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シャトウ ルージュ
渡辺淳一
目 次
プロローグ〈序章〉
第一章 ドレサージュ〈調教〉
第二章 カレッス〈快擦〉
第三章 インターネット〈交信〉
第四章 ジュイサーンス〈快楽〉
第五章 オプセルヴァシオン〈観察〉
第六章 ルトゥール〈帰還〉
エピローグ〈終章〉
[#改ページ]
プロローグ〈序章〉
シャルル・ドゴール空港ターミナル、一階到着口正面にある電光掲示板の表示が小刻みに揺れて、JAL四〇五便がいま到着したことを告げる。
僕はその便の発進地を示す「TOKYO NARITA」という電光文字を見るうちに、軽い尿意を覚えた。
いまから四十分前、レンタカーを借りてパリのホテルを出るときにトイレに行っているのに、また行きたくなるとは。十月半ばの夕暮れのパリはたしかに雲が低く垂れこめてうすら寒いが、といって車のなかが格別冷えていたわけでもない。
やはり緊張しているのか。僕は一瞬、自分の体に尋ねてから、チェックインカウンターの向かい側にあるトイレに入る。
思ったとおり尿はほとんど出ず、それより初めからそのことが目的であったように、手洗いの前にある鏡に顔を映してみる。
運よくまわりに人影はなく、妙に静まり返ったトイレの広く明るい鏡に一人の男の顔が映っている。背は百七十五センチ、日本人としてはやや大きいほうかもしれないが、体重は六十キロを少し超えるだけで、もう青年とはいえない三十三歳の男としては少し痩せすぎかもしれない。髪はほとんど脂っ気はなく、中央やや左の位置から六・四に分かれ、その下に薄いメタリック縁の眼鏡をかけた、やや面長な顔が妙に白茶けて見える。
もう何度も見飽きるほど見てきた顔だが、こうして改まって見ると、他人のような気がしてきて、そっと話しかけてみる。
「おい……」
自分が口を動かすのに合わせて、鏡の中の男の口もかすかに動く。僕はその思ったより無表情で醒めた顔を見ながら、「わたしの中のもう一人のわたし」という言葉を思い出す。
たしかにいま鏡に映っているのは僕に違いないが、いままで見慣れてきたのとは違う、もう一人の僕がこちらを向いて立っているようである。
「大丈夫……?」僕は他人《ひと》ごとのように尋ねてから、突然、「悪党……」とつぶやく。
本当に悪党なのか。いや本当の悪党ならこんな顔をしていない。自分でいうのも可笑《おか》しいが、目鼻立ちは整っているほうだし、唇もやや薄いがほどよく引き締まっている。いままで聡明《そうめい》そうな顔といわれたことはあるが、悪党などといわれたことはない。実際、悪党ならこんなに尿意を覚えたり、息苦しくなったりはしない。
僕は顔に生気を与えるべく、夕方が近づいて薄く髭が滲んできた頬を両手で二度叩き、そこで初めて気がついたように左手の甲をおおっている包帯をたしかめる。
今日出がけに、僕は一人でこの包帯を巻いてきた。この二日間、いろいろ考えた方策のなかのひとつだが、多分これはこれで有効な成果をもたらすはずである。僕はいま一度、包帯に緩みがないのをたしかめてからトイレを出る。
到着ロビーは前より人が増え、電光掲示板には新たにアムステルダムとジュネーブから二つの便が到着したことが表示されている。
僕は時計を見て、先程、成田から到着した便からの乗客が現れるには、いま少し間があるのをたしかめてから、斜めうしろのカフェに行き、コーヒーを頼む。とくにいま飲みたいわけではないが、コーヒーを飲めば少し気も紛れて落着くかもしれない。先程の尿意といい、いま自分でも聞こえるほどの心臓の鼓動といい、あきらかに自律神経失調の症状だが、これを治める適切な方法がないことは医者である僕が一番よく知っている。それよりいまなすべきことは、大丈夫だと自らにいいきかせ、自信をもつことである。
カウンターでコーヒーを受けとり、端の椅子に座って飲みはじめると、二つ先の席に、出迎えに来たのか黒いコートを着た老婦人が座っていて、その足元に犬が一匹、床に伏せた姿勢でうずくまったまま僕を見詰めている。毛は茶色でミックスのようだが、十年来の知己に会ったような眼差しである。
僕は犬の視線が鬱陶《うつとう》しくなって一旦顔をそらし、少し間をおいて再び顔を戻すと、犬は相変らず執拗《しつよう》なまでの熱心さで僕を見詰めている。
いったいこの犬は何を考えているのか。僕にはまったく見覚えがないのだから、犬のほうが一方的に僕に関心を抱いているに違いない。
「おい、いい加減に俺のほうを見るのはよせ」危うく叫びそうになった瞬間、僕の脳裏に、これまで実験につかってきた犬たちのことが甦《よみがえ》る。五十匹以上、いや全部で五十五匹になったはずである。それらの犬を僕は自分の学位論文をつくるために殺してきたが、そのなかにたしか、この犬と似たのが混じっていた。
彼等に僕がしたことは、意図的に前肢か後肢を折り、その個所にギプスを巻き、骨折の修復過程を検《しら》べることだった。犬にとっては勝手に骨を折られたうえ、燐《りん》とカルシウムのアイソトープを注射されたあと、骨折部を開かれて骨の一部を削りとられる。それだけでも充分非道なことだが、アイソトープを注入されたこともあって、実験のあと、ほとんどの犬を殺さざるをえなかった。むろん骨を折るときも殺すときも麻酔をかけたし、実験動物の供養祭もしたが、だからといって犠牲になった犬たちが納得するわけもない。
もしかすると、あの婦人の横にいる犬はあのとき殺した犬の兄弟か、あるいは血が繋《つな》がっている一匹で、そのときの怨念《おんねん》を忘れず、僕を睨みつけているのではないか。
まさか、そんなことはありえないと思いながら、僕は犬の眼に追われるようにコーヒーを飲むのをやめて立上がる。
とくに吠えたわけでも唸りだしたわけでもない。ただ一匹の犬に見詰められただけで退散するとは、やはり心が萎《な》えているのか。僕は少し自信を失って到着口のほうを見ると、JALの乗客が着いたのか、日本人の姿が現れてくる。
もはや逃げも隠れもできない。ここまできたら善悪はさておき、初めの計画どおりすすめるだけである。僕はいま一度自分にいいきかせると電光掲示板の下のミーティングポイントに立つ。
出迎え口には小さな人だかりができているが、ここにも日本人が多く、迎える人の名前を書いた紙片や旅行会社の小旗を持った人もいる。また荷物の引き取りカウンターが見えるガラス窓の前では、なかを覗きこんで手を振ったり、出てきた客にとびつくように抱き合ったり、再会を喜んで子供に頬ずりしている人もいる。会った早々通路の脇で名刺交換をして互いに頭を下げあっているのも、日本人がよく見せる情景である。
僕はその人たちより一歩|退《さが》って、出迎えの人たちのなかでは最もつまらなそうに、見方によっては出迎えに来たのではないような表情で立っている。実際、いまの僕は再会を喜ぶとか待ちこがれるといった気持からはほど遠く、むしろこれから二、三日は続くであろう苦痛の時間をどう過すか、そのことだけを考えているのだから、浮き浮きした気分になれないのは当然である。
到着口からはなお続々と日本人の客が出てくるが、僕が待っている二人の男女、すなわち義父母の日野康一郎と尚代の姿はまだ見えない。いずれもファースト・クラスのはずだからかなり先に降りたと思うが、引き取る荷物でも多かったのか。とくに義母は急に決まったとはいえ、パリに行くというのでかなりの衣装を持ってきたのかもしれない。いずれにせよこの便に乗っていて、間もなく現れることはたしかなのだから慌てることはない。
僕はなお出迎えの人の群れから一歩退って、到着口から出てきた義父たちが不安そうにあたりを見廻すのを見計らったように、すいと二人の前に現れるつもりでいた。
だがこの計画は思いがけないことで失敗に帰してしまった。それというのも、続々と到着口から客が現れはじめたとき、先ほどカフェで見た犬が老婦人とともに僕の横を通り過ぎた瞬間、再び目が合って、そのまま犬の行く先を追っているときに運悪く義父たちが出てきたからである。僕が犬から視線を戻して振り向いたとき、義父たちはすでに僕に気がついて、カートを押しているエアラインの接客係とともに、こちらに向かってくる。
慌てた僕は右手を挙げて、「ご苦労さま」といおうとしたが、それより先に義父が叫んだ。
「どうした……」
すべてのスケジュールを振り捨ててパリまで来たのに、あらぬ方向に目を向けていた僕の態度を不思議に思ったのか、それともこの数日、僕の身の廻りで起きた予想だにしない事件についてまず尋ねたかったのか、ともかく僕を見詰める義父の顔が異様に硬張《こわば》って見える。
どう答えたものか、義父の真意がわからぬまま戸惑っていると、今度は義母が下から僕を覗きこむようにしてきいた。
「やっぱり駄目なの……」
矢継ぎ早の二つの質問に僕がうなずくと、即座に二人の表情に失望の色が広がり、次の瞬間、もうお前には用がないとでもいうように、接客係が押すワゴンとともに出口のほうへ歩きはじめた。
そのまま僕は二人のあとに従うような形で空港ロビーを抜けて外へ出る。すでに午後から降り出した雨は上がっていたが、夕暮れが近づいて温度は一段と下がったようである。
予《あらかじ》め電話で、東京よりは大分寒いからコートを持ってくるようにいったせいか、義父は年齢にしては大柄な体をグレイのカシミアのコートで包み、義母はツイードのスーツを着て、手に毛皮のコートとバーキン型のバッグを持っている。創業百三十年という製菓業界の老舗《しにせ》の社長夫妻に適《ふさ》わしい上品な旅装《いでたち》だが、いまはともに服装などについて語り合う心理状態でないことはわかっている。
多分、接客係の男性は、僕たち三人がほとんど無口なのを奇異に思ったに違いないが、それをとりつくろう余裕もなく、僕は借りてきた車に荷物を積み込むと、彼に軽く頭を下げて引きとってもらった。
これでようやく親子三人水いらずである、といっても、僕と義父たちとはなんの血のつながりもないけれど。ともかく二人にうしろの座席に並んで座ってもらい、僕は運転席について、「ホテルに向かいますが、よろしいですね」ときくと、義父が「頼みます」と抑揚のない声で答える。やはり長旅で疲れているのか、それとも、今回の事件の衝撃が大きすぎたのか。とにかく僕は二人を邪魔しないように無言のままハンドルを握り、ターミナルの前を大きく迂回し、その先から高速道路に入りかけたとき、義父がきいた。
「やはり、手掛かりはないのかね」
「ええ……」と僕はうなずいてから、「今日来るときにも、大使館に電話を入れてみたのですけど、いまのところはまだ……」
僕がそこまでいったとき、義母がいつもより甲高い声で「信じられない、ここはパリでしょう」と叫んだ。
声の近さから、義母がうしろの席から身をのり出しているのがわかったが、それにかぶせるように義父の声が続く。
「こんなところで、どうしてそんな馬鹿げたことが起きるのかね」
「そうよ、馬鹿げてるわ、おかしいわよ」
二人の声が打楽器と管楽器のように鳴り響くのをきいて、僕は「待って下さい」と宥《なだ》めてから、すでに二日前、国際電話で細かく話したはずの事件のあらましを再び説明する。
こちらの時間で一昨日の昼、僕と妻の月子《つきこ》はレンタカーを借りて、パリ郊外のフォンテーヌブローに向かった。初めにまず森の西側にあるバルビゾン村に行き、この村で最も由緒あるレストラン「バ・ブレオ」で遅い昼食を摂《と》ったあと、村からの道をたどって森の入口に着いた。たしか午後二時頃で閑散とした舗道に秋の陽が降りそそいでいたが、僕たちはそこからほぼ一キロほど入ったところで車を停め、二人で森の中に足を踏み入れた。この森は二万五千ヘクタールとパリ郊外のなかでも最も大きく、道路から二、三十メートル入っただけで、すでに周りは鬱蒼とした繁みにつつまれていた。
僕たちはその前、ボルドーの明るく平坦な土地を巡っていたせいか森が珍しく、樹木の精気に惹きつけられるようにさらに奥に入り、石灰岩が露出した岩場まできて立止まった。
ここまで来ると、上空は赤松や|※[#「木+無」、unicode6a45]《ぶな》の巨木がさし出す樹の葉でおおわれて薄暗く、足元は腐食した落葉が何重にも重なりあって、踏みしめるとふかふかとして、月子はハイヒールが埋まるといって、途中で僕に手を引いてくれるように頼んだほどだった。
車を停めた道路から五、六十メートルくらい入ったろうか、岩場のところまできて、僕は突然森の暗さと静けさが怖くなり、「戻ろう」といったが、月子は団栗《どんぐり》が落ちているといって屈《かが》み込み、二、三個拾い上げていた。
事件が起きたのはこの直後であった。月子に「こんな大きいのがある」といわれて手許を覗き込もうとした瞬間、僕は背中に鈍痛を覚え、振り返ると同時に今度は胃のあたりに強烈な一撃を食らい、下腹部を抱え込んだまま落葉の上に突っ伏した。
「ひえっ……」という妻の悲鳴をきいたのはその直後で、即座に、妻が誰かに襲われているとわかったが、頭が朦朧《もうろう》として立上がることができず、両手で喉元をかきむしりながら、少し前に食べた食物と黄色い液を吐き続けた。それでも耳はまだたしかで、「なにをするの」「助けてえ……」という妻の声が断続的にきこえて、僕が吐きながらかろうじて顔を上げると、月子が男たちに担がれて連れ去られていくのが見えた。森の暗さと咄嗟《とつさ》のことで正確にはわからないが、男たちは三人で、いずれも長身で黒いコートを着ていたように思う。
いま考えると、男たちはわれわれが行く前から森に潜んでいたのか、あるいは僕たちが森に入るのを見てあとを従《つ》けてきたのか、ともかく彼等が去っていった先に黒いワゴン車に似た車が停まっていたところを見ると、初めから妻を誘拐する目的で狙っていたに違いない。
僕がそこまでいったとき、義母が涙まじりの声で叫んだ。
「でも、なぜ月子が誘拐されたの。日本から旅行に来ただけの、なにも悪いことをしていない娘《こ》が……」
僕はアクセルを少し踏み込み、スピードメーターが百から百十キロに上るのを見ながら答える。
「それは僕にもわからないのです。どうみても僕たちが襲われる理由など考えられません。ですから彼等は誰でもよかったのかもしれません。誰か、若くて美しい女性であれば。それにたまたま月子が選ばれただけで……」
いってから、「選ばれた」といういいかたは少し可笑しいと気づいたが、即座に適切な言葉が出てこない。さらに可笑しいといえば、月子は今年二十七歳だから、ことさらに若いという年齢ではないが、日本人だけに年齢より若く見えたのかもしれない。それら小さな誤りはあったとしても、月子が美しい女性であることだけは自信をもっていえる。
「とにかくあの手際のよさは普通ではありません。僕も必死に起き上がろうとしたけど胃から下半身が引き攣《つ》って、それに頭がくらくらして、藻掻《もが》いているうちに左手を擦《す》り剥《む》いてしまって……」
僕はハンドルを握っている左手の包帯のことを暗に説明したつもりだが、義母はそちらにはなんの関心も示さず、
「でもここはフランスでしょう。世界で最も文化がすすんだ国で、こんなことが起きるなんて……」
「お義母《かあ》さん、それは違います」
僕はそこだけきっぱりといい返した。
「フランスだから、起きないなんていえません。どんなにすすんだ国でも悪い奴はいるものです。むしろこういう国のほうが悪い奴がいるのです」
いいながら、あまり説得力はないと思ったが、義母も僕のいうことはほとんどきかず、
「とにかく、月子はわたしのたった一人の娘なのよ。それがこんな目に遭うなんて。今度だって、わたしはなにもいまごろ行くことはないといったのに……」
どうやら義母は、今回の事件の責任を僕になすりつけたいようである。僕を非難することで、事件で受けた衝撃を少しでも和らげたいと願っているのかもしれない。
当然のことながら、僕はその非難を甘んじて受けなければならない。今度の旅行を計画したのは僕だし、そのスケジュールのほとんどを僕がつくっている。これに対して、月子はたしかにあまり乗り気ではなかった。結婚して二年も経って、なにをいまさら二人で行かなければならないの、といった態度であった。それを敢えて行く気にさせたのは、以前から月子が行ってみたいといっていたボルドーのシャトウ巡りを、日程の中にくわえたからである。
「それなら行ってもいいわ、でも……」
そこで月子は一緒に行くことと引き替えに一つの条件をもちだした。たった一つ、些細といえば些細だが、重大といえばこれほど重大な条件もない。少なくとも僕にとっては耐えがたい、まさに屈辱的な条件。
「旅行中、セックスは求めないでね」
月子はこれを堂々と、申し訳ないといった表情もせず求めたのである。
はたして義母も義父もこのような約束があったことを知っているのか。いや、もし知っていたら、もう少し優しく僕に接するはずだが。もっとも優しくしてくれたからといって、僕たちの関係がどうなるわけでもないけれど。
「こんなことになって、どうする気なの」
義母の怒りはさし当り、僕という吐け口を見付けてストレートに降りかかってくる。
「このまま、もし月子が帰ってこないことになったら、貴方《あなた》の責任よ」
「まあ、待ちなさい」
耐えかねたように、義父があいだに入ってくる。
「それより、これからどうするか、そのことを考えなければ……」
義父のとりなしで義母のエキセントリックな声は消えたが、かわりに嗚咽《おえつ》が洩れてくる。
二人がパリに来た早々、こんな愁嘆場がくり広げられるとは思っていなかったが、いまはひたすら無言のまま運転するよりない。
そろそろパリ市内が近づいてきて、左手に一九九八年のサッカーのワールドカップがおこなわれたスタジアムが見えてくるが、いま説明しても無視されるだけである。前方のパリの空は相変らず雲が低く垂れこめているが、夕暮れが近づいて、雲の切れ目が赤く色づいている。
そろそろ月子がいなくなって、三日目の夜が訪れようとしている。僕はそのことが、なにか遠い昔読んだ古い物語の一節のような気がしながら、車を低速車線のほうへ移していく。
その夜の夕食は三人で、セーヌ川が見渡せるホテルの和食の食堂で摂ることになった。ここは日本のエアラインが経営しているところで、言葉にあまり自信のない義父母には便利だし、僕が泊まっているインターコンチネンタルホテルからもさほど遠くない。
食堂には日本と変らない和食と飲み物が揃っていて、義父はビールを一杯飲んでから日本酒を頼み、義母も僕もそれにならったが、重い雰囲気は変らなかった。
そんな状態のなかで、ともかく三人で話し合って決まったことは、明日まずフォンテーヌブローの森に行き、事件の現場を見届けたうえ、襲われたあと、僕が真先に駆けつけた日本大使館を訪ね、その後の捜査状況をきくという二点であった。
「まさか、大丈夫でしょうね」
義母は森でまた同じようなことが起きないか、案じているようだが、僕は、あんなことは二度と起きないはずだし、明日は行っても車から降りず、森の中を縦断している道を走るだけだから心配ない、と答える。
そのあと、義父はいかにも重大なことを告げるように声を低めて、今回のことは一種の拉致誘拐事件で、大事な娘の一命に関わることだし、あるいは身代金なども要求されるかもしれないので、これまで日本では誰にも話していないこと。これからのことは、明日、大使館の係官とも相談して考えるが、いまのところはここにいる三人しか知らないことだから一切口外しないように、という。
もちろん僕はその意見に賛成で、いまの状況ではそれがベストだと思う、と答えた。
ともに事件のことが重く頭にのしかかっているせいか、義父も義母も食欲がなく、僕は早目に食事を切り上げて立ち去るつもりだったが、その前に義母がふと思い出したようにきいた。
「あなたがた、なにも問題はなかったのでしょう」
突然の質問に、僕は思わずうなずきかけて、慌てて打ち消した。
「いえ、別に……」
「喧嘩など、したわけじゃないでしょう」
「まさか……」
これまで義母は万事に感情的で、それだけにかえって御し易いと思っていたが、いま僕を見詰める眼差しは、妙に冷静で、僕の心の中まで見通しているようにも見える。
「月子を愛していたのでしょう」
「もちろんです」
僕はうなずきながら、急に義母が怖くなった。
もしかして義母はすべてを知っているのではないか。僕が月子を愛しながら憎んでいたことを。そしてこの一年、僕たちのあいだで性的な関係がなかったことまで。
「あなた、月子を愛しているのなら、必ず探すのよ」
真直ぐ僕を見詰める眼が突然、僕の頭の中で今日空港で見た犬の眼に変る。あの眼は義母と同様、僕を疑い、僕を許していない。
「きっと探し出すのよ」
もう一度いわれて、僕は犬の執拗な視線から眼をそらして立上がったように、義母の眼から顔をそらすと、二人に等分に「お休みなさい」といって席を離れた。
翌日、朝の早い老夫婦の希望を入れて、僕は午前八時にホテルに迎えに行き、そこから真直ぐフォンテーヌブローの森へ向かった。
パリから六十キロ南東へ下ったところにあるこの森までは一時間もあれば行けるが、僕は事件があった三日前と同様、まず森の西のバルビゾン村に入った。ここは十九世紀半ば、ミレーやルソーなど、いわゆるバルビゾン派の画家たちが自然の安らぎを求めて移り住んだところで、彼等が集《つど》った居酒屋や彼等の作品が展示されている美術館や博物館などがある。僕は古びた街の佇《たたず》まいに合わせて車を徐行させながら、それらのことを説明したが、義父母はきいているのか、いないのか、ほとんど反応を示さなかった。ただ一個所、僕たちが最後に立ち寄ったレストラン「バ・ブレオ」の前で、ここは昭和天皇がお立ち寄りになったことがあるといったときだけ、かすかに窓ぎわに寄って眺めたようだが、やはり無言だった。
ちょうど、朝食と昼食の間でレストランは閑散としていたが、古風な外観の白壁に秋の陽が当るのを見ながら、僕はどういうわけか、レストランのロビーのソファに猫が一匹、退屈そうに横たわっていたのを思い出した。もっともそれを先に見付けたのは月子で、パールベージュのマニキュアをした指で頭から背へ撫でると、猫は警戒することもなく心地よげに眼を細めていた。雌なのか、白一色の毛並みが柔らかそうで、静かなロビーの陽だまりによく似合っていた。僕はふと、猫に対する月子の優しさに嫉妬を覚えて横合いから手を出すと、猫は突然振り向き、一瞥《いちべつ》するや、それまでの姿からは信じられぬほどの俊敏さで逃げ出した。
「駄目よ、余計なことをしちゃ」
月子は猫の行く先を追いながら、「猫は縛られることが嫌いなのよ」といった。
僕は猫が去った庭のほうを見ながら、月子が猫に似ていることを思い出した。表面、かぎりなく柔らかでしなやかだが、同時にかぎりなく驕慢《きようまん》でエゴイスティックである。そして月子はなによりも拘束されるのが嫌いだった。
むろん義父も義母も、僕たちのあいだにそんな感情の行き違いがあったことなど知るわけはない。僕は気を取り直してメインストリートを抜けると、役場の先から森へ入った。
かつてこの森はビエールの森と呼ばれ、王侯たちの狩猟場であったが、その名残りはいまも残っていて、村の人たちでさえ道に迷うことがあるらしい。
僕はすでに義父たちに話したとおり、森の道を一キロほどすすみ、まわりがヨーロッパ赤松と※[#「木+無」、unicode6a45]と楢《なら》の闊葉樹《かつようじゆ》が密生している場所で車を停め、その数十メートル先に盛り上がっている黒い岩を指で示した。
「あの岩の、少し先のところです」
二人は窓を開け、それこそ身をのり出すように見詰めているので、「降りてみますか」ときいたが、義父は無言のままゆっくりと首を横に振った。
「こんなところで襲われるなんて、思ってもいなかったので……」
二人はなお黙ってきいていたが、突然僕が一撃を食らい、月子が強引に拉致されたことが、いまようやく実感となってわかってきたようである。
「叫んだのですが、誰も助けにきてくれなくて……」
さらに続けた僕の一言も、二人には有効に働いたようである。そのまま十分近く停まっていたが、やがて義父は自ら窓を閉めながら「行ってくれ」とつぶやいた。
「じゃあ、この道を抜けて帰ります」
停まった位置から僕はさらに十キロ近く森の中を走り抜けたが、そのあいだにすれ違った車は一台もなく、ひたすら樹木が密生する森だけが続く。
僕がこの森に初めて来たのはいまから四年前、ロンドンのロイヤルナショナル病院で人工関節の研究のため一年間滞在したときである。やはり秋だったが、この森に来て真先に感じたのは、整然と最高の植林状態が保たれながら、かぎりなく深く暗い森の不気味さだった。一見、自然そのもののように見えて、その実、自然とは大きくかけ離れている。この森にはそうした精緻《せいち》なまでに人間がつくりだした見事さと、それ故に醸《かも》し出される妖しさが同居していたが、いま僕はそれをヨーロッパそのものの不気味さだとも思っている。
むろん僕がひたすら森の中を走りながら、そんなことを考えているなどと、義父たちが知るわけもない。
だが二人とも、いまははっきりわかったはずである。パリからわずか六十キロ、イル・ド・フランスのなかでも最も心安まる憩いの場といわれている村のすぐ横に、いつ、いかなる兇悪な事件が起きても不思議ではない、妖しく不気味な森がある。歓楽と安逸のすぐ隣りに、残忍と背徳が潜んでいることを、義父たちはいま自らの目で見て感じたに違いない。
帰りも車の中の会話は弾まなかったが、行くときから比べると雰囲気はいくらか和んだようである。それは義父たちの気持がほぐれたというより、森の静寂と怖さを目のあたりにして、僕のいっていたことが満更嘘でなく、たしかにあり得べきことと納得した、その共感から生み出された穏やかさ、とでもいったらいいのかもしれない。
正直いって、昨夜から続いていた僕の緊張は徐々にほぐれ、替りにわずかながら心が弾んできた。この調子で大使館に行けば、僕たちはさらに一段と理解し合い、近づけるかもしれない。
途中、パリに戻ってモンテーニュ通りから少し入ったレストランで昼食を摂ったが、昨夜から見ると二人の態度はあきらかに友好的で、義母は僕の左手に巻かれている包帯を見ながら、「痛みはないの」ときいてくれた。僕は事件から三日目なのでずいぶん楽になりました、と答えると、義父が、パリに知っている人がいるから薬を貰ってやろうか、といってくれた。僕はその好意に礼をいい、でももう大丈夫ですと答えると、安心したようにうなずいた。
そんなわけで、僕たちは初めて義理ではあるが親子の情愛みたいなものを感じながら、日本大使館へ行った。凱旋門を北東へ、プラタナスの並木の美しいオッシュ通りを行くとモンソー公園に出る。大使館はその手前の閑静なところにあり、入口の黒い扉の横の白壁に嵌《は》めこまれた銅板に執務時間が記されている。僕たちが行ったのは、午後の執務時間が始まる二時半ちょうどだったが、予め電話で依頼してあったので、すぐ須藤という担当官が応対してくれた。
彼は二日前、僕がようやく正気を取り戻して事件のあらましを告げに訪れたとき、初めに立ち会ってくれた人で、外交官らしくない気さくな人だった。
僕はまずそのときの礼をいい、それから被害者の父と母である義父と義母を紹介してから、その後の捜査の進展具合を尋ねてみた。
須藤氏は外交官特有の慎重な言葉づかいで、その後、警察からはなんの連絡もないことを告げてから、「もう少し、おききしたいことがあるので」といって、二日前につくった事件調書を持ってきた。
すべてフランス語で、英語しかできない僕には推定するだけで、あとは彼から教わりながら書いたのだが、書類の正しい名称は「行方不明人調書」ということのようだった。
これはパリ警視庁の刑事警察局に出すものらしく、そこに行方不明者、すなわち月子の名前、生年月日、生地、そして職業、住所、電話番号、さらに行方不明になった事情などを詳しく書く欄があった。むろんそのことはすでに記載ずみで、申告人のところには僕の名前が書きこまれ、さらに立会人として須藤氏の名前も記されていた。
事件のあと、はっきりいって僕はどうしていいものかわからず、まず大使館に飛び込んだのだが、それは正解であったらしく、行方不明者が外国人の場合は、当該国の大使館か領事館に連絡することが義務づけられているようである。
このあと「signalement」というから、「人相書き」とでもいうのだろうか。さすが人種の坩堝《るつぼ》といわれるパリだけに微に入り細を穿《うが》って、複雑きわまりない。まず行方不明者の年齢、性別から名前を記し、身長、体格などは、できるだけ正確に書かねばならない。次の人種という項目は、白人、黒人、黄色人、アラブ人、地中海人などに分かれ、眼はブルーから栗色、黒、緑など、克明に記さねばならない。さらに複雑なのは髪の毛で、直毛、縮れ毛、巻き毛、あるいはその混合の具合、また禿げている場合はその場所と程度。そして毛の色もブロンド、白、栗色、褐色、ごま塩、染め毛の有無などから髪型まで、細かく書く欄がある。その他、眼鏡を使用しているかコンタクトか、口髭、顎鬚《あごひげ》の有無からその形、身体の傷跡、入れ墨の個所と内容、歯並びから義歯、欠歯の有無、さらにアクセント、吃音、痙攣《けいれん》など本人の特徴的な癖、そして失踪時の服装から持物、アクセサリーなど、三ページにわたって詳しく記すことになっている。
むろん、僕はこれらのことをできるだけ正確に、具体的に記したが、そのとき月子の写真を持っていなかったので、急いで現像して今日に間に合わせたのである。事件が起きる三日前、ボルドーのシャトウを背に月子がコートを着たまま立っているのを僕が撮ったのだが、陽が眩《まぶ》しかったのか、少し顔を顰《しか》めているが、もともと月子にそなわっている凜《りん》とした美しさは少しもそこなわれてはいない。
須藤氏は改めてその写真を調書の右上の写真欄に貼ると、被害者が自由になったあと、行くと思われる立ち廻り先はどこだろうかときいた。そこで僕たちは顔を見合わせて考えたが、月子が釈放されたからといって、事件が事件だけに、この数日ならやはり僕が泊まっているホテルか、それ以外では結局、大使館を訪ねていくよりないだろう。その点は義父たちも同感で、それを新たに記したところで、もう一度書かれた内容がみなにわかるように、日本語に訳して読んでもらうことにした。
須藤氏はまず月子の名前と年齢をいってから、職業のところで「無職」といい、「それでいいのですね」と尋ねた。半年前まで月子はある会社のインテリアコーディネーターをしていたが、そこのオーナーと意見が合わずに辞めたので、僕は「そのとおりです」と答えた。それからはほとんど問題はなく、義父と義母はいちいちうなずきながらきいていたが、須藤氏が読み終ると、「そのとおりです。どうか本当によろしくお願いします」と深々と頭を下げた。
「はたして、お役に立てるかどうかわかりませんが、できるだけのことはいたします」
義父たちのあまりに丁重な頭の下げ方に、須藤氏は戸惑いながら、僕に、「あなたはまだ、パリにいらっしゃいますね」ときいた。
正直いって僕もそう長くはいられないが、妻の行方がわからぬまま見捨てて帰るわけにいかない。そのあたりのことを見こして僕はすでに勤め先の病院に、体調を崩したので、いましばらくパリにいることを告げてある。
「もう二、三日はいるつもりですから、なにかあったらホテルに連絡を下さい」
僕はそういってから、「義父の立場もあるので、今度の事件のことは内密にしておいて欲しいのですが」と依頼した。
須藤氏は即座に事情を察したらしく、「大丈夫です、ご心配なく」といってくれたので、僕は安堵《あんど》して礼をいってから、義父たちを促して立上がった。
義父と義母が日本に帰ったのは、その翌日の午後だった。わずか三日間の滞在であったが、多忙な社長という要職にありながら急遽《きゆうきよ》パリに来るために、かなり無理をしたに違いない。それに比べたら義母はまだ余裕があったはずだが、一人で異国に残るのも不安だし、僕がこのままパリに残って事情を報《しら》せるといったので、一旦、義父と一緒に帰ることになった。
僕は来たときと同様、空港まで見送ったが、いまは二人ともずいぶん僕を信頼してくれて、別れぎわには義父と義母が交互に、「よろしく頼む」といって、僕の手を握ってくれた。
むろん僕は「大丈夫です」といい、さらに「必ず月子は帰ってきますから、祈っていて下さい」と手を握り返した。二人はそれを、僕が義父たちを思うが故の励ましの言葉と受け取ったようだが、月子の解放について僕にはたしかな成算があった。むろんそれはいまいうべきことではないし、それをいっては、ようやく出来上がった僕たちの信頼関係が根底から崩れることになる。とにかくいまは、この壮大な芝居の幕が上がりかけただけで、問題はこれからである。
「さよなら、気をつけて」
搭乗口に去っていく義父と義母に手を振り、二人が手を振り返すのを見て、僕は硬張り続けていた自分の顔にようやく笑みが戻るのを感じていた。
義父と義母を送ってホテルに戻ると、さすがに疲れを覚えた。
そもそも事件の発端から極端な緊張状態にあったのに、それに加えて義父と義母が来るというので、僕の緊張はまさに頂点に達していた。二人が乗った便が空港に着いたときいただけで、僕は掌が汗ばみ、心臓が高なり、出もしない尿意を覚えてトイレに駆けこんだ。あのとき、僕は、これですべてが明るみに出て二人に罵《ののし》られ、蔑《さげす》まれ、ついには罪人になり、破滅する予感にとらわれていた。
だがいま、僕は生涯で一度も体験したことのない緊張をのり越えて心身ともに解放されたまま、一人では大きすぎるダブルベッドの上で両手|両肢《りようあし》を大の字に広げて横たわっている。
たしかに僕はいま勝ったのだ。これまで二年間、いや、婚約時代を加えたら三年間、ひたすら僕の上に君臨し、僕を軽視し続けてきた義父と義母と妻と、この三人をきりきり舞いさせながら奈落の底に突き落す。僕の卓抜した知恵と意志と復讐心が、このとてつもない虚構の罠を完成させたのである。
もうこれから、僕は義父にも義母にも、いやそれ以上に驕慢な妻に振り廻され、嘆き苦しむことはない。いまこのときから、蔑む者と蔑まれる者は立場を変え、僕を哀れみ、蔑むことしか知らなかった妻の上に、僕が新たな支配者となって君臨するのである。
「ここまで、耐えた甲斐があった」
勝利の愉悦のなかで、僕は今朝方、部屋に届いた一通のファックスを広げて見る。
発信者の住所も名前も記されていない。ただ「Z」という大文字で表される発信者から、僕の克彦の頭文字をとった「K」へと書かれているだけで、ファックス番号の初めの「02」という数字から、予めZに教えられていたロワール地方の局番だとわかる。
内容は、フランス語が不得意な僕のために、英文で記されている。
親愛なる「K」へ。貴兄の妻T子に関する報告書。
予定どおり拉致、幽閉後、T子は不安と恐怖で、一種の興奮状態に陥り、ときに喚き泣き続けるも、三日目よりやや落着きをとり戻し、昨日よりわれわれの説得をききいれて、食事を少々と睡眠をとりはじめる。
当城では日本語を話せる日仏混血女性Fをして生命の危険のないこと、しかるべき調教の期間が終れば必ず城郭《シヤトウ》より解放することを告げ、極力|慰撫《いぶ》することにより、精神状態はほぼ正常に恢復《かいふく》したと判断する。
以上により、貴兄依頼の調教は明日正午より、全裸のうえ、まず全身の調査、計測、写真撮影から開始する予定である。
なお観覧希望の場合は、事前に到着時間とともに連絡されたし。
[#地付き]「Z」より
英和辞典を片手に、僕は朝からもう何度、この客観的だが淫らな刺激に満ちた報告書を読んだことか。ともかく矢は放たれたのだ。ここまできたら、もはや道徳や倫理などという見せかけだけの偽善は捨て、僕自身の願望の実現に向けて突きすすむだけである。
僕はいま一度自分にいいきかせると、明日から月子にくわえられるであろう、華麗で淫靡《いんび》な調教を想像しながら、秘かな期待と不安に戦《おのの》いていた。
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第一章 ドレサージュ〈調教〉
以前からだが、僕は西洋の扉というものにある特別な印象を抱いていた。むろん洋の東西を問わず、扉は内と外を隔つものであり、さらに内なる空間をいくつかに区切るものでもある。その点では、日本の扉も西洋の扉もさして変るわけではない。もっとも扉というものを広く解釈して、日本の襖《ふすま》や障子まで含めてしまうと、その内容はずいぶんかけ離れたものになってしまう。僕が考えているのはそこまで含めず、単に扉というか、いわゆるドアと総称されるものについてのことだが、それに限っても西洋と日本のそれとではかなり異なるようである。
はっきりいって、西洋の扉はまさしく扉で、それ以外のなにものでもない。この扉という文字につながるのは門扉とか鉄扉といった堅い硬質のイメージで、日本の木でできているドアのように、ともすればわけもなく開いたり、閉めてあっても立聞きすれば内部の様子が窺われるような無防備なものとは根本的に異なる。西洋の扉は一旦閉まったらもはや微動だにせず、その瞬間から扉の内と外とは完全に遮断され、扉の彼方ではまったく別の世界がくり広げられる。むろん扉の外に出された者は、いかに扉を叩き叫び続けたところで内部に入ることはできず、内に閉じこめられた者はいかに嘆き喚いたところで、外の世界へ戻ることはできない。
まことに西洋の扉は、この種の情には一切ほだされない、強固で非情な隔絶感と威圧感を備えているが、いま、僕の目の前にある扉も、まさしくその強固と非情さを兼ね備えた、鉄の扉そのものである。
むろんこの扉を最初に開けたのは僕ではなく、城門へ向かう入口の跳ね橋の前にある見張所に立っていた男である。一見、男はしかつめらしい顔をして四十半ばのように見えたが、よく見ると長身の背筋がよく伸びて顎鬚《あごひげ》の剃《そ》りあとなども青々として、僕とあまり変らぬ三十前後のようである。服装は少し異様で、グレイの腰がかくれるほど長いジャケットを着て、ズボンは同色だが腰の部分がふくらんでいて、その下に黒革の長靴をはいている。僕は一瞬、乗馬に行ってきたのかと思ったが、男に運動をしたあとのような気配はなく、ただ黙々と僕をここまで先導すると、いかにも重たげな扉をゆっくりと開ける。
初めに僕がシャトウ・ルージュから受け取った手紙を見せたときも、男は黙ってうなずいただけで、扉を開けてからも、中へ入れ、と顎で示しただけだった。一瞬、僕はこの男が横着に思えたが、初めに会ったときから終始表情を変えぬのを見て、この男がみだりに来訪者に感情を抱かぬように躾《しつ》けられているような気がして、いわれるままに中へ入った。瞬間、男は僕の横を離れて後退すると、うしろからぴたりと扉を閉めた。その硬い音をきいて僕は慌てて振り返ったが、男の姿はすでになく、目の前には、身の丈の倍近くある黒い鉄製の扉が、まわりの灰色の石壁と寸分の隙《すき》もないほど密着して閉ざされている。僕がヨーロッパの扉に抱いていた不気味さのすべてをこの扉は備えていて、まさしく開かずの扉のような堅牢さである。
僕は急に不安になって、扉の中央に環形に下がっている把手《とつて》に手をかけた。よく見ると表面のレリーフで区切られた各々に、かつてこの城を所有していた貴族の紋章でもあるのか、アルファベットのCを左右から絡み合わせたような装飾がほどこされている。
強固で不気味ではあるが優雅である。そんな扉を僕はそろそろと引いてみる。だが扉は動く気配がなく、僕は突然、部屋に閉じ込められたような恐怖を覚えてさらに引くと、扉は中世にこの城が出来て以来の歳月の重みを訴えるように、鈍い軋《きし》みをたてながらゆっくりと開く。
完全に開くまでもない、とにかく鍵がかけられていないのを知って安堵《あんど》し、ふと外を覗くと、扉の陰にでも立っていたのか、先ほどの男が姿を現し、僕はなにか見咎《みとが》められたような気がして、慌てて目礼だけしてまたドアを閉める。
別に、逃げようとしたわけではない。ただドアが開くか確かめただけだが、外に男が待機していたとは。もしかして僕の行動を監視するためにでもいたのか、僕は薄気味悪くなって、扉の前に立ったまま部屋の中を見廻す。
入ったときは扉の頑丈さばかりが気になったが、改めてよく見ると、この部屋はどこか変っている。広さはさほど大きくはなく、日本の部屋でいうと十二、三畳くらいだろうか。東西と南に三つの主翼を持つ豪壮なシャトウの外観から見ると意外な狭さだが、それよりこの部屋の奇異なことは、まわりが石造りの素気ない壁に囲まれているのに、入って左手正面の一角だけに、まるで別世界のように豪華な鏡つきのキャビネットとカウチが置かれていることである。とくにキャビネットは年代もののマホガニーなのか、赤黒く艶光《つやびか》りして、いたるところに象嵌《ぞうがん》がはめ込まれ、その前にあるカウチは背凭《せもた》れからシートは紫とピンクのシルク地でおおわれ、それをとり囲む木枠にはネオロココ調とでもいうのか、多数の渦巻きや曲線を主体とした飾りが細かく彫り込まれ、その脇に小さなテーブルが一個添えられている。
このキャビネットとカウチが置かれている一隅だけ見れば、中世の貴族の住まいのような錯覚を抱くが、家具の豪華さに対して、まわりの殺風景な石壁はいかにも不釣合いに見える。いや不釣合いといえば、キャビネットの前にカウチが置かれているのもどこか不自然で落着かない。しかしだからといって、闖入《ちんにゆう》者の僕が文句をつけるほどのことでもない。僕は部屋のおおよその配置をたしかめると、そろそろとキャビネットの前まですすみ、いまも扉の外に立っているかもしれない男のことを考える。
いったい、彼はいつまで廊下にいるつもりなのか。もし彼が単なる守衛だとすると、これから誰か別の者がこの部屋に現れるのか。昨日の昼、パリのホテルから書類に記されていたところへ電話をして、シャトウの場所と訪ねていく時間までは指定されたが、そこで誰と会うなどという説明はなかった。ただ指示どおり来てくれれば、ドレサージュが観賞できる、といわれただけだった。
そうだ、僕はこのドレサージュという言葉がひどく気に入っていた。電話の男は僕のためにきれいな英語でゆっくり喋ってくれたが、そこだけドレサージュというフランス語でくり返した。僕は一瞬、その意味がわからず、きき返すと、彼は英語で「ドリル」だといい、改めてドレサージュといい直した。それも「サージュ」と最後の部分を軽く鼻にかけて。多分、日本語では「調教」と訳すのだろうが、それを英語のドリルではあまりに殺風景だが、ドレサージュといえば、同じ調教でもどこか甘美な、聞きかたによっては優雅な感じさえするではないか。
今日午後二時、僕はパリから指示されたとおり高速A10号線を経て南へ下ったが、運転しながら、この「ドレサージュ」という言葉を何度かつぶやいた。もともとフランス語には、どこか甘く気怠《けだる》い感じがあるが、まさしくドレサージュはその典型で、しかも「ドレス」ときくと、これからさまざまな衣装を身につけて、お洒落をするような気配さえある。むろんこのシャトウで月子が身につけるのは衣装ではなく、やわらかな肉体への内側からのドレサージュのはずだけど。
正直いって、僕はこの言葉をきいてから、かなり気が楽になっていた。それまでは自らの希望で自分の妻をシャトウに幽閉するなど、世にいるどんな悪辣《あくらつ》な夫よりもさらに悪党かと思っていたが、よく考えてみると月子が閉じ込められたところは牢獄でも地獄でもない。それどころか優雅な女たちが高級なエステに浸るのと同じように、気怠く淫靡なドレサージュの世界である。
今になって気がついたが、僕はやはり完全な悪党ではないらしい。もし本物の悪党なら、これから月子にくわえられるものが、調教であろうとドリルであろうと一向にかまわない。それどころか、より過酷で峻厳な仕置きを期待するはずだが、いまドレサージュという言葉をひとつ見付けただけで、これほど気が晴れて罪の意識が軽くなるとは。もし僕が真の悪党なら、この程度のことで救われた気分になるわけはない。
それにしても問題のドレサージュはいつからはじまるのか。パリから高速を南へ下り、ブロワから国道に出て、僕がこのシャトウに着いたのは午後五時半だった。途中、少し道に迷ったり休憩したので、三時間以上かかってしまったが、今度からは三時間もあれば間違いなく来られそうである。約束の六時にはまだ少し間があるが、それにしても静かすぎる。
僕は改めて、あたりを見廻し、左手の縦長の窓に夕陽が射し、まわりの白壁が赤く色づいているのに気がついた。
パリに夕方が近付いているように、このロワールの城にも夕暮れが近付いている。僕は斜光に吸い寄せられるように窓に近付き、十字の枠が嵌《は》められている厚いガラスの窓から外を眺めてみる。
ここへ来るとき、数キロ前からこのシャトウが望まれたが、来てみると川沿いの小高い丘の上に築かれていて、いま僕がいるのはそのシャトウの中ほどのあたりだから、地上からは五、六十メートル近くは高くなっているようである。
実際、窓からの眺めは壮大で、すぐ眼下に幅百メートル近くはありそうなロワール川が豊かな水量をたたえて緩やかに流れ、その先に、いかにもフランスが農業国であることを示すような広大な農地が広がっている。いまはすでに秋で一部の畠は穫り入れがすんだのか褐色の平地となり、それと緑の地がゴブラン織りのように美しく入り混じっている。
石の壁を赤く染めた夕陽はほぼ正面にあり、してみるとこの窓は西向きなのか。だが斜光は広い雲におおわれてさほど強くはなく、横にたなびく雲の合い間から数条の筋となって大地に達している。
いま少し前まで、僕はこの川と平行に走る国道をすすんできたが、その道はさらに延びて夕暮れの森のなかに消え、国道を往き来する車だけがときどき現れては消える。彼方から眼を転じて真下を見ると、そこは中庭なのか、手入れが行き届いていて、ところどころに四角形と円形の植え込みがみえる。そこからさらに目を移すと、庭の境いには一段高い植え込みがあり、その先はかなり急峻な断崖となっていて、その下の川と崖にはさまれたわずかな平地に何軒かの家が建っているらしい。城のある丘への道を登ってくるとき、そのなかに十字架のある教会が見えたが、いまはその尖った屋根の先端が繁みの先にかすかに見えるだけである。
窓からひととおりあたりを見廻して、僕はこの城が川へ向かってコの字型に開かれていることに気がついた。真下に見える中庭はこのコの字型に囲まれた平地で、コの字の曲り角と上端の三カ所には円柱形の尖塔をもつ主翼が張り出し、いま僕は、コの字の上辺の先に近い一室から外を眺めているようである。
それにしてもこのシャトウにはどれくらいの部屋があるのか。今回の件を依頼するべく、ロンドンで知り合ったK医師の紹介でジェロームという男(暗号名「Z」)に会ったとき、彼はこともなげに「三、四十かな」とつぶやいた。
その時点で、僕は城の内部など到底、想像もできなかったが、いま実際に入ってみると、それが誇大ないいかたでなかったことに気がつく。そのとき仲介してくれたKの話では、現在のような城が完成したのは十五世紀半ばで、一時はこの城の所有をめぐって、王妃と王の愛妾が争ったこともあり、その後さまざまな人の手を経て三十年前、Zの父が手に入れてから大改造して、今日にいたっているという。
「あそこなら、なにをやっても外には知られない」
そのときKが秘密めいた笑いを洩らしたが、その意味はここまで来るとよくわかる。
たしかに僕がこのシャトウまで来たとき、城門の手前に見張所のようなところがあり、乗馬スタイルの男が一人立っていたが、その先の城門への道は跳ね橋が上げられたまま、閉ざされていた。僕が現れると、男は見張所のなかの電話で内部と連絡をとり、そこで跳ね橋が下げられて、ようやく中へ入ることができたが、あの橋がなければ数十メートルはある深い溝にはばまれて、入ることは不可能だった。
まさしくこのシャトウには城砦の名残りがあり、なん人といえども容易に入り込めない陸の孤島である。外見だけ見れば豪奢《ごうしや》で荘厳で、そのくせどこか陰鬱で、中世のシャトウが等しくもつ、華麗さのなかに不気味さを秘めている。
僕は改めて納得する。なるほどここでなら、どのようなことでもできそうである。たとえばパリの三つ星レストランもおよばぬ凝りに凝った食事とともに、古いシャトウから年に数ケースしか出ることのないワインで飲みつぶれることはもちろん、誰かを拉致誘拐して幽閉することも、そしていかな淫靡なドレサージュも、やる気になればたしかにできる。
そこまで考えて、僕は急に月子がいまどこにいるのか気がかりになってきた。すでに五日前になるが、その日から月子はこのシャトウのいずれかの部屋に閉じ込められ、どこかの窓から、いま僕が見ているのと同じ風景を眺めているかもしれない。あるいは突然、自らに振りかかった運命を嘆き悲しみ、その果てに疲れきってベッドにでも横たわっているのか。
僕は急に不安になって、あらゆる方向を覗き込んだが、残念なことに窓は縦に長いわりに、横幅は狭く、どう首を捻《ひね》ったところで見える視野はかぎられている。
正面の西棟とでもいうのだろうか、そこは三階建てになっているようで、優雅だが頑丈なバルコニーとさまざまな装飾が刻まれた窓枠が見えるが、いずれも静まり返ったまま人の動く気配はない。左手の南棟は半ばまでしか見えず、僕と同じ側の東棟は石壁の凹みが深くて見ることはできない。
いったい、月子はこの城のどこにいるのか、まさか地下に閉じこめられているわけではないだろう。僕の不安はますます高じてくるが、しかしいまさら慌てたところでどうなるわけでもない。もともと月子をここに拉致することに同意し、Zたちに月子を委ねることを依頼したのは僕なのだから、いまはただ彼等を信じて待つよりない。
僕は自らにいいきかせて、気持を落着かせるため、再び窓からの風景に目を移す。
秋の夕暮れは先程より一段とすすみ、雲のきわみに夜の群雲が広がりつつあるが、野面《のづら》はなお薄暮の明るさをたもち、空より一段明るい川面から数十羽の白い鳥が一斉に飛び立つ。ゆりかもめか、これと似た鳥を京都の鴨川べりでも見たような気がするが、向かいの棟の上に聳《そび》える鋭角の塔が、ここが日本でないことをたしかに示している。
僕は一瞬、芽生えかけた望郷の思いを切り捨てて、川と野と森とが一体になった夕景を眺める。
それにしても、なんと静かで平和な夕暮れなことか。そのまま穏やかに流れる川面を眺めていると、川岸の先の畠を男が一人、右から左へゆっくり歩いていくのが見える。農夫なのか、黒い帽子をかぶって手に皮の袋のようなものを持っているが、窓のほぼ正面まで来たとき、突然、やわらかな響きとともに鐘が鳴りはじめる。僕は自分の時計を見て、丘の下の教会が午後六時をしらせているのだと気がつくが、それを待っていたように男は立止まり、ゆっくりとこちらを見上げる。遠すぎて男の表情まではわからないが、袋を置き、この城を見上げながら両掌を合わせているようである。その男の敬虔な姿を見るうちに、僕はこのシャトウが、まわりに住んでいる人々にとって遠くから眺め、見上げる対象として存在していることに気がつく。
いま教会の鐘の音をききながら、彼方の国道を走っているドライバーも、野面を歩いている農夫も、丘の下の小さな街に買物にきている主婦も、みなこのシャトウを見上げて、中世以来続いてきた平穏な夕暮れの訪れを感謝しているに違いない。彼等にとってこのシャトウは、村の歴史と栄光を伝えるものとして、常に憧れ、見上げるものであった。
そう思った瞬間、僕は自分が城の中にいることが、ひどく傲慢な、許されざることのように思えてきた。いま、すべての人々が見上げている城のなかに、見知らぬ東洋の男が一人忍び込み、逆に城から平原と街を見下ろしているとは誰も気がつかない。
僕は急に自分が特別選ばれた、このシャトウのまわりにいる村人とはまったく違う人間のように思えてきたが、同じ思いは、かつてこのシャトウに住み、あるいは狩猟の帰りなどに訪れた、フランスの王侯や貴族らも抱いたに違いない。
シャトウを見上げる者と、シャトウから見下ろす者とは、身分はもとより、育ちも性格も趣味も、求めていることもおこなうこともすべて違う。
いま下界から教会の鐘の音とともにシャトウを見上げている者たちのあいだでは、常識とか倫理、道徳などという俗なものがはびこり、それらにがんじがらめに縛られて逃げ場もない。幼いときから、彼等は正義とか博愛とか貞節などという、およそ人間の本性とはかけ離れたことを教え込まれ、それを善良の証《あか》しと信じて、守ることだけに汲々として生きている。
だがシャトウから見下ろす者たちは、その種の道徳や倫理がいかに俗悪で、偽善に満ちたものであるかを知り尽している。一旦、跳ね橋を渡ってこの城砦に入ったときから、人間はその生まれつきの本性に従い、贅《ぜい》を尽した家具と装飾に取り囲まれ、美食と美酒に溺れながら、淫乱と背徳のかぎりを尽すことが許されてきた。
不思議なことに、シャトウの一室にいるだけなのに、ここでさまざまな饗宴《きようえん》と痴態に酔いしれていた貴族たちの心情がのり移ってくる。それは僕の生来の想像癖の強さのせいか、それともこの堅固に密閉されたシャトウのなかの怪しげな雰囲気が醸《かも》しだすものなのか。いずれにせよ部屋に佇み、あたりを見廻すうちに、中世以来このシャトウに籠もり続けた妖気が徐々に僕に絡み、とり憑《つ》いてくるようである。
教会の鐘が止むと、あたりはまた信じられぬほどの静寂が訪れ、その静けさにいたたまれなくなったとき、待ちかまえていたように部屋の四つの角から明りが射し込み、それと同時にドアが二度ノックされる。
僕は慌てて振り返り、ドアを開けようと思ったが、それより先に外側からドアが開き、一人の女性が現れる。
はじめ僕はその女性を見たとき、大袈裟でなく神からつかわされた天使かと思った。実際、彼女は純白のドレスを着て、腕の半ばをやはり純白のスリーブでおおい、きっかりと半ばから分けられた金髪は肩口まで達し、顔は天使のように清らかで整っている。
「お待たせいたしました」
女性が初めに洩らした言葉が日本語であったことに僕はもう一度驚いたが、彼女が丁重に一礼するのを合図のように、先ほど、扉の外にいた男が現れて、カウチの前のテーブルに水差しとグラスを置いていく。
「どうぞ、お座り下さい」
いわれて僕がそろそろとカウチの端に座ると、女性はテーブルの前にあったキャビネットの端をゆっくりと押す。
それまで僕はまったく気がついていなかったが、キャビネットの四つの脚には車が付いていて、簡単に右へ移動し、除かれたあとに四角い空間が現れる。
「こちらの奥が、窓になっています」
女性の日本語は正確だが、外人特有の抑揚があり、それが石の部屋に妖しく響く。
いや、妖しいといえば彼女の着ている衣装ほど妖しいものはない。よく見るとドレスは胸のふくらみが覗けそうなまでえぐられていて、さらにうしろは背中がほとんど露出して、腰のやや上で黒いリボンの房のようなもので留められている。くわえて純白のドレスは前と横に大きなスリットが入っていて、うしろはお尻が辛うじて隠れるほどの短さである。僕が初めに天使のようだと思ったのは、正面を向いて立っている姿を一瞬見たからで、目を凝らしてよく見ると、天使とは正反対の妖しく淫らな服装である。
「窓はこちらからは見えても、向こうからは見えなくなっています」
女性が示す窓は一メートル四方ほどの大きさだが、いまはまだブラインドがかかっているのか、彼方からの明りで淡く浮き出ているだけである。僕にはよくわからないが、一方からだけ見えるということは、マジックミラーのようにでもなっているのか。
「間もなく窓が開きますが、ひとつだけお願いがございます」
女性はそういうと、華奢《きやしや》な人差し指をそっと自らの胸の前に突き立てる。
「ここから覗かれて、どのようなことをなさっても、どのような声をあげられてもかまいません。ただひとつ、妙な気持にだけはなりませぬように」
「妙な気持?」
思わず尋ねると、女性は長い睫毛《まつげ》におおわれた目をしかと僕に据えたまま、
「間違っても、向こうの部屋に入ろうなどと思いませぬように……」
僕は彼女の青い瞳を見たままゆっくりと首肯《うなず》く。
もともとシャトウに入り、覗き見させてもらうだけで充分なのに、そのうえ調教の現場にまで立入る気なぞ毛頭ない。それでは傍観者の域をこえて、見知らぬ彼等に加担することになり、まさしく本当の悪党になってしまう。それより僕のいまの心配は、帰りたくなったときに、ここから自由に出られるのかということである。
女性は素早く僕の気持を察したのか、窓の枠の右上にある黒いボタンを指さしていう。
「もしお帰りになりたい、またご用のときは、必ずこのボタンを押して下さい」
再び首肯きながら、僕はいまようやく、この部屋のからくりがわかってきた。
初めに入ったときから奇妙だったが、もともとこの部屋は隣りの部屋を覗き見するために、特別につくられたものに違いない。むろん石造りだから、以前からあったのだろうが、昔は倉庫にでもつかわれていたのか。実際そうでなければ、全体の殺風景なつくりに比べて、置かれている家具の豪華さが不釣合いだった。
僕はいまはいくらか落着いて、女性にきいてみる。
「出たくなったら、いつ出てもいいのですね」
「でも、お城の中にいることは困ります」
「むろん、帰るのです」
「帰るのでしたら、かまいません」
女性は最後の「かまいません」にアクセントをつけていうと、改めて僕を正面から見詰めて、
「お約束のことは、わかっていますね」
女性がいっていることは、僕が今度の件を依頼したときに、「Z」と交わした約束に違いない。今後どのようなことがあっても、このシャトウで見て聞いたことは一切他言せず、生涯沈黙を守り続ける。これがこのシャトウに出入りする者に課せられた絶対の掟《おきて》であった。万一、それを破った場合は、世界の何処にいようと生命の安全は保証されない。
むろん、僕はその約束を充分すぎるほど承知しているし、ここまで来た以上、その約束を破ることなどあり得ない。
「わかっています」
僕が首肯くと、彼女は初めて微笑《ほほえ》みを洩らし、次の瞬間、可愛いお尻と長い肢《あし》を見せながら、ドアの向こうに消えていった。
石の部屋に一人になって、僕は喉が渇いてからからになっているのに気がついた。初めてシャトウに入ってから、緊張の連続であったのだから無理はない。僕は鷲の模様のついている水差しからグラスに水を注いで、一口飲む。
つい少し前まで西陽を受けて明るかった窓は、部屋に灯された明りで暗く沈みこみ、かわりに四つ角に一つずつある明りが石の壁を映し出している。それにしても、この部屋の照明はかなり弱い。四つあるといっても天井からスポットになっているので、それが当るところ以外は、細かい文字が読めぬほどの暗さである。どうしてもう少し豪華なシャンデリアでもつけないのか。この僕の素朴な疑問は、鈍い音とともに、正面のブラインドが開いたときに見事に解明されることになる。
いきなり正面の四角い窓が明るくなり、飛びこんできた光に引き寄せられるように、僕はカウチから上体を浮かせて覗きこむ。
瞬間、僕は自分の眼を疑った。
いま、僕の目の前にくり広げられているのは、現実なのか夢なのか、あるいは映画か写真のワンショットなのか、さもなくば一枚の絵なのか。
石で区切られた窓の彼方に、まばゆいばかりの光に照らし出された部屋が見え、そこに女性が一人、全裸のまま立っている。それも両手両肢を大の字に開かれ、腹部から股間をいくらか突き出された恰好で。
正直いって、僕は女性がこんなに両手両肢を広げられて括《くく》られている姿を見たことがない。しかもよく見ると、女の両手首は天井から下がっている鎖につながれ、両肢は床に打ち込まれている鉄環で留められている。
見た瞬間、僕は思わず目をそむけたが、それはあまりに無残な女の姿に怖れをなしたというより、それがこの世のものとは思えない、決して見てはならぬといわれていた秘密絵を垣間見たように思ったからである。
「おうっ」と声を洩らしたが、次の瞬間、僕は石の窓枠にしがみつくようにして、全裸の女性を見詰めていた。
たしかに僕が今見ているのは絵でも映像でもなく、現実そのものである。その証拠に、女は両手を天井から吊られたまま、項垂《うなだ》れた首と腰のあたりがかすかに揺れている。
奇妙なことに、僕はそのときになっても、目の前の女性が、月子だとは思っていなかった。それというのも、女はたしかに一糸もまとっていないが、眼だけが白い布で隠されている。それでも僕にいま少しの冷静さがあればわかったはずだが、僕の眼も頭も、突然、異常なものを見せられた衝撃から、まだ立ち直っていなかった。
僕がようやく冷静さを取り戻したのは、そのあとどこからともなく音楽が流れてきて、それとともに「あっ……」という女の声が洩れてきたからである。
仕置きの部屋から音が流れてくる。そう思った瞬間から僕の眼も耳も、五感のすべてが研ぎすまされていく。改めて顔を窓におしつけて覗くと、女はややほっそりとして、背もさほど高くはない。むしろヨーロッパの女性としては小柄なほうだが、髪は黒い。思い切り両手を上に伸ばされているので、腋《わき》の窪みが異常にへこみ、そこから胸元へ柔らかなふくらみが見えるが、ウエストは削《そ》がれたように細く、黒い翳《かげ》りの見える下腹はひっそりとして頼りない。むろん少女ではないが、どこか成熟しきっていない稚《おさな》さというか、気品がある。
僕はいまになって気がついたのだが、部屋が暗かったのは、まばゆいばかりに明るい隣りの部屋を引き立てるためで、その明るすぎる光を受けて、女の肌は白というより、むしろ蒼ざめてさえ見える。なにか裸体というより、月の光にさらされている宝石のように……。
僕はそこまで考えて、初めて「月子」とつぶやいた。
そうだ、これは月子ではないのか。この肌理《きめ》が細かく、白というより蒼ざめた感じの肌をもっているのは、月子しかいない。事実、月子は初めに会った頃、名前の由来について、生まれたとき透きとおるように白かったので、月子と名付けられたと、自慢気にいったことがある。もっとも、僕は月子のこんなあられもない姿を見たことはない。いままで何度か月子の裸を見たいと思ったが、風呂はもちろんベッドのなかでも見せてくれたことはない。ただ結婚当初、月子と交わる寸前に胸元や背中を垣間見て、そのあまりの白さに戸惑い、慌てたことがある。
だがこの一年、月子は僕とのセックスを拒否するようになり、たまりかねて僕は何度か、肌だけでも見せてくれるように頼んだが、月子は「いやらしい」と一言、軽蔑しきった眼差しで僕の哀願を切り捨てた。
その月子が、いまは煌々《こうこう》たる明りの中で、全身をさらけだして立っている。まさしく、あの目隠しの下の小生意気に尖った鼻も、薄いが愛らしい唇も、項垂れて折れそうな項も、すべて月子のものである。いまや隠しおおせるものはなにもない。スレンダーな身体にしてはやや豊満な乳房も、両手でつつみこめそうなウエストも、円《まろ》やかだが少年のように削げたお尻も、淡い翳りをもつ下腹も、思いきり開かれて小刻みに震えている内股まで、僕の眼から逃れようはない。
こんなときがくることを、僕はどれほど願っていたことか。これまで何度、こんな情景を夢見ながら、秘かに高ぶり、自慰をくり返していたことか。
いま、僕はようやく最大の望みを達したようである。初めから生家の豊かさを鼻にかけ、僕の生まれの貧しさと、それにそぐわぬ頭の優秀さを嫌っている月子を、全裸に剥いて眺め廻す。その念願がいまようやく達成されたようである。
僕は改めて、シャトウの堅牢さと巨大さに感動した。さすがに中世以来の厚い石で何層にも固められ、跳ね橋で俗界から隔離されたシャトウだからこそ、これだけの大事を成し遂げることができたのである。
「どうだ月子……」
僕が思わず快哉《かいさい》を叫んだとき、月子の前に男たちが現れた。まず一人、黒いベルベットのような上着を着て白い膝丈のキュロットをはき、長い靴下をつけて十九世紀の伊達《だて》男のような服装である。続いて現れたのは白のタートルネックにドルマン袖のようなセーターを着て、黒いズボンの長身の男。そしてやや小肥りだがやはり白の上着と黒のズボンの男が、そして最後に、長めのジャケットの襟元を白いスカーフでつつんだ男と、全部で四人だが、奇妙なことにそのいずれも素顔を見せず、動物を形どった仮面をかぶっている。一人は鬣《たてがみ》があるところをみるとオスのライオンなのか、次のは鳥と羊で、いま一人はハリネズミのようである。
これも、いまになって気がついたのだが、覗き部屋は中二階なのか、広間より高い位置にあるらしく、おかげで僕には真下の部分が見えなかったのだが、男たちは初めからそこに座って、全裸の女を眺めていたようである。
月子が吊るされているところは、床から一段高くなっているが、そこへ男たちが次々と出てきたのは、女の観賞に飽きたからなのか、それとも見ているだけに耐えきれなくなったのか。
月子のまわりを取り囲んだ四人の男は、示し合わせたように、それぞれ好き勝手なところに触りだす。まずライオンは月子の柔らかな胸元に、鳥は長身を利用して月子の頬から首のあたりを、そしてハリネズミはうしろの背からお尻のあたりを、さらに背の低い羊は月子の股間の繁みに手をさしこむ。
瞬間、月子の「あっ」という声が洩れてきて、僕は思わず叫ぶ。
「やめろ、なにをするのだ」
そんなことが許されていいのか、いったいお前たちはどんな権利があって月子の肌に触れるのか、夫の僕でさえ触れていないその肌に。怒りに僕が拳を握りしめると、それに気がついたかのように、月子が悶える。
「いやっ……、助けて……」
妻が助けを求めているのに、夫が黙って見ているわけにいかない。僕の頭は極度に混乱し、窓の前を、それこそ檻《おり》のなかに捕えられた獣のように右往左往するが、部屋の中にいては救い出せるわけもなく、思わず扉のほうに駆け寄って、先ほどの女性がいったことを思い返す。
「間違っても、向こうの部屋に入ろうなどと思いませぬように」
女性がいっていたのは、このことであったのか。多分これまでも、ここから覗き見た男は何人かいて、僕と同じようにいたたまれなくなって、廊下に飛び出した者もいたのかもしれない。
「畜生……」
つぶやきながら、僕は両手で目をおおう。
もうこれ以上、月子が身悶える姿を見たくない。月子を救い出せないのなら、ひたすら目を閉じて、時が過ぎるのを待つよりない。
それにしても、彼等の無作法さは目にあまる。全裸の女性を四人で取り巻いて勝手気儘に触るとは。このまま放置しておくとどんな淫らなことをやりだすか想像もつかない。
そこまで考えて、僕はいま大変なことをしでかしたことに気がつく。
彼等がいかに無作法で、許し難いことをしたとしても、それを頼んだのは、この僕自身である。冷淡で性に興味を示さない月子をなんとか変えて欲しい。美しさだけを誇り性を侮蔑している女を、狂おしいほど性に執着する淫らな女に改造して欲しい。そんな依頼をしておいて、いざ男たちが月子に触れたからといって怒りだすとは、いったい僕の本心はどこにあるのか。
つい少し前まで、僕は吊るされた月子を見て快哉を叫び、北叟笑《ほくそえ》んでいたのに、いまは仮面の男たちを憎み、歯ぎしりしている。この一貫性のなさはなぜなのか。
やはり、俺は悪党ではないのか。ただの気紛れの、プライドだけ高い好色男にすぎないのに、下手に悪党などを気取るから、こんな面倒なことになる。初めの目的を考えたら、男たちを非難する権利なぞない。もしここで冷静になれず、男たちに月子が嬲《なぶ》られるのを見ていられないのなら、即刻、城から退散するべきである。
自らにいいきかせて恐る恐る目を開くと、月子に群がっていた男たちは相変らず、さまざまなところに触れてはいるが、さほど強くはなく、ただ皮膚の感触を楽しんでいるだけのようである。月子もそれに応じて軽く身をくねらせはするが、それ以上|抗《あらが》う気配はなく、もはや先ほどのような切なげな声は洩らさない。
そんな状態が数分も続いたろうか。男たちの行動を統率する者でもいるのか、やがて月子のまわりから順にソファのほうに戻り、最後に鳥の仮面の男だけが一人残り、右手に持った黒い鞭の柄の先を月子の顎に当てて、囁く。
なにをいっているのか、ここからはよく聴きとれないが、一言「ドレサージュ」という言葉が洩れてくる。「お前はこれから調教される」とでもいったのか、だが月子はいまは死んだようになにも答えない。
心では怒りながら、僕がなお目を逸《そ》らせずに見ていると、鳥の男が鞭を床におき、かわりに巻尺のようなものを持って、月子の体に当てる。
まず初めに首の周りを、それが首環の原寸になるのか。次に手首を、そこから乳房の上をとり巻いてバストを、そしてウエストとヒップをと、順に測っていく。これが連絡メモに記されていた計測の過程か。男がいちいち数字を読み上げるところを見ると、それをメモしている男がいるらしい。
ゆっくりと、しかし確実に腰まわりの計測まで終ったところで、男は月子の前に立つと、今度は改めて乳首の先にメジャーを当て、やがて両膝を折ると、月子の股間の前に屈み込む。
なにをするつもりなのか、僕が身をのり出すと、再び「あっ……」という月子の声が洩れ、激しく首を左右に振る。
だが男はかまわず股間へ手を差し込み、それから逃れようと月子が腰を引くと、羊の仮面の男がとび出てきて、月子の腰をうしろから突き出させる。
「いやっ……」
叫んでも、両手を吊られている月子は逆らうすべもなく、屈んでいる男の前に秘所を大きく突き出した形をとらされる。
「なにをするんだ」
僕はまた叫びかけるが、すぐ無駄なことに気がつく。
とにかくこれ以上、もはや僕はこの淫靡で卑劣な情景を見るに忍びない。僕に残っている僅かな良心に従うとすれば、いまここから直ちに立去るべきである。
僕が意を決して窓枠の右上にある黒いボタンを押すと、数分もせずに、先ほどの白いドレスの女性が現れる。
「帰ります」
怒りとともに訴えると、女性はなにごともなかったように「少し、お待ち下さい」といい、彼女が部屋を出て行くと同時に、窓のブラインドが閉じられる。
もはや月子を見ることはできない。そう思うと急に名残り惜しくなっていま一度窓を覗くが、すでに杳《よう》としてなにも見えず、かわりに僕のペニスが勃《た》っている。いや、それは多分、月子の裸体を見たときからかもしれないが、事態の目まぐるしさに、落着いて触れる暇もなかっただけに違いない。
僕は高ぶっている自らのものに触れてみて、初めてこの部屋にカウチが置いてある理由がわかってきた。
これまでさまざまな男が、ここから覗き見しながら自慰をしていたのかもしれない。最愛の妻か彼女が、仮面の男たちに嬲られ、調教される。加虐と被虐と、愛情と憎悪と、怒りと憐れみと、さまざまな感情を交錯させながら、覗く男はひたすら自慰をして自らを消耗させる。異常と知りつつ、ここに来た男たちはみなそういう形でしか、妻や彼女と交わることができなかったのかもしれない。
「哀れな奴……」
僕がつぶやいたとき、白いドレスの女性が「どうぞ」と迎えに来る。
僕が立上がると、女性は先導する形で歩きだす。相変らず背中が割れてお尻だけが辛うじて隠れるうしろ姿を見せながら、夕方来たときと同じ螺旋《らせん》階段を降り、さらにいまひとつ広い階段を降りる。そこから、左右の壁をさまざまな天使像を描いたタペストリーで埋められた廊下を三十メートルほどすすみ、右へ折れると大理石の柱とアーチがあって、その先が城門になっている。そこまで来ると、女性は別れを告げるように一礼し、「これが今日の記録です」といって紙包みを渡してくれる。
何なのか、開いてみようかと思ったが、城門の前に立っていた乗馬ズボンの男がこちらを見ているので、僕はそれを受け取って彼女と別れる。
少し前、部屋で待っているあいだに城門の跳ね橋は下げられたらしく、そこを男の先導で渡ると、橋の左手の砂利道に僕が乗ってきた車が待っている。
「ボンソワール」
僕が初めて声をかけると、男は無言のまま首肯き、僕はすっかり夜になった城門前から、ロワール川のほうへ丘を下っていく。
ゆっくりと坂を下りきったところで一旦車を停め、改めて城を見上げると、夜空の中にシャトウ・ルージュが忽然《こつぜん》と浮かび上がり、円錐形に突き出た主塔の上に三日月がかかっている。
僕は突然、月子にいいようもない愛着を覚えて、車から飛び出して「月子……」と叫び、夜風に吹かれたままシャトウを見上げる。
この豪壮な館のなかでは、いまも悪党どもの乱痴気騒ぎが続き、そして月子はまだあの四匹の獣たちに嬲られ続けている。まさしくこのシャトウは悪魔の城そのものである。
無力な僕は思いきりシャトウに向かって唾を吐き、悪夢から逃げ出すように車に乗る。
これからパリまで三時間もあれば行ける。その前に、帰りがけに女性から貰った紙包みのことを思い出し、車内の明りを点《つ》けて開けてみる。
出てきたのは打ち終ったばかりのコピー用紙で、英語とフランス語と二通あり、それぞれの冒頭に「計測の結果(マダム・ツキコ)」と記されている。
「身長・一六三センチ、体重・四八・五キロ、首周囲・三〇・五センチ、手首周囲・一三・五センチ、足首周囲・一八・五センチ、バスト・八二センチ、ウエスト・五九センチ、ヒップ・八六センチ、乳輪径・三・〇センチ、乳首径・一・一センチ、恥毛黒・やや薄し……」
読みすすむうちに僕の胸は高鳴り、それとともに瞼《まぶた》に月子の蒼白な裸体が甦《よみがえ》り、さらに月子の息も絶え絶えな悲鳴がきこえてきて、僕はそのままハンドルの上に突っ伏して、心が平静になるのを待ち続ける。
はっきりいって僕はあまり寝起きのいいほうではない。これは緊急を要する患者に対処しなければならない外科医として好ましいことではないだけに、以前から目覚めとともにすぐ動き出せるよう、自分なりに努力を重ねてきた。その結果、医師になりたての頃からみると、かなり寝起きがよくなったが、それでも目覚めたあと、なお二、三十分、床の中でぐずぐず時間をつぶすこともある。それは僕の感覚では、いままで浸っていた眠りの世界から現実の世界へ移行するための準備期間、とでもいうべきもので、そんなときに電話でもきて僕が不機嫌な声を出したとしても、それは電話の相手が不快だということではなく、僕の頭の中の現実への対応装置の動きがやや遅れていた、というだけのことである。
目覚めと同様、寝つきのほうもあまりいいほうではなかったが、最近では床について二、三十分もすると眠りにつけるようになってきた。とはいっても、ときに一時間かそれ以上、寝つかれぬままいろいろ思いを巡らすこともあるが、それはこれから先のこととか、少しオーバーにいうと、人間とか宗教といったやや観念的な世界をさ迷っているだけで、それ自体が苦痛というより、むしろ夜の瞑想《めいそう》を楽しんでいる、といったほうが当っている。そんなわけで、いっときから見ると、寝起きも寝つきもかなりよくなっているはずだが、それにしては、今朝のこの寝起きの悪さはなんだろう。
いまから二時間前の朝七時に、僕はたしかに一度目覚めたはずである。それはベッドの脇のナイトテーブルに嵌め込まれた時計を見てたしかめているから間違いないのだが、そのまま起きるわけではなく、なお床の温もりというより、床の中の秘密めいた感覚から離れきれず、半ば目覚め、半ば微睡《まどろ》みながら横たわっていた。
正直いって、僕がこんなに未練がましくベッドにしがみついているのは珍しい。どんなに疲れているときでも、あるいは気がのらないときでも、目覚めて三十分もすれば、横たわっていること自体が不快になって起き出してしまう。それが僕の潔《いさぎよ》さのようなものだと思いこんでいたが、今朝だけは二時間近く経ってもなお起き出す気になれない。それどころか、すでに充分強くなった朝の光を遮断している部屋でベッドに横たわったまま自慰にふけり、その快楽のきわみと、そのあとに決まって訪れる気怠さの余韻を、なお延々とむさぼり続けている。
はっきりいって、こんな怠惰な目覚めを体験するのは初めてである。いや、考えてみると、この怠惰な感覚は今朝にはじまったことでなく、昨夜から途切れ途切れに、しかし確実に続いてきたものである。あの想像もしなかった残酷で猥褻《わいせつ》な光景を見せられてから……。
そう、あれは昨日の夜であった。あの跳ね橋がある城を出て坂を下ったあと、静まり返った村の道端に車を停め、僕は夜空に浮き出たシャトウを見上げながら自慰をした。月子の身体についての報告書を読んで興奮したからだが、それにしてもこの年齢で車の中で自慰をするとは。表面的にはいい子を演じ続けた僕には到底考えられない、恥ずべき、情けない行為であった。
だが正直いって、あのとき僕の股間は異様に硬直し、もはや一刻も待てぬほど高ぶっていた。もしあのままパリに向かって走っていたら、全身から湧き出る狂暴な感覚に引きずり廻されて、ハイウエイの側壁にでもぶちつけて大事故を起こしていたかもしれない。とにかく、車の中で秘かに自慰をしたおかげで、疲れと引き換えに僕はいささかの冷静さをとり戻してハンドルを握った。
それからの三時間、僕は早く戻らなければという思いにかられて、ひたすらパリに向かって走り続けた。その切迫感は、このまま手を拱《こまね》いて月子を彼等の蹂躪《じゆうりん》にまかせておくと、とり返しのつかないことになる。そうした不安とともに、ひたひたと何者かに追われているような恐さ。それはシャトウに屯《たむろ》する奴等の手下のようでもあり、パリ警察のようでもあり、義父や義母など、月子の安否を気遣っている人たちのようでもある。
とにかく、僕は急がなければならない。この闇の彼方でくり広げられている邪悪で淫蕩《いんとう》な世界から少しでも離れなければならない。そんな強迫観念にとり憑かれて、それこそ瞬きもせずに懸命に走り続けた。車が高速A10号線からオルレアン門の出口に出てパリの街の明りにつつまれたとき、僕はようやく悪魔たちの手から逃れきれたような気がして窓を開け、夜のパリの空気を吸った。
ここまで来たら、もはや彼等とてそう簡単に手出しをすることはできない。
かすかな安堵をえて、僕はなにくわぬ顔でフロントの前を通り過ぎ、ホテルの部屋へ戻って、緊張続きで渇いた喉を潤すために冷蔵庫のビールを一気に飲み干した。そこでようやく人心地ついてあたりを見廻すと、部屋の窓ぎわの机の上にあるファックスに通信紙がはさまっている。
僕がいないあいだに送られてきたのか。なに気なく手にとって見るうちに、僕の心臓はたちまち高鳴り、背筋が震えるような戦慄《せんりつ》にとらわれる。
なんという書類。いや、それ以上に、奴等のやり方はなんと悪辣なのか。書類は一見、彼等の迅速さと丁重さを装っているように見せて、その実、かぎりなく淫蕩で執拗《しつよう》な作業をくり返していることを証明する以外のなにものでもない。
「畜生……」
僕はつぶやきながら、部屋に戻ってきても、なお彼等の魔手がべっとりと、僕の首から背から内臓までまとわりついているのを実感する。
もはや卑劣とか傲慢などという言葉ではいい表せられない。これは明らかに小心な僕への侮辱であり、挑戦状である。呆れたことに書類には、僕が城を離れてから、さらに彼等が月子にくわえた淫らな行為の数々が、およそ内容にはそぐわない明晰さで、整然と記されている。
ともかく、僕は胸の鼓動と全身の火照りを落着けるため、衣服をかなぐり捨て、そこが唯一の憩いの場であるベッドにもぐりこみ、目を閉じる。そのままひたすら息を潜め、なお続く心臓の鼓動に耳を傾けながら、闇の中でつぶやく。
「悪魔め……」
奴等がなんといおうと、もはや彼等のいいなりにはならない。奴等がどんな卑劣な手段を弄して迫ってきても、その手にのりはしない。
「絶対に……」
口ではそう叫びながら、どうしたことか、僕の股間は再び生き返ったように、むくむくと盛り上がっている。
疲労ということからいえば、僕はいま圧倒的に疲れているはずである。今日の午後から夜にかけて、パリ―ロワール間、百六十キロの道を、一人で運転して往復してきたばかりである。しかもその間、緊張と不安の連続で、挙句にいまも脳裏に灼《や》きついて離れない衝撃的なシーンが交錯して、まさに心身ともに疲労の極にある。
それなのに、なんとしたことなのか。僕のペニスは再び勃って、頭一杯に全裸の月子と、それを取り囲む仮面の男たちの姿が甦ってくる。
いったい、肉体の疲労とペニスの勃起とは関係がないものなのか。この異様としかいいようのない体の状態を創りあげたものが、僕の到着を待ちかねたように着いていた、彼等からの報告書であることは間違いない。
彼等がいう、いわゆるムジュール(メジャリング)のさらなるデータ。「計測の続き」と一見淡々と数値だけが記されている。
「大陰唇・正常、小陰唇・淡紅色やや小、陰核・長径〇・七センチ、陰裂・三・二センチ、会陰部・二・五センチ、膣深・九・五センチ、肛門・異常なし、未通」
これから明白なことは、僕がシャトウから去ったあとも、彼等はなお執拗に月子の計測を続けていたという事実。たしかにそれはある程度予測したことではあったが、それにしてもこのデータはあまりに微に入り細を穿《うが》ちすぎる。いや、問題なのはデータでなく、彼等の行為そのものである。
それでも初めの陰唇に関わる記述はまだ許せる。あれだけの明りの下で、あれほど露骨な体位をとらされたら、それらが一目瞭然、彼等の目に晒《さら》されるのは避けようもない。
だがそのあとの陰核・長径〇・七センチとはどういうことなのか。いや、ここでも問題なのは計測値より、彼等がこの値を導き出すにいたった行為と、それを甘受せざるをえなかった月子の姿態である。夫の僕でさえ、あからさまに見たことのないその個所を、彼等は強引におし開き、メジャーを当てて正確に計測したというのか。それだけではない、陰裂、そして会陰部と、もちろん医師である僕は、その種の言葉はすぐわかる。陰裂が膣の開口部の長さで、会陰部がその後端から肛門へいたる距離を表していることを。それを正確に測るために、彼等は月子にどのような姿態を要求し、月子はそれにどのように耐えたのか。耐えたといえば、そのあとの膣深で、それは文字どおり膣の奥行きに違いない。それをいかなる方法で測り、そのとき月子はどのように呻《うめ》き、悶えたのか。
とにかく、ここまでやるとはもはや正常ではない。いや、彼等が尋常でないことは、初めからわかっていたことだが、それにしても、ここまで測る必要があったのか。それを敢えてしたところをみると、その数値をなんのために利用するつもりなのか。
そしていまひとつ、最後の肛門、アヌスに対しての「異常なし」に続く「未通」とはなにを表すのか。未だ通らずというのは、月子のアヌスがいまだ犯されていない意味で、だとすると彼等はそこに指でも入れてたしかめたのか。そして、そこまで調べたところをみると、奴等はいつか、月子をうしろから犯そうとしているのか。
とにかくここまで読めば、彼等の行為が淫靡や背徳をこえて、いまや「蹂躪」という言葉でしか表しようがないことがわかる。まさしくあのあと、月子は彼等のなすがままに、蹂躪のかぎりを尽されたに違いない。
そのたしかな証拠を、僕のところまでいち早く送りつけてくるとは、いったい彼等の神経はどうなっているのか。これは親切でも好意でも、ましてや仕事に忠実な証しでもない。それどころか、彼等が人質になっている月子を徹底的に嬲り、弄《もてあそ》び、虐げた。その事実を示し、それを知って苦しむ僕を揶揄《やゆ》し、嘲笑《あざわら》うための書状ではないか。
もはや一時も、彼等のなすがままに任せておくわけにいかない。即刻、彼等とのあいだに交わした契約書を返し、賠償金が必要ならそれを用意して、嘆き苦しむ月子を救い出さねばならぬ。
そう思い、急がねばと思いながら、現実に僕のしたことといったら、呆れたというか、愚劣といおうか。こともあろうに、その憎悪すべき計測データの記された用紙を手にしたまま、空いたもう一方の手で自分のものを握り締め、ゆっくりと自慰をはじめたのである。
さらに哀れむべきことに、さかりのついた犬猫以下の直截さで、僕の疲れているはずのペニスは再び屹立《きつりつ》し、やがて身震いするほどの快楽のなかで射精される。その瞬間、僕がこれまで貯え、築き上げてきた知性や教養などはひとかけらの価値もなく、かわりに僕を支配していたのは、ただただ肉への欲望と、他人に知れぬ愉悦の中に身を委ねているという充足感だけで、その瞬間、僕はまさしく人間でなく、といって獣ほどの律儀さもなく、完全に堕落しきった一匹のオスでしかなかった。
それにしても一夜に二度も自慰をくり返したら、三十歳を過ぎたばかりの僕でも、さすがに消耗し、疲れ果てる。そのあと、僕はたしかに眠ったはずだが、それもいつもよりは深く、いわば泥酔という形で眠りに落ちた。
だが疲れ過ぎていたせいか、あるいはシャトウで目撃した情景が頭に残りすぎていたからか、何故か僕は魘《うな》され、悪夢の中をさ迷いながら、僕の一物はなお思い出したようにときどき勃起していたようである。
それは今朝、寝起きのあとの、半ば覚めて半ば覚めやらぬ茫漠とした時間のなかで、気怠さとべとつく感覚のなかで揺れていたことからもわかる。それでもいつもなら、二、三十分も経てば起き出すのに、なお起き出す気になれず、昨夜の名残りを追ううちに、気がつくと僕の右手はまたも股間にあって、なんの躊躇もなく、ごく当然のように再び自慰をはじめたのだった。
昨夜から今朝にかけてこれで三度目、正直いって、僕はこんなに自慰を重ねたことはない。高校生のころ、受験勉強という、頭は疲れるが肉体はほとんど消耗しない、少年にとっては最も不健康な状況のなかで、何度か自慰をしたことはあったが、そのときでさえ一日に二度が限度であった。
むろん医師になり、結婚してからはさらにない。いや、はたしてそうまでいいきれるのか。そう思った瞬間、僕は射精し、再び気怠くなった頭のなかに、ゆっくりと月子と重ねてきた、この二年間の生活のことが甦ってくる。
いま振り返ると不思議な気がするが、僕と月子とは傍目《はため》にも似合いの、理想的なカップルであった。もちろん実家は月子のほうがはるかに上で、僕の父親は地方に住む一介のサラリーマンにすぎなかった。当然のことながら、母はそれに合わせたように控えめな人で、家の格式からしたら、僕の実家は月子のそれには到底およばない。だがかわりに僕は一流大学の医学部を出て、すでに博士号をとり、披露宴で僕の主任教授がいったとおり、まさしく「前途有望な青年外科医」であった。
いかに月子が創業百三十年を誇る老舗《しにせ》の令嬢で、高名な私立女子大学を出て趣味を生かしたインテリアコーディネーターとして活躍する才媛であったとしても、僕の未来に広がる可能性を考えたら、どちらが上、などとはいえない。実際、僕のまわりの人たちはもちろん、月子の親戚たちでさえ、理想を絵に描いたような組み合わせだといっていた。
二人の出会いは、たまたま僕が当直のアルバイトに行っていた赤坂の病院の院長が、君に相応《ふさわ》しいお嬢さんがいるということで紹介されたのだから、いわゆる見合い結婚であった。僕はもちろん、月子もそのときは互いに好ましい相手と思ったはずで、実際そうでなければ、あれほどの華やかな結婚式を挙げて結ばれるわけはない。
万事、結構ずくめの結婚式のあと、僕たちはそれこそ晴れて夫婦となり、形どおりに新しい人生のスタートを切った。そのとき僕たち二人は、いや、少なくとも僕は幸せの頂点にあり、これで人生の目的の半ばを達したような気持でいた。
とはいえ、人生経験の浅い僕でも、この結婚生活に一抹の不安があることくらいは感じていた。それは見合いから約一年にわたった交際期間に気付いたことだが、月子は想像していた以上に我儘で、気位が高かった。もちろんそれらが裕福な家の一人娘であることからきていることぐらいはわかっていたが、それより問題なのは、それらを背景に培われたストイックなまでの頑《かたくな》さであった。小学校のときから、いわゆるお嬢さん学校として有名なミッションスクールに通っていたせいか、万事に精神主義できれいごとを好み、建て前だけを優先する。くわえて、月子は自分の家一辺倒で、彼女の父も母もそれを良しとして、僕に対して、月子の夫というより、婿のような扱い方をする。
このことは結婚とともにたしかな現実となり、僕は月子の家の行事に引き廻されるのに、月子は僕の実家にほとんど寄りつかなかったが、それを一概に非難できない事情もあった。それというのも、新婚の僕たちには豪華すぎる四LDKのマンションを世田谷に買ってもらったのをはじめ、僕たちの生活費のかなりの部分まで、月子の実家が面倒を見てくれていたからである。だからというわけでもないが、結婚後半年も経つと僕は完全に月子の家にとり込まれ、その分だけ僕の両親は淋しい思いをすることになったが、お前が幸せならそれでいいということで、停年間近な父と穏やかな母は、表立って不満をいうこともなかった。
実際、僕も両親にはしばらく我慢してもらって、月子や月子の実家とうまくいくことを優先させていたが、このときすでに二人のあいだに破綻《はたん》が生じはじめていた。
その最大の問題はセックスで、考えてみると、僕たちは初めからどこかぎくしゃくとして冷えていた。こういう場合、婚約中から関係していれば、いくらか改善できたかもしれないが、月子は生来の頑さで、婚約していても近づく隙を与えなかった。
はたして、月子は本気で僕を好きなのか。もしかして月子が好んでいるのは、僕という、世間的に恥ずかしくない男と結婚するという形式だけで、僕という人間そのものにはほとんど関心がないのではないか。そんな疑問が生じたこともあるが、ともかくそれ以上強く求めなかったのは、いずれ結婚したら彼女も許さざるを得ないのだから、慌てるまでもない、と思っていたからである。
この僕の思惑どおり、新婚旅行に出て僕たちはようやく結ばれたが、初めてだというのに、月子にはそれらしい羞恥心とか、戸惑いといったものはほとんどなかった。そのくせ、接吻は容易に許さず、僕が強引に迫った結果、一瞬、唇に触れることはできたが、すぐ顔を振って逃れてしまう。それでもセックスだけは受け入れたが、その直前に、「手を洗ってきて」といい、そのとおりにすると、今度は「きちんと、つけて下さい」と、彼女のほうから要求する。むろん僕も新婚早々に、彼女が妊娠することなぞ望んでいなかったから異論はなかったが、いわれる度に僕は白け、月子のほうも早く終って欲しいと思っているようで、結ばれたとはいえ、やや興醒めな印象は否めなかった。ともかく終って、月子がすでに処女でないことはわかったが、といって、僕はそのことに拘泥《こだわ》っていたわけではない。いまどき二十五歳まで処女でいる女性は珍しいし、月子ほどの女性なら近付いてくる男は無数にいたはずである。それを振り切って僕と結婚してくれただけで充分で、それ以上、処女であることを求めるほど、僕は古風でも稚くもない。
それより僕が残念だったのは、初めて二人が結ばれる夜だというのに、月子の口から女らしい優しい言葉がきかれなかったことである。もともと月子は気位が高いせいか、婚約中からその種の言葉をいうことはほとんどなかったが、それにしても「好き」とか「嬉しい」くらいの言葉は欲しかった。しかしそれは僕の勝手な希望かもしれないし、初めてだけにそこまで、月子の気持に余裕がなかったのかもしれない。ともかくすべてはこれからだと、僕は僕なりにこれからの月子の成熟に期待していた。
それにしてもこの頃、僕はある意味で幸せの頂点にいた。実態はともかく、傍目には僕ほど恵まれた男はいなかった。まず僕自身については、医局でもすでにエリートの道を歩みはじめていたし、末は教授も夢ではなかったし、僕が望めば、義父の資金で大病院を建ててもらって、そこの院長におさまることもできる。一方、妻は才媛で、住んでいるところは三十代の若者には分不相応な豪華なマンションで、車は僕も妻も一台ずつ専用の外車をもっていて、いまや誰もが、僕を羨望の眼差しで見ていることはたしかだった。
だがそんな状態のなかで、僕たちの亀裂は徐々に、しかし確実に深まっていた。そしてその最大の原因がセックスの不和であることは間違いなかった。この点について自分でいうのも可笑《おか》しいが、僕はそれほど精力的な男ではない。もちろん好色ということになると少し違ってくるが、体力という点からいうと、さほど逞しくもなく、せいぜい人並みかと思っている。そんな僕が週に二、三回求めたからといって、格別多いとも思わないが、月子は「生理中」とか「疲れている」といって必ず断った。初めから月子はベッドを別々にするよう望んでいたから、求めるたびに、僕は彼女のベッドに押しかけていかなければならない。その照れくささと煩雑さをのり越えて一、二日後にさらに求めると、「頭が痛い」とか、「今日はそんな気になれない」といって断る。
それではいつ求めればいいのか。僕は苛立ち、かなり強引に求め、そこで月子は、いかにも仕方なさそうに受け入れるが、そんな状態で充足したセックスが得られるわけもない。行為のあいだ彼女が発するのは、「痛い」とか「まだ?」といった言葉だけで、顔を窺うと眉根を寄せて辛そうにしているだけである。それでも整った月子の歪んだ顔は、それなりに興奮を誘うが、途中から月子は一方的に腰を引き、「やめて」と訴える。もともと僕は学問のほうには自信があったが、男女のことに関しては不得手で、セックスの技巧といったことに関してはほとんど無知だった。そのせいか、月子と結ばれても僕は慌てるだけで、それでもようやく許してもらえた悦びでじき果てると、月子は早々にバスルームへ消えてしまう。終ったとはいえ、いましばらく互いに寄り添い、肌を触れ合わせていたい。そんな僕の気持を知ってか知らずか、月子は面倒なことが終ってせいせいしたといった感じでベッドを抜け出し、戻ってくると早々に背を向けて眠ってしまう。
いったい、この冷ややかでドライな感じはどこからくるのだろうか。もともとセックスが好きではない、といわれたらそれまでで、現にそういう女性もいるようだが、だから我慢しろといわれるのでは、夫である僕が可哀相すぎる。正直いって、それではなんのために結婚したのかわからない。そこまでいうと極端すぎるかもしれないが、男が結婚するのは、求めたらいつでも受け入れてくれる妻という安定した性の対象を得るためで、その妻が容易に受け入れてくれないのでは、結婚した意味がないことになる。
もっともこんな不満に対して女性のほうから、結婚には家庭をもつ安らぎとか、子供を産んでファミリーを形成していく喜びもあるではないか。性だけがすべてという考えは露骨すぎる、といわれるかもしれない。しかし男という生き物は、女性の想像以上に性的な生き物で、セックスが満たされないのでは、独身の自由や身勝手さを放棄してまで、結婚という束縛の多い枠の中に入る必然性はない。むろんこの場合、慣れ親しみすぎて性的好奇心を失った、熟年の夫婦ならともかく、少なくとも僕のように三十そこそこの新婚の夫が、妻に求めて許されないのでは、なんのために結婚したのか、その意義自体がわからなくなってくる。
結婚して一年も経つと、僕はかなり強く月子に不満を抱き、彼女との結婚そのものにも疑問を抱きはじめていた。むろん僕たちのまわりにいる友人や月子の両親も、僕の両親でさえも、僕が深刻に悩み、苛立っているとは知らず、僕たちが相変らず幸せな結婚生活に浸っているのだと信じ込み、それに応えて僕たちは幸せな夫婦の役を演じていた。
それにしても、僕はどうしてあんなに偽りの夫婦を演じ続けたのだろうか。それは僕の中に潜む小市民的な、ことなかれ主義のせいなのか、それとも人々の期待を裏切りたくないというサービス精神の発露なのか。ともかく僕のええ恰好しいの嫌らしさは、僕自身いやというほど知っているのだが、いつも自分の意見を通す月子まで、何故、僕と一緒にそんな欺瞞《ぎまん》の夫婦を演じようとしたのか。察するところ、月子も僕を愛してはいなくても、僕との結婚生活という、世間体だけは残しておきたかったのかもしれない。
しかしその程度の利害関係が一致したぐらいで、基本的に性を許し合えない夫婦が、そうそういつまでも誤魔化していられるわけもない。
あれはたしか義父の誕生日で、僕たちが結婚して一年少し経ったころだが、義父母と銀座のレストランで食事したあと、僕たちは二人で世田谷の家に戻った。このころ僕はすでに月子とのセックスを半ば諦めていたが、その夜は月子が珍しく上機嫌だったので、許してもらえそうな気がして求めていった。
むろんともにベッドに入って、枕元の明りも絞られていて、月子の形のいい横顔が淡く浮かんでいる。それに牽《ひ》かれるように僕が近づき、肩に手をかけると、月子は無言のまま背を向けたが、それでもかまわず顔を近づけると、月子がきっぱりとつぶやいた。
「やめて……」
その言葉をきいたのは初めてではなかったが、いつもよりさらに冷ややかないいかたに僕は狼狽《うろた》え、次の瞬間、怒りとともに「なぜ?」と問い詰めた。
しかし月子は背を見せたまま返事をせず、その頑さにさらに怒りが高じて、「理由をいえ」と迫ると、月子は「臭い」といい、少し間をおいて、「消毒の匂いがするわ」とつぶやいた。
いったい、それはどういう意味なのか。たしかに僕はその日、手術をして手を消毒していたが、その匂いがまだ手や髪の毛に残っていたのだろうか。もちろんそのあと、僕は丹念に洗い流したはずだが、匂いに敏感な月子には我慢できなかったのか。僕はそこまで考えたが、次の瞬間、消毒の匂いを否定することは僕の仕事そのものを否定することであり、それは僕自身の否定にも通じることである。そう思うと、突然、月子が驕慢《きようまん》きわまりない許せない女に見えてきて、うしろからおおいかぶさるように抱き締めた。
いま考えても、僕としたことが、どうしてあんな強引なことをしたのか。それまでも、僕が唇を求めると臭いとでもいうように、貝のように唇を閉じたまま許さなかったり、セックスのさなかに汗ばむと、近寄らないでと、肌が触れることを拒否したり、何度か腹立たしい思いにかられることはあったが、このときだけは堪忍袋の緒が切れたとでもいうのか。
そのあと激しいもみ合いになり、こんなことをしていては取り返しのつかぬことになると一瞬|怯《ひる》んだ。その隙に月子は素早く僕の腕を抜け、髪ふり乱して下着のまま隣りの部屋に逃げこんだ。もともとそこは月子の部屋で、箪笥と鏡台とソファが置かれていて、着替えなどにつかわれていたが、月子はその中に閉じこもり内側から鍵をかけてしまった。
月子と僕が別々の部屋に休むようになったのは、この争いがあってからで、それからは当然のように、僕たちのあいだのセックスも途絶えてしまった。もちろん互いの気持もさらに冷めたが、といって生活までなくなったわけではない。相変らず、義父たちや他人の前では仲のいい夫婦を演じていたが、それこそ形だけの仮面の夫婦であった。
それにしても、僕にとって憎々しく辛いことは、相変らず月子が美しく、それを多くの人が称《たた》えるのに、夫である僕がその妻を自由に抱き締められないことだった。まさしく僕は地獄に落ちたタンタロスで、目の前に絶世の美女がいながら触れることさえままならない。
僕が家でしきりに自慰をするようになったのは、そのころからである。よくきくと、家で自慰をしている夫たちは少なくないらしい。もっともそのほとんどは妻とのセックスに飽きて、一人でアダルトビデオを見たり、インターネットで妖しげな画像を追ったり、雑誌のヘアヌードなどを見て、自らを慰める。僕の友人にもそんな男がいて、せっかく妻がいるのに、どうしてそんなことをするのか、不思議に思ってきくと、彼は苦笑しながら、「生身《なまみ》の女としたら、ああしろ、こうしろといわれて、かえって面倒だろう。それよりオナニーのほうが余程自由で、思いきり空想の世界に遊べるから」という。妻を生身の女というのも凄いが、オナニーのほうがいいというのも、考えてみると凄い話かもしれない。
とはいっても、かくいう僕も家で秘かに自慰をしている夫であることに変りはなかった。ただ僕の場合、頭に描く空想の女はすぐ隣りの部屋に休んでいる妻そのものである。もしこんなことを友人に話したら、なにをいまさら妻などに執着しているのかと笑われるかもしれない。
だが僕にとって月子は、充分すぎるほど想像力をかきたてる夢の女であった。その理由が皮肉なことに、月子が肉体のすべてを僕に見せないことに原因があることはたしかだった。たとえば透きとおるほど白い両の乳房も、くびれたウエストからやわらかな下腹も、その先の股間の繁みも、さらには円くふくよかなお臀《しり》も、僕はまだはっきりと見たことがない。むろん僕は何度かそれを見せてくれるように頼み、一緒に風呂に入るように誘っても、月子は頑として受け付けなかった。
見せてくれないから想像力だけが飛翔する。それも首や胸や背や、ときに見せる素足など、ところどころ見せて肝心のところは見届けることができない。この見えそうでいてはっきりは見えない、抑制と苛立ちの交錯が、さらに男の欲望と想像力をふくらませ、自慰へかりたてることになる。その意味では、月子は好まずして、僕の欲情をかきたてていたともいえる。
それにしても、確実に女体に触れて結合しているのに、その実、体のすべてを見ていないというのも、考えてみると奇妙なことだった。月子と寝室を別にするようになってからはともかく、それ以前は、僕は何度か月子と関係し、乳房や下腹やお臀にも触れていた。その部分、部分の感触はいまも鮮やかに覚えているのに、全体像が浮かんでこない。
しかし、僕がかつて誰もが美しいと認める月子と関係したことだけはたしかである。もし性的関係が男女の最終的なコースだとしたら、最後のところまで、行きついたことだけは間違いない。ただ残念なことに、そのセックスは期待に反して、いささか淡泊で情緒に欠けたものではあったが、でもだからこそ、僕は何度も、自分でも執拗かと思うほど月子を求めてきた。とくに技巧的に自信があったわけではないが、結ばれる回数さえ増えれば、月子の感覚も芽生え、成熟してくるに違いない。そう思って僕は諦めず、ときにその種の本まで読んで、月子の気持をほぐそうとした。とにかくそのころの僕は、月子のセックスにおける冷ややかさを治すのが自分の最大の務めのように思い込み、それが治らなければ夫の沽券《こけん》にかかわるような気さえしていたのである。
だが月子の冷淡さは一向に変らず、ときに僕が冗談まじりに、僕の一物を握って欲しいとか、月子の可愛いあそこを見たいなどというと、月子は露骨に眉を顰《ひそ》めて、「いやらしい」と一言の下に切り捨てる。まさしく月子の口癖はこの一言で、それをいうとき、人形のように整った月子の顔は、いかにも卑しい人間を見るような表情になる。
いったいどうして、月子はこれほど性を嫌い、軽蔑するようになったのか。初め、それは月子が僕を本当の意味で愛していないからだと思っていたが、単にそれだけのことでもないらしい。その背景には、自己中心的で、他人のいうままになりたくない、さらにマイペースを崩したくないといった我儘と、ファザコンで、父に替る魅力的な男性に会っていないなど、さまざまな理由が考えられそうである。
だがそれらとは別にいまひとつはっきりわかったことは、彼女が稚いときから一貫してミッションスクールに通い続けて、キリスト教の影響を色濃く受けていたことである。もっとも月子はクリスチャンではないし、彼女の家族にもクリスチャンはいないが、だからこそ、クリスチャンの最も清廉で鬱陶《うつとう》しい部分を、最も色濃く受け継いでいたともいえる。
そう、あの肥大したお化けのような西欧キリスト教文明の建て前論だけが先行した非人間的な部分を。一方の僕が、いわゆる無知な大衆の寄せ集めだといわれる門徒衆の、仏教徒ともいえぬ仏教徒のせいか、以前から僕は神がのさばり過ぎているキリスト教に強い違和感を抱いていた。それはとくに愛と性の問題において顕著で、キリスト教ほど、人間の性と欲望を弾圧した宗教はない。事実、中世カトリック教会では、性欲は人間の原罪であるとし、性行為は生殖のためだけにおこなわれるべきだとして、性による快楽そのものを否定してきた。さらには教会が結婚にまで介入し、当事者二人の愛によって結ばれた結婚を、神が会わせ給《たま》いしものだとしゃしゃりでる。とくに滑稽なのは性行為まで規制して、許されたのは正常位だけで、それ以外の体位はすべて罪悪だとして、自慰まで禁じていた。要するに教会は、性の快楽を解放したら、教会への信仰心が薄れると危惧したからだが、その結果は、巷《ちまた》にレイプと売春と男色を栄えさせただけだった。
この馬鹿げた教義は延々と二十世紀まで続いたが、自然科学や文明の進歩とともに、さすがにこの非人間的な戒律は緩んできた。そこで慌てた教会は、人間の霊魂(精神)と肉欲を分離して、霊魂こそ人間の最上のものとし、肉欲を蔑《さげす》むべき下劣なものと教えて、両者を引き離した。
もちろん月子がそれら古典的なキリスト教の影響を全面的に受け入れているわけではない。しかし月子の心のどこかに、肉欲は卑しくて下劣なもの、という思想が植え込まれていることはたしかである。その証拠に、月子は延々と男たちの好色をなじったあと、「受胎告知を信じている」といったことがある。今年の夏、教会での友人の結婚式のあとのことだが、それに対して僕が即座に、「処女で懐胎するなど嘘っぱちだ」といいだして喧嘩になってしまった。そのときの僕は少しいいすぎたかと反省したが、そんな僕に月子はきっぱりといった。
「そういうことをいう貴方《あなた》が、嫌いよ」
僕は黙ってききながら、「そういうことを信じて、夫にオナニーしかさせない君は嫌いだ」と、心の中で叫んでいた。
そう、たしかにそのころから、僕は月子を嫌いはじめていた。度重なる苛立たしさや腹立たしさから、憎悪そのものに変っていた。夫に体を許さず、オナニーしかさせない女を、妻などといえるのか。僕がいいたいのは、その一言だった。まさしく月子は我儘いっぱいに育てられ、自分のことしか考えられないナルシストであり、そのくせ容姿と世間体にこだわり、表面では誠実とか博愛とかを唱え、キリスト教の美徳だけを信じて、性は下劣で卑しくて、しなくてすめば最良で、かわりに好色や淫蕩は人間性を堕落させるだけのものである。そんなふうに信じ、決めつけている女が、夫を慰め悦ばせ、しばしの休息を与えられるわけもない。
あんな女は、どこぞの砦か城か牢獄か、いずれかに幽閉され、徹底的に嬲られ、弄ばれ、調教されるといい。そうすることによってしか、あの驕慢で冷淡な女を改善させる方法はない。
夏の終りとともに、僕はついに心を決め、ロンドンに留学していたときに知り合った医師仲間の一人を通して、ある秘密結社があることをきいて、月子を彼等に委ねることにした。あの、キリスト教徒でありながら、その実、かぎりなく不実と悪徳をくり返し、それでも懺悔《ざんげ》さえすれば許されると、キリスト教を嘲笑っているあの男たちの手に。
その遠大な計画は、いまようやくはじまったばかりである。はたしてそれによって、これまで月子の全身に植え付けられた形だけの美徳と自尊心と、僕への冷淡さと侮蔑を、どれくらい取り除くことができるのか。
もはや僕ものんびりとは構えていられない。なによりも僕は今回の実行に、膨大な金を提供しているのだから。自分の妻が見知らぬ男たちに嬲られ、犯されるのを承知で、巨額の金を渡すなど、到底理に適《かな》った出費とは思えないが、しかし、それで月子の驕慢さが失われ、かわりに彼女が性に目覚め、セックスに溺れる淫らな女になったら、充分すぎるほど価値はあったというものである。
そこまで考えて、僕はオナニーで疲れきった頭でふと思う。
危険を承知でここまで計画して実行するとは、これこそまさしく、月子を愛している証拠ではないのか。月子への憎悪と復讐から、卑しい男たちの群がる地獄へ突き落してやるといいながら、これだけの金を費やし、これだけの熱情で月子を見守り、これだけの期待で月子の帰還を待っているとは。これこそ狂おしい愛の証し以外のなにものでもない。
「畜生……」
僕は断じて月子なぞを愛してはいない。あんな女はとことん男たちに嬲られ、責めさいなまれ、シャトウ・ルージュの地下牢にでもおし込まれ、犯され続けるといい。
心の中で叫びながら、その実、僕のしていることといったら、ベッドに横たわったまま受話器を持ち、今日もおこなわれるであろう調教の予定を知りたくて、シャトウに直接通じる秘密の電話のナンバーを押す。
受話器を持ったまま、僕はある危惧を抱いていた。
いまごろ電話をかけて、シャトウに通じるものなのか。いや、それ以上に、あのシャトウはどういう仕組みになっているのか。一見したところ、あれはまさしく古城だが、この地域一帯にあるシャトウのように、一般に公開されているわけではない。多くは入場料を払えばなかを見学することができるし、シャトウによっては内部だけ改造されてホテルになっているものもある。
しかし、あのシャトウ・ルージュだけは跳ね橋を上げたまま、一般の人が入ってくるのを頑《かたくな》に拒否している。外観から見るかぎりは、決して大きいほうではないし、ことさらに美しく、華麗な装飾がほどこされているわけでもない。円形の三つの主塔と数個の尖塔をもって丘の上に聳えてはいるが、外壁は白茶けた石が何重にも積み上げられただけで、屋根もくすんだ黒で素気ない。シャトウという言葉から受けるロマンチックな印象は薄く、それよりかつては砦とか牢獄につかわれたこともあったのかと思うほど、暗い気配さえ漂わせている。むろんなかに入ると、外観からは想像もつかぬほどの豪華な装飾と調度にあふれているが、少なくとも外から見るかぎりは、中世のシャトウそのままの陰鬱さと静謐《せいひつ》さを備えている。
考えてみると、そうした外観こそ彼等の狙いだったのかもしれない。中世以来の歴史を密閉したまま、頑に伝統を守り続けているように見せて、その実、城の中では連日、妖しく淫らな世界がくり広げられる。しかもその実情はごく限られた、あのZのように表面は紳士でありながら、裏ではかぎりない好色と背徳をくり返している奴等にしかわからない。
そんなところに、まだ朝といってもいい時間から電話が通じるものなのか。半信半疑ながら受話器を耳に当てていると、長い呼出音のあと、ようやく男の声が出た。
「アロウ……」
素気ない問いかけに、僕は自分の名前を告げてから、フランス語は苦手なので、英語で話すと断って、今日の予定のことを尋ねたが、なにか要領を得ない。僕がききたかったのは、今日の月子の調教は何時から始まるのか、ということだったが、男は「ツキコ」という名前も「ドレサージュ」という意味もよくわからないようである。
もしかすると、まだ時間が早すぎてシャトウには守衛か掃除の男ぐらいしかいないのか。僕はそこでZの名前をもちだし、彼はいないだろうかときいてみたが、男は相変らず無愛想に、いまは誰もいない、と答えるだけである。仕方なく、僕はホテルの部屋にある専用のファックスのナンバーを告げ、ここに今夜のドレサージュのことについて、連絡をくれるようにZに頼んでくれ、といって電話を切った。
どうやら思ったとおり、シャトウはまだ動き出していないようである。朝の光とは別に、あの城のなかだけは夜の続きのまま、静まり返っているのかもしれない。そこまで考えて、僕は急に月子のことが心配になってきた。もしかして、あの男たちは僕が帰ったあとも深夜遅くまで乱痴気騒ぎをくり返し、いまはまだシャトウのどこかの部屋でいぎたなく眠りこけているのかもしれない。そして月子は、そんな奴等につき合わされて、心身ともにずたずたにされ、同じシャトウの一室で、深い眠りに落ちているのではないか。
実際、Zからきいたところでは、あの男たちはパリでも有数の遊び人で、資産家でもあるらしい。Zのような元侯爵の息子から医師、弁護士、さらには宗教家までいて、みな身元はたしかなようだが、名うての悪らしい。当然のことながら、彼等は朝早く起きて働きに行くまでもない。職業はありながら、実際は部下の誰かに任せて、自分たちは夜ごとシャトウに入り浸り、放蕩《ほうとう》の限りを尽しているに違いない。
そんな奴等に囲まれて、月子はどんな仕打ちを受けたのか。昨夜は計測だけということだったから、まさかそれ以上の不埒《ふらち》なことはしていないと思うが、本当に大丈夫であったのか。覗き窓から眺めたかぎりでは、月子は目隠しをされていて表情はわからなかったが、体だけは拉致されたときから比べると、いくらかほっそりとして痩せたようである。むろんこの数日間に、月子が受けた衝撃を思えば当然のことだが、はたしてあのままで体はもつのだろうか。
初め、Zたちと交わした約束では、シャトウにいるかぎり月子の安全は保証され、食事や睡眠など、日常の生活については万全の配慮をするということだった。その配慮の内容について、具体的に二、三話してくれたところによると、月子の身の廻りの世話をするために、日本語を少し話せる女性を専門につけるという。それが昨夜会った、上品だが淫らな服装の女性か否かはわからないが、月子の食事から入浴まで、すべてかしずき面倒を見るらしい。さらにシャトウで供される食事はパリの三つ星のレストランにいたシェフがつくり、ワインも好みに応じて、フランスの一流のものを揃えているという。また月子に与えられる寝室はかつて王妃がつかっていた部屋で、ベッドは四本の支柱に囲まれたダブルで、上方と周囲には天蓋《てんがい》とサイドカーテンが張りめぐらされている。Zのいうところによると、中世の王妃と変らぬほどの丁重な待遇だが、ただひとつ調教のときだけは有無をいわせず、絶対服従が掟だという。
「それだけが、われわれに任せられた唯一の仕事だから」
Zは濃いサングラスをかけたまま皮肉っぽく笑ったが、彼等の唯一の仕事が、月子を全裸にして吊り下げ、秘所の奥まで覗き、計測することだったとは、きいているほうが呆れる。そういえば、これと同じ笑いをZはもう一度洩らしたことがあるが、それは月子の衣類のことについて話した時だった。拉致されたときの衣服のまま、月子はなんの着替えも持っていないことになるが、それで大丈夫なのか。その点が心配で尋ねると、Zは「それは、ほとんど必要ない」といって、やはり皮肉な笑いを洩らした。いまになって思うと、たしかに月子はシャトウに幽閉されたまま外に出ることはなく、あとは部屋にいるか、裸の調教を受けるだけだとしたら、あの女性が着ていたような、淫らで男たちの欲情をそそるだけの衣装以外、ほとんど必要ないことはたしかである。
いまになって彼等の卑劣なやり口のすべてがわかってきたが、といって口惜しいことに、僕はいまそれを憤り、非難することができない。月子の性の調教を頼んだのはこの僕で、正式に契約した以上、彼等が月子にどのような恥ずべき行為をくわえようとも、それはまさしく彼等の仕事そのものに違いない。実際、それらの行為なくして、月子を性的に目覚めさせることが不可能に近いことはたしかである。
ともかく、いまごろ気がついても遅いが、僕は明らかに大いなる錯覚というか、誤算をしていたようである。初め、この件を依頼する前、いや、Zに会って依頼してからも、僕は月子が受ける調教なるものが、それほど卑猥で耐え難いものだとは思っていなかった。むろん、月子の肉体にさまざまな男の手がくわえられることは覚悟していたが、それは高慢な月子への仕置きとして、むしろ当然の罰のように思いこんでいた。
しかし、その実態というか、現実を目のあたりにすると、僕の想像していたものとはまったく違っていた。さらに困ったことに、この誤算が生じるにいたった最大の原因が、調教の過程を依頼者に見せるという奴等のやり方にあることだった。いや、それを見たいといったのは僕のほうだから、すべてを彼等の責任にするわけにはいかないが、「もしご希望なら、ご覧になってもかまいません」と、いかにも親切めかしていってきたのである。見せるといわれたら見たくなるのが人情で、男なら百人が百人、見たいと思うに違いない。むろんそこでも、僕は断固として断るべきだった。いったいどこの男が、いや夫が、自分の美しい妻が見知らぬ男に全裸にされ、性的な調教を受ける光景を、覗き窓からのうのうと眺めているものか。それなのに僕といったら、それが彼等の最大の好意であり、彼等が紳士である証しだと思いこみ、パリから百六十キロもの距離を車で走り続けてわざわざ覗きに行ったのである。明らかに、そんなものを見に駆けつける僕という男は大馬鹿者で、恥知らずで、最低の男である。
それにしても、そんな異様な光景を平然と見せる彼等の神経はどうなっているのか。まともな神経があれば、それを見て悩み、苦しみ、いたたまれなくなるのが当然なのに、それを承知のうえで、敢えて僕に見せるとは。もしかすると奴等は、妻や恋人が苛《さいな》まれ、嬲られるのを見て切歯扼腕《せつしやくわん》する、そんな男を嘲笑い、苦しめるために、僕にその情景を見せると約束したのか。だとしたら、月子だけではなく、僕まで彼等の手に操られ、弄ばれていることになる。
くどいようだが、やはり僕は見るべきではなかったのだ。決して見てはならぬものを、つい悪魔の囁きにのせられて見てしまった。ならばいまからでも直ぐ、改めるべきである。もう二度と見に行かぬと、自らに誓うべきである。だがどうしたことか、いま僕はまた、その耐え難い屈辱にまみれた情景を見に行くため、シャトウ・ルージュに自ら連絡し、城からの返事を待っているとは。
僕は思わず自分の愚かさが腹立たしくなり、側にあったビールの空缶を床に投げつけるや、自らの恥部をおおうように再びベッドにもぐりこむ。
それからどれくらい経ったのか。いっとき、僕は泣いていたようである。いまさら悔いても手遅れだが、僕は重大な過ちを犯してしまった。それも人として為してはいけない、獣以下の卑劣で恥しらずなことを。そう思うと、突然、少年の頃、町で最も優秀な生徒として、みなの期待を一身に集めていたころのことが甦ってきた。その期待どおり、僕は一流大学の医学部を出て、前途洋々たる未来に向かってすすみはじめていた。つい、一カ月前まで、いや、一週間前まで、僕は日本人のなかでも最も優秀で、最も善良な一市民であった。それなのに、もしいま、僕のやったことがすべて明るみに出たら、僕はエリートどころか最低の愚か者として、月子の実家からはもちろん、大学からも、社会からも完全に抹殺されるに違いない。
どうしてこんな事態になったのか。いや、どうしてこんなことをやらざるをえなくなったのか。だがいま、そんな理由を考えたところで仕方がない。とにかく現実はすでに前へ踏み出し、もはや後戻りすることはできないのだ。ここまで悪事を重ねては、もはや悪に徹するよりない。僕はそう自分にいいきかせながら、ベッドの闇のなかでかすかに涙を浮かべていた。
部屋の電話のベルが鳴ったのは、その直後であった。
僕は涙の滲んだ目頭をおさえてから、そろそろと右手を、受話器のあるサイドテーブルのほうに伸ばした。
やはり、あの悪魔のシャトウからの電話に違いない。もはや、僕は奴等と共犯者で、奴等から逃れることはできないのだ。そう覚悟を決めて受話器を耳許に引きつけ、「アロウ」といいかけた途端、日本語が返ってきた。
「克彦くんか……」
僕は思わず「えっ……」と叫んでから、「お義父《とう》さんですね」とたしかめた。
「まだ、休んでいたかな」
「いえ……起きています」僕は慌ててベッドからはね起き、改めて受話器を耳におしつけると、義父が申し訳なさそうにきく。
「いま、そちらは朝だね」
「ええ、日本は?」
「夕方の五時だけど、もう起きているかと思って」
義父と話すのは、一昨日、ドゴール空港で別れてから二度目である。昨日、シャトウ・ルージュに行く前に、僕のほうから電話をして、とくに変りがないことを告げたが、それからほぼ一日経っている。
「その後、どうかね」
いわれるまでもなく、義父のききたいことはわかっていた。僕は心を落着かせるため少し間をおき、それから自分の心も体も悪人に切り替えてから、少し秘密めいた口調でつぶやいた。
「実はいま、僕のほうから電話をしようと思っていたのです」
「なにか、わかったのか?」
以前から、僕は頃合いをみて義父たちに話さなければいけないと思っていた。月子が拉致されてから四、五日後に犯人からのメッセージがあったことを伝えておく。その機会としてはいまが絶好かもしれない。
「今朝がたですが、ようやく犯人から連絡があって……」
「本当か……」
義父の緊張が受話器の彼方から伝わってくる。
「それで、なんと?」
「無事でした。間違いなく、月子をあずかっていると」
いま、僕は完全に悪者になっていた。予め書かれた台本どおり演じる、最も卑劣で悪辣な役者になりきって告げる。
「命だけは大丈夫だと……」
「克彦さん、月子が無事ですって……」
突然、義母の甲高い声が返ってきて、僕はその声に負けぬように受話器を握りなおす。
「ええ、心配ないようです。でも、落着いて下さい。これは僕だけにいってきたことで……」
以前から、月子が安全であることを告げるときのため、想定問答集を考えたことがあるが、それがいまはたしかに役立っていた。
「絶対、誰にもいってはいけない、口外するなと……」
電話の向こうでまたいれ替ったらしく、今度は義父の声が返ってくる。
「とにかく、月子は大丈夫だというんだね」
「犯人はそういっていますが、警察にも、大使館にも連絡するなと。もししたら月子の命は保証しないと……」
最後のほうは、少しドスをきかせて告げる。
「これだけは、必ず守って下さい」
義父は納得したのか、再び短い沈黙があってから、
「犯人は、君がそこにいるのを、わかっているのだね」
「どうやら、月子がいったようです。こちらに連絡したくて」
この答えも、予め問答集で用意していたものである。
「それで、なにが目的なのだ?」
僕は一つ咳払いをし、いかにも沈鬱な気分を込めて話す。
「どうやら、彼等は身代金が目当てのようです」
「金か……」
「それだけ渡したら、帰すようです」
「いくら、欲しいというのだ」
怒ったようにきく義父に、僕は宥《なだ》めるようにいう。
「それが、はっきりしないのです」
「でも、金をよこせというのだろう」
「そうなのですが、いまは、たしかに月子をあずかっているという連絡だけで、僕たちが約束を守るかどうか、様子を見ているのかもしれません」
「もちろん、わたしは誰にもいわない」
「お願いです、そうしていれば、また必ず連絡があると思います」
「君のほうからは、犯人をつきとめるわけにはいかないのか」
「一方的に電話があっただけですから。でも、たしかにあずかっているといったのですから大丈夫です。安心して下さい」
そのまま、少し間があって、義父が呻くようにつぶやく。
「金なら、出すから……」
「すみません」
うなずきながら、僕の顔に微笑が浮かんでくる。とにかくこれでZたちに払う金の工面はできそうである。むろん初めから、義父の金を当てにしていたのだが、はじめに彼等が僕に要求してきたのは百万フランであった。それが奴等がいう、月子が充分贅沢な生活をしながら、効果ある調教を受けるために、必要最低限の費用であるといってきた。
それが高いか安いか、僕には見当がつかなかったが、百万フランというと、日本円でほぼ一千五百万になる。彼等によると、調教が完成するまでには最低三カ月はかかるというから、一カ月に換算すると五百万少しになる。はたしてそんな大金を僕一人で用意できるのか。正直いって、僕は自信がなかったが、Zはかすかな笑いとともに、「身代金にすれば安いだろう」とうそぶいた。
なんということをいいだすのか。僕はその図々しさに呆れたが、たしかに身代金であれば、その程度の金なら引き出せそうである。いや義父であれば、可愛い娘のためなら一億くらいは簡単に出すに違いない。それに実際、身代金とすれば一千万とか二千万より、一億円くらいのほうが真実味がありそうである。もし義父がそれだけ出してくれたら、僕自身もかなり潤い、日本とパリを何度か往復して、月子の様子を見に来ることもできる。
Zにいわれるままに僕は素直に悪になり、僕自身が持っていた数百万円の貯金にくわえて、アルバイト先の院長や友人などから借り集めて、なんとか百万フランという金をつくり、すでに彼等に渡していた。むろん、そのまま持ち逃げされる不安を感じないでもなかったが、仲介してくれたのはロンドンでも高名な医師で、ボルドーにワイナリーを持っている資産家でもあったので、信用することにした。少しあとで、Zたちもかなりの資産家で、仲介してくれた医師たちと、ヨーロッパでの上流階級を形づくっていることもわかったが、彼等の持論は、「最高の美徳と最高の悪徳には、最高のお金がかかる」ということだった。
それはともかく、いま月子の安全を確認したという情報と引き換えに、義父からお金を引き出す保証もできて、僕は肩の荷をおろして、義父に囁く。
「とにかく、月子はきっと帰ってきますから、安心して下さい」
いま、それだけは断言できる。少なくとも三カ月後に、月子は無事、東京へ戻ることができる。むろん、それが以前の月子か、あるいはまったく違った月子になっているか、それは保証できないが、いずれにしろ、月子が日本に戻れることだけはたしかである。
「頼むよ、君に任せるよ」
「克彦さん、お願いよ」
電話の向こうから義父と義母が交互に訴える。僕はその二人のすがるような声に、自信をもって答える。
「大丈夫です、安心して下さい」
返事をしながら、僕はまたひとつ巨大な嘘をつき、もはや後戻りすることのできない悪党になっていくことに、震えるような怯《おび》えとともに、一方でそんな自分にときめきのようなものも感じていた。
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第二章 カレッス〈快擦〉
再び、僕がロワール川に面した小高い丘の上にあるシャトウ・ルージュへ向かったのは、全裸の月子を見た翌々日の午後だった。
この間、一日空いたのは、僕の問い合わせに対するシャトウからの連絡が遅く、ようやく届いたときは夕方で、しかも、「今日は日曜日なので、ドレサージュは中止する」という内容であった。
僕はそれで初めて、その日が日曜日であることに気がついたのだが、同時に、日曜日だから休む、というところが、なにか奇妙な気がして首を傾《かし》げた。女を全裸にして、さまざまな淫らなことを強いるのに、平日も休日もあるのだろうか。あれはどうみても、ただの身勝手な遊びではないか。そう思ったが、休日のおかげで月子にくわえられる調教が中止になることは悪いことではない。
僕は少し安堵《あんど》したが、翌日、正午にシャトウから届いた連絡では、午後九時までにシャトウに来るように、と記されていた。
いよいよ休日が終って、今日から本格的に始めるとでもいうのだろうか。僕は再び不安にとらわれながら、いまひとつ、彼等の真意がわかりかねる。そのひとつは、「今日のマダム・ツキコのカレッスは……」と、「カレッス」という新しい言葉がでてきたことであり、いまひとつは、一昨日は午後六時であったのに、なぜ九時に変ったのか。
そこまで考えたとき、僕の脳裏に突然思いがけないことが浮かんできた。もしかしてあのシャトウには、月子以外にも調教される女性がいるのではないか。なにかの理由で、今夜はそちらが先になったので、月子の調教は午後九時からに変更になったのではないか。「まさか」と思うが、どういうわけか、一度疑うとその疑問は急速に現実味を帯びてくる。むろん僕はそんなことをZからきいていないし、シャトウでたしかめたわけでもないが、奴等ならやりかねない。月子以外に一人か二人、調教を依頼された女性がいて、月子と接する以外の時間はその女性らと戯れているのではないか。実際、月子が身体の計測だけで許されたとしたら、奴等の欲望は完全な意味で満たされたわけではない。そんなときのために、他に閉じ込めている女性か、さもなくばあの夜、覗き部屋まで案内してくれた、あの前面は清楚でうしろは淫らな服を着ていた女性たちを相手に、深夜まで遊び呆けていたのではないか。そしていま一つ、ドレサージュのあとに続く、カレッスとはなになのか。僕の貧しいフランス語の知識では、それはたしか、「心地よく擦《さす》る」とか「撫でる」という意味である。してみると、今日の調教は主に月子の肌を擦ったり、撫でまわすことからはじまるのか。それらもろもろのことを考えていたせいか、高速A10号線を下りてからの道を間違い、おかげでシャトウに着いたのは、予定の九時を二十分ほど過ぎていた。
僕は一昨日と同様、跳ね橋の手前の片隅に車を停め、その先の見張所へ行った。なかにいた守衛は前と違う男だったが、僕が名前をいうと内部と連絡をとり、やがて跳ね橋が下りてきた。暗い夜空から大きな橋が下りてくる情景は不気味で、それを見届けて橋を渡り、アーチ型の城門を入ると正面に女性が一人立っていた。彼女は一昨日の女性とは違って背が高く、髪はブロンドでバストもヒップも豊かだったが、前が白いドレスで、うしろは背中が大きくえぐられ、辛うじてお臀《しり》が隠れるほどのミニスカートであるところは同じだった。もしかするとシャトウでは、女性たちはみな、この衣装をつけるように定められているのかもしれない。その女性の先導で、豪華なタペストリーで飾られた廊下をすすみ、二、三十メートル行ったところで左手に曲って螺旋《らせん》階段を上り、一昨日と同じ覗き部屋へ案内された。
部屋の中は少し冷んやりとしていたが、正面に大きなキャビネットがあり、その前にカウチとテーブルが置かれているのは一昨日と同じで、それらを見廻していると、彼女が英語で、「飲み物はなにがいいか」と尋ねた。
一昨日、僕は月子が計測される姿を眺めているうちに、いたたまれなくなったので、少しアルコールを飲むことにして赤のワインを頼むと、彼女はうなずき出ていった。
部屋に一人になって、僕は一昨日此処を訪れたとき、西陽が射していた窓に近づくが、外は闇につつまれ、丘の下の家々の明りと、広い川面だけが仄白《ほのじろ》く浮きでていた。
たしかにこの夜空の下で静まり返っているシャトウだけ眺めたら、この堅牢な石の壁の奥で、人には到底いえぬ淫らな調教がおこなわれているなどとは誰も思わない。この外観と内側との違いは、あの荘厳なステンドグラスで飾られた教会や、一見簡素な造りの修道院もみな同じなのかもしれない。表面は敬虔《けいけん》で重厚に見えるところほど、裏でなにがおこなわれているか知れたものではない。そんなことを想像しながら夜の平原を眺めていると、先ほどの女性がトレーにワインのボトルとグラスとチーズを持ってきて、テーブルの上に置く。
僕は先ほど、車で考えたことが気になって、このシャトウのなかには、他に調教される女性たちがいるのかときいてみたが、女性は「わかりません」と答えるだけで、ワインをグラスに注いでから、正面のキャビネットを片側へ寄せる。
「なにか、ご用がありましたら、この黒いボタンを押して下さい」
それは一昨夜もいわれたことである。僕がうなずくと女性は一礼して去っていく。僕は再び一人になり、カウチに座ってワインのボトルを手にとると、「シャトウ・ラトゥール」の八二年ものである。高価なワインをこともなげに置いていくことに妙に感心して一口飲むと、正面の覗き窓が明るくなり、下の部屋の全貌が見えてくる。
瞬間、僕は慌てて顔をそむけたが、それは正面に月子の顔があり、それがこちらを見ているように思ったからである。だが目隠しされている月子に僕の存在がわかるわけはなく、顔がただこちらを向いていただけだが、それにしても今夜の月子の姿は前回とはずいぶん違っている。
覗き窓の正面に、セミダブルのベッドがあり、その上に月子は全裸のまま横たわっている。顔は相変らず白い布で目隠しをされているが、頭の下に枕を入れられているせいか、すこし高くなり、正面から俯瞰《ふかん》する形の僕には、顔から足先までよく見える。とくに白い目隠しの下の鼻はすっきりと筋が通り、形のいい鼻の穴まで、まさしく見慣れてきた月子のものである。不思議なことにベッドの左右には、胸と下半身だけおおった女性が一人ずつ立っていて、ベッドは黒いレザーらしく、そこに透きとおるほど白い月子の裸体が横たわっていて、黒と白のコントラストが鮮やかである。
それにしても女性たちはなにをしているのか。僕がさらに身をのり出すと、二人は左右から月子の腕と胸元をマッサージしているようである。それも彼女らに触れられたところがひときわ艶めいて見える。これが先程の連絡に記されていた「快擦《カレツス》」ということなのか。僕は少し安堵してカウチに座ると、部屋の片隅から低く音楽が流れてくる。なにか荘厳なオルガンの音色のようだが、やがてそれが、バッハの「幻想曲とフーガ」のような気がしてくる。
いったい、なぜこんなところで、こんな曲が流れてくるのか。捕われの女を全裸にしてマッサージをしながら、幻想曲を流すとは。もしかすると、彼等は月子を神に捧げる生《い》け贄《にえ》だとでも思っているのか。僕は改めて奴等のやり方に呆れるが、マッサージをする二人の女性は、そのゆるやかな曲から軽妙なフーガに変るのに合わせるように両手を動かし、マッサージをされている月子は死んだように動かない。
下の部屋は彼等にいわせると調教室かもしれないが、僕にとっては明らかに仕置場である。そんなところで、なぜこんな厳《おごそ》かな曲を流すのか、僕は頭が混乱してきてワインをあおるが、二人の女性は淡々と、しかし的確にマッサージを続けている。
正直いって、月子の全裸をこれほどはっきりと、正面から見たのは初めてである。一昨夜も、ほぼ同じ位置で月子は全裸にされていたが、立ったまま両手を吊られていたので腰が引け、首も垂れていて、すべてよく見えたというわけではない。くわえてその姿態のあまりの無残さに、僕自身見るに忍びず、顔をそむけてしまったが、それに比べると、今夜のようにベッドに仰向けに寝かされた姿はいくらか自然で、僕の気持もいくらか安らぐ。
それにしても、マッサージをする二人の女性も、それを受ける月子も、なんと穏やかなことか。女性たちの月子に対する態度は、見知らぬ人が見ると、女王さまにかしずく侍女のようで、大切な玉の肌を敬意をこめて愛しんでいるようにさえ見える。一方の月子は外見だけ見ると、二人の侍女に左右からかしずかれているようにも見える。
これが彼等がいう快擦《カレツス》で、最高の美徳には最高のお金がかかる、ということなのか。見ているうちに僕は、彼等が月子の調教に百万フランを要求した理由が少し理解できるような気がしてきた。これだけ優雅に丹念に肌を磨かれるのなら無理もないかもしれない。そう思って見ると、月子の肌が一段と白く、輝いて見える。
いったい、この優雅なマッサージはもうどれくらい続いているのだろうか。僕はシャトウに二十分ほど遅れてきたが、そのときすでにマッサージははじまっていて、それからでも三十分は続いているから、そろそろ一時間になるのかもしれない。その間、僕は堪能するほど月子の裸体を眺め、それと同じくらいワインを堪能していささか酔ったが、といって飽きたわけではない。それどころか、いつのまにか僕自身が月子の肌に触れ、さすっているような錯覚にとらわれて妖しい気分になる。そんな酔い心地のまま、気がつくと僕の股間はいつのまにか逞しくなり、それに誘われるように僕の右手が硬いものに触れる。
このまま月子の輝く肌を見ながら自慰をしても、誰に咎《とが》められるわけでもない。それどころか、この部屋は覗き見する男たちが自慰をすることを予測して、スポットだけのライトで仄暗くし、カウチまで置いてある。一昨夜ここへ案内してくれた清楚で淫らな女性も、「ここでどのようなことをなさってもかまいません」と唆《そそのか》すようなことをいい、「ただし、この部屋から出たり、覗き窓を叩いたりすることはいけません」と念をおすことも忘れなかった。
僕は相変らず顔は覗き窓のほうに向けたまま、体はカウチに横たわり、軽く両足を投げ出す。その姿勢でズボンのファスナーを外し、なかへ手を忍びこませようとしたとき、突然、人の気配がして、男たちの話し声がする。
下の部屋に誰かが現れたのか。再び上体を起こして覗きこむと、仮面をつけた数人の男たちが、ベッドの周りをゆっくりと取り囲む。それまで、僕は女性たちの優美なマッサージに見とれて男たちの存在を忘れていたが、いまになって彼等はどこからか戻ってきたようである。服装は一昨夜と違って、色とりどりのオープンシャツにズボンだけの軽装だが、顔はやはり仮面でおおっている。例によって、ライオンとハリネズミと鳥などがいるところを見ると、いずれもこの前、月子を吊り下げて計測した奴等なのか。
いったい彼等はこれからなにをしようというのか。僕が窓ガラスに張りつくように見下ろしていると、女性たちは彼等が現れるのを待っていたようにマッサージをやめ、替りにタオルで月子の全身を拭きはじめる。不思議なことにその間、ライオンの仮面をかぶった男が持っていた鞭の先で、女性の短いスカートの端を持ち上げたり、鳥の仮面の男がペンホルダーの先につけるような長い羽根を、胸のふくらみの谷間に差し込むが、彼女たちは一切逆らわず黙々と仕事を続ける。しかも全身を拭きとったところで、女性たちはそれこそ中世の王様に挨拶でもするように、仮面の男たちに片膝ついて恭《うやうや》しく頭を下げて去っていく。
あとに残ったのは、あの獰猛《どうもう》な仮面の男たちと全裸のまま横たえられた月子だけである。彼等に囲まれて月子はどうなるのか。僕が息を詰めて見守っていると、ライオンの仮面の男が月子の髪と肩口を優しく撫でてから、右の手首と足首をベッドの端に括《くく》りつける。同様に鳥の仮面の男も月子になにか囁くと、左の腕と足を括りつける。それまで僕はまったく気がついていなかったのだが、ベッドの両端には手首と足首を固定する革の拘束具があり、それに留められて月子は両手と両肢をやや開かれた形で固定される。おかげで僕の位置からは、軽く両肢を開かれた月子の股間まではっきりと見渡せる。
また奴等の淫らな悪戯がはじまるのかと、僕は身構えたが、ひとつ解《げ》せないことは、月子が彼等のやることにほとんど逆らわないことである。一昨夜はあれほど辛そうに首を振り、腰を引いて逆らっていたのに、今夜はほとんどされるがままに従順なのは何故なのか。あのときおこなわれた体の計測で、泣いても喚いても彼等の力には勝てないと覚《さと》ったからなのか、それとも女性たちの丹念なマッサージのおかげで気持が少し和らげられたのか。とにかく不思議なほど逆らう気配はない。むろん月子は拘束されたといっても、ベッドの革具に軽く括られただけで、それほど屈辱的ではないし、明りも前回より絞られていて、僕としても目を逸《そ》らさずに見ていることができる。
それにしても、快擦《カレツス》ならすでに充分おこなわれているのに、そのうえなにをしようというのか。不安を押し殺して見ていると、仮面の男たちはベッドの足元の、月子の下半身が最もよく見える、いわゆる観覧席に座り、それぞれワインやリキュールなどを飲みはじめたようである。かわりに月子の周りには鳥の仮面の男だけが残り、自らベッドの右側に立ち上体を屈めると、目隠しをしたままの月子の耳許に接吻でもするように近づき、なにかをつぶやいている。といっても、先ほどから流れているオルガンの曲にところどころかき消されてよくきこえないが、耳が馴れるにつれて、それがフランス語であることに気がつく。「ヴ・ゼット・ベル」「ケ・ス・ク・ヴ・ゼット・シャルマント!」「ヴ・ザヴェ・アン・コール・パルフェ!」矢継ぎ早にくり出される言葉をきいているうちに、フランス語が苦手な僕も、それが「お前は美しい」「なんと魅力的なんだ」「君の体は完璧だ」などと、男たちが恋する女性に囁く愛の言葉だと気がつく。幸か不幸か月子も大学は仏文だから、この程度の言葉はわかるに違いない。とにかく仮面の男がそんなことを囁きだしたこと自体、僕にとっては驚きだったが、それとともに男の右手が月子の胸元を、そして腋《わき》からくびれたウエストのあたりまでを、行きつ戻りつしながら撫ではじめる。
いったい、これはどうしたことなのか。いよいよこれが、彼等がいう本当の快擦《カレツス》なのか。しかし、一昨夜はあれほど残酷な計測をした男が、今夜は無数の愛の言葉をつぶやきながら愛撫をくり返すとは。はたして、あの鳥の仮面の男は前回の鳥の仮面の男と同じなのか。よく見ると、男は派手な水色のワイシャツの前をはだけて、肢は長く、臀も円くつき出ていて、後ろ姿から見るかぎりでは若々しく見える。とにかく男はいまは月子を愛撫するのが務めとでもいうように、胸から腰までを軽く擦っている。正直いって、妻の体をこのように自由に触られるのは、夫としてあまりいい気はしないが、それでもあの夜の卑劣きわまりない計測よりは耐えられる。そう思って見ていると、男のやや毛深い右手が、いままでは月子のウエストから腰のあたりをさ迷っていたのに、ふと、つい行きすぎたといった感じで下腹まで伸び、一度そこへ達するや、もはやそれが既得権だとでもいうように頻繁に下腹まで伸び、やがてまた思いがけなく行き当ったように、股間の草叢《くさむら》に触れる。
瞬間、月子の下半身がぴくりと動くが、といって開かれた股間が閉じられるわけでもない。むろん今度も男の手は一度は草叢から引き上げるが、またじき繁みに達し、それが何度かくり返されるが、タッチは優しく恥毛の上をかすかに触れるだけのようである。たしかに今夜の鳥の男は、月子の気持を察してか、前回よりはるかに優しく繊細である。
単純な僕から見ると、なんともまだるっこしい指の動きだが、下腹から太腿《ふともも》への、触れるとも触れぬともいえぬ軽い愛撫は、あるくすぐったさでも醸《かも》しだすのか、月子はそのたびに軽く下半身をよじる。だが指は怯《ひる》むことなく、さらに草叢に分け入り、それを数分くり返したところで、最も敏感なところに触れたようである。
といっても、そこまで見えたわけでなく、ただその瞬間、月子の「あっ」という声が洩れ、それとともに月子の下半身が震えたように見えたからである。だが男はそうなることを予期していたように、「アン・コール・パルフェ!」と一段と声を高めて、月子の体を褒め称えると、またなにごともなかったように股間のまわりをさすりだす。彼のその一連の行為を見ていると、たしかに憚《はばか》るということはない。ときに月子が辛そうに悶えても、小さな悲鳴を洩らしても、手を止めたり遠慮することもなく、淡々と、しかし的確に触れ続ける。いまもまた男の指先が股間の最も敏感なところに触れたらしく、月子は身をよじるが、男はむしろその反応に自信を得たとでもいうように愛撫をくり返す。そして月子が悶え、身をよじるたびに僕は自分自身が嬲《なぶ》られ、苛《さいな》まれているような気がして、その都度いたたまれずワインを飲み、次第に酔いが廻ってきて全身が熱くなる。
それにしても、この男の丹念さというか、しつこさは相当なものである。もし女性を悦ばせるために、これだけの努力と時間が必要だとしたら、これまで僕がやっていたことは、なんと粗末で安易であったことか。とにかく指だけの愛撫がはじまってから三十分近くは経っているのに、男は飽きもせず、なお執拗に愛撫を続けている。これは男が自ら望んだことなのか。それとも仲間に推されて引き受けたのか。たしかに柔らかな女体に思いきり触れられるという利点はあるにしても、これはこれで結構、辛抱のいる作業ではある。実際、男はベッドに横たわっているわけでなく、中腰で上体を折り曲げたまま、顔は月子の耳許に寄せ、左の手は胸へ、右手は股間で小刻みに動かしながら、休まる暇はない。美しい月子の体は別として、男のしていることだけを見れば、これはかなりの体力と忍耐力のいる作業である。それをのり越えて、なお男が延々と左右の手と指を駆使して求めているものは、なになのか。
突然、僕はかつてイギリスの病院で見た、ヨーロッパの医師たちの手術に対する異様なまでの執念を思い出す。彼等が僕たち日本人より指先が不器用で、手術の技術、とくに細かいテクニックが劣ることはたしかである。その点では、僕だけでなく日本の外科医のすべてが優越感を抱いていたが、かわりに彼等は、一度やると決めたら妥協せず、最後までやり通す。極端な話、彼等は患者が死んでも手術はやり遂げるような、粘り強さというか、恐さがある。それが何世紀ものあいだ血腥《ちなまぐさ》い狩猟や殺戮《さつりく》をくり返し、肉食を重ねて、繊細な作業を怠ってきた彼等、ヨーロッパの人間の特性である。
いま、鳥の仮面の男はまさしく、その執拗さを充分に発揮して、月子の全身にまとわりついている。もっとも、この男はヨーロッパ人の執拗さだけでなく、過剰と思えるほどの甘い言葉と、彼等には珍しい手指の器用さまで、兼ね備えているようである。実際だからこそ、今夜の、月子の肉体に快擦《カレツス》をくわえるという、重大な調教役を任せられたのかもしれない。
しかし、月子ともあろうものが、そう易々と彼等の軍門に降《くだ》るわけはない。彼がいかにフランスでも名うての女たらしで、誰よりも手指の技に優れていたとしても。さらに事前の女たちの柔らかなマッサージで月子の気持をほぐし、無数の愛の言葉を月子の耳に吹き込んだとしても、月子が気持を解いて許すわけはない。たとえ、いまいっとき、くり返される秘所への攻撃で身をよじり、声をあげたとしても、好きでもない男に、そう易々と体の奥まで反応するわけはない。
いま、僕は断固として、仮面の男がやっていることは徒労に帰すると信じていた。あれほどセックスを嫌い、性を蔑視してきた月子が、執拗なだけが取り柄の、仮面の男の愛撫なぞ受け入れるわけがない。
だが、月子への攻撃が始まって三十分が過ぎ、四十分が近づいたとき、男はいよいよ最後のときがきたとでもいうように、月子のピンクに輝く乳首を口に含み、それと同時に右手を秘所の一点に当て、そこが急所とばかり責めはじめる。といって、男の行為が荒くなったわけではない。相変らず、それが紳士の務めとでもいうように、乳首を口に含みながらも、何度となく愛の口説をくり返し、肝腎の右手は巧みに秘所を分け、さらによく動く中指で、月子の最も鋭敏な部分を柔らかく撫で続ける。いや、実際、僕がそこまで確認したわけではないが、そうしているとしか思えない、ただならぬ気配が、覗いている僕にまで伝わってくる。
かくしてそろそろ一時間にもなろうかと思ったとき、思いがけない変化が月子の体に現れた。
その直前から、月子の下半身がもじもじと左右に揺れ、それとともにお腹の皮膚が波打ち、顔はうっすらと赤味を帯び口元も軽く開いて喘いでいるようである。目隠しも少し緩みかけて、それにおおわれた眼は軽く充血して、涙が少し滲んでいるのかもしれない。
僕がそう思い、なにかいたたまれぬ気分になってさらにワインを飲もうとしたとき、月子が叫んだ。
「ああっ……」
その声とともに、月子は下半身をよじり、それとタイミングを合わせるように、フーガのメロディが盛り上がる。
一昨夜、月子は両手と両肢を開かされたまま、これと似た言葉を発したが、声の感じは大分違う。一昨夜の声には、明らかに怒りと反撥があったが、いまの声には狼狽《ろうばい》というか、切なさが秘められているようでもある。
しかし月子ともあろう女が、そう易々と悦びを感じるわけはない。もしそんなことがあっては、あの傲慢で自己中心的な月子が月子でなくなってしまう。
「絶対違う」
覗き部屋で僕は叫ぶ。たとえ月子がいくらか感じ、思わず叫んだとしても、それは執拗な男の快擦《カレツス》によって、心とは別に体が裏切った、そのことへの口惜しさというか驚きの声で、心まで許したわけではない。
「断じて、違う」
僕が叫んでいるのに、仮面の男は知ってか知らずか、僕に向かって、投げキスをする。いや、それは月子の変化の一部始終を、アルコールを飲みながらながめていた仲間の男たちに向けたものだが、僕にはそれが、男の勝利宣言のように見える。
「違う、違うぞ……」
頭を抱えて叫ぶ僕の前で、鳥の仮面の男は悠々と月子の拘束具を外し、まるで以前から恋人であったように上体を軽く抱き上げると、いまはほとんど抵抗する力を失った月子の頬と耳許に接吻をくり返す。
昨夜から今朝にかけて、少し詳しくいうと昨夜、十一時にシャトウ・ルージュを出てパリに戻るまでの二時間余、そのあとホテルでシャワーを浴び、ベッドに入って眠りにつくまで、いや眠りながらも、僕の頭の中には、さまざまなことが浮かび、消えていった。
そのなかで最も関心があり、気がかりであったことは、あの鳥の仮面の男の執拗な愛撫に負けて、月子は本当に感じたのか、ということだった。
たしかに鳥の仮面の男の一時間におよぶ嬲り、いや彼等にいわせると快擦《カレツス》ということになるらしいが、その果てに月子は「ああっ……」と小さく叫ぶとともに、下半身を震わせ、次の瞬間、急に力を失ったように緊張が解けたようである。そのあとの表情は目隠しをされていたので正確にはわからなかったが、口元を軽く緩めて、満たされたような気怠《けだる》げな様子にも見えた。もし知らぬ人がこの一連の経過を見たら、月子は完全に感じて果てたと思うかもしれない。
しかし、僕は断じてそれを信じない。あの美しいが、冷ややかで傲慢な女が、そんなことで感じ、乱れるわけがない。それでは、そのあたりに無数にいる、いい加減でふしだらな女と同じになる。僕は確信をもっていえるが、月子はそんな女ではない。むろんそれは僕が月子の夫であるからいえることだが、月子はそんな安易に感じたり、達する女ではない。
その理由を話すことは、また僕の恥をさらすことにもなるが、ここまできたらそれもやむを得ない。はっきりいって、僕と月子のあいだで性的関係があったのは結婚して一年くらいのあいだである。いや、その一年間も僕のほうから何度か求めて、そのうち数回に一度、月子は受け入れるという状態だったから、月にせいぜい一、二回、一年で数えても二十回にまでは達していないかもしれない。回数はともかく、その都度、僕は僕なりに懸命に努めたつもりである。といって、それがいわゆる性の技巧として、優れていたか否かとなると問題はあるけれど。
正直いって、初めのころ、僕のやり方はいささか強引で独善的であったかもしれないが、それにはそれなりの理由があったこともたしかである。このことは前にも触れたが、月子とは見合い結婚で、僕たちが実際に結ばれたのは結婚してからであった。それも式の当日は月子が疲れているというのであきらめて、その翌日はニューヨークに行く飛行機のなかで、実際に結ばれたのは結婚して三日目であった。
このとき、僕は待たされ過ぎていたうえに、ようやく念願かなって憧れの月子を抱けるという思いが重なって、かなり性急に求めていった。それが月子にはいささか不快だったようだが、僕は僕で、自分のものが萎《な》えるような不安を抱いていた。男なら心当りがあるかと思うが、憧れの女性と結ばれるという緊張とともに、うまくやらねばという思いが先走り、それがストレスとなって、かえって失敗することがある。その初めのときも、ベッドに入るまでは自分でも納得できるほど逞しくなっていたのに、いざベッドに入り、下着姿の月子を抱き、その胸元から香水の甘い香りが漂ってきた途端に、逞しかった僕のものが急速に萎えだした。僕は慌てて自分のものに触り、鼓舞しようとしたが、いつものように反応せず、しかしいま突きすすまなければ駄目になるという不安にとり憑《つ》かれて、一気に月子の上にのしかかった。この一連の行動が乱暴で思いやりがないといわれたら、そのとおりかもしれないが、僕としてはそうするよりなかったのだ。ともかく、そんな荒々しい求めかたをしたせいか、月子は下半身を引いて身を硬くし、それでもかまわず突きすすんで結ばれはしたが、次の瞬間、僕はたちまち果ててしまった。こんなムードもなにもないやりかたでは、月子は満たされるわけもなく、僕が果てたと知ると、直ちにバスルームに消え、一人残された僕は自分の荒々しさを後悔するだけで、せっかくの初夜はかなり気まずい結果となった。
それにしても、どうしてこんなことになったのか。多くの人は僕が医師だということで、学生時代から遊んでいて、女性のことについてもかなり詳しいと思うようだが、これだけは学問のように書物を読んで覚えられるものではない。なんといっても実践というか、直接女性と接しないことにはわかりようがないが、その点で、僕はやや内気で、奥手であったことはたしかである。しかし、女性にもてなかったわけではなく、自分でいうのも可笑《おか》しいが、僕はすらりとして背も高いし、眼鏡をかけて少し神経質そうに見えるかもしれないが、顔もそれなりに整っていて、ある女性から、「秀才風ね」といわれたこともある。
そんな僕が女性に少し臆病になったのは、医学部の学生のとき、同級生のK子という女性と関係しようとして、うまくできなかったことがあるからである。その理由は僕なりにわかっているのだが、その女性とかつて関係があったといわれている男性は、僕も知っている先輩で、以前からプレイボーイとして有名でもあった。その男にK子が振られたことに僕が同情して彼女と親しくなったのだが、どういうわけか、セックスをする段になって、彼のことが僕の頭の中に甦《よみがえ》ってきた。それも、この女性はあの先輩と関係があった女だ、と思った瞬間、僕は自信を失い、肝腎のところが急に萎えてきたのである。この原因が、あの男には負けたくないと突っ張る自意識過剰の結果であることはわかったが、焦れば焦るほど萎えて、結局K子とはなにもできず別れることになってしまった。いま考えても、それは気持のうえでの問題で、余計なことを考えず、K子に対しても、普通の女と思って接すれば問題はなかったのかもしれない。その後、僕はその失敗を極力忘れるように努めてきたが、それと同じようなことが月子のときにも現れたところをみると、そのあとも精神的なトラウマとして心の中に残っていたのかもしれない。
この事件といまひとつ、それから数年あとに医師になって、同じ科の看護婦と親しくなったが、彼女とのセックスの最中に一言、いわれたことがある。
「ちょっと、枕を入れて」
正常位で僕が彼女の上にいたときだが、彼女はなに気なくいい、それを受けて僕が枕を引き寄せると、彼女は自分から軽く腰を浮かして、その下に枕をおし込んだ。そこで僕たちは再び結ばれたが、たしかに枕を入れたおかげで、彼女との密着感は深くなり、僕はじきに果ててしまった。そのかぎりで僕はたしかに満足したのだが、どういうわけかそれ以来、彼女と関係することができなくなってしまった。むろんその行為だけ見れば、彼女はどこも悪くなく、むしろセックスをするに当っての技というか、要点を教えてもらったのだから、僕のほうから感謝しなければならない。だが、誇り高いというか、彼女よりすべての点で上だと思っていた僕は、その一言でなにか侮蔑されたような、見下されたような気がして、それを思うとごく自然に萎えてしまう。はっきりいってそれ以来、急に彼女が経験豊かな男遊びのベテランのような気がして、不潔で淫らに思えてきたのである。
この二つの性に関するささやかな、いや僕にとってはかなり重要な事件なのだが、これが僕のその後の女性関係というか、セックスの面で微妙な影響を与えたことはたしかである。
はっきりいって、このときから僕はやや女性嫌いになり、同時に自分の性的な魅力について自信を失いかけていた。しかもそんな状態が続くうちに、セックスというものを、どこか鬱陶《うつとう》しい面倒なものと思うようになり、それを正当化するために女を追いかけたり、セックスについてあれこれ楽しそうに話している連中を蔑《さげす》み、軽視するようになっていた。
といって、僕自身がそんな状態に満足していたわけではなく、その種のことを軽蔑すればするほど、頭の中では、女性の肉体やセックスに対して、それまで以上の好奇心と欲望が渦巻き出していた。実際、その種の欲望は抑えようとしても抑えられるわけではなく、むしろ欲望は蓄積し、さらには屈折して、結局はどこかに捌《は》け口を求めて放散せざるを得ない。
恥を承知で話すと、この僕の鬱屈《うつくつ》した欲望を発散する最大の方法は自慰であった。病院で会う、白衣をまとって凜々《りり》しく動き廻る美人の看護婦とか、テレビでよく見る上品そうな女優とか、週刊誌のグラビアに載っているヘアーを露出したモデルなどを見るたびに、彼女たちとのセックスの瞬間を想像して自慰をする。たしかにこの頃から、僕は凜《りん》とした美女で、一見、性のことなどまったく無関心といった、冷ややかな感じの女性が好きだった。この僕の好みは幸か不幸か妻の月子につながるもので、その点でもまさしく月子は僕の理想の女性であった。
それにしても、二十代の若い男が自慰だけで満たすとは、それではあまりに味気なく、淋しすぎないか。おそらくほとんどの人はそう思い、僕自身もそう思わぬわけでもなかったが、しかし確実に自分だけの快楽を獲得しうるという点では、自慰に勝るものはない。それにこのやりかたなら、自分のものが勃《た》つか勃たぬかなどと案ずることはないし、相手の女性からセックスの最中にとやかくいわれることもない。むろん相手がいまどのような状態で、なにを欲しているかなど、いちいち考えて気をまわす必要もない。結婚して一年経ち、月子から完全に性的関係を拒否されてからも、それなりに我慢してこられたのは、まさしくこのマイペースでできる自慰のおかげであった。
とはいえ、僕もときには女性の肌とじかに接して、あの柔らかく、深々として底知れぬ、女の秘所に挿入したいという願望はもち続けていた。そういうとき、僕も当然のことながら、男たちにとって天国の、いや、よく考えると地獄なのかもしれないが、あのソープランドへ通っていた。
一見、性を軽蔑しているようなふりをして、このようなことをいうのは矛盾しているかもしれないが、現代のソープランドほど男たちを悦ばせるべく、巧妙に造られた虚構の世界はない。そこに勇気をだして足早に駆け込み、待合室に入った瞬間から、僕はまさしく大奥に入った殿様となり、さまざまな女を選《よ》りどりみどり指名することができる。
「この女」と、僕が写真の女性を指で示すと、店員は恭しくうけたまわり、やがてほどなくその女性が、それこそ手をかけるとすぐ落ちそうなガウンだけで現れ、僕の前に三つ指ついて、「いらっしゃいませ」と頭を下げる。正直いっていまどき、どこの女性がこんな控え目で恭《うやうや》しい挨拶をしてくれるものか。この挨拶だけで、単純な僕の局所はたちまち逞しくなる。そんな状態で個室に入ると、女性は待っていたように全裸になり、ありとあらゆるところを克明に見せ、それどころか自由に触らせてくれる。むろんそのままバスに入り、泡だらけの滑る肌で全身を洗ってもらってもいいし、すぐわきにあるベッドでいきなり待望の個所へ挿入してもかまわない。とにかく女は常に受身で従順で、男にかしずくものであり、こちらが好むところを撫で廻し、舐め廻し、その都度、僕はたまりかねてのけ反り、昇天する。まさしく彼女たちは天使そのもので、僕はそこではなにも考えず、すべて彼女のするに任せて横たわっているだけで、悠々と絶頂にたどりつける。これを天国といわずに、なにを天国といえばいいのか。
もっとも、当然のことながら楽あれば苦ありで、定められた二時間とか三時間という時間が過ぎれば、天使であった女性はたちまち現実の女に戻り、僕から何万というお金を回収して、「はい、これで仕事は終りました」というように、さばさばした風情で送り出してくれる。要するに、宴は終ったわけで、それはそれで納得ずみだし、ともかく若く弾んだ肌の女性と濃厚な関係を満喫できたのだから、それまでの鬱積した欲望は見事に失せ、なにか自分が急に稀代《きたい》の色男になったような気さえする。精神的にも肉体的にも、これだけの爽やかさと自信が得られるのなら五万円でも安いと思うが、それだけのお金がそうそう続くわけもない。さらにいえば、お金で買い、買われる関係は、終ってみると急に白けて、なにかとてつもない浪費をしたような虚しさにとらわれる。そしていまひとつ、それが最大の問題なのだが、ソープではあれだけ逞しく、雄々しかったはずなのに、その後、いわゆる素人の女性と接すると、再び以前のどこかおどおどした、自信のない自分に舞い戻ってしまう。
いったい、これは何故なのか。ソープの女性と一般の女性とで、どうして僕の一物がそんなに変るのか。そこでまず気がつくことは、ソープの女性と接するときは、どうせ相手は商売女で一時のことだけに、恥はかき捨てというか、どんな醜態をみせてもかまわないという、一種の開き直った気持になっている。これに対して、素人の女性とのときは一時の慰め、というわけにいかず、それだけに、あまり恥ずかしいところを見せられないといった緊張感にとらわれる。さらに行為に当ってソープでは奉仕するのはひたすら女性のほうで、こちらは横たわったまま、極端な話、一種のマグロ状態でかまわない。要するにこちらは客で殿様で、女はひたすら殿様に奉仕する下女か、メイドといった感じで、彼女らは常に僕や僕の一物を褒めたたえ、賛美することはあっても、貶《おとし》めたり、蔑むことはない。
この、どうせソープだという開き直りと、女がひたすらかしずき、自分は殿様にまつり上げられる。こういう状態でならたしかに勃起し、正常な男女の関係となると自信を失い、情けなくなるのはどういうわけなのか。
僕は医師だから、あえて医学的にいうと、なんであれ、ともかく勃つのだから、これは「不能」とか「勃起不全」といったものではない。しかし周囲の状況や相手によって、勃ったり勃たなかったりするのだから、学問的には仮りの症状で、したがって「仮性勃起不全症」とでもいうべきものである。しかも、これはあくまで一過性で、原因のほとんどは緊張のしすぎとか、焦りから生ずるものだから、神経性のものといっていい。
では実際に治すにはどうすればいいのか。治療の第一の原則は、原因を究明することで、それさえわかれば、原因を積極的に排除すればすむ。この場合、はっきりしているのは、相手が自分より地位が低く、卑しい女だと思うと可能になるのだから、これに病名をつけると、「階級性仮性勃起不全症」とでもいうべきもので、治療は当然のことながら、セックスに当って、相手は自分より劣る、卑しい女であると思いこむことである。さらにいうと、自分は女にかけてはベテランで、ドン・ファンかカサノヴァだと思いこめれば、より完全になる。
僕は泌尿器科の専門医ではないが、このあたりまでの考察はたしかで、病名も治療法も正しいはずだが、といってこれで現実に治るのか。とにかく僕という患者に対して早急にやらねばならぬことは、月子に対しても自分より劣る、性的にも未熟な女だと思いこむことである。さらにセックスに当って、どうせ恥のかき捨てという開き直った気持で、自らの弱点をさらけだすだけの勇気と大胆さをもってのぞむことである。そこまで考えて、僕の思考はぴたりと止まる。
「そんなことをいって、それを実行に移せるのか」
そう問い返されると途端に自信がなくなるが、それでも僕は僕なりに頑張ってきたはずである。少なくとも、月子がセックスを許してくれた一年前までは、僕たちの関係は必ずよくなるはずだと思いこんでいた。もちろん初回こそ緊張しすぎて失敗したが、二回目からはやりかたを改め、今日なら大丈夫と自分にたしかめてから求めていった。しかし月子は初回で懲りたのか、なかなか応じようとせず、ようやく受け入れてくれそうになったときは、こちらのほうが萎えかけて、うまくいかないということもあった。それでも何度か重ねるうちに、僕のほうはほぼ正常にできるようになってきたが、今度は月子のほうが僕とのセックスに興味を失い、避けるようになっていた。それもこれも、僕のやりかたのまずさが原因、といわれたらそのとおりかもしれないが、月子のほうもいま少し我慢して僕を受け入れ、互いによりよきセックスのために努めるべきだった。
だが、こういうところにも月子の頑《かたくな》な性格がでてきて、彼女は一度嫌となると容易に改めず、僕だけが一方的に求めるという状態が続き、二人のあいだはさらにこじれてくる。
ともかく、なんとか夫婦ともに悦びを感じ、ともにエクスタシーに達することはできないものか。僕はそれを願い、セックスに関するいろいろな本を読み、できることから実行に移してみた。たとえば寝室の明りを女性が恥ずかしがらぬ程度にほの暗くし、ムードのある音楽を流し、部屋をほどよく温かくする。普通、こういうことは妻がするべきことのようだが、それをあえて男の僕がやり、実際に接するときも、月子の不快感をかきたてぬよう、極力、おだやかに優しく求めていった。これら一連の行為はソープに行ったときとはまるで正反対で、かしずくのは僕で、女王様になるのは月子であった。
だが困ったことに、月子は僕のゆっくりと時間をかけて触れる、いわゆる前戯を、くすぐったいとか、いやらしいといって避け、僕が早く果てぬようこらえていると、むしろ早く終えて欲しいような素振りをする。要するに、彼女のセックスはかなり義務的で、終るとせいせいしたとでもいうように、すぐバスルームへ駆け込んでしまう。
いったいどうしてこんなことになったのか。本を読んで、よかれと思ってやったことが、月子にはむしろ苦痛になるとは。むろん僕のまずさが原因なのかもしれないが、単にそれだけとも思えない。それより月子の気持のなかに、初めから性を受付けない、拒否する精神的な理由があったのではないか。たとえば幼いときから通っていたミッション系の学校で、性はふしだらなものとか、汚いものといった教育を受けすぎたり、少女のころ、性に露骨な少年か中年男に会って、心の中で傷ついたことがあるのではないか。さらに月子はもともと気位が高いが、それ故にセックスで興奮したり、快感を感じたりする自分が不潔に思えて許せないのではないか。当然のことながら、セックスで男に振り廻されるような女は、頭から軽蔑しているのかもしれない。むろん僕はそれらのことについて、月子に尋ねたことはないし、きいたところで月子の性格からいって答えるとも思えない。ともかく原因がなんであれ、このまま手を拱《こまね》いているわけにはいかない。
もともとほとんどの女性は初めから性的に開かれているわけでなく、性に関して大なり小なり禁忌《タブー》的な感覚を抱いていることはたしかである。それは精神医学や性心理学などの本を読むとよく書かれているが、だからといって放置しておいていいわけはない。もしそうなら、たとえその扉が重くても、夫である僕がそれを開き、妻の月子をその種の呪縛《じゆばく》から解放してやる必要がある。それを夫である僕がしなくて、他の誰ができるというのか。そう思ったとき、月子の性に対する冷淡さと、拒否する姿勢の強さが、かえって僕のやる気と使命感をかきたて、僕はそれこそ懸命に月子に挑んできた。だが懸命になればなるほど、結果は無残な敗北で、はっきりいって、今年の初めから、僕は完全に刀折れ、矢尽きていた。たとえ僕が技巧的に多少劣っていたとしても、僕があれだけ努め、頑張ったのに無駄であったのだから、その月子に他の誰が挑んだとしても、目覚めさせられるわけはない。かくなるうえは、絶対的な権力の下で、あるいは異常な強制か拘束の下でしか、月子を甦らせることは不可能である。
僕はそう考えたからこそ、月子を「Z」たちに委《ゆだ》ねたのである。正直いって、そのときでさえ、月子が性に目覚めるとは思っていなかった。たとえ彼等があらゆる手段をつかって懸命に努力したとしても治るわけはない。僕はそう思い、信じていたのに、わずか数日の調教で、いや、彼等がいう快擦《カレツス》ごときで感じはじめるとは。そんなことは断じてありえない。もしあったとしても、それは見せかけだけの演技か、それとも一時的に催眠術にでもかけられたのか。
しかしたとえそうだとしても、それで少しでも感じたとしたら、やはり彼等に負けたことになる。昨夜一晩、まんじりともせず考え続けたのは、そのことで、くどすぎるかもしれないが、月子は本当に感じたのか。そしてそれは奴等の、愛の言葉を囁きながらの執拗な快擦《カレツス》だけのせいなのか。僕には到底理解できないが、それならそれでいま一度、自分の目でしかとたしかめなければならない。
悶々として一夜を過した挙句、翌日、僕が初めにとった行動は、パリの日本大使館へ行くことだった。
正直いって、僕はそろそろ日本へ帰らなければならなかった。ドレサージュの結果はともかく、月子の安全はたしかに確保されているし、僕がいなくなったからといって、危害をくわえられる心配はなさそうである。それを確認したところで一旦、東京へ戻り、不安で苛立っている義父たちを落着かせ、勝手に動き出さぬよう、宥《なだ》めておく必要がある。また僕自身も勤め先の病院をすでに十日近く休んでいるので、このあたりで戻って上司に釈明しなければならない。もちろん帰国が遅れた理由については、旅先で体調が悪くなったから、ということにしてあるが、それだけでそうそう長くいるわけにもいかない。これらもろもろのことを考えると、一日でも早く帰るにこしたことはないが、今夜いま一度、シャトウ・ルージュに行って、月子の様子をたしかめてから帰ることにしたい。
午前中、僕はまず旅行会社に電話をして、明日夕方の成田行きの便の予約をとった。それに乗れば、日本時間の明後日の朝には東京に着くはずである。
そのあと、僕はグレイのスーツと紺の無地のネクタイをつけてオッシュ通りの大使館へ向かった。地味で一見、喪服のようだが、妻が誘拐されて行方不明なのだから、派手な服装は避けたほうがいいと思ったからである。
予《あらかじ》め電話をしておいたので、大使館では、前に義父母と来たときに会ったことのある須藤氏が出てきてくれた。
「やっぱり、手がかりはありませんか」
会うなり、僕が尋ねると、須藤氏は申し訳なさそうに「残念ながら、いまだになんの連絡もなくて……」といってから、手に持った書類を広げた。
「この一カ月に、パリ警察が捜査依頼を受けた行方不明者だけで、三十人を超えるようです」という。これだけいるのだから、捜査は容易ではない、ということのようだが、たしかに以前、パリのさる洋服店で女性が試着室に入り、衣装を着替えているうちに何者かに拉致されて、行方不明になったという話をきいたことがある。しかも彼女はその後、アルジェリアのほうに売られていたという。
「そんなことが、あるのですか」
僕がその話をすると、須藤氏は、「たしかめたわけではありませんが、あるのかもしれません」と否定はしない。
僕はこの温厚な外交官に悪いことをしていると思いながら、「明日、一旦、日本へ戻りますけど、なにかありましたら、よろしくお願いします」と頭を下げてから、「近々に、また来るつもりです」といった。
「大変ですね、それまでにいい結果がでているといいのですが」
須藤氏に送られて大使館を出ると、オッシュ通りをつつむプラタナスの葉がかなり色づいている。その深まる秋の気配のなかを歩きながら、僕はまたひとつ、取り返しのつかない悪事を重ねたことに怯えながら、同時になにか、悪事をした者だけが感じる高ぶりのようなものも覚えていた。
たしかに異国に一人とり残される月子は可哀相だが、衣装を着替えているあいだに拉致され、売りとばされた女よりはましかもしれない。勝手な理屈で、僕は自らを慰めてからホテルへ戻った。
フロントで明日、チェックアウトすることを告げてから、部屋で荷作りをしたが、部屋にある月子のバッゲージに、衣装や化粧道具などがそのまま残されている。
僕はそこにも鍵をかけようと思ったが、ふと好奇心がわいてバッゲージの中を覗くと、きちんと折りたたんだスカーフとカーディガンの下に、ひとまとめになって下着がある。ブラジャーやキャミソールとともに、レースのショーツもある。それらを見ながら、旅行に出るとき、各々でバッゲージを持つのは大変なので、大きいのを一つにしようと提案したことを思い出す。月子はもちろん「いやよ」といったが、そのいいかたがいかにも、いやでたまらない、といった感情がこめられていた。むろんいまとなっては、僕はそのことを怨んでも憎んでもいないけれど。
ほぼ荷作りを終えてから、僕は義父と実家と病院に、電話で明日、帰ることを告げてから、少し早い夕食をホテルのカフェでとった。
これから、僕はまた戦場におもむくのである。現実に体を張って競うわけではなく、覗き窓から月子が調教されるのを眺めるだけだが、心の中では激しい葛藤《かつとう》がある。体はつかわなくても、心の中で戦うという意味で、あそこはまさしく戦場である。
今度も、僕は午後六時にホテルを出たが、そのときを見計らったように雨が訪れ、秋のパリの街が驟雨《しゆうう》でつつまれたが、僕はワイパーを最大限に働かせてロワールへ向かった。
もうこれでシャトウに向かうのは三度目で、道路も左右の風景も馴染みになったが、高速道路は雨で濡れている。こんなところで事故など起こしては大変である。それをきっかけに警察に調べられて、僕の行動の目的が明るみに出ないともかぎらない。とにかく僕はいま、奴等とぐるの犯罪者なのである。
かなり慎重に運転したせいか、シャトウ・ルージュに着いたのは、九時を少し過ぎていた。例によって僕がシャトウの手前の空地に車を停めて見張所に行くと、最初に来たときに会って顔見知りの男が軽くうなずき、内部と連絡をとってから、「行け」というように入口のほうを示した。いつ来ても、この男は無表情で無愛想である。
どういうわけか、今日にかぎって跳ね橋は下りていて、僕はそのまま渡ったが、もしかすると少し前に、誰かがこの城に来て、なかへ入ったのかもしれない。そんなことを考えて城門を過ぎると、正面に白いドレスの女性が立っていて僕を迎えてくれる。今夜の女性は最初に来たとき、覗き部屋について説明してくれた女性で、日本語が少しできたことを思い出して、廊下を歩きながらきいてみる。
「あなたたちは、ずっとここに住んでいるのですか?」
ほとんど並んで歩きながらきいたのだが、彼女は聞こえなかったように答えない。そこで、「日本の女性で、月子という人を知っているでしょう」ときくと、彼女は突然厳しい口調で、「そういうことについては、わたしたちは一切、お答えできないことになっています」という。
僕はあきらめて、螺旋階段を上って部屋の前へ行くと、扉の前に男が一人立っていて、かすかに軋《きし》む音をたてながら開けてくれる。僕は吸いこまれるように中へ入り、カウチの前で立止まる。今度で覗き部屋に入るのは三度目だが、どういうわけか足を踏み入れた途端、かすかな懐かしさを覚える。むろんそのなかには、また来てしまったという悔いとともに、此処ではどんな淫らな思いに耽《ふけ》り、どんな恥ずかしいことをしても咎められない、といった安堵感とが入りまじっている。
案内してくれた女性は、僕のそんな気持を知ってか知らずか、淡々と「お飲み物はいかがですか」ときき、僕は思いきり贅沢をいってみようと思って、予め考えていた、「ラフィット・ロートシルトの八五年あたりがあれば……」といってみると、女性は即座にうなずいて去っていく。
一人になって、僕は改めて周りを見渡すが、部屋の中は昨夜と少しも変っていない。相変らず、周りの石壁は殺風景で、正面にキャビネットがあり、その前にあるカウチとテーブルの位置も同じである。
パリを出るころから降り出した雨のせいか、部屋は暗く冷んやりとして、天井の数カ所から落ちてくる、スポットの明りの筋がきわだって見える。僕はその光の中を横切って窓ぎわに立ったが、鉄の枠が嵌《は》められた縦長のガラスの面にも雨の水滴が流れ、外は黒一色である。
「ここはヨーロッパなのだ」
そんな当り前のことを思い、さらに闇を眺めていると、突然稲妻とともに雷鳴が轟《とどろ》き、中庭をはさんだ向かいの尖塔と石壁が白く浮きあがる。さらに連続してフラッシュが切られたように、右手のロワールの川面と森が浮き出て消える。
僕は一瞬、シェイクスピアの「マクベス」か「ハムレット」の世界にタイムスリップしたような気がして息を潜めていたが、やがて遠のく雷鳴とともに、此処ではなにが起きても不思議ではないのだと納得する。そのまま雨滴のしたたる窓を眺めていると、かつかつと鉄の環で叩く音がして扉が開かれ、再び先ほどの女性が現れる。
僕が窓から離れてカウチへ戻ると、女性はテーブルの上に栓を開けたボトルとグラスとチーズを置き、正面のキャビネットを横に除《の》ける。その空間に、すでに馴染みになっている四角い窓枠が現れるが、女性はその右上のボタンを示して、「なにかご用がありましたら、ここを押して下さい」とこれまでと同じように告げてから、カウチの前で片膝ついて、ワインを注いでくれる。
僕はふと、この女性に親しみを覚えて、「このあたりは、よく雷が落ちるのですか」ときいてみたが、女性はことさらに感情を抑えた声で「はい」と答えただけで去っていく。
雨の日はワインの香りがきわだつ。僕は再び一人になってワインを一口飲み、ボトルを見ると、頼んだとおりのラフィット・ロートシルトの八五年ものである。いったい、ここにはどれほど高価なワインが貯えられているのか。僕が感服しながら最高級のワインを味わっていると、再び雷鳴が轟き、それを合図のように正面の覗き窓が明るくなる。
今夜はどんな形で月子は嬲られるのか。惹きつけられるように窓を覗き込んだ瞬間、僕は思わずつぶやく。
「どうして……」
眼下の仕置室で、月子はやはり全裸のまま寝かされている。黒い革張りのベッドに、頭を軽く持ち上げられた姿勢で目隠しをされ、その両側に二人の女性がかしずいてマッサージをしている。そこまでは昨夜とほとんど同じだが、ただ一点昨夜とまったく違うところは、月子の股間の繁みが見事に剃《そ》り落され、つるつる光って見えることである。まさに生まれたときそのままに、一点の翳《かげ》りもなく、そこだけ見ると、まるでいたいけな少女のようである。
いったい誰がこんなことをしたのか。あの、月子のまわりについている女性たちか、それとも鳥やライオンの仮面をかぶった男たちか。ともかく、ここまで卑劣なことをするのは、奴等しかいない。昨夜、鳥の仮面の男が月子の最も鋭敏なところを延々と擦ったと同じ執拗さで、充分時間をかけ、股間の一本一本の毛まで丹念に剃り上げたのであろう。むろんその間、月子は大きく股間を広げられたまま、身動きできなかったに違いない。
これは明らかに、僕が依頼した調教という行為からは逸脱している。彼等の遊び心か悪戯心のなせるわざで、こんなことが断じて許されるわけはない。僕の頭はたちまち熱くなり、怒りであふれるが、それにしても、剃り落された局所は妙に生々しく刺激的である。それも初めは少女のようにあどけなく、清らかに見えたのに、よく見ると、剃られたあとは白いというよりむしろ蒼ざめて、そこに軽く突き出た恥骨が影を落し、柔らかな割れ目にかすかな陰影を添えている。
それにしても、こんなことをされて月子はどう思っているのか。背徳と恥辱のかぎりを尽され、いまや月子の神経はずたずたに苛まれているのではないか。不安にかられて、さらに上体を伸ばして眺めるが、月子は二人の女性にマッサージをくり返されながら、逆らう気配はない。それどころか、股間が露出していることも忘れたように穏やかな表情で、すべてを女性たちにまかせているようである。
いったい、これはどういうことなのか。目隠しされてまわりが見えぬことが、ことさらに月子を大胆にさせているのか。それともこの淫らな城に幽閉されているうちに、彼等の企みにむざむざとはまり、心身ともに根底から改造されたのか。
あの頑で不感な月子が、そう易々と彼等の軍門に降るわけがない。もし月子がいま見るように、従順になっているとすると、それは悪辣《あくらつ》なZたちによって、麻酔薬か催眠薬を服《の》まされたからではないか。
僕がそこまで思ったとき、突然、手前から三人の男が現れる。それまで僕は忘れていたのだが、男たちは先ほどから、手前の、月子の秘所がはっきり見える場所に屯《たむろ》して、ワインかカクテルでも飲んでいたらしい。最初の羊の仮面の男の首筋のあたりはたしかに赤く、少し酔っているようだが、男がまず月子の左側に立つ。さらにハリネズミの男はベッドをはさんで右手に立ち、いま一人、鳥の仮面の男は月子の腰の近くに立ち、それを合図のように、それまでマッサージをしていた女性たちが一礼して去っていく。
いったい男たち三人で、これからなにをしようとするのか。僕がカウチから立上がって眺めていると、鳥の仮面の男が、月子の耳許にそっと顔を近づけて囁く。
「ヴ・ゼット・ベル」
その低いが甘い声をきいて、それが昨夜、月子を一時間以上「貴女は美しい」などと褒めそやしながら、愛撫し続けた男だとわかる。今夜もまた月子に囁くところをみると、口説には自信があるのかもしれない。
「ヌ・ザロン・ヌ・メットル・オ・セルヴィス・ドゥ・ヴォートル・コール・メルヴェイユー」
いまひとつはっきりききとれないが、「これからわれわれみなで、貴女の美しい体に奉仕する」とでもいっているようである。僕の解釈が正しいとすると、奉仕とはなになのか。
不思議に思って見詰めていると、鳥の男がまずシャツの胸元から白い布のようなものを取り出し、それを自分の頬に当ててから、月子の乳首に近付ける。それで初めてわかったのだが、布のように見えたのは鳥の羽根で、それも二、三十センチはあるようである。そういえば、ヨーロッパの貴族の書斎のテーブルの上などに、ペンホルダーについた羽根を見たことがあるが、それよりもさらに長く、羽根も豊かなようである。
鳥の男はそれをまず月子の乳首に当て、軽く上下に動かすと、「あっ」という声が洩れ、月子の上体がのけ反る。するとそれを合図のように、反対側にいた羊の仮面の男も羽根を取り出して左の乳首に当て、腰の近くにいたハリネズミの男は、月子の見事に剃り落された個所に当てたようである。
「あっ」「うっ」と、たて続けに月子の声が洩れ、それで僕はようやく彼等がやろうとしていることの全貌がわかってくる。呆れたことに、奴等は三人がかりで、全裸の月子を嬲ろうというのである。それも念が入ったことに、月子の右の胸には白の羽根が、左の胸にはブルーの羽根が、露出した秘所にはピンクの羽根が当てられ、それら三色の羽根が月子の体の上を踊るように流れていく。とくに鳥と羊の二人の男は、それぞれの羽根を月子の肩口から胸元へ、さらに腋から括《くび》れたウエストへと移動させ、それを戻す瞬間、たまたま触れたように乳首の上をかすっていく。この波状攻撃を左右からくわえるとともに、ハリネズミの持つピンクの羽根は、恥骨の頂点から柔らかな割れ目を分け、アヌスにふれるかと思うほど深くすすんでから両の内股を下り、その中ほどでまた思い出したように内股を逆行して、最も鋭敏な個所までゆっくりと舞い戻ってくる。
これだけ三枚の羽根で、手練《てだれ》の男たちによって全身を撫で擦られては、いかなる女といえども悶え、悲鳴をあげざるをえない。
それでも僕はなお、月子を信じていた。月子なら、いかに奴等が技巧を弄し、口説のかぎりを尽したとしても、降伏するわけはない。それどころか、奴等が数をたのんで卑劣なことをすればするほど反撥し、嫌悪の情をつのらせるに違いない。
だが僕の期待に反して、目の前の月子は小さく喘ぎながら、全身を小刻みに震わせるだけで、逆らう気配はない。それどころか、よく見ると月子の両手と両肢は、昨夜は革の拘束具で括りつけられていたのに、いまはすべて自由のまま解放されている。
もはやなにをされても、月子は逃げないというのか。それを見越して奴等は拘束具をつかわないのか。これでは強制された調教でなく、望んで受けた調教になってしまう。とにかくここまで見せられては、予め月子に麻酔薬や催眠薬を服ませたということはありえない。この目の前でくり広げられている嬌態《きようたい》を見たら、ほとんどの人が、月子が自ら望んで、地獄に堕ちた、いや見方によっては、天国に昇っていく、と思うに違いない。
「つきこ……」
僕は祈りをこめて、小さく叫ぶ。そんな簡単に奴等の罠にはまらないでくれ、なにをされても、あの気高く凜として、冷ややかであった月子でいて欲しい。
だが、次の瞬間、思いがけぬ言葉が僕の耳をかすめる。
「フレーズ」
一瞬、僕はそれを苺《いちご》の意味かと思い、次の瞬間、ピンクの羽根の触れている位置から、女の最も敏感で突出している個所を指しているのだと気がつく。実際、それをいっているのは、耳許で愛の口説をくり返している鳥の仮面の男でなく、月子の股間にとりついているハリネズミの男の声らしい。奴はいくらか太い声で、いまは羽根の動きを、月子の秘所の一点だけに集中して、「フレーズ」「フランボワーズ」「アリコ」「グラン・ドゥ・カフェ」「ペルル」などと連発している。それらはいずれ、「苺」「きいちご」「いんげん豆」「コーヒー豆」「真珠」と、それぞれの意味がありながら、いずれも秘所の入口にそっと顔を出しているクリトリスのことのようである。
いや、声を出しているのはハリネズミの男だけではない。鳥の男はもちろん、羊の男まで、それぞれに「ヴ・ザヴェ・ユンヌ・ベル・ポワットリンヌ(貴女の胸は美しい)」「ヴ・ザヴェ・ドゥ・ラ・ポワットリンヌ(貴女の胸は豊かだ)」「コリーヌ・ドゥ・ラムール(愛しの双丘)」などと囁きながら、いまは乳首の一点に羽根の動きを集中しているようである。まさに悪の男三人が、一人の女に集中砲火を浴びせている、としかいいようがない。
僕はなにか、自分が責められているような気がして、いたたまれずワインを呷《あお》り、覗き窓の前を右往左往するが、そんなことで彼等の責め手がおさまるわけもない。とにかく見ているのが辛くて目を閉じ、地獄を見る思いでまた目を開くと、月子の両の乳首は腫《は》れたようにそそり立ち、剃り落された股間では熟れた苺が小さく顔を出し、その下の亀裂までぬめぬめとして、愛しい液があふれているようである。
もはや、目の前にいるのは、月子であって月子でない。僕の最愛の妻であって妻でない。人一倍気位が高い女も、いまはそのかけらもない。
そう思った瞬間、月子の口から喚くような声が洩れ、それとともに、月子の全身が青白く光りながら震えだす。
「やめろ……」
僕はいま両手で頭を抱えたまま、雷鳴に撃たれたように屈みこむ。
もう、なにも見たくない。正直いって、僕はいままで、月子があんな獣のような声を出すのをきいたことがない。いや、あれは獣のようで獣でない。ききかたによっては媚びているようで甘く、そして白い月子の体が、あれほど震えて、悶えるのも見たことがない。
あれが、いわゆる果てたということなのか。満たされてエクスタシーに達したということか……。
目を閉じたまま僕はつぶやき、そっと目を開くと、月子はなお余韻をむさぼるようにかすかに口をあけたまま、なお余韻をむさぼっているようである。
「そうか……」
僕はゆっくりうなずき、そして一人でつぶやく。
「日本へ帰ろう」
もう僕がパリにいなくても、月子の命そのものが危険にさらされることはなさそうである。
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第三章 インターネット〈交信〉
眼下に快晴の日本列島が広がっている。
いま少し前、空から見えた陸地とそれに沿って走る白い波打際は、鹿島灘から九十九里浜に続く海岸線なのかもしれない。やがて機はその海岸線を離れて千葉の内陸に入り、スチュワーデスが、間もなく成田に到着する、と告げる。
もう何度か外国へ行って帰ってくるたびに、日本列島を上空から見下ろしてきたが、今回ほど、この島が美しく懐かしく感じたことはない。なんとこの国は緑が豊かで、山と平地と変化に富み、美しい海岸線につつまれていることか。これまでの乾いた大地や砂漠や、冷え冷えとした草原を見慣れた目には、日本はまさしくオアシスで、黄金の島のように見える。それは日本に帰ってくるたびに感じていたことだが、今回はそれにくわえて、ある懐かしさがこみあげてくる。
そうだ、僕は日本人なのだ。この緑豊かな大地で生まれ、育《はぐく》まれ、ここで働き生きていく。この海につつまれた光り輝く優しい島こそ、わが母なる国であり、わが故郷なのだ。そう思った瞬間、僕の目に自然に涙が浮かんできた。
いったいどうしたのか。上空から日本の島を見ただけで、こんな感傷にとらわれるとは。不思議に思って眼鏡をはずし、指先についた涙を見るうちに、いままでいたフランスのことが、悪夢のように甦《よみがえ》ってくる。
正直いって機中にいるあいだ、僕は今度の一件についてさまざまな角度から考え続けていた。まず月子については、あのままシャトウ・ルージュにいるかぎり命に別状はない。むろんさまざまなドレサージュ(調教)をくわえられることによって、体の感覚は変えられるかもしれないが、顔や外形が変るわけではない。それを月子本人がどう受けとめるかは別として、期限がきたら解放されるのはたしかだから、さし当り問題はない。
それより気がかりなのは、これから東京で会う義父や義母のことである。一日も早く月子が釈放されることを願っている彼等に、いまの状態をどのように説明し、そのときがくるまでどうしたら我慢をしてもらえるか。この難問と比べたら、勤め先の病院のほうは比較的簡単だが、それでも事件のことは誰にも気付かれぬようにしなければならない。
いずれにせよ、問題なのは月子の両親である。彼等が僕のいうことに少しでも不自然さを感じて、もし疑うようなことがあれば、これまでの僕の努力はすべて無駄になる。そんなことは万に一つも考えたくないが、もし僕が奴等と組んで意図的に月子を拉致誘拐させたと知ったら、義父はそれこそ烈火の如く怒り、義母は半狂乱になるかもしれない。それどころか、僕を犯罪者呼ばわりし、直ちに警察に届け出て、自らパリへのりこむに違いない。同時に、僕は月子と離婚させられ、義父たちとも親子の縁を切られ、いまのマンションも追い出される。それどころか、妻をそんな怪しいところに幽閉させた異常な男として告発され、そのまま身柄を拘束されるかもしれない。
そこまで考えたとき、僕の脳裏に新聞の生々しい一面が広がってくる。そこにはまず、「エリート医師、拉致誘拐事件と見せかけて、妻をフランスのシャトウに幽閉」「性的不能のコンプレックスからか」「昼は優秀な医師・夜は卑劣な覗き魔」そんな見出しがあふれ、そこに僕の顔写真がでかでかと載る。そんなことになったら、僕の田舎に住む善良な父と母はどれほど悲しむことか。そして、近くの町に嫁いでいる姉や、来年、就職するはずの弟はどうなるのか。いや、それだけではない。いま僕がいる大学病院の教授や医師たちは、またあの独身で潔癖すぎる婦長や、噂好きの看護婦たちは、さらに僕の友人や知人は、そしてマンションの管理人や、月子と親しかった女性の友達は……。
次々と考えるうちに僕の頭は発狂しそうになり、深夜便でまわりの客はみな眠っているのに、思わず声を出して叫びたくなり、その口を毛布の端で押さえて、辛うじて平静を保ってきた。そんなことをくり返してきたせいか、僕は充分眠れず、たとえ眠っても、すぐ誰かに追われているような胸苦しさで目を覚まし、いまだに頭は呆《ぼ》うとして淀んでいる。
いまになって気がつくのだが、僕はやはりパリにとどまるべきだったかもしれない。あのまま毎夜ロワールまで車をとばし、シャトウで奴等の淫らで卑劣な行為を覗き見するかぎり、僕は奴等と共犯者であり、奴等を罵《ののし》りながらも、そこでくり広げられる淫乱な行為に共感し、納得することができた。とにかく相手が誰であれ、悪事をともにしている仲間がいるという安心感が、僕をある意味で健康に、かつ意欲的にさせていたはずである。
だが、いま眼下に見える日本は、あまりに美しくて平和すぎる。明るく優しくて、清潔すぎる。それらの美徳が表面だけで、一皮むけば、つくられた虚飾であることはわかりながら、日本に戻る以上は建て前だけを優先し、それらしく装わなければならない。
考えているうちに機はランディングし、スチュワーデスが、いま成田国際空港に到着したことを告げる。僕はその明るい声をききながら、ここからは善良と誠実さを表に見せながら、この国の社会にとけこまなければならないのだと、自らにいいきかせる。
空港の手荷物検査を終えて、ロビーに出ると、まだ朝の八時を過ぎたばかりだったが、僕はそのまま渋谷にある義父の家へ向かった。バッゲージが二つあったのでタクシーを奮発し、空港から一時間半かかって義父の家に着いたが、予《あらかじ》めこの便で帰ることを伝えておいたので、義父は会社へも行かず、待っていてくれた。
いつもなら、僕は月子と一緒に居間へ入っていくのだが、出てきたお手伝いは、どういうわけか真直ぐ応接間へ案内してくれて、ソファへ座ると同時に義父が現れた。
「疲れたろう」
「いえ……」
その労《いたわ》りの言葉のなかに、義父が僕を疑っていないことを感じて一息つくと、続いて義母が現れた。
「お帰りなさい」
パリで別れてからまだ一週間も経っていないが、義父も義母も急に老けて一廻り小さくなったように見える。むろんそれが、この間の心労によることはたしかで、僕はいまさらのように自分のしでかしたことの重大さに気がつき、頭を下げると、お手伝いがお茶を持って入ってきた。すでに義父の家に十年近くいるだけに、おおよその事情は知っているらしく、いつもは陽気で口数が多いのに、今日にかぎって各々の前に茶碗を置くと、無言のまま去っていく。
義父は三人だけになったところで、待ちかねたようにきく。
「それで、どうかね」
「あのまま、とくに変りはないのですが……」
パリを発《た》つ前、僕は義父に電話をして、それまでの経緯を説明していたから、帰ってきたからといって、改めて話すことはなかった。しかしそうもいえないので、犯人から電話があったいきさつをくり返すと、再び義父が尋ねた。
「その犯人からの電話というのは、間違いないのだろうね」
僕は、彼等が僕に名指しでかけてきたことや、月子の様子や特徴など、すべて正確に告げたところから、間違いはない、と答えたうえで、いまは変に動かず、静かに待つのが得策だとくり返した。
「とにかく、警察に報《しら》せたことがわかった瞬間に殺す、というのですから」
僕はそういってから、外国の犯罪者がいかに冷酷で、大胆不敵かということを強調した。この脅かしはかなり効果があったようで、義父は不安なときの癖で肩を小刻みに震わせ、義母はいたたまれぬように叫んだ。
「そんなことさせないわ、なんとか助けて……」
「大丈夫です、こちらが下手に動かぬかぎり、月子は必ず帰ってきます」
その根拠として、犯人グループが、月子に手荒なことは一切しないこと、金さえ渡せば必ず釈放する、といっていることを強調した。
「どうも、単なる暴力団というより、なにか別の目的をもっているグループのように思うのです」
「どうして、そんなことがわかるの?」
たたみかけるような義母の質問に、僕は極力冷静に、
「よくはわからないのですが、言葉づかいが丁重で、単なるヤクザとは違うような気がするのです」
「でも、殺すというのでしょう」
「ですから、身代金さえ出せば大丈夫です」
「いくらなのだ」
「一応、三百万フランといっているのですが、直接指定する場所に持ってこいというので……」
僕はすでに、自分が払っている百万フランに上乗せしていってみる。
「じゃあ克彦さんが行ってくれるのね」
「僕でよければ……」
「もちろん、頼むわよ」
帰りの機内で、義父と義母をどのように説得するか、僕は予めその筋書きを考えてきたが、いまはほぼそのとおりにすすみかけていた。
「それで、できるだけ早く、もう一度フランスに行きたいのですが……」
親としては、一日も早く娘の無事の姿を見たいのは当然である。だが、あまり早すぎては、月子のドレサージュという最大の目的が宙に浮く。Zの話では、調教が終了するまで三カ月くらいは欲しいということだったから、それまではなんとか引き延ばさなければならない。
「僕も仕事があるので、またすぐ、パリへ戻るというわけにもいかないので……」
「でも、あの娘《こ》の命がかかっているのよ。あなたの妻が助けを求めているのよ」
「それはわかっています。僕だって、一刻も早く月子を救い出したいのは同じです。でも、連絡は向こうから一方的にくるだけなのです。むろん東京の僕のところにくれるように頼んでおきましたから、二、三日中にまたくるかと思います」
「そんな暢気《のんき》なことで、大丈夫?」
「大丈夫です。彼等と話して感じたのですが、こういうときは焦って、ことを荒立てないことです。彼等だって、なにも月子に恨みがあるわけではなく、ただ月子を人質に、金が欲しいだけなのです。無事、金さえ受けとれば、彼等は必ず月子を返してくれます。たしかにいま月子は捕われているけど、大切な人質ですから、危害をくわえるわけはありません。そんなことをしても、なんの得にもならないことは彼等が一番よく知っているはずです。とにかく、僕は病院に行って上司と相談して、できるだけ早く、もう一度フランスへ行くようにします。ですから焦らず、ここから先は僕に任せて下さい。必ず、月子をとり返してきますから」
僕は懸命に、ときには声を詰まらせながら訴えた。むろん内容は機内で考えたことで、芝居といわれたら芝居だが、ここで説得に失敗したら、僕自身が破滅するという意味で、僕は僕なりに必死であった。その懸命さが通じたのか、最後に義母は渋々ながら納得し、義父は数日中にお金を用意することを、約束してくれた。
とにかく、これでひとまず安心である。僕は自分の不注意から、こんな大事にいたったことを改めて詫びてから、いまひとつ残された問題を相談する。
「これから、しばらくのあいだ、月子がいないことになるのですが、その点をどうしたものかと……」
月子がフランスに行ったまま、二カ月も三カ月も帰ってこないとなると、月子の知人や友人はもちろん、マンションの管理人も不思議に思うに違いない。それも夫の僕だけ帰ってきて、妻の月子がいないのだから、誰が見ても不自然である。
この点について、義父たちはなにも考えていなかったらしく、戸惑った表情を見せる。たしかに、月子が無事帰れるか、そのことだけで頭が一杯だったのだから、それ以外のことにまで頭がまわらなかったのは無理もない。
「いろいろ、考えてみたのですが……」
僕はここでも、機内で定めた筋書きどおりに話してみる。
「月子は室内インテリアの勉強のため、しばらくフランスに滞在することになりました。こんなふうにいってはどうでしょう」
もともと、月子はインテリアに興味があり、結婚してからもその種の仕事をしていたのだから、この理由なら、みな納得するに違いない。期間は二カ月から三カ月くらいで、途中、イタリアやスペインのほうも廻るらしいといっておけば、月子と多少、連絡がつかなくても、あまり不審に思わないはずである。
「それで、よろしいですか」
僕がたしかめるのに、二人はつられたようにうなずいた。どうやら、義父たちはいま、そこまで考える余裕はなく、この場で最も冷静で頼り甲斐のある僕に、すべてをゆだねる気持になったようである。
僕は計画どおり、ことが順調に運んだことに満足し、お茶を一杯飲んでから、再び二人に訴える。
「お義父《とう》さん、お義母《かあ》さん、月子は必ず帰ってきますから、心配しないで待っていて下さい。焦らずに、絶対、大丈夫ですから。夫の僕が信じているのですから、お義父さんたちも信じてください」
僕は一瞬、自分が宗教家かとてつもない詐欺師になったような気がしたが、考えてみると、この両者はどこか似ているのかもしれない。ともかく僕はこれで最も気がかりだった問題をなんとかクリアし、いくらか心の余裕ができた。もっとも義母はこのあと、朝食を食べていかないかと誘ってくれたが、さすがにそこまで二人と一緒にいる気にはなれず、丁重に断って義父の家を辞した。
正直いって、僕は緊張し続けたパリでの生活と眠れなかった長旅のせいもあって、かなり疲れていた。一刻も早く一人になりたくて、真直ぐ世田谷の家に戻ったが、半月ぶりのせいか、ドアの前には新聞が山のように積み上げられ、部屋は空気が淀んでテーブルや戸棚の上には薄く埃がたまっていた。しかしいま、それを掃除するほどの気力はなく、窓も閉めたまま、僕はまずソファに仰向けになる。
そのまま目を閉じると、ようやく日本に戻ってきたことを実感するとともに、大きな仕事を終えたような安堵《あんど》を覚えた。といっても、これで仕事が終ったわけではなく、これからさらに大きな問題をかかえたことになるが、ともかく無事家に戻ってきたことだけはたしかである。
いつもなら、そのままベッドにもぐり込んで一眠りするのだが、僕にはまだしなければならないことがいくつかあった。その一つはまず病院に連絡することで、僕はとりあえず、冷蔵庫から取り出したビールを飲んでから、病院に電話をかけ、医局長を呼んでもらった。
「おう、帰ってきたか」
闊達《かつたつ》な医局長の明るい声をきいて、僕は自然に緊張がほぐれ、最初の日程から三日も遅れたことを詫びるとともに、明日から病院に出ることを告げた。
「それで、大丈夫なのか」
医局長には遅れた理由を、風邪をこじらせて体調を崩したことにしてあるので、心配しているようだが、僕は、「もう大丈夫です」と答えてから、受持ちの患者のことを尋ねたが、とくに大きな問題はなかったようである。
正直いうと、このあと再び、いや、場合によっては、二度か三度、パリに行かなければならないが、そのことはまた、そのときになって話せばいい。僕はそう決めて、いま一度長く休んだことを詫びてから、電話を切った。
次に僕がしなければならないのは、田舎にいる両親へ連絡することである。パリからは一度しか電話をしなかったが、それは、両親だけは僕を信じて、どんなことがあっても味方になってくれるという、甘えがあったからである。事実いまも、両親に電話をかけるのは一番気が楽である。
思ったとおり、まず母がでて、僕が帰ってきたことを告げると、「よかった、ご苦労さん」と素直に喜んでくれたし、替った父も「元気か……」と言葉は少ないが、僕の声をきいて安心しているのが伝わってくる。僕はフランスやヨーロッパは日本に比べると活気があって、景気もいいようですと、当りさわりのないことをいってから、再び替った母に、妻の月子がインテリアの勉強のため、しばらくパリに残ることになったと告げた。
「それで、あなた一人でやれるの?」
母は、僕の生活を心配しているようだが、むろん、僕は大丈夫と答える。それでも母は気になるらしく、「なんなら、そちらへ行こうか」といってくれる。
「いやいや……」
いま母に来られては、かえって面倒なことになる。僕はなにも知らぬ母の優しさに感謝しながら、「とにかく、元気だから」といって、電話を切った。
時計を見るとそろそろ正午で、改めて部屋を見廻すと、入口の近くにバッゲージが二つ、帰ってきたときのまま置かれている。グレイの小さいほうは僕ので、白いベルトが巻かれているのが月子のである。僕は二つのバッゲージを見ながら、今度の旅に出かける前に、大きいバッゲージ一つにして一緒に使おうといって、月子に断られたことを思い出す。
ともかく、月子のバッゲージだけは部屋に戻しておいたほうがいい。そう思って、寝室の隣りの月子の部屋に入ると、窓は白いレースのカーテンが掛けられたまま静まり返り、その手前に月子が休んでいたベッドと鏡台が置かれている。すべてきちんと整頓されているが、鏡台には化粧水やクリームなのか、色とりどりの瓶が並んでいる。そのなかで一個だけ、ピーチ色の四角い逆ピラミッド型の瓶が前にとび出ている。なになのか、手に取ってみると香水らしく、クリスタルの面に「Tresor」と記されていて、鼻に近づけると、甘く上品な香りがする。
まさしく、これは月子の匂いである。「Tresor」と書かれているところを見ると、「宝物」の意味なのか。名前からしても月子が好みそうだが、それにしても、どうしてこれ一個だけ鏡台の前にとび出ていたのか。もしかすると、月子は出かける前に急いでこれをつけ、そのまま他のボトルと一緒に並べておくのを忘れたのか。
僕はさらに蓋を外して鼻に当てると、薔薇《ばら》の花の香りがし、それとともに僕の脳裏に、シャトウの覗き窓から見た、月子の透けるような裸体が甦ってくる。
いま、月子はどうしているのか。そう思った瞬間、僕はいいようもなく月子が恋しくなり、香水のボトルを持ったまま、隣りのベッドルームへ行く。
そこはもともとは夫婦の寝室だったのだが、月子が自分の部屋で休むようになってから、僕だけの寝室になり、かつ書斎にもなっていた。その窓にもカーテンが掛かったままだが、その前の机の上にパソコンが置かれている。
僕が今日、一刻も早く家に戻りたいと思ったのは、長旅で疲れたせいもあるが、それ以上に、一人で秘かにパソコンのサイトを見たいからだった。
これだけは誰にも話していないし、いえるわけもないが、僕はパリを発つ前に、Zとこれからのことについて一つ、重大な約束を交わしてきた。それは、僕がフランスにいないあいだも、月子が調教されるシーンを見られるようにすることだった。初め、僕がこの希望を申し入れたとき、Zはしばらく考えこんでいたが、絶対秘密を守るという条件で、納得してくれた。やはり彼等は秘密の組織だけに、シャトウの映像が外に洩れることを極力恐れているようだが、僕とて妻のあられもない姿を、他の誰にも見られたくはない。結局Zは、一日ほぼ二時間程度、調教のシーンを見られるようにすることに同意してくれて、僕は日本にいながらにして、フランスのシャトウに幽閉されている月子の姿を毎日、眺められることになったのである。
まさに近代科学の恩恵というか、僕の欲望のなせるわざというか、いや、それよりもまず僕が月子を愛し、心配であるが故の結果、と思いたいのだが。
そろそろ正午で、まさに真昼間だが、僕はカーテンで閉ざされた薄暗い部屋で、おもむろにパソコンに向かう。その表面にも不在のあいだにたまった埃が薄くおおっているが、それをティッシュで拭いてからパソコンを立ち上げる。
Zと約束したとき、僕はシャトウ・ルージュのアドレスをきいておいたので、それを打ち込むと、まずサイトにつながる。そのあと、僕とZのあいだで交わした独自のパスワード、すなわち僕のイニシャルと誕生日十二月十五日からなる、KA1215を入力し、さらに「madametsukiko」と、二重のパスワードを入れる。当然のことながら、ここまですれば、僕以外の誰も、月子が調教される映像を見ることはできない。
僕は瞬きもせずモニターの画面に現れたパスワードのアステリスクを見詰め、接続されたのを見届けたところで、クリックする。
いよいよ、日本のこの僕の部屋に、フランスにいる月子の映像が送られてくる。これからは毎日机に向かうだけで、好きな時間に、月子の淫らな姿のすべてを存分に眺めることができる。僕は胸をときめかし、それこそ世紀の瞬間を待つように、息を潜めていると、突然、暗い画面が現れ、そこに白く浮き出た横文字が現れる。
「Madame Tsukiko a sesregles, elle est en conge de dressage」
初めに、「マダム・ツキコ」とあって、まず月子のことだとわかる。そのあと、「ア・セ・レーグル・エレ・タン……」はともかく「コンジェ・ドゥ・ドレサージュ」は、僕の怪しげなフランス語の知識では、「ドレサージュは休み」という意味ではないか。とするとレーグルはなにを意味するのか。考えるうちに、それは規則という意味で、他に女性の生理を表すのではないか。するとたしかに次のようになり、意味はとおる。
「マダム・ツキコは生理中につき、調教はお休みです」
そこまで気がついて、僕は大きく溜息をつく。
月子のドレサージュを最後に見たのは、パリ時間の一昨日の夜であった。そのあとホテルに戻ってきて休み、昨日は出発のためにいろいろ準備をして、夕方、ドゴール空港から日本へ向かい、今朝、成田に着いた。この間、フランス時間と日本時間が混同しているが、正確にいうと、フランスはいまはまだ深夜か、そろそろ夜が明けるころである。とすると、シャトウで月子を見てから、まる二日と半日ほど過ぎたことになる。
この間に、月子は生理になったというのか。いきなり生々しい現実を突きつけられて僕は戸惑うが、同時に、そうした女性としての正常のサイクルが月子の体に訪れたことに、なにか安堵というか、安らぎを覚える。
正直いって、月子はいま異常な世界に閉じ込められている。この数日、僕がこの目で見たとおり、あれほど過酷で淫らなドレサージュをくわえられたら、月子の体はもちろん、心もずたずたに苛《さいな》まれ、もはや正常に戻ることは不可能かもしれない。ともかく、いまの月子は心身ともに、完全に変調をきたしている、と思っていた。
だが、その月子に生理が訪れたという。
そんなことがありうるのか。信じ難いが、目の前の画面には、たしかにそのように記されている。いや、信じ難いといえば、月子が生理ということで、奴等が、月子への調教を中断したことである。むろんそういうときに強行したのでは、ドレサージュを受けるほうはもちろん、くわえるほうも苦痛かもしれない。やればできぬことはないかもしれないが、気が殺《そ》がれるに違いない。
これまで、僕は月子の生理のときをはっきり把握していたわけではないが、僕が求めたとき、それを理由に断ることが何度かあった。たしかにそんなとき、月子は不機嫌で気怠《けだる》そうであったが、いまもそんな状態なのか。そしてかつてシャトウに住んでいた王妃がつかっていたという、天蓋つきの豪華なベッドで一人、静かに横たわっているのだろうか。
想像する僕の脳裏に、この三日間覗き続けた調教室の情景が甦る。いまあの部屋は生《い》け贄《にえ》になる者もいないまま、明りも消えて静まり返っているのか。それとも、他の見知らぬ女性が、あの好色な奴等の嬲《なぶ》りものになっているのか。いずれにせよ、僕はいま奴等のやりかたに腹を立てるというより、奴等にうまくやられたというか、巧みに立ち廻られた気がしないでもない。
月子が生理になったことを知って、彼等は直ちにドレサージュを中断した。それは敵味方という立場を無視したら、いかにも女性の気持を尊重する、フランスの男らしい、紳士的な行為のように見える。むろん現実に奴等がやっていることといえば、到底他人には告げられない淫らで自堕落なことだが、表面だけはこれ見よがしに紳士の仮面をかぶり、「我こそフランス一の伊達男《だておとこ》」と、宣言しているようでもある。
ともかく、この状態ではあと二、三日か四、五日、月子の生理が終るまで、僕が秘かに期待して、僕だけが独占できるはずだった、月子が調教を受けるシーンは見られないようである。
僕は半ば納得し、半ば不満を覚えながら、ふと画面を見ると、新たに「reponse a votre question」という文字が浮き出ている。そのまま読むと、「レポンス・ア・ヴォートル・ケスチオン」で、「貴方の質問に対する答え」ということになるのだろうか。
とくにいま、僕はなにか尋ねたわけでもないのに、どうしてこんな文字がでてきたのか、不思議に思ってクリックすると、今度はいきなり「Le sexe de la femme」という文字が現れてくる。
「ル・セックス・ドゥ・ラ・ファム」とは、「女性の性器」という意味ではないか。
瞬間、僕は、今度のことを依頼したときに、Zに、「女性の性器をフランス語ではなんというのか」と尋ねたことを思い出した。それだけいうと、妙な質問だと思われかねないが、これからも奴等はさまざまな言葉で月子を嬲り、刺激するに違いない。そんなとき、女性の局所を表す言葉がでてきても、僕には即座にわかりかねる。それだけに予めきいておけば、調教のあいだに奴等が発する言葉をいくらか理解しやすい、と思ったからである。
この僕の質問に対して、Zはごく当然のようにうなずき、「われわれのサイトに接続してくれたら、わかるようしておく」といってくれた。いま画面に出ている「質問の答え」とは、まさしくそれへの回答に違いない。
僕は改めて椅子に座り直して、クリックする。
瞬間、なにか、間違ったところを押したような気がして、消しかけた。小さな、いや僕のパソコンは必ずしも小さくないのだが、その画面一杯に、あふれるほどの横文字が並んでいる。あまりに多くて、僕の語学力では到底一気に読みきれないので、ひとまずプリントアウトし、改めて辞書を手にし、その一語一語を引きながら訳してみる。
そこでようやくわかったのだが、呆れたことに、それらはすべて「女性の性器」を表す言葉らしく、まさに洪水のように、さまざまな言葉が現れてくる。
「abricot(アブリコ)杏、アプリコット」「abricot fendu(アブリコ ファンデュ)裂け目の入ったアプリコット」「amande(アマンド)アーモンド」「amoureux sillon(アムルースィヨン)愛の|襞(ひだ)、溝、|畝(うね)」「anneau(アノー)環、指輪」「antre(アントル)洞窟」「atelier(アトリエ)仕事場、工房」「autel(オーテル)祭壇」「autel de la volupte](オーテル ドゥ ラ ヴォリュプテ)悦楽の祭壇」「bague(バーグ)指輪」「bahut(バユ)長持、櫃」「balafre(バラッフル)切り傷、傷跡」「barbu(バルビュ)ヒゲの生えた」「bas(バ)低い部分」「bassin(バサン)たらい、鉢、泉水、池」「bateau(バトー)船」「baveux(バヴー)よだれをたらした」「benitier(ベニティエ)聖水盤」「berlingot(ベルランゴ)ピラミッド型のはっか入りキャンディ」「bijou(ビジュ)宝石、装身具」「blouse(ブルーズ)玉突き台のポケット」「boite d'amourette(ボワット ダムレット)浮気の箱、一時の恋の箱」「bouche(ブーシュ)口」「bouche d'en bas(ブーシェ ダン バ)下の口」「bourse(ブルス)|巾着(きんちやく)」「bouteille(ブテイユ)ワインボトル」「boutonniere(ブトニエール)ボタンホール」「brasier(ブラジエ)炭火、|燠火(おきび)」「but d'amour(ビュ ダムール)愛の目標、愛の行き先」「ca(サ)あれ、それ」「cabinet(キャビネ)小部屋」「canal(カナル)運河、水路」「canot(カノ)ボート、小舟」「carrefour(カルフール)十字路」「casemate(カズマット)トーチカ」「cave(カーヴ)地下室、酒蔵」「caverne(カヴェルヌ)洞窟、隠れ家」「celeste empire(セレスト アンピール)神の領域、天の王国」「centre(サントル)中心、中枢」「centre de delices(サントル ドゥ デリス)悦楽の中心」「chambre defendue(シャンブル デファンデュ)防御された部屋」「champ de bataille(シャン ドゥ バタイユ)戦場」「chapelle(シャペル)礼拝堂」「charnier(シャルニエ)墓場、死体安置所」「chatte(シャット)雌猫」「chemin du paradis(シュマン デュ パラディ)天国への道」「cheminee(シュミネ)暖炉」「citadelle(シタデル)城塞、要塞」「citerne(シテルヌ)貯水槽、雨水溜め」「cloitre(クロワットル)修道院、禁域」「con(コン)女性器」「conque(コンク)ホラ貝」「coquillage(コキヤージュ)貝」「corbeille(コルベイユ)籠、円形花壇」「corde sensible(コルド サンシーブル)感じやすい琴線、敏感な紐」「corridor d'amour(コリドールダムール)愛の回廊」「creuset(クルゼ)るつぼ」「creux(クルー)くぼみ」「crevasse(クルヴァス)クレバス」「cuisine(キュイジンヌ)台所」「dedale(デダル)迷宮、迷路」「dedans(ドゥダン)内部」「delta(デルタ)デルタ」「devanture(ドゥヴァンチュール)店先」「divertissoire(ディヴェルティソワール)気晴らし」「ecaille(エカイユ)ウロコ」「ecoutille(エクティーユ)ハッチ」「ecrevisse(エクルヴィス)ザリガニ」「ecu (エキュ)盾」「emplatre(アンプラートル)膏薬」「enfer(アンフェール)地獄」「ennemi(エヌミ)敵」「entree(アントレ)入口、前菜」「entresol(アントルソル)中二階」「etable(エターブル)家畜小屋」「etau(エトー)万力」「eteignoir(エテニョワール)熱意を冷ますもの」「etoffe a faire la pauvrete](エトッフ ア フェール ラ ポーヴルテ)人を貧乏にするもの」「evier(エヴィエ)排水管」「fenil(フニル)干し草置き場」「fente(ファント)割れ目」「feve(フェーヴ)そら豆」「figue(フィギュ)イチジクの実」「fleur(フルール)花」「fontaine(フォンテーヌ)泉」「foret de bois mort(フォレ ドゥ ボワ モール)死の森」「forteresse(フォルトレス)砦」「fosse(フォッス)穴、墓穴」「four(フール)かまど」「fournaise(フルネーズ)業火、燃えさかるるつぼ」「foutoir(フトワール)乱雑な場所」「foyer des plaisirs(フォワイエ デ プレジール)快楽の炉」「fressure(フレシュール)臓物」「fruit d'amour(フリュイ ダムール)愛の果実」「gagne-pain(ガーニュ‐パン)メシの種、商売道具」「garage(ガラージュ)車庫」「garenne(ガレンヌ)禁猟区」「golfe(ゴルフ)入り江」「gouffre secret(グフル スクレ)秘密の淵、秘密の裂け目」「grenier(グルニエ)干し草置き場」「grotte(グロット)深い穴」「honneur(オヌール)名誉」「huitre(ユイットル)牡蠣」「ignominie(イニョミニイ)恥辱、屈辱」「instrument(アンストリュマン)楽器」「jardin d'amour(ジャルダン ダムール)愛の園」「jointure(ジョワンチュール)つなぎ目」「jouet(ジュエ)玩具」「joujou(ジュジュ)おもちゃ」「joyau(ジョワイヨ)宝石」「labyrinthe de concupiscence(ラビラント ドゥ コンキュピサンス)肉欲の迷宮」「lampe amoureuse(ランプ アムルーズ)愛の灯火」「lapin(ラパン)うさぎ」「lieu sacre(リュ サクレ)聖なる場所」「mandoline(マンドリン)マンドリン」「marchandise(マルシャンディーズ)商品」「marguerite(マルグリット)マーガレット、ヒナギク」「marteau(マルトー)ハンマー」「medaillon(メダイヨン)大型メダル」「minou(ミヌー)子猫」「moule(ムール)ムール貝」「nenuphar(ネニュファール)睡蓮」「niche du demon(ニッシュ デュ デモン)悪魔の陋屋」「nid(ニ)巣」「noir(ノワール)黒い部分」「oignon(オニョン)タマネギ」「oiseau sans plumes(ワゾー サン プリューム)羽毛のない鳥」「ouverture(ウヴェルチュール)入口、抜け穴」「paradis(パラディ)天国」「parenthese (パランテーズ)マル括弧」「parties honteuses(パルティ オントゥーズ)恥部」「passage(パサージュ)通路」「patate(パタット)まぬけ」「Pays-Bas(ペイバ)オランダ」「pertuis(ペルチュイ)水門」「petit vase(プチ ヴァーズ)小さな花瓶」「piege(ピエージュ)落し穴」「pigeon(ピジョン)ハト」「pince-vit(パンス・ヴィット)チンポ挟み」「pissoir(ピソワール)尿瓶」「portefeuille a moustaches(ポルトファイユ ア ムスターシュ)ヒゲ付き札入れ」「port(ポール)港」「pot(ポ)壺」「precipice(プレシピス)断崖、深淵」「puits d'amour(ピュイ ダムール)愛の井戸」「quelque chose de chaud(ケルク ショーズ ドゥ ショー)何か熱いもの」「rat(ラ)ねずみ」「riviere(リヴィエール)小川」「rose(ローズ)薔薇」「route(ルート)道」「sac(サック)袋」「saint(サン)聖所、深奥部」「saladier de l'amour(サラディエ ドゥ ラムール)愛のサラダボール」「salle des fetes(サル デ フェット)お祭りホール、祭り部屋」「sanctuaire(サンクチュエール)聖域、神聖な場所」「seau(ソー)手桶、バケツ」「serrure(セリュール)錠」「sillon magique(スィヨン マジック)魔法の溝」「sixieme sens(シィジエーム サンス)第六感」「souris(スリ)ハツカネズミ」「source(スルス)泉、水源」「temple(タンプル)神殿、寺院」「terrier(テリエ)巣穴」「thermometre(テルモメットル)体温計、温度計」「tirelire(ティールリール)貯金箱」「tiroir(ティロワール)引き出し」「trappe(トラップ)罠」「tresor(トレゾール)宝物」「trone du plaisir(トロン デュ プレジール)快楽の玉座」「trou(トルー)穴」「trou de service(トルー ドゥ セルヴィス)奉仕の穴」「vagin(ヴァジャン)ヴァギナ」「vaisseau charnel(ヴェソー シャルネル)肉の船」「vase(ヴァーズ)花瓶」「velu(ヴリュ)毛に覆われた部分」「venus(ヴェニュス)ヴィーナス」「viande de chretien(ヴィアンド ドゥ クレティアン)キリスト教徒の肉」「vigne du seigneur(ヴィーニュ デュ セニュール)領主のブドウ畑」
正直いって、僕はここまで訳し続けて心身ともに疲れ果て、目は血走り、胸は高鳴り、辞書を引く手は震えていた。
いったい、これまでいくつあったのか、AからはじまってB、C、Dと、そして最後はVまで百八十近く、正確に数えてみると、全部で百七十八もある。
正直いって、僕は二つか三つ、せいぜい五つぐらいかと思って尋ねたのである。日本語でいえば、「オマンコ」とか「オメコ」とか「おそそ」とか、地域によってさまざまな呼び方があるようだが、ごく一般的な、パリの男たちがつかう言葉として、覚えておきたいと思っただけである。
だが、一気にこれだけの言葉がZの頭の中に浮かび、送られてくるとは、僕はまずその数の多さに圧倒された。さらに内容も多彩で、ある言葉は植物や小動物で表され、またその形態からつくりだされたと思われるものもある。むろん、男たちの憧れや願望、想像から生み出されたものもある。なかには日本語でもつかわれていて、わかり易いのもあるが、さらにどこかユーモラスなものから、なにやら深遠で哲学的なものもある。
たとえば、「天国への道」という言葉があるかと思うと「地獄」という呼び方もある。まさしく、女の秘所は、ある男にとっては天国への道であり、ある男にとっては、一度堕ちるともはや這い上がれない地獄なのだ。
これだけの言葉が、女性のあの一点を示すためにつくりだされている。それも方言や地域独自の言葉というのでなく、一般の人に共通して、理解される言葉として成り立っているらしい。むろんフランス人のすべてが、これらを女性の性器の意味と気付くわけではないだろう。中には詩歌や文学や映画などでつかわれた台詞《せりふ》から生まれたものもありそうだから、それなりの想像力をもちあわせていないと、わからない人もいるかもしれない。しかしある程度教養のある者なら、とくにシャトウ・ルージュにたむろしている彼等なら、このうちのどの一言をつぶやいても、即座にその意味だと理解するに違いない。
当然のことながら、これらの言葉はまさしく、あのフランス人たちがつくりだしたものである。何百年、あるいは何千年というあいだ、言い伝え、積み重ね、ときには改良をくわえられて生きのびてきた言葉の数々が、いま一堂に会し、光り輝いて僕に迫ってくるようにも見える。
それにしても、この言葉の豪華さに比べて、日本語のなんと平凡で貧困なことか。いま月子が目の前で全裸のまま横たわっていたとしても、僕が月子のそこを愛し、褒めたたえたくても、正直いって日本語では即座に言葉がでてこない。せいぜい浮かぶのは、「あそこ」とか「ここ」といった無味乾燥な代名詞だけで、「薔薇」とも「子猫ちゃん」とも、ましてや「天国」などといえるわけもない。
考えてみると、この言葉の貧しさは、単に女性の性器だけにかぎられたことではない。愛する女性を呼ぶときでさえ、「月子」と名前を呼ぶ以外は、せいぜい「きみ」とか「お前」くらいで、それで対等な愛を育もうというのだから、言葉の貧困はまさにきわまっている。これでいったい、どれほどの愛を訴え、どれほどの愛を表現することができるのか。
もっとも、だからといって、日本語が一方的に語彙《ごい》の貧困な、単純な言葉だというわけでもない。日本語でも驚くほど豊かで多彩な言葉をもっている世界もある。たとえば身近な「月」を表す言葉。これ一つとっても、「満月」「朧月」「初月」「二日月」「三日月」「上り月」「下り月」「夕月」「幻月」「立待月」「有明月」「雨月」「無月」「卯月」と、たちまち十やそれ以上の言葉は浮かんでくる。月という言葉を直接つかわなくても、「十六夜《いざよい》」「宵闇」「良夜」などという言葉もあるし、「月の兎」「月の暈《かさ》」「月の都」など、月に関わる言葉を探しただけで、五十くらいはたちどころに出てきそうである。同様に「雨」も多彩で、「春雨」「夕立」「驟雨《しゆうう》」「穀雨《こくう》」など、数えだしたら相当の数にのぼりそうである。
要するに、日本語とて、言葉の豊富さではフランス語には負けないのだが、ただそれが天然、自然現象を表すほうに集中し、愛に関わる言葉は極端に、まさに勝負にならぬほど貧困である。むろんこの差が、日本人が農耕民族で、自然現象に格別の関心を抱いてきたせいもあるだろうが、それに比べて愛や性に関わる言葉が少ないことは、男女の愛やエロスが、一方的に不潔で低劣で、許されざるものとして、抑圧されてきた証し、といえなくもない。
実際、僕もその日本的特性は濃厚に受け継いでいて、女性の愛など、しかるべき地位さえ得られれば自ずと得られるもので、学問だけできればいいのだ、と安易に考えすぎていたきらいがある。そのつけがいまになって僕の上に重く暗くのしかかり、いまの僕を苦しめているともいえる。
とにかく、僕は一人でパソコンに向かいながら、女性の秘所を表す百八十近い言葉を、薔薇の花が敷き詰められた天国への階段のように眺めている。
正直いって、僕はこれだけの言葉を生み出したフランス人に驚き呆れ、感服せざるをえない。これを見れば、いかに彼等が愛とエロスに心酔し、情熱を傾け、それを人生の大事として評価し、それを生きるうえでの最大の目的と考えているかがわかる。そしてなによりも明らかなことは、あの国では男と女が愛し、情熱を傾け合うことが堂々と認められ、たしかな市民権を得ていたという事実である。
この言葉の豊饒《ほうじよう》と多彩さの前に、僕はいまは素直に脱帽し、感動し、そしてあの奴等にさえ、ある種の親近感と敬意に似たものを覚えている。あの好色で淫蕩《いんとう》で狡猾《こうかつ》で奢侈《しやし》に慣れきった奴等。あの男たちのなかには、これだけの言葉を生み出したフランスの何世紀にもわたる愛とエロスと情熱が、血となり肉となって蠢《うごめ》いているに違いない。
いまようやく、僕は彼等に月子を委《ゆだ》ねたことを正しかったと思いはじめている。あの誇り高くて冷ややかで、セックスを不潔と決めつけ、僕の欲望を軽蔑し、僕を避け続けた月子を調教するためには、これだけの言葉をもち、それを臆面もなく誇っている奴等に委ねるしか、方法はなかったのだ。
誰がなんといおうと、僕は最も適切な場所で、最も適切な奴等に、月子を託してきたのである。
この確たる結論に達して、僕は急にこれまでのすべての重荷を降ろしたような爽やかな気分になり、いま一度、美しく妖しい言葉のすべてを、アルファベットのAから順に、声をあげて読みあげてみる。
正直いって、僕は日本に帰ってきてから、強度の不安と不眠症に苛立っていたが、その原因が、シャトウ・ルージュでの、月子の動静をつかめないことにあることはたしかであった。
フランスを去るとき、Zは間違いなく日本にいる僕にインターネットを通じて、月子の様子を映像で送ると約束してくれたが、いまだにその種のものは一度も送られてきていない。むろん、いまは月子が生理中なのでドレサージュは中止している、という連絡があり、かわりに女性性器の呼び方について尋ねた僕の質問に、百八十近いフランス語の解答を寄せてくれたのだから、Zを一方的に不誠実となじることはできない。
しかし、遠く離れた日本にいる僕にとって、月子が日々どのように過しているのか、それが最大の関心事である。生理でドレサージュが休みなら、かわりに部屋で休養しているところとか、窓から外を眺めているところでもいい。なんであれ、僕が最も見たいのは、今日という日に、月子が生きている現実の姿である。それさえ確認できれば、僕は安心して休むこともできるが、毎日同じ文字が並んでいる画面だけを眺めていると、不安からやがてよからぬ想像にとり憑《つ》かれる。
もしかして、生理などといっていて、その実、奴等はすでに月子を犯し、みなで慰みものにしているのではないか。たとえそこまでいかなくても、なにか月子の様子を伝えられない、特別な事情でも生じたのではないか。いろいろ案じながら、この数日は家に戻ってくるなり、真先にパソコンを開き、今日こそは新しい映像が入ってきているのではないかと、期待と願望をこめて画面を覗くが、出てくるのは前と同じフランス語ばかりである。
いったい、いつになったら月子の映像が見られるのか。僕は案じながら改めて妻の生理のことを考えるが、そのことについて僕はなんの知識ももっていない。それというのも、僕が月子を求めたとき、それを理由に断られることはあっても、それなら何日後に許してくれるのか、そこまで踏み込んできいたことは一度もなかった。結婚して二年も経っているのに、妻の生理がどれくらい続くのか知らなかったとは、これこそ、僕たちが性的には仮面夫婦であったことの証しといわれても、仕方がない。
とにかく、待つうちに想像は悪いほうにばかり広がり、もしかするとこのままなにも送られず、耐えきれずに僕がシャトウ・ルージュに駆けつけたら、月子ともども奴等は影も形もなく消えて、シャトウはもぬけの殻となっているのではないか。
そんな不安にとり憑かれて、待つとしてもあと一日。それでなにも送られてこなければ、こちらからシャトウに連絡して直接尋ねよう。五日目の朝、そう決めて病院へ出かけたが、たまたまその日は、同期の吉安という医師が北関東の病院への転勤が決まり、医局の仲間たちと青山のレストランで送別会をすることになっていた。むろん僕はその会に出席したが、終ったあと、吉安がもう一軒飲みに行こうといいだし、断りきれずに数人と赤坂にあるバーへ行った。そこで吉安はブランディをストレートで飲むうちに酔いだして、しきりに「お前が羨ましい」といいだす。彼によると、同期で入局したのは五人だが、いまなお医局に残っているのは僕だけで、それは会社でいうと、一人だけ本社の主要な部門に残っているのと同じような意味になる。具体的にいうと、将来は講師から助教授、教授と、医局の主要なスタッフになる可能性もあるわけで、彼はそれを羨み、「もしそんなことになったら、地方にいる俺のことも忘れないでくれ」と、手まで握りだす。
「それに、お前ならいつだって、開業もできるし……」
彼はなに気なくいったようだが、瞬間、僕は「違う」といいかけて声をのんだ。あまり強く否定すると、「なぜだ」ときき返されそうに思ったからだが、いま僕が妻にしていることが知れたら、教授や院長になれるどころか、極悪で卑劣な犯罪者になりかねない。
「そんな、うまくはいかない」
曖昧に否定しても吉安にわかるわけはなく、さらに「お前はいいよ」と連発されるうちに、僕はこれ以上一緒にいるのが苦痛になり、もっと飲もう、という吉安を振り切って帰ってきた。
しかし友人から逃げるように家に戻ってきても、誰かが待っているというわけではない。日中閉めきったままの部屋には淀んだ空気が籠もっているが、僕はかまわず自分の部屋へ行き、机の前に座る。このところ、帰宅とともにパソコンを立上げるのが日課になっていたが、また例によって、暗記するまで見慣れたフランス語が洪水のように現れるだけだと思っていた。
それでもパスワードを入れ、画面を見詰めていると、いきなり丘の上のシャトウが現れ、次に花々の乱れ咲く庭園が映し出される。僕はそれを見た途端、シャトウ・ルージュだとわかったが、画面はすぐフランス製のタペストリーのような模様に変り、中央のやや横長に区切られた画面が白くなり、そこに「23.Oct」という文字が出てから、四角い箱のようなものが現れる。
ようやくZが映像を送ってくれたのだ。僕がかぶりつくように見ると、画面は部屋の一隅らしく、箱のように見えた右の端に、人間の頭のようなものが見える。といってもそれはうしろ向きで、おおっている髪が黒くて肩のあたりまで達しているところを見ると、女なのか。そう思ったときゆっくりとこちらに向き直り、そこで僕は思わず叫ぶ。
「月子……」
慌てて目を凝らすと、四角い箱に見えたのはバスタブで、その端で月子が顔だけ出して、湯に浸っているようである。あきらかにバスルームだが、僕はこれまでそんな部屋を覗いたことがないから、あのシャトウのいろいろな部屋には隠しカメラでも備えられているのか、それとも誰かが覗きながら撮ったのか。
いずれにせよ、いま僕のパソコンの画面に映っているのは間違いなく、フランスに残してきた妻の月子である。
いったい、月子と別れて何日になるのか。といってもシャトウ・ルージュの覗き窓から眺めて以来だが、フランスにいたときと東京へ戻ってきてからを合わせると、七日ぶりということになる。とにかく、初めに十月二十三日という日付がでてきたところをみると、この映像は日本時間の今朝早くに撮られたのか。
改めて画面で見る月子は、入浴中のせいか表情は穏やかで、リラックスしているようである。体は見えず首から上だけだが、軽くこちらを向いた顔は、一週間前よりはいくぶんふっくらとして、暢《の》んびりバスタブに浸っているところを見ると、すでに生理は終ったのか。
「とにかく、元気でいてくれたのだ……」
僕が画面に向かってつぶやくと、湯の中で腕でも伸ばしたのか、首が軽く前に傾き、その余波を受けて、バスタブの端から小さな泡がこぼれ落ちる。
いきなり月子が入浴しているシーンから送ってくるとは、Zも面白いことを考えるものである。僕は呆れて感心するが、それにしても、このバスタブはかなり大きそうである。月子はなかで思いきり両肢を伸ばしているようだが、それでも余裕がありそうで、さらにバスタブの縁は桃紅色の大理石らしく、うしろの壁にも菱形《ひしがた》の大理石が嵌《は》めこまれているようである。これも中世のころのものなのか、しかし壁面にとりつけられた手摺りや手拭い掛け、そして蛇口の下に温度調節器のようなものが付いているところを見ると、新たに改造されたのか。
僕がさらに見定めようと、画面に顔を近づけると、それに気付いたように、バスタブから月子がゆっくりと立上がる。
瞬間、僕は見てはいけないものを見たような気がして、思わず顔をそむけ、すぐ思いなおす。
夫が、妻の入浴するシーンを見て、悪いわけはない。当然のことながら、月子は隠しカメラに撮られていることなど、気がついていない。それどころか、日本にいる僕に見られていることも。
バスタブの中で立上がった月子は、湯の中に浮いていたシャボンにおおわれて、泡のコートを着ているようだが、バスタブの縁をまたいで上体を反らすとともに、泡は急速に失せていく。僕は一瞬、全裸の月子がこちらに向かってくるような気がして、思わず顔を引いたが、それは手前にあるシャワーの把手をとるためで、壁ぎわからそれを抜きとると、慣れた手つきで栓をひねる。たちまち湯水の噴き出る音とともに、月子は真直ぐ僕のほうを向いたまま、まず肩口にシャワーを浴びせる。
これまで、シャトウの覗き窓から裸の月子を眺めたことはあるが、いずれも目隠しをされたり拘束具を嵌められていて、このように顔がさらされた形で見るのは初めてである。僕はなにか、月子と視線が合うような気がしてどぎまぎしたが、正面から見える月子の体は透明な白磁のように輝き、その全身にくまなくシャワーを浴びせていく。
僕は瞬きもせず画面を見ながら、さまざまな新しい発見に驚き、戸惑う。たとえば項《うなじ》や背中を流すとき、月子の上体は意外に柔らかく反り返り、腕が上に伸びるとともに腋毛《わきげ》がうっすらと見える。さらにシャワーを浴びせると、そこから細い体に似合わぬ豊かなふくらみが現れる。女は、というより、月子はこんなふうにシャワーを浴びていくのか。なにか手品を見ているような気がして眺めていると、シャワーの位置が下がってお腹から股間に当てられ、それとともに空いているほうの指が陰部に添えられて、軽く上下に移動する。僕はまた目をそらしかけたが、月子はかまわず丹念に洗ったあと、太腿の内側から裏側を流すべく軽く股間を開いて膝を曲げる。
それら一連の動作は流れるようにスムースで、しかも生き生きとして、大胆である。少なくとも僕が漠然と想像していた、女らしく優美に恥じらいをこめて、といった感じにはほど遠い。この意外というか思惑違いはさらに続いて、全身をシャワーで流し終ったあと、今度は大きなタオルで全身を拭き始めたが、その仕草もシャワーを浴びたときに負けず、奔放というかダイナミックである。たとえば耳のうしろから項のあたりをかなり強く、ごしごしといった感じで拭きとり、股間にもたしかにタオルを当て、さらに下肢から足先を拭くときは、片足を円い椅子のようなものにのせて前屈みの姿勢になり、おかげで細いウエストに似合わぬ豊かなお臀《しり》が、強くうしろに突き出てくる。
これらの動作に、僕は完全に目を奪われながら、その実、なにかいたたまれぬ気がして、ときどき目をそらしてしまう。一般の夫婦のあいだでは、この程度のことは互いに見慣れているのかもしれないが、僕はいつも月子に拒絶されていたので目の前のことすべてが新鮮で生々しい。とにかく、妻が入浴したり、シャワーを浴びるシーンが、これほど僕をどぎまぎさせ、妖しい気持にかりたてるとは。
正直いうと、僕はこれまで妻にかくれて、何度かインターネットでポルノチックな映像を見たことがある。むろん特別の料金を払うのだが、それらは初めこそ熱心に眺めるが、じきに飽きてきて退屈してしまう。むろん向こうも商売だから、バスルームのシーンでは必ず男女がペアで現れ、女がフェラチオをしたり、局所に指を当てて思わせぶりなポーズをとったりする。そういう意味では刺激的ではあるが、ふとこれも演技で、意図的にしているのだと思うと、急に白けてしまう。それどころか、懸命にされればされるほど、一種の作業というかジムでの体操のように見えてきて、興を殺がれることはなはだしい。
それからみたら、比べること自体が間違いなのかもしれないが、月子の裸体の動きのなんと自然で美しく、淫らなことか。僕が感動していると、月子は髪を拭き、さらに全身を拭きとり、それを待っていたように、左右から二人の女性が現れる。いつもシャトウで見る、前はドレスで後ろは異常に短いスカートをはいた女性たちで、両側から月子を白く大きなタオルでつつみこむと、そのまま消えてしまう。といってもカメラの視野から消えただけだが。
画面は再び元のタペストリーの模様に戻り、そこでようやく気がついたように、あたりを見渡すと、部屋は帰ってきたときのままカーテンは閉じられ、ベッドの上には脱ぎ捨てたままの背広がおかれている。
少し前まで、友達と赤坂で飲んでいたのに、いまは自分の部屋でフランスのシャトウにいる月子の裸体を眺めている。この身近さというか、連続性はなになのか。不思議に思いながら再びパソコンに目を向けると、画面には相変らずタペストリーの模様が流れている。パリを発つ前、Zと交わした約束では、毎日、月子について、一、二時間の映像を送るということになっていたが、いまのバスルームのシーンだけでは三十分くらいだから、まだ続きがありそうである。
この僕の期待に応えるように画面は再び明るくなり、そこから部屋らしきものが浮き出てくる。正面に円柱とくすんだ色の壁があり、その手前に黒革のベッドがあるところから、僕は即座に、それがシャトウで何度か覗き見た、いわゆる調教室であることを知る。途端に、そこで月子がさまざまな辱《はずかし》めを受けたことも忘れて、僕は懐かしさにとらわれ、覗き部屋から眺めているような錯覚にとらわれていると、今度は純白のガウンを着た月子が二人の女性に付き添われて現れる。
先ほどのバスルームのシーンから、いくらか時間が経っているのか。月子の髪は乾いているようだが、ガウンの下は素足である。そのままベッドの前までくると、柔らかな音楽が流れてきて、それとともに一人の女性が月子の前に立ち、ウエストでたわんでいた紐を解き、肩口から流れるように脱がしていく。
再び全裸になった月子は、すでにいいふくめられているのか、それとも自ら望んでか、逆らう気配もなく、右側の女性に目隠しをされ、片手をとられて短い階段を上ると、ベッドに横たわる。まず黒革の上に腰をおろし、うつ伏せの形になると、その左右に二人の女性が寄り添い、手にのせたオイルのようなものを月子の体に塗っていく。
音楽はドビュッシーの「月の光」なのか、ピアノの音色が透明で、それに合わせるように軽くオイルを塗られた月子の肌が、月の光のように輝いて見える。
どうやら風呂上がりの月子に、今度は二人がかりでマッサージをほどこすようである。これと同じ光景は、シャトウでも見たことがあるが、まずうつ伏せの姿勢をとらされ、おかげで秘所のあたりは見えないが、かわりにやわらかな両の肩から太腿までよく見える。とくにウエストが括《くび》れているせいか、お臀の両のふくらみが意外に盛り上がって逞しく、その分だけ双丘を分かつ切れ込みは深い。
僕はそれが映像であることを忘れて、思わずお臀のふくらみに顔面をおしつけたい衝動にかられながら、前方の、フランス語でいう「天国への入口」のまわりだけでなく、後方のアヌスを秘めた臀部の盛り上がりも同様に淫らで、男の欲情をかきたてることを知る。
とにかく、いい女のものは、すべてが美しくて好ましい。とくに月子のものは……。
そのまま僕が見とれていると、やがてマッサージをしていた女性の一人が手を止めて囁き、それを受けて月子がゆっくりと仰向けになる。
仰向けの月子の体を見るのは一週間ぶりだが、相変らず均整がとれて美しい。くわえて肌がしっとりとして、まろやかに見えるのは、毎日のマッサージのせいか、それとも淫らなドレサージュのせいなのか。
なにか、以前より少し変ったようだと思ってよく見ると、両の胸のふくらみの頂点にある二つの乳首が、淡紅色に染まって、ふくらんで見える。
「乳首が勃《た》っている」
僕は思わずつぶやき、こんな状態になるのは、月子が精神的にリラックスし、かつ彼女たちの、そして彼等のやることを、基本的に受け入れているからかと考える。
もし彼女や彼等がやることを怯《おび》えたり憎んでいたら、乳首があんなに勃つわけはない。実際、男にしても、不安や怯えのなかで勃起することなど、百パーセントありえない。
僕は小さく、そのくせ凜《りん》と突き出ている乳首に、美しさと羨ましさを感じながら、以前、犬とともに兎の実験をしていたときのことを思いだす。
当時、僕は犬の四肢を人為的に折り、そこにギプスを巻いて、骨折の修復過程を検《しら》べる研究をしていたが、それと同じことを兎にもやっていた。それというのも、犬では大きさや種類が違いすぎて、実験値に誤差が生じやすいが、兎なら種類に差はなく、ほぼ同等の大きさのものを集め易いからである。この実験は、動物にとっては迷惑というより、残酷な実験で、そんなことを多くの犬にしてきたという負い目があったから、義父たちをパリの空港に出迎えたとき、偶然、視線が合った犬の目に怯えたのである。
いずれにせよ、犬に比べたら兎のほうが感情移入が薄い分だけ、罪悪感は少なかったが、それとは別に、兎のオスとメスとでは、実験に当ってかなりの差違があることに気がついた。まずオスの兎の場合、後肢の骨の一定の部位を意図的に折り、そのあとギプスで固定すると、オスはほとんど食事を摂《と》らなくなる。むろん初めは、痛みとギプスの拘束という、二重苦のため、食事を摂る気になれないのだろうが、半日も経って、痛みもやわらぎ、拘束にも慣れたかと思われるころから、今度は懸命にギプスに噛みつきだす。必死に、それこそ食事を摂るのも忘れて、ひたすら噛みつき、なんとか不自由な拘束状態から逃れようと懸命に努力を重ねる。それを見ながら、僕はときどき兎に向かって囁いたものである。
「おいおい、そんなことをしても無駄だよ。お前が何日かかかってギプスを壊しても、俺がまたそこに少し石膏《せつこう》を重ねただけで元通りになるのだから。無駄な抵抗は止めて、早く目の前にある君の好物の人参やオカラを食べなさい」
だが僕の囁きを知ってか知らずか、オスの兎はなお執拗《しつよう》にギプスに噛みつき、やがて体力を消耗して、衰弱していくばかりである。このオスの行為からわかることは、彼等は圧倒的に反抗心が強く、ひたすら拘束から逃れることを第一義に考えるという、たしかな事実である。
これに反してメスの場合は、もちろんギプスを巻かれた当座はギプスに噛みつき、オスと同様拘束から逃れようとする。しかし一日か二日経ち、いくら噛みついてもギプスは解けないと覚《さと》ると、その瞬間から抵抗するのは諦めて、目の前の人参やオカラを食べはじめる。要するに、メスは脱出不可能と察すると無駄な抵抗はせず、その時点から拘束された状態でいかに生きていくか、そちらのほうへ頭を切り替える。
このオスとメス、両者の生き方の違いは、少し学問的にいうと、環境適応力の差で、その点において、オスに比べてメスのほうが優れていることは明白である。そしてこのことは実験動物としては、オスよりメスのほうが優れていることの証しともなる。
実際このことは、他の実験でも証明されていて、ソ連が宇宙に向けて打上げた人工衛星に初めて動物を乗せたとき、メスの犬が選ばれた。この場合も、メスの環境適応能力と孤独に耐える強さが評価されたからで、あのときオスの犬を乗せていたら孤独と不安に苛まれて、周囲の計器に手当り次第に噛みつき、ひたすら暴れて体力を消耗し、実験は失敗に終ったかもしれない。
突然、僕がこんなことを思い出したのは、いま目の前にいる月子が、捕われの身であることも忘れて、意外にリラックスして元気そうに見えたからである。
すでにシャトウ・ルージュに幽閉されて、そろそろ半月になろうとしているが、早くも月子はその状態に馴れたのか。少なくとも、いま直ちに抵抗して死を賭けても逃走しよう、などとは思っていないようである。実際、そんなことを企んでいたら、ゆっくりお湯に浸ったうえ、マッサージを受けながら、乳首をエレクチオさせたりはしない。そう思うと、月子を、なにか許せないような気がしてくるが、考えてみると月子のいまの状態は、見方によっては、かなり恵まれているほうかもしれない。たしかに形は異国のシャトウでの監禁状態だが、住むところも食事もそれなりに満たされているうえ、周りには常に女性が控えていて、侍女のようにかしずいている。いまも風呂上がりの月子は二人の女性のマッサージを心地よさそうに受けている。むろんそのあとの、男たちによる調教《ドレサージユ》が問題だが、それさえ耐えられれば、天国とまではいわなくても、捕われ人にしては一応は恵まれた環境、といえなくもない。
そう思って画面を見ていると、月子は左右からマッサージを受けながら、安心しきったように全身を委ねている。なにやらエステサロンにでもいるような様子で、眺めているうちに、月子が羨ましくなり、できることなら代りたいと思っていると、女たちがオイルで塗られた月子の体を拭きはじめる。
前からうしろへ、そして再び前へ、丁寧に拭き終えたあと、それぞれパウダーのようなものをかけ、いま一度軽くマッサージをくわえる。まさに、女王さまと変らない。そう思ったとき、女性の一人が月子の耳許でなにか囁き、さらに二度目に囁いた途端、月子の口から声が洩れる。
「いや……」
たしかに、月子はそう叫んだようである。
事実、その声とともに、月子は激しく首を左右に振ったが、それを予期していたように、二人の女性は素早く、月子の足首をベッドに付いている拘束具に固定する。慌てた月子は仰向けの位置から上体を起こしかけたが、いち早く女性たちに左右の肩を押さえつけられ、そのまま月子はベッドに仰向けに倒れ、たちまち両手も革の拘束具で留められてしまう。
その間、僕は立廻りの一瞬を見ているような気がして、呆気《あつけ》にとられていたが、それにしても、月子の突然の拒否と、それに対する二人の女性の動きの、なんと素早いことか。それこそ有無をいわさぬ形でおし倒し、拘束したところを見ると、やはり二人の女性はただ者ではない。普段は一見清楚なドレスを着て、上品で物静かだが、その裏に底知れぬ不気味さを秘めて、やはりシャトウに奴等と一緒に住んでいるだけのことはある。
ともかく、いまや月子は両手両足を拘束され、さらに目隠しまでされて、先ほどからの一連の動きを見ていると、まさにアメとムチの感じがしないでもない。
僕が不安にかられて見詰めていると、それまで流れていた音楽がいくらか高くなり、それとともに、月子を拘束したばかりの二人の女性はベッドの両側に立ち、なにごともなかったように胸から下腹へ向けて撫ではじめる。といってもそれは初めのうちだけで、彼女たちの指の動きは徐々に月子の乳首と股間の蕾《つぼみ》の二点に集約されてくる。
例によって、マッサージのあとの快擦《カレツス》が始まったのか。もっとも、シャトウで覗いたときは、この時点から男たちの手に委ねられていた。たとえば、あの鳥やライオンや羊の仮面をかぶった奴等が、月子の最も鋭敏なところを、延々と愛の口説をくり返しながら愛撫する。
あの男たちは今日はいないのか。僕は覗き部屋でしたように、首を伸ばして真下を探すが、そんなことをしても、パソコンの画面に現れるわけもなく、二人の女性の手の動きだけがいくらか早くなる。
どうやら、男たちは今日は休みなのか、それともカメラに映らぬどこかに潜んで、例によってリキュールなどを飲みながら、この情景を眺めているのか。いずれにせよ、月子があの男たちに嬲られるより、女性たちに嬲られたほうが、まだ救われる。
僕はシャトウの覗き部屋でしたように、リビングルームの棚からウイスキーのボトルを持ってきて、ストレートのままグラスに注ぐ。それを飲みかけて画面を見ると、右手の女性が月子の薄く生えはじめた繁みを分け、そこに添えられたもう一方の手に、ピンクの細長い筒のようなものが握られている。
なにをするつもりなのか。飲みかけたグラスを置いて目を凝らすと、女性の手に握られているのは電動式のバイブのようである。僕が見たことがあるのよりはいくらか小型だが、男のそれを形どったピンクの筒が、マッサージと快擦《カレツス》で充分潤ったと思われる個所へ、それこそフランス語でいう、小さな愛の花瓶の中へ、ゆっくりと挿入されていく。
瞬間、「あっ……」という声が洩れ、それに戸惑ったように筒は一瞬止まるが、次の瞬間、猛々《たけだけ》しい筒はゆっくりと、しかしたしかに花瓶の中へ入っていく。
僕はいきなり聞こえてきた振動音を、遠くフランスから届けられた悪魔の声のように聞きながら、月子がいまたしかに犯されていることを実感する。
とはいえ、犯しているのは、あのいかにも情事に長《た》けているといわんばかりの、男たちではない。彼等のかわりに清潔で従順で、自らの意志は一切表そうとしない、修道女のような女性が、月子の股間にゆっくりと差し込み、ゆっくりと引き出してくる。ピンクの筒はそのたびに振動を強め、それとともに月子の花瓶もゆるやかにうねりながら、濡れているようである。
ここまできたら、もはや男たちの登場はなさそうである。しかし仕置きするのが女だから、月子は救われると思ったのは、僕の誤りだったようである。いま彼女たちがやっていることを見たら、女だから月子に優しい、などという理屈が成り立たないことはよくわかる。その証拠に、月子を弄《もてあそ》んでいる女たちは目を輝かせ、これまで禁欲を余儀なくされた積年の怨みを晴らすがごとく、深くおし込み、すべてが見えなくなったところで、さらに掻きまぜているようである。
いまになって僕は先ほど、月子がきっぱりと拒絶した理由がわかってくる。あのとき、女性たちはなんと囁いたのか、多分、これからバイブを使用するとでも伝えたのか。それまでの甘美な愛撫だけでなく、自らの体のなかに直接、得体の知れぬものを挿入されると知って、月子は驚き、うろたえたに違いない。そしていまひとつ、そんな淫らなことを女性の手でされることに、羞恥とともに恐怖さえ感じたのかもしれない。
この月子の危惧《きぐ》は、その後の経過をみれば、たしかに当っていたことになる。一見、男が女を嬲るほうが残酷なように見えて、その実、女が女を嬲るほうが執拗で、ツボを心得ている分だけ的確かもしれない。
してみると、これは明らかにZのさしがねなのか。あのZが、初回の挿入だけは、むくつけき男たちにやらせるより、優雅な女たちの手にまかせて、極力怯えを除きながら、同時にこの種の調教に馴染ませる。
このドレサージュの方針は、結果として成功したようである。いま月子は二人がかりで、一人には胸のふくらみを、いま一人には秘所の奥を器具で責められて、小さく喘ぎながら全身をくねらせている。いったい、それは悦びの声なのか、それとも嫌悪の声なのか。目隠しされた顔を左右に振り、解けるわけもない手足をばたつかせているところをみると、嫌悪のように見えるが、喘ぐ声のあとに続く溜息のような余韻は、悦びの声のようでもある。もし後者なら、初めの女性の囁きに、月子が見せた拒絶の態度は単なるポーズで、女性たちを欺いたことになる。いや、もしかすると、彼女たちはそこまで知り尽して、月子を責めたてているのか。
いずれにせよ、僕は悶える月子に目を見張りながら、一段と月子がわからなくなる。あの、性は卑しく、恥ずべきものと決めつけ、僕の求めをことごとく拒否してきた月子が、これほど乱れるとは。それも、これまでの手馴れた男たちの愛撫でならともかく、女たちが操る、あんな他愛のない器具で乱れるとは。もしかしてこれは、日本で僕が見ることを意識して、奴等と月子がグルになって演じている芝居なのではないか。
「違う……」
思わず叫んだとき、突然、机の上の電話が鳴る。
こんな夜遅くに、誰がかけてくるのか。いまごろかけてきても出られるわけはない。僕は断固出ない覚悟を決めるが、電話はさらに十数回鳴り続けて、最後に「リン」と、名残り惜しげな音を残して消える。
それで一息つき、画面に視線を戻しかけると、再びベルが鳴る。
なんというしつこい奴か。何度鳴らしても、出ないといったら出ないのだ。そう自分にいいきかせながら、ふと、これは病院からかと思う。
今夜の当直が、僕の後輩の平尾という男であることを思い出す。もしかして、彼の手に負えぬことでも起きて、僕を呼び出しているのか。たしかにこの執拗な鳴らしかたは、尋常ではない。
仕方なく僕は決心して、インターネットの画面はそのままに、音だけ消してから、ベッドの脇にある受話器をとる。それでも声は出さず黙っていると、短い間をおいて、「日野だけど……」といい、その名と少し嗄《しわが》れた声から、義父だとわかる。
「克彦くんか、遅くに、悪かったな」
「いえ……」
「なにを、している?」
一瞬、僕は自分のしていることが見抜かれたような気がして、慌ててあたりを見廻してから、つぶやく。
「なにも……」
いま、ここで僕がしていることなど、口が裂けてもいえるわけがない。しかし、もし正直に、いま、あなたのお嬢さんの月子さんが、フランスの悪党たちに全裸のまま嬲られているのを眺めていました、といったら、義父はなんというか。仰天するか、それともそのまま脳溢血でもおこして倒れるか、さもなくば、まったく信じないか。そこまで考えたとき、また義父の声が返ってくる。
「なにか、元気がないな」
「………」
「一人で、大丈夫か」
月子がいなくて、いろいろ不便だろう、と案じてくれているのかもしれない。
「大丈夫です」
ようやく落着きをとり戻して答えると、義父が待ちかまえたようにいう。
「あの、フランスからだけど、その後、連絡はあったかね」
「ああ……」と、僕は急いで自分の頭の中を整理してから、答える。
「まだないのですが、明日か明後日あたりには……」
「それがきたら、すぐ行ってくれるのだね」
「ええ、できるだけ早く、行くつもりです」
「あの、金の都合はできているから、連絡があったら、すぐ教えてくれ」
「わかりました」
そのまま黙っていると、義父が申し訳なさそうにいう。
「夜分、悪かった。でも、夜でないとゆっくり話ができないと思ってね」
「すみません……」
僕の受け答えが、どこか不自然なことを、義父は感じたようだが、それ以上、尋ねるのも悪いと思ってか、最後に「お休み」といって、電話を切る。
「お休みなさい」
僕は同じ言葉を返して受話器を置いてから、一つ大きく息をつく。
まさか、選《よ》りに選って、月子の秘密の映像を見ているときに、電話をかけてくるとは。やはり父と娘はどこかで繋がっているのか、それとも単なる偶然か。ともかく、僕の態度がおかしいとは思っても、秘かに見ていたことまで感づかれるわけはない。
僕は気持を落着かせるために、残ったウイスキーを一気に飲み干し、再び机に戻って画面を見ると、月子一人だけがベッドの上に長々と横たわっている。
不思議なことに、いまは目隠しを外され、さらに手足の拘束具も外されているのに、月子は起き上がる気配もなく、胸と太腿のあたりが、それまでのドレサージュの激しさを思わせるように、小刻みに震えている。
あのまま、月子はのぼり詰めて果てたのか。まさか、と思う僕の目の前で、月子は無防備に手足を伸ばしたまま、その表情は和んで、満ち足りて見える。
「やはり果てたのか……」
思わずつぶやくと、それがきこえたように月子はゆっくりと起き上がり、女性に支えられてベッドをおりる。そのまま、責めたはずの二人の女性が月子にガウンを着せ、腰紐を結ぶと、今度はかしずく侍女になって、恭《うやうや》しく月子の手をとって去っていく。
いったい、月子と彼女たちとはどういう関係なのか。いや、それ以上に、やっぱり月子は果てたのか。僕がなおそのことにこだわっていると、画面が白くなり、続いてタペストリーの柄が出て、パスワードの画面に戻る。
今日の分の映像はここまでということなのか。いずれにしても、見逃した部分は、あとでもう一度見直せばいい。
そう思いながら、僕の脳裏に、フランスから戻るとき、Zがいった言葉が甦る。
「どんな女性も、感じないということはない。もし、感じない女性がいるとしたら、それは、感じさせる男に出会っていないだけなのだ」
僕は酔いと疲れの入り交じった重い頭の中で、それを反芻《はんすう》しながら、ともかく興奮しすぎた体を休めるために、一人だけの冷えたベッドに潜りこむ。
どうやらいまになって、僕にもシャトウ・ルージュにいる奴等がなにをしようとしているのか、おぼろげながらわかってきた。
正直いって、僕は月子を彼等の手に委ねはしたが、性を嫌悪し、夫との行為に関心を示さない彼女を、根本的に改めさせる方法など、あるとは思っていなかった。もしあるとすればただひとつ、暴力という手段で強制的にその種のことに馴れさせていくよりない。たとえばアダルトビデオなどでよく見るように、いかにも野卑な男たちが、いやがる女性を無理やり刃物や罵声で脅かしながら、強引に奪ってしまう。それを何度かくり返すうちに、さしもの女もあきらめ、絶望し、やがて開き直って、以前の彼女からは想像もできぬほど大胆に受け入れるようになる。たとえそこまでいかなくても、女性は嫌がりながらも強引に犯され続けていると、やがて快感に目覚めていくという、男に都合のよすぎるストーリイが圧倒的に多かった。
しかし僕はその種の筋書きを簡単に信じるほど幼稚ではないし、女性というものをそれほど単純には考えていない。実際、そんなことが可能なら、世の中のほとんどの男たちは暴力をふるい、強引に迫るだろうが、その結果得られるものといえば、女性のさらなる反撥と憎悪をかきたて、たとえ従順になったとしても不感という殻の中に追い込むだけである。
そのあたりのことを充分承知したうえでのことだが、セックスを拒否している女性を開眼させるなど、容易なことではない。絶対不可能とまではいわないが、それには卓越したテクニックの持ち主が、かなり強制的に、ときには暴力的手段にでも訴えてやらないかぎり、まず不可能に近い。
事実、僕があえて月子をシャトウ・ルージュに送り込むと決めたとき、そこに屯《たむろ》する彼等に相当の暴力的行為をくわえられることは、避けられないと思っていた。むろんその前にZに、「体を直接傷つけることはなく、暴力というよりは調教である」ときかされていたし、それ以外のすべての点においては、最高のもてなしをするというので、一応安心していたことは事実である。それでも、月子本人が最も嫌がる行為を、外国の見知らぬ男たちが強要するのだから、かなりの苦痛と屈辱を受けることは間違いない。
そのことに、僕はある痛ましさと、さらに申し訳なさを感じてはいたが、同時に、月子をそういう状態におし込むことは、僕が月子に与える一種の懲罰でもあった。婚約中から僕を軽視し、結婚してからは一段と冷淡に夫を突き放した驕慢《きようまん》な妻に対する、これこそ最も過酷にして、適切な仕返しである。こんな思いがあったから、あえて月子をシャトウ・ルージュに監禁するという危険を冒したのだが、それによって月子が素直に目覚めるなどとは、思っていなかった。それより僕が最低限願っていたことは、月子が彼等に責められ、いたぶられることによって、それまでの傲慢さを改め、夫である僕の気持を察して、受け入れるようになって欲しい、ということだった。もしそれだけでも得られたら、危険を冒してでもトライした価値は充分あると思っていた。
だが不思議というか意外というか、いままでのところ、月子は表立って傷ついたり、虐げられた気配はなく、むしろ捕われの状態に馴染み、精神的にもかなり落着いているようである。むろん快適というのとは少し違うかもしれないが、数人の女性たちにかしずかれ、毎日のようにエステサロンのようなマッサージを受け、肝腎のドレサージュもそれほど苦痛というか、屈辱的なものではないようである。いや、それどころか、いまは逆らうことを諦め、むしろ自分のほうから受け入れているようにも見える。もちろん月子に直接きいたわけではないから本心はわからないが、表面から見るかぎり、僕が危惧していたような暴力と反抗がくり返される悲惨な状態に陥っていないことだけは、たしかである。
このような事実を見て、いま僕はどのように納得すればいいのか。たしかに、あらかじめZが約束してくれたように、彼等のいうドレサージュが思ったほど過激でなく、かつ暴力的でないことはわかってきた。それはそれで僕自身、納得してもいるのだが、そうであればあるほど、月子に対する懲罰的な意味は失われていく。むろん月子にとっては見知らぬシャトウに幽閉されていること自体が懲罰なのだから、それで充分ともいえるが、それより気がかりというか呆れるのは、彼等のドレサージュの巧みさである。
いまになって、僕は気がついたのだが、彼等は彼等なりに、ドレサージュに対して独自の方法論をもち、それに沿って的確にすすめているようである。
まず初めこそ、僕の目前にいきなり両手両肢をつながれた全裸の月子の姿が曝《さら》されて、僕は驚き慌てたが、それからの月子に対するやり方は巧妙、かつ計画的である。
その証拠に、初めから月子に目隠しをして余計な不安を取り除いたうえ、心地よい音楽とともに、女の手で全身にマッサージをくり返し、精神的にリラックスさせる。そのうえで、なに気なく触れたように乳房に触れ、さらに同じようなやり方で秘所に触れ、その最も敏感なところを、優しく柔らかく愛撫する。しかもそれをくり返しながら、男たちは一方で甘い愛の言葉を囁き続ける。さらなる巧みさが発揮されたのはそのあとで、女たちの丹念なマッサージのあと、ふと思いついたようにバイブをとり出し、充分潤った秘所に、小さな悪戯でもするように、するりと滑り込ませてしまう。もしあれが男の手でおこなわれたら、月子はかなりの屈辱を覚え、逆らったかもしれないが、柔らかな女の手で優しく納めたから、月子の抵抗はあの程度ですんだのかもしれない。
以上のことからもわかるように、彼等のやり方は想像以上に優しくエレガントである。ときどき、はっとするほど大胆で強引なところもあるが、全体の流れはゆるやかでソフトである。まさしくそれこそが、愛に手慣れたフランス流のやり方、といわんばかりの淫らさと優雅さですすめていく。むろん、僕はそうした奴等のやり方に異論はない。下手な暴力的なやり方より、そのほうがどれほど安心して信頼できることか。ただ一点、強いて不満をいえば、彼等がいかにも、我こそはフランスの伊達男といわんばかりに、自信あり気にやるところだが、しかしそこまでいいだしたらきりがない。
ともかく僕はこれまでの経験から、奴等のやり方に一応安心し、それとともに、自分でも呆れるほどの熱心さで、パソコンの画面に映るインターネットの画像を見詰めてきた。
かくして、月子の秘所に直接、バイブが挿入されるようになってから、今日で五日目だが、ドレサージュは順調にすすんでいるようである。初めのうちこそ、その瞬間、月子は体を左右に捻《ひね》って逆らう気配を見せたりしたが、いまは穏やかに、されるがままに受け入れる。しかもそのあとの執拗なまでの攻撃にも悶えこそすれ、拒否する気配はなく、ついには小さな呻《うめ》き声とともに、上体を軽く反らして果てるようなポーズをとる。
この五日間、僕はその経緯をつぶさに見て、ほぼ願ったとおりのすすみかたであることはわかったが、さらによく見ると、日によって微妙な違いがあることもたしかである。
その変化の第一は、月子の秘所に挿入されていくバイブが一日ごとに大きくなっていくようで、初めは直径二、三センチくらいのものであったのが、いまは倍近くに太くなったようである。しかもそれが華奢《きやしや》な女性の手に握られているだけに、その大きさがことさらに目立ち、それとともに色も初めはピンクであったのが、いまは黒々として、一層猛々しさを際立たせる。
この変化に気がついて以来、僕はその肥大化していく過程を、ある痛々しさと切なさとで眺めていたが、月子は挿入される瞬間こそ切なげに腰をよじるが、じき慣れ親しむかのように平然と呑みこんでいく。
僕はそのことに驚き、戸惑いながら、先に送られてきた女性の秘所を表すフランス語の数々を思い出す。たとえば「antre(アントル)洞窟」というのがあったが、いま僕が見ているのは、まさしく洞窟に違いない。この底はどれくらいあり、そこにどれくらいのものまで収容しきれるのか。そういえば同じような意味で、「grotte(グロット)深い穴」というのもあったし、「cave(カーヴ)地下室、酒蔵」というのもあった。してみると、いま僕が感じている月子の秘所へのイメージは、フランスの男たちと同じく、そこにとらえがたい不気味さと妖しさを感じているのかもしれない。
いや、それだけではない。日々ピンクやブルーや黒と、色とりどりのものを呑みこんでいくところを見ると、洞窟とは別に、なにか野菜かソーセージか肉をとり込んでいくようで、「cuisine(キュイジンヌ)台所」という表現があったことも思い出す。たしかにそこだけ見ていると、さまざまなものが貯えられているキッチンのような感じがしないでもない。
とにかく、そこに直接挿入されるようになってから五日目だが、見れば見るほど、女性の秘所が不思議で底知れぬように思えてくる。実際だからこそ、「gouffre secret(グフル・スクレ)秘密の淵」という言葉もあったし、「labyrinthe de concupiscence(ラビラント ドゥ コンキュピサンス)肉欲の迷宮」という表現があったのもうなずける。
そうだ、あそこはまさしく迷宮《ラビラント》なのだ。男たちが一度入ったら、もはや二度と正気では戻ってこられぬ、妖しさと謎に満ちた迷宮殿なのだ。
それにしても、性に関わることを少しでも話したら眉を顰《ひそ》め、軽蔑しきった眼差しを向けていた月子が、いや、いまの場合は、月子の秘所が、というほうが正しいのかもしれない。そこが、あの色とりどりの、さまざまな大きさのものを次々と呑みこみ、しかもそれを咀嚼《そしやく》して最後には悶えるがごとく果てるとは。いや、まだ本当に果てているとは思いたくないのだが、あのほら穴であり貯蔵庫である秘密の淵は、本当に月子の体の一部なのか。
もしかして、男などにもよくいわれるように、あそこだけは体の一部でありながら、精神とは切り離された別の生き物なのではないか。そして、あのような反応を示すところをみると、奴等が意図するとおりに、月子は着実に目覚めてきているのか。あるいは、それは一番考えたくないことだが、僕に見せていた嫌悪の眼差しは、僕だけを対象にして、本当はセックスに対して人並み以上の好奇心をもっていたのではないか。
さまざまな疑問にとらわれながらこの五日間、僕は送られてきた映像にひたすら目を凝らしながら、月子の体がある謀叛というか、反乱を起こすことを秘かに期待していた。いかに奴等が巧みに、入念にことを運んだからといって、ときにふと、月子が感じなかったり、まったく反応を示さないときがあるのではないか。奴等がいかに執拗に挑んだとしても、単なるくたびれもうけに終ることもあるのではないか。
だが、僕のこの期待はことごとく外れ、毎夜、月子はそれが当然の辿るべき道のように悶え喘ぎながら、最後は低く甘い声とともに果てていく。いや、果てたような気配を見せる。その経過は毎夜通い慣れた道のように定まっていて、どこかで反乱を期待している僕は口惜しさから、ついには腹立たしくさえなってくる。
この僕の苛立ちを感じてか、シャトウから送られてくる映像のなかに、ときどき、ドレサージュとは別の情景がまじっていることがある。
たとえば二日目、いつものドレサージュの映像の前に、突然、寝室らしい部屋が現れ、中央左手の窓ぎわにベッドが見えてくる。広くダブルサイズは充分ある大きさで、その上には四本の支柱に囲まれた天蓋があり、そこから赤地に白い花柄が細かく織りこまれたドレープが床まで垂れ下がっている。この豪華なベッドの横の壁には、のどかな森のキューピッドたちと木陰で憩うジュピター神を描いたのか、寝室にふさわしい、大きくて優しい図柄のタペストリーがかかっていて、その下にチェストというのか、ロココ様式のような装飾がほどこされた、古くて黒光りする衣装箱が置かれている。さらにその手前、ベッドの前には、円いテーブルをはさんで、背凭《せもた》れに飾りがついた椅子とソファが、対になって向かい合っている。
まさに中世そのままの気品と豪華さを兼ね備えた寝室に見とれていると、ベッドのドレープがゆっくりと左右に開き、その中から一人の女性が現れる。
一瞬、僕は映画の一|齣《こま》を見ているような気になり、次の瞬間、それが月子だと知る。いま、眠りから醒めたばかりなのか、あるいは醒めてからしばらくベッドのなかでまどろんでいたのか、軽くうつ向き加減で、前髪の一部が額から頬にかかり、どこか気怠《けだる》げである。そのまま月子はベッドの端に座り、朝の光の流れてくる方角を眺めていたが、やがて額にかかった髪を掻き上げると、ゆっくりとベッドから立上がる。
考えてみると、月子の起きがけの姿など、同じ家に住んでいても見ることはほとんどなかったが、驚いたことに、身にまとっているのはパンティと純白のシースルーのインナー一枚で、その上から豊かな胸のふくらみと、くびれたウエストから腰の線まではっきりと見える。
間違いなく、部屋も家具も中世の名残りをとどめているが、そこにいて月子はなんの違和感もなく、むしろ部屋の雰囲気に溶け込み、プリンセスのお目覚め、といった感じで、ベッドの前にある肘掛けつきの椅子に座る。
すると、それを待っていたように、左手から例のドレスの女性が現れ、軽く一礼すると、月子の手をとるようにして立たせる。
そのまま一旦、姿が消えるが、バスルームにでも行ってシャワーを浴びたのか、短い映像の中断があってから、再び月子がガウン姿で現れる。
なにが始まるのか、僕が息を潜めていると、月子はこちら向きに立ち、自らガウンの腰紐を解くと、肩口から流れるように脱ぎ落し、先程の女性がそれを跪《ひざまず》いて拾い上げる。
いまや、月子の体をおおうものはなにもないが、手前に鏡でもあるのか、正面から軽く左を向き、さらに右を向き、鏡に映る自らの姿をたしかめているようである。
以前、秘所を隠したり恥じらうのは庶民の感覚で、本当の王妃やプリンセスは堂々と露出したままでいる、ときいたことがあるが、目の前の月子もすべてを見せたまま臆する気配はない。
もしかして昨夜のドレサージュで何度も責めたてられて、疲れ果てた、その余韻が残っているのか。月子の表情は気怠げなのに体は艶やかで、水を得た朝顔のように輝いて見える。
そのまま僕が見とれていると、先ほどの女性が乱れ箱のようなものに衣装をのせて現れる。月子はそこから白いレースのショーツを手にして軽くかがみこみ、まず左足から、そして右足をとおして引き上げる。続いてシースルーのスリップを着て、上端に刺繍《ししゆう》のあるストッキングを穿《は》く。その一連の動作の流れるような優雅さに、僕は溜息をつくが、月子はその上にオフホワイトのやや胸の開いたドレスを着ると、いま一度、鏡の中の自分の姿をたしかめてから、右側に移動して画面は消える。
この月子の日常を伝える映像は、僕をおおいに安堵させるとともに、少し不安にもさせる。たしかにこの画面を見るかぎり、月子の住んでいる空間は中世のシャトウにタイムスリップしたように豪華だが、同時に月子の行動から性格も微妙に変ってきているようである。
「月子は、どんどん変っていく……」
僕はなにか、自分一人だけがおきざりにされていくような不安を覚えるが、月子を変えるように依頼したのは僕自身なのだから、この不安は矛盾しているのかもしれない。
それはともかく、寝室の映像に続いていま一つ、月子の日常を窺わせる映像が届いたのは、その二日あとだった。今度は初めにいきなり、馬に乗った貴族が猟犬とともに狩りをしている図柄の大きなタペストリーが映し出されたあと、そこからカメラは引いて、四角いテーブルと四つの椅子が現れ、その上に十本以上の蝋燭《ろうそく》型の明りが点《つ》いたシャンデリアが輝いている。
テーブルに座っているのは二人の女性だけだが、正面にいるのは月子で、向かい合って座っているのは、月子の世話をしていた女性のようである。月子は朝方とは違って、ローブ・ヴォラントというのか、十八世紀の貴婦人が着たような、幾重にもフレアがついて袖がふくらんだドレスを着て、髪は軽くうしろで巻き上げている。
中央に燭台《しよくだい》が置かれたテーブルの上には、銀製の器や陶器の皿が並べられ、二人が食事をしているところを見ると、少人数用のダイニングルームなのかもしれない。細かな料理の内容まではわからないが、手前の大きな皿に盛りつけられているのは、骨付き仔羊のソテーなのか、さらに皿に盛られているのは、トリュフと野菜のサラダなのか、画面を見ているだけでフランス料理の秋の香りが漂ってくる。
二人は静かにナイフとフォークをつかい、ときに簡単な会話を交わすが、それが日本語なのかフランス語なのかはききとれない。それより僕が気になったのは、月子の斜めうしろに立っているウエイターで、きちんと蝶ネクタイをつけているが、顔はまだ二十代のように若く、ブロンドの髪がよく似合う美青年である。しかも彼は緊張しているのか、直立不動の姿勢で月子の動きを追い、月子がワインを飲むと、すぐ駆けつけるようにして注ぎにくる。
いままで、月子のまわりにいるのは、女性だけかと思っていたが、こんな若い青年もいたのか。僕が軽い嫉妬にかられて見ていると、男が立っている斜めうしろに、床から立上がった大時計があり、それが八時を示している。
瞬間、僕はパリからシャトウ・ルージュに夜の九時ごろに着き、それからドレサージュを覗き見たことを思い出す。
とすると、今夜も食事のあと、月子はあの部屋に連れ出されて、ドレサージュを受けることになるのか。いまは若い男に注がれたワインで、月子の頬はいくらか色づいてみえるが、いつもそんな状態で衣装を脱がされているのか。
想像するうちに、僕は次第に妖しい気持にとらわれ、これから生け贄になる月子と若い男の動きを追っていると、再び初めのタペストリーの柄が映り、やがて画面は消える。
この二日目と四日目、二回にわたって送られてきた映像によって、僕はシャトウの中での月子の生活の一部を知ることができて、おおいに安堵した。
とにかくZがいうように、シャトウでの月子に対する待遇は、充分ゆきとどいているようである。そのあたりは、さすがにフランスの上流社会の紳士だけのことはある。僕は改めて彼等のやり方に納得したが、それから一日あとに送られてきた映像は、そんな僕の安堵と信頼を打ち壊すに充分の、刺激と衝撃に満ちていた。
とにかくその日は初めから、なにか不吉な一日で、まず朝方、義父から電話があり、その後の月子の様子について執拗に問い詰めてくる。むろん僕は、今日にも誘拐したグループから連絡が入るはずだと答えたが、毎回同じような返事をくり返す僕に義父は苛立ち、「君は信用できない」とまでいいだして、朝からきまずい雰囲気になった。
それが尾を引いたというわけでもないが、病院では、午後から僕の受持ちの女性患者が重態に陥り、夕方死亡した。
彼女はまだ二十五歳で聡明な女性だったが、一年前から脊椎腫瘍をわずらい、骨髄まで侵されていた。一度、教授の執刀で手術をしたが、摘出は難しいということがわかっただけで、ほとんどなすすべもなく撤退し、あとは放射線療法をしながら、腫瘍の進行とともに死を待つだけだった。
しかし、受持ち医としては、そんな残酷な事実をそのまま告げられるわけもなく、手術の結果をきく彼女に、「できるだけのことは、やりました」と答えるよりなかった。それでも彼女は、「いつ頃になったら退院できますか」と執拗に尋ね、僕が「とにかく焦らずに、頑張ろう」というと、「絶対治って退院します」といって、目を輝かした。
僕はその澄んだ瞳を見ながら、治る可能性がないのを知りながら、曖昧に言葉を濁している自分に嫌気がさしたが、なにも知らぬ彼女はそれまで以上に、僕にいろいろなことを話しかけてきた。
たとえば、今度の入院で先生や看護婦さんにお世話になったので、将来、できることならお医者さんになりたいとか、まだヨーロッパに行ったことがないので、元気になったら行ってみたいと。そして好きな人ができたら、思いきり熱い恋をしたい、ともいっていた。
いうまでもなく、彼女の語ることはすべて未来で、それは悪く考えると、もはや助からないと自分でも感じていて、だからこそことさらに未来を語るのか。ともかく彼女がそうしたことを語れば語るほど、僕はいたたまれなくなって、「大丈夫だよ」とおざなりの慰めだけをいって、病室を離れることが多かった。
その彼女が、たまたまその日に息をひきとったのである。むろん僕たちはそのことを予測していたから、亡くなったこと自体に驚いてはいなかったが、彼女がこれまで病室で語り続けてきた数えきれないほどの未来はどうなるのか。彼女の遺体が霊安室に移され、彼女が寝たきりのまま横たわっていたベッドのマットに、彼女の腰と同じ大きさの窪《くぼ》みと染みが残っているのを見ながら、彼女が僕に語りかけた無数の未来はどこに葬ればいいのか、僕はそのことを考えながら、改めて死はかぎりなく無であることを感じていた。
ともかくその夜は遺族への説明、さらに遺体の処置や死亡診断書の作成などに追われて、十時過ぎに病院を出たが、帰り途《みち》、あんなに未来を語り続けた彼女が死んで、いまは無言の死骸になったことに、いいようもない虚しさを覚えながら家へ戻った。
むろん部屋は朝、出てきたときのままなにも変っていないが、僕は落ち込んだ気持をかきたてるように、冷蔵庫からビールをとりだして飲む。そのままバスルームに行きかけるが、いつもの癖で部屋に戻り、机の前に座ってパソコンを開き、インターネットにつなぐ。
瞬間、僕は病院でやっていたことや、そこで感じてきたことと、自分がこれからやろうとしていることの落差に驚き、戸惑ったが、それが生きているということなのだと自分なりに納得して、マウスを動かしはじめた。
そこで現れてきた映像は、まさに僕がそれまでいた世界とはまったく異次元の、想像だにできぬものだったが、たしかにその日の映像には初めから、ある異様な雰囲気が漂っていた。
まず、初めに映し出された部屋そのものが、いつも月子がドレサージュを受ける部屋よりは狭くて暗く、その陰気そうな石造りの壁面に、黒い人体を形どったような像が数体並んで見える。それらはすぐ鈍い銀色の鉄製の甲冑《かつちゆう》をまとって槍を持った中世の騎士の像だとわかったが、それらに守られるように、中央に王家の紋章のような彫刻が刻みこまれた大理石の暖炉が見える。
そこからカメラがゆっくりと手前に引かれて焦点が定まると、いきなり黒い台の上に白い女体が現れる。それに吸い込まれるように僕が目を凝らすと、正面に女が一人、両肢を広げた姿で横たわっている。それも思いきり膝を曲げ、股もこれ以上、開きようがないというほど左右に開かれ、ちょうど産婦人科の診察台の上に横たわっているように、膝も足首もしかと固定されている。
瞬間、僕は正視できず目をそらしたが、それを嘲笑《あざわら》うように、そこだけスポットを浴びて異様に明るく、他の上体や顔は、開かれた肢の陰になってうかがいようがない。
だが考えるまでもなく、その白というより、蒼白い太股の窪みやすらりとした下肢の形から、それが月子だとわかる。たとえそうでないと思いたくても、彼等が月子以外の映像を送ってくるわけはないのだから、そう思わざるをえない。
それにしても、なぜ奴等は突然、こんなことをやりだしたのか。これでは、いままでのやりかたとあまりに違いすぎないか。
「ひどい……」
思わずつぶやくと、それをききつけたように一人の男が現れて、開かれた月子の股間に近づく。いままでの動物の仮面に代えて、今度は目許だけ隠した仮面を付けているが、それが以前の男と同じか否かわからない。
ともかく男は体を軽く横にひき、おかげで僕の位置からは月子の股間がよく見えるが、そこを男の指がゆっくりとさすりはじめる。たしかに男は長身で筋肉質だが指も長く、その指が次第に秘所の中央に近づき、やがて診察でもするように、二つの指が割れ目を分けはじめる。
瞬間、秘所を閉じていた両の唇が開き、その亀裂から淡いサーモンピンクの粘膜が、スポットの光を受けて赤く浮き出てくる。
これが月子の、そして僕の妻の、長年憧れ続けてきた秘密の小部屋なのか。
そういえばフランス語では「cabinet(キャビネ)小部屋」というのがあったし、「fontaine(フォンテーヌ)泉」とも「figue(フィギュ)イチジクの実」ともいっていた。たしかに目の前に開かれたそれは、瑞々《みずみず》しく艶めいて、イチジクのようでもある。
僕は目を見張りながら、ふと、男がこちらにカメラがあることを意識して、さらにその先で、夫の僕が盗み見ていることまで、知っているような気がしてくる。
口惜しいけど、僕の卑しさのすべては奴等に読みとられているようだが、しかし目はそこから離せない。
それにしてもこんな屈辱的なポーズをとらせて、奴はこれからなにをするつもりなのか。たとえ仮面をかぶっていても、これ以上、卑劣なことをしたら許せない。僕が怒りをこめて見詰めていると、やがて男は秘所を広げていた指をおさめ、今度は正面に立って軽く前屈みになり、股間に顔を近づける。
瞬間、「あっ……」という月子の声が洩れ、それとともに僕はなにか濃密な、薔薇かサフランの香りを嗅いだような気がしたが、それを待っていたように前屈みになった男の頭が軽く左右に動きだす。
間違いなく、男はいま月子の最も鋭敏な個所に接吻をし、そこから上下に、そして左右に唇を這わせているようである。
僕はなにか、僕自身が舐められているような、そして僕が舐めているような、妖しい感触にとらわれていると、男は静かに顔を離し、予め用意していたらしいバイブを手にする。ここでも僕によく見えるように軽く体をずらすと、再び見えてきた亀裂に、低く小刻みなモーターの音とともに挿入する。ゆっくりと深く、そして浅く、交互にくり返しながら、男のもう一方の手は入口の鋭敏なところに触れているようである。
これまでも、僕は月子が責められる姿を何度か見てきたが、このように正面というか、開かれた股間の位置から眺めるのは初めてである。たしかにこの位置からなら局所はよく見えるが、月子がいまどのような表情をし、どのように悶えているのか、わからない。
だが、その全身が見えない、責められている個所しか見えないということが、かえって僕の想像力をかきたて別の意味で僕を興奮させる。
それにしても、こんな拘束具を奴等はどこから見つけてきたのか。これだけ女に屈辱を与える器具は、産婦人科の病院にしかありえない。
しかし、よく見ると、いわゆる診察台とは違って、背中が当るレザーの部分が厚そうだし、さらに奇妙なのは、下半身を支えるはずの台が折り畳まれ、直角に下がっていて、それを上げたらベッドにもなりそうである。
いずれにせよ、こんな台に女性を縛りつけるとは、これがあの豪華な寝室を用意し、優雅な愛の口説をくり返した男たちのやることなのか。これこそ彼等がいう、いわゆる「アメとムチ」なのか。
僕は改めて、ヨーロッパの男たちの紳士面の裏に隠された酷薄な一面に触れたような気がして、目をそらすと、男はさらに十分ほど責め続けてから、そっと体を横にひく。
ようやく、月子は許されるのか。僕が期待して見守る前で、男はいままで月子の秘所を蹂躪《じゆうりん》し続けたものをゆっくりと抜き出し、その責められて熱く火照った個所を癒《いや》すように、軽く手を添える。
ここまでされたら、もはや月子は立上がる気力もない。ともかくいまは一刻も早く、この淫らな台から解放してやって欲しい。
僕の願いを知ってか知らずか、男は再び股間の前に立ち、しばらく眺めていたようだが、やがてなにを思ったのか、ズボンのベルトをゆるめだす。
これ以上、なにをしようというのか。不審に思って見ていると、男はうしろ向きのままズボンを下ろし、さらにグレイのトランクスを下げて、下半身だけ裸になる。
突然、目の前に、ブロンドの毛でおおわれた男のひき締まった臀が現れて僕は動顛《どうてん》するが、男は平然と横向きになり、自分のものを誇示するように見せてから、再び台に向かい、軽く腰をかがめる。
僕の位置からでは、男の毛むくじゃらの下半身しか見えないが、いま月子の開かれた股間と逞しい男のものは、ほとんど同じ高さで触れているはずである。
「なにを、するのだ……」
たまらず僕が叫ぶと、瞬間、男の腰がぐいとひねられ、それとともに月子の悲鳴とも溜息ともつかぬ声が洩れ、男の動きがぴたりととまる。
いま、男はまさしく挿入したはずである。むろん、それを確認する方法はないし、僕の目には男の薄汚い臀部が見えるだけである。
だが、悲鳴のあとの異様な静けさと、それに続く、男の腰の前後へのゆっくりとした動きから、月子が男のものを受け入れ、二人がしかと繋がっていることは疑いの余地がない。
「やめろ、やめてくれ」
僕はそれがフランスから送られてきた画面であることも忘れて叫びながら、気がつくと、僕の右手が自分の股間のものを握っている。
妻が犯されているのに、なんということを……。
僕は自分のしていることに呆れながら、目は画面に釘づけのまま、指だけが勝手に動きだす。
「だめだ、だめだぞう……」
さらに叫ぶが、男の動きは止まらず、そのまま数分も続いたところで、画面がぷつりと消え、それとともに僕は体の底から突き上げてくる快感にたまらず、自分の掌の中に射精する。
それからどれくらい経ったのか、僕はある惨憺《さんたん》たる気持のまま、机の前に座っていた。まわりにはむろん誰もいなくて、カーテンが閉じられた部屋は夜の冷気のなかで静まり返っている。
ついいましがた射精して、僕は気怠さとともに、軽い寒さを覚えて、セーターを腕をとおさず、肩にだけかけた。その姿勢で、いまはすべてが消えたパソコンの前で考える。
あれは夢だったのではないか。見たと思うのは錯覚で、想像が生み出した、単なる悪夢に違いない。そう思おうとしている僕の気持に逆らうように、ついいましがた見た画面が一層鮮明に甦ってくる。
とにかくいま、少しは冷静になった頭のなかで考えて、ひとつだけはっきりいえることは、月子が犯されたという事実である。あのシャトウ・ルージュに棲む、毛むくじゃらの臀の男の一物に、月子が貫かれたことだけはたしかである。
それは昨日なのか、いや、フランスの一番新しい夜となると、日本時間の今朝の六時か七時ころになるのかもしれない。
そのとき、月子は犯された。
むろん、こういう瞬間がいつかくることはわかっていた。奴等にドレサージュを依頼した以上、それが避けられないこともわかっていた。
だが、それを覚悟していたことと、現実に見るのとでは、衝撃はまったく違う。やはり断固として見るべきではなかった、と思うが、ぜひ見せて欲しいと頼んだのは僕だった。自分で頼んで、自分で見て、自分がショックを受けているのだから、世話はない。
改めてそんな自分に驚き、呆れるが、さらに呆れたのは、月子の犯されているのを見ながら、自慰をしていたことである。
いったいそんな男がこの世にいるのか。どんな夫でも、妻が他の男に犯されているのを見たら怒り狂うのに、それを見ながら自らを慰めていたとは。
やはり、わかり易すぎる言葉だが、頭とあれとは違うのか。後悔と失望と反省のなかから、やがて僕は一つのことを決心する。
「ともかく、パリへ行こう」
今日は水曜日だが、明日にでも明後日にでも、少なくとも週末までにはパリへ飛び、シャトウ・ルージュに行って、もう一度、しかとこの目で月子の姿をたしかめ、できたら、奴等に尋ねたい。
いったいこれからドレサージュはどのようにすすみ、その都度、月子はどのような状態に曝されるのか。夫なら、それぐらいのことを尋ねる義務があるし、それは妻を託した夫の権利でもある。
たまたま病院では、僕の受持ちで最も重態だった女性が死んで、さし当り緊急を要する患者はいない。それに、義父からは何度も、月子を誘拐した犯人のことを尋ねられ、そのたびに「明日か、明後日には連絡があるはずです」と、引き延ばしてきたが、もはやそれも限界である。
突然、犯人から連絡があって、接触できることになったから行く、といったら、義父も義母も喜んで納得してくれるに違いない。むろん、義父が用意したという三百万フランの身代金も受け取ることができる。
そして病院のほうは、明日にでも、医局長に「パリにいる妻が病気になって」といえば、許してくれるはずである。
「そうだ、もう一度パリへ行こう」
そう心に決めて、僕はようやく長く、波瀾《はらん》に満ちた一日に終止符を打つべく、無数の秘密が隠されているパソコンを閉じていく。
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第四章 ジュイサーンス〈快楽〉
一カ月ぶりに見るパリは、すでに晩秋の気配を漂わせて、暮れかけている。
僕は前回と同様、空港でレンタカーを借りて市内へ向かったが、前に来たときは青い部分を残しながら、黄色く色づいていたプラタナスがいまはほとんど葉を落し、裸になった梢の先々が冷え冷えとした空に針のように突き出ている。市内に入ると夕闇の空にネオンが輝きはじめ、渋滞する車道のわきに落葉が寄り添い、一部は気まぐれに降る雨に濡れそぼち、朽ちている。街を行く人々もほとんどがコートかダウンウエアをまとい、歩き方も小幅で性急で、立ち話をする人もほとんどいない。
僕の常宿というほどではないが、前回も泊まったコンコルド広場に近いホテルのまわりの樹々もほとんど葉を落し、それだけホテルの入口のあたりはすっきりとして、正面のさほど装飾のほどこされていない外観が、晩秋の淋しげな街の中ではむしろ心強く見える。はっきりいって僕はこの種の、どちらかというと、アメリカンスタイルのホテルのほうが好きなのだ。
パリの宿というと、部屋の窓から愛らしい中庭や花壇が見えて、部屋の中はドアはもちろんテーブルから椅子まで飾りがほどこされ、壁には中世風の肖像画や田園風景画などがかけられ、フロントには噂話の好きそうな女が一人いるような、小さくて凝った感じの、いわゆるプチホテルを好む人もいる。事実月子もそうで、以前そのことで小さな諍《いさか》いをしたことがあるが、僕はそういうホテルには到底泊まる気になれない。その最大の理由は、いかに小さくて愛らしくても、ホテルの機能はいちじるしく劣り、部屋はもちろん、レストランや喫茶室など、公用の場もちまちまとして狭く、利用できるスペースもかぎられている。さらにいえばフロントも小さく、家庭的といいながらその実、深夜遅くなど、前を通るだけでなにか監視されているような気がして落着かない。それからみると、いま僕がチェックインしたホテルは万事が広くゆったりとして、部屋の調度も余計な飾りのない分だけあっさりとして、実用的でつかいやすい。むろんフロントはかなりのスペースをとって広く、しかも入口のあたりは太い柱や観葉植物などで死角になっていて、何時に出入りしても、見咎《みとが》められるような気配はない。
そうだ、いまの僕にとっては、この見咎められる気配というのが最悪で、そんな雰囲気が少しでも感じられるホテルにだけは泊まりたくない。たとえば、「何号室にはたしかこんな様子の日本人が泊まっていた」などとフロントが思い出せるような、よくいうと家庭的な、悪くいうとこうるさいホテルだけは断じて避けたい。そういう意味では、大きくてそれなりに便利で、万事に機能的なこのホテルは、まさに最適なのである。
ここにチェックインしたあと、無表情なボーイに案内されて部屋に入り、一人になった瞬間、僕はいいようもない自由と解放感にとらわれて、思わず両手を広げてベッドの上に仰向けに倒れてつぶやいた。
「完全に一人だ……」
そのまましばらく目を閉じ、やがて目を開いてあたりを見廻して、間違いなく一人であることをたしかめてから、いまつぶやいたことが、少し不自然なことに気がついた。
僕が一人であることは、なにもいまにはじまったことではない。これまで東京にいたときはもちろん、それ以前、月子と一緒にいたときだって、僕はいつも一人であった。それなのにことさらにパリに来て感じるとは、東京の自分の家にいても、すでに一人でいる解放感は失われていた、ということか。
ホテルの白い天井を見ながら、成田から飛び立った瞬間、なにか救われたような、ほっとした気持になったことを思い出す。日本を離れて安堵するとは、もしかすると、東京にいるかぎり、義父や義母はもちろん、勤め先の病院の仲間や、さらには同じマンションの住人や田舎の父母にまで、どこかで見張られ、監視されているような不安があったからなのか。たとえいまはなんとか誤魔化せても、いつかは露見するかもしれないという怯《おび》えが、僕を落着かなくさせていたのかもしれない。
ともかく僕はいま、知人がほとんどいないパリの、ビジネス以外はまったく関心を示さない、アメリカンスタイルのホテルに入って、心身ともに完全な自由を得たことだけは、たしかである。
僕は改めて部屋を見廻し、その事実を確認してから、室内に持ち込んだ大型バッグのなかから、パソコンを取り出す。前回と今回と、荷物のなかみの大きな違いは、このパソコンを入れてきたことである。
いまや、僕はこの文明の機器を離せない。大袈裟でなく、これだけが僕と月子を繋ぐ唯一の絆《きずな》であり、これを失った瞬間から、僕は空中で糸の切れたタコのようにバランスを失い、月子の姿を見失うことになる。
僕はいま、最も愛《いと》しい肉親と相対するような懐かしさで、パソコンを壁ぎわの机の上に置き、電話線につなぐ。ここまでして、あとはパスワードと暗証番号を打ち込めば、また月子に会うことができる。
だが正直いって、この数日、シャトウ・ルージュから送られてきた映像は、あまりに破廉恥で刺激的すぎる。東京を発《た》つ前に見たのも、その前日のも、その前々日に送られてきたものも、僕にとっては嫌悪をとおりこして、屈辱的でしかなかった。もちろん、そんな映像を見るためにパソコンを持ち歩く僕自身も、おかしいといえばおかしいが、この数日、彼等から送られてきた映像には心底怒りがこみあげてくる。
実際、僕が今度、急遽パリに来たのも、その映像を見るに忍びず、耐えきれなくなったからである。
間違いなく四日前、月子はたしかに犯されたのだ。あの毛むくじゃらの臀《しり》の、人間とはいえない男たちに。それも一人の男だけでなく、初めの二日間は、臀から腿の毛がブロンドで、伊達男にしては意外に筋骨隆々とした男に、そして三日目からはやや小柄で、臀の毛が黒ずんでいる男によって、連夜、蹂躪《じゆうりん》しつくされたのである。
むろんその間、僕からは男たちの顔は見えず、たとえ見えたとしても例の仮面をかぶっていて見えるわけはないのだが、その男たちがうしろ向きに、ズボンとトランクスをずり下ろして、月子の前に立つ。といっても、月子は思いきり両肢を広げられた姿で拘束され、どう逆らおうとも抵抗のしようはない。そんな屈辱的な姿勢で、月子は延々と犯され続け、しかも僕は責められるたびにかすかに揺れる月子の膝から足元だけを見て、耐えるしかなかったのだ。たしかに拒否する女性を強引に犯すには、台の上に女性を縛りつけ、その開かれた股間の前に男が立ち、その位置から挿入するのが最もやり易いかもしれないが、それではあまりに男だけに都合がよすぎて、一方的すぎる。
しかも呆れたことに、このシーンがはじまる前に「jouissance」という文字が画面に表れて、それがフランス語で、「快楽」という意味だとはわかったが、あれがはたして快楽なのか。月子を犯している奴等にはたしかに快楽かもしれないが、月子には苦痛と屈辱以外のなにものでもない。
それにしても二日目までと三日目からと、なぜ男が替ったのか。一人が月子を独占しているのを見て、いま一人の奴が我慢しきれなくなってのり出してきたのか。いずれにせよ、二人に共通していることは、立ったままの男の腰から臀が下から上へ突きあげるように、同じリズムで動くことである。それもあらかじめ充分、鍛え抜かれたように的確で、よく怪しげなビデオで見るように、突然、荒々しくなったり、自分一人だけ耐えきれずに放出するということもない。こんな場合にプロという言葉をつかうのはおかしいが、奴等は欲望を満たしていながら、その実、どこかで欲望をコントロールして、女性の反応をたしかめているようでもある。
この冷静にして、したたかな行動は、どのような訓練によって生みだされてきたものなのか。ともかくその執拗な行動をくり返すうちに、「はあ、はあ」という男の息づかいがきこえてきて、それとともに月子の喘ぐような声が洩れてくる。
もしかして月子まで、男のうねるような腰の動きに同調して感じはじめたのか。そんなことはありえないと思いながら、男の動きを見るうちに、次第に僕自身まで妻と性交しているような錯覚にとらわれ、気がつくと僕の一物は勃起して、ごく当然のように、僕の右手がそこに添えられる。
もはや、この一連の映像を見たくないというより、見るまいと思ったのは、奴等に翻弄《ほんろう》されて上下に揺らぐ妻の両肢を見ながら、いつしか自慰をしている自分に嫌気がさし、失望したからである。これではまさに犬畜生ではないか、いや、犬畜生でさえ、これほどの愚行をくり返しはしない。
いずれにせよ、こんな画面を連日見せられては、僕は気が狂ってしまう。これ以上、遠いフランスで妻が犯され続ける場面だけを見ていたのでは、僕の頭は錯乱し、精神衛生上、重大な障害をきたしかねない。いや、それだけではない。このまま月子を彼等に委《ゆだ》ねていたら、月子自身が彼等の術中に嵌《は》まり、精神も肉体も苛《さいな》まれ取り返しのつかぬことになる。
僕が急遽東京を発ち、パリに駆けつけてきたのは、そうした危機感というか、恐怖にとらわれたからである。
だが正直いって、パリに来たからといってなにができるのか。いまさらシャトウ・ルージュに乗り込んで、「妻を犯すのはよせ」と叫ぶのか。それとも例の覗き部屋に張り込んで、奴等のやることを監視するとでもいうのか。とにかく東京を飛び出てはきたが、直ちになにをするという、たしかな目処《めど》があったわけではない。
ただひとつ、着き次第、Zとだけは話さねばならないと思っていた。むろん電話に頼ることになるが、まず彼と直接話して、いくつかのことをたしかめたい。そのために予め東京からメールで、今日夕方パリに着き次第、電話をすることだけは伝えておいた。
しかしそれだけで、あの古城の奥深くに潜んでいるらしいZと簡単に話せるのか、半信半疑ながらシャトウに連絡すると、珍しくあまり待たされることなくZが出た。
「ようこそ、ボンジュール」
Zの声は、シャトウでやっていることからは想像もつかぬほど爽やかで、清々《すがすが》しい。
それに僕もつられて、「ボンジュール」と答えてから、いつも画像を送ってもらっていることに礼を述べる。はっきりいってこの瞬間から、僕は早くもZに圧されていた。いまからほぼ半日前、東京を発つときには、断固彼に対して、最近のドレサージュの行き過ぎをたしなめ、変更を求めるつもりであった。あのままでは、あまりに月子に過酷で、夫の僕の立場も無視しすぎる。そう抗議するはずであったのに、話を交わしてすぐさま、「ボンジュール」と挨拶し、彼等のやっていることに礼を述べるとは。
そんな弱腰の僕の気持を見抜いたように、Zはいきなり、「映像は鮮明に見えているか」ときいてきた。
「もちろん、よく見えます」
呆れたことに僕は受話器を持ったまま頭を下げ、さらに「音もよく聞こえるか」という問いに、「とても、よく聞こえる」と、いかにも満足しているような答えかたをする。
話がここまできては、もはや抗議しても迫力がない。ともかく、なにかいおうと言葉を整理していると、「また、シャトウに見に来るつもりなのか」ときいてくる。
「ええ、できたら……」
今度も相手に合わせて答えると、Zは少し間をおいてから、「せっかくだが、この週末は難しいので、月曜の夜からにして欲しい」という。
それはどういうわけなのか。なにかシャトウに入ってはいけない特別の事情でもできたのか。不審に思ってきくと、Zが「申し訳ないが」と断ってから、穏やかな口調でいう。
「われわれも、ときには仕事を休まなければならないのでね」
一瞬、仕事という言葉が奇妙に思えたので、僕はききなおす。
「仕事って?」
「そう、調教という仕事をね」
もしかすると、Zはそういいながら電話の向こうで苦笑いしているのかもしれない。ともかくその皮肉っぽいいいかたから、その仕事の意味が月子へのドレサージュをさしているのだと気がつく。
「あれも、結構疲れるのでね」
僕は思わずうなずきかけて、すぐZの図々しさに呆れる。はたしてあのような行為が仕事といえるのか。女を全裸にして天井から吊るしたり、まったく抵抗できぬ形に拘束したまま犯し続けて、疲れるなどというのはおこがましい。僕はこの数日、画面で見た生々しい情景を思い出しながら、考えうるかぎりの単語をつらねていってみる。
「あれを仕事というのは勝手すぎる。とくにこの数日の情景は、あまりに強引で、乱暴すぎないか」
すると突然、「ノン」という言葉が返ってきてから、一語一語諭すような口調で、「見たいといったのは、あなた自身ではないか。そのあなたが一番喜び、参考になると思うシーンを送っているのだ」という。
たしかにそういわれると、僕は黙らざるをえない。もともと初めに知人の医師を介してZと会い、契約を結んだときも、彼はドレサージュの状況はもちろん、シャトウの中を見せるともいっていなかった。ただ、あなたの妻をわれわれに任せてくれ、といっただけなのを、覗き部屋から眺め、さらにインターネットで送ってくれるように頼んだのは、この僕自身であった。
「もし不快なら、シャトウを見せたり、映像を送るのはやめるけど」
「いや、待ってくれ」
僕は慌てて受話器を握り直す。そんなことになっては月子の消息を追えないし、僕の唯一にして最大の楽しみも失われてしまう。
「いまのままでいいけれど……」
どうやら、奴はこちらの本心を見抜いているらしい。そう思いながら逆らうすべもなく、まったく別のことを尋ねる。
「ところで、いつ、月子を戻してもらえるだろうか」
「早くても、あと二カ月くらいは必要かもしれない」
それがどういう理由からなのか、よくはわからないが、調教に必要な期間、という意味なのかもしれない。
「もう少し、早くはならないのだろうか」
恐る恐る僕がきくと、Zは電話でもはっきりわかるほどの溜息をついてから、
「もちろん、あなたがご希望ならお返しする。しかしいまの状況ではドレサージュは不充分で、最も悪い状態でお返しすることになるけれど」
「と、いうことは?」
「このままでは、すべての点で中途半端で、戻っても、彼女はあなたを憎むだけになるだろう」
これは警告なのか、それとも脅しなのか、僕は一瞬、Zの正体のわからぬ不気味さに触れたような気がして、しばらく黙りこんでから、つぶやく。
「じゃあ、月曜日にシャトウにうかがいます」
「できたら、夜十時頃にして下さい、そのほうが満足できると思います」
それはまたどういう意味なのか、僕はZの真意がわからぬまま、「メルシー・ボクウ」と余計な礼までいって電話を切る。
その日、すなわち土曜日の夜と日曜日一日、僕はとくになにもすることがなかったが、といって退屈したわけではない。まずなによりも、誰も知っている人がいない異国の大都会にいるということが、僕の気持を和ませたし、病院の仕事や人間関係などについてとくに考える必要もなかった。パリというお洒落でほどよく冷ややかな街が僕は気に入っていたし、くわえて僕の懐には、かなりといっていいほどのお金がある。むろん義父が渡してくれた身代金で、そのほとんどを預金してきたが、いずれにしても僕がいま、かなり裕福であることは間違いなかった。
これから先パリにとどまって、多少、気になることといえば、やはり月子のことだが、Zと話したことで僕の気持はいくらか落着いていた。もう、とやかく案じたり、怒ったり、嘆くことはやめて、期限がくるまで下手に騒がず、彼等の手に委ねておこう。実際ここまできた以上、それ以外に適当な方法があるとは思えない。
むろん、一方で、あと二カ月、いかに義父と義母を宥《なだ》めすかすかという問題は残るが、それは日本でのことだけに、うまく立ちまわればなんとか誤魔化せそうである。それにしても、二人には早急に連絡しておくにこしたことはない。
そう思った僕は、土曜日の夜にまず義父に電話をして、無事パリに着いたこと、さらに明日にも、犯人グループと接触できそうなことを、いかにも緊張した口ぶりで伝えた。それに対して義父は、くれぐれも身辺に気をつけること、できたら警察に連絡するようすすめたが、僕は、それをしたら月子がどんな目に遭うかわからないからといって、そのあたりのことは僕に任せて欲しいと訴えた。むろん義父に異論はなく、義母は「必ず、無事に連れてきてね」と、電話口で泣きだしたので、「絶対に大丈夫です」と、三度くり返して電話を切った。
土曜日にやったことといったらそれだけで、長旅の疲れもあって比較的早く休んだが、日曜日にはその疲れも時差呆けも、ほとんど癒《い》えていた。
僕は朝九時近くに一階のレストランに行き、バイキング・スタイルの朝食を一人で摂《と》ってから部屋へ戻り、机の前に座ってパソコンを立上げた。まず初めに、インターネットでシャトウ・ルージュに接続してみたが、Zがいったとおり新しいものはなく、いつものタペストリーの画面が流れるだけだった。
やはり、彼等は仕事を休んでいるのだ。僕はそのことに半ば安堵し、半ばもの足りなさを感じながら、メールをチェックすると、病院から二通の連絡が入っていた。初めの一通は僕の二期下の飯沼という医師からで、入院患者にとくに異常はないという報告だが、続いて別に、「小さなトラブル」と題して、土曜日の午後に起きた事件について記してある。
それによると、七〇六号室の六十五歳になるKという男性患者が、腰のあたりが痛いといって看護婦を呼び、その一帯を押させたうえ、突然、自分の一物を看護婦の手に押しつけてきて、ちょっとした騒ぎになったという。看護婦のSは僕も知っているが、二十歳前後の准看で、たしかに若くて愛らしい。Kは彼女に秘かに恋をしていたのか、それとも頭の中で犯していたのか。ともかく婦長以下、看護婦たちはおおいに立腹しているようだが、そのKが以前、小学校の校長であったことに、二重の驚きを感じているようである。
飯沼医師の報告はそれだけで、その後のことについてはとくに触れていないが、多分このあと、Kは婦長から、「今度、またそういうことをしたら退院してもらいます」と厳しくいわれて、うなだれているのかもしれない。しかし、この種のことは病院ではさほど珍しいことではなく、とくに内臓は正常で手足だけギプスを巻かれているような患者では、長く入院しているうちに性欲が高じて、こうした振る舞いにおよぶのはよくあることである。もちろんこの場合、若い看護婦は被害者で、悪いのはすべて患者のほうだが、といって、あまり患者を責めるのは少し酷かもしれない。こういうと誤解を招くかもしれないが、要するに、男というのはそういう生き物で、そのあたりのことは看護婦のほうで充分注意して接するべきである。
いま僕は異国にいるせいか、日本的な建て前論から抜け出して考えられるが、さらに考えると、僕自身にその老いた元校長を非難するだけの資格はなさそうである。いや、それどころか、僕のやっていることからみたら、その元校長のやったことは、はるかに正直で他愛ない。
メールの一通で、僕は自分も含めて、なにか男というかオスという生き物が可哀相になり、そんな湿った気分を吹き飛ばすために、午後から、いままで行こうとして行けなかったオルセー美術館へ行くことにする。そこで二時間ほど時間を費やし、そのあとセーヌ河畔をぶらぶら歩いてホテルに戻ると、午後四時だった。
そのあとシャワーを浴び、ビールを飲んで仮寝して目を醒ますと、窓の外はすでに暗くて夜になっている。
のんびり一日を過した充足感とともに、軽い空腹を覚えたが、一人でホテルのレストランに行くのは少し大袈裟なので、外へ出ることにする。今度は借りた車で、セーターのうえにダウンジャケットを着て、サンジェルマン・デ・プレにある、ブラッセリ・リップに行く。ここなら一人でも気楽に食事をすることができるし、あまり値も張らない。僕は案内された窓ぎわの小さな席に座り、生牡蠣《なまがき》を半ダースと舌平目のムニエルを頼み、白ワインをグラスでもらう。そういえばいまから二年前、新婚間もない頃、月子と二人でこの種の店に行ったことがあるが、月子は生牡蠣は苦手だといって食べなかった。その月子は、いまもシャトウで生牡蠣を拒否しているのだろうか。
パリにいると、いま僕が感じている冷気と陰鬱さのなかに月子もいるのだと、急に身近に感じられるが、それは懐かしさと苦々しさと両方入り混じったもので、そのほど良い距離感に納得して、グラスワインを追加するうちに、心地よくなってくる。
家でならワイン一本ぐらいは飲めるが、車を運転することを考えてあきらめて外に出ると、空は厚い雲がおおっていて星も月も見えない。そのまま石畳の道を歩いて、車が停まっている道路の角に立ち、アメリカのコーヒー店のネオンがここまで進出しているのを見上げているうちに、今夜はシャトウ・ルージュが閉ざされていることを思い出す。
どこへ行こうか。まだホテルに戻るには早すぎるような気がして、あたりを見廻すが、行き交う人々は寒さから逃れるように足早に去っていく。そのうしろ姿を追ううちに、突然、ブーローニュの森に行こうと思いたつ。
もう四年前になるが、僕がロンドンからパリに立ち寄ったとき、そこの商社に勤める羽鳥という友人が、車でブーローニュの森を案内してくれた。といっても夜もかなり更けてからで、「森の美女に会いに行こう」といわれて行ってみると、森を貫く車道の左右に点々と美女が立っていた。彼女たちは明らかに娼婦で、それを求めて集まる男たちが乗った車が車道の両端に延々と並び、娼婦たちを品定めしながら進んでいく。女たちは森の中から出てきて、これ見よがしに胸や股間を突き出してポーズをとるが、いずれも百七十センチはゆうにある長身で、肩幅の広さや野太い嬌声《きようせい》から、かなりのオカマがまじっていることがわかる。そのときはたしか九月の末で、夜はセーターが欲しいほど肌寒かったが、彼女たちは、いや彼等は、長いコートの下はブラジャーとパンティだけで、これ見よがしに乳房や太腿をちらつかせる。とくに乳房はブラジャーからこぼれ落ちそうで、いずれも円くて大きく、それこそ森にかかる満月のようであった。
はっきりいって、僕はオカマに興味はなく、エイズも怖かったが、そんなことを知ってか知らずか、彼等は徐行する僕たちの車に近付いてきて、開いた窓から自慢の乳房を突き出してくる。僕はその大胆さに呆れながら、それでも少し触れてみたくなって、思わずこぼれ出てきた乳房の先を握ると、オカマは突然、「二百フラン、二百フラン」と叫んで、両手を差し出してくる。ほんの一瞬、触っただけで、それも硬くて、即座に整形したものだとわかるのに、二百フランは高いと思ったが、車まで蹴とばしそうな剣幕に怖くなり、慌ててポケットから二百フランを出して、渡してしまった。
はたしていま、こんな季節になっても、あのオカマたちは立っているのか。たとえいなくても、森まではさほど遠くはない。そう思って行ってみると、やはり車道の両側には車が並び、その横を森の美女たちが徘徊《はいかい》している。といってもさすがに寒さの故か、四年前より美女たちも車の列もいくらか少なく、その分だけ、前よりはゆっくりと観賞することができる。それにしてもこの寒空に、森のどこで関係しようというのか。考えただけで震えてきそうだが、そこはよく考えたもので、ところどころ森から少し入りこんだところに停まっている大型のワゴン車の中が、ホテルの役目をするらしい。
むろん僕はそんなところに行く気はなく、さらに一度懲りているだけに乳房に触れる気もなく、なにやら巡回でもするように、並んでいる森の娼婦たちをひととおり見ただけで森から抜け出る。
時計を見ると午後十時で、休むにはまだ早いし、たとえオカマにしても大きな乳房や、小さなバタフライだけでおおわれた股間を見せられたせいか、なにやら体が熱くなって落着かない。しかしだからといって、これからピガールあたりのバーやサン・ドニ界隈に屯《たむろ》する娼婦を買う気にはなれない。
別に自慢になることでもないが、僕はロンドンの病院に一年間いたことがあるが、その間、娼婦に近付いたことはほとんどなかった。いや、正確にいうと一度だけあるのだが、その結果はいささか悲惨なものだった。まず娼婦に呼び止められて交渉が成立し、彼女が商売のためにつかっている部屋に入ってみると、どういうわけか、彼女の飼っている犬がベッドの上でウンチをしている。娼婦と犬の組み合わせは、いかにも似合いそうだが、そんなベッドにとても横たわる気になれない。むろん彼女は犬に舌打ちして、直ちにウンチを拭き取り、さらに雑巾のようなものでごしごしこすってその上にタオルを一枚敷いて、「そこに横になれ」という。
ともかく、僕はそれでかなり萎《な》えていたのだが、くわえて彼女が元気一杯にドレスを脱ぎ、手際よくブラジャーとパンティを外し、それこそ、「おいで」といわんばかりにベッドに仰向けになる。その白いが意外にだぶついたお腹と、その下の豊かすぎる恥毛と、さらに高すぎる鼻とくぼんだ目を見て、僕は完全に萎えてしまった。しかし気のいい女らしく、彼女は鼻唄まじりに僕の小さくなった一物を握り、ごしごし鼓舞したうえ、口に含もうとしたが、肝腎のものは勃《た》ち上がるどころか、ますます小さくなって縮こまっている。結局、そのときは約束の料金だけ払い、なにもせずに帰ってきたのだが、僕の外国人、とくに西欧の娼婦アレルギーはこのときから始まったようである。
それ以来、僕は勃たなかった理由をいろいろ考えたが、犬のウンチもさることながら、あの娼婦の、「さあ、やりましょう」といわんばかりの開けっ広げな態度が、僕のペニスを決定的に萎えさせたようである。そしてこのことからはっきりわかったのだが、僕という男のなかには、大柄で陽気すぎる娼婦には勃たないという、欠陥というか習性が潜んでいるらしい。
ならば、どのような娼婦となら、僕の男が動きだすのか。その点については簡単で、先にあげたタイプと反対の娼婦、具体的にいうと、やや小柄でひ弱そうで、控えめでどこか陰影がある女。たとえば、かつて日本にいたといわれる、貧しい地方から売られてきた薄幸の美女ということになりそうだが、現代の日本でこういう女性を探しだすのはまず不可能に近い。
もっともこういうと、一夜の慰みものとして買う娼婦に、そんな細かな条件まで求めることはないだろう、という人もいるかもしれない。少なくとも性を買うという発想に馴染んでいない女性には、到底考えられないことかもしれないが、この娼婦と対したときに現れる男の好き嫌いは、その男を知るうえで意外に重大で、それによって、その男のなかに潜む性的|嗜好《しこう》まで探ることができそうである。
たとえば僕の友達に、女中っぽい感じの女が好きで、そのタイプに最も燃える、と公言している男がいる。僕はそのいいかたの古さに呆れながら、妙に実感があることに感心したが、これは別の言葉でいうと、常に控えめでかしずくタイプで、こういう女性と対したとき、その男は最も激しく燃えて愛《いつく》しむのであろう。こうした男と女の関係は、別の言葉でいうと、男の能動に対して女の受身という形で、それはまた男のサディズムに対する女のマゾヒズムという組み合わせともつながり、ある意味で、男と女の本来の属性にかなり合っている、といえなくもない。事実、こうした嗜好の男はかなり多そうだが、それを公けに明かされることはほとんどない。とくにこの種のことを女性の前で口走ると、男女平等論やフェミニズムの風潮に逆行することになり、女性に嫌われることになりかねないからである。
いずれにせよ、この男の好みというか、性的興奮をもたらす背景を探っていくと、少し大袈裟かもしれないが、性の身分差というか階級性という問題にぶつかることになる。すなわち、一見単純に見える男の勃起という生理現象の裏に、性の階級差が潜んでいて、自分が相手の女性より優位に立っていると思ったときのみ、その男は逞しく、かつ情熱的に燃えることができる。
このことはまた、男の性的ボルテージが相手の女性の資質によってかなり大きく変ることを示唆していて、男の性的能力が、相手の女性への想像力に左右される、きわめて精神的なものであることもわかってくる。そして当然のことながら、この性的刺激の元となる精神性は、男によって微妙に異なり、先のようなかしずくタイプを好む男がいるかと思うと、ある男はむしろ大柄で巨乳の女に組み敷かれる、マゾヒスティックな幻想のなかで勃起する者もいるし、さらには女性の体の一部や下着などに異常な執着を示す、フェティシズムの男もいる。
そして僕は、総体的にいうとサディスティックな嗜好に近いかもしれないが、さらに欲をいうと、どこか高貴というか上品で、さらに一見冷ややかに取り澄ましている感じの女性に、最も強く惹かれることはたしかである。これは、先の階級性からいうと、男のほうがやや低いというか、女性を見上げる立場にいて、むしろマゾに近いのかもしれないが、先のかしずくタイプも嫌いではないのだから、サド的とマゾ的と、相反する二つの嗜好が入り混じっている、といったほうが正しいのかもしれない。
そしてここまで見てくると自ずとわかることだが、月子が僕の好みに最も適《かな》った女性であることは明白である。いまさらいうまでもなく、月子は良家の子女で初めからお高くとまっていて、どこか僕を見下したような、冷ややかな態度をとり続けてきた。まさに僕が理想に描いていたタイプで、それ故に月子に接するとき、僕は最も激しく燃え、僕の男性自身も逞しく勃ち上がったのである。
だが、幸か不幸か、いや、いまとなっては決定的に不幸なことだったが、月子は二人だけのベッドの中でも冷ややかな態度をとり続け、結婚という形に入ってからも、頑《かたくな》にその姿勢を崩そうとしなかった。その状態が続いた末に、僕はようやく気がついたのだが、僕が好んでいた高貴な女のイメージは、外見の冷ややかさとは別に、一旦ベッドに入れば、たちまちその鎧《よろい》を脱ぎ捨てて好色で淫らな女に変貌する。その変貌の落差の大きさを、夫の僕だけが知っているという、優越感を覚えたときに一段と燃えあがる。その意味では、肉体的な条件もさることながら、頭の中に生じる想像力がさらなる情熱をかきたてるという意味で、僕の月子への愛は、かなり精神的だったといえなくもない。
しかし何度も述べているように、月子は昼の時間はもちろん、二人だけの夜の時間も同様に気位が高く、冷淡で、そうなると昼と夜の落差はなく、夫である僕だけが夜の姿を知っているという優越感も薄れてしまう。この失望が続けば、当然のことながら、なんのために結婚したのか、その意義さえわからなくなり、ついには愛着が強かった分だけ、憎悪が高まるという、最悪の過程をたどったことになる。
ともかくいま、シャトウ・ルージュで月子にくわえられるドレサージュは、僕の溜飲《りゆういん》を下げさせるに充分すぎるほど充分だが、といってこの数日の映像のように、あそこまで月子が見知らぬ男に犯されると、なにか僕までも、彼等に凌辱されているような気がして、いたたまれなくなるという、複雑な心理状態にあることはたしかである。
月曜日、僕は一つの決断をもって、シャトウに出かけた。もはやあの城の奥の秘密の部屋で、月子がどのような仕打ちを受けても、一切口出しはしない。善悪はともかく、彼等に月子を委ねると約束した以上、彼等の意のままに任せるよりない。いま途中で中止すると、月子は最も悪い状態で戻ることになると、Zは脅すようないいかたをした。それが具体的にどういうことを指すのか、いまひとつはっきりしないが、たしかに中途半端で月子を引き取ることは問題を残すかもしれない。
Zの知人の医師によると、彼等は稀代の遊び人だが、同時になんらかの理由で愛や性を拒否し、蔑視する女性たちを改造する、一種の人間改造家を自負しているという。事実、彼等のなかには医師から弁護士、さらには心理学者から宗教家までいて、肉体だけでなく心理的ケアにまで自信をもっているらしい。まさに趣味と実益を兼ねている、という感じだが、本当にそんなことが可能なのか。僕はいまだに半信半疑だが、Zとの電話で、「仕事」という言葉がとび出してきたことが、僕には意外であり、ショックであった。あんなことを平然というところをみると、やはり彼等は本気で、人間を改造していけると、信じているのかもしれない。
いずれにせよ、いまさら彼等を疑ったところでどうなるわけでもない。ここまできたら、もはや彼等の敷いたレールに沿って従《つ》いていくよりない。
そして待望久しい月曜日の夜、僕はZにいわれたように十時にシャトウに着くべく、七時少し過ぎにパリを出たが、もはやいままでのような罪の意識や怯えもなく、むしろ覚悟をきめたあとのさばさばした気分でハンドルを握っていた。
パリからロワールへ、例によって高速A10号線を南へ走るが、ここも晩秋の気配は濃く、夜目にも道端の樹々がことごとく葉を落し、生い繁っていた雑草も、いまはすべて踏みにじられたように枯れて横たわっているのがわかる。夜に入って冷気も一段と増し、なにやら秋寒《あきさむ》といった感じだが、僕にはすでに通い慣れた道だけに淋しさや不安はない。
そのまま二時間近く走り続けて高速を離れ、国道を数分走ると、ロワール川が見えてくる。相変らず厚い雲におおわれた空の下、黒々と広がる農地を切り裂くように川が流れ、その先に葉を落して幹だけになったポプラが亡霊のように立っている。
車はその脇を抜け、夜目にも白く光る川面を渡って坂を上がると、シャトウ・ルージュである。一カ月前はこの一帯も樹木におおわれていたが、いまはほとんどが裸木で、それがいっそう丘の上に建つシャトウを引き立たせる。
僕はいつものとおり、跳ね橋の手前の砂利道のわきに車を停め、見張所に近づくと、なかから男が一人でてきて、僕の名前をたしかめると、「行け」というように、跳ね橋のほうを指で示す。男は前に一度会っているようだが、僕が来ることを事前に知らされていたのかもしれない。
僕は橋を渡り、正門の半円形のゲイトをくぐって中に入ると、そこにも白いドレスの女性が一人待っていて、僕を見ると軽くうなずき、先導するように先に歩き出す。そこから先も通い慣れた道で、まず豪華なタペストリーで飾られた廊下を三十メートルほど行き、そこから螺旋階段を上がると、つき当りの右手に覗き部屋がある。そこにも前のときと同じ男が一人立っていて重い扉を開け、中へ入ると女性が英語で、飲み物は何がいいか、と尋ね、僕が赤のワインが欲しいというと、女性は無言のまま去っていく。
これら一連の動きは、一カ月前とほとんど変らず、同様に部屋の正面にキャビネットがあり、その手前にカウチが置かれていることも同じで、僕はなにか、懐かしい自分の隠れ家に戻ってきたような安堵さえ覚える。
腕時計を見ると十時で、Zからいわれたとおり正確に着いたことに、自分で感心していると、やがて女性がワインのボトルとグラスとチーズを持ってくるが、その組み合わせも前と同じである。
女性は僕のグラスにワインを注いでから、「すでに、おわかりでしょうが」といって、キャビネットのうしろに窓があること、そこから覗くことは自由だが、部屋から出るときは窓枠の右上にあるボタンを押すことなど、僕が知り尽していることを手短に話してから、「ひとつだけ」といって、少し改まった口調になる。
「今日は、下のお部屋のほうが少し暗いかもしれませんが、照明はこれ以上あげられませんので、お許し下さい」
それはどういうわけなのか、もしかすると土、日曜と休んで、少し模様替えでもしたのだろうか。ともかく僕がうなずくと、女性はキャビネットを右側に押し、その先に現れた窓を示し、「どうぞ」といって去っていく。
これも自慢できることではないが、僕はこの窓から覗き見ることに慣れている。いわば覗きに関してはベテランで、そんな慣れた様子を誇示するようにワイングラスを片手に、窓に向かって身をのり出すと、たしかに下の部屋はいつもより暗い。
一応、正面の、これまで月子がドレサージュを受けるときに置いてあったベッドの位置に、やはり同じようなベッドが置かれているようだが、前のときよりはかなり大きそうである。明りは天井と左後方の両方にあるようだが、天井からのは極端に絞られ、左側のはスポットらしく、しかも軽いオレンジ色でベッドの足元のほうに向けられている。
いままでは、目をおおいたくなるほどの明るい光の下でおこなわれていたのに、今日だけどうしてこんなに暗くしているのか、不思議に思いながら見ていると、上のスピーカーから、女の啜《すす》り泣くような声が聞こえてくる。
なにをしているのか。僕は咄嗟《とつさ》に、奴等がまた卑劣なやり方で月子を苛んでいるのかと、目を凝らすと、ベッドをおおっていたらしいシーツが波打ち、やがてその中に一人か二人、人が潜んでいるのがわかる。
どうやら、今日のベッドは、いままでのような黒革の拘束具のついたものではなく、普通の、いわゆるダブルベッドのようである。僕は大分、暗さに慣れた目でさらに見詰めると、それを待っていたように、シーツが除《の》けられ、その下から抱き合っている一組の男女が現れる。
いったい、これはどういうことなのか。どうしていきなりこんな愛し合っている姿を見せるのか、これではドレサージュにはほど遠い。僕はそんなことを思いながら、それが月子ではない、他の女性だと思っていた。
その証拠に、女はどこも拘束されず、手足は完全に自由で、わずかに目だけが、アイマスクのようなものでおおわれている。その女に対して、男は側臥位よりやや仰向けの体位で接し、おかげで女の軽く開かれた股間に、男のそれが挿入されているのが僕の位置からもわかる。男と女、二つの体は、そこを軸に上下左右に軽く揺れている。
これは「松葉くずし」とでもいうのだろうか。僕は以前見たことのある四十八手の絵などを思い出し、それにしても白い女体と、逞しい男の絡み合いは、こうして見ると淫らさをとおりこして、むしろ生々しくて美しい。そんなことを思いながらワインを飲んだ瞬間、「ああっ……」という女の叫びとも、呻《うめ》きともとれる声がきこえてくる。
僕は一瞬、声の洩れてきた天井を見上げ、それから、いまの黄色い澄んだ声が、月子のそれとよく似ていると思い、慌ててグラスを床におき、両手を窓に当てて覗き込む。
いま眼下では、仄暗《ほのぐら》い照明の下、二つの肉体は前よりさらに接近し、左右に開くというより、男の両肢が上下から女の股間を挟みこむ形で絡み、それに合わせて男の顔が女の耳許に近づき、それがくすぐったいとでもいうように女が顔を左右に振る。瞬間、ベッドの足元に向けられていたスポットが上のほうに移り、その光の下で見える整った鼻筋と、軽く開かれた唇と、ほっそりとした顎は、まさしく僕が長年見慣れてきた、月子のものである。
「月子だ……」
僕が思わず叫ぶと、頭上から再び月子の悲鳴のような声が洩れ、それとともに男の荒々しい息が流れてきて、僕は天井を見上げては、すぐ覗き窓から下を眺め、再び声とともに上を見上げては、また下を見るという、まるで首振り人形のように、上からの声と下の淫らな情景に振り廻されながら、全身が怒りで熱くなる。
いったい、こんな馬鹿げたことがあるものか。夫の前で妻が見知らぬ男と結ばれ、上体と腰を上下に揺らせながら、悶えている。男はそれをいいことに、ぴたと妻に吸いつき、仰向けからやがてほぼ側臥位に近く体位を変えながら、いまや一本の紐のように絡み合い、うねり合っている。
「やめろ、やめろ……」
僕は思わず叫び、さらに激しく、覗き窓を叩きながら叫ぶ。
「犯すのはやめろ、離せ、離せ……」
だが僕の声が彼等にきこえるわけもなく、女の喘ぎ声だけがさらに高まって、僕は初めて気がつく。
これは、月子が犯されているのでなく、月子が求めているのかもしれない。
月子は嫌がっているのでなく、むしろ悦んでいるのか。まさかそんなことはない。あの高慢な月子がこんな破廉恥なことを受け入れるわけはない。それは絶対、奴等に強制されてのことである。
たとえ、奴等の調教がいかに巧みであったとしても、好きでもない男に一方的に嬲られて、女が悦びを覚えることなぞあるわけがない。肉体が精神を裏切ることなど、ありえない。
だが眼下で喘いでいる月子は、手足は自由で拘束されているところはどこもなく、その自由な手で、横からすがりつく男の手をしかと握っている。
間違いなく、月子が男を受け入れている……。
そう思った瞬間、僕は全身が身震いし、わけもなく頭を左右に振るが、目はなお月子の白い体を追い、それが男とともにゆっくりとうねるのをたしかめながら、僕は徐々に床に座りこみ、窓の前で祈るように両膝をついたまま目を閉じる。
いうまでもなく、今回、僕が急遽パリへ来たのは、月子へくわえられるドレサージュを見て、いたたまれなくなったからである。
僕が東京を発つ前、延々と送られてきたシャトウ・ルージュからの映像は、あまりにも直接的で、生々しすぎた。いまさら思い出すのも不快だが、月子をまったく抵抗できない状態に拘束したうえ、その秘所へ奴等のものをいきなり挿入するとは。しかもそのまま月子が犯され続ける姿を黙って見ているなど、到底耐えられるわけがない。
しかしだからといって、パリまで飛んできてどうなるのか。いや、そこまで考える余裕もなく、とにかくあのまま一人で映像だけを見ていたのでは頭が混乱し、発狂してしまう。そんな追い詰められた気持でパリへ来て、まずZと電話で話し、それから二日間、ドレサージュが休みであることを知って、ブーローニュの森に出現するオカマたちを眺めているうちに、僕の気持はいくらか落着いた。むろんそれで不快な映像のことを忘れたわけではないが、居ても立ってもいられぬ状態から脱したことだけはたしかである。そして善悪は別として、いましばらくは、月子を彼等に任せておくよりないのだと一応は納得した。
だがパリに着いて三日目の夜、半月ぶりにシャトウ・ルージュに行って見た情景は、僕を納得させるどころか、一段と驚かせ、狼狽《ろうばい》させるに充分の、妖しく不可解なものだった。いったい、あれはたしかに現実のことなのか。あの薄暗いベッドの中で男と戯れていたのはまさしく月子で、頭上から洩れてきたのは間違いなく月子の声なのか。
なによりも、昨夜、僕が衝撃を受けたのは、月子が身体のどの一カ所も拘束されず、自由であったことである。手も足も膝も、すべて解き放たれ、逃げ出そうと思えば逃げ出せるし、逆らおうと思えば簡単に逆らえる。あの獣のような男どもに頬をすり寄せられて迫られたら、「いやっ」と叫び、「やめて」といって助けを求めることもできたはずである。
だが僕の目の前で、月子は逃げまどうどころか、逆らう気配もなく、挙句の果てに男を受け入れて、切なげな声まで洩らしだす。
いったい、僕が知っている月子はどうなったのか。あの、男を避け、セックスを嫌い、一人だけ月よりも蒼く、醒めて冷ややかだった月子はどこへ消えたのか。
これまでの月子はともかく、昨夜覗き窓から見た月子だけは許せない。
何度となく奴等のドレサージュを見ながら、僕がどこかで月子に同情し、申し訳ないと思い、さらには愛しささえ覚えていたのは、月子が圧倒的な拘束の下、あらゆる屈辱的な行為を強制されていたからである。全裸のまま吊るされたときはもちろん、たとえ優美な女たちの繊細な手や、伊達男たちのよく動く指先でさまざまな愛撫をくわえられ、さらにはバイブで嬲《なぶ》られて喜悦の声を洩らしたとしても、それらは厳しく拘束されて逃げられない、という状況の下でおこなわれたものである。
だが昨夜の月子は、その絶対的な手枷足枷《てかせあしかせ》をすべて取り除かれ、自由なままの状態で男を受け入れ、さらに呆れたことに、甘美な声とともに悶えてみせたのである。
そうだ、あれは、そのように見せただけなのだ。月子自身はなにも感じていないのに、そのようにしろ、と奴等に命じられて仕方なく演じてみせたのだ。いっときはそう考え、そのはずだと思い込もうとしたが、はたして演技だけで、あんな体のうねりや、心地よげな声をだせるものなのか。いや、それ以上に、あの誇り高い月子が、そんな演技をできるわけがない。
どういいくるめようとしたところで、あれが演技やまやかしでないことは、夫である僕自身が一番よくわかる。
しかし、もし本当に、あれがなんの偽りもない、月子のいまの姿だとしたら、月子の夫としての、僕の立場はどうなるのか。
はっきりいって、そんな月子の変貌は、僕を喜ばすどころか、苦しめるだけである。奴等の手によって月子が変ること自体が、僕にとっては苦痛であり屈辱そのものである。
それを知ってか知らずか、いや充分承知のうえで、奴等は僕を憐れみ、嘲笑《あざわら》うために、選《よ》りに選って再びシャトウ・ルージュを訪れた夜に、あのような情景を見せたのだ。
ほら、見てみろ。お前の妻は、いまはこんなに易々と男を受け入れ、身悶えているぞ。お前がいくら努めても燃えなかった女の体が、こんな淫らに妖しく、燃え盛っているだろう。
奴等はそれをいいたくて、僕をシャトウまで招き寄せたのだ。そう、奴等のやりかたはいつもそうなのだ。恩きせがましく、それほど見たいのなら見せてやる、といわんばかりの態度で、その都度、僕を苛み、痛めつけながら、確実に僕から自信を奪っていく。
もしかすると、僕がパリに来た直後の二日間、ドレサージュは休みだといっていたが、そのあいだも、奴等は平然と月子を犯し続け、初めて見る僕に圧倒的な衝撃を与えるべく、調教を続けていたのかもしれない。
いずれにせよ、いまや月子が拘束具もなく、奴等を受け入れるようになったことだけはたしかである。快感に目覚めているか否かはともかく、奴等に求められても月子が逃げなくなったことだけは間違いない。
だとすると、もはや僕はあんな馬鹿げた情景を見てはいられない。
昨夜、僕は月子が他の男と延々と絡み続けるのを見るのに耐えられず、一時間ほどでシャトウ・ルージュを出ると、闇の中をひたすら車を走らせてパリへ引き返した。そのあとホテルでシャワーを浴び、ミニバーにあるウイスキーとブランディを飲みながら、僕はその情景を思い返して、明け方まで眠れなかった。
しかしいくら考えても、月子が変ったことは否定のしようがない。いや、彼等によって、月子は変えられたのだ。人間を改造するなどと、尊大なことをいっていると思っていたが、いまはまさしく、それが現実となっている。
「あの奴等……」
僕は口惜しさのあまり、何度か髪を掻きむしり、水割りをあおるが、やがてこんな状態になることを願い、望んだのは僕自身であることに気がつく。それも誘拐劇まで企て、巨額の金まで渡して依頼したのは、このアルコールで酔って苛立っている、僕以外の何者でもない。
そこまで考えて、いまや自分が進むことも退くこともできず、まさに進退きわまり、ぎりぎりの瀬戸際に追いこまれていることに気がつく。
それというのも、このまま月子がドレサージュを受けて変れば変るほど、月子はますます僕から離れていき、くわえて僕はやりきれないほどの屈辱を覚えるだけという、八方|塞《ふさが》がりの状態に落ちこんでいく。
いったい、こんな不合理なことがあるものか。危険を冒して金を出し、見知らぬ奴等に頭を下げ、その見返りとして、一方的に愚弄《ぐろう》され、次々と襲いかかってくる屈辱にひたすら耐え忍ばなければならないとは。
僕は自分のしでかしたことの、あまりの馬鹿さ加減に腹を立て、そのやりきれなさをまぎらすためにウイスキーを飲み、その酔いがさらに腹立たしさをかきたてるといった、いわゆる悪循環に陥るが、そんな状態のなかでも一点だけ、そこだけ台風の目のように醒めて、はっきりと覚《さと》ったものがある。
それにしても、奴等のドレサージュは見事なものだ。一瞬そう思い、次の瞬間、いや違うと否定するが、またすぐ、見事だと思い返す。
たしか、奴等は自ら人間改造家だと豪語していたようだが、その名に値するプロの集団なのかもしれない。
その驚きは今日にかぎらず、以前から、僕の心の中に潜んでいたものである。
しかしだからといって、素直に奴等のやり方を評価することは、とりもなおさず僕自身の駄目さ加減を認めることであり、僕自身の沽券《こけん》にかかわることである。それを思うと容易に認める気にはなれないが、ここまできたら、いくら強がりをいってもはじまらない。
そう思い直して、改めて奴等のやってきたことを振り返ると、なるほど、と思い当ることがいくつかある。
まずそのひとつ、僕がその都度、憤りながら感服したのは、奴等がアメとムチと、この二つを巧みにつかい分けていることである。
初日というか、僕が覗き窓から初めて見た夜、月子は全裸のまま眩《まぶ》しいほどの光の下で両手両肢を開かれた姿で拘束されていた。しかもその無残すぎる姿態のまま、体のさまざまなサイズから秘所の深さまで、憐れみのかけらもなく事務的に測られた。そのときのせめてもの救いといえば、月子が目隠しをされていて、まわりにいた男たちの好奇の目に気がつかなかったことだが、これをムチといわずに、なんといおうか。たしかに体を打つ鞭の音こそ聞こえてこないが、これに勝る非情なムチはない。
だがこのあと、しばらくして始まったドレサージュは、ムチというよりは、かぎりなくアメに近い、甘美で優雅なものだった。
たとえばそのひとつ、二人の美女がかしずくマッサージ。多分、その前に月子は豪華なバスに浸り、そこで充分温まってから、リラックスした体をベッドに横たえ、気持を和ませる音楽とともに念入りなマッサージをほどこされる。それは調教という言葉からはほど遠く、手足に嵌《は》められている革の拘束具さえなければ、まさしく高級エステと変らない。あの優しく穏やかなマッサージを幾度かくり返されるうちに、やがてここでは逆らわぬかぎり、極端な悪さはされないという、安心感を植えつけられたのかもしれない。
むろん、この心地よげなドレサージュにくわえて、豪華な月子の部屋やベッド、美しい男がかしずく食事、そして常に召使いのように奉仕する女たち。それらが月子の気持をさらに和らげ、安心させたことは間違いない。
このあたり、奴等はムチとアメをつかい分け、逆らうかぎりは許さない、という厳格な掟を覚え込ませたうえで、命令に従うかぎりは甘いアメが与えられることも知らしめる。
ここまで気がついたところで、僕はかつて犬の調教師からきいた話を思い出した。それによると、調教師は厳しさと優しさと、要するにアメとムチをつかい分け、命令するときは徹底的に厳しく、それに従ったあとは極力優しく接するという。いうまでもなく、人間は犬よりはるかに複雑だが、シャトウで奴等がやっていることは、基本的にはそれと同じことかもしれない。
しかも彼等のさらに巧妙なことは、一つ一つのアメを、ことさらにムチと思わせずに、ごく自然に受け易い形で与えていくところである。
たとえば全裸の月子の秘密の個所に触れるときでも、丹念なマッサージで充分すぎるほどリラックスさせたところで、女たちがマッサージの途中でふと思いがけなく触れたとでもいうように、乳房から乳首へ、そして股間の蕾《つぼみ》にと触れていく。この過程はやがて男に引き継がれ、当人がとくにそうと意識しないまま、気がつくとかなり大胆に触れられている、ということになる。むろん、これらは明らかにムチの部分だが、それをまず同性の女たちにやらせ、それに月子が慣れ親しみ、さほど違和感を感じなくなったところで、男の手に委ねられる。
いま考えると、彼等はそれを快擦《カレツス》と呼んでいたが、はっきりいって、見知らぬ男に一方的に乳首や秘所などに触れられるのは、それこそ不快をとおりこして嫌悪で、ムチそのものに違いない。だが彼等はそれを焦らず段階的にすすめ、男の手に引き継がれるときも直接的ではなく、まず鳥の羽根だけの愛撫にして、それが男にされていることも、耳許で囁かれる声で察するだけである。しかも淫らな指の動きからは信じられないほどの澄んで柔らかな声で、「ヴ・ザヴェ・ユンヌ・ベル・ポワットリンヌ(あなたの胸は美しい)」「ヴ・ザヴェ・ドゥ・ラ・ポワットリンヌ(なんて豊かな乳房なのか)」「コリーヌ・ドゥ・ラムール(愛しい双つの丘よ)」などと、かぎりなく褒め讃える。この途切れることのない口説と、触れられているのは男の指ではなく、特別の感情をもたぬ柔らかい羽根であるところが、月子の気持を宥めるとともに、さらにかきたてているようでもある。
むろん、ここでも月子の目をおおっているアイマスクはかなり有効で、直接まわりが見えないことが、初めは不安を与えたとしても、慣れてくるとそれが羞恥心や不安を取り除き、一人だけの世界に没頭して大胆に振る舞えるという、効果を生みだしているようである。
ともかくそのカレッスが始まったあたりから、月子は快感を覚えはじめたのか、体をかすかに震わせ、同時に喘ぎ声を洩らすようになった。男たちはその経緯を見届けたところで、ようやく自分たちの出番だというように、口説と愛撫の攻撃に移っていく。
このあたりの彼等のタイミングはまさに絶妙で、見ている僕でさえ、なるほどと目を見張りながら、何度も感嘆したほどである。そして、ここまではドレサージュといっても、どこか穏やかで、彼等がカレッスと名付けたのもうなずける、いわばムチよりアメの期間であったのかもしれない。
僕が再び、ドレサージュのなかにムチの部分が強くなりはじめたと思ったのは、いわゆるバイブがつかわれるようになってからである。この場合も、マッサージをしている女性が悪戯半分に試みた感じで、ふいと月子の秘所にうずめ、僕はその瞬間をパソコンの画面で見ながら、新たな衝撃を受けたことはたしかである。
それは、突然の登場という意外性とともに、初めてそんなものを押し込められた月子の痛ましさを思い、同時に自分も犯されているような錯覚にとらわれ、この両者のあいだを行き来しながら、呆れたことに、僕は僕なりに興奮してもいた。
ここで僕がさらにショックを受けたのは、月子もそれなりに感じているらしいことで、バイブをのみこんだ月子の下半身が小刻みに震え、やがて小さな声とともに果てたような気配を見せたとき、僕は正直いって自分の目を疑った。
まさか月子が、こんな他愛ないもので感じるとは。僕は驚き呆れたが、冷静になって考えると、月子がそれだけ性に対して柔軟というか、受け入れる余裕ができてきたことは、まさしく彼等のドレサージュの効果といえなくもない。そしてさらにいえば、そんな映像を見て興奮し、思わず自慰をしている自分の卑しさに呆れ、苦笑してもいた。
しかし、いかにさまざまな映像が送られてきたところで、このあたりまでは、まだ見ていても耐えられたし、ドレサージュが順調にすすんでいることに、僕はある程度満足し、彼等のやりかたに一応納得してもいた。
だが安心したのも束の間、再び奴等は、いままでのやりかたからは信じられぬほどの、過酷なムチをくわえてきたのである。それは思い出すだけでも吐き気がするが、あれほど穏やかだった奴等が、ある日突然野獣と化し、両肢を開いて拘束されたままの月子を強引に犯しはじめる。そのあまりの酷《むご》たらしさにいたたまれず、不安と恐怖にかられて、僕は直ちにパリに飛んできたのである。
だが、いま酔ったとはいえ、これまでの苛立ちや憎悪とは別の、少し白けて醒めた頭のなかで考えると、そこにも彼等のいう、いわゆるアメとムチが巧妙にまじり合っていることが、わかってくる。
まずムチの部分はいうまでもなく、月子が股間を思いきり開かれた形で、毛むくじゃらの臀をもった男に犯されたことで、この有無をいわせぬやりかたは、まさに激越なムチとしかいいようがない。だがそのあと、月子と結合した男が見せた体の動きは、単なるムチだけとは違う、なにか巧みに計算された、技巧とでもいうべきものが含まれていたようでもある。
それがどうと、具体的にいうのは難しいが、口惜しいことにあとで考えると、「そうか」と頷くところがいくつかあり、そう感じた僕に、僕は苛立っているのだが、それをいまさら否定したところでどうなるわけでもない。
そのポイントというか要点は、立ったまま月子を犯している男の股間と、台の上に拘束された月子のそれとはほぼ同じ高さにあるように見えたが、いよいよ行為を始める段になると、男は軽く腰を落し、下から上へやや突き上げるような形ですすんでいく。それはほんの僅かの腰の落しで、月子の気配だけ追っている分には見逃すほどだが、男はそのままやや低い位置から抽送をくり返す。それも秘所の内側を分けすすむ感触を楽しむように、焦らずすすみ穏やかに退いてくる。まさに老練というか、海千山千の強者《つわもの》というか、僕には到底あんなにゆっくりと、すべてを味わい尽すようなやりかたなど、できるわけがない。だが気がつくと、月子はその充分間合いをとった抽送に合わせるように、太股から足首のあたりをくねらせ、やがて耐えきれぬような声を洩らす。
こんな恥ずべき情景を見ながら、僕は「そうか……」と首肯《うなず》き、新たに彼等に教えられたような気がしたのである。そこまで告白すると、僕の未熟さをさらすことになるだけだが、昨夜、シャトウ・ルージュで月子と男が絡んだ姿をじっくり見て、ようやく彼らの狙っていることがわかってきたのである。
いま、改めて思い出すのも癪《しやく》なのだが、台の上に固定された月子を、立ったまま犯す男の腰の動きも、昨夜見た、手足の自由な月子と結合していた男の動きも、どこか似ているといえば、たしかに似ている。もちろん昨夜はベッドの上で、やや仰向けに近い側臥位で結ばれていたのだが、ここでも男の腰の動きは、女性の秘所を下から上へ突き上げているように見えたのである。
それはちょうど、両手の親指と人差し指とのあいだを開き、その互いの指のつけ根を左右からぴたりと合わせた形に似ている。その体位で男女が接《つな》がると、男の骨盤というか左の太股の上に、女のお臀を軽くのせる形になり、そのまま抽送をくり返すと、女はやや反り気味になり、おかげで女の秘所の上部を男のそれが刺激することになる。
そこまで気づいて、僕はようやく思い出したのだが、女性の秘所の、いわゆるGスポットが、膣の上壁にあるということを、なにかの記事で読んだことがある。むろん、そんなことが医学書に記されているわけはなく、おそらく男性向けの週刊誌か、その種の雑誌で見たような気がするのだが、それが本当だとしたら、月子を犯した男たちの行為は、みなその原理に適っていることになる。
立った男が腰を軽く屈めて、ゆっくりと上に向けて突き上げる。同様に側臥位の場合も、やや仰向けの女性を自分の太股の上に置き、下から徐々にすすんでいく。
そう思った瞬間、Zが、「われわれも大変なのだ」といった言葉が生々しく甦ってきた。
こんなことに、最善という言葉をつかうのは不似合いかもしれないが、彼等は彼等なりに最善を尽しているのかもしれない。僕のような、セックスに未熟な男から託された女性たちを心地よく、しかも確実に性の歓びを感知しうるように改造するために、彼等は彼等なりに研究し、努力しているのかもしれない。そう思い直してこれまでのことを振り返ると、改めて彼等のやっていることの裏に隠されている、もうひとつの意味まで見えてくる。
たとえば、さまざまなドレサージュをおこなうに当って、彼等は決まって仮面をかぶり、素顔をみせようとしない。それは卑劣なことをやっているうしろめたさからだと思っていたが、そんな単純なものではないのかもしれない。Zが、これもプロフェッシオン(仕事)である、といったとおり、一種のビジネスだとしたら、調教する男たちはもとより、それを受ける女性も、ことさらに個人的な感情を抱くようになっては困る。仕事は仕事として、それだけを完遂するためには、個人的な好き嫌いのもととなる顔は伏せ、表に出さないのが彼等のやり方なのかもしれない。いや、彼等は顔だけでなく名前も年齢も一切明かさず、したがってZという記号とか、仮面に描かれたライオンとか鳥の絵だけで見分けるよりない。
さらに、そこまで考えるのは彼等に都合よすぎるかもしれないが、拘束された月子に、数人の男が次々と挿入してきたのも、特定の男が月子に執着しないよう、そして月子も特定の男に馴染まないように、という配慮からかもしれない。実際そういう観点からみると、昨夜延々とくり広げられた月子と男との行為も、局所だけはしかと接合していたが、肝腎の顔や胸元はX型を呈してかなり離れていた。もともと仰向けに近い側臥位自体が、局所以外はさほど密着しない体位だが、それも個人的な好悪の感情がおきないようにという、彼等なりの配慮の結果と思えなくもない。
そこまで考えて、僕はいまひとつ新たな発見に気がつく。それは送られてきた映像を見ているときから不思議に思っていたのだが、彼等はあれほど過激なことをしていながら、男として最後に行きつく気配がない。むろん妊娠することを避けるという意味もあるのだろうが、拘束されたままの月子に対するときも、昨夜のように自由な形で結ばれているときも、彼等は延々と根気よく、かなり長い時間をかけてセックスを続けるが、いままで誰も射精したと思える瞬間がない。安手のポルノビデオなら、男たちはやたら激しく腰を動かしたかと思うと、突然局所を抜き出して、女性の顔や胸元などに射精してみせる。だがシャトウ・ルージュの奴等はその種のことは一切せず、月子がのぼり詰め、充分満たされたと思われるところで静かに矛を収めていく。その情熱的な行為のあとの淡々として乱れず、常に理性のコントロールが行き届いているらしいところが、いかにもプロの色事師といった感じはする。
ともかく、考えれば考えるほど彼等は逞しくしたたかで、それに比べると、自分はなんと幼稚で未熟なのか。そう思うと、またいたたまれなくなって、残ったブランディを飲み干し、結局、最後は酔いつぶれてベッドのなかに潜りこむ。
その翌日から三日間、僕は毎夜、パリのホテルからシャトウ・ルージュに通い続けた。
東京を発つ前、僕が勤め先の病院からもらった休暇は一週間で、それまでに帰るにはあと三日間しか余裕がなかったが、その間、僕のしたことといえば、覗き窓から自分の妻が見知らぬ男たちに犯されるのを、ひたすら見守るだけだった。いや、いまやその表現は誤りで、一見、妻は男たちに弄《もてあそ》ばれているように見えて、その実、妻もかなり悦びを感じていることはたしかだった。
もはや月子は以前の月子ではなく、自ら性を受け入れ、それを楽しむ余裕までもった、成熟した女である。いま、僕はその事実を否定する気はないし、それに怒りを覚えることもない。それよりも、あの月子がかくも鮮やかに変貌したことにひたすら驚き、呆れている。
そしていま、はっきりいえることは、すでに月子の調教は充分すぎるほどすすみ、初めの僕の期待をはるかに越えている。むろんその裏には、このシャトウに幽閉された以上、あとはひたすら性に耽溺《たんでき》し、性の快楽に目覚めるより生きるすべはないと、月子が悟り、開き直ったせいかもしれないが、それにしても最近の月子の変貌はすさまじい。
いったいこのあと、月子はどこまで変るのか。そしてどこまで変ったら、奴等は月子を放してくれるのか。
いまの僕は明らかに月子の変貌に戸惑い、怖れ、そして怯えてもいる。もう、このあたりで止めぬかぎり、取り返しのつかないことになる。
僕が再びパリを訪れて抱いたこの危惧は、三日間にわたるさまざまな男たちとのあいだでくり広げられた痴態で、一段と明白になったが、その四日目、最後の夜に見た光景は、不安にとり憑《つ》かれていた僕の心を、さらに根底から揺るがすほどの衝撃的なものだった。
その日、僕はあらかじめZに連絡して、今夜が最後で、再びパリを離れて、日本に戻ることを告げた。
Zは「そうか」と首肯いただけだったが、僕はそこで、月子が元気でいる証《あか》しとして、メッセージのようなものが欲しい、といってみた。それは今回、パリに来るときから考えていたことで、たとえば月子の両親に宛てて「わたしは元気でいるから、安心して下さい」という一言でいい。テープにでもとって、それを持ち帰れば、不安に苛立っている両親を、月子が解放されるまで、なんとか宥めすかすことができる。
この頼みに、Zは「日本語で、彼女にいわせればいいのだね」ときき返し、僕が首肯くと意外にあっさりと、「貴方が今夜こちらへくるまでに、準備をしておく」といってくれた。
そんなやりとりがあったせいもあって、僕はその夜、少しリラックスした気分で、例によって七時近くにパリを出て、十時近くにシャトウ・ルージュに着いた。
そのとき、僕は少し奇異に思ったのだが、シャトウの前の、いつも車を駐車する砂利道の部分はもちろん、まわりの芝生のところまで、かなり多くの車が駐《とま》っている。
誰か来客でもあったのか、いつもは人の気配のまったくないところだけに不思議に思って見ていると、見張所から例の男が早足で近付いてきて、シャトウの左手の、いまはほとんど葉を落した楡《にれ》の木の下に駐車しろ、という。
いわれたとおりそこに駐めて、「今夜はなにか、あるのか」ときいてみたが、男は肩をすぼめただけで、なにも答えない。多分、守衛の役目だけしか与えられていない彼には想像のつかない、別世界のことなのかもしれない。僕はそう思って、すでに下りていた跳ね橋を渡って半円形のゲイトをくぐると、いつものように白いドレスの女性が正面で待っていた。
例によって、僕は彼女に軽くうなずき、左手の壮大なタペストリーが飾られている廊下を行こうとすると、彼女が軽く両手を広げてさえぎり、少したどたどしい日本語で説明する。
「今夜は、こちらで特別のパーティーがおこなわれます。よろしかったら、そちらのほうへご案内いたしますが」
これまで、シャトウ・ルージュには何度かきているが、覗き窓のある部屋以外に案内されたことはない。他の部屋はもちろん、廊下を勝手に歩くことさえ禁じられ、いつも監視されているのに、今日にかぎって、別のところへ案内するとは、どういうわけなのか。
「行っても、いいのですか?」
「はい、Zがそう申しております」
Zの指示なら、問題はなさそうである。僕が好奇心にかられてうなずくと、女性は「ひとつだけ……」といって、さらに説明する。
「今夜のパーティーは秘密の会なので、服装を替えていただきます。それとパーティーのことは、シャトウを出てから一切、他の人には告げぬようにお願いしたいのです」
むろん、僕は告げる気はないが、着替えはなにも持っていない。そのことをいうと、「衣装は、こちらのほうで用意してあります」といって、先に歩き出す。
不安と好奇心の入りまじった気持であとに従うと、彼女はいままでとは反対側の、左右にランプ型の明りが点《つ》いている廊下をすすみ、その三つ目の明りの先のドアを開ける。
なかはかなり広く、コートや衣服の預かり所になっているのか、正面のカウンターの先にさまざまな衣類が吊るされているが、その手前に立っていた女性が僕を認めると、予め用意していたらしい一着の衣類を差し出してくれる。
「これを着て下さい」
案内された女性にいわれて広げてみると、黒い幅広のマントで、裾は歩き易くするためか左右に大きくスリットが入り、さらに頭をおおうフードまでついている。
僕には少し大きすぎるかと思ったが、女性はこれくらいのほうが着やすいからといい、さらに、「よろしかったら、服をお脱ぎ下さい」という。
たしかに、スーツの上にマントでは、部屋の中では暑すぎるかと思って、背広だけ脱いで着てみると、マントの幅はゆったりとして、丈は足元近くまである。
「ズボンは?」といわれたが、そこまで脱ぐのはおかしい気がして、「これで結構です」というと、「これも、していただきたいのです」といって、仮面を差し出す。
僕は一瞬不気味な気がしたが、仮面の表はこれまで彼等がしていた動物の絵柄とは違って、額から鼻先までおおうだけの比較的小さなもので、目の周りに緑の縁どりがほどこされている。
「どうぞ……」
いわれて仮面をつけ、さらにマントを着た姿を左手の壁に嵌めこまれている鏡に映すと、なにやら突然、悪魔か黒鬼になったような気がして、妙に気持が高ぶってくる。
「それではご案内いたしますが、ひとつだけ、守っていただきたいことがあるのです」
この女性は、「ひとつだけ……」というのが口癖のようである。
「これからご案内するところは、室内のバルコニーですが、そこからはお出にならぬよう。もし出たいときには、わたしか誰かが、ドアの外に控えていますからお申しつけ下さい。それからお飲み物や簡単な食物は、バルコニーにございますから、ご自由におとり下さい」
なんであれ、僕は初めてシャトウの中の覗き部屋以外のところに行く緊張と興奮とで少し蒼ざめていたが、マントを着て仮面をかぶっているので、誰にも覚られることはない。
変装の準備が整って、僕は再び、女性のあとに従いて廊下を行く。左右にランプの明りが並んでいる廊下は三十メートルほどで途切れ、その先の大理石に赤い絨毯《じゆうたん》が敷かれた階段を昇ると、突然、古色蒼然とした十数枚の肖像画が並ぶ廊下に出る。このあたりは普段は人があまり通らないのか、照明はかなり暗く、それだけに肖像画の人物がいまにも浮き出てくるようで不気味だが、やがてその先に、厚い木製に鉄の把手がついたドアが見えてくる。
女性はそのドアの鍵を持っていて、それでゆっくりと開くと、「どうぞ」というように目で促す。そこで僕がそろそろとなかに入ると、いきなりけたたましい嬌声とともに、アルコールと甘酸っぱい香水の匂いが漂ってくる。
いったい、ここでなにがおこなわれているのか。僕の目の前には多数の男女が集まっているようだが、会場は薄暗くて、よくわからない。
僕が呆気《あつけ》にとられていると、女性は左手の石造りの壁の前にあるテーブルに、ワインのボトルとグラスがあることを説明してから、「出られるときは、このドアをノックして下さい」という。その声もまわりの喧騒で打ち消されそうになり、僕が慌ててうなずくと、女性は日本式に一礼して去っていく。
一人になって、僕は改めて左右を見廻し、そこでようやくまわりの状況がわかってくる。
まず、いま僕がいるところは、百畳近くはある大広間を取り巻くバルコニーの上のようである。その証拠に、人々はすべて僕の視野の下にあり、そこに二、三十人か、いや全部で四十人近くいるのかもしれない。どういうわけか、その人たちはすべて僕と同じマントを着て、同じような仮面をつけているらしく、目元の縁が、光を絞ったシャンデリアの明りを受けて、赤と緑にきらきら輝いている。
いったい、これはどういう会なのか、バルコニーに立ったまま見廻すと、広間の中央は踊り場になっていて、激しいサンバのリズムとともに、十組くらいのカップルがマントをひらめかせながら踊っている。
それでわかったのだが、どうやら男は黒いマントを着て、女はすべて赤いマントを着て、さらに目元が赤色に光るのは女性で、緑に光るのは男のようである。
会場一杯に溢れる騒々しさは、音楽に合わせて踊る人たちの騒《ざわ》めきと、そのまわりでアルコールを飲みながら笑い興じる男女の嬌声と、部屋の壁に沿って置かれたソファや椅子で喋り合う声などの、まじり合ったものらしい。
いずれも仮面をしているところを見ると、このシャトウに出入りする、いわゆる優雅な階層で、かつ変装に興味がある人たちなのだろうか。むろん、いずれも名前や職業はわからないが、日常の平凡なことに飽きて、特別の刺激を求めて集まってきているのかもしれない。
そして僕はといったら、それらをすべて見下ろせる広間に張り出したL字型のバルコニーの中ほどにいるのだが、下の広間からは明りの死角になっていて、ここに僕がいることは、誰も気付いていないようである。してみると、Zがわざわざ僕のために、この場所を提供してくれたのか。
改めて、Zの気配りのよさに感心して眺めていると、激しいサンバのリズムが突然やみ、それとともにタキシードを着た男が現れて叫ぶ。僕にはよくわからないが、誰か、人の名前を呼んだように思って正面の入口のほうを見ると、突然、赤、青、黄の三色のライトが天井から床までサーチライトのように交錯し、そのなかを大きな拍手に迎えられて一人の女性が登場する。
驚いたことに女性は仮面をつけてはいるが、それ以外は一糸まとわぬ全裸で、しかもそれをエスコートするのは、袖口のたわんだ白いシャツと、太股のところをふくらませたパンツをはいた男性で、それがいずれもすらりとして若々しい。
いったい、これからなにが始まるのか、息を潜めて見ていると、広間の右端からトランペットの響きとともに、気怠《けだる》げな曲が流れてきて、それに合わせて先ほどの裸女がホールの中央で全身をくねらせて踊りはじめる。それと同時に二人の若い男はシャツを脱ぎ捨て、引き締まった胸元を踊り子の体にすり寄せる。
もしかすると、部屋の各所では香水とともに媚薬でも焚かれているのか、空気が淀《よど》み、見ている僕まで妖しげな気分になってくる。むろん広間の男女はその前から媚薬で酔っているらしく、ほとんどがペアで寄り添い、ある組は踊り、ある組はソファで抱き合い、ある組は壁を背に接吻を交わしている。
どうやら、この覆面パーティーは親睦《しんぼく》というより、男女が一堂に会して、馴染み合うのが目的のようである。
僕はその大胆さに驚き、さらにバルコニーから身をのり出して眺めると、早くも壁ぎわに置かれているソファやカウチのあちこちで、黒と赤のマントが横たわり、絡み合っている。
そこで初めて気がついたのだが、男も女もマントの下はほとんどなにもつけず、裾をまくればたちまち下半身が現れて、容易に情事ができる仕掛けになっているらしい。
それにしても、僕はこんなに多くの男女が一つの部屋に集まって、淫らな行為に耽《ふけ》るのを見るのは初めてである。
これこそまさしく、西欧の上流社会が何百年のあいだに培ってきた、淫蕩という名の世界なのか。僕が半ば呆れて感心していると、曲はスローに変る。
相変らず、中央では顔だけ隠した全裸の女がしなやかに踊り続け、それを囲むまわりには、さまざまな男女が抱き合い、もつれ合っている。
奇妙なことに、マントの下からはみ出た、下肢や白い腰は妙に艶めかしく、それが絡み合い、宙を横切るライトに映し出されると、一層、妖しく淫らである。
僕は、会場の熱気に当てられたように息を潜め、目だけ夢遊病者のように広間に向けているが、ふと右手前の壁ぎわの一隅に釘づけになる。
そのとき、僕の視線がどうしてそこに行ったのか。たまたま、室内をミラーボールのように廻っている赤い斜光がそこを通りすぎたからなのか、あるいはその壁ぎわに並んで立っていた、槍を持った甲冑が奇異に映ったからか、それとも僕の本能的な勘が呼び寄せたのか。
もしかして、甲冑の前のカウチで、黒いマントの男と抱き合っている赤いマントの女は、妻の月子ではないか。それは一瞬の思いで、これといった理由があったわけではない。
だが一度そう思って、さらに目を凝らすと、男に抱きしめられ、裾の割れたマントからはみ出た両脚は、たしかに月子のものである。薄暗いライトのなかでも、その蒼ざめた白さは鮮やかで、軽く折り曲げられた膝から下肢のまろやかなふくらみ、そして括《くび》れたアキレス腱から、やや宙に浮きでた形のいい足まで、それらは間違いなく、僕の見慣れてきた月子のものである。そして男に首筋を舐められてのけ反っている首も、小生意気に突き出た鼻先から軽く開かれた唇、そして頤《おとがい》から細い首に移る柔らかなラインの、そのすべてが月子そのものであることを証明している。
「でも、まさか……」
半信半疑のまま、さらに怖いもの見たさで見詰めていると、仮面の下の赤い唇がゆっくりとほころび、それとともにマントの両端から白い華奢な腕が伸びてきて、上に重なっている男の項《うなじ》に廻される。その唇の両端から緩んでいくような笑いかたも、男の耳許に添えられた華奢な手も、月子以外のなにものでもない。
「それにしても、どうして月子がここにいるのか」
僕の頭は混乱し、わけがわからなくなるが、そんな僕を嘲笑《あざわら》うように再びライトが廻ってきて月子の顔の真上を横切り、瞬間、喘いで口を開けた月子に、僕は大声で叫ぶ。
「月子……」
しかし、バルコニーの上からでは叫んでもとどくわけもなく、月子はいまや黒いマントの男に上から抱きしめられ、下半身のほとんどを曝《さら》されたまま、男のものを挿入されたようである。
瞬間、形のいい頤が反りかえり、それとともに上体が軽く押しあげられ、左右に伸びていた脚が蛙のように二つに折りたたまれる。
いま、僕の目はその一点にとどまり、そのくせ男の腰が動きだし、それに合わせるように月子の白い脚が揺れはじめると、もはや見るに忍びず、広間の先のほうへ目をそらす。
だが、そこでもさまざまな男女が思い思いに抱き合い、絡み合い、なお続くスローの音楽とともに、甘い香りと喘ぎ声が、階下の広間から湧きでるように立ちのぼってくる。
そう、これはまさしく、立ちのぼってくるとしかいいようがない。眼下に見える図はまさに酒池肉林で、西洋の絵画かなにかで垣間見たような気もする夢の世界が、いま現実にくり広げられている。しかもそのなかに月子がなんの拘束もなく紛れ込み、見知らぬ男に抱きすくめられて、燃えている。
そう思った瞬間、僕は思わず叫ぶ。
「そうだ、Zだ……」
こんな馬鹿げた、とてつもないパーティーを考えだしたのは、Zに違いない。あのZがこれを考えだし、こんな情景を僕に見せるために企んだのだ。大勢の男女が淫らのかぎりを尽し、そこに月子まで誘い込んで、さまざまな男に抱かれ、弄ばれる。その淫靡な光景を充分僕の目に灼《や》きつけさせたところで、僕一人だけ日本に帰す。
「なんという卑劣な、なんという悪魔」
僕はいま一度叫び、拳を握りしめると、ドアに向かって小走りにすすみ、鉄の把手の上を思い切り叩く。
「どうしました?」
ドアの外で待機していた先ほどの女性に、僕は息を荒らげてきく。
「これは、何時までやるのですか?」
女性は少し困惑した表情で答える。
「夜中か、なかには明け方までも……」
いわれて僕はいま一度、カウチの上に横たわっている月子とマントの男を振り返る。
二人は相変らず結ばれているようだが、月子の上におおいかぶさっていた男はいくらか上体を離し、それだけ月子の胸は露わになり、それを別の男女がすぐ横から楽しそうに眺めている。
彼等は他人の情事はもちろん、自分たちの情事を見られることも平気なのか。そしてこれからまた、男と女は組み合わせを変え、朝まで遊び尽すのか。
そう思った瞬間、僕はいいようもない胸苦しさと吐き気を覚えて、扉の先の女性に哀願する。
「もう、帰らせて下さい」
この破廉恥すぎる世界にとどまることなど、僕には到底耐えられない。
あの夜、僕はシャトウ・ルージュから一目散にパリのホテルへ向かって車を走らせた。
途中、何度か窓を開け、冷気に触れながら、闇夜に向かって唾を吐き続けた。
正直いって、僕は全身がべとつき、汚れているような気がして、いたたまれなかったのだ。あんな場所にあれ以上とどまっていては、奴等の堕落と背徳に巻き込まれ、僕自身の、少なくとも自分ではそう思っている、健全な精神と肉体はずたずたに引き裂かれ、彼等と同じ淫蕩地獄に堕ちてしまう。
僕は断じて奴等と同じ仲間にはなりたくない。仮面をつけているとはいえ、勝手気儘に相手を変えて朝まで情事に耽る。それどころか、自らの破廉恥な行為を他人に見せ、自らも他人の情事を覗き見て楽しみ、さらなる刺激を受けて奮いたたせるとは、まさに犬畜生にも劣る行為ではないか。
深夜の高速を思いきり飛ばし、二時間でパリへ戻り、淫蕩きわまりない奴等の世界から逃げ出したように思ったが、呆れたことに僕がそれからしたことといったら、直ちにサン・ドニ界隈に屯《たむろ》する娼婦を買ったのだ。あんな所に立っている女なぞ買うまい、と思っていたのに、今夜だけは選り好みする余裕もない。とにかく、奴等の愚行に呆れてパリへ戻るうちに、僕の体の中に次第に兇暴なものが芽生え、気がつくと股間のものだけが一方的に硬くなっていたのである。
この状態を癒すには、なんであれ、まず娼婦にいきりたつものを宥めてもらうよりない。
もっとも、闇雲に選んだ娼婦が白人ではあったが鮫肌《さめはだ》で、連れて行かれたホテルが木のベッドにマットだけといった殺風景な部屋だけに、硬直したペニスも萎えかけたが、それでも僕にしては珍しく臆することなく、セックスを全うすることができたのである。
女は、あきらかにお世辞とわかるいいかたで、「セテ・ビアン」といったが、むろんそういわれて、悪い気はしない。ともかく、パリの娼婦と対等にわたり合ったのだ。そんな自負というか、高ぶりのなかで女と別れて、なにやらいっぱしのパリの伊達男になったようなつもりで夜道を戻ったが、その一瞬の自負も、元をただせば、シャトウ・ルージュで見た、破廉恥なパーティーに刺激されたからであることは間違いない。
実際、僕は少し腹のたるんだ娼婦と接しながら、頭の中はシャトウで見た妖しい情景で満たされていた。たしかにいま、僕が娼婦と接しているときも、あの密室では、ゆるやかに天井を横切るライトの下で、男と女が絡み合っている。ある女はソファに仰向けに横たわり、その上に男がかぶさり、マントからはみ出た二つの肢が宙に突き出たまま前後に揺れている。そのすぐ隣りでは、女性が立ったまま椅子の背凭《せもた》れに両手をつき、まくりあげられたマントの下から白く愛らしいお臀を曝して、うしろから男を受け入れている。さらにその向かい側では、男がソファにだらしなく座り、広げた股間から突き出た一物を、女が美味《おい》しそうに頬張っている。
そして手前の一組、カウチにうずくまっていた男女が徐々にマントの前を開き、しばらくは互いのものを愛撫していたが、やがて媚薬の妖気に唆《そそのか》されたように、男は自分の一物を女の股間に挿入する。いま犯されているのはまさしく月子で、犯している男は小柄だが腕っ節の強そうな肥《ふと》っちょで、横にいる男女が笑いながら見ているのに、二人は我関せずとばかりひしと抱き合っている。
その情景を脳裏で反芻《はんすう》しながら、僕のペニスは年増の娼婦のなかでたしかに果てていく。
いったい、こんな馬鹿げたことがあるのだろうか。
奴等の淫蕩さに心底呆れ、断じて染まるまいと心に誓っていたのに、気がつくと、奴等のやっていたことを回想しながら娼婦と果てている。僕はいつもながらの自分の意志の弱さに絶望しながら、しかし、と考える。相手が娼婦とはいえ、いま僕は放出して、やや気怠いとはいえ、頭も体もすっきりと冴えている。これまでのように、覗き見た情景だけに興奮して、体が鎮まらぬ苛立った状態からみるとはるかに落着いて、奴等のやっていることも、少しは許せそうな気がしてくる。
してみると、やはり欲望を抑えすぎることは問題なのか。そういえば、過去、禁欲主義が幅をきかせた時代は人々の自由が奪われ、それに逆らう者はみな圧殺されていた。禁欲は一見、道徳的に見えるが、往々にしてストイックが高じてファシズムにいたる。事実、戦前の日本をはじめ、禁欲主義を強制した国はみな、ファシズムの嵐に翻弄された。
してみると、性愛《エロス》を肯定的に捉えるのは最も自然で、性愛を追い求める者こそ、真の平和主義者なのかもしれない。奴等に毒されたのか、僕の頭は奇妙に回転し、最後に再び、シャトウで見た、妖しの広間に戻っていく。それにしても、奴等はどうして、あんなに堂々とできるのだろうか。
もともと、セックスは他人の目を避け、密かにおこなうべきことで、僕はそのように教えられて育ったし、日本人なら、みなそう思っているはずである。
むろん日本でも、乱交などといって、何組かの男女が入り混じってセックスに興ずることもあるようだが、それらはほとんどが酔った挙句、あるいは薬などの力をかりて、若者たちが戯れ半分におこなうだけである。大人たちもスワッピングなどと称して、複数の夫婦が、互いの相手を交換してセックスをおこなうこともあるようだが、それらはごくごく一部の異常な人たちにかぎられていて、一般の人たちがその種の集まりに参加することなど、まずありえない。
だが、シャトウのパーティーは秘密の会にしては、みな怯えた気配もなく堂々としていた。むろん、かなり裕福で優雅な生活をしている人たちのようだが、どこにも悪びれた様子のないところが、僕には意外であり、驚きであった。もしあれが、日本の秘密パーティーなら、なにかおどおどして、照れたり、恥ずかしがる者もいそうだが、僕が見たかぎり、そんな様子の者は一人もいない。みな、自分の好むままに勝手に振る舞い、他人の目など一切気にしない。それどころか、すぐ横で見られているのに、それを無視し、むしろ見られていることで気持を高ぶらせたように、さらに激しく求め合う。
あの、悪びれた様子のかけらもない堂々とした破廉恥さは、いったいどこからくるのか。
僕はそこで、かつてのアメリカ映画で、白人夫婦が側に奴隷がいるのに、それを無視してセックスしているシーンを見たときのことを思い出す。まだ人種差別の強い時代のことだが、彼等は召使いなど人間と思わず、それ故羞恥心を感じることもなく、つかっていたに違いない。アメリカでさえそうなのだから、歴史の古いヨーロッパの上流階級の男女がその種のことに慣れていて、他人の前で情事をすることにも、ほとんど抵抗を感じないのは当然かもしれない。
「それにしても……」と、僕はいまは欲望も吐き出して、かなり冷静になった頭のなかで考える。
たとえ仮面をつけているとはいえ、あんな大勢のなかでどうして勃つことができるのか。広間のいたるところでもつれ合い、溜息を洩らし、身悶えている、そんな状況のなかで、自分のものを勃起させ、相手の女性を悦ばせることができるのか。
はっきりいって、僕にはそんな破廉恥なことをする気はもちろん、そこまでやる自信もない。それでも一瞬、まわりの雰囲気に刺激されて勃ち上がるかもしれないが、いざという段になると、急に萎えて情けなくなりそうである。
そこでまた、僕はかつて読んだ、ヨーロッパの小説のことを思い出す。そこでは、老いた修道僧が、自分の貧弱な一物をもち出し、嫌がる美少女の手に握らせて、擦るように命じる。しかも、「儂《わし》のはこんなに小さく、萎《しお》れているぞ」と叫び、見せびらかしながら、快擦させる。
たとえ小さかろうと、萎えていようと、彼等は恥じたり、怯《ひる》むところはない。
だとすると、僕も堂々と萎えたのを見せ、「いまはまだ挿入できぬが、いずれできるぞ」と叫びながら、擦ってみせるといいのか。
しかし、僕にはやはりそこまでやる勇気がない。誰がなんといおうと、セックスは密かに、他人に気付かれぬようにすべきである。たとえ夫婦のあいだでも、それは恥じらうべきことで、その秘めるところが日本文化の奥床しさでもある。
そこまで考えて、僕の思考や行動はもちろん、性に対する考えかたまで、いや、僕の男性自身まで、きわめて日本的であることに気がつく。常に、「秘すれば花」のたとえの如く、秘めた状態でしか、僕の一物は力を発揮することができないのだ。
こんな慎み深い男が、あんな照れも恥じらいもない奴等に太刀打ちできるわけがない。ある限られた条件でしか勃ち上がらず、たとえ勃ったとしてもおずおずしている男と、常に欲望にあふれて、いつどこでも勃ち上がる奴等とは、精神的にも肉体的にも根底から違うのだ。
そう思った瞬間、僕の頭に「戒律」という言葉が浮かんでくる。
以前、イギリスに留学したときから思っていたことだが、奴等というか、ヨーロッパ人にこそ厳しい戒律は必要である。厳格な、厳格すぎると思えるくらいの戒律で縛らぬかぎり、彼等の生々しく逞しい欲望は抑えきれない。
かつてキリスト教が、慈愛と禁欲と自制の宗教として出現し、アウグスティヌスが「性は高邁《こうまい》な精神に対する最大の脅威である」と断じたのも、彼等の欲望の強さにほとほと手をやいたからに違いない。そして中世のカトリック教会が、性行為を生殖のためにのみ許し、快楽のためのセックスを厳しく律したのも、放っておくとなにをしでかすかわからない、奴等の欲望の奥深さを熟知していたからである。
この戒律の厳しさは近世の十七、八世紀になっても変らず、性交は結婚生活においてのみ認められ、おかげでフランスでは晩婚の風潮が広がり、同時に多くのレイプ事件が発生し、娼婦が異様に増える結果となった。むろん、お金のない男たちは自慰に耽ったが、教会はそれをも反自然の行為として懺悔を強要し、当時の識者のなかには自慰を罪悪視して、心身ともに重大な障害をもたらす、と脅す者もいた。
むろんそんなことは真赤な嘘だが、そうでもいわぬかぎり、彼等の怒濤《どとう》の如き性的欲望をとどめることはできなかったのである。いや、それでとどまるどころか、抑圧されればされるほど欲望は潜在化し、一方で性的な行為への憧れが強まり、結果として、戒律を犯す者が続出し、そのなかの律儀な男たちは懺悔してまた犯すという、まさに罪と罰の追いかけっこをくり返してきたのである。とくにフランスのカトリックはきわめて形式主義で、人を欺き、物を盗んでも、いかに姦淫しても、懺悔というか告解《こつかい》さえすれば許され、それをいいことに、彼等はさらなる姦淫を重ねてきた。
だが幸か不幸か、日本人にはそれほどの性に対する熱情も、あからさまな欲望もない。江戸時代に遊び人と称する者は結構いたが、こと性に関してはどこか粋に、洒落て遊ぶといった域を出ず、欲望の強さも肉体のスタミナも、到底、ヨーロッパ人のそれに敵《かな》わない。
あきらかに、狩猟民族の名残りをもつ彼等に比べて、農耕民族のわれわれは信じられないほどの淡泊な民族だが、そんな日本人が明治以降、西欧文明の吸収とともに、ヨーロッパにはびこる性の戒律までも一気にとりこんでしまった。この背景には、西欧文明ならすべて進歩的で善なるものとして鵜呑《うの》みにした、明治の文化人の軽率さがあることはたしかだが、それに素直に従った庶民も愚かといえば愚かであった。
いずれにせよ、結果として、さほど欲望もないのに異国の戒律だけが日本社会にも取り入れられ、それをさらにミッション系の学校などが唱えることによって一層美化され、その分だけ性に関しては表面のきれいごとだけが先行して、日本の性の文化をいびつにしたことは否めない。
このような経緯を見てくると、いっそ彼等のように堂々と、欲望のままに振る舞うのがむしろ自然で、日本の場合、恥じらいや秘めた文化こそよし、などといって気取っているうちに、かえって性に対する正しい認識が失われ、命の輝きであるセックスを必要以上に卑下する結果になったことは否めない。
シャワーを浴びたあと、ベッドの中でそんなことをとりとめもなく考えて、ふと横にある時計を見ると午前三時である。
今日は午後の早い便で東京へ戻る予定になっていて、そのためには午前十一時にはホテルを出なければならない。とくに面倒な荷物があるわけではないが、早く休んだほうがいい。
ロワールを往復し、娼婦まで抱いて、疲れきっているはずなのに、妙に頭だけ高ぶっている自分にいいきかせて、僕は長かった一日を回想しながら、眠りに落ちる。
僕は目覚まし時計で八時に起き、出発の準備をはじめたが、昨夜、シャトウ・ルージュを出るときに女性が渡してくれたテープのことを思い出す。
それは昨日、シャトウに行く前に、Zに頼んでおいたもので、なかに月子の声が録音されている。内容は昨夜、車の中で聞いてわかっているが、「お父さん、お母さん、わたしは元気ですから、ご心配なく」という短い言葉だけだった。しかし、たしかに月子の声で、僕はその穏やかだが、万感の思いをこめたようないいかたに、あるやりきれなさと懐かしさを覚えて数回きき返した。
むろん、何度きいても同じだが、このテープをとるために、彼等は月子になんといったのか。そして月子は、こんなテープをとられることを、どう思ったのか。いずれにせよ、依頼したテープをすぐ揃えてくれるところが、Zの思いがけなく親切なところでもある。
しかし一方では、あの破廉恥きわまりない乱交パーティーを主催しているわけで、その裏の顔を知ったら、みな彼のことを稀代の悪党か、とてつもない遊び人としか思わないだろう。いや、事実そうなのだが、もう一方では信じられないほどの真面目な面も見せる。実際、お金のことはもとより、覗き窓からドレサージュを見せてくれたり、シャトウから映像を送ってくれることも、すべてZは約束したとおり守ってくれた。
僕が奴等を怪しみ、訝《いぶか》しく思いながら、どこか信じているのは、Zのこうした律儀な面に安心しているからである。
それにしても、このテープは今回の旅行の最大の収穫であった。これさえあれば、不安と焦燥で体調を崩している義母も、このところ高血圧がすすんでいる義父も、心から喜んでくれるに違いない。
僕は大切なテープを紙袋に入れ、機内に持ち込むバッグの一番底においてから、バッゲージをつくりだす。
今回はほぼ一週間いたことになるが、男一人だけに、そう荷物があるわけでもない。
ほぼ一時間で荷作りを終え、部屋の中を見廻しているうちに、ふとZに電話をしてみたくなる。といっても、これといった用事があるわけではないが、まずテープをとってくれたことの礼をいい、このあともシャトウの映像を送ってくれるよう、念をおしておいたほうがいいかもしれない。
しかし、こんな早い時間に起きているだろうか。
昨夜の異様なパーティーに、当然、Zは参加していたと思うが、どこにいたのかはわからなかった。それはともかく、あのまま明け方まで遊び尽したとしたら、まだ眠っている時間かもしれない。
どうせ出ないだろう、と思って電話をすると、やや長い間隔があってから、思いがけなくZが出た。
「ボン・ジュール・ムッシュ」
僕のほうが慌てて挨拶をし、昨夜のテープの礼をいうと、Zは「あれでよかったか」といい、僕が「充分です」と答えると、すぐ「昨夜のパーティーはどうだった」と、当然のようにきいてくる。
僕は咄嗟に返事ができず、改めて、あの妖しい媚薬の匂いを思い出しながら、「セ・ラ・プルミエール・フォワ(あんなのは初めてで)、マニフィーク(凄くて)、シューペルブ(素晴らしい)」と相手を讃える形容詞だけを続けると、Zは「トレビアン」と答えてから、「今度は、あなたも出席するか」ときく。
とんでもない、あんなところに出ることを考えただけで不安で怖くなる。それに万一、月子にでも会ったらどうするのか。
僕が呆気にとられていると、Zが、「今日、帰るのか?」ときいてきた。
「もちろん、今日で滞在期間のぎりぎりなので……」
そう答えると、「こんどは、いつ来るのか」と尋ねるので、「しばらくは、来られそうもない」というと、「じゃあ、クリスマスかな」という。
「クリスマス?」
僕が不審に思ってきき返すと、Zは発音の美しいフランス語で「よかったら、クリスマス・プレゼントに、彼女をお返ししようかと思ってね」という。
「本当なのか」
「むろん、貴方がお望みなら」
たしかにクリスマスまでは、あと一カ月半あまりだから、Zがいっていた調教期間がほぼ終るころになる。
「それじゃ、そのつもりでいるが、それまでの映像はきちんと送ってくれるのだろうね」
「もちろん、われわれはいままで約束を違《たが》えたことはない。だから、貴方も必ず、われわれとの約束は守って欲しい」
「ウィ」
僕はうなずき、それからなにか急に満たされたような気分になって、改めて、「メルシー・ボクウ」と二度くり返して、電話を切った。
昼前、僕はチェックアウトを終えて、空港に向かったが、気分は悪くはなかった。とくに爽やか、というほどではないが、なにか少し浮き浮きした感じではあった。その理由が、少し前に、Zに「クリスマスに合わせて、月子を返す」といわれた一言によることは、たしかであった。
いよいよ、月子が帰ってくる。それもパリがクリスマスのイルミネーションで輝くときに、僕の手許に戻ってくる。Zは、「クリスマス・プレゼントに」といったが、まさしく、それこそ最大のプレゼントに違いない。
僕は車窓の先に広がる、冷え冷えとした晩秋のパリの街を見ながら、そこがさまざまな照明で彩られる情景を想像する。凱旋門もシャンゼリゼも、無数の光でうめつくされ、そのなかを月子と手をとり合い、肩を寄せ合って歩く。そんな姿を想像するだけで、ジングルベルのメロディが浮かんできて、すれ違う人々の騒めきまで、聞こえてきそうである。
さすがに、Zは粋なはからいをするものである。
空港に着くまで、僕は月子が帰ってくる日のことを想像しながら、それなりに幸せな気分になっていた。
だが、空港に着いて搭乗手続きを終え、搭乗口に行って、あきらかに日本人とわかる一団と一緒に待つうちに、僕の頭は次第に醒めてきた。
クリスマスに月子を返すといっても、それは予め定められていたことである。最初の予定からみると、半月近く早まったことになるが、それだけ調教が順調にすすんだということか、それともクリスマスをこえてまで、シャトウにかくまっておくのは面倒とでも思ったのか。ともかく、月子が戻ってくる日がクリスマスに決まったからといって、格別、彼等に感謝すべきほどのことでもない。
僕はポシェットから手帳を取り出し、十二月のクリスマスの前後の日程をたしかめるが、とくに重要な用件は入っていない。例年、その前々日の二十三日が休日のせいもあって、十二月の主な行事は二十二日で終り、あとは二十八日の御用納めを待つだけなので、この間を利用して、海外旅行に出かける者も多い。
ともかく、クリスマスをはさんで一週間、少なくとも四、五日間は、いまから確実に休暇をとれるように、医局長に頼んでおこう。瞬間、僕は医局長の渋い顔を思い出し、「また休むのか」といわれたときに、どう答えるべきか考える。しかし、たとえ彼が駄目だといっても、このときだけはパリに来ないわけにはいかない。そう自分にいいきかせて、手帳に「パリへ」という文字を書き入れる。
そのあと、医局の仲間へのお土産に、免税店のワインなどを買ううちに搭乗時間がきて、僕は機内のビジネス・クラスの席に向かう。窓側には社用ででも来たのか、五十歳前後の男性が座っているが、彼の目に僕はどのように映るのか。まさか妻を悪党たちの手に委ねた男、などとわかるわけはない。
そんなことを考えながら、彼の手前の通路側の席に座る。
すでに十一月初めで、観光シーズンは外れているが機内はほぼ満席で、出発すると間もなく、食事と飲み物がでてくる。僕は初めから赤ワインを貰い、途中注ぎ足してもらったので、食事が終るころには少し酔っていた。
どうやら、昨夜遊びすぎたことが体を気怠くさせ、酔いを早めているのかもしれない。
やがて、スチュワーデスが食事のトレーを下げて、ケーキと果物を持ってくる。さらに「なにか、お飲み物は?」ときかれて、僕は少し考えてから、ブランディを頼むことにした。ワインのあとに食後酒ではかなり酔いそうだが、あとは眠るだけだから問題はない。
隣りの紳士は食事のあとにコーヒーを貰い、座席にとりつけられているテレビの画面を見ている。それを覗くともなく見てみると、映画は中世の物語らしく、古城のようなところで、胸にレースの飾りをつけた騎士風の男が手に燭台を持ったまま、壁ぎわに突っ立っている貴婦人になにごとか叫んでいる。僕は一瞬、シャトウ・ルージュを思い出し、すぐまったく別の城であることはわかったが、それがきっかけで、頭の中は再び昨夜見た広間の情景に戻っていく。
さすがに今夜は、あの狂気のパーティーは休みだと思うが、それとは別に、カウチで絡み合っていた月子のことが気になってくる。いや、それは昨夜、シャトウを出たときから、僕の頭にこびりついていたことである。あのとき、月子は、小柄だが逞しそうな男に犯されていたが、そのあとも延々と続いていたのか。そして、月子たちの情事を眺めていたあの男女はどうなったのか。男のほうはかなりの長身であったが、途中で月子のほうに興味を抱き、迫られたのではないか。
そんなことを想像しながら、僕は月子のことを考えるとき、いつも「迫られた」とか、「犯された」という言葉をつかっていることに気がつく。正直いって、このいいかたは、あくまで僕の恣意的なもので、実情を正しく表しているとは、いえないかもしれない。
それは昨夜のパーティーを見ても明らかで、月子は手足は自由で、嫌なら逃げられたはずである。たとえマントを着て仮面をつけてはいても、無理に見知らぬ男と関係することもない。事実、集まった人々のなかにも、そうした行為にくわわらず、一人で立ち尽している者や、男に声をかけられても無視している女性もいた。参加者のすべてが情事に耽っていたわけではなく、片手にグラスを持ちながら、他人の情事を楽しげに眺めている者もかなりいた。
しかし、月子は初めから、黒マントの男と戯れていて、逃げる素振りはまったくなかった。少なくとも、外から見るかぎり、見知らぬ男との淫らな行為を嫌っているようには見えなかった。
むろんこんなことをZにいうと、彼は即座に、それこそわれわれの調教の成果だと、自慢めかしていうに違いない。
しかし、一人の女性をそんな簡単に、精神から肉体まで変えることができるのか。たとえ、稀代の色事師たちが、あらゆる技術を駆使して女性に挑んだとしても、性にまったく無関心な女性を、容易に男を受け入れ、たしかな悦びを実感するまでに、変えることができるのか。
僕は断固として「ノウ」といいたいが、これまでの月子の様子を見るかぎりでは、「イエス」といわざるを得ない。それは僕が実際にこの目で見て、たしかめたことだけに、否定のしようがない。
しかし、もしそのとおりだとしたら、女の体とはなんなのか。精神的なつながりもない見知らぬ男たちの手で丁重に、かつ懸命に調教されたら、女は快感に目覚め、やがてはエクスタシーにまで達しうる、というのか。
はっきりいって、僕はこのことだけは素直に承服する気になれない。もしかすると、僕の頭は古典的すぎるのかもしれないが、女の悦びは、愛する男の適切な愛撫によってのみ、得られるのだと思っていた。まず、愛という精神的な信頼感があったうえで、女体の快楽は芽生えてくるのだと信じていた。事実、性に関わる書物のほとんどは、そのように書かれている。
しかし、月子のような例が存在するとしたら、それらの記述は根本から間違っていたことになる。本のなかでは、これこそが最も大事といわんばかりに、精神的な愛が重要だと強調しているが、そんなものはなくても悦びを感じることができるとしたら、男と女の関係は根底からくつがえり、必ずしも女にとって愛する男は必要でないことになる。そして書物の記述も、「女はある種の物理的な刺激だけで、エクスタシーに達することができる」と、改めるべきである。
僕はそこでブランディをお替りし、つまみにチーズの盛り合わせをもらう。食事をしていたときは、このまま一気に眠ればいいと思っていたが、いろいろ考えるうちにかえって頭が冴えてくる。
とにかく、僕はいま頃になって、女性も物理的な刺激だけでエクスタシーに達するという事実に、驚き、狼狽しているが、考えてみると、その種のことは、男ではとりたてていうまでもなく、ごく一般的な事実である。
たとえば僕自身の場合、自らのものを自分の手で擦るだけで、時間の差こそあれ、射精にまで達することができる。むろん、いわゆるヘルスマッサージなどで、女性に同様のことをしてもらえば、より充実した感覚で果てることができる。
いずれにせよ、物理的な刺激だけで頂点に達することは、男では格別珍しいことではないが、それが女性も同じだと思うと、途端に違和感を覚えるのはどういうわけなのか。それはもしかすると、女性だけは違う、あるいは違って欲しいという、男たちの勝手な願望にすぎないのか。
そこで思いつくのが、女性の自慰で、これはあきらかに単純な物理的刺激にすぎない。むろん、そのやり方はさまざまで、ある女性は指で、ある女性はシーツのような布を局部に触れさせて、さらにはバイブをつかってなどと、人によって違うようだが、いずれもクリトリスに刺激を与えるという点では、共通しているようである。
しかしそれらは、はたして完全なるエクスタシーといえるのか。
ここからは医学的というか、生物学的な話になるが、発生学的には男のペニスと女性のクリトリスは、きわめて類似しているものである。したがって、この両者が物理的な刺激だけで、それなりの快感にのぼり詰めることは、むしろ自然なことかもしれない。
もっとも、より正確にいえば、この両者は発生学的に同じというだけで、実際にはかなりの違いがあり、まずクリトリスはペニスの著しく退化したもので、それだけに快感に達しても射精するわけでなく、そこに至る過程も、男のそれと比べると、日常化していない分だけかなり難しそうである。くわえて、クリトリスは女性の性器としては、やや副次的なものだけに、エクスタシーに達したとしても、いまひとつ浅く、圧倒的なエクスタシーを得るためには、やはり膣感覚で満たされることが不可欠のようである。
実際そのために、ヴァギナにペニスが挿入されるのだが、問題はこのあと、とくに精神的な愛情がなくてもヴァギナが感じて、エクスタシーにまで達しうるか、という点である。このことはいいかえると、バイブであれ、見知らぬ男のペニスであれ、それら感情とは無縁の物理的な刺激だけでヴァギナ主導のエクスタシーに到達することができるのか、ということでもある。
ここで思い出すのは、「男はまずセックスを求め、女は愛の過程を求める」という言葉である。なんの本で読んだのか、ある日本の作家がいっていたのだが、この一言は、男と女の性に対する考えかたの違いを的確に表しているように思える。
たしかに、好ましい女性に会ったとき、男はいかに上品に振る舞おうとも、その裏では、相手の女性との性的関係を想像し、夢見ている。これに対して、女性は好ましいと思う男性から、さまざまな愛の言葉をかけられ、素敵なレストランに誘われ、豪華な贈り物をプレゼントされる、そうした愛が高揚していく過程を夢見ることは多いが、ただちに性的に結ばれることを求めることはあまりない。そしてこの違いは、男がきわめて性的で即物的な生きものであるのに対して、女は愛される過程を重視するナルシスティックな生きもの、ということになる。
そしてさらにこの違いを一歩すすめると、男は愛はなくても性的関係を結べるが、女は愛なくして性的関係を結ぶことは、特殊な女(たとえば娼婦)を除いては、ほとんどありえない、ということになり、その事実から、「女は体を許すこと自体が、愛である」という結論に到達する。しからば、男の真の愛はなになのか、という問いが生まれてくるが、それは「関係することでなく、そういう関係を長く続けるか否かの持続の問題なのだ」という。
むろん男女の関係は千差万別で、個人差があり絶対ということはあり得ないが、以上のことは、僕一人の独断というより、男女の関係に詳しいある作家の意見でもある。
いずれにせよ、女性においては、体を許すこと自体が愛であるとすると、ここから突然現実的な話に戻るが、月子もかつては僕に愛があった、ということになる。それが浅いか深いかはともかく、結婚して体を許した以上、どこかで僕を好ましく思い、愛していこうと思ったことはたしかである。不幸にして、結果は惨めなものになったが、一瞬でも僕に愛を抱いたことは間違いない。
だが、月子は僕の前から確実に去っていった。何が原因と、はっきりした理由はわからないが、実際、男女の愛が芽生えたり冷めたりするのは、必ずしも理屈では説明しきれない、きわめて非論理的なものだと、先ほどの作家も書いていたが、いまは僕もその意味がよくわかる。とにかく、細かな理由まではわからないが、月子が僕から離れていったことだけはたしかである。
そして、いまさら思い出すのは気が重いことだが、僕と関係があった一年のあいだ、月子が自ら悦びを表すことはほとんどなかった。かすかに悶え、訴えるような仕種はしたが、それらは苦痛とか嫌悪の表情に近く、それを知った途端、僕は苛立ちと絶望感にとらわれて、一段と荒々しく、ときには素気なく、果てただけだった。
こうした過程を、僕は僕なりに考えて、最終的には、月子はセックスが嫌いな、感じない女なのだと決めつけていた。むろんそう思わなければ、僕自身の立場がなかったからだが、そのような気まずい関係になった理由は、月子が精神的に僕を愛せなくなったからだと思っていた。いいかえると、心が離れたから、体も離れて、うまくいかなくなったのだと、自分なりに解釈していたのである。
しかし、はたしてそれだけだったのか。心が離れたから、月子は悦びも感じなかったのだと、そんな簡単に決めつけていいのだろうか。この疑問は、最近の月子を見るうちに、次第に強まり、それとともに、僕はますます女というものがわからなくなり、不気味になってきた。
ともかくいま、月子についてはっきりいえることは、月子は誰も愛してはいない、ということである。むろん月子と直接話したわけではないが、調教のすべてを見るかぎり、特定の男性に心を傾けていないことだけはたしかである。実際、常に目隠しをされ、複数の人間に愛撫され、犯されていては、誰か一人を愛したいと願っても、不可能である。
しかしそんな状態にもかかわらず、月子は悦びを感じ、エクスタシーに達している。それもポーズなどでなく、正直に体の反応として示している。この一連の変化を見たら、愛はなくとも、体は感じることができるのだ、と思わざるを得ない。心はともかく、さまざまな刺激だけで、女性も燃えるという事実を認めざるを得ない。
僕はそこで、残りのブランディを一気に呷《あお》って、密かにうなずく。
どうやら「愛がなければ女は感じません」という、あの書物の記述は間違いではないか。そうではなく、「愛はなくとも、それなりの方法で愛撫されたら、女は悦びを感じることができるのです」と改めるべきではないか。
もしかすると、これは大発見かもしれない。少なくとも、僕のような単純な、書物に書かれていることを鵜呑みにし易いタイプの男には、まさに目から鱗《うろこ》が落ちるような驚きである。
女も男と同様、愛はなくとも感じることはできるのだ。
むろん、その背景には、用意周到で丹念な愛撫という、技巧が必要である。そしてこれも本で読んだのだが、「男は眼で興奮し、女は耳で興奮する」というとおり、奴等はムードある音楽を流しながら、月子の耳許に懸命に愛の言葉を囁いていた。くわえて、優雅で豪華な環境を整えるとともに、ときには絶対的に服従させる鞭も必要である。さらに、これはなによりも重要なことかもしれないが、相手の女性が処女ではないこと。いくら女も感じるといっても、処女では精神的な抵抗が強すぎるから、セックスを好むか好まないかは別として、ある程度、男を知っている女性であること。
そういう条件さえ満たせば、愛はなくても女性も悦びを感じることはできるのだ。
「そして……」と僕は思う。
「女の体は、そういうようにできているのかもしれない」
突然、僕は目の前が開けたような、なにか新しい地平に飛び出たような戸惑いにとらわれて、つぶやく。
「そうだったのか……」
瞬間、横でテレビを見ていた紳士がちらとこちらを見る。先ほどから静かだったので、眠っているのかと思っていたが、まだ起きていたらしい。
照れくささをかくすために、僕はスチュワーデスを呼び、新しいブランディを頼んでから、今度はそっと声に出さずにつぶやく。
「女も貪欲なのだ……」
ここで、貪欲という言葉が適切なのか否か、よくわからないが、好色であることだけはたしかなようである。男ほどルーズではないだろうが、女もなんらかの方法で快楽を得られるのなら、積極的に取り入れようとする。それを邪魔しているのは、宗教や道徳といった、人間がつくりだしたつまらぬ束縛で、その呪縛《じゆばく》から解放されたら、女の肉体は男たちが思っている以上に、好色で貪欲なのかもしれない。
僕はなにか、凄く気が楽になったような気がして、ブランディを飲む。これで三杯目で、酔ってはいるが心地よい。さらにフォークでチーズをつまみ、熟《う》れた匂いが口腔内に広がったところで、「しかし……」と思う。
愛はなくても感じることはできる、といっても、その瞬間、なにかを頭の中で思い浮かべることはないのだろうか。たとえば、男たちが自慰をするとき、好みのアイドルやピンナップに登場する女の姿態などを頭に浮かべるように、女性もまた、好ましい男性の表情や彼に抱かれているときのことなどを、想像するのではないか。以前、オナペットという言葉があったように、それと同様なものは、女性にも必要ではないのか。少なくともそういう対象があるほうが悦びは増し、エクスタシーにもスムースに達するのではないか。
そこで僕はグラスを置き、「もし、月子がしたとしたら誰を……」と考える。
できることなら、この自分を、と思いたいが、そこまでは自信がない。とすると他の誰か、と思うが、正直いって、僕にはまったく心当りがない。たしかに、月子は僕を愛してはいなかったが、といって、他の男性を愛している気配もなかった。それより月子は一人でいるのが好きな女性で、だからセックスはもちろん、男そのものも嫌いなのだと思っていた。
「でも、もしかして……」
そこでまた、つい半月前、六本木のバーできいた話を思い出す。そのときは、三期上の安達という先輩の医師と一緒に行ったのだが、彼はきき上手で、ホステスとエッチな話で盛り上がるうちに女性の自慰のことになった。
それに対して、「わたしはそんなことをしない」とか、「するけど、あとが虚しいから嫌だわ」という女性もいたが、一人だけ、「嫌いではない」という女性がいて、「誰を頭に浮かべてするのか?」と、安達がストレートにきいた。
女は「そうねえ」と少し考えてから、「意外に、好きな人のことは考えないわ」という。じゃあ、どんなことをと問い詰めると、「どちらかというと、いやらしい人にねちねち迫られているような……」といい、それに他の女性もうなずくのを見て、僕と安達はほとんど同時に「うへっ……」と声をあげた。
なぜかそこで話は終ったが、「うへっ」というつぶやきとともに、なにか聞かずもがなのことを聞いた、いやあな感じは、いまも鮮やかに残っている。
いやらしい男に迫られていることを想像しながら自慰をする、という彼女の言葉が本当なら、月子もそうなのか。いや、いまの月子は、日々、いやらしい男に迫られているのが現実だから、ことさらにそんな状況を想像することはないし、その必要もないのだ。
そう思った瞬間、僕はなにか居たたまれぬ気持になり、残ったブランディを一気に飲み干すと、もうこれ以上つまらぬことは考えまいと、最大限までシートを倒して目を閉じた。
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第五章 オプセルヴァシオン〈観察〉
再びパリから東京に戻るとともに、僕は新たな不安にとり憑《つ》かれた。
むろん前回、パリから戻ってきたときも、僕は大きな不安にとらわれていたが、それはいうまでもなく月子の身の安全についてである。一応、身元のたしかな医師が間に立っているとはいえ、見知らぬ異国の男たちに委《ゆだ》ねて大丈夫なのか。外からは容易に近づけぬ古城に幽閉されて、月子が危害をくわえられたり、生命の危険にさらされるようなことはないだろうか。そんなことを考えると不安が増し、夜中に眠れなくなることもあった。
だが幸いなことに、月子の生命はもちろん、肉体的に危害をくわえられることもなかったようである。むろん精神的に、そして性的な面で、かなりの衝撃を受けたことはたしかだが、それらはいわゆる危害とは異なる。その種の調教上の問題を除くと、月子への扱いはおおむね良心的で、さらにあと一カ月半あまりで、月子は僕の手許に戻ってくる。当然のことながら、僕はそれを歓迎し、その日を指折り数え、待ち望んでいる。
だが、そうした喜びとは別に、僕はその日がくることを、どこかで怯《おび》えてもいる。間もなく月子が戻ってくると思えば思うほど、僕の心は高ぶり、それとともにいたたまれぬような焦りと、不安を覚える。
その原因がなにによるのか。いまさら、こんなことをいっても手遅れだが、月子は僕の手許を離れたときからは想像もつかぬほど、変ってしまった。このところ、月子はさまざまな男たちと性的関係を重ねながら、完全に悦びを感じとっている。あれほど性を蔑《さげす》み、セックスを嫌っていた月子が、いまやむしろ積極的に性を受け入れ、そこに溺れてもいる。
むろん、それは僕が望んだことであり、そういう女性に変えるべく、彼等の手に委ねたのだが、いま月子が帰ってくることが現実となって、僕ははたしてそんな月子を受け入れることができるのか。もし、月子が僕の許に戻ってきて二人だけになったとき、僕はどのように対処すればいいのか。
もちろん、僕はいまも月子の夫なのだから、ようやく戻ってきた月子をしかと抱き締め、長く、一方的に途絶えていた月子とのセックスを求めればいいのである。それは夫婦ならごく自然のあり方で、これが一番重要なことだが、戻ってきた月子は、もはや以前のように僕を拒まないはずである。
要するに、すべての条件は僕が望んだとおりにすすんでいるのだが、いざその瞬間を想像すると、急に自信がなくなってくる。いまさら、そんなことに不安を抱くとは、自分で自分の情けなさに腹が立つが、はたして僕は勃《た》つのだろうか。自分のことを他人ごとのようにいっているが、正直いって自信がない。
僕がこんな不安を抱くようになった原因が、月子の調教の実態を見過ぎたせいにあることはたしかである。それも初期の、女性たちがマッサージをくわえたり、男たちが拘束された月子を一方的に犯すだけのシーンならともかく、最近の月子は性に目覚め、自らその悦びを満喫しているようでもある。そんな月子を見るうちに、僕の不安は増々大きくなってきた。
はたして、あれだけ性的に目覚めた月子を、僕は満たしてやることができるのか。いまの不安はまさしくこの一点に尽きる。そしていまごろになって、月子を彼等に委ねるに当って、重大な誤りを犯していたことに気がついたのである。
正直いって、月子が僕を容易に受け入れるようになることを望んではいたが、月子がいまのように性的に成長することまでは望んでいなかった。身勝手かもしれないが、セックスの初々しさはそのままに、僕を受け入れるようになることだけを願っていたのである。
しかし現実の月子は、僕を受け入れるのと同じくらい、あるいはそれ以上に、性的にも貪欲になっているようである。要するに、月子が性的に解放されることが、同時に月子の性的な成熟をももたらす、ということを忘れていたのである。むろんいまさら、成熟した部分を切り離せ、といったところで、不可能なことはわかっている。
以前見た、第一次大戦中の男女の愛を描いた映画のなかに、「肉体に刻まれた感覚は、頭脳に組み込まれた知識以上に強固である」という台詞《せりふ》があったような気がする。
とすると、これからの僕は、月子が性的に満足するよう努めるよりないのだが、僕にはたしてそんなことができるのか。そう思った瞬間、他愛ないというか、馬鹿げたことだが、僕の脳裏に真先に浮かぶのが彼等のペニスである。口惜しいけれど、覗き窓や画面から見たかぎりでは、彼等のはさすがに大きく、正直いって、僕のそれは到底|敵《かな》わない。
もちろん、彼等はフランスでも名うての遊び人で、自分のものに格別自信をもっている男たちなのだろうが、その逞しいものが、月子の局所を貫いたことだけはたしかである。まぎれもなく、その巨大なものが、月子の局所に埋められ、それによって、月子は喘ぎ声を洩らし、腰をくねらせながら果てたのである。
それでも僕はかつて読んだ、ある女性が書いた愛の本を思い出す。それには、「男性は、あそこの大きさにこだわるようですが、女性の悦びは、大きさなどに関係ありません」と記されていた。さらに他の女流作家は「むやみに大きな飴玉をしゃぶらされても、喉が詰まるだけで、少しも美味しくないでしょう」と説明してから、「大きさより、大切なのは優しさです」ともいっていた。
僕はいま、それらの意見を藁《わら》をもつかむ思いで信じようとしているが、はたして本当にそうなのか。たしかにそれは事実かもしれないが、まず勃ってからの問題で、そこまでいかぬことには大小を論じても無駄である。さらに気掛かりなのは、ひたすら僕のサイズと違うものに調教され、馴染んだ月子が、僕のものを受け入れて悦びを感じてくれるのか。
そしていまひとつ、セックスに当っての技巧である。口惜しいけど、彼等が女性を悦ばすための、さまざまなテクニックを会得していることは、認めざるを得ない。
当然のことながら、僕も彼等がやったようにやればいいのである。たとえば、初めに優しく全身を愛撫し、愛の言葉の数々を耳許で囁きながら、何気なく秘所に触れる。そのまま延々と鋭敏な蕾を刺激し、充分、潤ったところで、ゆっくりと入っていく。そこから長くて激しい性交を重ね、女が完全にエクスタシーに達したのを見届けてから、穏やかな後戯へ移っていく。この一連の流れは、一流のオーケストラのように調和がとれていて、完璧である。そのとおり、僕もやればいいだけで、すでに見本があるのだから迷うことはない。
だがはっきりいって、そのためには想像もつかぬほどのスタミナと、忍耐と、精神の好色さが必要である。かつて、僕がときどき失敗したように、前戯もそこそこにいきなり求めたり、挿入すると間もなく果てたり、そんなことでは、三流のオーケストラにも及ばない無残な演奏になり、彼等のやりかたに馴染んだ月子を失望させるだけである。
とにかく、僕は奴等ほどの遊び人ではないし、女好きでもない。いや、女性は好きだが、ごく一般的な意味で好きなだけで、それ以上、彼等のように、女性の調教に情熱を傾け、それを仕事にするほどのヤクザでもない。
いずれにせよ、僕は余計なものを見過ぎたようである。世界でもとくに女好きのフランス人の、そのなかでもとくにベテランの男たちの性戯を観察(observation オプセルヴァシオン)しすぎたのである。
考えてみると、それは彼等の作戦であったのかもしれない。月子が調教されていく、その過程のすべてを見せながら、その実、自分たちの逞しさと技巧を誇り、かわりに僕から自信を奪い、不能にさせる。もしかすると、あの悪党たちの真意は、そちらのほうにあったのかもしれない。
考えるうちに、僕は奴等の罠にはまったような気がしてくるが、そんな情景を見たいといいだしたのは僕自身である。自分から望んで見て、その結果、罠に落ちたといって恨むのは筋違いで、それこそ自業自得というものである。
とにかく、いまさら奴等を恨んだところでどうなるわけでもない。それより、これからは彼等のことは忘れて、僕は僕のやりかたで、月子を愛していくだけである。たとえそれで月子が満足しなくても、いや、誠心誠意努めれば月子もそれなりに満足してくれるはずだし、そこから僕たちなりの新しい悦びが生まれてくるはずである。僕はそう考え、そう自分にいいきかせて、納得しようとする。辛うじて気持を切り替えて、僕は改めて、今回のパリ行きで得たプラスのことを考える。それはいうまでもなく、月子の声を録音したテープを持ち帰れたことである。
実際、帰国直後、これを義父と義母に聞かせ、二人がおおいに安堵《あんど》したことはいうまでもない。とくに義母は月子の声を、テープレコーダーにしがみつくようにして聞きながら「月ちゃん……」と呼びかけて泣き崩れた。義父も一緒に聞きながら何度もうなずき、涙を拭ってから、僕にたしかめた。
「間違いなく、生きているんだろうね」
「もちろんです、もう少しの辛抱です」
僕は胸を張って答え、今度の奴等との交渉で、クリスマスには月子が解放されること、そのための交渉はすべて終り、あとは残りの金とともに、月子を引きとるだけになっていることを強調した。
それでも義母は、「本当に大丈夫なの?」と、半信半疑だったし、義父はテープをどうして入手したのか、と追及してきた。
「以前から頼んでいたら、突然、ホテルのフロントに届けられてきたのです」
「本当に、君を信じていいのだろうね」
義父の鋭い視線に見詰められて、僕は「絶対に大丈夫です」といって、思わず義父の手を握った。
その掌の温《ぬく》もりを感じながら、僕はもはや取り返しのつかない悪党になったことを実感する。とにかくここまできたら悪党を貫き通すよりない。悪は徹底的に悪に徹することで、逆に善になりうる、といった勝手な理屈をつくりだし、「これで、僕も安心して眠れます」と、彼等と同じ、被害者の立場をよそおってみせた。
義父たちをなんとか説得して、僕はようやく正常の勤務に戻ったが、仕事の合い間にも、ふと悪夢のように、帰国以来、僕のパソコンに現れてくる映像のことが甦《よみがえ》ってくる。
パリから戻るとき、Zが約束したようにシャトウからは相変らずさまざまな調教のシーンが送られてくるが、それはもはや調教というより、月子が性を堪能《たんのう》し、満喫している姿、といったほうが当っている。
再び日本に戻ってきて、まず僕が見たのは、筋骨隆々とした男とベッドの上で戯れている月子の姿である。
どういうわけか、今回からは部屋が変っていて、僕が覗き窓から見ていたのとは違う、いくらか小さい部屋のようである。それでも二十畳ぐらいはゆうにあり、正面奥に暖炉が見え、そのわきにWサイズは充分あるベッドが置かれている。それにも月子の寝室で見たのと同様、天蓋《てんがい》とサイドカーテンが付いているようだが、ドレープはいつも巻き上げられていて、広いベッドのすべてが見渡せるようになっている。しかも部屋全体は薄暗く、マントルピースの上にある燭台《しよくだい》の形をした明りがかすかに浮き出ているだけなのに、どういうわけかベッドの上だけ、というより足元のほうから別の明りが射しているらしく、ベッドでくり広げられる痴態のすべてがカメラにおさめられるように、つくられているようである。
むろん、僕はその情事を連日見続けるのだが、そこに主演というか、登場してくるのは常に月子ともう一人のフランス人の男である。そう、僕はいま思わず主演という言葉をつかったが、月子はまさしく主演女優で、そのお相手をする男は助演男優、ということにでもなるのだろうか。
連日、この月子主演の、さまざまな男と絡むシーンを一時間近く眺めていては、さすがの僕も飽きるというか、不快のあまり、いい加減目をふさぎたくなったが、次の日になると、今度はどんな姿態が見られるのかと、再び身をのり出して眺めることになる。
このあたりは彼等の巧妙さというか、意図してのことかもしれないが、一度として同じシーンはなく、常に変化に富んでいる。たとえば、初め月子は白いレースの下着一枚で、その下にはなにもつけず、裾からまくりあげられると愛らしいお臀《しり》のすべてがあらわれて、その下半身に向かって、筋骨隆々とした男が挑むという図がくり広げられる。それも単に関係するというだけでなく、まず男が、例によって延々と愛の口説を囁き続け、それとともに乳房から腋《わき》、そして下腹まで愛撫を続け、やがて頃合いをみて、股間に顔を近付ける。なにをするのかと思った途端、男の舌がクリトリスに触れたらしく、月子の体が一瞬のけ反るが、男はかまわず唇を押しつける。瞬間、僕は自分の首筋を舐められたような悪寒を覚えるが、男はもはや月子の股間に吸いついた軟体動物のようにしかと寄り添い、そのまま延々とクンニリングスを続け、二、三十分もしてようやく顔を離すと、今度は正面から求めていく。むろん月子はその長すぎる前戯で煽《あお》られたのか、逆らう気配もなくしかと抱き締められ、二人のうねる体だけが鮮やかに映し出されていく。
こんな情景を見せられては、さすがの僕もそのあまりの生々しさに辟易《へきえき》し、最後のほうは興奮というより、うんざりして吐き気さえ覚えてくる。
だが嫌悪と愛着は紙一重なのか、翌日になるとまた無性に見たくなり、画面を覗くと、再び前夜と同じ情景がくり返される。といっても内容はまた違っていて、たとえば同じクンニリングスにしても、今度は前よりさらに大胆に月子の股間を開き、さらには腰の下に枕をおし込み、突き出た股間をこれ見よがしに見せつける。
当然のことながら、二人が結ばれる形もさまざまで、前夜はほぼ正常位が中心であったのが、翌日は側臥位《そくがい》になり、翌々日は後背位というように、それぞれに趣向を変え、それこそ性技のすべてを網羅するように、連日くり返される。
まさに飽きない奴等というか、その執拗さは異常で、それらを見ながら、僕は改めてフランス人の、というよりヨーロッパ人の逞しさと根気強さに驚き、呆れ、やがて自分とはまったく違う人間が存在することに、畏怖の念さえもちはじめる。
とにかく、これは尋常ではない。まさに異常な世界のことで、そこでくり広げられることに、いちいち驚くこと自体が間違っている。僕は何度もそう自分にいいきかせるが、それでもなお、驚きたじろぎ、思わず目をふさぎたくなるときがある。むろん、そういいながらも、僕はしかと見てはいるのだが。
たとえば、東京に戻って一週間後、いつものように男と戯れる月子を見ていると、突然月子のアイマスクが外れてシーツに落ちてしまう。そのとき、月子はうしろから男に迫られていて、局所は接《つな》がったまま、男は執拗に月子の耳許から項《うなじ》に唇を這わせ、それがくすぐったくて月子が左右に首を振った途端、うしろの留め金が外れたようである。そのとき僕にはそう見えたのだが、もしかすると、男は戯れながら頃合いを見て外すつもりでいたのかもしれない。僕がそう疑うのは、外れたあとも男は慌てる気配もなく、そのままセックスを続け、カメラも平然と二人の姿を追い続けていたからである。
だが、それからあとの情景は、あまりに刺激が強すぎた。
正直いって、僕は月子とさまざまな男との情事を飽きるほど見てきたが、そのなかで唯一の救いは、月子の顔が常にアイマスクでおおわれていることであった。むろん、初めの頃は白い布の目隠しで、やがて直接、男を受け入れるようになってからアイマスクに替ったが、素顔を現すことは一度もなかった。月子がどう悶え、どのような声を洩らそうと、月子の本当の素顔だけはわからない。僕はその見えないことに一縷《いちる》の望みを抱き、月子の本当の気持はわからないはずだと、自分なりに思いこんでいた。
だが、アイマスクが外れ、月子の素顔が堂々と曝《さら》されては、もはや誤魔化しようはない。素顔の月子は、そのまま月子の気持を表してくる。事実、僕の目の前で月子は美しい眉根を寄せ、長い睫毛《まつげ》につつまれた目をかすかに閉じ、恍惚の表情を漂わせながら体をくねらせている。
もはや、月子が感じていることは疑いようがなく、それは前からわかっていたことだが、いま現実に、生々しい素顔まで見せられては、否定のしようがない。
「月子……」
僕は思わず、叫ぶ。
お前はついに、すべてをかなぐり捨てて色情狂の女に成り果てたのか。その形のいい眉も目も鼻も、いままで黒いマスクの内側に秘めていたものを一気に露出し、いかに感じているかを見せつける。正直いって、こういう顔だけは見たくはなかった。見知らぬ男とのセックスはともかく、目だけはおおっていて欲しかった。
僕がいま、ことさらにアイマスクに拘泥《こだわ》るのは、月子の喜悦に浸る素顔を見たくないと同時に、マスクを外したことで、相手の男の姿がより鮮明に、月子にわかるからである。幸いなことに、男は相変らず、仮面をつけてはいるが、それは男の素顔を見られないようにするためと、考えようによっては、月子が一人の男に執着しないための配慮なのかもしれない。それはともかく、ここでマスクを外したら、単なる調教する者とされる者という関係でなくなり、むしろ男と女、さらには好き嫌い、という感情にまで発展しかねない。僕が抱いた危惧はまさしくその点で、それだけは断固として許せない。
「駄目だ……」
僕は思わず拳を机の上に叩きつけるが、それがきこえるわけもなく、画面では相変らずうしろから接がったまま、男がやや上体を起こし、マスクを剥がされた美しい月子の顔を無理矢理自分のほうに向けて、接吻しようとする。
「やめろ……」
叫んでも無駄と知りながら、僕がいまできることはそれだけで、叫びながら、男が月子の美しさに惹かれぬように、そして月子が男の逞しさに惹かれぬように、願っている。
月子のアイマスクが外れたことが、意図的なものであったことは、その後、月子が常に素顔で登場するようになったことからも明らかである。彼等はそのきっかけを自然に見せつけるために、あのようなやり方を演じたに違いない。
いずれにせよ、素顔のままの月子が、といっても常に美しく化粧はされているのだが、登場するようになってから、僕はしばらく画面を見るのを中止した。
いまさらいうまでもないことだが、月子がさまざまな男たちと関係し、満たされ、のぼり詰めていく表情をつぶさに見るなど、僕には到底耐え難い。
だが、そう思いつつも三日目に、我慢しきれずに画面を覗いて、僕はまたまた衝撃を受けたのだ。
そこには例によって、冒頭から豪華なベッドの上で、月子が男と戯れている情景が現れていたが、やがて月子の手がごく自然に伸びて、男の一物に軽く触れる。なにをするのか、僕が固唾《かたず》をのんで見ていると、月子の華奢な手が男のそれを握り、しかも前後にゆっくりと動きだす。たちまち男は「オー・ウィ・セ・ビアン」と、心地よげな声を発し、それでさらに気持が高ぶったのか、月子の手の動きが激しくなり、男はもはや耐えきれぬとばかり、側臥位のままその硬張《こわば》ったものを挿入していく。
あのセックスを嫌い、蔑《さげす》んでいた月子が、平然と見知らぬ男のものを握り、快擦するとは。セックスよりもそのことのほうに僕は衝撃を受けたのだが、その二日あとの男との情事は、そんな僕をさらに愕然とさせるほどの異様なものだった。
その夜の男はそれまでの男たちとは違って、贅肉はほとんどなく、細身でしなやかそうな肉体の持ち主で、例によって長い前戯のあと、二人は側臥位で結ばれた。そこまではすでに見慣れて、さほど驚きはしなかったが、そのあと互いに熱を帯びたように絡み合い、やがて一本の紐になったかと思うほど、寸分の隙もないほど密着する。瞬間、僕の脳裏に、蛇は交合するとき雄と雌が一本の紐のように絡み合って延々と続ける、ときいたことが甦ってきた。
まさしく、しなやかな男と白く均整のとれた女体との絡み合いは、一本の紐になって三十分以上も続き、その汗ばんでかすかに光る月子の肌を見ながら、次第に月子が蛇淫の精にとり憑かれ、雌の蛇になったような錯覚にとらわれた。
男と女は、あんなに密着して、あんなに延々と愛し合うことができるのか。僕はその一方が自分の妻であることも忘れて感動し、次の瞬間、相手の男に狂おしいほどの嫉妬を覚える。
「許せない」
思わずつぶやくが、そんな僕の気持を知ってか知らずか、シャトウ・ルージュでは毎夜、確実に性の饗宴《きようえん》が開かれ、月子はますます奔放さを増していく。
まるで彼等は、月子の解放の日が近いと知らされて、最後の追い込みに入っている、とでもいいたげに、いや、実際そのとおりなのかもしれないが、東京に戻ってから送られてくる映像のハードさは、もはや尋常ではない。とにかくこの数日の乱交は、彼等がやがて去っていく月子の肉体への未練から、貪《むさぼ》り尽しているとしかいいようがない。
そしてさらに三日後、僕がパリから戻ってきて半月後に送られてきた映像は、僕にとっては驚きをとおりこして、まさに致命的な衝撃をもたらした。
あとで振り返ると、その予感は初め見たときからあったのだが、どういうわけか、月子は画面に現れたときから全裸であった。もともと部屋には暖炉があり、そこに薪が焚かれているようだが、同時に最新の暖房設備も整っているらしく、寒さは感じないようである。
だがそれにしても、月子が全裸で登場するのは初めてで、それだけにライトの光で白く映え、美しいといえば美しいが、最近の月子の肌は連日の情事で磨き抜かれたように艶やかで、つるつる滑るような感触が見ているだけでもわかる。たしかに心地よい性的興奮は女性ホルモンの分泌を活発にし、内側から肌を潤わせるというが、いまの月子はまさしくそれに違いない。
そんなことを思いながら見とれていると、例によって前戯が始まり、今夜はやや肥《ふと》っちょの男が相手で、この男もかなりのスタミナの持ち主らしく、前から後からと、さまざまな形を披露してくれる。
そのうち、ふと疲れでも覚えたのか、あるいは気分転換のためか、全裸のままベッドを離れて右手に消えたが、すぐ片手にリキュールグラスを持ってくる。男はまずそれを軽く飲み、なにごとか月子に囁いてから、今度は残りを飲み込むと、いきなり月子に強引に接吻すると、口内にあった液を月子の口に流しこんだようである。
もしかすると、媚薬でも入っているのか。瞬間、月子がのけぞるが、男はかまわず注ぎこみ、月子が二、三度咳込むと、宥《なだ》めるように背を擦り、やがてしかと抱きしめ、それからゆっくりと自分からベッドに仰向けに倒れ込み、その上に月子が重なり合った形になる。そのまま数分抱き合っていたが、やがて男は「座りなさい」とでもいったのか、それとともに月子が徐々に上体を起こしていく。そのまま男の上に跨《また》がった形になると、それを待っていたように、男は自らの一物を下から月子の秘所へ当て、タイミングをはかったようにぐいと挿入する。
まさしく騎乗位というか、女上位で、そのまま二人は互いの感覚をたしかめ合うように静止していたが、やがて男がゆっくりと腰を揺らしはじめ、それとともに月子の上体も前後に軽く動き出す。
いったい、こんなことがありうるのか。月子が全裸のまま男の上に跨がり、しかも男に合わせて上体を動かすとは。幸い、月子はうつ向き加減で、やや長めの髪が額の前に垂れ下がって顔そのものは見えないが、男の胸板に軽くついている両手も、やや前屈みの上体も、その胸元でかすかに揺れている乳房も、よく見える。
だが、僕は月子の顔だけは見たくはなかった。こんな淫らで大胆なことを、たとえ命じられたとしても、臆面もなくする月子を見たくはない。こんなことをする月子は、もはや月子であって月子でない。それこそ僕の知らない、あばずれの破廉恥女だ。次々と心の中で罵《ののし》りながら、でもやはり見たくて目を凝らすと、肥っちょの男の両手が月子の腰から腋、そして肩口へ上り、さらに両の耳許に触れると、そこから一気に月子の髪を掻き上げる。
瞬間、月子の顔がライトのなかで浮きあがり、月子は両眼を閉じ、いまにも泣き出しそうな表情で、必死に恥ずかしさに耐えているようだが、肝腎の男と密着した腰は、別の生き物のように、相変らず前後に揺れている。その、おずおずした感じから、月子がこの体位に慣れていないことはわかったが、次第に動きがスムースになり、十分もすると、ペースをのみ込んだように前後に動きだす。それとともに心地よくなってきたのか、月子は自ら腰を軽く浮かせて上下運動を交え、さらには上体を反らし、快感のポイントを知ったとでもいうように股間を前に突きだし、激しく動きだす。
こんな姿は見たくない。断じて許せないと、僕は歯ぎしりするが、そんな僕をせせら笑うように、月子は大胆さを増し、反り返ったまま目は虚《うつ》ろに、口は半ば開き、走り出した車が停まらぬように喘ぎ声は一層激しくなり、最後に断末魔のような叫びとともに、全身を震わせる。
月子が男の上に乗ったまま、果てていく。
そう思った瞬間、僕は僕の一物を握り、月子の高く引きつる声とともに僕も頂点に達し、次の瞬間、月子が果てて体の支えを失ったように男の胸に倒れこむと同時に、僕もゆき果てる。
それからどれくらい時間が過ぎたのか、僕は自分のしたことのおぞましさに嫌気がさし、一つ身震いしてからのろのろと立上がり、バスルームで汚れた個所を拭きとり、部屋へ戻ると、画面には無人のベッドだけが映り、やがて終りを告げる花柄のタペストリーが現れる。
自慰のあとは、いつも羞恥心とともに、いいようもない悔いにとらわれるが、よく考えると悔いだけでもない。それより、これでいいというか、こうするよりなかったのだ、という諦めに近い。
そこで僕は再び立上がり、キッチンに行って湯を沸かし、紅茶を入れる。そのままリビングルームのソファに座り、その一杯目の熱い湯気に触れるうちに、僕の頭はようやく落着きを取り戻し、それとともにいま見た画面を思い出す。
「凄い……」
正直いって、いまはそうつぶやくよりない。
月子があんな形で果てるとは、もはや月子は完全に変ってしまったのだ。それは充分知りすぎるほど知っていたはずだが、いまのような姿を現実に見せられると、驚きをとおりこして、月子の体そのものが不思議に思えてくる。
もしかすると、月子は外に表れた行為だけでなく、体の内部にもなんらかの変化が起きているのかもしれない。たとえば、医学的というか生理的な面で。
もっとも、これは僕の個人的な感想にすぎないが、セックスや性愛に関する現代医学の知見は、他の分野の進歩と比べると、いちじるしく遅れている。性に関わる分野は心理的影響が大きいことをいいことに、ほとんどの学者がこの分野に手をつけないできた。しかし性は人間の根源的な欲求であり、これによってさまざまな精神的・肉体的影響から、大きな障害までもたらすことを考えたら、この手抜きは大問題かもしれない。
医師のなかでも、僕はかなり優秀なほうかと思うが、その僕がエロスの科学として知っていることといったら、ごくかぎられたものである。
たとえば、もともと脳にも男脳と女脳とがあり、この違いは、胎生二カ月頃に睾丸がつくられるか否かにかかっている。男の場合はもちろん睾丸をもっていて、ここでつくられた男性ホルモンが血液中を流れて脳へ達し、これが脳にシャワーのように振りまかれることによって、男脳になる。一方、女の胎児は睾丸がないためこのホルモンのシャワーを浴びず、そのまま女脳となる。要するに、もともと脳の原型は女なのだが、胎生期に男性ホルモンのシャワーを浴びるか否かによって、男脳か女脳かに決まる。この男性ホルモンを浴びた脳と浴びない脳のあいだには明らかな違いがあり、男性の攻撃性や激高しやすい性格、さらには男独特の好色性などは、これによってつくられると考えられている。
さらに、人間の恋愛感情や性的欲望など、性に関する感情をコントロールするのは大脳の中央部下にある、視床下部というところである。これは植物神経機能の重要な中枢でもあり、大きさは四・五グラムぐらいの、小さなものだが、ここが司令室となって、視床下部―脳下垂体―生殖器、という順に性的興奮が伝えられていく。さらに、この流れはときに逆行し、生殖器から視床下部へとフィードバックされることもある。
われわれがいま、一人の女性を好きになって求めたくなったとき、また女性が男性を好きになって燃えていくときも、まず視床下部が性的興奮とともに脳下垂体にホルモンの分泌を促し、これを受けて生殖腺もホルモンを分泌し、それによって性器の細胞も活発に動きだして、ペニスは大きくなり、女性の性器も充分に潤ってくる。
以上が性科学に関する、僕のきわめて基礎的な知識だが、これから考えると、月子の脳が女脳であることはたしかだが、その奥に包まれた視床下部は、シャトウでの激しい刺激を受けていまや活発に動きだし、脳下垂体から生殖腺ホルモンまで、これまでと比べて信じられないほどの大量のホルモンの分泌を促していることは間違いない。むろん月子がこんなことを知るわけがないが、いま月子の脳下垂体や生殖腺からのホルモンを計測したら、僕と一緒にいた頃の五倍から十倍くらいは増えているかもしれない。
そして一方の僕はといえば男脳になっていて、その視床下部はシャトウ・ルージュから送られてくる映像で、強い刺激を受け、脳下垂体ホルモンも睾丸からの男性ホルモンも相当分泌されてはいるが、量的には、月子のそれよりいささか劣っているのかもしれない。それというのも、現実に受ける刺激そのものは月子の比ではないし、さらに直接性器などにくわえられる刺激によって視床下部にフィードバックされる効果も、数段落ちると思われるからである。
そうだとすると、僕の視床下部がより活発に動きだすために、男性ホルモンの抽出剤のようなものを注射するか、あるいは実際にさまざまな女性に触れて関係し、性器そのものをより強い刺激状態に、かきたてておく必要があるのかもしれない。
考えるうちに、なにやら自分に都合のいい理論に近付いていくが、もしかすると僕は、奴等のようにセックスそのものをすることより、こうした学問的なことを考えるほうが気楽で、性に合っているのかもしれない。
十二月の半ば頃から、僕の心はほとんどフランスへ飛んでいた。
月子が解放される日が刻々と近付き、あと半月もしないうちに、僕の腕の中に戻ってくる。いまのところ、まだ何日の何時とはっきり決まったわけではないが、月子が帰ってきたときから僕たち二人の新しい人生が始まる。そう思うだけで僕の気持は高ぶり、落着かなくなってくる。
約束どおり、クリスマスに帰されるとすると、彼等に拉致されてから、いや、正しくは拉致ではないが、ともかく月子が僕の手許を離れてから、七十七日目になる。
初め、彼等と約束した時点では、八十日から九十日くらいはかかるかもしれないといっていた。それからみると、十日前後、早くなったことになるが、それは月子の調教が予想以上に順調にすすんだということなのか、それとも、クリスマスから正月にかけて、月子をシャトウにとどめておくことが難しくなったのか。
いずれにせよ、月子が予定より早めに帰ってくることに、僕はなんの異存もない。正直いって、これ以上、月子が調教されるのを見るのは耐えられないし、月子の両親にとっても、このあたりが限界である。いや、それだけでなく、月子の知人はもとより、僕の友達にも、このあたりで月子が帰ってこなければ、不審に思われてしまう。
ともかく、あと半月以内に月子は戻ってくる。僕はそのことを思いながら、一日ずつカレンダーの日付を×印でつぶして、あと何日と数えていく。
むろん勤め先のほうにも二十二、三日頃からクリスマス休暇をとることを申し出て、許可をもらっているので、あとは迎えに行くだけである。
こんな僕のわくわくしながらどこかで怯えている、気持を知ってか知らずか、シャトウからは毎日、ドレサージュの映像が送られてくる。
相変らず、月子がさまざまな男たちと絡み合うシーンが中心だが、十二月の初めごろから、その内容が微妙に変ってきた。
たとえば十二月の第二週目に入ってすぐだが、例によって月子は、ベッドに横たわったまま、男の執拗な愛撫を受けていた。このところ、月子の目隠しは外されていて、素顔がそのまま見えるのが、僕にはかえって辛くて、また迫力があるのだが、その日も月子は快感をたしかめるように、軽く目を閉じていて、その陶然とした表情に僕は苛立っていたのだが、そのうち、月子は突然男から離れると、ベッドに横たわったまま男へ背を向ける。
広いベッドの上で、月子の背中からお臀がすべて曝され、その淫らな美しさに見とれていると、毛むくじゃらの男が今度はうしろから月子に迫り、やがて結ばれる。
いままでも、こんな姿態を見たことはあるが、月子はほとんど動かず、男が一方的に迫り、攻めている、という感じであった。
だが、今度だけは少し異なり、月子はむしろ自分からお臀を突き出し、男を積極的に受け入れているのが、その動きからもわかる。
しかも、これは奴等のサービスのつもりなのか、それとも調教のすすみ具合を誇示するためなのか、かなり上方に取り付けられているカメラから俯瞰《ふかん》する形でベッドをとらえ、その中央で「く」の字の二つの裸体が激しく前後に揺れている。
そのあまりに堂々とした淫らさに、僕は思わず見とれ、男の逞しい裸体もさることながら、それに勝るとも劣らぬ女の肌の白さも見事だと感服し、次の瞬間、それが月子であることに気付いて、慌てて首を左右に振る。
「やめろ……」
僕は叫ぶが、二人の動きはさらに激しくなり、それが十分も続いたところで、男はたまりかねたように、うしろから上体まで寄せて月子にしがみつく。そこで、二つの「く」の字は一つの「く」の字になり、次の瞬間、月子の首は電流にでも触れたように反りかえり、そのまま低く鋭い声とともに果てていく。
これまでも、月子がエクスタシーに達したらしい瞬間は何度も見てきたが、こんなに積極的に自分から腰を動かしてのぼり詰めたのは初めてである。
いったい、月子はどこまで淫らになるのか。これでは、男たちに誘われて、というより、自ら男を刺激しているといったほうが当っている。
僕は呆れながら、暗澹《あんたん》とした気分になっていくが、その二日後に送られてきた映像は、さらに僕を驚かせ、戸惑わせるのに充分のものだった。
当然のことながら、ここでも月子はやや長い前戯のあと、着ていた滑らかそうなネグリジェはすべて脱がされて、全裸のまま男を受け入れる。
今度もカメラは上の位置にあり、それを通して、仰向けになり、両肢を思いきり広げて折りたたまれた月子の表情がはっきりと見える。
相手はすでに何度か登場したことのある、肥っちょの精力的な男で、その下腹まで利用して何度も突き上げ、そのたびに美しい月子の眉間に皺《しわ》が寄り、口は半ば開かれたまま呻《うめ》き続ける。
この快楽に酔う表情を見たら、もはや男たちに強制されている、などとはいえない。
そう思った瞬間、月子は激しく顔を左右に振って叫ぶ。
「アー・ウィ・セ・ボン」
一瞬、僕はその意味がわからず、そのまま月子の宙に浮いているような表情を見るうちに、それがフランス語で、「ああ、そうよ、とってもいいわ」という意味だと覚《さと》る。
まさか、月子が情事のさなかに、そんなフランス語を叫ぶとは。
僕は信じられずに、再び初めから見直したが、間違いなく、月子は自分の口ではっきり、そう叫んでいる。
これまでも、月子は悦びを訴える言葉をいくつかつぶやいているが、いずれも低い呻きや悲鳴に近く、あまり意味のない感嘆詞の羅列であった。
それが、いま、まさしくフランス語で、はっきり声に出していったのだ。それも、肥っちょのフランス男に体を二つに折りたたまれた恰好で。
「許せない」
僕はなにか、自分自身まで、フランス野郎に踏みにじられたような気がしたが、月子は平然と快楽の余韻を楽しむように、白くたおやかな肢体をあますところなく曝してベッドに横たわっている。
「なんという女に、なり下がったのか」
そういう女にした、責任の一端が僕にあることはわかっているが、だからといって、そこまで堕ちることはないではないか。これでは、月子はパリの娼婦と変らない。
もはや月子は僕から遠く離れてしまった。いや、それは以前から感じていたことだが、さらにさらに遠く離れて、別の人間に生まれ変ったのかもしれない。
それにしても、こんな映像が次々と送られてくるのは、奴等のほうに、なにか特別の意図があってのことなのか。
そろそろ、月子の解放の日も近く、調教も大詰めにさしかかっている。その追い込みの様子を見せるために、ことさらに過激なシーンを送ってくるのか。それとも、調教の成果が確実に上がったことを誇示するためか、あるいは、月子自身がたしかに変ってしまったためなのか。
はっきりいって、彼等の意図はわからない。
ただひとつわかっていることは、このところ、月子は自分から積極的に動き、自ら感情を堂々と表現するようになったことである。そして、それを見るたびに、僕の精神がずたずたに傷つけられ、苛《さいな》まれていく、ということである。
こんな情景は、もはや見ていられない。これ以上見ていては、僕自身が狂ってしまう。
そう思っていた二日後、すなわちクリスマスまで、残すところ十日になったときに送られてきた映像は、僕が最も恐れて、断じて見たくないと思っていたシーンが、現実となって現れたものだった。
正直いって、そのシーンだけは二度と思い出したくないのだが、その日も、月子はベッドの上で一人の男と戯れていた。
今度の男は髪はブロンドだが、背はあまり高くなく、体つきも、これまでの男たちよりは華奢である。年齢も若そうで、それだけ体もしなやかで、小さなアイマスクの先の鼻は気品があり、どこかの貴族の御曹司《おんぞうし》のようでもある。といっても、奴等のことだから、何者かわからぬが。ともかくこの男はあまり経験がないのか、月子を抱くというよりは、むしろ抱かれたような形で胸元に顔をうずめていた。これに対して月子は、片手を男のブロンドの髪に当て、もう一方の手で男のペニスを擦っている。なにやら女のほうがリードしているという感じだが、そこで月子は突然思い出したように上体を起こすと向きを変え、自分がいままで擦っていた男のペニスに顔を近付ける。
その月子の獲物を追うような動きと、男の華奢な体に似合わぬペニスの逞しさに、僕が見とれていると、月子の赤い唇がゆっくりと男の物の先端に触れる。
「なにを……」
思わずつぶやき、次の瞬間、本当に月子の唇に触れているのか、画面であるのも忘れて下から覗き込もうとするが、そうするまでもなく、男のものは月子の唇におおわれ、それとともにペニスを含んだ月子の頬がふくらんで見える。
「離せ……」
なんということをするのか、あの冷ややかで、気品ある月子が、見知らぬ男の一物を口にくわえるとは。
「そんなこと、断じて許せない」
僕は両手の拳を握りしめるが、月子はわれ関せずとばかり、いままで擦っていた右手を根本に添えると、ペニスを含んだ口を上下に動かし、それとともに前に垂れ下がったセミロングの髪が左右に揺れる。
これはいったい、どういうことなのか。どうして突然、こんなことをはじめたのか。
「おいっ……」
僕はその一言を、男に叫んだつもりであった。
自分はのうのうとベッドの上に大の字に横たわり、その猛々《たけだけ》しく屹立《きつりつ》したペニスを月子の口に含ませるとは。なにごとにも従順に従うのをいいことに、恥も外聞もなく最も卑しい行為を月子に命じるとは。
僕はそう思いこみ、そんなことを強いる男は断じて許せない、と思った瞬間、カメラの位置が正面に移動し、それを察知したかのように、月子はペニスから軽く口を離し、屹立した先端を愛しげに見詰めて、かすかに笑う。
いや、それは笑ったのではなく、ただ首を傾けただけなのかもしれないが、いずれにせよ、月子が愛《いと》しげにペニスを眺めたことだけはたしかである。
だとすると、これは男が強制しているのではなく、月子が好んでしていることなのか。
僕はこれまで、月子がさまざまな男と絡み、結ばれるシーンを見てきたが、それらはすべて、月子が好んでというより、強制されて仕方なく受け入れているのだと思っていた。むろん、ときには月子が悦びの声を洩らし、自ら体をくねらせ、最後に、エクスタシーに達したように果てたとしても、それらは月子の意志というより、月子の躯《からだ》が反応しただけで、月子の本心というか、理性とは違う。心では嫌い、逃れようと思いながら、日々くり返される執拗なまでの奴等のテクニックにたまらず、最後に軍門に降《くだ》っただけで、それは月子の精神が肉体の誘惑に負けただけである。たとえ、月子が自ら積極的に動き、たとえば、後背位や騎乗位で果てたとしても、それは月子が好んでしたことでなく、奴等がその体位をとれと命令し、それを拒否できず受け入れているうちに、快感にとらわれただけで、月子自ら望んで求めたことではない。
僕はそう思い、そう信じることで、辛うじて月子を許し、納得しようと思ってきた。
だがいま、目の前でくり広げられているフェラチオだけはあきらかに違う。もはやそんな言い訳がきかぬほど、月子はそのことに熱中し、懸命である。あの狂おしいほどの顔の振り方を見ると、これだけは月子が好んで、自ら積極的にやっているとしか思えない。
もし本当にそうなら、僕の立場はない。いや、もうとうに僕の面子《メンツ》なぞ失われているのだが、それでもなおわずかに残っていた僕のプライドは、月子が顔を振るたびに粉々に砕かれていく。
そして最後の断末魔、男が耐えきれなくなって奇声を発し、それとともに下半身が跳びはねるように浮き上がると、その瞬間を待っていたように、月子はぴたと吸いつき、やがてゆっくりと顔を離しながら、小さな舌で唇を舐めまわす。
男は完全に果てたのか。そして月子はその放出されたものを呑み込んだのか。
いま月子は、口に溢れたものを吐き出す気配もなく、濡れた唇はそのままに、果てたばかりのペニスを愛しげに見詰めている。
いったい、こんなことがあっていいものか。僕は月子にフェラチオはもちろん、自分のものを持ってもらったこともない。たとえ差しだしても、汚らわしいとでもいいたげに、慌てて手を引く。夫の僕にそんなことをしておきながら、見知らぬフランスの男のそれを口で愛撫し、挙句の果てに呑み込むとは。
もはや、こんな女は許せない。たとえそれが調教の一環だとしても、あまりに過激で、度をこしすぎている。これでは愛しい人でも妻でもない。
僕はいま、自分の口のなかにも男の精液が入り込んだような気がして唾を吐くが、そんな他愛ないことで気持がおさまるわけもない。
はっきりいって、この半月は、奴等と僕との最後の決戦のときだった。これをのりきることが残された最後の課題で、のりきれないかぎり、僕の幸せはない。
いまや、奴等の狙いは明確で、日々送ってよこす映像で、いかに月子が変貌し、いままでの月子でないことを、僕に印象付けようと躍起になっている。
むろん、それが彼等の仕事であり、月子をシャトウに幽閉したときからの目的であることはたしかだが、この半月のやり方は、それを越えて、自分たちの調教効果がいかに絶大で、その影響を受けた月子が、僕の手に負えないほど変貌したかを誇示しているようにさえ見える。
そして口惜しいことに、いまの時点では彼等の力を認めざるをえないのだが、そう思って見直すと、さらに新しい不安というか疑念が湧いてくる。
はたして、月子の変貌は、これまで見たことだけなのか。もしかして、それは氷山の一角で、僕がこれまで覗き部屋や映像から見て感じただけでなく、それ以上に、月子はさらに大きく、深く変っているのではないか。
僕がそう思う理由の第一は、これまで僕が見てきたことが、月子にくわえられた調教のすべて、とは思えないからである。たしかにシャトウからは毎日、ほぼ一時間近い映像が送られてきて、それらは奴等が最も自信のある部分かもしれないが、その他に、月子にはさまざまなことが試みられ、おこなわれてきたのかもしれない。
たとえば、一人の男と関係するにしても、その前後に、当然のことながら前戯や後戯があり、さらには、映像に映っている以外の男性と関わったり、身体のほかの部分でも調教されている個所があるのかもしれない。
むろん、そこまでたしかめたわけではないが、たとえば、初めに月子を全裸にして品定めをしたとき、はっきり見えなかったが、手前に数人の男たちがいたことは確実である。また仮面パーティーのときのように、なにか催しがある時は、何人もの男女がシャトウに出入りしていること、さらにはあのシャトウに、月子以外にも、幽閉されている女性がいるらしいこと、そして場合によっては、月子にかしずいている侍女たちも、なんらかの形で調教している男たちと関係があるらしいこと。それら、これまで見て感じてきたいくつかの妖しい事実から考えると、送られてくる一時間の映像だけが、月子が男たちと交わっているすべてとは思えない。
実際、月子の一日の生活を追ってみても、朝起きてから休むまで、ほとんど仕事らしい仕事はないはずである。二、三度、映像で見たように、シャンデリアの輝く食堂で食事をしたり、大理石の浴槽で入浴するとしても、それで一日が終るわけはなく、その他の膨大な時間を、ただ漫然と部屋で過すだけとは思えない。
やはりその間、送られてきた映像とは別に、他の男たちと食事をしたり、飲んだり、戯れたりする時間も、あるのではないか。実際、そうだからこそ、あれほど迅速に調教がすすみ、月子も急速に変ってきたに違いない。
とにかく、僕はいま、見たかぎりの月子の変貌に驚嘆しているが、それ以上に、淫らで奔放な月子が存在しているのかもしれない。たとえば初めの報告書に記されていた、アヌスの未通について。もしかして、月子はそこまで犯されているのではないかと案じていたが、幸いそういうシーンは現れず、だからといって安心できるわけでもないが、奴等もそこまではしないだろうと信じている。
とにかく、僕はいま一刻も早くクリスマスが来て、月子が解放される日がくることを願っている。もうこれで、月子は充分すぎるほど充分調教されて、これ以上彼等に馴らされる必要はまったくないのだから。
クリスマスまで、残すところ一週間となって、僕はもはや、どのような映像を見ても動揺せず、ひたすら、月子を待ち続けることに心を決めていた。
だがそう思ったのも束の間、その翌日に送られてきた映像は、僕を慄然《りつぜん》とさせるとともに、そのあまりの大胆さに、全身に鳥肌がたつほどの衝撃的なものだった。
たしかにその映像は、初めからどこか異様ではあった。
まず、いつものタペストリーの模様が流れたあと、現れたのは白茶けた螺旋《らせん》状の石の階段である。
これまでも、寝室や食堂など、いわゆる調教用の部屋以外の情景をいくつか見てきたが、今回のようにその部屋に至るまでの経路が映されるのは初めてである。
カメラは階段を下って、一階か、地下にでも達したのか、突然広い空間が現れ、その先に灰色の荘厳な二枚の扉が見える。カメラが近付いてよく見ると、そのいずれにもCの字が交錯したような紋章が取り付けられ、そのまわりを貝殻状の文様が囲んでいるが、それがなにを表すのか、僕にはわからない。
やがてその扉が内側からゆっくりと開き、それとともにカメラが進入し、まず正面のステンドグラスを映し出す。
部屋の天井は穹窿《きゆうりゆう》状になっているらしく、大理石のアーチが中央に向かって延び、その下の三面のステンドグラスは、赤、青、黄など、さまざまな色で花や人物が描かれているようだが、細かい絵柄まではわからない。そこから下へカメラが移ると、中央のステンドグラスの真下に黄金の十字架とキリスト像が現れ、その下に、聖女と使徒を表すのか、金箔《きんぱく》の地に描かれた図が彫りこまれた祭壇が現れて、僕は初めて、ここが礼拝堂であることを知る。
たしかヴェルサイユ宮殿にも、まばゆいほどの華麗な礼拝堂があったから、シャトウ・ルージュに礼拝堂があってもおかしくはない。そんなことを思い出しながら、祭壇を眺めていると、カメラが手前に移動し、それとともに礼拝のときに信者が座る木製の長椅子が見えてくる。
祭壇に向かって左右に二列に分かれ、各列に四、五脚ずつ並んでいるようだが、よく見ると、その各々に何組かの男女が寄り添って座っている。
いずれもうしろ姿しか見えないので、初めはお祈りしているのだと思ったが、カメラが近付くと、男は黒のマントを、女は白の修道女のような服装をしたまま、互いに接吻している。いや、それどころか、ある男は女の胸元をまさぐり、さらには向かい合ってぴたりと抱き合っている男女もいる。
カメラはそれらを一通り映してから、祭壇に近い長椅子に移ると、一人の女が胸も露わに反り返り、その乳房に、男が斜め上から吸いついている。
こんな大胆なことを、どこの女がしているのか。
さらに目を凝らすと、のけ反った女はまさしく月子で、男の接吻をまぬがれているもう一方の乳房が、燭台からの光を受けて、白く輝いている。
いったい、こんなことが許されるのか。それより、なぜ月子がこんなところで、こんな恥ずべきことをしているのか。
ここは聖なる礼拝堂ではないか。その最も崇高な祭壇の前で、妖しげな痴態を演じるとは。
その大胆さと破廉恥さに、僕は驚き、呆れ、空恐ろしくなるが、彼等は怯える様子もなく、さらに激しく抱擁し、もつれ合い、なかには長椅子に横たわって重なり合っている者もいる。
そして月子も、すらりと伸びた片肢を椅子の端に投げ出したまま、男を受け入れているようである。
「こんなことが、許されるわけがない」
キリスト教徒でもないのに、僕は思わず目を閉じ、神に祈るが、二人は動きを止める気配はなく、それどころか、礼拝堂のあちこちから、淫らな声さえ洩れはじめる。
もはや、これは狂気としかいいようがない。ここにいる全員が、催眠術か集団ヒステリーにかかり、人間から悪魔に変貌したとしか思えない。
あまりのおぞましさに、僕は声もでないが、それにしても、彼等は何故こんなことをやりだしたのか。単にセックスをしたり、調教するだけなら、いくらでも部屋があるだろうに、選《よ》りに選って、こんな神聖なところで、罰当りなことをするとは。
彼等の神経を僕は到底理解できない。まさしく狂気の沙汰だが、ただ一つ、あえて好意的に考えると、これも月子に対する調教の一種といえなくもない。
奴等が気付いていたか否かわからぬが、月子は正式に洗礼こそ受けていないものの、幼いときからミッション系の学校に通ってきて、キリスト教にかなりの関心を抱いている。これまでのセックスを嫌ったり、卑しむようになった理由のすべてが、そのせいだとはいえないが、そういうところで、潔癖な教育を受けすぎたことが影響していない、とはいいきれない。
その種の精神的な束縛から、月子を解き放つために、こんな馬鹿げたことをはじめたのか。月子の体だけでなく、心も変えるために、こんな破廉恥なことまでやりだしたのか。
しかしだからといって、なにも奴等まで一緒になってやることはない。ほぼ全員がクリスチャンであるはずの奴等が、聖なる場所で、なぜこんな空恐ろしいことをやりだしたのか。
僕の頭はますます混乱し、わからなくなるが、そのなかから一点、あるいは、という想像が浮かんでくる。
もしかして、奴等は自分たちがやっていること、女を拉致したり、幽閉したり、調教したり、さらには快楽のままに淫蕩《いんとう》の世界に耽溺《たんでき》する、それら、彼等が半ば仕事のようにしていることが、神の教えに背く、罪深いことであることを充分すぎるほど、知っているのではないか。
戒律に背く、悪いことをしているという罪の意識があるからこそ、ここまで淫らな行為に深入りし、溺れることもできる。
要するに、これは明らかに背徳であり、神への冒涜《ぼうとく》であり、だからこそ奴等は奮い立ち、欲情し、果敢に挑む。その事実を確認し、罪人であることを自らにいいきかせ、そんな状態にどれくらい耐えられるのか。自らの心を試すために、こんな狂ったことをしているのではないか。
いずれにせよ、これは見事な背徳で、これほど鮮やかに神を裏切り、無視し、自らを貶《おとし》める行為はありえない。それを敢えてやる奴等とは、やはり破廉恥な集団なのか、それとも無類のならず者か、あるいは最も正直にして純粋な信者なのか。あるいは、最後に懺悔《ざんげ》さえすればいいと、たかをくくっているのか。
なにがなんだかわからぬまま、僕は奴等の圧倒的な悪へのエネルギーと、そんな彼等と合体している月子の逞しさに、改めて恐怖と不安と、不気味さを覚えて項垂《うなだ》れる。
もはや、僕は猶予しているわけにはいかないのだ。
これ以上放置していたら、このうえ彼等はなにをしでかすか、考えただけで恐ろしくなる。
とにかく、クリスマスまであと一週間もないが、そのあいだひたすら耐えて、月子が解放される日を待つだけである。
僕は例によって、朝、目覚めるとともに、カレンダーの日付に×印を付けていく。そして二日目、シャトウから待望のメールが送られてきた。
内容はごく簡潔に、十二月二十三日、クリスマスイヴの前日に月子を返すこと、その受け渡しについては、秘密におこないたいので、パリで宿泊するホテルを教えて欲しい、というものだった。
僕は直ちに、二十二日までにはパリに到着すること、ホテルは、これまでいつも泊まってきた、コンコルド広場に近いIホテルにすることを、やはりメールで送り返した。
東京とパリは八時間の時差があり、朝のいまはパリでは深夜のはずだが、一時間もせずに再びメールが返されてきた。
内容は、「二十三日午後四時、チュイルリー公園内の回転木馬の前で待たれたし」という、簡潔なものだった。
たしかに、チュイルリー公園は僕の泊まるホテルから道路一本隔てた先にあり、何度か、そのなかを歩いたことがある。かなり広くて、秋の頃は紅葉が美しく、そのあいだを犬を連れた老婆や、子供連れの母親などが散策していて、パリの中心部とも思えぬ静けさである。
シャトウで指示してきた回転木馬は道路から公園に入って四、五十メートル先にあり、ときたまそこから流れてくる子供たちの歓声をきいたことはあるが、直接、前まで行ったことはない。
そんな人の集まるところに、彼等は本当に、月子を伴って現れるのだろうか。それとも、そういう人が集まるところのほうが安全だということか。いずれにせよ、午後四時といったら、日没の早いパリでも、日が暮れるにはまだ少し余裕がある。
ホテルからなら、広い大通りを渡るだけだから、一、二分もあれば行ける。
僕は改めてホテルに連絡をし、二十二日から、一応、三泊の予約をとり、それからすぐ義父の家へ連絡をした。
「いよいよ、二十三日に返すというので、行ってきます」
僕がことさら声をはずませていうと、義母と義父が交互に出て、「よかった、もう間違いないね」と念をおしてから、「わたしたちも一緒に行こうか」という。
「いえ、一人で大丈夫です」
ここで、義父たちに来られては、これまで守ってきた秘密が一気に露見してしまう。
「向こうが、一切誰にも覚られず、秘密にしたいといっているので……」
僕は慌てて断ってから、「今度こそ、間違いありません。二十五日か二十六日には、必ず連れて帰りますから」と断言して、電話を切る。
たしかに、二十三日に月子と会うとすると、その日はパリのホテルに泊まったとしても、二十四日には向こうを発《た》てるから、二十五日には東京に着くことになる。もちろん、月子の体調にもよるが、もう一泊したとしても、二十六日には日本に戻れるはずである。
そこまで考えて、僕は新たな不安にとり憑かれる。
二十三日の夕方、約束どおり月子と会えたとして、そのあと二人でどうするのか。
まず、一旦、ホテルの部屋へ戻り、再会を祝して乾杯でもしてから、どこか、レストランにでも行って食事をしようか。拉致されてから七十五日目の、無事生還というわけだから、盛大に祝いたいが、あまり賑《にぎ》やかなところでは、そぐわないかもしれない。互いに積る話もあるから、あまり目立たず、落着いたところがよさそうである。
いずれにせよ、僕がシャトウ・ルージュに行ったことや、そこで見たことなどは、一切秘密である。しかし月子には、この間のことを、むしろ積極的に尋ねたほうがいいかもしれないが、それに対して月子はどんな答えかたをするだろうか。住まいや食事や、周りにいた人物について、多少は話すかもしれないが、問題の調教のことについてはどうだろう。
むろん、僕も無理にきく気はないが、それにしても、どんな感じの会話になるのか。いや、それ以上に、月子は僕と会えたことを喜び、懐かしく思ってくれるだろうか。それとも、よそよそしく、他人行儀な態度をとったりはしないだろうか。
そして、そこから先が一番気懸りなところだが、その夜ベッドで休むときになって、月子はどんな態度をとるだろうか。
やはり、以前のように、僕に冷ややかな態度をとり続けるのか、それとも一気に抱きついてくるか、あるいは、今夜だけ別の部屋に休みたいというか。
いずれにせよ、僕は彼女のいうままに振る舞うよりない。再会した夜から揉《も》めるのだけは避けたいから、彼女が同じベッドは嫌だといったら、別の部屋をとったほうがいいかもしれない。
そこで僕は、デラックス・ルームを予約することを思いつく。
フォンテーヌブローの森で別れてから、七十五日ぶりの再会の夜である。そんな記念すべき日に、いままでどおりの、ダブルベッドの部屋をとることもない。それより、お金はかかっても、奮発してスイートルームをとる。そうすれば、月子のほうから求めてきても、また月子が疲れているから一人で休みたいといっても、いずれの場合にも対応することができる。
そうだ、その夜こそ、僕たち夫婦の再生の夜だから、新婚旅行のときに負けない、デラックスな雰囲気の部屋にしよう。
「でも……」
僕はそこで再び、考えこむ。
その夜、もし本気で、月子が僕を求めてきたら、シャトウ・ルージュでさまざまな男たちと接したように、僕に激しく挑んできたら。はたしてそれを受けとめて、奴等以上に満足させることができるだろうか。
そこまで考えて、僕の頭は、たちまち新しい不安と怯えにとらわれて、息苦しくなってくる。
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第六章 ルトゥール〈帰還〉
パリのクリスマスの夕暮れは早い。午後四時では、さすがに日没には少し間があるが、薄曇りの空の下に冷気が漂い、コンコルド広場の彼方の西の空だけがかすかに朱味を帯びている。
いまから十数分前、僕はホテルを出て広いリボリ通りを横切り、チュイルリー公園の中へ足を踏み入れた。ホテルから公園まで、ゆっくり歩いても二、三分もあれば行ける。そこから枯れた木立ちの間を抜け、メリーゴーラウンドの前まで、せいぜい百メートルの距離である。
僕はそこに約束の午後四時の十分前に着き、コートの襟を立てたまま、あたりを見廻す。
メリーゴーラウンドには、暖かそうに着ぶくれた子供が五、六人、木馬に乗り、上下の揺れに合わせて歓声をあげ、その子らに母親が手を振り、父親が子供にカメラを向けている。明日がクリスマスイヴで、それにそなえて買物でもしてきたのか、二人が座っているベンチの横には、大きな買物袋が三つ、重なり合うように置かれている。他に革のジャンパーの男が一人と、恋人同士らしいカップルが、別々の椅子に座っている。
メリーゴーラウンドは音楽に合わせてゆっくりと廻り、母親たちがいるベンチの先には、お菓子を象《かたど》った小屋のチケット売り場があり、そこに回転木馬の運転と監視を兼ねている中年の男が一人、退屈そうに立っている。
夕暮れが近づいて気温が下がってきているせいか、笑い声がきこえるのはこの一隅だけで、樹々が枯れて見通しが良くなった公園の中は人影も少なく、左手の散策路を若い二人が寄り添ったままセーヌの河岸のほうへ向かい、それと交叉するように、犬を連れた老年の夫婦がゆっくりとこちらへ向かってくる。
ひっそりと静かな、パリの冬の夕暮れである。
こんなところに、月子は本当に現れるのか。
僕は彼等にいわれたとおり、約束の十分前から来て、メリーゴーラウンドの前に立っているが、あまり人待ち顔にあたりを見廻しては、母親たちやチケット売り場の男にも異様に思われるかもしれない。いや、それ以上に、月子を伴ってくるはずの男たちに警戒されるかもしれない。多分、彼等はどこからか、僕の動きを探っているに違いない。それに対して、僕は抵抗する気などはまったくなく、ただ一人で来ていることを示すために、メリーゴーラウンドから十メートルほど離れた位置で、両手をコートのポケットにつっこんだまま立っている。
それでも僕はすべての方向へ神経をとがらせ、視野を百八十度に広げて左右へ目配りをする。ただひとつ見えない背後からはリボリ通りの車の行き交う音がかすかに聞こえてくるだけで、まわりは静まり返り、無数に続く裸木の先に、オランジュリー美術館の白茶けた建物の先端だけが見えるが、そこにも傾きかけた西陽が当っている。
そろそろ四時かと、時計を見て、まだ二、三分、間があることを知ったとき、メリーゴーラウンドが止まり、子供たちが馬から一旦下りる。それでも彼等はまだ遊び足りないらしく、その半ばほどが再び乗り、一人は小さすぎて、母親に抱えられて乗せてもらっている。他にカップルが一組加わって、全部で六人乗ったところで、木馬は再び廻り出す。
初めはゆっくりだが、徐々に加速して、幼い子供が懸命に支え棒にしがみつき、それを前の木馬に乗っている二人連れが見て、手を振っている。
その子の乗った馬が回転して反対側に消えたとき、僕は突然、背中に強い視線を感じて、息を止めた。
誰かが、うしろからこちらに向かって近づいてくる。そう思いながら、僕はなぜか、金縛りにでもあったように動けない。その拘束を辛うじて振りほどいて、振り向いた途端、僕は思わず目を見張った。
僕のまうしろ、枯れたプラタナスの木立ちのあいだの白い道に、女性が一人立っている。
全身、赤というより、臙脂《えんじ》色のコートを着て、フードも同じ色で顔をつつみ、右手にやはり赤いバッグを持ったまま、僕と二十メートルと離れていない。
僕はなにか、女性が突然、別世界から飛来してきたような気がして、改めて赤いフードのなかの小さな顔を見て、それが月子だと気がつく。
瞬間、僕の体は前に行きかけるが、いま一度、月子のまわりに誰もいないことをたしかめてから、一気に駆け出すと、ほとんど同時に月子も駆けてきて、僕たちはひしと抱き合う。
「月子……」
叫んでから、さらに「月子だろう」ときき返すと、赤いフードが大きくうなずき、そのまま僕の胸の中に顔をうずめる。
やはり、月子は帰ってきたのだ。そして奴等は約束どおり、月子を返して寄こしたのだ。
僕は、ここが公園であることも忘れて、月子の温もりが、コートを通して僕の体に伝わるまで抱き続けてから、そっと腕の力をゆるめる。
もしかすると、メリーゴーラウンドに乗っていた子供たちも、ベンチに座っていた母親たちも、子犬を連れながら歩いていた老夫婦も、みな僕たちの抱擁を見ていたのかもしれない。僕は急に恥ずかしくなったが、振り返ると、メリーゴーラウンドは子供たちの笑い声とともに廻り続け、母親たちは相変らずそれに手を振り、子犬を連れた老夫婦は菩提樹《ぼだいじゆ》の並木の先に遠ざかり、西の空だけが茜《あかね》色に染まりかけている。
「よかった……」
僕はつぶやき、いま一度見ると、フードのなかの顔は以前より蒼ざめ、ひとまわり小さくなったようだが、間違いなく月子そのものである。
「四時に、ここで待て、というものだから……」
「わたしも、ここに行けと……」
月子がはじめて口を開く。少し興奮しているようだが、間違いなく、月子の声である。
「じゃあ、誰がここに……」
「………」
「一人で?」
月子は無言のまま首をかすかに振るだけで、その硬張《こわば》った表情を見て、僕はなにかきいてはいけない、秘密めいたものを感じて、それ以上尋ねるのをやめる。
ともかく、無事に帰ってきてくれたら、それでいいのだ。僕は月子の肩に手をかけ、斜めうしろの公園の入口の先に見える建物を指差す。
「あのホテルに泊まっているんだ、あそこへ戻ろう」
僕が歩きだすと、月子も並んで歩く。
いま、犬と一緒に去っていった老夫婦のように、僕たちも他人から見ると、幸せそうな夫婦に見えるに違いない。僕はそのことに満足して、枯れた木立ちのあいだを抜け、公園の入口の鉄の柵《さく》を出て、広いリボリ通りを渡り、その先のホテルへ戻る。
まだ午後四時を少し過ぎたばかりで、ホテルのフロントは閑散として、途中、ガラスごしに見える中庭に、大人の背丈ほどのクリスマスツリーと縫いぐるみのサンタクロースが並んでいる。クリスマスといっても、その程度の飾り付けであることに、僕はむしろ心が和み、エレベーターホールへ向かう。
昨日から、僕が泊まっている部屋は六階のセミ・スイートで、入ってすぐソファセットと書きもの机が置かれている応接間があり、その奥に大きなダブルベッドと衣装室がついている寝室がある。両方の部屋を月子に見せてから、僕は「疲れたろう」といって、いま一度抱き、接吻をしかけたが、月子が軽く顔を背けたので、それだけにして着替えるようにすすめる。
そのまま、月子はしばらく衣装室にいて、それから寝室に続くバスルームに入ったようだが、やがてリビングルームヘ戻ってくる。
もしかして、月子はガウンにでも着替えたのかと思ったが、ベージュのタートルネックのブラウスに黒のスカートをはいていて、僕はそれを見て、月子が拉致されたときに着ていた服であることを思いだす。もっとも公園で会ったときに着ていた臙脂のコートは、そのときとは別のもので、シャトウを離れるに当って新たに買ったのか。僕はそのことをききたかったが、会った早々にきくのも悪いような気がして、ソファの横に手招きする。
月子は一瞬、戸惑った表情を見せたが、すぐいわれたとおり横に座り、そこで僕は改まっていう。
「帰ってきてくれて、よかった」
緊張しているせいか、少し掠《かす》れ声になったが、それは僕の偽らぬ本心であった。
「ずっと、心配していた」
そこまでいうと少し違うかもしれないが、ともかく、月子を待っていたことだけはたしかである。
「でも、元気そうだ……」
改めて見る月子は、顔はいくぶんほっそりとして見えるが、その分、整った目鼻立ちがきわだち、色は相変らず白く、軽く開いた胸元は以前よりふっくらとして見える。
「少しも、変っていない」
僕は、話さなければならないことが一杯あると思いながら、いま一度抱き寄せようとすると、月子が「待って……」と手で制する。
「家に、電話をしたいの」
いわれて、僕は初めて月子の両親のことを思い出し、机の上にある受話器をとる。
「すぐ呼んでいいんだね」
月子が家に連絡したいと思うのは当然である。僕は、そこまで気付かなかった自分に呆れながら、月子の実家のナンバーを押すと、短い呼出音のあと、いきなり義母の声が返ってくる。
「お義母《かあ》さん、僕です。月子が無事戻ってきました」
そこまでいったとき、義母は「本当……」と叫び、「元気なのね」といってから、「早く出して」と矢継ぎ早にいう。
たしか、日本では夜中の十二時頃のはずだが、義母も義父も、起きて電話を待っていたのか、それからは月子と両親との電話が延々と続く。
途中から、義母は泣き出したのか、それに合わせるように月子も涙声になり、声が途切れる。もっとも、月子は初めから言葉少なで、「大丈夫よ」「心配しないで」「すぐ帰るわ」といった言葉を単発的にくり返すだけで、自分から積極的に語ることはほとんどない。
それでも三十分近く話して、ようやく受話器をおくと、一つ大きく溜息をつき、涙で濡れた目頭をハンカチで拭く。
「明日、帰れるのでしょう」
「君さえ、よかったら」
「帰るわ」
父母の声をきいて、月子は急に感傷的になったのか、電話の前を離れると窓辺に立ち、しばらく外を眺めてから、無言のままバスルームへ消える。
やはり、まだ気持の整理がつきかねているのかもしれない。僕はあまり刺激しないようにソファに座って待っていると、十分くらいして月子はバスルームから出たようだが、一向に戻ってくる気配がない。
なにをしているのか、こちらから様子を見にいくまでもないと思って、そのままさらに十分待ったが戻ってこないのでベッドルームへ行くと、月子はすでにベッドに入って休んでいる。
家に連絡をし、両親の声をきいて安心したのか。それとも長いシャトウでの生活の疲れが一気にでたのか。いずれにせよ、しばらく休ませておいたほうがよさそうである。
僕は、そのままリビングルームに戻りかけたが、どんな姿で休んでいるのか、たしかめたくて枕元に近づくと、毛布を深くかぶり、俯《うつむ》き加減に横たわっていて顔はよく見えない。
「やはり、疲れているのかもしれない」
僕はうなずきながら、ふと横に忍びこみたい誘惑にかられるが、休んでいるのを邪魔するのは悪いと思って、あきらめる。
長いあいだ、離れ離れになっていた妻が帰ってきて、静かに休み、夫はそれを見守りながら、別の部屋で待っている。静かで平穏な夫婦の姿だと思いながら、なにか重大なことを放置したまま、安穏としているような気がしないでもない。それを考えるうちに僕は落着かなくなり、窓ぎわに立つと、冬の陽はすでに暮れかけて、街灯が点《つ》きはじめている。
約一時間前、月子と会ったチュイルリー公園も、午後五時を過ぎて門を閉じられたのか、淡い闇の中に静まり返り、オレンジの明りだけが点々と続いている。あの、メリーゴーラウンドで遊んでいた少年たちも、両親とともに帰ったのか、そしてベンチで寄り添っていた二人は、明りの点いた街へ消えたのか。僕は手持無沙汰のまま冷蔵庫の上にあるミニバーから、ブランディの小瓶を手にし、ソファに戻ってストレートで飲み始める。
なにか、満たされたようで、いまひとつ満たされない。たしかな喜びのなかに身をおきながら、とりとめもない不安が頭をかすめ、もう大丈夫だと思いながら、大変なことが起きそうな予感もある。そんな落着かぬ状態でブランディを飲みながら、これからのことを考える。
正直いって、月子が無事戻ってきたら、僕はたくさんのことを尋ねるつもりであった。まず、フォンテーヌブローの森から連れ去られて、シャトウに拉致されたときのこと。そしてシャトウに幽閉されてから、どんな日常を送り、どんな生活をしてきたのか。さらにさまざまな調教を受けながら、月子自身はそれをどう受けとめ、どう感じてきたのか。また七十五日間のあいだ、奴等とどんな会話を交わし、どんな関わり合いをもってきたのか。そして今度の釈放に当って、彼等はどのように説明し、どのような方法でパリまで連れて来られたのか。
それこそ、一晩語り明かしても足りぬほど、話し合わねばならぬことがありながら、月子はひたすら眠り続け、夫の僕は一人起きて黙々とブランディを飲んでいる。考えてみると奇妙な夫婦だが、これまでの状態が普通でなかったのだから、この程度のことは仕方がないのかもしれない。
いずれにせよ、焦ってはいけない。この七十五日間のことは、夫婦といえども、あまり尋ねたり、探るべきではない。月子が異常な調教を受けたことも、僕がそれを何度となく覗き見たことも、ともにそれぞれの永遠の秘密として秘めておくよりない。いま、肝腎のことについて語り合わないからといって、気にすることはないのだ。むしろ、正直に話し合わないほうが、僕たちは仲良く、穏やかにやっていけるのだ。僕はそう自分にいいきかせて、さらにブランディを飲む。
それにしても、静かな夜である。もう何カ月も、こんな穏やかな夜の訪れを感じたことはない。やはり月子が戻ってきてくれて僕は心底安心し、これで人並みの生活を送れそうである。
そのまま、ゆっくりと両肢を伸ばし、ソファの上で横になる。そこで頭の下にクッションを入れ、足先を窓のほうに向けた姿勢で、目を閉じる。
月子がベッドルームで眠り、僕はソファで横になったまま、静かな夜の時間が過ぎていく。僕はそのことに素直に幸せを感じながら、ブランディの酔いも手伝って、少し眠ったようである。といっても意識が完全に消えたわけでなく、いま、月子と同じ空間に休んでいる、という思いだけは残っていた。
そのまま小一時間ほど経ち、なにか人の声がきこえるような気がして目覚め、隣りの寝室に行ってみると、月子がベッドの横にある椅子に座って、テレビを見ている。
「起きていたの?」
月子はすでにブラウスとスカートを身に着け、髪も整え、椅子の肘掛けに両手をのせたまま、軽く肢を組んでいる。
「大分、疲れているようだね」
「………」
「よく、眠れた?」
僕の質問に、月子はかすかにうなずくが、目はテレビを見ている。
「ちょっと出かけてみようか」
なにか、王女さまにでも話しかけているようだ、と思いながら、きいてみる。
「お腹は、減っていない?」
僕は、月子が無事戻ってきたときのために、カルチェ・ラタンにほど近いレストランを探しておいた。そこなら味はいいし、こぢんまりとしているので、月子も落着くかもしれない。
しかし、月子はあまり出かける気はなさそうである。まだ、長く異様なシャトウの生活から解放されたばかりで、人混みに出る気にはなれないのかもしれない。
「じゃあ、ルーム・サービスでもとろうか」
「でも、いいわ……」
テレビはフランスの家庭を舞台にしたドラマのようだが、月子は相変らず、視線はそちらに向けたまま答える。
その横顔を見て、僕はまだはっきりと、月子と顔を見合わせていないことに気がつく。もちろん、いまから二時間少し前、メリーゴーラウンドの前で会ったとき、僕は正面から月子を見詰めたし、部屋に来てからも顔は見ているが、きちんと向かい合ったことはない。
「向こうへ、行こう」
僕が隣りのリビングルームのほうを指差し、「少し、話したいんだ」というと、月子はようやくテレビを消して、立上がる。
僕は先に隣りの部屋へ移って一人掛けの椅子に座り、入ってきた月子に、僕の右手にあるソファを示すと、月子は人一人座れるぐらいの距離をおいて座る。おかげで僕はまた月子の横顔を見ることになったが、それはそれで、細い首と整った鼻筋がよく見えて美しい。
「なにか、飲む?」
「そうね、お水でいいわ」
僕は冷蔵庫からエヴィアンを取り出し、それを月子と僕と二つのグラスに注ぎ、その水を一口飲んでから、思いきっていってみる。
「あの、フォンテーヌブローの森へ行ったとき、突然、襲われたけど……」
月子の表情がかすかに翳《かげ》るのがわかったが、僕はかまわず続ける。
「いきなり、うしろから殴られて、じき意識は戻ったけど、そのときは君の姿がなくて……」
僕は自らに、そうなのだといいきかせながら、さらに続ける。
「狂ったように探したけど、まったく手掛かりがなくて」
そのあと、近くを通りかかった車に乗せてもらってパリへ戻り、すぐ日本大使館に連絡したこと、そのあとしばらくパリに残って、心あたりを探したことなどを、ときどき詰まりながら手短に話したが、その間、月子は軽く顔を背けたままきいていた。
「まさか、あんなところで、あんな目に遭うとは……」
「………」
「お義父《とう》さんとお義母さんもパリに来て、一緒に森まで行ったけど、驚いていた」
瞬間、月子の表情がかすかに動いたが、言葉はない。
僕はそれからさらに、身代金を要求されたこと、警察に届けると殺す、といわれて手出しができなかったこと、お金はお義父さんが用意してくれたが、フランスと日本と離れているうえに、ときどき交信が途絶えたりして、うまくいかなかったこと、などを懸命に話した。
不思議なことに、その間、月子はほとんど表情を変えず、途中からは軽く目を閉じ、眠ってでもいるかのように静かにきいている。
もしかして、月子は、僕がいっている嘘のすべてを見抜いているのか。まさか、そこまで知るわけはないと思いながら僕は不安にかられてきいてみる。
「あれから、どこにいたの?」
「………」
「牢獄のようなところか、どこか恐ろしいところに閉じこめられているのかと、思って……」
「違うわ……」
月子はそういってから、突然きっぱりという。
「シャトウよ」
「シャトウ?」
僕がきき返すと、月子はややなげやりな口調で、
「そんな恐いところではないけれど……」
「それは、どのあたりにあるの?」
何度も行っているのに、僕は怪訝《けげん》そうにきいてみる。
「そこで、どんな生活をしていたの?」
さらに迫ると、月子は軽く溜息をつき、それから、逸《はや》る子供を宥《なだ》めるようにいう。
「やめましょう、せっかく帰ってきたのだから」
たしかにいま、そこまできくのは酷かもしれない。それにこれ以上きいても、僕たち夫婦にとって、プラスになることはなさそうである。僕が黙ると、月子はそれを待っていたように立上がり、夜になった窓を見ながらつぶやく。
「ねえ、外に行きましょう、食事もしたいわ」
正直いって、僕は月子の気持がよくわからない。自由になって喜んでいるのか、それとも、まだなにかの不安に怯《おび》えているのか。ともかく、いま気になっているのは、僕に対して、どう思っているのか、ということである。たしかに公園で会ったとき、月子は僕に向かって駆けてきたし、そのままひしと抱きついた。そのかぎりでは、僕に会えて喜び、安堵したようだが、それからのことになると急にわからなくなってくる。まずホテルの部屋に戻って、すぐ休んだのは疲れていたからとしても、そのことについて一言もなかったし、そのあとの会話も、どこか億劫《おつくう》そうで、冷ややかでもあった。むろん、月子にとって楽しい話題ではないから、会話が弾まないのも無理はないが、それにしても、七十五日ぶりに会ったのだから、もう少し嬉しそうにしてくれてもいいのではないか。もっとも、それは僕の勝手な希望で、いまはまだ解放されたばかりで、自分で自分の気持をコントロールしかねているのかもしれない。
僕はそう思い直して、予定していたレストランに電話をして予約をとった。
月子はその間、窓から夜の街を眺めていたが、僕が出かける準備を終えると、黙って従《つ》いてきた。
今回はレンタカーを借りていなかったので、ホテルの前でタクシーを拾う。行先はシテ島の先の、サン=ミシェル広場の近くで、そこで僕たちは車を降りる。
このあたりはカルチェ・ラタンに近く、パリの中でも古い街並みが残っていて、出版社や古書店、それに絵葉書を売る店やお洒落なブティックなどが並んでいるが、僕が予約した「J」というレストランは、その古い通りの角の二階にある。
日本なら、クリスマスイヴが近づくと繁華街は若者であふれ、レストランも混み合っているが、古い石畳の道は人影もまばらで、レストランもイヴを控えて、今夜はひっそりとしている。その入って左手の奥の席に、僕たちは初めて向かい合って座り、まずグラスでシャンペンをもらう。むろん、月子の無事帰還を祝ってだが、なぜか、そう改まっていうのも大袈裟な気がして、「おめでとう、よかった」というと、月子も目でうなずき、軽くグラスに口をつける。
もともと、月子はあまり飲めるほうではないが、シャトウで余程いいワインを飲みつづけてきたに違いないと思い、ワインリストのなかから奮発して、シャトー・オーブリオンの八九年を選ぶと、長身の口髭を生やしたソムリエが「これはいい選択だ」としきりにうなずく。
ホテルの部屋では、月子は、あまり食欲がないようなことをいっていたが、前菜にはタイのカルパッチョを、メインには鴨のフィレ肉のローストを頼み、それにつられて僕も、トリュフ入りのスクランブル・エッグと、仔牛の骨付きあばら肉を頼む。
そのまま向かい合ってワインを飲むうちに、僕たちはようやく和やかさを取り戻し、僕はこの店を、パリにいる友人から教えられたことを話し、月子は落着いたレストランの雰囲気が気に入ったらしく、天井に張り巡らされた太い木の梁《はり》を見上げてつぶやく。
「相当、古いのでしょう」
僕は前に来たとき、この店のオーナーから、内部は十六世紀につくられた時のままだときかされたことを思い出し、それを説明しかけて、月子がいたシャトウを思い出す。
あのシャトウも、たしか十六世紀ころにつくられたと、地元の人がいっていたから、すると、このレストランとほとんど同じ頃なのか。その奇妙な符合に戸惑っていると、シェフを兼ねているオーナーが、コック姿のまま挨拶にくる。
僕がこの店を気に入ったのは、料理の味つけがやわらかく、日本人の口に合うからである。もっとも、彼は僕のそんな気持を知ってか知らずか、月子を見た途端、「マダム、ピュイ・ジュ・ム・ペルメットル・ドゥ・ヴー・フェリシテー・プール・ヴォートル・ボーテ」といい、月子の手をとって握手をする。フランス語の苦手な僕には、すべてを理解できないが、月子の美しさを称《たた》えたことは間違いなく、彼の言葉をきいているうちに、僕は、シャトウ・ルージュにいた男たちの、月子への賛美の言葉を思い出し、一瞬、いやあな気持にとらわれる。しかし月子は慣れているのか、笑顔で「メルシー・ボクウ」と、いままできいたこともない美しい発音で応え、それをきいて僕の気持はさらに沈み込む。
やはり、月子はシャトウの中ではフランス語で会話を交わしていたのか。七十五日間もいたら、上手になるのは当然だと思いながら、僕はなにか、月子がフランス人になったような気がしないでもない。
むろん、月子は僕のそんな不安に気がつくわけもなく、料理が運ばれてくるとさらに陽気になり、レストランの壁に掛かっている、フランドル地方を描いた風景画が好きだといい、料理のソースが控えめで食べやすいと褒め、さらに家との電話で、両親がいかに喜んでくれたか、そして日本に帰ったら、友人たちと会うのが楽しみだ、といったことを、次々と話す。
やはり七十五日ぶりにシャトウから解放され、パリに戻ってきて気持が高ぶっているのか。それとも久しぶりに街のレストランに入り、一般の人々とともに食事をして、いままで抑えてきた感情が一気に溢れでたのか。いずれにせよ、この突然の明るさは少し異常だが、おかげで、メインの料理が終る頃にはボトルが空き、さらに追加しようかと尋ねると、月子は「これ以上飲むと倒れるわ」といって、デザートをもらう。
シャトウからの映像では、豪華な食堂で贅沢なものを飲んだり食べたりしているように見えたが、やはりこういうレストランのほうが気持が和むのか。ともかく、月子の機嫌が直ったので、僕は安心して席を立つ。そのまま階下に降りたところで、若い男性が月子に臙脂のコートを着せ、「とても、お似合いですね」というのに、月子は「メルシー・ボクウ」といいながら、艶やかな眼差しを向ける。
どうやら、月子は少し酔っているようである。レストランを出ると、自分のほうから僕に寄り添い、むろん、それは僕には嬉しいことなのだが、そのままセーヌの河岸に出て立止まる。
ぼくは月子が閉じこめられていたシャトウの前を流れていたロワール川を思い出しながら、「酔った?」ときくと、月子は「気持がいいわ」と夜の空気を吸ってから、「明日はイヴでしょう」という。
「なにか、プレゼントしよう」
月子が拉致されたのはいまから二カ月半前で、その時からはずいぶん寒くなっているので、新しく必要なものがあるかと思ったが、月子は「いいわ」と答えてから、「それより、少し街を見たいわ」という。
むろん、夜の街を散策することに異論はない。僕はセーヌを見下ろす堤防の隔壁に肘をつきながら、正面の夜空にそそり立つ、ノートルダム寺院を示す。
「あそこに行ってみようか、今夜ならミサをやっていて、自由に入れるかもしれない」
「………」
「すぐ、近いから」
「やめましょう」
突然拒絶されて、慌てて振り返ると、月子は寺院とは反対側の黒い川面を眺めている。
「でも、クリスマスに行ったことはないだろう」
「行かないわ」
あまりのきっぱりしたいいかたに、僕はあきらめ、「シャンゼリゼは?」ときくと、今度はあっさりとうなずく。
夜に入って雲が切れて、寒さはさらに強まったようである。僕は河岸から広場に戻ってタクシーを拾い、シャンゼリゼに向かいながら、いまの月子の拒絶を思い出す。
あれほどきっぱり断ったのは、酔っているからなのか、それとも気持がぶれただけなのか。幼いときからミッション系の学校に通っていたのだから、当然喜ぶと思ったが。そこまで考えて、僕はまた、シャトウ・ルージュから送られてきた映像を思い出す。
たしか、釈放される四、五日前であった。螺旋階段を下って部屋に入ると、いきなりステンドグラスが現れ、中央の祭壇とキリストの像が映り、礼拝堂とわかった瞬間、何組かの男女がさまざまな淫らな姿態で交わっていた。そして月子も……。
もしかすると、月子はいま、そのときのことを思い出して、「ノン」といったのか。
車の中で横に座っている月子を窺うと、ワインで赤く染まった顔を背けるように窓ぎわに寄り、夜の街を見詰めている。
車はシテ島を経て、リボリ通りに出たところで、前方にコンコルド広場の観覧車が、七色の光のなかに現れてくる。
「見てごらん」
僕がいうと、月子はようやく背凭《せもた》れから上体を離し、フロントガラスへ目を向ける。
「明るいだろう」
月子は無言のまま、ゆっくりとうなずく。その白い項《うなじ》を見ながら、僕は何度か通った、夜空のなかのシャトウ・ルージュを思い出す。
あの城のまわりには、明りといえるものはほとんどなく、輝くものといったら、城の尖塔を照らす月と星しかなかった。
月子は今日、そこから戻ってきたのである。
僕は急に月子が痛ましくなり、月子の膝の上にある手に触れ、そっと握る。月子はされるままにしていたが、彼女のほうからは握り返してこない。それでも、僕が満ち足りた気持になっていると、月子が手を振りほどき、顔を窓につけるようにしてつぶやく。
「シャンゼリゼね」
たしかに車はコンコルド広場からシャンゼリゼ通りに入り、凱旋門へ向かっている。
「クリスマスに、ここに来たのは初めてだ」
「わたしもよ」
広い道路の左右に続くプラタナスの並木には、いくつもの明りが灯され、それがいまは枯れた枝から梢に、ちょうど、下から上へドレープを巻き上げたように、何本もの光の筋が舞っている。
「きれいだ」
僕がいうと、月子がうなずいて、「センスがいいわ」という。
たしかに日本の飾りのような派手さはないが、広い道路と左右に並ぶ古くて重厚な石造りのビルとがよくマッチして、しっとりした趣きがある。
「あそこに、可愛いツリーが見える」
月子が指で示すビルの、道路に面した窓ぎわに、一メートルにも満たないクリスマスツリーが置かれていて、雪でおおわれたように見える白い枝々が、小さな明りに輝いている。
僕はふと、シャンゼリゼ通りを月子と一緒に、歩きたい衝動にかられて、「降りてみようか」と誘うが、月子は、「車からで、いいわ」という。
やはり、人混みのなかを歩くのは辛いのか。僕は運転手に、凱旋門まで行って、そこから、再びコンコルド広場に戻ってもらうように英語でいってから、昨夜、フランスにいる知人からきいた話をする。それによると、クリスマスが近づくと、街はさまざまなイルミネーションで美しくなるが、イヴからクリスマスにかけては、ほとんどの店やレストランは閉じられ、人々はクリスマス休暇をとって、自宅か、地方の別荘で過すらしい。
もしかすると、シャトウ・ルージュにいた奴等も、そのために月子を帰したのか。一瞬、僕はそのことを思いながら、まったく別のことをいう。
「クリスマスは、どんな人でも休むらしい」
ホテルの部屋に戻ったのは、十一時に近かった。
月子はワインの酔いもくわわって、かなり疲れているようである。それでもシャワーを浴びるといってバスルームに入ったが、やがてホテルに備えてあったバスローブを着て戻ってくる。
僕が、その裾から出ているすらりとした肢を見ていると、「今夜は、このまま休みます」という。
それはどういう意味なのか、いますぐベッドに入って一人で休むということなのか、それとも、夫婦としての行為は避けたいという意味なのか。多分、その両方だと思って、僕はなにかはぐらかされたような気がしたが、今日、シャトウから戻ってきたばかりの月子に無理強いはできない。
「休んでいいよ」
僕がいうと、月子は軽く頭を下げて、ベッドルームへ消えていく。一人残されて、僕は仕方なく冷蔵庫から取り出したビールを飲みながら、これからのことを考える。
今夜は月子はなにもせず、静かに休みたいようだが、ベッドは一つしかない。もちろん、大きなダブルベッドで、近付けば手足くらいは触れることができるが、そのとき月子はどんな反応を示すのか。即座に突き離されるか、それとも黙って触れるにまかせているか。正直いって、僕は今夜、どうしても欲しいというわけではない。なにもいま焦らなくても、東京に戻ったら、また一緒の生活がはじまるのだ。それにはっきりいって、今夜は僕もやや疲れているので、月子に挑んで、満足させられるという自信もない。シャトウ・ルージュからの激しい映像を見過ぎた僕には、月子の肉体は、最高に魅力的であるとともに、どこか怖い存在でもある。とにかく、月子が一人で休みたいというならそれでいいし、むしろそのほうが、僕も緊張せず、安らかに眠れるというものである。
いろいろ考えた末、十二時を過ぎたところで立上がり、ベッドルームへ行くと、月子は夕方と同様、ベッドの右側で背を向けて休んでいる。それもかなり片側に寄っているので、左側のほうが大きく空いている。
僕はなにか裏切られたような、そのくせ少しほっとして、空いている側から入っていく。だが途中で、月子の位置が僕の右手のほうにあり、利き腕がつかいにくいことに気がつく。むろん、それは月子を抱きしめ、セックスを求めていく過程で必要になるのだが、とくにいま求めないのなら、たいした問題でもない。そう思い直して、月子の背中側から近付き、様子を窺うが、すでに眠っているようである。
それならいっそ、手か足を伸ばして触れてみようかと思うが、それもできず、何度か寝返りをうつが、やはり眠れない。
考えてみると、月子と同じ部屋で休むのは二年ぶりで、まして同じベッドに休むのは新婚のとき以来で、これでは眠れないのも当然かもしれない。
僕は仕方なく、一旦入ったベッドから抜け出て、再びリビングルームへ戻る。そこでミニバーからウイスキーの小瓶を二本持ち出し、水割りにして飲むうちに、さらに酔いが廻り、そのまま眠ってしまったらしい。
それからどれくらい経ったのか、目覚めたとき、僕ははじめて、自分がソファに横になっていることに気がついた。もっともガウンを上に掛けていたところをみると、眠る前に自分で掛けたのか。目覚めたのは、サイドテーブルにあるスタンドの明りが眩しかったせいかもしれない。
何時なのか、手を伸ばして時計を見ると六時半で、昨夜、寝たのは十二時を過ぎていたから、六時間近く眠ったことになる。僕は高い天井を見上げながら、昨夜、月子のベッドに潜りこんだが、眠られぬままソファに戻ったことを思い出した。
はたして、月子はあのまま休んでいるのか。急に心配になって寝室を覗くと、ベッドの端が軽く盛り上がり、昨夜と同様、入口の方に背を向けたまま眠っている。
僕はひとまず安心し、リビングルームに戻りかけるが、気が変って再びベッドに近付き、手前から入っていく。
昨夜は一度横になり、月子に触れようと思えば触れられたのに、起こすのは悪いと思ってあきらめたが、いまはもう朝で、月子はかなり眠ったはずである。
どんな顔をしているのか、僕は急に寝顔が見たくなり、月子の背後から覗くと、柔らかな髪の毛のあいだから小さな耳が見え、その先に形のいい鼻がある。さらによく見るために身をのりだすと、整った横顔がスタンドの淡い明りのなかで、白く浮きでている。
なんと、形よくできていることか。造化の神は一人の女性にだけ入れこんで、不公平だと思うほど、月子の顔は整っていて、その鼻も口も頤《おとがい》に向かう頬の線も、かつて僕が愛撫し、接吻し、触れてきたものである。
その肉体が、いまようやく僕の手許に戻ってきたのである。
見ているうちに僕の上体は自然に月子の上におおいかぶさり、触れる寸前になる。
このまま、そっと軽く閉じられた唇に触れ、柔らかな胸元を握り締めたからといって、誰に咎《とが》められるわけでもない。求めるならいまで、一気にこちらに抱き寄せれば、月子は僕の懐に転がり込み、そのまま柔らかな肌にしかと触れ合うことができる。
「遠慮することはない」
僕は自分の男性がたしかに勃起しているのを感じながら、つぶやく。
「いまだ……」
自らを励ましながら、左手をそろそろと月子の胸元から肩口に廻し、引き寄せようとした瞬間、月子はいやいやをするように軽く首を左右に振り、目を閉じたままつぶやく。
「ノン、ジェ・ソメイユ・パ・マントノン……」
思わず僕は手を引き、いまの言葉を反芻する。初めの「ノン」はもちろん拒絶で、あとのほうは、「今は眠いの」とでもいう意味なのか。
僕は悪さをしかけて見つかった子供のように、慌てて手を引き、恐る恐る再び月子の顔を窺うと、月子はやはり目を閉じたまま同じ言葉をくり返し、それとともに僕の気持は急速に白けていく。
男を拒否する言葉まで、フランス語でつぶやく。しかも半ば眠ったままつぶやいたことに僕は驚き、戸惑いながら、気がつくと僕の男性自身は、叱られた少年のように項垂《うなだ》れている。
パリの冬の朝の訪れは遅い。とくにクリスマスは、一年中でも最も日が短いときだけに、完全に明けるのは八時を過ぎてからである。
僕はその、まだ明けやらぬ部屋の中を見廻してから、横にいる月子の様子を窺う。
先ほど、僕は眠ったままの月子に挑もうとして失敗した。もともとそんな気はなかったのだが、淡いスタンドの明りのなかで横たわっている月子の寝顔を見ているうちに、耐えきれなくなって、両手で抱き寄せようとした。
だがその瞬間、月子は首を左右に振りながら「ノン、ジェ・ソメイユ」とフランス語でつぶやいた。
まだ眠いといっているようだが、拒否していることだけは即座にわかった。まだ暗いのだから無理もないと思いながら、それがフランス語であったことに、僕はショックを受けていた。無意識につぶやくとは、それだけフランス語に馴染んでいるということか。そして、そんな言葉をつぶやくところをみると、月子はいまと同じように、眠いのに男たちに起こされたことがあるのかもしれない。そう思った瞬間、僕の頭の中に、あのシャトウで激しく月子と絡みあっていた奴等の姿が浮かびあがる。
いま、僕が萎《な》えたのは、月子に断られたことより、そのフランス語をきいた途端、僕の脳裏に、あの男たちの逞しいペニスと、エネルギッシュな動きが甦ってきたからである。いや、それだけでなく、男の動きに合わせて喘ぐ月子の声が、目の前で休んでいる月子の口から洩れたように思ったのである。
おかしなことに、そのときから僕は戸惑い、狼狽《ろうばい》した。そして何故か、奴等に負けるわけにはいかない、奴等の誰よりも逞しく巧みに月子をリードし、満足させなければならない。そう自分にいいきかせた瞬間から僕のペニスは萎え、焦れば焦るほど小さくなっていく。
あの、豹変はなになのか。自分で自分の肉体に、そんないいかたをするのは口惜しいが、あれはやはり、僕の意志に対する完全な裏切りである。なぜならそのとき、僕は痛切に月子が欲しくて、他のどんな時よりも圧倒的に逞しく、勃《た》つことを願っていたのだから。
だが実際は、見るも無残に萎えて、譬《たと》えていえば、獲物を捕えて噛みつこうとした瞬間、ぼろぼろと歯が欠け落ちて、噛みつくどころか、みすみす取り逃がした獣に等しい。
しかし、自分のものが萎えて、どう鼓舞しても駄目だと知ったときから、僕はむしろ冷静さを取り戻し、これまでの経緯について考えてみる。その時点から、僕は突然医師になり、明晰な精神病理学者になって、カルテに書きこむようにつぶやく。
そのとき君は突然、奴等のことを思い出し、肉体的にも技巧的にも奴等より優れて、圧倒的に月子を満足させなければならないと考えた。その過剰な気負いというか強がりが、かえってストレスとなり、ペニスを萎縮《いしゆく》させたのである。それというのも、ペニスの勃起は大脳から視床下部へ性的興奮が伝えられることによって促される。だがこの回路はきわめて心理的影響を受け易く、途中、さまざまなストレスで遮断されると、勃起不全、すなわちインポテンツという状態になる。したがって、君の不能は、奴等の行為を見過ぎたことにより生じた性的コンプレックスが原因の、「心因性勃起不全」というものである……。
呆れたことに、僕は僕自身で病因を書き、病名を記し、一瞬、見事な分析だと、他人事のように納得している。
しかし、いま考えなければならないのは、病気の原因より治療法である。そしてそのためには当然のことながら、病気の原因となっているものをとり除くことである。そこで最も問題なのは、奴等の逞しさと巧みさを知り過ぎたことだから、まずそれを忘れ去ることである。そして奴等より、自分のほうが圧倒的に逞しくて、巧いのだと信じ込む。
だが正直いって、こんな処方箋は現実的にはなんの役にも立ちはしない。なぜなら、患者である僕は奴等の調教シーンを見過ぎて、いま直ちに脳裏から消せといわれても、そんな器用に消し去ることができない。ならばいまひとつ別の処方、すなわち無理に奴等より逞しく、巧くなろうなどと思わぬこと。なまじっか、奴等より優れているべきだと思う気負いがストレスを生みだすのだから、勝とうと思わず、奴等より弱くても下手でもいいのだと思いこむ。いわゆる発想の転換だが、はたしてそんなことができるのか。正直いって、この治療法には、処方された患者も処方した医師もともに自信がない。
そこで、いまはすっかり萎えて、雄であることを断念した僕はベッドにうずくまって、つぶやく。
「要するに、奴等の調教を見過ぎたのだ……」
いまになって、僕はとてつもない失敗を犯したことに気がつく。月子をシャトウ・ルージュに委ねた直後は、奴等がどんなことをやるのか、不安なあまり、こちらから頼んで見せてもらったのである。むろん見ているうちに、そのあまりの生々しさに辛くなり、何度か目を覆い、さらには怒りに拳を振り上げたこともある。もっとも、そうした感情とは別に、目の醒めるような月子の体の美しさや、奴等と絡む情景の、あまりの淫らさに、強く惹きつけられたこともたしかである。まさに地獄と極楽と、両方を往き来しているような高ぶりのなかで、息を潜めて見続けてきた。いまさら、そのことが不能の原因だといわれても困る。すでに、してはいけない覗き見を充分し尽した果てに、それが悪かったのだといわれても、すべては後の祭りである。とにかく、いまはっきりいえることは、僕の月子に対する不能は、かなり重篤だということである。延々と、奴等が見せてくれるままに覗き見た、その自ら犯した卑劣な行為への罰が、いまになって降りかかってきたようである。
「でも……」と僕はベッドのなかで考える。たしかにいま不能に陥ったが、それは月子に対してだけであり、それもいつまでも続くわけではない。突然の不能が、奴等へのコンプレックスが原因だとしても、それらもいずれ薄れるに違いない。そしてなによりも心強いことは、月子はもはや僕の手許に戻ってきて、二度と奴等のところに戻ることはない、という事実である。このまま日本に帰れば、月子も僕も、シャトウでの生活や奴等のことは急速に忘れ去り、それとともに、僕は新たな自信を取り戻すに違いない。
要するに、焦ることはないのだ。そこまで考えて、僕はいくらか安堵し、患者であることから解放されて、ベッドから顔を起こす。
瞬間、僕は思いがけない発見をしたような気がしてつぶやく。
「月子がいる……」
間違いなく、月子が僕の横に、しかも同じベッドのなかで眠っている。それもホテルのバスローブを着ただけの、無防備な姿のまま。
もう何カ月間、いや、何年間、僕はこんな状態を夢見て、願っていたことか。それがいま、まさしく目の前で現実となっている。あの冷淡で、驕慢《きようまん》だった月子が、手を伸ばせばすぐ触れられる位置に横たわっている。
僕は再び上体を起こし、背を向けている月子の顔を覗き込み、さらにおおいかぶさるようにして、軽く寝乱れた襟元から胸のふくらみを垣間見る。
美しい女は、どんなときにも美しい。瞬間、僕は楊貴妃《ようきひ》の故事を思い出す。あるとき玄宗《げんそう》皇帝が楊貴妃の寝室を訪れると、貴妃はまだ眠っていて、皇帝はそれを見て、「海棠《かいどう》は睡《ねむ》り未だ足らず」とつぶやいて眺めるだけにしたという。いまの月子はまさしく、触れなば落ちん海棠の風情で、いま少し眠り足りぬようである。
僕はそのまま月子を起こさぬように眺めていたが、気がつくと無意識のうちに右手が股間の上にある。もしかして、元気を取り戻すのか、そんな期待のまま触れてみると、たしかにいくらか硬くなりかけている。僕はそれに勇気を得てゆっくりと擦りながら、海棠の花の雌蘂《めしべ》のような月子の唇に接吻をしたくなる。
史実によると、美女を何人もはべらせていた玄宗皇帝はそのまま引き退ったようだが、一人の側女《そばめ》もいない僕は、このまま引き退るのではいささか辛すぎる。僕は改めて周りを見廻し、誰もいないのをたしかめてからさらに顔を近づける。しかし下手に起こすと、また先ほどのようなフランス語のつぶやきとともに、逆らうかもしれない。それより、いまはこのまま眺めるだけにしたほうが、花の美しさを堪能できるかもしれない。
そのまま髪のあいだから見える小さな耳と、襟元から洩れる胸元を見るうちに、僕のものがゆっくりと、しかしたしかに大きくなってくる。
それにしても、月子を直接求めず、寝顔だけを盗み見るほうが勃起するとは。見るだけなら挿入という行為がないだけに、奴等への対抗心も起きず、僕一人の想像の世界で遊べるからなのか。
僕は自分のものの正直さに呆れながら、もはや求めることは諦めて、かわりに襟元から覗く胸元のふくらみだけにでも触れたくなってくる。この一カ月ほど、シャトウから送られてきた映像を見ながら思っていたのだが、初めの頃と比べて月子の胸は確実に大きくなったようである。もともと細身の体だけに一層きわ立つのかもしれないが、その円《まろ》やかなふくらみに、いまなら触れられるかもしれない。
そう思うともはやとどめることはできず、僕は横向きの月子の軽く開いた胸元に左手を近付け、そこで一旦|躊躇《ちゆうちよ》してから、一気に差しこんでみる。
瞬間、「いや……」という声が洩れ、それとともに月子は素早く上体をよじる。
その動きで、一瞬だけ柔らかな肌に触れた僕の手は弾き出されるが、それでも指先はなお肩口に残ったまま、いまの言葉が日本語であることに少し安堵する。
やはり胸にまで触れたのは行き過ぎだったと反省するが、かわりに、月子の肩先に触れている指先にすべての神経を集中すると、そこからゆっくりと月子の肌の温もりが伝わってくる。他愛ないかもしれないが、それだけでも僕は充分幸せな気分になり、そんな自分を憐れみながら、幸せというものが慎ましく、些細なことに気付く。
それにしても、月子は以前は、こんなことさえ許さなかった。胸や太腿などに直接触れることはもちろん、項や耳許に触れようとしただけで、ぴくりと首を震わせ、素早く上体を退《ひ》く。その月子が、いまはほとんど俯《うつぶ》せながら、肩口に触れられたまま逆らう気配はない。気付いているのかいないのか、いずれにせよ、これはおおいなる変化である。
もしかすると、これこそ、シャトウ・ルージュでの調教の成果なのか。七十五日間でこの程度のことなら許すだけの、心と体の余裕ができたということか。ともかく僕は月子の肌の温もりを指先のすべてに感じながら、それなりに満たされていた。
その朝、月子が目醒めたのは九時少し過ぎだった。
僕はといえば、しばらく月子の肩口に触れているうちに、股間のものが徐々に逞しさをとり戻し、そこで眠っている月子の横で自慰をして果てた。妻と同じベッドに休みながら、夫一人だけ自慰をするというのも、考えてみると奇妙だが、別の世界から戻ってきたばかりの月子に、無理強いするのは可哀相である。それにいまの僕は、月子と一緒のベッドにいることだけで、充分興奮することができたし、自慰なら自信があった。そしてさらにいえば、これから日本へ帰っても月子は僕の妻であることに変りはないのだから、いま慌てて求めることもない。その安心感が、僕を寛容にしたこともたしかである。
そんなわけで僕もぐっすりと眠ったが、まず月子が起き、その気配で僕が起きたというのが当っている。
月子はそのままバスルームに入り、僕はその間に服を着て、昨夜、考えていたとおり、まず大使館に電話をした。月子が失踪したときに捜索願を出していたので、無事戻ってきたことを報《しら》せるためだが、そのときの担当者は不在で、替りの人にその旨を伝えると、「なにか、異常がありましたか」ときく。元気で、なにも問題はないことを告げ、「ご迷惑をおかけしました」と礼を述べると、「それなら結構です」という。海外でいろいろな事件に巻き込まれる人は多いだけに、当人が無事で問題のない場合は、それ以上、とくに事情を聞くことはないのかもしれない。
僕は詳しく聞かれなかったことに安堵して、これからの予定を考えていると、月子が昨日と同じ服を着て現れる。セミロングの髪は軽く内巻きにブローされ、顔の化粧は薄いが、やはり海棠の花のように美しい。
僕は今朝方、月子の胸元に触れようとしたことも、月子が寝呆けながらフランス語をつぶやいたことも胸にしまって、「お早う」というと、月子も同じように「お早う」と答える。そのいいかたは淡々として、以前、東京で交わしていた雰囲気と変らない。そこで、僕は以前から一緒にいたように、朝食はどうするかと尋ねると、月子は「そうねえ……」といったまま、億劫そうなので、ルーム・サービスをとることにする。僕はベーコン付きのフライドエッグとパンを頼み、月子にきくと、フルーツとコーヒーだけでいいというので、合わせて頼む。
このあたりの朝の会話は、ごく普通の夫婦のそれと変らないが、僕たちのあいだには、まだいくつもの話し合わなければならないことが残っていた。昨日、僕はその一部についてききかけたが、月子は自分から、「いまは、やめましょう」といって、避けてしまった。そのまま、喉に刺さった小骨のように気がかりになっていただけに、月子と部屋で二人だけでいると、またいいだしそうな不安にとらわれる。そんな落着かぬ状況から逃げ出すためにも、僕は今日のこれからのスケジュールについて話しだす。
まず、朝食を摂《と》ったあと、よかったら少しパリの街を歩いてもいいこと。買物などがあれば行ってもいいが、今日はクリスマスイヴなので、店はあまり開いていないかもしれない。いずれにせよ、帰りの便は午後五時五十五分で、ドゴール空港に出発の二時間前に着くことから考えると、三時頃にはホテルを出たほうがいい。むろんその前にバッゲージをつくり、チェックアウトをしなければならないが、月子はほとんど荷物というほどのものはないから、その点は問題なさそうである。それらのことを話すあいだ、月子はソファに座ったまま、よく磨かれた爪の先を眺めながらきいていた。
話し終るのを見計らったように、ルーム・サービスが運ばれてきたので、僕たちはそれを受けとり、ワゴンテーブルに向かい合って座って食事をはじめた。
僕は日本に戻ったら、久しぶりに鮨でも食べに行こうとか、少しゆっくり温泉にでも行ってみようか、などと誘ってみたが、月子は曖昧にうなずくだけで、自分から積極的に興味を示すことはなかった。そこで僕が黙るとまた沈黙が訪れるので、テレビをつけると、ニュースキャスターらしい女性が一人で喋っている。報道番組のようだが、月子はそちらに目を移したままコーヒーを飲んでいるので、僕はなにげなくきいてみる。
「フランス語、大分わかるの?」
以前、月子は初歩的な日常会話がわかる程度だったが、無言のまま首を横に振る。
僕は余程、明け方、月子がフランス語でつぶやいたことをいおうかと思ったが、テレビにも関心がなさそうに目をそらしたので、やめることにする。再び話が途切れて、僕はパンにバターをつけ、月子はフルーツのコンポートをスプーンですくって口に運ぶ。なにか指全体が宙で軽く舞うような感じで、その美しさに見とれながら、こんな指の動きは、以前は見せなかったはずだと思う。
穏やかだが、どこかいまひとつ馴染み合っていない食事を終えると、十一時だった。僕は、まだ少し時間があるから、出かけようかと誘ったが、月子は「寒いでしょう」というだけで、窓ぎわに立つ。
クリスマスのパリは珍しく晴れているが、見るからに冷え冷えとして、車の往き来も少ないようである。
僕は一昨日、パリに着いたときの空港の様子を話しだす。たしか空港の清掃員のストライキらしく、労働者風の男女が五、六人、それぞれ空缶などを叩き、ポスターを掲げながら、待遇改善を叫んでロビーの中を往き来する。それだけで充分騒々しいが、さらにビニール袋から紙屑をつかみ出しては、まわりに振り撒いていく。
「清掃員だというのに、まったく逆のことをするのだから、ひどい話だ」
月子は珍しく、僕のほうを見たまま話に耳を傾けている。
「クリスマスの頃は、ああいうストが結構あるらしい」
「今日は、大丈夫?」
「やっていてもロビーが少し汚れているだけで、出発にはほとんど影響はないと思う」
僕がいうと、月子は再び窓に視線を戻したので、その後ろ姿にきいてみる。
「買物にでも行こうか……」
月子は解放されたときのまま、ほとんど着替えを持っていないようだし、お土産なども必要かもしれない。
「行くのなら、早いほうがいいけど」
「別に、欲しいものはないわ」
それにしても、月子はなぜ、着替えの服や下着くらい持ってこなかったのか。会ったときから不思議に思っていたが、いまはきかないほうがよさそうである。
「とにかく、出かけてみようか」
そのとき、月子が突然弾んだ声でいう。
「ねえ、あのメリーゴーラウンドに乗ってみましょうか」
「メリーゴーラウンド?」
「あそこにあったでしょう。あれに乗りたいわ」
部屋の窓の位置からはリボリ通りしか見えないが、その先のチュイルリー公園の中にたしかにメリーゴーラウンドがあり、昨日、僕たちはその前で再会したばかりである。
「寒くないかな」
「平気よ、あれに乗っていると暖かくなるでしょう」
どうして急に月子がそんなことをいいだしたのか、僕は解《げ》せぬままうなずくと、月子は素早く臙脂のコートを着る。
フロントに、午後三時近くにチェックアウトすることを告げてから、僕たちは部屋を出て、エレベーターでロビーに下り、クリスマスツリーが点滅する中庭の前を通り抜けて、外へ出る。臙脂とグレイのコートを着て並んで歩く僕たちは、どう見ても、新婚旅行中か仲の良い夫婦に見えるに違いない。そんなことを思いながら、チュイルリー公園前の交差点に立った瞬間、僕は突然、ある不安にとらわれる。
こんなところを歩いていて、もしかして奴等に見付かるのではないか。昨日、月子を連れてきた奴等のうちの誰かが、まだこのあたりをうろついていて僕たちを狙っているのではないか。そこまで考えて、僕は「なぜ」と自分にきき返す。
すでに月子を解放しているのに、いまさら奴等が再び、月子を取り返しにくることなどあり得ない。それにこんな白昼、大都会のどまん中で、そんな馬鹿げたことができるわけがない。
しかし、と僕は考える。なぜ月子は突然、メリーゴーラウンドに乗ろう、などといいだしたのか。月子のような年齢の女性が、あんな子供の遊びに興じているのを見たことがない。とすると、月子はあの前で、誰かと待ち合わせでもしているのではないか。昨日、僕と出会ったように、奴等の誰かと示し合わせて逃げ出すつもりではないか。
そう思った瞬間、信号が赤から青に変り、人々が横断歩道を渡りだす。その動きに逆らって停まっていると、月子はかまわず歩き始め、その早さに僕はさらに不安になり、うしろから追いついて叫ぶ。
「やめよう」
「どうして……」
「やめたほうがいい」
それでもすすんでいく月子の手をとって、僕は耳許でつぶやく。
「大丈夫か?」
月子は答えず、僕の手を振り切ってすすみ、そのあとを追って、僕も公園の入口の黒い鉄枠の門の前まで来る。そこからメリーゴーラウンドまで百メートルもないが、僕は周囲を見廻し、怪しげな男がいないか、たしかめながらすすむ。チケット売り場の前まできて、僕はようやく安心して、「ドゥ(二枚)」といって、指を二本差し出す。
売り場のなかの青年が無愛想にチケットを二枚差し出し、それに僕は二十フランを払って月子を振り返るが、月子は逃げ出す気配もなく、木馬に乗っている子供たちに手を振っている。
奴等と示し合わせているように思ったのは、こちらの勝手な思い込みだったのか。僕はいま一度、まわりに目配りすると、メリーゴーラウンドが停まり、乗客が入れ替る。
クリスマスイヴの昼どきのせいか人影はまばらだが、子供が新たに五人乗り、他に一組のカップルと、サングラスの長身の男が乗る。なぜいまごろこんな男が一人で乗るのか、僕は観察するが、男はわれわれには無関心に前方の木馬に乗り、月子も変った様子はなく前の白毛の馬に乗り、僕はすぐうしろの鹿毛《かげ》の馬に乗ったところで、木馬が廻りはじめる。
昨日から何度か眺めていたが、乗ってみると意外に上下動が大きく、ふわりと浮いて、深く落ち込む感じがスリルがあって面白い。浮き上がるとき、僕が思わず、「おうっ」と叫ぶと、月子が振り返り、笑顔でうなずく。
やはり、勝手な思い過しであったのか。僕はいくらか安心して前方を見ると、目の前で臙脂のコートに包まれた月子のお臀《しり》が大きく浮き上がって、大きく下がる。僕は、一瞬、臙脂の玉が上下に揺れているような錯覚にとらわれたが、次の瞬間、月子がうしろから犯されていた姿を思い出す。
こんなところで何故、そんな淫らなことを思い出したのか、僕はその想像の突飛さに呆れながら、叫ぶ。
「凄い……」
むろん誰も、僕がそんなことを考えているとは気付かない。リズミカルな音楽とともに、月子の臙脂のコートと全裸のお臀が上下し、それを追いかけているうちに回転木馬が停まり、子供たちが名残り惜しそうに下りる。
それに続いて僕も下りると、月子が乱れた髪を掻き上げながらいう。
「もう一度、乗りましょうよ」
月子は気に入ったようだが、僕の目はサングラスの男を追い、男が両手をジャンパーのポケットにつっこんだまま、枯れた並木のほうに歩きはじめたのを見届けて、再びチケットを買う。
そのまま、月子は三度続けて乗ったが、僕は二回でやめて、あとはベンチに座ったまま、廻ってくる月子に手を振った。それに月子は手を振り返し、僕はそれを見て、いま間違いなく、僕の手許に、月子というクリスマス・プレゼントが届いたことを実感する。
たしかにこれまで、月子と二人で、こんな楽しい時間を過したことはなかった。手を振り合ったり、互いに笑いこけたことなど、一度もなかった。
僕が期待したとおり、ようやく、僕たちのあいだに新しい愛が芽生えはじめたようである。僕はそれを信じて、メリーゴーラウンドが停まると同時に駆け寄り、両手で抱きかかえるようにして、月子を馬から下ろしてやった。
午後、僕たちは部屋で一時間ほど休み、予定どおり三時にホテルを出て、タクシーを拾った。
途中、通りに面した店はほとんど閉まっていて、道路もいつもより空いている。僕はその西陽を受けて静まり返ったパリの街並みを見ながら、シャトウ・ルージュのことを思い出す。
あの川に面した丘の上の城にも同じ夕暮れが訪れ、クリスマスイヴの夜が訪れるのだろうか。そしてさすがに今夜だけは、あの背徳と淫蕩のかぎりを尽した乱痴気騒ぎは、控えるのだろうか。いや、奴等のことだから、この聖夜にこそ、集まって仮面舞踏会でも開いているのではないか。
それにしても、月子がいなくなったあと、奴等の生《い》け贄《にえ》になるのは誰なのか。僕が見たかぎりでは、他に調教を受けている女性を目にしたことはなかったが、広間や礼拝堂にかなりの女性がいたことはたしかである。それにたとえいなくても、あの前面は清楚で、うしろはお臀が見える淫らなドレスを着ていた女性たちが、奴等の相手をしているのかもしれない。
そんな想像をめぐらすうちに、シャトウのことがききたくなって、思わず声にだす。
「あのう……」
「なあに?」
即座にきき返されて、僕は言葉を失い、「いや……」と慌てて否定する。
そのまま僕たちはほとんど会話を交わさず、月子はひたすら外の風景を眺めながら、空港に着くと四時少し前だった。ロビーの一部では、労働者たちが相変らず空缶を叩いてごみを撒き散らしていたが、チェックインしてなかに入ると、その騒々しさも消えてしまう。
僕たちは真直ぐ、ビジネスクラスのウエイティング・ルームに行き、そこで再び買物があるなら見に行こうか、と誘ったが、月子は「いいわ」といって、日本の新聞を読む。たしかに、月子にとっては八十日ぶりの帰国で、新聞も雑誌も、すべてが珍しいのかもしれない。
そのあと、僕は月子とともに公衆電話のところへ行き、実家を呼んでみた。日本は夜中の十二時頃のはずだが、義母がすぐ起きてきたので、いま僕たちは空港に着いて、予定どおりの便で間もなくパリを発《た》つことを告げた。義母は僕の、こうしたこまめなところが気に入っていて、「本当に帰るのね」と念をおしてから、「ありがとう」と何度もくり返した。そのあと、月子と替ったが、「大丈夫よ」とか「ぜんぜん」といった明るい声の調子から、すべてがうまく運んでいることがわかった。
それにしても、出発間際になって月子の実家に電話をしたのは、途中まではなにが起きるか、不安だったからである。ここまできたら、もはや大丈夫と思いながら、それでも僕はまだ奴等の影に怯えていた。むろん月子は僕のそんな不安を知るわけもなく、コーヒーを飲みながら、日本の新聞を読んでいた。
やがて出発時間になったが、ほとんど定時で、僕は二席並んだシートの窓側に月子を座らせ、僕は通路側に座った。月子は日本人スチュワーデスが珍しいのか、しきりに眺めて、毛布や日本の女性誌などをもらう。はっきりいって、僕は座席に座ってようやくこれまでの緊張が解け、月子に「もう、あとは食事をして、眠ったら、日本だよ」というと、月子もうなずく。
それでも、僕が心から安心したのは、飛行機が離陸してからである。その直後、機は旋回しながら急速に高度を増し、その間、月子は終始窓を覗きこんでいた。やがて水平飛行に移ったところで、スチュワーデスが飲み物と食事の希望をききにきて、僕が和食を希望すると、月子も和食で、僕はそんなことにもなにか共感を覚えて納得する。
運ばれてきた食事は盛り沢山で、蟹や若鶏の入った前菜と菜の花を和《あ》えた小鉢、大根と海老の煮物に、平目と帆立のあんかけ、そして蕎麦と、いかにも和食らしい献立である。珍しかったのか、月子はそのほとんどを平らげ、飲み物は、僕はビールをもらったが、月子は初めから白ワインで、食事が終る頃には目の縁が赤くなっている。
機内ではスチュワーデスが食事のあと片付けをはじめ、食後のデザートが配られて、このあと乗客のほとんどは明りを消して眠りに入るに違いない。月子も休んでしまうと、成田に着くまで、ゆっくり話す時間がなくなってしまう。その前に話しておいたほうがよさそうなので、僕はウイスキーの水割りをもらってから、日本に戻ってからのことについて話しだす。
まず、家のほうは週に三回、パートの家政婦さんに来てもらっていたが、今月で断ること。病院のほうはいままでどおりだが、来年から週に一回、下町の開業医のところにアルバイトに行くこと。また月子の不在の理由については、マンションの管理人や友人に対しては、パリでデザインの勉強のため帰国が遅れている、ということになっていること。
「そのあたりは、お互いに口裏を合わせておいたほうがいいので……」
僕がいうと、少し間をおいて月子がききかえす。
「それだけで、いいの?」
「それだけって?」
「口裏を合わせること……」
僕が慌てて振り向くと、月子は静かにワインを飲む。
僕はその横顔を見ながら、いまのはどういう意味なのかと考える。もしかすると、月子はまだ口裏を合わせておいたほうがいいと思っていることが、あるのか。
「なにか、ある?」
「わたしは、別に……」
月子はなにごともなかったように、正面のスクリーンを見ている。そこには飛行経路と運航状況が交互に表れて、機はスカンジナビア半島を北上しているようである。
いっとき、僕もそのスクリーンを見てから、思いきってきいてみる。
「あの森で別れたあと、ずっとシャトウにいたといっていたけど、それはどのあたりなの?」
その質問は昨日もしていたが、月子ははっきりとは答えなかった。
「もし、わかるなら教えて欲しい」
「わからないわ」
興味なさそうに答える月子に、いまきかねば永遠にチャンスを逸するような気がして、さらにきいてみる。
「そのシャトウでは、誰か、まわりにいたのだろう」
「もちろん、一人では暮らせないわ」
「じゃあ、男も?」
昨日より気持が少し落着いているのか、あるいは開き直っているのか、月子はあっさりとうなずく。
「そんな男たちに見張られていたら、恐かったろう」
「でも、そのうち帰してもらえると思っていたから」
「彼等が、そういったの?」
「あなたは、きいていないの?」
いきなりきき返されて、僕は慌てて水割りを飲む。濃いアルコールの液が食道を通り抜けるのを待って、僕は小さくつぶやく。
「なにも……」
まさか、口裏を合わせるとは、このことではないのだろう。違うと思いながら僕は急に不安になり、さらに水割りを一口飲み、態勢を立て直してからきいてみる。
「彼等は、なにもしなかった?」
「なにもって?」
「危害をくわえるとか……」
「もし、そうなら、どうなの?」
「いや、でも、元気そうだから……」
「でも、わたしは、もう前のわたしではないのよ」
僕が振り向くと、月子がかすかに笑っている。僕はなにか見てはいけないものを見たような気がして、またウイスキーを飲む。そのまま沈黙が続き、月子が軽くシートをうしろに倒したので、僕は慌ててもう一度きく。
「とにかく、あんなことをした奴等だから、余程、恐かったろうと思って……」
「初めは恐かったけど、馴れると優しくて、紳士的だったわ」
僕は軽い嫉妬を覚えて、「誘拐した奴が、紳士的なんてことがあるのかな」というと、月子は冷ややかにいう。
「あなたには、わからないわ」
「なにが?」
「わからなくて、いいのよ」
そこで、月子はもう終り、というように窓のほうへ顔を向ける。その表情には、もはやなにをいっても受けつけない冷ややかさが滲んでいる。
やはり余計なことを、きくべきではなかった。いまになって僕は後悔するが、月子はワイングラスをスチュワーデスに返すと胸元まで毛布でおおって、目を閉じる。僕はとりつくしまもなく、なおも一人でウイスキーを飲みながら、僕たちの関係がそんな簡単に立て直せそうもないことを、改めて実感する。
飛行機が成田に着いたのは午後二時十分前で、パリから十二時間の空の旅だが、ほぼ定時の到着であった。
機が滑走路に着陸し、強い風圧が急速におさまるとともに、僕はそっと月子の手を握った。
特別の理由があったわけではない。ただ長かった旅がこれでようやく終った。むろん、その旅のなかみは、飛行機に乗っていた時間だけでなく、月子と僕と、離れ離れになっていた期間も含めてのことである。その空白の時間が終って、これから僕たちの新しい生活がはじまる。そうした感慨をこめて握ったのだが、月子は握られているだけで、彼女のほうから握り返してはこない。
二カ月半ぶりの帰国だというのに、月子にはそれほどの感動がないのか。それとも、握り返すことにさほどの意味を感じていないのか。ともかく、僕は月子の手と触れ合っていることに、一応安堵しながら、一方で不安も抱いていた。
はっきりいって、いまから十二時間前、ドゴール空港から飛行機に乗り込むとき、僕はこのフライトのあいだに、月子とゆっくり話し合うつもりでいた。その要点は、これから日本へ帰ったらいままでのような冷めた夫婦関係でなく、ホットで、互いを思いやる夫婦でありたいこと。それを基に、ともに新しい気持で再出発したいこと。むろんそのためには、今回の異様な二カ月半の空白について、互いに理解し合っておく必要がある。その点について、僕の一方的な希望をいえば、月子はたしかに拉致され幽閉されてはいたが、肉体的にとくに傷つけられたり、恥ずかしめを受けることもなかったこと。そして僕もそのことを案じてはいたが、今後はなにもなかったものと信じて月子を受け入れること。むろん、そこにとてつもない欺瞞《ぎまん》が秘められていることはたしかだが、この七十五日間のことについては、互いに一切口外せず、悪夢として忘れ去ること。そうした話し合いのうえで、僕たちは、雨降って地固まる夫婦のように、手をとり合って飛行機を降り、空港で待っている義父と義母の前に笑顔で現れること。
それらの約束をはっきりしておくつもりで、出発直後の食事のあと、ワインを飲んでリラックスしたころを見計らって話しかけたのだが、会話はどこかぎこちなく、空白の期間についても、月子は意味あり気ないいかたをして、かえって僕を不安にさせ、それ以上話はまったくといっていいほどすすまなかった。そんなわけで、中途半端のまま話は中断し、あとは、「到着まで、何時間くらい」とか、「お義父さんやお義母さんも、迎えに来ていると思う」といった、当りさわりのない会話を交わしただけだった。
はたしてこんな状態で成田に着き、月子の両親に会って、僕たちの関係は大丈夫なのか。もしかしてこの二カ月半のことについて、月子と両親と話し合ううちに、とてつもない事実が暴露されて、両親が怒りだし、僕たちまで破局に追い詰められるのではないか。そんなことを考えるうちに、僕は次第に怖くなり、容易に寝つかれなかったが、横の席から見るかぎり、月子はよく眠ったようで、朝食もほとんど平らげ、一昨日、パリで会ったときよりは精神的にも落着いているようである。
それを見て、僕は再び先ほどの点について話し合ってみようかと思ったが、到着時刻が近づくとともに、あたりは騒《ざわ》めきだし、ゆっくり話せそうもないので、あきらめた。
それでも飛行機が到着し、それとともに機内のアナウンスが、東京地方は気温は摂氏五度で晴れていて、パリよりは少し暖かいが風が冷たいこと、さらに今回の搭乗を感謝し、再び機内でお目にかかれるようお待ちしています、と結んだあと、これが最後のチャンスと思って、月子に話しかけようとした。だがそのときスチュワーデスが預けてあった上衣を持ってきて、おかげで僕は出鼻をくじかれた感じで、黙ってしまった。
そんなわけで、肝腎の七十五日間のことについては曖昧なまま、僕たちはコートを着て立上がり、外見だけは、新婚直後のような仲睦《なかむつ》まじさで、機内から出て到着ロビーへ向かう。
バッゲージは僕の小さいのが一つあるだけなので、それを手荷物カウンターで受け取ると、右手で把手を引いたまま免税コーナーを通って、ロビーへ出る。
できることなら、僕は月子の一歩先を行き、出迎えにきている義父たちを見付けたいと思ったが、それより先に義母は月子を見付けたらしく、「月ちゃん」と叫び、その声に誘われたように月子は駆け寄り、次々と人々が通るのもかまわず、通路の脇でしかと抱き合う。
「よかった、よかった……」
小柄な義母は何度もうなずきながら、背伸びして月子に頬ずりし、それに対して月子も目を潤ませて、まさに母娘抱擁といった感じで、僕は改めて、二カ月半の空白が二人にとっていかに大きかったかを知らされる。その母との抱擁がすんでから、月子は父と抱き合い、こちらは、ようやく帰ってきた娘をいとおしむように頭を軽く撫で、それに応えて月子は何度もうなずく。
ひととおり、母と娘、父と娘の抱擁が終ってから、義母たちははじめて僕の存在に気がついたように、僕に向かって「ご苦労さん」という。僕は特別、困難な仕事をしてきたわけではないが、無事、日本に戻るまで緊張したことはたしかである。そのことへのお礼と思って、「いえ……」とつぶやくと、義母と義父は月子を左右から挟むように寄り添い、「車が待っているから」と駐車場へ向かって歩き出し、僕はそのあとをバッゲージを引きずりながら従《つ》いていく。
駐車場はエレベーターで二階にあがって、連絡通路を渡った先にあり、そこまで三人は楽しそうに話し合っているが、「疲れたでしょう」「元気そうじゃない」といった当りさわりのない会話で、それをききながら駐車場に着くと、義父の専用の黒塗りの車が停っていて、運転手がドアを開けてくれる。
義父は一旦、乗りかけたが、思い直したように、まず月子を奥の席に座らせ、その隣りに義母が並ぶ。車は大型なので、さほど無理しなくてもうしろの席にもう一人座れそうだが、義父は僕に、「君はタクシーで来てくれるか?」という。それなら、駐車場まで来ることもなかったと思ったが、「いや」ともいえず黙っていると、義父は、「じゃあ、家で待っている」といって、自分から助手席に座り、ドアを閉める。その間、僕はなすこともなく突っ立っていたが、義母は窓ごしに軽く手を挙げただけで、月子は僕のほうを振り向きもせず、車が去っていく。
仕方なく、僕は再び駐車場からバッゲージを引きずって、一階のタクシー乗り場に戻るが、気持は釈然としない。たしかに、後部座席の定員は二名で、長旅で疲れている月子をゆっくり休ませたかったのかもしれないが、それなら僕が中央の座りにくいところに座ってもよかったし、なによりも僕と月子は夫婦である。それなのに僕だけ外して、一人でタクシーで来いとは、少しひどすぎないか。
僕は次第に腹立たしくなってきたが、考えてみると、この種のことは、これまでも何度かあったことで、その都度、実の親子の絆《きずな》の強さを感じてきたが、今日の場合、問題なのは月子のほうかもしれない。義父の指示で僕一人が他の車に乗るとわかったら、「わたしも、そちらに乗るわ」といって降りるべきではなかったか。
帰国早々、僕は除《の》け者にされた不快感のままタクシー乗り場に行き、少し躊躇してから車に乗る。戸惑ったのは、成田から東京まで二万円以上かかると思ったからだが、義父がタクシーで来い、といったのだから戸惑うことはない。そう思い直して乗ってはみたが、車が走り出すと、僕はまた新たな不安にとりつかれる。
もしかして、先に発った三人はいまごろ車の中で、空白の期間のことについて話し合っているのではないか。車に乗るまでは、その種の話はしていなかったが、これから一時間以上もかかる車中で、当然、義父たちはそのことを尋ね、それに月子はどう答えるのか。もし僕が彼等と一緒に乗っていたら、それを聞いたうえで口裏を合わせることもできるが、万一、月子がシャトウでのことを正直に話しだしたら、面倒なことになる。いや、多分、そんなことはなく、それというのも他人である運転手がいるところで、そこまで突っ込んだ話はしないはずだし、きかれても月子は答えないだろう。そう考えて、僕は少し落着きをとり戻して、目を窓へ向ける。
外は、機内のマイクが告げていたように快晴だが、風が冷たそうである。いわゆる西高東低の冬型の気圧配置になっているようだが、車の向かう西の空にある太陽がすでに陰りはじめているのを見て、僕は月子と再会した時、メリーゴーラウンドの方角に陽が傾きかけていたのを思い出す。
あのとき、月子は臙脂のコートを靡《なび》かせて僕に駆け寄り、抱きついた。その瞬間、僕はこれから月子と一緒に、新しいスタートをきれると確信したのだが、いまは正直いってそこまでの自信はない。それどころか、帰国して、この日本という風景の中に月子をおいて考えると、また以前の月子に戻りそうな不安を覚える。それをどう乗り越えて、しかと僕のものにするか。同じ冬の枯野でも、フランスと比べると、どこか優しさと猥雑さの入りまじった日本の野面を見ながら、むしろこれからが問題なのだと改めて考える。
タクシーが渋谷の義父の家に着いたのは、午後四時を少し過ぎていた。迂闊《うかつ》なことに、タクシー代は義父が払ってくれるものと思いこんでいたが、門まで迎えに出てくる人もなく、結局僕が払うことになる。そのまま黄楊《つげ》に包まれている庭を抜けて玄関に着き、扉を開けると、さまざまな靴が並んでいて、すでに三人が着いているのがわかる。その脇にバッゲージを置き、出てきたお手伝いに案内されて応接間に行くと、義母と月子が向かい合って座り、その横に僕がこの家にきた以前から住みついているプードルがうずくまっている。
僕が入っていくと、義母が「わたしたちも、いま着いたところよ」といい、僕が黙って月子の横に座ると、義父がシャンペンのボトルを持って現れる。「とにかく、お祝いだ」といって、義父は自らシャンペンを開け、月子、僕、そして義母と、自分のに注ぎ、「メリークリスマス、おめでとう」といってグラスを持ち上げる。たしかに今日はクリスマスで、義父と義母には大変なプレゼントが舞いこんだわけで、二人とも月子と笑顔でグラスを重ね、その和やかな雰囲気から、車中ではとくに深刻な会話は交わされなかったことを感じて、ひとまず安心する。
「克彦さんも、大変だったわね」
義母の一言で、僕はようやくここの家族に受け入れられたような気がして、「ええ、まあ」とうなずくが、月子は無言のままである。
「とにかく、よかった」
義父が再びうなずき、再度シャンペンを注ぐと、お手伝いが、チーズを盛り合わせた皿を持ってくる。さらに数分もせずに入口のチャイムが鳴り、大桶に盛りこまれた鮨が運びこまれる。
二カ月半ぶりに戻ってきた月子に、「さあ、食べるのよ」と義母が促し、月子が小皿に鮨をとる。今朝方、機内で朝食を食べたはずだが、日本に無事着いて、さらに食欲がわいたのかもしれない。
「克彦さんも、どうぞ」といわれて、僕も鮨をつまみ、ビールをもらう。そのまま、しばらくは、一人いる月子の弟のことや、義母と月子がともに知っている友人の話などをしたあと、月子が義母と連れだって部屋を出ていく。その前の話しぶりから、いまもこの家に残されたままになっている二階の月子の部屋に行ったようだが、二、三十分して、月子がグリーンのニットのワンピースを着て現れる。独身の頃に着ていたものらしく、急に若やいで見えると義父にいわれて、月子はさらにリラックスしたのか、今度は義父とともに日本酒を飲みはじめる。
もともと、月子はアルコールはさほど強くはないが、今日は三カ月ぶりに、それも実家で飲んだせいか、少し酔ったようである。着替えて一時間もせずに、今度は「眠くなった」といいだす。「そろそろ戻ろうか」僕は僕たちのマンションに戻るつもりだったが、月子は突然「ここで休む」といいだし、それに義母も、「今夜は、ここに泊まっていったほうがいいわよ」と賛成し、そのまま月子は再び二階の自分の部屋へ去って行く。
一人残されて、僕はどうすればいいのか。日本へ戻ったら、月子と一緒に休めると思っていただけに、様子を見に二階へ行ってみると、月子はすでにベッドに横になっている。
「本当に、ここに泊まるの?」
「あなたは、お仕事があるでしょう」
たしかに、明日は病院へ行かねばならないから、家に戻るにこしたことはないが、それにしても、これからまた一人で夜を過すのは、いかにも味気ない。
「一緒に帰ろう」
僕がいうと、月子は目を閉じたまま「いやよ」といい、そのあまりにはっきりしたいいかたに、それ以上誘うこともできず部屋を出る。途中、トイレに寄って応接間へ戻ると、義母が「どうしたの?」ときくので、月子がもうベッドに休んでいることを告げると、「疲れているのよ、今日は静かに眠らせてあげて」といい、そこまでいわれると僕も無理強いすることはできず、「じゃあ、お願いします」といって立上がる。
「まだたくさん、お鮨が残っているのに……」
義母が残念そうにいうが、月子が休んでいるのに、一人で食べても仕方がない。そのまま玄関へいくと、別室へ行っていた義父が戻ってきて、「もう、帰るのか?」ときく。
「ええ、明日、仕事があるので」
僕は、帰国早々勤めに出る男はいかに大変か、ということを訴えたつもりだったが、義父は黙ってうなずいただけで、「僕の車に乗っていきなさい」という。
「いえ、大丈夫です」
僕は自分でも珍しくきっぱりと断り、「失礼します」といって玄関を出る。
瞬間、夜の冷気につつまれ、車で送ってもらわなかったことを後悔するが、表の通りに出るとすぐタクシーがきて、それに乗って世田谷のマンションに戻る。
入口を鍵で開け、部屋に入ると、当然のことながら三日前、パリに出かけたときと同じ状態で、部屋は冷えきっていて、これでは月子が日本にいないのと同じである。僕はまず暖房を入れ、留守中にたまった新聞をまとめながら、考える。
ようやく日本に帰ってきたというのに、その妻は実家に泊まり、夫だけ、淋しく家に戻ってくるとは、どうみても尋常な家庭ではない。僕は改めて、月子の身勝手さと、自分の気弱さに腹が立つが、次の瞬間、月子の長かったシャトウでの生活と、その月子と無事会えた両親の気持を思うと、それも仕方がないかと思い直す。
ともかく、今日だけのことだから我慢しようと、気持を切り替えて風呂に入り、出てきて時計を見ると、まだ八時である。もっとも、パリの時刻ではお昼の十二時で、出発してそろそろ一昼夜経つことになるが、妙に気持が高ぶって眠れそうもない。
なにをしようか、迷ってテレビのスイッチを入れるが、見慣れたタレントが騒いでいるだけで、見る気になれず、一人で冷蔵庫からビールをとりだして飲むうちに、ごく自然に、パソコンのある机の前に座ってしまう。
もはや、月子が帰ってきた以上、シャトウから新しい映像が送られてくることはない。それはわかっていながら、毎夜、ここに流れてきた映像のことを思い出しているうちに、そんな映像に目を凝らしながら、一人で月子のことを思い、淫らな想像を逞しくしていたときが、最も充実して、幸せなときであったような気がしてくる。
「ともかく、月子は帰ってきたのだ……」
僕はいま一度つぶやき、そのことに満足するように自分にいいきかせて、一人だけのベッドへ潜りこむ。
月子が世田谷の僕たちの家に戻ってきたのは、それから三日あとだった。
初めの日は、長旅のあとで疲れているのだから仕方がないとあきらめたが、翌日には義母から、「もう少しゆっくりしたいようなので、もう一日泊めるから」といってきたので渋々納得した。そして翌々日には、「まだそちらに戻っても、家事をする自信がないらしいの」といってきたので、僕は月子に電話に出てもらうように頼んだ。
だいたい、家事といっても、それほど難しいことがあるわけではない。せいぜい四LDKのマンションの掃除をして、朝食はいつもパンとサラダとコーヒーだけの簡単なものだし、夕食もとくに手のかかる料理をつくるわけではない。それに僕自身、週の半分くらいは仕事が忙しくて、家で食べないことが多いし、週末は外へ食事に出かけたり、月子の実家で食べることもある。家で夕食をとるのは、せいぜい週に二、三度で、その程度の家事をするだけなのに、なぜ早く帰ってこないのか。
電話にでてきた月子に、僕は思いきっていってみる。
「そろそろ、戻ってきたらどうなのだ」
できるだけ冷静にいったつもりだが、月子は僕の怒りを察したらしく、返事をしない。それに苛立って、
「俺は毎日、一人で自炊をしているのだぞ」というと、月子がぽつりと「それなら、こちらへ来たら」という。
「冗談じゃない、俺たちの家はこのマンションだろう。きちんと家を持っているのに、どうしてそちらへ行かなければならないんだ」
これまでも、僕は月子にあまり文句をいったことがなかったが、今度だけはいささか腹にすえかねる。
「せっかく帰ってきたのに、これじゃ、別居しているのと同じじゃないか」
一気にいって返事を待っていると、「違うわ」という声が洩れてから、月子がつぶやくようにいう。
「わたし、あなたといると、怖いの」
「怖い?」
「そう、また、この前のようなことが起きそうで……」
「この前って……」
「突然、誰かに襲われて、連れていかれるんじゃないかって……」
それは、どういう意味なのか、家にいると襲われそうだということは、僕が奴等とグルだとでもいっているのか。僕は自分の顔が硬張るのを感じながら、受話器を握りなおす。
「俺が、どうして君を……」
「わからないけど、あなたと一緒にいるときに、あんなことが起きたから……」
月子は意図してそんな突飛なことをいっているのか、それともただ一人でいるのが淋しくて、言い訳をいっているだけなのか。
「馬鹿なことをいうんじゃない、ここは日本だぞ」
「でも、まだ完全に、あの怖い夢から抜け出せないわ」
たしかに事件の発端は、月子にとっては恐怖そのものであったに違いない。もっとも、月子はそれを、悪夢といってくれるだけまだ救われるが、奴等と僕がグルだ、などと思われてはたまらない。
「なるたけ、忘れるようにしよう」
この数日の月子の行動は、妻としては身勝手だが、その原因が、シャトウに拉致されたせいだといわれたら、これ以上強くはいえない。
「もう、あんなことは絶対ないから、帰ってきてくれ」
初めの勢いもどこへやら、いまや、僕はむしろへりくだって頼む。
「とにかく、帰ってきてくれないか」
僕の哀願がきいたのか、月子が世田谷のマンションに戻ってきたのは、その翌日の昼過ぎだった。帰ってくると同時に、月子が病院に電話をよこしたので、わかったのである。
「結構、お部屋はきちんとしているわ」
「そう、お手伝いさんに来てもらっていたからね」
「パソコンが、机の上にあるけど」
たしかに以前、パソコンは、机の横の足つき台の上に置いてあったが、シャトウ・ルージュからの映像を見るようになってからは、机の上に置き換えていた。
「そのほうが、便利だから……」
口ではそういいながら、その実、心の中を見透かされたような不安を覚えるが、といって、月子が映像を見られるわけはない。
「机の上は、いじらないでいいから」
「今日は、何時に帰ってくるの?」
すでに暮れの二十八日だが、今日までは通常勤務で、正月休み中に一時帰宅する患者の手続きなどがあって、少し遅くなりそうである。僕がそのことをいうと、「早く、帰ってきて」という。やはり、月子は一人でいるのが怖いのか。ともかく頼りにされているのを知って、僕は少し気分を快《よ》くして、「八時までには戻る」といって電話を切った。
その日、午後から夕方にかけて、退院患者の手続きを終え、休暇期間中の指示などをカルテに書きくわえて、約束どおり、八時少し前に家に戻ってみると、月子は居間でテレビを見たまま、夕食の支度はしていない、という。
「なにか、外に出るのが億劫で……」というので、近くに最近できたイタリアン・レストランに行ってみようかと誘ったが、「あまり、行きたくない」という。仕方なく月子の希望を入れて、鰻重をとることにする。
以前は、よく食事に出かけていたのに、急に出不精になったのか。不思議に思ってきいてみると、「知っている人に会うと、面倒だから」という。
しかし、自分の家のまわりを動けば、知人に会うのは避けられない。それが嫌では、家に閉じ籠もっているよりなくなる。事実、今日も月子はほとんど家に籠もっていたらしい。
「でも、戻ってきたのだから、人に会うのは仕方がないだろう」
宥《なだ》めても返事をしない月子を見ながら、この変りようは、シャトウ・ルージュにいたせいかと考える。二カ月半も人里離れた古城に閉じこめられて日々かしずかれていると、料理をつくるのも外へ出るのも、億劫になるのかもしれない。
だが次の瞬間、もしそうなら、自由になったいまは、かえって外へ出歩きたくなるのではないか、とも思う。それを出たくないというのは、人に接することが怖いのか。
「管理人には、会ったのだろう」
「会ったけど、いろいろきくから、途中で逃げてきたわ」
いまの言葉をきくと、人に会うのが面倒なのと同時に、他人に会って、自分の変貌に気付かれることを恐れているのかもしれない。
「急がず、少しずつ会うようにしたらいい」
もしかすると、月子はいま、シャトウに長くいすぎた後遺症のようなものに、とり憑《つ》かれているのかもしれない。もしそうなら、ある程度、月子の我儘を許して、優しく見守るべきかもしれない。
僕がそんなことを考えているのを知ってか知らずか、月子は食欲があまりないらしく、重箱の半分を残してお茶を淹《い》れてくれる。僕はそのお茶を、月子と向かい合って飲みながら、二人でこんな穏やかな時間を過すのは久しぶりであることを思い、夫婦の幸せとは、こんな些細なことかと思う。
だが、そう思った途端、これまで抑えていた不安が甦って、きいてみる。
「お義父さんたちは、君が行方不明のあいだ、お城にいたことを知っているのだね」
突然きかれて月子は戸惑ったのか、少し間をおいて答える。
「だいたい、話したわ」
「それで……」
僕はその内容のことをききたかったのだが、月子ははぐらかすように、
「別に、無事で帰ってきてくれたら、それでいいって」
たしかに親としては、なによりも月子の体が大切で、それさえ無事なら万事めでたし、ということなのかもしれない。
「じゃあ、もう、相手を訴えたりすることはしないのかな」
「なぜ、訴えるの?」
「無事に戻ってくるまで、みな心配したし、お義父さんもずいぶんお金をだしているから」
「そんなこと、仕方がないでしょう」
仕方がないとはどういう意味なのか。自分が体験したシャトウでの生活を考えると、当然の出費だというのか。それとも、下手に彼等には近付かないほうがいい、という意味なのか。僕がなお解せずにいると、月子は両手で髪を掻きあげて、きっぱりという。
「こんな話、もう終りにしましょう」
僕もできることならこれで終りにしたい。実際、月子はこれ以上、詳しいことはいいたくないようだし、義父たちは、とくに危害を受けることはなかったことで納得しているようである。他に問題といえば、僕が奴等とグルになっている、と思われることだが、いまの時点では、月子もそこまでは疑っていないようである。その事実がわかった以上、下手に問い詰めないほうが得策かもしれない。
そこで僕は話題を変え、明日が仕事納めで、明後日から正月休みに入ること、休み中、月子さえよければ、どこか温泉にでも出かけたいことなどを告げる。それに対して月子は、この正月休みはあまり遠出せず、東京にとどまっていたいこと、それと、今度、なにか動物を飼ってみたいが、飼い主にあまりべたつかず、自立している猫がいいと思っていること、などを話す。僕はその、飼い主にべたつかず自立している、というところが、僕への当てつけのように思ったが、月子の明るい口調で、それほどの意味はないのだと思い直す。それより問題なのは、いま住んでいるマンションはペットが飼えないので、場合によっては移りたいようなことをいいだし、まともにきいていると面倒になりそうなので、「その話は、いずれあとで」ということにして打ち切った。
そんなわけで、月子はとくに不機嫌でもなく、といって上機嫌というわけでもなく、午後十一時になったところで、「休むわ」といってベッドのある自分の部屋へ去りかける。
このままでは、また以前のように別々の部屋で休むことになる。それだけは絶対避けようと思っていただけに、僕は慌てて呼びとめる。
「ちょっと、待ってくれ」
二カ月半ぶりに日本へ戻ってきて三日間も待たせたうえ、ようやく二人だけになったのに、別の部屋で休むのでは、あまりに身勝手すぎないか。そんな思いで呼んだのだが、月子は居間の出口で振り返る。
「なあに……」
「今夜、いいだろう」
それしかいわなかったが、僕の真剣な眼差しを見たら、なにを求めているか、わかるはずだった。
だが、月子はあっさりと、「いま、あれなの……」とつぶやく。
咄嗟《とつさ》に生理だと気付いたが、さらに「駄目なの?」とたしかめると、月子はうなずき、「お休みなさい」といって去っていく。
あとを追って、僕は思わず立上がったが、ここで無理強いしてはかえってまずいことになる。そう思い直して、再びソファに腰を落す。
肝腎なときに生理とは、はたして本当なのか。あれはただ、断るための口実ではなかったのか。考えるうちに、月子にうまく逃げられたような気がして、仕方なくブランディを飲みはじめる。
正直いって、今夜は初めから、求めるつもりでいた。月子がなんといおうと、夫の当然の権利として、力ずくでも抱くつもりでいた。それがあっさり肩すかしをくらって、股間のものが勃ちかけたまま、行き場を失っている。
この荒ぶるものをどうおさめようかと思っているうちに、僕の脳裏に、再び、シャトウ・ルージュから送られてきた映像が浮かんでくる。
僕はブランディのグラスを持ったまま自分の部屋に移り、かつてここで懸命に見続けたシーンを思い出す。それも月子が両手両足を括《くく》りつけられたまま、うしろから犯され、ペニスに突き上げられるたびに切なげに首を振る。そんな情景を頭に描くうちに、僕の右手は自然に股間に伸びている。
月子が部屋に入れてくれないから、こうするよりないのだ。僕はそう自分に言い訳しながら、硬くなったものを握るが、ふと、自分がやっていることの奇妙さに気がつく。
狭いマンションの一室で、妻はすでに自分の部屋で休み、夫は隣りの部屋で、妻が他の男に凌辱されているシーンを思い返し、自慰に耽《ふけ》っている。どう考えても、こんな関係は正常とはいいかねる。いや、正常どころか、異常で、狂気で、変態そのものである。そう思いながら、僕は隣りで休んでいる月子を、いまたしかに犯している錯覚のなかで、小刻みに震えながら果てていく。
暮れから正月にかけて、僕たちが家で一緒に過したのは、わずか二日間だけだった。
ようやく二十八日に、月子は戻ってはきたが、三十日から再び実家へ帰るといいだし、例年、三十一日には義父たちと一緒に年越しをするので一日早まっただけだが、元旦には、僕は自分の実家へ帰らねばならず、正月三が日は、また離れ離れになってしまった。むろん、月子も僕の実家へ一緒に行けばいいのだが、月子は結婚した当初から僕の田舎へ行くのを好まず、毎年、年が明けてから僕だけが一人で帰ることになっていた。そんなわけで、正月休みも二人で過すことはほとんどなく、ということはセックスをすることもなく、三が日は過ぎてしまった。もっとも、暮れに月子は生理だといっていたのだから、求めても無理だったのかもしれないが。
おかげで、年の始めで、月子も無事戻ってきたというのに、気持の上ではいまひとつ晴れず、欲求不満のまま過すことになったが、正月休みが終った五日にはようやく月子も世田谷に戻ってきて、以前と同じ二人だけの生活が始まった。
その初日、月子は例によって、夜になると自分の部屋に閉じ籠もったが、僕は生憎《あいにく》、新年会で飲んでいささか酔っていたので、ドアを叩いてまで、求めることはしなかった。
だがその翌日は、とくに忙しいこともなかったので七時には家に戻り、久しぶりに月子の手製のパスタとサラダを食べ、ビールを飲んだ。そのあと、僕はパソコンで初めのうちは外国の論文を検索し、途中からは、シャトウ・ルージュからの映像のことを思い出し、またまた気持が高ぶったところで居間に行くと、月子はソファに座って、インテリアの本を読んでいた。僕が覗きこむと、「こんなのが、欲しいわ」といって、ロココ調の飾りのついたキャビネットを示してから、バスルームに向かう。
月子は休む前に、必ず風呂に入るから、このあとベッドルームに行くに違いない。
僕は今朝起きたときから、今夜はどんなことがあっても月子を抱くと決めていたから、予《あらかじ》め先輩からもらった強精剤らしきものを服《の》み、さらにシャトウからの映像を思い出すうちに股間のものが硬くなりかけていた。それを確かめながらテレビのニュースを見ていると、月子が白いパジャマに着替えてバスルームから出てくる。そのまま僕の前を通り過ぎてキッチンへ行き、水を飲んだようだが、そのあと、例によって「お休みなさい」といって自分の部屋へ行きかける。
その後ろ姿に、僕は一旦、「お休み」といってから、「今日は、いいだろう」と、できるだけ明るい声でいってみる。
当然月子はきこえたはずだが、なにもいわず去っていく。
こうなったら、月子が了解しようとしまいと、断固強行するだけである。僕は決起直前の青年将校のような高ぶりを覚えながら、忍び足で月子の部屋の前に立つ。
ドア越しになかを窺うと、もの静かな音楽がきこえてくるが、曲の名前はわからない。そのまま二、三分、様子を窺ったところで、こつこつとドアを二度ノックする。
しかし返事がないので、さらに二度叩くと、「なんですか」と、やや冷めた声が返ってくる。
「開けて、欲しいんだけど……」
夫が妻を求めるのに、卑屈になることはない。そういいきかせながら待っていると、月子がきき返す。
「どうしたんですか」
どうもこうも理由なぞない。ただ、いま直ちに月子の体が欲しいだけである。とにかく妻なら、すぐ開けるべきである。そう思って、さらに二度、強くノックすると、たまりかねたのか、月子がドアを開ける。
瞬間、僕は雪崩《なだ》れこむように部屋に入りこみ、パジャマ姿の月子を抱き締める。
「なにを、するの……」
いまさら答える必要はない。夜遅く、夫が妻の部屋に飛び込んできたら、抱くために決まっている。実際、僕はすでにコンドームまで装着しているのだ。
そのまま僕は一気にベッドのほうへ押しつけ、月子が仰向けに倒れるのを見て、パジャマを剥がす。
「やめて……」
思いがけない暴力に月子は慌てたようだが、僕は荒い息のなかではっきりという。
「欲しいんだ」
暮れの二十三日に会ってから、すでに今日で半月近く経っている。その間、さまざまな理由をつけて許さなかった月子の体を、いま、僕はたしかに両腕で押さえこんでいる。
こうなったら、月子がいかに叫び、逆らったところで放さない。ここは僕の家で、大声で助けを求めたところで僕しかいないのだ。まさしく、僕はいま夫というより、一匹の雄になって、月子を凌辱する。
だがよく見ると、気負っているのは僕だけで、月子はすでにパジャマの胸をはだけたまま、静かに目を閉じている。
僕は一瞬、気勢を殺《そ》がれて、それでも「欲しい」というと、月子が「わかったわ」という。
そのあまりの呆気《あつけ》なさに戸惑っていると、月子は自ら片手を伸ばして壁際のスイッチを消し、スタンドの明りだけになったところで、自分からパジャマを脱ぎ、パンティも除いて、全裸になる。
僕がその一部始終を目を凝らして見ていると、先ほどから流れていた曲が急に鮮明になり、瞬間、それがシャトウ・ルージュで、月子が全裸で局所の愛撫を受けていたときに、流れていた曲であることを思い出す。
たしかバッハの「幻想曲とフーガ」で、どうしてこんな曲がここに、と思ったとき、月子は自ら両手を差し出すようにしてつぶやく。
「いいわよ……」
いったい、これはどういうことなのか。絶対逆らうはずだと思っていた月子が、自ら手招きして受け入れるという。しかも、目の前には、僕が今日まで憧れ続けてきた月光のような肌が恥毛まで見せて横たわっている。
いま、ゆかねば男でない。そう思いながら、どうしたことか、僕の体は金縛りにでも遭ったように動かず、しかしここでタイミングを失すると、僕の男性が急速に萎えるような不安にかられて、「いまだ」とばかり月子のうえにおおいかぶさる。
焦る分だけぎこちなく、しかしじきに僕は僕自身を月子のなかに埋め尽し、その瞬間、気の遠くなるような温かさと柔らかさと、襞《ひだ》という襞がすべて吸い着くような快感のなかで、僕はそろそろと、まるで初心者のような稚さで腰を動かす。
それがどれぐらい続いたのか、僕には、ようやく念願の秘所にたどり着いたという歓喜しかなく、滑らかな月子の肌の柔らかさも、形よく盛り上がった胸のふくらみも、薄いが卑猥な陰毛も、充分、堪能する余裕もなく、気がつくと、僕は果てていた。
それまでの荒々しさからみると、考えられないほどの呆気なさで、もしかすると、求める前に張りきりすぎていたのが裏目に出たのか、僕自身納得しかねていると、月子が下から醒めた声できく。
「終ったの……」
尋ねているのか、たしかめているのか、いずれともとれる声に、僕は「そう」ともいえず、かすかにうなずく。次の瞬間、月子は「降りて」というように体をよじり、それで僕は慌てて体を離すと、月子は無言のまま、いま脱いだばかりのパジャマを着て、部屋を出ていく。
そのまま月子はバスルームに行き、シャワーを浴びながら、僕の匂いを落しているに違いない。
そんなことを思いながら、のろのろとズボンを穿いていると、再び、フーガのメロディが盛り上がり、それとともに、僕は再びシャトウにいるような錯覚にとらわれる。
まさか。ここは僕の家の、月子の部屋で、奴等がしたように、僕はいまたしかに月子を犯したのだ。
だが不思議なことに、念願かなって、ようやく月子を征服したというのに、たしかに犯したという満足感がない。それどころか、なにか取り返しのつかない失敗をしでかしたような気さえする。
こんなことでいいのか、いや、こんなはずではない。長い間僕が憧れ、求めてきたものは、こんな他愛ないものではない。そう思いながら、僕はいまは見るかげもなくなった僕自身とともに、部屋の片隅で項垂れる。
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エピローグ〈終章〉
はっきりいって、僕は僕自身の身体というか、肉体を信じることができない。いや、正確にいうと、僕の肉体の一部であり、僕が男性であることを証明する、最も重要な個所であるはずのペニスに対する不信だが。
むろん、僕は自分の肉体のすべてが、僕の意志どおりに自由自在に動くなどと、単純に思いこんでいるわけではない。僕の身体の一部とはいっても、たとえば四肢なら、疲れていたり気力が萎《な》えているときは動きが鈍るし、それ以上に年齢とともに無理がきかなくなることもわかっている。しかしそれらは、萎えたり弱まることはあっても、根本的に僕の意志に反したり、逆らうことはありえない。たとえ疲労しきっていても、僕がかくありたいと願えば、その意志にそって、可能なかぎり動きだすはずである。
だが、問題のペニスだけは、僕の意志に従うどころか、ときにはむしろ逆らい、予期せぬ方向に動きだし、僕を苛立たせ、失望させることもある。それも、僕にとって、これに勝るときはないと思うほど重要なとき、たとえば三カ月ぶりにシャトウから戻ってきた月子と、ようやく念願かなって交わろうとした瞬間、僕のペニスは僕の意志とは別にむしろ小さくなり、それを鼓舞してようやく結ばれたと思った途端、早々にゆき果てて、気がつくと僕の股間に、使い古した襤褸《らんる》ほどの存在感もなく垂れ下がっている。
いったい、この裏切り者の正体はなになのか、これほど僕を惨めにし、失望させて、僕の肉体の一部などといえるのか。
もちろん、人体のなかには自分の意志でコントロールできる器官とできない器官と、二種類あることは、医師である僕は充分知っている。それは医学的に「随意」と「不随意」という言葉で呼ばれていて、たとえば、ものを食べたり、掴んだり、放り投げたりするのは、自らの意志でおこなわれる、いわゆる随意的な行動である。これに対して、食べたものを消化したり、排泄したり、暑いときに発汗したり、寒いときに血管を収縮したり、その種の働きは、自分の意志では制御できない、いわゆる不随意の行動である。
ならば、ペニスはそのいずれに属するのか。正直いって、僕はあっさりと、随意のグループに属するのだと思いこんでいた。なぜなら、僕が排尿したいと思えば排尿できるし、それを止めたいと思えば、一時的だが止めることもできる。そしてペニスのもう一つの重要な役目であるエレクチオ(勃起)という行為についても、僕の意志に応じて、随意に可能になるのだと思いこんでいた。
だが、いま「あっさり」と告白したように、僕のこの理解はいかにも表面的で、概念的だったようである。たしかに、ペニスの勃起について考えたとき、男たちのほとんどは自分の意志によって生じる、随意的なものだと思いこんでいる。事実、一人の女性に強く恋焦がれたとき、あるいは欲望がたまって切実に性行為を欲するとき、ペニスはその意志にそって素直に硬化し、勃起するはずである。
しかし、現実に男が女性と接する瞬間を考えると、それほど単純で、明快ではないことがわかってくる。ここから先はケース・バイ・ケースで個人差もあり、すべての男性に共通していえることではないが、長く憧れ続けてきた女性とセックスできる段階になったからといって、すべての男たちが確実に勃起するとはかぎらない。それどころか、気負いすぎや緊張しすぎが災いして、ときにはむしろ萎縮して、不能に陥ることさえある。反対にさほど好きでもない女性や、ピンナップの女性のヌードを見ただけで、ごくあっさりと勃起することもある。これを女性の側から見たら、いい加減とも節操がないともうつるかもしれないが、このあたりが随意であるようで、随意でない、男自身が最も困惑し、悩むところでもある。
いったい、創造主は男のペニスをなぜこのように複雑で、不可解なものに創りあげたのか。こと、セックスという行為だけにかぎっていえば、女性はヴァギナを提供するだけで可能になるのに、むろんこの場合、相手を好きか嫌いかという重大な問題はあるけれど、男は行為の前に、エレクチオという過程が絶対必要で、それがないかぎり、男は永遠に女性と結ばれることができない。これを奇妙な譬《たと》えかもしれないが、ロケットの発射にたとえると、女は受け入れるという過程だけで成り立つ一段ロケットであるのに対して、男は欲するという過程にくわえて勃起という、もう一つの過程を必要とする二段ロケットで、後者のほうが過程が一つ多い分だけ複雑で、それだけ故障しやすく、傷つきやすい性である、といえそうである。
もっとも、こんなことをいっても、ほとんどの女性たちはあの猛々《たけだけ》しいものが、そんなに傷つきやすいとは、と首を捻《ひね》るに違いない。しかし、多くの女性はペニスが勃起した瞬間しか見ていないから、そう錯覚するだけで、その前後の、ペニスの戸惑いと逡巡を知ったら、男という性がかかえている弱点に、改めて気がつくはずである。
実際、それは僕自身、月子と結ばれるときに痛切に実感したことで、ようやく念願かなって極度に興奮し、全身を熱くしてベッドに横たわったのに、肝腎の僕のペニスはやや大きくなりかけてはいるが、しかと固まらず、完全な意味で、勃起している状態ではなかった。
いったいこの種の状態はなんと呼べばいいのか。そこで僕は突然、学生の頃、友人と一緒に見たストリップのことを思い出す。そこでは、迫《せ》り出した舞台の上で、ストリップ嬢がかぶりつきの客に自分の秘所を見せながら、「いまここでセックスしたい男がいたら、出ていらっしゃい」と啖呵《たんか》をきる。すると三十前後の茶髪の男が、少し酔っているのか、「やらせろ」と威勢よく手を挙げ、「いい度胸だね」とストリップ嬢にいわれて舞台にあがるや、たちまちズボンとパンツを脱がされ、「どれ」とばかり男の局所を握られた。
すると、意外なことに男のそれは萎えていて、「声のわりに、元気がないねえ」とストリップ嬢に笑われた。これなぞ、男が手を挙げた瞬間はまさしく勃《た》っていたのだろうが、大勢が見ている舞台にのぼり、下半身裸にされているうちに萎えてしまったということで、ペニスは彼の意志とはまったく逆の方向に反応したことになる。さらに面白かったのは、彼が萎えたのを知って困った顔をしていると、「どれどれ、いま、芯を入れてやるから」とストリップ嬢が、マッサージをはじめたことである。僕が感心したのは、この「芯を入れる」という言葉で、たしかにペニスはやや大きくなりかけてはいるが硬くはない、いわゆる芯が入っていない状態になることがあり、それはまさしく、月子に接する寸前の僕のものと同じで、明らかにペニスが主人の欲するままに随意に働かなかったことになる。
これをペニスの不服従とか、裏切りというのは簡単だが、しかしよく考えてみると、この意志に逆らったように見えるペニスの反応のほうが、茶髪の男や僕の本当の気持を表しているといえなくもない。それというのも、僕が月子に挑もうとしたとき、恋焦がれていた思いとは別に、本当にこのまま月子の秘所にスムースに挿入することができるのか、そしてこのペニスで月子を満足させられるのか、という不安が頭を掠《かす》めたからである。呆れたことに、このわずかな不安が生じただけで、ペニスはたちまち自信を失い、失敗するかもしれないという懸念から急速に萎えてしまった、というわけである。
ここまで考えれば、ペニスが主人のいうことをきかないというより、むしろ主人の意志に忠実なことがわかってくる。なぜなら、主人の頭の中は明らかに分裂していて、一方ではたしかに関係することを求めていながら、他方では、はたしてうまくできるかという不安に怯《おび》えている。この二つの分裂を受けて、ペニスは一旦、勃ちはするが萎える、先ほどのやや大きくはなるが芯が入っていない状態が生じるわけで、それこそ主人の心情そのままに揺れる、きわめて精神的なものであることがわかってくる。
しかし、はっきりいってこの中途半端な状態では、女性のなかに挿入し、積極的に性行為を続けることは難しい。したがって、僕は自らの手でペニスを鼓舞し、茶髪の男はストリッパーの手をかりて、ようやく本来の勃起の状態をとり戻して、憧れの秘所のなかへ挿入することに成功する。かくして、待望の性的関係が成立し、男女ともにひしと抱き合い、性的快感に浸る、ということになるはずだったが、現実はそれほど都合よく、順調にはすすまない。
当然のことながら、性的行為は男女それぞれに相手があることで、一方が満足したからといって、他方も満足しているとはかぎらない。それどころか、一方は満たされない失望感から、ときには嫌悪感にとらわれることもある。当然のことながら、セックスの始まりから、やがてクライマックスを迎えて終了する、この一連の過程がスムースにすすみ、男女ともに快楽を満喫したか否かが、その後の二人の関係に重要な影響をもたらすことになる。
この点について、今回の僕と月子の場合は、どうみても順調とはいいがたい。いま、その経過を振り返ると、月子と結ばれるまでは、一瞬、完全な勃起にいたらずいささか慌てたが、なんとか立ち直り、それを月子は受け入れて、そこまではさほどのミスもなくすすんだはずである。だが問題はそのあとで、待望久しい月子の秘所に挿入できた喜びに僕は舞いあがり、自分一人だけ早々に果てるという失態を演じてしまった。ここから先は僕の想像だが、あまりに呆気ない終局に、月子は満足するどころか、かすかな快感を感じる余裕もなかったようで、そのことは、果てたあとの月子の白けた表情や、その直後に洩らした、「終ったの……」の一言からも察することができた。
しかし、僕のほうだけの事情をいえば、憧れの秘所に挿入させてもらい、コンドームの中ではあるが射精までしたのだから、一応、満足したことだけはたしかである。むろん欲をいえば、僕とともに月子も興奮し、できることなら同時にエクスタシーに達してもらいたかったが、そんな気配がまったくといっていいほどなかったことも事実である。すなわち、僕は一応、肉体的には満足したが、月子はほとんど満足せず、それどころか、ある種の失望感とともに、ベッドから離れたようである。
それでも、僕はまだいくらかの期待を抱いていた。たしかにセックスの終りは索漠とした感じではあったが、久しぶりに結ばれたことで、月子は僕に新たな愛着を覚え、これをきっかけに、夫婦らしい親しさをとり戻せるのではないか。
だが、僕の考えはいつも楽観的に過ぎるのか、バスルームから戻ってきた月子は、なお未練がましくベッドに横たわっていた僕に、冷ややかな声でいい放ったのだ。
「お部屋に戻って……」
以前から僕たちの寝室は別々で、そのため性的関係も途絶えていたのだが、今夜だけは僕のほうから強引にのりこんできた。そんな事情があるだけに、セックスが終ったいま、部屋を出ていくように月子が要求するのは当然かもしれない。しかし僕はのろのろと起きあがり、下着を身につけながら、このままでは、また以前と同じ状態に戻るような不安にかられて、思いきっていってみた。
「部屋のことだけど、別々にしないで……」
僕はズボンを穿《は》きながら、一人ごとのようにつぶやいたが、月子は両手を組んだまま僕の動きを見詰めている。その表情には、いま、ともに愛し合った夫を見ているというより、赤の他人を見ているような冷ややかさがあるが、僕はめげずに訴える。
「僕たち、夫婦だろう」
瞬間、月子はゆっくりと首を左右に振ると、低いが、きっぱりとした声でいいきった。
「いやだわ」
その声の冷たさに僕は狼狽《ろうばい》し、夫としてなにかいい返さねばならぬと思いながら、適当な言葉が見付からぬまま、いわれたとおり部屋を出ると、待っていたように内側からドアが閉められた。
この夜の一連の過程が、僕の敗北に終ったことはいうまでもない。初めの、月子の部屋にのり込む経緯から結ばれるまでにおいて、すでに敗色濃厚であったが、さらに肝腎のセックスで致命的な敗北を喫したことは間違いない。まさしく男と女は一種の戦いで、初めはともかく、終りさえよければ男の勝利といいきれるが、最後のセックスで惨敗しては、女の愛情をかちとることは難しい。
いま、その敗北の原因が、具体的にいうと、僕が早く果てすぎた、いわゆる早漏にあることもわかっているが、正直いって、僕自身にそうした欠陥があるとは思っていない。それというのも、友人との話や、風俗にいる女性などからきいてわかったのだが、もっとも、彼女らは客の感情を害するようなことはいわないものだが、そうした贔屓《ひいき》めを差し引いても、僕が病的に早いということではなさそうである。もちろん、月子とのときには自分でも早すぎたとは思っているが、それは待望久しいセックスだけに興奮しすぎて、結果としてマイナスになった、というだけのことである。さらにいえば、月子を求めながら、僕の脳裏にはシャトウ・ルージュでのシーンがちらついて、奴等に負けぬくらい月子を満足させなければならないという焦りが、マイナスの方に働いたことはたしかである。
いずれにせよ、再び月子と結ばれる機会があれば、僕は初めよりはいくらか落着いて、さらに奴等に負けまいなどという余計な強がりも捨てて、ごく自然に振る舞えば、月子に多少の満足感を与えられそうな気がしないでもない。結局、男にとって必要なのは、セックスに対する慣れで、月子と何度か回数を重ね、余裕と自信ができてくれば、僕とて、そう見劣りするわけではないだろう。
しかしここまで考えて、やはり気がかりなのは、月子の僕に対する態度である。たしかにセックスを終えたあと、月子は不満そうだったが、それは僕の早すぎた結果だけが原因であったのか。この世に数えきれないほどある夫婦のなかで、性的に満たされていない夫婦は、かなりいるはずで、事実、僕の友人にも、結婚した当座はともかく、四、五年経ち、とくに子供ができてからは、ほとんどセックスレスだと宣言している者もいる。そこまでいかなくても、性生活がおろそかになっている夫婦は意外に多く、その点だけからいえば、僕と月子が特別異常というわけではなさそうである。
ただ問題はセックス以外のことで、セックスレスだといっている友人夫婦にしても、だからといって夫婦仲がとくに悪いわけではなさそうである。セックスはなくても、それなりに相手を信頼し、心のなかでは愛し合い、夫と妻という、互いの立場を尊重し合っているようである。
だが、僕と月子のあいだには、その種の、いわゆる心のつながりというものが弱すぎる。外見こそ、僕たちは似合いの夫婦に見えるようだが、その実、二人だけで長く話し合ったり、戯れたり、笑い合うということもほとんどない。たまに話しても、明日は何時に出かけるとか、来週は実家に帰るといった事務的なことだけで、それ以上、現在についてはもとより、未来について話し合うこともない。事実、半年前、僕がなに気なく「いずれ開業でもしようかな」と話したときは、「あなたのいいように、したら」といっただけで、「そろそろ子供はどうかな」と打診してみても、「わたしは、まだいらないわ」というだけで、話の接《つ》ぎ穂《ほ》がなかった。
これでは、月子は根本的に僕を好きではないのだ、冷ややかなのは僕を愛せないからだ、と思わざるをえなくなるが、それならそれで、セックスだけでも充実させて、精神よりまず肉体で惹きつけることはできないものか。僕がことさらにセックスに拘泥《こだわ》るのはこんな理由からで、それによって月子を屈服させ、従わせるのが、僕の最大の夢だった。
だが、正直いって、僕は精神的にも肉体的にも、月子を満たすことができなかったし、逆に月子の側からいうと、精神的にも肉体的にも、僕を愛することができなかったのだ。
ここまではっきりしたら、僕は月子と別れるべきかもしれないし、月子もそれを望んでいるのかもしれないが、はっきりいって、僕はいま別れるつもりは毛頭ない。理由は、そんな冷ややかな月子を、僕は強く憎みながら同時に強く愛しているし、いま別れたら、僕は自らの敗北を認めることになる。中学から高校、そして大学と、どの一点でもつまずいたことのなかった僕が、こんなことで負け犬の汚名を着せられるのは、あまりにも辛すぎる。僕は断じて、僕の経歴に傷をつけたくない。一人よがりかもしれないが、僕はいまからでも月子を精神的にも肉体的にも従属させることを、不可能だとは思っていない。
その最大の根拠は、シャトウ・ルージュから戻ってきてから、月子が僕を受け入れたという事実である。それも思っていた以上に呆気なく、いままで体に触れられることさえ嫌っていた月子が、僕のペニスの挿入を許し、なかで射精することまで許したのである。その一事だけで、月子をシャトウ・ルージュに送りこんだ価値は充分あったというもので、そこから僕たちはいまたしかに第一歩を踏み出したのである。一度目はともかく、これから二度、三度とくり返し交われば、冷ややかな月子もどこかで感じ、徐々に僕への愛着を深めてくるに違いない。
ここでも楽観主義といわれるかもしれないが、僕はなお諦めず、これから僕たちのあいだでくり返されるはずの関係に期待してもいた。
だがその後の経過は、僕の期待する方向にすすんできたとはいいかねる。
まず、僕と月子との性的関係だけにかぎっていえば、再び月子と結ばれたのは初回からほぼ一カ月後の二月の初めであった。この間隔を開きすぎとみるか、まずまずとみるべきか、一般の夫婦なら、やや少なめ、といった程度かもしれないが、僕の実感としてはいちじるしく少なすぎる。なぜなら、僕は毎日のように月子を求めていたからで、それは結婚以来の失われたときを取り戻すためであり、セックスだけが僕たちの新しい未来を切り拓《ひら》く力をもっていると、信じていたからである。
しかし月子は僕の要求を容易に受け入れない。初回の交わりで失望したせいか、月子は疲れているとか体調が思わしくないなど、さまざまな理由をいって拒否し続け、それでも一カ月後に、僕たちはようやく二度目のセックスにたどり着くことができた。まさにチャンス到来というわけだが、結果は今度も、月子を悦ばせたという実感を得られぬまま終ってしまった。むろん僕は前回よりかなり落着き、挿入する前に月子の乳房に触れ、短いながら愛撫らしきものをしたし、結ばれてからも懸命にもちこたえるように努力した。だが月子はほとんど反応を示さず、その冷ややかさに苛立って荒々しく動いた途端、果ててしまうという結果となった。この経緯が月子にとってどういうものであったか、僕にはわからないが、ともかく初めのときよりはいくらか進歩したはずだと、僕は僕なりに評価し、自らを慰めてもいた。
実際、この努力がきいたのか、それから半月後に月子は三たび僕を受け入れてくれた。しかし今度も、僕が強引に求めるから許したといった感じで、終始淡々として、そんな月子を見るうちに、なにか人形を抱いているような索漠とした気持になり、早々に果ててしまった。そしてこのときも、心は通い合わぬまま行為だけが終り、あとは再び他人のように別々の部屋に別れただけだった。
そして四度目、それもやはり僕が何度か懇願した結果、再び一カ月ぶりに結ばれたのだが、今度も月子の反応は薄く、そんな月子を燃え上がらせたい一心で僕は僕なりに努めてみた。それを表面だけ見れば、男が女を弄《もてあそ》んでいるようで、その実、男が女に奉仕しているのだが、ふと見ると、月子が目を開いて下から僕を見上げているではないか。その不思議な動物を見るような眼差しに気付いた途端、僕のペニスはたちまち萎え、その夜は初めて果てずに終ってしまった。
ここまで二カ月半のあいだに、四度くり返されたセックスのいずれにおいても、僕が月子を満足させたとは到底いい難い。しかしともかく四度接したことで、僕は着実に月子の肌に馴染み、二人で実家へ出かけるときなぞ、行き交う人がモデルのような月子を振り返りながら、夫である僕を羨ましげに見る視線を感じて、僕は僕なりに満足してもいた。
だがこのあと、四月に入った頃から、月子は一段とガードが固くなり、それだけ僕は苛立っていたのだが、四月の末、たまたま月子が友人のパーティーにでたあと、珍しくかなり酔って帰ってきて、それをいいことに強引に迫ると、月子はさほど抵抗もせずに受け入れた。奇妙なことに、月子が酔っていて僕を観察していないと思うと、僕はむしろ逞しくなり、いつもより長く続けていると、月子がかすかにつぶやいた。
「セ・パ・コム・サ……」
咄嗟《とつさ》に、僕はそれがフランス語だと知り、二度くり返されて、「そうじゃない」というような意味だと気がつく。なにが違うのだ、ときき返したいと思いながら、その一言で、僕の頭は急速に醒めてくる。もしかして、月子はいま酔ったまま、シャトウの奴等とのセックスと比べて、少し違う、と思ったのではないか。「まさか……」と思いながら、その実、僕のペニスはたちまち芯を失い、そのまま月子の中で萎えてしまった。
まさにペニスを殺すに刃物はいらない。「貴方《あなた》はつまらない」と三度いわれただけで、ペニスは死んでしまう。いずれにせよ、この五度目のセックスは、僕にかなりのダメージを与えるとともに、月子にも深刻な反省を与えたようである。まず僕にとっては、無意識のうちに僕のペニスが奴等のそれと比較されていたことを知って、いやあな感じとともに自信を失うこととなり、月子は自分の家で夫とはいえ、強引に奪われたことにショックを受けたようである。
それ以来、月子はぴたりと許さなくなり、僕が何度懇願しても首を横に振るだけで、さらに求めると、「どこかに、遊びにいったら」という。妻が夫に体を許したくないから、替りにどこぞの女と遊んでこいといわれては、もはや夫婦は崩壊するだけである。
「馬鹿なことを、いうんじゃない」
僕はいっそ、ひと思いに殴りたかったが、暴力を揮《ふる》った瞬間、僕たちのあいだは終ってしまう。それを知りすぎていただけに必死にこらえ、夫婦である以上、セックスは欠かせないこと、とくに男は、妻とセックスできないのでは結婚した意味がなくなること、夫婦は精神的な結びつきはもちろん、肉体的な結合が、さらに二人の情愛を深めることなどを、僕には珍しく一気に喋ったが、月子はきいているのかいないのか、体と同様、なんの反応も示さなかった。
このあと、間もなくゴールデン・ウィークが訪れたが、僕たちはともに出かけることもなく、月子はほとんど実家で過し、僕は友人と釣りとゴルフに行った以外は家にいて、いわば別居状態に近かった。
それでもゴールデン・ウィークが終ると月子は家に戻ってきて、再び心は通わぬが、表面だけは穏やかな生活が始まった。むろん僕の月子への欲求は衰えていなかったが、いままでのようにしつこく求める気は失せていた。もし許してくれるならそれでいいし、許してくれなくてもことさらに求めはしない。当分のあいだ、美しい月子と夫婦という形だけを保つ、いわゆる仮面夫婦という状態で様子をみよう。
そんな僕の気持が月子にも通じたのか、そのまま上辺だけの平穏が訪れたが、それから一カ月経った初夏の夜、月子が突然「抱いて」と訴えた。
はたして本気なのか。月子が、自分からそんなことをいいだすなど信じられない。僕が呆気にとられていると、月子は先に自分の部屋に行き、遅れて僕が入っていくと、すでに下着だけになってベッドに横たわっているではないか。
「いいの?」
半信半疑できくと、月子はかすかにうなずき、それで僕は勇躍ベッドに飛びこみ、月子を抱き締め、接吻しようとすると、月子は軽く顔をそむける。
自分から抱いてといったのに、なぜ逆らうのか、僕が戸惑っていると、月子が再びつぶやく。
「早く、ちょうだい」
月子がそこまではっきりいうのも初めてである。僕はその一言で逞しさをとり戻し、一気に挿入して、激しく動くと、月子は珍しく僕の太股に手を添え、やがて小さく喘ぎだす。
といっても、シャトウ・ルージュで垣間見たのと比べると、はるかに控えめだが、それでも月子が反応を示したことに僕は歓喜を覚え、頭の中まで熱くなり、さらに激しく動くと、月子はひたと僕に寄り添う。その股間と股間が密着した感覚にたまらず、僕のそれは灼《や》けたように熱くなり、瞬間、月子が洩らした、「いい……」という声で、僕は一気にのぼりつめる。
いったい、どうしたのか。いや、僕が果てたことはわかるのだが、これほど熱く、狂おしく果てたのは初めてである。そのまま、僕は蒼い月子の肌の上に死者のようにおおいかぶさり、胸からも腹からも股からも、全身から伝わってくる女体の温もりを満喫しながら、月子の耳許で囁いた。
「凄い……」
それは僕の体の奥からでた実感であり、歓びのつぶやきでもあったが、月子は目を閉じたままなにも答えない。
やはり、月子もゆき果てたのか。僕はなおも月子の柔らかく、吸いこむような肌の感触に埋もれていたが、やがて月子が軽く上体を捩《よじ》るので、体を離して欲しいのだと察して、そろそろと上体をおこす。それでも名残り惜し気に、胸元から腹部、そして股間と、吸いついた皮膚と皮膚を剥がすようにゆっくりと離れ、最後に肢を離して、月子の横に仰向けになる。
たしかにいま、僕と月子は合体して満たされたのだ。僕がその充足感のなかで目を閉じていると、月子の右手がそっと僕の胸元に添えられる。そこから、いま愛し合ったばかりの男の肉体をたしかめるように、指は徐々に下に移り、やがて下腹から局所にいたる。
僕のそれはいま果てたばかりで、緩んで汚れたコンドームが巻きついたままになっている。それが恥ずかしくて慌てて抜き取ると、月子の指が、その小さくなったものをそっと掴む。
なにをするのか、月子が、僕のものに触れるなど考えられない。いや、それどころか、僕のものを包んだ月子の指が軽く上下に動き出す。信じられないことだが、いま、月子はたしかに僕のものを握って、擦っている。
あのシャトウで、若い男にしたように。そう思った瞬間、僕の果てて萎えたはずのものが、かすかに膨らみ、それに自信を得たように、僕のものは一段と膨らみ、あの、やや芯の入りかけた状態になる。
いったい、月子はなにをしようとしているのか。解せぬまま視線を下へ移すと、月子はたしかめるというか、楽しむように僕のものを見詰めながら、さらに強く擦りだす。
これは愛なのか、それともなにかのテストなのか。戸惑う僕にかまわず、肝腎のものはさらに逞しくなり、それとともに指の動きは一層激しくなり、僕はたまらず叫ぶ。
「駄目だ……」
はたして、こんなことがありうるのか。ついいましがた果てたばかりだというのに、僕のそれは再び逞しさを取り戻し、再び果てようとしている。
僕がそのことに、狂おしいほどの快感と、行きつくところまで行ってみたいという、投げやりな気分に浸っていると、月子の指は的確に、最も感じる亀頭をつつみ、もう一方の手の指先でペニスの先端を軽く擦り、その両面からの巧緻《こうち》で執拗な攻撃に、僕はたまらず仰《の》け反《ぞ》り、放出する。
といっても、さすがに先ほどよりはるかに少なく、絞り出されたという感じだが、月子は素早く、まわりにあった僕のトランクスでそれを包み、いま一度、しかと握ってから上体を起こす。
どこへ行くのか、続けて果てて、虚《うつ》ろになった目で追うと、月子は下着をまとめてベッドを下り、バスルームへ消える。僕はその均整のとれたうしろ姿を見ながら、体の芯ごと抜かれたような気怠《けだる》い快感のなかで考える。
とにかくこれで、僕と月子は、いま初めて真の意味で合体し、二人のあいだに熱い性愛《エロス》が芽生え、二人の血と肉がたしかに交流したようである。
僕はそのことを生まれて初めて実感し、満足しながら、いよいよこれから僕たちの新しい時代が始まることを信じていた。
その翌日は初夏を思わせる陽気で、天気予報によると、日中は最高気温が二十六度まで上がると報じられていた。
僕は、僕たちの結婚記念日が来週の土曜日で、月子がジューンブライドであったことを思い出し、朝出がけに、珍しく見送ってくれた月子に、記念日には二人でディナーに行こうと提案してから、「じゃあ」と、片手を軽くあげて部屋を出た。
病院では、その日一日、僕は自分でも不思議なほど生き生きと働いたが、それが昨夜の月子との満たされたセックスのせいであることはわかっていた。
それにしても、愛する妻とのセックスがうまくいくことが、これほど男のやる気をおこさせるものなのか。僕は昨夜の月子の思いがけない積極さを思い出し、一瞬、それがドレサージュの効果なのかと思ったが、すぐそのことは忘れて、昨夜の淫らな情景だけを思い出していた。できることなら、今日も早く帰って月子を抱きたかったが、生憎《あいにく》、勤務後に医局のカンファレンスがあり、家に戻ったのは九時を過ぎていた。
朝、出がけに、夕食は医局で食べる旨を伝えてあったので、戻ってきたとき明りが点《つ》いていなかったことも、月子が不在だったことも気にならず、例によって、月子は実家にでも行って食事をしているのだと思いこんでいた。
もっとも部屋の明りを点け、リビングルームからキッチンまで覗いて、部屋全体が妙に整頓され、静まり返っているのが少し気になったが、一人でしばらく待つのも悪くない。そう考えて、僕は軽くクーラーを入れ、さらに冷蔵庫からビールの缶をとり出し、それを飲みながらテレビを見た。画面はクイズ番組で、ソファで横になり、見るともなく見るうちに十時半になったが、月子はまだ戻ってこない。
もしかすると、今夜は実家に泊まるつもりなのか。昨夜のことは別として、このところ、月子とのあいだは互いに干渉しないまま、それなりに安定していたので、月子が遅くてもさほど気にならなかったが、昨夜のことを思い出すと、やはり早く帰ってきて欲しい。そんなわけで、十一時を過ぎたところで、僕は月子の実家へ電話をかけてみた。
少し遅いせいか、お手伝いでなく、いきなり義母が出たので、「お義母《かあ》さんですか」というと、「えっ……」という声が洩れてから、「貴方《あなた》、どこにいるの?」ときき返す。
「どこって……」
「イギリスじゃないの、月子と一緒に行ったのでしょう」
「僕がイギリスへ?」
「そういって、月子は今朝、でかけたわ」
僕にはまさに、寝耳に水だった。いや、それ以上に、義母がなにか錯覚しているとしか思えない。
「どうして?」
「それは、わたしがききたいのよ」
「待って下さい……」
僕は受話器をそのままに月子の部屋へ行き、クローゼットを開けると、旅行用のバッゲージはなく、衣装も相当持ち出されているようである。さらに机の上に紙片があり、慌てて手に取ると、月子らしいきっかりとした字で、次のように記されている。
ご免なさい、フランスへ行くけど、探さないで下さい。
一瞬、僕は眩暈《めまい》を覚え、さらにいま一度読み返してから、リビングルームに戻って、受話器をとる。
「僕はいま、東京です」
「どうして、なぜ一緒に行かなかったの……」
そんなことをいわれても、僕に答えられるわけがない。いまは義母以上に、僕のほうが驚き、狼狽しているがそれを辛うじておさえてつぶやく。「急に用事ができて……」
咄嗟にでまかせをいいながら、僕は手に持った月子の書き置きを握り潰《つぶ》す。
「この前、あんなことがあったから、わたしはやめなさい、といったんだけど、イギリスだし、貴方と一緒だというので……」
僕は急いで、頭の中を整理しようとするが、追いつかない。とにかく、月子が誰にもいわず、失踪したことだけは、たしかなようである。
「貴方はなにもきいていないの?」
「すみません……」
義母もなにもわかっていない、ということは義父もなにもわかっていない、ということなのか。ともかくいま、月子が東京にいないことだけはたしかなようである。
「あの子は、大丈夫でしょうね」
「大丈夫です……」
再びでまかせをいい、とにかく一人になって考えたくて「明日、早くに、また連絡します」といって電話を切る。
そのままソファに戻ったが、なにから考えていいのかわからない。もし、義母がいうように、月子が昼の便で発《た》ったとしたら、そろそろパリに着く頃である。
僕は改めて、手の中の握り潰された紙片を開いて、つぶやく。
「なぜ……」
何度見ても内容は同じで、簡明である。間違いなく、月子は逃げたのだ。僕をおいて、一人でフランスへ去ったのだ。
それにしても、月子はいつからこの計画を練っていたのか。チケットの購入や旅行の準備を考えると、一週間か、いや、少なくとも一カ月前には計画していたに違いない。それに僕はまったく気付かず、それどころか、これから新しい生活が始まると信じていたのに、月子はまったく別のことを考えていたようである。
とにかくこれで月子は僕から遠く去ったとともに、月子を妻として取り戻そうという作戦は、完全に失敗に帰したようである。
ところで、月子はどこへ行ったのか。義母にはイギリスに行くといって、書き置きにはフランスへ、と書いてあるところをみると、親の目を誤魔化してまで月子が行きたかったところは、
「シャトウ・ルージュか……」
思わず声に出してから、僕は悪夢に怯えたように周りを見廻す。
昨夜、月子は突然、自分から「抱いて」といって僕を求めてきて、しかと抱きつき、僕を満たさせた。それどころか、さらに僕のものを愛撫し、果てさせた。あんな熱情的な夜を過した翌日に失踪するとは……。
もしかすると、あれはすべて演技であったのか。
たしかに、月子が突然あんなことをいいだしたのも不自然だし、喘ぐ声もいま思うと、どこかつくり声のようでもあった。それどころか、ペニスへの愛撫も、いま考えると、愛情がつのってというより、興味半分のようでもあった。
しかしそうだとしても、何故セックスを許し、あれだけ強く肌を密着させ、さらにペニスを果てさせたのか。愛がなくて、あんなことができるのか。
「いや……」
誰もいない部屋で、僕はゆっくりと首を左右に振る。
もしかすると、セックスは月子にとっては、すでに精神性のない、快楽を得るためだけの手段だったのかもしれない。心の愛とは別に、体の中に狂おしく蠢《うごめ》く欲望が存在することを、月子はシャトウ・ルージュで知り尽したのかもしれない。それこそ肉体に刻み込まれた烙印《らくいん》のように、ある日欲望だけが一人歩きし、それを求めて月子は旅立ったのだ。
「やられた……」
いまはそうつぶやくよりない。まったく見事に、完膚なきまでやられたのだ。
とすると、昨夜の月子の突然の変身はどう考えたらいいのか。ふとしたでき心か、それとも別れる僕への最後の贈り物であったのか。あの美しい肌の奥に隠されている女性自身を、ひたすら追い続けた夫への最後のプレゼントとして。
「いや、それより憐憫《れんびん》として……」
一度つぶやくと、僕は急にその言葉が気にいった。
憐憫、哀れみ、お情けとして、たしかに僕はそれを享受するのに似合っている。この半年というより、結婚してから三年間、ひたすら憧れ、求め、懇願してきた男に、憐憫という贈り物ほど適《ふさ》わしいものはない。
「そして、月子は去って行ったのだ」
いま一度、僕はつぶやき、少し間をおいて、もう一度自分にいいきかす。
「あの、シャトウ・ルージュに戻ったのだ……」
僕は行かねばならない。なにがなんでも、いますぐ、フランスへ飛ばなければならない。このまま、一刻も手を拱《こまね》いているわけにはいかない。いま、行かねば、月子は僕の許から離れ、完全に手の届かぬところに去ってしまう。もはや一刻の猶予も許されない。明日すぐにでも、エアチケットを手配して、パリへ向かうのだ。
僕はそう思い、そう自分にいいきかせながら、その実、やっていることといえば、わけもなくリビングルームを行き来してから、月子の部屋へ入り、いないのをたしかめると、「どうする、どうする」と、独り言をいいながら再びリビングルームへ戻り、大きく溜息をつく。
どうやら、僕は気が動顛《どうてん》しているようである。予想もしない月子の突然の失踪に、それもフランスに行ったと知って、僕は慌てふためき、心臓が早鐘のように打ち、握っている掌が汗ばんでいる。
これはまさしく、自律神経失調の症状である。予期せぬ事態に遭遇して交感神経が緊張し、血管が攣縮《れんしゆく》し、血圧が上がって、異常な発汗が生じる。
いやいや、そんなありきたりな生理的現象を考えたところで、どうなるわけでもない。それより、僕がいますぐやらなければならないことは、フランスに飛び、月子を取りおさえることである。どこにいるかわからぬが、ともかく一緒に行ったことのあるパリのホテルを片っ端から駆け巡り、月子が泊まっていないか、たしかめる。そこでもし見付けたら、有無をいわさず、連れ戻す。
行くわけはないとは思うが、万に一つでも、月子がシャトウ・ルージュに行ったら、もはや手遅れである。あの堅牢な石壁でつつまれた、中世の要塞のような城の中に入ったら、月子は永遠に連れ戻すことはできず、それで僕たちの関係は完全に断たれてしまう。
いや、僕が恐れているのはそれだけではない。もし、月子がシャトウ・ルージュに入ったら、これまで僕がしてきたことの悪事のすべてが露見してしまう。むろん月子は知らないはずだが、城へ戻ってきた月子を見て、Zをはじめ、あそこにいる奴等はみな驚き、なぜ戻ってきたのか、ときくに違いない。せっかく帰してやったのに、いまさら戻ってくるとは、君の夫はこのことを知っているのか、と。
初めから、月子を拉致、幽閉したことは絶対に他言しないという約束だから、Zが話すわけはないが、奴等のなかの誰かが、「もう調教は終っているのに……」とでもいったら、どうなるか。
「調教……」
月子は怪訝《けげん》な顔をして、そこで初めて気がつくかもしれない。あれはやはり、僕が奴等と共謀してやった誘拐劇だったと。
もし本当にそんなことがわかったら、僕はいったいどうなるのか。月子は直ちに実家に連絡して、僕が奴等とグルだったことを告げ、それを聞いた途端、義父たちは烈火の如く怒りだす。その瞬間から、いままで善良な夫を演じてきた僕の仮面は根こそぎ剥ぎ取られ、甲高い声の義母は僕を、妻を売りとばした悪魔だと叫び、大金を提供させられた義父は、稀代のペテン師だと罵り、直ちに警察に届け出て、僕を告発するに違いない。
万一、そんなことになったら、僕は即刻、逮捕され、さまざまな取り調べを受けたあと、裁判所に引き出され、何年かの刑をいい渡されて刑務所に閉じこめられる。むろんそうなったら、これまで築き上げてきたエリートコースから追われ、さらに大学病院からも追放され、場合によっては、医師免許まで剥奪《はくだつ》されるかもしれない。
考えるうちに、僕はいたたまれなくなり、おもわず、「助けてくれ」と叫びたくなり、それとともに全身に冷や汗をかいたような寒気を覚え、両の腕が鳥肌立ってくる。自律神経の失調は一段と強まり、いまや脈拍から呼吸さえ、乱れはじめている。このまま放置しておくと、やがて眩暈を起こして失神し、それを止めるには、強力な精神安定剤でも服《の》むよりなさそうである。
いや、そんな治療と、現実の問題とはなんのかかわりもない。僕は骨の髄まで医師なのか、自分がいま、深刻な事態に巻き込まれているというのに、気がつくと医師の眼で自分を見ていて、その分析はたしかに正しいが、といってそれが問題の解決に寄与するわけでもない。
それより、僕がいまやらねばならぬことは、一刻も早くフランスに行くことである。そのためには、まずなにから手をつけるべきなのか。
僕は自らを落着けるようにソファに座り、まず鳥肌立った腕を交互に擦り、少し血の気を帯びて温もりがでたところで、携帯電話を手にして、病院を呼び出す。
明日にも出かけるためには、まず医局長の許可をとる必要がある。四、五日か一週間か、あるいはそれ以上かかるかもしれないが、月子を見付けて連れ戻すまで、僕はフランスへ留まらなければならない。むろん、曖昧な理由では行かせてもらえないから、緊急にフランスに行かねばならない用事ができた、とでもいうよりない。理由は、妻がパリで急病になった、とでもいえばいいだろうか。当然、医局長は病名をきいてくるだろうが、急性虫垂炎くらいでは軽すぎるから、もう少し深刻な腹膜炎か、それとも交通事故のような外傷がいいか、あるいはいっそ、流産ということにでもしようか。それなら、僕たちのあいだが、うまくいっていた証しにもなるし、夫としての僕の立場も立つ。
いろいろ考えていると、当直の医師が電話にでて、医局長はすでに帰ったという。午後十一時を過ぎているから無理もないが、緊急の事態であることをわかってもらうために、医局長の自宅にも電話をしたほうがいいかもしれない。再び携帯電話からナンバーを引き出し、呼んでみると、やはり医局長は自宅にいて、僕が急遽フランスに行きたいこと、理由はパリにいる妻が流産したので、と告げる。医局長は一瞬「えっ……」とつぶやき、「妊娠していたのか……」といってから、「それじゃ仕方がないな」と、渋々納得する。ただし、明日は一旦出てきて、留守のあいだの引き継ぎをきちんとしていくように、といわれて、僕はもちろん「わかりました」と答え、それでようやく第一の関門は突破する。
あとは実家と、義父たちへの連絡だが、実家は、僕のいうことはすべて納得するはずだし、義父たちは、今朝、月子と一緒に行く予定が、僕の事情で遅れたことになっているから、明日発ったところで、とくに疑問をもつことはなさそうである。
そこで僕はようやく一息つき、冷蔵庫からビールを取り出して缶のまま飲み、途中で自分の部屋に行き、パソコンで明日のエアラインのフライト状況を調べる。
パリ行きは何便かあるが、午前中、病院に行って引き継ぎをおこなうことを考えると、午後遅くか、夜の便が好ましい。しかし生憎、夕方以降は夜十時前に発つ便しかなく、ひとまずそれの予約をとり、そこで強いアルコールが欲しくなって、ダブルの水割りを飲みはじめる。
それにしても、月子はなぜ突然、フランスへ行ったのか、それも僕に内緒で、しかも独断で。「探さないで下さい」ということは、当分は帰らず、もはや夫婦の関係も断ちたいということなのか。しかし、義母には、僕と一緒に出かけるといっているのだから、そこまで考えてはいないのかもしれない。してみると、単なる気紛れなのか。しかし僕と一緒というのは、両親を安心させるための策略のようでもあるから、そうだとすると、重大な決意を秘めての脱出なのか。むろん、気紛れであって欲しいが、それにしては大胆で、しかも以前から周到な準備をしていたようでもある。実際、単なる遊びや、以前からやっているインテリアの勉強のためなら、僕や親に隠す必要はなく、堂々と行けたはずである。それを敢えて僕の留守を狙って、さらに、初めて濃厚に愛し合った翌日、突然、姿を消すとは。しかも、父母には僕と行くと偽り、僕には事前に一言もいわず、忽然《こつぜん》と消えるとは。
こうなっては、月子の友人にきくのも一つの方法かもしれないが、僕が知っている女性は二、三人しかいない。もともと、月子は自分の友人を僕に紹介することはほとんどなかったし、たまに会っても、名前を紹介される程度で、それ以上深く話し合うこともなかった。それでも、彼女たちにきけば、月子の失踪した真意や行き先のヒントくらいは探し出せるかもしれないが、月子がそこまで話しているとは思えないし、それでは妻に逃げられて、慌てふためいていることを、彼女らに知らせることになる。現実はどうであれ、僕は断じてそうした間抜けな亭主は演じたくないし、そんなことで同情を受けるのは真っ平である。
とにかく、まずパリへ行くことで、すべてはそれからである。僕は改めて自分にいいきかせるが、やはり気持は落着かない。それどころか、これから僕の未来に暗雲が立ちこめ、やがてどす黒い穴に陥《お》ち込むような不安さえ覚える。
その不安をかき消すように僕は水割りを飲み、それにしても、どうしてこんなことになったのかと苛立ち、その張本人である月子を罵り、挙句の果てに、事態の深刻さも知らず、平然としている義父や義母たちまで腹立たしくなり、ついには、気がつくと妻に逃げられた亭主の役を充《あ》てがわれている自分が口惜しくて、さらに水割りを飲み続けるうちに、いつしか眠ったようである。
翌朝、目覚めたのは七時過ぎで、いつもに比べると少し遅かったが、起きがけに月子の夢を見た。
場所はパリの、半年前、僕たちが再会したチュイルリー公園のメリーゴーラウンドの前だが、どういうわけか、月子がブロンドの髪の青年と並んで乗っている。それが誰か、シャトウ・ルージュの見張所にいた男のようであり、またダイニングルームで月子にかしずいていた美青年のようでもある。二人は僕と顔を合わせたのに無視しているので、僕は月子のうしろの木馬に乗り、月子を追いかける形になる。しかし木馬は動いても月子との間隔は縮まらず、その歯痒《はがゆ》さに苛立っているうちに、月子と男は人混みの中に消えてしまう。
せっかく会えたのに、話もできずとり逃がしてしまった。そんな侘《わび》しさのなかで目覚めると、カーテンの隙間から六月の朝の光が洩れ、周りは静まり返っている。
やはり、月子は去っていったのか。僕は夢のあとを追いながら、ふと、机の上のパソコンが気になり、ベッドから起きあがる。
いつも、家に戻ってくると、僕は真先にパソコンを立上げ、メールの有無をたしかめる。といっても、特別のものがあるわけではない。多くは同僚の医師からの連絡や、友人などからの近況報告だが、ときどき製薬会社や医療機器会社の宣伝文も入っている。
今回も、同期の医師からのパーティーへの誘いと、退院した患者からのお礼と報告が入っているが、その次にいきなり「moon light」というアドレスと、「ごめんなさい」というタイトルが現れる。見馴れないアドレスで、誰かの悪戯かと思い、次の瞬間、それが月子のアドレスであることに気がつく。夫婦なので、メールのやりとりなどしたことはないが、以前そのアドレスをきいたとき、「恰好よすぎる」と、皮肉をいった覚えがある。
その月子がなぜ、メールを送って寄越したのか。改めて受信時間を見ると、今朝の五時半で、ちょうど、僕が月子の夢を見て微睡《まどろ》んでいた頃である。
僕は慌てて座り直し、画面に目を凝らして本文を読んでいく。
ごめんなさい。
突然、家を出て、驚かれたことと思いますが、これはすべて、わたしの考えでしたことです。
多分、貴方もお気付きのとおり、わたしたちは、あまりいい夫婦とはいえず、貴方はわたしに、多くの不満をおもちであったと思います。残念ながら、それはわたしも同様で、はっきりいって、これ以上、夫婦であり続けることは、難しいと考えたのです。
その理由を、わたしの一方的な我儘でいわせていただくと、結婚した当初から、わたしは貴方を、本当の意味で愛していませんでした。
それなのに、なぜ結婚したのか、といわれたら、謝るよりありませんが、強いていうと、外見的に理想のカップルだといわれて、そんな言葉にのせられて結婚した、としかいいようがありません。さらにいえば、結婚さえすれば、なんとかなると、軽く考えていたことも、たしかです。
でも、そんないい加減な考えで、一生うまくいくような甘いものでないことは、この数年、身をもって痛感しました。
これも、わたしの一方的な我儘ですが、どう努めても、わたしは貴方を愛することができませんでした。
その理由を、いまここに書くのは辛く、自らの身勝手さを証明するようなものですが、なにごとにも明快さを求める貴方には、やはりお話ししておいたほうがいいかと思います。
まず初めに、わたしは貴方の、聡明な頭脳と豊かな知識に憧れていたのですが、日が経つとともに、それがむしろ負担になり、ついには重荷になってきました。
多分、貴方とわたしは、初めから水と油であったのかもしれません。万事に理詰めで、論理が先行する貴方の考え方に対して、わたしははるかに感覚的で、感性が優先する人間なのかもしれません。
たとえば、わたしがあるものについて素敵だというと、貴方はこうこうこうだから愚劣だと、論理でいい負かされ、それはそれで間違っていないのかもしれませんが、なにごとにも理屈でねじ伏せようとする貴方に、わたしは馴染めず、次第に苛立ちが貯《たま》ってしまったのです。
要するに、貴方はデジタルで、わたしはアナログで、この両者がうまく溶け合えば、最良の結果を生み出したのかもしれませんが、わたしたちは溶け合わぬまま、両極に離れていったような気がします。
さらにひとつ、こんなことをいうと、お怒りになるかもしれませんが、貴方は小学校から大学まで、常に成績がよくてエリートで、そのせいか、ことさらにプライドが高く、自分を惨めな、情けない地位におくのは絶対に許せない人のようでした。
もちろん、わたしもプライドが高い、といわれたことがあり、反省もしているのですが、貴方は男だし、実績もあるのだから、それほど拘泥《こだわ》らなくてもいいと思うのに、いつも他人より一段高いところにいなければ満足できないようで、そのくせどこか一人よがりで、都合のいいときだけ甘える、身勝手なところがありました。そのあたりを理解して、貴方をもっと大きく包んであげればよかったのかもしれませんが、おわかりのように、わたしは少し我儘だし、なによりも、わたしは貴方のお母さんではなく、妻なのです。妻なのに、母親の役をやれといわれても難しいのです。
そしてセックスの点でも、この際だから正直に書きますが、貴方はそれほど遊んでいる人ではないらしく、女心に無関心な分だけ自己中心的で、女は黙って男に従えばいい、といった態度が、どことなく感じられたのです。
そしてなによりも嫌だったことは、わたしがまだ子供が欲しくなくて、避妊をして欲しいと頼んだとき、貴方はわたしの生理をきいたうえ、延々と荻野式や排卵から妊娠のメカニズムについて、まるで医学の講義のように、ベッドで話し続けたことです。たしかに貴方のいうことは正しく、そうすれば、妊娠は避けられるのかもしれませんが、そんな講義を受けたあとに、関係しようといわれても、もはや受け入れる気にはなれませんでした。わたしが、貴方の消毒の匂いが嫌になったのも、こうしたことと無関係ではありません。
ともかくあれ以来、わたしは貴方を拒否するようになり、貴方からしきりに、「これでは結婚した意味がない、男が結婚するのは、いつも好きなときにセックスできる相手を確保するためだ」みたいなことをいわれて、わたしは完全に、セックスに興味を失ってしまったのです。
ここまで書くと、お前は過去に男がいたのかと、疑われるかもしれませんが、たしかに貴方の前に一人、関係があった男性はいます。でもその人とは一年も続かず、すぐ別れたし、貴方ほど立派な人ではありませんし、セックスも未熟でしたが、貴方よりはるかに優しく、そして女性の気持を考えてくれる人でした。
その人をとくに愛したわけではありませんが、過去にそういう人を知っていたから、貴方の自己中心的な求め方に、ことさらに反撥を覚えたのかもしれません。
それからのことは、もはやここに書くまでもないかと思います。わたしたちは別々の部屋で休むようになり、セックスはもちろん体を触れ合うこともなくなりました。
むろん、貴方がわたしの体へ愛着を抱き、セックスを求めていることはわかっていましたが、一度冷めて、嫌悪を覚えた女の体は、容易に元に戻るものではありません。
そして去年の秋、フォンテーヌブローの森で、まったく予想だにしない事件に遭遇しました。
あのあと、わたしはロワール川の見える、古いシャトウに幽閉され、それまでのわたしの人生からは想像もできぬ、異様な体験をしました。
いま、その内容を細々《こまごま》と記す気はありません。ただひとついえることは、そのときから、わたしは変ったのです。いま思い返しても信じられないのですが、わたしの稚いけど清純であった精神は、肉体という悪魔に制圧され蹂躙されたのです。シャトウで過し、体験したドレサージュは、わたしの肉体に烙印のように深く刻み込まれ、もはやその体験を抜きに、わたしのこれからの人生を語ることはできません。
正直いって、その体験をする前のわたしと、してからのわたしは、まったく別人で、もはやわたしは、以前のわたしではないのです。貴方の妻の月子でなく、シャトウで飼いならされた月子なのです。その証拠に、日本に戻ってから、貴方を受け入れようと試みたこともありましたが、今度はわたしのほうが変りすぎたのか、やはり馴染むことができませんでした。
わたしのこんな複雑な変化を、貴方は知るわけはないでしょう。いや、もしかすると、知っているのかもしれません。わたしがそこでなにをされ、どのように変っていったか、貴方はすべて見ているのかもしれない。
まさかと思いながら、シャトウにいるときから、奇異に思ったことはいくつかありますし、戻ってきてからの貴方の態度を見ていると、そうかと思わせるところが、いくつかありました。
大胆な推測でいわせてもらうと、貴方はあの人たちと通じ合っていたのかもしれない。もし間違っていたら、許して欲しいのですが、そんなふうに考えたこともありました。
でも、それが真実でも誤解でも、いまのわたしには関係がありません。わたしは貴方を恨んでいないし、憎んでもいません。それどころか、あんな体験をできたことに、むしろ感謝したい気持なのですから。
とにかく、いまはっきりいえることは、もはや二度と、貴方のところへは戻らないということです。そしてしばらくは日本にも戻りません。将来はともかく、当分はこちらで生まれ変った自分の意志のままに、異常だけど正常な、反道徳的だけど自然な、世界に浸って生きていきます。
そんなことをして、あとで後悔するぞ、といわれるかもしれませんが、それはそのときのことです。いま、上辺だけつくろった生活をして、わたし自身の欲望を殺したくはないのです。
ここまで勝手なことを延々と書きつらねてきましたが、最後にひとつだけお願いがあります。
どうか、わたしを探さないで下さい。そして直ちに、わたしと離婚して下さい。離婚届はわたしの机の一段目の抽斗《ひきだし》に、サインと判を捺《お》して入っていますから、あとは貴方がサインをしてくれるだけで結構です。
そしていまひとつ、父と母に、わたしの行き先のことはいわないで下さい。両親には、改めてわたしから連絡しますから。貴方はあくまで、わたしがフランスに残りたいというので残してきた、ということにして下さい。
これで、わたしのいいたかったことは、ほとんどいい尽しました。自分勝手で、都合のいいことばかり述べたかもしれません。
でも、貴方もわたしの真意がわかって、すっきりされたかと思います。
思い返すと、結婚してから三年間、本当にお世話になりました。いろいろなことを書き並べたけど、貴方がわたしに一生懸命だったことはわかっています。その表現の仕方の善悪はともかく、貴方なりに尽してくれたことには感謝しています。
なにか、お返しできるとよかったのに、なにもできなかった。でも最後の夜、貴方が喜んでくださったのが、わたしのせめてもの罪滅ぼしです。
でも、最後まで、好きになれなかった。
いえ、好きになりたかったけど、なれなかった。愛せるとよかったのに、愛せなかった。
でもいつか、本当に愛し合える人と巡り会えるかもしれません。
そして貴方もいつか、愛し合える人と巡り会えることを祈っています。
さようなら。
[#地付き]月子
その夜、僕は予定どおり夜十時前の便でパリへ向かった。
かなり遅い便なので助かったが、それでも行くまで、慌ただしい一日であった。
まず朝、病院へ行き、急遽、同僚の医師に引き継ぎをおこない、午後帰宅して旅行の準備を整えた。続いて管理人に不在のあいだのことを頼み、妻とフランスへ行くというと、「またですか」と羨ましそうにいったが、実情はまったく違う。しかしそんな気配は表に出さず、「一週間くらいで戻ってきます」といって別れた。そのあと家の戸締まりをして成田へ向かったが、その間も、空港に到着して夜の飛行機に乗ってからも、僕の気持は揺れていた。
はたしてこれからパリへ行って、月子に会うことができるのか、たとえ会えたとしても、月子を連れ戻すことができるのか。昨夜あれほど行くと決めていながら、なお僕の気持がぐらついている原因が、今朝方、月子から送られてきたメールにあることは明白だった。
たしかに、あのメールは衝撃的だった。正直いって、あれほど僕の気持を叩きのめし、僕のプライドを傷つけたものはなかった。本当に、これは月子から送られてきたものなのか。読み終えてからも僕はまだ半信半疑で、メールのアドレスや、送信された時間を考えた。
しかし、「moon light」というのは間違いなく、月子のアドレスだし、月子なら、僕のアドレスを知っていても不思議はない。そこで僕は一瞬、秘かに見ていたシャトウ・ルージュからの映像まで盗み見られたかと心配になったが、こちらはパスワードを組み合わせてあるし、過去のものまで見られることは絶対にあり得ない。もっとも、いまとなっては、見られても見られてなくても同じようなものだけど。
送信時間は日本時間の午前五時半だから、フランスの時間に直すと、夜の九時半になり、やはり向こうから送ったようである。それより、僕が一番知りたいのは送ってきた場所である。パリのホテルからなのか、ホテルならなんというホテルで、もしパリ以外ならどこからなのか。これだけの長文を書くためには、かなりの時間を要するから、それなりに落着いたところでなければ不可能である。いずれにせよ、送った場所さえわかれば、こちらから探し出すこともできるが、メールでは探しようがない。これが手紙なら、投函した場所くらいはわかるのに、メールはなんと不便なものなのか。苛立ちながら気になるのは、やはりその内容である。
正直いって、いままで自分のことをこれだけ鋭く批判した文章を見せられたのは初めてである。僕がなぜ月子に嫌われ、セックスまで拒絶されたか、これだけ冷ややかに、かつ的確に書かれたら、いかに鈍感な僕でもよくわかる。月子は、自分は非論理的で、アナログ人間だといっているが、この文章を見るかぎり、月子のほうがはるかに論理的で、デジタルである。というより、「月子も僕に劣らず聡明だ」とでもいうべきか。いや、こういういいかたをするところが、嫌われる原因かもしれないが。
それにしても、よくここまで書いたものである。いままであまり手厳しいことをいわれたことがなかっただけに、僕は完全に打ちのめされ、ダウンをくらったようである。
実際、機内に座ってからも、僕がメールの内容を思い出して考えこんでいると、スチュワーデスは不審に思ったのか、「どこか、ご気分でも悪いのですか」ときいてきて、「大丈夫です」と答えると、「なにか、お飲み物でも……」という。そこで昨夜と同様、ダブルの水割りをもらい、それを飲みながらまたメールのことを考える。
とにかく、あのメールは見事に僕の弱点を衝《つ》いている。というより、男の弱点、といってもいいかもしれないが、僕はあれを読んで初めて、男と女は違うのだということに気がついた。そんなことは当り前だ、といわれたらそのとおりだが、僕が知っていた男と女の違いは、性器の形態や機能、身体的特性など、医学的な面からの違いだが、同時に思考や感性においてもずいぶん違うようである。そこに気付かなかったのは、迂闊《うかつ》といえば迂闊だが、困ったことに、この種のことは学校では教えてくれず、教科書にも書かれていない。これでは勉強したくても学ぶことができず、本から学ぶことが最も大切、と教えられてきた僕には対応のしようがない。
いまになって、それらは学ぶものでなく、感じるものだといわれても、そういう世界に馴染んでいない僕は戸惑い、混乱するだけである。むろん僕だって、男女のあいだは理屈でなく、感性や相性が重要だということはわかるが、それを会得するためにはそれなりの体験も必要である。月子は見事に、この点での僕の稚拙さを見抜いて、「それほど遊んでいない」といっているが、そういういいかたで軽視されるのは耐えがたい。その理屈をおしすすめていけば、ひたすら遊んだ奴のほうが上だ、ということになるが、それでは、これまで僕たちが学んできた教育そのものが、間違っていたことになる。
むろん、月子は遊べばいいといっているわけでなく、僕の余裕がない、ストレートな求めかたに嫌悪を覚えたようだが、だからといって、どうすればよかったのか。月子がなんといおうとも、僕は僕なりに真剣に、男はこうするものだと思って接しただけのことである。それが駄目だというなら、はっきりいってくれるとよかったのに。いや、実際にこれだけのことを面と向かっていわれたら、僕の心も体も萎えて、不能になったかもしれないが。
いずれにせよ、僕が衝撃を受けたのは、セックスが自己中心的だ、といわれたこともさることながら、人間関係のなかに、学問だけでは解決のつかない、感性の世界とでもいうべきジャンルがあり、それが男女のあいだでは、かなり大きなウエイトを占めているという事実である。その例として適切かどうかわからぬが、僕と高校時代から親友のNは妻から、「貴方を尊敬できなくなった」といわれて離婚したし、大手の商社に勤めているKは、「真面目すぎて退屈だ」といわれて離婚した。ともに優秀な男たちなのに、いずれも相性が悪かったのか。一般にこれらのことは、性格の不一致という言葉で表されているようだが、その裏には、セックスの不一致から、いろいろなことへの感じかたの違い、そして生きるうえでの価値観の違いまで、さまざまなものが潜んでいるようである。そのあたりを真剣に考えていくと、魑魅魍魎《ちみもうりよう》の世界にまぎれこむだけで、そういう世界があることを気付かせてくれたことは大きいが、そのことはまた、僕の人間としての価値が自分で思った以上に低いことを、教えてくれたことにもなる。
それにしても、月子がこれほど冷静に僕を見詰めていたとは知らなかった。上品ではあるが、気取った良家の子女だけが集まる大学の、仏文科を出たからといって、たいしたことはない、とたかをくくっていたが、どうして、こちらが驚愕するほどの鋭さである。
とくに最後の、僕が奴等とグルではないかという推理は、見事すぎて、不気味でさえある。もし月子がそこまで察知していたとしたら、僕はなんと下手な芝居を演じ続けてきたことか。去年のクリスマスイヴの前日にホテルの前の公園で再会し、よく帰ってきた、と抱き締めたときも、どんなところに閉じこめられて、どんな目に遭ったのかと心配してみせたときも、月子はひたすら醒めて、白けていたのかもしれない。
とにかくいま、はっきりいえることは、僕の行動と心情はすべて見透かされていたということで、それを思うと、いまさらのように自分の稚拙さに腹が立ち、どこかへ逃げだしたくなる。
いったいこんな状態で、月子と会ってどうなるのか。はじめから、僕の許には帰らないと宣言し、離婚届まで用意していった月子に、たとえ会って説得したところで、戻ってくるとは到底思えない。
しかしともかく、会うだけは会うべきである。そこでどのように罵られ、嫌われようとも、会わぬことには、まず僕の気持の整理がつかない。メールだけでなく、月子の口からきっぱりと、「嫌い」とでもいわれなければ、納得できない。ここまできたら、僕にも男の意地というものがある。もしかすると、ストーカーというのは、こういう気持が高ぶって犯すものなのか。
なんであれ、僕はいま、鋭い刃物で一撃、鮮やかに切り裂かれ、その切り傷に喚くうちに、自虐的な感覚が芽生えてきたのか、恥もプライドも捨てて月子に会い、「帰ってきてくれ」と叫びたい。結果はともかく、そうでもしないかぎり、僕の気持はおさまりそうもない。
機がパリのシャルル・ドゴール空港に着いたのは、明け方の四時半であった。
上空から見た街には、まだ夜の灯りが残っているが、地平線はすでに白みはじめ、それを受けて空港をとり巻く緑の大地が姿を現している。
夏至が近い六月の朝は、いまようやく明けかけているが、彼方の薄い靄《もや》のなかにあるパリは、まだ寝静まっているようである。
この静まり返った街のどこかで月子も眠っているのだろうか。僕は突然、失踪前夜接した月子の吸いつくような白い肌を生々しく思い出すが、その間に機は駐機場に到着する。
まだ五時前で空港ロビーにも人影はあまりなく、その静まり返ったなかでバッゲージを受けとり、待っていたタクシーに乗って、いつものチュイルリー公園に近いホテルへ行く。
早朝の到着で、フロントも閑散としていたが、そこでチェックインを終えて、六階の部屋へ案内される。
去年の暮れ、月子を迎えに来たときは公園の見える側に面したセミ・スイートの部屋だったが、今回はシングルなので、公園側とは反対の内庭に面していて、見晴らしはあまり良くない。
僕はそこでまず持ってきた荷物を整理し、それからバスルームでシャワーを浴びて、ベッドに横になる。
機内ではあまり眠れなかったので、このまま休みたいが、やはり月子のことが気にかかる。昨日、メールを送ってきたときには、月子はまだパリにいるように思ったが、今日にもパリを離れて、地方にでも出かけたら面倒なことになる。メールでは居場所は突きとめられないが、出かける前に、とらえなければならない。
そこで僕はまず、月子が泊まっていそうなホテルへ電話をしてみる。いま、僕がいるホテルはもちろん、三年前、新婚旅行のときにきて泊まったバンドーム広場にあるホテル、セーヌ河畔にある日系のホテル、そして、月子が好きだといっていたシャンゼリゼ通りの北側にあるプチ・ホテル。それらへ次々と電話をして、月子が泊まっていないかたしかめたが、いずれも、そのような女性は泊まっていないという。してみると、誰か友人のところにでもいるのか、それともすでに、何処かへ移動してしまったのか。
とにかく、諦めず根気よく探すよりないが、そのためには、まず休むことである。一眠りして体力が回復してくれば、また元気がでてくるかもしれない。そう思い直してベッドに潜り込むと、すぐ眠ったようである。
目覚めたときは午前十一時で、僕は簡単な食事を終えてからレンタカーを借りてパリ市内を巡ってみる。リボリ通りからコンコルド広場へ、シャンゼリゼ通りからセーヌ河岸を廻ってエッフェル塔へ、さらにオペラ座の周辺からモンパルナス、そしてカルチェ・ラタンまで、日本人の行きそうなところを巡り、ときに街角に立って人波を見詰めたが、月子らしい姿は見当らない。
いきなり日本から追い駆けてきて、パリ市内をうろついたくらいで、そう簡単に見付かるわけはない。僕はなお人の群れを見るうちに、ようやくシャトウ・ルージュへ行くことを決意する。
市内を駆け巡って、すでに四時を過ぎているが、これから向かえば、七時頃には着くかもしれない。ちょうど、日も長いので、その頃でも充分明るく、許可は得てなくても、城の前までは行けるはずである。僕はそう決めると、まずサン=ミシェル広場に近いレストランに行く。ここは半年前、月子と再会したとき夕食をともにしたところだが、その二階の同じ席が空いていたので、そこに座らせてもらい、コーヒーを頼む。
去年の暮れ、ここで月子はシェフに「美しい」と褒められたせいか陽気で、壁に掛かっているフランドル地方を描いた絵を、気に入ったといっていた。いまはレストランも絵もそのときのままだが、肝腎の月子はいない。
わずか半年のあいだに、なんという変りようか。僕はそのあまりの変化に戸惑いながら、ふと思う。
もしかすると、僕たちはいま、ひどく難しい時代に生きているのかもしれない。いや、それは僕たちというより男たちといったほうが正しいのかもしれないが。
かつて古代とまでいかなくても、中世から近世まで、男たちが圧倒的に支配していた時代には、男は女性に挿入して排泄さえすればよかった。表現が荒すぎるのかもしれないが、その時代は生殖が優先し、男も女も子供を産むことがすべてに優先して、大事と思われていた。
だが近世から現代にいたり、女性の権利が認められ、女性が社会に進出するにつれて、性においても女性の感覚が重視されるようになってきた。単に生殖だけでない、女性も感じる性愛が市民権をもち、それを堂々と女性たちが主張し、求めるようになってきた。それとともに男文化は消褪し、挿入して排泄し、産ませるだけの男の役割は終ったのだ。かわりに、いかに女性を悦ばせ満足させるか。その意志とテクニックを身につけているか否かによって、男が差別される時代に入ったのではないか。そしてその点で、僕は致命的な欠陥をもっていた、ということになるのかもしれない。
いつものことだが、僕は自ら試みた明晰な分析に感心しながら、もしそのとおりだとすると、僕は新しい時代の新しい受難者といえそうである。いっとき、僕はその落ちこぼれの思いに浸り、納得しようとするが、それで僕自身が癒され、立ち直れるわけでもない。
ともかく、シャトウ・ルージュへ行こう。そこへ行けばすべてが解け、明確になるはずである。
僕は飲みかけのコーヒーを飲み干して立上がり、広場の地下の駐車場へ戻る。ここから南へ下り、高速A10号線にのり、ブロワで下りて国道を、ロワール川沿いに南に走ると、シャトウ・ルージュに着く。
もう何度このコースを走り続けてきたことか。そのほとんどがパリを夜の六時か七時に発ち、シャトウに着くのは九時か十時近かった。むろん月子の調教が始まる時間に合わせたのだが、行きも帰りも夜で、訪れるたびに秋の冷気が強まっていた。
だがいまはまだ陽が明るく、左右に広がる野面はすべて緑でおおわれ、ところどころに見える森は新緑の上に新緑が重なり合っている。まさに万物、すべてが生を謳歌しているようだが、いまの僕には、その新鮮な緑さえ鬱陶《うつとう》しく思える。
去年の秋、夜に追われるようにこの道を走っていたときは、許されぬ、卑劣なことをしているという罪の意識に苛《さいな》まれ、気が重かったが、いま考えてみると、そこにも秘かな楽しみが潜んでいた。帰りに車の中で自慰をし、途中で気怠くなって眠りかけながら、気持の上ではどこか張って、前向きであった。悪事は悪事としても、その先に、月子を自分のものにできるという期待と欲望で溢れていた。
それに比べていまは、自分を見限った女を追い駆けている、ただの負け犬にすぎない。いったい、こんな惨めになってまで、なお追い駆ける必要があるのか。これ以上、惨めになりたくなければ、いま即刻、帰るべきである。ここで引き返したら、「身勝手な月子」と罵り、うそぶくだけで諦めることができる。「あんな女は、地獄にでも堕ちろ」と叫ぶだけで自らを癒すこともできる。
そう自分で何度もいいきかせ、戻るように促しながら、その実、車は確実に南へ下って行く。僕の気持がというより、次々と広がる風景が僕を呼び寄せるのか、あるいは、通い慣れた懐かしさが向かわせるのか、気がつくと車は高速を離れて、国道へ出る。
たちまち右手にロワール川の広く、ゆったりとした流れが現れ、その満々と水をたたえた緑の川面を見るうちに、僕の迷いは次第に窄《すぼ》んでいく。
「このまま、シャトウへ行くよりないのだ」
それは僕の意志というより、神の啓示に近い。とにかく行けるところまで行って見届けよ。そこにあるものを見て感じてから考えよ。神はそう諭しているようである。
ここまで来たら、僕はもう迷わない。左手にフランスの沃野《よくや》を、右手にその野を横断するロワール川を見ながら、ひたすら走り、やがて橋を渡ると、その先に小さなレストランとホテルがあり、道路一本隔てた向かい側の坂の手前が、シャトウの入口である。
僕はそこで車を樹木で陰った脇道に寄せ、車から降りて一つ大きく息を吸う。甘く爽やかな空気である。丘を取り巻く森が生みだした新鮮な空気を吸いながら、僕は半ば開かれたままの鉄の扉をくぐり抜けて、坂道を登る。
以前はここを車で通ったが、いまはとくに許可を得ていないので徒歩で行くよりない。ほぼ百メートル近い坂道をすすむと、やがて右手の植え込みの下に教会と数軒の家が見えてくる。
秋の夜、そこに明りが灯され、教会の鐘が鳴るのをきいたことがある。
坂の勾配はかなりきつく、登りきると少し息切れして、そんな僕を癒すように、ロワールの川面が見えてくる。丘から見下ろすと、陽はようやく下流の方に傾き、川は陰になって暗くなった部分と、明るさを残している部分との二つに分かれ、そのあいだを水鳥が飛んでいる。
この穏やかな丘にも徐々に夕暮れが忍び寄っている。僕はなぜともなくそのことに安堵して、丘の上に広がる広大な芝に目を向けると、彼方に二つの円塔に囲まれた城が見え、その前のヒマラヤ杉のまわりに、数人の女性が群がっている。いずれも純白のドレスを着て、花でも摘んでいるのか、あるいは、それを見せ合って戯れているのか。
一見清楚に見えるが、もしかすると、あのシャトウでお臀《しり》の見えるドレスを着て、月子にマッサージなどをしていた女たちなのか。好奇心にかられて僕は巨木のあいだを通り抜け、芝生を横切り、ヒマラヤ杉の前に近づく。
全部で四人か、いずれもすらりとして美しく、ブロンドの髪の女性が二人と軽い赤毛と、黒髪の女性もいるようである。その各々の顔が見分けられるところまで来たところで、女性たちは僕に気がついたのか、それとも予め決まっていたのか、四人並んでシャトウに戻りはじめる。
もしかすると、そのなかの誰かに見覚えがあるかもしれない。僕が何度か此処へ来たときに、僕を丁重にもてなし、丁重に見送ってくれた女性たちも混じっているかもしれない。
「あのう……」
声をかけるが、彼女たちは聞こえぬように跳ね橋を渡り、後を追って、僕も渡っていいものか迷っていると、突然、鈍く軋《きし》む音がして目の前の跳ね橋がゆっくりと上がりはじめ、それを待っていたように教会の鐘が鳴りはじめる。
一つ、二つ、三つ、穏やかな夕暮れの丘に鐘の音が七つ響き、七時であることを知ったとき、橋の彼方の、シャトウの門の前に立っていた女性が一人、振り返る。
瞬間、僕は目を疑い、さらに目を凝らして思わず叫ぶ。
「月子……」
間違いなく、振り返ったのは月子である。みなと同じ白いドレスを着て、遠くからは見分けがつかなかったが、黒い髪と細面の輪郭と、大きな瞳と、筋が通った小生意気な鼻と、柔らかな唇は、まさしく月子そのものである。
「月子……」
僕はもう一度、叫び、思わず両手を差し出すと、月子は一瞬、微笑んだように思ったが、次の瞬間、くるりと背を向け、他の女性とともに、陽の影になった石壁のゲイトのなかに消えていく。
なおも、僕は呆気にとられてしばらく見とれ、ふと前を見ると、高々と上げられた跳ね橋だけが、僕を拒絶するように黒い板底だけを見せて立ちはだかっている。
やはり、月子はこの城へ戻ってきたのだ。僕を捨てて、親を欺いて、辿り着いたのはこの城であったのだ。
僕はいまは、なにをいっても通じない城に向かってつぶやく。
「そうか……」
此処が月子がいう「異常だけど正常な、反道徳的だけど自然な」場所であったのか。
なぜともなく、うなずくうちに、僕は次第にまわりの風景に癒されたように、穏やかになってくる。たしかにいまも月子を憎み、許せないと思いながら、僕の気持は鐘の音で洗われたように清々《すがすが》しくなり、そして、自然に笑いたくなってくる。
「そうだったのか……」
ともかく、ここまできたら、僕は納得できそうである。僕が奴等に頼んで誘拐させ、閉じこめたところに、月子は自分で戻っていったのだ。屈辱と懲罰を与えたつもりが、快楽と歓びを体得させるだけの結果となった。
おそらく月子はこのあと、他の女たちとともに、このシャトウに屯《たむろ》する、裕福で下劣で、優雅で淫蕩で、エネルギッシュで怠惰な男たちと交わり、快楽のかぎりを尽すに違いない。
その善悪を、もはや僕にはいえない。たとえいったところで、彼等が破廉恥で背徳な行為をやめるわけはなく、彼等自身はそれこそが生の証しだと思っているのだから。そして月子はいま向こうの世界に渡り、僕はこちらの世界に残り、月子は月子で、僕は僕なのだから。
いつまでか知らぬが、メールに記されていたように、月子は愛し合える人と巡り会えるまで、しばらくはこのシャトウにとどまるのかもしれない。いかに淫らで、神も恐れぬ背徳の世界に身をおいても、いつか愛は掴めるのだと信じているようでもある。
目を上げると、陽はさらに傾き、森の彼方から夕暮れが迫ってくる。それとともに、二つの塔に囲まれたシャトウ・ルージュは黒々と丘の上に立ちはだかり、その石に囲まれた窓のひとつに明りが灯される。
これからまた、シャトウの中では豪華な晩餐《ばんさん》が始まり、酔いが廻ったところで、生《い》け贄《にえ》が捧げられ、それを弄びながら、淫靡な宴がくり広げられる。そして月子も、その輪の中で乱れ狂う。
たしかに月子は変ったのだ。そして僕と月子のあいだには、もはや毛一本ほどの繋がりもない。あるのは眼下に広がる、暗くて深い溝だけである。あの黒々とした跳ね橋が上げられているかぎり、僕と月子とはもはや肌を触れ合うことはもちろん、言葉を交すこともできない。そして二人のあいだには、この溝と同じ、深くて遠い距離だけが横たわっている。容易に越えられない溝なのに、あるとき、すぐ越えられると錯覚した。男と女と、二人を隔てる距離なぞ、たいしたことはないと、たかをくくっていた。男女の愛など、学問に比べたら、易しいものだと思い込んでいた。
だが、現実はそんなに甘くはなかった。男と女のあいだくらい、離れだすと遠くて、容易に埋め尽せない距離はない。そのことを知り、そのことを心と体に刻みこむために、僕は此処まで来たのかもしれない。
いま一度、僕は目の前に広がる、暗くて深い溝を覗き見てからつぶやく。
「さよなら」
ひとつは、暮れなずんだ空に聳《そそ》り立つ、もはや入ることのできないシャトウ・ルージュに向かって。
「さよなら」
もうひとつ、ついに馴染み、愛し合うことのできなかった月子へ。
「さよなら」
さらにいまひとつ、異様な変貌を遂げた月子の肉体に対して。
そして最後に、プライド高くて一人よがりで、そのくせ、いつもどこかで自信がなくて、怯えていた自分に向かってつぶやく。
「さよなら……」
まだ、しかと自信はないが、もしかすると明日から、僕は新しく出直せるかもしれない。
初 出「文藝春秋」二〇〇〇年三月号〜二〇〇一年八月号
単行本 二〇〇一年十月 文藝春秋刊