)、左官さんに風呂場のかべをぬりかえてもらい、タタミ屋さんにタタミを入れかえてもらい……てんやわんや。彼らが一時に私に訴える。
「ここのタタミもかえますか、おくさん」
「階上《うえ》と階下《した》、どっちから直すのかね」
「風呂場は何いろにぬりますか?」
そこへもってきて、家政婦さんは、
「今晩なににしましょ、おくさん」
とやってくる。あいまに東京の編集者の電話あり。
「原稿どうなってますか!」
ついに私はこんぐらがってしまう。
うるせえぞ。
私は聖子だけれども、べつに聖徳太子にあやかってるんではないのだからね、一ぺんに五人、六人の訴えなんて聞けない。ついとりみだして東京の電話には、風呂場の壁とまちがえ、
「ピンク、ピンクでいって下さい!」
などと返事する。向うは更にとりちがえ、
「あ、けっこうですなあ、ピンクユーモアですか、ところどころお色けがあると助かります」
「ところどころじゃないの、全部ピンク一色、桃色にする!」
「は? いや、雑誌《ほん》は、前々より一部分はピンクカラーになってますが」
「ちがうのよ、一部じゃないの、オールピンクにする、オール桃色!」
とりちがえて聞くと何ともおかしい。大工さんは大工さんで、
「ガタが来てまんねん、この家、総体に――。階上ももうあかんが、階下はこれはガタガタ。少少あっちこっち触《いろ》うたかで、おっつきまへんなあ。腐っとるところもあるし、まあ、階下から痛んでくるのはどちらさんも同じで」
これもマジメに聞くと、
「さよか。ほっといて頂戴」
と木で鼻くくる返事をしたくなる。
「この際、みんな、さっととりかえなはれ。――これは古いもんやさかい、かなり床《とこ》はしっかりしてるけど、それでもところどころ湿気でふやけて、ゆるうなってる。何ちゅうたかて、下へ敷くもんは新しいもんがよろしおま。ついでにさーっとみな新しいのにかえなはれ」
というタタミ屋さんの勧告も、虫の居どころがわるいと、へんに聞こえるであろう。
私の友人は、亭主が休日の朝、うれしげに電話するのを聞いて猛烈と腹が立ったそうである。
「え? たくさんいくと安うなるんのんか。女の子、居るねんな? 今からワンラウンドか、よっしゃ。ぼくもすぐいくわ」
カッとなって詰問したら、今日ぞうれしきゴルフ・デー、何いうとんねん、とあべこべに叱られたよし。
すべて、物ごとにはとりちがえということがあり、齟齬《そご》をきたさぬよう、よくよく周囲の状況、物ごとの経過を勘案して判断するべきである。
早とちり、早のみこみ、とりちがえ、すべて軽佻なるわが性《さが》の犯しやすい過失であるから、よくよく、気をつけねばならぬと自戒したことである。
しかしカモカのおっちゃんは、どうも早とちり、とりちがえが多く、じつにこまった御仁である。私は少し前に電子レンジを購入し、大いに重宝している。学生の多いわが家は帰宅時間がまちまちで、これで温めたり料理したりするとじつに早い。私は機械オンチであるから原理は説明できない。料理の皿や徳利を中へ入れて目盛りを合わせ、
「瀬戸はァ 日暮れてェ 夕なァみ 小ォなァみィ……」
といいご機嫌で唄っているあいだ、一分、二分、
「チン!」
なんて鳴って、たちまち熱く、湯気があがるということを知っているだけである。
お酒なんか熱々|燗《かん》だ。
しかしカモカのおっちゃんは、電子レンジの原理からまず知ろうとする。男はモトモトのところが「納得!」とならないと、不安らしい。
「皿は冷たいのに、中身が熱いということが解せん」
という。
「フタをして入れても、中身だけ熱うなってるとはこれいかに」
と気むつかしくいう。
私知らないよ。私にできるのは実演だけである。ジャガイモの生《なま》をサランラップにくるみ、レンジの中へ入れてスイッチを入れる。ガラスの戸越しに、殺人光線が芋に当っているのが見える。目盛りをしてスイッチを押し、数分して取り出せば、こはいかに、魔法のごとくアツアツのやきたてになっており、バターを落して食べるとかくべつ。
「ね、わかった?」
「フーム、つまり原理は……」
「そんなん知らん。ともかく、入れるときは堅うても、中から出すとやわらかくなっておりますの」
「なるほど」
「すこし水けの足らぬものは、水気をたらしておくと、具合がいいの」
「そうか、それで原理はわかった。それでチン! というのやな」
何を早とちりしたのかしら。
このあいだ結婚前の娘を父親が殺して、自分も死んだ事件があり、おっちゃんはてっきり、殺されたのは息子だと思っていたそうである。
「しかし週刊記事には『掌中の珠のようなわが子を殺し』とありました。掌中の珠というからには、ムスコではなかろうか、と……」
おっちゃんはへんなところを両掌でかこい、ふしぎそうな顔をしていた。
下着考現学
タレントさんだかスポーツ選手だか忘れたけれど、来日した青い眼のお嬢さんのインタビュー記事を、週刊誌でよんだら、
「日本のおみやげに何を買いました?」
ときかれて、
「メリヤスのパンティ」
とこたえていた。
お友だちへのおみやげに、何ダースも買ったそうだ。花模様やレースのついたかわいいのが日本にはたくさんあってうれしいと、彼女はよろこんでいた。彼女はそれにつけ加え、ナイロンのパンティはよくない、といっていたが、これはあるいは、取材記者の茶目っけで、勝手におちょくったのかもしれない。
昔は美しい色や柄のパンティはナイロン製品にしかなく、メリヤスものは白かクリーム色で、淋しかったが、この頃は華やかな綿メリヤスが多くなり、外人女性だけでなく、日本の女の子もよろこばせている。
ドクトル・チエコ先生のくり返し説かれるように、女性の下|穿《ば》きにナイロンは不適当である。汗や水分を吸ってくれないからむれて具合わるいと先生はおっしゃっていた。そういう衛生思想がかなり拡まってきたのは結構なことだが、それでもナイロン製品をつくる会社があり、買う人もある。
デパートの下着売場などへいってみると、籠に山盛りになって、ナイロンパンティが色とりどりのキャンディのように積んである。
女の子たちは、体にわるかろうがむれようがナイロンを穿きたいときがあるといっている。
ナイロンの肌ざわり、軽さ、すべすべする冷たさを素肌でたのしみたいときがあるといっている。だからドクトル・チエコ先生がいかに懇切に指導されても、ナイロンパンティは売れるのである。女はどうも杓子定規にいかない気ままなところがあってこまってしまう。
ブラジャーでもパンティでも、女は実用性だけでなくて自分でたのしむところがあるから、実用一点ばりではいかないのである。
尤も、私などが、綿メリヤスの下着を愛用するのは、これは、物資欠乏の時代に育ったので純綿に対する信仰みたいなものがあるからである。
純綿の質朴さ、りちぎさにくらべると、ナイロン製品はどこかうさんくさく、「風の日にとんできたゴミクズ」のような感じであり、たたんだら耳の穴へ入りそうに小さくなる所も素性あやしき感じ。洗濯したらあっという間にかわき、生きかわり死にかわりしてもいたまず破れず、そこんところも、クセモノという感じで信用おけない。腐らず朽ちず、古くなっても、色あせ、縫目がほつれるのみ。私には、気味わるくって、ナイロンというものはマヤカシのような気がする。
カモカのおっちゃんは、綿メリヤスの下穿きが大きらいという。
では何を愛好するかというと、純白のコットンのLL特大サイズ、ガバガバのサルマタだそうだ。
綿メリヤスのブリーフなぞは言語道断のしろものだという。
「なぜですか。綿メリヤスは肌に快いではありませんか。ナイロンなんかと大ちがい」
「ナイロンは話になりまへんが、いまどきのブリーフいう奴、股にくいこんでますなあ」
「それはそうでしょうね、きっと」
私、穿いたことないからわからない。
「なんであれはピッタリとくっつかな、あかんねん」
私は考えてみていった。
「つまり、ズボンがはきやすいためでしょ」
「なんで下着がぴったりしてると穿きやすい」
「つまり、デコボコがなくなってチャックがしめやすいのん、ちゃうかなあ」
むろん、みな想像である。
「それがいかん。男は、股をぴったりしめると、あたまわるうなる」
「ナンカ、関係ありますか」
「それは大ありです。この際、声を大にしていうが」
とおっちゃんは、酒に咽喉《のど》をしめらせ、声を張り上げた。
「男はすべからく、越中ふんどしか、大き目のサルマタを穿くべきです。ともかく、モノは固定したらあきまへん。アレは体の均衡をとるオモリみたいなもんで、いつも揺れとるさかい、按配、健康が保たれとるんですわ。たえず、ぶらぶらできるように、しといてやらなあかん」
「ふーん。そんなもんなの」
このへんは、女の私にはつつしんで拝聴するのみである。
「それがブリーフ、サポーターなどとバカなものを身につけるとどうなるか。ピタッと密着してオモリは押しつけられ、自在にうごくわけにはいかん」
「よくわからないけど」
私、そうもあろうかと思うだけ。
「オモリの役目を為《な》さんから、体は平衡を失い、風通しがわるいから蒸れて、血液の循環がわるくなり、従ってあたまの働きがわるくなる。今どきの若者、バカが多いのはブリーフで股を密閉しているからですぞ」
「サルマタを穿けばどうなんの」
「これは風通しよく、動作の自由があってオモリ本来の役目をとり戻す。サルマタより越中が更に望ましい。しかしあの紐はいちいち結ぶのがじゃまくさいから、サルマタでもよろしいが、もっとええのは腰巻」
「東南アジアやアフリカの人がキレを腰に巻いてるあれ?」
「そうそう。あれは男の理想的なスタイルやねえ。更にいえばズボンのチャックもバカな発明ですぞ。あんなバカなもんはない」
「じゃどうすればいいの?」
「昔のボタンに返すべきです。ボタンであると、一とこ二とこ、あけたいところをあけられます。チャックはそこが不便」
というおっちゃんを見ると、チャックはみんなしめ忘れていて、それなら腰巻で前へ坐ってられるのとかわらない。ヘンな人!
悪事について
テレビのニュースを見ていたら、わるいことをして家宅捜索を受けている男がうつっている。何だか、切なそうな顔で、小さくなって、捜査員のすることを目で追っている。年のころ四十あまり。辛そうな、何ともいえぬ顔。
捜査員の物なれたうごき、――ひき出しをあけたり、机の下をのぞいたりするのに気をとられ、テレビカメラにわが顔がうつって、ばっちりととられているのにも気がつかない。だから表情が、逐一、見えた。
むろん、ほんの数秒だったけれど。
場面がかわるとこんどは、アナウンサーが、また次のニュースをよみ上げている。
これも、四十あまりの年ごろで、これはさっきのくたぶれたワイシャツ姿のおっさんとかわり、リュウとした背広姿、生まれも育ちもよく、高等教育を受けて大会社へ就職、この道ひとすじのプライドにもえてる感じの紳士。
私、つくづく、思っちゃった。
片や、家宅捜索のおっさん。
片や、社会的に信用のある紳士。
同じ年ごろで、どうしてこうちがっちゃったのか。
これは、生まれたときからの、ほんのちょっとの運命(神、といってもよい)の手ちがいで、道が二つに分れてしまったのだ。フタマタ道を、それぞれが歩いて、同じような人間が、こうも分れてしまったのだ。
どんな拍子で、アナウンサーが悪事を働いて家宅捜索をうけ、おっさんが、アナウンサーになって仕立おろしの背広を着て、カメラに向って、「何の何ベエはこういうことをして家宅捜索をうけました」とすましてしゃべっているかもしれない。
そんなことはごくごく僅かの狂いなのだ。運命の匙《さじ》かげん一つで、クラッとかわるのであります。
えらいもんだ。
「だから、どうだ、というのですか」
と聞かれたって、私としては答えようないけど、私は、悪に対してはつねに不安定な見識しかないから、我ながら心もとなくてこまってしまう。いつ自分もヤルかもしれない、という気がある。まさか、人殺しはしないと思うけれど、追いつめられればどうなるか、口はばったいことは申せない。公金を横領する気遣いは、まちがってもないと思うが、それとても、背に腹はかえられぬという場合が、人間には間々あり、いつどうなるかわからない。
何も、不日、悪事を働くためのいいわけを前もってしているのではないが、人間というものは、風前の灯のようにもろいものである。寿命だけがもろいのではなくて、悪事に於ても、もろいものではあるまいか。
金で人間がうごくとは、限りませんよ、と力みかえっていながら、また、目の前に現ナマを見ると、あさましく目の色がかわるかもしれない。かわらないかもしれないが、そのときには、かわらないことで、たいへん恥ずかしく、自分を|ぶってる《ヽヽヽヽ》ように思い、むしろ、かわらない方がムリをして不自然だと思い、人間味がないように思い、卑しいことだと思ってしまう。
金で折れるのこそ、人間らしい誠実さであるように思ってしまう。「匹夫《ひつぷ》もその志を奪うべからず」と大見得切りながら、だんだん、自分のそんな自己陶酔ぶりがいやになり、鼻についてくる。何もやせがまん張るだけが能とちがうがな、と思い、人間は、自然に生きなあかんねん、金ほしがってどこがわるい、などと考え、まあそう窮屈に考えんかて、同《おんな》じ一生やったら気らくにいったらええのんちゃうか、と思い直し、何《なん》やかや、いうてるうちに、年とって、昔そんなこともありましたなあ、と笑いばなしになってしまいよるやろ、と考えたりする。
そうして、ついに金に手をのばし自分のふところへ入れる(ような気がする)。
領取書を書く、あるいは栂印をおす、あるいは引きかえに何ンかわたす、あるいは知っていることをぺらぺらしゃべる(ような気がする)。
あぶない人間なのだ、私は。
何をするか、わかりません。
むろん、現在只今のところは、毛頭、そんなことは考えておらぬ。
悪をにくむこと、アイアンサイド警部より烈しく、志操高潔、人格清廉のつもりであり、札束で頬っぺたを叩かれても、いやなことはいや、というつもりであるが、どうも、先々のことまで責任を持ちかねるのでこまるのだ。
みんな、「つもり」であるから、ここんところがこまる。
絶対、ワルイことはしません、と断言できないのが悲しい。
「ねえ、おっちゃんはそんなこと、ありませんか」
と私はカモカのおっちゃんに聞いてみた。
「ウーム、それは、ありますなあ」
とおっちゃんがいったので、私は少し安心した。
「そうですか、おっちゃんも、絶対悪事は働かぬ、とは断言できないわけなのね」
「むろん、良識ある市民として法律道徳に悖《もと》るようなことはせんつもりでありますが、しかし、ウーム、金を積まれるよりは、色によわいかもしれまへん」
「色仕掛けでこられると、メタメタとなるわけですか?」
「もし、色で迫ってこられると、知らん顔してるのも不自然と思い、先方サンにも気の毒になり、メンツをつぶしてはならぬとも考え、色を好んでどこがわるいと居直る気になり、ゴタゴタ起きたら、それはそのときのことと度胸をきめ、毒をくらわば皿までと覚悟し、据膳《すえぜん》くわぬは男の恥というではないかと、わが身にいいきかせ、……」
「ついに色におぼれ、屈するわけなのね」
「と、いうことですが、しかし、この頃の僕の平生の実績からいうと、どうもその期《ご》に及んで果して、色におぼれ、色に屈することができるか……。やむを得ず、志操高潔ということになるかもしれまへん」
実際、おっちゃんは口舌の徒である。
愛蔵品と愛用品
わが愛蔵品というテーマで、写真をとられることが多い。私は一生けんめい考えて、安ものの骨董《こつとう》品を一つ取り出し、写真にうつしてもらった。
しかし、そのあとはいくら考えてもない。縫いぐるみのクマや、フランス人形など出したら、先方さんはいやな顔をするだろう。
ガラスのつぼや壜《びん》も、いい顔はされないだろう。
銘のある茶碗とか、古い掛軸とかあればいいのだが、どうも、とんとそういう書画骨董には縁がない。
「ご亭主を出しといたら、どないですか」
とカモカのおっちゃん。しかしこれも編集者、カメラマン、ならびに読者の方は快く思われぬであろう。「わが愛蔵品」というタイトルを掲げてある以上、高雅清韻のおもむき深き秘宝|珍什《ちんじゆう》がおごそかにあらわれるかと思いきや、ソルジェニーツィン氏のようなあごひげを蓄えた、どんぐり眼《まなこ》の海坊主がうつっていたりしては、大方の興をそぐばかりでなく、せっかく獲得した、そこばくの私の読者を失うかもしれない。読者の方々は、呆れはて、こういうけったいなおっさんを「わが愛蔵品」というような、ヘンな女の書く物など、もう決して決してよんでやらぬぞ、と思われるであろうからである。
「ご亭主があかんのやったら、僕でもよろしいがな」
とカモカのおっちゃんはいうが、おっちゃんだとて、五十歩百歩。第一、私は、おっちゃんを「愛蔵」なんかしてませんよッ。おっちゃん勝手に「あーそびーましょ」と押しかけてくるんやないの。
「おっちゃん、愛蔵品を持ってる?」
「それは持ってます」
とおっちゃんは大きくうなずいた。
「やっぱり奥さんのことですか?」
「いや、あれは愛用品というべきものでっしゃろな。いやいや、愛用というからには常に用いることを意味するが、あんまり用いぬから、愛用品ともよべまへん。ただ、ヨソのをつかうと高くつくが、ウチのはタダであるから安上りである。むしろいうならば、徳用品というべきでありましょう」
何の話や。
「どうして愛蔵品と愛用品はちがうのかなあ」
と私は考えた。
私なら、大好きなものは愛用する。私は骨董屋さんで、よくお皿を買うが、みんな日常出してつかっている。このお皿にどんなオカズを盛ろうかと考えて買う。私にはしまいこむクセはない。それに、お酒を飲むと、つまらないオカズでも品数が多いので、かなりの皿をつかう。
料理の未熟をイレモノで補おうとするところが私にはある。いろんな形、いろんな色の皿をたのしんでつかう。皿を見て、今晩の料理のヒントを得たりする。とてものことに、どんな高価な皿だってしまいこむ気にはなれない。
けれども、一つこまるのは、出してつかっていると、どうしても割ったり欠いたりすることが多い。
ふつうのときは、私は三年に一ペんも皿を割らない方だが、しかしあと片づけをして台所を流しているときは、たいてい食後だから酔ってる。酔っぱらってると、自分はちゃんとしているつもりなのに、手許が狂ってぞんざいになるとみえて、食器を割ることが多い。しかし酔ってるから、ゲラゲラ笑っておかしいばかりである。屑箱へ抛りこんで、一丁あがりィなどという感じである。
翌朝、しらふになって、割れた高価な皿を見て諸行無常の思いに打たれる。しかし私如き凡婦は、それでもって大悟一番、ほんぜんとして解脱《げだつ》するということもできぬ。しかしいつまでもメソメソすることもない。
(まァしゃァないな)と思うだけ。更にいえば(オトナになってよかった――)としみじみ思う。子供の頃に、親の大事にしているものを割ったらどんなに叱られたかしれない。
またこれが使用人であると主人のものをそこなうと大変、妻ならば夫の愛蔵品を損壊させたらえらい大ごとであろう。しかし私が私の買ったものを割ったのだ。誰に気がねもなく、屑箱へ投げてグッドバイである。
こういうのは、愛蔵品ともいえないのではないか。割れたら買えばいいでしょ、と思っている。
少なくとももっと愛着があるのが愛用品だろうし、更に、それが執念になれば愛蔵品ということになるのではないかしら。
してみると、私は愛用品、愛蔵品を持つ資格がないのかもしれない。
「ハハン、そこんところも女房《よめはん》との関係と似てますな」
とおっちゃん。
「愛用――いや、お徳用の品ではあるが、欠けたとて、いつまでもメソメソすることもない。失ったとなると、アア惜しい、しまったとは思うが、執念ですがりつくほどの気もない。まァしゃァないな、と思い、早く次のを求めよう、という気になる」
「おっちゃんも、『わが愛蔵品』を持てない人ですね」
「いやいや、骨董品や女房《よめはん》は愛用品ですが、それとべつに愛蔵品は持っています」
「ヘー」
私は少し感心し、なかば軽侮の気持で好奇心むらむら。
「おっちゃん、そんな風雅なとこあるのん」
「それはもう。あんまり大切なもので、つねに携え歩いとる。いわば身につけておりますな」
「というと何かな。指環をするガラでなし、時計、ライター、万年筆、男の七つ道具を持たぬ人やから、何かなあ。それ何? 見せて、見せて」
とせがむ私におっちゃんは悠揚迫らず、
「これは体にくっついております故、それだけをとり出して見せるわけにはいきまへん。わが秘宝、いや秘砲というべきか、これを愛用しているといいたいが、常に用いることも最近はあまりなく、もっぱら愛蔵、しまいこんでおりますわ」
こんな奴、目ェ噛んで鼻咬んで死んでしまえばよいのだ。
こし方ゆく末
このあいだ長野、山形、それに茨城、栃木と旅行をして私はビックリしてしまったことがあった。
関東、東北地方、十一月下旬ともなれば、日の暮れは関西より一時間も早いのダ!
同じ日本とは思えない。
長野では五時には暗くなった。私は、お天気がわるいせいだ、と思っていた。山形ではいやに日暮れが早いが、今日だけ特別なのだろうと思っていた。
茨城県の町でも、時計とあたりの風物との感覚がズレて、へんな感じがしたが、性、魯鈍な私は心にもとめなかった。
そのうち、中禅寺湖のそばの温泉へ泊ろうとして車を走らせているうち、山の端に太陽が入らんとしているのに気づき、時計を見ると三時半である。
私は時計がまちごうてる、と思った。
日光街道のいろは坂四十八曲りをのぼりつめるころはすでに薄暮である。黄昏《たそがれ》に、はるか天空へつづくドライブウェイの車のヘッドライトが、星のように見える。
中禅寺温泉へ着くと真っ暗で、旅館の灯が淋しげに瞬《またた》き、寒風は山々の梢をゆるがし、戸をしめたおみやげもの屋の看板がハタハタと風にゆれ、空に研《と》ぎすまされた星と、西瓜|形《なり》の白い月、「いと物すごし」という風情。
夜中に着くとは、運《うん》のわるいことであった。とふと時計を見ればこれが五時なのダ! ここにいたって私はようやく東日本は西日本より早く日が暮れるのだ、とわかった。
山間《やまあい》だからなおのことであろうけれど、これが神戸ならいかがであろうか。
三宮あたりなら、まだ、昼まのつづきである。五時すぎてやっと退勤の人波がうごき出す。
バー街は打ち水なんかして、店をひらいたところ。そんなときに飛びこむと、これ幸いとテーブルにあげた椅子をおろすのを手伝わされたりする。
すし屋、スナックなども、五時ごろから店をあける所が多い。ネオンが一つまた一つとついてゆく。空は明るくて山々の黄葉が夕陽にあざやかで、灯をつけるのが勿体ないくらい明るい。客が入ると、どの店でも、まだ疲れていない人々の声で「いらっしゃーい」とどなるのも威勢がいい。女たちの化粧もまだ崩れていず、男たちの白い上っぱりも洗い立てである。
そうして、私がいつもいく新開地のおでんや「高田屋」なんかでありますと、おでんは銅《あか》の鍋の中にぎっしりつまって、おいしそうに煮立っており、夕方、つとめ帰りのサラリーマンを待っているところであります。すべて、さあ、これからというはじまりのところ。
「こうしてみると、関西、南方の土地というのは、ヨソの土地にくらべて一日が二日分くらいにつかえそうで、かなりトクをするわけね」
と私は、カモカのおっちゃんにいった。
「どうしてトクをする」
とおっちゃんはふしぎそう。
「だって、そうでしょ、いつまでも明るいと一日が長くなってイロイロなことが余分にできるから、たのしいもん」
「イロイロというが、することの中身にもよる。あんまりいつまでも明るいと、ホテルヘ入りにくうて、北野町のホテル街、うろうろしとる奴が多いのんちゃいますか」
そんなこと知らん。
知らんが、私はつくづく思ったのだ。五時になって日が落ちるようなところに住む人は一日の短さから、人生の短さを知るのではないかしらん。
そこでは、浪花っ子の私の感覚でいえば、日が天空にあるのは全く須臾《しゆゆ》の間である。日はラムネ玉を落すより早く落ちるのである。
而うして夜は長い。
夜は寒く暗いから、人は我に返ったごとく何ものかと向きあって、こし方《かた》ゆく末をかえりみる。いや、かえりみるのではなかろうか、と思うものだ。おまけに外へ出れば吹雪、とくると尚更、人の発想は内省的、懐疑的にならざるを得ない。いや、得ないのではなかろうか、と思うものだ。
それにくらべ、冬でも五時はまだ昼間のつづきで、空け年増の深なさけの如く、暮れんとして暮れやらず、いつまでも明るい、というようなところに住んでいる人間は、どうも立ちどまって我とわが身をかえりみることなど致しにくい。
いつまでも、この明るさがつづくように思っている。
前もって人生無常の覚悟ができにくい。
何とか、按配なるのんちゃうか、という気がなくならない。
「いつまでもあると思うな親と金」という川柳は、かかる極楽とんぼの人間をいましめるためにつくられたのだ。
また、アリとキリギリスのたとえ話も、日暮れの早い土地の人と、おそい土地の人を諷してあるにちがいない。キリギリスは関西っ子である。アリは関東、東北人である。
キリギリスは、まだ日が高いと思ってのんきに遊び呆けているのである。そのうち何とかなるやろと思い、まあええやないか、と空を眺め、日暮れまでは間があると時計を見る。
そうしているうちに、いつのまにやらとっぷり暮れ、あわてたりする。中にワルのキリギリスは、ええわ、アリのところへいってゆさぶったら何か出るやろ、と思ったりする。
じつにけしからんのはキリギリス、いや、日暮れのおそい地方の人間の発想である――してみると、私の書くものに、深遠崇高の哲理など見当らんのは、当然と申さねばなりません。
「いやしかし、そう杓子定規にわりきれるもんやおまへん」
とカモカのおっちゃん、
「男はアリもキリギリスも、ひとしく、こし方ゆく末ぐらいは考えます。日が長い短いに関係ないです。女は知らんが、男はみな哲人の要素がある。あるときには、男はみな必ず、こし方ゆく末を考える」
「ヘー。どんなときですか」
「こんなこと、いうてええかいなあ。……つまり、女とナニしたあとです」
旅の不愉快
このごろは旅行をするのが大変な難事業だと友人知人たちはぼやいている。
女子大生なんか、アルバイトをして金もあり、ヒマはもとよりあるから、どこへでもいけそうなものだが、切符を買うのが大変だという。
バーのママは、たまさかの休みの日が、ストとかちあってついに出られず、旅館もキャンセルしたと怒っていた。
私の友人のハイミスは、いそがしい仕事を持つ女で、やっとヒマをみつけては新幹線に飛び乗って恋人にあいにいく。数時間デートして帰ってくるということが、昔はできたのだが、いまは新幹線がアテにならぬゆえ、せっかくいっても延着で時間を食われて、そのまま空しくとんぼ返りをせねばならなくなった、と憤慨していた。
してみると、推理小説によくある、時刻表を利用した犯罪もいまはむつかしそうである。
時刻表を見て克明細密な計画をたてていても、予定通り列車が発着しなければ、殺人しそこなう。あるいはアリバイがくずれるわけである。国鉄は日本の推理小説界に大打撃を与えたのである。
新幹線の車内アナウンスも、このごろは延着のお詫びをいい慣れて悠揚せまらず、笑みさえ含んで(これは私のヒガ耳かもしれない)、何十分おくれます、などとたのしそうにいう(これもヒガ耳か)。
あれは「お詫び」というより「申し渡す」あるいは「お知らせ」というていのものであろう。
私などであれば、「新神戸へ着くのは十五分おくれの○時○分です」と申し渡されると、(早く着いてよかったナー、日本の国鉄は早いナー)と感嘆してうれしい。そうして世界に自慢したく思う。
更にいえば、世界に見せびらかすために、早く東北九州にジャカスカ新幹線をつくり、セカセカ走らせ、故障したって引ッくり返ったって知ったこっちゃなく、ともかくいっぱいつくりまくって国じゅう新幹線だらけにした方がいいと思う。なおまたいえば、私はよく神戸の下町・新開地で飲むが、荒田町・新開地間、一・二五キロ、新幹線を走らせてもらいたいものだ。あっという間に飲みにいけるじゃないの。
もう一人、べつのハイミスは、旅の不快はジャリどもの横暴にきわまるという。
列車の中を公園とまちがえて、キャッキャッと走り廻り、それをニコヤカに見ている母親にもいたく腹立つという。
「まあ、ハイミスのひがみと思われてもいいわよ。子供なんて元来、他人にはかわいくも何ともないもんなのよ、それを親から見てかわいいから、他人もかわいいだろうと独り合点で思いこんでいる。この偏見と無智蒙昧、じつにいやになるわ」
と怒っていた。
走り廻るジャリどもの憎らしさもさりながら、そっくりかえって泣きつづける赤ん坊のやかましさ、三時間半、新幹線のあいだじゅう、泣きわめかれて気が狂いそうになったといっていた。
しかし私がこのあいだ経験したのでは、飛行機の中で一時間じゅう泣きわめいている赤ん坊がいた。
そのときは団体が乗っていて超満員であった。ぎっしり詰まった席で泣きわめかれるとどうしようもないのだ。新幹線なら食堂車へでもいっている間、離れられるが、飛行機は地上を離れてから足が地につくまでおつき合いしていなければいけない。逃げ場所がない。
そうして私のときは、くだんの赤ん坊、飛行機が地に着いて止まるや否や、ピタリと泣き止んで、ニタニタと笑い、こちらはおちょくられている気分。
団体のご婦人たちは口々にやさしげに赤ん坊の機嫌をとり、
「ゆれたからこわかったのねえ、かわいちょうに。よちよち」
などという。そこも女の偽善者ぶり、みな心中、舌打ちしていたくせに。泣く子と地頭には勝てぬといいますが、ハタ迷惑ではありますよ。
「いや、それはしかたおまへん。赤ん坊の泣くのぐらいは堪忍してやらなければ。子供は国のたから、親の生き甲斐。――難産で赤児がうぶ声あげへんときがある。まだ泣かんか、もうあかんかと、固唾をのんで泣き声を待ってるような、親や身内もいるのですぞ。それを思うと、元気でわめいてる赤ん坊の泣き声は、ありがたいもの、と思わなあかん。それに戦争中、母乳も出ない親の赤ん坊は飢えてヒイヒイと力なく泣いとりました。それに比べ、力いっぱい泣く声のありがたさ――二度と飢えた子供の顔は見とうない」
とカモカのおっちゃんはいい、たちまち並み居る女たちに口々にやっつけられる。
「野坂の昭ちゃんみたいなこと、いわないでよ!」
「子供と犬猫ペットは、人により好ききらいがあるもんよ!」
火のつくように叱られる。
「私は空港のボディチェックが不快やわ」
とうばざくらの美人記者がいった。
「私、レズの気はないから、女の子にさわられるの、ぞっとする。あれどうして、女には男が、男には女が、調べないのかしら」
「そうね」
とみんな、口々にうなずき交した。
「もしそうやったら、熱心にしらべるからハイジャックなんかおきないよ。同じ事なら女にさわられるのよりは、男にさわられる方が好きやな。男もそうやろと思うけどな」
「しかし……しかし」
とおっちゃんはいそいで口を挟み、
「女という女、みな、さわり甲斐があるとは限りまへん。かわいらしいて、ええ体して思わずさわりとうなる、なんて女、十人に一人あるかなし。大抵は中年、垂れ乳で腹は二重にくびれ、貫禄あれどウエストなしというご連中、さわるのもさわられるのも堪忍してほしいのが多い。――やはり男には男、女には女が身体検査するのが無難でっしゃろ」
こんどは誰も反論なし。
女 性 蔑 視
新しい大臣がきまった。
次々とテレビにうつっている。もう何べんも大臣した人の、まんざらでない顔。いそいそして車に乗りこんだり、玄関からはいってくる所を、テレビカメラにとられたりして。
あー、うれしそ。
新顔の大臣は、うれしそうな顔になるまいと、わざとむつかしい顔でいる。
それで私、思いました。
男の人は、結婚式場の花嫁を、しばしばバカにしてあざ笑うけれど、男だって五十歩百歩ではないか。
派手な花嫁衣裳や、金屏風に酒と花、ウェディング・ケーキにナイフを入れる瞬間。そんなものにあこがれ、人生の生き甲斐と夢みている女の子を、男が嗤《わら》えるか。
「ねえ、おっちゃん、新大臣かて花嫁と同《おんな》じやないの。カメラのフラッシュ、パチパチ、バンザイ三唱、ミンナコッチミテハル、ワー、キャー、人生の晴れ姿、一本どっこの歌。男も女もあれへん。花嫁、新大臣、みな一緒やないの」
「いや、それはちがいます」
とカモカのおっちゃんはあわてず、たしなめる。
「花嫁の女の子ちゅうもんは、きれいにうつくーしく、着飾っていたとて、夜になるとマタひろげる。そのへだたりのおかしさも知らず、わが晴れ姿に昂奮して、有頂天になってるのだ。それをこっちから見てると、ああら笑止、片腹いたや、おかしやの」
「でも大臣かて、精神的なマタひろげるやないのさ、企業や会社や団体に対して」
「ばかっ、あほっ、すかたん! まぬけ! 無礼者っ! 女のいうこととちがうっ」(とおっちゃんは、円山雅也弁護士センセイの如く、力を入れて叱った)
ゴメンチャイ。
だけどさ。
おっちゃんだけでなく、どうしてか、男って女を潜在的に蔑視してますね。どうしてやろ。
私からみたら、大臣も花嫁も一緒だという点にとても人間的なものを感ずる。そして男のえらさは、そんな点に関係ないのだ。
私はとても男はえらいと思う。男は女にない美点特質をいっぱいもっている。女にもあるかもしれないけど、それは女自身にはわからない。
同様に、男のえらさも男自身、気づかぬものであってほしいのだ。そこがむつかしい。
男はふつうにふるまっていてリッパさが出るところがいい。女の方はそれを見て尊敬して、とてもかなわぬ、あたまが上らぬ、などと思うのがよい。
いや、そうあってほしいと思うものだ。
それを、往々にして男は口に出して自慢する、女をけなす、バカにする。そんなことをしなくても、黙ってちゃんとしてさえくれれば、女はしぜんに尊敬し、男を見習おうと心がけるのだ。
わるいところがあれば、直そうと、男をお手本にするのだ。
「うそつけ」
とおっちゃんはいった。
「そんなオナゴばっかりやったら、この世は極楽になっとるわい」
「いや、それができないのは男がわるいからです。男、男たらざれば、女、女たらずよ」
「しかし、男をお手本にして直すというが、そんな殊勝なこと、女にできますか。かならずブツクサいい、あべこべに、男を女のタガにはめようとする」
「そんなことない」
と私はおなかの底でいわず、口に出していった。
「私このごろ、何でも男のいうようにしてればまちがいない、と思い出してきたんだ」
「へー」
とおっちゃんの疑わしそうな顔。
「しかし、そんなことをおせいさんにいわれると気色《きしよく》わるいなあ。何や勝手がちがう気がする」
でもそうなんだ。女って、ホント、発作的にそうなっちゃうのだ。自分で考えるの、めんどくさくなって、男の後についていってれば気らくだし、失敗は男のせいにできるし……。
たとえば私だと、何ンか賞を下さろうとするね(これは仮定。日本国文壇という所は漫才や落語の台本に手を染めてるような人間には、絶対に文学賞なんか来ない。でもいいんだ、私は面白半分腰巻大賞の栄誉に輝く人である)、まあ、賞を仮にあげるといわれると、すると私は、ナヨナヨして、
「主人がお断りしろと申しますのでご辞退させて頂きますわ」
と蚊の鳴くような声でいうのだ。これは気らくでいいなあ。
「やめて下さい。女が男を立て、男をお手本にするなどといわれると、陰謀の臭いがする。不気味。――それに第一」
とおっちゃんは酒を飲んでから、
「女は必ず、自分をしおらしく見せようとするのか、男がコゴトをいうと、『ね、どういうふうにわるいの、いうて。いうてもろたら直すから』などと、鼻声でぬかす」
「女のかわいいトコですよ」
「女は、わるいとこさえ直しゃ、それでええ、完全無欠になると思うてる」
「むろんです」
「それがちがう。そんなもんとは、全然ちがうのだ」
「どうすればいいんですか」
「男は相手がかわりゃええのです。女のイヤな部分、ひととこふたとこ、手直ししてもろたからいうて、それで通るもんちがう。全部別の女と、取っかえてこい、ちゅうねん」
私は怒った。
男にはやっぱり、女性蔑視があるのだ。
おっちゃんみたいな奴に、もう酒は飲ますもんか。
いやらしいCM
このごろ、有名文化人がたくさんテレビの広告に出るようになった。
コーヒーのちがいのわかる有名人がふえたことを、いやらしいといって顰蹙《ひんしゆく》する向きもあるが、私は別に、そうも思わない。実績のあるものだったら、いいのではないかしら。つまり、いつも愛飲愛用してるものだとか……。そう目くじらたてることもないでしょう。タカが広告じゃないですか。
カモカのおっちゃんは、広告にジャリやガキがたくさん出ることを、いやらしいといっている。「ワサワサと出てくるとゾッとする。しかもこまっしゃくれた、小さい紳士淑女みたいなのが多うて。土気《つちけ》はなれぬ田舎の子供然としたガキならまだましですが、いかにもききわけのよい良家の子弟風であるのが、いやらしい」
私はどうしてか、食べものを食べてる広告がきらい。口をうごかしている広告というものはあまり好かない。飲むのを見るのはいいけれど、食べていて美しく見えるというのは、ありにくい。かなり美しい女でも、食べているところを見ると、今までの全人生が露呈する。大変、こわいことである。
食べてるのを見て、より美しく見える人もあるが。
「僕は、親子夫婦で出てる広告は、いやらしく見えますなあ」
とおっちゃん。
「あれ、なんで出すのやろ」
「それは自然な生活感情が出て、ええのやありませんか」
「しかし、プライバシーを何百万の人間に公開することですからなあ。フーン、こういう女房と結婚してこんな子をつくったのか、とつくづく見る」
「どうちゅうこと、ないでしょ」
「親に子が似とるのも、いやらしい」
「ほほえましい、と思う人もあるかもしれない」
「しかもさも仲よさそうに目くばせし、にっこり笑い合う。ほんとうに仲よければそれはそれでいやらしく、仲がわるいのによさそうに見せかければ、それもいやらしいのです。ともかく、仲のええ親子夫婦は、ハタから見ていやらしい」
「しかし、いやらしいコマーシャルの方が現実にはうけるのかもしれません」
どうして、いやらしいのがうけるのだろうかと私たちは考えた。おっちゃんは、いやらしいもの見たさ、という心理が、人間にはあるからだろうという。
すると、いやらしいものを考えつくと、そのコマーシャルは成功するかもしれない。
親子夫婦、仲よし、というのはこれからもますますハヤル広告かもしれぬ。そういえば、毎晩私は亭主と酒を飲むというと、川上宗薫さんは、
「信じられないなァ、いやらしい」
といっていた。
私が亭主と唄を合唱していると、野坂昭如センセイは顔色をかえ、嘔吐《おうと》をもよおす気配を示して、逃げていった。そして、
「オマエら夫婦、『むつ』の前で唄《うと》うたんちがうか、そんで『むつ』洩れよってん」
といっていた。
私、思うに、夫婦というものは、何だか人前に出すといやらしいものですね。
「いや、それは、中年女がいやらしいのではありませんかな」
とおっちゃんの見解である。
「夫婦でも、若い夫婦、おさな夫婦は、恋人同士のようでかわいらしく、いやらしさの要素が少ない。これが中年、しかも夫婦になると、まことにもってかなわんですな。女ぎらいの男のうち、中年女ぎらい、というのはかなりの割合になりますやろ」
「女ぎらいの男って、いるのかな」
「それはおります。男の総数四分六に分けて、四分は女ぎらいでしょう。更にその女ぎらいのうち、四分六の四分は女に憎しみを持っとる」
「ほんとォ」
「この頃の女は、かわいげなく思い上り、権利ばかり主張して自分は何一つ努力せず、なまけもののぐうたら、ガリガリの利己主義、強欲非道で色キチガイ。こういう手合いがふえますと、男は女に憎しみを持つ。しかも、老いも若きも女はダメであるが、とくに中年女ははなはだしい。女ぎらいの気持はわかります」
「でも、それは、女はかくあるべし、という夢が男にあるからでしょう。|しん《ヽヽ》からの女ぎらいでなくて、もし理想通りの女がいたら、女ぎらいでなくなると思うわ」
「それが、理想通りの女なんて、絶対おらへんのやから」
カモカのおっちゃんは憎らしいことをいい、
「そのいやらしい女の中でもことにいやらしい中年女が、べちゃべちゃ男にしなだれてるいやらしさ、こういうのをテレビにすると、あまりのいやらしさに、却って大成功するかもしれまへん。たとえば、僕とおせいさんでもよろしいのだ」
おっちゃんの案によると、コーヒーアンドクリープの宣伝広告が一ペんにできる。
〈カモカのおっちゃん、コーヒー飲んでにっこりおせいさんを見返る。
「気の合った同士で飲むコーヒーって、ちがいがわかるね」
おせいさん、にっこりうなずきカップを手にしたまま、
「十三年の歳月って、クリープの味ねえ」〉
このコマーシャル、放送されるとあまりのいやらしさに、宗薫サンはショックを受けて銀座の方角を忘れ、野坂昭如センセイは世を憤るあまり割腹自殺し、小松左京チャンは絶望して首くくり、藤本義一チャンは精神に変調を来《きた》してクリスタルガラスの灰皿をテレビに投げつけるかもしれない。
大成功疑いなし、なんだけどなあ。
悪 人 列 伝
ハラの立つことのみ多い歳末であった。三菱石油が重油をこぼして瀬戸内海をどろどろにしてしまったのも、何ともハラの立つことである。海が汚れると取り返しがつかないのだ。
美しい海岸の砂や石がべっとり黒く、コールタールを流したようにこびりついている光景を見た人はわかるだろう。あれは永久にとれない。魚も|のり《ヽヽ》もぜんぶダメになってしまった。私は大体、水島に油モノを持ってきたときから不信感があったのだが、それ見てみい、という気である。こんなことは疾《と》うからわかっていることだ。
小さいことでハラの立つのでは、このあいだ十二月二十日の晩、六時ごろでした。私は人を迎えに神戸港中突堤にゆき、奄美からやってきた知人と会って用をすませた。帰りにタクシー乗りばに待っていても、ちっとも来ない。ないのではなく、タクシーはいっぱいあるのだ。雲助の如き運転手たちが、「大阪までいけへんか」「尼崎ないか」と叫ぶ。そのうるささとしつこさは大変なものである。タクシー乗りばの前には一台も来ないくせに、すぐうしろに延々、空車が行列していて、客引きしているのである。
遠い客がないとなると、
「千円出すか。メーターのほかに千円出したら行ったるわ」
と、タクシー乗りばにならんでいる人にいう。
「こんなん、なんぼ待っても来《け》えへんで」
とひやかす。港の突端、ポートタワーの附近はともかく海風が冷たいから、長いこと立っていると、オーバーを着たままツララになりそう。しかたなく、人々は一人二人と陥落して、余分な金を出して悪徳タクシーに乗る。
三十分たった。タクシー乗りばにいるのは私と、十八、九の少年三人の二組ばかりになった。少年たちは「新神戸駅」だという。それでも行かぬものを、荒田町の私の家などいってくれない。千円千円というが、私はそれがきらいである。こうなりゃ女だって意地というものがあるのだ。荷物があったって歩いて帰るんだ。
遠方の客を拾うというなら話はまだわかるが、チップを強要して私腹をこやすというのが私にはゆるせないのだ。徒食して人のカスリで食べているやーさんよりはましだと思い直すが(まあ、彼らも一応、寒風をついて働いてるのだ)、それでも汚ないのだ。それにタクシー代は上ってることだし、ちょっと小まめにうごいたら、ぶらぶらして客引きしている間に金嵩《かねかさ》は張るのだ。私が乗らないでいると、彼らは口々にワルクチをいう。|ても《ヽヽ》中突堤というところはおそろしいところやなあ。少し北には交番があるのにポリさんは何をしてるのかね。
いいカモがないと思った運転手は腹立ちまぎれに物凄い勢いで空車のまま走り去ってしまった。ああやって走ってる間に、荒田町まで乗せれば四、五百円になるじゃないかと、私はむしろ感心する。ワルイ車で目についたのは「M」「K」「T」でしたね。
でも私は結局、四十分くらいでタクシーに乗れた。少年たちも乗った。中には、優良運転手もいるのだ。「キクヤ」のタクシーがきて、彼は侠気《おとこぎ》のある人らしく、少年たちを乗せたあと、私に、どこへいくか、と聞いてくれた。しかし方角が東と西だったので、相乗りできない。ついで「近畿」が、タクシー乗りばにつけてくれた。無事それに乗って帰宅できたというわけ。まあわるいのばかりでもないけれど、良い運転手ばかりでもないのだ。
犯罪もいろいろ今年は多かったが、三億円の保険をかけておいて殺すという、それも妻子を殺すというのがあった。三億円の保険というのも異常だが、その異常をチェックする仕組みはないのかしら。
ただ、私がふしぎだったのは、容疑者がひっぱられた段階で、テレビニュースのときに、「……とまくしたてていました」という言葉をつかっていた。まくしたてるというのは主観的用語で、ニュースにつかうのはヘンな感じがする、ような気がする。
巨額の保険をかけてそいつを殺しても、殺人さえ巧くやればいいのかね。では私は、カモカのおっちゃんに保険かけて、うんとお酒を飲ませ、「せくなあわてな天下のことは、しばしおせいのひざ枕」とおっちゃんがいい気になって、寝こんだところを、首にナワまきつけ、両方から、「エーコーラ」と引っぱったら、女の力でもいけるんじゃないかしら。そうして、あとおっちゃんが自殺した如く、しとけばいいんでしょ。アリバイづくりとかややこしいことは、誰か推理作家の人をたのんで考えてもらうとして、私がナワの片方にぎると、もう片方の人がいるのだねえ、これは。
両手ではできない。
誰をたのもうか。うかつな奴にはたのめません。口を割らぬ奴。同性の、ヒトリモンの、年たけて老獪なる奴がよい。真に老獪にあたいするのは中年女のみである。
「しゃねる」のママはお人よしでダメだ。途中で惻隠の情をもよおす。うば桜の美人記者がよろしからん。二人でエーコーラ、で保険は山分け。
「でも、そうすると、死ぬとき男の人はあそこが立つっていうよ。可哀そうやね」
と美人記者がヘンなことを知っていた。
「そうそう、戦地でも兵隊が死ぬとき、立つんだって。皆が可哀そうに思って戦闘帽かぶせてやるんだって。私も聞いたことある」
阿呆なママは、涙ぐんでいた。
「しばらく戦闘帽がソヨソヨとゆれてるんだって」
「そら、当り前でっしゃないか」
とカモカのおっちゃん。
「あたまの血ィがさがって下へいく。当り前です、下に血ィがたまるのは」
「そうかなあ」
「血ィがあたまへのぼってるときは、天皇陛下バンザイ、いうてる。下へ血ィさがってるときはおせいさーんバンザイになるのです」
とんでもない奴だ。
飲む・する・吹く
あらたまの年たちかえる初春というのに、カモカのおっちゃんはなんのかわりばえもせぬ顔で、それでも一升壜は提《さ》げて、
「あーそびーましょ」
とやってきた。「せくなあわてな天下のことはしばしカモカのひざ枕」などと唄いつつ、勝手知ったる台所にて、燗《かん》をする。
この燗の具合がまことにむつかしい男。
熱いが沸騰しちゃいけない、舌を焼くほどではいけない、ややぬるく、といって人肌ぐらいのは気持ちわるし、と御託《ごたく》をならべる先生。
十年一日のごとし。さながら古歌にいう、「百千鳥《ももちどり》、囀《さえず》る春は年ごとにあらたまれども我ぞ古《ふ》りゆく」という感じで、しかしそれをべつに悲観しても後悔しても自嘲してもいず、悠々としてあぐらをかき、
「ほ、でけました、熱々燗。……肴《さかな》は何々とうち見れば、と。いやこのカズノコはいかん、少々くたびれているようだ。うん、山芋があるな。あれをすりおろしてほしい。いや刺身などはいらん。そういうものでないと酒が飲めぬというのは田舎|大尽《だいじん》のいい草。ナヌ、鰆《さわら》の味噌漬けがあるのか。それを早く出してもらわんと、どもならんな」
などとまあ、ほかにもっと心を労し気を遣《つか》うことはないのでしょうか、天下の一大事の如くいい立てる。
気らくなおじさんなんだ。取りあえず、
「ねえ、おっちゃん、お酒もだけどさ、年頭の所感、なんてないのかね。男ならこう、新年の抱負とか、今年はこういうことをやりたいとか、将来の生活設計とか、考えないですか」
「それはありますなあ。やがて遠からず来るべき食糧危機にそなえ、畑地でも確保しておくとか、そこへ何々を植えるかということなど、考えますなあ」
「何を植えるの?」
「サツマイモです」
おっちゃんは断固としていう。
「戦中戦後の食糧難時代、いちばん身に沁《し》みたのは芋が腹|保《も》ちええ、ということと、砂糖がやがてなくなりますから、甘味源になるということですなあ。まず畑を少し買いこみ甘藷《かんしよ》を植える」
「なるほど」
「而うしてそうなるまでに、手もとにあるもの、美味《うま》いものを心残りなく食う。飲む、する、吹く」
「飲む、打つ、買うというのは知っていますが、飲む、する、吹くとはへんですね」
「吹く、というのは駄法螺《だぼら》でございます。する、はまあいろいろありますが、取りあえず……」
「わかりました、わかりました」
といっちゃう。抛っといたらいいことはいわない。
「畑を買いこんでサツマイモを植えて、そうして何をしますか」
「次には村の後家さんを慰めて廻る」
「それは『吹く』の中に入るのでしょう?」
「いや、これは『する』の中に入る。有言実行します。後家さんたちを慰めはげまし、生きる希望を与え、第二の人生を築く世の光ともなれば、これはまさに人助けですぞ――田舎へ引っこんだら、することはイロイロありますが、まず、その二つが最大の眼目。村のあちこちに声をかけておいて、後家さんが出たらすぐ、知らせてもらうように、しとかなあかん」
「後家さん専門なの?」
「それはそうです。人のモチモノはいろいろと差し障りがございます。後家さんが十人いたら、月に三べんずつまんべんなく廻るとして早や三十日、ひと月かかって、休んでるひまなんかおまへん」
「あいまに畑の芋の世話もせんならん」
「これは、毎朝おきたとき小便かけといたらしまいですが、受け持ちの後家さんにはいろんな年のが居りましょうから、どんな用事を持ちこまれるかもしれぬ、よろず相談引受所ともなりますやろ、体はなんぼあってもたらん」
「どんな用事を引受けるの? たとえば」
「女手でできぬ大仕事とか、力仕事。こう見えて、僕もいろいろ、けっこうマメですからな」
「なるほど」
「役所へ老齢年金をもらいにいくとか」
「そんな年よりの後家さんまで引受けるのですか」
「ただし、女でっせ」
「当り前でしょ、でも、いかに何でも、七十、八十の後家さんはお断りでしょ」
「いや、本人さえその気なら別にどうということはおまへんな。向うがいやや、いうてるもんを、むりにおさえつけて、ということは七十、八十の後家さんの場合、理不尽《りふじん》な気がしますが」
おさえつけなくても七十、八十では理不尽な気がするのではないかと思ったが、おっちゃんは自若としていた。
「ではおっちゃんの老後の人生も、かなり内容ゆたかですね」
「さよう、なんのために生まれてきたかをゆっくり味わって、人生を完《まつと》うしようという意気ごみ十分です」
「あのう、サツマイモと後家さん探訪のほかに、何か趣味はありませんの? 花鳥風月をたのしむとか、囲碁将棋、俳句川柳とか……」
「サツマイモと後家さんが趣味で、何でいけまへんか。僕が後家さんを探訪すると、米や酒を向うから携えてきてくれる、キュウリの一本、ヤマメの一尾も提げてくる、何も不自由おまへん。これぞ趣味と実益かねた暮らし」
「でも、趣味というのはもっと高尚な……」
「趣味というのは、身についた嗜好、好物をさす。趣味とは酒タバコ、メシ、女(あるいは男)など、身心の快楽のためのもんですぞ。イモと後家はんこそ、趣味の最たるもの。これが年頭の所感でございます――ほらほら、燗がぬるすぎる、熱々燗も趣味のうち。たのんまっせ!」
とおっちゃんは私の尻をどやしつけた。
中年女のくどきかた
女上位という言葉がはやったとき、私の知人の男性は、
「よう、あんな言葉つかうわ……僕ら、恥ずかしィて、人前でよう口に出さんわ」
といっていた。
今では社会の中に定着して、
「男上位の社会から、女上位の社会へ変革しよう!」
などと、ウーマンリブかぶれの女の子たちが叫んでいるが、いう本人はもとより、聞いている方も、そう恥ずかしいと思わぬようである。これも、「慣れ」であろうか。
「いや、それは、こだわる方に性意識のおくれがあるのです」
と、カモカのおっちゃんはいった。
「いちいち、そういう言葉に目くじらたてて反応する、というのは、平生、そのことばっかり考えとる証拠」
「そうかなあ。でも、清潔で品行方正だからだ、とも考えられるでしょ」
私自身は、それほど「女上位」という言葉に抵抗感はないけれど、そういってみた。
「いんや、ちがう。性的に神経過敏になっとるさかい、ビンビンとひびくもんや。つまり、それだけ、こだわってるということ。たとえば――」
とおっちゃんは、やにわに、うば桜の美人記者の手をとった。
「こう握手すると、いかがな気持ですか」
「あたし、わるいけど、カモカのおっちゃんに手ェ握られるほどわるいこと、してへんという感じ」
美人記者はいそいで振り払い、
「おっちゃんそのものは、きらいじゃないけど、手を握られると何かゾッと緊張する」
「そういうのがおかしいのです。それはもう、全身、×××になっとる感じ」
「何ですって」
「手ェ握って、なんでぞっとせんならん。男と女いうて、何でそう、いちいち目くじらたてて拘泥せなあかんのですか、同《おんな》じ人間やないですか、尻を撫でようと手を握ろうと、なんでわるい」
「でも、ギョッとしたり、ゾッとしたり、ハッとしたり、するんだからしかたがない。幼稚園の生徒が手をつないでるのと、ワケがちがうわよ」
「そやから、中年女はやりにくい」
おっちゃんの説によると、若い女は、中年者よりはるかにススんでいて、異性と皮膚がすれ合っても、そう飛び上るほどの衝撃は受けないのだという。けれども、中年者は、そこまで開けていないので(あるいは退化しているので)、ちょっとしたことでショックを受け、タンクにヒビが入って、あれよあれよという間に重油が漏れ出したりする。えらいこっちゃ。
「めったなことで手出しでけまへん」
とおっちゃんは荘重にいう。
「だから中年女はくどけぬ」
私は業腹である。べつにおっちゃんはじめ男どもにかならずくどいてもらおうとは思わぬが、くどきにくいといわれるのは腹が立つ。
くどいてもらおうと思わないのだから、くどきにくいといわれたって、べつにかめへんやないか、というところだが、それでも、くどきにくいといわれると、けったくそわるい。
くどかれたってなびくつもりはないくせに、誰もくどいてくれないとなると、怪しからんという気になる。女心、というより、中年女のふしぎさであろう。
「そんなこと、ないと思うよ」
と私はいった。
「それは男のやりかたがわるいのです」
「そうかなあ、いろいろ、四十、五十のうば桜を想定して、あれかこれかと考えたんでありますが」
とおっちゃんは首をかしげ、
「手を握るとゾッとするというから、なおさら、肩を抱くわけにはいきまへんやろ」
「抱きかたによると思うよ」
私はいっておくが、断じて、肩を抱いてほしいのではない。しかし、男が誰もそうしようという気を起さないとなると、腹が立つ。
「いや、これが若い子であると、手を握る、肩を抱く、すると、イャー、エッチなおっちゃん、とキャアキャアいって、|さま《ヽヽ》になる。しかし中年女では、何としょうか、手ェ握るとヒキツケおこし、肩を抱くと心筋梗塞、反応が強すぎて、白眼むいて引っくり返るかもしれん」
「全部が全部、そうじゃないってば」
「若い子やったら、たとえば服の衿元から手をつっこんで、おっぱいをさわるということも|さま《ヽヽ》になる」
私は、おっちゃんにそんなことをさせる若い子なんて、想像もつかなかった。
「しかし中年女では何としょう、必ず、必死に抵抗する。何デヤいうたら、セーターの衿がのびるとか、へちまとか、文句いう」
これは、さもありなん。私、黙ってる。
「それではというので、服の上から胸をおさえようとすると、ブラウスが汚れるとか、しわになるとかいう」
「いわない中年女もあると思うんだけど」
「そういう人もないではないが、そんなのに限って、どこに突起があるのかわからん。二重にたれ下ってたり、当節の人情の如く、紙のごとく、薄かったりする」
そう文句をいうくらいなら、こちらも柳眉を逆立てて、
「もう結構です!」
といいたいところであるが、何となし気がかりでもある。
「じゃ、あの、中年になるとダメなのかしら、もう……」
「まあ、一つ、方法がないでもない。|あんま《ヽヽヽ》でございますな。中年女はたいがい、体のどこかを凝らしてはる。あんましてあげますといい寄ると、たいがいの中年女、タダでマッサージしてもらえる、とめためたとなるもんです」
オール中年女性諸氏よ、気をつけようね。
諸悪の根源
瀬戸内海は、どうやら海底まで油で汚染されてしまったようだ。この汚れがとれるのは何十年先だろうか。油の膜に閉ざされた海面に白い腹を見せて浮いている魚。べっとりと黒くぬりつぶされた砂浜。
この悲しみと怒りは、ちょっと口や筆にあらわしにくい。美しい瀬戸内海を日本の誇りと教えられ、小さいときから馴染んだ浜が見るかげもなく汚濁されてゆくのを見ると、身を切られるように切ない。
この上は、更に、こんな悲劇と愚行をくり返さぬために、奄美大島の石油基地化に、私は断固、反対する。
以前、私が「女の長風呂」にも書いたように、奄美大島の本島の宇検村《うけんそん》、枝手久島《えだてくじま》に、東亜燃料が石油精製基地をつくろうとしているのだ。本土に遠いので、情報不足やPR不足のせいもあって、反対運動がまだ、よく紹介されていないのは遺憾である。
本土のマスコミは、沖縄のことにはわりに敏感であるが、その中間の奄美大島のことは取り落しがちである。石油基地化問題はその盲点をつかれたともいえる。
美しい南海の島の周辺、石油くさくなって、浜の風光は台なしになるのだ。そんなことになってからではおそい。たとえば和歌山県の有田市の海でも、このへんは魚が多いところで、海岸で釣る魚が美味しかったものだが、いまは石油くさくて食べられない。魚が石油くさくなってから嘆いてもしかたないのだ。
白い砂浜や、ガジュマル、アダンの林、肌の色のあざやかな魚や、手を入れると染まりそうに濃い青い海を、守らなければならない。
私が黄色い声でひとりで叫んでいても無力であるが、純朴な島の人々は、反対してもいざとなるとオロオロするばかりで、どうにもできないから、私一人だけでも気焔をあげてるのだ。
「どうしたらいいかねえ、おっちゃん」
「それは、大もとのところから解決せねば何にもならん。奄美がいかんというと、東燃は、沖縄にでも鹿児島にでもつくりよるやろ」
「大もとの解決というと?」
「つまり、人間が多すぎる。これ、へらさなあかんなあ」
おっちゃんのいうのに、日本のみならず、地球全体に人が地にみちすぎたという。その結果、要らざる競争、摩擦が生まれ、余剰エネルギーが、不吉なほてりを孕《はら》んであちこちに熱気球のごとく、わだかまる。
手を放すと、パーッと浮き上って、ぶつかり、バーンと衝突、そんな……。
「いうたら、キンキンに張りつめた世界になりまんねんなあ。――人間が少なかったら、石油も、そないいらんのやし、諸事、控えめになっていく。派手な公害で汚されることも無《の》うなる。何というても、人が多すぎるから、いかんのです。これが諸悪の根源ですぞ」
「ウーン。そうかァ……じゃ、人をへらすにはどうしたらいいかしらね」
私は考えた。戦争。流行病。天災。集団自殺。どれも一ペんに人員整理ができて好都合であるが、戦争は破壊がひどすぎてこまる。流行病と天災は、いつくるかわからない。集団自殺がひとり静かに消えてゆくのみ、で一番始末のいい人員整理であろう。
しかし、ただ一つ具合のわるいのは、誰も自分が人員整理の対象になるとは考えていない。
だから地球のため、全人類のため、はたまた、日本の公害汚染増進阻止のため、人柱となって消えようという人を募集せねばならぬ。
しかし、そういう応募者をあつめるためには、まず当局が第一番に登録してみせねばならない。
いろいろと考えると、たいへんむつかしい。
首相みずから、人員整理の対象になってみせたりするには、さぞ議論が出よう。NHKの歳末たすけあい運動ではないが、
「整理すすめあい運動」
が、よびかけられるかもしれない。
「集団自殺はどうもむつかしいが」
とカモカのおっちゃんはいう。
「月世界移民というので開拓団を送られるかもしれまへん」
「その手もありますね」
「そうすると、満蒙開拓義勇軍のように、写真の見合だけで、月世界へ花嫁を送ることになる。まだ見ぬ花婿を胸に思い描いて飛び立つ。大陸の花嫁ではなくて、『月の花嫁』ですな。『馬車はゆくゆく』ですか」
とおっちゃんもかなりの年であることがばれ、「白蘭の歌」を唄う。しかしこの歌を知っているところ、私も、かなりの年、ということになるであろう。
「しかし、月世界でまた人口がふえてはたまらない」
「そうそう。それゆえつまり、究極は、産児制限になりましょうなあ。二人産むと罰金とか、四人産むと実刑とか。あるいはチケット制で子供を産むとか。子供の要らん夫婦は、ほしい夫婦に、チケットを譲るわけです」
戦争中の衣料配給キップを思い出す。
では未婚の母、などというのは、もう出てこなくなるのだろうか。
「いや、それは関係ないのです。産みたい人は産めばよい。更に僕は考えているのですが、一人に何人、と割当てられた子供、ヘンな男の子供は産めぬ、というので、優秀なのがほしくなる。これからは、そこに目をつけて売り出す、子ダネ屋がふえますぞ」
「子ダネ屋」
「さよう。つまり、いくら頭脳優秀、身体強健、志操高潔な男でも、ナマ身のカラダですからな。何十人、何百人の女あいてにつとめるわけにはいかん。子供のモトを採取して冷凍し、これを売りに出す。有名人、文化人、タレントの子供みな、ふえにふえる。女たちはそうなると、無名無能無芸の男など、見向きもせんようになりまっしゃろ」
「あたしは、そんなバカはしないんだ。子ダネを買ったりしないんだ」
「買《こ》うたかて、おせいさんでは、もうつくれまへんがな」
「おっちゃんかて、売りとうても、子ダネはもうあれへんやないの!」
この勝負、また引き分け。
子 ダ ネ 屋
ああ深刻な、瀬戸内海汚染(何べんでも、いうたるでェ)。底の底まで油まみれ。
海を返せ。
魚を返せ。
いま日本でなすべきことは、急遽《きゆうきよ》、国の総力を結集して、あげて内海汚染清掃の対策に着手することである。いま、すぐやろう!
まずその手はじめとして、人口をへらす方法をはやく実施しよう(手はじめにしては、わりに遠大な計画のような気も、しないではないのですが)。
私が前回に於て、一人につき何枚という子供キップの割当てをする、ということをいったら、カナエの沸くごとく賛否両論が起った。
そんなことをしたら、キップにプレミアがついて闇取引きが行なわれ社会不安をひきおこすというもの。はたまた、戦時中の米の配給制度の如く、悪《わる》平等になっては却って逆効果になるというもの。絶対、子供は要らんという女もあるのだから、そういう女には最初から割当てなどしない方がいいというもの。
さしずめ、私など、そのクチである。
私は子供よりは男をとる女である。私は父親にかわいがられて育ったせいか、子供をかわいがるよりは、子供みたいに男にかわいがられる方がいいんだ。
自分自身がなってないダメな人間なのに、子供にああしなさい、こうしなさい、なんていえない。いってるうちに、しぜんに、わが至らなさが思い出され、顔あからむ。すると、教訓している途中から、語尾が立ち消えになる。こんな自信のない人間に子供が育てられるはずがない。いや、こういうのはすべて、あとからつけたリクツ。
所詮は、子供なんかつくると、男が子供をかわいがるのまでヤキモチやくかもしれない、私一人だけかわいがってくれるのでなくては、イヤナンダ。だから子供なんかつくらない。女としてはかなりアブノーマルであるが、しかしこういう女も、世の中にはいるのだ。つまり、子供のほしい女にだけ、子供キップをわたせばよい。
キップの割当てを受けた女は、そのぶんだけ、いつでも産むことができる。未婚・既婚など、問わぬことにする(ここで一夫一婦制度の弊害について論じていると長くなる)。
子供の人数に制限があると、誰しも、質の向上をのぞみたくなるであろう。
女というものは、有名人好みである(まあ男もそうだが)。誰ソレの子がほしい、ということになる。美男才子をえらびたがる。
「こうなると、利にさとき商人たちがはじめる商売が子ダネ屋です」
と、カモカのおっちゃんが、チラと前回洩らしただけで、早くも女性たちから、引き合いが殺到して、まだ開店もせぬうちから、子ダネ屋は大繁昌のきざしである。
「どんなもんです。あたまはつかいよう、金もうけなんて転がってる金を拾うようなもんです」
おっちゃんは経営コンサルタントみたいなことをいい、自慢そうである。私は疑わしい。
「しかしそんな子ダネを、男の人が心安く提供するかしらん」
「それはどうせ、無駄に下水道へ流れるものであるからして、金になるといえばよろこんで提供しまっしゃろ」
「しかし、あれは、仄聞《そくぶん》するところによれば、腐るでしょう。腐るというか、効力を失うというか、何しろ、ナマモノですから……」
「それを、何とかして腐らんようにする」
「しかし、買ってもどうやって扱えばよいのか素人ではできますまい」
「それは錠剤にする」
「錠剤」
「水と一緒に食間に服用すると、一週間ほどで、月のめぐりがとまるとか……」
「ずいぶん機能的なのね」
「錠剤はきれいな紙や函にはいって居ってその函のおもてには、子ダネ提供者、つまり薬品名が印刷してある。写真やイラストも添えてあります。ひと目で誰のソレとわかる」
「なるほど。郷ひろみとか、アラン・ドロンとかの写真と名があって、買い手は好きなものをえらべるわけなのね」
「ひろみを一つ下さい、と女子中学生なんかが買いにくる。あるいは女子大生が中年ご三家を下さい、というて来ますなあ」
「なーるほど」
「子ダネ屋は、『中年ご三家のどれにしますか』と聞くね。こればっかりは、ふつうの薬とちがい、併用して服む、ということはできん。複合汚染ではないが、複合受胎というわけにはいかぬ」
「中年ご三家はワンセットで売らず、バラ売りなんですね?」
「ワンセットの方がいささか安上りにつくから、三人ひと組になって共同購入したりする。しかし、三人それぞれの好みの錠剤がちがっていればよろしいが、みんなエイロクやオザワ下さいというと、あとに黒メガネのみ売れ残る可能性がありますなあ」
「うん、それはわからないね」
「子ダネ屋としては売れ残っては、どもならんから、大バーゲンセールをして、黒メガネの子ダネ錠剤を売り出す。レコードの景品につける、本の景品につける」
「大安売りですね」
「ともかく安いってんで、団地の主婦あたりが一括購入する」
「中年は効力がうすいから、一回に二錠服用ください、とラベルに書いてあったりするかもしれへん」
「テレビでもコマーシャルを流しますなあ。『ただいま好評発売中、純良まじりけなし』」
「ハチミツみたいやね。でもラーメンやハチミツとちがって子ダネはどうやろ。やっぱり人間一人つくるというのは大仕事やから、コマーシャルに釣られて買うような、アサハカな女おるやろか」
「ハテ、そこですがな。女というのは迷いの多いもの、誰の錠剤にしようか、あれこれ迷うてるうちにどんどん月日がたって、手おくれ一歩前、ええい、もう誰でもええわ、とやけくそになって一番安いのを買う」
おっちゃんはうれしそうにいった。
差別コトバ
このごろ、差別的なコトバにたいへん神経質になっている人が多くて、いろいろむつかしいことである。
どうして、こまかいことにいちいち、心を労するのだろうか。どうということない気が、私にはするのだけれど。バカやキチガイというのもいけないそうだが、私は、コトバをなるべくやさしく、簡略にするのに賛成な人間なので、「精神障害者」や「あたまの働きの不十分な人」とよぶのは趣旨に反する。
日本語はますます複雑に煩瑣《はんさ》に、あいまいになってゆく。
呼び方に拘泥するくせに、人間のやっていることの無茶だらけは気にしないのかしら。
大企業の暴虐な所業をみよ。コトバにいちいち神経をとがらしているわりに、世間は大企業の公害たれ流しや、暴力には鈍感なように見える。そういう会社の株主総会に出没して、やりたい放題に暴れている暴力団などはそっとしておいて、「つんぼさじき」も「めくら縞」もいけないというのは、片手落ちもいいところである。
トシヨリもいけない、というのでマスコミ人種は「年配の人」といっていた。尤も、これは社交辞令的な部分があるので、テレビやラジオの方面で規制されることが多く、活字の世界はまだお目こぼしにあずかる。
漫才作家の織田正吉さんは、
「貧乏人」
とラジオでしゃべって叱られたので、いそいで、
「発展途上の人」
といっていた。そのデンでいくと、何もかも差別用語になってしまう。
「しかし、金持ちはいいんでしょう。ホメコトバやから」
と私がいうと、カモカのおっちゃんは、
「金持ちはよいが、成金はいけまへんやろうなあ。急進的高度経済成長の人、といいますか」
「日が暮れてしまいますね」
現代では成金もホメコトバかもしれぬ。成金がさげすまれたのは大正の第一次世界大戦ごろのことで、いまの成金はたいてい土地を売って出来た人。これはたいがい、没落も早く、金持ちから、持ち兼ねる方に引っくり返るから、成金時代は短い。
処女・童貞も、昔はホメコトバであったが昨今は、蔑称にちかいように思われる。
「なーんや、処女かァ」
「あんた、童貞? ヘー」
とせせらわらわれるような時代になっているのであれば、差別用語なのかもしれぬ。
「処女や童貞はどういえばいいんでしょ、おっちゃん」
「それはまあ『開発途上の人』とでもいいますか」
「そんなこといってると、ずいぶん、範囲がひろがっちゃうと思うよ、うん。処女・童貞でなくても、『開発途上の人』はずいぶん多いんだもん」
「まあ、それはそうですが。『未開発の人』というた方がええかいなあ」
「未開発でも、この頃は、アタマだけ開発されてるのが多いしね」
「うるさいな。では『下半身未開発の人』」
そっちの方が差別用語だと、どなりこまれるだろう。
もういっそ、全部、開発途上の人、としといたらいいかもしれない。人間、死ぬまであっちの方には関心があるそうだし。灰になるまで、といいますから。
「セックスをあっちというのは差別用語にはならないかしら」
「某方面というと、戦争中の軍事郵便みたいやし」
「そっちではあかんか」
「どっちのことや」
「あっちの反対」
おっちゃんとしゃべっていると、話がこんぐらかってくる。
「某方面には強い人、とか、某方面はかくべつ好きな人、といわなければならぬ」
「ずいぶん、アイマイ模糊としてきますねえ」
「それは当然です。物事をアイマイにし、おぼめかせ、論旨をぼやかして、当りをやわらかにするのが、差別用語撲滅の目的ですからな」
とおっちゃんはいった。
ところで、お酒を飲むと、ヒタスラ口をつつしんで、静かにしている御仁がある。
彼は、酔っているときにしゃべったコトバを、人におぼえられまいとしているのである。彼は、「おぼえられたら、それが『失言』というものや」
といっている。たとえ、たのしい思い出でも、のちのちまでおぼえてられては、「失言した」と感じるそうである。(彼のおかしいところは、どうせ、そういう決心をしてもはじめの十分ぐらいである。じきに酒が廻り、すると立ち上って、『胡麻と豆腐を一緒に食えば、薩摩がすりのクソが出る』と放歌乱舞する。そうして、翌朝、私がサツマガスリの歌を唄ったね、というと、『失言した、失言した!』と青くなってさわぐのである)
これに似たものに、文章の、「いい文章」といわれるのがある。国定教科書の文章がほんとは名文なんだという説がある。
いい文章というのは必ず闇に沈んでゆくもので、あんまりヒッカカらないクセのないもの、すんなり入って来て、痕跡も残さぬようなのが、よい文章とされる。おぼえられては、失言ならぬ「悪文」ということらしい。
「すると国会の答弁などは超一流ですなあ。あれは内容はなくても、失言しない、揚げ足とられない、ひたすらそれのみに心を労しとる感じ」
とおっちゃんはいう。
「へー。おっちゃん、国会答弁なんか、ていねいに聞いてんの。ヒマ人ねえ」
「ヒマ人とはどうや、差別用語やないか」
「どういえばいいんです」
「清貧に甘んじてる人」
と、おっちゃんは、エエ恰好しいであるのだ。
非常識ごっこ
葬式というものは、モメるものである。
どうしてか、結婚式ではモメないのに葬式はよくモメる。
なごやかにしめやかにとどこおりなく、という葬式は(それが当然なのに)少ない。
ウチの舅・姑の葬式くらいかしらん。どちらも七十をこえ、爺さんなどは寝ついて数日、苦しみもせず極楽往生、一生したい放題した人だから、あとに残る子も孫も心のこりなく、お寺さんは戒名を、
「白雲院悠々居士」
とつけてくれたくらいである。葬式の日は飲めや唄えの大そうどう、久しぶりに遠くの親戚が顔を合わせ、「よう、どないしとんねん」「ちと、老けたんちゃうか」などと盃をあげて久闊を叙し、「おい、酒や酒や。酒もってこい」と男たちはよぶが、女連中は別室にかたまってご馳走をかこんで乾盃、大にぎわいで、みんなニコニコしていた。
すべからく親というものは極道をしつくして、子供たちの鼻つまみで死ぬべきだと、私、つくづく思っちゃった。いい葬式だった。
しかし、こんなのはめずらしい。
時として波瀾ふくみとなる。
焼香順がちがう、とあたまから湯気を立てる人がある。
「本家だっせ、ウチは。本家がなんで分家のあとへ来《こ》んなりまへんねん。帰らしてもらいまっさ」
と席を蹴立てて出、マゴマゴしている妻女にも、
「早よ来《こ》んかい、去《い》の、去《い》の!」
と促して、一座収拾つかぬさわぎになる。
また、病院の支払いを立替え、看護婦さんの心付けもしたのに、誰も礼をいわぬ。あれどないなってまんねん、「ワテが払う筋はない、思いまんねやわ」と本人がもう死んでるのにゴテている老婦人もいた。
おかしかったのは、葬式のあとあつまって食べた|ばらずし《ヽヽヽヽ》(大阪で五目ずしである)を盛るのに、お椀でなく、お皿に盛ったというので、
「ワタイは犬やおまへん」
とむくれて顔色をかえ、
「けったくそわるい、去《い》にまっさ」
と席を立つおじさんもいた。一座はあわてて押しとどめ、
「何も悪気でやったんとちゃいます、五目ずしいうのは、世間でもほんまはお皿に盛って、紅しょうがをぱらっと振って食べますがな。馬鹿にして、お皿に盛ったんとちがいます」
「いや、ワタイはいつも大ぶりのお椀で食べとりまんねや。ほんで、金糸《きんし》たまご仰山かけて、紅しょうが、チョビッとふりまんねん。――皿に盛って、紅しょうがだけ、ちゅうような五目ずし、知りまへん」
と、しまいにすし論争になって、おかしかった。
それはともかく、いろんな葬式を経験してきて、よくモメるのを知っているから、坂東三津五郎さんの急逝で、ごたごたしているのも、ふしぎではないと思うが――。
私は三津五郎さんのファンなので、その死をたいへん残念に思った。けれども、その葬式では、少しびっくりした。
これも私の好きな役者さんである、中村勘三郎さんが、大変ショッキングな弔辞をよんだからだ。
三津五郎さんの死を、先に亡くなった先妻さんは、さぞよろこんでいるだろうといい、先妻さんと同じ墓に入れてやるといい、先妻さんがいかに三津五郎さんのよき協力者であったかを讃えたというのである。
三津五郎さんの死をみとった現夫人を前にしていうのだから、関係ない他人から見れば、たいそう奇異に思える。
しかも、マスコミの報道では、そういう衝撃的な発言をした勘三郎丈に対して、
「一世一代の名演技」
とか、
「効果的な演出」
などといって、その弔辞が妥当で必然的なもののように扱い、してみるとそれは関係者の大方の意向の反映であるのだろうか。
私は歌舞伎界や舞踊界の内幕については全く知らない。
坂東家の内紛についても、週刊誌以上の知識はない。
だから、勘三郎丈の、公衆の面前での発言が当を得たものかどうかを判断する材料は、何も持ち合わせがないのである。
しかし、現夫人が控えているのに、先妻さんのことを葬式で持ち出すのは、女の感覚からいうとじつに痛烈に残酷である。
私は現夫人が(むろん、今は未亡人である)どんなことをしてきたか、三津五郎丈との間がどうであったか、何も知らない。知らないからこういえるのだろうけれど、しかし二番目の妻となって、しかも夫の死をみとった人の前で、先妻に言及するというのは、どう考えても非常識で不人情に思われる。夫の死を悲しむ点については誰も同じだろうに……。
坂東流の名跡を誰につがせるか、そんなことは、第三者から見ると、コップの中の嵐だ。
それは、お家騒動にすぎない。
けれども、目の前で、夫の葬式のときに、先妻さんを引き合いに出されてほめられたり、一つの墓に入れる、などと公言されては、未亡人の立つ瀬はないんじゃないか。もしこれ、妻が死んで、その弔いの席で、妻の友人が、夫を前に先夫をほめ、先夫と一つ墓に入れてやる、といえば、現在の夫はどんな心地がするだろうか。
非常識な話だ。しかし、その非常識が、もし当然のこととして、関係者一同から拍手をもって迎えられるとしたら、歌舞伎界というところは、ふつうの人情や、人間の感情が通用しない、歪んだ世界なのかもしれない。私がこういうと、カモカのおっちゃん、
「しかし、その非常識をうわまわって、未亡人の方も非常識なんかもしれまへん。所詮この世は非常識ごっこ、常識あるもんは、色と酒におぼれるばかり」
女 を 罵 る
かねて私は、女を罵る名詞は多いのに、なぜ男を罵るコトバはないのだろうと考えている。
たとえば女だと、
「ドタフク」(お多福を罵ったもの)、「ドスベタ」(スベタに強めのドがつく)、「アマ」(尼ではない、阿魔である)、「メンタ」(牝の卑語とでもいう大阪弁)、
などとあり、年齢的にいうなら、むろん、「オバハン」などとあり、私などは、右の総括としての「オバハン」とよばれるのである。
容貌的にいえば、
「ブス」
というのもしばしば用いられ、嗜好によっては、
「スケ」、「レコ」、「メロー」(女郎)、
なども愛用されるようである。
たんに「女性」を意味する卑称だけでもこれだけあるのだから、じつに多彩な表現といわねばならない。そうして一つ一つの語がじつに陰影に富んでいる。
「彼女が……」といえば、英文和訳風であるところを、
「あのドスベタが……」
とやると、いう男もいわれる女も、とみに生彩を帯びて聞かれる。
「女のくせに出しゃばるな」というだけでも、強いバリザンボウであるのに、これを、
「メンタのくせに、出しゃばりさらすな」
とやられると、中ピ連の女闘士もしばし、ひるむであろう。
ところがふしぎなことに、これに相当する「男性」を意味した罵詈《ばり》のコトバがないのだ。
まあ、すぐに考えつくのは、
「野郎」
であろうか。
「アイツ」というのもある。「あん畜生」というのもあるが、これは特殊な場合になる。「メンタ」に対応する「オンタ」という語はあるが、女はつかわない。
年齢の制限付きでいえば、
「ガキ」、「青二才」、
「チンピラ」、「若造」、「小僧」、
「オッサン」、
などというのもあるが、これはおもに、男対男の間のケンカことばであろう。男が女を罵るときには、多彩なボキャブラリイに富むくせに、女が男を罵る語はないのだ。
夫婦げんかのあくる日、友人に電話で報告している中年女、「ウチのおっさんいうたらな、こんなこといいよんねん」とまくしたてているが、せいぜいこのくらいのところ。また、若い女の子同士で男の品さだめしている、そんなときも、「アイツ、ちょっと好きよ」「じつにいやな野郎だわ」などどまりであろう。至って貧弱な表現しか持っていないのだ。
私は、これは男性の支配社会のせいだと思う。女を蔑視する風潮のせいとちがうかしらん。女性を意味するバリザンボウのコトバがたくさんあるなんて。中ピ連にいうたろかしらん。そうして男性支配をはねかえす運動の手はじめの段階として、男性の卑称をいっぱい、つくったろかしらん。私がこういってると、若い女の子たちが、
「インポやホーケーなんていうの、男を罵る語にならないかしら」
といったが、どうもそれは即物的すぎ、男全体の卑称とはなりにくい。
カモカのおっちゃんにいわせると、それは、
「男は女のことをあれこれウワサすることが多いからで、べつに男性上位や、女性蔑視のせいではおまへん」
ということだ。そうかなあ。
だって、女だって男のうわさはよくするんですけどね――ノロケもあるし、うらみもあるし、憎いあん畜生、という感じでうわさするんだけど、ふっと言葉に出てこない。
男たちが、万感をこめて、
「あの女郎《めろう》、おぼえてけつかれ」
と逃げた女を罵るように、男に逃げられた女たちは、万感の思いは胸にあふれながら、失語症にかかったみたいに、男を罵るコトバが出てこず、金魚のように口をパクパクするだけである。
「あのパパ――」「お父ちゃんのくそったれ」などといっていたのでは気が抜けてしまう。
「いやそれは……。男が女に関心を持ち、そのうわさを好む度合なんてのは、ものすごいもんですぞ」
とおっちゃんはいった。
「とうてい、女の井戸端会議の比ではないのです。全身、好奇心のかたまり、愛着と憎悪と反撥とベタ惚れを一緒に釜に煮つめてエッセンスを飲んだみたいな、女への関心いうたら、まあそんなもんとちゃいますか」
「ハハァ」
「誰もそんなこといえへんけど、内心、男やったら、あたまの先からつま先まで、朝目をさますと夜ねるまで、オナゴのことばっかり考えとる」
「そう見えないけどねえ……」
「口に出さんだけ。そやから、コト女に関する卑称・愛称となると、バラエティに富んだ色彩ゆたかなコトバがしぜんに湧き出るのですわ。女に関するインスピレーションという点では、男はみな、大芸術家です」
「そうかなあ……」
「女に関する豊富ないいまわし、愛称・卑称を考えつく能力では、みんな、すごい大作家です。感興|汪溢《おういつ》、詞藻湧くがごとく、言々句々、珠玉のごとくふきこぼれて、メロー、メンタ、ドスベタ、アマ、ドタフク……」
「フーン。では女はコトバをつくる能力では男に劣る、と」
「というよりも、女はもっぱら行動で感興を示す。――そこへくると」
とおっちゃんは憮然としていった。
「男は実際行動が、もひとつ振わんさかい、表現の多彩でうめ合わせしているのかもしれまへん」
大正ニンゲン
美濃部サンが立候補をやめるとかいってから、ひんぴんと私如き者のところへも電話がかかり、どういう人に立ってもらいたいと思われますか、というのから、はては、
「タナベサンは、立つつもりはないでしょうね」
などという質問まであびせられる。
「むろん、ありませんわ」
私なんかは小説書く以外は、バーで歌を唄うのがせいいっぱい。主婦としても半人前、女としてもつかい物にならず、それに時間もなし、都知事になったりしていては、毎晩、カモカのおっちゃんと酒を飲んでちゃらっぽこを叩いているひまもあるまい。
「ああそうですか、なるほど。衆議院にも出られるつもりはない?」
「ない、ない」
「無論そうでしょう、あなたでは立たれても落選でしょうし。ハッハハハ、いやお邪魔しました。ガチャン」
どういう意味や、それは。
はじめからわかっとったら、何も聞かんでもええやないか。
そこヘカモカのおっちゃんが来た。おっちゃんの政治意識のほどをうかがってみよう。
「ねえ、おっちゃん。おっちゃんは、支持するとしたら政党は何ですか」
「とくに支持するというのは、おまへんな。……あの、お燗はできてますのやろか」
「お酒なんか、アトでよろし。――支持しないまでも心情的に共鳴する党、まあどちらかといえば、というようなのは、どれですか」
「以前は、共産党でしたな。……終戦後からしばらく、共産党がまだ勢力が弱うて、ヒイヒイで、議席もあるかなきかというありさまのころは、こういうのも居ってもらわなあかん、と、一生けんめい肩入れして、票を入れておりました。……あの、徳利はどこですか。僕が、やりまっさ」
「うるさい! 大事な話の最中やないの。昔は共産党で、それからどうなったん?」
「エー、共産党へ入れたり社会党へ入れたり、その日その日のデキ心、しかし一貫して保守党には入れなんだ。革新政党に肩入れしてきました。……おッ、これくらいの熱燗でよろし。これすぎたら、煮立ってしまう」
おっちゃんのあたまを占めるのは、酒のお燗ぐあいのみであるらしい。
「じゃ、いまでも革新支持なのね?」
「うん、それはそうにちがいないが、微妙にかわってきましたな、こない共産党が強うなると、僕はトマドイがある」
とおっちゃんは、私の盃にお酒をつぎ、自分のにも充たしていった。
まず、じっくりと舌で味わう。おっちゃんはガブ飲みする人ではないのである。
「支持する、せん、はともかく、今はどっちかいうと、保守党は、党内に右から左までバラエティがあってたのしいですなあ。同じ保守でも派閥があってワイワイガヤガヤいうて政治的色合もちがうのがおもしろい。――そこへくると、こわいのは共産党です。一党一色いうのは、おそろしい。――そういうのんが、ワッと力持つと大変こまる、という感じです」
「では、保守党へ肩入れするわけですか、革新から鞍がえして」
「そこが微妙というゆえんですな。というて、若い奴がはじめから保守党支持いうたら腹立つ」
「ふーん。だって、おっちゃんかて、半分保守党に色目つこうてるやないの」
「何をぬかすか。僕は、大廻りして、屈折してたどりついた色目ですわ。何十年も、政党のうつりかわり見比べてきたあげくの果てですわ。それを若いもんは、対角線ですぐいきついてしまうのです。そういう単純な保守党支持に、ハラ立つ。何や思《おも》とんねん」
「では、革新支持なら、ええと」
「しかし、単純に革新革新いうとる手合いも、あんまり信用ならん。一国一党になってしもたら、うっとうしい」
「では、どないせえ、いうんです」
「知らんがな……。そんなこわい顔したかて。要するに、中年いうのは、二二ンガ四では割りきれまへんのや。女房《よめはん》もええが、ヨソの女もよう見える、という按配。双方の良《え》え所《とこ》がわかるのも中年なればこそ、でございます」
「じゃどうすんの」
「ハテ、せわしない。酒飲んでるときに、ごじゃごじゃ、せかしなはんな」
おっちゃんがあわてふためくのはどんなときだろう。
「それは、燗をしすぎて酒がふきこぼれたとき」
「革命がおきても、あわてない?」
「しゃアない、思《おも》て、赤旗をみんなと一緒になって振る、あるいは毛語録をオデコにのせる」
「じゃ、もし日本が右寄りになったら?」
「日の丸振って、靖国神社おがんでます」
「犬ざむらい。おっちゃんて、節操ないのね」
「節操とは何ぞや」
とおっちゃんは新しい酒をおいしそうに舌つづみ打ちつつ含んで、いった。
「おせいさんがそう怒るのは、まだ政治に対して理想があるからや。人間に対して、夢持ってはるねん」
「あたりき――。右寄りになるのには命を張って、貞操を賭けても阻止するわよ、アタシ」
「おせいさんの貞操なんか誰もほしがれへん。――ともかく、理想や夢なんちゅうものは、我々の世代は持っとらんのが多い」
「何ですって。世代のちがいだというの」
「さよう。大正ニンゲンは、政治に愛想つかしとるのが多いですなあ。それにくらべ、昭和ヒトケタに政治的色けのある奴が多い。大正ニンゲンは、誰がやったってどうちゅうこと、ない、思《おも》とる。人間や政治に絶望しとんねん。これすなわち、大正ニンゲンのニヒリズム。ニヒリズムの根は深いのですぞ」
「そうかなあ。おっちゃんのニヒリズムなんて、つまり、ご婦人に対して実績がなくなったから出てきたんとちがうのかなあ」
と私がいうと、おっちゃんはいそいで「ラーラーララ」と唄って私の言葉を遮った。
蛮  行!
食糧危機がせまってくると、だんだん、へんなものも食べないといけなくなるかもしれない。
ネズミ、ゴキブリも、やがては食用ネズミ、食用ゴキブリに改良されて、レストランでも供されるかもしれない。
私は食いしんぼうであるから、慣れてしまえばかなりのものも食べられると思う。どうも、そういう人間であると思われる。モツでもホルモンでも、豚の足の、爪がついているヤツでも、魚の目玉、魚の|あら《ヽヽ》、何でもおいしくいただく人なんだ、私は。
「美しい顔で楊貴妃 豚を食い」
という川柳ではないが、スッポンを水槽から取り出し、スポンと首を切って生き血をタラタラそそいだ葡萄酒を飲み、大鍋に煮立てたスッポンを、平然と召し上る人なんだ、私。
目の前で、スッポンが首を切られていても、ウーン、などと見ていて、なおかつ大鍋に湯気立てて運ばれてきても、食べるのである。尤も、魚、スッポンまでの話で、鳥やけものを屠殺したり、羽根をむしったりというのは、いまのところ見ていては、食べられないだろう。
しかし、せっぱつまると、それも平気になるだろうと思う。
そこの神経の度合が、まことに強靭にできていて、考え方がスムーズに変貌していく自信がある。いい自信かわるい自信か、わからないけど。
それで、私のおそれているのは、アンデス山中の人肉嗜食事件のようなハプニングが、人生で起ることである。
アンデスの山の中に飛行機が墜落した。生き残った乗客は、死者の肉を食べて露命をつなぎ、辛うじて救出されたが、このセンセーショナルな事件は世界じゅうに、ごうごうたる議論をまきおこしたのである。尤も、キリスト教徒と、そうでない人との間には、微妙に受けとめかたに食いちがいがある。それはしかたない。ローマ法王でさえ、これを聖餐とみなして認めたが、我々無宗教者(無神論者ではない)は複雑な心境である。
ところで、私が佐藤愛子チャンを好きなのは、彼女が信頼できる人だからである。それが、アンデス事件となんの関係があるかというと、彼女がこの事件について書いていたことが、信頼できたからである。
われらが愛子チャンは何というたか。
「私だったらぜったい食べない。いかに飢えても人間は食らわぬ」
と力んで叫ぶ(この通りの文章ではなかったと思うが、しかし文意と口吻は、まさにこの通りのものであったと確信する)。
この人、食わぬといえば断じて食わぬ人である。それが信じられるからいいのだ。
こういうことがいえる人は少ない。当時の評論家、有識者たちは、この事件についてなまなましい告発や弾劾をしていなかった。極限状況になったら人間はわからない、と態度を保留する。あるいは極限状況の異常心理や行動を分析研究し、冷静に評論し、もって、来るべき飢餓時代ヘの資料にするのである。誰も人肉嗜食者たちを非難しない。
しかし愛子チャンはそんなこと知らん、ただもう正直に叫ぶのである。
私はそこが、とても信じられたのである。
愛子チャンは、「やらん」といえば絶対、やらぬ人であると思われる。
彼女のイメージは、
「名を惜しむもののふ」
という感じである。遠藤周作先生は、愛子チャンを白パンツにたとえられたが、私にいわせれば「箙《えびら》に梅の枝をさす梶原景季」というところである。あるいは、「兜《かぶと》に香を焚《た》く木村重成」といってもよい。サムライ中のサムライで、今ははやらぬが、「花は桜木、人は武士」というイメージである。女でこういうイメージの人は珍重するに足る。
そういう一言千|鈞《きん》の快婦人がいったのだ。
彼女の場合は(さもあらん)と深くうなずき、信じられるからりっぱだ。
これが私であるとどうか。私はかねてより愛子チャンに附和雷同し、彼女が、
「とんでもない、許せんですよ!」
と叫ぶと私は背後で、文字通り尻馬に乗って、
「そうだ、そうだ!」
という。
「たとえ餓死しても、人間の誇りは失わん!」
と愛子チャンが叫ぶと私はまた、
「そうだ、そうだ!」
という。
仮定として私と彼女は、共にアンデス山中へ墜落し、九死に一生を得たが、飢餓にさらされているのである。向うの一団の人々は、背に腹かえられぬと、人肉を干しかためて、チューインガムの如くしがんでいる。そうして親切に私たちにもすすめてくれる。愛子チャンはその手を払いのけ、前述の如く叫ぶのである。
しかし私は同調しつつ、人々の手もとを見つめて口中唾の湧くのを禁じ得ない。そのうち主義主張も見栄も張りもなく、人々がしがんで捨てた干肉へ、よろよろと這い寄って手をのばし、鬼界ヶ島の俊寛といったていで、震えつつ口ヘ入れるのである。いや、入れはすまいかという想像におののく。自分で自信がないのだから、人さまがごらんになれば、よけいであろう。私は、到底「名を惜しむもののふ」にはなれぬ、安手な人間である。
「まあ、人肉はともかくとして」
とカモカのおっちゃん、
「早い話、僕は犬や猫なんちゅうもんは食うてしもたらええ思《おも》てますなあ。犬カツ、猫なべ、なんて、食用ゴキブリよりはいけまっせ。犬猫なんざ、みなぶち殺して食うてまえ」
「何てこというの、犬カツとは許せん!」
犬好きの私はキッとなる。
「たとえ餓死しても、私は犬は食わん!」
「ほらほら、おせいさんかて、『もののふ』になりかけてるがな。犬猫が何やいうねん。キャッキャッいうことあらへん」
いや、私はおっちゃんを許せぬ。人間を食うのはともかく、犬猫を食べるなんて蛮行は許せんですよ。もうおっちゃんには遊びにこさせない。
悲 母 観 音
巷間の俗説によれば、私は「悲母観音」「おせいマリア」ということになっていて、男には無限の慈愛をそそぐ、永遠に母なるもの、ということになっているが、これはウソである。
私は、観音さんやマリアや、お袋さんにはなりたくないし、なれないのである。
「永遠の母」よりも「永遠の色女」になりたい方である。
かつ、男という男にすべてやさしい、というのなれば、なぜああも、男の編集者につれなくするのであるか。
「できないものはできないんですッ、しかたないでしょ、ぎゃァぎゃァいったって! ガチャン」
と電話を切って、あいてをこまらせたりする、そんな無慈悲なことができるはずがない。一片の良心と慈悲心があれば、期日までに規定の枚数をキチンと仕上げて、男性編集者をヤレヤレとよろこばせ、うれしがらせるはずである。
それをできずに、詫びるどころか、
「そうやかましくいうから、よけい書けなくなるじゃないの、ともかく書くことは書くつもりだから、うるさくいわないでよ!」
と剣突《けんつく》くらわせたりする。そんなことをする女が、悲母観音であるはずはないのだ。編集者であろうと何であろうと、男にかわりがあるじゃなし、男という男にやさしければ、まず、手近の編集者記者諸氏にやさしくするはずである。
よって、私は、あんがい、男にはやさしくない、という結論がみちびき出される。
それどころか、男のこまる面ばかりがよく目につく。
男の横暴。身勝手。
男のしぶちん。無神経。ヤキモチ。
誰かを目の前でほめると必ず、
「いや、しかしアイツは、誰も知らないがこうなんだ」
とすっぱぬいてワルクチいう男がいる。人が(女が)そいつのことをほめたりするのが腹立って堪えられないらしい。そういうときに当人の人間の底「おのずからあらわるることを知らず」。
兼好法師は、女のワルクチをえげつなく書いているが、男だってたいてい人我《にんが》の相深く、貪欲はなはだしく、性はみな「ひがめり」。
まあしかし、それはいずれも、男、女お互いさまであろう。女も、女同士のワルクチをいい、しぶちんで無神経、身勝手であって、どっちがどうともいえない。
いい勝負で、未来永劫に、男と女は引き分けである。
また、引き分けだからこそ、えんえん、人類はじまって以来、男と女は取っくみあいのケンカをつづけていられるのだ。
そのほか、男は、よく自慢するので、それにもうんざりする。学歴自慢、経歴自慢、才能自慢。
いい年の中年男が、子供自慢、女房自慢。
知っていて自慢するのと、意識なくて心の底から自慢するのとはちがう。尤も、これも女にありがちのことで、マイホーム自慢という女が多く、いい勝負というべきであろう。
女の自慢はもはや、ありがちというよりも、生きてゆく上の絶対欠かせぬ栄養のようなもので、女というもの、呼吸するように自慢する。
ところが、男にあって女にないものが一つある。
愛社精神である。
女は、何年、会社へつとめようと、冷静に会社のことを考えたり、しゃべったりする。
会社へつとめているおかげで食べていても、
「ウチの会社いうたら、ねえ……」
と、社外の人にも、社員同士でいうような距離をおいたしゃべり方をする。
ところが男は、同じようなことを口ではいっても、底では烈々たる愛社精神に燃えてはるのである。
そうして、会社のためには、たとえ火の中水の底、「火にも水にもわれ無けなくに」という心意気である。
会社のことをちょっとでも誹謗《ひぼう》されたら、死を賭して攻撃し、反撥するのである。
梅棹忠夫センセイは、今の会社組織は昔のサムライの意識構造をそのまま踏襲しているといわれたが、サムライが、藩と主君を守るために命を抛《なげう》つようなところが、男にはある。
入社したての若い子が、愛社精神からというよりも、半分、そんなところへはいれたわが身かわいさ、自慢たらたら、
「うちの会社は、年商×十億やねんて」
「ウチの支店はニューヨーク、パリ、ロンドンをはじめ各国に百何十あります」
「資本金なんぼ、従業員なんぼ」
などといっているのは、まだ本人の若さとにらみ合わせてかわいげもあり、
「そうかい、そうかい、よかったねえ、リッパな会社へはいれておめでとう」
と、悲母観音ぶりを発揮できるのだが、これがアタマ薄くなり、おなかの出はじめた中年男ならば如何《いかん》せん。なんぼ中年好みの私だって、愛社精神旺盛で、わが社の国威発揚につとめる手合いは、始末にこまるのである。
潰れかかった会社は、やっきになって弁護する。隆々たるのは、なお自慢する。私にいわせれば、大丈夫たるもの、つねに一歩退いてわが身を見、社会を見、わが藩わが主君の暗愚、強欲ぶりを、とっくり観察、批判できるオトナであってほしい。ええ年からげて若いもんと同じように愛社バカを発揮してはならぬ。私は男どもの帰属意識の強さにへきえきしているのだ。
しかるにカモカのおっちゃんのいわく、
「ふん。それはすべて、おせいさんが、男に対し、男はかくあるべきもの、大丈夫、オトナはこうあってほしい、と夢を持っとるから、そんな注文つけるのです。男がどれだけ偉いものだと思うのだ。男はなべて、女子供と同等のレベルなのでありますぞ。買いかぶられては、大きに迷惑――そこを知らぬふりで抱擁するのが、ほんまの悲母観音やないかいな」
私、そんなもんとちがう。買いかぶられては大きに迷惑。
ヘンな町・神戸
神戸はヘンな町だと思う。
どこがヘンかというと、ちょっといい表わしにくいが、何となく、することがおかしい。
この間も、神戸で一冊、本が出た。
神戸新聞のフロントに、二十年来時事マンガをかきつづけてきた、マンガ家たかはし・もうさんの本である。今まで新聞にのった作品からえらんだものに、神戸百人のスケッチや、ほかのマンガをとりあつめ、一冊にしたもので、もうさんの知己友人があつまって、ああでもない、こうでもない、とヤッサモッサして、とうとう「たかはし・もう笑品集」という本をつくり上げてしまった。本人はぐうたらで、飲んで唄うのが大好きな人だから、まわりがよってたかってつくらなければ、永久にできないだろう。
神戸の百人をスケッチするということも、実際には大変で、もうさん自身の苦労も苦労だが、スケッチされる方の協力がなければ、できないのだ。もうさんが、
「ワシ、こんど本つくるらしいねん(何でもヒトゴトのようにいう御仁である)。ほんで、そん中へ入れるよってスケッチさせてえな」
というと、
「よっしゃ、もうさんのことやったらしゃァない」
と応じてくれなければ、でき上らない。
兵庫県知事、神戸市長、新聞社社長、バーのママ、作家、画家、音楽家、神社の宮司さん、バレリーナ、神戸商工会議所会頭、ファッションデザイナー、証券会社社長、カメラマン……いやもう、じつにいろんな人が、
「いま忙しねんけどな。まァええわ」
とスケッチされているのだ。せまい神戸のよさは、これだろう。「笑品集」などという本ができ上るところに、鬱然たる地方文化を感じさせるのである。それを、大丸デパートの一隅に展示して、そのコーナーで、一週間、「たかはし・もう顔見世興行」などと称し、毎日、誰かかれか、入れ代り立ちかわりそこへ詰めて、何かあそんでいるのだ。奇術をしたり、バレーを見せたり、唄ったり、している。
仮設の小さな舞台の上では、もうさんは客やゲストに、新聞の記事からタネをもらって、マンガにして見せる。それが、翌朝の神戸新聞のフロントにのっているわけである。時事マンガというもの、とてつもなく、しんどいものだなあとわかったりする。
二列ぐらいベンチを置いているが、うしろは立っていて、二、三十人から四、五十人くらい、買い物のお客さんがあつまってくれる。
私も一日受けもたされて、マイクを持って、もうさんと対談。マンガよりうまいという、彼の歌にもつきあい、お客さんに大サービスをする。
お客さんは大よろこびで手拍子を打ってくれる。デパートのまん中で、踊ったり唄ったり、という、こういう阿呆なことをするのが神戸というところなのかもしれない。
同じフロアの向い側は、舶来高級品の売場、そのとなりは呉服売場、そういう上品なところの一隅で、もうさんとその一味は、マンガを壁面にならべ、ガタガタの舞台をこしらえて、酒も飲まないのにいい声で、ハヤリウタ、
「男 捨身の、春団治――」
などとマイクで唄っているのだから、おかしい。しかし神戸という町では、べつにそれがチグハグにならず、みなすべてしっくりしていて、私もマイクをもって「隅田川」のセリフをいってから、階下へおりて、ついでに流行のバッグを買ったりなぞ、するのである。
バレリーナの美しいお嬢さんが、
「もうさんに捧げる『金米《こんぺい》糖の踊り』」
なども披露する。
「みなさん、ちょっと場をつくって下さい」
とお客さんたちを起たせて、みんなで場所をあけ、テープで音楽を流して、お嬢さんは谷桃子ばりの、クラシック・バレーを見せてくれたりする。呉服売場の売り子さんが、みんなこっちを見ていたりして、一斉に拍手。
最後に、「春の小川」をみんなで合唱して、一週間のマンガ展は終り。こんなあそびを許してくれるデパートもデパートである。
粋《いき》でモダンで、阿呆らしくて、ヘンな町である、神戸というのは。
みんなあそび好き、歌好き、おまつりさわぎ好き。
神戸まつりのパレードには、市役所の市民局長みずから踊る。
神戸市長は、パーティに出ると、絶対、唄わせなければ承知しない。ものすごくいい声で本格的テノール。
商工会議所会頭は七十五歳、川崎重工の相談役でもあり、神戸の実力者ナンバーワン、いわゆる「神戸の法王」と称されている人だが、「若さのヒケツは飲むことだ」と信じている人。この人の歌、「朝ごとの新聞よめば腹立ちて処置なきままに酒を飲むかな」
何しろ、生田神社の月見の宴のあとの直会《なおらい》では、外人が、灘の樽酒を桝《ます》でぐいぐいあおっているような土地がら。酒を飲んでからでなくては、仕事も手につかない。いろんな人も多い。パーティでは、チマ・チョゴリの美女に、金襴の法衣の坊サン(いそがしいので檀家からそのままかけつけてはる)、英語に中国語に神戸弁がつきまぜられて飛びかう。
そういう、ゴタゴタした、ヘンな町だからこそ、「ろくさん」などというおかしいグループなどができるのだ。戦後すぐの六三教育で育った、六三育ちのグループ八人が、神戸弁で、六三世代を代表してその生活と意見をしゃべり、ミニコミ『ろくさん』を発行している。こんど「指導者《えらいひと》なんかいらんわい」という本を出した。
ろくなエライヒトはおらへん、この上は我々一人一人が、自分の手で生活を守っていくほかない、ということを井戸端会議風にしゃべっていて、これもたいへんおもしろい。こんなのが、自然発生的に、しかもなんの無理もなく、フワッと生まれて、支持され、共感されているところが、神戸らしくていい。
神戸というのはヘンな町である。けったいな、愛すべき町である。なお、「たかはし・もう笑品集」は、「神戸市生田区東町一一三ノ一、大神ビル8F、神戸っ子」に、「指導者《えらいひと》なんかいらんわい」は「神戸市須磨区潮見台町一ノ三ノ五、ぱいぽ出版」に申し込めば手に入ります。よんで下さい。どちらも有料。
空  閨
「見渡せば西も東もかすむなり」
今日この頃の春げしき。私はふと、口をついてこの歌が出る。遊びにきたカモカのおっちゃんに、
「あとはどうつづくんでしたっけ」
「知りまへん」
おっちゃんは、全くもって文学不案内。
「僕やったら、〈見渡せば西も東もかすむなり、酒を飲むのに絶好のとき〉」
おっちゃんなら、酒を飲んだら四季いつも絶好になるのだ。
「タシカ、九条武子夫人だったよ」
と私はいった。
「〈君は還らずまた春や来し〉となるんやったと思うなあ」
「ハハン、麗人が空閨《くうけい》をかこつ歌ですな」
空閨、なんて古いコトバの出るところが大正フタケタ、昭和ヒトケタのお年ごろ。
「いまどきのおくさんなら、十年も空閨をかこっていないでしょうね。すぐ離婚モノやねえ、これは」
「いまどきの女房《よめはん》族なら、空茎《ヽヽ》を怒る方でしょう。空閨でも空茎《ヽヽ》でも、三日と辛抱しよらへん」
「空茎《ヽヽ》て、なんでございますか」
「空なる茎、つまり、役に立たん男のソレです」
こんなおっちゃんとしゃべっていては、私の品位にかかわる。
時事放談にうつろう。
「受験シーズンも終りましたが、アレはいったいどうなってるんですか、この頃の新聞週刊誌、みな大衆に媚びて」
軒なみに大学合格者高校別一覧表なんてのせたりしちゃって、腹の立つことおびただしい。
ことにある新聞なんぞは、勉強塾の塾長の手記なんぞれいれいしくのせて、さながら有名高校、有名大学合格が世の中の最高の目標みたい。私はその進学塾の先生の熱っぽさが、ふしんに堪えないのである。更に、わが人生のすべてを、わが子の入試に投入して半狂乱になる親というのもワカラナイ。
自分に子がないからだといわれればそうかな、と思う。
親心というものは、しょせん、親でなきゃわかりませんよ、といわれると、それもそうかな、と思う。
しかし、すべてそう片づけて、子のない人にはわからない、式の論で反駁してしまうのも一種のファシズムみたいな気もします。
ファシズムはきらいだ。
私は、「私はこうしてわが子を東大に合格させた」なんて手記を書いて新聞や週刊誌や雑誌にのせている人に、ファシズムの匂いをかいでこわくなる。
一家じゅうが、受験勉強の子供を中心にハラハラして暮らしてるなんて、秘密警察時代の世の中みたいで、暗然となる。子供が入試勉強で精根すりへらしてたって、親父も職場でえらい目してるはずだ。
お袋だって毎日あそんでいるわけじゃない。
なぜ子供だけをいたわるのか、子供より親が大事。
進学塾の先生が、合格を最高目標のようにいうのは商売として当り前かもしれない。
でも、それは、合格テクニックの問題だけにしてほしい。
そこから精神面まで口出しして、更にさかのぼって親の心がまえ、生きかたまでいわれては、私はおそろしくなる。
三十年前、寒い冬の朝、講堂の板の間に坐らされて「みたみわれ、大君にすべてを捧げまつらん。みたみわれ、この大みいくさに勝ちぬかん」と唱和させられたような、あの戦争中の学校の、精神教育のおそろしさを思い出させる。
そうしないとこの世の中に勝ち抜いていけない、というのなら、なぜ負けてはいけないのですか、といいたくなる。そんなことでは大学へ入れませんよ、と叱られると、ではやめます、というてどこがあかんか、と思う。
所詮は、日本が貧しい国だからなのね、きっと。
大学を出ないでたのしくゆたかに暮らせる道がせまいからだ。もしそうなったら、誰もえらい目をして大学にいく者はなくなる。そうしてほんとに学ぶ意欲と必要のある人だけいく。入試地獄は解消する。
だって大学出たって、世間知らず、物知らず、役立たず、礼儀知らず、「ず」のつくヘンなのはいっぱい、いるもん。
私の大演説のあいだ、カモカのおっちゃんは大あくび。
「いやほんま、全くうちのムスコもどうしようもおまへん。入試に親が狂奔するのもムリのないとこもありますねん。ともかく、いうてきかしても、さっぱり勉強せえへんねんから」
「そうですかねえ」
「これは親が先に立って指図せんと、ほっといたらいつまでもダメです」
「やっぱり」
「授業中むつかしい話が出ると、すぐあくびして寝てしまう」
「ハハア」
「おとなしいな思うと、眠ってます。その代り、アホな話をすると、よろこんですぐ目ェさます」
「アホな話って」
「エー、つまり、空閨は訳すると、ダブルベッドで一人寝てること、とか、僕なら〈空茎〉であるが、おせいさんなら〈食う気《け》〉であるとか、さらには、〈空毛〉の人もあらん、とか、またさらには、月やくが上ってこの世で女のツトメを果し終えた人は〈空下〉であろう、とか――」
「なんの話してんです、このバカ」
「そういうバカな話してると、ウチのムスコはハッキリ目ェさまして元気そうに吠《ほ》たえるからこまります。こら、ちとおとなしィにして、まじめにむつかしい時事放談でも聞かんかい。見てみ、向いのお嬢さんはおとなしィにしてはるのに、おとなしィせい、ちゅうのに、こら」
とおっちゃんは、うつむいて、あぐらの内側を叩いていた。ヘンな人ですね。
スポーツ精神
春のセンバツ高校野球で、代表にえらばれながら、国もとの生徒が不祥事件を起したばかりに、急遽《きゆうきよ》、出場辞退して引きあげたチームがあった。
「ヘンな話ですなあ」
とカモカのおっちゃんはいう。
「わるいことしたんは一部の生徒やから、べつにチームと関係おまへん。出してやったらええのに」
「でも今までもみんな、責任とって出場辞退するのが前例ですね」
と私はいった。
「そんな前例、おかしい。連座して刑罰を受けるというのは前近代的ですぞ。一部がわるかったから、全部に責任とれ、というのは、ファシズムです。そない赤眼吊ってさわぐほどのもんではないと思いますのやが」
「まあ、野球ですから、いうならおあそびですもの、出場辞退いうのも、ええでしょう」
私、自分でも何をいってるのかわからない。
要するに私は、この件について、何らの関心もないし、第一、野球そのものの醍醐味もわからぬ上に、甲子園出場に賭ける夢や希望、期待のロマンを、さっぱり解しない朴念仁《ぼくねんじん》なのである。
「いや、タカが野球やから、出してやってもどうちゅうことない、思いますねん」
おっちゃんは、わりあい、しつこくいう。
「僕は、一部の生徒がわるいことしたから、全校、謹慎せよ、出場辞退せよ、とせまるその根性がおそろしい。――つまり、昔の軍隊なんかで、ですな、誰か一人ヘマをやると、隊員全部、ビンタ張られるという、あの全体主義の臭いを感じとりますねん」
「まあ、それもそうですが」
私としては、出場させてやっても、どうということない、という気である。しかし、出場辞退を是認する人々の心の中には、軍隊のビンタとちがって、出場は栄誉あることであり、その栄誉にいささかのキズもつけまいとする夢があるからだろうと、察したりする。
「それも、おあそびのルールと思えば、たのしいのではないでしょうか」
つまり、野球なんて、トランプや百人一首のかるたと同じでしょ。
それぞれ競技にはルールがあり、なんか一つヘマをやると、ご破算になる、双六《すごろく》の賽《さい》の目ひとつで、せっかく上りかけてたのにふり出しへ戻る、というようなもので、それもおもしろいんじゃないでしょうか。
「じつは私、出場辞退で、くだんのチームが泣き泣き帰郷したとき、新聞社にコメントを求められて、そら辞退して謹慎しなさい、というたんですけど」
「なんでそんなこと」
「おあそびや、と思うて」
「おあそびやから、出さしたったらええやないですか」
「でも、そんなんも、スリルがあっておもしろいやないですか」
「スリルやおあそび、いうてよろこんでるのはおせいさんだけで、世間ではそんなこと思《おも》とらへん、ただもう、目ェ三角にして高校野球の精神、なんてことをいう。そこへおせいさんみたいにおちょくったかて通じへん。よけい、精神主義になってしまう」
「わからんかなあ、これが」
しかし私とおっちゃんは、たった一つの点では意見が一致した。つまり、野球は、野球道というものでなくて、オアソビだということだ。
「ついでにスポーツも、おあそびでしょう?」
「そうそう」
「スポーツと、精神を一緒くたにするのは、あかんねえ」
「その通り。スポーツやったかて、精神の向上に資するとは限りまへん」
「だいたい、体育部、応援団というようなところにいるの、偏向したヘンなのが多いねえ」
「さよう、なんでこない話が合うねん」
とおっちゃんは、勝手にお酒を徳利にうつし、勝手に燗をしつついう。
お酒を飲もうとするときは、おっちゃんはきわめて機嫌よく、私の説に逆らわないようである。
私はいつだったか、盛り場を歩いていて異様な光景を見た。あるレストランの入口に、黒い詰衿の学生服の一団が、両側にずらりとならび、まるで暴力団の葬式みたいな感じなのだ。
レストランに入ろうとする客は二の足をふんでやめてしまう。といってもべつに、その日、そのレストランは彼らの借り切りではなく、中にはふしんそうな顔で入ってゆく家族づれもあるのだ。
時折、ある男が入ると、入口の黒い一団は「オーッ」というような奇声をあげて、うやうやしく敬礼する。
レストランの入口によくある会合の名札を見ると、「○○大学○○部様御席」とあった。
むろん、これは体育部の中の一派である。
文学青年や、音楽青年、絵画青年、落語青年たちが、こんなデモンストレーションをしているのは見たことがない。なぜ体育青年というものは、ああいう顕示欲が強いんでしょうね。
「それはスポーツを正義の味方、みたいに考えるからとちがいますか。スポーツやっとる人間はわるいことせえへん、いうのは、あれはウソ」
「そうです。スポーツやったかて根性曲りは根性曲りです」
「なんでこない、話が合うねん」
とおっちゃんはまた、勝手にお酒を持ち出してつぐ。しかし私はおしゃべりに忙しいので見逃すことにする。
「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る、なんてウソですね」
「健全なる性欲は、健全なる肉体に宿る、というのもウソですな。結核患者は健康人より強いのをみてもわかります」
どうしていつも、おっちゃんの話はそこへくるのだ。しゃァない、私も議論はやめて飲むことにする。
好 色 癖
私は最近、某誌に「源氏物語」の現代語訳(というより、小説・源氏物語)を書いているが、「源氏物語」は私の大好きな小説なので大変たのしみに書いているのは事実である。「源氏物語」は娯楽小説だから、寝ころんでよめばよいのだ。よくできた娯楽小説は寝ころんでよんでいるうち、いい文句や、いい場面がしぜんにあたまへ残っていつまでも忘れられず、ついに生涯おぼえている、という段取りになる。
そうやって、「源氏物語」は千年もの命脈を保ったのである。三拝九拝してよむものとちがう。いまでいえば週刊誌小説の、ごく上等のヤツなのだ。
ところで、「源氏物語」をよんでいると、ずいぶんいろんなことを考えさせられる。
この、本文以外のことまで考えさせるというのも、質のいい娯楽小説の特徴である。
たとえば「源氏物語」の主人公、光源氏は、ヨソの女、つまり秘めたる愛人の藤壺の宮にも、正妻の葵の上にも、どちらにも男の子を生ませているが、しかしどちらかといえばヨソの実子の方が源氏に似ていることを本文では、くり返しくり返し書いてある。
私はここをよんで、うなずくところがあった。
私の知人に、本妻と二号と、どちらにも子供を生ませた男がいるが、二号にできた子のほうが、はるかに、彼にソックリである。
千年の昔から、そういうことがあるらしいのだ。
カモカのおっちゃんも、
「それはあることです」
といっている。
「じつをいいますとウチの親爺は光栄ある放蕩者でして、二号に子供をつくりましたが、そいつが僕よりずうっと親爺似。気持わるいくらいソックリです」
「おもしろいね、なんでやろ」
と私は興がった。おっちゃんはすまして、
「それはきまってますがな。心こめて仕込むからや」
「なにを」
「阿呆。このカマトト。たいがい男いうもんは、ヨソの女の方が本妻より好きにきまってるのや。きらいな女をワザワザ、二号にするはずおまへんからな」
「そりゃそうでしょ」
「よって、気の入れ方も、も一つの入れ方も本妻より格段にちがう。似てくるのん当り前」
「源氏物語」というのは、こんな話題を提供してくれるからうれしい。王朝の小説では、男が女のもとをおとなうとき、まず従者を先にたて露払いと太刀持を従えて乗りこむ。光源氏のような身分ある男だと、いかにお忍びで通うといっても、最低、三、四人の供人は連れている。
そうして、従者に、ほとほとと門を叩かせる。このとき、女の方はそれと察して門をあけるのが普通だが、中には、光源氏の訪れがあまりに間遠なのでしびれを切らして、次の男とねんごろになっている女もいる。
そういう女はしかるべく返事して、門をあけないのである。
光源氏ほどの身分の男があいてにする女たちだから、町はずれの掘立小屋にムシロがけで住んでいるというようなのはいない。
零落しても宏壮なお邸、荒れはてたむぐらの宿ではあるが、いちおう正門も塀もあるから、それでもといって押し入るわけにはいかない。
光源氏も、しばらく行かなかった女の家を、通りすがりに思い出して門を叩くが(こういうところ、男の好色癖をうまく書いている)、女は別のクチにただいま首ったけだとみえて、門を閉ざしたまま、ついにあけないのである。庭の草をふみしだいてかよう男、とざされた門をまん中に、男と女のやりとり、はるか草深い庭の彼方のたてものに、ぽっと灯のつくおもしろさ、そういうムードがとてもいい。
「やっぱり、王朝の小説は舞台やムードがよくて酔えますね。今の恋愛小説ではそういう小道具や舞台がなくてつまらない」
と私がいうと、おっちゃん、首をかしげ、
「そうかいなあ。今でも王朝さながらのことをやっとりますけどなあ」
「どういうところが、ですか」
「まず門をトントン叩く」
「王朝時代はトントンといわない。それは団地やマンションのドアです。昔の門はほとほとと叩く」
「では、二つの門をほとほとと叩く。門は左右に二つあります。この門にもベルがついているが、インターホンになっていることも多い。門はふっくらして盛り上っているのであんまり強う叩くと、いかんようですが」
「なんのことです」
「やがて、来意を告げて、むぐらの宿をかきわけふみわけ、お邸むかってすすみます。このとき更に、むぐらの草ふかきところにベルがありますので、それを押す人もありますやろうなあ」
「ごていねいに」
「ベルを押すと、奥ふかい邸にぽっと灯がつきます――見なはれ、王朝の小説も、いまも、おんなじこと、してるやおまへんか」
私、なんの話か、さっぱりわかんない。
ところでこういう男の好色癖をあますところなく書きあげた紫式部は、大変ものすごい女傑であるが、私は、かねて、紫式部ともう一人、べつの作者がいるのではないかと疑っていた。――しかし、何べん「源氏物語」をよんでも、あれは同一人の書いた文章であり、気品であり、雰囲気である。しかし、あれほど、男性心理に通暁する女がいるものであろうか? おっちゃんはこれに対し、こともなげに断言した。
「そら、きまってまっしゃないか。紫式部にも、カモカのおっちゃんがついとったんですわ、王朝のカモカが」
轡 一 文 字
私が前の回で紫式部には王朝のカモカがいたと書くと、
「そんなヘンなこと考えないで下さい、大天才の式部は石山寺の月を見つつ、『源氏物語』の構想を練り、心しずかに世紀の大文学を女の手一つで書きあげたのです」
と怒られる向きがあった。
しかし、私としては、むろん紫式部一人で書き上げたのは肯定するが、毎晩、式部サンの家に、「カモカのおっちゃん酒さげて やってきました おむらさん」
というおっちゃんがいた、と思う方がたのしいのである。(紫式部だからおむらさんだ)
かつ、式部サンは、すでに夫の藤原宣孝に死別し、一人娘の賢子チャンを女手一つで育てている。そこへ、王朝のカモカのおっちゃんが「あーそびーましょ」と来る。
式部サンはやおら筆を措いて、賢子チャンに、
「お酒の用意してよ」
などという。
賢子チャン(何とよんだのか今ではよくわからない。好き好きによまれたい)は、さながら佐藤愛子氏における令嬢、響子チャンのごとき存在である。
ハッキリいわせてもらうなら、愚母賢|娘《じよう》というところである。
「またあのエッチなおっちゃん来たのォ」
と潔癖な少女は美しい眉をしかめ、手早く用意して、二階の勉強部屋といいたいが、王朝貴族の邸宅に二階はない、廊下を伝って西の対なんぞへ避難してしまう。
(あんなぐうたらな酒飲みのおっちゃんと、うちのママはよくつき合ってるわねえ)
などと、乙女心にママのおろかさを軽蔑している。
そうとは知らぬ王朝のカモカ氏は、うれしそうに酒の燗をつけつつ、鼻唄なんぞ唄う。
ここはセーターやポロシャツというわけにいかん、狩衣《かりぎぬ》に指貫《さしぬき》なんぞいう服装、ナマズひげくらいあって、下っぱ貴族の地下《じげ》の人、一向ぱっと冴えん奴。しかし気がのんびりとしていて、それを苦にもせず、いつも酒を飲んでりゃ極楽。それに折々、式部サンの所へ「今晩は、あーそびーましょ」なんて来られれば、無上のたのしみという欲のない御仁なのだ。
カモカのおっちゃんは、昔も今も、ふしぎなところがあり、世俗のコマゴマとしたことは何も知らぬ。
一方、式部サンは女性だから女性週刊誌なんか見ている。誰それが誰それと離婚したとか、三角関係だとか、ようく知っていて、興味しんしん、デビ夫人とジャクリーヌ夫人の張り合いなんかに好奇心を持っている。そうして、世俗にうといおっちゃんをバカにしている。たとえば、国賓が訪日される。式部サンは女のこととて、国賓やおえら方に関心多大であるが、おっちゃんは「国賓の名さえ知らずに年暮れぬ」、なんで女はそう見たがるかと呆れる。しかし珍しもの好きは女の常、国際ホテル・鴻臚館《こうろかん》の屋上にへんぽんとはためくユニオンジャック、といいたいが、平安朝の昔にエリザベス女王は居られない。唐人や高麗人だろうが、式部サンは沿道で旗振って送迎したく思う。
ひとめ見たく思う。
見て話のタネとしたく思う。
関心のない人間なんて考えられない。
「おっちゃん見なかったの? なんで!? せっかく関西へ来はったのに」
とバカにする。
カモカのおっちゃんはナマズひげをしごき、狩衣の袖をたくしあげて、酒をちびちび飲み、
「見て何か、トクになることでもあるかね?」
「やさしそうな国賓の笑い顔やったわ!」
「そうかねえ。ワシは気の毒でならんがねえ。人が見てると笑いとう無《の》うても笑うて見せなあかん。礼儀やと思うてつくり笑いしはる、気の毒やさかい、なるべく寄りつかんようにしてあげるのが、迎える方の礼儀です」
などという。考え方がかいもくちがう。
式部サンは、光源氏を理想の男と思い、女から見て都合よく書く。浮気なんかせず、バクチせず、大酒飲みでなく、ただ一人の女性だけを大事にする。しかし、そう書くと、「源氏物語」は短編で終ってしまう。原型の「源氏物語」は、短編であったのだ。
おっちゃんはセセラ笑い、
「そんな気色《きしよく》わるい男おりますかいな。吐く息吸う息に浮気するのが男。若い女がよう見えて、お婆ンもわるうない。肥っちょには肥っちょのよさがあり、痩せがたには痩せがたの美がある。目うつりしてどれもこれも、よう見えるのが男いうもんです」
「そんなことない」
と式部サンはすぐいう。
この人、男のいうことに何でもすぐ反対する人。
「そんなことないて、男のことが、あんたら女にわかるわけない。ワシャ本なんかよんだことないけど、オナゴの書く男ほど気色わるいもんおりまへん。どだい男いうもんがあんたらオナゴにはようわかっとらん」
「そうかなァ」
「男いうもんは、しょせん、二つの性質を持っとるだけ。なんぞもうけさしてもらお、思うて権勢のあるところへ群れつどう、これ一。オナゴを見れば、ハンコを捺《お》したいと思う、これ二つ」
「ハンコって何のハンコですか」
式部サンは、ナマズひげのカモカのおっちゃんに酒をつぎつつ、つい釣られて聞く。
「男のハンコです。轡《くつわ》一文字のハンコ」
「轡十文字というのは聞いたことがあるけどねえ」
「集印帳、スタンプ帳というのがありますな、つまりあれが男の趣味」
「へんな趣味」
といいつつ、式部サンはしぜんとおっちゃんに影響され、それを作品に書く。おっちゃんに啓蒙されるところが大なのである。すなわち光源氏は浮気男であり、集印趣味がある故に、のち六条院という広壮な邸宅に今までの愛人情婦をみなあつめるのである。
そうして式部サンの書いた作品は後世に残ったが、轡一文字コレクション趣味を示唆し、式部サンを開眼させたカモカのおっちゃんは、後世に残らないのである。
東西文化(日本の)
「源氏物語」は娯楽小説だから寝ころんでよめ、という私の提言に対し、マジメな知人は、そらあかん、あれは格調高い文学で、そう勝手に貶《おと》しめるのはけしからん、というた。
彼は私が、野良犬のようにあちこちに片脚あげて小便ひっかけ、神聖なるべきものをも涜(けが)してゆくと憤慨しているのである。
「源氏」が格調高い文学であるのはもとより私も知っている。香り高い文学作品だから、上質の娯楽作品なのだ。娯楽というと安手なものとまちがえる初歩的な人間が多いのでかなわんよ。いわんでもわかってるやろ、思うてたけど、やっぱり、いわなわからんかなあ。
尤も、以前、某女性週刊誌に「源氏物語」の劇画がのっていたが、あれは頂けなかった。
私は源氏を劇画にでも紙芝居にでもマンガにでもしたらいい、と思うものだ。しかし、くだいてするならそれなりに、上質のくだき方をしてほしい。
あの劇画は絵も詞も拙劣で汚なかった。
私はなぜ現代の「源氏物語絵巻」として劇画化しなかったのか残念である。あるいは思い切ってマンガ源氏にした方がおもしろい。私は「バカ紫ケンカ源氏」という落語を書いた。
ところで、つくづく思うのだが、源氏は高度な文学で娯楽作品とはちがう、というような考え方は、これは元来、上方関西の発想ではなく、あずまえびすの考え方である。上方者というのは、「源氏物語」がもてはやされる時代は、よくできた娯楽小説としてたのしんでかつは昼寝の枕ともし、よみ終ったら洟紙《はながみ》にしたりする。しかし、一たん、矢たけびと血しぶきの乱世になった時は、命かけて源氏を守る。「紅旗征戎わがことにあらず!」と叫んで、世の中が引っくり返ったのにも耳傾けず、必死に「源氏物語」研究会などもよおして、筆写し校註をほどこし、一字一句の異同をただすのに生涯の心魂をこめ、「『源氏物語』だけが人生の実だす、これ以外、世間は虚仮《こけ》でおますのや」と叫び、戦乱に遭えば、家財珍宝、妻子眷族は火の海の中に見捨てても、源氏五十四帖を腹に巻いて逃げ出す、――これでこそ、上方もんぞ、というところであろう。
そういうねちこさは、関東者にはない。
どうも上方に生まれ育って四十年、つらつら私は思うに、日本の東と西、何もかもみごとにちがう。人情風俗、嗜好、発想法、すべてにわたってちがう。
たとえば、よくいわれる、うどんの味について。京浪花のうどんのだしは、甘くまったりとして、醤油はうすくちをつかっているから、色はうすい。東京へいくと、醤油をまるまる入れたように色が濃いのだ。そうして我々が食べるとダダ辛くて、おつゆなんて飲めない。上方のうどんは、どんぶりを傾けて最後のおつゆの一滴まで飲み干すぐらい美味しいのだ。
この間、おかしいことがあった。座談会の席上、歴史学者の上田正昭先生と、作家の澤野久雄先生がうどんについて論争していられた。京男の上田先生は上方うどん礼讃者であり、あずま男の澤野先生は、上方うどんは味がうすくて物足りないといわれる。
もとより、これは嗜好の問題であり、どちらが正しい、正しくないというものではない。
しかし一代の碩学、上田センセイは真ッ赤になって、上方うどんのダシの味の幽遠性を論じ、しまいに横にいた私に、
「な、そやろ、こんなうまいもん、おませんなあ」
と同意を強いられる。もとより私も、浪花女、うどんで首吊って死にたいくらいのうどん好き、上方風ダシの愛好者であるから、
「ソヤソヤ」
という。
澤野先生は心の優しい方だが、こればかりは譲れんという感じで、
「いや、――あのうすい水みたいなダシでは食べた気がしない」
と両々譲らず、いかにもおかしかった。
これを思うに、国情がちがうのである。いかんともしがたいのだ。
こういうのは、趣味嗜好の問題だから、まだよい。こまるのは、異なった発想を、互いにおしつけようとし合うから摩擦がおきる。
私はこのほど、NHKからドラマを放送するという話で、タイトルをどうすべきか、ということになった。原作として主につかうのは、文藝春秋刊行による『甘い関係』である。
すんなりこれをつかえば、文春出版関係者諸氏はよろこぶ所であるが、NHK東京の人は、
「朝から、『甘い関係』はぐあいわるい」
というのだ。これがすでにあずまえびす的発想、官憲文化のみやこ的発想である。朝っぱらから「甘い関係」とつけて、どうわるいのかわからない。朝と何か、関係がありますかね。
関係は、夜むすぶものときめているからではないかね。人口がふえるのは、朝も昼もかわらないんだよ。私は決して、夜に限るとは思わぬのだ。
「おタクはそうですか?」
とカモカのおっちゃん。外野うるさいぞ。
ドラマは大阪JOBK、つまり「ジャパン大阪・馬場町《ばんばちよう》・角《かど》」のたてものの中でつくられる。よって大阪側からは必死に考えて、
「ちゃらんぽらん」
というのを出した。これがまた、AKのエライさんに否定される。
「何のことかわからぬ、全国に通じない」
という。通じなくても、ドラマがおもしろければ通じてしまうのに。第一、関西以西では、通じなくても語感でわかれば、おもしろがって慣れてしまう柔軟さがある。
関東以北では、融通が利かないから、一たん通じないと受けつけないのだ。馬場町角のBKはまた、ないあたまを絞り、
「ぼちぼちいこか」
というタイトルを示した。これもなかなか、いい。大阪ではこういうと、すべてあいまい模糊のフィルターがかかって、ケンカ腰になる人はない。しかるにAKはまた、これも一蹴するのだ。結局、出て来たのは、「おはようさん」というタイトルで、無味無臭、無公害のもの。双方の文化を抽出すると、こういう毒にも薬にもならぬものになってしまう。これは東西文化の相殺にほかならぬ。
では、この東西文化を活かし、双方、互いに栄えさせる方法や如何に。その秘策を次回大公開!
東日・西日
前回は、東西文化(日本の)の質がいかにちがうかということを考察し、無用の摩擦によって、あたらせっかくの二つの文化の華をそこなうことがあってはならぬ、と述べた。
善き隣人の仲に、何も好んで波風を立てるには及ばぬであろう。共存共栄すべきである(大東亜共栄|圏《けん》世代というものは、つい、こんな口癖になる)(なおまた、ちなみにいうと、余計なことだが、当節では、大阪のワルクチをいう東京人の方が、東京のワルクチをいう大阪人より、多い。これは、コンプレックスの移行と無関係だとは思うが……)。
而うして、いかにして共存共栄の実をあげるかといえば、私は日本を二つに分けて、ドイツの例にあるように、東日《とうにち》・西日《せいにち》としたらどうかと思うものである(前書きの物々しいわりに、大した案ではないかもしれぬが)。
井上ひさしお兄さまの傑作に「吉里吉里人」という小説があり、これは未完といえば差別用語になるかもしれぬので、仮に、発展途上作品とでもいうか、現在進行中の作品だが、東北の一寒村、吉里吉里村が独立するという趣旨のものである。
ついでに、もっと大別して、東日・西日とすると、さきのNHKのタイトルのようにさっぱり話が通じない場合でも、
「外人にはやっぱり、こういう題は向かんのやな」
と悟りが早く、割り切れて、精神衛生にいい。
なんで、ここんとこがようわからんのや、アホちゃうか、とイライラしてむくれたりすることがなくて、いいのだ。
そうなると、通訳というのも必要になるであろう。言葉を通訳するだけではない、その意《こころ》から、文化の根まで翻訳できる人でないと東西日本の通訳はつとまらない。「白ける」を英訳して「ホワイトキック」といった男があったが、そういうことではダメなわけである。「アホ」を「馬鹿」と直訳するようでは通訳を中に挟んでの大立廻りになってしまう。こまるんであります。
言葉、食べもの、人情、風習、すべて外国と思えば腹立つこともいらん。友好的であり、同一日本語をつかっているから、往来はスムースでまことに都合がよろしい。東西それぞれの首都は、むろん東京と大阪になるであろう、いや、東京と京都になるかもしれぬ。そうなった方がおもしろしい。
日本の象徴は、これは東京にいらして頂く。
京都では大統領になる。西日挙げての大統領選。盗聴、のぞき見、入り乱れて華々しく、退屈しませんなあ。大阪はさしずめ、ニューヨークという役廻りで、麻薬と暴力と魅惑にみちた町となり、全日本の尽きざるエネルギーの源泉となる。
東西文化の交流はひんぱんに行なわれる(はずである)。西日では、町により、ポルノ解禁、賭博解禁のおとなの町ができる。
小説雑誌のたぐいも、東西双方に出版社ができて、文学賞はそれぞれのお国で乱発するから、石を投げりゃ、受賞者に当るということになり、欣快に堪えない。
いったい、賞というものは、ほしいものにはみな、与えるべきである。何となれば、自己顕示欲を満足させれば、ますますいい仕事をするのが文士の特質であり、自己顕示欲のない文士は居らぬからだ。津軽弁の石原慎太郎や、鹿児島弁の大江健三郎が輩出して、日本文学のために万丈の気を吐いてくれるのだ。
また、そうなると、東京都からくる歌唄い、役者サンから、ストリッパーに至るまで、西日に於ける「外タレ」になる。
野坂昭如センセイなんか、「外タレ」だ。ギャラも上り、爆発的人気のまと、舞台の野坂サンが拭いた汗のハンケチを、
「ワー、キャー」
とすさまじく女の子は奪い合い、野坂センセイの汗が掛ったと躍り上ってよろこび、宿舎は時ならぬ人波打ってごった返す。何しろ西日には武道館はありませぬ、甲子園球場のまん中の特設ステージで野坂センセイの歌につれて阿鼻叫喚、風に乗ってそのわめき声は中国大陸まで届いたというぐらいだ。
そのかわり、こちらは藤山寛美が東日へなぐりこみ興行で、外貨を獲得する。「あほ坊ン」という外題は翻訳できぬと「AHOBON」などという看板がかけられる。
しかし、こういう時代になっても、私の小説は翻訳不可能なので、海外《ヽヽ》で出版されることはまずない。大阪弁のサービスエリアというのはせまいのです。
その代り、ちゃーんと、べつに稼ぐところは考えています。
兵庫県を永世中立国にする。
ナゼカ、ここは日本列島のまん中であるとの認識が私にはあり、かつ、兵庫県は瀬戸内海から日本海までつながっていて、ここを通らなければ東西両国へいくわけにはいかない。
ここを関所として、双方、どちらかへいくときは通行税を取りたてる。
(西日《せいにち》は、二分されるわけだが、それはこの際、考えに入れないことにする)
兵庫県は居ながらにして巨万の富をもうけ、私はというと、アイデア料として兵庫県から、通行人一人につきいくらという、人頭税を取る。もう小説を書いて四苦八苦することはいらんのだ。
「あのう、僕のもうけどころはどこですか」
とカモカのおっちゃんは心配そうに聞く。
「そんなん、自分で考えなさい。他人のもうけまで知ったこっちゃない」
「国境が兵庫県にできるとすると、岡田嘉子サンみたいな国外逃亡の、恋の大脱走もあり得るでしょうな」
「そりゃ、あるでしょう」
「しめた、そうすると、亡命者も出ますやろうなあ。亡命者を逃亡させるためのワイロを取るのはどうです」
「それは、まあ、やってやれないことはないでしょう。『カサブランカ』を地でやろう、てわけですね」
「税関ではやはり、ぐんときびしくなりますやろうなあ。何しろ、県境ではなく国境となれば、伊丹や羽田のボディチェック以上のきびしい検査が行なわれますな」
「むろん」
「しめた、では僕は税関吏を副業にして、ご婦人専門のボディタッチマンになります。早いこと、日本を二分しましょう!」
小 説 の 題
私はよく、題のつけ方がまずい、といわれる。
私の題は、本屋で見ると、買う気がおこらん、と叱る人がある。たとえば岡部伊都子さんの題など女らしくていい。
「蜜の壺」
などという題であると、つい、男性は買いたくなるそうである。
しかるに私の本が横にならんでいるのを見れば、こはいかに、
「あかん男」
あほらして、買えまッか、とその人はいっていた。恐縮のほか、ない。また、もっと背筋をしゃんと伸ばすような堂々たる題をつけよ、と忠告して下さる方もある。たとえば、
「華岡青洲の妻」
などという、内容、題とも堂々たる大作に比べ、
「すべってころんで」
のたよりなさを指摘されるわけである。
「華麗なる一族」
の金看板的外題に比べ、
「言うたらなんやけど」
のちゃらんぽらん加減。
「とうてい、これでは、気の毒やけど金看板になれまへん」
とその人はいい、私も甚だ残念であるが、金看板的才能がない、とあきらめねばならぬであろう。その上、私のつける題はいつも、たよりなくあやふやであるだけに、人の印象に残らぬとみえて、その通りいわれることはめったにない。
つまり、「窓を開《あ》けますか?」は「窓をあけましょうか」「窓は開いてますか」などとまちがわれる。「言うたらなんやけど」など一ばんバラエティに富んでいて、今まで人にいわれたのだけでも「言うちゃ悪いが」「言わせてもらえば」「言うたら悪いけど」「言うたらあかんけど」など数種の亜種があげられる。全く、どうしようもない。私の不徳の致すところである。
ただ、私にはどういう加減か、物々しい題に対する羞恥心というものが強い。森外の「阿部一族」とか「雁」などというように、こわもてのそっけない題を恥ずかしく思う、へんな特性がある。そういう硬質のひびきの題をつけると(だいたい、男性作家は、二字の漢字の題が多い)、私はどうしてか、反射的に、たいへん通俗的な言葉を思い出す。たとえば、昔はやって、今ははやらなくなった、恥ずかしい言葉を、二字のいかめしい漢字から思い出すわけである。
昔の文化にはサムライ文化と、町人文化とあった。人間には種類はないが、文化に種類があるのである。
このごろつかわれない言葉に、「あやまち」というのがある。
「あやまちを改むるにはばかることなかれ」などというような、ワシントンと桜の木、みたいな意味ではなくて、「若き日のあやまち」とか、「あやまちを犯した」というふうなもので、主として性道徳的マチガイをさす。
今は、こんな言葉、恥ずかしくて、誰もつかわない。更にいうならば、世の中、あやまちだらけで、いちいちあやまちを咎め立てしていた日には無疵な御仁はいなくなってしまう。
結婚して七カ月めに子供ができたって、「あ、そう」というようなものである。誰も目引き袖引きして「あの人はアヤマチを犯した」などという者はないのだ。婚前交渉はあやまちの中へはいらない。はいるとすると、婚前交渉を拒んで男に殺された娘さんなどが、「あやまちを犯した」ことになる。今では拒む方があやまちになってしまった。
「愛の結晶」という言葉もおかしい。よくまあ、へんな言葉を、昔は恥ずかしげもなくつかっていたものだと思われるが、今は愛の結晶はよくコインロッカーに紙袋と共に入れてあるので、さすがにそういう大時代なコトバはつかわれなくなってしまった。
しかし昔の雑誌の記事や小説をよむと、「二人の間には愛の結晶も生まれ」などと平気で乱発してある。昔は、愛の結晶は赤ん坊であったろうが、現代では、夫婦名義のマイホームや貯金が、愛の結晶であろう。多額の生命保険などが更に、愛の結晶にふさわしいかもしれない。
「おっちゃんが考える、そういうヘンな昔の言葉、なんですか」
とカモカのおっちゃんに水を向けると、得たりとばかり、おっちゃんはいった。
「それはもう、『純潔』と『貞操』ですなあ」
「なるほど」
これは、今はつかわない。純潔や貞操やらいう語は死語である。
「純潔を失う。貞操を蹂躙《じゆうりん》される」
「それそれ」
「昔は、女の方にそういう言葉をつこうたもんでした。今は男の方かもしれへん」
「人権蹂躙、というのは今もありますが、さすがに、貞操蹂躙は今、ないみたい。あの言葉は若い頃、聞くのがいやでしてねえ」
「結ばれた、は今でもつかいますか」
とおっちゃんはいった。
「それはつかうでしょう、いやらしい言葉ですが」
「どこを結ぶ」
「知らん!」
「犯す、涜《けが》される、今はつかわんようですな」
「胸にとびこむ、は今もつかうかなあ」
「これも、男が女の胸にとびこむ方でしょ」
つまり、そういう、俗なる、いやらしい言葉を反射的に思い出すため、私は、いかめしい題は用いないんだ。私は井上ひさしさんの小説の題なんかが好きだ。題を見ただけでもよみたくなる。しかし、おっちゃんの関心は、小説の題にはなく、昔は女につかってた言葉が、今は男につかうようになったという発見らしい。
「そういえば終戦の詔勅、あれも男のものですなあ」
「どうしてですか」
「忍びがたきを忍び、堪えがたきを堪え……。これは今の男の心持ちです」
大人物=その一
このあいだ、あるところで、講演のあと色紙を持ってこられ、私はいたくこまった。いつも自作の川柳を書くのであるが、その人はすでにそれは、持っていて、それでないのがよい、という。私はしかたなく、
「嗚呼《ああ》カモカのおっちゃん」
と書いて与えたら、その人はヘンな顔で深刻そうに、じっとながめ入り、二、三度首をかしげ、深遠な哲理を探究しようとするかのようだった。私は、ひや汗をかいて、そうそうに退散してきた。
「ねえ、おっちゃん、あんなときの文句はやはり、リッパな座右の銘を書くべきなのでしょうね」
とおっちゃんに聞いてみたら、
「何をいう。座右の銘など、クソくらえ。毒にも薬にもならんことを書くのがリッパなのです。それから見ると、『嗚呼カモカのおっちゃん』は、おせいさんにしては上出来ですぞ」
と珍しく、おっちゃんのおホメにあずかった。
「そうかなあ。でも色紙に書くと、我ながら、この文句はシマリがなかったよ。――私、なんかいいキャッチフレーズいうか、スローガンいうか、座右の銘いうか、考えたいなあ」
「座右の銘、というのは、つまり、日常そばにおいて自分のいましめ、はげましとするような言葉ですやろ。ということは、自分が平生、なかなかできんことを書くのや」
「なーるホド」
「西郷サンは『敬天愛人』と書いた。これはなかなか、敬天愛人がでけんことやからや」
「フーン。じゃ、佐藤愛子チャンが『前進!』と書くのは、自分じゃ前進でけへんからやね」
私はよろこんでいった。
「杉本苑子おねえさまが『放せば手に満つ』なんて書くのは、お苑がニギリ屋のせいかもしれないね、ハハハ」
愉快、愉快。
「おっちゃんの座右の銘は何ですか」
「何にしますかなあ。おのれをいましめ、はげますという意味なれば……『女房《よめはん》を蹴っとばせ』とか『ヨソに女をつくれ』とか。額にして鴨居に掲げ、また掛軸にして床の間に下げ、日夜、おのれをはげます」
「ということは、おくさんに敷かれっぱなし、という事実があるからですね」
「そうですが、まあ、座右銘としておちつきわるいから、『戒色』とでも書きますか。色をツツシメ。色をイマシメル。『本職に忠実なれ』とするか。いやいや、人間、酒と色のほか、人生の仕事はみな余技である。本職は酒と色。べつにいましめることもなかろう」
とにかく、おっちゃんのいうことは横着であつかましく、図々しい。こういう手合いに座右銘を求める方がまちがいであろう。
「やはり、座右の銘、というのは、性マジメな御仁、リチギ誠実な人が考えるんでしょうね、敬天愛人とか、則天去私とか、さ」
「そうそう。飢えた子供に二度と食を与えるな、とか」
「バカ、ちゃうちゃう、反対! 飢えた子供の顔を二度と見たくない」
私はあわてておっちゃんの口をおさえる。誰も聞いていなくてよかった。おっちゃんは酒に酔っぱらうと、スカタンをいう天才である。
飢えた子供に二度と食を与えるな、では反対になってしまう。
「まあ、何でもええけど、座右の銘なんか考えていると、おのずとそれにしばられて、人生が窮屈になる。そういうものはない方がよいのです」
とおっちゃんは忠告する。
「しかし、色紙を出されたときにこまるんだ」
「断ればよろしいがな」
「断っても書けと責める人がいる」
「たってのすすめとあらば書く。すべて、人はこだわり、あらがい、自己の信念に忠実なんてことは無益。水の低きにつくごとく、自然にする。さっきの『嗚呼カモカのおっちゃん』でよいのだ。それとも、晩めしに食うたオカズを考えて書く」
「オカズ? たいがい色紙は宴席のあともち出されるからなあ。ウーム、いまなら、カツオのたたきなんて、出るかもしれないよ」
「では『嗚呼カツオのたたき』など、よろしからん。何にくっつけてもサマになる。あるいは持病で苦しんでいる、そうすると、『嗚呼膀胱炎』などと」
「『嗚呼胆のう炎』なんてね。しかし汚ないな」
「そやから、ほんとうの人物ともなれば、色紙を書かれるような席へは出えへんです」
「そうか、わかった」
「人に目立つまい目立つまい、とする。しかし、それも作為的にするのはあかん。おのずと茫々漠々と、人のうしろに隠れ、万事にひかえめにして、人の先頭切ったりせぬのが大人物。――おせいさんに、僕は何年教えてるかわからんのに、まだ体得できんとは」
と叱られたって、どうしようもない。おのずと、人前に出されてしまうときもあるのだ。何も、そうしようと思わなくっても、上座に坐らされ、硯と色紙を持ち出されることがある。どうするか。
「そやから、そんなとき『嗚呼わが愛の膀胱炎』などと書けば、人は呆れて、以後二度とたのまぬ」
「そうか、わかった」
「おぬし女にしてはわかりが早い」
なんて、おほめを頂く。ついでに聞いとこうね。いい機会だ。
「大人物ていうのは、ほかに、どういうふうなのかしら?」
「まず、物をほしがらぬ。何事にも執着しない、無欲|恬淡《てんたん》、というところやろなあ。文学賞をほしがったり、全集に入りたがらぬ」
誰もほしがってなんか、いませんよ。
「飾りけなく、率直、ウソつかぬ。締切りすぎてウソ八百のイイワケをせぬ」
ほっといて下さい。しかし「大人物」のイメージについて、すこしおっちゃんと論議してみるつもりである。おっちゃんの称揚する大人物の定義や如何。
大人物=その二
大人物とは、そもいかなるものぞ。
私ども日本人がまず、あたまに思い浮べるものに西郷隆盛がいる。この御仁は、私たちのイメージによれば、寛仁大度、度量ひろく清貧を愛し、友誼に厚く、節操を重んじ、酒色に溺れず、権力に阿諛《あゆ》せず、清廉《せいれん》な生涯を送った、ということになっている。
「こんなんこそ、大人物じゃないでしょうか」
とカモカのおっちゃんに聞くと、
「まあ、そういうてもよろしいが、ほんとの大人物なら、人の上に立って担がれたりしまへん。担ぎに来たら、『ワタイ、そんなん向いてまへんねん』と裏口から逃げたりしよる」
「なるほど」
「すべて、目立たぬ、表に立たぬ。代表人、主宰、社長、右《みぎ》総代、主催者、音頭取り、発起《ほつき》人、筆頭、首席、主賓、上座にならぬ」
「ハハア、すると、万事に消極的であらねばならぬわけですね」
「いや、むりをして消極的になるのも自然ではない。すべて、水が、高いとこから低いとこへ流れるように自然に任せるのがよろしい」
「大人物はお酒を飲んでもいいのかな」
「そらかまへん」
「しかし、酒乱になるのはいけないでしょう?」
「酒乱はこまるが、それを自戒して飲みたいのに飲まぬ、潔白リチギに身を持しているという堅くるしいのも大人物ではありませんなあ」
「むつかしくなってきた」
「水清ければ魚棲まず、大人物というのは、ちょっと濁った水のようなもの、なまぬるく濁っておるところが、何人もつきあいやすそうに思われる。そんな人物。何か目標をきめてカッカしておるのは、所詮、大人物にはなれまへん。カッカすると目的達成のために自分を強い、ひいては他人をも強いることになるから、人間が酷薄になる。大体、自分が酒飲まぬと、酒飲みをつま弾《はじ》きしてワルクチいう、そういうのは小人物」
「うーん、わかったような、わからぬような」
「成績でいうと、まん中から下というあたり、茫々たる中に霞んで、あんまり人の記憶に残らん、というような奴」
「韜晦《とうかい》することですね」
「いや、それがまた、むりに、才をくらましチエを包んでいるのは、あかん。それは狡猾《こうかつ》というもんで、真の大人物ではない。作為的なんは、いけまへんなあ。むりして金もうけするのも」
理屈ではわかったような気がするが、もひとつ、ぴんとこない。
「実例で聞かなくては。大人物なら、まず婦人はちかづけないんでしょうね」
「何をいう。酒好きは酒を飲み、色好きは色をちかづける。これが真の大丈夫」
「ずいぶん、生きやすそうだなあ。ではおのれの欲するままに、ご婦人と仲よくしてもいい、ト」
「むろんです。せいぜい、はげむがよろしいのだ」
「ご婦人から惚れられて、たまたま、その女人が気にいらんというときはどうしますか」
「いや、どうも大人物には女が惚れるはずなさそうな気がする」
とおっちゃんは、少し残念そうであった。
「女性が惚れてくれたら、どんなひどいオカメひょっとこであろうと双手を挙げて歓迎ですが、しかし、女ちゅうもんは、大人物にちかづかず、えてして、小人物を好みそうなわるい予感がする。女は大人物をほれる物さしがないので理解でけへんのや、思いますな」
そりゃ、そうでしょ。上に立つな、人前に出るな、金もうけはあかん、成績は中の下。そのくせ、酒と女は、来るもの拒まず、ではどこに男のいいとこがあるのかわからない。女が、こんな男に惚れるはずないでしょ。
「いや、ちがう。わからんかなあ、こういう男こそ、真の男、ですぞ。何ものにも捉われず、自在に生きとる。執着心もなし、気どりなんか皆無。無心なること、赤児のごとく、それでいて、デリケートとくるな」
「何ンか、よくわかるように、形になってるもんで示してくれませんか」
「なってるやおまへんか。つまり、目の前にいる僕なんか、大人物の標本《サンプル》のごときもの」
「そうか、しかしカモカのおっちゃんでは、女心をときめかすわけにはまいりません」
どうも、女と大人物とでは、食い合わせがわるいように思う。
「まあ、それならそれでよし、食い合わせがわるいといわれても、大人物はオタオタせんのです。まあそういわんと、いっぺんためしてみなはれ、と追いすがって未練たらたら、いうようなのは大人物ではない。馬には添うてみよ、人には乗ってみよ、などとくどいたりはしまへん。すべて無理なく生きる。女にふられて挫《くじ》けず、酒に酔えばヨタヨタ歩き、酔いさめて素面《しらふ》になればシッカリ歩く。自然にまかせ、てれず気どらず、ありのまま歩く。たとえば、おせいさんの足はどうしたのですか」
「これは、先天性股関節脱臼です」
「医者用語で先股脱というやつですな。ほんなら、先股脱は先股脱のように、むりなくビッコひいて歩くがよろしいのだ」
それでおかしいことがある。
私の友人の男に、私にあうと、いつもじいっーと私の歩く姿をながめ、物ほしそうに、
「うむ。お前《ま》はんは、練れてるから、ええ味がするやろうなあ」
とヨダレもたれんばかりにいう奴がいるのだ。
とんでもない野郎だ。
しかし、そう物ほしそうに色けたっぷりな眼でいわれると、女としてはわるい心持ちはしない。といって、私も、そういちいち試させていては身が保《も》たないから、取り合わないでいるが、こういう男、あんがい、ひょっとして、こんなのをこそ大人物というのではありませんか?
カモカのおっちゃんに、私がそう聞いたら、おっちゃん泰然として、
「なあに、それはタダの助平です」
大人物=その三
私が全幅の信頼をおく評論家・樋口恵子おねえさまが、仲よくしている男性のことで、トヤカクいわれたりして、この間はテレビで緊張してしゃべっていらした。可哀そうに。
おねえさま、気にすることないわよ。世間のバカな人間たちのいうこと、ほっとけばいいわよ。
聞くところによると、まるで樋口サンが道ならぬ恋愛でもしているかのような投書があり、それで、樋口サンのボーイフレンドが明るみに出た、といういきさつらしい。私はその投書の主が誰か知らないが、その人が投書するについて二つの理由が考えられる。
その一つは、男性との縁のうすい女のひがみ。
他の一つは、樋口サンの主義主張、つまり評論家としてのありかたに反目して、ケチをつけてやろうと足をひっぱるもの。
はじめのはどうでもいいが、どうもあとのは、私は、一部のワルイ男たちにそそのかされているのではないかと思う。つまり、男の陰謀ではないか。女のたたかいという低俗な次元にすりかえて、進歩的ですぐれた女性運動家である樋口サンを、ポシャラそうという男たちの汚ない魂胆じゃないかと、疑ったりもしているのだ。
樋口サンを目のカタキにしている、あたまの古いカチンカチンの有象無象男がいっぱいいるのだ。
一方、樋口サンを全女性の代表選手とし、支援を惜しまぬ女性たちも、うーんといるのである。主婦たちにたいへん多い。彼女らはテレビに樋口サンが出ると、まるで自分らが選出して国会に送り出した議員を見るように、
「そうだ! そうだ!」
「もっとやっつけろ! やれやれ!」
などと叫び、快刀乱麻を断つごとき爽快な樋口サンの論旨に、やんやの喝采を送っているのである。樋口サンが懸河の弁をふるって女性のために論ずると、まさに胸がスーッとすく、という女たちが多い(私もその一人である)。
贔屓《ひいき》すじの私などは、こんどの「樋口サンに愛人がいた」という週刊誌の記事に「ウシシシ」と笑い、「エエとこあるゥ!」「やった」と思い、前よりも肩身が広くなった心持ちでいるのだ。花も実もある女、というのは、まさに樋口サンのような女性のことであろう。男の一人や二人つくれないような評論家では、何をしゃべっても中身は空疎である。男っけなしでリッパなのは、市川房枝おばあちゃまくらいである。
樋口サンファンの主婦たちも、
「ちょっと、アレよんだ? 樋口サンすてきやわァ」
と電話をかけて情報を交換し、うれしがっていた。
「それにしても、こんな投書やるような奴、大人物ではないねえ」
と私は、カモカのおっちゃんにいった。
「まあ、それは大人物ではないが、かというて投書があったからとて、いちいち、目くじらたてて反撥、弁解などするのも大人物とはいえぬ」
とおっちゃんはおもむろにいい、私は「なるほど」と酒をつぎながら、
「しかし、女はやはり気になりますから、傷つけられるといい返さねばなりません」
と、女性全般の代弁をしていう。
「そうそう、ゆえに女は大人物になれぬ。女はよく、正義の味方になりますなあ。その投書の主も、たぶん、正義のつもりで投書したにちがいない。正義あるところ、大人物なし、ですぞ」
ふーん。
正義と大人物もまた、食い合わせわるいか。
「しかし、正義なくしてはこの世は闇でしょ。誰か、いわねばならぬということがある。汚染公害とか、銀行と政界の癒着とか、医学界の内幕とか……」
「誰かいう人あれば、いわせとけばよろしいのだ。その人を正義の係りにし、任せてやってもらえばよろしい。大人物というのは、誰かやる人があれば、させとくもんです」
大人物というのはナマケモノのことらしい。
「では、情夫《おとこ》もちの女、情婦《おんな》もちの男、はどうなんでしょう。大人物と色ごとはかなりかけはなれたイメージのようですが」
「いや、そんなことはない。前回のべたごとく、来るものは拒まずですから、双方意気投合すれば、それはそれでよろしい。仲よくたのしくやって、それでもって精神も安定すれば、仕事もはかどる。これでこそ、男も女も大人物」
「うーん。据膳《すえぜん》ということがありますね」
「あります、あります」
「据膳くわぬは男の恥、といいますが、据膳くわぬは、大人物でしょうか、小人物でしょうか」
「これは小人物です」
とおっちゃんの答えは明快である。
「大人物はおいしくいただく」
「据膳を出しても、逃げてゆく男がいますね。くわぬならまだしも、ビックリして飛んで逃げる男は、どうなんですか」
「そんな男、殺してしもたらええねん。大人物小人物というより、人間とちゃいます」
おっちゃん、いとも筒単に片づけてしまう。
「目の色の澄んでるのは大人物ですか、濁っているのは小人物ですか」
「見るものによる。女を見れば大人物は目の色かわり、小人物は金を見て目の色がかわる」
ヘンな話。
しかし、私、つらつら考えてみて、何だか、大人物のイメージは、昔学校で習った「老子」に似てきた。おっちゃんのいう大人物は、「老子」その人じゃないのかしら。ね、おっちゃん。
「僕に聞いたってわかるかい。僕は老子なんて知りまへん。よんだことおまへん」
とおっちゃんはうそぶき、しかし私は考えてみて、女は、「老子」よりむしろ「孟子」ではないか、王道覇道のけじめもキチンと、正義の味方を標榜するというのは、女は「孟子」にちかいんでしょうね。そういうと、おっちゃん、
「なあに、女なんてせいぜい諸子百家です」
タカガ大人物
佐藤愛子サンは自分のことを「大佐藤」とよぶ。川上宗薫サンのことを「小川上」という。
「大佐藤たる者が、やね。そういうことでオタオタしてはならぬのだ!」
などというふうにつかう。
「自分で自分のことを大佐藤なんていうのは小人物じゃないのかなあ」
と、私がカモカのおっちゃんにきいたら、
「うんにゃ。それは大人物だ! 自分でいうのは大人物の証拠です」
とおっちゃんは感心した。そんなこというから、よけいわからなくなっちゃう。
食べものはどうかな。食通は大人物か?
「腹がへってりゃ何でもうまい、というのが大人物。ギョーザもキャビアも、もろともに美味《うま》がる人が大人物」
「ではあの、魚はガスで焼いたものは食わん、炭火で焼いた魚しか食わん、というのは大小どっちですか」
「それは小人物」
「では、そういう男がいたら、女は剣突《けんつく》くらわせて、どやしつければいいのですね?」
「いや、そこで説教したり剣突くらわす女は小人物。大人物の女は、ハイハイという通りにしてやる。それで気がすむならと、快く炭火で焼いてやる」
何だか女は損だなあ。
「あと死ぬまでの食事の回数が何万回だから、まずいものは食わぬ、という人は大小いずれなりや?」
「それも小人物。心でそう思いつつも、結果として、まずい女房の手料理をだまって食ってる奴は大人物」
「着物に凝る人がいますね、ダーバンを着ようとか、レインコートはサンヨーとか、ネクタイはイタリーのものとか。紬《つむぎ》は二、三べん洗濯してからでないと身になじまぬ、とかいう高尚なる趣味の人は大小どちら?」
「小人物。大人物は下着に凝る。いつどこで下着一枚になってもええように、武士のたしなみを忘れぬのが大人物――というても、首切られたり腹掻き切ったりするときのためのたしなみでは、ないですぞ。いつ女性と合戦するかわからん、そのためのたしなみ。下着だけは清潔で美しきものを身につけるのが大人物」
「ふうん」
と私はすこし考え、
「痔《じ》もちで七色パンツになってるのを恥じ、気にしてるなんてのは小人物ですね?」
「いや、いい年したオトナで恥ずかしいと思ってるのは大人物。小人物は、恥ずかしいと思う感覚が欠如してるもんですからな。しかし、七色に染まったパンツを恥じて女と合戦しない、というのは小人物」
こうなりゃ、表《ひよう》にして、上が大人物、下が小人物と分け、いちいち索引つけて一覧表つくっとかなくてはならぬ。
「歌はどうかな。ナツメロ唄うのと、ハイカラな歌好きなのとはどっちがどうですか」
「人前で唄いたがるのは、ともに小人物。おせいさん夫婦なぞは、小人物の最たるものでありますぞ」
私、少し腹立ち日記。
「ほな、どんなのが大人物やのん?」
「大人物は、大便をしこたまやらかして腹が軽くなり、胸のツカエが下りたあと、水洗のヒモを引っぱり、ズボンを引きあげつつ、鼻唄うたう。これが大人物」
私、唄いたくない、そんなとき。
「しかし、自分のをじっと見まへんか? 固めかやわらかめか、色、ツヤ、太さ、細さ、長さ」
「見ません!」
「ウソつくのは小人物ですぞ」
「見ます、見ます」
「見ればよろしい。そうして満足すべき状態であると、ニッコリほほえみ、と見こう見して流すのが惜しくなる、これぞ大人物」
私はいそがしい身だ。「と見こう見」などしていられないんだ。
「早糞、早めし、早×××は小人物と教えたではないか?」
とおっちゃんは大いに機嫌がよい。この間から、私が辞を低くして、いちいち教えを乞うので、おっちゃんは何だかずいぶんいい気持そう。テレビを見ても、あれは大人物、これは小人物、と選別し、行住坐臥、大小を分けるのに夢中である。しまいに私、ふと思った。
大人物、小人物にこだわる人こそ、小人物じゃないのか? ね、おっちゃん。
おっちゃん、私をにらんで、
「そんなこと聞く人、小人物」
「だけど、大人物であろうと小人物であろうと何ぼのものだ、といいたいのよ。タカガ大人物。人間、何でもタカガをつけねばならぬ、と教えたのはおっちゃんですよ」
そういえばこの頃、おっちゃんは歩き方から物のいいぶり、酒の飲み方、箸のあげおろしまで、大人物ふうに物々しくなってきた。これはどういうことだ。
首の曲げ方まで仰々しい。煙草の吸い方、これも大人物ふうにゆっくりふかす。
そうしておもむろに、
「それは大」
「これは小」
と分けたりする。ひょっとして、おっちゃんは自分が大人物であると思いこみ、それふうになろうと、しぜんに自己暗示にかかっているのではないだろうか?
「人のいうことに釣られやすい人って、小人物じゃないの?」
「僕がいつ、釣られたか」
誰もおっちゃんのことだといっていないのに、そんなこと、いってる。
わかった、ついに白日のもと暴露された。
自分で自分のことを大人物と錯覚するおっちゃんこそ、小人物であったのである。
これにて一件落着。
空襲と花束
六月一日は、なんの日かというと、今を去る三十年前、私の家が空襲でめためたと燃え落ちた日である。
大阪ではその前、三月十三日夜半から十四日未明にかけて大空襲があり、そのときは、わが家のそばまで焼けたが、家は無事だった。大阪市の端っこなので、もうこのまま大丈夫かと思っていると、次の六月一日の大空襲に丸焼けになった。このときは被災家屋六万戸、被災者二十三万名といわれる。三月の空襲のときは、まだ何となく市民の間に昂奮のあまりの躁状態ともいうべき活気があり、「罹《り》災者様ご接待」などというハリ紙を出して、被災者の群れに茶や水をふるまう人々もあった。しかし二回目の大空襲は、そういう無邪気なハシャギぶりをこっぱみじんにする、暗鬱な気分がたれこめた。
私はその日学校にいたのだが、空襲警報が出たので壕へ入り、解除になって出てみると早《は》や、大阪の空は真っ黒な色に掩われて昼なお暗く、そのうち、豪雨となった。大火災のあとは必ず雨になる。電車もとまってしまい、私は級友と共に、鶴橋から北へ歩いた。
家は福島だから、大阪市内を南から北へ縦断することになる。まだ燃えている町なかを、被災者の群れは煤と泥で真っ黒になって次から次へと来た。火の粉は虚空を舞い狂い、女たちの髪を燃やし、雨は煤を伴って黒い。地面はほてり、両側の家がまだ燃えている通りは面もむけられない熱さだった。どこもかしこも、熱気で、かげろうがたちこめ、ゆらゆらと見えた。
私は級友と一人はぐれ二人はぐれした。最後の一人が、もう歩けなくなった私のために、兵隊サンのトラックにすがって、「この人だけでも乗せたげて」といってくれたが、手を振って断られた。断るはずで、荷台は、黒焦げ屍体の山だった。あの黒焦げ屍体というもの、表面は黒いが、手や足が吹っとんだ切り口は妙にあざやかなピンク色である。
私の家は焼けたが幸い家族はつつがなく、みんな私の帰るのをまちかねていた。肉親の生き別れや死に別れを経験しなかったのは僥倖というべきで、この日を肉親の命日とされる人々は多いことだろう。
二日おいて六月四日は、神戸に大空襲があった日である。それで野坂昭如サンが、神戸に来てナンカするというので、私は佐藤愛子サンと二人で応援にいくことにした。
会場ホールは若い男性や女性でいっぱいであった。私はかねて「中年ご三家はなぜ若い女性にモテると思いますか」という質問を新聞や雑誌から受けるのだが、いまだにこれといって答えが出ない。女の子たちは開演前からキャーキャーいっていた。私と愛子チャンは花束(野坂サンにあげるもの)を抱えて一ばん前の端っこに陣取っていた。私はバラの花束、愛子チャンはダリアと百合とカーネーションとミモザの花束である。二人とも舞台へ上って花束をわたすつもりであったが、野坂サンの歌がはじまると、ファンの女の子たちが続々と、客席から舞台へ花束を捧げに来たので、
「私たちも、あれにしない? こんな大きい花束抱えてのそのそと舞台歩いていくなんて恰好わるい」
と愛子お姉さまはいった。でも私はナマ返事していた。私は前もって野坂サンに「舞台へ上って、花束わたしたげるワ」と約束してあったので、予定変更したら、きっと彼はびっくりするであろう。びっくりしてもいいが、あがって歌をトチったりしたら気の毒だ、と思ったのだ。そうじて私は、自分の体験から人を推しはかる、アサハカな所がある。
野坂サンの前座に新人歌手《ヽヽヽヽ》、黒田征太郎サンが唄った。声に錆がきいていて、容姿に雰囲気があって、ちょっとシドニー・ポワティエみたいで、渋くてとてもいい。
野坂サンは、酒場で唄うのを聞いたことはあるけれど、こんなに千人の聴衆を前にした大舞台で唄うのを聞いたのは、私は初めて。
「やっぱり、うまいわねえ、すばらしいわ」
と私は感心して愛子チャンにいった。
「だんだんうまくなってるんじゃない?」
とおねえさまも耳打ちする。
「そうよ、ほんとに」
「マイクがいいのかもしれないけど」
これはどっちがいったのか、伏せとく。
野坂サンは絹のシャツにパンタロンの姿も大変よかったが、裾模様のある三波春夫ばりの着物も、まあ、よかった。しかるに愛子お姉さまは、
「なんですか、あの歩き方は!」
と、暗い客席の片隅で舌打ちした。それはまさに、長姉の貫禄、充分であった。
私は次姉、という風情で、
「そうねえ……少し裾が重たそうにモタついてはる」
とつぶやく。
「腰の辺りもなっとらんですよ!」
とおねえさまは舞台をねめつけていた。野坂サンにその声が聞こえたのかどうか、彼は蒼惶《そうこう》としてまた、シャツとパンタロンに着更えてきて、歌の合間に、私と愛子チャンと眉村卓さんの名をよんで「いられましたら、上って下さい」という。
(ほんとうに世話のやける弟だこと)という感じで、やおら花束をひっさげ、
「いきますかね」
と長姉の愛子チャンは私をうながす。次姉の私も、
「ウン、いこう」
と席を立って、舞台のはしっこの階段からあがっていって、結局、眉村さんと共に、調子っぱずれのウタを唄わされてしまった。
ところで空襲の話であるが、その夜あつまった若い青年子女は、神戸空襲を記録する会の君本昌久サンが作った「神戸大空襲」という記録映画を見せられ、しーんとして見入っていた。空襲の火の海をくぐりぬけてきた野坂サンが唄うから、すてきで粋なのかもしれない。それを若い人は肌で感じとっているのかもしれない。「野坂サンかわいらしい!」という女の子の声がうしろで聞こえていた。
一方お話かわって、こちらはカモカのおっちゃん。おっちゃんも空襲と艦砲射撃を同時に受けた世代である。今は生活のかかった野暮用にいそしみつつ、時折、歌など唄うが、おっちゃんには、かわいいとも粋だともいってくれる若い娘はいないのである。
隠すところ
私の聞いたところによると、西洋の女の人は、胸を曝《さら》すのは恥ずかしがるが、もうちょっと下の方はあんがい平気だそうである。
これは日本人の女の感覚と反対で、我々だと、どちらかといえばその下の方を隠す方であろう。尤も、西洋の風習がホントかどうか、どだい人は私に話を聞かせるときはかなり脚色していうらしい。私は西洋人に友達も知り合いもないからよくわからない。
唯一の外人女性の知己はイーデス・ハンソンさんであるが、ハンソンちゃんと会うとすぐ飲み出すので、右のように下らないことを問い質《ただ》す時間がないのである。
上を隠すか、下を隠すか、というのは、どちらか二者択一を迫られたときであって、むろん、普通は両方隠すのが、まっとうな女の感覚である。私は以前、取材で、ある温泉へいったが、そこは男女混浴であった。低温のラジウム泉で、沸かすと効果がうすいというところから、ぬるい湯へ長時間浸るのだが、源泉を分けて引いているとよけいぬるくなってしまうので、夏以外は一つの浴槽に混浴である。体を洗うのは別の風呂場であって、温泉へは清らかな体を、そーっとつけて、長くひたっている、という仕掛けである。
泳いだり、パシャパシャやるところではない。「夜づめ」といって徹宵、つかったりするくらいだから、ぬるい湯にしゃがんで、無念無想、瞑想にふけるところなのだ。プールのような大浴場で、芸者さんと湯をかけたりかけられたり、というウレシイ温泉を想像してはいけないのである。子宝観音や地蔵サンをおまつりしたお堂が温泉の裏にあったりするという厳粛・荘重な道場のよな温泉。
混浴だといってもふざけたりできません。ただひたすら、じーっと薬湯に浸って病患平癒を祈るとか、子宝をお授け下さいと念ずるのである。
この際いうまでもないが、子宝の場合は、いかに霊験あらたかな薬湯でも、湯へ入るだけではできない。そんなことをすると入った女はみな聖母マリアになってしまう。
子宝ができやすい体調をととのえて下さるだけである。
私は混浴ということを知らなくて、出かけていった。そうして薬湯をのぞいて一驚した。
道理で、大きなバスタオルが宿の手すりに干してあると思った。女性はお婆さんに至るまで、つつましく胸と下をそれで掩ってはいっているのだ。私は、宿のくれたタオル一枚である。
男性はタオル一枚を腰に巻いて入っている。男性というものは、おおむねお臀《しり》が小さいから、タオル一枚あれば隠せるのだ。
かつ、男は胸を隠すことなぞ、要らない。つまり、男はタオル一枚あれば世渡りできるのだ。ダーバンやオンワードやと要らんことだ。
しかし女性はいかんせん、タオル一枚では立ち往生である。私のように太っていたりすると、下を隠すにもタオル一枚では難渋する。お臀が大きいから廻りきらない。上を隠すにも、タオル二枚要る。都合四枚ないと、人前へ出ていけない。これでもってみても、男より女の方が、金が掛るということがわかるのだ。
私は一枚のタオルを、どうやってつかうか、大きに難渋した。
そうして、上を主にすべきか、下を主として隠すか、二者択一を迫られて煩悶した。そのとき、西洋人の女と、日本人の女の感覚のちがいを痛感したわけである。(結局、私はタオルを縦に持って上から下へ、天からふんどしという恰好で抱いて、浴槽へ入ったわけである。背中の方は、おおむね、あまりうしろぐらいことはないので、隠さなくてもよいように思われる)
私は、カモカのおっちゃんに聞いてみた。
「おっちゃん、上と下と、どっちを隠せばいいんでしょうね、ほんとうは」
「うむ。それはやはり、下ですな」
おっちゃんも、日本人的感覚なのかしら。
「いや、そうではなくて、出テイル物は、あんがい人間は、恥ずかしくないものです」
「出テイルモノ」
「人間というものは、凹んでる所が恥ずかしい」
「そんなもんでしょうか」
「たとえばこれ、男でありますと、タオルもない場合、あんがい平気で堂々と手を振って歩く。べつに見られても恥ずかしいとは思えん」
「なるほど」
「女かて、そうとちがいますか。下にくらべて、垂乳根《たらちね》、担ぎ乳、ペチャパイなどと恰好わるいのを恥じこそすれ、いざとなると、おっぱいをむき出しにして恥じない」
「そういえば、お婆さん連中は、暑いときなんか、浴衣の前くつろげて団扇で風を入れてますね」
昔私が子供のころ、アッパッパなんか着てるお婆さん、双《もろ》はだぬぎになっていたが、下の都腰巻だけは取らなんだ。萎びたおっぱいを平気で曝して、歩き廻っていたが、そういうときでも、腰巻はヒシとつけているのだ。
やはり、出テイル物は恥ずかしくないからであろうか。
「しかし、男性の場合は、出テイルモノばかりでしょ」
と私は、あたまかしげつつきいた。
「女とちがって凹んでるところてないでしょ」
「あります。大ありです」
おっちゃんは盃をおき、きっぱりいう。
「肛門です」
「ハア」
としか、いいようがない。
「やっぱり、そこは見せようと思う男はないもんです。さるところで、高貴のお方が泊られるとき、従業員一同、四つん這い検便されたことがあって、そのとき女より男の方が怒り狂ったという話がある。これは、凹んでるところを見せるのが恥ずかしいからです」
「そうかなあ」
「凹んでるところというのは、つまり、人間のヒケ目ですなあ。弱味、やましさ、うしろめたさ、もろさ、攻撃より受身、消極的、引っこみ思案、弱気、などというものをみんな含んでます。人間、人に弱味を見せとうないのが人情。したがって、デッパリよりヘコミを隠すのが、人情の自然です」
醜 女 好 み
このあいだ私は講演旅行にいった。ひとところではなく、泊りに泊りを重ねて次なる興行地へ打って廻る旅である。
その間《かん》、私は屈託なく食べた。仕事は、最後の二、三枚を大阪からのジェット機の中でやり、(オワリ)と書いて、羽田で編集者にわたしてきて、旅先では原稿用紙を持たなかったから、らくであった。尤も、一本、速達で旅先から送ったのであるが、総じていうと、私という人、旅の方が体が安まるタイプである。家庭の俗事から解放されるからであります。そうして名勝景観を心ゆくまでたのしみ、出されたものは、残らずむさぼり食った。
一週間の旅から帰って計ってみると二キロもふえていた。
家へ帰ると、さっそく、東京の係の人から、「ごくろうさまでした」と電話があってねぎらわれる。
「お疲れになりましたでしょう?」
「イイエ、二キロ太っちゃった!」
「ソレハソレハ」
と係の人は恐縮し、
「ご主人に申しわけありません」
どういう意味や、それは。
ま、それはともかく、私は旅先で、じつにいろんなものを心ゆくまで賞味した。行先は東北であったゆえ、山菜と東北の魚をたのしんだ。西国にはない味のイロイロを試みた。
ホヤ貝とそのおつゆの美味は絶妙である。きりたんぽ、ならびに、しょっつる鍋のおいしさは得もいわれぬ。しどけ、ぜんまいなど山菜あまた、ハタハタのおいしさは筆舌につくしがたい。馬の産地だから、馬肉のさしみ、すきやき、これまた、じつに結構であった。
私の箸は、昔ふうにいえば、シナ事変初期の皇軍大勝利という感じで、征《ゆ》くとして抜かざるなく、悉く攻め進むわけである。土地の人は心配げに聞く。
「いかがですか?」
「とっても美味しいですわ!」
私はほんとにそう思っている。同行の三浦朱門さんは呆れて、
「しかしあなたも無定見に何でも食べますね」
といい、ついに私は「猫またのおせいさん」とよばれるに至った。私の食べた皿は一物も余さず、猫も呆れてまたいでいく、というのである。
しかし、私ははじめて食べる美味に感激して、残すなんてとんでもないと思う。馬だろうが猪だろうが、ムジナだろうが、何だって私には美味である。その上地でとれた産物を、その土地で食べて、まずかろうはずがない。
更に、その土地の酒を飲む。私は「南部美人」や「鳩正宗」や「爛漫」などというたのしい銘の地酒を飲み、大いに愉快であった。地方へいけば地酒に限るのだ。
私が食欲を失うのはどんな時かというと、それはフォード大統領歓迎晩餐会であるとか、エリザベス女王ご夫妻のそれであるとか、とにかく、えらい人がはいってくると席を起たねばならぬような、音立てて物を食べてはならぬような、ナイフとフォークを器用につかわねばならぬような、隣人に話しかけられたら、ろくに咀嚼《そしやく》もせず嚥《の》みこんで、にこやかに相槌《あいづち》打たねばならぬような、そんな大宴会である。私は着飾って一流レストランヘゆくのは好きだが、それは自分のたのしみのためで、おつき合いでいくのはあまり好きでない。
「おっちゃんも、そういう大宴会はきらいでしょう?」
と、カモカのおっちゃんにいったら、
「きらいですが、しかしもし行ったら、じっくり食べて飲んできますなあ」
ということであった。
「おっちゃんなら、招待が来ても断るんでしょうね。招待を断るのが大人物か、いや、招待を断るのは小人物で、招待も来ぬのが大人物かな? ドウダ! だいぶん、その間《かん》の呼吸をのみこんだやろ!」
と私が知ったかぶりにいうと、おっちゃんは、
「うんにゃ。世の中の人はそれぞれに立場思惑があり、断ればよいというものではないのです。大人物はお召しに応じて素直に衣服をあらためてゆく。そうしてフルコースをじっくり食べ、つがれた酒もゆっくり味わい、満腹し、心おだやかに帰る。これぞ大仙人!」
という。やりにくい男である。
「じゃ、おっちゃんはいかなる場合でもご馳走はじっくり頂く方ね、猫またのカモカですね」
「うんにゃ、それもちがう。ご馳走はご馳走でも、女性は、これは食欲をおぼえるのとおぼえないのとがあります」
「フーン、つまり、醜女《しこめ》であるとか、気立てがわるいとか」
「気立てはこの際、考えに入れないとして、男なら、あちらの構造ですなあ、味わい、といいますか、それを気にする」
「どんなのに、食欲を感じますか、美人で味のいい方ですか。たとえば、美人で味のまずいのと、醜女で味のよいのとでは、おっちゃんは、どちらを食べたいと思いますか」
「うーむ」
とおっちゃんはしばし盃をおき、
「やはり、醜女で味のよい方ですなあ」
「では美人で味もよいのと、醜女で、味だけはいいのとではどちらをとりますか」
「醜女で味のええ方をとります」
「では美人で味のまずいのと、醜女で味もまずいのとは、どちらをとりますか」
「それもやっぱり、醜女でまずい方がよろしいなあ。もしそれ、気立てさえよければ」
「結局、醜女好みなんですね、おっちゃんは」
「いや、美人は臭気がありましてなあ。美人臭というものがつきまといます。これは臭味があって、つい箸をすすめにくい。いかがですか、と土地の人にすすめられても、食指がうごかん。なかなかかわった味ですね、という。かわった味ということは、もひとつ好きになれん、ということですわ。故に、僕は、女にかけては|猫また《ヽヽヽ》というわけにはいかぬ。女は醜女に限ります――。エー、ときに、次なるお燗はできてますか?」
チェッ。おっちゃんは私に酒を奢らそうとして醜女好みを強調していたのだ。
ハラに据えかね
テレビを見ているとおかしいことがあった。男あり、人を押しのけて、ここをセンドとしゃべっている。対談の相手が口をさしはさもうとすると押しかぶせて、
「君は民主的じゃないよ、君みたいなのがいるから民主主義はつぶれるんだ、和気|藹々《あいあい》でいかなくちゃいかんよ、お互いによく話しあってだな」
「しかしその……」
「待ち給え、なぜ人の話を聞こうとしない。それが民主的じゃないというんだ」
「しかしさっきからあなたは……」
「どうして謙虚に人の話が聞けないんだ、人をあたまからおさえつける君は民主的じゃないぞ。そういうのがいるからダメなんだ、何べんいわせるんだ。ナヌ、時間がきた? 時間延長しろ、意見もいわせないとはファッショじゃないか」
おもしろかったんだ、とても。
こんな男、あんがい多いんだ。
男の人はよく、朝のワイドショーで、うしろにゾロゾロならんでいる主婦を笑いものになさるけれど、見てると出演者の男にも、たいがい、いかれたオロカなのがいて、何ですか、女ばかりオロカではありませんぞ。相共に賢愚なること、環の端無きが如し。
「それは、ですな、何べんも申すことであるが」
とカモカのおっちゃん。
「女より男の方がかしこいという先入観あればこそ、軽蔑したり見そこねたりするのです。女もとより愚ならず、男必ずしも賢ならず。出テイルカ、ヘコンデイルカのちがいあるのみです」
結局、そこへ話が来ちゃう。
「だから仲よくすればええんですわ」
そういうことですね。男と女、親と子、左翼と右翼、保守と革新――まてよ、みな仲よくやるとおかしくならないですか。この世の進歩発展はとまってしまう。
男がききわけよくやさしくなれば、中ピ連が乗り込んで「慰藉料払いなさい!」というと、「ハイハイ、いわれるだけ払います」ということになり、中ピ連は失業である。
振りあげた拳のもってゆきどころなく、桃色ヘルメットも色あせる。
親と子にしても、仲よくなるとNHK朝のテレビ小説になっちゃう。私はいつも思うのだが、雑誌新聞週刊誌に、子供が親のワルクチや不足不平を投書してるのが多い。あれなぜ、親が子のことを投書しないんですかねえ。子供に腹立ててる親も、近頃は多いのだ。
更に、右と左が相たたかい、軽蔑しあい、憎み合ってこそ、人類は生々発展するものでありますのに、仲よくなると……。
「いや、そこんとこも、ようわかりまへんが」
とおっちゃんはいう。
「なんで発展せな、あかんか、といいたい。もうこのへんで発展やめて横匍《よこば》いでもええのやないか、と」
おっちゃんみたいにいってたら、すべては無と虚である。
明石市で、日教組大会が行なわれているので、いま関西の右翼が明石へ毎日出勤してたいへんなさわぎである。開催地は、つねに右翼にいたぶられ、現に、明石市でも、市民は賛否両論に分れてかまびすしく、こう荒らされるのでは二度といやだ、という声が高い。
明石市長は、むろんそういうことを知っていて開催を引き受けたのだから、オトコ気があるというべきであろう。
右翼団体は明石市長の自宅へも押しかけて示威行動をしていた。
耳もつぶれそうな車のスピーカー。ぎょうぎょうしい右翼の旗差しもの。
私、こういうの見ると、日教組大会を守りたくなるんだ。なぜ右翼は、日教組大会を目のカタキにして、イビルのですか。学校の先生だと、マサカ、暴力行為で報復しないだろうと思うからか。なぜか、あの種の人たちは、公害病患者の群れとか、一株株主たちとかいうような零細庶民や、手向いしないインテリに対して、意地悪《いけず》であるらしく思われる。弱いものいじめといってもいいでしょう。国家権力や、強い者と正面衝突することはない。
悲母観音のおせいさんも、ハラに据えかねているのでありますぞ。
私は何も、日教組のやることなすこと賛成ではないのだ。日教組の中だって、多数党の暴力がまかり通っているのだから、その暴力に対する憤懣はあるけれど、しかしそういう話し合いの場さえ、持たせないというのは、これはテレビでひとりしゃべる非民主的なオッサンと同じで、おとなげないではないですかッ!
「まあよろし、氷おまへんか」
とおっちゃん。今夜はウイスキーである。
「おせいさん一人でそう力んどるけど、あれはほんまは、みなたのしんでやったはるねん」
「そうかなア」
「明石の右翼の車かて、朝来て夜帰りよる。通勤しとるのや」
「そういえば、徹夜ではやってませんね」
「高速道路通って、東へ帰ってゆく車、よう見まっせ。旗差しもの美々しく車に立て、どてっぱらに麗々しく、反共ナントカと書いた車、夕日を浴びて帰っていってます」
「おっちゃん見たの?」
「高速を夕方走ってると、明石もどりの車にすれちがいます。いかにも、一日の労働を終えて、家路を辿る勤労者、という感じ。一日どなり疲れた顔でね。――あれはマジメに働く人で、仕事をたのしんではるねん。百年ぐらいたったら、また、血煙り荒神山みたいに、巷談になって、三波春夫みたいな人が裾模様着て、浪曲入りで唄うてくれはるわ」
「しかし……」
「それに、男はええけど、女が目くじらたて、口をゆがめて腹立てたり、罵ったり、憎んだりしてはならぬ。女にしてほしィない」
「女かて、男と同じに腹も立ちますよ」
「あかん、女がそれをしてはあきまへん」
ナンデヤ。
「上の口をゆがめると、下の口もゆがむ。いや、ゆがんでるのやないかと想像する」
バカッ。まじめにやれ、なんぼ中年でも。
女実業・男虚業
いつだったか、石川達三センセイがある雑誌に連載されている日録に、羊水と海水の話があった。
多田道太郎氏が「子宮の羊水は海水と同じようなもので」と書かれるかいわれるか、したことにつき、考察されているものだった。
私も、多田氏のその話をどこかでよんだ記憶があるので、石川センセイの文章にふと目を惹かれたのである。
センセイは、「羊水と海水が同じ」ということに猛然と興味を示され、例のごとく活溌な好奇心で調査される。そうして、両者は全く別のものであり、もし同一成分なら、女の体というものはおもしろいがと思っていられたのに、やっぱりちがう。したがってこの件については、「興味を失った」といわれる。
私はじつに、いろんなことを考えさせられた。
私は、多田氏は何も、化学成分が同じ、という意味でいわれたのではない、と思う。それは短い石川センセイの引用文の中からでもすぐわかることである。それというのも、私に、多田氏に対するあるでき上った認識があるからかもしれない。「遊びと日本人」「しぐさの日本文化」などの著作をよんだ人だと、多田氏の発想の雰囲気がわかるのだ。
私も、むろん、羊水と海水が同一の化学成分なんて、夢にも考えない。
そんなことより、そういう言葉からすぐ、ひとつのイメージが浮かぶ。
たぷたぷとした、なまあたたかい命の水の中にただよう胎児。万物を生み育む海の水と、それはイメージでつながっているのである。生物が海から発生したように、人は、女人の胎内の海から発生するのである。海は女、女は海である。されば月の満ち欠けによって、女の赤い潮も干満するのである。海のリズム、月のリズムを体の中に脈打たせているのが女なのである。「羊水は海水と同じ」という言葉は、女にはさまざまな夢や空想を与える。
それを、調べて成分をつきとめる、という発想を、私はじつに興深く思った。
やっぱり、そういうことをするのが男なのね。
しかし、もしそうだとすると、男の作家にほんとに女が書けるのかしら。私は以前「花の浮草」という、ある女流作家をモデルにした小説をよんだが、一番かけちがったタイプの男に、なぜ書かれなければならなかったか、と、そのモデルの女性のために悲しく思った。
女の中でも一番女くさい女を、男の中でも一番男くさい男が、男の観点からだけとりあげてみると、「羊水と海水」の成分を顕微鏡で調べることにもなりかねない。男は、男の気持を「なんで女が知るものか」というが、女だって、女の気持を知る男が少ないのを嘆くのである。
「いや、それはわかりあえますまい」
というのは、カモカのおっちゃんである。
「こない毎晩、あーそびーましょ、と来て一緒に飲んでても、やっぱり女はわからん。男も、わかってもろたとは思えん」
「そうかなあ。――私、カナリ、中年男がわかるっていう評判なんだ」
「いや、やはり、それは皮相的なるもの。まだひと皮めくったところがわかっとらん。――あの石川センセイの日録なんざ、男の老人性ガンコという本音が出とって、おもろおまっせ。あの雑誌、よむとこあらへんけど、あそこは皆一番によんどんのん、ちがうか」
男には、評判たかいものらしいのだ。
「まあ、しょせんわかりあえぬのもむりからぬこと。男は虚業で、女は実業ですからなあ」
というおっちゃんの話であった。
「男は虚業ですか」
「吹けば飛ぶようなもんですからな。ゴチャゴチャやってたかて、結局、戦争ごっことお山の大将ごっこに尽きてしまうんやから。女のすることは、子を生む、火をつこうて食べもんつくる、みな、実業です」
「女の方がエラいんだ、エラいんだ」
「どっちがエラい、エラくない、というものではない」
おっちゃんは私をたしなめる。
「じゃ小説書いたり、画をかいたり、というのは、虚業でしょうね。――あんまり、人生の役に立たへん。なくても生きていけるでしょ」
「いや、ちがいます。――これは、実業」
「ふーん。そんなら虚業はどんなもの?」
「政治とか、百姓とか、医者」
そこんとこが、おっちゃんの発想はわからない。
この人、ヘンな人。
「政治なんか虚の最たるもの。医者もまた、空しき職業であります。大体、自由主義国でも全体主義国でも、どない体制がかわっても、食うていくのにこまらん、いうようなインチキな商売は虚業である」
「そうかなあ」
「おせいさんみたいに、共産圏に入ると小説が売れん、外国語では売れん、東京弁では売れん、というハカナゲなるいとなみこそ、人生の実業ですぞ」
ますますわからない。
「でもあの、人間はモノを食べなくちゃならないのだし、お百姓みたいにオコメ、オムギなんかつくってる人は実業ちゃうのん?」
「いや、ああいう大地にしがみついた確固たる営為は、僕から見ると虚業ですなあ」
「食べる方が実業ですか」
「さよう――この間、エリザベス女王歓迎晩餐会に招待される話がでましたが、そういうところでじっくり食べ、かつ、エリザベスおばさんにウインクなぞしてくる奴が実業」
「ヘン」
「女王の位は虚業であるが、そのウインクが夫婦ゲンカのタネになって、ロンドンヘ帰りはってから、エジンバラおじさんが、お前あのカモカのおっちゃんにウインクされとったやないか、といい合いしはるのは、実業」
この仕分けは、かなりむつかしい。仕分けるのも実業であろう。
男イチコロ女の告訴
女子大の先生の受難時代である。
東京女子大事件の真相は、私にはわからない。週刊誌記事の程度しか我々一般人は知り得ないのだから、何かと論評することはさし控えるが、まあしかし、記事で見る限り、七三で女が分がわるいのじゃないかしら。
お酒がはいってて少人数で個室にいれば、これはモウ、教授も学生も、作家もファンも、医者も看護婦もないのだ。
また、そうであってこそ、のぞましいのであります。
酒を飲んで個室でさし向いになっていて、なおかつ、教授と学生というような関係しか保てないような奴は、くたばってしまえ。
そういうときは男と女の立場になってこそ、リッパな成人《おとな》なのである。
だから、女の子、男の子には、まず酒とのつきあいかた、異性とのさし向いかた、を教えねばならない。教科書に「イブのおくれ毛」や「女の長風呂」をつかってほしい。すると私はもう、しんどい小説を書かなくても左ウチワで暮らせる。
かりにドウコウあったとしても、告訴するというのはもう、これは恥ずかしい。
しかしこのデンでいけば、男は実に無力、中ピ連の圧力より凄い。
もし、いやな奴がいるとする。この際、私怨、公憤を問わぬ、ゼッタイあんな奴消したいという男がいますね。そうすると、告訴したらイチコロである。
男がいかに声|嗄《か》らし、泣きわめいて「そんな事実はない」と叫んでも、いったん公表されると社会的地位は失う、家庭は崩壊する、もう収拾つかない。
私なら、さしずめ、佐藤愛子サンと二人で組んで告訴屋になる。世のため人のため害毒を流すというような男たちにちかづき、愛子チャンおせいさんコンビの色じかけで(少し自信ないが)たらしこんで個室でさし向いになり、翌朝告訴する。
愛子チャンは顔に紅葉《もみじ》を散らして、群がるマスコミの連中の前で証言する。
「女にとって一番大切なものを……くやしくて眠れませんでした」
私も蚊の鳴くような声でいう。
「一晩なやみぬきました。でも、あの人たちは女の貞操なんてゴミクズにしか考えてないんですわ。……世のオール女性のために敢《あえ》て恥をしのんで告訴します」
そうしてヨヨと泣く。告訴されたらお上《かみ》も抛っとくわけにいかない。
いかに警察の旦那や検察庁の旦那が、内心、(あんなオバハンにも貞操があるのか)と呆れても、受理しないわけにはいかない。
男は必死に抗弁しても、もはやいったんばらまかれたわるいイメージは拭い去りがたい。
味をしめた愛子チャンと私は、今度は、「世のため人のため」という大義名分を忘れ、友達仲間をからかってまわるのによろこびを見出すことになる。
野坂昭如サンを訴える。愛子チャンはすすり上げつつ、あることないことをいい散らす。
「友人だと思って信頼していましたのに……。ラグビーの試合なんか見にいかなきゃよかった」
次に小松左京サンを訴える。
「何しろ、小松センセイのあの巨体で迫られてはとてもかないません。かよわい女をフミツケにしても許されるんでしょうか」
みんなこまって、告訴をとり下げてくれるようにたのむ。何でもご馳走するという。そうして愛子チャンと私は一年くらい、毎晩ご馳走を食べて愉快に暮らす。
その代り、みなみな様の鼻つまみ者になり、我々がいくと男たちは、
「告訴魔が来たァ!」
と顔色かえて逃げる。タクシーの相乗りも避ける。とにかくそばへ寄らぬよう、ならばぬように男たちは必死である。
対談なんてもとよりおそれる。雑誌の目次でならんでも、アッと怖がる。そのうち、男性編集者たちも我々のそばに寄らなくなっちゃう。
文春ビルヘはいっただけで、守衛のおじさんまでアタフタと逃げていく。
見よ、告訴魔のゆくところ、向うところ敵なし!
私と愛子チャンは意気揚々と手を組み、あたりを睥睨《へいげい》してのし歩く。そうして次なるあわれな犠牲者を物色する。私は提案する。
「川上宗薫はどうかしら」
「ダメよ。宗薫は得たりと懐中電灯なんか持ってきて、我々の構造を調べてその月の締切に間に合うように書く。こっちが告訴するより、雑誌の発売日が早かったら、あべこべに、世紀の赤恥をかく」
「やぶへびやね。――偏奇館はどうかしら」
「あれはイビキをかいて寝るらしい。隣りの人が、夜っぴてイビキが聞こえてました、と反証すると成立しないね。それよか、カモカのおっちゃんはどうなの?」
「あれはダメ。酒を飲んで個室でさし向いになると、これ幸いと手をのばす。どうせ告訴されるものならモトモトだと、充分、モトを取らねばソンだと、盛大に迫りはると思うな」
「あつかましい男だね。それじゃこっちが敬遠しなきゃ。松本清張センセイなんか、どうかな」
「うむ。センセイは『告訴せず』という小説もお書きになったことだし。試みてみるのもいいかもしれない。しかし何となくご下問に奉答する、という感じで、ソコまでもってゆかないうちに『車をよべ』なんてのたまうね、これは」
「日本ペンクラブ会長はどうかね」
「『流れゆく日々』の一ページの端をチラと飾るだけですなあ、これは。あべこべに日本の将来について、はたまた民族的使命について講義を受けるだけだね」
カモカのおっちゃんは大あくびであった。
「あほらして笑う気もおこらん。男は告訴されても、まんじゅうこわいと一緒で、告訴こわいという奴で、男にはもっとこわいものがありますなあ」
男のこわいもの如何!?
私と愛子チャンは耳ひったてて聞く。
――次回公開。
ご 落 胤
つらつら思うに、男性というものはしかし、コワイことが多くて生きにくい存在である。
前回いった如く、まず告訴されること。
酒の上のことでした、で笑ってすませてくれるような女というのは、なかなか現代にはいないものである。広い世間も酒ゆえ狭い、目がさめると横に教え子がいた、なんて、ほんとはどうということないのに、男性なるがゆえに制裁され指弾される。お気の毒というほかない。
未婚の母をつくること。
「産むな」というのに産みたがる阿呆の女が、これまた多い。女が産む産む、といえば、男は手の下しようがない。止めときゃいいのにと、イライラしつつも、首根っ子をおさえて病院へつれていくわけにもいかず。私は女だから同性の味方をしたいが、しかし、子供を産むといい張る愛人を前に、首うなだれる男の心理を想像すると、男にも同情を禁じ得ないですねえ。
たいがい、こういうときの女の子のセリフはきまっていて、
「あんた、奥さんには産ませて、あたしに産ませたくないのね。卑怯者、エゴイスト!」
なんて裂帛《れつぱく》の気合で罵倒したりなさる。
「いやなに、その、……」
と男の方はこまってしまう。何しろ、現物は向うの腹の中なので、男が合鍵で開けて、向うの知らぬ間に、台所のゴミ箱へ捨てるというわけにはいかない。
「どうしてもおろさないのかねえ……」
なんて男は弱り目にタタリ目という感じ。追いつめられた夜行動物のようにオドオドする。一事を多くすれば一|煩《ぱん》を多くす。わが蒔《ま》いたタネといいながら、ご苦労なことです。
離婚問題がモメて中ピ連が会社へ押し寄せること。
これは私的なことだと制してもそんなことは聞かれない。女に武士の情けは通用しない。男にとって職場を荒らされるのは致命傷です、なんて哀願は女は屁《へ》とも思わぬ、会社でわめくとマスコミはおもしろがって取材にくる、会社はあわてふためく、男は譴責《けんせき》される、可哀そう。
どっちの味方や、と私は女性たちに叱られそうだが、生きにくいのは男も女も、同じような気がする。
ただ、女にはコワイということはあまりない。
男たちが心胆を寒くする、というようなのに類似したことは、女にはあまりない。女は社会的に生きる場が狭いから、「それやられるとオマンマの食いあげ」という、首に刃を当てられるようなヒヤッとする実感は、あんがい、ないのではなかろうか。
「カモカのおっちゃんのこわいこと、ッてなんですか」
「待ってました、告訴や未婚の母はともかく、僕ならご落胤《らくいん》ですなあ」
「突然、名乗り出てくるヤツ」
「そうそう。見知らぬ若いもんが出て来て、ああ瞼のお父さん、などとやられる」
「天一坊ですね、まるで」
「というても、僕には財産はおまへんから、そっちのイザコザはないが、人間関係がややこしィなる。人間、なるたけ、身内の、肉親の、というもんは数少なくするべきもの、ゴタゴタと芋の子みたいに引きずり引っぱってるのはええことないのです。それが急に、うっとうしいのが出てくると、ヒヤッとする」
「それは、やはりおぼえがあるわけなんですね?」
「おぼえがない男が、居りまっか」
とおっちゃんはふしぎそうに反問する。
今夜は、おっちゃんは湯割り焼酎である。
女なら誰でも、来るものは拒まず、というおっちゃん、酒に於ても無定見に何にでも親しむ。取りあえずあるものを飲む。美味しそうに飲む。
「男なら、たいてい、ご落胤、隠し子、なんてものに心当りがあるものです。年を聞いて、アレか、コレか、思う……」
「そんなにたくさん心当りが」
「何しろ、メチャクチャですからな、若いころは」
おっちゃん、いそいでしゃべって口を開かせない。
「うれしくないんですか、ご落胤の出現、というのは」
「いや、周章狼狽を通り越して、衝撃です。一瞬、持ったる盃、バッタと落し、ということになりますなあ」
「泣き笑いしますか」
「うらめしいとも、けったくそわるいとも。せっかくこうやって機嫌よう暮らしとんのに、と腹立つ。――それやこれやひっくるめて、ご落胤はコワイ、と」
「どうも男の心理というのはわかりません。女から考えて、リッパに成長したわが子が、とつぜん現われたら、うれしいんじゃないかと思ったり致しますが」
「しかし、リッパに成長させたのは、テキやからね。僕は何も知らんのやから、……。テキの恨みつらみが、ワッとくるんではなかろうか、と」
「それはそうでしょ。女としては、女手一つでここまで育てたのよ、と見返してやりたい気もあるでしょうし」
「何も、してくれ、いうて頼んだんとちゃう」
「しかし、女にしたら自慢したい、手をついてあやまらせたい、悔悟の涙に昏《く》れさせたい、申しわけなかった、とひとこと、血を吐く声で詫びをいわせたい、お前の苦労にはあたまが上らん、と認めさせたい、このつぐないは何でもする、といわせたい……」
「ソレソレ、そういう、恨みつらみがこわい。のみならず、現在の女房《よめはん》子供にどう紹介しますか、どっち向いてたらええのやらわからん。いや、ご落胤、と聞くなり僕は、あたまの毛が白うなって、心臓がドキン! とします」
「若い時のアサハカさの罰です」
「まさかその時にわかるはずないでしょ。男というのはおろかなものです。なればこそ、そういいつつも、現在もご落胤づくりに精出すわけです」
貢ぐ貢がせる
暑いですねえ。浪花・兵庫の暑さときたら、もう何をかいわんや。私は町医者のささやかな待合室裏手の三畳間の仕事場で、全くノビ切っているのだ。風は通らずクーラーはなし。アタマをつかう仕事なんかできますか、ってんだ、この際。――よろしくもないあたまなのに。
しかるに冷房ききたる最新ビルの編集部からジャンジャン催促の電話。よけいのぼせてボーとなったところで、午後六時、シメタッ、「わが退社時間」。私は六時以後は仕事しない。電話にも応じない。しかるにアンケートの電話、頻々とかかる。
「エー、膣鏡についてどう思われますか」
バカバカ、そんなもん、こちゃ知らん!
「いや、女性が、ですね、女性自身をよーく知るということは、女性解放の第一段階だというウーマンリブの説がありまして、膣鏡によく似た性能のものが発明されたのです。女性がこれによって女性自身を知るということは、ほんとうに自己解放になるかどうか……」
「そんなもんを見なきゃ自己解放できないような人は、見ても解放できませんよッ」
ほんとうに、モウ。ガチャンと切る。堤玲子サンふうにいえば、この暑さにこういう俗事にかかずりわっていると、まさに「膣命を落す」ことになりかねない。
六時になると風呂へ入って、そうして扇風機をかけてお酒を飲んじゃう。
タイミングよく、「こんばんは」とカモカのおっちゃんがくる。
「お暑いことで。ビールでも冷えてまへんか」
「ビールもおたかくなりましてねえ」
「冷酒用のお酒も冷えごろではないでしょうか」
「お酒も値上りするとか」
「ケチ! しぶちん。こう見えても何を隠そう、僕は、国際秘密警察のもんですぞ、酒ぐらい惜しむな」
「秘密警察も落ちたもんですね、おっちゃんなんかをつかうとは」
「そう思わせるところがミソです。ほんとうは、マサカ、というような人物が、秘密組織にはいってるもんです」
私、おっちゃんなんか、インベーダーだといわれてもおどろかない。
「何か、涼しくなる話はありませんか」
とかたみにいい交しつつ、ビールをつぐ。
「こう、マッチを擦ったら燃え上りそうに暑いと、浮気もでけまへん。考えるだけでも女なんか暑くるしい」
「お金は」
「金も暑くるしい」
「お酒は」
「まあまあですな。酒なくてなんのおのれが浮世かな。ポン!」
と盛大にビールの栓を抜く。
「しかし、ですね。あなたのためならと二億円、命にかえて貢ぐ、という女があらわれれば、おっちゃんだってうれしいでしょ」
「それなら話は別。札束で頬っぺた叩かれ、いやいや操を売る心持ちというのは、また、かくべつのもんです」
「かくべつのもの、ってどういうの」
「いやや、いやや、と思いながら金のために身を売る心持ち、いや、考えただけでうれしさにゾクゾクし、欲情むらむらときますなあ……」
いやな奴ですね。
「すこし倒錯《とうさく》ふうじゃないでしょうか、おっちゃんの趣味って、だってふつうの男はみな、二億円貢がせた男を、エライ奴ちゃ、とほめそやしこそすれ、ゾクゾクするたのしみなんて思いませんでしょ」
「しかし、ですぞ。貢がせる相手の女、黒柳徹子サンであるとか、中山千夏チャンであるとか、かわいいオモロイ女であれば別ですが、赤塚不二夫えがくギャグ・ゲリラの醜女《ブス》みたいな女やと、肌に粟を生ずる思い。それに目をつぶって身を任せる快感、というのは、これはもう……」
「気色《きしよく》わりィ!」
「それよか、女は、どうして国際秘密警察なんかにひっかかるのですかなあ。おせいさんでも、魅力ありますか」
「うーん。女は制服が好き、ということはあるようですから、組織も好きなのかもしれない。――たぶん、何でもないときに、秘密警察、なんてコトバが出るとふき出すでしょうが、夢が現実になって、目の前に男がいて、甘い言葉をかけてくれて、そういうものと結びついたとき、急に、ホンモノらしくなってくるんでしょうねえ……。私でもその場になれば、わからないのでアリマス。私であるとか、佐藤愛子サンであっても、『僕ァ、国際秘密警察の者だが、君と知り合って足を洗いたくなった。しかし抜け出すには、先立つものが要るからなァ』などといわれると、これはフラフラときます」
「きますか」
「きます。週刊文春編集部をダマクラかして、原稿料の先借りをして入れ揚げます」
「しかし二億円、とはいきまへんやろ。文春は銀行とちがう」
「まァ二十万くらいはいけますね」
「ケタがちがうが、まァそれでもよろし、入れ揚げてもらうわけにはいきまへんか」
「しかし、秘密警察の者、というのは、正体不明の雰囲気がなくちゃ。おっちゃんでは裏表見通しで、あまりといえばあんまり、あっけらかんとしてます。貢ぐ気はおこりません」
「あきまへんか」
「ビールと冷酒を貢いでるやありませんか。それで辛抱して下さい」
と、私は、つめたーい日本酒をガラスのコップについでやった。それにしても、「国際秘密警察の者」なんて、ステキで心にくいなあ。世の男ども、このくらいの詩的な殺し文句を、照れず、おめず臆せず、いえるようでなければ、女はダマせませんよ。「国際秘密警察」なんて、女には「ベルばら」の「オスカル様」みたいに聞こえるのだゾ。
「だけどねえ、おっちゃん。国際秘密警察って、何するひと?」
「ハテ。きまってますがな。女に貢がせる人です」
男のうとましさ
この頃の人間の顔、あんまり、いいのいないなあ。
何も私は、美醜を論じているのではないのだ。顔立ちや造作の問題じゃない。
表情とか、顔の雰囲気のことであります。
電車に乗る、バスに乗る、町を歩く。いや、新幹線、連絡船、ヒコーキ、すべてそういう長距離の民族移動の中に身を置いて、わが同胞諸君を見わたすに、日本民族は、何となく品下《しなくだ》れるものになったと思わずにはいられない。
赤ん坊に至るまで欲深そうな顔をして、泣いておる。
子供はこましゃくれ、スレッカラシであり、奸譎《かんけつ》な小悪党に見える。
青年男女は卑猥|陋劣《ろうれつ》、志低く、見るに堪えん。
成年壮年男女は、蛇の如く執念深く、河馬の如く貪欲に、狐の如く狡猾であり、スキあらば、人の膝の裏を突いて、つんのめらせようとはかっているように見える。
中年の男女また、しかり。
色好みのじだらく、金と色に目は血走り、ヨダレがたれてる。
老年になって枯れすがれるかというと、これまたそうでなく、ひがみといやみとやっかみの権化のような顔、積年の不平満々、「恨み晴らさでおくべきか」というような顔を、ずーういーとふりむけて、毒気をふりまいている。
のんびり、ゆったり、あっけらかん、とした顔がなくなっちゃった。
高雅|清廉《せいれん》、という手の顔にも出くわさない。
損得度外視、というか、金もうけに縁遠い、という顔も見あたらぬ。
このせつ、男性方は、女性の品下れるのばかりあげつらって舌鋒するどく叱咤《しつた》なさるが、たいがい男の方もいい勝負である。
男の人で、私のきらいなの、まず若い男で、電車の中で傍若無人に、股ひろげて坐ってる奴(高校生ぐらいからある)。足組んで通路の前へ突き出してる手合い。
あんまり大股ひろげてるもんだから、網棚にモノをのせるふりをして何か落してやろうかと思うくらい。うまく命中したら、男は飛び上るだろうなあ。以後は少し、つつしんで、小股に坐るかもしれない。若い男の行儀わるさは有史以来、いまが最高。
大声であたりはばからぬ会話。新幹線の中までのし歩く、一種風格ある男たち。角刈り、毛糸ハラマキ、色ワイシャツ、おなかのつき出た壮年男子の一群。食堂帰りらしく楊子《ようじ》なぞ咥《くわ》え、時に、「ピッ」と楊子を唇のすみで飛ばしたりなさる。
シ―ッ、シッ、シッと歯を鳴らす。
グビッとおくびをあそばす。中年の行儀わるさもめざましい。
しかし、わが亭主でないから、まあ目をつぶるとして、いろんなところの窓口の男、この愛想わるさも論外。猜疑心にみちた目つき、姑婆のような意地わるさ、「何をッ」といわんばかりの口のききかた。
意地わるは女の専売特許じゃなく、すべて会社づとめをした女の子はみな、男の不機嫌にてこずったおぼえがある。男は、腹を立てるとすぐ、顔に出す。
プーとふくれて八つ当りする。
窓口の男が、女と見ると侮るのと同じく、会社の上司も女の子に八つ当りしやすいらしい。
家でも同じ。何か向っ腹たててむくれ返り、一言《ひとこと》いうと、突っけんどんな返事、子供を蹴とばす、女房を罵る。
会社でナンカあったって、家のもんが知るもんか、ほんとうにこまるんでございます。
これがゴルフヘでもいくとなるとうってかわって日本晴れの顔、鼻唄まじりで朝の暗い内から起きていそいそしていて、釣も同じ、女子供のあずかり知らぬところで、我一人、おたのしみなさるのだ。
麻雀なんかもそう。麻雀さえしていればご機嫌で、時に、家へ招集したりして、いつまでたってもザラザラゴチョゴチョと騒音かしましく、夜食のお茶のと、女房は眠ることもできない。
タバコの煙はもうもう、吸殻をラーメンのどんぶりの汁の中へ、ジュッと投げこんだりして、灰皿はいつもうずたかく、接待する側の女房は、
(あんなあそび、大のオトナが熱中するほどおもしろいのかしらん)
と知能程度を疑ったりしている。出るものはなまアクビ、悶々として腹立ち日記。隣室より聞こゆる亭主のうれしそうな、欣々然としたハシャギ声、あんな声を、いっぺんでも女房に聞かせたことがあるか、というのだ。
亭主が機嫌よい声でハシャグのは、麻雀のときだけではないか。――と、女房族は、恨み骨髄に徹する。
モウほんとうに、男のうとましさもいろいろであります。
「イヤ、まことに、男もええかげんなもんです。女のワルクチばっかりいうてられへん」
とカモカのおっちゃん、こういうときは素直に肯定するのが、ワリにいいところ。
「しかし、そうイキリたっててもしかたおまへん。そういうアホな男を相棒にしなければ、女もやっていかれへんねんから。どりゃ、あきらめて、もろともに涼しいところで飲みまへんか」
そこで席を移して、クーラーの部屋でウイスキーの水割りにする。これは涼しい。急に気分まで涼しくなり、
「まあ、何やかやいうても、ワレ鍋にトジ蓋、というところ、仲よくいきましょう」
などと私はいい出す。涼しいところへうつると、腹立ちもおさまる。人間、気分次第のものなのである。
「そうそう。折々は態位もかえてみると人生観もかわるのです。前向きで善処しましょう。なぜお役所の人が、こればかり愛用するのか。横向きに善処します、あるいは松葉くずしで善処します、とか、茶臼で善処します、とか、なぜ大臣や局長はいわんのであるか」
「バカ!」
「それ、こうやって折々気分をほぐすと、男と女、やっぱり腐れ縁の相棒で、ワルクチばっかりいい合うてても仕方ないとわかります」
テレビのタノしみ方
テレビや舞台で唄っている子供歌手を、吹けば飛ぶ泡沫《ほうまつ》ジャリタレ、と嘲笑するのは簡単であるが、しかし考えてみると、あんなにたくさんの人間の前で、唄ったり踊ったり、することができるというのは、その度胸の点で脱帽せざるをえない。
私は、私の年齢の三分の一くらいの子供たちに敬服し、深く尊敬しているのである。
私には、とてものことにあんな度胸はない。
大ぜいの人の前に立つと、あがってしまい、何をしゃべってるのかわからなくなる。
したがって、講演はきらいである。
講演の依頼は、大げさにいうと引きもきらずあって、いちいちに応えていると二日に一回、講演しなければならなくなる。二日に一回、あがっていてはどうしようもない。だんだん慣れる御仁もいられるだろうが、世には一向、慣れない人もいて、私はその後者である。
そういう、不甲斐ないオトナから見ると、堂々とマイクを握って、唄っているジャリタレというのは、りっぱなものである。
彼ら彼女らの胆力だけでも、買ってやらなければならない。
講演のときに、袖のところにいてパイプの折タタミ椅子なんかに坐って出を待ってる、ああいうとき、心臓をヌレ手で掴みあげられたような気がする。あの恐怖感を、彼らジャリタレは、いかにして克服するのであろうか。
司会者から、どうぞ、なんていわれて、万雷の拍手といいたいが、パラパラの拍手のうちに出ていく、いやーな感じの一瞬を、彼らジャリタレはいかに堪えるのであろうか。
エライ人ですねえ。勇気と克己心なくしてできることではない。
いくら若いから、無鉄砲だから、といったって、怖いのは誰も一緒だと思う。そこを、捨身の勇気、やけくその度胸で、エーイと飛びこえる。それだけのことでも、唄っているコドモたちを、
「えらい、えらい」
と私はホメたくなってくる。
その歌がヘタで学芸会ふうであれば、それなりに、
「ヨカッタ、ヨカッタ」
とあたまを撫でてやりたい。
歌が上手であれば、なおのこと、
「ようやる、ようやる」
とほめそやしてやりたい。
母ごころじゃありませんよ。私は母ごころ、子ごころはきらいだ。ヘイタイ同士として、勇敢なる戦友をほめてるだけである。
しかし、男というものは、ヘンなことを考えるものである。
川上宗薫サンはいつか、
「テレビで見てると歌手が口開けて唄ってるね、あれ、口の中までまる見えになったりすると、ワイセツな感じするなあ……。なぜか、口の中って、ワイセツなんだな」
といっていた。
どうしてそんなことを考えるのかね!? 私は、人間の捨身の勇気、克己心の崇高さをほめ讃えているのに、男は、テレビで大うつしになった口の中をのぞきこんで、あらぬ妄想に耽っているのだ。どうして男というものはこう、よけいな想像力、妄想力が働くのだ。
「いや、川上センセイの擁護をするわけではありませんが、それは、ありますなあ。どうしてか」
と例によって、カモカのおっちゃんはいう。
「なぜか、男というものは、そのものズバリを見せられるよりは、あらぬものを見たときの方が、妄想をそそられる。――ピンクシーンが画面にうつっているときよりもそうでないときの方が、いろいろと、あらぬことを考えさせられるものです」
「そうでないとき、というのはたとえば、どんなときですか」
「国会の中継なんか見ててもですなあ、あれを、音声を消して見る、とする」
音声を消して国会中継を見て、なんとするのだ。
「いや、女性のあれの呼称をどうするか、国会で討論している、と妄想する」
ヒマ人ね、男って。
「どうしてですか、あれのよび名を、文部省が統一して国定にしてくれへんので、皆々こまっておるのです」
こまるはず、ないでしょ。べつにいわなくたって、日々の暮らしに差支えないのやから。
「いやいや、それはちがう。ちゃんと人前でよべるようにきめてもらわんことには、アレというたり、隠語でよんだりしてよけいまぎらわしい。青天白日の下でよべるような名前に統一しようというので、国会議員はそれぞれ選挙地の票田を賭けて論争する。大阪府が送り出した選良は、×××を固執し、鹿児島県の代議士は××を唱え、東京都は××××を提唱してゆずらず、青森県の選良は……」
それをテレビの中継で見ると、どうなるっていうんですか。
「野党は順々に立ち上って、政府与党に噛みつく。『××とすべきであります。これは由緒深い古語に由来するのでありまして、××××などという今出来のいかがわしい造成語や×××などという由来不明の隠語とは問題にならんのであります。それを敢て捨てて××××の採用強行をもくろんでいるのは、政府の言論弾圧にほかならん』てなことをいう。政府首脳がやおら立ち上り、登場して答弁する。『××××が望ましいのであるが、×××、××、×なども考慮して前向きに善処します』なんていう、この答弁をアテレコでやってると、興にのって時のたつのも忘れ……」
そんな時間あるなら、みなこちらへほしいものだ。国会討論会でさえ、そうならば、男は歌手の口の中を見て何の妄想を抱くか、わかったもんじゃない。
「いや、僕は、口の中より、手つきですなあ。マイクを持つ女歌手の手つき」
とおっちゃんは、考え深そうに盃をおいていう。マイクがどうしたってのだ。
「いや、マイクが何やら、別のものに見え、その握り方がワイセツ。小指を撥《は》ね上げておっかなびっくり、三本指で持つのもあり、いとしそうにぐっと拳で握りしめるのもあり。マイクの先をオシャブリみたいに嘗《な》めそうなのもあり、いや、テレビというのは、いろいろタノしめるものです」
すれっからし
イヨイヨ更年期障害を迎えたか、または晩夏の暑さにイカレたのか、あたまがぼーっとしてどうも身のおきどころもないので、テレビを見て、しごとはおあずけ。宝塚歌劇の劇場中継、「ベルサイユのばら」を見てる。
いいな、きれいだな、夢のよう。
晩になって「あーそびーましょ」とカモカのおっちゃんがきたので、私はよろこんで、
「おっちゃん、ベルばらごっこせえへん」
といった。
おっちゃんも昼間、家族のつきあいに見たそうだが、阿呆らしかったそうだ。
「どうして!?」
「そうでっしゃないか、芝居の中でいっぺん死んだはずのもんが、最後にまたニコニコしてならんで神楽《かぐら》の鈴みたいなもん手に手に打ち振って、愛嬌ふりまきよる。なんであんなことせんならん」
「そこがタカラヅカなのよ! 死んだまま幕がおりたら、新劇になってしまう。華麗なフィナーレがないと、ファンは承知しません」
「天ぷらのあとでぜんざい、ビフテキのあとでボタ餅くえ、といわれるようなもんですな。男には、ついていけまへん」
「なんで、あのよさが、わからへんのかなあ!」
私は身悶えする。四十路なかばになってもヅカ狂いの血はまださわぐのです。女学生気分は死ぬまでなおらない。私は、「ベルばら」はかつての「虞美人草」以来、すてきな舞台と思うよ。関西育ちの身には、ヅカはいつまでも気になるところ。
「おっちゃん、アンドレになり。私、オスカルをやるわ。オスカルさまだゾー」
私は|孫の手《ヽヽヽ》をかまえて、フェンシングの型をする。
「起《た》て、アンドレ、決闘だゾ!」
おっちゃんは、お酒で決闘したいらしく、ウイスキーのグラスを放さず、腰もあげない。
「何がアンドレや。おんどれみたいなツラして。何がオスカル様や。おつかれさま、というてほしいわ」
こんなこというから、男ってきらい。私、男は好きだが、女の子とつきあうのも好きなのは、女の子とだけ通じる話もあるからなんだ。ウチの妹なんか、四十すぎの主婦のくせに朝っぱらから電話かけてきて、
「姉チャン、今日は『ベルばら』やる日よ、お忘れなく。私のショウちゃん見てな」
などという熱のあげようである。ショウちゃんというのは榛名由梨サン、苦みばしった男っぷりのアンドレ役である。金髪で白タイツの士官のオスカル様は、ミッちゃんこと、安奈淳サンである。私、舞台も見たけど、テレビだと、アップになって顔がよく見えるからいいな、――と、こういう話に乗ってくれないから、男の子はつまんない。
「男はああいうのを見ると白けてしもてね」
とおっちゃんは、醒めた声でいい、
「キーキーキャーキャーと叫び、つまらんとこでどっと笑う。笑うとこが男と女とで、ちごとる。女は幼稚なとこで笑う」
「どんなとこ」
「役者が黄色い声出して流行語を入れる、『負けそう』というような。そんなとき、どっと笑いますな、バカバカしい。しかし男は芝居のセリフの中で『女は結婚するのが一番の幸せ』というようなのを聞くと、ハハハ……と笑う。独りもんばっかりの宝塚役者がそういうところに、なんともいえんユーモアがある」
「すれっからしなのよ、男は!」
と私はどなった。
何でも皮肉にとったり、あてこすったりしちゃって。
一緒に「ベルばら」に感激してくれない。
私すれっからしはきらい。人間は、すれてないのが、いちばん値打ある。
文化というのは、結局、「すれてないこと」ではないか?
私はテレビで、時に、東南アジアの若い女の子や男の子の顔を見て、往々、じつにやさしい、すれない、うぶな表情に、心をうごかされることがある。私は東南アジアの人々の顔が好きだ。いい笑顔がある(おひるのNHKニュースのあとで、よく、アジアの社会主義国のニュースが流されるが、あそこに出てくる表情や笑顔は、私には、もうひとつ、ついていけない、何かの膜を感じる。何か、つくられた笑顔、という気がする。PRニュースといったらわるいか。しかし、あそこで見せられるのは、どれもみな、いいことずくめのニュースなので、ニコニコ顔が、かえって眉つばものに見えるのかもしれない)。
東南アジアの民衆、老若男女、労働者や農漁民の中に、ほんとうに無垢の笑顔なんてのがある。
日本の企業も、現地へ進出するとき、ああいう、すれない人々を決してダマしちゃいけない。何しろ、日本の企業は、すれっからしで、悪名高いのだから……。もうけりゃいい、ってもんじゃないんだよ。気をつけてね。
「いやしかし、すれっからし、というのは現今の若い娘、ならびに若い娘を対象にした商売ではないかなあ」
とおっちゃんはいう。
「女性週刊誌なんかのぞくと、えげつないことのってまっせ。あんなんよんだ女、みな、すれっからしになってしまう」
「すれっからしの男に対抗するためやからしかたないでしょ」
「何が男が、すれっからしなもんですか。たとえば、結婚初夜、まあ、べつに結婚しなくてもええが、男が童貞で初体験の際、うまいこといかんとモタモタしてる、そういうとき『あんたってダメね!』というのは、禁句やと書いてある。男はデリケートで傷つきやすいから萎縮してしまう、というのですなあ」
「やさしい思いやりでございます」
「あほいえ。――そういう知識を女の子という女の子、みな持ってしもたら、男はどっち向いてたらええのんですか。これをすれっからしといわずして何という」
「ベルばら」の話がへんなとこへいっちゃった。
婚 前 交 渉
フォード大統領夫人が、娘の婚前交渉、「しかたないでしょうね、みとめなければ……」といったというので、アメリカは大さわぎになって、ことに宗教団体は猛反対の意思表示をしている。
これをアメリカがおくれている、というのは簡単なのであるが、……まあ、いろいろとむつかしいことでございます。私は、といえば大統領夫人に好感を持った。
今日び、日本の閣僚夫人で、これだけの放言ができる人はない。
ふつうの人でも、なかなかいえない。そのくせ、心の中では、
(このご時勢じゃ、しかたがないわ)
と、わが無力を嘆いている。
願うことはただ一つ、
(ボロ出さないでちょうだいね……)
ということだけであろう。
ボロを出すとは、妊娠して、ボンヤリしているまに、おろす時期を逸し、心ならずも未婚の母になる、あるいは、心して未婚の母になる、子供の親権・養育費をめぐって相手の男との修羅場、泥仕合、または、婚前交渉のためかえって破約のうき目をみるとか、ともかく、裏の縫い目が表へ出てくることである。
清少納言も、「枕草子」で、「うっとうしいものは毛皮の縫い目」などといっている。
縫い目、ほつれ目は、ボロであるから、裏へ隠して、表はきれいにして、やがて結婚式の鐘を高らかに鳴りひびかせてほしい、と親は思っているにちがいない。
ボロを出さぬ、ということはまた、シッポを出さぬ、ということでもある。
みんなうまく化けてご機嫌よくしてればいいのであるから、結婚式までシッポが隠されれば、その翌日から、あたまの木の葉が落ちて化けの皮がはがれても、親は「ボロが出ずにすんだ」と思うであろう。
娘の方も、うわべは何とかやって、ボロを出すまいと思う。親と娘の肚芸で、今日びは成り立っているのである。
だから、フォード大統領夫人は正直な人だと思う。本人は選挙の票がこれでたくさんあつまるわ、といいすてているが、日本だと、こんなことを代議士夫人がいったら、たちまちイメージ・ダウンである。
「それに、日本人の通弊として、いささかわる乗りのところがある」
とカモカのおっちゃんはいった。
「そんなことを、日本で言明してみなはれ、堰切ったように、誰もかれも、婚前交渉に走ってしまう」
「走ったって、いいではありませんか」
「それはかまわんが、ヒトリダチする能力のないヒヨコほど、勝手なことをやらかす。ボ口を出す、というのはつまり、ヒヨコが自分で自分の身の始末がつけられんことでしょう?」
「そうそう」
「そういう奴までしたい放題させると、親がしんどい。だから、婚前交渉みとめん、という方が、簡単なんです。みとめる方が、親としてはしんどい」
「それはまあ、親はどうしても体制側に廻る方がらくやし。新しい道徳をつくることはむつかしいことですからねえ」
親って、いろいろいそがしいのだ。食べること、老後のこと、町内会費の払い込みから、元号廃止、天皇制のあり方、一昨日の牛乳が腐ってるか腐っとらんか、ということから、世界的食糧危機におけるアメリカと日本との関係まで考えなくてはならん。娘の婚前交渉是か非か、なんてことを考え出すと、それに附随して、社会全般の道徳まで手直ししないといけない。
「そうそう、それにひととこ、ふたこと修繕《なお》してすむ、いうもんちゃう。ガタのきた普請《ふしん》ゆえ、もしなおすとなれば、大改造になってしまう」
と、おっちゃんはいう。
「すべて、新しい道徳を創造する、異を立てる、というのはむつかしい」
「めんどくさいもんね」
「女つくるような、わけにいかん」
「ヘー。おっちゃんでも女がつくれるの」
「少なくとも、新モラルを確立するよりはたやすい。しかも新しいものの考え方、見方には味方がない。敵ばかり――宗教団体のお教え、旧来の慣習、政府の方針通りにしとればまことにらくであるのです」
私とおっちゃんは、もうしんどいから、皆のするようにしとこうね、といい合った。
しかし私は、みんなのやってるようにして苦痛なものが一つあるのだ。
いや、婚前交渉を親に禁止されて苦痛なのではない。今さらそんな年でなし。私は、率直にいおう、拍手が苦痛であります。
折々パーティで万歳三唱をやらされる、それはいたく日本的で、まあ、かまわない。
また、スピーチの前後、講演のあとさき、舞台でやるモロモロに、拍手する、これも、よろしい。
しかしテレビニュースでよく見る拍手、一拍乱れず、大群衆がリズムをとってやる拍手、あれを、このごろ一部で強いられることがあるが、あの軍靴のひびきのような拍手は、どうもついていきにくい。あの拍手に関するかぎり、私は一人乱れて、「婚前交渉みとめます」と、新モラルの旗をかかげたくなる。
「いや、僕は、拍手はともかく、Vサインでありますなあ」
とおっちゃんのご述懐。
「ああ、指二本出して、ハサミをつくるあれですね――アチラの習慣が、この頃、こちらへもうつって、ちょくちょく、まねてる人がありますわね」
「あの流行が、僕、気になってならん。あれを見るとヒヤヒヤします」
「どうしてですか」
「ハサミのあいだから、もしまちごうて、拇指が出たら、どないするねんやろ、思うて」
「そんな人はありませんよ!」
「いや、物のハズミ、ということがあります。僕はいかに、人みなすべてVサインをやろうとも、自分一人は異を立てて断じてやらんつもりです」
一ねん三くみ
最近私のうれしかった文章は、五木寛之サンが、朝日新聞に書かれた「『凍河』連載を終えて」である。
氏は恋愛不能の時代の恋愛小説を書くことを試みたといわれる。
「戦争や暴力よりも、恋愛のほうがどれだけ男子一生の仕事かもしれないと、私は思うからだ。それをいやしめるこの国の風土に、もう一度さからってみたいという気が今、しきりとする」
この文章は、関西だと、八月八日(昭和五十年)の夕刊にのっていた。
これは、いま滔々《とうとう》として、ある一つの力に向って流れてゆく現代の大勢に打ちこまれた、楔《くさび》ではないか。
日本人の考え方の中には、ある種の山津波のようなものがあって、何か一つ目標をみつけると、「ヒグチ薬局」ではないが「目標! OO店!」というように、ダーッ、とそこへなだれこんでしまう。
あと先見ずに注ぎこんでしまう。
血の道あげて、たぎり落ちてしまう。
今だとたとえば、公害! 汚染! と絶叫する。企業悪! 社会正義! 政治がわるい、ワッサワッサとどなりたて、しかも、そのどれもが、いうことにマチガイがない。正しい。
正しいことをいうてはる。
これがこまる。
誰も反対できない。反対できないほど正しいことを掲げるのは、ある意味でオソロシイことなのだ。企業悪や政治悪と同じようにおそろしい毒を含んでいる。
私は昔の戦時中のことを思う。あのころ戦争に協力するのは当然のことであった。画家は軍艦の画をかき、裸婦やリンゴの画がかけなかった。作家は従軍記を書き、恋愛小説はご法度であった。私には、どうしてもそのイメージが現代にダブってしかたない。これを小説でいうならば、なぜ恋愛小説や女体構造小説を書くと、社会正義の小説にくらべて天下の大勢におくれたように人が思うのか、そこがわからない。
フランスなんかだと、たとえばフランソワーズ・サガンは、現実的な政治行動も行なうし、ウーマンリブ運動にも理解を示しているが、書くものは、デビュー作以来、一貫して、ブルジョワジーのあいだの恋愛心理小説である。そこには政治も主義もはいらない。
男と女の、恋のかけひきしかない。登場人物は金持で、倦怠感をもてあまし、寄るとさわると、惚れた腫《は》れた、寝よう、やらせろ、ということばかりいっている。あたかもコレットの小説に政治が出ず、ドレフュス事件の影も射していないのと同じように。――
私は、そういう小説もあっていいと思う。
考えてみると、そういう小説を書く人は現代では何かべつのクラスのようになってる。
あまりできのよくないクラスに見られる。
一ねん三くみ。
担任は――そうね、金子光晴老だ。非常勤講師というような格の金子老は、全校のモテアマシクラスのめんどうを見て下さってる。
りっぱな校長先生は、石川達三先生。校長はこの問題クラスに心を痛めておられる。
私もそのできのわるいクラス、三組の生徒の一人でアリマス。
勉強が大きらいで、やすみ時間に、落語やピンク小咄《こばなし》をしゃべるのが好き。
佐藤愛子生徒は女のガキ大将で、男の子を追いかけ廻してケンカを売り、馬乗りになって、
「降参か! 降参といえ」
とコブシを振りあげる。男の生徒の衿首に松葉を押しつけて泣かせる。暴力教室派。
川上宗薫生徒は、女の子といつも仲よくお勉強したりお遊戯したり、お絵かきしたり、ピアノを習ったりする。ときどき、仲よく、お医者さんごっこをしてる。そうして雨の日は教室の隅で、女の子二、三人と、折紙をしてる。ときどき、佐藤愛子生徒が、苛めてやろうとして耳を引っ張りにくるが、川上生徒は悲鳴をあげながら、「かんにん、かんにん」と泣く。
ときに、ヨソの組のこわーいガキ大将が、女の子とおとなしく折紙を折っている川上生徒にヤキモチを焼いて苛めにくる。これは男のガキ大将だから、本気で、怖い。しかし川上生徒は悲鳴をあげて逃げ廻り、とっつかまってゲンコツをもらい、それでも、いう通りにしない。ワーワー泣きながら、決していいなりにならない。
おとなしそうに見えて、しぶとい奴であるのだ。
野坂昭如生徒は、休み時間に歌ばかり唄っている。
しかし学芸会に出て、「屋根より高い鯉のぼり……」と、直立不動で首をふりふり唄うような、ヨイコの歌は唄わない。オトナのヘンな歌を唄い、子供にあるまじき歌を全校に流行《はや》らすから謹厳な校長先生の顰蹙《ひんしゆく》を買う。
「コドモはコドモらしく!」
と先生はお叱りになる。
小松左京生徒は勉強もするが何でも手を出し、オトナや先生を食った発言をして世間を沸かせ、先生の面目丸つぶれ。
藤本義一生徒も教室から抜け出しては運動場や、給食室でかくれんぼ、保健室で昼寝というヤンチャ、先生の目はとどかない。
停学、休学、要注意という問題児ばかり。
ヨソの一組、二組には秀才優等生がひしめいているのに。
こういうのを抱え、金子先生は、
「よしよし」
とあたまを撫でて下さるのだ。
「もっと宿題を多くせよ」
「もっと躾《しつけ》をきびしくしてほしい」
と要求するPTAや校長に対し、
「エーッ? きこえん。補聴器が故障した」
などとおっしゃる。
つまり、こういう一ねん三くみのなかに、五木寛之生徒もいるわけである。
「いや、それは、ぜひ、そういうクラスヘ転校、編入させてほしいですなあ、僕も」
と、カモカのおっちゃんはいった。
一くみと三くみ
朝晩すこし涼しくなって、私はさっそく、晩酌に日本酒をつけてみました。私、季節とお酒の味には敏感なんだ、うん。ほかのことには鈍感なのに。
編集者諸氏、諸嬢は、さぞかし「締切」に、もっと敏感になってほしい、と思われることであろう。まあこれも追々にあらためます。といいながら十年たった(私は締切の日に猛然と書きたくなる人なので、手がつけられない)。
枝豆を青々と塩味で茹でたもの。豚足《とんそく》を酒と醤油と生姜で四時間煮込んだもの。胡瓜と芝エビのお酢のもの。さんど豆の胡麻和え。
このくらいでいいだろう、とならべて日本酒を熱燗にして、よっこらしょ、と坐ったところへ、
「こんばんはァ。あーそびーましょ」
とカモカのおっちゃんがくる。チェッ。たまには独りで飲みたいものです。
「アー、ちょうどよかった、ご馳走になります」
なあんて。たまにはかわった男、こないものかしら。かかる好《す》き好《ず》きしき男にはあらで、まめやかなる男こそ、折々はあらまほしけれ。
私、「源氏」なんかこの頃よみかじっているのでついヘンな口吻になる。
「今夜は熱燗ですか、けっこうですな、頂戴します」
とおっちゃんは悦に入って坐りこむ。
「秋の気配がしのびよってきましたからね。こういう夜の酒は『静かに飲むべかりけり』。猥雑な饒舌はお止め下さいね」
「むろんです。哲学的にいきましょう」
とおっちゃんは、ゆっくり酒を含み、味わうようにうっとりと目をつぶり、
「戦争と民衆の相関関係なんていかがでしょう。民衆にとっての戦争とは何か。僕ら戦中派はやはり、戦争ヌキにしては、人生を語れまへんわ」
「結構ですね」
「なぜこういうか、というと、今朝がた、朝日放送はABCラジオの中村鋭一アナが『愛馬進軍歌』を唄っておりました」
「そうそう、やってましたね」
エーちゃんは軍歌を唄うと、とみに生彩をおびる人である。
「僕、あれ聞いてて、耳の具合のセイかどうか、歌詞の一部がヘンなふうに聞こえましてね。――つまり、ウマというところが、ツマと聞こえた」
「馬と妻とではえらい、ちがう」
「それがそう聞こえまんのや。国を出てから幾月ぞ ともに死ぬ気でこのツマと 攻めて進んだ山や河……。べつに、ツマでもおかしゅうない」
「そういえばそうね。夫婦立志伝の感じ、よくあることです」
「弾丸《たま》の雨降る濁流を お前頼りに乗り切って 任務《つとめ》果したあの時は 泣いて秣《まぐさ》を食わしたぞ……」
おっちゃんは心地よげに唄う。私はうなずく。
「人生は戦場ですからね。夫婦でのり切るというヤツ、田辺聖子サンの中年小説によくあるテーマですわね。しかし、ツマにマグサを食わせる、というのは、いかなることにやあらん」
「昨日陥したトーチカで 今日は仮寝の高いびき ツマよぐっすり眠れたか 明日の戦《いくさ》は手ごわいぞ……。明日のいくさて、なんのことでっしゃろ」
「知りません。唄ってる本人にわからんもんが、聞いてる者にわかるはずないでしょ」
「慰問袋のお守札《まもり》を かけて戦うこの栗毛 ちりにまみれたひげ面《づら》に なんでなつくか顔寄せて……」
「なぜそう、力を入れて唄うのですか」
「伊達《だて》にはとらぬこの剣《つるぎ》 真先き駈けて突っこめば なんと脆《もろ》いぞ敵の陣 ツマよいななけ勝鬨《かちどき》だ……」
「なぜ、妻がいななくのです」
「しかし、エーちゃんは、こう唄うとった」
「いいえ、私にはウマと聞こえた」
「いんや。ツマと唄うとった」
おっちゃんと飲むと、ロクなことはない。ツマでは戦争と民衆の相関関係どころか、相愛図になってしまう。
「そういう、おろかしいことをいう人は、やっぱり一ねん三くみです」
それで思い出した。
一ねん三くみの組割りを発表すると友人知己からは、
「なぜ三くみであるのか。三くみというからには、一くみ、二くみもあるであろう。一くみ二くみには、どういう生徒がいますか」
という問い合わせがしきりである。そういわれたって、一ねん三くみ、というのは、これは私の口から出マカセであるから、べつに深い哲学的意義はないのだ。
しかし、また考えてみると、これは三くみ、これは一くみ、という色分けが、できなくもない。
林芙美子は、
「私は人生の夕刊のような小説が書きたい」
といった。私はこの言葉が好きである。畏友吉田知子サンは、
「小説は、私怨を書くものだ」
といっている。これも私の好きな言葉である。私は、私笑を書いている。だから私の書くものは「私笑説」である。
私怨を書かず、公憤を書く人は、これはしかし、いてもらわないとこまる人である。
いてもらわないとこまる作家は、一くみの進学コースの人であろう。
私笑なんぞ書いていてはダメなわけである。
また、私怨、私笑というのは、ワタクシごとである。
ワタクシごとを書く入は、これはべつにいてもいなくてもいいので、三くみに入れられる。
ヒトのことをしらべて書くのは、むつかしいことで、こういう人もいてもらわなくてはこまる。これも一くみであろう。「何々にとって何々とは何か」を究める人も一くみであろう。
すべてそれらの関係を「相愛図」に引き直してしまう人は、これ、三くみである。
三くみの困惑
前に宝塚の「ベルばら」のことを書いたら、ヅカキチの私の姪っ子に、キャッキャッと叱られてしまった。中学二年の姪っ子は、目下、宝塚さえあれば、あとは大地震で日本じゅう、つぶれてもいい、と思っているらしい。
「オバチャン、安奈淳サンのこと、ミッちゃんと書いてたでしょ、あれはミキちゃんのマチガイだよ。『虞美人草』は漱石の小説で、宝塚で昔やったのは『虞美人』でーす。まちがったこと書くと社会に害毒を流す∃」
スミマセン。
満天下のヅカキチにつつしんでお詫びしなければいけない。みな、私の書きあやまり。そうして「週刊文春」のデスクも男であるから、知らないのは当り前である。
「虞美人」は、長与善郎の「項羽と劉邦」を原作に、宝塚むきに作った大がかりなもので、私は二十年ちかい昔の初演をみた。舞台にほんものの馬まで出て来て、京劇風なシーンがいくつもあり、今もおぼえている。春日野八千代の項羽が、りりしくて美しかった。「虞や虞や汝《なれ》をいかにせん」という主題歌までおぼえているのだから、どうもこまったことです。二十年たっても三十年たっても、忘れない。こんなこと四十になっていってるのだから、救いがたき劣等生、私は所詮、「一ねん三くみ」の生徒たる宿命であるのだ。
私はこのごろ、人を見たら、ひそかに、
(これは一くみ)
(これは三くみ)
と分けるのがおもしろくなってきた。
どっちがえらい、えらくない、というのではない。
ないから、どっちへいったってかまわないけど、あまり身近に、三くみ生徒ばかりいるので、たまに一くみ生徒にあうと、途方に暮れてしまう。
私は、この間、たのまれてある政党の代議士と対談した。その人は根っからの政治屋ではなくて、今までの職業をやめて途中から政界に足を入れた人である。私の小説のファンだと間に立った人がいうから、小説の話をすればいいと思っていったら、代議士は、
「いや、忙しいから、小説はあまりよめませんなあ」
ということであった。
私は機転のきく方ではないから、ここで、野球の話、巨人はアカンなあ、とか阪神おもろなってきました、とかいうわけにいかない。ゴルフ、麻雀の話をするわけにもいかない。何にも知らん。五十前後の代議士あいてに「ベルばら」の話をしてもはじまらぬ。
じつにこまっちゃう。
私、かたくなって、膝に目を落して、ハンケチを折ったり、たたんだりしている。誰や、こんな対談にひっぱり出す人、なんて心中恨んでる。その人は神戸選出の議員であるから、大声一番、
「神戸の町はよいところですが、もう一つ残念なのは、エネルギーのたらんところですなあ」
という。
「エネルギーって、そんなに要るもんですか?」
私はふしぎなので、思わず聞き返した。私は東京から神戸に帰ってきたとき、のんびりしたムードを味わい、いつもほっとする。エネルギーなんて、考えたこともなかった。
「いや、べつに、なければないでよいが」
代議士は少し考え、
「しかし、神戸はお好きでしょう。いつまでも住みたいと思われるでしょう?」
「いいところですが、もっといいところがあれば、ソコヘいきます。そうそう……」
私は欣々として聞いた。
「あなたはそんなお仕事してらして方々を廻れるから、いろんなところをご存じでしょ、神戸よりよい町、どこか、ありますか?」
私は世間が狭いから、神戸へ住めば神戸が一番いいと思っている。
でも、女は欲深だから、もっといいところがあるかしら、と、いつも浮気願望を持っているのである。
代議士はこまったようであった。私と彼の対談は、彼の属する政党の新聞にのるのだ。
かつ、一票でも多くの票があつまるよう、選挙のことも考えねばならず、ご城下の人気についても配慮しなければいけない。
「そういわずに、いつまでも神戸にいてほしいですなあ」
「でも、主人がどこかへいきたくなれば、ついていかなきゃ、しかたありませんわ」
ウチの愚亭は、年寄ったら放浪することを夢みている風来坊の男である。
代議士は、鼻柱に一撃やられたようにひるんで、
「えらい旦那サンを立てられるのですなあ」
「そりゃ、亭主ですから仕方ないわ。顔色ばっかり見てますわ、私。怒らすとうるさいから。やっぱり、男の人は立ててあげなきゃ」
代議士は話をかえた。私が、私がこういうと世の人がなぜみな鼻白むのか、わからない。
「エー、このごろ、目にあまるようなポルノ文化がはびこっていますが、一つ、手を組んでそういうのを駆逐して、健全な文化をつくりませんか。タナベサンにも協力していただいて、ですな」
私は、こまるのだ。
どう協力していいのか。それにポルノはいけない、といわれたって、よく私の小説は「エロチックユーモア」なんて目次に入れられたり、してるので……。
旗を振って、ポルノ打倒、なんてメガホンでしゃべってるうちに、だんだん声が小さくなってゆく気がします。
「一つ、この、タナベサンにもケイセイの文学を書いて頂いて、ですな」
私は「傾城」ならポルノではないか、と考えた。しかしポルノ打倒をいうからには傾城の小説というわけはあるまいと思い、「警世」かと思い当った。私が、「警世の文学」を書けるかどうか、下り眉、団子鼻の私の顔見りゃ、わかるでしょ! 蟹は、オノレの甲羅に似せて穴を掘るのだ。「警世の文学」を書く人は、一ねん一くみの進学コースの人である。
それにしても代議士、政治家というのは一ねん一くみだなあ。カモカのおっちゃんにそういうと、
「そういう人と対談にいく阿呆は、一ねん三くみです」
〈了〉
初出誌
週刊文春/昭和四十九年十月二十一日号〜昭和五十年十月二日号連載分
〈底 本〉文春文庫 昭和五十三年五月二十五日刊