剣客商売四 天魔〈新装版〉
[#地から2字上げ]池波正太郎
目次
雷神
箱根細工
夫婦浪人
天魔
約束金二十両
鰻坊主
突発
老僧狂乱
解説 常磐新平
雷 神
一
「うふ、ふふ……まるで、二日酔いの古狸《ふるだぬき》を見たような面《つら》をしていて、実に、まったく見映《みば》えのせぬ男だがな。あの落合孫六は、わしが育てた剣術|遣《つか》いの中では、まず五本の指に入るやつだよ」
と、秋山|小兵衛《こへえ》が息《そく》・大治郎《だいじろう》に、よく語ってきかせる当人が、三年ぶりに、
「先生。まことにもって、無沙汰《ぶさた》をつかまつりまして……」
と、不二楼《ふじろう》の〔離れ屋〕に仮寓《かぐう》をしている小兵衛の前へ顔を見せたのは、梅雨も明けた真夏の或《あ》る日の昼下りであった。
「先生。いつか若先生にはなしていなすった、二日酔いの狸《たぬ》さんが来ただよう」
と、笑いを噛《か》みころしながら、おはる[#「おはる」に傍点]が知らせに来たのである。
落合孫六は、小柄《こがら》だが、腹がぷっくりとふくれていて、その面相ときたら、まさに狸そのものだ。
「よく、此処《ここ》がわかったな」
と、部屋へ入ってきた孫六に小兵衛がいった。
「先日。久しぶりに江戸へ出てまいりまして、岸井|甚平《じんべい》を訪ね、先生の、その後の消息をききましたので……」
孫六と、羽州《うしゅう》松山二万石の大名・酒井|石見守《いわみのかみ》の家来岸井甚平とは、秋山小兵衛門下の兄弟弟子なのである。
「ああ、そうかい」
「先生。鐘《かね》ヶ淵《ふち》の御宅が焼けましたとか……」
「うむ。間もなく建て直しができる」
「先生。四十も年下の御新造《ごしんぞ》を、お迎えなされましたとか……」
「ああ、いま、ここへ、お前を案内したのがそれ[#「それ」に傍点]さ」
「げえっ……」
「どうした。そんなに、おどろくようなことかえ?」
「先生。お体に毒でございますぞ」
と、孫六が、まじめ顔でいうのへ、小兵衛は、平然として、
「ところで孫六。いくつになったえ?」
「は……四十二歳」
「だいぶんに禿《は》げてきたのう」
「あたまが禿げるは、長命のしるし[#「しるし」に傍点]と申します」
「へへえ、そうかね」
「これは、先生の大好物でございます」
と、落合孫六が差し出したのは、四谷《よつや》塩町一丁目の菓子舗・富士屋又兵衛方で売り出している〔南京落雁《なんきんらくがん》〕であった。この菓子は、蕎麦粉《そばこ》と麦の炒《い》り粉の中へ、胡桃《くるみ》の実をまぜ合せ水飴《みずあめ》でねりあげ、型にはめて乾かした干《ひ》菓子で、むかし、四谷|仲町《なかまち》に道場を構えていたころ、秋山小兵衛は酒のあとに、濃くいれた茶で、この南京落雁をつまむのが大好きだったのを、孫六は、
(ちゃんと、おぼえていた……)
のである。
「おお、おお……よくも、忘れずにいてくれたのう」
さすがに小兵衛も、愛弟子《まなでし》の、こうしたこころづかい[#「こころづかい」に傍点]がうれしく、かすかに泪《なみだ》ぐんだようであった。
「実は、先生。このたび、江戸へ出てまいりましたのは……先生に、おゆるしを得なくてはならぬ事ができまして……」
「ほう……何だえ?」
「なれ合い[#「なれ合い」に傍点]の試合を、おゆるし下さいましょうか?」
〔なれ合い〕すなわち八百長《やおちょう》の試合をしてもよいか、と、師匠の小兵衛のゆるしを得に来たところなぞは、孫六、なかなか物堅いところがある。
「金ずくの試合かえ?」
「はい」
「ふうむ……」
小兵衛は、垢《あか》じみて汗くさい単衣《ひとえ》を着て、よれよれの袴《はかま》をつけた、この中年の愛弟子の姿をまじまじとながめやった。
落合孫六は、もと、播州竜野《ばんしゅうたつの》五万千余石・脇坂淡路守《わきざかあわじのかみ》に奉公をしていた足軽であったが、大好きな剣術に打ちこみ、小兵衛のもとで修行をするうち、堅苦しい武家奉公が嫌《いや》になり、たとえ食べるに困っても、剣の道ひとすじに歩みたいと決意し、主家を退身したものである。
小兵衛が四谷の道場をたたみ、江戸の剣術界から引退をして、気楽な余生を送るようになったとき、落合孫六は亡妻よね[#「よね」に傍点]の故郷である武蔵国《むさしのくに》・葛飾郡《かつしかごおり》(東京都葛飾区)の宿駅・新宿《にいじゅく》の布海苔屋《ふのりや》・上総屋清兵衛《かずさやせいべえ》方へ身を寄せ、その近くのわら[#「わら」に傍点]屋根の百姓家を買ってもらい、近在の百姓たちに剣術を教えたりしていた。
ところが近年、孫六には義父にあたる上総屋清兵衛が病死した後、亡妻よねの弟が二代目の上総屋清兵衛となったのだが、こやつが、ひところは女と博奕《ばくち》に夢中となり、身代《しんだい》をつぶしかけてしまった。
落合孫六は、亡《な》き義父からうけた恩恵をおもうにつけ、なんとか、いまは改心をしている義弟夫婦を助けてやりたいと、苦慮していた。
ちょうど、そのとき、旧主・脇坂淡路守の江戸留守居役をつとめている花田新左衛門から、
「ぜひとも、たのむ」
と、もちこまれてきたのが、この八百長試合だったのである。
相手に、わざと負けてやってくれれば、その礼金として、金五十両を孫六がもらえるというのだ。
「その五十両で、上総屋を助けようというのか?」
「先生。おゆるし下さいますか?」
「いいとも、ゆるす」
と、言下に、秋山小兵衛が、
「それで、お前の剣術が役に立つなら、それにこしたことはないさ」
「先生……」
「うむ?」
「か、か、かたじけのうござります」
「よし、よし……よし、よし……」
二
脇坂淡路守安親《わきざかあわじのかみやすちか》の上屋敷は、芝口二丁目にある。
足軽だったときの落合孫六は、その上屋敷に奉公をしていたわけだが、当時、孫六は、留守居役・花田新左衛門の気に入られ、いろいろと世話になったものだ。大名の留守居役といえば、将軍や幕府、ひいては他の大名家との間に立ち、一種の外交官としてはたらく非常に重い役目であるから、藩内での羽ぶり[#「羽ぶり」に傍点]もよい。
「孫六。お前の剣術は、殿も、よく御存知じゃ。いますこし、辛抱をせい。わしが口ぞえをして、かならず、立身のことをはかるゆえ、な」
と、花田新左衛門が孫六にいってくれたそうな。しかし、そうした花田の親切や、なまじ、殿さまの脇坂淡路守の御前で、藩士たちを相手に試合を見せ、入れかわり立ちかわり出て来る相手を打ち据《す》えること十五人におよんだこともあり、それがかえって藩士たちや重役の一部に不評をよび、孫六は、よく、
「いよいよ、居辛《いづら》くなりました」
と、師の小兵衛へこぼしたものであった。
ま、そうしたわけで、孫六は脇坂家を退身し、自由の身となったのだが、
「いま、すこし、待てばよいに……」
花田新左衛門は、まことに残念であったらしい。
その花田から、新宿の宿外れにある孫六の小さな道場へ、
「ぜひとも、たのみたきことあり。急ぎ出府してもらいたい」
との手紙を持ち、脇坂屋敷から使者が駆けつけて来た。
何の用か知らぬが、あれだけ世話になった花田新左衛門のたのみ[#「たのみ」に傍点]とあれば、義理がたい落合孫六が、これを断わるわけがない。
孫六は、すぐさま、江戸へ急行した。
といっても、孫六の足なら半日の行程であった。
「おお、よく来てくれたな」
花田新左衛門は、飛び立つようにして孫六を迎え、藩邸内の自分の長屋へ招じ入れた。
「久しゅうございます。おすこやかにて、何より……」
「おお、おお。お前も元気そうじゃな」
「おかげをもちまして……」
「早速じゃが、孫六……困ったことができてな」
「ははあ……?」
「実は、な……」
と、花田新左衛門が語るには……。
殿さまの脇坂淡路守夫人の安子は、幕臣・上田|能登守義当《のとのかみよしまさ》のむすめであって、この実家の方に、上田源七郎|義通《よしみち》という甥《おい》がいる。
奥方・安子の甥ならば、脇坂淡路守にとっても義理の甥になるわけで、この上田源七郎が、小野派一刀流の剣客だそうな。
大坂の天満《てんま》十一丁筋に道場を構える藤岡作兵衛《ふじおかさくべえ》の門にまなび、のち、諸国をまわって腕をみがき、このほど江戸へ帰った。当年、二十八歳という。
これを迎えた上田家では、能登守義当が病歿《びょうぼつ》し、当主は長門守義篤《ながとのかみよしあつ》になっている。この人は実子ではなく、旗本・戸田|弥十郎《やじゅうろう》の次男だったのを、上田能登守が養子に迎えたのである。
それだけに、上田長門守は、
「何ともして、源七郎殿の身を立ててやりたい」
と、考え、婚姻の関係がある脇坂家へ、
「武芸指南役として、召し抱えていただきたし」
申し入れて来たのである。
脇坂淡路守は、これをきいて、
「召し抱えぬものでもないが……」
にんまりと、重臣たちの顔を見まわし、
「なれど、武芸指南役として召し抱えるからには、いかに縁者のたのみといえども、上田源七郎の手練《しゅれん》のほどを、たしかめなくてはなるまい」
と、いった。
もっとものことである。
「どうじゃ、わが家中《かちゅう》の中に、上田源七郎と立ち合って、勝てる士《もの》があるか?」
勝てるほどの藩士がいれば、何も、上田源七郎を指南役に迎える必要はない。
「勝てようはずはないのう。すぐる年、足軽の落合孫六にも、たれ一人、打ち勝てた家来とておらなんだわ」
重役たちは、顔を伏せたままだ。
すると、淡路守が、彼方《かなた》にひかえていた花田新左衛門に、
「そち[#「そち」に傍点]、落合孫六の居処《いどころ》を存じおるか?」
問いかけてきた。
「存じおりまする」
「すぐさま、よび寄せい」
「は……?」
「孫六を、上田源七郎の相手にいたせ」
「何と、おおせられまする……」
「孫六に、みごと勝ったなら、上田源七郎を召し抱えてつかわそう。そのように手配いたせ」
殿さまの、鶴《つる》の一声であった。
そのとおりに、するほかはない。
あとになって、花田は、江戸家老や、他の重役たちによばれ、いろいろと相談をうけた。
重役たちは、
「いや、とても、孫六めにはかなうまい」
「あのときの試合ぶりを見たか。とぼけた狸面《たぬきづら》をしているくせに、十余人を、あっという間に打ち倒した。大変な男じゃ」
「孫六が勝てば、召し抱えることもならず、さすれば上田長門守様の体面にもかかわろう」
「なれど、いまこのとき、天下泰平の世に、武芸指南役など、果して必要でござろうかな」
「さよう。ここは、孫六をよび、みごとに勝ってもろうたほうがよいとおもわれる。家来が不足しているわけではなし、お台所も苦しい今日、いたずらに召し抱えたところで、むだ[#「むだ」に傍点]なことじゃ」
などと、口ぐちに意見をいう。
結局は、落合孫六に勝ってもらい、上田源七郎をしりぞけてしまったほうがよい、と、いうことになった。いまは、どの大名の家の経済も苦しい。一人でも俸禄《ほうろく》が減れば助かるといってよいほどなのだ。
それをきいていて、花田新左衛門は、
(これは困った……)
と、おもった。
花田には花田の立場がある。
上田長門守は現在、幕府の奏者番《そうしゃばん》という役目をつとめている。これは武家に関する礼式・典儀をつかさどるもので、朝廷や公家《くげ》に関する礼式・典儀をうけもつのが、いわゆる〔高家《こうけ》〕である。
奏者番は、才能しだいで、幕府最高の役職である〔老中《ろうじゅう》〕に立身する道もひらかれているほど、重い役目になっている。
むろん、将軍や幕府閣僚に接する機会も多い。このように、幕府内での重職をつとめている人物を親類にもっていることは、大名として、まことに心強いことだし、まして藩の外交をうけもつ留守居役の花田新左衛門としては、
(ここで、上田長門守様の機嫌《きげん》を損じては、当家の不利になるばかりじゃ)
と、おもわざるを得ない。
しかし、重役たちは、そのように、物事を深く読もうとはせず、目前の、小さな利益・不利益を論じ、事を決してしまうことが万事に多いのである。
「ま、こうしたわけじゃ」
花田新左衛門は、落合孫六に語り終えて、
「孫六。わしの気もちは、わかってくれような?」
「よく、わかりましてございます」
「どうじゃ、やってくれるか。負けてくれるか。礼金として金五十両を出そう」
と、花田は、わるびれもせずにいう。
役目|柄《がら》、この老人は金銭のことを、いささかも卑《いや》しく考えていない。
落合孫六は、しばらく考えてから、
「よろしゅうございます」
と、うけ合った。
いうまでもなく、そのときの孫六の脳裡《のうり》をかすめたのは、亡妻よね[#「よね」に傍点]の実家の苦境を、すこしでも、
(救ってやりたい)
その一事だったのである。
三
秋山小兵衛は、不二楼《ふじろう》の板場にたのみ、特別に、落合孫六が大好物の鰻《うなぎ》を焼いてもらい、師弟久しぶりに酒をくみかわした。
「だがのう、孫六よ」
「はい?」
「お前、その上田源七郎という剣客の腕前を見知っているのかえ?」
「いいえ、先生。もちろん、存じませぬ」
「お前が知らぬ、脇坂《わきざか》侯・御家中の方々も知らぬというのか……」
「はい」
「ふうむ……すると、これはちょ[#「ちょ」に傍点]と面妖《めんよう》なことになるな」
「どういうことでございましょう?」
「だって、そうではないか、ちがうかえ?」
「は……」
孫六が、きょとん[#「きょとん」に傍点]となった顔を見て、おもわず小兵衛はふき出してしまった。
「先生。何か、おかしいことでも……?」
「だって、そうではないかよ、孫六。相手の腕のほどもわからぬのに、お前がなれ合い[#「なれ合い」に傍点]の勝負をしてやるというのは、おかしいではないか。な……」
「ははあ……」
「向うのほうが、お前より強いかも知れぬぞ」
「なるほど、さようで……」
いいさして孫六が、
「ホ、ホウホウ……」
と、梟《ふくろう》のような笑い声を発し、
「まったく、どうも……脇坂様では、私のことを強いと、おもいこんでいなさるわけで……」
「そうさ。もっとも、お前は、この秋山小兵衛|直伝《じきでん》の無外流《むがいりゅう》じゃ。どこへ出しても引けをとるとはおもわれぬが……」
「おそれいります。なれど、先生……」
「なんじゃ?」
「いずれにせよ、私が負ければ、よろしいのでございますから……さすれば礼金の五十両をいただき、これは上総屋《かずさや》へ救い水としてわたしてやれます」
「おう、そうか。そうじゃったな……」
「負ければよろしいのですから、気楽なものでございます」
「あは、はは……こいつは、まいった。そうだったのう。いずれにせよ、負けると決っているわけなのだから……」
「さようでございます」
「さ、もっと飲め、飲め」
「おいしい酒でございますなあ。ときに先生。若先生がおもどりになったそうで」
「うん、帰って来た。どうじゃ、これから大治郎の道場へ行ってみるか?」
「いえ、今日はこれにて失礼をいたします。なれ合い[#「なれ合い」に傍点]試合を終えまして、新宿《にいじゅく》へ帰りますときに、いま一度、ゆるりと寄せていただきます」
「そうか。では、そうしろ。そのときは、此処《ここ》へ泊って行け」
「ありがとう存じます」
「いまは、脇坂侯御屋敷にいるのか?」
「はい。花田新左衛門様の御長屋に泊めていただいております」
「うまくやれよ」
「は……?」
「うまく負けてやることも、これで、なかなかに、むずかしいものだぞ」
「はい。こころして負けます」
「それで、試合の日は?」
「明後日でございます」
落合孫六は、日暮れ前に帰って行った。
翌朝。不二楼へやって来た大治郎に、孫六の一件を小兵衛が語ると、大治郎は、めずらしく嫌《いや》な顔をした。
小兵衛は、苦笑をした。
きかずとも、わかっている。
秋山大治郎は、かつての若き日の小兵衛がそうであったように、ただ剣をまなぶというだけではなく、剣術によって人間の心身を、
(どこまで昇華させ得るか……)
それをきわめつくすべく、修行にはげんでいる。
五十両の金で、
「勝負を売る……」
ことなど、いまの大治郎は夢にも考えて見ないだろう。
「ところで大治郎。その、上田源七郎がまなんだ大坂の、小野派一刀流・藤岡作兵衛《ふじおかさくべえ》という先生の評判は、どんなだったえ?」
諸国をめぐり歩き、大坂の柳|嘉右衛門《かえもん》道場に長らくとどまっていた大治郎は、大坂の剣術界にもくわしく、ことに藤岡道場は柳道場の近くにあり、大坂町奉行所の与力・同心が大分に稽古《けいこ》をしていたようだ。
けれども、大治郎が大坂に滞留していたころ、すでに上田源七郎は藤岡道場を去っていたらしい。源七郎のうわさ[#「うわさ」に傍点]は大治郎も耳にしていなかった。
「藤岡作兵衛先生の評判はよろしく、柳先生も、ほめておいでになったことがあります」
「お前は一度も、藤岡道場へ手合せに行かなかったか?」
「あまりに近間《ちかま》ゆえ、かえって双方が遠慮気味になりまして……」
「なるほど。そういうものじゃ」
などと、秋山|父子《おやこ》が語り合っているとき、
「本日は、秋山先生に、おねがいのすじ[#「すじ」に傍点]あって、まかり出ました」
と、佐々木|三冬《みふゆ》が訪ねて来た。
四
三冬は、いま、湯島五丁目の金子孫十郎|信任《のぶとう》の道場の〔客分〕として修行にはげんでいる。
その金子信任が、
「このところ、あまりの暑苦しさに、いささか御老体を損われまして……いえ、別だんに心配するほどのこともないのでございますが、実は秋山先生。金子先生は明日、脇坂《わきざか》侯のおたのみにより、或《あ》る大切な試合の審判をおつとめになるので……」
三冬が、そこまでいったとき、小兵衛と大治郎は、おもわず顔を見合せた。
まさに、金子信任は、上田源七郎と落合孫六の御前試合に審判をつとめることになっていたのである。ところが、このところ下痢がつづいて体調がおもわしくなく、これが、自分の試合ならば病気のいいわけなぞをせずに出場するところだが、なんといっても他人の大事な試合に立合うとなれば、
「その責任《せめ》は重い。もしも勝負を見あやまるようなことがあっては……」
と、金子信任は佐々木三冬をまねき、
「わしに代って、秋山小兵衛殿が審判をつとめてくるるよう、ひとつ三冬どのから、たのんでみてくれぬか」
と、いったそうな。
してみると金子信任も佐々木三冬も、落合孫六が、もとは秋山道場屈指の遣手《つかいて》だったということを、
(知っては、おられぬらしい……)
のである。
「秋山先生。いかがでございましょうか?」
「そうじゃのう……」
一瞬、さすがに小兵衛も返事ができなかった。いまは泥水《どろみず》をのむことも平気な小兵衛だが、愛弟子《まなでし》が八百長試合で負けることがわかっている試合の審判をつとめるわけだ。当然、気が乗らなかったろう。
その父の横顔を、秋山大治郎は、
(父上は、何と返事をなさるだろうか?)
凝《じっ》と、見まもっている。
「先生。秋山先生……」
「ふうむ。金子先生には、いろいろと、厄介《やっかい》をかけてきているし、な……」
「金子先生は、ぜひとも秋山先生にと、さように……」
「そうか、よし」
小兵衛は、自分で自分へ、いいきかせるがごとく大きくうなずき、
「引きうけたよ」
きっぱりといい、その顔を大治郎へ向けるや、にやり[#「にやり」に傍点]としてみせた。
大治郎は、呆《あき》れ顔になり、
「私は、急ぎの用事がありますので……」
と、三冬にいい、離れ屋から出て行った。
深い事情を知らぬ佐々木三冬であるが、さすがに父子の間の妙な空気を察したらしく、
「先生。大治郎どのは、何か……?」
「いや、何でもない、何でもない」
「なれど、急に、あのような……いつもの大治郎どのではございませぬ」
「さほどに、せがれの顔色を読んでおられたか……」
「ま……」
ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と三冬が、顔を赤らめた。
「どうなされた?」
「いえ、あの、別に……」
「顔が赤くなられたようじゃが……」
「存じませぬ」
「は、はは……」
不二楼《ふじろう》の奥庭の木立に、蝉《せみ》が鳴きこめている。
小兵衛に背を向け、縫紋《ぬいもん》のついた夏の白い小袖《こそで》に、うす紫の夏袴《なつばかま》をつけた若衆姿《わかしゅすがた》の佐々木三冬の体が、微《かす》かにふるえているようであった。
「若い……」
煙草《たばこ》を煙管《きせる》につめながら小兵衛が、ほとんど口の中でつぶやいた。
「は……?」
ふり向いた三冬の双眸《そうぼう》が、何やら切迫した光をたたえているのを、小兵衛は見た。
いまのつぶやきが、自分と大治郎のことに関したものだと、三冬はおもったにちがいない。
「いや、若いということさ。せがれめが、な」
「と、申しますのは?」
「せがれの若さが、わしを叱《しか》っているのじゃよ、三冬どの」
「わかりませぬが……?」
「いや、よいのだ。わしも大治郎の年ごろには、あのとおりであった。あったがしかし、このように変ってしもうた。変るもよし、変らぬもよしということさ」
「……?」
「帰って金子先生に、しか[#「しか」に傍点]とおつたえなさい。秋山小兵衛、たしかに、明日の審判を先生に代って、つとめさせていただく、とな」
「ありがとうございます。お迎えの駕籠《かご》を八ツすぎに……」
「心得た」
五
試合は、本所《ほんじょ》の外れの柳島村にある脇坂淡路守《わきざかあわじのかみ》の下屋敷(別邸)でおこなわれた。淡路守は、前日に、騎乗で、わずかな侍臣を従え、上屋敷から下屋敷へ来ていた。淡路守|安親《やすちか》は当年四十三歳。温厚な殿さまで領国の治政もよろしく、その実績は幕府も大きく評価をしているそうな。
柳島の下屋敷は、東に天神川。三方を細い掘割に囲まれ、大名の別邸にしては小ぢんまりとしたものだが、なかなかに凝った造りで、奥庭の一部が白洲《しらす》になってい、能舞台が設けられてあった。
上田源七郎と落合孫六の試合は、この白洲でおこなわれることになっている。
二日前から白洲の砂や石を取り除き、両人の試合にそなえてあった。
金子|信任《のぶとう》からさしまわされた駕籠《かご》に乗り、小兵衛が脇坂下屋敷へ到着をしたのは七ツ(午後四時)を、すこしまわっていたろう。
この日も朝から晴れわたってい、烈日の輝きに人も木も草もげんなり[#「げんなり」に傍点]と頭をたれるばかりであったが、小兵衛が不二楼《ふじろう》を出るころから、風が出てきはじめた。
金子信任の代理審判として迎えられた秋山小兵衛に対する脇坂家のあつかい[#「あつかい」に傍点]は、まことに行きとどいたものであった。
脇坂家では、淡路守安親以下、さすがに、小兵衛と孫六の師弟関係を知っている。
淡路守は試合前に、わざわざ小兵衛を引見《いんけん》し、その労をねぎらい、
「まわり合せとは申しながら、孫六の試合の審判をつとむること、いかがじゃ?」
「はい。それはやはり、孫六めに勝たせとうございます」
と、小兵衛はこたえた。
「うむ。さもあろう」
脇坂淡路守は、ひと目で、小兵衛を好ましくおもったようである。
やがて……。
白洲に面した書院に淡路守が着座し、畳廊下へ江戸家老・脇坂|蔵人《くらんど》ほか三名の重臣。それに留守居役・花田新左衛門も居ならぶと、ひかえていた裃《かみしも》姿の秋山小兵衛が床几《しょうぎ》から立って、傍《かたわ》ちの藩士にうなずくと、その藩士が、
「上田源七郎殿、落合孫六殿。お出《いで》なされ」
と、声をかけた。
東の控所から上田源七郎が、西からは落合孫六が白鉢巻《しろはちまき》に白|襷《だすき》の試合姿であらわれ、淡路守安親に一礼し、一歩|退《さが》って相対し、しずかに腰を落し、木太刀《きだち》をつけ合った。
このとき、一陣の風が颯《さっ》と白洲へ吹きわたり、頭上の、明るい夏の夕空に雲がながれた。
秋山小兵衛は白扇を持って両人の間へすすみ、
「勝負一本」
おごそかに声をかけ、するすると後退した。
源七郎と孫六が、木太刀をつけ合ったまま、ゆるゆると立ち、立ったかと見えた瞬間、
「む!!」
「応!!」
たがいに気合声を発して、飛びはなれた。
上田源七郎は筋骨たくましい六尺ゆたかの堂々たる体躯《たいく》である。眉《まゆ》の濃い、鼻の隆《たか》い、見るからに精悍《せいかん》な風貌《ふうぼう》であった。
これにくらべると、落合孫六は、身を清めて髭《ひげ》を剃《そ》り、花田新左衛門が貸してくれた紋服を身につけているのだけれども、
「二日酔いの古狸《ふるだぬき》……」
では、いかに飾ったところで……いや、飾れば飾るほどに面相が見すぼらしく見えてくる。
だが、脇坂家の人びとは、だれ一人として、落合孫六の勝利をうたがわなかった。
孫六の強さが、その風貌容姿とは、まったく無縁であることを、よくわきまえていたからである。
だが……。
秋山小兵衛は、
(や……?)
おもわず、白扇をにぎりしめた。
約三間半をへだてて落合孫六と相対した上田源七郎は木太刀を正眼《せいがん》に構えている。その両脚は根が生えたように地をふみ、両眼は炯々《けいけい》として自信にみちみち、孫六を見すえていた。
落合孫六は、やや背を屈《かが》め気味に右ひざを曲げ、木太刀を下段につけている。
(む……)
孫六も小兵衛同様に、
(これは、強い)
と、源七郎を看《み》てとった。
(これは、なれ合い[#「なれ合い」に傍点]どころではないかも知れぬ。おれが、ちからのかぎり闘っても、勝てるか、どうか……?)
であった。
風が音をたて、雲がうごいて中天にひろがり、日が翳《かげ》った。
「やあ!!」
一声をあげて上田源七郎が、木太刀を大上段に振りかぶった。
「う……」
いよいよ、いけない。
恐るべき源七郎の気力が、孫六を圧倒した。
太刀を大上段に振りかぶるからには、先《ま》ず、気力をもって敵を圧倒し、ただ一打ちに打ちこむ間合いをつかむことが肝要である。
いま、源七郎は、そのとおりに孫六へ仕掛けようとしていた。
じりじりと、源七郎が間合いをつめて来はじめた。
孫六は、まるで、
「蛇《へび》に睨《にら》まれた蛙《かえる》のように……」
身うごきができなくなってしまったようだ、と、小兵衛は看た。
淡路守や家臣たちが、
(はて……?)
くび[#「くび」に傍点]をかしげている中で、花田新左衛門のみは、
(さすがは孫六。うまく、やっておるわい)
と、胸の中でよろこんでいる。
小兵衛は、
(これなら、なれ合わずとも孫六の負けじゃ)
と、おもった。それなら都合がよいわけだけれども、小兵衛としては孫六が、わざと負けてやるのでなくては、おもしろくない。
(以前の孫六なら、決して、このような態《ざま》は見せなかったろう。何年も田舎で、百姓たちばかりを相手に剣をつかっていると、こうなってしまうものか……)
がっかりしていたのである。
と、このとき……。
「や、やあっ!!」
上田源七郎が凄《すさ》まじい気合をかけて、猛然、孫六へ肉薄しようとした。
(あ、もう、だめだ……)
小兵衛は観念したが、そのとき、突然、稲妻が光った。
「あ……」
と、源七郎が低く叫び、ぱっと飛び退り、振りかぶった木太刀を正眼に構え直した。その源七郎の顔が、一瞬のうちに色をうしなっているではないか……。
(ど、どうしたのだ?)
小兵衛も、それを見て、あわてた。
こんな試合を、はじめて見た。
孫六も、同じ気もちだったろう。
なんとも奇妙な間を置いて、耳が裂けるかとおもわれるほどの雷鳴が、とどろきわたった。
つぎの瞬間、人びとの眼《め》に映じたものは、木太刀を放《ほう》り出し、地面に這《は》いつくばり、両手で頭を抱え、耳を押えている上田源七郎の姿であった。
大粒の雨がたたいてくる白洲で、人びとは、むしろ呆然《ぼうぜん》として、雷鳴に恐れ、おののいている源七郎を見つめたのである。
○
「いやはや、どうも……あれほどの剣客が雷公の音に肝をつぶして腰をぬかすとは、さすがのわしも、びっくりしたわえ」
と、秋山小兵衛が、その夜。大治郎やおはる[#「おはる」に傍点]に、落合孫六をふくめて、不二楼の二階座敷で宴をひらき、愉快そうに酒をのみつつ、
「あれではどうも……脇坂侯も、いかに奥方の甥《おい》ごであろうとも、召し抱えるわけにはゆくまい。上田の源ちゃん、剣客として、取り返しのつかぬ恥をさらしてしもうた。気の毒だったよ。それにしても、ああいうことがあるものかのう。わからぬ、どうも、わからぬ」
そういうと、おはるが、
「あれま、他人《ひと》のことはいえませんよう、先生」
「何で、だ?」
「いつだったか、おけら[#「おけら」に傍点]虫が飛ぶのを見て、先生、気味がわるいといって、私に、かじりついたでねえか」
「ばか。何をいう」
「だって、ほんとなんですよう、みなさん」
これには一同、失笑を禁じ得なかった。
翌朝。新宿へ帰る落合孫六を、秋山|父子《おやこ》は千住《せんじゅ》大橋まで見送ってやった。
孫六は、花田新左衛門からの礼金五十両をもらえなかった。仕方もないことだ。花田はそのかわり、苦虫をかみつぶしたような顔で金五両を出したが、孫六は、受けとらなかった。
「これ、孫六。これを持って行け」
別れを告げる落合孫六に、小兵衛は金包みを出し、
「五十両には、ちょいと足らぬが、何かの足しになるだろう。お前の女房《にょうぼう》どのの実家へわたしてやれ」
「いいえ、先生。こ、このような……」
「いまさら、ぐずぐず、いうな」
むりやりに孫六のふところへ金包みをねじこんでおいて、
「そのかわり、月に一度は出て来て、せがれの道場へ泊りこみ、いま一度、お前の剣術を鍛え直してもらえ。よいか、よいな」
「は、はい。かならず、かならず……」
「さ、行け。行け」
「先生。かたじけのうございます」
千住大橋の橋板の上へ両手をつき、ふかぶかとあたまをたれた孫六に、小兵衛は、すっかり照れてしまい、
「ばかはよせ。早《はよ》う行け」
顔をそむけた。
その、そむけた父の、すこやかな老眼に光るものを、秋山大治郎は、たしかに見たのである。
箱根細工
一
それは……。
秋山|小兵衛《こへえ》の愛弟子《まなでし》・落合孫六が、あの奇妙な〔なれ合い試合〕を終え、葛飾《かつしか》の新宿《にいじゅく》へ帰ってから五日目の夕暮れであったが、
「若先生。うち[#「うち」に傍点]の先生が、すぐ来てくれと、いってなさるよう」
と、おはる[#「おはる」に傍点]が秋山|大治郎《だいじろう》の道場へ迎えに来た。
折しも大治郎は、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年を相手に、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかっていたところだが、
「粂太郎。先に、すませていなさい」
と、いい置き、すぐに仕度をして、おはると共に外へ出た。
「若先生。いつも、飯の仕度をする唖《おし》の小母《おば》さんはどうしたのですよう?」
「このところの暑さつづきで、すこし体をこわしたらしい」
「あれまあ……」
大治郎が父・秋山小兵衛が仮寓《かぐう》している料亭《りょうてい》〔不二楼《ふじろう》〕の離れ屋へあらわれると、
「おお、わざわざ呼びたてて、すまぬな」
と、小兵衛が、相変らず血色のよい老顔をほころばせて、
「暑いところを、まことにすまぬが大治郎。ちょ[#「ちょ」に傍点]と、旅へ出てもらいたいのじゃが、どうかな?」
「父上の御使いでございますか?」
「まあ、そんなところさ」
「何なりと、お申しつけ下さい」
「実は、な……」
と、小兵衛が語るには、今日、散歩がてらにおはるを連れ、上野の寛永寺へ出かけた帰り途《みち》に、おはるを先へ帰し、浅草・元鳥越《もととりごえ》町に〔奥山念流〕の道場をかまえる牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》のもとへ立ち寄ったさい、九万之助が、
「秋山さん。実は先日、小田原から私の知人が江戸へ出てまいりましてな……小田原におられる……ほれ、秋山さんがむかしから御昵懇《ごじっこん》の横川|彦五郎《ひこごろう》さんが、かなり重い病《やまい》にかかっておられると申しておりました」
と、小兵衛にいったものだ。
「何、彦五郎が?」
「さよう」
「それは、いかぬな」
横川彦五郎は、小兵衛同様に、かつて麹町《こうじまち》に無外流の道場をかまえていた辻平右衛門直正《つじへいえもんなおまさ》の門人であった。したがって秋山小兵衛とは、同門の剣客なのである。
「わしより、一つ二つ年上だったが……」
小兵衛が、そういうのだから、もちろん六十をこえた老剣客であって、辻平右衛門が道場を閉じ、江戸を去ったときに、横川彦五郎は故郷の相州《そうしゅう》(神奈川《かながわ》県)小田原城下の宮の前へ、ささやかな道場を構えた。
それから三十年余の間に、彦五郎が江戸へ出て来た折、小兵衛は数度、酒をくみかわしているが、このところ十二、三年ほどは彦五郎から便りもなかった。
「お前同様に、あまり、剣術商売がうまくないので、門人もあつまらなんだようじゃ。それに女房も子もない独り暮しのはずだから、病気になっては、さぞ心細かろう。わしが行ってもよいのだが、お前も知ってのように、あと五日か六日で、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の家も出来あがるのでな。ま、いろいろと用事があっておはる一人ではどうにもならぬ。そこで一つ、この見舞金を彦五郎へ、とどけてもらいたいのだ」
「承知いたしました。明朝、発《た》ちましょう」
「たのむ。そのかわり、田沼《たぬま》様御屋敷の稽古日《けいこび》には、わしがお前の代りをつとめよう」
「そうしていただけますか」
「お前は田沼様の家来衆に剣術を教えて報酬を得ているのだ。おろそかにはできまい。こういうことをきちん[#「きちん」に傍点]とせぬと、いまの世の剣術遣いは飯の食いあげになってしまう」
「おそれ入りました」
「ほれ、これは、わしがお前への使い賃じゃ」
と、小兵衛は、見舞金の金十五両のほかに、大治郎へ二両をわたした。
「このようなことをしていただかなくとも……」
「何をいう。我が子だとて、只《ただ》ばたらきをさせるわけにはゆかぬ」
「これはどうも、恐れ入りました」
「ちょっと待ってくれい。いま、横川彦五郎への手紙を書く。それから、いっしょに飯にしよう。今夜はな、不二楼の板場へ泥鰌鍋《どじょうなべ》をたのんであるらしい。そうだな、おはる……」
「あい。そうですよう」
「とにかく大治郎。横川彦五郎の暮しぶり[#「暮しぶり」に傍点]がどのようなものなのか、よく見とどけて来てくれ。年はとっても、まるで子供のように生《き》一本な……それでいて強《きつ》い強い頑固者《がんこもの》ゆえ、実は、わしも、このところ気にかかっていたところなのだよ。ちょいちょいと、夢の中にも出て来てのう。うむ、そうさな。むかし、辻平右衛門先生のところにいたころは、かくべつに仲のよい間柄《あいだがら》というのでもなかったが……いやはや、男も六十をこえてみると、数すくない昔友だちが、やたらになつかしくなってくるものらしい。ふ、ふふ……」
二
相模《さがみ》の国・小田原は、江戸から東海道を二十里二十町。大久保加賀守《おおくぼかがのかみ》・十一万三千石の城下町である。
秋山大治郎は、江戸を発った翌日の夕暮れには、早くも小田原城下へ入っていた。
横川彦五郎の道場がある宮の前というところは、小田原城の東面にあたり、東海道に面した繁華な商店街だが、横川道場は、海道から裏手へ二筋ほど入った場所にあった。
そのあたりは、御幸《みゆき》の浜《はま》とよばれる海岸へ近く、相模湾の汐《しお》の香が夕闇《ゆうやみ》の中に、濃くただよっていた。
(なるほど……)
と、秋山大治郎は、わらぶき[#「わらぶき」に傍点]屋根の、農家か漁師の家でも改造したかとおもわれる小さな横川道場の前へ立ち、
(これは、私の道場そのもの[#「そのもの」に傍点]ではないか……)
おもわず、微笑が浮んだ。
しかし、横川道場の表も裏も、戸締りがしてあり、人の気配もなかった。
(横川先生、他行《たぎょう》中なのか……?)
すると、そのとき、通りかかった漁師の女房らしいのが、
「もし……」
声をかけて来て、
「横川先生を、お訪ねかね?」
「あ……そうなのだが、お留守らしい」
「はいよう。いま、体をこわしていてねえ」
「やはり……それで、どこにおられる?」
「すこし、よくなったので、箱根へ湯治に行っておいでだがね」
「ほう……」
「箱根の、塔の沢の湯泉《ゆ》につかっているはずだがね」
「その旅籠《はたご》は?」
「へえ……なんでも、田村屋とか聞いていたがよう」
「さようか。かたじけない」
小田原から、箱根の塔の沢までは約二里であるから、夜に入っても行きつけぬことはないが、当の横川彦五郎の病が、どうやら快方に向いつつあるようなので、大治郎は安心もしたし、
(では、今夜は小田原へ泊り、明朝、塔の沢へ向おうか……)
と、決めた。
そして、旅籠〔小清水伊兵衛《こしみずいへえ》〕方へ、秋山大治郎は旅装を解いたのである。
このとき、大治郎は父・小兵衛の旧友である横川彦五郎を塔の沢に見舞い、一泊したのち、すぐさま江戸へ引き返すつもりであった。
その行手に、おもいもかけぬ事件が待ちかまえていて、自分を巻きこむことになろうとは、夢にもおもわなかったのである。
大治郎が小清水伊兵衛方を発足《ほっそく》したのは、六ツ半(午前七時)ごろであった。夏の朝の日ざしも、まだ涼しげであったし、小田原の城下をぬけて早川沿いの道へかかると、
(やはり、江戸とは大分ちがう)
のである。
早川をはさむ両岸にひらけた平地は、大治郎の歩みにつれて狭まり、しだいに山肌《やまはだ》が接近してきて、鳴きこめている法師蝉《ほうしぜみ》の声と川の音が街道を行く人びとの耳をとらえてはなさなくなる。
夏のことで、小田原に泊って箱根を越えようとする人びとの発足は早い。大治郎などは、もう遅いほうであった。
早川は、箱根・芦《あし》ノ湖《こ》に源を発し、湯本において須雲《すくも》川と合して小田原城下の南を相模湾にそそぐ長さ六里の川で、世に〔箱根|七湯《しちとう》〕とよばれる七ヵ所の湯泉は、この早川沿いの道をたどり、山へわけのぼるところに点在している。
箱根の谷口といわれる風祭《かざまつり》の村をすぎ、入生田《いりゅうだ》のあたりへかかると、箱根連山へ分け入って行く心地が胸にせまって来るのだ。これまでに何度も、大治郎は箱根の山を往来しているけれども、今度は、山も関所も越えることなく、塔の沢の湯場《ゆば》へ父の旧友をたずね、それが終れば、すぐさま江戸へ引き返すだけに、大治郎は、
(このように気楽なこころで、箱根の山をながめるのは、はじめてだ)
なんとなく、足取りも軽くなってきた。
その、秋山大治郎の足が、ふと止った。
街道の左|脇《わき》へ身を移し、大治郎は立ち止ったまま、うしろから近づいて来る人の足音が、自分を通り越して行くのを待った。
何故《なぜ》、そうしたのか、大治郎は自分でもわからなかった。
ただ、剣士として十余年の間、わが心身に蓄積された何もの[#「何もの」に傍点]かが大治郎をそうさせた、としか、
(いいようがない……)
のである。
大治郎の背後から近づいて来た足音は、約三間の距離を置いて止った。
大治郎は、うごかなかった。
袖《そで》の短い、丈はひざ[#「ひざ」に傍点]のあたりまでの単衣《ひとえ》に脚絆《きゃはん》・足袋・草鞋《わらじ》という、軽がるとした旅装の秋山大治郎は塗笠《ぬりがさ》をかぶったままで、振り向きもせぬ。
と……。
背後の足音が、ゆっくりと近づいて来て大治郎の右手を、かなりの間隔をおいて通りぬけた。
茶の麻の着物を着ながしにして、大治郎と同じような浅目の塗笠をかぶった侍である。浪人と見てよい。
通りぬけて数歩行き、浪人が振り向いて大治郎を見た。
塗笠の中から、細い両眼が針のように光っている。
頬骨《ほおぼね》の張った細い顔だちだし、体も痩《や》せていて背が低い。それでいて、一見は貧弱におもえる、この浪人の体からは、まさに剣気がふき出している。
大治郎も笠の内から、浪人を見ていた。しずかな眼《まな》ざしではあったが、これも尋常のものではなかったろう。
つまり、浪人は前方をゆっくりと歩む大治郎の背中から、何か[#「何か」に傍点]を感じたらしい。
その感じたものが彼の体に剣気をただよわせ、それがまた、大治郎の足をとどめさせたことになるのだ。
振り向いて、大治郎を凝視した浪人の体から、急に殺気が消えた。白い歯を見せて、浪人は声もなく笑った。若いのだか、中年なのか、ちょっと見当がつきかねる顔だちであり、姿であった。
だが、大治郎は笑わなかった。
かるく浪人が会釈《えしゃく》をしたのに対し、目礼を返したのみだ。
浪人はくるり[#「くるり」に傍点]と背を見せ、速い足どりで、みるみる遠ざかって行った。
それでも大治郎は、立ちつくしたままである。
(恐ろしい遣《つか》い手《て》だ……)
それだけが、はっきりと大治郎の身内につたわってきていた。
「私を、だれ[#「だれ」に傍点]かと間ちがえたものか……?」
ややあって、つぶやきがもれ、同時に、大治郎は歩み出していたのである。
三
昼前に、秋山大治郎は塔の沢へ着いた。
先を行く件《くだん》の浪人が、箱根の湯本から右へ、七湯をたどる山道へ行ったものか、または左の東海道を箱根の関所へ向って行ったものか、それは知らぬ。いずれにしても浪人が旅の姿でなかったことはたしかなことである。
塔の沢は、湯本の「地つづき」といってもよいのだが、湯本にたちならぶ湯宿の軒先をすぎ、歩みをすすめるうち、いつの間にか右側の塔の峰、左側の湯坂山の山肌が道にせまって、ひんやりとした山気《さんき》が大治郎の汗をたちまちに吹きはらった。
早川の瀬音がにわかに高まり、谷間《たにあい》の道をたどる大治郎の顔も手も、鬱蒼《うっそう》たる樹林の青葉に染まってしまったかのようにおもわれる。
曲りくねった早川の流れにかかる細長い橋には欄干もない。いかにも山間の湯場の雰囲気《ふんいき》がただよっていて、
(これはよい。二晩ほど泊って、横川先生のおはなしを、ゆっくりとうかがってもよいな)
大治郎は、こころたのしくなってきた。
箱根の温泉は、奈良《なら》時代の万葉集の歌にも詠《よ》まれているほどに、古くから知られているが、塔の沢の湯は江戸時代の初期に発見されたもので、そのころ、かの黄門・水戸光圀《みとみつくに》が、明《みん》国から日本へ帰化した儒学者・朱舜水《しゅしゅんすい》をともない、塔の沢へ遊んだ折、朱先生は、いたくこの湯場の風景を愛し、
「唐《とう》(中国)にも驪山《りざん》という、まことに景色のよい温泉がありますが、この塔の沢は、驪山よりもさらに美しい」
と、ほめたたえ、塔の沢を、
「勝驪山」
と、名づけたそうな。
横川彦五郎が泊っているという湯宿〔田村屋〕方は、湯の町の左側の奥にあった。わら屋根の湯宿や民家が道の両岸にたちならび、浴客が道に縁台を出して将棋などをやっている。
山|駕籠《かご》に乗って湯本の方へ向う人びとは、小田原へ帰るのであろう。
湯けむりと湯の香が道にただよっていた。
田村屋方へ入った大治郎が案内を請《こ》うと、
「やあ、お前さんが小兵衛のせがれか……」
意外に、元気そうな老人が廊下の奥から、やや甲高い声をかけつつあらわれた。
鶴《つる》のごとき痩身《そうしん》で、品のよい顔だちながら、一文字に引きむすばれた口もとは、いかにも頑固者《がんこもの》らしい。病みあがりとはいえ、さすがに足の運び、姿勢の正しさは剣客のものである。これが、横川|彦五郎《ひこごろう》その人であった。
彦五郎が滞在している部屋は、二階の、早川を見下ろすところにあり、そこへ招じられた大治郎が、あいさつをしたのち、父・小兵衛の伝言と手紙と見舞いの金を差し出すや、
「おお……」
にっこりとして横川彦五郎が、
「小兵衛がくれた金なら、うれしゅういただこう」
と、いい、すぐさま十五両の金包みを両手に押しいただき、さっぱりと、ふところへ入れてくれたのには、大治郎もうれしかった。
二人は、初めから、このようにうちとけることができたので、その後も順調に語り合えたし、大治郎は彦五郎の部屋に泊ることになった。
「……さようか、わしの道場を見て来られたか。ごらんのとおりでな、三年ほど前までは、何人かの門人もいたのじゃが……体が、もう利《き》かぬで。さよう、今年の梅雨どきには死にかけたわえ。それが、この田村屋|与吉《よきち》どのに助けられたのじゃ。うむ、うむ……田村屋どのは、わしの古い友だちでな。わしが若いころ、小田原城下の、これは一刀流の道場をひらいていた左三右衛門先生のもとで、修行をしていたころに知り合《お》うた。田村屋どのは左先生の縁類にあたり、よく、道場へあそびに来ていたのじゃ」
と、彦五郎は語った。
夕餉《ゆうげ》のときに、その田村屋与吉があいさつに来た。血色のよい五十がらみの、愛想《あいそ》のよい老人であった。
横川彦五郎は、小田原の北方一里半ほどの延清《のぶきよ》というところの郷士の次男に生れ、その生家は、すでに没落しているそうな。
夜半、秋山大治郎は目ざめた。
ききなれぬ早川の瀬音が、彼のねむりを覚ましたらしい。
横川彦五郎は、ぐっすりとねむっている。
大治郎は、夜ふけの温泉につかってみたくなり、足音をしのばせて廊下へ出た。
田村屋には内湯《うちゆ》がある。
階下の廊下の突当りの石段を下って行くと、早川のながれにのぞむ浴舎があった。
掛行燈《かけあんどん》の灯影《ほかげ》が、濠々《もうもう》たる湯けむりにくもり、湯の香がいっぱいにたちこめている。
裸になって、浴槽《よくそう》に身を沈めたとき、大治郎は湯けむりの中に、男の顔が浮いているのを見た。
(あの、浪人……)
まさに、入生田あたりの街道で大治郎を追いぬいて行った浪人であった。
しかし、大治郎が浴舎へ入って来たときから、浪人はしずかに温泉へつかって、こちらをながめてい、殺気も剣気もなかった。たがいの裸身には針一本もつけてはいないことゆえ、それは当然でもあったし、そもそも、この浪人と大治郎とは、顔を見たのも今日がはじめてで、口をきき合ったこともない間柄《あいだがら》なのだ。
それでいて、昼間の街道で、あのように二人が牽制《けんせい》し合ったのは、双方が強《したた》かな剣士であったからにすぎない。いまは、そのことが双方にわかっている。
湯につかったまま、大治郎は沈黙していた。
向うも、だまっている。
早川の瀬音が、この浴舎ではことさらに高くきこえた。
しばらくして……。
大治郎が、声をかけた。沈黙に堪《た》えかねたのではない。剣客同士、泊り合せた湯の宿で、語り合うのも一興とおもったからである。明日、浪人が、まだ田村屋へ泊るようならば、横川彦五郎をまじえ、酒でものみながら剣談をかわしても、おもしろいとおもったのだ。以前に、諸国をまわっていたころ、大治郎には、こうした経験が何度もあった。
「日中に出合いましたな」
と、いった大治郎に、浪人はこたえなかった。
「小田原に、お住いですか?」
浪人は、依然、こたえぬ。
「私は、江戸の、秋山大治郎と申します」
こたえない。
だが、わずかに湯の中で浪人が、微妙に身うごきをしたようだ。
(私の名を知っている……?)
大治郎は、ふと、そんな気がした。
音もなく、浪人が浴槽から出た。
小柄で痩《や》せてはいるが、贅肉《ぜいにく》の一片もない、引きしまった体躯《たいく》が湯けむりをとおして見えた。
影のように……浪人が浴舎から出て行った。
大治郎は、わけもなく、ふといためいき[#「ためいき」に傍点]をもらした。
(どうも、私の名を知っていたようだが……私には、見おぼえがない)
しばらくして、大治郎が浴舎から出たとき、むろん、浪人の姿は何処《どこ》にも見えなかった。
二階の部屋へもどり、寝床に身を横たえたとき、となりの床で眠っているものとばかりおもっていた横川彦五郎が、
「夜ふけの湯浴《ゆあ》みは、よいものじゃ」
と、いってよこした。
「あ……お目をさまさせてしまいましたか。これは、申しわけないことを……」
「なあに。うらやましいとおもうてな」
「はあ?」
「小兵衛が、よ」
「父が?」
「さよう。おぬしのような子息をもった秋山小兵衛が、うらやましいということじゃ」
返事の仕様もなく、大治郎は目を閉じた。
そのうちに大治郎は眠りに入ったが、彦五郎老人は夜が明けるまで、凝《じっ》と、暗い天井を見つめたままであった。
四
翌朝。雨になっていた。
秋山大治郎は、田村屋へ泊ることにした。いや、雨が降らなくとも泊っていたろう。
昨夜。酒をくみかわしながら、横川|彦五郎《ひこごろう》老人が語ってくれた、若き日の父・小兵衛の挿話《そうわ》のいろいろ[#「いろいろ」に傍点]がまことにおもしろく、もっと、はなしをききたかった。
彦五郎老人は、小兵衛が若いおはる[#「おはる」に傍点]と夫婦同様の暮しをしているときいて、瞠目《どうもく》し、
「さてさて、人間とはわからぬものよなあ」
と、いった。
「辻平右衛門《つじへいえもん》先生のところにいたころの小兵衛は、酒ものまぬし、女にもかまわず、ひたすらに剣の道へ没頭し、傍目《わきめ》もふらなんだが……ふうむ、さようか。そのような若い女《の》といっしょに、な。いや、これは小兵衛なればこそかも知れぬ。もしやすると、いまの小兵衛に、おぬしの母ごを知り、今度は無我夢中で打ちこみ、ついに、わがものとしてしもうたころの純粋の気性が老いて尚《なお》、胸の底に残っているのかも知れぬ」
彦五郎が、まじめ[#「まじめ」に傍点]顔にそういったので、大治郎はおぼえず、ふき出してしまった。
老いてからの父は何事にも融通が、ききすぎて、自由自在の境地にある、といえばきこえ[#「きこえ」に傍点]がよいけれども、清と濁の境をこだわりもなく泳ぎまわり、大治郎から見ると、小兵衛自身がいう「古狸《ふるだぬき》」そのものにしかおもえぬこともある。
愛弟子《まなでし》の落合孫六に、金ずくの〔なれ合い試合〕をゆるした父のことを、彦五郎老人に語ったら、
(どのような顔をなされることか……)
であった。
それでいて、このごろの自分が、父の言動に何の違和感も抱かなくなったのは、
(いったい、どうしたことなのだろう?)
と、ふしぎでならぬ。
父と絶えず会い、語り、ともに暮しているようなものだから、理屈ではなく、父と子の感情の交流のうちに、父のすることなすことが、いつしか、
(私の腑《ふ》に落ちてくるようになってしまったのだろうか……?)
そうおもうよりほかに、これは仕方がないことだ。
「これ、大治郎どの。どうなすった?」
「あ、これは……」
彦五郎老人は、小兵衛のことや、亡師・辻平右衛門については、おもい出すままに語ってくれたが、自分の身の上については、ほとんど口にのぼせなかった。
病気のことについても、
「なに、年齢《とし》を老《と》っただけのことよ」
そういったのみだ。
だが、顔にも体にも腫《むく》みがきているし、酒をのむのも、たのしそうでいて、しかも苦しそうなのである。大治郎は夕飯のときの酒を女中に断わったが、彦五郎はむり[#「むり」に傍点]を通し、酒を運ばせ、自分ものんだ。それを見ていて大治郎は、酒をひかえたらいかがです、ともいわなかった。
それは江戸を発《た》つとき、小兵衛から、
「彦五郎には、どのようなことでも逆らってはならぬ。もし、見舞いの金を受け取らなんだら、強《し》いて置いてこなくともよい」
とまで、いわれていたからだ。
しかし、横川彦五郎は見舞金十五両を素直に受けてくれたのである。
寝床へ入ってから、
(明日も泊って、横川さんの、はなしをききたい)
と、おもう一方で、
(そうなると、また、酒になる。いずれにしろ、横川さんの体に、酒がよくないことは知れている。やはり、明日は帰ろう)
とも、おもう。
妙に、ねむれない。
夜半に至って、大治郎は(やはり、帰ろう)と、こころを決め、また、昨夜のように浴舎へ下りて行った。
横川彦五郎の寝息は深く、今夜は自分の出入りに目ざめることもあるまい、と、おもわれた。
浴舎へ入ったとたんに、大治郎は昨夜の浪人のことをおもい出した。
(また、来ているかな……?)
湯けむりの中には、だれもいなかった。
塔の沢の田村屋与吉方は、総二階の、かなり大きな宿であるし、夏のさかりのことで滞在客も多い。それに今日は終日の雨で、大治郎は彦五郎と共に部屋へこもりきりであった。
だから、宿の廊下で、あの浪人を見かけることもなかったし、また、大治郎もいままでは浪人のことが念頭になかったのだ。
じゅうぶんに温泉をたのしんでから、大治郎は浴舎を出た。
雨音が、強くなっている。
江戸では夏のさかりで、夜も寝苦しい暑さがつづいているのに、箱根の山中の夜は、まるで秋の最中《さなか》のように冷え冷えとしていた。
石段をのぼり、廊下へ出ようとした秋山大治郎が、はっ[#「はっ」に傍点]と身を屈《かが》めた。
すぐ向うの廊下を左へ曲って行った男を見たからだ。廊下の掛行燈《かけあんどん》の淡い灯影《ほかげ》が、あの浪人[#「あの浪人」に傍点]であることを大治郎に確認させた。
浪人は大刀を左手に持っていた。
(この夜半に、おだやかでない……)
そう、おもわざるを得ない。
廊下を左へ曲ると、これが渡り廊下となって奥庭へ下り、上客のために用意された別棟《べつむね》に通じている。この別棟には専用の浴舎がもうけられていた。
そこへ、浪人は向っている。
そもそも、別棟へ泊るようにはおもえぬし、この真夜中に刀をひっさげて廊下をさまよっているのは、まさに異常である。
だから、大治郎も見すごしてしまうわけにゆかなかった。
身には短刀一つ持っていなかったが、音もなく、大治郎は廊下を曲って行った。
五
夏のことだし、現代とはちがって約二百年も前のそのころ[#「そのころ」に傍点]は、こうした山間の湯の町で、犯罪事件が起るようなことはめったにない。
だから、母屋《おもや》の廊下から、板屋根がついただけの渡り廊下へかかる境目にも、別に戸締りのようなものはない。
渡り廊下は、わずかに傾斜しつつ折れ曲り、奥庭の別棟へ通じている。
闇《やみ》が白く見えた。雨がふりけむっているからだ。
しずかに、まったく足音をたてず、呼吸をつめた秋山大治郎が、渡り廊下の曲り角へ来て、はっ[#「はっ」に傍点]と立ちどまった。
(こっちを見ている……)
あの浪人が、である。
おもいきって大治郎は渡り廊下を曲った。
果して……。
およそ五間の向うに、浪人が佇《たたず》み、こちらを見ている。
その向うに、別棟の入口が見えた。
大治郎も無言。浪人も無言。
入生田《いりゅうだ》の街道のときと、同じような睨《にら》み合いとなった。
どれほどの間、二人は五間の距離をおいて睨み合ったろう。
と……。
浪人が、左手の大刀を持ち直し、右手をそろり[#「そろり」に傍点]とうごかした。
大治郎は彫像のように、微動もせぬ。
浪人の口から、舌打ちの音がもれた。
そして浪人は肩を落し、うごかしかけた右手をふところへ入れ、ゆっくりと、こちらへもどって来た。
二人は、すれちがった。
大治郎はくび[#「くび」に傍点]を曲げ、幅一間の渡り廊下をすれちがって行く浪人の横顔を見た。横顔を見たのは、このときがはじめてである。その横顔を(どこかで見たような……?)と、大治郎はおもった。
浪人が渡り廊下を遠ざかり、母屋の廊下の闇に消えた。
しばらく、そこに立ちつくしていてから、大治郎は母屋二階の部屋へもどった。
横川|彦五郎《ひこごろう》の寝息に、乱れはなかった。
寝床に横たわったとき、秋山大治郎は、全身が汗にぬれているのを知った。
そして、おもいもかけぬ疲労が、襲いかかってきた。
眠りにさそいこまれつつ、
(あの浪人、今夜は、もう、何もしまい……)
と、大治郎はおもった。
翌朝。
朝餉《あさげ》の前に、大治郎は浴舎へ行った。
横川彦五郎は、朝の起きぬけには温泉に入らぬ。午後、それこそ一刻《いっとき》(二時間)もかけて、ゆっくりと湯につかるのであった。
浴舎から出て廊下へかかると、向うから、もう顔なじみになった若い女中が膳《ぜん》を運んで来るのに出合った。
「向うの別棟は、風雅な、よい造りだ。だれが泊っているのだね?」
にこやかに問いかけると、女中が、
「はあい。いまは、江戸の、桔梗屋徳右衛門《ききょうやとくえもん》さまが、お泊りでございます」
「ほほう……」
「江戸でも、よく知られている、菓子屋さんでござります。むかしから、毎年、御夫婦で湯治においでになります」
女中が一気にしゃべった。大治郎の人柄《ひとがら》を見て、好感を抱いているらしい。
「さようか。うらやましい御身分だな」
「はあい。明日の朝、江戸へお帰りになります」
「ほう、さようか」
「横川先生は、お目ざめでござりますか?」
「ああ、お目ざめだよ」
「それでは、お膳を、すぐに、お持ちいたします」
「ああ、たのみます」
部屋へもどると、横川彦五郎が朝の茶を梅干しでのみながら、
「よい天気じゃ」
と、いった。
昨夜の雨が、すっかりあがっている。
雨のあとの、山肌《やまはだ》の青葉がみずみずしく、さわやかな朝空が窓の向うに、くっきりと見えた。
「横川先生……」
「はい、よ」
「今夜一晩、泊めていただいて、よろしゅうございましょうか?」
「泊って下さるか?」
彦五郎は大よろこびであった。今日は雨があがったので、大治郎が江戸へ帰るとおもっていたらしい。
「よし、それなら明日、わしも小田原まで、御一緒しよう」
「いや、それは……」
「なに、ちょいと帰らねばならぬ用事もあってな。すぐに、また、こっちへもどります。安心して下され」
「はあ。それならば……」
大治郎は朝餉がすむと、宿の帳場へ行き、横川彦五郎のために、山|駕籠《かご》を予約した。
「いつ発《た》つか、時刻はわからぬが……六ツまでには駕籠に来ていてもらいたい。待たせるかも知れないが、酒手はじゅうぶんに出す」
と、大治郎はいった。
午後になって、彦五郎老人が温泉へつかりに行ったとき、例の若い女中が、茶と饅頭《まんじゅう》を持ってあらわれたので、さり気なく大治郎は、はなしをもちかけ、別棟に半月ほど滞在をしている桔梗屋徳右衛門夫婦が、明朝、江戸へ帰ることを確認した。
「私も江戸へ帰るのだが、何か、よい土産物はないかな?」
「どなたに、あげるのでござります?」
「私の、母に……」
「それなら、箱根細工がいいのではござりませんか?」
箱根細工は、古くから、箱根の湯本に伝わった木工品で、鎌倉《かまくら》時代には細ぼそと日用品を作っていた程度だが、江戸時代に入って、箱根越えの東海道がひらかれ、旅人や湯治客のための土産品として、名を知られるようになった。この細工は、箱根山中のいろいろな木の、自然の色彩を生かし、挽《ひ》き物《もの》と指し物の細工にして、盆や椀《わん》、文箱《ふばこ》や小箱、裁縫箱などがつくられている。
大治郎は、寄せ木細工の裁縫箱を買いととのえてもらうことにし、
「すまぬが、綿でくるみ、その上から、大きな風呂敷《ふろしき》で包み、肩へかけるようにしてくれ。たのみましたよ」
と、くれぐれも女中にたのみ、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、さり気なく、あの浪人[#「あの浪人」に傍点]のことを尋《き》いてみると、若い女中は、
「あ……それは、階下《した》の奥の小部屋に泊っていなすった気味のわるいおさむらいさんですね?」
「そうだろうとおもう。私も、夜中に廊下で出合って、うす気味がわるかった……」
「あの、おさむらいさんなら、今朝、発って行きました」
「なに、発った?」
「はあい」
「そうか……」
この夜。大治郎は、二度ほど浴舎へ通った。
入湯の時間が二度とも、ずいぶん長かったけれども、横川彦五郎は何もいわなかった。
六
朝になった。
快晴である。
別棟に滞在していた桔梗屋徳右衛門《ききょうやとくえもん》・よね[#「よね」に傍点]の夫婦は、手代《てだい》の三次郎をつれ、六ツ半ごろに塔の沢を発《た》った。
間もなく、横川|彦五郎《ひこごろう》を乗せた山|駕籠《かご》と、これにつきそう秋山大治郎が、宿の人びとに見送られて出発した。
大治郎は、箱根細工の裁縫箱を風呂敷《ふろしき》に包み、これをななめ[#「ななめ」に傍点]に背負っている。
湯本へ向う山道を行く桔梗屋の三人が、彼方《かなた》に見えた。
「大治郎さん……」
山駕籠の中から彦五郎老人が、
「何やら、前が気になるようじゃな」
「そう見えましょうか」
「ああ、見える」
「恐れ入りました」
「あの、前を行く人たちは、田村屋に泊っていた……?」
「さようです」
「何で、気になる?」
「さて……くわしいことは、何一つ、私にもわからぬのです」
「ほほう……」
「御老人。すこし、先へ行かせていただきます」
「ああ、かまわぬ」
病後だけに、彦五郎の山駕籠を急がせるわけにはゆかぬ。
桔梗屋の夫婦は五十前後と見えたが、足取りが早く、たちまちに遠ざかって行く。供の手代は大きな体つきの若者で、主人夫婦の荷物を軽がると背負い、見るからに元気がよい。
塔の沢から湯本までは、わずかな道のりだが、この時刻に、この道を行く旅人は塔の沢を出たもののみといってよかった。湯本へかかれば、湯本からの旅人も出て来ようし、また半刻《はんとき》も時がたてば山道を行き来する人の姿も増えるにちがいない。
曲りくねってながれる早川には、いくつもの橋が架っている。
欄干もない板の橋で、その橋板の幅も、辛うじて人ふたりがすれちがうことのできる程度のものだ。
塔の沢の入口に一つ。しばらく行ってから二つ。そして四つ目の橋をわたると、湯本の町が見えてくる。
その三つ目の橋へ、桔梗屋の一行がわたりかけた。
秋山大治郎は塔の峰の山裾《やますそ》を曲りかけていて、一瞬、桔梗屋の一行が視界に入らなかった。山裾を曲れば、すぐ橋である。
「ぎゃあっ……」
すさまじい悲鳴をきいて、
(しまった……)
大治郎が山裾を曲り、刀の鯉口《こいぐち》を切った。
橋の上から早川へ落ちこむ人影が二つ、見えた。一人は桔梗屋の手代。一人は桔梗屋の女房《にょうぼう》の山駕籠を担《かつ》いでいた駕籠|舁《か》きであった。
あの浪人者が、橋の下の河原にひそみ隠れていて、突如、襲いかかったのだ。
「あれえ……」
橋板に腰が落ちた山駕籠の中から、桔梗屋の妻のよねが転げ出たのへ、浪人が振りかぶった大刀を打ちおろさんとした。
このとき大治郎は、橋まで約五間のところまで駆け寄っていたが、
(間に合わぬ……)
と、見て、脇差《わきざし》の小柄《こづか》を引きぬき浪人へ投げつけた。
小柄は、もとより手裏剣《しゅりけん》ではない。刀のアクセサリーでもあるし、髪の毛をなでつけたり紙などを切ったり、いえば小さなナイフのごときものであるが、さすがに秋山大治郎が投げ撃った小柄だ。
小柄は、浪人の肘《ひじ》の皮肉《ひにく》を切り裂いて尚《なお》も疾《はし》り、早川のながれへ落ちた。
振り向いた浪人の顔が、
(まさか、ここまで……)
というような表情になった。
それも一瞬のことだ。
白い歯をむき出し、物凄《ものすご》い形相《ぎょうそう》となった浪人は、まだ刀も抜かずに橋へかかった大治郎の真向《まっこう》へ、
「たあっ!!」
必殺の一刀を打ち込んだ。
大治郎の体が、その一瞬間にぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止った。間合いをはかって止ったのである。それだけの余裕があった。つまり、山裾を折れ曲って橋へ走り寄る間に生じた余裕である。
それに反し、浪人は驚愕《きょうがく》と昂奮《こうふん》とで、剣客としての冷静さをうしなっていたといえよう。
停止した大治郎の鼻先三寸のところを浪人の鋭い刃風が掠《かす》めた。
「うぬ!!」
さらに踏みこんで、浪人は大治郎の胴を打ち払ったが、このときは、すでに腰を落していた大治郎が一間も飛び退《の》き、
「鋭《えい》!!」
脇差を抜きはらいざま、なんと、これを浪人の体へ投げつけたものである。
「う……」
おもわぬ反撃であった。
浪人は大治郎が大刀を抜き合せるものと感じていたろう。それなのに脇差が朝の大気を切って胸もとへ飛んで来た。
浪人は胸を反らせ、大刀の鎬《しのぎ》で脇差をみごと[#「みごと」に傍点]に叩《たた》き落した。
なるほど、大治郎が投げた脇差を叩き落したわざ[#「わざ」に傍点]は見事であったが、その、叩き落すという動作をしたがために、浪人は大治郎の一刀をふせぐことができなかった。
脇差を投げつけるのと同時に、大治郎は猛然と踏み込み、電光のごとく抜き打ったのである。
「うわ……」
ざっくりと胸もとを切り割られた浪人が片ひざを落し、大刀を小脇にまわしざま、下から大治郎をすくい[#「すくい」に傍点]斬《ぎ》りに切りはらおうとしたが、間に合わなかった。
ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]……と、大治郎の剣が浪人の頸動脈《けいどうみゃく》を切断し、浪人の体がぐらり[#「ぐらり」に傍点]とかたむいた。
桔梗屋夫婦は駕籠舁き三人と共に、橋の上で腰をぬかしたようになり、ひとかたまりになって烈《はげ》しくふるえていた。
浪人に斬殺《ざんさつ》されて川へ落ちた駕籠舁きと手代の死体が血の泡《あわ》と共に、ゆっくりと川面《かわも》を押しながされている。
そこへ……。
横川彦五郎を乗せた山駕籠があらわれたのだ。
浪人は、せまい橋板の上へ、仰向《あおむ》けに倒れていた。
大治郎が近寄って身を屈《かが》め、
「なんで、このようなまね[#「まね」に傍点]をしたのだ?」
問うと、浪人は、何やらさびしげな笑いを口辺に浮べ、
「金で、たのまれたことよ」
かすれ声でこたえるや、がっくりと息絶えてしまった。
気がつくと、駕籠を下りた横川彦五郎が大治郎のうしろまで来ていた。
「あ……横川先生……」
彦五郎老人の顔は、蒼白《そうはく》となっていた。
「先生。どうなされました?」
「いや、なに……」
「先生……」
「こやつ……」
あご[#「あご」に傍点]で、死に倒れている浪人をしゃくって見せながら、
「わしの、せがれよ、こやつは……」
つぶやくように、いったのである。
七
この事件は、小田原藩の手に移り、秋山大治郎も十日ほど、小田原へ滞在した。
大治郎の急報により、小兵衛はこのこと[#「このこと」に傍点]をすぐさま老中《ろうじゅう》・田沼意次《たぬまおきつぐ》へ告げ、意次は侍臣・今井一平を小田原へさし向けた。
小兵衛も、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》を小田原へ急行せしめた。
なんといっても秋山大治郎は、いまをときめく老中・田沼|主殿頭《とのものかみ》意次の屋敷へ剣術指南として出入りをしているだけに、調べは簡単に終ったのだが、尚《なお》も小田原へとどまっていたのは、横川|彦五郎《ひこごろう》の病状が、
「にわかに、あらたまった……」
ためである。
桔梗屋徳右衛門《ききょうやとくえもん》夫婦には、四谷の弥七と傘屋《かさや》の徳次郎がつきそい、無事に江戸へ帰り着いた。
弥七は旅仕度を解く間もなく、小兵衛のもとへ駆けつけた。
その前日に、秋山小兵衛とおはる[#「おはる」に傍点]は、橋場《はしば》の不二楼《ふじろう》の離れから新築成った鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ移っていた。
木の香が鮮烈に匂《にお》う新居をながめて、四谷の弥七は、
「以前のまんまの間取りでございますねえ」
と、いった。
「そうとも、こまかいところは少々、変っているがな。いや、弥七。御苦労だった。先《ま》ず、湯を浴びて旅の垢《あか》を落して来てくれ。それから、ゆっくりとはなしをきこうではないか」
小兵衛は遠慮する弥七に湯浴《ゆあ》みをさせ、さっぱりとした単衣《ひとえ》に着替えた弥七を夕暮れの縁先へさそった。
いうまでもなく、すぐに酒が運ばれてきた。
すでに小兵衛は、大治郎が弥七へわたした自分|宛《あて》の手紙を読み終えている。
「なあ、弥七……」
「はい?」
「横川彦五郎のせがれが、死にぎわにもらした……金ずくでたのまれた、という言葉じゃが……」
「さようでございますよ、先生」
横川彦蔵は、二十五年前に生れた。
彦五郎老人が、延清《のぶきよ》の実家に滞留していたとき、実家の下女に手をつけ、生ませた子だそうな。
当時の彦五郎は、もう剣術一すじであって、子が生れようが女ができようが、
「眼中にない」
といったわけで、下女も彦蔵も実家へあずけたまま、好き勝手に剣術をたのしんでいたらしい。
下女もあきらめたかして、強《し》いて彦五郎にまとわりついたりせず、延清の屋敷ではたらきつつ、彦蔵を育てていたが、彦蔵十歳の夏に病死した。
その後は、彦五郎の兄・忠右衛門が彦蔵を育ててくれた。
彦五郎は、その後、ただの一度も実家を訪れなかったし、したがって我が子の彦蔵の顔を見たこともなかった。
彦蔵は、この剣術気ちがい(実家では、彦五郎をそうよんでいた)の自分勝手な父親を激しく憎んでいたそうである。
しかし、血は争えぬもので、彦蔵は十三歳のとき、小田原城外の一色《いっしき》に道場を構えていた念流・大辻|辰馬《たつま》のもとへ入門し、
「いまに、おれが、この手で親父《おやじ》を打ち殪《たお》し、死んだ母の敵《かたき》をとってやる」
と、息まいた。
彦蔵は、父の血をひいたものか、剣術には天才的なものがあったらしい。
当時の小田原城下には四つほど、剣術の道場があり、十七、八歳のころの彦蔵は、これらの道場のみか、近辺の諸方へ足をのばし、腕だめしをやって自分を鍛えたらしい。
十九歳の夏。
彦蔵は名乗りをあげて、父・彦五郎の道場へあらわれ、勝負を挑《いど》んだ。彦五郎は冷然とこれを迎え、一打ちに彦蔵の肩を打ち据《す》えてしまった。
「そのとき、な……いまに見ておれ、いまに見ておれ、と、わしに向って叫びながら、道場を出て行ったあいつ[#「あいつ」に傍点]の顔を、いまも、忘れきれぬ」
と、横川彦五郎は、大治郎に語った。
二年後。
彦五郎の兄が病歿《びょうぼつ》すると同時に、実家も没落し、彦蔵は行方不明となった。
それから四年後。
彦五郎老人が我が子に再会したとき、我が子は旧友の息子の剣に殪れていたのである。
「では、彦五郎彦蔵の父子《おやこ》は、塔の沢の同じ宿へ泊り合せていたことを、たがいに知らなかったというわけか……」
小兵衛は、憮然《ぶぜん》となった。
だから、横川彦蔵は、
「金で、たのまれて……」
塔の沢の田村屋に滞在をしていた桔梗屋徳右衛門夫婦を、
「暗殺するために……」
箱根へあらわれたということになるのだ。
「それにしても……」
と、小兵衛が大治郎の手紙を「ま、読んでごらん」とでもいうように、弥七の前へ置き、
「横川彦蔵というやつ。剣は冴《さ》えていたようだが、どうも頭のはたらきがおかしいやつじゃ。人をひそかに殺そうというにしては、やり方が、まるで子供ではないか。それ、見ろよ、弥七。その手紙にも、大治郎が書いている。どう見ても狂人の眼《め》であった、とな」
「はい……」
「それで、その桔梗屋は、お前に何というていた?」
「他人《ひと》に殺されるおぼえ[#「おぼえ」に傍点]は、まったくないと申しておりましたが、私が、あまりに、しつっこくたずねるものですから、とうとう……」
「何といったえ?」
桔梗屋徳右衛門の店は、市《いち》ヶ谷《や》左内坂にあり、嵯峨饅頭《さがまんじゅう》という銘菓で知られている。小さな店だが格式もあり、尾張家《おわりけ》への出入りをさしゆるされているほどだが、妻のよね[#「よね」に傍点]の体が弱く、子宝《こだから》にめぐまれなかった。
それで、十八年前に、人の世話で、生れたばかりの女の子をもらいうけたのである。これが、いま、桔梗屋夫婦が溺愛《できあい》してやまぬ一人むすめ[#「一人むすめ」に傍点]のお初だ。
お初の両親《ふたおや》は、料理人の房吉《ふさきち》と、どこぞの料亭《りょうてい》の座敷女中をしていたおむら[#「おむら」に傍点]といい、当時は喧嘩《けんか》と博奕《ばくち》に身をもちくずしていた房吉に愛想《あいそ》をつかしたおむらが、生んだばかりの子が邪魔になり、これを桔梗屋へやった。
そのとき、桔梗屋徳右衛門は、おむらに金二十両をわたし、
「今後は、いっさい、むすめのことを忘れてくれるように……」
と、念を押した。
ところが、去年の春に十八年ぶりで、房吉・おむらの夫婦が、そっと徳右衛門をよび出し、
「お初を、返してもらいたい」
と、いったのだそうである。
いま、房吉夫婦は、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の鬼子母神《きしもじん》境内で〔上総屋《かずさや》〕という料理屋を経営しており、お初のあとには子がうまれず、よそながら、桔梗屋のまわりをうろついては、美しく成長したお初を見て、
「見るたびに、矢も楯《たて》もたまらなくなり……」
どんなことをしても、自分たちの手もとへ引きとりたいと、おもうにいたった。
冗談ではない。
お初は、いまも、桔梗屋徳右衛門夫婦を実の親と信じきっているのだ。
徳右衛門が、房吉夫婦の、数度にわたる執念ぶかいたのみ[#「たのみ」に傍点]をはねつけつづけてきたのは当然である。
「それが、梅雨のころでございました。いつものように、そっと呼び出しをかけられ、浮世小路《うきよこうじ》の春木屋という鰻《うなぎ》屋の二階座敷へ行きますと、上総屋房吉がおりまして、また、いつものように、しつっこく、お初を返せと申します。はい、むろん、きっぱりとことわりました。すると、房吉が白い眼をむき出し、帰りぎわに、私の袖《そで》をつかみ、こう申しました。こうなったら桔梗屋さん、こっちも、いのちがけで、お初を取り返しますよ、と……」
桔梗屋徳右衛門は、四谷の弥七へ、そう打ちあけ、
「例年のように、私ども夫婦が塔の沢へまいります間も、妙に不安で……ですから、お初は、そっと、親類のところへあずけてあるのでございます」
と、語ったそうだ。
「弥七。これからあとは、お前が、その、上総屋房吉を探ってみることだな。なんでも、このごろは江戸に、仕掛人《しかけにん》とかよばれて、金ずくで人を殺す連中が増えているそうな。もしやすると、横川彦蔵も、その一人だったのかも知れぬ」
「はい。こいつは、おもわねえところから、大きな悪い奴《やつ》が、引っかかるかも知れません」
「そうさ、そのことよ」
○
秋山大治郎が江戸へ着いた前夜に大雨が降った。
その所為《せい》か、雨あがりの江戸の町をながれる微風がひんやりとして、一日中、汗も出なかった。
「秋が、そこまで来ている……」
と、秋山小兵衛が夕暮れの縁先に立ってつぶやいたとき、旅姿の大治郎があらわれた。
「父上。ただいま、もどりました」
「御苦労だったのう」
「いいえ。なれど、とんだことに……」
「横川彦五郎のせがれを斬《き》った、とな」
「はい」
「彦五郎は、どうした?」
「亡《な》くなりました」
「そうか……」
横川彦五郎にとって、あの事件は非常な衝撃であったらしい。
我が子が死んだ、ということよりも、自分の無責任な所業が、あのように我が子を成長させ、おそらく、これまでに罪もない人の血を何人もおのれの刀身に吸わせていたにちがいない我が子のことを、おもうにつけ、
「わしの一生は、まことに、ひどい。ひどすぎる」
慚愧《ざんき》のおもいに、気も狂わんばかりとなり、小田原の道場へたどりつくや、高熱を発して、たちまち予断をゆるさぬ病状となった。
息を引きとるにあたり、横川彦五郎は、備前兼光《びぜんかねみつ》の大刀を大治郎へ、波平安国《なみのひらやすくに》の脇差《わきざし》を小兵衛へ、
「形見じゃ。受けて下され」
と、贈り、
「さても、さても……」
微笑をうかべ、
「大治郎さん。お前さんに、わたしたち父子の片《かた》をつけてもろうたことが、いまこのとき、無惨《むざん》に世を去るわしにとって、何よりのなぐさめじゃ。小兵衛によろしゅう、な……」
こういって、眼《まなこ》を閉じた。
旅の垢《あか》を落し、夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に向い合ったとき、秋山父子の沈痛なおもい[#「おもい」に傍点]も、ようやくにほぐれてきたようであった。
井戸水で冷やした豆腐や、おはる[#「おはる」に傍点]が庖丁《ほうちょう》をふるった鱸《すずき》の洗いが膳の上にならべられた。
「父上。木の香がよろしいですな」
「うむ、うむ……」
「あの、庭の白粉《おしろい》の花は……」
「この家が焼けたときも、あの草花は焼けなかったと見える」
「あ……忘れていました」
このとき、ようやくに、大治郎は箱根細工の裁縫箱をおもい出し、包みを解いて、おはるの前へさし出した。
「これは、母上へのおみやげです」
「あれ、まあ、いやだよう、母上なんて……」
おはるは、すっかり照れてしまったが、寄せ木細工の裁縫箱をしっかりと胸に抱きしめ、眼を細めて、
「うれしいよう、若先生……」
と、いった。
その声が、うるんでいた。
夫婦浪人
一
その日。
秋山|小兵衛《こへえ》は昼餉《ひるげ》をすませてから、前日に〔不二楼《ふじろう》〕へたのみ、届けてもらった柄樽《えだる》の酒を持ち、
「今日は帰りが遅くなるかも知れぬぞ。気をつけて、な」
と、おはる[#「おはる」に傍点]にいい置き、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出た。
新築成った隠宅へ引き移ってから、およそ半月ぶりの外出《そとで》であった。
本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》に住む町医者で、小兵衛が親しく交際をしている小川宗哲《おがわそうてつ》が、小兵衛の新築祝に、桜材の小机《こづくえ》を贈ってくれた。
今日は、その礼をかねて、久しぶりに宗哲老先生と碁を囲むつもりの小兵衛なのである。
小兵衛が宗哲宅を出たのは、五ツ半(午後九時)をすこしまわっていたろう。
昨日のうちに、小兵衛は息《そく》・大治郎《だいじろう》の道場にいる飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年を今日の留守番にたのんでおいたから、おはるの身を案ずることもなく、たっぷりと囲碁をたのしんできたのだ。
提灯《ちょうちん》を提げた小兵衛が、回向院《えこういん》の北側まで来て、つぶやいた。
「そうだ。久しぶりに……」
今夜の小兵衛と宗哲は、酒をのむ間も惜しみ、碁に熱中していたこともあって、それが帰途についたいま、なんとなく物足りない。そこで、あの〔鬼熊《おにくま》酒屋〕のことをおもい出したのであった。
(ちょうど、去年のいまごろだったな、熊五郎が死んだのは……)
前の鬼熊の亭主で、死病を押し隠しながら暴れまわっていた熊五郎|亡《な》き後、鬼熊酒屋は養子夫婦の文吉《ぶんきち》とおしん[#「おしん」に傍点]が切りまわし、客あしらいのよい夫婦だけに、土地《ところ》の評判もよいそうな。
養父・熊五郎が死ぬ前後に、
「秋山先生には、大変な厄介《やっかい》をかけた……」
というので、文吉夫婦は折にふれて、酒や魚をたずさえ、小兵衛を訪ねてくれる。
大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)に面した津軽|越中守《えっちゅうのかみ》・下屋敷の北面の三角地帯の突端にある居酒屋・鬼熊の前の草むらに、虫の声がきこえた。
「おや、まあ、先生……」
「よく、おいでになって下さいました」
文吉夫婦が、飛び立つように迎えてくれ、七坪の土間に設けられた十畳ほどの畳敷き入れこみにあがった小兵衛は、
「来よう来ようと、おもっていながら、ついつい、な……」
などと、いいわけをし、酒をたのんだ。
鬼熊の客は、土地の大名屋敷の中間《ちゅうげん》や、夜になると目が冴《さ》えて来る妙な連中が多い。混《こ》むのは、これからであったが、衝立《ついたて》障子の向うの、入れこみの隅に、浪人らしい二人づれが酒をのんでいた。
その二人づれの近くへすわりこみ、小兵衛は、
「おかよ[#「おかよ」に傍点]ちゃんに、何か、買ってあげておくれ」
と、おしんへ〔こころづけ〕をわたした。
夫婦の一人むすめで五つになるおかよは、もう二階の小部屋でねむっているのであろう。
文吉の庖丁《ほうちょう》で、鱸《すずき》の塩焼が出た。
客がまた二人、三人と入って来て、夫婦がいそがしくなった。小兵衛は、それをうれしげにながめつつ、手酌《てじゃく》でゆっくりとのみはじめた。
(おや……?)
と、おもったのは、それから間もなくのことだ。
小兵衛の耳へ、他の客の声がきこえたのである。
「そんな、ひどいこと、いわなくてもいい」
「うるさいな。もう、よせ」
「だって、ひどい……」
「いいかげんにしてくれ。お前とおれとは、もう十五年もいっしょにくっついているのだ。もう、飽き飽きした。たくさんだ」
「ひどい。あまりに、ひどい……」
こう書いてみると、どうしてもこれは、別ればなしでもめている男女の会話におもえる。
ところが、そうではないのだ。
小兵衛の先客だった中年の二人の浪人者が、衝立障子の向うで語り合っている声なのである。
声が低くなって聞えなくなるかとおもうと、また、二人の声が高まる。
入れこみの向うの端にいてのんでいる三人の客には、声がきこえても言葉はわかるまい。だが、衝立障子の近くにすわっている小兵衛の耳へは切れ切れに、二人の言葉が入ってきた。
「知らん、知らん。おりゃ、もう知らんぞ」
こういって、突如、浪人の一人が立ちあがった。
背丈が高く、髭《ひげ》のあとが青々と濃く、総髪のあたまも手入れがゆきとどき、小ざっぱりとした帷子《かたびら》の着ながしで、四十歳前後に見え、なかなかの男ぶり[#「男ぶり」に傍点]であった。
「勝手にせい」
捨台詞《すてぜりふ》を残し、この浪人は勘定もはらわず、さっさと出て行った。
衝立の向うで、うめくように、
「助九郎、ひどい……」
つぶやく声がきこえた。
小兵衛が板場の方を見やると、おしんが笑って、うなずいて見せた。浪人たちはなじみ[#「なじみ」に傍点]の客らしい。
ややあって……。
衝立障子の陰から、ひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人が立ちあがった。
ちらり[#「ちらり」に傍点]と横目に見たとたん、秋山小兵衛は、おもわず吹き出しそうになり、それを堪《こら》える苦しさにたまりかね、
「おい、手水《ちょうず》を……」
いいつつ、板場へ逃げこんだものである。
ずんぐり[#「ずんぐり」に傍点]として、これは、うす汚れた単衣《ひとえ》を身にまとい、髷《まげ》もむさ[#「むさ」に傍点]苦しげな〔ひどいの浪人〕は、先へ出て行ったの[#「の」に傍点]よりも三つ四つは老《ふ》けて見えた。くびすじ[#「くびすじ」に傍点]や顔に、いくつもの疣《いぼ》があるところから、鬼熊へ来る客たちが、
「疣蛙《いぼがえる》」
などと、ひそかに、異名をたてまつっている。
「ここへ置くよ」
疣蛙浪人は、きちんと勘定を置き、おしんに細い声をかけ、大小の刀を腰にして、しょんぼりと外へ出て行った。
「何者だえ、あの二人……?」
小兵衛の問いに、文吉が、こうこたえた。
「お侍にも、ああしたお人がいるのでございますねえ。つまり、はい……後から出て行ったのが女房役《にょうぼうやく》。先へ出て行ったのが亭主《ていしゅ》気取りで、いっしょに暮しているのでございますよ。なんでも、荒井町の外れに、この春ごろから住みついているらしいので……はい、はい。女房役の浪人さんが、そりゃもう、よく働き、御亭主のほうの面倒を見たり、酒をのませたりしているのでございます。自分は、どんなに汚ない姿《なり》をしていても、御亭主のほうへは、ごらんのとおりのさっぱりとした姿をさせているので。私は、まことに感心しているのでございますよ、先生。はい、もう、ほんとうの女でも、ああは、まいりません。
それがこのごろ、此処《ここ》へ来ても、何やら、口あらそいが多くなりまして……いつも、客が立て混まぬときに来て、向うの衝立の陰で、別れるとか別れないとか……ええと、三日ほど前のことでしたが、おしんが酒を持って行ったとき、敵討《かたきう》ちがどうしたとか、こうしたとか、二人でいい合っていたそうでございますよ」
義父の熊五郎が死んでから文吉は、よく、しゃべるようになった。
二
翌朝。
飯田粂太郎が、大治郎の道場へ帰ってのちに、秋山小兵衛が、おもい出し笑いをしながら、昨夜の浪人ふたりのことを、おはる[#「おはる」に傍点]へ語ってきかせた。
「まあ、いやだ。うす気味がわるいよう、先生」
「だが、おもしろいじゃないか」
「男どうしで、そんなの、変ですよう。いったい、どんな暮しをしているのですかねえ」
「男どうしが、そうして、むすばれると、男と女よりも絆《きずな》が強いそうな」
「むすばれるって、どんなに?」
「そりゃ、わしも知らぬさ。むすばれたこともないし、むすぼうともおもわないからな」
「あたり前ですよう」
いわゆる〔男色《なんしょく》〕の道というのは、一つや二つの形ではなく、多種多様なものだと、小兵衛は以前に、きいたことがあった。
ことに、武士同士が愛情によってむすばれるとき、たがいの肉体を愛撫《あいぶ》し合う場合もあれば、ただ、手と手をにぎり合い、凝《じっ》と眼《め》を見合うだけで満足する場合もあって、このほうが前者よりも、むしろ男の愛が強く、深いのだとか……。
(昨夜の二人は、どちらなのだろう?)
どうも、あの二人は、
(手と手をにぎり合っただけでは、すまぬようにもおもえたが……)
である。
二人とも中年の浪人だが、亭主役のほうが、なかなかの男ぶりなのはよいとしても、
(女房役のほうは、いただけなかったな。あれ[#「あれ」に傍点]を抱[#「抱」に傍点]いたりなぞするのか、どうか……これはまったく、気味がわるい。人間という生きものには、実に、わからぬことが多いな。あの二人は、いったい、いつごろから、あのような暮しをしているのだろうか?)
そんなことをおもいおもいしているうち、縁側に出ていた小兵衛は、いつの間にか其処《そこ》へ寝そべり、うとうと[#「うとうと」に傍点]と、まどろみはじめた。
日射《ひざ》しは強く、明るい。外を歩いていると、まだ汗ばむほどであったが、大川の川面《かわも》を吹きぬけてくる風は、まぎれもなく秋のものであった。
「先生……先生よう……」
おはるに、ゆり起され、
「う……どうした?」
半身を起した小兵衛の前に、秋山大治郎が立っていた。
「お……来ていたのか……」
「おやすみのところを……」
「いや、なに……」
ふと見やると、大治郎のうしろに、一人の若い侍が立っている。二十二、三歳に見えた。小柄《こがら》だが肉づきのよい体つきだ。目もとが涼しげで、ふとい鼻の先が、わずかに上を向いてい、色白のふっくら[#「ふっくら」に傍点]とした、愛嬌《あいきょう》のある顔貌《がんぼう》をしている。
「父上。このお人は、もと、永井|日向守《ひゅうがのかみ》様|御家中《ごかちゅう》にて、高野《たかの》十太郎殿と申されます」
「ほう……」
永井日向守は、摂津《せっつ》・高槻《たかつき》三万六千石の領主である。
以前、永井家に奉公をしていたのなら、現在は浪人ということになる。
すると、大治郎が、
「父上。十太郎殿は、父君《ふくん》の敵を討たねばならぬ身です」
と、いった。
「さようか……」
若い侍が、すすみ出て、
「高野十太郎でございます。年少のころ、大坂の柳|嘉右衛門《かえもん》先生のもとで修行をいたしておりましたとき、秋山先生に、御教えをいただきました」
ていねいに、あいさつをした。
「それは、それは……ま、おあがりなさい」
小兵衛は、二人を座敷に通した。
秋山大治郎が剣術の修行のため、諸国をまわっていたころ、大坂|天満《てんま》に一刀流の道場を構える柳嘉右衛門のもとに滞在したことは、すでにのべておいた。
その折に、柳道場の門人だった十太郎と知り合ったわけだ。
なるほど、京都と大坂の中程にある摂津・高槻の城下から大坂市中までは六里弱の近距離で、高野十太郎が月のうち十日ほどは道場へ泊りこみ、剣術の修行にはげんでいたこともうなずける。
十太郎は、今年の春ごろに江戸へ来たのだという。
しかし、秋山大治郎が江戸へ帰っているなどとは、すこしも知らなかった。
ところが先般、恩師・柳嘉右衛門へ、江戸に暮していることを告げた手紙を十太郎が出したところ、
「秋山大治郎殿が、これこれ[#「これこれ」に傍点]のところに道場を構えているゆえ、一度、訪ねたがよい」
と、柳先生から返事が来た。
そこで、さっそくに、十太郎が大治郎の道場を訪問したのであった。
「それで、いま、どこにお住まいじゃ?」
「はい。本所の荒井町の、北巌寺《ほくがんじ》という寺の和尚《おしょう》さまが、亡《な》き母の遠縁にあたりまして、そこに暮しております」
「それでは、われらの近くではないか」
「はい」
うれしげに、高野十太郎はうなずいた。
十太郎は一刻《いっとき》(二時間)ほど、小兵衛の隠宅にいて、それから一人で帰って行った。
十太郎の敵討《かたきう》ちの事情も、小兵衛は、およそ聞いた。
十太郎が帰ったのちに、小兵衛は、おはるに酒を命じ、
「それで、大治郎。高野十太郎に、敵討ちの助太刀でもたのまれたのかえ?」
問うや、大治郎がかぶり[#「かぶり」に傍点]を振り、
「いえ。いまの高野十太郎には、何やら、こころ強い助太刀がついているようです」
「ほう」
「北巌寺の近くに住む浪人だそうで、稲田助九郎殿というお人が、ぜひにも十太郎の助太刀を、と、意気込んでいるようですよ」
「それは、それは……」
いいさして、秋山小兵衛の笑顔が急に、変った。
「父上。どうなされました?」
「それが、さ……」
昨夜の鬼熊《おにくま》で見た二人の浪人のうち、女房役のほうが、
「助九郎、ひどい……」
と、つぶやいた声を、小兵衛は、いま、おもい出したのである。
しかも、鬼熊の亭主・文吉《ぶんきち》によれば、
(あの二人の浪人は、荒井町の外れに住んでいるそうな……)
それも、ついでに、小兵衛はおもい出したのであった。
三
高野十太郎の父・市兵衛《いちべえ》は、永井|日向守《ひゅうがのかみ》につかえ、俸禄《ほうろく》は七十石。目付役《めつけやく》をつとめていたそうだ。
この役目は、家中の風紀を監察し、藩の政治にも絶えず目を光らせていなくてはならぬ。永井家では八名の目付役を置いていて、高野市兵衛は、その中の一人ということだ。
去年の二月。
永井家の御|賄《まかない》支配という役目についている村尾源蔵というものに、不正があった。
村尾は、中年の藩士で、三十石三人|扶持《ぶち》の、いわば下級の士だが、役目柄、城下の商人たちとも交際が深く、彼らから多少の賄賂《わいろ》を受けていたことは、高野市兵衛も黙認していた。
これほどの賄賂を、いちいち咎《とが》めだてしていたら、当節は、
「もう、切り[#「切り」に傍点]がない」
からである。
そのうちに、藩の公金のことで、村尾源蔵が不正をおこなった。
これは、捨てておけない。
そこで、高野市兵衛は、村尾を城外れの雑木林へさそい出し、きびしく叱責《しっせき》したのち、
「自首をいたせ。さすれば、上《かみ》にも御慈悲があろう」
と、すすめた。
それから、どのようなやりとり[#「やりとり」に傍点]があったものか、それは目撃者がいなかったので、よくわからぬ。
だが、市兵衛の同役で、奥田小左衛門は、村尾の不正を摘発しようとしたとき、
「いや。拙者《せっしゃ》が先《ま》ず、自首をすすめてみる」
と、高野市兵衛にいわれ、これを了承している。
それで、およその事情が知れたのであった。
村尾源蔵は、市兵衛を斬殺《ざんさつ》し、その場から逃走した。市兵衛は左のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]から胸もとへかけて深ぶかと、一刀のもとに斬《き》りつけられ、即死したらしい。
村尾は年少のころから、一刀流をまなび、相当の腕前だ。
「村尾源蔵の妻女の実家というのが、大坂の道修町《どしょうまち》にある河内屋《かわちや》可兵衛という薬種問屋で、村尾は、ここから金をもらい、何処かへ逐電《ちくでん》したらしいのです」
と、秋山大治郎は小兵衛に語った。
なんといっても、これは、つまらぬ喧嘩沙汰《けんかざた》から起った敵討《かたきう》ちではない。
村尾源蔵は、高槻藩にとっても、公金横領の、
「罪人」
なのである。
ゆえに、永井家でも、高野十太郎の敵討ちには、大いに、
「ちから[#「ちから」に傍点]を入れている……」
らしいのだ。
十太郎が江戸へ滞留し、敵の村尾源蔵を探しつづけているのは、村尾の姿を江戸で見かけたという情報を得たからであった。
この情報を提供してくれたのは、江戸へ所用があって出て来た高槻城下の町医者・高松|幸庵《こうあん》という老人である。
幸庵は、村尾源蔵の姿を、上野山下の雑踏の中で見かけ、後をつけようとしたが、見うしなってしまった。
幸庵は、亡《な》き高野市兵衛と昵懇《じっこん》の間柄だったという。
「そりゃな、敵討ちなどというものは、まったく、運だよ。ひょい[#「ひょい」に傍点]と見つかることもあれば、十年、二十年もかかって、まだ、敵にめぐり合えず、旅から旅をまわっている人もいるし、な」
秋山小兵衛は、ためいき[#「ためいき」に傍点]をもらしてから、大治郎に、
「それで、お前は、あの高野十太郎の助太刀でもしてやるつもりなのかえ?」
「いいえ、十太郎殿にたのまれれば、また考えてもみましょうが……」
「そうか。では、大坂の柳道場にいたころのお前を懐《なつ》かしみ、それで訪ねて来たにすぎぬ、と、申すのだな」
「そのとおりです。十太郎殿も、かなり遣《つか》いますし、その助太刀を買って出た稲田助九郎という浪人を、十太郎殿は、深くたのみ[#「たのみ」に傍点]にしているらしく見うけられました」
「ほう。深く、たのみ[#「たのみ」に傍点]にな……」
「さようで」
「十太郎は、その稲田という浪人と、江戸へ来てから知り合《お》うたのか?」
「そのようです」
「なるほど……」
「父上。何か……?」
「いや、別に、何でもない」
「そうでしょうか。何やら父上は御存知のようですが……」
「ちょいと、な……」
「はあ?」
「なれど、くわしくは知らぬ」
「何をで?」
「どちらでもよいことさ。いずれにしろ、このことは、わしたち父子《おやこ》が関知するところではないのだからな」
「はい」
「だが、ちょいと、おもしろい」
「何がです?」
「稲田助九郎という浪人がさ。うふ、ふふふ……」
四
翌朝早く、庭へ出て冷たい大気を存分に吸いこみつつ、深呼吸をしていた秋山小兵衛が、裏手から石井戸へ水を汲《く》みに出て来たおはる[#「おはる」に傍点]へ、
「朝飯をすませたら、ちょいと、出て来る。なあに、すぐに帰るよ」
と、いった。
庭の何処かで、
「リ、リリ、リリ……」
草雲雀《くさひばり》(蟋蟀《こおろぎ》科の虫)が鳴いている。
やがて、小兵衛は隠宅を出て、本所《ほんじょ》の荒井町へ向った。
(ばか[#「ばか」に傍点]なことよ……)
と、おもいはするのだが、退屈しのぎに、ぜひとも、あの二人の浪人の住居を見たくなったのである。
どうやら……。
高野十太郎に助太刀を買って出た稲田助九郎は、
(先夜、鬼熊《おにくま》で見かけた浪人のひとりにちがいない)
のである。
つまり、一足先に鬼熊を出て行った男ぶり[#「男ぶり」に傍点]のよいほうの浪人だ。なぜなら、後に残った女房役の浪人が「助九郎、ひどい……」と、つぶやいていたではないか。
二人は、いい争っていた。別ればなしを、していたらしい。
稲田助九郎がひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人を捨てようとしている。その助九郎が、いのちがけで、
(高野十太郎の助太刀を……)
買って出ている、というのは、いったい何を意味するのか……。
(おもしろい。ふむ、おもしろい……)
と、いうより秋山小兵衛、このごろは、とみ[#「とみ」に傍点]に老人の好奇心が募ってきて、そうした自分を、
(われながら、もてあます……)
ことさえあるのだ。
若いおはるを抱[#「抱」に傍点]いているだけでは、やはり退屈になってしまうし、それに、いかな小兵衛といえども、若者のように毎夜毎夜、おはると、
(睦《むつ》み合うわけにもまいらぬ……)
のであった。
(それにしても、大治郎のやつ、あの若さで、まったく女に興味《おもしろみ》がわかぬものか……それとも、わしに隠れて、うまいこと[#「うまいこと」に傍点]をしてのけているのか。どうも、わからぬ……?)
そんな、つまらぬことを考えつつ、いつしか小兵衛は、目ざす荒井町へやって来た。
ただしくは北本所・荒井町で、そこに、高野十太郎が寄宿している北巌寺《ほくがんじ》がある。おそらく、二人の浪人も、その近くに住んでいるのだろう。
このあたりは、元禄《げんろく》のころまで、まったくの田舎であった。湿地や沼が多く、あとは田畑と雑木林ばかりで、幕府が町屋をゆるしたのちも、あまり住みつく人もなかったというが、近年、ようやく町らしくなり、表通りにたちならぶ町屋は、
「見ちがえるようになった……」
そうである。
それでも、まだ、ところどころに朽ちかけた無人の百姓家が雑草に埋もれつくしていたりして、むかしの面影《おもかげ》が残っている。
北巌寺の裏門前に立った秋山小兵衛が、
(ははあ。この寺に高野十太郎がいるのか……)
塀《へい》について、左へ曲ろうとした。
前方に、源光寺という寺の裏塀が見える。
手前は空地で、その向うが木立になっていた。
(おや……?)
その木立の中からあらわれた二つの人影を見て、小兵衛は身を返し、北巌寺の土塀の陰から、彼方《かなた》をうかがった。
木立の中からあらわれたのは、まぎれもなく、高野十太郎だ。その十太郎の肩を抱かんばかりにしているのが、小兵衛にも見おぼえのある浪人・稲田助九郎であった。
助九郎は、十太郎のふっくら[#「ふっくら」に傍点]とした童顔をのぞきこむようにして、何かささやいた。
すると十太郎が、にっこりとうなずき、空地を横切り、北巌寺の墓地へ入って行った。
墓地へ姿が見えなくなる前に、十太郎は振り向き、助九郎へ手をあげて見せた。
これに対して稲田助九郎は、右手を、千切《ちぎ》れんばかりに振り、十太郎にこたえたのである。
そして尚《なお》、助九郎は其処《そこ》に立ちつくしたまま、凝《じっ》と、墓地の方を見つめている。すでに十太郎の姿が見えなくなったにもかかわらず、だ。
と……。
また、出て来た。
件《くだん》の〔ひどいの浪人〕である。
〔疣蛙《いぼがえる》〕の浪人である。
彼の名を、山岸|弥五七《やごしち》という。
稲田助九郎と同年の四十二歳であったが、五つ六つは老《ふ》けて見えた。
山岸弥五七は、木立の中から出て来て、助九郎をにらみつけた。
おそらく、木立の中に、古い百姓家でもあって、二人が住んでいるのであろう。
助九郎が振り返り、弥五七を見るや、さも、いまいましげに唾《つば》を吐いた。
弥五七が、よろめくように助九郎へ近寄り、袖《そで》をつかんだ。
助九郎が、袖を振りはらい、何か大声でいったが、すこし離れているので、言葉はよくきこえぬ。
弥五七が、うったえかけるように、何かいい返した。
そして、すがりつくように助九郎の袖を、また、つかんだ。
稲田助九郎が袖を振りはらいざま、山岸弥五七の頬《ほほ》を叩《たた》いた。
「ばか」
いうや、助九郎が足早に、北巌寺の墓地へ入って行った。
後に残された弥五七が、ずんぐりとした体をすくめるようにして、うなだれ、助九郎に打たれた自分の頬を手で押えていたが、ついには、其処へしゃがみこんでしまった。
(泣いているらしい……)
のである。
(なある……)
小兵衛は、あきれもしたし、感心もした。
(念者《ねんじゃ》とは、ああしたものなのか……)
さすがの小兵衛も、その実態を見たのは、これがはじめてであった。
念者――念友《ねんゆう》ともいう。つまり、男色関係の相手をさす言葉だ。
それから、ややしばらく、土塀の陰から山岸弥五七を見まもっていた小兵衛だが、いつまでたっても弥五七が、しゃがみこんだままうごかないので、
(ああ、もう面倒な……)
いささか、くたびれてしまい、隠宅へ帰って行った。
このときは、まだ、秋山小兵衛も、山岸弥五七の名を知っていたわけではない。
ひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人の名前を知ったのは、それから七日目の夜であった。
その日の午後に……。
亀沢町《かめざわちょう》の小川|宗哲《そうてつ》から使いの者が隠宅へ来て、
「ぜひとも、おこしねがいたいとのことで……」
と、いう。
宗哲先生、小兵衛と碁を囲みたくて、たまらなくなったらしい。
「およしなさいよう、先生……」
引きとめるおはるに、
「よし、よし。今夜、帰ったら、な……」
「帰ったら?」
「久しぶりで……」
「久しぶりに?」
「可愛《かわい》がってやろう。な、それならよいだろう」
「それなら、いいですよう」
ようやくに、おはるのゆるし[#「ゆるし」に傍点]が出たので、小兵衛はいそいそ[#「いそいそ」に傍点]と小川宗哲宅へ出かけて行った。
この日は、宗哲が招いただけあって、夕餉《ゆうげ》には、よい酒が出たし、いろいろと御馳走《ごちそう》も出た。
夜に入って、小兵衛は宗哲宅を辞した。
たっぷりと、のんでいただけに、小兵衛は酒が恋しいとはおもわなかったけれども、
(もしやすると、あの二人の浪人たちに会えるやも知れぬ)
おもいつくと、たまらなくなってきて、小兵衛は居酒屋・鬼熊へ立ち寄ることにした。
鬼熊は、たて混《こ》んでいたが、小兵衛ひとりがすわりこむ余地はあった。
そして、居た。
ひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人が居た。
しかも独りで……。
しかも、小兵衛のすぐとなりにすわっていて、さびしそうに手酌《てじゃく》でのんでいた。
板場からくび[#「くび」に傍点]を出し、小兵衛に目礼を送った亭主《ていしゅ》の文吉《ぶんきち》が、女房《にょうぼう》と顔を見合せ、くすり[#「くすり」に傍点]と笑った。
可笑《おか》しさをこらえながら、酒を運んで来たおしん[#「おしん」に傍点]にうなずいて見せ、小兵衛は手酌でのみはじめたが、やがて、
「ぶしつけながら、盃《さかずき》をおうけ下さらぬか」
と、ひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人へ声をかけた。
「は……?」
顔をあげた浪人へ、
「私は、秋山小兵衛と申します」
微笑《ほほえ》みかけて、小兵衛が名乗ると、浪人はかたち[#「かたち」に傍点]を正し、
「拙者《せっしゃ》は、加賀・金沢の浪人にて、山岸弥五七と申します」
細い、やわらかい声音《こわね》で、はじめて名乗ったのである。
いかにも好々爺《こうこうや》といった感じの小兵衛に、弥五七も気をゆるしたかして、
「ちょうだいします」
素直に、小兵衛の盃をうけた。
五
この夜から、この年が暮れるまでの間に、秋山小兵衛は山岸|弥五七《やごしち》と、数度、会っている。
いつも鬼熊《おにくま》で出合うのだ。
小兵衛は、隠宅の所在を教えて、
「たま[#「たま」に傍点]には、あそびにおいでなさい」
と、さそったのだが、弥五七は決して、隠宅へ顔を見せなかった。
あれから、弥五七は、いつも独りである。
稲田助九郎は、ほとんど、北巌寺《ほくがんじ》の庫裡《くり》の離れに暮している高野十太郎のところへ入りびたり[#「入りびたり」に傍点]になってい、日中は十太郎と肩をならべ、編笠《あみがさ》に顔を隠し、江戸市中をまわり、十太郎の父の敵《かたき》・村尾源蔵の行方を探しているらしい。
江戸は、もちろん、高槻藩《たかつきはん》・永井|日向守《ひゅうがのかみ》の領国ではない。それゆえ、表向きにはならぬが、高槻藩でも人を出して、十太郎にちから[#「ちから」に傍点]を貸しているとのことだ。
秋も暮れようとするころ、十太郎が、一度、大治郎の道場を訪れ、
「かならずや、村尾は江戸にいると、私は確信しています」
意気|軒昂《けんこう》たるものがあったという。
ところで、山岸弥五七だが……。
秋山小兵衛が、いつであったか〔いたずらごころ〕を出して、
「実は山岸さん。わしも、むかし、若いころに、忘れがたい念友がおりましてな」
こういったのを聞いてから、俄然《がぜん》、弥五七は、小兵衛に気をゆるしはじめたようだ。
小兵衛の隠宅を訪問せぬのは、いまの小兵衛が女と……つまり、おはる[#「おはる」に傍点]と暮しているかららしい。
山岸弥五七にいわせると、
「女なぞ、まことにもって、汚《けが》らわしい生きものでござる」
なのだそうな。
ともあれ、独りで鬼熊へ来て、きょろきょろとあたりを見まわし、小兵衛の姿が無いと、
「秋山どのは、このごろ、お見えにならぬのかね?」
などと、文吉夫婦に尋ねるところを見ると、弥五七は小兵衛に、相当の好意を抱きはじめたらしい。
くわしい身性《みじょう》は語らなかったけれども、山岸弥五七は、
「稲田助九郎とは、大坂で知り合いましてな。さよう、こればかりは、この道[#「この道」に傍点]のことを知らぬ者にはわかりません。秋山さんなら、わかっていただけましょう。ですから、申しあげるのですが……十五年前の、あの日。大坂の天王寺門前で、助九郎と、はじめて出合ったのです。それまでは見ず知らずの二人の、眼《め》と眼が合ったとき、期せずして、たがいに相通ずるものが……」
語りつつ、弥五七の両眼が恍惚《こうこつ》と細められ、疣《いぼ》だらけの青ぐろく浮腫《むく》んだ顔に血がのぼってきて、厚い唇を舌の先でちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]となめるようにしながら、
「ね、秋山さん。おわかりでしょうな、そのときのありさまを。念友として、二人が共に暮すようになるまでには、三日もかかりませぬでした」
と、山岸弥五七がささやくように語りかけるのをきいて、小兵衛は、
(ほんとうかね……?)
どうにも、わからぬのだが、しかし、
「いかにも、いかにも……」
もっともらしく相槌《あいづち》を打ってやると、
「ね、おわかりでしょう。いや、あなたなら、わかって下さるはずです」
ささやきつつ、手をのばして、となりにすわっている小兵衛の腿《もも》のあたりや腰、腕などを、さわるかさわらぬか[#「さわるかさわらぬか」に傍点]のように、さわるのである。
そして、
「や……ご老人の割には、よう、肉がしまっておられますな。もっと、痩《や》せておられるのか、と、おもうていましたが……あ……この辺りなど、こりこり[#「こりこり」に傍点]した肉置《ししお》きで……」
などという。さすがの小兵衛が、どうにもうす[#「うす」に傍点]気味がわるくなって来て、しばらくは鬼熊へ行くのを遠ざかったほどだ。
「ま、おもえばあわれ[#「あわれ」に傍点]なものさ。両刀をたばさむ身で奉公もならず、四十をこえて尚《なお》、男が男を慕ってやまぬ。山岸弥五七は、十五年もの間、稲田助九郎の衣食住を、おのれの手ひとつに賄《まかな》ってきたのに、いま、急に、助九郎が高野十太郎という新しい女房を得て、弥五七から逃げてしまったのだものなあ」
秋山小兵衛が、妙に、しんみりとした口調で語ったりするものだから、大治郎は心配して、おはるに、そっと、
「父上は、このごろ、どうかなされたのではないかな?」
「そうなんですよう、若先生。妙なもの[#「妙なもの」に傍点]に凝っちまってねえ」
小兵衛は、高野十太郎も、
(おそらく、国もとにいたころに、男色の経験があったにちがいない)
と、看《み》ていた。
山岸弥五七は、生来《せいらい》、器用な男らしく、書も上手で、諸方の町家をまわって看板を書いたり、そうかとおもうと、荒井町の百姓家で印判を彫ったり、そうした仕事が絶えたことなく、一所懸命にはたらいてきた。
荒井町の百姓家を借りるまでは、深川や三ノ輪のほうに住み、江戸暮しも七年になる。
しかし、いかにはたらいたとて、大金が入るわけではない。なんとか二人で食べて行ける程度なのだ。それを弥五七は、自分の衣食や体裁を切りつめても、夫?の稲田助九郎に小ざっぱりとしたものを着せ、朝ともなれば髭《ひげ》を剃《そ》ってやり、酒ものませ……というわけで、
「まことにどうも、いじらしいではないかよ、大治郎。ちかごろの女にもできぬことじゃ」
小兵衛は、しきりに感心するのであった。
六
この年が暮れ、新しい年を迎えてからは、秋山小兵衛の足も鬼熊《おにくま》から遠退《とおの》いた。
飽いた、のである。
鬼熊の店と酒に、飽いたのではない。
鬼熊へ行けば、
(弥五七《やごしち》浪人に、出合うやも知れぬ)
からであった。
はじめは、おもしろがって相手になっていた小兵衛なのだが、
(もう飽いた。あの男の顔を見るのが鬱陶《うっとう》しい)
ことになってきたのだ。
そして、また、春がめぐって来た。
二人の浪人を見てから約|半歳《はんとし》を経たわけで、この間に、秋山|父子《おやこ》が、さまざまの事件に遭遇したことはいうをまたぬ。
それはさておき……。
桜花《はな》も散ろうという或《あ》る日の昼すぎに、
「ごめん下され。こちらは、秋山小兵衛先生の御宅でしょうか?」
隠宅の裏手へ、のそのそ[#「のそのそ」に傍点]とあらわれた中年の浪人を、折しも石井戸の傍《わき》で洗濯《せんたく》をしていたおはる[#「おはる」に傍点]が振り向いて見て、
(あ……先生がはなしていた、あの浪人さんだ)
すぐに、わかった。
まさしく、山岸弥五七であった。
例のごとくよれよれ[#「よれよれ」に傍点]だが、垢《あか》のついていない着物に、何箇所も繕《つくろ》いの痕《あと》が歴然たる袴《はかま》を身につけ、大小を帯し、めずらしくも髭《ひげ》をきれいに剃《そ》りあげ、真新しい草履《ぞうり》をはいている弥五七なのである。
「おお、これはこれは……」
おはるの知らせをきいて、昼寝から目ざめた秋山小兵衛が縁側へあらわれ、
「さ。こちらへ、おまわりなさい」
「は……」
庭先へまわって来た山岸弥五七を見て、小兵衛は瞠目《どうもく》した。
(今日は、ばか[#「ばか」に傍点]に身ぎれいにしているではないか……顔つきまでも、ちがって見えるわえ)
であった。
弥五七は、小脇《こわき》に風呂敷《ふろしき》包みを抱えていて、これを差し出しながら、
「つまらぬものですが、秋山さん、私が手づくりにしたものです。この御宅の、何処《どこ》かへ掲げて下さると、うれしい」
と、いった。
包みの中から出たものは、縦一尺、横二尺の扁額《へんがく》であった。
扁額には、
〔響庵《きょうあん》〕
の、二文字が、見事な隷書《れいしょ》でしたためられ、これを浮き彫りにしてある。書も彫りも弥五七の手に成ったもので、生漆《きうるし》で仕上げてあった。
「これを、わしに……?」
「私が勝手に、この御隠宅の名をつけてしまいました。響の字は、言句《げんく》の中に言句以上のものがふくみこまれているか、と、おもいます」
「ふうむ、響庵……気に入りました」
自分の隠宅に名称をつけるなどという風流めいたことの嫌《きら》いな秋山小兵衛であったが、このときは、ほんとうに、
(気に入った)
のである。
「では、よろこんで下さいますか……」
「いうまでもない」
かたちをあらためた小兵衛が、扁額を押しいただき、
「かたじけのうござる」
こころから、そういった。
山岸弥五七の、何やらさびしそうな両眼が、わずかにかがやき、
「それをきいて、私も、うれしゅうござる」
「さ、おあがり下さい」
「いえ……そうしてもおられません」
「ま、よいではないか、久しぶりに一献《いっこん》さしあげたい」
「はあ……」
弥五七は、ちょっと考えていたが、
「では、すこしの間……」
もそもそと、座敷へあがって来た。
小兵衛は扁額を床の間へ置いてから、台所へ出て行くと、早くも、おはるが酒肴《しゅこう》の仕度にかかっている。
「先生。あの人、女がきらいなんでしょ?」
「まあ、な……」
「それなら、私が出て行かないほうがいいよう」
「おお、よく気がついた」
「おもったより、気味がわるくはないよう」
「そうか……そうだろう、え……」
小兵衛が、酒肴の膳《ぜん》を持ち、板の間から座敷へ入りかけ、
(や……?)
はっ[#「はっ」に傍点]と、立ちどまった。
こちらに背を向け、庭を見入っている山岸弥五七の背中の表情[#「表情」に傍点]に、ただならぬもの[#「ただならぬもの」に傍点]を感じたからであった。
七
半刻《はんとき》(一時間)ほど、山岸|弥五七《やごしち》は、小兵衛と酒をくみかわしていたろうか……。
小兵衛は、しきりに語りかけ、はなしをさそい出そうとしたが、弥五七は乗って来ない。
しずかな、そして、妙に哀《かな》しげな微笑をうかべて、
「はい……」
とか、
「さよう」
とか、短く受けこたえをするのみであった。
小兵衛にしてみれば、なんとなく、
(気にかかる……)
のである。
去年|鬼熊《おにくま》での、こちらへまとわりつくような感じで語りかけることもせぬし、何か、弥五七のこころは、
(他《ほか》のことに飛んでいる……)
ように、おもわれる。
やがて、弥五七が辞去しようとした。
小兵衛は、今朝、不二楼《ふじろう》から届けられたばかりの柄樽《えだる》の酒を、
「どうか、お持ち下さい」
弥五七へわたそうとするや、
「いや、それは……かたじけないが、秋山さん、実は私、これから他所《よそ》へまわらねばなりません」
「他所へ……?」
「さよう。では、これにて……」
庭先へ下りた山岸弥五七が、
「秋山さん……」
痰《たん》が喉《のど》へからんだような声になって、
「私……これまで、稲田助九郎のほかには、これ[#「これ」に傍点]と申して語り合える友もありませぬでしたが……秋山さんと知り合いになれて、まことに、うれしかったのです」
「それは、わしもじゃが……だが、山岸さん。いまの、あんたの言葉は、何やら別れの挨拶《あいさつ》のようにきこえるが……?」
「はあ。そうおもっていただいても、よろしいのです」
「では、江戸を去ると……?」
「まあ、そんなところなので……」
煮え切らぬ返事であった。
「いつ、江戸を発《た》たれる?」
「はあ……」
うつ向いて、しばらく沈黙していたが、
「今日……これから……」
と、いった。
うめき[#「うめき」に傍点]のような声だ。
「それは、あわただしい」
「では秋山さん。ごめん下さい」
「あ……それなら、そのあたりまで、お送りしよう」
「いや、それは……」
手をあげて制した山岸弥五七が屹《きっ》となり、
「かまわずにいて下さい」
ちから[#「ちから」に傍点]のこもった声でいった。
「さようか……」
むしろ、小兵衛は呆気《あっけ》にとられたかたち[#「かたち」に傍点]になり、
「では、これにて……」
「いつまでも、達者に、お暮し下され」
深ぶかと、あたまをたれてから弥五七は、裏手のほうへ去った。
台所から出て来たおはる[#「おはる」に傍点]が、弥五七へ、
「あれまあ、おかまいもしませんで……」
あいさつをしたのに、弥五七は一顧もあたえなかった。女などは眼中にない、といった態度が露骨であった。
「ふん。ほんとに、ばか[#「ばか」に傍点]にしてる……」
怒ったおはるが台所へ入りかけて、
「あれ、先生。そんな恰好《かっこう》をして、どこへ行きなさるんですよう」
「ちょいと、出て来る」
小兵衛は早くも、裾《すそ》を端折《はしょ》り、剣友・横川|彦五郎《ひこごろう》が形見によこした波平安国《なみのひらやすくに》一尺四寸五分の脇差《わきざし》を腰に帯し、おはるが舟を漕《こ》ぐとき日除《ひよ》けにつかう菅笠《すげがさ》と雨|合羽《がっば》を、壁からつかみ取っていたのである。
「雨になるだろうし、それに、帰りは遅くなるだろうよ」
「せ、先生。どこへ……?」
「どこへでもよい」
めずらしく、きびしくいった小兵衛が、外へ飛び出し、
「おはる。暗くなる前に大治郎のところへ行き、今夜は泊れ。わしも、帰るときはそちら[#「そちら」に傍点]へ帰る。よいか、わかったな」
「あい。わ、わかりましたよう」
たちまちに小兵衛は、裏手の木立をぬけ、堤へ駆け去った。
おはるにも、小兵衛が山岸弥五七の後をつけて行ったことがわかった。
(なんで、また……?)
そこが、わからない。
もっとも小兵衛にしたところが、わからぬのだ。
ただ、弥五七が、旅仕度もせぬままに江戸を発つということが、
(なっとくできぬ……)
のである。
それに、だ。
先刻、こちらに背を見せて沈黙していた山岸弥五七の……その背中からは、あきらかに、
(殺気がただよっていた……)
ではないか。
○
一刻のちに……。
秋山小兵衛は、上野の山の西側、谷中三崎《やなかさんさき》の妙林寺門前の茶店へ入り、茶をのんでいた。
妙林寺は小さな寺だが、草創は二百五十年ほど前の天文年中だという。
妙林寺と、小川をへだてて、法住寺《ほうじゅうじ》がある。この寺は宝暦のころの草創だそうな。境内もひろく、あたりの風致に副《そ》うた清浄|無塵《むじん》のすがすがしい寺院である。
小川をへだてた、法住寺門前の茶店には、山岸弥五七が茶をのんでいる。
弥五七は、小兵衛が此処《ここ》まで尾行して来たことに、まったく気づいていない。
小兵衛は菅笠で顔を隠し、まだ、雨もふってはこないのに合羽を着て、裾を端折った素足に、途中で買った草鞋《わらじ》をはき、杖《つえ》をつき、歩きぶりまでも変っていたものだから、わずか三、四間のうしろについていても、弥五七には気づかれなかった。
もっとも弥五七は、尾行者などに神経をくばる必要もなかったのであろう。
まっすぐに上野山下へ出て、不忍池《しのばずのいけ》をまわり、根津をぬけ、弥五七は法住寺の茶店へ入ったのだ。
それを見て、小兵衛は、小川の手前のわら[#「わら」に傍点]屋根の茶店へ入った。
小川は蛍川《ほたるがわ》といい、巣鴨《すがも》・上|駒込《こまごめ》の長池から発し、不忍池へながれこむ藍染川《あいぞめがわ》の支流である。
このあたりが蛍の名所だというので、その名がつけられたのであろう。
蛍川には橋がかかってい、その、ななめ向うに法住寺の表門が見え、門の内側にある八重桜の老樹が、風もないのに、はらはらと花弁を落している。
と……。
雨が落ちて来た。
山岸弥五七は、黙念と茶をのみながら、つつましい手つきで草餅《くさもち》を食べている。
淡く、夕闇《ゆうやみ》がただよいはじめ、あたりには、まったく人影が絶えた。
そのとき、弥五七が茶わんを置き、腰かけから突立ったのが小兵衛の眼《め》に入った。
(気づかれたかな……)
と、おもったが、そうではない。
弥五七は、谷中の天王寺へ通ずる道の方を見るや、す[#「す」に傍点]早く勘定をはらい、茶店を出て橋をわたり、小兵衛が腰かけている茶店の横手へ隠れた。
(おや……?)
どうも、わからぬ。
すると、天王寺の方から坂道を下って来た二人づれが橋の向うにあらわれた。それを見た小兵衛は、
(あっ……)
おもわず、腰を浮かした。
一人は高野十太郎。一人は稲田助九郎であった。
二人とも、羽織・袴《はかま》をつけ、脚絆《きゃはん》・足袋・草鞋ばきの厳重な足ごしらえをしている。
助九郎が十太郎に何かささやき、いままで弥五七が入っていた茶店の軒下に吊《つる》してあった菅笠を二つ買い、一つを十太郎にわたした。
二人の顔は、するどい緊張に引きしまっている。
笠をかぶった助九郎と十太郎は、小川の向うの道を北へ歩みはじめた。
小兵衛は勘定をはらい、杖をひいて蛍川に架る橋をわたりかけ、笠の内から北の方を見やった。
川沿いの小道を、稲田助九郎と高野十太郎が遠ざかって行く。
その後から……これは蛍川の西側の小道を、物陰からあらわれたらしい山岸弥五七が十間ほどの距離をおいて、見え隠れにつけて行く姿が見えた。弥五七は布で顔を隠しているようだ。
(あ、そうか……)
その瞬間に、秋山小兵衛は、
(何も彼《か》も、わかった……)
ような気がしたのである。
八
そこは、日暮里《にっぽり》に近い崖下《がけした》の一軒家であった。
崖の上は、出羽《でわ》・久保田《くぼた》二十万五千石、佐竹侯の下屋敷だ。
その家は、わら[#「わら」に傍点]屋根の風雅な造りで、背後は崖。まわりは竹藪《たけやぶ》で、前面がわずかにひらけ、柴垣《しばがき》をまわしてあり、腕木門《うでぎもん》の扉《とびら》は堅く閉ざされていた。
高野十太郎と稲田助九郎が、この家の前まで来ると、木陰から二人の侍が飛び出して来て、何か、ささやいた。
十太郎と助九郎がうなずき、菅笠《すげがさ》を除《と》って捨て、羽織をぬいだ。すでに刀の下緒《さげお》を襷《たすき》にまわしてある。
この間に、二人の侍が用意の手|梯子《ばしご》を柴垣に掛け、一人が中へ飛び込み、門の扉を内側から開けた。
十太郎、助九郎、侍の三人が中へ入って行く。
その後から、山岸|弥五七《やごしち》が門内へ消えた。
つぎに、どこからともなくあらわれた秋山小兵衛が門内へ駆け入った。
霧のように、雨がけむっている。
先に入った四人は、竹藪の間の道をつきぬけ、家の前庭に出た。
母屋《おもや》に物置だけの簡素な造りだが、前庭には低い竹垣をめぐらし、垣の内には沈丁花《じんちょうげ》が白く咲いていた。
うなずき合った四人。高野十太郎と稲田助九郎は竹垣を躍り越え、障子が閉った縁先へ駆け寄った。
二人の侍は、裏手へ廻《まわ》った。
十太郎が、大刀を抜きはらって、叫んだ。
「父の敵《かたき》、村尾源蔵。高野十太郎がまいった。いさぎよく勝負をしろ」
助九郎も抜刀し、
「伊勢《いせ》・長島の浪人、稲田助九郎|氏忠《うじただ》。義によって助太刀いたす」
勇ましく名乗りをかける。
わずかな間があって……。
縁先の障子が、両側から引き開けられた。
屋内から縁先へ、二人の侍があらわれた。
「おっ!!」
ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と飛び退《しさ》り、高野十太郎が大刀を正眼《せいがん》につけ、
「村尾源蔵。勝負!!」
「応!!」
村尾が大刀を抜いた。がっしりとした体躯《たいく》のもちぬしで、いかにも精悍《せいかん》な風貌《ふうぼう》をしている。十太郎同様、村尾も必死の面持《おももち》であったが、村尾とならんで立ちはだかった浪人は六尺ゆたかの巨漢で、高だかと尻《しり》をからげた腰に大刀を差し込み、手には槍《やり》をつかんでいる。
「村尾さん。存分にやんなさい。助太刀は助太刀どうし。こいつを……」
と、稲田助九郎をあご[#「あご」に傍点]でしゃくって見せ、
「こいつを片づけてから、お手つだいする。こころ丈夫にやんなさい」
村尾をはげます声にも落ちつきと自信がみなぎっていた。
と、見て……稲田助九郎が顔面|蒼白《そうはく》となった。
早くも、敵の助太刀の浪人に圧倒されてしまったらしい。
「わしは、山崎|達之介《たつのすけ》」
と、敵の助太刀が名乗りざま、
「うおっ!!」
喚《おめ》いて、手槍を大きく振り廻しつつ、前庭へ飛び下りた。
「あっ……」
その槍先にふれかかって、高野十太郎が、ななめに身を避けたのへ、
「やあっ!!」
縁側から、村尾源蔵が猛然と切りつけた。
山崎浪人は振りまわした槍をそのまま、反転して、
「それっ!!」
稲田助九郎へ突き入れた。
「あっ……」
よろめく助九郎の胸もとをかすめた槍先が余勢を駆って、今度は横なぐりに助九郎の顔面を襲った。
「あ、あっ……」
口ほどにもない。助九郎は足をもつれさせ、必死に大刀を揮《ふる》い、山崎の槍をはね[#「はね」に傍点]退《の》けた。
このとき、裏から飛び込んだ二人の侍が屋内を駆けぬけ、抜刀して縁側へあらわれた。
後でわかったことだが、この二人は、永井|日向守《ひゅうがのかみ》・江戸屋敷にいる藩士であった。
と、見るや、くるり[#「くるり」に傍点]と体をまわしざま、山崎浪人が電光のごとく縁側の一人へ槍をくり出した。
「うわ……」
ぐさり[#「ぐさり」に傍点]と腹を突かれ、前のめりに庭先へ転げ落ちる藩士の体から、山崎は早くも槍を手《た》ぐりこみ、
「おおう!!」
咆哮《ほうこう》を発し、いま一人の藩士へ肉薄した。
山崎浪人の、あまりの早技に、その藩士は動転し、縁側から座敷へ逃げた。
その背中へ、山崎が手槍を投げつけた。
凄《すさ》まじい悲鳴があがった。
手槍が、藩士の背中へ突き立ったのである。
このとき、ようやくに体勢を立て直した稲田助九郎が、
「うぬ!!」
山崎浪人の側面へ走り寄って斬《き》りつけた。
助九郎の、その攻撃は、山崎浪人の予定に入っていたらしい。山崎は左足を大きく引き、助九郎の打ち込みをかわすや、
「たあっ!!」
抜打ちに、助九郎の左|脇腹《わきばら》を切りはらった。
もんどり[#「もんどり」に傍点]をうって助九郎が倒れた。
山崎浪人が追いせまり、大刀を振りかぶったとき、竹垣を飛び越え、抜刀した山岸弥五七が、絹でも引き裂いたような声を発し、体ごと、山崎達之介へぶつかって行った。
山崎にとっては、おもいもかけぬ奇襲であった、といえよう。
腹を引いて弥五七の突き[#「突き」に傍点]をかわした山崎が、あわてて飛び退るのへ、弥五七が息もつかせずに斬り立てた。
とてもとても、稲田助九郎どころではない。山岸弥五七の太刀《たち》さばきは堂に入ったものだ。
助九郎は倒れたまま、切り裂かれた脇腹を押え、気息奄々《きそくえんえん》となり、半《なか》ば気をうしなっているらしい。
この間、高野十太郎と村尾源蔵の死闘は、庭先から裏手へ移行しつつあった。
「そっちのほうはどうでもよかったから、わしは、見向きもしなかったよ」
と、物陰に隠れ、このありさまを目撃していた秋山小兵衛が、のちに、大治郎へ語った。
「何やら、もう、ヒイヒイ、ピイピイと、女が泣き叫ぶような気合声が興ざめだったが、女房浪人の弥五さんの剣術は相当なものでな、これには、わしもちょいとおどろいた。人は見かけ[#「見かけ」に傍点]によらぬというが、まったく、そのとおりさ。けれども弥五さん、そこはそれ、しばらく剣術から遠ざかっていたのだろうし、体も鈍《なま》っている。斬りむすぶうちに弥五さん、息切れがしてきてのう」
一時は、機先を制した余勢を駆って山崎浪人を怯《ひる》ませた山岸弥五七であったが、いったん体勢を立て直した山崎の強さというものは、いささかもおとろえていない。
弥五七は大刀をはね[#「はね」に傍点]飛ばされ、飛び退りつつ差しぞえの小刀の柄《つか》へ手をかけたところを、山崎が片手なぐりにはらった一刀で、ざっくりと太股《ふともも》を切られ、転倒した。
「おのれ!!」
飛びかからんとする山崎達之介の顔面へ、風を切って飛んで来た小石が命中した。
「な、何者……?」
相つぐ奇襲に、さすがの山崎もびっくりしたらしい。左手に顔を押え、右手の大刀を小脇《こわき》に構えた、その前へ、ふわり[#「ふわり」に傍点]と竹垣を躍り越えた秋山小兵衛がするすると迫り、
「弥五さん、御助勢」
振り向きもせず、背後に倒れている弥五七へ声をかけると、
「あっ……秋山さん。あぶない」
弥五七が叫んだ。
同時に、山崎浪人が小兵衛へ切りつけた。
かわした小兵衛は、脇差を抜かぬままに、ひらりと縁側へ飛びあがる。
「やあっ!!」
山崎が、その小兵衛の両足を薙《な》ぎ払ってきた刃風の鋭さについて、
「そりゃあ、大したものだった……」
のちに、小兵衛が評している。
だが、この山崎の攻撃こそ、小兵衛が待ちかまえていたところのものだ。
小兵衛の、細くて小さな体が縁側を蹴《け》って舞いあがり、空《くう》をはらった山崎浪人の頭上を越えたとき、抜き打った波平安国《なみのひらやすくに》の切先《きっさき》は山崎の脳天を浅く切った。
浅いが、しかし、急所を切られた山崎が、
「あ……」
振り向いて、小兵衛の姿をとらえようとした両眼が暗んだ。
小兵衛の二の太刀が、ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]と、山崎達之介の左の頸動脈《けいどうみゃく》を切断したのは、そのときである。
裏手の竹藪で、一対一の決闘の決着がついたのも、ちょうど、そのころであったろう。双方とも数ヵ所の傷をうけて闘い、高野十太郎は、めでたく、父の敵を討ち取ることを得た。
「これ……もし……もし、助九郎。し、しっかりしてくれ、しっかりしてくれ」
強まった雨の中で、自分の傷のことなど忘れきって、山岸弥五七が、ぐったりとなった稲田助九郎を抱きしめ、泪声《なみだこえ》で呼びかけている。
○
村尾源蔵と山崎達之介が暮していた住居をつきとめることを得たのは、永井家・江戸屋敷の協力があったからだそうな。村尾の顔を知っている藩士たちが、かなり、市中を探しまわっていたらしい。
住居をつきとめ、見張りをつけて置いて、永井家が高野十太郎へ、このことを告げるや、十太郎は勇躍し、稲田助九郎と二人で、
「じゅうぶんでござる」
と、いいはなった。
永井家では、相手も二人なのだし、腕利《うでき》きの藩士二人を添えてやれば、
「討ちもらすことはない」
と、見きわめをつけた。それに、稲田助九郎も強そうに見えたし、何よりも十太郎自身の剣術を、藩では高く評価していたのだ。
また、将軍家ひざもとの江戸において、うかつ[#「うかつ」に傍点]に人数をもよおし、事を起すことは厳につつしまねばならぬ。
村尾源蔵が、妻の実家から出た金で雇った浪人・山崎達之介の前歴は不明である。
「それにしても強かった。当今、あれほどのやつ[#「やつ」に傍点]はめずらしいわえ」
と、小兵衛がほめているところを見ると、掛値なしに強かったのであろう。
この事件が片づいたのち、永井家では、秋山小兵衛にも、弥五七・助九郎にも、慇懃《いんぎん》な挨拶《あいさつ》があった。小兵衛は「礼にはおよびませぬ」と、永井家の使者を、すぐに帰してしまったが、弥五七たちは、どうしたろうか……。
(どうしたろうか?)
気にかけているうち、梅雨に入った。
稲田助九郎は重傷であったが、一命をとりとめた。
(弥五さんが、一生懸命に看病をしているのだろうな)
あえて、当分は近寄らぬほうがよい、と考え、小兵衛は訪ねて行かなかったし、弥五七もまた、隠宅へも、鬼熊《おにくま》酒屋へも姿を見せない。
夏がすぎ、秋が来た。
小兵衛が、弥五七・助九郎をはじめて見たときから、ちょうど一年の歳月がすぎたのである。
それは、冷たい秋の雨がふりけむる或《あ》る日の午後のことだが……。
北|本所《ほんじょ》・荒井町の北巌寺《ほくがんじ》の小坊主《こぼうず》が、小兵衛の隠宅へあらわれ、
「山岸弥五七さまから、たのまれました」
と、いい、一通の書状を小兵衛にわたし、帰って行った。
「ほほう……」
なつかしかった。見事な弥五七の筆跡である。
手紙は、先《ま》ず、ていねいに其《そ》の後の無沙汰《ぶさた》をわび、傷が癒《い》えた稲田助九郎が失踪《しっそう》したことを告げている。
父の敵《かたき》を討ち、意気揚々として国もとへ帰った高野十太郎が、亡父の跡をつぎ、目付役《めつけやく》に任じたこと。それからのち、十太郎と助九郎の文通が数回おこなわれたのち、今度の失踪となったものらしい。
「あのとき、私が助九郎・十太郎両名の後をつけて行ったのは、助九郎の身を案じてのことでした。助九郎の剣術は、口ほどにもないことをよく知っておりましたゆえ……。
なれど、助九郎は臆病《おくびょう》な男ではありませぬ。腕が未熟にても、勇気をふるい起し、高野十太郎のために闘おうとしたのであります。助九郎は、そういう男でございました。
しかし、秋山さん。もはや、すべてが終りました」
と、弥五七は手紙でいっている。
手紙が、泪で滲《にじ》んでいた。
「助九郎は、私に黙って、出て行ってしまいました。おそらく、高槻《たかつき》にいる高野十太郎のもとへまいったのでありましょう。両人の間に、どのような取り決めがあったものか、それは、私も存じませぬ。
ただ、助九郎のこころが、もはや、取り返すべくもなく私から離れてしもうた……このことだけが、はっきりと、しっかりと、わかりました。もはや、この上、生きて行く甲斐《かい》もありませぬ。
私にとって、助九郎のほかに、こころをゆるすことができましたのは、秋山さんひとりきりです。その御交誼《ごこうぎ》に甘え放しで、まことに申しわけもないのですが、私の死後のことを、どうか、よろしく御願い申しあげます」
と、ある。
手紙の中に、一両小判が三枚入っていた。
「これは、いかぬ」
小兵衛は、あわてて隠宅を飛び出した。
だが、すでに遅かった。
小兵衛が駆けつけたとき、荒井町の浪宅の中で、山岸弥五七は作法どおりに腹を切り、喉《のど》をはね[#「はね」に傍点]切って息絶えていたのである。
死の静謐《せいひつ》にみちびかれた弥五七の、見ちがえるばかりに痩《や》せおとろえた顔が、おだやかに瞑目《めいもく》していた。
「ああ……」
嘆息をもらして、秋山小兵衛が、その死顔へよびかけた。
「……もう少し、早く、此処《ここ》へ訪ねて来るのだったな、弥五さん。そうすれば、お前さんを、こんな目[#「こんな目」に傍点]に合わせずにすんだやも知れぬ。いや、だめ[#「だめ」に傍点]だったかのう、やはり……弥五さん。お前さんは、ほんとうに、いま死なすには、惜しい人だったよ」
雨で、ずぶぬれになっていた小兵衛の両眼が、じわり[#「じわり」に傍点]と、うるみかかった。
天魔
一
それは、まだ、ひどい[#「ひどい」に傍点]の浪人・山岸弥五七《やごしち》と秋山|小兵衛《こへえ》の交際《つきあい》が始まったばかりのころであったが……。
その日。
おはる[#「おはる」に傍点]が、朝から関屋村の実家へ出かけて行き、昼になると小兵衛は、おはるが手打ちの饂飩《うどん》を食べ、秋の日ざしをあびながら、居間の縁側へ出て寝そべっているうち、いつものように、とろとろと微睡《まどろ》んだ。
建て直したばかりの隠宅には、木の香がにおい、何処《どこ》かで頬白《ほおじろ》が鳴いている。
と……。
庭先へ、人影がさした。
音もなく、気配もなく、人がひとりあらわれ、手枕《てまくら》の昼寝をたのしんでいる小兵衛を凝《じっ》と見た。
若い侍である。
といっても子供ではない。年のころは二十七、八歳に見えた。貼《は》り替えたばかりの障子紙のように白く、光沢のない顔貌《がんぼう》はととのってい、総髪の頭のかわりに島田|髷《まげ》でも結わせたら、女そのものになるだろう。俗にいうなら、
「役者のような……」
美男子である。
それはよいが、いかにも小さな体だ。秋山小兵衛も小柄《こがら》であるが、並んで立ったら小兵衛のほうが三寸は高いだろう。
そうした矮躯《わいく》の上に、大人なみの、しかも美しい顔が乗っているのは、いささか奇異な感じなのだ。
そして、この若者は、おのが矮躯の腰に、刃渡り三尺はあろうかとおもわれる大刀を差しこんでいるのである。
小兵衛は、すやすやと寝息をたてていた。
若者の紅《あか》い唇《くち》が、わずかにほころびたと見えた……つぎの瞬間、彼の矮躯がふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に浮いた。
声もなく、若者は庭先から飛びあがり、横たわっている小兵衛の体を躍り越え、次の間へ一陣の風のごとく消えた。
そのとき、若者の腰から疾《はし》り出た一条の光芒《こうぼう》を見たものは、だれもいない。
次の間から台所へ……開け放したままになっている戸口から外へ、若者の姿は消えた。
小兵衛は微動だにせず、まどろみつづけている。
すると……また、あらわれた。
また、件《くだん》の若者が、地の底からわき出たように庭先へ姿を見せた。
「もし……もし、秋山先生。私でございます。笹目千代太郎《ささめちよたろう》でございます」
今度は、若者が声をかけた。色白で優しげな、美しい顔だちには不似合いにきこえる嗄《しわが》れ声なのである。
「う……」
と、小兵衛が目ざめて、
「おお……」
「八年ぶりに、江戸へ帰ってまいりました」
「ふうむ……」
うなずいた小兵衛が、
「よう、此処《ここ》が、わかったな」
「この江戸で、秋山先生のお住居《すまい》が知れぬはずはありませぬ」
「はて……わしはもう、世を捨てているに……」
「そのようでございますな」
「うむ、うむ」
うなずきはしたが小兵衛、あがれとも、茶をのめ、ともいわぬ。これもまた、平常の小兵衛にとっては似つかわしくないことであった。
「江戸へ、何の用あって、もどって来た?」
「江戸を留守にいたしました八年のうち、およそ五年、飛騨《ひだ》の山中にこもっておりました」
「ふうん……」
「山を出て三年、諸国をめぐり歩いておりました」
「ふうん……」
「これよりは、江戸の、諸先生方の道場をめぐり歩くつもりでございます」
「わしが道場をたたんでしまって、気の毒だったのう」
「いいえ……」
笹目千代太郎の口から出る言葉は、いかにも丁寧で優しげなものなのだが、その音声はあくまでも抑揚がなく、しかも老人のように枯れているのだ。この違和感は、彼の顔貌と体とのアンバランスと相俟《あいま》って、一種異様な雰囲気《ふんいき》をただよわせている。
「先《ま》ず、どこの道場へ行くつもりじゃ?」
小兵衛は依然、寝そべったままで、無表情な半眼を千代太郎に向けて問うた。
「さよう。先ず、湯島の金子孫十郎先生の道場へ、まいるつもりでございます」
小兵衛が、両眼を閉じた。
「では、秋山先生。これにて、失礼をいたします」
「待て」
「なんぞ?」
「おぬし。わしのところへ、何をしにまいった?」
「秋山先生に、勝つために……」
「わしに、勝つ?」
「勝ちましてございます」
「ほほう……今日は、まだ、わしは、おぬしと立ち合《お》うておらぬに……」
「よいのでござります、よいのでござります」
「何が、よい……?」
「ごめん下され」
「待ちなさい」
小兵衛が半身を起したとき、すでに、笹目千代太郎の姿は、何処にも見えなかった。
「ふうむ」
秋山小兵衛ともあろうものが、妙なうなり[#「うなり」に傍点]声を発し、
「とんでもない奴《やつ》が、舞いもどって来たものじゃ」
と、つぶやき、かなり長い間、何やら思案にふけっていたようだ。
そのうちに、おはるが、実家から分けてもらった野菜などを背負い、隠宅へ帰って来た。
「おお……」
待ちかねたように小兵衛が、
「おはる。すまぬが、舟を出してくれ」
「どこへ行きなさる?」
「大治郎《だいじろう》のところへじゃ」
「私が、よんで来ますよう」
「そうしてくれるか。では、たのむ。夕餉《ゆうげ》は、こちらでするようにというがよい」
「あい、あい」
二
金子孫十郎|信任《のぶとう》の道場は、湯島五丁目にある。
神田明神社《かんだみょうじんしゃ》の西方、円満寺という寺と道をへだてた西側に、五百坪の敷地をもつ大道場だ。
六十をこえた金子孫十郎は、この夏から、あまり健康がすぐれぬらしい。
門人は三百を越え、諸大名や大身《たいしん》旗本との交際もひろく、江戸でも屈指の名流といわれる孫十郎は、人格識見ともに優れ、
「剣術が上達しなくともよい。金子先生の道場へ、日々通うだけでも、ため[#「ため」に傍点]になることじゃ」
などといって、わが子弟を入門させる人びとも少なくない。
すでにのべたごとく、いまの佐々木|三冬《みふゆ》は、金子道場へ通って、剣をまなんでいる。
金子道場には、さすがに人材がいて、三冬が、いかにしても打ち込めぬ剣士が六人ほどいる。
それだけに三冬も、
「私も、修行を仕直さねば……」
熱心に通いつめているようであった。
さて……。
笹目千代太郎が小兵衛の隠宅へあらわれた翌朝。秋山大治郎が、ふらりと金子孫十郎道場へあらわれた。
孫十郎とは、二度ほど顔を合わせたことがある大治郎であったが、道場を訪ねたのは、この日がはじめてである。
早くも道場へ姿を見せていた佐々木三冬が、目をみはって、
「ま、大治郎どの。めずらしいこと……」
「父に、申しつけられましてね」
「秋山先生が、何と……?」
「たまさかには、金子先生道場の稽古《けいこ》を、とっくりと見て来い、と、いわれました」
「まあ……」
おもわず、たがいの眼《め》と眼が合ったとき、二人は、はっ[#「はっ」に傍点]と顔をそ向け、三冬の項《うなじ》へ見る見る血の色がのぼった。
「あ……金子先生を、御見舞い申したいのですが、かまわぬでしょうか」
「はい」
三冬の案内で、奥へ通り、孫十郎の病間へあらわれた大治郎を見て、
「これは、めずらしい。父上に、お変りはないか」
孫十郎が、おもいのほか元気な声をかけた。
「父も、やがて、御見舞いに参上すると申しておりました」
「何、小兵衛殿が……それは、それは」
小兵衛は、前に一度、見舞いに来ている。
その帰りに、大治郎の道場へ立ち寄り、
「かなり重く見えるが、こたびの金子先生の病患は、やがて快方に向おうよ。わしは、そのように看《み》た」
そういっていたものだが、果して、そのとおりになった。
孫十郎の面窶《おもやつ》れは隠しようもないが、老顔へわずかに赤味がさし、双眸《そうぼう》の光にもちから[#「ちから」に傍点]が加わっている。
「先生。今日は、道場の稽古を拝見させていただきとうございます」
「それはよい」
孫十郎がよろこんで、三冬に、
「大治郎殿に一手の教えをねがうよう、門人たちへ申しつたえなさい」
「いえ、先生……」
大治郎が、これをさえぎって、
「今日は終日、稽古のみを拝見してまいれ、と、父がさように申しましたので……」
「ほほう。小兵衛殿が、また、何を考えてのことか……?」
「私にも、わかりませぬ」
間もなく大治郎は、道場の見所《けんぞ》の片隅《かたすみ》へ、つつましく正坐《せいざ》をした。
すでに、稽古が始まっている。
五十坪の道場へ、二十名ほどの門人が入り、稽古をはじめていた。
稽古を取り仕切っているのは、孫十郎の高弟・野川|為七郎《ためしちろう》である。野川は四十二歳。二十五年も孫十郎につきそい、いまは師の代りに諸方の大名家へ稽古に出向きもするし、敷地内に小さな家を建ててもらい、妻も子もいる。
金子道場では撓竹《しない》も木刀も合わせてつかう。しかし防具は皮胴のみだ。
道場の中に、男たちの汗と若わかしい体臭が濃厚にたちこめていた。
野川為七郎の叱咤《しった》の声が飛ぶ。
打ち合う木刀の音と門人たちの気合声が、道場の壁を打ち破らんばかりであった。
毎日、しずかな大治郎の道場とは、
「くらべものに……」
ならぬのである。
それから八ツ半(午後三時)ごろまで、つぎからつぎへと門人がつめかけて来て、稽古がつづく。
佐々木三冬も白の稽古着に黒胴をつけ、門人たちを相手に、たゆむことなく稽古をつづける。
実に、壮観なものであった。
秋山小兵衛は、昼前に道場へあらわれ、金子孫十郎を見舞ったのち、見所のうしろの廊下へ来て、
「これよ、大治郎……」
「あ、父上」
「ここへ来い」
廊下で、父子《おやこ》は、ひそかに語り合った。
「笹目千代太郎は、まだ、あらわれぬか?」
「はい」
「はて……たしかに、今日は、金子道場へ行くと申していたのだが……」
小兵衛の顔に、不安の翳《かげ》りがただよっている。
このような父の顔を、大治郎は見たことがない。
「父上。そのように、恐ろしい相手なのですか?」
「恐ろしいとも。お前にも以前、はなしたはずだ」
うめくような小兵衛の声が、
「ありゃ、人間じゃあない。あの、ほれ、いつかの小雨坊《こさめぼう》な……」
「はい。あの化け物のような……」
「さよう。あいつは顔つきが化け物じみていたが、わしから見て、さほどに恐ろしい相手ではなかった。ところが笹目千代太郎は外見《そとみ》はやさしげな若者じゃが、中味は怪物よ。ああした男が、まれ[#「まれ」に傍点]に出て来るところが人間の不思議さなのだ。お前も知ってのように、千代太郎の両親《ふたおや》は、わしも、よく見知っている。これは尋常の人たちであるのに、な……」
「はい」
とにかく、大治郎にはわからぬ。父の話をきいてはいても、笹目千代太郎なる怪物を一度も見ていないからだ。
昨夜、父によばれて鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ出向き、千代太郎のことをくわしく聞き直したが、どうも、実感がわかない。
「あいつが行くところ、血を見ずにはおさまらぬのじゃ。それも無益《むやく》の血がながれる。武術の試合をして、負けた者が死んだとて、こりゃもう、罪にはならぬ。ゆえに、千代太郎の好むままに血がながれるのじゃよ。わしもな、昨日、あいつが来たとき、ひとおもいに斬《き》って捨てようか、とも考えた。しかし、それも、な。あいつの父親とは、むかし、しごく仲のよい友だちだったこともあるし……それに、大治郎。正直に申して、わしが果して、千代太郎に勝てるか、どうか……」
名人・秋山小兵衛をして、この言葉を吐かせるとは、
「いったい、どのような男なのか?」
それをおもうとき、秋山大治郎は勃然《ぼつぜん》と、剣士としての闘志が燃えあがってくるのを、どうしようもなかった。
笹目千代太郎は、ついに、金子孫十郎の道場へあらわれなかった。
そのかわりに、別の道場にあらわれた。
それがなんと、秋山父子とも昵懇《じっこん》の間柄《あいだがら》である元鳥越《もととりごえ》の牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》の道場へあらわれた。
三
秋山父子が、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ帰って来たのは、暮六ツをすぎたころである。
すると、隠宅に、牛堀九万之助が待っていた。
出て来るとき、おはる[#「おはる」に傍点]には、別に行先を告げていなかった小兵衛を、
「では、お帰りまで待たせていただこう」
と、九万之助はいった。
秋山父子を出迎えたおはるが、そのことを告げ、
「牛堀先生。何だか、怖い顔をしていなさるよう」
ささやいた。
なるほど、いつもの牛堀九万之助とはちがう。
緊迫の表情の中に、一抹《いちまつ》の悲嘆がただよっているのを、小兵衛は見のがさなかった。
「どうなされたえ?」
「秋山さん。いつか、前に、あなたからうかがったことのある化け物があらわれましたよ。どうも、そうらしい」
小兵衛が、はっ[#「はっ」に傍点]として、
「笹目千代太郎《ささめちよたろう》じゃな。で、どこへあらわれた?」
「私の道場へ、私の留守中に……」
「なんじゃと……」
「寺沢、三井、長野の三人が、やられました」
「やられた……?」
「三人とも、死にましてござる」
「ふうむ」
その三人は、いずれも旗本の子弟たちで、牛堀道場の中では、それ[#「それ」に傍点]と知られた〔つかい手〕ではないか。
千代太郎があらわれたのは、昼すこし前というから、秋山小兵衛が湯島の金子道場へ到着したころと見てよい。
小兵衛は、いまいましげに舌打ちをし、
「先《ま》ず、きゃつめの居所《いどころ》を突きとめておくべきだったか……」
強《きつ》く、唇を噛《か》みしめた。
この日。牛堀九万之助は門人ひとりをともない、朝から、麻布《あざぶ》六本木に屋敷を構える五千石の大身旗本・戸川|弾正《だんじょう》方へ、月例の出稽古《でげいこ》におもむいた。
その留守にあらわれた笹目千代太郎が、九万之助との勝負をのぞみ、留守と知って「では、明日まいろう」と、いい捨て、帰ろうとしたので、門人の寺沢市太郎が、
「当道場は、何もの[#「何もの」に傍点]とも知れぬ御仁《ごじん》との立合いを禁じておる。悪《あ》しからず」
と、念を入れた。
奇妙な若者の不遜《ふそん》な態度に、寺沢も他の門人たちも怒りを押えながらの応対だったらしい。
「ふふん……」
鼻で笑った千代太郎が、
「私が、怖いのだね」
と、いう。
寺沢も、むっ[#「むっ」に傍点]として、
「怖くはない。先生のおゆるしがあれば、拙者《せっしゃ》があしらってつかわすところだ」
やり返したものだ。
寺沢市太郎の父は、小石川御門外の旗本で三千五百石の大身、寺沢|弥左衛門《やざえもん》である。その長男だけに、寺沢も侮辱をうけて、おとなしく引き下るような男ではない。
「それなら、あしらって見てはどうだね。いのちがけだが、覚悟をして……」
千代太郎の、その言葉に、たまりかねた寺沢が、ついに、
「よろしい。これは、拙者一存のことだ。みなも、そのつもりでいてくれ」
と、道場にいた二十名ほどの門人にいい、木刀をつかんだ。門人たちも、そのときには、かまわぬから、おもいきり打ちのめしてやれ、という気持だったらしく、だれひとり、寺沢をとどめようとする者もなかったし、また、寺沢の勝利を信じてうたがわなかった。
「そうか、やるかね。いのちがけだよ」
「だまりなさい!!」
「私の、この木刀には鉄条がはめ込んである。当ると、皮肉《ひにく》を破り、骨も砕けようが、よいかね」
「かまわぬ!!」
こうなったら寺沢も、騎虎《きこ》の勢いになってしまっている。
笹目千代太郎が革袋から引き出した木刀は、腰に帯している長剣とはちがい、尋常の長さなのだが鍔《つば》も無く、木刀の形態をそなえてもいない。黒光りした一握りの棍棒《こんぼう》のようなもので、どこに鉄条などがはめこんであるのか、外見《そとみ》にはわからなかったという。
二人が、立ちあがって木刀を構え合った一瞬後に、千代太郎の体が跳躍した。
「それが……」
と、牛堀九万之助がいうには、
「ななめに、つまり体を横にして、まるで|k[#「k」は「鼠+吾」第4水準2-94-68 DFパブリW5D外字="#F96B"]鼠《むささび》のごとく、寺沢市太郎の右側を飛びぬけたというのですな。で……寺沢が、右足を大きく引いて、これをかわし、打ち返そうとした、その姿だけは、門人たちの眼にとまったようです」
あとは、何がどうしたのだかわからぬ。
次の瞬間には、寺沢市太郎の凄《すさ》まじい絶叫が起った。
寺沢は後頭部に強烈な打撃を受け、横ざまに打ち倒れたときには、もう息絶えていた。
門人たちが芒然《ぼうぜん》となっている中で、さすがに、三井と長野の両名が立ち、
「待てい!!」
早くも背を見せ、道場から出て行こうとする笹目千代太郎を呼びとめた。
「おぬしたちも、やるかね?」
「む、むろんだ!!」
「二人とも、やるかね?」
「来い!!」
三井が叫んだとき、半ば、革袋におさめかけられていた千代太郎の奇妙な木刀が疾《はし》り出た。
他の門人たちの眼には、千代太郎の小さな体が、寺沢市太郎を打ち倒したときのような形で、三井と長野の間を飛びぬけたように見えた、というのだ。
と……。
三井は、独楽《こま》のようにくるくる[#「くるくる」に傍点]とまわって道場の羽目へ打ち当り、そこで、口からおびただしい血を吐き、倒れ伏した。
長野は、喉《のど》を突き破られ、木刀を放《ほう》り落して仰向《あおむ》けに転倒したまま、二度と起きあがらなかった。
それから一刻《いっとき》ほど、ともかくも生きていたのは三井のみだが、師の牛堀九万之助が帰って来たときには、すでに息絶えていた。
「まさに……」
と、秋山小兵衛は、牛堀九万之助へ、うなずいて見せた。
「笹目千代太郎に相違ない。やつめ、昨日、わしのところへも来たのだ」
「何ですと……」
「それがさ……」
昨日からのことを九万之助へはなしかけて、小兵衛が、ふと、おもいついたように、
「そうじゃ、大治郎。これは、ちょいと油断がならなくなってきた。お前は、すぐに金子先生の道場へ引き返し、先生の病間へつきそっていてくれ。野川|為七郎《ためしちろう》と三冬《みふゆ》どのだけでは、こころもとない」
「はい。では……」
「おはる。ここへ来い」
「あい、何ですよう?」
「お前は、大治郎のところへ駆けつけ、留守番をしている飯田粂太郎《いいだくめたろう》を、四谷《よつや》の弥七《やしち》のもとへさし向け、弥七に、すぐ此処《ここ》へ駆けつけるよう、わしがたのんでいたとつたえてくれ。まだ、宵《よい》の口じゃ。一人で大丈夫だろう?」
「何でもねえですよう」
「おはる……いや、母上。ついでに私を、舟で大川をわたして下さい」
「あい、あい」
大治郎と、おはるが出て行った。
「秋山さん。それほどに、容易ならぬことなのですか?」
「笹目千代太郎は、金ずくでしているのではない。おのれの名を売ろうというのでもない。わが一剣をもって立身出世をしようというのでもない。ましてや、剣の道をきわめておのれを鍛え磨《みが》くことによって……」
人間という生き物の精神と肉体を、生涯《しょうがい》をかけて昇華させようというのでもないと、小兵衛が語るのをきいて、牛堀九万之助が、
「では、何のために、剣術を?」
「ただもう、人に勝つのがうれしいのじゃ。そして人に負けるのを絶対に好まぬという……つまり、そのあたりが、まだ、わがままな子供にすぎないのだよ、九万さん。それだけに怖い。このまま打ち捨てておいては、これから先、どれほどの血がながれるか、知れたものではない。ま、九万さん。千代太郎のことを、まだ、くわしくはなしてはいない。手短かにはなそう。きいておいて下され」
四
それは、もう、二十年ほどむかしのことになるが……。
当時、すでに秋山小兵衛は、四谷《よつや》・仲町《なかまち》に道場をひらき、独立していた。
笹目千代太郎《ささめちよたろう》の実父・庄平《しょうへい》は、そのころ、よく、小兵衛の道場へあそびに来ては、ついでに三日も四日も泊りがけで稽古《けいこ》をしていたものだ。
笹目庄平も、小兵衛と同じ無外流《むがいりゅう》をまなび、
「さようさ、牛堀さんより、腕は落ちるが、なかなかのつかい手[#「つかい手」に傍点]で、人柄もよく、まあ、剣術が好きで好きでたまらぬというやつさ。せがれの千代太郎とはちがい、大男でね。わしは、羅漢《らかん》さん、羅漢さんとよんでいたものだ。さよう、いま、生きていれば、わしより二つ三つ下だから、六十そこそこだろうね」
小兵衛は、無外流の創始者・辻平内《つじへいない》直系の剣客で、平内から三代目の宗家《そうけ》をついだ辻|平右衛門《へいえもん》の愛弟子《まなでし》である。
二代目の辻|喜摩太《きまた》にまなんだ近江《おうみ》・大溝《おおみぞ》の剣客で、牧山《まきやま》半兵衛のながれ[#「ながれ」に傍点]をくむのが、笹目庄平であった。
庄平は、近江のどこやらの神社の神官の次男に生れたとかで、他人の履歴には無頓着《むとんじゃく》な小兵衛だけに、
「その他のことは、きいたこともなければ、きこうともおもわなんだ」
そうである。
或《あ》る日。小兵衛の道場へ、ふらりとあらわれた笹目庄平が、
「一手、お教えをねがいとうござる」
と、あいさつをした、その態度に、みじん[#「みじん」に傍点]も忌《いま》わしいものがなく、真実、教えを請《こ》おうとする心情がにじみ出ていたので、小兵衛もこころよく相手になった。それが機縁となり、道場へ出入りをするようになったのである。
そのころの笹目庄平を、大治郎も、よくおぼえている。庄平に、自分と同じ年ごろの息子がいることもきいていた。
その息子の名が〔千代太郎〕だときいて、小兵衛が、
「それは、わしの恩師・辻平右衛門先生の前名《ぜんみょう》だ」
というと、庄平は、いたく恐縮すると共に、また、よろこびもした。
小兵衛が、その、庄平の一人息子を見たのは、それから二年ほど後のことであった。
笹目庄平は、芝・白金の外れの明昌院《みょうしょういん》という寺の裏手に住んでいた。百姓家を改造した小ざっぱり[#「小ざっぱり」に傍点]とした家で、そこに息子の千代太郎と二人で暮してい、すでに妻女は病歿《びょうぼつ》していた。
近江の実家から金も送られて来るし、庄平も、旗本屋敷を三つほど廻《まわ》り、稽古をつけているので、暮しに困る様子もなかったそうな。
その日。秋山小兵衛は、目黒不動へ参詣《さんけい》の帰途、おもいついて、笹目庄平宅を訪問したのである。
秋であった。庄平の家の前庭の向うに、明昌院の土塀《どべい》が見える。
土塀の高さは一間半(約三メートル)ほどあった。
茶をのみながら、二人が縁先で語り合っていると、裏手から、柿《かき》の実を食べながら、小さな男の子が前庭へ出て来た。それが千代太郎だったのである。
小兵衛は(四、五歳かな……)と見たのだが、当時の千代太郎は七歳であった。子供のころから体が小さかったのは、この一事でも知れる。
「あれが、せがれでござる。これ、千代太郎。此処《ここ》へ来て、秋山先生に、ごあいさつをしなさい」
と、庄平がいった。
すると……千代太郎が、こちらを見て、にやり[#「にやり」に傍点]と笑い、笑ったかとおもうと、いきなり、手につかんでいた柿の実を、明昌院の土塀の上へ向けて、高く放り投げたものである。
同時に、千代太郎の体がふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に舞いあがった。
高く投げられた柿の実が落ちて来るのを受けとめざま、七歳の千代太郎が寺の土塀を軽がると飛び越え、寺の境内に消えたのを、まさに、小兵衛は見た。
「あっ……」
小兵衛は、おもわず声をあげた。
幼童の仕わざともおもえぬ。
おもわず、
「羅漢さん。ありゃ、ほんに、お前のせがれか?」
問いかけたほどであった。
すると、笹目庄平は頭を掻《か》きつつ、うなずいて見せた。
「せがれは、ふしぎなやつ[#「やつ」に傍点]でしてな。妻が亡《な》くなったとき、五歳でしたが、ほとんど、手がかかりませぬでした。朝、飯を炊《た》いておいてやると、私が夜帰るまで、ひとりきりで遊んでおりまして……それも、この近くの森や丘、川などを飛んだり跳ねたりしていたようなのでして……」
と、庄平はいった。
「それにしても、あの身の軽さは天性のものだよ」
「そうでしょうか、秋山先生……」
「いや、実に、めずらしいものを見た。これは、おぬし。ぜひとも、あの坊やに剣術を仕込むのだね」
「ははあ……」
「剣術は、嫌《きら》いなのか?」
「いえ、好きらしいのです。このあたりの子供という子供……それも年上の子たちで、千代太郎に撲《なぐ》りつけられぬものはいないというほどでしてな。ときどき、苦情をもちこまれて、実は、困っているのです」
「ふうむ、それは……それなら尚更《なおさら》に、剣の道へすすませたほうがよい。あのままで、野放しにしておくと、どんな曲り方をするか、知れたものでは……」
と、小兵衛がいいかけて、おもわず腰を浮かせた。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と……明昌院の土塀の向うから、千代太郎が舞いあがって来て、こちらの庭へ降り立ったからである。
「秋山先生。千代太郎を御門下へ入れていただけましょうか?」
「まだ、早い。それよりも、父であるおぬしが木太刀《きだち》の持ち方から教えなさい。それが何よりもよいことだ。そして、さよう……せがれどのが十五歳になったら、私がお引き受けしよう」
「はい。かたじけのうございます」
千代太郎が十五歳に達するまでは、笹目庄平の父親の慈愛のもとに、剣の手ほどきをさせたがよい、と、小兵衛は考えたのである。
「だからね、牛堀《うしぼり》さん。口火をつけたのは、このわしのようなものなのだ」
と、小兵衛は牛堀|九万之助《くまのすけ》に、
「笹目庄平も、わしがすすめたものだから、その気[#「その気」に傍点]になって、教えはじめたらしい。三、四年がうちは、おぼえ[#「おぼえ」に傍点]がよいといって、庄平はよろこんでいたが、そのうちに、大変なことになってきた」
「どうなりました?」
「庄平の手に、負えなくなってきたのじゃよ」
「ほう……」
「家を出て、五日も十日も帰って来ない。十か十一の子供が、どこへ行って何をしていたものか、それは、いまもってわからぬのだ」
「ははあ……」
「いけないことに、また、二年ほどすると、笹目庄平が病気にかかってな。心ノ臓を病んで、うごけなくなってしまった。近くの百姓の女房《にょうぼう》が面倒を見てくれていたようだが……わしのところへは庄平、その、すこし前から、さっぱり姿を見せなくなったし、わしもな、忘れるともなく忘れていたのじゃ」
そして、笹目千代太郎が十四歳になった年の夏のことだ。白金四丁目の通りを北へ入ったところに、浅岡伝蔵《あさおかでんぞう》という剣客が、一刀流の道場を構えてい、ここへ千代太郎があらわれ、
「一手の、お教えをねがいたい」
と、いった。
門人の中には近辺の百姓もまじっているような小さい道場であったらしいが、何しろ、尻《しり》をからげ、まっくろに日灼《ひや》けして棍棒《こんぼう》をぶらさげた少年が勝負をいどんだところで、浅岡伝蔵も門人たちも、
「あは、はは……小僧、帰れ」
相手にしなかった。
すると、小僧が、
「怖いのか?」
と、いうではないか。
「小僧め……」
と、浅岡が笑って、門人のひとりに「では、ひともみ、もんでやれ」と声をかけた。すると、千代太郎が「ぜひとも、浅岡先生に、お教えを……」と、いう。浅岡も、おもしろ半分で「よし、よし。痛いぞ。泣くなよ」などといいながら、木刀をひっさげて立ちあがった。
もとより浅岡は、遊び半分だ。
向い合って、
「さ、来いよ」
と、浅岡がいったとたんに、目の前の千代太郎が見えなくなった。
「あっ……」
と、おもったときには、浅岡の頭上へ飛びあがった千代太郎の棍棒が、したたかに浅岡伝蔵の脳天へ打ちこまれていたのである。
浅岡は、即死した。
門人たちが呆気《あっけ》にとられている間に、千代太郎の姿が消えてしまった。
「さあ、それから五、六年もの間、千代太郎の道場破りが、つづいたというわけじゃ。いや、江戸のみではない。むしろ、江戸を出て、諸方の田舎道場をまわっていたらしい。そりゃな、牛堀さん。わしゃ、この眼《め》で見たわけではないから、よくは知らぬが、その間に、ずいぶんと、千代太郎に叩《たた》き殺された剣客がいたと見てよいのだ」
「ふうむ……」
剣客同士の試合での〔死〕は、
「罪に問われぬ」
こと、いうをまたない。
ゆえに、病床にあった笹目庄平は、月のうちの半分は家に帰って来ぬ千代太郎を、
「せがれめ、仕方のないやつ……」
おもいこそすれ、まさか、そのようなまね[#「まね」に傍点]をしていようとは、考えおよばぬ。
ところが、千代太郎十九歳のとき、麻布《あざぶ》坂下町に道場を構えていた念流《ねんりゅう》の剣客・鳥飼伊兵衛《とりがいいへえ》が、笹目庄平の家へ駆けつけて来て、
「これ、笹目うじ。おぬしのせがれの千代太郎というのは、いったい、どのようなやつなのだ」
と、いう。
鳥飼伊兵衛は、笹目庄平と同じ近江の出身で、知り合いの間柄《あいだがら》だが、庄平が病んでからは、秋山小兵衛同様、疎遠《そえん》になっていたのである。
「千代太郎が、何ぞ、仕出かしたのか?」
「今日、わしの留守中に、わしの道場へあらわれ、笹目千代太郎と確かに名乗り、わしの門人と立ち合《お》うて、五名を打ち殺したのだ」
「な、なんと……」
笹目庄平にとっては、まさに、
「寝耳に水」
であった。
五
それから四日ほどして、ふらりと、千代太郎《ちよたろう》が帰って来たので、庄平《しょうへい》が、すぐさま問いつめると、千代太郎は、にんまりとして、
「はじめは五年前。白金四丁目の浅岡道場」
「待て、何処へ行く?」
「それから今日までに、私が打ち破った道場は合わせて二十八。負けたことは一度もなし」
「こ、これ、千代……」
「御意見は無用」
とめる暇もなく、千代太郎が、また出て行ってしまった。
「ま、それから笹目《ささめ》庄平も、捨ててはおけず、杖《つえ》をひきひき、先《ま》ず、白金の浅岡道場へ出向いて行った。主《あるじ》が死んだ道場は、もう無かったが、その近くに住む百姓たちにきいて、せがれのいうことに間違いがなかったことがわかった。そこで、とうとう、何年ぶりかで、庄平が、わしの道場へあらわれたのじゃよ」
と、秋山小兵衛が、
「それでのう、牛堀さん。笹目庄平は、それから間もなく、死んでしもうた……」
「えっ……」
「庄平が、わしのところへ来てから七日目に、せがれめが帰って来たらしい。むろん、今度は強《きつ》く意見をしたが、何しろ、あのような怪物じゃ。父親のことばなど聞くものではない。たまりかねて……」
たまりかねた笹目庄平が、木太刀をつかんで立ちあがり、息子を懲《こら》しめようとした。これは、台所にいた手つだいの農婦が目撃している。
庄平の身のまわりの世話をしていた、その農婦が、のちに秋山小兵衛へ、こう語った。
「先生が木刀を持って立ちあがられますと、それまではにやにや[#「にやにや」に傍点]していた若さんの顔つきが変りましてのう。そりゃもう、まるで別人のように恐ろしい顔を……すると、先生が若さんを木刀で叩《たた》いたですよ。いえ、叩いたか、と、私《あし》はおもったですよ。そのとたんに、若さんの体に狐《きつね》がついたようで、天井まで飛びあがりやした。飛びあがって、足で先生の頭ぁ蹴《け》っ飛ばしたですよ」
蹴られて、笹目庄平は昏倒《こんとう》した。
千代太郎は、姿を消した。
庄平は、しかし尚《なお》、二日を生きた。
農婦の知らせをうけた秋山小兵衛が駆けつけると、庄平は心ノ臓の苦痛に堪《た》えつつ、すべてを語り、息を引きとるにあたって、
「秋山先生。せがれは魔性の生きものでござる。生かしておいては世のためになりませぬ。た、たのみ申す。先生、千代太郎を討って下され」
と、いいのこしたのである。
笹目千代太郎が、小兵衛の道場へ、突然あらわれたのは、それから約半月後のことだ。
当時、秋山大治郎は、すでに父の手もとをはなれ、京都郊外・大原の里に引きこもっていた父の恩師・辻平右衛門《つじへいえもん》のもとで修行中であった。
千代太郎は、亡《な》き父・庄平の遺体を葬《ほうむ》ってくれた小兵衛に対し、一言の礼をのべるでもなく、
「秋山先生。ようやくに私、先生と立ち合える自信《ちから》がつきました。一手、お教えをねがいとう存じます」
と、いった。
じろり[#「じろり」に傍点]と見た小兵衛が、
「おのれ。父が亡くなったことを存じておろうな」
「はい」
と、平然たるものだ。
「ふうむ……」
千代太郎を凝視していた小兵衛が、
「おのれは、これまでに、何人、殺した」
「試合《しお》うて勝ったまでのこと」
「何人、殺したぞ」
「さよう……三十余人」
「よし。まいれ」
小兵衛は立って、木刀をつかみ、
「おのれは、化け物か」
「いや……」
烈《はげ》しく、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振った千代太郎が、こういったものだ。
「私、六歳の夏の夜。章駄天《いだてん》の神が、この体内に宿りました。私の剣法は章駄天より授かりましたものです」
〔章駄天〕は、婆羅門《ばらもん》の神で、のちに仏教の伽藍《がらん》の守護神となった。増長天《ぞうちょうてん》の八大将軍の一で、盗まれた仏舎利《ぶっしゃり》を奪い返すために、非常の速力をもつ神だということになっている。
「こやつ……魔物に魅入《みい》られたな」
「先生。いざ、勝負」
ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と退《しさ》って木刀を振りかぶった笹目千代太郎へ、
「鋭《えい》!!」
凄烈《せいれつ》きわまる気合声を発し、小兵衛が木刀を投げつけたものである。
これには、千代太郎もおどろいたらしい。
得意の跳躍に移る間がなかった。
「あっ……」
小兵衛が投げた木刀は、生きもの[#「生きもの」に傍点]のように千代太郎の右脚を強打した。
よろめく千代太郎へ躍りかかった小兵衛が、矮躯《わいく》の千代太郎をすくいあげるように抱きかかえ、これを道場の羽目へ叩きつけた。
「むうん……」
千代太郎は、気をうしなった。
これを二重三重に縛りつけ、小兵衛は裏の物置へ放《ほう》りこんだ。
いかに、亡き笹目庄平のたのみとはいえ、失神した千代太郎を、殺す気にはなれない。
それが、いけなかった。
朝になって見ると、千代太郎は物置から消えていた。あれだけ、きびしく彼の体を縛りつけておいた縄《なわ》が結び目もそのまま、輪状になって物置の土の上へ残されていたのである。
そのとき以来、笹目千代太郎の消息が絶えた。
そしていま、八年ぶりに、彼は江戸へもどって来たというわけだ。
「その八年……」
と、小兵衛が嘆息して牛堀|九万之助《くまのすけ》に、
「八年のうち、五年は飛騨《ひだ》の山中へこもっていたそうだが……あとの三年は諸国をまわっていたそうな。はなしどおりに聞いたとして、その三年の間に、きゃつめ[#「きゃつめ」に傍点]の餌食《えじき》となった剣客は何人にのぼることか……」
「ふうむ……」
九万之助も、すぐには言葉が出なかったが、ややあって、
「そりゃあ、秋山さん。まことに、魔性の……」
「人の世には、はかり知れぬことがあるものじゃよ、牛堀さん。もともと、人間なんてものが、わけのわからぬものさ」
「え……?」
「だってほれ、男と女があんなこと[#「あんなこと」に傍点]をして、その結果、女の腹がふくれ、中から人の子が飛び出してくる。こいつは、どう考えても妙だ。ふしぎだよ。な……」
「秋山さん。冗談事ではありませんぞ」
「だって、そうではないかえ、九万さん。お前さん、そうおもわぬか?」
「そりゃあ……たしかに、ふしぎなことですが……」
「だからさ、笹目千代太郎のような生きものも、生れて来るのさ。わしはな、むかし、千代太郎よりも、もっと凄《すご》い、もっと、ふしぎな人間を見たことがある」
「それは、どのような?」
「お前さんにはなしたところで、本当にせぬだろうからいわぬ。いずれ、折を見て、はなしてあげてもよいがね」
「しかし、秋山さん。これから、その、笹目千代太郎を、どうしたら……?」
「やつは、わしを殺しに江戸へ帰って来たのさ。八年前の仕返しにね。昨日、ここへあらわれたとき、わしは眠ったふり[#「ふり」に傍点]をしていた。千代太郎も眠った男は斬《き》りたくなかったと見え、いきなり、わしの体を飛び越えざま、長い刀《の》を引きぬいたよ」
「ええっ……」
「まさに、斬れたとおもったらしい。いや、寝たふりをしていなかったら、斬られていたろうよ」
「あ、秋山さん。何をおっしゃる」
「それから、また、庭へまわって来て声をかけた。そのときには殺気が消えていた。いくらか胸がすいたのやも知れぬ」
「それで、金子先生の道場を?」
「うむ、だから今夜は大治郎を湯島へさし向けておいたのだが……さて、これから、あの化け物がどう出るか、それは、わしにもわからぬのじゃよ」
小兵衛は白髪頭《しらがあたま》を抱えこんでしまった。
六
それから三日の間、秋山小兵衛たちは、笹目千代太郎《ささめちよたろう》の所在をつきとめるため、でき得るかぎりの手はつくしたが、どうにもならなかった。
四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》や傘《かさ》屋の徳次郎はむろんのこと、牛堀道場の門人たちも眼の色を変え、江戸市中を探しまわった。
千代太郎は牛堀道場へあらわれて以来、消息を絶ってしまった。
小兵衛は、かつて、笹目|父子《おやこ》が棲《す》んでいた家へ出向いて見た。
すでに五年前から別の人がその家に入っていた。笹目庄平の世話をしていた農婦は健在であったが、庄平の死後、千代太郎の姿などは、一度も、
「見かけたことがねえですよ」
と、こたえた。
江戸市中には、大小合わせて二百余の剣術道場があるそうな。
とにかくしらみつぶし[#「しらみつぶし」に傍点]に、そうした道場の一つ一つを当ってみる必要がある。
以前のときもそうだが、千代太郎ごとき名も知られてはいない若者に道場を破られ、死人を出したとなっても、その道場にとっては、
「沽券《こけん》にかかわる……」
大事であるから、めったに他へはもらさぬ。
「もしも、千代太郎めがあらわれていたなら、様子をきけ。まだ、あらわれていないときは、いつにても、わしたちと連絡《つなぎ》がつくようにたのんでおけ」
と、小兵衛は、市中へ出て行く牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》の門人たちにいった。
四日目、この日も、ついに、千代太郎の消息がつかめぬ。
小兵衛は、夜になって隠宅へ帰って来ても、おはるに口もきかず、不機嫌《ふきげん》にだまりこんでいる。
おはるが蕎麦《そば》を打ってすすめたが、黙念と一箸《ひとはし》すすりこんだのみで、あとは、箸を置いてしまった。
こうなると、小兵衛は怖い。
「いったい、何が気に入らないのですよう」
などと、おはるは一端《いっぱし》の女房《にょうぼう》気取りでいいかけたりしたが、じろり[#「じろり」に傍点]と睨《にら》まれ、すくみあがってしまった。
ここ数日、千代太郎を見て以来の小兵衛は、おはるを納戸《なんど》へ寝かせ、自分ひとりで居間にねむり、いつも、波平安国《なみのひらやすくに》の脇差《わきざし》を引きつけている。
大治郎も、あれから、金子孫十郎の道場へ泊りこんでいた。
孫十郎が、佐々木三冬に、こういったそうな。
「秋山小兵衛殿は、おのれが気のすむまで、わしの道場の稽古《けいこ》を見てまいれと、大治郎殿にいいつけたそうじゃが、奇妙なことよ。いったい、何事があったのじゃ?」
「はい。私も、そのようにきいておりますのみにて……」
「ふうむ」
孫十郎は病間に引きこもったきりなので、大治郎が泊りこんでいるとはおもっていない。
門人たちや奉公人にも、このことを孫十郎の耳へ入れぬように、と、かたく命じてある。
そして、五日目の朝が来た。
小兵衛が朝餉《あさげ》をすませ、今日も、千代太郎探索の本拠になっている元鳥越《もととりごえ》の牛堀道場へ出かけようとしていたころだから、五ツ半(午前九時)前後であったろう。
「ごめん下さいまし。私は、神田《かんだ》・下白壁町《しもしろかべちょう》の丹波屋からまいった者でございますが……」
中年の男が、裏手へ来て、おはるに声をかけた。
「丹波屋さん……?」
「はい。宿屋でございます。私は、そこの番頭をしておりますので……」
「それが、何で?」
と、小兵衛がおはるを押しのけるようにして台所へあらわれた。
「はい。今朝早く、お発《た》ちのお侍さまが、こちらさまへ、大事の手紙ゆえ、間ちがいなくおとどけするようにと申されまして……」
番頭がさし出す手紙のおもてには〔秋山小兵衛先生〕とあり、裏には〔笹目千代太郎〕の六文字が、これはもう実にたどたどしい[#「たどたどしい」に傍点]筆の運びで書きしたためてあるではないか。
「おはる。この人にこころづけ[#「こころづけ」に傍点]を……」
ささやいておいて小兵衛が番頭へ笑いかけつつ、
「返事は?」
「いらぬ、と、申されてでございましたが……」
「いつごろから、泊っていたのじゃな?」
「さよう……五日ほど前からでございました。なんでも播州《ばんしゅう》・姫路から出ておいでになったそうで……」
「そうか。いや、ありがとう」
こころづけを番頭へわたすおはるを台所へ残し、小兵衛は、居間へもどった。
笹目千代太郎の手紙には、こう書いてある。
「明日、夕七ツ。広尾の二本松にて真剣の立合いをおねがい申します。よもや、おことわりもあるまいと存じ、御へん[#「へん」に傍点]事無用」
字も下手だが、手紙の文章も、まことにひどいものである。
これを読み終えた小兵衛の老顔には、今までの暗い翳《かげ》りが消え、むしろ、
「ほっ[#「ほっ」に傍点]としたような……」
表情が浮かんでいた。
「おはる」
と、よぶ声もおだやかに、
「この手紙をな、飯田粂太郎《いいだくめたろう》にたのみ、金子道場にいる大治郎へとどけさせてくれ」
「あい、あい」
すぐに、おはるは舟で大川をわたり、大治郎の道場へ出かけて行った。
九ツ(正午)をまわったころ、秋山大治郎が、小兵衛のもとへ駆けつけて来た。
「父上。相手が、あらわれたとか……」
「だれにもいうてはおらぬな?」
「はい。三冬殿にも申してはおりませぬ」
「この手紙を見よ……どうじゃ」
「明日、ですな」
「うん。お前、いっしょに来てくれ」
「いや、父上。私が立合います」
「よいさ、わしがやる。しかしな、今度は、わしが千代公に斬《き》られてしまったら、またしても、きゃつめを野放しにすることになる。これは大変だ」
「まさかに、父上が……」
「いや、そうでない。十年前のわしなら、かならず勝てたろうが、いまは、やはり、な。六十をこえたわしのちから[#「ちから」に傍点]は、お前が考えているようなものじゃあないのだよ。もし、わしが殺《や》られたら、お前にたのむ」
「父上……」
「叱《し》っ。大きな声を出すな。おはるが台所にいるではないか」
「は……父上……」
「なんだえ?」
「ぜひとも、私を先に……」
「ならぬ」
「いえ、私、実は、父上から、くわしくうかがいました笹目千代太郎の剣に、ここ数日、毎日のように相対しておりました。金子道場で門人方の稽古を見ている間にも……」
「ふうむ……」
「闘ってみたいと存じます。生死は別のことにして、これは修行中の私が、ぜひとも為《な》すべきことではないでしょうか」
「ふうむ……」
「私が殪《たお》れましたら、後は、父上におねがいいたします」
きっぱりといい切られて、小兵衛が、
「どのようにして、闘うつもりだえ?」
「申しませぬ。見ていて下さい」
「わしはな、こう……」
「いえ、父上のおつもり[#「おつもり」に傍点]もきかぬほうが……」
「よいか。そうかも知れぬ」
うなずいた小兵衛が、
「よし。こころ置きなくやれ。これは、父子《おやこ》ともに、あの化け物の剣に殪れようとも、為さねばならぬことゆえな」
「そのとおりでございます、父上」
「今夜は、此処《ここ》へ泊るか……」
「いえ、私の道場へ帰ります」
「ではな、さよう……明日の八ツごろに、麻布《あざぶ》四ノ橋を南へ行ったところの氷川明神《ひかわみょうじん》の側《そば》に、梅の茶屋という茶店がある。そこで会おうよ」
「承知いたしました」
○
氷川明神社は、このあたりの鎮守で、むかしむかし、日本武尊《やまとたけるのみこと》が、当国|一宮《いちのみや》の氷川の神を遥拝《ようはい》なされた旧跡だそうな。この門前、左側に、わらぶき屋根の鄙《ひな》びた茶店がある。〔梅の茶屋〕とよぶのは、その前に見事な白梅の老木があるからだ。
この日。朝から雲が重苦しくたれこめ、いまにも雨が落ちて来るかとおもわれたが、秋山小兵衛と大治郎が梅の茶屋で落ち合ったころから、風が出て来て雲が疾《はし》りはじめ、急に冷えこみが強《きつ》くなったようである。
小兵衛は、安国の脇差と共に、藤原国助の大刀を腰に差しこみ、軽袗《カルサン》ふうの袴《はかま》に短袖《みじかそで》の茶色の着物、黒の袖無羽織といういでたち[#「いでたち」に傍点]で、塗笠《ぬりがさ》をかぶっていた。
大治郎は、旅へ出るときの身仕度で、ひざ[#「ひざ」に傍点]のあたりまでの着物をつけ、脚絆《きゃはん》はつけずに足袋・草鞋《わらじ》という軽装である。
「父上。母上が怪しみませんでしたか?」
「いや、別に……でもな、今日は長い刀《の》を持って行きなさるところを見ると、何か、おありなさるらしい、などと、いうていたよ」
「平気なので?」
「おはる[#「おはる」に傍点]は、まさか、わしが死ぬるとはおもうていまいからな」
父子は、ゆっくりと茶をのみ、この茶店の名物・鳩饅頭《はとまんじゅう》をつまんだ。
こうなると、さすがに秋山父子である。
ことに小兵衛は、六十余年の間に、数え切れぬほど、生死の間をかいくぐって来ている。こうした場合の生と死の境界へ身を置くことに、小兵衛はあまりにも体験が多すぎた。
(人は、いつか、かならず死ぬ)
のである。
「さて、行こうか」
「はい」
父子は、約束の七ツ(午後四時)をすぎてから、広尾の原へ着いた。
「広尾ヶ原は、一に土筆《つくし》ヶ岡《おか》ともよばれ、摘草《つみくさ》および、虫の名所なり。また、枯野をもって知らる。いま尚《なお》、流々原野を縫うの景趣を存し、古き武蔵野《むさしの》を彷彿《ほうふつ》せしむ」
と、むかしの本に記してある。
現代の、白亜のマンションがたちならぶ景観からは想像もつかぬ。
その原野の中の二本松とは、文字どおり、二本の松が並んで立っている場所で、あたりいちめんの芒《すすき》の原であった。
すでに、笹目千代太郎は来ていた。
袴はつけず、着物の裾《すそ》を高だかと帯へ差しこみ、襷《たすき》をかけている。
「笹目千代太郎。早いな……」
と、小兵衛。
「よくこそ、まいられましたな」
千代太郎が、ぬたり[#「ぬたり」に傍点]と笑った。
「わしのせがれ、大治郎が先に立合う」
「ほう……」
「それで、よいか?」
「かまいませぬとも」
事もなげに、千代太郎がいってのけた。
雲が疾り、風が鳴っている。
灰色の雲の隙間《すきま》から、血のような夕焼けの色が見えた。
「秋山大治郎」
名乗って大治郎が、すすみ出た。
「ものもの[#「ものもの」に傍点]しいいでたち[#「いでたち」に傍点]ですな」
と、千代太郎がいった。
大治郎こたえず、きらり[#「きらり」に傍点]と、横川|彦五郎《ひこごろう》形見の備前兼光《びぜんかねみつ》の大刀を抜きはらった。
期せずして、大治郎は、箱根での事件同様に、父の遺友の息子と、二度も闘うことになったわけだ。
「ふ、ふふ……」
微《かす》かに笑いつつ、笹目千代太郎も大刀を抜いた。
この一瞬が、勝敗の別れ目であった。
千代太郎は間合いをせばめて、得意の跳躍に移ろうとし、秋山大治郎はすかさず、大刀を正眼《せいがん》に構えたまま、するすると後退した。
(……?)
千代太郎は、速く後退する大治郎に、虚を衝《つ》かれたといってよい。
「うぬ!!」
猛然と追いつめて来た千代太郎へ向って、今度は、大治郎が猛然と突進した。
これも、千代太郎にとっては意外のことであったろう。
わが跳躍に、絶対の自信をもつ千代太郎も、とっさに、間合いをはかりかねてしまった。
「鋭《えい》!!」
「たあっ!!」
二人の気合声が、同時に起った。
今度は大治郎を迎え撃つかたち[#「かたち」に傍点]となった千代太郎が、それでも必死に跳躍した。
その千代太郎の右脚を、大治郎の大刀が切断した。
「うわ……」
宙に浮いた笹目千代太郎の矮躯《わいく》が焦点をうしなって落ち、落ちかかりつつ、尚も彼の長刀は一閃《いっせん》二閃とひらめいたのである。
だが、それは、いたずらに空《くう》を切ったのみだ。
芒の中へ落ちこんだ千代太郎の頭上へ、大治郎が決定的な一撃を打ちこんだ。
「ぎゃあっ……」
と、獣《けもの》じみた絶叫をあげ、血けむりの中に笹目千代太郎は即死した。
大治郎が切り落した千代太郎の右脚が、落ちているところへ、秋山小兵衛が歩み寄り、
「人の足とは、おもわれぬ……」
と、つぶやいた。
大治郎が兼光の一刀をぬぐい、鞘《さや》へおさめつつ、
「父上……ごらん下されましたな」
「見た」
「いかがでしたか?」
「ふ、ふふ……」
「何が、おかしいのです?」
「わしもな、お前と同じやり方[#「やり方」に傍点]で闘おうとおもっていたからさ」
約束金二十両
一
その日の午後……。
いつものように稽古《けいこ》を終えた佐々木|三冬《みふゆ》は、湯島五丁目の金子孫十郎道場を出て、老僕《ろうぼく》・嘉助《かすけ》が待つ根岸の寮(別荘)へ帰りかけたが、
(いまごろなれば、大治郎《だいじろう》どのが、まだ、父の屋敷におられるやも知れぬ)
と、おもい、神田橋《かんだばし》御門内の、父・田沼主殿頭意次《たぬまとのものかみおきつぐ》の屋敷へ向った。
今日は、田沼屋敷における秋山大治郎の稽古日であった。
べつだん、大治郎に用があってのことではない。
ないが、このごろは十日も大治郎の顔を見ないでいると、夜、臥床《ふしど》へ入ってからも、ねむれなくなってしまう。熱い吐息を洩《も》らしつつ、輾転《てんてん》と寝返りを打ち、空が白みはじめるころになり、ようやくにまどろむのだが、すると、こういうときには、かならず、はずかしい夢を見てしまうのだ。
目ざめているときは、おもっても見たことがない自分を、三冬は夢の中に見出《みいだ》すのである。
たとえば……。
大治郎と剣術の稽古をしている夢を見る。
大治郎の木刀を叩《たた》き落した三冬が勝ち、道場の板敷きへ仰向《あおむ》けに倒れた大治郎を、
「これでもか、これでもか……」
と叫びつつ、三冬が押えこむ。これでは、まるで、柔術の稽古ではないか……。
それはまだよい。大治郎には到底、勝つことができぬ三冬の願望が夢にあらわれたのだ、ともいえよう。
しかし、つぎに、三冬は大治郎へのしかかるようにして、
「これでもか、これでもか……」
よばわりつつ、大治郎の稽古着の胸もとを乱暴に引きめくり、鞣革《なめしがわ》を張りつめたような男の若わかしい胸肌《むなはだ》へ、無我夢中で顔を押しつけ、くちびるで、厚くもりあがった大治郎の筋肉をまさぐりはじめるのだ。
「あっ……」
おもわず声を発し、目がさめてしまう。
そのときの、佐々木三冬の全身は汗ばみ、だれも見てはいない寝間の薄明の中で、三冬は寝衣《ねまき》の中から両手にわが乳房を押え、
(なんという、みだら[#「みだら」に傍点]なことを……)
羞恥《しゅうち》にさいなまれて顔も体も火照《ほて》らせ、さいなまれつつ、おもいもよらぬ昂奮《こうふん》に酔いしれている自分を、どうすることもできない。
ま、それはさておいて……。
佐々木三冬が、金子道場から円満寺の前をすぎ、神田|明神社《みょうじんしゃ》・門前へさしかかったとき、それまでは薄日がもれていた空が急に掻《か》き曇ったかとおもうと、雨が疾《はし》って来た。
秋時雨《しぐれ》である。
三冬は、明神社・大鳥居を入った左側の茶店へ走り込み、名物の甘酒をたのみ、時雨が通りすぎるのを待つことにした。
(おいしい……)
そこはさすがに、若い女性《にょしょう》であった。
熱く甘く、生薑《しょうが》の香りがほのかにただよう甘酒をすすり、何気なく眼《め》をあげると、すこしはなれた楼門の手前の、松の木の前に、大きな立札が見えた。
(このような場所に、立札とは……?)
奇異に感じ、立ちあがって目を凝らし、立札の文字を読んだ。
大きくはあっても手づくりの、粗末な立札には、墨痕淋漓《ぼっこんりんり》として、つぎのごとくしたためられてある。
[#ここから1字下げ]
先師いわく。名ありて功なきは恥のもとなり。剣術の極意《ごくい》をきわめし我におよぶもの、おそらく天下にあるまじく候《そうろう》。御望みの方は御出向きあって、我の太刀筋を御覧あるべく候。但《ただ》し、当方勝ちたるときは、立合料金三両申し受くべく候。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]雲弘流《うんこうりゅう》 平内太兵衛重久《ひらうちたへえしげひさ》
[#地から2字上げ]行年六十二歳
[#地から2字上げ]駒込《こまごめ》上富士前町裏居住
三冬が、茶店のあるじに尋ねると、あるじは、
「いえ、それが、今朝起きて、店を開けましたときには、もう、あの立札が立っておりましたので。さようでございます。昨日の暮れ方に店を仕舞いましたときには、はい、たしかに、立ってはおりませんでございましたが……」
と、こたえた。
すこし前までは、参詣《さんけい》に来た人びとが、おもしろがって立札を見ていたそうな。
その中には侍たちもいて、
「これは気が狂うているらしい」
「ちかごろは、いろいろと妙な商売があるそうな。こやつも、まやかしもの[#「まやかしもの」に傍点]ではないのか」
「見よ。行年六十二歳というのがよいではないか」
「あは、はは……からかって見る気にもなれぬ」
などと、嘲笑《ちょうしょう》していたという。
やがて、雨もやんだので、三冬は茶店を出て、田沼屋敷へ向った。
秋山大治郎は、屋敷内に設けられた道場での稽古をすませ、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年をつれ、いま、帰ろうとしているところであった。
「あ、ちょうど、よかった……」
「三冬どの。何か?」
「お帰りなれば、途中まで」
三冬は大治郎と共に、田沼屋敷を出た。
父・意次は、まだ、江戸城中から帰邸していなかった。
歩みつつ、三冬は、神田明神境内の立札のことを語り、
「大治郎どのは、いかがおもわれます?」
「ふうむ……」
「雲弘流とは、いつぞや、いささか耳にしたこともありますが、どのような?」
「いまは、めずらしい流儀です。私も、父から聞いただけですが……」
「はあ……?」
「むかし、陸奥《むつ》の国の人で、樋口不堪《ひぐちふじん》という人が、天真正伝神道流《てんしんせいでんしんどうりゅう》をまなび、弘流を始めたとか……その後、伊達家《だてけ》の臣・氏家《うじいえ》八十郎が不堪にまなび、これまた一派を始め、雲弘流と名づけたとか、聞いています。この氏家八十郎は、のちに井鳥巨雲《いどりきょうん》と号し、天真|発揚《はつよう》を本位とし、一片の私心があっても免許をゆるさなかったそうです」
「いつごろの?」
「元禄《げんろく》のころと、聞いていますが……」
「なるほど……」
三冬は、大治郎の言葉に、何やら、勃然《ぼつぜん》となったようだ。
「私、行って見ようとおもいます」
「ふむ。雲弘流と聞いては、私も何やら……」
「では、御一緒に……」
「うむ……ともかく三冬どの。これから父のところへ行って見ようではありませんか。父ならば、何か知っているやも知れぬ」
「はい」
「まやかしもの[#「まやかしもの」に傍点]にしては、雲弘流を名乗るのが、いささか、凝りすぎている」
「私も、さようにおもいます」
飯田粂太郎を道場へ帰した大治郎が、三冬をともない、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山|小兵衛《こへえ》隠宅へあらわれると、
「や……ちょうど、よいところへ来た」
台所にいて、おはる[#「おはる」に傍点]と仲よく栗《くり》の皮を剥《む》きながら、小兵衛が、
「今日の夕餉《ゆうげ》は巻繊汁《けんちんじる》に栗飯だぞ。三冬さんも食べて行きなさい。あまりうまくて、胃ノ腑《ふ》がびっくりするにちがいない。あは、はは……」
「それは、うれしゅうございます」
このごろ、佐々木三冬も、小兵衛とおはるの関係に、ようやく気づいたらしいが、いささかも嫌悪《けんお》するところがない。
それというのも、いまの三冬は、秋山大治郎という対象を得たからであろう。
二
翌日の昼すぎに……。
秋山大治郎と佐々木三冬が、駒込《こまごめ》の上富士前町のあたりへあらわれた。
当時、このあたりは、江戸の郊外といってよい。
わら[#「わら」に傍点]屋根の笠《かさ》屋・飯屋・古着屋などがたちならぶ中には、百姓家もまじっている。
町なみの南側は、大和郡山《やまとこおりやま》十五万石、松平家《まつだいらけ》・下屋敷の宏大《こうだい》な土塀《どべい》が、見わたすかぎりにつづいていた。
そうした上富士前町を裏側へ入ると、あたりはもう、いちめんの田畑と木立がつらなり、まったくの田園風景であった。
神田明神境内に、かの立札をたてた老剣客・平内|太兵衛《たへえ》の家は、そのあたりの松林の丘の下にあった。
わら屋根の、朽ちかけた百姓家なのだが、畑道の向うに、
〔雲弘流平内太兵衛〕
と大書した真新しい立札が打ちたててあったので、すぐにわかった。
三冬は、いつもの若衆髷《わかしゅわげ》に黒の小袖《こそで》、茶宇《ちゃう》の袴《はかま》。絹緒《きぬお》の草履《ぞうり》といういでたちだが、大治郎は、わざと髷《まげ》をくずし、おはる[#「おはる」に傍点]の父親の百姓・岩五郎から借りた筒袖の着物の裾《すそ》をからげ、菅笠《すげがさ》をかぶり、股引《ももひき》をはいた素足に草鞋《わらじ》ばきという、一見、三冬の供をしている下男に見えた。
二人が、その家へ近づいて行くと、草も木も生いしげるにまかせた前庭へ筵《むしろ》を敷きのべ、その上に寝そべっている老人の姿が眼に入った。
年齢《とし》のころは、秋山小兵衛と同じほどに見え、背丈は尋常だが、骨張って痩《や》せた体を折り曲げるようにし、よい気もちそうに昼寝をしている。
白髪の、うすい髪はたれ下るままにまかせ、秋が深まっているというのに渋染めの帷子《かたびら》一枚を着て、おまけに尻《しり》をまくり、髑髏《されこうべ》のような臀部《でんぶ》を日射《ひざ》しにさらしているではないか。
「狢《むじな》のような、お顔……」
と、佐々木三冬が秋山大治郎へささやいた。
三冬の、なまあたたかく芳《かぐわ》しい息吹《いぶ》きを、まともに顔へうけた大治郎が、
「なるほど……」
あわてて、身をはなし、
「ほう、猫《ねこ》が……」
と、いった。
老人の痩せこけた股《もも》を枕《まくら》に、これはまた、憎々しいまでに肥えた大きな赤猫が喉《のど》を鳴らして寝そべっていたが、三冬と大治郎を見るや、
「ギャー」
と、鳴いた。
その鳴声で、老人が目ざめ、
「ほ[#「ほ」に傍点]や?」
と、いった。「おや?」の「お」が「ほ」にきこえるのだ。
尻もくろいが、顔も日に灼《や》けつくして、大仰にいえば、目鼻だちもはっきりせぬ。
「なんじゃ?」
問われて三冬が、
「昨日、神田明神境内の立札を拝見いたした。平内太兵衛どのでござるな?」
「ほ、ほう……」
声が、鳩《はと》の鳴声に似ている。
「ほ、ほ、ほう。それで?」
「御相手つかまつる」
「わしの?」
「さよう」
「お前が?」
「いけませぬか?」
「いいや……」
にやりとして、
「ようやくに、ひとり来た」
立札の効果は、あまり、なかったものと見える。
「立合料として、金三両いただくが、よろしいか?」
と、平内太兵衛がいうのだ。
(これは、いよいよ、まやかしもの[#「まやかしもの」に傍点]だ)
大治郎が、そうおもったとき、太兵衛は半身を起し、
「わしが負けたら、うけとらぬ。ともかく三両。そこへ出しなされ」
「よいとも」
三冬が小判で三両を出し、縁側の上へ置いた。
「よし、よし」
うなずいた平内太兵衛が、ふわり[#「ふわり」に傍点]と縁側から家の中へ消えた。
三冬と大治郎は、顔を見合せた。
(只者《ただもの》ではない……)
三冬にも大治郎にも、太兵衛が、どのような動作で縁側へあがり屋内へ入ったものか、
(目にとまらなかった……)
のである。
平内太兵衛は、微風のごとく入り、微風のごとくあらわれた。
「あ……」
気がつくと、いつの間にか、太兵衛老人が二人の前に立っている。
そしてなんと、この、
「吹けば飛びそうな……」
老剣客の腰には、刃渡り六尺ほどもある大剣が横たえられているではないか……。
「立合う前に、先《ま》ず、これ[#「これ」に傍点]を見ておけ。しかるのちに考えよ」
いったかとおもうと平内太兵衛の体が、ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と三間ほどもうしろへ飛び下り、
「やあっ!!」
鉄壁をも打ち砕くかとおもわれる気合声が起った。
太兵衛の腰間《ようかん》から六尺の大剣の光芒《こうぼう》が秋の日にきらめいたかとおもうと、つぎの瞬間には、びいん[#「びいん」に傍点]と鍔鳴《つばな》りの音も高く、鞘《さや》へおさめられていたのである。
同時に、ぱさっ[#「ぱさっ」に傍点]と音がして、庭の柿《かき》の木の一枝が実をつけたまま、太兵衛の超長刀に切り落され、三冬と大治郎の目の前へ飛んで来た。
二人とも、息をのんだ。
たしかに、抜いたのも鞘へおさまったのも見た。
しかし、どうして、自分の背丈よりも長い大刀を抜き、腰の鞘へおさめたのか、そこが、三冬にも大治郎にも、
(見えなかった……)
のであった。
日が暮れてから、秋山大治郎が佐々木三冬をともない、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどって来た。
待ちかねていた秋山小兵衛が、
「おお、もどったか。どうした、そのまやかしもの[#「まやかしもの」に傍点]を打ち叩《たた》いてやったかえ?」
二人とも、こたえず、うつ向いていた。
「どうしたのじゃ、二人とも……」
大治郎が、ぽつりと、
「立合料の金三両、取られました」
「なに、立合料だと……」
「はい」
「いよいよ、まやかしものじゃ。三両をくれてやるほど、愛嬌《あいきょう》のある相手だったのか?」
「愛嬌……たしかに、それは……」
「なになに、いったい、どうしたというのじゃ」
佐々木三冬が、このとき、すすみ出て、
「秋山先生。私たち、立合わずして負けました」
と、いった。
「これは、聞き捨てにならぬ」
小兵衛の顔色も一瞬、引きしまったようだ。
三
翌日。
秋山小兵衛は、ただ一人で町|駕籠《かご》に乗り、駒込《こまごめ》へ出かけて行った。
いつもの着ながし姿に脇差《わきざし》のみといった軽装ではなく、今日の小兵衛は、めずらしく軽袗《カルサン》ふうの袴《はかま》をつけ、大小を腰に帯している。
駒込へ行く前に、小兵衛は神田明神社《かんだみょうじんしゃ》へ立ち寄って見た。
件《くだん》の立札は、もう無かった。
そこで、佐々木三冬からきいた茶店へ入り、甘酒を注文し、
「一昨日までは、あそこに、妙な立札が見えたが……」
小兵衛が茶店のあるじに尋ねると、
「御存知でございましたか……さようで。一昨日の暮れ方に、明神さまの方で取り除いてしまいました。ことわりもなしに、あんなものを、境内に立てたのでございますから、これはもう、当り前のことで……」
「ふむ、ふむ……」
茶店を出て、鳥居の外に待たせてあった駕籠に乗り、それから小兵衛は駒込へ向った。
上富士前町で駕籠を下りた小兵衛は、駕籠|舁《か》き二人へ、
「ここで待っていておくれ。すこし、長くなるかも知れぬから……あ、そうじゃ。向うに居酒屋だか飯屋だか、そんなような店が見える。あそこで好きなものでも食べ、酒もまあ、すこしはいいだろう。わしが行くまで、ゆっくりとやっていてくれ」
この町駕籠は、小兵衛がよく利用する本所《ほんじょ》元町の駕籠屋〔駕籠由〕から出たもので、駕籠舁き二人も、かねて小兵衛とは顔なじみの男たちだ。
「へい、先生。気をつけておいでなせえまし」
駕籠舁きに見送られ、小兵衛は、上富士前町の裏道へ入って行った。
今日も、よい天気である。
真昼どきの、強い秋の日ざしに、野茨《のいばら》の小さな実が赤く光っていた。
(なるほど……)
三冬と大治郎に教えられたとおり、道をたどって行くと、平内|太兵衛《たへえ》の家の前へ出た。
ここの立札は、まだ取り除かれていない。
(おや……?)
丘の下の、その家へ近づいて行くと、いましも、二人の侍を前にして、平内太兵衛が、寝そべっていた筵《むしろ》の上から身を起したところらしかった。
若い侍たちは、どこかの剣術道場へ通っている旗本の子弟でもあろうか。二人とも堂々たる体躯《たいく》のもちぬし[#「もちぬし」に傍点]で、にやにや笑いながら、痩《や》せこけた乞食《こつじき》同然の平内太兵衛をながめている。
「お前さん方、二人とも、わしの相手をしなはるか?」
太兵衛がそういうと、二人は、
「ふ、ふふ」
「は、はは……」
顔を見合せ、笑い出した。
太兵衛、すこしもかまわず、
「相手するなら立合料として、一人、金三両。合わせて六両。そこの縁側へ置きなされ。わしが負けたら一文も貰《もら》わぬが、勝てば頂戴《ちょうだい》する」
若侍は、ふところから三両ずつ出し、縁側へ置き、持参した木刀を袋の中から出し、羽織もぬがず、棒《たすき》もかけず、
「老人《おやじ》、仕度せい」
傲然《ごうぜん》と、よばわった。
じろり[#「じろり」に傍点]と、老人が二人を見やって、縁側へあがろうとした体を振り向け、
「仕度は、これでよい」
と、いった。
昨日、三冬と大治郎には見せた超長刀の居合術を、この二人へ見せることを中止したようである。
小兵衛は物陰に屈《かが》み込み、そっと、様子をうかがっていた。
「これでよい、だと?」
「得物《えもの》はいらぬのか?」
二人が軽侮を露骨にし、
「こやつ、狂人らしい」
「さよう」
いったとたんに、平内太兵衛が、
「得物は、お前さん方が持っているじゃないか」
「な、何……」
「お前さん方の、その木刀を奪って打つ」
「うぬ!!」
さすがに、奮然として、
「腰の骨が折れても知らぬぞ!!」
つかつか[#「つかつか」に傍点]と進み寄った一人が、むぞうさに、老人の腰のあたりへ、右手の木刀を打ち込んだ。
打ちこんだ、と、見た瞬間、どこをどうされたものか、その若侍がくるくる[#「くるくる」に傍点]と独楽《こま》のようにまわって四間ほど離れたところの椎《しい》の木へ打ち当り、
「むうん……」
うなり声を発し、転倒した。
そのとき、若侍の木刀は、すでに太兵衛老人に奪い取られている。
「おっ……」
あわてて、木刀を上段に振りかぶった、もう一人の若侍の面上へ、太兵衛の手から離れた木刀が矢のごとく疾《はし》った。
もろ[#「もろ」に傍点]に、木刀が若侍の顔へ打ち当り、
「うわ……」
おのれの木刀を放《ほう》り捨て、両手に顔を押え、がくりと両ひざをついた若侍の傍《そば》へ、するすると近寄った平内太兵衛が地に落ちた二つの木刀を拾いあげ、ぽきぽきとへし[#「へし」に傍点]折ってしまったものだ。
「あ……う、う……」
鼻血をふき出しつつ、若侍が、それでも感心に、椎の木の下に倒れている友達を引き起し、もつれ合い、よろめき合いつつ、畑道の向うへ逃げて行く。
縁側に置かれた金六両をふところへ入れた平内太兵衛が、何事もなかったように、筵の上へ寝そべった。
と……何処《どこ》からともなくあらわれた赤猫が、太兵衛の股《また》ぐらへもぐりこみ、これも昼寝にかかろうとするとき、
「ごめんなされ」
身を起した秋山小兵衛が、ゆっくりと、荒れ果てた前庭へ入って行った。
「どなた?」
と、平内太兵衛。
「ひとつ、御相手を……」
「ほ、ほう……」
半身を起した太兵衛が、小柄《こがら》な、いかにも好々爺《こうこうや》といった感じの小兵衛をながめて、
「おぬしが?」
「さよう」
うなずいた小兵衛は、三枚の小判を紫色の袱紗《ふくさ》に乗せ、縁側へ置いた。
「ふうむ……」
平内太兵衛が、凝《じっ》と、眼《め》を細めて小兵衛を見まもった。
「御老人、得物は?」
と、これは太兵衛が問うたのである。
小兵衛は無言で、腰の、藤原国助の大刀の柄《つか》を叩《たた》いて見せた。
「ふうむ……ちょいと、待たれよ」
「はい、はい」
「ごめん」
ふわり[#「ふわり」に傍点]と、太兵衛の姿が屋内へ消えた。
あらわれたときは、例の六尺余の長刀を腰にしている。庭へ下り立った太兵衛は、長刀の鞘《さや》を地に引き擦《ず》っていた。
「先《ま》ず、これを、ごらんあれ!!」
叫ぶと同時に、長刀の鞘が地面からはね[#「はね」に傍点]あがり、太兵衛の凄烈《せいれつ》な気合声がひびきわたった。
長刀の光芒《こうぼう》が日ざしに光り、またしても柿《かき》の実が一つ落ちたとき、その光芒は鍔鳴《つばな》りの音と共に鞘へ吸い込まれている。
「とく[#「とく」に傍点]と拝見」
秋山小兵衛が一礼し、
「それがしの、およぶところではござらぬ。ごめん下され」
さっと身を返し、あとも振り向かずに去った。
これを見送っている平内太兵衛の顔が青ざめ、べっとりと脂汗《あぶらあせ》にぬれていたのは意外であった。
「きゃつめ、何者か……?」
舌打ちを一つ鳴らし、縁側の上の金三両を袱紗ごとにつかみ取った太兵衛の手が、微《かす》かにふるえている。
筵の上に、まだ寝そべっていた赤毛の老猫が、しきりに鳴いて、太兵衛をよぶのへ、
「うるさい!!」
太兵衛が、怒鳴りつけた。
四
その日の夕暮れに、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ帰って来た秋山小兵衛は、待ちかねていた大治郎と三冬へ、
「わかったよ、まさに、見とどけて来たぞ」
「あの長刀を、抜くところを?」
「うむ、うむ」
「で、立合われましたか?」
「いや、大治郎。やめておいた」
「なぜでございます?」
「わしの前に、二人、来ていてな」
あの若侍二人をあしらった平内|太兵衛《たへえ》の様子を語ってきかせ、
「いや、世の中はひろい。あのような名人が、あのような場所に隠れ住んでいるとはのう」
「それで、あの長刀を、どのようにして?」
と、三冬。
「それはな、三冬どの……」
小兵衛は、手つきでしめして見せながら、
「平内太兵衛は、先《ま》ず、刀の柄《つか》を持って抜きあげ、ついで、刀身の中程の背《みね》へ指をかけるのと同時に、柄を持っていた手をはなし、この手指で、さらに、一気に引き抜く。長刀は一瞬、宙に浮く。それを右手につかみ直すというわけじゃ」
大治郎と三冬は、顔を見合せた。
なるほど、そのようにして抜けば、
(抜けぬことはない……)
のである。
だが、それだけの段階を経て抜刀したとはおもえなかった。
大治郎と三冬ほどの剣士の眼にもとまらず、太兵衛老人が右手に柄を持った瞬間、抜きはなったとしか見えなかったではないか……。
しかし、
(父上は、見た……)
のである。
(秋山先生は、しか[#「しか」に傍点]と見とどけられた……)
のである。
酒が運ばれて来た。
月のよい晩だが、もう庭に面した障子を開け放つ季節ではなくなっている。
盃《さかずき》を口へもってゆきながら、小兵衛は眼を細め、
「もう一度、会《お》うて見たいな。それにしても、あの先生。どうして、あんなに金を欲しがるのだろうな。ふ、ふふ……そこがどうも、おもしろそうじゃな」
そのころ……。
平内太兵衛も、朽ちかけた我が家の炉端で食事をしている。
炉の火にかかった古い鉄鍋《てつなべ》の中に、何か煮えている。野菜だか米だか、粟《あわ》だか麦だか、得体の知れぬどろどろ[#「どろどろ」に傍点]した鳶茶色《とびちゃいろ》の……強《し》いていうなら雑炊《ぞうすい》のようなものが煮えているのであった。
それを、欠け茶わんへすくい入れ、太兵衛老人はぴちゃぴちゃ啜《すす》りこんでい、傍には例の赤毛|猫《ねこ》が、これも欠け皿《ざら》に入れた鍋のものを舐《な》めていた。
この家には行燈《あんどん》もなければ蝋燭《ろうそく》もない。
何もない。
ただ、あの六尺余の長刀が壁に立てかけてあるのみだ。
台所で音がした。
足音が、台所から部屋の向うへ近寄って来る。
太兵衛が、その足音へ、
「まだ、二十両にはならんぞよ」
と、声を投げた。
「いくら、たまったよう、先生……」
足音がとまって、若い女の声がきこえた。
「まだ、八両足りない」
「もう、来ないかねえ、あとは……」
「王子権現《おうじごんげん》と神田明神《かんだみょうじん》へ立札をたてたのじゃが……これまでに来たのは、四人じゃよ」
「一人、五両にふっかけておけばよかったによ、先生」
「そうじゃった、な……」
「けれど、先生がよ、あんなに強いとは、夢にもおもわなかったよう」
「見ていたのかい?」
「ああ」
「ふうん……」
「約束日は、明日《あした》いっぱいだよう」
「わかっとる、わかっとる」
「ほんとうに先生、十二両、そこにあるのか?」
「あるとも」
「それじゃあ、あたい。あるだけ、もらっておくよ」
「わたしてもいいぞ。そのかわり、十二両ですませてくれるか?」
「だめ……」
「いいではないかよ、これでもう、まけ[#「まけ」に傍点]にしてくれ」
「いや。どうしても、明日中に、二十両いるんだよう、先生」
「だが、おもよ[#「おもよ」に傍点]……」
「約束は約束だ」
「む……そりゃ、そうじゃがよ……」
「いいよ、待つから……明日いっぱい、待つからよ、先生」
「待たんでもいい。十二両で、まけておけ」
「いや、いや、いや」
姿は見えぬが、小娘の声なのである。
「先生。此処《ここ》へ、酒、置いとく」
「なんじゃと、酒か……」
「すこしだけど、お父《とっ》つぁんが、先生に持ってってあげろと……」
「そうか、そりゃあ、すまん」
太兵衛が部屋の外へ出て行ったときには、小娘・おもよの姿が、もう見えなかった。
裏の戸口で、
「先生。明日いっぱいだよ。約束は約束なんだからね」
おもよの声がした。
五
平内|太兵衛《たへえ》が、この百姓家に住みついたのは、四年前のことだ。
家は、捨値で買った。ともかく買うだけの金を、そのときの太兵衛は持っていた。この家の持ち主は十五年も前に、神田へ出て商売をはじめており、家をあずかっていたのが、おもよ[#「おもよ」に傍点]の父親・源蔵であった。
源蔵は、すぐ近くに住んでいる。
小さな畑を耕したり、このあたりには多い植木屋の手つだいに出たり、大工仕事も出来るというので、何や彼《か》やと、こまめにはたらいているのだ。
女房《にょうぼう》が五年前に亡《な》くなった五十三歳の源蔵には、三人のむすめがいて、上の二人は、それぞれに嫁ぎ、いちばん下の、十七歳になるおもよと二人で暮している。
平内太兵衛は、源蔵|父娘《おやこ》をはじめ、近辺の人びとから見ると、
「いつも、いつも、寝ていなさる」
と、いうことだ。
たまさかには、ふらりと家を出て、三日ほど帰らぬこともある。
「何をして食べていなさるのか……?」
それも、わからない。
夏冬打ち通して、渋染めの帷子《かたびら》一枚を身につけ、
「そばに寄ると臭いのう」
なのだそうだ。
百姓・源蔵が見かねて、自分の家の風呂《ふろ》へ入れてやることもある。源蔵は、どういうものか太兵衛が好きで、おもよに命じ、野菜をとどけさせたり、ときには米を持たせてやったりする。
だから、平内太兵衛が近所づきあいをしているのは、源蔵・おもよの父娘のみといってよい。
おもよは、父親の手つだいをしながら、一日中、よくはたらいているが、気が向くと太兵衛の家へ、野菜などを持って来ては、掃除をしたり、洗濯《せんたく》をしてくれたりするが、洗うものといっても、ほとんど何も無いようなものだ。
それは、一月ほど前のことであったが……。
夕暮れどきに、里芋の煮ころがしを持って来てくれたおもよが、これをうまそうに食べている平内太兵衛に、
「年の暮に、うち[#「うち」に傍点]へ、嫁さんが来るんだとよう、先生」
さもあぐねた[#「あぐねた」に傍点]ような口調でいい出したものである。
「嫁?……だれに?」
「お父《とっ》つぁんに……」
「源蔵が……ほ、ほ、ほう。やつめ。まだ、色気が残っていたのかよ。ふうん、そうか。それで、どこの女をもらう?」
「板橋|宿《じゅく》の古着屋にいる出戻《でもど》りだと。もう三べんも出戻りをして来て、年齢《とし》は三十八だとよ、先生」
「それで源蔵め。このごろ、道で出合うと、にたにた[#「にたにた」に傍点]しているのじゃな」
「染井の植木屋の旦那《だんな》が、よけいな世話するからいけねえのだよう」
「いいじゃないか。おめでたいことだぞ」
「あたいは、嫌《いや》」
「どうして?」
「いまさら、そんな女をおっ母《か》さんだなんて呼べねえよう。いっしょに暮すなんて嫌だ、嫌だ」
「そんなら、お前も、嫁に行ってしまえばいいじゃないか」
「あたいなんか、貰《もら》ってくれる人は、いねえよう」
「そんなことはないぞ」
「だめだ、だめだめ、あたいはだめだ」
おもよは、背丈が五尺七寸。大女である上に、筋肉質の骨張った体だし、十七歳というが、見たところは二十二にも三にも見える老《ふ》け顔で、化粧もせぬ日灼《ひや》けした肌《はだ》は骨組の上へ渋紙を貼《は》りつけたようだし、髪なぞは鳥の巣のようにして、すこしもかまわない。鼻は低いし、眉毛《まゆげ》は濃く太く、眼は金壺眼《かなつぼまなこ》で、これが白く光っている。
父親そっくりの容貌《ようぼう》なのだが、むすめだけに気の毒だ。嫁いだ二人の姉は母親に似て、色白のふっくりとした顔だちらしい。
「そうかな。わしゃあ、だめ[#「だめ」に傍点]とはおもわんがな……」
と、平内太兵衛が、別になぐさめ顔でいうのではなく、ほんとうに、そうおもっている口調でいったとき、
「ああ……」
ふとい溜息《ためいき》を吐《つ》いたおもよが、
「二十両、ほしいよう」
と、いったのだ。
「二十両も、どうする?」
「ほしいのだよう、先生」
「大金じゃな」
「大金だよう。でも、二十両くれるなら、どんなことでもするがよ」
「何につかう?」
「買物をするだよ」
「何を買う?」
「ああ、もう、いってもはじまらねえ、先生なんかに……」
そのとき、平内太兵衛が、ふと、おもいついた冗談まじりに、こういった。
「お前がだな、わしをだな。びっくりさせたら、二十両やってもいいぞ。どんなことをしてもいい。わしの隙《すき》を見て、石を投げつけてもいいし、棒で叩《たた》いてもいい。水を打ちかけてもいいし、突き飛ばしてもいい。とにかく、わしをびっくりさせたら……」
「ほんとかね、先生」
おもよが、太兵衛の腕をつかみ、
「ほんとかね。でも、二十両なんて金が、先生にあるわけはねえよう」
「わしだって、これでも剣術つかいだ。金をつくろうとおもえば、いろいろと手段《てだて》もあるわえ」
「じゃあ、ほんとだね。やっていいね、先生。やるだよ、あたい」
「ほ、ほ、ほう。やるか?」
太兵衛も実のところ、こんなことになるとは考えていなかったのだ。
「やるともよ、先生」
「ふうん……じゃあ、やってごらん。ただし、一ヵ月の間に限るぞ、いいな」
いったとたんに、おもよが、物もいわずに目の前の、まだ里芋が三つ四つ残っていた鉢《はち》をつかんで、いきなり太兵衛の顔へ投げつけた。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と、太兵衛の老体が宙に浮き、おもよが投げつけた鉢は太兵衛の体の下を飛びぬけ、彼方《かなた》の破れ障子へ当って割れた。
「う……」
おもよは、眼《め》を白黒させた。
いつの間にか太兵衛が、音もなく、炉端の前へ坐《すわ》っていたからだ。
「な……だめ[#「だめ」に傍点]だろう、おもよ」
「だめじゃない。きっと、先生を、びっくりさせてやる」
「ほんとかね?」
「そのかわり、二十両、きっとくれるね?」
おもよの声に、必死の迫力があった。
「うむ……」
うなずいた平内太兵衛も、まじめ顔になり、
「わしゃあ、嘘《うそ》はつかぬよ」
重おもしく、こたえたのであった。
それから、つい先頃《さきごろ》まで、おもよの挑戦《ちょうせん》がつづいた。
先《ま》ず、夜半に忍びこんで来て、紙のように薄い布団《ふとん》にくるまり、ねむっている太兵衛へ桶《おけ》の水をかけた。かけたとおもったのだが、つぎの瞬間、台所の闇《やみ》の中から太兵衛が「ふ、ふふ。そんなことじゃあだめ[#「だめ」に傍点]、だめだ。これ、おもよ。お前の足音は、もう畑道の方から聞えていたぞ」と、いった。
丘の下の畑道を通る太兵衛を、樹《き》の枝に待ち構えていたおもよが、柿の実を投げつけるや、ひょい[#「ひょい」に傍点]とかわした太兵衛が、その柿の実を受けとめざま「それ……」と、枝にとまっているおもよへ投げ返した。まだ熟し切っていない柿の実がひざ[#「ひざ」に傍点]頭《がしら》へ当ったときの痛さは、いまもって忘れぬ。おもよは樹の枝からころげ落ち、したたかに腰を打ってしまった。
おもよは夢中になった。
小娘のすることだから、することは大同小異であったが、落し穴なぞも仕掛けたこともある。
しかし、何をして見ても、
「先生には、かなわねえよう……」
なのである。
ついに、あきらめたかして、おもよが、
「ああ、もういけねえ。もう、だめだよう、先生。あたい……」
がっかりとして、匙《さじ》を投げたように見えたのが、十日ほど前のことであった。
六
(それにしても、おもよ[#「おもよ」に傍点]め。強情にも、ついに口に出さぬが……いったい、金二十両を何につかうつもりだったのか……?)
平内|太兵衛《たへえ》は、そのことだけが、妙に気がかりであった。
また、三日ほどすぎた。
その夜。おもよが、
「先生。風呂《ふろ》をたてたが、お入んなさるかよう?」
迎えに来た。めずらしいことではない。
「そうじゃな。よし、もらおうか……」
三町ほどはなれた百姓・源蔵の家は、こんもりとした松林を背にしている。
「庭」とよんでいる大きな土間の外に風呂|桶《おけ》が据《す》えつけられ、囲いはしてないが、それでも板屋根がしつらえてあった。
「先生。風呂から出たら、茶ぁ一杯、のんで行きなせえよ」
源蔵の上きげんな声を背にきいて、土間を突きぬけて行くと、いましも、おもよが大きな桶になみなみと汲《く》んだ水を、太兵衛が見ている前で風呂桶へ二杯もくみ入れ、
「さ、ちょうどいいよう」
いって、さっさと土間へ入ってしまった。
くるくると帷子《かたびら》をぬいで裸となった平内太兵衛が、
「ありがとうよ」
ずぶり[#「ずぶり」に傍点]と片足を風呂桶へ突きこんだ瞬間、
「熱い……」
喫驚《きっきょう》の声を発して、飛び退《の》いた。
「あは、はは……」
土間から飛び出して来たおもよが、
「やあ、先生、おどろいた。びっくりしたよう」
わめいた。
「う……」
立ちすくんだ太兵衛が、おもよをにらみつけ、
「し、しまった……」
くやしげに唇を噛《か》んだが、やがて、くすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出し、
「わしとしたことが……」
「引っかかった。先生、引っかかったよう」
「負けた。お前が二杯も水をくみ入れたのを見て、それで油断をしてしもうたか……よほどに湯を滾《たぎ》らせておいたと見えるな」
「薪《まき》を、いつもの三倍もつかったよう」
「ふうむ……そ、そうか……」
「約束の二十両は、いいね。まだ一ヵ月の日限は切れていねえよう、先生」
「う、うむ……」
「二十両は、日限が切れて三日の間に、あたいによこす約束だったね、先生」
「う……そのとおり」
こういうわけで、二十両のうち残り八両を、今日いちにちのうちに、手に入れなくてはならぬ日の朝が来た。
(今日、一人でも来てくれるといい。一人で八両。もらいうけてやる。いや、しかし、それだけの金を持っているか、どうか……?)
立札の客[#「客」に傍点]を、待つよりほかに、いまの太兵衛には、八両を調達《ちょうだつ》する手段がない。
(平内太兵衛|重久《しげひさ》ともあろうものが、約束を反古《ほご》にしたとあっては……この、しわ[#「しわ」に傍点]腹を切って果てるより仕方もあるまい。それもいいじゃろ。もう、この上、生きて見たところで、同じことじゃ)
本気で、太兵衛は、そんなことを考えているのだ。
腹を切ることも、死ぬることも、すこしも怖くない。
いつものように、庭の日だまりへ筵《むしろ》を敷きのべ、赤毛の老猫を抱いて、うつらうつらと寝そべりながら、
(それが、いいのかも知れん。あんな小娘に、わしともあろうものが、みごとに、謀《たばか》られた……わしの剣術も、これで、終りということじゃ)
平内太兵衛の閉じた眼から、一すじの泪《なみだ》が、頬《ほほ》をつたわった。
そのとき、庭に人の気配がした。
(立札を見て、来たか……)
依然、寝そべったまま、うす[#「うす」に傍点]目を開け、太兵衛は、昨日の老武士が庭に立っているのをみとめた。
「御用かな?」
「はい」
「昨日は、立合わずして帰られたが……」
「今日は、お相手をいたしましょうかな」
「うむ……」
うなずいた太兵衛が半身を起し、
「今日は、金八両、いただきたい」
「ほう……値上りで?」
「さよう」
「よろしゅうござる」
と、老武士……秋山小兵衛が、白の袱紗《ふくさ》の上へ小判八枚を乗せ、縁側に置いた。
平内太兵衛が、ふわり[#「ふわり」に傍点]と立ちあがった。
秋山小兵衛は、一礼して、
「剣《つるぎ》は?」
と、問うた。
このとき、太兵衛の両眼が活《かっ》と見ひらかれ、凄絶《せいぜつ》な光をたたえ、
「無用!!」
と、いった。
「無用とは?」
「おぬしの剣《つるぎ》を奪って、勝つ」
「では……」
颯《さっ》と二間余を飛び退《しさ》った小兵衛が、藤原国助の大刀を抜きはなち、
「拙者《せっしゃ》が剣を、お貸しいたそう」
そういって、一瞬の間を置き、小兵衛が、
「それっ……」
国助の大刀の柄《つか》のほうを太兵衛に向け、放《ほう》り投げてやったものだ。
同時に……。
秋山小兵衛の小さくて細い体も、弦《つる》をはなれた矢のごとく、太兵衛へ向って疾《はし》った。
「鋭《えい》!!」
「応!!」
二人の老剣客が発した気合声に、筵の上の赤猫が三尺も飛びあがり、落ちたときには目をまわしていた。
片ひざをついた小兵衛が抜きはなった波平安国《なみのひらやすくに》の脇差《わきざし》は、太兵衛の胸もとを下から突きつらぬくかたちとなり、しかも、その切先は約一寸を残し、制止している。
いっぽう、太兵衛は、宙を飛んで来た小兵衛の大刀を両手につかみ、ほとんど鍔元《つばもと》に近い刃先を、小兵衛の脳天すれすれにぴたり[#「ぴたり」に傍点]と止めていた。
二人の体勢は、入れ替っていた。
そのままの姿勢で、二人とも、しばらくはうごかぬ。
午後の日ざしが明るくみちわたる前庭の静寂《しじま》を破って、どこかで、するどく鵙《もず》が鳴いた。
と……。
秋山小兵衛と、平内太兵衛の体がはなれ、
「うふ、ふふ……」
「は、はは……」
笑い合ったかと見る間に、二人が、まるで声を合わせでもしたかのように、
「相討ちですな」
「やはり、相討ち……」
と、いったものである。
「では、この金八両を、おおさめねがいたい。もう二度とは、やれませぬ」
「いや、平内どの。その八両は、そちらへ……」
「えっ……いただいても、よろしいのでござるか?」
「御遠慮なく」
「かたじけない」
太兵衛は国助の大刀を、つつしんで返してから、八枚の小判を押しいただき、これをふところへ入れた。
木陰から、秋山大治郎と佐々木三冬があらわれたのは、このときであった。
「大治郎。三冬どの、よう見たかえ?」
小兵衛が声をかけるや、三冬も大治郎も青ざめた顔を、わずかにうなずいて見せたのみだ。
蘇生《そせい》した赤毛の老猫が太兵衛の胸もとへ飛びつき、しがみつきながら、小兵衛をにらみ、怯《おび》えた低い唸《うな》り声をあげた。
七
それから十日ほどして、平内|太兵衛《たへえ》が、ふらりと、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ、秋山小兵衛を訪ねて来た。
太兵衛は、いつもの帷子《かたびら》一枚を着たのみで、腰には小刀一つ帯びていない。
真新しい菅笠《すげがさ》に草鞋《わらじ》ばきの太兵衛は大風呂敷《おおぶろしき》をいっぱいにふくらませたのを背負い、
「これは、おもよ[#「おもよ」に傍点]からのみやげでござる」
と、風呂敷をひろげて見せた。
大根・栗《くり》・つくね薯《いも》などの野菜が、中から縁側へころげ出た。
「これはこれは、何よりのものを……」
そこへ、おはる[#「おはる」に傍点]が茶を持ってあらわれ、
「あれまあ、うまそうな……」
と、いった。
太兵衛が、おはるを見て、
「秋山うじの孫女《まごじょ》でござるか?」
といったのには、さすがの小兵衛も閉口した。
おはるが、
「あれ、ちがいますよう。わたしは、秋山小兵衛の女房《にょうぼう》でございますよ」
「なんと……」
雷《かみなり》にでも打たれたような顔つきとなった太兵衛が、
「まことでござるか、秋山うじ……?」
「まあ、そんなことは……」
「まことらしい。いや、まことじゃ」
「まことなら、なんとされる?」
「おどろきました」
「たかが、四十ほどしか年もちがわぬものを……」
照れ隠しとはいえ、こんなことを小兵衛がいったのは、はじめてである。
「ときに、その小娘は、どうしました?」
「秋山うじ。あの二十両で、あの小娘めが、何を買《こ》うたとおもわれます?」
「さて……わからぬが……」
「近くの駒込《こまごめ》・妙儀《みょうぎ》坂の西方に、染井|稲荷《いなり》の社《やしろ》がござる。西福寺という寺と同じ境内の……」
「あ。耳にしたことがありますよ、平内さん」
「その門前の、小さな茶店が売りものに出ていたのに目をつけ、わしとの約束が決ると、すぐに、はなしをつけたらしいので……」
茶店の権利と造作、備品など、いっさいで二十両というわけだ。あまり有名でもなく、参詣《さんけい》の人も少ない場所だというが、しかし季節によっては、近くの染井の植木屋へ行楽がてらに江戸市中からやって来る人びとも多く、そうしたときには、商売もいそがしいらしい。
おもよが、冗談から飛び出した約束金に、小娘の、
「夢をかけた……」
のは、板橋の古着屋の妹で、離婚三回の経歴をもつ三十八の女を、父親の源蔵が女房に迎えるにあたって、
(あたいには、とても、いっしょに暮せそうもない)
と、おもいきわめたからである。
こうした事態にならなければ、
「あたい、先生のうち[#「うち」に傍点]へ、置いてもらうつもりだった……」
と、おもよが、太兵衛に語ったそうな。
「それは、残念なことを……」
「何がでござる、秋山うじ……?」
「十七の小娘と、いっしょに、一つ家の中で暮せるというのは、めった[#「めった」に傍点]にないことではありませぬか」
「いっしょに暮したところで、別に……」
「別に?」
「つまらんことです、秋山うじ」
どうも、女のはなしになると、平内太兵衛は、まったく手ごたえがない。
夕暮れ前だというのに、おはるが気をきかせて、酒を出した。
「これは、ありがたい」
のんで、太兵衛が、
「ああ……」
じわり[#「じわり」に傍点]と泪《なみだ》ぐみ、
「こんなに、よい酒をのむのは、二十年ぶりのことじゃ」
「二十年ぶり……?」
「さよう。そのころは、まだ、弟が生きていてくれましたのでな。いささかは、金も、送ってくれまして……」
「弟ごは、いずれの?」
「いや、もう、そのはなしは……」
「きいては、いけませぬか?」
「申したところで、はじまらぬ」
平内太兵衛が、それから酒をのむうち、切れ切れに、小兵衛へ洩《も》らしたところによると、太兵衛は、九州の、どこかの藩臣の家に生れたらしい。
「剣術に魅入《みい》られるままに、国を出奔いたしたのは、さよう……二十二の年でござったかな」
「長男でおられてかな?」
「はい。家は弟がつぎましたよ。わしゃあ、親父《おやじ》の死目《しにめ》にも合わなんだ奴《やつ》でしてなあ」
酔って来て、砕けて語る口ぶりが、その辺の百姓の老爺《おやじ》そのもので、
(これが、あれほどの……)
名人だとは、小兵衛の眼《め》から見ても信じられなかった。
このとき、はじめてわかったのだが、大治郎や三冬の眼には、小兵衛と同年輩に見えた平内太兵衛の年齢は、五十五歳であった。
「だが、うれしゅうござった、秋山どの……江戸にも、あなたのような名手がおられようとは、すこしも存じなかった、わしは……」
江戸で剣術をやるほどの者なら、秋山小兵衛の名を、一度は耳にせぬはずはない。しかし、平内太兵衛は、そうした剣術界の様相とは、まったくはなれたところで修行をつみ重ね、それこそ、
「欲も得もなく……」
栄達や名利《みょうり》と隔絶した場所に、生きて来たものと見える。
それ[#「それ」に傍点]と看《み》て、小兵衛は、平内太兵衛の過去へ、
(もう二度と、ふれまい)
と、おもった。
はなしをきいていると、一度は、妻を迎えたこともあるらしい。
その妻女は、六年ほど前に、大坂で病歿《びょうぼつ》したらしいのだ。
いまの棲処《すみか》を買うことを得たのは、妻女が遺《のこ》しておいた、いくばくかの金があったからなのであろう。
妻女は、どうも、町家の出らしい。
剣術のことや、太兵衛の旧主や家族のことはさておき、
(その妻女のことを、きいてみたいものじゃ)
酒をすすめながら、小兵衛は、しきりにおもった。
おもったが、
(急《せ》かずともよい)
のである。
どうやら、奇人・平内太兵衛との親交が、これから、
(つづきそうな気がする……)
からであった。
いつの間にか、日も暮れ、おはるが障子を閉め、台所につづいた板敷きの間の炉端へ、
「こっちがいいですよう」
と、二人をみちびいた。
赤々と燃えた炉に、大きな鉄鍋《てつなべ》が掛っている。
薄目の出汁《だしじる》を、たっぷりと張った鉄鍋の中へ、太兵衛が持って来た大根を切り入れ、これがふつふつ[#「ふつふつ」に傍点]と煮えたぎっていた。
「さ、おあがんなさい」
「これは、これは……」
「その小皿《こざら》にとって、この粉山椒《こなざんしょ》をふったがよい」
「こうしたらよいので?」
「さよう。さ、おあがり」
ふうふう[#「ふうふう」に傍点]いいながら、大根を頬張《ほおば》った太兵衛が、
「こりゃあ、うまい」
嘆声を発したのへ、小兵衛が、
「そりゃあ、平内さん。大根がよいのだ。だから、そのまま、こうして食べるのが、いちばん、うまいのじゃ」
「こ、こんなものを、わし、食うたことない」
「まさか……」
「食うたこと、あるやも知れんが、忘れてしもた」
と、酔っている平内太兵衛は、頑是《がんぜ》ない幼児のように見える。
また、事実うまいのだ。
このごろのおはるは、小兵衛が手取り足取りして教えるものだから、庖丁《ほうちょう》を取ることのすべてが堂に入って来て、なかなか、ばか[#「ばか」に傍点]にできないのである。
「あ、秋山さん……」
「うむ?」
「おもよという小娘は、おもいのほかに、殊勝なところがござってな」
「ほう……」
「染井稲荷の茶店を一手に切りまわし、わしを……このわしを、養ってくれると、申しましてな」
「なある……」
「や、養って、もらうつもりはないが……」
「いや、太兵衛さん。こだわることはない。養っておもらいなさい」
「え……?」
「それがまた、おもよの生甲斐《いきがい》にもなるのではないかな……」
「ははあ……」
「これも太《たあ》さん。剣術の極意というものじゃないかな」
「ははあ……」
「一度、その、おもよちゃんに会わせてくれぬかな」
「それがさ……物干竿《ものほしざお》のような小娘で、な……」
「ほほう」
「そりゃもう、凄《すさ》まじい小娘なので……あっ。これは、どうも、うまい。うまくてうまくて、たまらぬ気もちになってきた」
「太兵衛どのよ」
「はい、はい」
「いまな、女房が栗飯を炊《た》いている。これも、うまいぞ」
「栗飯……ああ……」
「どうしなすったえ?」
「むかし、むかし、子供のころに、亡《な》き母が、よう栗飯を炊いて下されたものじゃ」
「太さん。お前さんは、ほんに変ったお人じゃ」
庖丁の音をさせながら、おはるが、くつくつ[#「くつくつ」に傍点]笑っている。
鰻坊主《うなぎぼうず》
一
自分が、こうしている[#「こうしている」に傍点]姿を、
(父上が見たら、どんな顔をなさるだろうか……?)
盃《さかずき》を含みつつ、秋山|大治郎《だいじろう》は、おもわず苦笑を浮べた。
ここは、父・小兵衛《こへえ》もなじみの店である。
すなわち、本所《ほんじょ》・横網町《よこあみちょう》の居酒屋〔鬼熊《おにくま》〕であった。
すでに、夜に入って、七坪の土間にもうけられた十畳ほどの畳敷きの入れこみ[#「入れこみ」に傍点]の片隅《かたすみ》で、しずかにのんでいる大治郎のほかには、屈強の浪人ふうの男が三人、大声を発して語り合いつつ、酒をあおっていた。
大治郎は今日も、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ、父・小兵衛を見舞った。
一昨日の昼すぎに、小兵衛が病気だと、おはる[#「おはる」に傍点]が知らせに来てくれたから、すぐに駆けつけると、
「なあに、らち[#「らち」に傍点]もないことよ」
青ざめた顔を、夜具からのぞかせて小兵衛がいう。
「どうなさいました?」
「いうも、はずかしい」
おはるが知らせに来たときも「どこが悪いのです?」と、きいたら、おはるは「先生にきいて下せえよう」と、こたえるのみで、さっぱり要領を得なかったのである。
「食べすぎてのう、鯰《なまず》を……」
昨日、おはるの父親・岩五郎が、
「寒くなって、味がよくなったもんだでね」
こういって、二ひきも届けてくれた鯰を、小兵衛は、鍋《なべ》にしたり、味醂醤油《みりんじょうゆ》で付焼《つけやき》にしたりして、ぺろり[#「ぺろり」に傍点]と食べてしまったというのだ。
すると、どうしたものか翌朝暗いうちから、ひどい下痢がはじまり、
「こいつは、たまらぬ……」
さすがに小兵衛もしのぎかね、おはるを本所・亀沢町《かめざわちょう》の町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》のもとへ走らせ、診察と投薬を受け、ようやく、昨日から落ちついている。
今日の夕暮れ近くなって、おはるが亀沢町まで薬を取りに行くというのをきいて、
「いや、それは私が行きましょう」
と、大治郎が使いを買って出たのである。
宗哲先生は、
「どうもな、ちかごろの小兵衛さんは食い意地が張ってきていけない。おもうてもごろうじ。あれほどの剣術の名人が、たかが鯰にしてやられる[#「してやられる」に傍点]などとは、笑いばなしにもなりはせぬよ」
にこり[#「にこり」に傍点]ともせず、いったあげくに、
「もっとも、鯰は地震を起すというから、うっかりできない」
つぶやいたものだから大治郎が、たまりかねて、笑い出したのへ、
「もう大丈夫じゃ。放っておきなさい」
と、宗哲は薬もわたさず、
「小兵衛さんに、あまり、薬をのませると、かえっていけない」
「さようでございましょうか?」
「何分、体が人間ばなれをしておるからな」
「ははあ……」
「なあに、薬のかわりに、毛饅頭《けまんじゅう》でも食べさせれば、すぐさま元気になるわい」
相変らずのまじめ顔[#「まじめ顔」に傍点]で宗哲先生、とんでもないことをいい出した。
すると、
「け、まんじゅう、と、申しますと?」
わけがわからぬ大治郎が、真顔《まがお》で訊《き》いたものだから、
「うは、はは……」
腹を抱えて笑い出し、
「もうよい。お帰りなされ。訊きたくば小兵衛さんに訊いたがよい」
そこで、薬も貰《もら》わぬまま、大川《おおかわ》(隅田川)沿いの道へ出ると、急に、雨が疾《はし》って来た。夕闇《ゆうやみ》も濃くなっていたが、以前の大治郎なら、これほどの時雨《しぐれ》に合ったところで、ぬれるにまかせ、悠々《ゆうゆう》と歩みつづけたことだろう。
しかし、ふと、思い出した。鬼熊酒屋のことをである。
そして、酒をのみながら時雨が通りすぎるのを待とう、という気になった。
こういうところが、以前の大治郎とは大分に変ってきているのだ。
田沼屋敷からも手当が出るし、江戸へもどって来たころにくらべれば、大治郎も居酒屋で軽く飲むほどのものに不自由はせぬ。しかし、自分のふところで酒をのむ気分になってきたことだけでも、非常な変り方であった。
これが、はじめてのことである。
鬼熊酒屋へ入って来た大治郎を見て、
「おや、若先生。おひとりでございますか?」
亭主《ていしゅ》の文吉《ぶんきち》も、女房・おしん[#「おしん」に傍点]も、びっくりしたようだ。
「さよう。酒を一本、たのみます」
「はい、はい」
一本が二本になった。端然とすわり、半刻《はんとき》もかけて、ゆっくりとのむ。
文吉夫婦が、これを、うれしそうにながめていた。
二本の酒をのみ終えた大治郎が、勘定をしようと口をひらきかけた。そのときであった。
「ああ……ごめん」
戸障子を開け、旅の坊主が入って来た。
それを見たとたん、大治郎が顔をそ向け、何やら酔ったふり[#「ふり」に傍点]でもするかのように、ごろりと、手枕《てまくら》で横になったものだ。
それを見たおしんが「あれ……」と、いいかけ、大治郎へ近寄ろうとしたのと、旅僧が、
「この家《や》の前に、金五十両、落ちていたが……」
と、いったのが同時である。
「まあ……」
おしんは、おどろいた。
五十両あれば、自分たち親子三人が五年間、はたらかずに食べてゆける。
「おこころ当りは、ないかな?」
中年の、細い体つきをした旅僧が、道で拾ったらしい袱紗《ふくさ》包みから、まさに二十五両の封金二つを出して見せたではないか。
「それは、まあ……」
「どなたも、おこころあたりがないかな。それでは、おかみさん。この金を、ここへあずけておこう。きっと、落した人が問い合せにあらわれよう」
「はあ……でも、それは……」
「よしよし。しばらく、わしが、ここで待ってみよう。ちょうど、腹も空《す》いている。酒はいけないが、何か、生臭《なまぐさ》ものでないもので、御飯をいただけるかな?」
「はい、それはもう……」
「では、たのみます」
旅僧は、入れこみの奥へ行き、網代笠《あじろがさ》を除《と》り、こちらへ背を向けてすわりこんだ。
その手前に、浪人三人が酒をのんでい、戸障子に近い片隅で大治郎が横になっている。
雨は、やんだようだ。
文吉が板場から顔を出し、旅僧と何か語り合っている。
おしんが、大治郎の傍へ来た。
「若先生。どうかなさいましたので?」
「ねむくなった。すこし、このままでいてよいかね?」
「ようございますとも。では、水でも?」
「いや、かまわんでおいてくれ」
大治郎に異常がないので、おしんが、板場へもどりかけたとき、三人の浪人が勘定をはらい、外へ出て行った。
秋山大治郎は壁に顔を向け、両眼を閉じていた。
だが、その口もとに、微苦笑がただよっている。
旅僧は、こちらに背を向けたまま、味噌汁《みそしる》と野菜の煮物か何かで食事をすまし、勘定を先ばらいにし、
「いま、すこし、待って見よう」
と、いった。
文吉夫婦は、旅僧に好意を抱いている。
いかに僧侶《そうりょ》だとはいえ、まことに奇特なことだと感じ入ったらしい。
旅の日に灼《や》けつくし、まるで、うるめ[#「うるめ」に傍点]鰯《いわし》の目刺《めざし》のような坊主なのである。
どれほどの時間がすぎたろう。
客は、まだ二人のみだ。鬼熊酒屋がいそがしくなるのは、夜がふけてからだ。
と……。
油障子が開いた。
立派な身なりの、四十前後に見える侍がひとり、中へ入って来て、こういった。
「これこれ、亭主。この店の近くで、金五十両入りの包みを落したのであるが、こころ当りはないか?」
二
金五十両が、中年の侍の手に返ったのは、いうまでもない。
「礼金をさしあげたいが……」
と、侍はいった。
旅僧は、ちょっと、ためらう様子を見せたが、
「実は、故郷へ帰り、ささやかな地蔵堂をつくりたいと存じておるので、そのための寄進ということなら、いただいてもよろしゅうござる」
と、合掌をした。
「おお、それはそれは……」
侍は、封金に手をつけず、ふところへしまい、別に財布から小判五枚を出して紙へ包んだ。拾い金の十分の一が礼金ということは、当時の常識であった。
旅僧は五両の金を押しいただき、しずかに、出て行った。
そのとき、おしん[#「おしん」に傍点]が、いつの間にか秋山大治郎の姿が消えているのに気づいた。
(おや……お帰りになったのかしら?)
勘定のことは気にかけない。大治郎の父・秋山小兵衛は、この店の常客なのである。
「いや、迷惑をかけたな」
と、侍が一分金をひとつ、おしんへわたしてよこした。
「あれ、こんなに……」
「いやいや、取っておいてくれ」
「申しわけもございません。ありがとう存じます」
「いや、なあに……」
鷹揚《おうよう》に打ちうなずき、侍が出て行った。
「よかったねえ、お前さん……」
「けれど、な……」
と、文吉がくび[#「くび」に傍点]をかしげ、
「あの侍《さむれえ》の面《つら》つきが気に喰《く》わねえ。どうも、五十両落して、五両の礼金を平気で出すような面じゃあねえ。眼《め》ばかり白く、ぎょろぎょろさせやがって……それに見たか、あの高くとんがった鼻を、よ。手もなく、ありゃあ、烏天狗《からすてんぐ》だ」
「まあ……」
おしんが笑い出して、
「つまらないことをおいいでない」
「いやどうも、気に喰わねえ。あの旅の坊さんを騙《だま》したのじゃあねえか……」
急に、文吉は気になり出した様子で、板場から飛び出し、戸障子を引き開け、外を見まわした。
前は、道をへだてて大川端。雨はやんだが、月もない暗い夜の川面《かわも》をすべって行く荷舟の櫓《ろ》の音がきこえている。
「ま、いまさら、どうしようもねえが……」
文吉が、いまいましげに舌打ちをした。
今の文吉は、まことに温和《おとな》しい男であるが、一筋縄《ひとすじなわ》では行かぬほどの荒々しい過去をもっているだけに、あの侍の風貌《ふうぼう》や挙動を見ていて、
(何か、妙な……いかがわしい侍だ)
と、直感をしたものか。
戸障子をしめたとき、文吉は、大治郎の姿が見えぬのに、はじめて気づいた。
「おや……若先生は?」
「いつの間にか、帰っておしまいになったらしいよ」
「だまってか?」
「ええ、そう」
「ふうん。何か、お気に入らねえことでも……」
「横になっていなすったから、すこし、お酔いなすったんじゃないかしら」
「へえ。ふうん……」
そこで文吉が、くすくすと笑い出した。
「若先生が、おひとりで来て、酒をあがるなんざ、まったくめずらしいことだね」
「きちん[#「きちん」に傍点]と、こうすわって、あの飲みっぷりがよかったじゃないか、お前さん」
「不動さまの若いときのようなかたち[#「かたち」に傍点]でね」
「まあ……うふ、ふふ……」
「どうも妙な晩だよ、不動さまや烏天狗が出て来たりしてさ」
「これで、お父《とっ》つぁんが生きていたら、そこへ、閻魔《えんま》さまが入る」
「ちげえねえ。あは、はは……」
文吉夫婦の養父・熊五郎《くまごろう》が、みずから店の名を〔鬼熊《おにくま》〕とつけたほどの凄《すさ》まじい老爺《おやじ》だったことは、熊五郎|亡《な》きのちのいまも、この近辺の語り草になっている。
「でも、お前さん。もし、あの侍が旅のお坊さんをだましたとしたら、どうして、五十両拾ったお坊さんが此処《ここ》にいなさることを知ったのかしら?」
「それよ」
「え……?」
「途中で、そこで飲んでいた三人の浪人が急に勘定をして、ふい[#「ふい」に傍点]と出て行ったろう」
「ええ……」
「あの三人が、どうも臭《くせ》えや」
このとき、二人づれの客が入って来たので、夫婦の会話はそれきりになった。
しかし、文吉の推測は、まさに正しかったのである。
間もなく、先刻の烏天狗[#「烏天狗」に傍点]が、あの三人の浪人と共に、鬼熊酒屋へ駆けもどって来た。
「いまの坊主《ぼうず》は、前に、此処へ来たことがあるのか?」
浪人のひとりが、おしんへ喰いつきそうな顔を向けて、怒鳴った。
「どこへ行ったか、わからんか、おい」
文吉が出て来た。
「わからんか、と、おっしゃっても……旦那《だんな》方は先刻、あの坊さんが入って来たとき、此処で飲んでおいでなすったじゃございませんか」
「む……」
ぐっ[#「ぐっ」に傍点]とつまったが、
「だから、どうした。われわれは、あの坊主が何処へ行ったかを知りたいと申しておる」
「そんなことは、私ども、まったく存じません。旦那方も、あの坊さんが此処へ入って来たときのことを見ておいでになったのでございましょう」
「う……」
烏天狗と浪人たちが、こそこそ、ささやき合っている。
「いったい、どうなすったので?」
「坊主め。われらを、たぶらかしおった」
「何でございますって?」
そのとき、烏天狗が、
「もうよい。むだ[#「むだ」に傍点]だ。それよりも坊主を探せ」
と、いい、四人は駆け去った。
板場へもどり、庖丁《ほうちょう》をつかいながら、文吉が笑い出した。おしんが入って来て、
「お前さん……」
「きいたか、おしん。あの坊主のほうが一枚|上手《うわて》よ。封金の中味は五十両どころか、木の葉っぱでも入っていたにちげえねえ」
「だけど、うち[#「うち」に傍点]へ何も……?」
「なあに、こんな商売をしているところへ、ああして拾い金を神妙に持ちこむと、うめえことがあるのだろうよ。それが証拠に見ねえ。あの三人の狼《おおかみ》どもが、さっそく出て行って、礼金五両をこしらえ、烏天狗をさし向けて来たじゃあねえか」
「まあ、ねえ……」
「それにしても、ふ、ふふ……こんな、おもしろいことは久しぶりだ。若先生が、もうすこし、此処にいて下すって、こいつを大先生にはなしておやんなすったら、秋山の大先生。そりゃあもう大よろこびをしなさるにちげえねえぜ」
客が、酒を注文してきた。おしんが燗《かん》をつけにかかる。
文吉は、庖丁の手をとめ、
「それにしても、あの坊主。この、おれまで騙しゃあがった……」
と、つぶやいた。
ちょうど、そのころ……。
件《くだん》の旅僧は、一ツ目橋をわたり、幕府《こうぎ》の御舟蔵《おふなぐら》を右手に見て、おどろくほどの速足で、たちまちに、小名木川へかかる万年橋をわたり、深川へ入った。
橋をわたると、突当りが、越後長岡《えちごながおか》七万四千石・牧野侯の下屋敷だ。
まんま[#「まんま」に傍点]と、金五両をせしめた騙《かた》り坊主が、牧野屋敷の前の、大川端を、仙台堀《せんだいぼり》の上ノ橋へかかったとき、その橋のたもとに佇《たたず》んでいた人影が、ふわりと、坊主の前へ立った。
秋山大治郎である。
「おい」
と、大治郎が、
「見たよ。おぬしの騙りをな」
「え……」
「いま、本所《ほんじょ》・横網町《よこあみちょう》の居酒屋に、私はいたのだ」
「げえっ……」
反転して逃げかかる坊主の襟《えり》くび[#「くび」に傍点]をつかんだ大治郎が、
「まだ、あのようなことをしているのか……」
「あのような、とは、何を……」
「金五十両の封金の中味は、いまも、木屑《きくず》と金屑《かなくず》をうまく細工してあるのか?」
こういったとたんに、騙り坊主が、
「うわあ!!」
喉《のど》が張り裂けんばかりの叫び声を発したものだ。
同時に坊主は、襟くびをつかんでいた大治郎の手を振りはらっていた。
「待て」
追わんとする目の前で、坊主の細い体が宙に躍った。
「あっ……」
と、いう間もない。
坊主め、大川《おおかわ》へ身を投げ込んだのである。
大治郎は舌打ちをし、暗い川面をのぞきこんだ。
坊主の体を呑《の》んだ大川の水は、そのあと、無気味にしずまり返っている。
坊主の体は浮きあがっても来なかった。したがって泳ぎ去った様子もない。
しばらく、川面を凝視していた大治郎が、ふっ[#「ふっ」に傍点]と笑い、
「したたかな奴《やつ》め……」
と、つぶやいた。
そのまま、大治郎は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へもどった。
小兵衛は、ぐっすりとねむりこんでいる。
そこで、おはる[#「おはる」に傍点]に、
「もう、薬はいらぬと宗哲《そうてつ》先生が申されていた」
「まあ、そうですかよう。それはまあ、すみませんでしたねえ、若先生」
「母上。舟を借りて行ってよいかな」
「そうだ。わたしが送って行きますよう」
「いや、大丈夫。このごろは私も船頭がうまくなったゆえ……」
「ほんとだよう、若先生」
「明日、舟を返しに来ます。父上へ、よろしく」
「はい、はい」
三
翌日。昼前に、大治郎は小舟をあやつり、隠宅へあらわれた。
あたたかく晴れわたっていて、裏手の垣根《かきね》に巻きついている蔓梅擬《つるうめもどき》の黄色い小さな実が、日ざしに光っていた。
「昨夜は、遅かったそうじゃな。そのあげくに、もう薬はいらぬという……」
秋山小兵衛は縁側へ出て、おはる[#「おはる」に傍点]に足の爪《つめ》を切ってもらいながら、いささか不機嫌《ふきげん》の態《てい》である。
「実は父上。帰りに、雨が降ってまいりましたので、ちょいと、あの、鬼熊《おにくま》酒屋へ立ち寄り、雨やどりをしておりましたので……」
「一人でか?」
「はい」
「酒をのんだのかえ?」
「はい」
「ふうん……」
何か、めずらしいものでも見るような目つきになり、小兵衛が大治郎をまじまじとながめ、もう一度、
「ふうん……」
と、いった。
「そこで父上。めずらしい男に出合いましてな」
「どんな奴《やつ》?」
「私が、大坂の柳|嘉右衛門《かえもん》先生の道場で食客をいたしておりましたとき、見かけた坊主《ぼうず》でございます」
と、それから昨夜の一部始終を大治郎が語った。
小兵衛は、愉快そうに笑い出した。
「それは、おもしろかったろうな。きっと何だよ。その三人の浪人というのは、あの辺の、どこぞの下屋敷の博奕《ばくち》場でとぐろ[#「とぐろ」に傍点]を巻いている奴らにちがいない。このごろの本所・深川は、どうも妙な奴らの吹きだまりのような場所になってしまい、温和《おとな》しい人たちがずいぶんと迷惑をしているようじゃ」
「三人が、一度外へ出て、連れてまいった侍は……」
「どんな風体《ふうてい》だといったかな?」
もう一度、大治郎から訊《き》き直した小兵衛が、
「おそらく、同じ博奕場で知り合った、あの辺の御家人《ごけにん》だろうよ。いかに身分は軽くとも将軍の家来だ。それをも忘れて無頼なまね[#「まね」に傍点]をしている連中が多いらしい。小川宗哲先生にいわせると、御家人がもっとも悪いそうな。医薬の代を踏み倒すことなど、屁ともおもうておらぬらしい」
後になって、この秋山小兵衛の推測は、ぴたりと適中することになる。
「いずれにせよ、そんな奴どもが四人がかりで偽《にせ》坊主に騙《だま》されるとは、まことによい気味じゃ。あは、はは……そのはなしをきいて、腹ぐあいが大分によくなったぞ、大治郎。ときに、お前。その坊主を大坂で見たことがあるといったな」
「はい。実は……」
大治郎が語りかけたとき、鰻売《うなぎう》りの又六《またろく》があらわれた。
例のごとく洗いざらしの、盲縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》を着て、
「先生。しばらくでございます。おや、若先生もいなさったか。帰《けえ》りに寄るつもりでいたですよ」
元気よくいって、又六が二つの笊《ざる》にもりわけた見事な蛤《はまぐり》をさし出した。
「おお、久しぶりじゃな、蛤は……」
小兵衛がそういったのは、三月三日の雛《ひな》節句から仲秋八月十五日まで、江戸の人びとは蛤、浅蜊《あさり》を口にしない。それは、春から夏にかけてが、この貝類の産卵期にあたるからだ。現代では、食物に対する人間の、そうしたこころづかいが絶えて久しい。
「ありがとうよ、又六。いつもすまぬな」
笊の蛤を押しいただき、小兵衛が礼をのべて、
「これ、おはる。さっそく今夜は蛤飯にしろ。もみ海苔《のり》をたっぷりとふってな」
「あれ、まあ、お腹《なか》のぐあいはいいのですか?」
「もう何でもないわい。これ又六。いっしょに昼飯を食おう、どうだ」
「すみませんね、先生」
「ま、この菓子でも食べながら、おもしろいはなしをきいておいで」
又六にいって、向き直った小兵衛が、
「大よ。つづきをはなしてくれ」
と、いった。
秋山大治郎は、大坂市中の北の外れにある太融寺《たいゆうじ》という寺の裏にあった、飯屋のような居酒屋のような店で、かの坊主が昨夜と同じような騙《かた》りをやってのけたのを目撃している。
ちなみにいうと、そのときの大治郎は、その店へ酒をのみに入ったのではなく、飯を食べに入ったのだ。
このときは坊主め、封金二十五両を出し、礼金二両をせしめた。
欲のふかい飯屋の亭主《ていしゅ》が、近くに住んでいる百姓の弟を落し主に仕立て、二両をわたし、さし引き二十三両を騙し取ろうとしたのである。
坊主が去るや、すぐさま兄弟は奥へ入って封金を切った。中味は木片を小判のかたちにし、その間に屑金《くずかね》をはさみこみ、重味をつけ、封のおもての字なぞは実物そっくりであったらしい。
「そこで、侍が入って来ると入れちがいに、私は外へ出まして、坊主が礼金をもらって逃げ去る後をつけました」
「なんとおもって?」
「さあ……」
と、大治郎が困惑して、
「何といったらよいのか……」
「捕まえて、上《かみ》へ突き出すつもりだったのかえ?」
「いや、そこまでは……」
「坊主に騙される奴は、みんな欲のふかい奴らばかりだ。いい気味ではないか」
「はあ……」
「では、なぜに追った?」
「いささか、酒の酔いもあったかとおもわれます」
「何じゃと……」
「いえ、その、退屈しのぎに……」
「おもしろ半分にか?」
「さて……」
「ふふん。お前も、わしの子よ。つまらぬところが似るものじゃ」
「おそれ入ります」
「それから、どうした?」
「声をかけましたら、いきなり、私を突き退《の》け、大川へ飛び込みました」
「ほほう……溺《おぼ》れたか?」
「いえ、かなり遠くまで、水中へもぐったまま、逃げたようでございます」
すると、そのとき又六が、
「若先生。その坊さんは、どんな顔かたちをしていたです?」
口をさしはさんだ。
「お前に、こころあたりがあるのか?」
「いって見て下せえな」
「そうだな、痩《や》せていて、色の黒い……」
大治郎が語るのをきいて又六が、ぽん[#「ぽん」に傍点]と手を打ち、
「それならきっと、あの坊さんにちげえねえです」
と、いったものである。
四
いまも、洲崎弁天《すさきべんてん》の橋のたもとで、鰻《うなぎ》の辻《つじ》売りをしている又六だが、この夏ごろに、平井新田《ひらいしんでん》の漁師小屋のような荒屋《あばらや》から、老母のおみね[#「おみね」に傍点]と共に深川島田町の裏長屋へ移った。
つまりは、それだけ、又六の暮しも楽になったのであろう。
この裏長屋には、木場にはたらく人足《にんそく》なども住んでいるが、又六のとなりには善空《ぜんくう》という托鉢《たくはつ》の坊主《ぼうず》がいた。
たとえ托鉢の坊主にせよ、町の裏長屋へ住んでいるのは妙なものだが、大家《おおや》の六郎兵衛《ろくろべえ》にいわせると、
「善空さんはな、特別なのだ」
そうな。
何か、事情もあるらしい、と、長屋の人びとがうわさ[#「うわさ」に傍点]をし合っている。
雨がふらなければ、網代笠《あじろがさ》をかぶり、托鉢に出て行くが、明るいうちに帰って来て、ひとりぽつねんと、酒をのんでいることもあった。
善空坊主は、又六が移って来る前から、その裏長屋に住みついていた。
さて、昨夜だ。
夜がふけて、又六が雪隠《せっちん》(便所)へ行こうとおもい、外へ出た。
裏長屋は、通りに面して木戸があり、中央に長屋共同の雪隠と掃溜《はきだめ》と井戸。その両側に、いわゆる九尺二間の長屋がたちならんでいる。
用を足して、又六が外へ出たとき善空坊主が、ずぶ濡《ぬ》れになって帰って来た。
宵《よい》の口に時雨《しぐれ》が通ったことはおぼえていたけれども、まさか、そのときの雨に濡れたのではあるまい。
「善空さんじゃねえですか?」
「あ……又六さんか」
「どうしたですよ?」
「いや、どうも……ひどい目に合ってな」
「いや、どうして、また?」
「大川端で、妙な、その、ごろつき浪人のような奴《やつ》に……い、因縁《いんねん》をつけられ、托鉢した銭を、奪い取られた……」
「あれまあ、ひでえ奴だ、そいつは……」
「その上、刃物で脅《おど》され、大川《おおかわ》へ投げ込まれてしまった」
「畜生め。なんてことしやがる。おれが見たら、ゆるしちゃあおかなかったのに……」
他人事《ひとごと》とはおもえず、又六は大いに憤慨をした。
善空は、しきりに嚔《くさめ》をし、烈《はげ》しく胴ぶるいをする。
「さ、早く……」
又六は、善空の家へ共に入り、火を起してやったり、いろいろと世話をした。
「それまでは、あまり口をきいたこともねえですが……捨ててもおけなくてね」
又六がそういうのへ、
「では何か、その坊主が、大治郎に見とがめられた騙《かた》り坊主に似ているというのかえ?」
「へい。よう似ているですよ。鰻が髑髏《されこうべ》になったような、まっくろな顔して、細っこい体つきの……それに、大川へ落ちた場所が同じです。善空さんは、万年橋をわたったところで、悪い奴に銭|奪《と》られて、大川へぶちこまれたと……」
「あきれた坊主じゃ」
小兵衛が笑い出し、
「それにしても、善空とは、よくも名乗った」
「それじゃ、あの坊さん。悪い奴なのかね、若先生……?」
「善《よ》いとはいえぬだろう」
「そりゃまあ、若先生のはなしをきくと、ね……」
「そのような男には、見えないのか?」
「無口で、人づきあいをしねえから、よくわからねえですが、おとなしい坊さんですよ」
「ふうむ……父上。これはどうも、まことの坊主ではありませぬな」
「うむ。わしも、そうおもう」
善空の長屋の中には、古びた葛籠《つづら》が一つあるきりだが、台所の皿小鉢《さらこばち》などは、きちんと片づけられていた。
善空は、丸裸になって乾いた布で、ごしごし体をぬぐい、葛籠の中から、洗いざらしの縞《しま》の着物を出して身につけ、うすい布団《ふとん》を敷きのべ、
「又六さん。もう結構。ありがとうよ」
礼をのべ、まことにすくないがといって紙に包んだものをわたそうとしたので、又六は、
「とんでもねえ。いらねえ、いらねえ」
あわてて、我が家へ帰って来てしまったそうだ。
「夜っぴて、くしゃみ[#「くしゃみ」に傍点]をしているのが、壁ごしにきこえましたよ。朝になって、おふくろが、となりの坊さん風邪を引いたらしい、なんて、いってたですがね」
又六は、
(様子を見に行ってやろうか……)
と、おもいもしたが、また銭金《ぜにかね》をくれようとされたりしてはたまらないと考え、やめにしたという。
「じゃあ、先生。どうします、あの坊さん。取っ捕めえるですか?」
「又六。まあ、待て」
「でも、放っておいたら、また人を騙《だま》すでねえですか」
「騙されるやつも悪いのだからのう」
「でも、善い人を騙すようになったら困るですよう」
「手口を変えればだが……なれど、その坊主、どうやら善人は騙さぬようにおもえてならぬが、どうじゃ、大治郎……?」
「さよう……」
「おらが、大家さんに、このことをはなしてみたらどうかね、大先生」
「まあ、待て」
秋山小兵衛・大治郎|父子《おやこ》は、知らず識《し》らず、まじめ顔で考えこんでしまった。
ほうり捨てておいてもよいのだし、秋山父子には関係のある人物でもなし、事件でもないのだ。
けれども、鰻売りの若者・又六のはなしをきいているうちに、かの善空坊主の、騙りの仕方にも愛嬌《あいきょう》があっておもしろいのだが、それでいて、妙に、善空の身辺から、そこはかとない哀愁がただようのを秋山父子は感じていた。
しかもだ。
将軍家ひざもとの江戸の市政は、まことに厳格なものがあり、怪しげな托鉢坊主が町の裏長屋へ住むことなど、簡単に見のがすわけはない。
そもそも長屋の大家などというものは、責任が非常に重いのだ。借家人《たなこ》の罪によっては、大家にも咎《とが》めがかかる。こういうわけで、町奉行所とも密接な連絡がとられているのだ。
その大家の六郎兵衛が、
「あの坊さまは、特別なのだ」
といい、くわしい事情をもらさず、自分の長屋に住まわせている。
(これは、何か、よほどの事情が隠されているにちがいない)
と、小兵衛は看《み》た。
「それにしても大治郎。又六のはなしによれば、同じ坊主のようにおもえるが、果してそうなのか、どうか……これは、お前の眼《め》でたしかめなくてはのう」
「はあ……」
「それじゃあ若先生。おらといっしょに、来なさるがいいですよ」
「気づかれぬように、坊主の顔が見れるかな?」
「わけもねえですよ」
「父上。では、行ってまいりましょうか?」
「まあ、どっちでもよいが……」
「ですが、ちょっと……」
「好きにしたらいいわえ」
又六と共に出て行った大治郎は、夕暮れに隠宅へもどり、
「同じ坊主でした」
と、小兵衛に報告をした。
五
師走《しわす》(陰暦十二月)も中旬《なかごろ》になった或《あ》る日。秋山小兵衛は大治郎をともない、久しぶりで、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》へ小川|宗哲《そうてつ》を訪ねた。
病気|快癒《かいゆ》の礼をのべに出向いたのである。
実は小兵衛、あれからまた、腹ぐあいを悪くしてしまった。せっかくに癒《なお》りかかっていたものを、又六がみやげ[#「みやげ」に傍点]に持って来た蛤《はまぐり》を、その日の夕餉《ゆうげ》に、吸物や蛤飯にしてたらふく食《や》ったのがいけなかったのか……。
「どうも、いかぬ。わしも、このようにだらしなくなってしまっては、もう長いことはあるまい」
小兵衛は妙に、気落ちしてしまい、以後は、おはる[#「おはる」に傍点]や大治郎のいうままにおとなしく治療につとめたので、十日ほどのちに全快をした。
折|悪《あ》しく、宗哲先生は外|神田《かんだ》の患家《かんか》へ出かけてい、留守であった。それでも半刻《はんとき》ほど待って見たが、小兵衛はあきらめ、御礼の菓子折を医生へわたし、大治郎と共に宗哲宅を出た。
のちにわかったことだが、ひと足ちがいで、小川宗哲は帰宅したそうだ。
このとき、もし、宗哲が在宅しているか、または小兵衛がいるうちに帰宅していたら、当然、小兵衛父子が帰途につく時間は、いますこし遅くなっていたろう。
遅くなっていたら、以後の状態は変っていたにちがいない。
すくなくとも、かの騙《かた》り坊主《ぼうず》の運命は変っていたろう。
こういうところが世の中の、端倪《たんげい》すべからざる不思議なのである。
「どうだ、大治郎。鬼熊《おにくま》へ寄って見ようか」
歩みつつ、小兵衛がいい出した。
「大丈夫でございますか?」
「なあに……もう、以前の体にもどったよ」
「ですが、父上……」
「なに、ほんの一口さ」
大治郎が見ても、父の顔色は冴《さ》えていたし、元気もよい。
「では、ちょっとだけ」
「おお。心得ているとも」
まだ七ツ(午後四時)をまわったばかりだが、冷たい夕闇《ゆうやみ》がただよい、風は絶えていても底冷えがきびしい。
この時刻に珍しい。鬼熊酒屋には先客があった。
「おや、まあ、おそろいで……」
板場からあらわれたおしん[#「おしん」に傍点]が、大治郎へ|めくばせ《めくばせ》[#「めくばせ」は「目」+「旬」 第3水準1-88-80]を送ってよこした。
見ると、あのときの無頼浪人が二人、こちらに背を向けて酒をのんでいるではないか。
「父上、あの二人が……」
と、大治郎は、戸障子に近い片隅《かたすみ》へすわってから、小兵衛へささやいた。
「ふうむ……ずうずう[#「ずうずう」に傍点]しい奴《やつ》どもじゃ」
「ここの酒が、うまいからでしょう」
「酒の味なぞが、お前にわかるのか?」
「このごろは、いささか……」
「ずうずうしい奴じゃ」
たしかに、この鬼熊酒屋の酒はうまいし、亭主《ていしゅ》の文吉《ぶんきち》がつくる肴《さかな》もよろしい。文吉おしんの夫婦には、儲《もう》けて残すなどという気もちは毛頭ない。その日その日が何とかすごして行ければよいというので、何事にも客のために精一杯のことをする。だから、無頼浪人たちも、あのこと[#「あのこと」に傍点]があってしばらくは、さすがに寄りつかなかったが、四、五日前から顔を見せ、
「やはり、ここの酒はよいな」
「他の店へは行けぬぞ」
などと、きこえよがしの世辞をいい、勘定もきちん[#「きちん」に傍点]と払う。
(嫌《いや》な奴……)
と、おもうのだが、文吉夫婦も無下《むげ》に、
「来ないでくれ」
ともいえぬ。
見るからに強そうな無頼浪人だし、しかも、勘定を踏み倒すわけでもないのだ。あのときのこと[#「あのときのこと」に傍点]にしても、こやつどもも悪いが、あの坊主は、その上を行く悪事をはたらいたのだから、文吉も、
「まあ、仕方がねえ。がまんをしよう」
おしんに、そういっていたのである。
「ま、ほうっておけ」
小兵衛は、そうつぶやき、挨拶《あいさつ》に出て来た文吉に、
「今夜は、病みあがりで、あまり飲めぬのだよ」
と、いった。
酒が来て、父の盃《さかずき》へ酌《しゃく》をしたとき、秋山大治郎は、ふと、おもい出した。
すぐる日。父の薬をもらいに小川宗哲宅へおもむいた折、宗哲先生がいった、あの何とか饅頭[#「何とか饅頭」に傍点]のことをである。
「父上……」
「うむ?」
「いささか、うかがいたいことがあります」
「何じゃ?」
「饅頭《まんじゅう》のことですが……」
「何、まんじゅう[#「まんじゅう」に傍点]だと……」
小兵衛が訊《き》き返した、そのときであった。
がらり[#「がらり」に傍点]と、戸障子が開き、浪人がひとり、飛びこんで来た。
こやつも、あのときの無頼浪人であった。
そのことを大治郎が小兵衛に耳うちする間もなく、
「おい。見つけたぞ」
と、駆け込んで来た浪人が、先客の二人の浪人にいうのが、はっきりと秋山父子の耳へ入った。
「何を見つけた?」
「あのときの騙り坊主を、な」
「な、何……」
浪人ふたりが大刀をつかんで腰をあげた。
「永代橋で見かけたので、そっと後をつけ、坊主の棲家《すみか》をつきとめた」
「よし!!」
「斬《き》って捨ててくれよう」
「井上さんには、知らせなくともよいか?」
「後でよい」
「斬るよりも引っ捕えて、井上さんのところへ突き出すのだ」
「それがいい」
「さ、まいろう」
と、三人が、勘定を払って外へ飛び出して行く。
「おい、こっちも勘定だよ」
いうや、小兵衛が一分金をひとつ、膳《ぜん》の上へ置き、板場から駆け出して来た文吉夫婦へ、
「また、ゆっくりと出直して来るよ」
声を投げて先へ出た小兵衛へ、大治郎が、
「父上。どうなさいます?」
「わからぬ。ともかく、深川へ行って見よう」
「あの坊主を助けるのでございますか?」
「わからぬ」
三人の浪人は、松前|伊豆守《いずのかみ》屋敷の前を走りぬけ、一ツ目橋を目ざしている。
三人とも急ぎ足であったが、駆けているわけではない。
「よし。走るぞ」
と、小兵衛がいった。
松前屋敷と横網町《よこあみちょう》の境の細道を左へ曲った秋山父子は、回向院《えこういん》の裏手を駆けぬけ、相生町《あいおいちょう》一丁目へ出て一ツ目橋をわたり、振り向くと、三人の浪人が、橋の向うに姿をあらわしたのが見えた。
六
秋山父子が、深川島田町の裏長屋の、鰻売《うなぎう》り又六《またろく》の住居へ着いたとき、すでに、夜に入っていた。
「あっ、先生方……」
老母と二人で夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》についていた又六が、びっくりして、
「ど、どうなせえましたよ?」
「叱《し》っ」
「へ……?」
「となりの坊主《ぼうず》、いるかえ?」
「へえ。先刻帰って来て、酒のんでいたようですが……」
「それならよい。又六、ちょいと邪魔をさせてもらうぞ」
「汚ねえとこですが、あがって下せえまし。酒もあるですよ」
「そいつはありがたい。冷たいままでよいから、たのむ」
又六が酒の仕度にかかりながら、老母に何かささやいた。
老母は秋山父子の前へ両手をつき、だまって、深ぶかとあたまを下げる。
「おお、おお。よいせがれをもって、仕合せだのう」
と、小兵衛。
「かたじけのうござります。ありがとうござります」
老母が又六にかわって台所で、仕度をはじめた。
「先生方。いったい、となりの善空《ぜんくう》さんを……?」
「いや、わしらは見物するだけじゃ」
「何をです?」
「ま、見ていろ、又六」
茶わんの酒を小兵衛が、ゆっくりと、のみ終えて間もなく、長屋の通路を入って来る三人の足音がきこえた。
又六が戸の隙間《すきま》からのぞいて見ると、真向いの、按摩《あんま》の家の戸障子を開け、三人は何かいっている。
善空坊主の住居をたずねたものらしい。
「先生方。来ますよ、来ますよ」
又六がささやいた。
となりの戸障子が手荒く引き開けられ、浪人たちの声が、
「いたぞ」
「これ、おのれ。出て来い」
今度は、はっきりときこえた。
善空が、これに対し、何かもそもそ[#「もそもそ」に傍点]とこたえている。
「うるさい!!」
「かまわぬ、引っ立てろ!!」
急に、激しい物音が起ったかとおもうと、善空の甲高い声が、
「悪いのは、お前方も同じだ」
と、いった。
「何を、こいつめ……」
またしても物音。人と人の体がもみ合う気配がし、戸障子が打ち倒されたようだ。
長屋の人びとの声が起り、其処此処《そこここ》で戸障子が開く音がきこえはじめた。
するとまた、善空の甲高い声がした。
秋山小兵衛が戸障子を開けて見ると、三人の浪人が、ぱっと戸外へ飛び出して来た。
「よし。尋常に立ち合うというのだな」
「さ、出て来い。出て来い」
「こいつ、おもしろい」
口ぐちにいうのへ、
「此処では諸人の迷惑になる。木戸の外で待っていろ」
意外に落ちついた善空の声がきこえた。
「よし。逃げるなよ」
浪人たちは、木戸の外へ出て行った。
長屋の人びとは、いったん開けた戸障子を閉め、その隙間からのぞいているらしい。
関《かか》わり合って怪我《けが》でもしたら大変だし、それにまた、ふだんは人づき合いをせぬ善空だけに、人びとも声をかけにくかったのであろう。
と……。
善空が外へ出て来た。
背丈は尋常な善空であるが、
(なるほど。まるで骨と皮だな……)
小兵衛が細目に開けた戸障子の陰で見まもっていると、その気配を感じたかして、善空坊主がじろり[#「じろり」に傍点]と振り向いた。
(なるほど、くろい……)
夜のことでもあったが、こちらを見た善空の目鼻立ちを、小兵衛はたしかめることができなかった。
善空は、なんと一振《ひとふり》の刀を手にしているではないか。
脇差《わきざし》であった。葛籠《つづら》の中から引き出したものらしい。
身には法衣《ほうえ》一枚。その裾《すそ》を端折《はしょ》り、素足で、ひたひた[#「ひたひた」に傍点]と木戸口へ出て行く善空を、三人の浪人が取り囲んだ。
秋山小兵衛は大治郎をうながし、外へ出た。
「大先生。おいらもついて行っていいですかね?」
「よいとも。だが、遠くはなれて見ておれ」
「わかったですよ」
表通りは堀川《ほりかわ》に面し、左手に築後橋が懸っている。橋の向うは木場《きば》だ。
深川の木場は、江戸の材木商の大半があつまっている土地で、堀川に区切られた、見わたすかぎりの材木置場が冬の夜の闇《やみ》に沈んでいた。
善空坊主を取り囲んだ浪人たちは、築後橋をわたり、材木置場の中の空地へ来て、
「ここで、よし」
「さ、坊主。抜けい」
「きさまのような騙《かた》り坊主を生かしておいては、世のためにならん」
彼らは勝手放題をいい、いっせいに大刀を抜きはらった。
「わしのことはいえまいぜ」
善空は、しょんぼりと立ちつくしながらも、臆《おく》する様子はなく、
「お前方は、落したおぼえもない五十両ほしさに、五両の金主《きんしゅ》を見つけて来たではないかよ。これが奉行所へ出たら、わしもお前方も同罪よ」
「だまれ!!」
一人が、いきなり斬《き》りつけて来た。
すると、これをかわした善空が、さっ[#「さっ」に傍点]と三間ほど飛び退《しさ》って、積みあげた材木の山を背に脇差を抜いて構えたところなぞは、なかなかどうして、騙り坊主とはおもえぬ。
「坊主め。むかしは二本差していたようだな……」
大男の浪人が正面からせまって、
「やあっ!!」
頭上から打ち込むのを脇差で払い、右へまわりこんだ善空の側面から、
「くそ!!」
別の浪人が薙《な》ぎはらって来る一刀を辛うじてかわしたけれども、なにぶん三対一の闘いである。
たちまちに善空の息があがって、
「あっ……」
脇差をはね飛ばされ、足がもつれるところへ、
「死ねい!!」
大男の浪人が刃《やいば》を振り下ろそうとした瞬間、
「あっ……」
大男が顔を押えて、よろめいた。
闇の中から飛んで来た石塊《いしくれ》が、大男の鼻柱へ命中したのである。
材木の陰からあらわれた二つの影が、善空坊主を後ろに庇《かば》った。
秋山小兵衛と大治郎である。
「な、何者だ」
「どけい!!」
わめく浪人どもへは憫笑《びんしょう》をあたえて、小兵衛が、
「大治郎。わしが手つだわぬでもよいな」
「はい」
前へすすみ出た秋山大治郎は刀の鯉口《こいぐち》を切って、
「まいる」
と、いった。
「うむ、こいつ……」
「かまわん。叩《たた》っ斬れ!!」
その叫びと同時に、抜刀した大治郎が浪人どもの前へするする[#「するする」に傍点]とつけ入った。
「鋭《えい》!!」
「たあっ!!」
これを迎えた二人が左右から打ち込み、斬りつけて来たかに見えたが、そのいさましい気合声が、たちまち絶叫と悲鳴に変って、
「むうん……」
「うわ……」
二人はのけぞり、一人はのめりこむように転倒していた。
二人を峰打ちに倒した大治郎の一刀は、早くも大男の浪人へ突きつけられている。
「む……」
振りかぶった刀をそのままに、大男が後退し、追いせまる大治郎との間合いを外したかと見えたとき、突然、差し添えの脇差を左手に引きぬきざま、これを大治郎の胸もとめがけて投げつけた。
左足《さそく》を引いてかわした大治郎の胸もとすれすれに脇差が飛び去る。
その隙《すき》へ、大男が躍り込み、
「やあ!!」
片手打ちの凄《すさ》まじい刃風を叩きつけて来た。
大治郎は腰を沈め、頭上に鋭い刃風をかわしざま前へ飛んだ。
「ぬ!!」
すかさずに、その背後から大男が突きを入れて来た。
大治郎の姿が消えた。
材木の山と山の間の通路へ飛びこんだのだ。
「おっ……」
突きをかわされた大男がそれ[#「それ」に傍点]と見て、通路へ向き直ったとき、通路の中から大治郎が体当りをくわせた。
よろめいて、飛びはなれて、大刀を構え直そうとしたまでが精一杯のところで、大男のくびすじ[#「くびすじ」に傍点]へ大治郎の刃先を返した大刀が打ち込まれた。
どこかで、秋山小兵衛の声がきこえた。
「又六よ。ほれ、この夏に力持ちの金時婆《きんときばあ》さんを助けたとき、世話になった御用聞きの……うむ、深川の、ほれ、仙台堀《せんだいぼり》の政吉をよんで来ておくれ。こいつらを引きわたしてやろう」
七
善空坊主《ぜんくうぼうず》の本名は、津田庄之助《つだしょうのすけ》という。もとは侍である。
秋山|父子《おやこ》に名乗りはしたが、
「主家《しゅか》の名は、おゆるし下さいますよう……」
と、善空は、自分の住居へ秋山父子を案内し、両手をついて、
「こうなれば、いかようになされようともかまいませぬ」
「それはともかく……何故《なにゆえ》、騙《かた》り坊主なぞになられた?」
「私……兄の敵《かたき》を討つ身にござる」
「ほう……」
「二十年も前に国もとを出てまいりましたが……」
「まだ、兄ごの敵が見つからぬ?」
「見つけようとは、いたしませぬで……」
「そりゃまた、どうしたわけじゃ?」
「憎めませぬで……」
「敵を、な?」
「はい」
「何故に?」
「兄のほうが悪いのでござる。その敵の妻をむりやり[#「むりやり」に傍点]に手ごめにいたしました」
「ははあ……それで、敵が兄ごを討った……」
「はい。敵の妻は自害いたしまして……まことに、気の毒……」
「ははあ……」
「私の家は、ちょいとその、親類にも、藩の重役などがおりましてな。兄が悪いのに、兄の悪業を庇《かば》い、逃げた敵を私に討たせて家を立てさせようという……まことに虫のよいことで。そんな手に、私は乗りませぬ」
もそもそという善空の顔は、なるほど、鰻《うなぎ》によく似ている。
「じゃが、敵を討たぬと、いつまでも国もとへ帰れぬではないか」
「さよう」
恬然《てんぜん》として、善空が、
「帰るつもりもござらぬ」
そういって、大治郎へ、
「いま、おもい出しました。以前、大坂の太融寺《たいゆうじ》の近くの、飯屋におられた……」
「さよう」
と、大治郎は苦笑し、うなずいた。
「ああ、それで先夜……」
「津田さん。悪い事は出来ぬものじゃな」
と、小兵衛。
「まことに……なれど、あの騙りの術が、いまの私の、ただ一つの生くる道でござる」
「商売と、な?」
「はあ、いかにも。十年ほど前に、旅の空で知り合《お》うた騙り坊主に教わりましてな。その人の名も善空。死水は、私がとりましたよ」
「これから、どうなさる?」
「どうなとして下され」
「わしがもし、奉行所へ突き出せば、お前さん、取り調べを受けなくてはならぬ」
「さよう」
「すれば、主家の名もいわねばなるまい」
「いいませぬよ、たとえ責め殺されようとも……」
低い声だが、ちから[#「ちから」に傍点]がこもっている。
(この鰻坊主め。なかなかのものじゃ)
と、小兵衛は看《み》た。
大治郎が笑いを噛《か》み殺している。
善空が台所へ行き、酒を持って来て、湯呑《ゆのみ》茶わんと飯茶わんへつぎ入れ、秋山父子へすすめながら、
「これが飲みたいばかりに、当途《あてど》なく、生きのびているのでござる」
「酒が、お好きかえ」
「はい。ですが先刻は、あの浪人どもに斬《き》り殺されるのも、また、よいではないかと、そうおもうて出て行きました。なに、逃げるつもりなら、わけはなかったので……」
「いまは、どうじゃ?」
「え……?」
「生きたいか、死にたいか?」
「さて……わかりませぬなあ」
「仕方もないわえ」
嘆息した小兵衛が、茶わんの酒を一口のんで、
「わかるまで、生きて見ることさ」
「えっ……」
「見のがしてあげようよ。そのかわり、すぐ、この場から江戸を離れてもらいたい。仙台堀の政吉が引っ立てて行った、あの無頼浪人どもが、お前さんのことをいい立てたら、政吉もお前さんを御縄《おなわ》にかけぬわけにはゆくまいからのう」
「お見のがし下さる……?」
「これからも、悪い奴《やつ》のみを騙《だま》せよ」
「これまでも、そうしてまいりました。金が無くなり、食うに困るときだけ、やっておりました。先夜の五両。これで私なら一年近く暮せるので……」
「奇妙なお人よ」
「では、仕度を……」
善空こと津田庄之助は、葛籠《つづら》を開けて、旅僧の身仕度にかかった。あの脇差《わきざし》は布に包み、肩へ背負った。
淡々として水のながれるままに生きているような、その姿をながめ、小兵衛と大治郎は顔を見合せ、感じ入るのみであった。
善空は、見のがしてくれた小兵衛に礼ものべず、名もきこうとはしなかったが、住居を出るとき、秋山父子へ合掌し、
「おすこやかに……」
と、只《ただ》一言を残し、裏長屋を出て行ったのである。
木戸口まで見送った秋山小兵衛が、
「ふうん……」
うなり声を発し、
「見たかよ、又六《またろく》」
「へえ……」
「あれを、何とおもうな?」
「へえ……まあ、鰻の化けものだね、大先生」
「ふ……これはよい、これはよい」
「父上。そろそろ帰りませぬと……」
「うむ……おや……?」
暗い夜ふけの空を仰いだ秋山小兵衛が、
「落ちて来たな」
「あ、雪……」
又六が、
「初雪ですね、大先生」
「うむ。傘《かさ》を貸してくれるか」
「一つしかねえですが……」
「よいわさ。こんな親子の相合傘《あいあいがさ》では、風情《ふぜい》にもなるまいが、な……」
「泊っておいでなすったら、どうですかね?」
「うち[#「うち」に傍点]には、若い女房《にょうぼう》が待っているわい」
○
その翌々日の昼すぎのことだが……。
浅草の外れの真崎稲荷《まさきいなり》裏の道場へたずねて来た佐々木|三冬《みふゆ》と稽古《けいこ》を終えた秋山大治郎が、共に茶をのみながら、善空坊主のことを物語ると、三冬は手を打って興じ、
「ほんに、奇妙な……」
「あ……そうだ」
「どうなされました?」
「おもい出しました」
「何を?」
「実は、父が病気になりましたとき、小川|宗哲《そうてつ》先生のところへ薬をいただきにあがったのですが……」
「はい」
「そのとき、宗哲先生が父のことを、薬のかわりに毛饅頭《けまんじゅう》を食べさせると、すぐに癒《なお》ると申された……」
「け、まんじゅう……?」
「父にたずねて見ようとおもいながら、つい、忘れていたのだが……三冬どのは御存知か、その毛饅頭なる菓子を……」
佐々木三冬が、かぶり[#「かぶり」に傍点]を振って目をみはり、
「存じませぬ」
「はて……?」
「耳にしたこともありませぬ。それは、どのような饅頭なのでしょう?」
「ふうむ……」
と、大治郎が、茶をいれ替えにあらわれた飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年に、
「お前は、食べたことがあるかね?」
「いいえ、知りませぬ」
「大治郎どの。その饅頭には、何やら薬草のようなものが入っているのではありませぬか?」
「ふうむ……」
「では、これより、秋山先生の隠宅へまいり、たずねて見ましょう」
「さよう。それがよい。では、ごいっしょに……」
「はい」
突発
一
師走《しわす》(陰暦十二月)の二十日と二十一日の両日は、神田明神社《かんだみょうじんしゃ》の年の市《いち》で、ここの年の市は金竜山《きんりゅうざん》・浅草寺《せんそうじ》につぐ賑《にぎ》わいだといわれ、境内に隙間《すきま》もなく仮屋《かりや》をつらね、四町四方へ商人が出て、注連飾《しめかざ》りやら台所の道具、破魔弓《はまゆみ》、手鞠《てまり》、羽子板《はごいた》など、種々の正月の祝器、玩具《がんぐ》などをならべ「都鄙《とひ》の諸人、これを求むるを恒例とし、陰晴を嫌《きら》わず群集すること、昼夜のわかちなし」などと、物の本にも記されている。
すでに秋山|小兵衛《こへえ》は、おはる[#「おはる」に傍点]をつれて十七日の浅草の年の市へ出かけ、正月の買物をすませていたが、二十一日の朝になって、あまりによく晴れわたった空をながめているうち、
「そうだ。神田明神の年の市を見物に行って見るかな……」
おもいたって、おはるへ、
「お前も、いっしょに来ないかえ?」
「あれ、だめですよう。年の暮で用がいっぱいあるものねえ。それに今日は、関屋村の父《とと》が何か持って来るはずだから……」
「そうか。それなら、わし一人で行って来よう。他《ほか》に、おもいたった用事もあるし、な……」
「早く帰って来て下さいよう」
「いいとも。帰りには駕籠《かご》を拾って来よう」
朝餉《あさげ》をすませてから、小兵衛は例のごとく、脇差《わきざし》一つを腰にし、竹の杖《つえ》をついて出かけた。
この日、小兵衛は、神田明神へ行く途中で、下谷《したや》の坂本三丁目の裏に住む煙管師《きせるし》・友五郎を訪ねるつもりであった。
両親が早死をした友五郎は、これも煙管師だった祖父の万右衛門《まんえもん》に育てられたが、十八歳のとき、祖父に連れられて京都へおもむき、二条・富小路に住んでいた名工|後藤兵左衛門《ごとうへいざえもん》方へ弟子入りをし、十年も修業を積んだだけに、どこにでもころがっている駄《だ》煙管をつくっているのではない。
品物は上野山下の煙管|卸所《おろしどころ》・森屋久三郎方へ納める一方、単独で特別高級品の注文を受け、武家方にも、
「友五郎の煙管で吸うと、煙草《たばこ》の味が、まるで変る」
などといわれ、贔屓《ひいき》がすくなくないそうな。
秋山小兵衛は三年前にその評判をきき、友五郎方を訪れ、銀煙管を一つ注文し、これをつかって見て、
「なるほど……」
すっかり気に入ったようだ。
紙巻煙草がなかった当時、煙草の味が、煙管の如何《いかん》によって微妙に左右されるのは当然のことだ。
鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅の再建が成ったとき、小兵衛は、友五郎作の煙管を、おはるの父・岩五郎へやってしまった。岩五郎が、いつも、いろいろと世話をしてくれるので、何か礼をしたいといったら、それなら先生の銀煙管がほしいというので、やらぬわけにはゆかなくなったのだ。
他にも、いくつか煙管をもっている小兵衛だが、
(やはり、どうも、友五郎のでなくては……)
と、新しく注文に出かけるつもりでいたのが、つい、のびのび[#「のびのび」に傍点]となっていたのである。
(さて……今度、友五郎にたのむ銀煙管には、ちょいと細工をしてもらおうかな。雁首《がんくび》の背の、ふくらんだあたりへ、小さく蝸牛《かたつむり》を彫ってもらおう)
たのしげに、おもいをめぐらしながら、小兵衛は大川橋をわたって行った。
その、すこし前に、煙管師・友五郎が死にかけている。
いや、すくなくとも自分ではそうおもっていた。
友五郎の家は、坂本三丁目の通りを東へ切れこんだところの正洞院《しょうどういん》という寺の裏手の菜園の一角にある。地所は正洞院のものであった。
下が二間、二階が一間の小ぎれいな家の二階の寝間で、いま、五十四歳の友五郎は、
「息も絶え絶え……」
の、ありさまとなっている。
その枕頭《ちんとう》に、友五郎の後妻・おたよ[#「おたよ」に傍点]と、町医者の山口|幸庵《こうあん》がつきそっていた。
おたよは二十八歳で、ぬけるように肌《はだ》の白い、ふっくらとした、見るからに女ざかりの体のもちぬしなのだが、顔《おも》だちはどうもいただけぬ。
男のように濃い眉毛《まゆげ》が尻下《しりさが》りに生えてい、眼《め》は、いわゆる金壺眼《かなつぼまなこ》というやつで、低い鼻の穴が天井を見上げている。
町医者の山口幸庵は三十四、五歳であろうか。
これはまた、相撲取りのような大男なのだが、やさしいおだやかな顔つきをしている……ように見える。しかし、細い眼をきらきらと光らせ、仰向《あおむ》いて寝て苦しげに喘《あえ》いでいる友五郎を凝《じっ》と見まもっている態《さま》が、妙に無気味であった。
幸庵とおたよは、ならんですわり、目を閉じている友五郎を見まもっていた。
見まもりながら、怪《け》しからぬことをしている。
手と手をうしろへまわして握り合い、たがいの指先で、たがいの掌《たなごころ》を撫《な》で合ったり、とき折は眼と眼を合わせてうなずき合ったりしているのだ。
と、そのうちに……。
おたよが、階下へ去った。
しばらくして、友五郎の喘ぎが昂《たか》まり、
「あ……う、う……おたよ。おたよ……」
眼をひらいて、二十六も年下の後妻を掠《かす》れ声でよんだ。
「ああ、よし、よし」
と、山口幸庵が痩《や》せこけてしまった友五郎の手を握りしめ、
「お内儀《ないぎ》は、いま、ちょ[#「ちょ」に傍点]と買物に出ましたぞ。すぐにもどる。すぐにもどる」
「あ……幸庵先生」
「苦しいかな?」
「はあ……」
すると幸庵が友五郎の耳もとへ口を近づけて、
「この苦しみも、いま、すこしのことじゃ、友五郎さん」
「はい……もう、幸庵先生に、あの、引導をわたされましたので、私の、か、覚悟もきまりましたが……何せ、息が苦しくて、苦しくて……」
「私も、あのようなことを医者の身で、いうたらいけなかったやも知れぬが……友五郎さんとは親しい碁敵《ごがたき》ゆえ、何か、いい遺《のこ》すことでもあれば、しっかりと聞いておきたい、かようにおもうたものだから……助からぬものは助からぬ、と、はっきり申しあげた。ま、ゆるしていただきたい、おゆるしなされ」
「いえ、いえ……そのほうが、私にはうれしゅうございます。助かる助かると、おもっているうちに息絶えてしもうては、おたよに遺言をすることも、できませぬ」
「そうか、そうか……」
「はい……はい……」
「それでもう、お内儀に遺言をなされたかな?」
「は、はい……」
「それはよかった、よかった。なれど、添うてから、まだ二年とか……さぞ、お内儀には、こころ残りでしょうな」
「う……」
声をのみ、瞑目《めいもく》した友五郎の両眼から泪《なみだ》が一すじ、こぼれ落ちた。
二
しばらくして、山口|幸庵《こうあん》が階下へあらわれた。
階下の奥の部屋で、おたよ[#「おたよ」に傍点]は炬燵《こたつ》に身を埋めこんでいたが、幸庵が入って来るのを見て、にッ[#「にッ」に傍点]と笑いかけた。
「いま、寝ついた。私のいうことなら、何でも聞く」
と、幸庵がいい、炬燵へ大きな体をねじ入れるようにし、おたよの唇《くち》を吸いつづけながら、右手で女の胸もとを引きはだけ、こぼれ出た重い乳房をもみしだきはじめる。
どこかで、猫《ねこ》が鳴いている。
おたよは、快感に堪《た》えきれぬ表情となり、小鼻をひくひくとうごめかし、われから双腕《もろうで》を幸庵のくびすじへ巻きつけ、
「むうん……」
うなり声を発し、仰向けに倒れた。
その上へ、のしかかった山口幸庵が、おたよとのこうした[#「こうした」に傍点]媾合《こうごう》に馴《な》れきっている素早さで大きな体を巧みにさばき、
「もうじきに、友五郎は、あの世へ行く……」
おたよの耳朶《みみたぶ》を軽く噛《か》みしめつつ、譫言《うわごと》のようにささやくのへ、おたよが、
「早く、早く、あの世へ……」
「大丈夫、大丈夫。友五郎は、私のいうことを信じきって、自分が死病にかかったと、おもいこんでいる、おもいこんで……」
「うれしい。あ、あ……」
「よかった、よかった……」
二人は烈《はげ》しく身をうごかし、腰をゆすりはじめた。
秋山小兵衛が大川橋をわたりきったのは、ちょうど、そのころだ。
浅草|広小路《ひろこうじ》へ出ると、師走《しわす》も押しつまったこととて、人通りがはげしい。
それでも今日は、まるで、春が来たようにあたたかいものだから、
(師走という気分になれぬわえ)
風も和《な》いだ町を歩みつつ、小兵衛は、
(そうじゃ。わしが前に煙管《きせる》をあつらえてより、感心に義理がたい友五郎は、師走の、それも十六日。浅草の年の市の前日に、きまって歳暮に来たものだが……今年は見えなかったわえ)
おもい起していた。
小兵衛は、ついでのことに、浅草へ参詣《さんけい》し、ふたたび広小路へ出た。
そのころ、山口幸庵はおたよから体をはなし、
「いそがしい、いそがしい。これより三つほど、患家《かんか》を廻《まわ》らねばならぬ。まことにどうも……」
と、いいさし、ぐったりと横たわっているおたよの、まだ露出している、まるくもりあがった白い臀部《でんぶ》へ顔をさしよせちろちろ[#「ちろちろ」に傍点]と舐《な》めまわしてから、
「や、鏡餅《かがみもち》、鏡餅」
と、悦に入った。
おたよが嬌声《きょうせい》を発した。
「叱《し》っ、声が高い」
「きこえませんよ、幸庵先生」
「喉《のど》が、かわいてならぬ。水をいっぱい」
「あい、あい」
水をのんで、またしても唇を吸い合ってから、山口幸庵は友五郎宅を出た。
幸庵の家は、田原町二丁目にある。老いた下男をひとり雇っている幸庵は患家をまわるとき、この下男に薬籠《やくろう》を持たせるのだが、友五郎を見舞うときは下男をつれては来ない。
山口幸庵は二年ほど前に、煙管師・友五郎と知り合った。
知り合った場所は、下谷《したや》・広徳寺門前の料理屋〔巴屋《ともえや》〕の二階であった。
月に一度、十五日の昼前から巴屋の二階で〔黒白連《こくびゃくれん》〕と名づけた賭碁《かけご》の会が催される。
あつまる者は、いずれも碁が好きな連中で町家の隠居もいれば、この日は仕事を休んであらわれる職人もいる。大店《おおだな》の後家もいれば、寛永寺の老僧もいた。秋山小兵衛も二度ほど、友五郎にさそわれて顔を出したことがある。
友五郎と山口幸庵は、この賭碁の会で知り合い、親しくなった。
そのうちに、後妻に迎えたばかりのおたよが重い病気にかかったので、
「ひとつ、診てやって下さいませんか」
と、友五郎が幸庵にたのんだ。
「よろしいとも」
すぐに来てくれた幸庵が、それまでおたよを診ていた近所の町医者が、いくらかもてあまし気味だったのを、
「これは、肝ノ臓が悪いのですよ」
幸庵は、おたよの体へ指圧をこころみ、投薬した。
すると、おたよが、めきめきと快方に向いはじめた。
これで、友五郎・おたよ夫婦の、山口幸庵へかける信頼は、たちまちに深まったのである。
それから山口幸庵は、しばしば、友五郎宅を訪れるようになった。
友五郎が、上野山下の森屋方へ煙管を納めたり、特別の客へ品物を納めに行ったりして留守のときも、顔を出した。
そうして、いつの間にか、幸庵とおたよは、
「ただならぬ仲……」
になってしまったのだ。
今年の十一月中ごろに、友五郎は風邪をこじらせ、寝こんでしまい、烈しい下痢を起して食欲がすっかり無くなり、見る見るうちに痩《や》せおとろえてしまった。
もちろん、山口幸庵が駆けつけて来て、診療にかかった。
半月ほどして……。
幸庵が、友五郎の耳へ、
「こりゃあ、いかぬな」
と、ささやいたものだ。
「え……?」
「死病じゃ。胃ノ腑《ふ》に腫物《しゅもつ》ができている。このようなことを医者の私がいうてはならぬのだが……かねがね、友五郎さんは、死病だったら、はっきりと知っておきたい。それでないと、いろいろ後始末ができない、と、かようにいうておられたゆえ、あえて私、申しあげた」
一瞬、友五郎は虚脱したようになったが、しばらくして両手を合わせて幸庵を拝み、
「かたじけのうございます。幸庵先生ほどの名医に、そこまでおっしゃっていただけるとは……」
と、いった。
以後、幸庵は見舞いに来るたび、何かにつけて、
「死病、死病」
と、友五郎へささやく。
一日一日と、あれほどに元気だった友五郎が衰弱してゆく。
友五郎は前の女房《にょうぼう》と、一人の子に病死されてしまい、さびしい身の上であった。親類もほとんど無い。上野山下の料理屋〔鯉屋忠兵衛《こいやちゅうべえ》〕方で座敷女中をしていたおたよを、森屋の主人《あるじ》の世話で後妻に迎えたのは、前妻が亡《な》くなって十四年目のことになる。
このことでもわかるように、煙管師・友五郎は、仕事|一途《いちず》の名人|気質《かたぎ》で、あのほうのこと[#「あのほうのこと」に傍点]は淡泊であったといえよう。
身寄りのない友五郎は、おたよに〔死水〕をとってもらうつもりで、後妻に迎えた。
そのかわり、道楽といっては、わずかな晩酌《ばんしゃく》と碁を打つことぐらいの友五郎だけに、死後、おたよへ遺《のこ》される金は百両を越えているにちがいない。
友五郎が死んだら、その金で、
(幸庵先生に、門構えの家を建ててあげよう)
と、おたよは考えている。
山口幸庵も、友五郎と知り合ったころに妻をうしなっていた。病気ではない。蔵前《くらまえ》通りで暴れ馬に蹴倒《けたお》され、頭を打って即死したのである。幸庵には子が無い。
三
山口|幸庵《こうあん》が、友五郎宅を出て、入谷田圃《いりやたんぼ》を左手にながめつつ、松平出雲守《まつだいらいずものかみ》・下屋敷の西側の道へ出たとき、そこから程近い長円寺《ちょうえんじ》裏の空地で、二人の侍が大刀をぬきはらい、激しく切り合いはじめている。
一人は、むさ苦しい中年の浪人。
一人は、きちん[#「きちん」に傍点]と袴《はかま》をつけた若い侍である。
そのとき、秋山小兵衛は、長円寺の手前にある大刹《たいさつ》・海禅寺《かいぜんじ》の南側の道へさしかかっていた。
浪人と侍が切り合っている空地は長円寺の地所で、二百坪ほどの草地になってい、板塀《いたべい》をめぐらしてあるが、塀のところどころが破れていて、犬も猫も人も通りぬけができる。
西側が竹藪《たけやぶ》になっていた。
この二人は、近くの曾源寺《そうげんじ》と海禅寺の間の道で、すこし前にすれちがった。
あとになってわかったことだが、若い侍は、島田源太郎といい、立花|左近将監《さこんしょうげん》(筑後《ちくご》・柳川《やながわ》十一万九千六百石)の家来で、入谷田圃の東端にある立花家・下屋敷に詰めている。
島田は、この朝早く、御徒町《おかちまち》の立花家の上屋敷へ公用で出かけ、用事をすませて下屋敷へ帰るところであった。
浪人の名は、市口瀬兵衛《いちぐちせへえ》といい、長い間、妻子もなしに孤独な放浪の暮しをつづけて来た剣客くずれである。
すれちがったとき、市口瀬兵衛は、したたかに濁酒《にごりざけ》をのんでいた。
島田源太郎は、尾羽打ち枯らした市口を見て、露骨に軽蔑《けいべつ》の表情をうかべた。
市口が、じろり[#「じろり」に傍点]と島田を見返したとおもったら、
「あっ……!」
という間もなく、市口の口中から吐きつけられた痰《たん》が島田の鼻の下へ命中した。
「ぶ、無礼者!!」
叫んで、島田が刀の柄《つか》へ手をかけると、
「おもしろい!!」
市口が喚《わめ》き返し、
「やるか!!」
大刀の柄を叩《たた》いた。
「あやまれ」
「ばかもの。ここでは人目につく。さ、こっちへ来い。刀のつかい方を教えてやろう」
いいざま、市口瀬兵衛が身をひるがえして、塀の破れたところから長円寺の草地へ走りこんだ。
島田源太郎も、ここまで侮辱をうけては引き下るわけにはゆかぬ。
猛然と、これも草地へ飛び込み、羽織をぬぎ捨てて抜刀した。
島田は、意外によく剣をつかった。
市口は、わけもなく相手を打ち殪《たお》すつもりでいたらしい。
斬殺《ざんさつ》するつもりはなく、
(腕か足の一本、叩き切ってやろう)
と、それほどの余裕をもって立ち向ったのだが、なかなかどうして、島田源太郎は強かった。
細身の体をすばしこくうごかし、市口の打ち込みを避けては、
「や、えい!!」
甲走った気合声を発して反撃して来る。
「う……」
飛び退った市口浪人の右の頬《ほほ》が、島田の切先をうけ、浅く切り裂かれた。
「うぬ!!」
市口は怒気を発し、猛獣のように島田へ切りかかった。
酒が入っていたし、相手の意外な反撃に戸惑ったかたちになっていた市口瀬兵衛だが、傷つけられたことによって闘志が本物になった。
咆哮《ほうこう》をあげ、切りまくる市口の切先《きっさき》を、島田源太郎がもてあましはじめた。
いざとなると、何人か人を斬《き》った経験がある市口浪人に、島田はどうしても劣る。
かわして、逃げて、肩先を浅く切られて、たまりかねた島田源太郎が長円寺の空地の、塀の破れ口から路上へ飛び出した。
「待てい」
市口が追って出た、そのときちょうど、道の北側の武家屋敷の角を曲って来た町医者・山口幸庵が、市口の目の前にあらわれた。
市口は、これを、
(相手が塀外に待ち構えていた……)
とっさに、そう感じた。
顔も姿も身なりもちがう幸庵へ、市口瀬兵衛が、
「たあっ!!」
大刀を振りおろした。
島田源太郎は、幸庵があらわれたのと反対の方角へ逃げていて、その向うから秋山小兵衛がやって来た。
「ぎゃあっ……」
山口幸庵が、血けむりをあげて転倒した。
「し、しまった……」
はじめて気づいた市口浪人は、振り向いて見て、向うへ逃げて行く島田源太郎に気づき、
「うぬ……」
追いかける、その前へ、
「待て」
秋山小兵衛が立ちふさがり、
「この狼藉《ろうぜき》は何事だ?」
詰問《きつもん》した。
「老いぼれ。どけい」
「だまれ」
「こいつめ……」
ぴゅっ[#「ぴゅっ」に傍点]と、市口は小兵衛の首をねらって薙《な》ぎはらった。市口は逆上してしまっている。
ふわり[#「ふわり」に傍点]と、小兵衛の体がななめうしろに退ったかと見る間に、手にした細い竹の杖《つえ》が電光のごとく市口浪人の右眼を突いた。
「うわ……」
これこそ、意外の逆襲であった。
市口は、激痛によろめき、さらに逆上し、大刀を小兵衛に突き入れて来た。
その市口の右腕を竹の杖が痛烈に撃った。
大刀を放《ほう》り落し、市口が前へのめり、あわてて立ち直り、差添《さしぞえ》の脇差《わきざし》の柄へ手をかけようとするより早く、躍りこんだ小兵衛の拳《こぶし》が市口瀬兵衛の急所へ深ぶかと沈んだ。
市口浪人が、くずれこむように伏し倒れた。
通行の人びとの叫び声がきこえている。
小兵衛は、血みどろになって倒れている山口幸庵の傍《そば》へ行き、
(や……この町医者、どこかで見たことがあるような……)
と、おもった。
幸庵は右の頬からくびすじ[#「くびすじ」に傍点]、肩へ深く切りこまれてい、もう、虫の息であった。
「これ……これ、しっかりせぬか」
抱き起し、小兵衛が耳もとへ、
「おい、これ……何か、いい遺《のこ》すことはないか」
「う……あ……」
「何じゃ。む、もう一度いうてごらん。もう一度……」
「おた、よ……あ、おたよに……」
ここまでいって、山口幸庵は、がっくりと息絶えてしまった。
(おたよ、とは女の名らしい)
小兵衛は、幸庵の死体を寝かせておき、まだ気をうしなっている市口瀬兵衛の両手両足を、彼の刀の下緒《さげお》で縛った。
四
秋山小兵衛は、それから長円寺にたのみ、幸庵《こうあん》の死体と市口浪人を空地へ運びこんだ。
幸庵の血がついた手を長円寺の井戸端で洗っているところへ、土地《ところ》の御用聞きで、〔山伏町《やまぶしちょう》の亀蔵《かめぞう》〕というのがやって来た。
亀蔵は四十がらみの、落ちついた男で、小兵衛がはなして見ると、小兵衛の門人であり、これもお上《かみ》の御用をつとめている四谷《よつや》の弥七《やしち》とは、
「昵懇《じっこん》の間柄《あいだがら》……」
だという。
「秋山先生のお名前は、かねがね、弥七さんからうかがっておりました」
と、山伏町の亀蔵はいった。
「それは、ちょうどよかった。それならこれで、わしは引き取ってよいかな?」
「はい。まことにどうも、お手数をおかけ申してしまいました。この、斬り殺されたお人は、山口幸庵先生といって、このあたりにも患家《かんか》があるお医者さんでございます」
「顔見知りかえ?」
「ときどき、広徳寺前の巴屋《ともえや》の、賭碁《かけご》へ顔をお見せなさるので……」
「あ……」
ぽんと手を打って、
「おもい出した。わしも、この医者を、その巴屋で引き合わされたことがある」
幸庵を小兵衛に引き合わしたのが煙管師《きせるし》・友五郎だったことは、いうをまたぬ。
市口瀬兵衛は、酒の酔いも昂奮《こうふん》もさめ果て、青ざめ、うなだれている。
小兵衛は自分が目撃したことを山伏町の亀蔵につたえ、
「あの浪人が、何も彼《か》も、しゃべってくれるだろうよ」
「後は、たしかに……」
「では、たのんだよ。一度、四谷の弥七といっしょにあそびにおいで」
「ありがとうございます。寄せていただきますでございます」
亀蔵の礼儀正しい態度を見て、
(御用聞きで、しっかりした男は弥七ぐらいなものとおもっていたが……まだ、こんな男がいた。江戸はひろいな)
小兵衛は、そうおもった。
すでに半刻《はんとき》(一時間)以上の時間をつぶしてしまったが、煙管師・友五郎の家は、さして遠くない。小兵衛は予定どおり、友五郎を訪ねることにした。
小兵衛は一度だけ、友五郎の女房《にょうぼう》を見ている。
友五郎が去年の歳暮に夫婦そろって顔を見せたからである。
「あ……」
小兵衛の訪《おとな》う声をきき、奥から出て来たおたよ[#「おたよ」に傍点]の、だらしなく乱れたえりもと、胸もとの衣紋《えもん》や、妙に上気した顔、白くてなめらかな喉《のど》もとのあたりに、生なましい女のにおいがみなぎりわたっているのを見て、小兵衛は、
(これは、友五郎と何やらしていた[#「何やらしていた」に傍点]のかな……わるいところへ来たらしい)
おもわず気をまわしてしまった。
おはる[#「おはる」に傍点]といっしょに暮すようになってからの小兵衛自身にも、こうした場面がないではないからであった。
「これはまあ、秋山先生……」
「お邪魔だったかな」
「まあ、そんな……」
尚《なお》も、おたよは顔を赤らめたではないか。
いよいよいけない、と、おもった。
「また、出直してまいろうかな」
「いえ、あの……」
「友五郎さんがいるなら、ちょいと、煙管をたのみたいとおもって立ち寄ったのだが……」
「それが、あの……」
と、おたよは、ようやく落ちつきをとりもどした。
山口幸庵が帰ったあとも、まだ、体に残っている男のちから[#「ちから」に傍点]に痺《しび》れて、おたよは炬燵《こたつ》へ身を横たえたままでいたのだ。
「あるじは、いま、死病に取りつかれてしまいまして……」
「なに……で、此処《ここ》にいるのかえ?」
「二階にあの、寝たきりで」
「それはいけない。ちょいと見舞ってもよろしいか?」
「はい、どうぞ。あるじもよろこびますでございましょう」
衣紋をつくろいながら、おたよが小兵衛を二階へ案内した。
先に立って二階の病間へ入って行った女房へ、目ざめた友五郎が、
「ああ、おたよ。何処《どこ》へ行っていたのだ?」
いいかける声が、小兵衛の耳へはっきりと入った。
(おたよ……先刻《さっき》死んだ町医者の山口幸庵が、末期《まつご》によんだ女の名も、おたよだったな……ふむ、そういえば去年の暮に、夫婦でわしのところへ来たとき、友五郎は、おのれの女房の名を、そのようによんでいた……)
これは、偶然のことなのか、それとも……。
病間へ入って行く秋山小兵衛へ、
「ただいま、お茶を……」
といい、おたよが階下へ去った。
「こ、これは、秋山先生……」
弱々しく、それでもうれしげによびかけてきた友五郎へ、
「どうしたのじゃ、友五郎さん」
「はい。もう、私は、だめ[#「だめ」に傍点]なんでございますよ。いけないのでございます」
「何が、いけない?」
「間もなく、あの世へ、行ってしまうことになりましたので……」
「どこが悪いのじゃな?」
「あの、胃ノ腑《ふ》に、何やら悪い腫物《はれもの》ができているそうで……」
「しかし、お前さんは、とても胃腸が丈夫で、何でも、おいしく食べられますと、去年もはなしていたではないか」
「はい、さようで」
「寝ついたときは?」
「あの、風邪を引きましたのがもと[#「もと」に傍点]でございました」
「ふうん。そりゃ、すこし、妙ではないか」
「妙……と、おっしゃいますと?」
「風邪を引いて、それから?」
「熱を出しまして……」
「間々《まま》あることじゃ。わしも先達《せんだっ》て、同じような病にかかって寝込んでいたのじゃよ」
「おや、先生も……」
「熱を出して、それから?」
「下痢がつづきまして……」
「食べる気がなくなった?」
「はい、さようで……」
「間々あることよ」
「はあ……」
「胃ノ腑に腫物ができているというのに、ずいぶんと、お前さん、しゃべるではないか」
「あ……」
知らず識《し》らずに小兵衛と語り合っていた友五郎だが、そういわれてはっ[#「はっ」に傍点]となり、
「あ、まことに……ちかごろ、これほどに、しゃべったことはございません」
「いったい、だれが、そのような診たてをしたのじゃ?」
「ほれ、先生にも一度、巴屋の賭碁の席でお引き合せをした、山口幸庵先生が親切に診て下さいますので……」
「なに、山口幸庵……」
きらりと、秋山小兵衛の眼《め》が光った。
「幸庵先生が、御親切にも、私が死病にかかっていることを、前もって知らせて下さいましたので、いろいろと、後の始末もつき、よろこんで……」
いいさして、さすがに泪《なみだ》ぐんだ友五郎が、
「安心をして、あの……あの世へ、まいれますでございます」
「それほどに、死にたいのかな?」
「いえ、そんな……何も、死にたいことはございませぬ」
「山口幸庵が申したのだな、死病にかかっていると……?」
「はい。何度も、何度も……」
「なに、何度もじゃと?」
「はい。診て下さるたびに……」
ここまで来ると、秋山小兵衛の脳裡《のうり》には、山口幸庵・おたよ・友五郎の死病と、この三つが一つに組み合わされ、もはや、
(ぬきさしならぬもの……)
と、なってきたのである。
○
こうなっては、神田明神《かんだみょうじん》の年の市《いち》どころではない。小兵衛は階下へ行き、おたよに筆紙を出させて手紙をしたため、だれか近くに、使いをしてくれる者はないかと問うた。
となりの正洞院《しょうどういん》の下男が、そうしたことを引きうけているというので、おたよが迎えに行った。
下男が来ると、小兵衛は手紙とこころづけをわたし、おたよには聞えぬように、
「この手紙を、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の小川|宗哲《そうてつ》というお医者さんのところへとどけておくれ。もし、御不在なら手紙を置いてくればよい」
と、いった。
下男が出て行くのを見送ってから、小兵衛が、おたよに、
「お内儀《ないぎ》。腹が空《す》いてきた。漬物《つけもの》でもあれば、飯を食べさせてくれぬか」
「は、はい……」
おたよは、まだ、何も知らぬ。
おたよにして見れば、
(この爺《じい》さん。なんで、手紙を書いて持たせてやったり、御飯をせがんだりするのか……?)
不審でならぬ。
「お内儀。暖かいのう、今日は」
「はい、はい」
台所で、おたよは食事の仕度にかかった。
友五郎の仕事部屋は、すっかり片づけられてい、細工道具は鬱金《うこん》の布におおわれている。
やがて、あたたかい飯と味噌汁《みそしる》。
それに生卵と大根の漬物が出た。
「うまい、うまい」
と、小兵衛は悠々《ゆうゆう》と食べ終え、また、二階の病間へあがって行った。
一刻《いっとき》ほどして、正洞院の下男がもどり、小川宗哲が在宅だったことを小兵衛に告げ、
「すぐに後から、お駕籠《かご》で、こちらへお見えになるそうでございます」
と、いった。
「よし、よし、御苦労さん」
下男が帰ったあとで、おたよは、露骨に嫌《いや》な顔をして見せた。
「ふん……」
小兵衛は鼻で笑い、笑ったかとおもうといきなり、
「おい、これ。山口幸庵は死んでしまったぞ」
といった。
「えっ……」
「わしが此処へ来る途中で見た。酔いどれ浪人に斬り殺されたよ。うそ[#「うそ」に傍点]だとおもうなら、山伏町の長円寺へ行ってたしかめてごらん」
息をつめたまま、おたよが、かぶりを振った。
「死水は、わしが取ってやったのだ」
おたよの、かぶりの振り方が烈《はげ》しくなった。
とても、信じられぬらしい。
「幸庵はな、みんな、白状をして死んだぞ」
「う……」
「病は気からというが、まことにそれよ。死病でもないものを、それらしく[#「それらしく」に傍点]いいたて、友五郎が自然に死ぬよう、幸庵は口先ひとつで……」
いいさした小兵衛の前で、おたよが突っ伏した。
「さ、出てお行き」
小兵衛が、やさしくいった。
「世間には、だまっていてやろう。そのかわり、お前も覚悟を決めるがよい。もう、友五郎のそばには居たたまれぬだろう、どうだえ。それともまた、新しい男でも引きずりこみ、友五郎を死なすつもりか」
おたよが物もいわず立ちあがり、台所から、外へ飛び出して行った。
もしやすると、山口幸庵の一件をたしかめに行ったものか……。
日が傾き、風が出て来た。
どこかで猫《ねこ》が鳴いている。
奥の部屋の炬燵の中から這《は》い出した牝《めす》の三毛猫が小兵衛の足もとへ来て、甘えはじめた。
おたよの飼猫らしい。
小兵衛は三毛猫を抱きあげ、
「お前は、はじめから、みんな見て知っていたのだろうなあ」
撫《な》でてやりながら、友五郎へすべてを語るべく、二階へあがろうとした。
そのとき、友五郎の家の近くで駕籠がとまる気配がし、間もなく、元気のよい小川宗哲の声が、玄関の向うできこえた。
「秋山小兵衛さんは、此処においでなさるか?」
老僧狂乱
新しい年が明けて……。
その正月六日の午後に、秋山|大治郎《だいじろう》は老中《ろうじゅう》・田沼意次《たぬまおきつぐ》邸内の道場での稽古《けいこ》を終え、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父・小兵衛《こへえ》の隠宅へ向った。
今朝がた、おはる[#「おはる」に傍点]が小兵衛の使いで大治郎の道場へあらわれ、
「先生が、夕飯のお相手をしてもらいたいそうですよう」
と、いって来たからである。
神田橋門内の田沼屋敷を出た大治郎は、外神田から浅草御門外を経て、両国橋へかかった。
風は絶えていたが、朝から底冷えの強《きつ》い曇り日で、大治郎が両国橋へかかったとき、はらはらと白いものが舞い落ちて来た。
ときに、七ツ(午後四時)ごろであったろうか……。
いつもなら、まだ充分に明るさが残っているのだけれども、天候のゆえか、あたりは薄墨を刷《は》いたように暗く、あわただしく橋上に行き交う人びともすくなかった。
西から東へ、急ぎ足に両国橋をわたる大治郎が、ふと、左手を見やって、
(や……?)
おもわず、足をとめた。
橋の欄干にもたれ、鉛色の大川《おおかわ》(隅田《すみだ》川)の川面《かわも》を凝《じっ》と見おろしている老人に気づいたからである。
身なりは町人のものだが、すっぽりとかぶった頭巾《ずきん》からのぞいて見える横顔に、大治郎は見おぼえがあった。
七年ほど前。
大治郎が諸国をまわって剣の修行にはげんでいたころ、伊勢《いせ》・亀山《かめやま》の城下外れの大念寺《だいねんじ》という寺に、七日ほど厄介《やっかい》になったことがある。
そのとき、大治郎は下痢を病んでいた。
しかし、これも修行と考え、むり[#「むり」に傍点]を重ねて旅をつづけ、その日の午後に亀山城下を出たところで、驟雨《しゅうう》が叩《たた》いてきた。
もう、どうにもたまらなくなり、惣門《そうもん》の屋根の下へ入ってうずくまっていると、外から帰って来た大念寺の寺僧が、
「まあ、中へお入りなされ」
と、すすめてくれた。
事実、腹の痛みは激しかった。
寺僧が亀山城下からよんでくれた医者は、
「すんでのことで、いのち取り……」
に、なるところだったといった。
七日の間、大念寺の一室に寝かせてもらい、寺僧の看護をうけてから、大治郎は出発した。
「まことにもって、御親切に……」
和尚《おしょう》のところへ挨拶《あいさつ》に行くと、無覚《むがく》和尚は事もなげに、
「お発《た》ちか。では、さようなら」
と、いったのみである。
当然のことをしたまでだという顔つきであった。
大治郎は、このとき、はじめて無覚の顔を見たのであった。
でっぷりと肥えて血色がみなぎるばかりの、無覚和尚のふとい鼻が、脂《あぶら》に照っている。和尚というよりは、贅沢《ぜいたく》な暮しをしている商家の主《あるじ》のような風貌《ふうぼう》であって、そこが大治郎には、いま一つ、のみこめぬ感じがしたものだ。当時、無覚は、五十四歳であったそうな。
その後、大坂へ落ちついてからも、また、江戸へ帰って来てからも、大治郎は礼状を無覚和尚へ出しているが、返事は来なかった。
その和尚が、いま、大治郎の目の前にいる。
さびしげに、橋の欄干へ寄りかかり、何やらおもいつめた様子で川面に見入ったまま、身じろぎもせぬ。
風体《ふうてい》は町人のものだが、まぎれもなく、これは無覚和尚であった。
頭巾の中味は坊主頭《ぼうずあたま》にちがいない。
七年前にくらべて、体も小さく見え、面《おも》やつれをしているその[#「その」に傍点]人を、
(他人の空似ということもある……)
と、おもい直し、すこしはなれて見まもったが、
(やはり、間ちがいはない。それにしても、和尚が江戸へ来ていて、しかも、あのような身なりをしている。そして、いま、ふり出した雪にもかまわず、このようなところで、ぼんやりと佇《たたず》んでおられるとは……?)
大治郎は、不審におもった。
勢州《せいしゅう》・亀山は、江戸から百四里二十六丁。そこからはるばると出て来て、雪の両国橋の上で和尚が途方にくれているとなれば、
(捨ててはおけぬ……)
ことになる。
いや、途方に暮れていなくとも、大治郎は、あのときの礼をのべねばならぬ。
「もし……」
いいさして、大治郎が一歩踏み出した、その瞬間であった。
欄干にもたれていた無覚の体が、ふわり[#「ふわり」に傍点]と宙に浮きかかった。
「あっ……」
駆け寄った秋山大治郎の、さしのべた両手の先が、わずかに無覚の着物を掠《かす》った。
だが、遅い。
無覚和尚は、われから大川へ身を投げていたのである。
一
これが夜に入ってのことだったら、おそらく無覚も助からなかったろうし、たとえ大治郎が通り合せても、それ[#「それ」に傍点]と気づかなかったにちがいない。
だが、なんといっても夕暮れのことだ。
雪が落ちてきて薄暗くなってはいても、大川を行く荷舟の船頭の中で、二人三人は、橋上から落ちて来る人影をみとめたはずである。
その中の一人が、
「ばか野郎め……」
舌打ちをしたが、見た以上は放《ほう》り捨ててもおけぬというので、すぐさま、大川へ飛び込んだ。
秋山大治郎も両国橋の欄干から飛び込もうとしたが、橋下へさしかかろうとする荷舟から船頭が飛び込むのを見て、
(これなら大丈夫……)
見きわめをつけ、東へ橋を駆けわたった。
そのとき、大治郎の脳裡《のうり》に浮んだのは、父・小兵衛と親交がある町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》のことであった。
宗哲の家は、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》に在《あ》る。両国橋からも近い。父や自分の家へ担《かつ》ぎ込むよりも早いし、看護も行きとどくとおもった。
間もなく……。
大治郎は、半死半生の態《てい》となった無覚|和尚《おしょう》を背負い、小川宗哲宅へあらわれた。
無覚を救ってくれた船頭には、とりあえず〔こころづけ〕をわたし、よいあんばいに、あまり人だかりもなかったので、
「和尚殿。しっかりなさい」
いちおう、のんだ水を吐かせておき、無覚を宗哲宅へ運び込んだのであった。
「いったい、どうしたのじゃ?」
折よく在宅していた宗哲に、大治郎が、
「知り合いの和尚が、大川へ落ちまして……」
「どこから?」
「両国橋の上からでございます」
「欄干を越えてかね?」
「はい」
「それなら落ちたのじゃあない。みずから飛び込んだのではないか」
「ま、そういうことに……」
「なるにきまっている。これが坊主か……なるほど、頭は坊主頭のようじゃが……」
宗哲は、医生に手つだわせ、てきぱきと無覚和尚の手当をしながら、何をおもい出したものか、くすくす[#「くすくす」に傍点]と笑い出した。
「どうなされました?」
「大治郎どのよ。わしは昨日、久しぶりで鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ行き、小兵衛どのと碁を打って来たがね」
「それは、父も、さぞかしよろこんだことでございましょう」
「その折に聞いた」
「何をでございますか?」
「聞いたよ。お前さん、小兵衛どののところへ、あの女武術者の、御老中のむすめごだとかいう佐々木|三冬《みふゆ》どのと連れ立って行き、毛饅頭《けまんじゅう》のことを尋ねたそうじゃあないか」
「あっ……」
秋山大治郎は頭を抱え、満面に血をのぼせて、
「実に、赤面のいたりです」
と、いった。
「わは、はは……」
たまりかねたように、小川宗哲が大笑いをすると、ぐったりと寝て、か[#「か」に傍点]細いうめき声をたてていた無覚和尚が、はじかれたように飛び起き、
「た、助けて下され!!」
両手を宙に突き出し、天井を仰いで叫んだものである。
大治郎が、その体を押えて寝かしつけると、無覚は半眼となり、また、微《かす》かにうなりはじめた。まだ、正気にもどらぬらしい。
「なんとまあ、だらしのない和尚どのじゃ。このお人は、どんな修行をして来たものかね。どうも、この坊さんも、お経をよむより毛饅頭のほうがよい、といった顔つきをしてござるわ」
と、宗哲先生、まだ、笑いがとまらぬのである。
あの〔鰻《うなぎ》坊主事件〕のときに、小川宗哲がいった〔毛饅頭〕の意味がどうしてもわからず、大治郎は三冬と連れ立ち、小兵衛のところへ行き、
「毛饅頭とは、いかなる薬なのですか?」
尋ねたときの秋山小兵衛の顔つきたるや、実に何ともいえぬものであって、
「だ、だれに、そんなことを……?」
「小川宗哲先生が、父上の病気など、毛饅頭を食べさせておけば、すぐに癒《なお》ってしまうと申されました」
「つまらぬことを……」
舌打ちが苦笑に変って、小兵衛が、
「宗哲先生もばかげた[#「ばかげた」に傍点]ことを……また、毛饅頭が何たるかを知らぬお前もばか[#「ばか」に傍点]じゃよ」
すると、このとき、よせばよいのに佐々木三冬が、
「なれど秋山先生。知らぬことをたずねるが、何故《なにゆえ》、ばか[#「ばか」に傍点]なのでございましょうか?」
「ほう。三冬さんも御存知ないか」
「存じませぬ」
「ならば、お教えいたそう。毛饅頭なる菓子は、どの女ごも所有いたしておるものでな。それ、三冬さんのお臍《へそ》の下にも一つ、ついておるではありませぬか……」
ここまでいわれては、大治郎も三冬も、さすがにわからぬわけにはゆかぬ。
「あっ……」
と叫んで佐々木三冬が、小袖《こそで》の袂《たもと》で顔をおおい、若衆髷《わかしゅわげ》の下の白い項《うなじ》が見る見る紅《あか》く染ってゆく。
大治郎は俯《うつむ》いたまま総身に冷汗をにじませ、しばらくは二人とも、身うごきができなかったものだ。
これを見て秋山小兵衛は、笑いを噛《か》みころした苦い顔つきで、
「あきれ果てた人びとじゃ」
いうや、ぷい[#「ぷい」に傍点]と何処かへ出て行ってしまった。
おはる[#「おはる」に傍点]は、このとき関屋村へ出かけていて、家にいなかった。
二
この夜。
秋山大治郎が、小川宗哲宅から鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へ着いたのは、一刻《いっとき》(二時間)ほど後のことである。
「おそいではないか、どこで油を売っていたのじゃ?」
と、小兵衛。
雪は、いっとき、かなり降っていたのだが、いつの間にか熄《や》んでいる。
「よい鴨《かも》が手に入ったので、お前にも相伴《しょうばん》させてやろうとおもったのじゃ」
「かたじけなく存じます。頂戴いたします」
「わしは、もう、腹が空《す》ききってしまった……」
「申しわけございませぬ」
大治郎は、おはる[#「おはる」に傍点]が酒食の仕度をととのえている間に、父へ、無覚|和尚《おしょう》の一件を語った。
和尚は、間もなく気がつき、枕頭《ちんとう》にいた大治郎に気づき、はじめはわからなかったが、大治郎の言葉で、
「あ……あのときの、旅のお人か……」
ようやくに、おもい出した。
「まことに、もって面目もない。おもいあぐねて、川の水をながめ、考えこんでいるうち、その川水にさそい込まれるようなおもいがして、五里霧中となり、つい、ふらふらと飛びこんでしまいましてな」
泣き声になって、そういった。
七年前の精力的な風貌は、六十をこえた無覚から消えていた。見るからに哀れなのである。
「それにしても、このお姿は、いったいどうしたことなのです?」
「法衣《ころも》も、着ておられぬので……」
「何故に?」
「もはや、訊《き》いて下さるな」
と、すすり泣くのみであったが、大治郎も、こうなっては見捨てておけず、
「若輩者《じゃくはいもの》で、お役に立てるかどうかわかりませぬが。ともあれ、事情《わけ》をおはなし下さい。おちからに多少なりともなれるものなら、なりたいと存じます」
「む……それが……」
なかなかにいい出しかねている様子であったが、ついに、
「金百両。何としても欲しゅうござる」
いって見ても大治郎には、とても工面がつくまいというあきらめが、その無覚の声にこもっている。
「百両……」
大治郎も、手をこまぬくよりほかに仕方がなかった。
「なるほど……で、その百両の大金が、僧侶《そうりょ》の身に何故要るのか?」
と、秋山小兵衛が大治郎に訊いた。
「亀山《かめやま》の大念寺《だいねんじ》の、古い鐘楼が傷《いた》みつくし、それに庫裡《くり》・本堂などの修理のための金だ、と、申しておられましたが……」
「では、その金をあつめにでも出て来たのかえ、江戸へ……」
「そうらしいのです。そして、あつめた金を盗み奪《と》られたと申しておりました」
「何、盗まれたと……だれに?」
「そこのところを、はっきりと申されませぬ。ただ、しくしく[#「しくしく」に傍点]と泣くばかりなので、私も……」
「大金を盗まれた和尚が、これを、お上《かみ》にも届けずして、町人の風体《ふうてい》となり、大川《おおかわ》へ身を投げたという……」
「はあ……」
「ふうん……」
小頸《こくび》をかしげて、小兵衛が、
「妙なはなしだ……」
つぶやいたものである。
とにかく、今夜は、
「しずかにさせておかぬといけない。わしがあずかっておくゆえ、心配せずともよろしい」
と、小川宗哲がいってくれたので、大治郎は小兵衛の隠宅へ向ったのだ。
「ふむ、ふむ……とにかく、死ぬ気で大川へ飛び込んだのはたしかじゃな。お前の姿を見てからではないのだな?」
「むろんです。凝《じっ》と大川を見下ろしたままでしたから……」
「すると、やはり、死ぬ気は死ぬ気だったのだ」
「大分に水をのんでおりましたし、宗哲先生が申されるには、心ノ臓も、あまりよくないとか……」
「ほう、そうか……」
そこへ、おはるが酒の仕度をしてあらわれた。
鉄鍋《てつなべ》で煎《い》りつけた鴨の肉に、芹《せり》をあしらったものが運ばれた。
「さ、熱いうちにやれ」
「いただきます……あ、これは……」
「どうじゃ、うまいだろう?」
「はい」
「あとで、おはるが得意の鴨飯をつくるぞ」
それに、熱湯へ潜《くぐ》らせた芹に淡塩をあてて、軽く圧《お》した漬物《つけもの》も出た。
「ようやくに、腹の虫がおさまったわえ」
ひとしきり、のんだり食べたりしていた秋山小兵衛が箸《はし》を置き、
「のう、大治郎……」
「はい?」
「その和尚どののことじゃが……」
「はあ……」
「お前が七年前に、旅中、病気で苦しんでいたとき、その和尚の寺の厄介《やっかい》になったとあれば、こいつ、捨ててもおけまい」
「ですが父上。百両もの大金を……」
「そりゃ、つくろうとおもえば、つくれぬこともないわえ」
「いえ、私はとても……」
「お前につくれというているのではない。たった一人のせがれが恩を受けた和尚の危急とあれば、わしもだまってはおられまい」
「かたじけなく存じます。しかし、父上……」
「内にもいくらかは残っているし、あとは、どこかで借りて来よう」
「大丈夫でございますか?」
「ふ……」
鼻で笑った小兵衛が、
「こんなことはお前、剣術をつかうよりも楽なものさ」
と、いった。
三
夜ふけてから父の家を辞した秋山大治郎は、翌朝五ツ(午前八時)ごろに、亀沢町《かめざわちょう》の小川|宗哲《そうてつ》宅へおもむいた。
小兵衛が昨夜、
「わしが行くまで、和尚《おしょう》どのにつきそっていてあげるがよい。なに、大丈夫。おそくも日暮れまでには金をととのえ、宗哲先生宅へ行くよ」
と、いったからだ。
宗哲先生は、急な患者の往診で石原町まで出かけたという。
医生の大村|謙次郎《けんじろう》が、大治郎へ、
「若先生。あの和尚さんは、もう二、三日、このままにしておいたほうがよいと、うち[#「うち」に傍点]の先生が申されておいでですよ」
「やはり、心ノ臓が?」
「はあ。それほどにひどく悪化してはいないようですが、なんといっても寒中の川水へ浸《つか》ったのですから、かなり弱っています」
「なるほど。和尚どのに会うてもよろしいか?」
「かまいません、しかし、なるべく、しずかに……」
「わかりました」
無覚《むがく》和尚は、奥の間に横たわっていた。
「いかがですか、御気分は?」
入って来た大治郎へ物憂《ものう》げな視線を投げた無覚が、
「もう、いけませぬ」
と、いう。
一介《いっかい》の剣客にすぎぬ秋山大治郎では、とても自分の苦境を救うことはできまい、と、無覚はおもっているらしい。
「あのまま、死なしてもろうたほうが、よかった……」
と、いうのである。
一寺をあずかる住職として、寺の修築の費用を盗み奪《と》られた責任《せめ》を負い、せめて自殺して申しわけにしようというので大川へ身を投げた。なるほど、これが常人ならば、哀れにもおもえようが、六十の老和尚のなすべきことではないように、大治郎には感じられた。
これは和尚が悪いのではない。盗《と》った奴《やつ》が悪いのだ。
しかし、これほどにおもいつめているからには、よほどに苦労をして掻《か》きあつめた金なのにちがいない。
「和尚どの……」
「む……」
「実は、私の父が、いま、金百両を工面に出ております」
大治郎が、こういったとき、無覚が驚愕《きょうがく》と歓喜の綯《な》いまざった、まことに感動的な表情を見せた。
「すりゃ、ま、まことでござるか……?」
「はい。父のことゆえ、たぶん、日暮れまでには金をととのえ、此処《ここ》へあらわれることとおもいます」
「おう、おう……」
奇妙な声を、つづけざまに発してから、無覚は掛布団《かけぶとん》を少し毛がのびかけている坊主頭《ぼうずあたま》へ引きかぶり、まるで童児のごとく泣き噎《むせ》んだ。
その姿を見て、大治郎も何とはなしに泪《なみだ》ぐましくなってきた。
(なるほど、一寺をあずかる身の責任とは、かほどに重いものらしい……)
と、感じたからである。
掛布団の下から、痩《や》せた無覚の腕があらわれ、大治郎が膝《ひざ》に置いた右手をまさぐり当て、これをつかみしめてきた。
わなわなと、無覚の手がふるえている。
布団の中にもぐったまま、顔を見せず、無覚和尚は、いつまでも泣きじゃくっていた。
朝のうちは冷え冷えと曇っていた空から、ついに雪は落ちて来ず、午後になると薄日が射《さ》してきた。
秋山小兵衛が町|駕籠《かご》に乗って、小川宗哲宅へ到着したのは夕闇《ゆうやみ》が濃くなってからであった。
「すまなんだ。ちょいとその、四谷《よつや》の弥七《やしち》のところへ寄っていたもので、つい、遅くなってしまったわえ。どうじゃな、病人は……?」
出迎えた大治郎へ、小兵衛が、
「できたよ」
こういって、ふところから、ずっしりと重い袱紗《ふくさ》包みをわたしてよこした。
「弥七どのに?」
「ばかな。御用聞きに、そんな大金があるものかえ」
「では、どこから借用なさいました?」
「まあ、よいわ、そんなこと……」
実は小兵衛。自分の金の三十五両のうち、十五両を残しておいた。これは小兵衛自身の暮しの事を考えてだ。そこで二十両をふところにして隠宅を出るや、不足の八十両を何処で借りたかというと、神田橋《かんだばし》門内の老中《ろうじゅう》・田沼|意次《おきつぐ》屋敷へおもむき、用人・生島次郎太夫《いくしまじろだゆう》に会い、
「実は御用人、おねがいのすじあって参上いたしたのでござるが……」
「何でありましょう?」
「金八十両。しばらくの間、借用ねがえますまいか?」
すると生島用人は、言下《げんか》に、
「よろしゅうござる」
にっこりと引き受けてくれた。
その八十両を押しいただき、小兵衛が、
「この金子《きんす》は、むろん、生島様から出たものではありますまいな?」
「はい。殿の御手許《おてもと》金より拝借つかまつりました」
「では、御老中様へ申しあげて?」
「いや、ただいま御登城中でござれば、のちに申しあげます」
「かまいませぬかな?」
「秋山先生からのおたのみとあれば、殿も御理解なされましょう」
「いや、これはどうも……」
白髪《しらが》頭を抱えて、小兵衛は恐縮した。
「証文は、よろしゅうござるか?」
「私がおぼえておきましょう」
「かたじけのうござる」
「いや、いや……」
と、さすがは、田沼意次の〔ふところ刀〕などとうわさ[#「うわさ」に傍点]をされている生島用人だけあって、
(いや、切れるわえ)
小兵衛は田沼屋敷を出てからも、しきりに感心していた。
それから小兵衛は、いったん、本所《ほんじょ》の方へ足を向けかけたのだが、
(待てよ……)
何をおもったかして、徒歩で、四谷の御用聞き弥七の家へまわり、他行《たぎょう》中の弥七が帰るのを待ち、半刻《はんとき》ほど、ひそひそばなし[#「ひそひそばなし」に傍点]をしてから駕籠をよんでもらい、
「では、弥七。たのんだよ」
声を残して、小川宗哲宅へ向ったのである。
四
小川宗哲宅で夕飯を馳走《ちそう》になると、小兵衛が大治郎へ、
「わしは、宗哲先生と夜ふけまで碁を囲むゆえ、お前は帰りなさい」
と、いった。
大治郎も朝から、飯田粂太郎《いいだくめたろう》少年を残して道場を出たままゆえ、気がかりでもあったし、
「では、よろしゅうございますか?」
「いいとも。行け」
「父上」
ぴたりと、かたちをあらためた大治郎が、
「今日《こんにち》のこと、まことに、かたじけなく存じます」
両手をつかえた。
「ばか」
と、小兵衛はこたえたのみである。
大治郎が帰ると、すぐさま小川宗哲が碁盤と碁石を運んで来て、
「よい御子息じゃな、秋山さん」
「そうでしょうか、な……」
「珠《たま》に瑕《きず》は、毛饅頭《けまんじゅう》を知らなんだことじゃ」
「ぷっ……」
「ふき出すことはないだろう、秋山さん」
「ときに、宗哲先生」
と、黒の碁石をつまんだ秋山小兵衛が、これをしずかに碁盤へ置き、
「あの和尚《おしょう》を、なんと、おもわれますな?」
白の碁石をつまんだ宗哲が、
「死のうとしたことはたしかじゃね。心ノ臓が弱っていることもたしかじゃね。あとのことはわかりませぬよ」
「なるほど……実は、少々、おねがいがござる」
「何なりと……」
それから二人が、碁を打ちながら、ひそひそと何やら語り合っていた。
そのころ……。
奥の間に、両眼を閉じて寝ている無覚和尚の顔には、かなり生色《せいしょく》がよみがえってきている。
先刻、秋山小兵衛は無覚和尚へ、息・大治郎が厄介《やっかい》をかけた礼を丁重にのべてから、
「御役に立てて下さいますよう……」
と、金百両入りの袱紗《ふくさ》包みを大治郎の手で、無覚の枕頭《ちんとう》へ置かせた。
そのほかには、あまり語らず、
「御大事に……」
こういって、病間を出て、小川宗哲の居間へ入ったのであった。
その、金百両は、いま枕頭に無い。
無覚が、しっかりと胸に抱きしめているのである。
仰向《あおむ》いて寝て、両眼を閉じている無覚和尚の口辺に、ふと、笑いが浮んだ。
眼を閉じていても、まだ、ねむったのではないらしい。
それは、さもうれしげな、たのしげな笑いであった。
この夜。
秋山小兵衛は、さして遅くない時刻に隠宅へ帰った。
おはる[#「おはる」に傍点]が、饂飩《うどん》をあたためて待っていた。
「やれやれ、今日は疲れたよ」
「どこへ行って来なすったのですよう」
「ちょいと、な……」
「ひとりで、お出かけのときは、いつも、ちょいとな[#「ちょいとな」に傍点]、なんだからねえ、先生は……」
「いけないかえ」
「外で、他《ほか》の女と妙な事をしていたら、承知しませんよう」
「ばかをいえ。うち[#「うち」に傍点]の毛饅頭だけでも、食い切れぬというのに……」
「何ですよう、その、毛まんじゅうというのは……」
「や!!」
と、小兵衛が瞠目《どうもく》し、
「お前も知らぬのか」
「知りませんよう」
そのころ……。
小川宗哲宅の裏口から訪れた一人の男がある。
この町人ふうの男は、すぐに迎え入れられ、そのまま泊り込んだようであった。
朝になって、小川宗哲の医生・大村謙次郎が、秋山小兵衛の隠宅へ駆けつけて来た。
「秋山先生。一大事でございます」
「どうなされた?」
「あの、和尚どのが逃げました」
「ほう……」
「いえ、逃げたというのはどうも失言でございました。今朝になって、私が病間へ行って見ますと、姿が見えぬので……」
「ははあ……」
「どこにも見当りませぬ。うち[#「うち」に傍点]の先生が、このことを秋山先生におつたえするようにと……」
「さようか。いや、どうも御苦労をおかけした。ときに、朝食は?」
「いえ、まだでございますが……」
「では、いっしょにやろう。ま、おあがりなさい。さ、遠慮はいらぬよ、大村さん」
大村を居間へあげて、小兵衛が、
「そこで、大村さん。昨夜、わしが帰ったあとで、客がありましたろう?」
「よく御存知で……その客は、裏口から見えまして、四谷《よつや》からまいった者だと、そう申せばわかるといいますので、うちの先生に取次ぎますと、先生が出て行かれまして、中へ入れて、昨夜は泊りましたが……秋山先生。実は、その客の姿も消えているのです」
「ふむ、ふむ。宗哲先生はなんというておられた?」
「別に、気になさっている様子もございません。秋山先生。これは、いったい、どうしたわけなので?」
「さて……わしにも、わかりませぬよ。ま、ひとつ、いこう。あんたは大分、いける口だというじゃあないか」
酒と朝飯をよばれてから大村は、狐《きつね》につままれたような顔つきになって、帰って行った。
小兵衛は、おはるに小舟の仕度をさせ、
「今日は、遅くならぬうちに帰るよ」
と、いい、おはるの船頭で大川《おおかわ》をわたり、対岸の真崎稲荷《まさきいなり》裏にある大治郎の道場をたずねた。
大治郎は、たった一人の内弟子・飯田粂太郎に朝の稽古《けいこ》をつけてやっているところだ。
小兵衛は裏口から入り、朝飯の仕度をしている唖《おし》の女房《にょうぼう》にうなずいて見せ、道場へ入って、二人の稽古ぶりをしばらくながめていた。
「これは、父上……」
稽古を終えた大治郎が、はじめて気づいた。粂太郎少年は満身汗にまみれて、いまにも卒倒せんばかりになってい、小兵衛を見ても、とっさに口がきけぬほどである。
辛うじて、両手をつき、頭を下げる粂太郎へ、小兵衛が、
「おう、おう。ようやっているのう」
眼《め》を細めてうなずいたが、
「大治郎。あの和尚が姿をくらましたとよ。いま、知らせがあった」
「な、何ですと……」
「まことじゃ。百両の金包みを抱えて、雲隠れをしてしまったらしい。だれにも告げずにな」
大治郎は呆気《あっけ》にとられ、ことばもない。
「人に知らせたくない場所へ行ったのだろうよ。これは何だな、大分に、こみ入った事情《わけ》があるらしい。どうも妙な坊さんだよ」
「それにしても、父上。われらにはともかく、宗哲先生に何の挨拶《あいさつ》もなしに……」
「なればさ、怪しいものよ」
「どういたしましょう?」
「後をつけさせてはあるが、な……」
いわれて大治郎が目をみはった。
「和尚殿のあとを……だれが、つけているのでございます」
「四谷の弥七《やしち》の手先をつとめている傘《かさ》屋の徳次郎さ。昨日、弥七にたのんでおいたので、徳次郎が宗哲先生の家に泊り込んでくれたのだよ」
「では、父上は、すでに……」
「怪しいとおもうていた。お前のはなしを聞いただけでもわかる。そもそも、百両もの金を盗み奪《と》られたというに、お上《かみ》にも届出ぬというのはどうじゃ」
「は、まことに、それは……」
「なれど、たとえ、どんな事情があるにせよ、お前の恩人とあれば、金を工面するぐらい、何でもないことじゃが……ただ、金をわたしてやっただけでは、真の恩返しとはならぬゆえな。そこで、傘徳に来てもらったのだ。しかし、昨夜のうちに逃げるとは、おもわなかったよ。心ノ臓が悪いというに、よほど、さしせまった事情があるにちがいない。ともかく大治郎、これから宗哲先生のところへ出かけて見ようではないか。やがて、傘徳が何か知らせをもって来ようわえ」
「お供いたします」
五
向島の名刹《めいさつ》・長命寺の裏側は、寺嶋新田《てらじましんでん》の田圃《たんぼ》が一面にひろがり、ところどころに百姓家と、こんもりした木立が見える田園風景であって、このあたりは鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛隠宅にも程近い。
その一角にある松林の中に、古びた風雅な構えの寮(別荘)が一つある。
ずっと以前、この寮は、浅草|東仲町《ひがしなかまち》の塗物問屋〔菊屋忠兵衛〕のもちもの[#「もちもの」に傍点]だったというが、いつの間にか棲《す》む人も来る人も絶えていたところ、二年ほど前から、いかにも小金《こがね》でも持っていそうな中年の浪人が下男と共に棲みはじめた。
といっても近辺に人家があるわけではなし、土地《ところ》の百姓たちが、たまさかに、その浪人の姿を見かけるだけであった。
頭を総髪にゆいあげ、身につけているものも品のよい上等なものであった。まだ、老人というわけでもないのに杖《つえ》をひき、腰には脇差《わきざし》一つを帯したのみで、時折、田圃道を歩いているのを見かけることがある。
外出《そとで》のときは、いつも塗笠《ぬりがさ》をかぶってい、顔を見たものはすくない。
だが、こんなうわさ[#「うわさ」に傍点]もある。
「だれだったか、一度、田圃道ですれちがったとき、笠の内をのぞきこんだら、あの浪人の顔は白《しら》っ子《こ》だったとよ」
つまり、白癜《しろなまず》のことで、皮膚の色素が欠乏して生ずる白色の斑文《はんもん》が顔いちめんに浮いているわけだ。
ま、その浪人のうわさ[#「うわさ」に傍点]というのはそれくらいのもので、下男と二人、ひっそりと暮しているのだから、土地の人びとの関心はうすい。
ところで……。
秋山小兵衛が工面してくれた金百両を、しっかりと抱きしめ、この日の払暁《ふつぎょう》に小川|宗哲《そうてつ》宅をぬけ出した無覚和尚《むがくおしょう》がたどりついたのは、この浪人が棲む寮だったのである。
浪人は、下男に命じて無覚を奥の一間へ請《しょう》じ入れ、紫色の絹の頭巾《ずきん》をかぶってから、
「いかがなされた、和尚どの」
声をかけて、部屋にあらわれた。
「あ、小山田《おやまだ》さま……」
わなわなとふるえる手で、無覚は金包みを差し出し、
「ひゃ、百両、ござる。これにて、お崎《さき》を、取りもどして下されまするか」
「おお……」
頭巾の中の、浪人の顔がうなずいた。
まるで、閉じているかのような細い眼であった。
眉毛《まゆげ》は、ほとんど無い。
この浪人の名が〔小山田|左京《さきょう》〕であることを、無覚和尚は知っているらしい。
「百両あらば、たしかに、お崎どのを取りもどせましょう。それにしても、よう工面がつきましたな」
小山田左京の声音《こわね》は、ねっとりとしていて、妙に甘い。
「では……」
手をさしのべた左京を見て、無覚があわてて金包みを引きこめ、抱きしめて、懸命に、こういった。
「なれど、お崎の姿を見るまでは、おわたしできませぬ」
「実《げ》に、もっとも」
うなずいた左京が、
「お顔の色が、よろしゅうないのう」
と、いった。
むりもないことだ。六十一歳の無覚が大川へ飛びこんだのは、一昨日のことなのだ。
「いえ、何でもござりませぬ」
無覚は、小川宗哲に借りた寝巻の上に帯をしめ、羽織も着ていなかった。昨日まで身につけていた衣類は、小川家にあって、まだ乾いていない。
「和尚どの。念のため、包みを開けて見せてくだされ」
「は、はい……ごらん下され」
「ふうむ……たしかに、拝見いたした」
「では、あの、お崎を……?」
「相手方に掛け合い、此処《ここ》へ連れてまいりましょうぞ」
「か、かたじけのうござる、かたじけ……」
「これからまいって……さよう、もどるのは夕暮れになりましょうな。それまでは、ゆるりとおやすみなされ」
小山田左京は、手を打って下男をよび、
「和尚どのに、寝床を……それから、何か、あたたかいものをさしあげるように」
と、命じた。
三十がらみの、がっしりとした体つきの下男が、無言で頭を下げた。
この下男、唖なのである。
間もなく、左京は頭巾をかぶったまま、いつものように杖をひき、寮を出て行った。
そのあとで、下男が仕度をしてくれた粥《かゆ》と卵を食べた無覚和尚は、寝床へ入って眼を閉じた。
体は綿のごとく疲労してい、
(すこしは、ねむっておかぬと……)
と、おもうのだが、昂奮《こうふん》のため、ねむれるものではなかった。
(お崎……お崎が、間もなく、此処へあらわれる。あの細くて、しなしな[#「しなしな」に傍点]とやわらかい、お崎の体が今度こそ、わし一人のものになるのだものなあ……)
その、お崎という女を、無覚がはじめて見たのは、旧年十一月も終りに近い或《あ》る日のことであった。
無覚が、修理の金をあつめに江戸へ出て来たこと、これは、事実である。
なにしろ、古びた寺ゆえ、鐘楼・庫裡《くり》・本堂などをふくめ、最小限に見つもっても、二百両は必要であった。
亀山《かめやま》にある大念寺《だいねんじ》の檀家《だんか》の中には、さほどの金もちもいないので、大きく見つもっても百両ほどしかあつまらぬ。
そこで無覚は、亀山出身で、先祖代々の墓が大念寺にある伊勢屋茂兵衛《いせやもへえ》に、金百両の寄進をたのむべく、江戸へのぼって来たのである。
伊勢屋茂兵衛は、神田《かんだ》多町一丁目の草履《ぞうり》問屋で、かねてから大念寺への付届けにも気をつかってくれているし、これまでに無覚も三度ほど会っていた。
江戸へあらわれた無覚を、伊勢屋茂兵衛は、こころよく迎えてくれたが、寄進の百両は、いまのところ、
「すこし、むり[#「むり」に傍点]でございますな。その半分、五十両ならば何とかいたしましょう」
はっきりといい、金が不足ならば、その不足の分だけ、修築修理を延ばしたらどうか、とりあえず、本堂なり鐘楼なり、百五十両ですむ箇所だけにしておいて、残ったところは、いずれまたということにしたらどうだろうか、と、無覚にすすめた。
「なるほど。いかにも伊勢屋どのの申されるとおりですな」
無覚も、伊勢屋の提案をよろこんで容《い》れることにしたのである。
六
無覚《むがく》が、お崎《さき》を見たのは、その翌日であった。江戸を発《た》って亀山《かめやま》へ帰る日を五日後にひかえてい、その間に、十年ぶりで江戸へ来た無覚は、諸方を見物することにきめた。伊勢屋茂兵衛《いせやもへえ》も江戸見物をすすめてくれ、
「私のところに御滞在なされ。案内の者もつけましょう」
といってくれたが、無覚は、
「いやいや、これまでに合わせて二度、江戸へもまいっておりますゆえ、大丈夫でござる。一人のほうが気楽で……」
「なるほど。それもそうでございますな」
伊勢屋は金五両を無覚へわたし、
「まことに些少《さしょう》ながら、御見物の入費《ついえ》にして下さいまし」
締るところは締っている伊勢屋だが、こういうところは行きとどいている。
(商人《あきんど》というものは、あれ[#「あれ」に傍点]でのうてはいかぬ)
無覚も感心をした。
そこで、江戸見物のはじめに、無覚は、これまで行って見る機会がなかった愛宕権現社《あたごごんげんしゃ》へおもむいた。
愛宕権現は人も知る江戸四ヵ寺の一つで、胸を突くような六十八段の石段をのぼりつめた山上のながめもすばらしいし、崖下《がけした》に二十余も軒をつらねる茶店では、茶汲女《ちゃくみおんな》が化粧をこらし、客を待っている。
お崎は、その愛宕下の茶店〔吉野屋《よしのや》〕の茶汲女であった。
無覚が偶然に、吉野屋へ足をやすめたとき、茶を運んで来たのがお崎で、これを見たとたん、無覚にいわせると、
(頭上に雷《かみなり》でも落ちて来た……)
ような衝撃をうけたのだそうな。
無覚は、僧侶《そうりょ》のくせに、若いころから、情欲が強い。
そうした機会があれば、ためらうことなく欲望をみたしてきたが、常人とちがい、さすがに、そうした機会はすくない。それだけに我慢に我慢を重ねてどうにもならなくなると、女遊びに出かける。ここ十五年ほどは、年に二度か三度、口実をもうけて京都か伊勢の古市へ出かけ、遊女を抱いて来るのが、無覚のならわし[#「ならわし」に傍点]になっていた。年少のころから一度も病患にかかったことがない無覚の精力は六十をすぎても、
(おのれが、もてあます……)
ほどのものなのである。
江戸見物の間にも、無覚は、二度や三度は遊里に出かけたいと考えていて、絹の頭巾《ずきん》をひそかに用意して来た。あとは、俗世《ぞくせい》の男の衣類を買いととのえ、これを何処《どこ》かに隠しておき、伊勢屋を出てから着替えをし、俗人に化けて遊里へおもむくという……こうした所業にはなれきっている無覚だけに、その日は愛宕権現|参詣《さんけい》の帰途、古着屋で衣類を買いととのえ、その隠し場所を見つけておくつもりでいたのだ。
こういうわけで……。
茶を運んで来たお崎を見たときの、無覚|和尚《おしょう》の眼《め》の光は、おそらく尋常のものではなかったろう。
と……たちまちに、お崎が感応《かんのう》した。
このあたりの茶汲女の、裏へまわっての売春はさかん[#「さかん」に傍点]なものであって、好者《すきもの》の客は、茶店へ連れ出し料をはらうと、女を連れ出すこともできる。
「お坊さまは、どちらからいらっしゃいました?」
「伊勢の、亀山から……」
「まあ……亀山は、どんなところなんでございますか?」
「田舎じゃよ、江戸にくらべれば……」
「はなして聞かせて下さいまし。ねえ……ねえ……」
早くも、満面に媚《こび》をたたえ、お崎は擦《す》り寄って来た。
そして、この日。
無覚は、お崎にさそわれ、連れ出し料を払い、外へ連れ出した。
翌日も、翌々日も、無覚は愛宕下へ通いつめた。
そして、江戸を発《た》つ日が来た。
無覚は、伊勢屋茂兵衛に厚く礼をのべ、伊勢屋を旅姿で出発し、その足で、愛宕下へ向った。
つぎの日も、また、つぎの日も、無覚は江戸からはなれなかった。
それからの無覚は、お崎と共に、お崎の兄だという座頭の秀《ひで》の市《いち》の家で暮しはじめた。
そこは、麻布《あざぶ》の北日《きたひ》ヶ窪《くぼ》の崖下《がけした》にある小さな家で、秀の市は二人が暮しはじめると、何処かへ消えてしまい、お崎は「兄《あに》さんは、私たちのために気をきかせてくれたんでしょうよ」と、いった。
夢のような日々がすぎた。
家に閉じこもったきりで、無覚はお崎からはなれなかった。お崎は、女の肉体のあらゆる機能をはたらかせ、無覚が、かつて、他の女から受けたこともないような振舞いを無覚にあたえた。
(女と、男の体というものが……こ、こんなまね[#「まね」に傍点]もできようとは、おもいもかけなんだわい。ああ、何というおもしろさよ、たのしさよ)
無覚は、お崎のすすめにしたがい、江戸の初春を迎えてから亀山へ帰ることにし、うまくつくろった手紙を大念寺へ出しておいた。
(伊勢屋どのからいただいた五十両のうち、十両もつこうてすむことよ)
そう考えていたのだが、意外なことになった。
旧蝋《きゅうろう》二十九日の夜ふけに、お崎との愛撫《あいぶ》に疲れ果ててねむっている無覚の枕《まくら》もとへ、四人の男があらわれ、有無をいわせず、お崎を叩《たた》き起し、撲《なぐ》る蹴《け》るの乱暴をはたらき、泣き叫ぶ丸裸のお崎へ筵《むしろ》を巻きつけ、何処かへ拉致《らっち》して行ったのである。
おどろいた無覚が、坊主頭《ぼうずあたま》を振りたてて抗議しようとしたけれども、たちまちに蹴倒され、猿《さる》ぐつわを噛《か》まされ、手足を縛りつけられ、寝床の上へ転がされた。
そして、お崎を運び出した後に、一人残った男が、無覚にこういった。
「あの女には大枚《たいまい》百両という金がかかっているのだ。お前さんが、もし、お崎といっしょに、これからも暮したいというのなら、それだけの金を仕度して来るがいい。金が出来たら、此処《ここ》へ知らせるがいいぜ」
そして、一枚の紙を無覚の目の前へ放って寄こした。その紙に、小山田左京の名と住居が簡単な図面によって書き示されてあったのだ。
しばらくして、無覚は我に返った。
寝間着が開《はだ》けてしまってい、ほとんど半裸である。この一と月の間に、すっかり艶《つや》[#「艶」は第4水準2-88-94]が失《う》せ、肉置《ししお》きが剥《こそ》げてしまった無覚の胸肌《むなはだ》のあたりに、点々として、お崎が歯を立てた痕《あと》が痣《あざ》になって残っている。
「あっ……な、無い。無い、無い無い……」
無覚は愕然《がくぜん》となった。
お崎とたわむれたのちも、忘れずに布団《ふとん》の下から引き出し、腹に抱いていた胴巻が、いつの間にか消えている。
先刻、無頼どもに乱暴をはたらかれたとき、
(盗み奪《と》られた……)
と、おもわざるを得なかった。
無覚は、伊勢屋茂兵衛から小遣《こづかい》にもらった五両を、今年いっぱいの連れ出し料としてお崎にわたしたが、胴巻の中には五十両手つかずに入っていたのだ。
無覚和尚は、夜が明けるのを待ちかねて、向島の小山田左京宅へ、無頼どもが残していった絵図をたよりに駆けつけたのである。
小山田左京は、そのとき、灰色の頭巾をかぶっていて、つぎのようにいった。
「拙者《せっしゃ》、面体《めんてい》に、みにくい傷痕がござれば、このままにて失礼いたす。なるほど、なるほど……いや、あの、お崎と申す女には、座頭の秀の市と申す悪者がついていて離れぬらしい。さよう、さよう。今度も秀の市が、お崎の知らぬうち、妹の体を抵当《かた》に、どこからかそのような大金を借りたのであろう。ああ、あの女も、まことに可哀相《かわいそう》な……いや、拙者は、お崎がいた茶店・吉野屋の亭主《ていしゅ》と、ごく懇意にしているものでござる。いや、この一件に吉野屋は、まったく関《かか》わり合いがないと見てよろしかろう。
ははあ、それは、お困りのことで……御坊も御仏《みほとけ》につかえる身にて、このような事に関わり合《お》うては、まさかに上《かみ》へ訴え出ることもなるまいしのう。いかがであろう、かくなれば仕方なし。身の不運とあきらめ、国もとへお帰りなされては……なに、どうあっても、あの女をあきらめきれぬといわれるか。ふうむ、それでは、拙者が中へ入り、秀の市にはなして見ましょうかのう」
無覚は、もう無我夢中であった。
大念寺をはなれて、お崎と一生を送る決心がついたわけではないが、もしも金百両で女が手もとへ帰ってくれるなら、お崎を亀山へ連れて帰り、どこかへ、そっと囲ってもよい、などと考えていたのである。
こうして、無覚は年が明けた一月六日の朝まで、向島の寮にとどまり、小山田左京をたのみ、秀の市との交渉の結果を待った。
左京は一日置きに家を出て、秀の市をたずね、いろいろと面談したそうだが、秀の市は断固として、金百両を要求しているという。
さらに、無覚から五十両入りの胴巻を奪ったなどとは、
「とんでもないことだ」
うそぶいているそうな。
「実に悪者じゃ。女は可哀相なれど、百両という大金は、どうにもならぬ。吉野屋もお崎には金を貸してあるとかで、困りぬいているらしい。いかがじゃ、和尚どの。おもいきって、お上へ訴え出てごらんなさるか?」
「と、と、とんでもないこと……」
無覚は手を振った。一寺をあずかる出家の身で、このような失態が表向きにされてしまったら、もはや二度と、大念寺へは帰れまい。そればかりか、自分も秀の市と共に牢獄《ろうごく》へ押し込まれること必定《ひつじょう》であった。
六日の朝。
無覚は、おもいあぐねて小山田家を出た。
どこをどう歩いたのか、それもわからなかった。
一日中、何も食べずに町々をうろつきまわり、両国橋をわたっていて、
(ああ、もう……わしは、おしまいじゃ)
烈《はげ》しい絶望に立ちすくみ、暗い大川の水を茫然《ぼうぜん》と見入っているうち、何やら目がくらむおもいがして、われ知らず、橋上から身を投げたのであった。
七
小山田左京《おやまださきょう》が、向島の住居へもどって来たのは夜に入ってからである。五ツ(午後八時)ごろであったろう。
この日も、朝から底冷えが強《きつ》い。
頭巾《ずきん》をかぶり、絹の襟巻《えりまき》をした左京のうしろから、四人の男がついて来た。このうちの二人は、あきらかに浪人だ。あとの二人は、旧蝋《きゅうろう》、北日《きたひ》ヶ窪《くぼ》の秀《ひで》の市《いち》の家へ押し込み、お崎を引きさらい、無覚に暴行を加えた上、五十両入りの胴巻を奪い取った男たちであった。
松林の中の細い道をぬけ、小さな門を入って来た小山田左京たちの足音を聞きつけたらしく、唖《おし》の下男が出迎えた。
「どうじゃ、坊主《ぼうず》の様子は?」
と、左京。
下男が腕を曲げて頭をのせ、眼をつぶって見せた。
「お、ねむったか。そうか、よし」
うなずいた左京が、四人の男たちへ、
「よいあんばいじゃ。そっと忍び入って、生臭《なまぐさ》坊主のくび[#「くび」に傍点]を締めてしまえ。息が絶えたら、向うの松林の中へ深く埋めこんでしまえばよい」
と、命じた。
男たちが、うなずき、下男にみちびかれて歩み出したそのとき、
「待て」
どこかで、声がした。
一同、はっ[#「はっ」に傍点]として身構え、左京が甲走った声で、
「何者じゃ?」
こたえがない。
左京が、四人と下男に、
「油断すな」
と、いった。
「こんな商売が、いまは流行《はや》っているのかえ?」
声が、今度は庭の中で聞えた。
「あっ……」
振り向いた六人の前へ、闇《やみ》の中から人影が一つ、にじみ出た。秋山小兵衛である。
「ひどいことをするやつらだ。また、こんな連中に手玉に取られる和尚《おしょう》も和尚じゃが……なるほどなあ、伊勢《いせ》の亀山《かめやま》には、お前たちのような狐《きつね》や狸《たぬき》はおるまいからの」
「うぬ……」
飛び退《しさ》った小山田左京が、
「斬《き》れ」
と、叫んだ。
浪人たちは大刀、他の二人は短刀《あいくち》を引きぬき、小兵衛へせまった。
その背後から、
「こちらを向け!!」
夜の闇がぴりぴり[#「ぴりぴり」に傍点]とふるえたような大音声《だいおんじょう》であった。
またも振り向いた浪人が、
「うわあ……」
刀を放《ほう》り捨て、腹を押え、がっくりとひざ[#「ひざ」に傍点]をついた。
秋山大治郎が、こやつに峰打ちをあたえた一刀をひっさげて、つかつかとすすむ両側から、
「野郎!!」
短刀を突き込んで来た男ふたりが、共に空《くう》を突いて、入れちがいによろめくのを、声もかけずに大治郎が右に左に打ち倒している。
「こいつ……」
ひとり残った浪人は大刀を脇構《わきがま》えにして、じりじりと右へまわる。この浪人は、かなりつかうと大治郎は看《み》た。
このとき、小山田左京と唖の下男は、垣根《かきね》を飛び越え、逃走にかかっている。
小兵衛は、これをにやにや[#「にやにや」に傍点]しながら見送っていて、追おうともせぬ。
「たあっ!!」
浪人が、すくいあげるように切りつけ、その余勢を駆って、飛び退った大治郎の頭上から大刀を打ち込んだ。
かわして、大治郎は浪人に背中を見せた。
(しめた!!)
と、浪人はおもったろう。
「鋭《えい》!!」
猛然と追いせまって、大治郎の背を斜めに切った……いや、切ったことは切ったが、浪人の刃《やいば》は垣根へ切り込んでいたのである。
背を見せて、敵をさそい、垣根を飛びこえた秋山大治郎が腰を沈めて振り向きざま、垣根ごしに浪人の腹へ突きを入れて飛び退《の》いた。
浪人の、凄《すさ》まじい絶叫があがった。
「父上。こやつは峰打ちというわけにはまいりませぬでした」
大刀をぬぐって鞘《さや》におさめた大治郎へ、小兵衛が、
「そうだろうとも。そいつは、相当なものじゃよ」
「はい」
そこへ、四谷《よつや》の弥七《やしち》と傘《かさ》屋の徳次郎が、小山田左京と下男へ縄《なわ》を打って引き立てて来た。
二人とも、外に張り込んでいたのだ。
「御苦労、御苦労……」
うなずいた小兵衛は、傘徳がさしつける提灯《ちょうちん》のあかりをうけた小山田左京の、つるり[#「つるり」に傍点]と白い奇妙な顔をながめ、
「これ、お前は女鯰《おんななまず》の左京と異名をとった役者くずれの悪党だとな。役者をしていたときは、そんな顔をしていたのではあるまいが……愛宕《あたご》下の茶店の亭主と悪巧《わるだく》みをしはじめてから、何年になるのじゃ?」
左京は、唇を噛《か》みしめ、こたえなかった。
「それほどの悪《わる》ともおもえぬがのう、弥七。こやつら、昨夜から、お前たちが後をつけていたことを、まったく気づかず、あっちこっちへ行ったり来たり、すっかり手の内を見られてしまってのう」
すると、左京が、小兵衛をにらみ、
「畜生……」
と、叫んだ。
その顔を、小兵衛がしたたかに撲《なぐ》りつけると、左京は、たちまちにくずれ倒れ、ひいひい[#「ひいひい」に傍点]と泣き出したではないか。
気絶している三人の曲者《くせもの》へ、弥七と傘徳がてきぱきと縄を打った。
「父上……」
家の中へ駆け込んで行った大治郎が、もどって来て、小兵衛に告げた。
「和尚殿は、息が絶えております」
「何じゃと……」
これは、あきらかに、悪党どもが手にかけて殺したのではない。
秋山|父子《おやこ》が奥の間へ踏み込んで見ると、無覚和尚は、金百両入りの袱紗《ふくさ》包みをしっかりと抱えたまま、いつとはなく、息絶えていたのである。
「ふうむ……これは、わしが返してもらおうよ」
と、金包みを取って、ふところに入れてから、小兵衛が、
「毛饅頭《けまんじゅう》の食べすぎは、よほどに心ノ臓へひびくと見える」
つぶやいたとき、すかさず大治郎が、
「父上も、お気をつけなされますように」
「ばか」
苦虫を噛みつぶしたような顔つきになって、外へ飛び出した秋山小兵衛が、
「弥七。和尚が死んだからには内密事《ないしょごと》にしておくこともあるまい」
「さようで……」
「北日ヶ窪の座頭や愛宕下の茶店では、まだ、このことを知らぬ。あとは、お前の了見しだい、そやつらを御縄にかけるなり何なり、うまくやっておいてくれ」
「承知いたしました」
「明日、傘徳を連れてうち[#「うち」に傍点]へ来てくれ。久しぶりで一緒にのもう」
「ありがとうございます」
「今度のことの、礼もしたいしな」
「とんでもないことをおっしゃいます」
「なあに弥七。わしだって、見す見す百両もの金を、ふんだくられるところだったのだもの。いくら礼をしたってかまわないさ」
笑った小兵衛が、急に顔を引きしめ、
「おい、弥七……」
「はい?」
「この家の、な。まわりの木立の中を洗って見るがよいぞ」
「いったい、何でございます?」
「引っ捕えた奴《やつ》どもに泥《どろ》を吐かせて見るがいい。亀山の和尚と同じような目に合わされた人の死体が、まだ、いくつも埋め込まれているやも知れぬということさ」
「なるほど……」
四谷の弥七が、女鯰の左京を振り返って見て、
「さ、来い。いまから洗いざらい、泥を吐かせてやる。吐かなかったら、おれが締め殺してやろう」
左京の泣き声は、熄《や》むことを知らなかった。
小兵衛も、さすがに呆《あき》れて、
「世の中には、妙な奴がいるものよ」
と、いった。
そのとき、秋山大治郎は、台所へ出て、湯を沸かしにかかっていた。
大治郎は、無覚和尚の死体を浄《きよ》め、こころばかりの通夜《つや》をしてやるつもりでいる。
雪が、しずかにふり出して来た。
解説
[#地から2字上げ]常盤新平
『剣客《けんかく》商売』も四冊目になると、舌なめずりするような気持で読みはじめる。文庫ではじめて読む人にとっては二年ぶりの『剣客商売』だから、この『天魔』のページを開く前に、一冊目から三冊目までの二十一話をおさらいのつもりで再読するといいかもしれない。
そのおさらいは楽しい経験になるはずだ。二十一話のなかでおぼえているのはごく僅《わず》かで、おおかたはきれいに忘れていることに気がつくだろう。一話一話に季節と土地《ところ》がくっきりと刻みこまれ、旨《うま》そうな食べものが出てきて、しかも事件があり、秋山ファミリーの活躍がある。そして、もしかしたら秋山|小兵衛《こへえ》ははじめから佐々木|三冬《みふゆ》を息子・大治郎《だいじろう》の嫁にとひそかに考えていたのではないかと勝手な想像をはたらかせる。
こうして、四冊目の『天魔』を読みはじめると、一日一話ではとても我慢できないで、一夜のうちに読みおえてしまう。それは『剣客商売』や『辻斬《つじぎ》り』や『陽炎《かげろう》の男』ですでに経験ずみだ。
『天魔』では、小兵衛の妻、おはるが「化けものですよ」と言った小雨坊《こさめぼう》に火をつけられて焼失した鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅も新築なって、小兵衛おはるの夫婦は橋場の不二楼《ふじろう》の離れから、四谷《よつや》の弥七《やしち》が「以前のまんまの間取りでございますねえ」と言う、木の香も鮮烈な新居に移っている。
四十歳もちがう小兵衛とおはるの関係は相変らずで、とぼけていて、春風駘蕩《しゅんぷうたいとう》としている。この二人と大治郎の関係も親密で、父・小兵衛に対する大治郎の理解も深まっている。小兵衛がむかしから昵懇《じっこん》の老剣客、横川|彦五郎《ひこごろう》を父にかわって見舞う「箱根細工」では、大治郎には父の姿が見えている。
「老いてからの父は何事にも融通が、ききすぎて、自由自在の境地にある、といえばきこえ[#「きこえ」に傍点]がよいけれども、清と濁の境をこだわりもなく泳ぎまわり、大治郎から見ると、小兵衛自身がいう『古狸《ふるだぬき》』そのものにしかおもえぬこともある」
共に辻|平右衛門《へいえもん》の門人だった彦五郎は、大治郎から、小兵衛が若いおはると夫婦同様の暮しをしていると聞いて瞠目《どうもく》した。辻平右衛門のところにいたころの小兵衛は酒も飲まないし、女にも興味がなく、ただひたすらに剣の道に没頭していたのである。若い日の小兵衛は『剣客商売』番外編の『黒白』(新潮文庫)にくわしい。
小兵衛、大治郎の関係は微妙に変化してきている。父と息子の関係がいっそう緊密になったように思われる。小兵衛は愛弟子《まなでし》の落合孫六に金ずくの〔なれ合い試合〕を許しても(「雷神」)、大治郎に嘘《うそ》をつくことはなかった。「実は、な。このごろのおれは剣術より女のほうが好きになって……」(「女武芸者」、『剣客商売』所収)と平気で息子に語った小兵衛である。
このとき、小兵衛は六十歳で、大治郎は二十五歳。「あるとき、豁然《かつぜん》として女体《にょたい》を好むようになって、な」と父親に言われても、大治郎には納得が行きかねるし、理解しかねた。しかし、父とたえず会い、語るうちに、理屈ではなく、父と子の感情の交流のなかで、父のすることなすことが、いつしか大治郎には「腑《ふ》に落ちてくるようになってしまった」のである。
大治郎とおはるの関係も微笑《ほほえ》ましいものになっている。大治郎もはじめは「おはる」と呼んでいるが、いつのまにか「母上」になってしまった。それでも、ときについ、「おはる……いや、母上。ついでに私を、舟で大川《おおかわ》をわたして下さい」といったようなこともある。彦五郎を見舞った帰りには、大治郎は自分よりも若い母親に箱根細工の裁縫箱を買うのである。この息子もまた父に似て、このようによく気がつく。
『天魔』はとくにユーモアの味がたっぷりあるようだ。「雷神」も「夫婦浪人」も「約束金二十両」もユーモラスな物語だし、「鰻坊主《うなぎぼうず》」は毛饅頭《けまんじゅう》問答が面白《おもしろ》い。「約束金二十両」のおもよ[#「おもよ」に傍点]は、栄達や名利《みょうり》と隔絶した場所に生きてきた剣術の名手、平内太兵衛《ひらうちたへえ》に言わせると、「物干竿《ものほしざお》のような小娘」である。「鰻坊主」の旅僧は「うるめ鰯《いわし》の目刺《めざし》のような坊主」だ。
しかし、表題作品の「天魔」には、やさしげな若者の姿をした「怪物」が登場する。あの小雨坊のような男である。『剣客商売』にも『辻斬り』にも『陽炎の男』にも、笹目千代太郎《ささめちよたろう》のような恐しい悪が登場した。作品名をあげれば、「剣の誓約」、「妖怪《ようかい》・小雨坊」、「婚礼の夜」である。
こうした作品の悪人たちは秋山小兵衛の強さに見合うほどに強い。悪人が強ければ、小兵衛の強さがいっそうひきたつ。小兵衛自身、そのような悪がこの世にあることを信じている。小兵衛は大治郎に言う。
「笹目千代太郎は外見《そとみ》はやさしげな若者じゃが、中味は怪物よ。ああした男が、まれ[#「まれ」に傍点]に出て来るところが人間の不思議さなのだ。千代太郎の両親《ふたおや》は尋常の人たちであるのに、な」
また、剣友の牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》に言う。
「人の世には、はかり知れぬことがあるものじゃよ、牛堀さん。もともと、人間なんてものが、わけのわからぬものさ」
小兵衛のこの呟《つぶや》きは『鬼平犯科帳《おにへいはんかちょう》』の長谷川平蔵《はせがわへいぞう》や『仕掛人・藤枝梅安《ふじえだばいあん》』の梅安の感慨でもあろう。この三人はまた、善と悪が紙一重だとも感じている。
「人の世には、はかり知れぬことがある」と思うのは、小兵衛ひとりではない。私たちもまた『剣客商売』のシリーズを読みながら、そう思う。「はかり知れぬことがある」から、秋山|父子《おやこ》はつぎつぎに事件に巻きこまれてゆく。作者もそのことを「箱根細工」に書いている。
「大治郎は父・小兵衛の旧友である横川彦五郎を塔の沢に見舞い、一泊したのち、すぐさま江戸へ引き返すつもりであった。
その行手に、おもいもかけぬ事件が待ちかまえていて、自分を巻きこむことになろうとは、夢にもおもわなかったのである」
これは古典的なミステリーの書き出しでもある。『辻斬り』の「老虎《ろうこ》」でも似たような文章を見つけることができる。
「この日、このとき、秋山大治郎が父の家を訪れなかったら、彼は久しく会わぬなつかしい人に、おもいがけなく出合うこともなかったろうし、ひいては、その人にかかわる事件に巻きこまれることもなかったろう」
大治郎も小兵衛も偶然に事件に巻きこまれてゆくように見える。しかし、父の家を訪ねるのは必然的な行為であり、塔の沢に父の旧友を見舞うのも当然の行動である。作者はここでミステリーの古典的な手法を復活させている。
事件がつまらなければ、この手法は失敗だろう。しかし、作者は私たちの予想を上まわる事件を描いて、私たちを堪能《たんのう》させるのである。
「天魔」では、小兵衛が「白髪《しらが》頭を抱えこんで」しまうほどの怪物が出てきて、私たちは手に汗をにぎる。それでも、怪物・千代太郎との決闘を前にして、麻布《あざぶ》四ノ橋を南へ行ったところの氷川明神《ひかわみょうじん》の側《そば》にある梅の茶屋で、秋山父子はゆっくりと茶を飲み、この茶店の名物、鳩饅頭《はとまんじゅう》をつまむゆとりもある。
いかなる怪物であると、私たちには秋山父子がかならず勝つことはわかっている。そうでなければ、このシリーズはつづかないのだから、途中のページを飛ばして、結末を急いで読むこともない。ただ、私たちは勝つことはわかっていても、どのようにして勝つかに興味がある。いわば、これは小説の詰《つめ》である。そこのところがよくなければ、私たちは納得できないのであるが、作者は一話一話にふさわしい結末を用意して、私たちを満足させている。「天魔」の結末など見事なものだ。この結末にはまた、大治郎が父に一歩近づいたという、息子の成長もうかがわれた。
『剣客商売』は音読してもいいのではないかと思ってきた。それは、作者が劇作家だったからということではない。ページの字面《じづら》がとてもきれいなのである。漢字とひらがなの配分が目にこころよいのだ。ルビの使い方がじつに親切で、たとえば「秋山小兵衛は昼餉《ひるげ》をすませてから、前日に〔不二楼《ふじろう》〕へたのみ、届けてもらった柄樽《えだる》の酒を持ち」といったぐあいに、優雅な感じがする。
作者の代表的な短編である「上意討ち」と「恋文」がフランキー堺《さかい》さんによるカセットテープになったので、この二編を聴いてみた。池波正太郎の小説は耳で聴くのもいいものだと思った。人情|噺《ばなし》を聴くような楽しみを味わったが、フランキー堺さんの語り口のせいか、モダーンな感じもした。
もともと、この作者の小説には古風なダンディズムがあって、おそらくそれがモダーンな印象をあたえるのだろう。秋山小兵衛にしても、長谷川平蔵にしても藤枝梅安にしてもダンディである。『鬼平犯科帳』が古今亭《ここんてい》志ん朝でカセットテープになったから、それも聴いてみたいと思っている。
「恋文」と「上意討ち」は深夜、自室にこもって、ブランデーをなめながら聴いたのだった。薄暗くした部屋でフランキー堺さんの声を聴いていると、小説の情景を思いうかべることができた。車のなかで聴くのもいいだろう。
『剣客商売』も近いうちにカセットテープが売り出されるのではないかと思っている。単行本になり、文庫になり、テープになるというのは、名作であることの証明である。
さて、『天魔』では、大治郎と佐々木三冬の恋がひそかに進行している。それがまた『天魔』の八話にいろどりを添えているようだ。この二人がこれからどうなるかという興味で、五冊目の『白い鬼』が待ち遠しくなる。ほんとうに面白いシリーズだ。
[#地から2字上げ](昭和六十三年八月、作家)
[#地付き]この作品は昭和四十九年八月新潮社より刊行された。
底本:剣客商売四 天魔 新潮文庫
平成十四年十月二十日 発行
平成十六年二月五日 五刷
[#改ページ]
このテキストは、
(一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第04巻.zip 涅造君VcLslACMbx 33,753,243 73fcc49d108dc0c381b9d285811e07ecf29d7ade
を元に、e.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両テキストをテキストエディタのテキスト比較機能で差異を発見修正したものを、簡単に目視校正したものです。
画像版の放流者に感謝します。
4626行の「艶」に対する注記は漢字があんまり難しかったので手抜きしてます。
具体的な字形は、
新JIS漢字典
http://hp.vector.co.jp/authors/VA000964/kanjiten.htm
の、
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/cgi-bin/user/mfukuda/n.cgi?b=2-151
の "2-88-94" を見てください。あるいはそこにあるリンクから、
WWWJDIC: Kanji Display
http://www.csse.monash.edu.au/cgi-bin/cgiwrap/jwb/wwwjdic?1MKU8C54
を見るか。