剣客商売七 隠れ蓑
[#地から2字上げ]池波正太郎
目次
春愁
徳どん、逃げろ
隠れ蓑
梅雨の柚の花
大江戸ゆばり組
越後屋騒ぎ
決闘・高田の馬場
解説 常磐新平
春愁
桜花《はな》もさかりのころになると、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の、秋山小兵衛《あきやまこへえ》の隠宅へも、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)辺《べ》りの其処此処《そこここ》へ行楽に出て来る人びとのざわめきが、つたわってくるかのようだ。
「いまごろは、何処《どこ》へ出て行っても、さわがしくて気疲れするばかりじゃわえ」
小兵衛は、このところ、隠宅へ引きこもり、一足も外へ出なかった。
今日も、小兵衛は居間に寝そべり、昼下りの一時《ひととき》を、うつらうつらとすごしている。
おはる[#「おはる」に傍点]は、朝から関屋村の実家《さと》へ野菜を取りに行き、まだ帰って来ない。
開けはなった障子の向うの庭先へ、人影がさした。
小兵衛は背中を向けたままで、
「どなた?」
「嶋屋孫助《しまやまごすけ》でございます」
「おお……」
振り向き、半身を起して、
「久しぶりだのう」
「ごぶさたをいたしまして……」
「ま、あがりなさい」
「はい、はい」
「あいにくと今日は女の手がないのじゃが、ともかく、いっぱいやろう」
嶋屋孫助は、芝の増上寺中門前二丁目に店舗がある刀屋である。
〔御刀|脇差拵所《わきざしこしらえどころ》〕
の看板を掲げ、刀の鞘《さや》から柄《つか》、鐔《つば》や笄《こうがい》などに至るまで、いっさいの刀装をあつかい、よい職人を抱えているので、大身《たいしん》旗本の屋敷への出入りもすくなくない。
いま、小兵衛が差料《さしりょう》にしている藤原国助《ふじわらくにすけ》の銘刀も、小兵衛の好みを知りつくした嶋屋孫助が苦心の刀装であった。
鞘は呂色鞘《ろいろざや》。柄は白鮫《しろざめ》黒糸の菱巻《ひしま》き。名工・林又七作の秋草をあしらった鐔。むらさきの畝織《うねお》りの下緒《さげお》という上品な拵えで、
「さすがに、嶋屋じゃ」
去年の秋に、国助の銘刀を研ぎにやったのち、すっかり拵えも変えてみたいと、嶋屋にたのみ、刀装が出来あがってきたときは、
「ふうむ。さすがに……」
何日も何日も、その刀装をながめて飽くことを知らぬ秋山小兵衛だったのである。
「すっかり、あたたかくなりましてございますな」
「わしも、あと幾度《いくたび》、桜花《はな》を見ることができるかなあ」
嶋屋は、小兵衛が出した茶碗《ちゃわん》の冷酒《ひやざけ》を一口のんで、ふくみ笑いをした。
「おかしいかえ?」
「大《おお》先生は、おいくつになられました?」
「六十をこえたことは、たしかじゃよ」
「ならば、あと三十度は、桜花をごらんになれましょう」
「ばか[#「ばか」に傍点]をいうなよ」
「いえいえ、私のほうが、先へ、あの世[#「あの世」に傍点]へまいっておりますよ」
五十六歳の嶋屋孫助は、血色もよく、体格も立派なものだが、
「さよう、私なぞは、あと十年も生きればよいほうかと存じます」
嶋屋は、どこでまなんだか知らぬが、人相手相を看《み》る。
それがまた、よくあたることを、嶋屋とのつきあい[#「つきあい」に傍点]が二十年におよぶ小兵衛は何度も見聞きしていた。
しかし、自分が九十余歳まで生きるといわれたのは、今日がはじめてであった。
「嶋屋。そんなに生きていたのでは、たまらないな」
「何をおっしゃいます。御新造《ごしんぞ》さまが、まだ、お若いのに……」
「それをいうな。はずかしいではないか」
小兵衛は、のみほした冷酒の茶碗を置き、
「さて、嶋屋。何か今日は、特別の用事があってのことらしいな」
ずばり[#「ずばり」に傍点]といわれて、
「はい」
こうした小兵衛の、常人には計り知れぬ感能のはたらきを、よくわきまえている嶋屋孫助は、さして、おどろきもせず、
「一昨日《おととい》のことでございましたが……」
「ふむ……?」
「愛宕下《あたごした》の通りで、後藤角之助《ごとうかくのすけ》を……」
「角之助を、見かけたと?」
「はい」
小兵衛の両眼《りょうめ》が、きらり[#「きらり」に傍点]と光った。
このごろ、おはるが餌《え》をあたえるものだから、いい気になってあらわれる三毛猫《みけねこ》が庭へ入って来て、遠くから小兵衛をながめている。
沈黙の後《のち》に、小兵衛が、
「おぬしのことじゃ、後藤角之助の居所を、つきとめておいてくれたろうな」
「はい」
「お前さんが、後をつけたのかえ?」
「愛宕さまの門前にある知り合いの茶店の亭主に、後をつけてもらいましたので」
「そうか。それで角之助は、どのような……?」
「むかしにくらべると、こぎれいな姿をしておりましてございますよ」
「ほう……」
「したが、大先生……」
「む?」
「どうなさいます?」
「どうもこうもないわえ。きゃつめを見出《みいだ》したとあれば、斬《き》って捨てずばなるまいよ」
秋山小兵衛は、しずかにそういって、煙管《きせる》を取りあげた。
その事件が起ったのは……。
小兵衛の息・秋山|大治郎《だいじろう》が父の手もとをはなれ、山城の国|愛宕《おたぎ》郡|大原《おはら》の里へ隠棲《いんせい》していた辻平右衛門《つじへいえもん》のもとへ修行に出た翌年であった。
ちょうど十二年前のことになる。
そのころ……。
秋山小兵衛は、四谷《よつや》仲町にあった道場の主《あるじ》であった。
おはる[#「おはる」に傍点]は、まだ、十一歳の少女にすぎず、関屋村の父母のところにいて、弟の子守をしていたものだ。おはるが小兵衛の道場へ女中に出たのは、それから六年ほどのちのことになる。
当時、四谷《よつや》の秋山道場といえば、小さな構えながら、
「知る人ぞ知る……」
実力をそなえた門人たちがいて、修行の激烈さに堪えかね、新しく入門する者で、十人のうち一人か二人ほど残ればよいほうであった。
したがって、門人の数が多いとはいえなかった。
恩師・辻平右衛門の許《もと》をはなれ、独立したときの秋山小兵衛は、わが道場を拡張し、将軍ひざもとの大江戸に於《お》ける名門に仕立てあげようという野心もないではなかったが、
「そのためには、ただ、おのれの剣を磨《みが》くだけではすまなくなる」
諸家の庇護《ひご》をうけ、援助を受けるためには、自分自身と門人たちを鍛えることに劣らぬ精力をもって、諸家へはたらきかけねばならぬ。
世辞もいわねばならぬし、汚濁のふるまいもあえて仕《し》てのけなくては、大金を得ることはできぬ。
金がなければ、道場の拡張はのぞめない。
「やってやれぬことはなかったが……どうも、日々に道場へ出て、おもいきり稽古《けいこ》をせぬことには、生きている甲斐《かい》がなかった。おのれの芸へ打ち込めば打ち込むほど、名利とは遠くなる。ま、たとえば、わしが、世の中を巧みに泳ぎまわり、わが道場を押しひろげたとする。そうなれば、また、その大きくひろがった道場を持ちこたえるために、芸をそっちのけ[#「そっちのけ」に傍点]にして世の中を泳いでまわらねばならぬ。そうしたら、十年二十年は、またたく間にすぎてしまい、あっ[#「あっ」に傍点]とおもうたときは、わしの剣術がつかいものにならなくなっていよう。よほどに強い奴《やつ》があらわれたりして、勝負をいどまれたとき、なまくらになったわしの体も、手足もいうことをきいてはくれぬというわけじゃ。これでは何のために道場をひろげたのか、わけがわからなくなってしまう。
いっそ、金がほしいのなら、剣術にかぎらず、別の商売をしたほうが、どれだけまし[#「まし」に傍点]なことかと……まあ、そう考えたわけさ。
いずれにせよ、わしは生得《しょうとく》、剣術が好きだったのだ。そこで、立身出世のほうはあきらめたのじゃ」
このようなことを、息子の大治郎にも洩《も》らしたことはない小兵衛が、ほかならぬ刀屋の嶋屋孫助へ苦笑まじりに語ったことがある。
そのくせ大治郎には、
「お前の剣術は、いつになったら商売になるのじゃ?」
などといったりする小兵衛なのだ。
もしやすると小兵衛は、そうした自分の言葉へ対する息子の反応を、凝《じっ》と見まもっているのやも知れぬ。
はなしを、もどそう。
その、十二年前の秋に……。
小兵衛の門人で、笠井駒太郎《かさいこまたろう》という若者が殺害された。
笠井駒太郎は、大和《やまと》・高取二万五千石・植村駿河守《うえむらするがのかみ》の江戸藩邸にいる身分の軽い家来の一人息子であった。
入門したのは、十六歳のころで、剣の筋もよろしく、性格もひたむき[#「ひたむき」に傍点]で、師の小兵衛にはあくまでも素直に接しながら、他の門人たちとの稽古になると、先輩の剣士たちを相手に、外見《そとみ》はむしろ傲岸《ごうがん》とも感じられるほどの堂々たる立ち合いをする。
叩《たた》きつけられ、突きまくられ、血だらけになって打ち倒されても、その態度はどこまでも対等の位をとり、稽古以外のときもへり[#「へり」に傍点]下《くだ》ったり、頭を下げたりはしなかった。
したがって、
「礼儀をわきまえぬやつ」
だと、ずいぶん憎まれたらしい。
ところが小兵衛は、内心に、
(若いうちは、あれくらいでないと、もの[#「もの」に傍点]にならぬわ)
と看《み》て、駒太郎の成長をたのしみにしていた。
ほとんど、口をきかない駒太郎を、あるとき小兵衛が、そっと居間へよび、茶と菓子を出してやり、
「さ、すこしはしゃべってごらん」
こういうと、駒太郎は、
「道場へ来て口をききますと、気合いが逃げてしまいます」
と、こたえた。
その返答も、小兵衛は気に入った。
果して、三年後の笠井駒太郎は、秋山道場でも十指の内へ入るほどの剣士になったのである。入門当時は、眼ばかりぎょろり[#「ぎょろり」に傍点]と大きくて、痩《や》せこけた体だったのが、見ちがえるほどの体格となり、挙動も落ちついてきた。
(いよいよ、たのしみになってきた……)
一人息子の大治郎を他国へ修行に出していた小兵衛だけに、駒太郎がひとしお可愛《かわい》かったのであろう。
笠井駒太郎は、月のうち何日かを道場へ泊り込み、師の小兵衛の身のまわりの世話をするようにもなった。
もっとも、小兵衛が駒太郎へつける稽古は、その可愛さと対照的にきびしかった。
それだけに、彼が突然、殺害されたことを知ったときの、小兵衛がうけた衝撃は烈《はげ》しく、悲しみは深かった。
笠井駒太郎を殺したのは、十二年後のいま、嶋屋孫助が居所をつきとめたという後藤|角之助《かくのすけ》であった。
角之助は、小兵衛の道場からも近い四谷|千日谷《せんにちだに》に住んでいた浪人で、当時二十七歳。
剣術も相応につかうし、人柄《ひとがら》も気さく[#「気さく」に傍点]で、時折、秋山道場へあらわれ、
「ちょいと、汗をかかせてもらいましょうかな」
と、小肥《こぶと》りの体を、それこそ汗みずくにして、ころあいの門人を相手に稽古をしていたものだ。
小兵衛は、角之助に、あまり関心がなかった。
なぜなら、小兵衛が道場に出ているときは、めったにあらわれぬ角之助だったからである。
嶋屋孫助は、小兵衛が不在の折に道場へ来て、二度ほど、角之助を見ている。
刀屋だけに、剣術の稽古を見るのが好きな孫助は、道場で見物をしていて、ほかならぬ笠井駒太郎から後藤角之助を紹介されたという。
そのとき、角之助は、
「いや、とてもとても……おれの差料の拵《こしら》えをたのむような相手ではない。いずれ、ふところが暖かくなったら、たのむとしよう」
と、いったそうな。
それで、嶋屋孫助は、角之助を見おぼえているのだ。
その後藤角之助が、なんのわけあって駒太郎を殺害したかは、いまもって、小兵衛にもわからぬ。
ただ、秋山小兵衛が、
(角之助を見つけたなら、斬《き》って捨てる!!)
おもいきわめているのは、千駄《せんだ》ヶ谷《や》の松平肥前守《まつだいらひぜんのかみ》・下屋敷裏の林の中で殺されていた駒太郎の死体の上に、
「この者、笠井駒太郎を討ったるものは、四谷仲町在住の秋山小兵衛なり」
と、したためられた紙が、小柄《こづか》で刺しとめられていたからだ。
このため小兵衛は、町奉行所の取調べをうけ、大いに迷惑をした。
そのうちに……。
同日の夕暮れ近い時刻に、千駄ヶ谷|八幡宮《はちまんぐう》の境内で、笠井駒太郎と後藤角之助が立ちばなしをしているのを、
「見かけましたよ」
と、いい出た者がいる。
これは、いつも秋山道場へ野菜を売りに来ていた千駄ヶ谷の百姓・為吉《ためきち》であった。
為吉は、道場の武者窓から、門人たちの稽古をのぞき見するのが好きで、駒太郎と角之助が立ち合っているのを何度も見ている。
為吉の証言を得たのは、現場の近辺の聞き込みを根気よくつづけていた四谷の御用聞き・弥七《やしち》の手柄であった。
すでにそのころ、弥七は小兵衛の道場へ稽古に通っていたのだから、必死だったにちがいない。
「それっ!!」
というので、捕手が後藤角之助の浪宅へ駆け向ったけれども、一足おそかった。
浪宅は「蛻《もぬけ》の殻《から》……」で、以来、角之助は行方知れずになっていたのだ。
死体と共にあった件《くだん》の紙の筆跡を照合すべきものは何一つ無い。
門人たちも、また、駒太郎の家族たちも、角之助が彼を殺害するような事情を何も知らぬ。
ただ、道場における二人は、よく稽古をしていたようだが、いわば角之助は正式の門人ではない。
事件の半年ほど前から、ふらりとあらわれ、寛大な小兵衛の黙認を得て、
「体が、鈍《なま》ってはいけぬから……」
と、稽古をさせてもらっていたにすぎない。そして、それは事実だったのであろう。後藤角之助もまた、剣術が好きだったのである。
したがって、角之助と深いつきあい[#「つきあい」に傍点]をしていた門人はなかったし、おそらく、笠井駒太郎とても同様だったのではあるまいか……と、看るよりほかはない。
だが、駒太郎は殺された。
してみると、二人の間には、小兵衛や他の門人たちが知らぬ何らかの事情があったのではないか……。
翌朝も、まだ、暗いうちに、
「ちょいと、出かけて来るぞ」
秋山小兵衛が、まだ、ぐっすりとねむっているおはる[#「おはる」に傍点]へ声をかけた。
「あれ……」
目ざめたおはるが、目をみはった。
いつもの外出《そとで》の仕度ではなく、軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》をつけ、藤原国助《ふじわらくにすけ》の大刀を手にしている小兵衛なのである。
「こんなに早く、どこへ行きなさるんですよう」
「いや、ちょいとな、刀屋の嶋屋《しまや》のところへ行って来る」
「朝御飯もあがらないでかね?」
「嶋屋で食べさせてもらうつもりじゃよ」
「まあ……あきれた大先生だこと」
「日暮れまでには帰る。では、行って来るぞ」
態度と声音《こわね》は、いつもとすこしも変らぬ小兵衛なので、おはるは、いくらか安心をしたらしい。
昨日、自分の留守中に、嶋屋孫助が来訪したことは、小兵衛から聞いていることだったし、
(嶋屋さんと、どこかへ遠出をしなさるのだろうか……?)
と、おもい、せめて、お茶だけをと起きあがったときには、すでに小兵衛、裏口から外へ出てしまっている。
「あれまあ、何を、あわてていなさるのかねえ……?」
出がけに小兵衛が、塗笠《ぬりがさ》を手にしたのを見て、そのことが何となく、おはるには気がかりであった。
小兵衛は、嶋屋孫助方へ立ち寄るつもりはない。
目ざす後藤角之助《ごとうかくのすけ》の居所は、嶋屋からくわしく聞き取った上、そのあたりを簡単に写した絵図のようなものまで書かせておいた。
隠宅を出てからの、秋山小兵衛の足取りは速かった。
芝口の薪河岸《たきぎがし》にある飯屋へ入り、熱い味噌汁《みそしる》で朝餉《あさげ》をすませたとき、まだ五ツ(午前八時)前であったろう。
飯屋を出てからは、ゆっくりと歩み、目ざす場所へ到着した。
そこは、麻布《あざぶ》桜田町にある霞山稲荷《かすみさんいなり》の門前であった。
すなわち、現在《いま》の港区元麻布三丁目にあたる地点で、つい数年前まで、霞山稲荷の名にちなみ、この近辺を〔霞町〕とよんでいたものだ。
霞山稲荷明神は往古、桜田の霞が関にあったのを、江戸が徳川将軍の城下となってのち、麻布へ移された。
本尊は|噤m#「噤vは「託」の「言」を「口」にしたもの、第3水準1-14-85、DFパブリW5D外字="#F39A"]枳尼天像《だきにてんのぞう》で、明神社の縁起はまことに古い。
境内は、さしてひろくないが、石造りの大鳥居前に茶店が七軒ほどたちならび、桜田通りに面していることもあって、参詣《さんけい》の人びとも多く、茶店も繁昌《はんじょう》していた。
小兵衛が目ざす茶店は、大鳥居に向って右の端にある〔猿屋《さるや》〕という茶店なのだ。
藁《わら》ぶき屋根の茶店は、いずれも戸を開けており、朝詣《あさもう》での人びとが茶をのんだり、団子を食べたりしている。
花曇りの、妙に蒸し暑い朝で、小兵衛の老体は汗ばんでいた。
先《ま》ず、霞山稲荷の境内へ入り、本堂、地蔵堂、観音堂《かんのんどう》を拝した小兵衛は、絵馬堂《えまどう》の絵馬をながめつつ、猿屋の裏側を見やった。
裏側は、霞山稲荷南面の木立に接している。
それはつまり、茶店の猿屋の裏口から、境内へも抜けられるということだ。
小兵衛は境内を出て、猿屋の真向いにある茶店へ入り、茶をのみながら、猿屋を見まもった。
年のころは三十二、三に見える大年増《おおどしま》が小女《こおんな》ひとりと共に客をもてなしていた。白粉《おしろい》の気もない顔の血色があざやかで、いかにも健康そうな女だ。これが、猿屋の女あるじなのであろう。
嶋屋孫助からたのまれ、後藤角之助が猿屋へ入るのを見とどけた愛宕下《あたごした》の茶店の亭主・嘉六《かろく》は、そこは商売柄で、近辺の茶店に休み、猿屋のことも、いささかは聞き出してくれた。
猿屋の女あるじは、名をお金《きん》といい、五年前に亭主と死別をしたそうな。
ひとりむすめも病死してしまったお金は、以後、亭主の茶店を女手ひとつに切りまわしているという。
嘉六は、嶋屋孫助に、こういったそうだ。
「ともかく、日が暮れて、猿屋が戸じまりをするまで、あの浪人は入ったきり出て来ませんでしたよ」
浪人……すなわち後藤角之助については、嘉六も、聞きこみをさしひかえた。くわしい事情は知らぬし、うっかり深入りをして、相手にさとられても困る。ともかく自分は、嶋屋の旦那《だんな》に居所をつきとめてくれとたのまれただけなのだから、と、あたりの茶店も戸を閉めはじめたので、引きあげて来たとのことだ。
(さて……どうしてくれようか、な……?)
茶をのみながら、小兵衛は思案をした。
十五年も前の小兵衛なら、いきなり、猿屋へ入って行き、探りを入れたことだろうが、そこは年の功というやつで、もしも、角之助以外の、何も事情を知らぬ人びとへ迷惑がかかってはと、先ず、そのことを考えてしまう。
(ともかく、今日は、この目で、角之助が猿屋にいることをたしかめればよい。その上で、きゃつめを一人きりで、どこかへさそい出さねばならぬ)
このことであった。
そこで、小兵衛は茶の御代《おかわ》りをたのみ、近寄って来た茶店の老爺《おやじ》へこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、猿屋への探りをはじめようとした。
そのときだ。
霞山稲荷の境内から、ふらりと、後藤角之助があらわれたのである。
「さ、これを……」
と、心付だけをわたし、小兵衛は塗笠をかぶりつつ、傍《わき》を向いた。
その前の路上を、角之助が北へ向って通りすぎて行く。
すかさず、秋山小兵衛は茶店を出て、後をつけた。
昼どきも近くなっていることとて、人通りも多い。
(さて、どこで、よびとめてくれようか……?)
路上での剣戟《けんげき》は避けたい。
いや、避けねばならぬ。
なるほど、後藤角之助は、十二年前にくらべて身なり[#「身なり」に傍点]がよくなっている。着物も袴も折目がついているし、総髪にも手入れがゆきとどいていた。
ただし、十二年の歳月はあらそえぬ。
いまの角之助は三十九歳になっているはずだ。
小肥《こぶと》りの体躯《たいく》には、さらに肉がつき、髪の毛が、いくらか薄くなっている。
角之助は材木町へ出ると右へ折れて、六本木の方へ、ゆっくりと歩む。
そして、芋洗坂《いもあらいざか》へ出て、左へ曲った。
左側に、教善寺《きょうぜんじ》という寺院がある。
その境内へ、角之助が入って行くではないか。
(この寺に、何用あってのことか……?)
角之助の後から惣門《そうもん》を入り、松の木蔭《こかげ》へ身を寄せた小兵衛は、彼方《かなた》の鐘楼の下で、後藤角之助が中年の侍と出合い、何やら語りはじめているのを見た。
塗笠の内から目を凝らした秋山小兵衛が、
(や……?)
はっ[#「はっ」に傍点]となった。
その中年の侍を、たしかに見おぼえている。
「ふうむ……」
微《かす》かに、小兵衛は唸《うな》った。
談合をしているらしい二人の顔、その姿が、一種の緊迫をたたえていた。
しばらくして、中年の侍から何やら受け取って、これをふところに入れた後藤角之助がにやり[#「にやり」に傍点]と笑い、肩をそびやかし、惣門の方へもどって来るのを見て、小兵衛は木蔭の位置を移し、これをやりすごした。
中年の侍は、舌打ちをしかねぬ様子で角之助を見送っていたが、このほうは教善寺の裏門から町屋をぬけ、六本木の大通りへ出て行った。
小兵衛は、惣門の外へ出て、後藤角之助が霞山稲荷の方へ引き返して行くのを見とどけるや、反転して境内を横切り、かの中年の侍の姿を追ったのである。
侍は、大通りを東へすすみ、飯倉《いいぐら》の榎坂《えのきざか》へかかる手前を左へ折れた。
その右側の一角に、剣術の道場があった。
門構えも相当なもので、
〔小野派一刀流・飯田平八郎《いいだへいはちろう》〕
と、したためた道場看板が掲げられている。
「さてこそ……」
と、笠の内から小兵衛のつぶやきが洩《も》れた。
飯田平八郎の名も顔も、小兵衛は知悉《ちしつ》しており、数年前から、彼が麻布飯倉に道場を構えていることも耳にしていた。
ただし、その道場を、わが目にたしかめたのは、いまがはじめてであった。
飯田《いいだ》平八郎|直行《なおゆき》という剣客《けんかく》は、はじめ、四谷表町《よつやおもてまち》に道場を構えていたのだ。
そこは、四谷仲町の秋山小兵衛道場とは、それこそ、
「目と鼻の先……」
の、近間であった。
むかし、光昌寺という小さな寺があり、それが淀橋《よどばし》へ移ったのち、荒れほうだいの草地になっていたところへ、堂々たる門構えの飯田道場が建った。
目の前は、道をへだてて紀伊《きい》家の宏大《こうだい》な上屋敷。江戸城の外濠《そとぼり》にも近い。
坂道を曲りのぼったところの、寺と寺とにはさまれた小さな秋山道場とは、構えも地の利も雲泥《うんでい》の差があったといえよう。
飯田平八郎には、下谷《したや》・御徒町《おかちまち》に屋敷がある八千石の大身《たいしん》旗本・室賀大和守《むろがやまとのかみ》が後楯《うしろだて》になっているとかで、道場開きの当日には、大身旗本の家来たちもつめかけ、門人も四十名ほどいて、これらはいずれも、旗本の子弟たちであった。
道場は、いかめしい門と塀《へい》に鎧《よろ》われてい、秋山道場のように、通りかかった物売りが武者窓から気楽に稽古《けいこ》の見物をするというわけにはまいらぬ。
当の飯田平八郎は、三十二、三歳であったろうか。
六尺に近い立派な体躯《たいく》のもちぬしで、これが総髪を肩までたらし、土地《ところ》の人びとにいわせると、
「ぴかぴかと光るような……」
贅沢《ぜいたく》な衣裳《いしょう》に身を包み、門人たちを従え、肩で風を切り、あたりを睥睨《へいげい》しつつ歩む態《さま》は、たちまちに土地の名物となった。
そして、一年ほどのちに、飯田平八郎から、秋山小兵衛へ、
「一手の御指南をうけたい」
という申し込みがあった。
いかに、土地の名物になったとはいえ、仲町の秋山道場の実力は、江戸の剣術界において、
「知る人ぞ知る……」
ものなのである。
これが、遠い場所にあるならば何のことはない。
しかし、目と鼻の先にある。
これは、なんとしても、
「秋山小兵衛を打ち破らねばなるまい」
と、飯田平八郎が決意したものらしい。
名人・秋山小兵衛を打ち倒せば、飯田道場に貫禄《かんろく》もそなわり、光彩は、さらに輝くことになる。
小兵衛は、すぐに、
「よいとも」
と、応じた。
後年の小兵衛なら「他流との試合は、おことわりいたす」と、身を避けたろうが、当時はまだまだ、五十になるやならずで、血気もさかんであった。
飯田平八郎は、門人十人をつれて、秋山道場へ乗り込んで来た。
双方の門人たちが道場の内外へつめかけて、凄《すさ》まじいばかりの熱気が充満する中で、いよいよ、二人が木太刀《きだち》をひっさげてあらわれた。
平八郎は襷《たすき》・鉢巻《はちまき》も物ものしい仕度であったが、小兵衛は短袖《みじかそで》の着物の裾《すそ》を高々と端折《はしょ》り、襷も鉢巻もせぬ姿《いでたち》となり、気楽な調子で、
「さあ、おいで」
と、声をかけたものである。
これで、先《ま》ず、平八郎が激怒してしまった。
われを忘れた激怒は、試合に禁物である。
怒り狂った飯田平八郎の猛烈な打ち込みに対して、
「先生は、これも、まるで弦《つる》をはなれた矢のように、相手のふところへ飛び込んで行ったよ」
と、試合を見ていた四谷の弥七《やしち》が女房に語った。
「それで、どうなったんですよ?」
「それっきりさ」
「それっきりって、お前さん……?」
「だって、お前。飯田の平公が打《ぶ》っ倒れてしまったのだもの。それっきりさ」
「まあ……」
「いや、うち[#「うち」に傍点]の先生の強いのなんの……見物はみんな、ぽかんとしていたぜ。平公は秋山先生の突き[#「突き」に傍点]を喉元《のどもと》へ喰《くら》って、しばらくは起きあがることもできなかったよ」
と、まず、こうしたわけで、飯田平八郎の惨敗《ざんぱい》は、たちまちのうちに四谷一帯にひろまってしまった。
小兵衛は、のちに、
「あの飯田平八郎は、かなりの遣い手だ」
と、洩《も》らしたそうだし、その言葉に嘘《うそ》はなかったろうが、あまりにもあざやかな勝ち振り、負け振りだったものだから、どうにもならない。
何しろ、門人たちのみか、土地の人びとも窓の外から試合を見ていたのだ。
十日後に、飯田道場は閉鎖されてしまい、平八郎直行は何処《どこ》かへ姿を隠してしまった。
いま、その道場跡は、たしか、喜撰堂《きせんどう》という茶問屋になっているはずだ。
後藤|角之助《かくのすけ》が、笠井駒太郎《かさいこまたろう》を殺害し、行方知れずとなった事件は、それから半年後のことであった。
そして、十二年後のいま、六本木の教善寺の境内で、角之助と密談をかわしていた中年の侍が、飯倉《いいぐら》へ移っている飯田道場へ入って行った。
これは、いったい、何を意味するのか?
ただし、秋山小兵衛は、中年の侍に見おぼえがあった。
この侍は試合の当日も、飯田平八郎へ付きそって来て、身仕度の世話をしたりしていた式場某《しきばなにがし》である。平八郎の門人というよりも、むしろ、家来のような物腰であった。
当時の式場は、もっと若かったが、小兵衛の目にあやまち[#「あやまち」に傍点]はない。そういえば飯田平八郎も、すでに四十をこえているはずだ。
(ふうむ……後藤角之助は、飯田道場と関《かか》わり合いがあるのか……そして、それは、近ごろのことなのか、または、十二年前のあのとき[#「あのとき」に傍点]からのものなのか?)
小兵衛の脳裡《のうり》で、事態は、さらに押しひろげられてゆくかのようだ。
(はて……?)
これは、事を急いだとて、はじまらぬことになってきた。
秋山小兵衛は、間もなく、飯田道場の門前をはなれ、四谷の伝馬町《てんまちょう》に住む御用聞きの弥七の家へ向ったのである。
歩みつつ、小兵衛は、笠井駒太郎の死体の刀痕《とうこん》をおもい起していた。
一ヵ所は背中の深い突き疵《きず》である。
そして、致命的な刀痕は、駒太郎の右の頸部《けいぶ》から喉元、胸へかけて切り割られたものであった。
「もう、だめですよ。近所の目もござんすし、こんなこと[#「こんなこと」に傍点]をしていたら、きっと、人の目にもとまり、口にものぼるし、困ってしまいますから……」
とか、さらに強く、
「この家《うち》を、わがもの顔にしていなさるのか。あつかましい」
とか、
「さあ、帰って下さい。帰らないと、大声を出しますよ」
などと、猿屋の女あるじ・お金《きん》は血相を変え、追い立てんばかりにしたのだけれども、後藤|角之助《かくのすけ》は一言《ひとこと》もこたえぬ。
抵抗し、もがきぬくお金の豊満な体を捩《ね》じ伏せるように押し倒し、抱きすくめて、女の体の急所を手指で突き、脚をからめ膝《ひざ》をつかって、たちまちに、身うごきもならぬようにしてしまった。
「よ、よして下さい。やめて……」
もはや、お金の声にはちから[#「ちから」に傍点]が失《う》せ、うったえかけるようにいいつづけるうち、急に、ぐったりとなって呼吸も荒く、
「……どうして、こんな……私は、もう、いけない……」
しどろもどろに、何をいっているのだか、自分でもわからなくなってきはじめた。
角之助の右手が、お金の襟《えり》もとを押しひろげ、ふっくりとこぼれ出た乳房へ顔を押しつけるや、
「ああ……」
お金の双腕《もろうで》が、角之助のくびすじを巻きしめてきたではないか。
(ふん……こいつも、やはり女だのう……)
心得きった角之助は得意満面で、お金《きん》の唇《くち》を吸いながら、腕を伸ばし、蹴出《けだ》しを割って女の秘所へぴたり[#「ぴたり」に傍点]と手の腹《ひら》をつけた。
お金の鼻息は火のように熱し、のしかかってくる男を拒もうともせぬ。
そこは猿屋《さるや》の奥の小部屋で、寝床も敷いてなく、お金は日中、店ではたらく姿のままであった。
そもそも……。
半月ほど前、ぶらりと霞山稲荷《かすみさんいなり》の前へ来かかった後藤角之助は、足休めに、偶然、猿屋へ立ち寄り、お金を見た。
そのとき、お金が竜土町《りゅうどちょう》にある遠州屋という油屋の隠居と語り合っているのを、角之助は耳にはさんだ。
隠居は、よく霞山稲荷へ参詣《さんけい》に来るらしく、お金とは顔なじみの間柄《あいだがら》である。
「ときに、御亭主が亡《な》くなって、何年になるね?」
と、隠居が尋《き》いたのへ、お金が、
「早いもので……もう、五年になります」
「そうなるかねえ。お前さんも、子供がひとりでもいてくれると、さびしさもまぎれようが……」
「いえ、御隠居さん。こうして、一所懸命にはたらいておりますと、別に、さびしくもございませんよ」
これを聞くともなしに聞いたとき、
(この女なら、大丈夫……)
と、見きわめをつけた。
放浪の暮しが長い角之助は、こうした機会を逃すものではなかった。
で、そのときは大様《おおよう》にこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をはずみ、自分の印象をお金に植えつけておいてから外へ出て、猿屋の裏手をたしかめておき、夜に入ってから立ちもどり、裏口から猿屋へ押し込んだ。手つだいの小女《こおんな》は、店をしまうと広尾の家へ帰ることも、お金と隠居の会話で知っていた。
そのときは、もっとも抵抗が激しかったが、剣客でもあり、こうしたことの経験が数えきれぬ角之助にとって、女体の自由を奪うことなど、わけもないことなのだ。
いざとなると、久しく男の肌《はだ》に接していず、必死に忘れようとして忘れきれぬ大年増《おおどしま》のお金だけに、その反応もまた激しく、
(こいつはいい。当分、この女にきめておこうか……)
角之助を、大いによろこばせた。
いまの角之助は、きまった居所がない。
今度は、江戸へもどってから一月半ほどになるが、この十二年間に、四度ほど、江戸へもどっている角之助であった。
江戸にいないときは、大坂か京都にいて、好き勝手なことをして暮し、いよいよ金に詰ってくると江戸へもどる。
もどって来ては、相手[#「相手」に傍点]を強請《ゆすり》にかけ、金を引き出すのである。
その相手こそ、ほかならぬ飯田《いいだ》平八郎なのだ。
十二年前の、あのとき……。
後藤角之助は、飯田平八郎から金五十両で、秋山小兵衛殺害のことを引き受けた。
むろん、剣を把《と》って立ち向えるものではない。
毒殺しようというのだ。
平八郎は、門人というよりも、わが家来の式場|勘右衛門《かんえもん》を通じ、角之助の金ずくのさそい[#「さそい」に傍点]に乗った。
小兵衛に惨敗《ざんぱい》を喫した口惜《くや》しさは、自負心の強烈な飯田平八郎にとって堪えがたく、忘れきれるものではなかったらしい。
そうかといって、これまた、ふたたび剣をまじえて勝てるとはおもえぬ。
そこで、角之助の挑唆《ちょうさ》に乗ったのである。
角之助には、それなりの考えがあった。
秋山道場の笠井駒太郎《かさいこまたろう》が借銀に苦しんでいるのを知っており、先《ま》ず、二十両を貸しあたえておき、さらに三十両をあたえよう。これはむろん、貸すのではない。
「さしあげよう」
そのかわりに、道場へ泊った夜、秋山小兵衛の酒へ毒薬《どくぐすり》を入れてのませてもらいたい、と、もちかけた。
むろん、駒太郎は、これをはね[#「はね」に傍点]つけた。
「では、二十両をすぐさま返してもらいたい」
これが、角之助の切札であった。
あきらかに、笠井駒太郎の面上に、苦悩が疾《はし》った。
このときの、千駄《せんだ》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》における二人の談合を、百姓の為吉《ためきち》が目撃したことになる。
そして……。
しばらくしてから、笠井駒太郎が、近くの木立の中で殺害されたのであった。
下手人を秋山小兵衛にしたのは、後藤角之助が咄嗟《とっさ》のおもいつきである。
ところが、百姓為吉という証人があらわれ、わが身が危うくなったので、角之助は一散に江戸から離れた。
この間に、飯田平八郎が角之助へあたえた金は、笠井駒太郎への二十両と、角之助へ半金二十五両。合わせて四十五両ということになる。
それで結局は秋山小兵衛を殺害できずに、後難を慮《おもんぱか》って道場をたたみ、五年後に、飯田平八郎は麻布飯倉《あざぷいいぐら》へ道場をひらいたのだ。
さて……。
お金は、ほとんど、身につけたものをむしりとられ、うつ伏せになったまま、身うごきもせぬ。
背骨が、両側の肉置《ししお》きに埋めこまれてしまったかのような、ひろびろとしたお金の背中と、大きくもりあがった臀部《でんぶ》とが汗に濡《ぬ》れ光っていた。
「ほうれ、見ろ。もう、おれとは、はなれられないだろうな」
「……」
「おれのような男を手ばなすことはないぞ。ちがうか、おい……」
「およし[#「およし」に傍点]がいるときは、困ります」
と、お金が弱よわしくこたえた。
およしは、通いの小女である。
「ふうん……」
「よ、夜ならば……」
「かまわぬか?」
「日中に、おいでになって、ここで、昼寝なぞしなさるから、困るんですよ」
「よし。せぬよ。わかった。夜に来よう。な、な……」
角之助は、お金の背中を抱きしめ、
「今夜、泊るぞ」
「朝は、およしが来るまでに、帰っておくんなさいますかえ?」
「ああ、帰る。帰るとも」
立ちあがった角之助が下帯ひとつの裸体のままで、台所へ出て、水瓶《みずがめ》の水を柄杓《ひしゃく》に汲《く》み、口へあてようとした、その瞬間であった。
いきなり、裏の戸が外から叩《たた》き破られ、黒い影が飛び込んで来て、小部屋へ逃げかけた後藤角之助の背中を、物もいわずに斬《き》った。
「うわ……」
のめりこむように、小部屋へころげこみ、大刀をつかみかけた角之助の頭を、追いせまった覆面の曲者《くせもの》の一刀が、ざっくり[#「ざっくり」に傍点]と割りつけた。
「むうん……」
仰向けに倒れ、角之助は即死した。
曲者は、一人ではなかった。
「助けてえ……」
悲鳴をあげ、逃げ惑うお金を、別の曲者が躍り込んで来て、斬りつけ、突き刺した。
お金の悲鳴で目をさまして、となりの茶屋の亭主が駆けつけて来たときには、すでに曲者どもの姿が消え失せていた。
となりの亭主の呼びかけにも介抱にも、お金はこたえることができず、間もなく息が絶えた。
それから三日後のことだが……。
下谷御徒町《したやおかちまち》にある室賀大和守《むろがやまとのかみ》屋敷の裏門から、飯田平八郎《いいだへいはちろう》の家来・式場|勘右衛門《かんえもん》があらわれた。
これを、裏門の外に待ちうけていた屈強の侍が二人、式場をまもるように寄り添い、御成《おなり》街道へ出ると、筋違御門《すじかいごもん》の方へ向った。この二人、飯田平八郎の門人である。
式場は、もう春もたけなわだというのに、白茶《しらちゃ》の絹頭巾《きぬずきん》をかぶっていた。
今日も朝から、空が曇っている。
三人が、虎《とら》の門《もん》から江戸見坂へかかったとき、すでに夕闇《ゆうやみ》がたちこめてい、雨も落ちて来た。
三人は、足を速めた。
市兵衛町《いちべえちょう》から我善坊谷《がぜんぼうだに》へ出た三人が屈曲した坂道をのぼりかけようとした。
この坂をのぼり切れば、間もなく飯田道場の前へ出る。
あたりは大名・武家の屋敷がたちならんでい、日中でも妙にさびしい場所なのである。
足を速めて先を急ぐ三人の前へ、右側の組屋敷の塀際《へいぎわ》に屈《かが》み込んでいた小さな人影がふわり[#「ふわり」に傍点]と立ちあがり、近づいて来た。
小男で、塗笠《ぬりがさ》をかぶり、老齢のようであった。
秋山小兵衛だ。
式場勘右衛門が室賀屋敷を出たときから、ひそかに尾行して来た四谷《よつや》の弥七《やしち》が、先まわりをして、小兵衛へ知らせたのである。
「式場殿じゃな」
声をかけて、小兵衛が塗笠を取り、笠の緒《お》を差添《さしぞ》えの脇差《わきざし》の鞘《さや》へ巻きつけつつ、
「秋山小兵衛でござる」
と、名乗った。
名乗る前に、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちどまった式場は、小兵衛とわかったらしい。
あわただしく、式場が二人の門人へ何かささやいた。
うなずいた二人が、式場勘右衛門を庇《かば》うようにして、ぱっと前へ飛び出した。
「これ、式場殿。一言のあいさつ[#「あいさつ」に傍点]もなく、わしに手向いをするつもりかな。こやつどもに、わしの首が打てるとおもうのかえ。それを知らぬおぬしでもあるまい」
「うぬ!!」
門人ふたり、気負いこんで大刀を抜きはらった。
「これ、式場殿。おぬしも知ってのとおり、肝心の後藤|角之助《かくのすけ》が、何者かに殺害されてしもうてな。気の毒に、何の罪もない茶店の女あるじが、巻き添えにされて共に殺されたわえ。そのことを式場殿。おぬしは知っていような」
「う……」
頭巾をかぶっているし、夕闇と雨の中で、式場の顔色はわからぬが、全身が瘧《おこり》にでもかかったようにふるえはじめた。
「さ、式場殿。亡《な》き後藤角之助に代って、十二年前より今日にいたる事件《こと》の釈明をしていただこうか」
式場は、じりじりと後退する。
小兵衛は、眼前に白刃を構えて立ちふさがる二人を全く無視した態度で、
「式場殿。わしと共に、まいられよ」
よびかけたとき、
「たあっ!!」
門人の一人が、中段につけた刀を脇構えに転じ、その勢いをもって、下から小兵衛の老体をすくいあげるように斬《き》りつけて来た。
小兵衛の体が、地を蹴《け》って舞いあがった。
するどい刃風は、小兵衛の足の下の空間をなぎはらい、同時に、小兵衛の足は、こやつの頭を蹴りつけ、道へ飛び下りている。
「あっ……」
あわてて、飛び退《しさ》る別の一人の脇を小兵衛が斜めに走りぬけざま、藤原国助《ふじわらくにすけ》の大刀を抜き打った。
「うわ……」
そやつは、小兵衛の抜き打ちに左股《ひだりまた》を深く切り割られ、地へのめった。
小兵衛に頭を蹴られた門人は、組屋敷の向うの細道から駆け寄って来た四谷の弥七の十手《じって》にくびすじ[#「くびすじ」に傍点]を打たれ、がっくりと気をうしなった。
細道からあらわれたのは弥七のみではない。
一|挺《ちょう》の町駕籠《まちかご》が、傘《かさ》屋の徳次郎につきそわれ、道へ出て来た。
「さ、あの駕籠へ乗ってもらいたい」
刀にぬぐいをかけ、鞘へおさめつつ近づいてくる秋山小兵衛の前から、もはや、式場勘右衛門は逃げる気力さえも消え果てていた。
股を切られた門人は苦痛の唸《うな》り声を発し、必死に逃げようとしている。
秋山小兵衛は、捕えた式場|勘右衛門《かんえもん》を町奉行所へ送った。
四谷《よつや》の弥七《やしち》がつきそって行ったこともあり、奉行所でも、十二年前の事件の調書《しらべがき》を蔵から引き出し、再吟味に取りかかった。
数日後。
式場の身柄《みがら》は、幕府|評定所《ひょうじょうしょ》へ移された。
評定所は、幕府の最高裁判所としての機能をもつ。
これは、式場の主人である飯田《いいだ》平八郎の出生《しゅっしょう》の秘密が判明したからであった。
そして、飯田平八郎が、遺恨によって秋山小兵衛を殺害すべく、浪人|剣客《けんかく》の後藤角之助《ごとうかくのすけ》に毒薬をあたえたこともわかった。
角之助は、秘密をもらした笠井駒太郎《かさいこまたろう》を殺し、下手人を小兵衛になすりつけようとしたが、これは、いささか小細工にすぎた。
「まことにもって、あきれ果てたる男にござりました」
と、式場勘右衛門が、取調べにあたった評定所|改方《あらためかた》へ吐き捨てるようにいったそうだが、式場自身、おろかな主人と角之助の間に立ち、金や毒薬を角之助へあたえたりしている。
もっとも、
「いくたびも、あるじを諫《いさ》めましたなれど、おききわけ下されませなんだ」
式場は、こう申し立てたそうである。
小兵衛毒殺に失敗はしたけれども、飯田平八郎と自分との秘密をにぎっている後藤角之助から強請《ゆすり》をかけられ、この十二年間に角之助がしぼり取った金は、実に三百三十両にのぼるというのだ。
大きな門戸を張っているとはいいながら、飯田平八郎は町道場の主《あるじ》である。よくも、それほどの大金を、やみやみと、ゆすり奪《と》られていたものである。
式場は、
「かの、後藤角之助めの狡智《こうち》は、実に人間のものとはおもわれませなんだ」
と、いった。
つまり、悪魔のような角之助にかかっては、これまで、どうしようもなかった。
角之助暗殺のことを何度もはかったが、その手に乗るような角之助ではない。
「金を出さぬと、奉行所へ訴え出る」
と、先《ま》ず、人をつかって手紙をとどけてよこす。
式場と出合う場所は、町なかの寺院であり、時刻は日中にかぎられている。
手をまわして後をつけさせても、角之助は、たくみに姿をくらましてしまうのが常であった。
お金の茶店にいることがわかったのは、偶然のことである。
角之助と式場が、六本木の寺院内で談合しているのを秋山小兵衛が目撃した翌日、式場勘右衛門は、麻布《あざぶ》桜田の法雲寺へ出向いた。
法雲寺には、亡妻の墓がある。
その日は、妻の命日であった。
沈んだこころのままに墓参をすませ、桜田の通りへ出て歩みはじめた式場が、編笠《あみがさ》の内で目をみはった。
向うからやって来た後藤角之助が、霞山稲荷《かすみさんいなり》の門前へ向って行くではないか。
(おのれ、今度は逃さぬ)
ついに、ここで、お金《きん》の茶店の裏口へ入って行く角之助を、式場勘右衛門は見とどけたのである。
つぎの日も、式場は、腹心の門人二名をもって猿屋《さるや》を見張らせ、角之助暗殺に踏み切った。
式場と、この門人二名の経歴を洗ったところ、
「とんでもないことが、わかったらしい」
と、秋山小兵衛が、嶋屋孫助《しまやまごすけ》にいった。
「どんなことなのでございます?」
「さ、それが、わしにもわからぬ」
「ははあ……?」
「なんでも、名をいえばびっくりするような……たとえば、将軍家とも関《かか》わり合いの深い、何十万石という大名の家来だったそうな」
「三人とも?」
「うむ。これはな、田沼《たぬま》様御用人の生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》殿が、ひそかに洩《も》れ聞いたことじゃが、その上のことは御用人も知らぬそうな」
「ふうむ……それでは、飯田平八郎も……?」
「実は、その大名の落胤《おとしだね》らしい。事情《わけ》あって、旗本の室賀|大和守《やまとのかみ》があずかったのであろうよ」
「道理で、いくらも金が出るわけで……」
「さようさ……」
小兵衛は、憮然《ぶぜん》となった。
「それにしても大《おお》先生。ようもまあ、その式場勘右衛門が、何も彼《か》も白状いたしましたなあ」
「六本木の寺で、角之助と談合しているところを、わしに見られているもの」
「なるほど……」
「それはさておき、わしが、我善坊谷で式場勘右衛門の前へ名乗って出たとき、一言の弁明もせず、いきなり、門人二名に指図をし、わしへ斬《き》ってかからせた。これを、お上《かみ》の御用をつとめる弥七が見とどけていたのじゃもの。いかに式場とて、いいぬけ[#「いいぬけ」に傍点]はできぬさ。公儀の評定所は、なかなかどうして甘いものではないよ」
「それで、飯田平八郎は、いかが相なりました?」
「これは内証事じゃが……」
「はい、はい」
「腹を切ったそうじゃ」
「へへえ……」
「もしやすると、その大名のところの家老か何かが出て行って、平八郎に詰腹《つめばら》を切らせたのかも知れぬな」
「ふうむ……はあ……」
室賀大和守への処置は、まだ決っていないが、いずれ、何らかのかたちで責任《せめ》をとらされるにちがいない。
「世の中には、私どもにはかり知れぬ、恐ろしいことがあるものでございますなあ」
「何をいうのじゃ。わたしたちにも、二つや三つは、他人のはかり知れぬ恐ろしいことがあるものじゃ。これ嶋屋。おぬしにだって、ないとはいわせぬぞ」
意外に、小兵衛の声も表情もきびしかった。
嶋屋孫助が、息をのんだ。
春の蝿《はえ》が、障子の桟《さん》にとまったまま凝《じっ》とうごかぬ。
汗ばむほどの日ざしが、庭先にあふれていた。
おはる[#「おはる」に傍点]が酒の仕度をしてあらわれたので、嶋屋は救われたように、
「それにしても、こうなりますると、亡《な》くなった笠井駒太郎さんが、お気の毒で……」
小兵衛は、こたえぬ。
何やら、急に、
(取りつく島もない……)
ような深沈とした目の色になって、庭の一点を凝視したままなのだ。
おはるが台所へ去ってのち、嶋屋孫助が、
「大先生。どうなさいました?」
「そのことよ」
「え……?」
「笠井駒太郎はな、いったん、後藤角之助のさそい[#「さそい」に傍点]に乗りかけ、毒薬を受け取りかけたそうな。じゃが、辛《かろ》うじて、おもいとどまった……」
「えっ……そりゃ、先生。後藤が式場勘右衛門にいったことなので?」
「うむ」
「そ、そんなことは、あて[#「あて」に傍点]になるものではございませんよ。ええ、もう、こうなると後藤が殺されてしまったのが残念でなりませぬな」
「うむ……」
「あの、後藤角之助というやつは、いいかげんなやつでございます。口から出まかせを……」
「駒太郎は、な。愛宕下《あたごした》の水茶屋の女に、金をつぎこんでいたそうな」
「ま、まさか……それも、後藤が式場勘右衛門に……」
「うむ」
「そ、そんなことが、あの笠井さんにあってたまるものではございません」
「おぬしは、駒太郎がひいき[#「ひいき」に傍点]ゆえ……」
「だって、そうではございませんか……」
小兵衛が、だまって盃《さかずき》を出し、嶋屋が酌《しゃく》をした。
いまにして、小兵衛は、
(おもいあたる……)
一事があった。
笠井駒太郎が殺害された半月ほど前に、小兵衛が手文庫へ入れておいた三十両ほどの金が、いつの間にか七両ほど減っていることに気づき、
(はて……?)
不審におもったことがある。
けれども、そのときの小兵衛は、
(わしの、おもいちがい……)
として、あとは忘れてしまっていた。
そのときの不審が、いま、ここによみがえってこようとは……。
あのころ、小兵衛の居間へ自由に入り、身のまわりの世話をしていたのは、笠井駒太郎ひとりだったのである。
(ああ……わしも、いま、この年齢《とし》になって、このようなことをおもい出そうとは……まだ、いかぬな。まだ、わしはだめ[#「だめ」に傍点]な男よ)
それが哀《かな》しい。
わが息子ともおもい、念を入れて仕込んだ愛弟子《まなでし》へのうたがい[#「うたがい」に傍点]を消すことができぬことが、さびしかった。
すべては、殺された後藤角之助の胸底《きょうてい》にひそんだまま、小兵衛の手がとどかぬ幽界へ消え去ってしまったのだ。
「もし……もし、大先生……」
「む……」
「お酌を……」
「おお……」
おずおずと、小兵衛の盃へ酌をしながら、嶋屋孫助が、
「笠井駒太郎さんの御両親は、いまも、植村|駿河守《するがのかみ》様の御屋敷においでなさるので?」
「いや……七年前に母親が亡くなり、父親は、つい先ごろ、この二月に亡くなって、跡をつぐ子なきゆえに、家は絶えた」
今度は、嶋屋孫助が沈黙した。
微風に乗って、桜の花びらがひとつ、居間へながれこんできた。
折しも、酒をもって台所から出て来たおはるが、
「あれまあ……とうに、桜花《はな》が散ってしまったのに、こんな……」
と、花びらをつまみあげるのへ、
「どこかに、遅桜があったのだろうよ」
小兵衛が笑いもせずに、沈んだ声でつぶやいた。
徳どん、逃げろ
その夜も……。
傘《かさ》屋の徳次郎は、千駄《せんだ》ヶ谷《や》にある松平肥前守《まつだいらひぜんのかみ》・下屋敷内の中間《ちゅうげん》部屋で、博奕《ばくち》をやっていた。
松平肥前守|治茂《はるしげ》は、九州の佐賀三十五万七千石の城主で、上屋敷は日比谷《ひびや》御門外にあり、その他に別邸が三つある。
上屋敷は、諸大名の江戸における〔官邸〕だから、屋敷内で博奕がおこなわれるはずもないが、下屋敷には殿様があらわれることなど、めったになく、家来の人数も少ない。
ことに千駄ヶ谷のような、当時では江戸の郊外といってもよい場所にある下屋敷では、なおさらのことだ。
そこで、中間どもが夜になると、自分たちが住み暮している大部屋を博奕場にしてしまう。
したがって、種々雑多な、得体も知れぬ人間が出入りをする。
しかし、下屋敷の家来たちは、
「見て見ぬふり[#「ふり」に傍点]……」
をしているのだ。
むろん、中間部屋から、家来たちには相応の〔鼻薬《はなぐすり》〕をわたしてある。
(今夜は、どうもいけねえ。この辺で、帰るとしようか……)
四ツ半(午後十一時)すぎになって、傘屋の徳次郎は腰をあげた。
松平屋敷の裏塀《うらべい》に沿った大きな長屋一棟が、中間の大部屋で、奥の一郭を仕切り、そこが博奕場になってい、博奕に熱中する男たちの体からふき出る脂汗《あぶらあせ》と酒のにおいがないまざって、なんともいえぬ異臭がたちこめている。
博奕場を出た徳次郎は、出入口に近いところにある、木の柵《さく》で囲った六畳敷きの部屋へ入った。
ここは、中間部屋の小頭《こがしら》をつとめている禄五郎《ろくごろう》の部屋で、酒もあれば菓子も置いてあるのだ。
禄五郎はいなかった。
若い中間にこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をやり、徳次郎は酒をたのんだ。
「もし……」
と、そこへ、後から入って来た中年の男が徳次郎に声をかけた。
「今夜は、いけなかったようだなあ」
「まあ、ね……」
このところ、ここの博奕場で、よく見かける男であった。
身なりも小ざっぱりとしているし、博奕の駆引きも程がよい。勝っても負けても、およそ二刻《ふたとき》(四時間)もすると、引きあげて行く。
大金《おおがね》をもっているわけではないが、勝ったときは、かならず、小頭の禄五郎へ、
「みんなで、のんで下せえ」
相応の金を置いて帰るし、負けたときも、さっぱりと、微笑をうかべて帰る。
それを見ていて、徳次郎は、この男が気に入っていた。
丸顔の童顔で、小肥《こぶと》りの体に愛嬌《あいきょう》があり、奥州《おうしゅう》(東北地方)訛《なま》りがわずかに残っている口調も、この男を、
(どう見ても、憎めねえ男……)
にしていたのである。
(だが、この男、いってえ、何をして食っていやがるのか……?)
そこが、わからなかった。
無頼の者ともおもえぬし、そうかといって、堅気の商売をしているようにも見えぬ。
博奕場での他人の詮索《せんさく》は、いわゆる〔御法度《ごはっと》〕なのだ。
いまの傘屋の徳次郎は、博奕がきらいでない。
だから、半分はたのしみ[#「たのしみ」に傍点]に来ている。
あとの半分は、やはり、お上《かみ》の御用をつとめる四谷《よつや》の弥七《やしち》の下っ引としての神経がはたらいている。
博奕場と遊里とは、犯罪と切っても切れぬ。
弥七をたすけてはたらくうち、何度も諸方の博奕場へ出入りして、はじめは、あまり好きでなかった博奕が、
(このごろは、おもしろくなってきた……)
徳次郎なのである。
親分の弥七も、
「すこし、中間部屋を廻《まわ》って来ねえ」
といい、博奕の金《もとで》をくれることもある。
それほどに、博奕場で耳に入るうわさ[#「うわさ」に傍点]は、江戸の暗黒面をのぞかせてくれるのであった。
「わしはね、八郎吾《はちろうご》というがね」
と、その男が名乗った。
「へえ……八郎吾ねえ」
「お前さんは?」
「徳次郎」
「御商売は?」
「傘屋」
すると、八郎吾が、
「嘘《うそ》だあ」
と、いったものだ。
「傘屋だよ。まぎれもねえ……」
「嘘だあ」
にこにこしながら、八郎吾が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた。
「じゃあ、お前さんの商売は?」
「何もしてねえ」
「ふうん……」
こいつ、変っていやがる、と、徳次郎は苦笑をもらし、
「お先へ、ごめんよ」
腰をあげた。
松平屋敷を出た徳次郎は、畑の道を北へ向った。
若葉のにおいが生ぐさいまでに、夜の闇《やみ》にただよっている。
ふっと、内藤新宿《ないとうしんじゅく》の下町で、小さな傘屋の店を出している女房おせき[#「おせき」に傍点]の顔をおもい出し、
(久しぶりに抱いてやろうかな。そっと帰《けえ》って、いきなり、寝床へもぐりこんでやったら、おせきのやつ、びっくりするぜ)
徳次郎は、今年で四十になる。
女房は、もと、新宿の宿場女郎だったが、徳次郎と〔いい仲[#「いい仲」に傍点]〕になり、親分の弥七が骨を折ってくれ、夫婦にして、傘屋の店まで出してくれたのだ。
(親分のためなら、いつ、死んでもいい)
徳次郎は、心底から、そうおもっている。
「こんな御役目をつとめているのだから、おせき。お前も、いざというときの覚悟をしていてくれ」
かねてから女房にも、そういってある。
「おーい。もし、徳次郎どんよう」
うしろから、声が追いかけて来た。
ぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》をさしつけて見て、
「なんだ、お前さんか……」
追って来たのは、八郎吾であった。
八郎吾は、提灯を持っていなかった。
「どうしなすったえ?」
「いやなに、お前さんと、はなしがしたくてねえ」
「何の、はなしを?」
「盗《つと》めのはなしだよう」
「つとめ……」
とっさに、徳次郎はわけ[#「わけ」に傍点]がわからなかったが、盗賊の世界で、盗《ぬす》むことを盗《つと》めるといいならわしているのを、わきまえていないではない。
「とぼけるでねえよ、徳次郎どん。わしは、ちゃんと、お前さんの正体を見破ったのだものね」
「ふうん……」
徳次郎の胸が、さわぎはじめた。
(こいつ、向うから網へかかってきた……)
そこで、
「その、はなしを聞かせてくれるというのかえ?」
「うん。わし、お前さんを見込んだのだ。お前さん、肚《はら》がすわっている。博奕の仕方を見ていれば、はっきりとわかる」
「ふうん……」
「どうだね?」
「何が?」
「わしと二人きりで、やって見ないかね?」
「盗めをかえ?」
「うん」
「そうさな……」
「見込みはつけてあるのだがね」
「ふうん……」
「どうだね。どうだね?」
「どこへ、見込みをつけなすった?」
すると八郎吾は、いささかもこだわることなく、
「それがね。大川《おおかわ》の向うの鐘《かね》ヶ淵《ふち》に、爺《じい》さまが若《わけ》え女房と二人きりで暮していて、金を大分に持っているらしい。血をながすこともねえし、爺さまと女房をふん[#「ふん」に傍点]縛って、貯《た》めこんだ金をいただいて帰って来る。わけもねえことだ。お前さんに、このところ、ずっと目をつけていたら、二人でやりたくなってきてねえ」
徳次郎は、黙って歩み出している。
こみあげてくる笑いを押えるのに、懸命であった。
その爺さんと若い女房というのは、秋山小兵衛《あきやまこへえ》とおはる[#「おはる」に傍点]にまぎれもない。
(大《おお》先生のところへ押し込んで、わけもねえ盗《つと》めだと……こいつ、どうかしていやがる)
八郎吾が、追いすがって来て、
「どうだね。どうだね?」
「ふうむ……」
「五、六十両から、うまくすると百両はあるとおもうがね」
「ほう……」
「どうだね?」
ちょっと考えてから、徳次郎がこたえた。
「よし。いっしょにやってもいいぜ」
「ほほう……傘徳《かさとく》先生、ひどく見込まれたものじゃのう」
と、秋山小兵衛が、さも、うれしげな笑いを浮べて、
「どうじゃ、弥七《やしち》。世の中というものは、さてさて、おもしろいものではないか」
「まったく……」
そういわれて見ると、四谷《よつや》の弥七も、急に笑いがこみあげてくるのを押えきれなかった。
今朝の……それもまだ、あたりが暗いうちに、傘屋の徳次郎は、四谷|伝馬町《てんまちょう》の弥七の家の、裏の戸を叩《たた》いた。
寝惚《ねぼ》け眼《まなこ》で飛び起きて来た弥七が、
「徳。何か、起ったのか?」
血相を変えて尋《き》いた。
徳次郎ほどの老練な下っ引が、この時刻に駆けつけて来るというのは、よほどの異常犯罪が起ったものと看《み》てよい。
「親分。そ、それが……」
「何だお前、朝っぱらから酔っているのか」
「いえ、酒をのんだだけのことで」
「ま、いいから、ここへ入れ」
「相すみません。ええ、もし、おかみさん。早くからどうも、相すみません」
「なあに、かまやあしない。いま、水をもって来てあげるからね」
「へえ、どうも……」
「いったい、何があったのだ?」
「それが、実は……」
徳次郎が、昨夜から、つい先刻まで一緒だった盗賊の八郎吾《はちろうご》のことを語るや、
「なんだ、徳。そいつの人相から体つきまで、お前そっくりじゃあねえか」
「とんでもねえ。似ちゃあいません。いませんが、なんとなく体つきが似ています。八郎吾の死んだ兄貴というのが、私にそっくりだったそうなので……」
「ふうん……」
「ともかくも親分。これからまた、八郎吾のところへ引き返さなくちゃあなりません。いっしょに朝飯を食べて、それからその……鐘《かね》ヶ淵《ふち》の、目ざす場所を私に見せておきてえ、と、八郎吾が申しますんでね」
「目ざす場所って、お前……そこが、大先生の御宅だと、はっきりしているのか。ええ?」
「だって親分。あのあたりで、若い女房と二人暮しの年寄りといやあ、秋山の大先生よりほかにござんせんよ」
「そりゃ、まあ、な……」
笑い[#「笑い」に傍点]になりきれぬ笑いを浮べた弥七が、煙管《きせる》へ煙草《たばこ》をつめながら、
「それにしても、徳。ずいぶん間ぬけな盗人《ぬすっと》じゃあねえか。選《え》りに選って大先生のところへ押し込もうなぞは、愛嬌《あいきょう》がありすぎるよ」
「ですが親分。大先生は小金《こがね》を持っていなさる。そこへ目をつけたのは、ちょいとしたものではござんせんか」
「ふうむ……」
「大先生の正体なぞというものは、よほどのやつだって、見ぬけるものじゃあねえ。ちがいますか?」
「それにしても、どうしてまた、お前を……」
「いえ、それがさ。八郎吾のやつは、この徳次郎をすじ[#「すじ」に傍点]の通った盗人だと、決めこんでいやがるので」
「ぷっ……」
「笑っちゃあいけませんよ、親分。博奕《ばくち》をしている私を凝《じっ》と見ていて、こいつならとあたり[#「あたり」に傍点]をつけ、はなしをもちかけてみると、私もまた、こいつは長年、親分の下ではたらいているものですから、あいつらの世界[#「世界」に傍点]をまんざら知らねえわけじゃあねえ。それに、こいつは獲物《えもの》が網へ引っかかったとおもうから、こっちも気を入れて相槌《あいづち》を打ったとおもいなせえ。すると、いよいよ……」
「見込まれたというのかえ?」
「そ、そうなので」
「それで徳。お前、そいつをどうするつもりなのだ?」
「冗談じゃあねえ」
と、徳次郎はあわてた。
「それを、いま、親分へ尋きに来たのじゃあござんせんか……」
「そうか……そうだったな」
さすがの弥七も、こんなことに出合ったのは、これがはじめてといってよい。
徳次郎は、はじめ、
(よっぽど、おれ一人で御縄《おなわ》をかけてしまおうか……)
そうおもったが、よくよく看ると、間がぬけているように見えても八郎吾の体のこなし[#「こなし」に傍点]には隙《すき》がない。
「たとえ、私ひとりで組みついても、かなわねえとおもいました」
「ふうむ……」
それに、もう一つ。もしも、八郎吾が江戸の何処《どこ》で暮しているかをつきとめておけば、他《ほか》の獲物も引っかかると考えた。
「親分。こいつは、盗賊改メへゆずりましょうかね」
「まあ、待て」
別に、自分の手柄《てがら》にするつもりはないが、弥七は急に、その八郎吾という盗賊への興味が大きくふくらんでくるのをおぼえた。
(ともかくも、大先生に申しあげてみよう。それから手を打っても遅くはない)
このことであった。
傘屋の徳次郎は、昨夜あれから、青山の六道《ろくどう》の辻《つじ》にある菜飯《なめし》屋へ連れて行かれ、裏二階で酒をのまされた。
夜が明けかかったので、
「女房へ、ちょいと、ことわって来る」
と、八郎吾へいい、ぬけ出して、弥七の家へ駆けつけたのだ。
「後をつけられなかったろうな?」
「ぬかり[#「ぬかり」に傍点]はありません」
「で……いつ、大先生のところへ押し込むというのだ?」
「明後日《あさって》の、夜ふけに……」
「急だな」
「そうなので……」
「よし。八郎吾のところへ引き返せ」
「連絡《つなぎ》は、どうします?」
「いらねえ。お前とおれの呼吸《いき》は合っているはずだ」
「合点です」
徳次郎は、弥七の女房が運んで来た湯のみ茶碗《ぢゃわん》の冷水を一息にのみほし、外へ飛び出して行った。
「こういうことがあるから、長生きをする甲斐《かい》もあるということよ」
と、秋山小兵衛はひざ[#「ひざ」に傍点]を叩かんばかりに、うれしがっている。
「だが、弥七。八郎吾の目のつけどころは狂っておらぬぞ」
「え……?」
「ほれ、この初春に金貸しの浅野|幸右衛門《こうえもん》殿が、湯島天神下の家と、遺金千五百両をわしにあずけて自害をした……その千五百両は、いま、わしのところに在るのじゃもの」
「えっ。何でございますって、物騒な。それで、若い御新造《ごしんぞ》さんを、ひとりで留守居させたりなさいましては……」
「なに、だれにも、わからぬところへ隠してあるのさ」
「そ、それにしても……」
「弥七。もう、そろそろ、八郎吾が徳次郎をつれて、この近くへあらわれるのではないかな、わしの家を見せるために……」
「大先生……」
「何じゃ?」
「いったい、どういたしたら、よろしいので?」
「わしの家へ押し込むのは、明後日とか……」
「さようで」
「さて、と……」
「大先生……」
「叱《し》っ。おはる[#「おはる」に傍点]が井戸端からもどって来たらしい。おはるには内証じゃ。よいな、弥七」
青山の六道の辻《つじ》は、六筋に道が分れている中心地点なので、その名称があるのだろう。
幕府の組屋敷や武家屋敷に囲まれた小さな一郭に町屋があり、盗賊・土崎《つちざき》の八郎吾《はちろうご》が、いま、寝泊りをしている菜飯屋も其処《そこ》にあった。
店の屋号も何もない。軒行燈《のきあんどん》に〔菜めし〕と書いてあるだけの小さな店だが、
「六道の辻の菜飯屋」
といえば、この店だけなのである。
大根や蕪《かぶ》の葉、小松菜など、青菜をきざみ、炊《た》きまぜた飯はいつでもあるが、そのほかには酒。熱い味噌汁《みそしる》。それだけしか出さぬ。
亭主は、名を権兵衛《ごんべえ》といい、五十がらみの大男で、同じ年配の女房と二人で店を切りまわしている。
女房の名は、
「おれも知んねえ」
と、権兵衛がいうのだ。
女房は、唖《おし》であった。
また、字も書けぬし、読むこともできない。
「おれの女房には、うってつけ[#「うってつけ」に傍点]だよ」
と、権兵衛はいう。
女房も大女で、この夫婦が身ぶり手ぶりで語り合いながら、仲よく気をそろえてはたらく。
店を開けるのは八ツ半(午後三時)ごろからで、そのかわり、夜から翌朝にかけて菜飯を売り、酒を売っている。
それというのも、このあたりの大名や武家の下屋敷の中間《ちゅうげん》たちが、入れかわり立ちかわり、食べたり飲んだりしにあらわれるからで、中間部屋の博奕《ばくち》もさかん[#「さかん」に傍点]におこなわれている。
「どうかね。うまく行きそうかね?」
朝の光が射《さ》しはじめたので、店の戸を下ろし、裏二階へあがって来た権兵衛が、土崎の八郎吾に尋いた。
「ああ、心配《しんぺえ》ねえ」
八郎吾は、寝床に横たわり、煙草《たばこ》をふかしている。
「昨日、あの男[#「あの男」に傍点]をつれて、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ行ったよ。小さな爺《じい》さまが若い女房と二人きりで暮している。ありゃあ、小金持ちの浪人らしい。いつも杖《つえ》にすがって歩いているよ」
「ふうん……だがね、八郎吾よ。あの男[#「あの男」に傍点]は大丈夫なのかね?」
「徳次郎かね?」
「うむ……」
「大丈夫だ」
「どこで、拾って来たね?」
「ほれ、おれがよく行く千駄《せんだ》ヶ谷《や》の、松平さまの中間部屋でね」
「ふうん……」
「何度も、あの男が博奕するのを見ていて、こいつなら大丈夫とおもったよ。おれの死んだ兄《あに》さまそっくりの顔かたちで、博奕に勝っても負けても、のぼせあがることがねえ。することなすことが只者《ただもの》ではねえとにらみ、鎌《かま》をかけて見たら、やっぱり、盗《つと》めの道にくわしい。はなしてみると人懐《ひとなつ》こい男で、どうもどうも、おれとは気が合ってねえ。それで、今度、いっしょにやってみることにしたのだよ。おれもさ、長《なげ》え間、二人いっしょに盗めをして来た飯島《いいじま》の亀五郎《かめごろう》に死なれたので、気の合った相手がどうしてもほしい。権兵衛どんは、もう盗めをしてくれねえというし……」
「ああ、もう、おらあ嫌《いや》だね。面倒くさくてね。それよりも菜飯炊いてるほうが気楽だね」
「権兵衛どんは、女房持ちだからなあ」
「だから、よ……」
と、権兵衛がひざ[#「ひざ」に傍点]を乗り出し、
「八郎吾も、もう一度、女房持ったらどうだね?」
「いや……もう、たくさんだ」
「八郎吾よ。むかしあったことは、みんな忘れてしまうがいいね。おらだって、むかしを忘れたから、こうして菜飯屋のおやじに生き返ったのだ」
「いや……いや、いや……」
急に、土崎の八郎吾が烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。
いつもは愛嬌《あいきょう》をたたえている童顔が、まるで別人のような陰鬱《いんうつ》さに変り、ぴたりと口を噤《つぐ》んでしまった。
権兵衛も、その八郎吾を無言で見まもっている。
ややあって、八郎吾が、
「女一匹、背負《しょ》いこむのは、もう、たくさんだよ」
呻《うめ》くようにつぶやいた。
権兵衛は立ちあがり、
「いま、酒を持って来てやる。そいつをのんで、もう一寝入りするがいい」
こういって、階下へ去った。
その酒をのみ、
「徳次郎が来たら、起してくれ」
たのんでおいて八郎吾は、蒲団《ふとん》を頭から引きかぶった。
そのころ……。
傘《かさ》屋の徳次郎は、四谷《よつや》の弥七《やしち》の家へあらわれている。
「徳か。出て来てもいいのか?」
「へえ。もう、すっかり、私を信用してくれていましてね」
「いやに、見込まれたものだな」
「まったく、気味がわるいようなもので」
「明日の夜だな、大《おお》先生のところへ押し込むのは……」
「そうですよ」
「お前と八郎吾と二人きりか。間ちがいはねえな?」
「そういわれても困ります。八郎吾は、くわしいことを何もいいません。ただ、いっしょに来て、おれのいうとおりにしてくれればいいというのでござんすよ」
「昨日、大先生の御宅を見に来たのか?」
「何度も見ている御宅を、はじめて見るふり[#「ふり」に傍点]をしなくてはならなかったので、骨が折れました。親分が大先生とはなしているところを、遠くから見ましたよ」
「八郎吾は、何といっていた?」
「妙な客が来ていやがる……と、ね」
「妙な客か。おれも気をつけて、わざわざ身なり[#「身なり」に傍点]を変えて行ったのだが……怪しまれてはいねえだろうな?」
「ま、大丈夫で」
「お前たちが、のぞき見をしているのを、すこしも気づかなかった。どこから見ていた?」
「土手の下に、大きな松の木がありましょう。あの上へのぼったので……」
「何てえこった」
「あ、そうだ。このことを親分へつたえておこうとおもって……」
「何を?」
「八郎吾は私に、お前、舟が漕《こ》げるか、と、尋《き》きましたよ」
「舟……それじゃあ、大川《おおかわ》から押し込むつもりなのか?」
「さあ、そこまではわかりません」
「で、お前は何とこたえた?」
「漕げる、と、いっておきました」
「ふうむ……こいつ、もしやすると……?」
「ほかにも二人や三人、仲間がいるかも知れませんね、親分」
「ええ、面倒なことだなあ。おれのほうで片づけてしまうのが、いちばん早いのだ。大先生も物好きだよ。年をとりなすったものだから、退屈で仕様がねえらしい。だが徳。八郎吾の勘ばたらきは狂ってはいねえぞ。大先生のところには千五百両もの小判が隠してあるそうだ」
「げえっ……千、五百……」
「ほれ、金貸しの浅野さんが遺《のこ》して行ったという……」
「へえ、へえ。ああ、あの金が……それで親分。その千五百両は、大先生の御宅の何処《どこ》に隠してあるので?」
「さて、な……」
にやり[#「にやり」に傍点]と弥七が徳次郎を見やって、
「八郎吾とお前が、一所懸命、探して見ることさ」
「な、何をいいなさる。親分も人がわるい」
「ともかくも、おれは、いまから鐘ヶ淵へ行き、泊り込むつもりだ。お前も、そのつもりでいてくれ」
「それでは、これが最後のつなぎ[#「つなぎ」に傍点]でござんすね?」
「そうとも。大先生とおれとが待ち受けているから、お前たち、どこからでも押し込んで来い」
「じょ、冗談じゃあねえ、親分。お前さんまで、おもしろがっていてはいけませんよ」
傘徳が、這《ほ》う這うの態《てい》で去ったのちに、弥七は身仕度をして我が家を出た。
秋山小兵衛の隠宅へ着いたのは、まだ、昼前であった。
「早いな、弥七」
と、小兵衛。
「どうも、家《うち》におりましても、落ちつきませんもので……」
「あは、はは……お前、どうかしているのではないか?」
「ですが大先生。今度ばかりは、私も徳次郎も面喰《めんくら》っておりますので」
「あは、はは……」
「八郎吾は、徳次郎にこういったそうでございます。あの隠居のところには、五十や百の小金《こがね》がきっとあるにちがいないと……」
いいさした弥七が、たまりかねて笑い出した。
「大先生。五十や百とは、いいじゃあございませんか」
「だがな、浅野|幸右衛門《こうえもん》からあずかった遺金を別にしたら、百両もないぞ、わしのところには」
「そりゃ、まあ……」
「だから八郎吾の目に狂いはないということじゃ。八郎吾という盗賊は、気心の知れた仲間を一人か二人つれて、小金ばかりをねらうやつなのだろう。いや、腕が利《き》いておれば、そのほうが却《かえ》って稼《かせ》ぎになるのだ。多勢の仲間を引きつれての盗みは、大金を得ても、それぞれに分配をしなくてはならぬし、一人一人の分け前となると、そりゃ、ずいぶん少なくなってしまう。それに気苦労も多い。仲間のうちの一人の失敗《しくじり》が、一味の者のすべてに振りかかってくる。それよりは二人か三人で、小さな盗みをするほうが気楽でもある。そうした盗賊が、この十五、六年ほどの間に、ずいぶん増えたということじゃ」
「なるほど。大金持ちは、それ相応の要慎《ようじん》をしておりますし……」
「お上《かみ》の目も、なまくらではないということよ」
「どうも、こいつは、恐れ入りました」
「それにさ、近ごろは、あちらこちらに、小金持ちが増えたということじゃ。大名や武家の金が、みんな商人へ吸い込まれて行くしな。もっとも、お百姓は別のことじゃ。士農工商などと申し、身分は上から二番目ということになっているが、いやはや、一所懸命に米をつくり、野菜をつくり、国中の人びとの口へささげ、そのくせ自分たちのふところは、いつも貧しい。田沼《たぬま》様も、そのことが、いちばん、気にかかっておられるらしいが……というても、御老中の一存にもまいらぬしな。何故《なぜ》というに、日本の諸国は諸大名が治めている。一つの国であって一つの国ではない。そこが、むずかしいということよ」
「ははあ……」
おはる[#「おはる」に傍点]が仕度をした昼餉《ひるげ》をすませたとき、四谷の弥七がおもい出したように、
「大先生。昨日は、徳次郎が八郎吾といっしょに、ここを見にまいったそうでございます」
「ああ」
「え……御存知だったので?」
「お前とはなしこんでいたとき、向うの……ほれ、あの松の大木《たいぼく》へ、二人して登っていたようじゃ」
事もなげに、小兵衛がいったものである。
一夜明けて……。
秋山小兵衛隠宅へ押し込む当日となったとき、傘屋の徳次郎は、妙な気分になっていた。
その気分というものを、
「これこれ[#「これこれ」に傍点]だ」
と、口にすることはむずかしい。
強《し》いていうならば、
(ふうん……大先生のところには、千五百両がねむっているのか。伝馬町《てんまちょう》の親分は、そんな大金を大先生が何処《どこ》に隠してあるのか、教えてはくれなかったが……さて、どこに隠してあるのだろう?)
そんなおもいが、ちらちら[#「ちらちら」に傍点]と脳裡《のうり》をかすめ、つぎに、
(もしも……もしもだよ。もしも、おれが盗人《ぬすっと》だったら、何処へ目をつけるだろうか?)
と、おもう。
そして徳次郎は、われ知らず、見なれた秋山小兵衛隠宅の内部のありさまを、おもい起している自分に気づいて、
(な、何だ、ばかばかしい……)
あわてて、気を取り直すのであった。
さらに、一つ。
今日で足かけ三日をつき合った土崎《つちざき》の八郎吾《はちろうご》へ、押えようとしても押えきれぬ親しみをおぼえてきた徳次郎なのである。
(いいやつだ、八郎吾は……)
そう、おもわざるを得ない。
(こいつは盗人なのだ。悪いやつなのだ……)
という意識はあっても、傘徳の感情は別の方向へうごいて行ってしまうのだ。
松平屋敷の博奕場《ばくちば》で、何度も顔を合わせているうち、たがいに好意を抱いてしまった徳次郎と八郎吾の胸の内は、たがいに通い合ってしまったのだろうか……。
いま、一つ。
徳次郎は、八郎吾への疾《やま》しさを捨て切れない。
(おれは、八郎吾を騙《だま》している……)
からである。
お上の御用をつとめるため、盗人や悪人を騙すことなど、これまでに何度も仕《し》てのけてきた徳次郎なのに、今度ばかりは、どうも割り切れぬおもいがする。
それは、八郎吾が、
「これ[#「これ」に傍点]と見込んだ……」
からには、いささかも徳次郎を警戒することなく、まるで十年も二十年も、共に盗みをはたらいてきたかのような信頼をかけてくれているからでもあろう。
「お前さん。博奕場で顔を合わせていただけのおれを、よくまあ、信用ができたものだね?」
と、昨夜も徳次郎は、菜飯《なめし》屋の二階で枕《まくら》をならべながら、八郎吾へ尋《き》いてみた。
「なあに……」
八郎吾は事もなげに、こういった。
「人のことを、うたぐってみたら切りがねえよ、徳次郎どん。わし、今日まで、それで通って来たのだものね」
盗人の声ともおもえないではないか。
「一度も、御縄《おなわ》にかかったことがねえのかい?」
「ねえよ。もっとも、若《わけ》えうちはね、死んだ兄貴が盗《つと》めの手引きをしてくれたから、大安心だったし……つい、三年前までは、兄貴の友だちの亀五郎《かめごろう》どんと二人で盗めをしてきた。二人とも、いい人間だったが病《やまい》には勝てねえ」
さびしげに曇った八郎吾の声が、また張り[#「張り」に傍点]を見せてきて、
「だが、徳次郎どん。お前さんに会えてよかったよ。わし、一目で、お前さんが、しっかりした盗人だと見きわめがついたのだ。その目に狂いはなかった。それがうれしくてねえ」
いよいよ、いけない。
盗賊というよりは、盗人の呼名がふさわしい八郎吾の盗めは、いずれにせよ小振りなもので、むしろ、博奕の才のほうが上まわっているのではないか……。
それにしても、
(こんな人のいい盗人が、よくまあ、捕まらなかったものだ)
徳次郎はあきれもしたし、八郎吾と語り合っていると、どうしても、これが盗みをはたらくような男に見えなくなってくる。
しかし、
「外から見ただけで、しか[#「しか」に傍点]とはわからねえが……」
と、見せてくれた秋山隠宅の図面には、徳次郎もおどろいた。
間取りから坪数まで、ほとんど誤っていないのである。
「いいかね。わしの盗めは、決して血を見ねえことだ。それに女や子供へ乱暴をしてはいけねえ。いいかね?」
「わかっているとも。だが、手筈《てはず》はどうするつもりなのだえ?」
「なに、わけもねえ。隠居と女房を、ちょいとねむらせておけばいいのだよ」
「ねむらせる……?」
「これさ」
と、八郎吾が妙な物を取り出してきて見せた。
長さ二尺ほどの、まるい棒であった。太さは擂粉木《すりこぎ》の柄《え》ほどのもので、これに鞣革《なめしがわ》を巻きつけてある。
「それで、どうする?」
「二人の急所を打てば、すぐ、気絶してしまうよ」
八郎吾が、そういったとき、おもわず徳次郎は顔を伏せた。
(冗談じゃあねえ。こんな物で、大先生の急所を打とうなんて……)
こみあげてくる笑いを、徳次郎は必死に堪《こら》えた。
その徳次郎の様子さえも、八郎吾の目には、
「大丈夫だよ、徳次郎どん。わしがやるのを怖がらずに、落ちついて見ていればいいのだ」
としか映らぬ。
「盗めするときは気を楽にしなくてはいけねえ。そこらの店へ入って、蕎麦《そば》の一つも手繰るような気持で押し込むがいいのだよ。ね、そうではないかね?」
「まあ、そんなところだ」
「さすがは、徳次郎どんだ」
「なあに……」
傘徳、尻《しり》が痒《かゆ》い。
すると八郎吾が、すさまじいことをいい出した。
「明日、この盗めを終えたら、その足で、上州の高崎へ突っ走り、また一仕事をして、中仙道《なかせんどう》を美濃《みの》の太田へ出る。そこでまた、一つ、盗めをしてから尾張《おわり》の名古屋へ行き、盗めをしてから、江戸へ帰って来るのが、来年の春ごろになるかねえ。どうだね、徳次郎どん。いっしょに来ないか。一年の辛抱で、これからあと三年は遊んで暮せる。お前さんのおかみさん[#「おかみさん」に傍点]だって、きっと、よろこぶよ」
徳次郎は呆気《あっけ》にとられて、
「そんなに、お前さん。みんな、探りをつけてあるのかね?」
「そうだとも。それでなくては、この道[#「この道」に傍点]は歩けねえものね」
「む……まあ、そのとおりだが……」
「わしはね。気分が乗ったところで、目をつけておいた盗め先へ、立てつづけに押し込むのだよ。これは死んだ兄貴仕込みでねえ」
そして昨夜のことだが、八郎吾が金五両を紙に包み、徳次郎の前へ置いて、
「お前さんのおかみさんには、まだ、お目にかかっていねえが、どうかひとつ、よろしくつたえておいて下せえよ。これはね、徳どん。まことに、すこしばかりで申しわけねえが、八郎吾の手みやげ代りに、おかみさんへさしあげて下せえよう」
ここに至って、傘屋の徳次郎の八郎吾へ対する好感は層倍のものとなったのである。
(なんという、行きとどいた男なのだ、この男は……)
であった。
徳次郎は、もう、何が何だかわからなくなってきた。
その当日。
土崎の八郎吾《はちろうご》は徳次郎を連れて、八ツ半ごろに六道《ろくどう》の辻《つじ》の菜飯屋を出た。
二人とも、きっちり[#「きっちり」に傍点]とした物堅い風体で、髪もきれいにととのえている。器用に二人の髷《まげ》を結いあげてくれたのは、権兵衛《ごんべえ》の女房なのであった。
徳次郎が身につけるものいっさいは、八郎吾がととのえてきてくれたのだ。
八郎吾は、風呂敷《ふろしき》包みを一つ抱えていた。おそらく、その中に例の棍棒《こんぼう》が入っているのであろう。
「おれが持とうよ」
徳次郎が風呂敷包みへ手を出すと、
「なあに。こいつは、わしが持っている」
と、八郎吾がこたえた。
菜飯屋の権兵衛は、すこしも不安そうな顔を見せず、八郎吾を送り出した。
八郎吾のすることなら、
(安心だ……)
と、看《み》ているにちがいない。
「仕度は、これだけでいいのかね?」
青山の通りへ出たとき、徳次郎が尋《き》いた。
「うむ。いいのだよ」
「夜ふけには、大分、間があるが……」
「まあ、いいではねえかよ、徳どん。どこかで、ゆっくりと酒をのみ、腹をこしらえようではねえか」
と、八郎吾は悠々《ゆうゆう》たるものであった。
そうした土崎の八郎吾の風格に、徳次郎は魅了された。
徳次郎の前で、見栄《みえ》を張っているのでもなければ、強いて体裁をつくっているのでもないのだ。
八郎吾は八郎吾なりに、なっとく[#「なっとく」に傍点]の行くまで準備をととのえ、自信にみちみちているにちがいない。
そこは傘《かさ》屋の徳次郎の目に狂いはない。
われにもなく、徳次郎は胸がときめいてきている。
(もしも……もしもだ……)
であった。
(おれと八郎吾が、待ちかまえている大《おお》先生と、うち[#「うち」に傍点]の親分の鼻を明かせて、まんまと、千五百両をこっち[#「こっち」に傍点]のものにしたら……きっと、うちの親分はびっくりしなさるだろうなあ)
おもうそばから、そのようなことが絶対にあり得ぬことだと知る。
知りながら、八郎吾の盗《つと》めが、
(もしも、うまくいったら……)
と、おもう。
八郎吾のうしろについて歩みながら、徳次郎は、やりきれない気持になってきている。
(いっそ……みんな、打ちあけてしまって、八郎吾を逃《のが》してしまおうか……)
とさえ、おもうのだ。
「徳どん」
と、親しげに呼びかけて、八郎吾が振りむき、
「ならんで、はなしながら行こうよ」
うなずいて近寄って行きながら、徳次郎は何か、なさけなくなってきている。
二人は、飯倉《いいぐら》の通りへ出てから、右へ折れた。
八郎吾は、麻布《あざぶ》の市兵衛町《いちべえちょう》から赤坂の溜池《ためいけ》へぬけるつもりらしい。
どんよりと曇った空に鳶《とび》が一羽、ゆっくりと輪を描《か》いている。
「徳どん。もうすぐに、夏だねえ」
「そうだな」
「夏のころには、二人で、美濃《みの》に出ているだろうね」
八郎吾は、これからも徳次郎が同行することに決めこんでいるようであった。
道が、南部遠江守《なんぶとおとうみのかみ》屋敷の塀《へい》へ突き当り、二人は左へ曲った。
と、そのとき……。
我善坊谷《がぜんぼうだに》の方からあらわれた四人づれの、いずれも編笠《あみがさ》をかぶった侍のうちの一人が、
「あ……」
低く叫び、同行の三人を制して立ちどまった。
その侍は、坂道を北へ下って行く八郎吾と徳次郎の後姿を凝視している。
八郎吾も徳次郎も、このことに、まったく気づいていなかった。
侍といっても……身なりは小ぎれいにしているが、四人とも浪人である。
「田島。どうした?」
と、一人が、声をかけた。
八郎吾と徳次郎を見送っている浪人へである。
「うむ……」
振り向いた田島浪人が、
「たしかに、そうだ」
「そうだ、とは?」
「去年の二月に、下目黒で、大久保《おおくぼ》さんを捕えた奴《やつ》らの中のひとりにちがいない」
「な、何だと」
「本当か?」
三人が、田島浪人を囲むようにして、
「二人ともか?」
「いや、すこし背の低い、こちら側を歩いているやつだ」
とすれば……。
それは傘屋の徳次郎に、ほかならぬ。
「いま一人のやつは?」
「さて、わからぬが……しかし、いずれにしろ、同類と看ていいだろう。二人とも町奉行所の密偵《いぬ》だ」
「ふうむ……」
「このまま、見逃すわけにはまいらんぞ」
「むろんだ!!」
「どうする?」
「後をつけよう」
「いま、叩《たた》っ斬《き》ってはいかんのか?」
「まだ日中だ。見ろ、人も歩いている」
「それもそうだ」
「あいつらのために、大久保さんは、市中引きまわしの上、磔《はりつけ》になったのだぞ」
「よし!!」
田島浪人の左手が、そろり[#「そろり」に傍点]と大刀の鐔《つば》ぎわへかかって、
「ともかくも、斬って捨てよう」
と、いいはなった。
「二人ともか?」
「いや……先《ま》ず、目ざす一人をだ」
夕闇《ゆうやみ》が淡くただようころになって、土崎《つちざき》の八郎吾は徳次郎を浅草・山谷堀《さんやぼり》へかかる今戸橋《いまどばし》に近い〔二文字屋《にもんじや》〕という料亭へ案内した。
店構えは小さいが、山谷堀に面して船着場もある瀟洒《しょうしゃ》な料亭である。
山谷堀は、石神井《しゃくじい》用水、根岸川の末流であって、今戸橋からすぐに大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)へながれこんでいるのだ。
「徳どん。この店で出すものが、わし、好きでね」
「そうかね」
「まあ、ゆっくりとやろうではねえかね」
「お前さん。舟を使うのではなかったのかえ?」
「使う」
「その舟は?」
「ちゃん[#「ちゃん」に傍点]と、仕度をしてあるよ。ここを出てから、舟がある場所へ行けばよいのだよ」
「そりゃ、どこだ?」
「この近くだがね」
「なるほど……」
場所|柄《がら》、このあたりには船宿が多い。
その中の一軒へ、八郎吾は小舟をたのんであるのだろうか。
「徳次郎どん」
「え……?」
「今夜の押し込みも、きっと、うまく運ぶにちげえねえよ」
「うむ……」
「どうした?……怖いのかね?」
「なあに……」
「心配はいらねえよ。わしがついている。わしがついている」
こういって土崎の八郎吾は、酒をもってあらわれた年増《としま》の座敷女中へこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をはずみ、
「うまいものを、たのみますよ」
和やかな口調でいった。
二人が二文字屋《にもんじや》を出たのは、五ツ(午後八時)をまわっていたろう。
八郎吾《はちろうご》は、用意してきたぶら[#「ぶら」に傍点]提灯《ぢょうちん》へあかり[#「あかり」に傍点]を入れ、徳次郎に持たせた。
「さて、そろそろ舟に乗ろうかね、徳どんよ」
「舟は、どこに?」
「正法寺橋《しょうほうじばし》の向うに、ちゃんと舫《もや》ってあるよ」
いまにも降り出しそうな暗夜であった。
それでも、このあたりは、まだ宵《よい》の口《くち》といってよい。
山谷堀《さんやぼり》をはさむ両岸には、料亭や船宿が軒をつらねているし、堀川をさかのぼって日本|堤《づつみ》から新吉原《しんよしわら》の遊里へくりこむ客も多く、夜通し灯をつけている店も少なくないのだ。
二人は、山谷堀の中河岸《なかがし》を新鳥越橋《しんとりごえばし》の北詰へ出た。
道は、目の前の正法寺の北側をまわって、そこから正法寺橋へかかる。
だが、河岸の草地をぬけて行けば、まわり道をせずにすむ。
「こっちが早いよ」
と、八郎吾がいい、先に草地へ踏み込んで行った。
「うむ……」
うなずいて、その後へつづきながら、傘屋の徳次郎は、
(おや……?)
急に、胸さわぎをおぼえた。
新鳥越橋の上に佇《たたず》んでいた三つの黒い影が、突然、橋を駆けわたり、うしろから追いすがって来たからである。
「待て」
そのうちの一人が、振り向いた徳次郎へ、
「おのれ。この顔を見忘れていまいな」
と、いった。
こやつ[#「こやつ」に傍点]は、麻布《あざぶ》から此処《ここ》まで、徳次郎と八郎吾を尾行して来た四人の浪人のうちの「田島」とよばれた男であった。
「その提灯で、この、おれの顔を、よく見ろ」
いわれるままに、提灯をさしのべて見て、徳次郎は愕然《がくぜん》となった。
その顔に、見おぼえがあった。
去年の二月の中旬《なかごろ》に、下目黒の荒れ寺に隠れていた無頼の浪人|剣客《けんかく》・大久保《おおくぼ》伝七郎を捕えたとき、大久保と共に潜んでいた浪人なのである。
大久保伝七郎は、一昨年の夏も終ろうとするころに、千駄《せんだ》ヶ谷《や》の名主《なぬし》屋敷へ押し入り、主人夫婦から奉公人、五歳の子供をふくめて八人を殺害し、百二十余両を強奪し、四人の仲間と共に逃走した。
四谷《よつや》の弥七《やしち》は、自分の縄張《なわば》り内といってもよい場所の犯行だけに、彼らの行方を懸命に探索し、ついに、大久保と田島の二浪人が、下目黒の荒れ寺に潜伏していることをつきとめた。
数日の間、これを見張ったが、あとの三人の浪人は寄りつかぬ。
南町奉行所の同心・岡島八十五郎《おかじまやそごろう》ほか数名が出張って来て、尚《なお》も見張りをつづけていると、或《あ》る朝になり、大久保と田島が突然、旅姿で荒れ寺の中から出て来たではないか……。
こうなっては、
(ここで、二人を召し捕ってしまうが、もっともよい)
と、判断をした岡島同心が、
「それっ!!」
弥七、徳次郎ほか二名と共に物蔭《ものかげ》から飛び出し、二人へ、
「神妙にしろ!!」
と、せまった。
たちまちに、乱闘となる。
二人とも、相当に暴れたが、岡島八十五郎は八丁堀《はっちょうぼり》の同心の中でも、捕物の名人などといわれた男だ。
ついに、岡島が大久保の大刀を十手《じって》で叩《たた》き落し、弥七が縄を打つ間に、田島浪人は、追いすがる傘徳ほか二名の捕手《とりて》を振り切って暁闇《ぎょうあん》にまぎれ、逃走してしまったのである。
その田島浪人が、仲間たちと共に、いま、忽然《こつぜん》として目の前にあらわれたことについて、傘屋の徳次郎が、おもいをめぐらす間とてなかった。
「覚悟しろ!!」
腰を沈めた田島浪人が、いきなり、抜き打ったものだ。
ばさっ[#「ばさっ」に傍点]と、徳次郎の手をはなれた提灯を切り割った田島の一刀の切先《きっさき》は、飛び退《しさ》った徳次郎の頬《ほお》から顎《あご》へかけて浅く切り裂いた。
「徳どん……」
叫んだ八郎吾が、自分へ打ち当るように逃げて来た徳次郎と入れかわり、
「何をしやがる!!」
これまでに見たこともない素早さで、体をまるめ、追いせまる田島浪人へ体当りをくわせた。
「こいつめが……」
「かまわん。叩っ斬《き》れ!!」
「応!!」
三人が、八郎吾と徳次郎を押し包むようにして斬りかかって来た。
転瞬、八郎吾が徳次郎をうしろへ突きはなし、
「徳どん、逃げろ。早く逃げろ!!」
と叫んだ。その大声を、徳次郎はたしかに聞いた。
そのあとは、もう、無我夢中であった。
逃げるという意識もなかった。
自分へ斬りつけてくる浪人の刃風を、夜の闇《やみ》の中でかわすのが精一杯のところで、
「あっ……あっ……」
山谷堀へ飛び込む隙《すき》さえなく、いつの間にか、正法寺橋のたもとへ逃げ出て来た徳次郎の正面から、別の敵が襲いかかった。
こやつは一人だけ、先へまわり、八郎吾と徳次郎の退路を絶っていたものだ。
(あ……もう、いけねえ……)
徳次郎は、半ば気をうしないかけていた。
目の中が真暗になり、体が地の底へ引き込まれて行くようなおもいがした。
「徳さん……徳さん。しっかりしろ。私だ。私だ」
すばらしい大声でよびかけられて、徳次郎の意識がもどった。
「あっ……」
徳次郎が、何ともいえぬ叫び声を発して、
「わ、わ、若先生……」
まさに、秋山|大治郎《だいじろう》ではないか。
徳次郎をうしろ[#「うしろ」に傍点]に庇《かば》った大治郎の足もとに、浪人がひとり、倒れ伏していた。
大治郎の峰打ちをくらったのだ。
その向うにひとり、これは大刀を構えて大治郎とにらみ合っている。
大刀をひっさげたままで、大治郎が、
「徳さん。これは、どうしたことなのだ?」
「あ……う、う……」
声が、言葉にならぬ。喉《のど》が痛み、目がくらんで、徳次郎は正法寺橋の上へへたばって[#「へたばって」に傍点]いた。
「たあっ!!」
切り込んで来た浪人の大刀が宙にはね飛ばされた。
大治郎の峰打ちが、強烈に浪人の胴へ決った。
「う……」
のめり倒れたそやつ[#「そやつ」に傍点]を見向きもせず、大治郎が左腕で徳次郎を引き起した。
「徳さん。しっかりせぬか!!」
「あっ……」
このとき徳次郎が、大治郎へすがりついて、
「と、と、友だちが……」
「何?」
「向うで、こいつらの仲間に囲まれているんでござ……」
「よし」
大治郎は、河岸の草地へ駆け込んで行った。
新鳥越橋に近いところで、二つの影がもつれ合っていた。
そして、その手前の草地に浪人が一人、倒れ伏している。
大治郎は、闘っている二人のうち、浪人のほうを、
(こやつだな……)
と看《み》て、走り寄りざま、田島浪人のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]を峰打ちに叩きつけた。
「むうん……」
横ざまに、田島は転倒した。
田島と闘っていた町人ふうの男が、よろよろとして、尻餅《しりもち》をついた。土崎の八郎吾である。八郎吾は浪人の脇差《わきざし》を奪い、一人を突き殺していたのである。
駆けつけて来た傘《かさ》屋の徳次郎が、八郎吾へ抱きついた。
「し、しっかりしてくれ。しっかりしてくれ」
泣きわめくような、徳次郎の声であった。
八郎吾は、顔も体も血まみれになっていた。
「徳次郎どん。無事だったかね……」
「うむ、うむ……」
「よかった、なあ……」
「おい……おい。しっかりしろってえのに……」
「いいのだよ、もう……いつかは、こうなるのだよ、人というものはね……」
「おい、おい……」
「いいのだよ。おれが、むかし、この手で殺した女房が、いま、おれを、手招きしているものね」
徳次郎は、凝然と声をのんだ。
「女房は、むかし、ほかに男を、こしらえやがってね……」
それが、土崎の八郎吾の最後の声であった。
草地の両側に、人だかりがしている。
徳次郎が、わっ[#「わっ」に傍点]と泣き出した。
その日。
秋山大治郎が、田沼屋敷内の道場での稽古《けいこ》を終えて、浅草・橋場《はしば》外れの我が家へ帰ろうとすると、めずらしく暇ができた田沼|主殿頭意次《とのものかみおきつぐ》から、
「夕餉《ゆうげ》を共にしたい」
との言葉があったので、御殿へおもむき、いまを時めく幕府の老中であり、わが妻・三冬《みふゆ》の父でもある田沼意次の酒の相手をし、語り合ったのちに辞去した。
もしも、この日。田沼意次に寸暇が生じなかったら、大治郎は夕暮れまでに帰宅していたわけだし、したがって、傘屋の徳次郎の危急を救うことができなかったろう。
とすれば、徳次郎は無頼浪人の刃《やいば》にかかって、殺害されたにちがいない。
田島浪人以下四人は、いま、町奉行所のきびしい取り調べをうけている。
おそらく、死罪はまぬがれまい。
「それにしても傘徳は、とんだ手柄《てがら》をたてたものだのう、弥七」
と、秋山小兵衛が、雨の中を訪ねて来た四谷の弥七にいった。
「とんでもないことでございます。みんな、若先生のおかげでございました」
「徳次郎は、どうしている?」
「あいつも、浅手ではございますが、五つ六つの手傷を負っておりまして……」
「ふむ。そうだろう、そうだろう」
「土崎の八郎吾の死骸《しがい》を、徳次郎が引き取りまして……それを大《おお》先生。てめえのところの墓へ葬《ほうむ》ったのでございますよ」
「ほほう……」
「あいつも、おかしなやつで……」
いいさした弥七の声には、何か、しみじみとしたものがただよっていた。
「弥七……」
「はい?」
「お前は、いい子分を持ったものよ」
「はい……」
「で……その、青山の六道《ろくどう》の辻《つじ》にあるという菜飯《なめし》屋の手入れをしたのかえ?」
弥七は、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って見せた。
「そうかえ」
「それで、よろしゅうございましょうか?」
「わしは、いいとおもう。見逃してやれ。その菜飯屋の亭主夫婦を御縄にかけたところで、どうということもないわえ」
「はい。それをうかがって、安心をいたしました」
「もう、春も終りじゃな」
「さようで」
「いまごろの雨の日は、妙に、冷え込むものよ。おい、これ、おはる[#「おはる」に傍点]。障子を閉めておくれ」
「あい、あい」
「お前、台所で何をしているのじゃ?」
「竹の子を煮ているんですよう」
弥七が、ひざをすすめてきて、
「大先生……」
「うむ?」
「それにしても、土崎の八郎吾《はちろうご》は、徳次郎をなんとおもったのでございましょうかね。あれほどの男が、よくもまあ、徳次郎を、あれだけに信用をしたものだと……いまさらに私は、腑《ふ》に落ちないのでございますよ」
「なあに……」
微笑を浮べた秋山小兵衛が、煙草《たばこ》のけむりを吐き出して、
「勘ちがいというものさ」
「それにしても……」
「人間という生きものは、だれでも、勘ちがいをするのだよ」
「…………?」
「ごらんな。太閤《たいこう》・豊臣秀吉《とよとみひでよし》や、織田信長《おだのぶなが》ほどの英雄でさえ、勘ちがいをしているではないか。なればこそ、あんな死にざまをすることになった。わしだってお前、若い女房なぞをこしらえたのはよいが、それも勘ちがいかも知れぬよ」
障子を閉めて台所へもどりかけていたおはるが、これを耳にはさみ、
「若い女房が、どうしたんですって?」
「いや、何でもない。何でもない」
ぽん[#「ぽん」に傍点]と灰吹きへ煙管《きせる》を落した小兵衛が、
「弥七。人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ」
と、いった。
「大先生。まさか……?」
「お前ほどの御用聞きが、そのことに気づかぬのはいけないよ。いいかえ弥七。それほどに、人が人のこころを読むことはむずかしいのじゃ。ましてや、この天地の摂理《うごき》を見きわめることなぞ、なまなかの人間にはできぬことよ。なれど、できぬながらも、人とはそうしたものじゃと、いつも、わがこころをつつしんでいるだけでも、世の中はまし[#「まし」に傍点]になるものさ」
隠れ簑《みの》
物憂《ものう》げな初夏の夕暮れであった。
そのとき秋山大治郎《あきやまだいじろう》は、入谷田圃《いりやたんぼ》の道を歩んでいた。
妻の三冬《みふゆ》が、
「そろそろ、爺《じい》やがさびしがっているころでしょう。根岸の寮へ三日ほど泊りに行ってよろしいかしら?」
遠慮がちにいい出たのへ、
「よいとも、よいとも」
今日は大治郎が三冬を、根岸の和泉屋《いずみや》の寮(別荘)へ送りとどけ、ゆっくりと時間《とき》をすごしてから、帰途についたのである。
「よう、おいで下されました」
と、寮の留守居をしている三冬の老僕・嘉助《かすけ》は大よろこびで、大治郎も共に泊ってくれるものとばかりおもっていたが、実は、十日ほど前から秋山道場へ入門をした若者が一人いる。
自分の道場で稽古《けいこ》をつけることになった門人は、これで、ようやく二人目というわけだが、
(今度のは、はじめの高尾勇次郎よりは、いくらかまし[#「まし」に傍点]かな……)
と、おもっている。
高尾は、重い振棒《ふりぼう》ばかり振らされて、すっかり腐ってしまい、
「私、やめさせていただく」
師匠の大治郎を見かぎり、三日来ただけで道場へはあらわれなくなったものだ。
毎朝やって来る門人が一人でもいるかぎり、道場を留守にすることはできない。それで大治郎は三冬を根岸の寮へ残し、帰途についたのであった。
もし妻の三冬が、この日に根岸へ行くことをおもい立たなかったら……いや、大治郎が、この時刻に入谷田圃のこの道[#「この道」に傍点]を通らなかったら、一昨年の春、駿河《するが》の|薩[#「」は「睡」の「目」を「土」にしたもの、第3水準1-15-51、DFパブリ外字="#F6ED"]峠《さったとうげ》で見かけた旅の老僧に再会することもなかったろう。
それにしても、この再会は尋常のものではなかった。
暮れつ方の田の面《も》がくろぐろとひろがる中を歩む大治郎の右手の木立から、数人の男の高笑いがしたかとおもうと、
「むうん……」
異様な唸《うな》り声が聞えた。
「…………?」
大治郎の足がとまった。
こうなると、行きすぎてしまえなくなった。
さらに、何かが殴打《おうだ》される音がつづけざまに聞え、堪えかねたかのような男の……それも老人らしい呻《うめ》き声がした。
しずかに、大治郎は木立の中へ踏み入った。
三人の、立派な服装《みなり》をした侍たちが、倒れ伏している老人を取り囲んでいる。
老人は僧であった。
たちこめている夕闇《ゆうやみ》の中にも、身にまとっている窶《やつ》れた僧衣《ころも》や、引きむしられて投げ捨てられた網代笠《あじろがさ》などが大治郎の目にとらえられた。
旅の僧でなければ、托鉢僧《たくはつそう》ででもあろうか……。
「ちょうどよい。な、そうではないか……」
と、侍のひとりがいった。
彼らは、ひそひそとささやきかわしつつ、あたりの気配をうかがったが、木蔭《こかげ》に佇《たたず》む大治郎には、まったく気がつかぬ。
酒気が、ただよっている。三人とも、したたかにのみ、酔って、何やら昂奮《こうふん》しているらしい。
老僧は半ば気を失っているようで、逃げる気力も体力も残されていないらしい。ぐったりと倒れたままだ。
「よし」
大きくうなずいた一人が、大形《おおぎょう》に腰をひねり、ぎらり[#「ぎらり」に傍点]と大刀を引きぬいた。
「おれも、試してみよう」
こういったのは、三人のうちで、もっとも年嵩《としかさ》に見える大兵《たいひょう》の侍だ。これも抜刀した。
残る一人は刀に手をかけず、ふくみ笑いを洩《も》らしつつ、老僧の襟髪《えりがみ》をつかみ、
「これ、立たぬか。立て!!」
ぐい[#「ぐい」に傍点]と引き起したのへ、大兵の侍が、
「それでよし。おぬし、退《の》いていてくれ」
いいざま、刀を構えて老僧にせまった。
老僧の口から、何ともいえぬ声が洩れた。
秋山大治郎が木蔭から飛び出したのは、このときである。
物もいわずに大治郎は、一人を突き飛ばし、一人をはね[#「はね」に傍点]退け、老僧を後手に庇《かば》った。
突き飛ばされた侍は木の幹へ強く頭を打ちつけたらしく、のめり込んだ姿勢のまま、うごかなかった。
「おのれ……」
「な、何者だ?」
抜刀した二人が喚《わめ》いた。
「お手前方こそ、何者です?」
「な、何を……」
「罪咎《つみとが》もない通行の老人を此処《ここ》へ連れ込み、試し斬《ぎ》りになさるおつもりか!!」
物凄《ものすご》い一喝《いっかつ》である。
大刀を振りかぶって敵を斬らんとするときの気合がこもった大音声《だいおんじょう》である。
「う……」
二人の侍の顔から、さっと血が引いた。
「名乗られい。いずれ、名のある家の方がたと見うけた」
一歩、足を踏み出した大治郎の気魄《きはく》に、彼らは到底、抗しきれなかった。
倒れている仲間を引き起し、大治郎の目の前から逃げ去ることだけで、精一杯であったろう。
振り向いた秋山大治郎は、そこに坐《すわ》りこみ、瞑目《めいもく》し、合掌している老僧を見た。
夕闇は、かなり濃くなっていたけれども、きびしい鍛練を経た大治郎の眼力が老僧の顔を見誤ることはなかった。
(おお……あのときの、旅の托鉢僧ではないか……)
であった。
それは、一昨年の春のことで、大治郎は年長の剣友・浅田忠蔵に関《かか》わる事件に捲《ま》き込まれ、江戸から遠州・見付《みつけ》の町まで出向いて行ったことがある。
この事件は〔東海道・見付宿〕の一篇にのべておいたが、事件が解決してのち、江戸へ帰る大治郎は先《ま》ず薩[#「」は「睡」の「目」を「土」にしたもの、第3水準1-15-51、DFパブリ外字="#F6ED"]峠の山道で、この托鉢僧を見かけた。
托鉢僧は、同年配の旅の侍と連れ立っていた。
二人とも、六十に近い年配で、貧しく苦しい旅をつづけていることが一目で看《み》てとれた。
二人とも痩《や》せおとろえていた。
まだしも托鉢僧のほうは、旅なれた足許《あしもと》もしっかりしており、日に灼《や》けつくした顔貌《がんぼう》にも一種の張り[#「張り」に傍点]のようなものがみなぎっていた。
それにくらべると、旅の老武士は一口にいって、
「半病人……」
にさえ見えた。
しかも、老武士の両眼《りょうめ》は失明しているらしく、みはった目は虚《むな》しく空間をさまよい、杖《つえ》をつかみしめていた。
その老武士を、托鉢僧がまめまめ[#「まめまめ」に傍点]しく介抱しながら、山道を辿《たど》っていたのである。
(旅の道連れか……?)
と、はじめはおもった大治郎だが、その、いかにも真情にあふれた僧の介抱ぶりや、血の気の失《う》せた老顔に感謝の色を浮べつつ、僧に左手を把《と》られ、
「ゆるりとな……ゆるりと足を運ぶがようござる。山道ゆえ、いささかも急《せ》いてはなりませぬぞ。日が落ちるまでに、この峠を下ればよいのでござる」
やさしくいいかける僧に、老武士が頼りきった様子で、何度もうなずくのを大治郎は見た。
(この二人は、かなり長い間、共に旅をつづけているらしい)
のである。
(兄弟でも、親族でもない……)
ことも、大治郎にはわかった。
ともかくも、いたわりいたわられつつ峠路を辿る、この二人の老人が僧と武士だけに、大治郎の印象は深かったのだが、さりとて、いつまでも二人の後についているわけにもまいらぬ。途中で大治郎は二人に一礼して先へ出た。そのとき、礼を返してよこした托鉢僧の慇懃《いんぎん》な態度も忘れがたかった。
その所為《せい》だろうか……峠を下った秋山大治郎は、峠ふもとの茶店へ入り、昼餉《ひるげ》をしたためたのちも、街道に面した腰かけからうごかず、一本の酒をゆっくりとのみながら、時をすごした。
そのときの大治郎の胸の内には、無事に峠を下って来る二人を、いま一度、見とどけたい心持があったからだ。
やがて……。
二人の姿が、街道へあらわれた。
道のりは短いが、難所の峠を越えて来て、疲れ切った二人の老人なのに、茶店へ入って一杯の茶に疲れをいやすこともせず、身を寄せ合うように茶店の前を行きすぎたのは、茶代を置く余裕《ゆとり》が懐中にないからにちがいない。
たまりかねて、大治郎は立ちあがった。
茶店を出て、すぐに追いつき、托鉢僧の前へまわり、
「御報謝」
と、一言。
紙に包んだ一分金《いちぶきん》を、呆然《ぼうぜん》と見あげた托鉢僧の手へわたし、大治郎は走るように二人から遠去かったものである。
江戸へ帰ってから大治郎が、この二人の姿を父・秋山|小兵衛《こへえ》に語ったところ、
「ふむ、ふむ……」
相槌《あいづち》を打ちつつ、何度もうなずいていた小兵衛の両眼が、めずらしく熱いもの[#「熱いもの」に傍点]をたたえているのを大治郎は見た。
「あの二人、どのような境遇にあるのでしょうか……?」
大治郎が、そういうと、小兵衛は、
「わからぬ……なれど、おぼろげながら、わかるような気もする」
「それは、どのような……?」
「といわれても、口や筆に出してあらわすことはむずかしい。わしもお前同様、その二人の身性《みじょう》については何も知らぬことよ」
「はあ……」
「なれど、胸の内に、言葉にはならぬものがあって、わしのような老いぼれになると、何やらわかったような気もちになるのさ」
そして二年後の今日……。
はからずも、件《くだん》の托鉢僧《たくはつそう》の危急を救った秋山大治郎は、老僧を本所まで送って行った。
老僧は、いま、江戸に住みついているらしい。
二年前の大治郎のことを、老僧はおぼえていないようであった。
むり[#「むり」に傍点]もないといえよう。
あのときの大治郎は峠路でも街道でも、塗笠《ぬりがさ》をかぶったままでいたからである。
「かたじけのうござります。おかげさまにて生きのびることができました。ありがとうござりました。ありがとうござりました」
老僧は大治郎に向って両手を合わせた。
こうなると、なおさらに、二年前のことをいい出しかねた。
そのことを口にすれば、必然、金一分を報謝したことにふれねばならない。
ふれることが大治郎には、何やら、はずかしかった。
よろめき、ふらつく足を懸命に踏みしめながら、
「大丈夫でござります。ひとりで、もどれまする」
というのを、これだけは強《た》って、老僧の栖《すみか》まで送りとどけることを承知させた。
たしかに、そこまで注意をせぬと危ない。先刻の侍たちが、どこぞで見張っているやも知れぬからだ。
入谷田圃《いりやたんぼ》から浅草へ出るまでに、老僧は何度かのめり[#「のめり」に傍点]そうになった。そのたびに大治郎が差し出す手を「いえ、大丈夫でござります」と、辞退しつづけたが、ついにたまりかねて、
「では……おことばに甘えまして……」
大治郎の、たくましい腕に老体をゆだねたのである。
それこそ、
「骨と皮ばかり……」
の、老体であった。
この体を殴打《おうだ》されたり蹴《け》られたりしたら、たまったものではない。三人の侍への怒りが大治郎の胸へ衝《つ》きあがってきた。
途《みち》みち、大治郎の問いかけに老僧は、ぽつんぽつんとこたえた。
老僧は今日、坂本から三ノ輪を経て、千住《せんじゅ》のあたりまで托鉢に行き、帰途を急いだので、三ノ輪から斜めに畑道や田の道をぬけようとした。
そして、人気《ひとけ》もない入谷田圃まで来たとき、酔った三人の侍に囲まれたのだ。
三人は、とぼとぼと歩む老僧をからかい、反応を見せずに行きすぎようとする老僧に却《かえ》って嬲心《なぶりごころ》をそそられたらしく、しだいに執拗《しつよう》となり、ついに、木立の中へ連れ込み、乱暴をはたらくうち、腰にした刀の切れ味を試すことにしたらしい。
「とんだ災難でしたな」
「はい。はい。なれど、あなたさまのおかげにて、こうして無事にもどれまする」
「いや、なに……」
「私など、いつ、どこで朽ち果てようとも悔いはござりませぬが……なれど、いまのところは、もう少し、生きておらねばならぬこともござりまして……」
生きていなくてはならぬ事[#「生きていなくてはならぬ事」に傍点]とは、何であろう。
大治郎は、そのとき、
(この老僧は、まだ、あのときの老武士を介抱しながら暮しているのだな……)
と、直感した。
大川橋《おおかわばし》(吾妻橋《あずまばし》)を東へわたり、大川沿いの道を多田薬師の門前まで来たとき、老僧が、
「かたじけのうござりました。御礼は言葉につくせませぬが……事情《わけ》あって、これよりは一人でまいりとうござります」
と、いい出た。
申しわけなさそうな口ぶりではあるが、その中に、これ以上は他人に介入されたくないという意志が侵しがたく秘められているのを、大治郎は知った。
「さようか……灯《あか》りもなしに大丈夫ですかな?」
すでに、夜の闇《やみ》であった。
「通いなれた道で、ござりますゆえ……」
こういわれては、どうしようもない。
「では、お別れいたす」
「御恩は……」
いいさして老僧が、また大治郎を拝むかたちになった。
(これは、たまらぬ)
身を返して、大治郎は去った。
その後姿が闇に消えるまで見送ったのち、老僧は多田薬師と武家屋敷にはさまれた細い道を東へ入って行く。
これを、秋山大治郎は見ていた。
酒井下野守《さかいしもつけのかみ》・下屋敷の塀《へい》に、ぴたりと身を寄せていたのだ。
すぐに、大治郎は老僧を追った。
どうして、そうなったか、自分でもわからぬ。
ただ、二年前のときのままの、老僧と老武士が落魄《らくはく》の身を寄せ合い、どのような場所に、どのようなかたちで暮しているのか、と、それが気にかかったのであろうか……。
老僧は、曲りくねった道を東へ、東へとすすむ。
このあたりは本所のうちでも、開けるのが遅かったところで、むかしは下総《しもうさ》の国から武蔵《むさし》の国に属していたころのおもかげが、まだ色濃く残されてい、古くは沼地が多かったとかで、じめじめとした湿地帯に竹藪《たけやぶ》だの、無人の百姓家などが点在している。
表通りへ面したところには店屋もあるが、一歩、細道へ入り込むと、これが将軍ひざもとの大江戸の内とはおもえぬ。
それでも、荒井町のあたりまで来ると道もひらけ、宵《よい》の口《くち》のこととて、あちこちで通行人の提灯《ちょうちん》のあかりがうごいていた。
老僧は、荒井町の一角にある細道へ切れ込んで行った。
何年も前からの落葉が積ったまま腐葉土と化している細道であった。
表通りに面した町屋の裏側は深い竹藪になってい、その中を細道が通っている。
突き当りに、朽ちかけた小さな百姓家があった。
むかしは、この百姓家も細道も、木立や田畑に囲まれていたにちがいない。
大治郎は竹藪の中から、老僧が、百姓家へ入って行くのを見とどけた。
百姓家に、淡く灯がともった。
老僧が帰って来るまで、盲目の老武士は暗闇の家の中に凝《じっ》と待っていたのであろう。
竹藪を出て、大治郎は百姓家に近づいて行った。
あきらかに、二人のはなし声が聞えた。
(何を語り合《お》うているのだろうか……?)
好奇心だけとはいいきれぬ心情があって、尚《なお》も近よりかけたが、
(いや、これはいかぬ。盗み聞きなど、無礼きわまることだ)
顔を赫《あか》らめ、大治郎は引き返すことにした。
これで、老僧との関わり合いは、
(終った……)
と、大治郎はおもっていた。
だが、終ったことにはならなかった。
なんと、その翌々日に、秋山大治郎は、またしても件の老僧を見かけたのである。
しかも、父・小兵衛の親友であり、碁がたきでもある町医の小川宗哲《おがわそうてつ》宅へ、老僧は薬を受け取りに来たのだ。
宗哲と語り合っていた部屋と小廊下をへだてた診察の部屋にいて、宗哲と語る老僧の声を聞いたとき、大治郎は、
(よくよくの縁《えにし》だな……)
と、おもった。
後刻、老僧とのいきさつ[#「いきさつ」に傍点]を大治郎が語るのを聞き終えた小川宗哲は、こういった。
「……まったくな。わしなども、ずいぶん、そうしたことがある。何度も道で出合う人、おもいがけぬ場所で何度も出合う人というものは、決っているようじゃな。現にそれ、お前さんの父《てて》ごの小兵衛殿もそうじゃ。前に、あちこちで、よう顔を見かけた。向うも、そうおもっていたらしく、あるとき……さよう、回向院《えこういん》の前あたりじゃったかな。小兵衛どのがわしに、よう出合いますなあ、と、こう声をかけてきたものさ。いや、それまでは口をきいたこともなかったのじゃよ。まったくそのとおり、と、わしがこたえてな。それから語り合うて仲よしになれた。こういうことはな、古めかしい言葉じゃが、何かの因縁とでも申すよりほかはない。天と地のちから[#「ちから」に傍点]が目に見えぬ糸でもって、われらをあやつっているのであろうよ」
それはさておき、その日、小川宗哲宅を出て、荒井町の百姓家へ帰って行く老僧を御竹蔵《おたけぐら》の通りで見かけた者がいる。
そやつは、あわてて南割下水に沿った道へ駆け込み、老僧が行きすぎるのを待ち、後をつけはじめたではないか。
若い侍であった。
先日、入谷田圃で老僧に暴行をはたらき、大治郎に懲《こ》らしめられた三人のうちの一人であった。
この侍は、本所の三ツ目通りが南割下水へ突き当った東側の角地に屋敷がある四百石の旗本・阿部玄蕃《あべげんば》の長男で、名を新之助《しんのすけ》という。
阿部新之助は、入谷田圃《いりやたんぼ》にも近い下谷《したや》・御具足町《おぐそくちょう》に道場を構える白井熊治郎《しらいくまじろう》(中条流)の門人であった。
他の二人も同門で、大兵《たいひょう》の侍は白井道場に近い山崎町に屋敷がある二百五十石の旗本・六郷左門《ろくごうさもん》。
いま一人は、下谷・七軒町に住む五百石の旗本・坂部孫太夫《さかべまごだゆう》の次男で豊太郎《とよたろう》という。
日暮れ前に、阿部は六郷左門邸へ駆けつけ、
「かの、乞食坊主《こじきぼうず》の居所《いどころ》をたしかめましたぞ」
と、告げた。
そこで六郷左門は、すぐさま七軒町へ使いを走らせ、坂部豊太郎を自邸によんだ。
「どうする……?」
「どうしてくれようか……」
「ともあれ、このままには捨ておけませぬぞ!!」
と、阿部がいった。
「申すまでもないことだ」
坂部は、大治郎に突き飛ばされたとき、立木へ打ちつけた頭に包帯を巻いている。
一昨夜は帰邸してのち、高熱を発した坂部豊太郎は、腫《は》れあがった頭の痛みに眠ることもできなかった。父の孫太夫に「なんとしたぞ?」と問われ、仕方もなしに、
「白井先生に稽古《けいこ》をつけていただきまして……」
そうこたえると父は、さも満足そうに、
「さようか。それは何よりじゃ。白井先生に打ち叩《たた》かれた痛みを忘れず、修行にはげめよ」
と、いったものだ。
(踏んだり、蹴《け》ったりとは、このことだ)
坂部豊太郎は、自分の非行を棚《たな》にあげて、怒り狂っている。
六郷も阿部も同様であった。
見も知らぬ若者に、
「試し斬《ぎ》りを邪魔された……」
ばかりではない。
その若者に対し、白井道場では相当の遣い手だと自負していた三人が、一合《いちごう》もせずに逃げた。
その屈辱は、三人だけの秘密であり、
(決して、他へ洩《も》れてはならぬ……)
ものなのである。
このような恥辱が世間に知れたなら、徳川将軍の臣としての家柄《いえがら》へ傷がつくどころではない。事によったら三人は、幕府の裁決を受け、きびしく処罰されることにもなりかねない。
絶対に、
(知られてはならぬ……)
と、このことのみを、三人はおもいつづけていた。
もっとも、こちらが名乗ったわけではないから、老いた托鉢僧《たくはつそう》も若い浪人ふうの男も、三人の身分や居所を知っているはずはない。
しかし、顔を見られている。
非行を見とどけられている。
江戸はひろいといっても、どこでまた、顔を見られるやも知れぬ。
現に、それ、阿部新之助は件《くだん》の老僧を御竹蔵の道で見かけたではないか。
「よし」
と、六郷左門が決意をした。
「かまわぬ。斬って捨てよう」
「乞食坊主をですか?」
「あの浪人の居所はわからぬ……と、なれば決っているではないか」
「よろしい!!」
「やりましょう!!」
こうなると三人の、見当ちがいの遺恨と憎悪《ぞうお》は、ひたすら老僧へ向けて募るばかりとなった。
また、たとえ、あの若い浪人の住居を探り出したとしても、
(われわれでは歯が立たぬ……)
ことを、三人は口にこそ出さぬが、よくわきまえている。
もしも、あの強敵を見つけ出したときは、他に数人の助勢をもとめなくてはなるまい。
あのときは三人とも、無我夢中で逃げてしまったが、やはり、
(浪人の後をつけ、住居をたしかめておくべきであった……)
すくなくとも、六郷左門はそうおもっていた。
大兵で筋骨もたくましく、白井道場随一の門人と自負している三十七歳の六郷左門には妻子もいるし、家来もいる。屋敷へ帰ると、わが家来たちを替る替る庭へ引き出しては剣術の稽古をつけ、片端から木太刀《きだち》で叩き伏せ、得意満面になっていた六郷だけに、大治郎の激烈な叱咤《しった》に肝を冷やし、一目散に逃げ走った自分の醜体を、同門の若い二人に見られたことがくやしい。
ともかくも三人の、そうしたおもいが一つになって、逆恨《さかうら》みに老僧へ向けられたのである。
「で、その百姓家に、坊主がひとりで棲《す》んでいるのか?」
「いや、別にひとり……」
「何……まさか、あの浪人では?」
「ちがいます、六郷殿。同じ浪人でも盲目の病人らしい。近くで聞き込んでおきました」
「ふうむ。盲目の浪人、な……」
「近辺の者たちが申すには、兄弟のようだとか……」
「兄弟、か……」
「となると、その浪人も斬って捨てずばなりますまい」
「いや、盲目なれば、わかるまい。たとえ乗り込んで行って坊主を斬ったにせよ……」
「なるほど」
「病気の老いぼれを斬ったところで、はじまるまい」
「いかさま」
「で、六郷殿。いつ、やりますか?」
「まあ、急《せ》くな。わしがひとつ、明日は下見に行こう。それからでよい。だれにも気づかれぬように仕《し》てのけねばならぬゆえな……」
「さよう」
三人は、顔を見合せて、陰惨な目の色になり、だれからともなく顔をそ[#「そ」に傍点]向け合っていた。
そのころ……。
秋山大治郎は父・小兵衛の隠宅で夕餉《ゆうげ》をよばれていた。
三冬は、明日、帰って来ることになっている。
大治郎は今日の午後、父の機嫌《きげん》うかがいに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれたところ、父から小川宗哲へあてての手紙をとどけるようにたのまれ、宗哲宅へおもむき、居間で語り合っているときに、あの老僧が薬を取りに来たのであった。
「わしのところへ、あの坊さんが見えたのは一月ほど前のことであったかな……」
と、宗哲は大治郎にいった。
「いっしょに住んでいる友だちが急病だというので、わしのうわさを聞き、たずねて来たのさ」
すぐに宗哲は、老僧にみちびかれて百姓家へ行き、盲目の浪人を診察した。
「急病と申すよりも、長い間の病《やまい》が重くなったのじゃ。目のほうは、もう癒《なお》る見込みはないな」
眼科は専門でない小川宗哲だが、はっきりとそういった。
「あれは、ただの知り合いとか友だちとかいうのではないな。うむ」
「と、申されますと?」
「念友《ねんゆう》の間柄やも知れぬぞ」
念友とは、男色関係をさす。
「まさか、あの老人が……」
「いや、そうでない。年をとればとるほど、心と心が堅くむすばれるものじゃそうな」
「…………」
大治郎は、眉《まゆ》をひそめた。
「ともあれ、坊さんの看病ぶりや、浪人をいたわるありさまなど、徒事《ただごと》ではない。また、その浪人どのもな、坊さんにたよりきっているようじゃよ。うむ、あの百姓家は無人で朽ちかけていたのを、坊さんが僅《わず》かな金で借り受けているらしい。近所とのつきあい[#「つきあい」に傍点]もなくて、雨さえ降らなければ、かならず托鉢に出て、浪人どのの薬代を得ようとする。いやはや、実に感心なものさ。わしも気の毒におもうてな、取っておきの、よい薬を調剤してあたえているのじゃが……それでも、もはや三月とはもつまいよ」
「どこが悪いのですか?」
「どこといって……どこ[#「どこ」に傍点]もかしこ[#「かしこ」に傍点]もじゃ。長年にわたって、体が痛めつけられている。薬を血肉に吸いこむだけのちからが、体に残ってはいない」
「ふうむ……」
「ときに、大治郎どのよ」
「はい?」
「何で、あの坊さんを知っていなさる?」
「いえ、このあたりで、托鉢をする姿を数度、見かけておりましたので……」
「それだけかな?」
「はい」
大治郎は老僧を救ったことを、宗哲先生に語ることがためらわれた。
老僧を語ることによって、自分の為《な》したことを語ることになるからである。
しかし、小川宗哲の返書をもらって父の隠宅へもどって来た大治郎は、入谷田圃の一件を語った。
聞き終えてから秋山小兵衛が、
「そのとき、その三人の侍どもに後をつけられなかったろうな?」
「大丈夫です」
そのことに、大治郎はぬかり[#「ぬかり」に傍点]がなかった。
老僧を本所まで送って行く間にも、充分に気をつけたつもりである。
「ならばよい。その侍どものようなのが、もっとも怖い。なに、お前にとってではない。坊さんの居所をつきとめたとしたら、きっと仇《あだ》をするにちがいない」
「はあ……」
「侍どもは、これまでにも、ずいぶんと同じような乱暴をはたらいているにちがいないな」
「おそらくは……」
「三人とも、斬って捨ててしまえばよかったのじゃ」
めずらしく、小兵衛が昂《たかぶ》った声を出したので、大治郎はおどろいた。
「父上……」
「いやなに、お前のしたことにあやまりはない。どうも、ちかごろは年をとった所為《せい》か、わしも気が短くなってのう」
翌日の昼下りに、秋山小兵衛の姿を本所・荒井町の源光寺《げんこうじ》門前に見出《みいだ》すことができる。
いまごろは、秋山大治郎が田沼《たぬま》屋敷内の道場で汗をながしている最中《さなか》であろう。
今日も、晴れわたっている。
小兵衛は門前に佇《たたず》み、源光寺境内の松の木立で、一つ、二つ、三つと、松蝉《まつせみ》の声が鳴き揃《そろ》うのへ耳をかたむけた。
この蝉は〔春蝉〕ともいい、夏のさきがけに鳴きはじめる。
その声が、小兵衛は好きであった。
(さて……わしも、これより何度、松蝉の声を聴くことができるやら……?)
六十をこえてから、季節が変るごとに、何かにつけてそうおもうようになった。
それでいて小兵衛は、いまの自分の体のすこやかさ[#「すこやかさ」に傍点]をも、みとめぬわけにはいかない。
むろん、十年前にくらべると体力のおとろえを感ぜぬものでもないが、どこといって悪いところもないのである。
妙なはなしだが、ときには、
(若い、おはる[#「おはる」に傍点]の相手[#「相手」に傍点]もできぬことはない……)
のである。
それにつけても大治郎から聞いた、自分と同年配の老僧と盲目《めしい》の浪人のはなしは、たしかに小兵衛の胸をさわがせたようだ。
(その二人、いったい、どのような間柄なのであろう……?)
それでなくとも、日々、退屈をもてあましている小兵衛の好奇心をそそるには充分であった。
いや、単なる好奇心ともいいきれまい。
くわしい事情は知らぬながらも、小兵衛は二人の老人に一種の感動をおぼえていた。
大治郎に救われた折の、老僧の態度や言葉を、よくよく考えてみると、
(前身は、侍ではなかったろうか……?)
そのおもいが強かった。
そうなると尚更《なおさら》に、
(蔭《かげ》ながら、二人が棲《す》む家だけでも見ておきたいものじゃ)
おもい立つと、矢も楯《たて》もたまらなくなり、おはるに昼餉《ひるげ》を急がせ、隠宅を出て来たのであった。
(このあたりに、ちがいない……)
大治郎の言葉をたより[#「たより」に傍点]に、小兵衛は北割下水の突き当りの道を左へ折れた。
道を西へ行き、
(あ、ここか……)
荒井町と表町の境の辻《つじ》を右へ折れた。
表通りの荒物屋の横の細道を、竹藪《たけやぶ》をぬけて突き当ったところに、二人が棲む百姓家があると聞いた。
荒物屋が、右側に見えた。
(ここだな……)
ひょいと、細道をのぞき込んだ秋山小兵衛が、はっ[#「はっ」に傍点]と身を反らせた。
細道の向うの竹藪の中から、三人の侍が出て来るのを見たからであった。
とっさに、小兵衛は荒物屋へ入って、
「火吹き竹を一つ、もらおうかな」
と、店の女房へ声をかけた。
三人の侍が、表通りへあらわれた。三人とも編笠《あみがさ》に顔を隠している。
(大治郎に懲《こ》らしめられたのは、こやつどもだ)
と、小兵衛は直感した。
編笠を寄せ合い、何やらささやき合った三人は、荒物屋の前を通りすぎ、表町の方へゆっくりと歩んで行く。
「ありがとうござい」
荒物屋の女房の声を背中に聞いて、火吹き竹を買った小兵衛は、三人の後をつけはじめた。
三人は一度、振り返って、こちらを見たけれども、小兵衛いささかもあわてずに後から歩む。
怪しまれた様子もない。
日中のこととて、通行人は小兵衛ばかりではないのだ。
そのころ……。
老僧は、日本橋・鉄砲町のあたりを托鉢《たくはつ》していた。
軒下に立ち、懸命に、丹念に経をよむ姿を見て、家々の人びとが銭を紙に包み、報謝してくれることもめずらしくはないのだ。
この日の夕暮れに、田沼屋敷の稽古《けいこ》を終えた秋山大治郎が浅草|橋場《はしば》の我が家へ帰ると、妻の三冬が出迎えた。
「おお、帰られたか」
「はい。あの……」
「何か……?」
「先刻、本所の荒井町の荒物屋の亭主《あるじ》が、義父上《ちちうえ》にたのまれたと申しまして、これを……」
と、三冬が差し出したものは、結び文であった。
三冬はひらいて見てはいなかった。
「何、父上から……」
結び文には、こうあった。
「この文を見たら、すぐに、荒井町の荒物屋へ来てもらいたい。わしは、そこで待っている。尚、おはるのもとへも知らせておいたから、かまわぬように」
大治郎は、父の文を三冬へわたし、
「行ってまいる」
「何事でしょう?」
「読めば、わかる」
昨日《きのう》、根岸の寮へたち寄った折に、三冬には、入谷田圃《いりやたんぼ》の一件を語ってあったから、大治郎は身を返して、家を走り出て行った。
荒物屋へ駆けつけたときには、夜になっていた。
秋山小兵衛は荒物屋の二階にいて、酒をのんでいた。
荒物屋の夫婦へ、たっぷりとこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をはずんだにちがいない。
「父上。いったい、これは?」
「三人の侍どもの正体をつきとめたぞ」
「えっ……」
これには、さすがの大治郎もおどろいた。
父の手まわしの早さには、
(呆《あき》れるほかはない)
と、おもった。
「まあ、聞け。それよりも先《ま》ず、のめ」
盃《さかずき》を息子にあたえた小兵衛が、通りに面した障子を細目に開けて、下の道から目をはなさず、
「のんでから、腹ごしらえをしておけ。ここの女房どのに仕度をたのんである」
「ち、父上……」
「まあ、聞け」
障子の隙間《すきま》から目をはなさず、小兵衛が語りはじめた。
小兵衛の巧妙な尾行に全く気づかなかった三人は、ひとまず、六郷左門邸へ入ったという。
「小半刻《こはんとき》も、六郷屋敷の前をぶらぶらしていたが……いや何とも、間《ま》がもてなくなってな。そこで、此処《ここ》へ来て、お前とおはる[#「おはる」に傍点]へ手紙をとどけてもらったのじゃよ」
「この荒物屋へは、何といってあります?」
「来がけに小川宗哲先生のところへ立ち寄り、宗哲先生をわずらわせて、ここの夫婦にたのんでもらった。何しろ大治郎、本所|界隈《かいわい》では宗哲先生は、神か仏も同様ゆえ、な」
「なるほど」
「いずれにせよ、やつどもが、坊さんと盲目の浪人に何か仕掛けるとすれば、夜か明け方じゃ」
「父上は、今夜にでも、三人が押し込んで来るとおっしゃるのですか?」
「来ぬかも知れぬが……来るやも知れぬ。来ることを先《ま》ず考えておかねば、あの二人の気の毒な老人たちを救うことはできぬ」
「父上。おやりなさる?」
「知ったからには、知らぬふり[#「ふり」に傍点]もできまい?」
「はあ……」
「日暮れ方にな、坊さんが、疲れた足を引きずるようにして、無事に帰って来たよ」
「さようですか……」
そこへ、荒物屋の女房が、大治郎のために夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》を運んで来た。
焼魚に味噌汁《みそしる》。それに井戸水で冷やした豆腐が一皿。
「わしは、先にすませた。さ、おあがり。なかなか、うまいぞ」
「では……」
「おかみさん。すまぬが、酒をな……」
「はい、はい。かしこまりました」
小川宗哲が何といったか知らぬが、荒物屋の夫婦は秋山|父子《おやこ》を、
「下にもおかぬように……」
もてなしてくれる。
「ときに、父上……」
「うん?」
「どうなさいます?」
「何が、よ?」
「こうして、私たち二人だけで、いつまでも見張りをつづけるわけにもまいりますまい」
「お前は、田沼様での稽古《けいこ》もあるし、な」
「そのとおりです。父上、これはやはり、四谷《よつや》の弥七《やしち》どのに助けてもらわねばなりますまい」
「そんなことなら、わけもないが……」
「父上。替りましょう」
食事をすませた大治郎が父と入れ替り、障子の隙間《すきま》へ視線を移した。
表通りの町屋の灯火が、道に洩《も》れている。
「来るにしても、もっと遅くなってからだろうよ」
「といって、こうなれば、目をはなすわけにもまいりますまい」
「ほんにな……とんだところへ、首を突っ込んだものじゃ」
いいながらも、小兵衛の両眼《りょうめ》が若々しい光をたたえ、声にも活気が出てきている。
「父上。まだ別に、手段《てだて》があるとおもいますが……」
「いまのうちに、あの二人を何処《どこ》かへ隠してしまおうというのかえ?」
「はい」
「となると、二人に事情《わけ》をはなしてやらぬといかぬな」
「申すまでもないことです」
「さて、なあ……」
「は……?」
「承知すまいよ、坊さんが……だって、そうではないか。先夜、住居まで送ろうとしたお前に、事情あって、これより先は一人で帰ります、と、坊さんがそういったそうではないか」
「そうでした……」
「じゃが……事情をはなしてみるのもよいだろう。そうすると坊さんは浪人を連れて、江戸をはなれ、ふたたび、流浪《るろう》の旅へ出るやも知れぬ。そうなれば、三人の悪《わる》どもも後は追うまいよ。あの三人は、わが身分と家柄《いえがら》を考え、おのれらの醜体が世間へ洩れることを何よりも怖《おそ》れているのじゃ」
「父上。その醜体を見知っているものが、いま一人、ここにおります」
「お……そうだ、そうだ。お前のことを忘れていたわえ。ふむ、こうなると、いよいよ捨ててはおけぬ。可愛《かわい》い伜《せがれ》に害がおよんでは一大事じゃ」
と、大形《おおぎょう》に目をむいて見せる父を見て、大治郎は苦笑を浮べるのみであった。
ところで……。
さすがの秋山父子も、見逃していた一事がある。
もっとも、そのことは、荒物屋の夫婦でさえも気がつかぬことだったから、秋山父子の目に入らなかったのも、
「むり[#「むり」に傍点]はない」
と、いえぬこともない。
しかし、六郷《ろくごう》・阿部《あべ》・坂部《さかべ》の三人は、それ[#「それ」に傍点]を今日のうちに、発見していたのであった。
それは、何かというと……。
托鉢僧《たくはつそう》と盲目の浪人が棲《す》む百姓家の裏手から、源光寺《げんこうじ》の墓地へ通ずる細い細い通路のことなのである。
雑草に埋もれ、木立に囲まれた、この細路《ほそみち》は、ずっとむかしに、百姓家のあるじだった男が、源光寺の墓守を兼ねていたため、人ひとりが辛《かろ》うじて通れる道を通したのであった。
ために、近辺の人びとも、ほとんど知ってはいない。
六郷たちは、今日の昼間に、百姓家を探りに来て、老僧が托鉢に出ていることをたしかめ、破れ障子の隙間から、屋内に盲目の浪人がいることを確認した。
裏手にも廻《まわ》ってみた。
そして、源光寺の墓地への通路を発見したのである。
小兵衛も大治郎も、荒物屋の傍の細道の突き当りが百姓家で、出入りは、この道ひとつと、おもいこんでいた。
なればこそ、荒物屋の二階から表通りを注視していれば、百姓家の二人をまもることができると見きわめをつけたのである。
小兵衛と大治郎は、夜が更《ふ》けて荒物屋の夫婦や子供たちが寝しずまってからも、相談をつづけている。
そのころ、下谷《したや》・山崎町の六郷屋敷の裏門から、三つの人影が路上へあらわれた。
主《あるじ》の六郷|左門《さもん》に、阿部|新之助《しんのすけ》と坂部|豊太郎《とよたろう》であった。
三人とも、蒸し暑い初夏の夜ふけなのに、すっぽりと頭巾《ずきん》をかぶっている。
六郷左門が頭巾の中から、
「やはり、あの寺の墓地づたいに打ち込むがよいな」
と、二人にいった。
三人が本所荒井町の百姓家を襲ったのは、丑三《うしみ》つ(午前三時すぎ)のころであった。
やはり三人は、源光寺の墓地づたいに潜入して来た。
人の目にふれる心配もない時刻ではあっても、表通りから入って行けなかったのは、この襲撃が正当のものではなかったからであろう。
三人が、百姓家の裏手へあらわれたとき、家の中では、盲目の浪人が、
「もし……もし、了念《りょうねん》殿……」
ささやきつつ、となりの寝床に眠っている老僧を、手さぐりにゆり起した。
「あ……いかがなされた?」
「おしずかに」
と、浪人は、しわがれた声で、
「先《ま》ず、落ちつかれるがよい」
「はあ……?」
「裏手に、怪しき物音がする……」
いいさして、浪人は痩《や》せおとろえた腕をのばし、枕元《まくらもと》の大刀をつかんだが、ふと、おもい直したように脇差《わきざし》のほうを把《と》って胸元へ引き寄せた。
「堀内《ほりうち》どの……」
「おしずかに……実はな、今日の昼下りにも、この家《や》のまわりを密《ひそ》かに歩む足音がしておりましたが……それも、一人ではない」
「あ……」
老僧は、愕然《がくぜん》となった。
入谷田圃《いりやたんぼ》での事件を、老僧は浪人に語ってはいなかった。
心配させては、
(病体に障《さわ》る……)
と、おもったからである。
「まさかに、このわしの首をねろうて、敵《かたき》の佐藤弥五郎《さとうやごろう》があらわれたわけでもあるまいが……」
「堀内どの……」
「さ、ともあれ、お逃げなされ」
「いや、それは……」
「お逃げ下され。たのむ。たのみ申す」
と、浪人のかすれ[#「かすれ」に傍点]声に、ちから[#「ちから」に傍点]が加わった。
このとき……。
荒物屋の二階では、秋山大治郎が障子の隙間《すきま》から外の道を見張りつづけている。
闇《やみ》になれた大治郎の目には、たとえ、細道へ入る猫《ねこ》一匹も見逃さなかったろう。
小兵衛は着のみ着のままで身を横たえ、荒物屋の女房が貸してくれた掛けぶとんを腰にかけ、よく眠っていた。
無事に翌朝を迎えることができたなら、小川宗哲に相談し、何かうまい方法で、ともかくも二人を他の場所へ移してしまい、
「そのあとで、三人の侍どものことを考えよう」
と、小兵衛はいった。
夜が明けぬうちに、曲者《くせもの》どもがあらわれたなら、秋山|父子《おやこ》は二階の窓から道へ飛び下りるつもりでいる。
大治郎は行燈《あんどん》の被《おお》いを深くし、さらに部屋の内を暗くしてから、障子を半分ほど開けた。
冷んやりとした夜気に、噎《む》せ返るような新緑のにおいがこもっていた。
(どうやら、無事に、朝が来るらしい……)
と、大治郎はおもった。
ちょうど、そのとき……。
百姓家の中の様子をうかがっていた三人の侍は、体当りに裏口の戸を叩《たた》き倒し、いっせいに屋内へ闖入《ちんにゅう》した。
この物音は、むろん、遠すぎて大治郎の耳へとどいていない。
百姓家の中には、はじめから灯がともっていない。
夕餉《ゆうげ》がすめば灯油も消してしまうのが、老僧と浪人の習慣《ならい》であった。
三人のうちの阿部新之助《あべしんのすけ》が、用意してきた龕燈提灯《がんどうぢょうちん》を左手に持ち、屋内を照らした。
土間に接して板の間。その奥に八畳ほどの部屋がある、それだけの小さな家であった。
「それっ……」
坂部豊太郎《さかべとよたろう》が大刀を小脇《こわき》に抜きそばめ、一気に板の間へ駆けあがり、板戸を引き開けて奥の部屋へ躍り込んだ。
坂部が躍り込んだかと見る間に、
「うわ……」
絶叫をあげ、奥の間から転げ出て来たものがある。
坂部につづいて板の間へ駆けあがろうとした六郷左門と阿部新之助は、その転げ出たものを、
(あの乞食坊主《こじきぼうず》……)
と、一瞬は見た。
だが、それは他ならぬ坂部豊太郎ではないか。
板戸の蔭《かげ》に、早くも脇差を抜いて待ち構えていた盲目の浪人が、飛び込んで来た坂部の太股《ふともも》を深ぶかと切り割ったのである。
盲目の上に、小川宗哲が「三月とはもつまい」といったほどの、病みおとろえた老体が為《な》し得た業《わざ》ともおもわれぬ。
同時に……。
前庭に面した雨戸を引き開けた老僧が、声をかぎりに叫んだ。
「盗人《ぬすっと》でござる。人殺しでござる。人殺しでござる!!」
この叫びは、竹藪《たけやぶ》をつきぬけて、微《かす》かながらも、はっきりと大治郎の耳へ入った。
ちょうど、障子を開けて外気を吸い込んでいたときだったから、よかったのだ。
「父上!!」
大治郎が声をかけるよりも早く、小兵衛が飛び起きた。
「お先に……」
いうや、大刀をつかんだ秋山大治郎が窓から下の道へ飛び下りた。秋山父子ならば、わけもないことだ。
「盗人でござる。お出合い下され。人殺しでござる!!」
老僧の叫びが、細道へ駆け込んだ大治郎の耳へ、今度こそ、はっきりと聞えた。
大刀を引き抜きざま、大治郎は一気に竹藪を走りぬけた。
その前へ、百姓家の裏手から抜身を持った二つの人影が駆けあらわれた。
「おのれ!!」
大治郎の声に、
「あっ……」
二人は、立ちすくんだ。
六郷左門と阿部新之助である。
阿部が、いきなり、龕燈提灯を大治郎へ叩きつけた。
ひらり[#「ひらり」に傍点]とかわした大治郎が、
「おのれら、先夜の二人だな」
「う……」
そこへ、秋山小兵衛が駆けつけて来た。
「大治郎。こやつどもか?」
「はい」
「よし。かまわぬ。斬《き》れ」
「よろしいか?」
「こやつどもを生かしておいては、何をするか知れたものではない。罪もなき人びとの迷惑じゃ。わしが引き受ける。かまわぬから斬れ。斬れい!!」
小兵衛の声には、烈《はげ》しい怒りがこもっている。
「たあっ!!」
進退きわまった六郷左門が、大治郎の正面から猛然と刀を突き入れてきた。
わずかに左足を引きざま、右足で踏み込んだ大治郎は、六郷の刃風を胸もと三寸にかわしておいて、大刀の柄頭《つかがしら》で左門の左の鬢《びん》のあたりを強打した。
「う……」
目がくらみ、前へのめりこんだ六郷左門のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]の急所を、秋山小兵衛が抜き打ちに斬った。
「むうん……」
わずかに呻《うめ》いて、六郷が倒れ伏した。
即死である。
阿部新之助は、六郷左門に一撃を加えて飛び退《の》いた大治郎の側面から、
「いまこそ!!」
とばかり、振りかぶった一刀を打ち込んだが、これに対する大治郎の体勢はいささかもくずれぬ。
水のながれのごとき自然さで、飛び退いた大治郎の左足が軸になって、くるり[#「くるり」に傍点]と体がまわり、阿部の打ち込みはむなしく闇を切り裂いた。
「ぬ!!」
あわてて踏みとどまり、向き直ったときが、阿部新之助の最期《さいご》であった。
秋山大治郎が送り込んだ切先《きっさき》は、阿部の喉笛《のどぶえ》を見事に掻《か》き切っていたのである。
裏手から、太股を切られた坂部豊太郎が唸《うな》り声をあげつつ、這《は》い出て来た。太股の骨まで切断されたのだ。
「こやつは、捨てておけ」
いうや、小兵衛が前庭に面した雨戸の、引き開けられた箇所から屋内へ入って行った。
大治郎も、これにつづいた。
土間に接した板敷きで、老僧が盲目の浪人を抱きしめていた。
盲目の浪人は、間もなく、老僧の腕の中で息絶えた。
曲者《くせもの》どもの刃《やいば》を、浪人は一太刀も受けていなかった。
病みおとろえた体に残されていた微《かす》かなちから[#「ちから」に傍点]を振りしぼって、浪人は曲者どもを迎え撃ったのである。
しかも、目が見えぬ。
それでいて、浪人は裏手にせまる殺気をいち[#「いち」に傍点]早く察知し、冷静に迎撃の仕度をととのえた。
老僧を前庭に面した雨戸の傍へ移し、自分は抜きはなった脇差《わきざし》を構えて、板の間から、躍り込む敵にそなえた。
坂部豊太郎《さかべとよたろう》が重傷を負って転げ出た、つぎの瞬間には老僧が雨戸を引き開け、叫び声をあげたので、六郷も阿部も動転してしまった。
(自分たちを、待ちかまえていた……)
このことである。
待ちかまえていたものは、老僧と浪人だけではあるまい、と、すくなくとも生き残った坂部豊太郎は感じた。だから秋山|父子《おやこ》に斬《き》って殪《たお》された六郷・阿部《あべ》の二人も、同様であったのだろう。
「いかぬ。逃げろ」
六郷左門がいい、真先に裏口から外へ飛び出し、阿部がつづいた。二人は重傷の坂部をたすけようともしなかった。いかに彼らが周章|狼狽《ろうばい》していたかが知れよう。
それにしても……。
(この浪人どのは、徒者《ただもの》ではない……)
と、秋山父子は看《み》てとった。
浪人は、老僧の腕に抱かれたまま、その耳もとへ、跡切《とぎ》れ跡切れに何事かささやいた。
二度、三度と、老僧がうなずいた。
この二人の様子も、
「また、徒事ではない……」
と、いってよい。
(念友……やはり、宗哲先生の申されたように、まことなのか?)
大治郎が小兵衛に、
「父上。宗哲先生に来ていただきましては……?」
そういうと、小兵衛がきびしい横顔を見せたまま、強くかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。
(もはや、間に合わぬ……)
と、看たのであろう。
「りょ、了念殿……」
浪人が老僧の胸へすがりつくように右手を伸ばした。
「はい……はい。ここにおりまするぞ、堀内どの」
「あ……」
意識が混濁してきたらしく、盲目の浪人は、わけのわからぬ言葉をつぶやきはじめたが、その中で、
「長い長い間……」
という言葉と、
「……かたじけない」
の一語が、秋山父子の耳へ入った。
了念とよばれた老僧は、浪人を抱きしめたまま、化石のごとく身じろぎもせぬ。
「亡《な》くなられた……」
小兵衛が、だれにともなく呟《つぶや》いた。
夜の闇《やみ》が薄紙でも剥《は》ぐように、灰白《ほのじろ》く明るみを増し、どこかで鶏が鳴きはじめている。
息絶えた浪人の死顔に見入りつつ、老僧が、
「堀内どの。この了念を……佐藤|弥五郎《やごろう》を、おゆるしあれ」
ほとばしるように、いい出たものである。
「いえ、私の名も、この亡くなられたお人の名も素姓も、何とぞ、お聞き下されますな」
と、老僧は秋山父子に語った。
「その上で、申しあげまする……私は、むかし……さよう、もはや二十八年もむかしの事でござりましたが、いま、この腕の中で息をひきとられたお人の父御《ててご》を手にかけてしもうたのでござります」
「御坊が……?」
「はい。はい。おもえば、これと申して由《よし》ないことから、酒に酔うて、このお人の父御と争いましてな……このお人の父御は、そのころの私の上役でござりました。満座の中で、私は、ひどく叱《しか》りつけられ、そのくやしさ、無念さに逆上し、宴が果ててのち、このお人の父御を城下の暗い道に待ちうけ、背後《うしろ》から……」
絶句したが、すぐに気を取り直したらしく、老僧は語りついだ。
「背後から、刀を突き入れました。父御は即死。私は、その場から城下を脱《ぬ》け出し、逃亡したのでござります。老いた母と、妹を捨てて……」
顔を見合せた小兵衛と大治郎は、声もない。
「このお人は、家中《かちゅう》に聞えた一刀流の名手でござりました。私には、この人を返り討ちにする自信など、とうてい、ござりませなんだ。父の敵《かたき》と追いせまるこの人の目を逃れ、逃れて、私は苦しい旅をつづけましたので……はい、どこにいても、どのような場所に隠れていても、一夜として、満足に眠ったことのない年月《としつき》がつづきました」
そうして、十年の歳月がながれたという。
「まるで、夢のようにしかおもわれませぬ。なんで、このようなおもいをしてまで逃げまわらねばならぬのか……いっそ、このお人に見つけられて、殺されてしもうたほうがよいとさえおもいました」
二人が故郷をはなれて十一年の夏に、二人は出合った。
いや、先に相手を見つけたのは、老僧のほうである。相手は気づかなかった。
場所は、東海道・白須賀《しらすか》の宿外れであったそうな。
「私は、あわてて木蔭《こかげ》へかくれ、このお人をやりすごしましたが……そのときでござります。はい、そのとき……」
「何となされた?」
と、秋山小兵衛。
「そのとき、私の脳裡《のうり》に浮びましたものは……あのように強い男に追いかけられていたのでは、この先、たまったものではない。よし、こちらが相手のうしろへぴたり[#「ぴたり」に傍点]とついて行こう。それならば見つかる心配はない、と、さようにおもいました。そして、もし、相手に隙《すき》あるときは、返り討ちにしてくれよう……そこで、討たれるはずの私が、討つ相手のうしろから影のようについて行ったのでござります」
こうして、二人の長い長い旅がはじまった。
ところがやはり、相手は〔然《さ》る者〕であって、返り討ちどころではない。昼も夜も、いつ、いかなる場所でも、相手にはつけ入る[#「つけ入る」に傍点]隙がなかった。老僧は返り討ちをあきらめ、一定の距離をへだてて後をつけることのみに専念した。
「はい。そのほうが、かえって気楽でござりました。後をつけることもうまくなりましたし、何よりも恐れる相手をこの目にたしかめつつ、うしろへうしろへとまわっているのでござりますから……」
二年、三年と、二人の旅はつづけられた。
そうなると老僧は、恐るべき相手に奇妙な親愛感をさえ抱くようになってきたのである。
「このお人の癖も、食べものの好みまで、手に取るごとく、わかるようになりましてな」
武家の間におこなわれた〔敵討ち〕は、いわば法律の代行であった。
父の敵の首を討って帰らぬかぎり、先祖代々の身分も役職も、ふたたび自分の手へはもどってこない。
ゆえに、敵を討つまでには国許《くにもと》の親類や藩庁もこれを助け、旅費なども工面してくれる。
けれども、おのずから限度があった。
敵討ちの旅に出て、十八年もたつのに、まだ本望がとげられぬとなれば、
「もう、いかぬわい」
と、親類も藩庁も援助を忘れてしまうし、それに敵討ち当人のほうが、
「合わせる顔がない……」
というわけで、連絡も絶えてしまうことになるのだ。
「それから、このお人の苦労がはじまりました。苦しい旅をつづけるうち、ついに、体をこわし、目も見えなくなりました。私は……私は、何度も、名乗り出て、首を討たれてやりたいと、さようにおもいましたなれど……ああ、どうしても、どうしても……」
老僧は堪《こら》えきれずに、嗚咽《おえつ》した。
「人というものは、さほどまでにしても、生きたいものなのでござりましょうか……」
「そのとおりでござるよ」
と、小兵衛がやさしくいった。
盲目の浪人が、甲州の栗原《くりはら》の宿場にある旅籠《はたご》で発病し、高熱がつづいて何度も死にかけたのち、両眼《りょうめ》が見えなくなり、絶望の極に達し、或《あ》る夜、短刀を引き抜いて、これをわが心ノ臓めがけて突き立てようとしたとき、
「お待ち下され」
隣室に泊りこんでいた老僧が、たまりかねて飛び込み、短刀を|P[#「P」は「腕」の「月」を「てへん」にしたもの、第3水準1-84-80、DFパブリW5D外字="#F350"]《も》ぎ取った。
もはや、返り討ちなどという考えは、みじんもなかった。自分の犯行のために半生を敵討ちの旅にすごし、辛苦にまみれつくして盲目とまでなった相手への同情と悔恨と自責の念に老僧も、さいなまれつづけていたのである。
「そこもとは?」
「旅の法師でござる」
「短刀をお返し下され。おかまい下さるな」
浪人は、この老僧が父の敵だとは夢にもおもっていない。
二十一年の歳月が経過しているのだ。
顔を見ることもできぬし、老僧は、おのれの若き日の声音《こわね》を全くうしなっている。
「おたすけいたしましょう。かなわぬながらも……」
浪人は、父の敵を討つ身であることを、のちに老僧へ告げた。
「と申して、もはや、敵を討つことはあきらめ申した。なれど、向うが生きていて、それがしを見れば、返り討ちにしてくれようと斬《き》ってかかるは必定でござる。そのときは、それがしにかまわず、お逃げ下さい」
「はい、はい……」
こうして、二人の旅は尚《なお》もつづけられた。
浪人の体をいたわりつつ、老僧は托鉢《たくはつ》をしながら旅をつづけ、すこしでも金を蓄えると、家を借りて棲《す》み、浪人の療養に意をつくしてきた。
仏門の修行を積んだわけではないが、経文を理解し、これを誦《しょう》することも堂に入って、
「このお人の病《やまい》を癒《なお》すことが、生甲斐《いきがい》ともなってまいったのでござります。なれど……なれど……」
なれど、すべては終った。
「いかようになされましょうとも、かまいませぬ」
いさぎよく頭《こうべ》をたれた老僧へ、
「いや、いや……われらは無頼の者どもを始末しただけじゃ」
「な、なれど、このままにては……」
「かまい申さぬ。それよりも、ここにいては何かと面倒でござる。後は後のこと。さ、すぐさま何処《いずこ》かへ身をお隠しなされ。このお人の亡骸《なきがら》は、われらにて始末いたそう」
朝の光が、あたりにただよってきていた。
さいわい、近辺の人びとは、あの斬り合い騒ぎに気づいていないようだ。
洗いざらしの衣に網代笠《あじろがさ》をかぶった老僧が、源光寺《げんこうじ》の墓地への通路から立ち去ったのは、それから間もなくのことであった。
「御坊。わしは秋山小兵衛。これなるは伜《せがれ》の大治郎と申す。このお人の亡骸は、ひとまず浅草今戸の本性寺《ほんしょうじ》へ葬《ほうむ》っておきましょうゆえ、月日がたったのちに、まいられるがよい」
「は……はい。かたじけのうござる。かたじけのう……」
秋山父子を伏し拝み、とぼとぼと木の間に消えて行く老僧を見送り、小兵衛も大治郎も顔を見合せ、溜息《ためいき》を吐《つ》くのみであった。
源光寺の本堂で読経《どきょう》の声があがりはじめた。
荒れ果てた前庭の一隅《いちぐう》に、常緑の喬木《きょうぼく》が淡黄色の小さな花をつけているのを見つけた小兵衛が、
「ほう……かくれ簑《みの》が花をつけたか」
「かくれ簑……?」
「あの木のことよ。人は、そうよんでいる」
「ははあ……」
「あの花が咲くと、間もなく暑い日がやってくるのじゃ」
百姓家から出た小兵衛は、六郷と阿部《あべ》の死体をながめ、
「ふ、ふふ……こやつのせがれどもが、わしたちを父の敵とつけ[#「つけ」に傍点]狙《ねら》うやも知れぬな」
と、いった。
梅雨の柚《ゆ》の花
妻の三冬《みふゆ》は、父・小兵衛《こへえ》の隠宅へ出かけ、留守であった。
このごろ、一日置きに、三冬は隠宅へおもむき、おはる[#「おはる」に傍点]から針仕事を習っているのである。
外には、初夏の陽光がみなぎりわたっている。
秋山《あきやま》道場では、若者ふたりが裂帛《れっぱく》の気合声を発し、無外流《むがいりゅう》の型をつかっていた。
ひとりは、飯田粂太郎《いいだくめたろう》。
いまひとりは、二月ほど前から道場へ通って来ている笹野新五郎《ささのしんごろう》だ。
秋山|大治郎《だいじろう》が、亡師・辻平右衛門《つじへいえもん》から授けられた無外流の型は三段に別れてい、その第一段は、いわゆる〔基本〕というべきものである。
三転、四転する無外流の構えから、攻撃と防御の型が三十七手に組み込まれてい、これを二人が〔打太刀《うちだち》〕と〔受《うけ》太刀〕を交互につとめ、くり返し、くり返しつづける。
飯田粂太郎と笹野新五郎は、もう一ヵ月も、第一段の型を大治郎の前でつづけさせられているのだ。
半月前から、
「今日よりは、真剣をもっておこなうように」
と、大治郎に命じられた二人は、それこそ、渾身《こんしん》の気力体力をふりしぼり、型をおこなっている。
粂太郎の熱心なのは知れてあるが、秋山道場二人目の門人となった笹野新五郎も、たゆまずに道場へ通って来る。
新五郎は、神田《かんだ》・裏猿楽町《うらさるがくちょう》に屋敷がある六百石の旗本・笹野|忠左衛門《ちゅうざえもん》の長男で、二十五歳になる。
剣術は十歳のころから、小石川の朝倉平太夫《あさくらへいだゆう》道場へ通っていたとのことで、
「相当につかえる……」
といってよい。
朝倉平太夫は三年前の夏、何者かに殺害され、道場は跡をつぐものが無く、閉鎖された。
以後、新五郎は剣術を絶っていたそうな。
新五郎がまなんだのは一刀流だが、近年流行の、ただもう派手やかに打ち合って、器用に仕上がればよいという悪い癖がほとんど身についていなかった。
秋山大治郎は、それをよろこんだ。
朝倉道場は小さなもので、門人の数も少なかったというが、
(よい師匠であったらしい……)
と、大治郎は、一度も見たことがない朝倉平太夫を偲《しの》んでいた。
小兵衛に尋《き》くと、
「朝倉……ふむ。何やら、耳にしたこともある」
とのことだ。
ところで、笹野新五郎が何故《なぜ》、秋山大治郎の許《もと》で、ふたたび剣術をまなぶつもりになったかというと、
「ぜひにも、秋山先生に御面倒をおかけしたい」
と、田沼意次《たぬまおきつぐ》の用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》から、大治郎がたのまれたのである。
引き受けぬわけにはゆかぬ。
生島用人は、新五郎の父・笹野忠左衛門と昵懇《じっこん》の間柄《あいだがら》だそうな。
二月前に、はじめて、笹野新五郎が道場へあらわれたのを見るや、三冬が笑いをこらえ、袂《たもと》に顔をおおい、台所へ走り込んだものだ。
(ふむ……)
大治郎も、面《おもて》へは出さなかったが、心中に、
(まさに、異相……)
と、見た。
笹野新五郎の、中肉中背の体格は実によく均整がとれているけれども、その顔貌《がんぼう》が、
(またとない……)
ものであった。
新五郎の顔を一度見たら、決して忘れることはあるまい。
顔を、横から真二つに割ったとする。
その下半分に、眉《まゆ》・目・鼻・口があつまってい、上半分のすべてを額がしめているのだ。
そして、顔の上部から頭へかけて、しだいに巾《はば》がせまくなっている。
つまり、三角形の顔と頭の下半部へ造作が集中しているのだ。
顔は大きい。頭は尖《とが》っている。
濃い眉、くろぐろと見ひらかれた両眼、ふとい鼻、一文字に引きむすばれた口、いずれも男の顔の造作として申し分のないものでありながら、それが下半分へあつまってしまったところが残念であった。
もっとも、顔の半分といっても、それは常人の顔全体に匹敵するほどの大きさなのだ。その上へ、またまた大きい額が張り出してい、さらに、頭部が尖っているため、髷《まげ》がよく乗らぬうらみ[#「うらみ」に傍点]がある。
はじめて新五郎が道場へあらわれた日の夜、秋山大治郎は夕餉《ゆうげ》を終えてから姿《かたち》を正し、三冬へ向い、
「さて……」
何か、いいかけようとするのへ、
「おゆるし下されませ」
三冬が両手をつき、顔を伏せた。
笹野新五郎の顔貌を見たとたん、失笑しかけた妻の無礼を叱《しか》ろうとおもった大治郎は出端《でばな》をくじかれた。
「私が、悪うございました」
「おわかりか……」
「はい」
「いつまでも、以前の三冬どのであっては困る」
大治郎は、それだけで叱るのをやめた。
ところで……。
笹野新五郎は、田沼屋敷内の道場で、大治郎が田沼家の人びとに稽古《けいこ》をつけるありさまを、物蔭《ものかげ》から二度ほど見ていたらしい。
これは田沼家の用人・生島次郎太夫の手引きによったもので、新五郎としても、これから自分が師と仰ぐべき人の稽古ぶりをひそかに見ておきたかったのであろう。ことに、自分が大治郎の無外流とはちがう流派の剣術を修行してきただけに、それは当然のことであって、また新五郎のそうした心がけは剣士としてほめられてよいことだ。
笹野新五郎は、一刀流の朝倉道場が閉鎖されてより今日までの三年間に、
「いささか、身性《みじょう》が悪《あ》しくなりましてな……」
と、生島用人が大治郎に語った。
「ほう、それは……?」
「いや、屋敷内に、いろいろと事情もござって……」
笹野家に、何やら複雑な事情が起り、それがおもしろくなくて、新五郎は酒色にふけるようになったというのである。
「なれど新五郎殿は、笹野家の嫡男《ちゃくなん》だそうではありませぬか」
「そのとおり……」
いいさした生島次郎太夫が、急に暗い目の色になって口ごもり、それ以上を語りたくはない様子を見せたので、大治郎はあえて尋ねなかった。
そうしたことは大治郎にとって、
(どちらでもよいこと……)
なのである。
必要なのは、彼が自分の道場へ来て、自分のきびしい指導を、どこまで熱心に、どこまで粘り強く、その身に受けてくれるかであった。
ともかくも笹野《ささの》新五郎は、三年にわたっておぼれこんだ酒色の誘惑から這《は》いあがり、中断していた剣の道へ深く分け入ろうと、
(決心をしたらしい……)
のであって、たしかに、その気構えは、大治郎と三冬にも感じとられたのである。
大治郎は先《ま》ず、例の振棒《ふりぼう》からやらせた。
これは無外流の初歩である。
新五郎も半月ほど前から、ひとりで体の調子をととのえていたらしく、二貫目の振棒を五百回振りぬいても体勢はくずれぬ。
これを、大治郎は凝視したまま、十日ほどがすぎた。
(ふむ。なるほど……)
この十日間に、新五郎が故朝倉|平太夫《へいだゆう》から受けた修行の道程が、いかなるものであるかを大治郎は看取することを得た。
ひとかどの剣士である新五郎が不快の色も見せず、振棒を振りぬいて倦《う》むことを知らなかった。
(これなら……)
大治郎は、期待を抱いた。
大治郎が田沼屋敷の稽古日《けいこび》に出かけ、道場を留守にしている間も、新五郎は黙々と振棒を振りつづけているそうな。
そして一月もすると、はじめは、どこかにうす[#「うす」に傍点]暗い翳《かげ》りが漂っていた笹野新五郎の面上に生き生きと血の色がみなぎりはじめた。
振棒も、三貫目の重さに替えられた。
日毎《ひごと》に、自分の体が以前のたくましさを取りもどしてくることに、新五郎は満足をしているらしい。
「いかがでしょうな、新五郎は……」
生島次郎太夫の問いに、大治郎が、
「あれならば大丈夫でしょう。私も本気になっております」
そうこたえると、生島用人の目がよろこびに光った。
「お願い申す。秋山先生によって、新五郎も生れ変りましょう」
「いえ、そのような……」
「お願い申す。お願い申す」
生島次郎太夫の声には、真情がこもっている。
それは、単なる友人の息子のために、というだけのものではない。新五郎の父・笹野|忠左衛門《ちゅうざえもん》と生島用人とは、よほどに親しい間柄なのであろう。
新五郎の父が生島用人へ、息子のことをくれぐれもたのんだにちがいないと大治郎はおもっていた。
ところが、一月がすぎたころ、生島次郎太夫が、
「秋山先生……」
「はい?」
「かほどに、新五郎がお世話をおかけ申しながら、新五郎の父が御挨拶《ごあいさつ》にも出ませぬこと、心苦しゅう存ずる」
なにをいうことかと、大治郎はおもった。
そうしたことなど、いささかも気にかけてはいなかった。
いまを時めく老中・田沼意次の用人として、日々多忙をきわめる身でありながら、生島次郎太夫は二度も秋山道場を訪れ、
「笹野新五郎がことを、よしなに……」
と、挨拶をしているし、三冬へも贈物をし、
「よろしゅう、面倒をみてやって下されますように」
と、両手をつかえた。
もっとも三冬は、生島用人にとって、主《あるじ》田沼意次のむすめなのであるが、それにしても行きとどいたことであった。
「次郎太夫が新五郎どのの親代りになっているのでございましょうか?」
と、三冬が大治郎にいった。
「さて……そのようには聞いていないが……」
三冬が少女のころから見知っている生島次郎太夫は、感情の起伏を顔にも態度にもあらわさぬ男であった。
秋山大治郎にとっても、生島用人の印象は三冬と同様のものであったのだ。
「あれほどの打ち込みようは、ただごとではございませぬ」
「ふむ……」
「次郎太夫に、子がない所為《しょい》かも知れませぬな」
「なるほど……」
「新五郎どのを幼少のころから見知っているので、父親になったつもりでいるのでございましょうか?」
「なるほど……」
「それにしても、こたびのことで、私は次郎太夫を見直しました」
「ほう……」
「妾腹《しょうふく》に生れた私が、父の許《もと》をはなれております間、次郎太夫は何かと世話をやいてくれましたけれど、みじん[#「みじん」に傍点]も私へ笑いかけたことなどございませなんだ。この男は体に血が通うておるのか、と、何度おもいましたことか……」
「ふうむ……」
「ただもう、父の命ずるままに、生人形のごとく、用を足しているだけのこととしかおもわれませなんだ」
「さようか……」
「それにしても意外なことでございます。次郎太夫に、あのような親切ごころがありましたとは……」
三冬は、むしろ呆《あき》れたようにいうのである。
「それにしても……」
「む……?」
「笹野新五郎どのを、何と、おもわれます?」
「何と、とは?」
「実は……」
と、三冬が語るには、大治郎が田沼邸の稽古に出た折の或《あ》る日に、三冬が住居と道場の境になっている板戸の隙間《すきま》から、何気もなく、道場で振棒を振りつづけている笹野新五郎を見たとき、
「はっ[#「はっ」に傍点]と、おもいました」
「何で?」
「ただひとり、振棒を振っておられる新五郎どのの体から、凄《すさ》まじいばかりの殺気が噴き出しておりました」
「殺気が……」
「はい」
女武道として一流の三冬が看《み》てとったことだ。その目に狂いはあるまい。
「まことか?」
「はい」
「その日、一度だけのことか?」
「実は、三日前のことなのでございます」
「ふうむ……」
しばらく沈思していた大治郎は、その翌日から、飯田粂太郎《いいだくめたろう》をよびよせ、真剣を把《と》っての型を笹野新五郎へつたえることにした。
ただし、型をつかわせるときは、かならず自分が見ている前でということに決めたのである。
それから、半月が経過している。
その日も、笹野《ささの》新五郎は昼すぎに秋山道場を出た。
朝から正午まで、新五郎は飯田粂太郎《いいだくめたろう》を相手に型をつかい、ときには大治郎の打太刀《うちだち》を受けにまわり、または打太刀をつとめて大治郎に受けてもらう。
型の前後に振棒を振るのも、定められたことであった。
真剣の型をつかうのだから、一瞬の油断もゆるされぬ。
むろん、双方とも殺気に近い気魄《きはく》がほとばしるのは当然のことだ。
この間、四度ほどの少憩をとったのみで、新五郎は渾身《こんしん》のちからをふりしぼる。
終って井戸の水を浴び、大治郎へ挨拶《あいさつ》をし、神田《かんだ》の屋敷へ帰って行くのである。
この二ヵ月で、笹野新五郎の剣士としての心身は、完全に、
「よみがえった……」
と、いってよいだろう。
帰って行く新五郎を見送った秋山大治郎が、
「三冬どの。笹野は、どうやら瘧《おこり》が落ちたようだ」
「と、申しますのは?」
「このごろは、剣に没入できるようになった。いささかも邪念はない」
「はい」
「ともあれ、笹野新五郎は、この道場へ来て、鈍《なま》りきった自分《おのれ》の心身を鍛え直そうとした……」
「はあ……」
「それも、何やら目当があったからでしょう」
「目当……?」
「だれかに、真剣の立ち合いを挑《いど》まれているのではなかろうか、と……」
「では、やはり……」
「たしかに、はじめのうちは、笹野の体から凄《すさ》まじい殺気が噴き出していた。私を、たしかに憎むべき敵と見て、剣を向けてきていた」
「ま、それは……」
「それが消えた。型が身につくと共に、無外流《むがいりゅう》の一太刀一太刀の、その剣の閃《ひらめ》きのみが笹野の目に映り、心身へおよぶようになってまいった。いまの笹野には憎悪《ぞうお》も邪心もない」
「では、無外流の型が……?」
「さよう。辻平右衛門《つじへいえもん》先生が創《つく》られた三段三十七手の型を体得すれば、まさに、邪念は消えるはず。なれど笹野は、第一段十一手の型を体得したのみで、没入した」
「はい」
「このごろの、笹野新五郎の顔つきが変ってきた。見ていて、まだ可笑《おか》しくなるかね?」
「そのことは、もう、おっしゃらないで……」
「は、はは……」
道場では、飯田粂太郎が汗みどろになり、床板をふき清めていた。
そのころ……。
笹野新五郎は田の中の道を下り、思川《おもいがわ》をわたり、橋場《はしば》の町すじへ入っている。
大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)の川面《かわも》に陽光が煌《きら》めき、浅草寺《せんそうじ》へ参詣《さんけい》に来た人びとが、浅草の外れのこのあたりまで、何気もなく歩を運んでしまうほどの、さわやかな五月晴《さつきば》れであった。
橋場の不動院前を行きすぎる新五郎の頬《ほお》をかすめた燕《つばめ》が一羽、矢のように舞いあがって行く。
そのとき、不動院の門内から姿をあらわした二人の侍が、編笠《あみがさ》をかぶったままで、
「まさに、な……」
「これは、徒事《ただごと》でないぞ。そうはおもわぬか?」
「先刻、見とどけた秋山道場と申すのは……たしかに、無外流・秋山小兵衛がせがれ[#「せがれ」に傍点]の道場なのか?」
「さよう。相当の遣い手らしい。ちかごろは、御老中・田沼様御屋敷へも稽古《けいこ》に出ているそうな」
「ふうむ……父親の秋山小兵衛は、世に隠れた名手と聞いたことがある」
「ほう……」
「いずれにせよ、酒と女に浸りきっていた笹野新五郎の、この変容ぶりは徒事でないな」
「いかにも」
「おぬしは、このことを、どうして知ったのだ?」
「笹野の屋敷の若党から、拙者の家の若党が耳にしたそうな」
「なるほど。おぬしの屋敷は、笹野のとなり合せであったな」
「さよう」
「もしやすると、笹野新五郎は、われらの仕《し》てのけたことに気づいたのやも知れぬな」
「そう、おもうか?」
「気にかかる……」
「え……?」
「あの夜に、われらが仕てのけたことを、朝倉道場の下男の為八《ためはち》に見られている。しかも、為八は逃げた」
「追うたが、逃げられてしまったな。足の速いやつめ。いまいましいやつだ」
「その為八は、笹野新五郎の気に入られて、何かと世話をやいていたものだ」
「ふむ……ふむ……」
「もしやして、為八が姿をあらわし、笹野へ、あの夜のことを告げたのではあるまいか……?」
「ふうむ……」
「となれば、笹野が、朝倉|平太夫《へいだゆう》先生の敵《かたき》として、われらを討ち取らんがために、ふたたび、剣を……」
二人は沈黙し、歩みはじめた。
笹野新五郎の姿は、行手に、もう見えなくなっている。
「ともかくも、このことを、加藤先生に知らせねばなるまい」
「申すまでもないことだ」
「万事は、それからだ」
「と、申すのは?」
「笹野新五郎に、あの世[#「あの世」に傍点]へ行ってもらうことよ」
「なれど、早まっては……」
「いずれにせよ、笹野は邪魔なやつだ。為八もそうだが、笹野新五郎だとて、うすうすは、われらの仕てのけた事に気づいているのではあるまいか……」
「そうか、な……?」
二人が編笠をぬいで顔を見せた。
二人とも、三十前後の侍であった。
大川を行く荷舟から、船頭が唄《うた》う船唄《ふなうた》が風に乗って、のんびりと聞えている。
神田の裏猿楽町は、ほとんど武家屋敷で埋まっている。
その一角に、笹野忠左衛門《ささのちゅうざえもん》の屋敷があった。
六百石の旗本である忠左衛門は幕府の御小姓頭取をつとめてい、当年五十歳。片番所付の長屋門を構えた屋敷は七百坪ほどもあろうか。
笹野新五郎が、この屋敷へ帰ってから、しばらくして、南隣りの飯塚左内《いいづかさない》の屋敷へ帰って来たのは、左内の嫡男《ちゃくなん》・飯塚|釜之助《かまのすけ》である。
釜之助は先刻、浅草橋場の不動院門前で笹野新五郎を見送りながら、怪しげな会話をかわしていた二人の侍のうちのひとりだ。
夕闇《ゆうやみ》が淡くただよう屋敷町の道すじには、ほとんど人通りが絶えていた。
そして、夜が来た。
笹野屋敷内の、自分の居室で、新五郎は読書にふけっている。貝原益軒著の〔諸州巡覧記〕のうち、南遊紀行の下を読んでいるのだ。
儒者として名高い益軒があらわした、この旅行記七巻を、
「おもしろいぞ。読むがいい」
と、新五郎へあたえたのは、亡師・朝倉|平太夫《へいだゆう》である。
新五郎は十二年も、朝倉道場へ通い、剣をまなんだわけだが、その間に、道場で稽古《けいこ》にはげむ門人は十人に満たなかったろう。それほどに流行《はや》らぬ道場であった。
新五郎が十歳で入門したとき、平太夫は、ちょうど、いまの新五郎ほどの若さだったのだから、殺害されたときは四十にならなかったことになる。
指の痕《あと》さえもみとめられぬほど、きれいに保存された亡師形見の書物を読むたびに、新五郎の脳裡《のうり》に浮ぶのは、
(朝倉先生が、あのように、たやすく殺害されるとは……)
このことであった。
朝倉平太夫は、厠《かわや》の外の廊下に倒れてい、七ヵ所の傷のほとんどが突き傷であったそうな。
厠の中にも血がしぶいていた。
掃出し窓の外から、槍《やり》のようなもので、厠に入って用をたしている平太夫を突いたものらしい。
おどろいた平太夫が、廊下へ逃れたところを、待ちかまえていた別の曲者《くせもの》が突き刺し、突きまくったのではないか……。
奉行所の調べでは、
「強盗の仕わざ……」
ということになっている。
妻子もない平太夫が住み暮している三間の部屋が荒されており、所持していた刀剣が三振《みふり》ほど消えていたし、平太夫の身のまわりを世話していた下男の為八《ためはち》が、その夜から行方知れずになっているところから、
「下男の手引きで、盗賊が入った……」
ことになった。
その他には、何の手がかりもなく、為八は依然、行方不明とあれば、笹野新五郎も、
(半信半疑ながら……)
これを信じるよりほかはないのだ。
侵入した盗賊が何人なのか、それもわからぬ。
平太夫は就寝の前に、かなりの量の飲酒をするところから、酒に酔いつぶれた主人を為八が殺害したのであろうともいわれている。
(まさか……?)
そこがどうも、笹野新五郎には納得できぬ。
為八は、その一年ほど前に、口入《くちいれ》屋を通じて雇われた下男で、年齢《とし》は三十四、五に見え、陰日向《かげひなた》なくはたらくので、朝倉先生にも気に入られたし、新五郎も目をかけて、時折は小遣などをあたえ、
「いつまでも、ここにいて、先生のお世話をたのむぞ」
そういうと、為八は、
「へえ、もう……わしなどは、ほかに行くところもござりません。いつまでも置いていただきます」
「お前、どこの生れだ?」
「上州でござります」
「そうか」
上州のどこでも、そのときの新五郎にとっては、
(どうでもよい)
ことだったが、いまになってみると、もっとくわしく尋《き》いておくのだったと悔まれてならない。逃げた為八が、そのまま生れ故郷へ帰るとはおもえぬが、それにしても、何か手がかりがつかめたのではないか……。
為八を雇った口入屋がいうには、
「相州藤沢の在だと申しました」
これでは、為八の言葉と大分にちがう。
朝倉道場の近くに住む御用聞きの平治郎という者が、それでも藤沢まで探りに行ってくれたけれども、
「まるで、雲をつかむような……」
ものだったそうである。
「ああ……」
書見台の書物から目をはなし、笹野新五郎はためいきを吐《は》いた。
書物を伏せて、新五郎は廊下へ出た。
厠へ行くつもりで廊下を曲ると、父・忠左衛門の居間からの、何やら、たのしげな笑い声が洩《も》れている。
それは、父と義母と、義母が生んだ弟の団欒《だんらん》をものがたっている。
腹ちがいの弟の数馬《かずま》は、十五歳であった。
いや、腹ちがいだと、いえぬやも知れぬ。
自分が、父・忠左衛門の血を分けた子でないことを、笹野新五郎は六、七年前から、おぼろげながら感じとっていた。
奉公人の、ひそかなささやきも耳にしたし、弟が生れてからの父や義母の態度からも、それが察しられた。
子供のころの新五郎が、生みの母だと信じていた忠左衛門の先妻が病歿《びょうぼつ》してから、もう十八年にもなるのだ。
忠左衛門の先妻は、病弱であった。
幼少のころの新五郎の記憶は、薬くさい病間の臥床《ふしど》に身を横たえ、痩《や》せ細った白い顔に、たよりなげな、やさしい笑顔を自分に向けている〔母〕の、冷たい掌《て》の感触なのである。
厠からもどって来た新五郎の耳へ、またしても、父の居間からの笑い声が聞えた。
まだ五ツ(午後八時)になってはいまい。
奥向きの自室から義母が父の居間へあらわれ、弟をまじえて語り合っているのであった。
以前の新五郎は、こうしたときに、絶望と不安と、得体の知れぬ怒りに身をさいなまれたものだったが、いまはちがってきている。
まるで、亡師の朝倉平太夫が、
(生き返ってきたような……)
新しい剣の師・秋山大治郎を得たからだ。
笹野新五郎が、酒色を絶ち、ふたたび剣を把《と》って闘うべく奮起したのには理由がある。
人ひとり……それも強敵を打ち殪《たお》すためにであった。
その強敵は、亡師殺害の一件とは、まったく関係のない男なのである。
新五郎は、すでに、笹野家の跡をつぐことをあきらめていた。あきらめるというより、いまはまったく、そのことに執着をもっていない。
機会を見て、いさぎよく廃嫡《はいちゃく》のことを自分から申し出て、弟に家督をゆずり、父や義母のひそかなのぞみにそってやるつもりだ。
それから、あの強敵と闘い、これを斬《き》って殪す。自分も、その場で腹を切る決心であった。
だが、その決意も、いまは大分に変化しつつある。
秋山道場での日々が、新五郎を変えたのだ。
剣の道の、底知れぬ深さを、もっともっと、
(きわめつくしたい……)
との欲望が執念に変りつつある。
秋山道場にいると、憎むべき強敵のことも、忘れかけることさえあった。
この屋敷を出る決意は、みじんもゆるがぬ。そのかわり、一介の剣士となって何とか生きぬいて行きたいという希望が生れた。
父の知友で、田沼|意次《おきつぐ》の用人をつとめている生島|次郎太夫《じろだゆう》が、
(秋山先生に引き合せて下されたことを、おれはありがたくおもわねばならぬ)
このことである。
(いまの、この、おれのこころを、殺されたおたか[#「おたか」に傍点]も、よろこんでくれるのではないか……)
笹野新五郎は、父の居間を背にして廊下を曲り、自分の居室へ入った。
小庭に面した障子を開けると、なまあたたかい夜の闇に、むせかえるような新緑のにおいがたちこめている。
「おれも、まだ、若いのだ」
おぼえず、新五郎はつぶやいていた。
障子を閉じ、書見台の前へもどった新五郎は、落ちついた気分で、また〔諸州巡覧記〕を読みはじめた。
翌日。
稽古《けいこ》を終えた笹野《ささの》新五郎が秋山道場を出て、帰途についたころ、飯塚釜之助《いいづかかまのすけ》は、昨日、共に新五郎を見張った侍と二人で、市《いち》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》の境内にある〔万屋《よろずや》〕という料亭へ入って行った。
釜之助の連れ[#「連れ」に傍点]は、ここからも程近い牛込の火之番町に屋敷がある旗本・松平弾正《まつだいらだんじょう》の嫡男《ちゃくなん》・鎌太郎《かまたろう》である。
松平鎌太郎は飯塚釜之助と同年の二十八歳で、釜之助同様に妻子もおり、一昨年に隠居した父の弾正にかわって松平家の当主となった。千石の旗本ではあるが、その姓を見ても、血すじのよい家柄《いえがら》なのであろう。
松平屋敷の近くの払方町《はらいかたまち》に、直心影流《じきしんかげりゅう》の道場を構える加藤勇右衛門《かとうゆうえもん》という剣客《けんかく》がいて、飯塚も松平も、その門人であった。
万屋は、八幡宮拝殿の東側の崖際《がけぎわ》にあった。
深い木立に包まれている奥の座敷へ飯塚と松平が案内されて間もなく、二人の師匠である加藤勇右衛門が万屋へあらわれ、二人が待つ離れ座敷へ通った。
「や、加藤先生……」
「わざわざ、御足労を……」
飯塚と松平は軽く頭を下げたが、妙に、なれなれしい。
どっしりとした巨体を座に据《す》えた加藤も、これを怪しまぬが、苦い顔つきになっていることはたしかだ。
この三人の様子には、到底、剣術の師弟とはおもえぬ何かがにおっている。
三人は、酒をのみながら、密談にふけった。
「いかが、おもわれますな、先生は……」
「ふうむ……」
「加藤先生……」
「待ちなさい。その、笹野新五郎と申すやつ。われらの仕《し》てのけたことに気づいたと……?」
「そうとしか、おもわれませぬ。われらが成敗した朝倉|平太夫《へいだゆう》の葬式の日に、新五郎は、かならず、師の敵《かたき》を討つと、誓ったそうでござる」
「飯塚。それを、だれから聞いた?」
「笹野の若党が、私の屋敷の若党に語ったそうで……」
「三年前じゃな?」
「さようでござる」
「その後、笹野新五郎は遊蕩《ゆうとう》をはじめて、剣を忘れたというのか?」
「さよう」
「何故?」
「新五郎は笹野の嫡男と申しても、実の子ではないらしい。新五郎の父は、後妻《のちぞえ》が生んだ二男の数馬《かずま》に家をつがせたくなって、近年は、まるで、継子《ままこ》あつかいにしていると申します」
「それで、自棄気味《やけぎみ》となり、酒色におぼれたという……?」
「さよう。ところが二ヵ月ほど前より、ふたたび、浅草|橋場《はしば》の秋山道場へ通いはじめましてな」
「ふうむ……」
「まさに、行方知れずとなっていた朝倉道場の下男があらわれ、新五郎に、われらのことを告げたに相違ありませぬ」
「私も、さようにおもう」
と、松平鎌太郎が、
「加藤先生。かくなれば仕方もない。笹野新五郎を、ひそかに討ち取ってしまいましょう」
「相手にねらわれるより、こなたから機先を制したほうがよい」
「む……」
加藤勇右衛門は厭《いや》な顔つきになったが、あきらめたように、
「おぬしたちと、こうした腐れ縁になろうとは、おもわなんだ」
つぶやくようにいい、盃洗《はいせん》の水をあけて、ぬるくなった酒をつぎ入れ、一気に呷《あお》った。
三年前の春に……。
この三人の師弟は、王子|稲荷《いなり》前の料亭〔吉野屋《よしのや》〕の奥座敷で大酔したあげく、若い座敷女中を押え込み、これに、いたずら[#「いたずら」に傍点]をしかけたことがあった。
加藤勇右衛門は剣術も相当なものだし、教え方もうまいので、道場は、かなり繁昌《はんじょう》をしている。
妻子がいないのは、亡《な》き朝倉平太夫と同じだが、加藤は酒をのむと、まるで、
「人がちがった……」
ようになる。
乱暴をはたらくというよりも、ひどく、色好みになってしまう。
飯塚釜之助と松平鎌太郎は、どちらかといえば人のよい師匠の加藤を連れ出しては、酒をのませる。
飯塚も松平も、家が裕福だから、遊ぶ金には困らないのだ。
料理屋で大酔し、座敷女中にいたずらをしかけたのも、そのときがはじめてではないのである。
三人は、女中を撲《なぐ》りつけて昏倒《こんとう》させ、着ているものを、剥《は》ぎ取りはじめた。
そこへ、朝倉平太夫が飛び込んで来たのだ。
平太夫は、この日。王子|権現《ごんげん》・稲荷の両社へ参詣《さんけい》をし、吉野屋でおそい昼食をすませ、渡り廊下の突き当りにある厠《かわや》で用を足して出て来たときに、向うの離れ屋の異様な物音に気がついた。
そっと近寄り、障子の隙間《すきま》から中をのぞくと、いまや、三人の侍が失神した座敷女中へ怪《け》しからぬまね[#「まね」に傍点]をしようとしているではないか。
飛び込んだ平太夫が、三人を叱《しか》りつけると、醜体を見られた三人はかえっていきり立ち、刀をぬいて平太夫へ立ち向って来た。
来たが、どうにもならぬ。
三人とも、酒に足をとられ、たちまち平太夫に叩《たた》きつけられ、松平鎌太郎は髷《まげ》を切り落されてしまった。
まっ先に逃げたのは、加藤勇右衛門であった。
これでは先生、弟子に頭が上らなくなるのも、当然といわねばなるまい。
しかし、さすがに加藤は、道場を構える剣客だけに、
(ぬぐうても、ぬぐいきれぬ恥辱をうけてしもうた……)
というので、物蔭《ものかげ》にかくれて朝倉平太夫が料亭を出るのを待ち、これを尾行して、小石川の朝倉道場をつきとめたのである。
ほんらいならば、正々堂々の果し合いを申し込みたいところだが、その理由はと問われれば、とてもとても、おもてむきにできることではない。
これはどうしても、人知れず、朝倉平太夫を殺してしまわねばならぬと、三人の師弟は決意した。
それから夏になって、殺害決行の当夜が来るまで、飯塚と松平は朝倉道場を内偵《ないてい》した。
飯塚釜之助が、となり屋敷の笹野新五郎が朝倉道場へ通っていることを知ったのも、このときである。
三人が、朝倉平太夫を殺害した夜に、これも偶然、用便に起きて来た下男の為八《ためはち》に目撃されたのは不覚であった。
為八は悲鳴をあげて、逃げ去った。
三人とも布で顔を隠していたから、わかるはずはないとおもうのだが、平太夫を殺して引きあげる途中で、
「あの下男が、われわれの後をつけているのではないか……?」
しきりに、加藤勇右衛門が気にしていた。
こういう神経のはたらきがあるところに、加藤の人柄がよくあらわれている。
以来、飯塚も松平も、その加藤の言葉が頭からはなれないのだ。
「よし!!」
ややあって、加藤勇右衛門が飯塚と松平にいった。
「かくなれば、笹野新五郎を殺害してしまうより、仕方があるまい」
それから五日のちの午後であったが……。
秋山道場での稽古《けいこ》を終えた笹野《ささの》新五郎は、そのまま道場へ居残った。
屋敷を出るときに、
「今日は、帰りが遅くなる」
と、門番の中間《ちゅうげん》にいいおいてあった。
大治郎に、留守をたのまれたのである。
この日の午後から、大治郎と三冬は、そろって田沼意次の屋敷へ招かれていた。
大治郎が田沼邸の稽古日で、朝から出て行ったので、三冬は後から、父・意次の屋敷へ出向くことになった。
田沼意次は、むすめの三冬が大治郎と夫婦になってより、ほとんど、顔を見ていない。
政務が多忙をきわめているらしく、自邸へ帰ってからも書類に目を通したり、密議がおこなわれたりするので、
「このほどは、さすがに、お疲れの御様子でござる」
と、用人・生島|次郎太夫《じろだゆう》が眉《まゆ》をひそめて、大治郎へ洩《も》らしたそうな。
その意次が、
「たまさかには、夫婦そろった顔が見たい」
といい、大治郎夫婦を招いたのである。
折しも飯田粂太郎《いいだくめたろう》は、田沼家の下屋敷で当直の日に当っていたので、大治郎も三冬も家を明けて田沼邸へおもむくつもりでいた。
「ここへ入る盗賊もおるまい」
と、大治郎は笑った。
独身《ひとりみ》のころは、いつも、そうしていたのである。
しかし、笹野新五郎が留守居を申し出た。
「かまわぬのか?」
「先生。私でよろしければ……」
「よろしいも何も、そうしてくれるならありがたい。帰りも、それほどに遅くはなるまい」
「ごゆるりと……」
帰りが遅くなろうが、外泊をしようが、いまの笹野屋敷では、新五郎の行動にいっさい無関心なのだ。ただ若党や中間の中に、新五郎へ同情を寄せる者が二、三いるだけであった。
「では笹野どの。後を、たのみます」
いいおいて、三冬が出て行ったあと、笹野新五郎は道場の掃除をはじめた。
夕暮れとなった。
新五郎は、まだ、掃除をつづけている。
天井も羽目も床板も、内も外も丹念に、隅《すみ》から隅まで、
「みがいてみがいて、みがきぬく……」
ような掃除の仕方なのである。
そのころ……。
久しぶりで秋山小兵衛が、おはる[#「おはる」に傍点]をつれ、橋場の料亭〔不二楼《ふじろう》〕へあらわれている。
「これは大《おお》先生。ようこそ……」
亭主の与兵衛《よへえ》夫婦が大よろこびで出迎えた。
「いい陽気になったのう」
「これから、すぐにまた、暑くなります」
「世の中は、うまく行かぬようにできているわえ」
「今日は、また、おそろいで……」
「たまには、台所からはなれたいと駄々《だだ》をこねるのじゃ」
と、見返る小兵衛に、おはるが、
「あの、若先生の御夫婦にも、来てもらったらどうだね?」
「そうじゃな、そうしようか」
「それがいいよう、先生」
すると与兵衛が、
「では、こちらから使いを走らせましょう」
「すまぬな」
「何の……目と鼻の先でございますよ」
不二楼の若い者が、すぐに大治郎の道場へ飛んで行き、すぐに引き返してきた。
「お二人とも、お留守だそうでございますよ」
と、与兵衛が小兵衛の座敷へ知らせに来て、
「若い御門人がひとり、井戸端で水を浴びていたそうでございます。いえ、飯田粂太郎さんではないお人だそうで……」
「あ……それなら、笹野新五郎という新しい門人じゃろう」
「それはそれは、若先生のところも、いよいよ御繁昌《ごはんじょう》でございますな」
「何をいわっしゃる。たった一人の客で、商売がなろうかえ」
「これは、どうも……いえ、あの、お二人そろって、田沼様御屋敷へお出かけになったということで……」
「おお、さようか。それならばよい。では、うまいものをどしどし出してもらおうかな」
「承知いたしました」
小兵衛は、大治郎の道場へ立ち寄った折に、笹野新五郎が型をつかっているところを、二度ほど、見たことがある。
「いかがでしょうか?」
そのとき、大治郎が尋《き》くと、
「先《ま》ず、もの[#「もの」に傍点]になろうよ」
小兵衛が、さも嬉《うれ》しげな笑顔を見せ、
「よい弟子が来たのう」
と、いったものである。
夕闇《ゆうやみ》が、夜の闇に変りつつあった。
ちょうど、そのころ……。
不二楼からも秋山道場からも遠くない、山谷堀《さんやぼり》の小ぢんまりとした料亭〔網彦《あみひこ》〕の奥座敷に、加藤|勇右衛門《ゆうえもん》と飯塚《いいづか》・松平の三人を見出《みいだ》すことができる。
飯塚と松平は、いま、秋山道場の様子をうかがい、もどって来たばかりだ。
この三日間というもの、三人は笹野新五郎の身辺につきまとい、
「隙《すき》あらば……」
襲いかかり、殺害してしまおうとしているのだが、なかなかに機会がつかめぬ。
朝の五ツ(八時)に裏猿楽町《うらさるがくちょう》の屋敷を出て秋山道場へ行き、午後の八ツ(二時)には帰邸している新五郎を、まさか、白昼の路上で襲うわけにはまいらぬ。
三人は苛々《いらいら》しながら、新五郎が道場の帰りに、どこかへ立ち寄り、
「酒でものむか、女でも買うか……」
その機会をねらっていたのだ。
ところが今日は、日暮れになっても、新五郎が道場にいて留守居をつとめているらしい。
「何やら、橋場《はしば》の不二楼と申す料亭から、使いの男があらわれ、すぐに立ち帰りましたが……」
「加藤先生。いかがなさる?」
飯塚と松平の血相が変っていた。
「道場の主《あるじ》夫婦は、まだ、立ちもどらぬのだな?」
「さよう」
「ふうむ……」
「先生。いまをのがしてはなりませんぞ」
「よし、やろう!!」
「道場へ打ち込みますか……」
「うむ!!」
加藤勇右衛門が、決然と、うなずいた。
三人が、料亭・網彦《あみひこ》を出るまでには、しばらくの間があった。
この三日の間に、ひそかに見ておいた秋山道場へ斬《き》り込むについて、作戦を練ったのであろう。
飯塚釜之助《いいづかかまのすけ》にいわせると、
「笹野《ささの》新五郎は、かなりの遣い手と見てよろしい」
とのことだ。
それだけに加藤|勇右衛門《ゆうえもん》も、気をひきしめている。
なにしろ、新五郎の亡師・朝倉|平太夫《へいだゆう》から、王子の料亭で、手もなくあしらわれているのだ。
笹野新五郎は、その朝倉の高弟だったという。
(いささかの油断もならぬ)
と、三人は三人なりに意を決していた。
網彦を出た三人は、山谷堀《さんやぼり》をさかのぼり、浅草|新鳥越町《しんとりごえちょう》から左へ折れ、山谷へ通じる街路を歩みはじめた。
山谷から、玉姫稲荷《たまひめいなり》の境内へ入り、これを突きぬけると、見わたすかぎりの田圃《たんぼ》と木立がひろがる。
ここで三人は、用意の布を出し、顔をおおった。
石浜神明宮と真崎稲荷社の西側の、小高い丘を目ざして、三人は足を速めた。
丘の上の一角に、秋山大治郎の道場があり、そこには、笹野新五郎が一人きりで留守居をしているのだ。
松平|鎌太郎《かまたろう》は、丘の下まで来ると、用意の包みをひらき、半弓を取り出し、弦《つる》を張った。
剣術よりも、むしろ、弓が得意の松平である。
それだけ、松平鎌太郎は自信まんまん[#「まんまん」に傍点]というところであった。
加藤勇右衛門も、ともあれ短時間のうちに、完全に、笹野新五郎の息の根をとめるためには、弓を使うことも、
「やむを得まい」
と、いった。
「松平。仕度はよいか」
「よろしい」
三人は木々の間を縫って、丘の斜面をのぼりはじめた。
「灯《あか》りを消せ」
加藤が、飯塚にささやいた。
彼方《かなた》に、秋山道場から洩《も》れる灯火が目に入ったからだ。
提灯《ちょうちん》の灯りを吹き消した飯塚釜之助が、
「見てまいる」
いうや、木立からすべり出て行った。
松平は、肩から小脇《こわき》へ掛けまわした矢筒から二筋の矢を引きぬき、そのうち一筋を早くも弦へ番《つが》えた。
師匠の加藤も、これを見るや、長刀をぬきはなった。
両人とも、いささか気負い立っているようだ。
「あ、先生……」
「む……?」
「飯塚が、もどって来ました」
「うむ……」
飯塚釜之助が木立の中へ、あわただしく入って来て、
「いかぬ、先生……」
「何と……?」
「か、帰って来ています、秋山夫婦が……」
「ふうむ……意外に早く帰ったのだな」
「何、それならそれでよい」
と、松平鎌太郎が、
「ならば、笹野新五郎が間もなく道場を出て来よう。そこを一気に……」
「そ、そうだ。そうだな、よし」
「どこで仕とめる?」
「先生。ともかくも、彼奴《きゃつ》めが橋場へ出ぬうちに……場所は、いくらでもあります」
「よし。急げ」
三人は、丘を下って行った。
秋山道場では……。
笹野新五郎が、大治郎と三冬に挨拶《あいさつ》をし、辞去しようとしていた。
「さぞ、退屈をなされたでしょう」
三冬がそういうと、新五郎は、
「いえ……道場の掃除をいたしておりましたら、たちまちに日が暮れてしまいました」
たのしげに、こたえた。
「それは、御苦労をかけたな」
「いえ……では、先生。これにて……」
「さようか。では、また明朝に」
「はい」
間もなく笹野新五郎は、三冬が火を点じてくれた提灯を、
「拝借いたします」
受け取って、秋山道場を出た。
畑道の物蔭《ものかげ》に身を屈《かが》めていた飯塚釜之助は、秋山道場から、ぽつりとあらわれた提灯の灯りがこちらへ向って来るのを見て、
(来た!!)
身を転じて、畑道を走り下って行く。
新五郎を見送った秋山大治郎は、そのまま道場へ入り、
「三冬。来てみなさい。どこもかしこも磨《みが》き立てられて、ぴかぴか光っている」
うれしげに、いった。
(そうだ。明日は道場の帰りに、おたか[#「おたか」に傍点]の墓詣《はかまい》りをしよう……)
ゆっくりと畑道を下って行きながら、笹野《ささの》新五郎は、ふと、おもいついた。
おたかは、築地《つきじ》の明石橋《あかしばし》の西詰にある船宿〔三吉屋《みよしや》〕の座敷女中をしていた女だ。
自分の出生の秘密と、父と義母と義弟と自分との確執に悩みながらも、師の朝倉|平太夫《へいだゆう》が生きていたころは、剣術一筋に打ち込み、何も彼《か》も忘れることができた。
しかし、平太夫が殺害され、道場が閉ざされたのちの新五郎は、
「たまりかねた……」
ように、酒色へおぼれこんだのであった。
三吉屋は、笹野家がむかしから使っていた船宿である。
遊蕩《ゆうとう》をはじめた新五郎の根城が、この三吉屋になって、ここへ泊り込んだきり、何日も屋敷へ帰らぬことがめずらしくなかった。
遊びの金の大半は、三吉屋のあるじ・伊兵衛《いへえ》が出してくれたものである。いまにしておもえば、よく、そこまで自分の面倒を見てくれたと、つくづくおもわざるを得ないのだ。
新五郎は、おたかを数度、抱いた。
三吉屋で束《つか》の間《ま》に抱いたこともあるし、上野の不忍池《しのばずのいけ》のほとりの出合茶屋で、ゆっくりと忍び逢《あ》ったこともある。
おたかは三十を一つか二つ出ていたらしい。
死に別れた亭主との間に生れた五つになる男の子を実家の父親へあずけ、三吉屋ではたらいていた。
肌《はだ》は浅ぐろかったが、肌理《きめ》がこまやかで、あたたかかった。乳房が大きくて、その中に顔を埋めている新五郎のえりくび[#「えりくび」に傍点]のあたりから背中へかけて、おたかの手がやさしく撫《な》でおろしてくれると、新五郎の胸の内も、ずいぶんと鎮《しず》まったものである。
その、おたかが、突然に死んだ。
今年の二月の末のことだ。
二階の廊下で酒肴《しゅこう》を運んでいたおたかが何かにつまずき、盆を落した。
折しも、座敷から出て来た二人連れの侍の袴《はかま》へ酒が飛び散った。
「無礼者!!」
叫ぶや、侍がおたかを突き飛ばした。
うしろが階段であった。
おたかは真逆様に落ち、頭を強打し、即死してしまったのだ。
ところが、この、おたかの死は、
「有耶無耶《うやむや》……」
に、もみ消されてしまったのである。
おたかを突き飛ばした侍は、近くの木挽町《こびきちょう》七丁目に屋敷がある豊前《ぶぜん》中津十万石|奥平《おくだいら》の武具奉行をつとめ、殿さまの剣術指南役をも兼ねている小出源蔵《こいでげんぞう》だ。
三吉屋は、奥平家の家臣たちが、大層にひいき[#「ひいき」に傍点]にしている船宿だけに、あるじも強いことがいえず、大名家の圧力と、金ずくで、まるめこまれて……というよりは、泣き寝入りをさせられてしまったらしい。
(おのれ、何ということを……)
こころが荒《すさ》んでいただけに、笹野新五郎は、
(それならば、よし。おれが人知れず、おたかを殺した小出源蔵を斬《き》って捨ててやる!!)
と、決意をした。
母親にこのような死にざまをされた、おたかの子のことが、新五郎の脳裡《のうり》から消えなかった。
うわさに聞くと、小出源蔵は相当の剣士らしい。
そこで先《ま》ず、鈍《なま》りきった自分の体を鍛え直すことからはじめようと、おもい立ったのである。
父の古い友人である田沼家の用人・生島|次郎太夫《じろだゆう》に、おたかの復讐《ふくしゅう》のことは隠して、相談をもちかけると、
「それは、何よりじゃ」
生島用人は、目をかがやかせ、
「ようやく、夢からさめてくれたか。よし、よし。わしが、よき師匠に引き合せよう」
と、秋山大治郎の稽古《けいこ》ぶりを、そっと見せてくれたのであった。
(だが、おたか。おれは秋山先生にめぐり合えて、やはり、剣の道を歩むことにした。そのかわり、陰ながら、お前の子のことは行末目をはなさず、ちからになるつもりだ。安心をしてくれ)
丘を下りきった新五郎は、下の畑道を南へすすむ。
前方の木立の間から、橋場の町の灯火が星のようにのぞまれた。
闇《やみ》を切り裂いて疾《はし》って来た一条の矢が、笹野新五郎の左の肩へ突き立ったのは、このときである。
「う……」
衝撃の中にも、すぐさま提灯《ちょうちん》を投げ捨て、腰を沈め、新五郎が腰の大刀を抜きはらうことができたのは、まさに、この二ヵ月の鍛練が物をいったといえよう。
畑の中に伏せていた飯塚釜之助《いいづかかまのすけ》が、すかさず、
「たあっ!!」
新五郎へ斬りつけたが、一瞬、おそい。
これほどに、矢を受けた新五郎の体勢がくずれなかったことを、飯塚は予想していたのだろうか……。
新五郎にかわされて、飯塚は闇に泳いだ。
そこへ、加藤|勇右衛門《ゆうえもん》が木蔭《こかげ》から走り出て、
「うぬ!!」
新五郎の胴を切りはらった。
飛び退《の》いて、大刀を八双に構えた新五郎の真向から、
「やあっ!!」
猛然と、加藤が打ち込んだ。
「む!!」
受けとめた新五郎の刀を、ぐいぐいと押しまくりつつ、
「松平、松平!!」
加藤が叫んだ。
近寄って来て、二の矢を射込めといったのである。
松平|鎌太郎《かまたろう》の悲鳴が起ったのは、このときであった。
二の矢を番《つが》え、木蔭から躍り出ようとした松平のうしろから、何者かが、突然に、
「おい、何をしている?」
声をかけてきた。
ぎょっとして、振り向いた松平の左腕がすぱっ[#「すぱっ」に傍点]と切断された。
切ったのは、秋山小兵衛であった。
小兵衛は、不二楼《ふじろう》を出て、おはる[#「おはる」に傍点]を橋場の船着場へ先行させ、不二楼の料理を詰めた二重の折箱を大治郎のもとへとどけてやるつもりで、畑道を歩んでいると、すぐ近くで、弓弦《ゆんづる》が鳴ったのである。
左腕を切り落され、のたうちまわる松平鎌太郎を見返りもせず、小兵衛は道へ出て行き、左手の提灯を突きつけ、
「何をしている?」
と、よびかけた。
「あ……大先生……」
加藤の大刀を支えつつ、笹野新五郎がこたえた。
「や……お前は、大治郎の新弟子ではないか」
「はい」
飯塚釜之助は、小兵衛があらわれるや、一散に逃げ走っていた。
「どうした?」
「闇討ちのようです」
「ふうん、そうかえ。卑怯《ひきょう》なやつどもだ。かまわぬから、やっつけろ」
「はい」
新五郎は勇気百倍となった。
それに引きかえ、加藤は狼狽《ろうばい》の極に達した。
「えい!!」
新五郎に突き放され、飛び下った加藤は、ふたたび斬りつける闘志も失《う》せ、背《そびら》を返して逃げようとするのへ、走りかかった新五郎が峰打ちに加藤の急所を強打した。
「むう……」
大刀を落し、加藤勇右衛門は畑道へくずれ倒れた。
それから間もなく、例年より早目に、江戸は梅雨に入った。
その五月雨《さみだれ》がふりけむる或《あ》る日の昼下りに、本所の小梅《こうめ》にある西光寺《さいこうじ》という小さな寺の墓地の、小さな墓の前に佇《たたず》む笹野新五郎を見出《みいだ》すことができる。
この墓は、おたか[#「おたか」に傍点]の墓であった。
三吉屋のあるじが、奥平家から出た金で建てたものだ。
左肩の傷が、まだ癒《い》えていない新五郎だが、明日からは秋山道場へ出るつもりでいる。
(おたか。おれは明日から、屋敷を出て、自由な体になる。笹野の家は義弟《おとうと》にゆずる。なんのみれん[#「みれん」に傍点]もない。父も義母《はは》も、よろこびを隠して、手のひら[#「ひら」に傍点]を返したように、おれのことをよくしてくれる。おれに大枚の金をくれるそうな。その金をもらっておくことにした。秋山の大先生が、こだわりなく、もらっておけとおっしゃる。それでな、おれは、その金を、お前の子が行末、店でも持つようになったとき、役立ててやるつもりだ。どうか、成仏《じょうぶつ》してくれ)
おたかの子は、亀戸《かめいど》で百姓をしている祖父の手もとに暮している。
新五郎は、これから、そこを訪ねるつもりであった。
飯塚・松平・加藤の三人は、いま、お上《かみ》の取調べを受けている。
先ず、加藤勇右衛門がすべてを白状におよんだので、他の二人は、いいぬけの仕様もなかった。
飯塚と松平は、家が歴《れっき》とした旗本だけに、
「今度は、ただではすむまいよ」
と、秋山の大先生がおっしゃった。
朝倉平太夫の下男・為八《ためはち》の行方は、依然、わからぬ。
秋山小兵衛は、
「その為八という男も、お上の調べを受けるとまずいのではないかな。朝倉道場へ住み込む前に、きっと為八は、よくないことの二つや三つは仕《し》てのけているのであろうよ。なればこそ、名乗り出ぬのだ」
と、いった。
(だが、あの三人が、とんだ勘ちがいをしたために、おれは、朝倉先生の御無念をはらすことができた。これも、おたか。お前があの世[#「あの世」に傍点]から、おれをたすけてくれたのやも知れぬなあ……)
雨に打たれながら、新五郎が墓前へささげた線香の束の火は、まだ消えていない。
まだ独身《ひとりみ》だったときの生島|次郎太夫《じろだゆう》と或る料理茶屋の座敷女中との間に生れた子が、自分だということを、まだ新五郎は知らされていない。
そのころの次郎太夫は若かったし、主《あるじ》・田沼|意次《おきつぐ》に見出されて用人に登用されてはいなかった。
次郎太夫に相談をもちかけられ、病身の妻に子が生れぬことを、医師から宣告された笹野忠左衛門《ささのちゅうざえもん》が、
「よし。拙者の子にしよう」
むしろ、すすんで新五郎をもらいうけた事情も知らぬ。
そしてまた……。
船宿・三吉屋《みよしや》のあるじへ、ひそかに、新五郎の遊蕩《ゆうとう》の金をあずけておいてくれたのが生島次郎太夫だとは、
「夢にも、おもわぬこと……」
であったろう。
いずれにせよ、父の先妻が、まだ生きていたなら、新五郎の今日は、もっと別のところに在ったはずだ。
おたかの墓の前をはなれた笹野新五郎は、墓のうしろの木立の中に、白い五弁の可憐《かれん》な花が咲き残っているのを見た。
(さびしげな花だな……)
しばらく、その花を見つめていた新五郎は、それが柚《ゆ》の花だとは知らぬままに、傘《かさ》をひらき、しずかに墓地を出て行った。
大江戸ゆばり組
ここ四日ほどは、梅雨晴れである。
長雨の泥濘《ぬかるみ》と湿気に、町も家も人も、おはる[#「おはる」に傍点]のいいぐさではないが、
「腐れかかって、気ちがいになりそうな……」
明け暮れであった。
それが、からり[#「からり」に傍点]と晴れて、目にしみるような青空に、むくむくと白い雲がわきあがってくるのを見ただけでも、人びとは元気を取りもどした。
だが、それも昨日までのことになるらしい。
今朝になると、空は鉛色に重くたれ下ってきて、湿りをふくんだ微風がただよい、
「また、梅雨がもどって来やがる……」
と、雨天には仕事にならぬ人びとを嘆かせた。
その日の夜ふけのことだが……。
「梅雨などは、われらに、いささかの関《かか》わり合いもない」
とでもいいたげな顔をしている中年の武士がひとり、三十|間堀川《けんぼりがわ》に懸る木挽橋《こびきばし》を西から東へわたりかけていた。
この武士は、豊前《ぶぜん》中津十万石・奥平大膳太夫昌男《おくだいらだいぜんだゆうまさお》の家臣で、江戸藩邸の武具奉行をつとめる小出源蔵《こいでげんぞう》である。
小出源蔵は、築地《つきじ》の明石橋《あかしばし》にある船宿〔三吉屋《みよしや》〕の座敷女中おたか[#「おたか」に傍点]の、わずかな粗相をとがめ、おたかを二階の階段から下へ突き飛ばした。
このため、おたかは頭部を強打して即死し、三吉屋は奥平家の金ずくのもみ消し[#「もみ消し」に傍点]に合って沈黙した。
子持ちの寡婦《かふ》だったおたかと、ねんごろの間柄《あいだがら》だった笹野《ささの》新五郎は、一時、小出源蔵を密《ひそ》かに討ち取ろうと決意したものだが、いまは、秋山大治郎《あきやまだいじろう》の道場へ通いつめ、剣の道ひとすじに没頭している。
小出源蔵は、笹野新五郎の存在なぞ、夢にも知らぬ。
小出は小野派一刀流の達人だとかで、殿さまの指南役を兼ねているそうな。
今夜は、諸家の家来で、剣士としても知られた人びとの宴会が数寄屋河岸《すきやがし》の料亭〔吉浦屋《よしうらや》〕でおこなわれ、小出も列席した。
宴が果てて、小出は、いま、木挽町七丁目の奥平屋敷へ帰ろうとしている。
さすがに堂々たる体躯《たいく》。頬骨《ほおぼね》が張った顔貌《がんぼう》も厳《いか》めしく、長く高い鼻は小出源蔵の傲慢《ごうまん》な性格そのものといってよい。
このあたりは、いまの銀座六丁目にあたる。
夜ふけのこととて、人影は絶えていた。
小出は、妙な声で謡曲《うたい》のようなものを口遊《くちずさ》みつつ、その名のごとく三十間の川巾《かわはば》に懸る木挽橋へさしかかった。
今夜は供もつれぬ小出源蔵の右手の提灯《ちょうちん》のあかりが、向うから橋をわたって来る小さな人影を、ぼんやりと浮きあがらせた。
(少年《こども》か……)
と、小出は見た。
川を吹きぬけてくる風が酔って火照《ほて》った顔にこころよい。
小出と、少年のような人影は木挽橋の中ほどで行きちがいかけた。
近寄って来る相手を気にもとめずにいた小出だが、このとき、ちらりと見やって、
(や……こどもではない……)
と、おもった。
左手をうしろにまわし、うつむきかげんに右手の提灯のあかりが照らす橋板を見て、とぼとぼと歩む小男は、老人のようにも見える。
小男は、黒い絹の頭巾《ずきん》をすっぽりとかぶっている。
いまにも降り出しそうな夜空だとはいえ、夏のことなのだ。よほど何かのわけがなくては頭巾をかぶるわけもない。
(はて……妙なやつ……)
おもいはしたが悠然《ゆうぜん》と、その小男を左に見やった視線を、小出が正面へもどした、その瞬間であった。
行きちがったものとばかりおもっていた小男が、音もなく、小出源蔵の左側面へ出て来て、小出の目の前をすっと[#「すっと」に傍点]右側へ飛び抜けた。
そのとき、小男の手に何かが煌《きら》めいた。
「ぶ……」
ぶれい者と怒鳴りかけた小出源蔵の声が、異様な叫びに変った。
すぱっ[#「すぱっ」に傍点]と、小出の鼻が切り落されていたのである。
「ぬ!!」
そこは一流の剣士だけに、提灯を投げ捨て飛び退《しさ》りざまに大刀を抜きはらったが、曲者《くせもの》の姿は消えていた。
「う、うう……」
激痛と、ほとばしる血に、小出は惑乱した。
(ま、魔物か……?)
いや、居た。
小男は、何と橋の欄干の上をつたわり、西詰へ向って行くではないか。
「く、曲者!!」
喚《おめ》きざま、小男の背後へ走り寄った小出が、欄干をつたわって行く小男の脚を切りはらった。
小出の一刀は、むなしく闇《やみ》を切り裂いたのみである。
「ああっ……」
どこをどうされたのだか、さっぱりわからぬまま、小出源蔵は三十間堀川へ真逆様に落ち込んで行った。
「ばかめ……」
低くいった小男が頭巾を除《と》った。
秋山|小兵衛《こへえ》なのである。
「笹野新五郎に代って、わしがしてやった。一命が助かっただけでもしあわせとおもえ」
暗い川面《かわも》へ、つぶやきを投げてから、小兵衛の姿は木挽橋を西へわたり、消え去った。
到頭、雨が落ちてきた。
小出源蔵が死物狂いで、川を泳ぎはじめた。
その日。
秋山小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]を連れて深川へ出かけた。
梅雨のはれ間に、小兵衛は深川の富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》へ参詣《さんけい》に出かけるのが例年のならわし[#「ならわし」に傍点]となってしまったようだ。
「別に理由《わけ》はない。梅雨のはれ間の深川が好きだからさ」
と、小兵衛はいう。
そのころの深川という土地は、江戸の〔水郷〕といってよいほどの風趣があり、
「江戸であって、江戸ではない……」
一種の別天地だったのである。
深川は江戸湾の海にのぞみ、町々を堀川が縦横にめぐり、舟と人と、道と川とが一体になった明け暮れが、期せずして詩情を生むことになる。
ある書物の著者が、
「江戸時代の深川は、イタリアのベネチアに匹敵する美しい水郷であった」
と、のべているのも当然であったろう。
「まあ、今日いっぱいは保《も》つだろうよ」
昼近くなって、庭から空を見上げていた秋山小兵衛が、
「おはる。八幡さまへでも行ってみようか……」
「まあ、うれしいよう」
「では、舟の仕度をしておくれ」
「あい、あい」
小兵衛が、木挽橋《こびきばし》の上で小出《こいで》源蔵の鼻を切り落したのは七日前のことになる。
あの夜ふけから降り出した雨は、昨日の昼すぎまで降りつづいたのである。
「まだ、道がぬかるんで[#「ぬかるんで」に傍点]いよう。下駄《げた》の仕度を、な」
「もう、舟へ入れましたよう」
「お、そうか、そうか」
隠宅の庭に設けられた舟着場から、二人を乗せた小舟が大川《おおかわ》へすべり出て行った。
おはるも、久しぶりに〔女船頭〕をつとめるのが、たのしくて仕方がないらしい。
「先生。いつものように、万年橋へ着けますかね?」
「うむ。それがよいだろう」
大川が、新大橋の先から東へながれ入る小名木川《おなぎがわ》の川口に架っているのが万年橋だ。
この橋の北詰に、柾木稲荷《まさきいなり》の社《やしろ》があり、小さな境内だがわら[#「わら」に傍点]屋根の茶店もあり、ちょうど、その下が〔舟着き〕になっている。
自分の小舟で深川へ来るとき、小兵衛はいつも、柾木稲荷の茶店で一服し、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]を置き、
「舟をたのむよ」
茶店の老爺《おやじ》にいい、あとは徒歩で富岡八幡宮へ向うのが例であった。
この日も例にもれない。
八幡宮の参詣をすませたとき、
「どうじゃ、おはる。洲崎《すさき》へ行ってみようか?」
と、小兵衛が、
「又六《またろく》が店を出しているやも知れぬぞ」
「あれ、ほんとうだ。きっと、出ていますよ、又六さん……」
かの〔悪い虫〕事件で、秋山|父子《おやこ》から十日間の修行をうけてから、めっきりと性根がすわった鰻売《うなぎう》りの若者又六は、いまも、洲崎弁天の橋のたもとで、鰻の辻売《つじう》りをしている。
小兵衛とおはるは、洲崎弁天の社へ詣《まい》ってから、北門を出たところにある〔槌屋《つちや》〕という茶店へ入った。
「おや、まあ……お久しぶりでございますねえ」
と、小兵衛の顔を見おぼえている茶店の老婆《ろうば》が、
「さあ、こちらへ……」
土間の右側の小座敷へ案内をしてくれた。
槌屋は、わら[#「わら」に傍点]屋根の風雅な茶店で、老夫婦と小女《こおんな》ひとりで客をもてなし、酒も出してくれる。
土間の入れ込みの席から、外の腰掛けにまで、客があふれていた。
小兵衛は酒をたのみ、おはるはだんご[#「だんご」に傍点]をもらった。
「ほう……いるな、又六」
小座敷の窓から、向うの江島橋の袂《たもと》に屋台を出し、一所懸命に鰻を焼いている又六の姿が見えた。
すぐ近くの木場にはたらく人足らしいのが三人ほど、焼きたての鰻を頬張り、冷酒をのんでいる。
「又六さんに、声をかけてきましょうかね?」
「ま、急ぐにはおよぶまい」
江戸湾の汐《しお》の香が、小座敷の中にも濃密にただよっていた。
洲崎弁天の由来は、元禄《げんろく》の時代《ころ》に、幕府が富岡八幡宮より東面の砂浜を埋めたてた折に、弘法《こうぼう》大師の作だとつたえられる弁財天女の像を〔本尊〕となし、社殿を建立《こんりゅう》したのがはじまりであった。
このあたりは、春になると汐干狩《しおひがり》に来る人びとでいっぱいになる。
「こりゃあ、また、二日三日は保つかも知れぬな」
と、小兵衛が、窓から空を見上げていった。
風に、雲がうごきはじめ、西の空が明るんできたようだ。
やがて、小兵衛とおはるは槌屋を出て、又六の辻売りの屋台へ近づいて行った。
「おい、又六」
「あれ、大《おお》先生……」
「繁昌《はんじょう》しているようじゃな」
「おかげさんで、へい。ずいぶんと、ごぶさたをしてしまいまして、相すみません」
顔も体もまるまる[#「まるまる」に傍点]としていて、小兵衛が「二つ合わせると、まるで正月の供え餅《もち》じゃ」といったこともある又六だが、ちかごろは体躯《たいく》が引きしまってきて、むしろ、精悍《せいかん》な感じがする。
だが、張り出した額の下の円《つぶ》らな両眼《りょうめ》には、もち前の愛嬌《あいきょう》と純心が遺憾なくあらわれている又六であった。
「又六。手空《てす》きになったら、ちょいと来ぬか。鮒芳《ふなよし》の二階にいるからのう」
「へい、すぐにうかがいます。そうだ、大先生のお酒の肴《さかな》に、おもしろいはなしがあるんですよ」
「そうか、たのしみじゃな」
「剣術の名人が、化け物に鼻をちょん[#「ちょん」に傍点]切られたんですと」
秋山小兵衛は「ふうん……」と鼻を鳴らし、いささか、おどろいたような顔つきになったものである。
「……大先生も御存じのように、おらは鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りしてる、そのほかに、深川《ところ》の漁師から直《じか》に仕入れた貝や魚《うお》を売って歩いてます」
と、〔鮒芳《ふなよし》〕の二階座敷へ後からやって来た又六が、いまが旬《しゅん》の鶏魚《いさき》の刺身で飯を四杯も食べたのちに、酒の肴《さかな》のおもしろいはなしというのを、しゃべりはじめた。
「おらが住んでる島田町の近くの入船町《いりふねちょう》の、ほれ、汐見橋《しおみばし》の南の川沿いに、川野玉栄《かわのぎょくえい》という独者《ひとりもの》の絵師の先生が住んでいなすって、その先生が、おらをひいき[#「ひいき」に傍点]にしてくれるですよ、へい。そいでね、昨日の日暮れ方に、たのまれていた鰹《かつお》を持って行くと、そこに、女がいたですよ。玉栄先生のとなりに、三月ほど前から住みついている女だというですよ」
その女は、名をおきん[#「おきん」に傍点]といい、小女と二人暮しだというと、これは、まさに妾宅《しょうたく》といってよい。
深川には、こうした囲いものが住む小さな家が、ちかごろは増えるばかりだという。
絵師の川野玉栄は、五十五、六歳の老人で、円満|洒脱《しゃだつ》な人物らしく、土地《ところ》の人びとにもしたわれているそうな。
そういう人柄《ひとがら》だものだから、となりへ住みついたおきんという女も、すっかり気をゆるして、短い間に惣菜《そうざい》をとどけたり、退屈しのぎの世間ばなしにやって来るらしい。
そのとき……。
又六が、玉栄先生の台所で、鰹を刺身につくっていると、すぐ向うの先生の画室で、おきんがしきりに愚痴をいいはじめた。
「ねえ、先生ったら……まあ、聞いておくんなさいな。うち[#「うち」に傍点]の旦那《だんな》はね、豊前《ぶぜん》の中津の十万石の殿さまの御家来で、剣術をね、殿さまに教えていなさるんですとさ」
「おお、道理で、見るからに強そうなお人じゃ」
「先生。知っていなすったの?」
「ちょいと、お前さんの家へ入るところをな……」
「それがさ。そんなに強い人が、つい此《こ》の間の夜に、三十|間堀《けんぼり》の木挽橋《こびきばし》を通りかかったら、川の中から河童《かっぱ》の化け物が飛び出して来て、うちの旦那の鼻をちょん切ってしまったんですとさ」
「へへえ、河童が三十間堀に棲《す》んでいたとは、初耳じゃ」
「だって、ほんとうなんだそうですよう」
「ふうん……おもしろいな」
「それどころじゃありませんよ。そんなことになってしまったので、これからは、身をつつしんで、殿さまの御屋敷から外へ出られないというので、うちの旦那へ奉公をしている老爺《じいや》さんが来て、これまでのことは、なかったことにしてくれと、たった三両ばかりで、あたしはお払い物になってしまったんですよう」
「そりゃまた、ひどいはなしだな」
「先生。ねえ、先生……」
「うむ?」
「あたしを囲っておくんなさいな」
「冗談をいいなさるな。わしはもう、役に立たぬよ」
「そうかしら……ねえ、あたし、先生なら、月に一両でもいいのだけれど……」
「とんでもない、とんでもない」
「ああ……」
と、おきんが、ためいきを吐《は》いて、
「それじゃあ仕方もない。嫌《いや》なんだけれど、昨夜《ゆうべ》来たはなし[#「はなし」に傍点]に乗ってしまおうかねえ」
「それは何かね。また、新しい旦那のはなしかね?」
「ええ……」
「すぐに、口があるものなのだな」
「ええ、いまはね。囲い者の口入れをする人《の》がずいぶんいるんですよ」
「なるほど、天下泰平の世の中じゃなあ。して、今度の旦那は、どんなお人なのじゃ?」
「それが先生。なんでも牛込の方に御屋敷があるという御大身《ごたいしん》の……ええ、そうそう、本多何とかの守《かみ》さまの御用人で、年齢《とし》が五十二ですとさ」
おきんが川野玉栄に、そういったという。
「牛込の、本多何とかの守と、その女がいうていたのは、ほんとうだな?」
と、小兵衛が又六に念を押した。
「へい。そういってました」
「ふうん……」
「どうかしたですか?」
「いや、別に……」
小兵衛は、そ[#「そ」に傍点]知らぬ顔で、
「はなしは、それだけかえ?」
「へい。いえ、あの……」
「どうした?」
「その女が、こういってました。今度の旦那が気に喰《く》わなかったときは、たった一晩だけで手を切ってやると……」
「女のほうからかえ?」
「へい。玉栄先生に、そういってました。なんでも、手付けの金だけもらっておいて、一晩だけで手を切ってしまう方法《てだて》があるんですと」
「ふうん……」
「玉栄先生も、そりゃ、どんな方法なんだと、尋《き》いてましたです」
すると、おきんが、さも可笑《おか》しげに笑い出して、
「それがね、先生。あたしも今度はじめて教えてもらったんですよう。そりゃもう、いくら相手が玉栄先生でも、こればっかりは、ちょいと口には出せませんよう」
と、いったそうな。
「なるほど、お前のはなしは、まことにおもしろかった。酒の肴にしては、もったいないほどおもしろかったぞ」
「そんなら、よかった……」
「ほれ。よいはなしを聞かせてくれたごほうび[#「ごほうび」に傍点]じゃ」
「あれ……こんなにいただいたら困るですよ」
「ま、いいから取っておけ、取っておけ」
やがて、秋山小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]は鮒芳を出て、又六と別れた。
それから万年橋へもどり、小舟を大川へ漕《こ》ぎ出してから、
「これ、おはる……」
「あい?」
「さっきのはなし、な……」
「え……あの、いやらしい囲い者のことかね?」
「うむ。そのな、今度の新しい旦那になるという……」
「あい、あい」
「牛込の本多何とかの守というなら、五千石の大身旗本・本多河内守《ほんだかわちのかみ》様にちがいない。その用人というならば、富山治五郎《とみやまじごろう》じゃ」
「知っていなさるのかね?」
「わしの古い友だちだよ」
「あれ、まあ……」
「ほれ、あぶない。向うの舟に打《ぶ》つかるぞ」
「大丈夫ですよう」
「ときに、おはる……」
「あい?」
「どうじゃ、このわしが河童の化け物に見えるかえ?」
にやりと笑った小兵衛の顔をまじまじ[#「まじまじ」に傍点]と見つめていたおはるが、はっ[#「はっ」に傍点]と気づいて、
「あれ……また、大先生。いたずらをしなすったね」
小兵衛は微《かす》かに笑って、大川《おおかわ》の川面《かわも》へ目を落した。
本多|河内守《かわちのかみ》の屋敷は、牛込|神楽坂《かぐらざか》にある。その本多家の用人をつとめる富山治五郎を秋山小兵衛が何故《なぜ》知っているかというと、むかし、小兵衛が四谷《よつや》の仲町に自分の道場を構えていたころ、その評判を何処《どこ》からか耳に入れたらしく、本多河内守が、家来を五名ほど、入門させてよこしたのだ。
その使いに見えたのが、富山治五郎であった。
五千石の大身の用人とあれば、小さな大名の家老同然なわけで、富山治五郎は二百五十俵の扶持《ふち》をもらっていた。
当時は三十五、六歳であったろう。小兵衛と背丈がほとんど同じで……つまり小男で色が黒く痩《や》せこけた、まことに見栄《みば》えのせぬ風采《ふうさい》で、これが大身の御用人さまだとは、とても、おもえなかったものだ。
「それがしは、母によう似ておりましてな。さよう、男子は生みの母の体質を受けつぎ、女子は父親に似ると申します。私の父は大兵《たいひょう》の、まことに立派な面《つら》がまえをしておりましたので、用人の役目にも充分押し[#「押し」に傍点]がききましたが……いや、私なぞは、先生がごらんのごとく、まことに貧弱なもちもの[#「もちもの」に傍点]なので、奥向きの女中どもにまで侮《あなど》られてしまいましてな」
などと、治五郎は苦笑まじりに、何事にも気取りや飾りがなく小兵衛へ打ち明けるものだから、
「まことに、善《よ》いお人じゃ」
と、小兵衛も治五郎の人柄を好み、二人は親交を深めて、暇があると治五郎があらわれ、道場の稽古《けいこ》を見たり、小兵衛と碁を囲んだりしたものだ。
小兵衛が四谷の道場をたたみ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠棲《いんせい》してのちは、治五郎との交誼《こうぎ》が絶えた。
折から、主《あるじ》の本多河内守|顕孝《あきたか》が御書院|御番頭《ごばんがしら》という役目に任じたので、用人の富山治五郎も何かといそがしくなったこともあるし、当初は小兵衛も、それまでの知人《しりびと》を避ける心境だったからでもある。
(すると、治五郎殿は、さよう……五十一、二歳になられているはず……)
であった。
その富山治五郎が、河童《かっぱ》に鼻を切られた小出源蔵《こいでげんぞう》の妾《めかけ》おきん[#「おきん」に傍点]を、
「囲い者にする……」
というのだ。
(これだから、世の中はおもしろい……)
鐘ヶ淵の家へ帰って来てからも、小兵衛は笑いがとまらない。
「いやですよう。いつまで、おもい出し笑いをしていなさる」
「だって、お前……」
「今度は、その御用人さまの鼻をちょん[#「ちょん」に傍点]切っておしまいなさるのですかね?」
「なあに、治五郎どんの鼻は至って低いから、わしの刃先もとどくまいよ」
「あれまあ、ほんとうにおやりなさるのかね?」
「冗談じゃあない。あの御用人どのは、わしの友だちだった人じゃもの」
「むかしから、そんなに女狂いをしていたのかね?」
「治五郎殿がか?」
「あい」
「いいや。女にも酒にも、とん[#「とん」に傍点]と縁のない人でな。大好物は神楽坂上の大黒屋という菓子屋で売っているきせ[#「きせ」に傍点]綿饅頭《わたまんじゅう》に胃の薬だったわえ」
「まあ、いやだよう」
「ところが奴《やっこ》さん。十何年もたつと、別[#「別」に傍点]の饅頭が好きになったらしいのう」
「また、そんなことをいいなさる。おやめなさいよう」
「あは、はは……」
すっかり晴れあがった夏の夕暮れになった。
台所の、おはる[#「おはる」に傍点]の庖丁《ほうちょう》の音を聞きながら、暮れ残る庭先を見つめて、
(はて、どうしたものか……?)
思案にふけった。
又六が耳にはさんだところによると、おきんは富山治五郎から手付けの金を受け取った上で、一夜のうちに手を切ってしまう方法《てだて》をめぐらしているらしい。
(それもよい。治五郎殿の目がさめるであろうしな……)
それにしても、その方法というのが気にかかる。
ちかごろは、女を餌《えさ》にして手荒な悪事をする無頼の者どもが多くなった。
同時に、大名・旗本の家来の中で、小金《こがね》をもっている者が、女を囲って悦に入るという風潮になってきて、四谷の御用聞き・弥七《やしち》なども、
「これも天下泰平なのでございましょうかね。女あそびに馴《な》れぬ武家方が、目の色を変えて囲い者を漁《あさ》っていると申します。それで、また、そうした武家方を相手にする女たちが、ずいぶんと増えましたそうで……はい。手付けが二十両で、そのあとは月ぎめ一両という、まことに安直な囲い者が増えましてね。するとまた、そうした女たちを操る悪《わる》が出て来るというわけで……何やら、あっちこっちで悶着《もんちゃく》が起り、私どもも実は困っているのでございますよ」
などと、こぼしていたことを、小兵衛はおもい出した。
もしも、富山治五郎が、女を餌にする悪漢どもに取り囲まれたなら、
「ひとたまりもない……」
ことは目に見えている。
十何年も前の治五郎は、小さな体に大小の刀を引きずるようにして歩いていたものだし、
「いや、まったく、この刀と申すものほど、むだ[#「むだ」に傍点]なものはござらぬな」
まことに正直に、小兵衛へいったことがある。
「大先生。御飯ですよう」
おはるがうしろから、よびかけてきたとき、小兵衛の肚《はら》は決った。
(いずれにせよ、この始末は、わしが見とどけなくては安心がならぬ)
このことであった。
今日も、鮒芳《ふなよし》で又六と別れたとき、おはるには聞えぬように、その後の、おきんの妾宅《しょうたく》の様子を、
「むり[#「むり」に傍点]のないように、気をつけて見ていておくれ」
と、たのんではおいた。
おいたが、しかし、
(それだけでは、こころもとないような……)
気がせぬでもない。
小兵衛は振り返って、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》の仕度にかかっているおはるへ、
「すまぬが、おはる。明日な、四谷の弥七へ、此処《ここ》へ来てもらうように手筈《てはず》をしておくれ」
と、いった。
四谷《よつや》の弥七《やしち》は、翌日の昼すぎに小兵衛の隠宅へあらわれ、小兵衛との打ち合せをすませて引き取ったが、三日後にやって来て、
「大先生。本多様の御用人は、当分、大丈夫でございますよ」
「大丈夫とは……?」
「探ってみましたところ、五日ほど前から腹ぐあいが悪くなり、ずっと、寝込んでいるそうでございます」
「やれやれ……」
「うわさに聞きますと、ちかごろの富山様は大変に評判がよろしいそうで……」
「ふうん……」
弥七も、小兵衛の道場へ稽古《けいこ》に来ていたころ、富山用人を何度も見ている。
したがって当時、本多家から秋山道場へ来ていた家来たちとは稽古もしたり、語り合ったりもしている。
そうしたわけだから、弥七が本多家のあたりを見張っていて、通りかかった知り合いの家来に声をかけ、探りを入れることなど、わけもないことだし、怪しまれることもない。
ともかくも、いまの富山治五郎の本多家における羽振りは相当なものらしい。
あの、小さくて細かった顔や体に、みっしり[#「みっしり」に傍点]と肉がつき、それなりの貫禄《かんろく》もそなわってきて、殿さまの本多|河内守《かわちのかみ》の信頼も厚いそうだし、五千石の家宰をつとめるについてはなかなかにきびしく、家来たちも、
「口やかましい御用人だ」
と、悲鳴をあげているのだそうな。
「へへえ……」
小兵衛が目をまるくして、
「ほんとうかえ?」
「ほんとうらしゅうございますよ。あの貧弱な御用人様がねえ……」
「変れば変るものよ。もっとも十数年前のあのころは、亡父の跡をついで用人の席に就いたばかりゆえ、気苦労も多いところへもってきて、あの風采《ふうさい》ゆえ、みなから莫迦《ばか》にもされていたのであろうよ。それが、しだいに用人のつとめにも馴《な》れ、馴れるにしたがって自信もでき、自信がつけば胃病も癒《なお》って肉づきもよくなり腹も出っ張ってこようというものさ」
「なるほど、こりゃあ大先生、剣術と同じでございますねえ」
「そのことよ。あは、はは……」
「そうなると、今度は、自分の行先も知れているということで、元気なうちに女のひとりも囲ってみようという……」
「罠《わな》が仕掛けられているとも知らずにのう」
「ですが、いったい、その女は、どんな罠を……?」
「さて、わからぬ」
「傘《かさ》屋の徳次郎も、すっかり傷が癒りましたので……昨日から、深川の、その女の家《うち》の出入りを見張らせております」
「変りはないようかえ?」
「相変らず、小女を相手にぶらぶらと暮しているらしく、暇をもてあましては、となりの絵師の家へあがり込んでいるそうで……」
「又六と徳次郎とは……?」
「はい。ちゃんと連絡《つなぎ》がついているようでございますよ」
「それなら大丈夫じゃ」
「私も明日はひとつ、その女の顔を見ておくつもりでございます」
「富山用人の病気は?」
「まだ四、五日は寝込んでいるのではございませんか」
「それなら、よいが……」
「では、これで、ごめんをこうむります」
「まあ、よいではないか。いっぱい飲《や》ろう」
「いえ、今日のところはこれで……」
「そうか、すまなかったのう。弥七、こりゃ、空模様が怪しくなってきたぞ」
「ちゃんと身仕度をしてまいりました。それにしても大先生。今年の梅雨は中休みが多くて楽でございました」
「そうよ、な……」
傘屋の徳次郎が隠宅へ駆けつけて来たのは、その翌日であった。
晩春のころに、盗賊・土崎《つちざき》の八郎吾《はちろうご》に関《かか》わる事件で、無頼浪人の一刀を浅く頬《ほお》に受けた徳次郎であったが、
「おお、徳かえ……」
その顔を一目見るや、秋山小兵衛がうれしげに、
「うむ。その傷痕《きずあと》なら、やがて消えよう」
と、いったものだ。
「こいつは、どうも……なあに傷痕なんぞ、かまうものじゃあございませんが、この上、人相が悪くなってしまっては、四谷の親分のお役にも立てませんので」
「ありがたいこころがけだ。弥七にもそういっておこう」
「とんでもねえことでございます」
「ま、あがれ」
「また、降り出しましてございますねえ」
「もうすこしの辛抱じゃよ」
と、小兵衛がおはる[#「おはる」に傍点]へ酒をいいつけておいて、
「何か、あったのかえ?」
「へえ。昨日の日暮れ方でございましたが……あの女の家へたずねて来た四十がらみの男がございます」
「ふむ、ふむ……では何か、富山治五郎を待ちきれずに、別の旦那《だんな》を取ったというのかえ?」
「いえ、それが……帰る男を女が見送って出たときの様子を看《み》ますと、そうでもねえようなので」
「ほう……すると何かな。その女を富山用人へ周旋している、つまり囲い者の口入《くちいれ》屋ではないのか……?」
「どうも、そうらしいので……」
「後をつけたか、男の……」
「へい」
「どこへ行った?」
「芝口《しばぐち》の土橋《どばし》に軍鶏《しゃも》を食わせる丸鉄という小体《こてい》な店がございまして……そこへ入りましたので、ちょいと当ってみますと、どうやら、丸鉄のあるじで民蔵《たみぞう》というのが、その男らしいのでございますよ」
「なある……」
「堅い身なりをしておりましたが、細身の隙《すき》のねえ体つきで、目つきが妙に光っておりましてね」
「くさいのう」
「まったく……」
「このことを弥七へつたえたかえ?」
「さっき、親分が深川へ見えましたんで、つたえておきました。いずれにしろ、親分が帰りに、こちらへ見えることと存じます」
「そうか、よし、よし。さ、これはすこしだが、何かうまいものでも食べておくれ」
「と、とんでもねえ……」
「いいから、いいから……これ、年寄りに恥をかかすなよ、徳」
「さ、さようでございますか。どうも、いつも、いただくばかりで申しわけもございません」
「なあに……では、たのんだよ」
「へい」
傘徳が帰ってから、小兵衛は昼餉《ひるげ》をすませ、夏夜着をかぶって、昼寝をした。
(わしのような閑人《ひまじん》には、梅雨も、さして苦にならぬ。もったいないことよ……)
軒を打つ雨音をこころよく聴きながら、とろとろ[#「とろとろ」に傍点]とまどろんだかとおもうと、
「先生よう。四谷の親分が見えましたよう」
おはるに、ゆり起された。
「お、そうか……弥七。さ、入ってくれ、入ってくれ」
「これはどうも、おやすみのところを……」
「何の……」
「大《おお》先生。実は、深川の中島町にいる御用聞きで、私が、ごく親しくしております勝平《かつへい》という人がおりまして……」
「ふむ、ふむ」
「今日、深川へ行ったついでに、勝平のところへ立ち寄りましたら、その、あの女のとなりの絵師の川野玉栄先生に勝平は可愛《かわい》がっていただいているというので……」
「ほほう……」
「お上《かみ》の御用の人相書なども、中島町の勝平のたのみなら玉栄先生、気軽に引き受けて下さるのだと申します」
「ははあ……」
「そこで大先生。勝平が申しますには……」
と、四谷の弥七と小兵衛が、ひとしきり打ち合せをすませたのち、酒になった。
肴《さかな》は湯豆腐である。
土鍋《どなべ》に金|杓子《じゃくし》で削《そ》ぎ入れた豆腐へ大根をきざんでかけまわしてあるのは、豆腐をやわらかく味よくするためで、煮出は焼干の鮎《あゆ》という、まことにぜいたくな湯豆腐だ。
女房が料理屋をしているだけに、四谷の弥七が目をかがやかせて、
「これはどうも大先生。大変な御馳走《ごちそう》でございますねえ」
「梅雨の冷えどきには、湯豆腐もいいものじゃよ」
「まったく……」
「ときに弥七……」
「はい?」
「いよいよ、事はおもしろくなってまいったのう」
それから四、五日するうちに、秋山小兵衛は、中島町の勝平の引き合せで、絵師の川野玉栄とすっかり仲よしになってしまった。
川野玉栄は、小兵衛よりも六つ七つ年下なのだが、することなすことが、すっかり枯れきっており、
「あの先生にくらべれば、わしのほうが、まだまだ生ぐさいのう」
小兵衛が四谷《よつや》の弥七《やしち》に洩《も》らしたほどであった。
玉栄のほうも、すっかり小兵衛が気に入ってしまったらしく、
「いや、その、私の実家《さと》は、三河以来の家柄《いえがら》でしてな。どうもその、何かとやかましゅうて……大小の刀を腰へ差し込み、もったいぶって暮すのは、生得《しょうとく》大きらいなもので……さよう、刀よりも絵筆のほうが性に合《お》うているというわけで、若いころは、もう、ずいぶんと人目にあまる乱行をいたしましてな。はい、はい。それで、実家からはじき出されてしまいました。もう、三十年も前になりましょうなあ。実家は弟が跡をついでおります。いや、実家の名だけはごかんべん下さい。何やら弟に相すまぬような気がいたしますのでなあ」
と、まるで童児《こども》のようにはにかみつつ、つるつる[#「つるつる」に傍点]に禿《は》げあがった頭へ手をやる姿が、何とも微笑《ほほえ》ましい。
それが、対座していて小兵衛が見上げるほどの大男だけに、なおさら、
(可愛《かわゆ》げに……)
小兵衛には見えるのだ。
絵師といっても、世間が買ってくれるほどの腕をもっているわけでもないらしい。実家の弟から毎年、仕送りの金が来るので、悠々《ゆうゆう》と暮しているのだそうな。
川野という姓も、おそらく実家の姓ではあるまい。
(なるほど。こうした人柄なれば、土地の人びとにも……いや、となりの囲い女にも好まれるわけじゃ)
そこで小兵衛は、ありのままのことを包み隠さず、打ち明け、川野玉栄のちから[#「ちから」に傍点]を貸してもらうことにしたのである。
「ほう、ほう……御老体の親しいお人が、となりの女を、これから囲いものにしようとしていなさる。ふむ、ふむ……」
いちいち、うなずきながら聞き入っていた川野玉栄が、
「ならば、となりの女のことを、その本多様の御用人どのへ、あなたからお知らせするのが、もっとも手早いのではありませぬかな?」
「ごもっとも……」
まさに、玉栄のいうとおりである。
「なれど玉栄先生……」
いいさして秋山小兵衛が、
「こうしたときには、男と申すもの、余人のいうことなど聞き入れましょうか、いかが?」
「ふうむ……」
「玉栄先生のお若いころは、いかがでしたかな?」
「いや、これは……」
禿頭をつるり[#「つるり」に傍点]と撫《な》でて川野玉栄が、
「まさに……」
深く、うなずいたものである。
「それに、五十をこえて、はじめて女狂いをしようという男なれば、のちのちのことを考え、ここは一つ、しっかりと懲《こ》らしめておくがよいとおもいましてな」
「なるほど、なるほど。そこまで深く、お考えだとは存じませぬでした」
「それに……」
と、いいさして、小兵衛がにんまり[#「にんまり」に傍点]と笑うや、川野玉栄の老顔も笑みくずれてきて、
「それに、その御用人どのが、どんな目に合うか、ちょと、のぞいて見たい気もいたしますな」
「のぞく場所に、こころ当りがござるかな?」
「ないこともありませぬよ」
「これは、ありがたい」
「ふ、ふふ……」
「あは、はは……」
「年をとってまいると……」
そういいかけた玉栄の言葉を小兵衛が引き取って、
「毎日が退屈になるばかりでござるなあ」
「そのこと、そのこと」
「たまさかには、こうした事件《こと》が起ってくれぬと……」
「生きているたのしみもありませぬ。なれど、秋山先生には剣術というものがおありなさるゆえ……」
「いや、剣術にも飽いてしまいましたよ。それにくらべて玉栄先生には、絵を描《か》くという風雅なたのしみがござる。うらやましいことで……」
「何の、私も、絵筆を持つことに飽いてしまいましたよ」
こういって立ちあがった川野玉栄が、
「秋山先生。ちょと、二階へおあがり下さいませぬか」
と、いった。
川野玉栄の家は、瓦葺《かわらぶ》きの小さな借家だが、二階に六畳の間が一つあり、ここが玉栄の寝室になっている。
「ほれ……そっと、ごらんなされ」
と、二階へ小兵衛を案内し、西向きの小窓を細目に開けてくれた。
小兵衛がのぞいて見ると、わずかに垣根《かきね》一つをへだてたとなりの、女の家が丸見えではないか。
南側にささやかな庭もあり、その向うは草原になってい、堀川《ほりかわ》をへだてて洲崎《すさき》の土手であった。
西側は、これも堀川をへだてて、対岸の町屋をのぞむ。
このあたりは江戸の市中とちがい、木立も多いし、人が隠れ棲《す》むには絶好のところといってよい。
囲い女……おきん[#「おきん」に傍点]の家は木端《こば》板葺きの平家だが、三間ほどあるそうな。
西側の堀川沿いの道から格子戸《こうしど》の出入口まで、よく見えるし、庭に面した座敷も障子が開けてあれば、かなりの見通しがきく。
「秋山先生。いかがで?」
「これは、よう見えますな」
「ここにおられれば、いちいち見張りを出さずともよろしいかと……」
「さよう」
「いかがなものでしょう。今夜から、此処《ここ》へお泊りになっては……」
「かまいませぬか?」
「かまいませぬとも……」
外は、霧のような雨がけむっている。
おきんの家の障子が一枚だけ開いていた。
「で、女は、ちかごろ、何と申していますかな?」
「それがな、秋山先生。もう直《じき》に、新しい旦那《だんな》が見えるというております」
「ではやはり、富山治五郎殿が……」
「はい、はい」
「手付けを取って、一夜のうちに手を切る……?」
「そのようですな。手付けは三十両で、そのうちの二十両が口入屋のふところへ入るらしい……」
「ははあ……」
「それからまた、つぎの旦那を見つけて来て金三十両。一夜で手を切るという……」
「よい商売ですな、玉栄先生」
「まったく……それにしても、あの女と口入屋が、どんな方法《てだて》を用いるものやら……」
と、川野玉栄が興味|津々《しんしん》という顔つきになった。
秋山小兵衛が着替えの衣類を風呂敷《ふろしき》に包み、これを、迎えに来てくれた鰻売《うなぎう》りの又六に持たせ、川野玉栄宅へ泊り込んだのは、翌日の午後からであった。
小兵衛の留守中、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へは、関屋村にいるおはる[#「おはる」に傍点]の父親が泊りに来てくれた。
傘徳《かさとく》を二階にあげて見張りをさせておき、小兵衛と玉栄は階下の画室で仲よく碁を打ったり、酒をのんだりしている。
「わけもなく、一日がすぎてしまうよ」
と、二日ほどして様子を見に来た四谷《よつや》の弥七《やしち》に小兵衛がいった。
「ところで大《おお》先生。御用人の病気は、どうやら癒《なお》った様子でございますよ。昨日、神楽坂《かぐらざか》の通りを歩いていた本多様の家来の……ほれ、前に道場へも来ていた加藤平馬《かとうへいま》さんを見かけて聞いてみましたら、もう元気になって、がみがみと小言《こごと》ばかりいっているそうで」
「そうか、よし。では、そろそろ、こっちへあらわれるだろうよ」
果して、その翌日の八ツ(午後二時)ごろに、弥七が駆けつけて来た。
「御用人が本多様の御屋敷を出て、土橋《どばし》の軍鶏鍋《しゃもなべ》屋へ入ったそうでございます」
「そうか。今日も見張っていてくれたのかえ」
「下ばたらきの伊三《いさ》というのを見張りに出しておいたのでございます」
「ありがとうよ。いや、御苦労だった」
「これから何が、はじまりますんで?」
すると、川野玉栄が、
「細工はりゅうりゅう[#「りゅうりゅう」に傍点]……」
と、いった。
今日は、朝から薄日が射《さ》している。
夕暮れ近くになると、遠くで雷が鳴った。
「や……雷じゃ。ようやくに梅雨もあがりそうじゃな」
小兵衛が、そういったとき、二階から傘屋の徳次郎の声がした。
「来ました。やって来ました」
「そうか……」
小兵衛、玉栄、弥七の三人が二階へ駆けあがり、小窓の隙間《すきま》から、かわるがわるに外を見た。
なるほど、来た。
本多|河内守《かわちのかみ》の用人・富山治五郎が、土橋の軍鶏鍋屋のあるじに案内をされて、おきんの家へ入って行ったのである。
「なるほどのう……御用人らしくなったわえ。どうじゃ弥七。あの反っくり返って威張った様子は……」
弥七がぷっ[#「ぷっ」に傍点]と吹き出して、
「いやどうも、御立派なもので……」
「さあ、いよいよ、はじまりますな」
と、川野玉栄老人、いそいそとしている。
「徳や。酒をのんで、いまのうちに眠っておけよ」
「へい。そうさせていただきます」
と、階下へ去った傘徳を見送った四谷の弥七が、
「大先生。どうなさるので?」
「夜に入ったら、傘徳が、あの女の家の床下へもぐり込み、朝まで様子を見とどけるのさ」
「へへえ……」
さすがの弥七が、目をまるくした。
「すでに、床下にはな、藁《わら》を敷き、その上へ茣蓙《ござ》をのべ、蚊いぶしの用意までしてあるのじゃ」
「これはどうも、おそれ入りましてございます」
「や……ごらんなされ。御用人どのについて来た軍鶏鍋屋のあるじが帰って行きますぞ」
と、川野玉栄。
「どれ……」
小兵衛が、窓の障子へ目をあてがった。
いましも、帰る男を見送って出たおきんが、何かささやき、笑っている。
男のほうもくすくす[#「くすくす」に傍点]笑いながら、おきんの肩を叩《たた》き、うなずいて見せ、汐見橋《しおみばし》をわたって去った。
おきんは家へ入った。
それから間もなく、小女が買物に駆け出して行き、酒だの肴《さかな》だのを仕込んで来たかとおもったら、すぐにまた出て行った。
これは、おきんから小遣をもらい、自分の実家へでも泊りに帰って行ったものらしい。
「弥七、どうする。朝まで此処にいるかえ?」
「大先生さえ、御迷惑でなければ……」
と、四谷《よつや》の弥七《やしち》も、御用聞きという稼業《かぎょう》をはなれた顔つきになった。
どこかで、水鶏《くいな》が鳴いている。
気温が、急に上ってきたようだ。
富山治五郎は、夢を見ていた。
白蛇《はくじゃ》が、自分のずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]とした裸体に巻きついているのである。
巻きついて、巻きしめつつ、白い蛇《へび》の舌がちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と治五郎の口をなぶる。
「ああ……」
たまりかねて、治五郎が呻《うめ》く。
なんともいえぬ恍惚《こうこつ》の呻きなのだ。
長い長い蛇の胴体が足の先からくびすじ[#「くびすじ」に傍点]のあたりまで巻きついており、すこしずつ、すこしずつ、巻きしめるちから[#「ちから」に傍点]が加わってくるのだが、まったく苦痛をおぼえない。白蛇の体のやわらかさはたとえようもないのだ。
白蛇に巻かれて快感にひたっている富山治五郎の前で、三十人ほどの者が両手をつき、頭を下げている。
その中には、本多家に奉公をしている家来たちや侍女たちもいるし、なんと、治五郎の主・本多|河内守《かわちのかみ》と奥方も平伏をしているではないか。
半月ほど前に、市《いち》ヶ谷八幡宮《やはちまんぐう》門前の水茶屋で、はじめて知り合いになった佐々木平太夫《ささきへいだゆう》という中年の侍も平伏をしている。
近年は寺社の門前町などに水茶屋が増え、美女を茶汲女《ちゃくみおんな》にし、媚態《びたい》をつくして客をもてなすようになった。
このごろの富山治五郎が、暇があると諸方の寺社へ参詣《さんけい》に行くのも、若い茶汲女の声を聞き、女たちの体からただよう化粧の香りを嗅《か》ぐのがたのしみになったからであった。
五十をこえたいままで、女といえば先年病死をした妻のみしか知らぬ治五郎なのだ。
いまや、本多家の用人としての実力も充分となり、睨《にら》みも利《き》いて、おもうままに五千石の世帯を切りまわすことができるようになった富山治五郎だが、それにつけても、
(わしは、もう、このまま、若い女の体を抱くこともならずに生涯《しょうがい》を終えてしまうのか……)
これが、何としても心残りである。
跡つぎの長男も二十八歳となり、妻を迎えて、去年は治五郎に初孫ができた。
本多家の用人長屋は四|間《ま》であるが、深夜、向うの部屋で若夫婦がひそやかに何事かささやいたりしている声が耳に入ると、嫁のみずみずしい体が脳裡《のうり》に浮んできて、ねむれなくなってしまう。つまり、それだけ治五郎には、まだ男のちからが残存しているのだともいえよう。
治五郎が若いころとちがって、いまの江戸では、水茶屋や料理屋ばかりではなく、若い女の化粧や衣裳《いしょう》が派手やかに美しくなり、女たちの言動も何やら生き生きとしているようだ。
いまさら後妻を迎えるつもりはないが、治五郎は治五郎なりに小金をためこんでいるし、
(金で、どうにかなるものならば、ちかごろ流行《はやり》の囲い者を、わしも持ってみたい)
そのことばかりを、おもいつづけていたのである。
そうした折も折、市ヶ谷八幡宮門前の水茶屋で、佐々木平太夫に声をかけられたのであった。
「御参詣ですかな?」
と、近寄って来た佐々木平太夫は、さる大名の江戸屋敷の〔御用取次役〕をつとめているというだけあって、身なりも立派なら、顔つきも福々しく、上品でいながらさばけており、はなし上手の、すすめ上手(酒の……)というわけで、富山治五郎はすっかり気をゆるしてしまい、自分の名も身分も打ち明けた。
佐々木は治五郎を八幡宮境内の料理屋へさそい、また、酒になった。
「いかがでござる。若くて美しい女を囲うてごらんなされては……」
と、佐々木がいった。
「いやいや、とても……」
「何の、わけもないこと。それがしも一人、囲うてござる」
「ほう……」
「まことに便利な世の中になりましてな。入費もかからぬ上に、気軽で、安心な……」
「なるほど……」
「そうした女を世話してくれる者もおりましてな」
「なるほど、なるほど……」
ひざ[#「ひざ」に傍点]を乗り出した富山治五郎へ、佐々木平太夫が、
「いかがで?」
「さよう。先《ま》ず、はなしをお聞かせ願いたい」
と、治五郎は遊びなれた様子をよそおっていたが、胸が高鳴っていた。
その佐々木の世話で、三日後の午後に、同じ料理屋へあらわれた治五郎は、民蔵という男に会った。四十がらみの愛想のよい、いかにも気のきいた、わけ知りらしい町人なのだ。
佐々木が一足先に帰ると、今度は、いよいよ女が入って来た。
名を、おきん[#「おきん」に傍点]という。
一目見て、富山治五郎はおきんが気に入り、民蔵が中へ入って契約をむすんだ。手付金として三十両。その後は月に一両二分《ぶ》という約束で、このときに治五郎は十両をわたし、残る二十両は、女が住んでいるという深川入船町の家へ行ったときにわたすことになったのである。
ところが、帰邸した夜ふけに下痢を起してしまい、治五郎は数日、病床にあった。
この間、使いを民蔵の家(芝口《しばぐち》の土橋)へ出し、手紙をもって、自分の病気全快を待つように、くれぐれも念を押したのだ。
そして、腹痛も消え、下痢もとまった昨日、民蔵の案内で女の家へやって来た富山治五郎が、女……おきんのもてなしに有頂天となり、
(ちがう……まるで、ちがう。亡《な》き女房どのとは、まったくちがう。同じ女でも、このようにちがうものなのか。ああ、女が……女が、男の体に、このようなことをしてくれようとは、夢にもおもわなんだわい……)
このまま、死んでしまうのではないかとおもうほどの昂奮《こうふん》と快楽に疲れ果て、治五郎は裸のおきんに添い寝をされ、深いねむりに落ち込んだのである。
富山治五郎が、急に、ねむりからさめた。
まさに、昨夜の女の家に自分は寝ている。
閉めきった雨戸の隙間に、白い朝の光があった。
くび[#「くび」に傍点]を曲げると、自分の左脇《ひだりわき》に、女の黒髪が乱れてい、女は夏夜着をはだけて、こんもりとした胸乳を見せている。
治五郎は、おもわず北叟笑《ほくそえ》んだが、
(おや……?)
自分の腹から股《また》のあたりが、ぐっしょりと濡《ぬ》れていることに気づき、同時に、得もいわれぬ強烈な臭気が夜具の中からただよっているのを知った。
(あっ……)
はじめは、自分が、また下痢を起し、粗相をしてしまったのだとおもい、あわてて、はね起きた。ちがう。下痢ではない。あきらかに、これは小便《ゆばり》の臭気である。
(わしが、寝小便を……?)
かつてないことだ。
「おい……おい、これ……」
治五郎は、おそるおそる女をゆり起した。
「あっ……」
目ざめた女が湯文字《ゆもじ》一つを腰に巻きつけた裸身を起して、
「あれえ……」
悲鳴を発し、ついで泣きむせびつつ、
「すみません、すみません。相すみません」
と、叫んだ。
「こ、これは、どうしたことじゃ?」
「私が……あの、私が、粗相を……」
「な、何じゃと……」
「いつも、子供のころから、こんな粗相を……」
「えっ……」
「おゆるし下さいまし。おゆるし……」
せっかくに囲った女が、夜尿症だというのである。
これでは、どうも、百年の恋もさめ果ててしまうではないか。
「おのれ。たばかったな!!」
富山治五郎は、激怒した。
「このことを隠しておったな、おのれ……」
「おゆるし……おゆるし……」
「ならぬ。手付けの金三十両を返せ」
「おゆるし……」
「返せ。返さぬか!!」
治五郎は下帯一つの裸体のままで、女を蹴飛《けと》ばした。
そのとき……。
台所の障子が開き、屈強の男が二人、短刀《あいくち》を抜いてあらわれた。
「何者だ?」
わめいて、自分の刀を探したが、どこかに消えてしまっている。もっとも、刀を腰に帯してはいても、これを引き抜いたことなど一度もない富山治五郎なのだ。
「おい!!」
と、二人の男が短刀を治五郎へ突きつけて、
「こんなことを、てめえの主人《あるじ》に知られてもいいのかよ」
「この女には何の罪もねえのだ。このまま、お前さんが囲ってくれるなら、おれたちは何も文句はつけねえのだぜ」
「どうするのだ」
「女をゆるしてやれよ、おい……」
とんでもないことだ。夜尿症の女とは寝られるものではない。
富山治五郎は、すくみあがった。
「どうするよ?」
「か、帰る」
「では、文句をつけねえのだな?」
「う……うむ……」
「この女を捨てたのは、お前さんだよ。そうだろう、ええ……」
喉《のど》もとへ短刀を突きつけられ、治五郎は顔面|蒼白《そうはく》となり、仕方もなく、うなずいた。
富山治五郎が、這《ほ》う這うの態《てい》で、辛《かろ》うじて衣服を身につけ、大小の刀を両手に抱き、ふらふらと女の家を出て来たのは、それから間もなくのことであった。
出て来て、
「あっ……」
治五郎は、驚愕《きょうがく》の叫びをあげた。
堀川《ほりかわ》沿いの道に立って、治五郎を迎えたふたりの人がいる。
一は、秋山小兵衛。
一は、絵師・川野玉栄老人である。
二人を見て、治五郎は崩れ折れるように平伏をした。
朝も、まだ早い。
道を通る人もなかった。
「治五郎。久しぶりじゃな」
と、先《ま》ず、声をかけたのは川野玉栄である。
これには、秋山小兵衛がびっくりした。
「玉栄先生。この御用人を御存知なので?」
「はい。私の実家の用人でしてな。いまの当主・本多|河内守《かわちのかみ》は、私の弟でございますよ」
「ははあ……」
さすがの小兵衛が呆気《あっけ》にとられて、
「お人がわるい……」
というのが、ようやくのことであった。
「いや、まことに御無礼を……」
頭を下げた玉栄老人が、
「これ、治五郎……」
「ははっ……」
「馴《な》れぬことをするものではないぞ。よう、わかったか」
と、いった口調が、まぎれもない大身《たいしん》旗本のそれ[#「それ」に傍点]であった。
「ははっ……」
「弟には内証にしてつかわす」
「お、おそれいり……」
「わしが、此処《ここ》に住んでいることを知らなんだのか?」
「は……」
川野玉栄への、年々の仕送りは、親類の本多達之助《ほんだたつのすけ》方を通じておこなわれてい、富山治五郎は、その住居まで耳にしていなかったらしい。
「よし、よし。行け。二度とあやまち[#「あやまち」に傍点]をいたすなよ」
「ははっ……」
もはや、秋山小兵衛の出る幕ではない。
よろめきよろめき、大小の刀を腰へ差し込みながら、汐見橋《しおみばし》をわたって行く富山治五郎を見送り、
「あは、はは……」
「うふ、ふふ……」
小兵衛と玉栄が笑い出した。
このとき、おきん[#「おきん」に傍点]の家の中で格闘の響《とよ》みが起った。
四谷《よつや》の弥七《やしち》と徳次郎が裏手から飛び込み、治五郎を脅《おど》しつけた無頼者たちと、おきんを御縄《おなわ》にかけているのであろう。
朝の陽《ひ》がのぼりはじめた。
「玉栄先生、いよいよ、夏ですなあ」
「はい。年ごとに、夏が嫌《いや》になります」
「ごもっとも、ごもっとも」
土橋の軍鶏鍋《しゃもなべ》屋〔丸鉄〕のあるじの民蔵は、おきん[#「おきん」に傍点]以外にも十人の女をあやつり、同じような手口で、好色の侍たちから金をまきあげており、この組織《しくみ》を、みずから、
「ゆばり[#「ゆばり」に傍点]組」
と名づけ、悦に入っていたという。
佐々木|平太夫《へいだゆう》なる者も、民蔵一味の浪人者で、本名は村松|某《なにがし》であったそうな。
彼らの手口に乗せられた被害者は、これまでに、なんと三十人におよぶ。
「将軍《くぼう》様おひざもとの、この江戸に、ああした連中が出て来ようとは……いや、まったく、おどろきましてございます」
と、四谷の弥七が報告するのを聞いた小兵衛は、
「それにしても、寝小便とは考えたものじゃのう」
「あの、おきんという女は、富山御用人がはじめての……」
「寝小便かえ?」
「はい。あの女、以前は、采女《うねめ》ヶ原《はら》の茶店に出ていたと申します」
「それに目をつけたのが、あの、小出《こいで》源蔵か。なるほど……」
「小出のほうが、富山さまより、よっぽど、そのほうにかけては上手《うわて》だったようでございますねえ」
「ふむ、ふむ……」
その小出源蔵は、この年の秋に、江戸屋敷から九州の国許《くにもと》へ転勤させられてしまった。
藩中随一の剣士が、河童《かっぱ》の化け物に鼻を切り落されてしまったのでは、はなしにも何もならぬ。
奥平家の家中で、
「鼻欠け源蔵」
などとよばれ、大いに面目をうしなってしまった。
殿さまも、
「二度と、源蔵の顔を見とうない」
と、いうし、重役たちも、
「あのような面相の者を、江戸表へ置いては、いかがなものか」
「まことに当家の恥でござる」
「見ともないことじゃ」
と、意見がそろい、小出源蔵は妻子を連れて情《しお》しおと国許へ旅立って行った。
夏のさかりとなって、隠宅を訪ねて来た四谷の弥七が小兵衛に、こう告げた。
「昨日、田町の通りで、本多様の家来の加藤平馬さんにばったり出合いまして……はい。あれからこっち、口やかましい御用人はすっかりおとなしくなって、人あたりもよくなったらしく、加藤さんがふしぎがっておりましたよ」
越後屋《えちごや》騒ぎ
鬱蒼《うっそう》とした木立に、蝉《せみ》が鳴きこめている。
そのとき秋山小兵衛《あきやまこへえ》は、ただ一人で、不忍池《しのばずのいけ》のほとりの道から上野の山内へ通じている女坂をのぼっていた。
花見どきはむろんのことだが、時候のよいときには、寛永寺の参詣《さんけい》がてらにやって来る江戸の市民たちにとって、上野の山は、
「またとない気散じの場所……」
でもある。
天台宗の関東総本山にして、徳川《とくがわ》将軍家の菩提所《ぼだいしょ》でもある東叡山《とうえいざん》・寛永寺の寺地は一万千余坪。初代将軍徳川|家康《いえやす》を祀《まつ》る東照宮の社地が一万五千二百坪。合わせて三万坪に近い境内がすなわち、上野の山内といってよい。
この日の朝も早く……。
秋山小兵衛は、湯島天神下の同朋町《どうぼうちょう》にある、亡《な》き浅野幸右衛門《あさのこうえもん》の旧宅へおもむいた。
金貸しをしていた孤独の老人浅野幸右衛門が自殺をとげたのは、今年の正月であったが、その折、幸右衛門は千五百両という莫大《ばくだい》な遺金と同朋町の家を、
「まことにもって御面倒ながら、なにとぞ、いかようにも御処分下されたく……」
と、遺書をもって小兵衛に托《たく》した。
その後、かの〔いのちの畳針〕事件が起り、小兵衛は、むかしの自分の門人だった植村友之助《うえむらとものすけ》を幸右衛門の旧宅へ住まわせた。
病身の友之助が、この家の留守番をするようになってから、めきめき[#「めきめき」に傍点]と体のぐあいが好転し、下男の為七《ためしち》と共に暮しながら、ちかごろ、近辺の子供たちをあつめて読み書きを教えるようになった。
むろん、礼金はとらぬ。
「ほう……それは何よりじゃ」
小兵衛は知らせを受けて、大いによろこび、
「そのうちに、見に行こう」
といっていたが、長い梅雨に閉じこめられた所為《せい》もあって足を向ける折もなかったが、この朝、ふと、おもい立って、涼しいうちに鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出た。
四十になっても、六、七歳の知能しかないといわれる下男の為七が、それこそ汗みずくになって子供たちの世話をやき、自分もまた、友之助から〔いろは……〕の読み書きを教えてもらっているのを見て、小兵衛は、たどたどしくも一所懸命に筆をあやつる大男の為七の姿に両眼《りょうめ》を潤《うる》ませたのであった。
子供たちが、汐《しお》の引くように帰ったあとの昼下りに、為七は索麺《そうめん》を茄《ゆ》でて井戸水に冷やし、蓼《たで》の葉の青味をそえ、薬味に葱《ねぎ》まで添えて小兵衛の前へ運んで来た。
「ほう……為公は、こんなことができるのかえ」
小兵衛が、目をまるくした。
為七は、すっかりはにかんでしまい、台所へ逃げた。
「ふしぎなものでございますな、先生。こうしたことは教えると、よくおぼえますので」
と、植村友之助。
「ふうむ。なれば、どしどし、台所の仕事をさせるがよい。そこのところから当人の知恵も育つであろうよ」
「はい」
「そもそも人間なぞというものはな、自分《おのれ》が知らぬ知恵のはたらきが、いくつも隠されているものなのじゃ。その知恵のはたらきが引き出されるきっかけ[#「きっかけ」に傍点]というものがないかぎり、埋《う》もれたままになってしまうのさ。わしなぞも、いまにして後悔をしているのじゃ」
「何と申されます……?」
「なまじ、剣の道なぞへ迷い込まず、剣のかわりに庖丁《ほうちょう》の修業でもしたほうがよかったかと、おもうているのじゃよ」
「まさかに……」
「いや、ほんとうじゃよ」
友之助はあきれて、二の句がつげなかった。
「為や、うまかったよ。さ、ごほうびをあげよう」
帰りぎわに小兵衛が一分金《いちぶきん》を紙に包み、為七の手へつかませてやると、為七は何ともいえぬ笑顔になり、小兵衛を伏し拝んだものである。
「先生。もそっと涼しくなってから、お帰りになられましては……」
「なんの、日ざかりの道を歩むのもよいものじゃ。汗をたらたら[#「たらたら」に傍点]とながしながら、な……」
池《いけ》の端《はた》・仲町から不忍池畔へ出た小兵衛は、上野山内を突切り、車坂を下って入谷田圃《いりやたんぼ》から浅草へぬけ、橋場《はしば》の〔不二楼《ふじろう》〕で、夕飯をするつもりであった。
おはる[#「おはる」に傍点]も、大治郎《だいじろう》・三冬《みふゆ》の夫婦も夕刻には不二楼へあつまることになっている。
女坂をのぼり切った秋山小兵衛は、東照宮に参拝をし、大仏殿のうしろへ出て、中堂を拝し、雲水塔の傍《わき》から東への道をとり、車坂へ向った。
夏の日ざかりの上野山内には、人の姿もなく、小兵衛は汗をぬぐいつつ、
(むかしは、いかに暑くとも汗なぞ出なかったものじゃが……)
ふと、何気もなく南の方を見やって、
(や……?)
燕《つばめ》のごとく身をひるがえし、木立の中へ走り込んだ。
日射《ひざ》しが白い道の向う側は、寛永寺の子院《しいん》がいくつも建ちならんでいる。
その道へ木立の中から、よろめき出た男が、ばったりと倒れ伏したのを小兵衛は見た。
はじめは、霍乱《かくらん》(日射病)かとおもったのだが、つづいて、木立からあらわれた二人の男が、もがきあばれる男の子供を抱え、子院の凌雲院《りょううんいん》と本覚院《ほんがくいん》の間の細道へ走り込んだのを見て、とっさに木立へ身を隠したのだ。
身を隠したのは、二人の男に見られまいとしたのである。見られては彼らの隙《すき》を衝《つ》くことができない。
二人の男が、
(子供を勾引《かどわか》した……)
と、小兵衛は直感した。
すぐに、小兵衛は道へ走り出た。
道に倒れている五十がらみの男は、どこぞの商家の下男のように見えたが、かまっている余裕はなかった。
ふたたび、秋山小兵衛は身を転じて、車坂へ駆け向った。子院の間の細道が車坂へぬけていることを、あらかじめ知っていたからであった。
この日の秋山小兵衛は、白茶色の帷子《かたびら》を着ながしにして脇差《わきざし》一つを腰に帯し、素足にばら[#「ばら」に傍点]緒《お》の草履《ぞうり》。日よけの菅笠《すげがさ》をかぶり、手製の竹の杖《つえ》をつくという姿《いでたち》であった。
凌雲院の裏手の車坂は、かなり急な坂道である。
これを走り下る秋山小兵衛は、前方の細い崖道《がけみち》を下って来た二人の男を見た。男たちに抱え込まれた子供は、もう、ぐったりとなっているらしい。
「待て!!」
老人ともおもわれぬ凛々《りんりん》たる声を投げると、見るからに無頼者らしい二人が、ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]と振り向いた。
「その子供を勾引《かどわか》して何とする!!」
よびかけつつ、歩みをゆるやかにして近づく小兵衛を睨《にら》んだ一人が、別の一人へ何かささやき、子供の体をそやつ[#「そやつ」に傍点]にまかせ、ふところから短刀《あいくち》を引きぬいた。
子供を抱えた一人は、一散に車坂を駆け下って行く。
小兵衛の小さな体が突風のようにうごいた。
余所目《よそめ》には、小兵衛が無頼者の傍を擦りぬけたとしか見えなかったろう。
短刀を構えた大男の無頼者は、ほとんど何もせずに、小兵衛が走りぬけて行ったあとの坂道へ地ひびきをたてて転倒している。
車坂を下ったところに、町駕籠《まちかご》が一|挺《ちょう》、待機していた。駕籠|舁《か》きも屈強の男たちである。
駕籠舁きに何か叫びながら、車坂を駆け下った無頼者が、抱え込んでいた子供を駕籠の中へ放《ほう》り込み、
「早く、早く!!」
と、わめき、自分は振り向いて短刀を引きぬき、いましも坂を駆け下って来る小兵衛へ備えた。
駕籠舁きは、素早く駕籠を担《かつ》ぎ、下寺道《したてらみち》とよばれる崖下の道を上野の山下の方へ逃げにかかった。
それを見た秋山小兵衛が、坂を下り切らぬうちに、手にした竹の杖を先棒の駕籠舁きへ投げつけたものだ。
細い竹の杖は、弓弦《ゆんづる》を放れた矢のごとく疾《はし》り、駕籠舁きの後頭部へ命中した。
「うわ……」
駕籠舁きが、のめり倒れ、駕籠もまた、前のめりに落ちた。
「野郎!!」
短刀を揮《ふる》って坂へ駆けあがる無頼者の頭上を、小兵衛が軽がると飛びこえた。飛びこえざまに小兵衛がこやつ[#「こやつ」に傍点]の頭を蹴《け》っている。
短刀を放り落して坂道へ転倒する無頼者にはかまわず、小兵衛は駕籠へ走り寄った。
二人の駕籠舁きは、駕籠を捨てて山下の方へ、必死に逃げ出した。
「これ……これよ……」
小兵衛は、駕籠の中に気をうしなっている男の子を引き出し、抱えあげた。
身なりもよく、年のころは七つか八つであろう。品のよい、可愛《かわゆ》らしげな顔だちの子だ。
坂道の無頼者も、這《は》うようにして、山内へ逃げつつあった。
子供がいることゆえ、これを追うことを小兵衛はあきらめた。
下寺道の向う側にも、寛永寺の子院がたちならんでい、屏風坂《びょうぶざか》下のあたりで、子院の僧らしいのが一人、こちらをいぶかしそうにながめている。
左手に笠をとった小兵衛が、男の子をゆさぶった。恐怖のための失神だったらしく、男の子が目を開けて、
「アッ……」
泣き叫びそうにするのへ、
「これよ。わしが悪者どもを追いはらってやったぞ。お家《うち》へ連れて帰ってやろうな。坊のお家はどこなのじゃ?」
にっこりと笑いかけるや、男の子は、たちまちに安心をしたらしい。
「明神《みょうじん》さまの前の、えちごや[#「えちごや」に傍点]……」
と、こたえた。
「明神さま……神田《かんだ》のかえ?」
「ハイ」
「そうか、よし、よし……」
「じいやが……じいやが……」
「爺《じい》やじゃと! あ、そうか。忘れていた、忘れていた。さ、坊や。この笠を持っていておくれ」
車坂をのぼり返して、凌雲院《りょううんいん》と見明院《けんみょういん》の間の道へ出たとき、秋山小兵衛の足がぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止った。
向うからやって来る編笠の侍がひとり、これも小兵衛を見て足をとめた。
袴《はかま》もつけ、身なりもきちん[#「きちん」に傍点]としているが、浪人に間ちがいはない。編笠に隠れた顔貌《がんぼう》は知るよしもないが、筋骨たくましい体躯《たいく》には一点の隙《すき》もなかった。
ゆっくりと近づいて行きながら、小兵衛は男の子の顔を、わが肩のあたりへ伏せさせた。そして左腕ひとつに子供の体を抱き、右腕を垂らしたまま、静止したままの浪人と擦れちがいざま、
「何ぞ、御用かな?」
しずかに声をかけた。
その瞬間に、浪人の体がうごいた。
小兵衛へ背を見せて、車坂を下って行ったのである。
その後姿からは、近づく小兵衛を笠の間から凝視していたときの殺気が消えている。
(はて……?)
どうも、わからぬ。
それから、先刻、男の子が「爺や」とよんだ男が倒れた道へ出て見ると、子院の本覚院の門前へ、僧が四人ほど出ていて、大さわぎになっているではないか。
「爺や」は、血まみれになって倒れ伏していた。
まさか……と、おもっていたが、刃物で突き刺されていたのだ。
小兵衛の腕の中で、男の子が、
「爺やが……爺やが……」
と、指さして泣き叫びはじめた。
「爺や」は、本覚院の門前へ這って行き、救いをもとめているうち、息絶えたらしい。
無頼どもに誘拐《ゆうかい》されかかった子は、まさしく、神田明神門前の蝋燭《ろうそく》問屋〔越後屋半兵衛《えちごやはんべえ》〕の孫にあたる伊太郎《いたろう》(八歳)であった。
伊太郎につきそって殺害されたのは、下男の藤八《とうはち》といい、越後屋には二十年も奉公をしている実直な男である。
この日は、伊太郎が藤八にせがみ、不忍池《しのばずのいけ》から上野山内の桜ヶ岡へまわり、茶店で白玉《しらたま》を食べたりしてから、本覚院前の道へ出たところへ、突然、二人の無頼者があらわれ、伊太郎を背負った藤八を木立の中へ引き擦り込んだらしい。
藤八は死んでしまったし、そのときの状況を語ったのは八歳の伊太郎なのだから、
「様子が、よく、わからないらしいのでございますよ」
と、翌々日に鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた御用聞きの文蔵《ぶんぞう》が小兵衛へ報告をした。
上野の北大門町に住む文蔵は、四谷《よつや》の弥七《やしち》とも親しく、秋山小兵衛もよく知っている。そこで、あのとき、小兵衛は先《ま》ず、本覚院の僧にたのみ、文蔵に来てもらったのだ。
上野山内の殺人事件となれば、いうまでもなく寺社奉行所へ届け出なくてはならぬ。その調べが終るまで現場に待たされていては、
(たまったものではない……)
と、おもい、北大門町の文蔵に、
「後をたのむよ」
いい置いて、伊太郎をあずけ、小兵衛は不二楼《ふじろう》へ向ったのである。
文蔵は出張って来た役人たちへ、秋山|父子《おやこ》と老中・田沼意次《たぬまおきつぐ》との関係をのべたらしい。それがもっとも、
(手っ取り早い……)
と、考えたからであろう。
越後屋からは、若旦那《わかだんな》とよばれている半太郎が番頭をつれて駆けつけて来て、我が子の伊太郎を引き取った。
「先生。越後屋が、こちらへ御礼に出ましてございますか?」
「いいや……」
「何てえことだ。いのちの恩人へ、先ず第一に駆けつけて来なくてはならねえのに……」
「怒るな、文蔵。わしはかまわぬよ」
「ですが、先生……」
いいさした文蔵が、
「どうも、あの越後屋というのは、妙な店だ」
ひとりごとのようにいった。
「妙な、とは?」
「いえ、その、紀州様をはじめ、諸方の御大名方の御用をつとめているというので、何事にも見識張って頭《ず》が高く、あのあたりでも、まことに評判が悪いのでございますよ」
「ほほう……そうかえ」
「神田明神のあたりは、湯島の長兵衛《ちょうべえ》という御用聞きがおりますので、私も、くわしくは存じませんが……去年の、そうだ、ちょうどいまごろでございましたかね……」
「何か、あったのかえ?」
「越後屋の古狸《ふるだぬき》なぞといわれている番頭の喜右衛門《きえもん》が、大川《おおかわ》へ身を投げて死んだのでございますよ」
「ふうん……」
「どこから飛び込んだものかわかりませんが……死体は、御蔵《おくら》の二番堀《にばんぼり》へながれ着いたのだそうでございます」
〔御蔵〕とは、浅草にある幕府の御米蔵のことで、一番から七番まで、米を出し入れする舟の入り堀が大川(隅田川《すみだがわ》)に面して設けられてある。
「そりゃ文蔵、何かえ、その大番頭が自殺をするような理由《わけ》があったのかえ?」
「さあ、よくは存じませんが、何しろ、越後屋の大番頭といえば大したもので……金沢町に家がありまして、息子夫婦もいれば孫もいて、店《たな》へ出て来れば、いまの越後屋の旦那も一目《いちもく》を置くほどなんでございますから、私にいわせりゃあ、どうも、ふしぎでなりません」
「なるほどのう……」
「それにしても怪《け》しからねえやつどもだ。ようござんす、これから越後屋へ行き、叱《しか》りつけてやりますでございます」
「わしのところへ、礼に来ないからかえ?」
「きまっているじゃあございませんか。こんなことじゃ、おひざもとの暮しが成り立ちません」
「まあ、よい。放っておきなさい」
「ですが、先生……」
「それよりも文蔵。ちかごろ、四谷の弥七に会ったかえ?」
「いえ、このところ、さっぱり……」
「そうか。では、そのうちに三人で、いっぱい飲《や》ろうじゃないか」
「こいつは、どうも……」
「いずれ、日を知らせるから、そのときは何をおいても来ておくれよ」
「へい。かならず、駆けつけますでございます」
うれしげに文蔵がいった。
文蔵が帰ってから、小兵衛は昼寝をした。
大川の川面《かわも》から吹いて来る風が涼しく、とろとろ[#「とろとろ」に傍点]とまどろんではさめ、さめてはまどろむという……夏の一日のうちで秋山小兵衛がもっとも好む時間だといってよい。
(その大番頭は、われから大川へ飛び込んだのではあるまい。飛び込まされたのだ。つまり、殺されたのじゃ)
まどろみからさめ、あらためて小兵衛は、そうおもった。
(それに、あのとき、上野山内で出合《でお》うた編笠《あみがさ》の浪人者……あれは、いったい何者なのか?)
このことが、小兵衛の脳裡《のうり》から消え去らないのだ。
(あいつは、伊太郎を抱いて車坂をあがり切ったわしを斬《き》るつもりでいた。これに間ちがいはない。斬らんとして斬り得ず、あきらめて去った。あの折の身の構えといい、殺気といい、なまなかの腕前ではない)
だが、その浪人者のことを、小兵衛はだれにも洩《も》らしてはいなかった。
(あいつは、わしを斬って捨てて、あの子を……越後屋の伊太郎を奪い取るつもりでいたのではないか……?)
どうも、そのような気がしてならぬ。
とすれば、下男の藤八を刺し殺し、伊太郎を勾引《かどわか》した無頼の者たちと浪人者は、
「一味同類の者……」
と、看《み》てよいことになる。
そのうちに小兵衛は、今度は本当に、ぐっすりと寝込んでしまった。
「もし……もし、起きて下さいよう」
ゆり起されて目ざめた小兵衛に、おはる[#「おはる」に傍点]が、
「越後屋さんの番頭さんという人が見えましたよう」
「いよいよ、来たかえ」
「何がいよいよ[#「いよいよ」に傍点]なんですよう?」
「ま、いい。縁側のほうへまわってもらいなさい」
いつの間にか夕闇《ゆうやみ》が淡くただよっていた。
庭の何処《どこ》かで、しきりに蛙《かえる》が鳴いている。
庭先へまわって来たのは越後屋の番頭のひとりで、名は庄三郎《しょうざぶろう》といい、四十前後の、いかにも如才ない男らしく見える。
「越後屋さんの番頭さんが、わざわざ、何をしに来たのだえ?」
「あがれ」ともいわずに、小兵衛がいきなりいったものだから、番頭の庄三郎はどぎまぎして、
「あの……御礼にうかがうのが遅うなりまして、まことにもって、申しわけもございませぬ」
「何の礼に来なすった?」
「へ……あの……はい。私どもの主人《あるじ》の孫にあたりますものが、危ういところをお助けいただきまして……」
「おお、あのことかえ」
「はい、はい……」
「越後屋半兵衛というお人は、わが孫の危難を救った者へ、奉公人をつかわして礼をするようなお人なのかえ」
「は……」
番頭の顔が、見る見る変った。
「そういう主人の許《もと》ではたらくのも、なかなか辛《つら》いことだろうな、ええ……」
と、煙管《きせる》に煙草《たばこ》をつめながら、小兵衛が、にべ[#「にべ」に傍点]もなく、
「お帰り」
と、いった。
「はい、あの……」
番頭は、縁側へ、立派な菓子箱の包みを置き、
「まことにもって、行きとどきませぬことでござりますが、御礼のしるし[#「しるし」に傍点]でござります。お納め願いとう存じます」
おろおろという。
「そうかえ。では、其処《そこ》へ置いて行くがよい」
「あの……あの……」
「まだ、口上《こうじょう》が残っているのか?」
「はい、はい……」
「ならば、早くいうて、さっさとお帰り」
「実は、あの……」
「あの[#「あの」に傍点]はもういい。早く、いいなさい」
「はい、はい。実は、このたびのことでございますが……」
「越後屋の下男が曲者《くせもの》どもに殺害され、おもりをしていた子供が勾引されようとしたことか?」
「はい。そのことでござります」
「それがどうした?」
「何とぞ……何とぞ、御内聞に願わしゅう存じます。あの、御内聞に……」
「ふうん……」
ここにいたって小兵衛の眼《め》が、煌《きら》りと光った。
「内証にしろと、お前の主人が申すのか?」
「はい、はい」
「だが、あのことを見た者は何人もいるのじゃ。子院《しいん》の坊さんたちや、寺社方の役人も、御用聞きも、みな知っているぞよ」
「その、みなさま方へも、いちいち、おたのみをいたしまして……」
「ほう……なるほどのう」
「では、よろしゅう、お願いを……」
「待て。それは菓子箱じゃな」
「は、はい……」
「蓋《ふた》を開けろ」
「へ……?」
「中身が見たいのじゃよ」
「は……」
おずおずと、番頭が菓子箱の包みを開き、蓋を外した。
神田《かんだ》・三河町の菓子舗〔笹屋林右衛門《ささやりんえもん》〕方で売っている|南京おこし[#「おこし」は「米+巨」、第3水準1-89-83]《なんきんおこし》が桐《きり》の箱に詰めてあり、包装にも念が入っている。
と……小兵衛が縁側へ来て、煙管の雁首《がんくび》を菓子箱の下へ突き入れるや、
「それ……」
声をかけて、菓子箱を引っ繰り返したものである。
中身の南京おこし[#「おこし」は「米+巨」、第3水準1-89-83]の底から、大変なものがあらわれた。小判であった。一両小判が五十枚、菓子の底に敷きつめてあったのだ。
「この菓子箱は重かったろうな」
小兵衛にいわれて番頭の庄三郎が死人《しびと》のような顔色《がんしょく》となり、わなわなと震え出した。
「帰って主人に申せ。このようなまね[#「まね」に傍点]をしても、人の口を閉じることはできぬぞ。そもそも奇妙なことではないか。悪漢に奉公人を殺され、さらには可愛《かわい》い孫までが勾引されそうになったことを何で内証にせねばならぬ。それとも、あの事件《こと》が世間の口にのぼってはまずい[#「まずい」に傍点]ことにでもなるのか、どうじゃ?」
「…………」
「いま一つ、今度の事件は、去年のいまごろに大川へ死体が浮いたという大番頭の喜右衛門とも何ぞ関《かか》わり合いがあるのか」
小兵衛にたたみかけられて、庄三郎はじりじりと後ろへ退《しさ》りながら、
「お願いでござります、お願いでござります……」
泣くようにいい、両手を合わせて小兵衛を伏し拝むかたちになった。
「これ、此処《ここ》へ来い。この菓子箱へ小判を詰め直して、持って帰るがよい」
「お願い……お願い」
「何処へ行く、これ……」
小兵衛がよびかけるのを振り切るように、番頭・庄三郎が堤の方へ通じている小道を駆け去って行った。
「あれまあ……」
台所から茶を運んであらわれたおはるが、
「こんなに小判が……ど、どうしたんですよう?」
「これ、手をつけてはいけない」
「だって、何かの御礼だといってたよう」
「いや、いけない。小判と菓子を箱へ詰め直しておけ。返すのじゃ」
「もったいない……」
「まったくじゃ。江戸でもそれ[#「それ」に傍点]と知られた大店《おおだな》のあるじが、いちいち、こんな金を振りまいているのは、よほどの事があるにちがいない。悪者どもも血迷っているなら、越後屋《えちごや》も血迷っているらしい」
「何のことですう?」
「風呂《ふろ》は沸いたかえ?」
「あい」
「いっしょに入ろう、どうじゃ。久しぶりで背中のながしっこ[#「ながしっこ」に傍点]をしようか……」
「あい、あい」
その翌朝であった。
小兵衛の隠宅の近くの木母寺《もくぼじ》の境内にある茶店の亭主がやって来て、
「秋山先生。大変でございますよ」
「どうした?」
「渡し場の近くで、人が殺されていたのでございますよ」
「ほう……」
小兵衛の脳裡《のうり》に、閃《ひらめ》くものがあった。
「そうかえ。では、ちょいと見物に行ってみようか……」
「御案内いたします。まだ、お役人も見えておりませぬ」
「よし、よし……」
その渡し場は、木母寺の先の隅田《すだ》村の岸から対岸の浅草の橋場《はしば》へ大川をわたる渡し舟の発着所である。
死体は、渡し場の近くの葦《よし》の中に横たわっていた。
発見したのは、今朝早く、橋場から舟を着けた船頭であった。
土地《ところ》の者が五人ほど、死体のまわりにいて、死体には菰《こも》がかぶせてある。
人びとは、小兵衛を見ると口ぐちに挨拶《あいさつ》をした。いずれも顔見知りの連中ばかりだ。
「これ[#「これ」に傍点]かえ?」
「へい。たった一太刀で殺《や》られておりますよ」
「ほう……」
小兵衛がうなずくのを見て、一人が菰をめくり、
「このとおりでございますよ」
「ふうむ……」
小兵衛の予感は狂わなかった。
まさに、昨日の夕暮れに隠宅を訪れて来た越後屋の番頭・庄三郎であった。
左のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]から胸にかけて深ぶかと切り割られた一太刀で、庄三郎は即死をしたにちがいない。
あざやかな手口ではある。
このとき、秋山小兵衛の脳裡を過《よぎ》ったのは、あの日のあのとき、越後屋の孫を抱いた自分と無言の対峙《たいじ》をした編笠《あみがさ》の浪人の姿であった。
それから五日後の夕暮れどきに、秋山小兵衛は、浅草|駒形堂《こまかたどう》裏の河岸《かし》に店をひらいている〔元長《もとちょう》〕へ出かけて行った。
もとは橋場の不二楼《ふじろう》にいた料理人・長次と座敷女中のおもと[#「おもと」に傍点]が夫婦になってはじめた小さな料理屋だ。
「ごめんよ……」
小兵衛が入って行くと、おもとが、
「親分|方《がた》は、もう、お見えになっていらっしゃいますよ」
「そうかえ、よし、よし」
階下の、十坪ばかりの入れ込みの座敷には、かなりの客が入っている。
「いつも繁昌《はんじょう》で結構なことじゃ。長次にな、うまいものをたのむといっておくれ」
「はい、はい」
二階の小座敷へあがって行くと、四谷《よつや》の弥七《やしち》と北大門町の文蔵が顔をそろえて、小兵衛を迎えた。
「遅くなってすまぬ」
「とんでもございません」
「ま、今日は、ゆっくりとやっておくれ」
「わざわざ、お招きをいただきまして……」
「いや何、礼をいうのはわしのほうじゃ。文蔵、いろいろと面倒をかけたのう」
と、小兵衛がいったのは、文蔵にたのんで、金五十両入りの菓子箱を越後屋《えちごや》へ返しに行ってもらったからだ。
越後屋の番頭・庄三郎が渡し場の葦の中で斬殺《ざんさつ》されていた、その日の昼下りに文蔵が隠宅へ駆けつけて来た。
文蔵のところへも、越後屋の使いが来て、金三十両入りの菓子箱を置いて行き、事件の口止めをたのみに来たという。
「ふざけちゃあいけねえ」
文蔵は、その場で、
「叩《たた》き返してやりました」
と、小兵衛へ知らせに来たのであった。
北大門町の文蔵は、秋山小兵衛にいわれたとおりの口上を、越後屋の主人・半兵衛《はんべえ》につたえた。
「こんなことを申すのもどうかとおもいますがね、越後屋の旦那《だんな》。あの、秋山小兵衛様とおっしゃるお方の御子息は、御老中の田沼様の御屋敷へ剣術の指南に出ておいでになるのでございますぜ。そこへ、あのような口止めの金を持って行ったのでは、かえって、こちらが怪しまれることになりましょう」
文蔵が、そういうと、越後屋半兵衛の老顔が紙のように白くなってしまった。もしも文蔵が、大治郎の妻・三冬が田沼老中の妾腹《しょうふく》のむすめであることを告げたなら、半兵衛は驚愕《きょうがく》のあまり、気をうしなったやも知れぬ。
「そこで旦那。秋山先生がおっしゃるには、何か心配事があるならば、包み隠さずにいってごらんになるがよい。事と次第によっては、いくらでもちからになろうと……ま、このようにいって下すっているのですから、旦那も、その胸の内を秋山先生へ打ち割ってみたらいかがなもので……?」
と、文蔵がいった。
すると越後屋半兵衛は、
「打ち割るにも何も、悪者どもが勝手にしていることゆえ、何やら、わけがわかりませぬ」
「それでは何で、大金を振りまいてまで、事をお隠しになるので?」
「そ、それは親分。あの事が世間へひろまると、店の信用にもかかわりますし、それに……それに、悪者どもを怒らせて、かえってまた、困った事がもちあがりはしないかと、心配をいたしたまででございます」
と、妙なことを、しどろもどろにいい出したそうな。
そのとき文蔵は、小兵衛に念を押されたこともあって、あまり深く詮索《せんさく》することをやめ、間もなく引きあげて来たのである。
文蔵の報告を聞きとったのち、秋山小兵衛は四谷の弥七をもよび、金二十両を二人の御用聞きにあたえて、こういった。
「わからずや[#「わからずや」に傍点]の越後屋半兵衛などは、どうでもかまわぬが……聞けば、越後屋には、わしが救うた伊太郎《いたろう》のほかに、お千代という六つの子もいるそうな。打ち捨てて置くと、罪とがもない幼い子に害がおよぼう。すまぬが、お前たちで、越後屋の内情を探ってみておくれ。これはすくないが、その費用《ついえ》じゃ」
小兵衛が乗り出すまでもなく、これだけの事件なのだから、当然、町奉行所の調べもおこなわれつつあるにちがいない。
それはさておいて、北大門町の文蔵がいうには、
「越後屋へ出入りをしている御用聞きの、湯島の長兵衛《ちょうべえ》が万事を取りしきって、八丁堀《はっちょうぼり》の同心《だんな》方を、いいよう[#「いいよう」に傍点]にあしらっているのではございませんか」
「そんな奴《やつ》なのかえ、その御用聞きは……」
「四谷の弥七さんのような人は、めったにいるものじゃあございません」
「おいおい、北大門の……何をいいなさるのだ」
「だって、そのとおりだから……」
「そりゃあ、お前さんのことだよ」
「ま、二人とも、わかった、わかった」
おそらく、湯島の長兵衛は自分の手で曲者《くせもの》どもの居所《いどころ》を探り、突きとめて、自分の手で彼らを始末してしまい、表向きには何事もなかったように事をおさめようとしているのではないか……と、文蔵と弥七はいった。
それが、また、越後屋半兵衛の希望なのでもあろう。
「大きな声では申せませんが……」
と、文蔵が、
「私どもの稼業《かぎょう》の裏は、そりゃもう、ひどく汚ねえものなのでございます。弥七さんや私なぞは、女房どもが商売をして暮しを立ててくれますから、おもいきって御用をつとめることもできますが……それもまた、いのちがけなんでございます。中にはその、どっちが盗人《ぬすっと》か、わからねえような御用聞きもおりますので……」
「湯島の長兵衛も、その一人かえ?」
弥七と文蔵は顔を見合せたきりで、返事をしてよこさなかった。
そして、いま、秋山小兵衛は、あれから後《のち》の二人の探りの報告を元長の二階座敷で聞き取ろうとしているのであった。
「伊太郎とお千代の二人の子は、いま、越後屋にはおりません」
と、四谷の弥七。
「ふうむ。曲者に勾引《かどわか》されるのを恐れて、どこかへ隠したのじゃな」
「そのとおりでございます。それが、おどろくじゃあございませんか。三冬さまが、いつもおいでになる根岸の和泉屋《いずみや》さんの寮の近くなので」
「では、越後屋の寮も、根岸にあったのかえ?」
「さようでございます」
「どうして、つきとめた?」
「越後屋の乳母が、二度ほど、寮と店《たな》の間を行ったり来たりしましたのを、傘《かさ》屋の徳次郎がつけて行きましたので」
「乳母がひとりでかえ?」
「いえ、その前後を、湯島の長兵衛の手の者が護《まも》っていたそうですが、なに、そんなことは傘徳にとっては何でもございません」
「そうだろう、そうだろう。徳も、このごろはしっかりしたものよ。ふむ、それで……?」
それから七日の間に、四谷《よつや》の弥七《やしち》と北大門町の文蔵はちから[#「ちから」に傍点]を合わせて越後屋《えちごや》方へ探りをかけた。
二人が使っている腕利《うでき》きの手先の者も、傘屋の徳次郎をはじめとして六人ほどを投入し、密《ひそ》かに探索がつづけられたのである。
何しろ、越後屋は、家族と奉公人を合わせて五十人におよぶ大店《おおだな》だ。それらの人びとのみではなく、たとえば、去年に大川へ死体となって浮んだ大番頭の喜右衛門《きえもん》の家族や、出入りの職人や下男下女に至るまで、弥七と文蔵は見逃さなかった。
越後屋に、
(何やら秘密《かくしごと》がある……)
ことに、間ちがいはない。
その秘密ゆえに、越後屋|半兵衛《はんべえ》は二人の孫のいのちが危険にさらされることも、あえて承知の上で、町奉行所に対して、
「まったく、身におぼえのないことでございます」
と、いい切っている。
それゆえ、奉行所にしても、越後屋からは捜査の足しになるものが得られぬため、
「越後屋の孫を勾引《かどわか》し、身代金《みのしろきん》を奪うつもりだったのであろう」
ということになってしまった。
ところが、逃げ去った曲者《くせもの》の行方は依然としてわからぬ。
そうなると、ちかごろの町奉行所は面倒になるのかして、短時日のうちに、捜査を打ち切ってしまう。他に事件が山ほどあるのだし、見込みのない捜査をねばり強くつづけるほどの熱意もなければ人手もないのだ。
ことに、今度の事件では、以前から親しく越後屋へ出入りをしている御用聞きの湯島の長兵衛《ちょうべえ》が、
「万事、心得顔に……」
取りしきっているわけだから、奉行所の役人たちも、
「越後屋の事は、長兵衛にまかせておけ」
ということなのだ。
さて……。
弥七と文蔵が七日間の探索の後に、秋山小兵衛へ報告をした件は種々あったが、その中で、もっとも小兵衛の耳を|そばだ[#「そばだ」は「敲」の「高」を「奇」にしたもの、第3水準1-85-9]《そばだ》たせたのは、一昨年の夏に起った一事件であった。
それは、越後屋の手代で宗吉(当時二十歳)という若者が、越後屋の奥庭の蔵の中で、縊死《いし》をとげたことである。むろん、自殺だ。自殺として処理された。
何故《なぜ》、首つり自殺などをしたかというと、越後屋半兵衛の末のむすめの、お弓(当時十八歳)と、いつの間にやら、
「ぬきさしならぬ仲……」
となり、お弓は宗吉をさそい、自分が幼女のころの乳母だったお兼《かね》の家へ逃げた。
けれども湯島の長兵衛が、すぐさま嗅《か》ぎつけてしまい、巣鴨《すがも》村の乳母の家へ出向き、お弓と宗吉を越後屋へ引きもどしてしまった。
そのときの越後屋半兵衛の怒りは非常なものだったそうな。
半兵衛には跡取りの長男・半太郎がいて、妻お妙《たえ》との間に伊太郎《いたろう》・お千代の二人の子が生れている。半太郎を生んだ半兵衛の妻は十年ほど前に病歿《びょうぼつ》していた。
この妻は、半太郎のほかに二人の子を生んだが、いずれも早く亡《な》くなっている。
だから、末のむすめのお弓は半兵衛の妾腹《しょうふく》の子というわけだ。
お弓の母親も、すでに、この世にいない。
半兵衛が、お弓を溺愛《できあい》する態《さま》は、
「ひととおりのものではなかった……」
そうである。
それだけに、自分の目を盗んで、手代|風情《ふぜい》とただならぬ仲[#「ただならぬ仲」に傍点]になったと知ったときの越後屋半兵衛の激怒がどのようなものだったか、およそ知れようというものだ。
お弓は、すぐさま根岸の寮(別荘)へ移され、宗吉は蔵の中へ監禁されてしまった。
「さ、そのときに、蔵の中で、越後屋の旦那《だんな》からいいつけられた大番頭の喜右衛門と湯島の長兵衛から、ずいぶん、ひどい折檻《せっかん》を受けたそうでございますよ」
と、四谷の弥七がいった。
これは、越後屋の下女が、お弓の乳母のところへ行って洩《も》らしたことだ。弥七は、乳母を訪ねて聞き取ったのである。
「なんでも、蔵の中から、宗吉の凄《すご》い呻《うめ》き声が聞えたそうで……いえ、宗吉が口にするものは、長兵衛の手先がいちいち運んだといいます」
「ふむ、それで?」
「それから十日もしてから、宗吉が蔵の中で首を吊《つ》って、死んでいたというのでございますよ」
「ふふうん……」
「宗吉が行先にのぞみをなくして、首を吊ったということは、越後屋の奉公人も、うたぐってはおりませんようで」
と、文蔵。
「ふうん……そうかのう……」
秋山小兵衛の声には、あきらかに否定の意味がこめられている。
弥七と文蔵は、目と目を見合せ、うなずき合った。
彼らもまた、小兵衛と同じおもいだったのであろう。
「で、宗吉の身寄りは?」
「母親がひとりおりましたが、ひとり息子の宗吉が亡くなったあと、これも首を吊って……」
「死んだかえ?」
「はい」
小兵衛が、するどく舌打ちをした。
宗吉の亡父は、浅草の元鳥越町《もととりごえちょう》に住んでいた腕のよい袋物師《ふくろものし》だったという。
それから尚《なお》も、小兵衛は二人の御用聞きの告げることに耳をかたむけていたが、最後に、
「弥七、文蔵。これは少々、手荒に事をすすめなくては、どうにもなるまいぞ」
と、いったものである。
「で、どういたしましたら?」
「さて、なあ……」
小兵衛は、しばらく考えていたが、気を変えて、
「おはる[#「おはる」に傍点]。そろそろ酒を運んでおいで。のみながら、ゆっくりと打ち合せをしようではないか」
「いえ、とんでもございません」
「いつもいつも、御馳走《ごちそう》になるばかりで……」
「ま、よいわさ。のまなくては、よい思案も浮ばぬわえ」
上野の山とは地つづきの、谷中《やなか》の日暮里台《にっぽりだい》に諏訪《すわ》明神の社《やしろ》がある。
その境内の崖《がけ》の淵《ふち》に〔吉野屋《よしのや》〕という茶屋があって、ここの女|主人《あるじ》のお金《きん》は、湯島の長兵衛《ちょうべえ》の妾《めかけ》であった。
崖下は一面の田圃《たんぼ》や木立がひろがってい、晴れた日には、彼方《かなた》に日光の連山や筑波《つくば》山を望む景観を、吉野屋の奥座敷から、
「ほしいままに……」
することができる。
湯島の長兵衛が吉野屋を買い取り、妾のお金に経営をまかせたのは、もう十年も前のことだ。
ところで……。
その日の夕暮れどきに、吉野屋の奥座敷へあらわれた湯島の長兵衛を迎えたのは、六人の男たちである。
この六人の男たちの中の三人を、秋山小兵衛が見たら何としたろう。
すなわち、越後屋《えちごや》の孫の伊太郎《いたろう》を誘拐《ゆうかい》せんとした無頼の者二人と、かの編笠《あみがさ》の浪人であった。
あとの三人のうちの一人は、長年、湯島の長兵衛の手先をつとめている伝蔵という男だ。
「伝蔵。桶《おけ》屋の石松が見えねえが……」
盃《さかずき》を手にした湯島の長兵衛がそういった。
低くて、妙にやさしげな声をしている長兵衛は、細身《ほそみ》の細面《ほそおもて》の、とても四十五という年齢《とし》には見えぬいい男[#「いい男」に傍点]なのだ。町奉行所での評判もよく、越後屋の大旦那《おおだんな》の半兵衛《はんべえ》の信頼は非常なものだといってよい。
何か面倒な事が起きると、すぐに、
「湯島の親分に来てもらいなさい」
であった。
長兵衛の父親も、お上《かみ》の御用をつとめていたそうだが、そのころは越後屋への出入りもなく、長兵衛の代になってから、越後屋へ取り入ったのである。
「それが親分。石松は昨日の昼すぎに出たっきり、家《うち》へ帰って来ねえと、野郎の女房がいっておりますんで」
と、伝蔵がこたえた。
「ふうん……奴《やつ》め、また、品川へでも出かけて流連《いつづけ》をしているのじゃあねえか?」
「大きに、そんなところかも知れません。ともかく三日も女を抱かねえと気が狂いそうになるのだそうで」
「てっ。女房ですませておけばいいによ」
と、無頼者のひとりがいった。
「すこし、ふところが暖《あった》まると、すぐにこれだ」
と、伝蔵が舌打ちをした。
「ま、いい。石松がいなくとも、手不足というわけではねえし……」
「ですが親分。親分はどうも、野郎をあまやかしていなさいますぜ」
「ま、そういうな。あいつは、ここのお金の甥《おい》っ子なのだから、大目に見てやってくれ」
「ええ、ですから私《あっし》も、虫をこらえているのでござんす」
「すまねえな、伝蔵」
湯島の長兵衛は、親分風を吹かせて威張るようなまね[#「まね」に傍点]をしないのだが、ちらりと見やる眼《め》の光が刃物のように冷たく冴《さ》えていて、その一瞥《いちべつ》を受けると、したたか者の伝蔵も沈黙せざるを得ない。
とても御用聞きとはおもえぬ容貌《ようぼう》の、この親分の凄《すご》さがどんなものかを、伝蔵は骨身にしみてわきまえている。
「さて、明日の夜のことだが……」
と、湯島の長兵衛が口にふくんだ盃を置き、酌《しゃく》をしかけるお金へ、
「お前、廊下にいて、此処《ここ》へはだれも近づかねえようにしておくれ」
「ようござんす」
お金は、すぐに、廊下へ出て行った。
田の面《も》を吹きぬけて来る風が、もったいないほどに涼しい。
「清水先生。ま、もっと、こっちへ寄っておくんなさい」
「うむ……」
うなずいて、編笠の浪人が躙《にじ》り寄って来た。いまは笠をかぶっていないこやつ[#「こやつ」に傍点]は三十四、五歳に見える。引きしまった、いかにも剣客《けんかく》らしい風貌《ふうぼう》をそなえてい、左の眉尻《まゆじり》のあたりから頬《ほお》にかけて一すじの刀痕《とうこん》が刻まれている。
「清水先生。今度こそは、上野の山のような失敗《しくじり》をなすっては困りますよ」
「親分。今度は、どう考えても大丈夫だ。あのときの爺《じじ》いのような邪魔が入るわけでもなし……」
いいさした浪人剣客は、苦にがしげに、
「それにしても、あの爺い。どこの爺いなのか……恐ろしい爺いがいたものよ」
「清水先生が、そんなにいいなさるのだから、嘘《うそ》ともおもえないがね」
「親分。見なくてはわからぬ。いや、ちょっと見ただけでは、あの爺いの恐ろしさはわかるまいが……」
「ともかくも、今度は、その爺《じい》さまの出る幕はない」
「そのとおり」
「それでね、先生。明日の夜ふけにやってしまいましょう」
「よし。わかった」
「みんなもいいね?」
男たちが、うなずいた。
「今度は、お前たちにも、いいおもいをさせてあげられるだろう。そのつもりで、しっかりやっておくれ」
「それにしても、親分……」
「何だね?」
「かえって、うまいぐあい[#「ぐあい」に傍点]になったともいえる。伊太郎のみか、お千代も共に勾引《かどわか》すことができるのだから……」
「まあ、それは……」
「こういうことは、長引かぬうちにやってのけたほうがよろしい。いや、親分に、わしが申しあげるまでもあるまいが……」
長兵衛がうすく笑ったのを見た伝蔵が、他のやつどもへ、
「根岸の寮をまもっているのは、三人ともうち[#「うち」に傍点]の手先だから、わけもねえことさ」
と、いった。
それから、何やら打ち合せをすましたのち、酒肴《しゅこう》が運ばれ、一刻《いっとき》ほどのちに、伝蔵と浪人剣客を残し、他の四人は吉野屋から去った。
「先生と伝蔵は、此処へ泊って行くがいい」
湯島の長兵衛は、お金をよんで、
「もっと、酒を……」
と、いいつけたのち、
「ねえ、清水先生……」
「む?」
「寮にいるうち[#「うち」に傍点]の手先たちも、あの世[#「あの世」に傍点]へ送って下さい」
「かまわぬのか?」
「かまいませんとも。それを、寮番や女中どもに見せておくのだ。そうすれば、こっちの正体がさとられることもありますまい。まあ、念には念を入れろということさ」
「そのとおりだ。わしにいわせるなら……」
「何でしょう?」
「二人の子供を勾引したあとで、先刻、ここにいた四人にも、いっそ、あの世へ行ってもらったほうがよいのではないか……」
長兵衛が、にやりとして、
「先生が、そうしておくんなさいますかね?」
「してもよい。そのかわり、分け前は……」
「じゅうぶんにさせていただきましょう」
「それで、身代金《みのしろきん》を受け取るのと引き替えに、子供たちは越後屋へ帰してやりなさるのか?」
「さあ……そいつは、そのときになってから考えればようござんしょう」
「うむ。まあ、な……」
「では、これで、私は湯島へ帰ります。伝蔵、先生のおもてなしをたのむよ」
「承知いたしました」
「では先生。ゆっくりと飲《や》って下さい」
湯島の長兵衛が帰って行ったあとで、清水浪人と伝蔵はひそひそ[#「ひそひそ」に傍点]と語り合いながら、時をすごした。
夜がふけてから、伝蔵は別の部屋へ去った。
清水ひとりが、奥座敷へ残り、酒をのんでいる。
しばらくして、廊下に女の影が立った。
「入れよ」
と、清水。
入って来た女は、長兵衛の妾のお金である。
お金は、清水へ寄り添うようにしてすわり、共に酒をのみはじめる。
清水が顔をさしよせ、お金の唇《くち》を強く吸った。お金は抵抗もせず、かえってそそられたように体をゆすりながら清水のくびすじを双腕《もろうで》で巻きしめた。
「いよいよ、明日の夜だ」
呻《うめ》くようにささやき、清水は、たまりかねたように、お金を抱き倒した。
「ええ、明日……伝蔵も、こっちの味方なのでござんすね?」
「うむ。安心をしていろ、お金……」
「ええ……」
お金は、あえぎはじめている。
清水が立ちあがって、二つの行燈《あんどん》のあかりを吹き消した。
帯を解く音が、闇《やみ》の中に起った。
根岸にある越後屋《えちごや》の寮が、曲者《くせもの》どもに襲われたのは、翌日の四ツ半(午後十一時)すぎであった。
越後屋の寮は、時雨岡《しぐれのおか》の不動堂と小川をへだてた南側にある。
越後屋|半兵衛《はんべえ》は、湯島の長兵衛《ちょうべえ》のすすめ[#「すすめ」に傍点]によって、可愛《かわい》い二人の孫の伊太郎《いたろう》とお千代を、この根岸の寮へ隠した。
いうまでもなく、曲者どもによって誘拐されることを怖《おそ》れたのだ。寮番が一人に屈強の下男が一人、女中二人がつきそい、これに長兵衛配下の手先が三人も泊り込んでいることだし、
「なに、いますこしの御辛抱でございますよ。どうやら、悪者どもの尻尾《しっぽ》をつかみかけておりますから、間もなく、一人残らず御縄《おなわ》にかけてごらんに入れます」
と、自信ありげにいう湯島の長兵衛の言葉を、越後屋半兵衛も、若旦那《わかだんな》とよばれている長男の半太郎・お妙の夫婦も信じきっていた。
長兵衛の手先が根岸の寮をまもっていてくれることは、取りも直さず、
「お上《かみ》が、まもっていて下さる……」
ことになるのだから、
「これほど、安心なことはない……」
と、おもい込んでいるのである。
曲者どもの襲撃は「あっ……」という間に終った。
当然であろう。
寮をまもっている長兵衛の手先が、曲者どもを手引きし、屋内へまねき入れたのだからたまったものではない。
しかし、まねき入れた三人の手先は、風のように飛び込んで来た黒覆面《くろふくめん》の一刀を受け、殺害された。
まねき入れておいて、わざと縛られ、猿《さる》ぐつわで口を封じられてのちに斬《き》られたのだから、三人とも悲鳴さえあげることができなかったのだ。
こんなはずはないと、殺された彼らは親分の長兵衛を恨んだことだろうが、それも一瞬の間のことだ。
この間に、六人の覆面の曲者が寮番たち四人を棍棒《こんぼう》で撲《なぐ》りつけ、昏倒《こんとう》させてしまっている。
泣き叫びかけた伊太郎とお千代は、たちまちに猿ぐつわをかまされ、手足を縛られ、大きな葛籠《つづら》の中へ投げ込まれた。
寮の外に小振《こぶ》りの荷車が一つ。
これへ葛籠を積み込むと、
「それ……」
清水浪人の声で、曲者どもは小川をわたり、田圃道《たんぼみち》を北へ逃走しはじめた。
曇っていて、月もない暗夜である。
彼らは、ひろい田の面を北へ北へと向っていた。
このまま、どこまでも行けば、荒川の岸へ出てしまうことになる。
「せ、先生……」
提灯《ちょうちん》も持たずに荷車の先へ立っていたのが、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちどまり、清水浪人を低い声で呼んだ。
「どうした?」
荷車の傍《わき》につきそっていた清水が近寄って行くと、
「あ、あれを……」
「何……?」
見ると、前方の右手寄りの木立のところから、一つ、二つ、三つと、提灯のあかりが闇《やみ》の中をこちらへ近づいて来るではないか。
「や……?」
振り向くと、後方の闇の中にもいくつかの提灯のあかりがゆれうごいている。
「ま、まさか……?」
「手がまわったわけじゃあねえだろうな」
「そ、そんなこと、あるはずがねえ」
曲者どもが口ぐちにささやき合った、そのとき、
「おい、年貢《ねんぐ》のおさめどきじゃぞ」
闇の底から滲《にじ》み出たように、小さな人影が田の道へあらわれた。
「おっ……?」
「わしじゃ。先ごろ、上野山内で出合《でお》うた爺《じじ》いよ」
「あ……」
飛び退《の》いた清水浪人が大刀を引き抜きざま、
「みんな、逃げろ!!」
と、叫んだ。
六人の曲者どもは荷車と共に、西へ伸びている田の道を走り出した。
それを追って、四谷《よつや》の弥七《やしち》と北大門町の文蔵が指揮する捕方の提灯が、いっせいにうごきはじめる。
秋山小兵衛は右手の提灯を左手に持ち替え、
「おのれらの手先で、桶《おけ》屋の石松というものをな、一昨日《おととい》の夕暮れに、品川で捕まえ、すっかり泥《どろ》を吐かせてしもうたぞ」
「あ……」
「いまごろは、湯島の長兵衛方へも捕方が向っているはずじゃ。お前も観念して刀を捨ててしまえ」
「ぬ……」
清水浪人は晴眼《せいがん》につけた刀を八双《はっそう》に構え直し、じりじりと小兵衛へせまる、
「やるかえ……」
いうや否《いな》や、小兵衛の左手の提灯がふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に舞いあがった。
提灯のあかりに浮んでいた小柄《こがら》な老人の姿が颯《さっ》と闇に消え、そのかわりに清水の目の前へ提灯が落ちて来て、燃えはじめたのである。
「うぬ!!」
清水は、提灯が燃えはじめるのを見たか、どうか……。
闇に消えた小兵衛の姿を追いもとめつつ、身をひねって、右の田の面へ目を凝らした清水浪人のうしろで声がした。
「おい、こっちだよ」
「う……」
振り向いたときが、清水の最後であった。
ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]……と、一閃《いっせん》。
清水浪人の頸動脈《けいどうみゃく》を一太刀に切ってはねた秋山小兵衛は、愛刀・藤原国助《ふじわらくにすけ》の血のりを懐紙でぬぐいつつ、地ひびきを打って倒れ伏した清水浪人を見まもっている。
彼方《かなた》で、乱闘の響《とよ》みが起った。
捕方たちが曲者どもに追いついたのである。
一昨年の夏。
越後屋半兵衛《えちごやはんべえ》の末むすめ・お弓と駆落ちをし、捕えられて蔵へ閉じこめられた手代の宗吉を、半兵衛が怒りにまかせて折檻《せっかん》を命じたのはよいが、湯島の長兵衛《ちょうべえ》と大番頭の喜右衛門《きえもん》、それに手先どもの度がすぎて、宗吉は急所を棍棒《こんぼう》で強打され、死んでしまった。
これでは、越後屋半兵衛が「宗吉殺し」の張本人ということになってしまう。
あわてた半兵衛に、湯島の長兵衛が、
「万事、まかせておいて下さいまし」
と、いい、宗吉が首吊《くびつ》り自殺をしたように見せかけ、うまくおさめた。
このままにしておけば、どうということもなかったろうが、湯島の長兵衛は、自分の悪業を種にして、越後屋半兵衛から大金を奪い取ろうと考えたものだ。
すなわち、一年がすぎた去年の春ごろから、
「自分は、亡《な》き宗吉の遠縁にあたる者だが、宗吉と母親の恨みを屹《きっ》と、はらさずにはおかぬ」
という脅迫状を送りつけておき、先《ま》ず大番頭の喜右衛門を殺して、大川《おおかわ》へ投げ込んだ。一つには、秘密を知っている大番頭の口をふさぐことにもなるからだ。
それから、伊太郎《いたろう》とお千代をつぎつぎに誘拐《ゆうかい》し、合わせて二千両の身代金《みのしろきん》を引き出そうとはかったのである。
ところが、越後屋半兵衛は衝撃のあまり、家族たちの外出を禁じたりして警戒厳重となったので、湯島の長兵衛も、
「いま、手を出してはまずい」
と、おもい直し、さらに一年がすぎた今年になり、計画を押しすすめた。
今度は脅迫状も送らず、いきなり、伊太郎を誘拐しようとした。
越後屋では、この一年の間、何事もなくすぎたので安心もしたし、それゆえ油断も出た。
浅草の盛り場や、上野の山が好きな子供の伊太郎を、いつまでも閉じこめておくわけにもまいらぬ。それで、長兵衛の手先がつきそって、家族たちも外出をするようになった。
何事も起らぬ。
もう、大丈夫……ということになる。
それに、奉公人たちは何も知らぬのだから、下男の藤八《とうはち》が伊太郎にせがまれると、これを背負って、近くの上野の山へ出かけることなど、わけもないのだ。
そこを、襲われた。
だが、秋山小兵衛の出現により、これが失敗に終ったので、湯島の長兵衛は、この上、長引いてしまっては機会を逸すると看《み》て、さらに番頭の庄三郎《しょうざぶろう》を殺害して、越後屋半兵衛の恐怖をあおっておき、越後屋を説きつけ、二人の孫を根岸の寮へ移させ、一挙に事を起したのであった。
「あの、湯島の長兵衛というやつはな、なまじ、小悧口《こりこう》ゆえ、おのが悪事に策を弄《ろう》しすぎたのじゃよ。二年がかりで二千両を奪《と》ろうというのだから、仕組みに念が入りすぎて、味方とおもうていたあの[#「あの」に傍点]浪人と、おのれの妾《めかけ》にも裏切られ、すんでのことに、おのれの寝首を掻《か》かれるところであったそうな。まあ、いずれにせよ、近いうちに打ち首になろうがな……」
と、小兵衛が、弥七《やしち》と文蔵にいった。
「それにしても、ひどい奴《やつ》じゃ。越後屋の寮をまもらせておいた、おのれの手先まで殺すような奴じゃ。下手をすると罪もない寮番や女中までも危ないところだったわい」
弥七と文蔵が捕えて来た長兵衛の手先の桶《おけ》屋の石松を責めぬいて、すべてを白状させた小兵衛は、根岸の寮の見張りをおこたらなかった。
それには、三冬が、もと住んでいた〔和泉屋《いずみや》〕の寮が近くにあったので、小兵衛はすぐさま泊り込み、ここが見張りの根城となったのである。
弥七と文蔵は、いざというときは、すぐに駆けつけられる根岸の西蔵院という寺へ、十名の手先を入れておいたのだ。
いまは、すべて始末がついた。
湯島の長兵衛と、その一味は捕えられ、奉行所の取り調べを受けているが処刑はまぬがれまい。
「越後屋半兵衛とて、このままにはすむまいぞ」
と、小兵衛はいった。
いま、越後屋は店の大戸を下ろし、営業を停止し、凝《じっ》と、しずまり返っていて、奉行所の見張りがつき、家族も奉公人も外出を禁じられているそうな。
今度の事件で、弥七と文蔵の手柄については、町奉行所も、これを評価せぬわけにはまいらぬ。
そして、湯島の長兵衛が親しく取り入っていた役人たちは、長兵衛一味の取り調べがすすむにつれ、
「累《るい》が我が身におよぶ……」
ことを怖《おそ》れ、戦々恐々たるありさまだという。
「あは、はは。よい気味じゃ」
小兵衛は、さもうれしそうに、
「ところで弥七。その、殺された手代と駆落ちをした越後屋の末のむすめの、お弓とかいうのは、いま、どうしているのじゃ?」
「お弓は生みの母親の弟の……つまり、実の叔父にあたる人のところに、去年から身を寄せているそうでございます」
「浅草の東仲町に、小ぎれいな店を出しておりますよ。はい、仲本屋《なかもとや》という小間物屋なので」
と、文蔵が引き取った。
「どうしているかな、そのむすめ……?」
「昨日、弥七さんと二人で、仲本屋の前を通りましたら、お弓が店先で、客の応対をしておりましたっけ」
「ほう、ほう……」
「すっかり元気になったらしく、まるで、実の父親の越後屋のことなど忘れたような笑い顔でございました」
「だが、今度の事では、その仲本屋へも奉行所の調べが行ったのだろう?」
「はい。ですが、仲本屋は何の関《かか》わり合いもございません」
「ふむ。なれど……」
「お弓は、越後屋半兵衛を憎んでいこそすれ、心配なぞ、してはおりませんようでございます」
「それはまあ、好きな男との間を引き裂かれたのだものなあ……」
「はい」
「そのうちに、わしも仲本屋へ何か買物に行き、お弓とやらの元気な顔を見て来ようわえ。女はな、ことに若い女は強いものよ。過去《むかし》のことなぞ、すぐに忘れてしまうものなあ……」
おはる[#「おはる」に傍点]が台所から顔をのぞかせ、
「若い女が、どうかしたのですかよう?」
と、小兵衛をにらみつけた。
弥七と文蔵は、笑いをこらえた。
小兵衛は憮然《ぶぜん》として、暮れなずむ庭先に咲いている夏菊の群れへ目を移した。
決闘・高田の馬場
その日の早朝。
秋山大治郎《あきやまだいじろう》は、門人の笹野新五郎《ささのしんごろう》をつれて、日本橋・本銀町《ほんしろがねちょう》四丁目にある間宮《まみや》道場へおもむいた。
間宮|孫七郎《まごしちろう》も、秋山|父子《おやこ》の亡師・辻平右衛門直正《つじへいえもんなおまさ》の門人で、秋山|小兵衛《こへえ》にとっては、
「弟|弟子《でし》」
と、いうことになる。
人格が立派な上に、教導の仕方が巧妙な間宮孫七郎は、門人の性質をそれぞれ[#「それぞれ」に傍点]に看《み》ぬいて、その特徴を生かした剣術を身につけさせる。
なればこそ、小兵衛が、
「間宮が引き受けてくれたので、わしは安心をして隠居できる」
と、江戸の剣術界から引退した折には、わが門人の大半を間宮道場へ依託したのであった。
「いうところの、名人でも豪傑でもない」
と、小兵衛に評された間宮孫七郎だが、秋山大治郎は、
「間宮さんには、教えられることが多い」
かねてから妻の三冬《みふゆ》にも、洩《も》らしていた。
この朝。笹野新五郎をつれて、間宮道場をおとずれたのも、
「私が、田沼《たぬま》様御屋敷へ稽古《けいこ》にまいる日は、間宮道場へまいって、稽古を見ていただくがよい」
このことを、間宮孫七郎へたのむためであった。
いまの大治郎の門人といえば、田沼家の家来たちは別として、飯田粂太郎《いいだくめたろう》と笹野新五郎の二人のみである。
いまのところ、飯田粂太郎は田沼家に奉公する身でもあり、日々、大治郎に付きそっているわけだが、
「いずれは、粂太郎も間宮道場へ通わせるつもりでいる」
と、大治郎は、不満そうな笹野新五郎にいった。
「おぬしと粂太郎が私のたいせつな門人であることに、いささかも変りはない。なればこそ、私は、若くて至らぬ自分に不足しているものを、間宮さんによって、おぬしへ与えたいのだ」
こういわれて、新五郎もようやく納得をしたようだ。
今年の初夏のころ。
六百石の笹野の家を義弟へゆずりわたした新五郎は、あのときの忌《いま》わしい事件を、すっかり忘れきったような明るい顔貌《がんぼう》になり、小兵衛の口ききにより、いまは本所亀沢町《ほんじょかめざわちょう》の町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》宅へ寄宿させてもらっている。
「これは、よい人《じん》が来てくれた」
と、宗哲は大よろこびであった。
なぜなら、笹野新五郎は碁も将棋もよくする。
「こういう碁敵《ごがたき》が傍《そば》にいてくれれば、わざわざ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の古狸《ふるだぬき》を訪ねることもない」
夜になると宗哲は、新五郎を碁盤の前からはなそうともせぬとか……。
笹野新五郎を間宮道場へ残し、やがて秋山大治郎は、神田橋《かんだばし》御門内の田沼|意次《おきつぐ》邸へ向った。
すでに夏の太陽が昇りきって、道行く人びとの顔には汗がにじみ出している。
江戸でも屈指の商業地区の中にある剣術道場はめずらしかった。このあたりでは間宮道場のみといってよい。
神田|堀《ぼり》の南岸、地蔵橋のたもとにある間宮道場を出た秋山大治郎が、江戸城の外濠《そとぼり》へ向って歩みはじめた。
大治郎の額には、うす[#「うす」に傍点]汗さえも浮んでいない。
そのとき、今川橋の方から、こちらへ向って来る四十前後の侍を逸早《いちはや》く見つけた大治郎が、
「吉村《よしむら》さん……」
と、呼びかけた声を呑《の》んだ。
その侍は、吉村|弥惣治《やそうじ》といい、父・小兵衛の古い門人なのである。
小兵衛も吉村弥惣治には、相当に深いところまで、きびしく教え込んでいたし、
「先《ま》ず、わしが弟子の中では、わしに恥をかかせぬやつよ」
などと、いっていたものだ。
いまも弥惣治は、折にふれて、鐘ヶ淵の隠宅へ、恩師の機嫌《きげん》うかがいにやって来るそうな。
「ありゃ、浅蜊《あさり》の佃煮《つくだに》じゃ」
などと、口の悪い小兵衛が綽名《あだな》をつけたほどの色の黒い顔をうつむけ、両腕を組み、唇《くち》を一文字に引きむすんだ吉村弥惣治は、本銀町三丁目の蝋燭《ろうそく》問屋〔大隅屋《おおすみや》〕の前で大治郎と擦れちがったが、こちらを見向きもせず、間宮道場の方へ黙念と歩いて行く。
(はて……?)
大治郎は、解《げ》せなかった。
肩と肩とが擦れ合ったほどなのに、
(私に気づかぬ吉村さんではないはずだが……)
このことである。
そもそも弥惣治ほどの剣士が、何事かおもいつめていて道行く人びとにも気をつけることなく、むしろ虚脱の面《おも》もちで歩行をしているというのが大治郎にはうなずけぬ。
秋山小兵衛引退後の吉村弥惣治は、他の門人たちと共に間宮道場へ移り、いまでは間宮孫七郎も弥惣治を何かにつけて、
「たよりにしている」
とのことだ。
何本もの針金を縒《よ》りに縒って打ち固めたかのような、体躯《たいく》は細いが、弥惣治の鍛えぬかれた筋肉のすばらしさは大治郎もよく知っている。
おもわず、大治郎は踵《きびす》をめぐらし、吉村弥惣治の後からついて行った。
弥惣治は、どうしたことか、間宮道場へ入ろうともせず、通りをへだてた薬種問屋〔大和屋《やまとや》〕の軒下に佇《たたず》み、何やら沈思しているではないか。
向い側の表具師と、〔播磨屋《はりまや》〕という旅籠《はたご》の間の細道を入り、突き当ったところが間宮道場なのだ。
以前の秋山大治郎ならば、
「どうなされた? 吉村さん」
声をかけたにちがいない。
だが、このごろの大治郎は父ゆずりの思慮がはたらくようになってきて、いまここで自分が声をかけることにより、吉村弥惣治に新たな動揺をあたえることになってはならぬと、直感したようだ。
弥惣治は、三度ほど、間宮道場への細道へ入りかけてはためらい、そのたびに大和屋の軒下へもどって来る。
弥惣治は、何やらの苦悩にさいなまれているらしい。
間宮孫七郎との間に、何か紛争でも起ったのか……。
(いや、そうではあるまい)
と、大治郎はおもい直した。
このとき、吉村弥惣治が大和屋の軒下をはなれた。
弥惣治は、地蔵橋をわたり、紺屋町の方へ去った。
秋山大治郎も、田沼屋敷での稽古の時間がせまっていることだし、いつまでも弥惣治の後をつけて行くわけにもまいらぬ。
あきらめて、大治郎は身を返した。
その翌朝……。
浅草|橋場《はしば》の道場へあらわれた笹野新五郎へ、大治郎が、
「昨日は、どうだったな?」
「はい。間宮先生が直《じ》き直きに稽古をつけて下さいました」
「それは、よかった」
「はい」
「ときに、重《おも》だった門人衆には引き合わされたのだろうな?」
「はい」
「その中に、むかしは私の父の門人で、吉村弥惣治という人はいなかったか?」
「おいでになりませんでした」
「おぬしは何刻《なんどき》まで、道場にいたのだ?」
「はい。七ツごろまでおりましたが……」
七ツといえば午後四時である。
となると、吉村弥惣治は、あれからも間宮道場へあらわれなかったことになる。
大治郎は、飯田粂太郎と笹野新五郎へ稽古をつけたのち、昼餉《ひるげ》をすませてから、妻の三冬へ、
「鐘ヶ淵へ行ってまいる」
「はい。父上へよろしゅう」
「うむ」
父の隠宅へ着くと、秋山小兵衛はおはる[#「おはる」に傍点]の膝枕《ひざまくら》で昼寝をしていた。
「アレ、いやだよう若先生。急に庭から入《へえ》って来て、びっくりした」
おはるが顔を赤らめ、台所へ走り込んで行った。
「なんだ、せっかく、よいこころもちになっていたのに……」
「相すみませぬ」
「どうした? 何か急な用かえ?」
「実は、父上……」
大治郎が昨日のことを語るのを聞き終えて、
「ふうむ……そりゃ、弥惣治に似合わぬことじゃな」
「父上も、さようにおもわれますか」
「おもう」
愛弟子《まなでし》の一人だけに、小兵衛も気がかりな様子で、
「何か悩み事があるなら、何故、わしのところへ来ぬのか……」
「はあ……」
「これは、尋常のことではないらしいな」
「私も、さようにおもいます」
「ともかくも、ありがとうよ。よしよし。退屈しのぎにちょ[#「ちょ」に傍点]と当ってみるかのう」
吉村弥惣治は、神田の駿河台《するがだい》に屋敷を構える八千石の大身《たいしん》旗本・高木筑後守元好《たかぎちくごのかみもとよし》の家来である。
高木筑後守は非常に武芸を好み、みずからも宝蔵院流の槍《やり》をつかうだけあって、吉村弥惣治が剣術にはげむことをよろこんでいるという。
(それにしても、おれの武芸が、このような大事に関《かか》わり合うとは、おもうてもみなかった。剣術なぞ、やらねばよかったのだ。取り返しのつかぬことになってしまった……)
高木|筑後守《ちくごのかみ》の屋敷内にある自分の住屋《ながや》で、吉村弥惣治《よしむらやそうじ》は、またも、
「眠れぬ夜」
を迎えた。
この四、五日は、ほとんど眠れぬ。
そのため、
「間宮道場へ行く……」
ということにして、浅草の平右衛門町《へいえもんちょう》にある船宿〔吉野屋《よしのや》〕へまわり、二刻《ふたとき》(四時間)ほど、うつらうつらと仮眠をとることにしている。
吉野屋は、以前、恩師の秋山小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしていた船宿で、その当時は、たびたび弥惣治が供をして来たものだ。
隠居してからの小兵衛は自前の小舟を所有し、おはる[#「おはる」に傍点]が舟をあやつるものだから、吉野屋へも、
「めったには、お見えになりませぬ」
とのことだ。
だからこそ弥惣治も、安心をして、吉野屋の二階の小座敷へ入り、酒をのんで、夜の不眠を取り返そうと努力している。
(おれは……おれは、このようなことのために、剣術をまなんだのではなかった。秋山先生が、このこと[#「このこと」に傍点]を耳になされたら、何とおっしゃることか……)
むろん、以前の恩師である秋山小兵衛にも、現在の師・間宮孫七郎へも、今度の大事を打ちあけて、教えを請《こ》いたいとおもったか知れぬ。
しかし、二十何年もこの道[#「この道」に傍点]に励んで来て、いまは間宮道場の代稽古《だいげいこ》をつとめているほどの自分が、
「これこれ[#「これこれ」に傍点]で、まことに困惑しております。いかがいたしたらよろしいでしょう?」
と、相談をもちかけるのは、
(まことにもって、恥ずべきこと……)
ではないか。
要するに、今度の試合において、
(おれが勝てばよい)
ことなのである。
それで、こちらの方は万事、うまくおさまるのだ。
そのかわり、相手方では、ひどい犠牲が出る。
真剣の勝負をするわけではないが、勝負のあとで、双方のどちらかに一大事が起る。
もしも、吉村弥惣治が負けたときは、主人《あるじ》の高木筑後守|元好《もとよし》は、
「生きてはおられぬ」
はっきりと、弥惣治にいいわたしたものだ。
また、弥惣治と木太刀《きだち》をまじえる相手の羽賀儀平《はがぎへい》が負けたときは、羽賀の主人の久世帯刀《くぜたてわき》も、おそらく、
(生きてはおられまい……)
と、弥惣治は看《み》ている。
久世帯刀は、芝の愛宕下《あたごした》に屋敷を構える七千五百石の大身旗本で、これも非常な武芸好みなのだ。
高木筑後守も久世帯刀も、寄合組《よりあいぐみ》(大身旗本で幕府の役職に就いていない人びとによって編成されている)に列しており、共に肝煎《きもいり》をつとめているところから交際もあり、さらには二人とも武芸好みゆえ、はなしも合うということなのだ。
ところが、七日ほど前に……。
高木筑後守が久世帯刀邸へ招かれた折、久世の家来・羽賀儀平その他が庭前において剣技を披露《ひろう》した。
「いかがでござる」
と、久世帯刀は得意げに高木筑後守を見やった。
かねてから、筑後守が、家来の吉村弥惣治の剣技をほめそやしてやまぬことを、帯刀は、
(なんの。いかな達者といえども、わしの羽賀儀平に敵《かな》うものか)
と、ひそかにおもっていたのだ。
そのおもいが、羽賀の剣技披露となったらしい。
いや、五人を相手にして、これを瞬《またた》く間に打ち倒す羽賀儀平のあざやかな手練を見せつけるために、わざわざ高木筑後守を招待したのやも知れぬ。
「何の……」
高木筑後守が奮然として、
「まさに見事なる手なみなれど、身どもが家来・吉村弥惣治にはおよぶまじ」
と、やった。
二人とも、かなり酒が入っていた所為《せい》もあり、久世帯刀も、このまま黙っているわけにまいらなくなってきた。
「いやいや、羽賀儀平に打ち勝てようとはおもわれぬ」
「何の!!」
「何の!!」
たがいに高声を発した結果、ならば羽賀と吉村に勝負をさせてみようではないか、と、いうことになってしまった。
こうなれば双方ともに、後へは引けぬ。
試合の場所は、城北・高田の馬場と決った。
高田の馬場は、かの赤穂《あこう》義士の一人・堀部安兵衛武庸《ほりべやすべえたけつね》が義理の叔父の助太刀をした名高い場所であって、わざわざ、こうした場所を選ぶところに、二人の〔殿さま〕の誇大感覚が看てとれる。
秋山小兵衛にいわせれば、
「世の中のことも、人のこころもわからぬお坊《ぼっ》ちゃまが、大人になっただけのことよ」
と、いうわけである。
そして、羽賀・吉村の試合だけで、はなしがすんだのならよかった。
それならば吉村弥惣治も、何ら苦悩することはない。
ただ、渾身《こんしん》のちからをかたむけて、羽賀儀平と勝負を決するの一事あるのみだ。
ところが、久世帯刀の屋敷から帰邸した高木筑後守は昂奮《こうふん》さめやらぬままに、一通の書状をしたためて、
「これを久世帯刀殿へ届けよ」
と、命じた。
すなわち、
「もしも吉村弥惣治が負けたるとき、自分は、わが家の先祖が神君より賜わった政常《まさつね》の銘刀を差しあげる。そのかわり、吉村が勝ちたるときは、貴殿の家宝の国光《くにみつ》の短刀を申し受けたい」
と、書き送ったのだ。
高木筑後守の先祖・伝七郎|元国《もとくに》が、徳川初代将軍・家康《いえやす》から拝領したという相模守《さがみのかみ》政常一尺二分二|厘《りん》の脇差《わきざし》は、徳川将軍の家臣として、それこそ家重代の宝物というべきものだ。
これは、久世帯刀の先祖・十左衛門|景行《かげゆき》が、これも徳川家康から拝領した新藤五《しんとうご》国光七寸五分の短刀にしても、同じことなのである。
両家の名誉と誇りが、拝領の刀にこめられている。
この宝剣を手ばなしたことがわかれば、徳川将軍の臣として、
「切腹は、まぬがれぬ」
ことになる。
「なればこそ、かならず後れをとってはならぬぞ」
と、高木筑後守は、ひそかに吉村弥惣治をよんで厳命を下した。
おそらく久世帯刀も、羽賀儀平へ同じような厳命を下したにちがいあるまい。
(殿は、また、なんという賭《かけ》を為《な》されたのだ……)
弥惣治の苦悩は、ここに在った。
七千石、八千石の大身旗本といえば、小さな大名のようなもので、役職に就くときは将軍側近の役目が多い。およそ三千坪の屋敷を構え、家来も十数人。奉公人を合わせれば、五、六十人の主《あるじ》ではないか。それが、家来の武芸を誇るあまりに試合をさせ、しかも家重代の宝物を賭けるとは何ということだ。
そもそも大身の旗本ともなれば、
「人の模範」
ともなるべきはずであった。
それが、いのちがけの賭をするというのは、弥惣治にとって、
(うらめしきかぎり……)
のことである。
こちらが負けても相手が負けても、主人が切腹となれば、必然、事のしだいが幕府の耳へ入る。
入れば、当然、双方の家は取りつぶされてしまう。
双方の家族も奉公人も、
「路頭に迷う……」
ことになりかねないのだ。
(剣術の試合が、このように、他へ悪《あ》しき影響をおよぼしてよいものか、どうか……)
吉村弥惣治の悩みは、ここにあった。
高木筑後守も久世帯刀も、家宝の刀を賭けたことのみは他へ洩《も》らしていないけれども、双方の屋敷では、試合の事を知った奉公人たちが、それぞれに金品を賭け合い、試合の日を待ちかまえているそうな。
それも弥惣治にとっては苦にがしい。
「ああ……」
おもわず深いためいき[#「ためいき」に傍点]を吐き、寝返りをした吉村弥惣治の耳へ、
「もし……もし……」
襖《ふすま》の向うから、妻の三津《みつ》の、ひそやかな声がきこえた。
この年、四十一歳になる弥惣治は、三津との間に清《きよ》という十五歳のむすめをもうけていた。
「もし……もし、旦那《だんな》さま……」
三津も清も、毎日、交替で神田《かんだ》明神へ通いつめ、弥惣治の勝利を祈念しているらしい。
「もし……まだ、おやすみになれませぬのか?」
弥惣治は呼吸《いき》をつめて、こたえなかった。
「もし、もし……」
やがて、妻のささやきは熄《や》んだ。
試合の当日は、四日後にせまっている。
伜《せがれ》の大治郎から、吉村弥惣治《よしむらやそうじ》の不可解な様子を知らされた翌朝になって、
「おはる[#「おはる」に傍点]。ちょいと出かける。飯の仕度を急いでおくれ」
起きるとすぐに、小兵衛がいった。
雨戸を開けると、朝の微風が冷んやりと居間へながれ込んできた。
「先生。日中は、また、暑くなりますよう」
「ああ、覚悟をしている」
「暑いときは、昼寝していなさるがいいとおもうのだけどねえ」
「わしだって、そうしたいさ」
「いったい、どこへお出かけなんですよう?」
「ちょいと、吉村弥惣治のことでな……」
「アレ、何か、あったのですかよ?」
「昨日、大治郎から耳にしたことがある。ちょいと心配になってのう」
「アレ、まあ……」
おはるは、吉村弥惣治に好感をもっている。
関屋村の百姓・岩五郎の次女に生れたおはるは、十七のとき、四谷《よつや》の小兵衛宅へ下女に雇われた。
すると、どこが気に入ったものか、すぐに小兵衛が手をつけてしまい、
「ああ、この年齢《とし》になって、こんな相手ができたのだから、剣術なんぞやっている暇はなくなったぞ」
などと、小兵衛がいい出し、道場をたたみ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ隠棲《いんせい》することになった。
そして、そのまま、おはるは四十も年上の、小兵衛の妻となったわけだが、下女のころのおはるを知っている吉村弥惣治は、こうなると、あくまでも恩師の妻として敬うようになる。
それが何としても、
「くすぐったい……」
おはるなのだが、そこは女だ。うれしくないはずはないのである。
それ以上のことは立ち入って尋《き》こうともしなかったが、おはるは、いくらか緊張の面《おも》もちとなり、朝餉《あさげ》の仕度を急いだ。
今朝も暗いうちに、たんねんに出汁《だし》をとってこしらえた味噌汁《みそしる》を鍋《なべ》ごと大きな笊《ざる》に入れ、裏の石井戸の中へ吊《つる》し下ろし、よく冷やしておいた。
小兵衛はこれを「冷やし汁」などとよんで、夏の大好物の一つにしている。
この冷やし味噌汁の中には、絶対に実《み》を入れない。
それと、これも早くから炊《た》きあげて冷《さ》ましてある飯。
ほどよく漬《つ》けた茄子《なす》の香の物へは、溶き芥子《がらし》をそえ、それに葱《ねぎ》をきざみこんだ炒卵《いりたまご》で、小兵衛が飯を三杯もおかわりしたものだから、
「そんなに食べて、大丈夫かね、先生……」
「年寄りが日盛りの町へ出て行くのじゃ。これほどにしておかなくては、精気が失《う》せて霍乱《かくらん》を起してしまうわえ」
「アレ、いやだよう、先生……」
「もし、そうなったらどうする? 二度と、お前をかまって[#「かまって」に傍点]やれなくなるぞよ」
「困りますよう」
「ならば、せいぜい、うまいものを食べさせることじゃ」
「あい、あい」
白い帷子《かたびら》に軽袗《かるさん》ふうの麻の袴《はかま》をつけ、今日の小兵衛は大小の刀を腰に帯し、真新しい菅笠《すげがさ》を日よけにかぶり、竹の杖《つえ》を持ち、隠宅を出た。
ときに五ツ(午前八時)ごろであったろうか。
小兵衛が、両国橋をわたるころには、日も高くなり、今日もまた快晴である。
(もしやして、大治郎の、おもいすごしなのではあるまいか……?)
吉村弥惣治の苦悩については、何一つ知らぬ小兵衛だけに、
(もしも、弥惣治が、おのれ一人でさばきかねる悩み事などあれば、わしのところへ相談をもちこんで来るはず……)
なのだが、めった[#「めった」に傍点]に、こうしたことを父の自分へ告げには来ぬ大治郎の言葉を、
(大形《おおぎょう》な……)
と、聞き捨てるわけにもゆかぬ。
(伜の看《み》たことじゃ。たしかに弥惣治の身に、何やらの異変が起ったのであろう)
両国橋をわたり、広小路《ひろこうじ》の人ごみを避け、米沢《よねざわ》町三丁目の商家に沿って歩む秋山小兵衛へ、
「もし……もし、秋山先生ではございませんか」
声をかけたものがある。
笠をあげて振り向いた小兵衛が、
「おお。近江屋《おうみや》さんかえ」
「毎日、お暑うございますなあ」
と、近寄って来たのは、近くの薬研堀《やげんぼり》に店舗を構える書物問屋の主人・近江屋|伊助《いすけ》であった。
伊助は、まだ四十をこえたばかりだが、小川宗哲宅へ出入りをし、医書などをおさめていて、宗哲の碁敵《こがたき》の一人なのだ。
小兵衛にいわせると、
「伊助のほうが、まだしも宗哲先生より、歯ごたえがあるわえ」
とのことで、小兵衛宅へもやって来ては碁盤を囲むようになった近江屋伊助だが、おはるは、この近江屋の来訪を非常によろこぶ。
なぜなら、薬研堀不動門前の料理屋〔草加屋〕の立派な折詰を、かならずみやげ[#「みやげ」に傍点]に持って来てくれるからだ。
「このところ、すっかり御無沙汰《ごぶさた》をいたしております。何しろ、こう暑くては碁石をつまむのも億劫《おっくう》になりましてな」
「わしも、さ」
「宗哲先生のお宅へも、それではお出かけになりませぬので?」
「とん[#「とん」に傍点]と行かぬ」
「それでは宗哲先生、さぞ、じりじりしておいででございましょうな」
「いや、それがな。近ごろは、よい相手ができて、毎夜々々、碁盤に向っているそうな」
「へへえ。そりゃ大したもので」
「しかも、その男は住み込みで、すこしも嫌《いや》がらずに相手をしてくれるそうじゃよ」
「そりゃまた、どこのお方なので?」
「まあ、宗哲先生を訪ねてごらん。そうじゃ、お前さんにも、ちょうどよい相手じゃろうよ」
「ときに先生。今日は、どちらへ?」
「いや、それがな……一応は、神田の……さようさ、駿河台《するがだい》のあたりまで行って見ようか、それとも本銀町《ほんしろがねちょう》のあたりまで出かけようかと、おもっているのじゃ」
「へへえ……?」
近江屋が、いぶかしそうに、小兵衛をながめた。
「では、ごめん」
「まあ、先生。ちょいとお立ち寄り下さいまし。ひとやすみなされまして、行先がはっきりと決ったところで、駕籠《かご》をよびますでございます」
と、近江屋伊助が小兵衛の腕をとらえ、
「それに、ぜひ、先生のお耳へ入れたいこともございましてな」
「何のことじゃ?」
「はい。私のむすめが、愛宕下《あたごした》の久世《くぜ》様の御屋敷へ御奉公にあがっていることは、先生も御存知でございましたな」
「ああ、聞いた」
「それが、先生……」
と、小兵衛の腕をとらえて、すぐ近くの自分の店へ歩み出しつつ、近江屋が、
「ちかごろ、おもしろい、ばかばかしいことなので……」
「ふうむ……」
「久世様の御家来が、何でも、高木|筑後守《ちくごのかみ》様の御家来と、剣術の試合をなさるのだそうで……」
「…………?」
笠の内で、小兵衛の目が煌《きら》りと光ったのを、近江屋伊助は、すこしも気づかぬ。
「一昨日《おととい》から昨日《きのう》にかけて、むすめが特別に宿下りをゆるされ、帰ってまいりましたので、むすめの口から耳にいたしました」
近江屋伊助の妻が、この梅雨どきに体をこわし、寝込んでしまっているので、その見舞いに、むすめのお初《はつ》が実家へ帰ることをゆるされたものらしい。当時の商家のむすめが大身《たいしん》の屋敷へ行儀見習いの奉公にあがることは、大切な嫁入り道具の一つといってもよかった。つまり、箔《はく》がつくことになるからだ。
「先生。高木筑後守様は、八千石の御大身だそうで」
「そうだったか、な……」
「ま、お入り下さいまし。こりゃ、まかり間ちがうと、うち[#「うち」に傍点]のむすめも、お屋敷にはいられなくなるかも知れませぬ」
そういった近江屋伊助の顔は、さも、おもしろげに笑いくずれていた。
近江屋伊助《おうみやいすけ》が語るところによると、
「羽賀儀平は、かならず勝つ!!」
と信じきっている主《あるじ》の久世帯刀《くぜたてわき》は、
「わしはな、高木|筑後守《ちくごのかみ》殿と賭[#「賭」に傍点]をいたしたのじゃ」
家来たちに、いい放《はな》ったらしい。
さすがに、賭《か》けた物が何であるかは洩《も》らさなかったけれども、
(筑後守は、とんだことをいい出されたものじゃ。もはや、引くに引けまい。神君より拝領の脇差《わきざし》をわしに差し出した後になって、筑後守は、いったい何とするつもりなのであろう……)
いまから、そう、おもいこんでいる。
中小姓をつとめる羽賀儀平は、まだ独身《ひとりみ》で、当年二十五歳。
御徒町《おかちまち》に道場を構える東軍流・斎藤五郎左衛門兼継《さいとうごろうざえもんかねつぐ》の許《もと》へ十歳のころから入門し、斎藤道場では五指に数えられるほどの剣士だ。
六尺におよぶ堂々たる体躯《たいく》には、立ち向って面《おもて》をそむけざるを得ぬほどの若わかしい活力がみなぎりあふれ、体毛が濃くて、眼光は何時《いつ》も炯々《けいけい》としており、屋敷の侍女などは向うから羽賀儀平がやって来ると、
(おお、怖《こわ》……)
物蔭《ものかげ》に隠れて、羽賀が行きすぎるのを待つというありさまなのだ。
武芸好みの〔殿様〕にとって、羽賀儀平は、家来の中でも、
「愛《う》いやつ」
ということになるわけだが、折があると、殿様の久世帯刀は、家来たちをあつめて羽賀と闘わせ、酒盃《しゅはい》をかたむけつつ、これを見物する。
闘うといっても、はじめから勝負にならぬのだ。
そこで、殿様が、
「今日は二人一度に立ち向え」
とか、
「今日は、三人で羽賀の相手をいたせ」
とか、いろいろに趣向を変えて見物をたのしむ。
二人でかかっても三人でかかっても、羽賀儀平の激烈な打ち込みをくらって、瘤《こぶ》をこしらえるのが関の山[#「関の山」に傍点]なのである。
相手をさせられる家来たちにとっては、
「おもしろくない……」
のも、当然であったろう。
そのためか、
「おれは、高木筑後守様の家来・吉村某《よしむらなにがし》が勝つとおもう。いや、ぜひとも勝たせたい」
ひそかに意気ごむ家来たちがすくなくない。
また、
「いや、いかに吉村|弥惣治《やそうじ》が強くとも、うち[#「うち」に傍点]の、あの化け物には敵《かな》うまいよ」
と、いうものもいる。
「よし。では、賭けてもよいぞ」
「何……」
「殿様も高木筑後守様と、何やら[#「何やら」に傍点]をお賭けあそばしたというではないか」
「うむ、聞いた」
「ならば、どうだ。おぬしが、さほどに、うち[#「うち」に傍点]の化け物の勝利を信ずるならば、どうだ、賭けてみるか」
「よし。何を賭ける?」
「金一両」
「ばかな……」
「では二分」
「それなら、よし」
「おれもだ」
「私も賭けよう」
というわけで、これが家来たちから、足軽・小者にまでひろがってしまった。
それのみか、奥向きの侍女までが、これはさすがに金ではなく、大切にしている簪《かんざし》や笄《こうがい》などを賭け合って、
「あの憎たらしい羽賀さまなど、負けておしまいになればようございますのに」
「いえ、それはそうですけれど、とてもとても、あの化け物さんには敵いませぬ」
などと、夢中になっているらしいのだ。
「いえ、秋山先生。うち[#「うち」に傍点]のむすめは、決して、そんなまね[#「まね」に傍点]をいたしてはおりませぬが……」
と、近江屋伊助が小兵衛に念を入れた。
吉村弥惣治が、以前は小兵衛の門人であったことを、むろん、近江屋は知っていない。
「なるほどのう……」
聞き終えて、秋山小兵衛が、
「将軍家の家臣の中《うち》でも、それ[#「それ」に傍点]と知られた方がたの御屋敷内で、そのようなことがおこなわれ、おぬしの耳へも洩れ聞えるとあっては……こりゃもう、世も末といわねばなるまい」
「えっ……?」
近江屋が、びっくりして、
「世も末と申されますと?」
「徳川将軍の世も末ということよ」
「な、何とおっしゃいます。そ、そんなことになったら一大事ではございませんか」
「なあに……」
小兵衛は、にやり[#「にやり」に傍点]として、
「その後には、おぬしたちの世の中がやって来るさ」
「へえっ……?」
「金もあり、知恵もある、おぬしたち町人の世の中になろうよ」
「と、とんでもないことでございます」
「なあに、あわてるな。いまも金の世の中になってきている。かまわぬから、金のちから[#「ちから」に傍点]で天下《てんが》を掻《か》きまわしてしまえ」
「お、恐ろしいことをおっしゃいます」
「なあに、肚《はら》の中では、さほどに恐ろしいともおもっていないくせに」
「お声《こい》が、高《たこ》うございますよ」
「鮒《ふな》は安いな」
結局、小兵衛は近江屋の離れ座敷で、伊助を相手に碁を打ち、おそい昼餉《ひるげ》をよばれたのち、
「さて、ぶらぶらと出かけようか……」
「お帰りでございますか?」
「いんや……」
「では、行先がお決りに?」
「うむ。駕籠《かご》をたのむ。神田橋《かんだばし》御門外まで、な」
「かしこまりましてございます」
近江屋を出た秋山小兵衛は、神田橋門内の田沼|意次《おきつぐ》邸へおもむき、大治郎が、邸内の道場の稽古《けいこ》を終えるまで待っていた。
「お待たせいたしました」
道場から出て来た大治郎と共に、田沼邸を出た小兵衛が、
「途《みち》々にはなそう。途中で、何か、うまいものを見つけたら、そこへ入ってもよい」
「はい。父上。吉村弥惣治のことでございますな」
「うむ。今日な、おもしろいはなしを耳にしたわえ」
「ははあ……」
「はなしはおもしろいが、こいつ、ちょ[#「ちょ」に傍点]と面倒じゃぞ」
夜になって……というよりも、まだ、日が落ちきらぬうちに、木挽町《こびきちょう》六丁目の料理茶屋〔石河屋平八〕方へ、この暑いのに塗笠《ぬりがさ》で顔を隠した中年の侍が入って行った。
高木|筑後守《ちくごのかみ》の家老・坂西房之助《さかにしふさのすけ》である。
すこし遅れて、これも笠に顔を隠した老年の侍がひとり。
これは、久世帯刀《くぜたてわき》の家老・谷万右衛門《たにまんえもん》である。
坂西も谷も、石河屋のなじみ[#「なじみ」に傍点]の客といってよい。
それなのに、笠で顔を隠して来たのは、石河屋へ入るところを他人に見られたくなかったからだ。
二人の家老は、奥まった座敷で顔を合わせた。
昨日も一昨日も、この時刻に二人の家老は、この場所で密談をかわしていたのである。
「おお、遅れて失礼を……」
「何の、何の……」
「ときに坂西殿。いかがでござった?」
「上首尾でござる。昨夜、ようやくに、主人《あるじ》を説きふせ申した。そちらはいかが相なりましたか?」
「こちらも、上首尾でござる」
「まことに?」
「まことでござる」
「そりゃ、何より……」
「大慶至極」
期せずして、二人の家老は手を握り合い、うれしげに笑い出した。
笑いながらも、二人の目からは熱いもの[#「熱いもの」に傍点]がふきこぼれてきた。
久世帯刀は羽賀儀平の勝利に、いささかも疑念を抱いていない所為《せい》もあったろうが、家康より拝領の短刀を、勝負に賭《か》けたことを、さも得意げに、家老の谷万右衛門へ語ってしまった。
聞いて、おどろいたのは谷家老である。
(このような事が、もしも、世間へ洩《も》れたりしたら、取り返しのつかぬことになる。事もあろうに、東照宮様より御拝領の国光《くにみつ》をお賭けあそばすとは、何という軽はずみな……)
と、谷万右衛門は、あわてた。
もとより、自分の主人が思慮のあさい人物だということを、この家老はよくわきまえているだけに、このうわさ[#「うわさ」に傍点]がもしも世間へひろまり、幕府の耳へでも入ったなら、
(それこそ、一大事……)
だとおもった。
たとえ、羽賀が相手の吉村《よしむら》に勝ったとしても、主人が幕府から咎《とが》めを受けることは必定である。
(そもそも御家柄《おいえがら》をも、おわきまえあそばさず、賭事をあそばすとは、もってのほかじゃ)
剣術の試合をとどめるわけにもまいらぬが、家宝の短刀を賭けることだけは、なんとしてもやめさせなくてはならぬ。
しかし、
「もってのほかのことでございます!!」
と、正面から、諫言《かんげん》をしたのでは、わがままで短気で強情な主人が素直に聞き入れてはくれまい。
そこで、谷万右衛門は、高木筑後守の家老・坂西房之助へ使いの者を送り、
「高田の馬場における試合の件につき、打ち合せをいたしたく、ついては、木挽町の石河屋まで、お出むき下されたい」
と、つたえさせた。
かねてから交際のある両家の家老だけに、いうまでもなく面識のある二人だ。
「坂西殿も、筑後守様より、お聞きおよびのことでござろうが……」
谷家老が殿様どうしの賭事について語るや、
「ええっ……」
坂西房之助は、驚愕《きょうがく》して、
「そ、それは、まことのことで?」
「では、御存知なく……?」
「あるじ、筑後守は何も申しませなんだ……」
「はて……」
「いや、谷殿。これは何としても、おとどめいたさねばなりますまい」
「いかにも」
「よく、打ち明けて下された」
「たがいに、苦労が絶えませぬなあ」
「ごもっとも、ごもっとも」
二人は、その翌日も石河屋で密談をおこない、ようやく、一つの結論に達したのである。
翌朝になって……。
坂西房之助は、高木筑後守の居間へおもむき、
「こたびの試合にて、久世様と賭事をあそばしたそうにございますな」
「何……たれに聞いたぞ?」
「実は昨日、久世様の家老・谷万右衛門殿より、ひそかに申し出《いで》がございまして……」
「何じゃと?」
「久世帯刀様は、殿と件《くだん》の宝刀をお賭けなさる御約束をなされました、その後で、後悔をなされましたそうでございます」
「ほう……」
「なにぶんにも、お賭けあそばしたものが、東照宮様より御拝領の……」
「それが、いかがした?」
「このことが万一、世上へ洩れ聞えましたるときは、徒事《ただごと》ではすまぬことを、お気づきなされたのではございますまいか……」
「ふむ……」
おもてには出さぬが、実は筑後守も、自分から申し入れたことなのに、
(いささか、軽率であった……)
悔むこころが日毎《ひごと》につのり、その不安を、
(かくなれば、何としても弥惣治《やそうじ》に勝ってもらわねばならぬ)
おもいつめていたところなのである。
「久世様は、御約束を……」
「いまさら、約束を破ると申すのか?」
「殿。これは、こちらにも、ちょうどよい折ではございますまいか」
「何を申す。武士たるものが、いったん約束をなしたるからは……」
「他の品物をお賭けあそばせ。これは、たとえ試合に勝ちましても、俗に申す帳消しには相なりませぬ。のちのち、世間へ洩れましたるときは、何となされまする?」
「むう……」
「せっかくに久世様の方より申し出られたのでございますから、殿も、ここは、こころよく御承知をなさいますれば、久世様も、どのようにおよろこびなされますことか」
「久世帯刀め。意気地のないやつ」
「久世様は、後悔なされておわします」
「わしは、後悔などしておらぬぞ」
「久世様を、おゆるしなされませ。ここは何もなかったことにいたされるがようございます」
「久世をゆるせと申すか?」
「そのとおりでございます」
「ふむ……、いや、それはな、ゆるしを請《こ》うているのなれば、ゆるしてやらぬものでもない」
「では、そのように、久世様の家老へ申しつたえまする。よろしゅうござりましょうな?」
「む……まあ、それならば、いたしかたあるまい」
と、胸を張り、威張って見せた高木筑後守だが、内心は、ほっ[#「ほっ」に傍点]としたにちがいない。
ちょうど、おなじころに……。
久世帯刀も、家老の谷万右衛門から、おなじようなことを聞かされ、
「ふむ。筑後守殿から、ひそかにゆるしを請うてまいったと申すのなら、これを受けいれぬわけにもまいるまい。それが武士たるものの度量と申すものじゃ」
「ははっ。さっそくのお聞きとどけ、さぞかし、高木様の家老・坂西殿もよろこばれましょう」
そして二人の家老は、それぞれに、双方の主人の体面もあろうから、この後に顔を合わせたときも、この賭事については沈黙をまもることを、
「お気の毒ゆえ、お口にはお出しあそばさぬよう」
と、念を入れ、二人の主人も、
「うむ。そこまで相手を苦しめるつもりはない」
と、いった。
いったが、しかし、高木筑後守は、
「なれど、試合が終るまでは、吉村弥惣治の耳に入れてはならぬ。弥惣治の気がゆるんではならぬゆえ」
と、厳命をした。
久世帯刀のほうも、同様であった。
「いや、まことにもって、試合をする両人には気の毒」
「いや、坂西殿。これも忠義の一つでござるよ」
「なれど、谷殿」
「何でござる?」
「この試合の決着が、また……」
「何の。それほどのことなら、貴殿とそれがしが、このようにちから[#「ちから」に傍点]を合わせているかぎり、たがいの主人をなだめることなど、わけもないことでござる。のう、そうではござるまいかな」
「いや、まことに……なにぶん、世間知らずの主人ゆえ……」
「赤子《あかご》の手をねじるようなものでござるよ」
「あは、はは……」
「うふ、ふふ……」
「ともあれ、御拝領の品を賭けることさえ押しとどめれば、あとは何とでも……」
「はい、さよう」
「ときに坂西殿。貴殿は、どちらが勝つとおもわれますな?」
「そりゃ、むろんのこと。わが吉村弥惣治が勝ちますぞ」
「何の。勝つは、われらの羽賀儀平でござる」
「では、何をお賭けなさるな?」
「負けたほうが、この石河屋の酒飯の代を……」
「よろしい。賭けましょう」
「いや、これは愉快千万」
「ともあれ、先《ま》ず、祝いの盃《さかずき》を……」
「頂戴《ちょうだい》いたす」
二人の老獪《ろうかい》な家老の交渉が、うまく実《み》をむすんだとは、吉村弥惣治も羽賀儀平もまったく知らぬ。
また、秋山小兵衛・大治郎|父子《おやこ》も、これを知らぬ。
吉村弥惣治は、この夜も眠れなかった。
羽賀儀平は、大いびきをかいて熟睡している。
弥惣治は、おのれ一人の勝負のほかに、その影響が多勢の人びとへおよぶことをおもい、苦悩している。
羽賀儀平は、おのれ一人の勝利を信じてうたがわぬ。
そして、いよいよ、試合を明日の朝にひかえた夜が来た。
この夜。
吉村弥惣治は、夕餉《ゆうげ》の折に酒をのみ、
「では、先にやすむぞ」
妻とむすめへやさしく声をかけ、寝所へ入ると、たちまちに深い眠りへ落ちて行った。
ついに土壇場《どたんば》まで来て、弥惣治はすべて[#「すべて」に傍点]を放擲《ほうてき》し、一個の剣士として闘うことに没入することを得たのだ。
それに引きかえ、この夜になって、羽賀儀平は妙に昂奮《こうふん》し、眠れなくなってしまっている。
いざとなって、不安が芽生えてきたのであった。
試合の審判を、自分の師匠の斎藤五郎左衛門《さいとうごろうざえもん》がつとめることにも責任《せめ》を感じはじめた。
今日、最後の仕上げに道場へ出むいた折、斎藤五郎左衛門がきびしい顔つきで、
「主人と師の顔を汚《けが》すまいぞ」
と、いってよこした。
その瞬間から、羽賀の胸がさわぎはじめたのである。
同じ夜。
秋山大治郎は、父の隠宅へ泊り、父と共に酒をくみかわし、まだ宵《よい》ノ口だというのに、父と枕《まくら》をならべ、ぐっすりと眠った。
城北・高田の馬場は、現・東京都新宿区高田馬場にあった。
鎌倉《かまくら》の時代《ころ》に、源頼朝《みなもとよりとも》が此地《このち》に於《おい》て、軍《いくさ》の勢揃《せいぞろえ》をしたことがあるそうな。そのころから、台地の上の草原であったにちがいない。
のちに、三代将軍・徳川|家光《いえみつ》は、この地に馬場を築かしめて、幕臣の弓馬調練のところとした。
高田の馬場は東西六町、南北三十余間といわれ、中央には〔追いまわし〕と称する堤が築かれてい、馬場の北側の松並木の美しさを賞《め》でて、杖《つえ》を引く人びとも少なくない。
戸塚《とつか》村の台地にあるだけに、馬場からの眺望《ちょうぼう》もよろしく、ひろびろと見晴らす田地の彼方《かなた》に富士山をのぞむこともできる。
吉村弥惣治《よしむらやそうじ》と羽賀儀平の試合は、当日の七ツ半(午前五時)と決められていた。
夏のことだし、夜明けも早い。なるべくは人の目にふれぬようとの配慮から、この時刻に決った。
弥惣治には、あるじの高木|筑後守《ちくごのかみ》のほかに、家老・坂西|房之助《ふさのすけ》と家来二名がつきそい、羽賀には、久世帯刀《くぜたてわき》に、家老の谷|万右衛門《まんえもん》と家来二名という、これも申し合せたことである。
高木筑後守一行は、まだ、あたりが暗いうちに駿河台《するがだい》の屋敷を出て、高田の馬場へ向った。
筑後守の配慮により、吉村弥惣治は駕籠《かご》に乗せられた。
筑後守は陣笠《じんがさ》をかぶり、騎乗で駕籠につきそった。
「見よ、坂西」
と、筑後守が家老にささやいた。
「弥惣治の、あの落ちつきようはどうじゃ」
「いかさま、さようで……」
坂西家老も、同じおもいであった。
このところ、試合が近づくにつれ、緊張のためか吉村弥惣治の気色《きしょく》がすぐれぬことを、坂西は心配していたのだ。それがどうだ。昨日からの弥惣治は、
「まさに、神色自若……」
であって、この日の未明に屋敷を出るときも、坂西家老が、そっと、
「こころおきなく、な……」
ささやいたとき、弥惣治はにっこり[#「にっこり」に傍点]として、
「御家老。御案じなされますな」
しずかに、こたえてよこした。
(うむ。これならば大丈夫……)
と、あるじほどの昂奮《こうふん》状態ではなかった坂西房之助も、
(弥惣治は、かならず勝ってくれるにちがいない)
全身が、活と熱くなったものだ。
吉村弥惣治の脳裡《のうり》に、いまは勝ちも負けもない。
ただひたすらに、恩師・秋山小兵衛よりつたえられた無外流《むがいりゅう》の真髄を、
(至らぬながらも、自分の一剣をもってあらわそう)
その一念のほかのいっさいを、打ち捨ててしまっていた。
高木筑後守一行は、高田の馬場の外で馬と駕籠から下り、これを小者たちへあずけ、馬場の中へ歩み入った。
前夜は、このあたりに雷雨があり、馬場の土は充分に水気をふくみ、かなり濃い霧がたちこめていた。
竹矢来に沿って、東へ」町ほども行くと藁《わら》屋根の見所《けんぞ》が建てられてある。
この馬場で弓術や馬術の試合がおこなわれるときは、見所を中心にして幔幕《まんまく》を張り、見物をすることになる。
相手方は、まだ到着していなかった。
家来は、戸が閉っている見所の前へ二つの床几《しょうぎ》をおいた。
「さ、これへ……」
と、高木筑後守が吉村弥惣治をいざない、自分と並んで床几へ腰をかけさせた。破格のことだが、弥惣治は悪びれもせず、あるじに一礼をし、ゆったりと腰をおろす。
堂々として、しかも恬静《てんせい》な、その態《てい》を見た家来のひとりが、のちに、
「どちらが八千石の殿様か、見間ちがいをするようだったぞ」
と、洩《も》らしたという。
つまり、あるじの筑後守のほうが、ならんで腰をおろした吉村弥惣治よりも、
「貧弱に見えた……」
と、いうわけなのだ。
やがて……。
久世帯刀一行が、審判役の斎藤|五郎左衛門《ごろうざえもん》と共に、試合の場所へあらわれた。
久世帯刀は、羽賀儀平へ駕籠はあたえず、そのかわり馬に乗せて来た。
家来たちが、弥惣治と羽賀の床几を見所の左右へ約十間をへだてて置き、両人は、これに腰をかける。いままで弥惣治が腰をかけていた位置に、久世帯刀が高木筑後守とならんで腰をおろした。
吉村弥惣治と羽賀儀平は、審判役の合図を受けて立ちあがり、身仕度にかかった。
朝の微風に、すこしずつ、霧がながれはじめた。
いつの間にか暁闇《ぎょうあん》も消え、両人の試合には、いささかのさしさわりもない。
双方ともに相ゆずらぬ手練者《てだれ》の闘いであるから、撃ち合う得物は木太刀《きだち》であっても、それは真剣と同じことだ。
襷《たすき》をまわし、鉢巻《はちまき》をしめ、袴《はかま》の股立《ももだち》を取った二人へ、斎藤五郎左衛門が「いざ……」と、声をかけた。
うなずいた吉村弥惣治と羽賀儀平が木太刀を把《と》って向き合い、ゆっくりと近寄る。
顔色が冴《さ》えて無表情の弥惣治に引きくらべ、羽賀の両眼《りょうめ》は血走り、唇《くち》をかみしめた凄《すさ》まじい面貌《めんぼう》となっていた。
腰を落して一礼した二人が、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と立ちあがって木太刀を構えた一瞬、これを見まもる人びとの緊張は最高潮に達した。
そのときである。
「わあい。何をやっとるのじゃい。阿呆《あほ》くさいまね[#「まね」に傍点]をするなよ、ああん!!」
突然、大声があがった。
おどろいて見る人びとの目は、向うの〔追いまわし〕の松の木蔭《こかげ》からあらわれ、吹きながれる霧の幕を縫って近づいて来る二つの人影をとらえた。
二人とも、男である。
大きい男と、小さな男である。
二人とも、乞食《こつじき》である。
乞食と見るより仕方もない風体《ふうてい》であった。
共に、埃《ほこり》と汗と脂《あぶら》にまみれつくしたような単衣《ひとえ》の裾《すそ》を端折《はしょ》り、素足に草鞋《わらじ》をはき、破れかけた菅笠《すげがさ》をかぶり、雑巾《ぞうきん》のような布をもって頬被《ほおかぶ》りをし、手には太い棍棒《こんぼう》を持っている。
「やあい、こいつら。阿呆くさいまね[#「まね」に傍点]をするな!!」
大声を発しているのは、小男のほうであった。
その小男が、つかつか[#「つかつか」に傍点]と、向き合っている吉村弥惣治と羽賀儀平の間に入って来たので、
「無礼者め!!」
「追い払え!!」
高木筑後守と久世帯刀が、傍《かたわ》らに控えている家来たちへ命じた。
ところが、それを、どう聞きちがえたものか、羽賀儀平が血相を変え、
「おのれ!!」
猛然と走り寄りざま、乞食の小男の頭上から木太刀を叩《たた》きつけた。
羽賀の目にも……いや、だれの目にも、つぎの瞬間には、この乞食が笠の上から脳天を撃たれ、悲鳴を発して転倒する姿が映ったことであろう。
しかし、
「うわ……」
叫んで、馬場の土へ叩きつけられたのは、何と、羽賀儀平なのであった。
人びとは、目をうたぐった。
さすがに羽賀は、すぐさまはね[#「はね」に傍点]起き、飛び退《の》いて木太刀を構え直そうとした。
したが、遅かった。
すっ[#「すっ」に傍点]と身を寄せて来た小男の乞食が事もなげに、
「ほれ」
手にした棍棒を突き出すと、これが羽賀儀平の鳩尾《みずおち》の急所へ吸い込まれるようにして見事に入った。
「むうん……」
木太刀を振り落した羽賀は、あまりにも呆気《あっけ》なく倒れ伏し、そのまま、気をうしなってしまったではないか……。
人びとは、驚愕《きょうがく》した。
けれども、このまま、乞食たちの理不尽を見すごしておくわけにはまいらぬ。
「曲者《くせもの》!!」
わめきざま、高木・久世両家の家来が合わせて四名、いっせいに走り出て大刀を抜きはらった。
「かまわぬ、斬《き》って捨てい!!」
「わしがゆるす。斬れ、斬れ!!」
床几から立った二人の〔殿様〕が叫んだ。
この中にあって、ただ一人、吉村弥惣治のみは木太刀をひっさげたまま、やや後方に身を引き、この異変を凝《じっ》と見まもっていた。
いかに乞食の姿になっていようとも、わが恩師の姿を見誤るはずがない弥惣治であった。
ただ、不審でならぬのは、
(何故《なぜ》、秋山先生が、この場に、あのようなお姿になられて出ておいでになったのか?)
このことである。
四人の家来の白刃《しらは》の前へ、今度は大男の乞食がするする[#「するする」に傍点]と近寄り、物もいわずに躍り込み、棍棒を揮《ふる》った。
「うわ……」
「ぎゃあっ……」
「むうん……」
白刃が、それぞれの手から落ち、四人が前後左右に、からみ合うようにしてよろめき、ばたばたと伏し倒れ、気をうしなった。
それこそ、
「あっ……」
という間の出来事であった。
つぎに、やむなく、審判役の斎藤五郎左衛門が大刀を引きぬいて、大男の乞食の前へ出た。
「鋭!! おおっ!!」
斬りかかり、薙《な》ぎ払う斎藤の大剣は、いたずらに朝の大気を引き裂くのみであったが、そのうちにこれも、大男の棍棒を急所にくらって失神してしまった。
高木筑後守も久世帯刀も、両家の家老たちも茫然《ぼうぜん》自失した。
このとき吉村弥惣治が、木太刀を構えて大男の乞食の前へ迫った。
「おい、待て」
と、割って入ったのは、小男の乞食……秋山小兵衛である。
大男は……秋山大治郎は、炭の粉をまぶした黒い顔をほころばせて、父と入れかわった。
二人の〔殿様〕と家老は、最後の望みを吉村弥惣治《よしむらやそうじ》へ托《たく》した。いや、托さざるを得なかった。
「さ、来い」
低くいって、小兵衛が棍棒を脇構《わきがま》えにかまえた。
微《かす》かにうなずいた弥惣治が、木太刀を晴眼につける。
いまは弥惣治も、おぼろげながら、事情がわかりつつあった。くわしいことは知らぬ。理屈でわかったのではない。
(ああ、これは秋山先生が、どこからか、自分の苦境をお耳になされ、若先生と共に、自分を救いに来て下されたのだ)
そのことが、一瞬の感覚として、吉村弥惣治の腑《ふ》に落ちたのであった。
「たあっ!!」
晴眼の木太刀を押しつけるようにして、弥惣治は捨身に恩師へ迫る。
「む……」
じりりと退って、左へまわりこみつつ、小兵衛の棍棒が脇構えから下段へ移りかけた。
打ち込む機会は、この折をおいては二度となかったろう。
以前、四谷《よつや》仲町の道場で、恩師に稽古《けいこ》をつけてもらっていたときの自分を、久しぶりに取りもどした吉村弥惣治が、
「鋭!!」
地を蹴《け》って、恩師の頭上へ木太刀を撃ち込んだ。
声もなく、秋山小兵衛の小さな老体が、地を低み飛ぶ燕《つばくろ》のごとくひるがえったとき、
「う、うう……」
木太刀をつかんだままの吉村弥惣治が、がっくり[#「がっくり」に傍点]と両ひざをつき、ゆっくりと伏し倒れて行った。
「すこしは、上達したようじゃ」
つぶやいた小兵衛が、
「大治郎。あの連中を逃《のが》すな」
と、いったものだ。
息をのみ、立ちすくんでいた四人の殿様と家老が、あわてて逃げようとしたが、もはや、どうにもならぬ。
筑後守《ちくごのかみ》も帯刀《たてわき》も、谷と坂西の両家老も、秋山|父子《おやこ》の棍棒をくらって気をうしない、転げ倒れた。
「見よ、大治郎。これが八千石、七千石の大身《たいしん》の殿様だとよ」
「あきれ果てたものですな」
「だから、世も末じゃと申すのだ」
「これだけにしておけば、両家ともに、仲よく恥をさらしたのですから、二度とふたたび、愚かなまね[#「まね」に傍点]はいたしますまい」
「そのことよ、そのことよ」
「うまく行きましたな、父上」
「この、わしとお前が着ているものを見よ。実に、ひどいものだ」
「母上と三冬が苦心の作です」
「まったく大したものじゃ。それにしても大治郎。弥惣治は、われらを見破ったらしいのう」
「それは当り前のことでしょう、父上」
「他《ほか》のやつらは、よいあんばいに、わしらの顔を知らぬ」
「吉村さんも、大分に修行を積まれたと見えますな」
「そう、おもったかえ?」
「一瞬のことでしたが、父上を、あそこまで押し詰めたのですから……」
「さようさ……」
秋山小兵衛は、気をうしなっている愛弟子《まなでし》の顔をのぞきこんで、
「こいつ、うっとりとした顔つきで、ねむっているわえ」
と、いった。
霧は、ほとんど晴れた。
朝の光が馬場にゆきわたり、雀《すずめ》が囀《さえず》りはじめた。
馬場の入口で、三頭の馬と一|挺《ちょう》の駕籠《かご》と共に、試合がすむのを待っていた両家の小者たちが、
「まだ、やっているのかな?」
「わからぬ」
「気合声が聞えたようだが……」
「どうだ、そっと見物をしよう」
「いや、よしたがいい。殿様に見つかったら、それこそ大変だ」
「ここをうごいてはならぬと、おれたちは念を押されているのだからな」
「それにしても、気にかかる」
「まったくなあ……」
いずれも、試合に金を賭《か》けているものだから、気が気ではないらしい。
そこへ……。
馬場の中から二人の乞食が出て来たものだから、
「やい、やい。おのれらは何だ。あっちへ行け、あっちへ……」
小者のひとりが怒鳴りつけるのへ、小男の乞食が、かたむけた笠の内から、
「おい。馬場の中で、殿様がおよびだぞ」
「な、何だと……?」
「早く行ってやれ。気つけ[#「気つけ」に傍点]の水を忘れるなよ」
笑いながら二人の乞食が、木立の向うへ消えて行くのを、小者たちは狐《きつね》につままれたような顔つきで見送ったのである。
解説
[#地から2字上げ]常盤新平
秋山小兵衛《あきやまこへえ》は九十すぎまで生きることになっている。『剣客《けんかく》商売隠れ簑《みの》』では冒頭の「春愁」で刀屋の嶋屋孫助《しまやまごすけ》に年齢をきかれて、「六十をこえたことは、たしかじゃよ」と答えた小兵衛は、「ならば、あと三十度は、桜花《はな》をごらんになれましょう」と言われる。
秋山小兵衛が、九十余歳まで長生きするとひとから言われたのは、その日がはじめてだった。『剣客商売』七冊目のこの『隠れ簑』まで、小兵衛にとって死は遠いかなたにあって、まことに元気があり、親子ほども年齢のはなれたおはる[#「おはる」に傍点]に、「久しぶりで背中のながしっこ[#「ながしっこ」に傍点]をしようか」と風呂《ふろ》に誘うのである。
じつに春風|駘蕩《たいとう》としている。読者から見れば、秋山小兵衛は羨《うらやま》しい身分である。河畔に隠宅をかまえ、息子は立派な剣客に成長して、美貌《びぼう》の女剣士を嫁にもらい、本人には若い女房がいて、金の心配もなく、思いわずらうことは何一つない。
しかも、小兵衛は周囲の人たちにとっては神のごとき存在である。どんな難事件も自らの剣と英知とで解決してみせる。それでいて、傲慢《ごうまん》になることはなく、金の遣い方を心得ていて、人情の機微にも通じている。
どこといって欠点もなく、だから、市井《しせい》の神さまなのであるが、人びとから手の届かぬ小兵衛ではない。「春愁」では嶋屋が「御新造《ごしんぞ》さまが、まだ、お若いのに」と言えば、この老剣客は大いに照れて、「それをいうな。はずかしいではないか」と人間臭い魅力にあふれている。
『隠れ簑』は『剣客商売』のシリーズのなかでも最も春風駘蕩とした物語が集まっている。「大江戸ゆばり組」では、絵師の川野玉栄に小兵衛は言っている。「毎日が退屈になるばかりでござるなあ」
だから、「たまさかには、こうした事件《こと》が起ってくれぬと」、生きているたのしみもない。こうして、小兵衛のもとに「こと」が舞いこんでくる。これは『剣客商売』全体にいえることだろう。はじめは、小兵衛は受身なのである。金についても受身であって、金銭についてはおそろしく恬淡《てんたん》としているのに、小兵衛は経済的に不自由することがない。たぶん、あまりに恬淡としているが故《ゆえ》に、お金のほうで押しかけてくるかのようである。
「徳どん、逃げろ」では、小兵衛は自殺した金貸し、浅野幸右衛門《あさのこうえもん》の遺金、千五百両をあずかっている。自分の家が盗賊に狙《ねら》われていると知ったとき、「こういうことがあるから、長生きをする甲斐《かい》もあるということよ」と小兵衛は膝《ひざ》を叩《たた》かんばかりに喜んでいる。ついでながら、そのとき、読んでいる私も実は嬉《うれ》しいのである。私まで千五百両をあずかっている気分になってくる。
池波正太郎という作家は読者をいい気持にさせてくれるのだ。少なくとも私はいい気持になりたくて、『剣客商売』を読むのである。本を読みたくない気分のとき、手にとってみるのが池波さんの小説なのである。これは、作者がいっとき私を秋山小兵衛になったような気分にさせてくれるからではないかと思う。
めったに本を読まない人が池波正太郎だけは読む。『鬼平犯科帳《おにへいはんかちょう》』の第一巻をなにげなく読みはじめたら、やめられなくなったという人たちがいる。『剣客商売』もそのようなシリーズであって、いわば後を引くのである。
シリーズを読みおえたら、それで終りかというと、そうではない。またはじめから『剣客商売』を読みはじめる。物語がたんに面白いだけだったら、一度読めば、それでおしまいである。
『剣客商売』をもう一度読んでみるのは、一体なんだろうと考えてみれば、一つは秋山小兵衛の特徴であるダンディズムである。金ばなれのよさ、心づけのはずみ方に私などはうっとりする。
洲崎《すさき》で鰻《うなぎ》の辻売《つじう》りをしている又六は「こんなにいただいたら困るですよ」と恐縮するほどの「ごほうび」をもらうし(「大江戸ゆばり組」)、「越後屋《えちごや》騒ぎ」では四谷《よつや》の弥七《やしち》と上野の文蔵の二人の御用聞きにそれぞれ金二十両をあたえて、探索を頼んでいる。小兵衛が弥七や又六や茶店の老爺《おやじ》などに金をわたすシーンを読むのが、私は好きである。
心づけをはずむというのはダンディズムの一つだろう。小兵衛はこのダンディズムを随所で発揮している。『剣客商売』が豊かな、贅沢《ぜいたく》な印象をあたえるのは、小兵衛の気前のよさにある。
もう一つは、秋山小兵衛が弥七に語る言葉で知ることができるだろう。
「人間という生きものは、だれでも、勘ちがいをするのだよ。……ごらんな。太閤《たいこう》・豊臣秀吉《とよとみひでよし》や、織田信長《おだのぶなが》ほどの英雄でさえ、勘ちがいをしているではないか。なればこそ、あんな死にざまをすることになった。わしだってお前、若い女房なぞをこしらえたのはよいが、それも勘ちがいかも知れぬよ」
強敵をつぎつぎになぎたおす老剣客がこういうことを言うと、私はほっとする。読者にしても同じ気持だろう。この秋山小兵衛にして、と思えば、凡人は安心する。
「弥七。人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ」
そういう勘ちがいを素直に認める寛容が、子供ではないかと思わせるほどに小柄《こがら》な老剣客をいっそう大きく見せている。息子の大治郎《だいじろう》は大男だが、小兵衛のほうが「人の世の中」では大きく見えるのである。
私たちは年齢をとっても、秋山小兵衛のようにはなれない。家のローンがまだ残っているし、息子には嫁の来手もなく、女房は口うるさいし、老後は不安定であり、いつボケがやってくるかわかったものではない。はなはだ心もとないところで一日一日を過している。心づけを出すにも、迷いに迷い、それでくたびれてしまう。
だから、『剣客商売』を読むのである。なんども読んでしまうのである。そうして、安らぎを得る。
しかし、作者は『剣客商売』の一編一編に骨身を削り、心血をそそいだ。一つひとつの物語が見事な結末を持っているのが、その何よりの証拠だ。
本書を再読する前に『池波正太郎の銀座日記〔全〕』を通読した。これは日記文学の傑作であると思うが、『剣客商売』の豊かな感じが、日記からも十分にうかがわれた。池波さんは日記に映画や芝居を観《み》たこと、旨《うま》いものを食べたことをしるされている。それは『銀座日記』にふさわしい豊かさである。その豊かさを惜しげもなく読者に提供している。
しかし、後半になると、いたましい気がしてくる。池波さんの体力の衰えていくのがだんだんにわかってくるのだ。それが切ない。池波さんと親しかった人たちがつぎつぎに亡《な》くなられ、それを日記にしるす池波さんの哀《かな》しみや苦渋が行間から伝わってくる。
鬼平こと長谷川平蔵《はせがわへいぞう》も秋山小兵衛も私には池波正太郎に見えた。鬼平の風貌《ふうぼう》は池波さんにそっくりだと思ったものである。というのも、小兵衛の口を通して、鬼平を通して、作者は胸のうちを語っていたからである。
そして、鬼平や小兵衛のように、作者も不死身であるように思われた。銀座の煉瓦亭《れんがてい》でとんかつやハヤシライスを召しあがる、あの健啖《けんたん》ぶりなら、芝の増上寺中門前二丁目に〔御刀|脇差拵所《わきざしこしらえどころ》〕の看板を掲げる嶋屋孫助が小兵衛に言ったように、私が「いえいえ、私のほうが、先へ、あの世[#「あの世」に傍点]へまいっておりますよ」と『剣客商売』の作者に申しあげても、おかしくはなかった。
池波さんは亡くなられる数年前から、死について書かれることが多くなった。『日曜日の万年筆』や『男のリズム』などのエッセー集でも死に触れている。うろおぼえだけれども、人は生れたときから死に向って歩んでいるといった意味のことを書いておられて、それを読んだとき、私は不吉なものを感じた。その後も死について書かれたエッセーをいくつも読んだ。『剣客商売』にも『鬼平犯科帳』にもそれが見られるようになった。こんど『銀座日記』を読みかえしたのも、そのためである。
『隠れ簑』には死の影はなく、はじめに書いたように春風駘蕩としていて、そこから自然なユーモアが生れている。それを私たちは楽しめばよい。
それに、本書では江戸の町が美しく描かれている。小兵衛がおはるを連れて出かけた深川について、「江戸であって、江戸ではない……」一種の別天地だったと讃《たた》え、
「深川は江戸湾の海にのぞみ、町々を堀川《ほりかわ》が縦横にめぐり、舟と人と、道と川とが一体になった明け暮れが、期せずして詩情を生むことになる」と書いている。
『剣客商売』には「詩情」がある。物語にどんな血なまぐさい「こと」があっても、各編にそれがみなぎっている。秋山小兵衛は弥七や又六や為七《ためしち》を愛したように、江戸の町をこよなく愛したのだ。作者が江戸を愛していたのである。
池波さんは東京がどんどん怪物になっていくことを嘆かれた。池波さんの数少ない現代小説である『原っぱ』は東京への別れの言葉でもあった。
『剣客商売』を書くことによって、池波さんは江戸に生きたのである。池波さんの葬儀のとき、山口|瞳《ひとみ》氏は弔辞のなかで、池波さんは「江戸に長逗留《ながとうりゅう》」されたと言われた。名言であって、私などはとても思いつかない。
小兵衛が作者その人ではないかと思ったシーンが「越後屋騒ぎ」にある。「なんの、日ざかりの道を歩むのもよいものじゃ。汗をたらたら[#「たらたら」に傍点]とながしながら、な……」
夏の日ざかりの上野山内を歩く小兵衛は汗をぬぐいながら、(むかしは、いかに暑くとも汗なぞ出なかったものじゃが……)と思う。こういうなにげないシーンにも私は共感する。年齢をとってみないと、理解できないシーンであり、それ故《ゆえ》に、『剣客商売』はおとなの小説なのである。
[#地から2字上げ](平成三年八月、作家)
[#地付き]この作品は昭和五十一年十月新潮社より刊行された。
底本:剣客商売七〈新装版〉隠れ蓑 新潮社
平成14年12月15日 発行
平成15年9月25日 4刷
[#改ページ]
このテキストは、
(一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第07巻 - 再処理.zip 涅造君VcLslACMbx 38,362,874 9e5cd7345e507113430659f4ad6f752c52a321d8
を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。
画像版の放流者に感謝。