剣客商売十一 勝負
[#地から2字上げ]池波正太郎
目次
剣の師弟
勝負
初孫命名
その日の三冬
時雨蕎麦
助太刀
小判二十両
解説 常磐新平
剣の師弟
夕闇《ゆうやみ》は、まだ淡く、新緑のにおいが噎《む》せ返るようにたちこめていた。
(これは、道を間ちがえたようじゃ)
大きな椎《しい》の木の下まで来て、秋山小兵衛《あきやまこへえ》は足を止めた。
今朝、通って来た道ではない。
いつの間にか、深い木立の中へ入ってしまっていた。
それというのも、息《そく》・大治郎《だいじろう》の妻|三冬《みふゆ》の産み月がいよいよせまってきて、
(わしの初孫《ういまご》は、女か、男か……どちらでもよいが、先《ま》ず男がほしいのう)
などと、近ごろの小兵衛は、まるで自分の子が生まれでもするかのように、そわそわ[#「そわそわ」に傍点]として落ちつかなかった。
「そんなに男の子がほしければ、私に産ませてごらんなさいよう」
と、おはる[#「おはる」に傍点]の機嫌《きげん》は、あまりよくない。
「莫迦《ばか》をいうな。わしは、自分の子がほしいのじゃない。孫がほしいのじゃ」
「私が子を産めば、その子に孫ができますよう」
「冗談じゃあない。それまで、わしが生きていられるものか」
女の嫉妬《しっと》と虚栄は、
「相手かまわず、ところきらわず……」
であって、実は小兵衛、このところ、おはるには手を焼いている。
(すこし、馳走《ちそう》になりすぎたようじゃ)
ほろ酔いの小兵衛であった。
林の中へ迷い込んでしまったけれども、別に山の中ではない。この林を突き抜けて行けば、おそらく駒込《こまごめ》の上富士前《かみふじまえ》町のあたりへ出るに相違なかった。
(それにしても、よい時候になった。一年のうちで、まことに短い初夏《はつなつ》の明け暮れは、たまらなく好《よ》いな)
例によって、短袖《みじかそで》の着物に軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、竹の杖《つえ》を手にした秋山小兵衛が椎の木蔭《こかげ》から歩み出したとき、何処《どこ》かで、人の叫び声のようなものがきこえた。
(や……何であろう?)
場所も場所、時も時だけに、
(徒事《ただごと》ではない)
と感じた小兵衛は、叫び声がした方向へ、しずかに歩をすすめた。
「早く、早くしろ。早く……」
たしかに、切迫した男の声が、木立の向うで聞こえた。
「あ……あっ、あっ、こいつめ……」
と、これは別の男の声だ。
尚《なお》も行くと、木立が切れ、小さな草原が夕闇の中に浮き出ている。
草原の向うも、深い木立であった。
その草原に、三つの男の影が入り乱れて争っている。
三人とも、刃物を持っている。
そのうちの二人は侍で、これは大刀を構え、町人ふうの男に相対していた。
町人は、右手に短刀《あいくち》を持ち、左手で裾《すそ》を捲《まく》りあげ、むしろ、二人の侍を圧倒するほどの余裕を見せているかのようにおもえた。
「おい。そっちへまわれ!!」
とか、
「いいか、逃《のが》すな。逃すなよ!!」
「心得た!!」
とか、二人の侍は叫び交しているだけで、及び腰の不安定な姿勢で刀を構え、じりじりとうごいてはいるのだが、前へうごいているのではない。町人のまわりを左右にうごいているだけなのだ。
「何をしていやがる。さっさとかかって来い」
たまりかねたように、町人が声をかけた。
「何を、おのれ……」
「せ、成敗してくれる!!」
などと喚《わめ》きながらも、依然、二人の侍は町人に手が出ない。
(これは、おもしろい)
秋山小兵衛は、木蔭に身をひそめ、興味深げに草原の三人を見まもった。
この日。
秋山小兵衛は早朝に鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出て、駒込の外れの朽ちかけた百姓家に独り暮しをしている老|剣客《けんかく》の平内太兵衛《ひらうちたへえ》を訪ねた。
この風変りな老剣客については、すでに〔約束金《やくそくがね》二十両〕の一篇にのべておいたが、近くに住む百姓・源蔵《げんぞう》の末娘おもよ[#「おもよ」に傍点]は、いまも、いろいろと太兵衛の面倒を見てくれているようだ。
おもよは、近くの染井稲荷《そめいいなり》の茶店を買い取ってから、小女《こおんな》ひとりを使い、一所懸命にはたらいているらしい。
まだ六十になっていない平内太兵衛なのだが、小兵衛よりもずっと老《ふ》けて見え、酒をのむと、まるで頑是《がんぜ》ない幼児のような無邪気さが出て、そこが小兵衛は、
「大好き……」
なのであった。
太兵衛は小兵衛の来訪に大よろこびで、
「ちょうど昨夜、おもよが、たっぷりと酒を持って来てくれましてな」
すぐさま、酒盛りになった。
途中で一息いれ、庭へ出て筵《むしろ》を敷きのべ、二人は初夏の日ざしを浴びながら、ゆっくりと昼寝をたのしんだ。
それから、また飲みはじめ、
「今夜は、泊って行って下され」
しきりに太兵衛がすすめるのを振り切って、小兵衛は帰途についたのである。
そして、木立の中へ迷い込み、一対二の斬《き》り合いを見物することになった。
短刀一つの町人を、大刀を引き抜いた侍が二人がかりで持てあましているのが、秋山小兵衛にはおもしろかった。
町人は三十前後に見え、小柄《こがら》で細身《ほそみ》の……いえば小兵衛の体格によく似ており、これに大男の侍たちが翻弄《ほんろう》されている。
これは町人のほうに武術の心得があるなどというものではないのだ。侍たちに勇気がない。つまり彼らは刃物を抜いて闘った経験がまったくないと、小兵衛は看《み》た。
それに引きかえ、町人は度胸もあるし、刃物騒ぎに慣れているにちがいない。
「向うへ……向うへまわれ!!」
「よし」
「の、逃すなよ」
「こ、心得た」
相変らず、二人の侍は同じようなことを叫び交しているが、おもいきって踏み込めもしない。
それでいて逃げないのは、やはり、この町人を何としても討ち取らねばならぬ事情があるらしい。
侍たちは浪人ではない。袴もつけているし、月代《さかやき》もきれいに剃《そ》りあげている。
(ふふん。いまどきの侍なぞは、およそこうしたものらしい)
侍たちの顔は蒼白《そうはく》になってい、町人の顔には血がのぼっている。
夕暮れの光りにも、それが、はっきりとわかった。
町人が低い声で何かいったとおもったら、いきなり、自分の前に刀を構えている侍へ突進した。
「あ、あっ……」
侍が無我夢中で刀を振りまわしたとき、町人の躰《からだ》は反転して燕《つばめ》のように翻《ひるがえ》り、斜め後ろの侍へ飛びかかっている。
「うわ……」
後ろの侍の悲鳴があがった。
これを、突き退《の》けるようにして、町人は草原を駆け抜け、向うの木立の中へ逃げ込んでしまった。
刀を落した両手で顔を押えた侍が、がっくりと両膝《りょうひざ》をつき、手指の間から血がふきこぼれてきた。
もう一人の侍は、だらりと刀を提げたまま、虚脱したように立ち竦《すく》んでいる。
秋山小兵衛は舌打ちをして、立ちあがった。
二人の侍は、七千石の大身《たいしん》旗本・阿部壱岐守直道《あべいきのかみなおみち》の家来であった。
この近くの染井村に阿部家の下屋敷(別邸)があり、町人に斬《き》られた侍は、そこへ担《かつ》ぎ込まれた。
何しろ、同僚が顔を斬られて血がふき出しているというのに、別の一人は傷の手当さえできない。ただ、おろおろとしているのみなので、
(仕方のない奴《やつ》どもじゃ)
秋山小兵衛が見かねて木蔭《こかげ》から出て行き、半ば気を失っている侍の傷の血止めをしてやった。鼻から左の頬《ほお》へかけてざっくり[#「ざっくり」に傍点]と切り裂かれ、出血も多量であった。
「さ、背負ってやるがよろしい」
別の侍に背負わせ、小兵衛が、
「大丈夫かな?」
「は……」
「どちらまで行かれる?」
「染井の、阿部屋敷まででござる」
「ならば近いな」
「は……」
「阿部様の御家来か?」
「さよう……」
おもわず言いさして、侍は急に警戒の色を見せた。
何か事情があるらしいと看《み》て、小兵衛は、
「気をつけて行きなされよ」
いい捨てて歩み去った。
同僚を背負った侍は、小兵衛に礼をのべることも忘れている。
阿部屋敷と聞いただけでは、よくわからなかったが、木立を抜けて上富士前町の通りへ出て、そこの小間物店で提灯《ちょうちん》を一つ買い、そこの亭主に尋ね、はじめて阿部壱岐守の下屋敷であることがわかったのだ。
(それにしても妙なことよ。七千石の御大身の家来たちが町人にやっつけられるとは……ちかごろは、まことに、奇妙な世の中になったものじゃ)
提灯に火を入れてもらい、歩みかけたとき、通りかかった町駕籠《まちかご》が、
「王子《おうじ》からの帰《けえ》り駕籠でござんす。乗って下せえやし」
声をかけてよこした。
「おお。こりゃ、ちょうどよい」
すぐさま小兵衛は、
「湯島までたのむ」
と、駕籠へ乗った。
この日。小兵衛は湯島|同朋町《どうぼうちょう》の、亡《な》き浅野幸右衛門《あさのこうえもん》の旧居へ泊るつもりで、おはる[#「おはる」に傍点]にも告げておいた。
幸右衛門旧居には、いまも小兵衛の古い弟子で病身の植村友之助《うえむらとものすけ》が、大男の下男・為七《ためしち》と共に住み、近所の子供たちへ読み書きを教えたりしている。
月に一度ほどは、かならず鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ、師の機嫌うかがいにあらわれる植村友之助が、このところ三月ほど姿を見せぬので、
(また、躰《からだ》のぐあい[#「ぐあい」に傍点]がよくないのではあるまいか……?)
気にもかかっていたし、そこで平内太兵衛訪問のついでに、愛弟子《まなでし》の様子を見て来ることにしたのだ。
秋山小兵衛が、湯島天神の門前で駕籠を下りたのは六ツ半(午後七時)ごろであったろう。
湯島天神の境内へ入った小兵衛は拝殿にぬかずき、嫁の三冬の安産を祈ってから、裏門外へ出た。
このあたりは、料理茶屋や茶店が軒をつらねてい、夜分も灯火が明るく、人の足が絶えない。
その一角に〔浮山《うきやま》〕という煮売り酒屋がある。場所柄、小ぎれいな造りで、しゃれた格子戸《こうしど》を開けると七坪ほどの入れ込みに、ぎっしりと詰まった客が楽しげに飲んだり食べたりしている。
入口の傍《わき》には石造り竈《かまど》を設け、二人の若い者が酒の燗《かん》に大童《おおわらわ》であった。
小兵衛は、この店で腹ごしらえをするつもりで入り、先《ま》ず豆腐の煮たのと酒を注文した。
(今日は大分《だいぶん》に飲んだわえ。わしも、この分なら、まだ四、五年は生きられるやも知れぬな)
何となく愉快になり、となりに坐《すわ》っている此辺《このあた》りの町家の主人《あるじ》らしいのと気軽に口をきいたり、盃《さかずき》をかわしたりしていた小兵衛が、ふと、店へ入って来た二人の男へ目をやって、
「あ……」
われ知らず、低い声をあげた。
男の一人は、何と先刻、阿部壱岐守の家来たちを翻弄《ほんろう》しつくして逃げた町人ではないか。
さらに、おどろいたのは、連れの男を、小兵衛はよく知っていたからだ。
連れの男は、侍であった。
名を黒田精太郎《くろだせいたろう》といい、かつては、小兵衛の門人だった男なのである。
二人は、小兵衛の方へ目を向けぬままに、入れ込みの中の通路を奥へ行き、空《あ》いた席を見つけて坐り込んだ。
「どうかなさいましたか?」
となりの客が尋ねるのへ、
「いや、別に……ま、一つ」
小兵衛は酌《しゃく》をしてやりながら、忘れかけていた先刻の事件に、油然《ゆうぜん》と興味をおぼえてきはじめた。
(黒田が、あの凄味《すごみ》の町人と酒を飲んでいるとは、な……)
店の中は、酒の香と多勢の客の談笑の声がたちこめている。
小兵衛は人びとの肩越しに、彼方《かなた》の二人の顔へ目をやった。
先刻、夕闇《ゆうやみ》を透かして見た町人の顔だちは、色白のきりり[#「きりり」に傍点]とした精悍《せいかん》なものであったが、黒田と語り合っている笑顔の、上唇《うわくち》の端が捲《まく》れあがってい、それが何となく卑《いや》しげに感じられた。
小兵衛が黒田精太郎を見るのは、十数年ぶりのことだ。
黒田は、百石取りの御家人《ごけにん》・黒田|三右衛門《さんえもん》の次男で、剣の筋もよく、若い門人の中では他《ほか》ならぬ植村友之助と共に、
(これは見込みがある)
と、おもい、小兵衛は殊更《ことさら》に念を入れて稽古《けいこ》をつけてやったものだ。
若いころの黒田は、面長《おもなが》の、
「なかなかに美《い》い男……」
であって、稽古も熱心にするし、何かにつけて気転がきくので、小兵衛も身近に寄せ、いろいろと用事をいいつけたり、道場へ泊り込ませて、酒の相手をさせたりしたので、
「先生は、どうも黒田を甘やかしすぎる」
などと、古参の門人たちが、苦にがしくおもっていたようだ。
それほどに、秋山小兵衛から愛《いつくし》みを受けた黒田精太郎が、突如、姿を見せなくなった。
黒田は、人を三人も斬殺《ざんさつ》して、江戸を出奔し、行方知れずとなったのである。
秋山道場の門人たちも、
「あの男が……」
おどろいたが、小兵衛の失望と落胆は非常なものであった。
黒田は次男坊であるし、家督をするのは兄の平内《へいない》に決まっている。
それゆえ、小兵衛は、
(あと五年も、みっちりと仕込んだなら、わしの跡を継げるやも知れぬ。そうしたら、この道場をゆずってやってもよい)
と、考えていたのだ。
息・大治郎は自分の手をはなれて剣の修行に出ており、これはこれで独立させるつもりであった。
我が子だけに、むしろ小兵衛は、きびしい目で大治郎を見まもっていた。それでなければおはると共に世を捨てて、気楽な隠居暮しへ踏み切ったりせず、大治郎が自分の手許《てもと》へ帰って来るまで、何としても四谷《よつや》の道場を存続させていたろう。
黒田精太郎が犯した罪により、父の三右衛門は幕府のお咎《とが》めを受け、百石|二人扶持《ににんぶち》の家を取り潰《つぶ》されてしまった。
黒田は、神田《かんだ》の紺屋町二丁目に住んでいた町医者の菅井九甫《すがいきゅうほ》方へ夜ふけに押し込み、九甫夫妻と、医生一名を斬殺し、百何十両もの大金を強奪して逃走した。
これは、菅井家の下男下女の申し立てによってあきらかである。
それから十数年を経た、いまこのとき……。
町人と酒を酌《く》みかわしている黒田精太郎は、四十を一つ二つ越えたのではあるまいか。
着ながしの姿ではあるが、折目正しい羽織を着込み、総髪《そうがみ》もきれいにゆいあげて、大小も立派な刀《もの》を腰に帯し、なかなかどうして贅沢《ぜいたく》な身なりをしているし、生来の美男ゆえに、肉づきのよくなった顔貌《がんぼう》も中年の脂《あぶら》をたたえ、
「女が放《ほ》ってはおかぬ……」
ようなものが、におい出ている。
だが、小兵衛は黒田の横顔を盗み見ながら、
(黒田は、あれから十何年もの間に、何人も人を斬っているな)
たちまちに看破してしまった。
顔は同じでも、黒田精太郎の眼《め》の光りは、むかしの彼のものではない。
黒田と町人が浮山で酒を酌みかわしていた時間は、さして長くはなかった。おそらく、この近くで待ち合わせ、ついでに立ち寄ったものであろうか。
二人が浮山を出たとき、すでに、秋山小兵衛の姿は消えていた。
二人は、湯島天神の切通しからつづく道を西へ行く。
何やら、ひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]と語り合いつつ歩を運ぶ二人を、何処《どこ》からあらわれたか秋山小兵衛が尾行しはじめた。
黒田精太郎は両手をふところに入れてい、町人のほうは提灯《ちょうちん》を提げている。
自分の提灯には火を入れず、小兵衛は、彼方《かなた》の町人の提灯へ目をつけ、かなりの距離をへだてて後を尾《つ》けた。
この時刻になると、上野の広小路《ひろこうじ》と本郷を結ぶ通りにも人影は絶えているので、先へ揺れうごいて行く提灯を見失うことはない。
もはや小兵衛は、
(見捨ててはおけぬ……)
気持ちになってきていた。
十数年前、町医者の菅井九甫《すがいきゅうほ》夫妻と医生を殺害《せつがい》したときの黒田精太郎の手ぎわは、実に、あざやかなもので、はじめは黒田が屋内へ潜入したことを、下男も下女も知らずに眠り込んでいたという。
黒田は、主人夫妻の寝間へ忍びこみ、おそらく刀を突きつけて脅し、金を奪い取ったのち、手早く殺害したにちがいない。
わが子がいない中年の九甫夫妻は、ほとんど声もたてず、頸部《けいぶ》の急所をはね[#「はね」に傍点]切られて即死していた。
そのまま、黒田は外へ忍び出て逃走するつもりでいたのだろうが、外廊下へあらわれたとき、ちょうど小用に起きた若い医生に発見された。
「あっ。泥棒《どろぼう》……」
医生が叫び声をあげたので、黒田は飛びかかって斬《き》った。
このときは、声を出さぬように手だてを考えて殺したのではないから、
「ぎゃあっ……」
医生は、それこそ魂消《たまぎ》るような悲鳴を発した。その声で下女も下男も飛び起きた。
そして、雨戸を蹴破《けやぶ》って庭へ逃げた黒田精太郎の横顔を、下男の七助が、たしかに見たのである。
黒田は、前々から菅井九甫宅へ顔を見せていた。
つまり、菅井九甫は繁昌《はんじょう》している町医者でありながら、金貸しもしていたらしい。
黒田は、九甫から金を借りていたのである。
だが、事件後の町奉行所の調べでは、黒田精太郎の証文はなかった。
黒田の父や兄が、家を取り潰《つぶ》されただけで済んだのは、むしろ倖《さいわ》いというべきであったろう。まかり間ちがえば父の黒田|三右衛門《さんえもん》は、次男の非道の責任《せめ》をとって腹を切らねばならなかった。
しかし、三右衛門は普請方《ふしんかた》の下奉行や、畳奉行なども誠実につとめて、上司の評判もよかった為《ため》、一命だけは助けられたのだ。
当時、小兵衛も、
(わしにも責任がある……)
と、苦悩したものである。
剣術の師匠として、これでは、まるで、殺人の方法を教えてやったようなものと言われても仕方がないではないか。
黒田が、金貸しから金を借りていたなどとは、おもってもみなかった。これは黒田の父兄にとっても同じおもいだったらしい。
黒田精太郎は、父にも兄にも、秋山小兵衛が感じていたような好青年であったといえよう。
これは、小兵衛が風のたよりに聞いたことだが、黒田の父は事件後、間もなく病死してしまったとか……。
兄・黒田平内の行方は、まったく知らぬ。
黒田と町人の後を尾けながらも、秋山小兵衛の不安は募るばかりであった。
そもそも、黒田が江戸へ姿をあらわしたということは、いわゆる、お上《かみ》の、
〔お尋ね者〕
としての、危険を冒していることになる。
十数年前の当時は、町奉行所と火附《ひつけ》盗賊|改方《あらためかた》の探索も、非常にきびしかったというから、黒田は江戸府内から外へ逃げたに相違ない。
そして、いま、
(ほとぼり[#「ほとぼり」に傍点]もさめた……)
と看《み》て、江戸へ舞いもどって来たものか。
あるいは数年前から、江戸へもどり、潜み隠れていたものか。
いずれにせよ、黒田精太郎は、
(悪事に関《かか》わり合っている……)
であろうことを、小兵衛は直感している。
(わしが教えた無外流《むがいりゅう》を、悪事のために遣われては……)
たまったものではないということだ。
わが子の大治郎は幼少のころから、まことに無口な子で、十五歳になった夏、早くも父の小兵衛へ願い出て、父の恩師で、山城《やましろ》の国(京都府)の大原《おおら》の里へ隠棲《いんせい》していた辻平右衛門直正《つじへいえもんなおまさ》の許《もと》へ、修行におもむいた。
これはつまり、
「わしよりも、わしの師匠についたほうが、ずっと増しじゃと大治郎めは考えたということよ」
と、小兵衛は苦笑を洩《も》らしたが、内心、まことにさびしかったものだ。
そのとき、すでに小兵衛の妻お貞《てい》は病歿《びょうぼつ》していたし、大治郎が大原へ去ってしまうと、小兵衛の寂寥《せきりょう》は層倍のものとなった。
そうしたときに、愛弟子《まなでし》の黒田精太郎が身近に仕えてくれて、
「先生。肩をおもみいたしましょう」
とか、
「お背中を流させていただきます」
とか、明るい笑顔で、人なつこく、甘えるようにいわれると、
「ほれ、小遣いをやろう」
などと、つい小兵衛の顔も緩んでしまったものである。
(あの若者が、何故《なぜ》、あのような、だいそれた事をしたものか……)
いまもって、さすがの小兵衛も納得がゆかぬ。
さて……。
黒田精太郎と怪しげな町人は、ゆっくりと歩を運び、湯島天神社からも程近い本郷春木町三丁目の旅宿〔楠屋与兵衛《くすのきやよへえ》〕方へ入った。
この宿屋、構えは小さいが、いまでいう高級旅館で、なればこそ、春木町あたりで営業ができるのであろう。料理もよく、泊らなくとも酒宴をひらくことができ、常客が少なくない。
秋山小兵衛も、楠屋のことは耳にしているほどだ。
「ふうむ……」
小兵衛は、楠屋の真向いの麟祥院《りんしょういん》という臨済宗の大寺《だいじ》の惣門《そうもん》の下へ佇《たたず》み、しばらくは風雅な造りの楠屋の門口をながめていたが、ややあって、ひとりうなずき、踵《きびす》をめぐらした。
つぎに、小兵衛が、
「夜中《やちゅう》、まことにすまぬが、ちょ[#「ちょ」に傍点]と、たのみ事があってのう」
こういって訪れたのは、上野の北大門町に住む御用聞きの文蔵《ぶんぞう》宅であった。
北大門の文蔵は、四谷《よつや》の弥七《やしち》とも親密の間柄《あいだがら》だし、小兵衛の信頼も厚い男だ。
三日後の夕暮れ近くなって、北大門の文蔵が四谷《よつや》の弥七《やしち》と連れ立ち、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。
あれから小兵衛は、隠宅へ引きこもったきり、一歩も外へ出ていない。
「おお、二人とも、忙しいのにすまぬな」
待ちかねていたように、小兵衛は二人を居間へ招じた。
すかさず、おはる[#「おはる」に傍点]が酒肴《しゅこう》の仕度をととのえたことはいうまでもない。
「大《おお》先生が、いまのところは、あまり深く手を入れぬようにとおっしゃいましたので、そのようにしておりますが、決して目を放しちゃあおりません」
と、文蔵。
「そうか、つまらぬことをたのんで申しわけもない」
「いえ、大先生。こりゃあ、私どもにとっても大事なことになりそうなので、なあ、四谷の……」
文蔵が語尾を四谷の弥七へかけると、
「そうとも」
うなずいた弥七が、
「怪しいことは、たしかに怪しい……」
呟《つぶや》くようにいってから、
「大先生。染井の阿部壱岐守《あべいきのかみ》様の下屋敷では、毎晩のように博奕《ばくち》をやっております」
「ほう。そうかえ」
大名や大身《たいしん》旗本の下屋敷内で、夜になると博奕場がひらかれることは、いまどき、さしてめずらしいことではない。
これは主人の知らぬことだ。一部の家来が渡り中間《ちゅうげん》などと結託して、こうした悪事をはたらいている。
大名や武家屋敷となれば、警吏も遠慮しなくてはならぬし、よほどの事件《こと》がないかぎり、踏み込んで手入れをおこなうこともしない。
「そっちのほうは、傘徳《かさとく》に探らせております」
「なるほど、徳次郎なら打ってつけだが、くれぐれも危い橋を渡らぬようにしておくれよ」
「はい」
「ところで、春木町の楠屋《くすのきや》というのは?」
「これはもう、三代もつづいている宿屋でございまして、泊り客はさておき、楠屋の主人《あるじ》の与兵衛《よへえ》さんに怪しいところは何一つ、無いと存じます」
と、これは北大門の文蔵が、自分の縄張《なわば》り内のことだけに、きっぱりとこたえた。
文蔵は、麟祥院《りんしょういん》・門前の茶店〔井筒《いづつ》〕を見張り所にし、黒田精太郎の出入りを監視しているそうな。
井筒の亭主の寅吉《とらきち》は、文蔵の息がかかった男で、ときによっては、
「私の下ばたらきをしてくれる男なので、少しも心配はいりません」
と、文蔵はいう。
あれから黒田精太郎は、日に一度ほど外へ出るが、日暮れ近くなってから、それも例の浮山へ出かけて、ひとりで酒をのんだり上野山下のあたりを、ぶらぶら歩きし、一刻《いっとき》(二時間)ほどで楠屋へもどるということだ。
怪しい町人の姿は、まだ、一度も見かけぬらしい。
町人のほうは別の場所に住んでいて、あの夜も小兵衛が文蔵の家へおもむいた後で、楠屋を去ったのやも知れぬ。
ところで小兵衛は、楠屋へ泊っている浪人が黒田精太郎であることを、文蔵にも弥七にも告げていなかった。
そこは何といっても、かつては自分の愛弟子《まなでし》だった男ゆえ、何《なに》とはなしに、口に出すのが憚《はばか》られたのである。
弥七も文蔵も井筒から見張っていて、外へあらわれた黒田の顔を見ている。
それでいて、これが、町医者殺しの犯人だとは、まだ気づいていない。
当時、黒田の人相書も御用聞きたちの手へわたっていたはずだが、何分にも十数年前の事件だし、弥七と文蔵の脳裡《のうり》へ結びついてこないらしい。
それに、中年となった黒田の風貌《ふうぼう》も昔日《せきじつ》のものではない。顔にも躰《からだ》にも肉がついており、当時の人相書などの与件だけでは判別しがたいといってよい。
黒田も、おそらく変名をつかい、楠屋に泊っているにちがいない。
小兵衛は、ただ、怪しげな町人の連れ[#「連れ」に傍点]として黒田を見張ってくれと、文蔵にたのんだのだ。
しかし、いま、弥七と文蔵が、
「大先生。これでは、なかなか埒《らち》があきません」
「楠屋へも探りをかけてみては、いかがでございましょう?」
楠屋は、しかるべき紹介者がないと、客を引き受けぬそうな。
そこで、楠屋の主人から、それとなく、黒田精太郎を紹介してよこした人物を尋《き》き出してみてはどうかと、二人はいい出たのである。
ここに至って秋山小兵衛も、黒田のことを打ちあけぬわけにはいかなくなった。
それでないと、阿部家の侍二人と喧嘩《けんか》をしていたにすぎない町人の連れの男[#「連れの男」に傍点]というだけで、江戸の御用聞きの中でも、
「それ[#「それ」に傍点]と知られた……」
弥七と文蔵へ、まことにつまらぬ事[#「つまらぬ事」に傍点]で汗をかかせることになってしまう。
「ま、二人とも聞いておくれ。これまで隠し事をしていて、まことにすまなかった」
と、秋山小兵衛が、いつになく神妙な顔つきになり、両手をついたものだから、弥七と文蔵は、びっくりした顔を見合わせた。
小兵衛が黒田精太郎について語りはじめると、文蔵もおどろいたが、弥七の衝撃がどんなものだったかは、見る見るうちに蒼《あお》ざめた顔色《がんしょく》によっても知れた。
四谷の弥七が小兵衛の道場で剣術の稽古《けいこ》をはじめるようになったのは、あの医者殺し一件より二年ほど後だから、むろん、黒田の顔を見知ってはいない。
いないが、しかし、黒田の事件については耳にしていた。
小兵衛も、弥七や大治郎には、後に、
「まことに辛《つら》いことであったよ。これはな、剣術の師匠の身になってみぬとわからぬことじゃ」
と、黒田のことを嘆いている。
「さようでございましたか……」
息を引いて、こういった北大門町の文蔵が、
「私どもは、何事にも、大先生のおっしゃるようにいたしますでございます」
「黒田は、お上のお尋ね者じゃ。それでも、わしにまかせてくれるか?」
「おっしゃるまでもございません。なあ、四谷の……」
「よくいってくれた。ありがてえ」
と、弥七が文蔵へ頭を下げた。
こうなると弥七は、自分が御用聞きだということより、むしろ、秋山小兵衛の門人としての気味合いになっていたのだ。
夕闇《ゆうやみ》が新緑の濃厚な匂《にお》いをふくみ、開け放った縁先の彼方《かなた》に、朴《ほお》の花が白く浮きあがっている。
台所から、燗《かん》をつけた酒を運んで居間へ入って来たおはるが、がっくりとうなだれている小兵衛を見て、声もなく立ち竦《すく》んだ。
老いた夫の、これほどまでに打ち拉《ひし》がれた姿を、いままでに見たことがなかったからであろう。
これは、四谷の弥七にとっても同様であった。
そのころ……。
本郷春木町の旅宿〔楠屋《くすのきや》〕の二階奥座敷でも、黒田精太郎が、あの町人と二人きりで酒を酌《く》みかわしていた。
この町人の名は、藤川《ふじかわ》の仙助《せんすけ》といい、博奕《ばくち》だの、さまざまな方法を駆使しての強請《ゆすり》で世を渡っている無頼の男だ。
しかし、いつも羽織をつけ、身なりもよく、小店《こみせ》の主人のように見えるので、楠屋でも怪しまぬ。楠屋へあらわれるときの仙助の言葉づかいは、先日、阿部家の侍たちを相手に短刀《あいくち》を振りまわしながら毒突いていたときのそれ[#「それ」に傍点]とは、まったくちがう。
黒田精太郎は、
〔山口房五郎《やまぐちふさごろう》〕
という変名で、楠屋へ滞留していた。
大坂の長堀《ながほり》へ架かる心斎橋の北詰に〔津国屋庄兵衛《つのくにやしょうべえ》〕といって、大坂でも人に知られた大きな旅宿があり、黒田は、その津国屋の主人の紹介で、楠屋へ滞留しているのだ。
数年前に、楠屋の主人の与兵衛が上方《かみがた》見物をした折、津国屋へ泊ったのが縁となり、そこは同業者の好誼《よしみ》もあって、去年の春には津国屋が江戸見物へあらわれ、楠屋へ滞留していた。
そして、半月ほど前に、津国屋庄兵衛が、
「このお方は、京に住まわれている山口房五郎様と申され、何やら学問をしていなさるので、このたび、江戸へ下られ、いろいろと御用事がおありとのことゆえ……」
楠屋のことを語ったところ、ぜひにも紹介をしてもらいたいと申されるので……と、紹介状を書きしたため、これを持って黒田が江戸へ下り、楠屋へ投宿したのである。
楠屋では、津国屋を信頼しきっているし、身なりも立派な黒田精太郎を見て、これがまさか、江戸から逃げた殺人犯だとは、夢にもおもっていない。
「ところで先生……」
と、黒田へ酌《しゃく》をしてやりながら藤川の仙助が、
「探りは、すっかり終りました。そろそろ、腰をおあげなすってもいいのじゃあござんせんか?」
「そうだな」
口もとに、微《かす》かな苦笑いを浮かべた黒田が、
「腰をあげたら、大坂へもどらねばならぬ」
「それほど、この江戸を離れるのが辛《つら》いので?」
「お前にいうても、はじまらぬことよ」
「山口先生は、江戸で、お育ちなすったらしい」
「まあ、な……」
「いろいろと、あった[#「あった」に傍点]のでござんすね?」
「何が?」
「何がって、そりゃあ、いろいろと、江戸を離れた事情《わけ》が、おあんなすったのではないかと申しあげているので……」
「さようさ……」
黒田は、一瞬、口ごもったが、
「女と博奕よ」
唾《つば》でも吐くように言い捨ててから、用意してあった二つの金包みを仙助の前へ置き、
「これは津国屋のあるじから、お前へわたすようにといわれてきた。こちらは、おれからの礼金だ。津国屋からたのまれた殺しの仕度のほかに、ついでながらもう一つ、これは、おれ一人の事をお前にたのんだわけだが、おかげで骨を折らずにすんだわ」
「こりゃあ、どうも。ごていねいに恐れ入ります」
「なるほど、津国屋が言っていたように、こういう仕事に、お前は打ってつけだな」
「津国屋の旦那《だんな》には、大坂にいたころ、ずいぶんと厄介《やっかい》をかけたもので……」
「そうだとな。さ、金をあらためるがいい。それでよいか?」
「へ……たしかに。ですが、先生から、こんなにしてもらって、よろしいので?」
「不服がなければ、取っておいてくれ」
「とんでもねえことで。この間は、阿部《あべ》の下屋敷を探っているうち、あそこの侍たちに怪しまれ、追いかけられたりして、どうも不様《ぶざま》なことをしてしまいましたが……」
「なに、かまわぬ。まさか、お前が、おれのためにはたらいてくれているとは、相手も知らぬことよ」
「そりゃもう、大丈夫でござんす。ところで先生。いつ、お殺《や》んなさる?」
「そうだな……」
「何か、この上にも江戸に御用がおあんなさるので?」
「ひとり……一人だけ、顔を見たいとおもう人がいるのだが……」
「なるほど」
にやりとした仙助へ、黒田が、
「早合点《はやがてん》をするな」
「え……?」
「その相手は女ではない。生きているなら、六十をこえた爺《じい》さまだ」
「なあんだ。その爺さまというのは?」
「おれが師匠よ」
「何の師匠で?」
「うるさいやつだな」
「何処《どこ》に、いなさるので?」
「さ、それがわからぬ」
黙然と、黒田精太郎は盃《さかずき》の冷えた酒を口に含んだが、
「仙助……」
「へ……?」
「おれは明朝、この宿を引き払って、お前のところへ身を移そう」
「ようござんす。で、仕掛けの日は?」
「それは、お前しだいということだ」
「わかりました。それじゃあ明日、お待ちしておりますぜ」
「たのむ」
間もなく、藤川の仙助は帰って行った。
その後で、黒田精太郎は、
「明朝、出立《しゅったつ》して京へ帰る」
と、楠屋の番頭に告げた。
麟祥院《りんしょういん》・門前の茶店の二階の窓から、北大門の文蔵の下《した》っ引《ぴき》が、帰って行く仙助を見たけれども、まさかこれが黒田を訪ねて来たとはおもわず、したがって尾行をしなかった。
傘屋の徳次郎が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれたのは、それから間もなくのことであったろう。
弥七《やしち》も文蔵も、まだ隠宅にいた。
「親分。阿部様の下屋敷では一日置きに賭場《とば》が開《あ》きます。あそこへ喰《く》い込んでいるのは、何と巣鴨《すがも》の藤兵衛《とうべえ》ですよ」
と、徳次郎が弥七にいった。
弥七と文蔵は、これを聞いて、
「そんなところにも、手をのばしているのか、あの男は……」
「まったくなあ」
憮然《ぶぜん》とした顔を見合わせたものだ。
巣鴨の藤兵衛は、王子権現《おうじごんげん》の門前町から巣鴨・駒込《こまごめ》あたりの盛り場に顔をきかせている香具師《やし》の元締で、そうした場所に出る物売りから見世物興行にいたるまで、一手に利権をつかみ、配下の者たちも二百を越えるそうな。
その藤兵衛が、阿部家の下屋敷の博奕場をも牛耳っているというのは、おそらく、阿部家の家来を、
「抱き込んでのこと……」
に、ちがいない。
大名の下屋敷とはちがい、いかに大身《たいしん》の旗本といえども、その別邸に詰めている人数といえば、
「高が知れている……」
といってよい。
「これは何だな、阿部の家来の、それも上のほうの奴《やつ》が、その香具師の元締とくっついているのであろうよ」
と、小兵衛がいった。
「そうでございましょうか?」
「それでなくては、できぬことじゃ。何といっても旗本は旗本。大名家のようなわけにはまいらぬ。殿様の耳へも入らず、世間にも知られぬためには、そのようにせぬと、な」
「阿部様の賭場は、もう二十年もつづいていると申します」
と、傘徳が膝《ひざ》をすすめて、
「どうも、やつらは、あくどいまね[#「まね」に傍点]をしているらしいので」
「それはつまり、何ぞ博奕に細工でもして、うまく金を捲《ま》きあげるという……それ、いかさま[#「いかさま」に傍点]というやつをしているということかえ?」
「さようでございます」
諸方の博奕場にくわしい傘徳は、阿部屋敷の博奕で金を擦ってしまった男が外へ出て来るのをつかまえ、上富士前《かみふじまえ》町あたりの居酒屋で酒をのませ、聞き出したのであろう。
巣鴨の藤兵衛は、もう七十をこえた老齢だが、その右腕といわれている貝野《かいの》の太平次《たへいじ》という五十男が、一日置きに阿部屋敷へやってきて、博奕場を切りまわしているらしい。
「まったく、これではのう」
小兵衛が嘆息して、
「阿部|壱岐守《いきのかみ》様といえば、以前は将軍家の御側《おそば》に仕えたほどのお人じゃ。それが何も知らずに、わが下屋敷を無頼の奴どもに乗っ取られているとは……いかに、武家方の内所《ないしょ》が乱れているか、これを看《み》ても知れようというものじゃ」
阿部家の下屋敷には、侍が二人、中間が二人、それに小者三人ほどが、常時、詰めているとのことだ。
先日、藤川の仙助を取り逃した二人は、おそらく下屋敷に詰めていた侍たちであろう。
「大《おお》先生。徳を、また、阿部様の御屋敷へさしむけましょうか?」
と、弥七が尋《き》くのへ、小兵衛は、
「いや、この上のことは、なかなかわかるまい。これで充分じゃ」
「それでは、楠屋の見張りへ、徳をまわしてもよろしゅうございますか?」
「おお。たのむ」
この夜から、傘《かさ》屋の徳次郎は、麟祥院《りんしょういん》・門前の茶店井筒の二階へ泊り込むことになった。
で、翌朝の五ツ(午前八時)ごろだったろう。
ぐっすりと二階の見張り部屋で寝込んでいた徳次郎を、
「おい。おい、徳さん……」
見張りについていた井筒の亭主の寅吉《とらきち》が揺り起し、
「徳さん。出て来やがったぜ」
「えっ……」
「あれだ。あの侍だよ」
小窓の障子の隙間《すきま》から、通りをへだてた向うの楠屋《くすのきや》の門口を見た徳次郎が、
「あれかい。なるほど」
いましも、旅姿の黒田精太郎が、楠屋の主人夫婦や番頭、女中に見送られ、通りへあらわれたところである。
黒田は、一同へ、にこやかにうなずいて見せ、塗笠《ぬりがさ》をかぶって上野の方へ去った。
「よし。後を尾《つ》けてくる」
すぐさま、徳次郎が立ちあがると、
「おれも手伝おう」
寅吉もいっしょに外へ飛び出した。
いざというときにそなえ、傘屋の徳次郎は着のみ着のままで寝ていたし、寅吉は井筒を飛び出すときに、かねて用意の菅笠《すげがさ》を二つ手に取り、
「ほらよ」
その一つを、徳次郎へ放《ほう》ってよこした。
それから二|刻《とき》(四時間)ほど後に、井筒の寅吉が、北大門町の文蔵の家へ駆け込んで来た。
「親分……」
「おう、寅。待っていたぜ。井筒から知らせが来たよ。傘徳といっしょに、野郎の後を尾けたとな」
「そうなんで」
「それで、どうした。野郎は旅姿だったというじゃあねえか。江戸から出たというんなら、おれも出張るぜ」
「そうじゃあねえ、親分。野郎は深川へ行きましたよ」
「何だと……」
「黒江町の万徳院という寺の手前を、ちょいと切れ込んだ突き当りにある、小ぎれいな家へ入って行きました」
「ふうむ、そうか……で、そこは傘徳が見張っているのだな」
「さようで」
「よし。おれも行こう。井筒から知らせが来たので、すぐに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の大先生と四谷《よつや》の弥七《やしち》のところへは使いを走らせておいた」
「そいつは何よりで」
「いまごろ、大先生も湯島のほうへ来ていなさるだろうよ」
文蔵と寅吉が、湯島|同朋町《どうぼうちょう》の浅野|幸右衛門《こうえもん》旧宅へ駆けつけると、果して、秋山小兵衛は到着していた。
四谷の弥七は、まだ、あらわれぬ。
「よくやってくれたのう」
と、小兵衛は二人へ頭を下げ、
「弥七が此処《ここ》へ来ることになっているのなら、わしが置き手紙をしておこう」
すぐさま筆をとって、書きしたためるのを見ていた植村|友之助《とものすけ》が、
「先生。何事でございますか。私も、お手つだいを……」
「いや、お前の知ったことではない。心配をいたすな」
小兵衛は、友之助を一歩も寄せつけぬ強い口調であった。
かつては、友之助と同門の黒田のことを、小兵衛は洩《も》らしていない。
「弥七が来たら、この手紙をわたすがよい」
と、植村友之助へいいつけ、
「さ、行こうか」
小兵衛は文蔵と寅吉をうながして立ちあがった。
今日の小兵衛の姿は、例のごときものだが、大小の刀を帯し、竹の杖《つえ》を手にしている。
「深川の黒江町というたな?」
「はい」
「うむ。あの近くに、いささか、なじみの店がある。そこへ詰めることにしようか」
「それは、何よりのことでございます」
永代橋を東へわたって深川へ入り、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)に沿って右へ行くと、佐賀町・相川町・熊井町《くまいちょう》の町家となる。
その熊井町の一角にある〔翁蕎麦《おきなそば》〕という蕎麦屋は、秋山小兵衛が二十年も前から行きつけの店であった。
ここならば、目ざす黒江町の怪しげな家にも近い。
小兵衛は、翁蕎麦の二階の一間を借り切ることにした。
そして、この日から、件《くだん》の家の見張りを開始したのである。
あくまでも、
「これは内密に、たのむ」
という小兵衛の意を体して、弥七・文蔵・徳次郎・寅吉の四人のみではたらくことになった。
この日が暮れても、黒田精太郎は外へあらわれぬ。
その家というのは、何処《どこ》かの大店《おおだな》の通い番頭の妾宅《しょうたく》だというのが、近辺の噂《うわさ》であった。
この聞き込みを傘屋の徳次郎から聞いた小兵衛が、
「どこぞの店の番頭、な……」
「はい」
「ふうむ……」
「御存知なのでございますか?」
「いやなに……もしも、その番頭らしいのがあらわれたら、わしに、知らせておくれ」
「承知いたしました」
この夜は、翁蕎麦の二階座敷を根城にし、交替で見張りに出たが、人の出入りはなかったようだ。
ただ、いかにも婀娜《あだ》な、二十四、五の女が路地の奥の家の勝手口から半身を見せ、棒手振《ぼてふ》りの魚屋から魚を買っていたのを寅吉が見とどけた。
「そのほかに、四十がらみの下女がひとりいて、買物に出たりしているようなんでございます」
と、寅吉がいった。
その翌日。
昼近くなってから、徳次郎が翁蕎麦の二階へ駆けあがって来て、待機していた小兵衛に、
「大先生。いま、この下の道を、番頭が通ります」
と、告げた。
「そうか。どれ……」
窓の障子を細目に開け、下の道をのぞいた小兵衛がうなずいて、
「む。まさに……」
その番頭とは、あの日、阿部家の侍たちを脅《おび》やかした町人ではないか。すなわち、藤川《ふじかわ》の仙助《せんすけ》である。
仙助の後方から、四谷の弥七が尾行して来るのが見えた。
「徳次郎。わしが出るわけにはまいらぬ。お前と弥七で、あの男を尾けてみてくれ。わしが見たのは、あいつだ」
「合点《がってん》でございます」
傘徳が飛び出して行った後で、小兵衛は手紙を書きしたため、翁蕎麦の小僧にたのみ、大治郎の家へ届けてもらうことにした。
「二、三日は帰れぬやも知れぬが、心配はいらぬ。何か起ったら翁蕎麦に知らせてもらいたい。このことを、おはる[#「おはる」に傍点]へもよくよくつたえてくれるように」
文面は、およそ、このようなものだ。
深川には、鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六《またろく》もいるし、手つだいをさせてもよいのだが、今度ばかりは、
(余人《よじん》に知らせたくない……)
のである。
黒田精太郎のことについては、まだ、倅《せがれ》の大治郎へも洩らしていない小兵衛であった。
弥七・文蔵等四人以外に、この事件へ関《かか》わってもらいたくはなかった。
翌々日の暮れ六ツ(午後六時)ごろであったろうか……。
浅草福井町三丁目の足袋問屋〔丸屋《まるや》〕の主人|勘蔵《かんぞう》が、昼すぎから立ち寄っていた根岸の妾宅《しょうたく》を出て、帰途についた。
その妾宅は、むかしから丸屋の寮(別荘)だったもので、そこにいま、丸屋勘蔵の妾《めかけ》おしま[#「おしま」に傍点]と、おしまが生んだ六歳の女の子と下女一人、下男二人が住みつき、五十三歳の勘蔵は三日に一度ほど姿を見せる。
おしまは、以前、丸屋の奥向きの女中をしていた女で、それに勘蔵が手をつけ、子を生ませたわけだが、丸屋の内儀も、これをみとめていればこそ、寮を妾宅にすることができたのであろう。
おしまも穏やかで地味な女だし、根岸の寮で、つつましく暮しており、本宅の人たちからも、むしろ好感をもたれているようだ。
根岸には、秋山大治郎の妻三冬の生母の兄にあたる和泉屋吉右衛門《いずみやきちえもん》の寮もある。
大治郎の妻になる前の三冬は、和泉屋の寮に暮していたし、いまも時折、大治郎と共に泊りに来ては、留守居をしている老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》をよろこぼせていた。
さて……。
丸屋勘蔵の寮は、和泉屋の寮より、もっと奥へ入ったところの、金杉新田《かなすぎしんでん》の外れにあった。
南は上野の山、三方は田地と木立に囲まれ、敷地も、このあたりの寮の中では最も大きく、道から入ると竹林の中に石畳の通路が奥へ伸び、突き当りに茅《かや》ぶき屋根の門がある。
丸屋勘蔵が、この妾宅へ来るときは、帰る時刻を見はからって、浅草の本宅の近くにある駕籠《かご》屋から迎えの町駕籠が来る。
これに、丸屋の手代が一人、つきそって来るのも常例であった。
ちかごろは日に日に夏めいてきて、暮れ六ツといっても、まだ夕闇《ゆうやみ》が明るい。
しかし、根岸も、このあたりへ来ると、日中はさておき、日暮れともなれば、まったく人の足が絶えてしまう。
迎えの駕籠が門内へ入り、丸屋勘蔵を乗せ、手代がつきそって通路へ出ると、これを妾のおしまが女の子の手を引いて見送る。
両側の竹林にはさまれた通路は屈折しているので、駕籠が見えなくなると、おしまは門内へ引き返す。
今日も、おしまや女中たちが門内へ引き返したとき、丸屋を乗せた駕籠は、まだ道へ出ていなかった。
その駕籠をやりすごして、竹林の中から音もなく通路へあらわれた黒い影が、物もいわずに駕籠の後ろについていた手代の背後へ迫った。
気配を感じて振り向いた若い手代の胸下へ、曲者《くせもの》の拳《こぶし》が突き込まれた。
強烈な当身である。
「う……」
悲鳴もあげずに崩れ倒れた手代の傍《わき》を擦りぬけた曲者が、大刀を抜きはらった。
振り向いた駕籠|舁《か》きが、
「な、なにをしやあがる」
と、叫んだ。
曲者は着ながしの姿で、灰色の絹の覆面をしていた。
黒田精太郎である。
「わあっ……」
二人の駕籠舁きが、駕籠を放り出して道の方へ逃げた。
「おい、これ、どうしたのだ」
おどろいた丸屋勘蔵が駕籠の中から這《は》い出て来た、その頸筋《くびすじ》へ、すかさず迫った黒田の一刀が打ち込まれようとした。
このとき秋山小兵衛が、道へ逃げて来た駕籠舁き二人と入れちがって通路へあらわれ、咄嗟《とっさ》に脇差《わきざし》の小柄《こづか》を引き抜き、黒田へ投げ撃った。
夕闇を切り裂いて疾《はし》った小柄は、大刀を振りかぶった黒田精太郎の左|肘《ひじ》を浅く削《そ》いで飛び抜けた。
「ぬ!!」
一足|退《しさ》った黒田へ、
「黒田精太郎。おのれが師匠の顔を見忘れたか」
と、小兵衛が言った。
「あっ……」
驚愕《きょうがく》の声を発し、黒田は、さらに飛び退った。
「お、お助け……」
這って来て、すがりつく丸屋勘蔵へ、小兵衛が、
「早く逃げなさい」
「は、はい」
丸屋と入れかわった小兵衛は、
「黒田。これは、どうしたことじゃ?」
黒田は、こたえない。大刀をひっさげたままだ。
気絶をして倒れている手代を助け起そうともせず、道へ逃げた丸屋勘蔵を、走り寄った四谷《よつや》の弥七《やしち》が、
「もう大丈夫だ、丸屋さん」
と、声をかけた。
その向うでは、竹林から飛び出して逃げる藤川の仙助を、北大門の文蔵と傘《かさ》屋の徳次郎が追いかけている。
「黒田……」
よびかけつつ、秋山小兵衛は駕籠の傍を擦りぬけ、一歩二歩と間合《まあい》をつめ、
「神妙にするか……」
「…………」
「上《かみ》の裁きを受けるか、どうじゃ?」
小兵衛がすすむにつれ、無言の黒田は後退する。
覆面に隠れた顔貌《がんぼう》はさだかでないが、のぞいて見える両眼《りょうめ》は深い悲しみの色をたたえているかのようだ。
黒田の背後に、丸屋の寮の門が見えてきはじめたとき、小兵衛の足がぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止った。
遠くで、人の叫び声が聞こえ、すぐに熄《や》んだ。
「刀を捨てよ」
きびしい声で、小兵衛が言った。
だが、黒田精太郎は提げた刀を捨てず、これを晴眼《せいがん》にかまえた。
「ふうむ……」
低く唸《うな》った小兵衛が、
「これまでじゃな」
腰に帯した藤原国助《ふじわらくにすけ》二尺三寸一分の銘刀の鍔際《つばぎわ》へ、しずかに左手がかかり、ぷっつりと鯉口《こいぐち》を切った。
その瞬間であった。
晴眼の大刀を振りかぶった黒田が、
「やあっ!!」
凄烈《せいれつ》の気合を発し、猛然と小兵衛の頭上めがけて打ち込んだ。
同時に、小兵衛の細くて小さな躰《からだ》が、弓弦《ゆんづる》を放れた矢のごとく疾った。
ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、二人の体《たい》が入れかわったとき、小兵衛の大刀は、まだ鞘《さや》をはなれてはいない。
小兵衛に打ち込みを躱《かわ》され、すぐさま振り向いた黒田が大刀を脇構えに移した。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と小兵衛が間をつめたのは、このときであった。
「む……」
一歩退った黒田精太郎の背中が、駕籠の棒端《ぼうはな》へ打ち当った。
はっ[#「はっ」に傍点]として、黒田が一瞬、右へ視線を移した隙《すき》を逃さず、
「鋭!!」
低く腰を沈めた秋山小兵衛が、国助の銘刀を抜き打ちに、黒田の左|股《もも》を切り払った。
「う……」
よろめきながら、黒田は小兵衛へ一刀を送り込んだ。
その一刀は虚《むな》しく空《くう》を切ったのみである。
すっく[#「すっく」に傍点]と背を伸ばした小兵衛の国助が、黒田の左頸部《さけいぶ》の急所を切り割った。
「むう……」
血を噴出させながら刀を落し、前のめりに倒れた黒田精太郎の覆面を剥《は》ぎ取った小兵衛へ、
「せ、先生……」
黒田が甘えるように、よびかけた。
小兵衛が片膝《かたひざ》をつき、
「師匠の手にかかったのじゃ。満足とおもえ」
黒田は微《かす》かにうなずき、口をうごかそうとしたが、声にはならぬ。
「よし、よし。お前のいいたいことは、ようわかったぞ」
やさしげな、しかし曇った恩師の声が黒田精太郎の耳へとどいたか、どうか……。
息絶えた黒田の、意外にも静かな死顔を凝《じっ》と見つめている秋山小兵衛の両眼から、熱いものがふきこぼれ、堪《こら》えきれぬ嗚咽《おえつ》が洩《も》れた。
弥七《やしち》・文蔵・徳次郎に捕えられた藤川の仙助が申し立てたところによると、大坂の津国屋庄兵衛《つのくにやしょうべえ》というのは、単なる旅宿の主人ではなく、さまざまな商売に手をひろげているばかりか、
「そりゃ、もう、大坂の町奉行所でも一目《いちもく》おいているほどの悪《わる》だということでございますよ」
と、弥七が小兵衛へ告げた。
その津国屋の許《もと》へ身を寄せていた黒田精太郎は、津国屋から金をもらい、丸屋勘蔵殺しを引き受けたことになる。
「丸屋の殺しを、わざわざ大坂の津国屋にたのんだ奴《やつ》は、きっと、江戸にいるにちがいございません」
「そうだろうな」
眉《まゆ》をひそめた小兵衛が、
「何しろ弥七。黒田の当身をくらって倒れている自分の奉公人に一瞥《いちべつ》もくれずに逃げ出した丸屋勘蔵だもの。何ぞ、商売の上のことで、人の恨みを買っていたとてふしぎではないようにおもえる」
「金蔵に小判が唸《うな》っているそうでございますが、丸屋の評判は、あまり、よくはありません」
「そうか。やはり、な……」
黒田は、丸屋を殺したその足[#「その足」に傍点]で染井へ向い、阿部《あべ》家下屋敷へ乗り込み、博奕場《ばくちば》にいる貝野の太平次をも斬殺《ざんさつ》することになっていたと、藤川の仙助が白状をした。
仙助は、四谷《よつや》の弥七へ、こういったそうな。
「……あそこの博奕場は、まことにえげつない[#「えげつない」に傍点]ことをするらしいので。こいつ、いい鴨《かも》だと見れば、いかさま博奕にかけて丸裸にしてしまいます。
むかし、若いころの山口先生(黒田の変名)も、あそこにいる巣鴨《すがも》の藤兵衛《とうべえ》の片腕・貝野の太平次から、ひどい目にあったらしい。それをね、いまも忘れてはいなかったというわけで……。
太平次に捲《ま》きあげられた金というなあ、そのころの山口先生にとっては、そりゃもう、大変な、血の滲《にじ》むような金だったのでござんしょうねえ」
その金が、
(女のためのものだったのか?)
と、小兵衛はおもった。
その金は、町医者夫妻を殺害して奪った金だったのか……。
女とは、いったい、どこの、どういう女なのか……。
黒田精太郎があの世[#「あの世」に傍点]からもどらぬかぎり、それはだれにもわからぬ。
「あのころの黒田がのう……」
小兵衛は、沈痛に、
「知らなんだ。すこしも、わからなんだわえ。突然、あの男が姿を消す前まで、わしの目は黒田の胸の内の隠し事に、いささかも気づかなんだ」
「さようで……」
「わしも、どうかしていた。いまのわしなら……いまのわしであったら……」
黒田が、女と金のために身をあやまるようなことはさせなかったろうに、と、小兵衛はおもった。
「あのころのわしは、ただもう、剣一筋で、世の中のことには疎《うと》かったのやも知れぬ」
初夏の明るい日ざしが隠宅の庭にみちあふれ、裏の木立から松蝉《まつぜみ》が鳴きはじめた。
「大《おお》先生。黒田さんの相手の女というのは、いったい、どんな女だったのでございましょうねえ?」
「わからぬ」
烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った小兵衛が、
「いずれにせよ、金のかかる女であったのだろうよ」
「さようで……」
「その女も、いまは、生きてはいないのではないか……」
「そうでございましょうか……」
「どうも、そんな気がする……」
阿部|壱岐守《いきのかみ》が、幕府の評定所から下屋敷の一件について、きびしい警告を受け、おどろきあわてて、奥用人と家来四名その他を切腹せしめたのは、それから間もなくのことであった。
彼らが、香具師《やし》の巣鴨の藤兵衛のために主人の下屋敷を提供し、私腹を肥《こ》やしていたのである。
「何と、おどろくじゃあございませんか。その阿部様の奥用人・佐々木なにがしというやつは、これまでに巣鴨の藤兵衛から四百両もの金を受け取っていたそうでございますよ」
と、四谷の弥七が小兵衛に報告をするや、
「何たることよ」
秋山小兵衛は、憮然《ぶぜん》として、
「大きな声ではいえぬが、これはもう、徳川の世も長くあるまいな」
「まさか、大先生……」
「いや、長くはつづくまいよ」
「そうでございましょうか……」
「将軍家に仕える阿部壱岐守のような名家にして、これじゃもの。これではもう、何につけても諸国大名の上に徳川将軍が立ち、天下を治めるわけにはまいらなくなる。これは田沼様が、いかようにはたらかれても、いかぬようじゃな」
弥七は、息をのんだ。
「わしはもう、そのころは、この世におらぬが……お前も年を老《と》ってから、いろいろと大変な目にあうやも知れぬぞ」
「おどかしてはいけません」
「いや、おどしてもおらぬし、からかってもおらぬ。ほんとうのことさ」
そこへ、熱々の豆腐の田楽と酒を運んであらわれたおはる[#「おはる」に傍点]へ、小兵衛が、こういった。
「お前も、婆《ばあ》さんになってから、苦労をすることよ」
「そうなったら、首を吊《つ》って死んじまいますよう」
事もなげに、おはるがいいはなったので、四谷の弥七は目をまるくした。
さて……。
大坂の津国屋についても、幕府から大坂の町奉行所へ知らせが行ったようだが、これは、いつの間にか、もみ消されてしまったらしい。
丸屋勘蔵が、深川の料亭での宴席で、奇怪な死を遂《と》げたのは、翌年の春のことであった。
勘蔵が口にした吸物に、毒薬《どくぐすり》が混入してあったということだ。
犯人は、ついに、わからなかった。
勝負
その[#「その」に傍点]試合について、秋山大治郎が父の小兵衛《こへえ》へ語るや、
「負けてやれ」
即座に、小兵衛がいった。
大治郎は、呆《あき》れて父を見やった。
小兵衛は顔をそむけ、煙草盆《たばこぼん》を引き寄せた。
まだ梅雨《つゆ》に入ったわけではないが、このところ三日ばかり雨つづきで、初夏ともおもえぬ肌寒《はださむ》さであった。
庭先に面した障子を閉めきった座敷の中は、まだ昼すぎだというのに、夕闇《ゆうやみ》がたちこめているように薄暗かった。
この日は、秋山小兵衛が、かつての愛弟子《まなでし》・黒田精太郎を我が手に成敗してから十日目にあたる。
あの事件以来、小兵衛は鬱々《うつうつ》としてたのしまなかった。
その父の心境は、わからぬものでもない大治郎であったが、自分の試合に「負けてやれ」という父の声を聞こうとはおもわなかった。
「ですが父上、これは、立ち合ってみなければわからぬことです」
「いや、その相手ならば、お前に勝てるはずもない」
あまりにも簡単にいうものだから、大治郎は、父に皮肉をいわれているのではないかとさえおもった。
そもそも、この試合に気乗りをしていない大治郎なのだが、いったん引き受けて闘うからは、精根のかぎりをつくして立ち向うつもりである。
また、それでなくては、相手方へ無礼となろう。
相手は、小石川の指《さし》ヶ谷《や》に一刀流の道場を構える高崎忠蔵《たかさきちゅうぞう》の高弟で、谷鎌之助《たにかまのすけ》といい、その名は江戸の剣術界に、よく知れてある。
谷鎌之助は、当年二十八歳。
指ヶ谷の師の道場を、
「一手に切りまわしている……」
ほどの実力者だ。
それでいながら傲《おご》りたかぶることもなく、まことに評判がよい。
なればこそ、このたび、常陸《ひたち》の国・笠間《かさま》八万石の城主、牧野越中守貞長《まきのえっちゅうのかみさだなが》が、
「剣術指南役として、召し抱えたい」
と、申し入れてきた。
ただし、それには、
「当家が召し抱えるについては、秋山大治郎に打ち勝つこと」
これが、条件となっている。
というのは、昨年の春に、牧野越中守は、かねてから親密の間柄《あいだがら》の老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》を通じて、
「ぜひとも、秋山を召し抱えたい」
と、いってよこした。
牧野越中守は、いま、寺社奉行をつとめているが、近いうちに田沼の推挙によって、老中の一人に昇進するであろうとの評判が高い。
「牧野家に仕えるも、悪《あ》しゅうはないとおもうが、いかがじゃ?」
田沼意次が、大治郎へすすめたけれども、
「いえ、私は宮仕えなど、到底つとまりませぬ」
きっぱりと、大治郎はことわってしまっている。
それだけに牧野越中守は、
「秋山を打ち破った者でなくてはならぬ」
と、条件をつけたのである。
今度も、越中守からの申し入れがあったので、田沼意次は、
「前には仕官を逃げたことゆえ、こたびは立ち合わねばなるまい」
大治郎に申しわたした。
さすがに今度は、拒否するわけにもまいらぬ。
そこで引き受け、このことを今日、父の小兵衛へ報告に来ると、
「その試合には、負けてやれ」
いきなり、そういわれたのだ。
「これは、父上のお言葉ともおもえませんが……」
たまりかねていう大治郎へ、小兵衛が、
「いいから、負けてやれ」
「ですが、相手は……」
「相手が、お前より強かろうが弱かろうが、その試合には負けるのじゃ。お前が負ければ、相手の谷鎌之助は牧野家へ仕官が適《かな》うのではないか。だから負けてやれと申しているのじゃ」
さも、うるさそうにいい、手にした煙管《きせる》を乱暴に捨て置いて、秋山小兵衛は大治郎へ背を向け、ごろりと横になってしまった。
おはる[#「おはる」に傍点]は雨の中を関屋村《せきやむら》の実家《さと》へ野菜をもらいに行き、まだ、帰っていなかった。
大治郎は小さな父の寝姿を、しばらく見つめていたが、ややあって、
「では、これにて……」
「うむ……」
背を向けたまま、小兵衛は引きとめようともせぬ。
そして今日は、自分の孫を身ごもっている三冬の様子を尋ねようともしない。
憮然として立ちあがり、居間から出て行きかける大治郎へ、まだ、背を向けたままの小兵衛が、力弱げな声で、
「よいか、負けるのだぞ」
またしても、念を入れてよこした。
翌日。
秋山大治郎は、朝から田沼屋敷へおもむいた。
田沼邸内・道場の稽古日《けいこび》であった。
谷|鎌之助《かまのすけ》との試合は、三日後にせまっていた。
場所は、深川の大和《やまと》町にある牧野家の下屋敷に決まっている。
田沼家の道場へ出て、家来たちへ稽古をつけながらも、大治郎の胸は重苦しかった。
(どうも、父上の意中がわからぬ)
昨日も鐘《かね》ヶ淵《ふち》から帰宅して、妻の三冬に父・小兵衛の言葉をつたえるや、
「ま、父上らしい……」
三冬は笑って、これまた、
「負けておやりなさいませ」
というではないか。
「何故《なぜ》だ?」
大治郎は、ふくらみきった腹を抱えるようにしている妻を見つめ、
「三冬の言葉ともおもえぬ」
「お怒りでございますか?」
「怒ってはいないが、解《げ》しかねる」
「あなたが負けておやりなされば、お相手は牧野家へ仕官がかないまする」
「うむ」
「ですから、負けておあげなさいませ。人助けでございますもの」
「これ、言葉をつつしまぬか」
「相すみませぬ」
「相手の、谷鎌之助殿は、それ[#「それ」に傍点]と知られた剣客《けんかく》であり、人柄も立派と聞いている。父上や三冬が、そのようにいっては、谷殿へ失礼にあたるのではないか」
「はあ……」
まさに、そのとおりだ。
三冬は、顔を赤らめ、
「悪うございました」
両手をつき、頭を下げた。
その素直なことは、嫁ぐ前の三冬にくらべると、
(別人のような……)
おもいがする。
だが、秋山小兵衛も三冬と同様に、
「負けてやることが人助け……」
などと、考えているのであろうか。
どうも、わからぬ。
そもそも大治郎自身が、谷鎌之助と立ち合ってみて、勝てるという自信があるわけもない。
まだ、顔を見たこともない相手なのである。
さりとて、負けるともおもってはいない。
勝ち負けにかかわらず、自分のちから[#「ちから」に傍点]を出しつくして闘うのみなのだ。
これまでの修行の成果が充分に、のびのびと発揮されることが、何よりも肝要であって、そのように自分の心身の調子を試合の当日へもりあげて行かねばならぬ。
午後も遅くなって、田沼屋敷を出たときの大治郎は、
(だれが何といおうとも、自分の一念をつらぬくまで)
と、その決意を、さらにかためた。
神田橋《かんだばし》御門外を出て、三河町一丁目へさしかかった大治郎の頬《ほお》を掠《かす》めるようにして、町家の軒下の巣をはなれた燕《つばめ》が一羽、矢のごとく飛びぬけて行った。
雨は昨夜のうちに熄《や》み、今日は、さわやかに晴れわたって、外濠沿《そとぼりぞ》いの道を行き交う人びとも平常にくらべて多い。
濠端《ほりばた》に出ている葭簀張《よしずば》りの茶店の中から、突然あらわれた町人が、大治郎の横合いへ近寄り、
「もし、まことに、失礼ではございますが、秋山大治郎様ではございませぬか?」
と、声をかけてよこした。
「いかにも、秋山ですが……」
見ると、六十がらみの福ぶくしい顔つきで、身につけているものから推して見ても、どこぞの大きな商家の主人《あるじ》のようだ。
「てまえは、室町二丁目の小間物問屋、村田屋徳兵衛《むらたやとくべえ》と申します」
と、老人が名乗った。
やはり、大店《おおだな》の主人なのだ。
それにしては、供の手代も小僧もいない。
大治郎は、はじめ、父の小兵衛の知り合いかとおもったが、そうでもないらしい。
むろん、これまでに、大治郎は一度も会ったことがない。
「よく、私が秋山大治郎とわかりましたな」
「は……いえ、あの、それは……」
口ごもりながら、〔村田屋徳兵衛〕が、
「まことにもって、このように声をおかけ申し、失礼を……」
「いや、それはかまわぬ。それで、私に何か御用か?」
「はい」
「ほう……」
見ず知らずの相手が自分に用があるという。これは妙なことではないか。
「何の用が、おありなのか?」
「さ、それはあの……此処《ここ》では申しあげにくいことでございまして……」
村田屋徳兵衛は、泣き笑いのような表情を浮かべ、両手を合わせて見せた。
別に、警戒すべき相手でもないと看《み》た大治郎が、
「それにしても、奇妙なことを……」
「お願い……お願いでございます」
村田屋は、必死の眼《め》の色になってきている。
「ふうむ……」
「何とぞ……何とぞ……」
「どこへ行けといわれる?」
「すぐ……すぐ、この近くまで、お運び下さいますよう」
行かぬといえば、この場で土下座もしかねない村田屋であった。
仕方もなく、大治郎はうなずいた。
「かたじけのうございます。かたじけのうございます」
通行の人びとが、怪訝《けげん》そうな視線を向けるほどに、村田屋徳兵衛は何度も頭を下げてから、
「こちらへ、おいで下さいまし」
蒼《あお》ざめた顔を、うつむけるようにして先へ立った。
村田屋が、大治郎を案内したのは、すぐ近くの三河町三丁目にある〔浜屋《はまや》〕という料理屋であった。
小体《こてい》な店構えだが、三河町の浜屋といえば、土地《ところ》の人びとで知らぬものはない。武家屋敷も近いことゆえ、何かのときには浜屋の料理人が出張して膳部《ぜんぶ》をととのえることもする。
中へ入ると奥深い造りで、せまいながらも中庭も奥庭もあり、座敷も立派なものだ。
中庭に面した座敷へ入り、顔なじみらしい村田屋が茶菓を運んで来た座敷女中へ、
「御酒《ごしゅ》を……」
と、いいつけるのへ、
「いや、かまわずにいただきたい。それよりも、用向きをうけたまわりましょう」
「は……では……」
目顔で女中を去らせた村田屋徳兵衛が、両手をついて、大治郎の前へひれ[#「ひれ」に傍点]伏した。
どうも、することなすことが大形にすぎる。
芝居じみた感じさえする。
大治郎は、顔を顰《しか》めた。
「手をおあげなさい。私も急ぎの用がある。はなすことがあるなら、早くしていただきたい」
「は、はい……」
あげた顔に泪《なみだ》を浮かべ、歯を喰《く》いしばった村田屋の形相に、大治郎は、いささかおどろいた。
「おもいきって、申しあげまする」
「何です?」
「た、谷鎌之助に、勝ちをゆずっていただきとうござります」
谷|鎌之助《かまのすけ》は、百俵《ひゃっぴょう》十人|扶持《ぶち》の幕臣・谷|惣右衛門《そうえもん》の次男に生まれた。
父は五年前に病歿《びょうぼつ》しており、したがって兄の小十郎清種《こじゅうろうきよたね》が家を継いでいる。
谷小十郎の役職は〔小十人組《こじゅうにんぐみ》〕といって、いわば将軍の親衛隊である。
したがって、百俵取りの幕臣としては、将軍家へお目見得が適《かな》うという特権があたえられ、二百石以上の〔旗本〕としてあつかわれる。
それゆえに旗本としては最下級の身分ながら、身分上の体裁をととのえなくてはならず、家計は人一倍苦しい。
俗に、
「貧乏旗本」
などと呼ばれるのは、この小十人組の士《もの》のことなのである。
「百俵六人(家族)泣き暮し」
ともいわれている。
家族が六人もいたら、とてもやってはいけないという意味であろう。
武士の家の次男・三男は、家を継ぐことができぬゆえ、父や兄の〔厄介者《やっかいもの》〕として暮さねばならぬ。
養子の口があれば上々だが、これまた、身分の低い者にとっては、おもうようにまいらぬ。
まして谷鎌之助は〔貧乏旗本〕の次男に生まれ、四人も子をもうけた兄夫婦の厄介者ということだから、およそ察しがつこう。
鎌之助は、そうした次男坊の悲哀を、剣術への修行に向けて発散した。
そういえば、かつて、秋山小兵衛が道場をひらいていたときも、御家人《ごけにん》や旗本の次・三男が門人に多かった。
いまは天下泰平の世で、剣術に長じたからといって仕官が適うわけでもないが、しかし、抜群の力量をそなえるところまで行けば、はなしは別のことだ。
秋山小兵衛にも、何度か、
「召し抱えたい」
と、申し入れてきた大名家があったものだ。
なればこそ、谷鎌之助も、
(修行をつみ、剣をもって身を立てることができたら……)
その、秘《ひそ》かな願望《がんもう》を抱いていなかったとはいえまい。
よし、仕官が適わなくとも、剣客として江戸府内に名を知られるほどになれば、
「おのずから、身が立つ……」
道理であった。
そしていま、谷鎌之助は、秋山大治郎との試合に勝ちをおさめれば、めでたく牧野|越中守《えっちゅうのかみ》に召し抱えられるという好機をつかんだことになる。
ところで……。
谷鎌之助は、去年の正月に、おもいもかけぬ縁があって妻を娶《めと》った。
その妻お久《ひさ》は、鎌之助の子を身ごもっている。
お久の父親こそ、小間物問屋・村田屋|徳兵衛《とくべえ》であった。
徳兵衛が、秋山大治郎へ語るところによれば、
「……一昨年の夏でございましたが、私どもの菩提所《ぼだいしょ》が、谷中《やなか》にございまして……ちょうど、その日、亡《な》くなりました私の家内の命日でございましたので、むすめのお久が手代と女中に附きそわれまして墓参にまいりました。その帰り途《みち》に、上野の御山《おやま》の傍《わき》をぬけてまいりますときに、どうも性質《たち》のよくない浪人衆に無理難題を吹きかけられまして……女中は撲《なぐ》りつけられる、手代は蹴倒《けたお》されるということになりまして、危く、むすめも手ごめになるところでございました」
「ほう……」
「そこへ、あの、谷鎌之助が通りかかりましたので……」
「なるほど」
村田屋徳兵衛が、鎌之助を呼び捨て[#「呼び捨て」に傍点]にしたのは、自分の娘聟《むすめむこ》であるからだ。
そのとき谷鎌之助は、酒に酔った無頼浪人四人を、たちまちに叩《たた》き伏せ、追い散らしてしまった。
そして、お久を室町二丁目の村田屋まで送りとどけたのである。
ここに、谷鎌之助と村田屋徳兵衛との交誼《こうぎ》が生じたのは当然といえよう。
折返して村田屋が、お久をつれて、小石川・白山《はくさん》の谷邸へ礼に出る。
鎌之助の兄・谷小十郎も、弟が無頼浪人を追い散らし、若いむすめを助けたというのだから、悪い気はせぬ。
それからは、何かにつけて村田屋が谷邸へも来て、
「めずらしいものが入りましたので……」
などと、京都から仕入れて来た人形を小十郎夫妻のむすめに贈ったり、
「ぜひとも、もう一度、おはこび下さいまし」
さそわれて、谷鎌之助が村田屋に招かれたりするようになる。
そのうちに、十九歳のお久と、鎌之助とが、たがいに好意を抱くようになり、村田屋徳兵衛は、それをのぞんでいたわけでもないが、
「むすめの様子を見ておりますと、そのことがよくわかりました」
とのことだ。
そこで、村田屋は決意をした。
お久は、村田屋の次女である。
長女は、すでに他家へ嫁いでいるし、後つぎには長男の徳太郎がいる。
(ならば、いっそのこと、お久を鎌之助様にもらっていただいたら……)
と、村田屋は考えた。
(町道場の一つほどは、わけもなく建ててさしあげられるし……)
お久の胸の内を聞いてみると、これはもう、顔を真赤に染めるばかりなのだから、こたえは一つにきまっているのだ。
そこで、おもいきって谷鎌之助へ、それとなく意中を尋《き》いてみると、これまた、まんざらではない様子であった。
こうして、この縁談はととのったのである。
百俵取りながら小十人組の家柄《いえがら》だけに、たとえ当主の弟であろうとも、町家の女を妻に迎えることはならぬ。
そこで、谷小十郎は組頭《くみがしら》の佐久間主水《さくまもんど》へたのみ、いったんは、お久を佐久間家の養女として、それから弟・鎌之助の妻に迎えることにした。
いま、谷鎌之助は、村田屋徳兵衛が用意してくれた本郷・菊坂台町の小さな二階家に住み、そこから、指《さし》ヶ谷《や》の高崎道場へ通っているらしい。
「何とぞ……何とぞ」
と、村田屋徳兵衛が秋山大治郎へ、
「このたびの試合の、勝ちをゆずっていただきたい」
必死の面持《おもも》ちで懇願したのも、可愛《かわい》い末娘の聾の出世を祈るあまりのことに相違なかった。
「私は商人《あきんど》でござります。なれば商人の仕様でしか物事を判断できませぬのでございます。恥を忍んで、このようなことを……」
いいさした村田屋徳兵衛が、ふところから袱紗《ふくさ》に包んだ金百両を大治郎の前へ置き、
「何とぞ……何とぞ……」
泪を浮かべて、ひれ[#「ひれ」に傍点]伏した態《さま》には、秋山大治郎も別に不快感をおぼえなかった。
さほどに、村田屋徳兵衛の言動には、誠実と一所懸命さが純粋に露呈していたからであろう。
だからといって、大治郎が百両の大金を受けるはずもない。
大治郎は無言で立ち、村田屋徳兵衛を置きざりにしたまま、浜屋を出て来てしまった。
それにしても……。
秋山大治郎の名は、江戸の剣術界において、相当に高く評価されているらしい。
これは大治郎自身、すこしも気づかぬことであったが、現に、谷鎌之助の師・高崎忠蔵ですら、
「こたびの試合で、鎌之助の勝ちは、おぼつかぬことじゃ」
と、いっていたらしい。
大治郎が修行を終え、父の小兵衛の許《もと》へ帰って以来、さまざまな事件もあり、試合もあった。まして、いまは老中・田沼|意次《おきつぐ》の娘三冬を妻に迎え、田沼の家来たちへ剣術を教えている秋山大治郎なのだ。
江戸の剣客《けんかく》たちの中には、大治郎の試合ぶりを見たものも少なくない。
その評判が、それからそれへと伝わっていたので、
「とても、谷鎌之助では歯が立つまい」
と、いうことになったのであろう。
村田屋徳兵衛も心配のあまり、このたびの試合について、諸方へ手づるをもとめ、いろいろと情報を得ようとしたのではあるまいか……。
そこは、江戸でも名の通った大店《おおだな》主人だけに、武家方へも出入りをしているし、金を使って情報を得たこともあったにちがいない。
その結果、村田屋は、娘聟の谷鎌之助に、
(どうも、勝目はない)
と、おもうにいたった。
たまりかねた村田屋は、ついに今日、人を使い、秋山大治郎が田沼屋敷へおもむいたことを探り取らせておいて、単身、大治郎の帰りを神田橋《かんだばし》御門外に待ち受けたのであった。
試合の当日が来た。
牧野|越中守《えっちゅうのかみ》の下屋敷は深川の富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》と堀割りをへだてた大和《やまと》町にある。
さして、大きな下屋敷ではないし、平常は全く使用されていない別邸なのだが、前日の午後に牧野越中守は、わずかな供廻《ともまわ》りで下屋敷へ来て、一泊した。
試合の時刻は四ツ(午前十時)であった。
あれから後、村田屋|徳兵衛《とくべえ》は大治郎の前にあらわれていない。
おそらく、あきらめたのであろう。
大治郎は、村田屋に会ったことを父の小兵衛にも、妻の三冬にも語っていない。
小兵衛に洩《も》らしたりすれば、
「ちょいと負けてやって百両の大金がころげ込むというのに、お前は、何という莫迦《ばか》なことをしたのじゃ。もらっておけばよかったのに……」
などと、いいかねぬ。
三冬も、負けておやりなさいませ、と言っているほどだから、百両の金はさておき、自分にとっては、おもしろくないこたえが返って来るだけだと、大治郎は考えたのだ。
朝、橋場《はしば》の家を出るとき、三冬は何もいわなかった。
平常のごとく、朝餉《あさげ》の仕度をし、大治郎が田沼屋敷の稽古《けいこ》へ出かけるときと同じように、
「行っておいでなさいませ」
と、見送ったのみである。
大治郎の附き添いは、飯田粂太郎《いいだくめたろう》ひとりだ。
どんよりと曇った初夏の空の下を、大治郎と粂太郎は深川へ向った。
牧野家・下屋敷へ到着をしたのは、試合の時刻の半刻《はんとき》(一時間)前で、出迎えた牧野家の士《もの》が、大治郎を控えの間へ案内をした。
敷地が宏大《こうだい》ではないので、邸内の建物も小さい。
これは牧野越中守の好みなのであろうが、茅《かや》ぶき屋根の鄙《ひな》びた二棟が奥庭を中にして向い合っていた。
奥庭に、芝生の一角があり、木立を背に風雅な東屋《あずまや》があった。
この東屋で、牧野越中守が試合を見ることになっている。
大治郎と谷|鎌之助《かまのすけ》は、それぞれ別の棟の控えの間へ入って休息をしたので、試合前には顔を合わせていない。
風が絶えて、妙に蒸し暑かった。
附き添っている飯田粂太郎は、大治郎の勝ちを信じてうたがわぬ。
ゆえに、落ちつきはらい、微笑を絶やさず、たのもしげに師の横顔をながめつつ、
「先生。間もなく、お子さまがお生まれになりますが、何と名前をおつけになられます?」
などと、まるで、この場にはふさわしくないことを言い出たりして、平気なものだ。
「名前、な……」
「はい」
「そうか。名前をつけねばならぬな」
「まだ、お決めになってはいないのでございますか?」
「うむ」
「大《おお》先生に、つけていただくおつもりなので?」
「いや、別に……そうだな、そろそろ考えておかねばなるまい」
「もしも、女のお子さまなら、何となさいます?」
「さて、な……」
どうも、今日の自分には、気力の充実がない。
朝、家を出るときからそうなのだ。
むろん、全力をつくして闘うつもりであるが、浅草から深川まで歩むうちにも、ちらちら[#「ちらちら」に傍点]と、あの蒼《あお》ざめた必死の面持ちの村田屋徳兵衛の顔が脳裡《のうり》をかすめたりした。
先日、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪ねた折の、
「負けてやれ」
と、いった父の、何ものかに圧《お》し拉《ひし》がれたような姿も胸に浮かんでくる。
(どうも、妙な……)
村田屋徳兵衛よりも、むしろ、愛弟子《まなでし》・黒田精太郎を我が手に成敗した老父の悲しみに打ち拉がれた姿のほうが、気になっているのやも知れぬ。
それゆえ、その父に「負けてやれ」といわれたのが、大治郎には割り切れぬおもいをさそってくるのであろうか……。
「御仕度を……」
声をかけて、牧野家の家来が控えの間へ入って来た。
うなずいた大治郎は、飯田粂太郎に手つだわせて襷《たすき》・鉢巻《はちまき》をし、袴《はかま》の股立《ももだち》を取った。
家来にみちびかれ、大治郎は竹林の中の小径《こみち》を抜け、芝生の試合場へ出た。
向うの木立の中から、相手の谷鎌之助があらわれた。
意外に、小さな体躯《たいく》ではある。
小さいといっても、秋山小兵衛ほどではない。
どちらかというと固太りの、ずんぐりとした躰《からだ》つきなのだが、その筋骨は鍛えぬかれたものだと、大治郎にはよくわかる。
すでに、侍臣数名を従え、牧野越中守は東屋に設けられた席へついていた。
大治郎と鎌之助は、越中守に一礼して向い合い、
「秋山大治郎でござる」
「谷鎌之助にござる」
と、名乗り合った。
眉《まゆ》の濃い、いかにも男らしい顔だちの鎌之助の両眼《りょうめ》は澄み切っている。
この眼こそ、すでに、
「勝敗にとらわれることなく……」
無我の境地に入っていることをあらわしている。
(これは、よい剣士だ)
と、大治郎はおもった。
このような男だからこそ、義父の村田屋徳兵衛も、あれまでに必死となり、恥も外聞も忘れてしまったのであろう。
審判は、麹町《こうじまち》に中条流《ちゅうじょうりゅう》の道場を構える鳴海斧太郎元次《なるみおのたろうもとつぐ》であった。
両剣士の間に入った鳴海斧太郎が、
「いざ」
低く、二人へ声をかけて身を引くや、秋山大治郎と谷鎌之助は、ぱっと飛びはなれて木太刀《きだち》を構えた。
鎌之助の頭上に、白い蝶《ちょう》がはらはら[#「はらはら」に傍点]とたゆたっている。
秋山大治郎は、試合に負けた。
いうまでもなく、
「負けてやった……」
のではない。
大治郎にしてみれば、全力をつくして闘ったといってよい。
よいが、しかし、おもうように全力が出しきれたかというと、大治郎自身、くび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げざるを得ないのだ。
勝負は、一瞬のうちに決まった。
これを見ていた飯田粂太郎《いいだくめたろう》が、後に、三冬へ語ったところによると、大治郎も鎌之助《かまのすけ》も木太刀を晴眼《せいがん》に構え、かなり長い間、たがいに打ち込まぬまま、対峙《たいじ》していたのだそうな。
そのうちに、
「谷鎌之助殿が、じりじりと、先生の左の方へまわりまして……」
と、粂太郎が語ったように、鎌之助は大治郎の左へ、まわり込むようにしながら間合《まあい》を詰めていった。
これに応じて秋山大治郎も向きを変えながら、それでいて、一歩も退《の》こうとはせぬ。
はじめは三|間《げん》の間合が、鎌之助のまわるにつれて、二間ほどになり、ほとんど大治郎の周りをまわりきって、もとの位置へ鎌之助がもどったときは、一間半ほどの近間となったが、そのとき、
「やあ!!」
「応!!」
双方が気合声を発し、わずかに一歩、身を引いたとおもったら、今度は、ほとんど声もあげず、同時に打ち込んだ。
この打ち込みで、大治郎の木太刀は鎌之助の左頬《ひだりほお》を掠《かす》め、斜め右へ飛んで躱《かわ》しつつ薙《な》ぎはらった鎌之助の木太刀が、見事に大治郎の胴へ決まったのである。
「さようか……」
三冬が、微《かす》かに笑って、
「なるほど」
しきりに、うなずく。
「残念でございます」
飯田粂太郎が悔しがるのへ、
「なに、旦那《だんな》様だとて負くることもある」
三冬は相手が粂太郎だけに、以前の女武芸者だったころの口調になって、
「木太刀の打ち合いじゃもの」
「それは、いかなることでございましょうか?」
「真剣を執っての立ち合いなれば、申すまでもなく、旦那様の勝ちじゃ」
「ははあ……」
「いまに、お前にもわかるときが来よう。また、そうなってもらわねばならぬゆえ、精々、修行に相つとめねばなりませぬぞ」
「はい」
大治郎は、試合の当日、我が家へ帰って来て三冬に、
「今日は負けた」
一言《ひとこと》、告げたのみで、あとはもう、試合についてはふれなかった。
三冬もまた、大治郎へは問いかけようとはせぬ。
そして二日、三日と過ぎたけれども、大治郎は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父・小兵衛を訪ねようともしなかった。
この間、毎日のようにおはる[#「おはる」に傍点]がやって来て、野菜や魚などを届けてくれたり、身重の三冬の世話をやいたりしているが、小兵衛からの伝言は何もなかった。
したがって、何も知らぬおはるが、試合の当日の模様を三冬に問いかけることもない。
「このところ、無沙汰《ぶさた》に打ちすぎていますが、父上は、いかがおすごしでしょう?」
三冬が尋ねると、おはるは、
「うち[#「うち」に傍点]の先生、ひょっとすると、もう長くはないかも知んねえですよ」
と、眉《まゆ》を顰《ひそ》めるではないか。
おどろいた三冬が、
「ま……それは、また何故《なぜ》……?」
「この間、自分が、むかし教えた弟子を手にかけなすったのが、よほど、悲しいらしくて、ちかごろは酒もあがらないし、御膳《ごぜん》もすすまねえですよ」
「それはいけませぬ。さっそく御見舞いに……」
「いえ三冬さま。もうちょっと待って下さいましよ」
「え……?」
「いえ、だれにも会いたくないといってねえ。この間も、本所《ほんじょ》の小川宗哲《おがわそうてつ》先生が見えなすったときも、帰っていただいたほどなのでねえ」
「まあ、宗哲先生にまで……」
「あい」
小川宗哲は、秋山小兵衛の親友であり、碁敵《ごがたき》でもあって、双方が、たがいの訪問を待ちかねているほどの間柄《あいだがら》なのに、宗哲が訪れるや、小兵衛は居間から寝間へ逃げてしまい、
「帰っていただけ」
と、おはるにいったそうな。
これは、よほどの事と看《み》てよい。
まだ三冬は、こうした小兵衛の近況を大治郎へ告げていない。おはるが「若先生にも、いますこし、だまっていて下さいよう」と、念を入れたからでもあろう。
一方、秋山大治郎は、谷鎌之助との試合後も、平常と変りなく日を送っている。
さて……。
それは、牧野家・下屋敷での試合があって六日後のことであったが、この日は田沼屋敷の稽古日《けいこび》なので、大治郎は例のごとく稽古をすませ、帰途についた。
老中・田沼意次は、このところ、政事繁多で大治郎に会うこともなく、用人の生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》を通じ、
「先日は御苦労であった」
谷鎌之助との試合について、大治郎へねぎらい[#「ねぎらい」に傍点]の言葉があった。
田沼屋敷を出た秋山大治郎が、浅草の今戸《いまど》へさしかかったとき、まだ夕闇《ゆうやみ》は淡かった。
「秋山殿……お待ち下さい」
背後から呼びかけられて振り向くと、谷鎌之助が近寄って来るではないか。
「おお……これは谷殿」
「先日は、お相手をかたじけのういたして……」
「いや、こちらこそ」
「はなはだ、ぶしつけではありますが、お聞きとり願いたき儀がありまして……」
「私に?」
「さよう」
言葉づかいは丁重だが、大治郎を見る鎌之助の眼の色は、尋常のものではなかった。
「どのような?」
「此処《ここ》では……」
いいさして、鎌之助があたりを見まわした。
(立ちばなしもならぬことらしい)
と、察した大治郎が、
「では……」
先へ立って、橋場《はしば》の船宿〔鯉屋《こいや》〕の二階座敷へ、谷鎌之助を誘《いざな》った。
鯉屋は秋山小兵衛なじみの船宿で、おはるが小舟をあずけることもたびたびであった。
大治郎は、取りあえず酒をたのみ、鎌之助と向い合った。
谷鎌之助は、うらめしげに大治郎を凝視し、
「秋山殿には、先日の試合の前に、私の妻の父・村田屋|徳兵衛《とくべえ》と会われましたな」
鋭く、切り出した。
あの日……。
神田橋《かんだばし》御門外で村田屋|徳兵衛《とくべえ》が秋山大治郎へ名乗り出て、共に三河町の料理屋・浜屋へ入って行くのを目撃したものがいる。
その男は、村田屋と大治郎を見知っていた。
男の名を、関口平馬《せきぐちへいま》という。
関口平馬は、谷|鎌之助《かまのすけ》と同様に、高崎忠蔵の門人であるから、鎌之助が村田屋のむすめのお久と夫婦になり、菊坂台町へ新居をかまえたときも、他の門人たちと共に祝いの酒宴へ顔を出していた。
その折、いろいろと世話をやいていた村田屋徳兵衛にも引き合わされている。
そして……。
これは三年ほど前に、田沼|意次《おきつぐ》の下屋敷で剣術の試合がおこなわれたとき、関口は秋山大治郎をも見ていた。
この試合には、三十名ほどの剣士たちが技を競い、その中に大治郎もふくまれていたわけで、高崎忠蔵は審判をつとめた。
そこで関口平馬は、師の高崎忠蔵の附き添いとして試合場へおもむき、大治郎が七人の剣士に打ち勝ったのを見とどけていたのだ。
谷鎌之助より年長の関口平馬は、二百五十石の幕臣・関口|十左衛門清憲《じゅうざえもんきよのり》の長男で、すでに妻子もいるが、父が健在なので、まだ家督をしていない。
関口の屋敷は、三河町の浜屋にも近い神田の表猿楽町《おもてさるがくちょう》にある。
それゆえ、関口平馬が通りすがりに、村田屋と大治郎を目撃したのも、ふしぎではあるまい。
そのとき関口が、浜屋へ入って行く二人を見て何とおもったのか、それはわからぬ。
関口は翌日、小石川・指《さし》ヶ谷《や》の高崎道場で、谷鎌之助と顔を合わせ、稽古《けいこ》もした。
だが、
「昨日、村田屋どのと秋山殿を見かけた……」
ことを、鎌之助には一言も洩《も》らさなかったという。
そして、鎌之助は大治郎との試合に勝ち、めでたく、牧野家へ召し抱えられることになった。
谷鎌之助が、初めて、辰《たつ》ノ口《くち》の牧野家・上屋敷へ出仕する日が三日後にせまっている。
その佳《よ》き日を三日後にひかえたいま、義父の村田屋と同じように、谷鎌之助は秋山大治郎を路上に待ち受けていたのである。
「妻の父と会われましたな」
と、鎌之助が言い出たのへ、
「いや、会わぬ」
とは言いきれぬ。
「お目にかかりました」
「やはり……」
「なれど、何故、そのようなことを?」
「ぶしつけながら、秋山殿には村田屋徳兵衛を、以前から御存知でありましたか?」
大治郎は、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。
嘘《うそ》がつける大治郎ではないし、また嘘をつく必要もない。
「すると、義父《ちち》が……徳兵衛が貴所に面談を請《こ》うたのでござるな?」
「さよう」
「どのようなことを、義父は申しましたか?」
「さて……」
ここにいたって大治郎は、口ごもってしまった。
疾《やま》しいことは何一つないが、
「あなたの義父どのが、金百両で勝ちをゆずってくれと申し出られた」
とも、いえぬではないか。
どうも、妙なことになった。
「村田屋どのが、私に何を申されたか、それを貴方《あなた》に打ちあけることもないとおもうが……」
「いや、ぜひとも、うけたまわりたい」
「では何故、そのように申されるのか、理由《わけ》をうけたまわりましょう。それでなくては、私も打ちあけるわけにはまいらぬ」
きっぱりと、大治郎はいった。
「やむを得ませぬ。申しあげましょう」
と、谷鎌之助は、同門の関口平馬が村田屋と大治郎を見かけたことから語りはじめた。
試合が終ったのち、
「あれはどうも、村田屋どのが娘聟《むすめむこ》の鎌之助が可愛《かわい》さに、勝ちをゆずってもらいたいと、秋山殿へ密《ひそ》かに願い出たに相違ない」
関口平馬は、ひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]と同門の人びとへ噂《うわさ》をながしはじめたらしい。
「このことは他言無用だ。よいか」
などと念を入れておきながら、何人もの門人の耳へ、
「私は、この目で、秋山殿と村田屋が三河町の料理屋へ入って行くのを見た。これは、まさに怪しい」
とか、
「おそらく村田屋は、大金を積んで頼み込んだのであろうよ」
とか、
「それでなくては、あの秋山殿が鎌之助に負けるはずがない。どうも、おかしいとおもうていた」
とか、
「秋山殿も秋山殿だ。大金に目が眩《くら》み、鎌之助に勝ちをゆずるとは、な……」
と、慨嘆してみせたりする。
鎌之助のみか、大治郎までが、関口の口舌《こうぜつ》に乗せられてしまった。
この噂が、ひろまらぬはずはない。
「他言無用」
などと念を押されれば押されるほど、人の口はひらきたくなるものだ。
ついに、これが、高崎忠蔵の耳へ入ってしまった。
このところ谷鎌之助は、初の出仕にそなえて種々の仕度もあり、道場へは出ていない。
それが、昨日の午後になって、師の高崎忠蔵から呼び出された。
鎌之助は、
(何事であろう?)
と、おもいながら指ヶ谷の道場へ出向くと、高崎忠蔵が厳しい口調で、
「これこれ[#「これこれ」に傍点]の風評がもっぱらであるが、どうしたことじゃ?」
詰問《きつもん》をしたものだから、谷鎌之助は愕然《がくぜん》となった。
このときまで鎌之助は、そのような風評があることを、
「いささかも知りませなんだ」
と、大治郎にいった。
「これは秋山殿。いかがなわけか、お聞かせ願いたい」
両手に袴《はかま》をつかみしめ、谷鎌之助は顔面|蒼白《そうはく》となり、秋山大治郎へ詰め寄った。
「谷殿……」
「何でござる」
「牧野様の下屋敷において、貴方に立ち向った私の剣に偽りがあったと見えましたか?」
大治郎は、物しずかに問いかけてみた。
蒼ざめた鎌之助の満面へ、今度は、見る見る血がのぼってきた。
「そ、それは……」
「いかがでござる、谷殿……」
「む……」
「おわかりにならぬか?」
「秋山殿……」
「あの折の私の剣に、偽りは、微塵《みじん》もない。貴方は見事に打ち勝たれたのです」
厳然と言い切った秋山大治郎の前で、谷鎌之助の躰《からだ》が小きざみにふるえ出した。
開けはなった障子の向うの、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)の暗い川面《かわも》から、船頭の舟唄《ふなうた》が風に乗って聞こえてくる。
「あ、秋山殿……」
「はい?」
「義父が、勝ちをゆずられたしと、願い出たのはまことでありましょうな」
「いかにも」
「や、やはり……」
「なれど、私は受けつけませぬでした」
「では、あの……あの、金子《きんす》を差し出したのも……?」
「それも、受けてはおりませぬ」
「ああ……」
絶望の呻《うめ》きを発した谷鎌之助が、両手をつき、
「まことにもって、申しわけもなきことを……」
深ぶかと、頭《かしら》を垂れるのへ、大治郎が、
「私の申したこと、よく、おわかりですな」
「は……」
「村田屋徳兵衛どのを責められぬよう。よろしいか」
こういって、大治郎が腰をあげかけるのへ、
「お待ち下さい」
おもいつめた、凄《すさ》まじい形相になった鎌之助が、
「いま一度……いま、一度……」
「はて……?」
「立ち合っていただきとうござる。谷鎌之助、一命をかけて、お願いつかまつる」
「一命をかけて……?」
「はい。何とぞ、いま一度……いま一度の立ち合いを……」
翌々日の朝も、まだ暗いうちに、秋山大治郎は家を出た。
出るときに、道場から愛用の木太刀《きだち》を取り、これを大刀のかわりに腰へ帯した。
妻の三冬は、熟睡していたようだが、果してどうであろうか……。
夫が、そっと出て行く気配を知っても、知らぬふりをしていたのやも知れぬ。
一昨夜から、大治郎は道場へ寝ている。
それというのも、いよいよ、三冬の出産がせまったので、以前、独身《ひとりみ》だったころ、大治郎の世話をしていた近くの百姓の女房が泊り込んでいてくれるからだ。
間もなく大治郎は、谷|鎌之助《かまのすけ》と約束の場所へ到着した。
そこは、大治郎の家からも近い橋場の総泉寺《そうせんじ》の西方にある小さな草原であった。
あたりは、田地と木立のみで、この払暁《ふつぎょう》に道を歩む人とてない。
まだ、日は昇っていないが、あかつきの闇《やみ》が薄紙を剥《は》ぐように明るみを増しつつある。
「秋山殿……」
彼方《かなた》の、松の木蔭《こかげ》から、谷鎌之助が声をかけてよこした。
「おお。お待たせしましたかな」
「いや……」
鎌之助は、すでに襷《たすき》・鉢巻《はちまき》の身仕度をととのえていた。
「御足労をおかけ申し、相すみませぬ」
「何の。これで、谷殿の疑念が霽《は》れるなれば……」
大治郎は、袂《たもと》から革紐《かわひも》を出して襷にまわし、袴の股立《ももだち》をとり、
「では……」
と、木太刀を抜き、左手へ持ち替えた。
「は……」
鎌之助も大刀を外して木蔭へ置き、木太刀を左手に、草原へすすみ出て来た。
「よろしいか?」
「お願いいたす」
「む……」
約二間をへだてて向い合い、二人は、しずかに腰を落し、蹲踞《そんきょ》のかたちとなる。
そして、左の木太刀の柄《つか》へ右手をかけ、しずかに、あくまでもしずかに、これを正面へ移しつつ、左手を柄頭へ添え、しっかりと握りしめる。
見合う二人の両眼に、凄烈《せいれつ》な光りが加わり、鼻腔《びこう》がひらく。
初夏の朝の大気が揺れうごき、立ちあがった二人の躰《からだ》が、ぱっと左右に分れた。
ともに、晴眼《せいがん》に木太刀をつけ、
「や、やあ!!」
谷鎌之助が気合声を発し、じりじりと間合をせばめて来た。
「応!!」
今朝の秋山大治郎も、めずらしく気合声をあげ、間合を外すこともなく相手に迫る。
牧野|越中守《えっちゅうのかみ》・下屋敷での、長い対峙《たいじ》は別人の試合のようにおもわれるほどに、このときの大治郎と鎌之助は、たがいに激しく攻めかけようとしている。
「鋭!!」
打ち込む鎌之助の木太刀を下から払いあげざま、左足《さそく》を引いた大治郎が〔まわし斬《ぎ》り〕に鎌之助の胴を払う。
飛び退《しさ》って躱《かわ》した鎌之助の体勢は、いささかも崩れぬのみか、一瞬の躊躇《ちゅうちょ》もなく、
「たあっ!!」
大治郎の胸元めがけて、木太刀を突き入れてきた。
大治郎の巨体が怪鳥《けちょう》のごとく宙へ躍りあがり、鎌之助の右の頭上を飛び抜けた。
このとき大治郎は木太刀を揮《ふる》ったが、わずかにとどかなかったようだ。
くび[#「くび」に傍点]をすくめつつ、振り向いた鎌之助が、背後に飛び抜けた大治郎へ、躰を叩《たた》きつけるように打ち込んで行った。
飛びちがい、打ち合って、激越の闘いは、それから間もなく結着がついた。
秋山大治郎の木太刀が、谷鎌之助の一撃に打ち落されたのである。
鎌之助の木太刀の切先は、透かさず、大治郎の胸元へ突きつけられて静止した。
「これまで……」
荒い呼吸の中から、大治郎がいった。
ゆっくりと木太刀を引いた鎌之助が、夏草の中へ落ちた大治郎の木太刀を拾いあげ、これを差し出した。
うなずいて受け取った大治郎へ、鎌之助が一礼した。
「谷殿……」
「は……」
「納得なされたか、いかが?」
「は……」
「先ごろの試合同様、まさに、貴方《あなた》の勝ちです」
澄みきった大治郎の眼《め》を、谷鎌之助は喰《く》い入るように凝視していたが、やがて、その面上には隠しても隠しきれぬ、よろこびの色が浮きあがってきた。
総泉寺の深い木立の向うから、朝の太陽が昇りはじめている。
「では……」
大治郎は、微笑と共に一礼し、
「いずれまた、お目にかかることもありましょう」
「はあ……」
谷鎌之助は深ぶかと頭を垂れ、襷を外しつつ遠去かって行く秋山大治郎の後姿を見送った。
総泉寺の北側へまわり、思川《おもいがわ》のながれを越え、真崎稲荷明神社《まさきいなりみょうじんしゃ》の裏手の丘をのぼりきった大治郎が、我が家へ近づいて行くと、近くの百姓・玉吉《たまきち》が裏手の石井戸で水を汲《く》んでいるのが見えた。
玉吉の女房おきね[#「おきね」に傍点]は唖なのだが、こころのあたたかい女で、三冬が嫁いで来る前は、このおきねが朝夕に立ち寄って食事の仕度をしたり、洗濯《せんたく》をしてくれていた。
おきねは、一昨夜から大治郎宅へ泊り込んでいる。
その亭主の玉吉が、朝早くからやって来て、何やらあわただしげに水汲みを手つだっている姿を見た瞬間、大治郎は、はっ[#「はっ」に傍点]とした。
大治郎は小道を走り出した。
水汲みをしている玉吉が、それ[#「それ」に傍点]と気づき、双手《もろて》をあげ、これも大治郎へ駆け寄りながら、
「先生。生まれたぞう。生まれたぞう!!」
と、叫んだ。
それを聞いたとき、大治郎の足が停《と》まり、血がのぼっていた顔が見る見る蒼《あお》ざめてきた。
「せ、先生。男の子だ」
「う……」
「丈夫そうな男の子だよう」
「み、三冬は……?」
「元気だよう。安産だ、安産だよう」
「そ、そうか……」
ふたたび、大治郎の顔が真赤になり、家の中へ飛び込んで行った。
すこやかそうな赤子《あかご》の泣き声が、三冬の産室から聞こえている。
それから半刻《はんとき》ほど後に、秋山大治郎は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅から、おはる[#「おはる」に傍点]が漕《こ》ぐ小舟に乗って、大川を渡っていた。
父の小兵衛も乗っている。
大治郎が、橋場《はしば》の船宿・鯉屋《こいや》から舟を出させ、男子出生の事を告げたときは、このところ憂鬱《ゆううつ》の日々を送っていた小兵衛も、
「そりゃ、でかした!!」
おもわず、破顔した。
「よかったねえ」
おはるが、すぐに舟の仕度をし、いま三人は大川を橋場へ向って渡りつつあるところだ。
「ときに大治郎……」
口もとから笑いが絶えぬままに、秋山小兵衛が、
「先日の……ほれ、谷何とやらとの試合は、どうなったえ?」
「あ……あのことですか」
「あのことよ」
「負けました」
大治郎は一言《ひとこと》で片づけたが、小兵衛は、にやりとして、
「負けてやったか……」
「いえ、負けたのです」
「負けてやったのさ。とてもとても、お前の相手にはなるまい」
「父上は、谷鎌之助を御存知ではないはず……」
「知らぬが、わかる。いま、この江戸で、お前に勝てる若い剣客《けんかく》は一人もおらぬわえ」
どうも、こそばゆい。
ほめられているのか、からかわれているのかわからぬ。
「なれど、わしはな、先ごろの……ほれ、むかしの門人・黒田精太郎を我が手に成敗してより、何かにつけて、こころ弱くなってのう」
「はあ……」
「師匠の手で、弟子を討つような、わしの剣は高が知れているわえ」
「父上……」
「剣をもって、人を助くることができるなら、木太刀の試合ひとつに負けたとて何のことやあろう。な、そうではないか……」
「…………」
「お前が負けてやって、谷鎌之助は、めでたく牧野家へ仕官が適《かの》うたのじゃ」
「父上……」
「ふむ?」
「三冬も、負けてやれと申しました」
「そうだとなあ」
「御存知で?」
「三冬から聞いた……」
「さようでしたか……」
「谷鎌之助が、村田屋からもらった女房は、以前、田沼様御屋敷へ奉公にあがっていて、三冬が可愛《かわい》がっていたとか……」
「そのようなことを、三冬は、いささかも申しませぬでした」
「そうだろう、そうだろう」
橋場の町なみが、川面《かわも》の向うに近づいてきた。
川蜻蛉《かわとんぼ》が、しきりに飛んでいる。
たしかに、大治郎は負けてやった。
今朝の試合で、二度、大治郎は谷鎌之助を打ち据《す》える機をとらえた。
一は、鎌之助の鋭い突きを躱し、彼の頭上を躍り越えたときだ。
そのとき大治郎は木太刀を打ち込んだが、わざと外している。
二は、その後の激しい闘いの中で、鎌之助の利《き》き腕を打ち据えることができた。
だが、これも外した。
つぎの瞬間、鎌之助の木太刀が自分の木太刀を叩いたので、大治郎は、われから木太刀を落したのであった。
しかし……。
しかし、牧野邸における試合では、たしかに負けた。
父や三冬の言葉、それに村田屋|徳兵衛《とくべえ》の必死の嘆願を受け、あきらかに大治郎は気力の充実を欠いていたのである。
(まさに、私の不覚だ)
いまにして、大治郎は深く反省をしている。
あれが真剣の立ち合いであったなら、今日の我が子の誕生を見ることなくして、大治郎は冥土《めいど》へ旅立っていたことになる。
理由も事情もない。剣士として、負けは負けである。
それにもかかわらず、世間の風評によって、谷鎌之助は自分の勝利に疑念を生じてしまったのだ。
「これ、おい……」
秋山小兵衛が、ぼんやりと川面を見つめている大治郎へ、
「どうした?」
「は……いえ、別に……」
「うれしさがすぎて、気がぬけたかえ?」
「ま、そんなところです」
おはるが笑い出して、
「これで先生も、若先生に頭があがらなくなったよう」
「なぜだ?」
「だって、もう、大《おお》先生は私に子を生ませることができないものねえ」
「ばか……」
空は真青に晴れあがっていた。
秋山小兵衛が、たのしげに、こういった。
「さて、初孫《ういまご》の名を何とつけるかのう」
初孫《ういまご》命名
その日の朝。
おはる[#「おはる」に傍点]が漕ぐ小舟に乗って大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を西へ渡った秋山|小兵衛《こへえ》は、おはる共ども息《そく》・大治郎の家へ立ち寄り、五日前に生まれた初孫の顔をじっくり[#「じっくり」に傍点]とながめてから、
「今日は、先方へ泊るやも知れぬから、お前も此処《ここ》へ泊って行くがよい」
おはるに言って、外へ出た。
これを、大治郎が追って来て、
「父上……」
「何じゃ?」
「生まれた子に、早く名前をつけて下さらぬと……」
「わかっているわえ」
「私がつけてよろしければ……」
いいさす大治郎へ、
「ならぬ」
小兵衛が厳然となって、
「初孫の名は、わしがつけるというたではないか」
「なれば、早くして下さい。三冬も待ちかねているのです」
「わかっている。だからこうして、これから……」
「これから、と、申されますのは?」
「ま、よいわ。明日、わしがもどるのをたのしみにしているがよい」
丘を下って行く父の後姿を見送ってから、家へもどった秋山大治郎が、おはるに、
「父上は、何処《どこ》へ行かれたのです?」
「何でも、古い友だちを訪ねるとかいっていましたよう」
「古い友だち……?」
「へえ。このところ、孫の名前が孫の名前がと、そのことばかり考えていて機嫌《きげん》が悪く、何をいってもろく[#「ろく」に傍点]に返事もしねえですよ」
「それで、何か、母上におっしゃられましたか?」
と、三冬が臥床《ふしど》から笑いかけた。
「それがねえ、何でも鯉《こい》だとか鯛《たい》だとか……」
「お魚の名を?」
「魚の名がよかろうか、なんていってねえ」
「冗談ではない」
大治郎がおどろいて、
「魚の名なぞ、私は困る」
「鯉太郎とか鯛之助とか……」
「いかぬ。母上、それは困ります」
「私だって、いい名前だとはおもいませんよう」
三冬が吹き出して、傍《かたわら》に寝かせてある我が子の顔をながめながら、大治郎に、
「何ぞ、おもい浮かんだ名前が、ございますのか?」
「いや、実は、昨日、父上が見えたときに、私の考えを申したところ、それはならぬと一言のもとにはね[#「はね」に傍点]つけられてしまったのだ」
「では、何という……?」
「私は、父上の名を一字いただき、小太郎《こたろう》とつけたいのだが……」
すると、おはるが、
「まあ、いい名前だこと。若先生、それがいい、それがいい」
三冬も凝《じっ》と目を閉じ、口の中で「小太郎……秋山小太郎……」と、つぶやいてから、
「私も、よい名とおもいますが……」
「そうか、そうか」
大治郎は妻と、自分より若い義母の賛成を得てよろこび、
「よし。今度、父上が見えたとき、まだ決まらぬとあれば、私は小太郎で押しきるつもりだ。二人して、父上を説きふせてもらいたい。母上、たのみます」
「ようござんすとも」
と、おはるが、
「それにしても、どうして小太郎がいけないのかねえ」
くび[#「くび」に傍点]をかしげた。
生まれた男の子は、大治郎と三冬の、
「よいところばかり、似たわえ」
と、秋山小兵衛が、おもわずいったほどで、なかなかの美男子に、
(なるであろう……)
と、おもわれる顔立《おもだ》ちであった。
だが、躰《からだ》は、どちらかというと小さめに見える。
小兵衛には、それが気がかりらしく、はじめて初孫の顔を見た日、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどってから、
「どうも小さい。躰だけが、わしに似てしまったようじゃ」
と、眉《まゆ》を顰《しか》め、
「大治郎が生まれたときのことをおもうと、まことに小さい」
「若先生が、大きすぎるのですよう」
「うるさい」
「だってまだ、生まれたばかりじゃありませんか」
「それは、ま、そうじゃが……」
それから今日まで、小兵衛は毎日、初孫の顔を見に出かけている。
そして、躰が小さいという印象を、まだ捨てきれぬらしい。
それゆえ、大治郎がいい出た〔小太郎〕の〔小〕の字が気にいらぬのやも知れなかった。
今日の秋山小兵衛は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》(現・東京都渋谷《しぶや》区千駄ヶ谷)に住む旧友の松崎助右衛門《まつざきすけえもん》を訪ねようとしている。
松崎助右衛門は、小兵衛より二つ年上の六十六歳で、小兵衛が辻平右衛門《つじへいえもん》の許《もと》で修行にはげんでいたころの兄弟子であった。
助右衛門は、六百石の旗本の家の三男に生まれたので、家を継ぐこともならず、
「剣をもって身を立てよう」
と、おもいたち、辻道場へ入門したのが十六歳のころであったそうな。
熱心に修行をしたのだが、どうも筋がよくない。
それでも三十一歳まで、兄の厄介《やっかい》になりながら修行をつづけたのだが、
(おれの剣は、到底、人の上に立てるものにはならぬ)
と、悟った。
ちょうど、そのころ、助右衛門は肝ノ臓を病み、半年も病床に臥《ふ》したこともあって、ついに決意をし、剣客《けんかく》としての道を歩むことを断念したのだ。
その決意が、また別の新しい転機を生むことになったといえよう。
すなわち、兄の屋敷へ行儀見習いの奉公にあがっていたお幸《こう》というむすめと夫婦になったのである。
お幸は、日本橋|通《とおり》四丁目の真綿問屋〔大黒屋彦五郎《だいこくやひこごろう》〕の次女で、助右衛門が大病中の看護にあたり、その間に、双方が、
(憎からず……)
おもうようになったらしい。
二人が夫婦になるというので、お幸の父・大黒屋彦五郎は大よろこびとなり、
「助右衛門様の御静養によい場所を……」
と、新婚の家を千駄ヶ谷へ建ててくれた。
そのころの千駄ヶ谷は、江戸の郊外といってよいほどの閑静な土地で、松崎助右衛門は、千駄ヶ谷がすっかり気に入ってしまい、以後三十余年を、お幸と共に暮しつづけてきた。
「まことに助右衛門殿は、うらやましい人よ」
かねがね、秋山小兵衛が洩《も》らしているように、何しろ富豪の大黒屋がついているだけに、一生、何もせずに暮して行けるほどの金を分けてもらい、悠々《ゆうゆう》として閑日月を老妻お幸と共にたのしんでいる。
この老夫婦には子が生まれなかった。
小兵衛と助右衛門は、若いころから気が合って仲がよく、いまも交誼《こうぎ》を絶やさぬ。
小兵衛の道場が四谷《よつや》にあったころは、千駄ヶ谷も遠くはなかったので、双方が頻繁《ひんぱん》に行ったり来たりしていたものだが、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅からとなると、いささか遠い。
それに二人とも老齢となり、ことに松崎助右衛門のほうが出不精になってしまったので、ここ二年ほど顔を合わせていない。
しかし、文通は月に一度、双方が必ずおこなっている。
ま、こういう間柄《あいだがら》なので、初孫《ういまご》の名前をつけあぐねた秋山小兵衛が、
(一つ、助右衛門殿に知恵を借りよう)
と、おもいたったのだ。
これまでにも双方が、何かというと、相談事をもちかけてきていたし、それが小兵衛と助右衛門との一つの習慣のようなものになってしまった。
大治郎の名前をつけたのは、父である小兵衛なのだが、そのときも、ああでもない、こうでもないとおもい迷ったあげく、松崎助右衛門を訪れ、
「大治郎という名にしようとおもうのですが……」
いうや、言下に助右衛門が、
「おお、よい名だ。それがよい」
一も二もなく賛成してくれたので、こころが決まったものなのである。
さて……。
大治郎の家を出た秋山小兵衛は、浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へ立ち寄り、
「千駄ヶ谷まで行ってくれぬか」
と、いった。
朝、目ざめたときは歩いて行くつもりでいたのだが、起きてみると、どうも腹のぐあいがよろしくない。
もう梅雨《つゆ》に入ろうというのに、夜に入ると妙に冷え込む日がつづいたこともあり、初孫の名前を考えぬいて、よく眠れなかった所為《せい》か、小兵衛は下痢を起してしまったのだ。
町駕籠へ乗って、千駄ヶ谷へ向ううちにも、
(これは、いかぬ)
またしても、腹ぐあいがおかしくなってきた。
(わしも、こうなっては、もうおしまいじゃ)
駕籠に揺られたのが、尚更《なおさら》に、いけなかったのであろう。
それでも小兵衛は、
(助右衛門殿の家へ着くまでは……)
と、我慢をしていたのだが、ついに、たまりかねて、
「おい。ここは、どこだえ?」
駕籠|舁《か》きへ声を投げた。
「大《おお》先生。もうじきでございますよ」
顔なじみの留七《とめしち》が、こたえた。
なるほど、町中ではない。
いま、駕籠は、千駄ヶ谷の八幡宮《はちまんぐう》の西側の道を北へ向いつつあった。
「ちょいと……おい、留や。ちょいと駕籠を下《おろ》しておくれ」
「どうかなすったんで?」
「いいから下しておくれ」
「へい」
駕籠を下した留七が、青い顔をしている小兵衛を見て、
「大先生……」
びっくりした。
小兵衛は、あたりを見まわし、畑の向うに雑木林を見つけて、
「おお、あれがよい」
「どうなさいました?」
「ちょいと、此処《ここ》で待っていておくれ」
「お顔の色が……」
「なあに、ちょいと腹を下《くだ》したのじゃ。いま、向うで出してくる。出してくる」
留七が出した草履を突っかけるや、小兵衛は畑を一散に走り出した。
見送った留七が相棒の千造《せんぞう》へ、
「大先生にも腹が下ることがあるのかね」
と、いった。
雑木林へ駆け込んだ小兵衛は、先《ま》ず、脇差《わきざし》を脱し、軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をぬいだ。大刀は駕籠の中へ置いてある。
「ああ……むう……」
唸《うな》りながら小兵衛は、両手で、やわらかい土を掘った。
これは、たしなみである。
それから、掘った小さな穴へ尻《しり》を向けて屈《かが》み込んだ。
同時に、破裂音が起り、
「あ……あ、あ、あ……むう……」
小兵衛が何ともいえぬ声をあげた。
出すもの[#「出すもの」に傍点]を存分に出して、
「ああ、何ともいえぬわえ」
頭も軽くなり、腹の痼《しこり》も除《と》れ、
(え[#「え」に傍点]もいわれぬ……)
こころよさに、小兵衛は陶然と目を閉じた。
初夏の日ざしが、木の間に光っている。
躰《からだ》をぬらしていた冷汗が、たちまちに引いていった。
と……。
そのときである。
木立の奥から人が近づいて来る気配がした。
(こりゃ、困った……)
あわてて、ふところの懐紙へ手をやったが、意外に近くまで足音がせまって来ていて、その声が聞こえはじめた。
そのあたりは竹藪《たけやぶ》になってい、屈み込んでいる小兵衛の姿は、まったく見えぬはずだ。
(早く、立ち去ってくれるとよいが……)
尻を曝《さら》したままの、実にもう、なさけない姿を見られたくはなかった。
竹藪のあたりから聞こえる声は、男のものである。
二人の男らしい。
(困った。困った……)
そうおもいつつ、聞くともなしに聞いた男たちの言葉は、秋山小兵衛の耳をそばだたせるに充分なものであった。
「ですが、先生。その秋山小兵衛という爺《じじ》いは、なんでも剣術の名人だといいますがね」
「うむ。おれも、その名を耳にしたことがある」
「大丈夫でございますかえ?」
「名人かどうか知らぬが、こっちは六人で押し込むのだ。六十をこえた老いぼれ一匹、どうにでもなる」
「そりゃ、ま、そうだが……」
「その鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅には、老いぼれと、若い女房の二人きりなのだな?」
「そりゃあ、間ちがいねえ。何でも倅《せがれ》が一人いて、これも剣術遣いだそうで、このほうは浅草の外れに小さな道場があって、其処《そこ》に住んでいるらしい」
「ま、そやつには用がない。おれたちは、老いぼれが隠し持っている千何百両が欲しいのだからな」
「ですが先生。その金は山分けの約束でございますぜ。忘れてはいけませんよ」
「わかっているとも」
「先生」とよばれた男は、どうやら浪人らしい。声だけではわからぬが、
(四十前後……)
と、小兵衛は感じた。
「先生」とよんだほうの男は三十前後か……。
こやつは言葉づかいから看《み》ても町人だ。それも、あまりよくないことをして暮しているやつなのだろう。
それにしても、だ。
鐘ヶ淵の隠宅から遠く離れた千駄《せんだ》ヶ谷《や》の雑木林の中で、二人の無頼どもが、我が家へ押し込む相談をしていようとは、小兵衛にとって、
(おもいもかけぬ……)
ことであった。
むろん、二人の声に聞きおぼえはない。
彼らが狙《ねら》っている千何百両という大金は、おそらく、かの金貸し幸右衛門《こうえもん》が自殺した折に、
「まことにもって御面倒ながら、なにとぞ、いかようにも御処分下されたく……」
と、遺書にしたため、秋山小兵衛に托《たく》した遺金のことであろう。
ひとり娘を殺害《せつがい》された金貸しの老人・浅野幸右衛門に関《かか》わる事件については、すでにのべておいたが、この悲運の老人の遺金を、まさに小兵衛はあずかっている。
これまで、そのうちの百両ほどには手をつけていた。
といっても、自分のために遣ったのではない。
亡《な》き幸右衛門の遺志を生かし、
「世のため、人のために……」
小兵衛は遣ってきたつもりだ。
それにしても尚《なお》、千四百両の大金をあずかっている小兵衛なのだ。
この金の所在を、二人の無頼どもは知っている。
(はて……何処《どこ》から耳にしたのであろうか?)
それを知っているのは浪人のほうではない。もう一人の町人が知っていて、浪人に加勢をたのんだのである。
幸右衛門の遺金をあずかったのは、去年のことだから、その当時から知っていたのではあるまい。
若い男が、遺金の事を嗅《か》ぎつけたのは、つい先ごろと看てよい。
(だれから聞き込んだものか……?)
どうも、わからぬ。
遺金の事を、小兵衛は他人に洩《も》らしてはいない。
いや、知っている者もないではないが、その人びとの口から洩れるはずはない。
「よし。押し込みは、明日の夜更《よふ》けにしよう。それでよいか?」
「ようございますとも」
「それで、な……」
語り合いながら、二人の声と足音が遠去かりはじめた。
秋山小兵衛は、あわてて尻の始末をした。
(明日の夜か……)
それなら何も、あわてることはない。
小兵衛が心配なのは、金よりも、自分がいないときの隠宅で、ひとりきりで留守をしているおはる[#「おはる」に傍点]のことなのだ。
今日は、おはるに、
「大治郎のところへ泊って行くがよい」
と、いい残しておいた。
こういわれたときのおはるは、間ちがいなく、小兵衛のいいつけどおりにする。
ゆえに、
(ま、急ぐこともあるまい)
小兵衛は、予定どおり、松崎|助右衛門《すけえもん》を訪ねることにした。
(六人で押し込んで来るらしい。いずれ、仲間の無頼浪人どもをあつめて来るのであろうよ)
雑木林を出て、畑道をもどって行くと、駕籠舁《かごか》きの留七が、こちらへ駆けて来るのが見えた。
「大先生。どうなすったんで?」
「うむ……いや、なに……」
「あんまり長えものだから、心配になってきて……」
「足が、すっかり痺《しび》れてしまってのう」
「ですが大先生。出るものが出たら、いい気持ちでございましょう」
「生き返ったわえ」
「お顔の色が、ちがってきました」
「そうだろう、そうだろう」
小兵衛は、駕籠へ躰《からだ》をいれながら、
「どうじゃ。向うで少し待っていてくれるかえ。何、半刻《はんとき》(一時間)もあれば用がすむ」
「半刻でも一刻(二時間)でも、こっちはかまいませんでございます」
「では、たのむ」
松崎助右衛門の隠宅へは、間もなく到着をした。
竹林の間の石畳の細い通路を行くと、藁《わら》屋根の風雅な隠宅があらわれてくる。
「これはまあ、秋山先生。よう、おこしに……」
助右衛門の老妻お幸が、小兵衛を迎えていうには、
「折|悪《あ》しく、他行をしておりまして。はい、駿河台《するがだい》の御屋敷へまいり、今日は泊ってまいるそうでございます」
助右衛門は、実家の兄・松崎|伊織《いおり》が、
「ちと、相談したいことがあるゆえ、泊るつもりで来てくれぬか。久しぶりで酒を酌《く》みかわしたい」
と、迎いの町駕籠をよこしたので、
「つい先ほど、出かけましたのでございますよ」
お幸はいいながらも、茶菓をすすめ、町家《まち》育ちの女らしく、てきぱきと小兵衛をもてなす。
「さようでござるか。いや別に、急ぎの用事でもありませぬので、出直してまいりましょうかな」
「さようでございますか。ですが、残念でございます。お目にかかれたら、どんなによろこびましたことか」
「さよう。帰りに駿河台へ立ち寄ってもよい。すぐにすむ用事ゆえ……」
「はい、はい。それがようございます」
助右衛門の兄とも、小兵衛は面識があるし、駿河台の屋敷へも、むかしは何度か助右衛門を訪ねて行ったこともあった。
「では、これにて」
「さようでございますか。まあ、まあ、何のおかまいもいたしませんで……」
「いや、いや。ときに、庄五郎《しょうごろう》は元気にしておりますかな?」
「おかげさまにて」
老僕《ろうぼく》の庄五郎は、助右衛門がお幸と夫婦になり、千駄ヶ谷へ居をかまえたとき、松崎屋敷から共に引き移って来た男で、いまは七十に近い老齢だが、まことに達者なもので、いまも助右衛門の使いで鐘ヶ淵へやって来る。
小兵衛が帰るとき、庄五郎は裏手からあらわれ、お幸と共に見送ってくれた。
大きな躰つきの、髪も眉《まゆ》も白い、いかにも淳朴《じゅんぼく》な老爺《ろうや》で、若いころに松崎家へ奉公にあがって以来、助右衛門に可愛《かわい》がられ、ついに妻帯もせず、四十何年も助右衛門につきそってきた庄五郎であった。
駕籠がうごき出して、
「大先生。早《はよ》うございましたね」
という留七へ、小兵衛が、
「すまぬが、四谷《よつや》の弥七《やしち》のところへ寄っておくれ」
「合点《がってん》でござんす」
留七は、これまでに、四谷の御用聞き弥七の家へ、何度か小兵衛を乗せて行ったことがある。
「大先生。今年は空梅雨《からつゆ》になりそうでございますねえ」
「そうだのう」
「それにしても、まったく夏ともおもえねえ。涼しすぎまさあ」
「だから、わしなぞは、腹のぐあいが悪くなる」
「駕籠舁きは、楽でございますがね」
秋山小兵衛を乗せた駕籠《かご》は、内藤新宿《ないとうしんじゅく》の往還へ出た。
これを東へすすむと、左側に、傘《かさ》屋の徳次郎の店がある。
徳次郎は、四谷の弥七の手先をつとめ、お上《かみ》の御用にはたらいているわけだから、傘や雨合羽《あまがっぱ》などをならべた小さな店は、女房おせき[#「おせき」に傍点]が一手に引き受けていた。
この店の前を通りかかった小兵衛が、駕籠の中からひょい[#「ひょい」に傍点]と見ると、めずらしいことに徳次郎が店番をしているではないか。
(これは、ちょうどよい)
ぴたりと、店の前へ停《と》まった駕籠からあらわれた小兵衛を見て、
「こりゃあ、大先生……」
徳次郎が、びっくりして飛び出して来た。
「徳や。今日は感心に店番かえ」
「いえ何、嬶《かかあ》のやつが、ちょいと買物に出たものでございますから……」
「そうかえ。それなら直《じ》きに手が空くのう」
「大先生。何か起ったので」
「うむ。ちょいと、な……」
ここで小兵衛は、駕籠を帰すことにした。
たっぷりと、こころづけを留七へあたえて、
「御苦労だったのう」
「ほんとうに、いいのでございますか?」
「よいとも、よいとも」
「それじゃあ、ごめん下せえまし」
小兵衛は、傘徳の店先へ腰をかけて、
「おかみさんがもどったら、一緒に弥七のところへ行ってくれぬか?」
「ようございますとも。親分も今日は、たしか何処《どこ》へも出ねえはずでございます」
「そうか。それはよかった」
徳次郎が出した茶を一口|啜《すす》った小兵衛へ、
「いったい、何が起ったのでございます?」
「それがさ、まあ、聞いておくれ」
小兵衛が語りはじめる傘屋の店の向うを、二人連れの浪人が西から東へ通りすぎて行った。
ここは、甲州街道へ通ずる往還だし、江戸|四宿《ししゅく》の内の内藤新宿である。
大通りを行き交う人馬の絶え間がないわけだから、浪人なぞは、いくらも歩いている。
だが、いま傘徳の前を通りすぎた二人の浪人のうちの一人は、先刻、小兵衛が千駄《せんだ》ヶ谷《や》の雑木林の中で声を聞いた男であった。
こやつは袴《はかま》をつけ、総髪《そうがみ》の手入れもよく、こざっぱりとした風体《ふうてい》をしているが、連れの若い浪人は着ながしに大刀一つを落し差しにして、いかにも穢苦《むさくる》しい。
二人の浪人が通りすぎるのを小兵衛は目にとめたけれども、まさかに、このうちの一人があの浪人[#「あの浪人」に傍点]だとはおもわぬ。小兵衛は、こやつの声を耳にしたのみなのだ。顔を見てやりたかったが、何しろ、尻《しり》の始末が先だったので、どうにもならなかったのである。
浪人たちは大木戸をすぎ、塩町三丁目の角《かど》にある〔丸屋《まるや》〕という蕎麦《そば》屋へ入り、二階の小座敷へあがった。
注文した酒が運ばれて来た後の、二人の声を聞いてみようか。
「だが、ほんとうですかね、浜口《はまぐち》さん」
と、若い浪人。
「間ちがいない」
「しかし、千何百両というのは信じられませんなあ」
「だが、村山。金貸しなら、それほどの金があっても、ふしぎはあるまい。その金貸しの遺金を、その秋山小兵衛があずけられたというのだ。これならおかしくはあるまい。
このはなしを、おれにもって来たのは、千駄ヶ谷で小さな煙草《たばこ》屋をやっている仁助《にすけ》という男でな」
「はあ……」
「この仁助の母親というのが、同じ千駄ヶ谷に隠宅をかまえている松崎|助右衛門《すけえもん》の下男で、庄五郎という爺《じじ》いの姪《めい》なのだ」
「ほう……」
「松崎助右衛門は、秋山小兵衛と親密の間柄《あいだがら》という。ゆえに、小兵衛が金貸しの遺金をあずかっていることも耳にしていたにちがいない。どうだ、これならわかるか」
「どうやら……」
「はなしの出所からして、おかしいところはないぞ。金はおそらく、床下にでも埋めてあるにちがいない」
「なるほど……」
「そのかわりな、千何百両の半分をよこせと、仁助が申しおってな」
「当然でしょうな」
「莫迦《ばか》をいうな」
「え……?」
「それだから村山。お前は、それだけの腕をもちながら|うだつ[#「うだつ」は「悦」の「りっしんべん」を「木へん」にしたもの、第3水準1-85-72]《うだつ》があがらぬのだ。半金は、おれがもらう。残る半金は、お前たち四人で分けろ」
「すると、その仁助の取り分は?」
「ない」
「ない……?」
「仁助めはな、金を遣わずにすむところへ行くのだ」
「それは、あの……」
「冥土《めいど》というところへ、な」
「なるほど」
「わかったか、村山」
「わかりました」
「今夜までに、三人ほどあつめられるか。腕の立つ、ちから[#「ちから」に傍点]の強い連中がいい。そして口の堅いのをたのむ。いいな」
「承知」
「鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ押し込むのは、明日の夜更《よふ》けだが、今夜中に、おれの巣へあつめて来い。だがな、くわしいことは連中に洩《も》らしてはならぬぞ、よいか」
「そこのところは心得ていますよ、浜口さん」
「よし、行け」
村山浪人が丸屋を出て行った後、中年の浜口浪人は、しばらく酒をのんでいたが、やがて外へあらわれた。
このとき、秋山小兵衛と徳次郎は、四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の弥七《やしち》の家へ向いつつあった。
浜口浪人は、千駄ヶ谷の〔巣〕へ引き返して行った。
この巣なるものは、浜口が仁助と密談をかわしていた竹藪《たけやぶ》からも近い。
このあたりの百姓から浜口が借りている藁《わら》ぶき屋根の小さな家であった。
中に、女がひとり、昼寝をむさぼっている。
入って来た浜口浪人は、いきなり女に飛びかかった。
「あっ……あれ、どこへ行ってたのさ」
「どこでもいい。早く裸になれ」
「何だよ、真っ昼間から……」
「昼も夜もない。したいときにするのだ」
洗い髪の女の襟《えり》を押しひろげ、こんもりとした乳房をつかんで揉《も》みたてながら、
(この女とも今日かぎりだ。大金がころげ込んだら、しばらく江戸をはなれ、京・大坂でのんびり暮そうか)
浜口浪人は、獣のように、女の白い躰《からだ》をむさぼりはじめた。
翌日の昼前に、松崎|助右衛門《すけえもん》は、駿河台《するがだい》の兄の屋敷から駕籠《かご》で隠宅へ帰って来た。
出迎えた老妻のお幸が、
「昨日、秋山小兵衛さまが駿河台のほうへ、お見えになりましたか?」
「いいや。小兵衛が、どうかしたのか?」
「昨日、旦那《だんな》さまと入れちがいに、こちらへお見えになりまして、それでは帰り途《みち》に、駿河台のほうへお立ち寄りになると申されてでございましたが……」
「いや、見えなんだ」
「まあ、さようで……」
「何の用かの?」
「さして急ぎの用事ではないようで……」
「ふうむ……」
「お屋敷のほうでは、何か?」
「いや別に、大したことではない。兄も年をとったかして、久しぶりに、わしと酒をのみたかったのであろうよ」
今日も、よく晴れた。
庭で、松蝉《まつぜみ》が鳴いている。
庭の向うの菜園では、老僕《ろうぼく》の庄五郎《しょうごろう》が何やら、しきりに手入れをしているようだ。
庭の大きな椎《しい》の木が、淡黄色の細かい花をつけている。
助右衛門は、老妻がいれてくれた香ばしい茶をゆっくりとのみはじめた。
千駄《せんだ》ヶ谷《や》町で、煙草《たばこ》屋をしている仁助の母親おふく[#「おふく」に傍点]が、助右衛門愛用の薩摩刻《さつまきざ》みの煙草をとどけに来たのは、このときである。
おふくは、老僕・庄五郎の姪《めい》だが、もう五十に近い。
松崎助右衛門が、この地に隠宅をかまえる以前から、おふくは千駄ヶ谷に住みついていた。
煙草屋の弥兵衛《やへえ》に嫁いでいたからだ。
弥兵衛が亡《な》くなったのち、おふくは女手ひとつに倅《せがれ》の仁助を育てあげ、二十四歳に成長した仁助が、いまは煙草屋の主人《あるじ》ということになる。
ところが三年ほど前から、どうも仁助の素行が怪しくなってきた。
別に罪を犯したというのではないが、何分にも、このあたりには大名や大身《たいしん》旗本の下屋敷(別邸)が多い。
こうした下屋敷の渡り中間《ちゅうげん》などが、半ば当然のごとく、夜になると中間部屋で博奕《ばくち》をやったりする。
万事に、中央からの目がとどきかねる土地だから、近ごろは、いかがわしい連中が入り込んで来て、また、こうした連中を相手にする居酒屋や飯屋も増え、白粉《おしろい》くさい女たちも出没するというわけで、
「このあたりも、うるさくなったのう」
と、松崎助右衛門も眉《まゆ》をひそめている。
で……。
煙草屋の仁助も、いつしか、博奕や酒の味をおぼえるようになってしまった。
父親が早く亡くなってしまったので、
「ついつい、甘く育ててしまったのが、いけなかった……」
と、母親のおふくは、時折、この隠宅へ訪ねて来て、叔父の庄五郎へこぼすらしい。
「どうじゃ。倅の仁助は、まじめにはたらいておるか?」
庄五郎と共に庭へあらわれたおふくが挨拶《あいさつ》をするのへ、松崎助右衛門は気軽に声をかけた。
助右衛門も庄五郎の口から、仁助の素行を耳にしていたのだ。
「ありがとうござります。おかげさまで、へえ、このところ、どうしたものか、商売に身を入れるようになりまして……」
「それは何よりじゃ。ま、ゆるりとして行くがよい」
「はい、はい」
「庄五郎。菓子などをつかわすがよい」
「かたじけのうございます」
叔父と姪は、すぐに裏庭の方へ歩み去った。
つい、先ごろであったが……。
仁助は、諸方の下屋敷の博奕場へあつまる連中を相手に、
「金貸しがやりたいから、元手《もとで》を何とか都合してくれ」
と、母親にいい出した。
つまり、博奕場をまわって、
「喉《のど》から手が出るほどに……」
金がほしいやつどもに小金を貸しつけようというのだ。
むろん、高利を取る。
金が返せぬときは、ちからずくでも搾《しぼ》り取る。それというのも、仁助の背後には、博奕場で知り合った浜口浪人がいて、
「おれがついていてやるから大丈夫だ。何とか元手をこしらえて一旗あげろ」
などと、そそのかすものだから、仁助は、
「おふくろ。ちっとも心配することはないのだよ。だから、ね。ひとつ、庄五郎おじさんにたのみ、松崎様から五十両ほど借りてもらえないだろうか」
と、母親のおふくに言い出したのである。
そのとき、おふくは、
「冗談じゃあない」
さすがに顔色を変えて、仁助を叱《しか》りつけた。
「お前は、金貸しというものが、どんなものか知っておいでかえ」
「知っているとも」
「いいえ、知らない。知らないからこそ、そんな莫迦《ばか》なことをいい出すのだ」
そこで、おふくは、金貸し・浅野|幸右衛門《こうえもん》のはなしを、仁助に語って聞かせた。
何故《なぜ》、おふくが幸右衛門の事件を知っていたかというと、叔父の庄五郎から聞いていた。
庄五郎は、主人の松崎助右衛門夫婦が茶のみばなしに語り合っているのを、耳に入れたのである。
秋山小兵衛は、浅野幸右衛門から千五百両の遺金を托《たく》されたとき、
「どうしたものか?」
と、例によって助右衛門の意見を聞きに来たことがあった。
このとき、あの事件[#「あの事件」に傍点]の概略を、小兵衛から聞かされたのだ。
「何《なん》にしても、金というものは恐ろしいものじゃ。その浅野幸右衛門という人《じん》も、ふとしたことから小金を貸したのが病みつきになってしまったそうな。また、金貸しになってからも、さして因業《いんごう》なふるまいがあったわけではないという。
それなのに、ひとり娘を殺害され、ついには自分《おのれ》も自害をすることになってしもうた。これも金の為《な》せるわざじゃ」
小兵衛が帰った後で、松崎助右衛門が老妻へ、このように語るのを、側《そば》で茶をいただいていた老僕の庄五郎も聞いた。
庄五郎は、後に、姪のおふくへ、このはなしをして、
「それにしても秋山先生は、大したお人ではないか。うち[#「うち」に傍点]の旦那さまも、つくづくと感心なされてのう」
小兵衛を、ほめたたえたものである。
そのときのことを、おふくはおぼえていたものだから、たった一人の倅が金貸しをしたいなどといい出したので、
「まあ、よく、お聞き」
と、浅野幸右衛門の末路を語って聞かせ、
「それほどに、金というものは恐ろしい。お前が、そんなことをすれば、いまに、親の私も泣きをみるにきまっている。それよりも、早く身をかためて家業に精を出しておくれ」
意見をすると、仁助が何をおもったかして、
「なるほど。よく、わかったよ」
素直に、うなずいてくれたものだから、おふくは安心もし、よろこびもした。
まさかに、このとき仁助が、秋山小兵衛があずかっている遺金に目をつけたとは、おもってもみなかったろう。
老僕の庄五郎にしても、また、松崎助右衛門にしても、同様であって、人はみな、身内の者には心をゆるしているものなのだ。
それでなければ、到底、生きては行けぬ。
また、それなればこそ、諸々《もろもろ》の悲劇も起るし、喜劇も生まれるといってよい。
この日の夕暮れになると、いつの間にか空が曇ってきて、夜に入ると、ついに降り出した。
といっても、霧のような雨で、降るかとおもえば熄《や》み、熄んでしばらくすると、また降り出す。
仁助と浜口浪人、その他四名の浪人が、白鬚明神社《しらひげみょうじんしゃ》・裏側の松林の中にあつまったのは、この夜の四ツ半(午後十一時)ごろであったろう。
今朝も暗いうちに千駄《せんだ》ヶ谷《や》の家を出た仁助は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へやって来て、秋山小兵衛・隠宅の様子を探った。
堤の下の竹藪《たけやぶ》に潜んでいると、しばらくして、小さな老人が家の中から出て来て、石井戸の端《はた》で顔を洗うのが見えた。
(この爺《じじ》いか、秋山小兵衛というのは……へっ、剣術遣いが聞いて呆《あき》れる。浜口先生が長い刀《の》を引っこ抜いて押し込んで行ったら、あの爺いめ、腰をぬかしてしまやあがるだろ)
隠宅には、小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]だけしかいないのをたしかめ、仁助は、千駄ヶ谷へ引き返して浜口浪人に告げ、すでに浜口宅へあつまっていた四人の浪人たちは、日暮れ前から一人、二人とわかれわかれに出て行き、きめた時刻までに松林の中へあらわれたのである。
隠宅に小舟があることまで、仁助はつきとめていた。
「帰りには、奪った金を積んで、あの舟に乗り、引きあげるとしましょうや、浜口先生」
「仁助。そりゃあ都合がいいではないか。うむ、そりゃあいい、そりゃあいい」
それなら、引きあげの舟の上で仁助を突き殺し、
(そのまま、大川へ投げ込んでしまえば手数《てかず》もかからぬわ)
と、浜口浪人は、ひそかに考えている。
できることなら、他の四人の浪人も殺害してしまい、千何百両を、
(おれ一人のものにしたいが、こいつは、ちょいとむずかしいだろう)
浜口は、そんなことまで脳裡《のうり》に浮かべているやつなのだ。
「それじゃあ、出かけますぜ」
仁助が先に松林を出た。
提灯《ちょうちん》を持っているのは仁助ひとりであった。
その提灯をたよりに、五人の浪人が畑の中の小道をつたわって、鐘ヶ淵へ近づいて行く。
いま、雨は熄んでいた。
「ときに、浜口先生……」
仁助が、すぐ後ろへついて来る浜口へ、
「やっぱり、あの爺いと若い女房を殺してしまうので?」
「当り前だ。それが、いちばんいいのだ、後腐れがなくてな」
「そこまでしなくても……」
「生かしておいて、後で、お前が捕まってもいいのか」
「顔を隠していれば、わからねえでしょう」
「ともかくも、おれのいうとおりにしろ。おれはな、お前の身の安全を考えているからこそ、こういうのだ。わかるか」
「へえ。そりゃあもう……」
「それなら、いうことを聞け。なに、おれが二人を叩《たた》っ斬《き》るときは、お前、外へ出ていればいい。な……」
「わかりました」
「よし」
「でも、何だか気の毒なような……」
「しっかりしろ。そんなことで、大きなことができるとおもうのか」
やがて……。
彼らは、鐘ヶ淵の隠宅の裏手へあらわれた。
「ここは一軒家だ。すこし音を立てても怪しまれはせぬ」
浜口は、隠宅の台所口の戸の隙間《すきま》から中を窺《うかが》った。
台所の柱に、小さな掛け行灯《あんどん》が一つ点《とも》っている。
眠るときも、何処《どこ》かに灯《あか》りをつけておかぬと小用に目ざめても困るからだ。
当時は、電気もガスもない時代だったのである。
「行くぞ」
声をかけておいて、大男の浜口は戸へ体当りをくわせた。
たちまちに、戸が打ち破られ、
「それっ」
真先に浜口浪人が台所の土間へ飛び込み、大刀を引き抜いた。
「来たな」
いつの間にか、掛け行灯の下に小さな老人が立っていたので、浜口は度肝をぬかれた。
その瞬間、老人の……いや、秋山小兵衛の右手があがったとおもったら、鉄製の刀の鍔《つば》が唸《うな》りを生じて飛んで来て、浜口の鼻柱へ命中した。
「う……」
それっきりであった。
腕には自信がある浜口浪人が大刀を落し、台所の土間へ棒が倒れたように打ち倒れた。
まことに、呆気《あっけ》ない。
恐ろしいもので、鼻柱を強打した鍔の一撃で、浜口は即死してしまった。
「あっ……」
つづいて土間へ飛び込んで来た村山浪人の顔へ、これまた小兵衛が投げた鉄の鍔が命中する。
「うわ……」
これは急所を外れたので死ぬこともなかったが、一瞬、目が眩《くら》んでよろめくところを、
「野郎」
台所の隅《すみ》に待ち構えていた傘屋の徳次郎が、棍棒《こんぼう》で頭を撲《なぐ》りつけた。
「むうん……」
と、村山は気を失って転倒する。
「いかん」
「逃げろ」
あわてふためいた三名の浪人と仁助が身を返して逃げようとする前へ、物置き小屋の蔭《かげ》に待機していた四谷《よつや》の弥七《やしち》が、
「神妙にしろ」
立ちふさがって、棍棒を揮《ふる》った。
先《ま》ず、仁助が撲りつけられて倒れ、ついで浪人のひとりが胸下の急所を突かれて失神した。
「うぬ!!」
四谷の弥七も、秋山小兵衛直伝の無外流《むがいりゅう》である。
残る二人が大刀を抜きはらって身構えた後ろへ、走り出て来た秋山小兵衛が、
「おい。こっちを向け」
「あっ……」
振り向いた一人は、小兵衛の拳《こぶし》を腹へ撃ち込まれて、がっくりと両膝《りょうひざ》をついた。
残る一人、これはもう、どうにもならぬ。
やぶれかぶれに、小兵衛へ斬ってかかった。
「えい、やあ!!」
凄《すご》い気合声を発して、猛然と打ち込んで来るのを、
「それ、もう一息じゃ」
ふわりふわり[#「ふわりふわり」に傍点]と躱《かわ》しておいて、
「お前。ちょいと遣えるのう」
「だまれ!!」
横に払ってきた刃風を潜《くぐ》った小兵衛が、
「それ」
いきなり、若い浪人を投げ飛ばしたものだ。
こやつは二|間《けん》も飛んで石井戸の縁へ頭を打《ぶ》つけて、もううごかなくなった。
「これで終りかえ」
「そうらしゅうございます」
「早く、引っ括《くく》っておしまい」
「承知いたしました」
おはるは日暮れ前に、舟で大川をわたり、大治郎の家へ泊りに行っている。
また、雨が降り出してきた。
煙草《たばこ》屋の仁助が、まさかに、松崎家の老僕・庄五郎《しょうごろう》の姪《めい》の子とは知らぬ秋山小兵衛は、引っ捕えた五人と浜口浪人の死体を、四谷《よつや》の弥七《やしち》へ引きわたした。
そうなれば、当然、この事件は明るみに出たことになる。
死罪にはならぬだろうが、仁助と浪人たちは、島送りなり何なりの処罰はまぬがれまい。
奉行所の調べに、仁助は一も二もなく、すべてを白状してしまったので、小兵衛の耳へもそれ[#「それ」に傍点]がとどいた。
小兵衛は舌打ちをして、
「それならばまた、別の仕様があったものを……さぞかし、庄五郎が悲しんでいるだろう」
と、弥七へいった。
庄五郎は、
「うち[#「うち」に傍点]の旦那《だんな》さまと秋山先生に、申しわけがない」
というので、物置き小屋で首を吊《つ》ろうとしたそうな。
「どうも、素振りが妙なので、わしが、それとなく目をはなさなかったのがよかった」
と、隠宅へ訪ねて来た松崎|助右衛門《すけえもん》が小兵衛に告げた。
「わしとしたことが……いささか、早まったことをしてしもうて……」
「いやなに、ようしてくれた。仁助の母親のおふく[#「おふく」に傍点]などは、おぬしへ礼を申したいとさえいうているそうな」
「まさかに……」
「いや、まことじゃ、小兵衛殿。あれほどの悪事をはたらいた倅《せがれ》を、秋山先生は、ようも殺さずに我慢をして下された、とな」
「ほう」
「何年かかっても、倅が罪をつぐない、もどって来るまでは、元気ではたらいて待っているというたので、庄五郎も気を取り直し、わしも安心をしたというわけじゃ」
「ふうむ……親というものは、ありがたいものですな」
「そのことよ。庄五郎も、おふくも、今日はわしと共に此処《ここ》へ来て、おぬしに詫《わ》びねばならぬところじゃが、合わす顔がないと恥じ入るあの者[#「あの者」に傍点]たちを、どうか、ま、ゆるしてやってもらいたい」
「何の。庄五郎たちが詫びることなど、いささかもありませぬよ」
「それにしても、人の口は恐ろしいものよ。おぬしをほめて語った、あの金貸し幸右衛門《こうえもん》の一件が、このような結果をまねくとは……」
松崎助右衛門は、憮然《ぶぜん》となった。
助右衛門は、小兵衛が千駄《せんだ》ヶ谷《や》へ訪ねて来る途中、下《くだ》し腹《ばら》の始末をしていて、仁助と浜口浪人の密談を耳にしたとはおもってもみない。
小兵衛もまた、わざと語らなかった。
小兵衛は、庄五郎の姪と、その倅が千駄ヶ谷で煙草屋をしていることを知らぬわけではなかった。
庄五郎が主人の使いで鐘《かね》ヶ淵《ふち》へあらわれたとき、何度も、おふく母子《おやこ》のことは聞いている。
が、しかし、仁助の顔を知らず、声も聞いたことはない。
したがって、あのとき、仁助の声のみを聞いて、それ[#「それ」に傍点]と察知することは、いかな小兵衛でもむずかしいことであった。
因《ちな》みにいうならば、浅野幸右衛門の遺金千数百両は、この隠宅にはない。別の場所へ収蔵してあるのだ。
昼近くなって……。
おはる[#「おはる」に傍点]が昼餉《ひるげ》の仕度をした。
手長海老《てながえび》の附焼《つけやき》に粉山椒《こなざんしょ》を振りかけたものと、小胡瓜《こきゅうり》の糠漬《ぬかづけ》。
それに茄子《なす》を丸ごと焙《あぶ》ったのを二つ切りにして濃目の味噌汁《みそしる》へ入れたものだけのもてなし[#「もてなし」に傍点]であったが、松崎助右衛門は目を細めて箸《はし》を運びつつ、
「小兵衛殿よ。おぬしという男は、まったくもって……」
「何でござる?」
「いい年齢《とし》をして、あんな若い女房を側《そば》に引きつけ、三度三度、かようにうまいものを口にしておるということじゃ」
「何の。他人《ひと》の事は、よく見えるものでござる」
さあらぬ態《てい》でいい、夏の陽光がみなぎっている庭へ目をやり、
「助右衛門殿。これは、いよいよ、空梅雨《からつゆ》になりそうな……」
「さようさ。降るときには降らぬとのう」
「一度、庄五郎をおつかわし下され。なぐさめてやりとうござる」
「よこしてもかまわぬか?」
「哀れでなりませぬゆえ、ちからづけてやりたいとおもいましてな」
「かたじけない。たのみ入る」
いかにも福々しい相貌《そうぼう》の松崎助右衛門が白髪頭《しらがあたま》を軽く下げて、
「年寄りは、たがいに、いたわり合《お》うてまいろうな、小兵衛殿」
しみじみと、いったのである。
「はい」
何となく小兵衛も、目の中が熱くなってきた。
そして、
(わしも、もう長くはあるまい)
などと、おもいはじめている。
「よい酒じゃな、小兵衛殿」
「お気に入りましたかな」
「うまい」
「今度、庄五郎がまいったとき、持たせてさしあげましょう」
「まことか。それは、たのしみじゃ」
盃《さかずき》をほした松崎助右衛門が、
「お、そうじゃ」
と、手を打って、
「ときに、小兵衛殿」
「はい?」
「先日、千駄ヶ谷へまいられた用事というのは、どのような?」
「あ……」
小兵衛も膝《ひざ》を打って笑い出し、
「今度の騒ぎで、すっかり忘れておりましたよ」
「いったい、何のことじゃ?」
「生まれましてな」
「おぬしに、子が?」
「御冗談を……」
台所で、これを聞いていたおはるが、くすくす笑い出している。
「孫が生まれたというわけで」
「大治郎殿の子か……さようか。それはめでたい。まことにめでたい。おぬしには初孫《ういまご》というわけじゃ」
「さよう」
「一目《ひとめ》、見たいのう」
「ぜひとも」
「して、名は何と?」
「いやまだなので……実は、そのことについて、あなたの意見をうかがいに出たのでござるよ」
「そのことであったのか……」
「はい。大治郎めは、小太郎と名づけたいと申しますが、どうも、気に入りませぬ」
「おぬしが?」
「はい。何か、よい名がありませぬかな?」
すると松崎助右衛門が、言下に、断定的に、こういった。
「秋山小太郎。よい名じゃ。小兵衛の孫の小太郎。めでたい名じゃ。それがよい。それにきめなさるがよい」
その日の三冬
梅雨の入りが、今年は遅かった所為《せい》か、平年ならば梅雨明けとなっているはずなのに、来る日も来る日も雨であった。
しかし、生まれた子にも産んだ母親にも差《さ》し障《さわ》りはなく、
「もう、これならば大丈夫じゃ」
と、秋山|小兵衛《こへえ》も、大治郎宅を訪れるのが三日に一度ほどになってきている。
かの松崎|助右衛門《すけえもん》が、一も二もなく、初孫《ういまご》の名を〔小太郎〕とすることに賛成をしてしまったので、小兵衛は不承不承に、
「仕方もない。とりあえず、小太郎にしておけ。なれど、この後、わしがよい名をおもいついたなら、名を変えるやも知れぬぞ。このことをおぼえておいてくれ。よいか、よいな」
小兵衛は大治郎にそういったが、ちかごろでは、すやすや[#「すやすや」に傍点]と寝入っている初孫の顔を飽くこともなくながめて、
「これ、小太郎。小太や……小太公や」
などと、よびかけては目を細めているのだから世話はない。
さて、その日の朝……。
前夜も降りつづいていた雨が熄《や》んで、薄日がさしてきた。
秋山大治郎が田沼屋敷へ稽古《けいこ》に出かけた後で、近くに住む百姓・玉吉《たまきち》の女房おきね[#「おきね」に傍点]がやって来た。
三冬の産前産後に、おきねは毎日のように顔を出し、用事を足してくれている。
この唖《おし》の女房は、三冬が嫁いで来る前に、大治郎に雇われ、煮炊《にた》きから身のまわりの世話をしてくれただけに、三冬も安心をしていられる。
そこで三冬は、少しの間、小太郎の守りをしてもらうことにした。
前からおもいついていた用事をすませてくる気になったのだ。
身ぶりでしめすと、おきねは、すぐにわかり、胸へ手をあてて見せた。
「まかせておいて下さい」
という意味である。
「では、たのみましたよ」
三冬は、五ツ半(午前九時)ごろに家を出た。
小太郎を産んで二十日ほどが経過しており、すでに三冬は床をはらい、家事をするようになっている。
もともと、剣術の修行に鍛えられた躰《からだ》であるし、初産《ういざん》ながら軽かったこともあり、三冬の体調は、まことに良好といってよかったが、産後の外出は、この日がはじめてであった。
(ああ、よいこころもち……)
夏の日ざしが雲間から洩《も》れる空を仰いで、丘の道を下って行くときの三冬は、数刻後に自分が遭遇する異変をおもってもみなかったといってよい。
秋山大治郎の妻となってより、早くも二年の歳月が経過してい、三冬は、おはる[#「おはる」に傍点]と同年の二十四歳となっている。
大治郎と夫婦になったときの三冬は、人も知る男装の女武道であったから、いざ女の着物を身につけてみると、足を運ぶのにも苦労をしたものだ。
髪も若衆髷《わかしゅわげ》に結いあげていたので、どうにもならぬ。
そこで、おはるが工夫をし、髪をたらして、その先を紫縮緬《むらさきちりめん》で包むようにしたのである。
いまの三冬は、髪も充分に伸びているけれども、依然として髪を結いあげず、当初のままにしてある。
おはるなどは、
「もう、いいかげんに髪をゆって見せて下さいよう」
しきりにすすめるのだが、三冬は、
「いえ、私は、母上御考案の、このかたち[#「かたち」に傍点]を生涯《しょうがい》、変えぬつもりですよ」
平然たるものだ。
それに、短目に袂《たもと》を仕立てた着物へ細目の帯をしめ、享保《きょうほう》の時代《ころ》の女がしていた水木結びにしている。
この古風な姿で道を歩むと、橋場界隈《はしばかいわい》の人びとは一目で、
「あれ、秋山の若先生の御内儀《おないぎ》が……」
と、わかってしまうが、少し離れた町筋へ出ようものなら、三冬の異色の姿に道行く人びとが、おもわず振り返ったり、足を停《と》めたりする。
濃い眉《まゆ》、切長の両眼《りょうめ》も涼しげな童顔でいながら、そこは何といっても人妻となっただけに、
「隠そうとしても隠しきれぬ……」
色気が化粧もせぬ顔《おもて》にも姿にもただよい、それがまた特異の身形《みなり》とよく調和し、はじめて三冬を見る男も女も、おもわず目を見はらずにはいられぬ。
この日……。
三冬は、浅草の並木町にある呉服屋〔柏屋久兵衛《かしわやきゅうべえ》〕方へおもむいた。
柏屋の店構えは小さいが、以前から秋山小兵衛はこの店で衣類をもとめており、したがって三冬も、おはるの案内で、これまでに数度、夫の衣類をもとめに来ていた。
今度は、夫・大治郎の夏着と共に、小兵衛とおはるの夏着をもとめ、これを小太郎誕生の心ばかりの祝い物として贈るつもりなのだ。
小兵衛とおはるの好みについては、柏屋がよく知っているので、見立ててもらえばよい。
柏屋で反物をえらび、それに合った下着などもととのえてもらうことにし、
「明後日までには、かならず、お届けいたしますでございます」
柏屋久兵衛の声に送られ、三冬は帰途についた。
久しぶりに金竜山《きんりゅうざん》・浅草寺《せんそうじ》へ参詣《さんけい》をした三冬は、花川戸《はなかわど》から山之宿《やまのしゅく》の道を我が家へ向う。
上天気とまではゆかぬが、久しぶりに雨があがったこととて、浅草寺の境内も参詣の人があふれてい、道筋にも人の往来が平常よりは多い。
ついでにというわけではないが、
(そうじゃ。本性寺《ほんしょうじ》へ、お詣《まい》りを……)
と、三冬はおもいたった。
浅草・今戸《いまど》の本性寺は、家の菩提所《ぼだいしょ》で、小兵衛の妻であり、大治郎の生母でもあるお貞《てい》の墓と、秋山|父子《おやこ》に関係の深い剣客《けんかく》・嶋岡礼蔵《しまおかれいぞう》の分骨をおさめた墓がある。
もしも、このとき、三冬が本性寺への墓参をおもいつかなかったら、異変に関《かか》わることもなかったろう。
三冬は、秋山家と嶋岡礼蔵の墓へ香華《こうげ》を手向け、つきそって来てくれた本性寺の小坊主《こぼうず》と別れ、墓地を抜けて裏門へ向った。
このあたりは大小の寺院が密集してい、裏門の外の小道は、寺々の土塀《どべい》に沿って曲がりくねっている。
だが、本性寺の裏門を出た真向いは道をへだてて、こんもりとした雑木林になっており、その奥に、かつては浪人・滝口友之助《たきぐちとものすけ》が独り住み暮していた小さな家がある。
滝口友之助と秋山大治郎との交情や、友之助が腹を切って自害した経緯《いきさつ》は、かの〔秘密〕の一篇にのべておいたが、いまも、その家は空家になっている。
その家も土地も、本性寺の所有になるものだということは、三冬もわきまえていた。
さて……。
本性寺の裏門を出た秋山三冬は、小道を右へ向いかけた。
浅茅《あさじ》ヶ原《はら》から大刹《たいさつ》・総泉寺《そうせんじ》の境内を通り抜け、橋場へ出ようとおもったのである。
人気もない小道に、薄日がさし、三冬の頬《ほお》を掠《かす》めるようにして燕《つばめ》が一羽、空へ舞いあがって行った。
そのときだ。
前方の蓮花寺《れんげじ》の土塀の蔭《かげ》からあらわれた浪人ふうの男が、こちらへ駆けて来るかと見えたとき、くるり[#「くるり」に傍点]と振り向き、抜き持った白刃《しらは》を揮《ふる》った。
後から追いかけて来た侍へ、振り向きざまに斬《き》りつけたのだ。
斬られた侍の絶叫が起った。
三冬は、はっ[#「はっ」に傍点]と身を引き、裏門の蔭へ身を寄せた。
その三冬の前を、左の方から小道を曲がって来た町女房が通りすぎた。
「あぶない」
声をかけて三冬が道へ出たとき、侍を斬って倒した浪人が、まっしぐらに駆け寄って来たかとおもうと、
「あっ……」
と、いう間もなく、若い町女房へ飛びかかり、これを左腕に抱きかかえた。
女房の悲鳴があがり、
「何をする」
叫んで浪人へ走り寄った三冬へ、
「うるさい!!」
怒鳴った浪人が、びゅっ[#「びゅっ」に傍点]と一振り、三冬へ右手の大刀を叩《たた》きつけた。
もとより、斬られる三冬ではない。
ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と飛び退《しさ》って、
「曲者《くせもの》!!」
叫ぶ三冬を、浪人は無言で睨《にら》みつけた。
そのとき、はじめて三冬は浪人の顔を正面から見た。
「あ……」
三冬が驚愕《きょうがく》の目をみはったとき、浪人は恐るべき腕力で、町女房を木立の中へ引き擦り込んだ。
これを追うことを忘れたかのように、三冬は茫然《ぼうぜん》と立ちつくした。
まるで蟇蛙《ひきがえる》が、そのまま人間になったかのような、この浪人の顔を三冬は忘れるものではない。
逆上している浪人は、姿も髪のかたちも一変している三冬を、それ[#「それ」に傍点]と気づかなかったらしい。
ともかくも、それは一瞬のことであった。
はっ[#「はっ」に傍点]と気を取り直した三冬が、
「待て」
木立の中へ走り込もうとしたとき、浪人の後を追って来た四人の侍が小道の向うから駆けつけて来た。
すると、木立の中から浪人の声が、
「近寄るな。近寄ると、この女房を殺すぞ!!」
獣の咆哮《ほうこう》のごとく聞こえた。
「うぬ!!」
「逃《のが》すな。逃してはならぬぞ」
血相を変えた侍たちは、刀を構えつつ、じりじりと木立の中へ踏み込んで行く。
小道の彼方《かなた》には、浪人に斬られた侍が倒れたまま、うごかない。
女を拉《らつ》した浪人は、どうやら、亡《な》き滝口友之助が住んでいた空家へ飛び込んだらしい。
この浪人の名を、岩田勘助《いわたかんすけ》という。
女武芸者だったころの三冬は、市《いち》ヶ谷《や》に一刀流の大道場を構える井関忠八郎《いぜきただはちろう》の許《もと》で修行をし、井関が亡《な》きのちは、他の高弟三人と共に道場を運営していた。
幕府最高の権力をもつ老中・田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》の妾腹《しょうふく》に生まれた三冬は年少のころから剣術に熱中し、女ながら、
「井関道場の四天王」
などとよばれるほどの腕前となった。
田沼意次の庇護《ひご》を受け、諸大名の家来や大身《たいしん》旗本の子弟などの門人二百余を数えた、この大道場が閉鎖された顛末《てんまつ》はすでにのべた。
その事件の前後に、三冬は秋山父子と知り合ったのだから、当時の三冬は十九歳だったことになる。
それより二年前に、師の井関忠八郎が病歿《びょうぼつ》しており、すでにそのとき、岩田|勘助《かんすけ》は井関道場の門人として数年の修行を積んでいたのである。
つまり、岩田は三冬と同門の剣士であった。
稽古《けいこ》も熱心で、相当の手練のもちぬしだったが、三冬に立ち向っては、五本に一本を取れるか取れぬかというところであったろう。
岩田勘助は、五千石の大身旗本・小笠原甲斐守《おがさわらかいのかみ》に仕える足軽《あしがる》であった。
武芸の好きな小笠原甲斐守は、岩田のほかに四人の家来を井関道場へ入門させていた。
その中でも、岩田はもっとも身分が低い。
低いが、武芸の修行となれば身分の上下はない。
小笠原の家来四人のうち、岩田に立ち向って勝てる者は一人もいなかった。
また岩田勘助は、こういうときになると、いささかも手加減をしなかった。
ふだんは、ずんぐりとした体躯《たいく》を鈍々《のろのろ》とうごかし、痘痕《あばた》の穴だらけの顔をうつむけ、ぎょろり[#「ぎょろり」に傍点]とした両眼を上目づかいに、ほとんど口もきかぬ岩田勘助なのだが、いったん木太刀《きだち》をつかむと、その猛烈な闘志がほとばしり、相手を圧倒した。
容貌《ようぼう》が醜く、風采《ふうさい》があがらず、身分も低い足軽の岩田を、小笠原の家来たちは、
「蟇蛙《ひきがえる》」
だとか、
「むさ苦しい」
とか、さげすんでいたわけだが、亡き井関先生に命じられて岩田と立ち合うや、見るも無残に打ち叩《たた》かれてしまう。
三冬は、それを愉快におもっていた。
そのうちに、小笠原の家来たちは、井関道場をやめてしまった。
どうしても、岩田を打ち負かすことができぬ屈辱に堪《た》えきれなかったのであろう。
岩田は一人残って、修行をつづけた。
他の門人たちの大半は、岩田に好感をもっていなかった。
「彼奴《きゃつ》めと立ち合っていると、何やら、人ではなく化け物を相手にしているようで気色がわるい」
などと、岩田よりも強い高弟たちも、なかなか稽古をしてやらぬ。
井関先生が重病となり、道場へ出なくなってからは尚更《なおさら》に、岩田勘助は門人たちから疎《うと》まれ、避けられるようになった。
広い道場の片隅《かたすみ》に凝《じっ》とうずくまり、相手にされぬくやしさと怒りをこらえ、大きな白い眼をぎらぎら[#「ぎらぎら」に傍点]と光らせ、他の門人たちの稽古を睨《にら》みつけている岩田勘助の姿が、いまも時折、三冬の脳裡《のうり》に浮かんでくることがある。
足軽奉公をしているだけに、岩田が井関道場へあらわれるのは三日に一度ほどだったし、三冬と掛けちがって、たがいに顔を合わすことがない日もあった。
しかし、三冬は道場へ来て、岩田勘助の顔を見出《みいだ》すや、いつも、ためらうことなく、
「岩田。まいれ」
と、声をかけてやった。
「はっ」
岩田は、無表情であったが、三冬の声へ飛びつくようにして木太刀をつかみ、立ちあがる。
凛々《りり》しい稽古着姿の中の、汗ばんだ処女《おとめ》の肉体が目ざましく躍動するさまを、門人たちは固唾《かたず》をのんで見まもる。
どの門人も、三冬に稽古をしてもらうことをのぞんだ。
美しい三冬の顔が稽古に紅潮し、裂帛《れっぱく》の気合声がひびくとき、
「ああ、もう、おれはたまらぬ」
「拙者、気が遠くなりそうだ」
などと、見物の若い門人たちが、ささやき合うこともめずらしくない。
「いまを時めく田沼様の血を受けた三冬様が、何で剣術をやらねばならぬのだ」
「剣術をやらぬとあれば、おぬし、聟入《むこい》りでもするつもりか」
「とんでもない。しかし、もったいない。あの稽古着を、おれは引き毟《むし》ってやりたい」
「叱《し》っ。声が高い」
「それにしても、あの蟇蛙め、仕合わせなやつだ」
「三冬様は、彼奴めをひいき[#「ひいき」に傍点]にしすぎるのではないか」
「そうおもうか?」
「おもう」
「わからぬなあ」
「わからぬ」
「あのような化け物が、三冬様はお好きなのかな?」
「冗談ではない」
「いかになんでも……」
好きとか嫌《きら》いとかではない。
井関先生が亡くなってからは、さらに他の門人たちから疎まれ、道場へ来ても稽古の相手がなくなってしまった岩田勘助を、三冬はあわれ[#「あわれ」に傍点]におもった。
いや、あわれ[#「あわれ」に傍点]というよりも、道場の指導者として、当然、なすべきことをなしたにすぎない。
道場へ来て、片隅に控え、凝とうごかぬ岩田勘助の姿には、ひたすら、三冬があらわれるのを待つ執念がただよっていた。
それは、三冬が秋山|父子《おやこ》と知り合った年のことだから、安永六年(一七七七年)の初夏であった。
三冬は、その一年ほど前に、神田橋《かんだばし》の田沼屋敷から、生母の実家で、書物問屋の〔和泉屋吉右衛門《いずみやきちえもん》〕がもっている根岸の寮(別荘)へ移り、老僕《ろうぼく》の嘉助《かすけ》に傅《かしず》かれて暮していた。
その日の朝。
井関道場へあらわれた三冬は、例によって、片隅にうずくまっている岩田|勘助《かんすけ》を見出した。
身仕度をととのえ、木太刀をつかんだ三冬へ、
「お願いつかまつる」
「それがしにも……」
控えていた門人たちが立ちあがって来るのへ、
「ま、急《せ》かれな」
三冬が微笑を浮かべ、
「これ、岩田。先《ま》ず、おぬしからまいれ」
と、岩田勘助へ声をかけてやった。
「はっ」
いつもは、三冬に声をかけられた途端、隠そうとしても隠しきれぬよろこびに両眼《りょうめ》が輝く岩田であったが、この朝は、うずくまっていたときの沈鬱《ちんうつ》な顔つきのままで立ちあがって来た。
「さ、まいれ」
「ごめん」
三冬に稽古《けいこ》をつけてもらうときは、元気一杯に立ち向って来る岩田なのだが、この日にかぎって太刀筋が冴《さ》えなかった。
「ほれ、どうした。それでよいのか、ほれ、ほれ……」
追いつめた三冬が、
「やあ!!」
ぴしりと岩田の腕を打ち据《す》えても、無言のまま一礼するのみであった。
いつもなら三冬に打ち込まれるたびに闘志を募らせてくる岩田勘助なのに、
(はて……?)
不審におもった三冬が、よいかげんにあしらい、きびしい声で、
「今日はこれまで。気が乗らぬ稽古なればせぬほうがよい」
岩田を叱《しか》りつけた。
門人たちは、さも「いい気味だ」といわんばかりに、軽蔑《けいべつ》の視線を岩田へ集中する。
それから三冬は、他の門人たちと共に激しい稽古をつづけ、昼下りになってから控えの間へ引きあげ、汗を清め、着替えをすまし、持参の弁当をつかってから、井関道場を出た。
午後の稽古は、別の高弟が受けもつことになっている。
外へ出ると、すでに身仕度をととのえた岩田勘助が追って来て、
「御供をいたします」
と、いった。
めずらしいことではない。岩田が奉公をしている小笠原甲斐守《おがさわらかいのかみ》の屋敷は、本郷の春木町にあるので、途中までは三冬の帰路と同じなのだ。
「うむ」
うなずいた三冬が、弁当の箱や稽古着が入った包みを、当然のことのように岩田へわたすと、これを押しいただくようにしてから、岩田は三冬の後から歩を運んで行く。
これまた、他の門人たちには、
「おもしろくない……」
のである。
髪を若衆髷《わかしゅわげ》にゆいあげた三冬が、すらりとした躰《からだ》を薄むらさきの小袖《こそで》と袴《はかま》に包み、細身の大小を腰に横たえ、素足に絹緒の草履《ぞうり》という、まるで、舞台にでも出てくるような姿《いでたち》で颯爽《さっそう》と歩む後ろから、蟇蛙《ひきがえる》と異名をとった岩田勘助がのそのそ[#「のそのそ」に傍点]とついて行くのだから、道行く人びとが好奇の目を向けずにはいられなかったのも当然であったろう。
「岩田。今日は、いかがしたぞ?」
先を歩みつつ、振り向きもせず、三冬が男言葉で、
「何ぞ、あったのか?」
「いえ……」
「躰のぐあいでも、よくないのか?」
「別に……」
「ふうむ……?」
いつもなら、三冬が語りかけると、岩田は、かなり能弁になる。
別人のように、しゃべりもするし、笑いもするのだ。
岩田が、小笠原の家来たちから疎《うと》まれ、嫌われていることは、三冬も察している。
なればこそ、岩田ひとりを残し、小笠原の家来たちは井関道場を去ったのであろう。
また、道行く女たちが、三冬に従って歩む岩田の顔や姿を見て、くすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出したり、中には吹き出す者もいるのを、三冬は知っていた。
(このような顔、姿に生まれついたが岩田の不運じゃ)
三冬も、いかに今を時めく老中・田沼|意次《おきつぐ》の血を受けた女《むすめ》だとはいえ、妾腹《しょうふく》に生まれた苦労をしてきただけに、岩田をあわれむこころが強い。そして、岩田を従えて歩むことを、いささかも苦にしていない。
その三冬のこころが岩田にも伝わるのかして、通行の人びとの視線を受けても、しだいに、岩田勘助はたじろがぬようになってきていた。
(そうじゃ。いっそ、父上にお願い申し、岩田を引き取り、私が召し使《つこ》うてもよい)
三冬は、そうおもいはじめていた。
今日の岩田を見ていると、どうも、小笠原家の屋敷内で、何か知らぬが堪えがたい屈辱を受けたようにも考えられた。
「どうじゃ、岩田。すこしの間、私につきあわぬか?」
「と、申されますと?」
「不忍池《しのばずのいけ》の茶店で饅頭《まんじゅう》でも食べぬか、どうじゃ」
実は三冬、道場の帰りに、この味[#「この味」に傍点]をおぼえていたのだ。
「かまいませぬので?」
「おお、かまわぬ」
「では、御供をいたします」
「よし」
岩田勘助は、酒が一滴ものめぬと聞いている。
岩田の父親は、越後《えちご》・長岡の浪人で、江戸へ出て来てから苦労を重ねつつ、一人息子の岩田勘助に剣の修行をさせ、苦心をして伝手《つて》をもとめ、岩田が二十二歳のときに小笠原家へ足軽として奉公をさせることができた。
それから間もなく父親が亡《な》くなり、岩田は小笠原家へ奉公をするようになってから五年になるそうな。
これだけのことを、道場からの帰途に、三冬は何度もかけて少しずつ、岩田の口から聞き出したのである。
上野の山も、不忍池のほとりの木々も新緑があざやかで、池をわたる薫風《くんぷう》のさわやかさは格別であった。
三冬は、なじみになっている〔玉むら〕という茶店へ入り、奥の、不忍池に面した静かな小座敷へ岩田をみちびき、
「どうじゃ。よいところであろう」
「よく、かようなところを御存知で……」
「うふ、ふふ……」
三冬は、得意になり、
「饅頭のほかにも、いろいろとある。好きなものを食べるがよい」
と、いった。
このとき、三冬は茶店の老婆《ろうば》に酒を注文した。
三冬は、のめる。
剣友たちの酒宴などに出て、酒をおぼえた。
なにも、うまくてのむのではない。
何事にも、男に負けまいとしてのむのである。
にんまりとして盃《さかずき》を口へふくむ三冬を見て、岩田勘助は瞠目《どうもく》した。
「岩田。どうじゃ、のむか?」
「いえ、私は……」
「男のくせに、だらしのない」
「恐れ入ります」
またしても岩田は目を伏せ、饅頭を食べはじめた。
「どうした、何か、気にさわる事でもあったのか?」
「いえ……」
「胸にたまった嫌《いや》な事があらば、吐き出してしまうがよい。口に出してみよ。さすれば、さっぱりとなろう」
「は……」
「どうも、今日のおぬしは妙じゃ」
「いえ、別に……」
「私はな、おぬしのことを案じているのじゃ。そのように他の人びとと解け合わぬまま、年月をすごしていたらどうなる。せっかくに修行をした剣術も生きてはこぬぞ」
十九歳の三冬が、二十七歳の岩田勘助に向って、姉のように、母のように諭すのだ。
若い女も、こうした場合には母性的な本能が自《おの》ずと発露するものらしい。
岩田は六つ目の饅頭を手に取ったが、これを口へ運ばず両手に握りしめ、うなだれて、唇をかみしめたまま一語も発しなくなった。
「どうしたのじゃ?」
「…………」
「おぬしも強情な……」
ふと見やると、岩田の両眼から一筋二筋、泪《なみだ》が痘痕《あばた》だらけの顔へ糸を引いているではないか。
三冬は、一層、あわれさをおぼえ、身を寄せて、
「よし、よし」
童児《こども》をあやすかのように、何気なく手をのばし、岩田の肩のあたりを撫《な》でてやった。
三冬が、愕然《がくぜん》となったのは次の瞬間であった。
岩田が、ぱっと向き直り、さしのべている三冬の右の腕をつかんだのである。
「何をする」
三冬の声にはこたえず、岩田勘助は、三冬の白い掌《てのひら》へ自分の顔をひた[#「ひた」に傍点]と押しつけた。
(あ……)
三冬は、その手を引こうとはしなかった。
岩田の厚い唇の感触が掌に生々しい。
岩田の唇が、わが掌を這《は》いまわっている。
しかし、ふしぎに、三冬は嫌悪《けんお》をおぼえなかった。
むしろ、かつて経験をしたことのない、こころよい衝撃が三冬の全身へ伝わってきて、おもわず三冬は両眼を閉じた。
それは、どれほどの間であったろうか……。
急に、三冬の手をはなし、飛びはなれた岩田勘助が、
「一期《いちご》の、おもい出にござります」
呻《うめ》くようにいったかとおもうと、大刀をつかみ、檻《おり》から放たれた獣のごとく小座敷から飛び出して行った。
「ま、待て……」
三冬が、あわてて声をかけたけれども、岩田は茶店から走り去ってしまった。
しばらくの間、三冬は、わが右の掌を見つめた。
岩田が強く吸った痕《あと》が、歴然と残っていた。
岩田勘助が、同じ小笠原家に仕えている中小姓の佐倉為四郎《さくらためしろう》を殺害《せつがい》して逃亡したのは、この日の夜のことであった。
この事を耳にしたとき、三冬は、
(しまった。あのとき、追いかけて引きとめ、何としても、くわしいわけを聞いてやるのだった……)
悔んだが、もう遅い。
岩田勘助は、大身《たいしん》旗本の家来を殺害して逃げたのだから、これは犯罪者である。いわゆる「お尋ね者」になってしまった。
その後、岩田は捕えられることもなく、行方知れずになってしまったのである。
岩田が斬殺《ざんさつ》した佐倉為四郎は、以前、岩田と共に井関道場へ来ていた男だ。
おそらく岩田は、小笠原屋敷へもどると、佐倉たちによって、さまざまな恥辱を受けていたのであろう。
それを耐えに耐えた結果、ついに岩田の怒りが激発したのではあるまいか。
「莫迦《ばか》なやつだ」
「つまらぬまね[#「まね」に傍点]をしなければ、三冬様の御供ができたものを……」
「ま、あのような男は、いずれ、こうしたまわりあわせ[#「まわりあわせ」に傍点]になるものだ」
などと、道場の門人たちは、一人として岩田に同情をするものがない。
(何を申すことか……)
三冬は、ひそかに彼らを嘲笑《ちょうしょう》した。
(おのれらに、この私の手をつかみ、わが唇《くち》に吸うだけの勇気があるか)
このことであった。
木立の奥の、小さな家へ逃げ込んだ岩田|勘助《かんすけ》は、裏手の戸を蹴破《けやぶ》って中へ入り、二間《ふたま》つづきの奥の部屋へ立てこもった。
岩田に攫《さら》われた通りがかりの町女房の悲鳴は絶えた。
岩田に当身を受け、気をうしなっているのでもあろうか。
岩田勘助は、奥の間へ駆け込むや、境いの襖《ふすま》を閉《た》て切り、
「入って来ると、この女の命はないぞ」
と、喚《わめ》いた。
空家に特有の黴《かび》くさい臭気がこもる屋内は、雨戸を閉《た》てきってあるので暗い。
岩田に蹴破られた裏手の戸だけが外れ、台所にだけ外の光りがながれ込んでいる。
ときに、九ツ(正午)ごろであったろう。
「おのれ、卑怯《ひきょう》な……」
「女をもどせ」
「その女には、何の関《かか》わり合いもないのだぞ」
「おのれ、狂うたか」
四人の侍たちは、家のまわりを囲み、口ぐちに怒りの声をあびせたが、岩田はこたえぬ。
抜刀した侍たちが、中へ飛び込めなくなったのは、
(彼奴《きゃつ》めは、女を殺しかねぬ……)
と、おもっているからにちがいない。
多勢の人声が、この場へ駆け寄って来た。
みな、男たちばかりだ。
手に手に棍棒《こんぼう》のような得物をつかんでい、その中には、今戸《いまど》の船宿〔吉野屋《よしのや》〕の若い船頭が二人ほどまじっている。
「野郎。この中にいるので?」
「そうだ」
と、侍の一人がこたえる。
「かまわねえから、火をつけて燻《いぶ》し出してしめえましょう」
「待て。通りがかりの女を攫って立てこもったのだ」
「えっ、また、女を……」
侍たちは、人びとに何かいいつけ、四人ほどが駆けもどって行った。
小道で岩田に斬殺《ざんさつ》された侍の死体を運んだり、この異変を番所へ届けに行ったりしたのであろう。
本性寺《ほんしょうじ》の僧や小坊主《こぼうず》も、裏門のあたりへあらわれた。
「いったい、何があったので?」
三冬は木立の中へ入り、吉野屋の船頭に尋ねた。
「いえね、とんでもねえ野郎なので」
「どうしたのです?」
「うち[#「うち」に傍点]の女中が、ひょいと外へ出たかとおもったら、いきなり、その……」
「斬《き》った……?」
「へえ。殺されはしませんでしたがね。髪をその、ばっさり斬られたあげく、あっという間もなく、帯と着物を切り裂かれたのでござんすよ」
「ま……」
そこへ、通りかかった六人連れの侍が、これを見て、
「浪人め。何をするか!!」
岩田を取り押えようとすると、いきなり、跳躍した岩田勘助が、侍の一人を斬って逃げ出した。
この侍も即死したらしい。
むろん、捨ててはおけぬ。
小道へ逃げ込んだ岩田を、残る五人の侍が追いかけ、そのうちの一人が斬り倒されるのを三冬が目撃したことになる。
後でわかったことだが、この侍たちは、神田《かんだ》の松永町に一刀流の道場を構える高砂義右衛門《たかさごぎえもん》の門人で、いずれも旗本の子弟であった。
今戸|界隈《かいわい》の人びとが、今度は女の見物もまじり、あつまって来はじめた。
現代のように、電話一本で武装警官が駆けつけて来る時代ではない。
やがては、土地《ところ》の御用聞きなり、町奉行所の同心なりが駆けつけて来ようが、それにしても、こうなっては岩田勘助がいかに暴れぬこうとも、所詮《しょせん》は逃れきれまい。
それを知らぬ岩田ではないはずだ。
(通りがかりの女を引っ攫うような、卑怯なまねをする男ではなかったのに……)
さわがしい見物の人びとにまじって、三冬は沈思した。
岩田は、船宿の女中へ何故《なぜ》、そのような暴行をはたらいたのか……。
おそらく、道へ出て来た女中が、尾羽打ち枯らし、みすぼらしく垢《あか》じみた浪人姿の岩田勘助の醜い容貌《ようぼう》を見て、さげすみの笑いでも浮かべたのであろうか……。
かつて、井関道場からの帰途、後ろに従って来る岩田へ、通りがかりの女たちが向ける視線と笑いを、三冬は忘れてはいなかった。
あのころの岩田は、その屈辱に耐えるちから[#「ちから」に傍点]をそなえていたのだ。
それが、いまは……。
空家へ立てこもった岩田勘助は、狂っているのやも知れぬ。
または、自暴自棄となって、
(暴れるだけ暴れて死ぬ……)
決意をかためているのやも知れぬ。
それがわかっているのは、いま、この場に群れあつまった人びとの中で、三冬ひとりといってよい。
いずれにせよ、徒事《ただごと》ではすむまい。
警吏が来ても、岩田は素直に縄《なわ》を打たれまい。
おそらく、そうなれば、何人かの者の血が流れることになろう。
不忍池のほとりの茶店で、岩田勘助が「一期《いちご》の、おもい出にござります」と、走り去ってから、五年の歳月が経過している。
その五年間の、岩田勘助の流浪《るろう》の日々が、どのようなものであったかは、余人にはわからずとも、三冬には察することができる。
いずれにせよ、岩田は切羽つまってしまっている。
今日の事件が起らずとも、遅かれ早かれ、岩田は同じような窮地へ追い込まれたのではないか。
(どうしよう。どうしたらよいものか……?)
秋山|小兵衛《こへえ》や大治郎の知恵を借りる時間もない。
(このまま、立ち去ってしまうが、もっともよいこと……)
それはわかっている。
わかっているが、立ち去りかねた。
われ知らず三冬は、見物の人びとを掻《か》きわけ、裏手の戸口の傍に油断なく刀を構えて立っている侍たちの前へすすみ出た。
「まことに、さし出がましくは存じますが、中の男と語り合うてみたいとおもいまして」
そういった三冬を、いぶかしげに見やった侍のひとりが、
「そこもとは?」
「この近くに住《すも》うておりまする秋山大治郎が妻、三冬と申します」
侍たちが、顔を見合わせた。
高砂道場の門人だけに、秋山大治郎の名を知っていたらしい。
となれば、その妻が、老中・田沼|意次《おきつぐ》のむすめであることもわきまえていたのではあるまいか。
侍たちの態度が、がらりと変った。
「おまかせ下さいましょうか?」
と、三冬。
「は……」
侍たちが、頭を下げた。
しずかに、三冬が台所へ足を踏み入れると、
「入るな!!」
奥の部屋から、岩田|勘助《かんすけ》の怒声が聞こえた。
岩田は、襖《ふすま》の透間からでも、こちらを窺《うかが》っているのであろう。
三冬は、無言で尚《なお》もすすむ。
そして、台所の次の小部屋の框《かまち》の傍まで来た。
「女、去れ」
と、岩田。
女とわかっても、薄暗い台所から外光を背に入って来た三冬の顔は、よくわからぬとみてよい。
女が、ただ一人で入って来ただけに、岩田も狂暴な振まいをしなかったのであろうが、
「おのれも、ここにいる女と同じようなめ[#「め」に傍点]にあいたいのか」
嘲《あざけ》るように言いはなった。
そのとき、三冬が、
「岩田勘助殿。この私の声に、聞きおぼえはありませぬか?」
襖の向うで、岩田が息をのんだ。
「まだ忘れはすまい。いまは人の妻となりましたが、以前の名は佐々木三冬」
岩田は、こたえぬ。
裏の戸口へ抜刀の侍たちがあつまり、その中の一人が台所へ足を踏み入れようとしたのへ、颯《さっ》と振り向いた三冬が、
「入ってはなりませぬ」
きびしく、たしなめた。
その三冬の気魄《きはく》は、尋常のものではない。
侍は、外へもどった。
三冬は、ふたたび、襖の向うへ、
「岩田勘助殿。私がたれか、もはや、おわかりでありましょうな」
「…………」
「この期《ご》におよんで、何も申しませぬ。そこにいる女ごを、私におわたしなされ」
「…………」
「いま、そこへまいりまする。女ごを、おわたし下され」
三冬が草履《ぞうり》をぬぎ、しずかに、台所の次の間へあがって行く。
岩田の声は絶えた。
「岩田殿。そこの襖を開けなされ」
「…………」
「では、私から開けましょう。よろしいか」
すると、襖が内側から少しずつ開きはじめた。
開いた襖の、すぐ向うに、町女房が気をうしなって倒れ伏しているのが見えた。
その傍へ来た三冬が片膝《かたひざ》をつき、奥の部屋を見わたした。
雨戸も障子も閉めきった室内の、昼の闇《やみ》の片隅《かたすみ》に、黒い人影がうずくまっている。
それへ、
「久しいのう、岩田殿」
よびかけた三冬へ、
「はい」
意外に、素直な岩田勘助の声が返ってきた。
道具類もなく、器物とて何一つない空家の黴《かび》くさい、饐《す》えた闇の中に、三冬と岩田は凝《じっ》と互いの顔を見つめ合った。
ややあって、
「いま、このとき、三冬様にお目にかかれましょうとは……」
と、岩田がいいさし、絶句した。
「私も、意外のことでした」
「は……その節は、御高恩をこうむりながら、あのような……あ、あのような御無礼を……」
「何の、いささかも気にしてはおりませぬ」
「えっ……」
岩田の躰《からだ》が揺れて、
「すりゃ、まことで?」
「はい」
「か、かたじけのうござる」
両手をつき、岩田はひれ[#「ひれ」に傍点]伏してしまった。
「岩田殿……これ、勘助殿……」
「は……」
「この女ごを外へ返してもよろしいか?」
「かまいませぬ」
と、岩田の声が沈痛にあらたまり、
「お笑い下され」
「いや、笑いませぬ。とても、笑えませぬ」
「この、愚かな私めを……」
「申されるな」
と、制止した三冬の声音は、あくまでもやさしかった。
「み、三冬様……」
「はい」
「お願いつかまつる。この勘助の、首を打っていただけませぬか」
「何を申されることか。いまの三冬は人の妻じゃ」
と、いくぶん、かつての佐々木三冬の口調にもどり、しずかな中にもきびしさを秘めて、
「いまの私に、できることは、この一事のみ」
こういって、三冬は気絶している町女房の躰を、軽がると双腕《もろうで》に抱きあげ、
「岩田殿。さらば」
一言を残して、台所へ下り立った。
その三冬の背へ、
「この期におよび、おもいもかけず、お目にかかれ、お声を耳にいたし、岩田勘助、もはや、おもい残すこととてござりませぬ」
三冬は、こたえなかった。
外へ出た三冬は、抱きあげていた町女房を人びとの手へ委《ゆだ》ね、
「ごめん下されましょう」
茫然《ぼうぜん》としている侍たちへ一礼をし、人びとが声もなく見まもる驚異の視線をあびつつ、木立の中から去って行ったのである。
この日の夕暮れになってから、激しい驟雨《しゅうう》となった。
長い間のことではない。
間もなく雨があがり、しばらくして、秋山大治郎が橋場《はしば》の外れの我が家へ帰って来た。
戸が開いている裏口から中をのぞき込むと、妻の三冬は、こちらへ背を向け、小太郎に乳房を含ませているらしい。
「三冬。いま帰った」
「あ……お帰りあそばしませ」
「よい、よい。そのまま、乳をのませてやるがよい」
「は……」
大治郎は、水桶《みずおけ》から水を汲《く》み出しつつ、
「いま、夕立ちにあって、橋場の鯉屋《こいや》で雨宿りをしてきたが、今日の昼すぎ、本性寺の近くで、無頼浪人が暴れ出し、通りがかりの侍を斬《き》ったらしい」
三冬は、こたえぬ。
大治郎は気にもせず、小さな桶へ汲み入れた水へ手ぬぐいを入れ、ざぶざぶと顔を洗いながら、
「鯉屋の女あるじがいうには、その浪人、侍たちに囲まれ、腹を切って自害をしたそうな」
今度は双肌《もろはだ》をぬぎ、たくましい上半身をぬぐいはじめた大治郎が、
「どうも、物騒な世の中になってきたものだ」
と、いった。
どこかで、遠雷がしている。
それに気づいた大治郎が、
「や……雷が鳴っている。梅雨《つゆ》が明けるのか」
裏手へ出て見ると、西空の一角の雲が切れて、血のような夕焼けがのぞいていた。
「やはり、明けたようだ。明日からはさっぱりとする」
呟《つぶや》いて、台所へもどり、大治郎は桶を始末にかかったが、
(はて……?)
はじめて、いつもとはちがう様子に気づいた。
いつもなら、日暮れになれば台所には炊事の匂《にお》いがただよっているし、三冬の明るい声もする。
それなのに三冬は、まだ、こちらへ背を向けたまま沈黙している。
小太郎は、すでに三冬の乳房からはなれ、すやすやと寝入っている。
手つだいの百姓の女房の姿もない。
「三冬……」
よびかけた大治郎へ、三冬は背を向けたままで、
「はい」
微《かす》かに、こたえた。
「どうしたのだ?」
「…………」
「何か、あったのか?」
「…………」
「躰のぐあいでも、よくないのか?」
「いいえ……」
「では、どうしたのだ?」
苛ら立って、奥の間へ入って来た秋山大治郎を振り仰いだ三冬の両眼《りょうめ》からは、ふつふつと熱いものがふきこぼれている。
大治郎は、おどろいて、何かいいかけた声をのんだ。
時雨蕎麦《しぐれそば》
梅雨が明けた。
その日の昼前に、秋山|小兵衛《こへえ》は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出て、本所《ほんじょ》の亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》を訪ねた。
久しぶりに、老いた碁敵《ごがたき》の顔が見たくなったのだが、二人が顔を合わせれば、かならず碁盤が持ち出されることはいうをまたない。
ところが、宗哲老人は所用あって芝の方へ出かけてい、帰りは夕刻になるという。
「やれやれ……」
碁敵への闘志を挫《くじ》かれた小兵衛は、がっかりして鐘ヶ淵へ帰りかけたが、
(そうじゃ)
ふと、おもいついて、両国橋へ足を向けた。
橋の西詰の広小路《ひろこうじ》の盛り場の南側の米沢町《よねざわちょう》に、〔京桝屋与助《きょうますやよすけ》〕という菓子舗《かしみせ》があり、ここの〔嵯峨落雁《さがらくがん》〕という菓子が、むかしから小兵衛の好物であった。
その好物が隠宅に切れていることをおもい出し、買って帰るつもりになったのだ。
目が眩《くら》むほどに晴れあがった青空に、白雲が湧《わ》き立ち、長い梅雨の明け暮れに気を腐らせていた人びとは、
「生き返ったように……」
夏の日の輝きを、たのしんでいるかのようだ。
(これが、もう少したつと、げんなり[#「げんなり」に傍点]してくるのじゃ)
と、足取りも軽やかに橋上を行き交う人びとの顔をながめつつ、小兵衛は苦笑を洩《も》らした。
「よっ。秋山先生」
両国橋の西詰からわたって来た老人が、大声で呼びかけながら走り寄って来た。
「おお。角《かく》さんじゃあないか」
「久しぶりです。お変りもありませんか?」
「孫ができて、な」
「へえ。ちっとも知らなかった。こりゃあ早速、お祝いにあがらなくてはいけませんな」
相手は、三十俵|二人扶持《ににんぶち》という、将軍の家来の中で最も身分の軽い御家人《ごけにん》で、名を川上角五郎《かわかみかくごろう》という。
当年六十歳で、髪も白く、薄くなっているのに、博奕《ばくち》も好きなら酒も好きという元気な老人だ。
先妻が亡《な》くなった後、二度目に迎えた妻が生んだ一人息子の貫太郎《かんたろう》は、たしか十七歳になったはずである。
その後妻も先年亡くなり、いまは息子と共に本所の石原町に住み暮している川上角五郎は、若いころ、辻平右衛門《つじへいえもん》の道場で剣術の修行をしたこともあるのだから、小兵衛は川上の兄弟子ということになる。
もっとも川上の剣の筋はよくなく、しだいに道場へもあらわれなくなったが、鐘ヶ淵へ小兵衛が居をさだめて後、道で出合ったのがきっかけとなり、いまは年に何度か、みやげものをたずさえて隠宅を訪ねて来る。
背丈がひょろりと細長く、色の黒い川上角五郎の風貌《ふうぼう》を、おはるは、
「鰻《うなぎ》の頭」
と、評した。
だから小兵衛は、おはると川上のことを語り合うとき、
「鰻の角さん」
と、いったりしている。
御家人だけに身なりもさばけたもので、川上角五郎は単衣《ひとえ》の着ながしに脇差《わきざし》一つを差し込み、手には白扇という姿《いでたち》なのは、秋山小兵衛とよく似ている。
「どちらへ、お出かけで?」
「いや、ちょいとな」
「その辺で、一献いかがです?」
「汗になる。今はよそう。それよりも涼しくなってから鐘ヶ淵へ来なさい」
「さようですか。では、そういたしましょう。私、実は、先生に申しあげたいこともありましてな」
「ほう。ならば、今夜にでも来なさい」
「はい。では、後ほど……」
いいさして川上は、うれしさを隠しきれない様子で、細長い躰《からだ》をくねくね[#「くねくね」に傍点]とさせながら、
「実は、その、このたび、また新しいの[#「新しいの」に傍点]をもらうことになりましてな」
「新しい……?」
「女房ですよ、先生。へ、へへ……」
「ふうん……」
「ま、茶のみ友だちというわけですが、しかし相手は、四十前でございますからね。まんざらその、茶ばかりのんでいるわけにもまいらぬというわけで……」
照れくさそうに、白扇で、額のあたりを叩《たた》きながら川上角五郎が、
「まことにもって、おもいもかけぬことになりましてなあ」
「で、その相手というのは?」
「さよう。すぐそこの、米沢町の京桝屋という菓子舗の後家なので」
「ほう」
「いまも、前を行ったり来たりして、よそながら一目、拝んできたところです」
「では、まだ、はなしが煮つまっていないのかえ?」
「ですが先生。向うは大よろこびなのだそうで」
「ふうむ」
「くわしいことは、後ほど、また……」
川上は小兵衛に一礼し、跳ね飛ぶような足取りで、両国橋を東へわたって行った。
(はて。京桝屋に、そんな後家がいたか……?)
菓子を買いに出るのは、いつも、おはるなのだし、小兵衛が京桝屋へ立ち寄るのは三年ぶりのことであった。
「おや、これはこれは、秋山先生」
あるじの与助が、店へ入って来た小兵衛を迎え、
「お久しぶりでございます」
「いつもの[#「いつもの」に傍点]を切らしてしまったので、立ち寄った」
「それはそれは……」
京桝屋与助は四十前後になっているだろう。しばらく見ぬ間に、すっかり肥えてしまい、髪にも白いものがまじりはじめている。
店構えは小さくとも、江戸でもそれ[#「それ」に傍点]と知られた菓子舗の主人ながら、与助は養子であった。家つきの妻のおよし[#「およし」に傍点]との間に三女をもうけている。
夫婦仲はよいのだが、先代の妻で、与助には義母にあたるお崎《さき》が、まだ矍鑠《かくしゃく》としており、何かにつけて口うるさく、与助も養子だけに頭があがらぬということだ。
お崎は、当年六十三歳になるが、これまでに病気ひとつせずに生きて来たとかで、店の経営にもいちいち口を出し、
「まったく、どうも、困ってしまいます」
与助が、おはるにこぼしたこともあるそうな。
女にしては背丈の高い、鼻すじの通った、いかにも強《きつ》い目つきのお崎を、小兵衛も二度ほど京桝屋で見かけたことがある。
店の者が嵯峨落雁を箱に詰めている間に、奥から茶菓をもってあらわれた女を見て、
(川上角五郎がいった女は、これか……)
小兵衛が、女が奥へ入った後で、与助に、
「いまの人は?」
「あ……あれは、義妹《いもうと》なのでございます」
「ほう」
「一年ほど前に、嫁いだ先からもどってまいりまして……」
「それはそれは……」
そういえば、ずっと以前、与助の妻の妹お清《きよ》が、同業の菓子舗〔井筒屋《いづつや》〕へ嫁いでいることを、与助から聞いたことがある。
「それが先生。どうも、子が生まれませんので困っております」
与助が、そういったこともおぼえている。
子が生まれぬまま、夫に死なれたので、お清は実家へもどって来たらしい。
いま、茶を運んで来たお清の、ふっくらとした色白の顔や姿を見た小兵衛は、
(いかになんでも、川上にはもったいないわえ)
と、おもわざるを得ない。
「ときに、やかましやの婆《ばあ》さんは、相変らずかえ?」
声をひそめて尋《き》いた小兵衛へ、
「それが、先生……」
京桝屋与助が顔を寄せてきて、さも、うれしげに、
「いいあんばいに、片づきそうなんでございますよ」
「病いにかかったか?」
「いえ、ちょいと、ほかからはなし[#「はなし」に傍点]がございまして……」
「はなし……?」
「茶のみ友だちに、ほしいというわけなのでございますよ」
「………?」
「相手は、御家人で、川上角五郎というお方なんでございますがね」
小兵衛は、目を白黒させている。
(ちがう。まさにちがう。角め、とんだ勘ちがいをしているらしい)
与助は、小兵衛のおどろきに気づく様子もなく、
「女というものは、まったくもって恐ろしいものでございますねえ。義母《はは》は、あの年齢《とし》をして大乗気になってしまいました」
「ふうむ……」
「まだ、はなしがあったばかりなのでございますが、これはもう、もっけのさいわいというもので、私ども夫婦は申すまでもなく、奉公人一同も、鬼婆がいなくなるというので大よろこびを……」
「これ、口をつつしみなさい」
「ですが先生……」
と、京桝屋与助は、向うにいる店の者をちらり[#「ちらり」に傍点]と見やってから、
「このはなしがあってから、義母はね、先生。一日中、鏡に向い放しなので。はい、鏡に向っては、ろくにありもしない髪の毛へ手をやってみたり、ひとりでにやにや笑ってみたり、いやもう、その気味の悪いこと悪いこと。どうも、おどろきましてございます。うふ、ふふ……ともかくも、あれだけ乗気になっているのですから、これはもう、まとまりましょう。いえ、何としてもまとめなくてはなりませんので、はい」
この日の夕暮れに、川上角五郎が小振りの柄樽《えだる》へ清酒をつめたのを持って、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。
「大治郎さんのところへは、明日にも、お祝いにまいります。なんですねえ、今年は秋山先生のところといい、私のところといい、めでたいことが重なりましたなあ」
と、川上は、有頂天の様子だ。
それはそうだろう。
三十二歳の京桝屋《きょうますや》のお清を、六十歳の川上角五郎が後妻《のちぞえ》にするつもりでいるのだから、
「これでなんです。私も、秋山先生に肖《あやか》れるというもので」
いいながら、酒を運んで来たおはる[#「おはる」に傍点]の腰のあたりをちらり[#「ちらり」に傍点]と見やって、
「えへ、へへ……」
わけもなく、浮かれ笑いをする。
おはるは顔を顰《しか》めて、台所へ逃げた。
「ま、一つ」
「は。ちょうだい、いたします」
小兵衛の酌《しゃく》を受けた川上へ、
「先刻の、はなしだが……」
「はあ……」
「おぬしの縁談じゃよ」
「はあ、はあ」
「それは、いったい何処《どこ》からのはなしなのだ?」
「さよう。ええ、これはその、京桝屋の近くに住む五十俵取りの山田|久蔵《きゅうぞう》と申す御家人と、私が親しくしておりましてな」
「では、その山田さんが、はなしをもって来たのじゃな」
「はい」
「どのような人《じん》じゃ?」
「どのようなと申して、その、私より五つ六つは下の、これも私同様、酒が大好物な男でして……や、これはよい酒だ。先生は、いつも、このような酒をあがっておられますか、うらやましい」
「その山田久蔵なる人は、まことにもって、あわて者じゃな」
「え……?」
「もっとも、おぬしのほうが、あわてているのやも知れぬが……」
「先生。こりゃあ、異なことをうけたまわります。私も年少のせがれ一人を相手に暮すのが、いささかさびしくなってまいった折から、京桝屋の後家も何やら肌《はだ》さびしいおもいをしているというので、この縁談を……」
「まあ、待ちなさい。よいか、角さん。京桝屋には後家が二人いるのじゃよ」
「えっ……」
はじめて耳にしたらしい。
手酌の盃《さかずき》を口へもって行きかけた川上角五郎が、
「な、何と申されました?」
盃を膳《ぜん》の上へ置いた。
「後家が二人いると申した」
「京桝屋に?」
「さよう。おぬしは、どっちの後家をもらうつもりなのじゃ?」
「それは、あの、一年ほど前に嫁ぎ先からもどった、三十をこえたばかりの、お清という……」
「ちがう、ちがう」
「ちがう?」
川上が鰻の頭[#「鰻の頭」に傍点]を振りたてて、
「どう、ちがうので?」
「先方では、先代の後家で六十三歳になるお崎を、おぬしのところへやるつもりでいるのじゃ」
「げえっ……」
「あれから、わしは京桝屋へ立ち寄り、落雁《らくがん》を買ったついでに、あるじから聞いたのじゃ」
「う……」
「先方が大よろこびをしていることは、たしかじゃ。おぬしも人助けをしたのう」
「と、と、とんでもない」
「どうした?」
「ろく、六十三の婆《ばあ》さんですと?」
「ああ、そうだよ。二つ三つ年上だとて何ということもあるまい。どうせ爺《じじい》と婆《ばばあ》ではないか。茶のみ友だちなら、ちょうどよいではないか」
「おのれ、山田久蔵め!!」
叫ぶや、川上角五郎が突っ立ち、
「秋山先生。ごめん下され」
恐ろしい勢いで縁側へ飛び出して行ったのはよいが、敷居へつまずき、もんどり[#「もんどり」に傍点]を打って庭先へ転げ落ちたものだ。
奥の間から、そっと覗《のぞ》いていたおはるが、たまりかねて笑い出すのへ、
「これ」
小兵衛は叱《しか》ったが、これまた失笑をこらえきれぬ。
川上角五郎は身を起し、夕闇《ゆうやみ》を掻《か》きわけるような足取りで堤の方へ消えて行った。
腹を抱えて笑いながら、おはるがあらわれ、
「鰻《うなぎ》の旦那《だんな》の、あの恰好《かっこう》……」
「あれでは、蒲焼《かばやき》にしても喉《のど》へ通らぬわえ。いかにもひどい。あれでも角さんは五年も剣術をやったのだからのう」
「へえ……あれなら、私だって、やっつけられますよう」
「それにしても……」
と、小兵衛が嘆息を洩《も》らし、
「いったい、だれが粗忽者《そこつもの》なのかわからぬが、困ったことになったものじゃ」
「もう少し、知らん顔をしていておやんなさりゃ、よかったのに」
「そうもゆくまい。あれでも川上角五郎は、わしの弟弟子なのじゃ」
「そもそも、鰻の旦那がいけないのですよう。いい年をして、いけすかないことを考えるから、こんな間ちがいが起きるのですよう」
「そうかのう」
「だから男っていや。いくつになっても、ああなんだから……」
と、おはるが小兵衛の股《もも》のあたりを抓《つね》り、
「先生だって、新しい女がほしいのかねえ」
「ばか。何をする」
「だって、そうなんでしょうよう」
「痛《いた》……いいかげんにせぬか。さ、早く、飯にせぬか。笑いすぎたので、急に腹が減ってきた」
小兵衛も、おはるも、これで万事終ったとおもっていた。
川上角五郎は、仲に入っている山田久蔵へ怒鳴り込むにちがいない。
川上ならずとも、あの京桝屋の鬼婆を茶のみ友だちにするなぞという酔狂者は、
(この世にいるはずがない……)
のである。
責任《せめ》は、山田久蔵が負うことになるのか。
それとも、聞き間ちがえた川上角五郎に非があるのか。それにしては川上が、はっきりと、お清の名を口にしたことがおかしい。
(ふ、ふふ……京桝屋のあるじ夫婦は、このはなしが壊れて、さぞ、がっかりすることだろう)
いずれにせよ、事は済んだと、小兵衛はおもった。
ところが……。
済まなかった。
異変は、それから七日後に起った。
七日後の、その日。
秋山小兵衛は昼すぎから、本所《ほんじょ》の小川宗哲宅へ出かけ、久しぶりに碁を打ち、夕餉《ゆうげ》を馳走《ちそう》になってから帰途についた。
遅くなることはわかっていたので、提灯《ちょうちん》の用意もしてある。
(そうじゃ、鬼熊《おにくま》酒屋へ寄ってみようか……)
〔鬼熊酒屋〕は、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)に面した津軽越中守《つがるえっちゅうのかみ》・下屋敷の、北側の突端にある居酒屋だ。
ここの先代の亭主で〔鬼熊〕とよばれた熊五郎が死病を押し隠しながら暴れまわっていたはなしは、すでにのべておいたが、熊五郎|亡《な》き後、養子夫婦の文吉《ぶんきち》とおしん[#「おしん」に傍点]が仲よく店を切りまわしている。
先代とちがって、どこまでもおだやかな文吉夫婦だけに、土地《ところ》の評判もよく、
「それもこれも、秋山先生のおかげでございます」
と、夫婦は何かにつけて鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ顔を出す。
「まあ、先生。よく、おいで下さいました」
「さ、どうぞ、こちらへ……」
文吉夫婦が入って来た小兵衛を、七坪の土間に設けられた畳敷きの入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の奥へいざない、
「また、小川宗哲先生のところへ……?」
「相変らずな。ところで文吉。先日は、よい酒を届けてくれてすまなんだのう」
「めずらしい酒《の》が入りましたので、お届けいたしましたが、お口に合いましてございますか?」
「合《お》うたとも。この間、川上角五郎がやって来て、これはよい酒だとほめていたわえ」
小兵衛がそういったのは、川上も、この店の常客であったからだ。
文吉が、小兵衛の許《もと》へ届けた酒は、店で出していない。
小兵衛は、およそ半刻《はんとき》(一時間)を鬼熊酒屋ですごした。
客も、そろそろ立て込んできはじめたので、
「さて、そろそろ帰るとしようか……」
小兵衛が腰をあげたとき、ふらりと、川上角五郎が入って来た。
そして、小兵衛と眼《め》が合うや、あわてて外へ飛び出して行った。
さすがに、先日の事が照れくさかったのであろう。
「あれ、川上の旦那《だんな》。どうしたんでございましょう?」
と、おしん。
「妙なやつじゃな」
小兵衛は苦笑しながら勘定をすませ、文吉夫婦に見送られて外へ出た。
(あれから、どうなったか?)
興味もあったし、こんなことがあると、
(川上も、わしのところへ来にくいことになろう)
そうおもったから、川上の後を追うかたちで、大川沿いの道へ出て行った。
赤い月が浮かんでいる。
前方を行く川上角五郎の姿が、月明りに浮かんで見えた。
小兵衛が足を速めつつ、川上へ呼びかけようとしたとき、突然、右側の武家屋敷の塀《へい》のあたりから、五つの黒い影が飛び出して来て、川上を取り囲むのが見えた。
その曲者《くせもの》どもが、手に手に棍棒《こんぼう》を揮《ふる》って、川上角五郎へ襲いかかったのである。
「あっ。何をする……」
叫んだ川上が、躰《からだ》のどこかを打ち叩《たた》かれて、
「うわ……」
引っくり返るのが、小兵衛の目に入った。
(何のために、若いころ、剣術をやったのか……どうも、あきれ果てたやつだ。身分は軽くとも将軍の家来、いざともなれば槍《やり》をつかんで戦場へ出ねばならぬというに……)
舌打ちをして、小兵衛は走り出した。提灯を手にしたままである。
「早く、腕なり足なり、叩き折ってしまえ」
「合点《がってん》だ」
曲者どもが、倒れた川上角五郎を押え込もうとしたとき、
「待て」
突風のごとく走り寄った秋山小兵衛が、曲者の一人を取って投げた。
どこをどうされたものか、
「あっ……」
大男の曲者が宙を飛んで、大川へ落ち込んだ。
「や、野郎」
「かまわねえから、叩きのめせ!!」
小柄《こがら》な老人と見て、曲者どもが川上から離れ、小兵衛へ向って来た。
するすると後退した秋山小兵衛が、火も消えぬ提灯を地面へ置いたかと見るや、弦《つる》をはなれた矢のごとく、四人の曲者の中へ躍り込んだ。
また一人、大川へ投げ込まれた。
「それ」
つぎの一人が、小兵衛の手刀に頸《くび》の急所を撃たれ、
「むうん……」
気を失って倒れたときには、三人めが腰を蹴《け》られて、
「あ、あっ、あっ……」
両手を差しのべたまま、大川へ突き落された。
まさに、電光石火の早わざであった。
残る一人は恐怖におそわれて立ち向うどころではなく、
「きゃあっ……」
悲鳴をあげ、一目散に逃げ去ったのである。
「おい、どうした?」
拾いあげた提灯で、川上を見た小兵衛が、
「ま、何という顔をしているのじゃ」
ようやく、半身を起した川上角五郎の鼻から血がふき出している。
その顔へ、元結《もとゆい》が切れたさんばら[#「さんばら」に傍点]髪がたれ下って、
「まるで、鰻《うなぎ》の化けものじゃ」
「せ、先生……」
「しっかりせぬか」
「それにしても、凄《すご》いものですなあ」
「何が?」
「人間わざとはおもわれません。いまの、先生のはたらきというものは、実に、まさに、鞍馬山《くらまやま》の天狗《てんぐ》どもを退治した牛若丸を、目《ま》のあたりに見るおもいがしました」
「こんなに老《ふ》けた牛若丸があるものか。さ、立て」
「立てませぬ」
「何じゃと……」
「腰がぬけました」
「ばか。それでも徳川の家来か」
「ざ、残念ながら……」
「あきれ果てたものじゃ。相手は、いずれも刃物を持っていなかったのだぞ」
「おかげで、助かりました」
「こころあたりがあるのか?」
「さて……」
「博奕《ばくち》の借金を返さなかったのか?」
「そ、そうかも知れません」
そのとき、気絶していた男が、ひょろひょろと立ちあがったので、
「こら!!」
小兵衛が声をかけると、
「お助け……」
そやつは、自分から大川へ飛び込んでしまった。
「大の男が五人がかりで、何とまあ、なさけない」
こういって、女持ちの煙管《きせる》をぽん[#「ぽん」に傍点]と灰吹きにおとしたのは、ほかならぬ京桝屋《きょうますや》のお崎であった。
「いえ、いまも申しあげたように、とんだ邪魔が入りまして……」
お崎の前で、きまりわるげに頭を下げているのは、昨夜、秋山小兵衛が大川へ投げ込む前に悲鳴をあげて逃げ去った三十男だ。
こやつは、両国一帯の盛り場の利権を一手に握っている香具師《やし》の元締・平野屋|長右衛門《ちょうえもん》の片腕などといわれている黒須《くろす》の富蔵《とみぞう》という男である。
京桝屋は老舗《しにせ》ながら、両国の盛り場をひかえているだけに、こういう男を出入りさせておくことも、
「何かにつけて……」
便利なことが少なくない。
躰中《からだじゅう》に十二ヶ所の喧嘩傷《けんかきず》の痕《あと》があるのを自慢にしている黒須の富蔵だが、京桝屋のお崎にはかなわぬらしい。
「どうも、あの婆さんにはかなわねえ」
と、こぼしながらも、結構、お崎の用事に駆けまわったりしている。
それも、お崎が気前のよいところを見せるからであろう。
あるじは養子の与助なのだが、いまもって、店の帳簿は、お崎が目を光らせている。
店の金は、たとえ一両でも与助の自由にはならぬ。
「ともかくも、その、まるで鞍馬山《くらまやま》の天狗《てんぐ》さまのようなやつが飛び出して来て、あっという間もなく、四人ともやっつけられてしまいましてね」
「それで、お前さんは、どうした?」
白い上布をきりり[#「きりり」に傍点]と身につけ、平絽《ひらろ》の染帯という姿で、うすくなった髪の毛ながら小さな髷《まげ》にゆいあげたお崎は、六十三という年齢より五つ六つは若く見えた。
化粧はしていないが血色もよく、背すじもすっきりとしてい、切長の両眼がきらきらと光っている。
「いえ、このつぎは、決して失敗《しくじり》ません。まあ、まかせておいて下さいまし」
「そんなことを尋《き》いているのじゃない。お前さんは大川の水を飲まなかったのかと尋いている」
「いえ、それが……」
「投げ込まれる前に、尻《しり》をからげて逃げなすったか」
「そういうわけじゃあ……」
「これ、富蔵さん」
「へ……?」
「川へ落ちた手下の者を見捨てて逃げるとは、お前さんもずいぶん男を下げなすったものだ」
「ですが、あのときの様子をごらんになったら、きっと、相手の恐ろしさが……」
「小さな男が、そんなに怖いのかえ?」
「ありゃあ、人間じゃあございませんよ」
「ふうむ……」
煙草《たばこ》のけむりが、お崎のかたちのよい鼻の穴から細くながれ出た。
「ま、仕方がないことだねえ、富蔵さん」
「へ……」
「すんだことだもの」
「いえ、御隠居。今度こそは……」
「また、隠居あつかいにする。してはいけないといってあるはず」
「相すみません」
「わたしたお金《たから》は、そのまま、取っておきなさるがいい」
「ですが、あの……」
「失敗をしたのだから、残りの半金はあげませんよ」
「いえ、ですから……」
「もう、ようござんす。これからは私が一人でやってみましょう」
「まさか……」
「まさかも糸瓜《へちま》もない。三十俵の御家人に見返されたのでは、京桝屋の名にかかわります」
「では、どうなさるおつもりなんで?」
「まあ、見ておいでなさい」
煙管を、しゃれた更紗《さらさ》の煙草入れにしまって腰をあげたお崎が、
「このことは、くれぐれも内証に、ね」
「わかっておりますよ」
「ま、ゆっくりと飲んで行っておくれ」
いい置いて、お崎は座敷から出て行った。
ここは、京桝屋からも近い薬研堀《やげんぼり》にある〔鳥万《とりまん》〕という料亭の二階座敷であった。
どこかで、風鈴が鳴っている。
「ちぇ……」
舌打ちを洩《も》らした黒須の富蔵は顔の汗をぬぐい、手を叩《たた》いて座敷女中をよび、
「酒を、どんどん持ってこい」
と、わめいた。
ところで……。
川上角五郎にせよ、秋山小兵衛にせよ、六十をこえた京桝屋のお崎が、このようにおもいきった報復をおこなうとは、おもってもみない。
諸方の博奕場《ばくちば》へ出入りをしている川上だけに、いろいろとおもいあたることもあったので、
「これからは、博奕をつつしむがよい。いい年をして、せがれに笑われるばかりか、せがれを困らせることになるではないか。あのような無頼どもの手ごめにあったことが、もしも、お上《かみ》に知れて見よ。家は取り潰《つぶ》され、おぬしも切腹ということになりかねまい。どうじゃ、その手で、わが腹が切れるか」
と、秋山小兵衛に叱《しか》りつけられ、川上角五郎は、
「もう、こりごりです」
神妙の面《おも》もちであった。
川上も粗忽《そこつ》だが、京桝屋へ縁談をもちこんだ御家人の山田久蔵も、
「どうかしている……」
のである。
親しい川上角五郎が、しきりに、
「茶のみ友だちがほしくなった」
というものだから、親切にも気にかけているうち、京桝屋のお清が嫁ぎ先からもどって来たと聞いたので、
「どうだろう。私の知り合いで川上角五郎というのが、後ぞえをほしがっている。六十になりはしたが、まことに元気のよい男だし、気持ちもあたたかい」
と、もちかけた。
京桝屋与助は、相手が六十の老人だと聞いたので、これはてっきり義母のお崎だとおもいこんでしまった。
お崎はお崎で、意外にも、
「そういうお方があるのなら、一苦労してもよい」
と、乗気になったのだ。
まさに、これは山田久蔵の口が足りなかったといってよい。
川上角五郎に怒鳴り込まれて、山田久蔵も、
「これは困った……」
びっくりしたが、久蔵自身、お崎のことは念頭になかったのだから、すぐに京桝屋へおもむき、むしろ高飛車に、
「冗談もよいかげんにしろ。だれが、あの婆《ばあ》さんをもらいたがるものか。このはなしはないものとおもってくれ」
きめつけておいて、さっさと帰って来てしまったらしい。
これが、お崎の、
「癇《かん》にさわった……」
のである。
それから七日目の午後のことであったが……。
押上《おしあげ》村に住む実家《さと》の親類に祝い事があって出かけたおはる[#「おはる」に傍点]が、
「先生。おもしろいものを見てきましたよう」
縁側で、のんびりと爪《つめ》を切っていた秋山小兵衛へ声をかけながら、庭先へもどって来た。
「何を見てきたのじゃ?」
「帰りに、請地《うけち》の秋葉《あきは》さまへお詣《まい》りをしてきたのですよう」
「それが、どうした?」
「うふ、ふふ……」
「何が可笑《おか》しいのじゃ」
「だって、先生……」
請地村にある秋葉|大権現社《だいごんげんしゃ》は、遠州の秋葉権現を勧請《かんじょう》し、稲荷《いなり》の相殿《あいでん》としたもので、千代世《ちとせ》稲荷ともよばれている。
あたりの景観も、当時は田園そのもので、物の本にも、
「境内の林泉は幽邃《ゆうすい》にして、四時遊覧の地なり。門前には酒肆《しゅし》食店多く、おのおの生洲《いけす》をかまえて鯉魚《りぎょ》を蓄《か》う」
と、ある。
参詣《さんけい》をすませたおはるが惣門《そうもん》を出て、門前の鳥居を潜《くぐ》り、
「ひょい[#「ひょい」に傍点]と見ると……」
道をへだてた向う側の、茅《かや》ぶき屋根の風雅な料亭から、京桝屋《きょうますや》のお崎と川上角五郎が出て来たというのだ。
「ほんとうかえ?」
「あい」
おはるは、参詣の人びとの蔭《かげ》になっていたので、お崎と川上は気づくことなく、肩をならべるようにして立ち去った。
「肩をならべてじゃと……?」
「あい。何やら笑いながら、仲よさそうに……」
「ふうむ……」
小兵衛は、呆気《あっけ》にとられ、
「人ちがいではないな?」
「あの二人を見間ちがいするはずがありませんよう」
「それもそうじゃな」
「二人とも、いい年をして、ほんとうにいやらしい」
「ふうむ……」
「あきれてしまいましたよ、鰻《うなぎ》の旦那《だんな》には……だって、あんなに怒っていたのを、けろけろ[#「けろけろ」に傍点]と忘れ、六十|婆《ばあ》さんと昼間から酒なんかのんだりして」
「まったくなあ……」
どうも、わけがわからぬ。
「ほんとうに、ほんとうにいやらしい」
また、おはるがいった。
「それなら、六十をこえたわしが、お前と暮しているのも、いやらしいかえ?」
「いえ、六十をこしても、いやらしいのと、いやらしくないのがあるんですよう」
「ま、よいわ」
小兵衛が苦笑を浮かべ、
「手に持っているのは何だ?」
「ほら、これ……」
おはるが、竹籠《たけかご》の中から鯉《こい》を一匹、出して見せた。
秋葉権現社・門前の、別の料理屋の生簀《いけす》から買ってきたものらしい。
「ほう。これはよいな」
「洗いにして、あとは……」
「塩焼きがいいな」
「あい、あい」
小兵衛は、
(角め。いったい、どんなつもりでいるのだか……)
おもいはしたが、さほどの関心があったわけではない。
そんなことよりも、生まれたばかりの初孫《ういまご》の小太郎の顔を見に行くことのほうが、いまの小兵衛にとっては大事なのである。
しかし、それから五日ほど後に、またも小川宗哲を訪れると、宗哲は留守であった。
(このごろは宗哲先生、なかなかにいそがしいらしい)
あきらめて帰途についたが、この前、宗哲が留守のとき、京桝屋へ立ち寄ったことをおもい出した。
川上角五郎から、あの縁談を聞いたのも、そのときであった。
(ちょいと、立ち寄ってみるかな……)
小兵衛は急に、興味をおぼえて、両国橋を西へわたった。
「これはこれは、お暑うございますなあ」
京桝屋与助が、顔中を笑みくずして、小兵衛を迎えた。
「いつもの落雁《らくがん》をたのむ」
「もう、お切れに。早《はよ》うございますな」
「客が多くてのう」
「さようで」
与助が店の者へ、
「秋山先生の嵯峨《さが》落雁を……」
いいつけておいてから、顔を寄せてきて、
「先生。あれから、大変なさわぎになりまして……」
「あの一件かえ?」
「はい。どうも仲へ入った人の勘ちがいでございましてな。向うさまは義妹《いもうと》のお清が目あてだったのでございますよ」
「ははあ……」
と、小兵衛は、どこまでも知らぬ顔をしている。
「だれが、あんな婆さんをもらうものか、と、怒鳴り込まれまして……」
「それも、ひどいな」
「いえ、私のほうも、いささかあわてておりましたので」
「ふむ。それで?」
「それが、先生……」
と、京桝屋与助は、さもうれしげに、
「つまりは、このはなし、まとまったのでございますよ」
「どう、まとまったのじゃ?」
「うち[#「うち」に傍点]の隠居は、ことわられて、火がついたように怒り出しまして……」
「ふむ、ふむ」
「そのうちに、今度は自分から乗り出しました」
「ほう……」
「相手の川上角五郎という御家人へ、われから、はなしをつけにまいったのだそうでございますよ。いやはや、おどろきました、おどろきました。うふ、ふふ……」
与助は、おどろきながら、よろこんでいる。
「だが、どうやって、はなしをつけたのじゃ?」
「持参金でございます」
「何じゃと……」
「金二百両の持参金をもって行くならどうだと、うちの隠居が川上さんへかけ合ったのだそうで」
「なある……それで相手が承知をしたのか」
「はい、はい。隠居が出て行ってくれるなら、二百両は惜しいとおもいませんでございます」
「なれど、大した馬力じゃのう」
与助は、義母が黒須《くろす》の富蔵にたのみ、川上角五郎を襲わせたことは、まったく知らない。
「女の意地を立て通そうというわけでございましょうな。いや、どうも、あの年をして、大変な人でございます。自分の女房の母親ながら、実にまったく……」
「だが、意地だけでもあるまい」
「と、申しますと?」
「意地もあろうが、それだけでは……」
と、小兵衛が、しずかに茶をのみながら、
「ここの、亡《な》くなった先代の顔を、わしはよくおぼえているが、もしやして……その相手の川上何とやらいう御家人の姿かたちが、亡き先代に、どこか似ているのではあるまいかな」
「ははあ……」
口を開けたまま、しばらくは沈黙していた京桝屋与助が、ややあって、ぽんと膝《ひざ》を打ち、
「そういえば、背の高いところなど、似ているようにも……」
このごろは川上角五郎、京桝屋へもあらわれるらしい。
(角め、二百両の大金に組み敷かれたか)
それも、川上らしくてよいと、小兵衛はおもった。
「それで、御隠居の御輿《おこし》入れは、いつなのだえ?」
「昨日でございましたよ」
「早いのう、することが……」
「万事に、それ[#「それ」に傍点]なのでございます」
「ともかく、めでたい」
「ありがとう存じます。おかげさまで、家族から奉公人一同、生き返ったようになりましてございます」
「そうか、二百両な……」
「はい?」
「いや何、こっちのことだ。今日も暑いのう」
「私どもにとりましては、こんなに涼しい夏は、はじめてでございますよ」
さて……。
川上角五郎は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ、ふっつりと顔を見せなくなった。
「鰻《うなぎ》の旦那《だんな》、あんなに怒って見せた手前、先生に顔が合わせられないのですよう」
と、おはる[#「おはる」に傍点]がいった。
小兵衛は、もう、川上のことを気にとめていなかった。
この年の秋も終りのころの或《あ》る日。
浅草の元鳥越《もととりごえ》町に奥山念流の道場を構えている牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》を訪ねた小兵衛が、午後も遅くなって帰途についた。
御蔵前の大通りを浅草へ向って歩みつつ、
(そうじゃ元長《もとちょう》へ寄って、何か、うまいものがあったら、おはるへみやげ[#「みやげ」に傍点]にしてやろう)
そうおもったとき、にわかに雨が叩《たた》いてきた。
(だれやらの句に、飼猿《かいざる》の引窓つたう時雨《しぐれ》かな……と、いうのがあったな)
とても〔元長〕まではもたぬので、小兵衛は、諏訪《すわ》町の角にある〔小玉庵《こだまあん》〕という蕎麦《そば》屋へ飛び込んだ。
その後から、つぎつぎに、時雨をやり過そうとして、客が入って来た。
秋山小兵衛は、入れ込みの奥の席を目ざして土間をすすみ、
「や……」
目をみはった。
奥の席に、川上角五郎が盃《さかずき》を口にしているではないか。
「あっ、先生……」
川上も、びっくりして腰を浮かせた。
見ちがえるほどに、身なりがととのってい、袴《はかま》をつけている。
髪の手入れもゆきとどき、髭《ひげ》もきれいに剃《そ》っている川上を、まじまじと見やった小兵衛が、
「ほう。茶のみ友だちをもらって、男振りがあがったのう」
「せ、先生……」
弱り切った川上へ、
「そこへ坐《すわ》っていいかえ」
「は、どうぞ。どうぞ」
「では、ごめんよ」
「まことにもって、その節は……」
「そんなことはどうでもよい」
「ま、先生。一つ」
小兵衛へ酌《しゃく》をしておいて、川上は小女《こおんな》をまねき、酒をいいつけた。
「まことにもって、御無沙汰《ごぶさた》をいたしまして……」
「何の……」
今度は小兵衛が酌をしてやりながら、
「どうだえ。茶のみ友だちと、お前さんのせがれとの間は、うまくいっているのかえ?」
「それが先生。せがれは、もう、すっかり、お崎に懐《なつ》いておりましてな」
「ほう……」
「というよりも、すっかり、お崎にまるめこまれてしまいましたよ」
「ならば結構」
「はあ……」
身ぎれいになったのはよいが、川上角五郎、大分に窶《やつ》れているようだ。
(角め。何だか脂《あぶら》っ気《け》がぬけてしまったような。鰻の頭どころではない。目刺の頭になってしまったわえ。なるほど、あの婆さんを茶のみ友だちにしたのでは、二百両の持参金を博奕《ばくち》につかうわけにもまいるまい)
そうおもいながら、小兵衛が無言で酒をのみはじめると、川上が何か、うったえかけるように、
「秋山先生……」
「どうした?」
「はあ……」
「妙な男じゃな。躰《からだ》のぐあいでも悪いのか?」
こたえるかわりに川上は、深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐いた。
小兵衛は、知らぬ顔をしている。
すると、また、たまりかねたかのように川上角五郎が、
「先生……」
「うむ?」
「お崎の持参金のことが、お耳に入っていましょうな?」
「ああ、聞いたよ」
「先生もひどい。京桝屋《きょうますや》のことは、よく御存じだったというではありませんか」
「まあ、な……」
「さぞ、私をお見下げでしょうな?」
「そんなことはない。これからの世の中は、もう侍も町人もないのじゃ。二百両の持参金を背負《しょ》った茶のみ友だちなど、鉦《かね》や太鼓で探してもあるものじゃあない。それだけ、お前さんが見込まれたのだ。いや、立派なものじゃよ」
「茶化しているのですか?」
「茶化されたいのか」
「あっ……怖いなあ、先生。そんな眼《め》で睨《にら》まれては、むかし、辻《つじ》先生の道場で、さんざんに打ち叩かれたことをおもい出します」
「ふん……」
「ともかくも、困りました」
「六十|爺《じじい》が困ったなどというのは見っともないぞ」
「ですが……」
「どうした?」
「似ていると申すのです」
「だれが、だれに?」
「私が、その、京桝屋の先代に……」
「茶のみ友だちが、そういったのかえ?」
「はあ。むかしを、おもい出すと申しましてなあ」
「ふうん……」
「それで、その……」
「早くいえ」
「おもい出して、その、婆《ばあ》さんが私に、添い寝をせがむのですよ先生。これにはまったく、困ってしまいましてなあ」
雨音が引いて行った。
「女という生きものは、実にどうも、恐ろしいものですなあ」
秋山小兵衛は立ちあがり、
「惚気《のろけ》ついでに勘定をたのむ。婆さんの顔へ袱紗《ふくさ》でもかぶせて、添い寝をしておやり」
しょんぼりとしている川上角五郎を置き去りに、さっさと外へ出て行った。
助太刀
(ほう……一年ぶりだな)
夏の或《あ》る日、夕暮れも間近い時刻に、柳原土手を歩んでいた秋山大治郎は、彼方《かなた》を見やって、なつかしげに目を細めた。
堤の草の上に筵《むしろ》を敷いて坐《すわ》り込み、その前に扇子や団扇《うちわ》を並べて売っている男を見たからである。
まさに、見おぼえがあった。
五十を三つ四つは出ていようか、ずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]とした躰《からだ》に洗いざらしの単衣《ひとえ》をまとい、白いものがまじった総髪《そうがみ》の頭、ふとくて長い鼻、その口元は、
「千両箱を積まれても開くのは嫌《いや》……」
とでもいいたげに、かたくかたく引きむすばれている。
そして腰には、短刀ひとつ帯びていない。
去年のいまごろ、この柳原土手で秋山大治郎は、この男から扇子を一つ、買いもとめた。
扇子と団扇の絵は、この男の手描《てが》きらしい。
何気なく立ちどまって、売り物の扇子の一つに、大治郎はこころを惹《ひ》かれた。
その扇子には、奔放な筆遣いで、蝸牛《かたつむり》が一つ描いてあった。そのほかには、
〔牛〕
の一字が、片隅《かたすみ》にしたためられているのみである。
「いかほどでしょう?」
声をかけた大治郎へ、その男が、
「おこころまかせ」
とのみ、こたえた。
しばらく考えたのち、大治郎は五十文ほどを男の前へ置き、立ち去ったのである。
ちょうど、その翌日に父の秋山|小兵衛《こへえ》が孫の小太郎の顔を見に来たので、件《くだん》の扇子を見せると、
「ふうむ……」
小兵衛は、しばらくの間、凝《じっ》と扇面の蝸牛を見つめていたが、
「この絵を描いた男は、なかなか修行を積んでいるようじゃな」
「父上も、さようにおもわれますか」
「お前も?」
「はい」
小兵衛が「修行を積んだ……」といったのは、むろん、絵の修行のことだと大治郎はおもっていた。
「その、扇子・団扇を売っていた男が、まことに自分《おのれ》の手で描いたものか?」
「それは、わかりませぬが……」
「年配は?」
「五十をこえておりましょう」
「ちょ[#「ちょ」に傍点]と、顔を見たいな」
小兵衛は興味をそそられたらしく、その足で出かけたが、帰りにまた立ち寄って、
「出ていなかったわえ」
と、告げた。
翌日は田沼屋敷の稽古日《けいこび》で、その帰途、柳原土手へ足を運んでみたが、やはり出ていない。
以来、大治郎は今日まで柳原土手に、この男を見かけることはなかった。もっとも毎日、柳原土手へ行ってみたわけではないが……。
そして、いま、大治郎は一年ぶりに、扇売りの男の前に立った。
夏の蔬菜《そさい》など描いたものの中に、あの蝸牛の扇子も二、三あった。
「去年、蝸牛の扇子をいただいたものです」
すると男は、かぶっていた菅笠《すげがさ》をあげ、大治郎を見たが、わずかに頭を下げた。
父のために蝸牛の扇子、自分は富士と筑波《つくば》の両山を描いた扇子をもとめ、男に問いかけもせず一分《いちぶ》を前においた。
金一分といえば、扇子二つの代金ではない。たとえば、大治郎の袴地《はかまじ》の代価といってよい。
しかし、男は、
「これでは多すぎます」
ともいわず、無言で頭を下げた。
「明日も、此処《ここ》におられますか?」
と、大治郎が尋ねたのは、父が、この男の顔を見たいだろうとおもったからだ。
(さあ……?)
というように、男はくび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げていたが、ややあって、うなずいて見せた。
このとき、日に灼《や》けつくした顔の、瞼《まぶた》の底へ埋め込まれたかのような男の両眼が、わずかに光をたたえたかにおもえた。
「では……」
秋山大治郎は、男へうなずいて見せ、二つの扇子をふところに、この場を離れた。
異変は、その少し後で起った。
そのとき大治郎は、堤の上の道を浅草御門の方へ向いつつあった。
と……。
背後に、人の叫び声を聞いた。
通りかかった女の悲鳴に近い声と、荒々しい男の怒声が入りまじって聞こえたので、おもわず振り返って見て、
「や……?」
はっ[#「はっ」に傍点]と向き直った。
扇売りの男へ、三人の侍が躍りかかり、蹴《け》ったり殴りつけたりしているのが見えたからだ。
男は、まったく抵抗をしめさなかった。
売りものの扇子や団扇《うちわ》を踏み躙《にじ》られ、たちまちに鼻血をながし、頭を抱えてうずくまった。
「こやつめ!!」
「癖になるから、半死半生の目にあわせてくれる」
「よし!!」
三人の侍は口々に罵《ののし》りつつ、暴行をはたらいた。
「何をする!!」
疾風のごとく駆けもどってきた秋山大治郎が侍の二人を突き飛ばして、
「乱暴をなさるな」
うずくまったままの男を庇《かば》い、立ちはだかった大治郎へ、
「何だ、おのれは……」
「退《ど》けい!!」
「おのれの知ったことではないわ!!」
大治郎は、苦笑した。
袴《はかま》をつけ、両刀を帯した侍たちが、まだ人通りも絶えぬ場所で、弱い者に暴行をはたらき、いささかも羞《は》じないのである。
「こやつ、笑ったな」
大治郎の苦笑が、三人の怒りをさそったらしい。
三人が、ぱっと飛び退《しさ》って大刀の柄《つか》へ手をかけた。抜刀して大治郎へ斬《き》りつけるには、あまりにも間合《まあい》が近すぎたからであろう。
三人は、抜きはらった大刀の峰を反《かえ》した。
堤の上にも、下の道にも、通行の人びとが見ているだけに、大治郎を斬殺《ざんさつ》する気はないらしいのだが、それがまた笑止なことではある。
まさに段ちがい。大治郎の相手になれるような三人ではない。
「おやめなさい」
一歩出た大治郎へ左手の一人が打ち込んできたが、ほとんど大治郎の躰《からだ》がうごいたとは見えぬのに、
「むうん……」
そやつは大刀を落し、大治郎の肩へ抱きつくようにして、ずるずると膝《ひざ》をつき、倒れ伏してしまった。当身をくらったのだ。
残る二人は、顔面|蒼白《そうはく》となった。
見物の人びとが、讃嘆《さんたん》の声をあげる。
「さ、連れて帰りなさい」
倒れた侍の襟《えり》をつかみ、二人の前へ引き擦って行くと、二人は刀を構えたまま後退した。
それには目もくれず、大治郎が、扇売りの男へ、
「大丈夫ですか?」
気づかわしげに声をかけた。
男は懐紙を出して鼻血をぬぐいつつ、
「はい」
と、こたえた。
気絶した侍を肩にかけ、二人の侍が堤の道を逃げて行きはじめた。
見物が、これに嘲笑《ちょうしょう》をあびせかけた。鼻血をぬぐい終えてから、男は坐《すわ》り直し、
「かたじけのうござった」
しずかに礼をのべ、手をついて頭を下げた。
折目正しい態度で、自分へ向けた男の顔には、あきらかに好意の微笑が浮かんでいるのを、大治郎は知った。
あれだけの暴行を受けながら、男は落ちつきはらっている。
大治郎へ礼をのべると、草や土の上に乱れつくしていた扇子と団扇を小さな葛籠《つづら》のような箱へ仕まいこみ、これを大風呂敷《おおぶろしき》で包み、筵《むしろ》を巻きおさめた。
「いまの侍たちに、おこころあたりは?」
この大治郎の問いかけに、男はうなずいて見せた。
彼らの暴行に、
「おぼえがある」
と、いうことらしい。
荷物と筵を背負い、太目の杖《つえ》を手にして立ちあがった男が、秋山大治郎を凝《じっ》と見つめ、
「お見事でござった」
こういって軽く一礼し、笠《かさ》をかぶりながら堤を下って行く。
その足許《あしもと》に、まったく乱れがない。
ここにいたって大治郎は、はじめて、父・小兵衛の「修行を積んだ……」といった言葉の意味がわかったような気がした。
小兵衛は、絵の修行についてではない。剣か槍《やり》か、いずれにせよ、武道の修行のことをいったのであろう。
(自分は、差し出たまね[#「まね」に傍点]をしたのやも知れぬ……)
男は殴られても蹴られても抵抗をせず、しかも、急所に打撃を受けぬようにしていたにちがいない。なればこそ足許も乱れないのだ。
だが、大治郎が手出しをしなかったら、どうしたろう……。
逃げたか。または侍たちの暴行が熄《や》むまで堪《た》えつづけたか。それとも堪《こら》えかねて反撃したろうか……。
それよりも、何故《なぜ》、あのような侍たちの暴行を黙って甘受していたのだろう。
扇売りの男への興味が、急に大治郎の胸へ湧《わ》きあがってきた。
柳原土手に、夕闇《ゆうやみ》が淡くただよいはじめている。
堤の下の道を、空荷を担《かつ》いだ水売りが通り過ぎて行く。
散りはじめた見物の人びとの後から、堤を下った大治郎が、男の後を追った。
しかし、寸時のためらいがあったので、夕暮れどきのあわただしい人通りの中へ消えた男を見失ってしまった。
翌日。この日は田沼屋敷の稽古日《けいこび》ではなかったけれども、秋山大治郎は自分の道場で、飯田粂太郎《いいだくめたろう》や笹野《ささの》新五郎を相手に稽古に励んでいたが、木太刀《きだち》を揮《ふる》っていても、扇売りの男のことが気になって仕方がない。
昨日、大治郎が「明日も、此処《ここ》におられますか?」と尋ねたら、男はうなずいた。三人の侍から暴行を受けたことゆえ、それもわからぬが、
(何としても会ってみたい。そして、語り合ってみたいものだ)
昼になると、たまりかねて、
「後をたのむ。日暮れまでにはもどる」
水を浴びて着替えをし、家を出た。
ちかごろは、大治郎の評判を耳にして、旗本の子弟が合わせて七人ほど稽古に来る。大治郎がいないときは笹野新五郎が稽古をつけている。
この日は、秋山小兵衛が大治郎宅へ顔を見せなかった。
(父上をさそい出そうか……)
とも考えたが、それも面倒になり、大治郎は柳原土手へ急いだ。
目も眩《くら》むような夏の午後の陽光の下、柳原土手には歩む人影も見えなかった。
日ざかりの一時《ひととき》には人の足も絶える。
だが、堤に植え込まれた柳の木蔭《こかげ》に憩《いこ》う人たちへ、水売りがまわっていた。
昨日と同じ場所の、柳の木蔭に扇売りの男の姿はなかった。
(やはり、来ていない……)
失望の吐息を洩《も》らし、大治郎が其処《そこ》に佇《たたず》んでいると、
「もし……もし、昨日のお侍さまではございませんか?」
下の道から堤へあがって来た老爺《ろうや》が、声をかけてきた。
この老爺は、神田《かんだ》・豊島《としま》町一丁目の、柳原土手に面した一角に〔芋酒・加賀や〕と染めぬいたのれん[#「のれん」に傍点]をかけている小さな居酒屋の亭主で、伊平《いへい》という老爺であった。
伊平は、昨日も堤の下の道を通りかかり、大治郎が三人の侍を追いはらったのを目撃していたとのことだ。
それと聞いて大治郎が、
「あの人《じん》は、時折、このあたりで扇子などを売っておられるのか?」
「さあ……一夏《ひとなつ》のうち、二度か三度でございましょうね。他《ほか》の場所をまわっているのかも知れません」
「今日は、見かけなかったかね?」
「先刻《さっき》、下を通ったときには見えませんでございましたよ」
「さようか……」
「あの先生を、お探しでございますか?」
「む……いや、その、あと二つ三つ、扇子をもとめたいとおもったのだ」
「それはそれは。それはさておき旦那《だんな》。昨日は、あの扇売りの先生を、よく助けて下さいました。まったくどうも、あまりにお見事な……」
「もう、よい」
苦笑して手を振る大治郎へ、伊平が、
「あの三人のやつらが、なぜ、あんな乱暴をはたらいたか、御存知ですかえ?」
「お前さんは知っているのか?」
「ええ、もう……」
「そうか。それは、いったい、どういうわけなのだね?」
おもわず大治郎は、老爺へ近寄って行った。
「一昨日《おととい》のことでございましたが……」
「ふむ、ふむ」
一昨日の午後も、扇売りの男は柳原土手に出ていた。
そこへ、昨日の三人侍のうちの一人が通りかかった。侍は酒気を発していた。
そのとき伊平は、しゃがみ込んで、自分が買う団扇《うちわ》をえらんでいた。
「へい、私は、あの先生の絵が大好きでね。去年も今年も何本か買いましたよ」
と、伊平は大治郎にいった。
酔った侍は立ちどまって、
「おい。その富士を描いた扇子を買ってやる。こっちへ出せい」
と、横柄《おうへい》きわまる態度でいった。
すると扇売りの男は、侍を見あげて、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。
「何、売らぬというのか?」
扇売りが無言でうなずく。
「こやつ、売り物を何故、売らぬ」
また、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振る。
侍は喚《わめ》き、罵《ののし》るのだが、扇売りは平然として相手にもせぬ。
そのうちに、供をつれて土手を通りかかった老武士や、町人たちが何事がはじまったかと近寄って来たので、侍は手出しをするわけにもいかず、
「こやつ。おぼえておれよ!!」
怒りの声を残して立ち去った。
「昨日は、その仕返しにやって来たのでございましょうよ」
と、伊平が、
「ああ、これで、あの先生も来年まで、此処へは顔を出しますまい」
「あの三人の侍たちは、どこの者だろう?」
「え、ありゃあね……」
「知っているのかね?」
「知っていますとも。松永町の酒井忠兵衛という先生の剣術道場へ稽古に来ている連中でございますよ」
「ほう。松永町に、そんな道場があったのか……」
それから大治郎は、伊平にさそわれ、この老爺の店へ立ち寄った。
いかにも小体《こてい》な店だが、掃除も行きとどいており、
「私は独り暮しでございましてね、気が向かねえと店を開けません」
「ほう……」
伊平が冷酒《ひやざけ》を出してくれ、自分もぐいぐいと飲む。
「のれん[#「のれん」に傍点]に出ている芋酒というのは、どんなものなのか?」
「山の芋を摺《す》りましてね、これへ酒を入れるので。へえ、つまり練り酒みたいなものでございますがね。こいつをやったら、旦那なぞは五人でも十人でも平気でございますよ」
「五人でも十人でもとは……喧嘩《けんか》のことか?」
「じょ、冗談じゃあございません」
ぷっと吹き出した伊平が、
「旦那には恐れ入りました。へい、ま、喧嘩のようなものにはちがいない、男と女のね」
ようやく、大治郎にもわかった。
顔を赤らめて茶わんの冷酒を口にふくむ大治郎を見やった伊平が、もう心安立てになってしまい、
「いやあ、どうも、旦那はいい方[#「いい方」に傍点]でございますねえ」
惚《ほ》れ惚《ぼ》れといったものだ。
こうして、芋酒屋の伊平と秋山大治郎との交誼《こうぎ》が生まれることになる。
したがって秋山小兵衛も、伊平を知ることになるわけだが、それはさておいて、
(あの扇売りの人には、当分、会うこともあるまい)
と、伊平同様にあきらめていたし、この日の帰途、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ立ち寄り、昨日の一件を父に語ったわけだが、おもいもかけず、それから数日後に、大治郎は扇売りの男と出合うことになる。
その日、田沼屋敷の稽古日《けいこび》ではなかったので、自分の道場での、早朝の稽古をすませてから、大治郎は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅へおもむいた。
前の日に、おはる[#「おはる」に傍点]がやって来て、三冬に、
「うち[#「うち」に傍点]の先生、裸で昼寝なんかするものだから、夏風邪をひいてしまったんですよう」
と、洩《も》らしていたと聞いたからである。
「いや何、大したことはない」
秋山小兵衛は、涼しい風が吹きぬける居間へ臥床《ふしど》をのべ、その上で手紙をしたためながら、庭先へあらわれた大治郎に、
「なれど、わしも若いころとはちがう。実は明日、千駄《せんだ》ヶ谷《や》の隠宅に住む旧友|松崎助右衛門《まつざきすけえもん》殿に招かれ、一夜、泊りがけでゆっくりと酒を酌《く》みかわす約束をしていたのじゃが……ま、むり[#「むり」に傍点]をすまいとおもってな」
「では、それが断りの御手紙ですか?」
「そうさ。おはるに駕籠駒《かごこま》まで持たせてやればよい」
浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠屋〔駕籠駒〕の駕籠|舁《か》きは、これまでに何度も小兵衛を乗せて松崎家へ行っているから、手紙を届けさせるにも都合がよい。
「いや、父上。その御手紙は私が松崎様へ届けましょう」
と、大治郎がいい出た。
「ま、よいわえ、何もお前が……」
「いえ、久しぶりに、お目にもかかりたいとおもいます」
「ふうむ、そうか。それではたのもうか」
「はい。そのかわり母上に、このことを三冬へ……」
「よいとも、引き受けた」
小兵衛は手紙を書き終えて、おはるに小さな柄樽《えだる》の酒を持って来させた。
「ちょうどよい。昨日、元長《もとちょう》から届いた酒じゃ。これを助右衛門殿へお届けしておくれ」
「承知しました。では、行ってまいります」
「すまぬのう」
「いや、何……」
立ちかける二十九歳の息子に、小兵衛が、
「あ、ちょいと待て」
「何か……?」
「うむ、ちょいと……」
いいさして、小兵衛が紙入れから小判一両出して紙へ包み、
「大治郎」
「はあ?」
「お使い賃をやろう」
にっこりと笑いかけた。
「これは、どうも……」
「さ、受け取れ」
「一両などと、多すぎます」
「ま、よいではないか。取ってくれ」
「父上に、このようなものをいただくのは、久しぶりのことです」
大治郎は、しきりに照れた。
「なればよ。わしも久しぶりにやってみたかったのじゃ」
「では、いただきます」
金包みを押しいただく大治郎へ、おはるが、
「よかったねえ、若先生」
などというものだから、大治郎は尚更《なおさら》に照れてしまい、そそくさ[#「そそくさ」に傍点]と庭先へ降りて行った。
その、たくましい背中へ、
「大治郎。駕籠駒から乗って行けよ」
小兵衛が声を投げたけれども、もとより大治郎は駕籠を使うつもりはない。
早い足取りで、一気に千駄ヶ谷の松崎家へ到着し、
「ま、ゆるりとしてまいられよ」
しきりに、松崎助右衛門がすすめるので、遅目の昼餉《ひるげ》を馳走《ちそう》になり、小太郎の成長ぶりなどを報告してから、辞去した。
「二、三日うちに兄の屋敷へまいるので、その折、鐘ヶ淵へ参上すると小兵衛殿へおつたえあれ」
「はい」
「どうかな、小兵衛殿は初孫《ういまご》の名に馴染《なじ》んだようかの?」
「はい。よくよく考えてみると、悪くない名前じゃ、などと申しまして……」
「は、はは……危く、鯉太郎《こいたろう》とか鯛之助《たいのすけ》とか、魚の名前をつけられるところであったの」
「松崎様のお口添えがあったので、父もあきらめてくれました。まことに、かたじけなく……」
「いや、何……」
「では、これにて」
「はい、はい」
大治郎が松崎家を出たのは、八ツ半(午後三時)前であったろう。
(そうだ……)
大治郎は、ふと、おもいついた。
帰途、団子坂の杉本道場へ立ち寄ってみる気になったのである。
このところ、杉本又太郎は秋山|父子《おやこ》のところへ、あまり顔を見せない。
(まさかとはおもうが、躰《からだ》でもこわしたのではあるまいか……?)
かねてから、気になっていたのだ。
ところで……。
このときの秋山大治郎の脳裡《のうり》へ、杉本又太郎のことがおもい浮かばなかったら、事態は別の方向へうごいていたろう。
いや、秋山大治郎の身にとっては、
「何事も起らなかった……」
と、いってよい。
大治郎は四谷《よつや》、牛込の町々を北へ抜け、牛込・天神町へ出た。
このあたりは幕府の組屋敷や旗本の邸宅が多い。
その一角からあらわれた二人の侍が、向うの道を通り過ぎる大治郎の横顔を見かけて、
「あっ……」
「彼奴《きゃつ》め」
あわてて、傍の御先手組《おさきてぐみ》の組屋敷の塀《へい》へ身を寄せ、
「此処《ここ》で出合おうとはおもわなかった」
「後を尾《つ》け、居所《いどころ》をつきとめてくれよう」
「よし」
この二人の若い侍は、去る日、柳原土手で扇売りの男へ乱暴をはたらき、大治郎に追い払われた三人のうちの二人であった。一人は名を中村|栄五郎《えいごろう》、別の侍は赤井|勘蔵《かんぞう》といい、ともに、この近くに屋敷を構える五百石の旗本の長男だ。
あのとき、大治郎に当身をくらって気絶し、落した大刀もそのままに、中村と赤井に担《かつ》がれて逃げた別の一人は、二千五百石の大身《たいしん》旗本の子息・高田|平馬《へいま》といい、屋敷は神田《かんだ》・駿河台《するがだい》にある。
この三人が、神田・松永町の酒井忠兵衛道場の門人であることは、すでにのべた。
秋山大治郎は、中村・赤井の尾行に気づかず、中里町を過ぎた。
前面は宏大《こうだい》な田地と木立がひろがり、遠い彼方《かなた》に崇伝寺の大屋根がのぞまれた。
大治郎は、小川に沿った道を東へ向いつつあった。
夏の盛りのことで、あたりは真昼のように明るいが、この時刻ともなればさすがに日の光りは弱まり、微風が涼しい。
小川の道を行き交う人の足も絶えてはいず、かなりの距離をおいて尾行して来る中村と赤井には気づかぬまま、大治郎は歩みつづけている。
その大治郎の足が、ぴたりと止まったのは尾行に気づいたからではない。
左手の木立の中で、激しい気合声と刃《やいば》の打ち合う音を耳にしたからだ。
(斬《き》り合いか……?)
そこは秋山大治郎も剣客《けんかく》である。
左の畑の中の小道が木立の中へも通じている。
木立の中に、小さな百姓家が一つ。
家というよりも小屋に近い。
以前は、出作り小屋だったのであろう。
屋根も板ぶきの小屋の前が二十坪ほどの草地になってい、そこの夏草を刈り取って、二人の男が真剣を構え合っていた。
一人は、まだ少年の面影《おもかげ》を残している若者。
そして一人は、あの扇売りの男ではないか。
「あ……」
木蔭《こかげ》から、おもわず声をあげた大治郎へ振り向いた扇売りの男が、目をみはった。
咄嗟《とっさ》に、何故《なぜ》、大治郎が此処《ここ》にあらわれたのか、見当がつかなかったのであろう。
若者は刀を引いた。決闘をしている様子ではない。真剣で形をつかっていたのでもあろうか。
「此処に、お住いでしたか」
男は、怪訝《けげん》そうにうなずいたが、
「実は、通りかかって刃の音が耳に入りましたので……」
と、大治郎がいったので納得したらしく、
「先日は、お世話になり申した」
丁重に一礼し、若者に|めくばせ[#「めくばせ」は「目+旬」、第3水準1-88-80]《めくばせ》をした。
若者も大治郎に一礼し、小屋の中へ入って行った。
「ま、こちらへ……」
「かまいませぬか?」
「さ、どうぞ」
口は重いが、男は先に立って、小屋の前に置かれた大きな縁台へ大治郎をいざなった。
去年、今年と三度目の出合いだけに、男も大治郎に気をゆるしはじめたように看《み》えた。
「私、林|牛之助《うしのすけ》と申します」
はじめて、男が名乗った。
(なるほど。それで扇子に牛[#「牛」に傍点]の一字がしたためられてあったのか)
そうおもいながら、大治郎も名乗った。
すると、林牛之助が凝《じっ》と大治郎を見つめ、
「もしや、秋山小兵衛先生に、何ぞ縁《ゆかり》が?」
「父です」
「小兵衛先生が……さようでしたか」
「父を御存知で?」
「さよう、もはや十六、七年前になりましょうかな。たしか、四谷仲町《よつやなかまち》のあたりに道場を構えておられたかと……」
「はい。そのとおりです」
「その折、二、三度、秋山先生道場の前を通りかかり、武者窓の外から小兵衛先生の御稽古《おけいこ》を蔭《かげ》ながら拝見し、感服いたしたことをおぼえています」
「さようでしたか……」
おもわず、大治郎の声が弾《はず》んだ。
「小兵衛先生は、あの……」
「父は元気でおります」
「さようでしたか。実は、その後、長い旅に出ましてな。三年ほど前に、また江戸へ出てまいったのですが、四谷の秋山道場がなくなってしもうたので……」
「はあ。いまは鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅に暮しております」
そこへ、若者が茶を運んで来た。
林牛之助は、大治郎へ、
「この者は理由《わけ》あって、いま手許《てもと》に引き取っています」
こういって若者へ、まためくばせ[#「めくばせ」は「目+旬」、第3水準1-88-80]をした。
若者は頭を下げ、
「中島|伊織《いおり》と申します」
と、名乗った。
「秋山大治郎です」
林牛之助は、大治郎が秋山小兵衛の息《そく》と知って、まったく警戒を解いてしまったらしく、若者が小屋の中へもどって行くのを見すましてから、
「あの若者、父の敵《かたき》を討つ身でしてな」
「さようでしたか……」
大治郎の面《おもて》が、わずかに引きしまった。
このとき、大治郎を尾行して来た中村と赤井はどうしたろうか。
二人は、大治郎が木立の中へ入って行き、林牛之助と共に縁台へかけるのを木蔭から見とどけるや、すぐに畑の道へ引き返した。
「おどろいたな」
「扇売りの男が、かようなところに住んでいようとは、な」
「あの若いやつは、だれだろう?」
「扇売りのせがれではないのか」
「なるほど」
「さて、どうする?」
「いずれにせよ、高田|平馬《へいま》に知らせてやらなくてはなるまい」
「此処の見張りは、どうする?」
「そうだな……」
二人は、ささやき合いながら、小川沿いの道へもどった。
「扇売りの男も憎いが、怪《け》しからぬのは、高田平馬を倒したやつだ。平馬の父御は激怒されている。彼奴《きゃつ》めの居所をつきとめたなら、いかようにも手をつくして討ち取るつもりらしいぞ」
「おもしろくなってきたな」
「だが、よほどに、うまくやらぬと、これから先、後を尾《つ》けるのはむずかしい」
「うむ……」
日も、かたむいてきはじめた。
人の足が絶えてしまい、夕闇《ゆうやみ》が濃くなれば、却《かえ》って尾行や見張りの気配を隠すことができなくなる。
こちらの姿は見えずとも、相手は気配を感じて警戒する。
ともかくも扇売りの男の居所をつきとめたのだから、先《ま》ず、同門の高田平馬へ知らせることに決め、中村が走り去った。
その後で赤井は居残り、遠くから見張りをつづけた。
秋山大治郎が、林牛之助と中島伊織に見送られ、木立からあらわれたとき、まだ、あたりは明るかった。
赤井は、
(尾けられるだけは尾けてみよう)
と、おもった。
一定の距離を隔てての尾行が不可能となったら仕方もない。
大治郎は、団子坂の杉本道場へ立ち寄ることをやめ、林牛之助との再会を父・小兵衛に告げようと足を速め、牛込の改代《かいだい》町へ出た。
ここまで尾行して来た赤井は、折しも通りかかった町|駕籠《かご》を見て、
(これはうまい)
すぐさま呼びとめて乗り込むや、
「酒手をじゅうぶんにつかわすゆえ、向うへ行く、あの背の高い侍の後を、うまく尾けてくれ」
と、いった。
こうして赤井は、大治郎が鐘ヶ淵の隠宅へ入るのを見とどけたのである。
もっとも、それには大骨を折った。
大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を越えてからは、駕籠|舁《か》きが赤井を残して、大治郎を尾行したりした。
赤井の懐中にあった金では、駕籠舁きが承知をしなかったので、帰りには駕籠を駿河台《するがだい》の高田屋敷へ着けさせた。
これより先、中村の知らせを聞いた高田平馬の父・高田|壱岐守《いきのかみ》は、
「この高田家の跡継ぎが名も知れぬ浪人に恥辱を受けては捨ておけぬ。このことが世上に洩《も》れてみよ。わしの面目が立たぬ」
というので、みずから指図をし、諸般の仕度に取りかかっていた。
こうしたわけだから、むろん、駕籠舁きへ渡す金は高田家から出たのである。
そのころ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅では、夕餉《ゆうげ》の後も秋山|父子《おやこ》が酒を酌《く》みかわしながら、語り合っている。
「ふうむ。すると、林|牛之助《うしのすけ》は、中島|伊織《いおり》の敵討《かたきう》ちの助太刀をしてやるつもりなのか……」
「そのようにおもわれます」
牛之助が伊織を知ったのは、四年前の夏であったそうな。
場所は、中仙道《なかせんどう》の鳥居峠《とりいとうげ》で、夕闇《ゆうやみ》がせまる峠道で、当時十五歳の中島伊織が途方に暮れて立ちつくしていた。
その傍に、息絶えた若い侍が横たわっており、これが伊織の兄の中島|佐太郎《さたろう》であった。
峠道をのぼっているとき、突然、中島佐太郎に心ノ臓の発作が襲いかかったらしい。それこそ「あっ……」という間に、佐太郎は少年の弟を残し、冥土《めいど》へ旅立ってしまったのだ。
そこへ通りかかった林牛之助が、見かねて遺体の始末をしてやり、伊織から事情を聞いた。
「林殿は、くわしく語りませぬでしたが、中島兄弟は、五年前から国許《くにもと》を出て、父御の敵を追うていたらしいのです」
「では、旅へ出て一年目に、兄のほうが急死したことになるのう」
「はい」
「国許とは?」
「それは、ついに打ち明けませぬでした」
「うむ。敵討つ身なれば、打ち明けぬが当然であろうよ。なるほど、それで、扇売りなどをしながら、中島伊織の敵を探しもとめているのか……」
林牛之助は書も絵も達者なので、扇売りのみか、小さな商家の看板や張り札などを書いて暮しているらしい。
「それにしても、中島兄弟には国許の親類どもがおらぬのか。兄に死なれた年少の者を助けてやらなんだのか……」
「身寄りも少ない上に、討たれた父御の身分が低く、それに引きかえ、討った敵のほうは藩の重役の縁者だとか……」
「なるほど。それはいかぬなあ」
「なれば、弱い者を理不尽に討ったらしくおもわれます」
「そんなぐあいでは、その中島伊織という若者が、首尾よく敵を討って国許へ帰っても、うまく行くかのう」
「伊織は国許へ帰らぬつもりらしいのです」
「ほう……?」
「よほど、肚《はら》に据《す》えかねたことがあるのでしょう。それだけに、なんとしても敵を討ち、父と兄の恨みをはらしたいと申しているそうです」
「それで、敵の手がかりは、まだつかめていないのかえ?」
「それは、そうでしょう。敵の居所がわかっていれば、林殿が助太刀をして打ち込みましょう」
「ま、それはそうだが……」
「いまにしてわかりました。林殿が三人の侍に柳原土手で乱暴されても、凝《じっ》と堪えていたのは、中島伊織の本望をとげさせる前に、事件《こと》を起してはならぬとおもわれたからでしょうな」
「いかにも、な」
この夜、大治郎は隠宅へ泊ることにした。
久しぶりに、ゆっくり、父と語り合いたい気分になってきたのは、林牛之助との再会に興奮していたからでもあろう。
それというのも、おはる[#「おはる」に傍点]が日中に大治郎宅へ行き、小兵衛の使いで松崎|助右衛門《すけえもん》宅へ出向いたことを告げ、
「もしかすると、松崎様に引き止められ、向うへ泊るようになるかもしれないと、うち[#「うち」に傍点]の先生がいってなさいましたよ」
三冬へ念を入れておいたと聞いたからでもある。
五ツ半(午後九時)ごろになると、秋山小兵衛が、
「おはる。後は、わしがやるから、先へおやすみ」
こういって、おはるを寝かせてしまい、瓜《うり》の塩漬《しおづけ》に梅干を肴《さかな》に、尚《なお》も酒を酌みかわしつつ、大治郎と語りつづけた。
そのころ……。
林牛之助は、一間《ひとま》きりの小屋の中で、中島伊織と枕《まくら》をならべて眠っている。
二人が寝《しん》に就いたのは早かった。
夕餉をすませたのち、六ツ半(午後七時)ごろには薄い臥床《ふしど》へ身を横たえていたのである。
夕餉のときに、二人とも、いつになく酒をたっぷりとのみ、林牛之助は先《ま》ず伊織を寝かせ、
「ま、今夜は、わしにまかせるがよい」
と、伊織の頸《くび》すじから肩、腰のあたりを丹念に揉《も》みほぐしてやった。
はじめは、しきりに、
「もったいのうございます」
と、いっていた中島伊織なのだが、酒の酔いと牛之助の巧妙な按摩《あんま》によって、深い眠りに落ちた。
その後で、牛之助も眠りに就いたのだ。
いま、二人は、ぐっすりと眠っている。
だが……。
神田《かんだ》・松永町の酒井忠兵衛道場では、大蝋燭《おおろうそく》が道場に灯《とも》され、主の酒井忠兵衛を囲み、十数名の侍たちが密談にふけっている。
この中に、中村栄五郎と赤井勘蔵の顔も見えた。
酒井忠兵衛は四十前後の剣客で、鍛えぬかれた筋骨がいかにもたくましく、張り出た額の下に埋め込まれたような両眼《りょうめ》が炯々《けいけい》としている。しかも鷲鼻《わしばな》なのだから、これは異相といってよく、肉の厚い唇《くちびる》が妙に赤い。
この道場は、以前も剣術道場だったらしい。それを二年前に買い取った酒井が、立派に改築をした。
酒井忠兵衛には後援者がいるらしく、道場運営の資金にも困ることなく、しかも一刀流の腕前は相当なものだから、旗本の子弟も入門して来るし、そのほかにも浪人剣客があつまって来て、稽古《けいこ》も盛《さかん》なものであった。
酒井には、妻も子もない。
そのかわりに、二人の若者が身のまわりの世話をしている。二人は侍ではないが、時折は道場へ出て稽古もする。二人とも色白の、細い躰《からだ》つきの若者なのだが、木太刀をつかむと、よほど酒井に仕込まれたのか、中村や赤井がもてあますほどに強い。
「あの二人は、酒井先生の色子《いろこ》ではないか……」
などと、門人たちがうわさ[#「うわさ」に傍点]をしているらしい。
いま……。
この二人の若者は、鐘ヶ淵の秋山小兵衛隠宅の見張りに出ている。
二人が隠れている木立の彼方に、まだ障子を開け放ったまま、語り合っている秋山|父子《おやこ》の姿が見える。
「もう見張ることもあるまいよ」
「いや、おれは、もう少し見張っているから、お前、道場へもどり、先生に申しあげろ」
「よし」
うなずいた一人が、木立をぬけ、堤の道をあがって行った。
風は絶え、夜気は冷んやりとしている。
日中は晴れていたのだが、月も星もない暗夜となってしまった。
「そろそろ、寝ようか」
小兵衛が大治郎にいったのは、四ツ半(午後十一時)ごろであったろう。
ちょうどそのころ、見張りの若者の一人が、松永町の酒井道場へ駆けもどって来た。
ちなみにいうと、酒井忠兵衛も、その門人たちも、鐘ヶ淵に隠棲《いんせい》している老人が何者かを知らない。
これは酒井が知らぬゆえ、門人たちも知らぬのである。
見張りの若者が駆けもどって来たとき、酒井忠兵衛と中村、赤井。それに浪人剣客が六名。
そして、高田|壱岐守《いきのかみ》が差し向けた用人の成瀬喜右衛門《なるせきえもん》に、家来が二名。
合わせて十二名が、道場にあつまっていた。
成瀬用人は、今夜の襲撃のために主人の高田壱岐守がよこした金百両を、すでに酒井忠兵衛へ手わたしてあった。
そのうちの、どれほどを酒井が自分のふところへ入れたか、それはわからぬが、浪人剣客たちへも少なからぬ金がわたされたと看《み》てよい。
あとは、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ打ち込むばかりであった。
ただし、酒井忠兵衛のみは道場に残る。
そのかわりに、屈強の浪人剣客を六名もあつめた。
これに高田家の家来二名と、中村・赤井が参加するのだから、襲撃の人数は合わせて十名。
「いかな手足《てだり》といえども、どうにもなるまい」
と、いうわけだ。
高田|平馬《へいま》を当身で気絶させた大兵《たいひょう》の男のほかに、小柄《こがら》な老人と二十四、五歳の女がひとりいるだけらしい。
手配りは万全であった。
「何も、わしが出て行くまでもあるまい」
といった酒井忠兵衛の言葉に、高田家の成瀬用人も、
「いかさま」
何の懸念《けねん》もなく、うなずいたのである。
それから半刻《はんとき》(一時間)ほど後に、十名の討手と成瀬用人と酒井忠兵衛の小者二人が道場を出て鐘ヶ淵へ向った。
五十をこえた成瀬用人は、心得もない刀を抜くつもりはない。
安心しきって、若様に屈辱をあたえた男が十の刃《やいば》の餌食《えじき》となるのを、
「見とどける……」
ために、同行したのだ。
一同が出て行った後で、酒井忠兵衛は道場から奥の居間へ入り、冷酒をかたむけはじめた。
ちょうど、そのころ……。
林|牛之助《うしのすけ》が小屋の中で目ざめ、
「これ……これ、伊織《いおり》……」
中島伊織を、ゆり起した。
「あ……先生……」
「よう眠れたようだな」
「はい」
「よかった。これでよい」
「先生のおかげでございます」
「さ、仕度じゃ」
「はい」
二人は外へ出て、井戸から汲《く》みあげた水を浴び、小屋へもどって身仕度をととのえた。
「いよいよだな、伊織」
「はい」
「相手は手強《てごわ》いが、わしがつきそうているゆえ、無二無三に立ち向え。勝とうとおもうな。また、負くるともおもうな。これまでに、わしが教え伝えたことを、その一剣にこめ、打ちかかれよ」
「はいっ」
牛之助は、いつもの帷子《かたびら》の裾《すそ》を端折《はしょ》っただけの姿《いでたち》だが、中島伊織は、麻の筒袖《つつそで》の、裾を膝《ひざ》の上まで切り取った着物に白の脚絆《きゃはん》をつけ、素足に草履《ぞうり》をはいた。
この姿は、すべて林牛之助の指図によるものだ。
二人は、これから、伊織の敵討《かたきう》ちを決行しようとしている。
牛之助が、この三年間、扇売りをしたり看板書きをしながら、江戸市中を廻《まわ》り歩き、当の敵を探し当てたのは半月ほど前のことであった。
伊織から聞いた敵の人相、体格は特殊なものであったから、牛之助にも見当がついた。
(これだ……)
と、おもい、五日ほど前に伊織を連れて、その敵を見せ、
「間ちがいなし」
と、きまった。
その敵とは、ほかならぬ酒井忠兵衛であった。
酒井の本名は、渡辺|九十郎《くじゅうろう》といい、以前は中島伊織の父と同様に、近江《おうみ》・水口《みなくち》二万五千石の加藤家に仕えていたものである。
渡辺九十郎は男色を好み、伊織の兄の佐太郎へ執拗《しつよう》に言い寄り、怪《け》しからぬふるまいにおよぼうとするので、佐太郎がたまりかね、父の中島|幸左衛門《こうざえもん》へ告げた。
そこで幸左衛門が渡辺家へおもむき、九十郎へ、
「せがれのことは御放念下されたい」
と、申し入れた。
そのとき、口論になった。
九十郎が脇差《わきざし》で、ただ一討ちに中島幸左衛門を刺殺し、その場から逃亡したのである。
渡辺九十郎は、家老の一色《いちしき》多兵衛の縁者だけに、一色の庇護《ひご》を受け、江戸へ出て来てから名を変えて道場をひらいた。
九十郎は少年のころから、大坂に大道場を構える畑中《はたなか》源四郎に一刀流をまなび、加藤家では剣術指南役を兼ねていたほどの腕前だという。
林牛之助は、松永町の酒井道場の武者窓から渡辺九十郎を見て、
(いまこそ!!)
と、笠《かさ》をかなぐり捨て、中へ躍り込もうとする中島伊織を押え、小屋へ連れもどした。
「相手は気づいておらぬゆえ、いつでも討てる。討つためには、それだけの仕度が要る」
牛之助はこういって、自分ひとりで酒井道場の様子を探りはじめた。道場の間取りもわかった。
この間に、酒井門人の高田平馬や、中村・赤井たちの乱暴を受けたわけだが、大事の前ゆえ、堪えたのである。
林牛之助が、酒井忠兵衛……いや、渡辺九十郎を見て、
(これは、もしや……?)
と、おもったのは、道場の近くの髪結床の張り札を書いたとき、道場の稽古《けいこ》の物音に気づき、外からのぞいて見たからだ。
「九十郎のほかの者は、わしが一手に引き受ける。お前に一寸たりとも近寄らせぬゆえ、こころおきなく敵へ打ちかかれ」
「はい」
小屋を出た二人は、夜更《よふ》けの畑道をゆっくりと歩んでいる。
遠くの空の何処《どこ》かで、稲妻が光った。
一方、鐘ヶ淵へ向った討手は、両国橋をわたり、二手にわかれて、秋山小兵衛の隠宅へ近づきつつあった。
(水の底にでもいるような……)
暁闇《ぎょうあん》の中で、秋山小兵衛はふと[#「ふと」に傍点]目ざめた。
となりの臥床《ふしど》には、大治郎が仰向《あおむ》けに寝ている。
小兵衛は、しばらくの間、天井《てんじょう》を見あげていたが、
「これ、大治郎……」
低い声をかけると、たちどころに、
「父上も、お気がつかれましたな」
大治郎の声が返ってきた。
「うむ……」
「この家が、取り巻かれているようです」
「そうじゃな。何者であろう?」
「おこころあたりは?」
「ない。お前にはあるのか?」
「さて……」
「前に、ほれ、柳原土手で、三人の侍をこらしめてやったのう」
「はい」
「その仕返しではないかえ?」
「まさか……」
「そうかのう」
ゆっくりと半身を起した小兵衛が、
「いずれにせよ、寝ているわけにもまいるまい」
「はい」
大治郎が、しずかに起きあがり、たちまちに身仕度をととのえた。
小兵衛は寝間着のまま、裾《すそ》を端折《はしょ》り、奥の寝所へ入って行き、
「おい……これ、おはる[#「おはる」に傍点]。起きろ。起きぬか」
「あ……な、何ですよう?」
「大きな声を出すな。悪い奴《やつ》どもが打ち込んで来る。さ、早く起きろ」
こういっておいて、小兵衛が居間へ顔を出し、
「大治郎。よいか?」
「はい」
「わしは別の場所へ行く。それでよいな?」
「はい」
小兵衛が、また、寝所へもどって行った。
隠宅を包囲した十人の討手は二手にわかれ、庭に面した縁側の雨戸と、裏の戸を蹴破《けやぶ》って乱入する手筈《てはず》であった。
小兵衛は、おはると共に、寝所の押入れへ入り、襖《ふすま》を閉めた。
隠れたのではない。万一のことを考え、押入れの壁の一部へ隠し戸をつけておいたのが、はじめて役に立った。これは、おはるの身をおもえばこそであった。数年前に、あの妖剣士《ようけんし》・小雨坊《こさめぼう》の放火により、この隠宅が焼け落ちたので新築をした折に、隠し戸をつけたのだ。
この隠し戸は、そのまま、家の羽目板の一部になってい、外から見たのではわからぬ。
隠し戸から外へ出ると、そこは裏の竹藪《たけやぶ》なのだ。
包囲の討手は、
「よし、打ち込め!!」
雨戸を蹴破って、二方から隠宅へ躍り込もうとした。
そのときである。
庭に面した雨戸が内側から、いきなり引き開けられた。
「あっ……」
討手は、完全に機先を制された。
家の中から庭へ躍り出た秋山大治郎が、腰間《ようかん》の大刀を抜く手も見せずに、
「鋭!!」
討手の二人を峰打ちに叩《たた》き倒し、
「曲者《くせもの》。成敗するぞ!!」
と、一喝《いっかつ》した。
一方、裏の戸を打ち破って躍り込もうとした四人は、
「あっ……」
「ぎゃあっ……」
悲鳴をあげて、ばたばたと打ち倒れてしまった。
竹藪の中から、あかつきの大気を引き裂いて飛び疾《はし》ってきたものが、四人の頸《くび》すじや頭、背中などへ突き刺さったのである。
これは、秋山小兵衛が投げ撃った〔蹄《ひづめ》〕と称する鉄片であった。
いうまでもなく、女武芸者の杉原秀《すぎはらひで》から、小兵衛がゆずり受けた根岸流の手裏剣術で使う飛び道具なのだ。
小兵衛が、ふとい棍棒《こんぼう》をつかんで竹藪から飛び出して来た。
〔蹄〕を打ち込まれて、|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》いている四人を、小兵衛の棍棒がつぎつぎに打ち据《す》えた。
このとき大治郎は、さらに二名を峰打ちで倒している。これが高田家の家来二名であった。
裏手へまわった中村と赤井は、小兵衛の棍棒をくらって気を失っている。
「うぬ!!」
死物狂いに大治郎へ斬《き》ってかかる二人の浪人剣客の刃風は相当に鋭い。
大治郎も峰打ちというわけにはゆかず、するすると後退しつつ、刃《やいば》を元へ返した。
大治郎の背後は、大川から水を引き入れた舟着きになってい、おはるが愛用の小舟が舫《もや》ってある。
後退した大治郎に、さそわれたかのごとく、
「えい、おう!!」
堂々たる体格の浪人剣客が、猛然と斬り込んできた。
それに、いささかも逆らわず後退した秋山大治郎の大きな躰《からだ》が仰向けに小舟へ倒れ込んだ……かに見えた。
浪人は、
(しめた!!)
と、おもったろう。
だが、
「たあっ!!」
踏み込んで打ち込んだ浪人の大刀は、空を斬って小舟の舟縁《ふなべり》へ喰《く》い込んだ。
同時に……。
仰向けに倒れかかった大治郎の躰は空間に一回転して小舟の向う側へ落ち、水の中に片膝をついた姿勢になった大治郎の一刀が浪人の顎《あご》から頬《ほお》にかけて、ざっくりと斬りあげている。
血がけむった。
舟縁へ喰い込んだ大刀の柄《つか》から手を放し、今度は浪人が仰向けに倒れた。
残る一人が息をのんで立ち竦《すく》んでいるのを、走りかかった小兵衛が棍棒で打ち据えた。
「むう……」
こやつも、がっくりと膝を折ってしまう。
「大治郎。見事じゃ」
「父上。そちらは?」
「片づいたよ。みんな縛ってしまおう」
木蔭《こかげ》で、これを見ていた用人の成瀬|喜右衛門《きえもん》と、小者二人は、あわてて逃走しはじめた。
そのころ……。
林|牛之助《うしのすけ》と中島|伊織《いおり》は、神田《かんだ》・松永町の酒井道場の裏手の戸を打ち破り、中へ踏み込んでいた。
酒井忠兵衛は、したたかに酒をのんでいたが、さすがに気づいて大刀をつかみ、居間から廊下へ出たところへ、
「中島伊織だ。父の敵《かたき》を討つ!!」
叫びざま、伊織が体当りのように刀を突き入れた。
このとき、伊織が手にした刀は、二尺そこそこの脇差《わきざし》であった。
室内での決闘ゆえ、長い刀では、
「自由にはたらけぬ」
と、林牛之助が教えたのである。
「うっ……」
酒井忠兵衛は腹を引いて、中島伊織の突きを躱《かわ》したが、伊織の躰が打ち当ったのでよろめいた。
よろめきつつ、抜刀した酒井が、
「こやつ!!」
横なぐりに切り払った切先が伊織の右の肩口を浅く切り裂いた。
このとき、林牛之助が右手に脇差、左手に小石をつかんで伊織の背後へあらわれ、
「それっ!!」
左手の小石を酒井忠兵衛の顔へ投げ撃った。
これが、酒井の鼻へ命中したものだ。
「あっ……」
体勢を立て直しかけた酒井忠兵衛が、おもわず左手で鼻を押えたとき、
「うおぉっ!!」
獣のような叫び声を発し、中島伊織が脇差を酒井の胸下へ突き入れ、折り重なったまま、凄《すさ》まじい音をたてて廊下へ打ち倒れた。
酒井忠兵衛、即死である。
林牛之助も中島伊織も、これほど首尾よく酒井を討てるとは考えていなかったろう。
道場は、まったく、酒井忠兵衛一人きりであった上に、酒井は秋山|父子《おやこ》襲撃の成功を信じてうたがわず、ひとりほくそ[#「ほくそ」に傍点]笑みながら酒盃《しゅはい》をかたむけていたのだ。
この事件を裁いた幕府評定所の判決には、一つの含みがあったようである。
秋山父子に打ち据えられ、傷を負った十人の刺客は、ことごとく捕えられ、四谷《よつや》の弥七《やしち》の手によって町奉行所へ突き出されたのだから大身《たいしん》旗本の高田|壱岐守《いきのかみ》といえども、事件をもみ消すことはできない。
また、父の敵討《かたぎう》ちを届け出た中島伊織によって、秋山父子への襲撃と酒井忠兵衛との関係もわかった。
大身の幕臣が、息子の非行と恥を押し隠すため、密《ひそ》かに多勢の刺客をさしむけるなどということは、
「もってのほか……」
の事といわねばなるまい。
そこで、評定所のあつかいとなったわけだ。
秋山父子も、林|牛之助《うしのすけ》も何度か評定所へ呼び出され、証言をした。
いまを時めく老中・田沼|意次《おきつぐ》の妾腹《しょうふく》の女《むすめ》を秋山大治郎が妻にしていることを、高田壱岐守は、はじめて知って愕然《がくぜん》としたらしい。
しかし、田沼意次は、高田壱岐守に対して格別の容喙《ようかい》をせず、評定所の裁決にまかせたが、
「なるべくは、厳罰をあたえぬよう……」
という意味の言葉を送ったのは、それによって、高田家の恨みが、さらに秋山父子へ残ることをおそれたのであろうか。
人の怨恨《えんこん》には、限りがないからである。
結局、高田家では、用人の成瀬|喜右衛門《きえもん》が犠牲者となり、すべての責任《せめ》を負って腹を切らされた。もっとも成瀬は、自分の手で腹が切れなかったろう。
「もしやすると……」
と、いいかけて秋山小兵衛は口を噤《つぐ》んだ。
「主の壱岐守が無理矢理に殺害《せつがい》した上で、腹を切ったことにしたのやも知れぬな」
と、いいかけた言葉を口にのぼせなかったのだ。
中村栄五郎、赤井勘蔵、酒井忠兵衛の小者二人、高田家の家来、浪人剣客などの処断が下り、事件が不自然なかたちで終熄《しゅうそく》したのは、この年も暮れようとするころになってからだ。
この間に、中島|伊織《いおり》は国許《くにもと》の近江《おうみ》・水口《みなくち》へ帰り、敵の渡辺九十郎を討ったことを届け出た後、われから暇《いとま》を願い出て、ふたたび江戸へもどって来た。
見事に父の敵を討って帰った中島伊織に対し、藩庁のあつかいは、まことに冷たいものだったという。
伊織の退身についても「勝手にせよ」と、いうことだったらしい。
もとより伊織は、水口藩を退身する決意をかためていた。
恩人であり、剣の師匠でもあった林牛之助の許へ帰るつもりであった。
牛之助は、強く、これに反対をしたが、
「母も、すでに亡《な》くなっておりますし、水口へ帰ったとて、生きている甲斐《かい》もありませぬ。私は、先生のおかげをもちまして、父と兄の恨みをはらすことができましたので、いささかも国許へはおもい残すこととてありませぬ」
と、伊織は、牛之助の手許に置いていただきたいと言い張ってやまぬ。
「はてさて、お前も不運な男じゃ」
林牛之助は、深い嘆息を洩《も》らしたが、ついに、
「やむを得まい」
伊織の嘆願を、受けいれたのであった。
林牛之助が、忽然《こつねん》とこの世[#「この世」に傍点]を去ったのは、翌年の初秋である。
その年の夏のはじめから、牛之助が急に食慾《しょくよく》を失い、見る見る痩《や》せおとろえてしまった。
秋山小兵衛は心配をして、親友の老医・小川|宗哲《そうてつ》に診察を請《こ》うたが、
「これは、もはや、手のつくしようがない」
宗哲は、しずかにかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。
胃ノ腑《ふ》に、はっきりと痼《しこり》が出ていて、それが病源であるとのことだから、いまの胃癌《いがん》であったのか……。
だが小川宗哲は、夏の暑い盛りを、小兵衛と共に駕籠《かご》へ乗って牛込の外れの牛之助の小屋へ、三日に一度は通い、手をつくした。
そして、涼風《すずかぜ》が立ちはじめた或《あ》る日のことだが……。
懸命の看病をつづけている中島伊織が近くへ買物に出た後で、
「秋山先生。すっかり、お世話になってしまいました」
と、林牛之助が病床に横たわったまま両手を合わせ、
「この上、あつかましいことをお願いするのは、まことに気が引けるのですが……」
「何のことじゃ。わしに遠慮はいらぬよ」
「はあ……」
「いうてみなさい」
「中島伊織の行末を、何とぞ」
「ああ、引き受けた」
牛之助に、みなまでいわせず、秋山小兵衛がにっこり[#「にっこり」に傍点]とうなずいた。
「先生。かたじけない……」
「なあに、わけもないことじゃ」
「これで……これで、安心をいたしました」
合掌し、瞑目《めいもく》した牛之助の両眼《りょうめ》から泪《なみだ》が一筋、痩《こ》けた頬へつたわった。
林牛之助が、意外な事を小兵衛と小川宗哲へ打ちあけたのも、この日のことだ。
「秋山先生。私も、父の敵がおりましてなあ……」
「え……まことか?」
「はあ」
「おどろいたな。伊織は知っているのかえ?」
「打ちあけておりません。先生方も伊織には内密にしておいて下され」
「む。わかった」
「ですが、両先生には、この期《ご》におよんで打ちあけてみたくなりました。まことに、愚かなことです」
「それで、敵は?」
「はい。三十年ほど探しまわりましたが、ついに、見つけることができませなんだ」
むしろ、さばさばといってのける牛之助に、小兵衛と宗哲は顔を見合わせた。
「敵が、万一にも生きておるとすれば、八十をこえておりましょう」
「ふうむ……」
「すでに……すでに私は、あきらめておりました。いえ、中島伊織と出合《でお》うたとき、あきらめがつきましてなあ」
そのかわりに、
(何としても、伊織に敵を討たせてやりたい)
その新たな情熱に、林牛之助は奮い立った。
「私の敵は、おそらく、もはや、何処《どこ》やらで死んでおりましょうよ」
小兵衛も宗哲も、こたえるすべ[#「すべ」に傍点]を知らなかった。
父の敵を討たなくては、晴れて国許へ帰れぬ。
以前の身分を取りもどすこともできない。
それが、侍の掟《おきて》であった。
林牛之助は、どこの大名の家来なのか、父の敵の名前は何というのか、それも洩らさなかった。
また、小兵衛も宗哲も、強《し》いて尋ねなかった。
尋ねなくとも、五十四歳の林牛之助の生涯《しょうがい》が、
「手に取るように……」
わかったからだ。
牛之助の半生は……いや、一生といってもよいが、父の敵を探してまわる流浪《るろう》の旅によって虚《むな》しく終ろうとした。
けれども、その生涯を終える直前に、中島伊織・秋山父子・小川宗哲に出会えたことを、
「私は、最後に、幸せを得たおもいがいたします」
牛之助は、さも、うれしげにいったのである。
そのとき、小屋の前の真昼の草むらで、さびしげに鳴いていた草|雲雀《ひばり》の声を、秋山小兵衛は、いつまでも忘れなかった。
林牛之助が、中島伊織と、折しも来合わせた秋山大治郎に見とられて息を引き取ったのは、それから三日後のことであった。
小判二十両
その日の昼すぎから、秋山|小兵衛《こへえ》は例によって、息《そく》・大治郎の家へ初孫《ういまご》の小太郎の顔を見に出かけた。
そして、夕暮れに近くなって、浅草・橋場《はしば》の船宿〔鯉屋《こいや》〕へあらわれた。
鯉屋は、小兵衛がなじみの船宿で、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅からおはる[#「おはる」に傍点]が漕《こ》ぐ小舟で大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたる往《ゆ》き還《かえ》りには、ここの舟着きを利用させてもらっている。
おはるの舟は、まだ、小兵衛を迎えに来ていない。
「少し、早かったかな……」
「ま、大《おお》先生。一服なさいまし」
鯉屋の女あるじのお峰《みね》が、小兵衛を帳場のうしろの自分の部屋へ招じ、茶菓でもてなした。
「お孫さまが、びっくりするほど大きくおなりなさいまして」
「見たかえ」
「はい。二、三日前に、ちょいと若先生の御宅へ参じましたので」
「そうか、そうか」
「さぞ、おたのしみでございましょう」
「なんの、小猿《こざる》を飼っているようなものさ」
そういいながらも、小兵衛の老顔は、たちまちに笑みくずれてしまい、われながら、
(他愛もない……)
と、おもわざるを得ない。
「ふむ。この最中《もなか》はうまい」
あわてて、はなしを転じた。
「照降《てりふり》町の翁屋《おきなや》でございます」
「なるほど。どうりで……」
「あの、大先生……」
「何じゃ?」
「うち[#「うち」に傍点]にも、橋場の親分のすすめで、隠し部屋をつくりましたのでございますよ」
「ほう……」
それは、名の通った料理屋などで、
(何やら怪しい客だ)
とか、
(どうも、深い事情《わけ》がありそうな客……)
と、看《み》て取った場合、その客を〔隠し部屋〕のついた座敷へ入れておき、店の者が別の出入口から隠し部屋へ入り、ひそかに見張るのである。
その客の様子によっては、お上《かみ》へ急報するというわけで、つまりは店自体が未然に災害をふせぐためのものだ。
ちかごろは、世の中が物騒になるばかりだし、料理屋や船宿が隠し部屋を設けることを、町奉行所も、むしろ奨励している。
ゆえに「橋場の親分」とよばれている土地《ところ》の御用聞き・富次郎《とみじろう》が、
「ぜひ、そうなすったほうがいい」
と、お峰にすすめたのであろう。
「その隠し部屋を、ちょいと見てみたいな」
「つまらないものでございますよ」
「いま、だれも、その座敷には入っていないのだろう?」
「はい」
「それなら、ちょうどよいではないか」
「それでは、まあ、御退屈しのぎに……」
と、お峰が腰を浮かしたとき、客が店へ入って来たらしく、
「舟は後で出してもらうから、その前に、ちょいと二階の座敷へたのみますよ。お酒も、ね」
客の声がきこえた。
お峰の部屋と帳場との境いの障子は、開け放したままになっている。
小兵衛は、客の声に何気なく振り向き、帳場ごしに見やったが、
(あ……)
つぎの瞬間、身を屈《かが》めた。
客は二人である。
一人は、物堅そうな身なりの、四十がらみの町人で、これが女中に声をかけたのであった。
別の一人は、浪人|体《てい》の五十男だ。
いかにも、むさ苦しい。
白いものがまじった蓬髪《ほうはつ》、不精髭《ぶしょうひげ》、破れ袴《ばかま》を見ても、申しぶんなく垢《あか》じみている浪人者と、身ぎれいな町人との取り合わせが、いかにも奇妙に見える。
「あの二人、隠し部屋のある座敷へ通しておいておくれ」
身を伏せたままで、すばやく小兵衛がお峰へささやいた。
わけはわからぬながらも、そこは船宿の女あるじだ。
うなずいて見せ、すぐに出て行った。
そして、お峰は女中にかわって愛想よく、二人の客を二階へ案内して行った。
その後で、店先へあらわれた秋山小兵衛が、古顔の女中へ、
「いまのは、なじみの客かえ?」
「はい。一年ほど前から何度か、お見えなさいまして」
「二人とも?」
「いいえ、浪人さんのほうは……」
いいさした女中が顔を顰《しか》め、
「今日が、はじめてでございますけど」
「ふうむ……」
小兵衛は、二階への階段を見あげた。
町人のほうには、見おぼえがない。
だが、浪人のほうには見おぼえがあるどころか、忘れようとて忘れられぬ顔だ。
二十数年ぶりに見る小野田万蔵《おのだまんぞう》の顔であった。
二人の客を二階の奥座敷へ案内し、もどって来たお峰は、女中へ、酒肴《しゅこう》の仕度をして持って行くようにいいつけておいてから、小兵衛に、
「大先生。こちらでございます」
先へ立ち、小廊下を奥へ入った。
突き当りが、お峰の居間(兼)寝間であった。
そこへ入り、押入れの襖《ふすま》を引き開けると、せまい梯子段《はしごだん》が二階へ通じている。
お峰は、
「暗《くろ》うございます。お気をつけ下さいまし」
念を入れてから、指を口へ当てて見せた。
声をたててはいけないと、いうわけだ。
うなずいた小兵衛は音も気配もなく、しずかに梯子段をのぼって行った。
のぼり切ると一坪ほどの空間がある。
壁一重の向うで、あの町人と浪人……いや、小野田万蔵の声がしていた。
これが隠し部屋で、壁の一隅《いちぐう》に、大豆ほどの、のぞき穴が開いてい、向うの座敷の一部が見える。
のぞき穴は、座敷の床の間の落棚《おちだな》の蔭《かげ》へ巧妙に隠されてい、座敷の客は、まったく気づかぬようにできているのだ。
小兵衛は、のぞき穴へ顔を押し当てて見た。
小野田万蔵は、こちらへ背を向けているので顔が見えない。
痩《や》せて骨張った万蔵の肩のあたりから、汗が汚れた単衣《ひとえ》に染《し》み出していた。
万蔵と向い合っている町人の顔は、よく見えた。
(こいつ、狐面《きつねづら》じゃな)
と、小兵衛はおもった。
鼻が細くて尖《とが》っている。目も細い。その目が青白い光りをたたえ、凝《じっ》と小野田万蔵を見据《みす》えていた。
船宿へ入って来て女中へ声をかけたときの顔と、同じ顔にはちがいないが、まるで別人のように見えた。
「いかがでございます、小野田先生。お引き受け下さいますか?」
と、町人。
「ふうむ……」
「これが前金でございます」
町人が、こういって小判で十両、紙の上へ乗せたものを小野田万蔵の前へ出して見せた。
「十両か……」
「首尾よく、してのけて下さいましたときには、すぐさま残りの半金十両をさしあげますでございます」
「合わせて二十両、か……」
「さようでございますよ」
「ふうむ……」
万蔵は顎《あご》を撫《な》でつつ、
「相手を、殺さなくともよいのだな?」
「そのとおりでございます」
「その、供をしている男を打ち倒し、気絶させてしまえばよいのだな。それだけだな?」
「はい」
「ふうむ……」
そのとき、女中が酒肴を運んで来たらしく、町人が金十両を手早く座蒲団《ざぶとん》の下へ隠すのが見えた。
そして、あらわれた女中へ、
「呼ぶまでは来ないでいい。後で舟を出してもらうからね」
と、いい、女中が去るや、ふたたび小判十両を引き出し、小野田万蔵の前へ置き、にんまりと笑った。
座敷の、開け放した窓の向うは大川で、荷舟で通りすぎる船頭の舟唄《ふなうた》が、小兵衛の耳へもつたわってきた。
隠し部屋から小兵衛が降りて来たのは、それから半刻《はんとき》(一時間)ほどすぎてからだ。
お峰は、はらはらしながら居間で待っていた。
「大先生。さぞ、お暑うございましたでしょう。ただいま、すぐに手ぬぐいをしぼって……」
いいさしたお峰が、呆《あき》れた顔つきになり、まじまじと秋山小兵衛をながめた。
小兵衛の顔には、汗ひとつ滲《にじ》んではいない。
残暑もきびしいというのに、風通しもない一坪の隠し部屋に半刻もこもっていて、小兵衛は涼しげな顔つきで、
「なに、かまうな」
と、いったものだ。
「いかがでございました?」
「おもしろかったわえ」
「どのような?」
「別に、心配するようなことはない」
「それならようございますけれど……」
お峰は、もっと、はなしを聞きたいようだったが、ちょうど、おはる[#「おはる」に傍点]の舟が鯉屋《こいや》に着いたので、
「いずれ、また……」
小兵衛は舟着きへ出て、
「おはる。遅かったではないか」
「そのかわり、うまいものを食べさせてあげますよう」
「何じゃ?」
「泥鰌鍋《どじょうなべ》」
「なあんだ、つまらぬ」
濃い夕闇《ゆうやみ》におおわれた大川をわたりつつ、小兵衛が振り向いて見ると、鯉屋の二階座敷に灯《あか》りが入った。
小野田万蔵と怪しい町人は、まだ酒をのんでいるらしい。
小野田万蔵は、自分《おのれ》の実の両親の顔も知らなければ名も知らぬ。
万蔵は十五歳の折に、秋山小兵衛の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》道場へ入門して来た。
そのころは、小兵衛も辻道場にいたわけだし、むろん、大治郎も生まれてはいなかった。
少年のころの万蔵は、二百石の幕臣・小野田|定七郎《さだしちろう》の次男として辻道場へ通い、剣術の修行をはじめた。
入門の折に、わが子の万蔵につきそって道場へ挨拶《あいさつ》にあらわれた小野田定七郎の姿は、いまも小兵衛の脳裡《のうり》に残っている。
それは、いかにも、次男坊の万蔵が、
(可愛《かわい》くてたまらぬ……)
ように見えた。
「不束《ふつつか》なせがれにござる。よろしゅう、お引きまわし下さるよう」
と、定七郎は、すでにそのころ、恩師の代稽古《だいげいこ》をつとめていた秋山小兵衛へ丁重に頭を下げ、万蔵を見やった眼《まな》ざしに慈愛があふれていたものだ。
また万蔵も、健康そうで、いかにも素直で、双眸《そうぼう》が生き生きとして明るく、小兵衛も一目見て気に入った。
入門してからの万蔵は、小兵衛に目をかけられ、めきめきと上達をし、
「金太郎め、たのしみじゃな」
と、師の辻平右衛門が小兵衛へ洩《も》らしたほどであった。
小兵衛も、まだ二十代の青年剣士だったのだ。
さて……。
あれは、いつのことであったろうか。
ともかくも、辻平右衛門が江戸の道場をたたみ、山城《やましろ》の国・愛宕《おたぎ》郡・大原《おおら》の里へ引きこもった後のことだから、秋山小兵衛が四谷《よつや》の仲町《なかまち》へ、ようやく、自分の小さな道場をかまえて間もなくのことだ。
突然、小野田万蔵が訪ねて来て、
「私の父は、小野田定七郎ではなかったのです」
と、小兵衛にいった。
その夜の万蔵は、したたかに酒を飲んでおり、しかも顔面|蒼白《そうはく》で、別人のごとく憔悴《しょうすい》していた。
それより半年ほど前に、父の定七郎が病死し、小兵衛も悔みにおもむいたが、万蔵に変ったところは見えなかった。すでに母も病死していたし、小野田の家督は万蔵の兄・平十郎が継いだことになる。
その平十郎の顔を、小兵衛は万蔵の父の通夜《つや》の日に、はじめて見た。
万蔵が、小兵衛へ、
「兄の平十郎でございます」
と、いい、ついで平十郎へ、
「兄上。秋山先生です」
引き合わせたとき、小野田平十郎は、じろりと弟を見てから小兵衛へ視線を移し、軽く頭を下げたのみで、一言も発しなかった。
家へ帰って小兵衛が、妻のお貞《てい》に、
「万蔵の兄ともおもえぬ嫌《いや》な奴《やつ》だ」
と、不快を洩らしたものだ。
それから万蔵は、小兵衛の道場へも顔を見せず、
(どうしているのか?)
気にかけていたところへ、大酒した小野田万蔵が訪ねて来たのである。
「私は、もらい子だったのです」
「なぜ、そんなことがわかった?」
「兄の平十郎が申しました」
「何……」
小兵衛は、おどろいた。
後になって推量してみると、〔もらい子〕の万蔵の性情が気に入った小野田定七郎は、実の子の平十郎よりも可愛がって育てたらしい。
しかも万蔵がもらい子であることを、
「かならず口外してはならぬ」
と、平十郎へも奉公人へも、きびしく口止めをしていた。
それが平十郎には、おもしろくなかったらしい。
父の定七郎が亡《な》くなるや、平十郎は万蔵へ、
「お前は小野田の血を引いてはいないのだ。もらい子なのだぞ。このことを心得ておけ」
と、いいはなった。
こういう兄が一家の主《あるじ》となったのだから、次男の万蔵が、兄からどのような仕打ちを受けたか、およそ察しられよう。
それも辛《つら》かったろうが、実の父母だと信じきっていた小野田夫妻だけに、万蔵の衝撃は非常なものであったろう。
しかも、自分が何処《どこ》のだれの子か、それもわからぬ。
万蔵の出生の秘密は、小野田定七郎夫妻が胸に潜めたまま、あの世[#「あの世」に傍点]へ行ってしまったからだ。
聞いて秋山小兵衛は、おどろきもし、同情もしたが、
(さて、どのようになぐさめてよいものか……?)
咄嗟《とっさ》に言葉が出ず、お貞と顔を見合わせるばかりであった。
結局、小兵衛は、
「万蔵。お前も、いまは一人前《ひとりまえ》の剣客《けんかく》ではないか。お前のような身の上の男は世の中に掃いて捨てるほどいるのだ。あまえてはならぬぞ」
むしろ、突き放すように諭したわけだが、おもえば、それが裏目に出てしまったような気がしてならぬ。
後年、小兵衛は、
「いまのおれなら、もっと別の諭し方ができたろうに……」
と、行方知れずとなった小野田万蔵をおもい出すたびに、お貞へこぼしたものである。
万蔵が行方不明となったのは、その夜から数日後のことで、なんでも品川宿で酒に酔い、土地《ところ》の成らず者を三人も斬《き》り殺し、そのまま江戸から逃走したという。
困ったのは兄の小野田平十郎で、この事件をもみ消すため、必死となった。
いうまでもなく、諸方へ金をつかいもしたであろう。
平十郎は処世の術に長じていたらしく、いまは御書物奉行をつとめている。
そのときから二十余年、小野田万蔵から秋山小兵衛へ何の消息もなかった。
ま、こうした間柄《あいだがら》ゆえ、いかに万蔵が垢《あか》じみた浪人者になっていようとも、小兵衛の目は見逃さなかったのだ。
翌日も晴天であった。
前夜は蒸し暑く、寝つきのよいおはる[#「おはる」に傍点]もなかなかに眠ることができなかった。
小兵衛も同様に、寝返りばかり打っていたようである。
朝になって、おはるが起き出したとき、すでに小兵衛は臥床《ふしど》をはなれていた。
(あれまあ、今朝は早いこと)
あわてて寝間から出たおはるが、
「先生。どこにいるんですよう?」
「ここだよ」
小兵衛は、庭へ出て、ぼんやりと朝空をながめていた。
大川の水を引き入れた舟着きのあたりに、弁慶草が小さな白い花を群がり咲かせている。
「今日もまた、暑くなりそうじゃな」
「昨夜《ゆうべ》は、よく寝られませんでしたねえ」
「そうか……」
「そうかって、いつもは、まるで死んだように眠っていなさるのに、昨夜は寝返りばかり打って……」
「そうだったか……」
「そうですよう」
秋山小兵衛の両眼《りょうめ》は、たしかに赤く腫《は》れている。
「ねえ、先生……」
「うむ?」
「何か、心配事でもあんなさるのかね?」
「いや、別に。暑くて寝苦しかっただけじゃ」
「そんなら、一昨日《おととい》の晩のほうがもっと寝苦しかったのに、床へ入ったとおもったら、すぐにもう、すやすやと寝息がきこえましたよう」
「そうか……」
「そうか、そうかって嫌《いや》だねえ。昨夜は先生、寝返りを打っては、何度もためいき[#「ためいき」に傍点]をついていなすったもの」
「よう気がついたな、さすがは女房じゃ」
「私だって、そんなに莫迦《ばか》じゃありませんよう」
「いつ、お前を莫迦よばわりした?」
「そんなら、心配事をきかせてくれてもいいじゃありませんかよう」
「ふむ……」
うなずいた小兵衛の老顔に、微笑がただよって、
「お前の耳へ入れるまでもないことじゃが、女房にまで心配をかけることもあるまい。語ってきかせようか」
そこへ、寺嶋《てらじま》村の豆腐《とうふ》屋が毎朝の豆腐を届けに来た。
夏になると、小兵衛は朝から豆腐を食べるので、日に四丁の豆腐が要る。
井戸水でよくよく冷やした豆腐の上へ摩《す》り生姜《しょうが》をのせ、これに、醤油《しょうゆ》と酒を合わせたものへ胡麻《ごま》の油を二、三滴落したものをかけまわして食べるのが、小兵衛の夏の好物であった。
その〔かけ汁〕の加減がむずかしくて、おはるは少女のころから小兵衛の許《もと》にいて、このかけ汁をこしらえてきたわけだが、このごろ、ようやく小兵衛の文句が出なくなった。
「剣術つかいは飲み食いの加減がうるさいねえ、三冬さま。おたくの若先生もそうですかね?」
などと、つい二、三日前に、隠宅へあらわれた三冬へ、おはるがいったものだ。
さて……。
豆腐と焼茄子《やきなす》の味噌汁《みそしる》、瓜《うり》の雷干《かみなりぼ》しで朝餉《あさげ》の膳《ぜん》についた秋山小兵衛が、
「実は、な……」
その心配事を語り終えたとき、おはるは箸《はし》を手にすることも忘れ、目をみはったまま、しばらくは言葉も出なかった。
「どうじゃ、わかったかえ?」
「あい」
蒼《あお》ざめた、おはるの頬《ほお》のあたりへ一筋の光るものがつたわって、
「せ、先生……」
「うむ?」
「そ、そんなことが、ほんとうにあるものかねえ」
「あるから面倒なのじゃ、人の世というものは……」
「可哀相《かわいそう》ですよう」
「だれが?」
「その、小野田万蔵さんというお人が……」
「だが、こうなっては情《なさけ》をかけてばかりもいられまいよ」
「じゃあ、どうするつもりなのかね、先生」
「さて……」
いいさした小兵衛が、またしても嘆息を洩《も》らし、
「放《ほう》ってもおけまい」
呻《うめ》くがごとくいった。
それから一刻《いっとき》(二時間)ほど後に、小兵衛とおはるは小舟に乗って隠宅を出た。
舟を浅草の山之宿《やまのしゅく》へ着け、
「では、おはる。この手紙を弥七《やしち》へ届けるよう、たのんでおくれ」
「あい」
「それからお前は、寄り道をせずに家へ帰っていなさい」
二人は陸《おか》へあがり、小兵衛は花川戸《はなかわど》から浅草の広小路《ひろこうじ》の方へ向う。
おはるは山之宿の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へおもむき、そこの若い者に小兵衛の手紙を四谷《よつや》の御用聞き・弥七へ届けるよう手筈《てはず》をつけたのである。
この日の秋山小兵衛は、白の帷子《かたびら》を着ながして、腰には脇差《わきざし》一つを帯したのみだ。
例によって竹の杖《つえ》を手に、紙笠《かみがさ》に日射《ひざ》しを避けている。
紙製の笠は、山谷堀《さんやぼり》に住む笠つくりの嘉平《かへい》が、
「夏は、このほうが軽くてよろしいかと存じます」
わざわざ小兵衛のために考案し、届けてくれたものであった。
浅草の東本願寺前から上野山下へ通じる道を、土地《ところ》の人びとは〔新寺町通り〕とよんでいる。
この通りの両側には、びっしりと寺院がたちならんでい、したがって仏具屋も少なくない。
その中でも、〔藤方屋宗兵衛《ふじかたやそうべえ》〕は七代もつづいている老舗《しにせ》で、京都にも支店があり、藤方屋で扱う仏像や瓔珞《ようらく》、位牌《いはい》、仏壇などは江戸市中の諸寺院から武家・町家をふくめての得意先も多く、店構えも立派なものだ。
この日、秋山小兵衛が訪れたのは、ほかならぬ藤方屋宗兵衛方である。
小兵衛と藤方屋の関係は、つぎのようなものだ。
藤方屋の先祖は、何でも武家だったそうな。
その所為《せい》か、代々の主人は一応、武道の心得があったとかで、先々代の当主は小兵衛の師・辻平右衛門《つじへいえもん》の弟子であり、先代は小兵衛の許で五年ほど修行をした。
そして、当代の藤方屋宗兵衛は、小兵衛の口ぞえによって、元鳥越《もととりごえ》に道場を構える牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》へ入門し、いまも暇を見ては稽古《けいこ》をつづけている。
宗兵衛は、当年四十二歳になるが、小兵衛が見知っている藤方屋の当主三人のうちでは、もっとも剣の筋がよい。
商家ながら、代々の当主が武道を修めるという藤方屋の家風はめずらしいといえる。
これは何も、強くなりたいとか剣士になりたいとかいうのではなく、つまり、武道を修めることにより自分の人格を高め、ひいては老舗の主人として、
「はずかしからぬ……」
人となるためのものであったろう。
「これはこれは秋山先生。ようお越し下さいました。日ごろは無沙汰《ぶさた》をいたしまして、申しわけもござりませぬ」
折しも店にいた藤方屋宗兵衛は、入って来た秋山小兵衛を迎え、下にも置かぬ慇懃《いんぎん》さで奥へ案内する。
牛堀九万之助の門人ながら宗兵衛は、亡《な》き先代の師であった小兵衛へも、師弟の礼をくずさなかった。
藤方屋は奥深い造りで、奥庭に面した客間へ通ると、
(ここが江戸の町中か……?)
と、おもうほどの静かさで、庭を吹きぬけて来る風も冷んやりと感じられる。
藤方屋|宗兵衛《そうべえ》は、妻のお八重《やえ》との間に一男一女があり、先代は五年ほど前に病歿《びょうぼつ》したが、生母のお順《じゅん》は七十歳の長寿をたもち、いまも元気であった。
「前を通ったので、立ち寄ったまでじゃ。かまうてくれるなよ」
「大《おお》先生も、お変りなく、うれしゅうござります」
言葉は月なみだが、宗兵衛の真情がこもっている。
「お前さんのところも、変りはないかえ?」
「おかげをもちまして……」
「何よりじゃ」
そこへ宗兵衛の妻が茶菓を運んであらわれ、小兵衛へ挨拶《あいさつ》をし、引き下って行った。
庭の木々で法師蝉《ほうしぜみ》が鳴いている。
秋は、そこまでやって来ているのだ。
奥庭の向うに二棟の土蔵の一部が見えた。
藤方屋の身代が、
「大変なものだ」
との噂《うわさ》は、小兵衛の耳へもきこえていた。
秋山小兵衛は、ゆっくりと茶を飲み、腰の煙草《たばこ》入れから銀煙管《ぎんぎせる》を引き出しつつ、
「明日は、たしか、先代の命日であったな?」
「さようでございます」
「祥月《しょうつき》は十月であった」
「はい」
「いまも何かえ、毎月の命日には墓|詣《まい》りに出かけるのかえ?」
「母は、かならずまいります」
「なるほど。あれほどに先代とは夫婦仲がよかったゆえ……」
「私も、ちかごろは、母の供をして寺へまいりますのが、たのしみになりましてございます」
「ほう……」
「今年に入りましてからは、私も毎月の墓詣りを欠かしませぬ」
「それは何より」
「と、申しますのも、御存知のように、私の家の菩提所《ぼだいしょ》は目黒の長徳寺《ちょうとくじ》でござりまして」
「うむ、うむ」
「墓詣りをすませましてから、目黒の不動様へ参詣《さんけい》をいたし、裏門前の伊勢虎《いせとら》へ立ち寄り、昼餉《おひる》をいただきますのを、母がその、大変によろこんでくれますもので、私もその母がよろこぶ顔を見たさに墓詣りが欠かせなくなりました」
「おお、うらやましいはなしじゃ。結構、結構」
しきりにうなずく小兵衛の両眼《りょうめ》が、わずかに潤《うる》みかかっているではないか。
それと見て、藤方屋宗兵衛が、
(…………?)
不審におもった。
かつてないことであったからだ。
こうしたときの小兵衛は、共によろこんでくれ、明るい笑顔を見せても泪《なみだ》ぐむまでのことはないはずである。
「では何かえ、明日も母|御《ご》と共に長徳寺へ?」
「はい」
目黒不動・裏門前の料理屋〔伊勢虎〕には、小兵衛も何度か客となっていたし、おはる[#「おはる」に傍点]も知っている。
竹林に包まれた奥座敷へ入り、春は目黒名物の筍《たけのこ》、夏は鮎《あゆ》や鯉《こい》などで、ゆっくりと酒食をするのは、なかなかよいものだし、宗兵衛の母がよろこぶのも当然であろう。
宗兵衛がついて来ぬとなれば、そこは女ゆえ、母のお順は料理屋などへ立ち寄ろうともせぬ。
その、お順が二度目の茶を運んで客間へあらわれた。
「秋山先生。お久しゅうございます。いつも、おすこやかにて、蔭《かげ》ながら、うれしゅう存じます」
両手をつかえ、お順は深々と白い頭をたれた。
「いや何、あなたも七十には見えぬ。この暑さにもすがすがしい顔の色じゃ。結構、結構」
小柄《こがら》ではあるが、愛くるしい顔だちはむかしと少しも変らず、宗兵衛の妻は、
「私の自慢の姑《はは》でございます」
と、お順のことをいう。
それほどのことゆえ、藤方屋宗兵衛の家は和気藹々《わきあいあい》とした明け暮れがつづいているにちがいない。
お順は、小兵衛と宗兵衛のはなしが済んではいないとおもったかして、
「では、のちほど……」
挨拶をして、奥へ引き取って行った。
秋山小兵衛が宗兵衛の家族と奉公人に見送られ、藤方屋を辞去したのは、それから半刻《はんとき》ほど後のことだ。
小兵衛は、橋場《はしば》の秋山大治郎宅へ立ち寄り、初孫《ういまご》・小太郎の顔を見ることもせず、まっすぐに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどって来た。
軽く昼餉《ひるげ》をすませてから、小兵衛が、
「おはる。すこし昼寝をするぞ」
「それがようござんすよう」
「弥七が来たら、すぐに起しておくれ」
「あい、あい」
「すまぬが、腰を揉《も》んでくれぬか」
「あれ、いやだねえ」
「どうして?」
「そんなことをいいなさると、こころ細い」
「何をいうか。六十をすぎた爺《じじい》が腰を揉ませるに何のふしぎがあるのじゃ」
「だって、ついぞ、ないことだから……」
「いつもは我慢をしているだけのことよ」
「あれまあ、水くさいよう、先生」
四谷《よつや》の弥七が傘《かさ》屋の徳次郎をつれて隠宅へあらわれたのは、夕闇《ゆうやみ》が淡くただよいはじめてからであった。
起きあがった小兵衛は、
「御苦労じゃのう。ま、ともかくも二人して、湯殿で汗をながしてくるがよい」
と、いった。
この夜、弥七と徳次郎は小兵衛の隠宅へ泊った。
翌日は、朝から薄曇りの天候で、気温も下ったし、しのぎやすかった。
藤方屋|宗兵衛《そうべえ》が、母のお順と共に新寺町の店を出たのは五ツ(午前八時)ごろであったろう。
そのころ、浅草から目黒までは一日がかりの外出《そとで》といってよいが、そこは藤方屋の主人と母親だ。なじみの駕籠《かご》屋から町駕籠を二|挺《ちょう》たのむのが常であった。
宗兵衛が同行をせぬときは、店の手代と女中が徒歩で、お順の供をするわけだが、今年に入ってから毎月のように宗兵衛が同行するので、お順は大よろこびらしい。このときは供をする者がいない。お順も息子と二人きりのほうが、尚更《なおさら》にうれしい。
先代とお順との間に生まれた子は宗兵衛一人きりなのだ。
四ツ半(午前十一時)すこし前に、二人を乗せた駕籠は目黒へさしかかった。
白金《しろがね》の通りから六軒茶屋町を経て、行人坂《ぎょうにんざか》を下る道筋は目黒不動への参道でもある。
駕籠|舁《か》きは、何度もお順を乗せているので老体が疲れぬように駕籠を担《かつ》ぐ。
行人坂を下り、目黒川に架かる石造りの太鼓橋をわたってから、二挺の駕籠は道を左へ曲がった。
田地の中の道だが、長徳寺へ行く近道なのだ。
そして墓|詣《まい》りと目黒不動の参詣《さんけい》をすませ、名物の黒飴《くろあめ》などをお順が孫のみやげに買い、伊勢虎《いせとら》で昼餉《ひるげ》をしたため、帰途につくときは参道をまっすぐに行人坂へ出る。
田地の中を通っている道には、土地の百姓たちの姿をちらほらと見かけるだけで、目黒不動参詣の人びとは、ほとんど歩んでいない。
ここまで来れば、江戸も郊外である。
田畑や木立が一面にひろがり、まったくの田園風景であった。
「旦那《だんな》。今日は涼しゅうございますね」
と、宗兵衛のほうの駕籠舁きが声をかけてよこした。
「ほんとうに、しのぎやすい」
「もう、かんかん照りには飽き飽きしてしめえました」
「今年は、ことに暑かった」
「まったくで」
道は深い木立の中へ吸い込まれていた。
その木立を抜けると、前方に長徳寺の大屋根がのぞまれる。
お順を乗せた駕籠が先に行き、その後から宗兵衛の駕籠が行く。
あたりに、人影は絶えていた。
お順の駕籠が木立の中の道へ消えた。
ちょっとの間を置いて、宗兵衛の駕籠が木立の道へ入ったとき、
「おや?」
先を担いでいた駕籠舁きが、
「何か、妙な声が聞こえたようだが……」
と、つぶやいた。
しかし、足を止めたわけではない。
「あれっ……」
今度は、二人の駕籠舁きが驚愕《きょうがく》の叫びを発した。
「どうした?」
宗兵衛が駕籠から半身を乗り出した瞬間、二人の駕籠舁きが悲鳴をあげて打ち倒れた。
当然、駕籠は道へ投げ出された。
はっ[#「はっ」に傍点]となった藤方屋宗兵衛が両手を地に突き、われから勢《はず》みをつけて外へ転げ出るや、すっく[#「すっく」に傍点]と立ちあがった。
さすがに、ただの仏具屋の主人ではない。
立ちあがった宗兵衛の眼に入ったものは何であったろう。
二人の駕籠舁きは、木蔭《こかげ》から走り出た四人の曲者《くせもの》たちの棍棒《こんぼう》で叩《たた》き伏せられ、気を失って倒れていた。
これは、先へ行った母の駕籠も、同様の目にあっているにちがいないと、宗兵衛は直感した。
だが、息をつく間もない。
裾《すそ》を端折《はしょ》り、顔を布で覆《おお》った四人の無頼どもが、物もいわずに宗兵衛へ打ちかかってきたのだ。
その中の一人が、たちまちに投げ飛ばされ、落ちた棍棒をつかんだ藤方屋宗兵衛が斜め右へ飛び抜けざま、別の一人の胴を払った。
「むう……」
強打を受けたそやつ[#「そやつ」に傍点]が、腹を押え、がっくりと両膝《りょうひざ》をついた。
目にもとまらぬ宗兵衛の早わざといってよい。
「おのれたちは何者だ?」
息もはずませずに咎《とが》める宗兵衛の背後から、
「野郎!!」
喚《わめ》いて棍棒を叩きつけた一人が、躱《かわ》されて前へのめり、のめった背中を宗兵衛の棍棒が打ち据《す》えた。
「う……」
こやつは、目をまわして転倒する。
彼らは怯《ひる》んだ。
宗兵衛は走り出した。
木立の中を、道が左へ折れ曲がっている。
そこを曲がったとき、前方に母を乗せた駕籠が投げ出され、二人の駕籠舁きが気絶して倒れているのが見えた。
母の姿は、何処《どこ》にも見えぬ。
藤方屋宗兵衛の顔から血の気が引いた。
そのときである。
木蔭からあらわれた浪人者がひとり、宗兵衛の前へ立ちふさがった。
袴《はかま》こそつけているが、いかにも垢《あか》くさい浪人者で、手ぬぐいを頭からかぶり、左手を大刀の鍔《つば》ぎわへ当て、無言で宗兵衛へ迫って来た。
この浪人が小野田万蔵だとは、むろん、宗兵衛の知らぬことだ。
「退《ど》け!!」
宗兵衛が叫んだ。
剣術の修行をしているだけに、宗兵衛は、
(この浪人、只者《ただもの》ではない……)
と、看《み》た。
たちまちに、小野田万蔵は間合《まあい》をつめて来る。刀も抜かずに恐れげもなく迫って来る。
たまりかねた藤方屋宗兵衛が、
「やあ!!」
気合声を発して万蔵へ棍棒を打ち込んだ。
ぱっと飛び退《しさ》った万蔵の腰間《ようかん》から光芒《こうぼう》がふき出し、宗兵衛の棍棒を二つに切り割った。
「おのれ……」
今度は宗兵衛が飛び退り、手に残った棍棒を小野田の顔めがけて投げつけた。
小野田万蔵は片膝をつき、飛んで来た棍棒を頭上に躱し、そのままの姿勢で大刀の峰を返した。
それを見て宗兵衛は、
(この浪人、私を斬《き》り殺すつもりではないらしい)
と、わかったが、
(いけない。私とは段ちがいだ)
総身に冷たい汗が滲《にじ》んできた。
小野田万蔵が刀を構えたまま、ゆっくりと立ちあがった。
藤方屋|宗兵衛《そうべえ》は帯から白扇を抜き取り、これを構えたが、到底ふせぎきれるものではない。
宗兵衛の背後には、棍棒《こんぼう》をつかんだ無頼どもが、じりじりと迫って来る。
「お前方は、何者だ?」
と、宗兵衛がいった。
そのとき小野田万蔵が、一気に走り寄って来た。
来たかとおもうと、
「あっ……」
叫んで、よろめき、左手を顔へあてがい、片膝《かたひざ》をついてしまった。
木蔭から飛んで来た石塊《いしくれ》が小野田の顔へ命中したのだ。
「小野田万蔵。久しぶりじゃな」
よびかけて、秋山小兵衛が木蔭《こかげ》からあらわれた。
小野田は驚愕《きょうがく》のあまり、声も出なかった。
「あ、秋山先生……」
これも、おどろいた藤方屋宗兵衛へ、
「こちらへ……」
手まねきをした小兵衛が、
「よいところへ通り合わせた」
「は、はい」
「向うに、せがれの大治郎がいる。早く行きなさい。母御は無事じゃ」
「そ、そりゃ、まことでございますか?」
「さ、行きなさい」
と、小兵衛が木立の中の一角を指した。
うなずいた宗兵衛が木立の中へ駆け込んで行くのを見て、
「野郎!!」
「待ちゃあがれ!!」
無頼どもは、小兵衛を単なる小柄《こがら》な老人だとしかおもわなかったらしい。
「後をたのみましたぜ」
小野田へ声をかけ、宗兵衛の後を追って木立の中へ走り込もうとした。
秋山小兵衛は、それを追おうともせぬ。
小野田万蔵は片膝を立てたまま、大刀を小脇《こわき》にそばめ、目を伏せたまま身じろぎもしなかった。
「小野田。すでに、お上《かみ》の手がまわっているのじゃ。どうする?」
「…………」
「金がほしかったなら、何故《なぜ》、わしのところへ訪ねて来なかったのじゃ?」
「…………」
「どうする、え?」
二歩三歩と近寄って来る小兵衛へ、
「ごめん」
叫びさま、立ちあがった小野田万蔵が小兵衛の左胴へ抄《すく》いあげるように斬りつけた。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と小兵衛の躰《からだ》が、わずかにうごき、二人の躰が背中合わせに、もつれ合った。
「む!!」
小兵衛に躱《かわ》され、向き直って大刀を振りかぶった小野田のすぐ目の前に小兵衛の顔があった。
その顔の両眼《りょうめ》の凄《すさ》まじい光りが、そのまま小野田の眼の中へ飛び込んできた。
「ぬ!!」
飛び退《しさ》った小野田の胸もとへ、小兵衛の抜き打ちが疾《はし》った。
小野田の埃《ほこり》だらけの着物と共に腹巻も切り裂かれ、一昨日、船宿の鯉屋《こいや》の二階で怪しい男からもらった小判が十枚、音をたてて道へ落ちた。
同時に、秋山小兵衛の大刀は鞘《さや》に吸い込まれている。
「せ、先生……」
泣いているような、小野田の声であった。
小野田万蔵は大刀を落し、その場にひれ伏して頭を抱えた。
「逃げよ」
「………?」
「逃《のが》してやろう。早く去れ」
「せ、先生……」
「わけあって逃してやるのじゃ。二度と、かようなまね[#「まね」に傍点]をするなよ」
ふところから胴巻をつかみ出した小兵衛が、
「二十両ある。持って行け」
こういって、小野田の前へ投げた。
秋山小兵衛は小野田へ背を見せて木立の中へ入って行きながら、
「こころが落ちついたなら、鐘《かね》ヶ淵《ふち》のわしの家へ訪ねて来いよ。わかったな」
やさしくいった。
木立を突き抜けた向う側の草原では、藤方屋宗兵衛が母のお順と抱き合っている。
お順の駕籠《かご》を襲い、お順を担いで此処《ここ》まで逃げて来た三人の無頼どもは秋山大治郎に叩《たた》き伏せられ、弥七と徳次郎が縄《なわ》をかけてしまった。
そのほかに、もう一人、小野田万蔵を金二十両で雇い、藤方屋宗兵衛を襲わせた怪しい男も縄にかかっていた。
こやつの顔を見たとき、宗兵衛とお順は実におどろいた。
三年前に、店の金をつかいこみ、女狂いをしはじめたので解雇した番頭の一人で、佐四郎《さしろう》という男だったからである。
宗兵衛を追って来た無頼どもは、このありさまを見て、あわてて逃げてしまったようだ。
後にわかったことだが、佐四郎は半年も前から、藤方屋宗兵衛と母を襲うたくらみをしていたらしい。はじめは、お順だけを誘拐《ゆうかい》し、身代金《みのしろきん》千両を宗兵衛から引き出すつもりだったが、お順が外出をするのは月に一度の墓参だけだし、それには今年になってから必ず宗兵衛がついて来るので、手を出しかねていた。
旧主人の宗兵衛が牛堀《うしぼり》道場の門人であることを、佐四郎はわきまえている。
ところが……。
六日ほど前に、深川の富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》の境内で、どこぞの大名の家来らしい三人連れが酒に酔って、通りかかった小野田万蔵へからみ、さんざんに愚弄《ぐろう》したので、たまりかねた小野田が刀も抜かずに三人の侍へ当身をくわせたのを見た佐四郎は、
(これだ!!)
とばかり、立ち去る小野田の後を追ってはなしかけ、三日がかりで口説《くど》き落したのだそうな。
佐四郎は配下の無頼どもを使って、これまでにも何度か恐喝《きょうかつ》や強請《ゆすり》をはたらいていたという。
佐四郎以下、捕えられた無頼の者どもは奉行所の調べを受け、たちまちに、それぞれの刑罰が決まった。
佐四郎は打ち首にされるらしい。
そのことを四谷《よつや》の弥七《やしち》が隠宅へ知らせに来たとき、秋山小兵衛は、折しも訪ねて来た息・大治郎と共に酒を酌《く》みかわしていた。
この日も晴れわたっていたが、もはや暑熱は去った。
夕暮れの風は冷たく、燗《かん》をした酒のうまさは格別であった。
「小野田万蔵を、見逃してくれてありがとうよ」
しみじみと、小兵衛が弥七へいった。
「とんでもございません」
「ほんらいなら、お上の御縄にかけなくてはいけないのだ。それは、わしもよくわかっていた。いたがしかし、何としても捕えることができなかったのじゃ。弥七。ま、ゆるしてくれ」
「よく、わかっておりますでございます」
「いや、いや……」
かぶりを振った小兵衛が、
「おはる[#「おはる」に傍点]には語っておいたが、お前たちには、まだ打ちあけていないことがある」
「え……?」
弥七は、大治郎と顔を見合わせた。
小兵衛は、あの日、船宿の隠し部屋で佐四郎と小野田万蔵の密談を聞き、彼らが襲撃の当日に待ち合わせる場所と時刻を知った。
そこで、大治郎や弥七たちと共に、その場所(品川台町の雉子宮《きじのみや》の社《やしろ》の境内)へおもむき、ひそかに無頼どもを尾行し、藤方屋|母子《おやこ》の危難を救ったわけだが、そのとき小兵衛は四谷の弥七に、
「小野田万蔵のことは、わしにまかせてもらいたい」
と、念を入れた。
弥七は、むかし、小野田の顔を二、三度見ているし、その境遇もわきまえていたのである。
何しろ弥七は、少年のころから秋山道場へ出入りし、稽古《けいこ》をつけてもらっていたのだ。
「父上。それは、小野田万蔵についてのことですか?」
「うむ」
「何のことでしょう?」
「小野田は実の両親を知らぬ。それは、お前たちも知っているはず」
「はい」
「なれど、わしは知っている」
「何と申されます」
「いまは亡《な》くなられたが、二千石の大身《たいしん》で本多駿河守《ほんだするがのかみ》様……」
「はい。父上の道場の面倒を見て下されたとか……」
「さよう。家来衆が十人も入門してくれた。その本多駿河守様が奥向きの若い女中に手をつけ、子を生ませた」
「では、その子が小野田万蔵……」
「いかにも」
うなずいた小兵衛が、
「ほんらいなれば、妾腹《しょうふく》の子として御屋敷で暮せるはずのものが、駿河守様の奥方が大変に悋気《りんき》深くてのう。やむなく金をつけて、その若い女中を実家《さと》へ帰したのじゃ。万蔵が生まれたのは、その後のことよ」
「では、いまの本多様とは、腹ちがいながら御先代の血を分けた兄弟どうしということになりますな」
「そのとおり」
「ふうむ……」
「先代の本多様も、あわれにおもわれたかして、辻平右衛門《つじへいえもん》先生の口ぞえで、小野田定七郎の子とした。むろん、かなりの金をつけそえたはずじゃ。小野田定七郎は養子としてではなく、実の我が子として育てたわけだが、定七郎亡きのち、後を継いだ小野田平十郎が、この秘密を万蔵に告げた。それより後のことは、お前たちも知っていよう」
「なるほど、これは……」
いいさして、弥七も声をのんだ。
奥方の悋気さえなかったら、小野田万蔵は二千石の大身旗本の子息だったはずで、うまく行けば、しかるべき旗本の家へ養子にも出られたわけである。
それが、一個の無頼浪人として捕縄《ほじょう》をかけられるところであった。
(大《おお》先生が逃がしておやりなすったのも、むりはない)
と、弥七はおもった。
大治郎が膝《ひざ》をすすめ、
「父上。それで小野田万蔵の生みの母は、もはや亡くなりましたか?」
「生きている」
「どこにです?」
「藤方屋|宗兵衛《そうべえ》を生んだ、あのお順という母親がそれ[#「それ」に傍点]じゃ」
これには、大治郎も弥七も瞠目《どうもく》した。
「父上。それは、まことなので?」
「お順の実家は、赤坂・表伝馬町《おもててんまちょう》の印判師で宮下金兵衛《みやしたきんべえ》方だが、万蔵を小野田家へやった後、その悲しみをまぎらわすため、これは、わしの口ぞえで藤方屋の奥向きへ奉公に出た。何といっても二千石の奥女中をつとめてきただけに、藤方屋でも大事にあつかい、ことに先代がすっかり気に入ってしまい、二年ほど後に、自分の女房にしてしまい、そこで生まれたのが、いまの藤方屋宗兵衛じゃ」
「それでは、いまの藤方屋のあるじと万蔵とは、母親の血がつながっていることになりますな」
「申すまでもない」
「ふうむ……」
「弥七」
「はい」
「これで、わしが小野田万蔵を捕えきれなかったことがわかってくれたかえ?」
「よっく、わかりましてございます」
「大丈夫。小野田は、きっと立ち直ってくれよう」
「父上。藤方屋のあるじは、母親が、本多様の子を生んだことを知っているのでしょうか?」
「知るまいよ。先代も知らなかったはずじゃ。藤方屋の先代は腹のふとい男でな、女房にしたお順の、以前の事どもなど少しも気にかけなかったろう」
そこへ、おはるが夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運びはじめた。
それを見た秋山小兵衛が、
「また、泥鰌《どじょう》かえ」
うんざりした顔つきになると、おはるは、
「だって、精がつくものねえ」
にっこりと笑ったものだ。
大治郎と弥七は、夕闇《ゆうやみ》が濃くなった庭先へ視線をとどめたまま、沈黙している。
小野田万蔵からの手紙が鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ届いたのは、この年の秋も過ぎ、冬がやって来たばかりの曇り日の午後であった。
万蔵の手紙を届けて来たのは、本所《ほんじょ》の三ツ目の〔相模屋《さがみや》〕という煮売り酒屋の若い者で、
「へい。お客からたのまれたので……」
と、おはる[#「おはる」に傍点]にいったそうな。
このとき、秋山小兵衛は居間へ炬燵《こたつ》を入れさせ、そこへもぐりこみ、うつらうつらと昼寝をしていた。
おはるにゆり起されて、小兵衛が手紙を読みはじめたのへ、
「だれからですか?」
「小野田万蔵じゃ」
「あれ、まあ……」
「此処《ここ》へ立ち寄るつもりで江戸へ出て来たが、どうにも、わしが怖くて立ち寄りかね、煮売り酒屋で筆紙を借り、この手紙をしたためたらしいわえ」
「それじゃあ、江戸にいないのですかね?」
「うむ。だが、さして遠いところにいるわけでもないらしい」
小野田万蔵は、あの折、金二十両で藤方屋宗兵衛を、
「叩《たた》き伏せる事……」
を、引き受けたことについて、
「……旅のつれづれに、なぐさみものにいたせし女と、ふと、胸の内が通い合いまして、江戸へ出て共に暮すうち、女が難病にかかり、せめて女が死ぬる前に、よいおもいの一つ二つをさせてやりたく存じ、それで、ついつい、あのような悪事に加担いたしましたること、まことにもって汗顔のいたりにて……」
と、書きしたためている。
「その女のひと、どんなひとなのですかねえ?」
「どこぞの宿場の飯盛り女ででもあったのか、な……」
小兵衛からもらった二十両で、小野田万蔵は女を熱海《あたみ》の温泉《ゆ》へ連れて行き、のびのびと日を送らせたところ、どうしたわけか、病気も快方に向ったという。
そこで、お詫《わ》びと御礼をのべるため、自分ひとりで江戸へ来たが、何としても、小兵衛を訪ねる勇気が出ない。われながら、
「あきれ果てましたなれど、いま少し、御猶予《ごゆうよ》をいただきたく……」
と、ある。
共に暮している女については、
「不幸の女にて、私同様、実の両親の顔も知らぬ生い立ちにて……」
と、小野田は書いている。
「先生は、藤方屋さんのおふくろさまが実の母親だということを、小野田さんにいわなかったのかね?」
と、おはる。
「当り前じゃ」
「それじゃあ、可哀相《かわいそう》ですよう」
「だれが?」
「小野田さんが……」
「何をいう。生まれ落ちて間もなく母の手をはなれ、五十年も過ぎてから、母子の名乗りをしたところではじまるものか」
「だって……」
「おはる。親と子というものはな、生み落し、生まれ出るということだけで成り立つものではないのじゃ。生んだ後、生まれた後の親子の暮しあってこそ、親であり子であるのじゃ。小野田万蔵は、いまもきっと、養い親の小野田定七郎夫婦を真《まこと》の親とおもいきわめているに相違ない」
「そんなものですかねえ……」
「そんなものさ」
と、小兵衛が、
「この世には、いくらもあることよ」
吐き捨てるようにいい、また、炬燵へもぐり込んでしまった。
「先生は、冷たいのだねえ」
「うるさい」
おはるは台所へもどり、はたらきはじめた。
そのとき急に、雨が屋根をたたいてきた。
初時雨《はつしぐれ》である。
「先生。また、寒くなって、いやですねえ」
台所から、おはるが声を投げたが、小兵衛の返事はなかった。
おはるは熱い茶をいれ、台所を出て居間へ入りかけたが、そこではっ[#「はっ」に傍点]としたように立ちどまった。
秋山小兵衛が半身を起し、小野田万蔵の手紙を繰り返し読む姿が目に入ったからだ。
おはるは、そっと台所へ引き返した。
解説
[#地から2字上げ]常盤新平
日本橋で乗ったタクシーの運転手に、お茶の水の山の上ホテルと行先を告げると、その返事が丁寧だった。はい、わかりました。珍しく制帽をかぶった、実直そうな初老の運転手である。
赤信号で車を停《と》めると、彼は話しかけてぎた。山の上ホテルというのは池波正太郎先生の定宿でしょう。やはり日本橋から山の上ホテルまでお乗せしたことがあります。
運転手は池波正太郎の愛読者だった。『鬼平犯科帳』も『剣客《けんかく》商売』も『食卓の情景』も文庫で読んでいるという。『仕掛人・藤枝梅安』は読んだかと訊《き》いてみた。文庫で読みましたという返事である。
池波さんの読者であれば、受け答えも礼儀正しいはずだ。池波先生はおもしろいですねえと彼はなんども言った。私は嬉《うれ》しくなって、おりるときにチップをわたした。これはまぎれもなく池波さんのまねである。
池波さんはタクシーに乗ると、かならず心づけを運転手にわたした。そうすれば、運転手は嬉しいだろうし、つぎに乗る客に対して愛想もよくなるだろう、それが大事なのだよと言われたことがある。
『剣客商売』の秋山小兵衛《あきやまこへえ》もまた四谷《よつや》・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き、弥七《やしち》、その下っ引きの傘徳《かさとく》こと徳次郎に用を頼むときは、二人ともが恐縮するほどにたっぷりと金子《きんす》をわたしている。浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋(駕籠|駒《こま》)の留七や千造にも十分にこころづけをはずむ。
小兵衛の気前のよさ、お金の遣い方のうまさは貧乏な読者にとっては羨《うらやま》しいかぎりである。家のローンや子供の進学や税金などで鬱陶《うっとう》しい日々を送っている読者は、小兵衛が弥七や留七などにぽんと金をわたすシーンを読むと、胸がすっとするおもいがする。
老境にはいったら、私たちもまた小兵衛のように金に不自由しない身になりたいと願い、彼のように融通無碍《ゆうずうむげ》でありたいと思う。小兵衛は悪を懲《こ》らしめる老いたヒーローなのであるが、この老剣客にも凡人なみの悩みがあるので、いっそう彼に惹《ひ》かれるのである。
小兵衛は四十歳も年齢がちがうおはるに手を焼いている。大治郎《だいじろう》の妻、三冬《みふゆ》の産み月が迫って、小兵衛がまるで自分の子が生れるかのようにそわそわしていると、当然、おはるの機嫌《きげん》がよくない。彼女は悪態をつく。
「そんなに男の子がほしければ、私に産ませてごらんなさいよう」
「私が子を産めば、その子に孫ができますよう」
悪態をついても、おはるには可愛《かわい》らしさがある。彼女の台詞《せりふ》の語尾がかならず「よう」になるのは、じつに愛嬌《あいきょう》があって、小兵衛が女の嫉妬《しっと》と虚栄は「相手かまわず、ところきらわず……」と苦笑を浮べながらも、まんざらでもないようすが目に見えるようだ。
『勝負』の第一話「剣の師弟」は、小兵衛がおはるの不機嫌を思いかえすところからはじまる。ころは新緑の季節。まだ淡い夕闇《ゆうやみ》に新緑のにおいが喧《む》せかえるようにたちこめている。そして、最後の第七話、「小判二十両」では、小兵衛は初時雨《はつしぐれ》の音を聞きながら、炬燵《こたつ》にもぐりこんでいる。『勝負』は晩春から初冬にかけての七つの物語である。
その一編一編に秋山ファミリーの新しいメンバーである小太郎《こたろう》が登場してくる。七編の一つひとつの事件のおもしろさもさることながら、小太郎をめぐるエピソードも『勝負』の読みどころである。
「剣の師弟」ではまだ小太郎は生れていない。小兵衛としては初孫《ういまご》は男でも女でも、どちらでもよいのであるが、まず男の子が欲しいと思い、そわそわと落ちつかないで、おはるのご機嫌をそこねる。
第二話の「勝負」で待望の初孫誕生となるが、この一編では小兵衛は傍役《わきやく》にまわり、主役は大治郎だ。ここにも作者の周到な配慮がうかがわれる。
大治郎がまきこまれる事件も「剣の師弟」にくらべれば、暗いものではない。といって単純なことでもない。大治郎は小石川に一刀流の道場を構える高崎|忠蔵《ちゅうぞう》の高弟、谷|鎌之助《かまのすけ》と「勝負」をして負けるのだが、その負け方がさわやかである。その勝負のつけ方が見事というほかはない。
谷鎌之助と別れたあと、思《おもい》川の流れをこえて大治郎は家路を急ぎ、真崎稲荷明神社《まさきいなりみょうじんしゃ》の裏手の丘をのぼりきったとき、近くの百姓の玉吉が石井戸で水を汲《く》んでいるのが見えた。玉吉はおきねの亭主である。おきねは『剣客商売』シリーズの第一編「女武芸者」の冒頭に登場して、道場を構えたばかりで弟子がひとりもいない大治郎に根深汁の朝めしを食べさせる。
大治郎は玉吉の忙しそうなようすを見て、はっとなり、小道を走りだす。玉吉は気がついて駆けよってくると、男の子が生れたことを大治郎に告げる。安産で、母子ともに元気であり、大治郎が家に飛びこむと、三冬の産室からすこやかそうな赤子の泣き声が聞こえてくる。
その半刻《はんとき》ほどあと、小兵衛がおはるの漕《こ》ぐ小舟でやってくる。大治郎が父を迎えに行ったのだ。「剣の師弟」でかつての弟子を斬《き》って、このところ気が滅入《めい》っていた小兵衛も男子出生を聞いて破顔一笑、谷鎌之助との「勝負」を大治郎から聞くゆとりもできて、「剣客商売」の哲学を説くのである。
「剣をもって、人を助くることができるなら、木太刀の試合ひとつに負けたとて何のことやあろう。な、そうではないか……」
だが、おはるは小兵衛に憎まれ口をきくのである。それもまたユーモラスで可愛らしい。
「これで先生も、若先生に頭があがらなくなったよう」
「だって、もう、大《おお》先生は私に子を生ませることができないものねえ」
川蜻蛉《かわとんぼ》がしきりに飛んでいて、空は真青に晴れあがっている。初夏。小兵衛は初孫の名前について思案をめぐらしはじめ、第三話の「初孫命名」へとはなしは移ってゆく。
ところが、初孫の名前はなかなか決まらない。大治郎はひそかに父親の名前から一字もらって、小太郎と命名しようかと思い、三冬もおはるも賛成するが、小兵衛ひとり反対する。孫の名前は自分がつけようという小兵衛は大治郎に対して、頑固《がんこ》おやじだ。
このあたりがなんとも滑稽《こっけい》である。小兵衛は鯉太郎《こいたろう》とか鯛之助《たいのすけ》とかいった名前を考えていて、これにはおはるも三冬も反対している。大治郎も「冗談ではない」と驚き、「魚の名なぞ、私は困る」とも同じ年齢の妻と義母に言う。
小兵衛は思いあぐねて、千駄《せんだ》ヶ谷《や》に住む旧友の松崎助右衛門《まつざきすけえもん》を訪ねる。時期は梅雨《つゆ》にはいりかけていて、夜になると冷えこむ日がつづき、それが原因か、小兵衛は下痢をおこしてしまう。これが事件を知るきっかけになるのだから、作者のいつもながらの語り口のうまさに感心するしかない。
実は小兵衛は歩いていくつもりだった。鐘《かね》ヶ淵《ふち》から千駄ヶ谷までというのは相当な距離である。今日なら東武|伊勢崎線《いせざきせん》で浅草に出て、都営浅草線で浅草橋まで行き、そこで総武線に乗り換えるということになる。だが、小兵衛は健脚だし、小兵衛より若い弥七などは女房が料理屋を営む四谷の家から鐘ヶ淵の隠宅まで一日二往復することもあった。
小兵衛は松崎助右衛門に初孫の名前について相談するつもりだった。妻のお貞《てい》が息子を産んだときも、大治郎という名前にしようと思うがと助右衛門に判断をあおいでいる。助右衛門が言下に賛成したので、大治郎に決まったといういきさつがあった。
だが、助右衛門は駿河台《するがだい》の兄の屋敷へ泊りがけで出かけていて、小兵衛は空《むな》しく帰る。季節は初夏で、助右衛門の家の庭では松蝉《まつぜみ》が鳴いていて、椎《しい》の大木が淡黄色の細かい花をつけている。
初孫の名はなかなか決まらない。その間に小兵衛は金貸し幸右衛門《こうえもん》の遺金千四百両を狙《ねら》った賊を撃退する。この事件が解決したあと、松崎助右衛門が鐘ヶ淵に訪ねてきて、大治郎が小太郎と名づけたいと言っているのを小兵衛から聞いて、一も二もなく賛意を表する。
第四話は三冬が主役を演じている。大治郎と夫婦になったとき、三冬は「男装の女武道」であったが、あれから二年たって、おはると同年の二十四歳になり、濃い眉《まゆ》、切長の両眼《りょうめ》も涼しげな童顔でありながら、人妻の「隠そうとしても隠しきれぬ……」色気が素顔にも姿にもただよっている。
おはるとは対照的であるが、どちらも男にとってはよき伴侶《はんりょ》だろう。小兵衛も大治郎もまことに魅力的な女を妻にしたのである。この二組は世のつねならぬ夫婦であるが、『剣客商売』のシリーズを読んでいるかぎりでは、どちらも似合いのカップルに思われる。
『勝負』の七編を書かれたころの作者は元気だった。年譜を見ると、昭和五十四年(一九七九年)の一月号から十月号まで「小説新潮」に連載されて、十一月に単行本になっている。池波さんが五十六歳のときで、『剣客商売』のほかに、『鬼平犯科帳』を「オール讀物」の一月号から十二月号まで、『仕掛人・藤枝梅安――梅安|針供養《はりくよう》』を「小説現代」二月号〜七月号に連載されている。
さらに「毎日新聞」の日曜版には二月から一年間、『日曜日の万年筆』を連載し、「太陽」には『よい匂《にお》いのする一夜』を二年にわたって毎号書かれている。『日曜日の万年筆』も『よい匂いのする一夜』も池波さんならではの素敵なエッセー集である。
このころ、私はすでに池波正太郎の愛読者になっていたから、この『勝負』の一編一編を「小説新潮」で読んだ。それが救いになった。困っているとき、悩んでいるとき、池波さんの小説はこころを慰めてくれたのである。池波さんを日本橋からお茶の水まで乗せたというタクシーの運転手も『剣客商売』や『鬼平犯科帳』、そして『食卓の情景』や『よい匂いのする一夜』に慰めを見出《みいだ》し、きっと力づけられたのにちがいない。
[#地から2字上げ](平成六年四月、作家)
[#地付き]この作品は昭和五十四年十一月新潮社より刊行された。
底本:剣客商売十一 勝負 新潮社
平成15年1月20日 発行
[#改ページ]
このテキストは、
(一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第11巻.zip 33,508,702 5dfc9f729bcbd443aaac3c449b700bba
を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。
画像版の放流者に感謝。