剣客商売十三 波紋
[#地から2字上げ]池波正太郎
目次
消えた女
波紋
剣士変貌
夕紅大川橋
解説 常盤新平
消えた女
その日。
秋山小兵衛《あきやまこへえ》が千駄《せんだ》ヶ谷《や》(現・渋谷《しぶや》区千駄ヶ谷)の松崎助右衛門《まつざきすけえもん》宅を出たのは、かれこれ四ツ(午前十時)をまわっていたろう。
松崎助右衛門は、小兵衛と共に辻平右衛門《つじへいえもん》道場で剣をまなんだが、六百石の旗本の家の三男に生まれたので、家を継ぐこともならず、いまは千駄ヶ谷へ隠宅をかまえ、老妻お幸《こう》と共に暮している。
この年、六十五歳になった秋山小兵衛と、六十七歳の松崎助右衛門の交誼《こうぎ》は約四十年にわたる。
小兵衛は、前日から遊びに来て一泊し、
「ま、昼餉《ひるげ》を共にしてからでよいではないか」
しきりにすすめる助右衛門へ、
「いや、ちかごろは食が細くなって、昼は抜いているのでござるよ」
こういって、小兵衛は辞去し、
(そうじゃ、久しぶりで、十二社《じゅうにそう》の権現《ごんげん》さまへ詣《まい》ろうか)
外へ出た途端に、おもいついて、淀橋《よどばし》へ足を向けた。
淀橋の南、角筈《つのはず》村にある十二社権現社の祭神は紀州・熊野《くまの》権現と同じで、境内《けいだい》には大池があり、そのまわりに風雅な茶屋や茶店もならんでいて、参詣《さんけい》がてらの遊観におとずれる人びとが絶えない。
ましてや、いまは春のさかりの、薄曇りの空の下で、池のほとりの桜の花が散りかけている。
境内を漫《すず》ろ歩く人びとも少なくない。
秋山小兵衛は、池畔《ちはん》の茶店へ入り、芥子菜《からしな》の塩漬《しおづけ》で酒をのみ、その後で蕨餅《わらびもち》を食べた。
(これより先、何度、桜花《はな》を見ることができるかのう……)
いつになく神妙な気分になって、茶店を出た小兵衛の肩へ、微風が運んで来た桜の花びらが一つ、ふわり[#「ふわり」に傍点]と留まった。
(ついでに、大久保《おおくぼ》の天満宮へ詣ってみようか……)
と、おもったが、
(いや、あまり、うろうろしていると帰りが遅くなる。今日は、これまでにしておこう)
おもい直して、小兵衛は畑道を東へ歩みはじめた。
現代《いま》の、新宿西口の高層ビルディングが林立する景観からは想像もつかぬほど、当時の、このあたりは田園そのもので、畑地と雑木林と低い丘のつらなりの中に、寺院と大名・旗本の下《しも》屋敷(別邸)が点在するのみであった。
このとき、もし、秋山小兵衛が大久保の天満宮へ立ち寄っていたなら、どうなったろう……。
事件の様相は、自《おの》ずから変っていたにちがいない。
この日の小兵衛は愛用の軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、大小の刀を帯び、竹の杖《つえ》を手にしている。
小兵衛は、内藤新宿へ出るつもりでいた。
畑道が大きな竹藪《たけやぶ》の西側をまわっている。
しばらく行くと、竹藪の中から、男がひとりあらわれて、
「大《おお》先生じゃございませんか」
声をかけてよこした。
「や、徳次郎《とくじろう》か」
まさに、傘《かさ》屋の徳次郎である。
「こんなところで、何をしている?」
「へえ……」
四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》の下ばたらきをつとめている徳次郎が、今日は百姓姿で、竹藪からあらわれた。汚れた手ぬぐいで頬《ほお》かぶりをし、籠《かご》を背負っていて、まことに堂に入った変装ぶりだ。
「徳や。御用の筋かえ?」
「親分も出張っております」
「捕り物か?」
「へえ。囮《おとり》を仕掛けておりますんで……」
傘徳の声は低く、その眼《め》は油断なく、あたりを見まわしている。
四谷の弥七は、竹藪の中にいた。
徳次郎は、秋山小兵衛を其処《そこ》へ案内してから、
「じゃあ、親分……」
また、引き返そうとした。
「徳。ぬかるなよ。相手は、お前の顔を知っているのだ」
「へえ」
徳次郎が去ると、弥七は、あらためて小兵衛へ挨拶《あいさつ》をした。
「これは、また、おもいがけないところで……」
「千駄ヶ谷の松崎さんのところへ泊りがけで遊びに来たのじゃが、帰りに、ちょいと十二社の権現へ詣ってのう」
「さようでございましたか」
「囮を仕掛けているそうじゃな。おもしろそうな。見物させてもらってよいかえ?」
いつになく、弥七が緊張しているのを、小兵衛は看《み》て取った。
弥七は十手《じって》だけではなく、捕方《とりかた》が遣う突棒《つくぼう》を手にしている。これも、いつにないことだ。
「お前、ひとりかえ?」
「いいえ、ほかにも、合わせて八人ほど隠れております」
「囮は、どこなのじゃ?」
「彼処《あそこ》へ……」
弥七が指し示したのは、竹藪の向う側の小さな家であった。
竹藪が少し高処《たかみ》になっているので、木端葺《こばぶき》の、まるで物置小屋のような、その家の裏手がよく見えた。
その家の向うに、もう一つ、これは瓦《かわら》屋根の、御堂のようなものが見えた。
「地蔵堂でございますよ」
と、弥七がいった。
してみると、木端葺屋根の家には、堂守《どうもり》が住んでいるのだろうか。
地蔵堂の正面は、竹藪から見えぬ。
まわりは杉木立で、秋山小兵衛が傘徳と出遭うことなく歩きつづけていれば、その杉木立の向う側へ出ていたことになる。
「弥七。その囮の効き目はあるのかえ?」
「相手は、きっと、引っかかってくるとおもいます」
「相手とは?」
「浪人者なので……」
いいさした弥七が、はっ[#「はっ」に傍点]としたように身を屈《かが》めた。
小兵衛とささやき合いながらも、弥七の視線は絶えず、家の裏手へそそがれていたのだ。
弥七に身を寄せ、小兵衛も裏手へ目をやった。
裏の戸が開き、娘がひとり、水桶《みずおけ》を手にあらわれ、井戸端へ歩み寄って来る。
年齢《とし》のころは十五、六であろうか。化粧の気《け》もなく、健康そうな顔に血の色がみなぎっている。町家の娘のようにもおもえず、さりとて百姓のそれ[#「それ」に傍点]とも見えぬ。
強《し》いていうならば、何処《どこ》ぞで下女奉公をしているような姿であった。
娘は、井戸から水を汲《く》むと、また、裏口から家の中へ入って行った。
小兵衛と弥七が隠れている竹藪と、井戸端とは六|間《けん》(約十一メートル)ほどの隔りがあり、娘の顔《おも》だちは、小兵衛の目にもはっきりと見ることができた。
「大先生。その浪人と申しますのは……」
ささやいて、小兵衛の横顔を見やった四谷の弥七が、
「どうなさいました?」
小兵衛は、こたえなかった。
小兵衛の目は、家の裏手へ吸い寄せられたまま、うごかなかった。
白髪《しらが》のほつれが微《かす》かにゆれている。
引きむすんだ唇《くち》の端が、わずかにふるえていた。
目の光りも尋常ではない。
弥七は、小兵衛の、この変貌《へんぼう》におどろき、声をのんだ。
だれもいない家の裏手に、はらはら[#「はらはら」に傍点]と白い蝶《ちょう》がたゆたっている。
「あの娘が、囮なのか?」
突然、小兵衛が呻《うめ》くようにいった。
「さようで……ですが、大先生」
「似ている。そっくりじゃ」
「だれにでございます?」
今度は、弥七の目の色が変った。
小兵衛は、またしても沈黙した。
杉の木蔭《こかげ》に、ちらりと人影がうごいた。
あの家を包囲している捕方らしい。
(あれから、何年たったのか……?)
と、おもったが、それも一瞬のことであった。
めずらしく、秋山小兵衛の脳裡《のうり》は熱してきて、問いかける四谷《よつや》の弥七《やしち》の声が、むしろ、うるさかった。
いま、井戸端へ出て来た小娘は、約二十年前に、小兵衛の家ではたらいていた下女のおたみ[#「おたみ」に傍点]に、
(生き写し……)
と、いってよい。
おたみは、いま、四十に近い年齢となっているはずだから、あの小娘がおたみであるはずはない。
女は体質も顔貌《がんぼう》も父親に似るそうな。男は母親の顔と躰《からだ》を受け継ぐというが、なるほど、小兵衛の息《そく》・秋山|大治郎《だいじろう》は母親のお貞《てい》に顔だちが似ている。お貞も大柄《おおがら》な女で、小兵衛よりわずかに背丈が高かった。
しかし、これほど似ているとなれば、
(もしやして、おたみが生んだ娘ではないか?)
と、小兵衛が推量したのも、当然であったろう。
(まさかに、わしの子では?)
一時は胸さわぎがしたけれども、おもい直してみれば、あの小娘の年ごろと、おたみが小兵衛の手許《てもと》を去って今日にいたるまでの年月には、三、四年ほどの差があるとみてよい。
(わしの子ではないらしい……)
が、そのとおりともいいきれぬ。女の外貌《みかけ》と年齢とは、かならずしも一致しない。
また、囮《おとり》の小娘が、おたみの腹から生まれたと決めこむわけにもまいらぬ。
他人の空似ということもある。
そうした例を、これまでに小兵衛は何度も見てきていた。
(なれど……?)
井戸端で水を汲《く》みあげる仕ぐさや、その躰つき、水桶《みずおけ》を運ぶ後ろ姿など、むかし、四谷・仲町《なかまち》にあった秋山道場の井戸端での、おたみそのものといってよかった。
そのころ、息子の大治郎は、まだ少年であったが、父・小兵衛のいいつけに従い、小兵衛の恩師で山城《やましろ》の国・愛宕《おたぎ》郡・大原《おはら》の里へ引きこもっていた辻平右衛門《つじへいえもん》の許《もと》へ修行におもむいていた。
小兵衛の妻お貞は、すでに病歿《びょうぼつ》してい、一人息子の大治郎が江戸を出てから二年ほど経過していたろう。
そのころ、おたみが小兵衛に雇われて四谷の道場へ住み込みで入った。
おたみは十八か十九……たしか、二十《はたち》にはなっていなかったはずだ。
お貞が亡《な》き後、ずっと秋山家にいてくれた中年の女中が病歿してしまい、門人たちが小兵衛の世話をしていたのだが、何といっても不自由だ。
それを知った四谷・坂町の菓子屋のあるじ〔壺屋清七《つぼやせいしち》〕が、おたみを世話してくれた。
小兵衛は壺屋にすべてをまかせていたので、おたみについて、くわしいことは知らず、また知ろうともしなかった。
おたみからは、
「下野《しもつけ》の烏山《からすやま》の在の生まれ……」
と聞いていたが、壺屋は知り合いの口入《くちいれ》屋にたのんで、おたみを世話したのだから、おたみの言葉を鵜《う》のみにするわけにはいかない。
(おそらく、おたみは口から出まかせをいっていたのであろう)
いまとなっては、そうとしかおもえぬ。
さて……。
おたみが秋山家ではたらくようになってから三月《みつき》ほどたった或《あ》る夜、小兵衛が手をつけてしまった。
当時、秋山小兵衛は四十をこえていた。
妻亡き後、女遊びもきらいではなかったから、新吉原《しんよしわら》や深川へはよく出かけていたし、わが子のように年齢を隔てたおたみと同じ屋根の下に住み暮していても、別に興味をおぼえたわけではない。
道場へ来る門人たちも、おたみには、まったく関心をしめさなかった。
健康そのものではあるが、朝から晩まで、真黒になってはたらきつづけている下女なのだ。
ところが、その夜。
晩酌《ばんしゃく》の酒をのみすぎて、居間で転寝《うたたね》をしていた小兵衛は、井戸端で水をかぶる音に目ざめた。
夏の盛りであった。
(はて……まさか、おたみが水をかぶっているのではあるまい)
これまでに、水をかぶるおたみを見たこともなかっただけに、
(何者だろう?)
裏手へまわってみると、おたみが井戸端へ立ち、何杯も何杯も水をかぶっているではないか。
おたみの裸身が男のように井戸端へ立っている。その、ひろやかな背中や、たくましい腰が月の光りに白く浮きあがって、
(ほう……)
おもいもかけぬ景観に、小兵衛は目をみはった。
(これは野育ちだ)
こういう女が、小兵衛はきらいではない。
ふだんは無口で、口紅ひとつさしたこともないおたみの肌《はだ》が、意外に白いのを知って、小兵衛は勃然《ぼつぜん》となった。
そのとき、小兵衛は台所の窓の戸の隙間《すきま》から、おたみを見ていたのだが、
(わしとしたことが……)
苦笑して、いったんは居間へもどったのだ。
転寝をしていた小兵衛に、いつの間にか、夏|蒲団《ぶとん》が掛けられていたのは、おたみが入って来て、居間のとなりの寝間へ臥床《ふしど》をのべたときにしてくれたものであろう。
水をかぶる音が絶え、小兵衛は寝間へ入った。
どうも、寝つけない。
井戸端に立ちはだかった、おたみの裸身が脳裡から消えない。
「むう……」
低く唸《うな》って、小兵衛は立ちあがった。
台所のとなりの小部屋に、おたみは寝起きしている。
小部屋の障子は開け放してあり、青い蚊帳《かや》を吊《つ》って、おたみが寝ていた。
足音を忍ばせ、小廊下をやって来た小兵衛が、これを見て、またも瞠目《どうもく》した。
被《おお》いをかぶせた行燈《あんどん》の灯影《ほかげ》に、蚊帳の中の、おたみの裸身が青白く横たわっているではないか。
廊下には、夏の夜の闇《やみ》が重くたれこめてい、小兵衛の躰は汗に濡《ぬ》れていた。
(こやつ、おれを誘っているのか……)
ふと、そうおもった。
躰つきから見て、おたみが処女《きむすめ》でないことは、かねてよりわきまえている。
(それも、よかろう)
なにしろ、正妻のお貞が亡くなっているのだし、秋山小兵衛には、女のみならず怖いものは何一つない。
小部屋へ入り、蚊帳の中へ入った小兵衛に気づいているのか、いないのか、裸身を放恣《ほうし》に横たえたまま、おたみは寝息をたてている。
小兵衛が寄り添って抱きしめると、はじめて薄目を開け、
「あっ……」
あわてたように躰を起しかけたおたみだが、抵抗はしなかった。
遊女にもとめられぬ新鮮な女体を、久しぶりで小兵衛は抱いたことになる。
二人が、このような関係になってからも、おたみの日常に変化はなかった。化粧をするでもなし、小兵衛に甘えかかるでもない。依然として無口であり、することはいささか鈍《のろ》いが、下女としてのはたらきぶりにも懈怠《けたい》はなかった。
ゆえに、近辺の人びとも門人たちも、二人の関係に気づかなかった。
これは、まことに、男にとって好都合なことといわねばなるまい。
夜になって、二人きりの時間《とき》になり、一日一日と、小兵衛の愛撫《あいぶ》にこたえる、おたみの反応が激しくなってきたが、それでいて夜が明けてからのおたみは下女そのものになりきっている。
金や物をねだることもない。
はなしかけても、ぽつん、ぽつんとこたえるのみで要領を得ない。
(こんな女と末長く暮すのもわるくはない)
おたみとのことが世間に知れてもかまわぬ、と、小兵衛はおもいはじめていた。
「金は此処《ここ》にある。着るものなり何なり、好きに遣ってよいぞ」
と、おたみにいった。
おたみは、微《かす》かに、それでもうれしげに笑うのみで、金に手をつけようとはしなかった。
(わしと共に末長く暮すとなれば、おたみの身性《みじょう》や、身寄りの人びとのことも尋《き》いておかねばなるまい)
そうおもっている矢先に、おたみが消えてしまった。
その日は、大身《たいしん》旗本の塚本伊勢守《つかもといせのかみ》邸へ出稽古《でげいこ》に行き、夕暮れどきに道場へ帰ると、若い門人の横山|義太郎《よしたろう》がひとり居残っており、
「おたみは先刻、急用で出かけましたので、私が留守居をいたしておりました」
と、いう。
「急用……?」
「はい。先生の御用事だとか……」
「いや、知らぬ」
「さようで……」
「よし、帰ってくれ。御苦労だったな」
横山を帰し、居間へ入ってみると、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》ごしらえがしてある。
(はて……?)
不審におもった。
この夜、おたみは帰って来なかった。
おたみの部屋をしらべて見ると、身のまわりの物を持ち出している。
そして、居間の手文庫の中の金二十四両のうち、十両が消えていた。
何とはなしに、小兵衛は気が抜けてしまい、夕餉の箸《はし》をとる気にもなれなかった。
庭に、虫が鳴きはじめていた。
(何故、十両だけ持って行ったのか……何故十四両を残しておいたのか?)
このことが、その後、何年たっても気にかかってならなかったものだ。
いまだに小兵衛は、おたみという女がわからぬ。
おたみが消えて一年後に、四谷の弥七が道場で稽古をするようになり、弥七の口ききで、女中がわりの老僕が来てくれ、小兵衛は大いに助かった。
この老僕が病歿してから、おはる[#「おはる」に傍点]が女中として雇われた。
おはるについては身元も知れていたし、小兵衛も安心をしていたわけだが、まさかに、この孫のような娘に手をつけて、ついに夫婦になろうとは、さすがの秋山小兵衛が、
(夢にもおもわぬ……)
ことであった。
いまにして、小兵衛は、
(わしは、好色の男であったのか……?)
懐想せざるを得ない。
このようなことは、はじめてであった。
「もし……もし、大《おお》先生」
四谷《よつや》の弥七《やしち》の声に、小兵衛は我に返った。
「あの小娘が、だれに似ているのでございますか?」
「弥七。小娘を囮《おとり》にして引っ捕えようという、その浪人とは、いったい何者なのじゃ?」
「あの娘の父親なんでございます」
やはり、小兵衛とおたみ[#「おたみ」に傍点]の間に生まれた子ではなかった。
小兵衛は、吐息を洩《も》らした。
「で、その浪人者は、どのような罪を犯したのじゃ?」
「永山《ながやま》の旦那《だんな》を殺《あや》めたので……」
いいさして、弥七が唇《くち》をかみしめた。
その声に、悔しさがにじみ出ていた。
「いつのことじゃ?」
「五日前のことでございます」
これは、小兵衛にとっても、おもいがけぬことであった。
町奉行所の同心で、四谷の弥七が直属している永山|精之助《せいのすけ》は、小兵衛とも顔見知りの間柄《あいだがら》だ。
その日。
永山精之助は、深川・佐賀町の〔味噌問屋《みそどんや》・越後屋万吉《えちごやまんきち》〕に招《よ》ばれ、富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》門前の料理屋〔丸竹《まるたけ》〕で馳走《ちそう》になった。
永山同心の妻は、越後屋の三女である。
夜が更《ふ》けたので、越後屋は、
「駕籠《かご》を……」
しきりにすすめたが、永山は、
「いや、酔いざましに歩いて帰るがちょうどよろしい」
辞退して、丸竹を出た。
春の、夜更けの道を歩むのも快いし、永山精之助は現代でいうなら警視庁の刑事に相当するわけだから、夜の闇《やみ》を恐れることもない。
永代橋を西へわたりきった永山同心は、しばらく行って、湊橋《みなとばし》を左へわたった。
このあたりは埋立地で「霊岸島《れいがんじま》」とよばれているが、塩や酒、乾物の問屋が軒をつらねている。
むろん、どの店も大戸《おおど》を下し、寝しずまっていた。
と……闇の中から提灯《ちょうちん》も持たぬ黒い影が二つ、突然にあらわれた。
これは商家と商家の間の細道から出て来たものだ。
出て来て、永山が手にしている提灯に気がつき、二人の男は何やらあわてて逃げるかたちになった。
これは役目柄、永山も捨ててはおけぬ。
(怪しいやつ)
と看《み》て、
「おい、待て」
永山は、料理屋から借りた提灯を左手へ持ち替えざま、走り寄って二人のうちの一人の腕をつかみ、
「逃げると御縄《おなわ》にするぞ」
と、叫んだ。
この男は刀を差していない。
そのとき、先にいた別の一人が振り向いて走りもどり、物もいわずに永山へ斬《き》りつけた。
これは、まさに浪人姿で裾《すそ》をからげて大小の刀を腰にしていた。
「……永山の旦那は何しろ酔っていなすったし、分《ぶ》が悪かったようで……南新堀《みなみしんぼり》の茶問屋の中屋の戸を叩《たた》きなすって、中から奉公人が出て来たときには、もう旦那は虫の息だったそうでございます」
その虫の息の下から、永山は、二人の曲者《くせもの》について告げ、
「は、早く番所へ知らせてくれ」
といったのが最後で、息絶えた。
永山精之助は、腹を突き刺され、背中を二ヶ所、斬り割られていたそうな。
町奉行所の同心が、このようなかたちで殺害されたのは久しぶりのことであっただけに、北町奉行所の筆頭与力《ひっとうよりき》・樋口三左衛門《ひぐちさんざえもん》が指揮をとり、犯人の探索が昼夜兼行でつづけられた。
永山精之助が掴《つか》んでいた大刀にも数ヶ所の刃こぼれがあり、してみると永山も相当に犯人と斬りむすんだらしい。
しかし、血痕《けっこん》はなかった。
永山は一刀流を遣って、腕には自信があった。酔っていたとはいえ、その永山を斬って殪《たお》したのだから、相手の浪人者も、
「生半《なまなか》なやつではない」
と、看てよい。
二日、三日……と、懸命の探索にもかかわらず、犯人の正体と行方は、まったくつかめなかった。
ところが、昨日の夜ふけになって……。
朝早くから諸方をまわり、聞き込みをつづけて、くたくたに疲れきった傘《かさ》屋の徳次郎が親分の弥七を送りとどけ、
(ああ、畜生め。これだけ駆けずりまわって、匂《にお》いも嗅《か》げねえなんて、なさけねえにも程がある)
明日も朝から飛び出さねばならない。
ともかく冷酒《ひやざけ》を引っかけて、蒲団《ふとん》へ転げ込みたかった。
内藤新宿の下町で、女房おせき[#「おせき」に傍点]に店をまかせている傘屋の裏手へまわった徳次郎が、
「だれだ?」
飛び退《しさ》って身がまえた。
裏の柿《かき》の木の蔭《かげ》から男がひとり、徳次郎の提灯の灯影《ほかげ》を受けてあらわれ、
「親方。お久しぶりで……」
「なあんだ、繁蔵《しげぞう》じゃあねえか」
「へえ」
男の左腕は肘《ひじ》のところから下が無かった。
この男は、岩戸《いわと》の繁蔵という博奕《ばくち》打ちだ。
小さな悪事を重ねてきてもいるし、その弱味を傘屋の徳次郎につかまれてい、徳次郎がそれ[#「それ」に傍点]を表沙汰《おもてざた》にしないかわりに、繁蔵は耳へはさんだ犯罪の情報を、徳次郎へ送りとどける。
それが二人の間の密約であった。
以前にも、岩戸の繁蔵の密告によって、徳次郎と弥七が、秋山大治郎の応援を得て兇賊《きょうぞく》・黒羽《くろばね》の仁三郎《にさぶろう》を捕えたいきさつは〔仁三郎の顔〕の一篇にのべておいた。
いずれにせよ、岩戸の繁蔵のような男がいないと、闇の底に隠れている悪事のうごめきがつかみにくい。
それは四谷の弥七も承知しているし、そもそも徳次郎だとて、無宿《むしゅく》の破落戸《ならずもの》を殺したとき弥七に捕えられ、
「御縄はかけねえ。そのかわり、おれといっしょに、お上《かみ》の御用にはたらいてみろ。人ひとり殺めた罪ほろぼしをする気なら、今度だけは見逃してやろう」
と、いわれて、弥七の手先になったのである。
「親方……」
徳次郎へ擦り寄って来た岩戸の繁蔵が、
「永山の旦那が殺されたんだそうですね」
と、ささやいた。
徳次郎の顔色が変った。
「お前。よく、それを……」
「殺した野郎は、山口|為五郎《ためごろう》ですぜ」
「な、何だと……」
傘徳のおどろきは、層倍のものとなった。
山口為五郎という浪人は、三、四人の配下を使い、大きな商家をねらって恐喝《きょうかつ》をかけ、金を捲《ま》きあげる。
その手口はいろいろあって、女を使うこともあった。
四谷の弥七と徳次郎は、山口浪人を一度、取り逃がしている。
一昨年の秋に、これは岩戸の繁蔵とは別の密偵《みってい》から所在をつきとめ、深川の藤《ふじ》ノ棚《たな》の船宿の二階に潜んでいた山口為五郎を捕えるため、十人の捕方《とりかた》で包囲した。そのとき、永山同心は出張っていなかったが、
「こいつら、来やがったか」
山口浪人は大刀を揮《ふる》って捕方二名を斬殺《ざんさつ》し、四名を傷つけて逃走した。
「いいところまでいったのだが……」
と、いまも四谷の弥七は悔しがっている。
弥七は、山口の頸《くび》へ捕縄をかけたのだが、これを切り払われ、山口の体当りで仙台堀川《せんだいぼりがわ》へ落ち込んでしまったのだ。
それから三日後に、山口浪人の所在を密告した男の斬死体が同じ深川の木場の川水へ浮きあがった。
山口為五郎の行方は、それから今日まで杳《よう》として知れなかったのである。
「繁。お前、山口為五郎を知っていたのか?」
「いや、ちがう。あっしは別のところから聞き込んだので」
「だれから?」
「親方。そいつは口が裂けてもいえませんよ」
「ふうむ……」
「ともかく、こんなところじゃ、はなしもできません」
「そうだった。さ、入んねえ」
裏の戸を開けて徳次郎が、
「おせき、いま帰った。酒をたのむぜ」
と、声をかけた。
「それが大《おお》先生。繁蔵《しげぞう》は聞き込んだというより、その男にたのまれたのでございますよ」
と、四谷《よつや》の弥七《やしち》が秋山小兵衛にいった。
その男は、繁蔵に、
「以前、殺された永山の旦那《だんな》に目こぼしをしてもらったことがある。その恩義にむくいたい」
と、いったそうな。
「いま、山口|為五郎《ためごろう》は、自分の娘のおみつ[#「おみつ」に傍点]の行方を探している。おれは、おみつの居所《いどころ》を知っているから、山口に知らせよう。だから、お上のほうで、その場所へ網を張っていれば、かならず、山口は姿を見せる」
してみると、その男は、山口為五郎とも何やら関《かか》わり合いがあるらしい。
「娘のおみつは、父親の山口を怖《おそ》れ、逃げまわっている。可哀相《かわいそう》だから、おれはいままで山口に居所を教えなかったが、こうなったら、永山の旦那の敵討《かたきう》ちだ。もう黙ってはいられねえ。ぜひとも、お前から傘屋の親方へつたえてくれ」
そのかわり、絶対に山口為五郎を逃がしてもらっては困る。そんなことになれば、
「おれのいのちはもとより、娘のおみつも、ひどい目に遭うことになるのだからね」
と、その男は繁蔵へ念を入れた。
「ま、そういうわけで、今朝方から此処《ここ》で網を張っているのでございます」
「弥七。あの小娘は、父親の山口とやらを怖れていると申したな」
「そうらしいので……」
「小娘……その、おみつとやらの母親はおらぬのか?」
「さあ、そこまでは……何しろ、急なことでございましたからね」
「なれど、妙じゃな」
「何が、で?」
「その男が山口と連絡《つなぎ》がつくのなら、何故、その連絡の場所を徳次郎に教えなかったのじゃ」
「そこまで、こっちが穿《ほじく》るわけにはまいりません。あの連中には、それなりの手筋がございます。山口も用心ぶかいことでしょうし、直《じか》に山口に会ったかどうか、それもわかりません」
「なるほどのう」
秋山小兵衛が、この竹藪《たけやぶ》の中へ来てから、まだ半刻《はんとき》(一時間)もたってはいない。
「あの家の中には、小娘のほかに……?」
「はい。六十がらみの、嘉平《かへい》という老爺《おやじ》がおります。嘉平は、向うの地蔵堂の堂守《どうもり》をしておりましてね」
嘉平とおみつの関係も、まだ、弥七にはわかっていない。
「のう、弥七」
「はい?」
「山口為五郎は、ほんとうにやって来るのかのう」
「わかりません。ですが大先生。むだ[#「むだ」に傍点]になってもようございます。たとえ一筋の細い糸でも、引っ張れるものなら引っ張ってみたいので。このままでは、永山の旦那が浮かばれません」
弥七の両眼《りょうめ》は血走っていた。
永山|精之助《せいのすけ》から特に目をかけられていただけに、弥七の痛恨が小兵衛にはよくわかった。
「弥七。もう少し、此処にいていいかえ?」
「………?」
「わしも、永山さんには世話になっている。お前の手助けをさせてもらおう」
「そ、そりゃあ百人力でございますが……」
「どうした、そんな目つきをして……」
「大先生は、あの、おみつという娘を、もしや御存知なのでは?」
「いいや、知らぬ」
「さようで……」
弥七は、まだ、うたがわしげな目の色であった。
井戸端へ出て来たおみつを見たときの小兵衛のおどろきを、
(徒事《ただごと》ではねえ)
と、弥七は感じていた。
薄日がさしてきて、鳥の囀《さえず》りが高くなった。
傘屋の徳次郎が、竹藪の中へもどって来たのは、このときである。
「いま、婆《ばあ》さんがひとり、地蔵堂のほうから、家の中へ入って行きました」
「徳。どこの婆さんだ?」
「それがわかりません。この辺りに住んでいるような……」
徳次郎がいいさしたとき、これも御用聞きの植木店《うえきだな》の小次郎の配下で寅松《とらまつ》というのが竹藪へ走り込んで来て、
「徳さん。婆《ばば》あが出て行ったぜ」
「そうか。だれかに後を尾《つ》けさせたか?」
「安が尾けて行った」
こういって、寅松は弥七と小兵衛に頭を下げてから引き返して行った。
「徳。お前は山口の来るのを見張っていなくてはいけねえ」
と、四谷の弥七。
「がってんです」
徳次郎も走り去った。
堂守の家の表口は、この竹藪の中からは見えぬ。
また、時間《とき》が過ぎていった。
弥七が舌打ちを洩《も》らした。
「弥七。焦《あせ》ってはいけぬよ」
「大先生……」
「こうしたことは手間がかかるものよ。あ、これは……お前に、こんなことをいうこともなかったのう」
「いえ。おっしゃるとおりで……」
傘徳のところへあらわれた岩戸の繁蔵については弥七も知っているが、繁蔵へ密告をした男の名もわからぬ。弥七には、それが不安であった。
「弥七……」
ささやいて、小兵衛が弥七の袖《そで》を引き身を屈《かが》めた。
裏口から老爺《ろうや》があらわれたのである。
「あれが堂守か?」
「はい」
堂守の嘉平は、いかにも六十がらみの老爺に見えたが、背筋もしっかりしているし、若いころは、さぞ筋骨がすぐれた体格だったろうと推測できる。
日に灼《や》けた顔の皺《しわ》は深いが、
(よい爺《じじい》ぶりじゃ)
と、小兵衛は見た。
嘉平は裏の戸口から、中にいるおみつへ何かいい、戸を閉め、あたりを見まわした。意外に鋭い目つきではある。
小兵衛と弥七は頸《くび》を竦《すく》めた。
嘉平が歩み出した。
井戸端をまわって、こちらへ向って歩いて来る。
(気づかれたか……?)
と、おもううちに、嘉平は竹藪の下の小道を、こちらから見て左へ曲がって行く。
腰を浮かした四谷の弥七の腕を押えて、秋山小兵衛が、
「よし。わしにまかせておけ。お前が此処を離れてはいけない」
「相すみませんでございます」
「なあに……」
音もなく、小兵衛は身を移しはじめた。
小兵衛と入れちがいに、先刻の老婆《ろうば》の後を安に尾《つ》けさせた寅松《とらまつ》が竹藪《たけやぶ》へあらわれ、
「四谷《よつや》の親分。あの婆《ばあ》さんは、十二社《じゅうにそう》の権現《ごんげん》の近くの茶店の婆さんでござんした」
「そうか、茶店の、な……」
「どういたしましょう?」
「見たところ、どうだ?」
「別にその、変った様子もござんせん。近所のことで、堂守の爺《とっ》つぁんとは顔見知りの間柄《あいだがら》なのでは……」
「その堂守の嘉平《かへい》が、いま、出て行ったのだ」
「へ……そ、そいつはいけねえ」
「ま、そっちのほうは大先生が見て下さるというから、お前は、みんなとうまく連絡《つなぎ》をとっていてくれ」
「では、あのお年寄が、うわさに聞く秋山小兵衛先生でござんすか」
「うむ。さ、行け」
「へい」
その老婆の茶店の前を、先刻、十二社権現を出た秋山小兵衛も通り過ぎている。
そこは柏木《かしわぎ》の成子《なるこ》町からの十二社権現へ通じている道で、傘《かさ》屋の徳次郎が竹藪から出て小兵衛へ声をかけたのも、同じ道であった。
ゆえに、竹藪の下の小道を抜けた堂守の嘉平も、この道へ出たことになる。
寅松は別の小道を入って来たので、嘉平と小兵衛の姿を見かけなかった。
堂守の嘉平は、十二社道を権現社の方へ向っている。
右側は竹藪と木立、畑道。左側は武家の下《しも》屋敷の土塀《どべい》がつづき、まだ夕暮れには間もあることだし、道行く人の足は絶えていない。
左手の、京極飛騨守《きょうごくひだのかみ》・下屋敷の土塀が切れると、道の両側は雑木林になる。
ここを抜けると、彼方《かなた》に権現社の杜《もり》がのぞまれるはずだし、老婆の茶店も道の右側にある。
堂守の嘉平は、雑木林の小道を右へ入った。後でわかったことだが、茶店の裏手へまわるつもりであったらしい。表から入って行くことを憚《はばか》ったのだ。
茶店の老婆にたのみ、嘉平を呼び出した男も、
「裏から入って来てくれ」
と、結び文《ぶみ》に書いてよこした。
雑木林の道が畑道へつながってい、そこへ嘉平が出ようとしたときであった。
「おい」
木蔭《こかげ》から、低く声がした。
振り向いた嘉平へ、木蔭から躍り出た浪人の刃《やいば》が襲いかかった。
「あっ……」
肩口を斬《き》られながらも、嘉平は素早く身をひるがえしている。
「うぬ!!」
意外に俊敏な老爺へ打ち込んだ初太刀《しょだち》で仕とめることができなかった浪人が、畑道へ転げ出た嘉平の背中へ、決定的な二の太刀を打ち込もうとしたとき、生き物のように疾《はし》って来た杖《つえ》が、浪人の頭を打った。
嘉平の後から雑木林へ入って来た秋山小兵衛が、投げつけたのだ。
よろめいた浪人は、ぎょっとして振り向き、走り寄って来る小兵衛へ、
「邪魔するな」
大刀を打ち振り、威嚇《いかく》した。
物もいわずに、小兵衛がせまって来る。
(こ、この老いぼれ、何者……?)
おどろきと不審と、小柄な老人から受ける圧迫感とに、浪人は戸惑ったかたちであったが、
「うぬ……」
飛び退《しさ》って刀を構え、尚《なお》も近寄る小兵衛の脳天めがけて、
「たあっ!!」
打ち込んだが、間合《まあい》が狂っている。
躱《かわ》した小兵衛の躰《からだ》が飛んで、木蔭へ隠れ、
「おのれは、どうも、山口|為五郎《ためごろう》らしいのう」
「な、何だと……」
「当ったか。当ったらしいな」
「老いぼれ、きさまは……?」
「おのれが殺《あや》めた永山|精之助《せいのすけ》殿の知り合いの者じゃ」
「う……」
このとき、堂守の嘉平は血まみれになりながらも、必死で畑道を逃げはじめていた。
浪人……いや、山口為五郎は歯噛《はが》みをした。
山口にしてみれば、何が何だかわからぬおもいがしたことだろう。
むかし、自分の配下だった笠石《かさいし》の六助を使い、六助と仲がよかった嘉平を茶店へおびき出し、これを待ち構えて一刀の下に斬って捨てる計画が、突然あらわれた隠居ふうの老人によって、すっかり狂ってしまった。
「で、出て来い」
と、山口が叫んだ。
五十を二つ三つは越えていようが、着ながしの衣服も帯も上等な品だし、総髪《そうがみ》をきれいに結いあげ、苦味のきいた、なかなかの男振りだが、左右の眼のかたちが歪《いびつ》であった。
「山口とやら。素直に、御縄《おなわ》にかかれ」
小兵衛の声が、別の木蔭からきこえた。
「う……?」
あわてて、あたりを見まわす山口へ、また別の木蔭へ小兵衛の声が移って、
「こう申しても、おのれは聞くようなやつではないらしい」
「で、出ろ。出て来い」
山口為五郎の声に怖《おそ》れと不安が、はっきりと浮いて出た。
そのころ……。
地蔵堂裏の堂守の家へ、一挺《いっちょう》の辻駕籠《つじかご》が着いた。
はじめは、見張っていた捕方たちのみではなく、四谷の弥七《やしち》も、
(山口があらわれた……)
と、おもったろう。
辻駕籠には、二人の男たちがつきそってい、いきなり家の裏手へまわって来ると、駕籠|舁《か》きを合わせて四人が家の戸を蹴破《けやぶ》って、おみつ[#「おみつ」に傍点]を引き擦り出した。
「た、助けて……」
叫びかけたおみつは頸《くび》すじを打ち叩《たた》かれ、気をうしなった。
山口為五郎が乗っているとおもわれた辻駕籠の中には、だれもいなかった。
ぐったりとなったおみつは、駕籠の中へ押し込められようとしている。
こうなると、山口はいなくとも、捕方《とりかた》たちは見捨てておけなくなった。
弥七は、
(やつらの後を尾けて、山口の居所を……)
一瞬、そうおもったが、どうしようもなかった。
木蔭に潜んでいた捕方たちが、植木店の小次郎を先頭に飛び出して来て、
「神妙にしろ」
おみつを攫《さら》って引きあげようとする無頼どもを取り囲んだ。
たちまちに、乱闘となる。
(ええ、こうなれば仕方もねえ)
弥七と徳次郎も竹藪の高処《たかみ》から走り下って、捕物へ加わったのである。
山口|為五郎《ためごろう》が斬《き》りつけて来る刃風を、二度、三度と掻《か》い潜《くぐ》った秋山小兵衛が、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]とつけ入って、
「こやつ。よいかげんにあきらめよ」
大刀を掴《つか》んだ山口の右腕を押えた。
「むう……」
山口は呻《うめ》いた。
小柄な老人の腕力ともおもえぬ。
いつもは邪悪の光りが凝っている、山口の歪《いびつ》な両眼《りょうめ》が恐怖に戦慄《おのの》いた。
雑木林の中ゆえ、自由もきかぬ。
山口は渾身《こんしん》のちからを搾《しぼ》って、小兵衛の腕を振りはなし、十二社《じゅうにそう》道へ逃げた。
小兵衛にしてみれば、山口を斬って捨てるに、
(わけもない)
ことであったが、いまは四谷《よつや》の弥七《やしち》の手助けをしているわけだから、どこまでも、
(引っ捕えたい……)
のである。
堂守《どうもり》の嘉平《かへい》が負った傷は、
(浅くはないが、一命にかかわるほどのこともない)
と看《み》た小兵衛は、山口を追って十二社道へ走り出た。山口為五郎が振り向きざまに、小兵衛へ刃を叩《たた》きつけた。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と躱《かわ》す小兵衛の足許《あしもと》を、
「くそ!!」
山口が薙《な》ぎはらってきた。
小兵衛の躰《からだ》が宙に跳んだ。
山口は一瞬、視点を失った。
「うぬ、こいつ……」
刀を振り廻《まわ》しつつ、飛び下った山口為五郎へ、小兵衛が身を沈めてせまった。
道を歩いていた夫婦者らしい二人連れが、
「斬り合いだ」
「あぶない、逃げて……」
叫び声をあげる。
十二社|権現《ごんげん》の方からやって来た騎乗の侍が目をみはった。
「うわ……」
山口為五郎が大刀を抛《ほう》り落し、翻筋斗《もんどり》を打って転倒した。
どこをどうされたものか、小兵衛に投げ飛ばされたのだ。
山口も必死である。
差し添えの脇差《わきざし》を引き抜き、せまる小兵衛にそなえつつ立ちあがった。
侍を乗せた馬が嘶《いなな》き、竿立《さおだ》ちになった。
「ばかものめ!!」
小兵衛が、山口を叱咤《しった》した。
「わあっ!!」
喚《わめ》きざま、山口は無茶苦茶に脇差を振り廻しながら、泳ぐようにして道を横切り、京極屋敷の塀を曲がって逃げようとした。
このときの山口浪人は逆上して、もう、目が暗んでいたにちがいない。
手綱を引きしぼろうとする侍を乗せた馬が、突然、走り出し、道を横切ろうとする山口為五郎を蹴《け》り飛ばし、東の方へ駆け去った。
畑道で百姓たちが何やら叫んでいる。
山口浪人は脇差を落し、京極屋敷の土塀の裾《すそ》に倒れたまま、もう、うごかなかった。
駆け寄った秋山小兵衛が、俯《うつぶ》している山口を引き起した。
山口為五郎の鼻と口から、おびただしい血がながれ出してきた。
馬の脚が山口の何処《どこ》を蹴りつけたものか、
「おい、これ……」
よびかける小兵衛に、山口はこたえなかった。
息絶えていたのである。
このとき……。
畑道を這《は》うようにして逃げた堂守の嘉平は、十二社道での叫び声を聞き、裏手へ飛び出して来た笠石《かさいし》の六助に助けられた。
「六助。てめえ、謀《はか》りゃあがったな」
と、嘉平が掴みかかるのへ、
「嘉平どん。だ、だれに斬られたのだ?」
と、六助は蒼《あお》くなっている。
「白《しら》ばっくれるな。山口の野郎が待ち伏せていたのを、てめえが知らねえはずは……」
「ええっ……山口が斬ったのか」
「おびき出したな、畜生め」
「ああ……」
笠石の六助が、がっくりとなって、
「こ、こんなはずじゃあなかった……」
「な、何を、てめえ……」
「嘉平どん。山口為五郎は、御縄にかかっているはずだったのだよ」
「う、うるせえ」
「いけねえ、血が、こんなに出ている。傷の手当を、先《ま》ず、しなくちゃあいけねえ」
いいながらも笠石の六助は、きょろきょろと、あたりへ目をくばった。
山口為五郎が追って来るとおもったのであろう。
山口のかわりに秋山小兵衛が駆け寄って来た。
堂守の小屋を襲った四人の無頼どもは、山口為五郎の配下で、一人残さず召し捕られ、おみつ[#「おみつ」に傍点]は無事に助けられた。
「そうなんでございますよ、大《おお》先生。その笠石《かさいし》の六助というのが、岩戸の繁蔵《しげぞう》へ山口|為五郎《ためごろう》のことを密告《さ》したのでございます。六助は山口の手先で、それから、いまは堂守になっていた嘉平《かへい》。これも五年ほど前までは、山口為五郎の手先だったので」
三日後の、午後も遅くなってから、傘《かさ》屋の徳次郎を連れて鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた四谷《よつや》の弥七《やしち》が、秋山小兵衛へ告げた。
今度の事件についての、奉行所の取り調べは、まだ、つづいている。
「永山さんを殺《あや》めたのは、やはり、山口だったのじゃな」
「そのとおりでございます」
あの夜、山口為五郎は、鉄炮洲《てっぽうず》の松平|阿波守《あわのかみ》・中屋敷の中間《ちゅうげん》部屋へ行き、博奕《ばくち》をやっての帰途、永山同心に出遭ったので、永山|精之助《せいのすけ》とは知らずに斬殺《ざんさつ》したらしい。
これは山口浪人と連れ立っていた配下の与吉《よきち》というのが証言をした。与吉は、おみつ[#「おみつ」に傍点]を攫《さら》いに来た四人の無頼どものうちの一人であった。
「それで……」
と、いいさして、小兵衛は沈黙した。
開けはなった居間の縁先の向うに、山吹が黄色の花をつけ、木立の新緑の香が居間の中までただよってくる。
台所で、おはる[#「おはる」に傍点]が遣う庖丁《ほうちょう》の音がしていた。
「大先生……」
弥七にうながされ、小兵衛は庭先へ目をやったままで、
「あの、おみつという小娘は、まこと、山口為五郎の子なのかえ?」
「山口のやつは、そういっておりましたそうで……ですが、ちがいます」
「ちがう?」
小兵衛が屹《きっ》とした眼《まな》ざしになり、弥七を見やって、
「では、だれの子なのじゃ?」
「ほんとうは堂守の嘉平が、おたみ[#「おたみ」に傍点]という女に生ませた子なのでございますよ」
やはり、
(わしが子ではなかった。なれど、おたみの子であった……)
のである。
おたみが、小兵衛の家を出奔して以来、どのような径路を辿《たど》り、山口為五郎の情婦となったか、それは今後の調べによって、或《あ》る程度は、あきらかになるであろうが、
「おたみは無口でございまして、私にも、くわしい身性《みじょう》をはなすこともありませなんだ」
と、堂守の嘉平が申し立てたそうな。
四谷の弥七がいうには、嘉平とおみつの顔《おも》だちは、さすがに親子で、よくよく見ると何処《どこ》か似ているという。
嘉平と笠石の六助を捕えたとき、秋山小兵衛はそれ[#「それ」に傍点]に気づいていなかった。
(わしとしたことが……)
であった。
おたみが、嘉平をたよりにするようになったのは、山口為五郎に愛想をつかしたからであろう。
嘉平もまた、山口浪人の下で同じ悪事をはたらきながらも、恐喝《きょうかつ》の道具にされ、諸方の男たちに肌身《はだみ》をまかせなくてはならぬおたみへ同情をかたむけるようになった。
そして、いつの間にか、おたみと情を通じるようになり、山口や仲間の目を盗み、忍び逢《あ》ううち、おたみはおみつを身ごもったのだ。
こうなれば、おみつを山口為五郎との間に生まれた子にするよりほかに手段《てだて》はない。
生まれたおみつは、母親そっくりだったので、山口も、まさかに、これが嘉平の子だとはおもわなかったのであろう。
しかし、おたみとしては居たたまれなかったろう。
ついに、おたみは、おみつを連れて逃げた。
嘉平が、越後《えちご》の川口にいる自分の弟の許《もと》へ逃がしたのだ。
「おたみは、それから五年ほどして、川口で病死をしたと申します」
「そうか……」
「そのうちに嘉平も悪事に愛想がつきて、少しずつ山口為五郎から遠ざかり、伝手《つて》があって地蔵堂の堂守になったのが、四年前のことだそうで」
嘉平は、だれにも居所を知らせず、
(もう、大丈夫……)
と看《み》て、越後の川口から、おみつを手許《てもと》に引き取ったのが二年前のことだという。
「では、その笠石の六助が、堂守の家を知っていたのは?」
「半年ほど前に、成子の常円寺門前を歩いていた嘉平と、ばったり出遭ったのでございますよ。嘉平も六助には気をゆるしていたのでございましょう。家へ連れて来て、酒をくみかわしたと申します」
笠石の六助は、山口為五郎に命じられ、嘉平を老婆《ろうば》の茶店へ呼び出したが、まさかに山口が単身で嘉平を待ちかまえていようとはおもわなかった。
辻駕籠《つじかご》を仕立てて、おみつを誘拐《ゆうかい》しにおもむいた無頼どもを指図し、山口も堂守の家へおもむいたとばかり、考えていたらしい。
となれば、
(おれが、繁蔵どんへ密《さ》告しておいた……)
ことゆえ、山口たちは待ちかまえていた捕方によって、一網打尽となる。
(むしろ、嘉平どんをよび出しておいたほうがいい)
と、考えた。
「おろかものめが……」
秋山小兵衛は、怒りを隠さなかった。
「笠石の六助というやつ、何も知らぬおみつのことは考えなかったのか。無頼どもが御縄《おなわ》にかかれば、おみつもまた奉行所の調べを受けねばならぬこと必定《ひつじょう》ではないか」
「六助は、永山の旦那《だんな》の敵討《かたきう》ちに凝りかたまっておりました」
「ふん……」
小兵衛は鼻で笑い、
「手数のかかるまね[#「まね」に傍点]をせず、六助は山口の隠れ家を告げてよこせばよかったのじゃ」
「いえ、それが大先生……」
「何が、どうした?」
「それにこしたことはございませんが、山口為五郎は、六助が永山の旦那に恩義があることを知っております」
「む……」
「ことに、自分が永山の旦那を手にかけてからは、六助を遠ざけ、隠れ家も他に移し、六助との連絡《つなぎ》は与吉にまかせていたそうで」
と、弥七に、こういわれては、小兵衛も返す言葉がない。
不機嫌《ふきげん》に黙り込んだ秋山小兵衛を見て、四谷の弥七が傘屋の徳次郎へ、
「徳。そろそろ、お暇《いとま》をしようか」
「へえ」
「あ、待て」
あわてたように秋山小兵衛が、
「一杯、やって行け」
「いえ、今日は、これで……」
「わしのいうことが聞けぬのか?」
じろり[#「じろり」に傍点]と睨《にら》まれては仕様もない。
(だが、今日の大先生は、どうも妙だ)
徳次郎は、胸の内でくび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げた。
やがて……。
酒肴《しゅこう》の仕度をととのえたおはる[#「おはる」に傍点]が廊下へあらわれた。
おはるは、山椒《さんしょ》の香りと共に居間へ入って来た。
山椒の葉を摺《す》りつぶしてまぜ入れた醤油《しょうゆ》をかけ、焙《あぶ》り焼きにした烏賊《いか》が浅目の大きな鉢《はち》にたっぷりと盛りつけられ、そのほかに蕗《ふき》の煮たものなどを出して、
「あとで、先生の好きな浅蜊飯《あさりめし》がありますよう」
小兵衛へ笑いかけたおはるが、
「あれ、妙な顔をしていなさる」
「あっちへ行っていなさい」
「何ですよう。叱《しか》られるおぼえはありませんよう」
「よし、わかった、わかった。後の酒をたのむ」
おはるは、不満げに台所へ去った。
「ま、一つ」
と、小兵衛が弥七と徳次郎へ酌《しゃく》をしてやってから、
「で、おみつは、どうした?」
「はい。あの小娘に罪はございません。一通りのお調べがすみましたら、私が預かることになりました」
「ほう……」
盃《さかずき》を置いた小兵衛が、生色を取りもどしたように、
「そりゃあ、よかった。ふむ、そうか。そりゃあ、何よりだったのう」
徳次郎と顔を見合わせた弥七が、小兵衛へ酌をして、
「大先生。山口為五郎は、おみつを引っ攫って、どうするつもりだったのでしょう?」
「さて、な……」
「どこかへ叩《たた》き売るか、または、母親のおたみ同様、脅しの道具に使うつもりだったのでございましょうか?」
「そのためには……」
と、秋山小兵衛が呻《うめ》くように、
「いや、あの外道《げどう》め、先《ま》ず、おみつを……おたみにそっくりのおみつを嬲《なぶ》りものにしたかったのだろうよ。山口為五郎は、そういうやつにちがいない」
凝《じっ》と小兵衛を見た弥七が、
「徳。台所へ行って手つだいをしてきねえ」
「へい」
徳次郎が台所へ去ってから、弥七は膝《ひざ》をすすめて、
「実は……」
「何じゃ?」
弥七が差し向いでおみつを調べたとき、おみつは、こういった。
「おっ母《かあ》は、私の小さいときに死んじまったので、顔は目に残っていますけれど、くわしいことは何も知りません。ただ……」
「ただ?」
「こんなことを私にいったのを、おぼえています」
そのとき、おたみは、
「お前のお父《とっ》つぁんは、この家《うち》で生まれた嘉平という人だが、ほんとうのお父つぁんは江戸の、立派な剣術つかいの先生なのだよ。けれど、このことはお前の胸ひとつにしまっておおき。だれにも、しゃべってはいけないよ」
こうささやいて、おみつを抱きしめ、忍び泣きに泣いたという。
秋山小兵衛は凝然となった。
おみつは十六歳だそうな。
ゆえに、小兵衛の子ではないことがはっきりしている。
では何故、おたみは、嘉平との間に生まれたおみつへ、そのような秘密めいた嘘《うそ》をささやいたのであろう。
いまにして、手文庫の中の二十四両のうち、十両だけを盗んで逃げた、おたみの心情がおもいやられた。
おもいやったところで、わからない。
わからないようでいて、いまは何やら、わかるような気もする。
当時のおたみは、まだ、山口為五郎に関《かか》わり合っていなかったはずだ。
しかし、何としても十両の金が必要だったのであろう。
小兵衛の許にいられない事情があったのだろう。
「大先生……」
「もう、いうな」
「はい」
「お前は、おみつがわしの子だとでもおもっているのかえ?」
「いいえ、年月《としつき》が合いません。おみつが生まれたときには、私はもう大先生のおそばにおりました。それからの大先生のことは、みんな、わきまえております」
「おお、恐ろしや」
くびをすくめて見せたが、小兵衛の目は笑っていなかった。
「こんなことを申しあげるのは……と、ずいぶん迷いましたが、やはり、お耳に……」
「ありがとうよ」
「ですが大先生。おたみは何故、わが子に、そんな嘘をいったのでございましょう」
「ふむ……」
上眼《うわめ》づかいに弥七を見やった秋山小兵衛の口もとへ、はじめて、ほろ苦い笑いが浮いて、
「おたみは、わしに惚《ほ》れていたらしいのう」
「…………」
台所で、おはると徳次郎の笑い声がきこえている。
夕闇《ゆうやみ》が、いつの間にか濃くなってきていた。
何処《どこ》かで蛙《かえる》が鳴いている。
小兵衛と弥七は、盃の冷えた酒を口にふくんだ。
[#ここから3字下げ]
*この作品は時間の前後関係に多少のズレがありますが、原作通りとしました。 編集部
[#ここで字下げ終わり]
波紋
この日。
秋山|大治郎《だいじろう》は、朝も暗いうちに我が家を出て、江戸の郊外・目黒の碑文谷《ひもんや》にある法華寺《ほっけじ》へおもむいた。
往復、約八里の行程である。
法華寺の裏庭の小屋に、老剣客《ろうけんかく》・藤野玉右衛門《ふじのたまえもん》が病臥《びょうが》しており、
「ちかごろは、どんなぐあいなのか、ちょっと様子を見て来てくれぬか」
藤野とは旧知の間柄《あいだがら》の、父・秋山|小兵衛《こへえ》にいわれて、大治郎も、
「私も、気にかかっていたところです」
そこで大治郎は、父や自分の見舞いの品々を荷物にし、これを背負って碑文谷へやって来た。
小兵衛と同年の藤野玉右衛門は、さいわいに小康を得ており、法華寺でも、よく面倒を見てくれるらしい。
大治郎は、小兵衛から、
「これをな、法華寺へ寄進するように」
あずかってきた金十両を差し出して、
「近いうちに、父も私も、また参りますが、藤野さんを、よろしく御願い申します」
法華寺の人びとにたのみ、帰途についたのが九ツ半(午後一時)ごろであったろう。
当時の目黒は、現代の東京都目黒区からは想像もつかぬ、まったくの田園地帯であった。
もはや、春ともいえぬ。
新緑が日ざしに光り、道端の百姓家の軒下から燕《つばめ》が一羽、大治郎の頬《ほお》をかすめて青空へ舞いあがってゆく。
(そうだ)
おはる[#「おはる」に傍点]と三冬《みふゆ》が好物の、目黒不動・門前の〔桐屋《きりや》〕の黒飴《くろあめ》を買って帰ろうとおもいつき、大治郎は竹藪《たけやぶ》と松の木立にはさまれた小道へ入って行った。
法華寺へは何度か来ているし、目黒不動への近道もわきまえていた。
このあたりは竹藪が多い。したがって、目黒の筍《たけのこ》は名物になっている。
と……。
大治郎の足が、ぴたりと停《と》まった。
いまこのときの環境にふさわしくない物音を耳にして、それが何であるかを一瞬のうちに直感し、片膝《かたひざ》をついた大治郎の頭上を一条《ひとすじ》の矢が疾《はし》りぬけ、右側の竹藪へ吸い込まれた。
同時に、左側の松林から走り出た抜刀の二人の男が、躰《からだ》を起しかけた秋山大治郎へ、ものもいわずに襲いかかった。
だが、弓鳴りの音と共に身を沈めたとき、大治郎は早くも愛刀・越前康継《えちぜんやすつぐ》二尺四寸余の鯉口《こいぐち》を切り、右手は柄《つか》にかかっていたのだ。
小鬢《こびん》のあたりを曲者《くせもの》の刃風が掠《かす》めたとき、大治郎の腰間《ようかん》からも康継の一刀が鞘走《さやばし》っている。
「うわ……」
その一刀に、太股《ふともも》のあたりをざっくりと切り割られてよろめく曲者を、
「何者だ!!」
突き飛ばして立ちあがった大治郎の真向から、
「たあっ!!」
もう一人の曲者が、すかさず刀を打ち込んできた。
大治郎の康継は、これを下から摺《す》りあげるようにしてはね[#「はね」に傍点]退《の》け、空間に一回転して曲者の横面へ斬りつけた。
大抵の剣客なら、おそらく横面を切られていたろうが、
「む……」
間、髪をいれずに飛び退《しさ》って、刀を正眼にかまえ直した曲者は、相当の力量のもちぬしといってよい。
「秋山大治郎と知ってのことか」
曲者は、こたえぬ。
ふたりの曲者は浪人体で裾《すそ》を端折《はしょ》り、足袋をはき、草鞋《わらじ》をつけている。
太股を切られた曲者は、地を這《は》って竹藪の中へ逃げ込もうとしていた。
このとき、松林の中から、またしても矢が飛んできた。
矢は、身をひらいた大治郎の胸もとをかすめた。
松林の中に人影がうごいた。
弓矢を遣っている曲者と見て、松林の中へ駆け入ろうとする大治郎へ、
「うぬ!!」
正面の曲者が猛然と刀を突き入れてきた。
大治郎の巨体がくるり[#「くるり」に傍点]とまわって、この突きを躱《かわ》したかと見る間に、軽く曲者へ一太刀あびせ、松林の中へ飛び込んで行った。
「あっ……」
曲者の覆面が切り裂かれ、左半面から血がふき出した。
傷は浅かったが、隠していた顔がむき出しになったのが、曲者をあわてさせた。
小道の彼方《かなた》で、通りかかった百姓の叫び声が起ったのは、このときである。
これにも、曲者は狼狽《ろうばい》したらしい。
「いかん」
頸《くび》を振って、竹藪の中へ走り込んで行った。
「逃げ足の速いのには、おどろきました」
と、秋山大治郎が、父の小兵衛へ語った。
あれから大治郎は、忘れずに桐屋《きりや》の黒飴《くろあめ》を買って、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅へ立ち寄ったのである。
「あれまあ、目黒のお不動さまの黒飴は、久しぶりですよう」
おはる[#「おはる」に傍点]は目を細めてよろこび、台所へ入り、酒の仕度にかかった。
「つづけざまに、あざやかに射かけてまいりましたが、まさしく一人です。二人なり三人なりで射かけられましたら、桐屋の黒飴を買うこともできなくなっていたでしょうな」
と、このごろは大治郎も、軽口めいた言いまわしをするようになってきたようだ。
「ふん……」
と、秋山小兵衛は鼻で笑ったが、
「で、こころあたりは?」
「ありませぬ。いや……ないとも、いいきれませぬが……」
「うむ」
深くうなずいて、小兵衛が、
「お前も、わしも剣客ゆえ、な……」
「はい」
「剣の上の怨《うら》み、憎しみは限りもないことじゃ。こなたは打ち負かしたことを忘れてしまっていた相手が、何年もかかって、つけねらっていることもめずらしくはない」
「弓矢を遣っていた曲者《くせもの》を追わずに、正面の相手を捕えたほうがよかったやも知れません」
「いや、弓矢の方を追うたが正しい。それでないと、お前が危うかった」
「はあ」
「お前と最後まで斬《き》りむすんだ曲者は、かなり遣うらしいのう」
「太刀筋が正しくおもえました」
「ほう。そうか……」
「ほんとうに二人とも、気をつけて下さいよう。剣術遣いなんて、ほんとうに、どこがおもしろいのかねえ」
いいながら、おはるが酒の仕度をして居間へあらわれた。
庭先に、夕闇《ゆうやみ》が濃い。
何処《どこ》かで、しきりに蛙《かえる》が鳴いている。
立ちあがった秋山小兵衛が、庭に面した障子を閉め、行燈《あんどん》へ灯《あかし》を入れた。
父子《おやこ》で酒を酌《く》みかわすのは、久しぶりのことであった。
浅草の駒形堂《こまかたどう》裏の〔元長《もとちょう》〕の亭主・長次《ちょうじ》が届けてくれた鰹《かつお》を刺身にし、冷たい木ノ芽|味噌《みそ》をかけた豆腐を、おはるが手早く出した。
箸《はし》をつけた大治郎が、
「三冬の、およぶところではない……」
おもわず、呟《つぶや》いた。
にんまりとなったおはるをにらみ、小兵衛が、
「これ、大治郎。そういうことを、女の前でいうな」
「いけませぬか?」
「つけ[#「つけ」に傍点]あがるわえ」
と、小兵衛が、おはるへ顎《あご》をしゃくって見せた。
「父親というものは息子の前で、こんなにも見栄《みえ》を張りたいのですかね。昨夜なんか、旨《うま》い旨いと舌なめずりをして……」
と、おはる。
「もうよい。後の仕度をしてくれ」
「ばかにしてるんだからよう、うち[#「うち」に傍点]の大将は……」
台所へ去るおはるを見送った秋山小兵衛が、大治郎の盃《さかずき》へ酒をみたしてやり、
「のう……」
「はい?」
「お前は、法華寺《ほっけじ》から帰るところを襲われたのだから、後を尾《つ》けられていたことになる」
「そうなります」
「何処から後を尾けられたものか……?」
「それが、わかりませぬ」
「お前が今日、法華寺へ藤野|玉右衛門《たまえもん》の見舞いに行くことを知っていたのは、わしとお前の夫婦のみじゃ。しかも曲者どもは、弓矢の仕度までして、お前を待ち受けていた」
「はい」
「ま、のめ」
「は……」
「いまひとつ」
「いえ、父上へお酌《しゃく》を……」
「うむ。この木ノ芽味噌は旨いな。冷たいのがよいわえ」
「ですから、私が……」
「ところで、曲者どもは、しかるべく仕度をととのえ、お前へ襲いかかった……となると、お前が家を出るときから見張られていたのではないか、どうじゃ?」
「さて……」
「おもいあたることはないかえ?」
「ありませぬ」
「大丈夫かのう」
「何がです?」
「お前の家がじゃ」
一瞬、大治郎が口へ運びかけた盃の手がとまったが、
「今夜は、飯田粂太郎《いいだくめたろう》が泊ることになっておりますし……」
「お、さようか」
田沼家に仕えている飯田粂太郎は二十一歳になり、大治郎に鍛えられただけあって、相当の腕前になっているし、大治郎の妻の三冬は、女ながら、名人・井関忠八郎《いぜきただはちろう》が折紙をつけたほどの女武道なのである。
たとえ、今日の曲者どもが五人六人、襲いかかったとて、粂太郎と三冬には歯が立つまい。
「若先生よう。いま烏賊《いか》を焙《あぶ》っているから、三冬さんへ持って行って下さいよう」
台所から、おはるが大声を張りあげた。
ちょうど、そのころ……。
秋山大治郎に覆面を切り裂かれた曲者も、酒をのんでいた。
そこは、北品川宿と南品川宿の境いをながれる目黒川に沿って、浜横丁とよばれる道を東へ入り、北品川の旅籠《はたご》屋〔富士田屋〕の裏手にあたるところの桶《おけ》屋であった。
曲者は、この桶屋の、一間《ひとま》きりの二階で、女を相手に酒をのんでいる。
顔の左半面が包帯で見えない。
大治郎の一刀に、浅く切り裂かれた傷を手当したのである。
年のころは、三十四、五歳だろうか。
浪人の風体だが、少しも垢《あか》じみてはいない。帰って来て着替えた着物もこぎれいだし、小肥《こぶと》りだが、ちょっと愛嬌《あいきょう》のある顔だちで、口の左下の大きな黒子《ほくろ》が目立つ。
この浪人の名を、関山百太郎《せきやまひゃくたろう》という。
「ねえ、百さん」
と、いましも茶わん酒をのもうとする関山百太郎へよびかけた女が、
「そんなにのんでは、傷に毒じゃないかえ」
「なあに、傷というほどのものでもないよ」
冷酒《ひやざけ》をのみほした茶わんを置いた手をのばし、関山は女の躰《からだ》を引き寄せた。
女は髪を、無造作な櫛巻《くしまき》にして、子持ち縞《じま》の素袷《すあわせ》の腕をまくり、これも茶わん酒をのんでいる。
はだけた胸もとから乳房がはみ出しかけてい、酒の火照《ほて》りで喉元《のどもと》も胸も赤く染まっていた。
大年増《おおどしま》である。
むろん、ただの女ではない。
「畜生め」
叫んで、関山が女を組み敷き、馬乗りになった。
「ばか」
と、いったが、女の眼《め》は笑っている。
「そんなに、くやしければ、もう一度、やってみたらいいじゃあないか、百さん」
「おう、やるとも」
「ひとりでかえ」
「こうなったら金ずくではない」
「その意気だ」
「何としても、あの男を叩《たた》っ斬らなくては腹の虫がおさまらぬ。痩《や》せても枯れても関山百太郎の一刀流だ。この面《つら》へ傷をつけられて、このまま引っ込むわけにはいかねえぞ」
いいながらも関山は、女の着物を毟《むし》り取り、
「畜生め、畜生め……」
荒々しく、躰を揺動させはじめた。
「ああ、百さん。たまらないよう」
女は、ふとやかな双腕《もろうで》で関山百太郎の頸《くび》を巻きしめ、嬌声《きょうせい》をあげる。
階下では、この家のあるじの桶屋の七助が、大きな額の下に窪《くぼ》んだ両眼を据《す》え、これも茶わん酒を舐《な》めるようにしてのんでいる。
四十がらみの七助の躰は細く小さく、猫背《ねこぜ》であった。
二階の女の、あたりかまわぬ嬌声は、階下の七助が酒をのんでいる仕事場にまできこえてくる。
突然、七助は立ちあがって行燈の灯を吹き消した。
そのまま、凝《じっ》と立ちつくしていたが、やがて仕事場の闇の中に蹲《うずくま》って、
「畜生め……」
呻《うめ》くがごとくに呟いた。
それから二刻《ふたとき》(四時間)ほどすぎた。
〔桶七〕の二階では、半裸の関山百太郎と全裸の上に子持ち縞の着物を引きかぶった件《くだん》の年増女が眠りこけていた。
せまい部屋の中に、酒のにおいと男女ふたりの体臭が蒸れこもってい、ふたりとも軒声《いびきごえ》を発している。
このとき……。
男がひとり、音もなく、梯子段《はしごだん》をあがって来た。
ほかならぬ桶屋の七助であった。
部屋へ入って来た七助は屈《かが》み込んで、寝穢《いぎた》なく眠っている関山と女に見入った。
行燈には、まだ微《かす》かに火がともっていた。
何処かで、犬が啼《な》いている。
「わあっ……」
異様な喚声《わめきごえ》を発した桶屋の七助が立ちあがって、両手につかみしめた出刃庖丁《でばぼうちょう》を、仰向《あおむ》けになって眠っている関山百太郎の腹へ突き刺した。
凄《すさ》まじい絶叫をあげ、関山がはね[#「はね」に傍点]起きた。
七助は、関山の腹へ深々と突き入れた出刃庖丁をそのままに手をはなし、梯子段を駆け降りて行った。
いや、ほとんど転げ落ちたといったほうがよいだろう。
「だ、だれだっ!!」
腹から庖丁を引き抜き、大刀をつかんだ関山が七助を追った。
目ざめた女の顔に、関山の腹から噴出した血がかかり、
「ど、どうしたんだよ、百さん……」
何がどうしたのだか、わけもわからず、女が立ちあがったときには、関山百太郎も梯子段を転げ落ちた。
「むう……」
しかし、関山は半身を起し、手ばなさなかった大刀を抜きはらった。
仕事場の向うの表戸が一枚、開いていて、外の道が月の光りに浮きあがって見えた。
「おのれ……七助か……」
ここで、関山もわかったらしい。
刀を杖《つえ》に、関山は外へ出て、あたりを見まわした。
逃げた七助の姿は、何処にも見えなかった。
桶屋の二階で、女の叫び声がきこえた。
行燈の灯影《ほかげ》に、おびただしい流血を見たのであろう。
関山は、たまりかねたかして桶屋の門口へぐったりと坐《すわ》りこみ、
「畜生……関山、百太郎の一刀流が……桶屋ふぜいに……」
切れ切れに呟いたが、そのまま、横ざまに倒れて息絶えた。
「おい……もし……おい、繁蔵《しげぞう》。おれだ、開けてくれ」
表も裏もない、一つきりの戸口の向うで、男の低い声がした。
岩戸《いわと》の繁蔵は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》の松平|肥前守《ひぜんのかみ》・下《しも》屋敷の、中間《ちゅうげん》部屋の博奕場《ばくちば》から帰ったばかりのところであった。
博奕打ちの繁蔵は、四谷《よつや》の仲町《なかまち》の「貧乏横丁」とよばれている棟割り長屋に住んでいる。
「だれだ?」
「七助だ、七助だよ」
「なあんだ。いまごろ、どうした?」
立って行き、心張棒を外し、戸を開けると、桶《おけ》屋の七助が泳ぐように入って来て、
「繁蔵、見てくれ。だれか、おれの後を尾《つ》けて来ねえか、どうか……」
「何だと?」
「たのむ、見てくれ」
繁蔵は、外を見て、人影がないのをたしかめると、戸を閉めて心張棒を支《か》った。
「助けてくれ、繁蔵」
もどって来た繁蔵の左の袖《そで》を、七助がつかんだ。
繁蔵の左腕は、肘《ひじ》から下が無い。
「どうしたんだよ?」
「やっちまった……」
「何を?」
「野郎を……関山百太郎のどてっ腹[#「どてっ腹」に傍点]へ出刃ぁ突っ込んでやったよ」
「…………」
七助は這《は》うようにして台所へ行き、喉《のど》を鳴らして水瓶《みずがめ》の水をのんだ。
「ほんとうかい?」
「ほ、ほんとうだ」
「よく、やれたもんだな」
「野郎、お米《よね》と酔いつぶれていやがったんだ」
「ふうむ。それにしても、お前《めえ》……」
「ざ、ざまあ、見やがれ」
「死んだのか?」
「わからねえ、野郎のどてっ腹へ出刃は残して、一目散に、逃げて来た」
「女は?」
「知らねえ」
「女は、手にかけなかったのか?」
「ひ、ひとりで精一杯だ。とても、そんな……」
「なるほど」
「匿《かく》まってくれるか?」
「当り前だよ」
きっぱりと、岩戸の繁蔵はいった。
桶屋の七助は、繁蔵にとって四つ年上の、
「腹ちがいの兄」
ということになっている。
二人の父親・初次郎《はつじろう》は、板橋宿で桶屋をしており、七助を生んだ女房が病死して間もなく、後妻を迎えた。
後妻は、おみね[#「おみね」に傍点]といい、なんでも武州・熊谷《くまがや》の宿場女郎をしていたのが、板橋宿の古着屋の女房となり、その古着屋が病死してしまった。
同じ板橋に住む〔やもめ同士〕というわけで、口をきいてくれる人もあり、初次郎の後妻となった。
だから、岩戸の繁蔵は、おみねの腹から生まれた。
そのことに間ちがいはない。
ないが、しかし、父親が桶屋の初次郎かというと、これがどうも怪しいのだ。
そもそも、おみねと初次郎が夫婦になってから、繁蔵が生まれるまでの日数が、どうも合わないというので、宿場の中でも、いろいろとうわさがあったらしい。
それでも、おみねが女房でいるうちは、初次郎も何くわぬ顔をしていたらしい。
おみねは、繁蔵が七つになったとき、突然、家出をしてしまい、消息が知れなくなった。
「てめえなんぞは、おれの子じゃあねえ」
と、初次郎が憎々しげに繁蔵へいうようになったのは、それからだ。
けれども、七助は繁蔵を可愛《かわい》がって、
「あんなおっ母《かあ》はいねえほうがいいよ。兄《あん》ちゃんがついているから、心配するな」
何かにつけて、辛《つら》く当る父親から繁蔵を庇《かば》ってくれた。
「もしも、兄貴がいなかったら、おれはどうなっていたか知れたものじゃあねえ」
大人になってからも繁蔵は、よく七助にいったものだ。
もっとも、四十に近い年齢《とし》になって、小さな悪事を重ねたあげくに、喧嘩沙汰《けんかざた》で左腕を切り落されたり、いまだに博奕で食べているという境界《きょうがい》では、
(どっちにしろ、同じことだったかも知れねえが……)
と、繁蔵は、つくづくおもう。
けれども、父親が死んでから、兄の七助といっしょに板橋で暮した数年間は、繁蔵にとって、
「忘れることができねえ……」
たのしい日々だったといえよう。
七助は家業の桶屋を継ぎ、二十四のときに女房をもらった。
この兄の女房と繁蔵とが、どうも折り合いがよくなかった。
それもあったろうが、繁蔵が兄の家を飛び出したのは、やはり、博奕が原因であった。
土地《ところ》の無頼どもに金を借りて、首がまわらなくなり、繁蔵は兄の金を二両一分盗んで家出をした。
それはいいのだが、後難は兄の七助へふりかかった。
「あのときばかりは、お前、ほんとうにもう、何度も首を括《くく》って死のうとおもったぜ」
と、後年、弟と再会したとき、七助は嫌味《いやみ》ではなしにそういったものだ。
土地の無頼どもは、繁蔵の借金を七助へ背負わせた。
七助夫婦が板橋から夜逃げをしたのは、このためである。
それから七助は、同業の伝手《つて》をもとめ、一時は駿府《すんぷ》(静岡市)城下の桶屋へ、夫婦して住み込みで入り、はたらいていたこともあった。
七助の女房は、このときに病死してしまった。
「兄ちゃんにも似合わねえ、どうして、あんな陰気な女を女房にしたのだ」
と、かつて、繁蔵が洩《も》らした七助の女房は、癇《かん》は強いが躰《からだ》のほうは強くなかったらしい。
七助は、やがて品川宿で店をもったが、独り身暮しの気楽さから博奕をおぼえ、家業の邪魔にならぬ程度に遊ぶようになった。
七助と繁蔵の兄弟が再会したのは、一昨年の夏のことで、場所は、芝・高輪《たかなわ》にある本多家の下屋敷・中間部屋の博奕場だったのだ。
「あれから、まあ、お前は何処《どこ》へ行ったのだ?」
「兄貴。すまねえ。一時はな、ひどい病にかかって、多摩郡の岩戸というところで行き倒れていたのを、そこの百姓に助けられ、そこのね、むすめを女房にして畑へ出たりしたもんだが……やっぱり、いけねえ。二年もすると飛び出してしまい、いまは、ほれ、ごらんのとおりさ」
と、繁蔵は切断された左腕を袖の上からさわらせて、七助をびっくりさせた。
こうして、二人のまじわりがはじまった。
岩戸の繁蔵は、
「おれのほうから、兄貴のところへ顔を出したりして、何か、さしさわりが起きてはいけねえ」
と、われから品川の兄の家へは足を向けなかった。
七助のほうから、三月に一度ほど、繁蔵を訪ねて来て、酒を酌《く》みかわしたりする。
七助が、千住《せんじゅ》の宿場女郎・お米《よね》を身受けして、
「女房にした」
と、きかされたのは、去年の春ごろだったろう。
「兄貴。お前、大丈夫《でえじょうぶ》かえ?」
繁蔵は不安であった。
宿場女郎のすべてがそうだというのではないが、なんといっても、自分を捨て去った母親の印象が強すぎる。
「ま、いいやな。どうせ、博奕で当った金で物にした女だ。おれも、もう四十の坂を越えたのだから、いまのうちに女の肌身《はだみ》をたのしんでおきてえのさ」
「宿場女郎は尻《しり》が軽いぜ、兄貴」
「お前の、おふくろのことかい」
「そうとも」
「なあに、お米が男をこしらえて出て行くなら、引きとめはしねえよ」
などと、七助は自信ありげだったが、いざとなると、そうはいかなかったのである。
浪人・関山百太郎《せきやまひゃくたろう》を連れて来たのは、ほかならぬお米であった。
「この関山先生は剣術遣いでね。むかしのなじみなんだよ、お前さん。いま、法禅寺《ほうぜんじ》さんの前で、ぱったりと出合ったのさ。関山先生はねえ、ちょうど塒《ねぐら》がねえのだとさ。いいだろう、お前さん。うち[#「うち」に傍点]の二階を貸してもさ」
と、お米は七助に有無をいわさず、その場から関山を二階へ引っ張り込んでしまったという。
これが、今年の正月のことだ。
「畜生。ひでえ女だ」
と、訪ねて来た七助が蒼《あお》ざめて語るのをきいて、
(だから、いわねえことじゃあねえ)
岩戸の繁蔵は、
(兄貴、どうしているか……)
気にかけながら、日を送っていたのである。
「関山といっしょに、お米《よね》が出て行ってくれたほうがよかったのだよ、繁蔵《しげぞう》。ところが、二階に居すわってうごくものじゃあねえ。すっかり、おらあ、あいつらに舐《な》められちまった。昨夜はな、関山の野郎が何処かで喧嘩《けんか》でもしたらしく、面《つら》へ手傷を負って帰って来やがって……それなのにお前、お米といっしょに大酒をくらやあがって、これ見よがしにおっぱじめやがった。遠慮も何もあるものじゃあねえ。まるで、けだものだよ。おれも、ずいぶん我慢をしたが、昨夜という昨夜は、どうにも堪《こら》えきれなくなっちまった……」
夜明けまで、七助と繁蔵は語り合った。
それから、ひと眠りして、
「いいかえ、兄貴。おれがもどるまでは外へ出ちゃあいけねえよ。訪ねて来る人もねえとおもうが、だれが来ても心張棒を外さねえことだ」
七助に言い置いて、岩戸の繁蔵は家を出た。
品川の様子を、密《ひそ》かに、
(見てこよう)
と、おもったのだ。
さいわいに繁蔵は、一度も七助の家を訪ねたことがなかった。
武州・荏原《えばら》郡の品川宿は東海道五十三次の第一駅であって、大小の妓楼《ぎろう》や、さまざまの店屋が軒をつらねている。
桶《おけ》屋の七助の家には、宿役人が出張っていて、何かと調べているらしい。
家のまわりには、まだ、人だかりがしていた。
「いったい、何があったので?」
繁蔵は、このあたりの女房らしいのへ声をかけてみた。
女は、気さくに、
「いいえね、ここの桶屋の七助さんというのが、女房の間男《まおとこ》を出刃で殺したらしいんですよ」
「へへえ。桶屋さんは捕まったので?」
「いえ、逃げちまった」
「ふうん。おかみさんのほうは?」
「これも逃げちまったらしい。でも、おどろいたねえ、まったく。ここの桶屋に、こんな度胸があるとはおもわなかった。殺《や》った相手は二本差ですからねえ」
「へえ、大したものだ」
七助の家から、土地《ところ》の御用聞きらしいのが手先と共に出て来たので、繁蔵は、
(此処《ここ》にいてもはじまらねえ)
いったん、東海道へ出た。
(さて、これから兄貴をどうしたらいいものか……)
思案をしながら、北品川二丁目の西側にある〔信濃屋《しなのや》〕という蕎麦《そば》屋へ入った。
ちょうど昼どきで、中の入れ込みに客があふれている。
(これじゃあ仕方がねえ)
あきらめて外へ出ようとしたとき、入れ込みの一隅《いちぐう》で酒をのんでいる侍の横顔が繁蔵の目に入った。
(あっ……)
あわてて繁蔵は外へ飛び出し、街道の向う側の、浜道とよばれている横丁へ身を隠した。
(野郎、こんなところにいやがった……)
荷馬や旅人が往来する東海道の向うに蕎麦屋が見える。
岩戸の繁蔵は、立ち去ろうともしなかった。
繁蔵が、貧乏横丁の長屋へ帰ったのは日が暮れてからで、
「おい、兄貴。おれだよ」
声をかけると、心張棒を外した七助が、
「ど、何処へ行ってたのだ。気が気じゃあなかったよ」
ふるえ声を出して、
「もしや、お前が捕まったのではねえかとおもって……」
「冗談じゃあねえ。おれが出刃を突っ込んだわけでもねえのに、捕まるわけはねえ。ちょいと急な用事をおもい出したので、寄り道をして来たのだ」
「そうか……」
「腹がへったろう。すぐに仕度をするぜ」
「どうなってたよ?」
「浪人は死んだとよ」
「そうか。ざまあみやがれ」
「女は逃げたらしいぜ」
「ふうん……」
「どうした?」
「なんでもねえ」
といったが、七助は目を逸《そ》らし、ごろりと横になって頭を抱えた。
「兄貴。まだ、あの女に未練があるのか?」
「ねえ」
「ほんとうかい?」
「ねえ、ねえ。ねえったらねえ」
と、七助が拗《す》ねた子供のような声を出した。
魚の干物《ひもの》で腹ごしらえをした岩戸の繁蔵は、
「こんどはすぐに帰るから、先に寝ていてくれ」
と、七助にいい、また、外へ出て行った。
繁蔵が訪ねて行った先は、さして遠くない内藤新宿の下町にある傘《かさ》屋の徳次郎《とくじろう》の家である。
四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》の手先をつとめている傘屋の徳次郎に、自分の弱味をつかまれている岩戸の繁蔵は、博奕場《ばくちば》などで耳へはさんだ犯罪の情報を、徳次郎へ送りとどける。
ちかごろの繁蔵は、博奕はしても悪事はつつしんでいるし、傘徳も何かにつけて面倒を見てやっているようだ。
先ごろの、無頼浪人・山口|為五郎《ためごろう》に関《かか》わる事件でも、岩戸の繁蔵の密告によって、解決をみたといってよい。
折よく、傘屋の徳次郎は家にいて、女房のおせき[#「おせき」に傍点]と酒をのんでいた。
このところ、四谷|界隈《かいわい》に事件も起らず、日に一度は弥七のところへ顔を出す徳次郎だが、
「おせき。たまには、手つだってやろうじゃねえか」
神妙に、傘屋の店番を買って出たりしている。
「繁蔵か。さ、入んねえ。何もねえが、いっしょにやろう」
「親方……」
「どうした。また、何かあったのか?」
「とんでもねえ野郎を見つけました」
「だれだ?」
「井上|権之助《ごんのすけ》でござんす」
「おい、ほんとうか?」
「この目で見ました」
「何処で?」
「品川で」
「井上は、江戸へもどっていやがったのか……」
「羽織・袴《はかま》のきちん[#「きちん」に傍点]とした恰好《かっこう》で、月代《さかやき》もきれいにしていやがって……」
「それで、どうした?」
「後を尾《つ》けましたら、愛宕《あたご》下の旗本屋敷の裏門から中へ消え込みました。へい、そこは、岡部阿波守《おかべあわのかみ》様の御屋敷だと聞きました。それから一|刻《とき》(二時間)ほど見張っていましたが、井上の野郎は出てめえりません。ともかくも、私ひとりではどうにもならねえので……」
岩戸《いわと》の繁蔵の目は血走っている。
これまでのように、ただ密告すればいいというのではなく、自分も傘徳の下で、
(どんなことでもする……)
つもりらしい。
それはそうだろう。
五年前に、繁蔵の左腕を切り落したのは、ほかならぬ井上権之助なのである。
以前、井上|権之助《ごんのすけ》は、四谷《よつや》御門|外《そと》に屋敷を構える千五百石の旗本・織田甲斐《おだかい》の家来であった。
井上は、剣術にも弓術にも達していたそうだが、用人の大崎《おおさき》某に疎《うと》まれ、事毎《ことごと》に辛《つら》くあたられたのを恨み、夏の或《あ》る夜ふけに、大崎用人を斬殺《ざんさつ》し、屋敷の金を五十両ほど奪って逃走した。
当時、四谷の弥七《やしち》は、亡父の跡を継いで御用聞きになってから四年目のことで、織田屋敷も弥七の縄張《なわば》り内に入っているので、すぐさま探索にかかったが、井上の行方は知れなかった。
人相書も配られたし、弥七の手先になったばかりの傘屋の徳次郎も懸命にはたらいたものだ。
しかし、半年もすると、他の事件も起るし、井上一件の探索は一応、打ちきりとなった。
「おそらく、もう、江戸にはいまいよ」
と、弥七はいった。
それから一年ほどして、岩戸の繁蔵《しげぞう》が千駄《せんだ》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》・裏手の百姓家でひらかれた博奕場《ばくちば》で大酒をのんで暴れ出したことがある。
「あのころのあっしは、箸《はし》にも棒にもかからねえほど荒《すさ》んでいましてね」
と、いつだったか繁蔵が傘徳にいい、
「それなら、いまのお前は、いくらか箸に引っかかるようになったかい」
徳次郎に冷やかされたことがあった。
博奕場で暴れ出した岩戸の繁蔵の顔を、
「しずかにしろ」
いきなり、殴りつけた浪人が井上権之助で、
「何をしやあがる!!」
つかみかかった繁蔵の左腕を、立ちあがりざまに井上が脇差《わきざし》の抜き打ちで、すぱっ[#「すぱっ」に傍点]と切り落し、さっさと外へ出てしまった。
どうにか傷痕《きずあと》も癒《い》え、久しぶりで博奕場へ顔を出した岩戸の繁蔵へ、博奕仲間のひとりが、
「おい、繁蔵。相手が悪かったよ。あの浪人はな、以前、織田様という御旗本の用人を叩《たた》っ斬《き》り、金を奪《と》って逃げたほどのやつだからな」
と、洩《も》らした。
繁蔵は、
「野郎、今度、出合ったら生かしちゃあおかねえ」
などと息巻いて、みんなに笑われたものだ。
後に、傘屋の徳次郎に拾われたとき、
「お前、その片腕は、だれに斬られた?」
徳次郎に尋《き》かれて、当時のことを包み隠さずに語ると、
「そうか、井上権之助は江戸にいやがったのか」
すぐさま、四谷の弥七に告げたので、ふたたび探索がおこなわれた。
だが、このときも、井上は姿を暗ましてしまったのである。
さて……。
岩戸の繁蔵を連れた傘屋の徳次郎が、すぐさま、四谷の弥七のところへ駆けつけて、
「繁蔵が、井上権之助を見かけたそうでござんす」
「江戸にいやがったか……」
「へえ」
始終を聞いた弥七が眉《まゆ》をひそめ、
「愛宕《あたご》下の旗本屋敷の、裏門から入って行ったのだな?」
「さようで」
と、繁蔵。
「塒《ねぐら》は、他にあるのではねえかとおもいますが……」
徳次郎がいうのへ、
「裏門から入って行ったというのは、その岡部《おかべ》屋敷と関わりをもっているのだ。井上は浪人とも見えねえ身形《みなり》をしていたというじゃあねえか。こいつは、むずかしいぜ」
と、弥七は腕を組んだ。
弥七が役目|柄《がら》、常備している小型の武鑑で調べて見ると、岡部|阿波守《あわのかみ》は千石の旗本で、役目は小普請組《こぶしんぐみ》の支配をしている。
「こいつは、おれの一存ではいかねえ」
四谷の弥七は、自分が直属している町奉行所の同心・永山|精之助《せいのすけ》が、先ごろ殺害されてから、
「ぜひとも」
と、請《こ》われ、堀小四郎《ほりこしろう》という同心の下ではたらくことになった。
「明日の朝、堀の旦那《だんな》の耳へ入れておこう。徳次郎は、深入りをしねえようにして、それとなく探ってみてくれ」
「合点《がってん》です」
織田甲斐の屋敷では、用人を殺して逃げた井上権之助のことなど、もう忘れているにちがいない。
後で、弥七の耳へ入ったところによると、殺された大崎用人も主家の公金をふところへ入れたりして、相当にひどい男だったらしい。井上も、この用人には、かなり苛《いじ》められていたそうな。
「いいか、繁蔵。お前は出て来るなよ。お前の恨みをはらすことができるようなら、きっと声をかけてやる」
弥七の家を出たとき、徳次郎が念を入れるや、
「邪魔にはなりませんよ、親方。お前さんは野郎の顔を見てはいねえもの」
「それあ、そうだが……」
「たのみます。連れて行っておくんなさいまし」
「そうよなあ……」
その翌朝。
まだ暗いうちに飯を炊《た》き、身仕度をしている繁蔵へ、桶《おけ》屋の七助が、
「おい。また、どこかへ行くのか?」
「よんどころねえ用事ができたのだよ」
「ひとりで、此処《ここ》に閉じこもっている、おれの身にもなってくれよ」
と、七助が心細げに、
「たのむ。今日は行かねえでくれ」
「いや、こっちこそ、たのむよ兄貴。行かせてくれ、たのむ」
「お前、血相が変っているぜ。え……どうしたんだ、え?」
「何でもねえ」
「お前、さっき、起きたとき、妙な物をふところへ入れたな。ありゃあ何だ?」
「な、何でも……」
「ねえことはねえだろう。ありゃ刃物だ。あいくち[#「あいくち」に傍点]だ」
「う……」
おもえば妙なことになった。
傘屋の徳次郎を助けて、殺人犯の探索をすることになった岩戸の繁蔵自身が、殺人犯の兄を匿《かく》まっているのである。
何とか七助をなだめ、長屋を出た繁蔵が傘屋の徳次郎と落ち合い、愛宕下へあらわれた少し前に、井上権之助は岡部阿波守屋敷の裏門から出て、何処《どこ》かへ立ち去っている。
井上と共に二人の侍が出て行ったが、これは岡部阿波守の家来らしい。三人とも袴《はかま》をつけ、塗笠《ぬりがさ》をかぶっていたようだ。
この日。
秋山大治郎は、外出《そとで》をしなかった。
昨日は、田沼|主殿頭《とのものかみ》・屋敷内の道場へ稽古《けいこ》に行き、今日は自分の道場で、朝から門人たちへ稽古をつけたのである。
田沼家の家来の中でも、熱心なのが五名ほど来るし、ちかごろは、旗本の子弟や大名家の家来が合わせて十二名ほど、稽古に来るようになっていた。
「大治郎の剣術も、このごろ、少しは商売になってきたようじゃな」
と、秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に洩《も》らしていたそうな。
大治郎は、一昨日の夜、おはるの小舟で大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を渡してもらい、我が家へ帰ってから、
「実は、三冬……」
目黒で刺客《しかく》どもに襲われたことを語り、
「これ[#「これ」に傍点]といって身におぼえはないが、曲者《くせもの》どもは、おそらく、この家をつきとめているにちがいないと父上は申された。私も、そうおもう。油断なきようにたのみます」
「心得ました」
と、三冬は、いささかもおどろかぬ。
「当分は外出をつつしむつもりだが、田沼様の稽古は欠かせぬ」
「はい」
「曲者の中に、弓矢を遣う者がいる。これに気をつけぬと……」
「さようでございますな」
昨日、大治郎が田沼屋敷へ出向いた留守に、三冬は小太郎《こたろう》に気をつけながら、外の石井戸へ水を汲《く》みに出るときも油断はしなかった。
小太郎は間もなく、満一歳の誕生日を迎えようとしている。
いまが可愛《かわい》いさかりで、顔だちは、いよいよ母の三冬に似てくる。まだ、ひとりで立っては歩けぬが、坐《すわ》ることもできるし、三冬の手鏡に映る自分の顔を凝《じっ》と見つめたり、父母の躰《からだ》や机につかまって伝い歩きをしたり、両手を拳《こぶし》にして力みながら「ウー」とか「ワー」とか大きな声をあげるようになってもいた。
大治郎夫婦は、このことを門人たちへ洩らさぬようにした。飯田粂太郎《いいだくめたろう》へも告げなかった。
彼らに、
(心配をかけても、はじまらぬ)
と、おもったからだし、こちらの警戒がおもてに出すぎると、曲者どもが姿をあらわさぬことになるやも知れぬ。
大治郎は、つぎの襲撃を待ちかまえている。
昨日は、小兵衛とおはるが朝から来て、日暮れまで小太郎を遊ばせていた。
小兵衛は、おはるを先へ帰し、自分は大治郎が田沼家から帰るまで残っていて、夜に入ってから、橋場《はしば》の船宿〔鯉屋《こいや》〕から小舟を出させ、大川の対岸にある我が家へ帰って行った。
今日は、小兵衛もおはるも顔を見せぬ。
小兵衛は早朝に起きて、浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へ行き、駕籠で四谷《よつや》の弥七《やしち》のところへおもむいた。
だれにも洩らしていないが、そこは父親だけに大治郎のことが心配になり、弥七へ相談するつもりになったのであろう。
夕暮れといっても、あたりは、まだ明るい。
門人たちが帰った後で、秋山大治郎は石井戸の前へ出て水を浴び、汗をながした。
下帯ひとつの裸身で、寸鉄も帯びていない。大治郎は石井戸の前へ屈《かが》み込み、しずかに、ゆっくりと水を浴びている。
三冬は勝手口の戸を細めに開け、夫を見まもっていた。
丘の上にある大治郎の住居と道場のまわりは、木立と竹藪《たけやぶ》で、西と南の方がひらけ、田圃《たんぼ》がひろがっている。
夜になると、新吉原《しんよしわら》の遊里の灯《ひ》が空を赤く染める。
「日が長くなった……」
日が沈みかけている西の空をながめ、大治郎が呟《つぶや》いた。
台所から、味噌《みそ》の匂《にお》いがただよい、若葉のにおいが、朝や夕暮れには濃厚にただよってくる。
水を浴び終えた大治郎が立ちあがって、たくましい躰を手ぬぐいで拭《ふ》きはじめた。
そのときだ。
大治郎の躰の見える松林の中で、いつの間にあらわれたのか、井上|権之助《ごんのすけ》が半弓に番《つが》えた矢を引き搾《しぼ》った。
井上は、目黒のときと同様に覆面をしており、その傍に、これも覆面の二人の侍が大刀を抜きはらい、片膝《かたひざ》をついていた。
井上の矢は、松の木立の向うに見える秋山大治郎の側面の胸をめがけて、いまや飛びかかろうとしている。
ちょうど、そのころ……。
愛宕《あたご》下の岡部《おかべ》屋敷を見張っていた傘《かさ》屋の徳次郎は、
「こいつは、どうもむずかしい」
匙《さじ》を投げた顔つきになって、岩戸《いわと》の繁蔵《しげぞう》へ、
「まわりは武家屋敷と寺ばかりだし、こっちの躰を隠すところもねえ」
「畜生……」
と、繁蔵は呻《うめ》いた。
目ざす井上権之助の姿は、あらわれない。
それも道理だ。
朝早く岡部屋敷を出た井上は、いま、秋山大治郎の胸へ必殺の矢を射込もうとしているのである。
「そうかといって、武家屋敷へ聞き込みをするわけにもいかねえ。繁蔵、四谷の親分も、もう帰っていなさるだろう。今日は、ここまでにしようじゃあねえか」
「ですが、親方」
「なあに、井上は、お前に気づいてはいねえのだから、勝負はこれからだ」
「へえ……」
二人が四谷へ向うころ、岩戸の繁蔵の長屋から、桶《おけ》屋の七助がそっ[#「そっ」に傍点]とあらわれた。
いくらか読み書きもできる七助は、繁蔵へ置き手紙をしておいた。
昼ごろ、外へ出た七助は、鮫《さめ》ヶ橋《はし》の蕎麦《そば》屋で腹ごしらえをしたとき、筆紙をもらって置き手紙を書いておいたのだ。
その手紙には、
「いつまで、ここにいてもしかたがねえ。おめえにめいわくかけたくねえ。これから、前にいたすん[#「すん」に傍点]府の桶やへゆき、ほとぼりさましてくる。たっしゃでいてくれ」
と、書いてあった。
桶屋の七助は、尻《しり》を端折《はしょ》り、昼間に買っておいた菅笠《すげがさ》をかぶり、草鞋《わらじ》ばきで夕闇《ゆうやみ》にまぎれ、立ち去って行った。
傘徳と繁蔵とは一足ちがいで、愛宕下の岡部屋敷の様子を見に来た四谷の弥七は、あたりをひとまわりした上で、
(これでは、どうにもならねえ。二人とも帰ったのだろう)
これまた、四谷の我が家へ急いだ。
弥七の報告を受けた同心・堀小四郎は、上司の意見を聞いて、
「手を出すのは、もう少し待て」
と、弥七にいった。
この間、かなり長い時間がかかった。
町奉行所は、評定所《ひょうじょうしょ》とも連絡をとったものらしい。
四谷の弥七が愛宕下を引きあげる前に、井上権之助が引き搾った矢は弦《つる》をはなれていた。
その矢が弦《つる》をはなれるのと、夕闇《ゆうやみ》を切り裂いて疾《はし》ってきた石塊《いしくれ》が井上|権之助《ごんのすけ》の|顳ソ[#「ソ」は「需+頁」、第3水準1-94-6、DFパブリ外字="#F4BF"]《こめかみ》へ命中するのと、どちらが早かったろう。
たとえ、秋山大治郎が立ったままでいても、井上が放った矢は大治郎へ命中しなかったはずだ。
ねらい[#「ねらい」に傍点]が狂った矢は、大治郎の斜め前方を飛びぬけた。
それはつまり、石塊の命中のほうが、一瞬早かったことになる。
同時に、井戸端で、身を沈めた大治郎が振り向いて、
「出たな」
と、叫んだ。
三冬が傍に用意してあった大治郎の大刀をつかんで外へあらわれた。
このとき、彼方《かなた》から石塊を投げつけた秋山小兵衛が、松の樹間を縫って三人の曲者《くせもの》へせまって来た。
目が暗みかけた井上権之助だが、こうなれば二の矢を番《つが》える間とてない。
「うぬ!!」
大刀を抜き、松林から走り出て、猛然と大治郎へ斬《き》りつけた。
小兵衛は、これにつづこうとする二人の刺客の左手からせまり、
「曲者ども。こっちを向け」
「あっ……」
と、二人は、音もなく走り寄って来た小兵衛に気づかなかったらしい。
井上の矢のねらい[#「ねらい」に傍点]が狂ったのは、石塊が命中したのだともわからなかった。
身を沈めた秋山小兵衛が、抜き打ちに刺客の足をはらった。
咄嗟《とっさ》に刃を返して峰打ちにしたのだが、
「ぎゃあっ……」
左の脛《すね》の骨を叩《たた》き折られて悲鳴をあげ、転倒する。
二人目の刺客は、松の幹を楯《たて》にとり、
「何者だ?」
と、小兵衛へ叫んだ。
こやつが小兵衛を誰何《すいか》するとは、笑止千万《しょうしせんばん》というところだ。
「おのれこそ、何者じゃ?」
「う……」
「だれにたのまれた?」
「黙れ!!」
これより先、松林から飛び出して来た井上権之助へ、秋山大治郎は桶《おけ》を投げつけている。
井上は剣術も相当に遣うのだが、小兵衛が投げた石塊に撃たれた上、凄《すさ》まじい勢いで飛び出して来たものだから、顔を振って桶を避けることができなかった。
「あっ……」
桶は、井上の鼻柱へ命中した。
よろめいた井上へ、下帯一つの大治郎が走り寄って来た。
三冬は大刀を抜き、あたりに目を配った。
それでも井上権之助は、よろめきながらも、大治郎を切りはらった。
むろん、難なく躱《かわ》し、つけ入った大治郎が井上の股間《こかん》を蹴《け》りつけた。
これは、たまったものではない。
大刀を落した手で股間を押え、前のめりに両膝《りょうひざ》をついた井上の頸《くび》すじを、大治郎が手刀で打ち据《す》えた。
がっくりと、井上は伏し倒れ、気を失った。
秋山小兵衛と対峙《たいじ》していた刺客が逃げようとしたのは、このときである。
小兵衛も同時にうごき、曲者の右側へ走り出て、これも峰打ちで胴をはらった。
脚の骨を折られた、もう一人の刺客は唸《うな》り声をあげ、這《は》って逃げようとして逃げきれず、大治郎に捕えられてしまった。
「あ、父上……」
「外出《そとで》の帰りじゃ」
「さようでしたか……」
「念のため、向うの竹藪《たけやぶ》から、こっちへまわって来たら、お前が弓矢にねらわれている。いや、おどろいたわえ」
「それは、どうも……」
「だが、いかになんでも、裸で水浴びとは、このさい、いささか無謀ではないのか」
「ですが父上。これほどにいたさぬと、相手もあらわれませぬ」
「気づいていたのか?」
「矢を引き搾《しぼ》る気配が、わかりました」
「水を浴びていたときに、ねらわれたら何とする」
「いえ、石井戸の傍《わき》へ躰《からだ》をそばめておりましたので」
「なるほど」
「三冬は、台所の戸を開け、目をくばっていてくれました」
「ふうん……」
小兵衛は、不在の弥七《やしち》が帰るのを、午後まで待ったが、帰って来ないので、
「さして急がぬが、ちょっと、ついでに寄ってくれと弥七へつたえておくれ」
弥七の女房に言い置き、町駕籠《まちかご》をよんでもらい、帰って来た。
昨日もそうだったが、今日も、大治郎の家をだれかが見張っていることも考えられたので、
「橋場で駕籠を下り、お前の家のまわりを見まわったまでじゃ」
とのことである。
「それは、かたじけなく……」
「なに、明日も一応、見まわってみるつもりでいた」
三冬は刀を鞘《さや》へおさめ、
「父上。ありがとう存じまする」
深ぶかと頭をたれた。
四谷《よつや》の弥七が、小兵衛の隠宅へあらわれたのは、翌朝であった。
「おお、弥七。来てくれたか」
「昨日は、ちょっと、八丁堀《はっちょうぼり》から奉行所のほうへまわっておりましたので」
「また、何か起ったのかえ?」
「はい」
「わしのほうもな、ちょいと相談に乗ってもらいたいことがあったのだが、お上《かみ》の御用でいそがしいのでは……」
「なに、かまいませんので。こっちのほうは、私の手ではさばき切れないことでございましてね」
「そうか。それでは、いっしょに大治郎のところまで来てくれぬか。妙な獣《けだもの》を三匹、捕まえたのでな」
弥七へ、そういってから小兵衛が、
「おはる[#「おはる」に傍点]。舟をたのむ」
「あい、あい」
やがて、小兵衛と共に大治郎の道場へ到着した四谷の弥七は、大治郎や飯田粂太郎《いいだくめたろう》、それに田沼屋敷から稽古《けいこ》に来た門人たちに囲まれている三人の刺客《しかく》を見せられて、目をみはった。
井上権之助以下、三人の刺客は手足を太い材木に縛りつけられ、道場の中央に転がされていた。
それが、材木に抱きついているように見える。
足の骨を折られた刺客は、あまりの激痛に、人相まで変ってしまったようだ。
「どうした、弥七」
「それが、大《おお》先生。そこの、真中にいる……」
と、弥七が井上を指して、
「こいつの人相書が、まわっているんでございますよ」
「何じゃと……」
「それにしても、これはいったい……」
弥七は、秋山|父子《おやこ》を交互に見やって、
「どうしたことなんでございます?」
あのときのことを、秋山大治郎はすっかり忘れてしまっていた。
牛込《うしごめ》の早稲田《わせだ》町に、横山|正元《しょうげん》という中年の町医者が住んでいる。
正元は医者だが、秋山父子と同じ無外流《むがいりゅう》の剣術を遣うし、酒も女も、
「大好物」
と言ってはばからぬ人物で、秋山父子との交誼《こうぎ》も長い。
三年前の、春の或《あ》る日に、秋山大治郎は横山正元を訪ね、酒を酌《く》みかわしながら歓談し、正元宅へ一泊した。
当時の大治郎は三冬と結婚する前だったし、正元医師も気楽な独り暮しであった。
翌日の昼すぎになって、大治郎は正元宅を辞し、帰途についた。
裏手の畑道へ出ると、老いた百姓が野菜の入った籠《かご》を背負い、杖《つえ》をつき、まるで顔が地面へつきそうに躰《からだ》を曲げて、前方を歩んでいるのが見えた。
そのとき、背後から馬を走らせて来た侍が、
「退《の》けい!!」
大治郎を怒鳴りつけ、駆け抜けたかと見る間に、おぼつかぬ足どりで前を行く老爺《ろうや》を、
「ええい、邪魔な」
追い越しざまに、鞭《むち》をふるって馬上から打ち据えたものである。
ここにいたって、大治郎は堪《こら》えきれなくなった。
悲鳴を発し、転げ倒れた老人を見返りもせずに走り抜けた騎乗の侍へ、
「待て!!」
声をかけておいて、大治郎は走り出した。
馬を走らせていたといっても、さほどの速度ではなく、大治郎は、たちまちに追いつき、侍が鐙《あぶみ》へかけている左足をつかみ、
「下りなさい」
「うるさい!!」
馬上から鞭で打とうとする侍を引き擦りおろした。
侍は立派な野袴《のばかま》に打《ぶ》っ裂《さ》き羽織をつけていた。この近くの高田の馬場へ馬を走らせに来ての帰りであったのだろう。
そこへ、侍の供をして来たらしい二人の家来と二人の小者が追いついて来た。
「無礼者。斬《き》って捨てよ」
と、侍は家来たちに命じた。
結果は、いうまでもない。
主人の侍も、家来たちも、大治郎に叩《たた》き伏せられ、道に倒れて気をうしなった。二人の小者は逃げてしまった。
そのまま、大治郎は帰って来てしまったのだが、通りがかりの人びとの嘲笑《ちょうしょう》をあびて、侍と家来たちが息を吹き返したときの情景は、さぞ見ものだったろう。
この侍が、愛宕《あたご》下に屋敷をかまえる旗本・岡部阿波守光俊《おかべあわのかみみつとし》だったのである。
すべては、四谷《よつや》の弥七《やしち》と田沼家の家来たちによって町奉行所へ連行された井上|権之助《ごんのすけ》と二人の刺客(岡部の家来)の自白によってわかった。
岡部家では、前夜、三人が帰邸しなかったので、二人の家来をさしむけ、密《ひそ》かに様子を見ていたらしいが、どうにもならなかった。
この事件は、町奉行所から幕府の評定所へまわされ、岡部阿波守も、また秋山大治郎も取り調べを受けることになった。
大治郎が目黒で襲撃を受けた五日ほど前に、あのとき、主人の阿波守と共に大治郎から制裁を受けた家来のひとりが、田沼屋敷から帰る大治郎を浅草橋御門外で見かけたらしい。
家来は大治郎を尾行し、その住居をつきとめ、阿波守へ告げた。
「よし。目に物を見せてくれる」
あのときの屈辱を、岡部阿波守は片時も忘れたことがない。
しかし、何分にも千石の大身《たいしん》旗本だ。
家来を引きつれて、大治郎宅を包囲するわけにはまいらぬ。
これが表沙汰《おもてざた》になれば、非は自分にあることを阿波守はわきまえていた。
「私に、おまかせ下さいますよう」
と、いい出たのは、家来の田村国太郎という者である。
田村は、阿波守の用人・松坂某の甥《おい》にあたる。
この田村国太郎が、ほかならぬ井上権之助を連れて来たのだ。
二人は、品川の妓楼《ぎろう》〔住吉屋《すみよしや》〕で遊興をしていて知り合ったらしい。田村は博奕《ばくち》もやる。
岡部阿波守は、秋山大治郎を、
「成敗したときは、百両つかわす」
と、いったそうな。
百両とは、また、法外の大金ではあるが、つまりはそれほどに、大治郎への憎しみが強烈だったことになる。
「引き受けましょう」
と、井上権之助は、仲間の関山百太郎《せきやまひゃくたろう》と、もう一人の浪人(大治郎に太股《ふともも》を切られた男)をさそい、秋山大治郎を襲ったことになる。
評定所と町奉行所の調べによって、関山浪人が桶《おけ》屋の七助に殺されたこともわかった。
「どうだ、繁蔵《しげぞう》。その桶屋というのは大《てえ》した男じゃあねえか」
と、傘《かさ》屋の徳次郎がいったときには、岩戸《いわと》の繁蔵の総身に冷汗がにじんだ。
だが、繁蔵は黙っていた。
「桶屋は行方知れずになったそうだが、どうで悪いやつが一匹、片づいたのだ。お上も深追いはしねえだろう」
「ほ、ほんとうですか、親方」
「どうした、妙な顔をして……」
「いえ、別に……」
なるほど、それでわかった。
目黒・碑文谷《ひもんや》で秋山大治郎を襲撃し、失敗をしたものだから、その翌日、井上権之助は、
(関山百太郎に会って、やり直さねばならぬ)
と、品川へ出向いた。
ちかごろ、関山が寝起きをしている桶屋を訪ねてみると、一夜のうちに、おもいもかけぬことになっていた。
井上も、様子を見に来た岩戸の繁蔵と同様に、近所の人の口から関山が桶屋に殺されたと聞いて、
(ばかめが、あんな女でしくじるとは……)
舌打ちをして、近くの蕎麦《そば》屋へ入り、酒をのんでいるところを繁蔵に見られたのである。
ところで、この事件がすべて解決したのは、この年の夏になってからであった。
事件解決の後に、幕府は、近年の旗本屋敷の奉公人の身許《みもと》や行状が、
「杜撰《ずさん》にすぎる」
というので、新令を発し、調査をすすめることになったそうな。
それはさておき……。
岡部阿波守の処罰が、まだ決定を見ぬ或る日の昼下りに、四谷の弥七が徳次郎と繁蔵を連れて、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ秋山小兵衛を訪れた。
小兵衛が、
「繁蔵という男の顔が見たい」
と、いっていたからだ。
「おお、お前が繁蔵か……」
凝《じっ》と、繁蔵の顔を見て、
「今度は、いろいろと世話になったのう」
「とんでもねえことでございます」
「お前は、何ぞ手職をもっているかえ?」
「いえ、別に……」
「そうか。では何か、小商いでもするがよい。元手は、わしが出してやろう。そのかわり、これからも、弥七と徳次郎を助けてはたらくのじゃ。よいな」
「へ、へえ……」
繁蔵は、夢を見ているような顔つきになった。
おはる[#「おはる」に傍点]は、台所にいた。
時折、野菜を売りに顔を見せる百姓の老婆《ろうば》が来たので、夏蕨《なつわらび》や筍《たけのこ》、蚕豆《そらまめ》などを買い、茶を出してやり、世間ばなしをしている。
この老婆は、季節によって、野菜のみではなく、川魚や、小兵衛の好きな泥鰌《どじょう》なども運んで来るので便利なのだ。
武州の草加《そうか》のあたりに住んでいるらしい老婆は、六十を三つ四つこえたというが、日に灼《や》けつくした顔も躰も大ぶりで、いかにも丈夫に見え、小兵衛は、
「お前が老《ふ》けると、あの婆《ばあ》さんそっくりになるだろうよ」
などと、おはるをからかったりする。
いつもは無口な老婆が、この日は、めずらしく、おはるにこんなことをいった。
「若《わけ》えころ、板橋で、二度、嫁ぎましたが、はじめの亭主《やど》には死なれ、二度目は、宿の桶《おけ》屋へ後添いに入りましたが……ばか[#「ばか」に傍点]なこって、ほかに男をこしらえ、亭主と子供を捨てて、夜逃げをしたもんでござんすよ」
「まあ……それじゃあ、いまは、その……」
「いえ、それから、まあ、ずいぶんと、いろいろな目にあってねえ」
「ふうん……」
「いまは、どうやら落ちついていますが……いまの亭主《やど》は、どうも躰が弱くてねえ」
「そりゃあ、いけないねえ」
居間では、秋山小兵衛が金三十両を、傘屋の徳次郎へわたし、
「これで、繁蔵の身をかためてやれ」
「ありがとう存じます」
頭を下げた傘徳が、
「これ、繁蔵。大先生に御礼を申しあげねえか」
「へ……へい、へい」
繁蔵は、こうしたかたちで、おもいがけぬ好意を他人から受けたのは、生まれてはじめてであった。
うまく言葉も出ぬまま、繁蔵は其処《そこ》へひれ[#「ひれ」に傍点]伏してしまった。
小兵衛があたえた金三十両は、あの金貸し幸右衛門《こうえもん》が自殺をとげた折に、
「まことにもって御面倒ながら、なにとぞ、いかようにも御処分下されたく……」
と、秋山小兵衛に托《たく》した遺金の中から出したものだ。
幸右衛門の遺金は、その後、小兵衛を通じて三十余人もの人を更生させている。
その幸右衛門のはなしをして、小兵衛が、
「礼は、亡《な》き浅野幸右衛門殿にのべるがよい」
そういったとき、岩戸の繁蔵の顔は泪《なみだ》にぬれつくしていた。
このとき、台所から籠を背負った百姓の老婆が庭先へまわって来て、小兵衛に頭を下げ、
「毎度、ありがとうごぜえやす」
挨拶《あいさつ》をするのへ、
「おお、婆さんか。達者でよいのう」
「おかげさまでごぜえやす」
「気をつけて帰れよ」
「へい」
老婆は、堤の道を去って行った。
岩戸の繁蔵は、まだ、顔をあげられなかった。
青く晴れわたった空に、白い雲がわき立っている。
木立で、松蝉《まつぜみ》が鳴きはじめた。
「いまが、いちばんよい。これからすぐに暑くなるのう。年をとると、冬よりも夏がこたえる」
と、小兵衛がいうのへ、居間にあらわれたおはるが、すかさず、
「冬は炬燵《こたつ》があるものねえ」
剣士|変貌《へんぼう》
「ええ、朝顔の苗や、夕顔の苗。糸瓜《へちま》の苗、茄子《なす》の苗……」
菅笠《すげがさ》をかぶり、いろいろな苗を入れた箱を糸立筵《いとだてむしろ》で包み、この荷を天秤《てんびん》で担《かつ》いだ苗売りが、浅草・橋場《はしば》の道をながしている。
(もう、すぐに夏か……)
思川《おもいがわ》の土橋をわたり、橋場へ出て来た秋山|小兵衛《こへえ》は、うんざり[#「うんざり」に傍点]とした顔つきになった。
五、六年前までは、夏が好きだった小兵衛なのだが、六十を越えてからは、むしろ冬の寒さを好むようになった。
何となれば、
(冬には、炬燵《こたつ》があるからのう)
なのである。
夏の暑さは、
(裸になってしまったら、あとはもう、ふせぎようもないわえ)
そして、
(わしも、老い果てたものよ)
つくづくと、そうおもう。
さりとて、病気知らずに冬も夏もすごしてきているのだから、やはり、剣術の修行に鍛えられた小兵衛の躰《からだ》は尋常のものではない。
この日。
朝から秋山小兵衛は、橋場の外れの息《そく》・大治郎《だいじろう》宅へおもむき、例によって初孫《ういまご》の小太郎《こたろう》と遊びたわむれ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰ろうとしていた。
ときに、八ツ(午後二時)ごろであったろう。
やがて、おはる[#「おはる」に傍点]が小舟で大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたり、橋場の船宿〔鯉屋《こいや》〕まで、小兵衛を迎えに来ることになっていた。
その鯉屋の前で町駕籠《まちかご》を下り、いましも船宿へ入って行く一人の女を遠目に見た小兵衛が、
(や、あの女房は……?)
鯉屋の筋向いの、茶店の軒下へ、すっ[#「すっ」に傍点]と身を隠すようにした。
女は、市《いち》ヶ谷《や》田町三丁目の菓子|舗《みせ》〔笹屋長蔵《ささやちょうぞう》〕の後妻お吉《きち》である。
小兵衛は、つい先ごろ、笹屋へ立ち寄り、名物の〔巻狩せんべい〕を買いもとめた。
その日は、四谷《よつや》の弥七《やしち》を訪ねての帰途であったが、むかし、この近くに道場を構えていた秋山小兵衛は笹屋の巻狩せんべいが好物で、切らしたことがなかった。
秋山家の女中たちも、笹屋へは、よく使いに出されたものだ。
そうしたわけで、八年ぶりに立ち寄った小兵衛を、
「これはこれは、秋山先生……」
笹屋長蔵は、でっぷりと肥えた躰に精一杯の愛嬌《あいきょう》をあらわし、なつかしげに奥へ請《しょう》じ入れた。
そのときに長蔵が、
「先生。これ[#「これ」に傍点]が一昨年《おととし》の春に迎えました後添えで、お吉と申します」
と、小兵衛に引き合わせた。
笹屋長蔵の先妻お崎《さき》が五年前に病死したことも、小兵衛には初耳であった。
長蔵と亡《な》き先妻の間には、お里《さと》という一人むすめがあり、お里に養子を迎えたのが三年前のことだそうな。
養子の名は伊太郎《いたろう》といい、小兵衛に挨拶《あいさつ》へあらわれたのを見ると、いかにも温和な人柄《ひとがら》らしい。
養子夫婦には、まだ、子が生まれぬ。
その折、巻狩せんべいを買って隠宅へ帰って来た小兵衛は、笹屋の後妻の印象を、おはるにこう語っている。
「年齢《とし》のころは……そうじゃな、三十そこそこといったところか。はじめは女中かとおもったほどに地味なつくり[#「つくり」に傍点]で、その浅ぐろい顔《おも》だちがのう……」
いいさして、くすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出した小兵衛へ、おはるが、
「顔だちが、どうしたのですよう?」
「狸《たぬき》にそっくり」
「狸ですって……あれまあ、ほんとかね」
「ほんとうとも。笹屋の亡くなった内儀は、お前も知ってのとおり、細面《ほそおもて》の、なかなかの美形であったし、笹屋も肥《ふと》ってはいるが、お前も知ってのとおり立派な顔だちをしている。笹屋長蔵の女の好みは知らぬが、それにしてものう」
「人の器量のことを、いちいち口へ出してはいけないと、お言いなすったのは、どなたですよう」
「いや、悪口《あっこう》をいっているのではない」
こういったきり、小兵衛は急に、黙り込んでしまったのである。
笹屋長蔵と後妻の取り合わせに、小兵衛は何か不自然な、奇妙なものを感じたのであろう。
おはるが台所へ去った後で、小兵衛は愛用の銀煙管《ぎんぎせる》へ煙草《たばこ》をつめながら、こんな呟《つぶや》きを洩《も》らした。
「何にせよ、他人のことじゃ」
なればこそ、いまも、笹屋長蔵の後妻お吉の後から鯉屋へ入って行った小兵衛は、
「大《おお》先生。いらっしゃいまし」
出迎えた女あるじのお峰《みね》へも、お吉のことを尋ねようともしなかった。
それにしても市ヶ谷の菓子舗の妻が、遠くはなれた浅草の外れの船宿へあらわれるとは、どうも解《げ》せぬ。
このことを、笹屋長蔵は承知しているのであろうか……。
いつものように、小兵衛は帳場に接した女あるじの部屋へ入り、茶をのんでいると、
「先生。迎えに来ましたよう」
鯉屋の舟着きへ、小舟を着けたおはるが女あるじの部屋へ入って来た。
「おお、来たか」
小兵衛が、腰をあげたとき、
「ゆるせよ」
おはるのすぐ後から舟着きへ入った舟の客が、鯉屋の土間へ姿を見せた。
羽織・袴《はかま》をつけた侍で、その立派な風采《ふうさい》からして、むろん、浪人には見えぬ。
月代《さかやき》も髭《ひげ》も青々と剃《そ》りあげ、血色のよい顔が四十男の脂《あぶら》に照っている。
侍を出迎えた鯉屋の女中と共に、女あるじのお峰も、
「いらっしゃいまし」
帳場から出て行った。
何気もなく、帳場ごしに件《くだん》の侍の顔を見た秋山小兵衛が、
(あっ……)
身を反らせるようにして、襖《ふすま》の蔭《かげ》へ身を隠した。
「先生。どうした……?」
いいかけたおはるへ、小兵衛が口へ指をあてて見せた。
侍の客が、女中の案内で二階座敷へあがって行った後で、帳場へ出て来た小兵衛が、お峰へ、
「いまの侍は、よく来るのかえ?」
「おや、先生。御存知なんでございますか?」
「む。ちょいと、な……」
「このところ、二月《ふたつき》ほどの間に、三度《みた》びほど、お見えになりましたろうか。いつも、深川・亀久橋《かめひさばし》の船宿の立花《たちばな》の舟でおいでになります」
「名は何という?」
「さあ、それはまだ存じあげませんが……」
「ふうむ……」
「女の方《かた》は、いつも町駕籠で、お見えになりますが……」
「女……もしや、それは、わしが来る直前に此処《ここ》へ入った女かえ?」
「さようでございます」
「では……」
「はあ?」
「両三度ほど、あの女と、あの侍が此処で会っていると申すのじゃな」
「お帰りは、別々でございますけれど……」
と、さすがに、お峰の顔色が変り、
「大先生……」
「む……」
「また、何かあったのでございますか?」
両腕を組んだ秋山小兵衛は、押し黙っている。
お峰とおはるが、顔を見合わせた。
苗売りの声が、まだ、遠くできこえていた。
橋場の船宿・鯉屋《こいや》で、笹屋《ささや》の後妻お吉《きち》と密会をしていた侍は、名を横堀喜平次《よこぼりきへいじ》という。
もっともそれは、秋山小兵衛がわきまえている名前であって、お吉と密会をしているときの彼は、変名を使っているやも知れぬ。
ただし、密会といっても、お吉と横堀は、鯉屋の二階奥座敷で、別に猥《みだ》らなまね[#「まね」に傍点]をしていたわけではない。
それは、茶や酒を運び、帰った後の始末をする女中たちの目に、はっきりと見とどけられている。
二人は、この二ヶ月ほどの間に、鯉屋で待ち合わせ、およそ一|刻《とき》(二時間)ほど語り合ってから、別れ別れに去って行く。
お吉は乗って来た町駕籠《まちかご》を帰してしまい、出て行くときは、鯉屋から町駕籠をよんでもらうのだ。
横堀喜平次のほうは、深川の船宿から乗って来た舟を待たせておき、帰るときは、その舟に乗って大川を去る。
ところで……。
秋山小兵衛と横堀喜平次の関係とは、いったい、どのようなものであったのか。
いまから十五年前というと、小兵衛は四谷《よつや》・仲町《なかまち》に自分の道場を構えていた。
そのころの大治郎は十五歳の少年で、彼を生んだ小兵衛の妻お貞《てい》は、大治郎が七歳の折に病歿《びょうぼつ》してしまっている。
そして大治郎が父の手許《てもと》をはなれ、父の恩師で、山城《やましろ》の大原《おはら》の里へ引きこもっていた無外流《むがいりゅう》の名人・辻平右衛門《つじへいえもん》に引き取られ、剣の修行にはげむようになったのも、十五年前のことであった。
小兵衛が横堀喜平次を知っていたのは、それより少し前のことゆえ、あるいは、少年だった大治郎も、横堀の名をきいていたやも知れぬ。
当時、横堀喜平次は、牛込《うしごめ》の原町に中条流《ちゅうじょうりゅう》の道場を構えていた中西|弥之介《やのすけ》の食客《しょっかく》であった。
横堀は、小兵衛に、
「越前《えちぜん》・丸岡の浪人のせがれに生まれました」
と、洩《も》らしたことがある。
それ以上のことを、小兵衛は知らないし、また知ろうともおもわなかった。
横堀は中条流の剣客として諸方をわたり歩くうち、中西弥之介の気に入られ、三年ほど中西道場に滞留し、剣術も相当なものだったので、中西先生の代稽古《だいげいこ》をつとめるまでになった。
剣術の教え方が実にうまく、人あたりもよい。
中西弥之介と親しかった秋山小兵衛も、
「中西さんは、よい食客を得られた。手練者《てだれ》であるし、人柄も申しぶんがない」
と、横堀喜平次を評したものである。
また事実、そのころの横堀は、そのとおりの人間だったといってよい。
「秋山先生。一手の御指南を御願いいたします」
こういって、原町からはさして遠くない小兵衛の道場へあらわれることも、めずらしくなかった。
小兵衛が相手になってやると、横堀の稽古ぶりは熱心で、真摯《しんし》で、なればこそ小兵衛も気合をこめて、
「相手をしてやった」
のである。
当時の横堀喜平次は人なつこい好男子といってよかった。
そして、さらに二年ほどすぎた年の春であったが、横堀は、
「ようやくに宿望を達し、自分の道場を、もつことができました」
と、小兵衛へ報告に来た。
「ほう。それはめでたい」
笑って、祝いの言葉をのべたのだけれども、
(はて……?)
秋山小兵衛としては、くび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げるおもいがした。
なぜだか、わからない。
小兵衛の鋭敏な直感だけが、くび[#「くび」に傍点]を傾げさせたのだ。
このとき、すでに秋山大治郎は江戸をはなれ、大原の里で修行にはげんでいた。
さて横堀は、麻布《あざぶ》の北日《きたひ》ヶ窪《くぼ》の百姓家を買い取り、此処《ここ》に道場を建てた。
横堀を知る人びとは、
「あの人物なら大丈夫。きっと、道場も繁昌《はんじょう》するにちがいない」
と、太鼓判を押したほどである。
こころがけのよい横堀喜平次は、亡父母が遺《のこ》してくれた金と、自分が貯《た》めた金を合わせて、借金などをせず、自分のちから[#「ちから」に傍点]で道場の主《あるじ》となったのだから、だれからも文句をつけられたわけではない。立派なものなのだ。
その道場開きの祝宴があった日、秋山小兵衛は中西弥之介と同道して、帰途についた。
「久しぶりですな。いま少し、二人きりで酌《く》みかわしたい」
中西が申し出たので、小兵衛は、赤坂の田町の御膳蕎麦《ごぜんそば》〔春月庵《しゅんげつあん》〕へ案内をし、二階座敷で酒を酌みかわした。
そのとき、中西弥之介が、
「秋山さん。横堀喜平次が道場の主となったることを、何とおもわれますな?」
問いかけてきた。
小兵衛が黙っているのを、凝《じっ》と見た中西が、
「ははあ……やはり、秋山さんも、よいことだとはおもうておられぬらしい」
と、いうではないか。
「よく、わかりましたな。だが中西さん。私は、いま[#「いま」に傍点]の横堀が道場の主として適当ではないと申しているのではありませぬよ」
「ふむ……」
「ただ……」
「ただ?」
「横堀喜平次という男は、人の右腕とか、片腕として生きるのが本領かとおもいます。それが、取りも直さず、横堀の行末の幸福《しあわせ》にむすびつくとおもわれてなりませぬが……」
「いかさま」
と、中西弥之介が、ぽん[#「ぽん」に傍点]と手を打った。
「横堀は、おのれがおのれの道場を構え、門人を教えるようになると、人間《ひと》が変ってしまうようにおもわれます。たとえ道場が繁昌をしても、これまでの横堀とは別の横堀になってしまっては、行末が危うくおもわれる、ような気がして……」
「そのこと、そのことでござるよ、秋山さん」
中西は身を乗り出し、膝《ひざ》を叩《たた》かんばかりに、
「これまでの横堀ではない横堀喜平次となって、それが、あの男にとって、よいことか、悪いことか、それはわからぬが秋山さん。わしはどうも危ういような気がしてならぬ。一城の主となるのなら、何年か後になってからでもよいとおもう」
横堀喜平次に好意を抱いていただけに、中西弥之介は不安で仕方がないように見えた。
剣術の道場の主だからといって、威張って門人たちを教えているだけではすまない。
天下の名声を得ている剣客ならともかく、中小の道場主は、道場の経営にも神経をつかわねばならぬ。
いわゆる、秋山小兵衛がいうところの、
「剣客商売……」
と、いうわけだ。
それでいて、絶えず、おのれの剣と人格を磨《みが》きつづけ、剣客としての充実をこころがけてゆかぬと、結局は、
「いてもいなくとも同じような……」
剣客に……いや、人間になってしまいかねないのである。
まことにもって、むずかしいものなのだ。
だが、横堀ならば、剣術を教えるのがうまく、また、自分の修行にも熱心なのだし、人あたりがよいのだから、道場の主として失敗をするわけがないとおもわれよう。
それはそうなのだが、小兵衛や中西弥之介は、一種特別の不安を、これからの横堀喜平次に感じた、ということになる。
そのこたえは、三年後に出た。
この三年間に、横堀道場が衰微したのかというと、そうではない。
小さな道場なりに門人の数も増え、評判もよかったのである。
実力のある横堀の教え方がうまいし、人あたりはよいというのだから、小さければ小さいなりに繁昌をするのも、当然といってよいのやも知れぬ。
秋山小兵衛と中西弥之介が杞憂《きゆう》していたのは、横堀道場の盛衰についてではない。
道場の主となった横堀喜平次は、中西弥之介の許《もと》へも、秋山小兵衛の道場へも、ふっつり[#「ふっつり」に傍点]と姿を見せなくなってしまったのである。
「やはりのう、横堀の人柄《ひとがら》が変りましたなあ」
と、中西が小兵衛にいった。
「なれど横堀のは、義理知らずとか恩義を忘れたとか……そうしたものではないと、私はおもいますがね、中西さん」
「ふむ、ふむ……」
「あの男は、悪気があって、以前の人びとのことを忘れたのではない。新しい境遇に入ると、自然に前のことを忘れてしまうのでしょうな」
「なるほど」
「ともかくも横堀喜平次は、諸方をまわり歩き、ひたすらに剣術をたのしんで生きていたが、突然、一国一城の主になりたいという欲を起した。これは申すまでもなく悪い事ではない。結構なことなのだが、以前のままの人柄で一城の主になれる者と、がらりと別人のごとくなってしまう者と、さらに、前の前の自分に逆もどりしてしまう者もある。それがよいことか悪いことかは別にして……」
「いかさま」
「いずれにせよ、一城の主となった、いまの横堀は、あなたや私のところへ来て、容赦なく打ち叩かれるのが嫌《いや》になった……いや、怖くなってきたのでしょうな」
さて、道場の主となって三年目の夏に、横堀喜平次が、何と、門人の杉原平吉郎《すぎわらへいきちろう》を斬殺《ざんさつ》し、わが道場を捨てて何処《どこ》かへ逃亡してしまったのである。
「おもいもかけぬこと……」
であった。
秋山小兵衛は、横堀の動向に、さして関心もなくなっていたから、その、くわしい事情を知ろうとはおもわなかったが、やがて、
「横堀は、門人・杉原の妻女と姦通《かんつう》をし、それが原因《もと》になって師弟が争い、ついに横堀が杉原を斬殺し、妻女を連れて逐電した」
という、うわさ[#「うわさ」に傍点]が耳へ入ってきた。
「あの人が……わからぬものですなあ」
と、以前の横堀を知っていた或《あ》る人が、小兵衛にいうと、
「横堀は自分でも、何故《なぜ》、そんなことをしてしまったのか、おそらく、わからなかったろうよ。人という生きものは、そこがおもしろいところなのだ」
小兵衛は、しみじみとそういったものだ。
「なれど、どうしてもわかりませぬなあ。あの横堀さんのような人が……」
「それは、な……」
いいさして小兵衛は、解答のむずかしさをもてあますような顔つきになり、しばらくは沈黙していたが、ややあって、
「それは、つまるところ、道場の主となった横堀は、自分より劣った門人のみを相手に稽古をするようになってしまったからだろうよ」
「ははあ……」
「一城の主ともなれば、いまさら、強い相手に鍛えられることを好まぬものさ」
「それで、人柄が……」
「少しずつ、落ちてきたのだろうなあ。これは、道場の繁昌とは別のことだ」
その横堀喜平次を、小兵衛は十余年ぶりに見たことになる。
あの事件以来、逃亡した横堀の消息を、小兵衛は耳にしていない。
中西弥之介も、この世[#「この世」に傍点]を去っている。
(横堀喜平次が、笹屋《ささや》の後添えと密会を重ねている……これは、見捨ててもおけまい)
横堀|失踪《しっそう》の事件が事件だけに、
(よけいなことじゃ)
いったんは、そうおもったものの、こうなると小兵衛は興味|油然《ゆうぜん》となるのを、如何《いかん》ともしがたくなってきた。
鯉屋《こいや》の女あるじに、
「よいかえ。知らぬ顔をして、二人を送り出すがよい」
いい残して小兵衛が、
「おはる[#「おはる」に傍点]、深川へ行くぞ。舟をたのむ」
と、立ちあがった。
横堀喜平次《よこぼりきへいじ》は、深川・亀久橋《かめひさばし》の船宿の舟で帰って行くわけだから、これを追うよりも、おはる[#「おはる」に傍点]の舟で一足先に深川へ行き、〔立花《たちばな》〕という船宿を見張っていればよい。
お吉《きち》のほうは、町駕籠《まちかご》で市《いち》ヶ谷《や》の笹屋《ささや》へ帰って行くにちがいないのだから、後を尾《つ》ける必要もない。
小兵衛を小舟に乗せ、おはるは力漕《りきそう》した。
大川《おおかわ》から仙台堀川《せんだいぼりがわ》へ入り、東へ向って行くと、三つ目の橋が亀久橋だ。
橋の南詰に立花という船宿があった。
小兵衛は、その手前の蛤《はまぐり》町の舟着き場へ舟をつけさせ、
「すまぬなあ、おはる。くたびれたろう」
「こんなに汗をかいたのは、久しぶりですよう。でも私は、舟を漕《こ》ぐのが好きだからねえ、先生」
「まったく、そのとおり」
「これから、どうします?」
「はたらきついでに、もう一つ、たのむ」
「あい」
「鰻売《うなぎう》りの又六《またろく》を、よんで来てくれ。この時刻なら、家《うち》へ帰っているだろう。わしはな、亀久橋の北詰の……ほれ、あそこに見える蕎麦《そば》屋で待っていよう」
「ようござんす」
小兵衛を岸へあげておいて、おはるは竿《さお》を取って舟をあやつり、亀久橋の下をくぐりぬけて右の堀川へ消えた。
又六が老母と住み暮している深川の島田町は、すぐ近くであった。
小兵衛は、船宿の立花の外見《そとみ》をたしかめてから、幅七尺、長さ十四間余の亀久橋を北へわたり、〔万屋《よろずや》〕という蕎麦屋へ入った。
入れ込みの窓ぎわの席へ坐《すわ》ると、仙台堀川も立花もよく見える。
「先《ま》ず、酒を……」
と、注文をしておいて、小兵衛は煙草《たばこ》入れを出した。
今日の秋山小兵衛は、孫の顔を見に出て来た所為《せい》もあり、着ながしに羽織をつけ、藤原忠広《ふじわらただひろ》一尺三寸余の脇差《わきざし》を帯したのみで、手製の太い青竹の杖《つえ》を持っている。
やがて……。
おはるが又六を連れて、万屋へあらわれた。
又六は、もう三十歳になったが、依然として独り身で、老母と島田町の長屋に暮している。
いまも、深川の洲崎弁天社《すさきべんてんしゃ》の傍で、鰻の辻売《つじう》りをしている又六だが、午後からは土地《ところ》の漁師から直《じか》に仕入れた魚や貝類を得意先へ売って歩く。
又六が、先日、小兵衛の隠宅へ来たとき、
「もうすぐに、表通りへ店を出せそうでございます」
と、いった。
その念願の日が来るまで、又六は嫁をもらわぬつもりらしい。
又六に小さな魚屋の店を一つ、出させてやることなど、秋山小兵衛にとってはわけもないが、
(商売は、何事にも苦労が肝心……)
そうおもって、わざと手を差しのべずにいる。
「おお、又六。わざわざすまぬのう」
「大《おお》先生。何なりと言いつけて下さいまし」
「おふくろに変りはないかえ?」
「おかげさまで、朝飯を三杯も食べます」
「そりゃあ、食べすぎじゃ」
「私も、そういっているのですが、いうことをききません」
「まだ、帰って来ませんか?」
と、おはる。
「まだじゃ。いまのうちに腹ごしらえをしておこう。そうだ。おはるは今夜、又六の家へ泊めてもらえ。わしは又六に手つだってもらい、ちょいと一仕事しなくてはなるまいよ。もしやすると、また、舟を出してもらわねばならぬし……」
初夏の夕闇《ゆうやみ》が、あたりにただよいはじめている。
おはるは手打ちの蕎麦の上へ、卵の黄身をぽんと落し、たくみに箸《はし》を遣って蕎麦と卵黄をさっ[#「さっ」に傍点]と混ぜ合わせ、汁《つゆ》につけて口へ運ぶ手ぎわがあざやかなものだ。
小兵衛と又六も、それぞれに好みの蕎麦で腹ごしらえをすませた。
横堀喜平次を乗せた舟が、船宿の立花へもどって来たのは、それから間もなくのことであった。
(もしやすると、帰る途中、何処かで舟を下りてしまうやも知れぬな)
そうおもっていた小兵衛は、それならそれで、横堀を乗せた舟の船頭が立花へもどったのをつかまえ、金をあたえて探りを入れてみるつもりでいた。
だが、やはり、横堀は舟に乗って立花へもどって来た。
横堀を乗せた舟は、亀久橋をくぐり、船宿・立花を素通りして、堀川を右へ曲がった。
これは先刻、おはるが舟で又六を迎えに行った川筋であった。
「わしは、やつ[#「やつ」に傍点]に顔を知られている。おはるの舟で、後を尾けておくれ」
蕎麦屋を出た小兵衛が、又六にいった。
「大先生は何処にいなさいます?」
「そうじゃな……よし、入舟《いりふね》町の鮒芳《ふなよし》の二階で待っていよう」
〔鮒芳〕は、三十三間堂の門前にあり、富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》の門前にも近い。
亀久橋の下に着けておいたおはるの舟は又六を乗せ、横堀が乗った舟を尾行しはじめた。
大川とちがって、夕闇が濃く、幅もせまい堀川の尾行ゆえ、おはるの船頭でも充分に間に合う。
これを見送ってから、小兵衛は亀久橋を南へわたった。
晴れた日中は、もう暑いほどだが、夕暮れになると気温も下り、いかにもさわやかだ。
深川の土地は、江戸の〔水郷《すいきょう》〕といってよい。
江戸湾の海にのぞみ、大小の堀川が縦横にめぐっている深川では、人と舟と、道と川とが一体になった暮しがいとなまれている。
堀川に沿った道を歩む小兵衛の耳へ、どこからか船頭の舟唄《ふなうた》がきこえてきた。
秋山小兵衛が、行きつけの料理屋・鮒芳の前まで来ると、早くも、おはる、又六が門口に待っているではないか。
「早かったのう」
小兵衛がいうや、すかさず、おはるが、
「遅かったのう」
「横堀が住んでいるのは、この近くかえ?」
「そのとおりですよ、大先生」
と、又六。
富岡八幡宮の表門前の広場には、かなり大きな舟着き場が設けられてい、横堀喜平次は、そこで舟を下りたという。
おはるも同じ場所へ舟を着け、すぐに又六が横堀の後を尾けた。
富岡八幡宮の門前は、料理屋・蕎麦屋・菓子|舗《みせ》など、さまざまな店が参道の両側へ軒をつらねている。
参道・一ノ鳥居の手前の、小間物屋と酒屋の間の細道を南へ入って行った突き当りに、小さな木戸門がついた二階家があった。
横堀喜平次が、その小ぎれいな家へ入って行くのを、たしかに又六は見とどけた。
秋山小兵衛は、又六の案内で、その家をたしかめてから、
「おはる。もう夜になってしまったし、舟で帰るのも面倒じゃ。舟は、そのままにしておいて、今夜は又六のところへ泊めてもらおう。お前は又六と共に、先へ行っていておくれ。わしは、ちょいと探りをかけてみよう」
二人を又六の家へやっておいて、小兵衛は参道に居残った。
それから、あたりの店屋で買物をしたり、蕎麦屋で酒をのんだりしながら、小兵衛が耳へ入れたのは、件《くだん》の家に住み暮している中年の侍は堀内《ほりうち》某という学者らしい、ということであった。
その家は、以前、同じ深川・佐賀町の書物問屋〔村田屋|治郎兵衛《じろべえ》〕の別宅であったものらしい。
堀内某という学者は、近辺の人びとが見た風貌《ふうぼう》から推して看《み》て、横堀喜平次であることに間ちがいはない。
(横堀め、学者に化けたか……)
若くて美しい妻女もいるらしい。
それが、門人・杉原平吉郎から奪って逃げた女なのか……いや、それでは年齢《とし》が合わぬことになる。
(これは、やはり、四谷《よつや》の弥七《やしち》や傘徳《かさとく》に手つだってもらわねばなるまい)
いずれにせよ、横堀喜平次の、
(住処《すみか》は突きとめた……)
のであるから、事を急ぐこともないのだ。
(それにしても……)
さすがの小兵衛も、横堀喜平次と笹屋の後妻のお吉との関係がのみこめなかった。
横堀が、お吉をたぶらかして、何ぞ悪事をはたらこうとしているのか……。
小肥《こぶと》りの、狸《たぬき》のような顔をした年増《としま》女へ好きこのんで手を出すような横堀ともおもえない。
橋場《はしば》の船宿での密会で、二人が猥《みだ》らな行為をしているのではないことは、
(はっきりしている……)
のである。
橋場の鯉屋《こいや》で、ちらり[#「ちらり」に傍点]と見た横堀喜平次は、その風采《ふうさい》を見ても、金に困って悪事をはたらくようにはおもえなかった。
(だが怪しい。奇怪《きっかい》な……)
又六の長屋で、又六と老母、おはると枕《まくら》をならべて身を横たえた秋山小兵衛だが、おもえばおもうほどに、
(いまの横堀喜平次は、いったい、どのような男になっているのか?)
興味がわくままに気がたかぶり、なかなかに寝つけなかった。
おはるも、又六と母親も、そろって大鼾《おおいびき》をかいている。
翌日も快晴であった。
秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]を鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰し、又六に、
「あの家[#「あの家」に傍点]を見張らなくともよいから、それとなく、気をつけていておくれ」
「いえ、大先生。見張ります」
「いや、慣れぬことをして怪しまれてもいかぬ。決してむり[#「むり」に傍点]をしてはいけない。よいな」
念を入れておいて、自分は町駕籠《まちかご》をたのみ、四谷《よつや》の弥七《やしち》の家へ向った。
四谷・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七は、女房に〔武蔵屋《むさしや》〕という料理屋を経営させ、自分は心置きなく、お上《かみ》の御用にはたらいている。
小兵衛を迎えて、弥七の女房が、
「大先生。弥七は一昨日《おととい》、徳次郎を連れて相州《そうしゅう》の小田原まで出かけたのでございますよ」
弥七は、何やら事件の探索に出張って行ったらしい。
「そうかえ、それでは仕方もないのう」
笹屋の後妻が絡《から》んでいるだけに、他の御用聞きの助けを借りるつもりはなかった。
小兵衛は湯殿で、昨日からの汗をながし、弥七の女房の給仕で昼飯を食べた。
「大先生。何ぞ、急な御用でも?」
「なあに、大したことではないのじゃ」
「でも、心配でございます」
「いや、そんなことではないのだが……市《いち》ヶ谷《や》田町三丁目に、笹屋《ささや》という菓子|舗《みせ》があるのを知っていような」
「あの巻狩せんべいの……」
「そうじゃ。その笹屋の内情について、何か耳にはさんだことはないかえ?」
「さあ……何でも、笹屋の旦那《だんな》が後添えをもらったということを聞きましたが……」
「それだけかえ?」
「はい」
四谷・伝馬町と市ヶ谷田町は、さして離れてはいないが、近所の風評が伝わって来るほどの近間でもない。
「弥七がもどりましたら、すぐに鐘ヶ淵へ差し向けますでございます」
という女房の声に送られて、小兵衛は武蔵屋を出た。
女房が町駕籠をよぼうとしたのを、小兵衛は、
「久しぶりに、ぶらぶら、この辺りを歩いてみよう」
こういって、江戸城の外濠《そとぼり》に沿った道を市ヶ谷の方へ歩みはじめた。
(さて、どうするか……?)
左側の旗本屋敷の門の屋根の下に巣をつくっている燕《つばめ》が一羽、矢のように疾《はし》って来て小兵衛の頬《ほお》を掠《かす》め、青空へ舞いあがって行く。
(はて、面倒な。いっそ、かまわぬことにしようか……)
外濠に沿った道を行けば、市ヶ谷御門外を過ぎ、やがて笹屋の前へ出る。
秋山小兵衛は、笹屋方と横堀喜平次への関心を振り払うようにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振って、市ヶ谷|八幡宮《はちまんぐう》の総門から境内へ入って行った。
市ヶ谷八幡への参詣《さんけい》も久しぶりのことであった。
この八幡宮は、太田|道灌《どうかん》が江戸城の鎮護のために、摂州《せっしゅう》・多田社の神を勧請《かんじょう》したのが始まりという。
社地は三千三十六坪におよび、石段をのぼりきった正面の拝殿、その他の堂宇は杉木立に囲まれ、茶店や楊弓《ようきゅう》の店がたちならんで、
「季節もよし、天気もよし」
という、今日のような日には、門前の賑《にぎ》わいも格別である。
高い石段を息も切らせずにのぼりきった秋山小兵衛は、拝殿の前へぬかずき、拝礼をすませ、
(あの一件については放《ほう》り捨てておこう。そうじゃ、弥七の家へ引き返し、町駕籠をよんでもらい、深川へもどって又六にも手を引くようにいい、それから、どこぞの船宿から舟を出させ、鐘ヶ淵へ帰ることにしよう)
と、こころが決まった。
そのときであった。
何処《どこ》かで女の悲鳴と、人びとの叫び声が起った。
見ると、境内・南側の、崖《がけ》を背負って立ちならぶ茶店の前で、二人の浪人が若い町人を殴りつけ、蹴倒《けたお》し、踏みつけているのが小兵衛の目に入った。
(や、あれは……)
浪人のひとりに、小兵衛は見おぼえがある。
見たところは五十がらみの、その男は野原|甚九郎《じんくろう》という剣客《けんかく》くずれの浪人者で、小兵衛が四谷に道場を構えていたころから、この界隈《かいわい》での、
「嫌《きら》われ者」
だったのである。
ところの人びとは〔長虫《ながむし》の甚九郎〕などと異名をつけていたようだ。長虫とは蛇《へび》の別名で、当時の野原甚九郎は強請《ゆすり》、脅迫、強奪などは朝飯前で、道場破りもやっていた。
野原は、それだけ自分の腕に自信を持っていたのだろうし、御用聞きの弥七が秋山道場へ入門したのも、野原のような悪党に負けてはならぬとおもいきわめたからだ。
実は一度、野原が秋山道場へあらわれたことがある。
道場破りは、道場の主《あるじ》を打ち負かして、これを内密にすませるのを条件に金を出させるのが目的といってよい。
折しも小兵衛は奥の座敷にいたが、ちょうど道場へ顔を見せていた若き日の横堀喜平次が、
「先生。私が代りに相手をしてもよろしいでしょうか?」
と、尋《き》きに来たので、
「いいとも。ひどい目にあわせてやれ」
「はっ」
まさに長虫の甚九郎は、横堀喜平次の木太刀に打ち叩《たた》かれ、這《ほ》う這《ほ》うの態《てい》で逃げ去った。
それから間もなくして、野原甚九郎の姿が見えなくなり、
「いいあんばいだ。だが、他の土地へ行って悪事をはたらいているにちがいない」
「何にしても、あんなやつが居なくなってよかった、よかった」
土地《ところ》の人びとは、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたようである。
以後、小兵衛が道場を閉ざして鐘ヶ淵へ移り住むまで、野原甚九郎のうわさは耳にしなかった。
その〔長虫〕が、また、このあたりへ舞いもどって来たらしい。
いまの野原甚九郎は、総髪《そうがみ》も薄くなり、白いものも交じっているが、背丈が高くて骨張った体躯《たいく》はむかしのままで、身なりも小ざっぱりとしているのは、小兵衛にいわせると、
(こやつ、相変らず悪事をはたらいているにちがいない……)
ことになる。
野原の連れの若い浪人に、倒れた顔を踏みつけられた町人の顔が鼻血だらけになっていた。
野原は懐手《ふところで》をして、これを見ていたが、
「おい。向うへ連れて行け。はなしをつけてやろうではねえか」
と、若い浪人に言いつけた。
くわしい事情はわからぬが、いずれ、茶店の中で町人に難癖をつけ、暴行をしておいてから、脅迫して金を奪い取るつもりなのであろう。
血だらけになり、両手を合わせて「ごかんべんを……」と、あやまっている若い町人は羽織をつけ、よい身なりをしていた。
「早くしろ。向うへ、向うへ……」
野原甚九郎は連れの浪人に手つだわせ、町人を引き起し、これを抱くようにして本社の裏手の方へ引張って行きかけた。
遠巻きに見ている人びとは、手出しもできぬ。
野原が振り返って、人びとを凄《すご》い目つきで睨《にら》みつけ、手を振った。
「散ってしまえ」
と、いうわけだ。
秋山小兵衛が、大日堂の蔭《かげ》からすっ[#「すっ」に傍点]とあらわれ、野原たちの前へ立ちふさがったのはこのときであった。
「退《の》けい!!」
若い浪人が、小兵衛を怒鳴りつけた瞬間、小兵衛の竹杖《たけづえ》がひょい[#「ひょい」に傍点]と上ったと見えたら、
「ぎゃあっ……」
浪人は両手に顔を押え、よろめいて片膝《かたひざ》をついてしまった。こやつの鼻腔《びこう》からもおびただしい血がふき出した。
「あっ……」
飛び退《しさ》って大刀の柄《つか》へ手をかけた野原甚九郎を、小兵衛がじろり[#「じろり」に傍点]と見やり、
「長虫の甚九郎。まだ悪運がつきぬのか」
「あっ……」
野原も、秋山小兵衛とわかったらしい。
ぱっと身を翻《ひるがえ》して逃げた。
「待て」
小兵衛は追ったが、野原は参詣の人びとを突き退け、はね退けて石段を駆け下りて行く。
石段のところまで追って行った小兵衛だが、こうなると、まるで野獣のような野原甚九郎の逃げ足にはおよばない。
舌打ちをして大日堂の前へもどると、もう一人の無頼浪人も逃げてしまってい、若い町人が両手をついて小兵衛に礼をのべた。
「あっ……あれは以前、四谷・仲町《なかまち》においでなすった秋山先生だよ」
囲《まわ》りに群がっている人びとの中から、そんな声もきこえたので、小兵衛は町人をうながし、介抱してやりながら境内の裏手を抜け、左内坂《さないざか》の上へ出た。
若い町人は、飯田《いいだ》町の煙草《たばこ》問屋〔伊勢屋三右衛門《いせやさんえもん》〕の長男・庄太郎《しょうたろう》であった。
野原甚九郎は茶店の中で、庄太郎に足を踏みつけられたと、あらぬ言いがかりをつけたらしい。
もしやすると野原は、庄太郎が伊勢屋の若旦那であることを承知していたのではないか……。
庄太郎なら脅しにかけて、場合によったら伊勢屋からも金を引き出せるとおもったのであろう。
庄太郎を送りとどけた秋山小兵衛は、伊勢屋で町駕籠をよんでもらい、深川へ向った。
(こうなれば横堀喜平次どころではない。長虫の甚九郎のようなやつが、いまだに、あのようなまね[#「まね」に傍点]をしているとなれば、諸人に迷惑が掛かるばかりじゃ。弥七が小田原から帰って来たなら、今日の一件をはなし、わしも手つだって甚九郎めを探し出し、引っ捕えてくれよう)
駕籠に揺られつつ、小兵衛は、そんなことを考えはじめている。
深川の又六の家に着いたとき、あたりには、夕闇《ゆうやみ》が淡くただよいはじめていた。
深川の相川《あいかわ》町に〔三好屋《みよしや》〕という船宿があって、ここの舟を小兵衛は何度か使ったことがある。
そこで、又六に送られ、三好屋の舟で帰ることにした。
「これから飯食って、あの侍の家《うち》を探りに行くつもりでいたですよ」
という又六へ、
「あいつのことは、もう捨てておけ」
「へえ……いいのですかよ、大《おお》先生」
「他人のことゆえ、もう、かまわぬことにした」
夕空が、まだ明るい。
二人は富岡|八幡宮《はちまんぐう》・表門の前を過ぎた。
これは三好屋へ行く道順ゆえ、そうなったわけだが、期せずして、横堀喜平次《よこぼりきへいじ》の家が奥にある細道の前を通ることになった。
小兵衛は、ちらり[#「ちらり」に傍点]と細道へ視線を投げたが、横堀宅の木戸門は閉ざされていた。
その視線を正面へ返した秋山小兵衛が、
「あ……」
いきなり又六の腕をつかみ、右側の足袋屋の軒下へ走り込んだ。
八幡宮の参道は、まだ人通りが多い。
その中を、一ノ鳥居を潜《くぐ》って、こちらへやって来る二人の浪人は、まぎれもなく、今日の午後に、市《いち》ヶ谷《や》八幡で小兵衛が追い払った野原|甚九郎《じんくろう》と連れの若い浪人ではないか。
(きゃつめ、深川にまで足をのばしているのか……)
又六の躰《からだ》を楯《たて》にとるようにして、凝《じっ》と見まもっていると、
(や……?)
何と、彼らは、横堀宅の細道へ入って行くではないか。
細道の奥には、横堀の家があるのみだ。
これには、さすがの小兵衛もおどろいた。
野原甚九郎が、若い浪人へ、
「おい此処《ここ》だ、横堀さんの住居《すまい》は……」
「しゃれた家ですな」
「うむ。今夜来てくれとの使いをもらったが、いったい何のことかな。だが、横堀さんの呼び出しなら悪いはなしではねえ」
細道を入って行く二人の声は小兵衛の耳へ入らなかったけれども、
(これは容易ならぬ……)
ことになってきた。
「又六。またしても、横堀の家を見張らねばならぬことになった」
「大先生。ちょうどいい場所があります」
「何処じゃ?」
「そこです」
又六は、足袋屋から二軒先の小体《こてい》な料理屋〔丸竹《まるたけ》〕を指さした。
丸竹は、又六が運んで来る新鮮な魚貝をよく買ってくれるし、亭主の竹次郎は又六の素朴《そぼく》な人柄《ひとがら》を好み、
「お前の女房探しは、おれにまかせろ」
などといって、可愛《かわい》がってくれているそうな。
それゆえ又六も、秋山|父子《おやこ》のことを竹次郎へ何度も語っている。
「そうか、それならよい」
丸竹の亭主は、よろこんで小兵衛を迎え、又六から事情を聞くや、参道に面した二階の小座敷へ小兵衛を案内し、
「若い者もおりますから、いかようにも、お使い下さいまし」
と、いってくれた。
先《ま》ず小兵衛は、丸竹の湯殿で汗をながした。
この夜。野原甚九郎と若い浪人は、横堀宅へ泊り込んでしまった。
彼らが細道からあらわれたのは、翌日の五ツ半(午前九時)ごろであった。
それまで、小兵衛と又六は交替で見張りをつづけていたが、
「あ、大先生。二人が出て来ました」
「ふむ。よし、又六。わしは顔を見知られているゆえ、お前が二人の行先をつきとめてくれ。お前ひとりではいけないよ。ここの若い者《の》を一人、借りて行くがよい」
「わかりました」
又六は勇み立ち、二階座敷から飛び出して行った。
(さて、わしも忙しくなってきたぞ)
小兵衛は、丸竹の亭主をよんで、
「いろいろとありがとうよ。おかげで助かった」
たっぷりと〔こころづけ〕をあたえ、筆紙を借りて、仮名文字でおはる[#「おはる」に傍点]へ手紙を書いた。
内容は「ちょっと帰れなくなったが、心配をするな」と、いうものである。
ちかごろのおはるは、小兵衛に教えられ、仮名文字の読み書きができるようになっている。
丸竹の亭主は、それとなく、横堀喜平次の家に気をつけているつもりらしい。亭主によると、横堀が細道の奥の村田屋の家作を借りて入ったのは、去年の暮れごろということだ。
横堀の妻と称する女は、二十四、五の品のよい女で、いかにも学者の妻女に見えるし、そのほかに五十前後の下男がいて、これが使いや買物に出る。それゆえ、このあたりの人びとが横堀夫婦を見かけることは、
「めったにない……」
そうな。
さて丸竹を出た小兵衛は相川町の船宿・三好屋へ行き、舟を出させ、大川《おおかわ》から神田川《かんだがわ》へ入り、和泉橋《いずみばし》の先の舟着き場で舟を下り、船頭へ、おはるへの手紙をたのんだ。
それから小兵衛は、徒歩で上野北大門町の御用聞き・文蔵《ぶんぞう》の家へ向った。
こうなると、とても自分や又六では手がまわりきれぬ。
四谷《よつや》の弥七《やしち》も傘徳《かさとく》も江戸にいないとなれば、弥七と親しい文蔵をたのむのが、もっともよい。
北大門町の文蔵は、これまでも何度か、秋山父子のためにはたらいてくれているし、浅草へ来たときには必ず隠宅へ挨拶《あいさつ》にあらわれるようになっている。
折よく、文蔵は家にいた。
小兵衛は先ず、文蔵の女房にたのみ、汗くさくなった下着を取り替えてもらうことにした。女房はすぐさま、小兵衛の肌襦袢《はだじゅばん》を縫いにかかった。
その間に小兵衛が、これまでの事をすべて文蔵に語ってきかせた。
「大先生。なぜ、早く知らせて下さらなかったので……」
と、文蔵はうらめしげにいった。
「いや、昨日の、それ、野原甚九郎が横堀の巣へあらわれるまでは、さしたることもないとおもったのじゃ」
「それにしても、後を尾《つ》けて行った又六さんは大丈夫でございますかね?」
「ま、何とかやってのけるだろうよ。いずれ、此処へ知らせに来ることになっているのじゃ」
小兵衛は軽い昼餉《ひるげ》をよばれてから、
「文蔵。ちょいと昼寝をさせておくれ。昨夜は、あまり寝ていないのでな」
二階に一間きりの座敷で、ぐっすりと小兵衛は眠った。
この間に文蔵は、自分の手先の金助《きんすけ》と源三《げんぞう》をよび、待機させた。
鰻売《うなぎう》りの又六が町駕籠《まちかご》へ乗り、文蔵宅へあらわれたのは七ツ(午後四時)前であった。
小兵衛は町駕籠を利用するようにと、又六へ、たっぷり金をわたしておいたのである。
快晴の夕空は、真昼のように明るい。
又六の報告によると、野原甚九郎と若い浪人は、
「早稲田《わせだ》村の、茗荷畠《みょうがばたけ》の神明《しんめい》さまの裏手の一軒家に住んでいます」
とのことだ。
丸竹の若い者は、いま尚《なお》、見張りをつづけている。
「よし、出かけよう。又六、疲れていようが案内《あない》をしてもらわねばなるまい。すまぬな」
「なあに大先生。おら、おもしろくておもしろくて……」
「又六さん。先ず腹ごしらえをしなせえ」
と、北大門町の文蔵がいった。
茗荷畠《みょうがばたけ》の神明宮の祭神は天照《てんしょう》、春日《かすが》、八幡《はちまん》の三座で、杉木立に囲まれた社《やしろ》は小さなものだ。
その裏手の畑道を西へ行った竹藪《たけやぶ》の中に、古びた百姓家が一つある。
野原甚九郎は、この家を借り、若い浪人の川村|岩四郎《いわしろう》と住み暮していた。
そこから程近い牛込《うしごめ》の早稲田《わせだ》町には、秋山父子と親交がある町医者の横山|正元《しょうげん》が住んでいることは、すでに〔波紋〕の一篇でのべておいた。
(これ、さいわい……)
とばかり、秋山小兵衛が横山正元の家を、
(見張りの根城に……)
と、おもったのは当然のことだ。
北大門町の文蔵と二名の手先、それに又六が小兵衛と共に横山正元宅へ入ったころ、すでに夜となっている。
見張りは文蔵たちが交替でつとめ、丸竹の若い者には小兵衛が〔こころづけ〕をわたし、翌朝、深川へ帰すことにした。
「おもしろそうですな、秋山先生。ふうむ、神明宮の近くに、そんな無頼どもが巣くっていたとは知りませぬでした。私へも何なりとお申しつけ下さい」
と、横山正元は意気込んだ。
町医者でありながら、正元も秋山父子と同様に無外流《むがいりゅう》の剣術をよく遣う。
小兵衛は、又六へ、
「疲れたろうから、お前も深川へ帰ってよい」
と、声をかけたが、又六は若いだけに、いうことをきくものではなかった。
この夜は、別に変ったこともなかった。
川村浪人が早稲田町まで出て来て、酒や魚を買い込み、野原甚九郎と共に遅くまで酒をのんでいたようである。
翌朝。
秋山小兵衛は、又六を深川へ帰した。
「こうなってみると、横堀喜平次の様子が気にかかる。帰って様子を見て来ておくれ」
と、たのんだのである。
「じゃあ、大先生。また此処《ここ》へもどって来てもいいですかよ」
「よいとも」
「それなら、行って来ます」
又六は、丸竹の若い者と一緒に飛び出して行った。
横山正元は四十歳になるが、独り身暮しをいまもつづけていた。
そこで男たちが交替で、飯を炊《た》いたり、魚を焼いたりする。
正元は豆腐を買って来て井戸水に冷やしたのを皿へ乗せ、醤油《しょうゆ》と共に胡麻《ごま》の油を少し垂らし、薬味の紫蘇《しそ》をそえて、
「秋山先生。こうすると豆腐も、ちょいと風変りな味となります」
と、すすめたりした。
野原、川村の二浪人は、この日、百姓家から一歩も出ない。
朝から曇っていた空は、午後になると雨気をふくみはじめてきた。
鰻売りの又六が、横山正元宅へ駆けもどって来たのは、この日の七ツすぎであった。
「大先生。横堀喜平次が、こっちへやって来ますよ」
「何……一人でか?」
「はい。丸竹で見張っていますと、一人で家を出て、歩いて日本橋から赤坂へ出て、外濠《そとぼり》をまわって、いま、牛込から馬場下町へ出て来ました」
その横堀の後を尾《つ》けているのは、昨日の丸竹の若い者|千吉《せんきち》だという。
例によって、羽織・袴《はかま》をきちん[#「きちん」に傍点]と身につけ、編笠《あみがさ》に顔を隠した横堀喜平次は、又六が予想したごとく、野原たちの百姓家へ入って行った。
この知らせを千吉から受けた秋山小兵衛は、
「間もなく、夜じゃな」
と、つぶやいた。
そして両眼《りょうめ》を閉じ、腕を組んだ。
一同、息をのんで小兵衛を見まもっている。
ややあって、眼をひらいた小兵衛が、
「今夜は、忙しくなるやも知れぬ。早いうちに腹ごしらえをしておくがよい」
と、いった。
百姓家の見張りは、依然としてつづいている。
何といっても、一同が待機している横山正元宅から近いのが、便利至極であった。
夕餉《ゆうげ》がすむと、秋山小兵衛は北大門町の文蔵と横山正元を別間へよび、
「ぼんやりとだが、かたちが見えてきたような気がする」
「大先生。やつらは、いったい何を企《たくら》んでいるのでございましょう?」
と、文蔵。
「そのことよ」
「はい……?」
「わしの思わくが当っているか、どうか……それはわからぬが……」
小兵衛は、正元と文蔵を相手に、何やら、くわしく打ち合わせをおこなった。
「まさか、さようなことはあるまいと存じますが……」
不審顔に、そういったのは横山正元である。
小兵衛は親愛の眼《まな》ざしと、あたたかい微笑を正元に向け、
「世の中が、正元さんのような人ばかりだったら、どんなによかろう」
皮肉でも何でもない。こころから小兵衛はそういったのだ。
酒と女と剣術が好きな、この町医者は四十になっても無邪気な童心をうしなわぬ。
夜の川岸を歩いていて、月の美しさに見惚《みと》れてしまい、川へ落ちたなどということは、横山正元にとって少しもめずらしいことではないのだ。
「なればこそ横山正元は、四十男になっても、女のほうから寄って来るのじゃ」
いつであったか小兵衛が、大治郎に洩《も》らしたことがある。
「では文蔵。ぬかり[#「ぬかり」に傍点]なく、後をたのむ」
「承知いたしました」
「わしが出て行ったことは、みんなに後で告げればよい」
「はい」
又六と千吉は眠っているようだ。
百姓家の見張りは、文蔵の手先がつとめている。
秋山小兵衛は、横山正元宅の裏口から外へ出た。
雨傘に紐《ひも》をつけて斜めに背負い、脇差《わきざし》一つを着ながしの腰にした小兵衛は左手に青竹の杖《つえ》。右手に提灯《ちょうちん》を持ち、横山正元から借りた白革緒《しろかわお》の日和下駄《ひよりげた》を履き、
「今夜は、きっと降り出すぞ」
と、暗い空を仰いだ。
裏の田圃《たんぼ》で、蛙《かえる》どもがわめきたてている。
市《いち》ヶ谷《や》御門外に〔井筒屋《いづつや》〕という茶問屋があり、そこの隠居の内山|文太《ぶんた》は駿河《するが》の田中在の郷士《ごうし》の出で、ひとりむすめを井筒屋へ嫁がせ、自分もいまは引き取られて楽隠居の身だが、むかしは、秋山小兵衛同様に、辻平右衛門《つじへいえもん》の門人であったことは〔同門の酒〕の一篇にのべておいた。
横山正元宅を出た秋山小兵衛は、約半里の道を市ヶ谷御門外へ出て来て、井筒屋の潜《くぐ》り戸《ど》を叩《たた》き、中へ入れてもらった。
「秋山さん。こんな夜更《よふ》けにどうなすった?」
目をみはった内山文太へ、
「ちょいと、暇つぶしをさせてもらってよいかな」
「そりゃあ、かまわぬが、秋山さん……」
「後に、わしをたずねて来る者がいる。文蔵という御用聞きじゃ。その男が来たら知らせてもらいたい」
「承知した」
内山は、店の者にこれ[#「これ」に傍点]をいいつけた。
「面倒をかけてすまぬのう」
「何の……」
「文太さん。久しぶりで碁を囲もうではないか」
「よいですなあ」
この井筒屋から、市ヶ谷田町三丁目の菓子|舗《みせ》・笹屋長蔵《ささやちょうぞう》方までは五町(約五百五十メートル)ほどの近間であった。
笹屋の、奥庭に面した茶室風の離れが主人の長蔵の寝間になっている。
井筒屋の一間で、秋山小兵衛と内山文太が碁を打ちはじめた、ちょうどそのころ、笹屋長蔵は寝間で後妻のお吉《きち》を抱いていた。
長蔵も、お吉も全裸になっている。
小兵衛が、
「色が黒くて狸顔《たぬきがお》じゃ」
と評した後妻のお吉だが、裸になると、小肥《こぶと》りの肌が意外に白く、三十女の脂《あぶら》をねっとりと浮かせてい、この躰《からだ》を笹屋長蔵が、いまや嬲《なぶ》りつくしている。
五十をこえた長蔵だが、その愛撫《あいぶ》は執拗《しつよう》をきわめていて、
「お吉。もっと腰を、こうせぬか」
とか、
「向うをむけ」
とか、猛《たけ》り立ち、傍若無人に、いいつける姿を、秋山小兵衛が見たら、
(さてさて、人というものはわからぬものじゃ)
と、おもうに相違ない。
長蔵は、お吉を、まるで玩具《おもちゃ》にしているのである。
長い時間を、そうされていると、はじめは顔を顰《しか》めていたお吉が、ついには我を忘れて呻《うめ》き声を発し、長蔵の頸《くび》へ双腕《もろうで》を巻きつけ、わけのわからぬことを口走りつつ、裸身に汗を滲《にじ》ませて激しくうごきはじめた。
「そうだ、そうだ」
などと、笹屋長蔵は満足げに笑《えみ》を浮かべ、
「お前のような躰《からだ》をしている女は百人に……いや、千人に一人だわ」
と、いった。
やがて……。
事が終ると、長蔵は水差しの水をのみ、
「もう、下っていいぞ」
お吉へ、傲然《ごうぜん》といって仰向《あおむ》けに寝たかとおもうと、たちまちに鼾《いびき》をかきはじめた。
その夫の寝顔を見つめている、お吉の暗い眼《まな》ざしが何ともいえぬものであった。
そのうちに、お吉の口もとへ奇妙な笑いが浮かんだ。
笑いの中に、憎しみがこめられている。
また、哀《かな》しみがただよっている。
お吉は立ちあがり、離れを出て、渡り廊下をわたって、母屋《おもや》の自分の部屋へ入って行った。
そのとき、雨が降り出してきた。
それから一|刻《とき》もすると、笹屋のみではなく、どこの商家も武家屋敷も寝しずまって、雨が降りけむる闇《やみ》の道筋には野良犬《のらいぬ》の啼《な》き声もせぬ。
北大門町の文蔵が、市ヶ谷御門外の井筒屋の潜り戸を叩いたのは、このときである。
秋山小兵衛は、すでに店の上《あが》り框《かまち》にいて、これを待っていた。内山文太は眠っている。
小兵衛と共に起きていてくれた手代が戸を開けると、文蔵が入って来た。
「大《おお》先生。やっぱり、お見込みのとおりになりましてございます。三人そろって、いま、こっちへやってまいります」
「三人だけかえ?」
「はい」
百姓家を出た横堀喜平次《よこぼりきへいじ》と野原、川村の三人は頭巾《ずきん》をかぶり、市ヶ谷の方へ向っているというのだ。
三人の後を尾《つ》けているのは、文蔵の手先の金助と源三である。
「遅くまですまなかったのう。後の戸締りはしっかりとしておいておくれよ」
と、小兵衛が井筒屋の手代へ〔こころづけ〕をわたし、文蔵と共に外へ出た。
濠端《ほりばた》に立ち、あたりの様子をうかがっていた横山正元が近寄って来た。
正元は右手に傘《かさ》、左手に提灯《ちょうちん》を持ち、太い棍棒《こんぼう》を腰に差し込んでいる。
「正元さん。御苦労」
「いやあ、おもしろいですなあ、秋山先生。いったい何が起りますかな?」
「それは、わしにもわからぬ」
「なんだか、総身《そうみ》がぞくぞくしてきました」
又六と千吉は、正元の家に残しておいた。
「ちょうど眠りこけていましたから、そのままにしておきました」
「正元さん。あの二人は、ろく[#「ろく」に傍点]に眠らず、はたらきづめだったのだから……」
たとえ目をさましていても、又六と千吉は残しておくことになっていたのだ。
「そろそろ、まいりましょうか」
「文蔵。提灯は、お前が一つ持てばよい。正元さんとわしは、お前の後ろへついて行こう」
「はい」
そのころ……。
市ヶ谷田町三丁目の笹屋長蔵方でも、家族と奉公人を合わせて二十二名が、ぐっすりと眠っている……いや、少なくとも一人だけは、臥床《ふしど》に入っていながら寝間着に着替えもせず、眠ろうともせぬ者がいた。
笹屋長蔵の後妻お吉である。
それから間もなく、お吉《きち》は自分の部屋からぬけ出した。
足音を忍ばせて廊下を辿《たど》り、大台所の外廊下を左へ曲がった。
廊下の突き当りは、土間になっている。
土間の正面は、潜《くぐ》り戸《ど》がついた通用口の大戸になっており、この土間の右手が母屋《おもや》の玄関。左へ行くと土間つづきに笹屋《ささや》の店となる。
土間の柱の上部に二ヶ所、掛行燈《かけあんどん》が淡く灯《とも》っていた。
あたりの気配をうかがったお吉は、通用口の潜り戸の前へ屈《かが》み込んだ。
しばらくして……。
何処《どこ》からともなく笹屋の軒下へあらわれた人影が十二。この中の三人は横堀喜平次、野原、川村の三名である。
すると、他の九人の男たちは、このあたりで三人と待ち合わせたものにちがいない。
九人の男たちは、いずれも黒っぽい着物の裾《すそ》を端折《はしょ》り、覆面をしていた。
頭巾《ずきん》をかぶった横堀喜平次が通用口へ近づき、戸を叩《たた》いた。
すると、潜り戸が内側から、しずかに引き開けられたではないか。お吉が開けたのだ。
横堀がうなずいて見せると、川村浪人を先頭に、他の曲者《くせもの》たちが一人、二人と中へ入って行く。
最後に残った横堀喜平次と野原|甚九郎《じんくろう》が、あたりを見まわし、うなずき合って、潜り戸から中へ入ろうとした。
その瞬間であった。
「おい。何をはじめるつもりなのじゃ」
雨音の中に、はっきりと人の声がした。
ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]となって横堀と野原が立ち竦《すく》んだ。
軒下の、防火用の、石造りの一抱えもある天水桶《てんすいおけ》の蔭《かげ》から、ぬっとあらわれた小さな男がひとり。
羽織をぬぎ、裾をからげた秋山小兵衛である。
「あっ……」
と、二人がおもう間もなかった。
走り出た小兵衛が手にした青竹の杖《つえ》は、野原甚九郎の胸下の急所へ颯《さっ》と突き込まれている。
「う……」
刀の柄《つか》へ手をかける間もなく、野原は、がっくりと両膝《りょうひざ》をつき、そのまま打ち倒れた。
横堀喜平次は、あわてて身をひるがえし、逃げようとした。
「待て」
追いすがった小兵衛へ、
「ぬ!!」
振り向きざま、横堀喜平次が抜き打ちの一刀を浴びせかけた。
同時に、小兵衛の後から走り出た横山|正元《しょうげん》と北大門町の文蔵が、まだ開いている潜り戸から中へ飛び込んで行った。二人とも棍棒《こんぼう》をつかんでいる。
飛び込んだ横山正元が物もいわずに、曲者三人の頭をたちまちに殴りつけ、昏倒《こんとう》せしめた。
すばらしい早わざではある。
「手がまわった」
「逃げろ」
残る曲者のうちの三人が、潜り戸から外へ飛び出すのを、待ち構えていた手先の金助と源三が棍棒で叩き伏せる。
店の土間へ残った三人と川村浪人が、横山正元と文蔵の棍棒に打ち倒されるまでには、さほどの時間も要らなかった。
笹屋の後妻お吉は、蒼《あお》ざめて、土間の一隅《いちぐう》に崩れ折れ、近寄って来る北大門町の文蔵を観念しきった眼《まな》ざしで迎えた。
土間の凄《すさ》まじい物音に、笹屋の店の者たちが、つぎつぎに走り出て来た。
このとき……。
秋山小兵衛は、江戸城・外濠《そとぼり》の淵《ふち》まで、横堀喜平次を追いつめている。
「これ、横堀。暗闇《くらやみ》で顔はしか[#「しか」に傍点]と見えずとも、このわしの声に聞きおぼえはないのか」
右手に青竹の杖を引っ提げたまま、一歩二歩と近寄って来る小兵衛へ、
「たあっ!!」
横堀が捨身の突きを入れてきた。
中条流独特の突きの一手……だが、往年の横堀の突きの鋭さは消えている。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と躱《かわ》しておいて、小兵衛が、
「ばかめ!!」
横堀の腰を青竹で叩き据《す》えた。
「う……」
よろめいて立ち直って、大刀を構えた横堀へ、
「横堀喜平次。やはり、一城の主《あるじ》となれる男ではなかったのう」
「あっ……」
「おもい出したか、秋山小兵衛の声を……」
「う……」
「悪業で得た金は、たっぷりと持っていようが、腕はすっかり鈍《なま》ったのう。それで生きている甲斐《かい》があるのか、横堀」
横堀は、まだ懲《こ》りずに切ってかかった。
わずかに身を引いた秋山小兵衛の青竹の杖が、横堀の打ち込んだ刀を下から巻きあげるようにして撥《は》ね飛ばした。
横堀の手をはなれた大刀は闇を切り裂いて宙を飛び、外濠の水の中へ落ちて行った。
唸《うな》り声を発し、横堀は飛び退《しさ》って差し添えの脇差《わきざし》の柄へ手をかけた。
「やめよ、横堀」
「むう……」
「つまらぬ意地を張るな。素直に縄《なわ》を受けろ」
「く、くく……」
歯がみをする横堀へ、小兵衛が、ゆっくりと近寄って行く。
ついに……。
横堀喜平次は脇差を抜こうとして抜き得ず、くたくた[#「くたくた」に傍点]と其処《そこ》へ折れくずれてしまったのである。
「あわれなやつ……」
と、これは、小兵衛の声にならなかった。
ひれ[#「ひれ」に傍点]伏した横堀が、激しく泣きはじめた。
「横堀喜平次は、あのとき大泣きに泣いた。泣けるだけ、まだ見どころも残っていたかとおもったが……そうか、そのように何人も人を殺《あや》めてしまっていたのでは、獄門を逃れることはなるまい」
あれから七日後の昼すぎに、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪れた北大門町の文蔵から、その後の報告を受けた秋山小兵衛が、
「で、横堀の妻という女は?」
「お上《かみ》のお調べでは、何でも、京の蒔絵師《まきえし》のむすめだったということで……」
「ふうむ。横堀は京にもいたのか……」
「去年の暮れに、京から江戸へ舞いもどって来たらしゅうございます。横堀喜平次は、いまの女のほかにも、前にいろいろと女に関《かか》わり合い、そのうちの一人二人は殺めてしまったらしいので……」
「よくも、素直に白状をいたしたものじゃ」
「何分、お調べのときの拷問《ごうもん》が凄《すさ》まじかったものでございますから……」
「いかに凄まじくとも、あの横堀が拷問に音をあげてしまったか……」
憮然《ぶぜん》となった小兵衛が、
「ま、それはそうかも知れぬのう。それで、女は横堀の正体を知っていたのか?」
「いえ、はっきりとは……ですが大《おお》先生。怪しくおもいはじめていたようでございます」
「なるほど」
「ところで、深川の横堀宅から、七百両もの隠し金が見つかりました」
「ほう……」
「おどろくじゃあございませんか。横堀たちを手引きして、中へ入れた笹屋《ささや》の後添えのお吉《きち》でございますがね……」
「ふむ、ふむ」
「何と、お吉は、横堀喜平次の実の妹だったと申します」
「何じゃと……」
これには、さすがの秋山小兵衛も目をみはった。
「何でも、お吉は若いころに、本所《ほんじょ》の御家人で小泉|為四郎《ためしろう》という人へ嫁いだそうでございますが、子が生まれず、そのために離縁となったと申しまして」
「そのような妹がいることを、横堀喜平次は一度も打ちあけなかった……」
何しろ、秋山小兵衛に「狸顔《たぬきがお》」と評されたお吉ゆえ、その後は、再婚もできずに、いろいろと苦労を重ねたらしい。
そのお吉へ、笹屋|長蔵《ちょうぞう》が目をつけたのは、王子|稲荷《いなり》・門前の料理屋〔扇屋〕においてであった。
お吉は、扇屋の座敷女中をしていたのである。
「ああ見えても笹屋の主人《あるじ》は、女遊びにかけては強《したた》か者《もの》らしゅうございます。それも、なるべくは金を遣わずに遊ぼうというやつで」
「おどろいたやつじゃのう」
「笹屋は、客や他所《よそ》の者には気《け》ぶりにも、そんなところは見せない男なのだそうでございますよ」
「ふうむ……」
唸《うな》った秋山小兵衛が銀煙管《ぎんぎせる》を口へもっていった。
今日は、よく晴れている。
樹々《きぎ》は、鮮烈な若葉に包まれ、庭の向うの桐《きり》の花が筒状の薄むらさきの花をつけていた。
小兵衛は、吐き出した煙草《たばこ》のけむりを目で追いながら、
「笹屋め、お吉を女中がわりの後添えにしたのか……なるほど、これなら金を遣わずにすむ。してみると……」
と、小兵衛が微《かす》かに笑い、
「お吉の躰《からだ》は、よほどに……」
つぶやくように言いさして、ふっ[#「ふっ」に傍点]と黙り込んでしまった。
その小兵衛の言葉が、文蔵にはよく聞こえなかったらしく、
「お吉が、どうしたのでございます?」
尋《き》き返すのへ、小兵衛が、
「なに、こっちのことじゃ。お吉は、よほど、笹屋のあるじのあつかいを恨みにおもっていたのであろう。それで、兄の横堀喜平次を笹屋へ引き入れ、何をするつもりだったのだえ?」
「笹屋の金蔵《かねぐら》から大金を盗み奪《と》り、横堀たちがあるじの長蔵を殺害する手筈《てはず》になっていたと申します」
「すると、お吉は、いまの横堀が何をして暮しているかを知っていたことになる」
「うすうすは感づいていたようでございます。ですが、大《おお》先生……」
と、北大門町の文蔵が、さらに、おどろくべきことをいい出した。
笹屋長蔵を殺害する計画を、お吉へもちかけたのは、何と笹屋の養子の伊太郎《いたろう》だったというのである。
「大先生。笹屋長蔵の養子|苛《いじ》めは、奉公人の間で、だれひとり知らぬものはなかったそうでございますよ」
「ふうむ……むかし、わしの知っていた笹屋のあるじは、そのような男ではなかったようにおもうが……」
そのとき、秋山小兵衛の脳裡《のうり》に浮かびあがったのは、笹屋の先妻お崎《さき》の面影《おもかげ》であった。
美しくて、賢くて、どこまでも夫の長蔵を立てながら、しかも内助を惜しまず、
「そりゃもう、奉公人をよく可愛《かわい》がって……」
といううわさ[#「うわさ」に傍点]も、小兵衛の耳へ入っていたものだ。
(そうか……)
何やら、小兵衛には、わかるようなおもいがした。
申しぶんのない妻のお崎に死なれてから、笹屋長蔵の人柄《ひとがら》が変ってしまったのではあるまいか。
いや、それまでは隠れていた長蔵の本性《ほんしょう》が、おだやかだった心象の水面へ浮きあがってきたのではあるまいか。
長蔵から受けた屈辱が積もり積もった伊太郎とお吉は、たがいに庇《かば》い合ううち、ついに長蔵殺害のたくらみへむすびついたのであろう。
横堀喜平次は、妹のことだけに、雇い入れた盗賊どもを、われから指揮して笹屋へおもむいたが、これまでの種々の悪事については、自分は計画を立てたり、悪人どもへ元手を出したりして、おもてに出ぬことが多かったらしい。
(むかしの、若いころの横堀喜平次の両眼《りょうめ》は、明るく澄み切っていて、ただもう、剣をつかうことがたのしくてたのしくて仕方がない顔つきをしていたものだが……)
小兵衛は、嘆息を洩《も》らした。
その横堀が、なまじ道場の主《あるじ》となったばかりに、われより強き者に打ち叩《たた》かれることを忘れてしまった。いや、嫌《きら》うようになった。道場の主としての自信を失うことが怖かったにちがいない。
それでいて、
(これでよいのか。弱い者だけを相手にしている、いまのおれは、これでよいのか……)
その不安に、つきまとわれていたに相違ない。
いつであったか、秋山小兵衛が息・大治郎へ、
「剣術遣いなどというものは、きびしい修行をつづけぬいてきているだけに、いったん、おのれのちから[#「ちから」に傍点]をたのむことができなくなったとき、先《ま》ず失敗《しくじり》をするのは女じゃ。それが証拠に、このわしを見よ」
と、冗談めかして、
「いい年をして、孫のようなおはる[#「おはる」に傍点]に居据わられてしもうたわえ」
そういったことがある。
「そうじゃ。いま、ひょいと、おもい出したのじゃが……」
「何でございます?」
と、文蔵が膝《ひざ》をすすめた。
「むかし、笹屋長蔵も養子だったと、耳にしたことがあるような気がする」
「さようで……」
このとき、堤の上の道から、四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎が庭先へ駆け下りて来た。
「大先生。私の留守中に何か起ったそうで……あ、文蔵さんじゃあねえか」
「小田原まで、御苦労さんだったねえ」
と、文蔵。
小兵衛が徳次郎へ、
「おはるは、いま、せがれのところへ行っているのじゃ。お前、すまぬが、台所へ行って酒の仕度をしておくれ」
「へい」
徳次郎は心得て、庭づたいに台所の方へ去った。
「ところで大先生。いったい、何が起ったのでございます」
緊張の面もちで、縁側へあがって来た四谷の弥七へ、秋山小兵衛がしずかにいった。
「弥七。芝居の幕は、もう閉まったわえ」
浅草・今戸《いまど》の慶養寺《けいようじ》の門前に、〔嶋屋《しまや》〕という料理屋がある。
表構えは大きくないが、奥行きが深く、裏手は大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)にのぞんでいて舟着きもあるし、気のきいた料理を出すので、秋山|小兵衛《こへえ》も贔屓《ひいき》にしていた。
秋になると、あぶら[#「あぶら」に傍点]の乗った沙魚《はぜ》を酒と生醤油《きじょうゆ》でさっ[#「さっ」に傍点]と煮つけたものなどを出して、小兵衛をよろこばせる。
だが、いまは秋ではない。
この年の、梅雨《つゆ》の晴れ間の或《あ》る夜のことだが、嶋屋から座敷女中に見送られて外へ出て来た客が、今戸橋の北詰を右へ曲がった。
右手は慶養寺の土塀《どべい》、左手は山谷堀《さんやぼり》である。
この客は中年の侍で、総髪《そうがみ》も手入れがゆきとどいているし、夏羽織と袴《はかま》をつけた風采《ふうさい》も立派なものであった。
侍は、かなり酒をのんでいるらしい。
いかにも、こころよげに山谷堀沿いの道を歩む侍の前へ、ぬっ[#「ぬっ」に傍点]と夜の闇《やみ》の中からあらわれた男がいる。土塀の裾《すそ》に屈《かが》み込んでいたのだ。
これも侍……いや、あきらかに浪人者であって、柿色《かきいろ》の布で顔を隠し、着ながしの裾を端折《はしょ》り、帯に草履《ぞうり》をはさみ、跣《はだし》になっている。
背丈の高いその浪人が、総髪の侍へ、
「よい、ごきげんですなあ」
と、笑いかけた。
「おぬしは……?」
油断なく一歩|退《しさ》った侍へ、浪人の後ろ手に隠していた棍棒《こんぼう》が闇を切り裂いて襲いかかった。
「う……」
辛《かろ》うじて身をひねり、これを躱《かわ》したが、息つく間もなく打ち込まれた棍棒に頸《くび》すじ叩《たた》かれて、中年の侍は大刀の柄《つか》へ手をかけたまま倒れ伏した。
死んだのではない。気をうしなったまでだ。
浪人は棍棒を捨てて身をひるがえし、今戸橋を南へ駆けわたると、そこに待っていた男が、
「お見事でございましたね」
「見とどけたか?」
「たしかに……」
二人とも走りながら声をかわし、大川の岸辺の舟着き場に舫《もや》ってあった小舟へ飛び乗った。
暗い川面《かわも》へ出て行く小舟の中で、
「ああ、胸がすいた」
竿《さお》を置いて、櫓《ろ》へ取りつきながら、
「お礼の半金、五両でございます」
男が金包みを、浪人へわたした。
「む……たしかに」
「まさか、死んでしまったのではありますまいね?」
「心配ない、心配ない。そもそも、金をもらって人殺しなぞできるものか。あの侍は大層に悪い奴《やつ》だから懲《こ》らしめてくれというたのみゆえ、引き受けたのだ」
「はい、はい」
「間もなく、息を吹き返すだろうよ」
「それで安心をいたしましたよ。ときに先生……」
「何だ?」
「やはり、お名前を、おきかせ願えませんかね?」
「名乗るほどの名前ではない。お、そうだ。両国のあたりへ舟を着けてくれ」
「ようございますとも」
この浪人の名を、中沢|春蔵《しゅんぞう》という。
やがて、舟から陸《おか》へあがった中沢春蔵は、両国から神田《かんだ》へ出て、御成道《おなりみち》を上野山下へ、それから不忍池《しのばずのいけ》のほとりの道を谷中《やなか》へ向った。
谷中・三崎町《さんさきちょう》の正運寺《しょううんじ》と細道をへだてた角に小間物屋があり、そこの、一間《ひとま》きりの二階に春蔵は住み暮していた。
店の前は、土地《ところ》の人びとが「首ふり坂」とよんでいる坂道が上野山内へのぼっており、周囲には大小の寺院が密集している。
細道へ曲がった中沢春蔵は、小間物屋の裏手へまわり、戸を叩《たた》き、
「おれだ、中沢だ。いま、帰ったよ」
声をかけた。
戸が内側から開き、小間物屋のあるじが、
「また、博奕《ばくち》かえ?」
「ちがう、ちがう」
「道理で、帰りが早いとおもった」
あるじは六十前後の、骨張った躰《からだ》つきの老爺《ろうや》で、名を吉兵衛《きちべえ》という。
同じ年ごろの女房おきね[#「おきね」に傍点]と二人きりで、小間物屋をしているわけだが、これまでに二人の子を病気で失ったそうな。
いま、三十七歳の中沢春蔵が、この家の二階を借りるようになってから、四年の歳月がすぎていた。
それだけに、階下の老夫婦とは、まったく遠慮がない間柄《あいだがら》となっている。
「おい、旦那《だんな》」
と、春蔵が吉兵衛をよぶ。
「何だよ、先生」
「いくら、借りがあったっけ?」
「一両二分」
「よし」
ふところから、小判で二両出した春蔵が、
「ともかくも、これだけ取っておいてくれ」
「へえ……ちかごろ、強気《ごうぎ》なことだ」
「そうでもないのだ」
「今夜は、目が出なすったので、跡を引かねえうちに帰って来なすったか。何よりのことだ。いやいや、博奕で勝ったと、先生の顔にちゃん[#「ちゃん」に傍点]と書いてある」
「では、まあ、そういうことにしておこう。婆《ばあ》さんは、お寝《やす》みかね?」
「当り前だよ。うち[#「うち」に傍点]の婆《ばば》ぁは昼すぎから舟を漕《こ》いでいる。さ、これを持って行きなせえ」
「酒か……いいのか?」
「先生は、借りた金を返すところがいい」
「そうかね」
「では、おやすみ」
「うむ」
冷酒《ひやざけ》が入った白鳥《はくちょう》(白い陶製の大徳利)を抱えて、梯子段《はしごだん》をあがりながら、中沢春蔵が、
「これで、あとは秋山先生へ一両ほどお返しして、残る二両が当分の食い扶持《ぶち》か……」
ぼそぼそと独り言をいい、突き当りの襖《ふすま》を開けると、六畳敷きの部屋の中から黒いもの[#「黒いもの」に傍点]が飛び出して来て、春蔵の足へかじりついた。
「クマ。起きていたのか」
春蔵が飼っている、黒猫《くろねこ》のクマであった。
しばらくして……。
冷酒を茶わんでのんだ中沢春蔵は、寝床へ身を横たえた。
(何だ、あの侍……さほどに強い奴《やつ》ではなかったな。それとも、おれが強すぎたかな。う、ふ、ふふ……あんなことで金十両とは、うまい仕事だが、あまり後味はよくなかったなあ。相手が、もっと強かったなら別だが……それにしてもだ。前金の五両は博奕の借金に取られ、いま、手に残ったのは小判が二枚。ああ、どうも十両の仕事をしたような気分になれぬ)
クマは、春蔵の枕元《まくらもと》へ寝そべり、喉《のど》を鳴らしている。
金十両で、今夜の立派な風采《ふうさい》の侍を、
「叩きのめしておくんなさい」
と、たのんだのは、小舟を漕いでいた男であった。
男は「平吉《へいきち》」と名乗った。
平吉とは、本郷・菊坂の、本多家・下《しも》屋敷(別邸)内の中間《ちゅうげん》部屋の博奕場で知り合ったのだ。
大名の下屋敷は、平常、使用されていないし、目もとどかぬところから、気の荒い渡り中間どもが、自分たちの溜《たま》り部屋を、夜になると博奕場にしてしまう。
下屋敷に詰めている藩士たちも、
「見て見ぬふり……」
をしているのは、むろんのことに中間部屋から鼻薬が届けられているからだし、いまは、どこの下屋敷でも、それが当然のようになってしまった。
その博奕場で喧嘩《けんか》が起ったとき、居合わせた中沢春蔵が素手で、たちまちに四、五人を叩き伏せ、
「しずかにしろ」
息もはずませずに、笑いながらいったものだから、騒ぎがぴたり[#「ぴたり」に傍点]としずまったことがあった。
平吉は、それを見ていて、半月ほどしてから、
「お見事な腕前を見込んで、ぜひとも、お願いをいたしたいことがあります」
と、もちかけてきた。
「何だ?」
「悪い侍を一人、先夜のように叩きつけてもらいたいので……」
「ほう……」
「十両では、いかがなもので?」
「はなしが、どうもわからぬな」
「その侍に、片眼《かため》を潰《つぶ》されたお人からのたのみなんでございますよ。ほかにもたくさん、その野郎からひどい目にあわされ、泣き寝入りをしている人たちがいるのでございますがね。へえ、実は私も、その中の一人なので」
「ならば、お上《かみ》へ訴えればいい」
「それができないから、先生に、お願い申しているので……」
「先生は、よせ」
「では、お名前を……」
「名前なぞ、尋《き》くなよ」
「いかがでしょう?」
「くどい人だな」
「金十両です。前金で五両、ここにございます。お受け取り下さいまし」
たしかに、金は欲しい。
秋山|大治郎《だいじろう》は中沢春蔵に、
「それほどの腕をもっているのだから、何とか、ふたたび剣客《けんかく》として立ったらどうだ。父にもたのみ、身が立つようにはからってあげよう」
これまでに何度か、すすめたものだが、春蔵は苦笑を浮かべるのみであった。
四年も、いまのような暮しをしていると、それこそ、
「乞食《こつじき》を三日やったら、もう、やめられぬ」
の、喩《たと》え同様に、気力がわいてはこないようになってしまっている。
剣客・中沢春蔵が、こうなったのは、それ相応の事情もあるのだが……。
結局、春蔵は平吉のたのみを引き受けてしまった。
つまるところは、やはり、一夜で金十両の魅力に勝てなかったのだ。
それに相手を殺すのではない。棍棒《こんぼう》か何かで叩き伏せ、気絶させてくれれば、
「私は申すにおよばず、たくさんの人たちの胸がおさまります。人助けとおもって下さいまし」
「ふうん……気絶させるだけでよいのだな?」
「はい。私が、それを見とどけまして、みんなにはなしてやります。どんなに……どんなに、みんな、よろこぶことか……」
いいさした平吉の両眼が泪《なみだ》に濡《ぬ》れているのを見たとき、春蔵は、
「よし、引き受けた」
と、いってしまった。
まことに奇妙なたのみなのだが、いまの中沢春蔵は、無頼な連中たちともまじわっているし、人命にかかわりなく、堅気の人びとに関係のないことなら、かなり乱暴な仕事も、
(引き受けないものでもない……)
のである。
平吉は、まだ四十前だろうが、博奕場へあらわれるときも、羽織をつけたよい[#「よい」に傍点]身形《みなり》で、両眼が瞼《まぶた》の下へ隠れてしまうほどに細かった。
(怪しげな男……)
と、春蔵は看《み》たが、その平吉より、もっと得体の知れぬ男たちともつきあうようになってしまっているいまの中沢春蔵であった。
今夜の段取りは、すべて、平吉がととのえた。
今夜で三日、春蔵は浅草・山谷《さんや》の船宿の二階へ、暮れ方から一|刻《とき》(二時間)ほど詰めていたのだが、一昨夜も昨夜も平吉がやって来て、
「まだ、姿を見せませんので、今夜は、これでお帰り下さいまし……」
と、いう。
そして今夜、平吉があらわれ、
「来ました、来ました。先生、たのみます」
嶋屋《しまや》から出て来る中年の侍を、慶養寺の土塀《どべい》の蔭《かげ》から春蔵に見せておいて、
「先生。お手並を拝見いたします」
一声を残して、闇《やみ》に消えた。
春蔵は土塀に沿って後退し、相手を待ち受けたのである。
(さて、明日からまた、残った二両を元手に博奕場をまわるか……)
岡場所の妓《おんな》が、
「木の実みたいな、可愛《かわい》い目」
そういってくれた両眼を閉じて、春蔵は、
(ああ……それにしても、こんなことを、おれは、いつまでやっていればいいのだろう……)
春蔵の閉じた眼から零《こぼ》れた泪が一すじ、尾を引いて頬《ほお》へながれた。
翌日の昼すぎに、中沢|春蔵《しゅんぞう》は、浅草・橋場《はしば》の秋山大治郎宅へあらわれた。
この日は、田沼屋敷の稽古日《けいこび》ではないので、大治郎は早朝から、数少ない門人たちへ稽古をつけてやり、昼餉《ひるげ》をすましたところであった。
門人たちは、すでに引きあげてしまっている。
「秋山先生、この春に拝借いたしました一両です。長々と、ありがとうございました」
半紙に包んだ一両へ、本郷一丁目の菓子|舗《みせ》〔丸屋〕の〔吉野落雁《よしのらくがん》〕を詰めた箱を添え、中沢春蔵は両手をついた。
「よいのか?」
「利息はつけておりません」
「は、はは……」
大治郎が笑ったとき、道場ではなく住居《すまい》のほうの玄関の戸が開き、
「秋山先生は御在宅でございましょうか。笠原《かさはら》の者でございます」
何やら、切迫した声がきこえた。
台所にいた三冬《みふゆ》が出ようとするのへ、
「よし。私が出る」
大治郎が襖《ふすま》を開け、小廊下へ出て行った。
先ごろ、秋山小兵衛が、
「わしが金を出してやるから、もう少し、家の手入れをしたらどうじゃ」
と、いってくれて、住居に一間を建て増し、ついでに、ささやかながら玄関もつけたのである。
中沢春蔵は、台所にいる三冬へ、
「お子さまは、日に日に大きくおなりでしょうなあ」
などと、声をかけていた。
と……。
秋山大治郎がもどって来て、
「三冬、仕度を……」
「お出かけでございますか?」
台所からあらわれた三冬へ、
「笠原先生が亡《な》くなられた」
「えっ……」
三冬は愕然《がくぜん》となった。
大治郎の顔が、きびしく引きしまっている。
「昨夜、今戸《いまど》の嶋屋《しまや》を出て、御宅へお帰りになる途中、慶養寺《けいようじ》の土塀のあたりで、殺害された」
「な、何ということを……」
「あれほどのお人が、心《しん》ノ臓《ぞう》を、ただ一突きにされていたという。信じられぬ。私には信じられぬ」
大治郎と三冬が、急いで奥の間へ入った。
中沢春蔵は、茫然《ぼうぜん》としている。
(まさか……?)
だが、どうしても、自分が昨夜、棍棒《こんぼう》で叩《たた》き伏せた侍としかおもえぬではないか。
(心ノ臓を一突き……おれがしたことではない。ないが、しかし……?)
春蔵が敬愛する秋山大治郎は、殺害された人を「笠原先生」とよんだ。しかも、三冬ともども、
(あれほどに、おどろかれた……)
というのは、秋山夫妻にとって、よほどに親しい間柄と看《み》てよい。
(その、お人を、おれは叩き伏せた。も、もしやすると……?)
春蔵と平吉が逃げ去った後で、別のだれかが、気を失って無抵抗の中年の侍を、
(難なく、刺し殺した……)
そうおもったときの、春蔵の衝撃は、尋常のものではなかった。
身仕度をした秋山大治郎が、三冬に、
「このことを父上へ……」
「心得ました」
「春蔵さん」
と、大治郎がよびかけて、
「聞いたとおりだ。いずれ、また……」
「は……」
大治郎が、あわただしく玄関から出て行った。
それを見送り、もどって来た三冬が、
「春蔵さん。すぐもどりますゆえ、相すみませぬが留守居をたのみます」
「は……」
三冬も、外へ走り去った。
秋山小兵衛は昼前からやって来て、半刻《はんとき》(一時間)ほど前に、満一歳となった孫の小太郎《こたろう》を抱き、近くの石浜神明宮のあたりへ、散歩に出て行ったのである。
三冬は、裏手へまわり、竹藪《たけやぶ》の中の小道を東へ駆け下って行った。この小道は、石浜神明宮へも真崎稲荷社《まさきいなりしゃ》へも通じている。
秋山小兵衛は、石浜神明宮と道一つ隔てた真崎稲荷の門前にある茶店にいた。
いつものように、茶店の団子を自分が噛《か》みつぶし、やわらかくしたのを孫の小太郎へ食べさせている。
「ま、汚いよう、先生」
などと、おはる[#「おはる」に傍点]は顔を顰《しか》めるが、
「これが汚かったら、世の中のものは、みんな汚いわえ」
小兵衛は意に介さぬ。
近ごろは、これ[#「これ」に傍点]をやるのが何よりのたのしみで、団子といわず飯といわず、煎餅《せんべい》といわず、みんな自分が噛みつぶして孫の口へ入れてやる。
これをまた、小太郎がよろこぶものだから、つい三日ほど前にも、小兵衛が、
「ああ、この可愛《かわい》い笑顔を見たら欲も得もなくなってしまう。まったくもって、わが孫という生きものが、これほど可愛いとはおもってもみなかった」
すると、おはるが、
「私と小太ちゃんと、どっちが可愛いのですかよ?」
「お前はのう。可愛いというよりは、少々怖くなってきた」
この日、おはるは関屋村の実家へ出向いていた。
「あ、父上……」
小兵衛を見つけた三冬が走り寄り、低い声で、
「一大事でございます」
「どうした?」
「笠原先生が殺害を……」
「何じゃと……」
めったに動じない秋山小兵衛の眼の色が変った。
小太郎は三冬が抱き、小兵衛と共に引き返した。
小太郎は、しきりに「ウマ、ウマ……」を連発しては小さな手を打ち振っている。
「ともかくも、大治郎がもどってからのことにしよう」
「はい」
竹藪の小道をのぼりきって、
「それにしても、笠原源四郎ともあろうお人が……」
いいさした秋山小兵衛は、三冬を手で制し、立ちどまった。
そこからは、大治郎宅の東側の側面が竹藪ごしに見える。
「あれは……中沢春蔵ではないか」
と、小兵衛がささやいた。
うなずきながらも、三冬は目をみはった。
石井戸の傍に、中沢春蔵が、
(まるで、死人《しびと》のような……)
顔色になって、佇《たたず》んでいた。
「中沢は、笠原殿を知っていたのかえ?」
「いいえ」
「ふうむ……あの様子は、ただごとでない」
「は……」
「しずかに、しずかに……」
小兵衛と、小太郎を抱いた三冬は、足音を忍ばせて裏手へ向った。
裏手の椎《しい》の木が、淡黄色の細かい花をつけている。
何処《どこ》かで、老鶯《おいうぐいす》が鳴いた。
四十五歳で殺害された笠原《かさはら》源四郎は、
「紀州・和歌山の浪人」
だというが、いまの笠原の日常は浪人のものではない。
といっても、何処《どこ》ぞの大名家へ仕官をしているわけでもない。
つまり、後年にいう〔仕法家《しほうか》〕なのである。
〔仕法〕という言葉を、こころみに机上の辞典で引いて見ると、
「仕方、方法……目的を達成するための手段」
と、ある。
いまは、何処の大名も、また幕臣も、経済が行き詰ってきた。これは将軍家や幕府にしてもそうなのだ。
長年にわたる官僚の組織の膨張が末端にまでおよび、むだ[#「むだ」に傍点]な習慣や体裁が大名・武家の生活から、
「ぬきさしならぬ……」
ものとなってしまい、出費が増大する一方だし、加えて近年は冷害のための凶作、飢饉《ききん》が多い。
米が経済の中心となっていた当時ゆえ、
「これでは、どうにもならぬ」
何とかして、それぞれの領国、領地の生産につとめ、財政を立て直さねばならないというので、上は幕臣|老中《ろうじゅう》から、下は小さな采地《さいち》をもつ旗本に至るまで、苦心をしている。
現に、三冬の父で老中の田沼|意次《おきつぐ》も、下総《しもうさ》の印旛沼《いんばぬま》の干拓の再開に着手しようとしている。
印旛沼の干拓は、八代将軍・吉宗《よしむね》の時代に三十万両という巨費を投入し、失敗を重ねてきたもので、もし、これが成功して干拓地の新田が完成すれば、その堀割《ほりわ》りが運河となり、利根川《とねがわ》と江戸とを結びつけ、関東一帯の交通運輸の便も開かれることになる。
その一方で、田沼老中は、北海道の開拓についても研究をすすめているそうな。
ともかくも、当時の日本は国を閉ざし、外国との交際を絶っていたのだから、自力で道を切りひらかなくてはならない。
そのための〔仕法〕に通じている人材は数少ないが、それだけに重宝とされ、大名家からの招きも多い。
笠原源四郎は、これまでに五家の大名と三家の大身《たいしん》旗本の招きに応じ、仕法に成功をおさめた。
当然、それに応じた収入が笠原にはあることになる。
老中・田沼意次も三年ほど前から笠原源四郎を招き、いろいろと相談をもちかけているらしい。秋山小兵衛・大治郎|父子《おやこ》が、笠原源四郎を知ったのも、田沼屋敷においてであった。
それは、一年ほど前のことで、田沼意次は、秋山父子と笠原源四郎を晩餐《ばんさん》に招き、双方を引き合わせたのである。
このとき以来、笠原と秋山父子との交際が始まった。
双方が、たがいに、
「よき人……」
と、看《み》たからであろう。
笠原源四郎は、千住《せんじゅ》の小塚原《こづかっぱら》にある飛鳥明神社《あすかみょうじんしゃ》の近くに住居をかまえ、老僕一人、門人二人と共に暮している。妻子はなかった。
今戸《いまど》の料理屋・嶋屋《しまや》へ、笠原を招いたのは秋山小兵衛で、以来、笠原源四郎は嶋屋の料理が気に入り、五日に一度、三日に一度というほどに足を運ぶようになっていたことは、小兵衛も大治郎も耳にしていた。
笠原は、小野派一刀流の剣をまなび、その手練のほどは、秋山大治郎が田沼屋敷の道場で見とどけている。
田沼意次のすすめによって、大治郎は笠原と立ち合ったが、三本勝負のうち、一本は笠原に取られた。
「太刀筋の正しさは、稀《まれ》に見るものでした」
と、大治郎は小兵衛に告げた。
「剣術は、丹波《たんば》の田能《たのう》の山中に道場を構えておられた、石黒|素仙《そせん》先生に手ほどきを受けました」
笠原源四郎は、そう語った。
石黒素仙の名は、秋山小兵衛も若いころから耳にしているし、江戸の剣客《けんかく》たちの間でも、以前は評判が高かった。
十年ほど前に、百二歳の高齢をたもち世を去った石黒素仙は、山中に山小屋を大きくしたような道場を構え、諸大名の招きにも応ずることなく、自分を慕って修行に来る人々のみを相手に、生涯《しょうがい》を世に出ることなく終った。
「素仙先生の人相は、秋山先生そっくりでござる」
と、笠原源四郎は秋山小兵衛にいったことがある。
「さほどに、長生きができますかのう?」
「できますとも。私が受け合います」
笠原は真顔で、即座にこたえた。
これを小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]に告げたものだから、
「あれまあ、うれしいことをいって下さる」
おはるは、笠原源四郎を徳として、いまも何かにつけ、実家から届けられる野菜などを持ち、笠原家へ出むいて行くようになっていた。
田沼老中が、わざわざ招いて意見を聞くほどの仕法家でありながら、笠原源四郎には、いささかも高ぶったところがない。
中肉中背のすっきりとした躰《からだ》つきで、人品が高雅である。
おはるや三冬を、
「御新造《ごしんぞ》さま」
と、よぶ。
「どうも、くすぐったいよう」
などといいながらも、おはるはうれしくて仕方がないらしい。
さて……。
知らせを受けて千住の笠原源四郎宅へおもむき、その死をたしかめてから、秋山大治郎は、いったん帰宅し、待ち受けていた父の小兵衛へ報告をした。
「心ノ臓を一突き……それのみで絶命なされたのか?」
「この目で、たしかめました」
「ふうむ……いかに、贔屓《ひいき》の嶋屋の酒に酔うておられたにせよ、あの笠原殿が、むざむざとそのような……」
「大刀の柄《つか》に、手をかけられたままであったそうです」
「抜くこともなく……?」
「はい」
「はて、わからぬ」
笠原の門人たちは、諸方へ人をたのみ、師の急死を知らせに走ってもらっているが、夏のことでもあり、遺体をいつまでも置いておくわけにもまいらぬ。
「通夜《つや》は今夜。葬儀は明日《みょうにち》だそうです」
「笠原殿には、どのような身寄りがあるのじゃ?」
「それが……かねてから笠原先生は門人のかたがたへ、自分は一人も身寄りがないとおもってよい。自分に万一の事あったときは、何処へも知らせるにおよばぬ。お前たちのみで|荼毘[#「毘」は底本では「田+比」第3水準1-86-44]《だび》に附してくれと、さように申しおかれたそうです」
「さようか……では、わしも鐘《かね》ヶ淵《ふち》へもどり、仕度をせねばなるまい」
秋山小兵衛は、嘆息を洩《も》らし、
「このことを、おはるが耳にしたなら、さぞかし悲しむことであろうよ。ともかくも大治郎。わしが引き返して来るまで、此処《ここ》で待っていてくれ。いや、そのほうが道順ゆえ、な」
「では……」
立ちあがった小兵衛が、
「ときに、大治郎」
「はい?」
「笠原殿急死の知らせが届いたとき、中沢|春蔵《しゅんぞう》が来ていたそうじゃな」
「はい。それが何ぞ……?」
「三冬から聞いておくがよい」
出て行く父を見送って、もどって来た大治郎が、怪訝《けげん》そうに妻を見た。
梅雨が、もどってきた。
その夜も、中沢春蔵は、本郷・菊坂の本多家・下《しも》屋敷へ出かけ、中間《ちゅうげん》部屋の博奕場《ばくちば》にいた。
あれから、五日ほど経過している。
平吉は、姿を見せなかった。
中間たちに尋ねると、平吉の顔と名前はおぼえていても、
「どこに暮しているのか、そんなことがわかるわけはねえ。現に旦那《だんな》の住居《すまい》だって、おれたちは知らねえもの。そうでござんしょう」
ということであった。
博奕を打ちに来る連中も、平吉と親しくしていたような者はいなかった。
むろんのことに、中沢春蔵は、平吉と待ち合わせに使った山谷《さんや》の船宿へ行って尋ねてみた。
すると、
「あのお方は、南|本所《ほんじょ》元町の釣《つり》道具師で利七《りしち》さんとおっしゃいました。さようでございます。はじめは半月ほど前に、深川の扇町の船宿で巴屋《ともえや》さんの舟でお見えになりましたので」
と、いうので、春蔵は扇町の〔巴屋〕へ行き、問い合わせた。
たしかに平吉は「利七」と名乗って、巴屋へは一月ほど前から、何度も客となり、舟を出させたりしている。
そこで、南本所へ駆けつけてみた。
元町には、たしかに釣道具師の家があった。
ただし、あるじの名は「利七」ではなく「利助」であった。平吉とは何の関係もない男である。
(いよいよ、怪しい……)
ではないか。
巴屋から出した舟で何処へ行ったのか、それも或《あ》る程度はわかったのだが、だからといって手がかりはつかめぬ。
夜になると、この下屋敷の博奕場へ来て、平吉を待つのだが、まったく姿を見せぬのだ。
(怪しい。やはり、おれは、あの男のたくらみ[#「たくらみ」に傍点]に乗せられたのではないか……おれが、あの笠原《かさはら》という侍を叩《たた》き伏せた後で、平吉とは別のだれかが、わけもなく刺《さ》し殺した……)
そのように、おもわれてならない。
考えれば考えるほど、そうなってしまう。
(そうだとしたら、おれは何という愚かな奴《やつ》なのだ)
二階を借りている小間物屋の老爺《ろうや》が、
「先生。病気じゃあねえのかね?」
心配そうに尋ねたほど、中沢春蔵は憔悴《しょうすい》してしまっている。
妙なことに、こんなときの博奕場では、よく目が出るのだ。虚《うつ》ろに賽《さい》の目を追っているだけなのだが、このところ、つき[#「つき」に傍点]についているのである。
この夜も、春蔵は二十両も勝ってから、片隅《かたすみ》に酒を出している男の傍へ行き、茶わん酒をのんだ。
「旦那。お躰《からだ》のぐあい[#「ぐあい」に傍点]でも悪いんじゃござんせんか?」
酒を売る男が尋《き》いた。
「そう見えるか?」
「へえ……」
「いや、なんでもない」
殺害された笠原源四郎という侍は、秋山大治郎が「先生」とよぶほどなのだから、よほどの人物らしい。
(困った。畜生、平吉の奴め……)
笠原の死をきいて大治郎が飛び出して行き、三冬に留守居をたのまれたが、胸さわぎで落ちついていられなくなり、刀をつかんで外へ出て虚脱したように佇《たたず》んでいると、やがて、小太郎を抱いた三冬が秋山小兵衛と共に帰って来て、
「春蔵さん。こちらへ……」
声をかけたのへ、
「いえ、私は用事が残っておりますので」
家の中へも入らず、秋山小兵衛へ挨拶《あいさつ》もせず、逃げるようにして引きあげて来た。
(大《おお》先生は、何とおもわれたことか……さだめし、無礼な奴と、お怒りになられたろう)
もう二度と、秋山父子と顔を合わすことはできまい。
(それにしても、平吉の奴め……)
茶わん酒を呷《あお》りつづける中沢春蔵を、博奕をやりながら、それとなく見まもっている男がいた。
この男、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》の配下・傘《かさ》屋の徳次郎《とくじろう》であった。
徳次郎は、秋山小兵衛に命じられて、一昨日《おととい》から、中沢春蔵を見張っている。
春蔵が引きあげるつもりになって、腰を浮かせたとき、
「もし、旦那でござんすかえ、平吉さんを探しておいでになるというのは……」
声をかけ、遊び人らしい三十男が身を寄せて来た。
「知っているのか、平吉を……」
「いえ、別にどうのという間柄《あいだがら》ではねえので。此処《ここ》で何度か顔を合わせ、口をきいただけなんですがね。いま、向うで、何だか旦那が平吉さんを探していなさると聞いたもので」
「何処《どこ》にいる?」
「さあ、そいつは……今日の日暮れに、ちょいと見かけただけなので」
「ど、何処で見た?」
おそらく、春蔵は血相が変っていたろう。
「い、いってえ、どうなすったんでござんす?」
遊び人は、びっくりしている。
「何処だ、何処にいた?」
「丸山の浄心寺《じょうしんじ》から出て来るところを見かけましたが、平吉さんには連れの女がいたので、声はかけませんでしたよ」
「女……」
「ありゃあ、何処の女だろう。どう見ても堅気の女じゃあねえ。年増《としま》で、化粧もしていねえのに、男好きのする躰をしていやがってね、旦那」
「ひとつ、どうだ」
さすがに、中沢春蔵は落ちつきを取りもどし、茶わん酒を遊び人の常五郎《つねごろう》にとってやり、そっと小判を二枚、手につかませた。
「旦那。こんなに、あの……」
「いいから取っておきなさい」
「こりゃどうも……すみませんねえ」
翌日の四ツ(午前十時)ごろになって……。
丸山の浄心寺・門前の茶店〔美濃屋《みのや》〕へ中沢春蔵があらわれ、茶をのみながら、人の善さそうな茶店の亭主を、よくよく見さだめた上で、店先の腰掛けから土間の奥へ入って行き、
「御亭主に、たのみがある」
「何でございましょう」
「先《ま》ず、これを……」
と、中沢は小判一両を亭主へ出し、
「この店で、見張りをしたいのだ」
「えっ……では、あの、町奉行所《まちかた》の?」
「いや、私の親の敵《かたき》が、浄心寺から出て来るのを見た人がいてな」
こういうときの中沢春蔵は、人|懐《なつ》こい風貌《ふうぼう》と、いささかも豪《えら》ぶるところがない態度ゆえ、ほとんどの人が好感を抱いてしまう。
美濃屋の亭主とて、例外ではなかった。
「お、親の敵でございますって?」
「そうなのだ。たのむ、見張りをさせてもらいたい」
「ようございます」
白髪頭《しらがあたま》を、きっぱりと下げた亭主が、
「こんなお金《たから》は、無用にして下さいまし」
「いや、こころよく受けてもらいたい。それでないと私の気がすまぬ」
親の敵を討つ者への同情があつまるのは、人情の常といってよい。
亭主はいささか興奮して、
「お役に立つものなら、遠慮なく、お使い下さいまし」
と、いってくれた。
しきりに辞退をする亭主に、春蔵はむりやり[#「むりやり」に傍点]に一両をわたし、かの平吉の風貌を語ったが、亭主は、
「さあ、そんな男には、気がつきませんでございました」
と、いう。
平吉は、背丈の尋常な、細身の躰《からだ》つきで、目鼻立ちにも、これといった特徴はない。どこにでも見かける中年の町人なのである。
こうして中沢春蔵は、この日から茶店・美濃屋の土間の一隅《いちぐう》から、浄心寺の門前を見張ることにした。
こうなれば、遊び人の常五郎の言葉一つを、
(たよりにするほかはない……)
のである。
浄心寺は、小石川の丸山片町にあって、日蓮宗《にちれんしゅう》の寺院だ。
むかし、このあたりは小石川村の百姓地で、その面影《おもかげ》が、いまも濃厚に残っている。
門前の幅二間余の道が指《さし》ヶ谷《や》へ下っていて、これを浄心寺坂とよぶ。
組屋敷や武家屋敷も、近年は増えはじめたが、あたりの民家には藁《わら》屋根が多い。
浄心寺の小さな境内の背後には、白山権現社《はくさんごんげんしゃ》の杜《もり》がひろがってい、そこまで行くと老鶯《おいうぐいす》の声もきこえるはずだ。
中沢春蔵が見張りについた第一日の午後には、雨が降り出してきた。
浄心寺の門前には、美濃屋のほかに、二つの茶店があって、その中の〔三好屋《みよしや》〕は美濃屋の筋向いの……つまり、浄心寺の門傍にある。
三好屋には、午後になると早くも、傘屋の徳次郎が張り込んでいた。
このあたりを縄張《なわば》りにしている御用聞きで指ヶ谷の銀右衛門《ぎんえもん》へ、四谷《よつや》の弥七《やしち》からわたり[#「わたり」に傍点]をつけ、
「お上《かみ》の御用」
というので、傘徳を張り込ませた。
いうまでもなく秘密をまもり、三好屋の亭主夫婦も小女《こおんな》も、これを他へ洩《も》らしてはいないし、美濃屋の亭主とて同様であった。
こうして、四谷の弥七と徳次郎が中沢春蔵から目をはなさぬようになったわけだ。
一方、秋山小兵衛・大治郎の父子《おやこ》は、別の手がかりをつかもうとして、うごきはじめている。
小兵衛は、亡《な》き笠原《かさはら》源四郎が贔屓《ひいき》にしていた今戸《いまど》の料理屋・嶋屋《しまや》へ……。
大治郎は、中沢春蔵の旧師・牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》の道場へおもむいたのである。
嶋屋の主人《あるじ》・利兵衛《りへえ》が、秋山小兵衛に、
「秋山先生だけに申しあげますでございます。これは奉行所の方へも黙っておりましたことで……それというのも、これは今度の事件《こと》に関《かか》わりがないとおもっておりますので……」
「どのようなことじゃ?」
「亡くなった笠原先生が、うち[#「うち」に傍点]の料理をお好み下すって、御贔屓にあずかりましたのはたしかでございますが、そのほかに……」
「ほう……」
「てまえどもに、お妙《たえ》という、若い座敷女中がおります」
「おお、知っている。うち[#「うち」に傍点]のおはる[#「おはる」に傍点]も気に入っている女中じゃ」
「さようでございましたな」
「では何か、笠原源四郎殿が、料理ばかりか、お妙にも惚《ほ》れ込んだとでもいうのかえ?」
「実は、一月ほど前に、笠原先生が私に……」
「何と申された?」
笠原源四郎は、
「あるじどの。いかがであろう、女中のお妙を私にくれぬか。いやなに、そう申しても囲い者にするつもりはない。私の妻にもらいうけたいのだ」
こういったそうな。
お妙は、本所・三笠《みかさ》町の長屋に住む指物師《さしものし》の次女で、今年十八歳になる。
「嶋屋さんなら、客筋がいいし、お妙の行儀見習になる」
と、父親がいって、去年の春、嶋屋へはたらきに出した。
「ま、何といっても、あまりに身分も年齢《とし》もちがいますし、お妙の父親も、これには反対をいたしまして……」
「肝心の、お妙はどうなのだ?」
「いえ、これはもう、何も知らずにはたらいております。ですが笠原先生には、いろいろとよくしていただきましたので、当初は悲しんで、打ち沈んでおりましたが、いまは元通りになっております」
「女は、忘れるのが早い。うらやましいことよ」
おはるが「いい女中さんですよう」と、ほめるだけあって、嶋屋のお妙は、小兵衛にいわせると、
(おはるの若いころにそっくりじゃ)
ということになる。
「何と申しましても、あまりに年齢がちがいすぎますので……」
またも、嶋屋利兵衛が繰り返したので、
「それは、わしとおはるへの当てつけかえ?」
「あっ……これは、どうも。とんでもないことを申しあげてしまいました。いえ、先生のほうは、まことにお似合いでございます」
「取ってつけたようなことを申すのう。うふふふ……」
中沢|春蔵《しゅんぞう》の見張りが三日目へ入った。
あれからずっと、雨は降りつづけている。
中沢は、依然、茶店の美濃屋《みのや》に朝から日暮れまで詰め切り、平吉《へいきち》のあらわれるのを待ち、その春蔵を、三好屋《みよしや》から傘屋の徳次郎が見張っている。
日に一度は、四谷《よつや》の弥七《やしち》が顔を見せ、
「まだ、何かわからねえか?」
「親分。それにしても中沢さんは辛抱強い。いったい、何を待ちかまえていなさるのでしょうね?」
「そいつがわかれば、大先生も若先生も苦労をなさらねえ。いずれにせよ、殺害された笠原《かさはら》先生と、あの中沢さんが何か関わり合いのあることだけはたしかだ、と、大先生はおっしゃっている」
「へえ……」
三日目の午後に、四谷の弥七が三好屋へ顔を見せて間もなく、秋山大治郎も姿を見せた。
そこで、弥七は三好屋の亭主へたのみ、奥の部屋へ大治郎をさそった。
「弥七さん。酒をもらおうではないか」
「おや……似てきましたねえ、大先生に」
「そうか、な」
酒が運ばれてきた。
肴《さかな》は、茄子《なす》の新漬《しんづけ》に溶き辛子《がらし》をそえたもので、それに独活《うど》の塩もみが出た。
「いざというときに、私が、この近くにいたほうがよいのではないか?」
「そうでございますねえ……」
「この近くに、父上の知り合いの寺があるそうな。駒込《こまごめ》片町の長泉寺《ちょうせんじ》という」
「そりゃあ、何よりで」
「今日、いっしょに父上のところへ行き、相談をしてみよう」
「ようございます」
うなずいた四谷の弥七が盃《さかずき》を置き、
「ときに若先生。あの中沢春蔵さんは、二、三度、若先生のところでお目にかかりましたが、いったい、どういうお人なのでございますか?」
「牛堀|九万之助《くまのすけ》先生の門人だったことは、弥七さんも知っていよう。父上も私も、そのほかのことについて、くわしいことは知らなかったのだが、今度、牛堀先生のおはなしをうかがって、実は……」
いいさして秋山大治郎は、盃の冷えた酒をのみほしてから、
「以前に、いささか、気の毒なことがあったのだ」
雨音が強くなってきはじめた。
客は一人もいない。傘屋の徳次郎だけが、竈《かまど》の傍に腰をおろし、道の向う側の美濃屋を見つめている。
美濃屋では、めっきりと頬《ほお》のあたりが痩《こ》けた中沢春蔵が身じろぎもせず、浄心寺の門前へ目を配っていた。
三好屋の奥の部屋では、秋山大治郎が四谷の弥七へ、
「以前、と申しても、私が他国での修行を終え、父上の許《もと》へ帰って来て間もなく、牛堀先生の道場へ帰府の挨拶《あいさつ》におもむいたとき、はじめて中沢春蔵に引き合わされた。弥七さんも知ってのとおり、中沢春蔵は、あのような好人物。しかも、剣術も立派なものだ」
「そのようなお人が、どうしてまた、牛堀先生の御手許《おてもと》を離れなすったので?」
「さ、そこなのだ」
牛堀九万之助も、中沢春蔵の人柄《ひとがら》と剣の実力を買って、自分の道場や諸家への代稽古《だいげいこ》をさせ、ささやかながら生計を立てることができるようにしてやった。
春蔵は、下野《しもつけ》(栃木《とちぎ》県)黒羽の浪人・中沢|郡之助《ぐんのすけ》の一人子《ひとりご》に生まれ、二、三の道場で修行を積んだ後、十余年前に牛堀九万之助をたより、門人となったのである。
やがて中沢春蔵は、妻を娶《めと》って、浅草の阿部川《あべかわ》町へ世帯《しょたい》をもったという。
女の子が生まれたとき、春蔵は秋山小兵衛へ、
「天にも昇る心地というのは、このことだとおもいました」
いかにもうれしげに、告げたそうな。
「目に入れても痛くない、とは、このことですな」
とも、いった。
その溺愛《できあい》する一人むすめの千代が、可愛《かわい》いさかり[#「さかり」に傍点]の三歳の夏に、急死してしまったのだ。
ただの急死ではない。外へ出て、近所の子たちと遊んでいたときに、凶暴な野良犬《のらいぬ》にくびすじ[#「くびすじ」に傍点]を噛《か》み砕かれて死んだ。
急をきいて、牛堀道場から駆けもどった中沢春蔵は、四日の間、その野良犬を探しまわり、ついに発見して首を切り落したが、それだけでは、到底、悲嘆が癒《い》えるものではない。
妻の梅《うめ》のほうは、もっとひどかった。
半ば、気が狂ってしまったといってよい。
千代が死んで三月ほどした或《あ》る日、梅は、本所《ほんじょ》の荒井町にある実家(梅の父は、貧しい御家人《ごけにん》だった)へ出向いた帰り途《みち》に、大川へ身を投げて死んでしまったのである。
いや、自殺をしたのか、それとも、蹌踉《そうろう》として歩むうち、足を踏み外したのか、それもわからぬ。
そのころ、梅は幾分、気を取り直しているかのように見えたので、春蔵も梅の実家でも油断をしていたのがいけなかったらしい。
中沢春蔵が酒びたりの日々を送るようになったのは、そのときからであった。
当然、師匠の牛堀九万之助が、春蔵へ訓戒をあたえる。
それでも、春蔵はあらためない。
牛堀の訓戒が、叱責《しっせき》に変る。
春蔵は酒に溺《おぼ》れて、道場へもあらわれなくなった。
たまりかねた牛堀が、阿部川町の春蔵宅へ出かけて行き、きびしく叱《しか》りつけた。
むろんのことに、牛堀九万之助は中沢春蔵を更生させようとの愛情があったればこそ叱りつけたのだが、春蔵は、
「さほどに私が目ざわりならば、破門なすったらいいでしょう」
と、いいはなった。
こうなれば、すべてが終りとなってしまう。
「勝手にせよ」
の一言を残し、牛堀九万之助は、ついに春蔵を見捨てた。
中沢春蔵の転落は、このときから始まった。
秋山父子も、牛堀から、
「中沢は、おもうところあって破門いたしました」
と、きいたのみだ。
ところが、一昨年あたりから中沢春蔵が、
「久しぶりに、お顔を拝見したくなりまして……」
と、大治郎を訪れるようになり、一年のうちに三、四度は顔を見せるようになったので、
(いずれ、くわしく破門の事情を聞き、何とか、身を立てるようにしてやりたい)
大治郎が、そう思っていた矢先であった。
以前にも、大治郎が、
「なぜ、牛堀先生の手許を離れたのだ?」
尋ねると、春蔵は、
「私が悪いのです」
こたえるのみだったのである。
「牛堀さんはのう……」
と、秋山小兵衛が昨夜、大治郎へこういった。
「お前も知ってのように、年少のころから剣一筋に打ち込み、妻や子を持ったことがないゆえ、一時に妻子を失った中沢春蔵の悲しみが、一応はわかっていても、深いところまではわからぬところがあったようじゃな」
「なるほど……」
「あのとき、酒びたりになっていた中沢を放《ほう》っておいたなら、いつかは目がさめたのではあるまいか。他の男ではない、中沢春蔵ゆえ、な……おそらく牛堀さんも、いまは、そのことに気づいていようよ」
その日の夜。
雨音がこもる部屋の中の、有明行燈《ありあけあんどん》の淡い灯影《ほかげ》を受けて、むっちりとした女の臀部《でんぶ》が汗に濡《ぬ》れてうねり、揺れうごいている。
男……いや、平吉は、女に組み敷かれるかたちになって、引きしまった細身の躰《からだ》を女の自由にさせていた。
「うれしいよう。平さんの旦那《だんな》、うれしいよう……」
口走りつつ、髪を振り乱した女の裸身のうごきが、急に激しくなった。
平吉は女の腰を両手で抱え、自分の顔へ被《おお》いかぶさってくる女の髪の毛をうるさそうに避《よ》けながら、薄目を開けて天井《てんじょう》を見あげている。
「へ、平さん……あの、もっと、お前さんも……早く、早く……」
「こうか」
と、平吉が女の躰の下で激しくうごきはじめた。
女は悲鳴のような叫び声を発し、痙攣《けいれん》する躰を弓なりに反らせたかとおもうと、ぐったりと平吉の胸へ倒れ込んできた。
「おい……おい、お千《せん》……」
「あ……」
「どうしたんだ、大丈夫かえ?」
「何だか、あの、気が遠くなってしまって……」
「よし、よし」
女を仰向《あおむ》けに寝かせ、平吉が枕元《まくらもと》の水差しの水を口移しにのませてやった。
「ああ、もうだめ[#「だめ」に傍点]……もう、お前さんとは離れられない」
「当り前だ。おれだって、お前を離しゃあしねえ」
「ほ、ほんとうかえ?」
「明日にも、嶋屋《しまや》から暇を取ってくるがいい」
「ほんとうだね。約束どおり、私を女房にしておくんなさるのだね?」
「いうまでもねえことだ」
「うれしい」
女が、平吉へしがみついてきた。
この女は、例の今戸《いまど》の料理屋・嶋屋の座敷女中の中でも古株の、お千といって、三十を一つ二つは越えていよう。
二月《ふたつき》ほど前に、嶋屋の客となった平吉は、たちまちに、お千を誑《たら》し込んでしまった。
笠原《かさはら》源四郎暗殺の手引きをしたのが、このお千であった。
お千が、平吉に肌身《はだみ》をゆるし、一緒に世帯《しょたい》を持つといわれ、すっかりのぼせあがったのを見すまして、平吉がいった。
「実は、私はね。永井《ながい》平吉といって、以前は三十|石二人扶持《こくににんぶち》の御家人だったのだよ。それがいま、こんな博奕打《ばくちう》ちになってしまったのは、親の敵《かたき》を探しているからなのだ」
「ええっ……ほ、ほんとうなんですか?」
「その敵を、やっと見つけた」
「ど、どこにいるんです?」
「嶋屋へ、よく顔を見せているのだ」
「うち[#「うち」に傍点]の……あの、お客……?」
「そうとも。笠原源四郎というやつさ」
「まあ。あの……あの、笠原先生が……まさか……」
「ひどい奴《やつ》だ。あいつはね、大名方や、老中の田沼へ出入りをしているものだから、殺された親父《おやじ》も私も、泣き寝入りにされてしまったのだ」
平吉は、たくみな弁舌で、お千を騙《だま》した。わけもないことであった。
父の敵などというのは嘘《うそ》にきまっているけれども、彼が御家人の次男に生まれたのは事実である。
いまの永井家は、兄が跡を継いでいる。十年ほど前に、
「極道者には出入りをゆるさぬ」
と、きびしい兄は平吉を勘当し、これをお上へ届け出てしまったから、いわば平吉は〔無宿者〕ということになるのだ。
「でもねえ、平吉さん。これから、どうなさるのだえ?」
「お千。上方《かみがた》へ行こう。おれは好きな道から入った釣《つり》道具のほうで何とか食べていけるし、いまは、ちょいと小金《こがね》もある」
「それにしても、せっかくに親御さんの敵を討ちながら、お上へ届け出ることもできないなんて、くやしいねえ」
「届けたところで握りつぶされてしまうだけだし、むしろ、こっちの身が危うくなる。なあに、恨みをはらしたのだから、親父は草葉の蔭《かげ》でよろこんでくれていようよ」
「まあ……」
人の善いお千は、泪《なみだ》ぐんでいる。
ここは、駒込《こまごめ》の千駄木《せんだぎ》坂下町の提灯《ちょうちん》屋の二階座敷だ。
平吉は、二階の二間を一人で借り切っている。
千駄木坂下町は、団子坂《だんござか》の下になってい、したがって、秋山|父子《おやこ》と親しい杉本《すぎもと》又太郎の道場にも近く、丸山の浄心寺《じょうしんじ》へも程近い。
遊び人の常五郎が、お千と平吉が浄心寺から出て来るのを見かけたのは、二人が気ばらしに、あの辺りでぶらぶら[#「ぶらぶら」に傍点]歩きをしていたときにちがいない。
お千は、逢引《あいびき》がすむと、平吉がよんでくれた町駕籠《まちかご》に乗って嶋屋へもどるのを例としていた。
さて……。
見張りについて三日目の、この夜の中沢|春蔵《しゅんぞう》は、茶店の美濃屋《みのや》へ泊めてもらうことになった。
「雨もひどくなりましたし、御遠慮なく、お泊り下さいまし。旦那さえよければ、敵のやつを見つけるまで、泊り込みにしなすったらいかがでございます」
美濃屋の亭主は、そういってくれた。
一方、筋向いの三好屋《みよしや》で春蔵を見張っている傘《かさ》屋の徳次郎は、昨夜から泊り込んでいた。
四谷《よつや》の弥七《やしち》は家へもどり、秋山大治郎は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅へ立ち寄り、夕餉《ゆうげ》をよばれたのち、
「弥七さんともはなしたのですが、父上に、口ぞえを願って、私も駒込片町の長泉寺へ泊り込んでいたほうが、いざというときに便利かとおもいます」
「そうじゃ、な」
「いけませぬか?」
「いや、かまわぬよ。よし、明日になったら、わしも一緒に行こう。それにしても大治郎、田沼様の稽古《けいこ》を休んでもよいのかえ?」
「この一件が片づくまで、休みをいただいております」
秋山父子は、中沢春蔵が笠原源四郎殺害の犯人だときめているのではない。
ないが、しかし、不審は霽《は》れぬ。
その後の春蔵の行動についても、傘屋の徳次郎の報告を聞くにつれ、何やら怪しげな疑惑は深まるばかりなのである。
だが秋山父子は四谷の弥七にもいいふくめて、このことを、お上へは届けていない。
町奉行所でも、いつになく真剣となり、笠原源四郎殺しの犯人を探索しているが、さっぱりと手がかりがつかめぬとのことだ。
昨日も、秋山小兵衛が嶋屋へ立ち寄った折に、あるじの利兵衛《りへえ》が、
「あれ以来、すっかり、お客様の足が遠退《とおの》いてしまいまして」
しきりに、こぼしていた。
「その所為《せい》か、女中たちも気がゆるんだかして……古参のお千までが、日中は何処《どこ》かへ出かけて行く始末でございましてな」
この嶋屋利兵衛の言葉に、小兵衛は特別の関心をもたなかった。
翌朝、雨があがった。
秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]が漕《こ》ぐ舟で大川《おおかわ》をわたり、なじみの船宿〔鯉屋《こいや》〕へ舟を着けると、前夜の約束どおりに、大治郎が待っていた。
鯉屋で駕籠《かご》をよんでもらい、これに小兵衛が乗り、大治郎は徒歩でつきそい、駒込《こまごめ》片町の長泉寺《ちょうせんじ》へ向った。
丸山の浄心寺門前では、三好屋《みよしや》に泊った傘屋の徳次郎も、美濃屋《みのや》へ泊った中沢春蔵も、いつものごとく、それぞれの見張りについた。
千駄木坂下町の提灯《ちょうちん》屋の二階では、平吉《へいきち》が、まだ眠りをむさぼっている。
お千の姿はなかった。
昨夜、あれから、お千は、
「こうなったら、一時も早く暇を取り、此処《ここ》へ身を移したい」
と言い出し、平吉も、
「それがいい。よし。では根津《ねづ》の駕籠屋まで送って行ってやろう」
すぐさま、お千と共に出て行き、一|刻《とき》ほどしてからもどり、冷酒《ひやざけ》を呷《あお》ってから寝てしまったのだ。
秋山父子が長泉寺へ到着をしたのは、四ツごろであったろう。
大治郎がつきそって、小兵衛を乗せた町駕籠が、平吉のいる提灯屋の前を通り、団子坂を西へのぼって行ったころ、ようやくに平吉は目ざめた。
部屋の中に、まだ、お千の躰《からだ》の匂《にお》いが淡く残っている。
平吉は、にやり[#「にやり」に傍点]として白鳥に残っていた酒を茶わんで一息にのんだ。
長泉寺の和尚《おしょう》は、旧知の秋山小兵衛の来訪をよろこび、小兵衛のたのみを、
「御役に立つならば、よいように当寺をお使いなされ」
と、いってくれた。
そして大治郎は、庫裡《くり》の一間《ひとま》へ案内をされた。
そのころ……。
四谷《よつや》の弥七《やしち》が、三好屋へ顔を見せた。
「徳。別に変ったことはねえか?」
「へえ。ごらんなせえ、親分。中沢さんもずいぶんと辛抱強い」
「中沢さんは、何処かを見張っているのではねえようだな」
「あっしも、そうおもいます」
「ありゃあ、きっと、だれかがあらわれるのを待っているのだ」
「まったく、そのとおりで」
「それじゃあ、徳。おれはこれから鐘《かね》ヶ淵《ふち》へまわるが、大《おお》先生に何かおつたえすることはねえのだな?」
「へえ、いまのところは……ですが親分。ま、ひとやすみして行きなすったらいいじゃござんせんか」
「そうだな。甘酒でも貰《もら》おうか」
雨は熄《や》んだが、空には灰色の幕が張りつめていて、いつまた、降り出してくるか知れたものではない。
道行く人びとは、ひどい泥濘《ぬかるみ》に歩み悩んでいる。
千駄木坂下町では、提灯屋の二階から平吉が降りて来て、
「日暮れまでには、一度、もどって来ますよ」
下の提灯屋の夫婦へ声をかけ、団子坂へ出た。
長泉寺では、和尚が、
「秋山さん、久しぶりゆえ、ゆっくりとして下され。精進の昼餉《ひるげ》も、たまさかにはよろしかろう」
しきりに引きとめるので、小兵衛は昼餉を馳走《ちそう》になってから、すぐ近くの浄心寺門前へ足をのばし、傘屋の徳次郎の報告を聞くつもりになった。
今日の秋山小兵衛は細縞《ほそじま》の単衣《ひとえ》の着ながしに羽織をつけ、来国次《らいくにつぐ》作の脇差《わきざし》一つを腰にしたのみだ。
雨が降り出したときの用意に、傘を手にして団子坂をのぼり切った平吉は、長泉寺の裏手から駒込片町の通りへ出た。
町家の軒下に巣をつくった燕《つばめ》が、しきりに飛び交っている。
通りを斜めに横切った平吉は、浄心寺の門前へ姿をあらわした。
(来た!!)
美濃屋の土間の奥から、早くも平吉を見つけた中沢春蔵が、美濃屋の亭主へ、
「ちょいと、出て来る。すぐにもどります」
そういった声が、落ちつきはらっている。
飛び出して、すぐに捕えてもよいのだが、笠原《かさはら》源四郎殺しの犯行は、
(平吉一人のみのものではない……)
と看《み》ている春蔵は、平吉の後を尾《つ》ける用意をしておいた。
そして、平吉の住処《すみか》を突きとめれば、いつでも、
(引っ捕えることができる)
このことであった。
中沢春蔵は着ながしの裾《すそ》を端折《はしょ》り、菅笠《すげがさ》をかぶり、太い杖《つえ》を手に美濃屋を出た。わざと両刀を腰にしなかったのは、平吉に気づかれまいとしたのであろう。
平吉は浄心寺門前の坂を西へ下って行く。
荷車がはね[#「はね」に傍点]飛ばした泥水《どろみず》が平吉の裾へかかった。
高下駄《たかげた》を履いた平吉が、じろりと白い眼《め》で荷車を曳《ひ》く男を睨《にら》んだ。
三好屋にいた四谷の弥七が、徳次郎へ、
「見たか」
「へい」
「お前が中沢さんの後をつけろ。おれは駒込片町の長泉寺へ駆けつけてみる。若先生が来ていなさるかも知れねえ。さ、行け。ぬかるなよ」
「合点《がってん》です」
徳次郎は菅笠を手に、中沢春蔵の後を追った。
「明日にも江戸を発《た》って、上方へ行こうとおもうのですがね。そうなれば、ま、二度と江戸へはもどらねえつもりですよ」
凝った細工の銀煙管《ぎんぎせる》を煙草《たばこ》入れから抜き取り、煙草盆を引きよせながら、平吉が上眼づかいに相手を見た。
平吉と向い合っている男は、総髪《そうがみ》の堂々たる風采《ふうさい》の剣客《けんかく》で、名を高橋又十郎という。
高橋又十郎は、小石川・原町に一刀流の大きな道場を構えてい、門人の数は八十余名におよぶ。
その立派な体格は、秋山大治郎にも引けを取るまい。
一文字に引き結ばれた大きな口。濃い眉《まゆ》、切長の両眼までは体格にふさわしいのだが、低い団子鼻が、どうもその、顔貌《がんぼう》のバランスをくずしてしまっているようだ。
ここは、高橋道場内の住居《すまい》の奥の間である。
丸山の浄心寺からも程近い、小石川・原町の高橋道場へ、平吉は何度も訪れているらしい。
「それでね、高橋先生……」
「む……」
「旅立ちの餞別《せんべつ》を、いただきたいもので」
「いくら、欲しい?」
「これが最後だからねえ」
「いくら欲しい?」
「百両」
「ふうむ……」
「あなたのたのみで、笠原《かさはら》源四郎を討たせてさしあげたのは、この私でございますぜ。それで、あなたの恨みも霽《は》れ、これだけの道場の名を汚《けが》さずにすんだのですからねえ」
ぽん[#「ぽん」に傍点]と灰吹きへ銀煙管を落した平吉が、
「もともと、あなたは、世わたりのうまさにくらべると、剣術の腕のほうは、ちょいと見劣りがするという……」
「よせ」
「それにしても、私の兄貴と幼友だちのあなたの御出世は大したものだ。それにさ、あのほう[#「あのほう」に傍点]も、ね」
「よせ」
「置きみやげに、また、美《い》い女を世話しておきましょうかね。いかがなもので?」
「よせ」
「ごもっとも。つい先ごろ、ずいぶんと若い御新造《ごしんぞ》をおもらいになったのだから、当分、不自由をすることもありますまい」
高橋又十郎は両眼を閉じた。したがって、その眼の色がわからぬ。まったくの無表情なのである。
「ねえ、先生。これが最後なのですよ」
又十郎はこたえず、毛深い両腕を組んだ。
「ねえ、笠原源四郎一件の一部始終が、私の口から世間へひろまったら、この道場も、どうなるか知れたものではねえ、と、おもいなさるがいい」
道場の稽古《けいこ》の気合声と木太刀を打ち合う物音が、遠くきこえている。
敷地もひろく、いま、二人がいる奥の間に面した庭の向うは、宏大《こうだい》な酒井家・下《しも》屋敷の塀《へい》と木立であった。
「今度、先生のところへ来た御新造は、堀留《ほりどめ》の乾物問屋・遠州屋のむすめさんだとか。遠州屋の蔵には小判が唸《うな》っているそうな」
「平吉。お前は……お前の兄とは、大分にちがうのう」
「同じだとは、おもっていませぬよ」
「強請《ゆすり》も、堂に入ってきたわ」
「御冗談を……」
「あのとき、手引きをした嶋屋《しまや》の女中の始末はついたのか?」
「御心配なく」
「それに、あの男については、大丈夫なのだろうな?」
眼を閉じたまま、高橋又十郎は低い声でいう。
「ええ、もう、あの男は人が善いだけで、いまごろは、私のことも忘れてしまっているでしょうよ」
「そうか……」
組んでいた両腕をほどき、目をひらいた高橋又十郎が、
「餞別は、百両でよいのだな」
「さようで」
「少し待て」
「いま、ここで下さる……?」
「うむ」
立ちあがった又十郎へ、
「さすがに御裕福なことだ」
「すぐ、もどる」
部屋を出て行きかけて、平吉の背後へ出た高橋又十郎の巨体が突風のようにうごいた。
平吉が、はっ[#「はっ」に傍点]としたときは、もう遅かった。
又十郎のたくましい右腕が、背後から平吉の頸《くび》と喉《のど》へ巻きついて、
「う……」
片膝《かたひざ》を立てたまま、声をたてることもできず、平吉の満面が真赤になった。
このとき、さあっ[#「さあっ」に傍点]と雨が降ってきた。
両腕を突き出し、白眼をむき出した平吉の形相が見る見る変った。
高橋又十郎は、ぐいぐいと平吉の頸と喉を締めつける。
中沢|春蔵《しゅんぞう》が、奥庭へ走り出て来た。
高橋道場の隣りの竜泉寺《りゅうせんじ》という寺の墓地づたいに忍び込んで来たのである。
「何者だ?」
又十郎が叫んだ。
「その男に用がある。引きわたしてもらいたい」
いうや、春蔵がつかつか[#「つかつか」に傍点]と縁先へ走り寄った。
「おのれ!!」
平吉から飛び離れた高橋又十郎が、床ノ間の刀掛へ走り寄って大刀をつかみ、
「出合え。曲者《くせもの》だ、出合え!!」
大声をあげた。
平吉は、ぐったりと倒れ伏している。
縁側から部屋の内へ躍りあがった中沢春蔵へ、
「退《の》けい!!」
高橋又十郎が切りつけた。
身を転じた春蔵へ、
「たあっ!!」
又十郎の二の太刀が襲いかかる。
大小の刀を帯びていない春蔵は、太い杖《つえ》で又十郎の大刀を打ちはらった。
「出合え、出合え!!」
叫びつつ又十郎が、じりじりと春蔵へ迫った。
廊下から数人の足音が駆け寄って来る。
気がついた平吉は、這《は》いずりながら、庭へ転げ落ちた。
「ま、待て、平吉」
と、声をかけた春蔵へ、又十郎が刀を打ち込んだ。
中沢春蔵の杖が切り飛ばされた。
そこへ、傘《かさ》屋の徳次郎を先頭に、四谷《よつや》の弥七《やしち》、秋山小兵衛・大治郎の父子《おやこ》が墓地づたいに奥庭へ駆け込んで来た。
同時に、廊下と庭から、高橋又十郎の門人が合わせて十二名、木太刀や刀を手にあらわれたものである。
よろめきよろめき、逃げようとする平吉へ、四谷の弥七が躍りかかって、ぱっと捕縄《とりなわ》を打つ。
秋山小兵衛は、庭から走り出て来た門人八名の中へ、竹杖一本だけで飛び込んだ。
「あっ……」
「うわ、わ……」
「ぎゃあっ……」
どこをどうされたものか、たちまちに四名が小兵衛の竹杖に叩《たた》かれ、突きまくられて転倒する。
「まだ、来るか」
ふわり[#「ふわり」に傍点]と小兵衛の躰《からだ》がうごいたとおもったら、また一人、戸板でも倒したように地へ伏した。
秋山大治郎は部屋へ飛びあがり、腰の大刀を抜き打ちざまに、高橋又十郎の脚を切りはらった。
「あっ……」
突然の侵入者たちに動顛《どうてん》した又十郎は、躱《かわ》そうとして躱しきれず、左の膝頭を切り割られ、
「むう……」
大刀を放《ほう》り落し、のめり倒れた。
それにはかまわず大治郎は、門人が突き入れた木太刀を飛びちがって躱しざま、
「や、鋭!!」
峰打ちに、こやつの腰を打ち据《す》え、
「引け。引け」
よばわりつつ、部屋から廊下へ身を移し、たちまちに、二人の門人を打ち倒している。
残った門人たちは、秋山父子の、あまりにも凄《すさ》まじい手並を見て慄然《りつぜん》となり、廊下から庭から一斉《いっせい》に逃げた。
中沢春蔵は雨に濡《ぬ》れて、茫然《ぼうぜん》と庭に立ちつくしている。
それから約半月後の或《あ》る夜。
秋山父子は、老中《ろうじゅう》・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の上《かみ》屋敷での晩餐《ばんさん》に招かれていた。
早目の晩餐が終ってのち、田沼意次は奥庭に面した茶室へ案内をし、
「さてさて、こたびの事については、まことにありがたかった。厚く御礼を申しあぐる」
きっちりと両手を膝《ひざ》へ置き、頭を下げた。
「や、これは……」
小兵衛と大治郎は、おどろきもし、恐縮もした。
笠原《かさはら》源四郎殺害の犯人たちを捕えたことについて、幕府の最高職責に任じ、赫々《かくかく》たる権威者である老中が、一人の仕法家に関《かか》わる事件を、これほどに重く看《み》ているとは、秋山父子も意外であった。
では何故、剣客・高橋又十郎は笠原源四郎を殺害したのか……。
事は、ちょうど一年前にさかのぼる。
その日。
高橋又十郎は、平吉《へいきち》の案内で、浅草の奥山裏にある茶屋〔玉の尾〕へ出かけた。
玉の尾では、町家の女房や娘を密《ひそ》かにあつめ、口の堅い客のみをえらんで遊ばせる。
玉の尾の主人《あるじ》とは、むかしなじみの平吉が、はじめて又十郎を案内したのだ。
それまでにも平吉は、色欲の激しい又十郎へ何度も女を取りもってやっていた。
高橋又十郎も御家人《ごけにん》の三男に生まれ、平吉の兄とは幼友だちだっただけに、むかしから平吉を知っている。
又十郎の剣術は、それほど、ひどいものではない。
人一倍の修行をしている。
その上、道場の経営にも長《た》けていたから、あれほどの大きな道場を構えることができたのであろう。
で、その日の遊びに満足した高橋又十郎が、酒もしたたかにのみ、平吉と共に玉の尾を出て、浅草|田圃《たんぼ》の道を歩みつつ、
「先生。今日の女は、いかがでした?」
「いや、よかった。あのような声を発する女は、はじめてだ」
「私のほうは、水気のない果物のような女《の》で、どうにも仕様がありませんでしたよ」
「さようか。うふ、ふふ……」
初夏の夕風を、こころよげに酔った顔へ受けて歩むうち、向うの木立の蔭《かげ》から侍がひとり、姿をあらわした。
この侍が、ほかならぬ笠原源四郎だったのである。
田圃の細道で一人と二人が擦れちがったとき、大酔していた又十郎の躰《からだ》がよろけ、笠原へ打ち当った……その一瞬早く、笠原源四郎が颯《さっ》と身を躱《かわ》したものだから、
「あっ……」
高橋又十郎が、泳ぐようにして田圃へ落ちた。
剣客として、あるまじき醜体であったが、酔ってもいたし、このところ羽振りもよくなってきていただけに、又十郎は我を忘れ、
「ぶ、ぶれいもの!!」
喚《わめ》くや、いきなり抜き打ちに笠原源四郎へ切りかかった。
笠原は、刀の柄《つか》へ指もかけなかった。
ぱっと躱して、又十郎の頸《くび》すじの急所と喉《のど》、右腕と、手刀で打ち据え、立ちすくんでいる平吉へ、
「介抱をしてやるがよい」
微笑と共に、この一言を残し、悠々《ゆうゆう》と立ち去った。
又十郎は気を失って、不様に倒れている。
おのれが悪かったくせに、このときの無念と怨《うら》みを、高橋又十郎は忘れることができなかった。
そこで平吉が、浅草を中心に歩きまわり、笠原源四郎が今戸《いまど》の嶋屋《しまや》へ入るところを見かけたのが、今年の晩春の或る日の夕暮れであった。
平吉が、嶋屋の客となり、座敷女中のお千を誑《たら》しこみ、笠原の身辺を探るようになったのは、それからのことだ。
この間、去年の醜体の口どめ料と、笠原探索の費用として、高橋又十郎は二百両に近い大金を平吉に搾《しぼ》り取られていたそうな。
「それにしても、当節は剣客商売も、やりようによってはばか[#「ばか」に傍点]にならぬのう。大治郎、お前も高橋又十郎を見習ったらどうじゃ」
後に、秋山小兵衛が、あきれて冗談を洩《も》らしたほどだ。
高橋又十郎は、平吉が突きとめた笠原の住居《すまい》へ、
「夜討ちをかけてくれる!!」
などと息まいたが、去年の、笠原の水際《みずぎわ》だった腕前を知っているだけに、
「まあ、先生。私のいうことを、おききなさるがいい」
ついに、平吉のすすめに従うことにした。
中沢春蔵の棍棒《こんぼう》に叩《たた》き伏せられ、気を失って倒れた笠原源四郎の心《しん》ノ臓《ぞう》を一突きに刺し殺したのは、近くに隠れていた高橋又十郎であった。
嶋屋のお千は平吉に絞殺《こうさつ》され、千駄木《せんだぎ》の竹藪《たけやぶ》の中へ埋め込まれていたという。
捕えられた高橋又十郎と永井平吉、それに中沢春蔵は、何故か、町奉行所から幕府の評定所《ひょうじょうしょ》へ身柄《みがら》を移され、取り調べを受けることになった。
評定所は、老中・若年寄《わかどしより》に属し、幕府の行政・司法の中核を成し、幕府の最高裁判所でもある。
単なる殺人事件を取り扱うべきところではない。
そして……。
高橋又十郎と永井平吉は死罪ときまり、すぐさま、処刑されてしまった。
「ところで、中沢春蔵じゃが……」
と、老中・田沼意次が、
「死罪は、まぬがれましたぞ」
秋山小兵衛と大治郎は顔を見合わせた。
それもこれも、おのれの過失を償おうとして、苦心の末に又十郎・平吉の犯行を突きとめ、危険を冒して単身、これを糾明すべく奔命したことを、田沼老中がみとめてくれたからであろう。
中沢春蔵は、三年の島送りという刑罰ですむらしい。
「これは、小兵衛先生と大治郎殿のみに、おつたえしておくことゆえ、かまえて他言なさるまじ」
田沼意次は、こう念を入れてから、
「実は、不慮の死をとげられた、笠原源四郎先生のことであるが……」
いいさして、深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐《つ》いた主殿頭意次が、
「笠原様は、八代《はちだい》様の御血筋を受けた御方なのじゃ」
秋山父子は、声もなかった。
〔八代様〕とは、いうまでもなく、八代将軍・徳川|吉宗《よしむね》のことである。
「徳川中興の名君」
と、世にうたわれた将軍・吉宗だが、絶倫の精力をもって政治改革をおこなうと共に、
「女色のほうも、並はずれていた……」
との風評を、秋山小兵衛も耳にしている。
徳川吉宗が、六十八歳で世を去ったのは、三十年ほど前のことゆえ、笠原源四郎が、いまは名を知るよしもない女と吉宗との間に生まれた子であったものか……。
吉宗は将軍であったとき、鷹狩《たかが》りに出て、気に入った百姓女などにも手をつけたといわれている。
ちなみ[#「ちなみ」に傍点]にいえば、老中・田沼意次は、吉宗が紀州家の藩主であったころから仕えていて、吉宗が将軍の座に迎えられ、紀州から江戸城へ入ると共に、これに随従し、旗本に取り立てられたのが今日の立身の第一歩であった。
「のう、小兵衛先生……」
「は……」
「大治郎殿を、この意次の聟《むこ》と、晴れて天下に知ら示すことができぬのも、三冬が妾腹《しょうふく》のゆえにじゃ」
と、意次が秋山父子へ、
「ゆるされよ」
頭を下げたものである。
間もなく、秋山父子は神田橋《かんだばし》御門内の田沼屋敷を辞去した。
すでに、梅雨はあがっている。
濠端《ほりばた》には酒を売る屋台も出ていた。
神田・三河町の商家からも灯《ひ》が洩れてい、人の足が絶えぬのも、夏の夜のことだからだ。
時刻は五ツ(午後八時)ごろであったろう。
夜風に、どこかで風鈴が鳴っている。
「それにしても、父上……」
と、大治郎が小兵衛へ身を寄せて、
「笠原源四郎先生ともあろう御方が、中沢春蔵の棍棒に打ち倒されるとは……?」
「わからぬか?」
「わかりませぬ」
「闇夜《やみよ》の不意打ちは別じゃ。春蔵も、なかなかの腕前ゆえ、な」
「はあ……」
「まだ、納得がゆかぬか?」
「ゆきませぬ」
「笠原源四郎殿の人柄を、おもい返してみるがよい」
「は……?」
「いささかも、おのれに疾《やま》しいところのないお人ゆえ、闇討ちのことなど、いささかも念頭になかったろうよ」
「…………」
「さて、中沢春蔵のことじゃが……三年後に罪をゆるされて八丈島より帰って来たら、どうなろうかのう?」
「はあ……」
「わしが、それまで生きていたなら、面倒を見てやらねばなるまい」
「そのお言葉を何ともして、春蔵へ伝えてやりたいと存じます」
「おお、そうしてやれ。田沼様の御用人へたのむがよい」
「はい」
「なれど大治郎」
「はい?」
「今夜の、田沼様のお言葉には、さすがのわしもおどろいたわえ」
「まったく……おどろきました」
「三冬にも、このことは申さぬがよい」
「はい」
三河町四丁目へ二人がさしかかったとき、稲荷《いなり》ずしの売り声が近寄って来て、右側の商家の潜《くぐ》り戸から小僧が二人あらわれ、その売り声へ向って走り出した。
店を仕舞った後の、これが小僧たちのたのしみなのである。
夕紅大川橋《せきこうおおかわばし》
秋山|小兵衛《こへえ》が、
「おや……?」
目をみはるのと、同時に、
「あっ……」
横山|正元《しょうげん》が、おどろきの声をあげた。
この年の夏も終ろうとしている或《あ》る日の午後のことで、二人は、浅草・橋場《はしば》の料理屋〔不二楼《ふじろう》〕の二階奥座敷で、酒を酌《く》みかわしていた。
時刻は七ツ(午後四時)ごろであったろう。
「よい風じゃな、正元さん」
「はい、さようで」
大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)から、ながれ込む涼風にさそわれ、二人が共に立ちあがり、窓辺から川面《かわも》を見下した、そのとき、川面を北へ向ってすべって行く猪牙船《ちょきぶね》に乗った男女ふたりが、期せずして、小兵衛と正元の目に入ったのである。
男は、秋山小兵衛・大治郎父子《だいじろうおやこ》とも関《かか》わり合いの深い内山|文太《ぶんた》老人であった。
内山と同乗していた女を小兵衛は知らぬが、横山正元は知っている。
「秋山先生。あれは、たしかに内山老人でしたな」
「いかにも。内山文太が、洗い髪の年増《としま》と猪牙に乗っている図なぞは、いかなわしとても、想《おも》いみなかったことじゃ」
「先生は、あの女を御存知ではないらしい」
「知らぬからこそ、びっくりしているのじゃ」
「いや、私も、まさかに内山老人が、あの女と……」
「正元さんは、あの女を知っていなさるのかえ?」
「二、三度、抱いたことがありましてな」
「ほほう……」
「岡場所の妓《おんな》です」
こういって、正元は青々と剃《そ》りあげた頭を、照れくさそうに撫《な》でた。
小兵衛は、またも、瞠目《どうもく》した。
横山正元は、牛込《うしごめ》の早稲田《わせだ》町に住む中年の町医者である。
医者でありながら、無外流《むがいりゅう》の剣術を遣い、四十をこえても独り身で、
「酒と女が、何よりも大好物」
そういって、はばからぬ正元については〔剣士|変貌《へんぼう》〕の一篇にのべておいた。
この日、横山正元は浅草で所用をすませたのち、久しぶりで秋山小兵衛の隠宅を訪問すると、
「よいところへ来た。今日は、おはる[#「おはる」に傍点]が関屋村の実家《さと》へ帰ったので、夕餉《ゆうげ》を外でするつもりでいたのじゃ」
小兵衛は、すぐさま身仕度をととのえ、大川の水を引き込んだ庭の舟着きに舫《もや》ってある小舟へ、正元と共に乗った。
「大丈夫ですか、先生……」
「なあに、このごろは、おはるに仕込まれてのう。竿《さお》も櫓《ろ》もいけるようになったわえ」
舟を橋場につけ、二人は不二楼へあがって、酒をのみはじめたわけだが、
「おもいがけぬところで、内山文太を見たが、まさか、七十をこえて気が狂ったのではあるまいな」
「それは、わかりませぬよ、年寄になると、男も急に変りますからなあ」
「しかし、文太さんにかぎってそれ[#「それ」に傍点]はない。四十年にもなるつきあい[#「つきあい」に傍点]だが、あの男は女よりも剣術と酒なのじゃ。それは、わしが、いちばんよく知っている」
「それは、私も内山老人にかぎって……」
「そうおもうだろう?」
「はい」
「ところで、あの女は?」
「谷中《やなか》のいろは[#「いろは」に傍点]茶屋の妓です」
「ふうむ。して、抱き心地は?」
「それが先生。なかなかのものでしてな」
「ふうん……」
手にした盃《さかずき》を口にふくむのも忘れたかのごとく、
「あの内山文太がのう……」
秋山小兵衛は、茫然《ぼうぜん》とつぶやいた。
小兵衛は横山正元と共に不二楼《ふじろう》を出て、舟で鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどることにした。
おはる[#「おはる」に傍点]は、実家の近くに住む母方の伯父が病死し、今夜は通夜《つや》なので、隠宅へは帰らぬはずだ。
そこで、小兵衛が、
「今夜は、わしがところへ泊りなさい。碁でもやろうよ」
正元をさそったのである。
隠宅の舟着きへ、二人を乗せた小舟がすべり込んだとき、
「あっ、秋山先生……」
庭の木蔭《こかげ》から、男がひとり、飛び出して来た。
市《いち》ヶ谷《や》の茶問屋〔井筒屋《いづつや》〕の主人《あるじ》・作兵衛《さくべえ》であった。
井筒屋作兵衛の妻の浜《はま》は、ほかならぬ内山文太のひとりむすめ[#「ひとりむすめ」に傍点]で、文太はいま、娘聟《むすめむこ》の井筒屋に引き取られ、楽隠居の身分なのだ。
「井筒屋さん。どうしたのじゃ?」
「お出かけの様子なので、此処《ここ》で待たせていただきました」
そういった井筒屋作兵衛の声が、妙に切迫している。
秋山小兵衛も横山正元も、つい先程、大川を行く舟の上に、かつて見たこともない内山文太の姿を目撃していただけに、はっ[#「はっ」に傍点]と直感がはたらいた。
「井筒屋さん。内山文太が、どうかしたのかえ?」
「せ、先生。どうして、それを?」
「先刻、文太さんを見かけたよ」
「ええっ……」
「何を、おどろいていなさる?」
「義父《ちち》が、行方知れずになってしまったのでございます」
「何じゃと……?」
小兵衛も正元も、びっくりした。
「何処《どこ》に……義父は、何処にいたのでございます、何処に……?」
「ま、落ちつきなさい。ともかくも、中へ入ろう」
内山文太は、駿河《するが》・田中の郷士《ごうし》の出身であった。
秋山小兵衛と内山文太は、無外流の名人・辻平右衛門《つじへいえもん》の愛弟子《まなでし》であり、小兵衛にとって内山は、
「かけがえのない、同門の親友」
なのだ。
内山文太は、小兵衛より十歳の年長で、今年七十五歳になる。
内山文太の小肥《こぶと》りの躰《からだ》は若いころのままで、年下の小兵衛にくらべると頭髪もゆたかだし、白いもの[#「白いもの」に傍点]も少ない。
「文太さんとならんで歩くと、どちらが年寄なのか、わからなくなる。どうも、おもしろくない」
いつぞや、小兵衛が息《そく》・大治郎へ洩《も》らしたこともあった。
しかし、妻の兼《かね》が病死をし、むすめの浜が嫁いでいる井筒屋へ引き取られたのち、顔や姿は変らなくとも、急に老《ふ》け込んでしまった。
「目に入れても痛くない」
孫や曾孫《ひまご》が六人もいる楽隠居になれば、そうなるのも当然であろう。
「秋山さん。わしのように倖《しあわ》せな者は、あまりないようですな」
などと、内山は老け込んだ現在の自分に満足をしていたし、秋山小兵衛が今年の初夏のころに会ったときも、行方不明になるような異常は内山文太にみとめられなかった。
井筒屋の先代が、近所に住んでいた内山文太の人柄《ひとがら》を見込み、
「あのような、お方のむすめごならば間ちがいはない。ぜひとも、せがれの嫁に……」
と、懇望したのは、浜が十五歳のときで、それゆえ、井筒屋の現当主・作兵衛は、義父というよりも実父同様に内山へ仕えていたのである。
その内山が一昨日の昼すぎに、井筒屋を出たきり、帰って来ない。しかも、近年は腰にしたこともない大小の刀を差して出て行ったらしい。
内山文太という男は、小兵衛が初めて知り合ったときから、いかに酒をのんで大酔しても、わが家へ帰らぬということは、ほとんどなかったはずだ。
まして井筒屋へ引き取られてからは、外泊は一度もない。
それゆえ、井筒屋作兵衛夫婦は不安になり、こころあたりの場所を探しまわると共に、ともかくも今朝まで待ってみたが、依然、内山からは何の知らせもないので、
「ともあれ、秋山先生にお知らせをして……」
と、井筒屋作兵衛が、小兵衛の隠宅へ駆けつけて来たのである。
「わかりません。私には、どうも納得がまいりません。そ、そんな先生、岡場所の女などと、義父が一緒の舟で大川を……そりゃ、先生方のお見間ちがいではございませんか。きっと……いえ、きっと、そうでございます」
井筒屋作兵衛は、小兵衛と正元の言葉を、正面《まとも》には受けとらなかった。おそらく、妻の浜も同じであろう。
「それは、まさに、信じがたいことやも知れぬが……」
「はい、秋山先生。信じられませぬ、信じられませぬ」
「なれど……」
秋山小兵衛ともあろうものの目が狂いを生ずるわけはない。
横山正元にしても、自分が二度三度と抱いた妓《おんな》の顔を忘れるわけがない。
妓の名は、お直《なお》といったそうだが、これは本名ではあるまい。
「よし、わかった。明日からは、わしも文太さんを探してみよう。そちらはそちらで、尚《なお》も諸方をあたってみておくれ」
「は、はい。御面倒をおかけして申しわけも……」
「わしにとっても、これは大事のことじゃ」
井筒屋作兵衛は、乗って来た町駕籠《まちかご》を待たせてあった。
小兵衛は、手早く、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》へ手紙を書き、
「これをな、ついでに、伝馬町《てんまちょう》の弥七のところへとどけておくれ」
「はい……ですがあの、弥七親分に、この事を打ちあけてよろしいのでございましょうか?」
「弥七は、わしの身内同然。あつかい方は心得ている。決して迷惑はかけぬ」
小兵衛は、弥七への手紙に、
「明日の五ツ半(午前九時)ごろに、傘《かさ》屋の徳次郎《とくじろう》を連れ、上野山下の慶雲寺《けいうんじ》境内で待っていてもらいたい」
と、書きしたためた。
井筒屋作兵衛が悄然《しょうぜん》として帰って行ったあとで、小兵衛は横山正元に、
「明日、ちょいと手つだってくれるかな?」
「よろしいですとも」
「患者のほうは?」
「私のところへは、危ないような患者はやって来ません」
「ではな、明日、慶雲寺で弥七と会って、今日のことをはなし、その谷中のいろは茶屋の妓がいた店へ弥七を案内してもらいたいのじゃ。そして、手先の徳次郎を此処へよこしてもらいたい」
「心得ました」
谷中《やなか》の〔いろは茶屋〕は、貞享《じょうきょう》のころに、谷中の天王寺・門前にひらかれた遊所で、上方《かみがた》から移って来た業者が多い。
それゆえか、万事に上方ふうの、おっとりとした趣があり、秋山小兵衛も、むかしは何度か足を運んだことがある。
〔谷中〕という地名は、駒込《こまごめ》と上野の谷間《たにあい》という意味がふくまれてい、徳川将軍の菩提所《ぼだいしょ》にして、天台宗の関東総本山でもある寛永寺をひかえた上野の山には、大小の寺院があつまり、市中のにぎわいをはなれた別天地であった。
寺々の甍《いらか》と、深い木立に埋もれた土地の遊所なので、客筋の人気《じんき》もよく、僧侶《そうりょ》の遊客も少なくない。
したがって、よい女もあつまるというわけで、
「いったん、いろは茶屋へ足を踏み入れたなら、足を抜く前に腰が抜けてしまう」
などと、いわれている。
旧冬の或《あ》る日。
横山|正元《しょうげん》は三年ほど前に一度来たことがある〔菱屋《ひしや》〕という店へあがった。
折しも夕暮れどきであったが、この遊所は土地柄《ところがら》、夜よりも日中の客が多い。
したがって、菱屋の妓《おんな》たちの大半が客の相手をしており、正元の前へあらわれたのは、件《くだん》のお直と、もう一人の若い妓であった。
客の前へ出るというのに、お直は洗い髪のままで、齢《とし》ごろは二十四、五に見えた。
横山正元は若いほうが好みであったけれども、
「客の相手をするというのに髪も結わず、むっつりとして、ろく[#「ろく」に傍点]に口もきかぬ、あの女がちょ[#「ちょ」に傍点]とおもしろくなりましてな」
秋山小兵衛へ語ったように、お直と二階の部屋で二人きりになってから、正元が、
「なぜ、髪を結わないのだ」
問うや、お直が、
「めんどうくさいから……」
「店で叱《しか》られないのか?」
「店では、もう、あきらめています」
「だが、それでは客がつくまい」
「これがいいという客も、いますよ」
「そうか、な……?」
「それ、そこにも……」
と、お直は正元を指して、声もなく笑ったが、口をきいたのはそのときだけで、あとは、
「それこそ、無言の行というやつでした」
昨夜、苦笑まじりに、正元は小兵衛へ語った。
「そんな妓のところへ、二度三度と通ったのは、どこが気に入ったのじゃ?」
「さて……そういわれても、困りますなあ」
「身の上ばなしもせぬという……」
「とんでもないことで。まるで、唖《おし》の女を抱いているようなものでしてなあ」
こういう女と、内山文太が小舟に乗って、大川をのぼって行ったのである。
遊所で客をとっている妓が、自由に外へ出られるはずはない。
となれば、お直という女は、いろは茶屋の菱屋を脱《ぬ》け出したことになる。
(まさかに、文太《ぶんた》さんが身請けをしたわけではあるまい)
そのような金を、内山文太が持っているはずがない。
こうしたはなしを、四谷《よつや》の弥七《やしち》は、慶雲寺の境内で待ち合わせた横山正元から聞きとり、
「ともかくも、その菱屋へ行ってみましょう」
「よし、案内をしよう」
正元と弥七は、かねて顔見知りの間柄だ。
弥七の手先の、傘屋の徳次郎はすぐさま、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛隠宅へ急いだ。
いろは茶屋の菱屋へあらわれた四谷の弥七は、
「もう、ぐずぐずしてはいられません」
横山正元にいい、菱屋のあるじ八右衛門《はちえもん》へ、
「お上の御用だ」
ふところから、そっと十手《じって》を出して見せた。
「な、何か、あったのでございましょうか?」
すかさず、弥七が、
「身におぼえがあるのかえ?」
「と、とんでもないことでございますよ、親分」
「それなら、なぜ、びっくりするのだ?」
「なぜって、あなた……」
「ま、いい。今日は少し尋《き》きたいことがあってな」
「何でございましょう?」
「此処《ここ》に、お直という妓がいるだろう。出してくれ」
「お直……あの、お直が、どうかしたのでございますか?」
「白《しら》ばっくれると承知しねえぞ」
と、このあたりの弥七の呼吸の見事さに、横山正元は眼《め》を白黒させている。
あるじの八右衛門は、横山正元の顔を見おぼえていないらしい。
「お、親分……」
「なんだ?」
「お直は、足抜けをいたしましたので……」
「いつだ?」
「一昨日《おととい》の夜か、昨日の明け方でございます」
「何だと……」
「嘘《うそ》じゃあございませんよ、親分」
弥七と正元は、おもわず、顔を見合わせた。
お直《なお》を菱屋《ひしや》に世話したのは、下谷《したや》の通新町《とおりしんまち》の外れにある小さな煙草《たばこ》屋で、名を新兵衛という老爺《ろうや》であった。
新吉原《しんよしわら》などの遊里とはちがって、いろは茶屋のように特殊な岡場所では、格式や、やかましい手つづきにこだわらず、それぞれの店が独自のやり方で、新鮮な女たちをあつめようとしている。
ことに、いろは茶屋の土地柄では、どこまでも素人《しろうと》らしい女が、客に好まれるわけだ。
〔煙草屋新兵衛〕が、菱屋へ女を世話するようになってから、十年にもなるという。
お直は、まる二年を菱屋にいて、客をとった。
「何しろ、無愛想な妓《こ》でございましたから、あまり客もつきませんでしたが、中には、どうしても、お直でなくてはいけないという人もございましてね」
その菱屋の言葉に、横山|正元《しょうげん》はくび[#「くび」に傍点]をすくめた。
いずれにせよ、お直が借りた五十両は、すでに菱屋が回収していたにちがいない。
しかし、そのほかに、衣裳《いしょう》・道具・小間物類などで、借金は自動的に増える仕掛けになっているのだから、あと二、三年は辛抱をし、客をとらなくては晴れて自由の身になれなかったはずだ。
お直が菱屋から逃げた夜の、最後の客は、菱屋|八右衛門《はちえもん》にいわせると、
「ずいぶんと年寄の、おさむらいだった……」
そうである。
「侍というと、両刀を差していたのか?」
「はい、さようで」
しかし、しかるべき身分をもった侍ともおもわれなかった。
質素な衣服を着ながしにして、竹の杖《つえ》をつき、浅目の新しい編笠《あみがさ》を手にしていたそうな。
やはり、内山文太らしい。
翌朝になると、老人は、お直と共に姿を消していた。
老人が店へあずけた大小の刀も、消えていたが、これは、お直が持ち出したのであろう。
菱屋では、すぐさま、人を出して近辺を探させたが、夕暮れ近くなっても発見できなかった。
煙草屋新兵衛も駆けつけて来て、協力を惜しまなかったが、手がかりはつかめない。
これが昨日のことで、ちょうど、そのころ、内山文太とお直は、舟で大川《おおかわ》へ出ていたことになる。
菱屋八右衛門は、
「ま、仕方がないと、あきらめていたのでございますよ」
と、いった。
こういうところが、いろは茶屋らしい大様《おおよう》さで、それは、妓たちの心情にまで影響してくる。
ただ、八右衛門は、最後の客となった老人とお直が、色恋の沙汰《さた》で足抜きをしたとはおもえなかった。
二人が逃げた後で、金二十両の金包みが袱紗《ふくさ》に包まれて床の間に置いてあるのを、八右衛門が見出《みいだ》した。
これならば、菱屋の損害は、ほとんどないといってよい。
菱屋八右衛門の申し立てに、
(嘘《うそ》はない)
と、見ぬいた四谷《よつや》の弥七《やしち》は、下谷・通新町の煙草屋新兵衛方へまわってみることにして、
「正元先生は、どうなさいます?」
「私も行くよ。なんだか、おもしろくなってきた」
正元は、そうこたえて、弥七を苦笑させた。
煙草屋新兵衛は、少し前に、外出《そとで》から家へ帰って来たばかりであったが、自分の知っていることを、正直に弥七へのべた。
お直は、葛飾《かつしか》の小合《こあい》という村に住む漁師・為五郎《ためごろう》の養女だとかで、養父の為五郎が病死した後、病気の養母うめ[#「うめ」に傍点]を抱え、なんでも、松戸《まつど》の料理屋ではたらいていたらしい。
だが、養父のころからの借金と、養母の医薬の代に苦しみ、
「それで、はい、私のところへ、はなし[#「はなし」に傍点]が持ち込まれてきたのでございますよ、親分」
煙草屋新兵衛は、そう語った。
「それは、どういうことで、お前のところへ、はなしがまわってきたのだ」
「はい。小合の村の近くの新宿《にいじゅく》で、渡し舟の船頭をしております太次郎《たじろう》というのが、私の遠縁にあたりまして……」
その船頭・太次郎と、お直の養父・為五郎とは親しい間柄だったので、お直が太次郎へ、身を売るための相談を持ちかけたことになる。
「私は、今朝、暗いうちに新宿へ行き、太次郎へ、お直が足抜きをしたことを申しますと、太次郎もびっくりしておりました。はい、もしも、向うへ、お直があらわれましたなら、すぐに、私のところへ知らせをよこすことになっております。あの、親分さん……」
「何だえ?」
「お直の養母のおうめさんは、今年の二月に、とうとう亡《な》くなりまして、そのとき、菱屋さんは、お直を在所《ざいしょ》へ帰してやったのでございますよ。私がつきそって行きましたが、なかなか、できることではございません。菱屋の旦那《だんな》は情《なさけ》深いお人でございます」
「で、死目に会えたのか?」
「間に合いました。そのときはじめて、お直は、自分がもらわれた子だということを知ったらしゅうございます」
「ふうむ……」
養母のおうめは、お直と二人きりで語り合い、泪《なみだ》を浮かべて、お直の孝養への礼をのべ、出生の秘密を打ちあけたらしい。
「で、生みの親は、だれなのだ?」
「それが、お直にも、よくわからないらしいのでございますよ」
お直は煙草屋新兵衛に、
「私は、もらわれた子だったのですとさ」
と、洩《も》らしたのみで、あとは新兵衛が何を尋ねても、黙ってくび[#「くび」に傍点]を振るのみだったという。
(まさか……?)
内山文太が、お直の実の親だとはおもえない。
しかし、そうでないとは、
(いいきれない……)
のである。
弥七と横山正元は、煙草屋新兵衛の家を出て、最寄《もより》の飯屋で腹ごしらえをした。
千住《せんじゅ》から三《み》ノ輪《わ》を経て、上野山下へ通じる往還は、奥州《おうしゅう》・日光の両街道へむすんでいるだけに、夜も昼も人馬の往来の絶えるときがない。
すでに夕闇《ゆうやみ》がただよってい、二人の躰《からだ》は汗にまみれていた。
横山正元と四谷《よつや》の弥七《やしち》が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどって来たのは、五ツ半(午後九時)ごろであった。
あれから二人は、町駕籠《まちかご》で葛飾《かつしか》の小合村や松戸へまわり、船頭の太次郎や、前にお直がはたらいていた料理屋をあたってみたが、何一つ、手がかりはつかめなかった。
大川沿いに探りをかけていた傘《かさ》屋の徳次郎は半刻《はんとき》(一時間)ほど前に隠宅へもどり、秋山小兵衛の酒の相手をつとめていた。
「わしだけ、楽をしていてすまぬな。なれど、ひょっ[#「ひょっ」に傍点]として、文太さんが、わしをたよって来るような気がしたものだから、此処《ここ》をうごけなかったのじゃ」
おはる[#「おはる」に傍点]は、まだ、関屋村の実家から帰って来ていない。
「さ、ともかくも湯殿で、汗をながして来ておくれ。はなしはそれからじゃ」
小兵衛は、正元と弥七を湯殿へやり、着替えの用意をした。
夜になると、めっきり冷えてくる。
暗い空に稲妻が光った。
しかし、雷鳴はない。もう、すぐそこまで秋が忍び寄って来ているのだ。
湯殿からもどった横山正元と弥七に酒をすすめながら、小兵衛は二人の報告を聞いた。
傘徳も、手がかりを得なかった。
「そうか。ふうむ……」
腕をこまぬいた小兵衛へ、弥七が、
「ですが大《おお》先生。お直が内山文太先生の子だとは、どうしても、おもえませんが……」
「この四十年、文太さんは、わしとちがって、女なぞに目もくれなかったはずじゃ」
内山文太は、妻を迎えてから、浮いたはなしなど一つもない。
それは、身近にいた小兵衛と四谷の弥七が、だれよりもよくわきまえていることだ。
小兵衛より年上の内山文太が、無外流《むがいりゅう》・辻平右衛門《つじへいえもん》の門人となったとき、すでに秋山小兵衛は、辻道場の代稽古《だいげいこ》をするほどの剣客《けんかく》となっていた。
ゆえに内山は、年下の小兵衛を、どこまでも先輩として立て、師の辻平右衛門が山城《やましろ》の大原《おおら》の里へ隠棲《いんせい》してのちは、小兵衛を、
「わが師と、おもっています」
などといい出し、小兵衛を困らせたものである。
小兵衛が、四谷に独立して道場を構えてからも、交誼《こうぎ》は絶えず、
(文太さんがいてくれたので、わしは、どれほど助かったか知れたものではない)
道場の経営についてはもとより、小兵衛の代稽古をつとめてくれ、先妻のお貞《てい》が病歿《びょうぼつ》したときも、また、おはると共に隠宅をかまえ、道場を閉じたときも、内山文太には一方ならぬ世話をやかせてきた。
そもそも、おはるが秋山小兵衛宅へ女中となって入ったのも、内山文太の口ききによるものであった。
一方、内山は内山で、
「秋山さんのおかげで、わしの今日があるのだよ」
妻子にも、かねがね、いいきかせてきたようだ。
内山文太は、一見、磊落《らいらく》のようでいて、実は神経が細かく、几帳面《きちょうめん》そのものの人物なのだ。
「明日は、坂本にいる友蔵《ともぞう》という御用聞きに、ちから[#「ちから」に傍点]を貸してもらうつもりでございます。友蔵については御心配にはおよびません。しっかりとした人でございますよ」
「ともかくも親分、内山先生は舟で大川をのぼって行ったのだから、こうなりゃあ、こっちのものですぜ」
と、傘屋の徳次郎が明るくいいはなった。
「そうだ。橋場《はしば》より先の何処《どこ》かで、舟を下りなすったのだろう」
これがもし、犯人を追うことであれば、町奉行所からも人数を出し、虱《しらみ》つぶしに洗い[#「洗い」に傍点]をかけるわけで、むろんのことに、それがよいにきまっている。
しかし、いまのところ、内山文太が失踪《しっそう》した理由がわからぬ。
迂闊《うかつ》に、大事《おおごと》な処置をとってしまって、内山が困るようなことになるのを、小兵衛も弥七も、内山の家族たちもおそれている。
内山文太には、師とも友ともたのむ秋山小兵衛にさえ、打ちあけられぬ事情があったのだ。
明日の打ち合わせをすませてから、小兵衛は寝間へ入り、弥七たちは居間へ枕《まくら》をならべた。
小兵衛は臥床《ふしど》に身を横たえ、目を閉じたが、なかなかに寝つけない。
弥七たちは疲れ切っていたかして、襖《ふすま》をへだてた向うの居間から、三人のいびき声が綯《な》い交《ま》ざってきこえている。
突然、雨が屋根を叩《たた》いてきた。
夜半の驟雨《しゅうう》だ。
その、強い雨音が、秋山小兵衛の脳裡《のうり》の片隅《かたすみ》に埋め込まれていた、一つの記憶をよみがえらせたのである。
「あ……」
低く叫び、小兵衛は臥床の上へ半身を起した。
その夜から、約四十年の歳月がすぎてしまっている。
その夜にも、突然の驟雨《しゅうう》があった。
まだ春にも浅いころで、秋山小兵衛は、麹町《こうじまち》の辻平右衛門《つじへいえもん》道場に起居していた。
当時の小兵衛は、三十歳までに、四つ五つ間があるという若さだったが、早くも、江戸の剣術界に頭角をあらわし、恩師・辻平右衛門の代稽古《だいげいこ》をつとめるほどになっていた。
内山|文太《ぶんた》は、その半年ほど前に、辻道場で稽古をするようになっていたが、すでに四谷《よつや》の伝馬町《てんまちょう》裏の小さな家に住み、妻の兼との間に、ひとりむすめの浜も生まれていたのである。
ゆえに、その日の夜、内山文太は帰宅した後で道場にいなかった。
内山が辻道場へあらわれるようになってから日も浅かったし、秋山小兵衛は、まだ、稽古以外に親しいつきあいをしてはいなかった。
師の辻平右衛門は、内山文太について、
「さる人の引き合わせにて、わしの許《もと》で修行を仕直すと申している。太刀筋はよい」
と、小兵衛へいったのみだ。
連日のごとく道場へあらわれ、熱心に稽古をつづけている内山文太を見て、
(この人は、よほどに剣術が好きらしいな)
小兵衛が好感を抱いていたのはたしかであった。
その夜、小兵衛は辻先生の酒の相手をした後、台所に近い自室へ入り、手枕をして、まどろんでいた。
そこへ、激しい驟雨が屋根を叩《たた》いてきて、小兵衛は目ざめた。
このとき、台所にいた下男の八助《はちすけ》が、小兵衛の部屋へ来て、
「内山さんを訪ねて、女の人が見えましたよ」
と、告げた。
「女……どこの?」
「さあ、知らねえですよ」
「内山さんは四谷のどこかに住んでいるのだろう。お前、知っていないか?」
「さあ……」
当時、道場に住み暮していたのは、辻先生のほかに、秋山小兵衛と八助のみであった。
「困ったな。ともかくも通しなさい」
間もなく、雨に髪を濡《ぬ》らした女が八助に案内され、裏手から台所へ入って来た。
三十がらみの女で、これといって特徴もなかったが、
(いかにも、江戸の水に慣れぬ……)
ような面《おも》もち、姿が、いまにして小兵衛の脳裡《のうり》へ、ぼんやりと浮かんでくる。
小兵衛は、内山が帰宅したことを告げ、
「明朝になれば、内山さんが道場へまいられよう。出直しておいでになってはいかがです」
「はあ……」
息を引いた女は、寸時、考え込んでいたが、
「では、これを、内山さまへ、おわたし下さいませぬか」
一言、一言、区切りをつけるようにいって、一通の手紙を小兵衛へわたしたのは、内山に会えぬ場合を慮《おもんぱか》っていたのであろう。
「たしかに、おわたしいたそう。で、あなたのお名前は?」
またしても息を引き、しばしの沈黙の後に、
「静《しず》と申します」
低い声で名乗った。
「明日は、おいでになれませぬか?」
「はい」
「この、お手紙を内山さんへわたせば、それでよろしいのですな?」
「はい」
これ以上、小兵衛がとやかく尋ねることはない。
雨が熄《や》むまでの間、女は、八助が出した茶を寂しげに、ゆっくりとのんだ。
女は、雨が熄むと、すぐに帰って行った。
「内山さんも、お安くないだよう。女房子がいなさるというによ」
「八助。つまらぬことをいうな」
「へい、へい」
その女の言葉づかいや物腰が、町家の女には見えなかった。
身につけているものは質素なもので、女の素性《すじょう》がどのようなものか、若かった秋山小兵衛には見当がつきかねたのである。
手紙には〔内山文太様〕と、女の筆《て》で、したためてあったが、女の名は書いてなかった。
翌朝になって、女の手紙を内山文太へわたすと、
「それはそれは、御面倒をおかけいたした」
平常と変ることなく小兵衛に礼をのべ、手紙を読むことなくふところへおさめた。
そして、いつものように熱心な稽古をつづけ、いつものように帰って行ったが、小兵衛の問いにこたえて、内山は四谷・伝馬町裏の自宅の所在を、ためらうことなく打ちあけた。
八助がいうように、何ぞ曰《いわ》くのある女なら、妻子が共に住む自宅の所在を洩《も》らすまい。また女が道場へ来たとき、小兵衛の口から告げられてはまずいにきまっている。
(そうだ。それから……)
四十年後のいま、驟雨の音から、あの夜のことを想起した小兵衛へ、さらに、いま一つの記憶がよみがえった。
それは、いまは亡《な》き下男・八助の言葉であった。
静女が内山文太を訪ねて来た数日後に、八助は辻平右衛門の使いに出て、その帰り途《みち》に、
「あの女と、内山さんが一緒に歩いているところを見たですよ」
「何処で?」
「浅草御門の外でよう」
さあ、それから先のことが、どうしても、おもい出せぬ。
何しろ、四十年も前のことなのだ。
後に、秋山小兵衛が内山文太と親しくなってから、あの女のことを、それとなく尋ねたことがあった。
そのとき内山は「知り合いの女です」とこたえたのみで、小兵衛も、それ以上、立ち入ることもなく、また、その必要もなかった。
そのうちに小兵衛は、この一件を忘れるともなく、
(忘れてしまった……)
のである。
それからの秋山小兵衛には、さまざまな波瀾《はらん》が巻き起り、剣客として生死の境いをくぐり抜けたことも数えきれない。
朝になって、小兵衛は弥七《やしち》たちへ、
「昨夜、ひょん[#「ひょん」に傍点]なことを、おもい出してな」
お静と内山のことを告げるや、弥七は目を光らせ、
「どんなことでも、いまはたより[#「たより」に傍点]になります。もっと何か、おもい出して下さいまし」
「弥七。わしもなあ、もう齢《とし》で、物忘れをするばかりなのじゃ。何しろ当時は、さして気にもとめなかったことゆえ、な」
横山正元、弥七と傘徳《かさとく》が隠宅を出て行った後で、
(さて、わしは今日、何をしたらよいものか……)
おはる[#「おはる」に傍点]は、今日の夕暮れにならなければ帰らぬだろう。
むかし、辻《つじ》道場の同門だった人びとも、数少ないが江戸に残っているし、そのあたりへ内山文太のことを尋ねてみようかとも考えたが、
(何しろ、文太さんは、わしにも打ちあけずに行方知れずになったのだから……)
他の同門の人びとに、わかるはずがない。
そして、小兵衛は、自分が留守の間に、もしも内山が訪ねて来たら……と、それをおもうと、外へ出る気にもなれぬ。
ぼんやりと茶を啜《すす》りながら、小兵衛は時間《とき》をすごした。
何ともいえぬ虚《むな》しい風が胸の中を吹きぬけてゆくようだ。
(文太さんの身に、いったい、何が起ったのであろう?)
そのとき、井筒屋作兵衛《いづつやさくべえ》が駕籠《かご》で駆けつけて来た。
「秋山先生。これを……こ、これをごらん下さいまし」
作兵衛が差し出したのは、まぎれもなく、内山文太の筆になる手紙であった。
内山は、
「急ぎの用事ができて、だれにもいわずに家を出たが、決して心配をせぬように……」
と、手紙に書き、
「このことは、だれの耳へもつたえぬようにしてもらいたい。たとえ鐘《かね》ヶ淵《ふち》の先生にても口外無用。御心配をかけたりしては相すまぬゆえ。わしのことについては、少しも心配をせぬよう」
心配するな、と、二度も繰り返しているが、居所も知らせず、帰宅もせずというのでは、いかに内山が口どめをしても、井筒屋夫婦が秋山小兵衛に相談をすることは、目に見えているはずではないか。
それがわからぬ内山文太ではないのだけれども、
(文太さんも七十をこえて、少々、呆《ぼ》けてきた……)
ように、小兵衛はおもった。
手紙の筆の運びも、たしかに内山のものであったが、細く、ふるえて、乱れている。
(いったい、何処で何を、ごそごそ[#「ごそごそ」に傍点]とやっているのか。悩み事があるなら、さっさと、わしのところへ来ればよいに……)
嘆息を洩《も》らし、手紙を井筒屋作兵衛へ返した小兵衛が、
「この手紙は、だれが届けに来たのじゃ?」
「昨日の日暮れ方に、見も知らぬ人が、私の店へまいりまして……」
「ほう……」
その男は、応対に出た若い番頭へ、
「この手紙を、こちらの旦那《だんな》におわたし下さい。いえ、御返事はいりません」
一気にいうや、手紙をわたして、急ぎ足に去って行った。
手紙の表に〔井筒屋作兵衛殿 文太〕と記してあるのを見た番頭の幸吉《こうきち》は、傍にいた手代へ、
「これを、早く旦那に……」
文太の手紙をわたすや、自分は素早く草履《ぞうり》を突っかけて、使いの男の後を追った。
「ふうむ。いまどき、気転のきいた番頭じゃな」
後で、店の小僧がいうには、内山文太の手紙を届けに来た中年男は内山|失踪《しっそう》の当日の朝にもあらわれ、このときは内山自身へ手紙のようなものをわたして去った。
内山文太の姿が井筒屋から見えなくなったのは、それから間もなくのことである。
ところで……。
若い番頭の幸吉は、たくみに使いの男の後を尾《つ》けて行き、男が浅草・平右衛門町《へいえもんちょう》の〔篠塚稲荷《しのづかいなり》〕の鳥居の筋向いの、小ぢんまりとした宿屋へ入るのを見とどけて帰って来た。
「その宿屋の名が、田中屋というのでございます」
「何、田中屋……」
「はい。秋山先生、義父《ちち》の故郷《ざいしょ》は、駿河《するが》の田中なのでございます」
「そのことよ」
うなずいた小兵衛の両眼《りょうめ》に強い光りが加わった。
もしやして、その〔田中屋〕という宿屋は、駿河の田中出身の人が江戸へ出て来て、開業したのではあるまいか。
出身地の名を店名につかう例は、いくらもある。
「で、それから、お前さんのところの番頭は、どうしたのじゃ?」
「幸吉は、田中屋の近辺で、何か聞き出そうと思案をしたそうでございますが、何分にも自分一存ではかってはいけない。それに、何もいわずに店を飛び出して来たことゆえ、私どもが心配をしているにきまっているというので、駕籠を拾って、夜道を帰ってまいりました」
「若いにしては、めずらしく分別のある男じゃな」
「私は、すぐにも、その田中屋へ駆けつけようとおもいましたが……」
内山文太のむすめで、井筒屋作兵衛の妻でもある浜は、
「迂闊《うかつ》に近づいて、父の身に害がおよぶようなことになるといけませぬ。ともかくも、先《ま》ず秋山先生へ打ちあけ、その御指図に従ったほうがよいのではございませんか」
と、いい出た。
夫婦して、空が白むまで相談をした結果、作兵衛は妻の意見をいれ、秋山小兵衛の隠宅へ駆けつけて来たのである。
「よし、わかった」
小兵衛は立ちあがって、
「わしに、まかせておくがよい」
ちから強く、いいはなった。
浅草・平右衛門町《へいえもんちょう》の篠塚稲荷《しのづかいなり》といえば、浅草御門外からは目と鼻の先である。
四十年前に、辻《つじ》道場の下男・八助が、お静《しず》と内山|文太《ぶんた》を見かけたのも、小兵衛の記憶にあやまりがなければ、
(たしかに、あのとき、八助は浅草御門外といった、ような……)
秋山小兵衛は隠宅の戸締りをすませ、井筒屋|作兵衛《さくべえ》が待たせておいた町駕籠《まちかご》に乗り、浅草御門外へ向った。
作兵衛は、よく気がつく男で、自分が乗って来た駕籠のほかに、空《から》駕籠を一挺《いっちょう》用意してきたが、
「お前さんは来ないほうがよい」
小兵衛に、そういわれて、
「ですが大《おお》先生。それでは……」
「いや、わし一人でよい。そのほうがよいのじゃ。よいか、駒形《こまかた》にな、わしの知り合いで元長《もとちょう》という小体《こてい》な料理屋があるから、そこで二|刻《とき》(四時間)ほど待っていなさい。二刻がすぎたら、一応、店へ帰り、わしからの知らせを待つがよい」
「はい。承知をいたしました」
浅草御門外から〔元長〕までは、半里に足らぬ一本道であった。
井筒屋作兵衛を元長へあずけた小兵衛は、浅草御門外で駕籠を降り、
「もう、帰ってよいぞ」
単身、篠塚稲荷へ向った。
着ながしに夏羽織をつけ、脇差《わきざし》一つを腰にした小兵衛は塗笠《ぬりがさ》をかぶり、竹の杖《つえ》を手にしている。
今日は朝からの曇り空で、微風が冷んやりとしているが、どうやら、今日一杯は保《も》ちそうであった。
篠塚稲荷は町家の間にはさまれた小さな社《やしろ》で、古いむかしは、このあたりを茅原《かやはら》の里と、よんでいたらしい。
「むかし、新田《にった》の家臣・篠塚|伊賀守《いがのかみ》、当社を信仰し、晩《のち》に入道して、社の側《そば》に庵室《あんしつ》を結びて住す」
などと、物の本に記されてある。
井筒屋へ、内山文太の手紙を届けに来た男がもどって行ったという宿屋の田中屋は、篠塚稲荷の鳥居の筋向いにあった。
これもまた小体な宿屋であって〔御宿・田中屋〕の軒行燈《のきあんどん》が見えた。
秋山小兵衛は、あたりを一巡した後に、稲荷社の鳥居傍にある蕎麦《そば》屋へ入った。
この蕎麦屋の、道に面した入れ込みの一隅《いちぐう》に坐《すわ》ると、格子窓《こうしまど》から道をへだてて、田中屋の表口が見える。
小兵衛は酒を注文し、ゆっくりとのみはじめた。
それから蕎麦で腹ごしらえをし、また、酒をのむ。
ちょうど時分どきで、店の中は客で一杯になり、その客たちの姿が減ってしまうまで、小兵衛はうごかなかった。
昼をすぎて、八ツ(午後二時)ごろになっていたろうか。
田中屋の表口に、さりげなく目をつけていた小兵衛が、
(こうしていても仕方がない。どれ、おもいきって、あの宿屋へ乗り込んでみようか)
腰をあげかけて、
「あ……」
おもわず、腰を浮かせた。
いましも、田中屋から出て来た二人のうちの一人は、まさしく、内山文太だったのである。
まさかに、このようにわけもなく、内山文太を見ようとはおもわなかっただけに、さすがの小兵衛も胸が躍った。
内山と共にあらわれた中年の男が何やらささやくと、内山は手にした菅笠《すげがさ》をかぶって歩み出した。
その姿の、何と、たよりなげなことよ。
内山も小兵衛と同じような姿であったが、背中をまるめて歩む後ろ姿が小兵衛とはくらべものにならぬ。
三月ほど前に会ったときも、内山文太の老《ふ》け込みようにおどろいた小兵衛だが、今日の内山はさらにひどい。
小兵衛は勘定をすませ、こころづけをあたえて蕎麦屋を出た。
平右衛門町の東の突き当りは、大川《おおかわ》である。
その河岸地に、船宿が二軒あり、内山につきそった男は、そのうちの一軒へ駆けて行き、すぐに出て来た。
内山は、男から小さな包みを受け取り、共に舟着き場へ向った。
船宿から、若い船頭が出て来た。
内山文太と船頭が猪牙船《ちょきぶね》へ乗った。
内山と男がうなずき合い、船頭が竿《さお》を手にした。
そのときだ。
音もなく、すーっと走り寄った秋山小兵衛が、見送りの男の傍を擦りぬけざま、ぽん[#「ぽん」に傍点]と猪牙船へ乗り移ったものである。
「あっ……」
内山文太と船頭と、見送りの男が一様に叫ぶのと、小兵衛が塗笠を除《と》って内山へ顔を見せ、
「わしだよ、文太さん」
声をかけたのが、ほとんど同時であった。
内山は、ぽかんと口を開けたまま、言葉をうしなってしまった。
「案ずるな」
と、小兵衛が船頭と、見送りの男へ笑いかけ、
「わしはな、この人の味方なのじゃ」
そして内山へ、
「な、そうだな、文太さん」
内山文太は、ようやく、われに返ったかして、船頭と男へうなずいて見せた。
「船頭さん。舟を出しておくれ」
と、小兵衛。
内山が、またも船頭へうなずいて見せる。
秋山小兵衛と内山文太を乗せた舟が、鉛色の大川へすべり出て行った。
「むかし……四十年ほど前に、辻《つじ》先生の道場へ私を訪ねて来た、あの、お静という女は、弟の嫁でしてな」
内山文太は、目の前の盃《さかずき》に手を触れようともせず、終始うつむいたまま、ぼそぼそと語りはじめた。
あれほどに酒が好きだった内山老人なのに、小兵衛が二度三度とすすめても、盃を手にしなかった。
内山も、小兵衛に見つけられては、
(仕方もなし)
と、覚悟をしたのであろう。
「到頭、秋山さんに、私の恥を申さねばならなくなりました」
「恥じゃと……?」
いま、二人が語り合っている場所は、浅草・橋場《はしば》の不二楼《ふじろう》の離れ座敷だ。
七十五歳の内山文太だが、三月前に見たときの血色のよい顔は、火鉢《ひばち》の灰のように沈みきっていた。
「お前さんが行方知れずになってから、四日もたっている」
秋山小兵衛がそういうと、内山は、
「まさか……」
おどろいたものである。
内山には、日々の経過も、よくわからなくなっているらしい。
どうも内山文太、急に耄碌《もうろく》をしてしまったようだ。
なればこそ、昨日になってはじめて、井筒屋へ手紙をよこしたのであろう。
「文太さん。一昨日の夕景に、洗い髪の女と舟に乗って、この前の大川をのぼって行ったね」
「げぇっ……」
内山は、驚愕《きょうがく》した。
「そ、それを、どうして?」
「お前さんも知っている横山|正元《しょうげん》さんと、此処《ここ》で酒をのんでいた」
「さ、さようで……」
「あの女は、だれなのだ?」
「ま、孫でござる」
「な、何じゃと……」
「お静は、女の子をひとり、生みましてな」
「弟御との間の子じゃな」
「いえ……」
一瞬、絶句した内山文太が、おもいきったように顔をあげ、
「その、清《きよ》と申す子……と、申しても、いまは五十に近くなりますが、清は、私の子なのでござる」
「ふうむ……」
すると内山は、弟の妻と不義をはたらき、わが子を生ませたことになるではないか。
ま、世の中には、そうしたこともめずらしくはあるまい。
けれども、秋山小兵衛が四十年も親しくつき合ってきた内山文太の人柄《ひとがら》を見れば、まさにこれは、夢にも想《おも》わぬことだといってよい。
「恥でござる。まことに、もって……」
内山老人は、あふれ出てくる泪《なみだ》をぬぐおうともしなかった。
すでに、お静《しず》はこの世[#「この世」に傍点]の人ではないが、文太との間に生まれた、お清は生きている。
すると、お直は、お清が生んだむすめということになるのだ。
「面目もない。私は、この年になって、はじめて、あの孫に会ったのでござる」
こうした秘密は、内山の亡妻の兼《かね》も、井筒屋《いづつや》へ嫁いだむすめの浜《はま》も知らぬ。
平右衛門町の田中屋は、小兵衛が推察したように、やはり内山文太の故郷の駿河《するが》・田中から江戸へ出て、開業をした宿屋で、当主の宗吉《そうきち》は四代目になるそうな。
しかも、田中屋の初代と内山の家とは、遠い縁つづきにもなっているらしい。
内山文太は、少年のころから剣術に熱中し、故郷の田中からも近い府中《ふちゅう》(静岡市)に無外流《むがいりゅう》の道場を構えていた大須賀《おおすが》七郎左衛門の許《もと》へ内弟子として入り、修行を積んだ。
師の大須賀が亡《な》き後、かねてよりの、師の口ぞえもあり、江戸へ出て、辻|平右衛門《へいえもん》の道場へ通うようになったのである。
内山は、
「何ともして、一角《ひとかど》の剣客になりたい」
と、熱望しており、郷士としての家督は二歳年下の弟・助治郎《すけじろう》へゆずりわたし、生涯《しょうがい》、悔いるところがなかった。つまりはそれほどに、剣術が好きだったのであろう。
ま、それはよい。
よかったのだが、しかし、内山は大きな過《あやま》ちを犯してしまった。
大須賀道場の激しい稽古《けいこ》で、脚の骨を折り、実家へもどって療養をするうちに、弟・助治郎の妻お静と情を通じ合ってしまったのだ。
こうした男女のことは、理屈では説明できぬ。
お静は、同じ田中の出身で、内山家の相続人と結婚をすることに早くから決められていた。
ゆえに、お静は、文太が内山家の当主になるとおもいこんでいたのだ。
ところが前述のごとく、弟の助治郎が家を相続してしまった。
そこに先《ま》ず、狂いが生じたのだともいえよう。
内山文太も、お静も若かった。
内山は、お静を連れて田中を出奔し、京都へ逃げた。
京都で、お静は内山文太の子(お清)を身ごもった。
その辺のいきさつ[#「いきさつ」に傍点]は、内山がくわしく語らずとも、小兵衛にはよくわかった。
ともかくも、一騒ぎあったにちがいない。
弟の助治郎は、
「若いのに、よくできた男……」
と、いえなくもないが、一つには、内山家の体面を重んじ、お静を手許《てもと》に引き取り、兄の子を、わが子として育てることに決めた。
内山文太が苦悩のあげくに、この弟のすすめをうけいれたのは、
「やはり、私は、お静と剣の修行を、秤《はかり》にかけていたのです」
と、内山は泣きながら、小兵衛に語った。
これで、何事もすんでしまえばよかったのだ。
内山文太は、お静と弟に、
(相すまぬ……申しわけがない)
おもいつつ、やがて、江戸へ出て寄宿先だった四谷《よつや》・塩町の〔弓師・杉山《すぎやま》勝四郎〕のむすめの兼と夫婦になり、浜をもうけた。
お静が、江戸へ出て来て、辻道場へ訪ねて来たのは、やはり、内山文太が忘れきれなかったのであろう。
それに、出戻りの身ゆえ、夫の助治郎との間も冷えきっていたのであろうし、何かにつけて、
(肩身がせまい……)
おもいをしていたに相違ない。
お静は、幼いお清を連れて、田中を出奔し、江戸の内山文太をたよったわけだ。
だが、内山にしてみれば、すでに妻がいるし、家をゆずりわたしたかわりに、生活の費《ついえ》を出してくれた弟への義理もある。
お静は、
「日蔭《ひかげ》の身でもよいのです」
必死に内山を掻《か》き口説《くど》いたらしいが、まさかに、これを承知するわけにはまいらぬ。
そこで内山は、何日もかかって、ようやくに、お静を説得した。
このとき、お静|母子《おやこ》が泊っていた宿屋が、平右衛門町《へいえもんちょう》の田中屋であった。
お静母子を、駿河《するが》の田中へ送りとどけてくれたのは、田中屋の三代目のあるじだったという。
「お静は、あれから間もなく、死んでしまいましてなあ」
いいながら、内山|文太《ぶんた》の嗚咽《おえつ》は熄《や》むことを知らない。
内山が胸底に隠しぬいてきた秘密を打ちあけられ、おどろきもした秋山小兵衛だが、それよりも、子供のように泣きじゃくり、泪も鼻水も共に垂らして拭《ふ》こうともせぬ、この老友の姿に衝撃を受けた。
そもそも、四十年にわたる交誼《こうぎ》の中で、
(内山文太が泣くところなぞ、見たこともなかった……)
秋山小兵衛なのである。
人間という生きものの弱さ、果無《はかな》さを知りつくしてきた小兵衛であっても、老年に至って衝撃を受けた親しい友の、これほどに打ち拉《ひし》がれた姿を目《ま》のあたりにすると、
(わしも、あと十年もすれば、このようになってしまうのであろうか……)
他人事《ひとごと》にはおもえぬ。
いまの、駿河・田中の内山家は、文太の弟の助治郎が十年ほど前に死去したので、助治郎の子息が当主となっている。
このことは、かねてより小兵衛もわきまえていたことだ。
「田中の本家は、甥《おい》が跡をついでくれましたから、安心ですよ」
と、内山は何度も小兵衛に語っている。
「文太さん。それで、おぬしとお静さんとの間にもうけたむすめは、どうしたのじゃ?」
「それが……ずっと、むかしに、田中の家を出てしまいましてな」
「ふうむ……」
「弟は、お静亡き後に、後妻《のちぞえ》を迎えて男二人、女二人の子をもうけました。それで、その、私のむすめのお清は、やはり、居辛《いづら》くなってきたのでしょうが……」
「前から知っていたのかえ?」
「いえ、弟は……死んだ弟は、何も知らせてよこしませなんだ。このたび、はじめて、わかったのです」
「文太さん。しっかりしておくれよ」
すると、内山文太が突然、立ちあがって、
「あ……こ、こうしてはいられない。秋山さん。し、失礼をさせていただきます。ごめん」
「待ちなさい」
と、小兵衛が一喝《いっかつ》した。
むかし、木太刀で内山を打ちすえたときの気合声のような一喝であった。
「あっ……」
へたへた[#「へたへた」に傍点]と、くずれるように膝《ひざ》をついた内山老人が、
「お、おゆるし下さい、秋山さん。むすめが……むすめの命が危ないのです」
「何じゃと……」
「行かせて下さい、行かせて……」
「ならぬ!!」
またも一喝をあびせた小兵衛が、膝をすすめて、
「失礼ながら年上のおぬしを、これまで、わが実の弟ともおもうてきた、わしの心を踏みつけにする気か。包み隠さず、みんな吐き出してしまえ!!」
叱《しか》りつけておいて、
「おぬし一人では、手がまわりきれまい」
声を落し、やさしくいってやると、
「あ、秋山さん……」
悲鳴に近い声を発した内山文太が、いきなり、小兵衛の胸へしがみついてきて、五歳の童児《こども》のごとく泣き出した。
武蔵《むさし》の国・北|豊島《としま》郡・中里《なかざと》というと、現代の感覚では、東京からも遠い田舎のようにきこえるが、現・東京都北区上中里のあたりで、秋山小兵衛が住む鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅から西へ、さしわたしにして約二里ほどのところだ。
ここに、十一面|観音《かんのん》を守本尊として安置した平塚明神《ひらつかみょうじん》の社《やしろ》がある。このあたりから飛鳥山《あすかやま》にかけて、古いむかしのころは豊島氏の城が構えられていたそうな。
平塚明神は茅《かや》ぶき屋根の小さな社で、杉の並木の参道が田圃《たんぼ》の中を通っている。
その参道が、王子《おうじ》と道灌山《どうかんやま》をむすぶ〔王子道〕へ出たところに、茶店が一つある。
茶店のまわりは松や杉の木立で、小さな広場になっていた。
わざわざ、平塚明神へ参詣《さんけい》に来る人はいないのだが、通りかかった人が一息いれるのには、ちょうどよい。
ところが、半月ほど前から、茶店は表・裏の戸を閉ざし、店をやすんでいる。
近くの平塚村の人びとは、
「なんでも、夫婦そろって、寝込んでいるらしい」
「それじゃあ、店をやすむも仕方ねえことだ」
などと、うわさ[#「うわさ」に傍点]をしている。
中年の夫婦のみがやっている茶店だからだ。
もっとも、店を切りまわしているのは、五十がらみの女房のほうで、亭主はめった[#「めった」に傍点]に顔を見せない。
この茶店を長らくやっていた老夫婦が故郷の上州・沼田へ帰ることになり、茶店の権利をいまの夫婦に売りわたしたのが、今年の春のことであった。
客も多くはないし、片手間の商売ゆえ、女房ひとりでもやれぬことはない。
さて……。
浅草・橋場《はしば》の不二楼《ふじろう》で、秋山小兵衛が内山文太の懺悔《ざんげ》に聞き入っていた、そのころ、店を閉ざした茶店の中の、奥の一間《ひとま》に、内山と舟に乗っていた女、お直《なお》を見出《みいだ》すことができる。
内山文太は小兵衛に、お直のことを問われて、
「私の、孫でござる」
と、こたえた。
お直の本名を、お米《よね》というが、煩雑《はんざつ》を避けて、この物語では、お直の名で通したい。
戸も窓も締め切った薄暗い部屋の中で、いま、お直は薬湯を煎《せん》じている。
よく見ると、部屋の一隅《いちぐう》に、ひとりの女が臥床《ふしど》に横たわってい、これが茶店の女房お清《きよ》であった。
お清は、すなわち、内山文太とお静との間に生まれたむすめで、当年四十八歳になっていた。
痩《や》せおとろえた躰《からだ》を横たえ、お清は、眠っていた。
寝息が、苦しげである。
閉め切った屋内は蒸し暑く、薬湯を煎じているお直の額に、ねっとりと汗が浮いていた。
と……。
お清が低く呻《うめ》いた。
お直が枕元《まくらもと》へ寄ると、目ざめたお清が、
「いけ、ない……いけない、此処《ここ》にいては……」
と、すがりつくような眼《め》の色になって、
「私には、かまわないで……こ、此処から出て行っておくれ」
お直は、こたえない。
お直の口元に、微《かす》かな笑いが浮かんでいる。
「ね……そうしておくれ、たのむから……」
「…………」
お直が、生みの親のお清に、はじめて会ったのは、一昨日の夜に入ってからだ。
秋山小兵衛と横山正元が不二楼の窓から、お直と内山を見た、その日のことで、その前夜に、内山文太は、いろは茶屋の菱屋《ひしや》へ客として入り、お直と共に脱《ぬ》け出したことになる。
実の祖父である内山文太を、お直がはじめて見たのも、このときであった。
今年の二月、養母のおうめ[#「おうめ」に傍点]は死にのぞんで、菱屋から駆けつけたお直へ、出生の秘密を打ちあけ、
「お前の生みの親については、江戸の、浅草の平右衛門町《へいえもんちょう》にある田中屋という宿屋へ行って、私と、死んだお父《とっ》つぁんの名をいえば、そこの御主人が、きっと教えてくれる」
と、いった。
お直は菱屋へもどってからも、以前と変りなく客をとっていたが、十日ほど前に、谷中《やなか》で石工《いしく》をしている親切な客に、田中屋|宗吉《そうきち》へあてた手紙を書き、これを届けてもらった。
それまで、田中屋へはたらきかけなかったのは、
(いまさら、実の親に会ったところで、仕方もないことだ)
そうおもったのだろうが、天涯孤独《てんがいこどく》となってしまった寂しさもあったろうし、何よりも、自分の出生の秘密を、
(知りたくなった……)
と、いってよい。
石工が届けた手紙を読んで、田中屋宗吉は、おどろきもしたし、どうしてよいものか思案に暮れたが、ついに意を決し、このことを内山文太へ知らせた。
田中屋では、死んだお静《しず》の一件以来、十八で田中を出奔し、江戸へあらわれたお清のことも、いろいろと世話をしていたらしい。
ここ十五年ほどは、内山文太と田中屋との交渉は絶えていたけれども、内山が井筒屋へ引き取られたことは、田中屋でもわきまえていた。
お清は、自分の実父が内山文太であることを知っていたが、
「あんな、憎い父親の顔なぞ、見たくもない」
と、田中屋で女中としてはたらくうち、大工の由松《よしまつ》と夫婦になり、お直を身ごもった。
ところが、まだ、お直が生まれぬうち、由松は仕事先の高い足場から足をすべらせて落ち、頭を打って、呆気《あっけ》なく死んでしまったのである。
お清の不幸は、尚《なお》もつづいた。
ちょうど、そのころ……。
平塚明神社からも程近い王子|稲荷《いなり》の裏参道にある料理屋〔乳熊屋《ちくまや》〕の奥座敷で、三人の侍が酒をのんでいた。
侍といっても、浪人である。
浪人だが、総髪《そうがみ》もきれいに手入れをしてあるし、袴《はかま》をつけて、身なりも悪くない。
この三人、浪人というよりは、何処《どこ》ぞの剣客《けんかく》のように見えた。
頬骨《ほおぼね》の張り出た、背の高い中年の浪人が、手を叩《たた》いて女中をよび、酒のかわりをいいつけたのへ、別の一人が、
「高田さん。もう、のまぬほうがいいのではないか」
「何をいう。事を起すのは夜が更《ふ》けてからだぞ。それに、相手は中村|小平次《こへいじ》ひとりではないか」
「中村の女房は、どうする?」
「きまっているではないか。叩っ斬《き》るまでだ」
「その、中村小平次というやつ、腕は立つのですか?」
「立たぬとはいわぬ」
と、高田浪人が、
「だが、高が知れている。おれ一人で充分というところだが……」
にやり[#「にやり」に傍点]として、
「去年の暮れに、おぬしたちにも手を貸してもらったことゆえ、今度も、こうして出て来てもらったのだ。それゆえ、このことを忘れてもらっては困る。分け前は、おれが百両。おぬしたちが五十両。よいな?」
高田の言葉に、二人の浪人はうなずいて見せた。
高田の名は、藤七郎《とうしちろう》といって、もと、信州・松代《まつしろ》十万石、真田《さなだ》家の家来だった男である。
高田藤七郎は、松代藩の勘定方をつとめていたが、三年前に不始末の事あって追放され、浪人となっている。
三人は、これから、平塚明神・鳥居前の茶屋を襲撃しようとしていた。
彼らが殺害するつもりでいる中村小平次も、かつては松代藩に仕えていた男で、彼らが、
「女房を叩っ斬る」
と、いっているのは、茶屋の中で重病の床についている、お清《きよ》のことであった。
彼らは、中村小平次を殺そうとしているが、彼らの手にかかるまでもなく、中村浪人は、すでに、この世の人ではなかった。彼らは、まったく、それを知らぬ。
中村小平次は、六日前に急死している。
内山|文太《ぶんた》が、孫のお直を連れ、茶店へ駆けつけて来たとき、重病のお清は、夫の中村小平次の遺体の前で、途方に暮れていたのだ。
事情を聞いて、内山文太は、とりあえず、中村の死臭がひどい遺体を、茶店裏の木立の中へ埋め込んでしまった。
夫の小平次が、脳卒中で急死をしたとき、お清は思案に苦しんだあげく、ようやくに決意をして、浅草・平右衛門町《へいえもんちょう》の田中屋へ、
「助けに来て下さい」
手紙を書き、外へよろめき出て、平塚明神社の下僕にたのみ、田中屋へ届けてもらった。
その手紙と、お直の手紙が前後して届いたので、田中屋宗吉は、先《ま》ず、内山文太に知らせ、おどろいた内山は、
「よし。わしにまかせておいて下さい」
とばかり、田中屋から十五両を借り、自分が〔死金《しにがね》〕として肌身《はだみ》につけていた五両と合わせて金二十両。これを菱屋《ひしや》の床の間へ置き、お直を足抜きさせたものである。
内山文太は、お清が七つ八つのころ、母親のお静《しず》に連れられて江戸へ逃げて来たとき、田中屋で会っている。
となれば、父と娘の四十何年ぶりの再会ということだ。
お清も、いまこのとき、実父の内山が自分の娘のお直と共に突然あらわれたので、驚愕《きょうがく》したに相違ない。
お清の病気は、持病の心《しん》ノ臓《ぞう》が悪化したものである。
「お清を見て、おどろきました。わしの顔に、そっくりでしてなあ」
と、内山文太は、秋山小兵衛に洩《も》らした。
お直と、お清は、内山が茶店へもどって来るのを待ちかねていた。
内山が看《み》たところでは、
(お清を、この場からうごかすと、死んでしまう……)
ように、おもわれ、中村小平次の遺体を埋めた翌早朝に、田中屋へ引き返した。
そのとき、田中屋宗吉が、
「井筒屋《いづつや》さんのほうへ、何とか知らせておきませぬと……」
「そうじゃった、そうじゃった」
内山は、あわてて、井筒屋へあてた手紙を書き、宗吉と向後《こうご》の事を相談するうち、夜が更けてしまったので、田中屋へ泊り込んだ。
翌日となって、田中屋宗吉は、
「ともかくも、明日、知り合いの医者を連れて行き、病人をうごかしてもよいようなら、うち[#「うち」に傍点]へ引き取りましょう」
心強く、いってくれた。
ただ一つ、内山文太は、お清から聞かされた秘密を、田中屋宗吉へ打ちあけていなかった。
これを打ちあけたなら、田中屋は、
(きっと、後難を怖《おそ》れ、尻《しり》ごみをしてしまうにちがいない)
そう、おもったからだ。
その秘密とは、死んだ中村小平次が、
「得体の知れぬ金を……」
何と、二百両も隠し持っていて、この大金を瓶《かめ》に入れ、平塚明神境内の鎧塚《よろいづか》の背後の、杉林の中へ埋め込んであるということなのだ。
しかし、内山文太は、このことを、秋山小兵衛には隠しきれなかった。
すべてを聞き終えた小兵衛は、不二楼で、息・大治郎へあてた手紙を書き、
「これを、せがれの家へ届けてもらいたい」
たのんでおき、すぐさま、橋場の船宿から舟を仕立てて、
「さ、文太さん。急ごう」
大川を、さかのぼって行った。
大川を荒川へ出て、尾久《おく》のあたりへ舟を着ければ、其処《そこ》から平塚明神の茶店まで、半里もないはずであった。
十一
秋山小兵衛と内山|文太《ぶんた》が、平塚明神《ひらつかみょうじん》の茶店へ着いたときには、とっぷりと日が暮れていた。
日毎《ひごと》に、日が短くなってくるようだ。
「わしだ。戸を開けておくれ」
裏手へまわって、内山が声をかけると、お直《なお》が戸を開けた。
「病人と二人きりで、さぞ、心細かったろう」
内山が、いたわりの声をかけると、お直は、むしろ素気《そつけ》ない口調で、
「別に」
と、こたえた。
「わしの恩師にあたる、秋山小兵衛先生じゃ」
と、内山が小兵衛を引き合わせるや、
「どうも……」
お直は、軽く頭を下げた。
今日のお直は洗い髪を、無造作に束ねている。その櫛巻《くしまき》ふうの髪のかたちで、お直が四つも五つも年上の女に見える。
「こういう孫でしてなあ……」
内山文太は恐縮の態《てい》で、白髪頭《しらがあたま》へ手をやった。
「いや、いまどき、めずらしいお孫さんだよ、文太さん」
「どうも、これは……」
「勘ちがいをしてはいけない。ほめているのだぞ」
「冗談をいっては困ります」
「それにしても、こんなに窓も戸も締め切っておいたのでは、蒸し暑くてたまらぬではないか」
「それが、秋山さん。先刻も申したように……」
「おお。おもい出した。あのことか」
「さようでござる」
あのこと[#「あのこと」に傍点]とは、中村小平次が平塚明神の境内に埋《うず》め隠した二百両の大金をねらって、何処かの曲者《くせもの》どもが襲って来るやも知れぬということなのだ。
中村小平次は急死した当日、お清《きよ》のために薬湯を買いに出て行ったが、暮れ方に帰って来て、
「お清。此処《ここ》にいるわけにはまいらなくなった」
と、いったそうな。
「なぜ、そんなことをいいなさる?」
「お前も病が重いのに大変だろうが……ま、我慢をしてくれ。明日の朝、おれが荷車へ乗せて連れて行く」
「ど、何処へ?」
「わからぬ。とにかく、此処を出なくては危ない。今日、悪い奴《やつ》に出合ってしまった」
「悪い奴……?」
「何処かへ落ちついたら、ゆっくりと、はなしてきかせる」
「どうして、そんな奴にねらわれなくてはならないんですか?」
「金だ。二百両の金だ」
中村小平次は、このとき、はじめて、大金を埋め隠してあることを告げたのである。
「そ、そんな大金を、どうして?」
「お清。去年の暮れに、おれは半月ほど旅へ出たな」
「ええ。何やら、いい仕事があるとかで……でも、あのときは江戸へ帰って来て、私に二十両もわたしてくれて、いいお正月ができたじゃありませんか」
「そのほかの、二百両だ」
「それなら、この春に、深川から此処へ引っ越して来たときも、その大金を、私にも隠して運んだのですかえ?」
「そうだ」
「まあ……」
おどろくお清の前で、中村小平次は、たてつづけに冷酒《ひやざけ》を呷《あお》った。
小平次が、二百両の隠し場所を、お清へ打ちあけたのも、このときだ。
「落ちついたら、お前が若いときに生んだという娘の居所を探し、こっちへ引き取ってやろうよ」
「いまさら、そんなことはできませんよ。育ての親ご[#「ご」に傍点]さんと、中へ入ってくれた人に、二度と娘には会わないと、約束をしたのですからねえ」
「会いたくはないのか?」
「会いたくないといったら、嘘《うそ》になるでしょう」
「そうか。そうだろう、そうだろう」
中村小平次は、剣術も相当に遣うらしく、剣客ふうの浪人たちが訪ねて来たりして、いろいろと、蔭《かげ》では悪事もはたらいていたらしいが、
「あの人と別れ切れなかったのは、一緒に暮すようになってから、私には一度も手をあげたり、叱《しか》ったりしたこともなく、やさしい人だったからです」
お清は、内山文太とお直に、そう洩《も》らしたという。
大工の由松《よしまつ》に死なれ、お直を手放した後、お清は何人かの男に捨てられたりしながら、諸方の料理屋や旅籠《はたご》ではたらいてきたのだ。
そして、中村小平次と暮すようになってから、もう七年にもなる。
ことに、此処の茶店を買い取り、深川から引き移って来てからは、中村小平次が町人の風体となり、大小の刀も腰にせず、めったに外出《そとで》もしなくなったので、お清は、
(まるで、夢のような……)
幸福感にひたっていた。
ただ一つ、自分の持病が、しだいに重くなってきはじめたことが、新たな不安となって、お清を苦しめた。
その夜。
中村小平次は、何やら居たたまれぬ様子で何杯も茶わん酒を呷ったが、
「ちょっと、見て来る」
裏の戸締りを、たしかめに行ったとおもったら、凄《すさ》まじい音をたてて転倒した。
お清が、あわてて走り寄ると、
「金、持って、早く……早く、逃げ……」
と、これが最後の言葉で、呆気《あっけ》なく中村小平次は死んでしまったのである。
この衝撃で、お清の持病は、たちまちに切迫の状態となってしまった。
「もう大丈夫だよ、お直さん。少し、窓を開けなさい」
秋山小兵衛にいわれて、お直が窓の戸を開けると、初秋の夜気が、さわやかにながれ込んで来た。
お直が振り向いて、小兵衛へにっ[#「にっ」に傍点]と笑った。
蒸れこもった小さな屋内にいただけに、よほど、うれしかったのだろう。
お直は、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかった。
お清は、よく寝入っている。
その、実のむすめの、おとろえ切った寝顔を見つめている内山文太の老顔は、いつの間にやら泪《なみだ》に濡《ぬ》れつくしていた。
(ともかくも、明日のことじゃ)
秋山小兵衛は、開けはなった窓から外をながめた。
あたりは、虫の声に包まれている。
星が一つ、尾を引いて夜空に飛んだ。
十二
高田|藤七郎《とうしちろう》が、二人の浪人と共に、平塚明神・鳥居前の茶店へ近づいて来たのは、この夜の四ツ(午後十時)すぎである。
むろんのことに、この時刻の、この辺りには犬の仔《こ》一匹あらわれぬ。
あたりは、鼻をつままれてもわからぬほどの、漆黒の闇《やみ》に包まれていたけれども、茶店の窓や戸の隙間《すきま》からは、明るい灯《ひ》が洩《も》れていた。
王子《おうじ》からの田圃道《たんぼみち》をやって来た、三人の浪人者が、
「まだ、寝ておらぬようですな、高田さん」
「ふうむ。してみると、中村|小平次《こへいじ》は、まだ、おれのことを信用しているとみえる」
「ですが、この時刻に……」
「六日ほど前に、巣鴨《すがも》の薬屋から出て来る中村小平次を見かけて、おれがな、どうして深川から逃げたのだと尋《き》いてやった」
「ふむ、ふむ……」
「すると小平次め、真青になり、逃げるように行ってしまったが……」
「で、高田さんが後を尾《つ》けられたのですな?」
「そのように間のぬけたことはせぬよ。ちょうどな、博奕場《ばくちば》で知り合った男がおれの傍にいたので、小遣いをやって、小平次の後を尾けさせ、この茶店を突きとめたのだ」
「なるほど」
「さすがに高田さんだ」
「おれ一人でやってもよかったのだが、去年の好誼《よしみ》で、おぬしたちにも少々、甘い汁を吸わせてやりたいとおもってな」
「かたじけない」
「なかなか連絡《つなぎ》がつかなんだが、おぬしたち、何処《どこ》で流連《いつづけ》をしていたのだ?」
「品川です」
「さて、どうしてくれようか……」
と、つぶやいた高田藤七郎は、
「おぬしたち、此処《ここ》で待て」
いいおいて、茶店の表の方へまわって行き、木蔭から茶店の様子を窺《うかが》い、もどって来て、
「おぬしたちは、裏手をたのむ」
二人の浪人へ、そういって、
「表から、おれが打ち込む。その物音を聴いたなら、おぬしたちは裏の戸を蹴破《けやぶ》って入って来い」
「よし、わかりました」
「なあに、小さな茶店に、夫婦ふたりきりだ。わけもない」
浪人たちは、布で顔を隠そうともしなかった。
「よし、行け」
「では……」
浪人ふたりが茶店の裏手へまわるのを見とどけ、高田藤七郎は手にした小田原|提灯《ぢょうちん》を松の小枝へ引っかけておき、裾《すそ》を端折《はしょ》ってから、ぎらりと大刀を引き抜いた。
ゆっくりと、高田は茶店へ近づき、表の戸口へ立ち、いまや、戸を蹴破ろうとした。
その瞬間に、なんと、戸が内側からするり[#「するり」に傍点]と開いたではないか。
(あっ……)
これには、高田藤七郎もおどろいた。
おどろいたが、もう遅い。
茶店の中から、小さな人影が走り出て、物もいわずに高田の股間《こかん》を蹴りつけた。
秋山小兵衛だ。
申すまでもなく、股間には男の何よりも大切なものがついている。これを小兵衛ほどの達人に蹴りあげられたのでは、たまったものではない。
「う……」
低く唸《うな》って、大刀を取り落した高田藤七郎が両手で股間を押え、其処へ蹲《うずくま》ってしまった。
あまりの激痛に、声も出ない。
秋山小兵衛は、高田が取り落した大刀を拾い、身をひるがえして裏手へまわった。
裏手へまわった浪人たちの耳へは何も物音がきこえぬほどの、一瞬の間のことである。
そこへ、小兵衛の足音が近づいて来たので、
「高田さんか?」
よばわった浪人の前へ、小兵衛がぬっ[#「ぬっ」に傍点]とあらわれ、
「お前たちは何じゃ?」
「あっ……」
「何を、おどろく。盗賊か?」
「ぶ、無礼な!!」
「これ、笑わせるなよ」
いいさした小兵衛の横手へまわった浪人の一人が、
「たあっ!!」
斬《き》りつけてくるのをひょい[#「ひょい」に傍点]と躱《かわ》しておいて、小兵衛が浪人をすっ[#「すっ」に傍点]と斬った。
「うわ……」
浪人が左の耳を切り落され、よろめいたときには、小兵衛の小さな躰《からだ》が斜め前へ飛び、
「ぎゃあ!!」
別の浪人は刀を持った右腕を、すぱっ[#「すぱっ」に傍点]と、刀ごと切り落されてしまった。
裏の戸が開き、大刀をつかんだ内山|文太《ぶんた》があらわれた。
「文太さん。こいつらをたのむ。逃げたら追うな」
いいおいて、小兵衛は表へ取って返した。
高田藤七郎は、まだ、蹲っている。
立とうにも、立てないのだ。
「おい。お前だけは逃さぬよ。覚悟をするがいい」
「う、うう……」
「これ、お直《なお》さん……お直さん」
「はい」
「何か、縄《なわ》のようなものはないか。あったら持って来ておくれ」
高田の耳へも、小兵衛の声が入ったらしく、もう必死に、這《は》うようにして逃げようとする。
小兵衛は、その高田藤七郎の頸《くび》すじを、峰打ちに打ち据《す》えた。
高田は、押し潰《つぶ》されたように伏し倒れ、気をうしなった。
お直は縄を持ち、表へ出て来たが、さしておどろく様子もない。
「お母《っか》さんは、よく寝ているかえ?」
「はい」
「そりゃあ、よかったのう」
そこへ、内山文太が裏手からまわって来て、
「秋山さん。二人とも逃げてしまいました」
「そうか。あいつらは、いずれ捕まる身じゃ」
内山は、愛刀の抜身を引っ提げていた。
むろんのことに、あの二人の浪人は内山に立ち向うまでもなく、這《ほ》う這《ほ》うの態《てい》で逃げ去ったにちがいない。
だが、久しぶりに、愛刀を引き抜いた内山文太の皺《しわ》だらけの顔に血がのぼり、生き生きとしている。
それを見た秋山小兵衛が、にっこりとして、
「文太さん……」
「は……?」
「元気だのう。むかしを、おもい出したわえ」
「な、何のことで?」
「いやなに、こっちのことさ」
「それにしても、こやつどもは?」
「おそらく、二百両の大金が、この茶店にあるとおもったのだろう。いずれにせよ、酒をのみながら、夜更《よふ》かしをして、文太さんと語り合っていたのがよかった」
「はい。よく、気づいて下さいましたな」
「耳だけは、どうにか達者なのじゃ。曲者《くせもの》どもの足音も大きかったわえ」
「私はもう、いけませぬ。耳も目も……」
「そんなことはどうでもいい。明日の朝、せがれの大治郎が、わしのよく知っている医者の小川|宗哲《そうてつ》先生を連れ、此処へやって来る。宗哲先生に、お清《きよ》さんを診てもらい、うごかせるようならば、わしの隠宅へ運ぼうではないか」
「何から何まで……」
「これ文太さん。もう、泣くのはおよし」
「は……」
「お前さんの孫むすめを見るがいい。先刻から見ているが、実に、しっかりしたものじゃあないか。いいかえ、文太さん。お前さん、年寄気分になってはいかぬよ。なあ、どうだ。久しぶりに若返って、一緒に居合でも抜こうじゃあないか」
十三
亡《な》き中村小平次が隠した二百両は、まさに平塚明神《ひらつかみょうじん》・鎧塚《よろいづか》の背後の土中に埋め込まれてあった。
そして……。
四谷《よつや》の弥七《やしち》の手に引きわたされた浪人・高田|藤七郎《とうしちろう》の白状によって、すべてがあきらかになったらしい。
らしい[#「らしい」に傍点]というのは、弥七の耳へも、くわしいことがつたえられなかったからだ。
高田浪人の取り調べは、秘密|裡《り》におこなわれた。
「私が、小耳にはさんだところによりますと……」
と、四谷の弥七が秋山小兵衛に、
「なんでも、去年の暮れに、真田《さなだ》様の年末年始の入費《ついえ》が国許《くにもと》から江戸屋敷へ送られて来たのだそうで」
「ふむ、ふむ」
「それを、あの高田藤七郎と中村小平次が仲間の浪人どもをあつめて、上州の松井田の本陣へ忍び込み、奪い取ったのだそうでございますよ」
「ほほう……ちかごろ、大きな事をやってのけたものじゃな」
つまり、信州・松代《まつしろ》十万石、真田家の現金が国許から江戸屋敷へ送られる途中、松井田の本陣へ真田家の一行が泊った夜、浪人たちが、これを襲ったというわけだ。
「そういえば、高田も中村も、真田家の浪人であったのう」
「はい。真田様の一行にも浪人どもにも、斬《き》り合って死人が出たらしゅうございますが、ともかくも、大金が奪い取られたので……」
「合わせて、どれほどの?」
「さあ、そこまでは……」
「ま、そんなことは、どうでもよいわ」
「その、真田様の家中に、浪人どもを手引きした者がいたということでございます」
「そうか、ふうん……」
「それで大《おお》先生。あの高田藤七郎というやつは、大金を奪って逃げる途中で、中村小平次たちと謀《はか》って、仲間の浪人を三人も殺したそうでございます」
「分け前が、それだけ増えるということか……なればこそ、中村小平次は、今度は自分の番だとおもったのじゃな」
「はい」
「それはさておき、弥七……」
「はい?」
「お清《きよ》や、お直《なお》、それに内山文太へは火の粉がかかるまいな」
「大丈夫でございます」
「何も彼《か》も、お前のおかげじゃ。このとおりだ」
秋山小兵衛は、神妙に両手をついた。
「大先生。およしになって下さいまし。悪事をはたらいたわけではなし、当り前のことでございます。それよりも……?」
「何じゃ?」
「お清さんと、お直さんは?」
そのとき、酒を運んであらわれたおはる[#「おはる」に傍点]が、
「びっくりしちゃあいけませんよ、親分」
「どうしたので?」
「二人とも、いまはね、横山|正元《しょうげん》さんのところにいますよう」
小兵衛が引き取って、
「正元さんの投薬で、お清は、見ちがえるほど、元気になったと、昨日、井筒屋《いづつや》から知らせてよこした」
「そりゃまあ……正元先生がねえ……」
「まだまだ、びっくりすることがあるんですよう」
おはるが、弥七の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をしながら、
「当ててごらんなさいよう」
「さあ……」
「正元さんがねえ、お直さんと一緒になるんですと……」
「いっしょ?」
「横山正元、よほどに、お直が気に入ったらしい」
「へえ……」
四谷の弥七が、目をみはったのへ、
「わしが、おはると一緒になったときも、お前はそんな[#「そんな」に傍点]顔つきになったっけ」
「そうだよう、親分」
と、おはる。
「いえ、それはちがいます」
「ま、よいわ。苦労をなめつくして、半ば捨鉢《すてばち》となり、何一つ怖いものがなくなり、どのような目に合おうともおどろかぬ女になってしまった、あのお直が、これから、うまく花を咲かせてくれるとよいがのう」
「ははあ……」
弥七は、目を白黒させるのみであった。
「横山正元も、あれでなかなか、おもしろい男じゃ」
「正元さんが、さしずめ植木屋だねえ、先生」
「おはる。もうよい。早く肴《さかな》を持って来てくれ」
「わかっていますよう」
「口ごたえをするな。ただ、はい[#「はい」に傍点]といえばよいのじゃ」
「あい、あい」
と、立って小兵衛の背後へまわったおはるが、ぺろりと赤い舌を出して見せ、台所へ入って行った。
「弥七」
「はい?」
「おはるのやつ、いま、わしの後ろで舌を出したろう?」
「へへ、へへ……」
「弥七。妙な笑い声をたてるな」
十四
秋も深まった、その日の午後も遅くなった頃《ころ》おいに、秋山小兵衛が浅草・駒形堂《こまかたどう》裏の料理屋|元長《もとちょう》へ姿を見せた。
元長は、小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしている橋場《はしば》の料理屋|不二楼《ふじろう》の料理人・長次《ちょうじ》と座敷女中だったおもと[#「おもと」に傍点]が夫婦となって、開いた店である。
この日の朝。
小兵衛は、小川宗哲宅へ碁を打ちに出かけた。
「帰りに元長へ寄って、何か旨《うま》い物を買って来てやるから、わしがもどるまで、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》は出さずに待っているがよい」
こういって、小兵衛は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出た。羽織をつけた着ながしの帯に脇差《わきざし》も差さず、杖《つえ》一つを手に持ったのみである。
碁敵の小川宗哲は、小兵衛が来るのを待ちかまえてい、早速に二人は碁盤に向ったわけだが、宗哲が、
「早稲田《わせだ》の、ほれ……」
「横山正元がことで?」
「さよう。昨日、此処《ここ》へ来てな。例のほれ……」
「お清《きよ》の病のことで?」
「さよう。わしのところの薬を取りに来たのじゃが、いろいろとわしに尋ねて行ったが、もう大丈夫かとおもう。すっかり元気になったそうじゃ」
「それはよかった」
「わしが、ほれ、大治郎殿と平塚明神の茶店へ出向いた折には、一目見て、これはいかぬとおもうたが……正元殿の丹精じゃよ、小兵衛さん。あの人は、いまによい医者になれましょうよ」
「いや、まったく、このたびは、何かと御面倒をおかけしてしまいましたな」
「なあに……ときに、内山文太さんは、どうしていなさる?」
「四、五日前に、ちょっと見てまいりました。すべてがうまく片づいたので元気になり、血色もよし、食欲も出て、安心をいたしましたが……」
いいさして小兵衛が、黒の碁石を手にしたまま、ふと、嘆息を洩《も》らした。
「どうなされた、浮かぬ顔をして……」
尋ねる小川宗哲へ、小兵衛が、
「いやなに、元気となった、そのかわりに内山文太、すっかり呆《ぼ》けてしまいましてなあ」
「ほう……」
先日も夜更《よふ》けに、ひと眠りした内山文太が、むっくりと起きあがり、雨戸を開けはじめたものだから、娘の浜《はま》が、
「お父さま。どうなさいました?」
「朝になったので、雨戸を繰っているのじゃ」
「まだ、夜の四ツでございますよ」
「ふうん……」
また、もそもそ[#「もそもそ」に傍点]と臥床《ふしど》へもぐり込んでしまったという。
「ま、仕方もあるまい。人が年寄れば、みんな、そうなるのじゃよ、小兵衛さん」
「なれど、宗哲先生のような怪物もありますからな」
小川宗哲は、内山文太より一つ上の七十六歳だが、まことに矍鑠《かくしゃく》としたもので、眼鏡もかけずに医書を読むし、耳も鼻も、むかしと少しも変らぬ。
「私と内山とは、この世の中で、もっとも長く親しんでまいっただけに、自分《おのれ》の半身《かたみ》のような気がしているのですよ、宗哲先生」
「ごもっとも」
昼餉《ひるげ》をよばれてから、また碁を打ち、やがて小兵衛は宗哲宅を辞去し、元長へまわったのである。
「大先生。今日は落ち鱸《すずき》のいいのがございますぜ。それと鶉《うずら》をお持ちなさいまし」
すると、おもとが、
「青柳《あおやぎ》を、お持ちになって下さいな、御新造《ごしんぞ》さまの好物でございますから」
「おはる[#「おはる」に傍点]が馬鹿貝《ばかがい》を好むとは、こいつ、まさに、共喰《ともぐ》いではないか」
「まあ、そんなことをおっしゃるものじゃあございませんよ」
小兵衛は鮗《このしろ》の粟漬《あわづけ》で酒をのんでいる。
そこへ……。
突如、おはると、井筒屋の若い番頭・幸吉《こうきち》が飛び込んで来た。
「先生。た、大変なんですよう」
叫んだ、おはるの顔は泪《なみだ》だらけになっている。
「どうしたのじゃ?」
番頭の幸吉が、前へ出て、
「御隠居さまが、急に息を引きとられまして……」
秋山小兵衛の手から盃《さかずき》が落ち、膳《ぜん》の上で音を立てた。
「お茶を……はい、お茶をあがっておられまして、そのときは何のこともございませんでしたが、お手水《ちょうず》へお立ちになった途端に、お倒れになって……それっきり、息が絶え……」
小兵衛は空間の一点に眼《め》を据えて、身じろぎもせぬ。
長次夫婦は、息をつめ、小兵衛を見まもった。
後になって、おもとは、
「あんなに怖い……恐ろしいような大先生のお顔を、はじめて見ました」
おはるへ洩らした。
「先生。井筒屋さんが迎えの駕籠《かご》をよこして下すったから、早く、それ[#「それ」に傍点]へ乗って下さいよう」
泪声にいうおはるを、ちらりと見やった小兵衛が、
「内山文太の死顔は見たくない」
と、ただ一言。
立ちあがった秋山小兵衛は、何物も寄せつけぬ厳しい拒否の姿勢につらぬかれていて、さすがのおはるも、
「そ、そんな……」
いいかけたきり、後は言葉にならなかった。
「わしの代りに、お前が行け」
いうや、小兵衛が杖《つえ》も忘れたままで、ぱっと元長から外へ走り出た。
秋の日が、沈もうとしている。
小兵衛は、走るように足を速め、浅草|広小路《ひろこうじ》から大川橋《おおかわばし》(吾妻《あずま》橋)へ向った。
大川橋は、浅草の花川戸《はなかわど》から本所《ほんじょ》・中《なか》ノ郷《ごう》へ架けられた長さ八十四|間《けん》、幅三間半の大橋だ。
九年前の安永三年(一七七四年)十一月十七日に、はるばると大和《やまと》の国から江戸へ出て来ていた八十七歳の老翁《ろうおう》が、この新しい橋の渡り初《ぞ》めをした。
小兵衛も、おはるを連れて、その式典の盛況を見物に行ったものだ。
いましも、秋山小兵衛が大川橋へさしかかったとき、橋上に喧嘩《けんか》騒ぎが起っていた。
土地《ところ》の無頼どもが七人、短刀《あいくち》を振りかざし、喧嘩をはじめているのだ。
これがために、橋の両袂《りょうたもと》から渡りかけていた人びとが悲鳴や叫び声をあげて逃げ惑い、橋上は大混乱となっている。
秋山小兵衛は、西詰へ乱れ走って来る人びとを掻《か》いくぐり、橋の中央まで来ると、喧嘩に我を忘れている無頼どもへ、
「こいつら。何をしている!!」
雷のごとき一喝《いっかつ》をくらわせた。
後になって、これを見ていた者が、
「いや、凄《すさ》まじい声で、見ていたこっち[#「こっち」に傍点]の肝も縮んだが、空を飛んでいた鴉《からす》の野郎が、その声で目をまわし、大川へ落っこちたよ」
などと、いったそうな。
無頼どもは、小兵衛の一喝にびっくりしたが、相手は小さな老人だと見てとり、中の一人が、
「てめえ。何処《どこ》の爺《じじい》だ?」
「いまのわしは気が立っている。怪我《けが》をせぬうちに引き取れ!!」
いつになく、秋山小兵衛の声は大きく、甲走《かんばし》っていた。
「この野郎」
いきなり左手で、小兵衛の胸ぐらをつかんだ男の左眼へ、小兵衛の右手の指がするり[#「するり」に傍点]と入った。
「うわ……」
おもいもかけぬ逆襲によろめいた男の右手から短刀を|P[#「P」は「てへん+宛」第3水準1-84-80、DFパブリ外字="F350"]《も》ぎ取った小兵衛が、物もいわずに、男の鼻の頭を横なぐりに切り裂いた。
「ぎゃあっ……」
絶叫をあげて打ち倒れた男の向うから、
「この爺め!!」
「やっつけろ!!」
六人の無頼どもが、自分たちの喧嘩も忘れて、小兵衛へ殺到した。
小兵衛は、
「こいつら!!」
叫ぶや、われから無頼どもへ立ち向った。
血のような夕焼け空へ、無頼のひとりが舞いあがったかと見る間に、大川へ落ち込んだ。
つづいて一人、また一人と、小兵衛に投げ飛ばされた無頼どもが、毬《まり》でも投げ込まれたように、大川へ落ちて行く。
見物の人びとの、歓声があがった。
小兵衛の短刀で片耳を切り落され、
「あっ、あっ……」
逃げようとする、肥《ふと》ったやつの尻《しり》へ、ぐさりと短刀を突き立てておいて、小兵衛は別の一人へ躍りかかり、身を沈めたかとおもうと、
「わあっ……」
その男は両手を突き出し、橋の欄干を越えて見えなくなった。
最後の一人は、
「て、天狗《てんぐ》だ。天狗だあ……」
蒼《あお》くなって喚《わめ》きつつ、小兵衛が近寄ると、われから大川へ飛び込んでしまった。
たてつづけに大川に水けむりがあがり、川面《かわも》を行き交う大小の舟に乗った人びとも呆気《あっけ》にとられて、大川橋を振り仰いだ。
そして……。
早くも秋山小兵衛は、大川橋の東詰に群れあつまった人込みの中へ姿を消している。
人びとの歓声が熄《や》んだ。
人びとは、強い酒でも一気に呷《あお》ったような面《おも》もちとなり、橋上からうごこうともせぬ。
小兵衛の早わざが、現実のものとはおもわれなかったのやも知れぬ。
小兵衛は、大川端の道を北へ向った。
赤い夕空に、鳥が渡っている。
暮れかかる川面から吹きつけてくる風は冷たかった。
口を一文字に引きむすんだ小兵衛は、落日の光りを左半面に受けつつ、怒ったように、何か狂おしげに突きすすむ。
このとき、秋山小兵衛の脳裡《のうり》には、あの夜、平塚明神の茶店で、大刀の抜身を引っ提げていた、内山文太の面影が浮かんでいるのみであった。
解説
[#地から2字上げ]常盤新平
『池波正太郎の銀座日記〔全〕』(新潮文庫)は昭和五十八年の初夏からはじまっている。その年の「銀座百点」七月号から平成二年の四月号まで、その間中断はあったものの、八年にわたってつづいた。この日記を読みかえすたびに、池波先生のお話を拝聴しているような気がしてくる。
昭和五十八年といえば、池波さんが還暦を迎えられた年だ。この年、『剣客商売』のシリーズとしては三年ぶりに十三冊目のこの『波紋』が単行本として出版された。昭和四十七年から「小説新潮」に連載されるようになった『剣客商売』はその翌年から毎年少くとも一冊ずつ刊行されていたが(四十八年は三冊)、昭和五十五年に『十番|斬《ぎ》り』が出たあと、まる三年のあいだ、この人気シリーズは単行本にならなかった。
もっとも、翌五十六年には「小説新潮」に「消えた女」(二月号)、「波紋」(五月号)、「剣士|変貌《へんぼう》」(八月号)を発表し、五十七年に「敵」(一月号)を書いている。そして五十八年の九月号に「夕紅大川橋《せきこうおおかわばし》」が発表されて、十一月に『波紋』が一冊になった。
池波さんはその三年のあいだ『剣客商売』をこの五編しか書かなかったわけではない。「週刊新潮」に『剣客商売』の番外編ともいうべき『黒白《こくびゃく》』を五十六年の春から五十七年の秋にかけて連載している。池波さんは秋山小兵衛の前身を書くことに全力をかたむけていたのである。
『黒白』は『波紋』と同じく昭和五十八年に上中下の三冊で発売された。『銀座日記』のこの年のページを読むと、池波さんはすこぶるお元気である。一方、『波紋』の「剣士変貌」では秋山小兵衛は、五、六年前まで夏が好きだったのに、六十五歳となったいまは、むしろ冬の寒さを好むようになった。
「何となれば、
(冬には、炬燵《こたつ》があるからのう)
なのである。
夏の暑さは、
(裸になってしまったら、あとはもう、ふせぎようもないわえ)
そして、
(わしも、老い果てたものよ)
つくづくと、そうおもう」
また、表題作「波紋」の最後では小兵衛が「年をとると、冬よりも夏がこたえる」ともらすと、おはるに「冬は炬燵があるものねえ」と言われてしまう。もしかしたら池波さんも小兵衛と同じく冬よりも夏がこたえるようになったのかと思ったが、『銀座日記』では昭和五十八年の夏をつぎのように書いている。
「みんなは『暑くてたまらない』というが、今年の夏は、私にとって快適な夏だった」。また「ついに、私にとっては快適な今年の夏も終った」
『剣客商売』を読み、『銀座日記』を読んでいつも思うのだが、秋山小兵衛も作者もだんだんに老いていくのが痛ましい。(わしも、老い果てたものよ)という小兵衛の自嘲《じちょう》気味の感慨に一読者として粛然となってしまう。『剣客商売』の第一話「女武芸者」のころの小兵衛は年をとったことを自認しながら、四十も年のちがうおはるを妻にして活力に溢《あふ》れていた。
しかし、剣客も年をとらなければ、「消えた女」と瓜《うり》二つの娘を見ることもなかったろう。「消えた女」では、小兵衛は千駄《せんだ》ヶ谷《や》に松崎助右衛門《まつざきすけえもん》を訪ねた。松崎助右衛門は小兵衛とともに辻平右衛門《つじへいえもん》の道場で剣をまなんで、二人の交誼《こうぎ》は四十年にわたる。小兵衛はつきあいを大切にしてきたし、助右衛門には何かにつけて相談をもちかけ、孫、小太郎の名も助右衛門のひとことできまった。
助右衛門宅に一泊した小兵衛はその日、内藤新宿へ出るつもりで畑道を行くと、竹藪《たけやぶ》のなかから出てきた傘《かさ》屋の徳次郎に会う。徳次郎はそこで囮《おとり》を仕掛けていたのである。その囮は竹藪の向うの木端葺《こばぶき》屋根の地蔵堂にいた。その囮が裏の戸から現われると、小兵衛の目はそこに吸いよせられて、白髪《しらが》のほつれがかすかに揺れ、引きむすんだ唇《くち》の端がわずかにふるえている。
囮は十五、六歳の娘だった。化粧などしていなくて、健康そうで血色がよく、町家の娘のようでもないし、農家の娘にも見えない。この娘が二十年ほど前に小兵衛の四谷《よつや》の道場で働いていた下女のおたみに(生き写し……)なのである。(もしやして、おたみが生んだ娘ではないか?)と小兵衛は思い、(まさかに、わしの子では?)と胸さわぎがする。
そのころ、妻のお貞《てい》はすでに亡《な》くなり、一人息子の大治郎は山城《やましろ》の大原《おはら》の里に隠棲《いんせい》する辻平右衛門のもとへ修行に旅だっていた。秋山家では中年の女中が小兵衛の世話をしていたのだが、彼女も病没してしまい、小兵衛は門人たちに面倒をみてもらっていた。しかし、それも何かと不自由で、四谷・坂町の菓子屋の主人の口ききでやってきたのが、下野《しもつけ》の烏山《からすやま》の生まれとかいうおたみである。
四十を過ぎていた小兵衛はある夜、おたみに手をつけてしまった。「野育ち」のような女が小兵衛は嫌《きら》いではない。おはるにしてもまさに野育ちの娘だったのである。小兵衛とおたみの関係はまわりには気づかれなかったが、おたみは居間の手文庫にあった金二十四両のうち十両をもって姿を消してしまい、その後|杳《よう》として行方が知れなかった。
おたみがいなくなって一年後に、四谷の弥七《やしち》が道場へ稽古《けいこ》に来るようになり、弥七の紹介で老僕が小兵衛を世話することになった。この老僕が亡くなると、関屋村の百姓の娘、おはるが女中として雇われたのである。
囮である娘、おみつは浪人に狙《ねら》われている。浪人はおみつの父親だという。小兵衛はわれからこの事件にのめりこんでゆく。おみつがはたして自分の娘であるか、おみつの母親が何者であるかを知りたかったのだ。
秋山小兵衛の老後は年若い女房や琴瑟相和《きんしつあいわ》する息子夫婦、そしてこの二人のあいだに生まれた孫の小太郎にかこまれて、みちたりているかに見える。小太郎を抱く小兵衛は好々爺《こうこうや》だ。しかし、剣客の宿命か、息子ともども、しばしば剣技をふるわざるをえない事態にたちいたる。隠居の生活に安住してはいられないのである。
「夕紅大川橋」では小兵衛は辻平右衛門道場で同門だった内山|文太《ぶんた》の事件にかかわってしまう。松崎助右衛門は小兵衛の二歳年上だったが、内山文太は十歳年長であり、小兵衛とお貞との婚儀の仲人《なこうど》をつとめた。
夏の終りのある日の夕方、浅草、橋場《はしば》の料理屋〔不二楼《ふじろう》〕で小兵衛と酒を酌《く》みかわしていた、牛込、早稲田《わせだ》町に住む町医者、横山|正元《しょうげん》が驚きの声をあげた。おりしも大川を北へ向かう猪牙船《ちょきぶね》に乗った男女が目にはいったのだ。男は内山文太である。女は、小兵衛は知らなかったが、横山正元が二、三度抱いたことのある岡場所の妓《おんな》だった。
小兵衛が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅に帰ると、文太の娘|聟《むこ》である市《いち》ヶ谷《や》の茶問屋の主人、作兵衛《さくべえ》が待っていた。義父《ちち》が行方不明になって、そのことで相談に来たのである。こうして小兵衛はいやおうなく内山文太捜索に向かうのだが、事件が解決したとき、四十年来の友であった小兵衛も知らなかった秘密が明らかにされる。
『波紋』に収められた五編はいずれも複雑な筋立である。過去の因縁《いんねん》がよみがえってきて、作者はそのいりくんだ因縁を一つひとつ解きほぐしていく。その手ぎわがじつに鮮やかで、一編一編の複雑な構図を忘れて読んでしまう。そのために作者は苦心に苦心をかさねているはずであるが、読者にそれを感じさせない。
「波紋」では小太郎は満一歳の誕生日を迎えようとしている。まだひとりで立っては歩けないが、可愛《かわい》いさかりのその顔だちはいよいよ母の三冬《みふゆ》に似てきた。母親に似ていれば、小太郎は美丈夫に育つだろう。
読者のなかには三冬のファンが多いはずだ。料理の腕は大治郎も「三冬の、およぶところではない」とおはるに敬服しているが、『剣客商売』ではなんといっても凛々《りり》しいヒロインである。
三冬という名前がじつにいい。池波さんは『剣客商売』の冒頭にさっそうと登場する女武芸者に「三冬」と命名した事情を『よい匂《にお》いのする一夜』で語っている。お読みになった方はすでにご存じだろう。これは池波さんが愛された旅館やホテルについて書かれた、楽しいエッセー集だ。
池波さんはあるとき、親しい友人だったシナリオライターの井手雅人《いでまさと》氏が常宿にしている伊東《いとう》の〔西東荘《さいとうそう》〕を訪れた。井手さんに「一度来ないか……」と誘われたのである。西東荘は客室が五つか六つの家庭的な宿屋で、ひろい芝生の向こうに海が見えた。もちろん温泉もある。奥さんと娘さんが池波さんと井手さんの世話をしてくれた。十七、八のその娘さんが三冬という名前だった。
池波さんは三冬という名前を気に入られて、(いい名前だから、いつか、時代劇に出て来る武家の娘の名前につかいたい)とノートにしるしておいた。西東荘はいまはない。だが、池波さんの作品を愛読するあまり、自分の子供に三冬と名づけた知人がいるらしい。
小説を書くとき、作家は登場人物の名前で苦労する。名前が登場人物にふさわしければ、作品は成功するだろう。『剣客商売』の登場人物たちの名前はそれぞれぴたりとはまっている。秋山小兵衛という名前には作者のユーモアが込められているような感じがする。小兵衛は剣客であることを商売にしながら、世の中を眺《なが》め、わが身をとくと見ている。その証拠に、小兵衛は「剣士変貌」で苦笑まじりに大治郎に語っている。
「剣術遣いなどというものは、きびしい修行をつづけぬいてきているだけに、いったん、おのれのちから[#「ちから」に傍点]をたのむことができなくなったとき、先《ま》ず失敗《しくじり》をするのは女じゃ。それが証拠に、このわしを見よ。いい年をして、孫のようなおはる[#「おはる」に傍点]に居据《いす》わられてしもうたわえ」
自分自身についてこのように語れるからこそ、小兵衛が身近に感じられるし、また偉大だとも思う。端倪《たんげい》すべからざるヒーローである。
[#地から2字上げ](平成七年七月、作家)
[#地付き]この作品は昭和五十八年十一月新潮社より刊行された。
底本:剣客商売十三 波紋 新潮文庫
平成15年2月15日 発行
[#改ページ]
このテキストは、
(一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第13巻.zip 34,793,131 119cf404f19fc439739e9ada8106317e
を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。
画像版の放流者に感謝。