喪神の碑 番外編
オセロ・ゲーム
津守時生
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)惑星《わくせい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)銀河|連邦《れんぽう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]END
-------------------------------------------------------
[#ここから1字下げ]
『運命の時』直前。O2とマリリアード、最後のランデブー。
津守時生デビュー作の幻のエピソードが、
全面書き直しでついに登場。
[#ここで字下げ終わり]
喪神の碑 番外編
オセロ・ゲーム
[#地から2字上げ]著/津守時生
[#地から2字上げ]イラスト/小林智美
[#改ページ]
銀河系が地球系|惑星《わくせい》政府を多数派とする銀河|連邦《れんぽう》と、地球系に敵対する六芒系《ヘクサ》惑星政府を中心とした新銀河機構の二大勢力に分裂《ぶんれつ》してから、二年が経過していた。
分裂当初は銀河系全域で活動していた大企業《だいきぎょう》の倒産《とうさん》が相次ぎ、経済不安のために社会は大混乱に陥《おちい》った。
二大勢力間で和平条約が急ぎ取り交《か》わされ、双方《そうほう》は共に経済交流の断絶を早急に回避《かいひ》して、可能な限り分裂前の状態に近づけることを最優先課題とした。
現在では分裂時の混乱の尾《お》を引く惑星政府はごくわずかとなり、一時は交戦状態に陥った地球系と六芒系の関係も比較《ひかく》的安定している。
銀華《ぎんか》太陽系第三惑星|瑠璃宮《るりぐう》――。
銀河連邦宇宙軍中央本部のあるこの惑星は、七億の人口のほぼ百パーセントが軍関係者と軍関係業従事者、加えてその家族たちという、ほかに類を見ない軍事惑星だった。
銀河連邦本部と議会の設置された第一惑星|玻璃宮《はりぐう》への最終通過点として、太陽系外から訪《おとず》れる人間の身元を厳しく審査する。
宇宙港に入港した宇宙船の船籍《せんせき》や下船する個人のIDカード照会は、膨大《ぼうだい》なデータを有する情報部のコンピュータが直接担当した。上陸を許可すると即座《そくざ》に関係|施設《しせつ》に入国者の情報を提供する。わずかでも不審《ふしん》な点の残るものは、乗船した宇宙船が太陽系外に去るまでひそかにマークされた。
連邦宇宙軍の存在意義の半分は情報部にある。と言われるわりに情報部本部の所在は、情報部関係者以外にほとんど知られていない。気軽に立ち寄りたい場所ではないにせよ、所在地の情報管理は意識的になされている。軍内部のものによる破壊《はかい》活動を警戒《けいかい》してのことだった。
瑠璃宮の首都にある連邦宇宙軍中央本部ビルの道路をはさんだ隣《となり》に、中央本部ビルと寸分|違《たが》わないメタリックな外装の五角形のビルが建っている。
建物の周辺に名称《めいしょう》の表示がまったくないことから、大方のものは中央本部第二ビルだとみなしているそれが情報部本部ビルだった。
総合案内所のある一階は、中央本部が軍施設らしい軽い緊張《きんちょう》感と活気に満ちた開放的な場所であるのと反対に、古風で重厚な内装が豪華《ごうか》ホテルのロビーに似た威圧《いあつ》感のある優雅《ゆうが》な静けさを演出していた。
外観と構造こそ瓜二つだが、対照的なビルの内装が両者の関係を象徴《しょうちょう》する。長い銀河連邦の歴史の中で、つねに銀河連邦市民の意思の代行者だった『陽』の連邦宇宙軍に寄り添《そ》い、情報部が『陰《いん》』の役割をになってきた。
現在の情報部部長は、かつてそのポストに就任したものの中で最も若い。
オリビエ・オスカーシュタイン大佐《たいさ》。通称|O2《オーツー》、三十二歳、地球《テラ》系|混合種《ハイブリッド》。精神感応者《テレパシスト》で計測不能の|超A級《エーオーバー》。
長い間続いた銀河系勢力図が激変する動乱の時代にあって、ずば抜けた有能さを発揮する異能の男だった。
銀河連邦を創設した種族のひとつである白氏族の出身であり、誰《だれ》もが驚嘆《きょうたん》するほど長く情報部長官の地位にあるスクトラバ元帥《げんすい》が、十三歳のO2を手元に引き取ると英才教育で後継《こうけい》者に育て上げた。
連邦宇宙軍中央本部に所属する軍人たちは官僚《かんりょう》的なエリートの集団だったが、十五歳から現場に出ていたO2はつねに事態が流動的な最前線で指揮をとる機会も多い。
その彼がここ二年近く銀華太陽系を動かない。
それは深刻な紛争《ふんそう》が減ったのではなく、逆にひとつの現場にかかずらっていられないほど彼の判断と指示を必要とする現場が増えたことを意味する。
六芒人《ヘクサノーツ》の離脱《りだつ》で宇宙軍の抑止《よくし》力は半減し、政治と経済の混乱に乗じたものたちがそれに次々とつけ込む。さらに前任者たちの時代から各方面軍や本部の中枢《ちゅうすう》が、紛争拡大を目的とする好戦的な秘密結社に取り込まれていたという事態も発覚。
陽の宇宙軍も陰の情報部も共に存亡のかかった激動の二年間だった。
存在の根本さえ覆《くつがえ》しかねない危機的|状況《じょうきょう》をかろうじて乗り切り、大胆《だいたん》な組織改革と再編成を果たした連邦宇宙軍だが、二大勢力の和平条約|締結《ていけつ》によって訪れた小休止的平和を大いに歓迎《かんげい》していた。
オスカーシュタイン大佐は、代々の部長が多くの要人を迎《むか》え入れ密談を重ねてきた応接室の肘掛《ひじかけ》椅子《いす》に座り、もうすぐ案内されてくる人物を待っていた。
彼から遠い側のソファに座る赤毛の若い士官がまた身じろぐ。そこに座った時からずっと落ち着きがない。
「ジョナサン少尉《しょうい》。少し気を静めろ。うるさい」
「は、申し訳ありませんっ」
物静かだが威圧的な響《ひび》きのある低い声に注意された将校は、反射的に居住まいを正す。緊張した声で元気よく答えたものの、すぐに放心した表情でドアのあたりに視線をさまよわせる。
軽く足を組んで座る銀髪《ぎんぱつ》の上官は、めったに外さないスクリーングラスの陰《かげ》で黒い目を閉じた。
ドアが開き、ようやく待ち人が到着《とうちゃく》する。
「部長、お客さまをお連れいたしました」
先にインターフォンで来客を連絡《れんらく》してきた秘書官は、O2に向けて敬礼し簡潔に用件を告げると背後の人物に入室を促《うなが》した。
秘書官に短く礼を言ってわきを抜け、長身の男が部屋に入ってくる。
「……船長……っ!」
上官が制止する暇《ひま》もあればこそ、はじかれるように立ち上がった赤毛の青年将校は客に駆《か》け寄り、両腕《りょううで》を大きく広げた男の胸に飛び込んでいた。
「お久しぶりですね、ロヴ。オリビエの意地悪に負けないで元気にしていましたか?」
「はいっ! 船長もお元気そうでなによりです。でも……髪《かみ》の毛、切ってしまわれたんですね。あんなに長くて綺麗《きれい》だったのに」
身を離《はな》したロヴ・ジョナサンは、かつて腰《こし》に届くほど黒髪を伸《の》ばしていた男を残念そうに見上げる。
今はストレートな髪を肩《かた》より少し長い程度にしているマリリアード・リリエンスールが、いたずらっぽく笑って肩をすくめる。
「子育て中は髪の手入れをする暇がなくて――というのは冗談《じょうだん》ですが、子供たちがみんなだっこをせがんで髪の毛を引っ張るのです。二百人もいる子供たちによってたかって髪の毛を引き抜かれたくなければ、切るしかありません」
「カラマイからのディスク・メールで船長が髪を短くした話は聞いていましたが……。自分の目で見るとなんだかショックだ〜。ボク、船長の長い黒髪が大好きだったんです」
「すぐに伸びますから大丈夫《だいじょうぶ》。ユーフェミア姫《ひめ》とカラマイからは新しいディスクを預かってきました。あとでお渡《わた》しします。それより、ずいぶん背が伸びましたね。どのくらい?」
青年は照れ臭《くさ》さと誇《ほこ》らしさの入り混じった表情で報告する。
「二年で十二センチ伸びました」
「それはすごい。その調子だともうすぐ私に追いつきますね」
「いいえ。さすがにもう無理ですよぉ。残念ながら地球人の成長期は二十歳くらいまでです。勝手に伸びる身長を気にするより、鍛《きた》えてもう少し筋肉をつけろとO2にはさっきも怒《おこ》られました」
「私は今のままのロヴ君でもいいと思うのですけれど。体型は遺伝も関係しますから、あまり無理をしないでください」
物柔《ものやわ》らかな口調も、聞くものの胸に染《し》み入る心地《ここち》よい低音も、聞くほどになつかしさがこみ上げる。不覚にも目がうるむ。
「ずっと……ずっとお会いしたかったです、船長」
「もちろん私もですよ」
優《やさ》しくささやいて微笑《ほほえ》む顔は、たとえ同性であっても陶然《とうぜん》と見惚《みと》れてしまうほどに美しい。
自分の二年前の記憶《きおく》などまったくあてにならなかった。目の前にいるラフェール人の王子の美貌《びぼう》は、確かに覚えていると思った面影《おもかげ》をはるかに凌駕《りょうが》している。
情報部部長がうんざりした調子をわずかにこめて言った。
「再会を喜び合うのもそのあたりにして、いい加減に座れ。飲み物を運んできた秘書官が困っている。――人工子宮から生まれた子供たちも順調に育っているようだな」
「お蔭《かげ》さまで。歩き始めて目が離せない時期なのに大人《おとな》の手が足りなくて困っています。せめてひとりの子供にひとりの大人がつけるとよいのですが」
ジョナサン少尉の隣に座った王子の種族は、惑星ラフェールを住民ごと破壊《はかい》されて二十二年前に一度|滅亡《めつぼう》した。ほかの惑星にいて難をのがれた同種族の人々から精子と卵子の提供を受け、新たに改造した惑星カイユを第二の本星として種族復活計画がスタートしたのが二年前。
「おまえのほかにも何人か精神感応力《テレパシー》のある人間がいるのだから、普通《ふつう》人の親よりよほど子供の状況が把握《はあく》できるだろう」
「独身のあなたにはわからないでしょうが、子供はよく病気をするものなのです。しかも集団生活のために、感染性の病気は次々と二百人に感染《うつ》っていくわけで……」
「地獄《じごく》だな」
O2は簡潔に感想を述べた。
上官よりずっと善良かつ人間的な部下は、全身で深い同情を示しつつたずねる。
「そんな忙《いそが》しい船長がわざわざ瑠璃宮までくるなんて、よほど大事な用なんですね」
「私の用ではありません。オリビエにどうしても頼《たの》みたいことがあると言われたのできました。ちょうどいい骨休めの口実になると思ったことは否定しませんけれど」
「少尉。このあとマリリアードを私の家に案内してやってくれ。私の今日の仕事が終わったら、三人で食事をしよう。――頼みたいのは私事なので夜に酒を呑《の》みながらでも話す」
「わかりました」
うなずいた拍子《ひょうし》に顔に乱れかかった前髪を手で梳《す》き上げる王子の左手首に、バングルと呼ばれる細い金属性の腕輪が揺《ゆ》れた。表面の模様が異なるそれは五、六本あるだろうか。体にフィットした袖《そで》無しの服を着た彼によく似合っていた。
「マリリアード。それ一本でここのワンフロアを吹き飛ばせるか?」
「いえ。この部屋を破壊できるくらいですね。この指輪を使わないと」
マリリアードは友人の剣呑《けんのん》な質問にも平然と答え、右手の薬指にしている指輪をかざして見せる。
「そのベルトは……爆発《ばくはつ》物というより色々と仕込んでいそうだな」
「ええ色々と。あとはブーツにも少々」
「うちの宇宙港警備のチェック態勢もまだまだ甘《あま》いな」
「何を言っているのですか。銀河連邦と新銀河機構の和平条約締結の仲介役だった私に対して、無礼なことにスキャナーで骨格までチェックしたんですよ。私が女性だったら悪質なセクハラとして訴《うった》えていますね。これ以上チェックを厳しくしたら、確実に宇宙港で暴動が起こります」
たとえ銀河連邦宇宙軍の中央本部があり、治安がよくて警備が極《きわ》めて厳重な惑星であっても、ラフェール人の王子は護身用の武器を必ず携帯《けいたい》する。理由は――それが当然の人生を彼は生きてきたから。
反対にロヴのほうが驚《おどろ》く。
「船長のような軽装でも、そこまでチェックするのですか?」
「軽装過ぎてうさん臭かったのだろう。あのズルズルしたラフェール人の民族|衣装《いしょう》を着てくれば、まだマリリアード王子らしかっただろうに。軍人の惑星でそんな裸《はだか》同然の格好をしていたら反発されるだけだ」
「仕方がないでしょう。髪を切ったら今までの服が全部似合わないのです。それにこれのどこが裸同然なのでしょう? たかが袖無しなだけで軍人はそこまで思うわけですか?」
黒いスラックスと一体化したブーツは民間の宇宙船乗りと同じなので、問題視されているのはハイネックの袖無しシャツとしか思えない。
完全にフィットする素材は、鍛えられたたくましい上半身のラインを浮き上がらせている。それとて筋肉の動きがわかるほど薄《うす》いものではなかった。
――ああ。なんとなくわかる気も……。
「どんな風に?」
思考が強く漏《も》れ出たのか、得心したロヴをO2と同じテレパシストの王子が顧《かえり》みた。
正面切って問いただされると気恥《きは》ずかしくなって赤くなる。
「え、いや。軍服を着用した人間ばかり見ていると他人の二の腕を見慣れないせいで……なんだか生々しいっていうか……。船長が男臭い方なら野生的な感じですむと思うんですが、いつもの優雅な身ごなしだと……なまめかしくて目が離せない気が……。だけどボクがそんな風に船長を見ているワケじゃないですよ! 意識して見たせいですからね」
「ありがとう、ロヴ。なるほど。つまりあなたもそういう目で私を見たのですね、オリビエ」
「人をゲイあつかいするな、気色の悪い。本来|淡泊《たんぱく》なラフェール人のくせに色気|過剰《かじょう》な貴様が異常だと素直《すなお》に認めろ。女の色気なら歓迎するが、おまえの場合はうっとうしいだけで何の役にも立たん」
「私には軍服フェチの軍人たちが群れている異常な世界に乱入した民間人が悪いという論法にしか聞こえません。執拗《しつよう》な身体チェックを回避しようと思って軽装でくれば、まるで変態のようなあつかいをされて。今すぐカイユ星に帰りたい心境です」
ロヴは珍《めすら》しく不快感を隠《かく》さないマリリアードの態度にあわてた。
「怒らないでください、船長! すみません、ボクがよけいなことを言わなければよかったんです。不愉快《ふゆかい》な思いをさせて本当にごめんなさい」
「あなたに怒っているわけではありません。……ロヴ君はいい子ですね。あなたの上官がもう少し友人同士のコミュニケーションがどういうものか、覚えてくれるとうれしいのですけど」
「久しぶりに会って、早くもケンカ腰のおまえに言われたくない」
「O2! あなたの頼みでわざわざ遠くから来てくれた船長に対し、失礼なマネをしているのはボクたちのほうなんですよ。久しぶりだと言うのなら、まず来てもらったお礼を言うべきじゃないんですか? たったひとりの友人をなくしたくないでしょう」
「――おまえがもう少し上官に対する口のきき方を覚えてくれると、私もうれしいぞ」
ため息まじりの半分あきらめているくちぶりが、言葉の内容の厳しさを減じている。それでも、これがロヴ以外のものなら、O2にそう言われたというだけで震《ふる》え上がるだろう。
くすっとマリリアードが笑いをもらす。
「なんだ?」
「大したことではありません。これ以上、あなたのお仕事の邪魔《じゃま》をするのは問題ですから、ロヴにあなたの家へ案内してもらいましょう。――それでは、のちほど」
身軽く立ち上がった王子はにこやかに笑って小さく右手をふる。その薬指に情報部本部ビル一階分を破壊するだけの爆発力を持つ指輪型|爆弾《ばくだん》が光った。
中央本部情報部部長の私邸《してい》は、情報部関係者しか住んでいないコンドミニアムの最上階から一階下のワンフロア全部を占《し》めていた。
ずっと酒につき合うという最初の雄々《おお》しい決意もどこへやら、ロヴは早々に酔《よ》い潰《つぶ》れてしまい、マリリアードが寝室《しんしつ》に運んで行ってもまったく目を覚まさなかった。
黒い短毛種の犬が応接室に戻《もど》ってきた客を出迎え、太いムチのような尾を無言で振《ふ》る。廃棄《はいき》処分寸前にO2に引き取られた、実験用サイボーグだった。補助脳としてコンピュータを埋め込んで人工的に高い知能を与《あた》えられたその犬は、通信機器やコンピュータのマイクを利用して無線で話しかけてくる。
テレパシストの飼い主とは機械なしで会話が成立するが、O2が言うには無口な奴《やつ》≠ネので普通の犬と同じく尻尾《しっぽ》の動きだけで好意を表す。
マリリアードは長身をかがめて、人間にするのと変わらずに話しかけながら犬の頭をなでる。
その光景を見た飼い主は面白《おもしろ》くもなさそうに言う。
「おまえは人たらしなだけではなく、犬たらしでもあるんだな。エスが私以外の人間にそこまで尾を振るのを初めて見た」
「まあ、それはとても光栄です」
『トテモ誠意ノアル相手ニハ信頼《しんらい》デ返スノガ礼儀《れいぎ》ダロウ』
「なるほど。だが、それなら私はどうする。他人をあざむき、誠意につけ込んで思い通りにするのが仕事だぞ。おまえが私を信頼するのは、命を救った恩があるからか?」
新しい酒のグラスを親友に差し出し、自分の飼い犬に飼い主たる資格をただす。
相手が答えづらいことを正面切って聞くこともあるまいにと、グラスを受け取る王子は苦々しく思う。
エスは頭を上げ、主人をまっすぐ見つめて答えた。
『アナタハ犬二決シテ嘘《うそ》ヲツカナイ人間ダカラ信頼スル』
「なるほど! エスは周囲の人間以上にあなたのことをよく理解していますね。すばらしい。――麗《うるわ》しき主従関係に乾杯《かんぱい》」
笑ってグラスを掲《かか》げ、中に満たされた若草色の液体を一口呑んだ王子は、のどを焼く強さにむせ返りそうになる。
「こんなに強い酒をストレートで呑ませるのはいかがなものでしょう」
「だが変わった味だろう?」
「香《かお》りがよいのは認めますが、こう強いと苦いという大ざつぱな味しかわかりません。それより頼みとはなんですか?」
「カイユ星を長期間留守にするような用事を頼みたいのだが、二百人の子守でそれどころではなさそうだな」
先に断る理由を挙げられてしまったマリリアードは、ソファに腰をおろしてしばらく沈黙《ちんもく》していた。
やがて、困惑《こんわく》しつつも真剣《しんけん》な表情でうなずく。
「ほかならぬあなたの頼みです。内容|次第《しだい》ではお引受けいたしましょう」
「――すまん。絶対に断ると思ったので一服盛った」
「な……っ! 話を聞かせもせずにですか」
「私は君に対して断るという選択肢《せんたくし》を用意していない」
「……この……クソ野郎《やろう》! この借りは高くつく……」
しびれる手からグラスがすべり落ち、ソファの一部にぶつかってはね飛んだそれが絨緞《じゅうたん》の上を転々とする頃《ころ》には、意識を失ったラフェールの王子がソファに倒《たお》れ伏《ふ》していた。
悲し気に鼻を鳴らす黒犬が、昏倒《こんとう》した男の頬《ほお》をなめる。
『コンナ信頼ヲ裏切ルマネヲシテ……。アトデヒドク怒ルダロウ』
「そして許すだろう。この男は最後に必ず誰でも許す人間だ。私が無事に戻ってきたら、好きなだけ殴《なぐ》らせてやる」
『裏切ラレタコトヲヒドク怒ルダロウト言ッテイル』
飼い主が親友の寛大《かんだい》さを見越《みこ》してはたらいた裏切り行為《こうい》を、飼い犬も怒っていた。
「ああ。それは猛烈《もうれつ》に怒るだろう。こいつが本気で徹底《てってい》的に怒るのは私にだけだな」
『……ナゼソコデ笑ウ? 人間ノ表情ノ意味ヲ読ミ取ルノハムズカシイ。ダケド本当二喜ンデイル匂《にお》イガスル。アナタハ彼二怒ラレルトウレシイノカ?』
「さあ、どうだろう」
O2は笑って質問をはぐらかした。エスにあきれられたのも無理はないほど楽しい。
この優雅で|見栄っ張り《スタイリッシュ》な男がクソ野郎≠ネどと悪態をつくのは、間違《まちが》いなく自分にだけだという確信はあった。
光学キーボードを高速で叩《たた》いて計算していたマリリアード・リリエンスールは、舌打ちをして急に作業を中止した。右手の手首をつかむと、過剰反応で痙攣《けいれん》を始めた指先をいまいましげに見つめる。
この小型宇宙船の副操縦士が、肩越しに熱いコーヒーの入ったコップを差し出す。
「休憩《きゅうけい》なさったらいかがですか、船長。いくらリハビリとはいえ、そんなに酷使《こくし》したら逆に義肢を痛めてしまいますよ。人間の生身の腕とまったく変わりがないということは、無理をさせるとケガをしたり腱鞘炎《けんしょうえん》などを起こすということでもあります」
「つけて二ヵ月になるのに反応がズレます。この義肢では私の反応速度に適応できないのでしょう。利《き》き腕を失ったことが、のちのち大きな支障になりそうで不安です」
「せめてO2がラフェール星のある方向に行ってくれれば、オドロに義肢を造ってもらえたんですが」
ロヴは次々とさまざまな位置から降りそそぐレーザービームでいくつも穴を開けられ、一部を切断されたマリリアードの腕を思い出し、副操縦席で身震いした。隣に座る男にかばってもらわなければ、自分の頭や胸に同じ穴が開けられていただろう。
警備システムには地球人の反応速度が基本データとして入っていた。逃避《とうひ》行動の方向と速度を予測してレーザービームを照射する。地球人よりはるかに俊敏《しゅんびん》なラフェール人は際《きわ》どい差でそれをかわしつつ、照射口の角度調整部分のジョイントを銃で撃って破壊し、ドアのロックが外部から解除されるまでもちこたえた。
「まったく……せっかく新品の腕が生えてきたのに!」
「いや、船長。それはちょっと違うと思いますけど……」
ラフェール星の先史人類が残したコンピュータオドロ≠ニ付随《ふずい》する施設は、シタン病ウイルスに侵《おか》されたマリリアードが死亡する直前、ウイルスに侵される事前の細胞をもとにしてクローンしてあった肉体に彼の記憶を移植した。
オリジナルの彼は死亡したが、完全に同じ記憶を持つクローン体の彼がマリリアード・リリエンスール本人として、オリジナルの彼がするはずだった仕事を引き継《つ》いで生きている。
「片腕だけですんだのは幸いでした。あと数秒、私がオリビエの替《か》え玉にされていたという衝撃《しょうげき》の事実を受け入れるのが遅《おそ》かったら、コンピュータ・ルームの警備システムにふたりとも殺されていたでしょう」
「恥ずかしながら情報部の誰も、おふたりが入れ替わったことに気づかなかったのも衝撃でした。いくら顔立ちや体格が似ていると言っても、一卵性双生児だって無理があります。日常的なコンピュータの本人|承認《しょうにん》システム同様、我々部下の意識までO2が事前にいじっておいただなんて。正気に戻った船長が適切に処理してくださらなければ、大騒《おおさわ》ぎになっていましたよ」
無理のあるはずのことが、日常勤務が続く限り破綻《はたん》をきたさなかった。
「容姿が似ていることはさして重要ではなかったはずです。彼と同じ超《ちょう》能力者で、一般《いっぱん》の仕事に対しても同程度に処理できる能力を持つ人間だったのが、私を選んだ理由でしょう。容姿の相似は結果でしかありません」
「まさか情報部のメイン・コンピュータに直接アクセスする緊急事態が発生するとは、O2も予想しなかったということですか」
「私の頭に自分の擬似《ぎじ》人格を植え付けていくなどという壮絶《そうぜつ》に気色の悪いマネをするなら、メイン・コンピュータのパスワードくらい教えていけというのです……!」
ラフェール人はその壮絶に気色の悪いマネを思い出して、全身を嫌悪《けんお》に震わせた。人格を精神に植えつけて他人に作り替える発想の不気味さに鳥肌《とりはだ》が立つ。
たちの悪いことに擬似人格のほうは、自分が身代わりに仕立てられた偽物《にせもの》である自覚があり、バレそうになるたびにマリリアードの持つ超能力で、ほころびを修復していた。黒髪も毎日銀髪に染める念の入れように、本来の人格が目覚める機会もなかった。
絶対に知っているべきメイン・コンピュータとのアクセス・パスワードを知らない自分に愕然《がくせん》とし、入力できなかった場合に生じる事態への危機感がマリリアードの人格を呼び起こした。
コンピュータ・ルームに対ESP障壁が存在しなければ、攻撃《こうげき》システムをコントロールできたのだが、O2自身が超能力者だけに侵入《しんにゅう》者への対策も怠《おこた》りない。
「ともかく! パスワードに五百人もの人命がかかっていなければ、彼が私を身代わりに仕立てていたことが発覚し、彼が査問委員会にかけられようとまったく私の知ったことではありませんでしたよ!」
「はぁ。大佐|殿《どの》はどこまでも運が強い方だと思います」
「それって、つまり逆に私の運が悪いということと同義ですよ、ロヴくん。あの最低なクソタレを捜して、私たちがこうして二ヵ月も宇宙船でウロウロしているのは、決してあいつの保身のためではないのに……っ!」
悲運の王子は話しているうちに怒《いか》りが増して、だんだん凶暴《きょうぼう》な雰囲気《ふんいき》になっていく。
確かにO2は運が強いのかもしれない。隠密《おんみつ》行動中の彼を追跡《ついせき》できる人間など、マリリアード以外の誰がいるというのだろう。
最初はただO2の行方《ゆくえ》を追っているだけだったが、そのうちわかってきたのはO2がどうやらウロボロスの残党を追っているらしいこと。それがかなり特殊《とくしゅ》な――つまり彼の出生にかかわる研究者集団であること。
そして、爆殺されたはずの学都・那藜《なあか》の学長ルドルフ・オスカーシュタインとエヴァンジェリン夫人が、その組織に捕《と》らわれているかもしれないという話も聞いた。
「ウロボロスの残党|探索《たんさく》なら銀河連邦宇宙軍情報部の仕事でもあるのに、O2は私事と仕事のけじめをきちんとつけようとしたんでしょうね」
「あのオリビエが?」
「えっ? 違いますか?」
「使えるものなら友人の私にまでこんなマネをするあの男が、公私のけじめをつけるだなんて殊勝《しゅしょう》な心根の持ち主なわけないでしょう。那藜はナヴァルフォールおじさまのいわば本拠地《ほんきょち》でしたし、オスカーシュタイン学長はおじさまの親友だった方です。ウロボロスの残党が研究者というのも気になります。生存なさっているかもしれないオリビエのご両親が、もし自らの意志で彼らと行動を共にしているとしたら――」
「それが第三者の精子や卵子の提供を受けた場合であろうと、体外受精児であることは今日スキャンダルにはなりえませんよ。船長のおじさんがウロボロスのボスで、それがO2の遺伝的なお父さんだったとしても子供には関係ないでしょう」
容姿と能力からして、ナヴァルフォールとO2の間に血縁関係があることくらいは、ロヴにも容易に想像ができる。
「私は治療のためにオリビエの体を調べたオドロから大変問題のある話を聞いています。彼の出生は体外受精や人工子宮といったそんな簡単な生殖《せいしょく》技術によるものではありません。今となっては私のこの肉体も御同様のありさまですが」
「え? もしやO2は船長のおじさんのクローン?」
「ですから、そんな簡単な生殖技術の産物でないと言っているのです。デザイナー・チャイルド、つまり遺伝子を人工的に設計された人間です。おじさまの夢は超人を生み出すことでしたから、那藜でその夢をかなえる研究が行われていて、オリビエがその結果だとするのはそう飛躍《ひやく》した考えではないでしょう」
「それって……違法《いほう》でしょう! だからO2は個人で動いているんですか?」
もしそうなら皮肉な話だが、両親生存の可能性はO2にとってうれしい情報ではなかったかもしれない。
「さあ? すべては推測の域を出ません。ただひとつ確実なことは、この異常な事態の決着をつけたら私があの野郎をブチのめすということです」
「あー……かなり怒っていますね、船長。無理はありませんけれど」
O2の追っていた残党の研究施設には、あと一回のワープで到着する距離《きょり》にまで迫《せま》っていた。ここまでたどりつくのにマリリアードがどれほどの労力と犠牲《ぎせい》を払《はら》ったか、相棒として一緒《いっしょ》に行動してきたロヴはよく知っている。
そして、もし人命がかかっていない状態でマリリアードが正気に戻ったとしたら、自分に与えられた身代わりの役目を放り出してカイユに帰ってしまうかというと、そうは思わなかった。それだけのマネをした理由を聞くまでは、偽《いつわ》りの情報部部長という役を演じ続けるだろう。
――O2が船長の性格につけ込んでいると言えなくもないけど……。
O2の側にマリリアードへの信頼と甘えがあるような気がするのは、自分の勘《かん》ぐりだろうか。
宇宙船のメイン・スクリーンを見るとはなしにながめていたマリリアードが、ぽつりと言った。
「どうして逆を考えなかったのでしょうね」
「なんの逆ですか?」
「この茶番の役割分担です。彼が自分の仕事で動けないなら、私が彼の両親を捕らえているという集団の探索に向かうほうがよほど自然ですし、私がカイユを長期間留守にする以外にはなにも支障のない案でしょう」
「船長の身の危険を考えたのではありませんか?」
端整《たんせい》な横顔の口元が皮肉な笑みに歪《ゆが》む。
「ふん。瑠璃宮で身代わりになっていても危《あや》うく死ぬところだったのに? しかもなんの関係もない五百人の民間人を道連れにして」
「いや、まったくごもっともです。上官がご迷惑をおかけして部下として誠に申しわけなく思います」
「自分で決着をつけたかったにしても、どうして正直に私に頼まないのか……。身代わりを務めるにしてももう少しましな方法を考えたのに」
「素直にお願いするより、あとでブン殴られるほうを選択するのがO2らしいやり方だと思いませんか?」
「すごく納得《なっとく》できるお答えをありがとう」
額に手を当てて脱力《だつりょく》するマリリアードの横顔を、長くのびた黒髪がロヴの視界から覆い隠す。
身代わりで短く切られた髪は、この二ヵ月の捜索期間中に最初の長さと同じ程度にまで伸びていた。すぐに伸びるという本人の言葉は、ロヴの予想以上に真実だった。
短髪を維持《いじ》するためには頻繁《ひんぱん》に散髪しなければならない。そのわずらわしさを考えると、気がむいた時に適当な長さに切って調整できる長髪のほうが楽だろう。
クセのあるO2の髪と違って、ストレートな王子の髪はよほど短くするか整髪料を使わないと、前髪が顔にかかってうるさい。現にしばしば無意識に前髪をかき上げていた。
子供たちに引き抜かれるおそれがなくなったら、また長く伸ばすほうに賭《か》けてもいい。天使の輪と呼ばれる円形の光沢《こうたく》が浮かび上がる見事な黒髪だからこそ、周囲も彼が不精《ぶしょう》で伸ばす長髪を許せた。
正気に戻ってからすぐ黒髪に染め直したので、銀と黒の二色頭になるカッコ悪さはまぬがれている。
「ミルク・プディングに黒|胡麻《ごま》ソースをかけた頭かな……」
「なにがです?」
思考が声になって出てしまい、ロヴは苦笑《くしょう》する。
「たとえば栗毛の人が金髪に染めたり脱色していたとします。それをやめたあとで髪が伸びると、本来の濃《こ》い色が金髪部分の上に出てきますよね。配色がカラメル・ソースをかけたプディングみたいだから、プリン頭と呼ばれるそうなんです。船長の場合はプリン頭になるにしても銀髪に黒髪だから、ミルク・プリンに黒胡麻ソースをかけたプリンかなって」
「そうですか。これから子供たちにおやつのプディングを作るたび、ロヴくんの言葉を思い出すでしょう」
苦笑が凍《こお》りつく。
「やめてください、船長! 不快な現実を茶化したボクが悪うございました。忘れてください〜」
「ロヴくんに怒っているわけではありませんよ。ともかくオリビエと合流して、さっさと問題をかたづけましょう」
「船長とO2のふたりがかりなら、すぐに帰れそうですね」
ところが、現実はロヴの考えるほど甘くはない。
そして、ラフェール人の王子が嘆《なげ》く抜群《ばつぐん》の運のなさは、とんでもないところで証明される結果となることを、今の彼らが知るはずもなかった。
[#地付き]END
[#改ページ]
底本
The Sneaker 12月号増刊
The Beans [ザ・ビーンズ] VOL.1 2002.12
発 行 二〇〇二年一二月一日 発行
発行者 井上伸一郎
発行所 株式会社角川書店
[#地付き]校正M 2007.11.02