池波正太郎
蝶の戦記 下
下巻・目次
織 田 信 長
落 城
京 都 経 営
小 谷 城
戦 端
陣 雲
虎 御 前 山
そ の 前 夜
姉 川
八 年 後
あ と が き
[#改ページ]
織 田 信 長
永禄十一年の年が明けた。
於蝶《おちよう》は、首尾よく、織田家の侍女となることを得た。
滝山忠介は、
(とても御館への奉公は、かなうまい)
と思っていたし、於蝶も、そのつもりでいた。
信長の居館内に暮すことは万事に都合がよいけれども、
(どこへでもよい、城下の武家屋敷の女中となることができれば……)
居館や城内へ潜入することなど、於蝶は、
(わけもないこと)
と、考えていたのである。
しかし、尾張・小牧山から美濃へ本拠をうつした織田信長は、みずからが討滅した斎藤家の臣も多く召し抱えたし、
「なにとぞ御家来衆の端へなりとも、お加え下されたし」
手づるをもとめてあつまる牢人たちを、いちいち引見し、気に入った者へは、
「はたらき甲斐のある場所じゃ。いのちがけで奉公するか」
「はっ」
「いのちがけじゃぞ。いのちを捨てるか、おのが立身出世をするか……地獄の底を何度ものぞくつもりで奉公するか」
「はっ」
「よし!」
どしどしと、召し抱える。
稲葉山ふもとの居館も、すでにのべたような豪華宏大なものであるし、
「一時しのぎじゃ」
と言いはなって城をかまえていた小牧山のそれ≠ニはくらべものにならぬ。
したがって小者も侍女も当然に増加することになる。
滝山忠介は、いま信長の使番《つかいばん》をつとめていた。
で、思いきって上司の目付役・中村|主水《もんど》に、於蝶のことをはなし、
「気の毒な女にござりますれば、いずこかに奉公口を……」
たのみこむと、
「おう、あの清洲城下にいた弓師・政右衛門のむすめか……」
「御存知でござりましたか?」
「うむ。父政右衛門のつかいで、二、三度、わしが屋敷へもまいったことがある。可愛ゆげな少女《おとめ》であったな」
「はっ……」
中村主水ばかりではない。
腕のすぐれた弓師・政右衛門として知られた故新田小兵衛や於蝶のことを、織田の家来たちはよくおぼえている。
「どうだ、御奉公をするのなら、殿様の御館へまいったらどうじゃ」
「中村様。まことのことで?」
「おう、わしが口ぞえする。あのむすめなら大丈夫じゃ」
「ねがってもないことにて……当人もよろこびましょう」
と、いうことになった。
年が明けて、
「京よりもどりました」
於蝶が、甲賀の九市をつれ、滝山忠介の宿所をおとずれたとき、忠介は、九市を見て、
「おう、お前の顔、見おぼえがある」
と、いった。
於蝶は、はっとしたが、九市は平気なもので、
「お久しゅうござります」
笑顔で、忠介にあいさつをした。
清洲にいたころ、九市は新田小兵衛と於蝶の下忍び≠つとめてい、時折は弓師の家へ姿を見せたものである。
それも、京都から仕事の材料などを持ちはこぶかたちを見せ、清洲へ入って来ていた。
それだけに、
「お前も、於蝶の身よりの者であったのか」
忠介は、いささかもうたがわぬ。
於蝶は、すぐさま、
「わたしのたった一人の身寄りにて……母方の叔父にござります」
と応じた。
「そうか、そうか……」
宿所は仮小屋であった。
滝山忠介の妻や子は、まだ小牧山の城下に残っているらしい。
だが、城下の建設は一カ月ほど見ぬうち、おそるべき速度ですすみつつあった。
「春を待たずに、妻や子も、こちらへまいる」
忠介は、ひそかに於蝶へ告げ、
「今夜、な……」
意味ありげに目くばせをした。
「あい」
うまく、織田|館《やかた》への奉公がきまったことだし、於蝶もさからわぬ。
「どこへ泊る?」
「きめてありまする」
そのころは、後年のように常設の旅宿というものもなかったが、何しろ、すさまじいばかりの景気にわきたっている岐阜城下であるから、宿する家も多い。
いったん忠介の宿所を出た二人は、夕闇にまぎれて銭屋十五郎の家へ入った。
於蝶は、岐阜を留守にして甲賀の杉谷屋敷へ行っていたのである。
銭屋十五郎は、於蝶がわたした頭領・杉谷信正の手紙を一読して、
「これは、よういならぬことになったの」
何か、粛然《しゆくぜん》とした面持ちになった。
「わたしも……」
と、於蝶も緊迫の表情で声をのんだ。
この奥の部屋には、二人きりであった。
「わたしも、去年、おばばさまと二人して越後へまいりましたときは、何事も知らなんだなれど、あの折、おばばさまと宇佐美定行様との談合にて、このことがきまりました。そして頭領さまも、杉谷忍びが天下をくつがえすほどのはたらきを見せるのは、このことをおこなうよりほかに道はないと……」
「さもあろう、な……」
うなずいた十五郎が老けの浮きはじめた顔をかすかにゆがませ、
「なれど……」
「なれど?」
「頭領様が、ここまでの決心をなされたことを、観音寺さまは御存知なのであろうか……?」
その頭領・杉谷信正の決意とは……これからの於蝶が身をもってしめすことになるであろう。
夜ふけ……。
於蝶は銭屋方をぬけ出している。
岐阜城下から南へ一里余。そこは木曾川のほとりに近い森の中であった。
滝山忠介は、森の中で、ささやかに焚火をおこし、於蝶のあらわれるのを待っていたのである。
「おそうなって……」
於蝶が近づくと、
「もう来ぬかと思うたぞ。よう来てくれた、よう来て……」
早くも忠介は興奮に声をみだして、狂暴におどりかかり、於蝶を土の上へ抱き倒した。
「あ、いたい……」
「す、すまぬ」
「もそっと、焚火のそばで……ね……」
「うむ、うむ……」
冬の最中で霜が下りようというのに、この当時の男も女も現代人とはくらべものにならぬほど強い肉体をもっていたらしい。
荒々しい滝山忠介の愛撫が熄《や》んだ。
忠介の妻も子も、まだ小牧山にいて、こちらへ移ってはいないとみえ、
「明日も……明日も、な」
と、忠介はせがむ。
「あい。雨さえふらねば、ここで……」
「うん、うん……」
「信長さまの御館へ上れば、めったにお目にもかかれますまいし……」
「そ、それはそうだが……」
凝《じつ》と、忠介はちろちろと燃えている焚火に見入って、急に沈黙をした。
於蝶は、用意してきた竹筒の中の濁酒《にごりざけ》を、忠介へすすめた。
「なにを考えておいでじゃ?」
「う、うむ……別に……」
こたえたが、このときの忠介のこころのうごきには、何か異常なものが存在したようである。
(忠介どのは、何をおもいついたのであろうか……?)
さすがに、これだけは於蝶もわからぬ。
いままでの、狂おしい態を見せた忠介の愛撫とは全く関連のない忠介の表情であった。
黙然と濁酒をのみつづける滝山忠介の横顔には、何か不気味な緊迫がただよっている。
於蝶は、ゆだんをせぬ。
(まさか……?)
こちらの正体を見やぶったわけでもあるまいが……。
土の上へ置いた刀に、忠介は眼も向けない。
黙って、いつまでも考えこんでいるのである。
「もし……」
忠介は放心したかのように、こたえぬ。
「もし、忠介さま……」
たまりかねて、於蝶が男の腕をつかむや、
「う……何だ?」
「ま、いやな……だまりこんで、何を考えておいでじゃ?」
「いや、別に、な」
夢からさめたような顔つきになって、忠介がこういった。
「おれはな、いつもいつも、お前をそばに引きつけておきたくなったのだ」
やがて、於蝶は織田信長の侍女となった。
いや、信長のというよりは、信長夫人・お濃《のう》につかえることになったのである。
お濃の方は、かつて、この岐阜の城に生まれた。
去年、夫の信長がこの城から追いはらった斎藤竜興は、お濃の甥にあたる。
だからといって、夫に攻めとられた岐阜へ移って来ても、
「生まれた国へ帰れたのは、うれしいことじゃ」
その心たのしさに晴れ晴れとしているお濃は、実家の斎藤氏がほろびたことについては、別に何の感情もわかぬらしい。
当然だとおもっているらしい。
お濃が織田信長の妻となったのは天文十八年であった。
いまから二十年も前のことである。
信長は十六歳。
お濃は十五歳。
ときの岐阜城主が斎藤|道三《どうさん》で、お濃は道三のむすめだ。
夫婦となって五年後に、こんなことがあった。
当時、信長は、
「あばれ法師」
だとか、
「大ばかもの」
だとか、
「あのような気ちがいが後つぎになったのでは織田の家も長いことはない」
との評判、しきりであった。
まるで乞食のような風体で、裸馬を乗りまわして町や村を駆けまわり、村の若者たちと力くらべをしたり酒をのんで酔いつぶれたり……何しろ、父・信秀の葬式の折には、縄帯の着流しに、むさくるしい髪をふりみだして、今しも葬儀がおこなわれている万松寺へあらわれ、家来どもが、
「あっ……」
という間もなく、ずかずかと仏前に近づき、いきなり抹香をつかんで、父の位牌に投げつけたほどの織田信長である。
これは、父・信秀を憎んでの所業ではない。
わずか十八歳で父の後を継ぎ、一国一城の主《あるじ》となった信長自身の、亡き父をいたむこころが、このようなかたちとなってあらわれたのであるけれども、むろん常人に信長の胸の底にひそむものがわかろう筈《はず》はなかった。
武勇にもすぐれ、学問にもふかく通じていた父・信秀のかわりに、四方の戦国大名たちの圧迫をうけて、家をまもらねばならぬ十八歳の信長の突きつめたおもいは尋常のものではなかったといえよう。
とにかく……。
あまりに信長の評判がわるいので、岐阜の斎藤道三が、この娘聟を、
「いったい、どれほどの大うつけなのか、わしがためしてくれよう」
と、思いたった。
道三は油売りから美濃の国をおさめる大名に成り上った豪傑である。
「いかに、むすめ聟だからというても、たよりにも力にもならぬ男なれば、仕方もあるまい。わしが信長にかわって尾張の国をおさめてくれようか」
と、斎藤道三はいった。
そして、
「久しぶりに、聟殿に会いたいものじゃ」
と、使者を信長のもとへよこしたのである。
当時、織田信長は現代の名古屋の城にいた。
「承知つかまつる」
と、信長は義父へこたえた。
二人の会見の場所は、尾張の富田《とだ》にある聖徳寺《しようとくじ》にきめられた。
当日となった。
斎藤道三は、信長より先に此処《ここ》へ到着している。
(信長め、どのような姿をしてあらわれるか……そっと見てやろうぞ)
との意図があって、道三は、わが家来八百人ほどを肩衣《かたぎぬ》・袴《はかま》の礼装に威儀を正させ、これを聖徳寺の本堂の縁にずらりとならばせておき、自分は三名ほどの家臣をつれて町はずれの百姓家へ入りこんだ。
戸のすき間から、道すじへあらわれる聟どのをのぞき見ようというのだ。
やがて、信長が来た。
例のごとく、むさ苦しい髪かたちに、ひざまでの半袴、湯かたびらの腕まくりをして、帯には子供のようにひょうたんをいくつもぶらさげ、太刀には縄を巻きつけてあるという姿であった。
「むゥ……」
斎藤道三は、思わずうめいた。
乞食のような信長をかこむ家来たちの行列を見たからだ。
主人は乞食姿でも、その行列は長槍を五百本も押したて、弓・鉄砲も合せて五百ほどの堂々たる軍列なのである。
道三は、少し顔色を変え、
「急げ」
裏道から一足先に聖徳寺へもどって、信長を待ちかまえた。
信長は、聖徳寺へ来ると、本堂へは向わず、門の右側にある庫裡《くり》へ入ってしまった。
織田家の重臣たちが斎藤道三へあいさつをしている間に、織田信長は庫裡の内で身仕度をととのえ、本堂へあらわれた。
これを見て、道三は瞠目《どうもく》した。
まるで身なりが違っている。
正しくゆいあげた髪、折目も正しい長袴に、折目高の肩衣をつけた颯爽《さつそう》たる大名ぶりなのである。
「これは、聟どの……」
いいさして、道三は、ふとい嘆息をもらしたという。
二人の会見が終り、信長が帰って行くのを見送ってから、斎藤道三は傍にいた家臣に、
「まことに無念なことじゃが……いまに、わしの子らは、あの、たわけ殿の家来にさせられてしまうことであろうよ」
と、つぶやいたそうな。
そして、斎藤道三の予言は適中した。
道三が、わが子の義竜《よしたつ》とあらそい、わが子の手にかかって討ち殺されてしまい、さらに義竜が死んだのちに斎藤氏の当主となった竜興が織田信長にほろぼされた。
お濃の方は斎藤道三のむすめであるけれども、兄の義竜については、
「義竜殿は道三の実の子ではない」
という風評がたかかった。
土岐頼芸《ときよりなり》の子を道三がもらいうけて我子としたのだ、というのである。
お濃も、このことを信じていたらしい。
血をわけた兄でもない義竜や、その子の竜興が、夫の信長にほろぼされたところで、だから彼女は何の痛手をうけたわけではない。
信長は、道三が生きていたころ、これをたすけて義竜と戦ってくれたほどだ。
於蝶は奉公に上り、はじめて、お濃の方を見た。
この信長夫人は、この年、三十四歳になっている。
しかし、信長の男子たちは、正夫人のお濃が生んだ子ではない。
長男・信忠は、この永禄十一年で十二歳になるが生駒家宗のむすめと信長の間に生れたものだ。
次男・信雄《のぶかつ》もおなじ。
三男も四男も側妾の腹から生まれた。
「けれども、御方さまは、女のお子さまをお生みなされたことがあるのですよ」
と、於蝶に語ったのは、小牧山に織田の本城があったころからお濃につかえている侍女の佐枝であった。
その女子というのは、だれか……というと、これは佐枝も知らないのだ。
世間では、お濃の方はついに子を生まなかったともうわさされていたのである。
織田信長は、好色の人物ではないとされているが、かなりの子をもうけている。
お濃の方に男子の出生を見ぬため、このころの武家の当然の義務である後つぎを得るため、側妾の腹を借りたというわけだ。
「殿さまと御方さま、それはそれは、お仲のよいこと」
と、佐枝がいうように、信長が居館にいるときは、毎夜のごとく、お濃は夕餉《ゆうげ》の席に姿を見せ信長とたのしげに語り合う。
お濃の方を、ひと目見て、
(ああ……)
於蝶は、うっとりと見入ってしまったものだ。
於蝶が好ましいと見る型の女は、どちらかといえば男勝りの気性と容貌をそなえた女性だといってよい。
背丈高く、肉づきも豊満でいながら、お濃の方の顔貌は武者人形の雅気をさえ感じさせる上に、少年のようなりりしさがある。
立居ふるまいも胸がすくほどに爽快なものであった。
(とても、三十をこえた女性《によしよう》とは考えられぬ)
と、於蝶はおもった。
日を経るにつれ、於蝶もお濃の方にしたがって、奥殿へ入るようになった。
稲葉山のすそにかまえられた、この宏大な城主の居館は、もと信長の義父であった斎藤道三の館跡であるが、
(これが、武家の屋敷なのであろうか……?)
於蝶ばかりではなく、信長の家来たちでさえ、おどろいたほどなのである。
すでにのべたキリシタンの宣教師の記述のように……。
金と銀と……。
そして、これに入りまじった数寄屋《すきや》づくりの清楚な、静寂な茶室などにも、よく見ると費用にかまわぬ精巧ぜいたくな趣向がこらされているのであった。
そもそも、四階建の大名屋敷など、このころの日本のどこをさがしてもない筈だ。
それがある。
美濃の国・岐阜の織田館がそれなのである。
これにくらべると、
(春日山の上杉館などは……)
於蝶は、つくづくと、ためいきをついてしまう。
がっしりとした、黒光りのする太い柱や梁《はり》によって組まれた板敷の間に、なんの装飾もない壁。
上杉謙信の起居する部屋へ、わずかに畳がしかれてあったのを、いまも於蝶はおもい起すことができる。
ひろいが、うす暗い居館の中で、
(われに勝たせたまえ!)
日夜、ひたむきに神にいのる上杉謙信のすさまじいほどの戦将としての精進にくらべ、
(これは、まあ、どうしたことか……?)
豪華絢爛たる五十余の部屋をもつ宮殿にいて、織田信長は大声に笑い、快活に命令を下し、美食の膳を前にして酒盃をかたむけている。
(信長が持っている金銀は、このように大きなものであったのか……)
於蝶が、あきれるほどであった。
そして、織田信長の顔を見たとき、
(これが……あの、信長か?)
信じられぬ。
於蝶が、尾張・清洲城下にいたころ、数度見た信長は、只もう精悍な青年武将という印象のみであったが、それから八年を経たいま、文字通り、尾張・美濃の大守として君臨する三十五歳の信長の両眼が、こちらへ向けられたとき、於蝶は彼の双眸がはなつ光芒《こうぼう》のつよいちからに目がくらみかけた。
ここでまた、ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの言葉を引用してみよう。
フロイスは、この年の翌年に、京都で信長と会見したのであるが、そのときの印象を、
「この尾張の王は、年齢は三十七歳ほどであろうか……やせて、背丈が高い。そして、実に、かん高い声を出す。武術を好むことは非常なものであって、粗野であり、ごう慢な性格である。そして彼はいのちをかけて名誉をおもんじる大名である」
と、のべている。
ルイス・フロイスの信長観は、さらにつづく。
「彼は決断力に富み、戦術はまことにたくみであるけれども、文字通りの専制君主である。性格は横暴であり、家来たちのいうことなどは、ほとんどきこうともせぬ。それでいて彼は諸人から大いなる尊敬をうけている。
だから、他の大名たちを軽蔑しており、まるで家来どもに対するように見下して話しかける。
彼は物事のすべてにおいて、すぐれた理解と判断をしめすが、神や仏などの偶像には全く興味をしめさぬし、占いなども信じようともせぬ。彼の宗教は法華宗だというが、……彼は、宇宙の造主とか霊魂不滅とか、そのようなことが存在するなどと信ずることは、ばかげたことだと明言をした。人びととの会話は、いささかも、もってまわった言い方はせず、ずばずばと思ったことをそのまま口にしてはばからない」
フロイスの観察は、織田信長の外面にふれたものであるが、むろん、信長の内面の複雑さ、微妙さ多彩さが異国の宣教師にわかろう筈はない。
こんなこともあった。
それは、於蝶が御殿へ上って三日目の昼すぎのことであるが……。
突然、二階にあるお濃の方の居間へ、信長が小姓一名をつれたのみであらわれた。
信長は、新参の侍女などをわざわざ引見することもないらしく、このときまで於蝶は侍女として信長の顔を見たことはない。
「これを見よ」
信長は、つかつかと入って来て、お濃の方の前へ立ちはだかったまま、小姓が差し出した異国の織物をつかみ、
「南蛮渡来のものじゃ」
「まあ……」
お濃は、これをひろげて見て、感嘆の声を発した。
信長の視線が、彼方にひかえていた於蝶の顔へとまったのは、このときである。
於蝶は、二度目の平伏をした。
「あの女、新参のものか?」
信長がお濃にいい、
「女、顔をあげよ」
と、命じた。
するどい癇声が、刃風のように於蝶の耳朶をうった。
於蝶は動揺した。
(もしや……?)
こちらの正体を見破られたかと感じたのだ。
女忍びとしての経験も豊富な彼女が、これほどのことに動揺するのもおかしなことであったが……つまりはそれほどに、いや女忍びであっただけに、織田信長という大名の全身から発散する異常な迫力に圧倒されたものか……。
しかし、それも一瞬のことである。
しずかに面をあげた於蝶は、まだ御殿奉公に慣れぬ若い女になりきっていた。
信長の眼が、きらりと光った。
「この女、見たことがある」
と、信長がいった。
「ま……」
お濃の方が、にんまりとなって、
「於蝶と申しまする。お気にめしましたか?」
三十をこえたいま、お濃も信長とめったに寝所を共にすることはない。
それでいて、この夫妻は、まるで幼友達ででもあるかのように明るく語り合い、遠慮なくいさかいもし、夕餉だけは必ず一緒にとる。
信長が必要だとあれば、若い側妾も三人ほど同じ二階の後宮にいて、階下の殿さまの寝所へはべるのである。
その意味が、お濃の笑いの中にふくまれていた。
やや肥え気味の、健康そのもののような肉体をもつ若い女が信長の好みに合うことをお濃は熟知していたし、いまの於蝶がその夫の好みにこたえる資格を充分にもっていると見たのであろう。
於蝶は於蝶で「見たことがある」の一言に、胃の腑をえぐられたような気がした。
於蝶は、表面、はずかしげにうつむいた。
(やはり……見破られたらしい。こうなれば……)
おそらくは成功しまいが、「所期の目的」に向って突き進むより道はないと思いきわめた。
信長は、まばたきもせず、於蝶を凝視している。
於蝶は、尚《なお》も恥じらいのさまを見せつつ、そっと、何気ない様子で右手のゆびを着衣のえりもとへかけた。
えりに、あの羅叉《らさ》の尾が忍ばせてある。
甲賀の毒針であった。
これを引きぬきざま、於蝶は矢のように信長へ飛びかかり、たとえ信長の手首へなりとも、この針を突き刺してしまえば、後は自分が抜き討ちに斬殺されようとも、信長のいのちは絶える。
すぐさま、針を引きぬいても、毒は一瞬のうちに信長の体内へまわってしまうのだ。
織田信長は、まだ於蝶を見つめつづけている。
お濃が、くすくすと笑い出し、
「それほどに、お気にめしましたるか……」
といった。
五人ほどいる他の侍女たちも笑いをこらえてうつむくものもあり、ねたましげに於蝶を見やるものもある。
「殿……」
お濃がよびかけた。
「うむ……」
なま返事をあたえたのち、信長は、もう一度いった。
「於蝶とか……おもてをあげよ」
於蝶は顔をあげた。その顔はおそろしいばかりの緊張にひきしまっている。
早くも彼女は「羅叉の尾」を右手の中へ引きぬき、かくしこんでいた。
じりりと、於蝶のひざがうごいた。
於蝶と信長とは、およそ四間(七メートル余)をへだてている。
畳を蹴って跳躍すれば、於蝶は一気に信長に飛びつけよう。
わざと両眼にうかび出ようとする殺気を消しながら、於蝶が、
(よし!)
腰を浮かせようとしたときである。
「わかった!」
織田信長が叫ぶようにいった。
そういった一瞬、信長の顔は、にこやかに笑いくずれている。
於蝶は、その信長の愉快げな笑声にとまどい、全身のちからがぬけた。
「おもい出したぞ」
信長は、お濃を見かえりつつ、
「この女、清洲の城下に住みついていたものよ」
「ま、その通りでございます」
と、お濃の方。
「弓師のむすめじゃ」
「ま、よく、そこまで……」
「おもい出した。野駈けの折、馬を飛ばして、この女の家の前を二度ほど通ったことがある」
その通りであった。
おそるべき信長の記憶力ではある。
あのころは信長も供ひとりつれず、夏の最中には小袖の片肌をぬぎ、手綱をさばきつつ城下を駆けぬけて、遠乗りに出かけたものである。
「於蝶。わしをおぼえておるか」
「はい」
於蝶は平伏した。
平伏しつつ、羅叉の尾を素早く、えりもとへかくしこんでいる。
「あの弓師は、そちの父か?」
「さようにござりまする」
「すこやかにしておるか?」
「先年、亡くなりましてござりまする」
「それは、気の毒」
急に、信長の声がやさしげに、まるで、女のように細い声に変って、
「ふたたび、わしが城下へもどり来てくれたのじゃな。うれしくおもうぞ」
なぐさめるように、やさしくいった。
於蝶は身ぶるいをした。
うわさにきいた織田信長……。
また六年前に、今川義元に決戦をいどむべく、単身先がけて清洲の城を飛び出して行ったときの信長……。
いままで、於蝶の胸底にあたためられていた信長像とは思いもつかぬ、それはやさしげな、思いやりのあふれた声音なのである。
強い酒に酔いでもしたように、於蝶がぼんやりと顔をあげたとき、ふたたび信長の白皙《はくせき》の顔貌はきびしく引きしまって、
「わしがもとに奉公する者は、男女を問わず、寸時も気をゆるめてはならぬ。忘れまいぞ」
一気に言い、くるりとお濃の方へふりむくや、
「お濃。その織物はそなたにとらせる」
こう言って、風のように出て行ってしまった。
あとしばらく、お濃の方の忍び笑いがつづいた。
ここで杉谷信正と、上杉家の軍師・宇佐美定行がねずみのおばば≠フ伊佐木を通じて、
「杉谷忍びは、上杉謙信公の御為に、この事をなしとげよう」
と、こころを合せたその事≠ノついて、のべておこう。
単純きわまる事であった。
それだけに至難きわまる事でもある。
それは……。
「杉谷忍びの手をもって、武田信玄と織田信長を殺害してしまおう」
と、いうのである。
本来、このような忍びばたらきを容易にするためには、長い歳月もかかるし、これにはたらく忍びの人数も惜しんではならない。
信玄だの信長だのという抜群の大名であればあるだけ、その身辺に近づくことはむずかしい。
あるいは……。
杉谷忍びのみではなく、どこかの密命をうけたどこかの忍びたちが、この二人の英雄のいのちをねらっているやも知れぬ。
しかし、人数も少なく、忍びばたらきの範囲にもかぎりがある杉谷忍びとしては、短期間のうちに、
「上杉謙信公を中央へ乗り出させ、観音寺さまと手をむすばせて、足利将軍を中心に天下を平定する」
とのねがいを、達成するためには、
「この方法よりほかに道はなし」
と、いうことになったのだ。
むろん、宇佐美定行としては主の上杉謙信をたすけ、
「関東よりも越中から北陸へ、そして京の都へ……」
の方針を押しすすめるつもりであろう。
信玄と信長の暗殺は、あくまでも杉谷忍び独自の行動としてすすめられなくてはならない。
上杉の軍師からの依頼があったことなどは、
「死すとも洩らさぬ」
のが忍びの掟であった。
伊佐木が新井丈助をつれ、春日山から甲府へ潜入したことはすでにのべておいた。
いうまでもなく、武田信玄のいのちを絶つためである。
そして……。
いま、於蝶が岐阜の織田|館《やかた》の侍女となったのも、彼女が信長暗殺の先鋒となっていることを意味する。
すでに、於蝶は自分の使命を頭領・杉谷信正からうちあけられていた。
いま、杉谷忍びは、この大事決行のために全力をあげている。
甲賀の杉谷屋敷には頭領さま≠フほかに七名ほどの忍びがいるけれども、後は全部、伊佐木と於蝶のはたらきをたすけるために甲府と岐阜を中心に暗躍をしているらしい。
於蝶としては、岐阜城下の銭屋十五郎宅を基地としているわけで、頭領さまの指令は、すべて十五郎を通じて於蝶の耳へとどけられる。
杉谷信正としても、
(この事をなしとげるためには、杉谷忍びがほろびてもよい)
とまで決意しているらしい。
あの善住房《ぜんじゆぼう》光雲も、どこへ忍びばたらきに出たものか、いまは観音寺城から姿を消してしまっている。
「それにしても……」
銭屋十五郎が、或夜、織田館からぬけ出して来た於蝶に、
「観音寺さまの模様が、どうもおかしゅうなってきたようじゃ」
と、いった。
足利義秋が、近江から越前の大名・朝倉義景をたよって逃げたのち、観音寺城ではもめごとが絶えないらしい。
観音寺さまの六角|義賢《よしかた》は、
「次の将軍に……」
と期待していた足利義秋の人柄を見て、
「これでは、たのむにたらぬ」
がっかりした。
といって、大きらいな三好三人衆が担ぎ上げている足利|義栄《よしひで》を将軍にすることも、
「気がすすまぬわえ」
なのである。
いっぽう隠居の観音寺さまに反抗して、子でもあり城主でもある六角義治は、
「もはや古めかしい父上のいうことなど、きいてはおられぬ」
いよいよ三好三人衆とのつながりをふかめ、
「織田信長など何ほどのことやあろう!」
などと息まいているらしい。
ところで……。
三好三人衆と松永弾正との仲も悪くなっている。
双方の旧主人であった三好長慶の養子・義継が松永弾正と手をむすんで三人衆を裏切った。
それより先に、京都における勢力をあらそっていた三人衆と松永弾正だけに、
「討ちとってしまえ!」
三人衆は、奈良へ攻めかけ、松永弾正と戦ったが、
「ひどい負け方をしたそうな」
と、いつか杉谷信正から於蝶もきかされている。
どこもここも戦さだらけだ。
味方になったかと思うと勢力をあらそって、たちまち敵に分れる。
敵かと思っていたものが味方になったり、味方だと考えていたものが敵であったり……。
「いやもう、わしのような古手の忍びでさえ、めまいがするほどじゃよ」
銭屋十五郎が苦笑するのだ。
「ここだけのはなしじゃが……」
「あい?」
「頭領さまが、観音寺さまの御為に、いのちをかけてはたらこうというお心を、おぬし、なんとみるな?」
「さて?」
於蝶は、ためらった。
「むだにならねばよいが……」
「それは?」
「だれにもいうなよ」
「あい」
「わしはな、もはや観音寺さまは、たよりにならぬと見ておる」
銭屋十五郎は、於蝶の亡父や叔父の新田小兵衛とも親しかっただけに、他の忍びには話せぬこともうちあけてくれるのであった。
「いまに、観音寺さまは父子二つに分れて、あらそうことになろうよ」
「まさか……」
「ともあれ、いまのこの、はげしくうつり変る世のありさまを見ていると、われら忍びたちも、よう考えねばなるまい。たった一人の大名を主とあおぎ、これに忠節をつくすなどというのは、むかしむかしの忍びのあり方じゃ。いまはもう、甲賀の山中忍びのように、武田のためにもはたらき、織田のためにもはたらき、そのどちらが倒れても、生き残った大名……つまり最後に天下をつかむ只一人の大名とむすびつくような手段をめぐらしておかねばなるまい。どうだな、於蝶……」
「では、いま織田信長のいのちをねらうのと同時に、それを知らぬふりして、杉谷忍びは別に信長のためにはたらかねばならぬと、いわれますのか?」
「いかにも」
「と申すことは、信長のいのちをちぢめるのと同時に、上杉謙信公のおいのちをも絶つということになりましょう」
「たとえていえば、な」
「なるほど、そういう世の中になりましたのか……」
「そうじゃとも」
於蝶は、そのとき、はなしをつづけずに織田館へ帰った。
夜ふけに館を忍び出ることは、わけもないことであるが、同輩の侍女たちに、これをさとられてはならぬ。たとえ夜中といえども、同じ部屋に四人の侍女がねむっているのだ。於蝶が床をぬけ出して、いつまでも帰らぬことに気づかれれば、
「怪しい女」
と、見られることは当然である。
於蝶は、あせっていた。
頭領さまの命令は、
「先ず、信長の寝所をつきとめよ」
と、いうことなのだ。
於蝶ひとりの手によって信長を殺せというのではない。
信長の寝所がわかれば、杉谷忍びを動員して、これを襲撃するつもりなのか……。
しかも、頭領さまは、
「急げ」
と、いってきている。
だから於蝶もあせるのだ。
なぜ、あせっているのか……。
信長の寝所が、いまもって突きとめられない。
信長は、四階建ての居館の一階に居住している。
於蝶も、お濃の方につきそい、この信長の居住区へおもむく機会は、いくらもあった。
二階の後宮から一階の信長の主殿へ通う廊下は二通りあって、これ以外の通行は禁じられている。
まるで迷路のように、諸方へ廊下やら板扉などの出入口があるようだが、うかつには近づけない。
侍女たちがゆるされている通行範囲以外の場所には、きびしい警固がなされている。
しかし、こうした織田の家来どもの警固なぞは、於蝶ほどの忍びにとっては何でもない。
庭の闇に、床下に、天井の裏に、忍びにとっては自由自在のぬけ道がある筈だが……。
(どうもあぶない……)
於蝶の警戒心はつのるばかりであった。
あるとき……というよりも数度にわたって、於蝶は御殿の中を、ひそかにさぐりまわった。
それでいて、かんじんの箇所がつかめない。
たとえば……。
うまく天井裏へもぐりこみ、そこから行動を開始しようとすると肝心のところには、まるで鉄のような重い壁や板の仕切りがおろされている。
天井裏でさえこれなのだから、床下はもちろんのことだ。
於蝶も若干の忍び道具を御殿の中にかくしてあったから、これをもって、仕切りの板や壁をくずそうとするや、
(あ……)
はっと手のうごきがとまってしまうのだ。
何かが、いる。
織田の家来ではない生きものの眼が闇の中で光っているような気がする。
いつも、信長とお濃の夫妻が、にぎやかに食事する主殿の一部へは、於蝶も闇にとけこんで近づくことができるのだが、それから奥へ進もうとすれば、
(あぶない……)
忍びの動物的な本能によって、
(たしかに、どこかの忍びが、信長の身をまもっているにちがいない)
と、感ぜざるを得ないのである。
信長が折にふれて、後宮にいる側妾を寝所へまねくことがある。
その側妾の侍女が、階下の特別な出入口まで送って行くのだが、そこで帰される。
側妾のみが、信長の侍臣によってみちびかれ、寝所に入る。
側妾のひとりで、由加という女性につかえている侍女|津世《つよ》と仲よくなり、それとなく於蝶がきき出してみたが、
「くらい、くらい御廊下をいくつも通りぬけて行くのだそうで……何もわからぬとおっしゃってでございましたよ」
と、津世はいう。
清洲にいたころ、半裸体で只ひとり馬を飛ばして遠乗りに出て行ったりした織田信長と、これほどに注意ぶかい信長とでは、どうも於蝶の脳裡《のうり》の中で一つになってくれない。
「たしかに、すぐれた忍びたちが館の中におります」
於蝶は、久しぶりで銭屋十五郎をおとずれたとき、確信をもっていいきった。
「その忍びたちが、どこの忍びか……つきとめてもよろしいけれども、なにしろ、いのちがけのことにて……」
「おぬしほどの女忍びが、まだ信長の寝所をつきとめることが出来ぬ……?」
「あい」
「信長という大名、おもいのほかに……」
「何やら得体の知れぬ、おそろしい大名におもわれます」
「ううむ……」
この年が明けてから、岐阜城下は町づくりのそれとは別な熱気がたちこめている。
城と町の建設をすすめる一方で、織田信長は軍団の出動のための準備をおこなっていた。
「伊勢を攻めるらしい」
という声が、於蝶の耳へも達した。
信長は、尾張にいたころから、中央へ進出するためには、
「一時も早く、伊勢の国を平定せねばならぬ」
と、いい、岐阜の斎藤氏と戦いつつ、伊勢の国司、北畠|具教《とものり》をはじめ、神戸具盛《かんべとももり》、長野藤定など伊勢の大名たちと争いつづけてきたが、いま、念願の美濃攻略を終え、
「いまこそ、伊勢を我手に!」
と、決意したものらしい。
二月二十日。
信長は三万(四万ともいわれる)余の大軍をひきいて岐阜城を発した。
目ざすは、北伊勢の高岡城(現鈴鹿市高岡町)である。
この城は、去年に信長が麾下《きか》の滝川|一益《かずます》を先手として一万余騎をもって攻めかけてみたが、ついに落ちなかった城だ。
信長の出陣にあたり、於蝶も、その前後の様子を絶えず銭屋十五郎へ報告をしていたが……。
(あっ……)
と思ったのは、信長が、いつ岐阜を出て行ったかが全くわからないことであった。
信長の本軍が威風堂々と岐阜を出て行ったときには、すでに信長は居館の中にも、岐阜のどこにもいない。
(いつこの館を出て行ったものか……?)
さすがの於蝶にも、わからない。
お濃の方でさえ、
「ま、いつの間に……」
と笑い、
「いつも、御屋形さまはこれなのだから……」
前夜は、お濃が信長と夕餉を共にしなかったことはたしかであるが、その前日の朝、お濃は信長と共に三階の茶室でものがたりしている。
とすれば、その日の午後から翌日の夜ふけにかけて、織田信長は岐阜を出ていることになる。
それも、わずか数名の近習をしたがえたのみで、本軍に先立ち、出発をしているのであった。
総大将が、このような出陣の仕方をするのは、異常であるけれども、七年前の桶狭間出撃以来、こうしたやり方が信長の習慣となってしまったようだ。
滝山忠介も、この出陣に加わり岐阜を発している筈である。
信長が居なくなると、館の内も、いくらか緊張がゆるんできたし、
「思いきって、やって見るつもりです」
と、夜ふけに銭屋へ忍んで来た於蝶が十五郎にいった。
「信長の留守のうちに、寝所のありかをつきとめましょう」
うなずいた十五郎が、
「出陣中の信長へも頭領さまは手をのばしておられる筈じゃ」
「もしや……?」
於蝶は息をのんだ。
そのとき、於蝶の脳裡にうかんだのは、鉄砲をかまえた善住房光雲の姿であった。
「もしや……?」
もう一度、於蝶がいったとき、銭屋十五郎が大きくうなずき、
「おそらくは、な……」
「善住房さまも?」
「うむ」
「もしやすれば……」
「それはな、信長のいのちも……あるいはわからぬ。うまく鉄砲の弾丸がとどくところまで、善住房さまが近づければのことだが……」
「はい」
「これ、気をたかぶらせてはならぬ。そのかわり、善住房さまのいのちもあぶない」
「はい」
「わしはな、おそらくは、だめであろうとおもう」
「なぜに?」
「そのようにおもえる。ああ見えて織田信長は、なかなかに気のくばりの細やかな大名じゃ、善住房さまといえども、なかなかに近づけまい」
「………」
「そのことはそのことよ。於蝶どのは寝所のありかを」
「心得ました」
「のぞみとあれば、ここにいる者をさし向けようか」
「いえ。わたくし一人のほうが……」
「そうか。そのほうがよいだろうな。外から忍び入って、おぬしと共にはたらくというのは、どうもむずかしいらしい」
「どこに、どのような落し穴があるやも知れませぬゆえ」
それから三日後の夜ふけに……。
於蝶は自分の部屋をぬけ出した。
そこは二階・後宮の南側で、侍女たちは四人に一部屋をあてがわれていた。
於蝶と同室の侍女は、みな、若い。ねむりこんだらもう、ゆさぶっても目ざめぬほどの深いねむり方をする三人なのだが、それでも尚、於蝶がここを忍び出るとき鞘翅草《しようしそう》とよぶ草を粉末にしたものを、燭台の火にくべておく。
この草は中国渡来とも南蛮渡来ともいうが、甲賀忍者独自の調製による一種のねむり薬である。
この草の粉末がけむりとなってただよい、ねむる者の鼻腔へながれ入って、そのねむりを尚も深いものとする。
夜具の中で身仕度をととのえていた於蝶は、例の墨ながし≠まとい、微風のように廊下へながれ出た。
部屋の中の燭台の油には灯がともっているけれども、廊下の闇は濃く、おもい。
先ず於蝶は、信長夫人が階下の主殿へ通う廊下をたどった。
二カ所に、番士が槍を持って立っている。信長がやかましいので居ねむりなどは決してしてはいけないのだが、闇にとけた於蝶が擦れちがうようにして通りぬけても気づかぬ。
これは、銭屋十五郎へ忍んで行くとき、いつもくり返していることなのである。
幅一間の階段を、於蝶は難なく下って階下へ達した。
むずかしいのはそれからであった。
階段を下りた正面の大廊下を真直ぐにすすめば、信長の主殿へ突き当る。
華麗な風景や動物を極彩色にえがいた大きな板戸がつらなる主殿の入口から入れば、いくつもの部屋をぬけ、信長の居間へ達する。
この順路は、何度も信長夫人にしたがって於蝶が通ったところのものであった。
階下には、灯がともっている。
ここは主殿であるだけに、廊下へも釣灯台《つりとうだい》が掛けられ、番士数名が見張ってもいる。
階段を下りたところで、於蝶は身をかがめた。
前方に番士二名が廊下の両側にすわっていた。
信長が出陣中なので、番士たちは槍をたずさえ、軽武装に身をかためている。
「こたびは高岡の城も、ひとたまりもあるまい」
「いかにも」
「伊勢をおさめたのちは、いよいよ近江《おうみ》じゃな」
「近江には浅井長政さまがおられるし、わけもなく殿さまの御手に入ろうよ」
二人の番士の語り合う声が、於蝶にきこえた。
近江国・小谷《おだに》の城主・浅井備前守長政は、織田信長の妹お市の方を妻に迎えている。
信長が、わが妹のお市を浅井長政に嫁入らせたのは五年も前のことで、まだ彼が本城を清洲から小牧山へうつしたばかりのときであった。
そのころから信長は、中央進出の布石として、近江の浅井長政と自分の妹との政略結婚を考えていたことになる。
そればかりではない。
去年の夏に信長は、むすめの徳姫を徳川家康の長男信康と結婚させて、徳川との同盟をより強固なものにした。
さらに同年……。
「自分の長男・信忠に、ぜひとも武田家の姫をいただきたい」
と、武田信玄に申し入れ、信玄のむすめとの婚約をとりつけている。
それより先、三年も前に、信長は自分の養女を、信玄の子・武田勝頼の妻にしてもらっている。
こうした政略結婚は、当時の大名や、武将たちの利害関係と表裏一体をなすものであったが、上杉謙信は、このような便法すら用いようとはしない。
「罪なき子どもたちをつこうて、そのようなまねをしても、いざ戦さとなれば一切の道義を捨てて争うことはわかり切っているではないか。そのようなだまし合いなどけがらわしい」
いつか、井口蝶丸として春日山城にいたころ、於蝶は、謙信がそういったことを、いまもおぼえている。
「だが、浅井長政公はよいのだが……」
と、番士二人は尚もささやき合っている。
「もう一つ、強敵が立ちふさがっているわい」
「だれだ?」
「観音寺の城の六角義賢じゃ」
「何の……」
と、番士の一人が笑って、
「観音寺なぞは、ひともみにもみつぶしてくりょうわえ」
まるで主人の信長のような口をきいた。
「それはさておき、いよいよ十四代の将軍がきまったそうな」
「なに、いずれは、わが殿が将軍になられる。いまのところは誰が将軍になろうとかまいはせぬ。ちからじゃ。つよく大きなちからがない将軍では名のみのものよ。紙くずのようなものだ」
眠気ざましの、番士二人のささやきは尚もつづいているが……。
ここで、新将軍についてのべておこう。
このとき、足利十四代将軍に任ぜられたのは、あの足利義秋ではない。
三好三人衆に担がれた足利義栄が、ついに将軍となったのである。
なんといっても、義栄は京都に近い摂津・富田《とんだ》の普門寺に本拠をかまえ、これを三好一党が守護しているものだから、遠い越前などへ逃げてしまっている従兄の足利義秋よりも立場が有利であった。
三好三人衆も猛烈に朝廷へはたらきかけた。
それで、しぶっていた朝廷からも、ついに足利義栄へ征夷大将軍の宣下《せんげ》があったのである。
武力も経済力もない朝廷であるから、首都である京を制する大名たちのちから次第で、どうにでもうごく。
例の大坂・本願寺の顕如上人は、
「そのような将軍なぞ、わしは知らぬ」
と、いったとかいわぬとか……。
新将軍なぞには少しもかまわず、むしろ美濃の織田信長に対して、
「いよいよ美濃を平定され、上洛のことも間近いとのこと。まことにめでたいことでござる」
といい、祝賀の意をこめた品々を贈りとどけたりしている。
朝廷でも、また、
「一時も早く、京へ来てもらいたい」
と、信長に勅使が下される。
こうしたわけで、朝廷も本心は、信長が諸国を平定して京都へ入ってくることを待ちのぞんでいるのだ。
越前の朝倉家の厄介になっている足利義秋は、家来の細川|藤孝《ふじたか》や、明智光秀のすすめによって、
「織田信長をたより、信長のちからをもって、一日も早く義栄を追い退け、自分が将軍の座につこう」
と、おもいはじめている。
そして早くも、明智光秀が岐阜へあらわれ、織田信長と交渉にあたりはじめているらしい。
ちなみにいうと、この年。足利義秋は、名を義昭《よしあき》とあらためているから、以後はその名をもって彼をよぶことにしたい。
さて……。
階段下の闇にひそむ於蝶は、そろりと身をうごかした。
向う側の掛灯台にもえている灯りへ向って、彼女は音もなく跳躍した。
躍りあがって、掛灯台のあかりを一息に吹き消した於蝶は、そのまま大廊下の格天井《ごうてんじよう》へ飛びついた。いや、天井へ飛びつく途中で柱の灯台のあかりを吹き消したといってよい。
「や……?」
「あかりが……」
番士ふたり、突如として彼方のあかりが消えたので近寄って来るのと入れちがいに、天井の上の於蝶が両手両足を格天井に吸いつけたまま、するすると移動をした。
たいらな天井とちがい、格天井は格子に組んだ木の上に天井板を張ったものであるから、非常にうごきやすい。
入れかわって……。
於蝶は今まで番士たちがすわっていたあたりまで来ると、天井からはなれて廊下へ飛び下り、
(ここだ!)
かねてから眼をつけておいた板扉をひらき、するりと中へ消えた。
すべては、一瞬の間のことであった。
板扉が、少し音をたてたので、
「お……?」
番士がふりむいたときには、すでに於蝶の姿はない。
「音がしたな、何か……」
「うむ……」
二人は、きょろきょろとあたりを見まわしていたが、結局、
「何事もないわい」
と、いうことになったらしい。
追って来る気配もないのをたしかめてから、於蝶はうごきはじめた。
板扉の中は小廊下であった。
両側は壁である。
あかりは無い。
うるしのような闇がたれこめているのみなのである。
こうした通路が、この信長居館の中にはいくつもある。於蝶も、そのうちの二、三は忍び入っているけれども、何しろ、肝心のところまですすむと、闇の彼方で、じっとこちらが行くのを待ちうけている何物かの気配を感じ、
(これは只者ではない。あぶない……)
いつも引返してしまったものだ。
いま、この廊下の闇には、そうしたものの気配は全くない。
小廊下の突き当りに、また板扉がある。
その扉の向うに何が……?
かがみこんで、於蝶は忍びとしての全神経をはたらかせ、扉の向う側の気配をうかがった。
(だれもおらぬ……)
信長が出陣中なので警戒もゆるんでいるのか……。
於蝶が板扉に手をかけた。
かけつつ、左手で腰の小さな竹筒から忍びあぶら≠敷居へたらしこみ、音もなく板扉を引きあけてゆく。
本来なら大廊下の板扉も、こうして引きあけるべきなのだが、二人の番士の頭上をわたって一瞬のうちに飛びこまねばならなかったので、音がたつのを承知で、於蝶は決行したのである。
それも、番士二人が忍び≠ナはなかったからだ。
板扉の向うも小廊下であった。
と……左側に空気がうごいている。
戸も襖《ふすま》もない空間がひろがっているのだ。
於蝶の眼は、すでに闇に馴れていた。
小廊下に接して、左がわに板張りの広間があったのだ。
そこへ、於蝶は入った。
入って、広間の中央あたりまで来て、
(ここは、これのみ……小廊下をたどったほうがよい)
と考え、身を返そうとしたときである。
(あっ……)
於蝶は思わず立ちすくんだ。
いま、入って来たばかりの小廊下のあたりの闇が、異常であった。
闇は闇だが只の闇ではない。
於蝶が広間へ入った、そのごく短い時間に、小廊下の闇いっぱいに殺気がたちこめていたのである。
於蝶は、広間の大きな柱の蔭へ飛んで、伏せた。
闇の中から、ゆるやかに、声がたちのぼってきた。
「於蝶よ」
その声……。
於蝶は、耳をうたぐった。
「於蝶よ、うごくな」
その声のぬしはだれあろう、あの銭屋十五郎なのだ。
姿も顔も見えぬ。
ただ、小廊下には数名の黒い男たちが、立ちならんでいるのだけは、於蝶にもわかった。
「於蝶よ、わかったかな」
「………」
「十五郎じゃ」
「むゥ……」
「おどろいたか。ふ、ふふ……」
「おのれ……」
「さすがのおぬしにもわからなんだのう。もっともじゃ。杉谷の頭領どのでさえ、わしが織田方へ寝返ったことを知らぬ」
「いうな!」
「ま、きけい」
「無用!」
「どうじゃ。おぬしも、わしと共に織田信長公の御為に、はたらいてみぬか?」
「おのれ……おのれ……」
「上杉謙信や六角義賢など、古めかしい世の大名たちのために、いのちをかけてはたらいたとて何になる。雪ふかい遠国の越後にいて、いつもいつも癇癪《かんしやく》をたてている上杉謙信など、とてもとても京へのぼって天下をつかむわけにはゆかぬぞよ。また兵も弱く、その上、六角父子が仲たがいしている観音寺なぞをたのんで見ても、どうなるものではないのじゃ。於蝶よ、わしはな、おぬしが可愛い。この場で殺しとうはないのじゃ」
「だまれ」
「ま、きけい。わしの口から杉谷忍びのうごきは、すべて信長公の御耳に達しているのじゃ。おぬしは知らなんだであろうが、信長公は侍女として奉公に上ったおぬしが、どのような女か、すべて御存知であったのじゃぞ」
さすがに、於蝶も自分の血が凍るかと思われた。
結束もかたく、かつて裏切り者を出したことがない杉谷忍びだけに、
(十五郎の寝返りを、まことに頭領さまは御存知なかったのか……?)
どうしても信じきれない。
もし、このことが本当なら、出陣中の織田信長のいのちをねらって活躍する筈の杉谷忍びの動きは、すべてむだになってしまう。
善住房光雲の鉄砲をもってしても、どうすることも出来まい。
織田方のわなに落ちて、杉谷忍びが危機におちいることであろう。
また……。
銭屋十五郎が裏切ったとあれば、甲府へ潜入しているねずみのおばば≠フ伊佐木の身さえ、あぶない。
いまのところ、織田信長は、まっしぐらに京都を目ざしている。
だからこそ、武田にも徳川にも婚姻関係をむすんで、京へ向う自分のうしろから攻めかけて来る敵が無いようにしている。
ゆえに、上杉謙信が関東平定の仕事をも捨て、全力をあげて越後から中央へ出て来ることを、
「信長は、もっとも恐れている」
と、いつか杉谷信正が於蝶に語ったことがある。
信長は、金銀もゆたかに所有し、京都にもっとも近い実力派の大名として頭角をあらわしてきているが、その軍隊の戦闘力においては、
「上杉、武田の軍勢と戦うたら、とてもとても勝目はあるまい」
と、頭領さまも洩らしているほどであった。
信長は、前々から、しきりに越後へ使者をやり、上杉謙信へ贈りものをとどけたりして、きげんをとっている。それだけに、現在、上杉謙信を押えて、彼の中央進出をゆるさぬ武田信玄に、いまのところは死なれては困る。
だから信長が十五郎の口から、信玄のいのちをねらって甲府へ忍びこんでいる伊佐木の存在を知れば、ただちに、このことを武田信玄のもとへ報告しているにちがいない。
(ああ、おばばさまのいのちもあぶない)
於蝶は居ても立ってもいられぬ気がしていた。
「於蝶よ」
と、またも銭屋十五郎が、
「とても逃げられぬぞ。どうじゃ、わしのいうことをきけい」
「いやじゃ」
「何……」
「来るなら来やれ。於蝶は、この場に死ぬ!」
数箇の飛苦無《とびくない》≠ニ、一尺ほどの短刀のみが、いまの於蝶の武器であったが、とっさに決死の覚悟となり、於蝶は身をかまえた。
(それにしても、十五郎の寝返りだけは何とでもして頭領さまのお耳へとどけたいが……)
それも、かなわぬことである。
小廊下の闇の中から白刃をぬき持った五名ほどの男たちが、広間へふみこんで来た。
その五名の男たちが、杉谷忍びでないことは於蝶にもわかった。
黒一色の身なりをしているけれども、顔は隠していない。
(信長の家来……?)
思った転瞬……。
於蝶は物もいわずに柱の蔭から躍り出した。
このとき……。
於蝶は身につけているかぎりの飛苦無七箇を、たてつづけに飛ばした。
自分にせまる五名の武士へではなく、小廊下の闇にきこえていた遠くの銭屋十五郎めがけて撃ちこんだのである。
飛苦無──この甲賀独自の手裏剣は闇を切裂いて小廊下の闇へ縦横に撃ちこまれた。
「あっ……」
まさに、銭屋十五郎の声がした。
奇襲である。
前面にせまる敵へは少しもかまわず、いきなり十五郎へ投げこんだ於蝶の飛苦無を、十五郎はかわしきれなかったらしい。
そのかわりに、ななめ左へ走りつつ、七箇の飛苦無を投げ終えたとき、
「えい!」
側面から、すくいあげるように切りつけてきた敵の一人の刃風を於蝶もかわしきれなかった。
「む……」
肩先へ焼鏝《やきごて》を当てられたような衝撃を感じつつ、その手傷のおもさをはかる余裕もなく、於蝶は前方へめりこむように両手をついた。
ついた両手の反動を利して、於蝶の躰が広間の格天井へ打ちあたる。
天井にあたった反動を利して、さらに彼女の躰は板敷へ大きく弧《こ》をえがいて飛び下った。
まるで毬《まり》が諸方へ当り、はね飛ぶようなもので……。
「逃がすな!」
「それ!」
「あっ……」
武士たちが叫ぶ。
武士たちの刃が、やたらに闇を切る。
於蝶の回転運動が尚もつづき、
「ぎゃッ……」
武士のひとりが板戸でも倒すように倒れた。
於蝶の短刀を背中に突きこまれたのである。
突っこんだ短刀はそのままに、於蝶は倒れた武士の太刀をつかみ取るや、
「や!」
はじめて掛声を発して別の一人を横なぐりに切りはらった。
「おのれ……」
どこかで、銭屋十五郎の声がした。
その声に張りがある。
(十五郎を仕損じたか……)
広間の闇の中を駆けめぐりつつ、於蝶はそう感じ、くちびるを噛みしめた。
またも武士二人が於蝶に斬り倒された。
のこる一名は刃を引いて、小廊下の闇へ退く。
於蝶は、広間の北端へ退き、太刀をかまえつつ、身をかがめた。
於蝶の呼吸は荒かった。
敵は、退いたのではない。
小廊下の闇から広間の南端にかけて、今度は顔も黒布に包み隠しているらしい敵が、
(およそ、十名もいようか……)
と、於蝶は思った。
腕をまわして肩先の傷を、ゆびでさぐる。
傷は、ふかいものではなかったが、
(もう、いかぬ)
生きてふたたび、この広間からぬけ出せようとは於蝶も考えていない。
今度の敵は、単なる敵ではない。
刀をぬかずに、彼らはじりじりと広間へふみ入って来はじめた。
この十余名の敵のうちには、銭屋十五郎の店ではたらいていた杉谷忍び三名がまじり込んでいるやも知れぬが、その他の黒衣の男たちは、
(杉谷忍びではあるまい)
人数の点からいっても、そのように多数の杉谷忍びの裏切りがあったとは思えぬ。
(となれば……いったい、どこの忍びなのか?)
おそらく、同じ甲賀の頭領・山中俊房配下の忍びたちであろうと、於蝶は見きわめをつけた。
「これ、女……」
銭屋十五郎とは別な声が小廊下の闇から発せられた。
この声をねずみのおばば≠ェきいたなら、
(山中忍びの孫八じゃ)
と、すぐに判断がついたであろうが、於蝶は孫八の顔を見たこともなく、声をきいたこともない。
「これ、女よ。見事なはたらき、ほめてやろうかえ」
於蝶は、こたえぬ。
「もはや、ゆるせぬぞよ」
その、甲賀の孫八の声を最後に、於蝶を圧迫する闇は沈黙した。
十余の黒影が、ひたひたとせまる。
こうなると、女忍びは不利だった。
女忍びにとって武器をとって正面から敵とわたり合うことが、どうしても男とちがって劣るのは仕方もない。
黒い影ふたつが、するするとせまって来た。
前の織田の家来たちのように一度に切りかかるようなまねはせぬ。
闇の室内で、多勢が一人の敵へ一度に飛びかかることは、いたずらに混乱をまねく。
前の武士たちは、
「われわれで、じゅうぶんである」
と、十五郎にいって広間へ入って来たのである。
二つの黒い影は、いきなり鉤縄《かぎなわ》を飛ばしてきた。
ということは、まだ於蝶を捕えるつもりらしい。
於蝶は、むしろ前方へ飛んで、これをかわしつつ、このときも思いきって太刀を右の敵へ投げ撃ったものである。
この太刀こそは、いまの於蝶にとって只一つの武器であるだけに、敵も(まさか……)と思っていたのであろう。
「ぐ、ぐう……」
押しつぶされたようなうめき声を発し、右側の敵が崩折れるように床へ倒れた。
於蝶が投げた太刀に胸を突き刺されたのだ。
倒れかかるその敵の鉤縄を引きたぐってうばい取った於蝶は、この鉤縄を天井へ投げた。
鉤が天井の格子へ、がっと喰いこむ。
だからといって、とても人間ひとりを宙へつるしあげるだけの支えになるものではないが、そこは忍びの者であった。
いささかの手がかりでもむだにはせぬ。
縄をつかんだ於蝶の躰が、ふわりと宙に浮いた。
別の一人が鉤縄を捨てて、
「や!」
ぬき打ちの一刀を送りこんで来たときには、於蝶は広間の中央から一気に、小廊下の闇へ躍りこんでいたのである。
「こやつ!」
「もはやかまわぬ。斬り捨てい!」
怒号がおこった。
小廊下へ立った於蝶へ、するどい刃風が何度も見舞った。
「あっ……」
また、於蝶は切られた。
切られつつ、仰向けに於蝶の躰が空間に飛び、一気に先刻潜入した板扉の間際へ落ちた。
落ちて、片ひざを立て、板扉を引き開けようとしたとき、
(これまで……)
於蝶は、観念の眼をとじた。
眼前にせまった一人の敵の刃は、もう、かわしきれなかったのである。
(斬られる、死ぬ……)
おもいきわめた瞬間に、於蝶はぐいと腕をつかまれ、引きおこされた。
「逃げよ!」
その敵がいった。
その敵は顔を隠していない。
前に於蝶が斬り倒した織田の家来のうち、最後に一人のこって身を退いた敵らしい。
その敵は、板扉を引きあげ、於蝶を向うの通路へ突き飛ばしておいて、また板扉をしめた。これは敵ではない、味方のすることではないか……。
(だれか……?)
思いめぐらすゆとりもなかった。
背後に、すさまじい争闘のひびきをききながら、於蝶は夢中に通路を走り、突当りの板扉を引き開けて、ついに大廊下へ出た。
「な、何者?」
おどろいたのは、大廊下にいた番士二人である。
あわてて、槍をつかんだが、このような番士たちなら、手負いの於蝶でも何のことはない。
一人の腹へ飛びつき、差しこんでいる脇差をぬきとり、これにはかまわず別の一人の槍先をはねのけておいて、
「曳《えい》!」
そやつのくびすじを切った。
「ぎゃあっ……」
倒れるのを見向きもせず、階段口へ走る於蝶へ、
「曲者!」
脇差をうばわれた番士が追いかけて来るのへ、ふり向いた於蝶の手から脇差が投げつけられた。
脇差は吸いこまれるように番士の顔面へ突き立った。
そのとき、於蝶は一散に階段を駆け上っている。
三階の後宮へ駆け戻った於蝶は、階下の物音に階段口へあらわれた番士へ下から飛びついた。
「あっ……」
この番士も、於蝶に脇差の抜身をうばわれた上に、思いきり突き飛ばされて階段をころげ落ちる。
廊下のあかりを吹き消しつつ、於蝶は、侍女としての自分の部屋へ躍りこんだ。
この織田館内で、太鼓の音が物々しく鳴りひびき出したのは、このときだ。
「あ、何事?」
「何やら異変が……?」
先刻までは同じ侍女であった同室の三人が、はね起きたとき、於蝶は猛然と南がわの窓へ体当りをくれていた。
侍女たちの悲鳴があがった。
窓の板戸が打ちやぶられ、於蝶の躰は屋根へ躍り出ている。
「くせもの!」
「お出合い下され!」
侍女の叫びを後に、於蝶は必死に織田館の屋根を逃げはじめた。
そして……。
於蝶が、甲賀の杉谷屋敷へたどりついたのは、何と翌日の夜ふけであった。
ほとんど一昼夜。彼女ほどの忍びにしては時間がかかりすぎる。
しかし、織田居館から追跡の人数(忍びをふくむ)がくり出されたし、於蝶も重傷を負っていたのだから、やむを得ない。
隠し門の番をしていた杉谷源七老人によって於蝶が屋敷内へかつぎこまれたときには、半死半生のありさまだった。
意識を回復してから、於蝶は枕頭《ちんとう》にあらわれた頭領・杉谷信正へ、銭屋十五郎の裏切りなど、すべてを語った。
杉谷信正は沈痛な表情でこれをききとったが、
「ついに……われらの忍びからも汚らわしい寝返り者が出たか……」
いいさして、あとはいつまでも押しだまったままである。
数日して、於蝶はいくらか元気を取りもどし、尚もくわしく当夜の模様を頭領さまへ語ると共に、織田の家来と見えた一人が最後の急場で自分を救ってくれたことをはなすや、
「伊坂七郎左衛門というものじゃ」
と、杉谷信正はいった。
「伊坂、さま……?」
「わしの、隠し忍びじゃ」
それで、何もかもわかった。
甲賀の隠し忍びの存在は、頭領のみしか知ってはいない。これは頭領が何代にもわたって存続するのと同様に、隠し忍びも他国に住みつき何代も存続する。
これは全く甲賀とは縁のない人間、武士であったり商人であったりするわけだが……そうして何代にもわたり、いざというときの用意に、頭領直接の命令をうけて使命をはたすのである。
ねずみのおばば≠ウえ知らぬ杉谷家の隠し忍び伊坂七郎左衛門は五代目に当るそうな。
そして、伊坂はあの夜、闇の小廊下に四十一歳の生涯を終えたことになる。
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落 城
この年の夏。
越前の朝倉義景のもとに身をよせていた足利義昭が、春日山の上杉謙信へ、つぎのような手紙を送っている。
「岐阜の織田信長は、自分を将軍の座につけ、天下平定のため、京へのぼろうとしている。このため信長は、自分に、岐阜まで出て来ていただきたいと申し出てきているので、近いうちに、この越前を発って岐阜へ行くつもりである。このことについて、朝倉義景は、べつにわるくはおもっていないようである」
上杉謙信は、この手紙を読み、どうおもったか知れぬが、朝倉義景は、
「わしを見かぎり、信長をおたよりなさろうというのか。勝手になさるがよい」
わるくおもわぬどころか、自分勝手な足利義昭を、
「こちらで見かぎってくれるわ」
と、いった。
それでも足利義昭は、
「自分が将軍位についたなら、決して決して、わるいようにははからわぬ」
などと朝倉義景に対して誓書をあたえたりしている。
義昭につきしたがっている明智光秀や細川藤孝、一色《いつしき》藤長などの交渉によって織田信長も、
「義昭公のめんどうをみよう!」
と、決意したのである。
信長は、伊勢の国の大半を平定して岐阜へ帰ってからは、
「もはや、まっしぐらに京へすすむのみじゃ」
と、まなじりを決しているらしい。
越前を出た足利義昭の一行は、近江《おうみ》の国へ入ると、信長の妹聟である浅井長政の出迎えをうけ、長政の居城・小谷山《おだにやま》へ案内され、あついもてなしをうけた。
そして七月の末に、岐阜へ入り、立政寺《りゆうしようじ》という寺院を宿舎にあたえられたのだが、
「わしは、間もなく将軍の位につくものである。このような仮宿舎ではなく、りっぱな館《やかた》をたててもらいたい」
などと信長に申しこんだり、
「もそっと、おいしいものを食膳につけたらどうじゃ」
なかなかにうるさい。
しかし、織田信長は、
「わしのちからによってこそ将軍になれるのではないか。そのようなわがままをいうてもきくな」
と、命じ、鼻の先でわらい、相手にもしなかった。
義昭は怒った。
怒ったが、この岐阜へ来て見て、はじめて信長のたくわえた偉大な力を知ったし、明智や細川などの家臣にもいさめられ、
(こうなれば、信長をたよるよりほかに道はなし)
と、おもいきわめたようである。
信長は上洛の準備をすすめると共に、武田信玄や上杉謙信にも、
「これからも仲よくいたしましょう」
などと、手紙を送ったりしている。
さらに、信長は、越前の朝倉へも使者をつかわし、
「いよいよ、義昭公を奉じて京へのぼることになりました。そちらも、われらと共に、義昭公へしたがって京へのぼっていただきたい」
と、申し送ったけれども、朝倉義景は不愉快きわまるといった態度で、
「お好きなように。なれど自分は、おことわりいたす」
きっぱりと拒絶したものである。
義昭にしたがうということは、とりも直さず信長にしたがうということなのである。
信長はこの返事をうけ、はっきりと怒りの表情を見せた。
「近いうちに、朝倉を討たねばなるまい!」
と信長はいった。
そこで信長は、いよいよ近江の観音寺城へ向けて、
「義昭公御上洛の道案内をたのみたし」
と、いってやった。
道案内どころか、自分にしたがえというわけなのである。
「ことわる!」
城主の六角義治は、現将軍・足利義栄を奉じ、三好三人衆と同盟しているのだから、信長のいうままにはならぬ。観音寺さま≠フ六角義賢も、この点だけは息子の義治と同意見であった。
「そのようなことを申さずとも、ぜひぜひ、われらと共に……」
信長としてはめずらしく、もう一度、申し出たが、六角父子は承知をしなかった。
信長は、六角父子をあきらめ、甲賀の豪族・和田伊賀守をよびつけ、
「おことから甲賀の武士たちに申しつたえてもらいたい。義昭公にしたがい、忠勤をはげむようにと、な」
と、命じた。
和田伊賀守は、かつて足利義昭を奈良の一乗院から救い出した人物である。
「心得申した」
伊賀守は、ただちに甲賀武士へ信長からの通告を達したが、同じ甲賀の豪族たちの中でも、いろいろと微妙なうごきがあったようだ。
杉谷屋敷は、まるで人気もないように、しずまり返っている。
織田信長は、
「もはや、義昭公は将軍になられたのも同然である」
と、天下にいいはなち、秋風が吹きはじめると、尾張と美濃二カ国の諸将へ、
「上洛の仕度いたすべし!」
動員令を下した。
九月に入るや、織田信長の全軍三万余が岐阜へ集結を終えたのである。
一方、観音寺城でも、この様子を知って、
「素通りをして行く信長ではないぞ」
急ぎ、応戦の準備にとりかかった。
このころ、杉谷屋敷の奥ふかく暮す於蝶の傷も、ようやくに癒えてきていた。
そのころ杉谷屋敷には、あの杉谷源七老人のほかに、男たちは四名ほどしかいなかった。
頭領杉谷信正みずからも、屋敷を出て、どこかへ忍びばたらきに行っているらしい。
この屋敷を出ていった夜、杉谷信正は、於蝶がいるねずみのおばば≠フ居宅をおとずれた。
「於蝶。傷は癒えたか?」
「あい」
「少しずつでよい、からだがうごくようにしておいてもらいたい」
「頭領さま。そのお姿は……いずこへ旅立たれますのか?」
「うむ……」
「いずこへ……?」
「それは、きかぬでもよい」
「いよいよ、織田信長が、この近江の国へふみこんでまいりまするな」
「いかにも、な……」
いいさした頭領さまの顔には、例によって何の表情もうかんではいなかったけれども、於蝶は、観音寺城が危急におちいっていることを、はっきりと感得した。
「あの、観音寺さまは……?」
「いうまでもあるまい」
杉谷信正は屹《きつ》と空間をにらみ、
「観音寺さまが信長ごときに、したがう筈はない」
「では、近江へ入って来る織田勢を迎えて、ひと戦さが……」
「あろうやも知れぬ。が……」
「は……?」
「観音寺さまも、このわしも、いま考えていることがある」
その考えを、ぜひともききたかった於蝶だが、これ以上はつつしまねばならない。
どちらにせよ、杉谷忍びは、主家とあおぐ観音寺さまのために総力をあげているにちがいない。
このようなことになるのなら、
(なんとしても、岐阜にいたとき、信長を殺害してしまうのだった……)
と、於蝶は、くやしさに五体がふるえてくることがある。
(なれど……それが果して、あのときの私に出来得たことだったろうか……?)
そう思うとき、
(むしろ、あのときは岐阜の信長屋形から逃げることができたことさえ、ふしぎにおもわれる)
のである。
放胆《ほうたん》のように見えていて、織田信長という人物は、あれでなかなか身辺の警戒に、こまかく神経をつかっている。
あの居館の中の仕組みの秘密は、さすがの於蝶もさぐりとることを得なかった。
さらに頭領さまさえも知らなかったほどの銭屋十五郎の裏切りによって、こちら側の忍びばたらきがすべて信長の耳へとどいてしまっていたのである。
これでは、どのようにすぐれた忍びが織田方へ潜入していても、信長のいのちを奪うことはおろか、何事をもさぐり出すことは出来まい。
杉谷忍びの組織も、うごきも、却って信長の利用するところとなっていたのだ。
(ああ……おばばさまはいま、何をしておいでになることか……)
ねずみのおばば≠フ伊佐木は、いまも甲府に潜入しているものと見てよい。
(いずこにおいでなのか……?)
であった。
今年の春、織田信長の伊勢出陣をねらって、善住房の鉄砲がどのようなはたらきをしたものか……。
いや、彼の鉄砲がはたらくより先に、信長は手をうち、杉谷忍びたちを一歩も近よせなかったにちがいない。
その夜。
杉谷信正が去るとき、おもいきって於蝶はたずねた。
「あの……あの、善住房さまは、いまもお元気でいられましょうか?」
「うむ」
大きくうなずいた頭領さまは、
「安心せよ」
ちからづよく受け合ってくれた。
「ま……」
於蝶の面上に歓喜がひろがってゆくのを杉谷信正もうれしげに見やったが、すぐに沈痛な声で、
「甲賀の杉谷忍びも、いまは、昔日《せきじつ》のごときちからは失せてしもうた。なれど……なれど最後の最後まで、わしは、わしの心にたのむところによって闘いぬくつもりじゃ」
「はい、頭領さま」
杉谷信正が屋敷を出て三日目の夜、杉谷源七老人があらわれ、
「於蝶。先ほどにな、頭領さまからの密使がまいってな」
「はい?」
「われらに、ことづけがあったのじゃ」
「それは?」
「望月家とわれらは、いま、こころざしを同じゅうしていることを、胸のうちへたたみこんでおくように……とのことじゃ」
「心得ました」
望月家というのは……。
杉谷家や山中家と同じ甲賀の豪族で、今宮の里に居館をかまえている。
いま、望月家の当主は対馬守吉棟《つしまのかみよしむね》であるが、一族も多いし、杉谷家にくらべると、その忍び≠フ組織も層が厚い。
こうした望月家が、
(われらと共に忍びばたらきをしてくれるというのなら、ほんに、こころづよいこと)
於蝶もうれしかった。
もともと望月家は観音寺さまへ忠誠をつくしていたのだけれども、いざ、このように織田の大軍を迎え撃つというときになり、見す見す観音寺城が危いというときになって、望月家が杉谷家と協力し、観音寺さまの六角義賢のためにはたらこうというのは、それが杉谷信正のことばだけに、
(信じてもよい)
と、於蝶はおもった。
「いつにても、はたらけるように仕度をととのえておけとのことじゃ」
源七老人がそういった。
「はい!」
「わしもな、そろそろ、この老いつくしたいのちを捨てるときが来たようじゃよ」
「このようなときに、おばばさまがおいでになって下されたら……」
「うむ。わしもいま、そのことを考えていたところよ」
ねずみのおばば≠フみではない。
(このようなときに、手練すぐれた市木平蔵どのがいてくれたら……)
と、於蝶はおもう。
「源七さま。平蔵どのの行方は、まだ知れませぬのか?」
於蝶の問いに、杉谷源七老人は、
「知れぬ」
「やはり、織田方の忍びの手に討たれたのでしょうか?」
「あるいは、な……」
源七は、ためいきのように、
「このように手不足となるのだったら……」
と、つぶやいた。
「え?」
「いやなに……市木平蔵がいてくれたら、と、わしもおもうていたところよ」
この夜から、杉谷屋敷は非常警戒に入った。
男忍びが五名。
女忍びは於蝶ひとりであったが、外へ出ている忍びの妻女たちも、こうなれば武器をとって一通りのはたらきはする。これで、女たちが十名ほど、合せて十五名が屋敷の内外をかためることになった。
これは、どこかにいる頭領さまの指令にちがいないことだが、
(この杉谷屋敷へも、敵が打ちこんで来るというのか……)
それだからこその警戒と見てよい。
しかし、わずか十余名の忍びたちを討たんとする敵は、いったいだれなのか?
織田信長が、まさか一豪族の屋敷へ攻めかかる筈はあるまい。
(もしや……?)
於蝶は胸がさわいだ。
この彼女の胸さわぎは後に適中することになるのだが、それはさておいて……。
秋晴れの空の下を織田の大軍はひしひしと近江の国へ進軍しつつあった。
三河の徳川家康も千五百ほどの新鋭をひきい、これに参加しているという。
美濃から、中山道をまっしぐらに織田軍は愛知川《えちがわ》を押しわたった。
前面に、街道をはさんで二つの山城が見える。
右手の琵琶湖にのぞむ山城は、いうまでもなく観音寺城であった。
左手の箕作山《みつくりやま》の城は、観音寺の支城で、ここには吉川出雲守が城将となり、
「信長めに一泡ふかせてくれよう!」
と、待ちかまえている。
むろん「観音寺さま」の六角義賢も武装に身をかため、我子の義治と共に起ちあがった。
さらに……。
箕作山城の北東、愛知川沿いの丘の上に、和田山の城があり、これも六角氏の支城で、田中|治部太夫《じぶだゆう》という部将がまもっていた。
織田信長は先ず、
「和田山を攻めとれ!」
と、命を下し、佐久間信盛と丹羽長秀の二部隊をもって和田山の南方から進出せしめた。
「いよいよ来た!」
これを観音寺山の城から見わたし、六角義賢は、
「決戦は明朝となろう」
と、いった。
この夜ふけに……。
翌日の決戦をひかえ、観音寺さまが、山頂に近い陣所で仮寝をしていると、
「もし……もし……」
ひそかに、よぶ声がする。
「おお……与右衛門か」
まさに、杉谷与右衛門信正であった。
黒一色の忍び装束の上に、杉谷信正は厳重な武装で、彼の面上には隠しきれぬ苛だちの色がうかんでいた。
「与右衛門、どうじゃ?」
「はっ……」
信正は、うなだれた。
「杉谷忍び八名に、望月忍び二十名ほどが、ちからを合せてさぐりつづけておりまするが……いかにしても織田信長の本陣の在処《ありか》が知れませぬ」
「ふしぎではないか」
「いかにも……」
「日暮れまでには、たしか野々目《ののめ》のあたりに本陣を進めていたというが……」
「その通りにござります。ゆえに、われらも眼をはなさず、夜に入るのを待ち、杉谷・望月の忍びたちすべてを一丸にあつめ、決死の夜討ちをかけ、なんとしても信長の首を、と……」
「うむ、うむ」
「そのつもりで手配りをいたしましたところ……」
夜に入るや、突如、信長本陣がうごきはじめたというのだ。
杉谷信正が指揮する忍びたちは三手に分れて、信長本陣の東から南へかけてつらなる山々の裾にひそんでいた。
だが、信長の本陣は約一里をへだてた平地にあって、これを二万余の大軍が幾重にも取り巻いているのだ。
ひろびろとした野陣だけに、これへ向って潜入することはまことにむずかしいといわねばならぬ。
けれども杉谷信正は、忍びの術のあらんかぎりをつくして突入する決意をかためていたのだ。
ところが……。
夜に入るや、信長本陣をかこむ軍団が縦横にうごきはじめた。
だからといって、どこかへ移動をするのでもない。
そして、このうごきがしずまったとき、信長本陣は忽然として消えてしまっている。
本陣の在処をしめす篝火《かがりび》の群も、戦旗も、大軍の中に埋没してしまい、総大将・信長の行方がわからなくなった。
「そこで……」
と、杉谷信正は、観音寺さまに、
「そこで、すぐさま、さぐり忍びを三名ほど出しましたところ……これが、いまもって帰ってまいりませぬ」
「ふむ……?」
「おそらくは……」
「なに?」
「織田方の忍びにとらえられ、あるいは斬殺されたやも……」
「甲賀の山中俊房が、信長のために忍びばたらきをしているとは、まことのことかや?」
「おそらくは……」
どう見ても、いまの織田信長には歯がたたぬくやしさを、杉谷信正は押えきれなかった。
朝がきた。
依然として、織田軍は和田山の城へ、ひしひしとつめかけている。
信長の所在は、まだ知れない。
もっとも、あかるい秋の陽光の下では、杉谷・望月の忍びたちも思うさま活動するわけにはゆかぬ。
「信長めは、あの大軍の中のどこかにまぎれこんでおります」
観音寺城の陣所で、六角義賢のそばにつきそい、杉谷信正は、
「本陣の在処をしめす旗のぼり一つ見えませぬ」
「ううむ……」
観音寺さまも、くやしげにうなり声を発した。
午後になって、杉谷信正は観音寺山を下り、忍びたちが待機する山中へもどって行った。
(まだ数日は大丈夫だ)
と、信正は見ていた。
観音寺さま≠ヘ、信長の来攻にそなえ、かねてから城の防備に意をつくしてきていたし、この本城と箕作山城をむすぶ山、丘、街道一帯に堅固な陣地を構築している。
織田信長も、これを見て、
(これは手軽に打ちやぶることはできまい)
と考え、先ず出城の和田山を攻め落そうとしているにちがいない。
ここで観音寺さま≠ェ手強《てごわ》く信長の軍を喰いとめているのを見れば、諸方の情勢もおのずからちがってくるのである。
新将軍・足利義栄を擁し、京都を押えている三好三人衆も、
「急ぎ観音寺へ助勢を……」
と、出陣の仕度にかかっているらしい。
ところが……。
夕暮れも間近いころになって、
「あっ……」
箕作山の城の峰の一つにいた杉谷信正が顔色を変えた。
「頭領さま……」
そばにいた杉谷忍びの下田藤作も、
「織田軍のうごきが……?」
身をのり出した。
眼下にひろがる平野に、うなり流れる愛知川。
その川が北上して琵琶湖へそそごうとする一里ほど先に突起している一丘陵が和田山城であった。
愛知川をわたった織田軍は、この和田山を包囲して攻撃の時が熟するのを待っていたように見えたが……。
突如!
軍団の中で、もっとも観音寺と箕作山に近いところへ陣をかまえていた浅井長政の部隊が、ゆるやかに移動を開始したのである。
和田山をかこむ織田軍の中で、浅井部隊は最後尾にいたわけだ。
浅井長政は、近江・小谷城主で、織田信長の妹のお市を妻にしている。
だから信長と長政とは義兄弟の間柄となったわけだが、そのころまでは友好関係をつづけていた六角家と浅井家も、六角父子と織田信長との対立から、いきおい、互いの意思が通じ合わなくなってきていた。
しかもである。
六角家に見切りをつけた家来たちが、近ごろは浅井長政に、
「おたのみ申す」
と、たより、観音寺城からぬけ出して行く、その数も少なくはないのだ。
そのたびに浅井長政は、岐阜の義兄・信長へ、
「いかがはからいましょうか?」
と、うかがいをたてている。
そのたびに信長は、
「かまわず、これとおもう人物なれば、めし抱えられたがよかろう」
こたえている。
妹のお市と浅井長政との夫婦仲は、まことにむつまじいとの評判がしきりで、信長も、
「お市にもよき夫であろうが、わしも浅井長政にたのむところは多い。人柄もよく、その軍勢も強い。これからは長政次第で、わしの片腕ともなってもらいたいものだ」
と、妻のお濃の方へも洩らしたことがあるほどであった。
その浅井長政の部隊が、いま、ゆるやかにうごきはじめた。
これをのぞみ見ているうちに、得体《えたい》の知れぬ不安が杉谷信正の胸をおおいはじめた。
すでにのべたように、浅井部隊には、前に六角家の臣だったものが、当然、加わっているものと思ってよい。
これらの者たちは、観音寺や箕作山の城の内外の模様を知りつくしているばかりか、六角家の内情にも通じているのだ。
(もしや……?)
信正は、下田藤作に、
「急げ。もしやすると、観音寺か、この箕作山へ、敵が襲いかかって来るやも知れぬ」
「え……?」
「信長は、和田山へ攻めかかると見せ、こなたの油断を見すまし、いっきょに襲いかかろうやも知れぬ」
「まさか……?」
藤作は、信じられぬといった顔つきである。
陽は、琵琶湖の西岸につらなる比良《ひら》の山なみへかたむきかけているではないか……。
いま、戦端をひらいたなら、戦闘は夜に入ってしまう。
夜戦というものは、なかなかにむずかしいもので、闇の中を手さぐりで戦い合うわけだから、総大将が全般の戦況を見て指揮を下すことがほとんど不可能となる。
大軍の中へ、小部隊が決死の覚悟で斬込むというのならわかるが、いまの織田信長は大軍をひきいて、こちらを包囲しているのだ。
それが夕暮れから相手の山城へ攻めかかろうなどとは、およそ無謀な作戦だといえよう。
下忍びの下田藤作が頭領さま≠フことばを信じきれぬのも、むりはなかったのである。
「急げ。わしは観音寺へ行く!」
「はっ」
二人は、矢のように峰を下りはじめた。
移動する浅井長政部隊から、突如ほら貝の音が鳴りひびいたのは、このときであった。
ほら貝の音は、三段にわけて鳴りひびいた。
と見るや……。
このときまで、愛知川の対岸に一部隊だけはなれていた徳川家康ひきいる三河勢一千余が見る見る隊形をととのえはじめ、これがたちまち川をわたりはじめる。
下田藤作から、
「急ぎ戦さ仕度を……」
と、杉谷信正の伝言をきいた箕作山の城代・吉川出雲守は、
「ばかなことを……」
一笑にふしてしまったものである。
「なれど……」
「忍びの指図で戦さが出来ようか」
取り合おうともせぬ。
むろん、物見の兵が、浅井・徳川両部隊の移動を吉川出雲守に報じて来たが、
「こなたも、じゅうぶんに仕度をしておるではないか。この山城へ夜討ちするほど、信長も馬鹿ではあるまい」
などといってるうちに……。
箕作山城の峰々から、動揺のざわめきがおこりはじめた。
「何じゃ?」
吉川出雲守が出て見て、
「あっ……」
おもわず彼は息をのんだ。
いままで、和田山をかこんでいた織田の大軍が、いっせいにうごきはじめたからである。
織田軍は、せっかくに包囲した和田山城など、
「このような小さな出城なぞ、はじめから用はなかったのだ」
とでもいうように、猛然として振り向き、こちらへ進み出したのだ。
陣太鼓が、ほら貝が鳴る。
うわァ……。
織田軍の喚声が、津波のようにわき起った。
いままでは最後尾にいた浅井・徳川の両部隊合せて五千余が、今度は先鋒と変じ、
「えい、えい!」
「おう、おう!」
進撃の声を合せつつ、箕作山城の東面へ突き進んで来る。
こちらも居ねむりをしていたわけではないが、何しろ、思いがけぬ時に、思いがけぬ敵の反転攻撃が仕かけられたので、
「あ、あっ……」
「お、押して来る、押して来る」
虚をつかれ動顛《どうてん》してしまったようだ。
織田の主力は、まっしぐらに、箕作と観音寺の両山にはさまれた中山道へ突き入らんとした。
二百ほどの騎馬隊が、疾駆して来ると、いっせいに飛び下りた。
これが何と織田の鉄砲隊である。
中山道《なかせんどう》口を守る六角軍に向けて、
──だ、だあん……。
一斉射撃をおこなったものだから、度肝をぬかれて狼狽するところへ、弾けむりの下から織田の槍隊が穂先をそろえて押しこんで来た。
信じられぬほど簡単に、中山道口の六角軍は打ちやぶられ、両側の山城へ逃げのぼったのである。
織田信長という大名のすることは、政治・外交の型やぶりのみか、戦術においても、まったく武人の常識では考えられぬことを大胆をきわめておこなう。
これが、信長と初めて戦う六角軍だけに、あれよあれよという間に信長のペースに巻きこまれてしまった。
さらに、このところ六角家は大きな戦さの経験をつんでいない。
むかしのままの戦法で、この恐るべき敵を迎え撃ったわけだ。
その上に信長は、浅井家へ逃げて来た六角の旧臣たちから、前もって六角方の城のどこがもろいか、どこが堅固かをさぐりつくしていたのだ。
中山道へなだれこみ、観音寺と箕作山の両城のつながりを絶った織田信長は、
「それ! 陽が沈むまでに箕作山を攻め落せ」
突然、軍列の中から姿をあらわした。
このとき、観音寺城へ戻っていた杉谷信正は、このありさまを見下し、
「おのれ!」
歯がみをしたが、もはやどうなるものではない。
信長が姿を見せるや、彼のまわりに、信長本陣の在処をしめす戦旗が、へんぽんとしてひるがえったものである。
信長は、みずから長槍をつかみ、
「我につづけ!」
先頭に立って、箕作山の東面から攻めかけた。
鉄砲隊が、ふたたび馬に乗ってあらわれ、射撃をおこなう。
東面から南側へまわった浅井・徳川の両部隊は、まるで突風のような烈しさで、たちまちに山麓の六角陣所をふみつぶしてしまった。
わけても徳川家康は、若いころからの戦塵を落す間もないほどの歴戦の勇将であり、このときはまだ三十そこそこの年齢で、
「三河武士の意気地を見せよ!」
みずから先頭に立ち、長槍をふるって闘う。
織田信長の請いに応じて、この戦さに参加した徳川部隊は、わずか一千余にすぎなかった。
家康は、三河の領国の守りに大半の軍勢を残して来たが、そのかわり大将みずからがひきいた精鋭部隊で、
「見ておれよ。三河殿(家康)のはたらきを……」
と、織田信長が、わが家臣たちにいった通りのすさまじい突撃ぶりであった。
夕陽が、比良山脈に沈みはじめた。
箕作山を守る吉川出雲守は、
「押しもどせ!」
必死に防戦をしたが、山の下から押しかけ、押しのぼって来る織田軍の勢いに呑まれ、
「ああ、いかぬ、もう、いかぬ」
辛うじて、城の西側へ血路をひらいて逃げはじめた。
大将が逃げてしまったのでは、どうにもならぬ。
夜が来たとき、箕作山のいただきには、織田信長本陣の篝火が天を焦がしていた。
「もう、いかぬ」
観音寺さまの六角義賢は、眼と鼻の先の箕作山城を織田信長に乗取られたので、
「こうなれば……」
きっと、我子でもあり観音寺城主でもある六角義治に向い、
「こうなれば、無二無三に箕作山の信長本陣へ夜討ちをかけてくれよう」
と、いいはなった。
まだ五十そこそこの観音寺さまだけに、隠居の身とはいえ、いざとなると闘志もさかんで、
「佐々木源氏のほまれを、このようにふみにじられたのでは先祖へ顔向けがならぬぞよ」
すると義治は、
「父上。むだでござる」
「なに?」
「とうてい勝目はござりますまい」
「では、どうする?」
「ここは先ず、信長のおもうままに……」
「戦させぬというのか?」
「こうなっては……」
「降参するのか?」
「いや。ひと先ず、観音寺山を下り、再起をはかろうと存じます。父上、いかが?」
すぐに、杉谷信正がよばれた。
「義治は、かよう申すがどうじゃ?」
「ごもっともと存じまする」
と、信正は、
「いざともなれば……信正にも、その用意はしてありまする」
「何と申す……?」
「これより、夜陰に乗じ、ひそかに山を下られて甲賀へ……」
「お前のところへか……?」
「はい」
杉谷信正は無念の形相で、
「それがしも、信長めをこのままにはしておきませぬ」
「むむ……」
「和田山の城では、すでにあきらめ、田中治部太夫様をはじめ、全軍、城を下って、いずれへかに落ちのびましたるよし」
「ふがいなき者どもじゃ」
「こうなれば、この観音寺城はささえきれませぬ」
「むむ……」
「犬死をなされますな」
「うう……」
すると六角義治も、
「父上。甲賀から伊賀の山中へ落ちのび、再起をはかるがよろしかろうと存ずる」
しきりに、すすめる。
ついに観音寺さまも、
「よろしい。すべて、杉谷信正にまかせよう」
同意せざるを得なかった。
こうするうちにも、城にこもる六角軍の中から、主人の六角父子にもことわりなく、暗夜にまぎれて山を下り、どこへともなく逃げて行く家来たちをふせぐすべもないありさまとなってきている。
これを、箕作山の本陣できいた織田信長は、こういった。
「もはや何の役にもたたぬやつどもじゃ。捨ておけ!」
だが、信長は、
「なれど、六角父子を逃がしてはならぬ」
厳命を下したものだ。
この信長の命令が、どのようにおこなわれようとするのか……。
いま、孤立した観音寺城の脱出口は、わずかに西方の一カ所のみであった。
ここのところは、織田軍の警備も手うすになっているし、六角の家来たちは、みな西口を下り、落ちのびて行く。
西方には琵琶の湖面がひろがっており、六角家の船の用意もある筈だ。
しかし、杉谷信正は、
(観音寺さまを西口から落しまいらせるは却ってあぶない)
と、考えている。
信長は、わざと西口へ脱出口をつくっておいたにちがいない。
家来たちが西方へ逃げて行くことは見のがしていても、いざ六角父子があらわれたなら、信長はたちまちに牙をむいて飛びかかって来るであろう。
信長のためにはたらく忍びたちの眼が、無数に闇の中に光っていて、六角父子のうごきを見守っている筈であった。
(いざとなれば……)
と、杉谷信正はかねてから考えていた。
望月忍びと協力をして、戦場に織田信長を討つ覚悟はしていたけれども、もしも信長を殺害することが出来ず、観音寺落城ということにでもなれば、すぐに六角父子を誘導して甲賀の杉谷屋敷へかくまい、さらに望月家へうつすつもりでいた。
それにしても……。
箕作山城が、このように素早く信長の手に落ちようとは考えても見なかったことである。
「おそれながら……」
と、杉谷信正はいい出した。
六角父子に変装していただきたいというのである。
名もなき軍兵の姿になっていただきたいと申し出たのである。
六角義治は怒ったが、さすがに観音寺さまは、
「ま、待て」
「なれど父上……」
「信正には信正のおもうところがあろう。このように袋の中のねずみとなってしもうたわれらじゃ。ここは忍びばたらきのまねごともせずばなるまい」
こうして、杉谷信正ほか三名の杉谷忍びと、六角父子と、これにつき従う家来たち二十余名のどれもが陣笠をかぶり、槍をかついだ一兵卒の姿となった。
「おもいきって、織田軍の中へまぎれこむのでござります」
と、杉谷信正がいう。
「ばかな……敵の手うすな西口へ下って琵琶湖へ……」
六角義治がいいかけるや、
「それは、みすみす信長の術中へおちいるようなものでござります!」
信正は、厳然としていいきった。
そのころ……。
甲賀の杉谷屋敷から、於蝶と、五人の忍びたちが出発している。
このうちの一人は、少し前に観音寺城から馳《は》せもどった下忍びの下田藤作であった。
藤作は、
「男忍びは源七老のみを残し、あとはすべて出てまいるよう」
との、杉谷信正からの指令をつたえにもどって来たのである。
さらに、頭領さまはこういってよこしている。
「わが屋敷にはかまうな」
これをきいた杉谷源七は、於蝶に、
「おそらくは、観音寺さまが甲賀へ逃げておいでなさるにちがいない。そうであろうが、藤作……」
「はあ……」
下田藤作は、うなずいた。
「御城をささえきれぬとか?」
「実は……」
と、藤作が戦況不利をきわめている実情を語るや、
「なるほどのう」
源七老人は顔をくもらせ、
「これは、織田信長のもとに、かなりの甲賀忍びがついているにちがいあるまい」
といった。
甲賀忍びの頭領として世にも知られた山中俊房が、すでに織田家のために忍びばたらきしていることは察しられるが、その他の豪族の中でも、
「どこで何をしているやら、知れたものではない」
そうな。
源七は、こうつぶやいた。
「むかしは、な、甲賀の頭領たちが、それぞれに胸と胸、こころとこころをしっかりと寄せ合い、一つの目的《めあて》のもとに、ちからを合せて忍びばたらきをしたものじゃが……」
いま、甲賀の頭領たちは、たがいにおのれが目ざすところを打ちあけようとはせず、ときには敵味方となって闘い合うこともめずらしくない。
しかし、甲賀一帯の里においては、たがいに無干渉がたてまえであった。
いかに敵味方にわかれようとも、わが郷里の土の上において闘い合うことはせぬのが、いつの間にか彼らの無言の掟となってしまったようだ。
「さ。早う行けい」
杉谷源七は、十名ほどの女房と共に、於蝶たちを見送った。
杉谷屋敷を出た六人の忍びは山越えに北へ向けて走った。
この山道は、かつて市木平蔵がねずみのおばば≠ニ源七老人に暗殺された道の、もう一つ東へ寄った間道である。
於蝶たちは、一気に五里を走破した。
「ここで」
と、下田藤作がいった。
そこは、近江・日野へ道がわかれようとする半里ほど手前の山道で、
「於蝶どのほか二名は、ここで待っていて下され。というよりも、このあたり一帯に、敵の忍びの眼が光っているかどうか、それを……」
「心得た」
と、於蝶がこたえた。
その少し前に……。
観音寺さま&ヮqは、杉谷信正ほか三名の忍びに誘導され、城を下っている。
合せて六名。
いずれも陣笠をかぶり、槍をかついだ足軽姿になり、何気なく城の南側へ下って行った。
南側にも、城門、櫓があり、厳重な土塁がきずかれているのだが、
「ああ……」
観音寺さま≠ヘ、つくづくと、ふといためいきをもらし、
「こ、これでは……もう、どうにもならぬわ」
と、いった。
眼前に、中山道をへだてた織田軍の陣営の篝火が延々とつらなり、こちらを睥睨《へいげい》している。
それなのに、こちら側の土塁をまもる兵たちは、ほとんど姿を消してしまっているではないか。
ところどころに、さびしげな篝火がもえているだけで、
「みな、いずれへかに落ちのびて行ったのでござりましょう」
杉谷信正も沈痛な面持ちであった。
これではもう、あらためて戦うまでもないのだ。
おそらく織田信長は、
「観音寺の城さえ、こなたのものになればよい。逃れる者は逃がしておけ」
と、命を下しているにちがいない。
朝になって、らくらくと城を占領するまでのことなのだ。
土塁の割れ目がある崖沿いの木立の中へ、入りこみつつ、杉谷信正が、
「御屋形さま。これよりは、いささかも気おくれあそばしてはなりませぬ」
「うむ……」
と、六角義治。
「観音寺さまにも……」
「相わかった。どこまでも、われらは織田方の足軽のつもりで……」
「はっ。もったいないことにござります」
「よい、よい」
木立をぬけ、細い道を下ると、すぐに中山道である。
街道が、織田軍の篝火に浮きあがって見える。
織田方の士卒が談笑しつつ、道を歩いているのだ。
「こうしているおれたちを見ても、六角方はひとすじの矢も射つけてこぬわい」
「だいぶん逃げたというぞ」
などと語り合う声もきこえた。
木立の中にひそみながら、杉谷信正は三本の松明《たいまつ》に火をつけた。
「さ……いまじゃ」
目の前の街道に人影が見えなくなった間隙をねらい、六名の足軽≠ヘ街道へあらわれたものである。
六名は、堂々と悠々と歩きはじめた。
東の方向へ少しすすむと、いまは信長に占領された箕作山の山すその道が右へまがっている。
このあたりは、いうまでもなく織田方の諸部隊がひしめき合うようにして野陣を張っているのだ。
六名は、その中へ平然として歩み入った。
さすがに観音寺さま≠フ六角義賢は悪びれるところが全くない。
「ああ、腹がへってきたのう」
などと我子の義治に語りかけたりするのだが、六角義治は、
「は……う……」
のどに痰がからみついたような声で、うめくように返事をするのみであった。極度の緊張で、おそらく義治の顔は蒼白となっているにちがいない。
織田方の兵とは何度も出会ったが、あまりにも堂々と、しかも松明までかかげて行く六名をあやしむ者は一人もいない。
部将などがあらわれると、杉谷信正の指揮で、一同は佇立《ちよりつ》して礼をおこない、去るを見送るのである。
「ふ、ふふ……」
と観音寺さま≠ェ笠のうちで笑い出した。
「父上……」
義治が袖をひくと、
「何やら、おもしろうなってきたわえ」
と、こたえる。
(このぶんなら、大丈夫)
杉谷信正は、こころづよく感じたが、只ひとつ、気がかりなのは、あれほどに完備した敵の忍者網が、どこに、どのようなかたちで張りめぐらされているかであった。
箕作山の南すそへかかろうとする手前で、六名は左手の野道へ切れこむ。
このあたりも、いちめんの織田軍陣営であった。
於蝶たちが、日野への分れ道へ到着し、ここに待機したのは、ちょうどこのころであったろうか……。
愛知川沿いに、こちらへ向って来るであろう観音寺さま∴鼾sを出迎えるため、下田藤作ほか二名の忍びが前行したことはすでにのべた。
於蝶は、山道の東側にそそり立つ山林の斜面へ、二人の忍びをいざない、
「うごきなさるな」
と、いった。
山林の闇と化した三人は、それから、どれほどの時間をすごしたろう。
長いようでもあり、短いようでもあった。
と……。
「於蝶どの」
右がわにいた助松という下忍びが袖をひき、
「あれを……」
と、ささやいた。
杉木立の向うの街道に、黒い人影が浮きあがった。
(下田藤作どのが、もどって来た……)
助松のみか、於蝶も、別の下忍び伝内も、
(まさに藤作どの)
と、おもった。
その黒い影の挙動、体つきまで下田藤作そのままであったといってよい。
(なれど……?)
眼をこらしつつ、於蝶は、まだ何か黒い影に疑問をおぼえている。
これはすぐれた忍びだけがもつ、するどい直感というものだ。
(そっくりだが、どこか、おかしい……?)
だが、その瞬間に、下忍びの助松が、
「藤作どの」
低く、よびかけつつ、山道へおどり出て行ったのである。
黒い影は、右手をあげて助松を迎えた。そのしぐさも、下田藤作そのものであった。
顔は藤作と同じように、黒布をもっておおい隠しているから判然としないが、林の中に屈んでいた於蝶も伝内も、
(やはり、藤作どの……)
おもわず、腰をうかせた瞬間である。
近づいて行く助松へ、ものもいわずに下田藤作と見た黒い影が躍りかかった。
「あっ……」
於蝶と伝内が愕然として声を発したとき、
「ぎゃっ……」
助松が棒を倒したように、山道へ転倒している。
黒い影がふるった抜き打ちの一刀を真向からあびたのだ。
黒い影は、倒れ伏した助松を見かえりもせず、白刃をあげて、林の中にひそむ於蝶たちの在処《ありか》を指ししめしたものである。
「伝内、伏せて……」
於蝶が声をかけたときには、闇を切り裂いて数条の矢が襲いかかってきた。
二人が身を伏せ、また、くびをもたげて彼方を見やったとき、黒い影は消えてしまっている。
「こ、これは、いったい……?」
伝内が問いかけるのへ、
「叱《しつ》……」
於蝶が制し、
「うごくな」
と、ささやいた。
(これは、先へ行った下田藤作どのたち三名が、あの曲者のために殺害されたにちがいない……そして、曲者は藤作どのに化けて、ここへあらわれ私たちをさそい出そうとした……)
於蝶の脳裡《のうり》へ、突然ひらめいたものがある。
あれほどに下田藤作のくせやしぐさをのみこんでいる黒い影は只者ではない。
(藤作どのを知っている者……)
となれば、
(銭屋十五郎ではないか……?)
於蝶は、全身の血が凍るかにおもった。
あのとき、岐阜城内で、はじめて知った十五郎の裏切りにより、杉谷忍びの計画も活動も水泡に帰してしまったのである。
(十五郎が、ここへあらわれているとすれば、間もなく、ここへさしかかる観音寺さまや頭領さまの御身もあぶない)
敵は、どのような網を張りめぐらしているか、知れたものではないのだ。
下忍びの伝内も、このことを直感したらしい。
「於蝶さま、このことを、一時も早く……」
「待て」
うかつにはうごけない。
全神経を眼の下の山道へそそぎつつ、於蝶は何事か伝内にささやいた。
月の光りはない。
雨が落ちてきた。
そのとき……。
山道の向うの斜面から、わらわらと八名ほどの黒い影があらわれ、これが一気に山道を突切り、於蝶たちがひそんでいる林の中へ駆け入ろうとした。
「それ!」
於蝶と伝内は立ち上り、両腕をふるって飛苦無を投げ撃った。
樹々の間からの投擲《とうてき》だけに、二人の飛苦無に刺されて山道に倒れたのは三人にすぎない。
「伝内!」
「おう!」
二人は、忍び刀をぬきはらってうなずき合うや、ぱっと左右にわかれた。
またも、二人へ向けて矢が射込まれた。それとは別に、山林の中へ駈けのぼって来た四名が於蝶と伝内へ手槍をもって襲いかかった。
「や!」
むささびのように樹間を疾《はし》りつつ、於蝶はたちまち一人を斬った。
弓鳴りの音が、またおこった。
(毒矢だ)と思うと、於蝶もさすがに緊張をした。
数名の黒い影が山道へあらわれ、暗い木立の中へ、しゃにむに矢を射込んでくるのであった。
これには、於蝶・伝内と共に、中へ斬込んだ味方の忍びも射殺してよいという決意がこめられている。
「うぬ!」
逃げる於蝶を追って来た一人が、手槍を投げつけて来た。
身を沈め、これをかわした於蝶の頭上へその敵の一刀がうなりを生じて打ちこまれた。
斜面をころげ落ちるようにして、これをかわしつつ、於蝶は左手に飛苦無をさぐり取って投げ撃つ。
ひるんだ敵の追撃がとまったとき、於蝶の右足が敵の足のどこかにからみついた。
「あっ……」
よろめいた敵へ、身を起した於蝶がななめ左へ飛びぬけつつ逆手《さかて》に忍び刀をつかい、
「む!」
おもうさまに斬撃した。
「うわ……」
闇に血がしぶいた。
おそらく顔面からあごへかけて切り割られたのであろう。敵はおそろしいほどの絶叫をあげ、斜面をころげ落ちていったが、このときまた、弓鳴りがおこって矢が飛んできた。
そのうちの一すじが、於蝶の頬を、ほとんどかすめるように飛びぬけていったが……。
「う、うう……」
たしかに、下忍びの伝内とおもわれるうめき声が彼方の闇の底から、はっきりと於蝶の耳へきこえたのである。
(で、伝内……)
いま射込まれた矢が伝内に命中したのか……。
たてつづけに弓鳴りがおこる。
手にしただけの矢を、曲者どもは、ほとんど射込むや、いっせいに白刃をぬきはらい、林の中へおどりこんで来た。
(こ、これまでか……)
於蝶は無傷であったけれど、覚悟をきめざるを得なかった。
山林の闇に、まったく物音が絶えた。
於蝶は、ぬきそばめた忍び刀と共に土へ伏せている。
雨音がたちこめていた。
音もなく、敵がせまって来つつあるのを於蝶は知った。
おそらく五、六名はいよう。
伝内に襲いかかった者がこれに加われば合せて八名……と見てよい。
(その中に……銭屋十五郎もいる)
そう思うと、於蝶の全身へ燃えるような闘志がわきおこってきた。
(よし。わたしの息が絶えるまでに、十五郎へ一太刀、あびせずにはおかぬ)
飛苦無も、すでにない。
一ふりの忍び刀。
それと腰につけた鉤縄のみが、いまの於蝶の武器であった。
「おい……」
どこかで男の声がした。
ききおぼえがあるどころではない。
銭屋十五郎の声だ。
「おい……これ、於蝶よ」
於蝶はこたえぬ。
「下田藤作ほか二名、たしかに射殺したぞ」
於蝶は激怒を耐えた。
「おのれたちは、なんで、ここまで出張って来たのだ?」
「………」
「きいても、いうまいなあ。よし、おれが当ててみようか。観音寺の六角義賢が、この道を逃げてまいるであろう。どうだ、ちがうか」
「………」
「ちがうまい。この十五郎はな、杉谷信正だけに、このようなまねもしかねまいと考え、網を張っていたのだわえ。みごとに引っかかったのう」
十五郎は、しきりにはなしかけて来る。その声も、はなしかけつつ絶えず闇の中を移動している。
ということは、彼も、彼の配下も、まだ於蝶の在処をつきとめていないからであった。
十五郎がはなしかけ、於蝶がこれに気をとられ、呼吸をいささかもみだしたなら、たちまちに彼女の体臭が闇の中ににおってしまう。
女忍びは体臭が濃いだけに、こうしたときは男忍びにくらべ層倍の努力がいるのだ。
「すでに……すでにな、おれは使いの者を織田方の陣へ走らせておるのだぞ。いま間もなく、甲賀へ通ずる道という道は、織田さまの軍勢によってかこまれ、六角父子も杉谷忍びも、一網打尽じゃ、わかったか」
右側から敵がひとり、土に伏せつつ、こちらへせまって来るのを於蝶は感じながら、わざと、十五郎の声に気をとられているさまをよそおった。
「それに、それにな……ふ、ふふふ」
銭屋十五郎の声が、ぐっと近寄って来て、
「いまごろは甲賀の杉谷屋敷も、ひどいありさまになっていることであろうよ」
と、いった。
この言葉には、さすがに於蝶も、ぎくりとした。
だが、いまはもう銭屋十五郎の声に、こだわっているときではない。
於蝶は身を起し、いきなり忍び刀を右側からせまる敵へ投げつけた。
このときも、彼女が岐阜城内で危急にのぞんだときと同様、只一つの武器といってもよい刀を敢然として手ばなしている。
敵は、不意をつかれた。
まさかに於蝶が、この思いきった攻撃に出ようとは考えなかったのであろう。それはまた銭屋十五郎から於蝶のやり口をきいていなかったにちがいない。
と、すれば、こやつはどこの忍びなのか……。
敵は息をのみこむような、低い叫びをあげた。
於蝶は飛びかかり、こやつの胸板に突き立った自分の忍び刀をぬき取ると同時に、この男の忍び刀もうばい取った。
「それ!」
十五郎の声がした。
於蝶の在処は、これで敵にさとられたことになるが、やむ得ない。
一陣の突風が吹きこんだように、両側と頭上から三人の忍びが、於蝶を押しつつむように殺到して来た。
「曳《えい》!」
頭上の敵へ、於蝶はうばいとった敵の刀を投げつけ、身をひねって斜面をころげ落ちつつ、右手の忍び刀をふるった。
かわして飛び退る敵を追う間もなく、
「うぬ!」
左手の敵が刃をふるった。
かわしたが、かわしきれなかった。
ぴゅう……と、右の太股《ふともも》を切られた於蝶が、屈せずに片ひざをつき、左手に外した鉤縄を頭上の闇へ投げた。
(うまく、枝にからんでくれればよい)
と、念じつつ投げたのだが、ぐぐっと手ごたえを感じた。
右手に猛然と刀をふるい、さらに別の敵が駆け寄って来るのをふせぎつつ、於蝶は渾身のちからをこめて土を蹴った。
枝に巻きついた鉤縄が、彼女の躰を宙に舞い上げた。
しかし、空間のせまい雑木林の中である。
おもいきっての跳躍は不可能であった。
けれども、切迫した一時の難をのがれた於蝶の躰は宙に一回転して、約四間の彼方へ落ちている。
(いまだ!)
山道へ出て姿をさらすことは危険である。
だが、はね起きた於蝶の目の前は崖のふちであった。
この崖を飛び下りてしまえば、
(逃げられる)
ほとんど傷の痛みもおぼえず、身をおどらしかけた於蝶のくびすじへ、闇の底から蛇のようにのびてきた鉤縄がくるくると巻きついた。
「捕えた!」
銭屋十五郎が鉤縄を手ぐりこみながら、勝ちほこった声をあげるのをきき、於蝶は絶望した。
於蝶は、不覚にも忍び刀を手ばなしてしまっていた。
鉤縄を手ぐりこむ十五郎のちからは、さすがに烈しいもので、
「う、う……」
すぐにうめき声も出なくなり、於蝶は失神しかけた。
あたまが割れるように痛んだのも一瞬のことで、真暗になった眼の中へ、ちらちらと黄色い映像が浮いては消える。
その映像のかたちも判別できぬまま、
(もう、死ぬのだ……)
於蝶の五体から、すべての精気が消え果て、地の底へ引きこまれるような気がしたとき、
(あ、御屋形さま……)
黄色い映像が、はっきりと上杉謙信の姿になったのを於蝶はおぼえている。
それが、彼女の最期であった……と、見えた。
於蝶のくびへ巻きつき、一直線にのびきっていた鉤縄が、ぷつりと断ち切られたのは、この瞬間であった。
「あっ……」
銭屋十五郎が叫び、手ごたえのなくなった鉤縄を捨てて、腰の忍び刀の柄へ手をかけたとき、彼の頭上から怪鳥《けちよう》のようなものが風を切って舞い下った。
怪鳥が、地に立ったとき、
「お、おのれ……」
十五郎の体躯が、ぐらりとゆらいだ。
怪鳥が、しわがれた声でいった。
「十五郎よ。裏切り者のたどる道を、おぬしも行け」
このとき、雑木林の中で、すさまじい闘争の物音がおこった。
怪鳥は、腕に白刃をひっさげていた。
その白刃が、もはや闘う余地をのこしていない銭屋十五郎のくびすじを薙《な》いだ。
十五郎の首が、胴体をはなれて飛び落ちた。
怪鳥は、人であった。
小さな人であった。
このとき、意識を取りもどした於蝶が、おどろきの叫びをあげた。
「おばばさまか……」
「いかにも……」
まさにねずみのおばば≠フ伊佐木ではないか……。
伊佐木は旅姿の上から墨流し≠まとっているだけであったが、
「さ、わしが背へ乗りゃい」
と、いう。
悲鳴と絶叫とが諸方でおこっている。
「あれは……?」
「このおばばと共に、甲州からもどった新井丈助ほか二名じゃ」
「そ、それでは……」
「はなしは後じゃ」
伊佐木は、おもい於蝶の躰をかつぎ、林の斜面を走りはじめた。とても七十をこえた老婆のちからわざとはおもわれぬ。
忍び同士の闘争は、まだつづいているが、
「丈助にまかせておけばよいわえ」
と、伊佐木が、
「それよりも、早う観音寺さまを、ぶじに甲賀へお入れせねばならぬ」
「そのことも、御存知……?」
「先刻、甲賀へ到着。杉谷源七どのからすべてをきき、すぐに駆けつけたところ、いまの始末よ。於蝶の忍びわざもにぶったのではないか」
伊佐木に叱りつけられ、於蝶は恥じ入るばかりであった。
山峡の道へ下り、これを突っ切るや、伊佐木は於蝶を背にしたまま、一気に向う側の山道へ駆けのぼる。
「おばばさま、もう……もう私、ひとりで……」
「だまっていや」
「あい」
「あまえた声を出すではない」
「はい」
ただもう、うれしく、なつかしく……。
於蝶は伊佐木の背で、涙があふれるにまかせている。
伊佐木も必死らしい。
道もないような山の斜面を鳥居平とよばれる鞍部《あんぶ》に近い杉林まで来て、伊佐木は、於蝶を背からおろし、
「さ、ここで待っていやい」
「おばばさまは?」
「かもうな!」
「はい」
「ここをうごくでないぞよ、よいか。おばばが迎えをよこすまでは、かまえてうごくな、よいかや」
「わ、わかりました」
「よし」
伊佐木は、飛苦無数箇を入れた革袋を於蝶へ投げあたえ、
「身の守りにせよ」
「ありがとうございます」
「さらばじゃ」
あっという間に、伊佐木は闇に溶けてしまった。
そして……。
夜が明けた。
あかつきの空に雲がうごいているのを、於蝶は木々の間からながめていた。
雨はやんでいる。
股の傷はそれほどのものではないが、疲労がはげしい。
七年前。あの川中島合戦の折に忍びばたらきをしたときにくらべると、
(ああ……わたしのちからもおとろえた……)
於蝶は、そう思わざるを得なかった。
なによりも躰に耐久力が無くなっている。
於蝶も、二十六歳になっていた。
それにくらべて、
(おばばさまのちからは何という、すさまじいものか……)
つくづくと、感動をした。
於蝶たちの身を案じ、さらには頭領であり弟でもある杉谷与右衛門信正の活動をたすけようと、甲賀へ帰ったその足で、於蝶たちの後を追い、あの山林の危急を嗅《か》ぎつけたのもさすがである。
そして尚、銭屋十五郎一味の忍びにも気づかれることなく、ひそかに山林の中へ潜入し、逆襲の機をうかがって、いざとなるや、只一太刀に十五郎の首をはねてしまったおそろしさ……これが七十余歳の老婆の仕わざなのであろうか。
さらに、於蝶を背に負って走りつづけ、この鳥居平へはこびこんだ底知れぬ精力。
(女ながら何十年もの忍びばたらきが、おばばさまの血となり肉となっているのだ。ああ……私が、おばばさまの年齢に達したとて、とうてい、あれだけのはたらきはできまい)
このとき、山林の中を近づいて来る人の気配を感じ、於蝶は身を起して飛苦無をつかみ出した。
「わしだ、於蝶どの」
樹林の彼方から、声がかかった。
「あ、新井丈助どのか」
「左様」
すぐに、堂々たる体躯をはこび、新井丈助があらわれた。
「おお……丈助どの。作夜は……」
「あぶないところだったなあ」
「おかげさまにて……それで、丈助どののほか、二人とは?」
「下忍びの権左と久次郎でござる」
「二人とも、ぶじで?」
「二人とも斬死をいたした。そのかわり、銭屋十五郎配下の忍びもすべて、討ち果した」
昨夜、銭屋十五郎がひきつれていた忍びたちのうち三名は、前に岐阜城下の居ではたらいていた杉谷忍びであったが、その他については、
「どこの忍びとも、見当がつかなんだわ」
と、丈助が吐きすてるようにいった。
「もしや山中忍びでは?」
「ちがう。くわしくはあらためるひまもなかったが、たしかに山中忍びではない」
新井丈助の腕にすがり、於蝶は立った。
丈助はこのとき、
「おどろいてはならぬ」
「え……?」
「甲賀の杉谷屋敷は焼け落ちたぞ」
「ま、まさか……?」
「杉谷源七老人は斬死をなされた」
「えっ……」
「伊佐木さまとわたしたちが杉谷屋敷を出て、於蝶どのたちの後を追った、その後のことらしいが……何者とも知れぬ一団が屋敷へ潜入し、火を放った」
「ま……」
「そしてな……源七老人をはじめ、敵を迎え撃った女たち四名が斬死をしたわ」
「そ、その敵も……」
「何者とも知れぬ。生きのこった女たちの眼も、これをとらえることは出来なんだが……」
放火については単なる火薬もつかわれたらしい。
いずれにしても襲撃隊ではないのだ。
怒りと驚愕で、於蝶も惑乱《わくらん》してしまったようだが、新井丈助にたすけられて山道をたどるうち、はっと気づいて、
「それで……それで、観音寺さまや頭領さまは?」
「ごぶじだ」
「まことか?」
「まことじゃ」
大きくうなずいた新井丈助の両眼は、感動にぬれている。
「みな、伊佐木さまの、おはたらきあってのことだ」
「では、あれから?」
「槍足軽の姿となり、大胆にも織田の陣中を通りぬけ、愛知川に沿ってさかのぼってまいられた御一行と、伊佐木さまはうまく出会うてな」
「それは、よかったこと……」
「愛知川の東、高野のあたりから、いま、この山の上のあたりをぬけられ、甲賀へ向われた筈だ」
「よかった、よかった……」
「於蝶どのや、われらのはたらきも、無駄にはならなかったわい」
六角義賢父子をまもった杉谷信正らは、伊佐木の案内によって蒲生《がもう》の山々をぬけ、この日の夜に入ってから、望月吉棟の屋敷へ入った。
この山道は、伊佐木のみが知る隠し道≠ナある。
「ほう……こんなところに……」
と、杉谷信正さえ、瞠目して伊佐木を見たほどだ。
「このようなこともあろうかとおもうて……」
伊佐木は、何気なくこたえたものだが、これはなみなみのことではない。
土地の者はむろん、他の忍びたちにさえかぎつかれぬ隠し道≠ヘ、崖の下、樹林がおおいつくした谷間をぬい、みごとに隠しぬかれている。
これはねずみのおばば≠ェ、三十年も前から心がけていたことで、ひまさえあると、このあたりへ出て、足がかりになるべき土をかため、石を埋め、自分だけがわかる目印をつけて、つくりあげたものなのである。
「このおばばのほかには、源七どののみが、この隠し道を知っていた。源七どのにも、ずいぶん手つどうてもろうたものよ」
のちに伊佐木は、斬死をした杉谷源七をしのび、しみじみと於蝶にもらしたという。
望月吉棟の屋敷は、杉谷の里の東南一里余のところにあり、これも山地にかまえられたもので、杉谷屋敷の層倍の規模をもつ。濠もふかく、土塁もきずかれ、むしろ一箇の城と見てよい。
ここへ観音寺さま&ヮqは入った。
杉谷信正と同じ甲賀武士の望月吉棟は今度の戦さにこそ出て行かなかったが、二十余名の忍びを杉谷信正へ貸しあたえている。
この夜もふけてから……。
ねずみのおばば≠ェひとり、焼け落ちた杉谷屋敷へもどって来た。
焼けたといっても、それは頭領さまが住む母屋や武器蔵、表門などで、伊佐木の住居そのほか、忍びたちの住居のいくつかが焼けのこっている。
新井丈助と共に杉谷屋敷へ帰っていた於蝶は、生き残っていた女たちと共に杉谷源七ほか四名の死体の始末をし、これを伊佐木の住居へ安置し、香華《こうげ》をたむけた。
そこへ、伊佐木がもどって来たのである。
「おお……」
伊佐木は、大小十数カ所の切傷をうけた源七老人の遺体の前へ来て、よろめくようにすわりこみ、
「源七どのよ。もはや、この世の人ではのうなったか……」
よびかけて、号泣した。
老いた忍び同士で、しかも杉谷一族であるこの二人の友情は、だれも知らぬものはなかったのだけれども、
(もしや……?)
そばで見ていた於蝶は、このとき、いままでは思ってもみなかった一事が、胸にひらめいた。
(もしや、源七どのとおばばさまは……)
男女の情をかわし合っていたのではないか……。
あの、物に動ぜぬねずみのおばば≠フ泣声は、いつまでもつづいた。
於蝶は、新井丈助や他の女たちに目くばせをし、しずかに伊佐木の住居から出て行った。
外は、また烈しい雨となっている。
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京 都 経 営
観音寺城と、その支城を攻め落した織田信長は、これで近江(滋賀県)の約半分をわが手につかみとったことになる。
しかも、この南近江は、岐阜から京都へ通ずる関門ともいうべき重要な地帯である。
この国に長らく威望を保持していた近江源氏の名門・六角氏を追いのけるため、織田信長がはらった犠牲は、まことにわずかなものであったといってよい。
信長は、すぐさま、
「観音寺までおすすみ下されたし」
と、足利義昭を近江へ迎えた。
九月の末になると……。
信長は義昭を奉じて、琵琶湖をわたり、三井寺《みいでら》の光浄院へ本陣をおいた。南近江の武士や豪族たちは、ほとんど戦わずして信長に帰順したようだ。
このころ、信長は、越後の上杉謙信へ、
「どうやら近江の国へすすみ、義昭公を奉じて、京へのぼることが出来そうであります。御安心をねがいたい。また、これからもいろいろと御世話になることと存ずるが、よろしくおねがいをいたす」
わざわざ使者をもって、ていねいなあいさつを申し送っている。
以前から、信長は上杉謙信に対しては、かなり神経をつかい、ことあるたびに贈物をしたり、挨拶をしたり、懸命に礼節をつくしていた。
そうされると、謙信も悪い気持はせぬ。
むかしから自分をさんざんになやましてきた武田信玄や関東の北条氏などの宿敵に対するほどの闘志が、どうもわきあがってこない。
(いずれは信長と……)
天下の権を争う、というよりも、
(信長となら、何とか、ちからを合せて天下をおさめてゆくことができよう)
とさえ、思うことがある。
信長は、ただもう、
(上杉が、海をわたって加賀か若狭へ上陸し、一気に北近江からこなたへあらわれたら……)
そのことのみ気にかけている。
何度も何度も、越後の本国を後に、はるばると信州や関東へ、みずから大軍をひきいて出陣している上杉謙信なのである。
その気になれば……信長に決戦をいどむつもりになれば、どのような難関をも突破し、上杉の強兵は信長の目の前へあらわれるにちがいない。
激戦につぐ激戦にきたえぬかれた上杉や武田の軍団とは、
(まともに戦さしては、とてもかなうまい)
と、信長は考えている。
織田軍は、総大将の信長の政治力とすばらしい経済力のもとにうごく軍団である。
尾張・美濃と、実りゆたかな平野を領国にして、統率力のある主人さえ得たなら、衣食に困ることもないし、戦闘の経験にしても辛苦をともなわない。
雪の山道を行軍し、困苦欠乏に耐えぬいての戦闘が毎年の習慣となってしまっている上杉や武田の兵たちの戦闘力には恐るべきものがある。
(わしが、名実ともに天下に号令するまでは、なんとしても上杉や武田と戦さをしたくない)
これが、織田信長の痛切なねがいであった。
九月二十六日。
ついに、織田信長は京都へ入った。
信長は、みずからの本陣を東寺《とうじ》においた。
足利義昭は、清水寺へのりこみ、天皇おわす御所を、義昭の臣・細川藤孝が警衛した。
京の町の人びとは、
「織田方の兵士たちは物すさまじいそうな。女をかくせ、金銀をかくせ」
「それよりも、早う逃げ出すことじゃ」
「また戦さがはじまるぞよ」
口々にいいたて、さわぎはじめた。
だが信長は、
「町に住み暮す人びとを、いささかもおびやかしてはならぬ!」
きびしい命令を下した。
のちに、織田信長が足利義昭のために屋敷をたててやったときのことだが、一人の兵士が、工事を見物している女にいたずらをしかけたところ、
「何をするか!」
ちょうど工事の指揮にあたっていた信長が、これを見とがめ、駆け寄ったと見るや、ただ一刀のもとに兵士の首を討ち落してしまったことがある。
これほどに、信長の手におさめられた織田軍の軍紀はきびしかった。
信長がやって来る前に、京都を押えていた三好三人衆の兵士たちにくらべると、
「くらべものにならぬわい」
と、町の人びとがいいはじめた。
「かえって、町中が落ちついてきたぞよ」
人びとは安心をし、同時に織田信長の人気が急速にのぼり出した。
ところで、あの三好三人衆はどうしたろうか……。
信長入京ときいて、声をひそめた三好一党の中で、岩成友通《いわなりともみち》が勝竜寺の城にたてこもっている。
この城は、京都市中から南へ三里ほどはなれたところにある。
信長としても、すててはおけない。
すぐさま、信長は柴田勝家に、
「先駆《さきがけ》せよ!」
と、命じた。
勝竜寺城は、ほとんど一日で、柴田部隊の猛攻をささえきれずに落ちた。
岩成友通は手勢をひきいて、どこかへ逃げのびたようである。
この城が落ちたので、高槻《たかつき》や茨木《いばらき》など、三好方の城も次々に信長の手につかまれた。
九月のはじめに岐阜城を出発した織田信長は、一カ月たらずのうちに、近江・京都(山城の国)・摂津《せつつ》までもすすむことを得たわけだ。
まさに破竹の進撃といってよい。
しかし、三好三人衆は、摂津の芥川、越水《こしみず》、滝山にも城をかまえて抵抗をはじめ、三好康長は河内の高屋城にこもった。
そして、彼らが将軍の座につけた足利義栄は、摂津の富田城にいて、まだ信長に降参をしてはいない。
富田城は、京都と大坂の間にある。
織田軍は一息いれる間もなく、摂津へ攻めこんだ。
京都盆地から、あふれ出るように進んで来る織田の大軍を見るや、
(もはや、いかぬ)
三好方の将兵は、先をあらそうかのように降伏してしまった。
抵抗は、わずかなものにすぎぬ。
中でも、三好一党と組んで威勢をほこっていた大和の松永久秀などは、まっ先に人質をさし出し、
「これよりは織田殿の旗の下にしたがいまする」
と、申し出た。
三人衆の一人、三好義継《みよしよしつぐ》も、これをきいて、
「それがしも……」
と、降伏する。
「松永と三好めは、わが兄・義輝公(十三代将軍)を殺害した大悪人である。すぐさま首をはねて、さらしものにしてもらいたい」
足利義昭が織田信長にいうと、信長は苦笑し、
「いま、彼らの首を討っては、三好の残党の怒りが強いものとなりましょう。そうなってはめんどうでござる。ここは彼らをゆるし、彼らによって三好の残党を手なずけたほうがよろしい」
「それはならぬ、それは困る」
「まず、この信長におまかせあれ」
「なれど……」
「信長の申すことに、いささかの狂いもござりませぬぞ」
きっぱりと信長にきめつけられると、義昭も口をつぐむより仕方がない。
なんといっても信長の大きなちからによってこそ、京都へもどることを得た義昭なのである。
義昭は不満の表情を見せながらも、信長のいうままになった。
そして、三人衆が奉じていた十四代将軍・足利義栄が急死をした。
富田の城で病死をしたともいうし、阿波《あわ》の国へ逃れ、そこで死んだという説もある。
死因は不明といってよい。
義栄は、わずか一年の間、将軍の座についたのみで死んだ。ときに三十歳であった。
こうなっては、いよいよ足利義昭が十五代の将軍にならざるを得ない。
朝廷としても、織田信長のようなすばらしい軍事力と経済力をもった大名を背景にした義昭が、将軍になるのだから一も二もないのだ。
摂津から大和の国々の残敵を討ちほろぼしたところで、織田信長は、
「いまこそ将軍位に……」
と、すすめ、足利義昭は正式に征夷大将軍に任ぜられた。
ここに、室町幕府が復活することになったわけで、義昭は大よろこびとなり、信長に、
「織田殿。なにとぞ管領の職についてもらいたい」
といったが、
「いや、それにはおよび申さぬ」
意外に信長は、かたく、これを辞退したものだ。
信長にとっては位などは物の数でない。信長がみずからたのむところは只一つ、おのれの実力≠フみである。
十月下旬。上洛の希望を達した織田信長は約二カ月ぶりで岐阜へ凱旋《がいせん》をした。
そのころ……。
於蝶たちは、どうしていたろうか。
観音寺さま父子が、甲賀から伊賀へ逃れたので、いまは杉谷忍びも活動する余地がない。
屋敷は焼かれたし、今度の戦さでは十名に近い忍びが死んだ。
その上、銭屋十五郎という裏切者まで出たのでは、どうにもならぬ。
「当分は、息をころしておることじゃわえ」
とねずみのおばば≠ヘいう。
残り少ない杉谷忍びたちは、すべて甲賀へもどり、焼けあとをととのえ、とりあえず、頭領・杉谷信正が暮す母屋《おもや》をたてることになった。
「おばばさま。甲州の武田信玄の城下におられた折のはなしをおきかせ下され」
於蝶がせがむと、
「なにもないぞよ」
伊佐木は烈しく、くびをふって、
「このおばばにも、手が出なんだ」
「ま……」
「さすがに武田信玄じゃ。見たところは、城とも見えぬ居館に住んでいることはたしかなのじゃが……どこに信玄が暮し、ねむっているのか、それすらもつかめぬ」
「おばばさまでも……」
「いかに、このおばばだとて、新井丈助ほか二人のみでは手不足。信玄館のまわりにも、中にも、すぐれた武田忍びが何十人も夜となく昼となく見張りをゆるめぬ。これではいかぬわえ」
「なんと申しても、急のことゆえ……」
「そのことよ」
伊佐木は大きくうなずき、
「信玄のような怪物のいのちをねらうためには、五年、十年の年月をかけて忍びばたらきをせねばならぬ」
「はい」
「わが手の者を武田方の武士や侍女にして送りこみ、じゅうぶんに仕度がととのうてから事をはこぶのが当然。ま、おばばも、出来るなれば、この老いさらばえた細腕で信玄の一命をもらいうけてくりょうとおもうて……丈助ともども、いろいろと工夫をこらしては見たなれど、ついに、あきらめたわえ……あきらめて、甲賀へもどり、頭領どのと談合せんと考え、もどって来たところがあのさわぎ」
「おかげさまにて……」
「お前が死んでしもうたら、とり返しがつかぬところであった」
「うれしゅうござります」
「もはや、これからは互いにはなれまいぞ」
「あい」
「杉谷忍びも、こう手不足になってしもうては、なあ……」
「市木平蔵どのも生きていてくれたなら……」
「む……」
伊佐木の顔色は、みじんもゆるがぬ。
「それに、善住房さまは、いま、どちらにおられますのか? もしや……もしや?」
「安心せよ。善住房どのは、すこやかでおる筈じゃ」
「まことで?」
「うむ。近いうちに甲賀へもどって来ようわえ」
「ま、うれしい」
「それにしても織田信長というやつ、憎い大名よの」
伊佐木は杉谷屋敷へもどってから、ふたたび鼠を飼いならしはじめた。
「当分の間は、忍びばたらきをすることもあるまい」
とねずみのおばば≠ヘいう。
いまの杉谷忍びは、伊佐木や於蝶をふくめても十名そこそこに減ってしまっている。
「じゃがな、於蝶……」
その年も暮れようとする或夜。
住居の炉端で、伊佐木が、
「しゅびよう将軍の座についた足利義昭公なれど、これからが、むずかしいぞよ」
「織田信長との間が、うまくゆかなくなるとでも?」
「その通りじゃ」
伊佐木は、にんまりとして、
「信長はな……はじめから足利将軍なぞは、ものの数にも考えておらぬ。ただ一つ、将軍家のためにつくし、天下をおさめるという名目のみのことじゃ。信長は、おのれがちからによって、天下さまとなったあかつきには、将軍はおろか、日本国の天子にもなって見しょうという意気ごみよ」
「まさか……」
「いや、天子になろうというのではない。それだけのちからさえあれば、将軍だの管領だの、そのような高い位なぞをいささかもほしいとはおもわぬ。こういう男よ」
「はい、それは……」
「わかったかや?」
「はい」
「じゃから、いまに足利将軍なぞは眼のはしにも入れなくなろう。さて、そうなると、義昭公としても、おもしろうはあるまい」
「そうなれば、また諸方の大名たちをひそかにあやつり、今度は信長を打ち倒さんとし……」
「それよ、そのことよ。そうなればまた、われらも忍びばたらきすることにもなろうか……」
織田信長が岐阜へ帰ったのち、足利義昭は、京都の本圀寺《ほんこくじ》へ本拠をうつした。
義昭は、前々からずっと自分の身をまもっていてくれた甲賀の和田伊賀守をはじめ、池田勝正、伊丹親興《いたみちかおき》などの武将をそばにひきつけ、
「さあ、これからは一歩ずつ、将軍と幕府のちからをふくらませてゆくのだ」
と、まことに元気いっぱいで、たてつづけに、いろいろの命令を発しはじめた。
そのいっぽうでは、中国すじ一帯を制圧している毛利|元就《もとなり》に対して、
「これからは、将軍をたすけてくれるように……」
しきりに、いい送っているらしい。
いま、日本全国のうち、天下をつかみとるだけの武力と経済力をもっているのは、先ず三人と見てよい。
一は、織田信長。
二は、武田信玄。
三が、毛利元就である。
毛利家は、はじめ周防《すおう》(山口県)の守護大名・大内義隆につかえていたが、大内家がほろびたのち、大きく擡頭《たいとう》し、ついに周防・長門《ながと》をおさめ、さらに備後・備中・石見《いわみ》を平定して、十数カ国を手中につかむほどの勢力をもつにいたった。
むろん、武力もすぐれていたが、毛利家は生野《いくの》と石見に銀山をもっている。
この銀を中心にした経済力が、毛利家をふとらせ、中国地方一帯に、早くも銀を中心とした通貨政策が、おこなわれつつあった。
毛利家の銀≠ノ対して、織田と武田は金≠多量につかんでいる。
織田信長は、このころ、どこに金鉱を産出する山をもっていたのか……。
「それがさ、なかなかにうまくかくしてあると見え、このおばばには手がかりはつかめぬ」
さすがの伊佐木が、
「飛騨《ひだ》か、三河や駿河《するが》の山中か……そのあたりに信長めは、金山をかくしもっているらしい。ああ見えてもなかなかに用心ぶかい男ゆえ、なかなかにうまく隠しぬいておるわえ」
おそらく、いまの岐阜城のどこかには、
「目をみはるほどの金のかたまりが、かくしてあるにちがいないぞよ」
伊佐木のことばをきいて、於蝶も(信長ならば……)と、思わざるを得ぬ。
さて、武田信玄は……。
これはもう、自分の国の甲州から金が産出されることは天下にかくれもないことであった。
「これからの大名は、金がなくては何もならぬ」
と、織田信長はいう。
商人たちが、金のちからをもって、次第に勢力をたくわえ、このままでゆけば、大名も武士も商人の前に頭を下げなくてはならぬようになると、信長は見きわめをつけているらしい。
第一に……。
武士が戦争をするのにも、いままでのように刀と槍と馬があればよいということではなくなってきた。
鉄砲という新兵器≠ェ外国から渡来し、このおそるべき兵器を一つでも多く持ったものが、戦さに勝つことは明白な事実になりつつある。
鉄砲を得るには、先ず経済力がなくてはならぬ。
「もはや……」
伊佐木は、しぶい笑いをもらし、
「上杉謙信公も、かすんでしもうたわえ」
於蝶は、不愉快であった。
伊佐木が、このような断言をしようとは……。
「怒るな、於蝶よ。お前は謙信公が大好きな女子《おなご》じゃが、もはや、いかぬわえ」
いま上杉謙信は、越後の本庄繁長《ほんじようしげなが》と戦っている。
本庄は、上杉家にしたがっていた武将なのだが、急に、謙信をうらぎったのだ。
本庄繁長を手なずけ、謙信にそむかしめたのは、武田信玄である。
「おのれ、おのれ!」
越中に出陣していた上杉謙信は、あわてて越後へもどった。
まさに、あぶないところであったらしい。
一足、春日山へ帰るのがおくれたなら、本庄繁長の蜂起《ほうき》と同時に、武田信玄の大軍が甲州から信州へ、さらに越後へと入って来て、春日山は武田軍に占領されてしまうところであったともいわれている。
「おぬしも、こちらへ味方せぬか」
と、本庄繁長のさそいをうけた中条藤資という武将が、そのさそいの手紙≠フ封も切らず、
「急ぎ、御屋形へ」
と、越中の放生津《ほうじようづ》(新湊《しんみなと》市)に出陣していた謙信へ送りとどけたので、上杉謙信は本庄のそむいたことを早く知ることができたのである。
「おぬしのおかげじゃ。このことは一生忘れぬぞ」
と、謙信は中条藤資に礼をのべたという。
とにかく、信長や信玄が天下さま≠ヨの道へ、たくましく歩を進めているというのに、謙信は、いまだに十何年前と少しも変らぬ場所で苦しい戦さをつづけているのである。
「もはや、だめじゃ」
伊佐木に、くわしく説きふせられると、於蝶も、
(なるほど……)
納得がゆくような気もしてくる。
金も銀も、あまりない上に、上杉謙信という大名は、京都からもっとも遠い(信長や信玄にくらべて)雪国が自分の本拠なのである。
(ああ、宇佐美定行さまは、いかが暮しておられよう……そして、岡本小平太どのは……小平太どのは、まだ妻を迎えておらぬかしら?)
於蝶にとっては、春日山での生活が忘れきれない。
男装となって、岡本小平太と共に、謙信のために戦った川中島合戦前後の充実した月日には、於蝶の青春と、忍びとしての誇りがみちている。
「なれど、於蝶よ」
と、伊佐木は自分のふところや、ひざの上にねむる数匹のねずみをゆび先で愛撫しつつ、
「まだ、あきらめることはあるまい」
と、つぶやいた。
「おばばさま……?」
「信長も信玄も、それから毛利元就も、死んでしまえばまた世の中も変ってこようわえ。まとまりかけた天下も、ふたたび乱れさわごうぞよ」
「はあ……?」
「生き残ったものが勝ちじゃ。わしはな、甲州にいて、どうも一つ、気にかかることがあっての」
「それは……?」
「どうもな、武田信玄は病気もちらしいということよ」
「まことのことで?」
「薬草がな、信玄居館の奥に……」
つまり、武田信玄は、みずから薬草をつみ、これを調合して服用し、病気と闘っているというのだ。
その秘密の薬草園へ、伊佐木は一度だけ忍びこんだそうな。
「それより奥へは一歩もすすめなんだが……」
武田忍びの警戒が、あまりにもきびしかったので、さすがの伊佐木も手が出なかったらしい。
「せめて十人の忍びをうごかせたなら、みごと、わしも奥へすすみ、信玄の首をはねてくれたものを……」
いつも手が足りぬ杉谷忍びだけに、
「やれることもやれのうなるわえ」
と、伊佐木はこぼすのであった。
毛利元就は「天下をとろう」というよりも、自分の領国をきびしくまもりぬいて行きたいというのが、本心らしい。
すると、織田信長と武田信玄が天下を争って、いずれは対決せねばなるまい。
「そこへ、うまく謙信公が割りこめたら、ちょとおもしろいがのう」
しばらくは、甲賀の里にこもり、天下の情勢を見よう……というのが、杉谷信正の考えらしいが、
「なれど、頭領どのはな、どこまでも信長の首をねらうつもりでござるわえ。あれで一度おもいこんだなら、めったに考えを変えぬお人じゃもの」
伊佐木は、弟の信正をこう評している。
永禄十二年(一五六九)の年が明けた。
この正月五日。
織田信長に追いはらわれた三好三人衆の残党が、兵をあつめて京都へ侵入して来た。
足利義昭がいる本圀寺は、三好一党に包囲されたが、まっ先に和田伊賀守が甲賀から駆けつけたし、池田、伊丹などの諸将にまじり、前には三好三人衆の一人であった三好義継も、手兵をひきいて新将軍をまもった。
去年。信長に降伏して以来、三好義継は三好一党と手をわかち、しきりに新将軍へ忠誠のありさまを見せようとしている。
攻めかけた三好一党は、間もなく追いはらわれたが、この急報に接するや、
「すぐに京へ……」
織田信長は兵をひきい、岐阜から馬を煽って京都へ駆けつけて来た。
六角氏を破り、しかも小谷城の浅井長政は、わが妹の聟であるから、南近江一帯を、信長は我が庭を行くようなつもりで、二十数里を、まる一日のうちに走破して、京へ入った。
こうなると、
「いざともなれば、たちまちに信長が馳《は》せつけてくれる」
「このように、こころ強いことはない」
朝廷も、あらためて織田信長の行動力に信頼をかけるようになったし、京の市民たちもまた、
「織田公が乗りこんでこられると、なにもかも平穏になる」
「ありがたいことじゃ」
信長の人気は、たかまるばかりであった。
三好一党は、その本拠を阿波(徳島)にもっている。
そこで、和泉《いずみ》の堺の町人たちの財力に助けられ、なかなか根強く信長に抵抗するのだ。
堺は、大坂の南に隣接する都会であった。
室町時代から、この町は外国との貿易港として栄え、それだけに商人たちのちからが大きい。
鉄砲も火薬も、この堺の町人たちの手を経なければ買い入れることもならぬ。
信長は、
「堺の町の人たちを、なんとかして、手なずけてしまわねばならぬ」
と、以前から考えている。
だが、今度の事変で、あまりにも信長の入京が迅速をきわめていたものだから、
「これはもう、信長の天下になるであろう」
堺の豪商たちも見通しをつけるようになった、と、いわれている。
「この上は、新将軍に一時も早く、居館をもうけてやらねばなるまい」
織田信長は、すぐさま、足利義昭のために御殿を建ててやることにした。
どしどし角材があつめられ、職人や人足が京にあつめられる。
岐阜からも、新しい織田軍が到着し、京都の外まわりをすっかりかためて、外敵にそなえる。
そのてきぱきとした事のはこび方は、信長ならでは出来ぬもので、京都における信長の人気は、またも上がる。
信長は信長で、このことを計算に入れているのであった。
室町幕府の将軍邸は、絶え間ない戦乱のため、すでに焼失している。
信長は、京の二条に新将軍の邸宅を建てることにした。
堀をまわし、石蔵をつくり、立派な御所を建造したが、このため、近江・美濃・尾張など十余カ国に工事の費用を出すように命じ、壮麗をきわめたものが出来上った。
この将軍御所のまわりには、諸将の屋敷をならび建てさせ、ここに新将軍の威風は見事にととのえられたといってよい。
しかし、この威風は義昭将軍みずからのものではないことを、世の人びとが知らぬわけではない。
「なにごとも、織田信長公のちからあればこそ」
なのである。
こんな、はなしが残っている。
将軍の御所が出来あがってから間もなく、その門前に、割れ欠けた蛤《はまぐり》の貝がらが九つ、ならべ置かれてあった。
だれが、このようなまねをしたものか、ついにわからなかったが、
「なるほど」
織田信長は、このはなしをきき、そばにいた家来に、
「割れた貝がらが九つ……どういうわけか、わかるか?」
と、問うた。
だれも、わからない。
すると信長は、
「これはな、新将軍・義昭公がおろかもので、公界《くかい》が欠けていることを京の町びとが笑うてしたものよ」
と、いった。
公界(すなわち九つの貝)は、この場合、将軍の政治をさす。つまり、この新将軍は何事にも織田信長のちからを借りなくては仕方のない人物で、自分の住む御所さえも信長に建ててもらったほどではないか……とても、天下をおさめる器量はない。
そのように京都の市民は見ているというわけであった。
将軍・義昭としても、おもしろくない。
だが今のところは、信長を怒らせてはまずいことになる。
「どうじゃ、織田どの。ひとつ副将軍となって、わしをたすけてはくれまいか」
などと、もちかけたりした。
すると信長は、
「別に、そのような位につかなくても、けっこうであります」
さっぱり気がのらぬ様子である。
副将軍になろうが、なるまいが、助けたいものはたすける。いやになれば義昭から手を引くつもりの信長であった。
「そろそろ、おもしろうなってきたぞえ」
ときたま、甲賀の杉谷屋敷を出て、京都へ世のありさまをさぐりに行くねずみのおばば≠ェ、初夏の或日、十日ぶりに甲賀へもどり、於蝶にいった。
「いまな、信長は岐阜にいるものだから、京都では公方《くぼう》(義昭)が大えばりでのう」
「まあ……」
「信長は、いまに、きっと怒り出すにちがいないぞや」
杉谷屋敷も、焼跡の整理を終え、ふたたび新しい忍びばたらきへ出発するための準備にとりかかっていた。
「次の忍びばたらきは、わしが最後のものとなろう」
と、伊佐木はいっているし、頭領の杉谷信正も、
「このように手不足となったいまは、われらの総力をあげて、信長の首をねらうまでじゃ」
覚悟をきめているらしい。
織田信長は、七分通り天下をつかんだと見てよい。
だが、残る三分がむずかしい。
中国の毛利、甲州の武田、越後の上杉……これらの有力大名たちを、わが旗の下に屈服させるまでは、いささかも気をゆるめることはできぬ。
「まだまだ、大きな戦さが三度、四度はあろう」
伊佐木は断言をした。
「こうなれば、おばばにも意地がある。なんとしても信長に一泡ふかせてくりょうわえ」
「おばばさま……」
「何じゃな、於蝶」
「わたくしも、おばばさまと共に死にまする」
「まあ、待ちゃい」
「え……?」
「於蝶は、長生きをしてたもい」
「でも……」
「いずれにせよ、戦乱が絶え、一つの大きなちからによって天下がおさまろう。そのときの世のありさまを、このおばばに代って見てくれぬか」
このとき、二十年後に天下平定を成しとげる豊臣秀吉も、秀吉亡きのち、名実ともに征夷大将軍として徳川幕府をひらくに至る家康も、まだ天下あらそいの中に顔を出してはいない。この二人は、信長というすばらしいちからの持主の下に従い、懸命にはたらきぬいている。
そのころ……。
突然に、善住房光雲が甲賀へ帰って来た。
夜ふけになって、伊佐木の住居へあらわれた善住房は、相変わぬ旅僧のすがたで、
「於蝶よ、元気かな」
「いつ、お帰りに?」
「夕暮れにな。それから頭領どののところで、いままで談合を、な」
「どこへ、行っておられましたの?」
「それよりもおばば……いや姉上は?」
「昨日から京へまいられました」
「ほ、そうか。わしも京からやって来た。入れちがいというところか」
初夏の、なまあたたかい夜であったが、炉端《ろばた》には小さく火が燃えている。
於蝶は久しぶりで、善住房の大好きなにらがゆ≠煮た。
「うまい、うまい」
と、熱いかゆを何杯もすすりこみつつ、
「於蝶。さびしそうじゃな」
善住房がいった。
「善住房さまも、何か、おさびしそう」
「そう見えるか」
「あい」
「杉谷忍びも、ちからが半分に減ってしもうた。何をするにもやりにくうて仕方がないわ」
「おやつれになりましたな」
「長く、忍びの旅をしつづけていると、な」
去年、織田信長の伊勢出陣を目がけ、得意の鉄砲をもって、信長を暗殺すべく観音寺城を出発した善住房であったが、ついに目的を果せなかった。
「銭屋十五郎が織田方へ寝返っていたのでは、どうにもならなんだわい」
善住房は、苦笑した。
この夜、於蝶は善住房から京都のはなしを、いろいろときいた。
足利義昭は、将軍としての権威をやたらにふりまわしたがるらしい。
岐阜の信長には、なんの相談もなく、
「おたがいに、戦さをやめよ」
などと、武田信玄や上杉謙信にいい送ったり、毛利元就には、
「ぜひ、京へ来て、わしのちからになってくれ」
と、たのみこんだり、
「もっともっと立派な将軍御所をつくりたいから」
と、諸国へ布告をまわし、殿料《でんりよう》という名目で、その資金や資材を出すようにと命じたりする。
身のまわりにつかえる大名や家臣たちからも、
「どうも義昭公のなさることには、信頼がおけない」
と見られるようになり、さらに、あの好色ぶりが世人のひんしゅくを買う始末であった。
こうなると、信長も、
「ばかものめが……」
まったく義昭を相手にしなくなる。
天皇も、このことを非常に心配され、
「織田を怒らせてはならぬ」
勅使を岐阜へつかわし、信長をなだめたりしたので、信長のこころもおさまったが、
「そのかわり、こちらの申すことも公方にきいていただかねばならぬ」
きびしい条件を出した。
「将軍よ。あなたが、諸国へ命令をするときは、前もって、かならず私に知らせなくてはいけませぬ。また、いままで私が知らなかった将軍命令は、すべて取り消しにすること。天下のことを信長におまかせあった以上は、何事にも私の意見にしたがっていただかねばなりませぬ」
およそ、こういったものだ。
「おのれ、おのれ!」
義昭は激怒した。
これでは、将軍といっても名のみのものだ。
三好三人衆にいじめられていたときの将軍と、
「同じことではないか」
と、義昭はおもった。
だが、とても信長に反抗するこころにはなれない。
怒っても、一人で怒るだけのことだ。
義昭は、だれよりも信長がおそろしい。
仕方なく、この将軍は、信長のいうままになることにした。
伊勢の国司・北畠|具教《とものり》を攻めほろぼし、ついに伊勢全国を平定した信長が、京都へあらわれても、足利義昭は卑屈な微笑をうかべ、信長を迎えたものである。
このように、京都という日本の首都をわがものとした織田信長は、
「今度は、越前(福井県)の朝倉義景を、降伏させておかぬといけない」
かねてからの考えを、いよいよ実行にうつすことにした。
こうして元亀元年の年が明けた。
そして杉谷屋敷にも、ひそやかな、それでいて熱気にみちた緊張がただよいはじめたのである。
元亀元年の正月を迎えるや……。
「さて、また、ひとはたらきしてもらわねばならぬ」
杉谷信正が、自分の居間へ於蝶をよびよせ、
「すぐにも、甲賀を発してもらいたい」
「はい。それで、いずこへまいりますのか?」
「近いところじゃ」
「と、申されますと?」
「近江の小谷城へ、な……」
小谷城は、織田信長の|妹 聟《いもうとむこ》浅井長政の居城である。
於蝶の胸はおどった。
「さぐりでございますな?」
「いかにも」
「心得ました」
「手筈《てはず》は、ととのえてある」
浅井長政夫人・お市の方の侍女となって、小谷城の様子をさぐると共に、甲賀との連絡をたもつのが、今度の於蝶の役目だという。
お市は、信長の実妹である。
「それだけに、じゅうぶん気をつけるよう」
と、頭領さまはいった。
岐阜の信長居館に侍女として暮し、甲賀忍びの正体を見やぶられている於蝶だけに、これは、かなり危険な仕事といわねばなるまい。
浅井長政は、いま義兄・信長に従属しており、信長の信頼もかなり厚いらしい。
だから、岐阜と小谷との間には、何かにつけて互いの使者が往来している。
織田方の士が、小谷城へあらわれたとき、もしも於蝶の顔を見おぼえていたなら大変なことになる。
だが、このような場合は、忍びばたらきする上において、めずらしいことではない。
ことに女忍びの場合は、
「なに、腕のすぐれたものなれば、同じ場所へ何度あらわれても、あらわれるたびに別人になれるわえ」
とねずみのおばば≠ェ、いつもいうように、髪のかたち、顔のつくり、発声の変化、着物ひとつで、まったく別の女になりきることができる。
すぐれた女忍びならば、数日の間に、食事の方法と特殊な運動によって肥体を痩身にすることも出来るし、細いからだを肥えさせることも可能であった。
頭領さま≠ニの打ち合わせがすみ、伊佐木の住居へもどって、このことを告げるや、
「いよいよじゃな」
伊佐木は双眸をかがやかせ、
「於蝶よ。こたびこそは、一緒にはたらけようぞ」
「おばばさまも、私と共に……?」
「一足おくれてな。ともあれ、こたびの忍びばたらきは、杉谷屋敷の忍びが一丸となって事にあたる。むろんのこと、頭領どのも出張られようぞえ」
ここでねずみのおばば≠ヘ、浅井長政と織田信長の関係について、くわしく於蝶に予備知識をあたえてくれた。
それだけの材料を、早くも杉谷信正はつかんでいたものらしい。
去年の夏から、伊佐木をはじめ、善住房その他の忍びが、交替で二、三日の忍びばたらきに出ては帰り、帰っては出て行ったものだ。
「間もなく、信長は越前の朝倉へ攻めかかるにちがいない」
と、伊佐木は断言をした。
織田信長は、朝倉義景に対し、つい先頃も、
「来る正月には、自分も京へのぼり、皇室へ年賀の礼をおこなうつもりである。あなたもそのとき、京へ出てまいられたい」
と、申し送っている。
それまでにも数度、信長は朝倉の上洛をうながしていた。
これは、自分の命令にしたがい、京都へあらわれ、皇室と将軍と信長とに敬意を表すべきである、という意味なのだ。
先年、六角義賢父子を攻めたときも、信長は朝倉の応援を要請している。
しかし、朝倉義景は、前に自分が世話をした足利義昭が、信長をたよって越前を去ったことへの不愉快さが、強いしこりとなって残っている。
さらに、いまやわがもの顔に天下へ号令を発し、将軍義昭でさえ頭が上らぬという信長のすばらしい威勢にも反感をおぼえている。
で……。
今度も、信長の上洛要請に対しては、
「捨ておけ!」
なんの返事もよこさぬ。
それで信長も、
「これまでに意をつくして、わしがはかろうてやったのに、いうことがきけぬとあれば仕方もなし」
ついに朝倉討伐の決意をかためたと見てよい……と、伊佐木はいうのだ。
「ただ、越前攻めが、いつ、どのようにしておこなわれるか……これは信長の胸三寸にあることじゃ。われら忍びをさえ煙に巻くほどの、神出鬼没の織田信長ゆえ、どのようにすばやい手を打つか、知れたものではない」
先ず、この信長の胸の中をさぐりとらねばならぬ。
信長の行動に対する杉谷忍びの攻撃が仕かけられないからだ。
次に、問題となるのは、小谷城の浅井長政の去就についてであった。
なるほど長政は、信長の妹を妻に迎えてはいるけれども、
「朝倉家との|関 係《かかわりあい》にも、ふかいふかい、つながりがあるのじゃ」
と、伊佐木はいう。
それは、於蝶にもうなずけることである。
浅井家は、当主・長政の祖父にあたる亮政《すけまさ》が北近江の守護・京極氏につかえて家をおこしたもので、以来、久政・長政と代をかさね、この間に、南近江の六角氏とたびたび戦さをまじえている。
観音寺城の六角氏を相手にしては、浅井家も戦闘のたびに苦しいおもいをしたものだ。
そのたびに、越前の朝倉家が援軍を出してくれ、何度も危いところを救われている。
「共に、ちからを合わせ、天下のため、足利将軍のため、はたらこうではないか」
と、朝倉義景は浅井長政と誓い合っているほどの親しい間柄なのである。
だから浅井長政は、織田信長が、
「妹を嫁にしてやってくれまいか」
と、申しこんで来たときも、くわしく朝倉家とのつながりをのべ、
「もし、これから織田と朝倉が争い事をおこすようになっては、自分の立場がなくなります。決して朝倉とは事をかまえることなしと、御約束いただけるなら、承知をいたしましょう」
と、こたえたものだ。
織田信長も、浅井長政の立場は、よく心得ていたから、
「長政殿のおこころは、ようわかっている。朝倉と争いごとを起すようなことはいたさぬ」
と、誓った。
だが、それは、
(朝倉義景が、わしとちからを合わせてくれるかぎり)
というのが信長の本心であった。
だからこそ、
(浅井が困らぬように……)
何度も、朝倉へ上洛をうながしている。
こうしたことに短気な信長にしては、めずらしいことである。
それもこれも、
(妹のお市を不幸にしてはならぬ)
という信長の性格のうちの、やさしいおもいやりであったし、
(長政殿とは悪《あ》しき仲になりたくない)
と、信長は、政略結婚で妹を押しつけた相手ながら、
(しっかりした人物である)
見こみもつけたし、好感も抱いたようだ。
まず第一に、浅井長政は、いま自分が置かれた立場を、よくわきまえている。
(織田殿にさからうことは出来ぬ。わしばかりではない。いまの織田殿の旭日がのぼりすすむごときちからと勢いを、だれもさえぎることはならぬ)
信長が京へのぼるためには、ぜひとも平定せねばならぬ近江の国。その国の城主の一人であるかぎり、信長に協力するか、または観音寺の六角氏のように戦いをいどむか……そのどちらかに決めなくてはならない。
隠居をしている父の浅井久政は、
「信長などと手をむすんではならぬ。われらは、どこまでも朝倉家と共に歩まねばならぬ」
といったし、久政にしたがう老臣たちも、
「信長は、約束事などを平気でふみやぶる男でござる」
反対するものが多かった。
長政も、かなり迷ったけれども、いざ信長と会見をして見ると、長政は長政で、
(妹ごの身の上を、兄らしい、こまやかなこころで考えておられる)
と、感じた。
それは取りも直さず、妹の夫となる長政の立場にも充分、理解をもっていることになるのだ。
「大名の家に生まれた女は、家のため領国のため、おもいもよらぬところへ嫁入りをさせられる。武家のならいではあるが、あわれにも思い申す」
信長は、しみじみと長政にいったものだ。
長政は決意した。
老父や老人たちの反対を、当主としての責任においてしりぞけた。
こうして、お市は浅井長政夫人となったのである。
その後も、長政は長政で、密使を越前へ送り、
「織田殿へおちからぞえをなされたほうが、よろしいかと思われます」
何度も、朝倉義景へすすめていた。
信長の要請と、長政のすすめが、こうしてくり返されたにもかかわらず、朝倉は、あくまでも織田信長へ屈服することをこばむ。
そして、ついに……。
信長の、朝倉攻めの決意は牢固たるものに凝結してしまったのである。
織田信長が、いつ朝倉攻めをおこなうか……。
(そのようなことがないように……)
と、小谷城の浅井夫妻は祈りつづけているにちがいない。
信長は、気ぶりにも決意を見せなかった。
長政へはむろんのこと、わが重臣たちへも、朝倉攻めについては一語も洩らさぬ。
およそ、こうした状況のもとに、於蝶は小谷城へおもむくことになったのだ。
手筈は、すでに杉谷信正によって、ととのえられていた。
一昨年あたりから、六角家を見かぎり、観音寺城をぬけ出し、浅井長政をたよって小谷城へ去った六角の家臣たちがかなりいたことは、すでにのべておいた。
その中に、六角義治の旗本をつとめる上田|権内《ごんない》というものがいる。
代々、六角家につかえていた上田権内であったが、数年前に妻を亡くしてからは、十八歳になるむすめが一人きりの家族で、このむすめをどこかへ逃がしておいてから、権内は、わが家来、小者などをふくめ五人ほどをつれ、小谷城へ脱出した。
そのころは、相次いで六角家から脱出する武士が増えていたことだし、浅井長政が織田軍と共に、観音寺城や箕作山を攻めたときも、これら旧六角の臣たちが、
「ようも、はたらいてくれた」
と、織田信長もみとめてくれている。
上田権内も、その中の一人であったが……。
実は権内、以前から甲賀・杉谷の息がかかった男なのである。
かつて、窮地に落ちた於蝶を信長居館から救い出した隠し忍び≠フ伊坂七郎左衛門と同様に、上田権内も杉谷の隠し忍び≠ナあったのだ。
このことを、六角家のものはだれも知らぬし、観音寺さま&ヮqも全く気づいてはいない。
権内の祖父・九郎次郎《くろじろう》の代から六角家へつかえ、戦功めざましく、次第に立身して旗本となった。
これは、杉谷屋敷の頭領として、
(われらが臣従する六角の内情も、よくわきまえていなければならぬ)
という配慮があったからだし、今度のように、わざと上田権内を浅井方へ脱出せしめたりすることも起ってくるのだ。
「わかったか……」
はじめて、杉谷信正から、このことをうちあけられた於蝶は、
「では、先ず、その上田権内どののところへまいりますのか?」
「いかにも。すべては権内が心得ている。うまくはかろうてくれよう」
「念のために、うかがいまする」
「何か?」
「権内どのの、むすめごは、いずこに?」
「おう。権内が観音寺のお城から逃げるとき、ひそかに、この屋敷へかくしておいた。なれど去年の春……であったが、小谷城下の権内のもとへ送った」
このことは、同じ屋敷内に住み暮していて、於蝶が全く気づかぬことであった。
権内のむすめは、いま長政夫人の侍女として、小谷城に暮しているそうな。
やがて……。
於蝶の姿は、杉谷屋敷から消えた。
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小 谷 城
小谷《おだに》の城は、けわしい二つの峰からなる山城である。
琵琶湖の北面にひろがる平野を見下したこの山城は、海抜三百メートルから五百メートルほどもあって、中世山城のかたちを濃厚にとどめている。
越前の山々が、琵琶湖へせまるところ、湖沿いの平野に突き出している山なみの突端の一つに、小谷城は構築された。
この城は、浅井長政の祖父・高政がきずいたものだ。
越前(福井県)との国境を背後に背負ったような、小谷城の遺構は、現代《いま》も見ることができるが、汗みずくになり、この山城の跡へ筆者は登って見て、越前|境の《ざかい》山々をながめると、いまさらながら、浅井と朝倉との関係が、切っても切れぬ間柄であったことを思い知らされる。
大きな二つの峰をかこむ、いくつもの突起点には、城の曲輪《くるわ》がもうけられ、複雑な山ひだと谷々が織りなす城郭は、実戦用の城として申し分のないスケールをそなえている。
小谷城の西側をすりぬけるようにして南北へのびている北国街道は、北陸と近江、美濃……さらには京都をつなぐ重要幹線であった。
そのつなぎ目ともいうべきところに、小谷城はあった。
織田信長にとっても……。
朝倉義景にとっても……。
小谷城を打ち捨てておくわけにはゆかないわけである。
この城をまもる浅井家の兵力は約一万ほどであったろう。
しかし、
「さすがに、浅井の軍勢なり!」
観音寺攻めのときの、浅井長政ひきいる部隊の戦闘ぶりの猛烈さ、果敢さをながめ、織田信長が、
「浅井に妹をやっておいて、よかった……」
つくづくと、柴田勝家にもらしたといわれているほどだ。
浅井長政の居館は、この山城のふもとにかまえられている。
周囲に濠《ほり》をめぐらしてはあるが、まことに質素な館であった。
城下町は、浅井居館につらなる家臣たちの屋敷と、平野へはみ出してゆく町家と、さらに琵琶湖の沿岸へのびる村々によって形成されていた。
上田権内の家は、小谷城の南西に、ぽつんと孤立した虎姫山のふもとに近いところにあり、わらぶき屋根のつつましい家であった。
六角家にいたころは、主君の旗本であっても、浅井の家来としては新参者であるから、上田権内は長柄(槍)足軽の一隊を指揮する足軽大将の、また下にいる足軽頭にすぎなかったが、近ごろは、そのはたらきぶりをみとめられ、使番《つかいばん》に昇進している。
これは戦場で、指揮者の命令を諸方へつたえる役目で、ことに権内は主人の浅井長政の使番となったのであるから、新参の者としては名誉なことだといえよう。
その日……。
於蝶は、まだ陽が沈まぬうちに小谷城下へ入って行った。
甲賀の九市が従者である。
「上田権内さま身内のものでござります」
と、於蝶は番所の兵卒に名乗り、かねて権内から杉谷信正へとどけてよこした書状を見せるや、
「お通りなされ」
すぐに、城下町の中でも武家屋敷がならぶ一郭へ通された。
城下には緊張がみなぎり、人の出入りは、きびしく監視されている。
このあたりは、相当な家臣の屋敷がたちならんでいるが、権内の家は、これを左手へ切れこみ、かなり歩いたところにあった。
あたりには、足軽や軽い身分の武士の家が多い。
小さな門をくぐり、玄関口で声をかけると、
「どなたじゃ?」
上田権内自身が、のそりと、あらわれたものだ。
於蝶は、この人物におぼえがなかったけれども、九市は二、三度、会ったこともあるらしい。
にこりとして、九市が、
「権内さまでござる」
と、於蝶にいった。
「やあ、はるばると、よう出てまいったな」
権内が、すかさずに声をかける。
裏庭から小者が二人ほど、声をきいてあらわれたからだ。
於蝶は、権内の亡妻の姪で、いままでは山城の国の大住《おおすみ》郷に暮していたが、両親が病死をしてしまい、権内に引きとられた……ということになっているのである。
「ま、あがりなさい」
権内に案内をされ、二人は、奥の間へ通った。
この権内の居間のほかに、部屋は四つほどで、あとは台所のみの、小さなものであった。
居間といっても、当時の、権内ほどの武士の家には畳などは一枚も無い。板敷きの部屋にわらで編んだ敷物を置いてあるだけのことだ。
だが、炉には赤々と火が燃えていた。
「今日は、よう晴れたが、雪の泥道つづきで、さぞ、難儀なことであったろうな」
と、上田権内は熱い白湯《さゆ》を二人にすすめてくれた。
「はい。寒うございました」
「ま、このあたりまでは、まだよいほうじゃ。これから北へ……越前の国境を越えると、もはや馬の足もすすみかねるわい」
血色のよい、よく肥えた上田権内は、陽気な声ではなしかけてくる。
いまの彼は、小者五人のみの主人で、下女などは置いていないという。
権内がつれて来た家来たちは、それぞれに独立して浅井家につかえているようであった。
夕飯がすみ、夜がふけて……。
於蝶は、しずかに、自分にあてられた小部屋からぬけ出した。
間もなく、於蝶は上田権内のまくらもとへ、闇の中からにじむように浮いて出た。
「於蝶どのか……」
上田権内が半身を起した。
ねむり燭台の淡いひかりの中で、二人は語りはじめる。
権内も、唇のうごきのみで会話をかわす読唇の術≠心得ているから、二人の談合には全く音声を必要とせぬ。
次の間には、甲賀の九市が寝ており、権内の奉公人はその向うの部屋に眠っているわけだから、この主人の居間(兼寝間)の様子に気づく者はいない。
「観音寺さまは、伊賀の国へかくれておわすそうじゃが……別に、お変りもない様子かな?」
と、先ず第一に、上田権内が問いかけてきた。
甲賀・杉谷の隠し忍び≠ニして六角家の臣となったのだが、三代にわたっての奉公をしてきているだけに、権内は観音寺さま≠フことが、やはり気にかかるのであろう。
「はい。伊賀やら甲賀やら、いまは諸方をいそがしゅう……」
「御苦労なことじゃ」
「なれど、観音寺の城を落ちて行った御家来衆も、おいおいあつまり、甲賀武士の中にも、いまひとたび、観音寺さまをいただき、織田信長に一泡ふかせてくれようとのぞむ人びとも出てまいりましたゆえ……」
「そうか、そうか。それでこそ、この上田権内もはたらき甲斐があろうというものじゃ」
「それで、これより、わたくしは?」
「そのことよ」
権内は、うなずき、
「わしのむすめの琴がな、いま、長政公の奥方につきそうて奉公をしておる。このことは、すでにききおよんでいようが……それは大変な気に入られようでな」
「はい、はい」
「そのむすめからはたらきかけ、奥方に申しあげ、おぬしを小谷の城へ御奉公に……と、願うておる。たぶん、うまくゆくにちがいない。ちなみに申しておくが、わがむすめの琴はな、父のわしが杉谷の隠し忍びであることは全く知らぬ。よいな」
「心得ておりまする」
「さらに、おぬしのことも、亡き妻の姪にあたる女、と、思いこんでおるのじゃ」
「はい」
父子何代も相つたえて任務をつらぬく隠し忍び≠ヘ、妻子にも、その本体を明かさぬ。
敵をあざむくためには、先ず味方をあざむくわけであった。
「ともあれ、わしはあくまでも浅井家の臣として何喰わぬ顔をしていなければならぬし……それにまた、生まれたときよりの隠し忍びゆえ、せいぜい読唇の術やら密書のあつかい方をわきまえているのみで、おぬしたちのように城中へ忍び入って何やらいたすことが出来ぬ。どうしてもここは、おぬしにはたらいてもらわねば……」
「はい」
そのころ、織田信長は着々と京都へのぼる準備をすすめていた。
あくまでも、天皇の御きげんをうかがうというたてまえ≠ナあったが、信長の胸底には、すでに朝倉攻めの腹案がかたまりつつあったのだ。
いま、浅井長政の領国といえば……。
北近江・六郡を合せ、収穫は、およそ四十万石ほどであろう。
近江の国の南と東は、すでに織田信長の手中に帰した。
そして、北どなりの越前には朝倉義景。
そのスケールの点から見て、くらべものにはならなかったけれども、
(まるで、あのときの小柴見|宮内《くない》さまにそっくり……)
と、於蝶は思った。
九年前のあのとき、川中島の決戦の前夜。
小さな城ひとつが、川中島平にのぞむという地形のため、
「上杉に味方しようか……それとも武田に……?」
と、最後まで去就にまよいぬいた城主・小柴見宮内は、一応、川中島へ進出して来た武田信玄の旗の下へおさまったが、新田小兵衛や於蝶の忍びばたらきに応じ、ついに決戦の前夜となって上杉謙信へ、武田軍の機密作戦を、もらした。
それのみか、情況判断をあやまった宮内は、引きあげて行く上杉軍の負傷者を自分の城へはこびこみ、手当をおこなったりしたものだ。
これで、宮内の裏切りが武田方へもれてしまったのである。
武田信玄は激怒した。
「ただちに、首をはねよ!」
まだ何くわぬ顔で、武田陣中にいた小柴見宮内が信玄の面前へ呼びつけられ、その場で首を討たれたというはなしを、後になって於蝶は耳にした。
かたちこそちがえ、いまの浅井長政も、朝倉と織田の勢力にはさまれ苦悩している。
ことに、朝倉義景に対しては、むかしからの恩義があり、親しい交誼がある。
そしてまた、織田信長の実妹を妻にしている浅井長政なのであった。
(それだけに、あのときの小柴見さまよりも、もっともっと、むずかしい立場にある)
と、於蝶は考えた。
利害関係だけで決心をするならば、なにも思いなやむことはない。さっさと織田方へ味方してしまえばよいのである。
いや、いまは味方なのだ。
味方なのだが、
(このままでは、すむまい)
と、長政も予期しているし、父の久政はじめ、重臣たちの大半は、
「見ておれ。かならずや信長は、われらとの誓いを破り、朝倉家へ攻めかけるにちがいない」
と、見ている。
朝倉義景は、代々、越前の国の守護に任じてきた大名で、家柄は織田信長のそれよりも、はるかによい。
義景の祖先たちは、いずれも武略にすぐれ、よく国と家をまもりつづけてきたし、義景もまた武人としては高度な教養をもち、朝廷からも足利幕府からも、非常に、たのみにされてきたという誇りがある。
「信長ごときのいうままにはならぬ!」
であった。
浅井長政は、小谷城の主ではあるけれども、口やかましい父が健在だし、父の代からの老臣たちも、まだ長政を「お若い」と見ている。
長政ひとりで浅井家をうごかせるものではなかった。
ただ、ひたすらに、
(織田どのが、争わず朝倉家と手をむすんでくれるように……)
祈るのみであった。
妻のお市の方は、信長の妹として尾張にいたころから、その美貌を天下にうたわれた女性である。
長政へ嫁したときは十七歳で、いま夫婦の間には一男・三女があった。
のちに……このうちの長女が豊臣秀吉の側室・淀君となり、三女は徳川家康の子で徳川二代将軍・秀忠の妻となる宿命を背負っている。
この年、元亀元年で、浅井長政は二十六歳。お市の方は二十四歳になっていた。
さて……。
於蝶が小谷城下へ入った翌日となっても、供をして来た甲賀の九市は、まだ上田家へとどまっている。
何か至急に、甲賀へ用事ができたときのため、しばらくは、とどまることにしてあるのだ。
それから三日目の朝。
浅井長政の居館から、上田権内と於蝶へ呼び出しがかかった。
「さ、いよいよじゃぞ」
権内にうながされ、於蝶は用意して来た地味な柄色の衣服に身をつつみ、浅井居館へおもむいたのである。
この日も、よく晴れていた。
しかし、越前境の雪の山々がつらなるあたりの空は灰色に重く、密雲がたれこめていた。
浅井居館の規模は、とうてい岐阜の織田居館のそれとはくらべものにならぬ。
いざ、この城へ敵が攻めかけて来たら、長政たちは居館を焼きはらい、小谷山の城へのぼって戦うわけであった。
主殿と呼ばれて、長政夫妻が住み暮す一棟もわら屋根である。
玄関がまえの手前の小さな門を入り、石畳の通路を折れ曲って行くと、また別の門がある。
ここまで案内して来た浅井家の武士が、
「上田殿、お通りなさい」
と、いった。
武士は、そこから引き返して行き、権内と於蝶が門をくぐった。
すぐに、ささやかな玄関がまえとなる。
そこに、老武士が一名と、侍女三名がひかえてい、於蝶たちの来るのを待っていた。
この侍女の中に、上田権内のむすめ琴がいた。
まだ二十をこえたばかりの琴であるが、権内に似て愛嬌をたたえた顔貌で、
「さ、於蝶どの。こちらへ……」
と、笑いかけてきた。
「ごめん下されましょう」
於蝶は、重く沈んだ顔色で、ゆっくりと玄関の内に入った。
婚期をうしない、両親をうしなった二十八歳の老嬢に、身もこころもなりきっている於蝶なのである。
黒光りのした廊下にも、ふとい柱にも、湖北のきびしい寒さがただよってい、於蝶と上田権内を案内する琴や侍女たちも背をかがめ、小走りに屈折した廊下をたどって行く。
暗く、重苦しいほど冷厳な北近江の冬が、この居館を、しっかり抱きすくめていた。
やがて、於蝶たちは、浅井長政夫人の居間へ達した。
板扉がひらかれ、ひかえの間へ入ると暖気がたちこめている。
女の部屋なのだが、板敷きの間で、居間の中央には大きな炉が切ってあり、火がさかんに燃えていた。
その向うには、上畳《うわだたみ》が敷きつめられ、金屏風をたて交わし、さすがに女性の香りにみちた道具類がならべられている。
「おお、琴か……」
侍女たちにかしずかれ、文机《ふづくえ》の前に書きものをしていたお市の方が、ふり向いた。
「上田権内ならびに於蝶をめしつれましてござります」
ひかえの間の侍女たちの中から、琴がいった。
「ここへ……」
「はい」
琴にうながされ、於蝶は夫人の居間へ入った。
お市の方が筆を置き、正面の上畳へ座をうつし、
「もそっと、前へ……」
「はっ」
上田権内が受けて、
「これなるが亡妻の姪にあたります於蝶にござります」
うなずいたお市の方が、
「山城の国から、はるばると……寒かったことであろう」
やさしく、ねぎらってくれた。
於蝶は平伏したままで、
「こたびは御奉公のかないましたること、ありがたき仕合せに存じまする。こころをつくし、御用にはげみまする」
「たのみます」
「はい」
「ま、ゆるりと顔を見せてたもれ」
於蝶は一礼し、面をあげた。
あげて、お市の方を見て、息づまるような緊張に五体が引きしまるのをおぼえずにはいられなかった。
(これが……このような女性が、この世に在ったのか……)
なのである。
雲形と花模様の片身替りの小袖の上から、お市の方は白綾の上小袖をかさね、さらにその上へ表小袖を肌ぬぎのかたちにまとうている。
いわゆる腰巻き姿≠ニいって、そのころの上流階級の女性の典型的な服装であったが、こうした衣装につつまれたお市の方の顔かたちが、衣装とは全く別に、へだてた空間を一気に走って於蝶の眼の中へ飛びこんで来たとでもいったらよいのか……それほどの迫力をもった美貌であった。
(このお方が、織田信長の妹御なのか……)
しばらくは、於蝶も口がきけなかった。
たれ髪が黒うるしをぬりこめたように、おもおもしい艶をふくみ、その分け目の下の、ひろやかな額が新雪の白さであった。
異国わたりの白粉も顔まけをするほどの白い肌へ、切長の両眼あくまで涼やかに、鼻すじが清らかにながれるところ、薔薇《ばら》色のくちびるが、愛らしいふくらみをたたえている。
お市の方は、ほとんど化粧をしていなかった。
お市の方の美しさは世に知られたもので、むろん、於蝶もこれを耳にしていたが、これほどまでに完璧《かんぺき》の美をそなえている女性とは考えおよばなかったといえよう。
しきりに何か問いかける、その声も於蝶はうつろにきいて、ただ茫然としていたようである。
かわりに、上田権内が何やらこたえていた。
おそらく、お市の方の問いは於蝶の身の上についてであったろう。
「これ……これ、於蝶……」
権内にたしなめられ、於蝶は我に返った。
「なにを、ぼんやりと……」
「は、はい」
於蝶は、ひれ伏した。
すると、お市の方が、
「よい、よい。この居館《やかた》の内にいてはたらきくれるとき、あまり気を張らずにいてたもれ。ことには寒さきびしい冬。気づまりは、からだを損《そこの》うゆえ……」
「は、はい。かたじけのう存じまする」
「みなのものと仲よう奉公をいたしくれるよう……」
「はい」
「只ひとこと、申しておきたい」
「はい?」
「そなたも知ってのごとく、私は織田信長公の妹。それが小谷へ嫁入り、浅井家の女となった。戦乱絶え間なき世のありさまゆえに申すことなれど、こころしてきいてたもれ」
「はい」
「私は、どこまでも浅井家の女。浅井長政の妻であることを忘れぬよう。私と織田との|関 係《かかわりあい》については、まったく念頭におかず、奉公にはげみくれますように」
「心得ましてござります」
居間にいる侍女たちも、ひかえの間の侍女たちも、このお市の方の言葉にきき入っている。
それを承知の上で……というよりも於蝶へ語りかけることによって、この機会に、自分の声を、わが心の内を侍女たちの耳へも入れておきたい、というお市の考えらしかった。
それは取りも直さず、織田と朝倉の勢力にはさまれた小谷城の立場同様に、実家と婚家にはさまれたお市の方の苦悩がにじみ出していることになる。
間もなく、於蝶は居館を退出した。
侍女としての奉公は明日からである。
ふたたび、琴や侍女たちが、権内と於蝶を内玄関口へ送って来た。
「於蝶どの。では明日……」
琴が笑いかけ、
「あのような奥方さまにおつかえするのですから、すこしも案じなさることはありませぬ」
と、いった。
その夜は、はげしい雪となった。
風も、かなり強い。
上田権内の居間で、於蝶は九市をまじえ、例のごとく声なき会話をかわしている。
権内は、浅井居館や小谷城について知るかぎりのことを話してきかせた。
かねて書きとめておいた略図を於蝶たちに見せ、
「わしもな、身分も軽い上に、まだ新参者ゆえ、城中のこともくわしゅうは知らぬが……」
「なれど、まことに要害の城でございますな」
「観音寺のお城とても、くらべものにならぬわ」
と、権内はいう。
二つの峰から成る天険の小谷城へ浅井軍がたてこもったときは、織田信長の大軍も容易にこれを攻め落すことはなるまい。
だが、いまの浅井家は、織田信長との同盟を破棄したわけではない。
籠城に必要な食糧をたくわえているわけでもなかった。
いまは冬の最中であるし、とても、そのような仕度は出来ない。
それにもかかわらず、浅井家のうごきは、
「もしも、越前の朝倉と織田とが戦さするときは、一も二もなく朝倉へ味方をする」
という方向へしぼられつつあるらしい。
これは隠居の浅井久政をはじめ、重臣たちの考えがすべてを支配するようになってきていると見てよい……と、上田権内はいった。
もちろん、それは表にあらわれてはいないけれども、
「城の内外を、毎日のように……」
人足や兵士が修理したり、戦闘用の防備のための工事を急いだりしているというのだ。
あれほどに神経のゆきとどいた織田信長のことであるから、
(この小谷へも、かならず忍びの者が入りこみ、浅井のうごきを逐一、岐阜へ知らせているにちがいない)
と、於蝶は思う。
「なれど……」
於蝶は、にっこりとして、
「権内さま。この城も居館も、私の忍びばたらきのためには、まことに、はたらきやすく、おもえます」
「そうか。それはよかった」
「なんとしても、浅井家を朝倉の味方にさせ、ちからを合せて信長に刃向うようにせねばなりますまい」
「そのことよ」
「そうなれば、観音寺さまも伊賀から取って返し、手勢をひきいられ、信長のうしろをおびやかしましょう」
「いかにも、いかにも……」
「さらに、越前の上杉謙信公を迎え、朝倉方がこれを越前へ迎え入れ、共に近江へ乗り出されれば、信長とて恐るるに足りませぬ」
と、於蝶は双眸をかがやかせた。
上杉の軍師・宇佐美定行の夢が、いまこそ実る機会が来たのではあるまいか……。
浅井長政は、少年のころから、
「世の常の人物ではない」
と、家中の武士たちから敬《うやま》われていたという。
父の久政が戦国の大名としては物足りない人物であっただけに、
「一日も早く若君の長政公が城主となってくれるよう」
と、重臣たちも熱望していたものである。
こうした家中の声が、久政をして四十代のうちに隠居させることになったものであろう。
長政が若いころに、父のいいつけで観音寺さま≠フ縁者にあたる平井加賀守のむすめと婚約した折、
「どうも気がすすまぬ。平井ごとき人物と親子の縁をむすんだとて武門のほまれにはならぬ」
長政がこころを変え、この婚約を破棄したときも、重臣たちは、むしろ長政を支持したほどなのだ。
それがいま、重臣たちの大半が隠居の久政と共に、
「あくまでも朝倉家に味方しよう」
と、決意するに至ったのは、なにも久政を敬っているからでもなく、長政を見捨てたからでもない。
つまり、それほどまでに浅井と朝倉の両家は切っても切れぬ間柄であったということなのだ。
それに……。
去年の秋ごろから、京都にいる将軍・足利義昭が、朝倉家へ、
「どうも、織田信長のみが京の都で勢力をふるうのはおもしろうない。少しも早く、京へあらわれ、信長を追いはらってもらいたい」
と密書を送りつけて来た。
義昭は、上杉謙信にも同じようにはたらきかけている。
武田信玄や関東の北条氏へも密書を送っている。
本願寺や比叡山にも、中国の毛利へも援助をたのんでいる。信長にあたまを押えつけられてしまっている足利義昭は、諸国の大勢力へ呼びかけ、またも戦乱を起させ、その間隙に将軍の実力をたくわえ、おもうままに天下へ号令しようと考えているらしい。
もしも、義昭のおもうように事がはこんだなら、これは織田信長も安心してはいられまい。
ことに、上杉謙信が北陸へあらわれて、朝倉義景と手をむすぶことを、信長はもっとも恐れていた。
だからこそ、
「もうこれ以上は待てぬ」
と、朝倉討滅の決意をかためたのである。
去年から、
「皇居を新築する」
といい、信長は諸方から資材や人足を京都へ送りこみ、自分の軍勢も絶えず岐阜から差し向け、工事をすすめている。
一方……。
甲斐の武田信玄も、足利義昭の呼びかけに応じ、腰を上げるかまえを見せはじめた。
織田信長の緊張も、このところ只ならぬものがあったといえよう。
その夜ふけに……。
於蝶は、異常なものの気配に目ざめた。
風は絶えていたが、雪は尚、ふりしきっているらしい。
(たれか……?)
この部屋の一隅に、たれかがいて、於蝶を見まもっている……。
右どなりの部屋には上田権内が眠っている。
左どなりの部屋からは九市の寝息がきこえている。
於蝶は寝息を絶やすことなく、しずかに寝衣のえりもとへ差しこんである羅叉《らさ》の尾≠ゆびでまさぐった。
羅叉の尾──この毒針ひとつを甲賀杉谷の女忍びは肌身はなさぬ。
ねむり燭台は、この部屋に無い。
於蝶も九市も夜の闇をつらぬく視線の所有者であった。
となりの権内の部屋を仕切っている板戸の細い隙間に淡く灯の色が、一条の線となって闇の中に浮いて見える。
ものの気配が密度を増してきた。
於蝶のゆびは、完全に羅叉の尾をぬきとっていた。
(九市が、このものの気配に気づいてくれているかしら……)
呼ぶことも出来ない。
九市を呼べば、曲者が逃げるやも知れぬ。
(たれか……こやつを捕えてくれよう。こやつの顔を見とどけてくれよう)
と、於蝶は闘志を燃やしはじめていたのだ。
と……。
於蝶の頭から矢のように、夜具の中へ走りこんできたものがある。
これへ羅叉の尾を刺しかけて、
(あ……ねずみ……)
くびをもたげた於蝶の眼前へ、するすると身を寄せて来た一つの影はねずみのおばば≠フ伊佐木であった。
「おばばさまか……」
「おお……」
するりと、伊佐木は於蝶の寝床へ身を差し入れてきた。
細い氷柱《つらら》のような伊佐木の骨張った躰は、幼女のごとく小さなものに感じられた。
「う、うう……」
伊佐木は、かすかにうめき、
「雪の中を歩みつづけての」
「大変でございましたろうに……」
「なんの……十年前までは、これしきの雪の中を十里歩んでも、びくともせなんだものじゃが……」
於蝶の、ひろやかな胸の中へ、しわだらけの顔を埋め、ふとやかな彼女の双腕に抱きしめられ、伊佐木はしばらくの間、凝《じつ》と冷えたおのが血があたたまるのを待っているようである。
いつの間にか、伊佐木のふところへ入れられ、甲賀からここまで運ばれて来た三匹のねずみも、ぴったりと於蝶の腰のあたりへ、身をすりつけていた。
さすがに鍛えぬかれた伊佐木の老躰であった。
「人心地がついたわえ」
「空腹ではございませぬか?」
「いまは、よい」
「おばばさま。何やら危急の御用事でも……?」
伊佐木は、岐阜城下に潜入していたのだという。
正月早々に、京都へ出向いた織田信長が数日を滞留し、すぐさま岐阜へ引返して来たのを見とどけてから、
「いちおう、甲賀へ帰ろうと思うたのじゃが……途中まで来て、ふっと、お前と共に忍びばたらきがしとうなっての」
「ま……」
「それに、おばばも、いささか考えることあって、この小谷のまわり一帯の様子を見とどけておきたかったのじゃ」
闇の中で、二人のくちびるが音もなくうごきつづける。
九市の寝息は絶えない。
「九市めは、まだまだじゃな」
と、伊佐木は苦笑し、
「わしが、ここへ忍び入ったることを、いささかも気づいてはいないぞえ」
「はい」
「わしもな、お前と九市をためして見るつもりで気をぬかずに、ここへ入ったのじゃが……お前は早くも気づき、羅叉の尾を引きぬいた」
「いえ……雪の中の道中をなされた上では、どうしても……」
「うむ。わしの五体の冷えが、この部屋の……」
部屋の空気に微妙な変化をあたえ、そのため、かすかに空気がゆれるというのだ。
熟練した忍びの感覚は、このような変化にも眠りからさめるものなのである。
於蝶が、ここへ来てからの経過を語るや、
「よし」
おばばがうなずいた。
「明日、お前が小谷城へ奉公に上ってのち、二人して居館の内をさぐりとって見ようではないか」
「御一緒にか?」
「いかにも」
「ま、うれしいこと。百人力でございまする」
伊佐木は、翌朝ひそかに上田権内と九市とに会い、
「食べものだけは、一日に一度でよいゆえ、はこんで下されや」
いい残し、権内の居間の天井裏へ、ねずみと共に消えてしまった。
上田家の奉公人も、だれ一人、伊佐木の訪問と滞在を知らぬ。
伊佐木が、於蝶のみに語ったところによれば……。
信長が京都から帰ってのち、岐阜城下では一種の緊迫がみなぎりはじめたそうな。
「戦さ仕度じゃ」
と、伊佐木はいう。
表立って、何も見えはせぬのだが、武家屋敷では馬や武器の手入れが綿密におこなわれはじめ、城下の武具・武器をあつかう商人たちが、にわかに多忙となる。
このところ戦陣つづきの織田家だけに、これは格別めずらしいことではないのだが、
「また御出陣らしい」
「今度は、どこか?」
「朝倉攻めであろうよ」
などと、城下のうわさだそうな。
さらに伊佐木は、
「於蝶よ。お前の知りびとが一人、死んだぞえ」
と、告げた。
それは、あの滝山忠介が、すでにこの世に存在してはいないということであった。
於蝶は、忠介の口ぞえによって目付役の中村主水へ引き合わされ、主水の世話で織田居館へ奉公に上った。
それには、於蝶が、かつて清洲城下の弓師・政右衛門のむすめであったということを、織田家の士がおぼえていたことも、大きくものをいっている。
なにしろ信長でさえ、於蝶を見おぼえていたほどなのだ。
「ただそれのみならば、忠介をとがむるつもりはない」
と、織田信長はいった。
甲賀・杉谷の女忍びという本体が判明し、於蝶が岐阜を脱出したのち、滝山忠介も中村主水も、きびしい詮議をうけた。
中村主水は謹慎を申しつけられたが、
「忠介は、首をはねよ!」
と、信長がいった。
これは忠介が於蝶と、数度、情をかわしていたことがわかったからだ。
なぜ、わかったかといえば、忠介自身が、同じ宿所にいる同僚たちに、
「ほれ、清洲御城下にいた弓師の政右衛門のむすめな……うむうむ、あの肉づきのよい、可愛ゆらしいやつよ。あのむすめ、岐阜へもどってきてな。それで、ついその、先ごろから……うふ、ふ、ふ……おれがものになってしもうた。いやそれがな、見ちがえるばかりのわけ知り女になっていて、こちらがもてあますほどだわい」
なぞと、自慢気に語ってきかせたからである。
このことをきいて、織田信長は怒ったのである。
「いまだ城下のかたちもととのわぬというときに懈怠《けたい》きわまるやつ!」
と、いうわけだ。
重傷を負った於蝶が、ようやく杉谷屋敷へたどりついたころ、滝山忠介は首をはねられ、その首は城下へ三日の間、さらしものにされたという。
まだ、清洲から岐阜へ移っていなかった忠介の妻子には別段のとがめはなく、忠介の妻は五歳になる男の子を連れて清洲から姿を消したということだ。
「お気の毒に……」
於蝶がつぶやくと、
「まだ、みれんがあるのかや? その滝山忠介とやらいう男に……」
「いえ……忠介どのの妻子が気の毒」
「かもうな、かもうな」
実は、妻子よりも忠介に、であった。
稚拙で荒々しい忠介の愛撫が、いまさらのようにおもい出される。
単純で粗暴な男ではあったが、こころはやさしかったし、ずいぶんと於蝶のために骨を折ってくれたものである。
「忠介はな……」
と、伊佐木はにやにやと於蝶を見やりつつ、
「首をはねられるときも、そりゃもう悪びれることなく、あの女のために死ぬるも、これ男の本懐じゃと、申しのこしたそうな……うふ、ふ、ふ……よほどに、お前のことを忘れかねていたものと見ゆるわえ」
於蝶が、浅井長政居館へ上ってから四日目の夜になった。
夜ふけ……。
一匹のねずみが、於蝶のねむる部屋へ音もなく潜入し、於蝶の夜具へもぐりこんで来た。
これは、伊佐木が廊下の外へ来ているという知らせなのである。
於蝶は起き上りねむり燭台≠フ火に鞘翅草《しようしそう》の粉末をくべた。
この異国渡来の草の粉末が火にいぶり出されて、淡くただようけむりは、傍にいる者の鼻腔へながれこみ、ふかい眠りをさそう。
同室の侍女は、琴をはじめ五人であった。
しばらくは、寝床にいて鞘翅草のけむりが室内に行きわたるを待ち、
(もう、よいであろ)
於蝶は、ねずみをふところへ入れ、床をぬけ出し、廊下へすべり出た。
そこで、手早く墨流し≠身にまとった。
ねずみのおばば≠ェ、闇の中を近寄って来て、
「わけもない屋形じゃな」
「はい」
「武田信玄の屋形にくらべたなら、まるで大人と赤子よ」
「さようでございますか」
「浅井家では、忍びをつこうてはおらぬな」
「と、私も思いまする」
「木偶《でく》のような武士が槍をかついで、屋形のまわりをうろうろしておるだけのことじゃわえ」
「はい」
「さて……どこから、はじめようかえ?」
「おばばさま。今夜は、奥方さまの御寝所へ、長政公がお成りでございますよ」
「まことか?」
「はい」
「それはよい。お市の方が、どのような寝姿をしているか、見てくりょう」
と、伊佐木はぶしつけなことをいう。
「こう、おいでなされませ」
「よし」
大廊下へ出た。
しかし、屋内の廊下には武士の警備がほとんど無いといってよい。
こうしたところは、越後の上杉謙信の居館と同じである。
それだけに、
「まだ、甘いのじゃわえ」
と、伊佐木はいうのである。
戦争というものが、戦場を主としてのみ、おこなわれるという観念からぬけきれていない古いかたちの戦国大名だというのである。
忍びの組織も大きくふくらみ、日本の中央に在って、天下取りに狂奔する大名たちは、このことをよくわきまえ、謀略と間諜網の完備に熱心である。
そのかわり、こちらも敵を探るからには、敵もこちらを探りに来るというかまえをくずさず、諸方の忍びたちを駆使し、平常も決して油断をせぬ。
織田信長しかり、徳川家康しかり、武田信玄しかりである。
大廊下から表主殿へ通ずる小廊下が真直ぐにのびていた。
その途中から右手へ、小廊下を切れこんだ突当たりが、お市の方の寝所であった。
夫妻の寝所に、燭台の灯がまたたいた。
「あ……」
まだ、目ざめていたらしいお市の方が夜具の内で、ひしと夫の躰に取りすがったようである。
一匹のねずみが、寝所の端から端へ、鳴声をたてつつ横切って行った。
「ま、ねずみが……」
「うむ」
うなずいた浅井長政が、
「ねずみも凝《じつ》としていては寒いのであろう」
たくましい両腕に、お市の方を抱きよせ、
「まだ、ねむらなんだのか……」
「はい」
夫妻が、走り去ったねずみに気をとられた転瞬、於蝶と伊佐木は、ひかえの間にねむる三名の侍女の傍をすりぬけ、板扉を開けて寝所へすべりこんでいたのである。
引きあけた板扉の幅は約一尺。
その間から中へすべりこんだとき、板扉はぴたりと閉じられていた。
板扉は、かすかなきしみの音をたてた筈であったが、ねずみの鳴声と、それにつづく、夫妻の会話が、これを消してしまっている。
残る二匹のねずみは、伊佐木のふところにうずくまり微動もせぬ。
重く厚く、金屏風が於蝶たちの眼前に長々と横たわっていた。
その向うに上畳を敷きつめ、浅井長政夫妻がやすんでいるのだ。
顔を見合い、うなずき合った於蝶と伊佐木は、しずかに正座し、呼吸をととのえはじめる。
いわゆる整息の術≠おこなうのである。
この寝所の空気と化し、人間としての匂いも気配も、いっさいを消滅し去ろうというのが整息の術であった。
人は、呼吸をすることによって、体臭を発散し、気配をただよわせる。
この呼吸を失神する一歩手前まで微弱にし、無念無想の境地へ没入するわけだ。
二人は、闇に溶け、金屏風に吸いつき、耳をすませた。
「お目をおさませいたし、申しわけもござりませぬ」
お市の方の声が、ささやきはじめた。
「何の……」
「ま……あたたかな……」
「わしは血の気が多いようじゃ」
「こころよい……」
「もそっと……そなたも、わしの躰を掻き抱いてくれい」
「あい……」
「さ、もそっと……こういたしたらよい」
浅井長政の声は、ふとい、はっきりとしたひびきをもっているが、口調はやさしい。
小肥りの体躯《たいく》ながら、武術に長じている長政の筋肉は弾力に充ちてい、寒い国に生まれ育ったためか、真冬も麻の寝衣一枚であった。
血色のよい肌白の童顔である。
鼻下にたくわえた髭《ひげ》によって、浅井長政の風貌は年齢相応に見えるといってもよいほど、あどけない表情をもつ。
お市の方は、この夫との間に三人の子をもうけ、ふかく夫を愛していた。
「これより……これより、世の中のうごきは、いかが相なりますのか?」
押えきれぬ憂悶が、ほとばしり出たような、お市の方のささやきであった。
「わからぬ」
と、長政が、
「人の世の行先のことは、いささかもわからぬ。後世の人びとは、去りしむかしを振り返り見て気ままに善し悪しをいいたてるものだが、その、ときどきの世に生きてあった人びとは、みな無我夢中のことよ」
「はい……」
「なればこそ、われらとて無我夢中に生きるより仕方もあるまい。そなたが、夜もねむれぬほどの、その胸のうちにひそむ心配ごとも、わしにはようわかっておる」
「………」
「わしと織田殿との間柄が、このままにさしさわりもなく……」
「はい」
「そりゃ、わしとても同様」
「まことに?」
「まことじゃ」
「うれしゅうござりまする」
「小谷の城下では、いまにも、わしが朝倉と共に起って、織田殿に刃向うかのような風評しきりであろう」
「はい」
「わしは、朝倉家とも織田家とも争うつもりはない」
「それきいて、お市は安堵いたしました」
「ゆえに、争うつもりはないことを、織田家の妹御たるそなたと共に、わしは、こうして……」
声が、とぎれた。
お市の方のあえぎが高まってゆくのが、金屏風のこちらにいる於蝶たちにも、はっきりとわかった。
衣ずれの音が起り、長政が何かささやいている。
「……わしのこころは、織田殿もよう御承知である」
「……な、なれど……」
「何が……?」
「朝倉義景公のおこころひとつにて……」
「それをあきらめてはならぬ。わしも、まだあきらめてはおらぬ。わが父や家来たちのもめごとも、朝倉家のうごき一つで、何事もなくおさまってしまうのだ」
「はい」
「朝倉家が、往昔からの見栄や誇りを捨て去り、織田殿にちからを合せる。このことによって浅井も朝倉も安泰を得ることは、明白なこと。なれど……その明白なことを、だれもがわかってはくれぬ。わしはあきらめぬ。これからも、くどいほどに越前へ使者を送り、何としても朝倉義景公を説きふせて見せるつもりじゃ」
「はい、はい」
「このことは、このわしのこころは先日も岐阜へ密使をつかわし、織田殿へつたえておいた」
「兄上さまは、何と?」
「ようわかっておると、御返事下された」
「まあ……」
「わしも、一生懸命のちからをつくして、最後まで義景公を説きふせることをやめぬつもりじゃ。が、そのかわり……」
と、長政は語尾を消した。
浅井長政が語尾を消したのは、そこで、彼のつきつめた思いが鋭く凝結する間が必要であったからだろう。
尚も、長政は腕にちからをこめ、妻のしなやかな肉体を抱きしめつつ、
「この長政がちからをつくすのと同様に、織田殿も、ちからをつくして下さらねばなるまい」
「兄上さまが……?」
「いかにも」
「それは……?」
「約定《やくじよう》じゃ。そなたを妻に迎えたる折に、信長公がわしに誓うて下された、その約定じゃ」
「はい」
「決して、朝倉家とは事をかまえぬと申された、その約定を、あくまでも守っていただかねばならぬ。いま少し、この長政に月日をあたえていただかねばならぬ。雪どけを待ち、わしはみずから越前へおもむき、朝倉を説きふせてもよいとまで考えているのだ」
「兄上さまも、その御約定あればこそ、何度も何度も……」
「うむ。織田殿が朝倉に上洛をうながしたること再三ではない。それは、ようわかっておる」
於蝶は、その浅井長政が妻にあたえている熱情のこもったささやきに、絶望をおぼえずにはいられなかった。
約定。
誓い。
それが、この戦国動乱の世に、どれほどの効力があるものなのか……。
長政自身も、このことを言葉にのぼせつつ、みずから空虚さを感じているやも知れぬ。
すでに……。
将軍・義昭は、朝倉・浅井・上杉・武田の諸大名から本願寺・比叡山の寺院勢力にまで呼びかけ、
「織田信長打倒!」
の同盟軍を糾合しようと、ひそかに計画をすすめている。
この計画が、万事にぬかりのない信長の耳へとどいているということは、おそらく、たしかなことにちがいない。
こうなった現在。
三好三人衆のような大名たちならば、かつて十三代将軍・義輝を殺害するといった手段へはしるであろうが、織田信長は、そのようなばかげたまねは決してすまい。
自分が押したてた将軍を、みずから殺すという矛盾をおかし、天下の悪評を買い、信頼を失うような行動は決して起すまい。
となれば、
「われは足利将軍と共に平和をもたらさんとしている。これに従わざるものは、悪と見なして討つ!」
正々堂々の態度をくずすことはあるまい。
いま、これに従わぬもの、越前の朝倉義景。
(信長は、もう我慢はすまいぞえ)
とでも、いいたげな伊佐木のうす笑いを、於蝶は、はっきりと闇の中に見た。
金屏風の向うで、長政の愛撫がはじめられたらしい。
これにこたえるお市の方のあえぎが烈しくなった。
おもくたれこめた闇が汗ばんできた。
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戦 端
二月になると、織田信長は手兵をひきい、またも京都へ入り、すぐにまた岐阜へ引返している。
さらに……。
三月に入るや、岐阜に残っていた織田の軍団に、
「上洛せよ!」
の命令が下った。
「皇居の修理も終えたし、将軍家の居館も完成した。その祝いに、織田軍の馬揃《うまぞろ》えを見せよう」
というのが、その軍団出動の理由であった。
織田信長に従属する諸大名・諸将へも、
「上洛をするように」
通告がなされた。
皇居の修築と将軍邸の新築の祝事の馬揃え──つまり観兵式のことであった。
信長は、軍団をひきい、ゆるゆると岐阜を発し、京都へ向った。
近江の国へ入る。
速度は、いつもの信長に似合わず、まだるいほどに遅い。
春が来ていた。
京都へ入った信長は、
「本陣を本能寺へ……」
と、命じた。
しかし、諸将軍の屋敷へも滞在したりして、悠然と、信長は京都で休養をしている。
そのうちに、織田方の諸軍団が、次々に京都へ到着をした。
すでに四月──現代の五月である。
そして、祝儀の式典が開始されたのである。
馬揃えがおこなわれる。
能の興行もあった。
これには京都市民たちも自由に参加させた。
はじめのうちは、物々しい軍団の集結を見て、
「また戦さが……」
と思った世の人びとも、
「さすがに派手好みの織田さまのなさることじゃ」
平穏がよみがえった首都の、晩春から初夏へうつる快適の季節を、尚も生彩あらしめるにぎやかな行事の数々に酔いしれていた。
この最中に、少しずつ、目立たぬように織田の部隊が京都から出て行った。
織田信長が、京都を出発したとき、その軍団の先鋒は、琵琶の湖畔を西から北へ、恐るべき速度をもって進撃しつつあった。
これは、浅井長政の小谷城と、まるで海のようにひろい琵琶湖をへだてた反対側の岸辺を猛進撃していたのである。
「あっ……」
と、いう間もなかった。
たちまちに織田の軍勢は、西近江から若狭《わかさ》へ入り、途中の朝倉方の砦《とりで》を片端から攻め落し、怒濤のように越前の国へ殺到したのである。
織田信長は、馬上に叫んだ。
「一挙に一乗ヶ谷へ!」
一乗ヶ谷は、朝倉義景の本城であった。
この報は、小谷城の浅井長政の耳へ、いち早く飛びこんできた。
浅井長政は、わが耳をうたがったが、第二、第三の急使は、織田信長の疾風のような越前攻撃の事実を判然とさせるばかりであった。
「それ見よ!」
と、隠居の父・浅井久政は、
「わしは、かくなることと、はじめから思うていた。信長めは約定をまもるような男ではないのじゃ」
いきりたった。
長政は言葉もない。
長政にして見れば、いままで、信長が義弟にあたる自分の立場を考え、あくまでも戦闘を避け、朝倉義景を説得し、
「京へのぼられたい」
何度も申し入れてきた事実を、
(ありがたい)
と、おもっていたのである。
しかし、ついに信長も朝倉攻めにふみきった。
このことを前もって自分に知らせなかったことも、浅井長政には、
(なるほど)
と、なっとくがゆくのである。
前もって知らせれば、長政の立場は一層、苦しいものになる。
それよりも、
「一気に朝倉へ攻めかかれば、浅井長政も、わしが一乗ヶ谷の朝倉の本城を落すまで、なんとか手をひかえていてくれよう。長政は利巧な男ゆえ、わしのこころをようくみとってくれているにちがいない」
と、信長は推考したのだ。
だが、浅井長政は、
「もはや、これまで!」
と、即座に決意してしまった。
浅井家は自分ひとりのものではない。
父の久政や老臣たちの意思を無視するわけにはゆかぬ。
まして、長年にわたり親交をむすんできた朝倉家の危急を見捨てるわけにはゆかぬ。
さらに、織田信長が、
「決して、おことに無断で朝倉と戦うことはせぬ」
と誓った、その約定を一方的に破ったとなれば、お市を妻に迎えた長政の立場はない。
長政が、おのれに従う家来のみをつれ、小谷を脱出して、信長のもとへ馳せつけたなら、
「よう思いきわめられたな」
と、よろこんで信長は迎えたことであろう。
「それでこそ、戦国の大名じゃ」
ほめたたえてくれたことであろう。
それが出来得る人と、出来得ぬ人がある。
浅井長政は、胸の底の一隅で、このことをちらと思いつつも、それへふみきることをしなかった。
これを、古いかたちの戦国大名と見るならば、人間同士の約束を破ることが新しい生き方ということになるのである。
いつの世にも、時代の変り目を切りぬけて利をつかむ者と、人のこころを信ずるがゆえに立ちおくれて時代≠ノ取り残される者とが出て来る。
これをただ単に、古い新しいの二つに切り分けてしまうこともなるまい。
浅井長政は、ただちに出陣の命令を下した。
戦闘に馴れた浅井軍は、こうなると一糸みだれぬ迅速さをもって、たちまちに戦闘態勢にうつることができる。
このとき、於蝶の密書をたずさえた甲賀の九市は、早くも上田権内邸をぬけ出し、まっしぐらに杉谷信正のもとへ走っていた。
一方。
織田信長は、越前の敦賀《つるが》へ迫り、たちまちに朝倉方の手筒《てつつ》ヶ峰城を攻め落し、さらに金《かね》ヶ崎《さき》城へ押しかけた。
金ヶ崎の城をまもるのは、朝倉義景の一族で、朝倉|景恒《かげつね》という豪勇の武将であった。
ときに景恒は二十六歳の若さであったが、彼の少年のころ、一時、僧門へ入れられたのを、
「坊主にするのは惜しい」
と、朝倉義景に見こまれ、取りたてられて間もなく一城の主となったほどの人物だけに、八万(十万ともいわれる)余の織田の大軍を迎えても、平然たるもので、
「この金ヶ崎、落せるものなら落して見よ」
堂々たるものだ。
織田軍は肉薄に肉薄をくり返してみたが、どうにも落ちない。
いたずらに、こちらの死傷者が増えるのみであった。
この最中に、
「浅井長政公、御出陣」
の報が、織田信長の耳へとどいた。
「なに……?」
信長は、はじめ、
「わしに味方するための出陣か」
と思ったそうである。
つまり、それほどに、長政を信頼していたということにもなろうか……。
むろん、長政の出陣はのぞまぬが、朝倉討滅のときまで、なんとか我慢をしてくれると考えていただけに、
「これは、いかぬ」
信長も、いささかあわてた……といってもよろしかろう。
観音寺攻めの折に、浅井軍の勇猛きわまる戦闘ぶりを見て、
「同じ兵力をもって戦ったなら、わしの兵は負ける」
と、思ったほどの信長なのである。
この直後に、金ヶ崎城が、ようやくに落ちた。
落ちたこの城を本拠にして、一気に朝倉の本城へ攻めかけようと考えていた織田信長なのだが、いま、うしろから進軍して来る浅井長政の軍とはさみ討ち≠ノなってしまう。
浅井軍が援けに来る、というので、朝倉勢も気力旺盛となって反撃を仕かけてきはじめた。
信長は、顔をしかめ、するどい舌うちを鳴らし、
「おのれ、長政め!」
と、いい、
「出直しじゃ!」
叫んだ。
このとき織田信長は、攻め落した金ヶ崎城へ木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)をのこし、全軍をひきいて木ノ芽峠を越えようとしていた。
敦賀湾の南端にある金ヶ崎城は、いうまでもなく越前・朝倉家の前線基地であり、北陸と諸国をむすぶ要衝であった。
この要衝を攻めとった信長だけに、
(一気に朝倉をほうむることを得るやも知れぬ)
と、闘志を燃やし、金ヶ崎の東方、重畳《ちようじよう》たる山嶺を越え、まさに越前平野へなだれこもうとしていたのである。
そこへ、浅井長政が反旗をひるがえし、北国街道を全速力で進軍しつつあるという急報が入ったわけだ。
ついに金ヶ崎を捨て、信長に降伏した朝倉景恒は、やがて、この報をきき、
「残念!」
歯がみをしたという。
武勇の士だけに、浅井軍が、こうも早く応援に駆けつけてくれるなら、
「なにも金ヶ崎の城を捨てるのではなかった」
なのである。
金ヶ崎城を信長へ明けわたした理由は、朝倉義景の本軍がなかなか応援に来てはくれず、
(このまま、ここに籠城し、みすみす信長の手に討ちほろぼされるよりも、むしろ城をわたし、兵力をひきいて本国へもどり、そこで殿と共に信長を迎え撃とう)
と、考えたからだ。
信長は、この交換条件をのんだ。
「城をわたしてくれさえするなら、引きあげて行くそこもとたちへは手を出さぬ」
と、いうのだ。
なによりも、信長は金ヶ崎城に執着していたらしい。
浅井軍来る……と知った朝倉勢の一部は引返して山岳戦を信長にいどみかかる態勢となったので、
(これはいかぬ)
信長は、総退却の決意をした。
これより先。
於蝶の報告によって、信長が長政との約束を破棄したときには、
「かならず浅井軍は起って、朝倉家へ味方をする」
との見きわめをつけた杉谷信正は、
「急げ!」
すぐさま観音寺さま≠フ六角義賢へ急使を走らせた。
観音寺さまも、
「いまこそ好機!」
と、思ったのであろう。
少しずつ、手もとへあつまって来ていた六角家の残党や、望月、三雲、高野瀬などの甲賀武士を糾合し、伊賀から甲賀へあらわれた。
さらに甲賀から近江へ……。
つまり織田信長の退路を断つために進軍することになった。
しかし、寄せあつめの軍隊だけに、なかなか思うようには編成がはかどらぬ。
杉谷信正は、わずか七名の忍びをしたがえ、近江へ先発して行った。
於蝶は、小谷城にいた。
浅井軍進発と同時に、小谷は戦時体制に変った。
山のふもとの浅井長政居館は閉じられ、長政夫人・お市の方をはじめ侍女たちも、山へのぼり、本丸の東面、やや下ったところにある赤尾曲輪へ入った。
於蝶としては、
(もはや、ここにとどまることもあるまい。一時も早く、頭領さまをおたすけして戦さ忍びに出たい)
と、ねがったものだが、
「まだ早い」
伊佐木が、これをとどめた。
「まだまだ決戦にはなるまい」
ねずみのおばば≠ヘ、そう見きわめをつけ、
「この後も、浅井家がどのようなうごき方をするか……いま少し、見張っていてたもい」
「なれど、おばばさま……」
「何じゃ?」
「こうなれば、織田信長は袋の中のねずみでございましょう」
「うむ、一応はな」
「山また山にかこまれた敦賀の、退口《のきぐち》という退口には、浅井、朝倉……それに越前の本願寺門徒やら僧兵やらがひしひしと押しつめてまいりましょう。信長は、もはや……」
「待て。余人にはあらぬ」
「え……?」
「信長ほどの男よ。むざむざと山中に屍《かばね》をさらすまいぞよ」
その夜。
赤尾曲輪へ忍んで来た伊佐木は、かたく、於蝶に小谷城残留を命じ、
「すぐにもどってまいるゆえ、な」
いいおいて、どこかへ去った。
織田信長は、そのころ木ノ芽峠からいっさんに敦賀へ舞いもどった。
逃げると決めたなら、見栄も体裁もない迅速さなのである。
こうした信長の仕様を、
「余人にはあらぬ信長」
だと、伊佐木は評したのであろう。
攻めこむときも間髪をいれぬ好機をつかんで猛進する信長だが、
「これはいかぬ」
と思えば、これまた一瞬のためらいもなく退却を敢行する。
もっとも、退却らしい退却をしたのは、おそらくこのときがはじめての織田信長であったろう。
それも、まさに決死の退却であった。
信長は、まっ先に馬を煽って敦賀平野をぬけた。
たちまちに若狭の国へ入る。
琵琶湖沿岸の街道へ、いきなり近づくことは危険であった。
浅井長政が起ったとなれば、琵琶湖の東岸一帯から北部へかけ、浅井軍の勢力範囲となるからである。
初夏の日本海が、逃げて行く織田信長の右方に明るく青く光っていた。
山も木も、目ざましい新緑をふきあげている。
その中を、信長は逃げに逃げた。
若狭の佐柿《さがき》から朽木谷《くつきだに》へ入る。
金ヶ崎城の木下藤吉郎は退却軍の殿《しんがり》をつとめることになった。
朽木谷へたどりつくまでが大変であった。
山間の樹林をわけ、渓谷をわたり、夜も昼も、このあたりの山賊や僧兵たちに襲われつづけながら、織田信長も、このときは必死で逃げた。
八万の大軍も散り散りである。
信長の身のまわりには、百に足らぬ手兵がしたがっているのみだ。
兵糧も無い。
兵糧などに気をくばっているひまもなかったのだ。
そのようなことに神経をつかっていたら、信長は一歩も二歩も遅れをとっていたろう。
朽木谷には城がある。
この城の主は、朽木|河内守《かわちのかみ》元綱といい、もともと近江源氏の佐々木氏の一門であるから、六角家とも縁がふかいわけだ。
いまの信長にとって朽木元綱は敵方の一員と見なしてもよい。
朽木谷は、琵琶湖の西北、約三里の地点にある山間の地で、ここまで来れば、さしわたしにして京都まで十里という。
信長は、
「敵になるか、味方になるか……かくなれば一命をかけ、朽木元綱をたよるよりほかに道はない」
と、いった。
そして、一足先に侍臣を朽木谷へ走らせようとしたとき、彼方から押し進んで来る武装の一隊があった。
朽木元綱が手兵をひきい、武装もいかめしくやって来るのだ。
(もう、これまで)
と、さすがの信長も死を覚悟した。
自分を探し、自分の首をねらって押し出して来たと思いこんだのであるが……。
これは、ちがっていた。
朽木元綱は、織田信長を出迎えに来たのであった。
(ここで信長公をお救い申しておけば……)
と、元綱は考えた。
山の中に住んでいる武将だが、同じ山の中でも、近江や京都に近いだけに、政治感覚もするどい人物であったらしい。
信長の首をとって朝倉や六角に応じ、将軍・足利義昭の機嫌をとるよりも、信長を助けて、この庇護をうけるほうが有利だと見きわめをつけたのだ。
「それがし、案内つかまつる」
と、朽木元綱がたのもしく受け合ってくれたときには、信長も、
(これで、朝倉も浅井も、すべて討ちほろぼすことが出来る)
すぐに、そのことをおもった。
(わしを……このような目にあわせた者ども。ゆるしてはおけぬ!)
四月二十九日。
織田信長は、ようやく京都へたどりついた。
徳川家康、明智光秀、それに木下藤吉郎などの諸将が京へ逃げもどって来たのは、五月に入ってからのことである。
信長は、一時も早く岐阜の本城へもどり、朝倉・浅井両軍を徹底的に撃破すべき準備にとりかかりたかった。
(浅井長政に対して、わしも出来得るかぎりのこころをつくしたつもりじゃ)
信長としては、そう思わざるを得ない。
(長政は、いまや、長い乱世が、わしの手によって平穏とならんとしつつあることを何と考えているのじゃ)
信長にしてみれば、もっと賢い、見切りのよい男だと、長政をおもっていたのである。
(長政さえ、ひかえていてくれたなら……)
あのようにみじめな総退却をせずにすんだ。
いまごろは、越前・一乗ヶ谷の朝倉義景を討ちほろぼしていたやも知れぬ。
(おのれ、長政!)
この妹聟へかけていた大きな信頼が激怒に変ってきつつあった。
信長が朝倉攻めに失敗し、総軍が京都へ逃げ帰った事実は、いまや、かくすべくもない。
いや、信長は、これをかくそうともしない。
「織田公が、大負けに負けて逃げもどって来た」
京童《きようわらべ》の口は、かしましい。
だれもかれも、おどろいていた。
「そのとおりのことよ」
信長は苦笑し、
(なればこそ尚更に、朝倉・浅井を攻め討つこと、一刻もためらうべからず!)
と、こころに誓っている。
で……。
岐阜へ帰るためには、どうしたらよいか。
浅井長政が敵となったからには、いままでのように堂々と近江の国を突切って岐阜へもどるわけにはゆかぬ。
少くとも、琵琶湖の南岸までが安全圏内といえよう。
六角義賢をいただいた甲賀武士も、進出せんとしているが、しかし、これだけなら、
(なんとしてでも打ち破って通れよう)
信長は強気であった。
五月十九日の朝まだき。
突如として……。
織田信長が、本能寺の本堂を出発した。
例のごとく、前ぶれもない疾風のような発足であった。
初夏の朝もやがただよう京の町を、二百余の手兵にまもられた信長は、あっという間に市中を駆けぬけ、大津越えにかかった。
戛々《かつかつ》たる馬蹄の音を、京の町民たちは何ときいたろう。
まさか、信長の出発とは思いもかけなかったろうが……。
しかし只ひとり、この出発をしかと見とどけた者がいる。
甲賀の頭領・杉谷信正であった。
(いまこそ!)
信正は勇躍をした。
町民姿になっている信正であるが、信長一行の馬足《ばそく》にも負けぬ脚力をそなえている。
信正は猛然として、一行の後を追った。
逢坂山を越えるとき、信正は山道を駆けぬけ、信長一行を追いぬいてしまったものである。
大津には、杉谷忍びが二人、待機している筈であった。
二人の杉谷忍びは、交替で、きめられた時刻に、大津の町を出外れた街道に出ている。
下忍びの伊之作という若者が、近辺の百姓姿となって出ているのを見つけたとき、杉谷信正は、すでに馬へ乗っていた。
大津の町に仕度しておいた乗馬であった。
「伊之作!」
「おう、御頭さま」
「この馬へ乗り、杉谷へ走れ!」
「はっ」
手短かに、信正は急を告げて、
「わしは尚も、信長の後を見えがくれにつける」
「はっ」
「おそらく信長は、佐和山(彦根)より先へは進むまい」
「その手前のどこからか、山中へ……」
「おそらく山越えに、伊勢へ出るつもりであろう」
「はっ」
「念のため、浅井方へも、このむねを知らせるよう、よいな」
「心得まいた」
「杉谷へついたなら、弟へ……いや善住房へ、こう申せ。千載一遇の好機じゃと、な……この折をのがしては、ふたたび信長を討てる機をとらえがたいと申せ」
「ははっ」
信正が下りた馬へ飛び乗り、伊之作は、まっしぐらに甲賀へ向けて駆け去った。
杉谷信正は、近くの隠れ家にいた別の下忍び伝蔵を呼び出し、二人して、信長一行が通過するのを待った。
甲賀の伊之作が、甲賀・杉谷屋敷へ駆けこんだのは、昼すぎであった。
善住房光雲は、屋敷に待機していた。
「なに……」
すべてをきき、善住房は双眸をかがやかせ、
「まことか?」
「はい!」
「兄上のさぐりゆえ、間違いはあるまい」
「はっ」
「よし」
決然たる面持ちとなり、善住房は二ツ玉の鉄砲を持ち出して来た。
堺の商人から、大金を投じて入手したポルトガル製の逸品である。
「伊之作。このむね浅井方へ知らせよ」
「承知!」
伊之作は、すぐにまた騎馬で屋敷を出て行った。
屋敷にのこる忍びは二名。
ねずみのおばば≠焉Aどこにいるか、このところ全く消息がない。
善住房光雲は、そのうちの一人を甲賀の望月屋敷へ滞留している観音寺さま≠フもとへ走らせた。
万一にも、信長一行が、甲賀をぬけて鈴鹿峠をこえて伊勢へぬけるつもりなら、六角義賢に出陣してもらい、ここで、しゃにむに決戦をいどんでもらわねばなるまい。
(なれど、信長は、甲賀へは入って来まい)
と、善住房は見きわめをつけていた。
この日の夜。
織田信長は、近江・蒲生《がもう》郡・長光寺《ちようこうじ》の城へ入った。
長光寺城は、京都より約十二里。
この城をまもっているのは織田の重臣であり、武勇のほまれも高い柴田勝家であった。
この勝家が後年になって、いま、浅井長政夫人であるお市の方を妻に迎えることになろうとは、勝家自身も予期し得ぬことであったろう。
とにかく、ここに柴田勝家がいるので観音寺さま≠燻閧ェ出せないのだ。
「長光寺を攻めとるだけの兵力をそなえてからではないと、進めぬ」
と、六角義賢はじりじりしているのである。
信長が長光寺城へ入ったのを、杉谷信正は、たしかに見とどけている。
この夜。信正は長光寺を北にのぞむ雪野山の森の中で、弟の善住房光雲と会った。
「兄上。御苦労でござった」
「うむ」
「杉谷忍びも、おちぶれましたなあ。頭領たる兄上を信長一行の見張りにせねばならぬとは……」
「いうな」
杉谷信正は苦笑を洩らしたが、
「それもこれも、これからのおぬしのはたらきひとつにかかっておる」
「はい」
「見事、南蛮渡来の、その鉄砲で信長めを撃ってとれ」
「かならず」
善住房も決然としてこたえる。
自信にみちた善住房だが、彼もこの年で五十歳となった。
「さて、兄上」
「む?」
「これから織田信長め、どこを通って岐阜へ帰るつもりでありましょうか?」
「おぬしは、何と思うぞ?」
「おそらく……」
闇の中で、善住房の眼がぎらりと光った。
「おそらく、甲賀の山中俊房が長光寺城へ入っておりましょうな」
「わしも、そう思う」
同じ甲賀忍びの頭領ながら、山中俊房が織田家のためにはたらいていることは、いまや明白なことといってよい。
信長が長光寺へ到着したことは、必然、山中俊房の耳へ入っていると見てよいだろう。
「となれば……これからは、山中忍びが道案内に立って、山越えを……」
「善住房。どこの山を越えると思うな?」
「おそらく……」
「おそらく?」
「千草《ちぐさ》越えにございましょうな」
と、善住房はいった。
千草越えとは……。
長光寺の東から近江・神崎《かんざき》郡の山地へわけ入り、けわしい谷、崖、渓流をこえ、上っては下り、下っては上り、伊勢の千草へぬける道をいう。
平常の旅人の通れる道ではない。
山に住む獣か、猟師たちのみが我物としている険路なのである。
翌朝……といっても、まだ暁天の星がまたたいているうちに、長光寺城を発した織田信長は、柴田勝家みずからひきいる一隊に送られ、手兵二百をひきいて東へ進んだ。
約五里で、神崎郡の和南《わなみ》へ達する。
このとき、ようやく陽がのぼった。
「ここより、おことは帰れ」
と、信長が勝家にいった。
「は……いま少し、御供を」
「いうな。長光寺のまもりは、おことあってこそ、信長も安堵していられる」
「はい」
「たのむ」
「勝家、身に替えましても……」
「近江一帯は、これより戦乱の野と化そう。おことは長光寺をまもりぬき、京と岐阜とのつながりを絶つな」
「はっ」
これより、信長は手兵をしたがえて山道をのぼりはじめた。
手兵のうち、騎乗していた者の半数は、ここで馬を下り、その馬は柴田部隊が曳《ひ》いて帰る。
信長は、馬上である。
細い山道なのだが、先発した一隊が信長の馬を通すべく、簡略な工作をおこないつつ、一行は急ぎに急いだ。
信長の馬側に、軽武装の士が三名つきそっていた。
このうちの一人こそ、山中忍びの孫八である。
甲賀の孫八が、相模野において、於蝶とねずみのおばば≠襲撃したことは、すでにのべた。
伊佐木も、
「孫八のみは、油断がならぬ」
といっていたほどの、この中年男は、小柄な体躯を武装にかためていたが、陣笠の下の顔の下半面は鼠色の布をもっておおっている。
したがって、彼の顔貌は定かではないが、針のように細い両眼が、絶えず、あたりを注視し、布の鼻腔にあたるところにあけられた穴から、
(もしや……火縄の匂いが……)
と、孫八は嗅覚をはたらかせているのだ。
山中俊房が、
(この男なれば)
自信をもって、信長のもとへつかわした甲賀の孫八であった。
山中忍びは、孫八のほかに四名、派遣されていた。
そのうちの二名が、先発隊の前後について道案内をつとめている。
すでに、夏の陽ざしであった。
山鳥の声が樹林を縫い、渓流の音が近く遠く、信長一行につきそうようにきこえている。
人も馬も、汗まみれになっていた。
(もしや……?)
孫八の鼻は休むことなくはたらきつづけていた。
(もしや、善住房光雲が……われらのうごきを知っていたなら、信長公を見のがす筈《はず》はない)
これは、山中俊房も気にかけていたことなのである。
織田信長が、京都・本能寺を発するとき、一名の山中忍びもついてはいなかった。
信長は、あくまでも自身の決断によって、出発したのである。
甲賀の孫八にとっては、そのことが気がかりであった。
つまり、京都を発するときから、自分の眼が信長一行をまもっていなかったからである。
(京を発せられたるとき、もしも杉谷忍びの眼が信長公をとらえていたとすれば……おそらく、長光寺城へ入らるるまで、見とどけているにちがいあるまい)
と、孫八は考える。ことに、近ごろは杉谷信正が屋敷にいないことを、山中忍びは突きとめている。
人手不足のため、頭領みずからが忍びばたらきに出なくてはならぬ杉谷忍びのおとろえ方を、
「もはや何事も出来ぬわ」
と、あざ笑う山中忍びたちもいたが、孫八は、
(ばかな。おぬしたちは杉谷信正の、すさまじいはたらきぶりを知らぬから、そのようなことも平気でいえるのだ)
苦笑している。
柴田勝家からの急使が甲賀の山中屋敷へ、
「道案内をたのむ」
と駆けつけて来たので、すぐさま孫八以下が長光寺へ駆けつけたわけなのだ。
この千草越えへかかるまで、別段に怪しむべき何ものも孫八の耳や眼にはふれていない。
けわしい山道を、一行は強行軍で進み、昼前に杉峠へ到着。一息入れて弁当をつかったのち、なだらかな鞍部を、ついに伊勢との国境へ立つことを得た。
「おもいのほかに、早かったの」
気軽に、織田信長が孫八へ声をかけ、
「そちたちが案内をしてくれたから、いささかも迷うことがなかったぞ」
「ははっ」
孫八は平伏をした。
「岐阜へ帰ったなら、恩賞をとらす」
「ありがたきことにござりまする」
「夕暮れまでに、千草へ着けるか?」
「千草はおろか、朝明《あさけ》川のほとりまで下り切れようかと存じまする」
「ふむ、そうか。それはよい、それはよい」
国境を越えると、岩山になる。
岩くずれのひどい山道を、一行は苦労して進む。
空は、まっ青に晴れわたっていた。
「少し、やすませい」
信長が馬をとめ、侍臣の木村忠五郎へ声をかけた。
このとき……。
甲賀の孫八の眼が異様に光った。
山道の左側は岩石の露呈した崖で、その上は見わたすかぎりの樹林であった。
右側も岩山、これは幾重にも岩石のつらなりを見せ、陽ざしが山肌に白く光っている。
その右側の岩山のどこからか、ふしぎな匂いが風に乗ってながれて来たのである。
甘酸っぱい、しかも強烈な匂いであった。
あたりにたちこめていた土埃りの匂いも、この岩山の上からながれただよう匂いに消され、
「何か、あの匂いは?」
織田信長でさえ、彼方をふり仰いだほどである。
「あっ……」
と、甲賀の孫八は叫び、
「ゆだんすな!」
傍の下忍び二名にいった。
この孫八の叫びに、槍の穂先をつらねた家来たちが、いっせいに駆け寄る。
「御屋形さま。なにとぞ、御馬より御下りなされますよう」
孫八は、わめくようにいった。
「何と申す」
「あの匂いは、彼方から忍びにつかう薬草を火にくべたて、その匂いをこなたへ流しているのでござります」
「なんのために?」
「火縄の匂いを消すためにございます」
「何!」
左腕を上げて手綱をさばきつつ、織田信長の顔色が引きしまった、その瞬間であった。
下忍びの二人が、いきなり信長を抱えおろそうとし、同時に、
……だあん……だ、だあん……、
今度は左側の十五間ほどはなれた樹林の中で、すさまじい銃声がおこったのである。
ぐらり、と、信長の体躯が下へ落ちかかり、
「ぎゃっ……」
信長を抱えおろそうとした下忍びが、あたまを抱え、もんどりうって転倒した。
「うぬ!」
孫八が、樹林へ向って疾走した。
樹林の蔭から、ちらりとあらわれた一個の人影は、まさに鉄砲をつかんでいる。
「善住房光雲!」
孫八は、怒鳴った。
善住房は、灰色の忍び装束に身をかためてい、孫八を一瞥《いちべつ》したが、すぐにまた樹林へ駆けこんでしまった。
「待て!」
孫八も、つづいて樹林へ飛びこむ。
織田の士卒が喚声をあげ、これにつづこうとするのへ、
「やめさせよ!」
起き上った織田信長が、
「孫八にまかせておけい。おのれらが駆け向ったところで邪魔になるばかりじゃ!」
と、いった。
下忍びの一人は、このときすでに薬草を火にくべたかと思われる岩山の裂目へ向って突進していた。
家来たちが馳せ寄り、信長のまわりを幾重にもかこんだ。
「大事ない」
信長は笑い、陣羽織の腋《わき》下に近い処を見せた。
そこが弾痕によってやぶれている。
弾丸は、あり得べからざる僥倖《ぎようこう》によって、信長の腕を上げた一瞬に、その腋下をすりぬけていったのである。
二つ玉の、最後の一発は、山中忍びが楯となってくれた。
あたまから血泡を噴出しつつ、息絶えたその下忍びを見下ろしていた織田信長が、
「この者を、手あつく……な……」
と、いった。
鉄砲をとっては無双の名手とよばれた杉谷善住房光雲の弾丸も、ついに織田信長をほうむることができなかった。
撃った瞬間、
(仕とめた!)
善住房は、そう感じた。
だが……。
信長は馬から落ちたが、善住房に手ごたえは無い。
(しまった……)
偶然に腕を上げた信長の腕の下を、自分の弾丸が飛びぬけていったところまではわからなかったが、落ちた信長が片ひざをつき、起き上ったのを見て、はっきりと善住房は失敗をさとった。
むろん、弾丸をこめているひまはない。
当時、連発銃はないからである。
甲賀・山中忍びの孫八が、こちらへ駆けて来るのを見て、善住房は、いっさんに森林の中ヘ逃げこんだ。
鉄砲をとっては負けぬ彼も、一対一で孫八と斬り合ったなら、とても勝ち目はない。
一方。
山道の反対側の岩山から、薬草を火にくべて、善住房のはたらきをたすけた杉谷忍びへも、孫八の配下の下忍びが追跡にかかったが、
「いざ、すすめ」
信長はそれにかまわず、ふたたび騎乗した。
そして信長一行は、伊勢へ入り、途中ぶじに、岐阜城へ帰着した。
「わしもこたびこそは死損うたわ」
出迎えた夫人・お濃の方に、信長はいった。
「危うかったのは、朽木越えをしたときのことよ。あのとき、おもいきって浅井長政が軍勢をまわし、山中にわしをかこみ、いっせいに打ちかかったら……こうしていま、そなたの顔をながめることもなかったものを、な……」
その通りであった。
せっかくに反旗をひるがえしておきながら、浅井軍は徹底的に信長を追わなかったし、また越前から進出した朝倉軍も、敦賀や金ヶ崎をうばい返すと、そこで速度をゆるめてしまった。
いや、両軍とも信長を追うつもりでいたのであろうが、
「何という逃足の速さ……」
むしろ呆気にとられていたというべきか……。
さすがの浅井長政さえも、
「織田どのは金ヶ崎へたてこもって、われらを迎えることであろう」
と、もらしていたほどなのである。
はさみ討ちの両刃がせまる、そのはるか前に、信長は脱出してしまった。
浅井長政は、信長が京都へ到着したことをきいたとき、
「いま、織田どのを取り逃したることは、これよりの戦さの勝ち目のほとんどをうしなったといってよい」
嘆息したといわれる。
そのころ……。
甲賀の杉谷屋敷をおとずれた一人の旅の武士があった。
杉谷屋敷では、忍び全員が出動していて、留守をまもるのは女房たちばかりである。
で……下忍び伊之作の妻・芳乃が、旅の武士の応対に出た。
「越後、上杉家の臣・宇佐美定行が手の者にて、池田平右衛門と申す」
と、旅の武士は名乗った。
芳乃が、
「いまこの屋敷には女どもばかりにて……」
こたえるや、
「そのようなこともあろうかと存じ、主人《あるじ》よりの書状を持参いたした」
「それはそれは……」
芳乃は、下忍びの女房だけに、上杉謙信や宇佐美定行と杉谷忍びが、どのような関係をもっていたか、などということをよくわきまえてはいなかった。
「明日、明後日にも、杉谷信正殿ならでも、於蝶どのか伊佐木の御老女がおもどりなさるのなら、それがし、お待ちいたして、ひとめお眼にかかりたいのだが……」
「それが……」
芳乃は、いいよどんだ。
ねずみのおばば≠竕嵐アの名を知っているからには、よほどの関係もあろうかと思えたが、なにしろいまは危急の場合である。
彼女の夫の伊之作も善住房光雲と共に、すさまじい決意を秘め、どこかへ忍びばたらきに出て行っているのだ。
「留守中、どのような者が来ても屋敷内へは入れるな」
と、伊之作は頭領さまの命令をつたえのこしている。
甲賀忍びの頭領のうちでも、その忍者組織のスケールは小さいながら、むかしから熟達の技をもって知られた杉谷忍びが、その本拠に只ひとりの男もいないということは……。
(ああ、このようなことでは、杉谷忍びも……)
池田平右衛門と受けこたえしつつ、芳乃も、がっかりしてしまったものである。
「なるほど……」
さすがに宇佐美定行の侍臣だけに、おぼろげながら事情を察したのやも知れぬ。
「御一同も何かと忙《せわ》しいことでござろう」
「は……」
「では、この書状を、お願い申す」
「心得ました」
書状は二通あった。
一通は、杉谷信正にあてたもので、別の一通は伊佐木と於蝶へあててある。
「では、ごめん」
「おかまいもいたしませぬで……」
「いや、何かとおそろしき世の中。留守をまもる者は、こうなくてはならぬ」
「おそれいりました」
芳乃も、このころになると、池田が害意を抱いてあらわれたのでないことがのみこめてきたので、
「熱い粟《あわ》がゆなりと、めしあがって下さりませ」
独断ではあったが、思いきっていうと、
「いやいや……」
池田平右衛門は、にっこりと、
「まだ陽も高うござる。御心配なく……」
淡々といい、すぐに杉谷屋敷表門から立ち去って行ったのである。
それから三日を経て……。
下忍びの伝蔵が、杉谷屋敷へもどって来た。
伝蔵は若いが、しっかりした忍びで、杉谷信正も目をかけていただけに、上杉家との関係も或程度までは知っている。
芳乃が差し出した二通の書状を見るや、
「宇佐美さまは、上杉公の軍師じゃ。せめて、おれがお目にかかっていたなら、そのお使いの池田さまとやらを、京にひそみおらるる頭領さまのところへお連れしてもよかったのだ」
と、くやしがった。
「ま……そのように大切な御客人であったのかえ」
「いや、芳乃どのに罪はない。それほどの心がまえでのうてはならぬ」
「なれどせっかくに……これはまあ、とんだことをしてしもうた」
「かまわぬ。お前さまのしたことは忍びの女房として、当然のことよ」
「では、追いかけてみたらどうかえ?」
「うむ……」
しばらく沈思した後で、伝蔵はこういった。
「その池田さまというお方が、もし重き御用のあるならば、このように、手紙のみをおいただけで帰っては行くまい」
「あい。いささかもこだわらずにお帰りなされたが……」
「そうか。ならば先ず、この手紙をおとどけするがよかろう。なに、いざとなれば越後まで、この伝蔵が一走りしてもよいのだから……」
「そりゃそうじゃ、そりゃそうとも」
「ではこれで……」
「もう行くかえ?」
「お……いい忘れた。伊之作どのはぶじじゃぞ」
「そ、そうかえ」
「善住房さまと共に決死のはたらきをなされたというが、二人ともにぶじだそうな」
「それは、うれしいこと……」
「なれどこれからは、もっと苦しゅうなろうよ、おれたちも、な」
「みな、この屋敷をまもる女どもも覚悟しています」
「たのむ」
伝蔵は、そのまま、まっしぐらに京都へ向った。
そして、この夜のうちに、杉谷信正の隠家《かくれが》へ着いた伝蔵は、すぐに京都を発し、近江へ引き返していた。
近江・蒲生の山中……ねずみのおばば≠ェ観音寺さま父子を逃した隠し道へ、伝蔵は夜明けと共に踏み入っていた。
あのとき、於蝶が伊佐木に助けはこばれた鳥居平の杉林へ、彼があらわれたのは昼近い時刻である。
「伝蔵かや……」
すぐに、杉の大木の上から伊佐木の声が降ってきた。
「おばばさまか……」
「おお……」
怪鳥《けちよう》のように、伊佐木が伝蔵の頭上から舞い下った。
自分と於蝶にあてられた宇佐美定行の書状を一読して、
「う、う……」
伊佐木はかすかに、うめき声を発した。
「おばばさま。どうなされたので?」
「この宇佐美さまから頭領どのにあてた書状もあったのじゃな」
「それは頭領さまに……」
「で……頭領どのは何と申された?」
「だまって、二度三度と……うなずいておられました。それはもう、きびしいお顔つきでござりましたよ」
「さようかや……」
伊佐木は、うつろな眼を夏の青空へ投げた。
「もし……」
「伝蔵。そなたは、もう帰ってよい」
「は……頭領さまに御伝言は?」
「わしがな、ちょっと小谷にいる於蝶のもとへまいったとつたえよ」
「はい」
「明日の夜までには、ここへもどっておる」
「心得まいた」
伝蔵が駆け去ったあともねずみのおばば≠ヘ山林の中にかがみこんだまま、身じろぎもしなかった。
その夜ふけ……。
早くも伊佐木は、小谷へあらわれている。
小谷城・赤尾曲輪へ、お市の方と共に入っている於蝶とは、
(いまは会うまい)
と、伊佐木は考え、城の西ふもとにかまえられている陣所の一つへ忍びこんだ。
その陣所の一域に、同僚三名と共にねむっている上田権内のまくらもとへ、伊佐木は闇からにじみ出るように浮いて出た。
伊佐木のゆびが権内の鼻を突いた。
(あ……?)
目ざめた権内は、伊佐木と知って、同僚たちの寝息をうかがう。
伊佐木が、あの書状を権内へ出し、
「明日でもよい。於蝶にわたして下され」
うなずいて、上田権内は書状を受けとった。
「さらば……」
たちまちに、伊佐木は闇に溶けてしまった。
書状が於蝶にとどけられたのは、翌朝のことであった。
曲輪の石垣外の木立の陰で二人は会っているのだが、同じ浅井家につかえるものだし、しかも叔父と姪ということになっているから、すぐ近くを通りかかる浅井家の士卒たちも全く二人を怪しむことはない。
手紙を読み終えた於蝶の顔が灰色になった。
「どういたした?」
「上杉家の軍師、宇佐美定行さまが、お亡くなりになったのです」
「そうか……」
権内はすべてを知っている。
「それは残念な……」
それは定行の遺書であり、中には、別封の池田平右衛門の手紙がそえられていたのである。
それによると定行は、一カ月ほど前に亡くなったらしい。
このころになると、甲斐の武田信玄は関東の北条氏と縁を切ってしまっている。
(もう大丈夫)
というところまで実力をたくわえた信玄は、東海地方を制圧し、一挙に京都への進軍路をつくろうと腰を上げはじめた。
そのためには、
「上杉謙信と仲直りをしたいので、口をきいていただきたい」
などと、武田信玄が織田信長へ申し送っている。
これをきいた上杉謙信は、
「ばかな!」
一喝して、
「積年、ながしつづけた血潮が、そのように事もなく忘れられようか」
とりあわなかったし、一応は口をきいた信長も、
「わしが思うた通りじゃ」
と、笑った。
ここで上杉と武田が仲直りをしそのどちらかが京都へ進軍して来たら、もっとも困るのは信長自身であるからだ。
さらに……。
信長にとって、もっとも強力な味方である徳川家康は、三河・駿河の本国をまもりぬくために、何としても武田信玄の進攻を喰いとめなくてはならぬ。
ゆえに、家康は上杉謙信との同盟を希望した。
北条氏康・氏政の父子も、武田信玄との同盟がやぶれてからは、上杉謙信と手をむすんでいる。
このようにして、遠い越後の国にいながら、いまも上杉謙信という大名の存在は、巨大なものであったといえよう。
それだけに、謙信のうごき方を、だれもが恐れている。
恐れているから、うまくこれを利用し、なるべくは謙信の激怒を買わぬようにつとめる。
織田信長などは、もっともうまく上杉謙信を利用したといってよい。
あくまでも下手に出て、さまざまな贈物を絶えずしておき、
「織田は義理のかたい人物じゃ」
謙信を、よい気持にさせてしまっている。
さらに武田信玄にも当らずさわらず友好関係をたもちつづけてきているのだ。
もっとも信玄は、
「いまのところは織田の手にまかせ、京へのぼる道を平定させておこう。いずれ、わしが出て行き、みな、この手につかみ取ってしまえばよい。却《かえ》って労がはぶける」
自信満々というところらしい。
こうしたわけで、上杉謙信は十余年前と少しも変らず、諸方の大名や武将にたのみこまれたり約束をさせられたりで、相変らず関東へ出動して武田軍を相手に戦闘をくり返している。
むかしとちがい、いまは北条軍と同盟をむすんでいるから、戦さもうまくゆきそうなものだが、やはり相変らず武田信玄の老獪《ろうかい》な作戦に、無駄骨ばかり折っているという始末なのだ。
この最中《さなか》に、軍師・宇佐美定行が死んだのである。
宇佐美定行は、その遺書に、こういっている。
「……ながい間、そこもとたちには、いかい苦労をかけ、しかも、その苦労を実らせることなく終ったのは残念である。その責任の大半は、この定行にあるといってよい。
七十歳に近い今まで、生きて来られたのがふしぎなほど……われとわが年齢をしかとおぼえてもおらぬほど、わしも苦心をかさねてきたが、ついに、御屋形(上杉謙信)のおこころは変らなかった。
たとえ、越後・春日山の本城を敵にうばい取られてもよい。上杉の全軍をひきい、越中から加賀へ……さらに越前から近江、若狭へ……京の都を目ざし、まっしぐらに進まれることを、わしは何度も、御手討ちを覚悟の上で御屋形へ申しあげたものだ」
しかし、上杉謙信は、
「日本の国には天皇がおわしまし、将軍がある。なればこそ、たとえ信長、信玄などが上洛を果しても、このわしをないがしろにする筈はない」
と、思いこんでいるらしいのだ。
織田信長が、いまや京都を我物とし、皇居を修築したり、将軍邸を新築したり、人気絶頂という評判をきいても、
「信長は、いちいち、そのことをわしに知らせて来る」
上杉謙信の武勇、その偉大な実力を何者も無視することは出来ぬ、というのである。
もしも、信長や信玄が上洛し、勝手なふるまいをすれば、そのときこそ、
「堂々と出て行って、こらしめてくれよう」
と、謙信は考えている。
近年は、宇佐美定行が、あまりにも捨身の京都進撃をいいたてるので、上杉謙信は、
「定行はうるさい」
と、いい出した。
定行の遺書にもどろう。
「……わしは、全軍をひきいて京へ進むことを、いささかも無謀のふるまいとは考えぬ。雪と山をふみこえ、何年も何年も戦いつづけて来たわれら越後の強兵の前には、織田・毛利といえども勝てはすまい。恐るべき敵は武田信玄ひとりである。
一つ城を攻め取るごとに、そこを本城とし、さらに進む。いつもいつも、出て行っては春日山へもどる戦さのくり返しをしていて何になろう。
一つ一つ、城を攻め取るごとに、却って上杉勢力のちからはふくらみ、ついには京へ入って、むしろ、ここを本城とたのめばよい。
なれど……ついに、わしは御屋形から遠ざけられてしもうた。せがれの実定がわしのかわりに春日山へ出仕するようになり、わしは琵琶島の領地へ隠居させられてしもうた。もはや、御屋形も、わしのうるさげな進言をきくこともあるまい。
いま、病いの床につき、死にのぞんで、そなたたちがわしへかたむけてくれたちからかぎりのはたらきに対し、ふかく礼をのべたい」
宇佐美定行の遺書は、そこで終っていた。
遺書を読み終え、於蝶は言葉もなかった。
(しょうのない、お屋形さまじゃこと)
歯がゆくてならないのである。
十年前に、あの川中島における武田信玄との大合戦で、於蝶は、上杉謙信の堂々たる戦さぶりを目撃している。
その戦さぶりにおとろえを見せていないとすれば、
(信長も、だれも、お屋形さまの前には歯がたたぬ)
という確信を、於蝶はふかめるばかりであった。
いかに信長が、さまざまの作戦、奇襲をもって相対したとしても、上杉謙信のひきいる強兵の前には効果があるまいと思われる。
それほどに強い謙信が、
(なにを、ぐずぐずと十年もの間、同じことをくり返しておいでなさるのか……)
宇佐美定行が、痛切な焦燥にさいなまれ、その結果、寿命をちぢめたとさえおもわれるほどだ。
(お屋形さまは……天下の大勢を知っておいでにならないのだ)
ここに至って、於蝶は、はっきりとそこへ気づいた。
上杉謙信は、織田信長の、ぬけ目のない外交辞令を信じきっていて、むしろ、
「わしのかわりに、信長が京都をおさめてくれている。わしも関東、甲信の地をおさめ、信長と共に天下泰平の日を早く迎え、天子さまに安心していただかねばならぬ。もしもそのとき、信長がわしにさからうことあれば、そのときこそ、信長を討ちほろぼしてくれよう」
などと考えているにちがいない。
(そうとしか、おもわれぬ……)
於蝶は、唇をかみしめ、西方の彼方にひろがる琵琶の湖面へ、うつろな視線を投げたまま、身じろぎもしなかった。
(お気の毒な宇佐美さま……十年前から、お屋形さまが、軍師たるあなたさまの申すことに耳をかたむけておいでになったなら……いまごろは、信長を討ち、早や京の都へ入っておいでになられたやも知れませぬのに……そして、われら杉谷忍びたちも、無駄な死にざまをすることもなかったことでございましょう。そもそも、十年前に、いのちがけにて、こころよりお屋形さまのためにと、亡き叔父の新田小兵衛をはじめ、われらが忍びばたらきをしたことが、お屋形さまの御為に何の益をも、もたらさなかったというのは……これはどうしたことでありましょう。情けのうござります、お屋形さま……)
於蝶は、越後の上杉謙信へ、むなしく呼びかけてみた。
「これ……」
上田権内が、於蝶の袖をひき、
「於蝶どの、いささか顔色がみだれておる」
と、注意をした。
「あ……は、はい」
「気を落されるな。織田信長との勝負は、これからじゃ」
権内は、意気軒昂たるものがある。
「於蝶どのよ」
上田権内は、何気ない雑談をかわしているような、にこやかな笑顔をつくりながら、
「間もなく、杉谷の頭領様をはじめ、忍びたち十余名が、浅井家の領内へ入ってまいられよう」
「え……?」
「まことじゃ。伊佐木さまも、このことを、しかとそなたにつたえおけとのことであった。そうなれば、わしもそなたも杉谷忍びの一人として、頭領さまと共に闘うのみじゃ」
於蝶は、のみこめなかった。
少し前までは……。
「観音寺さまが、いよいよ近江へ打って出られよう。そのためには、先ず、柴田勝家がまもる長光寺の城を攻め取らねばなるまい。頭領どのをはじめ、われらも、この長光寺攻めには、ちからをつくして観音寺さまをおたすけするつもりじゃ」
と、赤尾曲輪へ忍んで来た伊佐木が於蝶に告げていたのである。
「では、権内さま、杉谷忍びは、長光寺攻めに加わらぬので?」
「そうきまったらしい」
「なぜでしょう?」
「頭領さまはな、長光寺攻めを観音寺の御屋形様にまかせ、それよりも、この小谷へ来て、いざという折の仕度にかかるのじゃ」
「したく?」
「長光寺が落ちる落ちぬにかかわらず、織田信長は、まっしぐらに、この小谷城へ攻めかかるにちがいないと見きわめをつけておられるそうな」
「なるほど……浅井長政公を、もはやゆるせぬという……」
「先頃は、あれほどにひどい負け戦さを……というよりも、ろくに戦さもせずに越前から京へ逃げもどった信長じゃ。この恥は一刻も早くそそがねば、天下のしめしがつかぬと考えていよう」
「はい」
「そこでじゃ……」
「はい、わかりました」
強く、於蝶はうなずいた。
浅井・朝倉の連合軍と、織田軍との決戦場は、眼下にひろがる北近江の平野においておこなわれる……と、杉谷信正は見きわめをつけているのだ。
そこで……。
この決戦場へ、いち早く到着をし、
(われら杉谷忍びが、どこまで必死にはたらけるか)
そのことを胸にいれておきたい、と、杉谷信正は考えているらしい。
決戦場の地形のすべてを知り、織田信長の作戦を見やぶり、その裏をかいての忍びばたらきの腹案をねる。それが上田権内いうところの、
「いざという折の仕度」
なのだ。
「権内さま。いざともなれば……戦さ忍びにございますな」
於蝶の面上にさっと血がのぼった。
「いかにも」
上田権内も闘志をちらと見せ、
「やろうぞ」
「はい」
「からだをな、互いに鍛えておこうな」
「はい!」
岐阜へ帰った織田信長が全力をあげて、浅井・朝倉攻略の軍をととのえていることは、小谷城の浅井長政の耳へも次々にとどけられた。
信長は、先頃の越前出兵のときのように、進発を秘密にしてはいない。
堂々と攻めかけてくるつもりらしい。
だから、浅井方の間者がさぐる眼にも、そのことがとらえられたのであろう。
「よし!」
浅井長政も気を取り直した。
先頃の、信長敗軍に乗じきれなかったことを、
「悔んでも悔みたりぬ」
と、残念がっていた長政であるけれども、
「もはや、いさぎよく戦うのみ」
お市の方へも告げると、
「兄の首を、みごと討ち取って下されまするよう」
お市の方が凜然《りんぜん》としてこたえた。
「よう申した」
「わたくしは、浅井長政の妻でございます」
こうしたお市の態度は隠すべくもないから、浅井方の将士のすべてが次第に、
「さすがは……」
お市の方へ信頼と好意を抱くようになり、お市ぎらいの義父・浅井久政も、
「孫たちの顔を見たい」
足しげく、赤尾曲輪へ顔を見せるようになった。
浅井軍は上下一致して、織田軍迎撃の態勢に突入したのである。
浅井長政は、
「先ず、横山城をかためよ」
と、命じた。
横山城は、小谷の本城の南東三里のところにある浅井軍の出城《でじろ》であった。
この出城は、近江・長浜の東一里余のところにある独立した山塊の北面にあり、その突端を竜《たつ》ヶ鼻《はな》とよぶ。
竜ヶ鼻をかすめるようにして姉川がながれ、北近江の平野を横切って約三里、これが琵琶湖へそそいでいる。
両軍の決戦は、この姉川のながれを中心にして、
(おこなわれるにちがいない)
と、於蝶は見きわめをつけていた。
小谷の本城へたてこもって籠城戦に持ちこむことも考えられるが、浅井長政が横山城の軍備を強化し、しきりに越前の朝倉義景へ、
「一日も早く兵を送られたい!」
と、急使を飛ばしているのを見れば、長政も本城から打って出て、戦機をとらえ、捨身の決戦へもちこむつもりらしい。
夏の陽のかがやきは、日毎に強烈さを増した。
小谷城の内外は、昼夜兼行の突貫工事によって防備のための、さまざまな準備がなされた。
ねずみのおばば≠フ伊佐木が、或夜、けむりのように於蝶のまくらもとへあらわれ、こういった。
「頭領さまをはじめ、われら十余名、ことごとく到着をしたぞよ。もっとも善住房光雲どののみは行方も知れぬが……」
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陣 雲
おもい夏の夜の闇が、山林にたちこめていた。
三〇メートルにもおよぶ桂の大樹の枝に、善住房光雲が、うずくまっている。
すでに、この樹の枝へ、彼は三日もとまりつづけていた。
三日の間、一滴の水も一片の食物も口にしてはいない。
この山林には、杉や松にまじり、桂や|※[#「木+無」]《ぶな》の樹も多い。
夏のさかりの青葉が押しひしめくように繁茂し、山林の中は朝も昼も暗かった。
(いま……いま少しじゃ)
善住房は、胸のうちにつぶやく。
(まだ、敵はいる……)
のであった。
善住房が、千草越えの山道に織田信長を狙撃してから、すでに十日を経ている。
いま、彼が隠れている山林は──信長を撃ち損じた場所から南西へわずか二里ほどの、雨乞《あまごい》岳・南側の斜面にある。
善住房ほどの男が、十日もかかって、わずか二里しか逃げてはいない。
ふしぎなことではある。
あのとき山中忍びの達者・孫八の追跡をうけ、山林から崖へ、そして渓流と逃げまわりつつ、いったんは大河原の山村まで出た善住房であった。
ここまで来れば、あと四里ほどで甲賀の土山へ達する。
ここまで来れば、あたりには顔見知りの豪族たちの屋敷も多いし、甲賀忍び同士が甲賀の地において殺し合うことは、かたく禁ぜられているのだ。
(これで、また生きのびたか……)
さすがに善住房は、ほっとした。
鉄砲は名人にちがいないのだが、彼は幼少のころから僧門に入り、一種の隠し忍び≠ニして成長をした。
それだけに、兄の杉谷信正や、姉の伊佐木のような、本格的な忍びの修業をしてはいないし、また、善住房の忍びばたらきは別のところで収穫をもたらしてきた。
さらに観音寺さま≠フ六角義賢の御伽衆《おとぎしゆう》の一人としてつかえてもきている。
こうした中で、善住房が鉄砲の名手となるまでの努力だけでも、
「あの、せわしい中で、ようもしてのけたことよ」
めったに人をほめぬ伊佐木が、そう洩らした、と於蝶も耳にしている。
こういうわけで……。
善住房光雲は、まともに闘ったなら、とても甲賀の孫八に敵すべくもない。
だから、どこまでも逃げた。
思いきって、鉄砲も捨て、弾丸も捨てて、身軽になり、逃げぬいた。
この年、五十歳になった善住房だが脚力は強く、いざとなれば、一日に三十里は走れる。
このあたりの地形にも、彼は通暁《つうぎよう》していたのである。
甲賀の孫八は、獣のような嗅覚をもって、善住房を追った。
そして、見事に追いつめた。
大河原へ入らんとする手前の山道で、早くも前方に立ちふさがっている孫八の気配を知った善住房は、
(いかぬ……)
ただちに身を返し、またも山林へ隠れこんだ。
大河原には、山中忍びの一人で蜂≠ニいう男が木樵《きこり》として住んでいた。これも一種の隠し忍びなのである。
孫八は、すばやく蜂≠フ小屋へ走り、すべてを告げ、
「信長公に撃ちかけたやつだ。しかも魚は大きい。すぐに柏木へ走って人数を出すようにつたえろ」
と、命じた。
蜂≠ェ十里をへだてた柏木郷の山中屋敷へ駆けつけるのに二刻(四時間)はかからなかったろう。
頭領の山中俊房は、
「おそらく、そやつは善住房光雲であろう。生かしておいては、この後、あやつめの鉄砲が、どのようなはたらきをするか知れたものではない。よし、このときこそ、是非にも光雲の首を討て!」
といい、七名の忍びをえらび、すぐさま駆け向わした。
これを迎えて、甲賀の孫八は、
「これで大丈夫。ゆるりと獲物が引っかかるのを待てばよい」
と、いった。
彼らの山狩りがはじまった。
只の山狩りではない。
熟練の山中忍び八名が、じりじりと善住房へせまる。
善住房も携帯食糧のいくばくかは持っていたし、これが尽きても、山野の木の実や草だけで一カ月ほどは生きてゆける自信もあった。
だが、雨乞岳の山林へ再び追いもどされ、この山林の四方をかこまれてから、彼は桂の大樹へ蝉《せみ》のぬけがらのようにとまったきり、身うごきが出来なくなってしまった。
息をころし、あくまでも樹皮と化して、ひっそりとうごかぬ。
三日間に、この桂の樹の下を蛇のように地を這いながら、自分の姿をさがしもとめる山中忍びの姿を三度ほど見た。
善住房は、いつもの僧侶の姿ではなく、灰色がかった忍び装束に身をかためていた。
一抱えもある大木の虚《うろ》の中へ下半身を隠していたので、山中忍びも、これに気づいていない。
(だが……それも間もなく……)
発見されてしまうにちがいなかった。
ただ一つ、
「この山林にひそんではいないようだ」
と、孫八が思ってくれることのみが、善住房にとっての、かすかな希望だといってよい。
三日目の夜。
いま、善住房光雲は全神経を張りつめ、あたりの気配に耳をかたむけている。
風が出て来たようであった。
善住房は、決意をした。
十日間の苦しい逃避行で、善住房の体力は消耗しきっている。
(こうなると、わしは於蝶にもおよばぬわ)
まだ最後のちからが残っているうちに、何とか脱出をこころみるより仕方のないところまで、彼は追いこまれていた。
距離といい、状態といい、善住房にとって、あの日の信長狙撃は、
(申しぶんのないものであった……)
のである。
それが失敗をした。
あの瞬間、偶然に、何も知らぬ信長が腕を上げて身をよじらなかったら、善住房の弾丸は信長の胸板を完全につらぬいていたろう。
(おのれ……このままでは死なぬ。いま一度、信長を……)
わが鉄砲の名誉にかけても、やりぬかねばならぬ。
この十日の間に、自分がこうした危急にのぞんでいることを、杉谷忍びが知ってくれたとすれば、頭領・杉谷信正も放り捨てておくことはあるまい。
善住房の狙撃をたすけ、薬草をくべた下忍びの伊之作が、もしも、うまく逃げおおせたとしたら……。
(もう、だれかがわしを救いに来てくれるころだ)
と、善住房はおもった。
(だが……伊之作が捕えられてしまったなら……)
しかし、いまは何も考えているべきときではない。
これ以上、山林の樹につかまっていることは死を意味する。
善住房は全力をふりしぼって、桂の樹上から地に下りた。
土に伏して、しばらくはうごかぬ。
(何の気配もない……)
もしやすると、孫八たち山中忍びは、この山林をあきらめたのか……。
じりじりと、善住房は地を這ってすすみはじめた。
青葉の匂いが、なまぐさいまでにたちこめている。
風が夜空に鳴っていた。
脱出には絶好の機会といえた。
樹林の匂いは人の体臭を消してしまうし、風の声は人の気配をのみこんでしまうだろう。
長い長い時間をかけ、善住房光雲は山林をぬけ出した。
(やはり……やつらは去っていたのだ)
勇気百倍であった。
眼前に、木樵が通う細路が見えたが、善住房はこれをさけ、崖を下って別の山林へ入った。
今度は大河原へ出ずに、綿向《わたむき》山の南面を西明寺《さいみようじ》の部落の上へ……そして尾根づたいにまわって鎌掛《かまかけ》の北をぬけ、水口《みなくち》へ出る。
むろん危険なことは危険であるが、水口を出外れたところには杉谷屋敷の息のかかった者がいくらも住みついているから、
(もう大丈夫)
右下に、鎌掛の山村を見たとき、善住房は、はっきりと自信を得た。
そのころ……。
六角義賢がひきいる三千五百の軍勢は、甲賀から南近江へ進出していた。
観音寺さま≠ヘ老躯を軍馬にのせ、なかなかに意気さかんなもので、
「長光寺と永原《ながはら》の両城を先ず攻め取ってしまえば、浅井・朝倉と呼応し、織田を相手に二年三年は持ちこたえて見せようぞ」
いいはなった。
織田信長は、南近江の押えとして、次のようなそなえをしておいた。
一 長光寺城(守将・柴田勝家)
一 永原城(佐久間信盛)
一 安土城(中川重政)
長光寺の城は、信長が千草越えしたとき一泊したところで、もしもあのとき、六角軍が途中へあらわれ、信長へ襲いかかったなら、事はどうなっていたか知れたものではなかった。
わずか十数日のおくれで、みすみす絶好の機会を逃がしたともいえる。
杉谷信正は、
「京にいる信長は、いつなんどき出発するやも知れませぬゆえ、至急、進軍の御仕度を……」
くどいほどに観音寺さまへいい送っていたし、いざ信長が京都を発するや、伊之作たちに命じて、いち早くこれを知らせた。
しかし、寄せあつめの軍勢だけに、何彼《なにか》と手間どってしまい、とても間に合わなかった。
こうしたとき観音寺さま&ヮqが、織田信長のように、
「われにつづけ!」
馬に飛び乗り、まっ先に駆け出してしまえば、また後へつづく者も出たろうし、気勢も盛り上ったろう。
(そこが、信長とのちがいじゃ)
後になって、杉谷信正が苦笑を洩らしたそうな。
さて……。
ようやく、六角軍は水口から山越えして長光寺城へせまった。
長光寺の柴田勢は千に足らぬ。
いきおい、籠城して六角軍と対峙することになった。
永原城は、現|野洲《やす》郡・野洲町にあり、ここの佐久間信盛も柴田同様の兵力であるから、城を捨てて長光寺を救援するわけにもゆかぬ。
さらに、長光寺の北方二里ほどにある安土城は、城とはいえぬほどの、いわゆる砦であって、中川重政が三百ほどの部隊で守っているのだ。
織田信長としても、この三つの城へは、いま少し兵力をあたえておきたかったが、
「無二無三に浅井、朝倉を討ちほろぼさねばならぬ!」
と、決意している以上、たとえ一兵でも多く決戦場へつれて行きたいところなのである。
越前の朝倉義景も、相当の兵力を浅井長政のために送りとどけて来るにちがいあるまい。
とにかく、信長は、
「命がけで、城をまもれ!」
と、南近江へ残した三将へつたえるよりほかに言葉がなかったのだ。
六角軍は、完全に長光寺城を包囲し、大いに気勢があがった。
観音寺から落ちて行った六角の旧臣たちと三雲、高野瀬などの甲賀武士、それに伊賀武士たちも加わった寄せあつめながら、よくも三千五百にふくれあがったものである。
それだけまだ観音寺さま≠フ名家としての威望も残っていたというわけだ。
はなしを、善住房光雲へもどそう。
善住房が、水口の手前の今郷《いまごろ》から左へ切れこみ、杉谷屋敷へ向ったころ、夜は明けかかっていた。意外に早い。
山をぬけ出すにつれ、善住房の足の速度も自信にみちてきたからであろう。
さしわたしにして二里の道を、彼は一気に走った。
濃い朝霧がたちこめている。
(助かったな、ついに……)
ここまで来れば、いかに孫八でも手出しはなるまい。
そこには甲賀忍びの掟が厳としてあるからだ。乳白色の霧の幕の向うに、杉谷屋敷の表門が見えた。
門は、かたく閉ざされている。
善住房は、かまわずに塀を乗りこえて入って行けばよいのだ。
石垣塀のまわりは、幅二間余の空濠《からぼり》がめぐらされてい、はね橋がかかっているのだが、この橋はいま上げられたままになっていた。
善住房は満面に笑みをうかべ、空濠の手前から走り出した。
濠を飛びこえるつもりであった。
(屋敷で、ひとねむりして、新しい鉄砲を持ち、頭領どののもとへ馳せつけよう。今度は於蝶にも会えるであろうな……)
善住房は、空濠を飛んだ。
飛びこえたと見えた……。
が、その瞬間に……。
彼の躰は、声もなく空濠へ落ちこんでしまったのである。
これは、善住房が濠を飛んだ転瞬に、その濠の内側に貼りついていた人影が長い棍棒を電光のように突き出したからだ。
この棍棒が、善住房の急所をするどく突き撃ったのである。
空濠の底へ転落した善住房は、すでに気をうしなっていた。
「よし」
棍棒を突き出した人影は、甲賀の孫八であった。
孫八が空濠の底へ飛び下りるや、そこにひそんでいた二つの人影が駆け寄り、善住房へ猿ぐつわを噛ませ、手も足も、あっという間に、しばりあげてしまった。
濠の上から、するすると縄が下りて来た。
これへむすびつけられた善住房の躰は、たちまちに地上へ引き上げられてゆく。
孫八たちも、すぐに濠から外へ……。
外にも二名、山中忍びがいて、善住房を布でくるみ、かつぎ上げた。
「うまくいったな」
孫八がにんまりと、配下の忍びたちをかえり見て、つぶやいた。
「さすがは、孫八どの」
忍びたちも感嘆している。
「急げ」
孫八が手を振った。
善住房をかつぎ上げた五人は、たちまちに霧の中へ溶けてしまった。
これは、甲賀の孫八の賭けであったといえよう。
実は……。
善住房光雲が想像したように、孫八も雨乞岳の山林をあきらめたのであった。
(たしかに、ここへ……)
と、見きわめをつけただけに、孫八は七人の忍びたちと共に蟻一匹ものがさぬ警戒網をしき、じりじりと、その輪をせばめて行ったのだが……。
ついに、桂の樹上にかくれている善住房を発見し得なかった。
(逃がしたか……)
孫八は歯がみをした。
そして考えた。
(もしも、善住房が杉谷屋敷へおもむくとしたら……?)
である。
(まだ、追いつける!)
しかし、甲賀の土地で同じ甲賀忍びが闘うことはゆるされぬ。
(だが……人に知られなければ、よいではないか)
そして、
(殺さずにおけば、よいのだ)
と、勝手な理屈をつけてしまった。
こうなると、孫八の頭脳は急激に回転しはじめた。
彼は、三名の忍びたちへ、
「尚も、このあたりをさがせ。もしも見つけたなら、大河原の蜂≠フもとへ知らせよ」
と、いいつけた。この三名には自分がどこへ行くかを告げぬ。
そして四名の忍びをつれて、すさまじい速度で甲賀へ向った。
これは、善住房光雲が山林をぬけ出す、およそ二刻(四時間)前のことである。
夜のうちに杉谷の里へついた孫八たちは、ひそかに表門前の空濠へ隠れたが、
「夜が明けたなら土を掘って埋まっていよう」
と、いい、穴を掘りはじめたところへ、地上の見張りから、
「善住房が、あらわれました」
と、知らせが落ちて来た。
「そうか。まだ逃げこんではいなかったのだな」
と、孫八は勇躍して待ちかまえていたのであった。
善住房は、
(もう大丈夫)
と、気がゆるみきっていたわけだし、あえなく孫八の餌食となってしまったのである。杉谷屋敷の留守をまもる女房たちは、このことに全く気づいていない。
朝霧が、はれぬうちに、善住房光雲は柏木郷の山中屋敷へ運びこまれた。
頭領・山中俊房は、すべてを孫八からきき、
「ようも捕えた。なれど、このことを知った忍び四名は斬って捨てよ」
と、命じたものである。
彼らの口から、山中忍びが甲賀の掟をやぶったことを他へ洩らされることを俊房は警戒したのだ。
夜が来た。
厳重にしばりあげられ、猿ぐつわを噛まされた善住房光雲が、まるで一個の荷物のように布でつつまれ、これを約十名の山中忍びが馬に乗せ、山中屋敷を出て何処かへ去った。
おそらく、岐阜の織田信長のもとへ送りとどけたのであろう。
そのころ……。
「頭領さまが、お呼びじゃ」
山中屋敷内の長屋にいた四人の下忍びに、孫八の声がかかった。
この四人、孫八と共に善住房を捕えた下忍びたちである。
内庭から奥庭へ……。
忍びの一人が先に立つ孫八へ、
「何の御用事なのでござろう?」
と、きいた。
他の三人の面《おもて》にも緊迫の色が濃い。
四人の忍びたちは、
(もしや……?)
不安になっているらしい。
彼らが孫八と共に「甲賀の地において甲賀忍び同士の殺傷や争いはゆるさぬ」という掟をやぶり、善住房光雲を捕えたことは、彼ら自身がもっともよく知っているのだ。
捕えたといっても善住房の命は、すでにこの世のものではないといってよかろう。
なるほど、岐阜へ向けて、ひそかに護送されつつある善住房の息の根は、いまのところ絶えてはいない。
しかし、織田信長は断じて、彼を生かしてはおくまい。
となれば、善住房を死刑にするため、山中忍びはこれを捕えたということなのだから、甲賀の掟をやぶったことに充分なるわけであった。
もしも、このことが、忍びたちの口からもれたなら、甲賀の頭領のうちでも名家とよばれる山中俊房の声望は地に落ちてしまう。
そうなれば他の甲賀の頭領たちが結束して、山中俊房へ、
「甲賀の地を出て行ってもらいたい」
と、叫ぶにちがいない。
いまはむかしとちがい、諸方の戦国大名が入りみだれ、今日の味方が明日の敵となるすさまじい時代であるから、甲賀忍びが、それぞれの利害関係によって忍びばたらきをし、敵味方に分れて闘い合うこともあり得る。
それは、これまでの杉谷忍びと山中忍びの争闘によってもあきらかであるが……。
それだけに、あくまでも甲賀忍び同士の争いは他国においてのこと。郷土たる甲賀の地へは、これを持ちこまず「たがいの故郷の土を血に染めてはならぬ」という掟はきびしく守りぬかねばならないのだ。
それでなくては、どこかの敵が甲賀を侵略せんとするとき、これをしりぞけるための甲賀武士の結束はのぞめぬ。
(もしや……御頭さまと孫八どのは、おれたちの口を封じるため、おれたちを殺すつもりなのやも知れぬ……?)
呼出しをうけたとき、忍び四人は期せずして、このことを考えていたようだ。
奥庭の一角に、銀杏《いちよう》の大樹がある。
その向うに、土蔵造りの一棟があり、白い壁が夜の闇の中に浮いて見えた。
「孫八どの……」
ささやいて、四人の忍びたちがいっせいに足をとめた。
「どうした?」
と、孫八。
「われらは何のために、お呼び出しをうけるのでござる?」
「そりゃ、おれの知るところではない」
「なれど御頭さまが直き直きに、われら下忍びを呼び出されることは、かつてないことでござる」
「そうかな」
孫八は事もなげに、
「おかしな男たちだな。なんでそのような妙な顔つきをしておるのだ?」
「孫八どの。われらは甲賀の掟を……」
いいかけるのへ、
「だまれ」
きびしく孫八が制した。
「それはおぬしたちのみでない。この孫八も同様」
「む……」
「つまらぬことを考えるものではない」
「は……」
「は、はは……ばかなことを」
孫八は明るい笑声をもらした。
その笑いのなごやかさに、おもわず四人が、
(やはり、おれたちのおもいすごしか……)
つりこまれて、また歩み出した瞬間であった。
笑い声をたてつつ、孫八が振りむくや、いきなり、すぐ後につづく一人を抜き討ちに斬った。
「あっ……」
血飛沫《ちしぶき》をあげて転倒するその忍びを蹴倒すようにし、孫八は次の一人へ躍りかかる。
「おのれ……」
「はかったな!」
三人の下忍びは、さすがに飛び退って抜刀したが……。
このとき。
土蔵づくりの白壁の一部が長方形に割れ、その穴から二本の矢が三人の下忍びの胸もとめがけて疾り出た。
この白壁に、このような仕掛けがあろうとは、山中屋敷に住み暮していた下忍びたちの全く知らぬことであった。
悲鳴をあげ、二人が矢に刺されて倒れた。
同時に、孫八の脇差は最後の一人の腹を突き刺し、銀杏の樹の根もとに口をあけている深い穴へ蹴込んでしまっている。
「う、うう……」
おのれの胸板に突立った毒矢をつかみ、地に倒れてもがいている二人の襟髪を孫八がつかみ、これを引きずり、たちまち穴の中へ投げこむ。
さらに、最初に斬った一人も同様に穴の中へ……。
そして孫八は、白壁の裾にもりあげてあった土や石を投げこみ、たちまち穴を埋めてしまった。
すべては、あっという間の出来事なのである。
この夜。
山中屋敷には、忍びたちがほとんどいない。
ことに善住房護送の一行が出て行ってしまった後、下忍びは、いま殺害された四人のみといってよい。
ひろい邸内の、ことに奥まったこの場所での悲鳴をきいたものは、長屋内の留守をしている女房たちのうちでも、ほとんどいなかった。
銀杏の根もとの穴を埋めた土をふみならしている孫八へ、
「すんだの」
白壁の細長い穴から声が、ただよいながれてきた。
頭領・山中俊房の、しずかな声であった。
「はい。すみまいた」
「四人とも独身《ひとりみ》であったのが何よりじゃ」
「いかさま」
「妻子あるものなれば、屋敷内ですますこともならなんだわい」
「いかさま」
「四人には気の毒じゃが……」
「いかさま」
こたえつつ、孫八は土ならしの足のうごきをやめず、白壁を振り向いても見ない。
「ま、仕方のないことじゃ」
「いかさま」
「孫八よ」
「はい」
「お前が手塩にかけて仕こんだ四人ゆえ、こころさびしいことであろう」
「いかさま」
孫八の声は全く表情がないものであった。
「ま、我慢せよ」
「はい」
白壁の穴が消えた。どう見ても、元のままの土蔵の白壁にもどったのである。
山中俊房は、孫八と打ち合せたように、この秘密の壁穴をひらき、みずから弓に矢をつがえて射たという。
その二条の矢が、一人の手によって、ほとんど同時に射込まれた手練《しゆれん》の早業は、さすがに山中忍びの頭領だといえよう。
闇が、なまあたたかい。
孫八が、せまい奥庭を出て、さらに中庭の土塀へかかったとき、雨が落ちてきた。
孫八は、ほとんどききとれぬような声で、
「ゆるせ」
と、つぶやき、うなだれた姿勢のまま、とぼとぼと自分の長屋へ去った。
ところで……。
善住房光雲を護送する山中忍びの一行は、いずれも百姓や木樵の姿で、荷物と共に馬の背へくくりつけられた善住房を、翌々日の昼すぎに岐阜へ送りとどけた。
これは、近江を通って平坦な道を行ったのではなく、さらに善住房を奪回するやも知れぬ杉谷忍びにそなえ、いくつも山を越えて、あくまでも秘密裡に事をはこんだから、長時間を要したのである。
岐阜へついたとき、善住房は半死半生の態であったそうな。
そのころ、近江の長光寺城にたてこもった柴田勝家は、六角軍の包囲の中で、まだ苦戦をつづけていた。
次のようなはなしも、つたえのこされている。
籠城をつづけるうち、城内の井戸もわれてしまい、六角軍が水源を断ち切ったので、城内では飲み水にも事を欠くようになった。
「水が無うなっては、もはや、落城も同様じゃな」
観音寺さま≠焉Aにんまりと笑い、
「よろし、軍使をつかわして、城内の様子をさぐらせよ」
と、命じた。
ただちに、平井甚助という家臣が使者となって長光寺へおもむく。
「よいかげんに降伏されたらどうか」
という観音寺さま≠フことばをつたえに、である。
敵の使者が来るときいて、柴田勝家は、
「それは、おもしろい」
城中に残っている水をすべて大手門内の広場へ運ばせ、軍馬のからだを洗わせたものである。
ここへ、平井甚助がやって来て、瞠目した。
平井は六角の本陣へ帰り、
「水がないなどとは飛んでもないこと。曲輪内では、惜しみもなく水をつかい、馬のからだを洗っております」
と、報告をした。
観音寺さま≠フ六角義賢も、これにはおどろき、
「信じられぬことじゃ」
「いかさま」
「城内の士気は、いかがじゃ?」
「一兵にいたるまで勇気凜々」
「ふうむ……」
六角軍は、かなり動揺したようである。
あまりに、この城攻めが長引くと、いま岐阜において、浅井攻略軍の編成を急いでいる織田信長が、
「長光寺を救え!」
駆けつけて来るにちがいない。
六角軍としては、何としても織田軍出兵の前に長光寺城を手中につかみ取ってしまいたいところだ。
その六角軍のあせりを、柴田勝家は待っていたらしい。
「いまこそ!」
勝家は、全軍、城を出て六角勢へ反撃を決行することにした。
籠城から一転、決死の反撃をおこなうというのだ。
その決戦の前夜。
柴田勝家は、城内にこもる士卒のすべてをあつめ、
「よう見ておけ!」
といった。
勝家の前には、いま、城中にのこされた水のすべてが数箇の瓶《かめ》にみたされ、置きならべてあった。
「二度とふたたび、この城中へもどれると思うな」
いうや、勝家は長槍をつかんで床几《しようぎ》から立ちあがった。
柴田勝家は、その槍の石づきをもって、水が入った瓶を次々に割ってゆく。
水は地にこぼれ、たちまち土に吸いこまれてしまった。
一同、声もなく、このさまを見まもった。
いまや柴田勢は、城内にこもって、空しくほろびるを待つ余地の一点もないことを再確認せざるを得なかった。
主将の勝家みずからしめしたこの勇猛心に、一同は勇気百倍したというのだ。
翌早朝……。
城内から打って出た柴田勢は、城を背にして奮闘力戦。ついに数倍の六角軍を撃退してしまった。
これが、世に瓶割り柴田≠ニよばれた柴田勝家の有名な挿話である。
だが、このはなしは事実であったかどうか……?
長光寺城は湿原地帯にあって、城内の井戸がかれる筈もなく、信頼すべき史書には、この勝家の挿話が記されていないし、おそらく後年になってからの創作であろうという人もいる。
それはさておき……。
全山が茨《いばら》におおわれた堅城である長光寺を、六角方が持てあましているうち、柴田勝家はたくみな駆け引きを見せて敵軍を打ちなやまし、ついにこれを撃退したというべきであろう。
六角軍が退きはじめると、
「それ、追いくずせ!」
長光寺の柴田勢は、いっせいに追撃にかかった。
同時に、永原城の佐久間信盛や安土城の中川重政も、
「勝家殿と共に……」
戦闘準備をととのえて打って出た。
六角勢は、野洲川まで退き、ここで、織田信長|麾下《きか》の三将軍と対決することになる。
観音寺さま≠熾K死となり、
「もはや退かれぬぞよ!」
みずから陣頭に立ち、全軍を指揮したが……。
調子に乗る敵軍の猛攻を、どうしても突き崩すことは出来なかった。
野洲河原における決戦は、六角軍の大敗に終った。
「信長公記」には、
「……六角方の大敗に帰し、討ち取った首は伊賀・甲賀の諸将をふくめて七百八十におよび、ここに近江の大半は相静まった」
と、記されている。
観音寺さま≠ヘ、わずかな兵と共に甲賀へ逃げもどり、三雲の砦へたてこもったが、敵方は、
「もはや放っておいたとて、何も出来ぬ」
と見てとり、ここまでは追って来なかった。
その通りであった。
かつては近江守護に任じたほどの名家・六角家も、ここにほろびたも同様といってよい敗残の姿となった。
そして、間もなく観音寺さま≠ヘ、ついに織田信長へ降伏することになるのである。
この年──元亀元年六月十九日。
織田信長は、二万八千余の大軍をひきいて岐阜を発した。
この朝。
岐阜城・大手前の広場に、土と石とをもって、高さ六尺の処刑台が、もうけられた。
周囲を竹の矢来《やらい》でかこみ、前夜から警備の兵が物々しく、
「いったい、だれが殺されるのか?」
城下の人びとは、そのうわさでもちきりであった。
朝になると、高札が処刑台へかけられた。
「……この者は甲賀の僧にて杉谷善住房光雲と申す者であるが、過日、千草越えの山道において織田信長公を鉄砲にて害し奉らんとしたふとどきの者である。よって、火刑に処す」
と高札には記されている。
夏の朝の陽ざしが上るのを合図に、処刑台へ太い柱が一つ打ち立てられた。
早くも出陣の仕度を終えた織田軍は、大手前から信長居館、さらに城下の数カ所に集合を終えている。
やがて……。
高らかに大太鼓が打ち鳴らされた。
城内の牢獄に押しこめられていた善住房光雲は、軍装もいかめしい警固の一隊にかこまれ、処刑場へあらわれた。
軍列にある武士たちも、城下の人びとも処刑場のまわりにひしひしとつめかけている。
織田信長は、まだ居館内にいたが、善住房処刑の時がせまっても、
「天下の見せしめにすることよ。わしが、そのようなものを見てもつまらぬことじゃ」
お濃の方と別れの盃をかわしつつ、ふり向こうともせぬ。
「では……?」
「早々におこなえ」
「はッ」
処刑台上の柱のまわりに薪が積み重ねられた。
善住房は、その柱へくくりつけられている。
五十歳の彼の顔は、あざやかな血色を取りもどしていたし、牢獄内での待遇も悪くなかった。
新しい白の僧服をつけ、しずやかに柱を背に朝空にただよう雲をながめている善住房光雲なのである。
(於蝶よ……)
善住房は、青く晴れわたった朝空の彼方へ胸の底から呼びかけていた。
(これからは、おそらく杉谷忍びの最後のはたらきともなろうが……於蝶よ。お前だけは生きていてほしいな。生きていて、わしのかわりに、この世の中がどのようにおさまってゆくか……それを、よく見てもらいたい)
薪が、音をたてはじめた。
火がつけられたのである。
(於蝶よ。わしはな、いままでの生涯のうち、只《ただ》ひとり、お前が好きであったよ。ただもう好きであった。おもい切って、お前をつれ、杉谷忍びの境涯からぬけ出し、どこか遠い国へかくれて、ひっそりと仲良う暮したいと、何度おもうたことか……)
薪のかたまりが、いっせいに炎をふきあげはじめた。
善住房光雲は微動もせぬ。
善住房は、すでに呼吸をとめていた。
甲賀忍びにつたわる特殊な方法で、みずからの呼吸を絶ってしまったのだ。
ゆえに、わが肉体をさいなむ火あぶりの刑は、いささかも彼に苦痛をあたえなかったといってよい。
脳裡に於蝶のおもかげを追いつつ、善住房は腹と胸の筋肉の一部をうごかし、咽喉をのばし、強く、これを引きしめた。
(あ……)
するどい痛みが五体をつらぬいたのも一瞬のことで、たちまち、善住房は絶息したのである。
このとき、織田居館のあたりでほら貝が高らかに鳴りわたった。
織田信長の出陣を知らすものであった。
信長は黒い鎧《よろい》をつけ、黒地の背に金箔をもって「天下布武」の四文字を浮き出させた陣羽織を着こみ、馬上堂々と大手前へあらわれるや、
「いざ!」
金の采配《さいはい》を颯《さつ》と振り、出発の合図をした。
戛々《かつかつ》たる馬蹄の音がわき起る。
ゆるやかに、軍列がうごきはじめた。
善住房の処刑を見物していた城下の人びともわれらが城主≠スる織田信長と、その軍団の威容に感嘆の叫びを発し、
「こたびも勝利はうたがいなしじゃ」
「これでは、浅井も朝倉も、ひとたまりもあるまい」
どよめきわたる見物の視線を左右から受けつつ、織田信長は処刑台の善住房には眼もくれなかった。
黒煙と炎につつまれ、善住房の死体は焦げつくしている。
この処刑を知る者は、当日まで全くいなかった。
善住房が捕えられたことも、まだ知られてはいない。
すべては山中忍びの手によっておこなわれただけに、山中屋敷から岐阜城内へ移された善住房の身柄を、
「もしも、そのことを知っておったなら……この、おばばが何としても救い出したものを……」
と、のちに伊佐木が口惜しげに洩らしたほどであった。
ここに、織田軍の全容をのべておこう。
[#1字下げ]本軍(約二万三千)
[#1字下げ]第一隊 坂井政尚(三千)
[#1字下げ]第二隊 池田信輝(三千)
[#1字下げ]第三隊 木下秀吉(三千)
[#1字下げ]第四隊 柴田勝家(三千)
[#1字下げ]第五隊 森|可成《よしなり》(三千)
[#1字下げ]第六隊 佐久間信盛(三千)
[#1字下げ]本 隊 織田信長(五千余)
さらに、浅井軍の前衛基地である横山城の押えとして約五千を用意した。
柴田勝家や佐久間信盛が、近江から馳せ参じたことを見ても、もはや六角方が再起出来ぬまでに叩きつぶされたことがわかる。
そのころ。
徳川家康も信長の出兵要請をうけ、みずから五千余の兵をひきいて戦場へ急行しつつあった。
織田本軍は岐阜から関ヶ原をぬけ、北国街道を北近江へすすむ。
この国境に長比《たけくらべ》と刈安《かりやす》の二つの砦があった。
この砦は、織田軍の侵入にそなえ、浅井長政が、急ぎ築いたもので、堀常久と樋口与四郎の二将が、長政の命をうけて守っている。
しかし信長は、京都からもどるや、すぐに堀と樋口へはたらきかけ、二人は浅井を裏ぎり、信長に応じていた。
織田軍は予定通り、十九日の夜を長比の砦に泊した。
出迎えた堀と樋口を呼び出し、
「こたびは、ようもちからをそえてくれた。悪しゅうはせぬ」
と、信長はねんごろにことばをかけ、この二人から浅井軍の全容、戦備について、くわしく事情をきいた。
このときまで、堀も樋口も織田方へ寝返ったことを洩らさなかったから、
「長比と刈安が織田方の手に……」
急使の報告を受けた浅井方では大いにおどろいたが、
「さようか」
浅井長政は、にっこりと笑い、
「寝返るべきものは、早う寝返ってくれたほうがよい」
と、いった。
最後の決戦のためには、浅井家のため捨身にはたらいてくれる家来たちのみがほしい長政なのである。
朝倉義景からの援兵も越前を発して、小谷へ向いつつあった。
翌二十日。
信長は、
「先ず、横山城をさぐれ」
と、命じた。
小谷の浅井本城より三里手前にある横山城には、大野木秀俊・三田村国定・野村直次など、浅井家でも粒よりの部将が入っており、兵力は約二千ほどであったといわれる。
織田軍は、この横山城の東面を通りぬけて小谷城へせまらねばならない。
「よし」
すぐさま、信長は決意をした。
かねて予定したごとく、丹羽長秀ほか二将に五千の兵力をあたえ、
「夜が明けぬうちに横山城をかこめ」
と、命じた。
長比から横山城まで約四里。
無数の松明《たいまつ》の火をつらね、堂々としてせまる織田軍五千が三倍にも見えたそうな。
二十一日の朝が来ると、横山城の東から北、西へかけて、五千の織田軍が陣をつらね、完全に小谷本城との連絡を絶ち切ってしまっていた。
この知らせをうけ、織田信長は二万三千余の全軍に進発を命じ、まっしぐらに北近江の国へ侵入した。
「本陣は、虎御前《とらごぜ》山へ!」
信長は馬上に鞭をあげ、凜然としていいはなった。
虎御前山は、小谷城の西方、すぐ目の前にある。
[#改ページ]
虎 御 前 山
織田信長が、小谷へなだれこむ寸前……。
それは六月二十一日未明のことであったが、琵琶湖岸・早崎《はやざき》のあたりへ小舟が一艘ついた。
暁闇《ぎようあん》の岸辺に、この小舟を迎えて立つ人影が二つ。
一はねずみのおばば≠フ伊佐木。
一は、杉谷忍びの頭領・杉谷与右衛門信正である。
「おそくなりまして……」
小舟から岸へ飛び移った男が、杉谷信正へ声をかけた。杉谷忍びの伝蔵であった。
小舟には、ほかに伊之作、松右衛門、左平次の三人が乗っていた。
「さ、早くせよ。信長めは夜が明けると共に、この北近江へ大軍をひきいてなだれこんで来よう」
と、信正がいえば、伊佐木も、
「気が気ではなかったぞえ」
小舟の中に四つの木箱がむしろに包まれて在った。
「それ!」
伝蔵の指揮で、この一抱えもある木箱が岸へ移しはこばれる。
二頭の馬へ、この荷箱をつむや、
「急げ!」
杉谷信正を先頭に、五人の杉谷忍びは東に向けて急行する。
虎御前山の南面をすぎ、左に小谷城をのぞみつつ、一行はどこまでも東へ、東へ……。
そして北近江をかこむ山なみのすそへ消えてしまった。
これとすれちがいに、織田軍が国境を越え、侵入して来たのである。
北近江の平野に、浅井軍の抵抗は、ほとんど無かったといってよい。
ただ、小谷城と横山城が、さしわたし約三里の平野を中にして横たわっているのみだ。
この真只中へ、信長は、
「進め!」
断固として進軍した。
むろん、二千そこそこの横山城兵が、これへ襲いかかれるわけはない。
例によって信長は一気に敵の腹中へ突き入り、
「本陣は虎御前山へ……」
と、命じたのである。
虎御前山は、小谷城の南に孤立した丘陵で、一名を長尾山ともよぶ。
むかしからのいいつたえに、
「……むかし、この山の桃須《ももす》谷より美女あらわれ、せせらき長者の妾となる。これを虎御前と申せり。御前懐妊して小蛇を生みしかば、恥じかしこみて河淵に投じ死せりとぞ」
と、ある。
浅井長政がたてこもる小谷城の、その山すそと虎御前《とらごぜ》山の山すそとの間は、わずか千メートルにすぎない。
すぐ目の前に、大敵・織田信長の本陣をゆるしながら、浅井の本軍は小谷城へ引きこもり、木戸・城塁をきびしくかため、あくまでも静かに織田軍の動静を見まもっているのだ。
信長もまた、すぐに小谷城へ攻めかけることをせぬ。
信長は、池田・坂井・木下・柴田・佐久間などの諸将をあつめ、
「いかが思うぞ?」
と、作戦会議をひらいたが、このとき佐久間信盛がすすみ出て、
「このまま、小谷山へ攻めかくることは不利でございましょう」
「うむ」
「無理押しに攻めかくれば、味方は三分の一、または半数を失うことになりましょうし、しかも、その城攻めの間に、越前より朝倉の援軍が到着し、浅井の有利となります」
「うむ」
信長は、この進言が気に入った様子で、
「いかにもな。よし、しばらくは軍を散らすまい。ともあれ、山にこもる浅井勢を少しずつさそい出し、これを射つか……」
すぐに命を下し、近辺の村々へ火を放たしめた。
村人たちの大半は逃げてしまっているが、領内の村々が焼きはらわれるのを見ては、浅井軍もだまっていないと考えたのであろう。
だが、小谷城は依然、沈黙の中にとじこもっている。
夜になっても、村々は燃えつづけていた。
小谷山の上から、眼下にこのさまをのぞみ、浅井の将兵は激怒したが、
「さわぐな」
浅井長政は、きびしく将兵の動揺を制している。
この夜ふけに、使番の上田権内から、
「いまは、甲賀に隠れおらるる六角義賢公の御使者がまいられました」
と、本丸にいる浅井長政へ申し出て来た。
「なに……六角公の使者だと?」
長政は、少し意外におもったが、よく考えてみれば意外でもない。
以前は、たがいに相争った浅井と六角であるが、いまは両家にとって織田信長は共同の敵なのである。
「権内をよべ」
長政は、
「なれど、このことを京極丸≠ノおらるる父上に洩らさぬように」
と、念を入れた。
山すそに近い陣所から、上田権内が本丸へのぼって来た。
「権内か。六角の使者じゃと?」
「はっ」
「そちも、もとは六角の家来ゆえきくが、顔見知りの者か?」
「はい」
「何者じゃ?」
「ここに、観音寺様よりの書状を……」
「その使者が持参したのか?」
「はい」
浅井長政が受けとって、封を切るや、
「まさに、六角公の筆蹟であるな」
と、うなずいた。
いまは再起出来ぬまでに打ちのめされ、甲賀・三雲にひそみかくれている六角義賢は、長政への手紙に、こういってきている。
「久しいことでござる。いまは何も申さぬ。それがしも信長によって散々に打ちたたかれ、いまは甲賀の地へひそみかくれてはいるものの、もはや二度と、軍馬に打ち乗り、軍勢を指揮して戦陣にのぞむこともござるまい」
と観音寺さま≠ヘ、むかしの恩讐《おんしゆう》のすべてを忘れたかのような淡々たる筆致で、
「こたびは、そこもとが織田の大軍を迎えての戦陣、御苦心のほどはつくづくお察しいたす。織田信長といえども、彼に敵対するもののすべてがちからを一つにして立ち向えば、なんのことやある。なれど……われらそれぞれに、時と場合によって、それぞれの家中の内情も変転とし、互いにつまらぬ争いを重ねるうち、ついに、織田の勢力を大ならしめてしもうた。これも戦国の世のならいともいうべきか……さてさて、この世は思うままにならぬものでおざる。ところで……いまのそれがしには何のおちからぞえをすることも出来ぬが、ここに、もと六角家のため忠誠をつらぬき通した甲賀・杉谷の住人にて杉谷信正を小谷の城へさし向け……」
ここまで読んだ浅井長政が、
「権内。杉谷忍びの頭領であるな」
と、いったのは、さすがに長政、杉谷信正の名を知っていたものと見える。
「はい」
「む……その、杉谷信正みずからが六角公の使者として参ったのか?」
「いかさま」
「よし、ここへ連れてまいれ」
長政は手を打って侍臣を呼びよせ、上田権内と杉谷信正が本丸へ入るための手つづきをとった。
長政は、権内からの申し出をうけた後、小姓も侍臣も身辺から遠ざけていたからである。
これは、後になって幸いした。
やがて……。
杉谷信正が、権内にともなわれ、長政の前へあらわれた。
この長政の居るところは、本丸の天守≠ニよばれる建物で、天守は三層のがっしりとした城楼なのだ。
その最上階に、長政は寝起きしてい、夫人・お市の方は、この本丸の東へ少し下ったところにある赤尾曲輪≠フ屋形にいる。
父の浅井久政は本丸から北へ、峰を二つほど越えた京極丸≠フ屋形にこもっていた。
杉谷信正は、このあたりの村の百姓姿で、長政の前へ平伏している。
「そちが、杉谷信正であるか」
「はっ」
「六角公よりの添書、たしかに読んだ。そちたちが、われらのために忍びばたらきをいたしてくれるそうな……」
「いえ」
と、信正が屹《きつ》と面をあげ、強くかぶりを振って、
「浅井公の御為ばかりではござりませぬ」
「なに……?」
「われら杉谷家のために、織田信長の首を、ぜひにも討って取りまする」
「ほう……」
ここで、杉谷信正は、すべてを打ちあけた。
九年前の永禄四年。あの川中島合戦がおこなわれたときからの杉谷忍びのはたらきを、杉谷信正はつぶさにのべた。
「ふうむ……」
浅井長政も、戦乱の政局と戦場の裏面に、このようなすさまじい忍びたちの活躍があったことを、
「いまのように、くわしく耳にしたことはなかった……」
むしろ、茫然たる面持になって、
「つくづくと、この身を恥じるおもいがする」
つぶやいたものである。
「京の都に近き国におりながら、われらはまことに天下を見る眼がせまく、小さかったのだな」
「いや、それは……」
「たしかにそうじゃ。なるほど、わが浅井家も間者をはなち、伊賀の忍びたちをつこうて見たこともある。だがそれは、近国との争いのためのものにすぎなかった。もっと、ひろい天下の成りゆきを、絶えずわが耳へ入れておくことを、長政は気づかなんだわ」
五年、十年先のために、いまは全く関係のない遠国の大名たちのうごきを絶えず知っておかねばならぬ。それでこそ戦国のすぐれた大名であり、それでこそ、いざという場合に失敗のない行動がとれる。
浅井長政は、このことを反省しているらしい。
となりの六角家と戦ったり、朝倉と織田の間にはさまって苦悩を重ねたり……浅井家がそのような立場になる前から、もっと他にやっておくべきことがなかったか、という反省なのである。
槍と刀をもって戦うことのほかに、もっと真剣に取り組まねばならぬことがあったのではないか……。
(織田殿は、十年も前から、そのことに気づいておられたのだ)
いまさらながら、そのことに思いおよばずにはいられない浅井長政であった。
もっとも、浅井家が長政の統率のもとにうごくようになったのは、五、六年ほど前からで、それまでは父の久政のわがままな城主ぶりに、内紛の絶え間がなかったのである。
「それで?」
ややあって浅井長政が、杉谷信正に、
「そちは何をのぞむか?」
「われら杉谷忍びの、はたらきやすいようなおはからいをたまわりたし」
「そちたちは何名おるのか?」
「十一名にござります」
「十……?」
長政は、呆気にとられ、
「十一名で何をしようと申す?」
「すでに仕度はととのいましてござります」
「したく……?」
「信長めの首を討つための仕度にござります」
「ほう……」
「なれど、われらを敵と見なされましては、そのはたらきもにぶり、いっさいの仕度も無駄なものとなってしまいましょう」
「なるほど……」
浅井長政は、上田権内に二十名の兵をあたえ、
「杉谷信正につきそうてくれ」
といった。
権内は、もとよりのぞむところであった。
これで、杉谷忍びは浅井軍の味方として戦場に出る資格をあたえられたことになったわけだ。
だが、その忍びばたらきは、あくまでも頭領・杉谷信正一人の指揮によって、独自の活動をする。
「そのことを何とぞ、おふくみおき下されますように」
と平伏した信正へ、
「申すまでもないこと」
長政は莞爾《かんじ》として、
「なれど、助勢が要るときは遠慮なく申し出よ」
「いえ……」
杉谷信正は、かすかに笑い、
「いま、上田権内殿ほか二十名の兵をいただき、それにて充分でござります」
「好きにいたせ」
「ははっ」
「そちに、どのような仕度があるのやら、それは知らぬが、互いに織田公の御首《みしるし》をうかがうもの同士として、長政、後学のためにきいておきたい」
「は……?」
「織田は、この城へ攻めかけて来ようか?」
「来る筈がございませぬ」
「ほほう……」
「今夜はじめて、それがし、この小谷城へのぼりましたなれど、まさに鉄壁でござる」
きっぱりと、信正は、
「織田であろうが、上杉、武田であろうが、むやみにここへ城攻めはかけられますまい」
「ふむ、ふむ」
長政も満足そうにうなずくと共に、自信がふくらむような心強さをおぼえたらしく、
「そちが、まことそのように申してくれるなら……」
「まことでござります。おそれ入りたてまつりますが……」
「何じゃ?」
「もしも籠城となりましたるときは、どれほど、もちこたえられましょうや?」
「二年でも三年でも……」
と、長政は笑いながら、こたえた。
嘘とはいいきれぬ。
城は山つづきに越前の朝倉家へ通じているから食糧の補給には事を欠かぬ上、小谷城の水源はゆたかである。
「信長は、こなたにさそいをかけてまいりましょう」
「いかにも……」
「そのときは打ってお出になりまするか?」
「時と場合による」
「相なるべくは……」
「最後の決戦まで、むやみに兵を出すな、と申すのじゃな」
「はい」
「ようわかった」
「いま一つ、うかがいたきことがござります」
「申してみよ」
「もしも……もしも戦機が熟さぬときは、御籠城の御覚悟でござりましょうや?」
と、信正の面は、このとき異様な緊迫にひきしまってきている。
当然であろう。
いまの杉谷忍びたちは、織田と浅井の決戦の混乱に乗じ、それを只一つの機会にして織田信長へ挑戦する決意だからだ。
浅井長政は、打てばひびくように、
「いや」
決然として、
「籠城のつもりはない」
「まことに?」
「思うても見よ。去る四月、朝倉攻めの織田公にそむいたるこの長政じゃ」
その浅井長政を、いかなることがあっても織田信長はゆるさぬにちがいない。
あのときの信長の、かつてないみじめな逃亡も、妹聟の裏切りにおびえたからであって、
「おのれ、長政」
あのときの口惜しさ、激怒が、異常なまでに高く強烈な信長の自尊心へ、どのように深い傷痕をあたえたことか……。
いかなる事情の変転があろうとも、信長は断じて浅井家をゆるすまい。
それは長政自身が最もよく、わきまえていることだ。
さらに……。
年月を経過すればするほど、織田信長の勢力は伸張強大になるばかりで、
(そうなれば、浅井、朝倉などが、いかにあがいて見ても、敵すべくもあるまい)
それならばこの機会に、捨身の勝負をいどむべきである。それが浅井長政の牢固《ろうこ》たる決意であって、ともすれば、
「籠城じゃ。籠城にしくはない」
と、父・久政や一部の老臣たちがいいたてる軟弱な態度にも、長政は一歩も退かぬつもりであった。
父や、父の周囲にいる老臣たちは、今まで事々に織田信長へ反抗をし、当主の長政を困らせておきながら、いざ戦さが始まるとなると、
「この小谷の城ならば二年、三年は平気じゃ。その間に……」
その間に諸国の情勢も変化し、織田信長とても今のまま威張ってはいられまい。
「上杉も、武田も……みな京を目ざして、この付近へあらわれよう、そのときこそ、われらも城を下って織田を討つのじゃ」
と、あくまでも他力をたのむ臆病さなのだ。
(なれど……いまはもう大丈夫)
浅井長政には全軍をひきいる自信があった。
口うるさいばかりの隠居・久政や老臣たちには、長政のみか浅井の家臣たちも、このごろでは従うつもりはない。
どこまでも当主の長政と共に、城をまもり、国をまもろうというかたちにしぼられつつある。
それもこれも、長政自身の威望がこのところ、まことに立派なものとなってきたからであろう。
浅井長政と杉谷信正との秘密の連絡≠ヘ、すべて上田権内を通じておこなわれることにきまった。
「では……御武運を祈りあげまする」
信正の別れの挨拶をうけ、長政も、
「そちの武運も、な」
「は……かたじけなく」
権内と信正が天守≠フ二階へ下りて行くと、そこには人ばらいのため待機していた長政の侍臣たちが五名ほどいた。
みな、権内と信正を、するどい眼つきで迎え、見送った。
天守≠出たとき、杉谷信正が、
「権内。いまの、長政公の御側衆《おそばしゆう》の中に、五十をこえた年齢に見ゆる……ここの、右の頬に小豆粒ほどの黒子《ほくろ》がある、がっしりとした躰つきの……」
「あ……あれは、長政公お気に入りの御側衆にて渡辺小十郎と申される仁でござる」
二人きりになったときは、杉谷信正と上田権内は、杉谷家の主従というわけで、おのずと口のききようが変ってくる。
「権内は、その、渡辺なにがしという男に見おぼえがないか」
「それがしが、六角家よりこちらへ移りましてから……」
「いや、その前にじゃ」
「いえ、存じませぬ」
「渡辺小十郎殿は譜代の家来か」
「いや、七年ほど前に、毛利家を浪人され、この浅井家へつかえたと、ききおよんでおりますが……」
「ふむ……」
いくつもの木戸をぬけ大広間≠ニも千畳敷き≠ニもよばれる曲輪へ入った。大広間といっても別に大きな建物があるわけではない。つまり、それほどにひろい敷地がある曲輪ということで、周囲は切り立った崖である。
ここにも厳重な防備がほどこされてい、曲輪の四方は櫓、土塁などによってかこまれ、警衛もきびしい。
敵が城へ攻めのぼって来て、もしも、ここまで押し寄せたなら、この大広間≠ェ最後の防御地帯となるのであろう。
上田権内は、特別の銅づくりの門鑑を出し、木戸を通りぬけている。
この門鑑は、大事札《だいじふだ》とよばれ、浅井家の重要な役目を負う者にあたえられるものだという。
また、木戸をいくつも抜け、二人は美濃山といわれる突起点にある上田権内の陣所まで下って来た。
ここで権内は、木札に焼印をうった通常の門鑑を杉谷信正にわたした。ここから下は、この門鑑でよいというわけだ。
「頭領様。今夜のうちには二十名の兵をそろえ、いつにても権内、待っておりますぞ」
「たのむ」
行きかけて信正が、権内の耳へ、こうささやいた。
「あの渡辺小十郎という人物に油断すな。於蝶に見張りをたのめ。あの男に、わしはむかし……どこかで出会うたことがある」
翌二十二日。
虎御前山の織田本営がうごきはじめた。
山頂から山すそ一帯にかけて、朝風にひるがえっている旗差物、戦旗が、いっせいにうごきはじめたのである。
「すわこそ!」
早くも城攻めにかかるのか……?
小谷城の浅井軍もこれにそなえ、新庄直頼《しんじようなおより》の部隊が、美濃山の谷間から押し出し、群上《ぐじよう》の部落の木戸へ、ひしひしとつめかけた。
浅井長政も美濃山の出丸まで下り、
「ゆだんすな」
みずから総指揮にあたる意気込みを見せる。
ところが……。
虎御前山の織田信長は、
「本陣を引けい」
と、命じたのである。
いきなり敵の本城の眼前へあらわれたかと思うと、わずか一日の滞陣で兵を引きにかかったのだ。
織田軍は、虎御前山の南すそへ集結し、そろりそろりと引きあげて行く。
「よし!」
これを出丸の櫓からながめた浅井長政は、
「追い打ちをかけい!」
決然として命じた。
家臣たちは、
「いま仕かけては、敵の術中におちいるばかりでござる」
とどめたが、長政はにやりとして、
「知れてある」
「では……?」
「われらが戦心を、織田殿に見せてやるのだ」
信長が引きにかかったのは、むろん浅井軍の追い打ちをのぞんでいるからであった。
小谷の堅城にたてこもられてしまったのでは、戦さにならぬ。
少しずつでも下へ引き出して、討滅しようという作戦だが、
「まさかに、長政もこれには乗るまい」
信長は、あまり当てにしてはいなかったようだが、
「敵が打て出ました!」
信長が虎御前山を下りきらぬうちに、伝令の声が入った。
「なに……」
屹と顔貌を緊張させ、
「長政めが……」
信長の唇から、するどい舌うちが鳴った。
(やるつもりか、おのれ!)
である。
ここに信長は、浅井長政の闘志をはっきりと見た。
(長政は、いささかも籠城のつもりはない)
よし、それならば……であった。
佐々成政《さつさなりまさ》、梁田《やなだ》政辰、中条《ちゆうじよう》秀長の三将に、
「追い散らせ!」
烈しく信長は命じ、
「殿軍《しんがり》と思うな。容赦なく打ち叩けよ!」
と、いった。
三将は本軍の後衛のかたちとなって、約千五百の兵をひきい、虎御前山の山かげからななめに展開した。
この後方を、織田信長が本軍をひきいて引きあげて行く。
「あれに織田殿あり!」
彼方から、これを展望した浅井長政は、新庄直頼の部隊へ、
「浅井の戦さぶりを見せてやれ!」
出撃命令を発した。
浅井軍約一千余。新庄直頼にひきいられて郡上の最前線を出るや、喚声をあげて突進する。
これを迎えた織田の三将も、
「一歩も退くな!」
奮然と迎え撃った。
ほとんど一本の線となって突き進んで来た浅井軍は、激突の寸前に、ぱっと左右へ分れ、長柄の槍隊が朝の陽に穂先をきらめかせてなぐりこむように打ってかかった。
鉄砲をつかう間もないほどの急戦である。
この間に……。
織田の本軍は整然たる隊形のまま、ぐんぐんと後退して行く。
まるで敵に攻めかかってでも行くような気勢を見せ、平野を、姉川をこえて南へ下って行くのである。
浅井軍千余は、後衛の織田軍の中央を突破し、
「それ。もそっと織田殿をおびやかしてくれよう!」
つい調子に乗った新庄直頼が、みずから手兵二百余をひきいて一里ほども追撃したが、これをはるかにながめ、
「いかぬ」
浅井長政は、
「引きあげさせよ!」
と、伝令を派した。
長政の目的は、わが決意の強さを信長にしめし、相手の戦意を殺《そ》ぐのが目的である。
深追いをかけたところで、信長の首がとれるわけではない。
伝令が馬を駈って長政のことばをつたえる前に、新庄直頼も、
(これは調子に乗りすぎたわい)
と、さすがに気づき、姉川の岸辺まで来て、
「引けい、引けい!」
馬首をめぐらしたときであった。
それまでは圧倒されていた織田方の中条秀長が、
「新庄めが首を!」
とばかり、左側からまわりこみ、新庄隊の横合いから、いっせいに槍を突き入れて来た。
芋を洗うような混戦となった。
後方で戦っていた新庄隊は、小谷城からの「引きあげよ!」の命令にしたがい、急遽《きゆうきよ》、城へ後退したため、これと交戦していた織田勢が中条隊の援軍として新たに加わったものだから、新庄直頼は二百の手勢と共に孤立したかたちになり、
「し、しまった!」
あわてて兵をまとめ、
「真一文字に引けい」
と、叫んだ。
彼が小谷城へもどったとき、二百の手兵は、六十余名に減ってしまったが、織田方の将・中条秀長も、この戦闘で戦死をとげている。
この日の戦闘は、新庄直頼が調子に乗りすぎた追撃をおこなったため、浅井勢の戦傷者は織田方の約三倍ということで、織田信長としては、先ず所期の目的を達したといえよう。
ために、浅井方では、
「むだな戦さじゃ」
隠居の浅井久政は苦々しげに、本丸の天守までやって来て長政を責めた。
「なぜ、わしにはからず、あのような追い打ちをかけたのじゃ?」
長政は動じなかった。
「これ、長政……」
「父上。浅井家の当主は、この長政でござる」
「だまれ! 諸将をあつめよ」
と、ここで今後の作戦について会議がひらかれることになった。
そのころ赤尾曲輪では……。
於蝶がねずみのおばば≠ニ、密談をかわしていた。
折から、勤務の交替で、お市の方のそばをはなれた於蝶が、屋形の下間《しものま》とよばれる板敷きの間で夕食をしたためているとき、土間の一隅から、ねずみが一匹、矢のように走って来た。
「あれ……」
「ねずみじゃ」
まわりの侍女たちが、さわぎたてる中を、ねずみは板の間から柱へ……梁へ上って、たちまち消えてしまう。
(おばばさまじゃ……)
伊佐木が忍んで来ているという合図なのである。
於蝶は、戸外へ出た。
いつも上田権内と密談するときの石垣外の木立の蔭へ行くと、
「於蝶。元気でおるかや?」
伊佐木が闇の中に屈みこんでいた。
この木立の下は、のめりこむような崖であった。
彼方に平野の一部がのぞまれ、南方・三里をへだてたあたりに織田軍の松明や篝火が延々とつらなり、うごいているのが見える。
その火の群に包囲しつくされた感がある浅井方の横山城の篝火は心細げに見えた。
「於蝶よ。いざというときには、すぐさま、ここをぬけ出せるよう……よいかや」
「はい」
「頭領どのは、いま少し、お前が、この小谷城へ居残ってるほうがよいとのことじゃ」
「あの御仁を見張ることでございますね?」
「うむ。渡辺小十郎とか申す……」
「はい。上田権内どのから、うけたまわりました。今夜にも、忍んで見るつもりでございますが……」
「ま、どちらでもよいと、このおばばは思うておるのじゃが……」
「と、申されますのは?」
「このような戦陣ともなれば、こそこそと忍びばたらきをしても同じことよ。もしも渡辺小十郎が織田方へ通じていたとすれば、浅井方のそなえも内情も、すでに筒ぬけとなっていよう」
「では、渡辺小十郎にはかまわずとも、よいと……?」
「ま、それは……お前の好きにしたがよいわえ」
「頭領さまは、いま、いずこに?」
伊佐木は、織田軍の灯がつらなるあたりを指し、
「あのあたりより、少し手前の……」
さらに、伊佐木のゆびは、東にそびえる伊吹山の峰々が北近江の平野へ落ちこむあたりを指し、
「あの山すその森の中に」
と、いった。
「ま……」
「杉谷忍びのすべて……と申しても、このおばばとお前をふくめて十余名。一丸となって決戦の日にはたらくのじゃ」
「どのようにして?」
「なにごとも頭領どのの胸ひとつにおさめられてあるが……つまるところ、あの姉川がながれるところ、おそらくは決戦場ともなろう場所に、頭領どのは、ねらいをつけておらるる」
「もしも、その場所にて決戦がおこなわれぬときは?」
「そのときは、われらの忍びばたらきも水の泡となりはてようわえ」
「まあ……」
杉谷信正は、両軍決戦の場所を熟考苦心の末に予想し、その場所を中心に、杉谷忍びの活動を便利ならしむる仕度≠ととのえ終った……と、いうことなのだ。
(はたして……そのようにうまく、事がはこぶであろうか?)
於蝶は、不安をおぼえずにいられない。
どのような計画が、頭領・杉谷信正の胸底にねりあげられているのか知るよしもないが、わずか十余名の忍びたちと、たとえ浅井長政がつけてくれた上田権内ひきいる二十名の兵がふくめられたとしても、
(乱戦の隙をうかがい、信長の本陣へ襲いかかるおつもりなのだろうが……)
あまりにそれは、成算がうすいように思われた。
忍びばたらきにしては単純すぎるように考えられた。
「ふ、ふふ……」
すぐに、その於蝶のおもいごとを伊佐木は見やぶったらしく、
「なれども於蝶よ。いままでのところは、頭領どのの見込み通りにはこんでおるわえ」
「まことに?」
「うむ。信長が、いきなり虎御前山へ本陣をかまえたことも、一日にしてこれを引きはらい、それ、いま見るような陣形をとることも、さすがに見通しておったわえ。頭領はな、織田信長のこころになりきって……いえば、おのれが小谷城を攻めるこころになりきり、考えに考えつくした上でのことであろうよ。なに、このおばばには、またおばばなりの考えもあったのじゃが、頭領どのは可愛い弟じゃ。おもいきり、やらせてみたい。おばばも男忍びになりきり、槍をかついでも戦場へ出るつもりじゃわえ。そしてな……」
いいさした伊佐木が、彼方を見やり、
「あ……」
と、腰を浮かせた。
「どうなされました?」
立ちあがった於蝶をかえり見て、伊佐木が、
「またも、頭領どのの見こみ通りになったわえ」
「織田勢の松明が、うごきはじめました」
「いかにも」
横山城の山麓一帯を埋めつくしたかのような織田軍が、ゆるやかに移動を開始しはじめた。
先刻から、横山城では、しきりに烽火《のろし》をあげ、小谷城へ向かい、
「救援をたのむ」
の合図を送りつづけている。
織田の大軍に、呼吸も出来ぬまでに包囲しつくされ、心細くてたまらなくなったのであろうか……。
織田軍は、横山城の押えを残し、隊伍整然として東へうごきつつある。
於蝶と伊佐木は、再び屈みこみ、その松明の列の移動を凝視した。
やがて……。
織田軍の先頭は、北国街道を越えた。
「ここからは、七尾山の蔭になってよう見えぬが、あの向うは伊吹山じゃ。その山すそに弥高《いやたか》という村がある。おそらくは、あのあたりに信長は本陣を置くつもりであろうよ」
「そのように頭領さまも?」
「うむ、うむ。さすが信正どのよ。ようも見きわめられた」
と、伊佐木は弟の頭領どのをほめた。
弥高村は、伊吹の山すそがひろびろと下へ展開する、その要《かなめ》のようなところで、背後には切り立った伊吹の山林を背負いながら、ななめ右に北近江の平野も横山城も、そして小谷城も、浅井軍の全貌がすべて見わたせるという……織田の本陣をかまえるには絶好の場所であった。
「おそらく、信長の本陣は、近いうちに、また移りうごくことであろ」
小谷山には、冷んやりとした夏の夜風が、ただよいながれている。
と、このとき……。
小谷城からも、磯野|員昌《のりまさ》ひきいる千余の部隊が出て行った。
これは、織田軍の去った虎御前山をかため守るためのものであった。
「兵を出すにはおよばぬ!」
と、しきりに制止する父・久政のことばにはかまわず、浅井長政が、
「虎御前をかためよ!」
出動命令を下したからである。
弥高へ向かいつつ、織田信長は、
「浅井勢が、虎御前山へ向かいました」
との報を受けた。
「小癪《こしやく》な長政め……」
馬上に、信長が、うめくようにいった。
こちらが遠ざかれば、それだけ出張って来る。つまり浅井長政は、
「どこまでも戦いぬくぞ!」
の決意を、この夜も歴然と信長にしめしたわけである。
「では、また、まいるぞよ」
赤尾曲輪の木立から、伊佐木は消えた。
そのとき、必要な忍び道具の入った革袋を、伊佐木は於蝶にあたえた。
夜がふけた。
お市の方も、子供たちと共に赤尾曲輪の屋形でねむりに入ったらしい。
非番の侍女たちは、まだ起きているが、於蝶は、
「上田の叔父に会うてまいります」
と、ことわり、屋形の外へ出た。
上田権内のむすめ・琴は、このところ夜昼なく、お市の方の居室につとめてい、権内ともめったに顔をあわさぬ。
権内は、
「琴は、あくまでも浅井の臣のむすめとして生きるがよい。この父が杉谷の隠し忍びとは思いもよらぬことゆえ、な……」
と、於蝶に洩らしている。
赤尾曲輪の木立の中で、於蝶は墨流しを身にまとい、若干の忍び道具を、土に埋めた革袋から出し、
(先ず、本丸へ……)
うるしのような木立の闇の中を、すすみはじめた。
本丸への道、通路には番所があり、警衛の士卒がきびしくかためているが、於蝶にとっては物の数にも入らぬ。
山林の中をぬって、本丸の崖下へ来ると、彼女は用意の鉤縄をつかんで投げた。
崖上の樹にからむのを引きたぐると同時に、於蝶は宙に舞い上り、わけもなく、本丸曲輪内へ潜入する。
ここにも番兵がいた。
いたが、警戒はゆるやかであった。
小谷山の頂上ともいうべき本丸なのである。
大胆にも、於蝶は彼らの背後二間とはなれぬ地点を横切り、天守の石垣から、するするとのぼりはじめる。
十年前に、あの小柴見宮内の小さな城へ潜入したときよりも簡単であった。
天守の三階、浅井長政の居室では……。
地図を前に沈思している長政の前に、気に入りの侍臣・渡辺小十郎のみがひかえている。
「もはや、おやすみになりましては?」
と、小十郎が声をかけた。
「うむ」
「赤尾曲輪へおはこびに?」
「いや、もはや、おそい」
「なれど、先程の御評定において、殿が、御隠居の大殿をはじめ、御老臣のかたがたを押えられ、虎御前山へ兵をさし向け、これをかためられましたること……渡辺小十郎、つくづくとお見上げ申しましてござります」
と、小十郎はしきりに長政の戦意を煽りたてるようなことをいう。
このとき、於蝶は長政居室の天井裏へ潜入していた。
いままでにも何度も見ている小十郎の顔であった。
中国の毛利家を浪人し、浅井家につかえたという彼は、戦場でも卓抜のはたらきをしめしているし、いえば浅井長政の秘書≠フようなかたちで、片時もそばをはなれぬらしい。
この渡辺小十郎を、杉谷信正は、
「むかし、どこかで出会うたような……」
そういったという。
これは、むかし信正が若いころ、諸方へ忍びばたらきに出ていて出会った男、つまり他の忍びであるらしいというのだ。
となれば、渡辺小十郎は甲賀の忍びではないらしい、と於蝶にも考えられる。
たとえ隠し忍び≠ノしても、杉谷信正ほどの人物の眼なら、すぐさま同じ甲賀の人か、人でないかを見わけてしまう筈だと、一応は考えられるからであった。
(すると……小十郎は伊賀の忍びか……?)
於蝶は緊張し、呼吸をととのえ、厚い天井板の隙間から、渡辺小十郎を見つめた。
「そちは、もうやすめ」
と、浅井長政が小十郎へ声をかけた。
「殿は?」
「わしは、いますこし……」
「御苦労のほど、お察し申しあげまする」
小十郎は誠意をこめていう。
実直そうな、しかも武勇にすぐれているらしい筋骨の所有者でもある小十郎の右頬の黒子が、於蝶にはよく見えた。
五十がらみの年配も彼に重厚さをあたえているし、長政が信頼しているというのも、
(むりはない。これは頭領さまの思いちがいではなかろうか……?)
ふっと、於蝶はそう思った。
「殿……」
「なにか?」
「朝倉勢は、いまだ到着つかまつりませぬが……」
「そのことよ」
長政も顔をあげ、一抹《いちまつ》の不安を双眸にあらわし、
「越前を発したことだけは、たしかに……」
「間に合いましょうか?」
「なぜじゃ?」
「殿は、あくまでも打って出て、信長と雌雄を決せんと……」
「いかにも……なれど、朝倉勢が小谷へ到着するまでは戦わぬ」
「では、もし、敵が再び虎御前山へ押し寄せましたるときは?」
「は、はは……そのときは、こちらも兵を引くまでのことよ」
「なるほど」
「気勢じゃ。いまの織田殿の気勢に、こなたも負けてはならぬゆえ、わしもな、父上へさかろうてまでも、織田殿に張り合うておるのじゃ」
自軍の戦意を決戦の日まで燃やしつづけていなくてはならぬ、と長政は考えているのだ。
これは一城の主として立派な考え方である。
「さ、そちはやすめ。もうよい」
長政がさらにいったので、渡辺小十郎は、
「では、ごめん下されましょう」
ようやく腰を上げた。
於蝶は、すばやく天守から外へ出た。
渡辺小十郎の後をつけるつもりなのである。
小十郎が、もしも織田方へ通じているなら、いまの浅井長政の言葉を至急に織田信長へ知らせねばならぬ筈であった。
本丸曲輪の木戸を出ると、山道が二つに分れる。
一は大広間を経て、小谷城の大手へ……。
一は、お市の方がいる赤尾曲輪へである。
本丸を退出して来る渡辺小十郎より先に、於蝶は潜入口から木立をぬけ、山道の左側、つまり赤尾曲輪口の石垣の蔭へかくれた。
木戸を、渡辺小十郎が出て来た。
小十郎は番卒の礼にこたえつつ、山道を大広間の方向へ歩み出した。
今夜の彼は非番なので、本丸の主君につきそっていなくてもよいらしい。
やがて、道の両側は鬱蒼《うつそう》たる杉木立となる。
ところどころに篝火が燃え、警戒の番卒の松明もうごいているけれども、於蝶が小十郎の後をつけるにはそれほどの邪魔にはならぬ。
と……。
大広間の方角から、松明をかかげた足軽らしい男が槍を抱えてあらわれた。
小十郎を見て、この足軽が敬礼をする。
礼を返しつつ、立ちどまった小十郎があたりを見まわし、足軽へ何かささやく。
うなずいた足軽と小十郎がうなずき合い、二人は何事もなかったようにすれちがって別れた。
杉の樹上から於蝶はこれを見とどけ、
(よし、足軽を……)
こちらへやって来る足軽の後をつけることにした。
足軽が、ついと山道から逸《そ》れた。
於蝶が見下している杉木立の中へ踏みこんで来たのである。
一瞬、
(さとられたか……)
於蝶は、ぎくりとしたが、そのとき足軽は松明を捨て、これを両足に踏みにじり、火を消してしまったものだ。
闇の中を、尚も足軽は奥へすすむ。
於蝶は栗鼠《りす》のように樹上から地へ下った。
杉木立は、やがて細長い草原となり、草原の向うは険しい崖であった。
その草原に、人影が一つ、浮きあがった。
「いたか」
と、杉木立を出た足軽が声をかける。
黒い影が足軽へ走り寄った。
二人は、ささやきかわした。
ややあって、足軽が、
「たのむぞ」
いいおいて、杉木立へ引返す。彼は於蝶がひそんでいる二間ほど向うを過ぎ去った。
暗闇の中で、於蝶は、この足軽の顔をはっきりと見とどけている。
(この様子では……渡辺小十郎のほかに、敵方の忍びがまだまだいるのやも知れぬ)
足軽の後はつけず、於蝶は杉木立を出て、草に身を伏せた。
黒い影は、うごき出していた。
崖ふちの岩には、すでに鉤縄がかけられてあった。
この縄をつたって此処《ここ》へ上り、また下ろうとしている黒い影なのだ。
崖の下は須賀谷《すがたに》とよばれる深い谷間で、このあたり谷間をおおいつくしている樹林には道もない筈である。
(さて、どうしようか……?)
於蝶の決断は、すぐについた。
渡辺小十郎から足軽へ、……そしてこの忍びへつたえられたことは、今夜の本丸における会議のことと、浅井長政が小十郎へ打ちあけた決意の内容であろう。
長政が、あくまでも今度の織田信長の挑戦を避けようとせず、みずから全軍をひきいて城を下って戦場へあらわれることこそ、信長がもっとも期待するところのものだ。
だからこそ、渡辺小十郎は、しきりに長政の戦意をあおりたてようとしているのだ。
これからも、浅井軍の作戦計画は、このルートによって絶えず織田の本営へ知らされるにちがいない。
(そうなると困る……)
であった。
この忍びと闘い、捕えて彼の本体をつかむことも考えてはみたが、
(いまとなっては、あやつめがどこの忍びであろうと、さしてかかわりあいのないこと)
と、於蝶はおもい直した。
(それよりも……)
この忍びを失うことによって、渡辺小十郎が、どのような行動に出るか、それを見張ったほうがよい。
鉤縄をつたい、黒い影が崖上から消えたのを見すまして、於蝶は身を起した。
一気に草原を走り、崖ふちへ伏せた於蝶が、ふところから短刀をぬき出し、崖の下をのぞきこんだ。
闇の谷間へたれ下っている鉤縄に忍びの躰の重味がかかっている。鉤縄をつかうからには、この崖の高さはかなりのものといってよい。
ためらうこともなく、於蝶は短刀で鉤縄を切断した。
忍びの悲鳴が、かすかにきこえた。
於蝶は耳をすました。
谷底の森林が落ちて来た忍びの躰を呑んだ気配が、於蝶にわかった。
鉤縄を手ぐって見ると、重かった。
(これは……?)
この鉤縄は渡辺小十郎一味が常備してあるものだと気づいた。
毎夜、一定の時刻に、城の中の一味がここへ来て鉤縄を下ろし、谷間から忍びが上って来る……となれば、忍びが去った後、この鉤縄を引き上げ、崖ふちの岩の下へかくしておく者がいる筈なのだ。
(では……先刻の足軽が引返して来るやも知れぬ)
於蝶は、もう少し、ここに待機してみるつもりになった。
足軽が引返して来たのは、間もなくのことである。おそらく、杉木立から山道へ出て見張りをしていたものだろう。
足軽は、岩にかけた鉤縄を手ぐってみて、手ごたえが無いので、ぎょっとしたらしい。
「あっ……」
低い叫びをあげ、崖ふちに伏せて下をのぞきこむ姿勢となった。
伏せていた於蝶の躰が、むささびのように草原を走って、いきなり足軽の両足をつかんだ。
「うわ……」
足軽の叫びが半分で消えた。
彼は、まっさかさまに谷底へ投げこまれていたのである。
於蝶は鉤縄の残部も谷へ投げこみ、すぐに赤尾曲輪の屋形へもどった。
木戸を通るとき、番士の一人か、
「於蝶どの、いまお帰りか」
「あい」
「上田権内殿はお元気かな」
「はい、おかげさまにて」
「今夜は涼しい。ゆるりとやすまれい」
「ありがとうございます」
浅井の将兵は、この山城へはこび上げた糧食もたっぷりとあるし、主の浅井長政が織田の大軍を迎えても、びくともせず、果敢に信長と対抗しているので、
「さすがに殿じゃ」
「なあに、織田はな、金銀はゆたかなものだが、戦さにはもろい。正面から槍をまじえたら、こちらのものだわ」
大いに気勢が上っているし、城にこもっていても、なかなかに元気がよい。
それに、朝倉の援軍が間もなく到着するというので士気旺盛となっているようだ。
翌二十三日の朝。
上田権内が赤尾曲輪の屋形へあらわれた。
むすめの琴が出て来て、
「あ、父上。昨夜は於蝶どのが、そちらへまいったようで」
いうや、権内はすかさず、
「うむ、うむ」
と、うなずく。
しばらくして、権内と於蝶は曲輪の木立の中で会った。
「昨夜、わしのところへ……?」
「いえ、本丸へ忍びました」
「そうか。先刻、琴にいわれて口裏を合せておいたが……それはさておき、昨夜から長柄組の足軽が一人、行方知れずとなったそうじゃ」
「ま。ふ、ふふ……」
「なにがおかしい?」
「その足軽、わたくしが須賀の谷底へ突き落しました」
「なんと……」
於蝶が、すべてを語ると、
「そりゃ、渡辺小十郎も、大変に困るであろうな」
権内も笑い出し、
「やはり小十郎は、敵方の隠し忍びであったのか」
「はい。おそらくは……おそらくは山中俊房どのの隠し忍びでありましょう」
うなずいた上田権内が顔色をひきしめ、
「おどろくな。悲しむではないぞ、於蝶どの」
と、いい出した。
上田権内の口調が只ならぬものに変ったので、於蝶も息をのむ。
「昨夜、伊佐木さまが、わしのもとに忍んでまいられてな」
「あい……?」
「善住房光雲様が、岐阜城下にて火あぶりの刑にかけられたそうな」
「えっ……」
「どこで、どう捕えられてしまわれたのか……あくまでも秘密のうちに岐阜へ送りこまれていたらしい。伊佐木さまもな、これは山中忍びの手にかかったのであろう、と、こう申されておじゃったぞ」
「………」
「それと知っておれば、どのようにしても善住房様をお救い申したものを、と、伊佐木さまは……あの気丈なおばばさまが、ぶるぶると、くちびるをふるわせて、な……」
於蝶は、こたえなかった。
(ついに……善住房さまは逃げきれなかったのか……)
逃げきれているなら、すでに、この小谷へ駆けつけている筈だし、杉谷屋敷へ帰った様子もないのは、何か異変が起っているにちがいないが、
「なに、善住房がむやみに死ぬわけがない」
と伊佐木は、この末弟を信じきっていたようである。
杉谷信正は、下忍びの村治というのを一人、甲賀と岐阜一帯に、
「善住房の行方をさぐれ」
と命じ、残して来た。
この村治によって、善住房光雲の死のしらせがもたらされたのだ。
於蝶にして見れば、彼の死を見とどけていないだけに、それをきいても実感がわいてはこなかった。
ただもう、あの永禄四年の川中島合戦に忍びばたらきをしたとき、鳥坂《とつさか》峠の山林の中で、善住房光雲が、
「於蝶よ。四十をこえたわしだが、好きな女ごは、お前ひとりじゃぞよ」
はじめて愛を打ちあけてくれた夜のことが、脳裡に浮かびあがってくるばかりなのである。
あの夜、
「抱いて下され」
と、於蝶は善住房にせまった。
しかし、この頭領さま≠フ弟はどこまでも甲賀・杉谷忍びの掟をやぶりきれず、たくましい両腕に於蝶の肩を抱きしめたのみで、すぐに闇の中へ消えて行ったのである。
あのとき、十九歳だった於蝶は、いま二十八歳の女ざかりになっているのだ。
(ああ……善住房さま……)
何人もの男の肌を知った於蝶だが、いま善住房光雲の死をきかされたとき、
(もう……もう二度と善住房さまのお顔を見ることはかなわぬのか……)
単なる思慕ではなかった。肉体をゆるし合わぬだけに、於蝶のような女にとって、おもいはさらに哀しく激しかったのである。
「あっ……見よ」
上田権内が、突然立って彼方を指した。
「うごきはじめたぞ。織田の本陣が弥高を下り出したぞ」
小谷の城にほら貝が鳴りひびきはじめた。
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そ の 前 夜
伊吹山の斜面から平野にかけて、びっしりとつらなっていた織田軍の戦旗が、ゆるやかにうごきはじめた。
「それ!」
浅井軍も、虎御前山にいた磯野員昌の部隊が平地へ押し出した。
敵の総大将・織田信長の本陣が弥高から下って来る。
小谷山の浅井方では、伝令がいそがしく行き交いはじめた。
織田の全軍が弥高をひきはらうのを見て、
「や……」
「横山城へ攻めかかるぞ」
浅井方は緊張をした。
すでに横山城は織田軍の一部に包囲されていたが、さらに信長は全軍をあげて、
「横山城をかこめよ!」
と、命令を下したのである。
小谷城の南三里をへだてて、北近江の平野へ張り出している山脈の尽きんとする頂点に、横山城がある。
この山すそは細く小さくなって姉川の手前へ落ちこんでいるが、この突端を竜ヶ鼻とよぶ。
信長は、ここへ本陣をかまえたものである。
つまり、敵の砦がある山の裾へ進出したわけであった。
「あ……もう、いかぬ」
横山城をまもっている浅井方の将・大野木秀俊などは、二千に足らぬ兵では、どうにもならず、
「応援をたのめ!」
またも狼煙《のろし》を打ち上げ、三里彼方の小谷の本城へ、援軍をもとめはじめた。
これを見て、浅井長政は、
「意気地のない者どもめ!」
舌うちを鳴らしたものだ。
長政は、ふっと、
(なれど……いまが一つの戦機であるやも知れぬ)
と、おもいもした。
織田方には、まだ徳川家康が参加していない。
家康が、どれほどの軍勢をひきいてあらわれるか、それはわからぬ。だが、おそらく二、三日のうちには精強をほこる徳川軍が、北近江の山野にあらわれるであろう。
こちらがちからとたのむ朝倉軍も、それと前後して小谷へ到着するにちがいない。
長政が、一つの戦機と感じたのは、
(いまここで、徳川と朝倉の両軍が到着せぬうちに、わしと信長殿とが決戦をおこなったらどうであろう……?)
と、いうことだ。
徳川軍の武勇は、長政も、よく承知している。
これが敵に加わったら、浅井軍は尚更に苦しくなる。
それにくらべて、浅井方を応援するため駆けつける朝倉軍は、
(徳川勢とくらべたなら、やはり劣るであろう)
と、長政は見ている。
けれども、朝倉軍は一万余。
(徳川軍は、どう見つもっても五、六千というところであろう)
数の上では、朝倉が倍ということであった。
そう考えてくると、
(決戦はやはり朝倉勢が到着してからのほうがよい)
浅井長政は考え直した。
たった一夜で弥高を引きはらい、織田軍が横山城を包囲したのは、こちらの出撃をさそっているのだ。
そのことを、長政も充分に承知している。うかつに、その手へは乗れぬ。
信長が竜ヶ鼻に本陣をかまえ終えたのは、この日の昼頃であった。
すると織田軍は、本陣を背にして前面へ押し出して来て、姉川の岸へ、細長いかたちに展開し、陣をしいた。
「さあ、出て来い」
といわぬばかりであった。
浅井長政は、虎御前山から押し出した磯野部隊へ、
「あまり前へ出ぬように」
指令しておき、さらに全軍へ、
「いつにても即座に打って出られるように仕度をしておけ」
と、つたえた。
小谷城の戦旗もうごきはじめる。
次に長政は横山城へ、
「決戦のときまでは、そのままにて待て。織田軍は決して攻めかからぬ。落ちついて待て。もしも決戦となったるときは、全軍決死の覚悟にて山を下り、織田勢のうしろから攻めかかれ」
狼煙をいくつも打ちあげ、およそ、こうした命令をあたえた。
このままの状態で、二十三日も夕暮れとなった。すると朝倉勢から派遣された急使が、馬を駆って小谷城へ入って来た。
「本軍は、おそらく明後二十五日の夜ふけまでには到着いたしましょう」
汗と泥にまみれた朝倉の使者は、長政にこうつたえた。
「明後日の、夜か……」
長政も、さすがに吐息をもらす。
こうなると、朝倉の援軍を一日でも早く迎え、作戦計画をたてたいのは無理もないところだ。
夜が来た。
浅井長政は本丸を出て、赤尾曲輪へあらわれた。
妻のお市や子供たちと夜をすごすためである。
その団欒《だんらん》のための酒や食物をはこびながら、
(渡辺小十郎は、どうしていようか……?)
於蝶は、苦笑いをした。
織田方への連絡をつとめていた、あの足軽と忍びが於蝶によってほうむられたことを、小十郎は知るまい。
しかし、今日の昼すぎ、
「大広間につとめておる長柄足軽のひとりが行方知れずとなりましたそうな」
などと、赤尾曲輪の侍女たちもさわぎたてていたほどであるから、むろん、小十郎の耳へも入っていよう。
(小十郎め、きっとおどろき、あの崖の淵《ふち》の鉤縄をたしかめに、いまごろは……)
そう思うと、その渡辺小十郎の顔が見たくなり、於蝶は居ても立ってもいられなくなってきた。
隙を見て、於蝶は屋形をぬけ出した。
赤尾曲輪の木戸にいる番兵たちは、於蝶がまた、上田権内をたずねるのだとおもい、
「叔父ごによろしゅうな」
「於蝶どのよ、近頃は肥えたのう」
などと、親しげに声をかけてくる。
「通行切手はございませぬが……」
「よいとも、通りなされ」
「では……」
難なく木戸をぬけた。
間もなく、於蝶は「大広間」へ向う道の左側……その杉木立の中へ駆けこんでいた。
「於蝶よ」
突然、頭上の闇から声が降ってきた。
「あ……おばばさまか」
「いかにも」
杉の木にとまっていたねずみのおばば≠ェ、音もなく飛び下り、於蝶の眼の前へ立つ。
おばばのふところで、ねずみが微かな鳴声をたてている。
「ほれ、そなたに可愛ゆらしいあいさつをしておるのじゃ」
と、伊佐木がねずみのことをいう。
「はい」
「どこへ行く?」
「おばばさまは?」
「いま少し夜がふけてから、そなたのもとへまいろうとおもうていたのじゃ」
「何か?」
「この城におるのも今夜かぎり」
「では、いよいよ」
「頭領どのが申すには、後のことはかもうなとのことじゃ」
「では、このまま、ここからおばばさまと共に山を下りまする」
「かまわぬかや?」
「はい、わたくしのほうは」
「ところで、どこへ行きゃる?」
そこで於蝶は手短かに、昨夜以来の事件や、渡辺小十郎のことを語った。
「なるほど」
伊佐木はうなずき、
「つい先刻、この杉木立の中を彼方へ行った武士がいる。それが渡辺小十郎とやらであろう」
「まさに……」
「行って見るかや」
二人は走り出した。
杉木立が尽き、崖ふちの草原があらわれた。
「いたぞよ」
伊佐木がゆびをあげた。
(ま……小十郎め、やはり、うろたえている)
於蝶は、笑いをかみころした。
あの崖ふちの岩まわりを、小十郎は行ったり来たりしていた。
小十郎は崖の下をのぞきこんだり、鉤縄を隠してある筈の岩の下の土を掘ってみたり、しきりに首をかしげつつ、あたりを見まわしたりしている。
織田方への連絡を自分と共につとめている足軽が、いきなり行方不明となったとき、そのときは、足軽が単独で、どこかへ忍びばたらきに出たと考え、小十郎は別に気にもかけなかったらしい。
ところが隠し忍びの足軽は、何時までたっても帰って来ないし、
「あの足軽は、敵の間者にちがいない」
などという声がおこりはじめた。
小十郎も、うっかりうごけなくなってきた。
しかし夜になって、小十郎は何か織田方へ通報することができたらしく、もうたまりかねて、ここへやって来たのだ。
足軽のかわりに、自分が鉤縄をたらしておこうとおもい、さがして見ると無い。
(これは……どうしたことだ?)
そこで、小十郎はあわて出したのである。
「さて……」
木蔭で、小十郎の姿を見つめながら伊佐木が、
「あの男、どうしてくれようかの」
「わたくしが、いまからこの城を去るとなれば、小十郎をこのままにしておいては……」
「うむ……あの男、どうも見おぼえがあるぞよ」
「頭領さまも、そのように申されておいでだったとか……」
「ふむ、ふむ」
二人のくちびるが、声もなくうごく。
「うむ……わかったぞよ」
「え……?」
「あやつめ、山中俊房の隠し忍びにて、高畑忠吾《たかはたちゆうご》と申すやつにちがいない。あやつの父親の茂右衛門は山中忍びの中でも知られた男でな、むかし、わが杉谷家と山中家が手をむすんで忍びばたらきをしていたころ、このおばばと共にはたらいたこともある。うむ、うむ……まさにあの男、高畑茂右衛門に躰つきがそっくりそのまま。せがれの忠吾にちがいないわえ」
「で……どういたしましょう?」
渡辺小十郎は、腕組みをし、深刻な顔つきとなって考えこみはじめている。
「よし……おばばにまかせておけ」
「はい」
「ここに待っていやれ」
いいおいて、伊佐木は草原へ伏せ、蛇のように、渡辺小十郎へ近寄って行く。
さすがに伊佐木の忍びわざだけあって、小十郎は立ちつくしたまま、危急のせまるのを全く知らぬ様子であった。
と……。
伊佐木のふところから二匹のねずみが走り出て、鳴声を発しつつ、小十郎の躰に飛びかかった。
「あっ……」
小十郎はおどろき、身をひねりつつ、ねずみたちを払い退けようとした。
このとき、小十郎は伊佐木へ向い、自分の躰の正面をさらしてしまっている。
それを待っていたのだ、伊佐木は……。半身を起した伊佐木の手から飛苦無が数個、闇を切り裂いて、渡辺小十郎へ襲いかかった。
「うわ……」
小十郎の絶叫も跡切《とぎ》れた。
数個の飛苦無のするどい尖端が、彼の喉、口、眼を一度に突き刺してしまったからである。
伊佐木が、小十郎へ飛びかかった。
声もなく……。
渡辺小十郎は崖の下へ消えた。
伊佐木に突き飛ばされたのだ。
「おみごとな……」
於蝶が草原へ出ていくと、
「何の……あのような隠し忍びなど……」
伊佐木は笑い、
「さ、これでよい」
「では、まいりましょうか」
「うむ、うむ……」
伊佐木がこの小谷城へ潜入する通行はまことに堂々たるもので、城内にめぐらしてある道を平気で歩いて来るのだ。
於蝶がみていると、
「さ、行きゃれ」
伊佐木はふところのねずみへ声をかける。
前方の木戸に立つ番兵へ向って、ねずみたちが走って行き、渡辺小十郎へ飛びかかったのと同じように鳴声を発して躍りかかる。
「あっ!」
「ね、ねずみが……こいつ!」
番兵どもがさわぐ一瞬の隙に、伊佐木はするりと木戸をぬけてしまうのである。
次の木戸へかかる山道を歩むうちに、ねずみたちは追いついて来て、伊佐木のふところへ飛びこむ。
このくり返しによって、伊佐木はやすやすと小谷城へ入ってくるのであった。
「わたくしが行方知れずとなったら……上田権内どのは、いかがなりましょう?」
「それはもう大丈夫。権内はな、先刻、頭領どのから浅井長政公へ申しあげ、すでに、この城を出ておるわえ」
「まあ……」
「権内がひきいる浅井方の二十名の兵も、な」
「二十名の兵……?」
「長政公がわれわれにあたえてくれたのじゃそうな」
「それに、われら杉谷忍びが……」
「そなたを入れて十二名」
「それだけの人数にて、頭領さまは、どのような戦さばたらきをなされますのか?」
「いまにわかる。なれど於蝶よ、こたびは、そなたも決死の覚悟をしてもらわねばなるまいぞえ」
「は……心得ております」
「このおばばもこたびは死ぬぞよ」
伊佐木は、馬洗い池≠ニよばれる曲輪の外へ出たとき、ふっと足をとめ、於蝶の顔をのぞきこむようにして、そういった。
その、しわがれた声にはゆるがすことのできぬ真実感がこめられている。
於蝶も、さすがに声をのんだ。
「於蝶よ」
伊佐木の両手が於蝶の手をつかみ、にぎりしめ、
「共に死のうぞ」
「はい」
夕方から曇りはじめていた空であったが、このとき、風絶えて雨が落ちてきた。
伊佐木と於蝶の姿が、小谷城から消えた。
小谷城から、敵の織田軍のうごきをながめると……。
眼下から南へひろがる北近江の平野の彼方、三里をへだてて、東寄りに味方の出城・横山城がのぞまれた。
伊吹の山すそが姉川のながれへ落ちる、その対岸の、竜ヶ鼻一帯を敵軍の戦旗が埋めつくしている。
東面は、伊吹山につらなる山なみが、幾重にも凹凸を見て、これが小谷の山にまでつながっているのである。
この東側の、もっとも小谷城に近い凸起《とつき》点が大寄《おおより》山であった。
その大寄山の向うは、くびれた形に山すそが引込み、東野《ひがしの》、法楽寺などの部落が山すそに点在している。
そのあたりへ、小谷城をぬけ出した於蝶と伊佐木が来たとき、
「あの山すその林の中に、上田権内が二十名の兵をひきい、隠れておるのじゃ」
と、伊佐木がいった。
「われらも、そこへ……?」
「いや、ちがう。権内たちはいざというときまで、あの林の中の百姓家へ隠しておく」
権内も兵たちも、このあたりの百姓姿になって、ひっそりと待機しているらしい。
間もなく戦争が始まるというので、このあたりの百姓たちは、みな逃げ出していた。
彼らの家は、いま空家同然といってよい。
雨が強く降りはじめた。
二人は、尚《なお》も南へすすむ。
前方に展開している織田軍の延々たる篝火が、見る見る近寄ってくる。
(頭領さまたちは、このように敵陣の近くにおいでなのか……?)
於蝶の胸は躍った。
「こちらじゃ」
つと、伊佐木が左手の木立へ入った。
そこは七尾山とよばれる凸起点の山すそであった。
敵の最前線から十町とはなれてはいまい。
七尾山の斜面を、伊佐木は、ぐんぐんのぼって行く。
闇の中から、小さな生きものの鳴声が走って来、於蝶と伊佐木へ飛びついて来た。
五匹のねずみが、二人を出迎えてくれたのである。
「おう、おう……夕餉《ゆうげ》はすんだかや」
伊佐木は、ねずみたちにはなしかけた。
山林に、雨音がこもっている。
「おばばさまか?」
黒い影があらわれた。
見張りに立っていた下忍びの若者・五郎である。
「おお……於蝶をつれて来たぞよ」
「頭領さまもお待ちかねでござる」
「そうかや……さ、於蝶。こちらじゃ」
山林は深くなってきていて、ふり返って見ると、織田軍の篝火も全く見えなくなっていた。
道もない杉林が尽きて崖となった。
その崖の一カ所に、人ひとりが入れるほどの穴が口をあけていた。
伊佐木が、するりと穴へ入りこむ。於蝶もつづいた。
腰をかがめて歩けるだけの穴の通路が右へ曲がったとき、前方がひらけ、灯《あかり》が人影を浮きあがらせた。
そこは十坪ほどのひろい洞窟になってい、杉谷信正を中心に五人の忍びがすわっていた。
「おお、もどられましたな」
信正が伊佐木へ声をかけ、
「於蝶よ。ながい間、苦労であったな」
「久しゅうござりました」
「さ、ここへまいれ。無礼講じゃ」
信正は洞窟へ入って来た二人へ酒をすすめ、
「今夜は先ず、ゆるりとねむれ」
といった。
伊佐木が、渡辺小十郎のことを語るや、信正は、ひざを打ち、
「なるほど、山中忍びの高畑茂右衛門のせがれでござったか。わしも、どうも見たような……と存じてな」
「小十郎のほかには、小谷城内へ山中忍びが入りこんでいる様子はござりませぬ」
と、於蝶。
「さようか。なれど、このあたりは敵陣にも間近い。うっかりとして敵の忍びに此処が見つけられたなら、われらのはたらきも水泡に帰するぞ。一同、くれぐれもこころをつけよ。よいか」
「見張りには、充分、念を入れております」
と、伊之作がこたえた。
ここに集結した杉谷忍びの名を記しておこう。
[#1字下げ]頭領・杉谷信正
[#4字下げ]伊佐木(信正の姉)
[#4字下げ]於蝶
[#4字下げ]新井丈助
[#4字下げ]伊之作
[#4字下げ]松右衛門
[#4字下げ]左平次
[#4字下げ]伝蔵
[#4字下げ]九兵衛
[#4字下げ]友造
[#4字下げ]又平
[#4字下げ]五郎
以上、十二名である。
「そうじゃ。於蝶がねむる前に、一応は隠し道を案内しておいたほうがよかろう」
と、杉谷信正は、
「丈助がよい。於蝶をたのむ」
「心得ました」
新井丈助が於蝶を手まねきし、洞窟の一隅につみ重ねてあった木箱をどけると、その下に三尺四方ほどの木蓋があり、これを引きあけると、穴が掘りこんである。
この穴へ、於蝶は丈助と共にもぐりこんだ。底は浅いが、横穴が掘られている。この横穴は、かなり大きく、腰をかがめれば、かなりの速度で歩行が出来るのだ。
「この隠し道を掘りあげるのが、一仕事であったわい」
と、丈助がささやいた。
横穴の距離は、かなり長い。
(よくも、これだけのものを十人そこそこの人数で掘りぬいたものだ……)
と、於蝶は、感嘆をした。
工事の日数もそれほどではなかった筈である。
(なるほど……)
こうなると、於蝶にもなっとくがゆきかけてきた。
おそらく、この横穴は、頭領・杉谷信正が、
「ここぞ」
と、見きわめをつけている浅井・織田両軍の決戦場へ掘りぬけているにちがいない。
「ここじゃ、於蝶どの」
新井丈助が、横穴の突き当たりへ立ちどまり、
「いま、この壁を打ち開けるわけにはゆかぬが……ま、ここへ来て、耳をすませてみなされ」
と、いう。
於蝶は土壁に耳をつけた。
水音……それも谷川のながれが、はっきりときこえた。
七尾山の渓流なのであろう。
「あの谷川のながれは、姉川へそそぎこんでいるのだ」
「では丈助どの。頭領さまは、この壁から出て谷川から姉川へ……」
「うむ。決戦は姉川を中にはさんでおこなわれようとの見こみなのだ」
「いままでは、お見こみ通りとか……」
「いかにも」
「なれど、これからもうまくまいりましょうか」
「この谷川は、佐野の村の南あたりで姉川へ合する。その対岸が、織田信長の本陣じゃと……頭領さまは見こみをつけておられるらしい」
「で、その時は?」
「明日、明後日ではあるまいな。それは、わしにも見込みがつく。織田には徳川、浅井には朝倉、共に援軍を待ってからのことであろう」
「はい」
「これからは、いそがしゅうなる」
「火薬も?」
「むろん、つかうとも」
うなずいた丈助は、於蝶の袖を引き、横穴を七尾山の洞窟へもどりながら、
「もっともむずかしいのは、決戦の前夜がいつか……それを間違いなく見きわめることだ。しかも……」
「しかも、その夜に雨が降ってはなりませぬな」
「雨が降れば、火薬がつかえぬ」
「火薬がつかえなくては、われらの戦さばたらきも徒労に終りかねぬ……な、丈助どの」
「その通りだ」
この夜……。
洞窟内で、伊佐木が於蝶に、
「髪を切って男の姿になったほうが、はたらきやすいか?」
と、訊いたのに対し、於蝶は、
「いえ、このままのほうが……」
と、こたえている。
「それもよかろう」
伊佐木も、あえて反対はしなかった。
男の忍びたちは火薬の仕掛けづくりに懸命であった。
翌二十四日の朝が来た。
また雨が、霧のように白くけむっている。
視界はきかぬ。
昼すぎになって雨がやんだ。
うす陽が洩れはじめた。
すると、織田軍がまたうごきはじめた。
姉川の岸辺にいた部隊も移動を開始し、少しずつ後退して行く。
小谷城の浅井軍が、
「信長め、なにをするつもりか……?」
見ているうちに、織田信長は全軍をあげて横山城へ押しつめ、
「今日こそは横山城を攻め落すぞ!」
というかまえを見せはじめた。
横山城からは、またも、
「救援たのむ」
の、狼煙《のろし》が打ち上げられた。
小谷城の浅井軍の出撃を、織田信長は執拗にさそっているのである。
小谷城では、会議がひらかれた。
隠居の浅井久政も側近の老臣たちをしたがえ、口うるさく意見をさしはさむので、
(うるさい父上じゃ)
浅井長政は、たまりかねたようだ。
そこで長政は、遠藤|直経《なおつね》を、ひそかにまねき、
「小谷にいては、なにかとやりにくい」
「いかさま」
「あのように父上が口をさしはさまれては、わしの采配も思うままに振れぬし、せっかく士気さかんとなった将兵にも迷いが出てこよう」
「いかがなされるおつもりで?」
「思いきって、わしは全軍をひきい、小谷城を下ろうと考えているのじゃ」
「攻めかくるおつもりでござるか?」
「いや……明日中には、おそらく朝倉勢も到着しようし、わしも、むざむざと信長殿の手にはのらぬ」
「では、山を下って、いずくに?」
「大寄山へ本陣をかまえようとおもうが、いかがじゃ」
「なるほど。大寄山なれば出るも引くも丁度よろしゅうござる」
「よし。では、ひそかに手配をいたせ。明朝、夜が明けきらぬうちに山を下る」
「はっ」
「そちは、手勢をひきいて小谷に残り、朝倉勢が到着したならば、すぐさま大寄山へ移すよう、はからってくれい」
「心得てござる」
深夜から、その準備がおこなわれた。
翌二十五日の未明……。
浅井長政は、約五千の軍勢をひきい、こっそりと小谷城を下った。
美濃山口から平地へ出た浅井軍は、小谷城の南を東へ通過し、夜が明けるまでには、大寄山へ陣をかまえ終えていた。
大寄山は、小谷城の東方、約一里のところにある。
朝の陽がのぼると……。
大寄山に浅井軍の戦旗がつらなるのを見て、
「や……出てまいったか」
織田信長は、獲物へ躍りかかる前の猛鷹のような眼つきになって、
「こなたも姉川の岸辺へ押しつめよ!」
と、叫んだ。
この日……。
織田軍は、姉川の線まで押し出して来たが、午後になると、またも後方へ移動し、横山城を包囲し直した。
しきりに、浅井軍の出撃をさそっているのだ。
けれども、大寄山に布陣をした浅井長政の本軍・五千は少しもうごかぬ。
朝倉の援軍は、まだ到着をしていない。
この援軍をひきいるものは、総大将の朝倉義景ではなく、一族でもあり家臣でもある朝倉|景健《かげたけ》であった。
「わしも、すぐに後からまいる」
と、朝倉義景はいっているそうな。
浅井長政としては、このさい、朝倉義景が全力を投入して、こちらを援けてもらいたいところだ。
長政は、妻の兄・織田信長に、そむきたくてそむいたのではない。
あくまでも、むかしからの朝倉家へ対する義理を重んじ、信長に刃向かっているのだ。
もしも、浅井長政という味方なくしては、越前の名家として天下に知られた朝倉家の滅亡は眼前にありといってさしつかえあるまい。
朝倉家にとっても、それほど危急存亡のときなのである。
この乱世に、節をつらぬき、友情を重んじて味方についてくれた浅井長政を援けるというよりも、みずからのために戦わねばならぬ筈であった。
この春。織田の大軍が、まさに越前領内へなだれこもうとしたとき、浅井長政が反旗をひるがえしてくれたので、一転、信長はいのちからがら逃走した。
そのときのことを、よくよく朝倉義景は考えて見ねばなるまい。
浅井長政は、
「朝倉の援軍は、総大将・義景公みずからが二万ほどもひきいられて、近江へ出陣なさるであろう」
と、もらしていたほどなのだ。
それが、一万の援軍になり、朝倉義景は、
「後から行く」
などといっている。
浅井長政としても、おもしろくないのは当然であろう。しかし、こうなっては、もう後へ引くことはならぬ。
二十六日の朝が来た。
この朝、越前からの援軍一万余が、ついに小谷城へ到着をした。
待ちかまえていた遠藤直経が、これを、すぐさま大寄山へ案内したので、隠居の浅井久政は、
「新九郎(長政の幼名)め、けしからぬ。わしをないがしろにしおって……」
激怒したそうだが、いまや、この老人の存在は両軍にとって何の影響もないことだ。
同じころ、戦場を目ざして急行しつつある徳川家康からも、使者の榊原小平太(康政)が馬を飛ばして織田の本陣へ駆けつけ、
「今夕までには、到着いたします」
と、信長へ告げた。
徳川家康は本軍のほかに高天神《たかてんじん》城主の小笠原長忠、作手《つくで》城主の奥平|貞能《さだよし》など、自分に従う武将たちの部隊をふくめ、全軍五千をひきいている。
織田信長は、家康の強兵をたのみにすること多大なものがあり、
「まだか……まだ到着せぬか?」
と、毎日いても立ってもいられぬほどに待ちかねていた。
家康の到着が遅れたことは事実であった。出発にあたり、徳川譜代の臣・本多平八郎忠勝は、主の家康に向い、次のように進言をした。
「老功の方々をさしおき、それがし出すぎたることやも知れませぬが、こころづきましたることを申しあげたく存じます。信長公は、ひたすらに殿をたのみ、わが徳川勢をたよりにしておられるようなことを申されておりますが……実は、こたびの戦さにて、殿が討死でもなされれば大よろこびでござろう」
きっぱりと、いった。
織田信長は、上杉謙信や武田信玄を恐れるのと同時に、むかしから自分の麾下《きか》にあって忠義をつくしてくれている徳川家康を、内心ではもっとも警戒している。
これは数年後のことだが……信長は無理難題を吹きかけ、家康の長男・信康を自殺させる羽目に追いこむようなことまでした。
むろん、家康がわが子をかばい、信長の命令をきかぬときには、断固として徳川を討つ決意であったろう。
だが、この当時の家康は、
「いまの自分には織田殿と戦うちからはない」
と考えていたし、織田との共同の大敵である武田家へ対抗するためにも、信長の怒りを買うことは、
「あくまでも避けねばならぬ」
で……。
信長の怒りとうたがいをとくために、ついに愛子・信康に腹を切らせてしまうのだ。
家康が、その悲痛な体験をするまでには、まだ数年を経過せねばならない。
だが、姉川出陣に際しての、本多平八郎が思いきって進言したその意中を、家康は充分にくみとっていた。
「平八郎。よう申してくれた」
「こたびの御出陣は、よほどに大切なことでござりましょう」
「いかにも、な……」
そこで家康は、一万余をしたがえて出陣するつもりでいたのを、その半数の五千に減じた。
もしも、自分が姉川で戦死をしても、本国に将兵を多く残しておけば、彼らが長男・信康をもりたてて、徳川の家もほろびることはあるまい。
出陣に当たって、徳川家康はそこまで決意をかためていたのである。
一方、大寄山の浅井本陣では……。
援軍の総指揮官である朝倉景健が、浅井長政へ、
「わが殿にも、間もなく越前を発し、ここへ駆けつけられましょう」
と、告げたけれども、その時日は明白でないのだ。
浅井長政は、もうこれ以上の援軍を、朝倉家にもとめぬことにした。
「これ以上は待てぬ」
と、長政が朝倉景健へ、
「南の彼方、一里半にある横山城はすでに織田軍にかこまれつくしている。横山城を信長に攻めとられてしまえば、われらは一層戦いにくくなろう。もはや、義景公の出馬を待っているわけにはゆかぬ。明日にも戦機をつかみ、打って出たい」
「それがしは、長政公の申さるる通りにはたらきましょう」
「さようか。では……」
すると、このとき浅井半助という家臣が、
「それがしは、かつて美濃の稲葉家の客となっていたことがござる。その折、織田信長の武略について、よくよく聞きおよんでおります。信長の戦術の素早きことは、さながら山猿が樹上を走るがごとしといわれ、機に応じ変を制することに長じ、いささかのゆだんもならぬそうな……ここは、いま少し我慢なされ、むざと信長のさそいの手に乗ってはなりますまい」
と、進言をした。
隠居の浅井久政たちがいたら、たちどころに浅井半助説へ賛成をしたろうが、ここ大寄山へ全軍をあつめてからは、浅井軍すべて、当主の長政の命令に服し、動ずるところがない。
「半助の申すことも、もっともなれど……」
と、長政はうなずいたが、遠藤直経はひざをすすめ、
「殿の申さるるように、いまはもう、ためらっているときではない。打って出て、たとえ一時なりとも敵陣を破り、そのときこそは、それがし敵陣へまぎれこみ、かならず……かならずや織田信長と刺し違えて見せ申す!」
この遠藤の発言によって、作戦会議の席上は大いに士気がもりあがった。
それと見て、浅井長政は、
「よし!」
凜然として一尺余の鉄扇を打ち振りつつ、
「打って出ようぞ。なれど、その時は、わしがきめる。いつにても敵へ打ちかかれるよう、用意をいたしおけい!」
ここに、断を下したのである。
そのころ、松明をつらねた徳川軍が、ようやく北近江ヘ入り、春照《しゆんしよう》の部落へ到着した。この村は伊吹山の南麓にあたり、二十三日まで信長本陣がおかれた弥高のすぐ下だ。
この春照から、いまの信長本陣・竜ヶ鼻までは約一里余。
徳川家康は、すぐさま馬を駆って竜ヶ鼻へ来、
「只今、到着いたしました」
信長へあいさつをした。
信長は、遅参をとがめるどころか、満面をよろこびに輝かせ、
「ようも、わせられたぞ。待ちかねたり、待ちかねたり!」
家康の腕をつかんで、労をねぎらったという。
この夜。
織田信長は、馳せつけた徳川家康に対して、
「いよいよ戦機も熟してまいったようじゃ」
独言のようにいい、今度は妙に冷ややかな光りを両眼にたたえ、
「諸手の陣備えは、すべて終り申した」
ぴしりといったものだ。
いままでは上機嫌でいた信長が、急に、家康の遅参をとがめるようなきびしい態度に変ったのである。
家康は、無表情のまま、
「左様でござるか」
おだやかにこたえる。
すると信長は、眼前の地図にしめされた両軍の隊形を指し、家康殿は敵軍のうちでも戦力の弱そうなところへ当たってもらいたい……などと、いい出したのである。
この信長のことばの中には、
(自分のために駆けつけて来ながら、五千そこそこの部隊で何をしようというのだ。徳川には、もっともっと大きな部隊編成がととのう筈ではないか)
という皮肉がこめられている。
徳川家康は、しばらくの間、無言で地図をながめていたが、やがて、
「はるばると援軍のため、駆けつけてまいりましたのに、わが弓矢の家名の甲斐もなき戦さをいたしたのでは何の御役にもたちますまい。ちから弱き敵に当るほどなれば、それがし、すみやかに国もとへ引き返したほうがよろしゅうございますな」
平静な声音であったが、信長の前でびくともせぬ気魄《きはく》がこめられていた。
織田信長は、すぐに、
「では、朝倉勢へ当たっていただこう」
「援軍同士の戦さ、ということになりますな」
「いかにも。浅井長政は、この信長の当面の敵ゆえ」
「ごもっともなるおおせ」
「なれど、朝倉勢は、およそ一万余。そこもとのみではこころもとない。わが麾下のものをそちらへ加えよう」
「いえ……」
家康は強くかぶりをふって、
「それがしの国は小さく、したがって戦さするにも小勢をのみつかいなれておりますゆえ、むしろ大軍を指揮することはやりにくうござる」
「ほう……」
「それにまた、気ごころも知らぬ人びとと軍略のことを語らうこともむずかしゅうござる」
「ふむ……」
「朝倉勢が何万騎あろうとも、それがしの手勢のみにて、見事、打ち破ってごらんにいれましょう」
信長は白い眼で家康をにらんだ。
むかしから、自分の威令に従属してきた徳川家康という大名が、このときほど大胆な気概を見せたのは、かつてなかったのである。
しかし、信長もだまってはいなかった。
信長は、すぐにいった。
「なれども、朝倉の大軍をそこもとの手勢のみにまかせたとあっては、この信長が天下の嘲者《わらいもの》となろう。そこもとのお役にはたたぬやも知れぬが、わが麾下のものを一人にても二人にても召し連れて行ってもらいたい」
断固たる口調であった。家康は、さからわずに、落ちつきはらったまま、
「では、稲葉伊予守|良通《よしみち》をお借りいたしたし」
即答をした。
「稲葉をな……」
「はい」
「稲葉は小身であるし、それほどの軍勢も持たぬ者であるが……よろしい。そこもとの望みにまかせよう」
「かたじけのうござる」
すぐに、徳川家康は本陣から去って行った。
信長は、ちょうど傍にいた木下秀吉(のちの豊臣秀吉)をかえり見て、
「徳川が、いかな苦戦におちいろうとも、かまわずにおけい」
するどく、いった。
その夜のうちに、稲葉良通は千にも足らぬほどの手勢をひきいて、徳川の陣営へ移って行った。
翌二十七日の早朝。
徳川家康は、春照の陣をひきはらい、竜ヶ鼻の信長本陣へ到着をした。
信長は、
「上坂《こうざか》に陣をかまえられたい」
と、命じる。
口ごたえをゆるさぬ厳然たる態度であった。
家康は承知をし、すぐさま上坂のあたりの小丘陵へ陣がまえをした。
姉川のながれは、三町の向うにあった。
このとき、家康を追いかけるようにして、信長の使者・福富《ふくずみ》平左衛門が馬をあおって駆けつけ、
「家康公はいずこにおわす?」
と、叫んだ。
「何事でござる」
応対にあらわれたのは鳥居四郎左衛門元信であった。
鳥居元信は家康の侍臣だが、気骨のすぐれた武士だ。
「それがしが御取次申そう」
元信が、こういったので、福富平左衛門は、これからの戦法について、
「わが殿よりの御諚《ごじよう》を申しわたす!」
高圧的にいい出そうとするや、鳥居元信は手をあげてこれを制し、
「わが徳川勢は、信長公御旗本よりの指図をうけてはならぬことになっております」
「なんといわれる」
「そのように、拙者はうけたまわっておる」
「では貴公、いまの一言に責任《せめ》を負いなさるか」
「いうまでもないこと。たとえ、拙者が仕そこなってもそれは拙者のみのこと。戦さに総負けするような、ぶざまなまねはいたしませぬ。もはや、何もうけたまわることはござらん」
元信は、決然といいはなった。
鳥居元信に突っぱねられて、福富平左衛門は、
「貴公の名は何と申される?」
激怒して問うた。
「鳥居四郎左衛門と申す。徳川の家中では物の数にも入らぬ男でござる」
「よし!」
福富は、馬を飛ばして本陣へもどり、
「けしからぬやつにござります」
と、織田信長に報告をした。
すると、信長は意外にも笑い出して、
「ふむ、なるほど」
しきりに、うなずいている。
「殿……?」
「いや、聞きおよんではいたが、聞きしにまさる」
「何と……?」
「徳川家康が、よい家来どもを抱えておるということよ」
さしわたしにして一里ほどしかはなれていない大寄山の浅井・朝倉連合軍にも、今朝になってから只事でない緊迫がただよいはじめている。
双方とも、姉川の岸辺近くまで斥候が出て来て、軍勢のうごきを見張っているのだが、以心伝心のうちに、浅井長政と織田信長という両軍の総大将が、
「戦うぞ!」
「いまこそ!」
と、戦機に乗りかかってきたことは、だれの目にもわかる。
大寄山の浅井・朝倉軍は、しかしまだ山を下ってはいない。
浅井長政は、本陣に諸将をあつめ、
「今夜半。全軍は食事を終えたのち山を下り、明け方までに姉川まで進むべし」
と、命令を発した。
これが、二十七日の午後であった。
さらに長政は、心きいた家臣の鵜殿《うどの》右馬之介という者をひそかによびよせ、
「法楽寺の村はずれの山すその百姓家に上田権内がおる」
「権内が……?」
「そうじゃ。そこへまいって、総攻めは明朝、空が白むころ……と、告げよ」
「はっ」
「それだけ申せばよい」
「心得まいた」
「ひそかに行け、なるべくはな」
「はい」
「夕暮れを待ってからのほうがよい」
夕暮れとなって、鵜殿右馬之介が法楽寺の百姓家に上田権内をたずね、長政のことばをつたえるや、
「たしかに、うけたまわった」
と、権内はよろこんだ。
「権内。何かおぬし、特別の御役目でもあるのか?」
「ま、そんなところで……」
「ふうむ……」
くびをかしげつつ、鵜殿は騎乗で大寄山へ引返して行く。
夜になるのを待ちかねて、上田権内は、
「一歩も出るな。たらふくめしをつめこんでおけよ」
と、二十名の兵たちにいいのこし、外へ出て行った。
行先は、杉谷忍びがかくれている洞窟であった。
上田権内からの知らせをきき、
「やはりのう」
杉谷信正はうなずき、
「わしも明朝とおもうていたが……それにしても、よう浅井の殿が、このわしに知らせてくだされたな」
「私も、そこまではと……いや、思いもよりませぬでした」
「よし、権内」
「は?」
「すぐさま、おぬしの兵二十名をここへ」
「かまいませぬか」
「かまわぬとも、はたらいてもらわねばならぬ」
「心得た」
と、権内は洞窟を出て行った。
「さて……」
杉谷信正は、杉谷忍びの全員をあつめ、
「いよいよじゃ」
と、いった。
「では、手筈の通りに」
新井丈助の指揮によって五名の忍びが隠し穴へもぐりこんで行った。
見張りに二名。
伊佐木と於蝶と五郎が、木箱の蓋を開けて火薬を取り出した。
湿気の多い洞窟の中に置かれてあっても、甲賀秘法の梱包によって火薬の効能に変化はない。
火薬のほかに、竹筒や木細工による、さまざまの形態をもった道具……。
さらに粘土をこねてつくりあげた広口の瓶のようなものや、紐、蝋、縄、紙などが洞窟の内部いちめんにひろげられた。
伊佐木が二人を指図し、火薬の仕掛けをはじめた。
間もなく隠し穴から、新井丈助たちがもどって来て、これを手伝う。
一名は穴の出口……すなわち七尾山の渓流に面したところにいて見張りをしているのであろう。
この出口の土壁を、いま、丈助たちは打ちこわしてきたのである。
「急げ」
と、杉谷信正もみずから火薬をいじりはじめた。
半刻後……。
上田権内が兵二十名をつれて、洞窟前の木立へあらわれた。
「ここで待つようにと、頭領さまのおおせでござる」
と、見張りに立っていた伊之作が、権内に告げた。
一刻(二時間)後……。
洞窟の中から出て来た於蝶が、
「権内どの。みなと共に早う」
と呼んだ。
「応」
権内は兵たちと洞窟へ入る。
中には伊佐木と新井丈助のみであった。
杉谷信正は他の忍びたちと隠し穴へ入って行ったらしい。
先刻までの火薬仕掛けの作業は終り、出来上った火薬は再び木箱十六箇におさめられている。
兵たちは、洞窟の中の異様な雰囲気に、眼をきょろきょろさせていた。
新井丈助が立って、十坪の洞窟内へつめこまれた兵たちに、
「いずれも上田権内殿からきいたことだろうが……いよいよ決戦は明朝ときまった。われわれは、浅井長政公のおぼしめしにより、特に別手のはたらきをすることになった。これよりは、おぬしたち、この新井丈助の指図によってうごいてもらいたい。よいな」
兵たちは、まだよく様子がのみこめないらしいが、うなずく。
「よし。では、ここの木箱を、この隠し穴から外へはこび出す。箱の中には火薬玉がつまっておるゆえ、持ちはこびには充分に気をつけられたい」
丈助がいうや、兵たちはざわめいた。
おどろいたというよりも、何か特別な奇襲作戦に自分たちが参加しているのだと思い、興奮したのであろう。
「急げ!」
丈助の声に、一同は木箱を隠し穴からはこびはじめた。
このとき、伊佐木と於蝶は洞窟の外へ出ていた。
二人とも百姓女の姿であったが、若干の忍び道具と飛苦無を革袋に入れ、これを肩から背に負い、その上から蓑《みの》を着ていた。
あとは素足にわらじをつけ、手にはふとい竹杖を持っている。この竹杖には、いうまでもなく仕込みの白刃がしのばせてあるのだ。
「於蝶よ」
と、伊佐木が、なまなましい夏の青葉のにおいにみちた木立の中にしゃがみこんで、
「ま、ここへおじゃれ」
「あい」
「いよいよ、じゃな。明日こそは、二人はなれずにはたらこうぞ」
「うれしゅうございます」
「まだ若い、お前を死なすにはしのびぬが……」
「何の……」
「こころ残りはないかや?」
「ございませぬ」
「杉谷忍びも、明日をもってほろびつくす」
「おばばさま……」
「甲賀の忍びのうちでも、われら杉谷の忍びは、小勢ながらすぐれた技術をもち、むかしから名うての家柄であった。なれど……なれど、むかしからの信義を重んじ、あくまでも観音寺さまにしたがい、小勢のはたらきに甘んじてきた。大きく移り変る戦国の世において、これはまことに、ばか気たことではあったなれど、頭領どのの気骨も買うてやらねばなるまい。山中忍びの下にでもついて、織田家のためにはたらくというようなことが平気で出来るお人ではないゆえな……」
伊佐木は、さびしげに笑い、
「わが弟ながら、杉谷信正は強情無類」
と、つぶやいた。
山中忍びのように大きな組織もなく、次第にふくれあがる戦争のスケールの大きさに応じ切れなくなった杉谷忍びなのである。
だが、生き残った十余名の杉谷忍びは、明日の決戦に織田信長の首を目ざして、最後の突撃をおこなおうとしている。
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姉 川
元亀元年(一五七〇)六月二十八日の午前一時ごろ……。
浅井・朝倉の連合軍は大寄山の陣をはらい、姉川へ向って前進を開始した。
その軍容は、次のごとくであった。
[#1字下げ]本陣(浅井軍)(約八千)
[#1字下げ]一隊 磯野員昌(約千五百)
[#1字下げ]二隊 浅井政澄(約千)
[#1字下げ]三隊 阿閑《あべ》貞秀(千)
[#1字下げ]四隊 新庄直頼(千)
[#1字下げ]本隊 浅井長政(約三千五百)
[#1字下げ]支軍(朝倉軍)(約一万)
[#1字下げ]一隊 朝倉景紀(三千)
[#1字下げ]二隊 前波《まえば》新八郎(三千)
[#1字下げ]本隊 朝倉景健(約四千余)
浅井長政は、こういった。
「兵一人につき二本の松明を持たせよ」
堂々たる進軍である。
浅井軍の、おびただしい松明のつらなりが、ゆるやかに大寄山を下りはじめたのを見た織田信長は、
「こなたも、姉川の岸へ押しつめよ」
布陣を急いだ。
織田軍の編成は……。
[#1字下げ]本軍(織田軍)(約二万三千)
[#1字下げ]一隊 坂井政尚(三千)
[#1字下げ]二隊 池田信輝(三千)
[#1字下げ]三隊 木下秀吉(三千)
[#1字下げ]四隊 柴田勝家(三千)
[#1字下げ]五隊 森可成(三千)
[#1字下げ]六隊 佐久間信盛(三千)
[#1字下げ]本隊 織田信長(約五千)
[#1字下げ]横山城・監視隊(五千)
[#1字下げ]支軍(徳川軍)(六千)
[#1字下げ]徳川家康(五千)
[#1字下げ]稲葉良通(千)
浅井軍は合計一万八千。
織田軍は合せて三万四千。
二倍に近い優勢をほこる織田軍ではあるが、このうち五千は横山城の浅井軍が戦闘に加わることを押えねばならぬ。ために、姉川の決戦場に闘う軍勢は約二万九千ということになる。
織田軍は午前二時すぎに前進をはじめ、総大将の信長も竜ヶ鼻の本陣をはらって、姉川へ向い、川のながれがゆるやかに屈曲し、川幅や水量が最も大きい地点を眼前にのぞむ小丘陵へ陣をかまえた。
川の対岸は、野村というところで、彼方の闇の中から、そのあたりを目ざして浅井軍が進みつつあるのが、はっきりとわかった。
徳川家康は、信長本軍の左方、約千メートルのところ(岡山)へ陣をかまえている。
徳川軍は、酒井忠次・小笠原長忠・石川数正が約千人ずつの兵をひきい、家康みずからは二千の本隊をしたがえている。
信長が応援につけてよこした稲葉良通を、家康は最後方へおいた。
「織田の助勢など、いらぬ」
と、いうわけだ。
この戦場における徳川軍は、兵力こそ少なかったけれども、
「織田軍などに、おくれをとってなるものか!」
すさまじいばかりの意気ごみであって、夜明け前の暗がりに布陣を急いでいる最中、供まわりの騎士をしたがえ各部隊を見廻っていた織田信長が、田圃の細道をすすむ徳川軍の酒井部隊を見つけ、
「敵を前にのぞみながら、物指《ものさし》のように細長い道を並んで行くとは何事じゃ!」
怒鳴りつけた。
すると、石原|十度《ずんど》右衛門《えもん》という酒井の家来が、
「信長公の先手は徳川家康。家康の先手は酒井でおざる。酒井の先手は、この石原十度右衛門でござるによって、なにごともおおせられず、ただただ先手におまかせ下され!」
信長に怒鳴り返したものだ。
さすがの織田信長も、これには呆気にとられ、ことばもなかったという。
織田軍の布陣は午前四時ごろに終った。
このころ……。
浅井軍も北国脇街道をぐんぐんと近づき、姉川の手前千メートルほどのところで二手に分れた。
一手は浅井長政ひきいる本軍で、これは信長の予想通り、野村のあたりへ布陣し、姉川をはさんで両軍の大将が向い合ったことになる。
一手は朝倉隊一万が、これも徳川六千の正面、三田の部落へ入って来た。
この年の六月二十八日は、現代の八月九日にあたる。
まだ朝の陽はのぼらぬが、空は白み、両軍のうごきは、互いに手にとるように見えた。
これより先……まだあたりが暗いうちに、七尾山の洞窟から隠し穴をぬけ、谷川へ出た杉谷忍びと、上田権内ひきいる二十名の兵は、木箱の中の火薬を、姉川をわたってはこび終えている。
それは、まだ織田信長の布陣が終る前のことであった。
「急げ」
「早う、早う……」
近づいて来る織田軍の松明の列を彼方にのぞみつつ、全員必死となって、火薬の仕掛けを急いだのであった。
さすがの杉谷信正も、こちらへ近づいて来るのが信長の本陣なのか、家康の支軍なのか、それはわからぬ。
(なれど、おそらく信長の本陣は、このあたりに……)
と、信正は直感をしていた。
いまは、迷うべきときではないのだ。
そして……。
織田軍が、このあたりへ展開し、布陣を終えたときには、すでに杉谷忍びたちは姉川をわたりもどって、どこかへ姿を隠してしまった。
朝が来て、両軍の陣形がはっきりと見えたとき、七尾山のすそにある森の中にいた杉谷信正は、傍の新井丈助をかえり見て、
「万事は、こなたの思い通りになったのう」
と、いった。
杉谷忍びも、上田権内たちも、諸方へ分散していたが、すべては頭領・杉谷信正の指揮によって整然とうごく手筈になっていた。
晩夏の朝の大気は冷たかった。
淡い水色の空に、波雲が浮いている。
戦闘の前の、緊迫をはらんだ両軍の沈黙の中に、伝令の馬蹄の音のみが、何か間のぬけた感じできこえている。
姉川は無心にながれ、山脈は、あくまでもしずやかに両軍を見おろしていた。
と……。
浅井長政の本陣から、一発の狼煙《のろし》が朝空へ打ち上げられた。
攻撃の合図である。
攻撃は、先ず朝倉軍から仕かけられた。
……う、わあっ……。
鬨《とき》の声をあげ、朝倉軍の三隊は、さらに十隊に分れて姉川を押しわたりはじめた。
当時、このあたりの姉川の水深は、ふかいところで一メートル余であったそうな。
「えい、えい!」
「おう、おう!」
声を合せ、朝倉軍の槍隊が川をわたりはじめると、これを援護するための鉄砲隊が岸辺に押しならんだ。
徳川軍の鉄砲隊も同様である。
両軍の銃声が、ひとしきり鳴りひびいた後は、
「それっ!」
徳川軍の先鋒・酒井忠次隊が、これも姉川のながれへふみこんで来て、朝倉軍を迎え撃った。
浅井長政、織田信長の本軍は、まだうごかぬ。
この日、大寄山を下るに当って、朝倉景健は浅井長政にこういっている。
「互いに大将の首、討って取れば戦さは勝ちにござる。今日の戦さに負けなば、朝倉・浅井浮かぶ瀬とてござるまい。それがしのはたらきぶり、とくとごらん下され」
その自信と決意は、いま開始された朝倉軍の攻撃を見てもわかる。
長槍をふるい、上から叩きつけるようにして進む朝倉軍の猛攻は、たちまち酒井隊を突きくずし、小笠原隊へせまった。
朝倉の騎馬武者も、いっせいに馬をながれに乗り入れる。
この猛烈な朝倉軍の攻めに圧迫される徳川軍を見て、織田の本軍も動揺しはじめ、明智光秀が信長の本陣へ馬を飛ばせて来て、
「それがし、馳せ向いましょうや?」
と、訊いた。
徳川軍への助勢をしては……と、いったのである。
すると信長は冷然として、
「かもうな、家康は、わしの援軍を好まぬわ」
吐き捨てるようにいった。
徳川軍では、三隊の石川数正が駆け向って敵をふせぎはじめた。
なんといっても二倍の敵軍を迎えての戦闘だけに、たちまち徳川軍は苦戦におちいった。
しかし、徳川軍は上下一体、無比の団結をほこる強兵であった。
「退くな!」
「押し返せ!」
本隊の徳川家康は丘の上にうごかぬが、他の三隊が力戦奮闘。ついに朝倉軍を姉川の岸へ追いあげるかたちとなった。
これを、野村の本陣からながめた浅井長政の采配がさっとうごいた。
「心得た!」
右翼にいた磯野員昌が千余の部隊をひきい、徳川軍・酒井隊の側面から襲いかかった。
兵力の少い浅井長政のほうが新手をくり出したのだ。
朝の陽が山なみからのぼりはじめた。
その陽光に、無数の槍、刀がきらめいて、姉川のながれを、おおいつくしている。
磯野隊の救援によって、酒井隊は大きくみだれ、たちまちに百十余人が戦死をとげてしまった。
これに勢いを得た朝倉軍が、
「曳《えい》、曳!」
「応、応!」
陣形をたてなおし、こちらの岸へ駆け上って来る徳川軍を突き退け、またも押し返す。
しぶきをあげて川中に倒れる軍馬のいななき……。
血飛沫《ちしぶき》が霧のようにけむり、両軍の将兵は一歩も退かぬ。
そのころ……。
戦場の東方二千メートルほどはなれた七尾山の森から、このあたりの百姓たちが避難しているといった姿で、男二人、女二人の百姓がむしろに包んだ荷物を背負い、駆けあらわれた。
伊佐木と於蝶に下忍びの五郎と又平であった。
彼方に、戦場の土けむりが濛々《もうもう》とあがっている。
「急げや、於蝶」
伊佐木は七十をこえた老女とも見えぬ速力で、姉川へ入った。
四人は、左へ迂回し、信長の本陣だった竜ヶ鼻を左手にのぞみつつ、川をわたり、わたり切ったところの木蔭へ身をかくした。
ここにも隠し穴が掘ってある。
この穴へかくれたのだから、近くに陣をかまえている織田軍の横山城・監視隊の兵の眼では、四人を発見することはむずかしい。
中には、四人を見た兵もいようが、女をまじえた四人の百姓にかまっていられるときではない。前方の戦場のことが気にかかってならぬ。
これは横山城にいる浅井軍も同じことであった。
かねて主人の浅井長政から、
「決戦ともなれば、山を下って敵の背後をつけ!」
と命じられていたけれども、二千の兵力では山を下りきれない。なにしろ五千余の織田軍が監視しているのだから、これを追いのけて戦場へ駆けつけねばならぬ。
「それよりもむしろ、ここにいて、五千余の織田軍を引きつけておいたほうがよい」
横山城にいる浅井の諸将は、このような理屈をつけて、戦さはやらぬことにしてしまった。
だが、横山城の考え方をきいたら、浅井長政は、
「ひきょうものめが!」
激怒したにちがいない。
負けてもよい。
全員戦死をしてくれてもよい。
横山城を敵にとられてもよいのだ。
この日の決戦は二度とやれないものである。
横山城の二千の兵力が山を下って、とにかく戦闘に飛びこんでもらいたい。
むろん、織田の監視隊五千にかこまれて苦戦するだろうし、そのまま全滅してしもうやも知れぬ。
「それでもよい」
と、長政は横山城へ申しわたしてあった筈だ。
いのちがけで山を下れば、二百や三百の兵が敵のかこみを突破して決戦場へ駆けつけて来られぬ筈はない。
また、もしもそれが駄目であっても、うしろの横山城で戦闘がはじまれば、織田信長もそのことに神経をつかわねばなるまいし、敵にも少なからぬ動揺が生まれよう。
(もしも、横山城の浅井勢が包囲を突きやぶって、うしろから攻めこんで来たら……?)
それを放りすてておくわけにはゆかぬし、そうした場合もあり得るのだ。
だからこそ、浅井長政は、
「おのれ、なにをしておるのか……」
彼方の横山城の味方がうごこうともせぬのを見て、
「もはや、横山城は見捨てたぞ」
と、いった。
陽のかがやきが強くなってきている。
朝倉と徳川の戦闘は、尚も飽くことなくつづけられていた。
磯野員昌の部隊が、まるで錐《きり》をもむように徳川軍の中央を突きやぶり、家康の本隊へせまっている。
織田軍にも動揺の色が濃くなったのを、浅井長政は見のがさなかった。
(今だ!)
と、長政はおもった。
いまこそ、敵も味方もわからぬまでの混乱戦にもちこみ、その隙に信長本陣へ突き入って信長の首を討つ……これあるのみだ。
浅井長政は愛馬にうち乗って、
「いまこそ!」
采配を強く振った。
ほら貝が鳴りひびいた。
陣太鼓が打たれる。
浅井軍約七千が四つに分れ、喚声をあげて、姉川へなだれこんだ。
それを見て、織田の本軍二万三千も展開しつつ姉川の岸へ押し出す。浅井軍の三倍の兵力なのである。
川のながれの中央で、両軍の先鋒がぶつかり合った。
鉄砲隊は互いに川岸をまわりこみ、いっせいに射撃をおこなう。
織田の先鋒隊が突きまくられて後退しはじめたのは(あっ……)と思う間もないほどであった。
開戦から、およそ二刻(四時間)が経過している。
浅井長政は、みずから長槍をふるって姉川へ馬を乗り入れ、
「退くな、退くな!」
と、下知をつづけた。
川をわたった浅井軍は、これが最後という捨身の闘志をみなぎらせ、
「信長の本陣を!」
しゃにむにの猛攻をかける。
一隊二隊と織田軍は突きくずされた。
さらに三隊を指揮する木下秀吉も、
「殿を、殿を……」
なんとかして主・信長の本陣の前へ立ちふさがり、浅井軍の侵入を阻止しようとしたが、ちからまかせに押しこんで来る敵に追い退けられてしまう。
姉川の両岸は、現在のように平坦な地形ではない。
二、三メートルの崖や木立、泥田などが錯綜《さくそう》しており、騎馬戦には不適当である。
泥田にはまりこみ、或いは断崖から転落する軍馬の哀しげないななきも、戦闘の阿鼻《あび》叫喚《きようかん》に消されて……。
「わあ!」
「うわあ……」
三隊の木下秀吉を蹴散らした浅井軍は、四隊(柴田勝家・明智光秀)の迎撃を物ともせず、
「いま一息じゃ!」
「本陣を……本陣を!」
狂人のように攻めこんで行く。
のこるは第五、第六隊のみの織田軍であった。
信長本陣の小丘陵に立ちならぶ戦旗も、あわただしくうごきはじめた。
このとき……。
いつの間にか、七尾山すその森の中から疾風のように駆けあらわれた一隊が、戦場の東側へまわりこみつつ、一気に姉川をわたりはじめた。
いまや戦闘は頂点に達してい、両軍とも、総大将が千メートル弱の近間《ちかま》に向き合っての激戦であるから、この不思議な一隊の出現に気づく者はいない。
一隊を指揮するものは、杉谷信正である。
これに、新井丈助・伊之作・松右衛門・左平次・友造の杉谷忍びと、兵十名がしたがっていた。
いずれも、はたらきやすい軽武装の上から木の枝などをかぶせて偽装している。
「あっ……?」
「あれは何か?」
信長本陣の東側についていた旗本組が、ようやく、この一隊に気づいた。
「怪しきやつどもぞ!」
「油断すな!」
いまは、前面の浅井軍に立ち向うのが精一杯のところなのだが、それでも五十名ほどの兵が、あわてて駆けまわって来た。
そのとき、杉谷信正は姉川沿いの崖下へ達している。
「いまじゃ!」
信正は、新井丈助に、
「かかれ!」
と、叫んだ。
そこへ……。
上田権内の兵十名が、息を切らせて駆けつけて来た。
彼らは長さ三尺ほどで筒状の、鉄製の道具を三箇、持ちはこんできている。
この道具は、甲賀の忍びが戦さばたらきにつかう火竜≠ニ称するもので、三つの穴をうがち、中には火綿・炭・あぶらなどの仕掛けによって、炎が燃えているのだ。
「そこだ!」
「崖の下におるぞ!」
織田の旗本たちと兵が、槍ぶすまをつくり、駆け寄って来た。
伊之作と松右衛門が火薬玉に点火して、彼らへ投げつけた。
だ、だあん……。
この火薬の炸裂には、織田の旗本も仰天したらしい。
度肝をぬかれて乱れたった。
これを見て、杉谷信正は、
「かねて打ち合せたる通り、これよりは各々、一心不乱に事をはこべ!」
と、命じた。
砂の河原の向うは崖となり、いちめんの木立の上に丘陵上の信長本陣の戦旗が、びっしりとならんで見えた。
河原へ押し出した信長旗本と兵たちが、つづけざまの火薬玉の炸裂にひるんだとき、
「急げ!」
杉谷信正をはじめ、五人の忍びが半弓をかまえた。
この矢尻に近い箇処へ、特殊な糊状のぬり薬をつけた紙の小さな袋がついてい、これに火薬を包み、口火をつけてある。
火竜の中の炎で、口火へ点火した矢を半弓につがえ、五人が同時に射た。
五本の火矢は、河原をへだてた崖の数カ処へ射こまれた。
射込んでおいて、一同は素早く伏せる。
一瞬の間をおいて……。
天地が張り裂けたかとおもわれる大音響がおこった。
昨夜半から未明にかけて、崖の数カ処へ仕掛けておいた火薬を、射込んだ火矢で爆発させたのであった。
織田の旗本、兵たちの半数が、この爆発に巻きこまれて吹き飛んでしまったらしい。
爆発と共に、もうもうたる黒煙りが吹き出し、これにまぎれて杉谷忍びたちは、さらに次の段階へ行動を移して行ったわけだが……。
両軍ともに、織田本営のすぐ近くでおこった大爆発には、驚愕もおびただしかった。
ことに織田軍の動揺は激しい。
一時はおどろいた浅井軍も、
「あれは味方の奇襲じゃ!」
大いに勇気づけられたものだから、士気もあがり、先刻からの奮戦の疲れも忘れて、たちまちに柴田・明智の第四隊を撃破し、信長本陣の北から西へかけてぐいぐいと割りこんで行く。
森可成と佐久間信盛のひきいる六千の部隊が、浅井軍の前面へ立ちふさがった。
いっぽう、徳川家康も朝倉軍に押しつめられて悪戦の最中《さなか》にあったが、
「や、信長公本陣が……」
得体の知れぬ爆発と黒煙をのぞみ見て、
(これは、いかぬ)
馬を乗りまわしつつ、
「小平太、小平太をよべ!」
と、叫んだ。
小平太とは、榊原康政《さかきばらやすまさ》のことである。父・長政の代から家康につかえている康政は、このとき二十三歳の若年であったが、その豪胆と武勇を徳川の家中で知らぬものはない。
「殿!」
榊原康政が馬を煽って馳せ寄るのへ、
「小平太。見たか、あれを……」
「はっ……織田公御本陣、只ならぬありさまにございますな」
「このままでは共倒れになる」
「はっ」
「この戦さは織田殿の戦さじゃ。なれど、負けられぬ。負けられぬぞ」
「いかさま」
「このままでは織田へ助勢もかなわぬ。なんとしても朝倉勢を押し返さねば……」
榊原康政は、頭から血の海へひたりこんだかのようだ。
兜の下の顔が、敵の返り血をあびて真赤になっている。
この日。彼は先手として奮戦したが、あまりに物凄い闘いぶりに乗っていた馬が脚をすくませてしまい、一歩もうごかなくなってしまった、といわれている。
仕方なく馬を飛び下りた康政へ、朝倉勢が槍の穂先をそろえて突込み、このため数カ所の手傷をうけたが、屈せずに家来の土井左衛門の馬へ乗り替え、尚も戦ううち、家康本陣が危険となったのを見て、
「殿が危い」
少し前に、家康の傍へ引き返して来たところであった。
「小平太。二百ほど引きつれて、あの……」
と、徳川家康は小わきにかいこんだ槍の穂先を上げて西方を指し、
「あのあたりから遠まわりにまわって、川をわたり、朝倉勢の横合いから突っこんでみよ」
「なれど、それは……」
「間に合えばよい。間に合わなくとも、もともとじゃ」
「はい……」
「それよりほかに道はない。行け!」
「承知!」
榊原康政は決死の覚悟となり、馬を返すや、
「つづけい!」
家康本陣をまもる手勢のうちから二百ほど引きぬき、一応、戦場を離脱して行った。
戦場からはなれ、西方の千草の部落のうしろをぬけてから姉川をわたり、そこから反転し、朝倉軍の側面から奇襲をかけようというのである。
榊原隊が家康本陣をはなれたとき、またも、轟然たる爆発音がおこった。
その爆発音は……。
杉谷忍びの伝蔵・九兵衛が、上田権内ひきいる兵十名と共に、信長本陣の背後から火薬を仕掛けたものであった。
信長本陣からは、かなりはなれた場所であったが、
「な、なにか?」
「これは、何者の……?」
織田の旗本たちも、本隊の将兵も一度に乱れたつ。
信長は、
「馬、馬を!」
甲高い声を張りあげた。
愛馬へ乗って槍をつかんだ。
「こなたからも打って出ようぞ!」
興奮した織田信長が、みずから本隊をひきいて駆け向おうとするのを、佐久間信盛が馬を寄せ、
「しばらく」
織田の馬のくつわをつかみ、
「いま少しでござる」
「はなせ!」
「敵勢の攻めも、いまが頂上にござる」
「だまれ。この本陣は、何ものか、朝倉の別手にねらわれておる」
「出て行かれましては、かえって敵の術中に……」
と、佐久間は必死でいった。
その通りであった。
信長の出撃こそ、杉谷忍びが待っていたところのものだ。
だが、佐久間信盛の諫言をきいて、
「うむ」
信長は、大きくうなずいた。
味方の苦戦・悪戦を見て、こころをたかぶらせてはいても、さすがに信長は冷静な大将の眼を忘れてはいない。
馬からは下りなかったが、出撃を思いとどまった。
浅井軍の雄叫《おたけ》びが、すぐ丘の下までせまって来た。
丘の上の旗本を振り返って、信長が命じた。
「こなたも迎え撃て!」
丘のすそから上へかけて、何段にも信長をまもっていた本隊が繰り出して行く。
織田の本隊は、はじめ五千の兵力から成っていたのだけれども、次から次へと戦線へくり出し、いまは二千そこそこに減じていた。
杉谷信正の、信長出撃の予想は適中しなかったけれども、
「どうやら当てが外れたようじゃが……頭領どのには最後の一つ、まだ一つ、考えがあるのじゃわえ」
姉川の岸辺の隠し穴から、戦況をのぞみ見たねずみのおばば≠フ伊佐木が於蝶にいった。
このとき、横山城・監視の織田軍のうち、氏家直元と安藤範俊の二将が竜ヶ鼻の向う側で、
「もはや、横山城の敵は下りて来ぬ」
「われら二人のみでもよい。手勢をひきいて御本陣へ駆けつけようではないか」
「うむ……なれど、殿の御下知なくしては……」
「かまわぬ。危急の場合じゃ!」
横山城・監視隊の氏家直元と安藤範俊が、自分たちだけの独断で戦場へ駆けつけるということは、さすがの杉谷信正も計算に入れていなかった。
第一、織田信長さえ、このことを考えてもみなかったのだから無理はあるまい。
信長は、
「横山城の浅井勢が、うしろから攻めかけて来たら、どうにもならなくなる」
だからこそ、おもいきって五千余の監視隊を横山城の山すそへ配置したのであった。
「よし!」
「では!」
氏家・安藤の二将は、合せて千五百ほどの部隊を、急ぎ編成した。
あとで信長に叱られ、腹を切れといわれてもかまわぬ、という決心である。
とにかく、いまの織田軍の危急をこのままに見捨ててはおけぬ二人であった。
それにくらべて、横山城の浅井勢は、
「かならず山を下って戦場へ……」
と、主人・長政の命令をうけているにもかかわらず、うごこうともしなかった。
そのころ戦場では……。
いったん戦場をはなれた徳川の榊原康政の部隊が、大きくまわって姉川をわたるや、
「われわれのはたらきぶりこそ、この決戦の勝負をきめるのだぞ。みなみな、そのつもりで戦え。いや、死んでくれい!」
榊原康政は、こういいわたし、
「つづけ!」
みずから先頭に立ち、猛然と朝倉軍本隊の左側面へ向けて突撃を開始した。
おどろいたのは朝倉軍である。
まさか、このように遠まわりをしてまで、敵の部隊が奇襲をかけて来ようとは考えてもみなかったのだ。
朝倉本隊は、にわかに乱れたった。
もっとも榊原隊の迂回作戦が、思いのほか短時間でやってのけられたことも幸いした。
隊長・榊原康政を中心に、
「わあ、わあ……」
鯨波《とき》をあげて、朝倉本隊へ突入したのを、のぞみ見て、
「いまじゃ!」
徳川家康は馬上に躍りあがり、
「この機をのがすな」
全員突撃を命じ、みずからも槍をかまえて朝倉軍へ突込む。
これを見て、苦戦をつづけにつづけていた徳川軍も、そこは団結力のつよい三河武士のことであるから、
「殿を死なすな!」
極限にきていたちからをふりしぼるようにして、ふるいたつ。
まるで桶の中で芋を洗うような混戦、肉弾戦となった。
夏の太陽は、ぎらぎらとかがやき、戦闘の熱気をさらに強烈なものとした。
「前波新八郎殿、討死!」
「真柄十郎左衛門殿、討死」
次々に、朝倉家でも世に知られた武将たちの戦死が、本隊の朝倉景健の耳へ入る。
ついに朝倉軍は退却をはじめた。
朝倉軍は、それまでの圧倒的な戦さぶりに、ついつい気がゆるみ、後続の部隊を押しつめておかなかった。
つまり、部隊と部隊の間に隙間ができていたのである。
榊原康政は、この隙間へ突入した。
そして、いきなり朝倉の本隊へ襲いかかった。
朝倉方では、榊原隊が二百そこそこの兵力だと見きわめがつかず、おそらく千を越えた新手の奇襲だと感じ、いっせいにみだれたったのだ。
そのとき……。
織田信長本陣のあたりで、三度目の爆発音がおこった。
この火薬爆発には、織田軍のみか、朝倉軍もまきこまれ、敵味方合せて二十余人が吹き飛ばされたが……。
「いまこそ!」
もうもうたる黒煙の中から、杉谷信正はじめ、四人の忍びと十名の兵が槍をかまえ、猛然と信長本陣へ殺到した。
同時に……。
本陣の背後から、伝蔵・左平次と上田権内がひきいる十名の兵も、手にした火薬玉を投げこみつつ、襲撃をかけた。
杉谷信正は、乱戦の中に、たちまち馬上の敵を突き落し、その馬をうばって飛び乗るや、
(信長の首を!)
あっ……という間に丘を駆けのぼった。
「ああっ……」
織田方のだれかが、驚愕の声をあげた。
馬上の信正が魔神のようにふるう槍先は、たちまち五名の士卒を突き倒している。
「く、くせものぞ!」
「と、殿を……」
どっ……と槍ぶすまをつくって、うしろの信長をかばう織田方の武者二十名ほどの横合いから、
「うおっ……」
おめき声をあげ、新井丈助たちが突き入った。
だれが投げたものか、つづけざまに火薬玉が破裂した。
杉谷信正は、神わざのような手綱さばきで馬をあやつり、
「曳《えい》!」
血けむりをあびつつ一気に、彼方の織田信長へ向って駆け寄ったが、
「おのれ!」
右下から走りかかった武者の槍が、ずぶりと信正の馬の横腹を刺した。
びゅっ……。
音をたてて馬の血飛沫がはしった。
馬が悲鳴をあげ、横ざまに倒れた。
信正は落馬する前に、槍の石突きを地につき、怪鳥《けちよう》のように宙にはねあがっている。
織田信長が槍をつかみ、顔面蒼白となって自分をにらみつけている。その顔を、空間に一回転しつつ、杉谷信正がはっきりと見た。
敵も味方も押し合い、押し合って信長本陣は砂けむりと黒煙に包まれつくしている。
(しとめた!)
と、杉谷信正はおもった。
宙を飛んで地に足をつけ、信正がきっと織田信長を見たとき、この二人は、わずか三間の距離をへだてて、その間をさえぎるものは何もなかったのだ。
信長が白い歯をむき出し、槍をかまえかけた転瞬……。
杉谷信正は片ひざをつき、右手につかんだ槍を投げた。
信長は、これを避ける余裕はない。
信正の槍は、的確に相手の胸板を突きつらぬいた筈で、だからこそ、
(しとめた!)
と、信正は感じたのである。
しかし……。
さすがの信正も、これだけのはたらきをするのが精一杯のところで、背後、左右に気をくばってはいられなかったのは当然というべきであろう。
信正の槍が、彼の手をはなれる一瞬前に、芋を洗うような混乱の中から、武者を乗せた軍馬が信正の腰をかすめて走りぬけたのである。
馬の脚に、信正の腰がふれた。
ふれたと同時に信正は槍を投げたのだが、そのために、彼の腕はわずかながら衝撃をうけずにはいなかった。
わずかに、杉谷信正の手もとが狂った。
ために……。
うなりをたて、一条の光芒となって空間を切裂きつつ、織田信長へ疾った信正の槍は、信長の喉もとをかすめて飛びぬけてしまったのである。
(しまった……)
信正は、歯をかみ鳴らし、全身返り血をあびたすさまじい姿をおこし、
「おのれ!」
すぐさま太刀を抜きはらい、
「信長覚悟!」
地を蹴って躍りかかった。
すべては、瞬時のことである。
槍を投げたとき、信長の前には邪魔なものは何一つなかったのだが、
「推参な!」
刀をふりかぶって襲いかかった信正の前へ、武者二人が立ちふさがった。
信正は、たちまちに、この二人を斬って倒したが……。
織田信長も、ようやくこのとき槍をかまえて身をたて直していたし、
「殿!」
信長の危急を見てとった武者たちが、折り重なるようにして、信正をはばんだ。
「うぬ!」
杉谷信正はまるで悪鬼の形相《ぎようそう》であった。
いま、彼の脳裡には何物もない。
只ひとつ、敵・信長へ向けられた闘志のみであった。
にぎりしめた太刀ひとつに、信正の闘魂が凝結し、織田の武者たちの血が、あたりいちめんにふりまかれた。
そのとき……。
しゃにむに織田の本営を目ざして猛進していた浅井軍が、にわかに浮足だち、隊列がみだれ出した。
これは、徳川軍の奇襲をうけて退却しはじめた味方の朝倉軍を見たからである。
さらに……。
「それ! 織田本陣を救え」
と、徳川家康は自分の本隊を二つに分け、一手はみずから指揮して朝倉軍を攻撃し、別の一手を本多平八郎忠勝にあたえ、
「平八。信長公本陣へ馳せつけよ!」
と、命じた。
「はっ!」
本多忠勝は五百余の兵をひきい、反転して織田軍と戦っている浅井軍の横合いから突入して行った。
「新手だ!」
「これは、いかぬ……」
「朝倉勢も退いているぞ」
いままでの闘志を忘れ、浅井軍はたちまちに押し返されはじめた。
このとき……。
横山城・監視隊の中から、氏家・安藤の二将がひきいる千五百の新手が戦場へ向って走り出した。
「こりゃ、いかぬぞえ」
姉川の岸辺の隠し穴から、これを見た伊佐木が、
「於蝶よ」
「はい!」
「もはや、これまでじゃ」
「はい」
「われらは、織田信長が、もしや戦場をはなれて、このあたりまで引き下ったときこそ、信長の首をねらわんと待ちかまえていたなれど……」
「横山城をかこむ織田方の新手が戦場へ向うとなれば、頭領さまも不利となりましょう」
「いや……もしやすると、すでに信長の首を頭領どのが討ちとったやも知れぬ」
「もしやすると……?」
「うむ。なれど……」
と、伊佐木は唇のあたりをひくひくと痙攣《けいれん》させていたが、
「討てなかったやも知れぬな」
うめくようにいった。
於蝶も又平も五郎も息をのみ、ねずみのおばば≠フ指図を待った。
「よし」
伊佐木が決然として、
「みな、隠し穴を出よ」
叫ぶや、隠し穴から飛び出した。
於蝶も、二人の下忍びも穴から走り出る。
「於蝶よ」
伊佐木が、於蝶の両肩へ、骨張った手をまわし、抱きかかえるようにしながら、
「お前を、ひとり前の忍びに育ててきた二十余年。またたく間であったのう」
おだやかに微笑をうかべ、やさしくいった。
「おばばさま……」
「うむ。よし、よし。ようもこれまで、このおばばにつかえてくれた。礼をいうぞえ」
戦場へ駆けつける監視隊の馬蹄の音がとどろきはじめた。
竜ヶ鼻の山すそから、織田方の救援隊が土煙りを巻きあげて走り出している。
「於蝶よ。われはこれより信長本陣へ駆けつけ、頭領どのに助勢するぞよ」
「はい」
「又平、五郎と共に、おばばを助けよ」
いいはなった伊佐木が岸の堤へ躍りあがった。
又平と五郎は火竜≠フ鉄筒をつかみ、あとへつづく。
於蝶も堤へ駆けあがり、手にした二つの火薬玉に点火するや、眼前にせまった救援隊の騎士たちの群へ投げつけた。
馬が、人が、吹き飛んだ。
「敵が伏せておるぞ!」
どっとさわぎたつ中へ、伊佐木の小さな躰が矢を切ってはなったごとく駆け入った。
伊佐木は、火薬玉の白煙をくぐり、一人の騎馬武者へ向って跳躍をした。
「うわ……」
忍び刀に斬って落されたその武者のかわりに、伊佐木は鞍にまたがり、刃を口にくわえ、両手に手綱をさばいた。
馬が竿立ちになる。
於蝶と二人の杉谷忍びは火竜≠ノ用意の火薬をつめこみ、これを抱えて人馬の列へ駆けた。
「ゆ、ゆだんすな!」
「くせものぞ!」
救援隊の先頭が、あわてふためいて散開しかけたとき、
「投げよ!」
於蝶が裂帛《れつぱく》の叫びをあげた。
又平と五郎が走りつつ、はずみをつけていた火竜≠フ筒を、ちからいっぱいに投げ飛ばした。
が、があーん。
数本の火柱が宙へあがった。
黒と黄の煙が噴出し、救援隊の兵、馬、槍などが、まるでなぎ倒されたように吹き飛んでいる。
この間に、伊佐木を乗せた馬は、五百メートル彼方の戦場へ向って一散に走り去った。
そして於蝶は……。
「投げよ!」と叫んだ自分の声を耳に入れた一瞬後、火竜の爆発と共に、彼女の躯も、又平・五郎も織田の兵たちと共に吹き飛ばされていた。
そのとき、於蝶は、心身のすべての知覚をうしなっていたのである。
於蝶たちの奇襲によって、いったんは混乱した救援隊も、
「われにつづけ!」
氏家直元が馬首をめぐらし、左へ左へと迂回しつつ、部隊をみちびいた。
たちまちに……。
この救援隊は戦場へ到着した。
さらに、徳川軍の後備につめていた稲葉良通も、本来ならば徳川家康の下知をまたねばならぬのだが、たまりかねて、
「かまわぬ、御本陣へ……」
千余の新手をひきい、浅井軍の横合いへ割って入った。
こうなっては、浅井軍も大勢をもり返すことが不可能となった。
浅井長政は、姉川のながれに馬を進めて指揮をとっていたが、
「残念!」
と、うめいた。
川の水しぶきは赤かった。
人馬の血が水の色を変えてしまったのである。
川岸の彼方から、浅井軍がぐいぐい押し返されて来る。
信長本陣の丘の上に、その周囲に、横山城・監視隊や稲葉良通部隊の戦旗が、びっしりと立ちならんでしまった。
右手後方に視線を転ずれば……。
味方の朝倉軍は、すでに姉川の線からほとんど兵をひき、退却にうつっている。
これを追う徳川軍の一部が、
「あれが浅井長政ぞ!」
「討ってとれ!」
早くも総大将・浅井長政の姿を望見し、川の中をまっしぐらに突進して来る。
(もはや、これまでじゃ)
ここに至って、長政も退却の命令を下さざるを得なかった。
「退けい!」
断固たる長政の声に、浅井軍は全速力で逃走をはじめる。
こうなると、先刻までの勇気が臆病に急変してしまうのが群集心理であって、逃げ返って来る味方の人馬に押し倒されそうになりながら、長政も馬首をめぐらした。
ただ、この浅井軍の中に一人の勇士がいた。
遠藤直経であった。
大寄山の作戦会議の折に、遠藤直経は、
「……それがし敵陣へまぎれこみ、かならずや、織田信長と刺し違えて見せ申す」
と、浅井長政に誓った。
遠藤は、この誓いを忘れてはいなかった。
退却しながら、彼は織田方の武者の死体から黄色の切割旗の指物をうばい、これを自分が背につけている指物と取りかえた。
今度の戦闘で、織田方の武者の多くが指物の色を黄にしてある。
乱戦中の同士討ちをさけるためだ。
指物を取りかえた遠藤直経は周囲の混乱にまぎれ、大胆にも只一騎、追撃中の織田軍へまぎれこんだものである。
彼は、織田の伝令をよそおい、一気に姉川をわたって南岸へ躍りあがった。
そのとき、遠藤は、岸辺の砂土に死体となっている浅井方の武者・三田村市郎左衛門を見出した。
三田村は織田・徳川の士にも知られたほどの豪勇の武士であったが、さいわいに首をとられていない。
遠藤は馬から飛び下り、
「市郎左、ゆるせ」
つぶやくや、僚友の首を掻き切った。
三田村の首を提げた遠藤直経は、我顔へ泥をぬりつけ、ふたたび馬へまたがり、
「浅井勢の士、三田村市郎左衛門を討ちとったり!」
大声を張りあげつつ、信長本陣へ向って疾駆した。
夢中になって朝倉軍を追撃している織田軍のだれもが、この騎馬武者をうたがおうとしない。
本陣の丘が、目の前にせまってくる。
すると遠藤は、
「御大将は、いずれにおわす!」
「あれに……まだ御本陣におわすぞ」
だれかが、遠藤にこたえた。
遠藤を味方の伝令とおもっているのだ。
「御大将……御大将のもとへ……」
信長本隊が、かためている丘のすそを、彼はおそるべき速力で駆けぬけて行く。
織田軍の兵たちは、道をひらいて遠藤の通過をゆるした。
あかるく、強烈な夏の午後の太陽が、戦場にみなぎりわたっていた。
泥と血にまみれた顔を見きわめる間もないほどの速さで、遠藤直経は丘の斜面を駆けのぼって行った。
このとき……。
「あっ……」
走り去った遠藤の横顔を、ちらりと見やった織田方の竹中重矩《たけなかしげのり》という武士が、
「あれは、遠藤直経……」
とっさの間に、見きわめた。
前に、織田と浅井の両家が親密であったころ、竹中重矩は主人・信長の使者として、何度も小谷城をおとずれており、遠藤直経とは個人的にも親しかった人物である。
この竹中重矩。木下藤吉郎秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛重治の弟だ。
「うわあ……」
得体の知れぬ叫びを発し、竹中重矩は馬腹を蹴って、遠藤の後を追った。
まわりにいる味方に、それと知らせる余裕もなかった。
間一髪の危急である。
早くも……。
遠藤は、丘の上へ達した。
織田信長の姿を、群れあつまっている将士の間に、彼は見出した。
これ以上、馬に乗っているわけにはゆかない。
馬を飛び下り、槍の柄をつかみ直しつつ、
「御大将はいずれじゃ。御注進!」
と、わめいた。
わめきつつ、進んだ。
見る見る信長の姿が近づいて来る。
「何事か?」
信長が床几から立ち上った。
竹中重矩が馬を乗りあげて来たのは、このときであった。
「だあっ!」
怒鳴り声と共に、竹中は馬の背から遠藤直経の躰へ飛びついた。
将兵がおどろき叫びをあげる中を、二人は組み合ったまま、ころげまわった。
遠藤の槍は、はね飛ばされている。
二人は短剣を引きぬき、猛獣と化して組み打った。
まわりにいる人びとが手の出しようもないほどに、それは凄絶をきわめた闘いであったが……。
闘いの時間は、ごく短かったといえる。
わが両脚をからめて敵の下半身の自由をうばった竹中重矩が、
「直経、覚悟!」
短剣を直経のあごの下から突きこんだ。
遠藤直経の絶叫が、哀しげに尾をひいて……ぴたりと跡切《とぎ》れた。
ふらふらと立ちあがった竹中は、精根つきたかたちで、そこへまた坐りこんでしまったものだ。
のちに、織田信長は、こういっている。
「先ごろ、越前攻めから京へ逃げもどったとき、わしは、こたびこそは死損うた……と思わず申したが、今日の戦さでは一度どころか二度、三度と死損うた。よほどに、わしは悪運つよい男と見える」
冗談めかした言葉の中に、真実の迫力がこもっている声音であったという。
浅井・朝倉の両軍は、まっすぐに小谷城へ敗走した。
織田・徳川の両軍は追撃の手をゆるめずに、大寄山から虎御前山にかけて展開しつつ、逃げおくれた敵兵を、片端から殲滅《せんめつ》した。
戦闘は午前六時前にはじまり、午後二時ごろ終ったといわれている。
戦死者は、浅井・朝倉軍が約千八百人。戦傷者は数え切れぬ。
織田・徳川軍が八百余人。
織田信長は、
「浅井・朝倉は、もはやほろびたるも同然である」
といい、全軍をおさめ、敵方の首級をあらためた後、徳川家康をまねき、
「こたびは、そこもとの奮戦によって勝利をおさめることを得た。かたじけない」
率直に礼をのべ、全軍を竜ヶ鼻へ集結せしめた。
「一挙に小谷城を攻め落しては……」
と、進言するものもいたが、信長は強くかぶりをふって、
「小谷のけわしい山城へ逃げ帰った浅井勢を討つことは、むずかしい」
と、断を下した。
横山城の浅井軍も城を信長に明けわたし、その交換条件として、小谷城へもどることをゆるされた。
信長は、木下秀吉を横山城の守将として残し、全軍をひきいて北近江の野から去った。
戦場を、夜の闇が包んだ。
傷ついた軍馬の悲しげな声が、その闇の中からきこえている。
そして……。
杉谷忍び十二名の姿は、戦士数千の血を吸った姉川の戦場のどこにも見出すことができない。
夜ふけてから、雲が星をかくし、沛然《はいぜん》たる豪雨が北近江の野をおおった。
[#改ページ]
八 年 後
姉川の戦争から、八年の歳月がながれた。
この八年の間におこった出来事を記しておきたい。
姉川戦のおこなわれた元亀元年の暮に、織田信長は、将軍・足利義昭の希望をいれ、一時的に、浅井・朝倉の両家と和議をむすんだ。
信長は、甲斐の武田信玄の進出を、例により徳川家康を利用して食いとめつつ、比叡山の勢力をいっきょに破砕するため、天台宗の総本山である叡山を焼き打ちにするという思いきったことをしてのけた。
元亀三年になると……。
信長が、いよいよ小谷城の処理にかかる。
そして、将軍・義昭にも、十七条からなる弾劾書をつきつけた。
「これからは、なにごとも、この信長のゆるしを得ずに勝手なふるまいをしてはなりませぬ」
と、きめつけたのである。
そして翌年になると、将軍を京都から追放してしまった。
織田の大軍は小谷城へ押しよせ、浅井長政も、おとろえつくした兵力をもっては到底、これに立ち向うことができぬと知って、
「これまでである」
いさぎよく、小谷城に切腹をとげた。
小谷は落城し、長政夫人・お市の方は三人の女子をつれ、兄・信長のもとへひきとられた。
これは、死にのぞんで浅井長政が、
「子たちのために、生きのびてくれ」
と、いいきかせたからである。
お市の方と共に生きのびた三人のむすめのうち、長女は豊臣秀吉の側室・淀の方となり、次女は京極高次の夫人、三女は三度目の結婚によって徳川二代将軍・秀忠夫人となる宿命をになっている。
ここに浅井家はほろびた。
次いで、朝倉義景も信長によって討滅されたのである。
その数年間に、織田信長がおそれていた大敵が次々に死んでいった。
甲斐の、武田信玄
中国の、毛利元就
関東の、北条氏康
これらの、有力大名の死……ことに武田信玄は、上洛を目ざしていよいよ腰をあげかけたときであったし、信長もあたまのいたいところであったわけだ。
その信玄が急死したことは、
「天下は、これで織田のものとなった」
と、だれの目にも見てとれたことだし、信長自身の活動も、信玄の死後にわかに急テンポとなってゆくのである。
信長は、尚も京都経営の手をやすめず、同時に、朝倉ほろびてのちの越前の守りもかためていった。
のこる大敵・上杉謙信が北陸道から越前へ攻めこんで来ることを、信長はもっとも警戒した。
武田家は信玄亡きのち、子の勝頼が後をついだけれども、もはや以前の威力はないといってよい。
武田信玄や北条氏康の死は、越後の上杉謙信へも影響をあたえずにはいない。
上杉にとっては、むろん良い意味での影響である。
うるさく、執拗に、信州や関東に出没しては、謙信を苦しめぬいてきた武田信玄であった。
上杉謙信は、ながい間の念願であった北陸の制圧へ本格的に乗り出しはじめた。
越中(富山県)や加賀(石川県)への出陣が多くなった。
これは織田信長にとって、非常な脅威である。
しかし信長は、
「ごきげんは、いかがでござるか」
などと、たびたび使者を越後へさしむけ、上杉謙信へ贈物をとどけたりしていた。
京の都に強烈なあこがれを抱いている謙信へ、
「狩野永徳が、京の都の図を屏風《びようぶ》にえがいたものをお贈りします。お気に入って下さるとうれしゅうござる」
と、かの「洛中洛外図」の屏風を贈りとどけたのも、このときだ。
だが、信長の天下取りの前に立ちふさがる只一人の強敵といえば、上杉謙信をおいてほかにない。
いままで、謙信は武田信玄という宿敵に対抗するため、信長と手をむすんできた。
けれども、織田・上杉の共同の敵たる武田信玄が死んでしまえば、いずれにせよ二人は敵対せねばならぬ。
こんなはなしが、いまものこっている。
信玄の死をきいたとき、上杉謙信は春日山にいたが、
「城の堀を深くせよ」
と、命じた。
家来が、
「なぜに?」
問うや、謙信は、
「信玄なきのちは、天下の耳目がわれにあつまるからである」
いいはなった。
つくりばなしであるか知れぬが、謙信としては当然の気がまえというべきだろう。
信長は信長で、
「近きうちに、越後の凶徒を討つぞ」
と、安国寺|恵瓊《えけい》に語っている。
上杉謙信を凶徒よばわりをしているのだ。
織田・徳川の連合軍が、武田勝頼と長篠《ながしの》に戦い、新兵器の鉄砲を大量に使用し、圧倒的な勝利をおさめてからは、信長は、
「いつでも戦うぞ」
という態度をしめしはじめた。
京都を追われた足利義昭は、しきりに、謙信へ、
「上杉のちからをもって織田信長をほろぼし、天下に平安をもたらしてくれるよう」
と、いい送ってくる。
天正四年十二月。
織田信長は内大臣の位につくことを朝廷からゆるされた。
天正五年……。
上杉謙信は、能登の七尾《ななお》城を手におさめた。
能登半島の東岸、七尾湾にのぞむこの城は、むかしから能登の国の守護・畠山氏の本拠であった。
前年の秋。
上杉の軍団が北陸へ進み、七尾の支城をつぎつぎに攻め落し、ついに七尾城へせまったが、海抜三百メートルの城山は急峻にかこまれた要害であるし、
「すぐには攻めとれまい」
年があけてから、謙信は一度、春日山へ引きあげたのである。
そして、夏が来ると疾風のような速力で越後から急行し、あっ……という間もなく七尾城を包囲してしまった。
上杉軍が関東で北条軍と戦っているときいた七尾城の畠山軍は、おどろいて城へたてこもったが……。
折から伝染病がひろがり、城主の畠山義春(五歳)や後見の二本松伊賀守(義春の叔父)まで、伝染病にかかって急死をしてしまった。
多くの城兵が同様に死んだらしい。
重臣の長綱連《ちようつなつら》は、弟の連竜《つらたつ》をよび、
「かくなっては、一刻も早く織田公に援軍を……」
すぐさま、連竜を乞食に変装させ、織田信長のもとへ走らせた。
このとき、信長は新しくきずいた近江の安土城へ移っている。
信長もすてておけぬ。
七尾城を謙信にとられては、加賀の国をとられたのと同様だし、そうなれば越前、近江と、上杉軍の進撃路は貫通してしまいかねない。
「急げ」
と、信長は木下秀吉あらため羽柴秀吉に五千の兵をあたえ、密使の長連竜と共に七尾へ急行せしめた。
そのころ、上杉謙信は早くも手をうっている。
つまり、前々からひそかに上杉方へ通じていた七尾城の遊佐続光《ゆさつぐみつ》と温井《ぬくい》景隆へ密書を送り、
「わしに味方をしてくれれば、畠山家の領地をあなたたちへあたえよう」
と、いってやったのである。
これをきいて、遊佐と温井は決意をかため、にわかにクーデターをおこし、重臣・長一派をみな殺しにしてしまったものだ。
こうして殿さまが病死してしまった七尾城は、家臣たちの争闘により、わけもなく上杉謙信の手へころげこんだのである。
正直一方の戦さばかりしてきた謙信にしては、めずらしく謀略をきかせて成功したわけである。
一方……。
七尾に向って急行する羽柴秀吉ひきいる織田軍は、このことをまったく知らない。
懸命になって駆けつけて来る。
「織田軍が湊川《みなとがわ》をこえて進んでまいります」
との報に接した上杉謙信は、
「よし、蹴散らしてくれよう」
すぐさま、七尾を発して加賀の国へ入った。
こうして、上杉軍と織田軍の初めての戦闘がおこなわれることになった。
湊川は現・手取《てとり》川で、金沢市の南西約五里のところにながれている。
この川をわたったところで、織田軍は七尾落城のことを知った。
「そうか、それは困った……」
羽柴秀吉、いうまでもなく後の豊臣秀吉だが、
「謙信に七尾をとられたのでは、これだけの兵力で立ち向ったところで、どうにもなるものではない」
損な戦闘は決してやらぬ秀吉だけに、
「ともあれ、安土へ引き返そう」
と、引きあげの命を下した。
上杉軍が突如としてあらわれたのは、このときであった。
「それ、突きくずせ!」
上杉謙信みずから指揮する越後の強兵が、猛然と突撃して来た。
いかに羽柴秀吉でもふせぎきれない。湊川を背にしていたし、しかも、豪雨のあとで川水があふれているのだ。
この川をわたっている最中に攻撃をかけられたのだから、たまったものではない。
織田軍の戦死は千人をこえたといわれ、川におぼれたものは数えきれなかったという。
織田軍は、いのちからがら逃げ帰って行った。
余勢を駆って、上杉軍は越前の坂井郡まで進出した。
「間もなく、越前もわがものとなるであろう」
と、天下にしめしたのであろう。
やがて、能登へもどった謙信は七尾城を修築し、ほろびた畠山一族へも、やさしいいたわりをこめて面倒を見てやっている。
九月十三夜の名月を見て、上杉謙信がつくった「霜は軍営にみちて秋気清し……」の漢詩は、このときのものというが、真偽はわからぬ。おそらく後世の人の作詩であろう。
この年の十二月。
上杉謙信は春日山へ凱旋をした。
長年にわたる北陸の平定も、七尾城攻略によって大きく飛躍を見せたし、関東も間もなく、
「わが手中におさまる」
との確信を得て、謙信は満足すると共に、大きな自信を得たというべきであろう。
それにしても、関東は、もう一息のところがむずかしい。
北条氏康は死んだが、その子の氏政が徳川家康とむすび、相変らず上杉に刃向っている。
「来年は、なんとしても関東の目鼻をつけよう!」
と、謙信は決心した。
(そして、いよいよ織田信長を相手にせねばなるまい)
であった。
上杉謙信は、このころ、ひどく健康を害していたが、来年春の関東出陣を前にして意気さかんであったという。
天正六年の年が明けた。
すなわち、姉川合戦より八年目ということになる。
上杉謙信は、正月十九日をもって、
「……ようやくに、能登・越中・加賀の国々も自分のおもうようになったし、越前の半分ほどは、我が手に帰したといってよい。信州には、まだ武田の手が入ってはいるが、信玄亡きのちの武田勢などは何程のこともない。ゆえに、今年こそはいよいよ関東平定のため、晩春ころには関東へ出陣する。みなみなもそのつもりで、ぬかりなく仕度をととのえてもらいたい」
麾下の諸将へ令書を発した。
この動員令をうけた諸将から、続々と請書《うけしよ》が春日山へとどけられる。
二月にはいってふしぎなことがおこった。
上杉謙信が、わざわざ京都から絵師をまねき、自分の法体《ほつたい》の肖像画を描かせはじめた。
早春の気配が、越後の山河にも日毎に匂いたつそのころ……。
「どうも、御屋形の御顔の色がよろしくないな」
「夜もよくおやすみになれないそうな」
家臣たちが、うわさをするようになった。
小姓たちのことばによると、食欲もすぐれぬらしい。
それでも謙信は、根気よく、毎日きめられた時間に絵師の前へすわり、画像の完成をいそがせている。
そして、謙信は、
「出陣は三月十五日である」
と、発表した。
春日山城下は、かがやかしい関東出陣を前にしてわきたっていた。
上杉の家臣たちも、
「これからは、何事も御屋形のおもいのままとなろう」
「北陸と関東が、わがものとなれば、いよいよ織田信長との決戦を待つばかりじゃ」
「上杉が天下をおさむる日も近くなったな」
ながいながい間の期待と希望が、もう一息で達せられようというこころが、雪とけて春光みなぎる季節を迎え、尚もあかるくふくらむのである。
岡本小平太もいそがしい毎日を送っていた。
小平太は三十四歳の壮年に達している。
だが、小平太には、いまもって妻もなく、子もない。
あの川中島合戦のおこなわれた永禄四年から、十七年の歳月がながれていた。
彼の戦歴はすばらしいものであったが、立身や出世に対しては無関心の小平太だけに、五十名ほどの家来の主として、むかしのままの屋敷に住み暮らしている。
上杉軍の出陣の用意がすべてととのった三月八日の夜ふけのことであったが……。
すでに寝所へ入っていた岡本小平太は、よくねむっている。
小平太は夢を見ていた。
彼は、於蝶と夢の中にいた。
夢の中で、血のにおいがしている。
血なまぐさい、真暗な闇が岡本小平太と於蝶をつつみこんでいる。
血は、小平太の躰からも、どくどくと流れ出していた。
真裸の、血みどろの小平太を抱きしめ、於蝶がくちびるをかさねてきた。
於蝶の口から小平太の口へ……。
何やら得体の知れぬ液体が、そそぎこまれてゆく。
すると……。
多量の出血のため、気をうしないかけた自分の肉体が、急に精気をとりもどしはじめるのを小平太は知った。
口うつしに、於蝶がそそぎこむ液体が全身の細胞へ、くまなくまわり、その細胞を目ざめさせてくれるかのようであった。
「於蝶……於蝶……」
「小平太どの……」
「からだが、よみがえってくるようだ」
「あい」
「なにを、のませてくれているのだ?」
「血」
「え……?」
「わたくしの血しおを、小平太どのの躰へ口うつしにうつしているのじゃ」
「では、おぬしの血が無くなってしまうではないか」
「よいのじゃ、わたくしの身は、どうなってもかまいませぬ」
「於蝶。もう、よい。やめてくれい」
「小平太どの」
「於蝶、於蝶……」
「小平太どの……」
すると……。
夢の中の於蝶の声が、現実のものと変って、
「小平太どの……小平太どの……」
寝ていた岡本小平太の耳もとへ入ってきた。
「あ……?」
小平太は、目ざめた。
「お、於蝶どのか……」
まさに……。
いつの間に忍びこんで来たものか、なつかしいひとの双腕が、ひしと自分のくびに巻きついているではないか。
「おぬし……い、生きておられたのか……」
「あい」
「まことか。これは、まことのことなのか……」
ねむり灯台のあかりを背にして、於蝶が小平太に寄りそっているのだ。
顔だちも、からだつきも十年前の彼女とは見ちがえるほどに肥っていたが、かすれた甘い声音には、いささかの変化もない。
「わしは、いま、おぬしの夢を見ていた……」
「わたくしの名を呼んでおられましたな」
於蝶のことばは、十年前のそれとくらべ、あきらかに上杉の武将としての岡本小平太に対する敬意がふくまれている。
「ああ……」
小平太は、ひろやかな女の胸へ顔をうめ、
「いままで生きていてよかった……おぬしに、また会えようとは、な……」
と、いった。
於蝶も小平太も、ひしと抱き合った。
ふたりが、はじめて身をゆるし合ってから十七年の歳月がながれている。
永禄四年……。
あの川中島合戦のときの、さまざまなことが、ふたりの脳裡をかすめていった。
あのときの、まだ少年のおもかげを濃厚にとどめていた岡本小平太の堅く硬張《こわば》った細い体躯は、いま、みっしりとたくましい筋肉によろわれていた。
そして……。
当時は二十歳だった於蝶の、羚羊《かもしか》のようにしなやかな四肢も三十七歳の女の凝脂《ぎようし》にふくらみきっており、
「……於蝶どの。まことに、肥えたな」
烈しい愛撫のあとで小平太がささやいた。
「笑うては、いや……」
「なんの……わしにとっては、むかしのままの於蝶どのだ」
「まことか、それは……」
「まことだとも」
「うれしい……」
於蝶は、くちびるを小平太のくびすじへさしよせ、しずかに男の肌をまさぐりながら、
「御屋形さまに、お変りはありませぬかえ?」
「む……」
「いよいよ関東へ御出陣じゃそうな」
「それより於蝶どの。そなたと別れてから、何年になろうか?」
「さあ……あれは、おばばさまと、この春日山へまいって亡き宇佐見定行さまの御屋敷へ滞留していたときのこと……」
「いかにも」
「永禄十年の夏でありましたな……となれば、もはや十一年前のことになりまする」
「そうか……もう十一年もの歳月が、すぎ去ってしまっていたか……」
「小平太どのの躰にも、ずいぶんと戦陣の傷がふえましたなあ」
「よくも生きのびてこられたものよ」
「ついに、ひとり身のまま……」
「妻はいらぬ」
「なぜに?」
「わしは、御屋形と同じことよ。岡本の家はわしかぎりで絶えてよいのだ」
いいさして、小平太は、
「於蝶どの、さ、あれから十一年の間に、そなたの身におこったことを語りきかせてくれい」
「あい」
いまの岡本小平太は、宇佐見定行から於蝶が杉谷忍びの一人であることを聞いている。
「その杉谷忍びも……」
と、於蝶は小平太の胸へ面を伏せ、
「姉川の戦場に、すべて死に絶えてしもうた……」
「頭領・杉谷信正殿もか?」
「おばばさまも、みな……生き残ったは於蝶のみ」
八年前の姉川戦争の模様を、於蝶が語るにつれて、小平太は興奮に呼吸をあらげ、
「ざ、残念な……」
うめくように、いいはなった。
姉川戦争がおこなわれた元亀元年に、上杉謙信は相変らず関東へ出陣し、北条軍と戦っている。
「それにしても、いま一息で織田信長を討てたというのだな」
「いま一息……まことに、いま一息」
「ああ……」
小平太は嘆息をもらし、
「何も彼も捨てて、上杉の大軍が、そのとき近江の野へあらわれていたなら、まことに、信長の一命は絶えていたろう」
「それはもう……」
「たとえ御屋形が御出陣なさらずとも、この小平太が手勢をひきい、軍船にて加賀、越前へ上陸し、朝倉軍に加わっていたらのう」
「共に、はたらけましたな」
「いまさら……おそい」
「御屋形さまは何をするにもおそすぎまするなあ」
「いかにも……」
「ふ、ふふ……」
「は、はは……」
それにしても、於蝶が生き残ったのは、奇蹟というよりほかにない。
あのとき……。
ねずみのおばば≠フ伊佐木が敵の軍馬をうばい、信長本陣へ駆けつけるのを援護するため、於蝶たちは手にあるかぎりの火薬へ点火して爆発せしめた。
於蝶は爆風にはね飛ばされ、姉川沿いの崖下へ転落し、つよくあたまを撲《う》って気をうしなったのである。
戦火が熄《や》んだ夜ふけに豪雨が姉川の戦場をおおい、この雨にたたかれて、於蝶は息を吹き返した。
「それから……暗い戦場をさまよい、私は杉谷忍びたちの死体をさがしもとめました」
「うむ、うむ……」
「頭領さまは、信長本陣の丘の上に、息絶えておわした……」
「では、信長の目の前まで突き進んだわけだな」
「いかにも……そして、おばばさまは、その丘の下の草原に、いくつもの槍傷をうけ、倒れておいでであった……」
内庭に面した障子が白く浮きあがって見えはじめた。
朝も近い。
「もはや、朝のひかりが……」
躰をおこしかける於蝶を両腕に抱きすくめ、小平太が、
「まさか、このままに……?」
「あい」
「今夜も、ここへ来てくれるか?」
「あい」
「ここにいてくれぬか。家来たちに顔を合わせるのがいやならば、そのように取りはからおう」
「では……」
と、於蝶はうなずき、
「帰るべき故郷も家も、いまは無い於蝶ゆえ、十一年の間、旅から旅へ……いささか疲れました」
「なにをしていたのだ?」
「これでも女忍び。衣食には困りませぬわえ」
その日も、次の日も、於蝶は岡本屋敷へとどまった。
「今度こそは……」
と、於蝶は夜ごとに小平太の腕に抱かれつつ、いった。
「今度こそは御屋形さまも……」
「うむ」
小平太も、ちから強くうなずき、
「関東をおさめ、その後に目ざすは織田信長……というよりも、去年の加賀における織田勢との戦さを見てもわかろう。いまや信長は、こなたがのぞむとのぞまぬとにかかわらず、御屋形を打ち倒さずばやまぬであろう」
「はい」
「御屋形とても、この天下を信長ごときに踏みにじられることをゆるしはすまい。総力をつくして信長と戦うためにも、こたびの関東出陣は大がかりなものとなるにちがいない。場合によっては、御屋形も関東へ腰をすえて始末をあそばされることであろう」
「小平太どの……」
「何か?」
「私も、生まれ変ったつもりになり、いま一度、御屋形さまの御ために、はたらいて見とうなりました」
「まことか、それは……」
「いまの私には、頭領さまも、おばばさまも……たのみとする杉谷忍びもおりませぬ。ただひとりのちからにて、どこまでのはたらきができるか……心細いことなれど……なれど、敵状をさぐりとって、小平太どのの耳へ入れるほどのことならば、きっと、やってのけられましょう」
「そうか、よし……よし、そうか!」
「また十七年前にもどり、二人ちからを合せて、御屋形さまのために……」
「おお、やろう!」
「こたび、春日山へまいったのは、ただもう小平太どのの顔が見とうなっただけのこと……なれど、上杉謙信公、関東御出陣のことが、なみなみならぬことを知ったとき、私はもう……なんと申してよいか……十七年前の、まだ若かったころの、この体内に残っていた血しおがさわぎ出してしもうた……」
「於蝶どの……」
「いのちがけで、はたらいて見せましょう」
「よし。明日、御屋形へお目にかかり、そなたのことを申しあげよう」
「なりませぬ、それは……」
「かまわぬではないか」
「いまの於蝶が、十七年前の井口蝶丸と知ったなら、御屋形さまは何とおもわれましょうか……」
「かまわぬ、かまわぬ」
「御屋形さまは嘘が大きらいな御方ではありませぬか」
「む……なるほど……」
「私は小平太どのと共に、はたらければよい。小平太どのの家来のうち、すぐれた者を私が仕込んで見せましょう。そして、この者たちをつかい、於蝶なりの忍びばたらきをしてごらんにいれましょう」
「たのむ、たのむぞ!」
「織田信長なれば、相手にとって不足はありませぬゆえ、な……」
いいはなったとき、於蝶の双眸にはすさまじい闘志がやどり、顔色が一変した。
出陣の日がせまるにつれ、春日山城下に活気がみなぎりわたった。
参集する諸方の武将たちの部隊が、引きも切らず街道につづき、軍馬のいななきが、兵員の行進の響《とよ》みが、村を、町をみたし、
「いよいよでございますな」
於蝶も、いまは、はっきりと岡本屋敷へ姿をあらわしている。
小平太は、
「亡き母の縁者にて、武士にまさるはたらきを何度も戦陣にしめされたお人じゃ」
と、家来たちに引き合せている。
たとえ十七年前の於蝶を知っている者がいたとしても、いまの彼女が、あの小姓・井口蝶丸とさとる者は一人もいまい。
於蝶は、小平太と相談の上で、十名の家来をえらび出した。
そして、すぐさま、自分の忍びばたらきに必要な事項を教えこみはじめたのである。
いますぐ、織田信長を相手にするのではない。
今度の関東出陣では、先ず小田原の北条氏政と、その麾下にある諸将を撃滅してしまわねばならぬ。
そして、関東の諸将をすべて上杉の傘下におさめ、関東管領としての責任を、
「果さねばならぬ!」
と、いうのが二十年にわたる上杉謙信の信念である。
そして、名実ともに関東管領としての自分が織田信長と対決をする。
これが謙信の秩序なのである。
「関東の乱れを押えられぬような関東管領であっては、天下に対して何事も出来ぬ」
なのであった。
この考えをいささかも曲げようとはせず、上杉謙信は、武田や北条と悪戦苦闘を反復しつつ今日に至ったのである。
ゆうずうがきかぬといえばそれまでだが……。
しかし、いまは強敵・武田信玄も世を去り、北条の勢いもおとろえた。
天下の耳目は、織田と上杉の対決へあつめられているのだ。
上杉謙信の堂々たる努力が実り、正面をきって堂々と織田信長と戦う日も近い。
と、おもうとき、於蝶の忍びとしての情熱は、ふたたび若々しくよみがえってくる。
なんといっても、上杉謙信のため、叔父の新田小兵衛や善住房光雲などと共に渾身のちからをふりしぼって闘いぬいた川中島合戦において、
(わたしは、ひとり前の女忍びになれたのだもの)
於蝶は、関八州の地図をひろげ、これを凝視しつつ、これからの忍びばたらきの計画をねりにねった。
出陣の日を二日後にひかえた天正六年三月十三日の朝が来た。
前夜……。
於蝶と小平太は激しくもとめ合い、あたえあった。
この日の午後。於蝶は、わが配下となった小平太の家来十名をつれ、春日山を先発することになっていた。
「しばらくの別れじゃな、於蝶どの……」
「すぐに、小平太どのの陣所へ忍んでまいりましょう」
「待っておるぞ」
「あい……」
そして十三日の朝になるや、於蝶は先ず配下の十名を、
「一足先に発たれよ。そして、信濃・善光寺の境内にて、わたしを待つよう。たぶん、途中で追いつこうけれども、念のため……」
こういって、岡本屋敷を発足《ほつそく》せしめた。
越後の山々に雪が残り、桜の花もほころびはせぬが、春の光りは、いつわりきれぬあかるさとなって春日山城下を包んでいる。
昼すぎ……。
於蝶は岡本小平太と食事をすませ、自室へ引きとって旅仕度にかかっていた。
(おばばさま……)
と、彼女は亡き伊佐木へ、胸のうちでよびかけていた。
(ふしぎなことにございます。わたくしは、また、上杉の御屋形さまのために忍びばたらきをすることになりました。於蝶も、むかしの於蝶ではござりませぬ。姉川合戦の後、只ひとりにて中国すじから遠く九州へかけ、わたくしは諸国の小さな戦さのための忍びばたらきをし、生きてまいりました。織田や上杉や武田などとは、くらべものにならぬ小さな小さな戦さばかりで、ただもう、生きて食べてゆくためだけの忍びばたらきでございました……ゆえに、於蝶の心身はゆるみきっております。それに……それにもう何といっても三十七歳の躰。むかしのように自由なはたらきもなりますまい。とても……とても、おばばさまのようなすぐれた女忍びにはなれぬ於蝶でございましたな……)
仕度を終え、屹《きつ》と、於蝶は午後の陽光がさしこむ部屋の壁を見つめ、
(なれど、おばばさま。於蝶が忍びとしての最後のはたらきをごらん下されませ。間もなくわたくしも、おばばさまのもとへまいることになりましょう)
このとき、縁先へ影がさすように、岡本小平太があらわれた。
「あ……小平太どのか……」
小平太の顔は鉛色に変じ、すこし前までの元気にみちみちた様子が消え果て、まるで幽鬼のような凄壮さがただよっている。
「どうなされた……?」
「………」
「小平太どの」
小平太が、おもおもしくいった。
「御屋形が、いま、亡くなられたそうじゃ」
この日の昼すぎ……。
春日山城・大手口にある御主殿内の居室で、上杉謙信の肖像画が完成をした。
この肖像画は明治二十一年に焼失してしまったそうだが、
「みごとな出来ばえではある」
と、謙信は大いによろこび、京都からまねいた絵師の労をねぎらった。
画像は、法体の謙信を描いたもので、出陣の前に、わが肖像を見ることを得たのは、
「まことに本懐である」
と、よろこぶさまが、
「御屋形さまの御気色、尋常ならず」
家臣たちが、ひそかにささやき合ったといわれる。
そして謙信は、別室において食事をしたためた後、厠《かわや》へ立った。
小姓の金見谷八太郎・井沢照丸の両名が、厠手前の廊下までつきしたがった。
小姓たちが待っていると、かなり長い間をおいて、謙信が厠の戸口からあらわれた。その顔を見上げ、
「お、お屋形さま……」
井沢照丸が思わず叫んだ。
謙信の顔面は蒼白となり、大きく胸が波をうち、様子が只事《ただごと》でない。
金見谷八太郎が立って、謙信の躰へ手をさしのべようとすると、
「う、うう……」
何か、うなり声のようなものが謙信のくちびるからもれた。
謙信は、わずかに手を振って、金見谷の腕をはらいのける所作をし、一歩、二歩と廊下をふみしめて歩きかけたが、その瞬間に崩《くず》折れるように倒れた。
「お屋形!」
「こ、これは一大事じゃ」
「すぐに……すぐに、医薬を……」
「おお……」
御主殿内は、たちまち騒擾《そうじよう》をきわめ、すぐさま医師が駆けつけた。
居間へはこばれ、仰向けに寝かされたとき、すでに謙信は息絶えていた。
死因は脳出血といわれている。
ときに、上杉謙信は享年四十九歳であった。
於蝶が、はじめて目通りをしたころから、謙信は病気がちであったし、しかも病気を押えに押えて数百里の転戦をつづけること二十余年にわたっている。
いままで、精神力ひとつによって上杉の武名を維持しつづけてきたのだといってよい。
だが、これは異変である。
出陣を二日後にひかえ、上杉軍は総帥をうしなった。
数年前に雪の上越国境を越え、関東出陣をした折、かるい中気にかかったのが、今度の死去の前ぶれでもあったのだろう。
上杉謙信の死について、もう一つの説がある。
厠で昏倒したのは三月九日の午刻《うまのこく》で、人事不省となって五日。ついに十三日に死去したとある。
このほうが、真実かもしれない。
上杉謙信は死ぬ数日前に、辞世の句をつくっていた。
「四十九年一睡夢 一期栄花一盃酒」
と、いうのである。
なんとなく、謙信は自分の死を予知していた、ということもできよう。
謙信の遺体へ美しい武装がほどこされ、これを大瓶《おおがめ》へ入れてきびしく封がなされた。
出陣の日であった三月十五日には、大乗寺良海が導師となり、春日山において葬儀がいとなまれたのである。
遺言はなかったようだ。
上杉謙信には、妻もなく、子もない。
しかし……養子が数人いる。
そのうち、
長尾政景の次男・喜平次(のちの上杉景勝)
北条氏康の七男・氏秀(のちの上杉景虎)
この二人が、のちに上杉家の遺領をめぐって争いをおこすことになるのだが……。
謙信の死後、三千枚に近い黄金がのこされているのがわかり、この莫大な経済力をたくわえていたからこそ、
「われは天下のだれびとにも屈せず」
の自信が、上杉謙信の心身にみちみちていたのであろう。
「これよりは、御家も大変なことになろう」
葬儀がすんだ日の夜ふけに、岡本小平太は於蝶にいった。
故謙信の養子の一人である長尾喜平次は、謙信の実姉の子であり、謙信の甥にあたるし、
「手本を書いてとらせる」
などと、謙信みずからが習字の手本を書いてあたえたほどに愛してもいたし、|弾正 少弼《だんじようのしようひつ》という官名もあたえている。
だが、
「喜平次に後をつがせよ」
と、遺言をしているわけではない。
それに、北条氏秀は、北条家と戦争をつづけながらも、手もとにおいて、自分の前名の「景虎」をあたえたほどに、これも愛しているのだ。
畠山家から養子にした別の|上 条宜順斎《じようじようぎじゆんさい》(のちの上杉義春)というのもいる。
そのうちのだれが、本城・春日山の当主となるのか……であった。
これは、もう騒ぎが起らざるを得ない。
三人の養子たちには、それぞれの家臣団があるし、上杉麾下の諸将も勢力を争い、派閥乱立のかたちとなろう。
「御屋形は、まことにひどいお方だ。わしが死んだ後を勝手にせよ、と、あの世でおおせられているのか……」
小平太は、なげいた。
「なれど……」
と、於蝶はなぐさめのことばを口に出しかけたが、やめた。
協力は生まれまい。
どうしても内乱が起きるにちがいない、と於蝶も見きわめていたからである。
「さて……於蝶どのは、これより、どうするつもりじゃ?」
ついに、小平太が切り出してきた。
「わたしよりも……」
と、於蝶が小平太の双眸をのぞきこむように顔をさしよせ、
「先ず、小平太どのの所存がききたい。御屋形さまが亡くなられたからには……」
「いかさま。上杉家はもはや、上杉謙信公あっての上杉家ではない」
「そうなって尚、小平太どのは上杉家にのこられますのか……?」
「これからは上杉の家中も、めんどうな争いごとに巻きこまれ、とうてい織田信長と雌雄を決するなどという大戦さが出来ようはずはない」
「やはり、小平太どのも、そのようにおもわれますのか?」
「おもう。さびしいことではあるが……」
「で……どうなされます?」
「やはり……わしはのこる」
「では……?」
「上杉家を見捨てるというのではなく、わしは、上杉家中のあらそいに巻きこまれたくはない。それを考えると、そなたと二人きり、この春日山をぬけ出し、どこか遠くの……」
と、小平太は夢を見るような眼ざしになって、
「遠くの山里へかくれ住み、もはや戦乱の世にはかかわりなく、ひっそりと、暮してゆきたい、と、おもう」
於蝶の熱い、くちびるが小平太の耳朶にふれ、
「なぜに思いきって、そうなされぬのか?」
つよく烈しい口調でいった。
「亡き御屋形に、わしは、とどめを刺されているのだ」
それは、上杉謙信が卒倒する前日のことであった。
謙信は、この朝に岡本小平太を御主殿の居室へ呼びよせ、国重の短刀をあたえ、
「小平太よ。もしも余に万一のことあろうとも、上杉家の守護神ともなりて、この春日山の城をまもりくれい」
こちらの胸の底へ、にじみこむような声でいった。
まさに遺言といってよい。むろん、小平太は平伏してこれを受けたのである。まさかにその翌日、わが青春の情熱をささげつくした主人が急死しようとは思いもかけぬことであった。
「あのときの御屋形のおことばをきいていなければ……そなたと共に、な……」
「あい……」
この夜。
於蝶が小平太にあたえた愛撫ほど、強烈なものはなかった。
翌朝になって、小平太が目ざめたとき、すでに於蝶の姿は屋敷内から消え去り、小平太の枕頭《ちんとう》に、彼女の書きおきがのこされていた。
朝の陽光に、吹き出たばかりの庭の若葉が光り、鳥のさえずりが春日山の町を森を、山を野をみたしている。
於蝶は、こう書きのこしていた。
「……ただ一人にても、われは杉谷忍びの遺志をつぎ、織田信長を討たむ」
書きおきをたたんで肌身につけ、岡本小平太は縁先へ出て、朝空にうかぶ波の雲を仰ぎ、その姿勢のまま、いつまでも立ちつくしていた。
[#改ページ]
あ と が き
これまでに忍者小説もいくつか書いているが、女の〔忍び〕を主人公にしたものは、この〔蝶の戦記〕が、はじめてである。
私の〔忍びの術〕は、奇想天外な|まね《ヽヽ》をするわけでもなく、忍者として出来るかぎりのことしかさせない。
したがって、忍者が飛んだりはねたりするおもしろさよりも、その忍びたちが活動する歴史的な背景が重要な主題とならざるを得ない。
この小説は、上杉謙信から織田信長、浅井長政など、スケールの大きい人物を主人公の於蝶が相手にしてゆくだけに、なかなか骨が折れた。
戦場を描出するのにも、川中島や姉川のような大会戦になると、書いていて、ばかに疲れるものだ。
それに忍者小説というものは、他の時代小説を書くより層倍もつらい。忍者はプロフェッショナルであるし、どう見てもプロらしく描写されねばならない。敵の忍びも常人ではないのである。こちらが思うことを敵は知りつくしている。だからまたその裏をかき、その裏をかくことを敵が予知している場合も考慮に入れておかねばならぬ。
とにかく、めんどうなジャンルなのだが、それだけにまた、執筆中のたのしみも多いのである。
[#3字下げ]昭和四十四年早春
[#地付き]池波正太郎
〈底 本〉文春文庫 平成十三年十二月十日刊
初出誌 一九六七年四月三〇日より六八年三月三一日まで三五七回、信濃毎日新聞、山陽新聞その他に連載