なぜ愛なのか 十三の報告から
〈底 本〉文春文庫 昭和五十九年二月二十五日刊
(C) Takao Tanaka 2000
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目  次
第一話  愛を見出すには
第二話  移り気な男の心理
第三話  結婚という絆
第四話  同棲か結婚か
第五話  恋するのと愛するのと
第六話  美しい別れ
第七話  女の売り出し
第八話  とりちがえられた愛
第九話  恋をした女
第十話  恋を求めて
第十一話 これが愛なのだろうか
第十二話 今様ロミオとジュリエット
第十三話 見 合 綺 談
あ と が き
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なぜ愛なのか 十三の報告から

第一話 愛を見出すには
平安の昔、|在原 業平《ありわらのなりひら》という、有名な歌人がよんだ。
世の中に、絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
もしも桜というものがなかったら、春の心は、どんなにのどかであろうという。
いつ桜が咲くか、桜の頃のお天気はどうか、気候が寒ければ、桜のつぼみがなかなかひらかないし、せっかく咲いても風が吹けば散ってしまう。
どうぞ桜の花よ、少しも早く咲いておくれ、そして咲いたらすぐ散らずに、できるだけ長い間、いろあせぬままに咲いていておくれ。
という思いのために、春は一ときとして、心の休む間がないというのである。
在原業平は、才能ゆたかな美貌の貴公子で、平城天皇の孫であった。
しかし、その頃すでに藤原氏が宮廷の中心にあって、皇孫であっても高い位にはつけない。
この歌は|水無瀬《みなせ》というところにあった、文徳天皇の第一の皇子、|惟喬《これたか》親王の御殿でよまれたもので、業平は、この皇子が皇位をつぐことを強く望んでいたけれど、皇子の母君が藤原氏でなく、紀氏であったために、第二の皇子が皇太子になってしまった。
同じく、母君が藤原氏の出でないために、低い地位に甘んじなければならなかった業平は、惟喬親王の悲運をあわれみ、いつもこのかたのことが気にかかり、心から立ちさらぬ。その思いをのべたのが本当の歌の解釈だといわれている。
また業平は、男としての魅力溢れるひとであった。
|二 条 后《にじようのきさき》となった藤原高子が、まだ嫁がれる前からの恋びとであったけれど、相手が宮中に召されて天皇の妃となってしまったので、思うようにその恋を貫くことが出来ないで悩んでいた。この桜は、その方のことを暗に示しているという説もある。
一人のひとを思いつめて、毎日、そのひとのことが頭から去らず、今ごろはどうしているかしら、一目あいたい、声が聞きたいと思いつづけ、ああ、もしもあのひとさえいなかったら、こんなにも|辛《つら》い思いにさいれることもないのにと、いっそ相手がうらめしくなったりする。しかしまた、もしもその相手がいなければと思ってさえ、眼の前がまっくらになってしまう。まことに恋の悩みの苦しさは、身も心もずたずたに引き裂かれんばかりである。
私はこの歌を、こうもおきかえて見たらどうかと思う。
世の中に絶えて女のなかりせば
男の心はのどけからまし
この反対であってもよい。異性というものの存在は、まことにお互いにとっての悩みの種。
一体、男と女は、どうあったとき、一番幸福なのであろう。
男にとって、女とは一体何なのか。
女にとって、男とはそもそも何か。
敢て、男性とか、女性とか、気どった言葉をつかわず、おとこ、おんな、そのもの自体の胸の深奥に迫って、そのしんじつを引き出してみたいと思う。
とかく世の中には、女性とか男性とか、性という文字を一つつけて漢語読みをすると、男も女も、一段高いものになるように錯覚するひとがあるらしいけれど、どんなにしゃれた服や着物で飾ったところで、そのはだかの姿は変らない。
男と女は男と女でいいのだ。何もよけいなものをつけず、ただ一つ、異なる性を持つ人間としてならびあい、性が異なるための、もろもろの悩みを共有する。
私はいつも小さい赤ちゃんの、その性のしるしを見るたびに、心が痛んでならぬ。かわいそうに、今はこうして、無心でいるけれど、あと十何年もすれば、いやでも応でも、性に目ざめ、異性をまぶしい眼で見るようになる。
どうぞその行手に、大きな間違いがないように、どうぞ異性によって、心身を傷つけることがないように、どうぞ男も女も、なるべく無キズのうちに、結婚相手と結ばれますようにと祈りたくなる。
秋も深い一夜、日比谷公園に近いホテルのロビイで、私のあった一人の美少女に対しても、私は心からそのような願いを持った。
都内の有名な女子高校の三年生、来年は国立大学を受験するという。
日比谷図書館にいっての帰りで、紺のセーラーの制服姿が、華やいだホテルの雰囲気の中に、いかにも若々しく、引きしまった印象を与えた。
彼女とは一年前、その高校の文化祭に講演をたのまれていった時、食堂係をしていて知りあった。その持っていた文化祭のパンフレットにサインを求められて、その長い黒髪、色白の典雅な美しさに思わず見とれた。
父はある大きな企業の会長をしていて、老年に生まれた末っ子の彼女を|溺愛《できあい》しているらしい。
いつも明るく無邪気な手紙をもらっていたが、何度目かの手紙は四、五日前に来て、是非あって聞いてほしいことがあると言ってよこし、私は電話でこの場所を指定した。
「ちょっと困ったことが出来たんです」
いきなり彼女は、思いつめた眼で訴えるように言った。
「おばさまならばきっと、うまく処理して下さると思って」
教科書や参考書をつめこんだカバンの中から取り出したのは、一通の手紙であった。私に読んでみてくれと言う。
中学で同級だった男の子から、切々として交際をつづけることをのぞんだ言葉が、用紙に二枚きっちりと、几帳面な文字で書かれている。
相手も勿論、来年の受験を目指して、猛勉強のさいちゅうである。二人は家も近く、家同士も知りあっていて、夏休みは同じ予備校の夏期講習で一緒。更に房州の彼女の家の別荘に、彼はその弟と共に遊びに来て、一週間滞在した。
「わたくしは、お互いにたのしんだだけだと思っているのに、彼は意外と深刻へきがあって」
夏休み以来、頻繁にあってくれることを要求していたが、今度の手紙は、受験のおわるまではお互いにあうまいと書きおくった彼女に対して、むしろ脅迫的に、両親に言って、将来の結婚の意志を表明する。近くそちらの両親にも、その旨が伝達されるはずだから、そのつもりでいてもらいたいと書いて来た。
「結婚なんて、何を言い出したのかと思って」
彼女はうつむいて下唇をかんだ。テーブルの一ところを見つめた眼から、今にも涙がふきこぼれそうで、私はたち上がった。こんな広い場所では、どこのだれが見ているかわからない。
「むずかしいお話ね。もっと他の場所でうかがいましょう」
|濠《ほり》にのぞんだ大きなビルの地下にある、ゆきつけのコーヒー店に誘った。光りもほの暗く、おちついた部屋は、用談をするひとたちによく利用されている。
「どうしてまだ高校三年位で、親に結婚したいなんて言い出すのかしら彼は。それも受験直前でしょう」
「それが脅迫だと思うんです。先ず親に私との交際の内容を知らせて、そのような発言を当然視させる」
「交際の内容って、小さい時から、親たちも知っていたんでしょう。二人が仲がいいことは」
「仲がいいって言っても、いろいろありますから」
顔をあげた彼女の眼許が|妖《あや》しくかがやいて、その頬にうすく微笑が浮んだ。
高校生。紺の制服。その見せかけの|稚《おさな》さに惑わされて、私はこのひとを子供だとばかり思っていたが、そうだった、高校三年といえば、戦前であれば、もう子供が一人位いても、不思議はない年頃であったことに、この時気づいた。
十七歳から十八歳、戦前の数え年は十九歳から二十歳である。
小学校六年の上にあった高等女学校は五年制で、十八歳で卒業して、すぐ結婚するのも珍しくなかった。私の母も姉もそのようにして、十九歳で一児の母であった。
このごろの女の子は、もう小学校四年位から女らしい発育を見せるというから、この高校三年生にしても、女としての生理を知って、もう数年はすごしているにちがいない。
自分でも覚えがあるけれど、月々に訪れるその時期は、娘時代には言いようのない屈辱感を覚えるものであった。何故女体には、このようなうとましい現象が伴うのであろう。頭も重く行動の自由もさまたげられる。気持ちも不安定で、感情のゆれ動きが激しい。女に生まれた自分自身への憎しみさえ湧き、それは同時に男への憎しみをかきたてたものであった。
男はとにかく、こんな心身の不快さを、先天的に知らないですむことが口惜しい。
勝気な性格であるらしい彼女は、たとえ小さい時からの仲よしの少年であっても、たまたま海べなどで、その時期がめぐって来たために、一緒に泳ぐことができず、その無念さからつい、少年の心を傷つけるような行動に走ったのではないだろうか。もう一緒に泳がないなどといって。
「そんなたわいないことではありません」
少女は小さく声をたててわらった。固いつぼみが、勢いよく花ひらいたようなさわやかさ。何の屈託もない。
しかし少女があたりに気をつかって、声をひそめて語ってくれたことは、私にとって屈託のないどころか、大きなおどろきであった。
少女は少年と接吻をかわし、それ以上の深い関係まで進んだ。海べの夕暮れの林の中で。
少年が、この次は将来の結婚を約束する段階に進むだけと思いこむのも、無理のないことであった。
いわゆる最後の一線というものはまもったものの、少年にとっては、はじめての経験であった。
「失敗しちゃったんです」
少女は苦々しく言い放ち、
「失敗でした」
と、もう一度くりかえした。
私は自分の胸の鼓動の早くなるのがわかった。では次の機会に、とうとう二人は一人前の男や女としての接触を持ったのであろうか。それが少年には受験勉強も放り出し、何も手につかないほど思いみだれて、両親に、二人の濃密な間柄について、報告しようとまで決心させるもとになっているのであろうか。
「でもあなたも受験を前にして、そんな一生の大問題を持ち出されたら困るでしょう」
「彼を相手にしたのが失敗でした」
「それはどういう意味?」
「一度っきりのことで、結婚だの何だのと言い出すようなひとはわたくし、嫌いなんです。意識して避けていたんです」
夏の夕暮れの浜辺の松林。空にはほのかな新月もかかっていた。|潮騒《しおさい》の音が一きわ高くひびく。ついその雰囲気に引きこまれて、かたわらを歩いている彼の腕を自分の胸に抱きとってしまったのが失敗であったと言う。
「彼は幼稚園の頃からの友人ですから、一生ただの友人として、男でも女でもないものとしてつきあっていこうと思っていたんです」
私は、外見だけはセーラー服の少女めいた姿だけれど、彼女の内側には、もう成熟した女が何人かの男のいのちを吸いこんで、ゆたかに息づいているのではないかと錯覚した。
そして、眼の前の、いかにも高校三年生らしい固さで全身をつつんでいる彼女の上に、そんな想像をたくましくかぶせる自分の通俗性を恥じた。
女相手の週刊誌や雑誌には、よく高校生の売春の記事がのっている。
近ごろは中学生まで、自分のからだを粗末にして、女のからだの持つ意味を深く考えることもなく、男との性的な交際を、物理的な運動の一つのように心得て、そこからお小づかいがあがってくれば、こんなにうまい話はないと考えるようなのが次々と出て来たと聞いている。
良家の子女である彼女に、そんな浅はかな行為のとれるはずがない。しかし、売春というような言葉をつかうことではなくて、むしろ、無償の行為として、女がその好奇心から、男との接触を拒まないとすれば、世の一部のずるい男たちにとっては、むしろ諸手をあげて、歓迎すべきことではないだろうか。
公然たる売春が法的に禁止されてから、男たちは、いかにしてただで女のからだを、自分の欲望のために使おうかと、あの手この手の研究に余念ないようである。
町角で、美しい少女に声をかけて、お茶一ぱい御馳走し、次に食事に誘って、ホテルに連れこむ手口はもとより、ドライブしませんかと車を止めて中に誘い、人気のない山や林の中で犯す事件は一年じゅう跡を絶たず、こんなスリやカッパライにも似た野蛮な方法を軽べつする向きは、もう少し時間をかけ、頭をつかって、女の心をくすぐるようなせりふを浴びせかけ、時には小さな花束や安いペンダントやマフラーなどを餌に、女を釣りよせ、商売女にかけるよりは、はるかに低廉な費用で、多少のうぬぼれと、自分自身の好奇心から、男にひっかけられることを待っている素人の女たちを相手にしようとする。
特にそういう男たちは、女のほとんどが、結婚生活の安定感に、無上のあこがれをよせていることを知って、こんなに深い関係を結んだからには、二人は結婚するばかりと神妙に告げて、女を感涙にむせばせ、心の中で赤い舌をべろっと出していたりする。
男といっても千差万別で、その心の本当のところは、なかなか見かけだけではわからない。いかに学識経験を積んだものでも、社会的地位の高いものでも、こと、女に関する限りは、その外側の条件が、信用度の高さと比例しない。
私の胸を新たな|動悸《どうき》が打ちはじめた。この見るからにすがすがしい美少女を、おのれの情欲の餌にしようとする男がもうあらわれたのであろうか。
十年も前、私の知りあいの娘さんに、やはりすぐれて美しいひとがいて、銀座や新宿などを歩く度に、ゆきずりの男たちから声をかけられたという。そしてこのひともまた答えた。
「いくらでもあります、そんなことは」
大ていはサラリーマン風の背広の男で、青年から中年までいる。彼女はいつも黙殺する。それでもあとを追ってくると、きつい声でたしなめる。
「うるさいわねえ」
なおもしつこく迫ると、ふりかえってにらみつける。
「関係ないでしょう」
そこで男たちは苦笑いして退散する。かつて一度もそんなゆきずりの男を相手に、お茶一ぱいのんだことはない、という。安心した。
しかしまたすぐに、次の心配に襲われた。
小学校から中学校は男女共学であったから、友達としての異性も多いはずである。
幼稚園から仲よしだったこの手紙の|主《ぬし》という彼とは、一生友人の関係でいたいと思っていても、他の友人の中に、あるいは、それらを紹介者とした知りあいの中に、彼女を素人女の一人として遊び相手にしたものはないだろうか。そういう立ち入ったことを、どう聞いたらよいのだろうか。
冷えてしまったコーヒーを苦く飲み干して、しばらくは何も言えないでいる私を救おうとでもしたのだろうか、彼女はぽつりとつぶやいた。
「おばさまは少女のように純真なかたですねえ」
ええっとその場にとび上がりたいほどびっくりして、それはどういう意味かと聞くと、
「女をいつも被害者にしたてていらっしゃるから」
女が加害者となって、男に接することをあまり考えていないらしいからと言う。
「少女というのは、小学生の女の子と言いかえてもよろしいんですの」
そのおちついて自信に満ちた調子に、完全に私は敗退を意識した。結婚生活五十に近いの私などより、はるかにこのひとは男についての経験が豊富なのではないだろうか――。
「高校一年二年の頃までは、よく男の子とつきあったんです。でも短くて一カ月、長くて三カ月たつとあきてしまう。つまらないんですね。魅力あった相手がいろあせてしまう」
彼女は自分の方からつきあわないと発言し、すべての男たちはおとなしく引きさがっていった。
私は言った。
「あなたは男のひとのこわさがわからないのじゃないかしら?」
「こわい? 男が?」
びっくりしたように声をあげた。
「こわいと思うわ、男は」
私は素朴に自分がそう思っていることを、改めて自分でかみしめながらつづけた。
「私など、もう四十年以上一人の男を夫にしているわけよね。でもいまだに男にはわからない部分がいっぱいあるのよ。そしていつもいつも、こわいと思ってびくびくしている」
「被害妄想狂っていうんじゃないかしら、そんなの」
おもしろそうに声をあげてわらった。
「男がこわいなんて一ペんも思ったことはありません」
「でもね」
私は、つい最近のこと、身近に起こった一つの事件をすぐ頭に思い浮べていた。
浅い交際をしていた一組の若い男女があった。
浅いというのは、からだのつきあいなどはなくて、また、一人対一人であうこともなくて、いつもコーラスやハイキングで、ほかのものと一緒に行動していた一組の男女にすぎなかった。
女にとって男は五人のうちの一人であった。しかし男にとって女はすべての女の中の唯一人であった。
女は五人以外の男を結婚相手にえらび、婚約した。
つまり、二人は高校時代の先輩後輩にすぎず、クラブ活動で文化祭の準備をしたり、進学校の選択の相談を受けるもの同士にすぎなかった。
こんなことは男女共学になってざらに見かける風景である。
地方によっては、いまだに中学や高校の生徒であっても、登校の途中で、一緒に一対一で歩いたり語ったりしているのを、周囲が気にするというところがあるそうだけれど、先ず、今は全国のどこの町角でも、中学や高校の生徒たちは、たのしげに一対一で行動している。中には非行と言われるようなゆきすぎた行動に走るのもあるし、もっといやらしく、売春とよばれる無軌道につっぱしるものもある。
その年頃の一人の男と一人の女がいて、あるいは数人のグループがいて、互いに異性である事を意識した行動に出ることは珍しくない。それが遊びで、その時限りの官能の満足に終らず、終生の永続をねがう――いわゆる結婚という形をとりたがるものだけれど、さてどこまでその永続についての誓いを持続させてゆけるのだろうか。
男と女の世界のことは、まことに世の中に絶えて桜のなかりせばである。
私の身近に起こった事件というのは、新聞にも大きく報道されたことであったけれど、女にとってはほんのゆきずりのひと、男にとっては永続をねがうべきひとということで、歯車がかみ合わず、男はいきなり女を刺したのであった。
――婚約がきまりましたので、今までのおつきあいはもうおしまいにします。
という、きわめて当り前の手紙を女にもらって男は逆上し、女の家の前で待ち伏せて、逃げる女の背中に鋭く刺身包丁をつきたてた。即死であった。
女の友人が私の知りあいであったので、いかにその死が災難だったかをくりかえし聞かされていた。
そして私もその女の不幸を悼んだ。婚約につづいて挙式、披露、新婚旅行と、すべての計画がととのって、ただ実行するばかりであった。その告別式には、悲しみの両親や婚約者が、色青ざめて涙ながらに並んだ。
「もしもそんなことになったらどうなさって? あなた」
少女にその話を逐一聞かせた。たちどころに明快な答えが返ってきた。
「そんなバカな男、はじめからつきあいません」
「バカって、そのひと、大学院で優秀な成績をあげていて、ゆくゆくは母校の大学教授にもなれるはずだったのよ」
「バカと頭のよし悪しとはちがいます」
少女はたのしそうにわらった。
「いくら知能指数が高くても、相手の心がつかめないなんて、そんな感度の鈍い男、私ならはじめにわかると思うわ」
「そうかしら」
「大丈夫です。鈍い男には近よりませんから」
自信ありげに言い放って、またひとりわらいにわらうのが、私には虚勢とも、恐怖を追い払うためのものとも見えてならなかった。
「とにかく私があなたのお母さんだったら、心配すると思うわ」
ついしみじみとした声になった。
「自分の方ではまだ好きなのに、相手の方からふられたこともあります」
少女もしみじみした声になった。ふったり、ふられたり、シーソーゲームのようなものだけれど、心の変ったものを追うつもりはさらさらない。
何故次々と男の子をかえるのか、いろあせてしまうのかと聞いた。
男の子のいやな部分が眼につくとき、と彼女は言った。
「自分のつきあっている女の子のことを、他の男の子に自慢げに話したり、まだ高校生でありながら、遊びの気持ちでつきあっているのと、本気でつきあうのとは区別しているなどと、いっぱしのおとなの男のようなことを言う生意気さが、たまらなくいやになります」
言うなれば彼女は、そのときそのときの気持ちのままに相手をえらんで、彼女自身も男とつきあうことによってたのしさを味わい、その男が気に入らなくなればいつでもわかれるという形をとっている。
そのつきあいとはどの程度のものをさしているのであろう。同じ年齢の友人には、ひそかに妊娠して、中絶したものもあるという。だから彼女は、そんなおろかしいところまでおちるのは賢明に避け、あるいはまた、防御怠りなく武装して、男との性のたのしさだけをとるというのであろうか。
あるいは聡明な彼女が、友人の話として中絶のことを語るのは、じつは彼女の上にあったことを、さり気なくつくりかえたということもあるのではないか。彼女は日本の女の中では伊藤野枝が好きだと言った。
関東大震災の大混乱の中で、無政府主義者である大杉栄と共に、憲兵によって殺された情熱のひとである。愛の真実を願って、次々に男を替えた。しかしこのセーラー服のひとが、ここまで深いかたちで男を知っているとは思いたくなかった。
ともあれ、どの程度のつきあいにせよ、彼女のように自分に必要なものだけを相手から引き出し、必要なければ捨てるという態度である限り、自分と相手の間に、一つの新しい世界をきずく、愛という心の作業は行なわれない。そのつきあいというのも、極めて一方通交的なものである。つきあうという言葉にも値しない、相手を自己の投影としてとらえている世界にとどまっているように私には思えた。
テニスの一人遊びをくりかえしているような男との出あいに疲れて、本当の愛の相手にめぐりあったとき、その真意をつかみとる力が失われることはないか――。
そんな不安がふっと胸をかすめた時、思いがけなく、しんみりとした口調で、彼女は私に語りかけて来た。
「その彼は今まであったひとたちの中で、一番わたくしのことを考えていてくれるのかもしれませんね。とにかく受験はきちんとやる。それまでは手紙だけのつきあいをする。お互いにそれに耐えられてから、はじめて結婚という話題も持ち出す。そういう返事を書いてみます」
私にいろいろと話している時間の中で、聡明な彼女は、自分にとっての男の意味を、自分なりの体験の中からさぐり出すことができたのではないか。
考え深い眼で、自分自身に納得させようとするように、ゆっくりと言った。
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第二話 移り気な男の心理
そのひとは突然、私の家の玄関にあらわれた。
中央線沿いは都心よりも気温が低く、その朝も庭一面にうっすらと霜を見た。硝子戸越しの陽射しはうすく、そのひとの若草いろのスーツは、一瞬、春そのものがとびこんで来たように明るく見えた。
九州福岡から飛行機で来て、羽田からまっすぐタクシーに乗って来たという。
「このザボンをお目にかけたいと思って」
ベージュいろのスーツケースの中から取り出されたのは、ただ一箇、うすみどりいろのつややかな木の実、おとなの頭ほどもある、大きなザボンの実であった。まだ四、五枚のあざやかな葉がついている。
両手で持ち上げて、うつくしい、すばらしいと感嘆する私をうれしそうに見上げ、
「おたずねしてよかった、よろこんでいただけて」
卒業を控えて正月休みは取れないので、暮れのうちに家にもどって来たのだという。
山崎せつ子。その名前は記憶にあった。
もう半年前になるだろうか。二度ほどつづいて手紙をもらっていた。
東京の文京区にある女子大生ばかりの寮に住んで、ある女子大学の仏文科に通っている。
よく若いひとを相手に恋愛の話などを書いている私に、その愛について、私の意見が聞きたいと、きちんとした字で書かれていた。
福岡で手びろく海産物を扱う家の娘。妹の二人は福岡の女子短大と高校にいっている。
子煩悩の父は、長女を他家にやって苦労させるよりは、将来、父の片腕となれるような青年を見つけて、半ば養子の形による結婚をとのぞんでいる。
この一年ほど、アルバイト先で知りあった四歳年長のひとは、卒業した大学も、自分の女子大と釣りあいがとれ、その人物は、自分にとって本当に好ましい。
彼も自分を愛してくれていて、このひとならばと思うので結婚したい。
もしも親にこのことを報告したら、自分勝手にきめたといって、亭主関白の父はどんなに嘆くことだろう。
でも結婚するのは自分なので、たとえ父や、父の言うことには何でもはい、はいと言うばかりの母がどんなに反対しても、自分は彼を生涯の夫としてえらんで、苦楽を共にするつもりである。
以上のことについて、いかがお考えですか?
私は返事を出さなかった。身の上相談の手紙にも電話にも、ほとんど意見をのべないという主義を通していた。
いつか、今すぐにも自殺したいという少女の手紙にびっくりして、まず近くの警察に訴え、その地方の、その町を管轄している警察を調べてもらい、親に気をつけてもらうように緊急の処置をとり、本人にも「ハヤマルナ、ゲンキヲダシテクダサイ」と電報を打ったのだけれど、自殺したいはずの少女はピンピンして通学していて、その親からはとんだ人さわがせだ、と文句を言われてこりごりした。
当の娘は半年位たってからの年賀状に「ワタシハ毎月一度ハ自殺シタイシタイトワメククセガアルノデス。ホンキデ心配シテクレテアリガトウ」と書いてあり、以来、見知らぬひとからの身の上相談には一切応じないことにした。
山崎せつ子さんの手紙は、私に相談するまでもなく、ちゃんと自分で解答を出している。自分の信ずる通りに行なって悔いないはずだし、とかく若ものの恋は、はじめは親に許されない場合が多い。子供でも生まれたり、本人同士が仲よく、親に反対されても独立して、健全に暮しているのを見れば、大ていの親が、よろこんで駆けつけるものときまっている。他人の私が何も言う必要はない。ただ、まだ女子大の三年生だとのことで、結婚するなら卒業まで待てばよいのにと思った位であった。
二度目の手紙は数カ月前に来て、彼を福岡につれていって親に紹介したら、父も母も、将来が不安である。海のものとも山のものともわからないものと一緒になれば、幸福よりも不幸がいっぱいついてまわる。やめた方がよいというので、彼とも話しあってやめることにした。どうも御心配かけてすみませんでしたとあり、私はほっとすると同時にひとりでに微笑が浮んだ。
何という聡明な、慎重な娘さんだろう。
おそらく自問自答し、自分で自分の心を分析し、あれこれと考え、自分で最適の方法を見つけるために、日記に書くように私に手紙の形で書いてよこしたのではないだろうか。
初恋のひとと結婚できれば、申し分ないけれど、幼稚園の頃から、異性を意識しはじめて、ひとは小、中、高、大学と育ってゆくまでに、何人の心ひかれる異性にめぐりあうことであろう。
勤務や通学で、親許をはなれた若ものたちが、大都会での生活で、手近に相手を求めて、その場その場の孤独をまぎらわそうとするのは当り前のこと。
その一つ一つが、心やからだに深い傷あとを残してしまっては、見合にしろ、恋愛にしろ、これこそ自分の最後の相手ときめ、結婚式や披露宴の、あのものものしくも大げさな社会的公示を行なって、新生活の第一歩をふみ出すときの邪魔になる。
自分はすっかり過去を清算したつもりなのに、事情を打ち明けた親や、友人の記憶に残っているというのは困る。
彼女は見も知らぬ私に手紙を書くということで、自分の心を整理したのである。私のように忙しい人間に書いておくれば、読むそばから忘れてくれるであろう。
九州の親許でさがしてくれた相手と見合し、縁談もきまって、東京にもどって来たついでに、私を訪問してくれたのではないだろうか。
応接間に上がってもらって、私はお茶が出てくるまでのわずかな時間にそんなことを思っていた。
「ありがとうございます」
紅茶のカップを口許に持ってゆく彼女、山崎せつ子さんの色白、面長の、九州というよりは、日本海に面した地方によくある気品のただよう顔を、改めて見まもって、ふと、暗いかげが心を横切った。
やつれている。
形よく整えられた眉も、伏目勝ちの瞳の長いまつ毛も、うすく小さい|唇許《くちもと》も、何かの悲しみを一生けんめいこらえているように見える。
ザボンの実は光りそのもののように明るいが、若草いろのスーツは早春のさわやかな香りに匂っているが、このひとの心もからだも、真冬の北風の中に、ま新しい傷口をむき出しにして、必死にその痛みとたたかっているように見える。
「それで? いま、お仕合わせですか?」
私は手紙の返事を書かなかったことを詫びたあと、このひとのかかえている問題を、メスで切りひらくような残忍さを心でかすかに意識しながら、思い切ってたずねた。
いきなりその瞳から、涙がしたたりおちるのではないか、心配して見まもる私に、山崎さんはゆっくりと首を振って見せ、恥じらったようなやさしい|微笑《ほほえ》みを投げた。
「御就職はきまりましたか」
また、首を振った。
「それどころではないんです」
彼――Aとの間が、複雑にもつれもつれて、自分でもどうしてよいかわからなくなっているという。
「手紙をさしあげた時点では、自分なりに決着をつけたつもりでした」
Aは東北のある県庁所在地で、文房具店を営む親にすすめられるままに、その町の短大を卒業した娘と見合して婚約した。娘の家も文房具店なので、親同士も気があい、相手の娘もAを気に入って、早速上京して来て、この秋の一カ月ほど、そのアパートに住んだ。
彼女は彼によって、大学の後輩ということで紹介され、婚約者は無邪気に、自分がいない時の彼をよろしくおねがいします。彼は魅力ある男性だから、いろいろの女がつきまとうかもしれない。職場でも、ゆきずりの飲み屋や喫茶店でも、すぐそこの女の子などが熱中する。
現に同じ職場には、かつての一ときの、同棲までした女のひとがいるという。
「でも過去のことは問いませんの。婚約したこれからが大事なんですから。どうぞ、彼を監視して下さいね。彼は心がやさしいから、女からあなたが好きだなどと言われると、すぐべたべたっとなってしまうらしいの」
山崎さんより二つ年下の婚約者は、まるで自分自身も、何人かの男友達を経験しているかのように、おとなびた口調であった。
Aとは一年越しのつきあいなのに、見合してたった一、二カ月の交際で、彼のすべてを知りつくしているかのように、おちつきはらってもいた。
やっぱり、婚約したという時点で、女はこんなに自信たっぷりの強い立場がとれるのかと、山崎さんはちょっぴり羨ましかった。
自分だって一度は愛した相手である。親さえ賛成してくれたら、結婚したいと思っていたのに。
婚約者は、彼がすでに一人の女と同棲していたことを知っている。彼から打ち明けたのにちがいない。その女のひとはBと言って、山崎さんが、そのスーパーにはじめてアルバイトにいったとき、一つの売場の主任をしていて、Aよりは三つ年上であった。
山崎さんははじめから、AのそばにBのいることを知っていた。職場のうわさになっていたから。
背丈が百八十センチ。肩幅ががっちりとしていて、映画やテレビで活躍しているある新劇俳優そっくりのととのった顔つきが、甘やかさと男っぽさをたたえていて、何とも言えない魅力である。山崎さんは新米の彼女を、時にはきびしい口調で、時にはやさしい言い方で、何かと指導してくれるAを、お兄さんのように思い、このひとと友だちになれたら、とひそかにあこがれてもいた。
ところで、自分でテレビなどの仕事をしていて、こんなことを言うのはどうかと思われるかもしれないが、なぜ恋びとというものは背丈が高く、肩幅ががっちりときまっているのだろう。
俳優にもすぐ、そうしたからだつきの男がえらばれる。私は兄弟や従兄弟など、男たち大ぜいの環境に育ったが、背の高さと肩幅の広さが、必ずしも男のたのもしさとは比例しないことをあまりにもよく知っていて、見かけにたよる男えらびほどあぶないものはないといつも思う。
山崎さんの話も、見かけの男らしさを信じたところから、不幸がはじまったと思うのである。
ある日、パートタイムの勤務が終って、早く下宿へ帰って、ノートの整理をしようと思って店を出たところで、店の自動車を運転しようとしているAに声をかけられた。
配達先が同じ方向だから送ってゆくという。
吉祥寺で用がすむと、そのまま、奥多摩ヘドライブしようと、五日市街道を走った。
初夏であった。秋川につくと、鮎を食べて帰ろうと言い、渓流のほとりの民芸風の料亭につれていかれた。むかいあってビール一本を二人で飲んだ。山崎さんが、車の運転するのにビールなど駄目でしょうと言うと、コップ一ぱいだけと言い、片目をつぶって、ニコッとわらった顔が、年下の少年のようにかわいかった。
きびしい家で育って、東京に出て来た時は、母の遠縁に当る、本郷の尼寺が下宿先にえらばれた位なので、山崎さんはビールも飲めず、その時すすめられて、コップに半分だけ口にしたのが生まれてはじめてであった。
からだじゅうが燃えるように熱くなり、全体の関節が外れてしまったような思いで、テーブルの上につっ伏すと、気持ちが悪くなったのかと案じて、Aがしきりに背を撫でてくれた。
やっぱりやさしいお兄さんだと思っていた。そして、その帰り、Aは、尼寺にビールの匂いなど残しては帰れないと心配する彼女を助手席に乗せ、奥多摩のハイウエイを氷川まで抜けて走り、急に海を見にいこうと言い出して、横浜まで二時間のドライブをして、九時ごろ尼寺近くの道まで送ってくれた。
九時が門限であった。
その後も何度かドライブに誘われ、いつもお兄さんと妹のような関係であると、自分を納得させ、彼にはBさんという恋びとがいるのだと思いこんでいた。
この夏の一日、夏風邪をひいて休んだ彼を、アパートに見舞いにいった。男一人がねているところに、女一人でゆくことははばかられたけれど、兄と妹なのだからと、自分の心の中ではっきりけじめをつけていた。しかし、見舞いの花束を差し出したその手はそのまま、彼の手にきつくうばわれて、ベッドの中に引き込まれてしまった。
そのあと、何度かそのようなことがあり、B女に悪い悪いと思いつづけていたが、ある定休の日に、B女の方から尼寺へ訪ねて来て、自分は年上のことであり、彼はゆずる。よろしくたのむと挨拶され、思わず泣き出すとB女も声をしのばせて|嗚咽《おえつ》した。遠縁の年とった尼さんには、不幸な女のひとに身の上話をされ、同情して一緒に泣いてしまったと言っておいた。
「それで今、お困りなのは?」
もう彼との間はすんだこととばかり思っている私は、予定の外出の時間が迫っていることもあり、結論だけでも早く聞きたいと思っていた。
Aのことを語るとき、眼も生き生きと美しくかがやき出るような彼女は、たとえAが婚約してもまだ、縁が切れていないのではないか、私の想像は当って、婚約者が東北に帰って二、三日して、彼から電話でよび出され、じつは、婚約者よりは、山崎さんの方が好ましい。もう一度つきあってくれ、アパートに来てくれと苦しそうな声で訴えられたと言う。
「それで? おあいになったの?」
山崎さんはうなずき、その顔から微笑が消えていた。この沈んで、この重く切ない気持ちをそのままにじみ出させている顔が、彼女の本当の気持ちをあらわしている。
兄だとばかり思っていたAが、いつか恋びとになってしまった。そのときは、年上のB女が身をひいてくれた。
しかし今度は婚約者がいる。よく彼女に電話をかけて来て、Aさんをよろしくとか、Aをたのむとか、気易く声をかけてくる。
山崎さんはAとの間をたち切ろうと覚悟した時、もう在学期間もあとわずかなので、勉学に専心したいからと親に言い、アルバイトもやめて、女子学生寮に入った。彼の婚約者は、尼寺や学生寮で暮すような山崎さんを、絶対に信頼しているのにちがいない。その気持ちを裏切ることも辛いが、あえばあうほど、Aへの未練はつのるばかり。
「いつもだれかがそばにいてあげなければ、どうしようもない気がして」
婚約者が、そのアパートに一カ月滞在していた時はうれしかった。二人を祝福したい気持ちさえした。なのに、彼は、婚約者より自分がいいという。
私は、何といじましい男かと舌打ちしたい思いで言った。
「それなら婚約者にその通り宣言すればいいのにねえ、そのひとは」
山崎さんは、悲しそうな眼をして首をふった。彼にはその勇気がない。
「ではあなたが、婚約者にはっきりと正直に言ったらどうですか、彼はあなたと別れたいと言っていますって」
やっぱり首を振った。山崎さんにもそんな勇気はない。それに結婚するなら、やっぱり両親のよろこんでくれる相手としたい。
「ではもう、いくら来てくれと言われてもいかないことね。それで万事片づきますよ。あなたがいかなければ、彼はまた、前のB女でもよび出すでしょう。そういう甘ったれた男のひとは私はキライですね。申しわけないけれど」
自分が女にもてるという自信をたっぷりと持ち、自分の魅力をたしかめたいかのように、手近の女と見れば手を出す男を私は好まない。
どの女にもその場かぎりの甘い言葉をささやき、女が自分になびくのを舌なめずりしてよろこんでいる。第一いつも女がそばにいなくては一人だちできないような、幼児的な男を一生しょっていかなければならないなんて、思ってもうんざりだ。もしもやっぱり彼女が好きならば、婚約者に頭を下げて解約してもらい、福岡の彼女の両親のところへもいって頭を下げて、必ずお嬢さんとよい家庭をきずきます。事業が成功するかしないかわからないが、自分の最大の努力をすると誓って誠意を見せるべきだと思う。
三つ年上のB女は山崎さんにAをわたして、じつはよろこんでいるのではないか。B女から山崎さんに、山崎さんから婚約者に、そしてまた婚約者が手近にいないときは山崎さんをよび出す、こんなひとは婚約者が上京してくれば、もう山崎さんはいらないと電話もかけて来ず、あっても知らんふりをするにちがいない。あるいはまた、一日おきに二人の女の間をいったり来たりするか。
「それで? あなたと彼との間はもう普通じゃないわけね?」
彼女は深くうなずく。あるいは婚約者には、山崎さんにまといつかれて困っている位のことを言っているかもしれない。
私はまだ見たこともないAが我慢ならない男に思えてならなかった。いくら|恰好《かつこう》がよくてもその心の中のうす汚さ。女からうばうことだけ考えて、自分は無キズであろうとする。
ずるい。うす汚い。そんな男に魅力を感じてずるずると引きずられ、自分で自分をもてあましている――それが山崎さんの現在の姿に思えた。
「申しわけないけれど、わたくしはそういう男のひとって好きになれませんね」
つい、きっぱりと言ってしまった。
「いつも仕事の中で、女をだますような男を書くことがあるんですよ。いわゆる女たらしって男ね。ごめんなさい、ずけずけ言って。何かそういうタイプの男そっくりの気がする」
私はつい自分の怒りの気持ちをむき出しにして言い、山崎さんの心を傷つけたかと案じた。
「どうぞおっしゃって下さい」
「でもまだ会ってもみないひとのことを独断で言って悪いから」
「かまいません」
「会ってもみないって申し上げたけれど、会わなくてもわかるような気もするのよ」
「どうぞ、もっともっとおっしゃって下さい」
Aのことを悪く言われるのがうれしいのだと言った。
私が、Aを悪く言えば言うほど、Aからはなれることができるとも言った。
「こんなの常套手段ですけどね、女たらしって言われるようなひとのやることは大ていきまっているみたいなの。はじめに同情する。相手のことを心配してあげるような恰好をする」
「そうね、そうです」
「あなたのことが見ていられないとか」
「僕が助けてあげるとか」
「ちょっと手つだって見せたり、アドバイスしたり」
「咋夜ゆめを見たとか」
「あなたのことが気になって仕様がないとか」
「おいしいものを食べると、ああ一緒につれてくればよかったなあと思うとか」
「映画も、一緒にみたほうが二倍も三倍もたのしいとか」
「一緒にドライブしているときは、風景までかがやいて見えるとか」
「一度僕の部屋を見てほしいとか」
「こんなことを言うのは君がはじめてだとか」
「やわらかい手をしているねとか」
「えくぼがかわいいとか」
二人でわらいあってしまった。
「よく御存知なんですねえ」
山崎さんの頬が紅潮した。
あまりわらったせいなのか、かけ合い漫才のように、私が次々にのべる言葉に、本当の場面の彼を思い出したのか。
「そんなせりふはもう使い古して使いませんよ」
「古いんでしょうか」
「それは、使うひとははじめてかもしれないけれど、最大公約数的に似かよってくるものね。せりふとしては恥ずかしくてつかえない。先ず、書く仲間から軽べつされると思ってしまう」
いきなり山崎さんの頬を涙がしたたり落ちた。
「ごめんなさい。気を悪くなさった?」
「いいえ、いいえ」
山崎さんは自分でも取りみだしたことを恥ずかしくてならないように、たなごころの中に丸めていたハンカチで頬をぬぐった。
「ごめんなさい。決してあなたをからかったりしているのではないの」
「よくわかります。からかうというなら、自分で自分をつきはなして見ると、全く滑稽、全くピエロみたいだと思えるの」
そういう自分がみじめなのだと山崎さんは言い、私はお調子にのった自分を恥じた。
「それで? お国にいらして、お母さんに話していらしたの?」
山崎さんの顔に微笑みがもどった。
「庭のザボンの木を見あげただけで、何となくもう何もいうことはないような気がして」
私はほっとした。山崎さんはザボンの実のたわわになっている大樹の下で、新たにAをふっ切る勇気がわいたのではないか。この大きく、この健康そのものの実の重さを、ずっしりと手に受けとめて、できれば就職よりは結婚したい。その相手には、このひとの子供ならば生みたいと心から願えるようなひとにめぐりあいたいと思ったのではないだろうか。Aという男に心ひかれたのは、中学校から大学まで女子ばかりの学校にいって、あまりにも男というものから遮断されていた彼女が、精神的なハシカにかかったものと解釈したらどうだろう。
「でも私はあのひとと深くつきあい出して、すぐ子供ができてしまったんです」
「まあ」
山崎さんは眼にうっすらと涙がにじんだ。二カ月すぎた時に中絶した。親にも友人にも知られないですんだ。
しかし、女子大に学ぶかたわらで、産科の医者のところにいったり、中絶したりということはどんなに辛かったことか。
「彼は一緒について来てくれました?」
「ええ」
「その費用も出しました?」
「ええ」
しかし私はいよいよAという青年がうとましくなってしまった。
子供ができたら生んで育てたいのが、おそらく大ていの女の願いではないだろうか。みすみす中絶しなければならぬような形で妊娠するなんてみじめすぎる。
もしも男が女を愛していたら、女が安心して子供を生めるような状況をつくるのが、男の誠意というものではないだろうか。
どうしても二人が結ばれてもまだ子供を育てられない、自信がないというなら、子供のできないような防衛策をとるのが男の愛ではないか。
「山崎さん、そのことをうかがっただけで、私は一日も早くそのひとから身も心もはなれた生活を打ち|樹《た》てていただきたいと思うのですけれど。私が母親だったらその男をぶんなぐって、蹴とばしてやりたい」
私はお酒が好きだけれど、飲酒運転の危険は知っている。とにかくそのはじめに、ビールを飲んで車を走らせようなどと、ルール違反を平気でするAという青年を愛して、その愛に賭けるためには、女はどんなにか身をくだき心を労さねばならぬことだろう。
敢てその危うさに身もしびれるような魅力を感じるという物好きな女もいるかもしれないが、山崎さんは、私と語っているうちに、自問自答式に整理がついて、いまやそんな情熱の炎はすでに失われていると見た。そしてそのことを彼女のために、仕合わせとよびたいと思った。
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第三話 結婚という|絆《きずな》
その日、そのひとは、とうとうあらわれなかった。
日曜日の|午《ひる》下り。
まだ風は冷たいけれど、庭先のれんぎょうの木の芽だちが、あざやかに明るい早春の陽に映えている。りんごの皮やパン屑やみかんなどをおいた木かげの餌台には、尾長や、|椋鳥《むくどり》や|四十雀《しじゅうから》、つぐみ、ひよどりなどが群れて、かわるがわる餌をついばんでは立ち去ってゆく。
その中に、濃い茶緑の、小さな鳥もまじっていて、せわしなく枝々を飛びかいながら、チュッ、チュッと、何かをついばむような声をたてて啼く。|鶯《うぐいす》である。
梅のつぼみもふくらんでいる。すっかり花がひらいた頃には、あの鶯もホーホケキョと美しい音いろをひびかせるにちがいない。
春の気配がみなぎっている庭の、何となく、木々も草々も、息も十分に吸いこんで、ほとばしるいのちのかがやき出るのを待っているような姿を眺めながら、私の胸は重い石をのみこんだように沈んでいた。
そのひとが来て、そのひとのかかえている問題を私に訴えたとき、私はどう答えてよいかわからない――。
できればあらわれてほしくない心と、また、どういう姿かたち、表情でこのひとが語り出すかをひそかに期待している心が、二つにからみあっている。それも心の重さを深めているようである。
「あの、どうしてもおめにかかって、聞いていただきたいんですけれど」
甘やかな声が電話の受話器の向うから、切々とたのんで来たのは数日前であった。
あたりに聞くひとがあるのをおそれるような、送話器を、てのひらで被って、そっとささやいているようなおぼろげな声。
しかし、話したいことの筋はしっかりとつかんでいる。
年は二十五歳。三歳の女の子の母親。
夫は五つ年上で、恋愛結婚。中学校の教師をしている。上野の美術館での展覧会を見にいった時、たまたま喫茶店の同じテーブルで、コーヒーをのんだのがきっかけで、知りあって三カ月目に結婚した。
二人がはじめてであったとき、夫は国立大学の学生。女は服飾関係の女子短大で、一緒にくることになっていた友人に待ちぼうけをくわされたさびしさから、たまたまであった相手と帰りに動物園へゆき、公園の噴水の前で夕方まで語りあった。
次の日曜日は一緒に映画を見にいった。北欧の美しい山や海を背景にして、十代の少年少女の純愛を描いた映画であった。
画面の二人が海風に髪の毛をそよがせて、熱い接吻をかわすとき、館内の暗闇で二人の手は固く握り合わされていた。
その帰り、彼の下宿先のアパートの一室で、彼と彼女も熱い接吻をかわしあった。婚約したのは、彼の就職先がきまり、彼女も都内の百貨店の企画部につとめることが内定したときである。勿論双方の両親も祝福して、山陰地方の大きな地主である彼の父は、新夫婦のために、小田急沿線の百合ヶ丘に新しいマンションの一軒を買ってくれた。
彼女の父は、東北の猪苗代湖に近い町で、小学校長をしていて、福島のお寺の次男であった。双方の親族には、学校の教師や県庁、国鉄の職員などが多く、いわゆる固い家庭で、よく恋愛結婚にあり勝ちな家族の反対もなく、まるで、見合で、えらびにえらばれた似合いの夫婦のように言われた。
「でもあたし、困ったことになりました」
彼女が声をひそめて語るのは、夫に満足していないということである。
学究的で、教育熱心で、男女共学であったのに、女の子と一対一でお茶をのんだり、映画を見にいったりしたのは、彼女がはじめてというような、純情な、うぶな夫は、夫婦生活にも熱心で、全身で彼女を愛撫してくれるけれど、それでも物足りない。
「夫はあまりにも私を大事にしてくれて、私のことをまるで女神のようによくかしずいてくれて、妊娠したときに仕事もやめて、家庭の中にだけいればいいようにしてくれました。私が家に入れていた月給分は、自分がアルバイトでかせぐからと、家庭教師もやり、翻訳の仕事など手つだうというようなことで、疲れてもいるのでしょう。夜の生活が間遠になりました」
消えいりたいばかりに恥ずかしそうに言うそのひとは、まわりに誰もいず、マンションの中は、ドアや窓をしめきって密室のような状態になっているのに安心しているのだろうが、こちらの方が気恥ずかしくなるような、夫婦間の性生活を|細々《こまごま》と報告した。
さすがに露骨に週何回で、平均時間が何分かかってというようなことは言わないが、想像すると、とにかく、彼女の方はどこへもゆかずに家の中にいるので、力がありあまるほど|貯《たくわ》えられている。
もっと夫との愛の行為がほしいが、夫の方は、明日の仕事のために、自然に力を制御するようなところがあって、早くすませて早く寝入ってしまう。
「それで?」
私はじつはむかむかした。家事と仕事と両方を持って、私はいそがしい主婦なのであった。
他人の性生活のありかたなどを、耳もとでささやかれているひまはなかった。
ずっと前に夜もおそく酔っぱらいが、おかしな電話をかけてきたことがあった。みだらな言葉を並べたりして。そのとたんにいつも電話を切ってしまった。
その夜のそのひとは女の酔っぱらいではないかと思ったりもしたが、話の筋は通り、敬語のつかいかたもちゃんと心得ているようである。
「おそれいりますけれど」
私はこちらも礼儀正しく相手にこちらの都合を訴えた。
「お話が長くなるようでしたら、お手紙を下さいませんか。私は今ちょっといそがしいので」
相手は「もうちょっと」「もうちょっと」と追いすがるようにして、少し早口につづけた。
じつは、彼女には結婚前に同郷で年も同じの恋びとがあった。
私大の経済学部に在学中の彼との仲は、短大入学のために上京した春にはじまっていた。同県人での、箱根の乙女峠へのハイキングに参加した帰りにその下宿によって、そのまま泊まってしまった。
自分ではただ泊めてもらうだけのつもり、ふとんが一組しかなかったから、着のみ着のまま、その部屋の押入れの中にでも入って、毛布一枚かぶっていればいいつもりだったのに、彼が、寒いから、自分のふとんの中に入れと言い、つい、入ったら抱きしめられて、男と女の関係になってしまった。
「それがあなたにとってはじめてでしたの?」
と聞けば、電話の向うの声は、
「いいえ」
と細く恥ずかしそうに答えて、中学三年のとき、祭りの晩で、家じゅうからっぽのとき、大学生の従兄が、いいことを教えてあげると、奥の納戸につれこんで、男と女の性の実態を知らせた。
この時は一回きりで終った。
従兄はその年の暮れ、スキー登山の新雪|雪崩《なだれ》で遭難死した。
高校になってからの夏休み、同級生と裏山で数回の秘密の関係を持ったが、学校がはじまると、受験勉強に熱中して、自然と縁がなくなった。
短大に入ってからの彼女は、ほとんど一カ年の間、まるで通い妻のように、週末にはその同郷の青年の部屋に泊まって、洗濯から炊事をしてやり、自分なりに全身全霊でつくした。
勿論、結婚の約束もした。
彼の家はお父さんがその町の教育長などをしていて、父が小学校長である彼女の家とは、家同士もよく釣りあっていた。
つきあい出して半年目に妊娠したけれど、両方の親に言えば、まだ学生の身で、子供の親になる資格はないと言われるにきまっている。彼が費用を出してくれて中絶した。
――結婚したら晴れてかわいい赤ちゃんを胸に抱けるのだ!
病院からやつれて帰った彼女を抱いて、彼がはげましてくれた。
卒業の前にちょっとヨーロッパを見て来たい。彼が一カ月の予定で、その大学で計画した海外旅行に出た夏休み、一夜、一緒に食事した彼の友人に襲われるようにして交渉を持ち、たった一度の機会であったのに、またも妊娠してしまった。
いわゆるハネムーンベビーというもので、よく新婚旅行に出たときに受胎するのだが、これは、恋びとがたった一カ月、留守をしたあとの過失のような情事によって妊娠したのである。
友人は責任をもつ。彼に告白する。自分と結婚してほしいと泣いて訴えたが拒絶した。
愛しているのは彼であり、友人ではない。
しかし帰国しての彼にからだの異常を気づかれ、彼は去っていった。尻軽な女だと手痛い|罵《ののし》りの言葉を投げて。
尻軽な女とは、相手の見境なしに、だれとでも寝る女を|嘲《あざわら》う下品な言葉である。
中学生、高校時代と、たしかに、男との関係はもったが、それは愛情ではなかった。性への好奇心が、男と女のからだに対しての未知が、お互いにお互いのからだをさぐり求めての激しい行為に駆りたてたのである。
彼こそは愛する相手であった。
生涯を共にして悔いない男であった。
彼の就職がきまったら両親に知らせ、正式な結婚式もあげてもらおうと思っていた。
「もう君の顔など見たくもないと言われました」
電話の向うの声はすすり泣いているようであった。ここまでの話を聞きとるのに二十分。私はすっかりくたびれてしまった。
それよりも早く話をやめてほしいと思いつづけていた。
何しろ、長電話は困る。
どんな急用の電話をかけようとして、ほかのひとびとがこの電話のあくのを待っているかもしれない。
それに、まだ一度もあったこともない相手で、どこのだれか、名前も告げないひとの、めんめんと長い色恋沙汰の話である。言葉づかいのていねいなひとなので、なお長くなっているけれど、私のようにドラマづくりを仕事としている人間は、つい、ひとの話を聞いていても、途中で、自分なりの筋をつくってしまう。この話は結局、こんな話になるのだなと想像したりして。
少女時代から男の子に好かれた少女が、逆に恋人から捨てられ、新たな相手と結婚しても、昔のひとが忘れられない。
どうしたらいいか。
それが、この質問者の要点ではないか。
それなら、せっかくよい相手にめぐりあって、幸福な結婚生活を送っていることだ。性生活に不満があるなどとぜいたくを言っていないで、夫のからだを細く長くまもるためにも、過剰な欲求で、夫を疲労させないように、自分は育児のかたわら、何か仕事を見つけて、性的な精力を外で発散できるようにしたらどうか。
そんな忠告を言うのがせいぜいのことだ。
結婚するまでの月日に、青春の過失がどんなにたくさん積み重ねられていても、結婚式場に相手と並んで立ったときは、文字通り、新生活の第一歩に立ったのである。
過去はいさぎよく過去の扉のあなたに放ちやって、夫との生活に全力投球すること。
ましてかわいい子供さんもいるのだ。自分と、自分の夫と、子供と、その三人で占める地球の重さをよくかみしめて、つねに前方を見つめて希望を持って……などなど、私の言いたい言葉はそれしかないと思い、早く相手が話を打ち切ってほしいと願った。
じつは、申しわけないが、聞くだけでヘトヘトになるようなネバっこい話なので、私は、受話器を耳から少しはなして、ただ、ハイ、ハイ、ハイ、と言うだけにしていた。
ところが、大変な言葉が、耳許からはなしたその受話器からとびこんで来たのである。私は思わず、「ええっ」と問いかけて、あわててたずねた。
「何ですって? もう一度おっしゃって下さいませんか」
相手は一瞬沈黙した。
私のせきこんだ調子で、これは容易ならぬことをしゃべったかなと後悔したのであろうか。
「結婚してからまたもとのひとと?」
私が誘い出すように、今、耳許で聞いた言葉をくりかえすと、
「ええ、そうなんです。子供の出産で入院した病院で、たまたま彼の奥さんも出産して、廊下でばったりあってしまって」
なんとびっくりしたことに、尻軽女と罵って去った彼との間が復活して、両方とも妻あり、夫あり、子供ありの仲で、ひそかにモーテルなどを利用してあうこと一年にも及んでいる。
しかも、彼ばかりでなく、他にも二、三のゆきずりのひととときたま遊んで、自分の性を満たしている。
ようやくそれで夫への不満を解消し、よその男と寝て来たあとはきれいさっぱり、からだじゅうをクリーニングしたような気持ちで、夫にも子供にも機嫌のよい顔が見せられるというのだ。
「それも浮気とは言い切れないんです。その都度にその相手を本気で愛していますの。ほんのわずかの時間でも愛しあう時には、自分にとって最上の相手と思い、夫も子供もすっかり忘れています」
長い電話は終った。
彼女は私のところに来て、こんなことを聞いてみたいという。
「私は悪い女なのでしょうか。夫は一つも気づいておりません。私はよその男たちと交渉をもつことでようやく心が平静になり、家庭も平和に保てるのですけれど……」
まだ二十五歳。女のいのちは長い。この先、いついつまでも、こうして夫以外の男を必要とするのだろうか。
いつか二番目の子供ができた時、夫には内緒で中絶した。どうも日を数えると、夫の子供ではなくて、他の男と寝た日からちょうど一カ月目に当っていた。夫はその頃、学期末でいそがしくほとんど交渉がなかった。
結婚してすぐ子供ができたというのも、その前に、恋びとで一度、その友人で一度、中絶していたからではなかったろうかと言う。
人妻が、夫に内緒で、娼婦のように、何人もの男と寝ている。
それが現代風というのかなあと、ぼんやり口をあけて感心してもいられない。
私は、結婚するまでの男女は、共に異性としてのからだの関係など持つなという考えをもっている。
このことについては何人ものひとに語り、何人ものひとにわらわれたことがある。
――まあ、まるで男女七歳にして席を同じゅうせずの、封建時代みたいな。
――愛しあうってことを、百万べん言葉で言いあったって仕様がないでしょう。愛はからだでたしかめあうものですよ。
――レオンブルムの結婚について語った本を読んだことがあって? 本当によい結婚をしようと思ったらからだを通して相手を理解して、自分に一番よくあう一人をえらんだらいいと言っているのよ。また、結婚はしずかな情熱を与えあっていかなくてはならない。そのためには、未婚時代に何人ものひとと交渉をもった方がよいって。
――日本の昔は今よりもっと自由だったのよ。ほら、夜這いの習慣があって、だれからも相手にされないようなものは、それこそ結婚の資格がなかったのよ。
など、など。
しかし私は、歴史的事実も現代の流行も認めず、永久に不変なのは、結婚までは男女が純潔であることこそ望ましいとすることだと思っているのである。そして、結婚したら、生涯にわたって、一夫一婦のきびしい線を守るようにというのが、この何十年と変わらぬ考え方である。
よりによって、そういう私にむかって、娼婦ではなく、ちゃんとした人妻、しかも教育者の娘で、教育者の妻が、夫以外の男と、浮気でなく、本気で肉体的に愛しあっているというのだから、どう返事したらよいか、他人のことでも胸がわくわくしてしまう。うれしいのではなくて、本当に困ったひとだなあと思って。
ここにはいろいろの問題がある。
自分は悪い女でしょうかなどといって、じつは、悪くないと思っているらしいということ。
本気で愛しているのだから――。
そもそもこちらは、夫以外の男を本気で愛しているつもりでも、相手にとってはいい浮気の対象である。
男たちは一盗二婢などといって、浮気をするのに、他人の女房をくどいてそのからだをたのしむのが一番おもしろい。
次に婢。使用人である女を犯すのがおもしろい。
他人の女房は夫にしゃべらないから秘密を保てる。営利的ではないからただで遊べる。また、娼婦とちがって花柳病の心配がない。棚からボタモチとは思いがけなく何の努力もしないで幸運が舞いこむことだが、人妻が進んで身を任せてくれるからには、まことに「オアリガトウゴザイマス」といっていただかざるを得ない。何しろ男という|哀《かな》しい生物は、たとえ愛する対象でなくても、そこに女体があれば、その性を発散できる肉体の構造をもっているらしいから。
彼女は言うかもしれない。
「私だって、相手が男でさえあればいいのです。とにかく私はあの性の行為に生甲斐を感じ、夫とちがう男に接するとき、女としての仕合わせを得られるのですから。
男もよろこび、女もよろこぶ。ここには大自然にもひとしいおおらかな人間の歓喜がある。私は悪い女ではないと思っています」
手近にある女性週刊誌をパラパラとめくって見た。
既婚女性六千二百名に、夫以外の男性と性をたのしみたいかとアンケートを出してみたら、四十パーセントがその願いを持つと書き、夫以外の男の体験者二人以上は、既婚者の五十一パーセントに及んでいる。そして、結婚してからも夫以外の男と性行為にふけるものが十六パーセント。つまり六人に一人の人妻は浮気していることを示している。
しかもその年齢は二十五、六歳。結婚三、四年目というと、まさに彼女はその条件にあてはまる。しかも夫が生まじめでつまらないなどというところもそっくりだ。
ふと、私は、だれかにからかわれているような気がした。
あんまり話がうまくできすぎている。
彼女は私がいつも男女の性愛について、几帳面で、かたくるしいことを言っているので、わざとその反対のことを言って、私をおどろかして、電話の向うでおなかをかかえてわらっているのではないかしら。
それにしては真に迫っている。いかにも美しい若い女のひとが、自分の溢れでるような女のいのちをもてあましているようで、切なくも甘やかな声である。
多分このひとは女としての魅力をいっぱいもっているにちがいない。男だったら、ついその肩を抱きよせたくなるような。
そんなに大ぜいの男を相手にしたかったら、人妻でございますなどと、|恰好《かつこう》のいいことを言っていないで、夫にも自分の好色癖を説明し、これからもっと自由に多くの男と接したい。おまけにそれで、お金になればなおよいから、専門の娼婦になります。子供にはたとえ血がつづいていなくても母親として、もっと適格なひとを見つけて、代ってもらって下さいと直言したらよい、とがみがみ言えば、そこに泣き伏すような、どうしようもなく弱いひとではないだろうか。
何しろ男とモーテルにゆくのに、子供をつれて外出し、子供をへやの中において一人遊びをさせておいて、自分は男と楽しんだりしている。
「え? 本当ですか」
と思わず私は聞きかえしてしまったが、
「はい」
と電話の向うの声は、あくまでも神妙なのであった。
何をか言わんやである。
そこには母としての誇りなどみじんもない。
そうだ。もし家にあらわれたら、さっぱり夫と別れることをすすめよう。
徳川時代の元禄期に書かれた西鶴の『好色一代女』を読むこともすすめよう。
京生まれの一人の美しい娘が、はじめは宮中の女官に仕えていたが、十三歳でもう男出入りを覚えて、つとめ先を失敗し、次には大きなお邸に上がってここも失敗、ある藩の殿様の愛妾にまでなるが、これも途中で駄目になり、遂に遊女から街頭に立って、男を拾う辻君にまで転落してゆく過程がじつにおもしろおかしく書かれている。
人間、好色の|性《さが》に生まれついて、そればかりはげんでいるうちに、生活はだらしなくなり、いつも性の衝動の起こるままに、そのときどきの自分を男に投げ与えているうちに、品性はさもしくなって、人間というより動物に近くなり、男たちからも軽蔑されて末はだれにも相手にされないということがよくわかるようになっている。
若さに任せて肉体のよろこびばかり求めていると、自分の衝動を抑えるという人間らしい理性が磨滅してしまって、特にこのひとの場合、いくら顔かたちが整っていても、人間としてもっともみじめな様相を呈するのではないか。
大ぜいの男を相手にするうちに花柳病にかかることもあろう。その病菌で髪の毛が抜けたり、顔の表情が変ったりしたら二た目と見られないものになる。
とにかく、いくら、夫に知られないからといって、自分がよその男と性のたのしみをくりかえしているとき、夫はその男たちによって、侮辱され、大きな恥をかかされているのだということを思ってほしい。
そのひとは、長電話をかけたお詫びに、今度、私のところにあらわれると言ってよこした。
どんなひとがあらわれることか。
その日、私はよそへゆく計画をかえて家にいた。
長電話で迷惑だと言いながら、あまりにもすごい内容であったので、やっぱり興味いっぱいなのであった。
私にとってもよい人間勉強ができると思えた。顔や姿と、その人の中味がどうちがうか。いかにぴったりか。
長顔かしら、丸顔かしら。一重まぶたかしら、二重まぶたかしら。次から次へと想像がふくらんだ。
しかし、とうとう晩まで待っていて、玄関のベルは鳴らなかった。
来ないということはやはり自分のしていることをよいとは思っていないのだ。恥ずかしいのだとむしろ私はうれしかった。
その夕飯の席で、外から帰って来た私の夫が言った。家の裏門あたりに紺のブレザーコートを着た清楚な女のひとがたたずんでいた。家へ入るのかと声をかけようとしたら、さっと身をひるがえして夕闇に去っていった。良家の若奥様というような、細おもてで日本風の、上品なひとであったという。それがあの、電話の中の、いろ好みの奔放な若妻か? 私はあとを追いたい気持ちに、裏門から横の路地まで走り出てみたが、白い猫が一匹横切っていっただけ。
だれのかげもなかった。
来るという電話があって以来、私は何か自分がためされたような、いささか不快な気持ちに沈んでいた。
あんな電話をかけてきて、私という人間が、他人の性生活にどんな反応をしめすか、あの女のひとはそんな遊びを考えて、いろいろなひとに実験的に電話をかけているのではないかしら。
それにしても、一言もその後の挨拶がないのは無礼というものではないか。
不快が怒りに変り、それも忘れ、消えていった。しばらくして、一つの大きな小包がおくられてきた。軽い。あけているうちに新しい磯の香が立ちのぼってきて、みごとな春のワカメであった。
送り主は未知のひとである。それから二、三日して白い角封筒に、字も横書きできちんとした手紙が来た。
――いつぞやはお忙しい中、お時間をお煩わせしまして恐縮でございます。
あの日は空も花ぐもり、心もうつうつとしてたのしまず、自分の胸を鋭い刃で切り裂きたいような思いでありました。と申しますのは、いつもいつも自分の生きる姿をおぞましいと思いつづけているからでございます。
夫も子供も留守をさいわい、電話帳でさがしだしてお電話申上げ、手をさしのべて救いを求めるような気持で、洗いざらい恥ずかしいことを聞いていただきました。
いつ受話器をおかれるかとすがるような思いでありましたのに、本当に三十分近くもおろかな私の相手をして下さいましたこと、どうお礼申上げてよいかわかりません。
緑の木立ちにかこまれたお家のまわりを何べん歩きまわりましたでしょうか。どうしてもどうしても門をあける勇気がなく、そのまま帰りました。
その後も御挨拶がおくれましたことおわび申上げます。
じつはお電話をおかけ申している間に、そちらさまは黙っておいででも、そのお心のうちが手にとるようにわかりました。わかったような気がいたしました。娼婦のような私は人妻である資格はない、夫と別れた方がよい――そうお思いだったのではないでしょうか。
そして私も、そのようにするのが夫への愛だと思いました。
夫と別れて幾日いられるだろうか。
子供をつれて、伊豆の海辺の学校時代の友人の家に十日滞在してみました。夫には風邪をひきやすい子供のためだと申して……
夫はよろこんで出してくれました。
友人は両親のなくなったあと、幼い弟妹を親代りに育て、民宿を経営しております。まだ結婚どころではないようです。友人と一緒に海辺でワカメを拾い、畑の野菜を取り、料理し、掃除し、洗濯して、男がいないでも暮せる生活を知りました。たった十日の経験でしたけれど、心身共に生まれかわったような新しいよろこびでございました。
本当に先日はありがとうございました。心からの感謝をこめて、春の海の香りを少々お届け申上げます。
必ず近いうちに改めて参上して、お礼申上げますことをお約束しながら。
美しい字を書くひとである。指先も美しく、瞳も美しいひとであろうと思った。
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第四話 同棲か結婚か
佐渡ヶ島の古い知り合いの奥さんから手紙が来た。
戦前、私の亡兄はしばらく新潟の医大の病理研究室にいたことがあり、その紹介で、佐渡へ遊びにいったとき、宿を提供してくれた土地の旧家である。
戦後に一度、佐渡を訪れたとき、私より年上の当主夫妻はもうなくなっていて、その息子夫妻の五十代の家庭に泊めてもらった。その家に姉妹の美しいお嬢さんがいて、応接間や私のためのふとんがしかれた奥の部屋に、よくお茶や新聞をとどけに来てくれたりしたが、手紙はそのお姉さんについてのことであった。
ふだんは御無沙汰ばかりしておりまして、こんなお手紙をさしあげるのはお恥ずかしいのですが、もしもあなた様のお兄さまが御存命でしたら、何かと御相談申上げたと思います。
どうぞそのおつもりでお聞き下さいませ。
丁重な挨拶ではじまるその手紙は、姉娘のみどりさんが東京××大学の文科卒業後、この二年ほど××出版社につとめていたが、やめてイラストの勉強などをしたいと言い出し、こちらに縁談があるから帰れといっても帰らない。
心配で去年の暮れに上京してアパートをたずねたが、どうも男と深い交際をしているのではないかと思う。
どんな男で、結婚の将来性があるのかどうか、できればその男にもあってほしい。何分にも佐渡ヶ島と東京では、あれこれ気がもめてもどうにもならず、こうしてお手紙する次第ですと結んであった。
私があったのはもう十年も前で、まだそのお姉さんの方が中学生の頃である。
あの色白の内裏びなのように、目鼻立ちのくっきりした、初々しい乙女が、男と深い交際をしているらしいとお母さんに心配させたりする。
私は十年という月日が、一人の少女の上にいかにすばやく走りさるかを思った。
少女はすでに二十五歳。もしも一人の異性とめぐりあって、その間に深い関係がつくられていたら、少女は女になっているはずである。
その母であるお母さんの手紙には、少しも早くそのアパートを訪ねてほしいように書かれてあったけれど、ちょうど急ぎの原稿があってとてもゆけそうもなかった。
できれば仕事ができるまで、家族以外のほかのひとにあいたくない。
殊に十年もあわなかった一人の娘さんの運命を決めるような、重大な事柄にはあまりふれたくないというのが、私の正直な気持ちであった。
しかし、遠い佐渡ヶ島で、娘の身の上を心配して、朝に夕に、暗い顔を見合わしている両親を思うと、とても自分の仕事がすむまで待ってほしいとはいえない、まして亡き兄上に代って妹の私にたのんだなどと書かれたりすると――。兄は他人に親切なひとであった。
急患があると、どんな冬の寒い晩にたたきおこされても、すぐとんでいった。
心配な患者には、往診料抜きでこちらから見舞いにいったりした。
私も亡兄に倣って、自分の原稿よりも先ず、この娘さんにあわなければと気になった。
と言って、そのアパートは千葉県と東京都の境に近く、新興の住宅地で、私鉄の駅から二十分も歩くのだという。
私は速達を出して、とにかく一度、私の家を訪ねてくれないかとたのんだ。佐渡ヶ島のお母さんがあなたのことを心配しているからと書いて。
みどりさんがあらわれたのは、速達がついたあくる日である。
紺のブレザーコートに、銀ねずいろのパンタロン。白粉気のない顔は、口紅もアイシャドウもなくて、まだ学生かと思われるほどさっぱりしている。
このごろは、学生だかバーのホステスだかわからないような娘さんがいっぱいいる。
私は至って単純な人間で、アイシャドウやマスカラは女優が舞台にたつ時の化粧。それをまねているのはホステスのような水商売のひとときめている。
学生はその文字の示すように、学校で勉強することが好きなもののえらぶ道と心得ている。勉強するのにアイシャドウはいらない、もしも女の子が大学にゆくのは、結婚する相手の男の子をさがしにゆくものであったにしても、気のきいた男の子は、アイシャドウで化粧するような、自分の生まれたままの顔に自信の持てない女は、それだけでも魅力ないものとして、遠ざかるのではないか、などと考える人間である。
みどりさんの顔つきが、十五歳のときのひな人形そのままに、天性の美しさにみがきがかかっていて、何の人工のそらぞらしさも感じさせないのがうれしくなった。
まあいいお嬢さんと先ず思った。
この初々しいお嬢さんが、男と何やら深い関係を持っているらしいなんて、あの奥さんはいくら親でも、あんまりひどいことおっしゃるじゃない……ふっとそんな言葉をつぶやきたくなったほどである。
「東京に来ましたとき、母とおうかがいしようかって言ったんですけれど、おいそがしいのにお邪魔しては悪いって御遠慮して……すみません、こんな御心配かけて」
みどりさんは、私がわたしたお母さんの手紙をゆっくりと読み終ると、ていねいに頭を下げた。
いかにも佐渡の旧家のお嬢さんらしい、礼儀正しい挨拶である。
私は自分まで、このお嬢さんをうたがっているようにとられないかと、もじもじしてしまった。恥ずかしくて額にうっすら汗がにじんで来た。
「ごめんなさい、みどりさん。私はお母さんのように、あなたが男のひととどうのこうのなんて思ってないんですよ。ただ、お母さんの御心配だけをお伝えしたかったの。私も娘を持ってますから、母親の気持ちはよくわかるつもりよ。男女共学の大学にいっていた娘が、卒業と同時に結婚したときはほっとしました。やれやれ、娘も無事にムシもつかずに、一生の相手にめぐりあえたと思って」
みどりさんも男女共学の有名大学に学んだ。結婚の相手がもうきまっていても不思議はない。
「お母さんが心配してらっしゃるのは、あなたがちゃんとした結婚をなさるまでに、男のひととのつきあいで傷つかないかってことなのよね。もしそんな気配があったら、お母さんは佐渡からとんでいらっしゃって、相手の男のひとに抗議なさるんじゃないかしら」
島の一つの町の役場につとめておられる御主人はしずかなひとで、奥さんの方が、どちらかといえば勝気で行動的な感じのひとだった。
十年前の面かげから、そんなことを思い出し、このお嬢さんは、先祖は京都の公卿だったというお父さん似ではないのかしら。内向的で、もし恋愛問題などがあっても、ひとり心の中で悶えて相手にはなかなか打ち明けないでいるような、一番恋しく思う相手との間はプラトニックなもので終るような――そんなことも思ったりした。
あり合わせのようかんで、一服のお抹茶をすすめると、折目正しいお作法でのみ終って、
「久しぶりでしたわ。コーヒーよりお抹茶の方が好きですの」
「アパートでも御自分で|点《た》てて召上がるの?」
お抹茶好きの私はにこにこして、やっぱり早くこのお嬢さんにあってよかった。こんなに感じのいい方なら、どんなにいそがしい時にあっても、|却《かえ》ってこちらがなぐさめられる。すっかり機嫌がよくなって、十年前の佐渡旅行のときのアルバムなどをさがし出し、十年前のみどりさんのかわいい中学生姿も入っているのを見つけて、
「ちっともお変りになってないみたい。昔からきれいなお嬢さんでいらしたから」
さし示すと、だまってアルバムの頁をとじた。
「おばさま。いまのわたしはもうこのころの少女じゃないんです」
「え?」
しずかな、しかし激しいものを内にこめた、暗い重い声音が私の胸をどっきりとさせた。思わず息をのんで見まもったが、人形のように端正な顔に、このときうっすらとニヒルなわらいが浮かんだ。
「母が心配したのは当り前よ。母がたずねて来て三日泊ったとき、わたしは同棲していた男を友人の家に追っ払ったの。でも、男の匂いはしつこいから、へやの中に少し位こもっていたかもしれません」
言葉つきまで変って、私はぎょっとなってしまった。
「ま、みどりさん。それ本当? 男のひとと同棲してるって……いやあ……つまり……あの……式はあげないけど……結婚はしてるってわけ?」
しどろもどろになって、ためらい勝ちに言い出す私の方がまるであわてている。
××大学は学生運動のメッカとも言われるほど、よく新聞紙上にもそこの構内での内ゲバなどが書かれていて有名である。
学生運動をしているひとたちの中では、男女の性生活は自由|且《かつ》奔放なものがあると聞いている。じつは十何年前になろうか、ある有名私立大学での、授業料値上げ反対にはじまったストライキを見にいったことがある。新聞社にたのまれて、深夜の彼らがどんな様子なのか偵察してくれということで、総長室のある校舎に入ってビックリした。廊下にも総長室にもふとんが敷かれ、まさに男女|雑魚寝《ざこね》の姿なのであった。そしてその雑魚寝から発展して、結婚した数組かがあるとも知ったのである。
彼女も同じ心の仲間としての学生と、そんな生活をつづけていたのだろうか。
「学校をお出んなったのは二年前ね?」
「いえ三年前です。早生まれですから」
「それで? その同棲しているって方とは同じ大学の?」
「いえ、○○大学です彼は。同い年です」
「結婚なさるおつもり?」
「どうしようかと思って。一度佐渡へいって相談して来ようと思ってたから、おばさまから御手紙いただいてちょうどよかった。こちらの話も聞いていただけると思ったんです」
「佐渡に縁談があれば現在の方とくらべてみてどちらかをえらぶつもりで?」
「先ず今の彼の方を何とか始末しないとね。同時進行ってことはできないから」
みどりさんは俄然たくましく、ひとまで変ったように生き生きとして彼のことを語りはじめた。
知りあったのは去年の夏。八王子の友人のところであった。出身が同じ新潟県なので、すぐ話があい、一緒に帰りに新宿で飲み、渋谷のアパートまで送って来てくれてその夜泊っていった。
○○大学の文学部を出て、かなり著名な不動産会社につとめている。
「泊っていったってことは?」
「寝ちゃったってことです」
きっぱりといって、てれる風でもない。
「お母さん御存じかしら」
「そんなこと一々報告しません。また、知らせたらとんで来て、うるさいから知らせません」
「まあ」
何となく背筋のあたりがぞくぞくして、私はつくづくと相手を見入りながら言った。
「あなたって、見かけとは正反対のかたなのね」
「どういう意味かしら?」
無邪気に首をかしげる。
「中学生か高校生みたいに見えておとなだってこと」
「中学生や高校生だっておとなですよ」
相手はわらいながら、つと声を落した。
「わたしだって別に男と女のああしたことが好きじゃないけれど、男がそうしてくれっていえばついそういう気になっちゃうんです」
聞いている私の方がいよいよびっくりして、
「じゃあ、みどりさんはそのひとがはじめてではないってわけ?」
「はじめてではありません」
「そう。じゃあはじめてのひとは?」
「学生運動してた仲間と」
ああ、やっぱりと思った。では何人もの男子学生と交渉をもったというのだろうか。この美しくたおやかなひとが。私は全く自分のひとを見る眼の甘さに自分ながらあきれていた。
「ごめんなさいね。みどりさん。すっかり混乱しちゃって。私はあなたってかた、今どき珍しく娘々したお嬢さんだと思って感心してたもんだから」
おろおろ言いかけると、相手は明るくわらった。
「心配しないで下さい」
「だって……」
「心配することはないわ。おばさまのことではないんですもの。はじめてのひととはつい最近までつづいていたんです。特定の一人だから安心して下さい」
「すると大学を出てから?」
「いえ、大学在学中から三年間。いわゆる恋びとって関係でした。私は結婚するつもりだったけれど彼は私以外のひとをえらんだ。つまり私より別のひとの方が妻として好条件だったわけね。職場の上司の娘と結婚したんです」
まあ、何という卑劣な男だろう。
「あなたはだまって引き下がったってわけ?」
「追うみじめさに耐えられなかったし、彼にとって、たしかにその方が仕合わせなんだろうと思えたし」
「まあ……そう……」
かわいそうに。彼女は捨てられたのだ。
彼女の表情におちたニヒルなもののかげの意味がわかったような気がした。
さんざんにその肉体をたのしんだ相手への責任も持たず、心の傷を見て見ぬ振りをして、自分の前にぶら下がった出世の綱を手許に引きよせた男。そんな男の正体を見抜けなかった自己嫌悪がこの素直でやさしいひとの胸を鋭くひき裂いているのだ。
しかもこのにくい男は、別のひとと結婚すると手紙で知らせて来て、なお、あつかましくも彼女の職場に電話して来て、結婚後もつきあってほしいと言ったという。
「ひどい男にであってしまったのね。私があなたのお母さんなら、結婚式場にどなりこむかもしれないわ」
「でも却ってみじめになるでしょう。そんなのいや」
みどりさんはものしずかなわらいを浮かべ、つとめをやめたのも、その職場では、まわりじゅうから彼との結婚が当然と思われていて、いづらくなったからだと言った。
「わかるわ、その気持ち」
何度もうなずいて私は、今度の相手がどうぞそんな男でないことを願った。
「一緒に暮すようになったのはいつから?」
「去年の秋ね。秋風がさびしいとかなんとかいって、身一つでやって来て六畳のへやに今二人です」
「一緒にいるってことは結婚を前提として?」
「私のアパートにはじめて泊った晩、家具と女があるへやって、心がおちついていいなんて言って、やっぱり結婚しようかなあ、なんて言うの」
「ああ、それであなたは今度はこのひとをはなすまいと思って」
「別にそれほどまでは思わないけれど、一つへやに男と暮すのははじめてでしょう。前に三年間つきあったひとは月に何回か、そっちのへやへいったり、こっちのへやに来たりという形でしたから。今度、三、四カ月一緒に暮してみると、また男の姿というものが、いろいろわかって来たりして、それで迷っているんです」
「見合で結婚しても男の姿はなかなかわからないものよ。私など結婚して何十年もたっているのに、なおやっぱり男の姿はわからない」
「わからないから、だからおもしろいってこともあるでしょうね」
「そうよ。でも一人でいるよりはおもしろいでしょう」
「いえ、二人で暮してみると、一人っていうのはいいなってわかってくる」
「じやあ出ていってもらったら?」
「何べんも言ったんですけどね、出ていかないの。プラスマイナスすると彼にとっては、二人の方がいいみたい」
「あなたにとっては?」
「マイナスですね、それで迷っているんです」
六畳の一間。同い年の二十五歳。健康な男と女がいてそれぞれに仕事をもっている。彼女はいま、失業保険をもらいながら、イラストの研究所にいっていて、男のつとめ先の|伝手《つて》で、ぼつぼつカットなども描かせてもらっている。
出費は部屋代も食費も光熱費も、すべてワリカンになっていて、人間として対等のかたちであると思うのに、彼女が仕事でおそく帰ってくれば、彼はおなかをすかして待っていて、インスタントラーメンをつくる一ぱいのお湯をわかすこともしない。ふとんの上げ下げもしない。へやの掃除や洗濯ものは、すべて女の負担になっていて、男と暮すことはなんて余分の労力を必要とするものかと思ってしまう。
前の男は学生運動で一緒だっただけに、男女の平等意識らしいものを具体的に生かしていた。一緒に歩くときも紳士風なエスコートが巧みだった。
そんな見せかけのフェミニストが、じつは最後には男の身勝手という大きな裏切りで報いるのだが、今度の相手は同じ新潟県でも、柏崎に近い港育ちで、海の男らしく亭主関白が理想らしい。
気性も子供っぽく、よく喧嘩することがある。仕つけにきびしい旧家育ちで、親は公務員であるみどりさんと、網元の家の息子とは、生活の習慣のちがいも目立って、読んだ新聞もたたまず、脱いだ下着もテーブルの上にほうりっぱなしというような、小さいことがみどりさんの神経にさわる。
何が一番許せないといって、この二月に男の父親が上京する、というたよりをよこしたとき、大いそぎで友人の自動車を借りて来て、へやの中からみどりさんの荷物を全部もち運び出してもらい、いかにもたった一人でそのへやに暮しているような|恰好《かつこう》をつけて親を迎えたことである。
そのへやの整理ダンス、洋服ダンス、テーブル、本箱は皆みどりさんが揃えた家具なのに、その中のみどりさんの服や下着を外に出して、いかにも自分のものだと言わんばかりに親に見せる。そのうそをついても平気な心がやりきれない。
みどりさんは一気にそこまで語って、また、ニヒルなわらいを浮かべた。
「わたしも前に|国許《くにもと》の母が来たとき、あの几帳面な母が、結婚式もあげないで、娘が男と一つへやにいるなんてわかったら、心筋こうそくで死んでしまうかもしれない。そう思ってあわてて彼に友人のところへいってもらったんですけれど、それはもともとわたしのへやだったし、そこにはわたしの道具がいっぱいだった。今度は男が女の道具をつかって、いかにも一人でいるように見せる。それがいやなんです。精神的にいじましくって」
いじましい。ずるい。見っともない。その卑屈さがやりきれないとみどりさんは言う。
私は一つへやに、偶然双方の親が来て、鉢合せをする場面を考えた。
これは立派な喜劇で、ひとりでにおかしくなるような想像であった。しかし、現実には何ともみじめな話だと思えて来た。
同棲といえば当然、その男女は、夫婦的な行為と同じ内容をくりかえしている。なのに一番身近の親に、その相手を誇りをもって紹介できないでいる。
親がくれば、こそこそと喜劇仕立てのうそをつかなければならない。二人とも結婚というお互いが、お互いのために責任を負う厳粛な生活を避けて、性の満足だけをわかちあっている。
その心はいつも自分の利益を思うことが先で、相手のために自分を失うことをおそれている。
みどりさんは別の男に裏切られた傷の痛みを、何かでまぎらしたかった。男は家具と女のあるへやに住みたかった。一番安いお金で。
「それで? あなたはそのひとと結婚なさる気はないの?」
「はじめはあったけれど、今はためらっているんです」
「相手は?」
「はじめからなかったみたい。今は勿論結婚はまだ早いなんて言ってます」
「だったら少しでも早く別れて、ちゃんと結婚するにふさわしいひとをさがしたらどうですか。二十五歳という年はそろそろ母親になって、かわいい赤ちゃんを胸に抱きたいって心が起きる年ではないかしら」
私もその年に結婚した。東京でイラストの勉強をしたいという彼女に、一度佐渡に帰って毎日青い海と青い山を眺めて、少女の頃のみずみずしいいのちを一ぱい吸収して、過去の男たちのことはみんな心から洗い流して身も心も新しくなって、適当なひとと結婚して、それから勉強してもおそくないのではないかと私は言った。
そしてこうも言った。
「お母さんは私にその男のひとにあってくれと言われるかもしれないけれど、おあいしません。男のひとを一眼見て、その本性がわかるような才能はとてもないもの。ただ、あなたがはじめてあった日に一緒になるほどの魅力が、そのひとのどこかにあるなら、お互いに欠点をあげればきりがないし、一つの縁というものを大事にして、せっかく何カ月か一緒にいたことを基礎にして、結婚するように努力してみたら?」
みどりさんは、出てもらいたい、迷っていると言いながら、今日も一緒に食事して出てきたのであった。
男女のことは、はたで見ていてはわからない。またわかるはずのものでもないと思うと私は言った。
「たとえばあなたが佐渡に帰って結婚すると言ったら、そのひとはどう言うでしょうね」
「殺すって言うんじゃないかしら」
「まあ、殺す?」
「そういうことはよく言っているんです」
「じゃあやっぱり結婚したい意志はあるんでしょう」
「安心してるんでしょうね。あたしは自分以外の男と一緒にならないって」
「なめられてるんじゃないかしら」
「そう。そんな部分もある」
「甘ったれてるのよ」
「そう。それもあるな」
「あなたは結局のところ気に入ってるのよ。そのひとが」
「まあ、方言でしゃべりあえるってところが一つ」
「だったら結婚なさいよ。海辺の男は荒々しくてあなたが他の男と結婚する時、式場に出刃包丁をもってとびこんでくるかもしれない」
みどりさんはうれしそうにわらった。
「そういう彼を見てみたいですね」
ゆとりのあるわらいである。私は、みどりさんはもうひそかに決意し、その青年と今しばちく暮して、結婚まで持ってゆくにちがいないと思った。それならばあったこともない私が、あれこれ想像しても仕方がない。
「一度つれて来ます」
みどりさんは言った。
「おばさまのお口から彼におっしゃって下さい。汝、この女を妻として生涯を共にする覚悟ありやなしや」
「いやよそんな大役」
「おねがいします。彼は年上の意見はわりによく聞くんです。おやじさんをこわがっているくらいですから。おやじさんの前では一生けんめいいい息子ぶりをつとめている」
私は、やっぱりみどりさんにはいい相手なのだと思いはじめていた。一度上京してくるように。親にそういう返事を書こうと思った。
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第五話 恋するのと愛するのと
「恋愛と結婚は別だっていうのは、永遠のテーマじゃないかしら」
「いえ、永遠のテーマじゃないわ。そのときどきの社会環境によって変化するんじゃないでしょうか。つまり、結婚というものが、本人同士の意見よりも、家と家の関係というような社会的条件に支配されていたときは、当然、恋愛したからってすぐ、結婚に結びつくことはなかったでしょうね」
「でも私は、結婚が、本人同士の合意によるということになっても、やっぱり、別だと思っているひとはいっぱいいると思う。たとえば私がそういう意見よ」
「それはあなたが、結婚のときに、やはり、先ず自分の家ということを考えるような境遇にいたからよ」
「境遇よりも本人の考え方の問題じゃないかしら」
「本人の考え方というものが、その境遇に支配されるんだわ」
「ああもうねましょう、ねましょう。生まれたのは鶏が先か、卵が先かみたいなことを言いあっていてもきりがないから」
私たちは、どちらからともなくわらいあって、毛布をひっかぶった。
去年の夏の八月、北アルプスの白馬連峰に登ったときの、山小屋での友人との会話である。
娘時代から仲よしの友人Aさんは、その日、私たちの山の会の仲間に加わって、長い間あこがれつづけてきた、白馬大池の小屋まで登って来た。
その前の晩は、麓の|蓮華《れんげ》温泉に泊り、早朝、まだ暗いうちに出発して白馬大池まで。
チングルマやハクサンコザクラが、白に赤に谷間をいろどる斜面を登りついたところが、大池である。
私たちは更にそこから、小蓮華岳のピークを経て、白馬本峰までゆかなければならなかったが、Aさんは、もう、この池のそばまでくれば本望だと、何人かのひとたちとあとに残った。
夕方近く、私たちがヘトヘトになって、白馬からもどってくると、声を聞きつけて、手をふりながら、Aさんが池のほとりの山小屋から出て来た。
「ごめんなさい。あなたをおいてきぼりにして」
Aさんのこもっていた白馬大池の小屋からは、真夏陽の下に、白々とかがやく白馬本峰の姿は見えない。せっかくここまで来たのにと思うと、何となく気の毒な気がして、私はわびた。
「いいのいいの。山よりもっとステキなものを見たから」
にやにやとわらって、一人機嫌のいい顔をしているAさんからようやく聞き出せたのは、山小屋に辿りついた若い男女の一団があって、そのうちの二人が、だれもいない小屋のうしろで接吻しているのを見たのだという。
「汗にぬれた下着を洗って干そうと思ったのよね。あたしが干しているのに、そのそばで平気なの。こっちの胸がどきどきしちゃって」
私が疲れてフウフウ歩いているうしろから、さっさと追い抜いていった一団のようであった。
その夜は白馬の小屋に泊るらしかった。男数人に女数人。中には恋びと同士も夫婦もいたにちがいない。しかし、山は神聖なものと思い、山で男女が抱きあったり、接吻したりというようなことは想像もしていなかった私は、Aさんの話にびっくりした。
Aさんはまた、私のびっくりした顔がおもしろいといって、声を立ててわらった。
「あなたなんかもう古い、古い。結婚しても三人の子供を生んでも、いまだに恋愛なんて言葉をつかう時は、恥ずかしそうに赤い顔なんかしているんだから」
Aさんの夫君は、新しい感覚で具象を描く画家である。
Aさんも結婚してから絵を描くようになり、何度か夫君と一緒に個展もひらいている。
若い二人の抱きあった姿はもうちゃんと、スケッチブックにおさまっていて、コマクサだのヨツバシオガマだのというような高山植物などを見にゆくよりも、こういう生々しい愛のかたちを眼に入れた方が、よっぽど興味があった。早く家に帰って、夫君に報告したいなどと言った。
小屋の中は、夜になると混雑して来て、私たちの前後左右に、若い男女の登山者たちがいっぱいつめかけ、中には一つふとんにくるまっているのもあって、私は何となくハラハラしたが、Aさんは私の世間しらずをあわれむようにずばりと言った。
「あの二人は今日はじめて、この山道であったのかもしれないわ。好きってことは、ねること、抱きあうことだと思ってるんでしょう」
そして、この原稿のはじめに書いた会話がはじまったのである。
このごろの若い男女は恋愛についてさばさばしている。その時その時の衝動に身を任せて悔いない。いくら恋愛したからといって、必ずしも結婚するとは限らない――。
――突然おたよりしてお許し下さい。私は去年の夏、白馬大池の山小屋で、田中様が、御友人と恋愛や結婚についてお話しになっていらしたのを、右隣にねていて、つい耳に入るままに聞いてしまった娘でございます。
二、三日前に、そういう書き出しの手紙をもらった。あれからもう半年以上たっている。あの満員の山小屋で、疲れ果てて、みんな寝こんでいるとばかり思って、ヒソヒソ語りあったのが、隣のひとに聞かれてしまった。先ずそれだけで私は恥ずかしさに頬の赤らむ思いになりながら、読みすすめていった。
そのひとは私と同じ東京生まれの東京育ち。小学校から大学までつづく私立の女子大学を一年前に卒業した。明治の女流教育家として有名な女史が創立し、良妻賢母を養成するという伝統は、戦前から戦後へと受けつがれている。
男女別学で高校まで終えた女の子は、異性との接触に馴れないために、男と間違いを起し易いと言われるけれど、高校まで共学である方が、もっと間違いを起こすのではないかと思うことがある。男への警戒心、男へのおそれ、男へのつつましい恥じらいを磨滅させてしまうことで。
とにかく男女間の交際がすっかりあけっぴろげになった現代にあっては、多かれ少なかれ、学校教育や家庭のしつけなどにあまり関係なく、若い男女は大胆に開放的に交際し、結婚前に性生活を持つものの数もふえてゆくばかり。
しかし、私に手紙をくれたお嬢さん――Bさんの場合は、それこそ、私が、今どき、こんなひとがまだ残っているのかとおどろくようなものであった。
東京の下町の、戦前からの地主の娘であるBさんは、区役所につとめているお父さんが大変うるさい。家の中での権威ある姿は、まさに家長といわれるべき存在で、結婚するまで、男も女も、性の味を知ってはいけないと、Bさんにも、その弟の高校生にも口やかましく言いつづけている。
もしもBさんが、結婚前に、たとえ結婚にふさわしい相手にせよ、男と交際して、ゆくところまでいってしまったら、すぐに勘当してしまうなどとおどかしてもいる。
勘当というのは、徳川時代から明治にかけて、家長制度華やかなりし頃、子供の不品行とか、その家の名誉を傷つける行動をおこしたときなどに、親子の縁を切る。家の敷居をまたがせぬ。母親もきょうだいもつきあってはいけないなどと、家長の地位にある親父どのがきびしく申しわたすことである。
勘当すると父親から言われれば、大ていの道楽息子が震え上がって、これからは心をいれかえて、親の名を汚さぬようにしますなどと神妙にちぢこまったものである。
いまは成人になった子供は、結婚して独立した籍がつくれるから、勘当などは一つもこわくないし、またそういう言葉で子供をしめつける親もいなくなった。
Bさんのお父さんは、女子大を卒業して、一流貿易商社に勤務するようになったBさんが、友人と映画などを見たり、銀座や新宿で食事をして、帰るのがおくれて夜の十時をすぎると、遠慮なく横つらをひっぱたく。それも昔、軍隊などで、意地悪い古参兵や上官が、新兵に手きびしく与えた往復ビンタというやつである。パン、パンと二、三回位はやる。そのとき、お父さんの眼から大粒の涙がぽろぽろこぼれて、
「こら。お前をぶんなぐるのは、お前がかわいいからだぞ。お前のためにぶっているのだ。ぶたれるお前も辛かろうが、ぶつお父さんはお前以上に辛いのだ。何故十時の門限を守らないのだ。あれほど言い聞かせてあるのに」
さいごにもっとも大きいのをパンパンとやって、その手で自分の涙をぬぐうというのだから、凄絶壮絶的父性愛発露の場面である。
何ごとも夫任せ、夫を絶対信頼しているお母さんは、そのときかたわらで、じっと、これまたうつむいて涙ぐんでいるばかり。
Bさんはしたがって、一年に一度も門限におくれたことがない。友人といっても女の子ばかりである。
「あの白馬ゆきの二泊三日の山旅は、私の人生にとって最大の仕合わせとも思える日々でした。人間にとって、解放感を与えられるということは、どんなにすばらしいことか。心の底からそう思いました」
Bさんが私たちと同じ山小屋に泊ったのは学生時代の友人が三人。その男きょうだいが三人。兄さんや弟というわけだったが、大学受験を控えている高校生の弟をBさんはつれていかなかった。勿論Bさんの卒業した女子大はきょうだいといえども、相手が男であれば、その間に適当に節度あり礼儀ある交際をしなければならないといっているので、Bさんたちは、女は女同士かたまり、男は男同士でかたまってねた。
三日間の山旅の中で、一人の青年――Cさんとよぶ――がよく足弱のBさんを助けて、荷物をもってくれたり、先にいっては立ちどまって待ってくれたりした。高山植物の花の名も教えてくれた。
あまりBさんに親切なので、C青年の姉さん、つまりBさんの学友であったCさんが不平を言った位である。
「CちゃんはBさんのばっかり持たないで、お姉さんの水筒も持ってよ。このヤッケもしょっていってよ」
そのとき、C青年は姉に言った。
「お姉さんはいつも山にくる山女じゃないか。自分の荷物をひとに持たせるなんて恥ずかしいことは知ってるだろう。Bさんははじめて山に来て、こんな高いところを歩くんだ。途中でバテたらみんなが迷惑するよ。別に助けているんじゃなくて、チーム全体の行動のために、Bさんの速度を調節してるんだ」
ぴったりと姉の不満をさえぎったC青年は、たくましく頼り甲斐のある男のように、Bさんの眼にはうつった。
三つ年下の二十歳。D大学二年である。町にもどって来てからは、お互いに町での生活にまぎれて、C青年の好もしさは、山の中だけと思いこんでいた。
Bさんのお父さんは、結婚適齢期にあるBさんのために、月に一、二度は、知人や友人の息子たち数人を招待して、食事をしたり、ピンポンに打ち興じたり、Bさんのピアノの伴奏で合唱したりという集まりをつくっている。
いずれも、Bさんより年上の三十歳までの、これもまさに結婚適齢期にある若ものたちで、この中から、相手をえらべというのが、お父さんの考えである。
お母さんもせっせとお料理の腕を振って、若ものたちに御馳走してくれる。お父さんは進んで若ものたちにまじって遊ぶ。そういうときのお父さんは、あの涙をこぼしこぼし、かわいい娘のほっぺたに往復ビンタをくらわせる、おそろしい面かげなどどこにもなくて、気味悪いようにやさしい。
しかしBさんは、これらの若ものたちの、どれ一人をも結婚相手にえらぶ気がしなかった。どの一人をえらんでも、残された他のひとたちが傷つくような気がした。
結婚の条件としては申し分のない相手ばかり、一流大学出身で一流企業に勤務している。家庭状況もBさんの家と釣りあう。どの若ものも温厚篤実な人柄で申し分がない。ぜいたくな話だけれど、眼の前にたくさん御馳走を並べられて、はたから、さあ食べろ食べろとせきたてられると、何となく食欲がわいてこない、ああいった心境ではないだろうか。
そしてBさんはいま、白馬ゆきのC青年と、親にもC青年の姉にも、内緒で交際している。
山からもどって二カ月たち、もう町はすっかり秋の気配になってから、C青年はある日、職場に電話をかけて来た。
渋谷であい、六本木であい、銀座で、新宿で、もう十回位お茶をのみ、人生について、山について語った。語るだけで手をとりあうこともせず、肩を抱くこともしなかった。そして、勿論門限におくれることもなく、家の近くまで送って来てくれた。
Bさんは、年下のC青年にあっているとき、自分の心がのびのびとやわらぐのを知った。いつまでも話していたかった。また一緒に山にいこうとも思った。人生についての考え方もよくあっている。汚れなく清い交際だと思う。しかし、どうしても父や母に報告する気にはなれない。
(C青年は自分の結婚の対象になり得るか。いや、なり得ない)
大学を卒業してどんな就職先があるかわからず、三つ年下の夫にいつも年上のコンプレックスをもっていなければならないが、敢て年のちがいを無視する自信もあまりない。C青年とはよく話があうと思うけれど、それだけが彼と結婚生活をきずく条件になるだろうか。などなどのブレーキが、C青年との間にかかっている。彼を結婚相手と考えず、青春の一ときの遊び相手と思っていればいい――そういう安心感のくずれる時が来た。
つい一カ月ほど前、一時間半と思った映画が二時間半かかって、門限に三十分おくれた。
父はこのごろのBさんの化粧が濃くなった、服装にピンクや黄などの目立ついろをつかいすぎる、だれか男と交際しているのではないかとなじって、ビンタをくらわせた。やっぱり涙をこぼしながら。
そのとき、Bさんの心にはじめて赤い炎のように噴き出すものがあった。
(この父にそむきたい。私は父の人形ではない。私ももう二十三歳。男とつきあって何が悪いか)
そして、あくる日の夜、はじめてBさんの方からアパートに電話してよび出し、新宿であった。はじめてビールも飲んだ。コップに一ぱいでもう胸が苦しくなり、冷汗が流れ、C青年はBさんを自分のアパートのへやにつれていった。
――そのときの私の気持ちの中には、年下の青年のへやへゆくのだから、弟のへやへゆくのと同じだというような安心感がありました。山でのたのもしい姿は、たしかに自分より年上の男のようでしたが、町であう彼はおとなしい年下の弟であったのです。そういう私は、男への認識が足りないのでしょうか。
と、手紙はつづけられていた。
しばらくやすんでいくようにと言われ、C青年のしいてくれたふとんの上に横たわって眼をとじていると、からだの上に重くC青年がかぶさって来た。大変な力で抱きしめようとする。あわててその腕をはねのけ、そのからだの下をくぐり抜け、ハンドバッグだけは忘れず、靴もちゃんとはいて、そのへやをとび出した。
その時、ちょっとふりかえると、恥にまみれた苦しい顔つきで、C青年がじっと見つめていた。その燃えるような瞳のいろが忘れられないまま、この一月をすごし、さて、自分のとるべき道はどういうことか、考えても考えても頭がもやもやしているばかりというのであった。私の顔はテレビで見知っていて、ところは出版社に問い合わせたという。
C青年からは今もって電話がない。このままもうつきあわないつもりなのだろうか。つきあわなくなったらさびしいという気持ちがある。しかし、つきあえばまた、ああいう機会におちこみそうでこわいというおそれもある。男の正体がわかったようで、家に集まってくる青年たちとも、今までのようにフランクな態度がとれなくなった。
父はBさんの様子に何らかの心境を感じとったのか、いつも家にくる若ものたちとは別の、見合の相手も用意しているようであった。
ムシのつかないうちに、娘を早々と、夫という名の一人の男に託したくなったのにちがいない。
――私は田中様が、恋愛と結婚は別ではないかと言っておいでだったことを思い出し、私のとるべき道を教えていただきたいと存じます。あつかましいことですが、一言だけでもお考えをお聞かせ下さいますよう。
終りの言葉も丁ねいに結んでいる。私は、あの夜の隣人を一生けんめいに思い出そうとしたが、早く電燈を消してしまう山小屋の暗さの中では、思い浮べようもなかった。
ただ、このBさんが、まことに今どき珍しいお嬢さんであることがわかった。じつによく自分というものの立場を知り、親とか友人とか、自分をとりまく人間の立場も理解しようとつとめている。
Bさんは、ちょっと見には暴君の権化のような父の愛情もよくわかっている。ぶんなぐることがその表現であることもわかっている。
しかしなぐられてうれしいというには、やはり現代の娘である。いつまでも自分を子供扱いする父に対して、人間的にも独立したいと思いはじめた。
Bさんの前には考えられる幾つかの道がある。結婚の問題はしばらくおいて、まだ二十三歳。心からたよれるような相手があらわれるまで、職場ではきちんとつとめ、お習宇やお茶などのおけいこをする。あるいは父のすすめる相手と見合してみる。もう一つは結婚の相手がきまるまでの心のさびしさをC青年と今後もつきあうことで埋める。といって、C青年があと二年して大学を卒業するまで待つ。どんな勤務につこうとも、収入が少なければ共働きをして、C青年との結婚生活をきずくという自信だけはない。
さて、私とて顔も姿も知らないBさん、その声を聞いたこともない、よその娘さんの一生をきめるような発言はとてもできない。
しかし手紙から想像する限り、Bさんは見合するのが一番よい方法のように思う。
いくらでもそのときそのときの激情のままに、男と抱きあったり接吻したりというような女は山ほどいる。結婚すればケロリと忘れて、明日は明日の風が吹く。口笛でも吹いて、昨日のひとは捨て去り、次の新しいひとを迎える。結婚すれば、とうに処女でなくなっていても、いかにも処女らしい演技をする。もしも結婚の相手にそれがわかってとがめられたら、ひらきなおって、男のあなたはどうなの、と問いかえす。もしも、夫の方が童貞で、自分は何人もの男を知っているというようなケースであれば、私のあやまちを許してちょうだいと泣いて訴えるような手をつかう。
そんな白々しい娘がいっぱいいることは知っているけれど、Bさんは例外である。
C青年と結婚の意志はなく、ただC青年を好もしく思って、求められるままに一緒に性の関係を持てば、きっと心に負担を残す。生涯そのことを忘れられそうもない。大体、手紙には書かれていないけれど、C青年の方ではBさんをどう思っているのか。もしも結婚の意志があれば、おそろしいおやじさんを一つもおそれず、二年たったらBさんを下さい。必ず幸福になるように努めますとはっきり意思表示をするにちがいない。
そんなことのないのは、C青年にとってもBさんは一ときの青春の吐け口にすぎないのである。自分より年上で、肉体が成熟していて、つとめているから、学生の自分よりお小づかいが豊富で、お茶代、食事代もおごってくれる。しかも家がやかましいから、どんなに深い関係になっても女の方から追っかけてくることはない――男にとって、こんなに快適な遊びの対象はない。山の好きなC青年に、そんなえげつない空想をするのは申しわけないかもしれないが、私は愛も恋も美しい言葉や熱い眼差しにばかり酔っていないで、あくまでも冷厳な現実を見きわめなければと思う。C青年とは遠ざかり、見合をして、いつも家に遊びにくる若ものたちとくらべ、その一番よいと思った相手をとればよい。
女の二十三歳は決して結婚の準備をはじめるのに早い年齢ではない。
――一度おあいしてみましょうか。
そんな返事を私は書いた。
いつも見しらぬひとからの手紙をもらって、あってみたいなどと思ったことは一度もない。
それらの手紙には、じつにたくさんのもめごとや悩みごとが書かれていて、一々返事をするさえ大変なのに、あったらなおなお大変だと思う。
できれば手紙さえ見なかったことにしたい位の気持ちである。
しかしBさんにはあってみたかった。これは私が同じ山に登ったという縁を大事にしたかったからである。
山キチとも山バカともよばれている私は、いつも自分の山仲間を姉妹のように大事に思っているし、同じ山で、同じ楽しみを味わったひとは、他人とも思えなかった。
できればC青年とも別にあってみたい。C青年が本気で、Bさんに好意から結婚へというほどの思いでいるならそれも結構。一緒に山にゆければすばらしい。
そして、私がそういう思いでいることを見通したように、数日してあらわれたBさんは、C青年と一緒であった。
C青年に、これが最後のつもりで、自分には結婚の話があるからと手紙を書いたら、折返しC青年から、自分と結婚してくれないかという返事がきたのだという。
それには、|細々《こまごま》と将来の設計がしたためられていて、卒業後は東京の近県で水道工事をしている自家営業をつぐ気持ちでいること。親から、結婚にさいしては最小限度の住宅を建ててやると言われていること。生活費も自分の家の仕事をすることで十分とはいえないが、かつがつには夫婦二人で暮せる、いや親子五人となっても暮せるであろうと、家の経営内容の説明があった。
そしてもしもこの条件でよかったら、自分と結婚してほしい。場合によったら、卒業を待たなくても、長男だから親は許してくれるだろうと書いてあり、Bさんには何の反対意見もないのであった。
――彼は女とのつきあいが苦手で、今まで女の友人というようなものを持ったことがないんです。
しかしこのひとばかりは別だと言いたいようにBさんを見やる眼差しに、私はやっぱり山の好きな青年だ。さわやかだ。たのもしい。これならBさんのお父さんもよろこばれるだろうとうれしくなって、二人の前に自分の山の写真を次々に見せながら、いつか三人でゆきましょうと言って気づいた。
――ごめんなさい。お姑さんみたいなのが一緒じゃつまらないですよね。
すると二人、ほとんど同時に、異口同音に言ってくれたのである。
――一緒にゆきましょう。
――両方から支えてあげます。
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第六話 美しい別れ
この間、都下のある中学校の卒業式にいって感激した。
ピアノが「仰げば尊しわが師の恩」を弾き出すと、あちらこちらで眼を抑える生徒があり、歌い出すと、ずいぶんたくさんハンケチで涙を拭くものがいた。
教えの庭にも
早や幾とせ
身を立て
名をあげ
やよはげめよ
今こそ別れめ
いざさらば
この歌詞は今の子供たちに通用しないというひとがある。立身出世をそそのかすようでいやらしいというひともある。しかし改作も生まれず、新しい合唱曲もつくられず、多分、もう何十年と、明治の昔から歌われているのであろう。歌詞よりも曲が、すでに哀調を奏でていて、卒業という別れを表現するのにもっともふさわしいのではないだろうか。
近ごろは人間もカサカサになって来て、卒業式に涙をこぼす生徒など、もうあまりいないのだろうと思いこんでいた。しかし子供たちはハンケチで眼を拭き、昔とちがうのは、男の子まで泣いていたことである。
別れというものの辛さは、昔も今も変らないのだと思った。昔の男の子は、涙を見せまいと歯をくいしばり、今の男の子は素直に流す。そのどの姿も、感動的であると思った。
私も小学校、その上の学校の卒業式で、あの歌を歌うとき涙を流した。
自分の生活体験が、その日を境にしてすっかり変るということ。
一つの橋をわたって流れの対岸にゆくということ。それまでにつきあっていたひとたちは、もう一生あえないかもしれないということ。
人間の一番大きい別れ、だれでも必ず、いやが応でも通過しなければならない別れは死である。その死にむかって着実に進んでゆく人間の一生の中で、ひとはじつにたくさんの別れを経過してゆく。
思えば、学校を卒業したときの別れの辛さなどは、まだしも耐えられる別れである。次に新しい上の学校が、あるいは新しい職場が待っていてくれる。
人間にとって最大の悲しみと思われる死者との別れも、時間がたてば、いつしかなつかしい思い出に変る。
しかし、もしかすると、一生たってもその傷の|癒《い》えない別れがある。
恋の別れ。恋愛に於ける別離である。
昔から、失恋が原因で自殺したひとは跡を絶たず、いのちは永らえても、精神的に|亡《ほろ》びてしまう。自暴自棄になり、やけのやんぱちで身を持ちくずしてしまうひとはいくらでもいる。
少し長いけれど、私がまだ十代の娘の頃に大好きだったマリイ・ロオランサンの詩を次に書く。
退屈な女より
もつと哀れなのは
かなしい女です。
かなしい女より
もつと哀れなのは
不幸な女です。
不幸な女より
もつと哀れなのは
病気の女です。
病気の女より
もつと哀れなのは
捨てられた女です。
捨てられた女より
もつと哀れなのは
よるべない女です。
よるべない女より
もつと哀れなのは
追はれた女です。
追はれた女より
もつと哀れなのは
死んだ女です。
死んだ女より
もつと哀れなのは
忘れられた女です。
この詩は堀口大学訳詩集として、一九二八年に出版された『月下の一群』の中にある。
装幀が豪華で値段の高かったこの本を、私は一九二九年の正月のお小づかいで買った。まだ二十歳にならぬ少女であったけれど、中でもこの詩が好きで何度となく口ずさんだ。
そして、この詩に親しむことで私は、娘ごころに、捨てられる女や忘れられる女になりたくないと思った。
そして、そのような女にならないために、恋をおそれる女になった。恋さえしなければ、はじめからそんな切なさへ自分をつきおとすことはないわけであった。
この春のある夜のこと、ある婦人雑誌から電話がかかってきた。
「ひとと別れるのにはどうしたらいいですか」
若い男の編集者の声であった。
「別れるっていってもいろいろあるから、一口に言えませんねえ」
その日私は、朝から晩まで、デパートや入院見舞いや映画の会など、あちらこちらといって来て疲れていた。早く話を切りあげたかった。しかし、いつの場合でも質問に対して、要領よく短い答えをするということがあまりうまくない。逆に質問を複雑にするような言い方をしてしまって、相手はここぞとばかり、勢いこんで来た。
「たしかにいろいろあります。両方ともあきてしまって何となく別れたくなって、何となく両方からあわなくなる。それが一番理想的な別れ方でしょうけれど、一方はまだカッカと燃えている。一方はすっかり冷めてしまったという場合が一番悲劇が多いんですね」
相手は相づちを打つひまもないほど次々とたたみかけてくる。私は仕方がないので、相手の声をよそに、その言ったことをゆっくりと頭の中で整理してみた。
とにかく一方が燃えていて、一方が冷めてしまったという状態を考えると、
一つ、それが男の場合と、女の場合では別れかたがちがう。
二つ、つまり女の方はまだ燃えているのに、男がしらけてしまった場合。
三つ、男の方はまだ熱く燃えているのに、女の方が冷えきって男がうるさくて仕様がない場合。
四つ、男も女も別に憎みあってもいず、適度の熱さを保ちつづけているのに、突如として周囲の情勢が変化して、どうしても二人の仲を中断させなければならぬ場合。たとえばどちらかの側にどうしてもことわれない縁談が起きる。どちらかが就職のために、仕事のために、他の場所にいかなければならない。
そんなときは当然一方も職場をかえて一緒にその場所へゆければよいけれど、都合よく職場や仕事がすぐ見つかるとは限らない。
「いろいろの別れ方のなかで一番手ぎわよい、一番傷つかないのはどんな方法なのか考えてみてくれませんか」
相手は結局、このさいごのところを一言か二言で言ってほしいらしい。
じつは私は電話で意見を聞かれたりするのはあまり好まない。
編集者によっては、三十分も一時間もねばってこちらの言うことを聞いて、たった一行にまとめるということがある。
それならはじめから、その一行だけを言って、あとは何も言わないですますというのが一番スマートなのだが、なかなかそんなうまい具合にはいかない。
そもそも一言や二言で、ひととひととが別れるための心得など語れるものだろうか。
(はい。これでさよなら)と言ったらよい。
(あとくされなく別れましょう)と言いあえばよい。
(涙をはらってにっこり笑い、じゃあバイバイ)と言いましょう。
そのどれ一つ考えても、そんなに簡単にゆくものかと思ってしまう。
ひとと美しく別れることはむずかしい。美しいというのは、手ぎわよく、相手を傷つけないでということではない。どんなに苦しんでもいい。別れる辛さに七転八倒して、涙を流し、悲しみに耐えようとしてどんなにうめいてもいい。
ただ、たとえ自分が傷ついても相手が傷つかないように願う。
嘆いて泣いてさんざんもがき苦しんで、なお一ところ、心にもう一度立ち上がる勇気と力を残している。これははじめからそんな計算でなく、本人としては、自分のすべてを投げかけて、一つの別れのために、身も世もあらず嘆くという壮絶な悲しみ方をするのだけれど、しかも、泣くだけ泣いて立ち上がる。ヒリヒリと傷の痛みを北風にさらして、その痛さに歯をくいしばって耐えている。
私はそんな別れかたは悔いないことで美しいと思う。
別れた相手を憎んだり呪ったり、死んで化けて出てやろうと自殺したり、刃ものを持って殺しにでかけたり、その家に火を放ちにゆくというようなのは醜い。
いつ読んだ雑誌であったろうか。もう亡くなられた女流の小説家で、何人もの男のひととの別れを体験したひとが、「別れについて」の随筆を書かれたのを読んだことがある。
彼女は言っていた。
――家のまわりを三べん歩く。泣き泣き歩く。そして、家に入ったら、すぱっと忘れてしまう。思いきってしまう。
なぜ三べんなのかよくわからない。一ぺんですむひとも、十ぺんかかっても別れきれないひともあるのではないかと思うけれど、とにかく彼女は自分に課したノルマとして、三べんまわって忘れることにきめたのだそうだ。
別れを美しくするか、醜くするか、それはその人のふだんからの人柄によるもので、急にいい|恰好《かつこう》しようとしてもむずかしい。
などなど、次々に考えて結局、私は相手ののぞむような答えを出せなかった。
一言言ったのは、
「私は自分で燃えたことがないから、よくわからないんです」
相手はギョッとした風で、
「若い時には燃えたでしょう」
「いいえ若い時からです」
お役にたたなくてすみませんと電話をこちらから切った。
私の知っている範囲では、若い時より中年、中年よりは老年になった方が、もっと激しく燃えるようである。
(今までは仕事仕事に追われて来た)とか(今日まで家事や育児に追われつづけて来た)というようなひとたちが、ある日、突然、人間が変ったように燃えさかる炎をあげて恋をする。たった一度の人生。残りわずかないのちを惜しむというかたちで。
さて、以上のようなことがあってから数日して、私は、北九州市のある町のある高校へ講演にいった。
朝十時からであったから、前日の夕方ついて、その学校の二人のひとに案内されてホテルに着いた。中年の女の先生は、子供が病気だからといって先に帰り、臨時の非常勤講師のかたちで、四月から体育を手伝うことになっているという若い娘さんが一緒に食事した。
見るからにのびのびとした|肢体《したい》で、鍛え抜かれた筋肉がひきしまり、白粉一つない素顔は柔らかそうな皮膚に、まだ産毛を残していて、とても二十一歳などとは思えないほどみずみずしい。
その夜私は中学生のようにさえ見える、この東京の女子体育大の学生さんから一つの別れ話を聞いた。
彼女は二年生で、本来ならこの春で三年になるのだが、自分から留年して北九州市のふるさとの町にもどっている。
去年のクリスマスに、友人のところのパーティによばれて、東京のA大の三年生の学生と知りあった。たまたま席が並びあっただけだったが、とてもよく話があい、九州のひとならお酒に強いでしょう、などと言われ、パーティが終ってから、六本本のイタリア料理の店に誘われてワインを飲んだ。
女姉妹三人の長女である彼女は、私立の女子学園で中学、高校をすごし、大学も女ばかりだったので、男の子と二人きりでワインを飲んだりしたのはそれがはじめてであった。父も母もビール一ぱいのんでも、顔が真赤になるような下戸だった。彼女もその夜までいつも学生が管理する女子寮の女友だちと、甘いものを食べにゆくのがたのしみの一つであった。
もし魔がさしたというなら、そういう状態をいうのだろうか――クリスマスということで気がゆるんだのかもしれない、と彼女は言った。
六本木の帰りに世田谷の寮まで送ってくれるという彼と青山まで歩き、神宮前まで歩き、更に代々木まで歩いてしまった。十二月も末の寒空にいつか二人は腕を組みあい、肩をよせあい、拾ったタクシーの中では、固く手を握りあっていた。
いつも正月休みは、松の内がすぎて十五日頃まで家にいるのに、今年は三が日がすぎると、学校で特別の講習があるから、と家にはうそを言ってはやばやと上京した。
クリスマスの明くる日、九州へ帰る彼女を東京駅のプラットホームに送って来て、発車間ぎわにつとよって来てささやいた彼の言葉が忘れられなかった。
(君のような女性にあったのははじめてだ。――昨夜は仕合わせだった。今度は僕の家に遊びに来てよ)
|耳許《みみもと》に彼の熱い息が吐きかけられ、そこからぼうぼうと音をたてて炎が燃えさかるような気がした。
新幹線は一路博多へ。その車内で頭に浮かぶのは、彼とすごした何時間かの思い出と別れぎわの言葉ばかり。
自分といて仕合わせというのは、自分を愛しているということかしら。私のような女にはじめてあったというのは、私が、今までにあった女の中で、最上だということかしら。家に来てくれというのは両親に紹介するということ。そしてもしかしてそれは、婚約者になる前提ではないかしら。
ああ、あのひと。丈も高く声も力強い中に何とも言えない甘さがある。A大は私立の中の一流だし、お父さんはある大手の会社の役員だというし、彼は三人兄弟のまん中だから、両親の面倒を見ることもない。卒業と同時にお父さんの関係する会社の子会社の方に入れてもらうことになっていると、将来の計画まで話してくれた。また、女は家庭に埋没するだけが生甲斐と決めつけるようなひとでなく、職業を持ち、あるいは家にあっても、その才能をのばしてゆくための努力をつづけているひとに魅力を感じるなどと言った。これは自分が体育大を卒業して、体操の教師になる。結婚しても働くということを肯定しているのではないだろうか。
ああ、あのひと。
あのひとがもしも私に結婚を申し込んでくれたら、私の方としては申し分のない条件だと思えるのだけれど。
彼女は全身が炎につつまれているような、熱い思いに燃えさかって、ふるさとでの正月をすごした。両親も妹たちもそんな彼女の胸のうちを知らず、何をそんなにひとりわらいしているのとか、おかしいわ、急に涙を浮かべてとか、いつもの彼女とはちがうと心配した。
彼女はクリスマスの夜と、次の日と、たった二度あった青年に恋をしてしまったのだった。恋にちがいなかった。朝から晩まで、そのひとの面かげが胸を去らない。今にもとんでいってあいたくなる。あいたくてあいたくて涙が出て来てしまう。
そしていつも青年のことを思うとき、全身を炎がつつむ。燃えて痛苦の走る炎ではない。あたたかく甘やかに、全身の神経がこころよさに震えるような。
恋をしている。
そう思った時、彼女は、眼に見えるもの、耳に聞えるもののすべてが、美しくかがやき出し、ひびきあうのを感じた。
初恋であった。
二十一歳ではじめての恋。同じ小学校出身で、男女共学の中学、高校にすすんだ友人、あるいは、同じ女子高校を出て、男女共学の大学に学んだ友人は、もうずっと前から、それぞれにボーイフレンドを持っていた。
パーラーに入ってアイスクリームをなめながら、ボーイフレンドのうわさを語って聞かせたり、写真や手紙を見せる友人もいた。二十歳にもなって、ボーイフレンド一人見つけられぬ彼女は、男ぎらいなのかとも言われた。
ああ、あのひと。私が今日まで、ボーイフレンドにめぐりあわないで来たのは、彼にであうためだったのだわ。
彼のことは父母にも妹たちにも友人のだれにも語りたくなかった。一言でもしゃべることで、胸に燃える火が弱まってしまうような気がした。
正月二日には、暮れに出してくれた彼の年賀状がとどいた。
ごく当り前に「謹賀新年」とだけペン字で書かれたものであったが、そのあまりうまくない書体さえ、彼の誠実で、律義な人柄をあらわしているように思い、大事にハンドバッグにしまい、夜もそのバッグを枕許においてねた。
上京してこの二月いっぱいまで、二カ月間十回近くあって話した。
一度は彼の家にゆき、カレーライスの御馳走になった。お父さんは留守だったけれど、お母さんはいかにも徳川時代から東京に住んでいた旧家の奥様らしく、洗練されて社交的なひとであった。
こぼれるような笑顔を見せて、どうぞまたおいで下さいと言い、北九州市には、遠い親せきがある。いつかその家に泊って、阿蘇の山なみハイウエイにドライブしたなどと話した。九州の女のひとは情が厚くて親切で、などと大へんほめてくれた。自分をこの家に迎えるにふさわしいといってくれているような気がした。
彼とは土曜の放課後、日曜日の外にもよく打ち合わせて、代々木や六本木を歩き、一緒にお茶を飲み、時に食事をし、ビールや日本酒をつきあうこともあった。そんな時には必ず寮まで送って来てくれた。
いくら話しても話しても話したりなかった。彼が歩きながら肩に手をまわして抱いてくれると、全身がいつも火となって燃えた。
しかし、別れるとき、手を握りあうだけ、接吻もしなかった。彼が、そのような身ぶりを見せるとき、意識的につと身を離した。一度接吻してしまえば、止め度なく関係が深まってゆくようでこわかった。
はじめてのクリスマスの晩に、寮の近くでタクシーを下り、少し酔ったのか、足許のあやうい彼女の肩を大丈夫ですかと支えてくれた。大丈夫ですとその腕の下をかいくぐって寮の門まで走ってしまった。あとで思えば世にあるラヴシーンなどというのは、あの時、抱かれ、引きよせられてはじまるのだなと気づいたが、そんな想像をするさえ恥ずかしかった。自分がいかにもそれを求めている女に思えた。
そして三月。急に彼は音沙汰をしなくなった。電話もかかって来ない。手紙も来ない。
「二度かけたのですが、お母さんが留守ですと言われて。ではこちらに電話を下さいとたのんだのにかかってこないのです」
彼女はその家のまわりを二度歩いた。一度は二階のそのへやに明りがついていた。一度はまっくらだった。明りがつくまで二時間近くたっていた。なつかしさに声をあげて名をよびたかった。その激しい思いを抑えさせたのは、あのにこやかな都会的なお母さんに軽べつされることが恥ずかしかったからである。
(あの笑顔のかげにどんな心をかくしているかわからない)
それから又、彼について、一緒に六本木のスナックでつきあってくれた学校友だちがこんなことを言った。
「何だかプレイボーイみたいな顔してる」
彼女とちがって、何人ものボーイフレンドを持つ友だちは、一目見てそっとささやいた。
この三月になって、つまり、三度目の電話をかけようかどうしようかと迷っている彼女に、その友だちから電話がかかり、こんなことを告げた。
「あのボーイがさ、あなたでない女の子と、肩を組んでつながって歩いてるの見たわ。明治神宮の森の中で」
その友だちはまた、その女の子が、彼女と同じような別の女子体育大の学生だと教えてくれた。
「あたしの連れが彼女を知ってたの。フィギュアスケートの選手だって」
そのとき、彼女は彼をあきらめることにした。自分には満たされないものがあり、彼は別の相手を求めたにちがいない。それが彼にとって必要ならば、あとを追っていって、こちらをふりむいて下さいなどという、みっともない態度はとるまい。理屈ではそのように覚悟しても心は深い傷を負っている。
「当分東京をはなれていたいと思って、両親には学校で非常勤講師を必要としているから、卒業したらここへつとめさせてもらうということを条件に、引き受けたと言いました」
長女である彼女は、恋愛に失敗した姿を妹たちにも見せたくないと思っている。はじめての恋で、自分に男を見る眼がなかったからと自分を責めながらも、あの激しく燃えた甘美な思い出は当分消えないだろうと覚悟している。
「再来年の国体のためにこの一年、母校の後輩のために汗を流します」
汗と共に、思い出もうすらぐだろうという期待がある。
それにしても彼女は、何故、通り一ペんの旅びとの私に、苦い恋の傷手を語ってくれたのか。いや、私が旅びとだから、胸いっぱいに積もる話を聞いてもらいたかったのだ。
そう思った時、この手ぎわよく、美しい別れに身をおいているひとの、いさぎよい心をもてあそんだ男が憎くなった。
「すみません。つまらない話をお聞かせして」
自分でビールをコップにつぎ、一息にのんだ。
「どうも気がきかないでごめんなさい」
私はあわてて、まだ瓶に残っているビールをつごうとした。
「よろしいんです。この一ぱいがちょうど適量です」
むしろ男性的な性格というのだろうか。深刻な話もあっさり淡々と語るひとであった。失恋して死ぬの、やけになるのといったタイプでは絶対にない。
一つの経験をふまえて、更に新しく発展し、生長するという|健気《けなげ》さを持っていた。
「今度結婚するというときの参考になりますね。一人でも男のひととつきあえば」
私はつがれたビールをのみほして、年長者らしく言った。
「結婚なんてしません」
「あら」
「しません。当分は」
「当分ね」
「ええ、それが何年になるか、一生かもしれませんが」
私はまだ結婚しないでいる私の友人のだれかを思い浮かべた。
それぞれに仕事を持ち、立派に仕事の世界で生甲斐を見出している。
結婚するばかりが女の能だといったり思ったりするのは、適切ではない。
でもこのひとの場合はどうなのだろう。恋といっても、からだの関係まで進んだわけではない。はじめてつきあった男性として、慕情も激しく燃え上がったろうけれど、年月がたち、また職場でいろいろの男を見るようになれば、男性観も深まって案外円滑に結婚ということになるのではないかしら。
――私どもこの度、××様御夫妻の御媒酌によって結婚致しました。
そんなたよりがとどいたのは一年たっての春である。その町の中学校長が、彼女の勤務ぶりの真面目で熱心なのにすっかり感嘆し、その長男で、県庁の教育委員会勤務のひとの妻にと希望し、ほとんど直談判で話がまとまったとのことであった。
――あの別れはあのひとにとって、青春の一ページを飾る、苦しいけれど美しい思い出になるにちがいない。
あくまでも理性的に判断し、意志的に行動する彼女は、前の男にとって、少し重い荷だったのではないか。そんなことを思いながら、私は何をお祝いにおくろうかとたのしい計画に胸をはずませた。
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第七話 女の売り出し
新緑の京都にいった。
戦後の京都には子供の病気の治療のため十年近く住んでいたので、京都には知人が多い。
この時も古い知り合いの息子さんの結婚式に招かれてのことであったが、嫁さんの支度のいっぱいあるのにびっくりしてしまった。
八畳のへや二つを通して、打掛けや振袖や訪問着が|衣桁《いこう》にずらっと並び、これに洋風のカクテルドレスやイヴニングが幾つも幾つもボディに着せられ、その一段下に、外出着からふだん着の着物と洋服が、何十枚という数で陳列されている。
勿論それに付属する帯から靴からハンドバッグから、帯締め、帯上げ、足袋などのいろいろの小物、指輪、耳飾り、首飾りと、高価な宝石や真珠がいっぱいひしめいていて、つくづくと溜息がでるようであった。
ちょっとした花嫁の支度のお店が出来るほどの品数で、|姑《しゆうとめ》に当る私の友人が、うれしくてならないように、一々説明した。
あの打掛けは五百万円。この振袖は二百万円。この帯も二百万円。この指輪は六百万円。この時計は百万円。このハンドバッグが五十万円。このレースのイヴニングが百万円。このドレスが五十万円。
「うわあっ、大変だこと。それだけでもう二千万をこすじゃない。びっくりぎょうてんだわ」
私が眼を白黒させると、友人は春風が頬を撫でさすった位にわずかにわらって、
「大ぎょうなことは言わんといておくれやす。これ位当り前どすがな」
ま、これらの品々は目玉商品のようなもので、あとはもっと安いものを集めている。花嫁のお母さんもなかなか利口だという。
それにしてもそこに並べられた品の合計は、私の弱い頭でざっと見まわしても三、四千万円は下らない支度と思われた。
しかし友人はその位ではびっくりしないばかりか、大して満足しているようではなかった。
「丹波では指折りの山持ちの娘はんどしてなあ。京の旧家の嫁女になるには、この位は最低の支度と思うてくれなあきまへんわ」
友人は、金沢、富山あたりでは、結婚の支度をのせたトラックには紅白の幔幕をめぐらし、五台も七台も連ねてゆく。うちのは三台だったと残念そうに言った。
「三台にぎっちりつめこんで、五台にすればもっと楽に並べられましたのになあ。トラック代をケチらはるなんて」
前もってわかっていたら、こちらから三台でも五台でもトラックを出して、加勢すればよかったなどとも言う。
何ともおそれいった話で、結婚式の前に運びこまれた花嫁の支度は、親類縁者や知人を招待して一つ一つ観賞してもらう。そろそろ仕舞わなくてはならないのだが、東京からの私の到着を待っていたのだとのことであった。
友人の息子は京都の私立大学を出て、伯父が社長をしている京都の百貨店につとめている。高価な品物には眼が肥えている。
見合でえらんだ花嫁の支度は、息子もあらかじめ相談を受けて、その百貨店の品々を買うことにしたというけれど、私はつくづくと花嫁さんに同情した。
これでは衣裳や道具が結婚するのであって、本人の人柄などあまり関係ないみたい――。
何でもその家の山や田圃は、女の子にもわけてもらう権利はあるけれど、その家の財産を減らさないために、支度に金をかけて、土地はわけてもらえなかったのだという。
「今になって見ると、ドレスの二、三枚へらして、山一つわけて来てもろうた方がよろしとも思うてますのんどっせ」
それにしても、結婚というのは大変なものだ、うかうかと相手の家も経済状態も知らずに恋愛すると、いざ、結婚というときにずいぶん周りがうるさいことだろう。
しかしまた、無理解な周囲とたたかうのこそ、生甲斐のある愛といえるのかもしれないが。
京都の東山にあるホテルでの結婚披露宴のいろなおしは三回。このごろは五回位のも珍しくないそうなので、まあ普通なのかもしれないが、私はせいぜい一回でよいと思い、これまたファッションショウのように、打掛け姿、大振袖姿、イヴニングドレス、パンタロンスーツと一生けんめい着かえて見せる花嫁さんに同情した。
新郎の息子の方も負けじおとらじと、タキシードから紋付からダークスーツからチェックの派手な背広姿とかえて見せてくれる。
招待客には、新郎新婦を一々拍手して迎えろという司会者の命令があるので、そのいそがしいことといったらない。御馳走食べたり拍手したり。
あくる日は、昨日の豪華な宴会場の雰囲気でいささか疲れたので、一人で、嵯峨野を歩いた。
土曜日曜ならば観光客でいっぱいの嵯峨野も、週日なので、あちらこちらに、ジーンズの若い娘さんや青年たちがチラホラしているばかり。
桂川の清流に映える嵐山の緑にすっかりさわやかな気持ちになって、ちょうど正午になったので、生垣につつまれた一軒の湯豆腐屋に入った。
ここもすいていて、あざやかな竹の緑を背に、白やピンクのつつじが花盛りであった。
緋毛せんを敷いた|床几《しようぎ》が二つ。私はその一つに腰かけて、一人分の湯豆腐の運ばれてくる間、隣の床几で一つの七輪の火をかこむ若い女のひとたちの話に、何となく耳を傾けてしまった。
見るからに楽しそうで、よくわらっている。どこかの職場の同僚らしく、時々男言葉になって、上司の真似をするのがうまい。
「まあヒラから係長になったとたんに声まで変ってしもて。あんたの髪の形それなんや。食料品売場にいってみいな。よう似た恰好がある。海産物のモズクや。もっと櫛の目たてなあかんでやて、失礼やわほんまに」
「そやそや、うちは化粧が濃いいうて叱られたわ。あごのところにホクロがあるやろ。それもつけぼくろやろいうて、指でさわろうとするねん。あきまへん。生まれつきのホクロどすいうてどなってやったわ」
一人が何か言う度に、華やいだわらい声がおこって、つい隣の私もわらい出してしまった。すると、そのうちの一人が軽く会釈して、
「すみません。うるそうさわいで」
と言う。
「いいえこちらまでたのしくなります」
私が東京言葉の旅行者と知った気安さからか、三人の若いひとたちは、自分たちの職場は今日休みなので、仲よし同士で嵯峨へ遊びに来たのだと話してくれた。
「職場はデパートですか」
「あら、わかります?」
三人が顔を見合わせる。おどろいたことに、それは昨日の結婚式の新郎のつとめる百貨店なのであった。
私がそのことを言うと、三人とも奇縁にびっくりして、社長の甥の結婚式に出る位なら、いずれ知り合いか、親しい身内でもあろう、めったなうわさ話を聞かせたら大変という風にみるみる警戒のいろを浮かべた。
私は湯豆腐を運んでくれた給仕さんに、大分いける口らしい三人の席に、お酒を二、三本とどけてほしいと言い、自分も一本たのんで、どうぞ何も気がねしないでほしいと言った。
じつは花嫁さんの支度のものものしさにおどろき、結婚式のぎょうぎょうしさにげんなりしている。社長の甥のお母さんが、昔の学校友だちというだけで深いつきあいでもない、決して告げ口などするような人間でないから今まで通り自由闊達に話しあって下さい。
「うちは東京に親せきがあり、高校を出る時Mデパートの試験を受けておちたんです」
一番年上らしい二十三、四のひとがいった。いかにも京美人らしい面長の顔で、御所人形のように目鼻立ちがととのっている。
学課には自信があったが、面接の時、寸法が足りなかった。その場所に紐が張ってあり、その下をくぐり抜けるとき、首が紐の線から出なくては駄目。身長のテストを受けたわけである。
京都でもエレベーターガールになるのにはスタイル、身長などをチェックされ、一五八センチ以上の高さで目方は五五キロ以下。
その場の三人は皆小柄で、且つ標準より肉づきがよいようであった。いわゆるずんぐり型で、かえってそれが親しみを与える。
「それにMデパートは、両親そろってないとだめなんですね。それも失格でした」
私に合わせて東京言葉になった彼女たちは、お酒がくるとさしつさされつして、いかにも現代京都娘らしく、私が絶対に友人に告げないと誓ったことに安心してか、デパートにつとめる若い娘の心理などについてかわるがわる話してくれた。デパートをえらんだ理由は、
「給与がいいし、買いものを安くしてもらえるし、見た目にはらくそうだったから」
一番年下だという入社して一年のひとが言った。
ところが入ってみると、決してらくな職場ではなかった。
重い品ものも運ばなければならないし、接客業なので、お客さんがどんな無理を言ってもおこったり反抗することができない。
新人教育も一週間の講義がすむと、すぐ売場での実践教育で、半年のうちに一人前に仕立てようとする。これが現金を扱う仕事なので、少しでも勘定が合わなくては困る。
職場に入っての年月で、先輩後輩ができているけれど、女の多い職場なので、絶えずうわさ話に気をつけていなければならない。
怠けていれば非難され、ちょっと言葉づかいが乱暴だったと言って先輩に注意される。
「でも一番辛いのは、お客さんに無理なことを言われたときじゃないかしら」
「そうやねえ、酔った男のひとなんかにからまれたり」
「うちは横ビンタくったことがあるねん。男のお客さんに」
へえっとほかの二人がおどろいた。
「なんで?」
「それが何だかわからへんのやわ。うちの|眼《がん》つきが気にいらんとかなんとか。ほら、よく眼をつけるとかいうでしょう。うちはちょっと近眼なんよ。そのときコンタクトしていなかったから、少しは眼つきがおかしかったのかもしれへん」
それにしても眼つきが悪い位でひっぱたかれることもあるのだから大変だ。
お客の中にはあれこれあれこれえらんでなかなかきめられず、次々にいろいろの品ものを出して見せて気にいらずやっと一つにきめて、やれやれと安心して、品ものをつつんで、レシートとお釣りをもってくると、もう気が変っていて、又、あっちにしてくれ、こっちにしてくれといじりだし、さいごには、やめてしまうのがいる。
「それに万引きしはるひともあるし」
「小さな子供さんが汚い手で、高価なネクタイをスーッと引き抜いてしらん顔というのもあるし」
「ちょっと負けてくれへんかというお客さんも困るわ」
そこにいる三人のうち、経験一年のひとのほかに、八年のベテランが一人。三年が一人。みな新人時代はよく泣いたという。
「どこで泣くんですか」
ヤボな質問をすると、三人ともクスクスわらい出して一せいに答えた。
「トイレ」
毎日一人や二人はトイレヘ駆けこみ、洗面台で顔を洗って赤くなった眼をしきりにこすっているものがいるという。しかし、他の職場にくらべて、いいこともたくさんあると口々に言った。
「女にとっては魅力ある職場だと思います。絶えず流行の先端を知ることができますし」
「品ものに対して眼がこえて来て、趣味のいいもの悪いものがすぐわかるようになります」
何といっても若い娘にとって、結婚の支度を安く揃えられることは一番の魅力ではないのだろうか。
「社長さんの|甥御《おいご》さんのお嫁さんのように、何千万円もかけるなんてことはできませんけれど」
京都あたりでは、新婦の支度を並べて見せる習慣があるので、やっぱり、あんまり見すぼらしくないようにとつい気張ってしまう。
とどけられた着物は、目録通りに揃っているかどうか、一々点検される。
「いつか隣のうちに来はった娘さんは、ハンケチ三枚、足袋二足不足や言われて、あわててとんで来やはった。デパートで買うて来ておくれやす、いうて」
「そこの姑さんが見るのはまあまあがまんするけど、近所のおひとまで、引き出しあけたりしめたりしはるのはいややなあ」
「万引きしはるおひともあるかもしれへんよ」
そこで又三人が声を合わせてわらったが、暗い話である。新婚道具を何だかんだと批判されるなんて。
私はじつはそういう習慣に大反対である。
結婚に際して、一番大事なのは、新郎新婦の間に愛情が育つかどうか、あるいは、二人がすでに愛の心を抱いていて、どんな苦労の中も、二人で押し切ってゆくという覚悟を持つことができるかどうかだと思うけれど、昔からの習慣だからと言って、まるで衣裳道具つきの花嫁の大売り出しみたいなことが行なわれているのは残念なことだと思う。
若いデパート店員の中では職場結婚も多いという。
今年、このひとたちの職場には、男二十人、女八十人が採用された。男と女は一対四。新人たちは、同じフロアに働くことが多い。
|辛《つら》いこともうれしいこともよく理解しあう。入社一カ月でもうカップルが誕生することがある。
又、年に二度の社内旅行では、普段とはちがう解放感が、職場では見られなかった本人の魅力ある面を引き出して、秋の旅行のあとで、年内に結婚という話も起こる。
|馴《な》れない酒――それがビール一ぱいであっても酔って気持ち悪くなって、へやの外に出てすずしい風に吹かれているとき、介抱してくれたなどというのは、よくある話だけれど、昔は女が酒でダウンしたのに、このごろは男がまいってしまって、女に助けられるということがよくある。
しかし結果としては、二人が結ばれ、それぞれの仕合わせを求めて家庭をつくるのだが、花嫁の支度は店の品ものなので、新郎も値段がわかっている。新郎の洋服も店の品もので、勿論二人とも相手の月給は知っている。
「今更、衣裳や道具を並べて見せんかてようわかっているし、職場結婚したひとは、自然と、そんな習慣は破ってゆくように思います」
入社して三年のひとが、うれしいことを言ってくれた。一年のひとは、他の職場に代ろうかどうしようか迷っている。
「一年たっても三年たっても仕事は同じでしょう。もっと変化のある仕事についてみたい」
八年もつとめているひとがそばから言った。
「同期で今もいるのは女で六十人中三十人。男で五十人中二十五人。女は看護婦や保母になったものが多いのです。男のひとも、デパートは客と同僚と両方ともひとが多くて疲れる、いうてもっと地味な場所に移りますね」
しかし何といっても女がやめる理由は、他の職場に移るよりも結婚であることが多い。
この入社して三年のひと、一年のひと、いずれも二十歳から二十二歳で適齢期である。
「あなたはもうきまっているのとちがう? 呉服部のひとと」
と一人が言えば、
「あなたこそ食料品売場の新人と、もうきまっているとか聞きました」
二人は一しきりわらいあって、今年二十六歳になったのだという入社八年の先輩にむいて口々に言った。
「先輩は彼氏はいないんですか?」
「結婚しないんですか?」
先輩とよばれたひとは、ネクタイ売場で、もっとも男のお客との接触が多い。
この八年間に何人ものひとに恋ぶみをもらったり、外であってほしいと電話かけられたり、息子の嫁にどうかと老婦人から声をかけられたりしたという。
しかしそんなゆきずりのどんな誘いにものらなかった。
「デパートにいると品ものに眼が肥えるだけでなく、人間に対しても観察がゆきとどいてしまうんですね。眼が肥えるというのでしょうか。めったなひとの誘いにのって、失敗したら恥をかくという抑制が先に来てしまいます」
息子の嫁にほしいなどと言う言葉にうっかり本気になって、どうぞどうぞなどと言ってしまい、いざとなると、その老婦人は、京都の町の中にある幾つものデパートの、何人かの店員に同じ声をかけ、候補者の中から一人をえらぶなどということをやりかねない。えらばれそこなって、職場のひとたちにそんな事情が伝わったら、何と言われるかわからない。ものほしげに、見知らぬひとからの縁談にとびついて、結局は振られてしまったら困るなどなど――。
女の多い職場の特徴で、ひとのうわさはすぐひろまり、話に尾ひれがついて、一階の階段でころんだという話が、その一時間後には七階の売場までとどいていて、両足を骨折した位のことになっていたり、二、三日風邪で休むと、じつは子供を中絶したのだなどのうわさになる。
今、この八年のひとは、係長の下のアシスタント・マネジャーになっている。月給も多い。十分とはいえないが、親許をはなれて自活できるものはある。うっかり軽率な恋愛をしたり、よく調べてみないと縁談にものれないと思っている。
しかし、来年は二十七歳。うっかりしていると、すぐ三十歳になって、そのとき見合結婚の条件としては年齢的に不利で、再婚の相手ぐらいになることも知っている。
年よりはずっと若く見え、さりげない化粧が巧みで、洋服のセンスも抜群によい。
言葉づかいも丁ねいで、態度もしとやか、いつでも立派な花嫁になれる資格は十分である。
この慎重なひとは高校卒業以来一度も恋愛などしなかったのだろうか。
男子社員と一緒の職場でカップルもできやすく、誕生日のおくりものをかわしあったり、退社後は、大阪で待ち合わせて心斎橋筋の喫茶店でデートなどするのはザラにある話。京都駅から電車に乗れば大阪はおろか、神戸須磨明石と、いくらでも若い二人が散歩する場所はある。
あまりたのしくいろいろな話を聞かせてくれたので、さいごにもう二本注文して私だけ帰ろうとすると、若い二人をあとに残して、八年のひとが、私と一緒に近くの|祇王寺《ぎおうじ》までくると言い出した。往復で三十分あまり、それまで若い二人はここでゆっくりと酒をのんでいればいい。
入社八年の先輩は何といっても気づまりなのか、若い二人はその提案に大よろこびで、祇王寺は何度もいったから遠慮する。ここでお待ちしますと、女の子同士向いあって、酒をつぎはじめた。
祇王寺への道でアシスタント・マネジャーのベテラン社員は、私と並んで歩きながら、桜若葉の緑を仰いでぽつりと言った。
「恋びとは持ったことがあります」
その色白の顔に桜の花びらのようなうすい紅味がさして、相手は、アルバイトに来たA大学の学生であったという。同じ職場の男のひとたちは馴れてしまって、新鮮な魅力がなく、いかにも学生学生したさっぱりした青年にひかれ、彼がアルバイトをやめる夏のおわり、八瀬のホテルで二十三歳の処女をあげてしまった。彼は一つ年下であった。
「あげるなんていやな言い方ですけれど」
自嘲するように、そのひとの語尾はわらい声になった。
「そうね。そういう言葉、はやってますね」
処女をうばわれる。
処女をうばう。
まるで泥棒のように、無理矢理の行為のように語られる言葉である。
私は又、別の言葉も知っている。
あのひとに私の処女をもらってほしい。
私の処女をあげたい。
|熨斗《のし》でもつけ、リボンでもかけたいような表現であるけれど、たしかにそういう文章を読まされたことがある。
ある婦人雑誌で募集した読者の手記であった。
もう三十幾つかになっている主婦が、昔の結婚前の恋愛の思い出を書いたのであった。
真実、そのように思い、そのように行動したのだけれど、今は後悔しているという。でもそのときは自分から進んで「もらっていただいたのだからだれをうらみようもない」というのであった。
素直な女らしい文章であったけれど、私はついそのところでわらってしまった。
多分相手のひととの合意の上での行為があって、うばう、うばわれる、あげる、もらってもらうなどというのはいずれもおかしい。
そのひとは言った。
「一方的に私がそう望んだので、彼には迷惑だったかもしれません」
学生である彼は、まだ将来があり、女と深い関係になることは負担だったかもしれないと当分は自己嫌悪におちいったという。
そして、秋になると、彼は大手の企業の東京本社での採用がきまって、実習のために上京し、あうことも途絶えてしまった。すでに二十五歳の彼は東京で結婚している。
追ってゆくつもりははじめからなかった。
「一生に一度の青春の恋は、その一つだけでたくさんという気があります。そろそろ来年あたり見合結婚するつもりですの」
あまり多くのひとにとりまかれて、慎重な心が身について、恋の冒険にとびこめない二十六歳。彼女はさめた眼で縁談をえらび、よりよい条件で結婚することであろう。祇王寺への竹やぶの道を歩きながら、その仕合わせを祈りたかった。
祇王寺をまもる智照尼は、かつての花街で名花とよばれたかたである。
すぐれた美貌に生まれついたことが、女にとって幸福なのか不幸なのか。
その結婚生活も波瀾に富んだものと、いつか直接おあいしてうかがったことがある。
まだ女盛りの日に黒髪を断った。
――人間の男を相手にするよりも、これこそ間違いがないもの、仏を相手にした暮しに入りたいと思いまして。
そのように語られる瞳の冴え冴えと美しかったことを忘れない。
祇王寺は平家物語に書かれた清盛の寵姫、祇王が、仏御前に寵をうばわれたのを悲しんで仏門に入ったことがはじまりである。
妹の祇女も母も一緒に髪を下して、三人の尼が日も夜も仏に仕えた。
ある夕暮れ、庵の戸をたたくものがあって、狐狸のいたずらかと思えば、まだ十代の仏御前なのであった。祇王が現世のはかなさよりも、仏の道のたしかさにあこがれた生活をしていると聞き、人間の栄華を追うよりは、仏の道をとねがって、祇王たちの暮しの中に仲間入りしに来たのである。
平家が壇ノ浦に沈み、源氏が鎌倉に幕府をひらいたうわさをよそに、四人の尼たちの仏への精進はつづけられた。
祇王寺の庭園は苔が美しく、いつも訪れる若いひとたちが絶えないが、ここに来て、何を思い何を考えようとするのだろう。
新しい芽ぶきの美しい、紅葉の林につつまれた祇王寺の茅葺の屋根を仰ぎながら、千年近い月日がたって、人間はどれだけその悩みから救われたろうか、などと思った。
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第八話 とりちがえられた愛
曾野綾子さんの名著、『誰のために愛するか』という題をはじめて新聞の広告で見たとき、ああ、いいことをおっしゃると思った。
誰のために愛するか。
まことに、誰のために愛するという言葉がつかえるのだろうか。
自分の好意をよせた娘が、自分の方をふりむいてくれない。
かつては、自分と一緒に公園を歩いてくれたこともあった。
しかし、もう、一緒に肩を並べて歩くのはいや、顔を見るのもいや、電話も手紙もよこさないでほしいなどという。
この長い年月、自分はほかに女友達もなく、ひたすらに彼女一人を思っていたのに、彼女の方では、自分以外の男友達ができて婚約したというのだ。
ああ、この|辛《つら》さにどうして耐えられよう。彼女が、自分以外の他人のものになるなんて――。
いっそ眼の前から消えてしまってほしい。殺すより他はない。そして殺す。
こんな事件はよくあることで、この場合は、男が女を殺すのだけれど、女が男を殺す場合もある。
――許してくれ。
――許して下さい。
おそらく殺人者は、そうつぶやいて、愛する相手を刃で突き刺したり、相手に硫酸を浴びせたりしたと思うけれど、いくら許してほしいといっても許されるものではない。
相手の仕合わせを願うならば、相手が自分以外のものと婚約したのをよろこんであげなければと思う。
どんなに辛くても、それが人間の愛というものである。自分がことわられたから、相手を殺すというのは、ゴリラかヒグマが、自分の言うことを聞かない相手をなぐり殺すようなものだ。
いつか新聞紙上に報じられた、東京の一流大学卒業の秀才の起こした事件は、私をがっかりさせてしまった。
頭がいいということと、その人間が出来ている、いないは全然別のことである。学問をするということと教養があるということも別である。
人間が教養を身につけるということは、いかに人間らしくなるかということ。
ひとを愛すれば、どういう風に相手を仕合わせにしたらよいかを考えること。
愛とも言えない所有欲ばかりが横行しているのは情けない。
徳川時代を舞台にした近松門左衛門作るところの心中ものがたりなど、私は一つも恋だの、愛だのの物語ではないと思っている。愛していたら、そのひとが好きであったら、そして、それが相手の仕合わせにならないのであったら、自分の思いをあきらめる。身を引く。それが本当の愛ではないだろうか。
ちょうど、秀才の女性殺しがあった頃、殺された不幸な若いお嬢さんのことを思って、心を暗くしていたある日、陽気なわらい声をたてて、わが家の応接間にあらわれたひとがいる。
知人の紹介で、自分の話を聞いてくれないかと訪ねて来たのである。
その前に私は知人に言った。
「いそがしいので、あんまりむずかしい話を持ちこまれたりしたら血圧が上がりそう」
知人はわらって、
「そんなむずかしいことじゃないようよ。自分の愛情生活について、あなたに相談したいらしいの」
と言い、私は、臆病になって、またも言った。
「御かんべんねがいたいわ。他人の愛情の世界のことなど、そう簡単にはわかりませんもの。それに、ひとに自分の意見を聞いてもらうような自信もないし」
しかし、とにかくあって、どうしても聞いてやってくれと言うことで、彼女の訪問となった。
四歳の女の子をつれて来ていて、その子には外でお庭でも見ていなさいと玄関を入るなり言い、女の子はよくしつけられているらしく、こっくりして庭にまわった。
ストライプの長袖のシャツブラウスに、細かくひだをとったベージュのギャザースカート。二連の金のネックレスをしていて、なかなか知的な趣味を感じさせる若奥さんである。二十八歳だという。結婚は二十三歳のとき。
「大丈夫ですか? お子様を外においたままで」
私が心配すると明るくわらって、
「いつも留守番して、隣の子供さんなんかと遊んでいますの。それに子供が聞いても仕様がない話ですから」
紅茶をすすめると、私の時間の少いのを気にしていて、すぐに語りはじめたのは、彼女の夫との生活である。
外は庭木の緑が茂っているけれど、急に部屋の中がむしあつくなった。
「叱られるかもしれませんけれど、私、いま、四角関係でうっとうしくて」
「まあ四角関係?」
うっとうしいと言いながら、あまり、困ってもいないような顔つきで、むしろ、たのしそうに説明し出した話に私はびっくりした。
三角関係とはよく聞くけれど、四角だの、五角だのはあまり聞いたことがない。
彼女は――以下Aさんという――大阪と神戸の間にある女子短大の卒業生。
父は鉄鋼会社を経営し、夫は、ゆくゆくは社長とうわさされている。
親族集まっての合資会社で、夫――以下Bさんとよぶ――は遠縁に当る。
「子供の時からよく知りあっていたせいか、あまり恋愛的な感情で眺めたことはないんです」
Bさんは同い年で、関西の大学の法科を出ているが、おとなしくやさしく、まさに社長の娘婿にふさわしい人柄である。
父の片腕であり、東京支社を任され、仕事のためには夜もおそくなることが多い。
女の子一人を相手にさびしい彼女は、夫の大学時代の友人を家によんで、麻雀したり、子供をねつかせておいて、一緒に飲みにゆくこともある。
子供が起きるといけないので、前もって、夫が何時ごろ帰宅するか聞いておき、帰る時間の三十分前位に出てゆくようにしているという。
「まあ、小さなお子さん一人を留守番にして、もし火事にでもなったらどうします?」
私が心配すると、Aさんはまたまたたのしそうにわらった。
「それがうまくできていて、夫は私がでかけるとわかると、必ず、すぐ帰って来てくれるので、大ていの場合、うちをからっぽにすることはないんです」
何といういい夫だろう。妻が何人かの男友達をしたがえて飲みにゆくのを、いってらっしゃいとばかり、手を振って見送ってくれる。
勿論、お茶漬けも自分でつくり、お茶も自分でいれてのむのである。
徳川時代以来、男は外、女は内と、節分の豆まきの「鬼は外、福は内」のような言葉が定着していて、今なお男は一歩たりとも台所に入らないという考えのひとが多いらしいのに、これは珍しい夫である。
いそいそと家事をやり育児を手つだって一つも屈託がない。
子供をねかしつけ、まだ小さい時はおむつも替えてくれた。
子供ができてからは、Aさんの家で、手伝いの若い娘を一人おいた方がよい、費用は出すからといったのに、夫はことわってしまった。
自分でできるだけ手つだうからといって。
狭いマンションの中に他人を入れるのは、気をつかうからいやだとも言った。
「私にして見れば、手伝いをおきたくて仕様がないのに、夫が勝手にことわるんですもの、夫が家事をするのは当り前です」
Aさんはほがらかに言い、ずいぶんぜいたくな奥さんだなあと思った。
世の中のすべては、自分の思うようになると思っているらしい。
夫への感謝など、あまり思わないらしい。
さて、こういう、妻のため、子供のためという夫は、Aさんにとって、あまりおもしろくないらしいので、困ったことになった。
夫の高校時代の友人で、東京の大学を卒業し、東京の商社につとめるCさんと、深い関係におちてしまった。
きっかけは、AさんもCさんも車が好きであったということ。
Cさんの買った新車を見るために、大船のCさんの家にいった。
Cさんはまだ独身で、両親と一緒に暮し、成績優秀の学生であったように、いまは品行方正な商社マンで、まだ女の経験がないという。
ドライブインでの食事を共にしたあとで、
「僕は女と接吻したこともない」
と言われ、Aさんの口からするりと次の言葉がでた。
「あら、それじゃあ、あたしが教えてあげるわ」
それまでは、ただの、麻雀友達にすぎなかったCさんが、急に生ぐさい男の体臭をぷんぷんと匂わせているように見えた。
接吻を教えてあげると言われて、忽ち、まぶたから耳たぶまで真赤になってうつむいていたCさんが、夫と同じ年なのに、十歳も年下の高校生位に見えた。初々しかった。その場で、抱きよせて、その唇を吸ってやりたいほどだった。
三月たって、すでにAさんとCさんは、恋びと同士の関係にあった。
二人が利用したのは、横浜のホテルである。ここなら、東京とちがって、知っているものにあうという心配もなかった。
夫のBさんも童貞だったが、Cさんも童貞であった。
CさんにすればAさんは友人の妻である。しかし、自分にはじめて女体の秘密を教えてくれたひとでもあった。
Aさんが、夫と夜の床を一つにしながらも、Cさんのことが忘れられないように、Cさんも、両親の許にあって、夜ともなれば、Aさんの豊かな肢体が恋しくてならなかったのであろう。
麻雀にかこつけてAさんの家にやって来て、他の仲間が帰っても、自分はどこでもいいからなどといって、玄関につづく、三畳の小部屋に泊りこんでいったりした。
夫とCさんと、二人の男が狭いマンションの中にねている。
夫は勿論、一つベッドの中にねているのだけれど、夫が寝息をたてはじめると、Aさんは、Cさんのところにしのんでいきたくなる。
トイレにたつふりをして、そっとCさんのいる部屋のドアのとってに手をかけたことがある。そのとき急に夫のせき払いが聞えたような気がして、あわててもとにもどった。幾たびかそんなことがつづいたある日、夫の留守を見はからって、Cさんから電話がかかり、どうしても今日じゅうにあってくれなどとダダをこねるように言った。
「今日は夫の帰りが早いからだめ」
「では昼休みのほんの一とき。会社のそばにいいホテルがあるんだ。きっときて下さい」
一たん知った女のからだを恋いこがれる青年の声は、Aさんの胸にも情熱の灯をともして、マンションからそのホテルまで一時間。お昼の一時間をあわただしく抱きあって帰って来た。一度成功すると二度三度とつづけるようになった。
その間、子供は友人の家に、歯医者へゆくとか、デパートにゆくからとあずけた。
月に二度三度ときめてあうようになったが、だれにも気づかれないようであった。
Aさんというひとは、いつも新しい刺激を求めるひとらしい。
Cさんとの秘密を、二人だけで持つということが耐えられず、麻雀しているさいちゅうに、Cさんを眼の前にして、自分から口走ったことがある。
「私はこのひととねたくて仕様がないの」
Cさんは固くなって沈黙し、友人たちはわらった。
「そんなばかなことができるものか」
「どうしてバカなの?」
「それがバカでなくて何をバカというんですか」
むきになって言うものがあると、火をつけられたようにからだが熱くなった。その場で抱いて見せたくなった。
夫にも言った。
「あたし、Cさんが好きで好きで仕様がないの。どうしたらいい?」
夫は相かわらず微笑するだけであった。
「ねえあなた、どうする? あたしがCさんと結婚したら」
夫は微笑を絶やさずに言った。
「バカなことを言ってないで早くねなさい」
そしてまたこうも言った。
「あなたはひとに誤解されるようなことを口走るくせがある。子供もだんだん大きくなることだ。気をつけた方がいいね」
Cさんもうなずき、助けてくれといわんばかりの眼を投げかけて来た。Cさんは何という意気地なしだろうと思い、夫はまた、なんて自信たっぷりだろう。Aさんは夫の顔を見ると胸がむかむかした。
(このひとは、私が、自分以外の男なんかに眼もくれないと思っているんだわ)
その自信のハナをへし折ってやりたくて、ある日、子供をつれてCさんの退社時間に、会社を訪問した。
「びっくりするな。何ですか。急に」
おどろくCさんをタクシーにのせ、子供は|膝《ひざ》にかかえて、品川のホテルにいった。
子供はひろいロビーの中をよろこんで歩きまわっている。
その姿を眼で追いながらCさんの耳にささやいた。
「あなたと結婚したいの。いつか、夫も子供も捨てて来いと言ったことがあるでしょう。子供は捨てられないわ。子供と私は一緒に考えてちょうだい。そして一つ家に住むようにしましょう」
Aさんにして見れば、いつもホテルで束の間のデートに示すCさんの情熱を、家庭生活を共にすることで、一そう深く大きく味わいたいつもりであった。
Cさんはいつも彼女を抱きしめて、Bさんという夫が憎い、こんなにすばらしいひとを独占してと嘆いていた。
いま、Aさんが自分から夫と別れて、Cさんの許に走るといえば、大手をひろげて歓迎し、よろこんでくれるはずだと思った。
「ねえ、あなたの御両親とも、うまく調子を合わせてゆけると思うわ。子供はあなたにもなついているし、万事うまくゆくんじゃない?」
しかしCさんはしばらくはだまっていて、やがて重々しい口調で言った。
「僕は、あなたの家庭を破壊させてまで、自分の好きなひとと暮すということは考えられないな」
「では今まで言っていたことは、みんなうそだったの?」
「うそではないさ。そのときそのときにとって真実だった。でも今、あなたから結婚を迫られればことわるしかないよ。それに両親だって、息子が他人の奥さんをうばって来たなんていったらおどろいて卒倒すると思うし」
子供が一人遊びにあきて、走りよって来て、Cさんの膝にもたれようとした。Cさんは|邪慳《じやけん》につき放した。
「何といってもこの子の父親はBさんきりいないんだ。今までの交際は、今日で終りにしよう」
Cさんはたち上がった。
Aさんは、Cさんの正体を今こそ見たと思った。口惜しい。AさんがBさんの奥さんだから、まるで空巣ねらいのように、その相手をしてよろこんでいたのだった。口惜しい。その口惜しさをどうやってなだめたらよいか。
それから半年、いまAさんは、Dという青年とつきあっている。
Cさんの会社の同僚で、やはり同い年、同じように車好きである。
Cさんへのツラアテのような気持ちで、Dさんをホテルにつれてゆき、これも女の経験ははじめてだというひとに女体をひらいた。Dさんにあったあとは、必ず電話でCさんに報告した。Cさんの嫉妬心をかきたてたかった。
「あなたのおかげで、Dさんというひとを知ることができたの。感謝してます」
Cさんはいつも電話口で苦笑して言った。
「いいかげんにしたらどうですか」
去年のクリスマス。新橋のホテルでクリスマスパーティをやり、メンバーはCさん、Dさんを入れて男は四人。女はAさんの妹、その友人など。
夫のBさんがおくれてやって来た頃、Aさんは、CさんとDさんにもたれて酒をしたたかに飲んでいた。
「大丈夫かい」
Bさんは心配した。CさんとDさんにお礼も言った。
「面倒かけてすまなかった」
Bさんがくると、Cさんは帰っていった。そのひとの妻をぬすんだ男として、顔をつきあわすのが恥ずかしかったのではないだろうか。
Cさんが帰ると、Aさんは夫の眼の前でDさんに甘えて見せ、妹からたしなめられた。
「お姉さま。クリスマスはキリストの誕生を祝う晩なのよ。あんまり羽目を外したらみっともないわ」
しかし、夫が何も言わないのをいいことに、Dさんとの交際は深まる一方で、子供をつれて、箱根に、十和田湖にドライブにゆき、夫には、Dさん以外の仲間も一緒だと言っていた。
いつか子供が、AさんとDさん以外にだれもいなかったことを言い出してあわてたこともあったけれど――。
Dさんとは、Cさんへの復讐の思いもあってつきあい出したのだけれど、いつか、CさんよりもDさんの方が好きになっていった。
Dさんに縁談が起こったと聞いたとき、Dさんの家にいって、そのお母さんに二人の間柄を話した。できれば夫とわかれてDさんと一緒になりたかった。
五十歳はこえたらしいお母さんは、まっ青な顔をして、さえぎった。
「とんでもないことでございますよ。うちの息子は初婚ですもの。初婚のお嬢さんと結婚させます。それに、今うかがえば、よその奥さんとそんな火遊びのような恋愛遊戯をしているんですね。では、当分、縁談などない事にしましょう。せっかく結婚しても、相手の方を仕合わせにできませんわ。そして、あなたは一日も早く息子のそばからはなれて下さいまし。立派な旦那様がいらっしゃるのに、あなたもおそろしい女のひとですこと。もし息子からはなれて下さらなければ、私の方から旦那様の方にお話しに上がります」
人生経験もゆたかな年長のひとの言うことは、筋道が立っていて、理路整然とし、Aさんのことを不倫の女とまでよんで、悪魔の化身を眺めるような眼つきで軽蔑した。
「あなたはそんなだらしないことで、自分の娘さんをどう教育するおつもりですの?」
女同士で、もしかすると、自分の立場に同情してくれるかもしれないと思った、甘い考えは吹っ飛び、どうぞ夫にだけは言わないで下さい、Dさんとはもうつきあいませんと誓って、その家を辞した。
しかし、夫に知られる機会は、そのあとすぐに来た。
お母さんへの復讐から、夫が関西に出張した留守にDさんをよび、二人ではだかで抱きあっているところを、予定より一日早く帰京した夫に見られてしまったのである。
「しつれいですが、奥さんとこんなことになったのは僕だけではありません」
ひらきなおったDさんの口からCさんのことも洩れてしまった。
Cさんも夫によびつけられ、夫は二人を前に離婚すると宣言した。
「僕のためではなくて、その方が、あなたも仕合わせでしょう」
夫からそのようにはっきり言われてあわてた。
夫と二人の男の前で泣いた。
夫は二人の男のどちらにでも、妻をやると言ったが、二人とも返事をしなかった。
結局、家庭裁判所に話がゆき、CさんもDさんも夫に慰藉料を払うことでけりがついた。
夫は子供さえなければ、本当に離婚するつもりでいたらしい。
自分がマジメ一方の人間なので、妻の不貞は許せなかったのであろう。しかし、妻がCともDともつきあわないということがわかると、前のやさしさにもどって来た。
深い関係に立ち至らないならば、CやDをよんで一緒に麻雀をしてもよいようなことも言い出したりする。
妻が飲みにゆくといえば、相かわらず子供は自分が見ててあげるからなどという。
人間としてじつによくできた男と思う。そう思う一方で、CやDとの火遊び的な情熱を燃やした瞬間が忘れられないでいる。
長い長い話が終って、私は思わず溜息をついた。
じつは私はこういう女が一番苦手なのだ。不潔で不潔でやりきれない。風呂場へつれていって、シャワーを浴びせて、からだじゅうをカメノコタワシで洗いきよめてやりたくなった。
「それで? 私にどういうことを相談したいとお思いなのでしょうか」
「いえ、聞いていただいただけでもありがたいのですけど。お互いの家庭を破壊しないで、恋愛だけをたのしむというような相手を御存じでいらっしゃったら」
「私にあなたの浮気の相手を見つけなさいとおっしゃるわけ?」
思わず声が高くなった。ふざけるなとどなりたくなった。しかし、彼女はそれには答えず、ハンドバッグから白麻のハンケチを出すと、つと眼にあてた。
「私は夫一人ではとても満足できないんです。いつもゆめを見ていたいんです。そういう自分をどうしようもないんです」
涙まじりに訴えるように言い、そのほっそりした肩つきや、胸だけはゆたかにゆれるのを見ながら、私は更にまた深い吐息をついた。
とても、自分のような単純な人間にはどうしてあげたらよいかわからない。しかし彼女が愛を求めるよりは、女体の満足を追っていることはたしかであり、それは産婦人科の医者にいって相談すれば一番よい、不感症という体質のせいではないかと思われた。
医者に相談しなくても夫のBさんに話してもよい。Bさんは奥さんのお父さんの会社をゆずられるという大任のために緊張して、少し夜の生活がおろそかになっているのかもしれないと思ったりもした。
「ママ」
応接間の窓をたたいて、お嬢さんがよんでいる。
その小さな両手に椿の花を三つも四つもつつみこんでいる。わが家の庭にはヤブツバキが何本もある。白玉椿もワビスケもあって、赤やうす紅や白の花が地面に散りしいて美しい。
母親がその夫では満たされぬと、あきれるばかりの乱行の数々を語っているとき、その娘は、一生けんめい落ちた椿の花をさがし、その一番きれいなのを集めて母親に見せようというのである。
――可哀想な子。
ふと胸をつかれた。可哀想だった。この子は母親の乱行を知っている。知っていて子供なりの判断で、母をまもってあげるつもりになっている。この子の眼がそれを語っている。
母が長々と、その乱行物語を展開しているとき、娘は一度も邪魔しに来なかった。よびかけもしなかった。母の話がもう終ったことを知って、外から声をかけてきたのである。
この子にくらべてこの母はまあなんてひどい女か。
私の気持ちがAさんの胸につたわったのではないだろうか。
「ごめんなさい。待たせて。もう帰るわ」
Aさんは私に会釈すると、ハンドバッグをテーブルの上に残したまま、玄関にむかって小走りに走っていった。
――Aさんにもっと用を与えたら、あちらこちらの男と遊んでまわるひまはなくなるにちがいない。
その時はもうすでに来ているように見えた。四歳の子供はすぐ五歳。六歳になれば学校にゆく。いそがしくなる。
この母親は案外にいいお母さんになって、子供の学校のことに熱中するのではないかしら。たとえばPTAの幹事になったりして。
庭で子供と一緒に椿の花をひろっているAさんのうしろ姿を見ながら、そうも思った。
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第九話 恋をした女
女は恋をしている時、一番美しいと言う。
その日、私は一人の若い女のひとの訪問を受けた。
高校を出てすぐ、ある官庁の外郭団体につとめ、経理の担当をして八年目という。
もう六、七年前に、彼女の職場の広報紙への執筆を依頼するため、わが家に来たことがある。
用談がすむと、矢つぎ早に、こんな質問をぶつけて来たので心に残っていた。
「結婚して後悔したことはありませんか。結婚などしなければ、もっといろいろなことができたのにと思われたことはありませんか。たとえ結婚しても、子供を生まなかったら、もっと自分を充実させることができたとは思いませんか」
いささか初対面の相手にはぶしつけな質問である。
何にもわかっちゃいないんだなとわらいとばすこともできたけれど、そのひたむきな調子には、まだ一度も恋愛などしたことのない少女が、一生けんめいに、人生の先輩に、結婚と女の生き方をさぐってみたいという|真摯《しんし》さがにじみ出ていた。
「いまにあなたに具体的な結婚問題が起こったとき、あるいはあなたが恋をしたとき、あなた自身で、その答えを出した方がよいと思うけれど」
と言いながらも私は、自分が結婚してよかったと思っていること、子供こそ自分に女としてのよろこびを与えてくれる最上のものと語った。
そして今、彼女は、仕事の用ではなく、自分が直面している恋愛や結婚について、私の考えを聞きに来たのであった。
ゆるやかにウエーブした髪を衿元で束ねて、濃い茶のリボンで結び、これも濃い茶のうす手の生地のワンピースに、白いカーディガンを羽織った姿には、ふと、人妻かと思われるようないろ気さえたたえている。しかし指には結婚指輪もなく、姓も昔のままである。
このひとは恋をしているのだとひらめくように思ったのは、その眼が生き生きとかがやいて美しかったからである。
恋をしているひとの眼は美しい。いのちが燃えさかっているから。
七、八年という月日は、娘が妻になり、母になるには十分の年月である。
もしかして彼女は結婚しているのではないか。それにしても化粧っ気一つない顔で、からだ全体の線はまだ高校生のような固さを残している。私が想像をたくましくしているのは眼のいろだけ、眼に何か熱い火が燃えているようだからというだけである。
その|焔《ほのお》は自分のいのちを、相手のためにつかいつくしたいというあこがれに満ちている。
ひとは、自分のためにだけ生きるのではなくて、だれかのために、惜しみなく自分をつかいたいと思っているとき、人間らしい美しさにかがやくと思うのだけれど、特に恋の場合は、相手のいのちをも自分のいのちに加えたいと願い、相手の焔を自分の焔の中に移したいと激しくのぞんでいるせいか、そのかがやきが二倍にも三倍にも強くかがやき出るようである。
彼女は、私から、問うまでもなく、じつはと語り出した。
「いま、私には恋人があります。でも、彼と現在の関係をつづけてゆくのがよいかどうか、御意見があったら教えて下さい。よい悪いではなくて、たとえ、別れた方がよいと言われても別れられない、それが現実なのですけれど」
恋びとというのはどういう間柄をさすのか、私は頑固な人間で、結婚するまでは、つまり、確実な契約が結ばれないうちは、たとえ婚約しても、深い関係を持たない方がよいと思っている。
これは娘の頃から、三人の子の母となった今日までずっと変らない。
からだの快楽だけを十分に味わって、できた子供は生まずに中絶する。生んでも殺して捨てるなどというのは人間として恥ずかしい、けものにも劣ると思っている。
それにしても、高校を出たばかりの彼女は、うっかり結婚などをすると女は不幸になる。結婚しても子供によって、自分の時間をうばわれるのはいやだと言っていた。まだ自分だけがかわいくて、自分の中にどんな異性でも足を踏みこませないような幼さで気負いこんでいた。
どんな青年が、たとえ、ひとから別れることをすすめられても、別れられないと言い切るほどに、彼女の心をとらえたのだろう。
一流校への進学率の高い公立高校を優秀な成績で卒業、両親が晩婚で、彼女が生まれたときは父が四十歳、母が三十歳であった。父が会社を定年退職して、まだ次の職場が見つからないうちに、彼女は高校の卒業を迎えなければならなかった。大学へゆくよりは、早く社会に出て働き、ある程度の貯金ができたら、大学の夜間部へ通おう。
親の|脛《すね》をかじりたいだけかじって、大学生活を十分にたのしもうなどという若ものたちとはちがって、あくまでも健気で自立精神に富んだ彼女は、小づかいもできるだけ節約して、毎月の貯金高のふえるのをたのしみにし、わずかながら、両親に毎月の小づかいまで出すようなやさしい娘であった。
今どき珍しいような、質素な、地味な彼女の前に去年の秋、突然、一人の青年があらわれた。
会社の帰りに、図書館から借り出した本を、国電の網棚に忘れ、その中にクラス会の通知の葉書をはさんでおいたことから、ある日、見知らぬ人からの葉書をもらった。
あってわたすという。何しろ、大事な本である。指定された喫茶店にゆき、自分より三つ年下の、大学を出たばかりの青年に、丁重に礼をのべ、コーヒーにケーキもはずんでおごった。
青年は大学の文学部を出て、ある広告会社につとめ、作家志望であるという。
「作家?」
「ええ小説を書いているんです」
私はその一言で何か不安になった。小説を書いている若いひとというのをたくさん知って来た。二十代の昔から数えるともう何十人といる。しかしその中で、小説家として世に出ているひとはほんの一人か二人である。東京の町の中だけでも、小説家志願者は大変な数にちがいない。しかも小説を書いているということで、私の知ったひとの中には、家庭生活をこわしてしまったひとも多い。離婚したり、三角関係をおこして家庭がもめたり、いわゆる普通のひととはちがう行動に走るものが少くない。しかし、それらのひとに共通しているのは、正直ものが多いことであった。正直だから、気にそまない結婚生活はつづけられなくなったのであろう。純粋といってもよかった。
彼女もまたその青年にそのような美点を見つけていた。そして、職場の几帳面な、ハンで押したような、きまった挨拶のやりとりに終始している男たちを見馴れた眼には、感受性のみずみずしさを思わせるような物の言い方が新鮮であった。
それ以上に、その長目の髪や、女のように細くしなやかな指や、まだ高校生かとさえ思われる表情のあどけなさに、ふと、胸のうずくような魅力を感じた。
二十五歳のその日まで、職場で唯一人の男にも惹かれたことがなかった。
と言って、毎年入ってくる女子の新人の|撥溂《はつらつ》とした若さを眼の前にする度に、自分の上に娘の花盛りの日々が空しく過ぎてゆくことを思い、職場での自分の場所の狭められてゆくのを感じて、言い知れぬあせりが、ふつふつと沸き上がるのをおぼえたりする。そうした自分の不安を自分で抑えつけようとして、日本女性史を中心にした勉強にはげもうとする彼女の姿は、職場では、変りものとして敬遠されるようになってさえいた。
はじめて青年とあった日、国電の駅まで送って来てくれて、「じゃあ」と手を出された時、この手をどう扱っていいのか、握手するのか、握手することは何を意味するのか、などと一瞬のためらいが走った。
しかし、彼女のためらいなどには無頓着に、青年はその柔らかいたなごころの中に、彼女の手をしっかりととらえてしまった。力をこめて握ると、微笑して、「又あってくれますね?」とおだやかに問いかけて来た時、引きこまれるように微笑を返し、うなずいていた。
母が適齢期を心配して、今までに何人か見合したことがあった。しかし、いつもこちらから気が進まないからとことわってもらっていた。
そして、三日たって、職場に彼からの電話を受けた時は、その夕方、ビアガーデンであうことを承諾し、はじめてビールもコップに二はい飲んだ。
青年は、自分と同じ大学の英文科を出た娘たちのほとんどが、文学的な教養を、ほんのアクセサリーのようにしか考えていないのにくらべ、彼女こそ、実際の生活の中から経験をふまえて、女の歴史をまとめあげようとしているのだとほめ、自分に手伝うことがあれば、できるだけのことはすると熱っぽい口調で語り、その説得力に圧倒された。
三つ年下とは到底思えず、彼の言葉のままに生きていったら、自分の人生はどんなにすばらしいものになるだろうかと、からだ中が熱くなった。
駅で別れる時、彼女の方から握手を求め、彼女の方から強く握っていた。その手を自分の胸にひきよせると、彼は駅前の雑踏の人の流れにつったったまま、おごそかな声になって言った。
「結婚を前提につきあってくれませんか」
彼女ははじめて手を握られた時と同じように、彼の言葉のままにうなずいていた。
その年の暮れ、二人で銀座を歩き、帰りに四谷の国電の上の土手を歩いて、美しい夜の灯のまたたきを見つめながら、わけもなく涙がこぼれそうになり、自分はこのひとに恋をしていると思った。
何度かあって話すうちに、彼が彼女よりはずっと安い月給で、それも本代と酒代に消え、学生服をつくる町工場の経営者の両親はかなり金にきびしく、彼はいつも余分な小づかいをもらえないでピイピイしていることを知った。
口では革新的な政治を支持し、人間の平等について、東西の思想家達の意見を鮮やかに解説して見せたりする彼が、じつは、生活面では、口ばしの黄色い、ヒヨコ坊やであることもわかって来た。お金がないのに、相当のおシャレなこともわかった。
しかし、職場で、堅実そのものの公務員的な男のひとたちだけを見て来た彼女は、この何となくあぶなっかしい、ハラハラさせられる若者がいとしかった。
じつは彼にあう度の飲食代はいつも彼女が支払い、今までにも、ネクタイ、マフラーと買ってあげていて、その度に彼は、子供のようにおどりあがらんばかりのよろこびの表情を見せるのであった。
交際をはじめて二カ月たらずのうちに彼女の貯金は眼に見えて減っていった。
結婚を前提にしての交際でありたいなどと一番はじめに言い出したのは、よくある結婚詐欺の手で、女はその一言ですっかり男を許してしまうとは、週刊誌などでいやというほど読んだ。
結婚したいなどと言いながら、まだ一度も、彼の両親に紹介しようとはしない。
結婚には適齢期などがあるとは思いたくない。自分はこれから夜間大学で勉強するのだ、まだ結婚は早いと思いながら、クラス会で、もう子供の一人や二人はいる友人の仕合わせそうな顔を見ると、自分は人生に負けたような気がしたりする。
たとえ年が下でも、もし彼が結婚してくれるなら、自分は決して年上ということに負担を感じさせない、よい妻になる自信があった。
女が老けるのは、現状で満足して、家庭生活の温室的雰囲気にどっぷりとつかって、ただ、夫と子供だけを生甲斐にするからである。自分は結婚しても勉強をつづけてゆきたい。五年かかっても十年かかってもよいから、職場での経験を生かして日本女性史を書いてみたい。
ある高名な日本女性史の著者は、年下の夫の献身的な協力で、その大作を完成させたとか。
まさしく彼こそ、自分にとっての協力者ではないのか。
彼のために減ってゆく貯金など一つも惜しくない。それより今、彼が自分との交際を断って離れてゆく方がずっとおそろしい。
そんな思いでいた彼女は、土手の道をゆきつもどりつ、何回か歩いた彼が、つとたちどまり、いきなり抱きよせて、「君がほしい」と唇を近づけて来たとき、一たんは突き放しながら、もう一度肩を抱きすくめられると、何の抵抗もなく口を与えていた。
土手を下りて、タクシーに乗りこむと、自分の部屋に彼を誘った。旅館やラブホテルとよばれるような不潔な場所で、彼とのはじめての夜を迎えたくなかった。
定年退職者がよくやるアパート経営を父もやっていて、その一室に彼女は住み、出入りにも両親とは別であったので、深夜、青年を伴って来た娘の帰宅は、だれにも知られずにすんだ。
書棚にずらりと並んだ女性史関係の本の前で、ああ、これが、女になるということだと思いながら、肉体のかすかな痛みに耐え、彼の情熱的な動作を受け入れ、彼と彼女の結婚式は終った。
翌朝、母屋の両親には、忘年会の帰りの友人を泊めたと言い、男とも女とも言わず、父も母も聞かなかった。あと幾日かで二十六歳になる娘のすべてを信用しているようであった。
結婚の記念だと、彼はあくる日の夜、小さいクマのぬいぐるみをもってあらわれ、友人と飲んだというおでんやのおでんを、ポリエチレンの袋に入れて持って来た。せめてイミテーションの宝石でもよい、結婚指輪を買い、小さなレストランの一隅でもよい、ワインの栓を抜いて乾盃するだけの誠意を、彼の金をつかうことで示してもらいたかった。
しかし彼は来年早々、新しく同人雑誌をつくるのだから、十万円貸してほしいと言い、松の内がすぎると、第一号にのせるのだという小説を彼女の部屋で書きはじめた。
勿論、つとめはちゃんといっていて、朝は一緒にでかけてゆき、帰りも時間を打ち合わせて、新宿や銀座で落ちあい、夕食のための買いものをしてくることもあって、ひとめには新婚の夫婦のようにも見えたであろう。
当然父母の眼に入って、結婚する気かと訊かれ、すぐには返事ができなかった。いざ、結婚の相手として、改めて心に彼を描きなおしてみると、いろいろと物足りない面が浮かび上がってくる。
同人雑誌の仲間と語りあっている彼は、話しっぷりも飲みかたも活気に溢れ、頭の回転の早さ、直感的な物のとらえかたが、群を抜いているようであった。
彼女は無口で内気で、人づきあいの上手な方ではない。今日まで、恋愛一つしないで来たというのも、心に燃えるものをひそませながら、進んで男にむかって、自分を解放させるということができなかったのかもしれない。
自分にないものを持っているというだけでも、彼にどんどん惹かれていったのだけれど、結婚という長い将来のある生活を、彼とつづけるには大きな不安が伴う。
正月早々、彼とゆきつけの喫茶店で語りあっていると、華やかな声がして、うしろから、彼をよぶものがあり、彼は手をあげて迎えた。
大学時代のコーラスグループで一緒だった後輩だという。
彼よりは二つか三つ年下の、いかにも知的な美貌の娘であった。彼女に会釈して、「お姉さま?」と彼に問いかけ、彼は屈託もなく、ガールフレンドだと紹介した。
別に女子学生の意地悪な質問ではなかったはずだけれど、お姉さまという一言が、深く鋭く彼女の胸を突き刺した。
そうだ、彼と結婚すれば、一生、「お姉さま?」という質問を受けなければならないのだ。そしてまた、彼は、年上の彼女に甘えるように、彼女の肉体の上にのしかかり、彼女の貯金帳を食いつくしてゆく。
自分は一体、彼にとって何だろう。
金を惜しみなく与えてくれ、セックスの|捌《は》け口もよろこんで提供してくれる存在にすぎないのだろうか。
自分との結びつきによって、彼は多くのものを得、自分は多くのものを失ったのではないか。
それでいて、彼を、だれにも渡したくない。彼をだれにも奪われたくないという思いは日々に強まるばかりである。
いっそ、もう来てくれるなと言い、自分の方から彼を拒絶したら――そうだ、そうしよう。貯金も三分の一になってしまったけれど、彼との思い出は金に代えられない甘美なものであった。その思い出だけを胸に秘めて、新しい出発をしよう。歴史関係の雑誌で読者の論文を募集している。たとえ落ちてもいい。万葉集を中心とした古代の女性のことを書いてみよう。
彼がおいていった本の中に、ポオル・フォールの訳詩集があった。その中の一つが気に入った。
この娘 娘もたうとう死にました
恋のなやみに死にました
村人は娘をば |地《つち》の中へ埋めました
明け方に 地の中へと
村人は娘をば たつた一人でねせました
着かざつてたつた一人で
村人は帰つて来ました たのしげに
にぎやかに 日とともに
村人は歌ひました たのしげに にぎやかに
「どうせ一度は誰も死ぬ
この娘 娘もたうとう死にました
恋のなやみに死にました」
村人は 畑へと出ていきました
畑へと |日毎《いつも》のやうに
堀口大学の訳したその詩を日記にうつしとった。涙がぽろぽろとこぼれた。この詩だけを形見にして、もう彼とのことはあきらめようと思い、手紙を書いて、会社あてに速達で送った。
その夜彼は来て、緊張に青白んだ顔で言った。
「僕は別れないよ。別れる気などありません」
そしていつも彼女に経済的な負担をかけているのでもう相手にされなくなったのかもしれないが、今度父が相続税を少しでも減らすために、所持の株券、預金などを少しずつ彼の名義に書きかえてくれることになったから、それが実現したら必ず一度に返済する。勿論父には彼女から借りたこともはっきり言うと語った。
三カ月後、からだの異常を知った。おそれていた妊娠がやって来た。避妊しなければいけないといつも思いながら、荒々しい彼の情熱におし流された結果である。
彼への負担をおそれて中絶するつもりになったら、彼は生んだ方がよいと言い、うれしさが半分、新しい悩みに直面する思いが半分であった。同人雑誌への小説を書きあげたあと、三日に一度は彼女の部屋にやって来ていて、両親に顔を合わせることがあっても、改まって、結婚の話を切り出すようすはない。彼の両親にもあう機会をつくらない。
お腹の子供は毎日成長してゆき、母も気づいているようだけれど、真実を知るのがこわいようにだまっている。
彼は相変らず陽気で明るいが、父となるのを重荷に感じているのではないだろうか。
自分の職場のひとにもいつか妊娠がわかるだろう。
彼との生活をつづけるためにも、つとめはやめられない――と言って、彼の反対した中絶をひそかに行なう勇気もない。彼は一体、自分との間に、どんな生活の設計をたてているのだろう。別れたいなどという気配は一つも感じられないのだが。
彼女は親にもだれにも、彼自身にも話せなかった胸のうちを語りつくしたせいか、明るい眼差しになり、
「女性史の研究などと口では言っても、女が生身で生きることがどんなにむずかしいか、現実の問題に直面すると、とても自分を客観的に眺められないことがわかりました」
恥ずかしそうに微笑した。その眼はやはりかがやいて美しかった。
もはや、ためらっているときではないと、私は思った。
彼の小説の才能がどんなものか全く知らないが、作家の道はけわしく、努力したからといってなれるものでもない。
しかし作家になるばかりが、彼の生きる道でもあるまい。広告会社の社員としての勤務状態は良好のようだし、彼の親たちも勤勉な経営者である。作家以外の実生活の中で、彼は一人の男として将来をひらいてゆくだろう。
彼には彼女の人柄が好ましく、女としての彼女に惹かれているのだが、まだ自分には結婚の資格がないと思っていて、それを親に打ち明けられないでいる。だれかが話を切り出してくれるのを待っているように見える。
私が彼に好感を持つのは、子供を生んでほしいと言った態度のまともさである。男としての責任も十分に感じていよう。借りた金も返すと言っている。
彼女は少しも早く両親に事情を告げ、先方の親にも話してもらい、正式に結婚の線を引かなければならない。
たとえ先方の親が反対しても、二人とも親の許可などとは無関係に、結婚の届出ができる。彼はいま、経済的に彼女に負担をかけているようだけれど、いつか彼女が育児に追われて働けなくなった時は、自分が、一家をしょってゆくという気持ちを持っているのではないだろうか。万一彼の経済力ではそれがおぼつかなかったら、彼女も働けばよい。
結婚生活の相手は、だれも彼も、標準通りにゆくとはきまっていない。二人の出あいが、二人にとって思いがけない偶然であったように、二人で互いに相手への愛をきずき育てていこうとすれば、きっと新しい道が、二人の前にひらかれるにちがいない。
私は、言葉をえらびながらとつとつとして語る彼女のつつましさが好ましかった。彼もおそらく控え目な彼女に、年下の若い女性にない魅力を感じたのであろう。
彼女の金を引き出すために、彼女のからだをむさぼるために、彼女の部屋に入り浸るだけの品性低劣な男が、子供を生んでくれなどと言うはずがない。
三つぐらいの年のちがいが何だろう。生理的に言って、男の肉体の方が女よりも衰えが早いという。恋には冒険がつきものである。親に与えられた条件のよい縁談を受け、型にはまったものものしい結婚式をあげるばかりが人生の幸福ではない。私は几帳面な彼女にとっては型破りの相手が出現したことに一つの縁を感じる。
「私が御両親にあってあげましょうか。両方の」
彼女はにっこりした。
「そのことをじつはおねがいしたいと思って。あの、彼もそうしていただければと言っているのです」
私は思わず声をたててわらった。
「あら、はじめからそうおっしゃればよかったのに」
この二人は一カ月後に結婚した。私たち夫婦が仲人の席にすわり、双方の両親がこの結婚に満足していることを知って、うれしかった。
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第十話 恋を求めて
この夏は、北に南に旅をした。
北は北海道の知床まで。南は、鹿児島の奄美大島。壱岐島にもいった。
知床は羅臼岳登山。
地図で見ると、この山は、北海道の北東に細長く突き出た知床半島のまん中、山の東側にはオホーツク海をへだてて、|択捉《えとろふ》、|国後《くなしり》などの千島列島の島々がある。
この山の頂上にたてば、戦争で失われた領土がよく見える。
二年前に、半島の根元にある斜里岳に登ってから、登ってみたいと思いつづけていた。
私は関東平野の東京という町に生まれた。北にも西にも山があったが、箱根も日光も遠くはるかで、子供の頃から、私は山々にあこがれた。
山の上に登ったら何が見えるか。
山の向うに何があるか。
十七、八の少女であった頃、カール・ブッセの詩で、「山のあなたの」というのが好きでならなかった。
山のあなたの空遠く
幸い住むとひとのいう
ああわれひとととめゆきて
涙さしぐみ帰り来ぬ
山のあなたになお遠く
幸い住むとひとのいう
上田敏の訳したこの詩を日記に書き、学校のノートに書き、道を歩きながら、電車に乗りながら、何べん口ずさんだことだろう。
山のあなたに、山の向うに、仕合わせが待っている――
しかしその仕合わせは、山のあなたにいって見れば、更に遠くにはなれていってしまう。
この詩が好きで好きでならなかったのは、幸福は山のあなたにいってもないと告げているこの時にたいして、でも、私は、幸福を見つけにゆく。
どんなに幸福はないと言われても、自分は自分の幸福を見つけてみせるという、強い決意をそそられたからではないだろうか。
この詩の中で「ひと」というのは、おそらく、異性の友であるにちがいない。
異性の友と共に、幸福をさがしにゆく。それは恋愛をするということではなかったろうか。
山のあなたに幸福はないと嘆いたこの詩人にとっては、この詩は、失われた恋を語るものであったかもしれない。しかし私の少女の頃に、ひたすらに、この詩が好きであったのは、まだ恋愛のこわさなどを知らなかったからであろうと思う。
この夏の旅の南で、北で、私は、たくさんの若いひとたちにあった。
クマが出るという羅臼を一人で歩いているお嬢さんもいた。奄美大島の砂浜で、ボールを蹴りあっている青年もいた。
山はどこも美しく、海はどこもかがやきわたって、青春そのものの姿に見えた。
私は壱岐島の一つの浜で、夕暮れ、打ちよせる波とたわむれ、砂浜に散らばる貝がらをてのひらにのせて、じっと見つめている一人のお嬢さんにあった。
真夏の海辺にはむしろ地味すぎる紺地のスカートに、紺地に細く白いストライプの入った半袖のブラウスをつけ、髪は肩あたりの長さに切ったのを白いリボンでまとめている。
堅実とも、清楚とも言いたいような姿であった。
壱岐は対馬と共に、日本列島と朝鮮半島の間に横たわっている。幾度か日本に侵攻しようとした大陸の兵たちの被害を受け、この島をまもっていた藤原理能とか、平景隆などが、一族ことごとく自刃するというような悲劇のあとを残している。
その日私は、はるばる中央の京都から来て、この地で悲惨な死を遂げなければならなかった武将たちの悲運を思い、敵兵が上陸したという浜辺を歩いていた。
そして、ひとりたのしそうに磯遊びするそのお嬢さんを見かけたのである。
歴史はとうとうと流れる大河のようなものだというけれど、まことに、かつての悲劇のあとが、今は若ものたちの青春の夢をかきたてる場となっている。
広島や長崎のような原爆のあとも、三百年、五百年たつうちに、若ものたちは、遠い遠い昔の悲劇を忘れ、ボールを蹴り、恋を語りあう場所にしてしまうのだろうか。
そんなことをふっと思って近づくと、このお嬢さんは意外に暗い顔つきであった。
「この島の方ですか?」
と聞けばだまって首をふる。その固い、こわばったような表情に、私は、「あ、しまった」と後悔した。
昔、地理と歴史の教師であった私には、すぐ、ひとに質問するくせがある。どちらから? 何の目的で?
このひとも、明らかに迷惑がっている一人にちがいないと思った。
その晩、食事が終って、ロビーに出てゆくと、そのお嬢さんが、おみやげ品売場からもどるところであった。向うから話しかけて来た。
「私は北海道から来たんです」
ま、と私は声をあげた。二日前に私は、北海道から帰ったばかりなのだ。
私が、北海道が大好きで、このところ毎年の夏は、北海道の山登りなのだと言うと、暗かったお嬢さんの表情にぱっと灯がともった。
「東京からわざわざ北海道の山ですか」
「そうですよ。九州からだって北海道へ登りにゆくひとがたくさんいますもの」
「私は本州の山をあまり知らないんですけれども、ちがいますか、どこか」
「ヒグマのいることが」
ま、と彼女はわらって、
「本州の山にだっているでしょう。クマは」
「ツキノワね。ヒグマよりこわくない」
「でも私はまだ一度もあったことがありません」
「私もですよ。そんなのにあったらこわくていかれません。北海道の山は高山植物が美しくて、それでゆきますの」
私がいった山は大てい、彼女も登っていて、話がはずみ、その夜、私のへやで、一緒にコーヒーをのみながら、彼女の恋の話を聞くことになった。
U子さん――以下彼女をそのようによぶ。
本当の名はゆり子である。
U子さんは札幌生まれ。札幌の女子短大を出て、現在は東京のある大手の電気製品の会社で、広報の仕事をしている。二十二歳である。
いつもはアパートのひとり暮しだが、北海道には年二回帰る。正月休み、夏は有給休暇の十日間をがっちりととって、学校時代の友人と山登りをしたりする。
三年前、大雪山を縦走中に一人の若ものと知りあった。
茨城県の海沿いの町の市役所につとめる山好きの青年で、三つ年上であった。Yと名乗った。
大学も農学部を出ていて、高山植物にくわしく、地元のU子さんの知らない花の名をよく教えてくれた。
大雪山も旭岳の登りは苦しいが、あとは黒岳までのゆるい起伏を越えてゆくたのしいハイキングコースになって、それでも四時間や五時間は、歩きづめに歩かなくてはならぬ。
一緒にゆくはずだった友人からことわられ、たった一人の縦走を覚悟していたU子さんにとって、Yさんはまことにたのもしい同伴者であった。
じつは、友人とは異性、職場のコーラスグループで一緒の青年である。
入社して一年目、二人はからだの関係こそ持たないが、恋びと同士のような親しさであったのに、何故かこの二、三カ月、彼の方から避けはじめて、彼のアパートをたずねても留守のことが重なった。
職場でのコーラスも彼の方からやめていき、今度の旅も一緒に計画したにもかかわらず、彼は飛行機の切符をキャンセルしてことわって来た。
(もしかして、北海道に来てくれるというのは、結婚への意志を固めるために、自分の両親にあってくれるのかもしれない)
そんな気持ちを抱いてひそかによろこんでいた彼女にとって、どたん場へ来ての中止は、彼女との交際を、決定的にやめようとする彼の意志をまざまざと思い知らされることであった。
(神さまは彼の代りに、このひとを与えて下さったのだわ)
Y青年と一緒に、あとになり、先になり、大雪山の尾根みちを歩きながら、U子さんはうれしさに幾度となく涙ぐんだ。
茨城県の実家は、父も母も学校の教員をしているのだとも語った。何故か北海道の山に|惹《ひ》かれて、二、三年前から駒ヶ岳や十勝岳やニセコなどを歩き、大雪山もこれで二度目だという。
まるであなたといういい山友達を見出すために、北海道の山歩きがあったと言わんばかりの親しみのこもったものの言い方に、U子さんはすっかり感動した。
高山植物はとってはいけないとはよくよくわかっていたけれど、このよきひとにめぐりあった記念に、黒岳の下りではピンクいろのエゾコザクラの一輪をとって、そっと胸ポケットに入れた。
層雲峡での宿は勿論別々であった。
二人とも、縦走路で知りあってすぐ同じ宿に泊るような人間ではなかった。ただ、これも偶然ではあったけれど、まるで、二人のであいが、はじめから約束されていたように、U子さんの取った民宿と、Y青年の旅館とが、となりあっていた。
旭川から札幌に帰るバスや列車は、自然と一緒になった。
Y青年は夜行列車の時間までに、石狩川の河口にゆきたいと言い、U子さんが案内することになった。
明治維新で、領国を失った伊達家では、石狩川沿岸の原野を開拓した。殿様を先頭にして、木を|伐《き》り、|藪《やぶ》を払って悪戦苦闘した物語は、本庄睦男の小説『石狩川』によくあらわされている。
U子さんは自分も開拓士族の子孫であったけれど、まだ、その小説を読んだことがなかった。
列車の中で、Y青年が、その筋を説明し、ところどころの美しい文章を丸暗記しているのに感激した。
今まで、Y青年のようなひととつきあったことはなかったと思った。
(まじめで、物|識《し》りで、それでいて、ロマンティックなひと――)
石狩川の河口にはハマナスやカワラナデシコがいっぱい咲いている。
Y青年と砂浜の道を歩きながら、U子さんは、ふと、このまま彼と同じ列車で東京に帰りたくなっていた。
茨城と東京。それから手紙や電話で打ち合わせてのつきあいがもう二年つづいている。
あう度に人生を語り、山を語る。しかしY青年は、恋愛を語ることはあまり得意ではないらしい。
茨城の彼はいつも上野駅に着くので、二人は上野公園や動物園を歩く。子供連れの多いこれらの広場は、あまり熱い恋を語るにはふさわしくない場所かもしれない。
Y青年は、U子さんにあうと、自分が、大学院に進みたかったのに、家の事情で就職してしまったのが残念で、勤務のかたわら、大学の聴講生になっていること。できれば三十五、六歳までに、博士号をとりたいことなどを話す。
結婚とか、恋愛の、ケの字もレの字も口にしないY青年に対して、U子さんも、何となく自分も勉強していると言わざるを得なくなっている。
洋裁や料理というような、女の子ならだれでもするようなことは、あまりY青年の関心をそそらないようなので、英語の勉強をつづけていると言い、事実、会社のつとめが終ってから、英会話の夜学に通うようになった。
Y青年は、そういうU子さんをよろこんで、女はとかく自立精神にとぼしく、主体性がない。自分はべたべたと男に甘えるような女には興味がないなどというので、U子さんは、前の恋びととの場合のように、甘えることができない。
「どういうんでしょう。男と女といったものより、本当に純粋な友情っていうんでしょうか」
手もとらず、一緒に歩いていてちょっとでも肩がふれあえば、あわてて、U子さんの方から身を離すような――。
私は、私の部屋の窓から、眼の下にひろがる港の|漁火《いさりび》を見ながら、Y青年の心をとらえかねるU子さんの横顔に、暗いかげりを見た。
人間同士であればやっぱり男と女。そのひとの風貌、その人柄、その話しかたなどが気に入って、そのひとと将来を共にしたいと思うひともでてくるのが自然ではないだろうか。
U子さんの結婚への願いが、Y青年の上に育っていっても不思議ではないと思う。
しかしY青年は、U子さんが、つきあい出してはじめての年の暮れ、ボーナスで彼にネクタイをおくろうとしたが受けとらなかった。そういう主義だというのだ。
誕生日のプレゼントもことわった。せっかく一生けんめいにえらんで、リボンで結んで、手渡そうとして、手にもとらずにことわるY――。
「聞いたんですよね。あなたにとってわたしはどういう役割を果しているのかしらって」
壱岐の旅に出る二、三日前であった。
「いきなり言うんです。結婚したいのかって。ええと答えると、その前にもっと勉強してほしいって」
「勉強? 何の?」
「さあ何でしょうか」
「昔、私の娘の頃はよくそういう言葉がはやったのよ。岩波文庫かなんかでむずかしい哲学の本など買って来て、これからつきあおうとする女の子におくる。勉強して下さいって」
「御経験ですか?」
「ええ、ありますよ。一度か二度」
「うれしかった?」
「私は勉強しろなんていう男の子はきらいになりましたね。しょってるじゃない? 女の子を教育してあげようなんて。自分の好きな本を相手にも読ませようなんてのも甘ったれてて、私はいやでした」
「私は何の勉強って聞いたんです。そしたら漠然としているんですよね。抽象的っていうのかしら。人間勉強だとか、人生勉強だとか」
つまり、彼はあまり、あなたに気がないんじゃないかしらと言いたい言葉をのみこんだ。何かと理屈をつけて女からはなれたいタイプにこんな男がいそうな気がした。
つきあいはじめて三年たっていた。
一年ほど、何となくつきあいの途切れた時期があった。お互いがどんな存在か知りたかったのである。そして、ある日、彼の方から電話がかかって来て、もう一度つきあってみようという申し出がなされた。でも結果は同じだった。
「あってお茶をのんで、人生を語りあって、それでおしまいというつきあいに、もうほとほとくたびれてしまいました」
男と女はひとりでに、もっとドロドロした間柄に変ってゆくのではないだろうか。
と言って、Y青年が、U子さんを女としては何も意識してないというのでもない。
これも一年前のことになってしまったけれど、上野公園が葉桜の緑にむんむんするような、五月の宵、茨城に帰る彼を送って、駅にゆこうとする道でふとたちどまり、
「僕だって、君を抱きたいと思うことはある」
ひとりでつぶやくように言い、U子さんは急に心臓の高鳴るのを感じたが、それっきり。U子さんの手を引きよせるでもなく、相変らず五十センチぐらいはなれたまま、一人で駅の改札口にむかってゆき、U子さんは絶望した。
「一度、大げんかしてみたい。そしたら彼の心がたしかめられるかもしれないけれど、そうしたら、すべてが終ってしまうような気がして」
U子さんはもう秋風が吹いている八月の北海道から、飛行機を乗りついで、思い切って、南の壱岐島に飛んで来た。
真夏陽のかがよう明るい青い海に浸って、自分自身の情熱のありかをさぐってみたかった。
彼も私も燃え上がるには何かが欠けている。それは一体何なのか。それを知りたい。
「追いつめられた気持ちは、この島で、蒙古の大軍を迎えた武将たちにも似ています」
一か八か、壱岐から帰って、彼の茨城の家にゆき、両親にもあって、彼にとって、自分は一体何なのか、自分の眼でたしかめたいとU子さんは言った。重い吐息と共に。
しかし、私は、U子さんに忠告した。茨城の両親に自分からあうことはどうかしらと。
Y青年と、U子さんとの間に結婚の話が進んでいかないのは、まだ、まわりの気運が盛り上がっていないのではないか。
先ず、Y青年の両親は、Y青年にとって、まだ結婚が時期尚早だと思っている。するなら両親のえらんだひとをと思っているかもしれない。
自己抑制の強いY青年もまた、異性の友と結婚の相手とはきちんとわけているかもしれない。U子さんは旅のゆきずりであった友。その家も知らない。しかしU子さんは何べんいってみようと思ったかわからなかった。家の構えだけでも見たいと思った。
「おどろくでしょうか親は」
「一般的にどこの親も息子や娘がつきあっていた、それも親のしらないところで、というような相手は警戒しますね」
「やめたほうがいいでしょうか」
「私はその方がよいと思いますけど」
「そうかもしれませんね」
「つらいですか」
「いえ」
U子さんは微笑を浮かべたが、私は、自分こそつらかった。残酷な言い方ではないかと思って。
もしもY青年にとって、U子さんがどうしても結婚したいほどの情熱をかきたてられる相手ならば、進んで親にも話し、親にもあってもらうという手段をとっているだろう。
U子さんをほうっておいたら、他の男にとられるかもしれないとあせれば、いち早くU子さんを抱きしめて、絶対に他の男にはやらない、僕は君が欲しいと訴えているだろう。
Y青年にとって、U子さんは何人かある結婚候補者の一人で、月にいっぺんあうのはU子さん。他にもそんなひとの二、三人はあるかもしれない。
まだだれという特定の相手にしぼっていないところで、プレゼントをもらったり、抱きしめたりしたら、それから先の責任をとらなければならない。こわいこわいと内心ビクビクしているにちがいない。
これは彼の性格でもあろうけれど、教師だという両親のしつけかたかもしれない。
その両親は、消極的な性格で、いきなり、自分のボーイフレンドの両親にあいにくる娘などというのは、その時点で否定してしまうかもしれない。
U子さんに忠告したのは、せっかくここまでねばりにねばって来て、両親にあうということで、一切がこわれるよりは、先ず、彼にあって、あなたの両親にあいたいと申し出ること。
そのとき、まだあわないでくれと言われたら、希望は大分遠のいたと思わなければならない。
次に、自分の――U子さんの両親にあってほしいと彼女から言い出してみて、彼がことわったら、更に更に結婚へののぞみは遠ざかるのではないだろうか。
私は見るからに生まじめ、つつしみ深い感じのU子さんに、すっかり好感をもってしまった。今どき何という堅実なお嬢さんであろう。
男が自分をどう思っているかなどは考えずに、|我武者羅《がむしやら》に体当りしてゆく娘さんが多い中に、信じられないほどに慎重である。
しかしまた、慎重であるだけに、U子さんには、いわゆる恋愛結婚はむずかしいのではないか。
同様にY青年のような堅実型、慎重型の人間にも、恋愛はむずかしい。
恋愛には賭けの要素がある。
何かわけのわからぬ暴風のようなものに|駆《か》りたてられなければ、相手をつかまえることができないというような。
U子さんは第三者の力をかりて、見合の形で結婚した方がよいのではないか。
また、それでいてU子さんには結婚への願いが強く、あらわれた相手を、すべて、自分に都合よく考えすぎる点はないか。
Y青年がU子さんを冷静に観察しているように、U子さんにも色恋抜きで、男を眺める眼が必要なのではないか。山のあなたに仕合わせが待っているとは限らない。
ことわられるのを覚悟の上で、男とつきあう――そのさめた心を胸のどこかにしまっておかないと、U子さんは、次にまた、異性の友人を得てもやっぱり自分だけが傷ついてしまう。
そんな気がした。あるいは、もしもU子さんがどうしてもY青年以外のひとと結婚する気になれないのなら、ことわられること、そして交際もおしまいになることを覚悟の上で、彼自身に聞いた方がよい。
ことわられたらいさぎよくひきさがり、もう交際をやめた方がよいとも思った。
U子さんの話には後日談がある。
U子さんはその年の暮れに結婚した。相手は帯広の青年である。
以下、その手紙をしるしてU子さんの新しい航海に幸あれと祈りたい。
航海。
まことに結婚は航海のようなものだ。前途に嵐あり、凪あり、岩礁あり、ある時は大波に翻弄され、ある時は陽光うららかなベタ凪の海をすべるように走る。
そのいずれの時にも舵を取る役が必要だし、また重要である。
そして、舵は一人ずつ取るよりは、夫と妻と二人で取ることこそのぞましい。
それには二人の呼吸がぴったりとあっていなければ困る。
U子さんの決定な結婚相手は、奇しくも青函連絡船の中、あの、青森から函館に向う四時間の中でめぐりあったのである。
あれほど私にはもう茨城へはいかない、彼にもあうことはしないと言いながら、U子さんはやっぱり上野から常磐線に乗ってしまった。
阿武隈山地の麓、|勿来関《なこそのせき》まで車で一時間というところにその町はあり、タクシーに乗って駅から二十分の町外れのその家を、せめて遠くからでも見たいと思う心一筋であった。
夫婦揃って学校の先生というその家は、駅前の交番で聞いてすぐにわかった。
――あの森の中に彼の家があると教えられて車を走らせていた時、四ッ角の信号待ちで、三台のトラックを見ました。家紋入りのま新しい|油単《ゆたん》をかけて、明らかに結婚の支度でした。一台にはグランドピアノが、一台には箪笥の三組セットが、一台には本箱や応接間のセットらしいものが。
その三台は私のタクシーの横を走り抜けて、森の中の鉄筋コンクリートの洋風住宅を目ざしてゆきました。タクシーの運転手は、夫の方が今度小学校の校長になったその家では、奥さんが教員をやめ、いままで東京にいた一人息子のところに、市内の中学校の音楽の女教師が嫁いでくるのだと教えてくれました。息子とは彼以外のだれであったでしょうか。
つとめ先も市役所にきまっているとのことでした。
U子さんはその森のかたわらを過ぎてまた駅にもどった。
あくる日、東北本線の車内に身をおいていた。
青森についたのは夜の十二時近く、乗客のほとんどが眠っている船室から甲板に出て、港の灯の遠ざかるのを見つめていた。もう東京をひきあげよう。何か東京にいることが、時代の先端を走っているような思いであったが、彼の結婚を知って青ざめた自分の心の、いかに古いかがわかった。
――無性に札幌の町が恋しくなりました。山を負った町の緑の深さに身を沈めたい。何よりも肉親のあたたかい声を聞きたい。
対岸の函館の灯が見えるまで甲板にいた。函館始発は四時すぎ。札幌までの列車の中で眠ればよいと思った。
東京での月日が何というむなしさに思えたことだったろう――一人の男をとらえるための悪あがきに終始してしまったような。
甲板には自分だけと思っていたが、もう一人、頑丈なからだつきの青年がいて、函館について列車への長い通路で荷物を持ってくれた。U子さんは東京引揚げをきめ、出来るだけのものを手に持って来ていた。
青年とは列車の中でまた一緒であった。
――私はよほど旅の途中で、ひとと知りあう運命を与えられたようでございます。
彼は帯広から車で四十分、十勝平野のまん中で、酪農を営む家の長男でした。
この夏、大阪の娘さんたちが北海道観光の団体で来て、三日間泊って牛の世話をしてくれた。
それは集団見合のようなものだったのですが、結婚したいという手紙をもらい、両親にはげまされて勇躍大阪まで出かけてゆき、やっぱり都会育ちのものには自信がないとことわられて帰って来たのでした。
淡々と失恋を語る彼の言葉が素直に胸にしみ通っていったというのも、同じ失恋者同士の間柄だったからでしょうか。何よりも同じ北海道の人間という親近感が一番強かったと思います。
札幌までの列車の中で、私は彼に途中下車をすすめ、自分の家までつれて来て両親に引き合わせ、一泊してもらいました。さらに私も帯広まで行って一緒にその農場を案内され、彼の両親にあい、一カ月後には婚約がととのってしまいました。
青い鳥のチルチルやミチルのように、仕合わせは、自分の足許にあったことを、今彼と共に身にしみて感じております。
どうぞ北海道の山においでのせつは、是非おたより下さい。私のしぼった新しいミルクを十分のんで、十勝や日高の山々に挑戦して下さい。勿論そのときは牛の世話を両親に任せて、私たち二人がリュックをかついでお伴いたします。
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第十一話 これが愛なのだろうか
こういう愛の形もあるのだろうか。
「ねえ、聞いて下さる?」
みちるさんは、|唇許《くちもと》にくわえたタバコを、灰皿の中でもみ消した。
ボーイッシュな髪の毛。ジーンズの上下をさり気なく着こなして、ほとんど化粧らしい化粧もしていないのが、却っておしゃれなのかもしれない。
井草みちるといえば、この数年、T・T放送の深夜ラジオの音楽番組の担当者として、御存じのひとがいるにちがいない。
主に受験生向きの放送だけれど、夫の帰りのおそいのを待つ妻や、夜の|巷《ちまた》を流すタクシーの運転手などにも人気がある。
――皆さんこんばんは。井草みちるです。
今夜は霧が深いようですね。この放送室の窓の外に町の灯がうるんで、赤に青にまたたいています。いえ、灯は電気の通じるままに、じっと静止して光りつづけているのです。しかし、何故かわたくしには、あの灯たちがたよりなげにわびしげに見えてなりません。秋の夜寒が深まって来たせいでしょうか。その一つ一つの灯にそっと近づいて、元気を出してとはげましてやりたいような気持ち。今夜の音楽は港区二本榎の西川小枝子さんのリクエスト、「夜霧にぬれる町の灯」です。
皆さんの一つ一つのおへやに、どうぞお元気にと心からの御挨拶と共に、今美しい調べをお送りいたします。
みちるさんのさわやかなこんな言葉を聞かれたひともいよう。深夜放送なのに、みちるさんの声はいつも十分に寝足りた朝のすがすがしいひびきを持っていると評判だ。
からだも健康、生活も精神も健全な証拠ではないだろうか。
日に十本のタバコは、深夜の生放送をつづける間に、いつか身についてしまったという。ちょっとした眠気ざましの意味もあったが、自分の眼の前に、一人として見えない聴き手を相手にする仕事で、固い気持ちをほぐすには、何よりもタバコを一服するのがよいと思うようになっていた。
「みちるさん、でもタバコは声に悪いんじゃないかしら。歌手や声楽家は、タバコをやめるって聞いたけれど」
私もつい気になって、ある日たずねて来たみちるさんにそんな忠告をした。
「ええ、やめようやめようと思いながら、タバコの煙を見ていると、何かいい考えが浮かんでくるようで」
「煙を見るためにのむんですか」
「ええ、まあ、そうです」
「じゃあお線香の煙でもいいんじゃないかしら」
「まあ」
みちるさんはがっくりした恰好になってわらった。
「相当、口が悪いですね」
みちるさんのお母さんは、私の学生時代の同級生で、卒業以来、ずっとつきあって来たし、みちるさんがその放送局に入る時は保証人の役を引き受けた。
みちるさんは時々来ては仕事への抱負や、職場での失敗をたのしそうに語ってくれていた。
「一番ショックだったのは、この間、せっかく録音したテープを、どこかに忘れちゃったことなんです」
「またとればいいでしょ」
「それが相手は録音したあくる日にイタリアに帰っておりまして」
「ああ外人の?」
「ええ、オペラのプロデューサーなの。通訳も向うへいっていて留守ですからお手あげです」
「そういう時はどうなさるの?」
「あやまる以外にありませんね。やっぱり女はダメだっていうような視線を身一ぱいにあびて」
「口惜しいでしょう」
「口惜しくても失敗したのは事実ですし。そんな時やっぱりタバコですね」
「お線香だと死にたくなっちゃうわね」
「そうなんですよ」
二人で苦笑した。
その日、私がタバコをやめるようにすすめたことから話は意外にひろがって、みちるさんの現在のボーイフレンドとのつきあい方について、相談を受けることになってしまった。
その青年は二十五歳。みちるさんより二つ年下である。
「タバコは声によくないからやめた方がいい。ある日突然そんなことを言い出して」
一緒にお茶をのみながら、ま、このひとがと思わず顔を見た。
深夜放送の語りと音楽を構成する台本を書いている。
どこかの大学の文学部の三年生だという位の印象しかなかった。今から三年前、彼女が二十四歳の秋であった。タア坊タア坊とプロデューサーなどによばれていて、まだ高校生かと思われるほどのあどけなさを匂わせている。
髪の形も不潔な長髪というのではなくて、小学生の坊ちゃん刈りのようなお|河童《かつぱ》を少し伸ばした程度。
ジーパンにショルダーバッグという姿も、受験塾に通う高校生の姿である。
「そのタア坊とのつきあいが、もう三年越しになるんですけれどね、自分でもこの先どういう風に展開させていってよいのか自信がなくて」
タア坊とはその|風貌《ふうぼう》にぴったりのよび名だが、名前は木崎忠夫。
みちるさんの手にわたされる台本には署名がないので、これが木崎青年の手によって書かれたものだということを、しばらくはみちるさんは知らなかった。
女子大を卒業し、入局して二年目に、独立したアナウンサーとして、一つの番組を担当できるのは、彼女のふだんの語り口が、甘やかで、澄んでいて、何ともいえないやさしさがにじみ出ていると認めた会社の上層部の意見によるものである。
例の少い|抜擢《ばつてき》であったから、先輩の女子アナウンサーから|嫉視《しつし》され、若いに似合わず、世渡りがうまいなどとかげ口を言われたが、競争の激しいこの社会には、情実などの入りこむ余地はなく、あくまでも適材適所の人材登用によって、新鮮な番組をつくってゆかなければならないことは、彼女自身がよく知っていた。
他人にどう言われようと、自分のあらん限りの才能をふりしぼって、自分の所属する会社のためによかれと努力するばかりである。
しかし、果して、自分にそれだけの能力があるかどうか――その台本が、自分としてはやり|辛《づら》い、自分とは性の合わないものだったらどうしよう。手渡されるまで心配であった。
深夜放送といえば得てして、お色気と結びつけるものが多いのだが、父親が公務員で物堅い家庭に育った彼女は、たとえ仕事の上であってもおイロケは苦手とし、今までにもそれに近い番組の司会などは何度となくことわっていた。
タア坊とよばれるアルバイト大学生が書いているという台本をはじめてわたされた時、あまりにも、自分の好みとぴったりあっているのが気味悪いほどであった。
彼女自身高校生時代から、いくらも進歩していないとひやかされるような少女趣味をいっぱい残しているのに、その台本も、とても二十歳すぎの男の大学生が書いたとは思えないように繊細で、潔癖で、|且《かつ》洗練されている
放送の世界はいそがしく、たとえ一つの番組をもたせられていても、他にも幾つもの仕事をかけもっていて、一度この作者にあってお礼を言いたいと思いながら二月三月とたってしまった。
タア坊自身もいそがしい学生らしく、他に家庭教師でもやっているのか、局に来てプロデューサーに台本をわたすとすぐにさっさと帰ってしまうということであった。
時たま、局の廊下などで見かけることもあるけれど、ちらっと彼女の方を見て、てれくさそうに頭を下げると、そのまま、さっさといってしまう。
担当のプロデューサーは、タア坊のようなスナオな青年は、今どき滅多にいないとよくほめていた。台本についての注文などにも、よく新人などにあり勝ちな、気負って、背のびして、ことさらに|反撥《はんぱつ》して見せるというようなところは少しもなくて、先輩の意見をとり入れ、少しでもよりよいものを書こうとしている態度が気持ちよい。彼はきっと今に作家として伸びる。いい才能を持っているなどとプロデューサーが言うとき、今まではさり気なく聞き流していた。
彼と親しく口をきくようになったのは、その年の秋の半ばの一夜からである。
珍しく、何本かの放送をとりだめして時間があいた日、同僚の女性社員と、上野の文化会館で行なわれたウィーンの室内音楽団の演奏会にいった。
休憩時間のロビーで、彼女の方が先に彼を見つけた。かねてからクラシックに興味を持っていた彼女だったので、彼もまた、クラシックが好きと知ってうれしかった。
三人は終ってから、広小路の喫茶店で語りあった。といっても木崎青年とはほとんどはじめて一つテーブルでむかいあうのだから、みちるさんとしては、多少の遠慮もあり、いつもは、その女友達と、社内のあれこれの問題で活溌に意見をのべあうのだが、その夜は、ごく一般的な音楽や映画の話をしていると、突然、彼はみちるさんにむかって、ぽつりとその一言を言ったのであった。
「タバコはやめた方がいいんじゃないですか。のどに悪いから」
ついのみさしのタバコをあわてて灰皿につっこんだ。すでに五、六本がちょっと先の方をすわれただけでそこに捨てられていた。悪いと言われても、すぐにはやめられなかった。しかしみちるさんはまだ、親からも友人からも、一度もやめろという注意を受けたことがなかった。
まして職場の友人たちは、一人前の職業人としてたっている女が、タバコを吸う位は、あたり前のことと思っているのかもしれないし、ひとのことなど知ったことではないということだったのかもしれない。
木崎青年は二つも年下。「親しい友人でもないのに、余計なお世話よ」と心の中で思いながら、そのとき、その言葉がうれしかった。
――このひとは私のことを心配してくれている。
職場は競争の激しい世界であった。今までに他人の言葉に素直に返事をして、ひどいシッペがえしを受けたことは何べんもある。
たとえば仕事の面でいろいろと先輩から注意を受ける。
「はい。よくわかりました」
しんそこ心で思っての返事であったのに、
「よくわかってるって顔じゃないな。口先きだけの挨拶なんてどうでもいいんだよ」
などとかわされたりする。
みちるさんは、男兄妹の中の一人娘として、両親や兄たちの、やさしい愛につつまれて育っていた。
東京から急行で三時間ほどの町にある家には、官庁から転身して団体の役員をしている父と、生け花や茶道を教えている母とがあり、兄たちは大学を出て、銀行や商社などの手堅いところに就職し、それぞれに結婚している。
みちるさんにあっていると、二十五歳、いわゆる女としての婚期の真盛りにあるひととも思えないあどけなさがある。いかにも家族に大事にされて、冷たい世の波風からまもられて来たというような。
それはみちるさんが現在、放送局で占める女性職業人としての地位の高さとは矛盾しているように見える。このまま家庭に入ったら、どんなにかわいい奥さんになるだろうと思わせる甘やかな雰囲気をいっぱい持っている。
みちるさんの人間としての魅力もそのあたりにあるのであろう。有能な女性職業人によく見られるような、自立精神のたくましさよりは、他人と協調し、他人のよさを自分の中に迎えいれて、自分の生長に役だてたい。自分の心の弱さやもろさをよくかみしめているから、ともに自分の心の傷をやさしくいたわるものがほしい。仕事場で荒れてかわいた心を、おだやかに|和《なご》めてくれるものがほしい。
木崎青年の一言は、まさに彼女にとって、その心の飢えを満たしてくれるものであった。青年の人柄には、その素直さで、みちるさんと相通じるところが多かったにちがいない。青年は彼女の意識の中に確実にかげを落しはじめ、かげはいつか青年そのものの実体となって、彼女の心にその領域をひろげていった。
お互いのクラシック好きがたしかめられてからは、よく交響楽団の演奏会にも一緒にゆくようになった。しかしいつもだれかを誘って二人だけになるのをおそれた。
青年が固く緊張している気配を感じると息苦しくなる。
仕事のいそがしい彼女は、できればあまりひととのつきあいで神経を疲れさせたくないと思っていた。恋愛など、とてもとても、そんなことをしているひまはない思いであった。
上野の文化会館ではじめて出あってから十日目、青年は友人の車で秋の海を見たいという彼女を九十九里の一宮海岸までつれていってくれた。局の受付にいて、いつもみちるさんを姉のように慕ってくれる少女が一緒だった。
日頃から、みちるさんが、あまり男づきあいをせず、むしろ好んで女のひととばかりお茶をのみ、映画などにゆくことを知っている少女は、みちるさんが、自分に木崎青年を紹介してくれたものと錯覚でもしたように、生き生きとはしゃいで青年に語りかけたり、フォークを口ずさんだりした。
青年もたのしそうに相槌を打ったり、一緒に声を合わせている。
そんな若々しい二人はいかにもお似合いだった。自分は二人の仲人みたいな気持ちが、ふっとわびしく胸を走ることがある。
東京の下町で、薬屋を経営する両親の許に育った一人息子。大学も文科だと思っていたら、薬科大にいっていると聞かされた。
あの高校を出て二年目の十九歳の少女は、青年と結婚したら、両親を助けてよく店番をするだろう。二人が波打ちぎわで波にむかって石を投げあうのを見やりながら、そんな想像にふけっていると、青年は少女をおき去りにして、つとかたわらに来て腰を下した。
――井草さんはいつまで今の仕事をつづけるんですか?
――……?
どういう意味の質問かととまどって、すぐには答えられないでいるみちるさんに、青年はしんみりとした口調でいった。
――こんなことを言って生意気だったら許して下さい。自分が台本を書いているのにおかしいかもしれないが、僕は毎晩夜おそく、だれとも知らない相手に自分の青春をつぎこんでいるあなた、見てられない気がして。
(また、この人は余計なお世話を言う)そんな言葉よりも先に、このひとは、何故、あたしのことが、そんなに気になるんだろう。そうした思いが溢れ上がって来て、頬のほてるのがわかった。
――これは愛の言葉ではないのか。
しかし、青年はそれ以上は言わず、つとはなれると、むきになったように砂浜を走り出した。全身にみなぎる若さがまぶしかった。
それから何度一緒に音楽会や映画にいったろうか。
クリスマスの前の日、彼に手わたされたおくりもののつつみをあけると、銀いろに光るイヤリングが入っていた。イブには渋谷で二人だけで食事をし、彼はワインを飲み、みちるさんはジンフィーズを飲み、酔った。彼は送って来たタクシーの中で、みちるさんの腕をしっかりととっていた。アパートの玄関を入ったところで抱かれた。しかし額に軽く口づけして、「おやすみ」やさしくささやくと、そのまま帰っていった。
あくる朝、まだ床の中にいるうちに電話があった。声が震えていた。
「昨夜、酔っていてあんなことをしたんじゃないんです。僕の本当の気持ちです。それを知ってほしいと思って」
みちるさんはその言葉を聞いたとき、ふっと現実に引きもどされたような気がしたと言うのであった。
「本当の気持ちを訴えられたことは、これから先、このひととの交際が、恋愛めいたものになってゆくことの前ぶれ、予告のような気がしたんですね。そのとき、ちょっと持って、と叫びたくなってしまって」
若々しい年下の青年とのつきあい、一緒に音楽を聞き、海を眺め、町を歩き、食事をするのはたのしいけれど、恋愛というような重い関係をつくって、二人だけの、他人を踏みこませない共通の生活を持つということが、何かうとましい。
「タア坊はあなたとの結婚を考えているらしいな」と先輩のプロデューサーに言われた時、何か寒気だった。
「君にその意志がないのなら、電話のよび出しのままにあいにいったり、食事したりしない方がいいな。彼はひたむきなんだから」
とも先輩は言った。
もう一昨年のことになった。それから丸二年、つとめて彼をさけるようにしている。
彼は薬科大の大学院に進み、いずれは学位をとって、将来は教授にでもなりたいらしい。
大学院への試験のために半年ほどは、局にもあらわれなかったが、その間もよく電話が来た。あいたいという。いつも忙しいからとことわりつづけた。時には電話口で冷たく、そんなに電話しないで下さいと言い放ったこともある。
それでいて、彼を眼の前に見られないという日々が、わびしく胸の中に大きな空白のひろがってゆくのを否応もなしに知らされている。
去年から今年にかけて、ふたたび彼は局の仕事を手がけるようになり、度々廊下であい、食堂で見かけた。タレントの若い娘とお茶をのんでいるときもある。
つとめを|了《お》えた受付の女の子と並んで玄関を出てゆくときもある。しかし、彼の熱っぽい視線は、自分は少しも前と変っていないと告げていた。今、自分のつきあっている相手はその場限りの、何でもない間柄ですと訴えていた。
このひとはもう三年もの間、ずっと私を慕っていてくれるのだという思いが胸につきあげてくる時、言いしれぬあたたかさが全身を被う。
もしもタア坊が、あの受付の子と結婚したらと考えるだけで胸が熱くなる。タア坊を失いたくないと思う。
しかし、では結婚するかと言われれば、やはりたじろがざるを得ないのである。
あなたにとってその仕事はふさわしくないと彼は言うが、自分にとってはおもしろくてならない。結婚してもこの仕事はつづけたい。つづけられるような条件の結婚の相手をえらびたい。
薬屋の一人息子である彼の家に入って、店番をつづける勇気はとてもない。
また、東京の下町の商家育ちの彼の両親と、古い城下町育ちで、昔は藩儒だった家柄を誇る両親とは、何かと生活感情もあわないであろう。
結婚は二人だけのものと言うけれど、みちるさんは母や友人の結婚などを見て、いかに若い 二人の結婚の幸不幸が、その家の事情に左右されるかよく知っている。
旧幕時代に、母の実家は、父の家よりもずっと格式が上であったために、父の親せきなどから、|頭《ず》が高いとか夫に対して言葉づかいが悪いとかさんざん悪口を言われたというのだ。
「木崎さんが二つ年下ということが、自分の肉体のコンプレックスをそそるようなことがあってはとも思うんです」
青年とみちるさんはこのごろ、また、つきあい出している。青年は、
「ボクの方が先に結婚しそうだよ」と言い、みちるさんも、
「私にも家の方から幾つも縁談をいって来てるの」と答える。それでいて、どちらも具体的な話にはならない。
このまま過ぎてゆく愛の気持ちなのだろうか。まだ少年の甘さをただよわせながら、たくましく生長した青年を眼の前にして、みちるさんはやっぱりこのひとを失いたくないと思っている。私はぽつりぽつりと考えながら言った。
「結局はみちるさん、最後はあなたがえらぶべきことだけれど、私は、年が二つ年下というのは一つも問題だと思わないの。その青年へのあなたの愛の深浅が問題ね。つまり、仕事は捨てても彼との愛に賭けるか、仕事をする自分をあくまでも大事にして、彼とは現状維持。彼が失われても悔いないだけの自信を、仕事の世界できずきあげるか。また、彼自身の愛が深ければ、結婚してもなお、あなたの仕事ができるような環境をつくってゆけるでしょう。一つの歴史を新しく書きかえるには、何かを失っても悔いない勇気がいると思うのですけれどね、仕事か愛か、このへんであなたも否応もなく大人になることを迫られているのではないかしら」
半年たってこの二人は結婚した。
みちるさんは新しい受験に備えて勉強している。薬剤師の資格をとるのだという。
ディスクジョッキーの仕事で、悪質の投書や電話をもらったのが、彼女の心を傷つけたらしい。このごろマスコミを神経質にさせている禁句の数々。
心身の障害や同和問題に関する言葉は固く戒められている。差別だという。
みちるさんは、自分のことを語るのにその差別用語をつかった。自分が自分をおとしめて言うことさえ許されない世界があった。
放送関係の仕事をしていて、それ位の配慮がなくては困ると上司にも注意され、ふっとこの職場をやめたくなった。
――失望して、結婚に逃避すると思われるのはいやでしたけれど、どう思われてもいい、もうこんな汚ならしい言葉で罵られるような世界にいるのはいやだと思って。
青年をよび出して、もう一度九十九里の海を見にいった。
青年に事件のことは何も話さなかった。当然知っているはずの青年は何も言わなかった。
「きれいね、海」
「きれいだな、海」
「見たい時に自由に海が見られるってこと、仕合わせ」
「見ればいいじゃない。いつでも海を見たいと思ったときに」
そのとき急に涙が溢れてきて、止めようがなくなった。
甘えていると知りながら、しゃくりあげ、|嗚咽《おえつ》して泣いた。
青年はだまっていた。
あんまり泣いてハンケチ一枚がくしゃくしゃになると、自分のハンケチをだまってわたしてくれた。ま新しい木綿の匂いにまた涙が溢れた。
自分のハンケチはだめになっても、代りをさし出してくれるものがあるということがうれしいのであった。
そしていま、自分にとって、代りのハンケチを用意してくれるひとが、一番ありがたかった。その日のうちに、彼の求婚を承諾した。
家柄、家風のちがい。そんなものは人間がつくったものだから、どんなにつくりかえることもできると彼女は言い、
――とにかく、ディスクジョッキーは、相手の顔の見えない仕事ですけれど、薬屋の店先に立つと病人にもあえ、自分の店の薬を飲んで少しでもよくなったと聞けばうれしい。それがよろこびですね。
まっ白な上衣をつけて、彼と二人並んで、店にいる写真をおくってくれた。
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第十二話 今様ロミオとジュリエット
結婚や、恋愛についての、私の考え方をつづけて書いてきた。
|生《なま》に、いろいろと身のまわりにもめごとをかかえた若いひとたちにあって、その声を聞き、その悩みを語ってもらった。
大学の受験を目前にして、何人かの男友達の整理に追われていた高校生のお嬢さん。
志望の大学に入れたかどうか、その後何のたよりもない。
大学卒業を眼の前にして、恋びとに裏切られたことを知ったお嬢さん。
その相手のために、子供をおろしたこともあると言っていた――あのひとはもうふるさとの海辺の町に帰り、東京の学生生活の中の心身の傷手も|癒《い》えて、それが希望だといっていた保育園で働いているのだろうか。
親の許さぬ上京をして、自分の才能で、どれだけ自活できるかと、勇ましく実生活に挑んでいたお嬢さん。
そのたった一人のアパートは、当然のようにして相手を求める青春の放浪者の港になった。何人もの青年との交際に疲れ果てているように見えた。
けれど、よく親は娘一人を都会に出すなあと先ず思ったことだった。
人妻であって、おとなしい夫にあきたらず、幼い子供をラブホテルに同行してのアバンチュールをたのしむ美女にもあった。
男から男へと、さすらいの渡り鳥のような、束の間の愛欲をたち切ったというたよりをもらったが、ふたたび、あやしい魔にとりつかれるということはないかしら。
まさにこの世は男と女以外の何ものでもなく、男と女のあるところ、その性格から、その環境から、その出会いから、じつにさまざまの男女の組み合わせができて、そのいずれも順調なコースを、無事に無難に通過することはなくて、岩にぶつかり、|崖《がけ》っぷちにのぞんで、苦しんでいた。
もうはっきりと失われたはずの、恋のあと始末に苦しんでいるお嬢さんは、新しい日々を送っていることだろうか。
時があなたの傷をやさしく|癒《いや》してくれるでしょうとなぐさめたのだけれど、恋愛という炎が身うちに燃えたとき、その炎は、表面は消えたように見えても、胸の奥底に、おき火を残していて、いつふたたび燃え上がってくるかわからない不気味さをひそめていることを今更に知らされたことであった。
あの暗い表情のお嬢さんにあったのは早春の夕暮れであったけれど、もう夏もすぎ、秋も半ばをこえた風の冷たさ。ことにこの春から夏、夏から秋にと雨が多かった月日に、あのあやしく胸の底にいぶっていた火もすっかり消え果てて、別の恋を得るか、恋のないさっぱりした世界におられるのであろうか。
さて、あれからたよりしてくれたひともしてくれないひとも、それぞれの場で、それなりにしっかりと生きていってほしいと願っていたある日、ひょっこり一人のひとの訪問を受けた。
山田のり子さん。二十六歳。女子短大の卒業生。お父さんは社員五十人ほど、しかし株式会社として組織された貸衣裳店を経営している三人姉妹の長女で、父の仕事をつぐ相手と結婚することが、親の希望である。
下の二人は、それぞれに高校の同級生や、職場での同僚を恋人とし、将来を誓いあって双方の親も認めている。
山田さんのお父さんで、明治以来四代目になる貸衣裳店は、もとは演劇方面だけに衣裳を提供していたのだけれど、戦後は結婚衣裳の方にも新分野を開拓し、品数の多いこと、良質のものをあつめていることで、都下でも有数の店となっている。
この会社は歴史の古さから、親族関係が役員を占め、社長はお父さん、副社長は母方の叔父さんで、その息子の敏夫さんが、のり子さんにとって、幼馴染みから、いつか、将来を誓いあう仲になっていた。
両方の父親にとっても、二人の結婚は、社長、副社長を約束されたものとして、よろこばれ、敏夫さんは、しばらく経営見習いのため、大学を出るとすぐ名古屋の百貨店につとめていた。
結婚の時期も敏夫さん二十八歳、のり子さん二十六歳のこの秋ときまっていたのに、思いがけない災いとなったのは、社長のお父さんと、副社長の叔父さんとの、経営方針についての意見のちがいから、大きな対立が生まれたことである。
お父さんは、手堅く、昔からののれんを守ってゆく方針を堅持しているのに、叔父さんは、ホテルをつくり、結婚式場をその中にふくめたらどうかという。
そのためには、会社の持つ蓼科高原の広大な土地を売却した方がよいと言い、お父さんはあくまでも、蓼科は残しておいて、むしろ、ここに山小屋風のホテルをつくりたい願いを持っていた。
親しい親せき同士なので、話しあい、どちらかがどちらかの意見通りにすればよいのに、親しいだけに争いが感情的にもつれて、今は社内も二組にわかれて反目しあう始末。
当然、お父さんは、敏夫さんとの結婚をよろこばなくなった。
のり子さんと敏夫さんとの結婚は、叔父さんの会社乗っ取りの野望を、いとも簡単に達成させることだという。
叔父さんにとっては、わが息子を愛するのり子さんの心が変らない限り、息子を通して、会社を自分の思うように操作できる。
のり子さんはすっかり迷ってしまい、とつおいつ悩んで、私の意見を聞きに来たというのだった。
「奥さまが雑誌に、身の上相談のような、恋愛相談のようなものをお書きになっているの、ずっと拝見してましたから」
「あら恥ずかしい。自分では精一ぱいに考えたり書いたりしたつもりでも、果して実際に役だつかどうか」
「だってお話を聞いて、よい方向を見出したひともいるのでしょう?」
「ええ、何人か結婚しましたね、迷っていたひとが」
「やっぱり年上の経験者にうしろからどんと押されないと、一歩も前へすすめないというときがあるものですよ」
「でもね、私はびっくりの連続だったんですよ。高校生でも女子大生でも人妻でも、私よりずっとおとなで、生き方がうまくて、恋愛のベテランで、私にしゃべっている間に、自分でどんどん結論を出していったみたい」
「それでいいんですもの。だれかに話すことで、自分の心の整理ができますから」
「あなたも整理したいとお思いなの?」
のり子さんがわが家にあらわれたのは、母校の演劇部で文化祭に私の戯曲の上演をすることになり、たまたま時代物であったので、作者である私と相談したいとのことなのであった。
衣裳についての私の考えをのべ、一々メモをしたあとで、じつはと自分の当面している問題を語りはじめたのだった。
紫紺染めの立て枠のしぼりに、グレイと朱の|紬織《つむぎおり》の帯をしめたのり子さんの姿は、竹久夢二の絵からぬけ出たような優雅さで、お父さんにとっては、手の内の|珠《たま》とも言いたいように愛らしい娘、敏夫さんにとっても生涯の伴侶として、だれによっても失われたくない恋人であろう。
しかしのり子さんは、敏夫さんとの間に、いかに長い年月の交際と深い理解が積み重ねられていようと、お父さんの嘆きを思えば、やすやすと敏夫さんの腕の中にとびこんで、二人だけの幸福をきずくというわけにはいかないと思えるのである。
現在、敏夫さんが、百貨店で得ている月給で、のり子さん自身もまた職をさがして働けば、十分に二人は暮すことができる。
二人にとって、それは純粋な愛の結実であるはず。
二人は堂々と胸を張って、だれの世話にもならず、二人の世界をきずくことができるはずなのだけれど、二人をとりまく周囲は複雑である。
のり子さんは父を裏切り、父の敵陣に走りこんだ娘と非難されるであろう。
敏夫さんは、女を|餌《えさ》にして、将来の社長権をその手につかんだと非難されることだろう。
二人の愛がいかに純粋であっても、そのおかれた状況故に、政略のかげがつきまとう。
のり子さんのお父さんはすでに、敏夫さんをのり子さんの夫にしたくないために、一人、二人、三人と大急ぎでさがした新郎候補をのり子さんの前に提出している。
この場合、お母さんという存在は、全く、お父さんの影武者のようなもので、お父さんの意見通りに行動し、のり子さんは、家で敏夫さんに電話をかけることはおろか、名古屋へいって、今後のことを相談したくても、外出先に一々お供をつけて監視させる始末である。
また、妹たちにはそれぞれ恋人がいるのに、のり子さんがお父さんのすすめる候補者たちと見合などしないといえば、それを妹たちの方にすすめて、とにかく姉妹三人のうち、だれかがその候補者と結婚してくれれば、現在の副社長を社長に昇進させない為に、自分の社長職をゆずってもいいと言い出すほどの頑固さである。
妹たちは恐慌を来し、のり子さんに敏夫さんとの結婚をすすめ、協力して、のり子さんの家出を助けてくれた。
身のまわりの着換えだけを持って、名古屋の敏夫さんの許に駆けこんだのり子さんは、どんな非難を受けようとも、二人は二人、父の会社は、だれが社長になってもよい、別の世界で生きることを誓って、だれも立ちあわない結婚の儀式を、二人だけであげてしまった。
幸福は一週間とたたぬ間に破れ、脳血栓の発作で倒れた父の許につれもどされ、今は毎日、病院で、お母さんと一緒に看護の役を引きうけながら、たった一週間でくだけた夢のあとを追って、|人気《ひとけ》ないところへいっては涙をこぼしているというのである。
「まあ」
と、私はびっくりした。
のり子さんのほっそりと美しい指が、その色白のまぶたを抑えて、またもや、そこから涙がしたたりおちるのを見て、一体、いまは紀元何年なのだろうと先ず思ったことであった。一五九〇年代に発表されたシェークスピアの「ロミオとジュリエット」とあまりにも似ている。
しかも、「ロミオとジュリエット」という、若い、不幸な恋人の悲劇の題材は、一三〇三年頃、今から六百七十年以上も前、イタリアのベロナ市にあった事実をもとにしているという。
ベロナ市の有力者であるキャピレット家と、モンタギュー家とは、長い間、争いに明け暮れていた。
領主のエスカラスという殿様は両家の仲を取りもとうといろいろ苦心する。
モンタギュー家の息子のロミヤスは、キャピレット家の娘のジュリエットを恋い慕い、二人は、争いあう家同士の犠牲になって不幸な死をとげる。
二人の墓には、こういう言葉がきざまれた。
――ベロナに墓は多いけれど
見るべき価値のあるのこそこの墓
ジュリエットと、そのナイト、ロミヤスの墓
シェークスピアはこの話から「ロミオとジュリエット」の悲劇をつくったという。
両家の親族たちに祝福されての結婚をのぞめない二人のために、一人の司祭が策略を考え出し、睡眠薬を飲んで死んだようになった娘を墓地に葬らせ、目覚めた頃、ロミオと一緒にさせるつもりだったのに、連絡の手ちがいで、ロミオは本当にジュリエットが死んだものと思って、その上に伏して刃で自殺し、目ざめた娘はおどろいて、その刃で自分も胸を刺して死ぬといういたましい結末である。
のり子さんに私は言った。
「お父さんのことも叔父さんのことも、この際忘れ切っていいのではないでしょうか。そして、お二人があくまでも、二人だけの生活をきずくのが一番まっとうな道ではないでしょうか」と。
「ロミオとジュリエット」をもとにして「ウエストサイド物語」がつくられた。
これはアメリカの話になっているけれど、やはり、若い二人が結ばれるためには、あまりにも周囲にそれを許さぬ事情が重なり、結局、二人の不幸な死に終る物語である。
物語は物語として存在するからたのしめるのであって、これを現実におき換えてはならない。
不幸な物語は、現実の不幸を救うために語りつがれてゆくものであって、その不幸をくりかえすのはおろかしい業だと私は思う。
私たち人間のつくって来た歴史の中で、多くの人々が不幸な死をとげているのは、あとにつづくひとたちに「この不幸を二度とひきおこしてくれるな」と告げるためではないだろうか。
のり子さんのお父さんが、敏夫さんのお父さんを商売の敵として憎む気持ちはわかる。
敏夫さんのお父さんは、敏夫さんを利用して、自分の仕事の上にプラスさせようとするずるいひとかもしれない。しかしのり子さんと敏夫さんは若いのである。
二人の若さで、先ず、お父さんと叔父さんを和解させたらどうであろうか。
私は商売のことは全然知らないけれど、店の経営方針などというものは、その時勢に|副《そ》って、次々と新しい手を打ってゆくべきもので、信頼できる第三者にお父さんと叔父さんの経営方針のちがいを批判してもらい、感情的なしこりを持たずに、あくまでも古い歴史の店ののれんを堅持するという建て前から、最善、最良の道を考え出し、そのために両者が協力するよう、敏夫さんとのり子さんが、説得したらよいと思う。
そう簡単にゆかないかもしれないけれど、辛抱強くくりかえしくりかえし波状攻撃の形で、おとなたちの考え方を、よりよい方向に導き出す。
その旗をかかげるのが、かわいい息子であり、娘であってみれば、いつかお父さん同士も、憎み、争いあっていることの愚を悟るのではないだろうか。
二人はいま二十八歳と二十六歳。
もう立派に成熟した大人である。親同士の争いの板ばさみになって泣いているのは、やや意気地がない。
積極的に行動をおこしてほしいと思ったことであった。
何はともあれ、お父さんの病状のよくなるまで、十分な看病をすること。
のり子さんが一生けんめいに看病する姿を見るだけでお父さんの心は折れ、この娘の本当の仕合わせは何だろう。
この娘は敏夫の妻になりたいのだ。自分は老いてゆく身。若い新しい次代のいのちのために、果して自分のやり方がまちがっていないかどうか考えなおしてみよう。
そんな心も起こることであろう。
敏夫さんのお父さんにしても同然である。
自分がいることで、あの会社が二つにわかれるというなら、自分は敏夫の仕合わせのために身を引いて、別の会社をつくろう。そう思いたたれるかもしれない。
とにかく、大人同士の仕事上のもめごとが、若い二人の結婚を脅かすなんて、あってはならぬことであろう。
もう大分前になる。
なくなられた東宝の成瀬巳喜男さんという、すぐれた監督さんと、「悲恋」という題の映画をつくりたいと話しあったことがあった。
「悲恋」
悲しい恋。結ばれぬ恋。くだける恋。朽ちる恋――どんな場合が悲恋になるのであろうか。
成瀬さんと私とで、何時間話しあったことか。
「むずかしいですね」
「本当にむずかしいですね」
「近親相姦とでもいうなら別ですけど、今は周囲の枠がなくなりましたから」
「でも自殺や心中事件はございますね。親が許さなかったとか、相手が心変りしたとか」
「そんなの悲恋になりませんね。本人、または本人同士がいくじなしってことですから」
愛しあっている二人が結ばれないのが悲恋だとして、いろいろの設定を考えて見たのだけれど、どうしても「悲恋」にはならない。どうしても二人さえ愛しあっていれば、たとえ周囲にどんなに冷たい風が吹きつのり、意地悪い邪魔があっても、二人は結ばれることができる。
戦前はよく、一人息子と一人娘が、「悲恋」のもとになった。
どちらも家をつがなければならないから。
そしてよく新聞などにも、一人娘と一人息子の心中事件が出ていたと思う。
今はそんなことはない。
家をつがなくてもいいのだから。
二人が一緒になったとき、そこに新しい家ができるのだから。
昔は夫を死なせた女も「悲恋」の対象になった。未亡人などといって、殊に、夫が戦争で死んだりすると、靖国の未亡人の再婚などは、世間が許さなかった。
今は夫に死に別れた女が再婚することは、人間として当然のように言われる。
たとえ子供があっても、その子供自身が母親の再婚をねがうのである。
身分だの、階級の不釣合などということも「悲恋」の対象ではなくなってしまった。
本当に愛しあっているなら、そんなものは蹴とばせるから。
そして、身分そのもの、階級そのものもいまはなくなった。
のり子さんと敏夫さんは少し順境に育って、いい意味でいえば素直。残念ながら、自分で自分の窮地を開拓してゆこうという情熱がとぼしいように私には思われる。
「どうぞお元気に。今度は敏夫さんと二人でいらして下さい」
「そのようにゆけばいいのですけれど」
「元気を出して」
「はい」
はげましながら玄関にたった私を見上げ、のり子さんの瞳がきらりとかがやいているのを知って、私は「大丈夫」と心にうなずいたのであった。
そして三カ月たって、のり子さんと敏夫さんは両方の親の出席の下に、結婚式をあげることに成功した。
その日の記念写真を見せてもらったが、両方の親の表情が、泣くがごとく、むせぶがごとくの思いに耐えているのがわかった。勿論よろこびの涙である。
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第十三話 見 合 綺 談
つい最近、私の身辺に一つの縁談が成立した。彼女は私の家に手伝いに来て六年目のお嬢さんである。お父さんは一流企業の課長さん。お母さんも婦人会の幹部で、良識ある現代の中流家庭といえよう。
高校を出るとすぐにその三月から、私の家に来て、家事万端を手つだってくれた。私は仕事を持つ主婦なので、台所は万事任せっぱなし、家計簿もつけてもらい、来客の接待も電話の応対も一切たのんだ。もう一人のひともいるけれど、とにかく彼女はわが家の主婦代りであり、手順よく用をさばき、娘の家へ手伝いにもいってくれて、この五年間は、まことに私は家の事は安心して、仕事に熱中できたのである。
しかしすでに二十四歳にもなり、私の家としては十年でも二十年でもいてもらいたいけれど、若いお嬢さんをいつまでもひきとめておいて、その青春を空しくさせては悪いと、去年の秋位から縁談に心がけるようになった。
そして今年、一つの見合をして、彼女にふさわしい良縁がまとまった。
先方の青年は、仲人をまじえた一回目の会見で、彼女を気に入ってくれたのだが、その日、私は彼女に加賀友禅の着物を着せ、西陣織の帯をしめさせた。自分の給料でつくった着物と帯で、生涯の大事をきめる場所に出したかった。
彼女は一度もパアマネントをかけぬお河童髪で、コンパクトも持っていないので、私のコンパクトでうっすらと化粧してやった。もともと整った容貌であるけれど、パフの一刷けで、見ちがえるように女らしい顔つきになった。
次の会見のときは、洋服とし、一点だけ新品をと、もう三年越しのオーバーをやめて、新しく求めさせた。自分でえらぶというのでどんな色にするのかと聞くと、グレイか黒だという。その洋服はグレイであるから、このえらび方なら大丈夫と安心した。
三回目の会見のあとで先方の青年が家に来て、真赤なオーバーにブーツをはき、肩からショルダーバッグを下げた女だけは御免だと思っていたと言い、偶然にも彼女の趣味と一致したことを知ってうれしかった。
町には、女性週刊誌のグラビアから脱け出したような刺激的な色彩の流行服を着、ブーツにショルダーを用いた娘さんが氾濫しているけれど、見合の相手にそういう恰好の女はまっぴらと思っている青年もいるのである。また、ツケまつ毛やアイシャドウ、濃い口紅の女は閉口という青年もいるのである。女はだれのために身を飾り顔に化粧するのであろう。
私の家の彼女は、流行にかかわりなく自分の体型にあった服と、地味な色彩を用い、顔はわずかにクリームや乳液をぬるだけ。それでも二十四歳の青春の美しさにかがやいているというのは、その人柄の謙虚さと、人生を生きる態度の堅実さであろうと思っている。
彼女の仕合わせは、よく彼女の人柄をとらえ得るひとと、見合という機会を通してめぐりあえたことであろう。
あるいは男のひとの中には、あの赤茶に染めた髪がたまらなく好き。あの赤く染めた爪がたまらなく好き。あの赤いオーバーが、赤い上着がたまらなく好き。そして、あの赤、黒のブーツがたまらなくよいというのもあるはずだし、そんなひとにとっては、黒とグレイの彼女は全く魅力ないかも知れないのだから。
それにしても男と女が生涯を共にするという結婚の機会をつかむのに、見合という習慣があるのはどんな意味をもっているのだろうか。
見合とは、緑談のはじめに、男女双方が会い、さてこのひととなら夫婦になれそうかどうかを、ちょっとした出あいのうちに決める機会のことである。
見合のやりかたにもいろいろあって、今でも昔ながらの型をまもり、双方の間に立つ仲人臨席のもとに、男女がそれぞれの親なり先輩なりにつきそわれて|対《むか》いあう。仲人が男の方を紹介し、つづいて女の方を紹介して、両者の間で仲人を交えながらいろいろの話がとりかわされる。
出身地、母校、趣味などが話題の中心になる ――というようなのが一般に行なわれているようである。
もっと簡単に、仲人が、双方の男女を紹介し、二人がそれぞれに話しあって、よかったら両親に引き合わすというのもある。もう何十年も前の私の頃は、先ず下見というか、それとなくお互いが話をかわさずに先方を見て、それでよいとなってから、話し合いを始めるというのが多かった。
使われる場所は、歌舞伎とか、音楽会とか、百貨店とか、それとなく仲人と本人同士とは打ち合わせができていた。×月×日、○○劇場の一階、×番の席にいるから、見ておいて下さい。あるいは、百貨店の○○売場に、×時×分頃、本人が母親と立って品物を選んでいるから見て下さい、というようなことを前もって知らせておき、男性側が女性側を見る、もしくは女性側が男性側を見る、といったことであった。
それで、写真ではなく生の人間を見、それでよしとなったら別に席を設けて、一、二時間の話し合いが行なわれ、一週間位のうちに双方の意志をたしかめあうということになる。
私にも三回ほど見合の経験があるが、こちらは母と一緒、先方は本人だけであらわれ、仲人も一緒に食事したりした。
こちらからことわったのが一つと、ことわられたのが二つ。一年間のうちだから、その調子で四、五年つづけたら、|忽《たちま》ち十回以上の見合経験者になったかもしれない。
先ず第一にことわられたのは、鹿児島県の医者との見合である。
――あなたさまの人生の生甲斐は何でしょうか。
――あなたさまは宗教についてどんなお考えをおもちでしょうか。
――あなたさまは医者というお仕事について、どんな将来の設計をおもちでしょうか。
これらは私にとって実に重要なことであったから、前夜、くりかえしくりかえし言葉を一人で言ってみては、練習に練習を重ねて一生けんめいに聞いたのだけれど、返事は皆無。
昼食を共にして五時間位たったら、仲人が、方角が悪いからとことわってきた。
方角など身上書を書いたときわかっている。
母が、仲人にのちの参考のためにと聞いてみると、鹿児島では、見合の席で、女から質問するのではなく、男から質問すべきものなのだそうであった。
NHKの出版局が新しく出版した県民性の調査報告によると、南日本は男尊女卑の傾向が強いという。
一九七九年でさえそうなのだから、何十年も前に、初対面の男にむかって、堅苦しい人生や宗教の問題などを打ち出す娘は、先ず落第であったろう。
次は東北の医者で、私が同じような質問をしたら、大変はきはき答えてくれ、その上すぐ明日も会って下さいという。これで決まるかしらと思ったら、やっぱりことわられた。もう一人の女のひととかけ持ちの見合をしていて、あちらとこちらをくらべてみたら、こちらの私の方が不美人だったらしい。仲人が気の毒そうに母に言ったそうである。顔のきれいなばかりがいいひととはきまっておりませんのにねえ。おたくさまのお嬢さまは心の美人でいらっしゃいますのに……。
私の知りあいには、五度や六度の見合など珍しくないひとがいっぱいいるけれど、私自身は三回でまいってしまい、見合以前に知りあっていたひとを結婚の相手にきめたのである。男のひとの方もそうかもしれないけれど、はじめてあう相手が、もしかすると自分の夫になるひとかもしれないと思って見合し――ちらちらと正面から見つめたり、じっと横顔を見入ったり、うしろ姿をじろじろと見たり――いやはや気骨の折れることおびただしい。こんなことならやっぱりあのひとにしておこうか。
実際には、一番先に彼から一方的に申込まれて、結婚などまだ考えていなかったので、あわててしまい、はじめて求婚されてすぐに返事してしまうというのは、あまりにも待ってましたととられるのがいやだったし、また、広い世間にはもっと他の縁談もあるはずと、彼の話は一年間棚上げにして、大いそぎで縁談をかきあつめて、見合ということをやってみた次第であった。
夫婦ははじめの相手と長い一生をずっとそのまま連れそってゆくのが一番よいと思っている。私は離婚ということが凡そ好きではない。誰しも好きなものはないかもしれないが、嫌だと思ったら、我慢できなくなって別れてしまうというひとが圧倒的な数字であるという。
しかし私は重ねて離婚はいやだと思う。着物をわけたり荷作りしたり、役所へいって離婚の手続きをしたり、などなど。その煩わしさから思えば、せっかく式もあげ、夫婦として、ある時期一緒だったひとなのだから、ちょっと位のことは我慢した方がいいと思ってしまう。
ちょっと位の程度が問題かもしれないけれど――。
私の年若い知りあいには、一年に離婚を二回もやって、三回目の結婚をしたひとがいる。
彼女は、自活する能力があるので、結婚を就職代りに考える必要はない。
自分の好きに男をえらび、気にいらなくなればさっさと別れてしまう。
最初のひととの出あいは、ちょうど春もはじめの頃で、仕事での打ち合わせが終って、外に出ると冷たい雨が降っていて傘がなかった。
一つ傘に入って帰ったひとがいて、一緒に一本の傘の柄を持ちあったとき、手がふれあい、何となくそのあたたかさが気にいった。
彼女は、あまり熱い手も冷たい手も嫌いで、彼女の心にぴったりあう適温の手のひとが好ましいのだそうである。
駅まで十分歩いて来て別れ難く思い、国電に乗って、一つ釣革にぶらさがって、もう一度その手の適温なのをたしかめてさらに別れ難く、自分の下車駅を乗り越して、彼の駅までついてゆき、また、一つ手の中に入って彼のアパートにまでいって泊ってしまった。
――ね、傘が取りもつ縁だったのよ。
などと簡単に一人の男を見つけ得たよろこびをしきりに語っていたが、夏の頃には別れてしまった。
――彼は気温が上がると体臭が変ってくるの。皮膚の表面から、微妙な分泌物がでるらしいのだけれど、病的なものではないから、クスリのつけようはないし、その匂いがあたしの好みと合わないというわけ。
几帳面な彼女は、一緒のアパートに住むようになって十日目には、区役所へ行って婚姻届をすませていた。
体臭が自分に合わないとわかると、これも十日目に区役所で離婚の手つづきをした。
――彼は泣いたわ。理由がないって。でも一たんいやになると、涙の匂いまで拒否したくなってしまうから困るのよね。
彼女は泣いて泣いてとりすがる彼の哀れさに自分でも泣き、泣きながら彼をなぐさめたという。
――そんなに泣かないで。泣けば泣くほど、あたしはあなたからはなれてゆくのよ。だから泣いても無駄。きっとあなたの泣く姿に心を魅かれるひとがあらわれるから、そのときまで涙はとっておおきなさい。
彼女は、責任を感じて、自分の友人で|早々《はやばや》と結婚し、早々と夫と死別したひとを紹介し、二人が結婚したことを見とどけて、秋のはじめ、別のひとと結婚した。
――考えると、彼は枯れくさの匂いがするのよね。甘やかで、どこかニヒルな匂いでしょう。それにひかれたの。
しかし秋も末に別れた。たった二カ月の同棲であった。
――魚の食べ方が上手なのよね。アジでもアマダイでもカレイでも、じつにきれいに、身と皮をちゃんと食べるの。頭の部分は勿論ね。眼玉も勿論のことよ。尻尾もあの身のないところをきちんと食べる。
ヒレも食べるから、お皿の上に残るのは、きれいにむき出しになった骨だけ。そして、お膳の上に魚が出ると、骨になるまで口をきかずにだまって、上手に箸を動かして、せっせと食べている。箸で、骨の間の身をほじくるのなど、上手ったらない。それがもういやでいやでたまらなくて。
皿の上にすっかり骨ばかりになっている魚を見ると、それがいつか自分の裸身に見えてくる。彼を愛していると、いつか身も皮もはがされて、骨ばかりにされ、その骨までしゃぶられてしまうような気がする。
彼女には自分の家と土地がある。一人娘の彼女のために、両親が残してくれた遺産である。
――ふっとこのひとは、私より、私の家や土地がほしいのではないかと思われてきて。人間一人殺すのはわけはないでしょう。心理的に脅かして心臓を弱めてショック死させてもいいし、一緒に山を歩いて、やせ尾根で自分がよろめいたふりをしてつきとばすこともできるし、海だってもぐって、足をひっぱれば溺れさせられるわ。首をしめたり、刃物をつかったりなんて、一番幼稚な殺しかたね。彼は学生時代数学が一番得意だったっていうから、どんな緻密な方法も考えられると思うのよ。
彼女にはまだしたいことがいっぱいあり、男が好ましい枯れくさの匂いを持っているにしても、殺されるのはいやだと離婚の手続きをした。
婚姻届を出して二カ月半目であった。
今度はもう少し慎重にしたい。結婚離婚をくりかえすのは、年中大掃除をしているみたいで気が落ちつかないと彼女は言った。
――あなたが離婚というのは、着物の出し入れが面倒というのがよくわかったわ。
家の前の道路は私道で道幅が狭いでしょう。二トンのトラックがやっとなのよね。おまけに直角の曲り角が三つもある。相手の荷物が出たり入ったりする度に、私も外に立ってオーライオーライなんて言わなくちゃならないのが面倒。それに家の中もやっぱり荷物を動かすとホコリが立つから。一月もすると道具のうしろにちゃんとホコリがたまるのよね。
などなどと言い、さすがに一年に二回の離婚はあわただしかった。今度はせいぜい十年は持つような結婚をしたい。それに二度目に別れた男は、泣いて別れるようなしおらしい人間ではなく、箇条書きにして離婚に至る原因を記せとか、一方的な、且つ強制的な離婚で傷ついたから、慰謝料をよこせとか、本当に面倒であった。当分は一人でいたいなどと言っているうちに、その年の暮れにまた結婚した。
冬の声を聞くとヤキイモの匂いがなつかしくなる。
ヤキイモはやはり甘さも適度だし、人肌のあたたかさがあるし、一人ものの女にはうれしい食べものですなどと手紙をよこしたのが十二月のはじめ。十二月二十六日、クリスマスの翌日、速達で三回目の結婚を報告して来た。年内にささやかなパーティをひらくので、御多忙中恐縮ですが出席して下さいとのことである。
――私も弱い女だと痛感したのは、近くの教会のクリスマス・イヴに参加してのことです。仕事でのつきあいの相手に誘われて、彼の通っている教会のミサにつれていってもらったのですが、大ぜいのひとが、それぞれにちがう口から一つの歌を歌うという姿に感動しました。羨ましかった。その素直さに打たれました。そしてその歌はキリストの誕生を祝っているのですが、逆算して考えればキリストは最後は十字架の死で迎えられる苦しい一生を辿ったわけでしょう。クリスマスの祝いの歌というのは、ひとそれぞれが自分の心の内側にむけてキリストにつづくような困難な道を辿ることを自分でたしかめる、自分ではげます歌だと思ったとき、涙が流れてなりませんでした。こんなに大ぜいのひとが自分なりに自分の苦しみをになっていこうとしている。なのに私は苦しみは避けよう避けようとしている。仕事についてもそう。男のひととのつきあいについてもそう。自分本位で辛抱なんてまっぴらで相手を傷つけても平気だった。そういう自分がいやで、そういう自分をなおしてくれる相手がほしくなったというわけ。
その夜一緒だった彼は、学生時代から彼女に好意をもち、卒業して十年間、つかずはなれず彼女の周辺にいて、二回の離婚も知っている。結婚に至らない恋愛の幾つかも見ている。しかもなお彼女への好意を失わないでいた。
――男らしいではありませんか。彼は、一生でも私を待っていようと思っていたのだそうです。七十になった私が、たった一人になったとしても、手をさしのべられる自分でいたいと思っていたなんて、殺し文句としては最上の出来だと思い、その褒美に私のすべてをあげることにしました。
当時彼女も彼も三十四歳。この十年間に彼が彼女以外の女を知っていたかどうか。
彼女のその日の報告によれば、彼は特定の女性との交際は皆無で、心身共に純白。まっさらの新夫だったそうだけれど、その後十年、ずっとおちついた結婚生活で、子供も二人生まれているところを見ると、彼女の選択はまちがっていなかったし、彼女自身も、匂いや体臭で相手の人格をきめてしまうような性急さのない幅広い人間に成長したのであろう。
しかし私のように不精で怠けものから見ると、一々体当りしてから、自分にあった相手を見つけるよりは、やっぱり相手を少しでも冷静に知ることのできる出あいを大切にしたい。
見合はくたびれるけれど、結婚してから別れる手数を思えば、やはり勇気を出して見合した方がよい。
私の一年に三度の見合も、一生に三度結婚、離婚をくり返すよりはましであったと思っている。
さて、この年若い知りあいとちがって、慎重すぎて、見合ばかりくりかえすこと二十回近く、三十五歳すぎてようやく結婚に至ったひとたちを知っている。
女は三十七歳。男は四十三歳である。近ごろ結婚についての相談所のようなものが、あちらこちらに出来ていて、そこへ行くと男の八十歳、女の七十歳もあるそうだから、この年齢は決して多すぎるとは言えない。
しかし、彼と彼女は、じつは十五年前、つまり彼が二十八歳、彼女が二十三歳の時に見合であっているのである。
そこが珍しい。以下、彼をPさん、彼女をQさんとする。
Pさんは、当時大学を卒業して小学校教師四年の体験者であり、Qさんは短大を卒業して銀行につとめていた。
二人とも結婚を急ぐ気持ちはなかった。二人に共通しているのはこの点であったかもしれない。
世の中には心配性の人間がいて、小学校時代から、自分はどんな相手と結婚するのだろう。自分と結婚してくれる相手がいるかしらと心配したりする。
中学、高校、大学時代を通して、いつも自分にコンプレックスを持ち、自分のようなものと結婚してくれるものはないと勝手に思いこみ、いささかやけになって、自分は結婚したくないなどと口走ったりする。じつは結婚したくてしたくて仕様がないのに。
ところがPさんとQさんもオクテというのか、私と同じように不精というのか、一人でいることにあまり孤独感など湧かず、適当に人生を一人でたのしむことを知っていた。先方の異性が、べったりと自分についてまわるような状態にあこがれることはなかった。
それに何といっても若かった。
Pさんは、別に将来校長になろうなどという野心もなかった。
教育の現場は結構たのしく、張り合いがあって生徒たちはかわいい。
その背後の父兄母姉は、大学を卒業したばかりの若い教師にとってはかなりの圧力団体で、月に一回の参観日に於ける彼や彼女たちとの応対がいささか負担である。毎日の教科の研究、組合関係の仕事などもあり、とにかくPさんの生活に結婚の入るすきはなかった。
ところがある年の正月元旦、山梨県の中学校長をしている、小学校時代の恩師のところへ挨拶に行ったとき、見合をすすめられた。
親戚の娘で、短大卒業後、東京の一流銀行に勤めて二年目だが、親は早く結婚してほしいと思っている。子供が生まれるまでつとめさせてくれることを条件にした縁談をさがしている。
人柄も温和で、容貌も先ず十人並み。スポーツはピンポンが趣味ということで、いくらでもそのへんにいる若い娘の一人である。
気はすすまないが、恩師の申し出をことわれず、冬休み中ということもあって、松飾りのとれないうちの方が縁起がよいからと言われ、正月五日に恩師の家であい、帰りに一緒に新宿で映画をみることにした。
――大丈夫かね、君。
玄関まで送ってきた恩師は扉のところに立って言い、
――大丈夫ですかPさん。
と恩師夫人がそえた。
夫人は他の町の小学校の教師をしている。夫婦揃っての収入は莫大であろうなどとかげでささやくものもいる。
地方によっては遠慮して妻の方がやめる場合もある。もっとも、同い年で、そろそろ肩たたきを受ける年頃でもあるのだが――。
Pさんはじつは夫婦同業ということをあまり好まない。だからいま銀行員であるQさんとの縁談をすすめられ、漠然とした期待を持ったのは事実である。
それにしても、見合をすすめ二人で一緒に行けと言っておきながら、大丈夫かとはどんな意味か。Pさんはそれほど若い女の子とのつきあいに馴れていないから心配という意味なのか。Pさんは無器用で、見合の機会をとらえなくては結婚の相手も見つからないようだけれど、二人きりになったとき、どう話を切り出してよいかわからないのではないかという心配なのか。
とにかくPさんは中央線の終点、新宿で下りて、駅前東側の繁華街に入っていった。
恩師の家を出てから二時間近くたって、すでに夕暮れ。灯のともりはじめた新宿に着いて、先ず食事をと考えたのは当然であろう。
Pさんはこの場合は勿論自分が費用を受け持つつもりで一軒のレストランに入った。|硝子《ガラス》張りの壁が広く大きく、照明の明るいのが気にいった。
新宿に着いて長い駅構内を歩いてきたとき、ゆきかう人の群れの中で、二人の人間から挨拶を受けた。
一人は担任の生徒の父兄、一人は高校に入った教え子。これも父兄同伴であった。その父兄たちも勿論挨拶した。
Pさんの横には肩を接せんばかりの近距離にQさんがいる。人ごみの中なので自然と添うような位置になる。
しかし混雑の中では、他人であっても、その位の至近距離に接触しあうから、果してこれらのひとたちが、PさんとQさんとはお見合中と悟ったかどうかわからない。
しかしPさんは悟られたと感じた。そして全身の血潮が逆流した。小学校は中央線沿線にある。それならば、新宿などに来ないで、山手線に乗りかえて、渋谷か池袋か上野に出ればよかったと後悔した。
後悔はPさんだけでなくQさんも同じであったらしく、駅を出るととたんに言ったのだった。
――新宿に下りなければよかったですね。
Qさんの銀行は代々木にある。お得意さんはやはり新宿に出るひとが多いであろう。Qさんの職歴はまだ二年だが、社内でも評判の整った容貌であったから、お客の中には顔を覚えているひとも少なくないにちがいない。Qさんは入社して二日目には、お得意さんのようにして、つと、付け文をおいてゆく男にであっていた。
――よろしかったらお茶を御一緒させてくれませんか。
×時まで××で待っていますと勝手にきめて書いてある。まあ失礼な、と思い、自分をそんな安手な誘惑にのる女と思っているのかと口惜しいだけであったが、もう何回となくそんな手紙をもらっていた。
QさんはPさんが父兄と挨拶している間、どんどん先を歩いていた。
うかうかと見合などをしたことを後悔した。将来どうするかわからない男などと歩いたりして。自分に付け文した男が、このゆきかう群衆の中にいたら、とうとう男と歩いたぞ、今度は自分が誘い出そう――そんな気持ちになるかもしれない。ああいや、ああ、うっとうしい。
PさんとQさんはレストランでは|対《むか》いあいに席を占め、言葉数も少なく、ビール一本をPさんが頼み、Qさんがジュースを飲み、一品ずつをとって食事をおえた。
話すことはあまりない。お互いの学校の話、家族の話は恩師の家ですんでしまった。Pさんはテニス、Qさんはピンポンが得意だが、テニスとピンポンでは試合をすることも共に練習することもない。
電車の中でも無言、通路でも無言。ただ、Qさんが新宿に来ないで別のところにゆけばよかったと言った時だけ、Pさんもそうですねと相槌を打って共鳴した。
次の出会いを約束するかしないかが、見合の成功か不成功かをきめる鍵なのだが、PさんもQさんも、初対面の異性との緊張した時間の持続にまいって、どちらからともなく立ち上がった時、二人とも小さく吐息した。心では二人ともにこれに共感したのである。
――やれやれよかった……。
破局はQさんがレシートをとった時に早々と来た。
Qさんはワリカンでゆこうとレシートの額面に眼を走らせ、Pさんは男としての屈辱を感じたのだった。
――ワリカンなんてミミッチイことをして。男に恥をかかすのか。だから銀行員はいやだ!
Pさんがどうしても一人で払うと力説したときQさんは舌打ちしたい思いであった。
――初対面からおごってかかったりして、末が思いやられるわ。だから先生ってキライ。いつもえらぶっている!
結局Qさんの主張が通ってワリカンにし、飲みものはめいめい払った。そして二人は次の出会いを予告しなかった。
それから十五年間はあわただしく過ぎ、PさんにもQさんにも二十回近い見合の機会があった。あるいは縁談の機会といった方がよいかもしれない。同じ職場の教師と、また、銀行員との間に起こって、まとまらないのがお互いに四、五回あったから、Pさんの恩師夫妻が「大丈夫……?」と念を押したのは、Pさんがいざという時になかなか決心がつかない性格であり、Qさんも同じ性格なことを見越した心配ゆえのようであった。
まことに二人とも、ちょっとしたことが気になって、いつも年月のみが空しくたったのである。
Pさんはあるとき、見合の相手と公園を歩いていた。犬の糞があった。相手はそれをまたいだ。それですっかりいやになってしまった。
Qさんはあるとき見合の相手とお茶をのんでいた。一匹の蛾がとんで来てコップのふちにとまった。相手は手ではたきおとし、つまんですててその手を洗わなかったので、いやになってしまった。
Pさんは職場の同僚から熱烈な恋ぶみをもらったが、誤字が三つもあったのでいやになって返事も出さなかった。教師のくせにまあ。Qさんは職場の同僚が喫茶店での待ち合わせをおくらせること三回に及んで交際を断った。Pさんはやはり同僚から恋ぶみをもらったが、どうしても彼女の化粧の濃さが不快であった。教師のくせにやれやれ。
Qさんは上司から職場の同僚との結婚をすすめられたが、彼が自分の父や母をお父さんお母さんというのが我慢ならなかった。
PさんもQさんも、年を加えるにしたがって縁談の相手の質がだんだん落ちてゆくようであった。
特にQさんは、こちらが初婚なのに相手は再婚、子連れというのが多くなった。
PさんとQさんが結ばれたのは、ある結婚紹介クラブのコンピューターが仲介となったものである。
ある大企業の社員の夫人たちが、同じ系列の会社の独身社員のための結婚相談を引き受けるようになってはじめられたもので、それからそれへと紹介され、ひろがっていって、今はそのクラブに属する会員が二千名近い。登録制になっていて、希望事項をコンピューターに記憶させ、ふさわしい答えをコンピューターがはじき出してくれる。
Pさんは教頭試験に受かっていた。Qさんは女子社員の監督役になっていた。
二人とも、相手の名を教えられた時、どこかで聞いた名とも思い出さなかった。
教師と銀行員という職業でも思い出さなかった。
しかし、そのクラブの応接室で、めいめいの仲介者となる二人の夫人につきそわれた相手と視線を合わせた時、どちらからともなく微笑が浮かび、どちらからともなく手をさしのべて握手してしまったという。二人とも同じことを心に浮かべたそうである。
――やっぱりこのひとのところにもどってきた。
いまPさんは教頭となって校長を目ざし、Qさんは独身時代に打ちこんで学習した習字で塾をひらき、仲むつまじい家庭をつくっている。子供もおそまきながら一人生まれた。
PさんQさんの姿を見ると、結婚という事業は、人間の意志を越えたところで成立するような気がする。
とまれ、大方の男と女は結婚する。恋愛はその前提であると私は思いたい。はじめから恋愛だけで終えることを予想して相手と深いかかわりを持つなどというのは、心身共に大きな消耗のような気がする。
もっとも自分の失われることをおそろしがったり、いやがったりしていては、恋愛についても語る資格がないかもしれないが。
最後に、よりよい結婚をつかむための条件というようなものを考えてみたい。
結婚というゴールにとびこむために、女がどう走ったらよいか。それは、男が、そういう相手を、どう受けとめたらよいかということにもなる。逆の場合も同じである。
私の娘の頃は、さかんに、結婚は賭けだとか、結婚は、人生の墓場だとかいう言葉がはやって、結婚式の前の晩は、いよいよ娘時代との悲しい別れだと言うので、ヤケのヤンパチでさわいだり、ひとり部屋にこもって、サメザメと泣いたりということが普通らしかった。
賭けとあっては、一か八かのギャンブルなので、いいクジに当ればよし、外れたら一生を棒に振るようなことになる。
結婚が墓場だというなら、その前夜はまさにお通夜だから、いくら泣いても泣ききれない。これらの言葉は、女ばかりでなく、男側からも言われていて、男にとっても女にとっても結婚は決して、バラ色にかがやく夢をもたらすものではなかったらしい。
多分、本人同士の気持ちよりも、家と家の都合で結ばれた縁が多かったからであろう。
今は全くちがって、先ず本人同士の合意ということが建て前になっている。泣き泣き親の言いなりに嫁ぐ娘もいなければ、心に染まぬ相手を押しつけられる息子もなく、いやならいやと、はっきりと意思表示ができる。それだけに自分自身で、相手をえらぶという責任を持たなければならぬ。
結婚の機会も、|他人《ひと》任せでなく、自分からつくらなければならぬとなると、うかうかとしてはいられない。
男も女も、自由に拒否権を使うとなれば、何はさておいて相手から嫌われない人間であることが必要だ。人間とは不思議なもので、万人が「アノヒトハイヤナヒト」と嫌っても、結構、いい相手に恵まれていたりする。万人に好かれ、何の欠点もないと言われる人間が、結婚運からは見放されて、どうしてあんな相手につかまってしまったのだろうというような目にあったりする。
してみると、これだけ、自由選択のできる時代であっても、やっぱり結婚は賭け、人生の墓場という悲惨なことになりかねない。
ということは、よりよい結婚の機会を、とらえるために、どんなに努力しても、それで十分ではない、つねにつねに心がけていなければ、よい結婚にはめぐり合えないということになるのではないだろうか。
大分、おどかしてしまったようだけれど、そんなに心配しなくても、恵まれた結婚をしているひとはたくさんいる。
いや、大部分のひとは、自分に与えられた相手に満足し、他人がどう言おうと、その人なりの仕合わせをつくっている。むしろ、ひとからは不仕合わせ、不幸と見られながら、本人同士が、互いに相手を必要としあっている結婚こそ張り合いに満ちた、幸福な結婚なのかもしれない。
では、ひろい世界の、どこかに、たった一人、あなたを必要とするひとにであうために、青春の一ときをどうすごしたらよいか。
もしも私が娘であったら、自分が好ましいと思った相手に好かれたい。自分の好みにあわなくて、その声を聞くさえ寒気だつというようなひとからは好かれたくない。
自分の好きな相手から、あなたが好きと言われることこそ、人生最大の幸福と思うけれど、私の経験からすると、私が好ましいとひそかに思ったひとは、私と一緒にいた友人の方が好きであったり、私自身の方は、そのひとがあらわれると、何となく食欲がなくなってしまうような相手から、猛烈な恋ぶみをもらったりした。全く男と女の仲は、思うようにいかないものである。
それで、私は、自分の娘時代の経験から考えて、また、私の知り合いの若い娘や息子たちの、幸福な結婚の成立から考えて、多分、こんな形で、そのときの与えられるのを待ったらよいのではないかと思う。
一つ。先ず、異性とつきあうときに、相手に、この女は、あるいはこの男は、結婚したがっている、結婚以外に、異性とつきあう興味はないと思わせるような態度は決してとらないこと。これは恋愛についても同じで、異性とのつきあいに、すぐに、のぼせて、ぽっとして、「あなたが好きです」とか「愛しています」などという言葉をつかうことは禁物である。
先制攻撃ということもあるけれど、やはり、結婚とか、恋愛とかになれば、責任のあることだから、まじめな相手であるほど、ぎょっとして、制約を感じて、警戒心を抱いてしまう。
どんなに好ましい相手にであっても、結婚とか恋愛などは、ゆめにも思っていないような態度であれば、相手も安心し、ゆとりある交際の中で、このひとが自分の結婚の相手にふさわしいかどうかをゆっくり観察できる。
簡単に離婚するひとがふえているけれど、やっぱり、結婚は、できれば一生一人の相手でありたい。結婚してからあれこれ迷うよりは、する前によくよく研究した方がよい。統計の上で、見合結婚よりも、恋愛結婚の方が多く離婚するというのは、やはり、のぼせ上がった状態で結ばれ、相手への冷静な観察がゆきとどかなかったからではないだろうか。
したがって、よりよい結婚に恵まれたいと思えば決して性急にあせって、あって一目惚れ、そのまま実質的な結婚にゴールインというような、短距離ランナーのようなやりかたはしない方がよい。
走ることにかけて言うならば、結婚とはまさに人生をマラソンで走ることである。本番のレースに備えて、毎日のマラソン練習で鍛えるのが、そのための準備的恋愛と言おうか。心臓も、脚力も十分に強くなければならないが、先ず必要なのは、強い意志であろう。
相手は生涯に一人ときめる意志。
その一人にであうために、あせらぬ意志。であった時、このひとこそと鋭く相手を見抜ける眼力をも持っていなければならないが、それには日頃から心がけて、自分のまわりの異性をよく観察しておくことが大切である。日記にでもメモ帳にでも、あのひとのここが好き、ここが嫌いと書いておく習慣をつけると、案外、他人を見る眼が養われてゆくようだ。
などといって、いつも観察ばかりしていて、ひとを観察するおもしろさに熱中し、自分にとって大事な、自分にとってこのひとこそと思われるはずの相手にめぐりあっても、かんじんの恋愛感情などわいて来ないというのも悲劇。また、いつもじろじろ観察していて、相手から、眼つきの悪い奴だと嫌われる悲劇もおこる。あなたのことをメモしてますよなどという気配は、全く相手にさとられてはならぬのだからむずかしい。
よりよい恋愛を実らすためには、全身全霊をあげて、自分のあらゆる知慧をしぼってかからなければならぬと知るべきである。また、よりよい結婚のゴールに辿りつくことは、それだけの努力に値するすばらしい実りを与えてくれる。
若者たちよ、奮ってこのレースに参加して下さい。
[#地付き]〈了〉

あ と が き
なぜ愛なのか。
十人をこえる若いひとたちが、私にその愛のありかたを語ってくれた。
高校生。女子大生。人妻。つとめを持つ独身女性。それぞれの悩みを訴えながら、女として先輩である私に意見を求めた。
妻となり、母となって、長い年月を経ながら、私自身もいまだに、悩み、惑うことが多い。
愛とは、古く、また、永遠に、新しい問題なのであった。
なぜ愛なのか。
ただ、ただ、若いひとたち一人一人の身になって、一生けんめい、悩みを解く|緒《いとぐち》をさがしてみた。十三の報告は、いんなあ・とりっぷ誌に発表したものをもとに、新たに書きおこしたものである。
なぜ愛なのか。
愛について悩むあなたも、この報告、この告白の中から、あなた自身の悩みを解く鍵を見つけて下されば仕合わせである。
昭和五十四年六月 スイスへの山旅に出発する前夜に
[#地付き]著 者
単行本
昭和五十四年八月文藝春秋刊
[#改ページ]
文春ウェブ文庫版
なぜ愛なのか
十三の報告から
二〇〇〇年七月二十日 第一版
二〇〇一年七月二十日 第三版
著 者 田中澄江
発行人 堀江礼一
発行所 株式会社文藝春秋
東京都千代田区紀尾井町三─二三
郵便番号 一〇二─八〇〇八
電話 03─3265─1211
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