剣客商売十二 十番斬り
[#地から2字上げ]池波正太郎
目次
白い猫
密通浪人
浮寝鳥
十番斬り
同門の酒
逃げる人
罪ほろぼし
解説 常磐新平
白い猫《ねこ》
前夜、寝間の臥床《ふしど》へ入ったときは、むしろ蒸し暑いほどで、寝入っているうちにおはる[#「おはる」に傍点]は薄い夏蒲団《なつぶとん》をいくらか剥《は》いでしまっていたらしい。
明け方になり、急に冷え込んできて、目ざめかけたおはるの躰《からだ》へ、秋山小兵衛《あきやまこへえ》が剥いだ蒲団を掛け直してやった。
「あれ、すみませんよう……」
おはるは、半ば夢現《ゆめうつつ》で、小兵衛にいった。
そのとき老いた夫が何かいったようだが、よくおぼえてはいない。
そして、爽涼《そうりょう》たる朝が来た。
おはるが目ざめたとき、すでに小兵衛は臥床をはなれていた。
夏の朝の習慣となっている井戸端での水浴びをすませ、台所へ入って来た小兵衛が、おはるを見やって、
「よう寝ていたのう」
「まあ、いやだ。起してくれればいいのに……」
「ふ、ふふ……」
「まるで一晩のうちに、秋になってしまったようですねえ」
「ほんに、な」
小兵衛が、にっこりと笑いかけてきたので、
(あれまあ、めずらしいこと……)
おはるは、ちょっとおどろいた。
近ごろの小兵衛は、あまり寝起きがよろしくない。
老人は目ざめが早いというが、雨の日などは昼ごろまで床をはなれぬ。
「おお、ようも晴れた」
居間の縁側に立ち、朝空を仰いだ小兵衛の声も上機嫌《じょうきげん》なのである。
庭には、秋草がとりどりの花をつけていたし、堤へあがる道のあたりには芒《すすき》が群れている。
上機嫌のままに、小兵衛はおはるに髪をととのえさせ、昼ごろまで、のんびりと時をすごしていたが何かおもいたったように、
「おはる。出かけるぞ」
「何処《どこ》へ?」
「うむ。つまらぬ用事をおもい出してのう。帰りは遅くなるゆえ、大治郎《だいじろう》のところへ泊るがよい」
「それなら、すぐに、お昼の仕度を……」
「かまうな。腹が空《す》いたら、途中で何か口に入れようわえ」
真新しい肌着《はだぎ》に短袖《みじかそで》の着物、それに例の軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけた小兵衛が藤原国助《ふじわらくにすけ》の大刀に波平安国《なみのひらやすくに》の脇差《わきざし》を腰に帯びた。近ごろ、両刀を腰にして外出《そとで》することなど、めったになかった小兵衛だけに、
「大きい刀《の》なんか、重いでしょうによ」
と、おはるがいうのへ、
「なあに、たまさかには、こうしておかぬと、腰のほうで大きい刀《の》を忘れてしまうのじゃ」
小兵衛は紙笠《かみがさ》を手にして庭へ出たが、何をおもったか、
「今日は、塗笠にしよう」
「あい、あい」
おはるの手から塗笠を受け取り、かぶりかけた紙笠をおはるにわたしたとき、
「では、気をつけてな」
またしても、小兵衛が笑いかけた。
「あい」
塗笠をかぶりつつ、堤のほうへ木立の中に消えてゆく小兵衛の後姿を見送りながらも、おはるは何やら妙な気分になっている。
(今日の先生の、まあ、きげんのいいことったら……何だか気味がわるいような……)
だが、おはるは物事にこだわらぬ女である。
すぐに台所へ入り、掃除にとりかかった。
この日の秋山小兵衛が、強敵との果し合いに出かけたとは、それこそ夢にも想《おも》わぬおはるであった。
昨日のいまごろ、おはるは、橋場《はしば》の秋山大治郎宅へ出かけ、三冬《みふゆ》と世間ばなしをしていたが、そのとき、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ訪問者があったことを知らない。
その訪問者は、どこかにまだ、少年の面影《おもかげ》が残っている若者で、
「平山|源左衛門《げんざえもん》の使者でござります」
こういって、一通の手紙を小兵衛へ差し出した。
小兵衛はうなずき、手紙を受けて読みくだし、
「たしかにうけたまわったと、平山殿へおつたえ下され」
と、こたえた。
若者が去ったのち、小兵衛は二度三度と手紙を読み直した後、これを焼き捨ててしまった。
この手紙が、果し状だったのである。
一
秋山小兵衛が平山|源左衛門《げんざえもん》と初めて会い、木太刀《きだち》の試合をしたのは七年ほど前のことだ。
当時、息《そく》・大治郎は修行中で江戸へ帰って来てはおらず、小兵衛は四谷《よつや》・仲町《なかまち》の道場をたたみ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠宅をかまえたばかりであった。
おはる[#「おはる」に傍点]も十七歳で、女中として小兵衛の身のまわりと食事の世話をするために雇われて問もなかったし、むろん、そのときは小兵衛、おはるに指一本ふれてはいなかった。
老中《ろうじゅう》・田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》は、毎年、春から初夏にかけての一日をえらび、浜町の中屋敷において剣術の試合を催す。
江戸市中に大小の道場をかまえる剣客《けんかく》たちや、諸藩自慢の剣士、幕臣などが数十名もあつまり、技を競う。
また無名の剣客も選ばれ、当日の試合ぶりによって諸大名に召し抱えられた例も少なくないそうな。
秋山小兵衛は、田沼意次に目をかけられ、年に一度の試合についても井関忠八郎《いぜきただはちろう》と共に世話役をつとめていた。
いまは亡《な》き井関忠八郎は、三冬の剣術の恩師であり、田沼家との関係が深かった。
そのころの井関は田沼老中の庇護《ひご》を受け、市《いち》ヶ谷《や》の長延寺谷町《ちょうえんじたにまち》に堂々たる道場をかまえていたが、いささかも驕《おご》りたかぶったところのない人物で、道場にいるときは継《つ》ぎはぎだらけの洗いざらしの衣服を身につけ、寒中にも足袋をはいたことがない。
さて……。
七年前の初夏に、田沼屋敷での試合がおこなわれることになり、井関忠八郎と秋山小兵衛は準備に忙殺されていたが、そのとき井関が、
「のう、秋山うじ。いま、わしの道場に強い男が滞留しておりましてな」
「ほう。何という……?」
「平山源左衛門と申すのだが、御存知《ごぞんじ》であろうか?」
「いや、存じませぬ」
「半月ほど前に、ふらりとまいったのだが、それがしの門人は一人も打ち込めませなんだ」
「で、井関先生が立ち合われましたか?」
「いいや……」
かぶりを振った井関忠八郎が、
「立ち合《お》うても、かなうまい」
「まさか……」
「平山も、それがしに立ち合いをせがまぬ。そのかわりに田沼様御屋敷の試合に、ぜひ出てみたいと申しましてな」
「それはよいことですな。御老中もおよろこびになりましょう」
「お耳に達しましたら、では、今年はたのしみじゃと、おおせられました」
「なるほど」
「その折、それほどの剣客なれば、ぜひとも秋山小兵衛と立ち合わせてみたいと田沼様がおおせられましてな。いかが?」
「ふうむ……」
「むり[#「むり」に傍点]にとは申さぬ」
「かまいませぬよ。私でよろしければ相手をいたしましょう」
「それは、かたじけない」
「何、井関先生が、さほどに申される剣客なれば、私もたのしみです」
平山源左衛門は、当時、小兵衛より三つ年下だったはずゆえ、七年後のいまは六十一歳になっているわけだ。
みずから〔平山一刀流〕と称し、独自の剣法を編み出したという。
井関忠八郎とは面識もないのに、突如、道場へあらわれ、
「御高名を慕《しと》うて江戸へまいりました。一月ほど、道場の片隅《かたすみ》へでも置いていただきとうございます」
と挨拶《あいさつ》をし、みやげに紀州の名産である梅干の大樽《おおだる》を背に負うて来た。
五十をこえて住む家もなく、ましてや道場もなく、一人の門人もなく、ただ独り、諸国をまわって、
「おのれの孤剣を磨《みが》いている……」
らしい。
井関忠八郎は一目見て、平山が気に入ってしまい、
「まま[#「まま」に傍点]になされ」
と、滞在をゆるした。
平山源左衛門は翌日から道場へ出たが、片隅につつましく坐《すわ》ったまま、道場の稽古《けいこ》がすべて終るまで身じろぎもせぬ。
それでいて数日がすぎても、木太刀を手にしなかった。稽古を見学しているという態度をくずさぬ。
井関忠八郎が門人たちへ、
「平山うじに稽古をつけてもらうがよい」
いい出たので、はじめて、
「それでは、お言葉にあまえまして」
と、平山は木太刀を手にしたのであった。
当時十七歳だった三冬は、井関道場へ通って来ていたが、
「お願い申す」
自信満々で平山へ立ち向ったところ、ただの一太刀で、自分の木太刀を平山に叩《たた》き落されてしまい、赤面したものだ。
その平山源左衛門と、舅《しゅうと》の秋山小兵衛が七年後の今日、真剣の決闘をおこなうことなど、三冬は知るよしもない。
「今日は泊りがけで、あそびに来ましたよう」
午後になって、おはるが関屋村の実家から届いた野菜をたっぷりと籠《かご》に入れてあらわれたのを迎え、
「ちょうどようございました。母上に蒲団《ふとん》の手入れを教えていただかなくては……」
三冬がそういうと、
「同《おな》い年の母上なんて、いやですねえ、三冬さま」
「息子の嫁に、さま[#「さま」に傍点]をつけられては困ります」
「ふたりとも困っている」
「どうしましょう」
たのしげに笑い合っている。
そのころ……。
秋山小兵衛は、浅草の駒形堂《こまかたどう》裏の小さな料理屋〔元長《もとちょう》〕でゆっくりと、昼餉《ひるげ》をすませていた。
ここは、小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしている橋場の料亭〔不二楼《ふじろう》〕の料理人・長次《ちょうじ》と座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]が夫婦になってひらいた店である。
小兵衛は、長次が出した海松貝《みるがい》の刺身で酒を五|勺《しゃく》ほどのみ、あとは長次夫婦の惣菜《そうざい》だという沙魚《はぜ》の甘露煮《かんろに》と秋|茄子《なす》の香の物で、飯を一ぜん腹へおさめ、ゆっくりと休息をしてから、
「ああ、うまかった……」
「それにしては大《おお》先生。軽すぎますねえ」
「長次。わしの年齢《とし》を考えろ」
「でも今日は、あんまり……」
「それよりも長次。駕籠《かご》をたのんでおくれ」
「承知いたしました」
ちかごろ、下ばたらきに入った若い者《の》が、すぐさま山之宿《やまのしゅく》の駕籠屋〔駕籠|駒《こま》〕へ走って行った。
「今日は、どちらへお出かけでございますか?」
と、長次の女房おもとが尋《き》くのへ、
「なあに、古い友だちと会うのさ」
小兵衛は、然《さ》りげもなくこたえた。
やがて、駕籠が来た。
「では、また、な……」
「行っていらっしゃいまし」
長次夫婦に見送られ、小兵衛を乗せた駕籠は、人の出さかりの浅草|広小路《ひろこうじ》の方へ去った。ときに、八ツ(午後二時)ごろであったろう。
「なあ、おもと……」
店へ入って行きながら、長次が、
「いま、駕籠へお乗んなすったときの大先生、何か妙じゃあなかったか?」
「何がさ?」
「ちょいと、いつもとは変っていなかったか?」
「どうして?」
「どうしてって、その……」
「え、何がさあ?」
「眼《め》が、きらきら光っていなすったからよ」
二
駕籠《かご》にゆられつつ秋山小兵衛は、七年前の田沼屋敷での、平山|源左衛門《げんざえもん》との試合をおもい浮かべている。
木太刀をかまえ合って、約三間の間合いをへだてたまま、小兵衛と平山は半刻《はんとき》(一時間)もうごかなかった。
こうしたときの両剣士にとっては、時間の経過が知覚されない。
小兵衛や平山ほどになると、双方が剣に没入してしまい、無念無想の境地になってしまう。
こうなると勝ち負けすらも意識していないとさえいえる。
ただ剣士として鍛えぬかれた感能が命ずるままに、剣を揮《ふる》うのみだ。
半刻の対峙《たいじ》の後に、大気がゆれうごき、二人は同時に間合いを詰めて木太刀を揮った。
このときの立ち合いを見ていた人びとの目には、二人の躰《からだ》のうごきも、むしろ緩慢に映った。
まるで歩み寄るかのように間合いを詰め、平山が打ち込んだ木太刀のうごきもゆっくりとして見えた。
そして……。
平山源左衛門は躍りあがった小兵衛の木太刀に右肩を打ち据《す》えられ、
「これまででござる」
しずかに木太刀を引き、一礼した。
小兵衛の満身に、どっと汗がふき出してきた。
(あのときは勝った。なれど、今度は……)
どうなるか、知れたものではない。
あれから七年、平山源左衛門は、
(わしに打ち勝つための……)
練磨《れんま》を積み重ねてきたにちがいない。
七年前に別れるとき、平山源左衛門は微笑して、
「秋山先生。いつの日か、真剣の立ち合いを、お願いできましょうや?」
と、いい出た。
平山にとって、剣の神髄は、まさに真剣の立ち合いにあるとの信念はゆるがぬ。
小兵衛はまた、別の立場から剣の道をきわめつつあったわけだが、平山の信念もまた正しい。
なればこそ、小兵衛は一個の剣客として、即座に、
「よろしゅうござる」
「何年か先になりましても?」
「うむ」
「その折、立合の人《じん》は?」
「無用でござる」
「かたじけのうござる」
そのときが、いま、やって来た。
小兵衛は平山のことを、半ば忘れかけていたといってよい。
(いまどき、平山のような剣客がいようとは、な……)
平山源左衛門には、名利も権勢も、まったく関係がない。
ただ、おのれの一剣をもって道をきわめたい一念があるのみなのだ。
昨日、平山の使者と名乗って果し状を届けて来た若者は、
(平山の門人なのであろうか……?)
果し状によると、場所は西尾久《にしおく》村(現・東京都荒川区西尾久)にある願正寺《がんしょうじ》裏側の地蔵ヶ原。時刻は今日の七ツ(午後四時)である。
「すこし、急いでおくれ」
と、小兵衛が駕籠|舁《か》きにいった。
駕籠で決闘の場所へ乗りつけるつもりはない。
上野の山下から坂本へ出て根岸《ねぎし》へ入り、上野の山裾《やますそ》で駕籠を乗り捨て、後は徒歩で地蔵ヶ原へおもむくつもりであった。
大形《おおぎょう》にいうなら、小柄《こがら》な自分が、
(仰ぎ見るように……)
背丈の高い平山源左衛門の、農夫のように素朴《そぼく》な風貌《ふうぼう》を、小兵衛はなつかしげにおもい浮かべた。
むだ[#「むだ」に傍点]な筋肉の一片だにない、引きしまった細い体躯《たいく》は、平山が長年にわたっての鍛練のほどをしのばせるものがある。
(あの躰にくらべたなら、大治郎など、まだまだ修行が足りぬわえ)
おぼえず、小兵衛の口もとへ苦笑が浮かんだ。
駕籠が坂本の通りから根岸へ入ったとき、小兵衛の念頭には生も死も、勝ちも負けもなくなっていた。
「ここでよい」
日暮里《にっぽり》の道灌山《どうかんやま》の崖下《がけした》のあたりまで来たとき、小兵衛が声をかけた。
「へっ……ここで、いいのでございますか?」
「いいとも」
「ですが、こんなところで、大先生……」
「よいのじゃ」
「さようでございますか……」
駕籠から下りた秋山小兵衛が、たっぷりとこころづけ[#「こころづけ」に傍点]を駕籠舁きの留七《とめしち》と千造《せんぞう》へわたした。
「大先生。こんなにちょうだいして……」
「ま、取っておくがよい」
「どうもこりゃあ、相すみませんでございます」
「ありがとう存じます」
「よしよし。さ、お帰り」
駕籠が根岸の方へ去るのを見送った小兵衛は、
「さて……」
かたむきかけた日足《ひあし》をたしかめてから、塗笠《ぬりがさ》をかぶった。今日の小兵衛は竹の杖《つえ》を手にしていない。
夏は去ったといってよいが、まだまだ日ざしは強《きつ》い。だが、木立を吹きぬけてくる風のさわやかさは格別であった。
小道の左側は道灌山下をながれる小川で、右側は田地がひろがっている。
歩みはじめた小兵衛は、向うの百姓家の垣根《かきね》の紅《あか》い葉鶏頭《はげいとう》の下から白いものがあらわれたのを見て、
「ほう……」
おもわず、目を細めた。
それは、白い猫《ねこ》であった。
(そっくりじゃ)
と、小兵衛はおもった。
むかし、四谷《よつや》の道場で飼っていた白の牝《めす》猫に面立《おもだ》ちがそっくりであった。
その猫は、捨て猫で、生まれて間もなかった。右足を痛めたらしく、道場の裏の草むらで哀《かな》しげに啼《な》いていたのを、いまは亡《な》き先妻のお貞《てい》が拾ってきたのである。
タマは、まことにおとなしい猫で、七年も小兵衛の家にいて病死した。
ちょっとくび[#「くび」に傍点]をかしげてこちらを見る顔の表情に、お貞は、
「タマの顔は、愁《うれ》え顔でございますねえ」
と、小兵衛によくいったものだ。
タマは、まことにめずらしい猫であった。
道場で激しい稽古《けいこ》がおこなわれているのを、片隅《かたすみ》で凝《じっ》としずかに見ているのだ。
「これ、こんなものを見ながら、お前は何を考えているのじゃ?」
小兵衛がタマに問いかけたりすると、啼きもせず、くびをかしげて小兵衛を見返すのだった。
タマが死んでからは、
「生きものを飼うのはやめよう。先に死んでしまうものな」
小兵衛はタマの死後、一度も猫を飼ったことがない。
「よく似ているのう」
近寄って来るのを抱きあげると、白い猫はさからいもせず、おとなしく小兵衛に抱かれている。
「おお……やはり女かえ。名は何という?」
ささやきかけたとき、猫が微《かす》かに啼いた。
赤い布でこしらえたくび[#「くび」に傍点]輪もあるし、いずれ何処《どこ》かの飼猫なのであろう。
「よし、よし」
小兵衛はゆっくりと喉《のど》のあたりを撫《な》でてやってから、猫を土の上へおろした。
猫と遊んでいられるときではない。
すこし歩んで振り向いて見ると、白い猫はおろされたところにいて、こちらを見つめている。
「おや、見送ってくれるのかえ……」
笠の内で、小兵衛がつぶやいたとき、道の向うへ二人の侍があらわれた。
三
侍は、二人とも酔っていた。
袴《はかま》をつけて、身なりはととのっていたが、あきらかに浪人である。
高声に何かいい合いつつ、道を曲って来て、白い猫がいるのを見るや、
「や、この猫め、おもしろい」
いきなり腰の大刀へ手をかけ、抜き打ちに猫を斬《き》ろうとした。
このときまで猫は逃げようともせずに、小兵衛を見送っていたのだ。
「何をするか!!」
刀の柄《つか》へ手をかけ、猫へ走りかかろうとした浪人へ、秋山小兵衛が叱咤《しった》した。
余人の叱咤ではない。
「う……」
はっ[#「はっ」に傍点]と浪人の足がとまったとき、白い猫が矢のように畑道へ逃げた。
それを見すました小兵衛が浪人たちへ背を向け、歩み出すのへ、
「待てい!!」
「この老いぼれが!!」
浪人ふたり、走りかかって小兵衛を追いぬき、前へ立ちふさがった。
「何じゃ?」
「何じゃだと……」
「どいてくれ」
「こやつ。何で邪魔をした」
「飼猫をみだりに斬って、どこがおもしろいのじゃ」
「だまれ」
「それとも猫や犬でないと相手にならぬのか」
「うぬ!!」
猫を斬ろうとした浪人が、猛然と小兵衛めがけて抜き打った。
その寸前に小兵衛の躰《からだ》が沈み、沈んだかとおもうと浪人の右手へ飛び抜け、振り向きざまに抜き打った。
初太刀を躱《かわ》され、踏みとどまって振り向いた浪人の額を、小兵衛の一刀は浅く切りはらっている。
「うわ……」
傷は浅いが血がふき出し、後退した浪人の顔が見る見る赤く染まった。
もう一人の浪人も刀を抜きかけたが、老人の、この早業に気をのまれ、あわてて逃げようとして小川へ落ち込んでしまったものだ。
「莫迦《ばか》め」
と、一言。
小兵衛は懐紙で、ゆっくりと国助の一刀をぬぐい清め、鞘《さや》へおさめた。
「おのれ……くそ……」
叫びながらも傷ついた浪人は、ふき出す血汐《ちしお》が目に入ってどうにもならぬ。
小兵衛は後も見ずに、道を遠去かって行った。
「畜生……」
小川から飛び出して来た浪人が、
「矢嶋《やじま》さん。このままではすまされませんぞ」
「む……み、みんなを呼んで来い。早くしろ」
「よし」
傷ついた浪人を残し、別の浪人が根岸の方へ駆けて行った。
どこかで、鴉《からす》が鳴いている。
そのころ……。
西尾久《にしおく》の願正寺裏の地蔵ヶ原に、平山|源左衛門《げんざえもん》を見出《みいだ》すことができる。
このあたりは、上野の山下から一里余りのところだが、当時、江戸の内へは入っていない。武蔵《むさし》の北|豊島《としま》郡|大字船方《おおあざふなかた》であった。
現代からは想像もつかぬ田園風景で、杉林を背にした地蔵ヶ原は約一町四方の草原だ。
何で地蔵ヶ原とよぶのか、その由来もさだかではないが、平山源左衛門が昨日、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ届けた果し状の中には、綿密な絵図がそえられてあり、もしも、別にお好みの場所があらば使いの者へお申しつけ下されたい。日時についても、おこころのままに……と、平山は書きそえてきた。
だが小兵衛は、平山のさだめた日時と場所へ出向くことにしたのである。
「まだ、いささか間があるようだ」
こういって、平山源左衛門は附きそっている若者をかえり見た。
昨日、平山の果し状を小兵衛の許《もと》へ届けに来た若者の顔は日に灼《や》けつくしてい、筒袖《つつそで》の単衣《ひとえ》に伊賀袴《いがばかま》を身につけ、両刀を帯している。
平山同様に、総髪《そうがみ》をうしろで無造作に束ねたのみだ。
平山源左衛門は、これも洗いざらしの着物に継《つ》ぎだらけの馬乗袴《うまのりばかま》という姿であった。
草の上へ坐《すわ》った平山が、
「わしが亡《な》きのちは、願正寺の和尚《おしょう》どのをたよるがよい。かならず、よきようにはかろうてくれよう。なれど昌之助《まさのすけ》、ゆめゆめ剣の道を歩むな。お前の亡き父や、わしのまねをしてはならぬぞ」
と、いった。
昌之助は睨《にら》むように平山を見て、声もない。
「今日、わしの一命は終る。夏のころ、江戸へ来て秋山先生の健在を知ったとき、最後の死場所を得たとおもうた。六十一年の生涯《しょうがい》をかけ、鍛えぬいてきた己れの剣法が行きつくところへ来たことになる」
「先生。なれど……」
「申すな。勝とうとも負けようともおもわぬ。なれど、いずれにせよ生き残ることはできまい」
蒼《あお》みをおびた平山源左衛門の顔には深い皺《しわ》が刀痕《とうこん》のように刻まれている。
昌之助という若者に、二の句を継がせぬ厳しさが、その相貌《そうぼう》にも声音《こわね》にもただよっていた。
「先刻まで、わしとお前が泊っていた願正寺の一間《ひとま》に、和尚どのへあてた手紙を残しておいた。秋山先生が此処《ここ》へ見えられたなら、お前は願正寺へもどれ。よいな」
「和尚さまには、この立ち合いについて、お知らせなさいましたのか?」
昌之助の問いを、平山はいぶかしげに受けて、
「何で、知らせることがあろう」
と、いった。
平山は先刻、草原の向うに屋根が見える願正寺から出て来るとき、
「今夜は、江戸の知り合いの者の家へ泊ります」
寺僧へ告げておいた。
「まだ、間がある……」
つぶやいて、平山源左衛門は腰の竹製の水筒を抜き取り、しずかに水を口にふくんだ。
四
秋山小兵衛が、自分を追って来る浪人たちに気づいたのは、それから間もなくのことであった。
後にわかったことだが、三月《みつき》ほど前から、彼らは下日暮里の外れの無人の百姓家へ入りこみ、そこを塒《ねぐら》にして遠くまで足をのばし、強請《ゆすり》をはたらいたり、女を暴行したり、辻斬《つじぎ》りをしていた者もいたそうな。
近年は、こうした無頼浪人が江戸に増えるばかりで、幕府も何とかしなくてはとおもっているらしいが、あまりに増えてしまったので、取締りもじゅうぶんにはまいらぬ。
彼らは深川や本所《ほんじょ》の外れなどに塒を設け、悪事をはたらく。
それも、いのちがけでやる。
なまじ、腕に自信のない浪人たちは、寺子屋をひらいて子供たちに読み書きを教えたり、町人にまじってはたらいたりするのだけれども、暴力に自信がある連中は仲間をあつめて、やぶれかぶれの悪事に走る。
天下泰平の世といっても、大名・旗本を問わず、しかるべき身分と俸禄《ほうろく》を得ている武家の世界は、人手がありあまっているし、大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに金繰りに苦しんでいるのだから、浪人たちを吸収する余地がない。
「こうなれば、何でも為《し》てのけて、いざとなれば獄門にかかるまでよ」
と、無頼浪人たちも、むしろ肚《はら》を据《す》えているところがないでもない。
「まったく、手がつけられません」
先日も隠宅へ顔を見せた四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》が、頻発《ひんばつ》する浪人たちの悪行に、
「奉行所も手がまわりかねているのでございますよ」
と、小兵衛にこぼしたものだ。
飼猫を斬って捨てようとして、小兵衛に懲《こら》しめられた二人の浪人の仲間は七人いた。合わせて九人が下日暮里の朽ちかけた百姓家へ入りこみ、
「悪酔い組」
などと自称していたのである。
この日は、九人が昼すぎから酒をのみはじめ、大いに気炎をあげていた。
そのうちに二人が、
「どうだ、道灌山《どうかんやま》へあがって下界をながめようではないか」
「おもしろいな」
「ついでに茶店へ押し込んで、いたぶってやるのもいいぞ」
「おもしろい、おもしろい」
これでは、茶店もたまったものではない。
こうして外へ出て来た二人であったが、小兵衛の早業を見ては、
(とてもかなわぬ)
とばかり、仲間を呼びに走った。
「けしからぬ老いぼれだ」
「取り囲んで切り刻み、野良犬《のらいぬ》の餌《えさ》にしてくれよう」
「よし。追いかけろ」
小兵衛に額を切られた浪人も血どめ兼用の鉢巻《はちまき》をし、合わせて九人が二手に別れ、追いかけて来た。
それと知った秋山小兵衛は舌打ちをした。
いまは、彼らを相手にしている場合ではない。
平山源左衛門との約束の時刻がせまっているのだ。
そこで小兵衛は走り出した。逃げた。
「いたぞ」
「あれだ。向うへ逃げて行く」
「よし、まわれ、はさみ討ちだ」
小兵衛は竹藪《たけやぶ》を突き抜け、細い道をえらんで逃げた。
彼らは、野獣の嗅覚《きゅうかく》をもって追いせまってくる。
木立へ飛び込み、走りぬけた小兵衛は、目の前の畑に出作《でづく》り小屋があるのを見て、その中へ飛び込み、戸を閉めた。
この畑を耕す百姓が、時折、寝泊りする仮小屋なのである。
さいわい、小兵衛が小屋へ隠れた姿は、浪人たちの目にとまらなかったらしい。
「おーい。いたか?」
「おらん」
「たしかに、この辺りへ追いつめたのだ。探せ」
「向うへまわるぞ」
「よし、行けい!!」
閉めた戸の内へ屈《かが》み込み、彼らの声を聞きながら、小兵衛はまたも舌打ちを洩《も》らした。
(先刻も、猫《ねこ》と共に逃げたほうが、よかったやも知れぬ)
このことであった。
(あの白い猫が、あまりにタマに似ていた所為《せい》か、おもわず……)
おもわず怒りがこみあげてきて、浪人に傷を負わせたのだが、まさかに、これほどの仲間がいようとは考えてもみなかった。
小兵衛は、ふところから平山がよこした絵図をひろげて見た。
その場所はよくわかるのだが、あちらこちらへ逃げまわったので、いまいる場所がどの辺りか、よくわからぬ。
(ま、いま少し、様子を見よう)
また、浪人の声が何処かできこえ、その声が近寄って来る。
(あの気狂いどもに追われなければ、いまごろは地蔵ヶ原に着いていたろう)
浪人どもと闘うことを恐れているのではないが、相手は九人だ。中には意外に強い男がいないともかぎらぬ。
万一のことをおもうと、平山との大事の真剣勝負の前に、彼らと争うのは、剣士の心得として、
(つつしまねばならぬ……)
ことは、いうまでもない。
なればこそ小兵衛は、あえて逃げたのだ。
そのころ……。
地蔵ヶ原では平山|源左衛門《げんざえもん》が、
「昌之助《まさのすけ》。間もなく、秋山先生が到着なされよう」
こういって、若者がさし出す革紐《かわひも》を受け取り襷《たすき》にかけまわし、灰色の折りたたんだ布をもって鉢巻をしめ、足ごしらえをしらべた。
若者は蒼《あお》ざめ、手がふるえている。
それを見やった平山は、いかにも慈愛のこもった声で、
「案ずるな」
と、いった。
自分の身を案ずるなといったのではない。
自分が死んだ後の、若者の行末について心配はいらぬといったのである。
五
出作り小屋の中で、秋山小兵衛は鐘の音を聴いたようにおもった。
(はて……?)
戸口へ耳をつけてみると、たしかに聴こえる。
これは、願正寺《がんしょうじ》の鐘の音であった。
時の鐘を打つことを、願正寺ではゆるされている。
けれども小兵衛は、それ[#「それ」に傍点]と知らぬ。
知らぬが、時の鐘であることは間ちがいない。
時の鐘ならば、まさに七ツを告げていることになる。
(しまった……)
さすがの小兵衛が、このときばかりは狼狽《ろうばい》した。
承諾をした果し合いの時刻に遅れるなどということは、
「剣客《けんかく》として、あるまじきこと」
と、いわねばなるまい。
これほどに時間が経過していたとは、おもいもよらなかった。
逃げたり隠れたりしている時間の感覚は、平常のそれ[#「それ」に傍点]よりも大きく狂ってしまう。
たとえば、こうして筆者が夢中になって原稿を書いているときは、二時間が三十分ほどにしか感じられない。
(もはや、これまでじゃ)
小兵衛は小屋の戸を開けて、外へ出た。
浪人どもは、まだ、小屋の近くにいるらしい。
彼らの声が、つい先程まで遠く近くにきこえていた。
畑道へ走り出た小兵衛を見かけて、
「やっ、いたぞ」
「あんなところにいおった!!」
「それっ!!」
畑道の前方から三人、道をはさんだ両側の畑へ踏み込んで来た四人と二人が白刃《はくじん》を振りかざし、喚《わめ》き声をあげて走り寄って来た。
小兵衛は畑道を走りつつ、塗笠《ぬりがさ》を除《と》って投げ捨てた。
畑道の幅は一間に足らぬ。
ゆえに、前方から駆け寄って来た三人の浪人は一列になっている。
「うおぉっ!!」
先頭の浪人の巨《おお》きな躰《からだ》が、小兵衛の矮躯《わいく》を呑《の》みこむようにせまってきて、振りかぶった大刀が真向《まっこう》から打ちおろされた。
転瞬、小走りに走っていた小兵衛の両脚が急停止し、したかとおもうと飛び退《しさ》っている。
これは、なかなかにできることではない。
打ちこまれた浪人の大刀は小兵衛の鼻先を掠《かす》めた。
同時に、小兵衛の腰間《ようかん》から藤原国助《ふじわらくにすけ》の一刀が疾《はし》り出ている。
刀の柄《つか》をにぎったままの、浪人の右腕が切り飛ばされ、畑の中へ落ちた。
「うわ……」
畑道へ転げ落ちた浪人が血まみれになってのた打ちまわりはじめたとき、早くもつぎの浪人が左脚を切りはらわれ、絶叫をあげている。
畑道に片膝《かたひざ》をつき、こやつの脚を切断した秋山小兵衛は、三人目の浪人を迎えた。
「むう……」
唸《うな》った浪人は立ちどまって大刀を脇構《わきがま》えに直しつつ、畑の中を走り寄って来る浪人たちへ、
「手出しは無用だぞ」
と、叫んだ。
こやつは強かった。
願正寺の鐘の音が消えたとき、昌之助《まさのすけ》とよばれた若者の顔に、怒りの血がのぼった。
「おじさま……」
と、昌之助は平山|源左衛門《げんざえもん》をよび、
「秋山小兵衛は約定《やくじょう》の時刻に遅れました。この勝負、おじさまの勝ちです」
ほとばしるように、いった。
平山は立ちあがり、あたりを見まわした。
夕空は、まだ明るかった。
「おじさま……」
「む……」
「けしからぬやつです。秋山小兵衛は……」
「待て」
「おじさまとの立ち合いを怖《おそ》れているのです。おじさまの勝ちです」
平山は苦笑して、
「秋山先生は、そのような人《じん》ではない」
「なれど……」
「約定の時刻に見えぬのは、それだけの事情《わけ》あってのことに相違ない」
「どのようなわけがあろうとも、負けは負けです。亡《な》き父も申しました。立ち合いの時刻に遅れたるものは負け……と、申しておりました」
平山は、こたえぬ。
しずかな眼《め》の色であった。
「おじさま、願正寺へもどりましょう」
「いま少し、待とう」
こういって、平山源左衛門が、
「水……」
と、いった。
昌之助が竹の水筒をさし出しつつ、平山の顔を見て、
「おじさま……」
不安げに、低い声でよびかけた。
一瞬の間に、平山源左衛門の顔色《がんしょく》が変っていたからである。
顔は、鉛色《なまりいろ》に変じ、脂汗《あぶらあせ》が浮いている。
口が、かたく引きむすばれ、両眼は閉じられていた。
「おじさま……」
「む……」
「み、水を……」
「うむ」
うなずいて水筒を受け取った平山が、それを口のあたりへもってゆきかけて、微《かす》かに唸った。
平山の手から、水筒が草の中へ落ちた。
平山源左衛門は左の胸のあたりを両手で押え、歯を喰《く》いしばっている。
「おじさま、おじさま……」
昌之助が平山の躰へ飛びつき、
「いかがなされました」
この一年の間、共に暮すようになってから、このような平山の姿を見たことがなかったらしい。
もはや、平山に声も言葉もなかった。
平山源左衛門は前のめりに倒れ伏し、五体を激しく痙攣《けいれん》させている。
「おじさま、水を……水を、おじさま……」
必死となって昌之助が水筒をつかみ、平山を抱き起した。
そのとき、平山の痙攣が熄《や》んだ。
息絶えたのである。
やがて……。
秋山小兵衛が地蔵ヶ原へ駆けつけたとき、平山源左衛門の遺体を前に凝然《ぎょうぜん》と坐《すわ》り込んでいた昌之助は、
「おのれ、秋山小兵衛」
叫んで、腰の大刀を引き抜こうとして、おどろきの目をみはった。
むり[#「むり」に傍点]もない。
無頼浪人たちを斬《き》った、その返り血が小兵衛の顔にも着物にもはねかかっており、左頬《ひだりほお》に浅い傷もあり、そこからも血がしたたっていたからだ。
この凄《すさ》まじい小兵衛の姿を見て、くわしい事情はわからなくとも、やむを得ない遅刻だったことは、昌之助の目にあきらかであったろう。
一方、倒れている平山を見た小兵衛も、おどろいた。
「いかがなされた?」
昌之助に問いかけた小兵衛の声は、しわがれている。
昌之助は、激しくかぶりを振った。
その両眼から、熱いもの[#「熱いもの」に傍点]がふきこぼれてきた。
○
平山源左衛門は、美濃《みの》の国・稲葉郡・長森の郷士の家の三男に生まれ、年少のころから剣をまなび、のちに大坂へ出て、一刀流・林|武平《ぶへい》の門人となって修行を積んだらしい。
このときの同門で、平山と親密の間柄《あいだがら》となった青木|四郎太郎《しろたろう》が昌之助の父であった。
平山は後年、諸国の剣客たちをたずねて孤剣をみがく生涯《しょうがい》をえらんだが、青木四郎太郎は大坂の四天王寺の外れに小さな道場をかまえた。
しかし、気性の烈《はげ》しい青木は、門人たちを相手にして道場を経営するといった性質ではなく、昌之助を残して妻が病歿《びょうぼつ》してからは道場も寂《さび》れるばかりとなった。
一年半ほど前に平山源左衛門が五年ぶりに、この旧友を訪ねたとき、青木四郎太郎は深酒に躰をこわし、病床についていたのである。
平山は、半年の間、青木を看病し、青木亡き後に昌之助をつれ、大坂をはなれた。
「わしのいのちも、もはや長くはない。なれば秋山先生と一期《いちご》の立ち合いをするつもりじゃ。わしが死んだ後は、願正寺の和尚《おしょう》どのをたよるがよい」
平山は昌之助に、そう言い遺《のこ》した。
願正寺の和尚は、平山と同じ長森の出身なのだという。
この事件の後始末は、すべて、小兵衛がおこなった。
平山源左衛門の遺体を願正寺へ運び、和尚にも会った。平山が和尚へ残した遺書も発見された。
「心ノ臓をやられたのであろうよ」
小兵衛は夜に入ってから、上野の北大門町に住む旧知の御用聞き・文蔵《ぶんぞう》を訪ね、無頼浪人九名を斬ったことを告げたとき、平山の急死について、
「いや、剣術をやる者には、心ノ臓を傷《いた》める者が少なくないのじゃ。躰を鍛えぬいているだけに、その傷みが重《おも》るのに気づかぬことが多い」
と、いった。
浪人たちは、いずれも死んでいないはずだ。
小兵衛が手や足を切り、一時はうごけぬままにしたわけだが、中の二名は無傷に逃げた。
下|日暮里《にっぽり》の百姓家へ、這《ほ》う這《ほ》うの態《てい》でたどりつき、傷の手当をし、苦しんでいる彼らを、北大門町の文蔵の案内で、町奉行所が捕えたのは、翌日の昼すぎであった。
ところで……。
この年の秋も深くなった或《あ》る日のことだが、外出《そとで》から隠宅へもどって来た秋山小兵衛へ、
「先生。白い子猫《こねこ》が堤の下へ捨てられていたのですよう。ねえ、飼ってやりましょう。可哀相《かわいそう》だから……」
おはる[#「おはる」に傍点]が白い子猫を抱いて台所から飛んで出て来たのへ、
「ならぬ」
小兵衛は、いつになく厳しく、
「猫を見たくはないのじゃ」
「あれ、いやだよう。そんな怖い顔をして……」
「ならぬというたらならぬ」
「じゃあ、このまま捨てるのですかね。飢え死をしてしまいますよう」
「む……」
「先生が、そんな情《じょう》なしだとは知らなかった……」
「おはる……」
「飼ってもようござんすか?」
「いや、うち[#「うち」に傍点]で飼うのではない」
「じゃあ、どうするのですよ。むかしは先生も猫を飼いなすったというじゃありませんか」
「なればこそ、困る」
「どうして?」
「ともかくも、その猫に何か食べさせてから、籠《かご》にでも入れろ」
「籠へ入れてどうするのですよう?」
「駒形《こまかた》の元長《もとちょう》へ持って行くのじゃ。あの夫婦は猫好きゆえ、な……」
密通浪人
一
その日。
まだ、明るいうちから、秋山|小兵衛《こへえ》は〔鬼熊《おにくま》酒屋〕へあらわれ、酒をのみはじめていた。
例によって、この日も、本所《ほんじょ》の亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者で小兵衛の親友でもある小川宗哲《おがわそうてつ》と、
(久しぶりに……)
碁を囲むつもりで、宗哲宅を訪れたところ、
「先生は、相州・小田原の御縁類に祝事《いわいごと》がございまして、三日前にお発《た》ちになられました」
と、医生がいった。
(やれやれ……)
今日こそは、半月前の敵《かたき》をとるつもりで出向いて来ただけに、小兵衛はがっかりして帰途についた。
こうしたとき、小兵衛の足は、われ知らず、あの鬼熊酒屋へ向っている。
先代の鬼熊の亭主で、死病にかかっていることをだれにも告げずに暴れまわっていた熊五郎亡《くまごろうな》き後、いまは温和で親切な養子夫婦の文吉《ぶんきち》とおしん[#「おしん」に傍点]が商売を継《つ》ぎ、土地《ところ》の評判もよく、
「こりゃあ、どうも、鬼熊酒屋ではなくなってしまったなあ」
「店の名前を変えなくてはいけねえ」
などと、客たちがいい合っているらしい。
もともと、この店には名前がついていなかった。
「酒をひっかける店に、どうして名前がいるのだ。ふざけるねえ」
と、生前の熊五郎は嘯《うそぶ》いていたものだ。
それを客たちが、勝手に、鬼の熊五郎だから鬼熊酒屋とよびはじめたのである。
したがって、いまも店の名をしるした軒行燈《のきあんどん》もなければ看板も出ていない。
「大《おお》先生。このところ、すっかり御無沙汰《ごぶさた》をしてしまいまして……」
文吉夫婦に迎えられ、七坪の土間に設けられた十畳ほどの畳敷きの入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の、いつもの片隅《かたすみ》へ坐った小兵衛が、
「今日は、宗哲先生にすっぽかされ[#「すっぽかされ」に傍点]てのう」
「そりゃあ、まあ、残念でございましたねえ」
「そのことよ」
他に、客はいなかった。
この店が込み合うのは灯《ひ》が入ってからだ。
先代ゆずりの、やわらかい叩《たた》き牛蒡《ごぼう》で、酒を二本のむと、何となく躰《からだ》が気怠《けだる》くなってきて、客がいないのをさいわい、
「ちょいと、行儀を悪くするよ」
文吉夫婦にことわり、身を横たえたかとおもうと、小兵衛はうつらうつら[#「うつらうつら」に傍点]としはじめた。
後でわかったことだが、いくらも眠ってはいなかったらしい。
となりの席の、男の笑い声で、小兵衛は目ざめた。
小春日和《こはるびより》の日ざしが、まだ残っていて、表の戸障子は明るかった。
(もう、すぐに冬か……寒いのは嫌《いや》だな)
身を起さぬまま、小兵衛は、店のすぐ前の大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を行く舟からきこえてくる舟唄《ふなうた》に耳をかたむけていた。
木の衝立《ついたて》をへだてたとなりでは、三十前後の浪人がふたり、酒をのみはじめていた。
(いつ、入って来たのか、気づかなんだわえ。わしも、大分に耄碌《もうろく》してしまったのう)
浪人たちは、となりに小兵衛が寝ていることを知ってはいたが、何やら、おもしろそうにしゃべり合っている。
白髪《しらが》の、小さな老人が寝ているだけのことだと、気にもかけぬらしい。
浪人のひとりが、
「それにしてもだ、他人の女房を寝取るのはおもしろい。ふむ、まことにおもしろくてな」
などと、悦に入っている声が、小兵衛の耳へ入った。
(怪《け》しからぬやつじゃ)
寝たままで、小兵衛は顔を顰《しか》めた。
「それにな、今度の女は、また格別なのだ。これで、当分は困らぬというものよ」
浪人の含み笑いに、相手の浪人が何かいった。低い声なので聞きとれなかった。
「何をいうか。あは、はは……」
他人の女房を寝取ったのが、よほどに、うれしいらしい。
薄目を開け、板場のほうを見ると、おしんが文吉へ何かささやいている。
「え……その女か。その女は、本郷のな、文敬堂《ぶんけいどう》という……」
浪人の、その声を聞いたとき、秋山小兵衛の両眼《りょうめ》が活《かっ》と開いた。
本郷四丁目の文房具舗で、〔文敬堂〕の主人・福原|理兵衛《りへえ》は、小兵衛にとって義理の弟にあたる。
いまは亡き先妻・お貞《てい》の弟なのだ。
お貞の弟の為太郎《ためたろう》は、若くして文敬堂の養子に入り、先代亡きのちは当主となって、福原理兵衛の名を襲った。
このところ何年にも疎遠《そえん》になってしまい、理兵衛の近況は知らぬが、いま、となりの席で得意満面の浪人のいうところによれば、義弟・福原理兵衛の妻が、その密通の相手らしい。
(はて……?)
小兵衛も、理兵衛の妻・お米《よね》を見知っている。
お米は、年齢《とし》も四十半ばのはずだし、
(あの面相では、寝取ってみても、格別におもしろい婆《ばあ》さんでもあるまいに……?)
どうも、そこがわからぬ。
米俵のように肥えた躰《からだ》をゆすりつつ、義弟を、
「大きな尻《しり》の下に敷いていた……」
お米の容姿を想《おも》い浮かべながら、
(このはなしは、どこか間ちがっているのではあるまいか……)
小兵衛は、凝然《ぎょうぜん》となった。
しかし、浪人は、たしかに、文敬堂の女房を寝取ったといっている。
すると、この浪人、口から出まかせをいっているのか。
わざと、大きなあくび[#「あくび」に傍点]を洩《も》らしてから、小兵衛は立ちあがり、
「これこれ、勘定をたのむ」
おしんに、声をかけた。
文吉夫婦に見送られ、鬼熊酒屋を出るとき、小兵衛は二人の浪人の顔をちらり[#「ちらり」に傍点]と見やった。
密通の自慢をしていた浪人は、いかにも酒が好きそうな赭《あか》ら顔の大男で、こやつは、店を出て行く秋山小兵衛など気にもとめなかった。
ところが、もう一人の無口な浪人は、小兵衛の視線を、針のように光る細い眼で受けとめたのである。
それも一瞬のことで、外へ出た小兵衛は、
「嫌なやつじゃ」
と、つぶやいた。
密通浪人にではない。その相手をしていた陰気な浪人にである。
(それにしても、どうしたものか……)
大川沿いの道を歩みつつ、小兵衛は苦笑を浮かべた。
日が、かたむきはじめると、いかにも早い。
大川をわたる風は冷たく、あたりには、いつの間にか淡い夕闇《ゆうやみ》がただよっていた。
二
翌朝は、どんよりと曇ってい、冷え込みが強《きつ》く、一足飛びに冬が来たようで、それでも目ざめたときの小兵衛は、
「今日も出かけるぞ」
おはる[#「おはる」に傍点]に、そういっていたのだが、朝餉《あさげ》をすませると、
「寒いのう。炬燵《こたつ》を出さぬか」
「だって、出かけなさるのでしょう?」
「やめた」
「寒いから?」
「面倒になった。さ、早く出さぬかよ」
「まさか、いまから……」
「まさかも何もない。寒いから出せというたのじゃ」
「あい、あい」
今朝の秋山小兵衛は、何故《なぜ》か、機嫌《きげん》がわるい。
おはるが仕度をした炬燵へもぐり込み、そのくせ、障子を開け放って、小兵衛は庭の八手《やつで》の白い花を凝《じっ》と見つめたまま、口もきかぬ。
はなしかけても、ろく[#「ろく」に傍点]に返事をせぬ小兵衛へ腹をたてて、おはるは台所へ入り、
「変ってるよ、先生は……」
流しの笊《ざる》をつかみ、裏の戸へ叩《たた》きつけた。
おはるも、今朝は、あまり機嫌がよくない。
月に一度、こうなるのだ。
今日の小兵衛は、本郷四丁目の文敬堂へ出向いてみるつもりであった。
このところ、往《ゆ》き来が絶えているとはいえ、文敬堂の主人は亡妻の実弟なのである。
亡《な》き妻のお貞は、姉弟ふたりきりの、この弟を母がわりとなって育てあげた。
お貞の父は、伊勢《いせ》・桑名の浪人で山口|与兵衛《よへえ》といい、小兵衛の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》と昵懇《じっこん》の間柄《あいだがら》であった。
浪人といっても、昨日、鬼熊《おにくま》酒屋で見た浪人たちとはまったくちがう。
こころがけがよいから交際もひろく、小金《こがね》もあり、お貞・為太郎《ためたろう》の二人の子を育てるにも事を欠かなかった。妻を早く亡くしたので、お貞は少女のころから、父と弟の面倒をみてきた。
ことに為太郎が病弱に生まれついたのを、お貞は一所懸命に丹精をし、健康な若者に育てあげた。
為太郎が、父と親しかった先代の文敬堂主人に請《こ》われて養子になったのは、十九歳の春で、
「わが家は、貞に聟《むこ》をもらえばよい」
山口与兵衛は、こういって為太郎を養子に出した。
つまり、それほどに、文敬堂主人が為太郎を欲しがったわけだ。
「一生を浪人で終るよりも、江戸できこえた商家の主人となるほうが、どれほどよいか知れぬし、お前には、その天性がある」
と、与兵衛はいった。
与兵衛は、もともと家名などにこだわらぬ人で、
「人の墓や家名などは、三代、四代もつづけばよいほうじゃ。そのようなものにこだわらずともよい」
かねがね、お貞にも、洩《も》らしていたそうな。
その父が急死した後、お貞は、辻平右衛門に引き取られ、その身のまわりを世話するうち、門人の秋山小兵衛と知り合ったのである。
ところで……。
お貞が在世中は、文敬堂の養子となり、やがて当主となった為太郎あらため福原|理兵衛《りへえ》は、小兵衛宅へもしばしば顔を見せた。
姉が山口の家を継ぐべき男と夫婦にならず、若かった秋山小兵衛の熱情に負け、その妻となったことに為太郎は不満だったらしいが、そこは姉と弟で、しかも、お貞には深い恩義を感じていただけに、
(なるほど。姉と弟というものは、かほどに仲がよいものか……)
小兵衛が感嘆するほどであった。
お貞が死病にかかったとき、為太郎は……いや、福原理兵衛は五日にわたって不眠不休の看病をつづけた。
「あなたは、お店《たな》があるのだから、むり[#「むり」に傍点]をなさるな。お貞には医者もついているし、わしも大治郎もいる」
いかに小兵衛がすすめても、
「いいえ、ぜひとも看病をさせて下さい。それでなくては、私は生涯《しょうがい》、悔を残すことになります」
文敬堂から、家付きの妻の使いが迎えにあらわれても、このときだけは理兵衛、頑《がん》として受けつけなかった。
その理兵衛が、秋山小兵衛へ、
「この事を、冥土《めいど》の姉が知りましたなら、いかように嘆き悲しむことか。俗に申す茶のみ友だちのような相手ならともかくも、まるで、わが子か孫のような女を引き入れられたのでは、理兵衛は姉に顔向けがなりませぬ。この上は、義兄弟の縁を切っていただきます」
と、怒り出したのは、小兵衛が鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠宅を建て、ほかならぬおはると共に暮していることを知ったときのことだ。
以来、福原理兵衛は小兵衛宅へ顔を見せない。
それは別にかまわぬが、昨日の浪人のはなしを耳に入れたからには、
(捨ててもおけまい)
と、小兵衛はおもった。
亡きお貞が、あれほどに愛した弟なのである。
(まさか……?)
とはおもうが、昨日の浪人の言葉には嘘《うそ》がないように感じられた。
文敬堂は、近くの加賀百万石・前田家への出入りをゆるされているほどの店だし、その店の主人の妻が姦通《かんつう》をし、それが世間へ知れたりすれば一大事ではないか。
そのとき、もっとも困るのは、ほかならぬ福原理兵衛といってよい。
昨日、鬼熊酒屋から隠宅へ帰って来たときは、
(わしの知ったことではないさ)
軽く考えていたのだが、時がたつにつれて、
(これは、亡きお貞が、わしに何とかしてもらいたいとあの世[#「あの世」に傍点]から願《ねご》うているのであろうか……なればこそ昨日、おもいもかけぬ場所で、あの浪人どもに出合《でお》うたのであろう)
考え直すようになってきた。
だが、この日は小兵衛、隠宅に引きこもったままであった。
つぎの日の朝。
「おはる、出かけるぞ。帰りは、さして遅くなるまい」
いい置いて、小兵衛は隠宅を出た。
三
この日は快晴であった。
秋山小兵衛は、先《ま》ず鬼熊《おにくま》酒屋へおもむき、一昨日の浪人のことを尋ねた。
「あの、ふたりは、よく顔を見せるのかえ?」
「三日か五日に一度ほど、おいでなさいます。いえ、ふたりともじゃあございません。片っ方の、躰《からだ》の大きな元気のいい、酒のみの浪人さんがおいでなさるので」
「すると、もう一人の、妙に陰気な面《つら》がまえの浪人は、一昨日がはじめてかえ?」
「さようでございます。先生。何か、あったのでございますか?」
「いや、別に、どうというわけでもない。念にはおよばぬことだろうが、このことは、お前の胸ひとつにしまっておいておくれ」
と、小兵衛は文吉にいった。
女房のおしん[#「おしん」に傍点]は、ひとりむすめのおかよ[#「おかよ」に傍点]を連れ、買物に出ているらしい。店は、まだ開けていなかった。
「その、酒のみ浪人の名や居処《いどころ》は、わかるまいな?」
「へえ、存じません」
「よし。いそがしい仕込みの最中《さなか》に、手をとめさせてすまなかったのう」
「とんでもないことでございます」
「近いうちに、また来る。おかみさんへよろしくな」
「お待ちしております」
何やら不安そうな文吉へ笑いかけて、小兵衛は外へ出た。
酒のみ浪人が鬼熊酒屋へ来るようになったのは三月《みつき》ほど前からで、
「込み合わぬ時分に、ゆっくりとのむのがよい」
などといって、いつも日暮れ前に顔を見せ、勘定もきれいだし、ときには、
「釣《つ》りはいらぬぞ」
と、気前を見せることもあるそうな。
やがて小兵衛は大川橋《おおかわばし》(吾妻《あずま》橋)を西へわたり、浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へ立ち寄り、
「本郷までたのむ」
といった。
折よく顔なじみの駕籠|舁《か》き・留七《とめしち》と千造《せんぞう》がいて、
「大《おお》先生。お久しぶりで……」
「うむ。では、たのむよ。行先で、ちょいと待っていてもらいたいのだが」
「ようござんすとも」
町駕籠に揺られつつ、小兵衛は何年ぶりかで見ることになった義弟の顔をおもい浮かべた。
(お貞《てい》が生きていれば……さよう、五十九になるか。すると為太郎《ためたろう》……いや、福原|理兵衛《りへえ》は五十二ということになる)
やがて、小兵衛を乗せた駕籠は本郷四丁目へさしかかった。
「よし。乗りつけもなるまい。此処《ここ》で降りよう」
小兵衛は駕籠から出て、
「そうじゃ。向うの真光寺の裏門のところで待っていておくれ。いいな、留」
「合点《がってん》でござんす」
文敬堂は、間口が五間ほどの、さして大きな店構えではないが奥行が深く、
〔加賀家御用・日本唐筆匠・福原理兵衛〕
の、金文字の看板を掲げ、いかにも老舗《しにせ》のおもむきがある。
「ごめんなされよ」
声をかけて入って来た秋山小兵衛を見た大番頭の松四郎が、
「これはこれは秋山先生。よう、おこしに……」
「おお、番頭どのか」
「お久しゅうございます」
「あるじどのはおいでかえ?」
「はい、はい」
小兵衛を見知っている店の者もいて、それぞれに挨拶《あいさつ》をする。
文敬堂の店の者たちは、いずれも小兵衛に好感を抱いているのだ。
「さ、どうぞ、おあがり下さいまして」
「かまわぬのかえ?」
「かまうもかまわぬもございません。主人《あるじ》も先達て、秋山の兄様は、いかがおすごしであろうか、なぞと申しまして……」
「ほう。風向きが変ったようじゃな」
「何をおっしゃいますことやら」
松四郎は先へ立ち、店の土間の横手の戸を開けて石畳の通路へ出た。
この通路は表通りからも入れるようになってい、突当りが主人と家族が住み暮す家になっている。
番頭の松四郎が小兵衛に、
「ちょいと、お先へ……」
ことわっておいて、小走りに中へ入って行った。
小兵衛は、ゆっくりと歩み、松四郎が開け放したままになっている格子戸《こうしど》の内へ踏み入ると、
「これは、これは……」
福原理兵衛が飛び出して来て、
「兄様。ようおこしに……」
なつかしげにいうではないか。
(こりゃ、たしかに風向きが変ってきたわえ)
何よりのことであった。
「理兵衛どの。ずいぶんと無沙汰《ぶさた》を……」
「いえいえ、私のほうこそ。さ、おあがり下さいまし」
養子に入ってからも長い間、両刀を腰に帯びていた癖が態度にも言葉づかいにも残っていた理兵衛だが、七年ぶりに会ってみて、すっかり商家の主人になりきっているのに小兵衛は気づいた。
これまた、何よりのことだ。
此処へ来る途中で駕籠をとめ、本郷一丁目の菓子|舗《みせ》〔椿寿軒《ちんじゅけん》〕で、名物の〔八千代饅頭《やちよまんじゅう》〕を箱に詰めさせたのを出して、
「理兵衛どのは、これ[#「これ」に傍点]が好きだったのう」
「これは……よう、おぼえていて下さいましたなあ」
理兵衛の眼《め》が潤《うる》みかかってきた。
居間へ通された小兵衛へ、福原理兵衛が両手をつき、
「そのせつは、まったくもって、さしでがましいことを申しあげ、汗顔のいたりにございます」
「何の。亡《な》きお貞の弟として、当然のことじゃ」
「では、おゆるしを……」
「ゆるすもゆるさぬもないことじゃ。今日はな、ひょいと、この近くへまいったので寄せてもらった」
「私も、折あらば鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ御挨拶にと存じながら、敷居が高くなってしまいまして……」
「これでよい。これからは遠慮なしにまいられよ。たがいに年をとると、縁者も少なくなるばかりで、何かと、おぬしをおもい出しては、なつかしくなってのう」
「それ[#「それ」に傍点]でございます。まったく、そのとおりなので……」
茶菓のもてなしのみか、理兵衛は、ぜひとも小兵衛と昼餉《ひるげ》を共にしたいというので、番頭の松四郎へあれこれ[#「あれこれ」に傍点]といいつけ、
「奥に、お米《よね》がいますから、秋山先生へ御挨拶を……」
「かしこまりましてございます」
松四郎が奥へ去った。
「兄様。せがれの幸太郎は、いま、加賀様御屋敷へまいっておりましてな。間もなく、もどってまいります」
「ほう。そんなに大きくなられたか」
「はい、はい。さいわい、役に立ってくれまして……」
「嫁ごは?」
「それが、まだなのでございます」
「ただいま、こちらへ……」
もどって来た松四郎が理兵衛へ告げ、店の方へ去った。
しばらくして、理兵衛の妻・お米が居間へあらわれた。
この家つきの女房のほうは、風向きも変らず、顔かたちも変っていなかった。
若いときから高慢な女で、背丈が低く、妙にぼってり[#「ぼってり」に傍点]とした躰つきのお米は、眉《まゆ》・眼・鼻・口が何やら四方へ飛び散っているような顔の造作で、鼻の穴が天井を向いているのも、唇《くちびる》の両端が上へ切れあがっているのもむかしのままだ。
それでも若いときは、さほどに不快ともおもわなかったが、四十も半ばとなったいま、躰をつかわぬ所為《せい》かぶよぶよ[#「ぶよぶよ」に傍点]の肥体となり、顔は青ぐろく浮腫《むく》んでいる。
(この女を寝取って、おもしろいなどとは……よほどの酔狂人でなくてはのう)
と、小兵衛は、あの浪人の言葉を、いまさらながら信じかねるおもいがした。
お米は、小兵衛に高飛車な挨拶をして、さっさと奥へ引きあげてしまった。
福原理兵衛は、目を伏せたままだ。
それを、むしろ小兵衛が取りなすようにして、こころよく昼餉を馳走《ちそう》になってから、
「では、また、いずれな」
「鐘ヶ淵へうかがって、よろしゅうございましょうか?」
「待っていますよ、理兵衛どの」
「かたじけのうございます」
文敬堂を出た秋山小兵衛は、待たせておいた駕籠へ乗ると、四谷の御用聞き・弥七の家へ向った。
四
その翌々日の夜になって……。
四谷《よつや》の弥七《やしち》の手先をつとめている傘《かさ》屋の徳次郎が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。
「おお、徳次郎。さ、あがっておくれ。何か、わかったかえ?」
「へえ。いま、その浪人の居処《いどころ》を突きとめてまいりました」
「そうか。それは御苦労だったな」
「大先生のおっしゃるとおり、昨日から鬼熊《おにくま》酒屋へ張り込んでおりますと、その大男の浪人が今日の暮れ方にやってまいりまして、茶わん酒をたちまちに五、六杯も引っかけましてね」
「ふむ、ふむ……」
「上機嫌《じょうきげん》で引きあげて行きました。文吉さんが、あの浪人だと耳打ちをしてくれたので、すぐに後を尾《つ》けました」
「どこに住んでいた?」
「押上《おしあげ》村の最教寺《さいきょうじ》という寺の裏手の、壊れかかった百姓家に一人で住んでおりますんで」
「ふうん。一人で、な……」
「近所で、すこしばかり聞き込みをしてみましたが、気さくな浪人というので評判もよく、最教寺の和尚《おしょう》なぞも気に入って、米だの何だのをくれてやったりしているらしいのでございますよ」
「ほう……」
「つい先ごろ、最教寺へ二人組の盗人《ぬすっと》が押し入ったとき、ちょうど、和尚のはなし相手をして泊り込んでいた浪人が、たちまちに盗人どもを叩《たた》きのめし、お上《かみ》へ突き出したというので、近所の百姓たちは大よろこびをしています」
「なある……」
「名前は、高砂《たかさご》新六というのだそうでございます」
「よう、やってくれた。だが、たのみついでに、いま少しはたらいてもらおうか」
「何なりと、お申しつけ下さいまし」
小兵衛と打ち合わせ、酒と夜食をもてなされた徳次郎は、またも夜の闇《やみ》の中へ飛び出して行った。
(これは、やはり、金じゃな……)
と、小兵衛はおもった。
高砂新六という浪人は、文敬堂のお米《よね》の遊び相手をつとめることがおもしろいのではなく、お米から金を引き出せるのがおもしろいのにちがいない。
「……当分は、困らぬというものさ」
と、高砂浪人が鬼熊酒屋で洩《も》らした言葉からも、
(そうじゃ。それにちがいない)
それにしても、
(いったい、何処《どこ》で知り合ったものか?)
お米は暇《ひま》にまかせて、諸方へ外出《そとで》することが多い。これは、むかしからのことであった。
ことにいまは、理兵衛《りへえ》との間の一人息子の幸太郎が成人し、家業に精を出しているわけだから、寺社への参詣《さんけい》や物見遊山《ものみゆさん》へ出かけることなど、わけもないことだ。
もとより福原理兵衛は、この妻に頭があがらぬ。
その翌日も、よい天気であった。
傘屋の徳次郎は、昼すぎになっても隠宅へあらわれなかった。
押上村の、高砂浪人の家を見張っているに相違ない。
(いったい、何処で見張っているのか……昨夜は冷え込んだし、風邪でもひかなければよいが……)
小兵衛は朝から炬燵《こたつ》へもぐり込んだままだし、おはる[#「おはる」に傍点]は、
「気晴しに、三冬《みふゆ》さんのところへ行ってきますよう」
と、小舟を大川へ出し、橋場《はしば》の秋山|大治郎《だいじろう》宅へ出かけて行った。
(なさけなや……)
昼餉《ひるげ》は、梅干の入った握り飯のみである。
それを、もそもそと食べ終えたのち、小兵衛は炬燵へ俯《うつぶ》せになり、とろとろと昼寝をした。
目がさめると、日は傾いている。
徳次郎は、まだ、あらわれぬ。
(これはきっと、密通浪人が何処かへ出かけたので、後を尾けているのでもあろうか……?)
たっぷりと金はあたえておいたし、徳次郎が困るようなことはないが、いかに、お上の御用で慣れているとはいえ、ひとりきりでの見張りと尾行は実に心身を痛めるものだと、四谷の弥七から聞いたことがあった。
そのうちに、おはるが舟で帰って来た。
「何をしていなすったの?」
いくらか、おはるの機嫌が直っている。
「昼寝をしていた。ときに、夕餉《ゆうげ》は何だえ?」
「根深汁《ねぶかじる》」
「それだけか?」
「あい」
がっかりした小兵衛が、
「せがれと間ちがえるな」
「うふ、ふふ……」
おはるは笑いながら、台所へ入ってしまう。
「人を莫迦《ばか》にして、けしからぬやつじゃ」
今度は小兵衛の機嫌がわるくなった。
そのうちにも、夕闇がただよってくる。
どうも、
(凝《じっ》としてはいられぬ……)
気分なのだが、さりとて、いまはどうすることもならぬ。
(ともかくも、徳次郎が来るのを待つより仕方がない)
そのとき、堤の道を下って来た駕籠舁《かごか》きが、庭の垣根《かきね》の向うから、
「もし、あの、こちらは、秋山様のお宅でござんすか?」
障子が一枚、開けてあったので、
「おお、そうだよ」
小兵衛がこたえると、
「さようでござんすか。ちょいと、お待ちを……」
堤のほうへ駆けあがって行った。
すると間もなく、その駕籠舁きが、
「旦那《だんな》。やっぱり、此処《ここ》でござんしたよ」
と、客を案内して来るではないか。
縁側まで出た秋山小兵衛が、
「おお、理兵衛どの」
「兄様……」
まさに、義弟の福原理兵衛だ。
理兵衛は駕籠舁きへ、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、
「木母寺《もくぼじ》のあたりで、一杯、のんできておくれ。半刻《はんとき》(一時間)ほど後で迎えをたのみますよ」
「承知いたしやした」
なじみの駕籠屋らしく、駕籠舁きは心得て堤へ駆けあがって行った。
おはるも何事かと台所から出て来て、小廊下から、こちらを見まもっている。
「どうしなすった?」
「それが兄様……」
よろめくように庭へ入って来た福原理兵衛が、障子の紙のような顔色で、
「た、大変なことになりました」
と、いった。
五
理兵衛《りへえ》が語るには……。
今日の昼前に、理兵衛の妻お米《よね》は、長年、奉公をしている奥向きの女中おさわ[#「おさわ」に傍点]を連れ、神田明神《かんだみょうじん》へ参詣《さんけい》におもむいた。
神田明神の境内には、本社のまわりに、祇園《ぎおん》三社、太神宮、猿田彦《さるたひこ》、稲荷《いなり》などの小さな社《やしろ》があって、お米は、かならず、そのすべてに参拝をする。
今日も、本社への参拝を終え、裏手の猿田彦の社の前まで来ると、
「もし、文敬堂の、お内儀さんではございませんか」
声をかけ、近寄って来た男がいる。
四十がらみの、でっぷりとした躰《からだ》つきの町人で、身なりもよかった。
だが、お米にとっては見知らぬ男である。
「………?」
怪訝《けげん》そうに見やると、男は、いかにも柔和な微笑を浮かべ、
「てまえは、吉野屋治助《よしのやじすけ》と申しますが、あなたさまのお耳へ、ちょいと入れておきたいことがございますので」
「何ぞ、間ちがえていなさるのではありませんか」
「いいえ、とんでもございません。お前さまのことでございますから……」
「私の……」
「はい」
どうも、わからぬ。
「お供の女中さんの耳へは入れぬほうがようございます。ちょいと、裏門の茶店まで、お運び願えませぬか?」
言葉づかいもていねいだし、見も知らぬ男から自分に関《かか》わることだといわれて、お米は戸惑ったが、さりとて、警戒心を失ったわけではない。
「それならば、本郷の私のところまでおいで下さい」
「とんでもございません」
「あるじと共々、その、おはなしとやらを聞かせていただきましょう」
「と、とんでもございません」
「いったい、何が、とんでもないのです?」
「何がと申して、あなた……」
すっ[#「すっ」に傍点]と、お米へ身を擦り寄せた〔吉野屋治助〕という男が、
「そんなことをおっしゃって、いいんでございますか。何事も、お金で片がつくことでございますがねえ」
と、ささやいた。
声も眼《め》つきも変っている。
お米も屹《きっ》となり、
「妙なことをいいなさる」
「あなたが若い浪人をくわえ込み、池の端の出合茶屋で、おもしろいことをなすっているのを、こっちはすっかり承知しているのだがね」
「な、な、何ですって……」
お米は、びっくりした。
わが耳を、疑った。
まったく、身におぼえがないことである。
そもそも、お米は、男女のまじわり[#「まじわり」に傍点]などということに興味も関心もない女であり、一人息子の幸太郎が文敬堂を継《つ》ぐ日のことに期待をかけ、こうして寺社へ参詣をするのも、幸太郎と家業の盛運を祈るためであった。
「そのほかにも、まだまだある」
と、治助が凄味《すごみ》をきかせた。
女中のおさわが、たまりかねて、ふたりの間へ割って入り、
「ひ、人をよびますよ」
いうや否《いな》やに、
「引っこんでいやがれ」
治助が、いきなりおさわを殴りつけた。
悲鳴をあげたおさわが、よろめいて倒れた。
「このままじゃあすまねえぜ。わかっているだろうな」
茫然《ぼうぜん》としているお米へ捨て台詞《ぜりふ》を残し、治助という男は、悲鳴をきいて駆け寄って来る参詣の人びとの中をゆっくりと引きあげて行く。
その態度が、あまりにも落ちついているものだから、人びとは治助の暴行に気づかぬほどであった。
お米は立ち竦《すく》んだ。
いまになって恐ろしくなり、声も出ず、おさわを助け起すことも忘れていた。
「兄様。こういうわけなのでございます」
小兵衛の居間へ入って語り終えた福原理兵衛の顔に脂汗《あぶらあせ》が浮いている。
「なるほどのう」
秋山小兵衛は、組んでいた両腕を解き、
「念のために尋《き》いておきたいが……おぬしの女房どのは、その男に強請《ゆすり》をかけられるおぼえはないと……?」
「兄様……」
理兵衛が、うんざり[#「うんざり」に傍点]した顔つきになり、
「おもうてもごらんなさいまし」
と、いった。
おのれの妻が、男と遊び狂うような女かどうか、御存知《ごぞんじ》でしょうと、理兵衛はいいたかったのであろう。
「ふむ、ふむ……」
うなずいた小兵衛が、おもわず、ひきこまれて、
「なれど、相手は金が目当てということになれば、これはまた、別のはなしになろうよ」
「いかに金が目当てとはいえ、お米のような女と……」
いいさして理兵衛が手を振り、
「それは兄様、夢物語にもなりませぬ」
夫に、これだけ、きっぱりと断言されるとは、
(おもえば、お米さんも、あわれな女じゃ)
小兵衛は、苦笑をかみころした。
「それで、このことを、すぐさま、お上《かみ》へ届けられたのか?」
「いえ、それが、あの……」
口ごもった理兵衛が、何故《なぜ》か、目を伏せるようにして、
「あの、お上へ届け出ましては、何かとその、店の名にも傷がつこうかと存じ、先《ま》ずは兄様の御意見をうかがってからと……」
「お米さんは、何と申している?」
「お米は、その、すっかり逆上いたし、すぐにも御奉行所へ届け、その怪しい男を捕まえてもらおうと、かように、いいつのりまして……」
「もっともじゃ」
「なれど、もしも、このことが表へ出ますと……いえ、その、世間というものは口さがないもので、たとえ、お米のような女でも、うわさ[#「うわさ」に傍点]を立てられますと、そのうわさが本物になってしまいます」
「ふうむ……」
一応、理兵衛の不安もうなずける。
出入りをゆるされている加賀家の上屋敷は、本郷の文敬堂のすぐ近くでもあるし、そうしたうわさがきこえれば、出入りをさしとめられかねない、と、福原理兵衛は考えているのであろう。
「その曲者《くせもの》、お米さんに、このままではすまぬ、と、いったのじゃな?」
「そのことなのでございます。なればこそ心配になりまして、兄様に御相談をと存じ、駆けつけてまいりました。長い間、御挨拶《ごあいさつ》にも出ませなんだのに、先日、わざわざ、おこし下すったのをよいことに、かような……かような事まで持ち込みまして、まことに……まことに相すみませぬ」
いいながらも理兵衛は、泪声《なみだごえ》になってきた。
その義弟の姿を、秋山小兵衛は凝《じっ》と見つめている。
(似てきた。いよいよもって、亡《な》きお貞《てい》そっくりの面《おもて》だちになってきたわえ。声までも似ているような……)
福原理兵衛は、それから間もなく、待たせておいた町駕籠《まちかご》へ乗り、本郷へ帰って行った。
そして……。
傘屋の徳次郎があらわれたのは、小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]が夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に向って間もなくのことであった。
「おお、徳次郎か。さ、あがれ。あがって、先ず熱い酒《の》をやっておくれ」
「大《おお》先生。どうやら、その、密通浪人といっしょに鬼熊《おにくま》酒屋にいたという、もう一人の浪人の居処《いどころ》がわかりましてございますよ」
「ほう、そうかえ」
「密通浪人の高砂《たかさご》が、日暮れ前に家を出て、本所《ほんじょ》の松倉町にある唐物屋《とうぶつや》へ行き、そこにいた別の浪人をよび出し、いま、鬼熊酒屋で酒をのんでおりますよ。なるほど、もうひとりのほうは大先生のお言葉どおり、妙に陰気くさい浪人でございます」
「それなら、間ちがいはあるまい」
語り合っているところへ、今度は、四谷《よつや》の弥七《やしち》があらわれた。
手先の徳次郎ひとりでは、
「手が足りまいと存じましてね」
と、弥七はいった。
「よく来てくれた。やはり、手が足りなくなってのう。いまも徳次郎が親分をよんでまいりましょうか、などと申していたところなのじゃ。ま、ここへ来て、のんでおくれ。おはる。酒をたのむよ……さて弥七。実はな……」
六
翌日の四ツ半(午前十一時)ごろ、押上《おしあげ》の最教寺《さいきょうじ》裏にある浪宅から、高砂《たかさご》新六がぶらりと出て来た。
昨日は新六、夕暮れから、例の浪人・田島文五郎をよび出し、鬼熊《おにくま》酒屋で一刻《いっとき》(二時間)ほど酒をのみ、それから何処《どこ》へも寄らず、田島と別れ、おのれの塒《ねぐら》へ帰って寝床へもぐり込み、ぐっすりと眠ったらしい。
今日は池の端の出合茶屋〔佐野屋〕で、文敬堂の内儀と忍び逢《あ》うことになっている。
この前、別れたときに、日時を約束しておいたのだ。
高砂新六が、田島文五郎と知り合ったのは、三月ほど前のことである。
新六は、時折、本所の小梅代地にある松浦|豊後守《ぶんごのかみ》・下屋敷内の中間《ちゅうげん》部屋へ出かける。ここは一日置きに博奕場《ばくちば》になるからだ。
そこで、田島浪人と口をきくようになった。
田島は、同じ本所の松倉町に、小ぎれいな家を構えている唐物商の吉野屋治助《よしのやじすけ》のところへ、
「居候《いそうろう》になっている……」
のだそうな。
その吉野屋というのが、また妙なので、唐物商のくせに店を出しているわけでもなく、品物も見えぬ。高砂新六が田島を訪ねて行くと、年増《としま》の、地味なつくりの吉野屋の女房があらわれ、田島をよんでくれるが、あるじの治助の顔を新六は一度も見たことがない。
唐物屋というのは、舶来の品物を主にあつかうので、
「店を構えていなくとも、口先ひとつで商売をするらしい」
と、田島浪人が新六にいったことがある。
それはさておき……。
昨夜も高砂新六は、鬼熊酒屋で、明日、文敬堂の内儀と佐野屋で逢いびきすることを洩《も》らし、
「これからは、当分、小遣いに不自由をせぬよ、田島さん」
「いったい、どんな女なのだ?」
「肥《ふと》り肉《じし》の女でなあ」
「肥っている……」
「それが、また、いいのだよ、田島さん」
「どんな顔だちをしているのだ?」
「ま、いいではないか。はなすのがもったいないからな」
「勝手にしろ」
「ま、怒りなさるなよ。今夜も、おれの奢《おご》りだ」
「ふうん……」
田島も、しつこくは尋《き》かない。どちらかというと人の善い高砂新六にしてみれば、そうした田島の淡泊なところが、
(つき合いよいのだ)
と、おもいこんでいる。
(それにしても奇縁というやつだ。亀戸《かめいど》天神の境内で、酔いどれのならず[#「ならず」に傍点]者三人に因縁をつけられ、困っているところへおれが飛び込んで三人を追っぱらってやった……それから、あのときは、お礼のしるしというので、門前の玉屋という、あれは一流の料理屋だそうだが、そこの二階で馳走《ちそう》になったのだが……うふ、ふふ……そのとき、うまく呼吸《いき》が合ったのだろうな。つぎの約束をして、今度は不忍池《しのばずのいけ》の茶店で逢い、そのまま、あの出合茶屋へ入った……ふうむ。何とも、うまく行ったものよ。それにしても、女の好き心は恐ろしい。文敬堂というのは江戸でも指折りの店だと、田島さんがいっていたものな。そこの内儀が、あるじや子供の目をかすめて、おれのような素浪人を相手に遊び狂うのだから、いやもう、たまったものではない。
もっとも、これで、おれは女にもてるほうらしい。今度のように甘《うま》い魚を釣《つ》りあげたのは、ま、はじめてだが、これまでにも、割合にもててきたものな。う、ふふ……)
懐《ふとこ》ろ手の指先を出して顎《あご》を撫《な》でつつ、にやりにやりと独り笑いを浮かべ、大川橋《おおかわばし》を西へわたって行く高砂新六の顔を、すれちがう人びとが気味悪そうに見やった。
新六は、傘《かさ》屋の徳次郎が尾行していることに、まったく気づいていない。
このとき、秋山小兵衛は、駒形堂《こまかたどう》裏の、なじみの料理屋〔元長《もとちょう》〕に待機している。
同じころ。
本所・松倉町の唐物屋からは、あるじの吉野屋治助が、女房とは別の、これも年増だが色っぽい女を連れ、これに田島文五郎がつきそい、両国橋の方へ向った。
吉野屋治助は、まぎれもなく、神田明神《かんだみょうじん》の境内で、お米《よね》へ強請《ゆすり》をかけた男であった。
この三人も、四谷《よつや》の弥七《やしち》が後を尾《つ》けていることに気づいていなかった。
「今日こそは、ぐう[#「ぐう」に傍点]の音《ね》も出させねえぜ、田島さん」
と、治助は両国橋をわたりながら、
「高砂新六との濡《ぬ》れ場を押えられたのじゃあ、あの、ふてぶてしい文敬堂の女房も恐れ入って、先《ま》ずは百両。それからもまた……」
いいさして、にんまりとうなずいて見せた。
今日も快晴。風も絶えて暖い。
大川の上を鳶《とび》が一羽、悠々《ゆうゆう》と舞っている。
七
まさに、肥《ふと》っている。
いるが、しかし、同じ肥体でも文敬堂のお米《よね》とは大分にちがう。
先《ま》ず、若い。三十そこそこであろう。
ふっくらと厚い肩の肉置《ししお》きが、そのまま更に盛りあがった真白な双の乳房の間へ、高砂《たかさご》新六の顔が埋め込まれてしまっている。
腹も腰も臀部《でんぶ》も、肥えてはいるが弾力を秘め、江戸の女にはめずらしい雪白《せっぱく》の肌《はだ》が酒の酔いと興奮の血に染まり、薄汗を滲《にじ》ませているさまは、なるほど新六が、
「……まことに、おもしろい。また格別だ」
と、いうだけのことはある。
池の端の出合茶屋・佐野屋の、奥まった一間で、高砂新六と女は蒲団《ふとん》も引き開《はだ》け、あらぬことを口走りつつ、狂態のかぎりをつくしている。
「こ、こうなったら、お内儀。拙者、いかなることがあっても別れませんぞ。よ、よろしいか、よろしいか」
と、新六が、たくましい躰《からだ》を激しく揺動させながら殺し文句をならべれば、女も、また、
「別れませんよう。は、離しませんよう」
双腕《もろうで》を新六の頸《くび》へ巻きつけ、恐ろしいほどのちからで締めつけてくる。
「き、今日は……今日は、お内儀を、うんと苛《いじ》めてやりますぞ。よろしいか……」
「う、うれしい」
「拙者も……」
と、いいさした高砂新六が、はっ[#「はっ」に傍点]と躰のうごきを停《と》めた。
「ああん……高砂さん。どうしなすったのですよう」
女が、焦《じ》れて、
「もし、高砂さん。もし……」
「黙って……」
「え……?」
高砂新六が猛然と身を起し、裸体のまま大刀を掴《つか》み、次の間との境いの襖《ふすま》を引き開けた。
実に素早い身のこなしで、それだけに、次の間へ忍び入って来た男は逃げきれなかった。
「へ、へへ……」
男は腰を浮かしたままの姿勢で、不敵に笑い、
「文敬堂のおかみさん。吉野屋治助《よしのやじすけ》ですよ。お忘れじゃあござんすまい」
新六の向うで、あわてて蒲団を引き寄せた女に声をかけた。
「こいつは、おかみさん。ただではすみませんぜ」
「きさま、何者だ?」
「文敬堂のおかみさんに、尋《き》いてごらんなせえ」
新六が、女に、
「この男、見知っておられるのか?」
身を引いて、吉野屋治助の顔を女が見られるようにした。
女は、蒲団を眼《め》の下まで引きあげてから身を起し、吉野屋を見た。
女が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振るのと、吉野屋治助が、
「あっ……」
おどろいたのが同時である。
吉野屋は連れの女と共に、出合茶屋の客として中へ入り込み、女を座敷へ残し、高砂新六が入った奥座敷へ忍び込んだ。
新六と女が狂態を演じているのを、耳でたしかめ、それから腰をあげて、境いの襖の透き間から中をのぞき込もうとした瞬間に、新六が飛び出して来たのだ。
ゆえに、このときまで吉野屋は、新六に抱かれている女を見てはいなかった。
それで、おどろいた。
眼から上だけの女の顔だが、あきらかに、文敬堂の内儀とはちがう。神田明神で強請《ゆすり》にかけたときは、本郷の文敬堂を見張っていて、お米が出て来るのを尾行したのだから、間ちがいはなかった。
「いけねえ、間ちがえた……」
おもわず、吉野屋治助がいった。
「何だと、きさま……」
高砂新六は全裸を隠そうともせず、吉野屋をつかまえようとした。
転瞬、吉野屋が身をひねり、懐《ふとこ》ろから引き抜いた短刀《あいくち》を揮《ふる》った早わざも相当なもので、
「ああっ……」
新六は、丸出しの腹のあたりを切り払われてしまった。
血がしぶいた。
女が悲鳴をあげた。
廊下へ飛び出した吉野屋治助は、自分が連れ込んだ女のいる座敷へ走り込み、
「庭から逃げろ!!」
叫びざま、女と共に庭へ躍り出た。
「どうした?」
植え込みの蔭《かげ》に隠れていた田島文五郎へ、吉野屋が、
「田島さん。とんでもねえことをしてくれたな」
「何……?」
「人ちげえだ。文敬堂の女房じゃねえ」
「そ、そんな……」
「逃げろ、早く」
三人が垣根《かきね》を飛び越えて逃げ去ろうとしたとき、
「待て」
その垣根の向うから、秋山小兵衛があらわれた。
傘屋の徳次郎と四谷《よつや》の弥七《やしち》は、出合茶屋の中へ走り込み、高砂新六と女がいる座敷へ駆け向っている。
何が何だかわからぬながらも、危険を感じた田島文五郎が、
「爺《じじ》い、退《の》け!!」
喚《わめ》きざま、垣根ごしに抜き打った一刀を小兵衛へ叩《たた》きつけた。
小さな老人ひとり、脅してやるつもりだったらしいが、とんだ見当ちがいだ。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と、秋山小兵衛の躰が宙に舞いあがったかと見る間に、田島浪人は小兵衛に胸を蹴《け》りつけられ、尻餅《しりもち》をついている。
垣根を飛び越えた小兵衛は、田島にかまわず、垣根を越えようとしている吉野屋治助へ抜き打ちをかけた。
むろん、峰打ちであったが、
「むうん……」
背後から頸の急所を打ち据《す》えられた吉野屋は、くたくた[#「くたくた」に傍点]と倒れ伏し、気を失ってしまった。
吉野屋の連れの女は悲鳴をあげつつ、庭づたいに逃れ去ったが、小兵衛はそれに見向きもせぬ。
「うぬ」
立ちあがった田島文五郎が、大刀を構え直した。
垣根の向うに、不忍池《しのばずのいけ》が午後の日ざしを受け、青く光っていた。
風もないのに、どこからともなく落葉が庭へながれ落ちてくる。
小兵衛は刀をひっさげたまま、平然として、つかつかと田島浪人へ近寄って来た。
たまりかねた田島が夢中で刀を振りまわしたけれど、どうにもならない。
「それ、まいるぞ」
「うわ!……」
田島は、小兵衛の峰打ちを右肩へ受け、のめり倒れた。
出合茶屋の人びとの叫び声や、走りまわる足音を聞きながら秋山小兵衛は、ゆっくりと刀へぬぐい[#「ぬぐい」に傍点]をかけ、鞘《さや》へおさめた。
八
それから五日後に、四谷《よつや》の弥七《やしち》が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪れ、
「大《おお》先生。御安心下さいまし。文敬堂さんへは傷がつきませぬ。御奉行所でも表沙汰《おもてざた》にはしないそうでございますから、妙なうわさも立ちますまいと存じます」
「そうか、それは何よりじゃ。ところで弥七、吉野屋治助《よしのやじすけ》というやつは……?」
「まあ、悪い事なら何でもするというやつでございますよ。諸方の博奕場《ばくちば》へも顔が売れておりますし、お調べによると、何でも盗人《ぬすっと》どもの押し込みの元手《もとで》を出したりなぞしていたようなので」
「おどろいたやつじゃな」
「出合茶屋から逃げた女、これも、やがては捕まりましょうし、吉野屋夫婦と、あの田島文五郎という浪人、こいつらは、強《きつ》いお仕置を受けなくてはなりますまい」
「あの、ちょいとおもしろい高砂《たかさご》新六の傷はどうじゃ?」
「さいわい、いのちだけは取りとめましたが、これも、女と一緒に厳しいお咎《とが》めを受けましょう」
「高砂と遊んでいた女というのは、いったい、何者なのじゃ?」
「それが大先生。江戸橋の和田屋という料理屋の後添えに入った女房で、あるじが五十をこえているものですから、浮気ごころを押えきれず、これまでにも何度か、男出入りがあったようなので……」
「それにしても、文敬堂のお米《よね》の名を騙《かた》ったとはのう」
「いえ、それが、あの女房の実家《さと》が本郷二丁目の小間物屋・山崎屋だというのでございますよ」
「なある。それで文敬堂のことも、よく知っていたのじゃな。これはお米も、とんだ災難だったのう。あは、はは……」
○
その翌年。
そろそろ春の気配が感じられるようになった或《あ》る日。
秋山小兵衛は、元鳥越《もととりごえ》に道場を構える剣客《けんかく》の牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》にさそわれ、目黒の不動尊へ参詣《さんけい》に出かけた。
「久しぶりじゃ。ゆるりと酌《く》みかわそうではないか」
と、今度は小兵衛がさそって、目黒不動裏門前の料理屋〔伊勢虎《いせとら》〕へ入った。
二人が酒をのんでいる座敷の向うに、中庭をはさんで別の座敷が見える。
暖い日和《ひより》だったので、双方の座敷の障子を開け放してあった。
牛堀九万之助が小用に立った後で、何気なく小兵衛が、向うの座敷を見やると、折しも三人連れの客が女中に案内されて入って来た。
夫婦らしい男女と、六つか七つほどの女の子である。
見るともなしに、それを見た秋山小兵衛が、
(あ……)
咄嗟《とっさ》に障子の蔭《かげ》へ身を引き、
(義弟《おとうと》ではないか、あれは……)
そっ[#「そっ」に傍点]と障子を閉め、その透き間から見直すと、まぎれもなく男は文敬堂の福原理兵衛《りへえ》で、連れは町女房ふうの三十がらみの、つつましやかな、化粧の匂《にお》いもなさそうな女なのである。
そして、女の子の顔が理兵衛に生き写しであった。
(ふうむ……)
小兵衛は瞠目《どうもく》した。
これは、どうしたことであろう。
文敬堂夫婦に、女の子はいない。
(なれど、あの女の子は、まさに理兵衛の子に相違ない。理兵衛に……ということは、亡《な》きお貞《てい》にそっくりじゃ)
なるほど去年の、あの事件の折、福原理兵衛がお上《かみ》へ届け出ることに不安をおぼえたのは、こうしたことまで探り出されることをも考えたからにちがいない。
そしてまた、理兵衛が、久しぶりに訪れた小兵衛を愛想よく迎え、もてなしたのも、
(何やら、うなずける……)
おもいがするではないか。
理兵衛は、だれの目にもふれぬようにして、別の女に子を生ませていたのだ。
(あの、お米《よね》を女房にしているのでは、むり[#「むり」に傍点]もない。わしが理兵衛だとしても、同じようなことになるであろう。なれど、これより先、何ぞ、もめごとなどが起きねばよいが……)
小兵衛は、憮然《ぶぜん》となった。
「や、失礼を……」
と、牛堀九万之助が小用からもどってきたとき、秋山小兵衛の顔や態度に、何の変化も見られなかった。
「どうじゃ、牛堀さん。ここの蛤《はまぐり》の吸い物はうまいのう」
「酒と蛤は相性のものですな」
「さよう、さよう」
二人は、また、酒をのみはじめた。
「ときに、大治郎殿のお子は、さぞ、大きくなられましたろうな」
「はい、はい。牛堀さん。そりゃあ、もう、まったくびっくりするほどで……」
「おたのしみでしょう」
「それもそうじゃが、行先、どのような男になるかと、それが心配で……」
いいながらも小兵衛は、中庭の向うの座敷からきこえてくる理兵衛と女と、女の子の、たのしげな笑い声に耳を澄ませた。
浮寝鳥《うきねどり》
〔乞食《こつじき》〕という語を、現代の辞書で見ると、
「食物・金銭をもらい歩いて生活するもの。こじき。ものもらい」
と、ある。
その老人は、たしかに乞食であって、昼前から、浅草の外れの真崎稲荷《まさきいなり》社の鳥居の正面からはなれて大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を背に坐《すわ》り込み、雨や雪が降らぬかぎり日暮れまでうごかず、参詣の人びとや、道行く人びとが、老人の前に置かれた菅笠《すげがさ》の中に銭を入れると、
「…………」
何やら口の中でつぶやき、軽く頭を下げる。
夏の暑い盛りには破《や》れ笠を頭へ乗せていることもあるが、ふだんは皺《しわ》の深い小さな顔を隠そうともしなかった。
皺は深くとも、木の実のような眼《め》や小さな口元が童《わらべ》のごとくあどけなく、白髪《しらが》が微《かす》かに残る坊主《ぼうず》頭や、白い眉《まゆ》までが上品に見え、
「あの爺《じい》さんは、ただの乞食ではないよ」
と、土地《ところ》の人たちはうわさをしているらしい。
いつともなく、この老人が、この場所へ坐るようになったのは、去年の夏ごろからであったろう。
身につけているものも、さほどにむさ[#「むさ」に傍点]苦しくはなく、渋紙のような肌《はだ》も垢《あか》じみてはいない。
しずかに趺坐《ふざ》して、両手を組み、身じろぎもせずに半日をすごし、日暮れになると笠《かさ》の中の銭を掻《か》きあつめ、これを押しいただき、ふところから出した灰色の布袋に入れると、立ちあがって夕闇《ゆうやみ》の中へ消え去る。
名もわからず、また、何処《どこ》へ泊っているかもわからぬ。
真崎稲荷社の近くに住む秋山|大治郎《だいじろう》・三冬《みふゆ》の夫婦も、時折は、この老乞食の笠へ銭を入れるし、秋山|小兵衛《こへえ》も大治郎の家へ立ち寄った折には、わざわざまわり道をして、
「いつも達者で結構じゃ」
声をかけて、銭をあたえることもあった。
そのとき、小兵衛を見返して頭を下げる老乞食の眼つきが、
「何とも可愛《かわゆ》げな……」
と、小兵衛がいったことがある。
近辺の人びとは、
「真崎さまのお薦《こも》さん」
と、よんだりしているが、秋山小兵衛は、
「あの、稲荷坊主に変りはないかえ?」
などと、大治郎に尋ねたりする。
その稲荷坊主の老乞食が惨殺《ざんさつ》死体となって発見されたのは、この年の十一月(現・十二月)三日の朝であった。
一
老乞食の死体は、浅草の山谷堀《さんやぼり》をさかのぼったところの、雑木林の中で発見されたという。
そこからは、日本堤の向うに、江戸随一の不夜城・新吉原《しんよしわら》の廓《くるわ》の灯火を間近にのぞむこともできるが、あたりは一面の田地と雑木林である。
夜|更《ふ》けても尚《なお》、日本堤を行き交う提灯《ちょうちん》のあかりは絶え間もないが、
「堤下《どてした》の道は、日中でも通ってはいけない」
と、土地《ところ》の娘たちはいいふくめられているほどだ。
死体を見つけたのは、山谷堀の船宿〔伊豆清《いずせい》〕の船頭で、この男は、真崎|稲荷《いなり》前に坐《すわ》っていた老乞食を何度か見ている。
そこで、すぐさま、浅草・馬道《うまみち》一丁目に住む御用聞きの清蔵《せいぞう》へ告げた。
清蔵が現場へ駆けつけ、町奉行所の同心も出張って来たが、何分にも老乞食の身元がはっきりとせぬ。
清蔵も丹念に聞き込みをつづけたが、当日も、その前日も老乞食は、真崎稲荷の前に姿をあらわさず、その姿を見かけた者もなかった。
こうなると、現代のように科学捜査がなかった時代ゆえ、たちまちに、迷宮入りとなってしまう。
馬道の清蔵は、女房のお新が〔相鴨《あいがも》・しゃも鍋《なべ》〕を看板に、〔丸屋〕という料理屋を経営しているところから、
「丸屋の親分」
と、よばれ、土地《ところ》の人びとの信頼が厚い。
「畜生め。罪もねえ爺《じい》さんに、何てえ惨《むご》いことをしやがるのだ」
清蔵は憤慨《ふんがい》をしたが、手がかりのつかみようがない。
老乞食が寝泊りする場所も知らず、家族もいないとあっては、どうしようもない。
それに、馬道の清蔵は別の事件の目星がつきかけていたところなので、いつまでも老乞食の殺害に関《かか》わってはいられなかったのであろう。
ところで……。
秋山大治郎が、この事を知ったのは、十一月の二十日であった。
老乞食が殺害された日から半月余を経ている。
大治郎は、このところ、江戸を留守にしていた。
遠州の浜松に住む剣友・浅田|忠蔵《ちゅうぞう》を訪ね、数日を滞留していたのである。
浜松の城下外れに小野派一刀流の道場を構えていた浅田忠蔵が中気にかかり、異変に巻き込まれたいきさつは〔東海道・見付宿《みつけじゅく》〕の一篇にのべておいたが、浅田の旧門弟から、
「どうも、ちかごろの浅田先生は衰弱がひどく、まことに心配でございます」
との便りが来て、浅田を見舞わなくては気がすまなくなり、大治郎は江戸を発《た》った。
たしかに浅田忠蔵は病みおとろえていたけれども、さりとて、いつまでも滞留しているわけにもまいらぬ。田沼屋敷での出稽古《でげいこ》もあるし、二、三の旗本屋敷からたのまれて稽古におもむく身であってみれば、
「あと一日、あと一日……」
と、しきりに引きとめる浅田忠蔵が気の毒であっても、大治郎は江戸へ帰らねばならなかった。
で、帰って来た二十日の夕暮れに、妻の三冬から老乞食が殺害されたことを聞いた。
「うわさによりますと、肩から背中へかけて深ぶかと斬《き》り下げられた上、顔を……あの顔を横ざまに斬り払われて、何とも惨い殺されようであったと申します」
「斬ったのは、侍だな」
「そうとしかおもえませぬ。憎い相手なれど、まことに見事なわざとか……」
「ふうむ……」
「鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父上も、お怒りでございました」
「そうだろうな……で、殺されたのは、いつなのだ?」
「橋場《はしば》あたりの人のうわさが、私の耳へ入りましたのは、四日ほど後でございましたが、殺されたのは、あなたさまが江戸を発たれた日でございます」
「何……」
何故《なぜ》か、大治郎の澄みきった両眼が光りを帯びてきて、
「すると、この月の三日ではないか」
「はい。何ぞ……?」
「私は、その日に、あの老乞食を見かけている」
「なれど、その日は、真崎さまの、いつものところには、姿を見せなかったと申します」
「いや、そうではない。坂本の、小野照明神《おのてるみょうじん》で見かけた」
「まあ……」
これは、三冬も意外であったらしい。
そういえば、出発の当日、旅姿で朝早く家を出た秋山大治郎は、先《ま》ず、根岸《ねぎし》の和泉屋《いずみや》の寮(別荘)へ向ったはずだ。それは三冬も知っている。
三冬の生母の兄にあたり、下谷《したや》の五条天神門前で書物問屋をいとなむ〔和泉屋|吉右衛門《きちえもん》〕の寮には、いまも老僕の嘉助《かすけ》が留守居をしている。
独身《ひとりみ》のころの三冬は和泉屋の寮に住み暮していたので、三冬が大治郎の妻となり、寮を去って以来、嘉助は非常にさびしがっている。
ゆえに三冬も、折があれば、夫の大治郎と我が子の小太郎《こたろう》と共に、寮へ泊りがけで遊びにも行くし、嘉助が大治郎宅へ泊りに来ることもあった。
そこで、
「しばらく、江戸を留守にするので、よいときに泊りがけで遊びに来なさい」
と、わざわざ大治郎が根岸の寮へ立ち寄り、嘉助へつたえたのだ。
大よろこびの嘉助に別れを告げ、大治郎は坂本の通りへ出た。
ようやくに、日が昇りはじめ、せわしげに道を行き交う人びとの足取りに朝の活気がみなぎっている。
大治郎は小野照崎明神社の門前へさしかかって、旅立ちの朝でもあるし、
(久しぶりに参詣《さんけい》を……)
と、おもい立ったのは、当然のなりゆきといってよいだろう。
土地の人びとは、小野|篁《たかむら》の霊を祀《まつ》る、この社《やしろ》を「小野照さま」と呼んでいるが、
「当社の地主《じしゅ》、稲荷明神の使者なりける白狐《びゃっこ》、夜ごとに尾の末照りかがやきて台嶺《たいれい》の松樹《まつ》に映じければ、尾の先照るという意《こころ》にて、小野照崎とは號《なづ》けるなり」
などという、言い伝えがあるそうな。
大治郎は小さな本社の前にぬかずき、拝礼をすませ、引き返すときに、鳥居を潜《くぐ》ってから振り向き、また本社へ頭を下げた。
そのとき、本社の裏手から、件《くだん》の老乞食があらわれたのである。
老乞食は、十五、六の少女と連れ立ってあらわれた。
その取り合わせが、大治郎にも意外といえば意外であった。
少女は、この近くの居酒屋か煮売り屋ではたらいてでもいるような恰好《かっこう》をしており、襷《たすき》をかけている。二人は、裏手の細道から境内へ入って来たらしい。
(ほう。あの稲荷|坊主《ぼうず》にも、こうした知り合いがあったのか……もしやすると、わが子なのではないだろうか?)
鳥居の蔭《かげ》へ身を寄せ、それとなく、大治郎は彼方《かなた》の二人を見まもった。
小野照明神の境内には、柳の木が多い。
その枯れ柳の蔭へ佇《たたず》み、老乞食と小むすめが何やら語り合っている。
小むすめが、老乞食へ二度三度とうなずくのを見てから、秋山大治郎は身を転じ、坂本の通りへ出た。
意外なものを見たとはいえ、老乞食に特別の関心を抱いていたわけではないので、江戸をはなれたときの大治郎は、このことをすっかり忘れてしまっていた。
二
「では、殺された日の朝に、小野照さまで、少女《こむすめ》と会《お》うていたことになりまする」
「いかにも」
「その少女は、身寄りの者でございましょうか?」
「さ、そこまでは……私も格別に気をとられていたわけではないので……」
いいさした秋山大治郎は、しばらく沈黙していた。
あの朝の情景を、おもい浮かべようとしているらしい。
少女の顔は、空覚《うろおぼ》えに脳裡《のうり》へ残っている。
あのとき、もしやして、少女が老乞食の子ではないかとおもったのは、顔だちが何となく似通っていたからであろう。
もっとも、かなり離れたところから見たわけだし、それも長い間のことではなかった。
「いったい、どこの少女なのでございましょう?」
と、三冬。
「わからぬ。いずれにせよ、あの近くにいるにちがいない。うむ、襷《たすき》をかけたままで……申すならば、台所か何かで立ちはたらいているところを呼び出され、あわただしく語り合っていたのではあるまいか」
「はあ……」
「上《かみ》の調べでは、稲荷坊主《いなりぼうず》に身寄りのものも、知人《しりびと》も見つからなかった、と……」
「そのようでございます」
「ふうむ……」
旅装を解くや、眠っていた小太郎を膝《ひざ》へ抱きあげたままの大治郎が、このとき、はじめて笑顔を見せ、
「重くなったな」
「はい」
「育つものよ。二十日の間に、見ちがえるばかりだ」
それから入浴して旅の汗を洗い、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》へ向ったときには、大治郎も三冬も老乞食のことを忘れてしまっていた。
再び、あの日の二人のことが大治郎の胸に浮かんだのは、翌朝、目ざめたときである。
(あのように、手向いもできぬ、おとなしい老いた乞食を殺害した男は何者なのか?)
突然、怒りがこみあげてきた。
三冬から聞いた殺害の手口を看《み》れば、あきらかに犯人は両刀を帯した者にちがいない。
(試し斬《ぎ》り……)
とも考えられる。
乞食のふところを、侍がねらうはずもない。
朝餉《あさげ》をすませた大治郎が、
「父上へ挨拶《あいさつ》をしてまいる」
「はい」
三冬に送られ、丘を下って思川《おもいがわ》の岸辺へ出たとき、われ知らず大治郎は、道を右へとっていた。
浅草・山谷《さんや》町から元吉《もとよし》町をぬけ、老乞食の死体が発見されたあたりを歩みつつ、大治郎は日本堤へ出て、新吉原《しんよしわら》の北面を過ぎ、入谷|田圃《たんぼ》から坂本の通りへ出た。
この通りは、上野山下から千住《せんじゅ》大橋へ通じ、したがって日光・奥州《おうしゅう》両街道の道すじということになるわけで、両側には種々の商家が軒をつらね、飲食の店も多い。
小野照崎明神の境内へ入った大治郎は、参拝を終えたのち、あの日、老乞食と少女が立っていた柳の下へ足を運んでみた。
別に、何ということもない。
(二人は、裏からあらわれた……)
そこで、本社の裏へまわった。
裏手は垣根《かきね》がめぐらしてあるだけで、その向うの細道へ出ると、まわりは寺院ばかりだ。
細道を左へ行くと、坂本四丁目の通りへ出る。
秋山大治郎が細道から坂本の通りへ出た、実に、そのときであった。
坂本三丁目の方から小走りに来た少女が、目の前を右へ通り過ぎて行ったのを見て、
(あ、まさに、あのときの……)
さすがに、大治郎の目の色が変った。
このあたりを歩きまわっているうち、この少女に出合うやも知れぬという淡い期待に抗しきれず、父・小兵衛への挨拶を後まわしにしてしまった大治郎なのだが、これほど早く目的を達することができようとはおもわなかった。
むろん、大治郎は少女の後をつけた。
木綿の絣《かすり》の着物を小さな身につけ、今朝も襷をかけたままの少女は、両腕に風呂敷《ふろしき》包みを抱え、金杉《かなすぎ》下町の東側の煮売り酒屋へ走り込んで行った。
いましも、店に暖簾《のれん》をかけていた五十がらみの亭主らしい男に少女が何かいい、男がうなずいたのを、大治郎は見た。
(この店で、はたらいているのか……)
男が中へ入った後で、暖簾を見ると、
〔居酒・めし三州《さんしゅう》や〕
と、ある。
これから店が開くところなのであろう。
この通りでは、昼夜を通して店を開けている煮売り酒屋や飯屋がいくらもあった。
しばらくの間、大治郎はあたりを歩きまわった後に、三州屋へ入って行った。
早くも、どこかの人足が四人ほど入れ込みへ入ってい、熱い味噌汁《みそしる》で飯を食べている。
大治郎も入れ込みの片隅《かたすみ》へ坐《すわ》り込んだ。
板場の向うから、
「いらっせえ」
と、声をかけてよこしたのは、先刻、暖簾をかけていた男だ。
すると、あの少女が板場から通路へ飛び出して来て、
「何《なん》にします?」
大治郎へ声をかけたではないか。
その顔に、曇りはなかった。
声にも、張りがある。
眼が円《つぶ》らで愛くるしい。
(まさに、あの乞食の眼にそっくり……)
なのである。
「酒を……」
「お酒だけですか?」
「何か、見はからってくれ」
「いま、大根《だいこん》と油揚《あげ》が煮えてますぅ」
「そうか。それでよい」
「へーい」
少女が、板場へ駆け込んで行った。
われにもなく、大治郎の胸が高鳴ってきている。
少女は、老乞食が殺されたことを、
(知っているのだろうか?)
このことであった。
おもいきって、
「おじいさんは達者かね?」
こころみに尋ねようかとも考えた。そのときの少女の反応を見れば、何かがわかるにちがいない。
大治郎は、湯気のあがっている大根と油揚げの煮物で酒をのみながら、それとなく、少女の様子を窺《うかが》った。
少女は、つぎからつぎへ入って来る客の注文を聞いては板場へ走り込み、酒や食べものを運ぶ。
板場の中では、例の五十男のほかに若者がひとり庖丁《ほうちょう》を手にしており、そのうちに、この店の女房らしい小肥《こぶと》りの女が出て来て、少女と共にはたらきはじめた。
少女は、
「おみよ[#「おみよ」に傍点]」
と、よばれていた。
板場の男たちや、女房が少女を呼ぶ声は、たしかに大きかったが、別に叱《しか》りつけているわけでもなく、女房は絶えず、おみよへ笑いかけながらうごいているし、おみよの顔も明るい。
いずれにせよ、このように客がたてこんできては、
(だめだな……)
大治郎は、そうおもって、おみよの、
「ありがとうさーん。また、いらっしゃぁい」
の声を背中に受け、外へ出た。
出たときに、大治郎の心は決まった。
(四谷《よつや》の弥七《やしち》さんへ、このことを告げるか……または、馬道の清蔵という御用聞きへ、この店の少女のことをつたえておかねばなるまい)
老乞食を惨殺《ざんさつ》した犯人は憎むべきやつではあるが、それはさておき、おみよが老乞食の死を知らぬとしたら、このまま放置しておくわけにもまいるまい。
父の小兵衛へ相談してみようかとも思案したが、
(これほどのことに、父をわずらわすこともあるまい)
そこで、大治郎の足は馬道に住む清蔵の家へ向った。
折よく、清蔵は家にいた。
御用聞きは、町奉行所の手先となってはたらくわけだが、奉行所に直属しているわけではない。どこまでも八丁堀《はっちょうぼり》(与力《よりき》・同心)の下部組織として自在の活動をする。
手当といったら年に一分《いちぶ》で、下女の給料のほうが八倍も貰《もら》っている。
その上、自分で手先(密偵《みってい》)を使ったり、探索の費用もかかるというわけで、なればこそ四谷の弥七も馬道の清蔵も、女房に商売をさせているのだ。
もっとも十手《じって》にものをいわせ、蔭《かげ》へまわって悪事をはたらく御用聞きもいないではないが、馬道の清蔵などは、亡父の代から、お上の御用をつとめていて、父親は土地《ところ》の人びとから、
「仏の伊三次《いさじ》」
と、よばれていたほどの、人望厚い御用聞きだったそうな。
丸屋の店とは出入口が別になっている清蔵の家を訪ね、大治郎が名乗るや、
「これはこれは、秋山先生でございますか。お初にお目にかかりますが、お名前はかねがね、うけたまわっております」
と、清蔵がいった。
五十を一つか二つ越えて見える清蔵だが、すらりとした長身がきびきび[#「きびきび」に傍点]とうごく。
「実は……」
と、秋山大治郎が語るにつれ、さすがに馬道の清蔵の顔が引きしまってきた。
「そりゃあ、ほんとうのことでございますか?」
「間ちがいはない。たしかに、あのおみよという小むすめと、小野照明神《おのてるみょうじん》の境内で語り合っていました」
「へーえ……」
「何と、おもわれる?」
「いえ、それがほんとうならば、何とかいたさねばなりません」
「どうなさる?」
「ちょっと、お待ち下さいまし」
清蔵は茶の間から奥へ入って行ったが、間もなく、丸屋の女中らしいのが茶菓を運んで来た。
馬道の清蔵に会って、
(この人ならば……)
と、大治郎は安心をした。
茶をのみ終え、
(これならば、私は帰ってよいだろう)
大治郎が膝《ひざ》を浮かしかけたとき、清蔵が身仕度をしてあらわれ、
「先生。まことに御苦労さまでございますが、その三州屋へお供が願えませんでございましょうか?」
「私も、まいったほうがよいか?」
「そりゃあ、心強うございます」
断る理由はない。大治郎は清蔵に同行することにした。
三
馬道の清蔵と秋山大治郎は、坂本の三州屋の裏手へまわり、先《ま》ず、亭主の亀吉《かめきち》を呼び出し、近くの随徳寺《ずいとくじ》の境内へ連れ込んだ。
「いってえ、何の事なんです、親分。私ぁ、これっぽっちも後暗いまね[#「まね」に傍点]をしたことはありませんぜ」
清蔵がふところから出して見せた十手《じって》と、見おぼえがある大治郎とを交互に見やりながら、亀吉は蒼《あお》ざめていた。
蒼ざめたのは見当のつかぬ不安からだということが、清蔵にも大治郎にも、すぐにわかった。
「いや、お前さんのことではねえのだ」
「では、いってえ何のことなので?」
「お前のところにいる、おみよ[#「おみよ」に傍点]という小むすめのことさ」
「おみよが、どうかしましたか?」
亀吉は何も知らぬらしい。となれば、おみよも、老乞食の死を知っていないことになるであろう。
当時は新聞もテレビもない。人のうわさがひろまるほどの大事件でないかぎり、亀吉とおみよが知らなかったのもふしぎではない。
馬道の清蔵が語るにつれ、三州屋の亀吉の蒼い顔が、今度は火鉢《ひばち》の灰のような色に変ってきた。
「知らなかった……ちっとも、知らなかった……あのお年寄りが、お薦《こも》だったなんて……」
「それも知らなかったのかえ?」
「おもってもみませんでしたよ、親分」
「御亭主……」
と、大治郎が口をはさんだ。
「おみよは、あの年寄りの孫かね?」
「いいえ、子どもですよ。よく似ていましょう」
大治郎と清蔵は、顔を見合わせた。
「ところで、御亭主は、あの二人をどうして知ったのだね?」
「それがお侍さん。ええと、ありゃあ、一昨年の夏ごろでござんしたかねえ。二人して、うち[#「うち」に傍点]へ飯を食いに入って来たのでございますよ」
「ほう……」
夕飯どきの混雑が一句切《ひとくぎ》りついたところだったので、女房のおくま[#「おくま」に傍点]が老人と少女にはなしかけたりした。また、そうせずにはいられなかったようなものが、つつましく食事をする親子の間に醸《かも》し出されていたのであろう。
哀れだというのでも、惨《みじ》めというのでもない。
二人とも、小ざっぱりとした旅姿で、たがいに労《いたわ》りあう様子が微笑《ほほえ》ましく、おみよが老人の口の端《はた》についた御飯粒を除《と》ってやると、老人が、
「ふうん……そんなことをすると、亡《な》くなった、お前の母親をおもい出すわえ」
しみじみといったりした。
老人は、亭主の亀吉へ、
「二十余年ぶりで、江戸へもどってまいりましたよ」
と、いった。
「それじゃあ、これからは江戸でお暮しなさるので?」
「はい、はい」
亀吉が(そんなら一つ、ちから[#「ちから」に傍点]になってやろう)と、おもったのはこのときだ。
女房も、その気になっていた。
亀吉夫婦が、
「そんなら、塒《ねぐら》を見つけてあげましょうかね」
と、いい出た。
すると老人は「かたじけないことで……」と、しばらくの間、何やら考え込んでいるようだったが、
「それならば御好意にあまえて申しますが、この子をしばらくの間、あずかっていただけまいか。いえ、この店ではたらかせてやって下さるまいか。自慢をするわけではないが、きっと、お役に立ちましょう」
「お前さんは、どうなさる?」
「この子のために、もう、ひとはたらきしてみたいとおもいましてのう」
「どんなことを?」
「ま、大したことではないが……」
言い淀《よど》んだが、
「そうしていただけると、まことに、ありがたいのじゃが……」
おみよが傍で、しきりにうなずいている。
老人に、こんなことをいい出されても、さびしそうな様子をするでもないのだ。
「それで、まあ、うち[#「うち」に傍点]へ引き取ることにしたのですがね。いや、もう、はたらくことはたらくこと、躰《からだ》も丈夫なんでしょうが、朝から晩まで、はたらくのがうれしくてたまらないといったような……」
「なるほど」
亀吉夫婦が、おみよを労ったりすると、
「こんな暮しは、極楽です」
と、いったそうな。
「以前は、よっぽど、辛《つら》いおもいをしていたこともあるらしい。一時は、あの、お年寄りのお父《とっ》つぁんから離れて何処《どこ》かへあずけられたことがあったそうです」
しかし夫婦が、くわしい身性《みじょう》を尋ねると、おみよは途端に口を噤《つぐ》む。
老人は二月《ふたつき》か三月《みつき》に一度ほど姿をあらわし、おみよを連れて寺社へ参詣《さんけい》をしたり、何か食べさせたりしているらしかった。
「この月の三日に、老人が見えたろう?」
「ええ、そうなんで、今日は、いそがしいからといって、外で、ちょいとの間、はなし込んでいたらしい」
馬道の清蔵が、
「よくわかった。それでな、年寄りが殺されたことを、しばらくの間お前の胸ひとつにおさめておくことはむずかしいかえ」
「できねえこともねえが、親分。女房には隠しきれませんよ」
「もっともだ」
「親分。これぁ、大変なことだ。おみよが可哀相《かわいそう》じゃあござんせんか」
「そのことよ」
「親分、お侍さん。あの、お年寄りはね、徒《ただ》のお年寄りじゃあござんせんよ」
「と、いうと?」
「私ぁ、にらんでるね。むかしは、歴《れっき》としたお侍だったにちがいない」
それは大治郎も清蔵も、かねがね、真崎稲荷《まさきいなり》前に坐《すわ》っていた老人を見て、そうおもっていたことだ。
「それにしても、あのお年寄りは、何処に寝泊りしていなすったのだろう……?」
三州屋亀吉は、こうつぶやいて、がっくりと肩を落した。
あたりに銀杏《いちょう》落葉が音をたてている。
空が曇ってきはじめたようだ。
四
「今度の事は、手順を誤らねえようにいたしませんとね」
秋山大治郎へ、馬道の清蔵がいった。
二人は、坂本の通りを上野の山下へ向って歩みつつあった。
こうなったら、すべてをおみよ[#「おみよ」に傍点]へ打ちあけ、
(調べをすすめたらよいのではないか……?)
と、大治郎は考えている。
だが、清蔵には御用聞きとしての豊富な体験もあるし、自分が口をさしはさむまでもないと、おもい直した。
新寺町通りを浅草へ出たとき、
「では、此処《ここ》で別れましょう。私は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父のところへ立ち寄って……」
いいさす大治郎へ、
「ま、いいじゃあございませんか。ちょいと、おはなし申しあげたいこともございます」
「いや、すべて、お前さんにおまかせする」
「まあ、そんなことをおっしゃらずに」
と、清蔵が執拗《しつよう》にすすめるものだから仕方もなく、大治郎は馬道の清蔵宅へ伴われて行った。
茶の間へ入るなり、清蔵が女中に、
「松をよんで来てくれ」
といった。
松というのは、丸屋の板場にいる松次郎という若い料理人なのだが、清蔵の手先もつとめている。
すぐに、松次郎が店の方からあらわれると、
「いいか、松。秋山先生とおれを、下谷《したや》の坂本から尾《つ》けて来たやつがいる。その野郎をだれだとおもう。石原の吉兵衛《きちべえ》の手先をしている太助《たすけ》だよ」
「えっ……太助が、どうして親分を?」
「そんなことをはなしている暇はねえ。お前、うまく外へ出て、その辺をうろうろしている太助を見つけたら、野郎が何処へ行くか、後を尾けて突きとめて来い」
「合点《がってん》です」
「お前は顔を知られている。油断のねえようにしろ」
「まかせておいておくんなさい」
松次郎が出て行った。
秋山大治郎は、呆気《あっけ》にとられている。
「先生。ま、こんなわけで、わざわざ、お立ち寄りを願ったのでございますよ」
「すると、三州屋から私たちを?」
「はい」
「では、三州屋も見張られていることになる」
「そのとおりでございます」
手順を誤らぬようにと清蔵がいったのは、
(このことだったのか……)
いまさらながら大治郎は、馬道の清蔵という御用聞きを見直すおもいがした。
「本所《ほんじょ》の石原におります御用聞きの吉兵衛は、私も見知っております。その手先が後を尾けて来たので、すぐにわかりました。わかったが知らぬふり[#「ふり」に傍点]で……うふ、ふふ。これが、むずかしいものでございましてね」
「なるほど」
「ですから秋山先生。もう少し、此処にいて下さいまし」
店のほうから料理が届き、酒も出た。
すると、松次郎がもどって来た。松次郎は人が変ったように垢《あか》じみた顔をしており、洗いざらしの印半天《しるしばんてん》を着ている。
「野郎。まだ見張っておりますぜ」
「そうか。どこにいる?」
「向うの材木置場の蔭《かげ》にいます」
「すると、何だな。おれのことはさておき、秋山先生の行先を突きとめるつもりらしい」
「へい」
「よし」
と、大治郎が、
「私の家を突きとめさせてやろうではないか」
「かまいませんので?」
「かまわぬとも」
「ありがとうございます。それなら松、お前、先まわりをして秋山先生のお宅の近くにいろ」
「ようござんす」
そこで大治郎が、自分の家を松次郎へ教え、松次郎はすぐに店のほうから出て行った。
四半刻《しはんとき》(三十分)ほど後に、大治郎は清蔵宅を出て、我が家へ向った。
すでに、夜に入っている。
清蔵から丸屋の提灯《ちょうちん》を借り、大治郎はゆっくりと歩む。
たしかに、尾行して来る者がいる。
けれども、気配は感じても夜のことだし、顔も姿もわからぬ。
浅草・山谷《さんや》町から、玉姫稲荷《たまひめいなり》の方へ切れ込み、暗い畑道を大治郎は我が家へ向った。
こちらの提灯を目あてにできるから、尾行しやすいにちがいない。
「いま、もどりました」
外の井戸端から大治郎が声をかけると、三冬が台所の戸を開け、
「どうなさいました、鐘ヶ淵へはおいでにならなかったとか……」
「父上がまいられたか?」
「いえ、母上がお見えに」
井戸端で顔を洗い、中へ入った秋山大治郎が、
「三冬。ひょんな[#「ひょんな」に傍点]事になってきたぞ」
と、いった。
大治郎を尾行して来た太助は、しばらく大治郎宅の裏手の竹藪《たけやぶ》に潜んでいたが、
(今日は、これまで)
と、おもったのかして、丘を下って行った。
その後を、松次郎が尾けている。
太助は、大川橋《おおかわばし》(吾妻《あずま》橋)をわたって本所へ入り、自分の親分の、石原の吉兵衛宅へおもむいた。
間もなく、吉兵衛は太助を連れ、外へ出て来た。
物蔭に潜んでいた松次郎が、何処へ行くのかとおもっていると、すぐ近くの溝口丹波守《みぞぐちたんばのかみ》という四千石の大身《たいしん》旗本の屋敷へ入って行った。
溝口丹波守|久親《ひさちか》は書院番|頭《がしら》をつとめ、将軍家の側《そば》近く仕え、羽ぶりもよい。
このような大身旗本の屋敷へ、町奉行所の与力や同心たちも出入りをするのはめずらしくない。
旗本や大名の屋敷では、いざ異変でも起ったときにちから[#「ちから」に傍点]を借りるため、与力や同心へ金品をあたえておくのである。
ゆえに、何か事件でも起ったときは、同心直属の御用聞きも出入りすることもあり得るのだ。
さて……。
溝口屋敷へ入った吉兵衛と太助は、しばらくして、八丁堀《はっちょうぼり》の同心・並河《なみかわ》平七と共に出て来て、吉兵衛宅へ行き、およそ半刻(一時間)ほどしてから、並河同心は町駕籠《まちかご》をよばせて八丁堀の役宅へ帰って行ったらしい。
並河の尾行まではしなかったが、夜も更《ふ》けていたし、
(親分が、くび[#「くび」に傍点]を長くして待っていなさるだろう)
と、松次郎は丸屋へ駆けもどって来た。
「そうか。よくやってくれたな、松。その恰好《かっこう》では冷えきってしまったろう。まあ、ゆっくりとのんで、躰《からだ》をやすめてくれ」
清蔵は、松次郎をねぎらった。
(さて、こいつは大事《おおごと》になってきたぞ)
長火鉢《ながひばち》の前で、清蔵は茶わんの冷酒をなめながら、
(どこから、手をつけていいか……?)
思案にふけった。
ところが翌朝になって、おもいもかけぬことになった。
ほかならぬ石原の吉兵衛から使いの者がやって来て、
「すまねえが、昼どきに、東両国の美濃半《みのはん》まで来てくれねえか。折入って、相談をしたいことがある」
と、吉兵衛の言葉をつたえてきた。
馬道の清蔵は即座に、
「わかったと、吉兵衛さんにいってくれ」
使いの者に、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]までわたして帰した。
この日は、田沼屋敷の稽古日《けいこび》で、秋山大治郎は朝から、神田橋《かんだばし》御門内の田沼屋敷へ出かけている。
その帰途、父・小兵衛の隠宅へ立ち寄ったが、小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]を連れて何処《どこ》かへ行ったらしく、戸締りがしてあったので仕方もなく、我が家へもどり、
「今日は、父上がお見えか?」
「いいえ」
「すっかり、挨拶《あいさつ》が遅れてしまった」
そこで翌日、出かけてみると、おはるはいたが小兵衛は留守だ。
「昨日、深川の八幡《はちまん》さまへ御詣《おまい》りに行ったというのに、また、ふらりと出て行ってしまったんですよう。ほんとうに困ってしまう」
しばらく待ってみたが、帰って来ない。
そこで、おはるが小舟で大治郎を送ってくれ、ついでのことに日暮れ近くまで遊んでいった。
「明朝は早目に出て、鐘ヶ淵へ立ち寄ってから稽古にまいろう」
夕餉《ゆうげ》のときに、大治郎は三冬にいった。
夕餉が終って、しばらくして、
「ごめん下さいまし、馬道の清蔵と申す者でございます」
と、裏手から声がきこえた。
五
「おどろくじゃあございませんか、秋山先生」
と、清蔵が語りはじめた。
昨日、同じ御用聞きの石原の吉兵衛《きちべえ》に招かれ、東両国の料理屋〔美濃半《みのはん》〕で会ったときのことだ。
石原の吉兵衛は、
「悪いことはいわねえ。殺された老いぼれ乞食のことなぞに、くび[#「くび」に傍点]を突っ込まねえがいいぜ」
と、いった。
「どうしてだね?」
「大きな声ではいえねえが、これぁ、お上《かみ》の筋へもきこえていることなのだ」
「いや、石原の。おれは聞いていねえ」
「そうじゃあねえったら……いろいろと、こみ入ったわけがあるのだ。変に糸を手繰ると、おれたちの首が飛びかねねえ」
「ほう」
すると吉兵衛は、ふところから、何と小判で五十両もの大金を出し、これを清蔵の前へ置いて、
「これで、目をつぶってくんねえ」
と、いうではないか。
「それで、どうなすった?」
大治郎が尋《き》くと、清蔵は事もなげに笑って、
「その金をふところへ入れてしまったら、こうして、先生の前へ出て来られるわけがございません」
「ふうむ」
「これぁ先生。根が深《ふこ》うございますよ」
「そのようだな」
馬道の清蔵は、大治郎の妻の三冬が、いまを時めく老中《ろうじゅう》・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の血を分けた女《むすめ》とは知るよしもない。
したがって、石原の吉兵衛も同様である。
「すると……」
いいさした秋山大治郎の両眼《りょうめ》がすわって、
「あの年寄りの乞食と、溝口|丹波守《たんばのかみ》屋敷と、何やら関《かか》わり合いがあるといわれるのか?」
「さようでございます。いえ、そうとしかおもわれませんので……」
「やはり、な……」
「その溝口様御屋敷へ、石原の吉兵衛が出入りをし、吉兵衛の手先の太助が三州屋を見張り、先生と私の後を尾《つ》けて来たとなりますと……」
「吉兵衛という御用聞きは、どのような男なのかね?」
「はい。御用聞きには、二通《ふたとお》りございましてね」
「悪いほうなのだな……」
「と、申しあげるよりほかに、申しようがございません」
「いったい、どうしたことなのか……?」
おぼえず、大治郎は嘆息を洩《も》らした。
「いますこし、時を稼《かせ》いで、溝口様御屋敷の様子を探ってみたいと存じます」
「だが、溝口屋敷には、八丁堀の同心も出入りしているというではないか」
「ですから、面倒でございますがね」
と、馬道の清蔵は大きく息を吸って、
「こうなったら、後へは引けません」
きっぱりといった。
「やるつもりかね」
「はい。ですが、秋山先生に御迷惑をかけたくはございません。この事は今日かぎり忘れて下さいまし」
清蔵は両手をついて、
「それでは、これで」
「帰りなさるか」
「はい。夜分に出まして、おさわがせを」
「いや、それより今夜も後を尾けられてはいなかったろうか……」
「ひとり、尾けてまいりましたよ」
と、清蔵が苦笑をした。
「よし。私が橋場《はしば》まで送って行こう」
「とんでもございません。なあに、一人や二人、どうということもございません」
固辞して、馬道の清蔵が出て行くのを見送った大治郎が、
「気にかかる。そっと見て来よう」
袴《はかま》をつける間とてなかったが、引き返して来て大刀をつかみ、外へ出た。
そのとき……。
外の闇《やみ》の中から、馬道の清蔵の叫び声がきこえた。
「あっ……」
いつの間に、これだけの人数があつまり、潜み隠れていたのであろう。
わらわら[#「わらわら」に傍点]と闇の幕をあらわれた覆面の男たちが刃《やいば》を抜きつれ、襲いかかって来たのだ。
台所口から出た秋山大治郎へ、走り寄って来た曲者《くせもの》の一人が物もいわずに斬《き》りつけてきた。
前へ、大きく飛んで、これを躱《かわ》した大治郎が振り向きざま片膝《かたひざ》をつき、抜き打った。
曲者の二の太刀は、大治郎の頭上の闇を切り裂いたのみで、
「わあっ……」
右脚を切断された曲者が前のめりに倒れるのへは見向きもせず、石井戸の蔭《かげ》から突き出された手槍《てやり》の柄《え》を切り払い、
「三冬。油断するな」
と、大治郎が家の中へ声をかけた。
それから、
「清蔵さん。何処だ?」
声をかけつつ、大治郎は前へ進んだ。
左から斬りつけて来る一人の刀を打ち払いざま、右へ迫った一人の肩口を、
「たあっ!!」
躍りあがるようにして斬り割り、前へ走って、また一人、今度は掬《すく》い斬りに斬って倒した。
夜の闇の中でたちまちに三人、一瞬の間に斬り捨てた大治郎を見て、曲者どもが、ぱっと散った。おどろいたらしい。大治郎が、これほどの剣士とはおもわなかったにちがいない。
「あ、秋山先生……」
喘《あえ》ぎながら、馬道の清蔵が近づいて来た。
「斬られたか?」
「なあに、大丈夫でございます」
そのとき、
「中に女房がいる。やっつけろ!!」
と、喚《わめ》く声がしたので、清蔵が、
「せ、先生。御新造《ごしんぞ》さんが……」
あわてて叫び、家の中へ駆けつけて行こうとする腕をつかみ、
「ここをうごいてはならぬ」
大治郎は息も乱さず、落ちつきはらっている。
「で、でも……」
「大丈夫」
曲者どもは、三冬を襲うことによって大治郎を狼狽《ろうばい》させるつもりだったらしいが、三冬もまた徒《ただ》の人妻ではない。
台所の戸を蹴破《けやぶ》って、曲者の一人が中へ飛び込もうとした瞬間、早くも土間に立ち、藤原信吉《ふじわらのぶよし》一尺五寸六分の脇差《わきざし》を抜きそばめていた三冬が、
「鋭!!」
気合声を発し、走り出るや、身を沈めつつ曲者の顎《あご》を下から切りあげ、飛び退《の》くかと見る間に、大治郎に切断された手槍を捨て、抜刀して石井戸の蔭から台所口へ走り寄って来た曲者が、
「ぬ!!」
打ち込む一刀を下から擦りあげ、その余勢を利用して曲者の顔面を覆面ごと薙《な》ぎはらった。たまったものではない。
この間に大治郎は、台所口へもどりつつ、また一人を、今度は峰打ちで打ち倒した。
台所から灯火が裏手へながれ出し、斬られて、のたうちまわる曲者たちの姿を浮きあがらせた。
「いかぬ、退《ひ》けい!!」
だれかが叫び、曲者どもは傷ついたり斬死《ざんし》したりした味方を打ち捨てたまま、いっせいに刃を引き、逃げて行った。
その数は、五、六人であったろう。
馬道の清蔵は、左肩口に浅い傷を受けていたが、さしたることはない。
「三冬。こやつどもは放《ほう》り捨てておけ。清蔵さんの傷の手当を……」
「はい」
清蔵は茫然《ぼうぜん》と、三冬をながめ、おどろきのあまり、声が出なかった。
大治郎は、最後に峰打ちで気絶させておいた一人の襟《えり》がみをつかみ、道場の中へ引き擦って行き、縄《なわ》をかけた。
それから外へもどって見ると、即死した曲者二人を残し、重傷を負った曲者たちは、必死で逃げて行ったらしい。
死んだ曲者は、二人とも、あきらかに浪人者であったが、大治郎に捕えられた侍は、主人もちの侍であるらしい。
小太郎《こたろう》は、戸棚《とだな》の中ですやすや[#「すやすや」に傍点]と眠っていた。
咄嗟《とっさ》に三冬が小太郎を抱きあげて戸棚に入れ、脇差をつかみ、台所へ走りもどったのであろう。
「さて、これからが大変だな」
返り血がついた顔に笑いを浮かべ、秋山大治郎がそういった。
六
こうなっては大治郎も、
「父上の知恵を借りなくては……」
と、いい出したが、三冬は、それは別として、
「私一存にても、この一事こそは、田沼の父の耳へ入れておかねば気がすみませぬ」
きっぱりと、いった。
それというのも、大治郎が捕えた若い刺客《しかく》は、溝口丹波守《みぞぐちたんばのかみ》の家来であったからだ。
こやつは、捕えられた夜のうちに、道場の柱へ縛りつけられ、馬道の清蔵と大治郎に迫《せ》めたてられて、ついに白状におよんだのである。
四千石の大身《たいしん》旗本の家来が、無頼の浪人たちの中にまじり、大治郎夫婦と、お上の御用をつとめる馬道の清蔵を暗殺しようとした。この一事だけでも、
「打ち捨ててはおけませぬ。天下の御政道にたずさわる父なればこそ尚更《なおさら》に、この事を知っていただかねばなりますまい」
と、三冬はいう。
道理である。
老中・田沼|意次《おきつぐ》にとって、わが〔むすめ聟《むこ》〕の秋山大治郎に関《かか》わる事件だからというのではない。
将軍家|膝元《ひざもと》の江戸市中において、将軍側近の幕臣の家来たちが、このような無法をはたらくというのでは、実に、たまったものではない。
「よし。三冬のいうとおりにしよう」
大治郎の肚《はら》も決まった。
三冬が田沼老中のむすめだと知ったときの、馬道の清蔵の驚愕《きょうがく》がどのようなものだったか、およそ知れよう。
翌朝。
田沼屋敷から飯田粂太郎《いいだくめたろう》が稽古《けいこ》にあらわれ、つづいて、笹野《ささの》新五郎もやって来たので、この二人に、捕えた侍の見張りをさせておき、大治郎は、小太郎を抱いた三冬と清蔵を同行し、田沼屋敷へおもむいた。
捕われた侍を奪い返しに来るにしても、まさか日中というわけにはまいるまいし、たとえ、曲者《くせもの》どもがあらわれても、新五郎と粂太郎がいれば、
(大丈夫……)
と、大治郎はおもっている。
もしも、彼らが押しかけて来たときは、
「かまわぬ。斬《き》れ」
と、命じておいた。
そして、午後になると、馬道の清蔵の案内で、幕府の評定所から人数が出張って来て、件《くだん》の侍を縄付きのまま護送して行った。
大治郎たちが田沼屋敷へ到着したとき、田沼意次は折よく登城していなかったので、すぐさま手配にかかったのである。
これで、事件は秋山大治郎や馬道の清蔵の手からはなれた。
後は、公儀の評定所の裁決にまかせるばかりだ。
評定所は、幕府の最高裁判所といってよい。
大治郎や清蔵は、評定所の調査や裁きの内容を見とどけていたわけではないが、溝口丹波守の家来から奉公人まで、つぎつぎに呼び出され、厳しい調べを受けた。
丹波守|久親《ひさちか》自身は、何分、将軍の側《そば》近く仕える身だけに、取り調べもむずかしかったらしい。
決着がついたのは、この年の暮れも押しつまってからのことで、先《ま》ず、溝口丹波守は御役御免となり、謹慎を命じられた。
そして、田沼家の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》が、密《ひそ》かに大治郎へ洩《も》らしたところによれば、家老格の用人・神谷惣兵衛《かみやそうべえ》以下五名の家来が切腹させられたそうな。
溝口丹波守は、将軍家の信頼も深い人物とあって、この裁判も、丹波守自身へあたえる懲罰を、
「相なるべくは軽く……」
という将軍の内意を、さすがの田沼意次も無視することはできなかったらしい。
「さだめし、秋山先生には御気色が悪かろうと、あるじ主殿頭《とのものかみ》が洩らしておりましてな」
と、生島用人が、
「なれど、溝口丹波守は、二度と御役に召さるることもありますまい。それに、こたびの一件については、御公儀の耳目へ、しか[#「しか」に傍点]と残りまいた」
こういわれては大治郎も、妻の父であり、幕府最高の役職に在る田沼意次の身になって考えねばならなかった。
(だが、それにしても……)
あの老乞食と、四千石の大身・溝口家とは、そもそも、どのような関係があったのだろうか……。
この事を大治郎が尋《たず》ねるや、生島次郎太夫は、
「秋山先生へのみ、申しあげよと、あるじが申しまする」
念を入れた。
「うけたまわった」
と、大治郎。
「このことを耳にいたしたるときは、それがしも、まことにおどろきましてな」
「ほう……」
「あの乞食どのは、溝口丹波守の実の兄にあたります」
「………?」
秋山大治郎も、このときばかりは、あまりの意外さに言葉が出てこなかった。
ややあって、
「では御用人。まことは、いまの溝口家の当主である身と申されますか?」
「そのとおりでござる」
「ふうむ……」
「それがしも、くわしくは耳にしておりませぬが……」
と、生島用人が語りはじめた。
老乞食の名を、
「溝口|一之助《かずのすけ》」
と、いう。
溝口一之助が、溝口家を脱走したのは、
「四十余年前のこと……」
だそうな。
当時は、先代の丹波守|久康《ひさやす》が健在であったし、一之助が、その跡継ぎであることに間ちがいはなかった。
その長男の一之助が、父の手によって、屋敷内に急造された座敷牢《ざしきろう》へ閉じこめられたのは、一にも二にも一之助に非があったからだ。
同じ幕臣の子弟の中で、一之助をさそい出して放蕩《ほうとう》の味をおぼえ込ませた者もいたし、取り巻きの家来たちも少なくなく、
「ついには遊び金がほしいあまりに、伝来の宝物や刀剣を引き出して売りさばいたり、諸方から高利の金を借り受けたりしはじめたそうで……」
と、生島用人は語った。
先代の溝口丹波守は謹直な人物だっただけに、一之助の並外れた遊蕩《ゆうとう》が公儀の耳へ入る前に手を打たねばならぬと決意し、座敷牢を設け、一之助を押しこめたのである。
三月《みつき》後の或《あ》る夜。
一之助は座敷牢を破って、溝口屋敷を脱走した。
脱走を助けたのは、かねて一之助に可愛《かわい》がられていた足軽の田島|治六《じろく》という者だったという。
こうして、溝口一之助は行方知れずとなった。
三年たっても、二人の行方は知れぬ。
五年すぎても、消息がない。
八年目に、溝口丹波守が病歿《びょうぼつ》し、このときにそなえて種々の事前工作もおこなわれたとみえて、すぐさま、次男の伊織《いおり》が跡を継いだ。
これが、いまの溝口丹波守久親である。
「では、その折の非は、どこまでも一之助にあるというわけですな」
「そのとおりでござる。お調べに間ちがいはありませぬし、そのころの溝口一之助の放埒《ほうらつ》の姿を見聞きしている年寄りたちも、まだ生き残っておりましてな」
「なるほど……」
「その一之助が、四十余年ぶりに、江戸へあらわれ、溝口屋敷を訪れたと申します」
「あの、老い果てた乞食姿で……」
「さよう。そして、ほんらいなれば、四千石の当家のあるじになっている身ゆえ、縁切り金を金百両、申し受けたいというたそうでござる」
「縁切り金を……」
「さようでござる」
「あの老人が……?」
「はい」
真崎稲荷《まさきいなり》の鳥居前に、淡々とした乞食姿で、澄みきった眼《め》で空を仰いでいた一之助老人と、いま生島用人が語った放蕩無頼の若者とが、どうしても秋山大治郎の胸の内で一つになってくれない。
大治郎は、深い嘆息を洩らすのみであった。
七
その翌日。
鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪れた大治郎が、父の秋山小兵衛へ、
「御用人殿から、私ひとりの胸におさめておくようにと念を入れられましたが……」
前置きをした上で語り終えると、小兵衛が、
「なに、いささかも、ふしぎではない。そのどちらも溝口|一之助《かずのすけ》にまぎれもないと、わしはおもう」
「さようでしょうか?」
「お前、四十年前の、わしを知っているかえ?」
「まさかに……私は、まだ、生まれていませぬ」
「知ったら、おどろくだろうよ」
「………?」
「四十年の歳月は、なみなみのものではないぞ。世も人も変る、変る。びっくりするほど変ってしまうわえ。なれど、変ったようでいて変らぬところもある。あの稲荷坊主《いなりぼうず》殿の若いころにも、きっと、後のちの、あの姿が潜んでいたにちがいない。ただ、それを他《ほか》の人びとも、また当人も気づかなんだだけのことじゃ」
「それにしても……四十余年もの間、いったい何処《どこ》に?」
「それは、三州屋にいる一之助のむすめに尋《き》いてみることじゃ。ときに、その小むすめには、父親の死を告げたのか?」
「明日あたり、馬道の清蔵さんが告げに行ってくれるそうです」
「何と告げる?」
「名も知れぬ無頼どもに斬《き》り殺されたと……」
「ふむ。ま、そんなところでよかろう。だって、そのとおりじゃもの。死ぬる日も間近くなった老齢の一之助が、金百両をねだりに溝口屋敷へあらわれたのは、たった独り、後へ残してゆかねばならぬ、わがむすめのことをおもうあまりのことであったろうよ」
「百両の金を、溝口家が都合できぬはずもありますまいに」
「そのとおりじゃ。なれど、その百両だけで縁が切れるとはおもわなんだにちがいない。後のち、乞食となり、捨身となった一之助が、どのような難題をもちこむか知れたものではないというので、密《ひそ》かに殺害してしまうことにしたのであろう。いまどきの侍どもの知恵は、そんなものじゃ」
「溝口|丹波守《たんばのかみ》の耳へは、こたびの一件が、いささかも達していなかったそうです」
「うむ。すべてを取りしきった間抜け用人と家来どもが腹を切らされたのも、それゆえにこそであろう」
秋山|父子《おやこ》は、隠宅の庭づたいに、大川《おおかわ》の岸辺に出ていた。
風は絶えていたが、空は灰色に曇り、寒気もきびしい。
「で、乞食の溝口一之助の塒《ねぐら》は?」
「それが父上、いまもってわかりませぬ。わが子のおみよ[#「おみよ」に傍点]にも三州屋夫婦にも、言葉を濁し、ついに告げておかなかったようです」
「そうか……何処に、寝泊りをしていたものやら……」
いいさして、小兵衛は口を噤《つぐ》み、そこへ屈《かが》み込んだ。
それきり、いつまでもいつまでも、小兵衛は沈黙している。
と、枯れ葦《あし》の向うで、何かが微《かす》かにうごいた。
浮寝鳥《うきねどり》が一羽、細い水尾《みお》をひいて、枯れ葦の中から川面《かわも》へすべり出したのである。
秋山小兵衛は、何やら口の中でつぶやいたが、大治郎の耳へはしか[#「しか」に傍点]と届かなかった。
十番斬《じゅうばんぎ》り
一
天明三年(西暦一七八三年)の年が明けて、秋山|小兵衛《こへえ》は六十五歳となった。
おはる[#「おはる」に傍点]と三冬《みふゆ》は、共に二十五歳。
小兵衛の息《そく》・秋山|大治郎《だいじろう》は三十歳。
大治郎の一人息子で、小兵衛の初孫《ういまご》でもある小太郎《こたろう》は数え年の二歳である。
一月十五日の朝。
小兵衛は、おはると共に恒例の小豆粥《あずきがゆ》を食べた。
小豆粥は、邪気を払うといわれ、古来、正月十五日に、
「上之|御祝儀《ごしゅうぎ》、貴賤《きせん》、今朝小豆粥を食す」
と、物の本にある。
この日は、今戸八幡《いまどはちまん》に神楽《かぐら》がおこなわれるし、柳島の法性寺の開帳もあるというわけで、おはるは、
「ねえ、先生。何処《どこ》かへ行きましょうよう」
しきりにねだった。
小兵衛も、その気になったのだが、それよりも、このところ、しばらく手合わせをしていない小川|宗哲《そうてつ》と碁を囲むことばかり考えていたものだから、
「今日は、かんべん[#「かんべん」に傍点]しておくれ。そのかわり、二、三日したら深川へでも遊びに行こうではないか」
などと機嫌《きげん》をとり、昼すぎから本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者・小川宗哲を訪問した。
宗哲先生も、年が明けて七十六歳になる。
ところで、この日。
もしも小兵衛が、おはると共に今戸八幡へ神楽でも見物に出かけたとしたら、当然、村松太九蔵《むらまつたくぞう》という剣客《けんかく》を見ることもなかったろうし、したがって、おもいもかけぬ事件に捲《ま》き込まれることもなかったろう。
秋山小兵衛が小川宗哲宅へ着いたとき、宗哲は一人の患者を診察していた。
医生の案内で、いつものように小兵衛は、宗哲の居間へ通されたが、診療のための部屋は居間のとなりにあり、境いの板戸は開け放したままになっていたので、宗哲と患者の様子は小兵衛の目と耳へ入る。
「小兵衛さん。ちょ[#「ちょ」に傍点]と待って下され」
宗哲は、居間へ入って来た小兵衛に声をかけておいてから、患者の診察をつづけた。
この中年の浪人の患者が、村松太九蔵であった。
双肌《もろはだ》を脱いだ背中を小川宗哲に向けている村松を一目《ひとめ》見たとき、
(これは、ずいぶんと武芸の修行を積んだらしい)
と、小兵衛は看《み》てとった。
いま、宗哲の診察を受けている村松太九蔵の躰《からだ》は、何やら妙に黄ばんだ肌の色をしており、骨が浮き出すほどに窶《やつ》れていたけれども、小兵衛が見れば、若いころの修行の跡は歴然としている。
やがて、村松は肌を入れ、こちらへ向き直った。
顔も、黄ばんでいる。病状は軽くないらしい。
だが、ちらり[#「ちらり」に傍点]と小兵衛を見やった村松の大きな双眸《そうぼう》は童児《こども》のごとく澄み切っており、まったく病気を苦にしていないようにおもえた。
濃い眉《まゆ》と眉の間の少し上のところに、大きな黒子《ほくろ》のある村松太九蔵の顔は、まことに印象的なもので、宗哲の問いにこたえる低い声も落ちつきはらっている。
小川宗哲が診察の結果を村松へ語りはじめたとき、秋山小兵衛は立ちあがって廊下へ出た。
何となく、そこにいるのが浪人に対して、わるいような気がしたからであった。
しばらくして、浪人は診療の部屋から、控えの間へ出て行った。そこで、薬をもらって帰るのであろう。
小兵衛が宗哲の居間へもどると、医生二人へ薬の調合を指図していた小川宗哲が、
「や、お待たせを……」
手を洗って、居間へ入って来た。
「小兵衛さんは、いまの患者を、何とごらんじゃ?」
「余命は長くありますまい」
「そのとおり」
うなずいた宗哲が、
「当人も、よくわかっているようじゃ」
「ほう……」
「このまま、だれの迷惑にもならず、あの世[#「あの世」に傍点]へ旅立つ日を静かに待つ心ぐみでいたらしいが、何やら一念、おもい立ったことがあり、いま少し、生きていたいと申してのう」
「ははあ、その一念とは?」
「そりゃ、わしも知りませぬよ」
「以前より、御存知《ごぞんじ》なので?」
「いや、白金《しろがね》の、ずっと先の戸越《とごえ》村(現・東京都品川区|戸越《とごし》)にある行慶寺《ぎょうけいじ》という寺の和尚《おしょう》が、わしと旧知の間柄《あいだがら》で、その和尚の添え状を持って、今日はじめてやって来たのじゃ」
「なるほど」
「何でも、むかしは剣術のほうでも人に知られた男らしい」
「何という名なので?」
「村松太九蔵というそうな」
「むらまつ、たくぞう……」
このとき、小兵衛は、はじめて浪人の名を聞いたわけだが、この名には、おぼえがあった。
「御存知かの?」
「いささか、耳にはさんだことがござる」
二
それは、もう二十年も前のことだから、秋山小兵衛が四谷《よつや》・仲町《なかまち》に自分の道場を構えていたころで、妻のお貞《てい》も存命であったし、息・大治郎は九つか十。おはる[#「おはる」に傍点]にいたっては四つか五つの幼女にすぎなかった。
当時、芝の三田四丁目に馬庭念流の道場を構えていた村松|忠右衛門《ちゅうえもん》という剣客があって、
「道場は小さいが、なかなかのものだ」
という評判であった。
村松忠右衛門は、名利などに、まったく無関心で、門人の数も少なかったという。
(一度、会ってみたいものだ)
と、小兵衛はおもっていたが、そのうちに、村松忠右衛門が急病にかかって亡《な》くなった。
(残念なことを……)
小兵衛は忠右衛門の剣を見る機会を得なかったことを悔んだが、どうしようもない。
いつしか、村松忠右衛門の名をおもい出すこともなくなったが、二年後の夏に、忠右衛門の息・太九蔵という若者が白金の先の今里村の草原で、四人の剣客を相手に決闘し、四人とも、ただ一人で討ち果し、江戸を立ち退《の》いたことが耳へ入った。
この決闘は、当時の江戸の剣術界でも、かなり評判になったものだ。
村松太九蔵が討ち果した四人の剣客は、麻布《あざぶ》の南日《みなみひ》ヶ窪《くぼ》に一刀流の道場を構えていた内田助五郎・伊太郎《いたろう》兄弟と、その門弟二人であったそうな。
決闘にいたった、くわしい事情はよくわからなかったけれども、どちらかの、
「意趣遺恨あっての事……」
と、聞いた。
父・忠右衛門亡き後、門人たちも通って来なくなった三田の道場に、村松太九蔵は独り住み暮していたらしい。
太九蔵は、決闘後、ただちに江戸を離れ、行方知れずとなった。
(ほう……村松忠右衛門には、そんな、せがれがいたのか……)
それならば、忠右衛門亡き後、三田の道場を訪ねてみるのだったと、またも小兵衛は悔んだ。
(若いのに、四人の剣客を討ったというのだから、せがれの村松太九蔵も、よほどに修行を積んだとみえる)
このことである。
その村松太九蔵が四十前後の中年となって、小川宗哲宅へ重病の身をあらわそうとは、
(おもいもかけぬ……)
ことであった。
村松太九蔵は、宗哲に、
「おもい立ったことがありますので、いま少し、生きていたいのです」
と、いったそうな。
それほどの重い病患を背負った男とは見えぬほど、村松の声には気力がこもってい、みじんも暗鬱《あんうつ》の気配がない。
(いったい、村松は何をおもいたったのか?)
小川宗哲と碁盤をはさんで向き合いながら、秋山小兵衛は村松太九蔵への興味が、にわかに胸の内へわきあがってくるのを、押えきれなかった。
「村松太九蔵殿とやらは、その、戸越村の行慶寺の近くに棲《す》んでおられるのか?」
小兵衛が黒の碁石をつまみ取って、宗哲へ問うた。
「さよう」
「明日も、こちらへ見えますかな?」
「来ても、はじまらぬ」
「え……?」
「この上、診ることもない。死病にかかっているのじゃもの、気の毒な……」
「いけませぬか、やはり……」
「肝ノ臓に、大きな痼《しこり》があり、もはや、手のつくしようがない。それに、心ノ臓が、ひどく弱っていてのう。せめて、あと一月の間、気力がおとろえぬようにと薬をあたえたのでござるよ」
「なるほど」
「いったい、何をおもい立ったものか……」
と、宗哲も気がかりらしく、
「いかに問うても、ただ、しずかに笑うのみで、洩《も》らしてはくれなんだ」
「しずかに、笑うのみ……」
「さよう」
「ふうむ……」
「さあ、小兵衛さん。碁盤へ目をお向けなすったらどうじゃ」
「はい、はい」
この日の碁は、小兵衛の完敗であった。
何番か戦ったが、ついに一番も勝てなかった。
それで小兵衛は、早目に宗哲宅を出て、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ帰って間もなく、四谷の御用聞き・弥七《やしち》が、手先の徳次郎と共に、
「浅草までまいりましたので」
と、小兵衛が好物の、両国の米沢《よねざわ》町の菓子|舗《みせ》〔京桝屋《きょうますや》〕の名菓〔嵯峨落雁《さがらくがん》〕をみやげにして、隠宅へあらわれた。
すぐに帰るという弥七を引きとめ、おはるに酒肴《しゅこう》の仕度をいいつけた秋山小兵衛が、
「弥七、たのみがあるのだが……」
「何なりと、おっしゃって下さいまし」
「お前のおかみさんは料理屋の采配《さいはい》を振っているのでたのむのだが……何ぞ、精のつく食べものがないかえ」
「精がつくと、おっしゃるのは……?」
いいさした弥七が傘徳《かさとく》と顔を見合わせ、くすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出したものだから、
「これ、これ、勘ちがいをするな。わしじゃあない、わしのことじゃあない」
「何もそう、お隠しにならなくとも……」
「冗談じゃあない」
と、小兵衛が憮然《ぶぜん》となった。
「うふ、ふふ……」
「これ、いいかげんにせぬか。怒るぞ」
そこへ、酒を運んであらわれたおはるが、
「先生。何を、怒りなさるのですよう」
と、いったものだから、傘屋の徳次郎がたまりかねて台所の方へ逃げてしまった。
「実はな、弥七。肝ノ臓を病んでいる男に見舞いをしたいのじゃ」
「さようでございましたか……」
「もう、長い命ではないのだが、一時だけでも元気をつけてやりたい」
「それでは、鼈《すっぽん》を鍋《なべ》にして、出汁《だしじる》を運ばせましょう。生血《いきち》もいいのではございませんか」
「む。それはよい。できるか?」
「大丈夫でございます。どちらへ届ければよいので?」
「いや、それは、わしが届ける」
「では、明日の日暮れまでに、徳次郎に届けさせます」
「そうか、たのむ。それなら明後日の朝、見舞いに行けるものな」
「はい」
弥七と徳次郎は、酒飯を馳走《ちそう》になり、五ツ(午後八時)前に鐘ヶ淵の隠宅を出て四谷へ帰って行った。
ちょうど、そのころ……。
荏原《えばら》郡・戸越村にある戸越|八幡宮《はちまんぐう》の近くの、竹藪《たけやぶ》の中の小さな家で、村松太九蔵が寝床から起き出している。
村松は、小川宗哲から薬湯をもらい、約三里の道を帰って来ると、早速に薬湯を煎《せん》じて飲み、いままで寝ていたのだ。
起きあがると、行燈《あんどん》に火を入れ、薬湯の残りを冷えたまま飲みつくし、それから台所へ出て、生卵を二つ打ち割って、これも呑《の》んだ。
それから枕元《まくらもと》の大刀を抜き、凝《じっ》と見つめた。
見つめながら、呼吸をととのえているらしい。
今夜は風が絶えて、寒気もゆるんできたようだ。
しばらくして、村松は大刀を腰に帯し、行燈の火を吹き消してから、外へ出て行った。
村松太九蔵が裏口からもどって来たのは、約|一刻《いっとき》(二時間)後である。
家の中へ入る前に、村松は戸口で屈《かが》み込み、あたりの気配をうかがっていたようだ。
中へ入って戸締りをし、手さぐりで行燈に火を入れた。
村松の呼吸が荒い。
台所で水を飲んでから、寝床へ坐《すわ》り、大刀を抜きはらい、刀身を見つめる。
刀身は、血に曇っていた。
血といえば、村松太九蔵の額から鼻、左|頬《ほお》へかけて、点々と血がついているではないか。
斬《き》られたのではない。返り血であった。
返り血ならば、村松がだれかを斬ったことになる。
村松の両眼《りょうめ》は窪《くぼ》み、目の縁に青黒い隈《くま》が濃く浮き出していた。
刀を鞘《さや》へおさめたとき、村松太九蔵の口もとに微《かす》かな笑みがただよった。
村松は、行燈の火を吹き消し、倒れるように寝床へもぐり込んだ。
三
村松太九蔵が棲《す》む戸越村から南へ半里ほど行くと、荏原《えばら》郡・馬込《まごめ》村(現・大田区馬込)に入る。
「……此所《ここ》は、土地高低|甚《はなはだ》多し。ゆえに、土俗には九十九谷《つづらだに》ありと称す」
と、物の本に記されてあるような地形は、いまも尚《なお》、みてとれる。
いくつもの曲りくねった坂道の両側には樹木が多く、日中でも、あまり人影を見ない。
その馬込にある万福寺という寺の西側の、台地と台地にはさまれた坂道を、この辺りの百姓の娘が歩いている。
村松太九蔵が夜更《よふ》けに帰って来て、血に曇った大刀を枕元《まくらもと》に眠った翌日のことだ。
風も絶えた良い日和《ひより》の午後だというのに、十七、八の百姓娘は野菜を入れた籠《かご》を背負い、小走りになって坂道を下りはじめた。
一年ほど前から、この辺りに十余名の無頼浪人が棲みつき、土地《ところ》の人びとの顰蹙《ひんしゅく》を買っている。
荒れ果てた廃寺へ入り込み、彼らは居ついてしまった。
畑の野菜なども好き勝手に奪って行くし、酒に酔っては百姓家へ押しかけ、女たちへいたずら[#「いたずら」に傍点]をする。
もっとも、彼らは遠くはなれたところで、本格的な悪事をはたらいているらしい。
ときには江戸へ出て行き、強請《ゆすり》を仕掛けたり、
「辻斬《つじぎ》りなども、しているにちがいない」
などと、百姓たちはうわさ[#「うわさ」に傍点]をしている。
江戸市中とちがって、このあたりでは、お上《かみ》の目も光らぬのを、
「よいことに……」
しているのであった。
その無頼浪人の中の一人が、いま、百姓娘が下って来る坂道へさしかかり、
「や……」
素早く、木立の蔭《かげ》へ身を隠した。
坂を下りきった娘へ、こやつが木蔭から飛び出し、娘が悲鳴をあげたのも一瞬のことで、たちまちに、木蔭へ引きずり込まれてしまった。
「やつらに気をつけろ」
と、村の人たちがいうものだから、女たちの一人歩きは、よほど、気をつけなくてはならぬ。
馬込村だけで、もう何人もの女たちが浪人どもの手ごめにあっている。
この娘も、それゆえ、まだ日も高い時刻なのに道を急いでいたのであろう。
浪人の当身を受け、娘は、ぐったりと横たわっている。
浪人は裾《すそ》をからげ、娘の上へ馬乗りになった。
たちまちに、ふっくらと白い娘の太腿《ふともも》が裾を割ってあらわれた。
若い浪人が含み笑いをしながら、せわしく手や足をうごかしはじめた。
そのとき……。
浪人の背後へ音もなく近寄って来た人影が、物もいわずに浪人の襟《えり》がみをつかみ、強く引いた。村松太九蔵である。
「あっ……」
百姓娘の躰《からだ》の上から、浪人は引き離され、
「な、何をする」
叫んだときには腰を蹴《け》りつけられ、尻餅《しりもち》をついている。
「うぬ!!」
飛び起きて、浪人は大刀を抜きはらった。
村松太九蔵も刀の柄《つか》へ手をかけ、
「おのれどもには、もはや、これ[#「これ」に傍点]しかないようだな」
いうや、猛然と抜き打った。
無頼浪人の刀は打ち落され、
「ああっ……」
狼狽《ろうばい》して坂道へ逃げようとする頸《くび》すじの急所を、村松が飛びあがるようにして切り割った。
「うわ……」
去年の落葉が積もっている木立の中へ、浪人はのめり倒れ、うごかなくなった。
村松は刀身をぬぐって鞘《さや》へおさめ、まだ息を吹き返さぬ娘を抱きあげ、木立の奥へ消えた。
村松の腕の中で息を吹き返した百姓娘は、間もなく、台地の向う側の百姓家の前庭へ運び込まれ、飛び出して来た両親の介抱を受けた。
「助けてくれたお人の名前も尋《き》かなかったのかよ」
百姓夫婦にいわれても、娘は泣きじゃくるばかりだ。
父親が、道へ走り出てみたが、すでに、村松太九蔵の姿は見えなかった。
夜が更《ふ》けた。
戸越村の家で、村松が寝床から出て来て、小川宗哲の処方による薬湯を煎《せん》じはじめた。
日が暮れてから冷え込みが強《きつ》くなってきている。
昼間、あの無頼浪人を斬って捨てたときの村松とは別人のようであった。
肩が大きく波打っている。苦しいのであろう。
浪人を斬って、百姓娘を家に送りとどけ、我が家へもどって来ると、村松は寝床へもぐり込み、いままで躰をやすめていたのだ。
熱い薬湯をのみ終えてから、村松は粥《かゆ》を煮はじめた。
冬の夜の、火の気もない二|間《ま》きりの小さな家の中で、村松太九蔵は大刀を抜きはらい、血に曇った刀身を凝視《ぎょうし》する。
「まだ……まだ、死ねぬぞ」
村松の唇《くち》から、つぶやきが洩れた。
「まだだ。まだ、十人あまりもいる……」
刀を鞘におさめ、煮えた白粥へ卵を二つ落し込み、村松は箸《はし》を手にした。
行慶寺の和尚《おしょう》が届けてくれる梅干を二つ三つと食べ、ゆっくりと白粥を口へはこぶのである。
粥を食べ終えてから、しばらくの間、村松太九蔵は何やら沈思しているようだったが、やがて机に向って手紙のようなものを書きはじめた。
そのころ……。
馬込村の西の外れにある廃寺の中で、十一名の無頼浪人が冷酒を酌《く》みかわしながら語り合っている。
そこは、むかしの本堂だったところで、真中に彼らが手づくりにした大きな囲炉裏があり、薪《まき》が燃えさかっていた。
「どうしたのだ、杉本と永井は?」
「江戸へ出かけて、また、白粉《おしろい》の匂《にお》いを嗅《か》いでいるのだろうよ」
「田島も、昼すぎに出て行ったきり、もどらんぞ」
「あいつ、品川へでも出かけたにちがいない」
「好きなやつらだ」
「三人がもどったら、江戸へ行くぞ」
と、いったのは四十がらみの大男の浪人で、これが浪人たちの束ねをしているらしい。名を佐久間重六《さくまじゅうろく》という。
「佐久間さん。江戸で何をする?」
「大仕事だ」
「え……?」
「何をする?」
「押し込む」
「今度は、盗みですか?」
「そうともよ」
「どこへ?」
「麻布《あざぶ》の飯倉《いいぐら》のな、岡山吉左衛門という弓師の家だ」
「なあんだ。弓師か……」
「密《ひそ》かに金貸しもしている。だから、たっぷりとある」
「ほう……」
「そいつはいい」
「手引きする者もいるのだ。まかせておけ」
「また、皆殺しですな、佐久間さん」
「そうしておかぬと、後のち、うるさいからな。馬込村とちがって江戸ともなれば、こっちも油断はできぬわ」
「金は、どれほどあるのですかな?」
「その弓師のところにか。そうだな、手引きをするのは香具師《やし》の為吉《ためきち》という男なのだが、こやつがいうには、まず、五百両は下らぬそうな」
「五百両……」
「こりゃあ、いい」
「たまらぬな」
「どうだ。この金が入ったら、また、上方へでも行ってみるか」
「佐久間さん。それがいい。何といっても、向うのほうがやりやすい」
「女もいいしな」
「まったく、そのとおり」
「京なぞは、役人どもの腰が抜けているしなあ」
「ともかくもだ。これだけの人数がいれば、いまどきの役人どもは手も足も出せぬよ」
「あは、はは……」
「のめ。もっと、のめよ」
「それにしても、あの三人、何処《どこ》で遊び呆《ほう》けているのか……」
「明日には帰って来ようさ」
四
その翌朝。
秋山小兵衛は、前夜から隠宅へ泊った傘《かさ》屋の徳次郎を連れて、戸越《とごえ》村へ向った。
草鞋《わらじ》をはき、笠《かさ》をかぶった徳次郎は、前日、四谷《よつや》の弥七《やしち》のところから運んで来た鼈《すっぽん》の出汁《だしじる》を大きな徳利に入れ、その他の食物と共に籠《かご》へ詰め、これを背負っていた。
浅草へ出た小兵衛は、山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へ立ち寄り、なじみの駕籠|舁《か》き留七《とめしち》・千造《せんぞう》の駕籠へ乗って、
「徳次郎も乗ったがよい。遠慮をするな」
しきりにすすめたが、
「とんでもねえことでございます」
傘徳は、頑《がん》として聞き入れず、徒歩で小兵衛の駕籠へ附きそった。
小兵衛の駕籠が三田から白金台《しろがねだい》町へさしかかったのは、四ツ半(午前十一時)を少しまわっていたろう。
このあたりまで来ると江戸の郊外といってよい。南から西へかけて一面にひろがる田畑と雑木林を見下す高台で、大名・武家の下屋敷と寺院が多い。
通りを南へ下った左手に〔雉子《きじ》の宮《みや》〕とよばれる社《やしろ》があり、別当は宝塔寺《ほうとうじ》という。
その雉子の宮への入口に葭簀《よしず》張りの茶店がある。
小兵衛の一行が、茶店の手前まで来たとき、茶店の中から三十がらみの男が、ふらり[#「ふらり」に傍点]と出て来た。
傘屋の徳次郎が、その男を見た途端に、はっ[#「はっ」に傍点]と笠の中の顔をうつむけ、それでいて足取りは乱さず、男の横合いを擦りぬけ、坂を下る駕籠へ、ぴたりと身を寄せ、
「大《おお》先生に申しあげます」
「どうした?」
「いま、お尋ね者の為吉《ためきち》というやつを見かけましたので」
「ほう」
「香具師《やし》くずれの悪いやつで、盗みや強請《ゆすり》の手引きをするというので町奉行所《おまち》から人相書が出ているのでございます」
「間ちがいないのかえ?」
「以前に一度、私は面《つら》を見ておりますんで」
「気づかれなかったか?」
「大丈夫でございます」
「よし。それでは、荷物をよこすがいい。わしが抱いて行こう」
「申しわけがございません。野郎の行先を突きとめたら、すぐに、大先生の後から戸越村の行慶寺《ぎょうけいじ》へ駆けつけますでございます」
「ま、こっちの事は心配するな。充分にお役をつとめるがよい。手が足りぬときは、手伝ってやるぞ。よいな」
「ありがとう存じます」
坂道を下り切ったところで、振り返って見ると、件《くだん》の男……為吉は、ゆっくりとした足取りで坂を下りつつあった。茶店で酒でものんでいたらしい。
かなり、距離があったので、徳次郎が荷物を小兵衛の駕籠の中へ入れ、しばらく歩いてから左手の木立の中へすっ[#「すっ」に傍点]と姿を消したのを、為吉は気づいていない。
徳次郎は、為吉をやりすごしておいて、尾行するつもりらしい。
「大先生。大したもんでござんすねえ」
と、駕籠の先棒を担《かつ》いでいる留七が、
「徳さんは、ふだん、薄鈍《うすのろ》みてえに見えるが、いざとなると寸分の油断もねえ。いや、大したもんだ。なあ、千造」
「まったくだ。おれも、あんな徳さんを、はじめて見たよ」
小兵衛は駕籠の中で、くすくす[#「くすくす」に傍点]笑っている。
目黒川をわたり、中原街道を西へ行くと、またしても坂になる。
坂をのぼりきったとき、小兵衛が、
「どうじゃ、後から来るかえ?」
二人の駕籠舁きは、足を停《と》めて振り返り、
「いえ、まだ、二人とも見えませんが……」
「よし、よし。さ、先《ま》ず戸越の行慶寺へ行っておくれ」
「へい」
行慶寺は、戸越村の鎮守・戸越|八幡《はちまん》兼帯の寺で、杉並木の参道の西側にあった。
本堂も庫裡《くり》も藁《わら》屋根で、深い木立に囲まれている。
「これは、また、風雅な寺じゃ」
駕籠を下りた秋山小兵衛は、静寂な行慶寺の境内をながめつつ、
「少し、待っていておくれ」
と、駕籠舁きにいった。
行慶寺の道誉和尚《どうよおしょう》は、まだ四十前の、元気のよい人物で、小兵衛については、
「かねがね、小川宗哲先生より、うけたまわっておりました」
と、いう。
同じ剣客《けんかく》として、わざわざ小兵衛が、村松太九蔵の見舞いにあらわれたことを、道誉和尚は、
「かたじけのう存じます」
わが事のように、よろこんでくれた。
和尚の言葉によると、村松が戸越村へあらわれたのは、一昨年の夏であったそうな。
旅姿の村松太九蔵が、一夜の宿りを行慶寺にもとめたのが縁となり、それから、戸越村に居ついてしまったらしい。はじめは行慶寺に滞留していた村松へ小さな家を見つけてやったのも道誉和尚だし、そこで寺子屋を開かせ、村の子供たちへ読み書きを教えさせ、寺からも援助をし、村松の生計をたててやったのも和尚なのである。
「どういうものか、たがいに呼吸《いき》が合いましてな。まあ、黙って酒を酌《く》みかわすだけでもたのしくなる。つまり、酒をのむ呼吸がぴったりと合うたわけで」
「なるほど」
「そうなると、何も、むずかしいことはない。たがいに詮索《せんさく》もいたしませぬし、身の上ばなしをするでもないのに気心が通じ合うという……これが先ず、のみ友達[#「のみ友達」に傍点]のよいところでありましょうなあ」
語りながらも冷酒を小兵衛にすすめ、自分ものむ。小肥《こぶと》りの、いかにも健康そうな和尚である。
つい先ごろまで、村松太九蔵は病苦を隠しており、酒ものんでいたので和尚は、
「それほどに躰《からだ》を壊しているとはおもえませなんだが、十日ほど姿を見せませぬので、こちらから様子を見に出向きましたところ、何と、別人のごとく痩《や》せおとろえ、床に臥《ふせ》っていたので……」
「ほう」
「これはいかぬと存じ、先住のころより近づきになっておりました宗哲先生のところへ、村松さんをさしむけたのでありましてな」
和尚は、村松太九蔵の病状を楽観しているらしい。
というのは、おのれが死病にかかっていることを、村松は和尚に告げなかったことになる。
したがって、死を前に、一念、おもいきわめた事についても、村松は語っていない。
それと知って小兵衛も、小川宗哲から聞いた事や、自分がわきまえている村松太九蔵の過去を、和尚には洩《も》らさぬことにした。
やがて、小坊主《こぼうず》が炊《た》きたての大根飯と豆腐の味噌汁《みそしる》の昼餉《ひるげ》を運んで来た。小兵衛も駕籠舁きたちも、この昼餉を馳走《ちそう》になったが、遠出をしての、めずらしい環境で、こうした物を食べた所為《せい》か、なかなかにうまい。
この間に、別の小坊主が村松の家へ走って行き、様子を見て、もどって来た。
「よく、眠っておられます」
とのことだ。
「では、起さぬほうがよい」
と、和尚が小兵衛に、
「いかがでしょうかな。当寺へ一泊なされては……日暮れには村松さんをよび、三人で夕餉《ゆうげ》を共にいたしましょう」
「かまいませぬか?」
「よろこんで」
いずれにせよ、小兵衛は傘屋の徳次郎を待たねばならぬ。
徳次郎ひとりで、手がまわらぬとなれば、
(わしが、手を貸してやろう)
そのつもりの小兵衛であった。
いつも、四谷の弥七と徳次郎には手助けをたのむばかりなのだから、こうしたときこそ、二人へ、
(義理を果したいものじゃ)
と、小兵衛は心を決めていた。
昼餉を終え、半刻《はんとき》(一時間)ほどすると、徳次郎が行慶寺へ駆け込んで来た。
「徳次郎。どうした?」
「へい。為吉の行先を、突きとめましてございます」
「そうか、何よりじゃ」
こうなると、これまで江戸へ帰さなかった二人の駕籠舁きに、四谷の弥七の許《もと》へ駆けつけてもらわねばならぬ。
(駕籠を帰さずにおいて、よかったわえ)
このことであった。
早速、小兵衛は和尚から筆紙を借り受け、四谷の弥七へ手紙をしたためた。
徳次郎は、大根飯で腹ごしらえをしながら、小兵衛の問いにこたえた。
さいわいに、二人の駕籠舁きは、何度も四谷の弥七宅へ秋山小兵衛を送っているし、弥七や徳次郎とも顔なじみである。
「では、たのむぞ。急いでな」
小兵衛は、たっぷりと、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]を駕籠舁きへわたし、
「お上《かみ》の御用じゃ。駕籠は、此処《ここ》へ置いて行くがよい」
「へい。そういたします」
二人は勇躍し、行慶寺を飛び出して行った。
道誉和尚は、
「捕り物ですか。これは、おもしろくなってきましたな」
好奇の目を輝かせている。
徳次郎は、腹ごしらえをすますと、また、為吉の見張りに出て行った。
香具師くずれの為吉は、あの無頼浪人どもが棲《す》む荒れ果てた寺へ入って行ったきり、出て来ない。
傘屋の徳次郎は、廃寺を見わたせる近くの高処《たかみ》の木立に屈《かが》み込み、辛抱強く見張りをつづけていた。
道誉和尚の口ぞえで、此処からも程近い民家で、行慶寺の若い僧と小坊主が待機することになった。
何かあったときは、この二人へ徳次郎が連絡をすれば、すぐに、行慶寺にいる秋山小兵衛の耳へとどくわけだ。
馬込《まごめ》村の民家の人びとから、廃寺に巣くっている浪人どものうわさを道誉和尚も、小兵衛も聞いた。
「すると、香具師の為吉というやつ、その浪人どもと、何やら悪事をたくらんでいるに相違ない」
と、小兵衛がつぶやいた。
「馬込には、たち[#「たち」に傍点]のよくない浪人たちがいると、うわさを耳にしたことはありますが、これほどにひどいとはおもいませぬでした」
和尚も、おどろいている。
いくら、村から訴え出ても、お上のほうでは面倒くさいのか尻《しり》ごみをしているのか、なかなかに手をつけてくれないらしい。
さて……。
このように手配をととのえているうち、いつしか日暮れ近くなったので、
「もはや、村松太九蔵殿は目ざめたかとおもわれます。いまのうちに、ちょいと見舞いをしてまいります」
秋山小兵衛が、馬込村の民家を出ようとするのへ、
「では、拙僧が御案内を」
と、和尚も立ちあがり、僧と小坊主へ、
「何ぞあったら、急ぎ知らせるのだぞ、よいな。秋山先生とわしは村松さんを見舞《みも》うてから、寺へもどっているゆえ」
いい置いて、小兵衛の先へ立った。
見張りの徳次郎の腹ごしらえは、民家の人が面倒をみてくれるとのことだ。
小兵衛と和尚は、戸越村へ引き返した。
「この家に住み暮しておりましてな」
と、和尚が村松太九蔵の家の前へ小兵衛を案内し、
「村松さん。おいでなさるか……これ、村松さん」
声をかけたが、返事はなかった。
別に、戸締りがしてあるわけでもない。
そこで、縁側の障子を引き開けてみると、寝床は空《から》になってい、村松太九蔵の姿は何処《どこ》にも見えぬ。
「刀もない。してみると、何処かへ外出《そとで》をしたのでありましょうか……」
「秋山先生。これはきっと、寺のほうへ、わしを訪ねて……」
「なるほど」
「寺へまいりましょう」
「はい」
行慶寺は、すぐ近くだ。
寺へもどってみると、村松が訪ねて来た様子もない。
「はて……?」
和尚が、くび[#「くび」に傍点]をひねって、
「江戸の小川宗哲先生のところへ出向いたのやも知れぬ」
つぶやいたとき、馬込村の民家に待機させておいた若い僧が駆け込んで来た。
「和尚さま。何やら、浪人どもが多勢、外へ飛び出して、戸越のほうへ駆けて来るそうでございます」
「何か、起ったのか?」
「私には、ようわかりませぬ。徳次郎さんが、このことを早く知らせるようにと……」
為吉《ためきち》も浪人たちの中へ加わっていたというから、徳次郎は後を追っているにちがいない。
「いったい、どうしたのだ……?」
「何ぞ、騒ぎが起ったらしいのでございます。徳次郎さんにも、よく、わからなんだようで……」
夕闇《ゆうやみ》が濃くなってきた。昼ごろまでは薄日がさしていたのだが、いつの間にか空は暗い灰色の幕に被《おお》われ、白いものが舞い下りてきはじめた。
「出てまいる」
と、秋山小兵衛が藤原国助《ふじわらくにすけ》作二尺三寸余の大刀をつかみ、
「和尚殿は、此処にいて下され」
いい残して外へ出た。
「こちらへおいで下されませ」
若い僧が、小兵衛の先へ立って走り出した。
五
これより先、馬込《まごめ》村の無頼どもの巣窟《そうくつ》から、浪人がひとり、何処かへ出て行った。
こやつは、昨日、村松太九蔵に斬《き》られた浪人が品川の妓楼《ぎろう》へ遊びに出かけたものとおもい、
「ちょいと行って、探して来よう」
こういって、品川へ向ったのだ。
しばらくして、別の一人が、
「おれも行ってみよう」
と、後を追った。
そして、品川への近道の坂道を下って行くと、人が倒れている。
見ると、先に出て行った仲間の浪人ではないか。
「あっ……お、おい。どうしたのだ、山田……」
走り寄って抱き起すと、山田浪人は左の頸《くび》すじから肩口へかけての、おびただしい血に塗《まみ》れながら、
「や、斬《や》られた……」
「だ、だれが斬《や》った?」
「去年の夏の、あの男だ……」
「何だと……」
「み、三島……あいつに、気をつけ……」
いいさして、山田浪人は、がっくりと息絶えた。
三島浪人は茫然《ぼうぜん》となったが、村松太九蔵の名は知らなくとも、顔は知っている。その腕前も知っている。
去年の夏の或《あ》る日の夕暮れに、山田と三島は江戸へ遊びに出かけての帰り途《みち》に、村松の家の裏道で、通りかかった百姓の女房をつかまえ、いたずらをしかけた。
そのとき、裏手へ大盥《おおだらい》を出し、行水をつかっていた村松太九蔵が飛び出して来て、
「こやつ。何をするか!!」
素手で裸体のまま、二人の浪人を相手にして闘い、二人を追いはらったことがあった。
それで二人は村松の顔も住居も知っていたのである。
そのことを仲間の浪人たちへ洩《も》らさなかったのは、ひとえに、二人とも裸の村松に追いはらわれた恥辱を知られたくなかったからだ。
だが、こうなったら打ち捨ててはおけぬ。
三島は、山田の死体を担《かつ》ぎ、巣窟へ取って返した。
「おのれ、怪《け》しからぬことを……」
首領の佐久間《さくま》重六をはじめ、浪人どもは血相を変え、刀をつかんで一斉《いっせい》に立ちあがった。
「三島。その男の住居を知っているのか?」
「知っている」
「よし。案内せい」
「やつめ、相当な腕前だ」
「ばか、何をいう。おれが叩《たた》っ斬ってやる」
彼らが巣窟を走り出て行くのを、傘《かさ》屋の徳次郎が見て、民家に待機していた僧に知らせておき、急ぎ引き返してみると、香具師《やし》の為吉《ためきち》は、ひとり残って、本堂の炉端へ寝そべり、酒をのんでいた。
「この野郎、神妙にしろ」
「あっ、傘徳……」
あわてた為吉は逃げにかかったが、先刻から、したたかに酒をのんでいたものだから手足がおもうようにきかぬ。
たちまちに為吉は、徳次郎の捕縄《とりなわ》にかかってしまった。
徳次郎は、為吉を身動きができぬようにして馬込村の民家の物置きへ押し込めておいてから、戸越村を目ざして走り出した。
一方、山田浪人を斬って捨てた村松太九蔵は、戸越村の住居へもどると荒い呼吸をしずめつつ、薬湯を煎《せん》じはじめた。
「あと、十人か……」
つぶやいて、土間の板敷きに、ぐったりと身を横たえ、目を閉じる。
死病に蝕《むしば》まれた躰《からだ》で、人をひとり斬って倒すのは容易でないらしい。
土間の竈《かまど》の傍の七輪《しちりん》(焜炉《こんろ》)に火を起し、それへ薬湯の土瓶《どびん》が乗せてある。
この土間の北側に裏手への戸口があり、南側が表口ということになる。土間の西側に二つの部屋があり、その南側の八畳に村松の寝床が敷いてあった。
しばらくして村松は身を起し、土間へ下りた。
濃い夕闇《ゆうやみ》が土間へ這《は》い込んできて、足許《あしもと》もさだかではない。
村松太九蔵は七輪から土瓶を取り、湯呑《ゆの》みへ薬湯をいれ、一口のんだ。
のんで、
(や……?)
村松が、はっ[#「はっ」に傍点]となった。
この家にせまる、ただならぬ殺気を感じたのだ。
湯呑みを放《ほう》り捨てた村松は、身をひるがえして八畳の間へ走った。
大小の刀は、寝床の傍に置いてある。これが、村松の油断であったというなら、いえよう。
村松が土間から六畳の部屋へ駆けあがり、寝床のある八畳へ足を踏み込んだ瞬間、その八畳の縁側に面した戸障子が外から打ち破られ、
「たあっ!!」
躍り込んで来た無頼浪人の首領・佐久間重六が、村松の真向《まっこう》から斬りつけてきた。
「あっ……」
辛うじて躱《かわ》した村松を、佐久間浪人が斬り捲《まく》るかたちで追いつめ、やむなく村松は土間から裏手へ逃げようとした。
そこへ、裏の戸を蹴破《けやぶ》った浪人ふたりが飛び込み、
「うぬ!!」
村松太九蔵の左腕を斬りはらった。
さすがの村松も、これを躱しきれぬ。
重病の身でなければ、どうにでもなったろうが、このように押し包まれた上、手には棒切れ一つ持っていなかったのだから、たまったものではない。
腕を切られて尚《なお》、体当りに相手をはね[#「はね」に傍点]退《の》けた、その村松の背中へ佐久間が大刀を打ち込んだ。
「むう……」
村松は、のけぞるようにして土間へ倒れた。
裏道から秋山小兵衛が駆け込んで来たのは、このときである。
裏の石井戸のところに抜刀して待機していた三人の浪人が、
「あっ……」
「何者だ!!」
喚《わめ》くのもかまわず、小兵衛は飛鳥《ひちょう》のごとく土間へ走り込んで来て、いましも、倒れた村松へ止《とど》めを刺そうとした浪人を突き飛ばしざま、腰を沈めたかと見る間に、藤原国助の銘刀、抜く手も見せず、別の浪人の胸から喉《のど》へかけて斬りあげた。
さらに、息をもつかせず、突き飛ばされた浪人の胴を斬りはらった小兵衛を見て、六畳の間にいた佐久間重六が、身をひるがえして縁側から外へ飛び出した。
突然にあらわれた秋山小兵衛の早わざにおどろきはしたが、逃げたのではない。佐久間は外で小兵衛を討ち取るつもりだったのであろう。
「村松殿、しっかりなされよ」
片膝《かたひざ》をつき、小兵衛が声をかけると、
「う、うう……」
村松が呻《うめ》いた。
小兵衛は、村松を引き摺《ず》るようにして、土間の東の壁に造りつけてある戸棚《とだな》の中へ運んだ。この戸棚には何も入っていないし、戸もついていない。
そこへ浪人がひとり、血気にまかせて、今度は表口から躍り込んで来た。
暗がりの中で小兵衛が、すっ[#「すっ」に傍点]と近寄り、事もなげに浪人の頸部《けいぶ》の急所を斬りはねた。
「わあっ……」
悲鳴をあげた、こやつの躰を楯《たて》にして押し出し、もろともに表の戸口から外へ飛び出した小兵衛は、其処《そこ》に待ち構えていた浪人ふたりが、
「あっ……」
「出たぞ!!」
あわてふためく、その間へ割って入るように走りぬけたとき、浪人たちは右と左へ斬って倒されている。
これで、小兵衛が斬り捨てた無頼どもは、早くも五人を数える。
夕闇が、夜の闇に変りつつあったが、人の姿を判別できぬことはない。
雪が激しくなってきはじめ、表口から縁側に沿って廻《まわ》り込んだ小兵衛へ、縁側に刃《やいば》を抜きそばめていた浪人が、
「やあっ!!」
小兵衛の頭上から刀を打ち下した。
腰を落して、その刃風を頭上にながした小兵衛が浪人の脚を斬りはらい、入れちがいに縁側へ躍りあがったとき、よろめいて下へ落ちた浪人の頸から血がほとばしっている。
残る四人の浪人どもが、
「いたぞ!!」
「ぬかるな!!」
走り寄って来るのへ、小兵衛は縁側から跳躍《ちょうやく》して斬り入った。
秋山小兵衛の小さな躰が六尺も宙に飛びあがり、浪人のひとりが頭を蹴りつけられ、別の一人は顎《あご》から喉元を斬り割られ、絶叫をあげた。
小兵衛の両脚が地についたとき、頭を蹴られた浪人が斬り倒され、何が何だかわからぬままに、
「あ、あっ、あっ……」
恐怖の声を発し、佐久間重六と二人きりになってしまった三島浪人が闇の中を泳ぐように逃げかけた。
するり[#「するり」に傍点]と、その側面へまわり込んだ小兵衛が、三島の横腹へ刀を突き入れた。
三島は、泣くような叫び声をあげ、崩れ伏した。
これまで九人の浪人を斬った小兵衛の躰のうごきと太刀さばきは、いささかもむだ[#「むだ」に傍点]がない。相手の一瞬の隙《すき》に乗じ、大半は衣類から露出した急所を切り割っている。これだと動脈を切断するわけだから刀もいたまぬし、深く斬らなくても敵は息絶えてしまうわけだ。
さて……。
いよいよ、佐久間重六が最後のひとりとなった。
しかし、佐久間は逃げようともせず、小兵衛へ立ち向ってきた。
降りしきる雪の中に、およそ二|間《けん》の間合いをへだてて、佐久間と向い合った小兵衛が、
「おのれは、ずいぶんと悪事をはたらいてきたようじゃな」
はじめて、声をかけた。
さすがの小兵衛も、いささか呼吸が荒くなっている。
佐久間は、こたえぬ。
追いつめられ野獣のような両眼《りょうめ》が、ぎらぎらと光っていた。
小兵衛は、だらりと、国助の一刀をひっさげたままだ。
「む!!」
と、佐久間が大上段に刀を振りかぶった。
気力をふりしぼり、渾身《こんしん》のちからをこめた必殺の一刀で小兵衛を殪《たお》すつもりらしい。
このとき、若い僧の知らせで駆けつけて来た道誉|和尚《おしょう》が、たちこめる血の匂《にお》いと浪人どもの死体を見て、おどろきの声をあげた。
それと知って小兵衛が、
「和尚殿……」
大胆にも、裏手の方へ顔を向け、
「村松さんの介抱を……」
大声にいいさしたものだから、佐久間浪人は、
(いまだ!!)
と、おもったにちがいない。
「うおぉっ!!」
凄《すさ》まじい気合声と共に、猛然と、小兵衛めがけて大刀を打ち込んできた。
転瞬、小兵衛が身を捩《よじ》るようにした。
ほとんど、小兵衛の足はうごかなかったのだが、佐久間の一刀は小兵衛の左|頬《ほお》を掠《かす》め、同時に小兵衛が、向き直った佐久間の胸元へ、ぴたりと身を寄せたものである。
胸と胸……と、いっても、大男の佐久間の胸に、小兵衛の頭が密着しているように見えた。
双方とも、これでは刀が揮《ふる》えぬ。
「むう……」
佐久間も、うっかり飛び退けない。
飛び退けば、小兵衛の刀が追いかけてくる。
それは、小兵衛にしても同じなのだ。
二人とも、そのまま、凝《じっ》とうごかぬ。
「秋山先生……いずこにおられますか?」
土間で、和尚の大声がきこえた。
小兵衛と佐久間の躰が、もみ合うように激しくうごいたのは、このときであった。
それも一瞬のことで、小兵衛の躰が、すっ[#「すっ」に傍点]と横にはなれた。
佐久間は追い打ちをかけようともせぬ。
棒立ちになったままだ。
その佐久間の腹に、彼自身の小刀が突き立っているではないか。
佐久間の腰から左手で引き抜いた小刀を、右手《めて》に大刀をひっさげたまま、小兵衛が佐久間の腹へ突き入れたのである。
佐久間重六は目をみはり、
(とても、信じられぬ……)
とでもいいたげな顔つきのまま、声もなく、地ひびきを打って伏し倒れた。
小兵衛が血のりをぬぐった国助の一刀を鞘《さや》へおさめたとき、傘《かさ》屋の徳次郎が息をはずませて駆け込んで来た。
六
夜が更《ふ》けた。
村松太九蔵は、まだ、生きていた。
「せっかくです。秋山先生の、おみやげの鼈汁《すっぽんじる》を、いただきましょうかなあ」
と、村松がいった。
村松の枕元《まくらもと》に、小兵衛も和尚《おしょう》も徳次郎も、駕籠舁《かごか》きの知らせを受けて駆けつけて来た四谷《よつや》の弥七《やしち》もいる。
傷の手当をした戸越《とごえ》村の医者も、つきそっている。
徳次郎は、すぐに鼈汁を温めにかかった。
「和尚……枕の下に……」
「これ、村松さん。口をきいてはいけない。しずかにしていなされ」
「ま、枕の……いや、寝床の下に、和尚へ、書き置きが……」
「何……」
和尚が寝床の下へ手を入れると、村松太九蔵がしたためた遺書が在った。
引き出して、
「これか、村松さん」
「さよう」
「いつ、かようなものを……」
「昨夜、おもいついて……よかった。間に合って……」
ありありと死相が浮いた顔に、村松は苦笑を浮かべたが、
「あ、秋山先生……」
「おお」
「かたじけのうござった。これにて、おもい残すことは、何一つ、ありませぬ」
そこへ、徳次郎が鼈汁を片口へ入れて運んで来た。
なるほど、片口なら口へ入れやすい。
小兵衛が、その片口を受け取り、左手で村松太九蔵の頸《くび》を抱くようにして擡《もた》げ、
「さ、ゆっくりと……」
「は……」
ごくりと、一口のんで、
「うまい……」
ためいきを吐《つ》くように、村松がいった。
さらに一口……。
そして村松は、また、両眼を閉じた。
雪は、まだ降りつづいている。
この家の前庭に並べられた十人の無頼浪人の死体を被《おお》っている筵《むしろ》の上にも薄く雪が積もった。
秋山小兵衛と和尚は、村松の枕元をはなれ、六畳の間へ入って、村松の遺書の封を切った。
その内容は、およそ、つぎのようなものであった。
[#ここから1字下げ]
自分の死病については、よくよくわきまえており、それゆえにこそ、息のあるうちに馬込《まごめ》村に巣くっている悪党どもを一人残らず討ち取ってしまいたかった。あの狼《おおかみ》どもが、あのような悪業へ落ち込むまでには、それぞれの事情もあったろう。
自分が二十年にわたって放浪をつづけてきたのと同様に……。
自分は諸国を経めぐり歩き、あのような浪人どもの悪事を嫌《いや》になるほど見てきたし、これまでに、たまりかねて何人もの無頼どもを斬《き》って捨ててきた。あの連中が一団となってしまうと、どこの役人も滅多に手を出さぬ。一命をかけて彼らに立ち向うだけの気力もない。したがって迷惑をこうむるのは、ちからのない善良な人びとばかりで、こうなっては、いささかの猶予《ゆうよ》もならぬ。
一日一日と犠牲《いけにえ》が増えるばかりだからだ。馬込村の悪党どもについては、半年ほど前から密《ひそ》かに様子を探ってきたが、もはや、打ち捨ててはおけぬので、死ぬる前に討ち取ろうとおもいたったが、このように躰《からだ》が弱ってしまっては一度に片づけるわけにもまいらず、一人、二人と、手間をかけて討つよりほかはない。
それまでは、何としても生きていたいので、薬湯ものみ、医者殿にも診てもらう気になった。
自分は若きころ、狷介《けんかい》な激しい気性で、人びととも解け合えず、亡父の道場を継ぐこともならず、他の道場の者と女ひとりを争い、それがために果し合いをして、相手と、その助太刀の者を斬り、ついには江戸をはなれ、放浪の身となった。
ところが、期せずして行慶寺《ぎょうけいじ》の和尚殿の御世話により、村の子供たちを相手に、これよりは、おだやかに暮すつもりでいたところ、おもうにまかせず、今日の仕儀となってしまった。
悪党どものすべてを討ち取ることが、できるかどうか……それも、わからぬが、剣客《けんかく》くずれの自分のような男がする乱暴事ゆえ和尚殿の顰蹙《ひんしゅく》を買うことは当然。何とぞ、おゆるし下されたい。
今日までの御礼を申しのべ、万一の場合の証拠として、書き置きにいたしおきました。
[#ここで字下げ終わり]
そして最後に、村松は、
「和尚殿、かたじけのうござった。御なさけをかみしめ、心うれしく冥土《めいど》へ旅立ちます」
と、書き終えている。
(そうか……そうだったのか……)
秋山小兵衛は、憮然《ぶぜん》となった。
二十年前、一刀流の内田助五郎以下、四人の剣客を討ち果したのは、
「女ひとりを争って……」
の、事らしい。
それが、どのような女なのか、どのような事情であったのか、それは知らぬが、いまの小兵衛の脳裡《のうり》に浮かんだのは、亡《な》き妻お貞《てい》に想《おも》いをかけた自分と剣友・嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》のことである。
お貞は小兵衛の妻となったが、嶋岡と小兵衛は剣をまじえることもなかった。
だが、お貞を失ったとき、小兵衛を見る嶋岡の両眼《りょうめ》には、まさしく殺気がただよっていたものだ。
〔剣の誓約〕の一篇にのべたごとく、嶋岡礼蔵は六年前に江戸へあらわれて、剣客としての最期《さいご》をとげ、小兵衛は嶋岡の墓を、お貞がねむる今戸《いまど》の本性寺《ほんしょうじ》の墓地へ建ててやった。
「もし……もし、みなさま方……」
そのとき、村松太九蔵の枕元にいた医者が、切迫した声で小兵衛と和尚をよんだ。
顔を見合わせた秋山小兵衛と道誉和尚が、村松の枕元へ近寄ったとき、
「…………」
両眼を閉じたまま、村松太九蔵の口がうごいた。
「何じゃ。何と申された?」
小兵衛が、耳を近づけた。
また、村松の口が微《かす》かにうごき、そのまま静止した。息絶えたのである。
村松太九蔵の歿年《ぼつねん》、四十四歳。
かぶりを振って見せた秋山小兵衛へ、和尚が尋《き》いた。
「何と申しました?」
「わかりませぬ。なれど……」
「なれど?」
「何やら、人の名のようでござった」
「人の名……」
「女の名のように、きこえましたが……」
「ふうむ……」
降り積む雪の気配が、家の中にいてもよくわかった。
村松太九蔵の死顔は、あくまでも清らかであった。
同門の酒
一
それぞれの都合によって日時が変ることはあるが、一応は、毎年の二月(現・三月)十日の夕刻前にあつまり、酒食を共にして語り合うことになっている。
あつまる者は、秋山|小兵衛《こへえ》のほかに三名。いずれも無外流《むがいりゅう》の名手・辻平右衛門《つじへいえもん》に教えを受けた老剣士たちだ。
彼らの恩師・辻平右衛門が麹町《こうじまち》九丁目の道場を閉じ、愛弟子《まなでし》たちへ、
「いずれも、堅固でのう」
この一語を残し、弟子の内からえらんだ嶋岡《しまおか》礼蔵ただ一人を供に飄然《ひょうぜん》と江戸を去った、その当日が二月十日であった。
師の恩を、その月日と共に、
「忘れぬよう」
というので、秋山小兵衛を合わせ、気心の知れた十名の高弟が、
「毎年の、この月、この日に寄り合おう」
と、約束をした。
このうちの六名が病死をしてしまい、一昨年からは四名になってしまった。
一は、秋山小兵衛。
一は、神谷新左衛門《かみやしんざえもん》(六十八歳)といって、六百石の旗本だが、家督を長男にゆずり、気楽な隠居の身だ。
一は、内山|文太《ぶんた》といい、駿河《するが》・田中在の郷士の出で、七十五歳の長命をたもち、ひとりむすめが市《いち》ヶ谷《や》御門外の茶問屋〔井筒屋《いづつや》〕方へ嫁ぎ、後に老いた内山を引き取ったので、これも楽隠居の身である。
残る一人は、矢村孫次郎といい、四人の中では年下の四十三歳。孫次郎の亡父は信州・高遠《たかとお》の浪人だったというが、これこそ生涯《しょうがい》を剣客《けんかく》として生きるつもりらしく、妻もなければ子もない。
今年は、この矢村孫次郎が欠席をした。
めずらしいことだ。いや、かつてないことだ。
(はて……不参ならば、そのよしを前もって、わしのところへ伝えに来るはずだが……)
と、小兵衛は不審におもった。
年に一度の同門の宴は、ここ数年、四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の料理屋〔武蔵屋《むさしや》〕でおこなわれている。
武蔵屋は、御用聞き・弥七《やしち》の女房が経営している料理屋で、さして大きな店がまえではないが、料理人の腕もたしかで、土地《ところ》の評判もよい。
武蔵屋だと、内山が住み暮す井筒屋からも近く、神谷の屋敷も四谷・坂町ゆえ、これも近い。
小兵衛は川向うの鐘《かね》ヶ淵《ふち》だし、矢村孫次郎は、目黒の西感寺《せいかんじ》という寺に寄宿していて、二人とも武蔵屋には遠い。
そこで小兵衛は、同門の宴がすむと、身内同様の弥七の家へ、孫次郎と共に泊ることにしていた。
「妙じゃな、孫次郎にしては……」
「急病でもあってのことかのう」
「さて……?」
はじめは案じ顔だった神谷新左衛門も内山文太も語り合ううちに、そのたのしさと酒に酔い、いつしか、孫次郎のことを忘れてしまったようだ。
「では、また、来年にのう」
「それまで、この世にいるものか、どうか……」
と、いったのは最も年上の内山文太である。
それぞれに迎えの者が来て、神谷と内山は、弥七の女房が心づくしの大きな折詰をみやげに、上機嫌《じょうきげん》で帰って行った。
その後で、秋山小兵衛がひとり、武蔵屋へ残った。
渡り廊下から、弥七夫婦の住居《すまい》のほうへ移り、茶の間で、弥七の女房から茶のもてなしを受けつつ、小兵衛が、
「弥七は、まだかえ?」
「間もなく、もどりますでございます。土地《ところ》の人たちの寄り合いがございまして」
「そうか、弥七も寄り合いかえ」
「武蔵屋の親分」とよばれて、弥七の人望は高い。それゆえ、何かにつけて相談を受けるのであろう。
茶をのみながらも、小兵衛は、
(孫次郎は、どうしたことか……?)
不審のおもいが消えぬ。
孫次郎は、これまでに約束を破ったことが一度もない。欠席したことは二度ほどあるけれども、その都度、小兵衛の許《もと》へことわりをいいに来ている。また、それができぬわけはない。
となると、今日の宴には出席するつもりでいて、突然、何か急変の事あって出られなくなった……そのようにおもわれる。
矢村孫次郎は、小兵衛にとって弟弟子《おとうとでし》ゆえ、何くれとなく面倒を見てきてやったし、孫次郎もまた、かならず三月《みつき》に一度は鐘ヶ淵の隠宅へ、
「秋山さん。お変りもありませぬか」
手みやげを持って、あらわれる。
これほどの男が、年に一度の同門の宴を無断で欠席するはずがないのだ。
(そうじゃ。明日は目黒へ立ち寄ってみよう)
茶をのみ終えたとき、小兵衛のこころは決まった。
翌朝……。
秋山小兵衛は町駕籠《まちかご》をよんでもらい、武蔵屋を出て、目黒へ向った。
御用聞きの弥七も、矢村孫次郎の無断欠席を小兵衛から聞くや、
「そいつは、どうも、おかしゅうございますね」
ためらいもなく、いった。
「やはり、そうおもうか?」
「はい」
弥七は、孫次郎の人柄《ひとがら》をよく知っている。
それだけに、御用聞きとしての勘ばたらきが、層倍にはたらいたのであろう。
「私も、お供をいたします」
弥七は、小兵衛の駕籠へ附きそった。
いつも、朝のうちに一度は武蔵屋へ顔を見せる傘《かさ》屋の徳次郎は、このところ風邪をこじらせたとかで、家に引きこもったままだそうな。
この日の小兵衛は、着ながしに羽織をつけ、脇差《わきざし》一つを帯したのみで、竹の杖《つえ》を手にしている。
矢村孫次郎が身を寄せている西感寺は、目黒村の金毘羅大権現《こんびらだいごんげん》の少し先にあった。
このあたりは竹藪《たけやぶ》が多い。
春になると、たくさんの筍《たけのこ》を大きな籠《かご》に詰め、これを背負った孫次郎が小兵衛の隠宅へあらわれるのを常とした。
小兵衛と共に暮すようになってから、めっきりと口が悪くなったおはる[#「おはる」に傍点]が、
「目黒の竹藪に棲《す》んでいる大狸《おおだぬき》が、筍を担《かつ》いで来た」
などという。
なるほど、そういわれてみれば、孫次郎の顔が狸に、
「似ていないこともない」
のである。
剣術に鍛えられた体躯《たいく》は堂々たるものだが、顔貌《がんぼう》に愛敬《あいきょう》があり、西感寺の和尚《おしょう》もいたく孫次郎が気に入り、庫裡《くり》の裏手の物置小屋を改造してくれたので、此処《ここ》に孫次郎は住み暮している。
さて……。
小兵衛と弥七が西感寺へ到着してみると、顔なじみの若い寺僧が、
「あれ、昨日は矢村先生、そちらへうかがっていたのではございませぬか?」
と、いうではないか。
小兵衛と弥七は、一瞬、顔を見合わせた。
「二月十日は、毎年、武蔵屋さんへ……」
いいさす寺僧へ、
「昨日も、そのように申して出かけましたのか?」
「はい。秋山先生に、お目にかかるのがたのしみだと申されまして」
「ふうむ……」
例年、同門の宴の夜は、小兵衛と共に武蔵屋に泊る孫次郎ゆえ、
「昨夜も、武蔵屋さんへお泊りかと存じておりましたが……」
「いつごろ、出て行きましたかな?」
「さよう……今日は、少々早目にと申されまして、昼すぎに出かけられました」
となると、西感寺を出て四谷の武蔵屋へ向う途中で、
(何ぞ、異変でも起ったのか……?)
小兵衛の顔は曇った。
長年にわたり、剣客暮しをつづけてきている矢村孫次郎ゆえ、異変の可能性がさまざまに考えられる。
小兵衛と弥七は念のために、孫次郎の小屋を見せてもらったが、古びた行李《こうり》と葛籠《つづら》が一つずつ、それだけの簡素な部屋には別に変ったこともない。
小兵衛が贈った机の上に、孫次郎が可愛《かわい》がっているという白い猫《ねこ》が寝そべっているのみだ。
「矢村さんの身に、何ぞ起りましたか?」
寺僧の知らせを受けて、和尚が小屋へあらわれ、小兵衛に声をかけた。
小屋の外へ出ると、空に鶴《つる》の群れが渡っている。
今日は、汗ばむほどに暖かった。
二
間もなく、秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》は西感寺を後にした。
四十をこえて尚《なお》、妻も子もなく、気楽気ままな独身《ひとりみ》の剣客だというので、西感寺では、さして心配もしていないらしい。
「何とおもう?」
と、小兵衛が竹藪《たけやぶ》に沿った道を歩みながら、弥七へ尋《き》いた。
「やはり、妙でございますね」
「そうおもうか、お前も……」
「はい」
うなずいた途端に弥七が、
「そうだ……」
「どうした?」
「大《おお》先生。矢村さんは、毎年二月十日に、私のところへお見えなさるとき、かならず女房と子供へ手みやげを持って来て下さいます」
「あ……」
「ほれ、大先生も御存知《ごぞんじ》の、例の饅頭《まんじゅう》を……」
「そうだったのう。いつか、お前に聞いたことがあるわえ」
その饅頭とは、麻布《あざぶ》・本村町の遍照寺《へんしょうじ》という寺の門前にある〔佐野六《さのろく》〕という茶店で売っているものだ。
それ[#「それ」に傍点]と知られた菓子|舗《みせ》で、何々[#「何々」に傍点]と銘打って売る上品な饅頭とはちがい、佐野六の老夫婦が手づくりの、形も不揃《ふぞろい》なものだが、皮にする粉もよく、小豆の餡《あん》もよい。
矢村孫次郎は、酒も汁粉もという両刀づかいだから、饅頭には目がなく、
〔佐野六饅頭〕
みずから名づけて、この茶店へ、よくあらわれるらしい。
「こりゃあ、親分。なかなか結構ですよ」
と、弥七の女房も佐野六饅頭をほめて、
「こうしたものを、うち[#「うち」に傍点]の御客さまにもお出ししたら、よろこびなさるかも知れませんねえ」
洩《も》らしたことがあった。
「佐野六へ行ってみようじゃあございませんか」
「よし」
小兵衛と弥七は大鳥大明神《おおとりだいみょうじん》の横手の道を急ぎ、権之助《ごんのすけ》坂から白金《しろがね》の通りを四丁目まで行き、三鈷《さんこ》坂を下って四ノ橋を麻布側へ渡った。
茶店の佐野六へ入った四谷の弥七は、ふところから十手《じって》を見せ、茶店の老夫婦へ身分をあかしておいて、矢村孫次郎のことを尋ねた。
「はい、はい。たしかに昨日、矢村さんがお見えになりましたよ」
老爺《ろうや》は、矢村の名前まで知っている。
すっかり、顔なじみになっているらしく、
「矢村さんが、あの、何か、お咎《とが》めでも?」
「いや、そうではねえ。別の事から矢村さんに、お目にかかりたいとおもってな」
「それなら、目黒の西感寺というお寺さんに……」
「ああ、行ったよ。だが、昨日は帰っていなさらねえのだ」
「へーえ……」
と、息を引いた老夫婦が顔を見合わせるのへ、
「昨日、矢村さんが見えたとき、何か気づいたことはねえか? どんなことでもいい、聞かせてくれ」
「そういえば、その……」
「何だ?」
弥七が御用聞きだというので、老爺も語る気になったらしい。
「その、昨日は、矢村さんといっしょの人がございましてね」
「どんな人だね?」
「女の人でございますよ。十日ほど前にも、いっしょに見えましたっけが……」
「おんな、だと……」
いいさして弥七は、おもわず、土間の縁台へ腰をかけ、老婆《ろうば》が出した熱い茶をのんでいる小兵衛を見やった。
めずらしいことがあればあるものだ。
女などには、まったく興味をしめさぬように見えた孫次郎が女をともなって、この茶店へあらわれたという。
みやげの饅頭を、孫次郎は二包みにしてもらい、自分も一つ二つ食べてから、縁台に待っていた女へ、
「さ、行こうか」
やさしく声をかけ、出て行ったそうな。
女は、二十五、六に見えた。物堅そうな、質素な町女房の風体で、ほとんど化粧をしていなかったが、浅ぐろい肌《はだ》が凝脂に照ってい、双眸《そうぼう》が黒ぐろとしていて、
「あんな女、矢村さんが相手にしなさるような女じゃあございませんよ」
老婆が眉《まゆ》をひそめ、口をさしはさんだ。
また、弥七は小兵衛を見た。
秋山小兵衛は、先ほどから格別におどろいた様子もなく、茶をのんでいる。
「で、二人は、どっちへ行ったね?」
「へえ、四ノ橋のほうへ」
「すると、来た道を、もどって行ったことになる……」
このとき、老婆が、たまりかねたように、
「あの女は、西光寺《さいこうじ》の裏に住んでいますよ」
と、いい出た。
老爺があわてて、
「これ、婆《ばあ》さん。他人のことに喙《くちばし》を突っこむことはねえ」
「でも、こちらの親分さんは、お上《かみ》の御用で見えなすったのだから、隠し事をしてはいけないよ」
「そのとおりだ。決して悪いようにはしねえ。そこにおいでなさるお年寄りは、矢村さんの古いお知り合いなのだよ」
「へーえ。さようでございましたか……」
秋山小兵衛が、にこやかに笑いかけて、
「だから、何なりと、はなしておくれ」
いつの間にか紙に包んだこころづけ[#「こころづけ」に傍点]を出し、老夫婦へわたすように、目顔で弥七に示した。
茶店の老婆は、四日ほど前に、件《くだん》の女と矢村孫次郎が連れ立って歩いているのを見た。
老婆の親類が白金六丁目で酒屋をしており、そこへ用事があって出かけた帰り途《みち》に、三鈷坂を下って来ると、
「矢村さんと女が、西光寺の横手の道へ入って行くのを見たのでございますよ」
「なるほど」
老婆は興味をそそられ、後を尾《つ》けるというわけでもなしに、二人の後から、その小道へ入って行くと、崖下《がけした》の木立の中へ、二人が消えて行くのが見えた。
(あれまあ、矢村さんも隅《すみ》におけないよ)
尚も近づいて見ると、木立の向うに茅《かや》ぶきの一軒家があった。
「きっと、あの家に、女は住んでいるのですよ」
「さようか。よう、はなしてくれた。かたじけない」
と、小兵衛が軽く頭を下げ、
「弥七」
よびかけて、うなずいて見せた。
「はい」
うなずき返した弥七が、
「心配はいらねえよ」
老夫婦にいい、小兵衛の後から茶店を出た。
「大先生。矢村さんは、その女とできて[#「できて」に傍点]いるのでございましょうかね」
「さあて……」
矢村孫次郎は、大の女ぎらいだと、自分から小兵衛にいったことがある。
なんでも、孫次郎の生母は、
「私と父とを捨てて、突然、姿を晦《くら》ましてしまったのです」
とのことだ。
「そりゃ、いったい、どうして?」
「はずかしいことですが……」
「ふむ?」
「どこかの男と、駆け落ちをしてしまったらしいのです。私が七歳のときでした。後に、私が父の酒の相手をしていたとき、酔った父が、苦笑を浮かべながらはなしてくれました」
「その男とは?」
「父は、はなしませぬでした。また、私も聞こうともおもいませんでした」
「では、そのときより、ずっと、おぬしの父御は独身《ひとりみ》を通されたのか?」
「はい。優しい、よい父でした」
「そうだったのう」
小兵衛も二度ほど、道場へ挨拶《あいさつ》にあらわれた孫次郎の父・矢村|忠左衛門《ちゅうざえもん》を見たことがある。
四十をこえた今日まで、矢村孫次郎が女の肌身を知らなかったというわけではあるまい。
しかし、生母の出奔は七歳の孫次郎の心に強烈な刻印を残した。
孫次郎の、女に対する不信が、このときに芽生えたのであろうか……。
だれが、いかにすすめようとも、孫次郎は妻をもらおうとはせぬ。
いまの孫次郎は、二つの道場の代稽古《だいげいこ》をつとめているし、三ヶ処の旗本屋敷へ稽古に出張をしていて、妻帯できぬことはない。
「よい女《の》を世話しようか。そろそろ、強情の突っ支い棒を外してもよいのではないか、どうじゃ」
冗談ではなく、秋山小兵衛がすすめても、
「とんでもないことです。女は大きらいです。きらいな物は食いませぬ」
と、孫次郎は膠《にべ》もない。
その矢村孫次郎が、町女房らしい女と連れ立って、二度も饅頭を買いに来たばかりでなく、木立の奥の一軒家へ共に姿を消したらしいという。
「これは、まさしく妙じゃな、弥七」
「さようで……」
四ノ橋をわたりつつ、小兵衛が、
「孫次郎め。饅頭の餡の好みが変ったのかのう」
真顔で呟《つぶや》くのを聞いた四谷の弥七が、おもわず吹き出した。
三
目ざすところへ着く前に、二、三の事を、小兵衛と弥七《やしち》は打ち合わせた。
四ノ橋をわたったところに〔笹岡屋《ささおかや》〕という蕎麦《そば》屋があったので、ちょうど時分どきゆえ、二人は中へ入り、蕎麦で腹ごしらえをした。
「大先生は、ちょいと、此処《ここ》でお待ち下さいまし」
「どうする?」
「ともかくも、一探り、探ってからにしたほうがいいとおもいます」
「なるほど」
弥七が出て行くと、小兵衛は酒を注文した。
その酒をのみ終えたとき、弥七がもどって来た。
「早かったのう」
「西光寺の近くで、一つ二つ、聞き込んでまいりました。どうも、その女というのは亭主もちのようでございますね」
「亭主……まさか?」
「いえ、矢村さんではございません。もっと年上の、五十を二つ三つこえたかという……」
「何者だえ?」
「それが、浪人なんだそうで」
「ほう……」
「三年ほど前から、その家に住みついているようでございます。何でも、西光寺の持家なんだそうで」
「ふむ……で、女の家を見て来たかえ?」
「外から、ちょいと……」
「では、行ってみようか」
「はい」
蕎麦屋を出て、二人は三鈷坂の下の道を右へ折れた。
右側は竹藪。左側は西光寺の土塀《どべい》がつづいている。
三鈷《さんこ》坂に沿った西光寺の境内は斜面を整地したもので、深い木立の彼方《かなた》の台上に本堂の大屋根がのぞまれた。
「あれが、そうかえ?」
「さようでございます」
木立を抜け、二人は女の……いや、浪人の家へ近づいて行った。
茅《かや》屋根の家のまわりは、竹垣《たけがき》で囲まれてい、外から見たところ、三部屋はあろう。秋山小兵衛の鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅よりは、いくらか小さい。
家の背後は切り立った崖《がけ》になってい、崖の上は畑地である。
雨戸が閉まっていないところをみると、中にだれかいるらしい。
家の左端が戸口で、中は、おそらく土間になってい、裏口へ突き抜けているのであろう。
小兵衛は垣根の内へ入り、弥七へ|めくば[#「めくば」は「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくば》せをしておいて、縁側の傍まで行き、
「もし……もし、ごめん下され」
障子の内へよびかけた。
弥七は、少しはなれ、障子が開いても姿を見られぬようにしている。
「もし、ごめん……」
「どなたじゃ?」
障子の内から、物やわらかな男の声がした。
「ちと、物をおたずねいたしたい」
「…………」
男がこたえる前に、ちょっと、間があった。
一瞬の間ではあったが、
(この男、孫次郎のことを知っている……)
と、小兵衛は直感した。
「何のことであろうか?」
「こちらに、矢村孫次郎と申す者が来ておりませぬか?」
すると、間、髪を入れずに、
「存じませぬな」
という返事が返って来た。
これまた、小兵衛の気に入らなかった。
前の問いかけには一瞬の間があり、今度は、待ちかまえていたかのように、こたえてよこしたからである。
「ごめん下され」
また、声をかけた小兵衛が縁側ごしに腕をのばし、するり[#「するり」に傍点]と障子を引き開けた。
障子の向うに、侍がひとり。
五十がらみの、背丈の高い侍……いや、浪人であった。
総髪《そうがみ》には白いものがまじってい、頬骨《ほおぼね》の張った、するどい顔つきをしているが、両眼《りょうめ》は眠ってでもいるかのように細く、その目の色もさだかではない。
浪人は、小机を前にして端座している。
その背後の襖《ふすま》は閉じられていた。奥にも部屋があるらしい。
「存じませぬな」
また、浪人が同じ返事をくり返した。
小兵衛は、黙ったまま、浪人の顔を見つめた。
ほかに、だれもいないようだが、ほのかに白粉《おしろい》の匂《にお》いがただよっている。
(女がいて、奥へ隠れたのか……?)
そのようにも、おもえる。
「障子を閉めて、お帰り下され」
「はい、はい」
小兵衛は、素直に障子を閉めた。
閉めて尚《なお》、立ちつくしている。
「お帰り下され」
また、浪人の声がした。
小兵衛は、弥七にめくば[#「めくば」は「目+旬」、第3水準1-88-80]せをし、ひとりでさっさ[#「さっさ」に傍点]と木立を抜け、立ち去って行った。
これも、蕎麦屋で打ち合わせておいたことである。
四谷《よつや》の弥七は身をひるがえし、木蔭《こかげ》へ隠れた。
秋山小兵衛は先刻の蕎麦屋・笹岡屋へもどり、
「また来たよ」
小女《こおんな》へ、笑いかけて、
「酒をたのむ」
と、いった。
四谷の弥七が笹岡屋へ飛び込んで来たのは、それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後のことであった。
小兵衛は、一本の酒を、まだ舐《な》めていた。
「大《おお》先生。出て来ましてございます」
「やはり、な。だれが出て来た?」
「女が、いま、この前を通り過ぎて行きました」
「あの女かえ?」
「どうも、そのようで……」
「よし。わしは顔を見られているやも知れぬ。お前が後を尾《つ》けておくれ。わしは離れて行こう」
「承知いたしました」
身のこなしは素早かったが、弥七の声は落ちついている。
勘定をすませた小兵衛は、弥七の後から外へ出た。
そのとき、小兵衛は、笹岡屋のとなりに、荒物を売る小店があり、菅笠《すげがさ》も置いてあるのに気づいた。
「この笠を、二つ、もらいたい」
荒物屋の女房にいいながら、小兵衛は、四ノ橋を麻布《あざぶ》側へ渡りつつある弥七を目で追った。
女は、四ノ橋を渡ると、渋谷川に沿った道を西へ行く。
なるほど、佐野六の老夫婦がいったように、地味なつくりの町女房に見える。
突然あらわれた秋山小兵衛が立ち去った後で、あの怪しげな浪人は、隠れていた女に何かいいつけたのではあるまいか……。
菅笠をかぶった小兵衛は四ノ橋を小走りに渡り、弥七に追いつくや、
「ほれ……」
と、もう一つの菅笠を弥七へ手わたし、さっ[#「さっ」に傍点]と離れた。
そして、また、弥七の後方から歩みはじめた。
女は、二、三度、後ろを振り向いたが、尾行されてはいないとおもったらしく、急ぎ足になった。
約半刻後に、件《くだん》の女は渋谷へ出て、渋谷川に架けられた橋を西へわたり、道玄坂をあがって行く。
ビルディングや商舗がびっしりと立ちならぶ現代の渋谷・道玄坂ではない。
藁《わら》屋根の人家が、わずかに点在しているのみであったが、世田《せた》ヶ谷《や》から多摩川へ通じる道筋だけに、茶店が二つほどある。
その一つは、人家をはなれ、道玄坂をあがりきった左側にあって、深い竹藪《たけやぶ》を背にしていた。
女は、この茶店へ入って行ったのである。
四
暗い。
夜なのか昼なのか、それもわからぬ。
此処《ここ》が何処《どこ》なのか、それもわからなかった。
(おれとしたことが、何ということだ。これまで、おれは何のために修行をしてきたのだ。なさけない。実に、なさけない)
矢村孫次郎は、大形《おおぎょう》にいうなら、気が狂いそうになっている。
目隠しをされた孫次郎は、ふとい柱に躰《からだ》を縛りつけられていた。
この場所へ押し込められてから、どれほどの日時が経過したのか、それもわからぬ。
両腕を後ろにまわして柱に縛られている孫次郎の両足は左右に押しひろげられ、杭《くい》のような物に縛りつけられていた。
そして、股《また》のつけ根[#「つけ根」に傍点]のあたりから尻《しり》にかけて、深い穴が掘られている。何時間も、このままでうごけぬのだから、当然、生理的な要求が躰に起る。小便は、たれながしであった。そのために掘られた穴らしい。
「こらっ。だれかおらぬか!!」
とか、
「卑怯者《ひきょうもの》。出て来い!!」
とか、はじめのうちは怒鳴りつづけていた孫次郎の声も、いまは嗄《か》れきってしまった。
気がついたときは、もう、この柱に縛りつけられてい、それからいままで、だれもあらわれない。
何となく、
(穴蔵のような……)
湿っぽい匂《にお》いがこもっている。
空腹にはちがいないが、堪《こら》えきれぬほどではない。
してみると、三日も四日も経《た》っているわけでもないらしい。
(おのれ、あの女め!!)
このことである。
孫次郎へ酒をすすめているうちに、
「矢村さま。もう、私、耐えきれませぬ。どうなと、お好きなようにして下さいまし」
喘《あえ》ぎつつ、身を投げかけてきた女の熟れつくした果実のような躰の匂いと、いかにも愛《いとお》しげなささやきとに、孫次郎は抗しかねた。
妻を迎える気は毛頭ない矢村孫次郎だが、年に何度かは岡場所で娼婦《おんな》と遊ぶこともあるし、それだけに、あの女[#「あの女」に傍点]の巧まざる媚態《びたい》をしりぞけることができなかったのであろう。
それに、また、五年前に夫が病死してしまったという女を抱いたところで、これほどの危難が降りかかってこようとは、孫次郎の夢にも想《おも》わぬ事であった。
たまりかねた孫次郎が、女を抱き倒した。
そこは、西光寺の横手の、例のあの[#「あの」に傍点]家で、そのときはむろん、怪しい浪人はいなかった。
女の襟《えり》もとを押しひらくと、肌は浅ぐろいが充分に脹《は》った乳房がぷっくり[#「ぷっくり」に傍点]とあらわれ、孫次郎は木の実のような乳首へ吸いつき、あとはもう無我夢中となってしまったのだ。
と、そのうちに……。
何だか頭の中が重くなってきて、
(あ……どうしたのだ、これは……?)
女の躰から身を起そうとしたとき、急に目が暗《くら》んだ。
そこまでは、どうやら、おもい出すことができたのだけれども、その後がわからぬ。
気がついたときには、この柱に縛りつけられ、身うごきもできなくなっていたのである。
女は「おとき[#「おとき」に傍点]」と名乗ったが、実名かどうか、それは怪しいものだ。
おときと知り合ったのは、去年の年の瀬も押しつまった或《あ》る日の夕暮れのことで、その日、孫次郎は、麻布《あざぶ》の仙台坂下《せんだいざかした》にある二千石の旗本・北条主計之助《ほうじょうかずえのすけ》の屋敷へ出稽古《でげいこ》に行き、その帰途、佐野六《さのろく》へ立ち寄り、例の饅頭《まんじゅう》を買い込み、四ノ橋の方へ向って行くと、東福寺という寺の横道で女の悲鳴がきこえた。
夕闇《ゆうやみ》が濃くなってい、人通りも絶えていたし、
「や……?」
孫次郎が横道へ走り込んで行くと、女がひとり、酒に酔った無頼ども三人に絡《から》まれて難儀の態《てい》であった。
「何をするか!!」
大喝《だいかつ》した孫次郎は、たちまちに無頼どもを追いはらった。
いまにしておもえば、あの無頼どもも女の一味だったといえよう。女が孫次郎へ近づくため、細工をしたにちがいない。
孫次郎は、女を家の前まで送ってから、目黒の西感寺へ帰った。
このときは何でもなかったが、年が明けて正月の十日に、北条屋敷へ稽古に行き、饅頭を買い、四ノ橋を渡ったところ、また女に出合った。
女が「おときと申します」と、名乗ったのは、このときで、しきりに、おときがすすめるものだから、孫次郎は蕎麦《そば》屋の笹岡屋《ささおかや》へ入り、酒と蕎麦を馳走《ちそう》になった。
(いい女だ。おとなしそうだし、言葉づかいもしっかりしている)
だからといって、別に、野心を抱いたわけではない。
四日後に、また出合った。今度は、目黒不動の境内においてである。
先《ま》ず、このようにして、矢村孫次郎とおときは親しみを重ねていったのだ。
だが、わからぬ。
おときには、以前に会ったことがないし、したがって怨《うら》みを受けるおぼえはなかった。
孫次郎も剣客《けんかく》ゆえ、数え切れぬほどの試合をしてきているし、その中には相手の遺恨を受けていないものでもない。
しかし、孫次郎を怨んでいるのなら、
(何故《なぜ》、殺さぬ……?)
そこが、納得できない。
おときが、
「私は、だめ[#「だめ」に傍点]なのでございます」
いいながら、すすめた酒を孫次郎は二合ほどのんだろう。
(あの酒の中に、何やら怪しげな薬でもまじっていたのではあるまいか?)
すると、おときは、
(おれを、このような目にあわせた何者かの手先ではないのか?)
とも、考えられる。
「う、うう……」
孫次郎は呻《うめ》いた。
長い間、我慢に我慢を重ねてきたのだが、いよいよ、どうにもならなくなってきた。
便意をもよおしたのだ。それも〔小〕のほうではなく〔大〕のほうなのだ。
小便は仕方なく、たれながしにしてきたが、大のほうは懸命に堪えてきた。
両手を使えず、下帯も解けぬわけだから、排泄《はいせつ》された大便は掘られた穴の下へ落ちてはくれない。
「むう……」
ついに孫次郎は、大量に排泄してしまった。
何ともいえぬ臭気が押しよせてきたが、鼻をつまむこともできぬ。
「おのれ、くそ!!」
さすがの矢村孫次郎が、あまりのなさけなさに、
「卑怯者め。出て来い、出て来い」
泣き声のような声をあげた。
五
女……おとき[#「おとき」に傍点]が茶店を出て行ったのは、夕闇《ゆうやみ》がただよいはじめてからである。
道玄坂を渋谷《しぶや》の方へ下って行くおときを、木蔭《こかげ》から見送った秋山小兵衛が、
「さて、どうしたものか……?」
と、つぶやいた。
おときは、浪人がいる家へもどって行ったのであろう。
妙な老人があらわれたから、
「そちらも気をつけるように……」
というわけで、浪人がおときを、この茶店へさし向けたのではあるまいか。
「大先生。おもいきって、こんなのはいかがでございましょう?」
四谷《よつや》の弥七《やしち》が、小兵衛の耳へ何やらささやくと、
「ふうむ……」
呆《あき》れたように小兵衛が弥七をながめやって、
「御用聞きが、泥棒《どろぼう》になるのか」
「さようでございます。これなら、向うも、こっちの正体に気づきますまい。茶店には日銭が入ります。それをねらって通りすがりの二人組が押しこもうというわけで」
「おもしろいな」
荷馬を牽《ひ》いた馬方が、坂を下って行った。
道を行く人の足も絶えている。
何処かで鴉《からす》が鳴いた。
夕闇は、暖かった。
茶店には、いかにも頑固《がんこ》そうな老爺《ろうや》と、がっしりとした体格の三十がらみの男がいるきりだ。
奥に、まだ、だれかいるやも知れぬが、外から見たところでは二人のみであった。
「どうも、ゆっくりとかまえていては、機《とき》を逸するおそれがある」
「矢村さんは、まだ、生きていましょうか?」
「先刻の、あの浪人の、わしへの応対ぶりを見ても、孫次郎はまだ死んでおらぬとおもう」
「なるほど」
このとき、茶店の中から出て来た三十男が、道端へ出しておいた縁台を土間へしまいこみ、表の戸を閉めはじめた。
坂道をへだてた木蔭から、これを見まもっていた秋山小兵衛が、手ぬぐいで頬《ほお》かぶりをしながら、
「弥七、ぬかるなよ」
「はい」
男が、最後に残った一枚の戸を閉めようとした瞬間、燕《つばめ》のごとく疾《はし》り出て、戸を閉めようとしている男の胸を突き飛ばした。
「あっ……」
おどろいた男が、
「な、何をしやあがる!!」
叫んだが、早くも小兵衛の拳《こぶし》が男の胸下の急所に打ち込まれ、
「むうん……」
男が崩れ倒れたときには、つづいて飛び込んで来た四谷の弥七が戸を閉めてしまった。
「だ、だれだあ?」
奥から、老爺が飛び出して来るのを、待ち構えていた小兵衛が、
「金を出せ」
「な、な、何だと。ふざけるな!!」
老爺は、たくましい両腕をのばし、小兵衛へ掴《つか》みかかった。
小柄《こがら》な小兵衛を、あなどったわけだが、これまた小兵衛の拳を受け、気絶してしまった。
「弥七。戸締りをしたかえ?」
「いたしました」
「こいつらを縛りつけ、猿轡《さるぐつわ》をかませておけ。後でゆっくり、泥を吐かせればよい。その前に、この家の中を探っておこう」
土間の奥に、部屋が二つあった。それだけの家である。裏手は竹藪《たけやぶ》で、その向うには田地が一面にひろがっていた。
土間には大きな竈《かまど》が据《す》えられてあり、酒、茶、饅頭《まんじゅう》などや、笠《かさ》も草鞋《わらじ》も置いてある。
「それにしても、あまり、客が来そうもない茶店じゃのう」
「まったくで……」
奥の部屋の行燈《あんどん》に、あかりが入っていた。
その行燈を手にして、小兵衛と弥七は、家の中を隈《くま》なくしらべはじめた。
「大先生。こっちの奥の押し入れに錠が下りております」
「どれどれ……ふうむ。この板戸は、ずいぶんと丈夫に造ってある。妙な押し入れじゃのう」
「ちょっと、お待ち下さいまし」
弥七が土間へ取って返し、老爺のふところから、木札に結びつけられた二つの鍵《かぎ》を見つけ出して来た。
その鍵の一つを、押し入れの錠前へ差し込むと、たちまちに外れた。
押し入れの中に、木箱のようなものが三、四箇入っていた。それを取り除《の》けた弥七が、
「あ……ここにも錠前がついております」
「その箱にかえ?」
「いえ、押し入れの下に蓋《ふた》がついているので」
「何の蓋じゃ?」
三尺四方の木製の蓋についている錠前を別の鍵で外し、蓋を引きあけた弥七が、
「む……臭い」
顔を顰《しか》め、鼻をつまみ、
「大先生。この下は穴蔵になっております」
「ふうん。おどろいたのう。何か見えるか?」
「梯子《はしご》がついております」
「よし、降りてごらん」
小兵衛が、こういったとき、穴蔵の中から男の掠《かす》れ声がきこえた。
「ひ、卑怯《ひきょう》……出て来い。で、出て来ぬかあ……」
穴蔵へ足を下ろしかけた弥七が小兵衛と顔を見合わせた。
「いましたよ、こんなところに……」
「で、出て来い。おれを、こんな目に……」
「まさに、孫次郎じゃ」
弥七は物もいわずに、穴蔵へ降りて行った。
土間の柱に縛りつけられた二人の曲者《くせもの》が|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》きはじめている。
小兵衛は穴蔵の口へ行燈を近づけ、
「これ、孫次郎。わしじゃ、秋山小兵衛じゃ。いま、弥七が助けに行くぞ」
大声で、よびかけた。
一瞬の沈黙の後に、矢村孫次郎の、
「ああ……面目ない、面目ない」
なさけない声がきこえた。
「それにしても臭いのう。これ、孫次郎。たれながしていたのかえ」
「め、面目しだいもありませぬ」
それから一刻《いっとき》(二時間)後に、小兵衛・弥七・孫次郎の三人は、おときと浪人がいる西光寺《さいこうじ》横の家の前に立っていた。
道玄坂の茶店の曲者二人は、矢村孫次郎と入れ替りに穴蔵へ押し込めておき、蓋と押し入れの戸には錠前を下ろしておいた。鍵は弥七のふところにある。
孫次郎は茶店の井戸端で水をかぶり、臭気芬々《しゅうきふんぷん》たる躰《からだ》を洗ってから、曲者どもの替え着を見つけて身にまとい、裾《すそ》を高々とからげ、素足に草鞋ばきという姿《いでたち》となった。
「脇差《わきざし》を貸してやろうか?」
と、いい出た秋山小兵衛に、
「何の、秋山さん。これで、たくさんです」
孫次郎は茶店にあった樫《かし》の心張棒をつかみ、闘志を燃やした。
茶店を出るとき、三人は、曲者どもの夕餉《ゆうげ》の飯を食べた。
孫次郎は湯漬《ゆづ》けにして四杯も食べたものである。
「これから、あの浪人をやっつけようというのに、そんなに食べてよいのか?」
「なあに、秋山さん。平気です」
「だが、わしが見たところ、相当な奴《やつ》じゃ。油断は禁物、といっても、まあ、わしがついていることゆえ……」
「いや、手出しは御無用に願います。私ひとりで叩《たた》き伏せてみせます」
「そうか、ふむ……ならば、たのしみに見物させてもらおうか」
「はいっ」
穴蔵の中の、見っともない自分の姿を小兵衛と弥七に見られてしまっただけに、孫次郎は何としても、
(おときと、その怪しげな浪人は、おれ一人にて引っ捕えてみせる)
と、決意をかためていた。
さて……。
木立の中から様子を窺《うかが》うと、戸の透き間から灯火が洩《も》れている。
おときも浪人も、まだ起きているらしい。
「孫次郎」
「は……」
「よいか?」
「はっ」
「よし、行け。あとは引き受けた」
四谷の弥七は、早くも裏手へまわっていた。
矢村孫次郎が垣根《かきね》を飛び越え、
「うおぉっ!!」
獣のような咆哮《ほうこう》を発し、猛然と躍りあがり、戸へ体当りをくわせた。
強烈きわまる体当りで、倒れた戸と共に孫次郎の躰が家の中へ転げ込んでいる。
おときの悲鳴と、浪人の怒声が起り、夜更《よふ》けだけに、凄《すさ》まじい物音がきこえたかとおもうと、大刀を引き抜いた浪人が縁側へあらわれ、外へ飛び出し、振り向きざまに追って出た矢村孫次郎の脚を薙《な》ぎはらった。
やや離れて見物していた秋山小兵衛は、ひやり[#「ひやり」に傍点]としたが、孫次郎は跳躍して、これを躱《かわ》し、
「やあっ!!」
心張棒を揮《ふる》って、浪人の刃《やいば》を打ちはらった。
「ぬ!!」
よろめいて立ち直ろうとした浪人へ、
「や、やあっ!!」
すかさず迫った孫次郎が、心張棒を浪人の胸もとへ突き入れた。
これが、みごとにきまって、
「むうん……」
唸《うな》った浪人が大刀を落し、白眼《しろめ》を剥《む》き出して悶絶《もんぜつ》した。
「よくやった」
と、小兵衛。
裏手から逃げ出したおときは、四谷の弥七に捕えられた。
六
翌日のうちに、略《ほぼ》、事情がわかった。
浪人は、いかに責められても口を割らなかったが、茶店の二人と、それにおとき[#「おとき」に傍点]が白状してしまったのである。
おときは尚《なお》、矢村孫次郎を、
「あいつだって、同じ盗《ぬす》っ人《と》でござんすよ。前川|為之助《ためのすけ》といって、浪人くずれの非道なやつでございますよう」
いい張ってやまぬ。
町奉行所では、三人の自白によって、すぐさま火付盗賊改方《ひつけとうぞくあらためかた》と協力し、道玄坂の茶店と浪人の家へ人を張り込ませた。
それとも知らず、茶店のほうへあらわれた三人の旅姿の盗賊が、待ち構えていた盗賊改方に捕えられたのは、三日後の夜であった。
三人のうちの一人は、
「沢間《さわま》の甚蔵《じんぞう》」
という盗賊の首領で、江戸で捕えられた四人も、その一味だったのである。
沢間の甚蔵は四十二歳というが、四つ五つは若く見え、苦味のきいたいい男[#「いい男」に傍点]で、これが、盗賊改方の役宅へよび出された矢村孫次郎を見るや、
「あっ……て、てめえは前川……」
両腕を縛されたまま、孫次郎へ飛びかかろうとした。
孫次郎が、
「だまれ。おれは、前川なぞという浪人は知らぬぞ」
きめつけると、途端に沢間の甚蔵が、きょとん[#「きょとん」に傍点]となり、
「ちがう」
と、いった。
「何が、ちがう?」
「声が、ちがう」
そして、穴のあくほど孫次郎をながめまわしていたが、
「こりゃあ、やっぱりちがう。前川為之助にそっくりの狸面《たぬきづら》だが、こいつは、おときの見まちがいだ」
ちからなく、うなだれてしまった。
「まあ、いってみれば、盗っ人どうしの揉《も》め事《ごと》というわけでございます」
と、四谷《よつや》の弥七《やしち》が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ報告に来た。
「つまり、その、浪人あがりの前川為之助という盗っ人が、沢間の甚蔵の弟の由五郎《よしごろう》という男《の》を、女のもつれ[#「もつれ」に傍点]から斬《き》り殺して逃げてしまったというわけなので」
「ははあ、盗賊にも敵討《かたきう》ちがあるのかえ」
「前川は、およそ一年あまり、沢間の一味に加わり、上方《かみがた》のほうへ押し込んだり、人を殺《あや》めたりしているらしいのでございます」
「ふうん……孫次郎も、とんだやつに見間ちがえられたものだのう」
「あの、おときという女は、前に一度、大坂にいる沢間の甚蔵のところへ、江戸から連絡《つなぎ》に出かけて、そのときに、前川為之助を蔭《かげ》ながら見たことがあったと申します」
「見たことはあるが、声は聴いていなかったというわけかえ」
「そのとおりなので。それで、佐野六《さのろく》の茶店で饅頭《まんじゅう》を買っていなさる矢村さんを見かけて、こいつはしめたと、大坂にいる甚蔵へ知らせる一方、いっしょに住んでいる浪人と相談をし、こっちの顔を知られていないのをさいわいに、矢村さんを捕まえることに決めたのだと申しますよ。酒に眠り薬を入れましてね」
「それでは、道玄坂の茶店も……?」
「はい。同じ沢間一味の盗っ人どもで、おときの家も、あの茶店も、盗っ人たちの足だまり。つまり、盗っ人|宿《やど》と申しまして、沢間の甚蔵が江戸で盗みをはたらくときの巣になるのでございます」
「盗賊どもも大仕掛にやるではないか、おどろいたのう」
「おかげで、盗賊改メでは大よろこびでございます」
おもいがけぬ方向へ事件がひろがり、矢村孫次郎も参考人として、何度か町奉行所や火付盗賊改方によび出されたりしたものだから、これが、同門の神谷新左衛門《かみやしんざえもん》の口から内山|文太《ぶんた》の耳へも入ってしまい、二人は、秋山小兵衛同席の上で、四谷の武蔵屋《むさしや》の二階へ矢村孫次郎をよびつけ、
「盗賊どもに捕われるとは、何たることじゃ」
「亡《な》き辻平右衛門《つじへいえもん》先生に、何と申しわけをする気だ」
「まったくもって、けしからぬ」
「あきれ果てたるやつじゃ」
同門の先輩、さんざんに孫次郎を叱《しか》りつけたものである。
矢村孫次郎は、神妙に両手をつき、
「これより孫次郎、修行の仕直しをいたします」
と、詫《わ》びた。
「当り前じゃ」
「三十年前にもどって、やり直せ」
小兵衛は、にやにやしながら、黙って盃《さかずき》を口にふくんでいる。
神谷新左衛門と内山文太が帰った後で、小兵衛は孫次郎を連れ、武蔵屋を出た。
まだ、夕暮れには間がある。
空は、どんよりと曇っていたが、めっきりと春めいて、四谷御門の濠端《ほりばた》の柳が、あざやかに芽吹きの色を見せている。
孫次郎は、浮かぬ顔で、小兵衛の後からついて来た。
「どうした。まだ、あの二人の爺《じい》さんに叱られたのを気にかけているのかえ?」
「いえ、別に……」
「気にするな。神谷も内山も、久しぶりにお前を叱りつけたりして、辻先生の道場にいるような、若返った気分になっているのじゃ。つまり、たのしんでいるのじゃよ」
「はあ……」
「今夜は、わしのところへ泊れ。ゆっくりと飲もうではないか、どうじゃ」
「秋山さん……」
小兵衛の前へまわった矢村孫次郎の顔が、妙に蒼《あお》ざめている。
「どうした?」
「その、前川為之助とやら申す盗賊のことですが……」
「おぬしに瓜《うり》二つじゃそうな」
「そういうことが、あるものでしょうか?」
小兵衛は、事もなげに、
「あるさ」
と、こたえた。
「実は、秋山さん……」
「む?」
「私が幼いとき、父と私を捨てて出奔し、いまだに行方も知れぬ母のことなのですが……」
「ふむ、ふむ……」
「母は、どのような男と情を通じ、逃げたものか……」
「それを、わしに尋《き》いてもはじまるまい。おぬしの父親は、知っておらなんだのか?」
「わかりませぬ。私には一言も洩《も》らしませんでした」
と、孫次郎が目の色を変えて、
「秋山さん。その前川為之助は、私の母が生んだ男ではないでしょうか……」
「まさか……」
「いえ、世間はせまいものです。私たちを捨てた母が別の男との間にもうけた子では……」
「よさぬか」
秋山小兵衛が厳しい声でいい、先へ立って歩み出しながら、
「孫次郎……」
「は、はい」
「わかりもせぬことを考えるな」
「ですが、秋山さん……」
「おぬしは、な……」
「は?」
「剣に縋《すが》っておればよいのじゃ。おのれの一剣をもって生きよ。さすれば何事も解けざるものなしと、辻平右衛門先生も申されたではないか」
「あ……」
矢村孫次郎が、夢からさめたような声をあげた。
「来いよ。いっしょにのもう」
「は……」
二十何年もむかしに、二人して濠端を歩んだときの記憶が、小兵衛の脳裡《のうり》へよみがえってきた。
そのころの二人は、五升の酒を平気でのみあげたものである。
逃げる人
一
秋山|大治郎《だいじろう》が、その老人にはじめて出会ったのは、去年の秋の或《あ》る日の夕暮れであった。
そのとき、大治郎は、田沼屋敷での稽古《けいこ》の帰りに、根岸《ねぎし》の〔和泉屋《いずみや》〕の寮(別荘)にいる老僕の嘉助《かすけ》を訪ね、用事をすませてから、三《み》ノ輪《わ》へ出た。
三ノ輪から右へ折れ、一面にひろがる田畑と雑木林という景観の中を我が家へ向いつつあった。
大治郎が山谷《さんや》浅草町の通りを横切り、田地の中にある玉姫稲荷《たまひめいなり》の北側へさしかかったとき、件《くだん》の老人が、小道前方の左側の雑木林から走り出て来た。
「待ちゃあがれ!!」
喚《わめ》き声をあげ、老人を追って飛び出して来た屈強の男は、一目《ひとめ》で大治郎にもわかる、無頼の渡り中間《ちゅうげん》だ。
いずれ、この辺りの大名の下屋敷にでもいるのだろうが、夜ともなれば中間部屋は博奕場《ばくちば》になってしまうし、しかるべき勤務《つとめ》がないときは、酒と博奕で勝手ほうだいに暮している。
大名屋敷や大身《たいしん》の旗本屋敷では、それぞれの格式によって、必要な奉公人を絶やすことはできぬので、
「仕方もなく……」
諸方の屋敷を渡り歩く男たちを雇い入れることになる。
雑木林から道へ走り出た老人は、そのまま逃げようとはせず、右手の杖《つえ》を左手に持ち替え、片膝《かたひざ》をついて、小石を右手で拾いあげた。
大治郎は道の右側の木蔭《こかげ》へ身を寄せ、もしも老人の身が危くなったときは、走り寄って助けるつもりでいた。
この老人、そっくりというわけではないが、
(どこか、父上に似ている……)
と、大治郎はおもった。
父の秋山|小兵衛《こへえ》同様、小柄《こがら》な躰《からだ》つきだが、父よりは二つ三つ年下に見える。
帷子《かたびら》の着ながしに脇差《わきざし》一つを帯し、杖を持っているところも、父好みの風体なのだ。
だが、その杖は、父が愛用しているような竹の杖ではない。きれいに削りあげた四尺ほどの木の杖なのである。
それを、大治郎は仕込杖と看《み》てとった。
「畜生。くそ爺《じじい》め、待ちゃあがれ!!」
追いかけて来た渡り中間の鼻から血がながれているのは、おそらく、老人の杖の一撃をくらったのであろう。
中間の制服ともいうべき紺看板(紺もめんの半被《はっぴ》)に梵天帯《ぼんてんおび》。これに木刀を差しているのだが、こやつは、その木刀を右手に、左には短刀《あいくち》を構えて二刀流というわけだ。
「この野郎……」
じりじりとせまる無頼中間に対して、老人は片膝をついたままの姿勢をくずさぬ。
これが秋山小兵衛なら、素手のまま、にんまりとして相手を迎えたことだろう。
しかし、この老人は、かなり真剣の様子だ。息をつめ、襲いかかって来ようとする相手へ懸命に立ち向おうとしているのが、はっきりと、その後姿から看てとれた。
中間は、老人が小石を拾ったことに気づいていない。
「くたばれ!!」
猛然と、中間が打ちかかろうとした瞬間、老人が立って小石を投げつけた。
これが、物のみごとに中間の鼻柱へ命中したものだから、
「うわ……」
目が暗んでよろめくのへ、
「やあっ!!」
老人が、おもいもかけぬ気合声を発して杖を頸筋《くびすじ》の急所へ打ち込んだ。
中間が、声もなく崩れ倒れた。気を失ったのである。
「おみごと」
木蔭から出て声をかけた大治郎へ、屹《きっ》と振り向いた老人の眼《め》は鋭く光っていた。
いや、単に鋭いというのではない。
何といったらよいのか……。
その眼の光りには、あきらかに一種の不安とか、または恐怖といってもよいほどの、怯《おび》えがふくまれていた。
無頼中間の仲間があらわれたとおもったのであろうか。
いずれにせよ、老人の、品のよい顔には脂汗《あぶらあせ》が浮いている。
「通りがかりの者です。おみごとなお手捌《てさば》き、まさに拝見いたしました」
軽く頭を下げる大治郎へ、
「いや、なに……」
老人は口ごもったが、両肩のちからが抜けたようで、
「おはずかしいことで……」
「いかがなされましたか?」
「いや、あの者が、その先の木立の中へ、通りがかりの小むすめを引きずり込み、けしからぬまねをいたしかけましたので……ほかに道を通る人もなく、仕方もなしに……」
「この先の木立……?」
「さよう」
老人は、せかせか[#「せかせか」に傍点]と前方左側の雑木林の中へ走り込んで行き、大治郎もつづいた。
木立の草の上に、十五、六の小むすめが、まだ気を失って倒れていた。
この小むすめは、山谷浅草町の名主《なぬし》・梅村|仁左衛門《にざえもん》方の下女で、今戸《いまど》へ使いに行った帰り途《みち》に、近道をして田地の道を急いでいたところを、渡り中間に襲われたものであった。
道へ出ると、まだ、中間は息を吹き返していなかった。
大治郎が小むすめの下女を背負い、老人もつきそって、梅村仁左衛門方の前まで来て、
「だれにもいうな。これからは気をつけるのだよ」
と、老人がいった。
小むすめも、大治郎の背中で気が落ちついたらしい。何度も頭を下げ、大治郎と老人の姿が、夕闇《ゆうやみ》の中へ消えるまで見送っていたものである。
大治郎と老人とは、新鳥越町《しんとりごえちょう》の東禅寺の門前で別れた。
大治郎は、
「秋山大治郎と申します」
と名乗ったが、老人は、
「いろいろと、お世話に相なり、かたじけのうござった」
ていねいに挨拶《あいさつ》をしたけれども、名乗ろうとはせず、そそくさ[#「そそくさ」に傍点]と山谷堀《さんやぼり》の方へ立ち去った。
「何となく、妙な老人だった……」
帰宅して大治郎は、妻の三冬《みふゆ》へ洩《も》らした。
このはなしは、父の小兵衛にも告げたが、
「ふうん……」
秋山小兵衛は、さして興味もなさそうに、
「別に、妙なこともないわえ」
「ですが、父上。私が名乗りましたのに……」
「年寄りというものは、な……」
「はい?」
「万《よろず》、よけいな事をしたがらぬものなのじゃ。わしなどは毎朝、顔を洗うのも面倒になってしまったわえ」
「ははあ……」
大治郎も、いつしか、あの老人のことを忘れてしまっていた。
そして、新しい年が明け、正月の中旬《なかごろ》の或る日、またしても偶然に、老人の姿を見かけたのである。
二
その日も、秋山大治郎は田沼屋敷からの帰り途《みち》であった。
浅草寺《せんそうじ》の境内から馬道《うまみち》の通りへ出た大治郎は、田町から山谷堀《さんやぼり》へ架けられた山谷橋を北へわたりかけていた。
と、そのとき、山谷堀に沿った細道を行く老人を見た。
声をかけるには、橋をわたりきって、いま少し近づかなければならぬ。
なんとなく、なつかしい気がして、
(声をかけてみようか、どうしようか……)
おもい迷っているうちに、件《くだん》の老人は、細道から右へ切れ込み、草地を横切り、向うの塀《へい》のあたりへ姿を消してしまった。
(ほう。あれ[#「あれ」に傍点]に住んでおられたか……)
その土塀は、貞岸寺という寺の裏手にあたる。
つまり、老人は、貞岸寺の裏門から、中へ入って行った。
貞岸寺の門前は新鳥越町の通りに面しているわけだから、去年のあのとき、大治郎と別れた老人が、その方角へ去ったのは、
(なるほど……)
いまさらに、おもい当った。
(貞岸寺に、住み暮しているらしい)
夕闇《ゆうやみ》がただよっている時刻だったし、声もかけなかったのに、いきなり入って行って、
「此処《ここ》に、お住いでしたか」
というのも、何やら妙なものだ。
大治郎は、あのとき、渡り中間を相手に懸命な様子で立ち向い、少女をたすけた老人の姿をおもい出し、塗笠《ぬりがさ》の内で微笑を浮かべつつ我が家へ帰った。
それから数日後に……。
大治郎は、また、老人に出会った。
山谷堀の南に、真土山《まつちやま》の聖天宮《しょうでんぐう》がある。
この日も、大治郎は田沼屋敷からの帰りで、いつもよりは時刻も早かったものだから、聖天宮へ参拝をしてから、門前の〔月《つき》むら〕という蕎麦《そば》屋へ入り、
「酒をたのむ」
と、いった。
大治郎も、大分に変ってきたようだ。
長い修行を終え、江戸の父の許《もと》へ帰って来たころの秋山大治郎は、一人きりで蕎麦屋へ入って酒をのむことなど、おもってもみなかった。
いや、蕎麦は食べても、まだ明るいうちに酒を口にするなどとは、それこそ、
(とんでもない……)
ことだったといってよい。
小兵衛とちがって、二合ものめば真赤になってしまう大治郎なのだが、ともかくも、こうして酒に親しむという気分を、
(わるいものではない)
と、おもいはじめてきたらしい。
それもこれも、父・小兵衛のすることを見ているからであろう。
酒がくると、おもいついて蕎麦|掻《が》きもたのんだ。
月むらは、一年ほど前に開店した蕎麦屋だが、場所柄、小ぎれいな店構えで、奥には小座敷もある。
酒も蕎麦もうまいというので、たちまちに客がつき、夕暮れも間近い、この時刻にも入れこみ[#「入れこみ」に傍点]は客で埋まっていた。
入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の真中に通路があって、突き当りに大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をのぞむ小座敷が二つある。
黒塗りの小桶《こおけ》の、熱湯の中の蕎麦掻きを箸《はし》で千切《ちぎ》り、汁《つゆ》につけて口に運びつつ、大治郎はゆっくりと酒をたのしんだ。
こんなとこを秋山小兵衛が見たら、何というだろう。
「せがれめ、小生意気なまね[#「まね」に傍点]を……」
苦笑を洩《も》らすにちがいない。
後になっておもうに……。
そうした大治郎の姿を、あの老人は入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の衝立《ついたて》の蔭《かげ》から凝《じっ》と見ていたに相違ない。
それで、安心がいったのであろう。
何かの拍子に、顔をあげた大治郎と目と目が合ったとき、
「や、これは……」
盃《さかずき》を置いた大治郎へ、老人のほうから、にっこりと笑いかけてきたのだ。
「そちらへまいって、よろしいでしょうか?」
と、大治郎が声を張って尋ねた。
老人は、うなずいた。
そこで同席となり、たのしくなってきた大治郎は、また、酒を注文した。
老人も、しずかに酒をのんでいる。
「先日、貞岸寺へお入りになるのを、お見かけいたしました」
「さようでしたか……」
「よほど、声をかけようかとおもいましたが、かえって失礼になるかとも……」
「いや、なに……」
少女を救ったとき、大治郎は名乗っていたが、あらためて、
「秋山大治郎と申します」
すると老人は、
「高橋|三右衛門《さんえもん》と申します」
と、いった。
そして、たがいに酌《しゃく》をしながら、少女を助けたときのことや、世間ばなしをしたわけだが、こうしたとき大治郎は自分のことを語りもせず、また、相手の私生活に、立ち入ったりはせぬ。
そこは、恩師・辻平右衛門亡《つじへいえもんな》きのち、諸国の道場をまわり歩いて修行をしてきただけに、大治郎は心得ている。
胸の内を打ち明けたり、生いたちを語るには、自然にそうならなくてはならぬ。
そのためには、月日がかかる。
自然に親交が生まれ、深まって行くもよし、こうして偶然に出会ったときに酒を酌《く》みかわすもよし、である。
こうした大治郎の態度が、老人は気に入ったらしい。
老人もまた、大治郎へ立ち入った問いかけをしなかった。
「ここの蕎麦は、旨《うも》うござるな」
「はい。私も折々、立ち寄ります」
「さようでしたか。私は、今日で三度目というところで……」
「お気に入りましたか?」
「これよりは時折、いまごろの時刻に、まいってみましょう」
老人が、こういって、大治郎を見つめた。
この月むらで、
「時折は、会えましょう」
と、その眼は、語っているかのようであった。
やがて二人は、今戸橋を渡ったところで、
「では、これにて」
「ごめん下され」
高橋老人は、山谷堀沿いの道を、山谷橋の北詰の方へ去った。
この日も、貞岸寺の裏門から入るらしい。
大治郎は貞岸寺の門前を行き過ぎ、しばらく行ってから右手へ切れ込み、我が家へ向った。
翌々日。
田沼屋敷での稽古が終ると、大治郎は急いで帰途につき、月むらへ入って行った。
すると……。
入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の奥のほうに、高橋老人の待ちかねたような笑顔が見えた。
その翌々日。
またも、二人は月むらで酒を酌みかわしたのである。
その翌日。
「別に、これといって、はなしをするわけでもありませんが、何《なに》ともなしに、こころをひかれる老人です」
と、大治郎が、孫の小太郎《こたろう》の顔を見に橋場《はしば》へあらわれた秋山小兵衛へ語るや、
「老人は、こころさびしいものゆえ、はなし相手が見つかったので、うれしいのであろう。おそらく、妻も子もなく、独り、貞岸寺へ身を寄せているにちがいない」
「父上も会ってごらんになりましては?」
「さて、な。その年寄りは、お前が気に入ったのじゃ。お前なればこそ、気をゆるめているのであろうよ。年寄りどうしが会ってみても仕方あるまい」
「さようですか……」
「うむ」
高橋三右衛門老人についてのはなしは、それきりであったが、小兵衛は隠宅への帰途、何をおもったかして、橋場にある、なじみの料亭〔不二楼《ふじろう》〕へ立ち寄った。
「これはこれは、秋山先生。お久しぶりでございます」
不二楼|主人《あるじ》の与兵衛がよろこんで迎えるのへ、
「このごろは、ふところがさびしくてのう」
「何をおっしゃいますことやら」
「ちかごろ、貞岸寺の和尚《おしょう》は見えるかえ?」
「はい、時折に……」
「さようか。ではな、わしが共に酒をのみたいからといって、和尚の許へ使いをやってくれぬか」
「ようございますとも」
「ついでに、そこの船宿の鯉屋《こいや》に、うち[#「うち」に傍点]のおはる[#「おはる」に傍点]が舟で迎えに来たら、此処にいることをつたえるよう、言《こと》づけておくれ」
「かしこまりました」
三
大治郎に黙っていたが、秋山小兵衛は、貞岸寺の円照和尚《えんしょうおしょう》と顔見知りの間柄《あいだがら》であったのだ。
二人は、三年ほど前に、ほかならぬ不二楼《ふじろう》で、あるじの与兵衛《よへえ》から引き合わされたのである。
それからも、不二楼で出会えば酒を酌《く》みかわし、語り合うというつきあい[#「つきあい」に傍点]であったが、双方が、たがいに訪問をするほどの親しさでもない。
それなのに小兵衛が、わざわざ和尚を不二楼へ招き、高橋|三右衛門《さんえもん》について、それとなく問いかけてみようとおもいたったのは、やはり、高橋老人へ興味をおぼえたからにちがいない。
「剣術もやめて、年を老《と》ってしまうと、どうも退屈で仕方がない。だから、ついつい人事《ひとごと》へくび[#「くび」に傍点]を突っこみたくなるのであろうよ」
と、いつであったか小兵衛が、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》へ洩《も》らしたこともあった。
不二楼の、大川をのぞむ座敷で、秋山小兵衛が盃《さかずき》をふくんでいると、
「今日はまた、おもいもかけぬお招きにあずかって……」
うれしげにいいながら、円照和尚が与兵衛に案内をされてあらわれた。
この和尚は八十に近いが無類の酒好きで、まるで〔羅漢《らかん》さま〕のような顔が酒光りしている。体格もよかった。
「わざわざ、おこしをいただき、恐れ入りました」
「いやなに、拙僧も此処《ここ》へ出かけようかなどと、おもうておりましたところで……」
「さようでしたか」
「此処の酒は、旨《うも》うおざる」
「いかさま」
それから、生海苔《なまのり》をあしらった掻《か》き平目《ひらめ》や、甘鯛《あまだい》の|しん[#「しん」は「米+參」第3水準1-89-88]薯《しんじょ》と野菜の椀盛《わんもり》、鶉《うずら》の焼き鳥などで酒をのみつつ、それとなく秋山小兵衛は、
「実は、せがれが……」
大治郎と高橋老人のことを語るや、
「ふむ、ふむ……さようでござったか。少しも知りませなんだ」
和尚は、膝《ひざ》を乗り出して聞き入った。
いつしか、大川の川面《かわも》が夕闇《ゆうやみ》に溶けている。
「ふうむ……」
聞き終えて円照和尚が、
「なるほど。それは、よほどに、秋山先生の御子息へ、こころをゆるされたのでありましょうよ」
しみじみと、いった。
そして、盃を置いた和尚は、しばらくの間、凝と両眼《りょうめ》を閉じていたが、ややあって、
「これは、ひとつ、秋山先生のお耳へ入れておいたほうがよろしいようじゃ」
と、つぶやいた。
果して、高橋老人の身性《みじょう》には、ただならぬものがあるらしい。
「それは、何のことで?」
「秋山先生……」
いいさして、小兵衛を見つめた円照和尚は、やや緊迫の面《おも》もちで、
「拙僧が匿《かくも》うております老人の名は、高橋三右衛門とは申しませぬ」
「ほう……?」
「秋山先生なればこそ、打ち明けます。本名は、山本|半之助《はんのすけ》と申されましてな」
「ふむ……」
「実は……いや、このことは、他言無用にお願い申す」
「心得ました」
「なれど……」
「なれど?」
「御子息のお耳へは、入れておいていただいたほうが、よろしいやも知れぬ……」
と、和尚が小兵衛の盃へ酌をしてから」
「拙僧、京におります親しき人からたのまれ、匿うているのでおざるが……実は、山本半之助、敵《かたき》持ちの身でありましてのう」
「なるほど」
これで、小兵衛も納得がいった。
それにしても、ここまで、円照和尚が打ち明けたのは、よほどに秋山小兵衛に信頼をかけていたからであろう。
小兵衛の人柄や言動については、不二楼のあるじから、何かにつけて聞かされていたらしい。
また、何故《なぜ》、高橋三右衛門こと山本半之助の秘密を小兵衛へ洩らしたのかというと、それは、大治郎と半之助との交際がはじまったことを知ったからだ。
「御子息が、山本殿へ立ち入った振まいをなさらぬので、安心をしたのでありましょうな」
「なるほど」
「敵持ちの身となって、故郷を出てから二十余年。諸国を転々と逃げまわって暮しつづけてまいったのゆえ、さすがに、こころさびしいおもいをしているにちがいありませぬ。御子息と気が合《お》うたので、憂《う》さもまぎれているのでありましょうな」
「いかさまのう……」
「願わくば、いまの、このままで山本殿につき合うてやって下さるよう、御子息へおつたえ願えませぬか?」
「心得ました」
これより先、大治郎が、山本半之助の身性について問いかけたりしようものなら、半之助は危険を感じて、身を引いてしまうに相違ない。
半之助が、むかしは何処《どこ》の侍で、だれを殺害して逃亡者となったのか、それは知らぬ。和尚も、くわしくは語らなかった。
半之助が殺害した人物の子が、父の敵として半之助をつけねらっているとすれば、寸時の油断もならぬ。
敵持ちの恐怖というものは、尋常のものではない。
小兵衛も、むかし、敵持ちの剣客《けんかく》をひとり、知っていた。
この剣客は相当の腕前で、小兵衛から見れば、相手に見つけられても、
(返り討ちにするのは、わけもないこと……)
のようにおもえた。
しかし、その剣客は、呆《あき》れるほどに注意深く、むろん、本名を名乗らなかったし、夏の盛りでも、外へ出るときは笠《かさ》を深くかぶり、その笠の内から四方に目を配り、いつなんどきでも大刀を抜き打てる身構えをくずさなかったものだ。
当時の小兵衛は、まだ、辻平右衛門《つじへいえもん》道場にいて、剣客とは、師の道場で知り合った。
剣客は、道場の近くに棲《す》み、
(この道場なら大丈夫……)
と、見きわめをつけたかして、道場へ願い出て許され、稽古《けいこ》にあらわれるようになったのである。
剣の修行を怠っていることが、不安だったのであろう。
「このようにしてまで、生きているのは、まことに愚かなことだと、自分でもおもいますが……やはり、生きていたいのですかな。相手に見つけられたなら、討たれるもよし。また、返り討ちにするもよし。どうにでもなれと肚《はら》を据《す》え、もっと気楽に生きてみたいと、おもうにはおもうが、それができぬ。やはり、見つけられることが怖いのでしょう。われながら、なさけないことです」
と、中年の剣客は、小兵衛にいった。
彼もまた、小兵衛に、こころをゆるしていたからこそ、これだけのことを語ったのであろうが、しかし、本名も素性も口にはしなかった。
そのうちに、彼は、ふい[#「ふい」に傍点]と姿を消してしまった。
彼は彼なりに、逃亡者として何らかの危険がせまりつつあると感じたからであろう。
やがて、円照和尚は貞岸寺へ帰って行った。
小兵衛と、このように語り合ったことを、山本半之助には内密にしておくそうな。
その後で、小兵衛は、大治郎の家へ不二楼の若い者を使いに出した。
「ちょいと、来てもらいたい」
と、言づけた。
おはる[#「おはる」に傍点]は、舟を〔鯉屋《こいや》〕へあずけ、すでに不二楼へやって来て、主人夫婦の部屋で、
「旨《うま》いものを、たくさん……」
食べていたのである。
やがて……。
不二楼へあらわれた秋山大治郎は、父・小兵衛が待つ奥座敷へ入って来て、高橋|三右衛門《さんえもん》の本名を、父の口から聞かされるや、
「やまもと、はんのすけ……」
いいさして、絶句してしまった。
あきらかに、大治郎の顔色《がんしょく》が変っている。
小兵衛の言葉に、強い衝撃を受けたのだ。
「どうした?」
「いえ、別に……」
「別に、ということはあるまい。いってみよ」
「は……」
「この父にも、いえぬことか?」
「さようなことは……」
「山本半之助の名に、お前は、おぼえがあるのじゃな」
ぴしりといわれて、大治郎が何やら恨めしげに小兵衛を見やった。
「何じゃ、その目つきは……」
「父上……」
「む?」
そのとき大治郎が、がっくりと顔を伏せて、
「困りました」
ちからなく、いった。
「困ると……?」
「父上。私は知っているのです」
「だれを?」
「高橋……いや、山本半之助を父の敵として探しまわっている男をです」
「ほんとうかえ?」
「はい。私が江戸へもどる一年ほど前に、大坂市中の南の阿倍野《あべの》というところへ、小さな道場を構えている井関録之助《いぜきろくのすけ》という人と親しくなりまして、その道場に三月《みつき》ほど、足をとどめていたことがあります」
「ふむ……」
「そこに、橋本又太郎という浪人が、これまた滞留をしておりまして……」
「その橋本の父を、山本半之助が殺害したのじゃな?」
「はい」
「ふうむ……」
「橋本又太郎とは、たがいに呼吸《いき》が合いまして、いまも便りを交しております」
「まだ、井関道場にいるのかえ?」
「いえ、いまは、京の町医者・北岡|玄中《げんちゅう》方にとどまり、敵を探していると、去年の秋ごろに便りがありました。そのうちに、江戸へ出るつもりとしたためてあったので、会えるのを、たのしみにしていたのですが……」
「以前は、どこの家中なのじゃ?」
「出雲《いずも》の松江十八万六千石。松平家の家来だと聞きました」
「では、山本半之助も松江藩士であったわけじゃな」
「そのとおりです」
「大治郎……」
「は?」
じろりと、小兵衛が大治郎を見て、
「お前、山本半之助にも情が移ってしまったのであろう、どうじゃ?」
大治郎が、また、うつむいた。
小兵衛は立ちあがり、障子を開け、大川の闇《やみ》に向い合っていたが、
「むずかしいことになってきたのう」
「父上……」
すがりつくような大治郎の目《まな》ざしを振り切るようにして、
「これは、お前が、おもうようにするがいい。それも修行じゃ」
「ですが、あの……」
「ただし……」
「はい?」
「ただし、われら剣客の果し合いとちがって、一国の主君に仕えている侍の敵討ちというものが、いかなるものか……それを、よくよく考えてみるがよい」
いうや、身をひるがえし、秋山小兵衛は廊下へ出て行った。
「大治郎さんは、どうしたんですよう?」
あるじの居間から出て来たおはるが問いかけるのへ、
「めずらしく、考え事をしているのじゃ」
「あれまあ、こんなところで、考え事を?」
「そうとも」
小兵衛は、あるじの与兵衛《よへえ》へ、
「せがれに酒と、それから、何ぞ見つくろって、たのむ」
「はい、はい」
「それから、せがれが帰るときに、嫁と孫へ、何ぞ、みやげをな」
「承知いたしました」
「おはる」
「あい?」
「大分に、御馳走《ごちそう》を食べたようじゃな」
「たま[#「たま」に傍点]には、いいじゃありませんか」
「そのかわり帰ったら、わしが眠るまで、腰を揉《も》むのじゃ、よいな」
「あい、あい」
四
当時は、徳川将軍の威風の下に、諸大名がそれぞれの領国を治めていた〔封建〕の時代であった。
ために、A国の殺人犯が、B国の領内へ逃げ込んでしまうと、A国を治める大名が人数をさしむけて、これを追うことができなくなる。
せまい日本の中には、無数の国境が存在していたからだ。
〔国境〕を侵すことが、どのようなものかは、現代の世界諸国を想《おも》いみれば、たちどころにわかるであろう。
そこで、
「殺害された者の肉親が犯人を追って行き、死者の敵《かたき》を討つ」
ことが、武家社会の、不文律の制度として容認されたのである。
正当な敵討ちであれば、領主なり藩庁なりから、幕府へ届け出るし、諸国へ共通の書類が敵討つ者へ下付される。
ゆえに、これは親族の怨《うら》みをはらすばかりではなく、殺人犯人へ制裁をあたえるという、大きな意味がふくまれているわけだ。
父の小兵衛にいわれるまでもなく、このことを秋山大治郎は充分にわきまえていた。
なればこそ、苦悩が生まれた。
山本|半之助《はんのすけ》老人については、少女を救うために、無頼の中間の暴力に立ち向った姿を目撃して以来、好意を抱きつづけている。
だが、大坂の井関道場で知り合った橋本又太郎との親交も深い。
そのころの橋本又太郎は三十をこえたばかりだったから、いまは四十に近い。
父の敵・山本半之助を探しもとめて二十余年、妻もめとらず、したがって子もないが、故郷の松江城下には、老母が健在で、
「一日も早く……」
我が子の又太郎が、亡夫の敵を討って、めでたく故郷へ帰り、亡夫の跡をつぎ、松江藩士として家名を復活する日を待ちかねているはずだ。
井関道場に寄宿していたころの橋本又太郎は、早朝から門人たちへ稽古《けいこ》をつけ、昼前に道場を出て、大坂市中を歩きまわり、山本半之助を探しもとめていた。ときには泊りがけで京都へ出ることもあった。
「江戸へも、二度ほど出ていますよ」
と、又太郎は大治郎に語ったことがある。
「かならず、敵を見つけ出します。かならずです」
この信念にゆるぎがなく、又太郎は気力のおとろえを見せたことがない。
去年の秋に届いた手紙も、北陸から京都へもどって、敵を探している又太郎の元気な姿が彷彿《ほうふつ》としてくるような文面であった。
「いかがなされました?」
不二楼《ふじろう》から帰宅した大治郎の様子を見て、妻の三冬が、
「何ぞ、父上にお叱《しか》りでも?」
「いや、別に……」
「なれど、お顔の色が……」
「悪いか?」
「はい」
「私としたことが……」
いいさして大治郎が、苦笑を浮かべた。
「心配でございます。お聞かせ下さいませ」
「いずれ、はなす」
「いま、お聞かせを……」
「これは私の事ではない。案じなさるな」
「はい」
この夜、三冬は、となりの臥床《ふしど》で輾転《てんてん》と寝返りをしながら、夜が明けるまで寝つけなかった夫の様子に気づいていたが、朝になると、大治郎のこころは決まったようだ。
大治郎は、京都の柳馬場・五条上ルところの町医者・北岡玄中方にいる橋本又太郎へ、至急便を送ることにした。
これを、田沼屋敷を通じて送れば、特別の飛脚が東海道を走りぬき、四、五日で届くであろうと大治郎はおもった。
この際、老中《ろうじゅう》・田沼|意次《おきつぐ》のちから[#「ちから」に傍点]を借りるのは仕方もないことだ。
大治郎は筆を執って、手早く書状をしたためた。
山本半之助の所在がわかったから、すぐさま、江戸へ駆けつけて来るようにというものである。
又太郎が江戸へ到着するまでは、自分が半之助を見張るつもりであった。そこまで、大治郎は肚《はら》を決めた。
見張るまでもなく、半之助は当分、貞岸寺からうごくまい。
「では、御屋敷へ稽古に行ってまいる」
「はい」
小太郎を抱き、門口へ送って出た三冬が、めずらしく、
「お早く、お帰り下さいませ」
と、声をかけた。
「うむ」
田沼屋敷へ手紙をたのみ、稽古を終えて帰途についた大治郎は、
(自分の様子が、少しでも変っていたなら、高橋……いや、山本半之助に感づかれてしまうのではないか……)
と、おもった。
こうした場合になると、
(到底、父上のようにはまいらぬ……)
のである。
(まだ、山本半之助に会うだけの、心構えができていない)
このことであった。
一昨日までは、あれほどに好感を抱いていた老人を偽《いつわ》ることになる。
その老人を、親しい剣友に討たせるため、
(何くわぬ顔をして……)
それとなく、見張ることになってしまった。
人を偽ることが、悪であることはいうまでもない。
となれば、友の敵討ちをたすけるため、大治郎は偽りを為《な》さねばならぬ。
「人の世の善と悪とは、紙一重じゃ」
と、いつであったか、父の小兵衛がしみじみと洩《も》らした言葉を、いまさらに大治郎は、おもい知った。
(それにしても、あの老人は、いったい、どのような事情《わけ》あって、橋本又太郎の父親を殺害したのだろうか……?)
阿倍野《あべの》の井関道場で、又太郎が敵討つ身であることを打ち明けたとき、大治郎は、その事情を尋ねた。
すると、又太郎は、言葉を濁し、多くを語ろうとしなかった。
又太郎の父と山本半之助の争いは、どのような事情から生まれたのか、それは知らぬが、秋山小兵衛にいわせると、
「多くは、たとえば将棋や囲碁の勝負にこだわって喧嘩《けんか》になったとか、くだらぬ女出入りが因《もと》だとか……命の取りやりをするほどのことでもない場合が多いようじゃ。おかげで迷惑をこうむるのは、双方の家族というわけじゃ」
なのだそうである。
さて……。
いつの間にか秋山大治郎は、真土山聖天《まつちやましょうでん》・門前の月むらの前へさしかかった。
(やはり、今日は立ち寄るまい)
月むらへ入りかけて、おもいとどまった大治郎が、足を速めたとき、
「もし……もし、秋山さまではございませぬか?」
聖天宮の表門の蔭《かげ》から走り出て来た、どこかの寺の小坊主《こぼうず》が声をかけた。
「いかにも、私は秋山大治郎だが……」
「さようでしたか。私は、貞岸寺のものでござります。高橋|三右衛門《さんえもん》さまより、言《こと》づけをいいつかってまいりました」
「ほう……」
「今日は風邪をひかれまして、外へ出られませぬ。四、五日のちに、また、この蕎麦《そば》屋で、お目にかかりたいとのことでござります」
「おお、さようか」
何がなし、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたおもいで、大治郎はこころづけ[#「こころづけ」に傍点]を紙へ包み、
「甘いものでもおあがりなさい」
「いえ、そのようなことは……」
「ま、ほんのお礼まで。さ、遠慮をなさるな」
「では……」
小坊主は、うれしげに顔を赤らめ、
「かたじけのうござります」
金包みを押しいただき、小走りに去って行った。
(四、五日のちか……)
そのころには、田沼屋敷を通じて発せられた至急便は、橋本又太郎の手許《てもと》へ届いているやも知れぬ。
五
高橋|三右衛門《さんえもん》こと山本|半之助《はんのすけ》の風邪は、意外に長引いた。
春の足音は、すぐ、そこまで近寄っているが、こういうときには、急に冷え込みが強《きつ》くなったり、雪が降ったりするもので、大治郎が貞岸寺の小坊主《こぼうず》に声をかけられた翌日の宵《よい》から降り出した雪は、その翌日まで降りつづいた。
これが、いけなかったらしい。
その雪の中を、大治郎は月むらへ出むいたが、またも小坊主があらわれ、
「高橋さまは昨夜から、熱があがりまして……」
と、告げた。
「大事ないのでしょうな?」
「はい。温くして寝ていれば、よいとのことでござります」
「さようか……」
「歩けるようになりましたら、この蕎麦《そば》屋へ、かならずまいるとのことでござりました」
「よろしく、おつたえ下さい」
「はい。では、これにて……」
「お待ちなさい。蕎麦をつき合って下さらぬか」
「いえ、そのような……」
「ま、よろしい。ここの、あられ[#「あられ」に傍点]蕎麦は旨《うま》い」
「さようでござりますか」
「ま、お坐《すわ》りなさい」
「では、遠慮なしに、そうさせていただきまする」
大治郎は、この様子なら、わざわざ、貞岸寺の山本半之助を、
(見張ることもあるまい)
と、感じた。
半之助は、いささかも大治郎をうたがっていない。
たがいに深く踏み込まず、浅いまじわりをたのしむことができて、半之助の、不安と恐怖にさいなまれる孤独な明け暮れにも、微《かす》かな明るみがただよいはじめたにちがいなかった。
また、数日がすぎた。
橋本又太郎は、おそらく、大治郎の手紙を見て、京都を発し、江戸へ向いつつあるだろう。
大治郎は、井関道場で、何度も又太郎に稽古《けいこ》をつけてやっていたし、又太郎の剣の力量を知りつくしている。
(山本半之助は、到底、橋本又太郎を返り討つことはできまい)
気魄《きはく》のこもった又太郎の打ち込みを、大治郎がもてあますこともたびたびであった。
(このまま……橋本が江戸へ到着するまで、半之助の風邪が癒《なお》らぬとよいのだが……)
われ知らず大治郎は、そのようなことまでおもいはじめている。
あれから、秋山小兵衛は大治郎宅へ顔を見せなかった。
大治郎も、また、父の隠宅を訪れるのが憚《はばか》られた。
何か、父の言葉を聞くのが、
(怖いような……)
気がする。
いや、たとえ、橋本又太郎と山本半之助について、父に問いかけられなくとも、自分を見つめる父の眼《め》を避けたかった。
田沼屋敷内の道場で、田沼家の家来たちに稽古をつけていても気が入らず、
「秋山先生は、どうかなされたのではないか?」
「いや、わしもそうおもっていたのだ」
家来たちが、ひそかにささやき合っている。
このような経験は、大治郎にとって、はじめてのことであった。
(あの老人は、これほどまでに、私の胸の内へ入り込んでいたのか……)
このことである。
その日。
田沼屋敷の稽古日ではなかった。
(もう、そろそろ、橋本又太郎は江戸へ到着するのではないか……)
そうおもうと、気が気ではない。
大治郎は、又太郎への手紙に、貞岸寺の所在をもしたためておいた。
ゆえに、自分が家を留守にしていても、橋本又太郎は独自の行動ができるはずだ。
又太郎も、大治郎の手紙を見たからには、まっしぐらに江戸へ駆けつけて来るであろう。
京都から江戸まで百二十五里二丁。
常人ならば、約半月の日数を要するが、剣の修行に鍛えぬかれ、旅なれている橋本又太郎が全力をつくして道を急ぎ、駅馬や駕籠《かご》を利用するとなれば、
(七日か、八日で江戸へ到着するのではないか……)
と、大治郎は考えている。
その日の朝の稽古を、ざっとすませ、昼すぎになると、
「後をたのむ」
笹野《ささの》新五郎と飯田粂太郎《いいだくめたろう》に門人たちの稽古をまかせ、秋山大治郎は、塗笠《ぬりがさ》をかぶって家を出た。
今日も、何となく、落ちついていられぬ。
(おれとしたことが……)
自分の修行の拙《つたな》さが、いまさらにおもいやられ、胸の内が重苦しい。
我知らず、大治郎の足は、貞岸寺の方へ向っている。
空は、晴れあがっていた。
陽光は明るく、あたたかく、道行く人びとの眉《まゆ》もひらき、歩みぶりもゆったりとしているようだ。
これからは一雨《ひとあめ》ごとに、あたたかくなるのであろう。
(あの老人。まだ、風邪が癒らぬのか……?)
気がかりである。
何日も見ぬ山本半之助の顔や、物静かで上品な言葉づかいが、なつかしい。
(だが、あの老人を、おれは橋本又太郎に討たせようとしている)
今戸《いまど》から右へ切れ込み、源寿寺の横道を新鳥越町《しんとりごえちょう》三丁目の通りへ出た大治郎は、貞岸寺の門前に立ちどまってから山谷堀《さんやぼり》へ出た。
そして、今戸橋のたもとから山谷橋のたもとまで行き、草地の向うの貞岸寺の裏門を笠の内からながめたりした。
こうした大治郎の姿を、凝《じっ》と見まもっていた老人がいる。
ほかならぬ山本半之助であった。
そのとき山本老人は、貞岸寺と道をへだてて真向いにある小さな煙草《たばこ》屋で愛用の薩摩刻《さつまきざ》みを買い、道へ出ようとしたところであった。
老人は、この日、床ばらいをし、
「ちょ[#「ちょ」に傍点]と、足ならしに……」
と、煙草を買いに、久しぶりで外へ出た。
煙草をのむ気分が出たのだから、風邪は癒ったのである。
で、山本半之助が、
「秋山殿……」
よびかけようとして、声をのんだ。
折しも、貞岸寺の小坊主が表門から道へ出て来た。
と、そのとき、縁へ手をかけて塗笠を少しあげ、立ちどまって貞岸寺の境内を見つめていた秋山大治郎が、はっ[#「はっ」に傍点]として素早く身を返し、今戸橋の方へ去った。
小坊主は、それ[#「それ」に傍点]と知らずに山谷の方へ小走りに行く。和尚《おしょう》の使いに出たのだ。
(はて……?)
山本半之助は、通行の人びとにまじって遠去かる大治郎の後姿を見まもった。
貞岸寺の小坊主には、半之助が二度にわたって大治郎へ言づけをたのんだ。
その顔見知りの小坊主が表門から出て来るのを見るや、大治郎はこれを避けるようにして立ち去ったことになる。
これが、山本半之助には気に入らなかった。
(何故《なぜ》、秋山殿は、小坊主と顔を合わせるのをきらったのか?)
もしも大治郎が半之助の病状を気にかけているのなら、小坊主を避けるどころか、むしろ、よびとめて、
「高橋三右衛門殿の御容態は、いかが?」
と、尋ねるはずではないか。
町家の軒下を伝うようにして、山本半之助は今戸橋のたもとまで行き、大治郎が山谷橋をわたって去るまで、ひそかに凝視をつづけていた。
その半之助を、通りがかりの男が見かけて、
(あっ。あのときの……)
血相を変えた。
こやつ、山本老人に叩《たた》き伏せられた、あのときの渡り中間《ちゅうげん》であった。
山本半之助は大治郎に気をとられてい、このことに、まったく気づかぬ。
あたたかく晴れあがった午後のことで、人通りも多かった。
やがて、やや蒼《あお》ざめた顔色《がんしょく》となって、老人は貞岸寺の裏門の内へ入って行った。
六
浅草寺《せんそうじ》へ参詣《さんけい》をすませてから、秋山大治郎は当所《あてど》もなく歩みつづけた。
(こうしているうちにも、橋本又太郎が、おれの道場へあらわれているのではないか……)
おもいながらも、家へ帰る気にもなれなかった。
浅草|田圃《たんぼ》から、下谷《したや》の竜泉寺《りゅうせんじ》を経て三《み》ノ輪《わ》の往還へ出た大治郎は、ふと、根岸《ねぎし》の和泉屋《いずみや》の寮へ老僕の嘉助《かすけ》を訪ねてみようとおもったが、それも面倒になり、三ノ輪の西光寺《さいこうじ》の手前から右へ入り、
(ともかくも、家へ帰ろう)
引き返すことにした。
昼すぎに家を出てから、さほどに時間がたっていないようにおもったが、田地の雑木林の小道には、淡い夕闇《ゆうやみ》がただよっている。
木立の何処《どこ》かで、しきりに鴉《からす》が鳴いていた。
と……。
前方で、人の叫び声がした。
(何か……?)
数人の男の怒鳴り声であった。
(また、無頼どもが怪《け》しからぬまね[#「まね」に傍点]をしているのか……)
このあたりの、この時刻では、そうとしかおもえぬ。
大治郎は走り出した。
もう少しで、山谷堀《さんやぼり》から千住《せんじゅ》大橋をむすぶ往還に出る。
左手の雑木林へ、だれかが駆け込み、これを四人の男が抜刀して追って行くのが見えた。
畑道から、大治郎は一気に木立の中へ走り込み、
「あっ……」
立ちすくむかたちとなった。
旅姿の山本|半之助《はんのすけ》を、あの渡り中間と三人の浪人が取り囲んでいるではないか。
半之助は袴《はかま》をつけずに裾《すそ》を端折《はしょ》り、白の手甲《てっこう》・脚絆《きゃはん》という姿《いでたち》で、小荷物を背負い、杖《つえ》を……いや、仕込杖を構えている。
杖に見せかけて、引きぬけば無反《むぞり》の刀身があらわれる。
白髪《しらが》の山本老人は必死の面《おも》もちで、低く腰を沈め、仕込みの刀を正眼に構えている。顔に脂汗《あぶらあせ》が浮いていた。
四人に囲まれては、どうにもならぬ。
渡り中間は、博奕《ばくち》仲間の無頼浪人どもを金で駆りあつめ、山本半之助へ復讐《ふくしゅう》しようとしているのだ。
「早く、片づけておくんなせえ」
と、中間が喚《わめ》いた。
「よし」
屈強の浪人が半之助へせまり、大刀を打ち込んだ。
「む……」
危く躱《かわ》した半之助へ、
「それっ!!」
側面から、別の一人が斬《き》りつけかけたとき、木蔭《こかげ》から躍り出した秋山大治郎が、こやつを突き飛ばしざま、半之助へ追い打ちをかけようとした浪人を抜き打ちに斬った。
殺すつもりではなかったから、浅く肩を切ったのである。
「あっ……」
「だ、だれだ!!」
「畜生!!」
大治郎めがけて斬り込んで来た浪人の刀を打ちはらいざま、刀身を反《かえ》し、突き飛ばしておいた別の浪人の頸《くび》すじを峰打ちにした。
「むうん……」
がっくりと膝《ひざ》を折り、倒れ伏した浪人を見て、渡り中間は気が狂ったように逃げ出した。
「おのれ」
「くそ!!」
肩を切られた浪人と、もう一人の浪人は屈せずに大治郎へ立ち向って来た。
一歩|退《しさ》って、山本半之助を見やった大治郎が、
「山本殿。お待ちなさい」
声をかけた。
それにこたえようとはせず、山本半之助は木立の奥へ走り込もうとしている。
「待たれい」
大治郎は、あわてた。
おもわず、老人の本姓をよんでしまったからだ。
「たあっ!!」
猛然と襲いかかる浪人の刃風は、意外に鋭い。
大治郎の躰《からだ》が、くるり[#「くるり」に傍点]とまわった。
躱されてたたら[#「たたら」に傍点]を踏む敵にはかまわず、別の一人へせまった大治郎が身を沈め、胴をはらった。
「わ……」
刀を放《ほう》り捨てて、のめり倒れたのは、浅手を負った浪人である。
「や、えい!!」
最後の一人は、逃げようともせず、大治郎へ斬りつけ、突きを入れ、激しく攻めたててくる。
この浪人は、いかにも兇悪《きょうあく》な面《つら》がまえで、腕もたつ。
足場のわるい木立の中なのに、獣のような敏捷《びんしょう》さで斬りつけてくる浪人の刃風を躾す一方であったが、木立から畑道へ後退した秋山大治郎が、すっ[#「すっ」に傍点]と腰を伸ばし、
「おのれを生かしておいては……」
刀身を反して、ぴたりと正眼につけると、
「う……」
浪人は、もう一気に斬り込めなくなった。
息もつかせずに斬りたててきただけに、こうなると、浪人の呼吸が、かなり乱れている。
大治郎の躰が二倍にも三倍にも見え、別人のような威圧を受けて、今度は浪人が畑道をじりじりと後退する。
と、大治郎がするする[#「するする」に傍点]と近寄った。
「うぬ!!」
呼吸をととのえようとしてかなわず、したがって反撃をすることもできぬうちに、大治郎の一刀が浪人の右腕へすべり入った。
「ああっ……」
刀の柄《つか》を握ったままの浪人の手首が地に落ち、狼狽《ろうばい》して身を捩《よじ》り、木立の中へ逃げ込もうとする側面へまわった大治郎が、浪人の左頸部《さけいぶ》の急所をはね[#「はね」に傍点]斬りざま、絶叫をあげて倒れるのへ見向きもせず、山本半之助を追って走り出した。
だが、ついに、老人を見つけることはできなかった。
おそらく老人は、走る足で大治郎を引き離したのではあるまい。
二十年もの間、夜も昼も追われつづけてきた敵《かたき》持ちの本能と知恵で、身を隠したにちがいない。
山本半之助は、おもいのほかに、間近な場所に潜《ひそ》み隠れていて、走り去る大治郎を見ていたのやも知れぬ。
○
夜に入って、疲れ切った秋山大治郎が家へもどると、京都から至急便が届いていた。
それは、橋本又太郎が身を寄せていた町医者・北岡|玄中《げんちゅう》からの手紙であった。
手紙を読み終えた大治郎が微《かす》かに呻《うめ》いた。
「いかがなされました?」
と、三冬。
大治郎は、こたえず、手紙を三冬へわたした。
北岡玄中の手紙によると、橋本又太郎は約一ヶ月も前に、冥土《めいど》へ旅立っていたことになる。
死の前日は、いつものように朝から北岡宅を出た橋本又太郎が、めずらしく日暮れ前に帰って来たのを、玄中の妻女がおぼえていた。そのとき、又太郎は、
「いささか疲れましてな」
と、妻女にいい、夜も早目に臥床《ふしど》へ入った。
又太郎がいた部屋は奥庭の茶室で、翌朝、北岡家の女中が又太郎の死体を発見した。
又太郎は仰向《あおむ》けに寝たまま、おだやかな死顔であったそうな。ただ、左の鼻孔から血がながれていた。
いずれにせよ、就寝中に何かの発作が急激に起り、息絶えたものらしい。
北岡玄中は、去年の夏ごろ、三条大橋のたもとで二名の酔漢に因縁をつけられ、難渋しているところへ、通りかかった橋本又太郎が酔漢を追いはらってくれた。
それが縁となって、又太郎は北岡家へ寄宿するようになったのだが、
「橋本殿の生国は出雲《いずも》とのみ、耳にしていたなれど、他の事はいっさい聞いておらず、そちらからの急ぎの便を受け取りましたが、さて、いかがしたらよいものかと、おもい迷いました」
と、北岡玄中は手紙にのべている。
こうしたわけなので、一時は、大治郎からの手紙を開封してみようとも考えたが、それは、あまりに立ち入ったことになるとおもい直し、封を切らぬまま、そちらへもどすことにしたというのだ。
北岡玄中は、よほどに思慮の深い人物とみえる。
まさに、開封されぬままの大治郎の手紙が、同封されていた。
橋本又太郎の遺体は、町奉行所へ届け出た上で、とりあえず北岡玄中の菩提寺《ぼだいじ》へ埋葬したが、もしも、そちらで、又太郎の身寄りの方々を御存知《ごぞんじ》ならば、この旨《むね》を、
「御知らせ願いたく存ずる」
と、玄中はしたためている。
「これは、いったい、どのようなことでございます?」
「三冬。酒をたのむ」
「はい」
「いま、ゆるりとはなす。聞いてもらいたい」
その翌朝。
まだ、暗いうちに秋山大治郎は家を出て、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅を訪れた。
目をこすりこすり、寝所から出て来た秋山小兵衛は、北岡玄中と大治郎の手紙を読み終え、
「国許《くにもと》を出てより、二十年か……」
「このような死様《しによう》をする又太郎とはおもえませんでしたが……」
「敵を探しまわっての二十年。この歳月の重さは、常人の四十年にも匹敵しようよ」
「ですが父上、あの山本半之助は、又太郎よりも、はるかに年上です。それなのに……」
「ふむ。老人なれど、よほどに芯《しん》が強いのであろう」
「父上……」
「何じゃ?」
「この事を、松江の藩中へ知らせてやらなくてはなりますまい」
「そうじゃな」
愛用の銀煙管《ぎんぎせる》へ、しずかに煙草《たばこ》をつめながら、小兵衛が、
「さすれば、国許で、父の敵を討って又太郎がもどる日を待ちかねている、老母の耳へも入ることになる」
「まことに、もって、気の毒な……」
「いま一つ」
「は……?」
「橋本又太郎の急死が、やがて、山本半之助の耳へつたわるやも知れぬわえ」
「………?」
「松江藩には、山本半之助の身寄りの者が一人二人はいよう。その人びとが半之助と連絡《つなぎ》をとっていることも考えられる。どうじゃ、そうおもわぬか?」
「まさに……」
「山本半之助は、橋本又太郎の死を知らず、これよりも朝な夕なに又太郎があらわれることを恐れ、怯《おび》え苦しみつつ、諸方を逃げまわりながら日を送る。それが、又太郎や、又太郎の亡《な》き父親への供養《くよう》ともなるのではないか。それがまた、おのれが犯した罪の報いというものじゃ……と、わしはおもう」
「は……」
「お前は、お前の考えで、おもうようにするがよい」
こういって小兵衛は、さっさと、また寝所へ入ってしまった。
秋山大治郎は、二通の手紙を前にして、身じろぎもしなかった。
朝の光りが明るみを増しつつあった。
開け放った障子の向うの前庭から、土の匂《にお》いとも物の芽の匂いともつかぬ……いうならば、春の香りが朝の大気と共にただよってきた。
台所にいたおはる[#「おはる」に傍点]は、寝所へ入って、小兵衛に何かいっているようだったが、やがて、居間へあらわれ、
「ほんとうに、うち[#「うち」に傍点]の大《おお》先生ときたら、愛想がないのだからねえ」
つぶやいたが、大治郎は両眼を閉じたままだ。
おはるは、台所へ入り、味噌《みそ》を揺《す》りながら、
「まったく、うち[#「うち」に傍点]の父子《おやこ》は変っている」
また、つぶやいた。
しばらくして、おはるが居間をのぞいて見ると、いつの間にか、大治郎の姿は消えていた。
罪ほろぼし
春の夕焼け空に、群雀《むらすずめ》が音をたてている。
何百何千といってよいほどの群雀が、おのれの身を羽で打ちつつ、舞い狂っているのだ。
「あの音は?」
こういって、若者が女の乳房へ埋めていた顔をあげた。
総髪《そうがみ》を無造作に、茶筅《ちゃせん》に束ねている若者は、二十《はたち》をこえたばかりで、名を永井源太郎という。
質素な身なりだが、袴《はかま》をつけ、大小の刀を帯しているからには浪人なのであろう。
ただし、いまの若者は、身に一糸もまとっていない。
女のほうも裸身を薄汗に濡《ぬ》らして、若者と……いや、永井源太郎と抱き合っている。
「群雀でございますよ」と、こたえた女の名は、おふく[#「おふく」に傍点]といい、亡夫が残した幾許《いくばく》かの田地を耕しながら、七つになる男の子を育てている農婦だ。
おふくは、三十に近い年ごろであろう。
肩も胸もひろく、腰もふとやかで、小柄《こがら》な源太郎がおふくの胸に顔を埋めていると、母鳥が子鳥を翼で抱えているような感じがする。
ここは、秋山|小兵衛《こへえ》の隠宅がある鐘《かね》ヶ淵《ふち》からも程近い若宮村の、雑木林の中の小さな百姓家で、おふくの子で七つになる亀松《かめまつ》は昨日から、関屋村のおふくの実家へ泊りがけで遊びに出ていた。
「源太郎さま。そろそろ、お仕度をしなさらぬと……」
と、おふくが源太郎の耳を唇《くちびる》でまさぐるようにしてささやく。
おふくの顔だちは、まっくろに陽灼《ひや》けをしている上に、造作のどこをとってみても見映えがせぬ。
だが、裸になると、衣服に被《おお》われた部分の肌《はだ》の白さ、瑞々《みずみず》しさは意外なほど、若々しい。
永井源太郎のほうは、おふくより七つ八つは年下の上に、浪人ながら品のよい顔だちをしているし、どう見ても、この取り合わせは妙といわねばなるまい。
「おふく……」
「あい」
「十日後に、また……」
「待っていますよ」
おふくが双腕《もろうで》にちから[#「ちから」に傍点]をこめて源太郎を抱きしめ、やさしく唇を吸ってやった。
「ああ、おふく……」
「あれ、もう、そんなことを……いけませんよ、源太郎さま。そろそろ、啓養堂《けいようどう》さんへもどらぬと……」
「うむ」
素直にうなずき、源太郎は半身を起した。
やがて……。
衣服を身につけ、大小を手にした永井源太郎が、おふくに見送られて百姓家を出て行った。
このとき、おふくのほかに、源太郎を見送っていた男が二人いた。
木蔭《こかげ》から、ひそかに、源太郎が出て来るのを待っていたのである。
「あれが、その用心棒か」
つぶやいたのは、これも総髪の浪人者だ。
「そうなので」
こたえたのは四十がらみの町人で、二人とも、なかなか贅沢《ぜいたく》な身なりをしている。
「あのような若者《こども》一匹を恐れていては、何もできはせぬではないか。鎌島《かましま》のお頭《かしら》もどうかしている」
「ですが先生。お頭は、むかしから、念には念を入れるほうなので……」
「いや、耄碌《もうろく》をしたのであろうよ」
町人は黙った。
「よし。まかせておけ」
「それでは、引き受けておくんなさるのでござんすね」
「五十両という約束だな」
「半金の二十五両を、おわたしいたします」
町人は、ふところから素早く、袱紗《ふくさ》に包んだ金を浪人へわたした。
「うむ」
うなずいて、金をふところに入れながら、浪人が木蔭から歩み出すのへ、
「これから、おやんなさるので?」
「やれたら、な。早いほうが、そっちにも好都合なのではないか」
「そりゃあ、もう……」
何も知らぬおふくは、すでに家の中へ入ってしまっていた。
夕闇《ゆうやみ》が濃くなってきはじめた。
群雀は、まだ騒いでいる。
一
この日。
秋山小兵衛は、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者・小川|宗哲《そうてつ》を訪れ、例によって碁を囲み、
「ま、今日は一つ、夕餉《ゆうげ》をすませてから、ゆっくりと……」
などと、宗哲がいっているうちに、急病の患者が出た。
「仕方もない。いずれ、また」
小兵衛を残し、宗哲が医生と薬籠《やくろう》持ちを従え、外へ飛び出して行ったものだから、
「やれやれ……敵《かたき》を討ちそこねたわえ」
あきらめた小兵衛は、帰途についた。
そして、小梅の常泉寺・門前の茶店で売っている蓬餅《よもぎもち》がおはる[#「おはる」に傍点]の好物なのをおもい出し、立ち寄って買いもとめた。
小兵衛は着ながしに羽織をつけ、腰には国弘《くにひろ》の脇差《わきざし》一つを帯したのみで、手には竹の杖《つえ》という姿《いでたち》であった。
寺嶋《てらじま》村のあたりの雑木林の中を、小兵衛は我が家へ急いだ。
夕闇《ゆうやみ》が濃い。
木の間ごしに、畑の道を向うから若い浪人がやって来るのを小兵衛は見た。
(おや……?)
小兵衛は、はっ[#「はっ」に傍点]と足をとめ、木蔭《こかげ》へ身を寄せた。
若い浪人の背後の木立から、これまた浪人……というよりは剣客《けんかく》らしい男があらわれ、ゆっくりと大刀を引き抜くのが目に入ったからだ。
若い浪人は、まったく、これに気づかぬ。
総髪の剣客らしい男は履物をぬぎ捨て、足袋跣《たびはだし》となってい、音もなく若い浪人の背後から間合いをせばめ、接近しつつあった。
(卑怯《ひきょう》な……)
見なければともかく、目に入ったからには秋山小兵衛、黙って見すごすわけにもまいらぬ。
木の間から走り出た小兵衛が、
「お気をつけなされ」
若者へ声をかけておいて、
「何者だ!!」
総髪の男を叱咤《しった》した。
若い浪人……すなわち、永井源太郎もおどろいたが、先程、おふく[#「おふく」に傍点]の家を出た源太郎を、ここまで尾行して来た浪人も愕然《がくぜん》となった。
「ちぇっ……」
舌打ちをし、源太郎の暗殺をあきらめた浪人が身をひるがえして逃げにかかる、その背中めがけて、小兵衛が竹の杖《つえ》を投げつけた。
生き物のように夕闇を切り裂いて疾《はし》った竹杖が、浪人の背へ打ちあたり、
「う……」
一瞬、浪人は身を捩《よじ》るようにしたが、必死で逃げた。
「あの者を御存知《ごぞんじ》か?」
左手の蓬餅の包みを落しもせぬ小兵衛が問うや、永井源太郎が、
「存じませぬ」
「おてまえを、後ろから尾《つ》けて来て、斬《き》ろうとしたのじゃ」
「は……」
「何ぞ、おぼえがおありか?」
「別に、ございませぬ」
「ふうむ……」
落ちつきを取りもどした源太郎が、其処《そこ》へ両膝《りょうひざ》を折り、手をついて、
「危いところを、お助けいただき、かたじけのう存じます。私は、永井源太郎と申しまする」
若い浪人にしては、おもいもかけぬ折目正しい挨拶《あいさつ》を受け、
「これはこれは、ごていねいに……」
小兵衛は、目をみはったが、
「秋山小兵衛でござる」
名乗るや、今度は永井源太郎が瞠目《どうもく》し、
「それでは、あの、無外流《むがいりゅう》の秋山先生でありましょうか?」
「はい。いかにも……」
「さようでございましたか」
と、この若者は立ちあがりかけていた躰《からだ》を再び沈め、
「その節は、まことにもって、御迷惑をおかけいたしました。私は、永井|十太夫《じゅうだゆう》の倅《せがれ》・源太郎でございます」
と、両手をつき、深ぶかと頭を垂れた。
「おお……」
小兵衛は、五年前の〔辻斬《つじぎ》り〕事件をおもい出した。
〔永井〕という姓は同じながら、まさかに、この若者が十太夫の一人息子だとはおもわなかった。
まことにもって、意外の遭遇といわねばなるまい。
源太郎の父・永井十太夫|元家《もといえ》は千五百石の旗本であり、幕府高官の中でも、ひときわ目立つ〔御目付衆《おめつけしゅう》〕の一人であった。
目付役は、若年寄《わかどしより》の耳目となって幕臣を監察するわけだが、そればかりではない。さまざまな政治向きの書類の検討もするし、江戸城中の巡視その他を兼ね、わが意見を直接に将軍へ申したてることができるという特権をもつ。
ために、幕府最高の権威を所有する老中《ろうじゅう》といえども、
「一目を置く」
とさえ、いわれている。
そうした権威ある御役目についていただけに、いつしか永井十太夫は傲慢《ごうまん》になっていたのであろう。
それが汚職をするとか、色欲をほしいままにするとか、そんなことならまだしも、何と十太夫は辻斬りをはじめたのだ。
当時、四十一歳の十太夫は六尺ゆたかの巨漢であり、直心影流《じきしんかげりゅう》の剣士でもあった。
刀だめしの辻斬りをやったのが病みつきとなり、四、五人は辻斬りにかけたらしい。
そのうちに、谷中《やなか》の坂で、秋山小兵衛に斬りつけ、ひどい目にあわされたのが端緒となり、小兵衛・大治郎《だいじろう》の秋山|父子《おやこ》の活躍によって、永井十太夫が捕えられたいきさつ[#「いきさつ」に傍点]は、〔辻斬り〕の一篇にのべておいた。
十太夫は幕府から切腹を申しつけられ、主人の辻斬りの供をしていた二人の家来も死罪になり、千五百石の家は取り潰《つぶ》しとなった。
そのことは、秋山小兵衛も耳にしていたが、家族の行末については何も聞いてはいなかっただけに、突然、十太夫の息子だと名乗られ、おどろきもし、
「あなたがのう……」
いいさして、後の言葉が咄嗟《とっさ》には出なかった。
「お上《かみ》のお情をもちまして、これまで生きつづけてまいりました。まことに、秋山先生には御迷惑を……」
皮肉でも何でもない。こころから亡父の罪をわびているのだ。
「母御は、どうなされた?」
「先年、亡《な》くなりました」
「それはそれは……」
「いまは、また、危いところを、お助け下さいまして、かたじけなく……」
「まあ、よろしい。妙な御縁じゃな」
「秋山先生には、何処《いずこ》にお住いでありましょうか?」
「この先の、鐘《かね》ヶ淵《ふち》に隠宅をかまえていますよ」
「うけたまわりました。あらためて、御挨拶にまかり出《いで》ます。いまは、こころ急ぎますゆえ、これにて……」
「お帰りか?」
「はい。日々の役目がございます」
「お役目……?」
「さる商家の、金蔵を警固しております」
「ほう……」
「では、ごめん下され」
一礼し、立ちあがった永井源太郎は本所の方へ駆け去って行く。
その姿が濃い夕闇の中に見えなくなってから、
「ふうむ、おどろいたわえ」
さすがの秋山小兵衛が、唸《うな》るようにつぶやいた。
いかに大罪を犯した父とはいえ、これを摘発した小兵衛を怨《うら》むでもなく、ひたすら、父の罪をわびた永井源太郎のいさぎよさに、小兵衛は感じ入った。
あの事件がなければ、源太郎は近い将来に、千五百石の当主にもなれたのである。
(商家の金蔵の警固というたが……)
つまりは、商家の〔用心棒〕をしているらしい。
近年は世の中が物騒になるばかりで、大きな商家では、浪人の中でも人柄《ひとがら》のしっかりした者を雇い入れ、盗賊や脅迫にそなえている。
(なるほど。あれほどの若者なれば、雇い主にも気に入られていよう)
それにしても、千五百石の大身《たいしん》を継ぐべき身が、商家の用心棒とは……。
小兵衛が見たところ、永井源太郎は、それほどの剣士ともおもえぬ。
先刻も、小兵衛がいなかったら、あの中年の浪人者に背後から襲われ、いまごろは息絶えていたろう。
(あの曲者《くせもの》は何処へ逃げたか……また何故《なぜ》、源太郎を密《ひそ》かに殺害しようとしたのか……?)
暗い道を歩みつつ、秋山小兵衛の胸は、急に昂《たか》ぶってきた。
二
日本橋・本町四丁目に〔啓養堂《けいようどう》・小西|彦兵衛《ひこべえ》〕という薬種問屋がある。
この薬舗の朝鮮人参は、江戸でも有名なもので、幕府の医官たちも用いているそうな。
そのほかにも〔神妙丸《しんみょうがん》〕という丸薬があって、ほかならぬ秋山小兵衛の老友・小川宗哲も、
「うまく用いると、なかなかに、よく効く」
と、いっていた。
店舗の表構えは、さしたるものではないけれども、奥行が深く、江戸でも屈指の富商といわれている。
この啓養堂の店先の傍《わき》にある通用口から、永井源太郎が中へ入って行ったとき、すでに夜となっていた。
「今日は、お帰りが遅うございましたね」
台所の方から出て来た中年の女中のおきね[#「おきね」に傍点]が、源太郎へ声をかけた。
「さよう」
軽く頭を下げ、源太郎は台所からも近い一|間《ま》へ入った。
六畳の、この部屋で永井源太郎は寝起きしている。
啓養堂の奉公人たちの大半は、源太郎に親しげな目を向け、敬意のこもった言葉をかけるけれども、若い奉公人の中には、微《かす》かな嘲笑《ちょうしょう》のようなものがふくまれた目つきで源太郎を見る者がいないでもなかった。
女中のおきねが、源太郎の部屋へ夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来て、給仕をした。
食事を終えて一刻《いっとき》(二時間)もすると、店の小僧たちが源太郎の部屋へあつまり、読み書きの稽古《けいこ》をする。
それが終るころには夜も更《ふ》け、奥の主人夫婦や家族たちも寝間へ入ってしまう。
永井源太郎の〔役目〕は、このときからはじまる。
源太郎は先《ま》ず、裁着袴《たっつけばかま》をはき、大小の刀を帯び、襷《たすき》をかける。
まるで、果し合いにでも行くような姿《いでたち》となるので、
「大げさなことだねえ」
「あんな朴念仁《ぼくねんじん》に見えて、けっこう芝居っ気《け》があるのだからおどろくよ」
「もっとも、用心棒として、あんなかたちを見せなくては、旦那《だんな》から給金をもらいにくかろう」
などと、蔭口《かげぐち》を叩《たた》いていた手代たちもいたようだ。
さて……。
身仕度ができると、永井源太郎は矢種を背負い、手に半弓を持つ。
「おどろいたね、どうも……」
「関ヶ原へ御出陣というわけかい」
はじめのうちは、びっくりして蔭口をきいていた者たちも、このごろでは、めずらしくもなくなったのか、何もいわぬ。
源太郎が啓養堂の用心棒になってから、一年余りにもなるのだ。
屋内が、すべて寝しずまると、源太郎は弓を小脇《こわき》に、金蔵を中心にして単身の警備につく。
「あんなまね[#「まね」に傍点]をしておいて、実は居眠りでもしているのだろうよ」
と、物好きな奉公人が三人ほど、いつであったか、八ツ半(午前三時)ごろに起き出し、そっと様子をうかがうと、永井源太郎は金蔵の前に坐《すわ》り込み、半弓を手許《てもと》に置き、両腕を組み、あたりへ油断なく目をくばっているではないか。
それのみか、柱の蔭から様子をうかがっている奉公人たちへ、
「まだ、起きておられたのか」
声をかけてよこしたものである。
暗い廊下をへだてて、こちらの姿が見えるはずはないとおもっていただけに、
「いやもう、まったく、おどろいた」
と、彼らは他の奉公人へ告げた。
「ありゃあ、本物だよ」
蔭口が消えたのは、そのとき以来であった。
けれども、いまだに、すべての人びとが源太郎のしていることに敬意をはらっているわけではない。
ただし、女中や小僧たちの人気は、まことに大きい。
半年も前のことだが、源太郎の悪口をいった手代へ、小僧のひとりがつかみかかり、大喧嘩《おおげんか》になったこともある。
さて……。
この夜の永井源太郎も、例によって武装をととのえ、例のごとく警備についた。
(おれを殺害しようとした、あの侍は何者なのか?)
いくら考えてもわからぬ。
総髪《そうがみ》の、浪人者というよりは剣客ふうの侍であった。
飛び出した秋山小兵衛に追い退《の》けられたときの、刺客《しかく》の無念そうな白い眼《め》が源太郎の脳裡《のうり》にやきついている。
一瞬のことだったし、濃い夕闇《ゆうやみ》の中で見ただけに、源太郎には刺客の顔だちが、はっきりとつかめていなかった。
それにしても、
(あのような侍から、怨《うら》みを受けるおぼえはない)
また、辻斬りが自分のふところをねらっていたとも考えられぬ。
こちらは二十二歳の若者で、身につけているものも、おふく[#「おふく」に傍点]が古着を買ってきて縫い直してくれたものだ。とても、ふところをねらわれるような風体には見えぬはずである。
(わからぬ。なぜだ?)
もしやして、刺客は、
(人ちがいをしたのではないか……?)
とも、考えられる。
父の永井十太夫が切腹をし、家が取りつぶされてしまった後、しばらくは、母の実家へ引き取られたが、母が急死してしまうと、実家のほうでも源太郎を冷遇しはじめた。
何といっても、永井|十太夫《じゅうだゆう》が犯した罪は、天下の旗本のなすべきことではない。他の親類たちも世間を憚《はばか》って救いの手を差しのべようとはせぬ。
母の実家は、表六番町に屋敷をかまえる七百石の旗本・服部金之助《はっとりきんのすけ》(源太郎の母の兄)であったが、母|亡《な》きのちは、源太郎が居たたまれぬようなあつかいをした。
ついに、源太郎は決意し、服部屋敷を出奔した。
家がつぶれて以来、家来も奉公人も散り散りになってしまったが、永井源太郎がたよったところは、師の井沢|弥平太《やへいた》のところであった。
何の師かというと、井沢は源太郎に弓術を教えていたのだ。
源太郎は幼年のころ、躰《からだ》が弱かった。
このため、永井家の主治医だった山口|圭山《けいざん》という幕府の医官が、
「源太郎殿の躰には、弓術がもっともよろしい」
と、いい、
「浪人ながら、よき人物を知っております」
と、井沢弥平太へ紹介してくれたのである。
井沢も、いまは病歿《びょうぼつ》してしまったが、当時は深川の外れの長徳寺という寺に住んでおり、そこから神田駿河台《かんだするがだい》の永井屋敷まで、稽古に来てくれた。
弓をやりはじめてから、源太郎はめきめき[#「めきめき」に傍点]と健康を取りもどし、永井家の家来たちも、源太郎と共に稽古をするようになった。
「おお。よく、まいられたな」
井沢弥平太は、出奔してきた永井源太郎を、
「ま、のんびりとしていなされ」
よろこんで迎え入れてくれた。
これが四年前のことで、それから一年後に、井沢は病歿してしまった。
六十をこえた年齢だったし、心ノ臓が悪かった所為《せい》もあるだろうが、当時としては、別に短命とはいえぬ。
井沢弥平太には、弁蔵《べんぞう》という五十男の下僕がいて、
「もう、十何年も、先生の世話をしている」
ということだったが、この弁蔵も永井源太郎の身性《みじょう》を気の毒がり、井沢亡きのちに、
「ひと先ず、私の姪《めい》のところへ落ちつきなさるがいい」
こういって、おふくの許《もと》へ連れて行ってくれた。
若宮村の、おふくの家の裏手に物置小屋があり、これへ少々手を入れ、源太郎は世話になることになった。
おふくは、亡夫が遺《のこ》してくれた、いくばくかの田地を耕しながら、亀松《かめまつ》を育てていたのである。
おふくと源太郎が、徒《ただ》ならぬ仲になったのは、それから半年後のことで、おふくのほうから物置小屋へ忍んで来たのだ。
おふくは、源太郎が初めて知った〔女〕だし、その後も、おふく以外の女と肌身《はだみ》をゆるし合ったことはない。
源太郎も、おふくと共にはたらいていたわけだが、井沢が亡くなった後の弁蔵は、伝手《つて》をもとめ、啓養堂の主人が根岸《ねぎし》に所有している寮の番人となった。
そこで、弁蔵の口ききで、永井源太郎は啓養堂の用心棒となったのである。
主人の小西彦兵衛は、源太郎を一目見て気に入り、
「あの、お人が辛抱をしてくれるなら、何とか身が立つようにしてあげよう」
と、これは弁蔵へ洩《も》らしたそうな。
いまのところ、永井源太郎の給金は、年に十両であった。
得た金を、源太郎は、ほとんどおふくへ預けてある。
そして、月のうち、二度か三度は、
(まるで、我が家へ帰るような……)
おもいで、おふくの家へおもむくのだ。
(あの刺客は、私が、おふくの家にいるのを見張っていたのだろうか……)
どうも、そのようにおもわれてならない。
となると、急に、源太郎はおふくのことが心配になってきた。
(なぜ、私を見張る。なぜ、私を殺そうとするのか?)
夜が明けても、永井源太郎の思考は一向にまとまらなかった。
奉公人たちが起き出し、武装を解いた源太郎も朝餉《あさげ》をすますと、自分の部屋で眠る。
あとは日暮れまで、自由の時間といってよい。
三日に一度は、人気《ひとけ》もない場所へ行き、弓の稽古をする。おふくのところへは毎日でも行きたいが、
「たのしみは、むさぼるものではありませぬよ」
と、おふくがいうので、我慢をしている永井源太郎であった。
寝床へ入ったが、あの刺客の浪人のことが気にかかり、眠れるものではない。
(そうだ。秋山先生の御隠宅へ御礼をのべにまいろう。その帰りに、おふくの家へ立ち寄り、様子を見て来よう)
おもいたつと凝《じっ》としてはいられず、源太郎は昼前に啓養堂を出て、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ向った。
三
それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後に、啓養堂の通用口から、お米《よね》という女中があらわれた。
お米は一年ほど前に、口入屋を通じて、台所ばたらきの下女に雇われた。
一度、世帯《しょたい》をもち、夫にも子にも死に別れたというだけあって万事に気がまわり、しかも落ちついているというので、主人夫婦の気に入られ、三月《みつき》ほど前から奥向きの女中に引きあげられた。
お米は、いいつけられた買物をすませると急ぎ足になった。
そして、神田の今川橋《いまがわばし》をわたり、土手へあがって行く。
この土手は「八丁堤《はっちょうづつみ》」とよばれ、幕府が火除《ひよ》けのために築いたものだ。土手の上には松が植え込まれてある。
その松の木蔭《こかげ》から、
「おい」
お米へ声をかけ、あらわれたのは昨日の町人だ。
おふく[#「おふく」に傍点]の家にいた永井源太郎を、刺客の浪人と共に見張っていた、あの町人なのである。
「清五郎さん、待ったかえ」
「なあに……」
「昨日は、殺《や》ってしまわなかったようだね」
と、お米の口調が、啓養堂にいるときとは、がらりと変った。
青ぐろく浮腫《むく》んだような顔へ、わずかながら血をのぼせて、お米が男のような言葉づかいで、
「酒井先生ともあろうお人が、どうしたのだ?」
「邪魔が入ったらしい」
「どんな邪魔だえ?」
「それがな……」
土手の松の木蔭で、お米と清五郎は、ひそひそと語り合っている。
そのころ……。
早くも永井源太郎は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛の隠宅へ到着していた。
走るような早足だったのである。
源太郎は途中で、浅草・並木の〔成田屋〕という菓子|舗《みせ》へ立ち寄り、名物の〔団十郎煎餅《だんじゅうろうせんべい》〕を包ませ、これを手みやげにした。
秋山小兵衛は、庭に面した障子を開け放ち、少し前にやって来た四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎を相手に酒をのんでいた。
「永井源太郎でございます。昨日は、危いところをお助けいただきまして……」
源太郎は、深ぶかと頭を下げた。
弥七は傘徳をうながし、台所のほうへ去った。
「わざわざ、ごていねいに痛み入る。さ、おあがりなされ」
「は……」
「昨日のことについて、おこころ当りは?」
「わかりませぬ。身におぼえのないことで……」
「なるほど」
「ただ……」
「ただ?」
「亡《な》き父の刀だめしに殺《あや》められた人びとの怨《うら》みを、しかるべき縁者が、私を殺めることによって霽《は》らそうとしたのではないかとも……」
「いや、さようなことはありますまいよ」
「では、何故に……?」
「さ、それは、わしにもわかりませぬが……」
永井源太郎は、間もなく辞去した。
小兵衛は、すぐさま、徳次郎をよび、
「すまぬが、後を尾《つ》けておくれ」
「承知いたしました」
徳次郎が出て行くのを見送った小兵衛が、四谷の弥七に、
「どうおもう?」
「さて……」
すぐには、弥七もこたえが出ない。
永井源太郎は今日、秋山小兵衛の問いにこたえて、自分が本町四丁目の薬種問屋・啓養堂《けいようどう》に雇われていることを語った。
「啓養堂とは、よいところに雇われました」
「店がまえは大したことがないが、金持《ものも》ちだそうじゃな」
「そのように聞いております」
「ともかくも、徳次郎がもどるのを待とうか」
「はい」
一刻ほどで、傘屋の徳次郎が駆けもどって来た。
そして、永井源太郎が若宮村のおふくの家へ入り、しばらくして、おふくの見送りを受けて帰途についたことを告げた。
徳次郎は、ついでに近辺で聞き込みをし、おふくが寡婦《かふ》でいることまで探って来た。
「どうも以前は、永井さんが、そのおふくのところにいて、畑仕事を手つだっていたようでございますよ」
「ふうむ。もしやして、源太郎とおふくは、できていた[#「できていた」に傍点]のではあるまいか?」
「いいえ、土地《ところ》の人たちも、そんなことはあるはずがないと申しておりましてね」
「どうしてわかる?」
「私も、ちょいと、その女の顔を見ましたが、とてもその、あの永井さんが手を出すような面相ではございませんよ、大《おお》先生」
「うち[#「うち」に傍点]のおはる[#「おはる」に傍点]のほうが、まだ増しかえ?」
「くらべものになりませんでございます」
そのとき、台所から、おはるが、
「何か、私の悪口をいっているんですか?」
声をかけてよこした。
「冗談じゃあない。ほめているのだ、ほめて」
小兵衛が大声でこたえると、おはるは台所で庖丁《ほうちょう》の音をさせながら、何やらぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]といっているようであった。
「これは大先生。打ち捨ててはおけません」
と、四谷の弥七が、かたちをあらためるようにして、
「どうも、その、永井さんが啓養堂に雇われているということが、気にかかります」
「そのことよ。わしも、それが……」
「これは、お上《かみ》の手で探りを入れることでございますよ。永井さんを殺そうとした、その浪人なぞは、ぷんぷんとにおいます」
「やはり、におうかえ」
「何が、におうんですよう」
と、また、おはる。
小兵衛が頸《くび》をすくめて、
「今日は、ばかに、耳がよくきこえるらしいのう」
徳次郎が、おもわず吹き出すと、またしても、
「何が、おかしいのですよう」
声が飛んできた。
「大先生。いずれにしろ、明日から探りをかけてみましょう」
「弥七。そうしてくれるか。すまぬのう」
「永井さんのことを抜きにしても、そんなやつらを野放しにしておくわけにはまいりません」
「本町といえば、お前の縄張《なわば》りではないが、いいのかえ?」
「いざとなれば、土地の御用聞きで知った男《の》がおりますから、大丈夫でございますよ」
「およばずながら、わしもはたらかせてもらうよ。手不足なら、大治郎をよんでもいいぞ」
四
薬種問屋・啓養堂がある本町四丁目は、江戸でもそれ[#「それ」に傍点]と知られた商舗が軒をつらねているが、その中にも、たとえば、啓養堂の筋向いに住む表具師〔伊藤宗恵《いとうそうけい》〕宅のような、小ぢんまりとした家も少なくない。
伊藤宗恵は、このあたりの商家の軸物専門の表具師で、老妻と二人の弟子、それに下女がひとりという五人暮しであった。
四谷《よつや》の弥七《やしち》と徳次郎が、この伊藤宗恵宅の二階の一間から、通りをへだてた向うの啓養堂の見張りをつづけていた。
四谷の弥七は、この近くの鉄砲町に住む御用聞きの紋蔵《もんぞう》とは親しい間柄《あいだがら》だったので、
「実は……」
と、事情を打ちあけ、ちから[#「ちから」に傍点]を借りることにした。
鉄砲町の紋蔵は、弥七より三つ四つ年上の温厚な御用聞きで、
「そいつは、おれにしても捨ててはおけねえ」
すぐさま、伊藤宗恵の二階を見張り所に借りてくれた。
伊藤家の人びとには、
「なあに、この前を通るにちがいない男を待っているのですよ」
紋蔵が、そういっておいたので、まさかに、啓養堂を見張っているとはおもわぬ。
紋蔵は、手先の伊之吉《いのきち》を差し向けてくれたし、自分も時折はあらわれる。
秋山小兵衛も日に一度は、かならず立ち寄った。
見張りの事は、啓養堂にいる永井源太郎の耳へも入れてなかった。
見張りをはじめてから、すでに四日がすぎている。
夜は、徳次郎と伊之吉が泊り込むわけだが、伊藤宗恵は実によく面倒を見てくれた。それというのも、土地《ところ》の御用聞きとして、紋蔵の人望が厚いからであろう。
また、宗恵夫婦も弟子たちも口が堅い。見張りの事が外へ洩《も》れる心配は先《ま》ずないといってよい。
永井源太郎は、あれから、ほとんど外へ出なかった。
夜の警備をしていることはもちろんだが、刺客《しかく》にねらわれている理由がわからぬし、さすがに自重をしているのであろう。
女中のお米《よね》は、この間に、二度ほど八丁堤の木蔭《こかげ》で、清五郎という怪しげな男と会っていたけれども、これには見張りのほうも気づかなかった。
奉公人の出入りを、いちいち尾《つ》けてみるつもりはない。
四谷の弥七と秋山小兵衛のねらい[#「ねらい」に傍点]は、永井源太郎が外出《そとで》をしたときに尾行し、ふたたび、刺客があらわれるのを待つことにあった。
五日目の昼前に、伊藤宗恵宅の裏口から二階へあがって来た秋山小兵衛へ、四谷の弥七が、
「大先生。永井さんは出て来ません。こうなったら一つ、永井さんだけに言いふくめて、外へ出てもらったらいかがなものでございましょう」
「そうじゃな……」
「永井さんがうまくやってくれれば、大丈夫だと存じますが」
「ふうむ……」
源太郎に言いふくめてしまうと、どうしても不自然なかたち[#「かたち」に傍点]になる。永井源太郎は、まだ若いだけに、刺客をさそい出すだけの肚《はら》ができていないと、却《かえ》って、
(相手に感づかれてしまうやも……?)
それを、小兵衛はおそれたのだ。
「大先生。昼どきに、蕎麦《そば》はいかがでございます?」
「徳次郎。この辺りに、うまい蕎麦屋があるのかえ?」
「伊勢《いせ》町に川品屋《かわしなや》というのがございます。ここの蕎麦はようございますよ」
「そうか。では弥七。いっしょに行ってみようか」
「はい。それじゃあ、徳。後をたのむぜ」
「へい」
伊之吉は、ちょっと紋蔵の家へ行っていて、このとき見張りの部屋にはいなかった。
「大先生。御供《おとも》を……」
こういって、弥七が腰をあげたとき、
「あ、親分……」
窓の障子の透き間から、啓養堂の店先を見ていた徳次郎が、
「出て来ましたぜ、永井さんが……」
「そうか」
弥七と小兵衛が、窓ぎわへ身を寄せた。
いましも、店先の横手の通用口から、永井源太郎が外へあらわれたところだ。
「ほう。何やら、大きな包みを抱えているわえ」
「何でございましょう?」
「さて……?」
「親分。尾けてめえります」
立ちあがった徳次郎へ、小兵衛が、
「よし。わしと弥七が行こう。お前は此処《ここ》で見張りをつづけていておくれ」
「こうなったら、見張りも何もいらねえのじゃあございませんか」
「それもそうじゃな。よし、来ておくれ」
三人は裏口から伊藤宗恵宅を出て、三方に別れ、永井源太郎の尾行をはじめた。
そのすぐあとで、例のお米が通用口からあらわれ、今川橋の方へ立ち去った。
永井源太郎は、今川橋とは反対の東へ向って歩みつつあった。
お米は、今川橋を渡り、神田《かんだ》の下白壁《しもしらかべ》町(現・東京都千代田区神田|鍛冶《かじ》町の内)にある〔丹波屋《たんばや》〕という宿屋へ入って行った。
一昨日から、この丹波屋に、清五郎と酒井浪人、それにもう一人の浪人が泊りこみ、啓養堂のお米と連絡《つなぎ》をとりはじめていたのである。
三人とも、二階の奥座敷にいて、昼餉《ひるげ》の膳《ぜん》に向っていた。
清五郎は、京都の小間物商人というふれこみ[#「ふれこみ」に傍点]で、もう何年も前から丹波屋を利用しているらしい。
「そうか。弓の稽古《けいこ》に出て行ったか」
箸《はし》を置いた浪人・酒井|義五郎《よしごろう》が大刀を掴《つか》み、
「よし、行こう」
と、いった。
以前、弓矢と手製の的を一包みにして、稽古に出かけようとする源太郎へ、お米が、
「御苦労さまでございますねえ」
「いや、なに。稽古をしておかぬと、いざというときの役に立たぬので……」
「どちらまで、おいでなさいます?」
「深川の外れの、砂村《すなむら》の、八幡宮《はちまんぐう》の近くでやっています」
「まあ、あんなところまで……」
「人がおらぬところでないと危いので……」
「大変でございますねえ」
というわけで、永井源太郎の行先はわかっている。
「ぬかるなよ。今日こそ仕とめてくれる」
酒井と浪人と清五郎は、すぐさま、丹波屋を飛び出して行き、お米は、いいつけられた買物をすませてから啓養堂へもどった。
五
砂村の八幡宮《はちまんぐう》というのは、深川の富岡《とみおか》八幡宮から東へ十二町ほど行ったところの海浜にあり、小ぢんまりとした社殿がある。
ここが、富岡八幡宮の旧地だったとかで、砂村の富岡元八幡宮とよばれていた。
門前町も何もない、一面の葦《あし》の原と松林に囲まれ、正面の土手道の向うは江戸湾の海である。
永井源太郎は、八幡宮の裏手の松の木立の中の百坪ほどの草地をえらび、ここで弓の稽古《けいこ》をする。
源太郎は、
「いざというときに……」
と、お米《よね》へ洩《も》らしたけれども、弓を引くことは好きでもあり、それによって病弱の身が健康になったのだから、稽古を絶やしたくない。
日本橋・本町の啓養堂から此処《ここ》までは一里半あまりだが、若い源太郎の急ぎ足なら往復一|刻《とき》ほどだ。
汐《しお》の香がただよう木立の中で、ただ独り、無我の境に入って弓の稽古をするとき、永井源太郎は、自分の不幸な境遇をまったく忘れてしまう。
八幡宮裏の草地へ入った源太郎は、荷物をひろげ、半弓と大弓へ弦《つる》を張った。
半弓は大弓の半分ほどの長さだから、室内で坐《すわ》ったまま矢を射ることも不可能ではない。
啓養堂の警備をしていて、たとえば、盗賊が侵入して来たとすれば、源太郎は半弓の速射によって、たちどころに三人は殪《たお》す自信がある。この速射は、亡師・井沢|弥平太《やへいた》から伝授されたもので、一本の矢を弦に番《つが》え、二本の矢を矢筈《やはず》を上にして弓と共に握る。
そして一の矢を放つと共に握っていた別の矢を番えて、二の矢、三の矢と射るのだ。
さて……。
二つの弓へ弦を張った永井源太郎は大刀を腰から外して草の上へ置き、手製の的を手にした。
これを、秋山小兵衛と四谷《よつや》の弥七《やしち》が、西側の木蔭《こかげ》から見まもっている。
いうまでもなく源太郎は、これに気づいていない。
源太郎は、小兵衛と弥七へ背中を見せ、彼方《かなた》の松の木へ的をつけるために歩み出した。
酒井浪人と清五郎、それに別の浪人がそっと木立へ踏み込んで来たのは、このときであった。
彼らは、源太郎が的をつけようとしている北側の木立へ入って来た。
酒井義五郎は木蔭から、源太郎が大刀を外しているのを見て、
「いまだ」
別の浪人へささやき、ぎらり[#「ぎらり」に傍点]と大刀を引き抜いた。
別の浪人も抜刀し、うなずき合ったかと見る間に、木蔭から草地へ走り出た。
その気配に振り向いた永井源太郎へ、
「たあっ!!」
別の浪人が、猛然と大刀を打ち込んだ。
「あ……」
的から手をはなして、源太郎が身を投げるようにして躱《かわ》し、
「何者だ!!」
と、叫んだ。
源太郎もおどろいたろうが、小兵衛と弥七もおどろいた。
刺客たちがいることに気づかなかったからだ。
「おのれ」
秋山小兵衛も草地へ飛び出し、
「人殺し!!」
大声をあげた。
大声も大声。何ともすばらしい大声であった。
共に走り出た四谷の弥七でさえ、
「あの大先生の声には、胃ノ腑《ふ》をぎゅっとつかまれたような気がいたしました」
のちに語ったほどで、大声というよりも気合声といったほうがよいだろう。
草の上を転がりながら、浪人の二の太刀を躱した永井源太郎の側面へまわり込み、刀を振りかぶった酒井義五郎も、ぎょっとして振り向いた。
すべては、一瞬の間のことだ。
別の浪人が酒井の前へ飛び出し、走り寄って来る秋山小兵衛の前へ立ちふさがった。
小兵衛は先《ま》ず竹の杖《つえ》を投げつけた。
だれに投げつけたかというと、酒井浪人へ投げつけた。
(あっ。あのときの爺《じじ》い……)
おどろいた酒井が飛び退《しさ》った隙《すき》に、永井源太郎は跳ね起きて、差し添えの短刀を抜いた。
同時に、
「邪魔するな!!」
喚《わめ》いた別の浪人が小兵衛へ斬《き》りつけた。
杖を投げた小兵衛の手が愛刀・藤原国助《ふじわらくにすけ》の柄《つか》へかかり、身を沈め、斜め右手へ飛び抜けて浪人の打ち込みを躱しざまに、
「む!!」
小兵衛が抜き打ちに、浪人の胸から顎《あご》へかけて斬りあげた。
「うわ……」
大刀を放《ほう》り落し、浪人がくるくる[#「くるくる」に傍点]と廻《まわ》って草の上へ打ち倒れた。
このとき、いったんは木蔭から姿を見せた清五郎が身をひるがえし、逃走にかかった。
これを見た四谷の弥七が、すぐさま追う。
酒井義五郎も、短刀を構えた永井源太郎へ斬り込むことができぬ。秋山小兵衛の恐るべき力量を目《ま》のあたりに見て、
(これはいかぬ)
刀を引き、身を転じて木立の中へ走り込む。
それと見て、永井源太郎が大弓と二本の矢を掴《つか》み、
「ごめん」
小兵衛に一礼し、酒井の後を追った。
小兵衛も走り出した。
酒井浪人は木立を抜け、矢竹が密生している小道を北へ……彼方の別の木立へ走り込もうとしていた。
源太郎が素早く弓に矢を番え、引きしぼった。
矢が弦をはなれ、彼方を走る酒井の尻《しり》へ突き刺さった。
「あっ……」
のめり倒れたが、すぐに片膝《かたひざ》を立て、刀を構えた酒井義五郎は、勢子《せこ》に追い詰められた獣のような顔つきになっている。
「見事。あとは、わしにまかしなさい」
源太郎へ声をかけ、秋山小兵衛が酒井へ走り寄った。
酒井は尻の矢をそのままに、刀を脇構《わきがま》えにし、小兵衛へ反撃しようとしている。
小兵衛の足が、ぴたりと停《と》まり、
「むだじゃ。刀を捨てるがよい」
「お、老いぼれめが……」
くやしげに小兵衛を睨《にら》む酒井の、白く剥《む》き出された両眼《りょうめ》が、しだいに光とちから[#「ちから」に傍点]を失ってゆくのがはっきりとわかった。
永井源太郎は小兵衛の背後に立ち、二の矢を番えていた。
酒井浪人が大刀をはなし、がっくりと肩を落した。
すでに、清五郎は弥七の捕《と》り縄《なわ》にかかっている。
六
「どうも臭いとおもっていましたが、これほど大仕掛の押し込みとはおもいませんでございました」
あれから、約半月後の或《あ》る日の午後であった。
四谷《よつや》の弥七《やしち》が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へやって来て、秋山小兵衛へ、その後の報告をしている。
この日の朝は、冬が駆けもどって来たかのように冷え込んだものだから、
「おはる[#「おはる」に傍点]。炬燵《こたつ》だ、炬燵だ」
小兵衛は大さわぎをして、炬燵を出させ、朝餉《あさげ》も炬燵の中ですますという始末で、
「こんな寒がりの剣術つかいを、はじめて見ましたよう」
などと、おはるにからかわれても、
「何とでもいうがよいわ。これから先、夏がくるまでは、炬燵の中から一寸もうごかぬからそうおもえ」
小兵衛は、しみじみと炬燵の温《ぬく》もりを味わいつつ、
「こんなに便利なものを、だれがおもいついたものか。つくづくと感心をする」
目を細めて、つぶやいた。
「弥七。ま、ここへ入るがよい」
「大先生。もう暖くなりました」
「わしは寒いのじゃ」
おはるが運んで来た酒を、弥七へすすめながら、
「で、その盗賊どもの首領は、何という……?」
「鎌島《かましま》の長右衛門《ちょうえもん》と申しまして、上方《かみがた》のほうでは、大分に押し込みを重ねていたようでございます」
「なるほど」
あのとき、小兵衛に斬《き》られて重傷を負った浪人と、酒井義五郎、清五郎の三人を御縄にかけた四谷の弥七は、これを町奉行所へ引き渡した。
酒井浪人は、しぶとく口を割らなかったが、清五郎が翌日の夕暮れに至って、ついに白状をし、彼らが盗賊・鎌島の長右衛門一味であることが判明した。
そこで、すぐさま、江戸の特別警察ともいうべき火付盗賊改方《ひつけとうぞくあらためかた》が三人を受け取り、独自の探索によって、江戸市中の三ヶ所に潜伏していた鎌島の長右衛門以下一味の盗賊十名を捕えることを得たそうな。
啓養堂《けいようどう》のお米《よね》も、捕えられた。
当日、夜に入ってから、永井源太郎が無事に啓養堂へ帰って来たものだから、お米は、
(討ち損じた……)
と、おもった。
同時に、一味の三人の身が気にかかったらしく、夜に入ってから啓養堂をぬけ出し、下白壁《しもしらかべ》町の丹波屋《たんばや》へ駆けつけて行った。
これを、表具師の家の二階から見張っていた傘《かさ》屋の徳次郎と鉄砲町の紋蔵《もんぞう》が、
「あの女、怪しい」
と感じ、尾行して、お米が丹波屋へ行き、三人がまだ帰らぬと知り、青くなって出て来たところを捕えたのである。
永井源太郎の行先を刺客《しかく》が、いちいち知っているのは、
「きっと、啓養堂の中に、これを知らせている者がいるにちがいない」
と、秋山小兵衛がいったので、尚《なお》も、見張りをゆるめなかったのがよかった。
「ところで、大先生」
「ふむ?」
「永井さんは、やはり、若宮村の後家のおふく[#「おふく」に傍点]とできて[#「できて」に傍点]いたようでございますよ」
「ふうん、そうかえ」
「そのおふくと夫婦になりたいというので、啓養堂の旦那《だんな》にも承知してもらい、おふくの家へ移ったそうなので」
「すると、用心棒はやめにしたのかえ?」
「いいえ、大先生。いまは、おふくの家から啓養堂へ通っているそうでございます」
「では、日暮れ前に家を出て、翌朝に帰って来るというわけじゃな」
「さようでございます」
「よかったねえ」
と、おはる。
「お前は黙っていなさい」
「いいじゃありませんかよう」
このごろのおはるは、なかなか黙っていない。
「それよりも、おはる。何か気のきいた肴《さかな》をたのむ。お前の庖丁《ほうちょう》の冴《さ》えを見せておくれ」
小兵衛にいわれると、たちまちに、おはるの機嫌《きげん》が直り、
「あい、あい」
いそいそと台所へ去るのを見送った秋山小兵衛が、
「のう、弥七」
「はい?」
「源太郎の父・永井|十太夫《じゅうだゆう》は直参《じきさん》の身分をもわきまえず、刀だめしの辻斬《つじぎ》りという悪業をはたらき、わしが手でお上の裁きを受けさせ、切腹をさせたようなものじゃが……永井源太郎に出逢《でお》うてより、何《なに》とはなしに、源太郎へ、わしが悪いことをしてしもうたような……」
「何をおっしゃいます。とんでもないことで……」
「いや、わかっているとも。だがのう、弥七。行末は千五百石の主《あるじ》となれた身が、いまは何と、商家の用心棒になっていた。知ってのとおり、あのように純な、好もしい人柄《ひとがら》ゆえ、気にかかってならなんだが……このたび、源太郎の危難を救うてやれたので、何かこの、罪ほろぼしをしたような気分になってしまってのう」
「罪ほろぼしとは、また、とんだ見当ちがいを……」
「いやなに、そんな、ふしぎな気分になったと申しているだけじゃよ。それもこれも、永井源太郎の善き人柄ゆえじゃ」
「啓養堂では、盗人《ぬすっと》どもの押し込みを防いだというので、永井さんの評判は大変なものだそうでございます」
「そうであろうとも。ところで……」
「はい?」
「源太郎が永井十太夫の息子であることを、啓養堂は知っておるまいな?」
「大丈夫でございます」
「それでよい」
日暮れには、まだ間があったが、急に居間の中が暗くなったとおもったら、屋根を掃くような雨の音が起った。
春の驟雨《しゅうう》であった。
「そのうちに永井源太郎、また此処《ここ》へ顔を見せよう」
「何とか、身が立つようになりませんでしょうか?」
「源太郎の胸ひとつじゃ。啓養堂の用心棒とて、何も悪い仕事ではあるまい」
「ですが、大先生……」
いいさした四谷の弥七が、
「おや……?」
「どうした?」
「だれか、土手を下りて来るようで……」
「さすがに、耳が早いのう」
堤を下って来た足音が、縁先で停まった。足音は二人である。
障子の外で、声がした。
「秋山先生は御在宅でありましょうか。永井源太郎でございます」
「おお。そこから、お入りなされ」
弥七が立って障子を開けると、永井源太郎が縁側の向うに立っていて、
「おかげをもちまして、啓養堂殿へ御恩を返すことができましてございます。何事も秋山先生のおちからによるものにて……」
「そんなことは、もう、申されるな」
「これにて、いくらかは亡《な》き父の罪ほろぼしをしたようなおもいがいたします」
小兵衛と弥七が顔を見合わせたとき、永井源太郎は障子の蔭《かげ》になって見えなかったおふくを手招きし、顔を赤らめつつ、こういった。
「このたび、妻を迎えましたので、御礼かたがた、御挨拶《ごあいさつ》にまかり出ました」
解説
[#地から2字上げ]常盤新平
『剣客商売』はひとり自分の部屋にこもって楽しみたい。そして一冊を読みおえたころ、そっとドアが開いて、夏ならば、ビールが冷えてますけどとか、秋ならば、湯豆腐でお酒を召しあがりますかとか、遠慮がちな、気ばたらきのする優しい声を聞きたいのだが、読者であるあなたも私も秋山|小兵衛《こへえ》や大治郎《だいじろう》からほど遠い存在なので、私たちの妻や娘たちはおはるでも三冬《みふゆ》でもない。
彼女たちと三冬やおはるとのあいだには、天と地のひらきがあると私たちは諦《あきら》めの境地に達しつつ、ウィスキーなどをなめながら、二冊目の『剣客商売』を読みはじめる。この小説のおもしろさが女子供にわかってたまるかと思うのだが、その妻や子もいまや『剣客商売』を読んでいる。
翻訳家として活躍する女性が手紙に彼女の一家が池波ファンであることを書いてきた。私が以前に池波正太郎をすすめたことがあったからだろう。彼女は一男一女の母親である。彼女が翻訳の仕事をはじめて、息子と娘が中学高校とすすむうちに、困ることがいろいろと出てきた。しかし、親子そろっての愛読書があったから「究極の信頼関係」は揺るがなかったような気がする、と彼女は手紙に語っている。
屈託があり、しかも仕事と家事で疲れている女性もまた、池波さんの小説に慰めと救いを求めている。ここでちょっと意地の悪い見方をすれば、女たちがかつて男しかいなかった酒場や競馬場に押しかけてきたように、『剣客商売』や『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』のシリーズを読むようになったのだろうか。しかし、これは慶賀すべきことだと思う。『十番|斬《ぎ》り』も女性翻訳者の一家は待ちかねて読むにちがいない。
昭和五十四年(一九七九)から「小説新潮」に連載されて、翌年の九月に単行本になった本書には、天明二年(一七八二)から天明三年春にかけて秋山|父子《おやこ》が悪者どもを懲《こ》らしめた七編が収められている。『剣客商売全集』付録、筒井ガンコ堂編の〔剣客商売〕年表はこれをわずか九行に要約している。「平山|源左衛門《げんざえもん》、小兵衛に果たし状を届けるも、立ち合わないまま急死」ではじまり、「小兵衛、永井源太郎(永井|十太夫《じゅうだゆう》の息)を助ける」で終っている。(ちなみに、箱入りの豪華なこの全集を回復期にある入院中の友人におくったところ、たいへんに喜ばれた)
『十番斬り』の第一話「白い猫《ねこ》」では秋が来ている。その冒頭の秋の描写で作者はしっかりと読者の心をつかんでしまう。「小説は最初の一枚が勝負ですね」とは池波さんの持論である。「ここで読者をひきつけなければだめなんですよ」(『鬼平犯科帳の世界』著者インタビュー「書く楽しみと苦しみ」文春文庫)
前夜は暑くて、寝入っているあいだに、おはるは薄い夏|蒲団《ぶとん》をいくらか剥《は》いでしまい、明け方急に冷えこんできたので、目ざめかけたおはるの躰《からだ》へ、小兵衛は蒲団を掛け直してやる。おはるは「半ば夢現《ゆめうつつ》で」言う。「あれ、すみませんよう……」
すると、小兵衛は何やら呟《つぶや》くのだが、おはるはよくおぼえていない。読者である私は四十も年上の夫をもつおはるを可愛《かわい》らしい女だと思う。夢現で「あれ、すみませんよう……」と殊勝なことを言う女はもうどこを見まわしてもいないだろう。女たちがおはるや三冬をどのように見ているか知りたいところである。それはともかく、つぎの一行。
「そして、爽涼《そうりょう》たる朝が来た」
わずか一行、しかもじつに短い文章であるが、千鈞の重みがある。このようにして秋は来るのではないかと感嘆する。
この朝、秋山小兵衛は平山源左衛門との果し合いに出かける。その途中で、かつて「四谷《よつや》の道場で飼っていた白い牝《めす》猫に面立《おもだ》ちがそっくり」の猫に遭う。タマという牝猫は亡妻のお貞《てい》に言わせると「愁《うれ》え顔《がお》」だったが、そういうところもまた似ていた。こうして何かにつけて小兵衛はお貞を思い出している。お貞は恋女房だったのだ。
「白い猫」の一編を書いて、作者は第二話の構想を得たのだろうか。「密通浪人」にはお貞の弟で、本郷四丁目の文房具舗〔文敬堂〕の養子となった福原|理兵衛《りへえ》が登場する。為太郎《ためたろう》といったこの弟は、姉の夫があんなに若い女といっしょになったので、小兵衛との縁を切る。小兵衛は、鬼熊《おにくま》酒屋で明るいうちから「やわらかい叩《たた》き牛蒡《ごぼう》で、酒を二本のむと」、横になってうつらうつらするうちに、他人の女房を寝取ったのを自慢する浪人の話を聞くともなく聞いてしまう。
その女房が小兵衛の義弟、理兵衛の妻、お米《よね》である。これがまた、いやな女なのだ。こういう女を描《か》くとき、作者は読者を笑わせる。
「若いときから高慢な女で、背丈《せたけ》が低く、妙にぼってり[#「ぼってり」に傍点]とした躰つきのお米は、眉《まゆ》・眼《め》・鼻・口が何やら四方へ飛び散っているような顔の造作で、鼻の穴が天井を向いているのも、唇《くちびる》の両端が上へ切れあがっているのもむかしのままだ」
寝取っておもしろい女ではないのである。小兵衛は義弟に同情するが、一方でお米をあわれな女だとも思う。事件は四谷の弥七《やしち》や傘《かさ》屋の徳次郎のはたらきもあってめでたく解決する。だが、作者はそこで物語を終らせてはいない。もうひとつの、あっと驚くような、微笑《ほほえ》ましくも行きとどいた結末を用意している。
第三話の「浮寝鳥《うきねどり》」は、銀杏《いちょう》落葉が音をたてている初冬である。小兵衛はすでに「白い猫」で炬燵《こたつ》をおはるに用意させている。
表題作の第四話は力作で、小兵衛は十番斬りをやってのけるほどに元気である。この年、天明三年、小兵衛六十五歳、おはると三冬は二十五歳、大治郎三十歳、そして小太郎は数え年二歳。『剣客商売』は秋山一家が少しずつ年齢《とし》をとってゆくところに味がある。小兵衛の体調は作者のそれを反映しているように思われる。
小兵衛は一月十五日の朝、恒例の小豆粥《あずきがゆ》を食べたあと、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者の小川宗哲《おがわそうてつ》を訪ね、そこで村松太九蔵《むらまつたくぞう》に逢《あ》う。その出会いが小兵衛の十番斬りになるのであるが、十人目の悪人を斬るとき、小兵衛は「いささか呼吸が荒くなっている」にすぎない。
作者はこのとき五十七歳。その昭和五十五年に池波さんがどうしておられたか、
『池波正太郎の銀座日記〔全〕』(新潮文庫)で知ろうとしたら、この日記はまだはじまっていなかった。池波さんが『銀座日記』の連載を「銀座百点」ではじめられるのは昭和五十八年(一九八三)からである。この年池波さんは還暦を迎えられた。
「同門の酒」や「逃げる人」、「罪ほろぼし」は春の物語だ。
『剣客商売』の一編一編には季節が刻みこまれている。花鳥風月からも季節がわかるけれども、秋山父子やおはる、三冬が料理するものからも知ることができる。
池波さんはさきに引用した「書く楽しみと苦しみ」というインタビューで語っておられる。
「ぼくは食べることを特別に書いているわけじゃなくて、季節感を出すために書くんです。それを感じてくれなきゃどうしようもない。いまは冬でも胡瓜《きゅうり》や茄子《なす》があったりして、食べ物の季節感がなくなっちゃいましたけどね」
作者にとっては読者に季節を感じさせる小道具にすぎなかった食べ物がはからずも『剣客商売』、というより池波文学の大きな魅力のひとつになった。
「逃げる人」では大治郎は田沼屋敷からの帰りに真土山《まつちやま》の聖天宮《しょうでんぐう》へ参拝してから、門前の蕎麦《そば》屋〔月むら〕にはいって、まだ明るいのに酒と蕎麦|掻《が》きを頼む。父に似てきたのだ。
「黒塗りの小桶《こおけ》の、熱湯の中の蕎麦掻きを箸《はし》で千切《ちぎ》り、汁《つゆ》につけて口に運びつつ、大治郎はゆっくりと酒をたのしんだ」
なんでもない描写であるが、蕎麦掻きが食べたくなってくる。小兵衛も蕎麦屋でよく飲み食いするが、これは作者の好みが老剣客やその息子に乗りうつったのだろう。
『銀座日記』では試写のあとなどで池波さんはよくひとりで蕎麦屋にはいって、酒を飲み蕎麦を食べておられる。
『十番斬り』もまた私たちを十分すぎるほどに楽しませてくれるし、そのつづきを早く読みたいという気持にさせる。池波さんが書いてこられたのは、おとなの小説だった。
「小説でも、ぼくは自分が読者になったつもりで書いてます」と池波さんは語っている。
「こんな小説だったら、おれは読まないな……と自分が書いているものをもう一人の自分が批評しながら書いてるんですよ」
小兵衛も長谷川《はせがわ》平蔵も私には作者とかさなって見えてくる。池波さんは小兵衛や平蔵にさまざまのおもいを託してきた。読者もまた心の中で、言葉にならないながら私と同じような感じを持ってきたのではないだろうか。
この夏にいただいた暑中見舞の手紙や葉書に池波正太郎の愛読者であると書いている人が多かった。それもたいてい女性である。さきほどの女性翻訳家もそのひとりであるが、もうひとりの女性はつぎのように書いていた。彼女の夫君には私はずいぶん世話になったが、彼は若くして亡《な》くなった。
「私が通勤電車の中で読んでいました池波先生の本を、今では息子がセッセと愛読しています。あと一月ほどで十三回忌を迎えます」
彼女には夫君の葬儀で会ったきりであるが、池波さんによって彼女とつながっているような気がする。池波さんの小説は、母が読み、その息子が立派に成長すれば、きっとかならず読むのである。
[#地から2字上げ](平成六年八月、作家)
[#地付き]この作品は昭和五十五年九月新潮社より刊行された。
底本:剣客商売十二 十番斬り 新潮文庫
平成15年1月20日 発行
平成16年2月5日 5刷
[#改ページ]
このテキストは、
(一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第12巻.zip 33,532,719 ce931927db86341dae801d1c8b622ab8
を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。
画像版の放流者に感謝。