渡辺淳一
光 と 影
目 次
光 と 影
宣  告
猿 の 抵 抗
薔 薇 連 想
光 と 影
船は玄界灘にかかったらしく、揺れが激しくなった。今朝七時に長崎を出て、すでに四時間余りを過ぎている。陽はほぼ中空に近づいていた。
陸軍大尉、小武《おぶ》敬介は半刻前から甲板へ出て、春霞のなかに緩やかな起伏を見せている北九州の島影を見ていた。遠い陸地と空だけを見ていると何事もない平凡な海路である。ここでは兵士の雄叫びも砲弾の音もすべてが嘘のようである。戦場の阿鼻叫喚は一刻の夢であったとしか思えない。
だが船倉に行けばそれが確かな現実であったことが分る。船倉の畳敷には五百を越える傷病兵が犇《ひしめ》き合っていた。ある者は目を閉じたまま痛みに耐え、ある者は無意識のうちに呻いている。小武も例外ではない。彼の右腕は肩口から手首まで包帯で巻き込まれ、首からの襷で吊られていた。副木に合わせて、直角に近く曲げられた肘の辺りには、白い包帯の下から血が滲んでいた。
小武は自由の利く左手で舷側の手摺を握り、両足を軽く開いて揺れに耐えていたが、それでもうねりとともに上体がかすかに揺れた。揺れの度に肘に軽い痛みが走った。船倉にゆけば小武の休む一畳に満たぬ空間はあった。だが彼は戻る気にはなれなかった。狭い所にぎっしりと押し込められた傷病兵達の熱の籠った吐気と、腐敗した創口の膿の甘酸っぱい匂いとで、船倉は一種異様な臭いがたちこめていた。
「腕はやられたが脚は丈夫だから俺は立っておれる。甲板に出て暫く散歩してくるからその間、ゆっくり手足を伸ばして休んでおれ」
小武は隣りで脇腹に貫通銃創を受け、窮屈そうに脚を曲げて横たわっている同じ大隊の少尉に云って船倉を出てきた。少尉は腹の創が化膿し始め、かなりの熱で顔が赤くうるんでいた。小武も昨夜あたりから寒気を覚えていた。今朝の乗船前のガーゼ交換でも肘の創口からは血と膿が交った排液が、ガーゼとともに、どろどろと出てきた。膿を拭き取ると肉のふきとんだ創口から白い骨が見通せた。軍医のさし込んだピンセットが骨に触れる度に、かちかちと鳴ったが、不思議なことにそれにはさほどの痛みがなかった。骨は砕けたまま、すでに死んでいるのかも知れなかった。
「せめて一刻くらいは脚を伸ばして寝かせてやろう」
小武は微熱を覚えながら舷側に立っていた。北九州の島影は彼方まで紫色の帯となって連なっている。病院船が門司を抜け、瀬戸内海を過ぎ、大阪の臨時病院に着くのは明後日の午後と聞いた。
(それまで保つかな)
小武はまた横にいた少尉のことを思った。腸まで腐り始めていると軍医が云っていた。
(惜しい奴は死んでいく)
俺はどうかな、小武は包帯に包まれた右腕を見た。自分の腕なのに自分のもののようには思えなかった。
(腕一本なくして助かるのか)
先のことは大阪へ行ってみなければ分らない、小武は青い海へ唾を吐いた。
「小武、小武ではないか」
その時、彼は自分の名が呼ばれているのに気付いた。振り向くと八の字に薄く口髭を生やした顔の長い男が立っている。奇妙なことに男も右腕に副木をあて、包帯で包まれ首から吊っている。袖章は小武と同じ大尉である。
「おっ、寺内じゃないか」
「やっぱりそうだ。なんだか背恰好が似ていると思った」
男は細い眼を一層細くして笑った。陸軍大尉、寺内寿三郎であった。
「お前、やられたのか」
「お前も」
二人は互いの包帯におおわれた右腕を見合った。
「どこでだ?」
「田原坂だ」寺内が答えた。
「俺は植木坂だ」
「いつ?」
「三月十二日だ、お前は」
「十一日だ」
「お前が一日先輩だな」
「ありがたくない先輩だ」
二人はもう一度、顔を見合わせて笑った。
寺内と小武、この二人が加わった西南戦争は西郷隆盛を首領とする鹿児島旧士族の反乱であった。戦闘は明治十年(一八七七年)二月、薩軍が政府軍を熊本城に攻撃したことにより火ぶたが切られた。
包囲された熊本鎮台兵は二カ月にわたる籠城を余儀なくされ、一時は落城寸前まで追い込まれたが政府軍の増援に救われ、替って薩軍は退却し、人吉・都城の戦闘を経て九月の鹿児島陥落を最後に政府軍の勝利で終った。
この一連の戦争のなかで、初期の熊本城攻防戦は最も激烈をきわめた。とくに熊本城へ急行する政府軍が強力な薩軍と相対した田原坂口では、三月十一日から六日間、昼夜に亙り、言葉どおりの血で血を洗う激闘が繰り返され、薩軍の智将として名高かった篠原国幹もここで戦死した。
これと同じく植木坂へ向かった乃木希典少佐の率いる歩兵第十四連隊も薩軍の頑強な抵抗にあって苦戦を重ね、一時は軍旗まで失い混乱退却するという破目にまでおちいった。
この時、近衛歩兵第一連隊第一大隊第一中隊長であった寺内大尉は、田原坂に向かい、乃木連隊の第一大隊第二中隊長であった小武敬介は植木坂に向かった。
「突撃命令を出し、右手に軍刀を振りあげて坂をめがけて突っ込んだ途端に肘を射ち抜かれた。はっと思って上を見ると腕だけ上ったまま、軍刀を持っていないのだ」
寺内は左手で手真似をしてみせた。
「慌てて左手で拾ったが、軍刀を落すとは醜態だ」
「それは止むを得ん」
寺内大尉の向かった田原坂は高瀬から植木を経て熊本城に通ずる本道上の第一の関門であった。前には木葉川の渓流を控え、くねくねと幾重にも曲りくねった坂路は幅狭く、崖は何処も三十メートルを越す絶壁が連なり、樹木は天をおおうばかりに生い茂り、いわゆる天然の要害であった。薩軍はこの要害の上に位置して下から寄せてくる政府軍を傷めつけたのである。
「貴様も同じ右肘か」
「そうだ、スナイドル銃で射抜かれた」
「なんだ創まで同じか」
「植木坂の防塁の直前まで迫ってやられた。あの時射たれなければ中にとび込めた」
「そうしたら死んでいたかも知れんな」
「死んだ方が良かったかも知れん、どうせ大阪に行けば右腕はなくなるのだ」
「うん」
瞬間、寺内は海を見た。船腹にかき分けられていく波濤が同じ模様を描いていた。
「こんな自分の思う通りにならん腕はいらん。早くきれいさっぱりと切断して貰った方が痛みがなくなる」
寺内は顔をあげると苛立《いらだ》たしげに云った。
「あと二、三日の辛抱だ」
「田原坂から木葉の仮包帯所に後退したのが十三日の夜だ。それから高瀬の軍団病院へ後送され、高瀬舟に載せられて筑後川を下り、長崎病院に三日おかれて今朝、ようやく病院船に乗れた。この分では大阪で治療らしい治療を受けるまでに十日以上もかかることになる」
「貴様の云うとおりだ。治るものも腐っちまう」
「九州で戦闘があるというのに、何故、大阪などに臨時病院を置いたのだ」
「下関という話もあったらしいが、田舎では土地も備品も調達できないから、というわけだ、あれだけの傷病兵が三日にあげず運びこまれるのだからな」
「ふん」
寺内は渋々うなずいた。小武はまた船底にいる少尉のことを思った。
「おかげで腕の命は四、五日延びたというわけか」
船が揺れる度に上体が引き込まれるように沈む。
「畜生、また痛みやがる」
「しかしやられた個所まで同じとは、俺達はよくよく縁があるな」
「同期だからな」
二人は東京教導団の同期生であった。この学校は明治三年に陸軍の下級幹部養成所として兵学寮に附設して出来たもので、場所は今の警視庁の所にあった。西南戦争の時は団長の高島鞆之助少将が別働第一旅団司令官となって出征したので、出身者のほとんどが戦争に加わった。のちにこれは千葉県国府台に移ったが、ここから士官学校に進んだなかに多くの逸材が輩出した。総理大臣田中義一、朝鮮総督山梨半造、関東軍司令武藤信義、参謀総長河合操等々、数えあげるときりがない。
二人が卒業した明治三年卒の教導団には五十名余の同期生がいたが、そのなかで小武は秀才の誉高く、学科でも兵術でも抜きんでた存在であった。
「傷が治ったら我々だけで片腕隊でもつくろうか」
「差し当りお前が隊長で俺が副隊長だな」
寺内が生真面目な顔で云った。
「どうせ命の惜しくない不具者の集まりだ。これは強くなるぞ」
二人は潮風に向かって胸を張りながらことさらに元気づけるように大声で笑った。
翌々日の午後、船は無事大阪に着いた。傷病兵達は農夫の担ぐ戸板に載せられて大阪城内の臨時病院へ陸送された。
この大阪陸軍臨時病院は、以前からあった大阪鎮台横の陸軍病院に加え、周囲にさらに十二棟の病室を急造して合わせたもので、最盛時には八千五百人からの傷病兵を収容したと云われている。臨時病院の院長はのちに軍医総監となった石黒忠悳で、外科部長は佐藤進であった。
この佐藤進という人は佐倉順天堂で有名な順天堂医院の後継者で、日本で初めて独逸に留学し、正式に独逸医学を修めた人であり、その外科的技倆は当時並ぶ者ないと云われていた人であった。彼は自分が養子となった順天堂医院に勤めていたが、西南戦争が始まり、大阪臨時病院に熟練した外科医が不足していると聞くと、自ら医院を一時捨てて陸軍病院に志願したほどの熱血漢であった。陸軍省では彼のこの義勇奉公の精神を認め、直ちに陸軍軍医監とし、臨時病院副院長に任命したのである。
臨時病院に入院した寺内、小武の二人の病室は東二番病棟で同室人は六人であった。いずれも少尉から大尉までの将校で、兵隊の大部屋よりはいくらか小綺麗であった。
二人とも貫通銃創による右上腕肘関節上部の粉砕骨折で、ともに創は化膿して周りは赤く腫れあがり、創口からは青い鼻汁のような膿が流れ出ていた。副木を外すと腕は肩から力なく垂れ下り、他の手で持ち上げると肘で曲った上に、更にその四、五センチ上の骨折部でも曲るという奇妙な形を呈する始末だった。
大阪に着いた三日目の午後に、二人は続けて手術を受けることになった。二例とも上腕の半ばから切断することに軍医達の間で異論はなかった。
「どちらから先にしますか」担当の川村軍医はその日の昼休み、医局で佐藤に尋ねた。
「二人とも同じだからどちらからでもいいが」
呟きながら佐藤はふと目の前のカルテを見た。カルテは小武、寺内の順に重ねられていた。
「小武大尉、寺内大尉の順でいいだろう」
「承知しました」
答えると川村軍医は手術器具の準備に医局を出た。
貫通銃創による上腕骨の粉砕骨折と云っても、現在では切断ということはまずあり得ない。癌とか肉腫のように放置すると命にかかわるものや、血管や筋肉が広範囲に飛び散っている場合に限ってのみ切断術が行なわれる。切断というのは最後の手段でいつでも出来るのだから急ぐ必要はないのである。
だがこれらはあくまで現在の話である。抗生物質も、体内に放置しても銹びない骨接合用金属もなく、手術器具も幼稚であった当時としては、創の化膿した粉砕骨折を、その上部で切断することは当然の医学常識であった。もしぐずぐずして切断の時期を失すると化膿菌が拡がり、敗血症や脱疸を起し、死をも招きかねないからである。
その日の昼、小武と寺内は昼食をとらず、下着から病衣までを新しいのに着替えた。手術は午後からなので麻酔のために昼食は禁じられていた。
「遺書でも書いておこうか」
「そうだな」
腕一本の切断だが、当時のクロロフォルム吸飲麻酔法や切断手術には、なお多少の危険があった。
小武はベッドに正坐し、小箱の上に半紙と墨を揃えた。だが改まって考えてみると大して書くこともない。母のせいは周防の防府でまだ生きていた。数えてみると五十二歳であった。二十七歳の今日まで孝養らしい孝養もしなかったと小武はかすかな悔を覚えた。
(しかし微力ながらお国のためにだけは尽した)
母もそれだけは分ってくれると思った。結局、孝養の至らなかったことを詫びる旨だけを、左手で簡単に書き記して封をした。
「少し散策して来ようか」
「一時までには戻らねばならぬ」
「庭までならいいだろう」
遺書を書いた故か二人の顔は少し蒼ざめていた。二人は中庭へ通じる廊下を経て庭へ出た。
「あと半月もすれば桜だな」
小武は芝生に胡坐《あぐら》をかき、芽吹き始めた桜の枝を見た。
「桜が咲くまでには退院できるかな」
「どうかな」
「しかし右手がなくなるというのは不便なものだな、五、六行書くのに汚い字で普通の倍以上もかかった」
「なければないで、また左手がすぐ慣れてくるだろう」
小武は寺内へより自分に云いきかせるように云った。
「お前、妻は?」寺内が尋ねた。
「妻か……妻はない」
小武は遠くへ眼を向けて答えた。
「そうか、それはよかった」
「お前は?」
「俺は一年前に貰った」
「東京にいるのか」
「そうだ」
「まだ報せていないのだな」
「うん」寺内は手に草を握ったままうなずいた。
「それはやはり報せてやった方がいい」
云いながら小武は本庄むつ子の姿を思い浮かべていた。日本橋呉服商、本庄弥八郎の娘で十八歳であった。西南戦争から戻ったら叔父の仲だちで結婚をする予定になっていた。
「軍人のくせに妻など娶るべきではなかったのだ」寺内が吐きすてるように云った。
「そんなことはないさ」
むつ子とは婚約だけであった。不具になってもその分だけ荷が軽い。だがそれだけ絆も薄いのだ。柄になく小武は淋しさを覚えた。廊下では相変らず看護卒の往来が激しい。戸板の上に軍装の男が横たわっている。
「また船が着いたのだな」
「これでは医者もたまらないな」
「我々の方は二人とも佐藤軍医監がやって下さるらしい」
「あの方なら心配はない」
「行こうか」
小武は手術が気になった。時間でもくり上って呼びに来ていたりしたら大変である。
「先の方がいいな」
「そうかな」
「どうせ切るのだから早くやって貰った方がさっぱりする、それに……」
芝生を歩きながら寺内が云い淀んだ。
「なんだ」
「医者も先の方が疲れがなくて順調にできるのではないかな」
「そんなことはない、一番目も二番目も同じだ、二番目の方がむしろ手慣れていいかもしれん」
「器械が足りなくなる、なんてことが起るのではないか」
「安心せい、これだけの大病院だ」
「しかし何故お前が先で、俺が後になったのかな」
「それは勿論、軍医達がいろいろ考えた結果だろう。でも一番目、二番目と云っても、せいぜい一刻の差だ」
「戦場でならともかく、こんな病院で死ぬのは嫌だからな」
寺内の柄にない弱音を聞いていると、小武も不吉な予感にとらわれた。
「明日になれば二人とも片腕で飯を食っているさ」
小武はことさらに陽気に云った。不思議なことに腕の痛みはなかった。半刻後に手術台に上るという緊張感が、痛みを忘れさせているのだった。
午後一時半、小武は看護卒に付き添われて手術室に向かった。廊下の窓ごしに見える午後の空は雲一つなく底抜けに明るかった。空気が乾いていると思った。それがその日、小武が意識のなかで知っている最後の戸外の情景であった。
午後二時丁度、佐藤軍医監執刀の下、川村以下二名の若い軍医が助手となって、小武大尉の上腕切断術が始められた。麻酔用クロロフォルムを嗅がされ、一時は興奮期に入り暴れ苦しんでいた大尉も、いまは麻酔剤がきいておとなしく眠りについていた。
まず皮膚を、断端を筒状におおう形に型取りしながら切り離し、上方に翻転してから筋肉に向かう。このあとは輪切りに骨まで一気に進む。佐藤軍医監は一尺五寸にも達する細く長い切断刀を顔の正面に垂直に立てた。刀に向けて微かに黙祷をする。それにならって腕を支え、創口を開いている二人の軍医も目を伏せた。切断する時の術者の礼儀である。
「ゆくぞ」
その声で軍医達は一瞬の瞑目から覚めた。
「止血帯は大丈夫だな」
「はい」
肩口は太い皮紐で皮膚が括れるほど引き絞られている。その位置で一旦すべての血を停止しておく。この紐が緩んではたちまち大出血を起し一命を失う。輸血も補液もなかった時代である。
「では」
細く長い刃が午後の手術場の中で輝いた。刃は斜め横から縦に走り、一転して裏面の肉を横断した。瞬間、小武大尉の上体が反り返ったが、左右を固めた軍医達に押え込まれた。一瞬のうちに中央の径二寸の骨を残して筋肉、血管、神経のすべては切り離されてしまった。
「鋸」
切り離された個所から肉を上方におし上げ露出した骨に洋鋸が当てられた。
「しっかり持て」
小さな骨粉を出しながら鋸は骨を切り進んでいく。
「離れるぞ、いいか」
その瞬間、小武大尉の腕は音もなく待ち構えた若い軍医の手の中に落ちた。
「被布に包んでおけ」
「はい」
腕は妙に軽々しく虚しかった。これが今迄敬礼をし、抜刀し、敵をねじ伏せた腕とは思えなかった。軍医は手術場の隅でもう一度丁重に頭を下げると、孤独になった腕を白い被布でくるんで床の上に置いた。
断端の血管を閉じ、神経を束ね、その上に筋肉を覆《かぶ》せ、皮膚を寄せれば手術は終る。見かけの派手さに較べ、切断術はさして難しい手術ではない。それは建物の壊れた部分を取り除くのが、復元するのより易しいのと似ていた。
半刻で小武大尉の手術は終り、彼はなお麻酔が覚めきらぬままに病室へ戻された。
寺内大尉が手術台に上ったのはその約半刻あとであった。すぐクロロフォルムを嗅がされ悶えた末、やがて彼も意識を失い手術台上に褌一枚の姿で眠りに入った。
小武大尉の手術に加わった三人の若い軍医達は手を洗い直し、新しい術衣に着替えて再び寺内大尉が横たわっている手術台を囲んだ。
全身に消毒布をかけ、切り落す腕だけが光の中にあった。ゆっくりと佐藤進が手術台に向かった。軍医達は佐藤がメスを執り、皮膚を切り込むのを待った。
三十秒経ち、一分経った。だが佐藤はメスを執らない。不審に思って川村が目を上げた時、佐藤が云った。
「川村君、一つ実験をやってみないかね」
「はあ?」
「軍陣外科の実験だ」
「と云いますと……」
川村には佐藤の云おうとしていることが分らなかった。
「こんな若い青年の腕を切るのはいかにも辛い」
それは川村も同じだった。佐藤ほどではないが川村もここへ来て十以上に及ぶ手足を切断していた。手術はともかく、不具を決定的にしたという気持がたまらない。
「粉砕した骨片を充分に摘《と》りだすという方法がポンペの医学書に書いてある。腕を残したいのだ」
「お言葉ですが、この例は化膿がひどすぎて……」
川村軍医もポンペの医学書は読んでいた。その中に砕かれた骨片を充分に摘り出し、良い肢位に肢を固定して骨の新生を待つという方法が書かれている。だがこれには骨が化膿していないという条件があった。
「ほかに何が問題かね」佐藤が尋ねた。
「それにこれも前の例と同じに砕けた骨片が多く、全部摘り出すと骨のない部分だけで一寸以上もの空間が生じます。その間を新生骨がうずめるのはかなり困難なことかと思います」
川村の云うことは正論であった。それが医学的に正しいことは佐藤が一番良く知っていた。だがその方法は正しいというだけで新味はなかった。
「あまり沢山の腕を切り落したのでなあ」
それが佐藤の本音であった。しかし、佐藤にしたところでポンペの方法で治るという根拠も自信もなかった。初めから適応が違うのである。
「化膿していてはやはりいかんかのう」
分りきっていることを佐藤は呟いた。化膿があるかぎり創はふさがらず健康な骨までも蝕み延々と排膿が続き敗血症になる危険性もある。それは医学書にはっきりと書かれている。だが川村はそんなことを改めて云う気にはなれなかった。外科医として佐藤の気持はよく分った。
「何年か経てば膿はおさまるかも知れん。どんな利かぬ手でも、自分の手があるにこしたことはないだろう」
「ですが、寺内大尉にはすでに……」
「寺内君には悪いが実験台になって貰おう、どうかね」
「はい」
川村に異論はなかった。出来ることなら彼も切断以外の手術をやってみたかった。
「軍陣外科は戦争の度に進歩し、それがまた次の戦争に役に立つ」佐藤は誰にともなく云った。
「じゃ、いいな」
メスを持ちながら佐藤は、何故こんな時にこんなことをやる気になったのか、自分で自分の気持が分らなかった。
小武が麻酔から完全に目覚めたのは翌日の朝であった。激しい口渇で夜に一度目覚めたが看護卒の飲ませてくれた水で再び寝入ったのである。気付くと病室には明るい朝の陽が輝き、同室の者の低い笑い声が聞こえた。
ここは、と思って小武が首をもたげた途端に激しい痛みが右の腕に走った。
「うっ」
「大尉殿っ」窓際で氷嚢を入れ替えていた看護卒が駈け寄った。
「気付かれましたか」
痛みで小武は初めて昨日、自分が上腕切断の手術を受けたことを思い出した。
彼はそろそろと自由の利く左手で掛布団を除け、その下の右腕を探った。
「ない……」
たしかに腕は包帯に巻き込まれたまま半ばで跡切れていた。彼は怯えたように横を見た。寺内が眠っている。
「おい、寺内」
呼んだが寺内は答えなかった。寺内の手術前とは比べもつかぬ蒼ざめた顔に、柔らかい春陽がさし、そこに鼻がかすかな影を落していた。
(彼も切られたのか)
目を移した瞬間、小武は息を呑んだ。掛布団の端に寺内の腕が出ている。副木を当てられ、何重にも包帯を巻かれた先にはかすかに色づいた手が見えた。
「腕がある……」
もう一度、小武はたしかめた。だがやはりそれは寺内の右手であった。
「おい」小武は再び看護卒を呼んだ。
「あいつはやらなかったのか」
「いいえ、大尉殿のあとすぐやられました」
「腕が残っているぞ」
「それは……軍医殿に聞かねば分りません」
「お前は聞いとらんのか」
「はいっ」
(俺の腕も残っていたかな)
小武はもう一度、確かめるように自分の右腕へ目を向けた。だが何度見ても腕はやはりなかった。
翌日から手術のあとのガーゼ交換は小武、寺内の順におこなわれた。小武の創は断端の縫合部に軽い出血を見る程度で乾いていたが、寺内のは肘の上の表裏二面の創口から流れるように膿が出た。
「ううっ」
創のガーゼを抜き出し、新しいのを挿入するたびに寺内は顔を蒼白にして堪えた。小武は目を背けて彼の苦痛の声をきいていた。ガーゼ交換が終ったあと寺内は、すべての気力を費い果したように肩で荒い息を繰り返した。
「何故切断してくれなかったのですか」
三日目、ガーゼ交換のあと、彼は低い声で受持の川村軍医に尋ねた。
「骨の砕け方が小さかったのです」
「小武大尉と同じではなかったのですか」
「化膿の状況が貴官の方が軽かったので、佐藤先生と相談の結果、切断はしばらく見合わせることになったのです」
「では、場合によっては後で切断ということになるかも知れんのですか」
「あるいは、しかし腐った骨片は全部出したから化膿はおさまるかもしれません、そうしたら腕は助かります」
「骨がなくてもいいのですか」
「それは、化膿がおさまったところで考えればいいのです」
それだけ云うと川村軍医は回診車の上にある盥《たらい》で手を洗い、部屋を出ていった。寺内は軍医の姿が消えるのを見届けると、小武の方をちらりと見て呟いた。
「分らん」
小武は格別答える言葉もなく眼をそらした。
腫れて赤味を帯びていた小武の創は、三日もたつと腫脹も弱まり、局所の熱もおさまった。この分なら十日目には半分の糸を抜き、十四日目には全抜糸ができるだろうと川村が告げた。縫合部の先端に指の先程の創が開いていたが、それが閉じるのも時間の問題だと思われた。
だが寺内の方は相変らず膿が出続けていた。何処からどうして出てくるのか、見ていると不思議なほどだった。手術後、三日目に一旦三十八度近くまで下った熱は一日だけで、四日目から再び上り始め、五日目には四十度にまで達した。熱とともに食欲も目立って衰えた。もともと「馬」という綽名《あだな》があったほど長かった寺内の顔は頬が痩せて一層長くなり、蒼ざめた顔に髪の毛だけが伸び、幽鬼のような形相になった。
毎日の回診は川村軍医が行なったが、週に二度、月曜と金曜は佐藤軍医監が現われた。
「寺内大尉だね」
佐藤は寺内の処で立止り、自分からガーゼ交換を始めた。
「熱があるな」
「このところ続いています」
川村が温度板を示した。熱は時間により上下に激しく変動していた。局所の化膿が敗血症に移行する時の熱型であった。佐藤はその温度板を暫く見詰めてから云った。
「つききりで肩から腕全部を冷やすのだ、一刻も休んではならん」
「はい」川村が答えた。
「食欲はあるのかね」
「普通食の三分の一が精一杯です」
看護卒の言葉に佐藤は、ちょっと考えるように立止ったが、そのまま思い直したように部屋を出ていった。
この大阪臨時陸軍病院に天皇陛下が行幸になったのはこの三日後の三月三十一日であった。天皇陛下は内閣顧問木戸孝允を随え、京都行在所から行幸になった。
この時、病院には二千四百名の傷病兵がいたが、ベッドに起きられる者以外は寝てお迎えして構わぬという布達が出た。小武は起き、寺内は寝たままと定められた。
「起してさえくれればあとは坐っていられる。頼む起してくれ」
その日の朝、寺内は秘かに小武に頼んだ。
「いかん、熱があるのにそんなことをしては命取りになるぞ」
「構わん、陛下を正坐してお迎え出来たらそれで思い残すことはない」
「落ちつけ、そんなことで命を縮めてどうなる。先は長いのだ」
「畜生、体の調子が良いからと云って偉そうなことを云うな」
「何を云う、貴様のためを思って云っているのだ」
頑固な奴だと小武は呆れた。
「えいっ、この腕さえ切っておけばこんなことにならなかったのだ」
床の中で寺内は自由のきく足をばたつかせた。小武は相手にせず背を向けていた。暫くしてから寺内が哀願するように云った。
「小武、一生の願いだ。起してくれ」
小武はやはり答えなかった。背を向けたまま、自分の好意がいつか分ってくれる時があるかも知れないと思っていた。
病院で定めたとおり小武はベッドに正坐し、寺内は臥床したままで天皇陛下を迎えた。中には強引に起き上り敬礼をしようとして創の個処に激痛を覚え倒れ伏す者もいた。明治天皇は第一室で早くもこのことを察して、
「朕が臨むので、患者が殊更に正坐平伏して敬礼を表する為に、苟《いやしく》も傷所に疼痛を増す事あらば朕が意に非ず。汝《なんじ》能く患者をして、此の意を体せしめよ」
との言葉を賜わった。石黒院長は直ちに引き下り、予めこのことを全傷病兵に告げ、無用の正坐をすることを禁じた。
陛下が通り過ぎたあと、小武は寺内が泣いているのを知った。
四月になり桜が咲いた。小武の断端は完全に炎症がおさまり、腫れも消えて初めの頃より随分細くなった。風呂に入り筋肉を温めたあと肩を中心にぐるぐる廻し、先端の皮膚を強くするためマットに叩きつける。いわゆる後療法の段階に入っていた。
たが寺内の病状は変りばえがしなかった。一時敗血症まで進むかと思われた高熱だけは、軍医と看護卒の不眠の努力でなんとか食いとめたが、微熱は相変らず続き、膿汁は一向に減る気配がなかった。ガーゼ交換の度に創の奥の神経に触れるらしく、その度に寺内は蒼ざめた額に汗を浮かべて呻き続けた。
小武は熱と痛みに苦しむ寺内を見るのが辛かった。手術前まではあれだけ陽気になんでも話していた寺内が、ほとんど口をきかなくなった。慢性の熱があり、体の調子が悪い故もあったがそれだけではない。病状があまりにかけ離れたのが二人の気持を引き離しているようであった。
寺内とは教導団時代から同期で励まし合った仲である。勿論競ったこともある。一方が一日でも早く昇級したと聞いたらいい気持はしない。だが二人の進級はほぼ同じか、小武の方がやや早かった。学術でも勇敢さでも寺内に譲ったことはなかった。
(だが今の病状の差はひどすぎる)
と小武は思った。一方は自由自在に動き廻れるのに、一方は寝たきりであった。手術前は創が同じだと思っていただけにその差は一層際立って見えた。
(何故こんなことになったのか)
佐藤軍医監や川村軍医のやることに誤りがあるとは思えなかった。自分が切断され、寺内の腕が残されたのにはそれなりの理由があるに違いなかった。そこから先は医学に素人の軍人が立入るべきことではなかった。
(それにしても俺はすでに腕がなく、あいつはとにかく腐っていても腕があるのだ)
そこに気付いて小武は苦笑した。腕のない男と腐った腕の男と、これは大した違いではない。こんなことで勝った負けたを云ってもどうなるわけでもない。不具になると、考えることまでケチになるのか、小武は自分の思いにいささか呆れてしまった。
桜の散った四月の半ばに小武は退院命令を受けた。肩の運動練習やマッサージはまだ必要であったが、それは臨時陸軍病院に入院してやらねばならぬほどのものでもなかった。
〈東京陸海軍病院にて通院治療のこと〉
小武はその転院命令を鞄に旅装を整えた。
「いよいよ行くのか」
寺内が床の中から云った。ひと頃より顔色はよくなっていた。食欲が多少出た故だが、栄養の大半は膿になって捨てられているようでもあった。
「これといった目処《めど》もないが、しばらくは東京で治療を続ける」
治りきった先のことを思うとさすがに小武は不安だった。そこから先は、片腕の一介の不具にすぎなかった。
「いろいろ世話になった」珍しく寺内が神妙に云った。
「馬鹿なことを云え、何も出来なかった」
「お前がいるので心強かった」
「俺もだ」
云いながら小武は、寺内の病状が悪かったのが自分にとって一つの救いであったのかも知れないと思った。
「俺も此処を出たい」
「夏までには出られるさ」
「いや、このままでは出られん」
床の中から寺内は淋しげに云った。
「これは治らん」
「そんなことはない」
「いや、俺の体は俺が一番良くわかる」
二度云われて小武は黙った。小武もそう思っていたのである。
翌日、小武は佐藤軍医監の最後の回診を受けた。佐藤はすりこぎ棒のようになった断端を軽く叩き、肩の動きを見てから、
「よし、大丈夫だ」と云った。
「有難うございました」
「そのうち戦争が終れば私も順天堂へ戻る。東京ででもお逢いできるだろう」
「その節は宜しくお願いします」
佐藤はうなすぎ、寺内の前に移動した。看護卒が包帯をとった。連日の膿で創の周囲は白くふやけていた。佐藤は黙って創を清め、改めてガーゼを詰めた。再び看護卒が包帯を巻き始めた時、寺内は左手をついてむっくりと起き上った。
「佐藤軍医監殿、お願いがあります」
「なんだ」
「この腕を切断して下さい」
「………」
「お願いです。私も小武大尉のように早く治って再度、お国へ御奉公したいのです」
佐藤はおし黙ったまま窓の方を見ていたが、やがて一言も云わず病室を出て行った。
「軍医監殿っ、軍医監殿っ」
叫んだが佐藤は戻って来なかった。さらに一声叫んだあと、寺内は拳を眼に当てたまま床に突っ伏した。
小武敬介が東京へ戻ったのはこの年、明治十年五月の初めであった。前年から神風連、秋月、萩の乱に続き、各地に一揆が起きて物情は騒然としていたが、東京はさすがに首都らしく、それらの騒ぎを呑み込んでなお揺るがない大きさがあった。小武はひとまず本所小梅の叔父の家に厄介になりながら、一日おきに下谷の陸海軍病院へマッサージに通った。
この帰京とともに彼は、
〈予備役編入被仰付〉
という一通の辞令を陸軍省から受け取った。予期していた通りだった。
(廃兵よりはましか)
辞令は見事に簡潔で素気なかった。予備役とは、一旦緊急ある時は再び使うというストック要員である。
(右腕はなくとも左手と足があるからな、いや頭だってある)
まだまだその辺りで幅を利かしている成上り将校等に負ける気はなかった。
傷病兵には傷痍軍人手当が下賜され、男一人食べていくに不自由はなかった。だが創が治り二日に一度の病院通いだけとなると時間があり余った。初めの頃は兵書を読み返したり、左手で木刀を持って揮ってみた。だが半刻もするともうやる気が失せた。やり始める時から云いようもない虚しさが襲ってくる。
(集中するのだ)
自分に何度も云いきかすが効き目はない。
(こんなことをしても、どうせ予備役なのだ、いつか知れぬ時のために努めてみたところでどうなるのだ)
小武は秀才であっただけに、ものの理非がすぐ分った。一目見ただけで先が見える。そこは寺内のような単純な熱血漢とは違っていた。死しても陛下を正坐して迎えたい、とか切断して一日も早くお国のために尽したい、という寺内の心情は理解しながら共感はできなかった。
(無謀なことを云う)
小武には寺内の云うことが乱暴なこととしか思えなかった。
初めの一カ月は大阪からの旅の疲れと、片手の不自由さもあって、さして退屈とも思わなかったが、新しい生活に慣れるにつれ、小武は一層暇をもて余した。
軍隊にいる時は朝の起床から夜の就寝まですべてが時間に縛られて、ほとんど自分の時間というものがなかった。規律は厳しかったが、さほど苦痛ではなかった。むしろ自分から率先して縛った。
よい軍人になるため、というはっきりした目的があったからである。
目的が薄れ、縛るものがなくなると自分自身が急にふぬけた頼りない者に思えた。
(こんなことをしていていいのか)
一日一日が無意味に過ぎていく。だが、だからといって代りにすることもなかった。苛立つだけで何もできない。
(一生、このまま飼殺しにされるのか)
病院に行く日はまだ良かった。往復と治療でかなりの時間を費やせた。しかし行かぬ日はこれと云ってすることもなかった。傍から見ると結構な身分に見えたが小武には苦痛だった。
(寺内はどうしているか)
そんな時、小武はふと寺内を思い出した。
(相変らず創に苦しんでいるのだろう)
そう思う時だけ、小武はかすかに救われた気持になった。
六月になった。その日も小武は兵書を読みかけたが身に入らず、半刻もせずに机を離れ、仰向けになった。初夏の陽が障子越しに小路の先に奥まったこの部屋まで射していた。珍しく跫音が近づいてきた。
「いるかな」叔父の声であった。
「どうぞ」
声を聞いて小武は今日は日曜日なのだと知った。叔父はかつて代官手代という下級士族であったが新政府に伝手《つて》を求め、内務省に勤めていた。いわゆる官員さんだが判任官見習という官員としてはかなり低い身分であった。
「創は如何かな」
「おかげさまで、もう病院通いも今月一杯くらいで必要ないかと思われます」
「それはよかった」
叔父は部屋を見廻した。部屋といっても兵役一筋にきた独身の男の部屋である。目星しいものはなにもない。小机の横に軍刀を立てかけてあるのだけが異様である。
「実はお忘れでないと思うが」
「なんでしょうか」
「本庄むつ女のことだが」
「はあ」
とぼけたふりをしたが、小武は忘れたわけではない、それどころか何度か叔父に尋ねようかと口まで出かかったことさえある。帰京してもまだ一度も会っていなかった。
「儂《わし》も気になっていたので先日、本庄家へ行ってみた」
「そうですか」
「ところで、おこと、むつ女を好きかな」
「え、それは……まあ」
勇猛果敢な青年大尉も女のことについてはからきし勇気がなかった。広い肩幅に似ず、小武は首まで赤くして目を伏せた。
「そうであろうな」叔父はうなずくと一つ大きな息をして腕を組んだ。
「して、むつ女はお元気でしたか」
「うん、そのことだが、このところずっと体の具合が悪いとかで塩原の方に療養に行っているというのだ」
「体が悪いのですか」小武は思わず顔をあげた。
「それがなにか気うつ症とか云って、なかなか厄介な病気らしい」
「では、もうずっと……」
「いや、行ったのは最近らしいが、当分治る目処がつかぬらしい」
むつ子は細身で小柄だが、小麦色の健康そうな女だった。商家の娘らしくものにこだわらぬ快活な女である。それが気うつ症とは割切れなかった。
「気うつ症では仲々簡単に治るとも思えないのでなあ」
「叔父上」
突然、小武は坐り直し、改めて叔父の落着かぬ風の顔を見た。
「要するに婚約を解消して呉れということなのですね」
そういうところの察し方は人一倍早い小武である。
「いや、別にそうとまでは……」
「分りました。結構です。その件はこちらからも願下げ致します。その様にお取計らい下さい」
骨張った小武の顔はみるみる蒼ざめていった。
「いくら話しても本人には逢えず、両親は病ゆえの一点張りで要領を得ないのだ」
「それは私の不具への当てつけでしょう」
「しかし、あれ程しかと約束したのだから」
「町人の女に何の約束などありましょうか」
云ってみたが小武は口惜しさで目が眩んだ。じっとしていられなかった。
「その件は分りました。お引取り下さい」
「気を悪くしないでくれ」
一人になって、小武は仰向けに寝そべった。窓からは相変らず気が遠くなるほどの明るい陽がさしていた。石を蹴る子供達の声が聞こえる。
(勝手にせい)
五尺六寸、十七貫という小武の体躯は当時としては大柄な方であった。髭こそ生やしていないが目鼻立ちのはっきりした男らしい容貌であった。むつ子が憧れたのもその凜々しさにあったのかも知れない。だがその凜々しさも所詮は五体が揃ってのことであったのかもしれなかった。
(もう会うこともあるまい)
むつ子と最後に逢ったのは熊本へ出征する前日であった。蝶々髷の下にとびきり大きな眼が笑っていた。親のさし金か、むつ子の意志か、忘れようと思えば思うほど可憐な顔は一層鮮明に迫ってくる。
「小娘にまで馬鹿にされるか」
呟くと小武は瞼の裏のむつ子の顔から逃れたい一心で雑踏に向かった。
大阪臨時病院に残った寺内の創は小武が想像したとおり一進一退を続けていた。
五月の半ばには周囲から肉がもりあがり、創口も拇指の先の大きさまでに縮まりこのまま閉じるかとさえ思われた。だが末頃から創の周辺は再び赤味を帯び周りが柔らかくなってきた。
「軽く切開しましょう」
佐藤軍医監がメスを消毒してきた。
「やはり開かなければいかんのですか」
「なかに膿が貯まっているのです。もっと大きな通路を開いて出してやらなければ治りませんよ」
折角閉じかけてきたのを、と寺内は不満だった。だが佐藤がメスを上下に軽く動かしただけで膿は一斉に溢れ出た。出るに出られずもがいていたという感じである。創はまた逆戻りであった。
「悪くなったのですか」
「違います、この創は火山のようなもので底ではまだ菌が蠢いているのです。それが時々爆発するのです。悪くなったわけではありません」
寺内は自分の腕から出てくる膿にほとほと呆れていた。
腐骨摘出という実験的手術を、寺内のように単純で人を疑わない性質の男に試みたのは適切であった、と佐藤は思っていた。これが小心で猜疑心の強い男であれば、医師を疑うか絶望して乱暴なことをしでかすかも知れなかった。
もっとも寺内の方も最近は少しずつ考えが変ってきていた。当初は切断して早く退院できた方が良いと考えていたが、小武の予備役編入を知って、彼は必ずしも切断をするのが得策ではないと思い始めていた。痛みと時々の発熱はつらいが、軍医の云うとおりにもう少し頑張ってみるつもりになっていた。
暇にまかせて小武敬介は毎日のように隅田川べりから浅草、時には上野まで歩きまわっていた。何処といって行くあてもなかったが、家に籠っていたのでは一日が無限に長かった。
「ぶらぶらしていても仕方があるまい」
見るに見かねて叔父が二、三の勤め口を探してきてくれたがどれも官員の下使いとか、邸の留守番といった仕事ばかりであった。腕はなくとも自分の才能に自信のある小武に堪えられる仕事ではなかった。
(不具者と思って、皆馬鹿にしておる)
口惜しさで眠られぬままに、彼は夜、秘かに軍刀を抜いた。刀を抜くにも片腕では難しい。両足で鞘《さや》を抱え込み左手で抜く。
(まるで畜生だ)
小武は自分で自分の姿に腹が立った。だがローソクの光りの中で刀は以前と変らぬ鋭い美しさを見せていた。
(こいつも俺も不遇だ)
そんな夜、小武はきまって腕が戻った夢を見た。
治療を受ける日でもないのに、小武は陸海軍病院に行って待合室で用もなく坐っていることがあった。外を歩くと五体満足な者ばかりだったが、病院へ来ると満足な者は数えるほどしかいない。脚のない者、両腕のない者、失明した者、寝たきりの者等不具の者で溢れていた。腕一本がないなどというのは軽い方である。どれもが国のための名誉の負傷である。ここでだけはどんな不具者も大きい顔ができた。
(寺内の奴、どうしているか)
小武は腕に副木をしている者を見る度に寺内のことを思い出した。退院したという話を聞かぬ以上、まだ膿が出続けているに違いなかった。
(あいつも不運な奴だ)
そのうちに切断の機会を逃し、肩から外すということにでもなるのではないか、小武は寺内の蒼く長い顔を思い出した。
半刻も腰を据え、白衣の病者を見届けたところで小武は立ち上った。街中を歩いてきた孤独感はもうなかった。
病院の正門を出て右へ曲った時、人力車が停り一人の男が降りた。男は幌の中から杖とともに右足を先にゆっくりと延ばし、地についたのを見計らってから左足を降ろした。背広を着て山高帽をかぶっているが、小武はすぐそれが陸軍少佐中山武親であることを知った。
「中山少佐殿」
声をかけた瞬間、小武の袂の中で棒のような右腕が動いた。敬礼しようとしたのである。小武は持上った断端を慌てて降ろし改めて左手で敬礼をし直した。
「小武君だな」
中山はその場に立ったまま小武の顔から足先までをじっくりと見渡してから云った。
「腕を失ったのだな」
「はい」
中山武親は教導団を出て、初めて近衛歩兵連隊へ配属された時の中隊長であった。当時、中山は大尉で小武は下士官であった。その後、中山は旅団司令部へ移り、演習中、馬の事故で落馬し右脚を折って退役したのである。
「少佐殿はいかがですか」
「脚はこのとおり曲らぬが、まあ何とか歩ける。今日は半年に一度の定期診察日でな」
中山は右脚を軽くうかして立っていた。
「お互い妙な所で会うな」
中山の下にいた頃が一番張り切っていた時であった。若さと意欲がかみ合っていた。
「して今はどうしているのだ」
「別に、ただ……」
「予備役か」
「はい」
小武の姿を一目見ただけで中山はすべてを察していた。あれだけの優秀な男を、惜しいと思った。
「お前、俺の下で働く気はないか」
「はあ?」
退役将校の下で何をするのかと小武は訝《いぶか》った。
「今度、我々で偕行社という団体を作ったのだ。そこで働く気はないか」
「かいこうしゃ?」
「それは診察が終ってからよく説明する。ここで待っておれ」
「はい」
何のことか分らぬままに小武は返事をした。中山には近衛連隊当時の懐しさにくわえ、傷ついた者同士という親しさもあった。
偕行社は明治十年一月三十日、東伏見宮嘉彰親王以下十六名の将校が、陸軍少将曾我祐準邸に集まり、創立の事を議決したのに始まっている。
この結社の目的は当時、偕行社創立大意として陸軍省が声明した一文に明瞭だが、その趣旨を要約すると、
帝国陸軍将校の団結を鞏固《きようこ》にし、親睦を醇《あつ》うし、軍人精神を涵養し学術の研鑽を為すと共に、社員の義助、及び軍人軍属の便益を図るにある。
ということになる。これに類似した海軍将校の親睦団体として水交社があるが、こちらは一年早く明治九年に設立され、芝山内真乗院で発会していたのである。
この偕行社の語源は詩経の無衣の卒の章の一句、「与子偕| ≪ニ≫行| ≪カン≫」からとったものであるが、当初の創立準備の幹事となったのが、陸軍大佐小沢武雄、中佐滋野清彦、少佐斎藤正言の三人で、彼等が社則の編成、創立の諸準備等を行なった。彼等は退役将校でも傷痍軍人でもなかった。れっきとした現役将校である。
要するに社員というのは偕行社というクラブを利用する会員のことであり、中山はここで働く職員の責任者、すなわちチーフマネジャーであったわけである。
第二次大戦の頃の偕行社は軍人勅諭、軍籍簿、兵術書の出版から軍装品の販売、さらにはホテル貸室まで巨大な規模にふくれあがっていたが、当初は陸軍将校の集会所兼勉学所にすぎなかった。
「軍ではないが精神は軍と同じだ」
中山の云うとおり軍の一種の外郭団体であった。
「是非働かせて下さい」
小武には願ってもない働き場所であった。そこなら傷ついた帝国軍人として恥ずかしくない仕事場である。その日、彼は帰るとすぐ履歴書を書いた。
偕行社は九段坂上にあった。卵色の二階建の洋館で、洋風建築の少ない当時としては仲々しゃれた建てものであった。
この社の設立に参画した人は多かったが、実際にここで働いた旧将校は小武を含めて十名に満たなかった。いずれもかつての戊辰、函館、西南といった戦役で傷ついた人達であった。この中で小武は一番若かった。退役時の位階では彼より低い中尉と少尉が二名ずついたが、いずれも退役が早かったからで、戦傷さえ受けなければ当然小武より上の階級になっている人達であった。従って此処では退役時の階級はほとんど無意味で、将校任官の年月日で上下が定められた。
彼の仕事は書籍係であった。将校達が来社して読書をする時に貸出し事務をする。今の図書館司書のような役目であった。図書といっても多くは西洋兵学書であり、他に国史略、日本外史、政記、といったものに、外国の兵学書、雑誌等が交っていた。当時これらの書籍は一般に売り出されてもいたが少なく、かつ高価なものであった。
社員、すなわちクラブ会員である将校達は軍務の余暇を見てはここに現われ、本を読み集会所で雑談をし、玉突きや、囲碁将棋を楽しんだ。「クラブ」というのは本来、家庭で常に女性に気を使って生活している西欧の紳士達が、男達だけが集まって心おきなく楽しもうという目的でできた場所で、会員は勿論、そこに働く者も女人禁制というのが原則である。そういう意味からいうと日本の男に「クラブ」は必要ないということにもなりかねない。ともかく偕行社はこうした西欧式クラブを見聞した当時の新しい将校達がつくり出したものである。
偕行社に勤めるとともに小武は叔父の家を出て、上野谷中に一軒家を借りた。六畳二間に台所と流しだけという小さな家であったが、男一人では手数がかかる。彼は隣りの駄菓子屋の女に家事の手伝いを頼んだ。
帰京して一時荒れていた小武の生活は偕行社に勤めるとともに急速に落ちつきを取り戻した。彼はその頃の官員が皆そうであったように口髭を生やし詰襟の服を着た。洋服は袖が長くぶらぶらして腕が無いのが目立つので、東京へ戻ってから着たことがなかったが、偕行社に入ってからは隠す必要はなかった。来社する将校は袖のつぶれた右腕を見ると戦傷者への敬意からきまって目礼を返した。
小武が偕行社に勤めて三カ月経った九月二十四日に、西南戦争は城山の戦いで幕を閉じた。西郷軍三万、征討軍五万八千を動員した最後の士族反乱は幕を閉じ、これによって明治政府の権力は確立した。凱旋軍が続々と帰京し、それにともなって偕行社への入会者は増え、集会場は賑やかさを増した。
集まった将校達の中には小武の顔見知りの者が何人かいた。ほとんどが半年から一年ぶりであった。彼等の話は西南戦争の手柄話と恩賞でもちきりだった。
「貴公は何処で創をうけられたのか」
「植木坂だ」
「そうか、あそこもひどかったらしいな」
ほとんどが小武の返事をきくと眼を輝かせた。その名は熊本城救援への最大の激戦地として誰もが知っていた。傷ついた地名を出すだけでその男の勇敢さが知れた。中山の云ったとおり、軍ではないが軍にいると同じ雰囲気を小武は充分すぎるほど味わっていた。
秋になり空は見事に澄み渡った。朝夕冷え込みのきつい時、小武の腕の断端は軽く疼いた。創を見るが別に異常はない。彼は断端に綿を巻きその上を包帯でまき込んで冷えを防いだ。温かくするだけで痛みはすぐ治まった。
彼が衛士から寺内という男が面会に来ていることを報されたのは、この年の十一月の半ばであった。
「寺内?」寺内と云えば臨時病院で一緒だった男しかいない。
「その男は腕がない奴だろう」
「腕ですか、ありましたが」
「なに、ある? 平服だな」
「いえ、肋骨服です」
肋骨服とは当時の軍人が着た黒に横紐の入った軍服である。小武は狐につままれた気持だった。彼は自分から玄関に出かけた。
入り口の石段に立っていたのはまさしく寺内寿三郎であった。しかも陸軍大尉の軍装をし、袖の先からはたしかに手が出ている。
「久し振りだな」
寺内は例の長い顔に人懐っこい笑顔を浮かべた。
「帰って来たのか」
「十月の末に退院したのだ」
小武はもう一度右の手を見た。たしかに人間の手である。
「治ったのか」
「いや治らん」
「どうしたのだ」
「ちょっとな、仕掛をして貰った」
「まあ、とにかく入れ」
半年ぶりであった。顔もすっかり陽灼けして一時は心細かった口髭もどっかりと八の字に備えている。
「見るか」
応接室に入ると寺内は器用に左手一本で服を脱いだ。袖口から現われた右腕は肩口のところで下着の袖はちぎられ、それから先は前腕の半ばまで包帯が巻かれている。しかも肘の上下は厚い皮でおおわれ、そこから内外両側に太い金具が渡されている。
「これで腕の先をおさえておるのだ」
寺内は金具のついた皮のバンドを外し始めた。
「これで肘を軽く曲げた位置で固定しておくと普通の手のように見えるらしい。まあ一寸した手品だ」寺内はにやりと笑った。
「だが仕掛を外すとこのとおりだ」
外した途端ぶらりと垂れ下った腕を寺内は左手で、よいしょとばかり持ち上げると机の上に置いた。
「して、創は治ったのか」
「治らん、まだ膿が出ているが、でも随分減った。もう、一日一度のガーゼ交換で間に合うのだ」
「指は?」
小武が尋ねるとすぐ、机の上で軽く握った形になっていた指がかすかに開いて閉じた。
「まあ、ないのと同じだ」
「しかし、うまいものを考えたものだな」
小武は革と金具でできた装具にすっかり感心してしまった。
「佐藤軍医監殿が考案されたのだ、外国にはもっと精巧なのができているらしい」
いまでは何処でも使われている良肢位固定装具のはしりである。現在のは金具も軽くなり関節も僅かの力で必要なところまで曲るように改良されている。
「それで、これからどうするのだ」
「病院にでも通いながら、しばらくのんびりするさ。終ったばかりだから当分戦争もないだろう」
云いながら寺内は外した装具を再びつけ始めた。
「予備役編入の命令は来ないか」
「まだないが、やはり駄目か」
「不具者はなあ、致し方あるまい」
「肋骨服ともお別れか」
寺内は憮然とした表情で宙を睨み、自由の利く左手で髭の端を捻っていた。
「おい煙草はないか、忘れてきたのだ」
「うん、ある」
小武はポケットから煙草をとり出し、机の端にあったマッチ箱をとり寄せた。
「紙巻たばこか、珍しいな」
当時としては紙巻たばこは珍しかった。小武も偕行社のようなモダンな所に勤めているから手に入ったのだった。
「こいつはきざみよりは便利だな」
小武はマッチを擦った。だがマッチ箱を押えていないのでテエブルの上を箱だけが移動して火は点《つ》かなかった。二度やったが結果は同じだった。
「よい、俺がやる」
寺内はテエブルの上にあげたままの右手にマッチ箱を握らせ、左手でマッチを擦った。火は一度で点いた。
「うん、いい香りだ」
寺内は大きく口を開いて煙を吐いた。小武は少し蒼ざめてマッチ箱をもった寺内の右手を見ていた。
(たしかに生きている)
彼には寺内の右手が魔物のように見えた。死んだ筈の手が|甦 ≪よみがえ≫っている。肘が動かず指の力が弱いといっても、それはたしかに寺内自身の手であった。それを見るうちに小武は何故か取り返しのつかぬ失態を演じた気持にとらわれた。
「退役になったら俺もここで使って貰おうかな」
寺内は小武の気持に無頓着に云った。
「軍にいるようなわけにはいかんぞ」
「俺はお前のように器用でないからな、軍人以外は勤まりそうもない」
「そうばかりも云っておれんだろう」
「服の着替えや、左手敬礼を覚えるだけで精一杯だ、それ以上のことはできん」
(相変らず融通のきかぬ奴だ、だがそれだけで通せるわけでもない)
小武は寺内の無器用な服の着方を見ながら、先程の失態をいくらか取り戻したような気持になった。
明治十一年が明けた。この年の二月、小武敬介は妻を娶った。相手は神田木挽町、河瀬小十郎の娘かよ二十一歳であった。小武とは八つ違いである。河瀬小十郎は長州の人で軽輩であったが、征長の戦の折、小瀬川口で幕軍に撃たれ右脚を失っていた。この父に仕えただけに不具者の世話は慣れていたし、不具者を嫌うということもなかった。
「顔はさほど美しくはないが女は心立てじゃ、あの女子なら間違いはない」
二人を見合わせた偕行社事務長の中山武親はそう云って小武を励ました。小武はむつ子のことでこりていたので気が進まなかったが、中山の熱心なすすめに心を動かした。
不具者の子が不具の者に嫁ぐ、それはなにか因縁話めいていたが、かよにはそんな暗さは露ほどもなかった。片腕と知って来てくれる娘の気持に小武は惹かれた。それに隣りとはいえ他人に家事を頼んでいるのは、何といっても不便だったのである。
「どうだ、銀座の煉瓦街でも見に行ってみようか」
新婚ではあったが二人とも年齢をとっていたので、すでに長年連れ添った夫婦に見えた。
銀座は煉瓦造りの洋館が建てられ、町並みが一変しつつあった。まだ四丁にも及ばぬ短いものであったが、牛鍋店、ガス燈、円太郎馬車と、そこには間違いなく文明開化の波が寄せていた。二人は銀座を新橋へ向かって歩いた。新橋に近づくと再び木造の家ばかりになっていた。小武はふとこの先を西へ曲ると練兵場へ出ることを思い出した。
「ちょっと行ってみよう」
妻は黙って従《つ》いてきた。本通りを折れると急に家並みが低くなり、人影もまばらになった。荒れたままの邸や堀跡が続く。長い石垣を抜けて曲ると、道の先に日比谷っ原の練兵場が見通せた。教導団のあった兵学寮の建物もそのままに残っている。小武は懐しさにかられて急ぎ足で練兵場に向かった。近づくにつれ兵の掛け声と馬の嘶《いなな》きが聞こえた。辺りにはもう家はない。
茫々とした草叢の先で粒ほどの兵が駈けている。西の一角に騎兵らしい一団が砂煙りをあげ、その先に大きな西陽が傾きかけていた。教導団時代から熊本出征までの八年間を過してきた所である。見ているうちに小武は剣を持ち駈け出したい誘惑にかられた。
(もう二度とこの中に入ることはない)
小武は練兵場の先に拡がる冬の空を見ていた。
「風邪をひきますよ、帰りましょう」
「うん」
夫の心を察したようにかよが声をかけたが、小武はなお外套に襟巻姿のまま、身動き一つせず、そこにつっ立っていた。
この年の五月三十一日、寺内は戸山士官学校生徒司令副官になった。
そのことを小武は十日後に偕行社で中山事務長から聞いた。
「本当ですか」
「嘘ではない。ここに出ている」
中山は官報を手渡した。まさしく寺内寿三郎である。何度見ても同じだった。それでもなお小武は信じられなかった。
「あいつは腕が利かない筈ですが」
「利かないがあるんだろう」
「ある……」
呆然と小武は口を開けていた。たしかに腕はあった、それは誰のものでもなく寺内自身のものであった。
「あればまた別だ、あるとないとでは全然違うのだ」
「しかしあの腕は……」
「いいではないか、彼は現役に残れたのだ、喜んでやれ」
「………」
「現役でも退役でもお国に尽すのは同じことだ」
マッチを掴んだ寺内の魔物のような手が小武に甦った。何かが大きく動き始めているようだった。それが何か、しかとは云い表わせない。しかし眼に見えないもう一つのものが少しずつ自分と寺内の間を引き離しているように小武には思えるのだった。
偕行社の集会所は日とともに利用者が増え、賑わってきた。それとともに将校達から集会所で宴会を開いたり、酒や料理を飲み食いできるようにして欲しいという要望が出された。偕行社ではこの件について検討したが、将校達の休養と明日への士気高揚のためには酒食を提供するのは止むを得ないだろう、という結論に達した。
酒を出し、料理を造るとなるとこれ迄の人達に加えてさらに調理人、給仕、掃除夫等が必要となった。このため、新たに十数人の一般人が採用されることになり、小武がこの部門の責任者に推された。今迄の単なる集会所と違って会計、接待、調理と手慣れない仕事を含む難しい仕事であったので、なんでもこなす小武の才覚を買っていた中山事務長が特に命じたのである。
当時は酒の他に一部で洋酒が飲まれ始め、大阪のビール工場に続き、札幌に新たな工場が建てられようとしていた時であった。食物も牛肉とともに菓子、パン、果物《フルーツ》といったものが普及し始めていた。
「どんどんもってこい、どんどん」
金にさして困らぬうえに意気旺んな将校達ばかりである。飲み方も食べ方も激しいが、議論に熱中し、叫び合うこともしばしばであった。
酒食担当といっても勿論、小武は直接会場に出ることはなかった。だが、責任者として日々の宴会使用届や、調達費には目を通さねばならない。
(いよいよ俺も商人になり下ったか)
部屋まで聞こえてくるざわめきの中で、帳簿に目を通しながら小武は一人だけ残されていく淋しさを覚えた。
(寺内はどうしているか)
考えまいと決めていたことが、思い出された。今日も習志野で駈け廻っているのか、脳裏にたちまち騎馬の一団の砂塵が巻き起り、兵の叫喚が甦ってくる。
(軍人でもないのに、今更そんなことを考えてどうする)
一瞬の思いを振り払うように小武は帳簿に目を落した。そこには、牛肉十貫、ビール二十ダースといった字とともに細かい数字が並んでいる。何を思おうと現実の仕事はこの帳簿を調べ終ることであった。たとえ偕行社といっても過去の権威をちらつかせるだけで、事務能力や対外折衝能力のない将校は、もはや無用の長物となりつつあったのである。
新しく開設された洋式の食堂部門はそれなりに好評であった。集まりといえば坐ってばかりやっていた将校達にとって、立って飲み食いしながら語り合うという形式は人気があった。
もっともこれには、偕行社自体が陸軍省の丸抱えで、社長は陸軍卿が兼ねるという組織であり、民間の会社のように経営がどうの利益がどうのと考える必要がなかったのだから、やり易いと云えばやり易かった。だがそれにしても西洋知識の乏しい当時に、種々の西洋料理を揃えるのは、今思うほど簡単なことではなかった。
小武は暇を見てはパーティや料理に関する洋書をとり寄せて読み耽った。その頃はホテルと云っても築地舟板町に築地ホテル館というのが一軒あったきりで、帝国ホテルが建とうとしていた時である。何事もいい加減にしておけない小武は、この面での知識も群を抜いていた。偕行社にとって小武はなくてはならない人になっていた。
十四年の春、小武は二人目の子供を得た。上の子は女子だったが今度は男子であった。新しい赤子ができて家の中は急に賑やかになった。だが小武はそこに安住する気にはなれなかった。
(軍に戻りたい)
彼はまだその気持を完全に捨てきってはいなかった。
(あいつが戻ったのに何故俺は戻れないのか)
それを思うと小武は瞬間、口惜しさに我を忘れた。
この間寺内は十二年二月に陸軍少佐となり、同年二月には従六位に叙せられ、さらに十四年の末には士官学校生徒司令となった。
偕行社で逢って以来、小武は寺内に逢っていなかった。前には寺内の方から訪ねて来たのだから、今度は小武の方から訪ねて行くべきかもしれなかった。忙しさにおいても寺内と彼では比較にならぬ筈だった。
だが小武は行く気にはなれなかった。寺内の周辺には小武と同年代の将校達が屯《たむろ》していた。それらの連中と自分とでは随分とかけ離れてしまったと思った。
もっとも、この小武の考え方には無理があった。小武は退役したからもはや階級は上らないが、現役の寺内達が上るのは当然であった。止ったままのものと進むものと較べるのが土台、間違っていた。そんな位階など忘れて、国のために尽した勇士として対すればいいのであった。小武の現在がどうであろうと、寺内達が軽蔑したり見下したりするわけはなかった。まして寺内は悪気のない男である。だが小武はそう簡単に素直な気持にはなれなかった。
(かつてあいつは俺より劣っていた)
小武には下士官から尉官時代に寺内よりはるかに秀れていた、という自負心があった。兵術でも学問でも負けたものは一つもなかった。こんな男に絶対に負けるわけはないと思っていた。表面では親しい友人であったが、心の底では侮っていた。誇りが高かっただけに偕行社の一事務員としておめおめ出ていくわけにはいかなかった。
(何であれ、腕さえあればいいのだ。何か腕の替りをするものはないか)
思いを巡らしている時、何気なく読んだ社の洋書に小武は次のような一節を見出した。
十六世紀のドイツの騎士ゲッツは、戦場で右手を失ったが自ら鉄の精巧な義手を造り、これで槍を持って再び戦争に出て、大いなる殊勲を立てた、と。
(佐藤先生の処へ行けば、あるいは相談にのってくれるかも知れぬ)
一度思い出すともはやじっとしてはおれない。すでに佐藤進は西南戦争が終り、東京の順天堂医院へ帰ってきていた。
翌日、小武は午後から休暇をとって湯島の順天堂医院に佐藤進を訪ねた。
「大阪臨時病院で上腕切断をして戴いた小武敬介です」
受付に告げたが、云うまでもなく佐藤進は知っていた。陸軍病院で毎日、何百人という患者に接していたのに覚えているとは意外だった。
「寺内大尉と一緒でしたね」佐藤院長は寺内のことから思い出したようであった。
「彼は先生の所へ見えるのですか」
「あなたは寺内君とはその後会っていないのですか」
「はい」小武は嘘をついた。
「腕を支える装具をつけて退院しましたよ。先日少佐になられたと聞きました」
「それで創は……」
「それがうまく治りましてね、駄目かと思ったのですが」
「いつです」
「二年前、十四年の初めです。彼が士官学校生徒司令になったと報告に来た頃です」
どういうわけか小武は無性に腹が立った。
「あれからもう二年になります。その間、傷が開くような気配もないのです」
「それでは、もう……」
「大丈夫です。大丈夫だと思うから今度のフランス行きを許してやりました」
「彼はフランスへ行くのですか」
「御存知ないのですか、閑院宮載仁親王殿下巴里御留学の補佐官に抜擢されて来月行かれる筈です」
小武は声を失った。何としたことか、寺内にだけ幸運がつきすぎてはいないか、小武は今も本を離さず偕行社の書籍という書籍はほとんど読み尽していた。学問も識見もともに誰にも負けない自信がある。独学だが洋書も読める。寺内が自分以上に洋書を読めるとは思えなかった。まして仏語なぞ上手に話せるわけがない。その男が宮様のお伴をして洋行するという。
(何かが狂っている)
小武は大声で叫びたかった。光と影の二つの方向に向かって歯車が少しずつ、しかしたしかに動き始めたようである。
「ところで何の御用でした」
佐藤はようやく小武のことに話を戻した。
「実はこの手の替りになるのが欲しくて参ったのです」小武は皺が寄って萎んだ断端を見せながら西洋の騎士の話をした。
「たしかに西欧にはそういうのが出来ています。でも日本には脚の替りをする義足は出来ていますが義手はまだ作られていません」
「義足があるのに何故義手が作られないのですか」
「足は体を支えて立ち、歩くというだけで割合単純な作業なのです。早い話が切った端に竹の棒をくくりつけただけでも何とか役に立ちます。だが手の行なう作業はこれからみるとはるかに複雑で高等です。握り、離し、捻る、持上げる、振り落すと様々です。しかも義足のように重くてもいいというわけにはいきません。鉄などで作ったのではたちまち吊り下げている首や肩が曲って、こちらの方が病気になってしまいます」
云われればもっともである。だがそれで引下るわけにもいかない。佐藤だけが頼りであった。
「そこを何とかお考えいただけないでしょうか」
「難しいですなあ」
佐藤は首を傾けた。学者らしい端正な横顔に白いものが目立ち始めていた。
「重くたって構いませぬ」
「一つだけ作れそうに思うのは飾り用のものです。これは手の働きを代用するというわけにはいきませんが、ただあるように見せることだけはできます」
「何で作るのですか」
「木か竹を刻んで作るのです。指の一本、一本まで」
「でも動かないのですね」
「勿論です……しかしその上に手を置けば紙くらいは押えておくことができましょう」
「紙だけですか」
「上に皮をはり、さらに手袋でもはめれば本物のように見えましょう」
紙一枚を押えられたところで現役に戻れるわけはない。しかもその手は血が通ってない木の肌である。
(あいつの手はたしかに動いた)
小武はマッチを持った寺内の手を思い出した。どう考えても飾りは飾りだけのものでしかないようであった。
「それでは致し方ありませぬ」
「いずれ日本にも手の替りをする義手が出来てくる時がやってくるでしょう。その時には早速連絡しましょう」
「お願い致します」
頭を下げながら小武は、その時がこの二、三年のうちに来るのでなければ駄目だと自分に云いきかせた。
フランスに行っていた寺内は滞在中に陸軍中佐となり、十九年、帰国すると同時に陸軍大臣秘書官となった。さらに翌年の十一月には陸軍大佐となり同時に陸軍士官学校長に任ぜられた。
小武はこのことを一日の仕事を終え帰り仕度をしている時に知った。彼は外套に短い右腕を入れたまま立ち尽した。
(あいつも遠くなってしまった)
小武は自分一人だけが確実に取り残されていくのを知った。やがて思い出したように外套を着ると何も云わず部屋を出た。
「お帰りですか。御一緒します」
出口で小武は去年から新たに社に勤めた伊藤誠吾に声をかけられた。伊藤は士官学校を出た翌年、習志野で演習中に窪みに脚をとられ、右の膝骨を折り脚が一寸五分ほど短くなった男であった。小武とは十五歳の開きがある。
十一月の五時はすでに夕闇がたちこめていた。社を出るとすぐ左手に九段上の灯台が見えた。雲の早い空に灯台の火は少し赤味を帯びていた。
「小武さんは教導団で寺内大佐と同期だったそうですね」
坂にさしかかった時、伊藤が云った。伊藤もすでに寺内が士官学校長になったことを知っているのだった。
「君は寺内君に習ったのか」
「はい、私が生徒の頃は舎監を兼ねて、大層厳格なお方でした」
「そうか」
小武には若い士官を教える寺内の姿は想像もできなかった。
「寺内大佐殿も小武さんと同じく右腕をやられたのですね、田原坂の生き残りだと聞きました」
坂が急で脚の悪い伊藤は体を横にして下った。小武は時々立止り伊藤が追いつくのを待った。
「骨がばらばらになったのに、あの方だけが切断しないで欲しいと頑張られたそうですね」
「なに?」
「あ、失礼、これはちょっと先輩から聞いた話ですから」
小武が切断しているのに気付いて、伊藤は慌てて云い直した。
「大阪臨時病院に陛下がいらした時には、高熱をおして起き上り、正坐してお迎えしたのだと聞きました」
「………」
そんなことを寺内が自分から云うわけはなかった。寺内はそういう男ではない。当時、病院にいた誰かが、誰かに伝え、云い伝えられているうちにそんな風に変ったに違いなかった。それにしても変れば変るものだ。小武にはその変りようが面白かった。
「あの方は右手が動きませんが、そのかわりの左手の敬礼の姿がまた素晴らしく恰好がいいのです」
「左手がかね」
「そうです、皆が右でする時、あの方だけが左です。左の挙手のなかに、なんというか、あの方の勇者の面影が滲んでいるのです」
「そんなものかね」
「それは皆が云っています」
運の向いている男のやることはすべてがよく見えるものかと小武は思った。
「あの方は教導団時代から優秀だったのでしょうね」
「そうだな」
「偉くなる人はやはり若い時から違うのですね」
聞いているうちに小武は次第に、自分の知っている寺内は虚像で、伊藤の云っている寺内が本物なのかもしれない、という錯覚にとらわれた。
「とにかく規則には厳しい方で、門限に十分遅れても営倉入りでした。衣服の整頓が少し乱れていても足止めでした。何事もきちんとしておかなければ御機嫌が悪く、練兵場の草むしりから校庭の砂利敷きなどを毎日のようにやらされました。『陸軍士官学校』と題した扁額の金文字が錆びているということにお気付きになり、わざわざ経理部まで行って経費をとられ、四谷見附の辺りから見ても輝くようにされたのは、あのお方でした」
「そうか」
随分細かいことまですると思ったが小武は口に出さなかった。
「普段は怖い顔をされていますが、軍務を離れると情の篤《あつ》い方でした。これは先輩からお聞きしたのですが、一度将校だけで講談師をお招きになり小宴を催されたとき、赤穂義士銘々伝の赤垣源蔵の事蹟で、兄の汐山伊左衛門が弟の身の上を気遣って庇護する段にくると、『もう堪らぬ』といって眼をおさえ立上られたそうです」
二人はようやく坂下についた。坂を前にして腰に手を当てている老婆がいる。人力車もここからは立ちん坊に後ろを押されて坂を昇る。
「私が脚を折った時もわざわざ病院までお見舞に来て、励ましのお言葉まで下さったのです。あの時は心底から感激いたしました」
小武は急に皮肉な言葉を吐きたくなった。
「それで君はどうにかなったかね」
「はあ?」
「退役にならずに済んだとでも云うのかね」
「それは、しかし……」
「いや、いいんだ」
云ってから小武はそんな云いがかりをつけた自分に嫌気がさした。伊藤は少し黙って歩いていた。右手に濠の石垣の上の白い壁が夜目に浮かんでみえた。
「整理整頓や見舞の話はいいが、学問の方はうるさくないのかね」
小武は伊藤の影にある寺内を憎んでいた。
「勉学のことはあまりうるさく云われませんでした。学問があるにこしたことはないが、軍隊は学より和だといつも仰言っていました」
学問のあまり出来なかった寺内らしい云い分だ。小武は聞きながら冷ややかに笑った。
「そして、自分の信条は天命に逆らわないことだと」
「天命に逆らわぬ?」
小武はさらに口中で二度ほど云ってみた。いかにも寺内の今のあり様を示しているように思えた。
(しかし俺とても逆らってはいない。逆らったのは俺ではなく天命の方ではないのか)
自分にとって天命はあまりに不合理ではないのか、天命は不合理でいいのか、それでもなお従えというのか、寺内、お前のようにうまくいく天命ばかりではないのだ。お前は光に向かい俺は影になっていく。小武は再びやり場のない憤りにとらわれた。
伊藤が思い出したように云った。
「小武さんのことは教官殿からお聞きして、ここへ来る前から知っていました」
「寺内が俺のことを?」
「はい、学習のあと時間が余った時ですが、自分の同僚に小武敬介という優れた男がいた。この男は西南戦争で不運にして右腕を失って偕行社に入ったが、学問、兵術すべての面で自分よりはるかに優っていた。もし五体満足なら立派な将官になっている人だと、そして思いもよらぬ所に秀れた人はいるものだと」
「皆の前で云ったのか」
「そうです。だからあの教官殿に教わった士官は全て小武さんのことを知っています。偕行社に出入りしている将校でも寺内先生に教わった人達は皆……」
「やめろ」
小武は耳を塞ぎたかった。武人面して、奴は俺に同情している。同情なぞはいらん、前を向いたまま小武は不機嫌に黙り込んだ。
「何かお気に障りましたか」
伊藤が訝し気にきいた。
「いや別に……」
外套の襟を合わせながら小武は伊藤の云う寺内の篤く誠実な友情が、自分に対する許しがたい冒涜にしか思えなかった。
明治二十七年八月、日本は清国に宣戦を布告、日清戦争が始まった。
寺内は直ちに陸軍少将となり、運輸通信長官と参謀本部御用掛とを兼務し、従軍したが直接前線に出ることはなかった。だがこの戦役の功績により功三級金鵄勲章と年金七百円を授けられた。
このあと二十九年には、「御用有之欧州へ被差遣」の辞令を受け、再度の外国旅行へ発ち、欧州各国を巡り三十年に帰朝、翌年十月には陸軍中将従四位に叙せられた。まさに順風満帆の出世ぶりであった。
一方、小武敬介の生活は十年一日のごとく変ることがなかった。朝九時に谷中の借家を出て小一時間で九段坂上の偕行社に着く。帰りは六時、特別の宴会か何かがあって必要な時は七時か八時にまた谷中の家へ戻る。たまに人力車で帰ることもあるが大半は徒歩であった。
小武の長男、正太は小学校に通い始めていた。小武の血筋をうけてか頭脳はよく、入ってから三年間、級長を続けてきた。
物心ついてから正太はことあるごとに不思議げに小武の断端を見ていた。風呂などでは怖ろしげに先に触れてもみた。
「父上は何故右腕がないのですか」
風呂帰りに並んで歩きながら正太が尋ねた。
「戦争にいってなくしたのだ」
「どうしてですか」
「腕に弾丸が当って、もいでしまったのだ」
「どうして弾丸が当ったのですか」
子供の質問は、何故何故と執拗である。
「勇敢に戦ったからだ」
「どうして勇敢に戦ったのですか」
小武はつまった。そうきかれたら彼にも答えようがなかった。
「男は勇敢にするべきものなのだ」
分ったのか分らぬのか、正太は黙った。
(本当にそうなのか)
小武は自分に問い返した。そうともいえるし、そうでないとも云えた。いずれとも決しがたい。
(こんなことに若い頃は迷わなかったはずだ)
小武は自分が肉体的にも精神的にも軍人であることを失い、人生の下り坂にさしかかっていることを知った。この年、小武は四十三歳であった。
日清戦争のあとの十年間、日本はロシヤを仮想敵として急激な軍備拡張期に入った。国民の租税負担を急増し、その生活を圧迫しながら、日清戦争直前の軍事費に比して毎年三倍ないし五倍の軍事費が支出された。
この間、小武には忘れられない出来事が続いて起った。
妻のかよが風邪をこじらせ肺炎に罹り三十二年の秋に死んだ。享年四十二であった。
すでに上の娘は二十歳に近く、家事に支障はなかったが、さすがに淋しさは癒しようもなかった。
「不具の先行きもない俺の許へ来て、よく面倒をみてくれた」
小武は朝夕、仏前に線香をあげた。
この妻の死を追うように翌年の夏、長男の正太が死んだ。友達と鎌倉で遊泳中、波にのまれて溺死したのである。死体に抱きついたまま小武は一日一夜泣き続けた。
(すべてが俺に背を向けていく)
泣き果てたあと小武はその小さな位牌を妻の横に並べた。写真は二人とも笑っていた。まことに小武にとっては悪夢のような二年間であった。
この翌年、三十四年の春、中山武親、村田平吉ら偕行社創立からの職員が退職した。創立以来すでに十数年を経て社の基礎は固まり、彼等も皆一様に五十の半ばに達していた。
「老将校がいつまでも、顔を出しているべきではない」
中山はそう云い、後を小武に託した。彼等二人が去れば入社歴からも年齢からも小武が最上席であった。一カ月後彼は正式に、中山の後任として事務長に推された。小武は一旦は辞退したが、他に適任者もなく、妻と子を失った淋しさを紛らすためにもその職を受けた。明治三十四年の四月である。
この翌年の三月、小武の昇格を待っていたように寺内は桂内閣の陸軍大臣に任ぜられた。
この桂内閣は諸元老の推薦の結果ではあったが、衆議院に絶対多数を有する政友会の支持を得ずに超然内閣を組織したので、その存続を危ぶまれた内閣であった。幸い当時の政界に大きな発言力をもっていた伊藤博文が桂推薦者の一人であるところから伊藤が政友会員を慰撫したが、その策が完全でないうちに、伊藤の外遊と政友会の黒幕星亨の死という事件が相次ぎ内閣の先行きは一層不安となった。
この間、前内閣の陸相であった児玉源太郎は桂内閣の成立とともに辞職するつもりであったが、先輩の依頼と桂公の切望に余儀なく当分留任することとなった。だが機を見るに敏な児玉は、このまま前途多難を思わせる桂内閣に留まるのは得策でないと考え、桂内閣第一の難関である第十六回帝国議会が終るとともに台湾統治の重要性にかこつけて、陸相を固辞し、後任に寺内正毅(幼名寿三郎)を推して逃げだしたといういきさつがある。
経過はともかく、寺内にとっては何もせずにふって湧いたようなポストであった。寺内という人にはこういう幸運が常につきまとっていた。
先にも触れたが、東京偕行社の社長は陸軍大臣が兼務し、のちに出来た各師団駐屯地の偕行社はその地の師団長が兼ねていた。
偕行社事務長は陸相が変るたびに事業内容を具申にいかねばならない。ここで再び小武は寺内に会う破目になった。
陸相就任半月後の四月の半ば、小武が寺内の許へ行く日時が定められた。事業内容の具申といっても実際はお目見えの挨拶であった。
行くことに小武にためらいはなかった。今更若い時のことを持ち出し屈辱感を覚えることもなかった。そう思うほどの口惜しさも気力もない。敵愾心を燃やすにはあまりに離れすぎていた。些細な人間の能力とは全く別のことで運命が分れたとはいえ、現実に分れていることは否定しようもなかった。
(淡々と会って淡々と帰ってくるだけだ)
小武は息を潜めてその日の来るのを待った。彼にとっては一世一代の時間が、寺内にとっては目まぐるしい職務の一瞬のことにしかすぎなかった。
明治三十五年四月十日午前十時、彼は仕立て下しのフロックコートを着て馬車で麹町区永田町の陸軍省に向かった。左の腕には職務報告に要する書類をつめた鞄を持っていた。二十分で車は陸軍省の前に着いた。
将校に任官になった時、中隊長を任命された時と何度か陸軍省に来ていた。だが門柵も正面までの敷石もすべてが豪華に改められていた。階段を上り廊下を進む、そこから先は小武にも想像も出来なかった世界であった。
華やかな装飾が囲《めぐ》らされた部屋で背模様のほどこされた樫の椅子にかけて小武は寺内を待った。耳を澄ませるがこの奥まった一角はもの音一つしない。ここが軍の総てを統括する陸軍省の一室とは思えない静けさであった。
正面の壁に大きな額が並び、そこに等身大の各将軍の姿が描かれている。歴代の陸軍卿である。一番左手に大村益次郎がある。前原一誠、山県有朋、西郷従道、高島鞆之助、大山巌と続き、桂太郎、児玉源太郎となって終る。
(このあとに寺内が並ぶのだ)
小武はその一角を見据えながら、移り変っていく年月の重さを思った。
「やあ、待たせて失敬」
背に投げられた声で彼は弾かれたように振り返った。ドア口から寺内が両手を拡げたまま、にこにこと寄ってくる。
「寺内」呼びかけて小武は思わず口を襟んだ。今は同僚の寺内ではなかった。
「偕行社の小武です」
「久し振りだなあ」
寺内はしっかりと小武の手を握った。左手と左手である。
「御無沙汰していました」
「堅苦しいことは止してくれ、まあ坐れよ」
寺内は向かいの大きな椅子に腰を下した。
「偕行社の事務長になっていたとは、昨日秘書官に名簿を見せられるまで知らなかった。こんなことなら俺から出向いても良かったんだ」
「とんでもない、閣下がわざわざ……」
「おい、止せよそんな、堅苦しい」
寺内の顔には、すでに長く蒼ざめた昔の面影はなかった。丸く福々と肥り鼻の下に太い八の字髭を生やしている。小武の骨張った顔とは対照的である。この頃の寺内の顔にはアメリカの福の神になぞらえて、「ビリケン」という綽名がついていた。頭が尖り眉がつり上った裸像でこれを備えれば福徳を招くと云われている。寺内の一種ユーモラスな外形と福の神につかれたような出世は、まさにビリケンそのものであった。
「どうしているかと時々思い出していたんだが、つい仕事に紛れて行けなかった」
「いえ、こちらこそ」
小武には寺内が大きく見える。地位が人間を大きくするのか、人間が地位に追いつくのか、近より難い威圧感さえ覚える。
「楽にして一服どうだ」
寺内はテエブルの上の煙草セットを示した。銀製の盆の上には煙草ケース、マッチケース、灰皿が並んでいる。そこから寺内は紙巻たばこを一本、無造作にとりあげると口に咥《くわ》えた。右手でケースを押え左手でマッチを擦る。火は一度で点いた。
(あの時と同じだ)
寺内の左手の火を見ながら、小武は二十数年前、寺内が偕行社に訪ねてきた時の光景を思い出した。その時、小武は寺内に何かを借りたように思った。何か分らぬ、しかしその借りは借りたまま返してはいない。いや、返すどころか借りは一層大きくなってしまったようである。
(今となってはもはや返すすべもないのだ)
香りのよいたばこの匂いが流れてきた。小武はそれがあの時のとは較べものにならぬ、高価な外国たばこであることを知った。
「どうだ、久し振りに一緒に飯でも食おうか」
「いえ、本日は偕行社事務長として御挨拶をし、同時に社の現状を御報告申し上げるために参上したのですから」
「おいおい、そんなことはいいよ、挨拶ならとうの昔に済んでる。業務内容なぞ俺が見たって何も分らん、みんな君に任せるよ」
「しかし、閣下は我が社の社長でして」
「社長が任せると云ってるんだからいいじゃないか、まあ気楽にしてくれ、小武らしくないぞ」
小武は初めて自分が必要以上に寺内を意識しているのを知った。
(まだ素直になりきっていないのだ)
本心から素直になっていないから、構えたところがあるのだ。まだ勝敗にこだわっているのだ。小武は自分の中に潜んでいるしぶとさに呆れた。呆れながらそのしぶとさが哀れだった。
給仕が茶と菓子を持ってきた。茶をうまそうに飲んでから寺内が云った。
「その後、創はどうかね」
「別に異状はありません」
「それは良かった。俺もおかげであれ以来、膿は出ないが、相変らず骨はないままで金具を外すとぶらぶらだ。一部の将官は俺をぶらぶら手の中将≠ニ蔭口をきいているらしい」
寺内は愉快そうに笑った。
「ぶらぶら手だが、このおかげで俺は大分得もしたようだ」
「そんなことはありません。現在の閣下は閣下自身のお力で……」
つい小武が力むと、
「いやそうとは云えん、人間の一生、すべてがそいつの能力によるものではない。むしろそれ以外の力によることの方が多いかもしれん。俺はそのことを忘れたことがない」
(この男)
と小武は思った。寺内が更に一廻り大きく見えた。地位とともに心も寺内は大きくなっていたのかもしれない、小武は改めて寺内を見上げた。
「一部の者はまた、儂を創設的というより整理的な人間だと云っているが、これはどういう意味だと思うかね」
「それは勿論、閣下の周到緻密な注意力を評価されて云われた言葉だと思います」
「いや、貴君なら気付いていると思うが儂には独創力がない。要するに頭が悪いということなのだ」
「まさか……」
小武が慌てて弁明しようとした時、ドアがノックされ大佐の袖章をつけた男が入ってきた。秘書官らしく入口で敬礼し、それから寺内の横に進んで小さな紙片を見せた。
「うん、分った」
紙片を読み終ると寺内はうなずいた。秘書官は再び敬礼をし部屋を出ていった。
「何か御用でも」
「いや、午後の会議のことだ」そう云うと寺内は思い出したように、
「実は癈兵院《はいへいいん》というのを作ったらどうかという話があってね」
「はいへいいんですか」
「そう、西欧の各国にはすでにあるらしいが、戦争で傷ついて再起不能になった軍人や、働けなくなった人達を収容する施設でね。儂もこんな体だから身体の不自由な人の気持はよく分る。是非とも陸軍省原案としてこの次の帝国議会には通して実現させたいと思っているのだ」
「そうですか」
「我々はまだいい方だ。傷ついて半身不随になったものも沢山いるからな」
「はあ」
うなずきながら我々の中に寺内と自分が一緒に含まれるのかと、小武は奇妙な気持にとらわれた。
「今来たのはその会議のことだ」
旧友と思う故か寺内は何でも正直に告げた。
「ところで貴君の家族は」
「二年半前に妻が病死して、今は子供が一人です」
「それは気の毒なことをした。で今は?」
「そのままです」
「そうか」
寺内はうなずくと窓を見た。窓の外では庭越しに松の巨木が見通せた。風があるらしく芝生の先が小ぜわしく揺れていた。
「突然だが、後添いを貰うつもりはないか」
「私が」
「そうだ。一人ではこれからも何かと不便だろう」
「ええ、しかし……」
「一人心当りがあるのだ、御存知かも知れぬが元陸軍中佐水口義雄君の未亡人でむつ子と仰言る」
「むつ子?」
「そうだ、水口中佐は日清戦争の折、平壌で戦死された。子供は二人いられたが皆、成人されて今はお一人でひっそりと暮しておられる。儂の家内と友達なので時たま会うことがあるのだ」
「その方はどこの御出身で」
「東京だ。家は日本橋で大きな呉服問屋をやっていたとかで、本庄と云う」
「本庄むつ子殿」
「知っているのかね」
「いえ、……別に」
小武は狼狽を隠すように眼を伏せた。
「男の一人住まいはいかん。子供は女子は嫁ぎ、男子は戦争でいつ死ぬとも限らん。老いると妻だけが頼りになる。男はどうも女子より淋しがりやでな」
五年前に寺内は死別した妻に代って二度目の妻を貰っていた。そのことは人々の口から聞いて小武も知っていた。
「どうかな、まだ四十二、三、しっかりして美しい方だが」
「折角ですが、いまのところはまだ」
小武は二十五年前の叔父の家での一瞬を思い出した。あの時、本庄家では気うつの病だと云った。だがその実、そのあとにむつ子は当時の青年士官であった水口義雄と結婚していたのである。不具の先の見通しない男との婚約を振り切って乗り替えた。そして今は未亡人になっている。
(俺と一緒になっていたら未亡人にだけはならなかったろう)
小武は今更、むつ子を恨む気も、まして貰う気もなかった。ただその運命の変りようが可笑しく恐ろしかった。時計を見るとすでに十二時を五分廻っている。面会予定時間の三十分は過ぎていた。肝腎の仕事のことは話さず別のことばかり話し合っていたのだ。
「それでは書類はお目を通しておいて下さい。よろしい時いつでも取りに参ります」
「帰るかね」
「はい」
寺内は少し名残り惜しそうに小武を見詰めた。
「それでは帰ります」小武が頭を垂れた時、寺内が云った。
「ちょっと待ってくれ」
「はあ?」
「これを持っていってくれ」
寺内は内ポケットから白い紙包みを取り出して小武に差し出した。
「何でしょうか」
「どうというわけでもないが、これを持って三田四国町の三田鋳造所に行ってみてくれ」
何のことか、小武にはさっぱり分らない。
「実は前から、乃木さんが三田の業者に義手を試作させていたが、最近ようやく使用に堪えるのが出来たと云うのだ、私も見せて貰った。それをつければ簡単なものなら握ることが出来る。だがようやく出来たばかりで数が少ない。乃木さんは部下の手を失った将兵に配りたいと云っておられたが、その割当ての一つを貴君のために貰っておいたのだ」
小武は息をつめて寺内を見返した。
「この手紙を持っていけば無料で作ってくれるはずだ」
「寺内」
思わず小武は呼び捨てにした。だがすでに訂正する気はなかった。
「要りませぬ、私は……」
「貴君は義手が欲しいと佐藤先生の所へ行った筈だ」
「あれは、……あれはずっと以前のことです」
「それがようやく出来たのだ」
突然、小武の頭に抑えようもない怒りがこみあげた。
「今になってそんなもの貰っても、何の役にも立ちませぬ」
「小武」低いが鋭く寺内が叫んだ。「お前は俺の気持が分らないのか」
「分らないのはお前だ」
すでに怒りは走り出していた。止めようにも止めるすべはない。小武の顔は蒼ざめ、唇の端は小刻みに震えている。
「生半可な同情なぞはやめてくれ、俺はそんな手にはひっかからん。俺は俺でお前はお前だ」
小武は寺内の渡した紙包みを床に投げつけた。
「小武っ、静まれ」
「うるさい!! この能なしめ」
怒声を聞いて駈けつけてきた秘書官が素早く後ろから羽交締めに小武を捕えた。
「無礼者っ、閣下の御前を何と心得るか」
「閣下もなにもあるか、俺は小武だ」
一度火のついた焔は狂ったように燃えさかった。どこからどうなったのか小武には覚えがない。二十五年間、抑えに抑えていたものが一気に爆発していた。
「追い出せ、追い出すのだ」
秘書官が叫び、さらに四、五名の男が駈けつけてきて、なお暴れまわる小武を前後左右から圧えつけた。一時間後、小武は五人の兵に囲まれて陸軍省の車で家に帰された。監視はされたが縄はかけられなかった。
翌日から直ちに、小武は自宅で謹慎した。
(あれは狂気であった)
奥の間で正坐し、白壁に対しながら小武は悪夢としか思えぬ時間を回想した。
(何故あんなことをしたのか)
小武は何度も自分に問いかけた。寺内が憎かったのか、彼のやり方に腹が立ったのか、ただ叫んでみたかったのか、問いつめた果てに小武は一つのことに気付いた。
(あれは俺自身への怒りであったのだ)
あれだけの狼藉を働いたのだから当然何等かの処分があるはずだった。定められれば素直にそれに従うつもりだった。だが一週間経ち、十日経っても、寺内からも陸軍省からも何の沙汰もなかった。
「何故、社に出られないのですか」
事情を知らぬ偕行社の職員達は入れ替り立ち替り、小武の家を訪れた。
「辞めるつもりだ」
小武は辞表を書いた。だがそれは寺内の裁可がいる。さらに十日経ったが何の返事もなかった。あれだけのことを起したのに偕行社の者は勿論、陸軍省の者も誰も知らぬようであった。寺内の厳重な緘口令の下、内聞にして不問に付す、という腹に違いなかった。
「出て来て決裁してくれなければ困ります」
事務長がいないまま社には一カ月に及ぶ書類がたまっていた。
(抗《あらが》ったところでどうなるわけでもない)
四十日目に小武はようやく社に出た。職員達は小武が何か急に気の病にでもなったのだとしか思っていなかった。
(本当に俺は負けた)
小武は九段の坂を登りながら、部屋を連れ出される時に見た寺内の憐れみをたたえた眼差しを思い出した。
この年の秋、小武は娘のりつ子を嫁がせた、息子を失い、一人娘なので嫁げば小武家を継ぐ者がなくなるが、彼は娘の意志に任せた。相手の男も長男であった。
「家のことは心配せずともよい」
もはや、彼は家にこだわってはいなかった。本来なら娶る気もなかったのだから子を得たのは余計なことだと思っていた。
(残すほどの家でもない)
かつて家族四人で住んだ家に一人で残り、三十数年前に戻って、小武は再び近所の小女に身の廻りの世話を委ねた。
当初短命を予想された桂内閣は日露戦争という超党派態勢に救われて、戦前、戦中、戦後と五年余に及ぶ長命内閣となった。さらに歴代陸相としては二流と見なされた寺内は、この五年間を乗り切ったことで大きく見直されることになった。この意味で日露戦争は晩年の寺内に訪れたもう一つの好運であったということができる。
ともかく寺内はこの間の陸軍大臣としての功績により三十九年、終戦処理が終るとともに陸軍大将となった。更に四十二年には朝鮮総督兼任となり、四十四年総督専任とともに伯爵を授けられ華族に列せられた。
この間、日露戦争勝利に沸く三十九年の春に、小武には忘れられない小さな事件があった。
三十八年、三十九年とそれまで満州に出兵していた軍は続々と帰還してきていた。この英雄達を迎えるために東京の街は毎日のように花火があり、旗行列が行なわれた。当然、偕行社も連日出征帰りの将校達で賑わった。
その日も偕行社の将校集会所は満州帰りの威勢のいい将校達が集まり武勇伝を披露しあっていたが、酒がまわってくるとよく争いが起きた。
「また睨み合ってます、小武さんでなければ収まりそうもありません」
例によって伊藤が助けを求めに来た。
「どことどこだ」
「第一軍と第四軍の将校達です」
「黒木と野津か」
第一軍は黒木大将が、第四軍は野津大将が率いていたのである。二人の若い時を小武は知っている。
小武が行った時、将校達は机を挟んで真二つに分れて睨み合っていた。
「よせ、ここは争う場じゃないぞ」
対峙していた将校達は突然現われた小武を訝しげに見詰めた。
「いい年齢をして、何という態だ」
「なにいっ」
その時、最前列にいた上背のある男が一歩前に身を乗り出した。すでにかなり酩酊している。
「貴様、帝国軍人を馬鹿にするのか」
男には平服の小武が何者か分らなかったのである。
「軍人なら軍人らしくしたらどうだ」
「なにっ、この老いぼれめ」
云った途端に、男の鉄拳は小武の顎をとらえていた。はずみを食らって小武の痩身は二間先の机に当って倒れた。
「小武さんっ」
伊藤が駈けよって抱き起した。
「貴様ら、この方を何と心得るか、この方は西南戦争で右腕をなくされた貴様らの大先輩だぞ」
将校達は慌てて伊藤の陰になっている小武をのぞき込んだ。だが酔った男はこのままで引っ込んでは恰好がつかぬと思ったのか、さらに悪態をついた。
「西南戦争がなんだ、我等は世界一の露軍と戦って来たんだ」
小武は立上った。顎が燃えるように熱かったが頭は不思議なほどさめていた。
「馬鹿野郎、何であろうと命をかけた戦であることに変りはない。この方は寺内閣下と同期で親しい方だ」
「えっ」
毒づいた男は手を下ろし顔を引いた。腕組みしたり、ポケットに手を入れていた将校達が一斉に直立不動の姿勢をとった。
「非はもとよりお前達にある。このままでは只で済まんぞ」
「はっ」
酔った男は真直ぐ小武の顔を見てから頭を下げた。
「申し訳ありません、そうとも知らず、御許し下さい」
小武は何も云わず集会所を出ると、足早に自室に戻った。椅子に坐ると、顎から頬一面が火照った。何かしらぬが無性に悲しかった。十分して伊藤が戻ってきた。
「連中、全員で改めてお詫びに上りたいと云っています」
小武は夕闇にぬりつぶされた外を見ていた。坂上の灯台の光りが濠の水に映って揺らいでいた。
「いかが致しましょう」
「いいと云ってくれ」
「でも、彼らは……」
「いいと云ったら、いいのだ」
「分りました」
伊藤はドアを閉めて出ていった。
「寺内と同期で親友か」
小武は一人になって呟いた。寺内が士官学校で教えでもしないかぎり彼等に小武の存在は分るわけもなかった。
(長く勤めすぎたのだ)
彼は自分が、「老いぼれ」と云われたとおり、五十歳の半ばを越したことを改めて知った。
明治は改元され大正に改まった。
富国強兵の国是は一層進められ、軍備において日本は欧米列強に伍して五指に入る強国となった。
大正二年、小武敬介は六十歳に達したのを機に偕行社を辞職した。辞めて小武はようやく大きな荷を下した気持だった。格別きつかったわけでもないが、偕行社の勤めを終えたためだと思った。だが時間が経ってみるとそれだけでもないことが分った。
(あとは死ぬだけだ)
そう思った時、彼は初めて寺内とはもう永遠に争うことはないのだと知った。争うどころか意識することもない。辞めて得た安らぎはむしろこの気持の落ちつきからきたのかも知れなかった。
(所詮は一人相撲であった)
陽気のいい日、小武は上野から浅草、そして隅田川べりまで足を延ばした。片腕でさまよった三十数年前が昨日のことのように思い出された。
小武の視力が衰えてきたのは退職した二年後の春からであった。物が靄がかかったように朧《おぼろ》になり、瞳孔に白い膜が現われた。小武は特別治す気もなかったが、近所の人はしきりに病院に行くことをすすめた。
「順天堂にでも行ってみようか」
小武は久し振りに佐藤進のことを思い出した。彼は娘に付き添われてお茶の水へ行った。順天堂医院は石段の上にバルコニーのある二階造りの近代的な建物に変っていた。
眼科での診察の結果は老人性白内障で、あまり有効な治療法はないということだった。
「病名さえ分ればよろしいのです」
小武はそれで満足していた。彼は一旦帰りかけたがふと思い出したように受付の女性に尋ねた。
「佐藤進先生はいなさるかな」
「院長先生ですか」
「そう、ちょっとお会いしたいのだが」
「どちらさまでしょうか」
「偕行社にいた小武敬介だと伝えて下さい」
義手を頼みに来てから三十年近い年月が経っていた。
「どうぞ、すぐお会いになるそうです」
小武は受付の女性のあとに従いて院長室へ入った。
「ようこそ、御無沙汰していました」
佐藤は手をあげて立ち上った。頭は真白だが顔のつやはまだ若々しかった。
「少し眼が悪くて眼科まで来たものですから」
「それはそれは、よく尋ねて下さいました」
一介の隠居老人に佐藤は屈託がなかった。近況を告げ終ると話は自然に腕の創から大阪臨時病院のことになった。
「寺内閣下からは今でも正月には年賀状を戴いています」
「そうですか、彼は随分と偉くなりました」
今は小武は素直に云えた。
「先日、二年ぶりに石黒院長とお会いして、あなたと寺内さんのことを話したのですが、本当に不思議な気がいたしました」
「私と寺内が」
「ええ、ちょっとした運命の悪戯《いたずら》に違いないのですが」
「何でしょうか」
「今だから正直に申し上げますが、あの時、実は寺内さんも切断の予定だったのです。それが二人目の手術をする寸前に私の気持が変りました。腕を残す実験的な方法をしてみようと思いついたのです」
「手術場で変ったというのですか」
小武は不鮮明な眼をあげた。
「そうです。どうしたわけかあの時にかぎって、二つ続けて切断するのが気が重くてたまらなくなったのです」
「ではあの時、もし私が二番目だったら……」
「そうです。そうしたら寺内さんが切断されて貴方の腕は残っていたでしょう」
「………」
「考えると恐ろしい」
「手術の順番はどうして決めたのですか」
「貴方のカルテが寺内さんのカルテの上に置いてあったのです」
「カルテが上……」
小武は左手でしっかりと杖を握ったまま目を閉じた。抑えようとするが|顳※[#「需」+「頁」]《こめかみ》が震え、唇が歪んだ。誰の悪戯なのか、誰の意志なのか、小武は手術室へ向かった時の気が遠くなるほど明るく、乾いた空を思った。
(あの時、すでに勝負は決っていたのだ)
それなのに何と長い間、自分は|※[#「足へん」+「宛」]《もが》いたことか。三十五年間必死に戦ってきた、小武の身内で音を立てて崩れていくものがあった。
(なんと愚かな……)
突然、小武は笑い出した。可笑しくて可笑しくてたまらぬというように、涙を出し、腹をよじって笑う。歯をむき出し、白髪の頭を振り乱して笑う。口だけ開き、眼は狂気のように宙を見詰めている。
「小武さん、小武さん」
佐藤の声にも気付かずに小武は笑い続ける。首を突き出し、口から泡を出して笑い狂う。
「どうしたのです。小武さん」
佐藤が小武の袂を掴んだが、小武はそれをふりきり、獣のような笑い声をたてながら部屋中を歩き廻った。
小武の行動に異常なことが目立ち始めたのはこの時からである。
家にじっとしているかと思うと、突然笑い出し部屋中を廻り始める。ぐるぐる廻った果てにきまって着物を脱ぎ捨て、切断された右腕を突き出しては水車のように振り廻す。時には裏木戸から外へ出て通行人に見せびらかす。軍人と見ると腕を振り廻してぶつかっていく。女子供は怖がり、男達はもの珍しげに家の周りに集まった。近所の小女では、もはや抑えがきかなかった。
娘のりつ子が佐藤進と相談したうえ、小武を巣鴨の癈兵院に収容したのは、それから二カ月後の大正五年の三月の半ばであった。病棟は精神病患者を収容する二階北側の鉄柵のついた暗い部屋であった。同室人は八人で、いずれも戦場で脳を撃たれ狂った者ばかりであった。
ここに来ても小武は無気味な笑いをうかべては衣服を脱ぎ短い腕を振り廻した。しかし時に急に静かになり、読書に励むことがあるかと思えば、鉄柵に顔をおしつけて青い空を黙って見ていることもあった。
小武が癈兵院に入った年の六月、寺内正毅は元帥府に列せられ、その年の十月、大隈内閣のあとを受けて内閣総理大臣の重責を担った。
寺内が死んだのはこの三年後の大正八年十一月三日であった。
この時、特旨を以て従一位に叙せられ、大勲位菊花大綬章を授けられた。
十一月五日、勅使として侍従子爵海江田幸吉、皇后宮使として皇后宮主事三室戸敬光の弔問を賜わった。ついで、十一月七日、勅使侍従落合為誠、皇后宮使皇后宮主事男爵三条公輝によって幣帛、供物、花を贈られ、焼香を賜わった。
なおその折、天皇陛下より次のような御沙汰を賜わった。
至誠職ヲ奉シテ力ヲ軍務ニ効《イタ》シ博愛衆ニ臨ミテ化《カ》ヲ新氓《シンボウ》ニ布ク輔弼《ホヒツ》ノ重責ニ膺《アタ》リテ鴻猷《コウユウ》ヲ是レ賛《サン》シ燮理《シヨウリ》ノ大任ヲ負ヒテ庶績《シヨセキ》ニ是レ労セリ凶音《キヨウイン》忽ニ聞《ブン》ス宸悼転切《シントウウタタセツ》ナリ宜ク賻《フ》ヲ齎《モタラ》シテ弔《チヨウ》スヘキ旨
御沙汰候事
寺内の死後、小武敬介はなお二年間生き延びた。この間、小武はほとんど失明に近い状態であった。眼が見えなくなってから、彼は部屋の片隅に坐りこんで、日がな断端を舐め始めた。そのうちに舐めるのが昂じて齧《かじ》ることさえあった。軍医がきびしく叱ったが、その時だけやめて、いなくなるとまたすぐ齧り出した。看護卒はついに堪りかねて、断端を小武の胴に縄で縛りつけた。小武はなお断端を舐めようと、首だけ必死に振り廻した。
小武が気管支炎から肺炎を起し、癈兵院で死亡したのは、二月の初めの寒い朝であった。当直の看守も気付かぬ静かな死で、同室の狂者達だけがぼんやりと死体を見詰めていた。
死に顔は漂白されたように白く、皺も目立たず、かすかに口を開き笑っているように見えた。死後遺体は神田五軒町の娘の嫁ぎ先に引き取られ、そこで通夜のうえ翌日火葬に付された。享年七十であった。
宣  告
国立D病院外科医師の船津俊介は五時に受持の祁答院《しとういん》正篤の直腸癌の手術を終ったあと、更衣室横の風呂で簡単なシャワーを浴びると真直ぐ四階の外科病棟へ向かった。
午後から祁答院の手術を含めて外科だけで四つの手術があったので術後患者の点滴、注射、検温と看護婦詰所は戦場のような忙しさだった。シャワーを浴びてまだ水が充分切れていない頭のまま船津は風呂を出るとすぐ四〇七号の祁答院の部屋に直行した。四〇七号は病室と控え室と二間続きで、ソファと冷蔵庫が備えつけられたD病院では最も豪華な病室である。
病室には若い時から美人で評判だった祁答院の妻、かね子と、二人の娘がベッドを囲んで坐っていた。祁答院はまだ麻酔から覚めず眠り続けていたが、その顔は髪の生え際まで透けるように蒼ざめていた。船津はもの云いたげなかね子の視線を感じながら聴診器を耳にはさんで血圧計を見続けた。上は九十から下は五十で動脈の搏動は消える。大きな出血のあとで、血圧はまだ元に戻っていない。聴診器を外し目を上げた時、待ち構えていたようにかね子が尋ねる。
「いかがですか」
「大丈夫です。あと二十分くらいで意識が戻ります」
船津に云われてかね子は眼でうなずいた。肌の艶は五十歳を越しているとは到底思えない。船津は血圧計を離すと、祁答院の妻へ一瞥を呉れてからガートルにぶら下っている輸血ビンへ目を向けた。ビンは手術の終る間際に取り換えて、まだ百tは残っている。二人の娘はどちらかと云うと母より祁答院に似ている。両の眼から鼻への迫った感じがそっくりだ。娘達の年齢は祁答院が晩婚だったせいもあって二十歳と十八歳である。
祁答院正篤は画家で今年六十三歳になる。彼は二十歳でデビューし、当時最も権威のあったN展に連続六回入選し、二十歳の半ばですでに作家的地位を固めてしまった。その後画壇の主な賞はほとんど掌中におさめ五年前芸術院会員に推された。老大家と云うには年齢的には若いが画壇の大御所としてすでに揺るぎない地位を占めていた。
このように画家としての出世は言葉どおりの順風満帆であったが、この彼にも一つだけ人に云いたくない泣きどころがあった。
それは二十代の半ばから始まった痔疾である。この厄介な病気は時たま思い出したようにぶり返す度に今度こそ手術をしなければいけないと思いながらなお頑固に我慢し続けた。便所はいち早く洋式にし、筆を執るときは、立つか椅子の上に円坐を置き、その上にスポンジを敷くという大変な気の配りようであった。市販の薬は勿論、医師や知人が少しでもいいという薬はすべて使ってみたが、どれもが決定的な効果はないままに今に至っている。結局痛みの最盛期にはただじっと身をひそめ、嵐が過ぎ去るのを待っているのが最良の治療法だということになってしまう。
これほどまで苦しんだにもかかわらず彼は医師の診療を受けようとはしなかった。彼が痔の診察を受けたのは後にも先にも新進気鋭の画家として世人の注目を浴び始めた二十六歳の冬のただ一度しかない。彼はその時のことをある雑誌の随筆欄に次のように書いている。
「本来、医学というものは人間に対し冒涜的なものであるが、中でも痔の診察程、人間性を無視し精神の荒廃を誘うものはない。仰向けになり脚を挙げ、股を開いて局所をむき出すという姿勢は本来人間として取るべき姿態ではない。人間の形としてはありえない。あり得べき形ではない。動物ならともかく人間はどんなことがあってもあのような姿態を取るべきではないし、取れと命ずべきものでもない。あれは人間の形ではない……」
祁答院が痔について公に書いたのはこの一文しかない。この文章も姿態が許せないというだけで、彼がどのような種類の痔疾なのか、そうだとしたらどの程度のものか、といった点については一切触れていない。いずれにせよ彼は「痔が痛む」ということは云うがその程度や苦痛の激しさについては尋ねても答えない。だから彼を知っている人は彼の坐り椅子への極端な気難しさや、便所の長さから彼の痔疾がかなり重症らしいことを推測するに過ぎなかった。
祁答院が直腸癌ですでに手遅れの状態になったのは、この彼の異様なまでの羞恥心と頑固さによるものと云える。船津が予診の時、辛うじて聞き出したところによると、祁答院が便に血とともに膿汁のような着色を見たのは一年半も前になる。便に血が交るのは痔が悪化した時によく見る症状だから慢性痔疾のある彼が格別気にも止めなかったのは無理もなかった。だが膿汁のような着色は普通ではない。少なくともその時に病院を訪れるべきであった。人にこそ云わないが祁答院は自分の便はよく見ていた。痔が治まっているのに血便が続き、やがて便が次第に細くなり、ごく少量ずつしか出なくなったのは一年前の昨年の正月からである。相変らず彼は痔の故だと思っていたが、直腸に出来た癌が次第に大きくなり便の通路を狭めていたのだった。癌は徐々に、しかし確実に大きくなり、それにつれて便は次第に細くなった。夏に入ってからせいぜい小指程になり、秋には遂に鉛筆より細くなった。直腸は肛門のすぐ上の部分で、小腸のように栄養を吸収するとこではないから、癌が大きく発育したわりには体の衰弱は目立たない。元来が長身痩躯であるからたとえ少しずつ痩せていたにしても傍目からはほとんど気付かなかったのも当然であった。
すべて痔のせいだと思っていた祁答院が、さすがに異常だと気付いたのは十一月に入り、便が線香ほどの細さになり、排便をするのに、一時間以上を要するようになってからである。便が出ず出血があるわりに痛みはさほどない。むしろゆっくりと時間をかけて出すので痔の方は治っているように見える。細いのはともかく便所に入ったきり一時間もかかるのでは本人はもとより、家族も困ることが間々ある。さすがの祁答院も、この便の出方にたまりかね、年が明けるとともに妻のかね子にだけ告げた。聞いただけで、かね子は病院へ行くことをすすめた。
祁答院はなお半月頑張ったが一月の半ばに、排便中、急に眩暈《めまい》を覚え便所で倒れるということが起きるに至って、遂に病院へ行くことに同意した。
病院は昔からかかりつけの大沢医師を通じて、痔の方では有数の権威である国立D病院外科部長の綾野博士に紹介された。
かくして若い時から和服に馴染み、またそれがよく似合っていた祁答院は診察室の乱れ籠に羽織袴を脱ぎ捨て、彼の云う、人間として許さるべきでない肢位を取る破目に追い込まれた。
肛門を診て指を挿入した瞬間、綾野博士は大きく顔を歪めた。直腸の腫瘍はすでに拳大になっていた。時計で云うと後壁の六時の位置から半周を経て三時の位置まで広く硬く根ざした腫瘍の感じは疑いもなく癌であった。直腸鏡での精査も注腸バリウムで調べる必要もなかった。十中八、九、いや百パーセント直腸癌の末期であることに疑いはなかった。
「如何ですか」
人間のとるべきでない姿態から解放された祁答院は羽織袴をつけ終ってから患者用の丸椅子に坐った。
「直腸にこれくらいのできものができてます」綾野博士は右手で拳を作って見せた。
「なんでしょうか」
「多分……癌です」
「癌?」祁答院が目を据えた。「痔ではないのですか」
「癌です」綾野博士ははっきりした口調で云った。
「それじゃ……」
「すぐ手術をしなければいけません」
「手術をすれば治るのですね」
綾野博士はうなずいた。
「御願いします」
手術の肢位が屈辱的なことも、そのあとに痛く苦しい時間が続くことも、すでに祁答院の頭にはなかった。
点滴と注射の術後指示をカルテに記載すると船津は医局へ戻った。医局ではすでに仕事を終えた医師が集まり、手術のあとの風呂上りにビールを飲んでいた。医局のテエブルに新しいビールのダース箱が四つ並んでいる。各々に今日手術した患者の名がついたノシ紙が貼りつけてある。中に祁答院と書いたのが二つある。
「偉い絵の先生はどうだったかね」
船津がはいっていくとすでにビールで顔を赤めた医師が尋ねた。
「全くの手遅れです。直腸はレトロペリトネウム(後腹膜)にぴったり癒着していてとても剥がせるものじゃありません」
「もうレンデン(腰椎)かレエバア(肝臓)にメタ(転移)しているんだろう」
「初めから分ってたんですよ」
船津は同期の田辺が注いでくれたビールを飲み干した。
「それで結局、癌は?」
「とにかく半分だけはとりましたが、あとはそのままです」
全身麻酔の下、肛門から大きく開いて進んでみたが腫瘍の中半ほどもとらずに退却してしまった。直腸から腰あたりまでの淋巴腺はすべて癌に冒され、るいるいと腫れ上ってみな膀胱や尿管、腸と癒着している。それをあえて強引に剥がせば淋巴腺と一緒にそれらまで摘《と》り出すことになってしまう。淋巴管の腫れは更に腰椎から背骨の上まで続いていると考えられ、とてものことにすべてを摘り出せる代《しろ》ものではなかった。
「人工肛門を造らなければいかんな」二期上の先輩が云った。
「そうですね」
便を下から出すのを諦めて腹の横に穴をあけ、これを腸と繋いで便はこの穴から出すというやり方である。この方法だと癌の出来た直腸から下は全く働かず休んでいることになる。こうすることが一番長持ちをする。
「人工肛門でどれくらい生きられますか」
「そうだな、いいのは二、三年保つのもあるけどね、メタ(転移)がひどいようだからまあ半年かな、うまくいけば一年はもつよ」
「一年か」船津は手術を受ける前の祁答院の言葉を思い出した。
「まだまだ死ねません、やり残しの仕事があります」勝気そうな顔に祁答院は眼を輝かせて言った。
「癌は食道より胃、胃より腸と、下にできるやつほど長保ちするからね」
先輩が云った時、綾野部長が入ってきた。皆は一瞬、話をやめ綾野の方を見やった。
「祁答院さんの容態はどうかね」
綾野は祁答院の手術の執刀者だった。
「今診たところでは血圧が一寸低いのですが、一応落ちついてます」
「麻酔は」
「まだ醒めてません」
「そうか」綾野は田辺が注いだビールを口に持っていった。
「家族の方は」
「奥さんと娘さん二人が来ています」
祁答院は綾野への紹介患者であるうえに、誰もが知っている有名人である。綾野が気にするのも無理はなかった。
「しかしひどかったなあ」
綾野は半ばは医局員へ、半ばは自分に云いきかせるように云った。そう云うことで失敗だった手術の結果を納得しようとしているのかもしれなかった。
「先生、手術の説明はどうしましょうか」
「どうするって?」綾野が不思議そうに船津を見返した。「いつものように云っておいたらいいだろう」
「手術は成功だったと……」
綾野は煙草に火をつけながらうなずいた。本来、癌であることはなるべく患者や家族には告げない。だが手術のために止むを得ず告げねばならない時もある。そういう場合にはあとで必ず、「うまく摘りきった」と答えることになっていた。自分で感ずるのは別として失敗だったということは最後まで告げない。患者に生きる希みを保たせ、精神的に苦しめるのを防ぐため、この云い方は臨床医の守るべき不文律となっている。医者になって五年にもなる船津が今更のようにそんなことを聞き出したので綾野は意外に思ったのだ。
「駄目だということは誰に対しても云ってはいけないものですか」
「というと……」
「たとえば祁答院さんのような」
「祁答院さんがなにかかね」
医局員は船津が何を云い出すのかと雑談を止め聞き耳を立てた。
「あの方は芸術家ですから」
「………」
「芸術家の場合は一般の人と少し違うと思うのです」
「というと」
「これは僕の私見ですが、助からないと分ったら芸術家の場合はむしろ積極的に死期を報せてやった方がいいのではないかと思うのです。あと半年とか一年とか、それによって彼等はこの世でやり残していた仕事を全力を尽してやっていくと思うのです。芸術家は自分の命より仕事を大切にする筈です。ただ本人を苦しめるというだけで一般の人と同じように死期を隠すことは本人のためにも、われわれにとっても大変な損失だと思うのです」
「われわれにとっても?」
「ええ、その人の仕事を認め、惜しむ者としてです」
綾野は腕を組み、じっと考えこんでいたが、やがて、
「皆はどう思うかね」ときいた。
「どうせ助からないのなら彼等は死期を教えて呉れというはずです。短くてもその間に彼は彼なりに充実した仕事をやっていくと思うのです」
船津は少し喋りすぎるかと思った。だが、これは彼が二、三年前から考えていた持論である。
「船津君の云うことはたしかに一理ありますが、それにしてもたとえ半年後にでも確実に死ぬと聞かされた当の本人は随分とショックを受けると思います。治るものと信じていたものが駄目と云われるのだから大変なことです。それで狼狽し、死の恐怖にとりつかれて、仕事どころではないといったことになりはしないでしょうかね」
「一時的にはそうなるかもしれません。一日二日は。でも彼等は芸術家ですから個人で残していく仕事が命の筈です」
「芸術は長く、人生は短しというわけかい」
「祁答院さんはまだまだこれからの人です。だからこそ教えてやっていま一ついい仕事を残していって欲しいと思います」
「船津君の云うとおりだとすると芸術家というものは厳しいものだね」
芸術といったものにおよそ無縁な、快活な外科医である先輩が溜息まじりに云った。
「でも苦しみのなかから作品を完成し、残していくのが芸術家の生き甲斐ですから、僕達が本当のことを言ってもきっと喜んで受け入れて呉れると思います」
「君は絵も好きなようだから、君の云うほうが本当なのかもしれないな」綾野が云った。
「そんなことはありません、これはただ僕の勝手な解釈ですから」
「いや、云われてみるとそんな気もするよ」
「芸術家と云ったっていろいろいます。僕は芸術家なら誰でも癌の死期を告げてもいいと云ってるわけじゃありません。でも祁答院さんは本物です。そのあたりの芸術家らしいとか、ぶっているのとは違います。僕はそう信じ、尊敬している方ですから是非教えてあげて、その間に最後のいい仕事をさせてあげたいのです」
皆が真剣に考え込んでいるのを知って船津は照れたように頭に手を当てた。手術の後の賑やかな医局とはまるでムードが違う。
「それで勿論奥さんにも云うのだね」
「ええ、奥さんはあの先生のお仕事の助手も兼ねています」
「そうか」綾野は最後の決を下すように顔を上げた。
「君が直接云うかね」
「僕が云っても宜しいのですか」
「君に任せるよ」綾野は持っていた煙草をもみ消した。
「云った以上、彼が精神的にどんなに苦しんでもこちらの責任だ。これからの一年は彼のためでなく芸術のためにあるのだから、それがしやすいようにできるだけのことをしてやらなければいかん、彼の気持や命より仕事が優先するわけだ」
「分りました」
うなずきながら船津は体が熱くなるのを覚えた。医師になって六年目だが、患者に面と向かって死期を告げるのはこれが初めてであった。
「祁答院に限って癌を摘りきっていないことを告げてよい」という異例な許可をかちとった船津であったが、考えてみるとこのことは必ずしも容易なことではなかった。
さし当りまず問題になるのは、人工肛門造成術を、いつ、どういう理由でやるかということであった。人工肛門は直腸や肛門に異常があるとか、手術をして使えない場合に腹の側面に大腸と連結した穴をあけて、そこから排便させる口を造る手術である。従って一般的には本物の方が治って使えるようになれば、再び閉鎖するという例が多い。だが祁答院の場合は同じ人工肛門を造るにしても目的が全く異なる。彼の場合は一時的というのではなく永久に、すなわち死が訪れるまで人工肛門の厄介になるということである。癌が治ることがない以上、それは当然のことであった。人工肛門を造るということは彼の命を半年から一年延ばすだけの意味しかないのである。
このような消極的な手術を、不治と知った祁答院が素直に受け入れる気になるか否か、きわめて疑問であった。
「どうせ助からないのならそんな手術はしたくない。糞を腹の横から出してまで生き延びるなんて御免だ」祁答院ならこんなことも云いかねない。
さらに万一、手術を応諾したにしても、癌で助からないと知って手術を受けたのでは術後の恢復もはかばかしく進まないのではないか、という懸念もあった。精神的不安は患者の体力に大きく影響する。
(人工肛門造成術を終るまでは癌が不治であることは告げないことにしよう)
考えた末、船津はそう決めると、この方針を綾野部長にも告げて了解をとった。
人工肛門造成術はさして大きな手術ではない。病変のある直腸の上の部分で腸を切り離し、その先端を腹の側面の、あらかじめ切り開いておいた皮膚のところまでもってきて固定すれば手術は終る。この手術を祁答院の第一回目の癌摘出術と同時にやらなかったのは、二つ同時では体が弱りすぎるという心配があったからであるが、これだけ単独でやるのであれば、一回目の手術のあとすぐでも心配はない。むしろ早くした方が便通の点からも好都合であった。
「横っ腹に肛門が出来るというのかね」
船津の説明を聞き終ってから祁答院はおもむろに尋ねた。
「その方が直腸の方の恢復もはるかにいいと思います」
「このあたりかね」
祁答院は夜着の上から右の脇腹の下あたりを指で示した。
「もう少し下ですが」
妻のかね子が呆れたように船津を見上げた。
「お便はどうなるのです?」
「それは、勿論、その場所から出ます」
「すると……溜ってくると……」
「溜ってくると自然に出てきます。肛門のように特別の神経や括約筋がありませんので、溜った感じとか、自分でおし出すということはなくなりますが」
「じゃいつも……」
「ええ、その時に応じて」
汚く奇妙な話だが三人にとっては笑いごとではなかった。今後の生活を左右する重大なことである。
「するとそこの出口はなにか……」
「ガーゼをつめ、その上におしめを重ね、さらに晒でも巻いておきます」
「おしめを使うと云うのかね」
祁答院は不機嫌な時の癖で眉の端を小刻みに動かした。普段はおとなしい人だが一旦怒り出すと恐ろしい人だときいた。
「そのまま外も歩けるのですか」
「洩れないようにしておけば大丈夫です」
「脇腹におしめを当て、糞を横につけて歩けというのかね」
|顳※[#「需」+「頁」]《こめかみ》に青い筋が浮いた。怒るのも無理はない。それは誇り高い祁答院には耐えられそうもない姿のようである。
「それで旅行をしている方もいるのです」
「どうしてもそれをしなければいけないのですか」夫の機嫌が険しいと知ったかね子が取りなすように云った。
「折角癌を摘りきったのだから、下から出るようにしてくれるのが当り前じゃないかね」
「それはそうなのですが、その創《きず》が治るまで……一時的にでも」
「どれくらいかね」
「一、二カ月」答えながら船津の手は汗で滲んだ。
(いまはっきり云った方がいいかもしれない。あとになればなるほど嘘が大きくなり、真実を知った時のショックが大きくなる)
もう一人の船津が船津に云いかけた。
「綾野先生も同じ御意見かね」
「そうです」
「どうしよう」祁答院は珍しく弱気な眼差しを妻に向けた。
「どうしようと仰言ったって、それは先生にお任せするより」
そうだ、と船津は思った。俺は医者なのだ、そしてなによりも祁答院正篤の才能を惜しんでいる。あれだけ考えたことだからこの考えに間違いはない。考えたとおりやるのだ。船津は顔をあげてはっきりと云った。
「やらなければいけません」
ベッドの上で祁答院は顔を背け、妻はかすかにうなずいた。
二日後に祁答院の人工肛門造成術はおこなわれた。術者は今度も綾野部長であった。祁答院はすでに観念していたのか、あるいは癌とは直接関係のない手術と思った故か、手術が終ったあともその結果についてはなにも尋ねなかった。
だが船津には重苦しい日が続いた。
これで祁答院はもう手術はしない。二度目の手術で今後、特別のことがないかぎりほぼ一年間の余命が保証されたことは確かである。だがこのことは逆に一年後にはほぼ確実に死ぬということでもあった。
二度目の手術が終った時点で癌を摘りきっていないことを云うつもりであった。だが船津は容易なことに云い出せない。
「優れた芸術家にだけは死期を報せるべきだ」皆の前で自信あり気に云ったはずが、いざその段になると妙に空まわりした一人よがりの考えにも思えた。それは傍から見ている傍観者の自分勝手な意見ではないのか、第三者がいいからと云って当の本人に良いということにはならない。あくまで本人の気持を尊重すべきである。となると俺の考えは正しかったのだろうか。頭で考えすぎたことではないのか、悲壮な美しさに酔いすぎてはいないか、人間性を無視した考え方ではないのか、お前がその立場に立たされたらどうする。いや俺は芸術家ではないから話が違う。だがそれほど芸術家と一般の人との間で感情に違いがあるものだろうか。
船津は迷った。さまざまな考えが湧き起り消えていく。どれもこうと断じがたい。だが一度そう決しただけに、最後には芸術家は、「命より作品だ」という考えにたどりつく。その時は悲しみ苦しんでも最後には結局感謝する。
(やってみるのだ)
七日後、皮膚の抜糸をしたあと船津は心を決めて云い出した。不安をおし隠すため彼はあえて祁答院の顔を正面から見据えながら云った。
「実は御二人に謝らねばならないことがあるのです」
「謝る……」
祁答院は妻の手で腹の晒を巻かれながら云った。
「そうです」
「何でしょうか」
妻も手を止めた。
「これまで僕は嘘をついていました」
「先生が?」
「ええ、大きな何ともお詫びの仕様もないような嘘です」
「………」夫婦は顔を見合わせた。祁答院の鳶色の眼が不安そうに動いた。それを見てひるみかけた心を船津は自ら励ました。
(いま云うのだ)
船津は一つ唾をのみ込んだ。
「第一回目の手術結果ですが、あれは失敗でした」
すでに矢は放たれたのだ。止っていてはいけない。あとは進むだけだ。
「癌は全部摘りきってはいません、直腸から後腹膜、そして腰椎までとすでに癌は摘りきれぬ範囲にまで拡がっていました。手遅れでした」
「………」二人は狐にでもつままれたように瞬きひとつしない。船津の云うことがまだ実感として迫っていないのであろう。
「したがって治る見込みはありません」
普段でも白い祁答院の顔が一枚ずつ紙を剥ぐように蒼ざめていく。蒼の中にまた蒼がある。底知れぬ蒼味へ落ちていく。妻のかね子の眼は正確に船津に向けられている。そのくせ死んだように虚ろである。表情に思考が伴っていない顔である。
「人工肛門の手術をしたのも完全に治すためではありませんでした。ただこれからの余命を延ばすためです」
突然、かね子の嗚咽《おえつ》が洩れた。右手を額に当て小刻みに肩を震わせる。船津の云ったことが体中に拡まるにつれて嗚咽が高くなる。
「いつか正直に申しあげようと思っていました。正直に申し上げて……」
「そんな、そんなことをいまさら仰言っても……」
一度叫ぶとあとは同じだった。妻は両手で顔をおおうと堰を切ったように一気に泣き出した。
「こんなことは云うべきではないかもしれません、普通は云いません」
ふと見ると床の中で祁答院は目を閉じている。見事に蒼ざめた顔が枕に埋っている。妻の露《あらわ》な泣き声が祁答院から感情を打ち出す機会を奪ったのかも知れない。
「しかしいろいろ考えた末、祁答院先生にだけはそのことを正直にお話した方がいいだろうという結論に達しました」
聞こえているのか、なお祁答院は眉一つ動かさない。
「なぜならば先生は芸術家だからです。偉大な芸術家ですからお命より作品を望まれるだろうと。はっきりお教えして残った年月を最後のお仕事に悔いなく使っていただこうと考えたのです」
妻の泣き声が一層激しくなった。その声が船津に残忍な気持を誘った。
「こうはっきり申し上げた方が喜んでいただけるかと思っていました、あと……」
そこで船津は小さく息をついた。眼前の人へ死期を宣告するというのに船津には苦しみも恐れもなかった。奇妙なことだが心のどこかで彼はかすかな快感さえ感じていた。
「一年です」
瞬間、妻の泣き声が止んだ。祁答院がぽっかりと眼を開いた。長い長い眠りから覚めたような眼であった。
「一年間は私達が責任もって看病させていただきます。その期間を先生の最後のお仕事の総仕上げに使っていただきたいのです」
「一年……」と妻が呟いた。
「先生は芸術家ですから、よかれと思って正直に申し上げました。私達の尊敬する芸術家として頑張って下さい」
その時、祁答院の細く締った唇がかすかに動いた。
「やめて下さい」
「………」
「おひきとり下さい」
低いが凜《りん》とした妻の声であった。船津は侵しがたい威圧を感じて、そのまま一言も云わず部屋を出た。
船津の説明をきいてから祁答院はほとんど口をきかなくなった。毎朝回診に行きガーゼ交換をするが彼からはなにも云わない。
「如何ですか」
「ええ」
「痛みますか」
「少し」
といった調子で、それもいかにも投げやりである。
「御飯は食べていますか」
「三分の一が精一杯です」
祁答院に代って妻のかね子が答える。あと一年余の命で、すべてが死に繋がるとあってはものを云う気力もなくなるのも無理はなかった。それにしても素気ない。
これに対し船津はことさらに平静を装っていた。患者が悄気《しよげ》ている時に医師まで弱気では条件は悪くなる一方だ。一度、冷徹な態度で出た以上、その線で貫かねばならない。一つの苦しさを通り抜けた上で芸術家としての根性で再起して貰おうというのだから妙な同情や憐憫をかけるべきではない。今の苦しみが祁答院のこれからの一年の仕事の上に開花することを船津は信じている。
「人工肛門があるのですから、もういくら食べても平気です。どんどん食べて栄養をとるのです」
船津は祁答院夫妻の気持など顧みず、はっきりと云う。ここでは祁答院は画壇の大御所でも芸術院会員でもなく単なる直腸癌の患者にすぎないのだ。
「食べたら出るのですね」妻が恐ろしげに尋ねる。
「当り前です。肛門ですから」
二人は顔を背ける、だが事実はどうしようもない。どう隠しても横っ腹から便が出てくることは時間の問題であった。彼等はもう何も云わず祁答院は目を閉じ、妻は窓へ目を向けている。
この状態は、綾野部長の回診の時にも変らなかった。
「随分創がよくなりました」
沈黙にたまりかねたように綾野部長が愛想じみた言葉をかけるが、祁答院は相変らず老人には端正すぎる顔を上に向けたまま眼を閉じている。死ぬと分っている以上創がよくなったからといって何の意味があるのか、彼の横顔はそう云って部長へ挑戦しているかのように見えた。
第一回の手術の前日から祁答院の病室に貼ってあった「面会謝絶」の貼り紙は二度目の手術のあと七日目で取り外すことになった。船津は看護婦に命じてそれを取り外させたが翌朝、回診に行くと祁答院は久しぶりに自分から口をきいた。
「面会謝絶の貼り紙はもう少しつけておいて欲しいのです」
「もう決まった面会時間内であれば、私達の許可なしに自由にお逢いになって結構なのですよ」
「いえ、しばらく人には逢いたくないのです」祁答院は天井を見たまま答えた。
「分りました、看護婦にもう一度貼らさせましょう」
祁答院は一人になりたがっているのだった。
実際名士だけあって、彼のところに見舞に来る人は夥しい数であった。弟子や同門の人はもとより画壇の大家から中堅、評論家、さらには政界、財界まで彼の絵と社交性によって広がった知己が次々と訪れた。手術の直後には勿論面会謝絶であったので、妻のかね子が控え室でそれらの人達に対し、贈り物を受けとっては挨拶をくり返していた。見舞に現われる者のなかには、単なる見舞というのを越えて、病気になったのを機に近づき、何かの折によくして貰おうという魂胆の者もかなりいるようであった。
祁答院は第一回目の手術のあと三日くらいはさすがにぐったりとして、人に逢う気力はなかったが四日目頃からは控え室の物音に耳を澄まし、妻が応対をすまして戻ってくると、誰がきたと尋ね、人によっては是非逢いたかったと文句さえ云う程に恢復していた。何事にも好奇心の強い祁答院にとっては創が痛むとはいえ、日がな一日床の中で暮すのにはさすがに退屈していたのである。
それが急に人に逢いたくないと云い出したのである。しかも第一回目よりはるかに軽い二度目の手術のあとで一週間以上も経ってからである。船津の死の宣告が祁答院の心を深く虐《さいな》んでいることは明らかだった。
十日目、抜糸のあとも癒え、祁答院の横腹に新しい肛門が完成された。創の周囲にはまだ軽い腫れがあり、先端部の粘膜にも部分的に炎症が残ってはいたが便の通過はすでに始まっていた。
晒をとり、オムツを除けるとすぐ便の匂いが漂ってくる。薄いガーゼの表面からは黄ばんだ便が見透せた。直腸と肛門を通らないとは云え、胃、小腸、大腸と消化吸収の過程は全部終えてくるのだから匂いも色も普通の便と変らないのは当り前である。
妻のかね子はそれを無器用な手つきで新聞紙にまるめ捨てに行く。二人の娘の世話以外、これといって手間のかかる仕事をしたことのないかね子にとっては予想もしなかった作業であった。
自分の横腹から出る便を初め祁答院はそろそろと怯えたように目を向けた。しかし赤い口から出てくる奇怪な情景を見た途端、「あっ」と小さく叫んで目を伏せた。たしかに腹から便が出る図は奇異なものである。それが自分のお腹だとしたらそれは一層無気味である。便をとる間、祁答院は目を閉じひたすら早く終るのを念じるように唇を強く噛みしめながら耐えている。人間なのに人間とは思えない様子で便を出す。その異様さは祁答院に痛み以上の苦しさを与えていた。
祁答院の顔が細くなり衰弱が目立ち始めたのはこの頃からであった。六十三歳という老齢に加えて、二月の初めから一カ月に二度に亙る手術を重ねたのであるから体が衰えるのも無理はなかった。だが一度目より二度目の後の方がはるかに衰えは激しい。しかも夜勤の看護婦の話では毎晩のように眠り薬を要求しているという。その量も三日に倍くらいの割で増えていく。
「あの先生、昨夜はウイスキーを飲んでいたようです」
「酔っていたのか」
「酒くさくて、布団をあけると中からウイスキーのビンが出てきたのです」
「それで」
「偉いお方だと云うので注意だけにしておきましたが先生からもきつく仰言って下さい」
「分った」
約束したが船津には祁答院を叱る気持にはなれなかった。彼の衰弱が目立ち始めたのは、たしかに船津が不治であることを宜してからであった。祁答院を不眠に追い込み体力を奪ったのは船津自身に違いなかった。はっきりと告げ、徹底的に苦しませるのが船津の狙いであった。そこからいいものが生れる。きっと生れる筈だと彼は信じていた。だがあれから半月を経たが何も生れてはいない。生れるどころか苦しみ弱らせているだけだった。このままでは一年どころか半年もせずに全身衰弱で死なないとも限らない。最悪の場合には自ら命を断つおそれさえある。祁答院のこの頃の表情は普通ではなかった。痩せて頬骨ばかり張り、幽鬼のように蒼ざめ呆んやりと宙を見詰めている。いろいろ問いかけてもほとんどがうわの空である。生きた骸《むくろ》に近い。
(もし告げなければ今頃は絵筆をとり出して窓からの風景くらいはスケッチし始めていたかもしれない)
やはり間違いであったか、船津は少しずつ悔いを覚え始めていた。
祁答院の衰弱は医局でも話題になった。
「まだ他に悪いところがあるのではないか、あの弱り方は普通じゃないぞ」
「いくら癌といってもあんなに急激に進むわけはないな、この一カ月で五キロは痩せたろう」
同じ病棟の医師達が交互に云った。科が違っても祁答院のことは皆が興味をもっていた。
「精神的な問題ではないかね」
いろいろな意見のあとで綾野が云った。
「どうかね、船津君」
「残念ながら……」船津は認めざるを得ない。やはり自分の考えは理想論であったのかもしれない。あと幾日で死ぬと云われて揺るがない者はいない。いや揺らぐのが当り前なのだ。あの人だけはと思ったが間違ったようである。とやかく云っても芸術家である以前に、人間はまず人間なのだ、という平凡な事実を忘れていたようである。船津は自信を失っていた。
「そうだとすると単なる医学治療では治らないね」
綾野がたしかめるように云った。
「どうすればいいかね」
聞かれても誰も名案はない。暫くして綾野が云った。
「絵具でも筆でも、絵の本でもいい、とにかく絵のことを思い出させることだ」
「………」
「絵一筋に生きてあれだけになれた方だ。絵に関わりのあるものを見せたらきっと絵を思い出される。思い出したらじっとしてはいられないはずです」
綾野の方針でやってみるより今の船津には方法はない。
祁答院の枕元にカレンダーがある。その一日一日が赤い×印で消されていく。一日消えていくことは一日、死が近づいていることである。それを知りながら彼は妻に赤い×印を書かせているに違いない。
船津が祁答院に告げてからすでに一カ月近い月日が経っていた。綾野に云われたとおり絵の話をしかけようと船津は時をうかがっていた。しかし一般の人ならともかく、画壇の巨匠に絵の話を持ち出すのはいかにも難しい。あまり幼稚なことを云っては一笑に付されようし、なまじっか知ったようなことを云っては却《かえ》って笑われる。何をどんな風に云い出せば祁答院は絵の話にのってくれるのか、そして絵に再び情熱を持ちはじめるか、その辺りのことは皆目見当がつかない。
だが船津の気持を察したように、その機会は意外に早くやってきた。しかも向こうから云い出してきたのである。
その日、船津は、いつものとおり本来の肛門の方のガーゼ交換を終えたあと、左脇腹下の人工肛門を見た。部屋には防臭剤をふりまいてあるが入った瞬間、匂いがあたりをおおう。ガーゼの下には例によって自然排出された便が溜っている。出ているのをきれいに拭きとり脱脂綿で人工肛門の周辺を清める。口に近い粘膜と皮膚は腫れも赤みもなく、前からそこが肛門ででもあったように、腹の横に堂々と控えている。
「不思議なものですねえ」
いつもは眼をそむけ、屈辱に耐えている祁答院がその日はきちんと傷口を見詰めていた。忌み嫌うとか恥じるというより、興味にかられたといった表情である。
「たしかに生きているのですね」
祁答院は当り前のことを云った。たが彼にとっては全く新しい発見のようであった。
「見事なものですね」
呟きながら彼はなおその臭く醜怪な局所がおしめでおおわれるまで、見続けていた。
「一つ絵を描いてみたいと思うのですが」
回診のあと祁答院が急に改まった口調で申し出たのは、この翌日のことであった。死の宣告を受けてから丁度四十日目である。
「結構ですよ、特に疲れない範囲でおやりになって下さい」
痩せてはいたが、立っても坐っても人工肛門自体にはなんの影響もなかった。
「スケッチだけでもやってみようと思います」
翌日から祁答院のベッドの横に伸縮自在の安楽椅子が持ち運ばれた。ようやく春めいたやわらかい陽射しの中で、彼は椅子に背をもたれて見舞客の持ってきた梅の鉢植えを写生し始めた。濃紺の大島を着て画布に向かった姿は癌患者で脇腹に人工肛門をもった老人とは思えない。
だが祁答院が生き生きと見えるのは木炭を持ち画布に向かった時だけであった。木炭を離し安楽椅子に横になった途端に彼の顔は十歳以上も老け込み、眼の縁には黒い隈ができた。癌細胞とともに精神的疲労が着実に祁答院の体を虐んできているのだった。
だがたとえスケッチとはいえ絵を描く時だけ若返って見えるのは祁答院の芸術家としての力に違いなかった。その時だけ彼は間違いなく充実しているようであった。船津にとってはこういう瞬間が訪れるのが目的であった。こうした瞬間がやがて偉大な傑作を産み出すことへ繋がっていく筈だった。
しかし船津は今になってもなお、祁答院に死期を告げたことは間違いであったかもしれないという不安にとらわれていた。初めの頃の医局員全員を前に一人で論じたような自信はもうなかった。たしかに死を知らされてから祁答院は少しずつ変ってきていた。初めは一言も云わず死の恐怖でうちひしがれている時期があった。やがて自分の運命を知り、体が衰えてきている事実を知るにつれ、彼は死の訪れが確実な未来であることを知ったようであった。怖れ苦しんだ末に彼は絵に向かい始めた。絵に向かう時、彼は見事に若返る。そこまではたしかに船津の計算どおりであった。
だが彼はそのいい方へ向いている時だけしか計算に入れていなかった。絵を描き始めれば、それへの執着心が芽生え、気力でさらに長生きするのだと思っていた。一ついい方向に向き出せば、すべてがそちらへ動き始めるのだと思っていた。しかしそんな簡単なものではなかった。祁答院が絵に向かっている時は一日のうちほんの数時間である。その時は死を忘れ、絵に執着するがそれ以外の無限に長い時間を、彼は近づいてくる死への恐怖にとりつかれているのだった。そのことは絵に向かっている時とそうでない時の祁答院の態度で分る。絵に向かっている時、あれほど輝いた眼が、床に入った時は無残に力を失い虚ろに宙に浮いている。時には眼を閉じ眉だけ苦しげに動かす。表は穏やかなようだが心の底で波立っているのが分る。死の恐怖が彼の脳裏を離れていないのである。この恐怖の長い時間のため、祁答院は食欲を失い、体力を損耗していく。このマイナスは数時間の絵に向かう時間で補えるものではない。
プラスとマイナスを相殺するとマイナスの方がはるかに多い。そして何よりも絵らしい絵は一枚も書かれていないのである。
(やはり自分の考えは過酷であったか)
船津は祁答院の必要以上に冷静を保とうとする努力を感じる度に、手をついて謝りたい衝動にかられた。
四月になった。病院の中庭の桜がこぼれるほどの花を咲かせた。芝生は薄く色づき昼休みには看護婦が車椅子や松葉杖の患者につき添って陽をうけているのが見えた。
祁答院が死を知らされて二カ月の日が経っていた。初めの予想から云うとあと半年少しの命だった。だが彼の体重は術前の六十五キロから五十七キロまで落ちていた。二カ月に七キロ余痩せたことになる。こんな調子で痩せていくと半年もしないうちに彼の体重は子供以下になってしまう。
「何を食べられても構いません。欲しいというものをどんどん差しあげて下さい。点滴とか補液というのは最後の手段で、口から食べれるうちは口から摂《と》るのが一番いいのです。栄養分を吸収する腸はまだ侵されていないのですから食べさえすれば太って抵抗力ができる筈です」船津が云うと、
「私もそう思って少しでも食べてみたいというものはすぐ取り寄せて差しあげるのです。しかしほんの一口か二口、口をつけただけですぐいらないというのです。先日も毛がにを食べたいというので北海道からわざわざ取り寄せたのです。そうしたら脚の肉を一本分食べただけでもういいというのです。折角取り寄せたのに勿体ないやら情けないやら、なんとも云いようもありません」
「何とか食べようとするのが、かえって食べられなくなるのかも知れませんね」
「それでも食べたいものは次から次と思い出すらしいのです。先日は突然、鮑《あわび》を食べたいと云い出したり、死期が近づくと食べものは子供の頃食べたものに戻るのでしょうか」
「そうなのかもしれません」
祁答院の生地は外房のK市ときいた。その海へ潜って鮑をとったのだろう。死の影に怯えながら彼は少年の頃の夢を見るのかもしれなかった。
その外房K市に祁答院が行ってきたいと云いだしたのは四月の半ばであった。
「往復は車にします、ほんの二、三日でいいのです」
祁答院は静かに頭を下げた、ひと頃のように医師を無視したり、抗《さから》う態度はとらなくなっていた。
「先生がお生れになった所ですね」
「そうです。暖かくていい所です」
小康を得ているとはいえ、その体内には巨大な癌腫が根をおろしている。肛門からはまだ排液があるし、人工肛門の処置もしなければならない。一泊以上の旅行はなかなか面倒なことだった。
「一日では行って来れませんか」
「一日ですか」
祁答院は目を閉じた。遠い潮騒に聞いているようである。
「町を御覧になるだけですね」
「そうですが……」祁答院はそこで目を開いた。
「絵を描こうと思うのです」
「K市のですか」
「そうです」祁答院は再び目を輝かせた。
「これが最後の絵になるかもしれません」
そうであったのか、船津はいま祁答院の意図が分った。死を目前にして彼は故郷の絵を描いておこうというのである。それが彼がこの世に残していく最後のものになるに違いなかった。彼の全生命力を尽して描こうとしているのだ。船津には祁答院のK市行きを止める理由はなかった。
「よろしいですよ、いってらっしゃい」
「幾日?」
「幾日あればいいのです」
「二日あればスケッチだけでもなんとか」
「創だけはK市の病院でガーゼ交換をして貰って下さい、依頼状を書いてさしあげます」
「大丈夫でしょうね」
「大丈夫です。貴方なら大丈夫です」
今度こそ絵に燃えている。絵に執着している間は死ぬわけはないと船津は思った。
往復を入れ三日間の旅行を終え祁答院が帰ってきたのは四月の十五日であった。東京より平均二、三度は高い外房はすでに初夏であったという。
久し振りに故郷に行き、海を見、澄んだ空気を吸って祁答院は陽気になっていた。誰かれとなく掴まえてはK市の自慢話をする。生れた土地へ行って祁答院は急に子供に舞い戻ったようである。
だが六十三歳の癌末期の老人には、三日間におよぶ車の旅はかなり応えたらしく言葉とはうらはらに肌は黒ずみ、痩せていた頬はさらに一層落ち窪んだ。
帰ってきた翌日、祁答院は軽い発熱をみた。三十七度五分と、熱としては高いものではなかったが癌のことを考えると、無気味であった。癌が広く拡がり、癌細胞が全身からの養分を吸い出すと、いわゆる悪液質という状態になり微熱が続く。ただでさえ体力を消耗する発熱は、すでに体力の衰えた癌患者にとっては致命的である。多くはこのままの経過をたどる。
船津は綾野の指示をうけて点滴を始め、解熱剤と栄養剤を加えて体力の恢復をはかった。
微熱で祁答院の顔はかすかに赤らみ、眼は潤んでいた。それでも彼は話すことを止めない。面会謝絶は今こそ必要なのだが祁答院は控え室の方に聞き耳を立て、誰かれとなく逢いたがった。逢って話をしていてもすぐ疲れるのに、少し休むとまたすぐに逢いたがる。体が弱ってから彼は急に人懐っこくなったようである。
連日の点滴のせいか、熱は十日目でほぼ平熱に戻った。それでも朝方や夕方に時々微熱をみる。日中体を動かしたために夕方から夜にかけて出る、といった普通の熱の出方と違うところが癌の熱を思わせた。
祁答院が背から腰にかけて痛みを訴え出したのはこの熱がおさまりかけた四月の末からであった。腰の痛みは前から時々訴えていたが、今回のは前のどれにも増して激しく頻繁におとずれた。どんなに機嫌よく喋っていた時でもこの痛みが襲ってくると突然無口になり顔が蒼白になる。それを見てとると妻のかね子は直ちに客に引き取りを願う。
痛みは階段を登るように徐々にその頂点に達してくる。その時、祁答院は体をまりのように丸めシーツに口をおしつけて獣に似た低く重い呻きをくり返す。
「ついにきたね」綾野はかすかにうなずいて麻薬を射つことを命じた。
癌は上に拡がり、その一部は背から腰の神経の中心である腰部神経叢を侵し始めたのである。直腸癌や子宮癌の末期によく見られる症状である。
痛みは日に一度、きまった敵襲のように訪れた。その都度麻薬を射つ。神経の根本を襲う痛みには麻薬以外ではおさえることができない。
だが強い麻薬を射つことはそれだけ体力を消耗させることになる。薬が効いている間、体も一種の麻痺状態になっているのであるからその消耗は著しい。体のことだけから云えば射たぬにこしたことはないのだが、それでは激烈な痛みに耐えられるはずもない。船津は祁答院の体が確実に衰えていくのを知りながら薬を射ってやった。
いずれにせよ長くない命である。楽にさせてやるのが医者の努めであると今はもう、彼は割切っていた。
それにしてもK市へ行かせたことは誤りであったかも知れない、と船津は思った。熱が出、痛みが激しくなったのは明らかに旅行以来であった。いずれ出てくる症状とは承知していたがこう急に進むとは思わなかった。旅行を許したのは「故郷を描いて死にたい」という祁答院の願いに心を動かされたからである。それで偉大な芸術家が一生の最後の締めくくりをするのだと考えた。行かせることが医者というよりも祁答院の芸を愛する者の務めのように思った。だが結果は悪い方に向かっただけであった。絵筆を待つどころか死期を早めただけである。それは今回だけの誤りではない。
「芸術家にだけは死期を告げた方がいい」とする考え自体がやはり甘かったのかもしれない、船津は心の中で祁答院に謝っていた。
祁答院が病室に絵の道具を持ち込みたい、と云い出したのは旅行から帰って三週間経った五月の初めであった。
「ここで描きたいのですがよろしいでしょうか」
右腕から点滴を受けたまま彼が云った。
「ここで描けますか」
「ベッドを控え室に移してこの一間全部を使えばやれます」
「控え室で眠るのですか」
「描いている間は誰にも逢いませんから」
痩せて大きくなった眼だけが異様に輝いている。祁答院の芸術家としての本性がようやく目覚めたようである。
「幾日くらいかかるのですか」
「分りません、とにかく死ぬ前にやり終えるだけです」
声とともに眼が熱っぽく船津に語りかけていた。妻のかね子は横で一言も云わなかった。一度云い出したらあとへ退くはずがないとでも云いたげに諦めた表情である。
「貴方が云ったとおり、これが私の最後の作品になります」
「………」
「よろしいですね」
船津は祁答院の視線を顔に感じながら考えた。今、描くことを許すことは死に追いやるようなものであった。だが、だからと云って今となって許さないということは出来そうもない。死期を告げたことも、旅行を許したことも、すべてが最後の傑作を書かせるためであった。医学的には失敗であったが、その失敗はもはや作品を描くことでしか償いようがない。
船津は目をあげた。壁のカレンダーの日がさらに赤い×印で塗り潰されている。あと何日か、そう思った時、彼は祁答院を見返した。
「よろしいですよ」
「描かせてくれますか」
「ベッドを早速動かさせます」
「明日から本格的に始めます」
「頑張って下さい」
船津は今は医者というよりも祁答院の助手でしかなかった。
病室の西側の壁一面に三十号に及ぶ下地が立てかけられた。その前に椅子に背をもたせて祁答院は外房でスケッチしてきた画帳をとり出した。構想はすでに出来上っていたらしく一日目から当りをつけ出した。描きたいという欲望だけが彼を画面の前に坐らせているようだった。
日本画はまず画面に木炭で大体の形を描きそこに線描筆で線を描き、本描きをする。このあと、はけを用いて画面全体を地塗する。そこまで下絵の段階である。長く根気のいる作業である。
一日二度、体の調子の比較的落ちついている午前十時から十二時と、午後二時から四時までの各二時間を描くのに当てるという約束であった。
だがこれは痩せ衰えた祁答院にとってはかなりの苦痛であった。画面の低いところは椅子にかけたままでもできたが、高いところや極端に低いところは、背伸びするか蹲《かが》まねばできない。旅行から戻ってきて以来、ベッドにしかいたことのない祁答院は立ち上っただけで軽い眩暈に襲われる。十分間立ち続けただけで全身に汗が滲み出る。安楽椅子に坐りしばらく息を整え力が満ちてくるのを待つ。だがその間も彼の眼は画面に灼《や》きつけられている。
描いている時は面会人は勿論、船津でさえ彼に話しかけない。話しかけても彼は答えない。すべての神経が画面に集中しているのである。たがそれだけに二時間の作業を終えたあとの疲労は甚しかった。作業を終え床に入り込むと途端に彼はすべての力を使い尽したように眠り込む。軽く口をあけた寝顔は頬が落ち、眼には黒い隈が生じ、睫毛がかすかな翳を落している。その肌は土気色で生者のものとは思えない。
だが彼は午後二時に再び眼覚める。痛みで覚める時もあるが、眠っている時には妻が起す。一度、折角眠っているのだからと起さなかった時、祁答院はベッドの毛布をすべて蹴り捨てて怒った。
「俺には期限があるのだぞ、展覧会の締切りとは違う、また来年ということもできん絶対的な期限なのだ」
どこにそんな余力が残っていたかというような声をあげて叱りつけた。それ以来どんなに熟睡していても妻は彼を起すことにしている。午後の二時間は彼にとっては午前の二時間よりさらに辛い。午後は立つ仕事はしない。坐って描けるところだけに集中する。時々椅子を引き退《さ》げさせては全体を眺める。絶えず自分で呟き、文句を云いながら描いていく。まるで画面にとり憑《つ》かれた虫のようである。
描き出して三日目に測った体重は五十キロを割り四十九キロに減じていた。百七十センチと年齢にしては上背のある祁答院だけに、その減りようは限界を越えていた。
仕事が始まって一週間経ってから病室に二人の助手が現われた。いずれも祁答院の弟子で彼の家に住んでいた人である。二人は祁答院の手が及びかねる部分を命じられるとおり彼に替って描く。だが他人の手では所詮、自分の手のようにはいかない。
「もう少し丸味を出して、少し下に、馬鹿、そんな下じゃない、下手くそ」
椅子に坐ったまま彼は自分で出来ぬじれったさを弟子に投げつけた。作業の間中、弟子は徹底的に怒鳴られる。三十前の勉強中の画家に六十を過ぎた天才的な画家と同じような線を描けという方が無理である。だが彼はそれを無理とは思わない。無理とか当然という以前に彼の頭には絵のことしかない。あと数カ月の命であることをかね子から聞かされた弟子達は黙々と祁答院の罵声に従った。
描き始めてから一カ月半でどうやら下絵ができ上った。いよいよ彩色である。
だがその前日に祁答院は再び発熱をみた。夜の検温は三十七度八分である。疲れが再び熱を誘ったのである。朝になっても体温は三十七度五分を下らず食欲は全くなかった。
船津は早速、点滴を指示した。祁答院は荒い息をくり返していた。
「今日は休んだ方がいいですね」
聴診を終えたあと船津はドアの外で妻に伝えた。だが十時に妻が外来にいた船津の許へ駈けつけてきた。
「今日も仕事をやると云うのです」
「本気ですか」
「点滴も自分でとってしまいました」
船津は病室へ戻った。控え室のベッドは空で、点滴チューブは宙に浮いている。
「筆、隈筆だ、しっかり支えてろ」
奥から相変らず祁答院の叱声が聞こえる。病室とのドアを開けると、二人の助手に両脇から支えられて祁答院が画面の前につっ立っている。もう一人の助手が足場もないほど拡げられた絵具壺から、筆に絵具を塗っては手渡している。
「丹」
祁答院が朱色を求めた時、かね子が叫んだ。
「あなた」
声を聞いて背を支えられたまま祁答院が振り向いた。寝間着の上に胸から膝まで白い仕事着をつけている。
「先生がお見えですよ」
祁答院は瞬時、船津の顔を見ていたが、やがて一言も云わず再び視線を画面へ戻した。
「薄いぞ」
低く云って今程渡された筆を助手に戻す。色はまだ右のごく一部しかうずめられていないが、線描きでそれが海岸の風景であるとしれる。何段も続く丘陵の先に海が見える構図である。
妻が困惑した表情をみせた。
「いいですよ、自由にさせてあげて下さい」
船津は控室に戻りながら、振り返った時の祁答院の燃えるような眼を思い出していた。
梅雨が過ぎ、夏が訪れた。春先の様子では夏くらいまでしか保たないのではないかと思われた祁答院は、熱が出、痛みに悩まされながらも五月以降さほどの衰えはなかった。体は弱っているはずなのに見た目にはむしろ元気になったように見える。
(絵への執念が、彼の体を支えているのだ)
船津はすでに祁答院の気持に抗う気はなかった。彼が起きたいと云えば起し、眠りたいと云えば眠らせる。痛いと云ってくる時には痛み止めを射ち、熱を下げて欲しいという時には解熱剤を射つ。医者であって医者ではない。指示のすべては祁答院の云いなりである。彼がいま死の迫った芸術家にしてやれることはそれだけであった。
祁答院は気が乗れば半日起き続けていることもあった。あまり起き続けて疲れ果てた時には椅子に横になったまま弟子達に命じる。便をとる時間になってもそれを止めない。
「もう少し濃く焼緑《やきろく》を上塗りして」
横腹から便をとられながら彼は画面を見続けた。
画は着実に完成に近付いていた。画面の手前一杯に咲き乱れた花の先に明るい海が開けている。気が遠くなるほど明るい房総の春がそこにある。
いつか船津の回診は祁答院を見るというより、その絵を見にいくという形になっていた。
九月の半ばを過ぎたが暑さはなお続いた。祁答院の病室のクーラーは一日中鳴り続けていた。
船津が看護婦から奇妙な噂を聞いたのはこの頃であった。
「最近、祁答院先生のお部屋は夜も電気がついているのです」
「消灯をしてからも?」
「一度消灯をしないでくれと云われたのですが、あのお部屋だけ点《つ》けておくわけにもいかないのでお断わりしたのです。それで納得されたのですが」
「じゃ電気スタンドでもつけているのかね」
「そうだと思います、弱い光ですから」
「夜も仕事をされているのだろう」
船津は向かいのカレンダーに目を向けた。
「それが少し可笑《おか》しいのです」
「どうしたのだ」
「ちらと見たのではっきりしないのですが、女の方が見えたのです」
「奥さんがついているのだから当り前だろう」
「それが……」
「なんだ、はっきり云ってごらん」
看護婦は暫く云い淀んでいたが、やがて目を伏せて云った。
「裸だったのです」
「裸? 女の人が……」
看護婦はうなずいた。
「本当か、何か見間違えたんじゃないのか」
「いいえ、見たのは私だけじゃありません」
看護婦は詰所の三人の看護婦の名を告げた。
「そんなに見た人がいるのか」
「深夜の見廻りや、一寸血圧計が欲しくて入ったりした時に偶然見えたのです」
「それは奥さんだね」
「そうだと思います」
「何をしているのかね」
夫の前で妻が裸になったところで、特に咎め立てるほどのことではない。そこから先はプライバシーの問題である。特に祁答院には何でも自由にさせている。もし話が本当だとしても、あと一カ月足らずの命の老人が何を出来るというわけでもないであろう。
「まあいい、あの先生は絵だけが命なのだ」
そのことはその場だけで船津は忘れた。
祁答院正篤か突然胸苦しさを訴え死亡したのは、それから十日後の九月末であった。倒れたのは弟子達が帰って一時間経った午後六時で、画面の前の椅子に身を横たえていた彼が、妻に支えられてベッドへ移ろうと踏み出した時であった。
「うっ……」と突然、彼は小さく叫ぶと胸をおさえてその場に崩れ落ちたという。
すぐ船津が駈けつけ、看護婦とベッドに運び込んだが、仰向けにした時にはすでに脈はなかった。聴診しても心臓の鼓動は聞こえない。酸素吸入も注射もする暇がなく祁答院は息をひき取った。いつか訪れる死だとは思っていたが、いざその場になってみると意外に呆気なかった。かね子はまだ信じられないようにその場につっ立っていた。
死因は癌転移による全身衰弱から生じた心不全と推定された。体のすべての機能が無理に無理を重ねられてきたのだった。手術後、一年という推定死亡時のほぼ半分ということになる。
「いよいよ明日はサインを入れるだけだと、弟子の方達が帰ったあと一人で一時間以上も眺めていたのです」
かね子は突然の死に、涙を流す余裕もなく船津に告げた。すべて尽しきったという満足感が彼女をとらえているようであった。
「こんなに汚れちまって」
絵具の床に倒れたので祁答院の死顔には赤、青、黄と、とりどりの飛沫がとび散っていた。かね子はその飛沫をゆっくりとハンケチで拭き取った。
「描き上って、安心されたのでしょう」
心不全より、描き上ったことが祁答院の死因なのだと船津は思った。
「皆様に連絡をしなければ」
拭き終ってからかね子は詰所の電話口へ向かった。
看護婦達は死後の処置を始めた。
船津はドアを開けアトリエになっていた病室へ入った。三十号の画が壁にたてかけられている。咲き乱れた花が画面の手前から彼方へ一直線に続く。どれ一つとして同じ花はない。すべての花が歓喜に酔いしれ、揺れ動いているように見える。匂うばかりの花の先に海が開ける。海も野も花も、すべてが生きている喜びを唱っている。
「見事だ」
見るうちに船津の体も揺れ動きそうになる。手をつなぎ、大声をあげ海へ駈け出したい気持になる。
「先生、人工肛門の処はどうしましょう」
控え室から看護婦の声が聞こえた。
「うん、いまいく」
戻りかけて、彼はふと立てかけた画面の陰にもう一つの麻紙を貼った木枠の端があるのに気付いた。横から見るとそれは十号程の大きさである。
「二枚書いたのだろうか」
船津はそろそろと引き出した。画面は裏になり逆さまになっているようだった。彼は取り出してから、大きな画面の横に並べた。
「あっ」
瞬間、船津は息を呑んだ。声を殺して彼は改めて目を凝らした。
十号の画面全体に幾組もの男と女が描かれている。どれもが全裸のまま様々な形で寄り合っている。ある者は交合し、ある者は迫っている。中央に大きくのけ反っている女の裸像がある。空へ向けた女の表情は歓びに震えているようで、苦しみのたうっているようにも見える。それはかね子夫人の顔のようでもあり、違うようにも見える。どれもが何度も何度も絵の具を塗りこまれたらしく、丹と朱のどぎつい色彩をほどこされている。
明るい房総の春と全裸でのたうつ男女の姿がある。どちらも祁答院が描いたものなのに、二つの間には天と地ほどの違いがあった。
「先生」
看護婦がまた呼んだ。
「いま行く」
答えながら彼はもう一度二つの画を見つめた。
陰と陽がそこに並んでいる。それはとりもなおさず祁答院正篤の中に住む陰と陽なのかも知れなかった。
「二つとも署名がない」
呟きながら船津は、祁答院に死期を告げたのは良かったのか悪かったのか、もう一度自分に問いかけた。
猿 の 抵 抗
今朝早く、滑稽なことを発見した。実は昨夕来、今年十五番目という台風が吹き荒れて、寝つかれずに困ったのだが、それはついでにちょっと愛嬌のあることを仕出かしていった。
私の入っている病院は医科大学の付属病院だが、私の病室からはプラタナスの並木のある道路を隔てて医学校の西玄関が見える。
もう一と月にもなるが、この学校の出入り口には、道路に面して二尺四方の広告板が立てかけてある。中央には横髭の異様に長い黒猫の面相が描かれていて、その左下に次のような文句が赤と黒のペンキで書き込まれている。
──ネコ買います
一匹、五十円
薬理学、生理学教室──
通りかがりの人は「ほほう」といった表情で立止り、この立看板を眺めては、いろいろ神秘的な空想を巡らすらしかった。
買われた猫はどんな実験に使われ、最後はどのようにして殺されるのか、彼等は医学校の中で行なわれる科学的な殺傷に、少しばかりの無気味さと好奇心を抱くらしい。時には駄々をこねる子供へ、親がこのあまり上手でない猫の絵を指しながら宥めすかす情景もあった。
私はその看板が一枚の板で出来ているのだと思っていたが、今日、そうでないことが分った。上半分の猫の顔が描かれている方の板は強風で歩道の端に転げ落ちていた。すなわち猫は落首したわけである。しかもおかしなことには、二日前から学校講堂で行なわれていたらしい「人類学地方会」と書いた大きな貼り紙が千切れて、それがどうした風の吹き廻しでか、下半分残った猫の看板に引っかかっているのだった。
紙切れの折れ具合によって、それは奇妙な読み方になっていた。
──人類 ネコ買います
一匹、五十円──
私はこの発見を、早速隣りのベッドの金子さんに告げた。
表具師をしていた金子さんは、肝臓が悪くて、お腹に水がたまるたびに針を刺してとり出すという面倒な病気にかかっていたが、私が云うと上半身だけ伸び上って、窓の外を眺めた。
「これは傑作だ」
案の定、金子氏は笑ったが、すぐ生真面目な顔になり、「案外、そんなものかも知れませんよ」とつけ加えた。
三十分して病室の他の二人、石川氏と佐野君も目覚めた様子なので、私は早速、看板のことを告げた。
胃潰瘍の佐野君はちょっと苦笑したが、高血圧の元小学校校長の石川氏は険しい表情で私を見返しただけで、すぐ新聞へ目を移した。彼等は予想した程、おかしそうな顔もしなかったので、私はいささか気合抜けしてしまった。
六時の検温の時、私はそのことを一本線の入った帽子の、小肥りの看護婦に告げてみた。彼女は窓ガラスへ鼻を圧しつけるようにして見ていたが、突然、頓狂な声をあげて笑い出した。黄色い、少し野卑な声が続いたが、急に思い出したように声を呑むと、
「貴方は暇人ね」と云い残して部屋を出ていった。
ちょっと笑わせてやろうとしただけなのに、そんな冷たい云われ方をしたのに私は不満だったが、皆はもう忘れたようにベッドへもぐり、静かに体温を測り始めた。
私は気になって昼まで何度も、その看板を眺めていたが、昼食で私がちょっと目をそらしているうちに、「人類」の方の紙片は消えていた。
桐田医師が現われて、
「明日、午後三時から学生実習に出て貰う」と云ったのはその日の午後であった。
「なにをするんですか」
「別に心配はいらないよ、貴方は何もしなくていいのだから」そう云うと、
「解ったね」と念を押した。
私は少しも解らなかったので、トイレに行ったついでに詰所に寄って、そのことを看護婦さんに尋ねた。彼女達は私の顔を見て笑いながら、
「学生さん達に、貴方の症状を見せる訳よ、云われたとおりにしていればいいのよ」と云う。話を聞けばいかにも簡単そうだが、果して勤まるのか、私は何となく不安で落ちつかなかった。
夕方、二人の学生さんが、明日の実習の下調べだと云って現われた。彼等は本を開き、ノートをとりながら私に、これまでの病気の経過や家族のことを尋ねた。
「年齢は」
「五十五歳」
「子供さんは」
「二人」と云って私は戸惑った。正しくは「二人いた」というのが当っている。もう半月で妻と正式に離婚ということになる。そうすればあの子達も、戸籍上、私の子供ではなくなってしまうからである。
「職業は」
「御覧のとおり、無職です」
「病気になった頃のことですよ」と学生がきき返した。
戦前ではS市でも少しは知れた大きな呉服屋を父から継いだ。私立の大学を卒えて二年目だった。店が傾き、戦争に行き、帰ってきて、しばらく売り食いをして暮した。あの頃から私の運は急速に傾きだした。銀紙の包装を作る会社を興して失敗し、追討ちをかけるように株に手を出して大きなミスをした。一年間、石油会社に勤めたが長続きせず、保険の外交をやった。そこも嫌気がさして一年と続かなかった。一時は踊りを教える妻の収入だけが頼りだった。病気で脚が不自由になってからは義兄の処で居候みたいにぶらぶら過すことになった。結局、生活保護の適用を受けたが、この十年はやはり無職というのが当っているように思った。
学生は私の頭から脚先までを何度か検べてから、「明日はしっかり頼むよ」と云って帰っていった。
翌日、午後二時半に馴染みの肥った看護婦が私を迎えに来た。
彼女は例になく私へ甲斐甲斐しく、スリッパを履かせ、丹前を着せると、抱え込むようにして運搬車へ乗せた。同室の人達は車に乗せられた私を憐れむような眼差しで見送った。
講堂は四階の外科の医局の奥の突き当りにあった。部屋は噂に聞いていたように扇形に広がった席が階段状に高くなり、その要《かなめ》に当る一番低い処には教卓があり、その前にベッドが一つ置かれていた。
白衣を着けた学生達が思い思いに煙草をふかしたり、話し合っていたが、こんなに多くの人達に見られるのかと、部屋を見ただけで私は怖気づいてしまった。
十分して桐田医師が入って来ると、学生達は一斉に席につき、静かになった。看護婦が私に中央のベッドに横になるように命じた。私は彼女の手を借りながら脚を引きずってベッドへ近付いた。
以前、私は甲子園のマウンドに立ったことがあるが、其処はあそこの感じによく似ていた。そそり立つマンモススタンドの中央低地で、私は仰向けに寝そべったわけである。
桐田医師は何やら私には分らない医学用語を交ぜながら説明を始めた。ところどころの日本語から、それは多分、私の病気の経歴のことを喋っているのだろうと思った。
ともかく、私はその日、随分多くのテストを受けた。
まず私の足が、歩く時に丁度鶏が足をすぼめて歩くのに似ているのを見せることから始まり、意味の分らない検査まで、私はただ、桐田医師の命じるままにおこなった。
例えば、一番簡単で不思議な検査は、|指・指交差試験《フインガーフインガーテスト》というのであった。
これは両手を思いきり左右に開いてから、両手の人差し指を次第に近付けて、鼻の前で両方の指先を合わせる試験である。
最初、私は目を開けたままやらされたが、これは簡単に出来た。それを見届けてから、
「今度は目を閉じて」
と桐田医師が命じた。
私は前と同じ気易さで試みた。ところが、人差し指の先がそろそろついた頃かと思った時、学生の間から軽いざわめきが起った。私はもうぶつかる筈だと思うのだが、一向に指先が触れ合う感じはない。
どうしたことかと思いきって指を進めた途端、指先は行きすぎて反対側の手首に当ってようやく止る始末だった。
二度目の失敗の時、今度は学生の間から「ほう」という溜息が洩れた。正常の人は目を閉じても両の指先は中央でスムーズにぶつかるらしい。桐田医師が黒板に何やら横文字を書き、再び簡単な説明を始めた。
学生達にはこのテストは余程興味があるらしく、私は何人もの学生に繰り返しやらされた。アンコールの度に目を閉じるときまって指先は合わない。何回もやらされると、さすがに私は情け無くなり、思うとおりにならない自分の指先にいささか腹が立ってきた。
不思議な検査はまだあった。これも実習に出されて初めて気付いたのだが、膝の下を叩かれた時、脚がはね上る反射が私にはないのだった。堅いゴムの頭のハンマーで、膝骨の下をいくら叩かれても私の脚は一向に上る気配がない。子供の頃、脚気になると上らなくなるときいて、悪戯《いたずら》半分に友達とやり合ったことがあるが、それが現実となって脚は他人の脚のようにぴくりともしない。
悲しくなる検査はまだあった。
学生達が筆と針の先で、いろいろな個所に触れながら「触れたか、どうか」と尋ねるのだが、不思議なことに私の足の裏は触れられても一向に感じない。
「どうですか」
何度きかれても、全く感じない私にはどうとも答えようがないのである。
「前に寄って」
最後に桐田医師は学生を私のまわりに呼び寄せた。それで二、三十人の白衣の人が一度に私のまわりを取り囲んだ。
「いいかね、光の入った時の瞳孔の状態をよく見ておくんだ」
桐田医師は学生達にそう云うと、横に隠し持った懐中電燈をさっと私の目に当てた。不意に襲った眩しさに思わず目を背けると、
「駄目、真直ぐ前を見ている」
と桐田医師の鋭い声がとんだ。仕方なく目を開けると二十人もいる学生が一斉に私の目の中を覗き込んでいる。
大勢の人に顔を見られるというのは気持のよいものではないが、この時のように顔の表情ではなく、目の玉だけを見られるというのもまことに奇妙な感じである。全く不思議なことだが、彼等が関心あるのは、顔の中の私の目だけなのである。どうも私は人並みでないらしい。
そんなことを何度か繰り返されて、小一時間ほどしてから私はようやく病室へ帰された。なんとか御無事に帰還というわけである。
部屋へ戻るとすぐ、隣りのベッドから金子氏が「どうでした」と声をかけてくれた。だが「いや、別に」と私は適当に答えただけで早々に床の中にもぐり込んだ。
格別、運動したわけでもないのに、ひどく疲れた気持だった。毛布を頭までかぶり、目を閉じると、出口の処で私が丹前の前を合わせている時、桐田医師の云っていた言葉が思い出された。
「こういう典型的な症状を揃えているケースはもう二度と見れないかもしれない。一度実際に見ておくと決して忘れないものです。トリアスを立派に備えている貴重な症例です」
と生徒に云っていた。それを聞いて私は今更のように自分の病気が桁《けた》外れた無気味なものに思われた。勿論、梅毒は大変な病気だけど、それからきたらしい脊髄癆《せきずいろう》というのが、こうまで珍しく、彼等にとって貴重な病気であるとは思ってもいなかった。
私がこの大学病院を訪れたのは、今から六カ月前で、その時、外来で初めて私を診た桐田医師は「すぐ入院しなさい」とその日のうちに急患用のベッドを開けて入れてくれた。云われた時、私が戸惑ったのは経済的な面であったが、彼は「心配しなくていい」と云ってかすかに笑った。
翌日、私は入院したわけだが、自分のような貧しい者が大学病院に、こんなに簡単に入れるとは夢にも思っていなかったので、桐田医師に感謝し、申し訳なく思っていた。
だが今の私の彼への感じ方は大分違っている。正直のところ、彼へはあまり期待をかけていない。確かに彼は一生懸命、私の病状を検べ、それをカルテに丹念に記載してはいくが、肝心の私自身は少しも快くはなっていないからである。快くなるどころか病状は少しずつ、しかし確実に悪化してきているようでさえある。
私が、特別珍しい教材用の症状をもった者を対象とする、学用患者という扱いを受け、それ故に一銭もかからない仕組みになっているのを、婦長から聞いて知ったのは入院して三カ月経ってからであった。
彼が診に来ても私は自分の体を借り物のように預けておくだけである。彼は癒しもしないで私の体を勝手気儘にいじくっている。
私の症状がちょっと他にない珍しいもので、それを皆が見世物のように見物に来る以上、診察を受け、食事を貰うのは、いわば私の当然の権利と云うこともできる。
それにしても、たとえ治らなくてもいいから、もう少し何人か同僚のいる病気になりたい。皆と同じだということは何と云っても心強い。私の病気がこれといった治療法もなく、どうやら少しずつ進んでいくらしい上に、類い稀な奇病だとしたら私は救われない。自分一人だけが登録した名簿から抹殺され、いつか忘れられるのではたまらない。何とかならないのか。
病室へ戻ると、じき出された夜食もとらずに、私は布団の中へもぐり込んだまま考え続けた。考えれば考えるほど淋しくなった。
皆と一緒に並んでいたのに、何時のまにか私の立っている処だけが崩れ、頸から肩へ、更に胸元へと一歩ずつ底深い低地へ落ち込んでいく不安が私をとらえて放さない。
今日、新しく猫の看板が立てられた。
場所は前と同じ処だが、今度のは|にゃんこ《ヽヽヽヽ》というより|ドラ猫《ヽヽヽ》に近い猫相の良くない顔に描かれている。しかも黒い顔には不釣合に、赤と黄の派手な三角帽をかぶせてある。顔に似合わないこと甚だしい。しかし人目は今度の方が惹くかもしれない。前のが壊されてから、丁度一週間目である。
午前十時に佐野君のところへ女性の見舞客が来た。もう三度目なので病室へ入るなり躊躇せずに一番奥の彼氏のベッドへ近付いた。この人は最初来た時、大きなデリシャスと柔らかい紙に包んだ梨を一つずつ私達へ配っていった。
グリーンのコートと同じ地のベレーをかぶったこの女性は、佐野君の許婚者なのだろうと私は推測していたが、まだあまり親しくもない彼にそんな不躾な質問は出来なかった。
昼食を食べ終った時に今度は私のところに面会人が来た。
「川井さん御面会」という看護婦の声に私は驚いて身を起した。
私の処へ面会人が来ることなぞは滅多になかった。来るとしたら義兄か、さもなくば市役所の福祉課の人でもあろうか、私は何気なく身構えた。しかし病室のドアを押して現われたのは、白衣を着た二人の学生であった。
「川井さんいますか」
彼等を見て私は気合が抜けてしまった。先週、学生実習に出されてから早くも一週間が経っていた。臨床実習は学生を三つの大きなグループに分けているらしく、今週は第二番目のグループが私の症状を見て、勉強する番らしかった。
二人は鞄からノートを取り出すと、先週の生徒と同じような手順で私に質《たず》ね、診察を始めた。実のところ私はもう学生実習は勘弁して貰いたかった。だが私は学用患者であった。特異な症状を持っているからこそ、大学病院にのんびり入院していることもできる。医師や学生にいじくりまわされるのは、いわば私の生きていく糧《かて》であった。自分の奇形をたねに金を得る見世物芸人がいる。私もそれと大して変りはない。これは私にとって大切なお勤めであった。
先週の学生実習が終った翌日、桐田医師は、
「大変だったろう」と云った。
「大変どころか、怖ろしかった」と私は正直に答えた。
「心配するな。死にはしない」彼はそう云ったが私が怖れているのはそんなことではなかった。自分の症状が医学書に記載してある通り、寸分の狂いもなく現われるのが怖かったのである。彼は私を病気を持っている者としてしかみない。私自身よりも私の病気が面白いのだ。
「来週も頼むよ」
「上手にですか」
「みんな期待してるんだ」そう云うと彼はハイライトを一本、抜き取ってくれた。煙草を貰っても私は気が進まない。
二人は部厚い医学書を見較べながら私の症状を調べていく。
「両手をずっと開いて、こうして指先を合わせてみて」
「真中でね」
そんなことは先刻承知のことであった。私はこのテストの熟練工である。目を閉じてやれば、指先は合わないに決っている。二人は満足気にノートへ何やら記入していく。
私はふとこの純情そうな学生から、いろいろなことを聞き出してやろうと思いついた。
「どこが悪いとこんなことになるの」
二人は患者からの突然の質問に戸惑ったような顔を見合わせた。慣れた医師ならこんな質問は適当にあしらって、あまり詳しくは教えないものだが、学生達は本をめくって、もう一度念入りに、確かめてから云った。
「運動失調だから、主に小脳の協同運動の中枢がやられているということになるんです」
「やられているというのはどういうこと、梅毒で?」私はちょっと声を落して聞いた。
「いや、これは変性梅毒ですからね、純粋の梅毒ではないわけです。スピロヘーターより、むしろその毒素が問題だと云われているんです」
背の高い方が今度はすらすらと答えた。私は学生の試験官のような気分になった。
「済みません肢《あし》を組んで下さい」再び膝のテストが始まった。ハンマーで膝の下を叩く、例の通り反応はない。
「これは何というの」ずうずうしくなって叩かせながら私は聞いた。
「膝蓋腱《しつがいけん》反射」小さい方が云うと、
「いや、ウェストファール症候だろう」と大きい方が云い加えた。
「普通は腱反射というのだけど、反応がない状態をそう呼ぶんです」
「これは何処が罹《や》られているの」
「脊髄だよな、末梢の反射路だから」小さい方はあまり自信がないらしく一言一言大きい方の同意を求める。
「第四腰髄の反射路が切れている症状です」
「成程」学生に答えさせながら私は何となく愉快だった。
彼等は型の如く、筆と針先で肢の方の知覚検査をやり出した。これは脊髄の後根という知覚を感じるところがやられている証拠だと云う。そこまでやると「まだ何かあったか」と大きい方が質ねた。
「こんなんでいいんじゃないか」小さい方はあまり勉強はしていないらしい。
「目の方はいいの」私が云ってやると二人はきょとんとして私を見つめる。
「そうだ、やるんだよ」大きい方が再びノートを開いた。
「トリアスかい?」小さい方が云った。
「トリアスってなあに?」この言葉は先週の臨床講義の時の帰りしなに桐田医師が云った言葉だった。二人は再び顔を見合わせた。
「何だい」私がもう一度聞くと大きい方が観念したように説明を始めた。
「要するに三つという事で……ある病気のね、それを決定する代表的な三つの症状を云うわけです」
あの時、「トリアスを立派に備えている」と桐田医師は云っていた。
「じゃこの病気のトリアスは何なの?」
「ううんと……」小さい方はどうもつまずく。
「ウェストファール症候と、アーガイルロバートソン症候と、ランツニイレンデシュメルツェン、この三つです」
「何だいそれは、小父さんはドイツ語は全然だめだ、教えてくれよ」大きい方がまた困惑した表情を見せる。
「ランツニイレンとかって云うのは」
「肢の方に電気にうたれたような痛みが走るでしょう」
「うんうん、あるある」私は陽気に答えると、
「アーガイルってのは」
「いまやってみます……ちょっとこっちを向いて下さい」
彼等はいかにも丁寧であった。桐田医師のように当然のような態度で診られるのからすると、こちらの方がずっと感じが良い。
「ちょっと眩しいですよ」
わかっている事だった。
「普通は光が入ると目の瞳孔は縮むんですけど、小父さんのは縮まらないんです。このように瞳孔が強直を起したままの状態を云うのです」
大きい方は仲々よく勉強してきているらしい。これで光に向うと妙に眩しい理由が初めて解った。
彼等はノートをしまい始めた。
「この病気で死ぬようなことがあるの?」
いよいよ、私は核心のところを尋ねた。
「ありませんよ、慢性だから、二、三十年の間、少しずつ進むだけです」
「そして最後にはどうなるの」
「頭に来ちゃうんだろう」小さい方が口を滑らした。
「なあに」慌てて私はきき返した。冗談じゃない。その一言をきいて私はすっかり取乱してしまった。
「いやその……時に頭の方が冒される場合もあるのです……」
大きい方が苦しそうに答える。そうは云うが、この場合は小さい方が云った事の方が確からしい。最後はそれこそ脳梅毒みたいになって狂い死にするのであろうか。私は今までひとごとのように聞いていた様々な症状が、すべて私自身にしみついた癒しようのない症状なのだと云う事を改めて知った。あれもこれも、そのどれもが大変な代物であった。本当に容易ならぬ病気にとりつかれたものである。私は物を云う気力もなく目を伏せた。
「それじゃ、どうもすみませんでした」
二人は本当に済まなそうに頭を下げた。そんなに気にしなくてもいいのだ。こんな病気になったことは彼等に責任はないことだ。
「御苦労さん」そう云いながらやはり私の心は晴れなかった。
その夜、私は仲々寝つかれなかった。金子氏の鼾が何時もと違ってかん高いのだ。しかしそれよりも二人の学生から聞き出した様々な症状の説明が、頭から離れなかったのが最大の原因であった。
梅毒の毒素が小脳から脊髄に廻っていることは確からしい。最後には頭に来る。小さい方の学生はあれだけはずばりと云ってのけた。他はほとんど自信が無さそうだったが、末期に脳に来るという事だけは初歩的な知識なのかも知れなかった。
桐田医師は勿論、そんなことは充分に知り尽しているに違いなかった。脊髄の、小脳の何処がやられているからどのような症状がでるということもすべて見通している。彼にとっては、私は貴重で面白い患者に違いない。私は教科書みたいなものだ。私の示すどんな些細な症状も彼には簡単に説明がついてしまう。私は彼にすべてを握られているのだから秘密の持ちようもなかった。本当に自分の体はおかしいのだろうか。
私は布団の端から両腕を出すと、思い出したようにフィンガーフィンガーテストを試みた。目を閉じるときまって右の人差し指が左のそれに合わずに通り過ぎた。目を開いて見ると指と指との間隔は五センチ近くも離れている。
「小脳失調の典型的な例を供覧する」
明日の午後、桐田医師は多くの学生の前で私に指を交差させながら得々と説明するに違いない。あれはぎっしり詰った観客の前で、手品をしてみせるのと少しも変りやしない。やる人は裏の裏まで知り尽している。やってみてからのお楽しみという寸法だった。
冗談ではない。私はあんな医師の操り人形になるのは御免だった。あいつなどに解らないところが私にだってある筈だ。云いなりになぞなりたくなかった。そう思ううちに、私は我ながら面白い考えを思いついた。
両端から指を進めてくる。右は大抵、五センチ程左の指の前を通る。それならいっその事、初めから五センチ位外れる積りで進めれば合うのではないだろうか。最初から合わせない積りでやれば、却って合うのではないだろうか。
思い切って私はやってみた。五センチ外側を、と思うと却って突飛もなく外れる事があった。仲々うまくいくものではなかった。
だが私は桐田医師を何とか見返してやりたかった。こんな誤魔化しがたとえ成功しても私の病気は少しもよくなるわけではなかったが、私のすべてを知っているかのような桐田医師に一泡ふかせてやりたかった。医学の上にどっかと胡坐《あぐら》をかいている、あの自信あり気な態度を崩してやりたかった。
三十分もやった時、ふとしたはずみで指先と指先が触れた。信じられなかった。もう一度やった。戸惑ったが、そう離れずに触れた。うまくいくのかも知れない。私は躍起になった。更に三十分やった。慎重にやると二回に一回は指先が合う。右の掌を、軽く外側へ向け、十センチ位は外す積りで弧を描いていると当るのだ。くたびれた腕を床で暖め、奮い起すように私は何度も試みた。今止めると折角覚えた感覚を忘れて、もとのもくあみになってしまう恐れがある。
練習を始めて一時間は経った。合わずにすれ違うのは三回に一回くらいになった。
一度でも成功すると私は一層強気になった。
更に三十分もすると七、八割は合うようになった。膝の方も、と私の欲は拡がっていく。彼等は私の膝が叩かれても反射を示さないのを期待している。この病気はそうなる筈だと信じている。桐田医師は明日皆の前でこの不思議な現象を大見得きって説明しようとしているのだ。
「どっこいそうはいかないぞ。そんな目は簡単に狂わせてみせる」
くたびれると桐田医師の顔を思い出して私はファイトを盛り立てた。膝を叩いた時、素早く下肢を挙げてやればいいのだった。これはすべて調子よくゆくとは限らない。しかし二回に一度でも叩くと同時に挙げれば桐田医師はあわてるに違いない。こんな筈ではないと云っても、すでにお客が詰めかけて、見ているのだ。この反応はその気になれば何時でも出来ることだった。
布団の下で肢を組み合わせ、掌の側面でぽんと膝の下を叩く。叩くと同時に肢を挙げる。しかし弾かれたように挙げねばならない。挙げるだけは簡単だが作為的にやったのはすぐ見付かりそうだった。これの方が難しい、でもやれるだけはやってみよう。私は時の経つのも忘れて布団の中で何回もくり返した。
それが終ると私は起き上り、詰所で懐中電燈を借りてトイレへ行った。鏡で私は自分の目を見つめた。鏡に写った目だけみるのはひどく疲れる。瞳孔はよくみるとたしかにいびつで強張ったように動かない。云われた通り光を入れても瞳の大きさは少しも変らなかった。
瞳孔の大きさまで変えることはとても出来そうもなかった。二十分もすると寒さと根負けで、これだけは諦めてしまった。
しかしこれでトリアスのうちの二つ、最悪の場合でもひとつは打消すことが出来る。便所から戻ると私はもう一度、フィンガーフィンガーテストを試みた。一回目はちょっと失敗したが二回目からは殆ど上手《うま》く行った。
敬遠していた学生実習が、急に待ち遠しく思われた。明日の午後は「あっ」と云わせてやる。
「教科書通りの病状が揃っている」桐田医師のちょっと気取った云いまわしがどう変るのか、私は浮き浮きしながら眠りについた。
初冬には珍しく晴れた日だった。朝方私は床屋へ行った。長年、両裾を刈り上げた職人刈りのようにしていたのだが、今日は七、三に分けることにした。髪の毛が薄くなったし、妻に以前「職人刈りは品がない」と云われたのを思い出したからだ。
昼に食膳を下げながら、最近流行の歌謡曲を口ずさんでいると、
「何かいいことでもあるのですか」と佐野君が尋ねた。
「いやいや」私は大袈裟に手を振りながら歌だけは止めなかった。
午後三時十分前に例によって看護婦が迎えに来た。
今度は躊躇《ためら》わずにさっさと講堂の中央のベッドに坐った。
桐田医師は前と同じようにまず私の病歴を述べた。寄席の前口上が始まったわけである。
「それでは患者を診てみましょう」
桐田医師は教壇を降りてベッドの脇に立った。昨日来た二人の学生が立上って昨日検べた結果を読みあげた。
私の全身状態について一応の説明をしているらしかった。
いよいよ近づいた。私は確かめるように左右の手を握りしめた。緊張のためか掌は少し汗ばんでいた。
「アーガイルロバートソン症候は」桐田医師が私の正面に立つ。いよいよテストの始まりだ。懐中電燈をさっと振ってまともに目に当ててくる。
「これはお前に譲ってやる」
私は心の中で負け惜しみでなくそう思った。眩しくて一番嫌いな検査がその時はさして苦にならなかった。
「次にフィンガーフィンガーテスト」
その言葉を私ははっきりと聞きとった。二十数人の学生が身を乗り出すようにして私を見守っている。
「よく見ていろ」私は思わず指に力を入れた。
「両手を左右に開いて」桐田医師の声が静まり返った階段教室に響いた。
「はい近づけて」
私の両手はおもむろに寄って来る。ここまでは猿回しの猿と同じである。
「しかしこれから先はそうはいかないぞ」私は心の中で北叟《ほくそ》笑んだ。
「こんどは目を閉じて同じようにやって下さい」私の心臓は早鐘のように打った。
「うまくやってくれよ」
両手の先に祈りをこめるように私は指先をベッドの端にすりつけた。一息吸ってから私は、ゆっくりと両手を開く。右掌を外へ少し返した形で七、八センチの間隔をねらってゆっくり進めば当る。
「昨夜あれだけ上手くいったではないか」
私はもう一度自分に云いきかすと、手を寄せ始めた。少しずつ両手が寄って来た。もうじき当る。どうした事か、もう触れる筈である。誤ったか、失敗か、その瞬間左の指先にかすかな感触が走った。
「触れた」
確かに左の指先に、右の爪先が当ったのだ。二つの指先が重なり合って盛り上った。もう離れはしない。このままもう決して離しはしない。私はゆっくりと目を開けた。驚きを目一杯に表わした桐田医師の表情が私の眼前にあった。
「どうしたの」私は桐田医師に云ってやりたかった。彼の表情は驚きから困惑に変った。教室は水を打ったように静かだった。
「もう一度」桐田医師の低く鋭い声が飛んだ。
「いくらでもこい、負けはしない」私は一度成功した事でいくらか余裕を持った。
両手を開いて近づける、ゆっくりと、昨夜のペースを私は忘れていない。触れた、今度は見事に指先が一直線にぶつかったのだ。
「目を閉じている?」
「閉じています」
私はすかさず答えた。桐田医師は苛立《いらだ》たしげに私を見つめた。これは人の顔ではない。殺人者の顔だと瞬間私は思った。その時、私の目の前は真白いハンカチに覆われた。彼がポケットからハンカチを取り出して私の目を覆ったのだ。
「そんなことをしても同じ事なのだ。優秀なお医者さん、一体どうしてくれるの」
医学と偉そうにいっても、こんな事で崩れるではないか。これでは診断の根拠などというものはおよそ安心ならない怪しげなものになってしまう。医者と云っても本当のところは少しも解っていないのだ。そう思うといい知れぬ喜びが体を包んだ。
「開いて、近づけて」
指先が当るのにそう時間はかからなかった。学生達から軽いざわめきが起った。一回目の実習の時のざわめきは私の症状の奇異な素晴らしさに対するざわめきであった。医学の教科書通りであった。しかし今日のは違う。流れるように説明した桐田医師の弁舌に対する疑いのざわめきであった。
「君!! 僕の云う通りやるのだ。右手をずっと下げて、膝の辺りを掴んで、左手は頭の上に」
「えっ」私はきき返した。両手は今迄の左右に開くのとは違って上下へ開いて顔の辺りで指先を合わせようというのだった。
「目を閉じて」桐田医師の声が怒ったように響いた。
「近づけて」命令は容赦なく出された。
縦と横とでは全く勝手が違っていた。もともと位置感覚の冒されている私から|練れの感《ヽヽヽヽ》をとったら当るわけはなかった。
指先は小刻みに震えながら近寄った。鼻の真上にきた筈だ。ざわめきが起った。私は思わずハンカチの下で目を開いた。両手の指はすれ違って互いの手首でようやくぶつかって止った。
「もう一度」桐田医師は先程の私の成功を打ち砕くように更に三回、同じ事をやらせた。私の見当識の誤りは、もう誰の目にも明らかだった。
「たまにレジスタンスする患者《クランケ》がいるのも面白い」
桐田医師の言葉で学生がどっと笑った。私でもレジスタンスという言葉ぐらいは知っている。私はベッドに仰向けになったまま、階段教室の高い天井を見ていた。悪魔のような笑いが、もう一度、四方の天井から私にふりかかってきた。目を閉じて、私はただ笑いが消えるのを待った。
膝蓋腱反射が調べられた。私はもうどうでもいいと思った。然し桐田医師がハンマーを持って横に立ったのをみた時、この男に急にまた云い知れぬ反発心が湧いた。
彼が膝を叩いた。私はすかさず足を挙げた。二回やった、同じように挙げた。
「右側」右も同じように叩かれると同時に挙げてやる。
「左っ!!」鋭い声が飛んだ。私は慌てて左膝を上に組み上げる。ハンマーが膝に当る。私は必死に足を挙げる。
「もう一度」再びハンマーが落ちて来る。素早く私の足が挙がる。その時、どっとばかり笑いが起った。
「どうしたことか」私はゆっくり周りをうかがう。ハンマーが膝の上ちょっとのところで止められている。にっこり笑った桐田医師の顔が私に迫ってきた。
「当った?」「どうなの?」「足が挙がったけど?」「治ったのかな」
小刻みな質問が機関銃のように私を射すえた。私は挙げた足をゆっくりと下げる。
「御苦労さま」その言葉でまた教室がどっと沸いた。
私は部屋へ戻った。桐田医師には勝てない、いや桐田医師というより、私の体を探りつくしている医学という大きなものにはとても勝ちみがなかった。
数日、私は気が抜けたようにぼんやり過した。
私の体は自分のものでありながら、私とは別のものに操られている。体の様々な機構は見透かされている。私は壊れた機械をつけて生きているロボットに過ぎなかった。桐田医師は私というロボットをあれこれと楽しげにいじくり廻している。それが彼の趣味であった。
六日目の午後、二人の学生が現われた。今度のグループで学生実習は終りだと云った。
「どうぞ御自由に」
私は自分の体を診られるのにそんな風に云った。自分のものなのに自分の命令に少しも従わず、他人の云う通りになるような体はどうでもよかった。
例によって例の通りの診察だった。
「両手を上下に開いて下さい」
フィンガーフィンガーテストの前に彼等は始めからそう云って私の表情を窺《うかが》った。先週の事件が、後の実習グループに既に伝わっているらしかった。彼等はノートを取り出して私の症状を記載し始めた。私はもうひとつの私と無関係な体に従った。
「トリアスは全部揃っている筈だから」私は寝ながら学生にそんな事を云った。
「今晩は特に練習などしないで下さい」
学生はそう云うと意味ありげに笑った。私は黙って頷いた。
すでに十二月に入っていた。私は此処へ入院したのが四月の半ばだったから、早くも七カ月が経っている。一日一日は遅いようで、やはり早かったと思った。
歩く時、肢がもつれるように感じたのは、もう七、八年も前になろうか、しびれが足先から膝にきて大腿にまで進み、今は両手にまで現われている。やがて、背の低い学生が云ったように、何時か頭にまで毒は廻って来るに違いなかった。十数年の病気を振り返って、僅かずつ、しかし確実に悪くなってきたことは誰よりも私自身が一番よく知っていた。
夕景が窓の外にあった。師走の町を足早に人々が去っていく、私はそれを見ながら、ぼんやりと彼等が家路の途中で逢う夜の街の賑わいを思った。
夜食を終えた時、桐田医師が現われた。足早に寄って来ると、きっと私の顔を見据えた。
「明日は変な小細工をしちゃいかん、どうせわかる事なのだから、学生は真剣なのだ、いいね」
日頃の彼に似合わずきつい語調であった。私は何も答えず目をそらした。病室の三人が、何かあったのかという風に私の様子を窺った。
暗い布団の中だけが私の自由な住処《すみか》であった。誰の目も此処までは入り込んで来ない。もう何も考えず、出来るだけ頭を空にした方がいいのだと、私は自分に云いきかせた。
佐野君も、石川氏も、金子氏も、私とは遠く離れた生き物であった。四つん這いになっているのだから、人のようではなかった。彼等は群れを作ってゆっくりと進んでいく。皆が連れ立って行くのに、私一人が広漠とした砂地に残されていく。どういうわけか私は追いつけないのだ。時々佐野君が振返ったりするけれど、何も云ってはくれない。走っても、走っても彼等には追いつけない。肢が無性に重かった。突然桐田医師が驚く程近くに現われた。
「お前は此処に残った方がいいよ、お前は学用患者だし、もうどうにもならないんだから」そう云って桐田医師は足早に駆けていった。私は必死に追いかけるのだが、みるみる彼との距離は離れてしまう。
しめつけられるような胸苦しさで私は目を覚ました。
桐田医師に叱られて、布団をかぶったまま私は寝入ったのであった。一日毎に靄の深まる外景を覚えている。あれは午後六時に近かった。日がめっきり短くなり、冷気が隅々から忍び込むのがわかっていた。随分早く眠り込んだわけである。その罰に私は今、とんでもない時刻に目覚めてしまった。十一時に十分前であった。皆は寝入りばなの、眠りの一番深いときであった。三人の規則正しい寝息が聞こえる。
「小細工をしてはいかん。どうせわかることなのだから」桐田医師の低く鋭い声が思い出された。
私は本当に彼にはもう勝てないのだろうか、明日はまた彼の指示通りに動き出さねばならない。彼の号令に従って私の四肢は踊り出す。常人では出来ない芸を見せる。こう打たれればこう反応する。私という玩具は余程、精巧に出来ているらしい。説明書通り、寸分違っていない。私がどんな企みをしても、ロボットを操る桐田医師にはすぐわかってしまう。
私は両腕を出すと思い出したようにフィンガーフィンガーテストを試みた。きまって右の人差し指が左のそれの前をすれ違っていく。指と指の間は五センチは開いている。何度やっても決ってそれだけ離れるのが、体の中に奇異な疾患が潜んでいることを一層確かなことに思わせた。
初冬の冷気が指先に小さな震えをもたらせた。手指が冷えきっていた。そこには病が顔を出していた。いくらこのテストを繰り返しても変るものではなかった。訓練などで癒せるものではない。脊髄から小脳へというより上級の神経中枢が冒されているのだった。
夜にも明るさがあった。たとえ闇夜といっても黒というのではなかった。暗さに眼が慣れるにつれ、私の周囲は次第に拡がっていった。
夜の|しじま《ヽヽヽ》の中で私に囁く声があった。声が言葉になったとき、ふと私にある思いが浮かんだ。
桐田医師は明日また私を階段教室へ連れ出し、学生へ私を供覧する。彼の説明には一分の狂いもない。学用患者である私はそれに応《こた》え、学生は今更のように驚き、予定通り事は運ばれる。
しかしその予定が根本からひっくり返ることがないとは云えない。総てが医師の思う通り進むわけではない。明日のショーの成否の鍵は本当は私が握っているのだ。私がいなくなったらショーは成立しない。
十一時五分過ぎであった。
私は突然、寝巻の上にオーバーを着込むと玄関へ急いだ。顔を知った守衛は黙って通してくれた。向かいの薬屋は戸を閉めかけていた。
「先生の処方箋はないのですか」顔馴染みの薬屋の主人は渋い顔をしたが、私は強引に頼み込んで売って貰った。それを買うと市役所から貰った私の小遣は、殆ど失くなってしまった。
外から戻って、体についた冷気が消え去るまで、私はじっと床の中で縮こまっていた。明日こそ私は桐田医師を驚かすことができる。これだけは彼の予定には入っていない。さすがの医学もこれだけは見破ることが出来ないだろう。猿回しは、明日猿が動かないのを知って愕然とするだろう。どうやっても、もう猿は動きはしない。左右からさせようが、上下からさせようが、変りはしない。猿を失った猿回しの云う事なぞ、誰も信じはしない。
「もうあんたの思う通りにはならないよ」私は自分で自分の体を動かなくしてしまう。もう誰も私の体を命令することは出来ない。この一年、願い続けてきたのは、実はこの瞬間であったのかも知れなかった。今私は少しも怖れてはいない。
私は右手に握りしめていた睡眠薬の小壜を今一度確かめるように頬に触れた。プラスチックの蓋が乾いた音をたてて外れ、床に転がった。
その一粒一粒を数えながら口へ運んだ。こんな簡単な事になぜ今まで思いつかなかったのか不思議だった。水を口に含むと私はそのすべてを一気に呑み込んだ。
「間違って厭世自殺と思う人がいるかもしれない」瞬間、私はふとそう思ったが、すぐそれは大したことではないと思い返した。
闇の中で視線の両端から細く白い指先が現われた。二つはゆっくりと近づいた。ぶつかると思った。瞬間、指はしめし合わせたように巧みにすりかわった。指は互いに平然とすれ違っていく。ひとつが消えるとまた新しい指先が山なりに現われて来る。二本の指は正確に現われ、正確に消えていった。
運動は繰り返された。誰一人その運動を見ている人はなかった。ひとつの運動が消えるとその両端でまたひとつ新しい運動が起ってくる。くり返し、くり返して、いつかくたびれて眠りについた時、私は勝つに違いないと思った。
薔 薇 連 想
氷見子の足の裏に湿疹が出来たのは梅雨の盛りの六月半ばであった。氷見子の足は土踏まずがよくくびれ、小さく締っている。靴は二十三センチで九半を穿く。その足の土踏まずの先のふくらんだ部分の皮膚が剥け、亀裂が生じて光っている。よくみると湿疹の一部は土踏まずの間にまで及んでいた。格別痒くもないが掻くと白い表皮が粉のように落ちてくる。
「水虫かしら」
氷見子は劇団「創造」の研究生だが、夜は同じ劇団の先輩のやっている新宿の「チロル」という小さなスナックバーでアルバイトをしている。
梅雨で足の裏に汗をかくことが多いうえに、稽古場で仲間とサンダルを穿きかえたりしたことがあるから、それでうつったのかも知れなかった。
「ねえ、誰か水虫の人いない」
その日、十時に稽古場に出ると氷見子は早速、仲間達に尋ねた。その日はベケットの戯曲の研究会であったが、団員の重だった人達はまだ現われていなかった。
「どうしたのよ」
「水虫になったみたいなの」氷見子は坐った膝の上に足の裏をのせて見せた。
「うつされたっていうの?」
同期の研究生の一人が顔を近づけて覗き込んだ。
「どうかしら、でも水虫っていうのは誰かにうつされてなるんでしょう」
「全部がそうかしら?」
「よく分んないけど」
「足の裏だし、どうってことないじゃない」
「でも皮膚がかさかさして、そこだけがまるで他人の皮膚みたいよ」
「チンク油を塗ってみたら」
「あれ効く? 私はイクタモールの方がいいと思うな」
「いろいろやってみたけど結局ヨーチンを塗るのが一番だわ」
寄ってきた仲間達がそれぞれに自分の体験を披露し始めた。驚いたことに彼等の半数近くが過去に水虫に悩まされた経験があった。
「足の裏でよかったわ、手なら大変よ」
舞台で躍動する手が水虫に侵されていたのでは興醒めである。
「薬をつけとけばそのうち治るわ」
「でも治りにくいんでしょう」
「完全に治んなくてもすぐ落ちつくわ」
そんなものだろうと思いながら氷見子は椅子から脚を降ろして靴下をはいた。ミニの下に小柄だが形のよい脚がある。
梅雨は過ぎたが氷見子の水虫は一向によくならなかった。妙に長たらしい名の売薬を買ってきて塗った当座だけ、少しよくなったようにみえたが、それは気のせいで、半月もするとそのあたり一帯の皮膚が、かさかさと乾いてミイラの背中のように角化してきた。風呂から上り退屈まぎれに足の裏を眺めると、硬くなった皮膚は光りを受けて鉱物のように輝いている。指で圧しても痛くも痒くもない。
「まるで象の肌みたいだわ」
小気味よく伸びた脚の先にそんな部分が隠されているとは誰も知らない。柔らかい足の中で、そこだけは他人の領地のように自分には無縁のものに見えた。
氷見子が病院へ行ってみる気になったのは六月の末である。右の足の裏はさらに硬くなってきているようだが、拡がってくる気配はなかった。だが何気なく見た左足の裏に右と同じような発疹が出来ているのを知って彼女は不思議な気持にとらわれた。二つの足の裏を揃えて並べてみると、出来た場所といい、形といい驚くほど似ている。右はやや先輩格で硬さを増しているが、左の足は半月前、右足の湿疹を初めて見た時とそっくりである。
「やんなっちゃう」
氷見子は腹立ちまぎれに足の底で床を二度ほど踏みつけた。
病院は氷見子の住んでいる荻窪の近くの個人病院であった。看板は外科、皮膚科、泌尿器科、肛門科となっていた。最後のところが氷見子には可笑《おか》しかった。
医師は五十を少し越えた恰幅のいい男だった。初め見てから、「おや」というように眼鏡を外し、改めてしげしげと見直した。足の裏を見られているだけで氷見子はくすぐったくなった。医師は二、三度うなずき、それから腕を組み首を傾けた。氷見子は足をひっこめたかったが医師が見ているので引くわけにもいかない。少時考えたあと、医師は再び手を伸ばし、皮の剥けたあたりを指で撫でたり圧したりをくり返した。
「なんでしょうか」
「………」医師はまだ見詰めていた。
「この薬をつけたけどさっぱりよくならないのです」
氷見子はハンドバッグから使い古したチューブ入りの薬を取り出して診察机に置いた。
「やっぱり水虫でしょうか」
「似てるがねえ……」
医師は足と氷見子の顔を交互に見較べた。皮膚科だもの、見ればすぐ分るはずなのにと氷見子は無遠慮な医師の視線に苛立《いらだ》った。
「すぐ治りますか」
「ひとまず検査をしてみましょう」
「検査?」
「ただの水虫でないかも知れないのでね、少し血を採って調べてみましょう」
「血……」
医師の考えていることが氷見子には分らなかった。
「何故?」と尋ねようとした時、看護婦が近づき二の腕をゴムで締めると浮き出た静脈に針をさし、赤い血を一〇tほど抜き取った。
氷見子が自分の病名を聞いたのはそれから一週間後である。
その時、氷見子は白地のワンピースに黒い羊皮のベルトをつけていた。病院は午後で、待合室には買物籠をさげた婦人が一人、薬の調合を待っているだけで閑散としていた。
診察室で医師は相変らずゆったりと回転椅子に腰を降ろしていた。一週間前に血を採った看護婦が医師の後ろで煮えたった煮沸器から消毒したピンセットを取り出していた。本通りから一町入った路地なのに、病院の辺りは時たま子供の声がするだけで静かだった。医師の頭の上の窓に白く厚い夏の雲が出ていたのも氷見子ははっきりと覚えている。雲は暑さを呑み込み青い空から抜けたように輝いていた。
「やはり血の病気でした」
「血の病気?」
「梅毒です」
医師はいとも簡単に云った。突然のことで氷見子はすぐには医師の云ったことが呑み込めなかった。
「ここに結果が出ています」彼は検査結果の報告書を見せた。
「三つの方法で調べてみたのですが、どれも2プラスの陽性です」
氷見子は机の上に開かれたカルテの中のピンクの紙を見ていた。カーン法、ガラス板法、緒方法と書かれた各法の横に十字が二つ重なった ++ のサインが並んでいた。氷見子はぼんやりしていた。医師の云ったことが、まだ頭に定着していなかった。他人の病気のことを聞いているようであった。
「今日から早速、駆梅療法をしましょう」
氷見子が自分の病気の重大さに気付いたのは腕のつけねに注射をされてからのことである。白い溶液が体の中に入っていくのを見ながら、彼女はようやく、自分が大変な病気にかかったのだと知った。一瞬のうちに氷見子は病人になっていた。注射が終りその部位に看護婦が消毒綿をおし当てた。
「どうして、……なったのです」氷見子の声は低く嗄れていた。
「さあ」医師はハイライトに火を点け、一服吸い込んでから云った。
「やはり、うつされたのでしょう」
「うつされた?」
「感染して二年ぐらい経っていると思うのですがね、心当りがありませんか」
細面で少しおでこの氷見子の顔に、山型の眼が止ったように見開かれている。看護婦が蛇口へ行き、いま氷見子に注射した注射筒を水で洗い、二度ほど水を切ると煮沸器へ戻した。医師はまだ灰を落すほどになっていない煙草の先を何度も灰皿の縁になでつけた。
「二年前……」と氷見子は口の中で呟いた。二年前、という月日と男の顔がすぐにはつながらない。両者の間にはいくつかのジョイントがあって邪魔をしているようである。
「とにかくまずペニシリンを一クールやってみましょう」
「治りますか」
「そう、やってみるのです」医師は別の答え方をした。
「どうなるのですか」
氷見子は自分がかかった病気についてまだ何も知っていないのに気付いた。知っていたように思ったのは、その病名をよく耳にしたことがあるというだけのことであった。
「いまは第二期です、足の発疹はこの第二期に出る梅毒性の乾癬なのです。これは足の裏以外に手のひらや額の生えぎわにも出来ます」
聞き終ってから氷見子は掌を開いた。左右並べてそろそろと覗き込む。
「貴女は足だけです」
氷見子は慌てて医師を見上げた。
「ところでこの一年か一年半くらい前に脇腹や胸の側面に爪の大きさぐらいの淡い赤色の斑点が出ませんでしたか」医師が探るように目を寄せた。
「見たことがありませんか」
「………」
「あるでしょう」
医師の目が迫ってきた。氷見子は悲鳴に似た声を上げた。見た憶えがある。風呂に入った時、乳房の後ろからウエストにかけて赤く色づいた斑点が拡がっていた。氷見子の肌は白いというより蒼ざめていた。浅い静脈が皮膚の上から透けて見える。掻くときまって爪の痕が赤く筋になって残った。消えるまで人より倍以上の時間がかかった。宇月は浮気をできないようにしてやる、といって乳房や下腹を噛んだ。面白いように歯形がついた。そうだ、宇月だ。二年前の男は宇月友一郎であった。氷見子の中で記憶のジョイントがかさかさと音を鳴らしてつながった。
「それを薔薇疹というのです。大抵は二、三週間で消えますが、それが第二期の始まりです」
とすると姿見にうつして氷見子は薔薇疹を見たことになる。二十一歳になっても少女のままのような硬く小さな乳房の背後から、くびれた胴を越え、軽く脂肪のついた下腹までの両側に、薄雪に紅梅を散らせたように朱色の斑点が拡がっていた。氷見子は見惚れていた。「おや?」と思ったが不審というより美しさが先に立って目を奪われた。湯に入りすぎて肌が色づいたのかと思った。タオルで体を拭いた。全身の火照りがさめても朱色の斑点は残っていた。だが氷見子は気にもとめなかった。第一、痛くも痒くもなかった。
「うつるというのはやはり……」
「稀に輸血でということもありますが、それ以外はほとんどが……」
医師は語尾を濁した。氷見子は宇月のことを考えていた。肘を軽く曲げ上体を押し出すように歩くのが男の特徴だった。あの男から私は病気を受けたのだろうか、私の血があの男の血に染まったというのだろうか、血が病気になるとはどういうことだろうか、氷見子はまだ少しも分っていない。
「すると血の中にその病気が……」城の中にお姫さまが隠れているように、と彼女は妙な譬えを考えた。
「病原体はトレポネーマ・パリズムという一種の、まあ虫みたいなものです」
「むし……」
氷見子は口を開けたまま医師を見ていた。氷見子のショートカットの髪の下から耳が覗き、鼻が軽く上を向いている。顔だけ見ていると童女と変らなかった。
「それが私の血の中にいるのですか」
「まあそういうことです」
医師がうなずきながら口から煙を出した。煙は無格好に崩れてすぐ消えた。部屋の湿度が上ってきていた。受付の方で女の話す声がした。
氷見子のなかに不思議な感覚が生れたのはその時であった。どういうわけか氷見子は眼の前に坐っている医師が自分とはまるでかけ離れた人種に見えた。コンピューターで打ち分けられるように素早く正確に、ばたばたと自分が彼等とは別のグループに組み分けされたのだと思った。それは機械的で素っ気なかった。小学校の組分けの時、泣いてせがんでも戻して貰えなかった、その時の非情さと似ていた。どうもがいても駄目なようであった。
「このまま放っておいたら……」
氷見子の顔は蒼ざめていたが体の芯は火照っていた。体が日当りと日陰と二つの部分に割れているようであった。
「第三期になると体のいろいろなところに発疹ができ、硬結《しこり》がふえ、一部は崩れて潰瘍になります。十年以上経って第四期に入ると体の奥の神経や血管や内臓が侵されて死ぬようなこともあります」
「じゃ私もそうなるのですか」
氷見子は祖母から聞いた地獄の亡者の姿を思い出した。祭りの時、幕絵で見た奇怪な裸形が一気に寄せてきた。
「いまは治療さえしていればそんな風には進みません、この状態でおさまります」
どんな虫が私の血の中にいるのだろうか、体をごしごしこすったら出て来るのだろうか、どんな顔をし、どんな尻尾を持っているのか、どんな格好で動くのか、なめくじのようにか、百足《むかで》のようにか、あるいは本で見た頭でっかちの精子のようだろうか、動く時、声を上げるだろうか。それは何を食べて生きているのか、そして私の足の裏で巣を作り蛇のようにとぐろを巻いているのだろうか、それを私が養っている。こんな痩せっぽちの私が、そんなに沢山の虫を養っていけるのだろうか、いまに私の体は虫で溢れてしまい、すべての毛穴から虫が出る。
「注射をすれば虫は消えるのですね」
「ほとんど失くなります」
「完全には……」
「まずやることです」
医師は眼鏡の底からそれと気付くほどの優しい眼差しを氷見子に向けた。氷見子の眼に医師が映り、空と雲が映った。雲の底は赤い屋根で跡切れていた。煮沸器が煮えたら、中で注射器の筒と外殻がぶつかり合う音がした。
氷見子が宇月友一郎を知ったのは、二十歳の夏であった。
その二年前から氷見子は私立の大学に通いながら劇団「創造」の研究生になった。演劇は高校の時から好きだったから望み通りの道に進んだことになる。劇団の稽古や打合せは昼間におこなわれる。休暇の時はいいがそれ以外の時はどうしても学校を休むことになる。秋の公演の時、氷見子は初めて舞台に上った。歩くだけで台詞《せりふ》のない役だったが初めてだけに嬉しかった。氷見子が学校より劇団へ身を入れ始めたのはこの時からである。
大学は国文科だったが、大学で型通りの講義を聴くより劇団で体を動かし、話し合っている方が遥かに充実しているように思えた。俳優になるのに大学は必ずしも必要ではないようであった。二年で氷見子は大学をやめた。
氷見子の家は札幌で比較的大きな雑貨商を営んでいた。月々仕送りをして貰っていたのだが氷見子が退学して劇団に専念したのが知れると両親は怒って仕送りを止めると云ってきた。氷見子は負けていなかった。やる気になれば何でもできると思った。仕送りが止った時のことを考えて劇団の先輩がやっているスナックバーにアルバイトに出た。そのうちにいい役者になって反対した親を見返してやろうと思った。
氷見子が初めて人目を惹くチャンスを得たのは大学をやめた翌年の春であった。あるテレビの演出家を通じて氷見子の劇団へ口がかかってきた。仕事は、Yという婦人下着会社のコマーシャルの出演であった。
〈愛くるしいお嬢さん風の女〉というのが先方の条件だった。売っているものが下着だけにスポンサーは女優の方にことさら清潔感を求めたのだった。
氷見子を含めて三人の研究生が候補にあげられた。三人の中で氷見子は一番若く小柄だった。北国育ちの肌の白さに、顔はどこかおっとりした感じがあった。それは軽いおでこと山型の眼に加え、少し上向きの低めの鼻のせいかもしれなかった。
最終審査はテレビ局の小会議室で行なわれた。担当の花島というプロデューサーの他にスポンサー側から五十年輩の小肥りな男が来ていた。Y社の宣伝部長で宇月というのだと花島が紹介した。宇月は花島の説明に時々うなずきながらメモ用紙と氷見子達三人を交互に見較べた。その態度は何かひどく威厳があった。
簡単な質問があってから、遅いテンポの音楽に合わせて体を自由に動かすように命じられた。それはコマーシャルの時、花の野原を下着を着て緩やかに走る仕草につながっていた。
氷見子が採用と決ったのは審査が終った三十分後であった。コマーシャルに出たからといって劇団での地位には無関係だったが、収入があるうえ、多少なりともマスコミで知られることになる。それがきっかけでまたどういう好運が訪れないとは限らなかった。少なくとも田舎の両親には地味な舞台よりテレビのコマーシャルの方が効き目があった。
氷見子の出たコマーシャルは特別話題にはならなかったが、それなりに評判は良かった。小さく均斉のとれた肢体が長いランジェリーに引かれ、軽く上を向いて反り返った顔が、愛らしさの中に妙な艶めかしさを漂わせていた。氷見子は出演料の三割を規定によって劇団に納めた。劇団を通して得た収入はすべてそういう取り決めになっていた。
コマーシャル出演の人選に関して、プロデューサーとスポンサー側との間に意見の食い違いがあったという話を氷見子が聞いたのは、審査の一週間後であった。プロデューサーの花島は氷見子より一つ年上の香月祥子を推したが、スポンサー側が強引に氷見子で通したということであった。
(あの人が私を認めてくれたのだ)氷見子はほとんどものも云わず、机に肘をついたまま黙って見詰めていた初老の男の、鳶色の眼を思い出していた。
撮影が終って一週間後に氷見子は宇月に夕食を誘われた。「撮影が無事に終った打上げ祝いだ」と聞いた。約束の料理屋に行くと花島と宇月が待っていた。氷見子は花島とはすでに親しく話ができたが宇月とはほとんど口を利いたことがなかった。彼女は少し堅くなり神妙に受け答えをした。ビールを飲み食事が終ったところで花島は「別の仕事がある」と云って帰っていった。
「君はいいのだろう。軽く飲みにいくがつき合わないかね」
宇月は審査の時と同じ鳶色の眼で氷見子を見詰めた。氷見子に拒む理由はなかった。車は青山に近いナイトクラブで停った。宇月は時々来るらしく、席に着くとすぐ、知合いらしいボーイが駆けてきて挨拶をした。
「これからも何か仕事で希望があったら遠慮なく云いなさい。僕でできる範囲のことはしてあげる」
宇月は赤い容器にうつるローソクの火を見ていた。氷見子は初めて近くから宇月を見た。少し肥り気味だが顔にはかつての美男の面影があった。
「今は伯母さんの家から通っているそうだね」
誰に聞いたのか宇月はそんなことまで知っていた。周囲には氷見子が夢に描いたとおりの豪華さと落着きがあった。酔ったのはカクテルだけでなく雰囲気のせいもあった。
「君は好きな人がいるのかね」
宇月が左手でグラスを抱えながら尋ねた。「はい」と云おうとして氷見子は口を噤《つぐ》んだ。宇月の鳶色の眼が輝いていた。スポンサーではなく男の眼のようであった。
「君ほどの美人だ、いても可笑《おか》しくないじゃないか」
氷見子は眼を伏せていた。身を堅くして見抜かれるのを防いでいた。思い出さないでおこうと思うと伸吾の顔がかえって浮かんできた。劇団「創造」の皆川伸吾は氷見子の四歳上であった。氷見子は好きだが伸吾も氷見子を好きなはずだった。
「まあいいさ」
微かに笑うと宇月は横を向いた。鬢《びん》の白さが弱い光の中で輝いた。氷見子は盗むように息をついた。
外の風に吹かれたかったが宇月は出るとすぐ車を拾った。予感はしないでもなかったがまるで本を読んだと同じように氷見子は宇月に奪われた。それは氷見子にとって初めての体験であった。
「悪いようにはしない、安心したまえ」
氷見子の泣き声が力を失うのを待って宇月が云った。すべてが仕組まれていたようであった。
それまで何も知らなかった氷見子の体は日を追って目覚めていった。体の関係が出来て三カ月で彼女は伯母の家を出て中野にアパートを借りた。費用は全部宇月が持った。
週に三日、宇月は氷見子の処へ現われた。夜の時もあり仕事の合間の昼の時もあった。「いけない」と思いながら氷見子は自分の体の成長に呆れていた。思考とは別に体だけが走っていた。一人で考えると顔を赤らめることが宇月と二人なら平気でできた。少しずつ恐ろしいことが無くなることが怖かった。
生活には余る金が宇月から毎月渡された。劇団には顔を出さなかった。氷見子は宇月だけを待って過し、彼は新鮮な果汁でも吸い取るように氷見子の若さをむさぼった。伸吾のことは氷見子の頭で生彩を失い、遠のきながら、それでも時々驚くほど鮮やかに甦った。
宇月が死んだのは、関係ができて一年半経った十一月の末であった。夜、宴会を終えて新橋から氷見子の家へ来る車の中でのことだった。死因は大動脈瘤破裂と聞いた。氷見子はそのことを翌々日の新聞の死亡広告で知った。葬式が終り初七日が済んでも氷見子はアパートに閉じこもっていた。
お参りに行くわけにもいかなかったが、あるいは宇月がドアのベルを押して現われるのではないかと思い続けた。四十九日を過ぎて彼女はようやく諦めた。ごそごそと身体を動かし、服を着換えて街に出た。年が明けていたが街は一向に変りがなかった。日の当る場所と日陰では随分と温度が違った。歩きながら、宇月の発作が起るのがもう三十分遅かったらアパートで死んだと思って身がすくんだ。
二カ月たって、氷見子は働かねばならないと知った。忘れていた舞台が思い出された。宇月が死んでみると舞台しかなかった。そのことは舞台を去るのも戻るのも宇月次第だということだった。氷見子はそんな自分に少し腹が立った。
「創造」は氷見子が休んでいる間に分裂して三分の一が脱退していた。皆川伸吾もいなくなっていた。再び氷見子は昼は劇団に顔を出し夜はアルバイトで以前の「チロル」というスナックバーに勤めた。氷見子と一緒に入った仲間は皆、団員になっていた。一年半の間に完全に水をあけられていた。惨めで淋しかったがそれも一週間経つと諦めに変った。一カ月経つと苦痛や淋しさは無くなった。
「それなりに周りの環境に合わせて生きていけるものだわ」氷見子は自分の移ろいに自分で呆れていた。
夏が来た。夏に初めて宇月に体を奪われたことが氷見子に甦った。それは頭が思い出したようでもあり体のようでもあった。
氷見子の足の裏の湿疹はその後、大きくなる様子もなく落ちついた。一部の角化したところはそのままだが趾《ゆび》の間まで拡がっていた湿疹はほどなく消えた。水虫の薬でなく駆梅療法をおこなって消えたことに氷見子は無気味さを覚えた。
氷見子は毎日、午後に病院へ行った。午後は空いていて他人にもあまり逢わず、すぐ注射をして貰えた。それでも馴染みの顔が出来た。氷見子と同じように毎日ペニシリンを打ちに来ているらしい男がいた。角刈りの六十歳近い男でいつもきちんと和服を着ていた。大家の旦那のようでもあり質屋の主人のようでもあった。男は来ると名前だけを云い、呼ばれるまで黙って待合室で腕を組んでいた。眼は大きく開けていたが何処を見ているのか何を考えているか分らなかった。男の名前は木本といった。
注射は氷見子が先のことも、木本が先のこともあった。氷見子が腕のつけ根をアルコール綿で撫ぜている時に診察室に入ってくることもあった。男は氷見子を見てすぐ眼を逸らした。年齢に似合わぬ含羞があった。
氷見子は医師が書き込んでいる木本老人のカルテを見た。
盗み見ただけでよく分らないが病名の欄には横文字が書いてあった。氷見子は自分のカルテを手に持ったことはないが、医師の机の上に載っているのを覗いたことがある。Lが頭文字の同じ綴りのようだった。他の人達のは皆、日本語で病名を書き込まれていた。
(二人だけだ……)
急に氷見子は老人を身近なものに感じた。年齢も、性も、環境も、すべてが違うのに親しい友達に逢ったような気持だった。生れついた時から二人は仲間であったような気がした。
(同じ病気だからだろうか……)
そうだとしても奇妙である。これまで風邪をひいた時は勿論、小児喘息で苦しんだ時も、虫垂炎で手術をした時も同じ病気の人にそんな気持を抱いたことはなかった。原因はもっと深いところにありそうだった。
(血が同じだから)
氷見子は老人と自分が血でつながっていることを考えた。血を思うとすぐ宇月の顔が思い出された。本当にあの人がそうだったのだろうか、それはまだ確かめたことではなかった。注射を終ってから氷見子は丸椅子に坐った。
「感染したのは二年前だろうと仰言いましたが」
「発疹の状況からそう推定できるのです。感染後、二年から三年で今の症状がでるのです」
後にも先にも体の関係があったのは宇月しかなかった。
「その人はいま……」
「いいえ」氷見子は少し考えてから答えた。
「死にました」
「死んだ……なんで?」
「変った名前です。大動脈瘤破裂とか……」
医師はうなずいた。微かに笑ったようでもあった。
「やはり」
「何故……」何処も悪そうでなかったと氷見子は云いたかった。
「大動脈瘤というと独立した病気のように聞こえるけれど、これの九〇パーセントは梅毒によるのです。その人は多分、第四期だったのでしょう」
「………」
「この頃は昔と違って治療をしているから外に症状は出てきません。だが、いくらペニシリンでも古くなって内臓まで侵されたものにはあまり効きません」
「じゃ……」
「その人は病気のことは知っていて、治療はしていたのでしょう」
「あの人が……」
信じられなかった。宇月は知っていて娘ほど違う三十歳も年下の氷見子の体にうつしていたというのだろうか。
「この病気そのものは慢性でゆっくり進むし以前のように潰瘍になったり鼻が欠けたりするようなことはなくなりました。私でさえ典型的なものは見たことがないのです。痛みも熱もないのだから本人には病気だと云うだけで別にどうということもありません。ただ子供に影響するのが怖いのです。流産したり異常児ができます。戦後一時ペニシリンが出た時には減ったのですが、最近またふえてきたのです。政治家や実業家の偉い人達にも結構いるのです」
氷見子は両手を丸椅子の端に強く当て、倒れそうになる上体を必死に支えていた。宇月が許せなかった。知っててやったことが卑怯である。人が人にやることではない。だが宇月はいない。
「なぜこんな病気が……」
怒りのやり場がなかった。受け止めてくれる人なら誰でもよかった。
「コロンブスが南米大陸に行って持ち帰ってきたのです。島を発見したのはよかったけれど病気も持ってきたのは余計だった」
氷見子は自分の血が十六世紀の南米大陸からつながっていると知って眩暈《めまい》を覚えた。気の遠くなる距離だった。風に運ばれたのでもなく、船でもなく、確実に血を通して人から人へ伝えられたということが氷見子には怖かった。
「あまり気にしないことです。貴女は軽いし、まだこれといった症状はないのですから」
だが血を受けたことは伝えたすべての男達と交接したことになるのではないか、黒人も白人も黄色人も、さまざまな男に私は犯されたのではないか。氷見子は眼を閉じた。青い海の果ての緑の島と、黒い肌と、太鼓の音が聞こえてくるようであった。
(自分だけの血に戻りたい)
その夜、氷見子は初めて店を休んだ。一晩中血を洗うことを考えた。血はどう洗えばいいのか、軽石でこするのか、注射器で血を抜くのか、考えた末にそんなことが可能ならとうにやられている筈だと気付いた。徒労だった。だがそれは駄目だと知るために必要な道程であったようでもある。疲れ果てたところで氷見子の気持はいくらか安らいだ。
(宇月は何を考えていたのだろうか)
昼間、病院で抱いた宇月への憎しみは幾らか色褪せていた。宇月のことは少し優しく考えてやれそうだった。
「結局」と氷見子は闇の中で仰向けのまま呟いた。「宇月は一人だけで淋しかったのかもしれない」
そう思いながら氷見子は明け方、浅い眠りにおちた。
小さな台風が過ぎたことで残暑が消えた。朝方、氷見子は急に年をとった夢を見た。目醒めるとすぐ自分の鼻と眉に触れてみた。触れたかぎりでは異常はなかった。夢の中の顔は目尻に皺が寄り、髪の毛がごっそりと抜けていた。風の残りが雨戸を叩いていた。氷見子はなお床の中にいて夢の記憶が薄れるのを待った。
周りの部屋の人達はすでに出勤したあとらしく、アパートは静まり返っていた。氷見子は先日の血の検査結果が今日分ることを思い出した。そのことは昨夜眠る前も、眠ってからも思い出していたようであった。
起き上ると十時だった。氷見子はそのまま鏡台の前に坐った。額の生え際に産毛が乱れている。夜の間、乾いた肌に無数の毛穴が見えた。
「新しい発疹はない」そのことを確かめて氷見子は立上り雨戸を開けた。眩しいほどの明るさだったが陽光は間違いなく秋のものだった。
遅い朝食を終え洗濯をし、顔を作って病院へ出かけた。病院へ着いたのは午後二時だった。待合室には買物籠を下げた婦人と少年だけがいた。午後二時頃行けばいつも逢えた木本老人の姿は今日もなかった。老人と逢わなくなって一カ月以上経っていた。
「この頃、木本さんは見えないのですか」診察券を出しながら氷見子は受付の女性に尋ねた。
「あのお爺ちゃん、最近、脚が弱くなってスリッパが脱げたり、ふらつくのでお嫁さんがついてくるのです。その都合でお昼前に見えるんですよ」
「悪くなったのですか」
「お年のせいもあるのでしょうけど、木場からいらっしゃるのですからね」
「木場?」
「深川の、御存じですか」
「ええ」一度車で通りすぎたことがある。江戸時代から木材の集積所として賑わった所である。門口まで立てかけた木の並びは当時の面影があった。
「何故そんな遠くから見えるのですか」
「さあ」事務員は瞬間、戸惑ったように氷見子を見返した。「うちの先生が深川の方の病院に勤めていた時からの患者さんなのです」
それにしてもペニシリンの注射だけにこんな遠くまで来る必要があるだろうか。病院を替え、初めからいろいろ尋ね直されるのが嫌だったのだろうか。氷見子は注射のあと、杖に両手を重ねたまま待合室で坐り続けている木本老人の姿を思った。老人は坐ったまま何かを考えているようであった。だがそれは脚に自信がなかったからのようであった。一度使い果した力が再び充ちてくるまで待っていたのかもしれなかった。
(あれだけ注射をしても病気は治らず、なお進んでいるのだ)
少しずつ、しかし確実に病が進んでくることが無気味だった。婦人と少年が立上って待合室は氷見子だけになった。
「津島さん」
名を呼ばれて氷見子は薄ら寒い思いから覚めた。
「血の検査結果はいかがでしたか」不安と期待をこめて氷見子は尋ねた。
「そう、そうでしたな」医師の声は明るかったが、カルテをめくる仕草は妙にゆっくりしていた。医師の手が止って氷見子は唾を呑んだ。
「大体……前と同じです」
「同じ?」
医師はうなずきピンクの検査用紙を示した。カーン、ガラス板、緒方の各法の横欄には前回と同じく朱色で〈陽性、2〉とある。
「快くなっていないのですか」
「そう急に快くなるものではありませんよ」
「これだけ注射しているのに……」
すでに五十本近い注射を続けて、氷見子の腕のつけ根の部分はいつも重かった。肩口の個所は硬くなり、薄黒く色づいていた。
「この頃はペニシリンに抵抗力をもっているのもあるのです」
「じゃ、もう完全には……」
「焦ってはいけません」
「で……治るのですか」そこを氷見子は知りたかった。だが医師は答えず、横に控えていた看護婦に命じた。
「ペニシリン」
「………」
「とにかく、気長にやることです」
医師と看護婦は呼吸が合い、流れ作業のように素早く注射筒に白い液が満たされた。
(このまま治らないのではないだろうか)
午後、かすかに芽生えた怖れは夜になるとともに、少しずつ、しかし着実に膨らんでいった。
人の群れが雑多に流れていた。灯が点《つ》き始めて街が昼から夜に変ろうとしていた。秋とともに会社の退け時と夕暮れが重なってきていた。氷見子の左右を無数の人がすれ違っていく。前を向いて早足でいく人も、喋りながら腕を組んでいく人もいた。大きなガラス越しに中のボックスが見透せる喫茶店がある。身を乗り出して話しかけている男がいる。それを受けて笑っている女性がいた。話していることは分らないが二人は動いていた。客の間を行くウエイトレスも動いていた。店の角は交差点になっていた。人の波が止り、辺りが人の背で埋まる。氷見子は真中に立っていた。皆が素気なく見えた。声をかけたら逃げだしていくように思えた。信号が赤から青に変り再び人の群れが動き始めた。
(私一人が別に選り分けられた)
「チロル」に出たが店の賑々しさがかえって息苦しかった。いつもより一時間早い十時に氷見子は頭痛がすると云って早退した。妙に気が急《せ》いた。電車を降りると脇も見ず歩いた。何故急ぐのか自分でも分らない。だがとにかく一人にならなければいけないと思った。
十時半に戻ると氷見子は足の裏を見、それからスェーターを脱ぎ、スリップを外した。姿見に前をうつし横から背を見る。透けるように白い肌は夜の光の中で翳りをもち息をひそめていた。どこも異常なところはなかった。肌には赤い班点も硬結《しこり》もなかった。異常がないのに血の検査だけが陽性に出るのが無気味だった。血が体の中で揺れているようであった。陽性を表わす十字が殉教者の刻印のように思えた。
(わたしだけ血の病にとりつかれたのは何故だろうか)
氷見子はパジャマを着、鏡の前の丸椅子に坐ったまま考えた。宇月と知ったことは勿論だが、さかのぼっていくと花島が劇団へ出演の話をもってきたことも、劇団「創造」に参加したことも、Y社がコマーシャルを企画したことも、すべてが原因のようであった。それらは互いにつながり合い関係し合っているようであった。
(でもそれだけだろうか)
まだありそうだった。その先を追っていくと根は別のところに行きつくように思えた。自分がやった程度のふしだらなことは、皆とはいえないが、かなりの人がやっているように思えた。その中から自分だけが選ばれた理由は何であろうか。
間違いなく自分は選ばれたのだ、と氷見子は思った。とてつもない籤《くじ》に当ったようである。それがどういうからくりで自分に訪れたのか分らない。分らないが当ったということだけははっきりしている。そのからくりは誰が操り、誰が命じたのか。自分に当ったのは理にかなっているようで不合理なようでもあった。多くの人の中から自分一人だけ選ばれたことが怖ろしかった。急に孤独が寄せてきた。
(私、一人だけなのは嫌だ)
浮かび上った水鳥のように氷見子は顔を振った。誰でもいい、今はただ同じ血の仲間が欲しかった。
氷見子が田坂敬介に近づいたのには特別の理由があったわけではない。それはむしろ偶然に近いものだが、あえて理由を探せば宇月に近い年齢で、わけ知りげな様子が原因かもしれなかった。
田坂は私大の英文学の教授で、ときどき戯曲の翻訳をやったり、雑誌に劇評を書いたりしていた。劇団「創造」には演出の村瀬の紹介で作品の検討会や勉強会にオブザーバーの形で出席していた。年齢は五十を少し越していたが面長で端正な顔立ちであった。「チロル」には月に二、三度ぶらりと現われて水割りを飲んでいく。
「チロル」は十二時が看板であったが、氷見子の勤めは十一時迄だった。その日、十一時になったのを見届けて氷見子は店を出た。ビルの角を曲り表通りへ出た時、一足先に出て車を探していた田坂に逢った。
「君の家はどっちだね」
「中野です」
「中野なら帰り路だ。送ってあげよう」
劇団で氷見子は田坂と二人きりで話したことはなかった。劇団の顧問格の田坂と研究生の氷見子とでは立場が開いていた。研究会などで氷見子は田坂の喋るのを聞いていた。声は低いがイギリス作家の演劇論になると熱っぽく話し続けた。
車はすぐ青梅街道に出た。夜のラッシュにはまだ少し間があった。氷見子は酔いが体に残っているのを知った。この一週間、毎晩のように飲んでいた。飲んだ時だけ病気のことは忘れた。
「君は今度の配役を断わったそうだね」田坂が前を見たまま云った。
「いけませんか」
「そんなことはない。たまに休んで仲間の舞台を内側から見てみるのも悪いことではない」
劇団の今度の演《だ》し物は、ウェスカーの「大麦入りのチキンスープ」で氷見子に与えられた役は主役級のハリーの妹役であった。
「舞台に出るのが急に怖くなったのです」
「役者はそういう時が一度あっていいのだ」
断わったのは血の病気のせいで他に理由はない。濁った血のまま舞台に立つのが怖かったからだ。だが治らないと知った今では、むしろ出て人々を欺《あざむ》いた方がよかったかも知れないと思っている。少なくとも田坂が考えているらしい立派な理由があったわけではない。
「それは根本的な問題だな」
対向車のヘッドライトで田坂の顔が明るく浮かび上った。
「たしかに、現代において演劇は何か、演劇で何ができるか、という問いかけを僕達はもう一度しなければならないのだ」
氷見子は病気のことを考えていた。田坂は喋り続けていた。1プラス、2プラスと氷見子は前方から現われる光の波を見ながら数えていた。
「集団としてでなく個としての自分を見直すべきなのだ。個として自分はどこまで純潔でありうるかということだ」
「個として」と氷見子は呟いた。一人は怖い、一人では耐えられないと氷見子は思った。
「個の意識から初めて連帯感が生れる。その連帯感をどう受けとめ、どう発展させるかというところが問題なのだ」
「私は……」
「そうだ、君と僕との間に果してどれだけの連帯感があるか、問題はそこから始まる」
(この人にうつしたら……)
氷見子の頭に悪魔の思いが浮かんだのはこの時であった。
「それは何故プロになるのかという問題にもつながってくる。現代の中で生き、現代とアクティブに関わり、そのことから様々なものを感じる作業が根底になければいけない」
(うつしてやる)
氷見子の中で妖精が悪に向かって駆けていた。隠微な思いが赤く大きな環《わ》となって拡がっていた。
「私、帰らないわ」
「帰らない、……どうするのだ」田坂の声が急に現実のものとなった。
「どこかへ連れてって」
「どこかって……」
「どこでも、今夜は離れたくないわ」
田坂は顔を引き、改めて氷見子を見詰めてから云った。
「本気かね」
どこをどう走ったのか氷見子には分らなかった。気付くと眼の高さに石塀をくり抜いたホテルのネオンがあった。自動扉が開き女中が迎えに出た。エレベーターで上り部屋に入ると酔いが急激に覚めた。それは田坂も同じらしかった。
部屋は二間続きで、取っつきの間にはカラーテレビと冷蔵庫が並んでいた。左手の違い棚には白地に朱をぼかした胴長の壺があった。女中が去ると田坂は照れを隠すように壺に触れた。
「釉裏紅《ゆうりこう》かな、いやただの有田だな」
氷見子には壺のことは分らなかった。ただ抜けるような白地に朱が散ったところが不思議だった。垣間見た薔薇疹のことが頭に浮かんだ。見ているだけで心が和んだ。奥の間のベッドの横には二メートルの細長い鏡があった。横になると側方からベッドの上が映るようになっていた。
「消して」
田坂は部屋の光を消したがスタンドは点けたままであった。光は鏡の辺りまで照らし出した。自分の肢体が鏡の中で見られているのを氷見子は感じた。
「素晴らしい、素晴らしい体だ」
長い愛撫のあと田坂はようやく氷見子の中に入ってきた。氷見子は闇の中で白地に朱の散った壺の姿を見ていた。
氷見子がプロデューサーの花島と関係したのは田坂との場合ほどの偶然はなかった。花島は以前から積極的に誘いの手を出していたのだから氷見子はそれに従ったまでである。
「このあと食事につき合わないか」
花島はプレイボーイらしく「チロル」の沢山の客の前で平然と声をかけた。多くはテレビ局の仲間と来たが時々眼のさめるような美女を伴って来た。それらはいずれもテレビや映画で名の知られた女優であった。
「どうだ、もうそろそろ宇月のことは忘れたらいいだろう」
花島は同伴の女性を横にそんなことを平気で云った。それはコマーシャルガールの決定を巡って宇月に負けたことの腹癒せのようでもあった。
「左右田さんがいるじゃありませんか」氷見子は最近花島がよく連れてくるテレビ女優の名を云った。
「あれとはただの付合いだ」
そうは云うが二人の間柄は周知の事実であった。だが氷見子はそれにこだわっていなかった。プレイボーイと寝ればそれだけ仲間が増える理屈だった。左右田のことを云ったのは許す前の手続きでしかなかった。
花島に許したのは田坂と結ばれた二日後であった。遊び人らしく花島は長い前戯を重ねた。それは男が全身を投げ出して奉仕している姿でもあった。花島を受け入れながら氷見子は自分の血が男へ移っていく光景を頭に描いた。想像することで興奮し、興奮したことでその光景は一層鮮明になった。思いがけない愉悦の中で氷見子は果てた。それは宇月との時にはなかった新しい色合いを加えているようだった。
来た道を確かめるように氷見子はゆっくりと戻った。田坂との時に感じたかすかなうしろめたさはもうなかった。むしろ男へうつし終えたという満足感が氷見子の全身に漂っていた。ほどなく花島は軽い鼾《いびき》を立てて寝入った。氷見子は一人で風呂に入りながら花島から女優の左右田瞳を経て更に拡がっていく黒い血の流れを思った。
街だけ見ていると季節の移りが分らない。劇団からの帰り、氷見子は外苑を歩いて冬が近づいているのを知った。茂みが小さくなり空が拡がって見えた。知らぬうちに入りこんでくる季節の移ろいは病気に似ていると氷見子は思った。
夜一人で歩いても、家に帰っても氷見子はさほど淋しさは覚えなかった。床に横になりカレンダーを見上げながら氷見子は医師の言葉を思い返していた。
「最初に現われるのは一般に感染して三週間から七週間くらいまでの間ですが、トレポネーマの感染した個所に、いわゆる接触した部分に大豆《だいず》くらいの大きさの硬結《しこり》が一、二個できるのです。専門的には初期硬結と云われるものです。でもこれはよく注意してみないと分りません。特に女性の場合はかなり奥の方に出るので、なかなか気付かないのです。これと同時に大腿のつけ根が腫れてきます。横痃《よこね》と云われているものです」
氷見子にはどちらもはっきりした心当りはなかった。いま云われて股に軽い硬結を触れたことがあったような気もするが、確かめた記憶はない。そんなものが出来るとは思ってもいなかったのだから当然のことかもしれなかった。
「第二期は貴女も気付いたようにまず最初に現われてくるのが薔薇疹です。この期は感染後三カ月から三年までの期間を云うのです」
男達が薔薇疹を出すのは何時だろうか。十一月から三カ月を経て、二月の初めには彼等は薔薇の模様を体に表わす。
「一度や二度の関係ででもうつるのですか」
医師にならもう羞ずかしさはなかった。すべて知られているという諦めが氷見子を大胆にしていた。
「うつりますよ、特に第一期の大豆大の硬結《しこり》が破れて潰瘍ができる頃には一番|罹《かか》りやすいのです」
「じゃ第二期は……」
「何期だから大丈夫だということはないのです。血の検査がマイナスでも安心できません。いつだって危険なことは危険なのです」
医師の真剣な表情が瞼《まぶた》に甦った。
「感染すると血の検査はすぐプラスになって現われてくるのですか」
「プラスになるのは大体感染して一カ月から一カ月半後からです」
氷見子はうなずいた。そのとおりだとすると今月の末で男達は自分と同じ仲間になるはずであった。新しい演劇のあり方を模索している大学教授の田坂も、プレイボーイの花島も、その妻と彼女達もピンクの検査用紙を見る時がやってくる。プラス1か、プラス2か、いずれにせよ彼等は私と血で結ばれた仲間なのだ。氷見子の薄い唇に微かな笑いがこみあげた。
じっとしていると声が出そうだった。思いきり笑って床を転げたい。笑いを噛み殺して氷見子は眠りに入る。この頃、氷見子は驚くほどぐっすりと眠れる。
田坂と花島に氷見子は各々、週に一度くらいの割で逢っていた。田坂は優しく執拗で、花島は時に荒々しく、大胆であった。氷見子の体は二人の男の好みに合わせてそれぞれに反応した。その時だけ氷見子の体は氷見子を離れて気儘に動いているようであった。
行為のあと氷見子は男達の大腿に静かに手を滑らせた。何気なくけだるげに載せる。男達はそれを、すべてを許した女の愛の仕草だと思っている。細くしなやかな指先が軽く圧しながら移動する。
(触れる)
瞬間、氷見子の指が止った。股のつけ根に斜め上から下へかけ間違いなく三個の硬結《しこり》がある。それは山並みの三つの主峰のように硬く際立っている。
(私の血がうつったのだ)
氷見子は手をそのままに眼を閉じた。じわじわと残忍な喜びが氷見子の心に湧いた。それは体のすみずみまでゆっくりと拡がっていく。
「なにを考えているのだ」花島が向き直って云った。役者にしてもいいような美しい顔である。
「宇月のことか」
氷見子は小さく首を振った。
「君は可愛い女だ。宇月が放さなかった理由が分ったよ」
「宇月……」と氷見子は思った。宇月が私の病気を確かめた時、彼はどのような顔をしていたのであろうか、征服感か、うつしていく喜びか、あるいは憐れみか、それとも私のように男へ拡げ復讐していく快感であろうか。男の腕の中で氷見子は地獄に堕《お》ちた。
田坂の股に同じ硬結《しこり》を触れたのはそれから一週間あとであった。その時、田坂は今度出す新しい演劇の本について話していた。氷見子はうなずきながらそれに触れていた。
「君とこうなってから書く気になった。新しい意欲が湧いたのだ。君には必ずサイン入りで贈る」
私の贈ったものはもっと奥深く体の中まで残っている。氷見子は冷えた頭で考えた。
舞台の練習は最後の追いこみに入っていた。氷見子は劇団へは週に一、二度しか顔を出さなかったが田坂と花島のことは噂になっているらしかった。二人のことについて氷見子は云ったこともないし素振りに出したこともない。だが感づかれるのは男達の態度が原因のようであった。
「花島さんとはともかく田坂さんとはおやめなさい」店が終って飲みに出た時、ママが云った。
「私、そんなに本気じゃないわ」
「本気かどうかしらないけれど、あの方は私達の先生なのよ、しかも貴女はその劇団の研究生よ」
だからどうなのかと氷見子はママを見た。
「こんな関係は劇団を壊《こわ》すわ、あるまじき関係よ」
「私はやめてもいいわ、でも……」
「でも先生が承知しないと云うの」
「いいえ」
「このままではどちらかが退団しなければならなくなるわ、それでもいいの?」
もう暫く、と氷見子は思った。あと一度だけ田坂と逢って薔薇疹を見届ければ、いつ別れてもいい。
「花島さんのことも、よいとは思わないけど私は干渉しないわ」ママは舞台のために伸ばした髪を後ろへおしあげて云った。
「でもあまり何人とも関係するのは良くないわ、この世界は狭いのよ」
二人ではまだ不足なのだと氷見子は云いたかった。
「皆川さんが結婚するそうよ」思い出したようにママが云った。
「伸吾さんが……」
「そう、相手は広告代理店の部長のお嬢さんらしいわ」
「皆川伸吾」と氷見子は口の中で云ってみた。もう随分逢っていなかった。宇月と一緒になった時からだからもう三年にはなる。伸吾は「創造」を出て「現代劇場」に移ってからめきめきと売り出した。地道に努めてきたのだから当然の結果とも云えた。二年前に一度だけ客席から氷見子は伸吾の舞台を見た。逢ってみようかと思ったが結局逢わずに帰ってきた。自分の噂も伝わっているだろうし、伸吾はもう自分を必要としていないのだと思った。そのまま伸吾のことは避けるようにして通ってきた。だが避けてきたということは忘れていない証拠でもあった。
「どこで逢ったのですか」
「協会の会合でよ、貴女のことを聞いてたわ」
「………」
ママはウイスキーをお替りした。カウンターの前に洋酒壜がある。それが鏡に二重写しになっていた。
「伸吾が結婚する」
追われる気持で氷見子は壜の合間に映った自分の白い顔に呟いた。
時雨《しぐ》れて夕方になった。冷雨であった。アパートの階段の上り口に菊の大輪が二鉢並べてある。暮れなずんだ廊下に花の黄だけが浮いている。上り口の夫婦者か、下の管理人あたりが作ったものかもしれない。それにしてもアパートに大輪の菊はそぐわなかった。
氷見子は白のレインコートを着て外へ出た。十二月の五時はすでに夜の匂いがした。公演は今日が初日だった。
小さな劇場は雨を含んだ客で満ちていた。廊下を歩き、客席に坐りながら素早く眼を配った。二、三度行き来するだけで客席はすべて見通せた。
やはり伸吾はいた。客席の中程で長い脚を重ねて隣りの男と話している。見届けてから氷見子は後ろの自分の席へ戻った。
舞台は熱を帯びていた。だが氷見子はほとんど見ていなかった。見ていたのは五つ前の伸吾の顔であった。
終演間近に氷見子は立ち上り、手洗の鏡に向かった。透けるように蒼ざめた顔だ。白さは体の虫が血を食べているせいかもしれなかった。軽く白粉を叩き、口紅を薄く塗る。舌で舐《な》めて唇はようやく生気づいた。
(伸吾と寝るのだ)
氷見子は鏡の中のもう一人の自分に確かめた。
すべては氷見子の思いどおりであった。伸吾の中にはまだ氷見子への余韻が残っていた。それは男の果てることのない好き心のせいかもしれなかった。しかし氷見子はどちらでもよかった。
「本当は君と一緒になりたかったのだ」
終えてから伸吾は氷見子の髪に手をやりながら云った。
「あのままなら一緒になれたのだ」
「いいのよ」
氷見子は子供をあやすように伸吾の背を撫でた。悔いはなかった。氷見子のすべてが伸吾に移ることは分っていた。しなやかな伸吾の体を通してそれが幼い新妻に達し、子へ繋がっていく。血が生きているかぎりそれは続く筈だった。私は黒い虫になって伸吾の中に入った。伸吾が生きているかぎり私は忘れ去られることはない。それを思うだけで氷見子の心は満ちた。
「この部屋にはいつからいるの」
夜の明るさの中で伸吾は部屋を見廻した。
「泊っていったら」
「でも今日は突然だから」
それ以上強いる気持は氷見子にはなかった。
「こんなことになるとは思わなかった」
伸吾は頭に手を当て、窓の端を見ていた。
「後悔してる?」
「いや、それよりまた逢ってくれる」
「いいわ、貴方が欲しい時はいつでも」
伸吾はもう一度接吻をしてから服を着始めた。氷見子は床の中から帰り支度をする男を見ていた。
「また来る」
伸吾は軽く頭を下げて部屋を出ていった。足音が階段の半ばで跡切れて消えた。去っていくと思いながら氷見子の気持は安らぎ、満たされていた。
新しい年が明けた。松の内も氷見子は田舎へ帰らず東京で過した。アパートの一室で潜んだように生きていた。潜んだままさまざまな夢を見た。どの夢も赤い輪で繋がり、その中に氷見子がいた。
四日から「チロル」は再び始まった。
一月の半ばに伸吾の結婚式があった。氷見子は祝電だけを打ち、その夜花島と寝た。
「とっても可愛いお嬢さんだったわ」披露宴に出たママが一言だけ言った。
朝から雪の来そうな空だった。その日、氷見子は三度目の血の検査の結果を聞きにいった。すでに二月の末になっていた。
来るかと思われた雪は来ないままに午前十時になっていた。
(午前中に病院へ行ってみようか)
昼前なら木本老人に逢えるかもしれない。氷見子は簡単な化粧をして外へ出た。空気は冷たく乾いていた。
病院には十人近い患者が待っていたが木本老人はいなかった。
検査結果は前と同じ2プラスであった。
「諦めずに治療するのです」医師は慰めるように云ったが氷見子は驚かなかった。それはある程度覚悟していたことだし、治らなくても前のように一人ではないのだと氷見子は自分に云いきかせた。
「木本さんは今日見えないのですか」注射を終ってから氷見子は受付の女に尋ねた。
「木本さんは亡くなりましたよ」
「死んだ?」
「ええ、十日ほど前に」
「何で……」
「肺炎とか聞きましたが」
「じゃ、木場で」
「そうだと思います」
氷見子は支払いを終ると逃げるように病院を出た。十日前というと二月の半ばである。本当だろうか、木場に行ってみようかと思った。生きている間に何故話しておかなかったのかと悔まれた。待合室ででも廊下でも、いくらでも話す機会はあった。あの時は話すことはないと思ったが今死なれてみると云い残したことが沢山あったように思った。親しい仲間を失った気持だった。一度行ったことのある木場の香りが思い出された。老人の体はあの白い木肌に囲まれて焼かれたのだろうか。焼けて老人の薔薇疹は完全に消えたのだと氷見子は思った。
夕方、いつもより少し派手な化粧をして氷見子は店に出た。老人の死がかえって化粧を派手にさせたのだ。
誰も来ていない店へ、裏木戸を開けて入るのは淋しい。灯りを点けると店の中は洞窟のように静まり返り、その中に昨夜の乱雑さがそのまま残っていた。氷見子の動く分だけ店は動き出す。ガスに火を点け、皿を洗う。空壜を整理し終ったのを待ったように初めて客が現われた。そのまま続いて十一時まで特別のこともなかった。
十一時半、店を終えると喫茶店で待っていた田坂に逢った。
「ねえ初めに行った処に行きたいわ」
「初め……」
「壺のあるお部屋があったでしょう」
「そうか」車に乗ってから田坂が尋ねた。「しかしどうしてあそこへ行きたいのだ」
「別に理由はないわ」
「壺が気に入ったのか」
「………」
「でもあの部屋空いてるかな」
何人もの人が同じ部屋の同じ床を使っているのだと知って氷見子は一瞬、気持が白けた。明るい光が跡切れて小路に入り二つ曲った処で車は停った。やはり前に見た壺の部屋はふさがっていた。新しく通された部屋は前と同じ造りだが棚には灰色にくすんだ円い壺が置かれていた。
「李朝かな」ワイシャツのボタンを外しながら田坂は壺を手にとった。「でもこんな処にそんな高いものを置くわけはないな」
色はくすんでいたが壺の表面は|釉 ≪うわぐすり≫で光っていた。だが氷見子は好きになれなかった。
風呂は田坂が先に入った。花島はきまって一緒に入ろうと云うが田坂は云わない。明るい光の中で若い氷見子と裸像を競い合うのは気が進まないのかもしれなかった。氷見子が風呂を上り、寝巻で戻った時、田坂はすでに床に入っていた。枕元のスタンドを点け、隠し鏡を開いている。
「おいで」
氷見子は無表情に田坂の横に滑り込んだ。すぐ裸にされた。田坂も寝巻を脱いだ。
「明りをつけるよ」
氷見子は黙っていた。駄目と云っても点けるに決っていた。ある意味では花島より田坂の方が淫《みだ》らであった。長く執拗な愛撫のあとで二人は果てた。田坂は裸のまま仰向けになっていた。行為の間、点いていたせいか部屋の明るさは苦にならなかった。
氷見子は体を退き田坂の方へ向き直った。眼の高さに田坂の書斎人らしい白い裸体があった。
「眠るの?」
「いや」答える時だけ眼を開いたが、田坂はまたすぐ睡気に誘われたように眼を閉じた。
光の中に男の裸身が横たわっていた。氷見子は田坂の体と平行に並んでいる右腕を上へ移動した。田坂はされるままになっていた。腋から胴を経て腰へ男の右半身が露出した。
(出ている)
白地に紅梅散らしそのままに、右の脇腹から背へ、爪の先ほどの赤い斑が点々と続いている。名のとおり、それはまさしく肌に縫いこまれた薔薇であった。現われることを知っていながらその確かさに氷見子は震えた。そこには間違いなく氷見子から引き継がれたものがあった。
「どうしたのだ」田坂が薄く眼を開けて尋ねた。
「………」
「風邪をひくぞ」
突然、氷見子は田坂へ云いようもない愛《いと》しさを覚えた。それは正確には田坂へというより薔薇疹を出した体へであったかもしれない。
「どうしたのだ、おい、どうしたのだ」
「好き、好きよ、本当に好きよ」
譫言《うわごと》のように叫ぶと氷見子は訝る田坂の胸元へ、その白く柔らかい体を力一杯おしつけた。
氷見子が花島の薔薇疹を見たのは、それから三日あとである。花島はそれを明るい光の風呂の中で見せた。
二人は向かい合い直立して両手を頭の後ろに組んだ。風呂で裸体を見せ合うのは花島の希望だったが、手を頭の後ろに組むのは氷見子が提案した。手を上げると体のすべての線が余すところなく現われた。
「素晴らしい。陶器のように白い」
花島は言葉を尽して賞めた。それは彼の偽りない心のようであった。
「美しいわ」
「僕が……」
うなずきながら氷見子は花島の脇腹を見ていた。まだ若さの残っている裸形に、紅潮した少年の頬を思わせる朱が点々と胸から腹へ続いていた。
「死んだ宇月ともあんなことをしたのか」部屋へ戻ってからきいた。
「しないわ」
「本当か」
宇月はどこかで私の薔薇疹を見ていたに違いないと氷見子は思った。
「もう誰にも見せないで呉れ」
裸体を見詰め合ったせいか、花島はいつになく激しく抱いた。氷見子は薔薇疹の拡がる夢を見ながら羞ずかしい程燃えた。
春が終り、再び梅雨の季節が訪れた。氷見子が病気に気付いて一年の歳月が経っていた。六月の初めの検査はやはり陽性であった。足の湿疹はかさかさと乾いた状態のまま快くもならず悪くもなっていない。足だけでなく体のすべてが一年前と変らず止っていた。当分進まないままに病気はどっしりと腰を落ちつけたようである。
冬から春にかけて田坂と花島の薔薇疹は鮮やかな花を咲かせて消えた。二人の男の薔薇疹が消えるのを待っていたように初夏の初めに伸吾の体に同じ斑点が浮かび上った。氷見子はそれをアパートの午後の光の中で見た。伸吾の薔薇疹を見ながら氷見子は春から夏へ新しく関係した三人の男、ママの愛している脚本家の村野と、一カ月前にスナックで知ったフーテンと、アパートの下水工事に来た労働者の顔を思い出していた。
フーテンとは一度きりだったが他は二度、三度とくり返した。次々と男達は氷見子の前で花を開き散らしていく。氷見子は花を楽しむ老人のようにその日を待っていた。花の咲く度に環は一つずつ着実に拡がっていく。それは性をこえ、年齢をこえ、身分や地位をこえ、確かで誰も壊せない。
夏が来て「チロル」は少し静かになった。あと二日で七月は終りだった。
「二人だけで話があるから残っていなさい」十一時にママが近づいてきて云った。ママの声は鋭く冷えていた。
客が帰ったあと店は二人だけになった。
「あなた、村野とも関係したのね」ママがスタンドの端に肘を置いて云った。
「答えなさい」
ママが叫んだ時、氷見子はかすかにうなずいた。
「やっぱり……」蒼ざめた長い顔が氷見子の顔に付くほどに寄せてきた。
「あんたはふしだらな、男好きの、売女《ばいた》よ」
ママの云うことはなかば本当で、なかば嘘のように思えた。
「今日かぎり店は辞めて貰うわ、劇団もね。明日私が劇団の会議にかけてやるわ」ママは震える手で煙草に火をつけた。
「伸吾さんとも付き合っていたのね、貴女は一体誰が好きなの。愛ということを知ってるの、人を愛したことがあるの」
氷見子の頭に大儀そうに伸吾が甦った。
「あの人、子供が産れるのよ。あんたがどうしようと、あの人はあの人の家庭を作っていくのよ、あんたに入り込める隙なぞないわ」
「………」
「出ていって頂戴、もうあんたのような女は見たくもないわ。もう私とも、店とも、劇団とも無関係よ。何の繋がりもないわ、知人でも団員でもない、赤の他人よ。決していれてやらない。さあ出ていって」
ママは裏木戸を開け外を指差した。氷見子はバッグを持ち今一度ママの方を振り向いた。
「お金はあとで計算して送ってあげるわ」
人通りの絶えたビルの小路を氷見子はゆっくりと歩いた。堅く小さな跫音だけが氷見子に従《つ》いてきた。行く手の空がネオンで赤く灼《や》けていた。
氷見子はママの云ったことを思い出していた。
「無関係で、無縁で、何の繋がりもないわ」
そこまで呟いて氷見子は立止った。
(伸吾の子供は本当に産れるだろうか)
氷見子は少し考え、それから一人でうなずくと、薔薇の環のように見える明るい空の方角へ確かな足取りで歩き始めた。
〈了〉
光と影  別冊文藝春秋 一一一号(昭和四十五年三月)
宣 告  小説宝石 昭和四十五年五月号
猿の抵抗 小説新潮 昭和四十五年三月号
薔薇連想 小説新潮 昭和四十五年八月号
〈底 本〉文春文庫 昭和五十年六月二十五日刊