[#表紙(表紙.jpg)]
東海林さだお
食後のライスは大盛りで
目 次
蕎麦の騒ぎ
わたしをスキーにつれてって
山菜の教訓
下 駄 論
犬 の 哀 れ
ジャパニーズ クッキング
小さな幸せ
正調温泉一泊作法
続正調温泉一泊作法
わがツーハン生活
がてらの競馬
オムライスよ!
夜行列車とフランス料理
東京港夢のクルージング
初体験ディナーショー
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蕎麦の騒ぎ
なに気なくテレビを見ていたら、食通と言われている人が、ちょうど蕎麦《そば》を食べるところだった。
蕎麦はいわゆる盛り蕎麦である。
名のある蕎麦屋では、せいろ、とも言う。
「こういうふうに食べるんです」
と、その人は言って、まずワサビを箸《はし》の先に少しつけた。
ワサビはふつう、ツユに溶《と》かす。
ところがその人は、ワサビを蕎麦の上にじかに置いたのだ。
そうしてワサビを蕎麦ごとつまみあげ、蕎麦の先端をツユにちょっとひたして、ズズズッと、一気にすすりこんだのである。
「ウーム」
と、ぼくはうなった。
さすが食通。
刺身のワサビも、醤油には溶かさず、刺身の上にじかに載せて食べるのが正しいと言われている。
ワサビは、液体に溶かすと、香りも辛みも飛んでしまうからだ。
「うん、ぼくもこれから蕎麦を食べるときは、不退転の決意でこの方式を採用しよう」
そう思った。
そう思って、本棚にあった、買ったばかりの『ベスト オブ 蕎麦』文藝春秋刊(ぼくはこのシリーズの大ファン)を、パラパラとめくっていると、次のような証言が載っていたのである。
「汁に溶かしたほうが本《ほん》山葵《わさび》の香りが立ちます」(虎ノ門 巴町砂場主人談)
弱ったことになった。
老舗《しにせ》の、本職の人がそう言っているのである。追いうちをかけるように、
「最近、山葵を蕎麦につける人を見かけますが、昔は薬味は汁に入れたもんです」(雷門 並木藪蕎麦主人談)
という意見も載っている。さらに、
「ワサビは、ふつうはつゆの中に入れて溶く。人によっては、そばの上にワサビを載せ、箸で一緒につゆに運んで付けて食べる、というが、これはかえってキザに見える」
という記事も載っている。
なるほどそうか、そうであったか。
(そういうことなら、ぼくもやっぱり、今までどおり、ワサビはツユに溶かして食べよう。ヘンなことをして、恥をかくところだった)
と反省しつつ、さらにパラパラとめくっていくと、
「山葵はツユに入れないほうが、おいしく召しあがれます。山葵をツユに入れると、ツユが甘くなってしまいます」(長野県 もとき)
という証言が出てきたのである。
弱った。やっぱりツユに入れないほうがいいらしい。一体どうすりゃいいんだ。
と弱っていると、
「薬味は猪口《ちよく》に入れるより、直接口に含んだほうがいいと思います」(田無 ほしの)
さあ、弱ったぞ。
まったく別の新手が現れたのだ。
直接口に含め≠ニ言うのだ。
かと思うと、
「蕎麦の甘味を消してしまうから、(うちは)山葵は出しません」(吉祥寺 上杉)
というのもある。
ここに進退きわまった。
せっかく不退転の決意で、ワサビじか載せ&式を採用しようと決意したのに、数分後には、なにがなんだかわからなくなった。
しかし、いくらなんでも、ワサビを直接口に含む、というのはやり過ぎではないのか。
本棚から、別の蕎麦の本を取り出す。
「わさびはそばの風味を殺してしまう。薬味としては、刺激が強過ぎるのである。(中略)わさびを汁に溶いてしまったら、そばも汁も殺してしまう」
「しかし、用い方を変えれば、わさびも生きてくる。わさびを口直しに使うのである。
そばを二箸、三箸と食べたら、箸の先にわさびをちょっとつけて舌にのせる。そして、舌の上に残る汁やそばの味を、わさびの香りでいったん消す……」
こう主張する人が出てきた。
妙なことを言う奴だ。わざとむずかしく、ややこしくして、権威づけを狙う奴っているんだよね。
なんて思った人はとんでもない奴だ。
このお方を何と心得る。蕎麦界の大御所、名店「一茶庵」の創始者、片倉康雄氏なるぞ。頭が高い。
こうなってくると、もうどうしていいかわからない。これまでに、
「蕎麦の上にじかに載せる」「汁に溶かす」「舌の上に直接含む」「使わない」
という四つの方法が提示されたわけだ。
この他、「顔になすりつける」「鼻の穴に突っこむ」などというのもあるかと思って文献をあさってみたが、さすがにそういうものはなかった。
蕎麦界というところは大変なところだ。
薬味の、ワサビ一つでこの騒ぎだ。
ツユのところでも、当然ひと騒ぎあるにちがいない。
もうお気づきだと思うが、これまでの蕎麦屋の主人の証言の中に、「汁」と言う人と「ツユ」と言う人が出てきている。
この他にも、「タレ」と言う人もいるのだ。
汁かツユかタレかで、すでに騒いでいるらしいのである。
だから……。
ああ、考えるだに恐ろしい。
本体の、蕎麦そのものの食べ方ということになったら、一体どういうことになるのだろう。
蕎麦屋は、屋鳴り鳴動|阿鼻叫喚《あびきようかん》、怒号、絶叫、慰撫《いぶ》、号泣。
蕎麦猪口は飛び、丼は割れ、犬は吠え、猫はひっかき、重傷1、軽傷5、といったような騒ぎになるのではないか。
それにしても、蕎麦には不思議な魔力があるようだ。
そもそも蕎麦は、どんなやせ地でも、寒冷地でも栽培でき、年に二回も収穫できることから、救荒《きゆうこう》作物として重宝がられていた穀物である。
たかが蕎麦なのである。
その、たかが蕎麦に不思議な力がある。
たとえば、日本料理屋に出かけて行って、ゴハンだけ食べて帰ってくる人はいない。
定食屋でも、ゴハンと味噌汁だけ食べて帰ってくる人はいない。
蕎麦屋のいわゆる盛り蕎麦は、定食屋のゴハンに相当するものであると考えられる。
蕎麦屋には、わざわざ蕎麦だけを食べに行く人がいる。
かえって、そういう人のほうが、通であると思われている。
どうです。いくらゴハンが偉いからといっても、この点では明らかに蕎麦に負けている。
そのうえ、ゴハンでは、人は蕎麦ほどには騒がない。
せいぜい粘りがどうの、光沢がどうの、香りがどうの、立ってるの、立ってないの、ぐらいしか騒がない。
まして食べ方では、まるで騒がない。野放しといってもいいようだ。
蕎麦はどうです。
本体の蕎麦の食べ方の前に、すでにワサビでひと騒ぎがあった。
いや、食べ方の前に、加工の段階でもかなりの大騒ぎをしている。
米粒のほうは、そのまま加熱すればもうそれで食べられる。
蕎麦粒のほうはどうか。
加熱する前に、いろんなことをしなければならない。
まず、粉にしなければならない。
粉にする段階でひと騒ぎある。
機械で碾《ひ》くと、粉が熱をもって香りが飛ぶの、飛ばないの。
いや、石臼で碾いても熱をもつだの、もたないだの。
石臼は手で回せだの、電動でも大丈夫だの、大丈夫でないだの。
製粉の段階で、ひとしきり騒いだあと、これに水を加えて捏《こ》ねることになる。
むろん、ここでもひと騒ぎある。
粉に水を加えるときの加水量≠ェ、捏ねの重要なポイントである。
加水量は、その日の天気、すなわち湿度に大きく左右される。
晴れて空気が乾燥しているときと、曇天と、雨の日とでは、ずいぶん水の量が違うらしい。プロはそれを勘で使いわける。
晴天で蕎麦を打ち始めたら、一天にわかにかき曇って雷雨、などということになったらどうなるのか。
そのときはそのときなりの、それぞれのプロの秘伝があって、それぞれに騒ぐのだろう。
ひと口に湿度といっても、その日の天候によって微妙に違う。
「僕はその影響は、せいぜい〇・五から一%以内で、それよりシベリアからの高気圧圏内か、東シナ海からの移動性高気圧圏内か、太平洋高気圧圏内かによって、二%ぐらいずつ違ってくるんですよ」(別冊食堂『そば、うどん』の対談における守屋篤太郎氏の発言)
どうです。
ここまで騒ぐことになっていくのである。
粉に水を加えたら捏ねる。捏ねたら伸ばす。この捏ねと伸ばしを合わせて、「鉢仕事」と言う。
「一鉢、二延し、三包丁」あるいは「木鉢三年、伸ばし三月、包丁三日」ともいい、捏ねと伸ばしはむずかしいものであるらしい。
伸ばしには麺棒を使う。
この棒で少し騒ぐ。
檜かアララギか赤松か一位か。檜といっても木曾檜かアラスカ檜か台湾檜か。
麺棒は反《そ》りが出たらおしまいなので、こういう騒ぎになるらしい。
伸ばした蕎麦を、こんどは切る。
一寸の幅のものを何本に切るか。
三十本が標準で、極細で五十本。いや、六十本はいけるはずだ、いや標準は二十三本だ、とここでもひと騒ぎある。
そうして、ようやく、加熱の段階に立ち至る。
米粒のほうなら、もうとっくに炊きあがって、食べ終って、ヨウジのシーハーも終って、新聞も読み終っているであろうというのに、いまようやく茹で始めようというのである。
茹での段階でもひと騒ぎあるが、それは省略したい。
これから先、まだまだ大騒ぎ、小騒ぎ、中騒ぎのかずかずがあるからだ。
茹であがった蕎麦を水で冷やし、これをせいろに盛る。
やれやれ、やっと食べられるわい、と、喜んではいけない。
その前に、中騒ぎが一つある。
蕎麦には三タテという言葉がある。
「ウチは三タテを常に心がけております。碾きたて、打ちたて、茹でたてと、三拍子揃わないと蕎麦はうまくありませんから」
という発言をあちこちで聞く。
碾きたて、打ちたて、茹でたての蕎麦はさぞかしうまいだろうなあ、と思う。ところが、
「あんなデタラメな話はないんですね。打ってからは、少くとも三〇分から四〇分はおいてから煮ないとダメなんです」
と、『そばの本』(文化出版局)の中で、池の端、藪蕎麦の主人が、こう発言しているのである。
茹でたてのほうはどうか。
茹であがった蕎麦は、刻々と伸びるから、一刻も早く食べたほうがいいような気がする。
いい蕎麦は伸びるから、出前はしないという店も多い。
「すぐ召しあがって下さるとうれしい」(鶴見 登茂吉)という意見も、さっきの『ベスト オブ 蕎麦』に出ている。
「運んだとたんトイレに行かれたりするのはイヤ……」(白金台 利庵)という意見もある。ところが、
「茹でたてはノド越しはいいものですけど、一、二分おくと蕎麦本来の味が出てきます」(日本橋 室町砂場)
と反論する人もいるのだ。
これなら、一、二分で用が足せる人なら、むしろトイレに行ったほうがいいということになる。
伸びる、伸びない、でも小騒ぎがある。
手打ちは「吸水性が高く、そばがのびやすいために、出前には適さない」と、片倉康雄氏が『手打そばの技術』旭屋出版で言えば、「どうぞ伸びないうちに召しあがって下さい、というのが常套《じようとう》句だが、これは小麦粉の多いそばを食べるときに通用する言葉で、(中略)混ぜものの入らないそばは、切れようとも伸びるものではない」と、多田鉄之助氏が、『そば通ものしり読本』旺文社の中で述べておられる。
なんだか頭が痛くなってきた。
こうなってくると、もはや、あだやおろそかに蕎麦を食べることはできない。
もし、これまでに出てきた蕎麦界の方々にとり囲まれて蕎麦を食べることになったら、一体どういうことになるだろうか。
一箸、ひとすすり、ひと動きするたびに、「そうじゃない」「いや、それでいい」「やめろ」「続けろ」などの甲論乙駁《こうろんおつばく》、身動きならず進退きわまって、蕎麦と蕎麦ツユを頭からかぶりたくなるにちがいない。
昔から言われている食べ方の基本は、蕎麦にツユをたっぷりつけるな、というものである。
箸でつまみあげた蕎麦の先端にほんの少し、うんと大目にみて三分の一まで。
三分の二まで何とかならないか、と交渉してみても、どの店の主も首を横にふるばかりである。
それどころか、まったくつけるな、という無慈悲なことを言う人まで出てくるのだ。
先述の片倉氏だ。
「本当においしいそばは、汁なしで食べられる。(中略)試しに汁を使わずに食べてみるとよい。そばとは、こんなにも味わいに富む風雅な食べ物であったのかと、いまさらのように感激しながら、結構な量を汁なしで食べてしまっているはずである」
噛むな、という説も有力である。
「一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑りこむところが値打ちだよ」
と夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で語っている。
なぜ蕎麦にツユをたっぷりつけてはいけないのか。
蕎麦本来の味というものは、「甘みと苦みにまたがったすがすがしい味」で「ノドを通過するときの、ほんのかすかな香り」と「コシを味わいノド越しを味わう」ものである、というようなところに落ちつくようだ。
一方、ツユの力は強い。
全域ツユまみれの蕎麦は、たしかに全域ツユの味になってしまい、明らかに蕎麦はツユに負ける。
それは確かだが、「つけるな(ツユに)」「噛むな」の二大方針を墨守して蕎麦を食べるとどういうことになるか。
蕎麦をひとつまみつまみあげてすすりこむ。
ツユがないから、つっかえつっかえ口の中に侵入してくる。
食べ物が口の中に入れば、人間なら誰だって噛みたくなる。
噛みたいのをグッとこらえて、そのまま飲みこもうとすると、口腔《こうこう》内の嚥下《えんげ》関係の諸器官が、ギョッとしたように立ちすくんでそれをはばんでいるのがわかる。
これは特別の場合だから、大丈夫だから通してあげなさい、と、いくら説得しても「いえ、そういうわけには」と、かたくなに拒む。
ここで仕方なく、首を上にあげて、地球の引力の力を借り、目を白黒させてようやく飲みこむ。
これはぜひ一度試してみることをおすすめする。
蕎麦にツユをつけず、噛まず、首を上にあげて目を白黒させてようやく飲みこみ終えると、「ニワトリじゃねえや」という怒りがこみあげてくるはずだ。
なぜ噛んではいけないかというと、「噛むとノド越しの快さが減る」ということであるらしい。
「そんなもの減ってもいいから噛ませてくれ」
という心境になる。
「つけず」のほうは勘弁してもらって、「三分の一」のほうを実験してみよう。
この方法だと「最初に汁のつかない蕎麦本来の味を味わうことができ、そののち汁を含んだ蕎麦の味の両方を味わう」ことができるという。
やってみるとわかるが、最初の汁のつかない部分が、ほんの一瞬なのに、その一瞬がさびしい。
ここにおいて、ぼくはなぜか翻然と、正しい蕎麦の食べ方を悟ったのである。
すなわち、あるときは汁なしで食べ、あるときは「三分の一」で食べ「二分の一」で食べ、あるときは汁どっぷりグルグルかき廻しで食べるのである。
と、悟ったのだが、それにしては各店の蕎麦は、それら全部を試すにはあまりに量が少ない。
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わたしをスキーにつれてって
「わたしをスキーにつれてって」
と、わたしは編集部のI青年に言ってみた。
I青年の顔はみるみるうちに曇った。
若い女の子に、
「わたしをスキーにつれてって」
と言われたのならば、I青年の顔はみるみるうちに快晴となっていったにちがいない。
I青年はスキーの名手である。
B社のスキー部に所属している。
だから、若い女の子からそう言われれば、二つ返事どころか、一・五返事ぐらいでつれていくにちがいない。
しかし、わたしはおじさんだ。
おじさんをスキーにつれてっても、なんにもいいことなんかありはしない。
I青年の顔が曇るのも当然だ。
「………」
「………」
二つ返事どころか、四つ返事あたりで、ようやく、
「スキーはやったことあるんですか」
と、わたしに訊くのであった。
スキーはやったことがある。
合計四回やったことがある。
もう、かれこれ二十年前、北海道と長野と白馬と、もう一回はどこだったか忘れたが、とにかく合計四回やった。
四回とも、きちんとスキー学校に入学した。
スキー学校は、四回とも「二日コース」というのに入学した。
これに入学すると、一日目の午前中は、キックターン、平行式斜面登り、ボーゲン、左右のカーブといったあたりまでを学ぶ。
午前中の授業が終って、昼食をとると、疲れと退屈さとで、午後の授業に出るのが嫌になる。
そしてそのまま、午後の授業をすっぽかして部屋に戻り、ビールを飲んだり風呂に入ったりして過してしまうのだった。
すなわち、スキー学校を、午前だけで中退してしまうのである。
四回とも中退であった。
ぼくは大学も中退なので、中退ぐせというのがついてしまったのかもしれない。
四回とも中退なので、技量的にはボーゲンまでということになる。
しかし近年、スキーの装具の技術革新ははかりしれないものがあるという。
二十年前とはまったくちがって、
「初心者でも、もうすぐにすべれるようになりますよ」
という声も聞くし、
「骨折も非常に少なくなりました」
という声もよく聞く。
再挑戦してみる価値があるのではないか、とぼくは思った。このまま、スキーができないまま死んでいくのもつらい。
岡本太郎画伯は、たしか五十歳を過ぎてからスキーを始め、スキーが生涯の趣味になったという話を聞いたことがある。
それからこれは、スキーとはまったく関係ないことなのだが、例えば苗場というスキー場は、キャピキャピ関係のギャルとか、イケイケ方面のギャルでいっぱいだとかいう話だ。
そこに行ってどうこうしようということではなく、キャピもの及びイケもののギャルのまっただ中に、わが身を置いてみたい、ただそれだけのことでいいのだが、そういうことをしてみたい。
そんなふうにも思ってみたりしたので、I青年に「つれてって」と、こう言ってみたわけなのだった。
I青年は、何度も何度も深いため息をついたあと、わたしにこう訊くのだった。
「スキー場はどの辺がいいでしょう」
「別にどこでもいいんだけど、苗場あたり、雪質がいいらしいね」
苗場は快晴であった。
早朝上野を発つと、昼前にはスキー場に着く。
苗場プリンスホテルは、学校が春休みのせいもあって、ギャルでいっぱいであった。
館内は、もう、まるで夕方の新宿駅のような大混雑ぶりなのだ。
ド派手、ド原色、ド蛍光カラーのスキーウェアのギャルたちが、まるで蟻塚《ありづか》を掘り返したように、あっちからもこっちからもわいて出てくる。
わたしは満足であった。
こうしたまっただ中に、わが身を置くことができた。
「しかしこれ、ギャルばっかりじゃないの」
満足のほほ笑みとともにI青年に言うと、
「よく見てくださいな。半分は男ですよ」
ギャルばっかりに目がくらんで気がつかなかったが、よく見ると半分は男だ。
どのスキーウェアも派手なので、男女の見分けがつかないせいもあるかもしれない。
しかもアベックが多い。ウーム、実に多い。ウーム、そうか。学校が休みなので、親をだましてこうして二人で|泊まりがけで《ヽヽヽヽヽヽ》来ているわけだ。
ロビーから少し離れたところに薬局がある。そこのショーケースの中に、コンドームが麗々しく並べられてある。ウーム、そうか。やっぱりそうだったのか。
その隣には「妊娠判定紙」というものも、うやうやしく並べられてある。ウーム、そうか。やっぱりそうだったのか。
「I君、I君! 見てくれたまえ、この現実を」
わたしが指さすと、I君は、
「だってここ薬局でしょ」
「そう、薬局です。薬局にこういうものが……」
「並んでいるのはあたりまえじゃないですか……」
「………」
そうであった。そのとおりであった。でもなんだかくやしい。
スキーの道具、及びスキーウェアを借りに行く。ホテルの中に、本格的なスキーの店があるし貸し出しもしている。
靴、二五〇〇円。スキー、四〇〇〇円。ストック、一〇〇〇円。グローブ、一〇〇〇円。スキーウェア、三八〇〇円。合計一二三〇〇円。
こんどはこれらを更衣室に持っていって体に装着させなければならない。
これがひと苦労であった。
モモヒキをはき、厚い靴下をはき、上下つなぎの、いやに重いスキーウェアを着こみ、ファスナーをしめ、硬くて重いスキー靴に足を突っこみ、全金具をしめ終ったときは汗びっしょり、息さえきれていた。
スキー用具着用スポーツ、というスポーツをやったあとのような疲れ方であった。
いまのスキー靴は、靴というよりプラスチックの箱である。
この硬くて重い箱の中に足を入れると、当然のことながらまことに歩きにくい。
まるで改造人間かロボットになったような歩き方になる。
バッタバッタと歩きつつ、行き交う人々を改めて見回してみたが、何という原色の氾濫《はんらん》であろう。
思いっきりド派手、もうこれ以上ド派手の人はいまい、と呆気《あつけ》にとられて見ていると、向こうから、更にその上をゆくド派手の人がやってきて、まあ、このあたりがド派手の人類の限界だろうな、と思っていると、また更にはるかその上をゆくド派手が目の前を通過してゆく。
もしこんな人が、東京の住宅地を一人で歩いていたら、まちがいなく救急車がくるだろうなという服装でも、ここでは地味の部類に属するのである。
こういう場所では、派手な人ほどスキーがうまそうに見えてくる。
地味な服装の人は、どうしてもヘタに見えてしまう。
たまに一色だけの地味なスキーウェアの人が向こうから歩いてくると、ああ、この人はスキーがヘタなんだ、ダメなんだ、人格的にも問題があるんだ、頭もバカなんだ、と思ってしまうから、ここは怖しい世界だ。
装備を全て装着してゲレンデに出る。
風が冷たい。空が青い、雪が白い。
それにしても、なんという快晴であろう。
雲ひとつないまっ青な空の下はまっ白な雪で、そのまっ白な雪の中に、絵の具を塗った水すましのようなスキーヤーが点々と動いている。
こんなに大勢の人がいるのにあたりに音がしない。リフトがコトコトと登っていってゲレンデの上のほうに消えていく。
やはりスキーはいい。来てみてよかった。
ようし、今度こそ、スイスイとすべれるようになろう。
ゲレンデを、水上の水すましのように、右に左にすべりおりてこられるようになろう。
I青年から即席のコーチを受けたあと、ぼくは一人で訓練に励むことにした。
とりあえず昼までは、これまでに蓄積したスキーの知識と技能の反復にいそしもう。
そして午後は、午前中に修得した技術を生かして、リフトに乗ってすべりおりてこよう。
大体そういったような計画をたてて、わたしはとりあえず、ゲレンデの裾《すそ》を、カニ式横登りで、バッタバッタと登っていった。
バッタバッタと五〇メートルほど登っていって、この辺でいいかな、と思って向きを変えることにした。
少しずつ向きを変え、ようやく斜面と平行に板を揃え終ったとたん、板はごく自然に斜面をすべりおりていき、当然、その板とともに立っていた人間も一緒にスルスルとすべりおりていき、あれよあれよという間に足が先に行って頭がうしろに残り、当然の帰結としてころぶという状態に立ち至った。
くやしかった。屈辱であった。
人間というものは、そう滅多にころぶものではない。幼児期ならいざしらず、大人になってからはころぶということは滅多にない。
三十過ぎればますますころばなくなるし、まして四十になればもうころばないものだ。
なのに五十を過ぎてころんでしまったのだ。どうにもくやしい。
たとえスキー場であっても、五十を過ぎた人間がころんだという事実はくつがえらない。
ころんだときはそうでもないが、起きあがるときが更にくやしい。周りに人がいるところで起きあがるのは、特にくやしい。
しかもなかなか起きあがれないのだ。
もがくようにして、ようやく立ちあがりかけて、またドタッと倒れる。
苦笑いをするがどうにもとりつくろえない。
何とかようやく立ちあがったとたん、また板がズルズルさがっていってまたころぶ。
一回目の降下は、このような繰り返しで終了した。
二回目の登攀《とうはん》は慎重を期した。
一回目は、何の心構えもしないうちに、板がすべり出したのが失敗の原因であった。
二回目は、まず心構えをつくってから、斜面と平行に板を揃えた。
ボーゲンという技能を思い出して、その技能でもって板の滑降を未然に防止しつつ、かつ、ストックを前方に突く、という二重の防御態勢をとった。
これが功を奏して、こんどはしっかりと斜面に立つことができた。
制動を少しずつ解除していくと、板はズリズリッと動き出した。
ズリッ、ズリズリッ、ズリズリズリズリズリ、スーイ、スーイと、制動ということに全精力を傾けているにもかかわらず、板は少しずつ速度を増していき、しかも加速度さえついていって、最終的には転倒という事態を迎えることになった。
再びバッタバッタと登っていく。
この辺一帯は初心者のメッカで、しかも子供の初心者が多い。
わたしと同じように、ヨロヨロとすべりおりてきては、最終的にはきちんところぶ。
スキー学校も二、三か所、すぐ近くで開かれていて、一列に並んだギャルたちの前で、まっ黒にスキーやけしたコーチが声をからしている。
コーチがあざやかな手本を示すと、ギャルたちの間からため息と歓声があがる。
スキーコーチはモテてしようがないそうだ。このコーチは、顔もハンサムでしかも精悍《せいかん》である。
だが言葉がなまっているのだ。ザマミロ。
などと思いながら、その横を、またバッタバッタと登っていって降りることを繰り返す。
どうしてもスピードが出てしまう。
スキーの板は、ゆるやかに出発していって必ずスピードを増していく。
それに、どうしても曲がることができない。
前方に人がいるので、左に曲がろうとする。
当人の気持ちは、もうすっかり左に曲がりきっているのだが、スキーの板は少しも曲がらず、前方の人に向かってまっすぐに進んでいく。
ボーゲンの理論、カーブの理論もすっかり頭に入っているのだが、手足が理論どおりに動かない。
頭の中では、カーブの理論を実施しているのに、手と足と腰が別の動きをしている。
五十メートルカニ方式|登攀《とうはん》、そしてヨロヨロ滑降、ということを十回ほど繰り返し、十一回目に挑戦しようとしたとき、突然、急激な疲労を覚えた。それもかなりの疲労であった。
いつのまにか全身汗びっしょり、セーターまで汗でぬれている。腕と足のふくらはぎの筋肉がパンパンに張って痛い。
わたしは、今回のスキー行の、スキーの部の全行程をこれにて終了させることにした。
I青年が、そろそろリフトで上に登りましょうと誘ってくれたが、わたしはそれを断った。十回の挑戦で、技術が向上したとは到底思えないのだ。
しかも、二十年前のときより、明らかに技術は後退している。
この技術でリフトに乗って高いところに登ってしまったらどういうことになるのか、その結果は手にとるようだ。
わたしは部屋に戻った。
無念であった。
今回は、学校に入学さえしないで、自己中退してしまったのだ。もはや今後、再びスキーに挑戦することは二度とあるまい。
こうして、スキーはすべれないまま、死んでいくことになったのだ。
思えば、水泳もそうであった。
幾度となく挑戦したが、やはりダメであった。もう再挑戦する気もない。
やはり泳げないまま、死んでいくことになるのだろう。
部屋の前面がゲレンデである。
窓からゲレンデが見える。
冷蔵庫から、缶ビールを出して飲む。
高く広いゲレンデから、無数のスキーヤーがツブテのようにすべりおりてくる。
それを見ているうちに、わたしは大発見をしてしまった。
何とスキーはインチキくさいスポーツであることか。これがはたしてスポーツと言えるのだろうか。
だって、スキーは、斜面がないと成り立たないスポーツなのだ。
サッカーだって野球だって、陸上競技だって、大抵のスポーツは平らなところでやるものだ。平らなところでやるのがスポーツというものなのだ。
人間は平らなところで暮らしているのだから、スポーツも平らなところでやるべきなのだ。日常の暮らしと同じような平らなところで競いあってこそ、スポーツと言えるのである。
斜面はまさに、非日常的なところである。
そんなところに立てば、人間はズリズリとズリさがっていくに決まっているのだ。
ましてそこが雪でおおわれていれば、どんどんズリさがっていくのは理の当然のことなのである。
その斜面を、自力で登るのではなく、電力を使って登っていくところがインチキくさい。
電力がないと、スキーというスポーツは成り立たないのである。
スキーは電力スポーツだったのだ。
電力のお世話にならなければ成り立たないスポーツなんて、一体どこにあるというのだ。
スケートを見よ。黒岩選手を見よ。
彼らは、平らなところで、電力のお世話にもならずに、自力であれだけのスピードを出すことができる。まったくのゼロから、自前であれだけのスピードにまでもっていけるのだ。
斜面がなくちゃダメだの、電力も要るだの、派手なスキーウェアも要るだの、コンドームも要るだの、そんなわがまま一切なしで、あれだけのスピードが出るのだ。
できないことがはっきりわかったとたん、スキーはわたしの仇敵《きゆうてき》となったのである。
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山菜の教訓
山菜……。
と聞くと、大抵の人は、ナーンダ山菜か、フキノトウか、ワラビにゼンマイか、ナーンダ、とがっかりする。
「オレ、このあいだ山のほうの温泉に泊まったら、朝も晩も山菜料理ばっかし。がーっかり」
と残念がる人もいる。
聞いてた人も、なんだか急にがっかりして、力なくため息をついたりする。
同じ山の中の温泉でも、猪や鹿の肉が出た、ということになると、急に、ドーダッタ? ドーダッタ? と質問が集中する。
どうやって食べた、煮たか、焼いたか、鍋か刺身か、と質問が集中する。
山菜料理のほうには、まるきり質問がない。
「何も言うな」
と逆に発言を封じられたりする。
山菜にはそれほど魅力がないのだろうか。
旅行社のツアーには、ゴルフツアーとか、釣りツアーとか、魚市場めぐりツアーとか、ぶどう狩りツアーとか、様々なプランがあって、それぞれに魅力的なのだが、「山菜取りツアー」となると、なんだか急にばあさまじみてきて、あんまり行きたくないなあ、と思う。
今回、ぼくは山菜取りのツアーに参加して、これらの偏見を一挙に払拭することができた。
山菜取りは、魅力に満ちあふれていたのである。
山菜取りは、現代の冒険であった。
単なる冒険どころではない。
あの、十五世紀に始まる大航海時代≠サのものであった。
山菜を摘みつつ山奥に分け入るぼくは、大航海時代のコロンブス、バスコ・ダ・ガマ、マゼランそのものであった。
未知の大海に突き進む彼らと、まったく同じ心境を味わうことができたのである。
そればかりではない。
山菜取りは、ロスチャイルド、ロツクフェラー、モルガンなどの、大富豪と同じ心境を味わわせてくれたのである。
ワラビを摘んでは貯めこみ、タラノ芽を折り取っては貯めこむ心境は、彼ら大富豪の心境とまったく同じものだったのである。
彼らの心境は、まさにこうだったのか、と、ワラビを摘みながらつくづく実感することができたのであった。
新潟県南魚沼郡湯沢町。
いまこの町は、別荘マンションの開発でわきたっている。
山里の風景になじまない、ピンクや白のペンション風のマンションが、あちこちに林立している。
緑の山の中から、突然マンションが生えている。草むらの中から、突然マンションが生えている。
どう見ても、生えているとしか見えない。
そうしてこの辺一帯は、山菜の宝庫でもあるのだ。
マンションも生えているが、山菜だって生えているのだ。
越後湯沢駅から三つめの土樽《つちたる》、ぼくらはここに山菜取りに行った。
土樽の山荘に泊まって、ここからいまはやりの4WD、四輪駆動のワゴン車で山に分け入った。
山菜取りというと、なにかこう、ワラジにしょいこといった牧歌的なものを想像しがちだが、現代の山菜取りは4WDで出かけていくのだ。
これ以上車が入らない、というところまで登って、そこから徒歩で山に分け入る。
一行は老若男女取りまぜて十二名。
山好き、山菜好きの同好のグループである。
まず鶯の声が耳に入った。
ホーホケキョ、と、ほとんど人間の発音どおりにはっきりと鳴く。
近くを流れる谷川のせせらぎの音。
そこをさわさわと渡っていく風の音。
空はまっ青に澄み、そこにまっ白な雲が浮かぶ。
ぐるっと見回す360度、ぜんぶ新緑である。
この新緑を絵に描くとしたら、100種類の緑の絵の具が必要だろう。
その緑の中から、鶯の澄んだ声が聞こえてくる。吸いこめば、甘い山の空気……。
「あ、あそこにワラビが……」
その声でふと我にかえる。
生えているのだ、ワラビが。あそこに一本、あ、あそこにも二本。
ワラビばかりではない。
「ホラ、あの崖の下に生えているあれ、あれが山ウドです」
「そして、ホラ、すぐ目の前のそれ、それがタラノ芽です」
それから目線は、下を見たっきりになった。
二度と上空を見ることはなくなった。
鶯の声が聞こえなくなった。
谷川のせせらぎも耳に入らなくなった。
山の空気も甘いようだが、それどころではなくなった。
ワラビが一本、「ここです」と手招きしているわけではない。
無数の緑の草の中に、緑のワラビが生えているのだ。
見分けるだけでもかなりの訓練と、集中力を必要とする。
たくさんの、長短の草の中の一本の草に目をとめる。
どうやらあれは、草ではなく山ウドのようだ。そのとき山ウドは、草から昇格して山ウドとなる。
「うん、はっきり山ウドだ」
ということになって、その方面に向かって第一歩を踏み出そうとすると、同行の一人が素早く駆けよってそれを切りとる。
なかなか油断がならない。
もうはっきりと、鶯の声は聞こえなくなった。
その山ウドは、かなり大きな山ウドであった。身長35センチ、ウエスト4センチはあろうかという大山ウドであった。
実に残念であった。
「ホラ、こんなに大きいの」
と、その人は誇らしげにぼくに見せた。
「よかったじゃないですか」
と口では言ったものの(コノー。オレの山ウド取りやがって)と、心の中はおもしろくない。
こうした葛藤《かつとう》を避けるために、人々は少しずつ散開していった。
それぞれが、独自の道を歩み始めたのである。
斜面をよじ登る人、谷川に向かって降り始める人、道路ぞいに進行する人、と、それぞれに行動しながらも、一定の距離は保っている。
つい夢中になって、どんどんヤブの中に分け入っていって帰り道がわからなくなるおそれがある。
「青森で75歳の老婆、山菜取りで行方不明」
などという記事がときどき新聞に載るが、山のベテランでさえそういうことがある。
実際にやってみるとわかるが、山菜取りにはそうした落とし穴がある。
あそこに一本、あっ、その向こうにもう一本、と、夢中になって進んで行って、ふと気がつくと周りに誰もいない、ということがよくある。
だから、ときどき声をかけあって、お互いの位置を確認しあいながら進んでいくことになる。
だが、ワラビ発見、ということになると急に押し黙る。
ここに一本、そこに三本、ウン、ウン、あそこには何と五本、と、自分の周辺にたくさんあるときは急に押し黙る。
押し黙って全部取る。
全部取り終ってから、
「この辺、いっぱいあったよー」
と、過去形で周辺の人に報告する。
山菜取りは、最初の一本が特にうれしい。
山の斜面に立って、あたりを見回す。
「あそこ!」
周りに誰もいるわけでもないのに、思わず叫んで指をさしていたりする。
誰の助けも借りずに、自分の目で、自分の才覚で獲物を発見したのだ。
こういう発見の喜び≠ヘ、現代人が久しく味わわなくなってしまった喜びである。
その獲物を、他の人に取られないうちに、誰よりも早く駆けよって確保する喜び。
自分のものであると宣言する喜び。
この喜びは、コロンブスやマゼランの喜びと同じ喜びである。
新大陸と、ヒョロヒョロのワラビ一本と、獲物はたしかにちがうが喜びはまったく同質のものである。
発見したワラビを、しゃがみこんで根元のところから折り取る。
この、折り取るときの感触には、山菜取りならではのものがある。
よくもまあ、こんなところに生えていてくれちゃって、本当にもうおまえという奴は……と、何だかかわいく、いとしく、しかしこうして折っちゃうんだからね、と、急に加虐的な気持ちになって、ポキリと手折る。
なんとなく、宮崎君ちのツトム君の心境がわかるような気がする。
手折ったワラビを手中に収めたとたん、こんどはしみじみと、収穫の喜びが胸のうちにわきあがる。
見渡してあそこに一本、さらに見渡して、うん、あの向こうに三本、と、少しずつヤブの中に分け入っていく。
あんまり一人で奥に分け入ってもまずいな、もう引き返そうか、と思う。
しかし、いま、引き返そうとしたほんの十メートル先に、ワラビが三本生えていたとしたら……。
そう思うともう引き返すことができない。
そこで十メートル先に進む。
しかしそこには何もない。やはり引き返そうかと思う。
しかし、いま引き返そうとしたほんの五メートル先に、四本のワラビが生えていたとしたら……。いやいや四本どころか、ワラビの一大群生地帯だったとしたら……。
そう思うと引き返すことができず、さらに五メートル先へ進むことになる。
コロンブスやマゼランが、部下の反乱や嵐や壊血病に悩まされながらも、もう少し、もう少しとあきらめずに大西洋を突き進んでいった心境も、まさに、これだったのである。
山菜は、新大陸と同等のものだったのだ。
この文章の冒頭で、山菜をバカにしてため息なんかついた奴、前へ出ろ。
山菜はこのように、人類を大冒険時代に引きもどし、現代の大冒険家にし、その気宇を壮大にしてくれるものだったのだぞ。
それほどの、実力のある奴だったんだ。ワラビに手をついてあやまれ。
この土樽一帯は、実に水が豊富なところだ。
至るところに川が流れてくる。
山の中にいても、あっちからもこっちからもせせらぎの音が聞こえてくる。
ぼくらの入った山中の上流には、人家も人気もないということがわかっているので、川の水をすくって飲む。
じゃぶじゃぶと川の中に入っていって、両手ですくって飲む。
あっちの川ですくって飲み、こっちの川でもすくって飲む。
冷めたくて、甘い。キレのあるおいしい水だ。
水の味を表現するのはむずかしいが、冷めたくて甘くて、そして生きている味がする。
考えてみれば、足元をいま滔々《とうとう》と流れていっているこの水は、天然のミネラルウォーターなのだ。
これをこのまま一Lビンに詰めれば、一本二百円で売れるのだ。
そのミネラルウォーターが、バラで、どんどん流れているのだ。
しかも絶えまなく、途切れることなく、バラのミネラルウォーターが、上のほうからどんどん流れてきて、下のほうにどんどん流れ去っていっているのだ。
何というもったいなさ。
何という贅沢。
何という蕩尽《とうじん》。
しばらくは、どんどん流れ去っていくミネラルウォーターを、なすすべもなく呆然と見送っていた。
ここではすべてがタダであった。
ミネラルウォーターがタダなら、ワラビもタラノ芽もタダである。
空気清浄器を使ったようなきれいな空気もタダだし、そのへんを飛んでいる鶯もタダの鶯である。しかもそいつが、タダで鳴いてくれる。
ワラビを一本、二本と右手で手折って左手に移しかえる。
四本、五本と増えていくうちに、ワラビを握る左手の指の輪が少しずつ大きくなっていく。
そしてついには握りきれなくなる。
自分の力で取りだめたものの大きさが、自分の指の輪で実感できるのである。
その量も、自分の目で見て実感できる。
ついには握りきれなくなって、背中のリュックに移しかえる。
これをくり返しているうちに、少しずつ背中のリュックが重くなっていく。
自分で稼いだものが、少しずつ増えていく喜び。
背中が少しずつ重くなっていく喜び。
自分で稼いだものを、自分の目で見て、背中に背負って実感できる喜び。
カードと銀行振込みによって、自分の収穫を数字でしか確認できない現代人としては、これは意外な喜びだった。
実際に、ワラビが、山ウドが、タラノ芽が、自分の目の前で量を増し、重くなっていく。
数字ではなく、現物で視認できるのである。
自分はいまこれだけ稼いだ。
そしてさらに、資産は少しずつ増え続けてこれだけになった。
もう少し稼ぎ続ければ、資産はさらに増えていくだろう。
資産が増えていく喜びを、ワラビが、山ウドが、タラノ芽が教えてくれるのである。
金持ちが資産を増やしていくときの心境を、山菜たちが味わわせてくれるのである。
ロスチャイルドも、ロックフェラーも、モルガンも、きっとこれと同じような心境であったにちがいあるまい。
それだけではない。
山菜は、人間の業というものさえ、教えてくれるのである。
山菜を取りに山に入るときは、まあ、ワラビの三十本、山ウドの二十本も取れれば上出来だろうなあ、と思う。
いやいや、きっとそんなには取れないにちがいない、とさえ思う。
しかし、実際にワラビを三十本手にすると、もうこれでいいとは思わない。
あと二十本は欲しい、と思う。
五十本取ると、もうあと五十本は取りたいと思うようになる。
百本取ると、あと二百本取りたい、と思う。
いや、これは実際の話、山菜取りをやったことがある人にはわかると思うが、本当にそういう気持ちになるのだ。
もうこれでいい、これで十分という気持ちには絶対にならない。
この気持ちは、実際に山菜やお金を貯めた人じゃないとわからないと思う。
ぼくは山菜を貯めたからわかるのだが、ロスチャイルドも、ロックフェラーも、モルガンも、ぼくと同じような気持ちだったのである。
この新潟県出身の田中の角さんが、最初目白に数百坪の土地を買い、もう五十坪、もう七十坪、もう百坪と買い足していって、ついに何千坪の土地にした心理もよくわかる。
ワラビを十本手にすれば、たちどころにわかる。
角さんは、本当はもっともっと買い足したかったにちがいないのだ。
もっともっと買い足して、何十万坪にもしたかったにちがいないのだ。
ぼくはワラビを五十本取った時点でそれがはっきりとわかった。
人間の欲望とは際限のないものなのだ。
ワラビを取りながら、ぼくはつくづくそう思った。
一体だれが、人間をこのように造ったのか。
これは一体、だれの責任なのか。
少くともオレの責任ではないな、と、五十一本目のワラビを取りながらぼくは思った。
午前十一時ごろから夕方の五時まで、いつのまにか欲望の鬼と化してしまって、山の斜面を駆け登り、崖を駆け降り、小川を飛び越え、山ウドを掘り、ワラビを折り、タラノ芽を取った。
ヘトヘトになった。
ヘトヘトになったあとのビールがおいしかった。
小ジョッキぐらいのグラスで、たて続けに六杯飲んだ。
取ってきたばかりのみずみずしい山ウドに、少し味噌をつけたツマミが実に旨かった。
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下 駄 論
わたしはある日、ふと、あることに気づき、言いしれぬ不安に襲われて、じっとしていられなくなった。
下駄がいま亡びようとしている。
わたしの愛する下駄。
子供のころ、あんなにも慣れ親しんだ下駄。
思い出深い下駄。
人間の道具でありながら、あんなにも威厳に満ちた下駄。その下駄が、少しずつ、世の中から消えようとしている。
わたしはあせりさえ覚えた。
下駄の復興は、所詮かなわぬことだ。
しかし、下駄がすっかり亡《ほろ》んでしまう前に、下駄に関する論文、すなわち下駄論をまとめておくことは有意義なことだ。
下駄は、まさに日本の歴史的産物でありながら、下駄に関する論文は一つもない。
いまこそ、わたしが下駄論を書かなければならぬゆえんである。しかし、わたしは忙しい。わたしはいま、大学に於て、カカトの研究に没頭している一学究の徒だ。
人間はいままで、あまりにもカカトをないがしろにしてきた。
人間の動きの根幹はコシである、ということを人はしばしば口にする。
特にプロ野球では、あらゆる批評家が「コシ! コシ!」と騒ぐ。
わたしに言わせれば、あれはまさにナンセンスだ。
「人間の動きの根幹はカカトである」
これが、わたしが生涯をかけて挑もうとしている研究テーマである。
わたしはいま、「人体に於けるカカトの役割に於ける再考察、その1」という論文の作成と、カカト再評価運動「カカトを見直そう!」全国キャンペーンを、主に生活協同組合を通じて行おうとしており、かつまた、「一日三回カカトをこすれば、高血圧、糖尿病、慢性肝炎のすべてが治る」という記事を、「壮快な健康」という雑誌に頼まれてシッピツ中の身の上なのだ。
しかし、だからといって、ここで急に浮上してきた下駄の問題を放っておくわけにはいかぬ。
総論 「ハダシの恐怖」
人類は、地球上に於て、履物を履かなければ生きていけない唯一の動物である。
人類以外のあらゆる動物はハダシで生きている。
馬も鹿もライオンも虎も、犬も猫もカラスもカブト虫も、みんなハダシで生きている。
では金魚はどうか、と人は問うであろう。
ヘビはどうか、と人は問うであろう。
わたしはいま忙しいのだ。
いまはとにもかくにも、人間だけが履物がなくては生きていけない、ということで話を進めていくよりほかはないのだ。
映画「ダイ・ハード」では、主演のブルース・ウィリスをまずハダシにさせておいて、次にビルの床一面にガラスの破片を敷きつめた場面に登場させた。
この映画は、人間は履物がなくては生きていけないということを人々に知らしめるための、全米履物連合協会のキャンペーン映画であったことを知る人は少ない。
災害時、戦争時、地震時に於て、もし履物がなかったら。ハダシだったら。
ただもうそれだけで、その人はその場から一歩も動けなくなるのだ。
現代人は、あまりにも履物への関心が薄すぎる。もっと履物全体への関心を深め、その成り立ち、歴史などにも興味と関心を持たなければならない。
各論 その1 「挿入とノッケ」
世界中の履物は、挿入とノッケに大別することができる。
挿入型とノッケ型である。
靴に類するものは挿入型であり、下駄、サンダルに類するものはノッケ型である。
ではスリッパはどうか、と人は問うであろう。
いまはさっきほど忙しくないので、この質問には答えよう。
これは「半挿入半ノッケ型」として、いともたやすく分類することができる。
主として西洋では挿入型が主流をなし、わが国日本ではノッケが主流であった。
西洋の生活スタイルは、朝ひとたび靴を履くと一日中その靴を脱ぐことがない。
その習慣が靴の普及を助長せしめた。
また牧畜民族であったがために、皮革の入手が容易でもあった。
日本の生活様式は、履物の着脱をひんぱんに行う。
玄関で履物を脱ぎ、廊下用のスリッパに履きかえ、畳の部屋の前でまた脱ぐ。トイレではまた別のスリッパに履きかえる。
そのため着脱の容易さが優先された。
履きやすさよりも、むしろ脱ぎやすさが優先されたのである。
わが国の履物の始祖はワラジである。
そのあとを下駄が継いだ。
ワラジ→下駄→靴というのが、わが国の履物の変遷の歴史である。
道具の普及には、素材の入手しやすさが不可欠である。ワラジの材料のワラ、下駄の材料の木材、ともにわが国には豊富であった。
農業国ニッポン、稲作国ニッポンには、ワラはいくらでもあった。
ワラジは、その全域がワラでできている。
ワラだけで、一足の履物ができあがっているのだ。
ワラジは、まずワラで縄をなうことから始まる。|なう《ヽヽ》という言葉は、つい四十五年前ぐらいには日常語であった。
ワラで縄をない、その間を機織《はたおり》のようにして縄を織りこんでいく。
すなわちワラジは、本体の中心となる縄もワラ、本体底部全域がワラ、鼻緒もワラ、ワラならざるところなし、という履物である。
米国のマクドナルドのハンバーガーは、牛肉百パーセントが誇りであるが、わが国のワラジは、ワラ百パーセントが誇りであった。
畜産王国たる米国が牛肉百パーセントを誇り、米主食国日本のワラジがワラ百パーセントを誇る。
ここにわたしは、この神の与えたもうた恐るべき符合に、戦慄を禁じることができない。
わが国に於て、ワラはこのように豊富であった。そして、下駄の素材たる木材も、国土の七十パーセントが森林であるわが国に於ては豊富であった。
ワラも木材も、もともとノッケに適した素材である。特に木材は、ノッケ以外の形は考えられないような素材といえる。
ワラもまた、それを円盤状に編みこんで、その上に足をのせて鼻緒でしばる、という以外の形は考えられない素材である。
では、オランダの木靴はどうか、と人は問うであろう。彼らは木材に足を挿入している。
日本の東北地方の、ワラで編んだワラ靴はどうか、と人は問うであろう。
わたしはまた、急に忙しくなった。
各論 その2 わが履物史
「あなたがこれまで何を食べてきたか。それを語れば、わたしはあなたがどのような人となりであるかを語ることができる」
と言ったのは、たしかブリヤ・サバランという人だったような気がする。
違うかもしれないが、違うと困るので、いまは調べないで話を進めることにする。
「あなたがこれまで、何を履いて生きてきたか。それを語れば、わたしはあなたの年代を当てることができる」
と言ったのは、不肖わたくしである。
わたしの世代の履物史は多彩である。
いろんな履物を履いて生きてきた。
恥ずかしながら、わたしが物心ついたときに履いていたのはワラジであった。
石器時代から続いているワラジであった。
ワラジ、下駄、高下駄、ゴム草履、足袋、ゴム短靴、ズック、革靴、スニーカー。
いろんなものを、わたしの世代は履いてきた。
最近の若い人に訊くと、彼らの履物史は実に単純だ。
「エート、最初がズックでしょ。次が革靴、スニーカー。それでおしまい」
わたしは何だかくやしい。
彼らには鼻緒の時代≠ェない。
わが国の履物史は、鼻緒以前、鼻緒以後、に分けることができる。
わたしらは、鼻緒の時代に育ったのだ。
ワラジでスタート。
いまでこそわたしらは、ジーンズにスニーカーをはいてハンバーガーをかじり、ウォークマンを耳にあてた生活をしているが、つい四十五年前は、足にワラジをくくりつけ暮らしていたのだ。
ワラジの次が下駄。
この下駄の時代はけっこう長かった。
ゲタ。何という懐かしい響きを持った言葉であろう。
わたしらのころは、焼き下駄というのがはやった。
下駄の表面を焼いて焦げめをつけた下駄。
豆腐の表面を焼いて焦げめをつけたのが焼き豆腐。あの要領である。
焼くと焦げめがデザイン的な役割を果たし、かつまた水気を含みにくくするという一石二鳥の産物だった。
その次にはやったのが、竹の皮を貼った竹下駄だった。
表面がつるつるしていて履いたときの感触がよかった。汚れないし、高級感もあった。
むろん、何も貼ってない桐の下駄が最高級品で、まっすぐな柾目《まさめ》(いまの人は知らないだろなあ)が何本通っているかが問題だった。
そうして、下駄屋が町内に何軒もあった。
思えばあのころが、下駄の全盛時代だった。
下駄屋では、下駄のハダカ売りと、すげ売りがあった。
ハダカ売りは、下駄の本体と鼻緒を別々に売り、客が自分で鼻緒をすげる(すげるも懐かしい言葉だ)。
すげ売りは、下駄屋が鼻緒をすげ、完全な下駄の形にして売る。
下駄屋はすげ賃というものを取ったから、ハダカ売りのほうがいくらか安かった。
すげた下駄を買ってくる人はお大尽で、ハダカで買ってくる客は貧乏人だった。
鼻緒=下駄、草履など鼻緒履物類の着用装置。前緒と横緒の2部からなり、前壺と両横の3点によって、下駄、草履の台部に取りつけられる。(平凡社 百科事典)
あの穴を、壺というのは知らなかった。
それにしても、あのヒモ状のものを、装置というのは少し大げさ過ぎはしないか。
原子力発電装置も装置だが、何だかあれに匹敵する装置のような気がするではないか。
2部、というのもまた、大げさである。
以上の知識を前提にして、以後、話を進めていきたい。
各家庭には、下駄台部に鼻緒をすげるための、極端に太いきり≠フような道具が具備されていた。
これは、台部の両横の拡張をはかるためのものである。
鼻緒の両先端を、両横に挿入するには、ちょっとした技術が必要だった。
鼻緒のほうが、穴より必ず太く、穴を拡張しては挿入を試み、失敗して、また挿入を試みたものだった。
うまく挿入したのちも、布の部分がはみだすので、ここをキリの先端で突っついて押しこむ。ここのところが苦労のしどころであった。
両横を挿入したら、それを下側できつくしばる。グルグル巻いてまたしばる。
次は前緒だ。
ここも幾分穴を拡張するが、拡張しすぎてもよくない。穴が大きくなって、通したあと結び目をつくるときに苦労する。
結び目は穴より大きくないと抜けてしまうから、大きな結び目を作るのに苦労した。
思えば下駄の鼻緒すげは、苦労の連続だった。一晩がかりの大仕事だったような気がする。しかも決して楽しい作業ではなく、全体がイライラした雰囲気におおわれた作業であった。
結び目を大きくするのが面倒なときは、釘を横にして突っかい棒とし、これに前緒のヒモを結びつけた。
下駄屋ですげた下駄の前緒の部分には、菊の花の型を打ち抜いた金具が打ちつけてあった。業界では、これをキクと言う。
この金具は、「確かにこの下駄は、下駄屋が鼻緒をすげた下駄です」という証明でもあった。
(こういう昔のことを書くのは楽しいなあ。スラスラいくらでも書ける。これを一種の老化現象だという人もいるが)
各論 その3 鼻緒の苦労
スニーカーというものを考えてみよう。各メーカーは、人間の足の動きに、いかに柔軟に対応する靴底を作るかに腐心する。
着地のときの弾力性もまた、大切な要素だ。そのための構造、材質の開発に余念がない。
あんまり柔軟すぎてもいけないし、ある程度の硬さも必要だ。
足の形に沿ったデザインも大切だ。
大きさもまた重要である。あんまりピッタリしすぎてもいけないし、ゆるすぎてもいけない。甲高の人にはそれなりの、幅広の人にはそれなりのデザインが要求される。
そのような苦心の末の製品に対してさえ、
「わたしはアディダスはどうもしっくりこんです」とか、「やはりナイキでなくては」などの、それぞれの苦情や賛同が生まれる。
下駄はどうか。
下駄木部は、人間の足の動きに柔軟に対応しているであろうか。着地のときの弾力性は考慮されているだろうか。
構造、材質の開発はなされているのだろうか。足の形に沿ったデザイン、ということには、どう対応しているだろうか。
全員、ただ四角、という形で対応しているだけではないだろうか。
その人の足に合った大きさ、という点はどうだろうか。
「わたしは24・5センチの足なんですが」
という客に、きちんと対応しているだろうか。
甲高の人、幅広の人に対してはどうなっているのだろうか。
これらの要求に対して、下駄木部は、「すべてノー」という態度を貫いている。
大体、木材をそのまま履物にもってくるという発想がまちがっているのだ。
履物の材料として、まず最初に排除されなければならないのが木材なのだ。
下駄木部は、人間の足に絶対に妥協しない。
そうしたものを一切拒否している。
下駄が人間の道具でありながら、どこか威厳に満ちているのは、下駄本体のそうした態度表明によるところが大きい。
こうしたたくさんのマイナス、わがまま、不利、不適応を持ちながら、いちおう履物としての全盛時代さえ持つことができたのはなぜか。
そうした一切の不利をカバーしてきたのが鼻緒なのである。
弾力性も、足に沿ったデザインも、大きさの問題も、甲高、幅広のニーズの問題も、すべて鼻緒が及ばずながらなんとかカバーしてきたからこそ、そうした繁栄の時代を持つことができたのである。
勝新太郎のわがまま頑固を、中村玉緒がカバーしているのによく似ている。
鼻緒がそうであったように、玉緒もまた主人のわがままに苦労したのだ。
鼻緒と玉緒。
ここにわたしは、この神の与えたもうた恐るべき符合に、戦慄を禁じることができない。
結論
下駄はいま、亡びようとしている。
これは間違いのない事実である。
今後、下駄の生きる道はないのであろうか。
わたしはあると信ずる。
鼻緒をすげてない下駄を考えてみよう。
下駄の知識のない人がこれを見て、はたしてこれを履物と考えるであろうか。
鼻緒をすげて、初めて、これはどうやら履物であるらしい、と思うはずだ。
そうなのだ。下駄は鼻緒があって初めて履物になれる。
夫婦もまたそうなのだ。
そのような道、すなわち、夫婦の教材として生きる道、それを模索していくのが下駄の今後の大きな課題となっていくであろう。
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犬 の 哀 れ
犬は哀れである。
北海道弁で言うと、
「犬は哀れなんでないかい」
ということになる。
なぜ、ここで急に北海道弁が出てきたのか、自分でもよくわからないのだが、北海道弁というのは、なにかこう、冷静で、乾いたところがある。情念を伝えるに適さないところがある。
からかいの気味もある。
名古屋弁なんかは情念そのもので、
「犬は哀れだがや」
と言われたりすると、「はあ、そうですか」と言ったきり、あとが続かない。
しかし、
「犬は哀れなんでないかい」
と言われれば、「うーむ、そうか。言われてみればもっともな点もあるような気がする。よく考えてみましょう」
ということになるのである。
つまり、ぼくは断定したくなかったんですね。「犬は哀れである」と断定したくなかった。
なんとなく、そういう気はするのだが、断定するほどの自信がなかった。
その点について、いっしょに考えてみようではありませんか、と言いたかった。
犬が哀れだ、というのは本当だろうか。
うちにも一匹の犬がいて、日曜日の朝など、近くの空き地に散歩に連れていく。
そうすると、あっちから一組、こっちから一組、犬を連れたおとうさんたちがやってくる。犬を連れたおとうさんには共通の孤独感がある。
二人で(実際は一人と一匹だが)トボトボ歩いてきて、空き地に着くと、まず犬におしっこをさせる。大便をさせる。
犬は、少し歩いてはおしっこをし、また少し歩いて草の匂いをかぎ、また歩いて大便をする。おとうさんは犬のうしろからついてまわる。
さして重要とも思われない草の匂いかぎ≠ノも誠実に交《つ》きあってやる。
常に、犬先導、おとうさん追随、というかたちで散歩は続行される。
おとうさんは犬に追随していきながら、ときどき何事か声をかけている。
犬は返事をしないが、それでもときどき声をかける。
二人はときどき立ちどまり、顔を見合せてうなずきあったり、ほほえみあったりする。
(犬のほうはほほえまないが)
こうした光景は、犬と人間の心温まるふれあい、というふうに人の目には映るが、ぼくにはどうしてもそうは思えない。
ぼくはおとうさんが哀れでならない。
そして犬が哀れでならない。
哀れなおとうさんと交《つ》きあっている犬が哀れでならない。
犬好きの人には、人間不信の人が多いという。
人間は信じられない。人間は裏切る。
しかし犬だけは信じられる。犬は人間を裏切らない。忠犬ハチ公の例をまつまでもなく、犬は人間に忠誠をつくす。
な、そうだな、おまえ、と、おとうさんはすわりこんで犬の頭をなでてやる。
犬は、純粋と誠実と忠誠のひとみを見張っておとうさんを見あげ、激しくしっぽを振る。
しかし、犬は、はたしてこれで楽しいのだろうか。
人間は人間同士、犬は犬同士語りあってこそ楽しいのではないだろうか。
どうもこういう光景には、犬側のムリが感じられてならないのである。
人間側の一方的な思いこみや、注文や、希望や、用途や、そういったものに、犬は一生懸命に応えようとしているだけではないのか。
犬と人間が交きあいだしたのは、新石器時代あたりというから、いまからおよそ七千年ほども前のことである。
七千年間、犬は人間と交きあってきた。
動物史上、初の家畜として、人間につかえてきたのである。
それ以前は、犬は犬なりに、自分の力で生きていたのである。人間に頼らずに自活していたのだ。
犬の動物分類学上の位置は、脊椎動物門、哺乳綱《ほにゆうこう》、食肉目、裂脚亜目、犬科、犬属、ということになっている。
そして、犬科には、犬のほかに、狼、ジャッカル、コヨーテ、ヤマイヌなどがいる。
この中から、犬だけが、家畜として人間に採用されたわけだ。
人間が目をつけたのは、犬の特性である忠実≠ナある。
動物界における忠実≠ヘまことに貴重である。
むろん、人間界には絶無である。
しかし人間は忠誠を欲する。人間ほど忠誠を欲する動物は他にはいない。
就職試験のときの履歴書などでも、本人の特性というところに、「勤勉」「努力」「協調性に富む」などと書く人はいても「忠実」と書く人はまずいないはずだ。
犬は、生まれながらに忠実であった。
そこのところに目をつけた人間が、
「どうだひとつ、忠実ということでやってみる気はないか」
と声をかけ、犬のほうも、
「そうか。忠実で食っていけるのか」
と、初めて気づき、犬の仲間の間に、「忠実が商売になるらしい」ということが知れわたり、そうして家畜として採用されることになったのである。
だから、家畜の数はその後たくさん増えたが、忠実で商売をしているのは犬だけである。
猫をみるがいい。猫には忠実のかけらもない。
犬は数ある家畜商売の中でも、非常に特異な忠実業としてその生計をたてているわけなのだ。
犬は忠実屋だったのである。
忠実屋ではあるが、むろん、スーパーマーケットの忠実屋とは何の関係もない。
犬は、忠実屋として、人間界に就職したのであるが、この選択は、はたして正しかったのだろうか。
この問題は、その当初から、犬界では論議の的となっていた。
結局はそうなってしまったのであるが、むろん、反対勢力はいたことはいたのである。
チャウチャウを筆頭に、ブルドッグ、秋田犬、セントバーナードの一派である。
この一派は、いまだに、この選択に疑問を持っているのだ。
はたしてこの選択は正しかったのか。
彼ら一派の考えは「否」である。
とんでもない選択をしてしまった、と考えているのである。
彼ら一派の表情を見るがいい。
彼らは常に、困惑の表情をかくさない。
彼らは常に、苦りきっている。
特にチャウチャウは苦りきっている。
チャウチャウは、朝、起きたときから困惑しており、散歩をしていても心は晴れず、困惑しつつゴハンを食べ、昼寝をするときも困りながら眠っている。
別名、困惑犬と言われるぐらい困りきっているのである。
しかしそれは当然のことなのだ。
いま、犬が置かれている状況を、正しく認識すればするほど、困惑しないわけにはいかないのだ。
いま犬は、次のように分類されている。
狩猟犬 (鳥猟犬・獣猟犬)
使役犬 (牧羊犬・番犬・救助犬)
愛玩犬
つまり用途別の分類なのである。
用途ということは、犬を道具の一種とみなしていることではないだろうか。
しかも人間は、犬を用途別に改良することまで考えはじめたのである。
ダックスフントは、穴に入っている穴熊を掘り出しやすいようにと、足を短くされた。
ダックスフントのダックスは、ドイツ語で穴熊のことだという。
いくら穴熊係に配属されたからといって、穴熊という名前までつけなくてもよいではないか。
会社員の山田君が、会計係に配属されたからといって、みんなに「会計君」と呼ばれたらきっと彼は怒るにちがいない。
ブルドッグは、牛と闘うために顔つきまで変えさせられた。
ふつうの犬は、鼻先が口より前のほうに出ている。とがっている鼻の下に口がある。
ところがブルドッグは、まず口が先に出ていて低い鼻は後退して、口先よりはるかうしろについている。
牛のノド首に食らいついたとき、鼻先が口より前に出ていては息がつまる。
鼻が口よりうしろにあれば、食らいつきながら、いくらでも息ができる。
ブス犬として有名なブルテリアは、ブルドッグとテリアをかけあわせたものである。
これも闘犬としてつくりだされたもので、ブルドッグの闘争心に、テリアの敏捷《びんしよう》性をかねそなえさせようとしたものである。
そっちのほうは、確かにかねそなわったらしいが、顔のほうに悪影響が出た。
犬という概念をすでに超えてしまったような、なんともいえない間の抜けた風貌になってしまった。
長い顔はまるで馬で、それにしては大きな耳がついていて、目に至っては、そこのところにだけは絶対についてはいけない、というまさにそのところに目がついているのである。
正確に言うと、ブルテリアの目は、もう少し下についていなければならない。
彼は自分の容貌のありようを、正しく認識している。
知って、情けながっている。
明らかに当惑している。当惑が、そのまま顔に出ている。
人間はその顔を見て、「アハハハ、おかしい」などと笑って喜んでいるのである。
彼らの中には、その容貌を恥じて厭世観《えんせいかん》にとりつかれているものもいる。
チャウチャウが困惑犬なら、ブルテリアは厭世犬だという人もいる。
そして、チャウチャウを筆頭とする、家畜化反対派勢力が、一番残念に思っていることは、こうした改良が、犬側に何の相談もなく行われたということである。
ダックスフントにしろ、ブルドッグにしろ、ブルテリアにしろ、自分たちがそういう姿態や風貌になるということは、一生にかかわる一大事である。
これほどの重大事であるからには、
「こんどこういうふうに改良してみたいと思うが、そっちの考えはどうか」
と、事前にひとこと相談するのがスジというものではないのか。
ひとことの相談もなく、ふと気がついてみれば、いつのまにか足は短く、鼻は低く、顔は情けなくなっている。
自分でそういうふうにしておいて、「アハハ、おかしい」とは何事であるか。
もっと悲しむべきことは、こうして用途別につくりあげておきながら、いまや、その用途そのものがなくなってしまったことである。
ダックスフントは、穴熊掘り用につくっておきながら、いまや、穴熊掘りをする人などどこにもいない。
ブルドッグは、牛と闘うためにつくっておきながら、そういう行事はもうどこにもない。
ブルテリアも同様である。
目的が消えて、姿だけが残ったのである。
チャウチャウ一派の憂慮は深まるばかりである。
七千年前の、あの選択さえ間違えなければ、こうした不幸はあきらかに防げたはずだ。
人間側から、
「忠実ということで、ひとつどうだ」
と話を持ちかけられたときに、それを拒否することもできたのである。
事実、狼も、コヨーテも、ジャッカルも、ヤマイヌも拒否したのだ。
自活の道も十分あった。
犬は、牛をもたおすアゴをそなえ、肉をひき裂く歯を持ち、一日に千里も走れる脚力を有しているといわれている。
その実力をもってすれば、野に生きることはたやすい。
それなのに、ドッグフードなどというものをもらってポリポリ食べ、水もいつでも与えられ、エリカちゃんなどと呼ばれ、「ちんちん」と言われれば「ちんちん」をし、散歩などと称してダンナのお相手をし、孤独なおとうさんに見つめられてしっぽを振る。
犬はあまりに人が好すぎたのだ。
その人の好さにつけこまれたのだ。
それにしても人間は、犬の忠実を利用しすぎた。利用しつくした。
犬も忠実を、あまりにも安易に手渡しすぎた。
人間は、そうして犬の忠実を珍重しながら、一方ではその部分を侮ったりするから、犬側の困惑は深まるばかりだ。
「幕府のイヌ」とか、「政府の番犬」とかいう言い方がそれだ。
忠誠は、しばしば体制側に利用される。
太平洋戦争当時、いかに「忠」の字が巷《ちまた》に氾濫したことか。
忠義、忠誠、至忠、忠魂、忠烈……。
男の子の名前にも、忠の字が盛んに使われたのである。
忠義はそのまま、タダヨシという名前になった……。
チャウチャウ一派は、きょうも後悔し、困惑している。
一方、どの世界も、反対派がいれば肯定派がいるものだ。
犬の世界にも、肯定派、保守派はいる。
肯定派は、ひと目で判別できる。
彼らは少しも困惑していない。
現状に大いに満足し、少しの後悔もなく、忠実一路の道を邁進《まいしん》している。
シェパード、ボクサー、グレートデン、ドーベルマンなどがそうだ。
彼らは犬界の体育会系≠ニ呼ばれ、自分たちの日常に何の疑問も抱いていない。
体育会系がそうであるように、犬の体育会系も、防衛、攻撃関係の仕事についているものが多い。
体格よく、眼光鋭く、牙《きば》鋭く、疑いなく、ボデーガードの仕事にはまさにうってつけである。
反対派でも、肯定派でもない一派もいる。
それこそもう、なーんにも考えていない一派である。
座敷犬と言われている連中で、マルチーズ、ポメラニアン、ヨークシャーテリア、チンなどがそうだ。
彼らは、何か事が起こると、騒ぎたてることだけしか考えない。
事態の原因とか、展開とか、収拾、帰結、といったことは一切考えない。
解決策を何も持たずに、ただキャンキャン騒ぎたてる。
永年のペット暮らしで、そうした当事者能力≠ェまったく欠落してしまったのである。
収拾は、いつも誰かにまかせる。
むろん彼らは、もはやどうあっても自活することはできない。
彼ら座敷犬は、芸者と同じで、座敷を離れたらもう生きてはいけないのだ。
ヨークシャーテリアなどは、人間に頭のところの毛をかきあげてもらって、リボンでゆわえてもらわないと、毛がたれさがってきて前さえ見えない。
人間がそばにいないと、一日たりとも生きていくことができないのである。
この連中の未来は、一体どういうことになるのだろうか。
チャウチャウは、きょうもそのことに思いを至し、深く深く困惑するばかりだ。
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ジャパニーズ クッキング
友人と、行きつけの居酒屋で飲んでいると、若い外人が一人でオズオズと入ってきて、カウンターのわれわれの隣にすわった。
店主 らっしゃい。
外人 ビール一本、オネガイシマス。
店主 ハイ、ビール一本。
店主、つきだし(イカゲソ)とおしぼりを出す。
外人 ボク、コレ、タノマナイ。
店主 それ、お通しね、お通し。
外人 オトーシ?
店主 イエス、オトーシ。
外人 オトーシハ、コトシ、二十四歳デス。
店主 ノー。オトーシ、ノー。ツキダーシ。
外人 ツキダーシ? スモウ、ツキダーシ?
店主 ノー。あれはオシダーシ。
友人 ツリダーシというのもある。(笑う)
ぼく あのね、おやじさん。そういうことを言うより、そのつきだし、タダだってことを言ったほうがいいんじゃないの。
店主 あのね、これターダ。おかねとらなーい。ノーマネー。
外人 ボク、マネー、モッテマス。
友人 フリー。イッツフリーね。
外人 ……(納得した様子)
ぼく (友人に小声で)この外人、このまえ南口の「鞍馬」(そばの名店)に一人で来てた。
友人 日本の食べ物に興味あるんだ。
ぼく ぎこちなかったけど、日本人より正しく盛りそばを食べてた。
友人 そばにツユをちょこっとつけて?
ぼく そう。カナダから来たって、店の人に言ってた。
店主 あっ、そのイカゲソはね、そのまま食べちゃダメ。それ、ノー。お醤油かけーる。その横っちょの、それね、それワサービ。ワサービを、ちょっと、つけーる。
ぼく おやじさん、日本語にそのヘンなアクセントつけるのやめなよ。
店主 あ、そうね。つい、そうなっちゃって、ハハハ。
外人、壁に貼ってあるメニューをじっと見つめる。
店主 このあたりは焼き魚ね。こっちのはじから、さんま、にしん、いか、いわーし、ししゃーも、えいのひーれ。
ぼく そのヘンなアクセントやめなって。
店主 どうもね、だんだんつい……。(笑う)
外人 ……イ・カ・ソー、メ・ン……?
店主 ハイ。いかそうめん。ひらがな読めるんだ。
外人 ナニデスカ、イカソーメン?
店主 あのね、エートね、イーカね、イーカをカットね。ほそーくほそーくカットね。それをソーメンのようにスルスル食べーる。
外人 ………(困惑している)
友人 カトルフィッシュヌードル。
ぼく うん、その表現いいじゃないか。
外人 ………(困惑している)
友人 スレンダー カット カトルフィッシュ。
外人 ………(あいまいにうなずく)
ぼく イーカのほうは何とかわかってもらえたようだが……。
友人 ソーメンの説明がむずかしいなあ。
店主 ま、いーか。(笑う)
外人 ……モ・ロ・キュ・ウ……?
店主 あのね、エートね……。
友人 キューカンバーね。カットね。そこのところに、オン ザ ミソね。
店主 そんでそいつをそのままポリポーリ。
ぼく 味噌って英語で何ていうんだろ。
友人 味噌ねぇ……。
外人 ……ヤ・マ・カ・ケ……?
店主 おっ。「山かけ」読めたんだ。漢字も多少はいけるクチなんだ。
友人 山かけはむずかしいなあ。何からお話していったらいいか。(笑う)
ぼく マグロからお話していったらいいか。山芋からお話していったらいいか。
友人 まず山芋をおろすわけだよね。おろすって何ていうんだろ。
ぼく おろす……。
店主 ガリガーリ。(笑う)
友人 ツナのサシーミね。ツナのサシーミを、カバード ウィズ……ヤマイーモ。
店主 トロトーロ。(笑う)
外人 ………(寂しげに笑う)
ぼく 山芋を何とかわかってもらったとしても、おろす、のほうがねえ……。
外人 ……モ・ズ・ク……?
友人 弱ったね。
ぼく 何からお話していったらいいか。(笑う)
友人 とりあえず、シー ウィーズだよね。海草……ア カインド オブ シーウィーズ。
店主 トロトーロ。(笑う)
外人 ………(大きくうなずく)
ぼく 初めて通じたようだね。
外人 ……ヌ・タ……?
ぼく 知らんぷりしてようか。(笑う)
友人 何からお話していったらいいか。
店主 青柳のぬた、ネギのぬた、いかのぬた。
友人 あたま痛くなってきた。
ぼく またしても味噌がからんでいる。
友人 ギブ アップ。
外人 ……ナ・メ・コ・オ・ロ・シ……?
ぼく また、おろし、だ。
友人 何からお話していったらいいか。
店主 なめこおろし、しらすおろし、イクラおろし、たらこおろし……。
ぼく しらすなんて、どうやって説明するんだ。
外人 ……ツ・ク・ネ……?
ぼく だいたいね、おやじさんとこ、メニューが多すぎるからこういうことになるんだ。
店主 すみません。
友人 チキンね。チキン バッシング。
ぼく 何だいそりゃ。
友人 まず鶏肉を包丁でたたく。
店主 それを団子状にこねる。
ぼく こねる。(笑う)
外人 ……コ・ン・ニャ・ク……?
ぼく ついに大物登場。
店主 しかもウチのは「こんにゃくピリカラ煮」だからね。
友人 オレ、こんにゃくは知ってるんだ。
ぼく こんにゃくの英語あるの?
友人 あるんだ。
ぼく 外国にもこんにゃくはあるのか。
友人 あるかどうかは知らないが、英語はあるんだ。
店主 何ていうんです?
友人 エートね、何だっけな。んー、ジェリイド ローフ フロム デビルズ タン プラント。
ぼく ほんとかい?
友人 「ジャパニーズ クッキング」という、英語の料理本に出ていた。
ぼく 悪魔の舌の植物で作ったゼリー状のかたまりってこと?
店主 感じは出てますね。
友人 それからね、「悪魔の舌といわれる野菜の根っ子から作ったゼリー状のケーキ」という言い方もあった。
ぼく じゃあ、そっちのほうの説明はできるとして、ピリカラ煮のほうはどうなる?
店主 すみません。(笑う)
ぼく こんにゃくのピリカラ煮のほうは何とかなったとして、その隣にある「しらたきのタラコ和え」はどうなる?
店主 悪魔の舌がバラバラになったわけだから……。
友人 こんにゃくのほうの説明がつきさえすれば、そっちは簡単。こんにゃくヌードル、これでいいんだ。
ぼく ほんとか。
友人 それもその本に出ていた。
ぼく しかしまだまだ苦難の道は続くぞ。「ちくわ磯辺揚げ」「納豆油揚げ包み揚げ」「いか印籠《いんろう》焼き」「豆腐ステーキみぞれソース」……。
店主 すみません。(笑う)
友人 みぞれソースって何だい?
店主 大根おろしに酢と豆板醤少々と醤油を混ぜ、アサツキとシソの葉をきざんで……。
友人 もういい。
ぼく ちくわもむずかしいけど、印籠がまた大ごとだね。
店主 外人さんにこれサービスしちゃいましょう。
友人 それ、なまこの酢のものじゃないの。
店主 これ、どうぞ。プリーズ。
外人 ボク、コレ、タノマナイ。
店主 ですからね、これお金とらなーい。ターダ。
外人 オー、オシダーシ。
店主 ノー。ツキダーシ。
友人 ホラ、どうやって食べるのか、教えてあげないと。
店主 そのままね、箸でつまんで食べーる。そのまーま。すべーる。それ、すべーる。落ちーる。よく、つかーむ。
ぼく おやじさん、またアクセントがヘンだよ。
店主 だけど、それ、言っとかないと、ホラ、落ちーる。すべーる。
外人、なまこ噛みしめる。首かしげる。一同、それを、じっと見つめーる。外人、なまこ飲みこーむ。(ト書きまでヘンになーる)
店主 オイシイ?
外人 スコシ、オイシイ。
一同 それは、よかーった。
友人 日本人でも、なまこ食べられない人、多い。とても多い。あなた、とても、えらーい。
ぼく あなたも、アクセント、とても、おかしい。
店主 だんだん、みんな、アクセント、とても、ヘンになーった。
外人 コレ、ナマーコ?
店主 イエス、なまーこ。海で獲れーる。
友人 うん、その説明とてもいいね。海で獲れーるというの、何にでも使える。
ぼく しらすも、もずくも、えいのひれも、みんな……。
友人 海で獲れーる。
外人 アノ……。
店主 ハイ。
外人 ソロソロ、オモク食ベルモノ……。
店主 オモク食ベルモノ?
友人 あれじゃないの。ホラ、焼きうどんとかおにぎりとか。
店主 あ、なるほどね。じゃあ、おにぎりなんかいかがでしょう。
外人 オニギーリ?
ぼく おにぎりってのは、意外にむずかしいね。
友人 うん、そう。ライスボール。
外人 ライスボール?
友人 (おにぎりをにぎる手つきをしながら)こう、にぎるね。
外人 ニギール?
友人 イエス。ニギール。ムスーブ。
外人 ムスーブ?
ぼく だからさ、何をにぎるのかを言わないと。
友人 あ、そうか。ライスね。ライスを、こう、にぎーる。
ぼく 米をそのままにぎるわけじゃないだろ。
友人 アー、ごはん炊ーく。
店主 熱いうちにぎーる。
ぼく 手に塩つけーる。
友人 ま心こめーる。
ぼく 母のあーじ(味)。
外人 ………(困惑している)。
友人 だからね。ホットなライスで、こう、ボールをつくるわけね。それがおにぎーり。
外人 ハイ。
ぼく 中身のことも言わなくちゃ。
友人 そうか、エート、中身は……。
店主 タラーコ、おかーか……。
ぼく 塩じゃーけ。海苔つーく。昆布つーく。
店主 うめぼーし。しらすぼーし。
外人 ボーシ?
店主 ボーシ、ノー。うめぼうし。しらすぼーし。
外人 ボーシ?……ハット?
店主 ノー。ボーシ、ノー。うめぼーし。しらすぼうし。
外人 ハット?
店主 ノー。ハット、ノー。ボーシ、ノー。うめぼーし。しらすぼうし。
ぼく ぼーしって言うからこんがらがるんだよ。
友人 うん。うめぼーしは、ピクルスだ。プラムのピクルス。
店主 とても、すっぱい。しょっぱい。
外人 パイ?
店主 ノー。パイ、ノー。アップルパイ、ノー。すっぱい。しょっぱい。
外人 アップルパイ?
店主 ノー。アップルパイ、ノー。すっぱい、しょっぱい。
ぼく 梅干しはあきらめて、ほかのものを説明したら。
店主 タラーコ。おかーか。塩じゃーけ。海苔つーく。昆布つーく。しらすぼーし。
外人 ボーシ?
店主 ノー。ボーシ、ノー。ハット、ノー。
友人 あのさ、外人て、塩じゃけとか昆布の佃煮とか、塩味のきついものは苦手だから、おかかあたりが無難なんじゃないの。
ぼく しかし、おかかの説明はむずかしいぞ。
友人 カツオはエート、ボニートか。
ぼく ボニートを干す。
店主 カチカチになーる。
友人 それをけずーる。
ぼく それに味をつけーる。
店主 それをライスボールに埋めーる。
ぼく やれやれ。何とか説明できた。
友人 ぜんぜん説明できてないって。
店主 全部日本語だって。
ぼく それに、あれだよ。こんどはライスボールに海苔を巻かなくちゃならん。
友人 海苔ね。
ぼく またしても大物登場。
店主奥からジャーを持ってくる。
店主 こうしてね。手に少し水つけてね、こうして、こうにぎるわけです。
ぼく そうか。実物で実演すればいいんだ。
友人 まさに百聞は一見にしかずだ。
店主 んで、こうにぎったら、これ、これがおかかね。ちょびっとどうぞ。
外人 (おかかをちょびっと口に入れ、うなずく)
店主 おかかOK? したらね、これをこう埋めこむ。OK? したらね、これ、これが海苔。
外人 ノリ、知ッテマス。シー ウィーズ シーツ。
店主 何だい。知ってんじゃないの。
外人 オソバヤノ、ザルソバニ、アリマス。
店主 それで知ってたんだ。
友人 シーツねえ。
店主 この黒いシーツでこう巻く。
友人 ラップド ウィズ シーツね。
店主 これでできあがり。
外人 イタダキマス。
店主、こんどはおろし金を持ってくる。
店主 これでね、この大根をこうやるの、何て言います?
外人 グレイト。
友人 GRATE かあ。
店主 じゃあ、この味噌は?
外人 ビーン ペイスト。
ぼく なんだかつまんないな。
店主 この豆腐は?
外人 トーフデス。
友人 冷や奴は。
外人 チルド トーフ。
ぼく つまんないなあ。
友人 木綿は?
外人 レギュラー トーフ。
ぼく 絹ごしは?
外人 ソフト トーフ。
ぼく もう少し、色をつけてくれてもいいじゃないか。
友人 そういえば思い出した。湯葉は何ていうか知ってる?
ぼく 知らない。
友人 フィルム トーフ。
店主 なるほど。
友人 鰹節は知ってるかよ。
店主 おかかのもーと(素)。
ぼく おやじさん。その鰹の絵のかいてある鰹節の箱見せてやって。
店主 これ。おかかのもーと。
外人 ボニート フレークス。
ぼく つまんないなあ。
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小さな幸せ
毎日新聞のコラム「余録」に、次のような文章が載っていた。
──幸せとはなんだろう。大人は即答できないが、子供はたちどころに答える。
「幸せとは、風に揺られているものをじっと見ていることです」
「小石を手ですくったり、はだしで砂浜を歩いたりすることです」
「空に映る夕日、月の影、赤ちゃんの笑い顔、牧場を吹き抜ける風」──
これらは、世界七十数カ国の子供の絵と文を集めた本の一節である。
この文章は、久しく忘れていた日常の中の小さな幸せ、というものを、つくづく思い出させてくれた。
大人にとっての小さな幸せとはなにか。
大きな幸せは、確かに即答できない。
大きな幸せは、どこかに血なまぐさいものを秘めている。そうしたものと、すれすれの一線のところで成り立っているような気がする。
考えて楽しいことがらではない。
では小さな幸せはどうか。
こちらのほうは、各人各様それぞれに違って、考えて楽しいことのように思える。
大人にとって、小さな幸せとはなにか。
ゴキブリホイホイが一杯になることです
ゴキブリホイホイを台所の片隅などに仕掛けておいて、翌朝、ホイホイの底面一杯にゴキブリがかかっていたりすると、心の底から幸せを感じる。
わざわざ押し拡げて、マット一杯に貼りついて大勢でもがき苦しんでいるのをしみじみ眺め、
「そうかそうか、みんなかかってくれたか」
と、ニンマリしてくるのをどうすることもできない。
幸せで胸が一杯になる。
その数およそ五十匹。大きいのあり小さいのあり、まだ元気のいいのあり、弱りきったのあり、観念して動かないのあり、脱出の意気いまだ盛んなのあり、すき間なくまっ黒に貼りついてうごめいている。
豊作。
まさに豊年万作。大収穫。活況。好景気。大儲け。
背中が貼りついてあお向けになってもがいている奴。ヒゲの先端だけ貼りつき、ひとふんばりすれば取れそうなのだがどうしても取れない奴。半分観念したものの、まだ半分は望みを捨てず、ときどきピクピクと未練げに手足を動かしている奴。
どれもこれも見ていて飽きない。
(あのときの、あの一歩さえ誤らなかったら)
(あそこへさしかかったときの、あの甘い香りの誘惑にさえ負けなかったら)
(あそこで一歩、踏みとどまっていたら)
などなどの、彼らの無念を思うと、更にいっそう幸せな気持ちになる。
「みんな、うんと苦しみなさいね」
と、一匹一匹に励ましの言葉をかけてあげたくなる。
昨夜、ホイホイを仕掛けるとき、ゴキブリの通りそうなコーナーをあれこれ考え、迷い、入口の高さ、角度、位置など十分考えて置いたのだが、その判断に誤りはなかったのである。
成功の甘き香り
などという言葉もふと頭に浮かび、もう一度もがき苦しむ彼らを眺め、小さな幸せとはこういうことだったんだな、と、しみじみ思う。
反対に、仕掛ける位置、角度などを十分考えて仕掛けたにもかかわらず、翌朝、一匹もかかっていなかったときの空しい気持ちは筆舌につくしがたい。
ポッカリと、心に穴があいたような淋しい気持ちになる。
自分の能力、判断力、才能、すべてが否定されたような気持ちになる。
小さな不幸とはこのことか、とさえ思う。
寝たいだけ寝ていられる日です
年に何日か、
「きょうは寝たいだけ寝ていてもいい日」
というのがある。
何時に起きなくてはならない、ということが一切ない日。
そういう寝たいだけ寝ていていい日に、寝たいだけ寝つつあるときというのは、これはもう幸せ以外の何ものでもない。
幸せ極まれり、などと思いながら、更に寝たいだけ寝続ける。
春先なんかだったら更に申し分ない。
ときどき浅くまどろんでは、
(あー、きょうは起きなくてもいいんだよなー)
と幸せにひたり、ひたりつつ意識が薄れていって「ンガーッ」と、一声大きくイビキをかき、そのイビキを耳にしながらまた深い眠りに落ちていく。
またトロトロと目覚めかかり、
(あー、きょうはこのまま寝てていいんだよなー)
と、かすかに思い、また嬉しく、
(あー、極楽、極楽)
と、眠りつつもどうしても笑みがもれてしまう。
この(あー、起きなくていいんだよなー)は、何回味わっても心地よい。
心地よく、笑みをもらしつつ、右から左に大きく寝返りをうち、股《また》の間にフトンをはさみこんだりして、今度は左から右にわざと大きくバッターンと寝返りをうつ。
こんなにまざまざと幸福を実感できる瞬間は、なかなかあるものではない。
幸せというものは、結局のところかなり曖昧《あいまい》なものなのだが、睡眠のからんだ幸福感は、生理と結びついているだけに生々しく実感できる。
「いつも七時起床」と決まっている人は、七時十分前ぐらいに目覚ましをセットするものである。そして毎朝十分前に起こされると、
(あー、あと十分寝られんだよなー)
と小さな幸福感にひたりながらウトウトし、三分前あたりにビクッと目覚め、目覚ましを見て、
(あー、あと三分寝られんだよなー)
と、意地汚なく枕をかかえる。
いつもこうしたいじましい幸福感にひたっている人こそ、「寝たいだけ寝ていられる日」に得られる幸福感は大きい。
「あと五分」とか「あと三分」とかのケチケチした話ではない。
とにかく制限なし、無制限デスマッチ。死ぬまで寝ていてもいいという日なのだ。
八時になっても起きなくていいし、十時になっても起きなくていい。
十一時ごろ目覚めてハッとし、そうだ起きなくてもよかったんだっけ、と思い至り、そうそうよかったんだよなー、と再び寝入っていくときの幸福感はたまらない。
午後の一時になってもまだ起きなくていいし、夕方の五時になっても寝ていたければ寝ていていい。夜の八時になっても寝ていていいし、十一時になっても起きなくていいわけだから、切れ目なく翌日分の睡眠に突入していって二日二晩ぶっ通し、徹夜で寝る、というわけのわからない眠り方をすることになる。
徹夜というものは、ふつう不眠不休でするものだが、この場合は、眠ったまま徹夜をするという、前人未到の経験も合わせてすることができるわけだから、これ以上の幸福はないということができるような気がしないでもない。
蚊をうまくたたくことです
蚊ぐらい憎らしい奴はいない。
害ばかりで、いい面がひとつもない。
「人間に、ひとつでもいいことをしたことがあるなら言ってみろ」
と蚊に対して言ってやりたい。
まさに人間の敵役の最たるものである。
あのプィーン≠ニいう声だか羽音だかも許しがたい。
ヘンに折れ曲がって長い後足が邪悪を感じさせる。
第一、心が通いあうということがない。
人間の身辺にいるアリとかクモとかには、けっこう心の通いあう部分が多い。
先述のゴキブリだって、憎たらしいことは憎たらしいが、多少の滑稽《こつけい》感もあるせいか、心が通いあう部分がないとはいえない。
ところが蚊には、通いあう部分がまったくない。
話しあいの余地がまるでないのだ。
しかもはっきりした実害がある。
刺されているのを知らずにいて、かゆくなって初めて気がつくことがある。あわててパチンとたたくと「プィーン」と明らかに人をバカにした声を発して飛び去って行く。憤怒《ふんぬ》のあまり千里の果てまで追いかけて行ってたたきつぶしてやりたくなる。
狡猾《こうかつ》、陰険、悪辣《あくらつ》、陋劣《ろうれつ》、卑怯、性悪、いくら言葉を尽しても尽したりないほど憎い。
寝苦しい夏の夜など、ようやくウトウトと寝入りかかり、しめた、やっと眠れる、と深い眠りに落ちようとするとき、まるでそのときをどこかにひそんで待っていたかのように、プィーンと飛来してくる。
黙って飛んできて、黙って刺して飛び去っていけば、気づかずに眠ってしまうかもしれないのに、わざわざ警告音を発しながら飛んでくるのは、人間をバカにして楽しんでいるとしか思えない。
まさに憎んでも憎みきれない卑劣、下賤のやからである。
どうあっても許すことはできぬ。
だから狙い定めてうまくたたきつぶしたときは飛びあがらんばかりに嬉しい。幸せで胸が一杯になる。
夕刊を両手に持って読んでいるときに、プィーンと飛んできて左の腕にとまったりすることがある。
しめた! と思う。
このときの心のときめきは、日常生活ではなかなか得られない大きなものがある。
冒険の始まり、という気さえする。
蚊はただちに血を吸い始め、みるみる腹部が赤くふくらんでいく。
「ようし、ようし、そうしていなさいよ」
と両腕はそのまま、蚊に気づかれないようにまず夕刊をハラリと下に落とす。
飛んで火に入る夏の虫、これまでの蚊一族に対する怨念が一挙に燃えあがる。雪辱のチャンスがいま訪れたのだ。
「ようし、ようし、たくさん吸えよ」
と、胸をドキドキさせながらタイミングをはかる。
このとき、大抵の人は血をたくさん吸わせようとする。
蚊が飛んできてとまったとたん、打とうとする人は少ない。
とりあえず血を吸わせる。それもたくさん吸わせる。吸わせながら残忍な笑みを浮かべる。これはどういう心理なのだろうか。
(一)自分の被害をわざと大きくし、なるべく大きな事件に発展させ、それを一挙に解決させることによって、より大きな功名心を得ようとする。
(二)蚊の幸福が頂点になるまで待ち、それが最大となったところを一気に打ち砕くことによって、ザマミロ感を強く満足させる。
(一)の人もいれば(二)の人もいると思うが、(一)と(二)両方という人のほうが多いのではないか。
ということは、蚊をたたきつぶすということは、一見ささいなことのように思えるが、会社などではめったに得ることのできぬ、大きな功名心と復讐心を一遍に満足させることのできる大事件といえるのである。
十分にお腹を赤くふくらませた蚊に目を釘づけにしたまま、ソロリソロリと右手を近づけていく。
打ち損じてはならぬ。
おとうさんの胸は、早鐘のように高鳴っている。
(よしッいま!)
決断と同時におとうさんは目がくらんで目の前がまっ白になるが、右手はあやまたず蚊の上に位置している。
しばらくそのまま動かさず、不安と期待に胸をふるわせながら、ソロソロと右手を開いていく。
見事、憎むべき蚊はペチャンコにつぶれ、赤い血が目に入る。
(やった!)
これを見届けたときの満足感、幸福感は、はかりしれないものがある。
ハンターが、象を仕とめたときのそれに匹敵するといえるかもしれない。(匹敵しないか)
おとうさんは、満足そうな笑みを浮かべながら、腕に貼りついた千切れた蚊の足を、指先でつまんで捨てるのである。
そのかわり、見事とり逃したときの無念さはこれまた大きい。
(オレって、なにをやってもダメなんだよね)
なんてことまで考えて、限りなく落ちこむ。
サウナで水風呂に入ることです
サウナ風呂に我慢に我慢を重ねて入っていて、肌がチリチリに熱くなり、鼻の頭がまっ赤になり、額からは汗ボタボタ、あー、もうダメ我慢の限界と、サウナのドアを体当たりで開けて飛び出し、まんまんと冷めたい水をたたえた浴槽にドップーンと蛙のように飛びこんで首までつかり、頭の先までつかった瞬間というものは、これはもう、快楽の極致といってもいいほどのものがある。
熱く熱した肌に、この上なく冷めたい水が心地よく、肌がジンジンと音をたてているような気持ちさえする。これはたまらない。
思わず「アー」と声が出、「ウー」とうなり、「アハー」と首すじを湯ぶねのふちにのせて、しばし天井をあおぐ。
体の表面の、何十万だか何百万だかの毛穴が、全員総毛だって喜びにうちふるえている。
毛穴も嬉しいだろうが、毛穴の持ち主だって嬉しい。
サウナの快楽は、この一瞬にこそある。
摂氏百度とかの灼熱の密室の中の時間が楽しいはずがない。
この一瞬を味わいたいために、灼熱《しやくねつ》の時間をじっと我慢しているのだ。
冷めたい水の歓喜は、何回くり返しても等質の喜びを与えてくれる。何回くり返しても「アー」と声がもれ、「ウー」とうなり、「アハー」と天井をあおぐことになる。
ところが、せっかく灼熱のサウナでウンウンうなりながら我慢したのに、そのあと水風呂に入らない人もけっこう多い。
サウナを出て、生ぬるい湯につかって、けっこう「アー」なんていって満足している人がいるがああいう人の気がしれない。
サウナ室を出てから、ロビーでヤクルトなんかを飲んでいる人もいるが、ああいう人の気もしれない。
ロビーでビールを飲んでいる人もいるが、ああいう人の気もしれない。
サウナを出たらビヤホールに行くべきである。ビヤホールがなかったら養老乃瀧でもつぼ八でもどこでもいい。そういうところへ行って串かつで生ビール中ジョッキを飲むべきである。サウナのロビーなんかで、生ぬるいビールなんか飲んじゃいけないのッ。
串かつにソースをたっぷりかけ、玉ネギの部分と肉の部分を一挙にかじりとり、アグアグと噛みしめ、口の中を玉ネギと肉とソースとコロモで脂まみれにさせたのちゴックンと飲みこみ、ここでおもむろに冷めたく冷えてズシリと重い中ジョッキを取りあげる。
そして、ングングングと、そうですね、せめて十ングまではジョッキを口から離さないでいてほしい。
なぜかというと、最初の三ングぐらいで口の中の脂が洗い流され、それから口の中がビールだけの味になり、その次に口の中が少しずつ冷めたく冷えていく。
この「口の中が少しずつ冷えていく」のを味わうのも、ビールの快感の一つだと思う。
ある一定の時間、ビールを口の中に流し続けなければ口の中は冷えない。
それがちょうど十ングあたりで最高潮となるのである。
冷めたく冷やされた口の中を、冷めたく冷えたビールが、ピチピチと泡だってはじけながら通過していく。
まず、上あごが冷めたくなり、次に舌の中央が冷めたくなり、歯、歯ぐきと冷めたくなっていって、唇も冷めたく冷えているのにふと気づく。
口の中を全面的に冷やしながらビールが通過していって、連続的にノドの下方に落下しつつある間、何も考えられずビールの冷めたい泡だちと、ホップのホロ苦さを味わうことに専念する。この間中、ずっと幸せである。
しかし幸せの時間は常に短い。
最初の十ングのあと、二度めにジョッキを取りあげて飲むビールは、もはや最初の十分の一の値うちもない。
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正調温泉一泊作法
「たまには温泉にでも行って、ノンビリしてくっか」
誰しもときどきそう思う。
そう思って、出かけて行ってですね、一度でも、(ああ、ノンビリした。楽しかった。いかった)と、帰ってきたことがありますか。
なんだか、ひたすらあわただしかった。あれもしたい、これもしたい、と、ウロウロしたけど、結局何もできなかった。ちっともいくなかった。
というのが、ごく一般的な、いつわらざる感慨だと思う。
不首尾であった。満足のいく仕事《ヽヽ》ができなかった。そういうことばかりである。
それはなぜか。
それは、誰もが、正しい温泉旅行のあり方≠ニいうものを、認識していないからなのだ。つまり、正しい温泉旅行の教典≠ェないからなのだ。
日本の、温泉旅行の歴史は古いが、いまだにその方面の教典はない。
例えば茶道などでは、茶会に出かけて行くときの行動の規範がすべて決まっている。
服装、持物、態度、あいさつ、歩き方、姿勢、すべてが決まっている。
その決まりに従って行動すればよいわけで、あれもしてみたい、これもしてみたい、と、ウロウロすることもないし、こういうことをしてもいいのか、いけないのか、と迷うこともない。
それが、かえって、人を安心立命の境地へとみちびいてくれる。
温泉旅行の規範がないばっかりに、人は、ああでもない、こうでもない、と、迷ってまごついているうちに旅行が終ってしまうのである。
そうして、ノンビリしてくるつもりの旅行が、かえってイライラをつのらせる結果となって帰ってくることになる。
そこでです。
われわれは、正しい温泉旅行の規範を、われわれの手でつくることにしたのである。
われわれとは、編集部のF氏、W氏、それにぼくの三人である。
正しい温泉旅行のあり方の一つずつを、実地に旅行しながら追求し、検討し、規定し、やがては正しい温泉旅行道≠ニいうものを確立しよう。
そうして、茶道における村田|珠光《じゆこう》、あるいは千利休のように、温泉旅行道の開祖として、後世に名を残そう。
そういうことになった。
まず、温泉旅行道の、根本の教義を定めなければならない。
教義には、ユダヤ教におけるタルムード、あるいはイスラム教におけるコーランのごとき、その精神を盛りこんだありがたい信条の吐露《とろ》がなければならない。
温泉旅行道の教義の根本精神とは何か。
これは意外に簡単に決まった。
「たまには温泉に行って、ノンビリしてくっか」
これが教義の根本であり神髄である。
この短い語句の中に、その精神のすべてが盛りこまれているのである。
F氏から、
「そこのところへ酒池≠ニいうような語句を盛りこめないか」
とか、W氏から、
「できたら肉林≠烽スのむ」
という意見が出たが、そういうものは、教義という厳粛なものにはなじまない、ということで、結局はしりぞけられることになった。
「たまには温泉に行って、ノンビリしてくっか」
ここからすべてが始まるのだ。
一泊か二泊か。
「全体をきりりとひきしめたい」
というW氏の意見が通って一泊が正統、ということになった。
たしかに二泊はだれる。
ここにおいて、われわれは、表温泉旅行道一泊派を名のることになった。
二泊のほうは、いずれ生まれるであろう裏温泉旅行道二泊派にその細目をまかせたい。
宿泊地はどこであるべきか。
それは熱海でなければならない。
われわれは、表温泉旅行道一泊派関東支部なので、当然熱海でなければならない。
関西方面は、いずれ生まれるであろう関西支部にまかせたい。
何に乗っていくか。
それは新幹線でなければならない。
観光バス、自動車、あるいは小田急線利用ということも考えられるが、雰囲気からいって、熱海には新幹線が似合う。
洋風ホテルか和風旅館か。
当然、和風旅館、畳の間、浴衣、丹前、頭に手ぬぐい、廊下スリッパペタペタの世界が現出されなければならない。
一泊、熱海、新幹線、和風旅館、スリッパペタペタと、教義の細目が次々に決定されていった。
あるところは厳密な考証や習俗を参考にし、あるところはいいかげんに、次々と決定されていった。
しなければならないこと≠燻氈Xに決定されていった。
まず射的、これを欠かすことはできない。
表≠名のるからには、伝統やしきたりを重視しなければならない。
ピンポンも欠かすことができない。
浴衣のスソをはだけてのピンポン≠ヘ、数ある温泉旅行の行事の中でも、歴史と伝統に輝くメニューの一つである。
芸者……。
これはまあ、欠かすことができない、というには気がひけるが、できることならの部≠ノは、欠かすことのできない項目である。
パチンコ、スマートボール、湯の町|遊弋《ゆうよく》、マッサージ、おみやげ購入……。
これらの細目は、現地で検討、ということになった。
「あのォ、レビューショーというものがありますね、大ホールの舞台での。ああいうのって、やはり見なくちゃいけないんじゃないですか」
とF氏が言う。
なぜ見なくちゃいけないかというと、見ないとおさまりがつかないが、見るとおさまりがつくからだという。
なるほど、もっともな意見である。
レビューショーのある大旅館というと、熱海でも数が少ない。
「OSK日本歌劇団レビューショー」(総勢40名)というのをやっているニューフジヤがリストアップされ、種々検討の結果、宿泊先はここ、ということになった。
『旅館への到着は午後5時でなければならぬ』という教義に従って、東京駅15時48分発のこだま号が選定された。
購入した切符は禁煙車だった。
「残念だなア。車内に煙がたなびいていてこそ、正調熱海一泊旅行の雰囲気が出るのに」
とW氏が残念がる。
ここにおいて、『乗る車輛は喫煙車であること』が、新たに教義に加えられた。
ビールを三本買った。
|柿ピー《ヽヽヽ》とイカクンも買った。
これらのものは、ただ漫然と買ったわけではない。
われわれのコーラン≠ノ従って買ったのである。
われわれのコーランには次のように記されている。
熱海行きの列車の中の飲食は、茶道の懐石の理念を規範とする。すなわち『一汁三菜』。
一汁(缶ビール)三菜(柿ピーとイカクン)である。
柿ピーとイカクンでは二菜ではないか、という人は考えが甘い。
柿の種とピーナツとイカクンで三菜となっているのだ。
ビーフジャーキー、カシューナッツ、ノシイカ、タコクンなどは、イスラム教の豚肉と同様に、厳重な禁忌として『食してはならぬもの』と規定された。
柿ピーの食べ方については、「柿の種とピーナツの割合は常に3対1であるべし」ということも決定された。
茶道などでも、「まず形から入れ」ということを呼びかけている。
われわれの温泉道も、同様のことを呼びかけたいのだ。
柿の種3にピーナツ1なんてバカバカしい、などと思ってはいけない。
とりあえず形から入ることが、やがては奥義に到達する第一歩なのである。
16時40分熱海到着。
近年熱海はすたれつつあるという話をよく聞くが、どうしてどうして、熱海駅周辺は大変なにぎわいだった。
温泉街特有の活気とざわめきに満ちていた。
観光客を待ちかまえている人々の熱意が、駅前をとりかこんだみやげ屋のほうから、ヒシヒシと迫ってくる。
なんとかして金をつかわせたい、一円でも多くつかわせたい、そういう熱意がヒシヒシと迫ってくる。
ホテルまで歩く。
タクシー代を節約したわけではない。
歩いて七、八分の距離だからだ。
のんびり歩いて5時1分、旅館到着。
われわれの温泉道では、玄関で靴を脱ぎ、廊下をスリッパでペタペタ歩かなければならないことになっていたのだが、このホテルは靴のまま方式なのでそうすることができない。
このあたり、教義、礼法というものは、時代と共に変遷していくものだ、ということを痛感させられるものがあった。
エレベーターで四階に上がる。425号室。
十畳、三畳。金庫、冷蔵庫つき。
『部屋に入ったらとりあえず外の景色を見て感想を述べる』
これは茶道にのっとったもので、茶道では、まず掛け軸などを眺め、
「この墨跡は唐のものでございますか。身のひきしまる思いがいたします」
などの感想を述べなければならないことになっている。
われわれも、外の景色を眺め、女中さんにたずねた。
「あの建物はイトーヨーカ堂でございますか。身のひきしまる思いがいたします」
テーブルの上の茶菓子、これにはどう対処すべきか。
『必ず食すべし』が正解である。
係りの女中さんのいれてくれたお茶をすすりながら、菓子の包装をとき、これはどういう由来の菓子であるかをたずね、そうして、係りの女中さんとの交流のきっかけをつくる。
これはとても大切なことだ。
その交流で、女中さんの人となりもわかる。
ただし女中さんへの質問は、菓子の由来ぐらいにとどめたい。
この菓子はいつ仕入れたのか、客が手をつけない場合は別の客に出すのではないのか、仕入れ値はいくらか、などの質問はできることなら避けたい。
部屋に入るやいなや、テレビを点検して、百円入れるやつかどうかを確認して、入れるほうだとガッカリして、「ガメツイんだよなあ、この旅館」などの感想をもらす人がいるが、こういうこともできることなら避けたい。(思うだけならよい)
部屋に入るやいなや、冷蔵庫を開けて、内容物の点検をする人がいるが、あれは正しい。
旅館に着いて、冷蔵庫を開けて中身を点検するのは、温泉旅行の楽しみの一つといってよい。
特に、こういう温泉旅館の冷蔵庫特有の強精コーナー≠フ点検は楽しい。
そのコーナーに、「まむし」「はぶ」「玉龍」などの文字を発見したときの喜びはひとしおのものがある。特に「玉」という字は、なんだか生々しくてたのもしくて、思わず「頼むぞ」と言いたくなる。
ところが、このホテルの強精コーナーには、オロナミンCとリゲインが並んでいるだけである。こういうことでは困る。
表温泉旅行道一泊派として、熱海観光協会に、玉関係のものも用意するようにと、いずれ正式に要望書を提出するつもりである。
お茶をすすりつつ、今後の方針を検討する。
われわれのこれからの行動の一つ一つが、温泉道の規範の一つ一つになっていくのだ。
まず入浴。つづいて食事。
ここまでは自然の流れだ。
F氏が熱望してやまないレビューショー、これも折りこみずみだ。
夕食が7時からで、ショーが9時半からである。
射的はかねてからの念願である。
マッサージも欠かすことができないであろう。
パチンコはどうする。湯の町遊弋をどこにはさむか。ピンポンはどうなる。スマートボールをいかにすべきか。
芸者をどうする。
一泊派としては、かなり苦しい事態となった。
これらたくさんの課題の中から、慎重審議の結果、ショー、射的、芸者の三つが選択された。
パチンコとピンポンとスマートボールは、芸者の前には無力であった。
われわれはこの三つを、逆風三点セットになぞらえて、順風三点セットと称することにした。
次点として、マッサージが選ばれた。
われわれ身辺は急にあわただしくなった。
7時夕食の前に風呂に入らなければならず、食事と9時半のショーの間に射的をわりこませなければならず、ショーは10時45分までだが全部見ていると芸者のほうが短縮されることになり、それはなんとしても避けなければならず、ということはショーを途中で切りあげねばならないということになる。
われわれは急に浮き足だって、茶菓子を放り投げると浴衣に着替えるために立ちあがった。こうしてはいられぬ。
あわただしく浴衣に着替えると、小走りに廊下を走って浴室へ急いだ。
このあわただしさがいいのだ。
たくさんのテーマを、せかされるように一つずつこなしていくところに、温泉旅行のダイゴミがあるのだ。
そのあわただしさを演出するために、われわれは、わざわざ『夕刻5時の旅館への到着』を規定したのであった。
したがって、『風呂への往復は小走り』これが正しい。
小走りにエレベーターに駆けこんで、後続の仲間を、
「オーイ、早く早く」
と、せかし、仲間が駆けこんできたら、いち早く「閉」のボタンを押す。
こうすると、あわただしい感じが強まり、その感じが、これから始まる温泉の一夜≠ヨの期待をいっそうつのらせることになるのである。
茶道では、(茶道ばかりが出てきて恐縮だが)一連の儀式の流れの中の、セリフさえ決まっている流派もある。
ここの部分では、「ごあいさつはごいっしょに」と言え、とか、ここのところでは、襖《ふすま》の陰から「どうぞお取上げを」と言え、というふうに、言うべきセリフが決めてある。
われわれの流派も、温泉の一夜のオープニングセレモニーである『エレベーター駆けこみの儀』のところのセリフ、「オーイ、早く早く」は、かならず言ってもらわなくては困る。
ホテルの浴室はかなり大きい。
浴衣を脱ぐ前に、浴室の戸を開けて、その広さおよび内容を確認しておくのは大切なことである。
確認しておくと、浴衣を脱ぐとき楽しく脱げる。
(これから、あの浴場のあの湯ぶねに身をひたすのだ)
と思うと、脱ぎながらも楽しい。
どんな浴室かも知らずに脱ぐのは、不安でさえある。
前を洗って、湯ぶねにそろそろと体をひたし、アゴのところまで湯につかったら、ここでかならず、「アー」ないし「ウー」ないし「ホー」などの、音声をともなったため息を吐かなければならない。
アゴのところまで湯につかったのに、ウンともスンとも言わない人がいるが、あれはいけない。
当人もつまらないだろうし、見ているほうもつらい。
「アー」とか「ウー」とか言ってくれれば、見ているほうも、
「そうか、そうか。彼はいま温泉にやってきて、こうしていま、アゴまで湯につかって、思わず、アー、とつぶやいたか。よかった、よかった。本当によかった」
と、連帯と祝福のほほえみが思わずこぼれるというものである。
ややあって、体が暖まったら、タオルを固くしぼって顔の汗を拭き、もう一度「アー」とつぶやき、それからタオルを三回たたんで四角くし、頭の上にのせる。
この一連のフォーメーションも、われわれの流派としてはぜひとも推奨したいところだ。
タオルを頭にのせて同じスタイルをとることによって、お互いの連帯感をよりいっそう強く持つことができるからだ。
ほんのひとときノンビリしたのち、われわれはあわただしい一夜の行動を開始したのだった。
[#地付き]《つづく》
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続正調温泉一泊作法
温泉一泊旅行はいかにあるべきか。
これを追求すべく、熱海に向かったわれわれ表温泉道一泊派関東支部≠フ三名は、ニューフジヤホテルの大浴場において、その教義にのっとり、ノンビリかつあわただしく、『入浴の儀』を終了したのであった。
ノンビリ、かつ、あわただしく、これがわれわれの温泉道の基本理念である。
この二つを、練達の極意《ごくい》によって使い分けることができたとき、温泉道の奥義を極めたことになるのである。
5時旅館到着。
6時入浴。7時夕食開始。8時外出(射的)。9時30分レビューショー鑑賞。10時芸者到着。12時30分マッサージ到着。1時30分就寝。
これが本日の、これからの全スケジュールである。
ふだんの生活なら、帰宅したあとは風呂に入って、メシ食って、テレビ見て、あとはもう寝るだけなのに、寝るどころか、また外出したりするのだ。
外出から帰ってきて、また芸者を呼んだり、レビューショーを見たり、更にマッサージの人まで呼んだりするのだ。
しかしこれでいいのだ。温泉一泊旅行の夜は、このように多彩でなければならぬ。
スケジュールのてんこ盛りでなければならぬ。
このてんこ盛りを、ノンビリ、かつ、あわただしく、はじから片づけていくのが、温泉道一泊派の流儀なのだ。
すぐ「西洋では……」を持ち出す人がいて、「西洋のレジャーは、レジャー地では朝から晩までノンビリと本など読んで過ごし、それをレジャーと考えています」
などという人がいるが、ニッポン人は、そレジャー満足しないのだ。
7時夕食。
大ダイニングルームには、すでに料理が並べてあって、それぞれの一行の名札が出ている。
所定の位置についた人は、それぞれの宿泊料金に応じて並べられた料理の全容にまず視線を走らせる。
そうして、誰もがまず考えることは、料金に対して、料理の質、及び品数が妥当かどうか、ということである。
そしてその判定に苦慮するのである。
しかしテキは、長年の研鑽《けんさん》によって鍛えられた、そう簡単には判定させないプロ≠ナあり、悲しいかな客は、たまに温泉に行ってなんとか判定しようとするアマ≠ナあるから、この勝負の帰趨《きすう》は明らかである。
われわれのテーブルの料理は次のようなものであった。
和風オードブル、刺身(マグロ、ハマチ、タイ、イカ、エビ)、酢のもの、煮物、牛肉八幡巻き、エビ鬼殻焼き、天婦羅、卵とじ。
お吸いものとかデザートなどはあとからくるとして、われわれの料金(二万三千円)と照らし合わせてこれは妥当なのか。
F氏が「微妙なところだ」と言い、W氏が「良心的とは言いがたい面がないでもない」と言い、ぼくが「このエビ鬼殻焼きのエビの質によって判定が変わってくる」と言い、F氏が再び、「つまり……」と言ったところに、「お待たせしました」と、アワビのステーキが、湯気をあげて到着したので、この話題はそこで急に打ち切られた。
更に、鍋物も湯気をあげて到着したので、この判定会ははっきりと中止ということになった。
温泉での夕食の話題としてはどんなものが適当か。
「パーティーでは、政治と宗教の話は避けろ」
とよく言われるが、われわれの温泉道ではそういうことにこだわらないことにした。
なんでもいい。酔って好き勝手なことを言えばいい。
ただし、冒頭の話題としては、われわれのように、「リーズナブル問題」から入っていくというのが正しい。
なぜかと言えば、誰もが、まずそのことを気にしているからだ。
だから、表温泉道一泊派としては、次のような流儀を提唱したい。
一行のリーダー(茶道での正客にあたる)が、マグロを一切れつまみあげる。
それに対し一同が、「赤黒い」だの、「乾いている」だの、「養殖じゃないか」だの、「いやこれは本マグロです」だのと、それぞれの意見を言い合い、それで「リーズナブル問題」は打ち切りにして次の話題に移っていく。
こうしないと、「リーズナブル問題」はいつまでたっても終らず、夕食の話題はそれに終始してしまうかもしれないからである。
「リーズナブル問題」は、話題としては、どちらかというと暗いほうに属しており、従って、楽しかるべき温泉の夕食全体が暗くなってしまうおそれがある。
8時夕食終了。
ただちに外出。
温泉旅館の楽しみの一つに、「夕食後、ホロ酔い機嫌で、浴衣に下駄をつっかけて、淡い期待を抱きつつ、旅館の玄関から繰り出す一瞬」というのがある。
このときの、繰り出し感≠ヘ、数ある繰り出し感≠フ中でも群を抜いている。
この繰り出し≠ヘ、繰り出しものの特上≠ニ言われて世間でも高く評価されているようだ。
繰り出す、を大辞林で引くと、「大勢そろって勢いこんで出かける」とある。
「勢いこんで」というところが、温泉旅館の玄関のところの情景を彷彿《ほうふつ》とさせるではないか。
浴衣姿でロレツも少しあやしく、よろけたりしながら、しかし勢いこんで、旅館の玄関を出ていくおとうさんたちの姿が目に見えるようだ。
若い人たちは、旅館から出るとき、浴衣から私服に着換えたりするが、あれだと、繰り出し感は半減する。
『夕食後の外出は必ず浴衣』でなければならない。
ここのところは非常に大切なところなので、是非とも厳守してほしい。
われわれ三人も、勢いこみこそしないが、一応、繰り出して行った。
熱海には、射的の店は三軒あるが、さすがに客の数は少ない。
専門店ではなく、いずれもゲーム機コーナーが併設されている。
射的文化は、いま亡びようとしているのだ。
パチンコ屋はふつうの街にもあるが、射的屋は温泉街にしかない。
温泉一泊の楽しさは、非日常の楽しさだ。
こういう非日常のときにこそ、非日常の射的が似合う。
「会社の帰りに射的屋に寄って、二十発ほど打ってきたよ」
というおとうさんはいない。
射的をするのは、温泉街でなければならず、浴衣姿でなければならず、かつ飲酒していなければならない。
背広姿でシラフで射的をやられては困る。
コルクの銃弾が八発入っているお皿を、一皿五百円で買うと銃を一丁貸してくれる。
銃床はプラスチックなんかではなく、ズシリと重い本物の木でできている年代ものの銃である。歓楽の巷熱海の夜を、しぶとく生き抜いてきた伝統の銃なのだ。
先端に一発約六十二円のコルクを詰め、体を精一杯のり出して前に並んだ人形に狙いを定める。
(そうそう、こんなふうにのり出して撃ったものだった)
と懐かしい。
三人で五皿使って、小さなクマのぬいぐるみ一個を獲得する。
よそで買えば三百円ぐらいのものだが、しかしこうして、三人が、三十分ほども楽しく遊べたのだから、二千五百円の出費は安いものじゃないか。
係の人も、おばさんなんかではなく、いかにも射的屋のネエチャン、という感じのネエチャンで、その点もよかったじゃないか。
と、強引に、リーズナブルであった、という方向に考え方を持っていきつつ、三人がかりで一個のぬいぐるみを抱えて旅館への帰途についた。
途中、ポン引きのおじさんが、しきりにお座敷ヌードショーを勧誘するが、われわれはそれどころではない。
9時30分までに旅館に戻って、レビューショーを鑑賞しなければならないのだ。
レビューショーは、結論からいうと、われわれが期待したものと、旅館側が提供したいものとの間に、大きな齟齬《そご》がありすぎた。
そごがぐやじくてなんねえ、と思わざるをえなかった。
歓楽の巷の熱海の夜のレビューショー、というものからわれわれが期待したものと、総勢四十名からなるOSK日本歌劇団の「日本の伝統美の技能のすべてを」、と旅館側が力を入れたものとの差があまりに大きすぎたのである。
演《だ》しものにもよるだろうが、「レビューショー鑑賞」は、それでなくてもあわただしい一泊旅行のスケジュールに、どうしても組みこまなければならないものなのかどうか。
今後の大きな課題として、各方面の論議の積み重ねを必要とするように思われてならない。
ショーは9時30分から10時45分までであったが、われわれは10時芸者来訪≠フスケジュールを抱えていた。
ショーの途中でレストランシアターを退出、小走りで部屋に戻る。
10時を十五分過ぎていた。
初代さん、久代さん(いずれも仮名)が、すでに部屋で待っていた。
われわれは、
「コンバンハー」
「遅くなってごめんなさーい」
と部屋に入っていき、芸者衆が、
「いらっしゃい」
と迎え、どうもなんだか立場が逆になった。
旅館で芸者を迎える場合の仕儀は、大体次のようになるのがふつうだ。
「コンバンハ」「いらっしゃい」のあと、「とりあえずお酌させて」ということになり、「まあ、おねえさんも一杯」となり、「アラマ、それじゃ」ということになって、「とりあえず乾杯」ということになる。
それから「お客さん、どちらから」というようなことになり、「東京からだよ」ということになって、「アラ、あたしも東京にいたことあるわよ。東京のどのへん」ということになって、「東京といってもはずれのほうだけどね」ということになり、「はずれのどのへん」ということになって、「……」となって「ねえ、どのへん」になって、「……松戸だけどね」と白状させられることになる。
だから出身地は最初から、正直に、ありのままを申告するようにしたい。
次に芸者による歌舞音曲の披露があり、客はそれに対して「ア、ドーシタ」あるいは「ドッコイジャンジャンコーラヨットォ」などと応答するのがしきたりとなっている。
そのうち、いくぶん春情を加味したゲームあるいは遊戯となり、場合によっては、抱きつき、あびせ倒し、けたぐり、下手ひねり、などに移行していく場合もないわけではないようだ。
しかし、今回のわれわれの場合は、そういうことにはならなかった。
初代さん(四十七歳。推定年齢)が先輩格で、久代さん(三十二歳。推定年齢)が終始初代さんを立てるという形で宴会は進行していった。
初代さんはかなり性格が強いほうで、次第にわれわれ三人も、初代さんを立てるようになっていった。
そうこうしているうちに、初代さんはグループ全体の実権を握るようになり、ふと気がつくと、宴会全体の指導権は、すっかり初代さんに握られていたのであった。
われわれは、初代さんのなすがままに従うのであった。
その後の宴会は、
初代女史による講演、I部。
「わたしは、いかにして芸事百般を人よりたくさん習得してきたか」
講演、II部。
「わたしはいかにして熱函道路の脇に百坪の土地を取得し、かつ、小田急の株二千株を取得したか」
というようなことになり、われわれはしきりにうなずきながらそれを拝聴した。続いて、
「こういうこと覚えとくと宴会のとき役立つわよ」
ということになって、自作の猥歌《わいか》替え歌指導会、というようなものになって、これをまた、われわれはしきりにうなずきながら拝聴したのであった。
そうして玉代、一人につき三十分三千五百円分を払って二時間後お引きとりを願ったのであった。
芸者との対応はまことにむずかしい。
「指導権を握られたのが失敗だった」
とF氏が反省をこめて言う。
しかし指導権というものは、指導する方向がなくてはならぬ。
われわれに、芸者を指導していく方向、方針というものがあるわけがないのだ。
だから、あれはあれでよかったのだ。
12時30分。マッサージ来。
めまぐるしいスケジュールをこなしたあとのマッサージはこころよい。
半分ウトウトしながらマッサージを受ける。
この半ウト≠ナ受けるマッサージが、マッサージのダイゴミである。
全ウトだと、せっかく揉《も》んでもらっているのに、その意味がなくなる。
「じゃあ、こんどはあっち向いて」
と言われて半ウトから目ざめ、あっちを向いて揉んでもらっているうちにまた半ウトになっていく。
このあたりの、行きつ、戻りつ、がこころよい。
マッサージ代四千五百円。
できることなら、三百円でもいいからチップをあげたい。
人にチップをあげることは、一年を通じてこんなときしかない。
チップをあげる気分は、なかなかいいものだからだ。
1時30分。就寝。
翌朝、7時に目ざめてしまった。
ゴソゴソやっていると他の二名も起きてしまい、朝風呂に行くことになった。
一泊旅行の朝風呂は実にいいものだ。
これは是非とも推奨したい。
朝風呂ぐらいノンビリするものはない。
夕方、旅館に到着したばかりの夕風呂は、人心、物情、ともになんとなく騒然としており、落ちついて入っていられない。
朝風呂はしんみりと入れる。
スケジュールは、もう何もないのだ、という安堵感。それと寂寥《せきりよう》感。
昨日一日の行状に対するしみじみとした回顧、後悔。
あれでよかったのだろうか、と、ジャボリとタオルをつかい、しかし、精一杯がんばったんだ、と、ジャボリとタオルをつかう。
朝風呂のタオルは、意味なく、力なくつかいたい。
どこも洗う必要はなく、力を入れる必要もないが、しかしタオルを意味なく動かしていたい。
温泉旅行の神髄というものをたどっていくと、それは朝風呂に到達するのではないか。
この朝風呂のひとときのために、それまでの諸事万端があったような気がする。
射的も、レビューも、芸者も、マッサージも、すべて朝風呂に至るための道程であったのだ。
こうした曲折なくして、いきなり朝風呂に至った場合は、これほどしみじみした朝風呂にはならないであろう。
そうだったのだ。
温泉一泊旅行の究極の姿は、朝風呂だったのだ。
ついにわれわれは、一泊温泉道を極めることができたのだ。
7時30分朝食。
昨夜のレビューショーが行われた大ホールで、和風と洋風のバイキングスタイルである。
われわれは和食を選んだ。
アジの開き、カマボコ、キンピラ、肉じゃが、卵焼き、イカ塩からでビールを飲む。
このビールが滅法うまい。
ふだんの生活では、朝食のときにビールを飲むということはまずない。
朝風呂に入ったあとだけによけいうまい。
朝のビールは、ノドにしみ、胸にしみ、心にしみる。
そのときわれわれは翻然《ほんぜん》と悟ったのである。
温泉一泊旅行の神髄は、実は朝風呂ではなく朝ビールであると。朝風呂は朝ビールに至る道程であったと。
われわれはついに一泊温泉道の奥義を極めたのだ。
『温泉一泊旅行といふは、朝ビールと見附けたり』
柳生新陰流の極意を説いた『兵法家伝書』は、次の言葉を結びの言葉としている。
「一心多事に渉り、多事、一心に収る」
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わがツーハン生活
ツーハンといっても、京都の芸者さんが、
「ツーハン、このところおみかぎりどすな」
などというツーハンではない。
通信販売、すなわち、通信によって物品を販売する流通システムのツーハンである。
大抵の人は、過去、一回や二回はツーハンによって物品を購入した経験があるのではないか。
ぼくらが子供のころにも、通信販売はあった。「野球少年」などの記事中に、「鉱石ラジオ」「針穴写真機」「幻灯機」「本革牛皮製グローブ」(馬皮製もあった)「三極コイル式モーター」などの通信販売の広告が載っていたものだった。
ぼくはこれによって、「本革牛皮製グローブ(内野型)」というのを購入した記憶がある。送料共で六百円ぐらいだったと思う。
通信販売は、品物を注文してから到着するまでが楽しみだった。
「きょうか、あすか」
と待って、ようやく到着し、到着すると、箱を持って部屋中を駆けまわり、駆けまわったのち箱をあける。
この箱をあける瞬間が楽しかった。
通信販売は、当時から通信販売≠ニいう呼び名で、いまもって通信販売である。
大抵の商売は、近代化されるにつれ、カタカナや横文字に変わってきているが、通信販売だけは依然として変わらない。
それにしても、この通信≠ニいう言葉は古めかしすぎないだろうか。
なんだか、エジソン時代の、トンツー、ツートンの無線通信を思わせる言葉ではないか。
日本の通信販売の総元締は、社団法人日本通信販売協会というくらいだから、通信販売が今もって正式の名称であるらしい。
ちなみに、平成元年度の通信販売の年間販売額は一兆四千六百億円に達し、その後も二ケタの成長を続けているという。
流通の一翼をになう、成長株ということができる。
実際に、最近の通信販売の広告はすごい。
テレビ、雑誌、新聞、折りこみ、そしてダイレクトメールのカタログ雑誌の数の何と多いことか。
実をいうと、このカタログ雑誌をパラパラめくるのが、最近のぼくの楽しみの一つになっている。
雑誌が送られてくると、
「オー、来たか来たか」
と、外孫が遊びに来た老爺のように喜び、とるものもとりあえず袋を破る。
カタログ雑誌を眺めるのは実に楽しい。
なにしろ、一切、頭を使わないですむ。
小説の雑誌はいうに及ばず、漫画の雑誌だって一応、多少の頭は使わなければならない。
小説にも漫画にも、一応スジというものがあるから、そこのところに頭を使う。
カタログ雑誌にはスジがない。
商品の写真が次から次へと、何のスジもなく並んでいるだけである。
それを眺めながら、
「あ、これいいな」
とか、
「これ、よくないな」
などと思いながらページを繰っていけばいい。
それでも最近のカタログ雑誌には、雑誌の前半だけ、一応スジのあるものを載せるようになってきた。随筆とか、旅行記とか、対談とか、そういうものが載っている。
このあたりのグラビアはなかなか凝っているし豪華でもあって、けっこう楽しめるようになっている。いわば、遊びのページとでもいうような部分である。
そういうところを、楽しく読み進んでいくと、
「わたしら、いつまでも、こうやって遊んでいるわけにはいかないんだかんな」
とでもいうように、突然、カタログ部分に移行する。
敵が本性をあらわすわけですね。
そこで、カタログの部分を、そこはそこなりに楽しく眺めていくと、
「いつまでも、そうやって眺めてばかりでは、わたしら困るんだよね」
とでもいうように、突然、申し込みハガキの部分に移行する。
そこで、
「まあ、今回は、69ページの阿波|藍染《あいぞめ》の作務衣《さむえ》≠ノすっか」
「それとも115ページの靴底にエアフローパッドをほどこした、独自のエアコンディションシステムのエクササイズウォーキングシューズ≠フ、カラーBネイビーブルー・サイズ26・5というのにすっか」
と、さんざん迷ったあげく、ようやく後者に決め、ハサミを取り出し、ハガキ切りとりの点線にあてがって、点線に忠実に切りとっていく、と、こういうことになる。
そうして、そのハガキを投函する。
それからの毎日が楽しい。
通販の品物は、到着まで一週間はかかる。
一週間、ずっと楽しめる。その一週間のうちに、不思議な心理現象が起きる。
自分で注文したウォーキングシューズなのに、誰かからのプレゼントを待っているような心境になっていく。
ウォーキングシューズが到着するころになると、もうすっかり誰かからのプレゼントという気持ちになっている。
通信販売には熱心な通販ファンがいるという。通販おたく、とでもいうべき種族で、全体的におたく的雰囲気の人が多いような気がする。
どちらかというと孤独な人、誰からもプレゼントが来ない人、そういう人が多いのではないか。そういう人が、自分で自分にプレゼントをする。自分で自分にプレゼントをするために通販に申し込む。
ま、それはそれとしてですね、ウォーキングシューズを注文した人はですね(ぼくのことだけど)、もうすっかり、誰かからのプレゼントのような心境になって、ワーイ、ワーイ、なんて言いながら、ダンボールの箱をあけるわけですね。
そうすると、ここに悲劇が待ちうけているのだ。
雑誌で見た靴のネイビーブルーの色と、いま現実に見る実物の色がちがう。
まるでちがう。
印刷のインクの色と、実物の色とがまるでちがうということは、通信販売ではよくあることだ。コート、セーター、カバンなども、よくよく注意しなくてはいけない。
ワーイ、ワーイと言っていた男は、とたんに青ざめ、天を仰ぎ、床をたたき、それから黙って箱のフタを閉じ、よろけながら押し入れのところにいき、フスマをあけてその箱をしまいこむ。
その箱をしまったところには、他にもたくさんのダンボールの箱があり、それらはいずれもこれまでに、通信販売で到着した品物を、よろけながらしまいこんだものばかりなのであった。
男はそのコーナーを、通信販売|慚愧《ざんき》コーナー≠ニ称しているのであった。
通販おたくにとって、慚愧ものは避けられない運命のようだ。
色の問題だけではない。
腕時計などは、そのサイズに十分注意しなければならない。
男は、それで一回失敗したことがあったのだった。
男は、(急に諸井薫氏風)カタログで見た腕時計をすっかり気に入ってしまい、サイズのところをよく見ずに注文してしまったのだった。
到着した腕時計は、あまりに巨大だった。
直径が43ミリもあり、厚さが14ミリもあるソ連製の腕時計だった。
その時計は値段も高かったので、男は激しくよろけながら、それを押し入れにしまったのだった。
バランスチェア、というものも、どちらかというと慚愧ものに属する。
背もたれとヒジかけがなく、座面が前に傾斜していて、すわると前につんのめりそうな椅子で、通販のカタログによく出ているアレです。(通販おたくは、ここでうなずくはず)そのつんのめりを、前面に張り出ているヒザあてのクッションが受けとめるようになっている。(そうそう、と、おたくうなずく)
背すじがまっすぐになり、内臓の圧ぱくがとれ、長時間すわって書き物をしていても背中が痛くならない、というのが謳《うた》い文句だ。
到着した椅子にすわって背すじをピンとさせてみると、たしかに背中が気持ちいい。
長時間すわっていても背中が痛くならない。
しかし、背中が疲れる。
背すじをピンとさせていなければならない椅子だから背中が疲れる。
椅子というものは、それにすわって仕事に専念するためのものであって、背中をピンと伸ばすことに専念するためのものではない。
しかしこの椅子は、押し入れにしまわれることなく、机の脇に置いといて、ときどき背中伸ばし器≠ニして使用している。
通販生活を長く続けていると、こうした慚愧ものもたまってくるが、むろん、十分気に入ったお気に入りもの≠烽スまってくる。
通販史上、世に名高い二光通販のヒット商品シークレットブーツ≠ヘ、かなり気に入ったほうで、いまでもときどき愛用している。はいた途端、身長が8センチ伸びるという例のやつだ。
革も造りもちゃんとした立派な革靴で、いまだに型くずれもしないで健在である。
身長が8センチ急に伸びるとどういう現象が起きるか。
まずまわりの風景が一変する。
いつも使っている洗面所の鏡から急に顔の一部がはみ出す。
部屋の天井が急に低くなる。
マンションの天井のハリに急に頭がぶつかりそうになる。
あらゆる現象が、急に°Nこるというところがおもしろい。
特に電車の中の風景が一変する。
まわりの人の頭の位置が急に低くなる。
ぼくは身長173センチなのだが、それが急に181センチになるわけだから、つり革の位置が急に低くなる。
パーティーなんかに行くと、みんなびっくりして、しきりに頭をひねったりしている。
(どうもなんだかヘンだな)
という顔つきになる。これが楽しい。
デメリットもむろんある。
まずズボンのスソを長めにしなければならない。
駅の階段を、昇るときはいいが降りるときがこわい。
前につんのめりそうでこわい。
もし万が一、つんのめったらどうなるだろうと思うとよけいこわい。
トイレもこわい。
洋式のときはいいが、和式のときは前につんのめりそうでこわい。
事実、前に大きく傾斜した床面にすわって用を足しているのと同じで、前につんのめって当然という格好をしているわけだ。
もし万が一、このまま前につんのめったらどういうことになるだろう、と思うとよけいこわい。
こういう、いわゆるアイデアものは、広告を見ると、
「これはもう、どうあっても買わなくてはならない」
という心境になりがちなものだ。
また広告宣伝も、そういうふうに仕組んである。
ルームランナーのときがそうだったし、ぶらさがり健康器のときもそうだった。
もっと古くは、「ワタシニデンワシテクダサイ」の、ギッタンバッタン式の、あれは椅子というのかマットというのか、とにかくあれのときもそうだった。
そうでなければ、あれほどのブームは起きなかったにちがいない。
いまになって思えば、「あれらは一体何だったんだろう」と思えるが、ブームのときは、みんな先を争うようにして購入したものだった。
「敬老の日」が近くなると、必ず登場する、名前はちょっと失念したが、あの、ものものしい様々な装置がついた健康座椅子。あれも別の意味で買わずにはいられなくなるようなCMづくりになっている。
革張りで、両ヒジのところにたくさんのものを収納することができ、回転もするし、背もたれも大きく倒れて背のびができるし、あぐらもかけるし、足のせも引き出せば使える。
大変な大仕掛けの上に、CMで、
「大事な親御さんへ、親孝行にもってこいですね」
と宣伝するから、買ってあげないと親不孝をしているような気持ちになる。
しかしよく考えてみると、あれはただの座椅子であって、ああいうものに一度すわりこんだら、もう動くのがいやになって、かえって不健康になるのではないか。
万が一もの、というのもある。
車の緊急脱出用ハサミ≠ナある。
ガラスを割るハンマーもついている。
車ごと海に飛びこんだ場合、あるいは事故に遭って自分の車から火の手があがったのに、どうしたわけかシートベルトがはずれず、車のドアもあかない、というときに用いる。
たしかにそんな場合、そういうハサミは絶対に必要だ。なかったら焼け死ぬばかりだ。
これはもう、ぜひ買って備えておかなくては、と誰しも思う。
しかし、誰しも事故には遭うだろうが、そのたびにシートベルトがはずれなくなり、そのたびに火の手があがり、そのたびにドアがあかなくなるなんてことがあるだろうか。
そんなことはまずないだろうし、しかし、万が一ということもありうるし、だから買っといたほうがいいにはちがいないが、まあ、そのうち買おう、と思いつつ、結局、いつまで経っても買わない、というのが万が一ものの特徴だ。
最近は「ふとん圧縮保存袋」というのを盛んに宣伝しているが、見ていると本当に欲しくなる。
誰でも手狭な押し入れには苦労しているから、何と便利なものだろうと思うが、あんなに圧縮してしまって綿は傷まないのだろうか。
こうした通販のテレビCMには、共通のパターンがある。
こういうCMには、大体決まったような人が出てくる。
ツーハン俳優とか、ツーハン女優とかの専門職があるのだろうか。
男のほうは気が弱そうな人が多い。
胃弱で、気が弱くて、しかしけっこう細かいところに口うるさそうで、家の中で小言が多い、というタイプである。
豪放磊落《ごうほうらいらく》タイプというのはまず出てこない。
通販のアイデア商品というのは、一種のすき間商品で、いままであった商品にほんの少しのアイデア≠加えたものが多い。
このほんの少しのアイデア≠気にするような男は、細かいところにうるさいタイプであって、決して豪放磊落タイプではない。
胃弱男が登場するゆえんである。
十五秒ものの構成として次のようになる。
まず胃弱男が、
「いま、こういうことに不便を感じているんだよね」
ないし、
「こういうものがあったらいいな」
というような独りごとを言う。
そこへ、わりに快活、万事テキパキ風の女が現れて、
「それにピッタリなのがこれ」
と、すき間商品を紹介する。
胃弱男は、まさにピッタリな商品が突然現れたので驚き、かつ喜び、早速その商品の使用におよぶ。
ここまでが七秒ぐらいで、このあと、胃弱男はテキパキ女といっしょになって、急にその商品の特性、便利さ、こんな使い方もできるし、こういう使い方もできる、というような説明を始めるのである。
ほんのついさっきまで、
「こんなものがあったらいいな」
とつぶやいていたのはお前ではないか。
実際にそういうものが出てきたら、
「これはビックリ」
なんて驚いていたのもお前ではないか。
それなのに、どうして、そんなふうに、急に商品説明ができるようになったのか。
いつどこで、どうやってそういう商品知識を仕入れてきたのか。
ビックリしてから、まだ二秒しか経っていないではないか。
そのことを、十五秒以内に説明しろ、と、ぼくは言いたい。
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がてらの競馬
その昔、夕涼みというものは優雅なものであった。
夕陽が沈んで路地に涼風が吹き抜けるころ、道ばたに縁台を持ちだす。
縁台という夕涼み専用の装置を各家庭が所持していたのである。
縁台にすわって、ウチワで顔やワキの下や服の間をバタバタとあおぐ。
ただそれだけのものだった。
ところが、いまの夕涼みはちがう。
すべてががてら≠ノなった。
夕涼みがてら、ナイターを見物する。
夕涼みがてら、屋形船をくり出して酒を飲む。カラオケを歌う。メシを食う。
夕涼みがてら、競馬場へ出かけて行ってビールを飲み、競馬をやり、金儲けをする。あるいは大損をする。
本来、夕涼みというものは、一日の仕事を終えて、やれやれと休息をとることなのだが、現代の夕涼みは、一日の仕事を終えたのち、なお金儲けを目論《もくろ》み、そのついでに夕涼みも併せて目論むという多重構造になっている。
夕涼みのみに限らず、すべての行動ががてらの思想≠ノ染まってしまっている。
だから競馬といえどもがてら≠ナなければならない。
そこで、わてらもがてらの競馬≠やりに行くことになった。
わてらとは、ぼくと行きつけの飲み屋のオヤジと、常連のT氏の三人である。
わてらは、夕涼みがてら、大井競馬場に行って競馬をやりがてら、生ビールを飲みがてら、金儲けをしようという相談に入った。
大井競馬場は東京湾のすぐそばだ。
夕涼みにはもってこいだ。
東京湾からの潮風が涼しいにちがいない。
競馬場では生ビールを売っているはずだ。
枝豆なんかもあるにちがいない。
モツ煮こみなんてものも売っているにちがいない。
海べりで潮風に吹かれながら、モツ煮こみで生ビールを飲む。
もうそれだけでも十分なのに、さらに目の前を色とりどりの馬が走り抜けていって、その上お金が儲かる。
「それは大井に結構」とオヤジが言い、
「大井に賛成」とT氏が言って大井競馬場行きの相談はめでたくまとまった。
「それになんですってね、オヤジギャルっていうんですか、そういうのが最近の競馬場にはびこってんですってね」
とオヤジが言い、
「それにミニスカートも最近はびこってんですってね」
とT氏が言い、
「すると、オヤジギャルがミニスカートで競馬場に大挙して押しかけてくるという事態もありえないことではないということですね」
とぼくが言って、なぜかそこで一同は急に押し黙り、それから一斉《いつせい》にニンマリしたのであった。
がてら≠ェもう一つ増えたもののようであった。
東京モノレールの大井競馬場駅まで、JR浜松町駅から一駅。
料金は百八十円である。
ぼくはこれまで、競馬は四回やったことがある。
中央競馬が三回に地方競馬が一回。
一度だけ、一レースで七万円当てたことがあった。
払い戻し窓口で、七万円を受けとったときはさすがに嬉しかった。
だが、このレースには、あれこれ二万円ばかりつぎこんでいたから、実際の儲けは五万円だった。
しかも、その日一日で、トータル四万円以上負けこんで、最終的な儲けは一万円にも満たなかった。
だが、人に言うときは、「競馬で七万儲けたことがある」と言うことにしている。
きょうは、出金と入金を帳面にきちんとつけて、本日の儲けは最終的にいくらか、ということをはっきりさせたい。
とりあえず、出金の欄に、交通費百八十円を記入する。
駅から競馬場まで歩いて三分。
途中二名の予想屋に出会う。
一人はサングラスで、もう一名はチョビヒゲだった。
ぼくは二人の人相、風体、目の光などをよく検討したのち、チョビヒゲのほうから予想の紙を買った。
なぜチョビヒゲのほうを選んだかというと、サングラスの予想は三千円で、チョビヒゲは二千円だったからだ。
競馬場に到着すると、こんどは四名のオバチャンが競馬新聞を売っている。
三百円のと三百五十円のとがあって、三百五十円のほうは色エンピツつきである。
ぼくは迷わず三百五十円のほうを選んだ。
オバチャンは、六百五十円入りのおひねり状の小さなビニール袋を多数用意していて、千円札の客にそれをサッと渡す。
大井競馬場は入場料をとる。(百円)
こういうところは当然損をするところだから当然タダ、と思っていたのだが入場料をとる。
むしろ入場料をくれるべきではないのか。
すでに、交通費、予想代、新聞代、入場料で、総計二千六百三十円の出費である。
一刻も早く取り戻さなければならぬ。
競馬場に到着したのが五時二十分。
第五レース(五時四十五分発馬)に十分間に合う。
三百五十円で買った「馬」を見る。
第五レースはEがらみで、Bを第一に推している。
オヤジやT氏の買った新聞を見ても、すべてEがらみである。
ここで、チョビヒゲのご託宣を見てみよう。
茶色の封筒に入った紙を引っぱり出してみる。D─EとA─Dである。
D─Eはともかく、A─Dは大穴である。
どの新聞も、AとDのワクはほとんど空白だ。オッズを見ると百二十七倍である。
ウーム、さすがチョビヒゲ。あの目の光はただ者ではなかった。
「きょうは全部大穴狙い。これでいこう」
急にそういう気持ちになった。
コツコツばかりが人生か。
そういう心境になった。
A─D一本買いでいこう。A─D一本に命をかけよう。
A─D一本に、これまでのわが人生の知力と財力のすべてを賭けよう。
「A─Dを三千円!」
そう堅く心に決めてパドックに向かった。
第五レースはすべて単ワクで、Aがオペラスコープ、Dがホクトラスタムだ。
パドックでは、出走馬の気合い、顔色、色ツヤ、体調などを見ることになっているらしいのだが、厩務員《きゆうむいん》に引かれて歩いている馬はどれを見ても同じに見える。
どれがやる気があって、どれがやる気がないのかさっぱりわからない。
みんなサラリーマンのように、大人しくモクモクと厩務員に引かれて歩いていく。
わがオペラ君とホクト君も、特にやる気がある、というふうにも見えないが、やる気がない、というふうにも見えない。
「ま、そこそこにやりますから」
というふうに見える。
しかし、考えようによっては、あそこでオペラ君とホクト君にやる気を見せられては困る。みんなに気づかれて、大穴が大穴でなくなる。
勝ち馬投票券発売所におもむき、迷わずA─Dを三千円購入する。
オッズが百二十七倍だから、この三千円が三十八万一千円になって戻ってくることになるわけだ。
発馬三分前。
オヤジとT氏のところに戻って改めてオッズを見ると、さらに増えて百三十五倍になっている。四十万五千円である。
まだ何にもしてないのに、アッというまに儲けが二万四千円も増えているのだ。
これだから競馬はこたえられない。
オヤジとT氏は、きちんとEがらみを揃えている。
五時四十五分。ファンファーレが鳴って各馬一斉にスタート。
大勢の馬が向こうのほうから走ってきて、やがて目の前にやってきた。
なんということかDは一番ビリだ。
しかも、うんと離れたビリを楽しそうに走っている。
楽しそうに走っていって、ビリのままゴールを走り抜け、ああ、楽しかった、というように小さく跳ねながら、嬉しそうに遠ざかっていくのであった。
どうも競馬というものを、勘ちがいしている馬のようであった。
結果はB─Eで予想どおり。
オヤジとT氏は二千円ずつ出資したので配当一・七倍で、それぞれ千四百円ずつ儲けた。しかし他の券も千円ぐらい買っていたからトータル四百円ということになる。
しみじみ、大穴というものはこないものだと思った。
そして、本命はくるものだ、ということがわかった。
やはり、コツコツだけが人生なのだ。
第六レース。
とりあえず各紙を検討。
こんどはどの新聞も、判で押したようにD─Eを第一に推している。
チョビヒゲの紙を見てみよう。
やはりD─Eである。
さしものチョビヒゲも、このレースに限ってはD─Eを推さざるを得なかったようなのだ。
どうやらD─Eは、ガチガチの本命らしい。
こんどは、不退転の決意でガチガチに賭けることにした。
ついさっきの「コツコツばかりが人生か」という観点から、「本日は大穴狙い」という大方針を打ちたてたばかりなのに、急に、「ガチガチだけが人生だ」と思うようになってしまったのだ。
ガチガチであるからには、一挙に大きくいくべきである。
ガチガチということは、まちがいない、ということであり、超短期高利定期預金と考えてよいわけだから、ここは一挙に大金を投入して、手堅い利息をいただくべきである。
決然と、大金投入を決意した。
「D─Eを四千円!」
オッズを見ると一・九倍である。四千円がとりあえず七千六百円になるわけだ。
もう安心だ。
すっかり安心してオヤジとT氏を誘って食堂に行くことにした。
しかしオヤジもT氏も、「あと二レースやってから」と、同行を拒むのであった。
どうやらそういうものであるらしいので、一人で食堂に行く。
競馬場は、大損したり、大儲けをしたりするところである。
テーブルをたたいて慷慨《こうがい》する客とか、ビールをビンごとラッパ飲みする客とか、悲嘆のあまりモツ煮こみを頭からかぶっちゃう客とかもいるにちがいない。
競馬紙を丸めてなぐりあう客もいるだろう。
そう思って出かけて行ったのだが、食堂内は意外に静かだった。
ここが競馬場内の食堂か、と思うほど、みんな静かにビールをかたむけ、枝豆をあんぐりと口に放りこんでいるのであった。
ビールと枝豆とモツ煮こみをとる。
合計で千四百円。これで、これまでの支出はD─Eの購入代金を入れて総計一万一千三十円にもなった。
収入のほうは、まだ一銭も入ってこない。
だが、こんどの六レースで七千六百円の入金があるはずだから、一万一千円の損失が、たちまち三千四百円にまで縮まることになる。
枝豆もモツ煮こみも、値段のわりに量が多く、大儲けであった。
ヘンなところで、儲けがあるのであった。
ところが、レースとレースの間は三十分しかない。
これから券も買わなければならない。
結局、大量の枝豆とモツ煮こみを残して食堂をとびだす破目になった。
せっかく儲けが出たのに、あっというまに損失ということになってしまったのだ。
六時を過ぎると、急に人出が増え出した。
勤め帰りのサラリーマンとOLが、どっと繰り出してきた。
たしかに、オヤジギャル風の、OLのグループもあちこちにいる。
ベンチに腰かけて、バッグから競馬新聞を取り出し、バッと拡げて読むポーズが様になっている。
しかし、いざ券を買う段になると彼女らはしぶい。
百円券売り場で、「D─Eを一枚」なんて言って買っている。
そうでないギャルは、「E─Gを一枚とB─Eを一枚とB─Fを一枚と……」なんて言って買っている。
D─Eを四千円買ってみんなのところに戻ってオッズを改めて見てみると、なんと一・四倍に下がっている。
七千六百円入金するはずが、五千六百円しか入ってこないことになった。
ほんのちょっとの間に二千円の大損だ。
これだから競馬は困る。
六時十五分。ファンファーレが再び鳴って十頭が一斉にスタート。
DもEも単ワクで、さすが大本命のEは、終始先頭をキープ。
そのままゴールを走り抜けた。
それはとてもよかったのだが、Dがこなかった。
DのかわりにFがきた。
これは一体どういうことだ。
予想の専門家が、あらゆる資料を調べ、あらゆる知識と経験とカンを動員して、大勢よってたかってD─Eだと判断したのである。
なのにD─Eはこない。
そんなことがあっていいのか。
あってはならないことである。
周りを見回してみると、どの人も、最低一紙は予想紙を手にしている。
そして、それぞれの人が、それぞれの予想紙に、それぞれ独自のシルシや赤線やら青線やら点線やらをビッシリと書きこんでいる。
線ではなく、ひとワクごとに、ぬり紙のように色とりどりにぬりこんでいるおじさんもいる。
それぞれの色にそれぞれの意味があるのだろう。
おそらく、きのうの夜あたりから、研究に研究を重ねた成果にちがいない。
発馬の三十秒前、最後の最後まで、何やら書きこみを入れているおじさんもいる。
しかしです。
みーんなムダなのです。
そんなことしたって当たりやしないのだ。
プロ中のプロが、そうやって、結局は当たらなかったではないか。
だけどわたしは見たのです。
第五レースの払い戻しの窓口で、二百万円以上の札束を受けとって去っていった男を。
推定年齢四十五歳。上下白っぽいスーツだから、もちろんサラリーマンではないようだが、ヤーサン風というわけでもなく、どちらかというと、やや堅めの不動産屋といったところだろうか。
わりに慣れた手つきで受けとると、わりに慣れた足どりで立ち去っていったのだった。
このときの配当は一・七倍だから、二百万円以上受けとるには百万円以上を突っこんだことになる。
そうなんですね、当てる人はちゃんと当てている。ただし百円玉一枚じゃダメだ。
「D─Eを一枚」なんて言って百円玉を投資したってどうにもならない。
七時半を過ぎると人出はさらに増えたが、実際に馬券を買う人は少しずつ減っていくようだ。
一回か二回、馬券を買って楽しみ、あとはもっぱら、涼風に吹かれながら生ビールを楽しむという人が多い。
まさにがてらの人々≠ナある。
結局この日、ぼくの入金欄のほうは空白のままだった。一銭も入ってこなかった。
そのかわり、生ビールやら、フランクフルトソーセージやら、焼鳥やらの支出のほうはどんどん増えていった。
競馬は全然しないで、持ちこみのウイスキーと氷と水とツマミで、宴会のみ、という一団もあった。
こういうのは、がてらというより、むしろ一途の一団というべきであろう。
がてらのわてらの全体としての成績は、全員むろん大赤字であった。
がてらのわてらも、次第にがてらの部分を減少させていって、飲食一途の方向に向かうのだった。
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オムライスよ!
人生も折り返し点を過ぎると、冒険はしんどい。
ほんのささやかな冒険でも気が重い。
結局、マンネリズムが一番ラクだ。
水が低きに流れるように、きのうと同じ、おとといと同じ、習慣化したことを習慣どおりにやるのが一番ラクだ。
食べ物でもそうだ。
急に変わったものを食べるのはしんどい。
そば、焼鳥、おでん、ラーメン、天丼などを食べてるぶんには全然しんどくない。
水が低きに流れるように、何の抵抗もなく、何の気構えもなく食べることができる。
きのうラーメン、きょうギョーザ、
あすはカレーか、カツ丼か、
夢は夜ひらく、と、何となく口ずさんで。
ええと、この唄歌った人、ホラ、エート、何て名前だっけ……と、人生も半ばを過ぎると、記憶力が減退して、固有名詞、特に人名が出てこなくなる。
エート、ホラ、暗い感じの女の子で、マユが濃くて、声が太くて……、エート、ホラ……。やっぱり出てこないので、話を次にすすめます。
大体こういうふうに、なかなか出てこない名詞というのは、その人の、日常の生活のテリトリーから、うんと離れたものが多い。
日頃、ご無沙汰している世界の名詞が多い。
ホラホラ、これがマンネリズムの弊害なのです。
冒険をしなくなった日常が、日常的でないものを、少しずつ追放しはじめているのです。
すなわち老化。あなたの脳が、もう老いの準備を始めているわけなのです。
そしてその行く手には何があるのか。
そうです、ボケ、徘徊《はいかい》、たれ流し……。
話はそれるが、このあいだテレビを見ていたら、老人マンションのテレビCMで、
「ボケ、徘徊の方も入居できます」
というのがあって、思わず苦笑を禁じえませんでしたね。
徘徊の方=c…。
徘徊関係の方、徘徊方面の方、という意味なのでしょうが、何かこう、徘徊専門、徘徊一筋、という一徹関係の方々も入居できます、というふうにも感じられて、老人マンションの経営も、あれでなかなか大変なものなのだろうなあ、と思いました。
そういうわけで、冒険をしなくなった日常はこわい。いずれ徘徊関係の方になって、一徹方面に去っていく公算が大きい。
では、とりあえず何をすればいいのか。
わたくしは、オムライスを食べなさい、と言いたい。とりあえず、ごく日常の世界、すなわち、食べ物あたりから冒険の世界に入っていこうではありませんか。
おじさんが焼鳥を食べている……。
これは、ごくあたりまえの光景です。
おじさんがカツ丼を食べている……。
これも、あたりまえの光景です。
おじさんがカレーを食べている、うな丼を食べている、おでんを食べている、いずれもあたりまえだ。
おじさんがオムライスを食べている……。
おじさんがスプーンをあやつってオムライスをほじっている……。
どうです。これはあきらかに非日常的な光景です。非日常の世界の中に自分を置く。
非日常の中にひたる。
これこそまさに、冒険そのものと言っても過言ではないのではありますまいか。(だんだん講演口調になってきた)
さあ、諸君。
オムライスを食べにいこうではないか。
オムライスを食べて、徘徊関係老人になるのを避けようではありませんか。
そういうわけで、わたくしは、オムライス歴訪の旅十日間ぐらいコース、都内名店三店ぐらいめぐり≠ニいうのに出発しました。
十日間、というのは、特に意味があるわけではなく、十日間ぐらいのうちに、名店を三店ぐらい訪問してみよう、というぐらいの意味です。
第一日目は、銀座の名だたる名店|千疋《せんびき》屋。
その千疋屋の二階がフルーツパーラーで、三階が洋食の店となっておるわけなのであります。
わたしら、この千疋屋に入るというだけでも大冒険なのに、さらにそこでオムライスを食べるという、過酷、重圧的、焦燥、緊迫的世界にわが身を置かしめ、恐怖、戦慄的心理状態にならしめんとす的方向に向かわしめたのであった。
すなわち、冒険の難易度を、高からしめんとしたわけなのであった。
一階のところに、「お食事は三階へ」という立て札が立っている。
むずかしい言葉は、一言も書かれているわけではないが、≪二階のフルーツパーラーとは、ちょっと違った気持ちで三階に行ってもらいたい≫という厳粛な意味が、この行間にこめられているような気がする。
三階の入口のところでコートをあずかってくれる。一層厳粛な気持ちになっていると、厳粛な表情の黒服の青年が厳粛にテーブルに案内してくれたので、当方も厳粛にすわって厳粛に咳《せき》ばらいをする。
別の黒服が寄ってきたので、
「オムライスね」
と言うと、「かしこまりました」と返事をして去っていった。
まわりを見回してみても、オムライスを食べている客は一人もいない。
ビーフスチュー 三千円とか、カニコロッケ 二千円とかを厳粛に食べている人ばかりで、オムライス 千七百円の人はぼくだけだ。
いくらメニューにあるからといっても、こういう場所でオムライスを注文するのは不謹慎なのだろうか。
第一、あの「かしこまりました」は、オムライスにとっては丁重すぎる返事でありはしないか。
「ビーフスチューね」とか「ビーフステーキね」という注文に対して「かしこまりました」は穏当と言えるが、「オムライスね」に対しては、むしろ、「あいよ」と言ってくれたほうがどんなに気がラクになったことか。
あれは、もしかしたら、わざといやがらせで「かしこまりました」と言ったのかもしれない。
しばらくたって、器に入ったケチャップと野菜サラダが運ばれてきた。
ランチタイムに限って、オムライスは野菜サラダ、コーヒーつきなのである。
それからまたしばらくして、ようやくオムライスが、厳粛に湯気をあげながら到着した。
皿の上で、盛んに湯気をあげている。
ウーム、とてもおいしそうだ。
皿の上のオムライスは、置かれている、というより、明らかにグッタリと横たわって≠「るのであった。あるいは寝かしつけられている≠ニいう表現でもいい。
しかも何かをよく言いふくめられた上で$Qかしつけられているのである。
この横臥《おうが》感はどこからくるのだろうか。
寝かしつけられている、ということになると、どっちが頭で、どっちが足か、という問題が出てくる。
ふつう、オムライスというものは、木の葉型のオムライスのまん中に、まるで帯のように赤いケチャップがかけられているものだが、ここのオムライスは、帯をしていない。
客が自分で帯をするようになっている。
帯をしていない、ということは、最初からその気で横たわっている、とみることもできる。ということは、やはり、何かをよく言いふくめられた上で≠ニいう推測は当たっているようだ。
全長およそ二十センチ、ウエストおよそ十センチ、かなりグラマラスなオムライスである。
とりあえず、容器の中のケチャップを、スプーンですくって中央のところにタテにドロリとかけてやる。
この赤い帯がなかなかなまめかしい。
この帯を中心にして、どっちが頭でどっちが足か。
ぼくとしては、両はじが足で頭はなしと考えたい。そのほうが、何だかうんと得をするような気がする。
さて、どこから攻めていこうか。
右か左か中央か。
スプーンを垂直にして、中央のま上から、工事現場のパワーショベル風に手前に少しけずりとってみた。
オムレツは何と五ミリの厚さ。
そのドロリとした五ミリが、けずりとられた崖の上から、側面から、まるで表層なだれのようにすべりおりてきておおいかぶさる。
この店のオムライスの皮は、そのへんのレストランのオムライスの皮のようにペラペラの薄焼き卵ではなく、本物のオムレツなのであった。そのオムレツに、ハム、マッシュルーム、玉ネギ入りの赤いケチャップライスが包みこまれている。
このケチャップライスと、ドロリとしたオムレツに、赤い帯のケチャップをなすりつけ、スプーンで一挙にすくいとって口に入れる。
卵とケチャップと、バターでいためた香ばしいライスと、その中に混ざるやや塩気のあるハムの小片の硬い歯ざわりと、柔らかいマッシュルームの歯ごたえ。
そして、いくぶん、アフアフとなる熱さ加減がいい。熱いオムレツに包まれた熱いライスは、なかなか冷めないのだ。
なるほどこれが本物のオムライスであったか。
一口すくって口に入れては法悦。
二口すくって口に入れては歓悦。
三口すくって口に放りこんでは愉悦。
四口すくって口に入れては酒悦。
おっと、酒悦は福神漬であったか。
いや、だけど、ほんとの話、四口目あたりで福神漬が欲しくなった。
大体オムライスというものは日本独得のもので、その発想の根元は茶巾《ちやきん》寿司だと言われている。
茶巾寿司は、五目寿司を薄焼きの卵で包んだものだ。
薄焼き卵の代わりにオムレツを。
五目寿司の代わりにケチャップライスを。
そういう発想から生まれたもので、ケチャップライスというのは一種の西洋チャーハンである。だから中華の発想もないわけではない。
この組み合わせは誰が考えついたのかわからないが絶妙なものがあるのは確かだ。
オムライスなんてものは子供の食いものだ、ぐらいに思っていると、意外に手ごわい。
大人の味覚に充分耐えうるものだ。
不思議なもので、ケチャップなしで、オムレツとケチャップライスだけを食べるとおいしくない。
甘いケチャップが実に有効なのだ。
また、オムレツとケチャップライスを別々の皿に盛って食べてもおいしくない。
けずりとったときに、柔らかいオムレツが表層なだれを起こすところにそのおいしさがあるようだ。
そうか、そうか、オムライスは、赤いケチャップの帯がなくては成りたたないものであったのか、と思いつつ、消費税こみ千七百五十一円払って卓上にあった楊子でシーハシーハしながら千疋屋を出たのだったが、二軒目の「レストラン吾妻」で、その考えは一挙にうちくだかれたのであった。
オムライス歴訪の旅十日間ぐらいコース、都内名店三店ぐらいめぐり≠フ第二店は、「レストラン吾妻」を選んだ。
この店は、テレビのグルメ番組の、オムレツ特集≠ネどには必ず出てくる名店なのである。
オムライスのつくり方が、他の店とちょっと違う。
この店は、創業大正二年の洋食の老舗で、吾妻という名前もいかにも由緒ありげだ。
ここのオムライスは、他の店とどのように違うか。
さきほどの千疋屋のオムライスは、客が自分でなだれを起こしたのに対し、吾妻のオムライスは、店側がなだれを起こすのである。
千疋屋のなだれは、部分なだれであるのに対し、吾妻のは全域なだれである点も違う。
しかも人工的な大なだれで、臨場感あふれるなだれなのである。
まずケチャップライスを皿に盛り、その上から出来たてのオムレツを、合わせめを上にしてのせる。ケチャップライスの上のオムレツの合わせ目は、パックリと割れて、裏返しになりつつライスの上からなだれを打ってくずれ降りていく。本来なら表になる側が内側になるわけだ。
客の前のオムライスは、たった今噴火したばかりの火山のマグマのように、盛んに噴煙(湯気)をあげ、いまだ崩れ落ちていくのをやめない。
まことに臨場感あふれるオムライスなのである。考えようによっては親子丼の鶏肉なし、卵だけの具がかかったケチャップライス≠ニみることもできる。
そして、その裾野には、ケチャップではなくドミグラスソースが湖のようにとり囲んでいるのである。
うーむ、こうなると、オムライス・ケチャップ盟約説はあやういものとなってくる。
オムライスとケチャップの組み合わせは、不動のものではなかったのだ。
そして、ここのケチャップライスの肉は、チキンが使われている。
オムライスの楽しみは、きちんと紡錘形にまとめあげ、ととのえられたものを、少しずつこわしていくところにあるのだが、この店のオムライスは最初からこわれている。
何となく、噴火のあとの崩落、漏水などの事故の、あと始末をしているような気分がないでもない。食事全体が、そのあと片づけに終始しているような気がしないでもない。
歴訪の旅三軒目は、「たいめい軒」である。
この店は、ほんとうに繁盛している店で、時分どきをはずしても、客の切れ間がない。
洋食屋ではあるが、メニューにラーメン(六百円)もあるという大衆性がうけているのかもしれない。
一階のオムライスが千六百円で、二階のオムライスが二千円。
まず一階のを食べ、二階のと食べくらべてみようと思ったのだが、オムライスというものは意外にボリュームがあるもので、オムライスのおかわりは到底無理であった。
「たいめい軒」のオムライスは、正統そのものであった。
形といい、大きさといい、色といい、オムレツの焼きぐあいといい、どれをとっても、誰もが予想したとおりのオムライスなのである。
むろん、まん中には、赤いケチャップの帯がかけてある。
ここのケチャップライスの肉はハムで、それもスモークの香りが強い。ライスはいくぶんベッチャリ気味で、玉ネギが少し生っぽく、そのシャリシャリ感がなかなかいい。
オムレツの焼きぐあいが見事だ。
厚さ三ミリ。全域のどこにも、ケシ粒ほどのこげ目さえなく、しかし表面はしっかりと焼かれていて、それでいて、皿の上にはジワリと卵の汁がにじみ出ている。
すなわち、表面は硬く、内側はドロリの理想的なオムレツなのである。
時間は午後の四時。
さすがに客の入りは少ないが、それでも、あっちの隅に四人、こっちに三人、あそこに二人と、全部で二十人ぐらいの客が、夕暮れ前の食事をとっている。
季節は歳末。
ガラス越しの街は、すでに暗い。
中途はんぱな時間に、洋食屋の片隅で、身にそぐわないオムライスを一人で食べていると、なんだか人生の片隅でオムライスを食べているような気持ちになってくる。
オムライスを守り抜いている老舗の洋食屋の自負と不安が、そのままこっちにのりうつってくるような気がする。
この冒険の旅は、はたして成功だったのだろうか。
どうもこの、スプーンがいけない。
卵まじりの味つけめしを、スプーンですくって口に持っていくこの行為は何かに似てはいないか。
ボケかけた老人の食事に似てはいないか。
徘徊を間近にひかえた方々の食事は、たしかこのような形態であったような気がする。
このままスプーンをパッタリ落とし、レジの前を無言で素通りし、立ち騒ぐ店の方々をふり切って、あのガラス越しの暗い街の闇の中へ、徘徊の旅に出ていきそうな自分を感じるのであった。
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夜行列車とフランス料理
行楽の秋。
食欲の秋。
「どっか行って、うまいもんでも食ってみっか」
と誰しも思う。
「どっかへ行き|ながら《ヽヽヽ》、うまいもんでも食ってみっか」
とは誰も思わない。
だが最近の旅行システムは、そういうことも可能なのである。
超豪華寝台特急「北斗星」は、それができる。
上野から北海道へ行きながら、超豪華フランス料理のフルコースが食べられる。
しかも、寝台車だから、寝ているうちに北海道に着いてしまう。
食べながら、寝ながら、北海道に行ける。
この列車には、シャワー室もあるというから、シャワーを浴びながら、体を洗いながら、北海道に行ける。
それからこれは、非常に許しがたいことなのであるが、ツインベッドの個室もあるというから、男女のカップルが何かしているうちに、北海道に着いてしまうということもあり得るのである。
ほかのことはどんなことをしてもいいと思うが、そのことだけは許しがたいと思う。
というような、非常に魅力にあふれた列車であるがゆえに、数あるブルートレインの中でも、「北斗星」の人気は高い。
滅多なことでは切符はとれない。
中でも人気の高いのは、一人用デラックス個室「ロイヤル」で、全車両中たった四室しかなくて、これは発売と同時に売り切れてしまうそうだ。
どういうふうにデラックスかというと、広さはおよそ三畳。
ここに、赤いモケット張りのベッド、回転チェアー、デスク、VTR用テレビが置かれ、シティホテル風布張りの壁には金色の額ぶちに入った油絵がかかっていて、この部屋のほかにシャワールーム、トイレ、洗面ユニットがつくという豪華版である。
つまり、豪華なワンルームマンションの一室だと思えばいい。
あとは、ふつうの個室が十室、デラックス二人用個室が八室、ふつう二人用個室が七室、そしてですね、あとの全部は、昔懐かしい、というか、いまわしいというか、のろわしいというか、難民収容所風の四人用二段ベッド個室なのである。
言ってみれば、王侯貴族用の列車に、出かせぎ人用の車両をつなげた、といったような趣《おもむき》がないでもない。
そしてですね、今回、われわれが獲得できた切符というのが、まさにこれだったのです。
われわれというのは、編集部のS氏、I氏、W氏(勤続年数順)と、ぼくの四人。
少数の王侯貴族と、多数の出かせぎ人を乗せた「北斗星三号」は、十七時十七分、暮れなずむ上野駅十三番線ホームを離れたのであった。
われわれ四名の個室は、どのくらい豪華であったか。じゃなかった、豪華でなかったか。
まず油絵がなかった。
回転チェアーがなかった。デスクがなかった。テレビがなかった。シャワールームもトイレも洗面所もなかった。
そしてドアがなかった。
これが一番こたえた。
通路との間に、何の仕切りもない。
そのかわりハシゴがあった。
上のベッドに這《は》いあがるハシゴである。
このハシゴの存在がこたえた。
邪魔なうえに、なんだかミジメな気がする。
部屋の広さは、およそ二・五畳。
王侯貴族のほうは、三畳に一人なのに、こちらは二・五畳に四人なのだ。
そこのところへ、二段ベッドの二階用のハシゴが突き出ているのだ。
この「ハシゴ突き出しの二・五畳」で、大の男が四人、札幌までの十六時間を暮らすのだ。
王侯貴族のほうは、「単なる上方の空間」とみなしているところへ、人間が二人横たわって寝るのだ。
言ってみれば、これはタコ部屋である。
とりあえず、ということで出かせぎ四人は、タコ部屋の階下のほうで、缶ビールをカチンとぶつけあって乾杯。
食通のW氏が、わざわざ上野タカラホテルの裏のキムチ横町で購入してきた大根キムチがビールによく合う。
実にうまい。実にうまいが実にくさい。
二・五畳の部屋に、大の男が四人ひしめいているだけでもくさいのに、キムチが加わって更にくさくなった。
しかし、われわれには、輝かしい未来があった。
いまでこそ、こうしてタコ部屋でキムチをかじってはいるが、七時半ともなれば、赤いジュウタンを敷いた部屋で、超豪華フランス料理のフルコースを味わうのだ。
さっそく偵察してきたS氏の言によれば、食堂車「グラン・シャリオ」は、赤いジュウタンが敷かれ、純白のテーブルクロスの上には蘭の花が生けられ、赤いスエードのスタンドが、卓上の銀のナイフやワイングラスを、たおやかに照らしているという。
食堂車は予約制で、定員二十八席。
この列車の乗客全員が利用するわけではない。
しかもわれわれが予約したのは、一番高い八千円のフルコースなのだ。
「なめんじゃねえ」
とS氏がいきどおり、
「いまにみてろよ」
とI氏がつぶやく。
それにしても、「タコ部屋」から「蘭の花のテーブルへ」のギャップは大きい。
「キムチ」から「フランス料理フルコースへ」のギャップも大きい。
日本の住宅事情と、グルメ状況そのもののようなギャップである。
W氏が「ロビーカー」というのを発見してきた。
いわゆる展望車で、ここは、乗客なら誰でも利用できる。
われわれは早速そこに移住することにした。
広々としたところで、広いソファがあり眺めもいい。足も組めるし背のびもできる。
天井のつかえもない。
しばらくはここで暮らそう。
まさに愁眉《しゆうび》を開く思いであった。
自動販売機から、改めてビールを買ってきて飲む。
ロビーカーには、われわれ同様、ここに住みついて住民化している一団があった。
首に手ぬぐい、足にスリッパというおとうさんたちで、テーブルの上には、さきイカ、ピーナツ、ワンカップ、ジュースなどが散乱していて、かなりできあがっているようすであった。
若い女性が通ると、「ジュース飲んでかない?」などと、なんだか特飲街の女たちのようなおとうさんたちなのであった。
われわれのタコ部屋車両は、一番うしろについているので、ロビーカーに来るまでに様々な個室の横を通る。
ドアが開いていれば、当然中が見える。
当然、われわれは中をのぞきこむ。
「ロイヤル」の横も通った。
はたして、金色の額ぶちの油絵がかかっていた。テレビもあって、天井が高いのが何よりうらやましい。
しかし、列車の旅行に油絵は必要だろうか。
車窓の景色は様々にうつり変わるし、テレビだってあるのだ。
こんなところで、しみじみ油絵を鑑賞したりするものなのだろうか。
この油絵は、どう考えても、われわれタコ部屋の住民に対する嫌がらせのためにかけてあるとしか思えないのだ。
「一人部屋ふつう」の横も通る。
「一人部屋デラックス」の横も通る。
一人部屋の住人は、概して、大人しくて善良な人が多いようだ。
油断がならないのは、二人部屋の連中である。
むろん「孝行息子とその母」というような善良な組み合わせもいるが、「よこしまな考えを持つカップル」というのも当然いるはずだ。
この列車が上野駅を発車したときも、発車するやいなや、
「シャワールーム、もう使えますか」
と、二人部屋の青年が、車掌に訊いているのをぼくは目撃しているのだ。
この青年の言動に、なにかこう、非常にあせっているものを感じたのだが、考えすぎだったろうか。
七時半。
約束の時間がきたのだが、六時からの客が長びいているとかで待たされて、結局、われわれの「グラン・シャリオ」入りは八時近くになってしまった。
二十八席を二回転していたのだ。
われわれは、居住する部屋の雰囲気はおくびにも出さず、上品に案内されて上品に席についた。
ナプキンを上品にヒザの上に置く。
窓には、内側に白いレースのカーテン、その上に赤いビロードのカーテン。
天井には、小ぶりながらもシャンデリアが一個。
われわれは全員上品にメニューを手にした。
だが、よく見ると、われわれのななめ向こうの席のおとうさんは、首に手ぬぐいを巻いている。
ややや、ぼくらの隣のテーブルには、なんと、幕の内弁当の黒いお重が運ばれてきたぞ。
そうなのだ。「グラン・シャリオ」ではあるが、ブリの照り焼きや、ハマチの刺身なども出すのだ。お新香も出るのだ。
われわれの八千円のフルコースのメニューは次のようなものだ。
鴨のフュメ、オレンジ風味
コンソメスープ花売娘風
手長海老の衣焼きデュクセル風
青|林檎《りんご》の氷菓
牛フィレステーキ菜園風
サラダ季節の生野菜
特選フランスチーズ
デザートとフルーツ
珈琲又は紅茶 パン又はライス
われわれはこのほかに赤白のワインもたのんだ。
ステーキは、ちゃんと焼きかげんを訊いてくれる。
料理の飾りつけは実にすばらしかった。
超高級フランス料理店と比べて、少しも遜色《そんしよく》のないものだった。
鴨のフュメは、鴨の肉を一枚ずつナナメにずらし、そのあいだあいだに、オレンジとアスパラをはさんであった。
こういう細かい飾りつけが、揺れる列車の中で行われたというところに深い意義があるのだ。
菜園風だとかデュクセルだとか、花売娘風とかいう表現は、「表現の自由」という意味からいって、なんら非難されるべきものではない。
シャガールやダリたちの、自分の絵のタイトルのつけ方をみて、「なんとでも言えるものだなあ」と思うように、料理だって、なんとでも言えるのだ。
郡山で食事が開始され、「鴨のフュメ」を食べているときに二本松を通過、スープを飲み終ったときが福島であった。
ぼくらの隣の席はフルムーン風の夫婦で、このフルムーンが幕の内だった。
このフルムーンには会話がない。
夫も妻も、黙然と窓の外を見、料理を口に運ぶ。
ビールの小ビン一本と、徳利形のワンカップ一本をとり、夫は手酌でこれを飲む。
居酒屋などでも、最初の一杯だけはおねえさんがお酌をしてくれたりするが、このフルムーン妻はそれもしない。
ただ、ワンカップの途中で、アルコールが効いたらしく、二、三の会話が交わされ、われわれもホッとしたのだが、そのあとまたパッタリと会話は途絶えた。
食事終了までの一時間半の間の、この夫婦の会話の総量は、二百字詰め原稿用紙に半分も満たないのであった。
デザートのときが仙台。
こっちはただ単に食事をしているだけであり、列車はただ単に前へ前へと走り続けているだけなのだが、両者の目的はぴったりと一致して双方に大きな利益をもたらす仕組みになっている。めでたいことである。
夢のようなフランス料理を食べ終え、デザートのチーズを赤ワインと共に食べ、コーヒーを飲み、高貴で優雅な晩餐《ばんさん》のひとときを過してタコ部屋に戻る。
キムチの匂いがまだあたりに漂っている。
ひと休みしてからシャワーを浴びに行くことにした。
シャワー室は二室あって、カード(三百十円)を買えば誰でも利用できる。
ワンルームマンションのシャワーユニット風のつくりで、ドアを開けて入ってカギをしめ、とりあえず着ているものを全部脱ぐ。
利用時間は一人三十分で、カードを使ってお湯の出る時間は六分だと書いてある。
シャワー室のすぐ横は通路で、人が行き交っていて話し声もすぐそばで聞こえる。
シャツを脱ぎ、靴下を脱ぎ、パンツを脱いでいくわけだが、列車の中で全裸になるのは生まれて初めての経験だからなんだかとても恥ずかしい。
(列車の中で、すっ裸になったりしてもいいものなのだろうか)
という思いがしきりにする。
なんだか痴漢になっていくような気がする。
痴漢の準備をしているような気もする。
全裸になって初めて気がついたのだが、石けんがない。
所定のところへカードを差しこむと、突然お湯が出始め、突然、5・59秒という表示が出る。5・58秒。5・57秒。5・56秒……と、持ち時間が刻々と減っていく。
なんだか非常にあわてて、シャワーを体にあてる。
5・52秒。5・51秒。5・50秒。5・49秒。
こうしてはいられない、という気になる。
石けんでもあれば、それを体に塗りたくったりすることもできるのだが、それもできない。
5・48秒。5・47秒。5・46秒……。
さらに、こうしてはいられないという気になる。
体にシャワーをあてる以外にすることはないのだから、これでいいのだが、こうしてはいられない、という気になる。
なんだか物狂おしいような気持ちになって、体のあちこちにシャワーをあてる。
列車はときどき激しく揺れるから、左手で把手《とつて》につかまり、右手でシャワーを使う。
左手を使うことはできないから、お湯はただ意味なく体の側面を流れ落ちていくだけだ。
「いつまでもこんなことをしていて、一体何になるのだ」と思う。
左手で体をこすろうと思うのだが、左手をはなすのはキケンだ。
男が全裸でころぶのは、いろんな意味でキケンだ。
そうやって、ほとんど意味のない六分間をシャワー室で過し、再び衣服をつけて外へ出た。
あとはもうタコ部屋に戻って寝るだけだ。
三人とも、カーテンを引いて、すでに眠ったようだ。
とりあえずあお向けになって毛布を胸元までかける。いやに重い毛布が、タコ部屋の感をいっそう強くする。
ガタゴトン、ガタゴトン。
車輪が、レールを一本ずつ、丁寧に乗りこえていく音が、枕の下から聞こえてくる。
うとうとして、車輪のきしむ音で目を覚ますと、外は青森駅だった。時刻は午前二時二十分。
三時五分、いくつかのトンネルを通過したあと、列車は青函トンネルに入った。
深さ百四十メートルの海底から、更に百メートル下の地下を通過するわけだが、窓から見えるのは、いつも見なれているただのトンネル風景である。
翌朝五時半、目を覚ますと、窓外の景色はすでに北海道になっていた。
九時三十七分、札幌に着く。
十六時間二十分、われわれは揺れ続けながら生活してきた。
何をするにも、われわれは揺れていた。
揺れながら水を飲み、揺れながら食事をし、揺れながら用を足し、会話を交わし、そして眠った。
震度にたとえるなら、基本的には震度3で、そこに震度4や震度5が加わる。
われわれ四人は、地震にはめっぽう強い体質になって、朝の札幌駅に降りたった。
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東京港夢のクルージング
前回、寝台特急「北斗星」に乗って、フランス料理を食べながら北海道にいっしょに行ったI青年が、
「また、何か乗り物に乗って、お食事をしながらどこかに行きましょうよ」
と言う。
乗り物に乗ってお食事をしながらどこかに行く≠ニいうことが、すっかり気に入ってしまったらしい。
「前回は列車だったから、こんどは違う乗り物がいいな」
とも言う。
違う乗り物というと、あとは飛行機と船ということになる。
飛行機での食事は、これはもうあたりまえみたいなもので、いまさらどうということもない。
船での食事というのは、いまブームになりつつあるらしい。
クイーンエリザベスII世号などは特に有名だが、それほど大がかりでないクルーズプランも、どこも予約でいっぱいだそうだ。
豪華客船の豪華キャビンの豪華レストランで、豪華フランス料理フルコースを、豪華ワインを飲みながら食べるというのもわるくない。
飛行機、船のほかには、乗り物に乗ってどこかに行きながら食事をする方法としては自転車がある。
われわれは実際に、こうした光景をしばしば目にする。
自転車に乗ってお食事をしている人たちをテレビなどでよく見かける。
トライアスロンという競技をしている人たちは、みなこのようにしてお食事をしている。
自転車をこぎながらバナナを食べている。
バナナを食べることは、彼らにとって非常に重要なお食事である。
自転車の場合は、バナナがせいぜいで、自転車をこぎながら豪華フランス料理を、というのは少々無理のようだ。
そこで結局、「船」ということになった。
I青年がすばやく、「東京港トワイライトクルーズ」というものを見つけてきた。
「エートですね、新造観光船シンフォニーというのに乗ってですね、フランス料理フルコースとワインを楽しみながら、二時間半にわたって東京港を一周するのです」
「うーん、いいですね。トワイライト≠ニいうのが何ともロマンチックでいいなあ」
「ところがですね、このプランは『はとバス』のプランでしてね……」
「なに? はとバスのプラン? 何だか不吉な予感がするなあ」
「船でのお食事の前にですね、東京タワーに……」
「まさか登るんじゃないだろうね」
「登るんです」
はとバスと聞いたときに、これは何かあるな、と思ったのだが、やはり何かあった。
「だけど、船上でのフランス料理と、東京タワーと、何か密接な関係があるのだろうか」
「多分ないと思います」
「切り離してほしいなあ」
「多分切り離せないと思います」
「船上でのフランス料理フルコースだけでいいんだけどなあ」
「こう考えたらどうでしょうか」
「……?」
「はとバスが、東京タワーをおまけにつけてくれた、と」
「あ、その考え方なら、とてもよく納得できるね」
「すなわち儲かった、と」
「大儲け、だと」
われわれは急に心から納得して、「夜景の東京タワーとシンフォニー」というコースに申しこんだ。
料金は八千九百二十円である。
われわれはそのときは知らなかったのだが、あとになって、このコースに於る、東京タワー≠ェ実に大きな役割をはたしていることを知らされることになるのである。
東京駅の南口に、はとバスの発着所がある。
そこのとこに、夕方五時集合で、出発は五時二十分。
ぼくは四時四十五分に、東京駅の南口に着いてしまった。
ブラブラするよりほかはない。
すなわち、東京駅南口周辺をブラブラする。
ぼくはそのときは知らなかったのだが、あとになって、このブラブラが、今回のこの原稿に大きな役割をはたすことになるのを知らされることになるのである。
ブラブラしていると、「ドリンクコーナー」というのを発見した。
いわゆるドリンク剤専門のコーナーである。
(そういえば、カラダちょっとだるいナ)
と、ドリンクコーナーを見たとたん、急にカラダがだるくなったので、フラフラと近寄っていった。
何を飲もうか。
どういうわけかどのドリンクにも値段が出ていない。
「滋養強壮剤セパホルンZ(人参ドリンク)」というのを発見した。
Zの文字に、なぜか心惹かれた。
かなり効きそうな感じがあったが、かなり高そうな感じもあった。
千円札の二、三枚は取られそうな感じがあった。
ええい、ままよ、と勇猛をふるってそれをたのむと、「三百九円です」と言う。
すごくうれしかったが、同時にすごくがっかりした。
三百九円では、それほど期待はもてない。
それからまたブラブラしたのち「有料トイレ」というところに入った。
入口のところに、
「気持ちよく御利用いただくために管理人を常駐し、トイレットペーパー、石鹸、タオルを用意してあります。お客様の任意によるチップ方式ですので、趣旨御諒解の上、御賛同いただけますようお願い申しあげます」
と書いてある。
トイレットペーパーはともかく、石鹸にタオルとあっては、チップは三百円ははずまなければなるまい。
そう思って中へ入ってみると、石鹸とは、緑色の液体が容器に入っていて、下側の棒を押すと出てくる例のやつのことであり、タオルとは、下にたれさがっているのを引き抜く例の紙タオルのことであった。
従って、チップは急に三十円ということになった。
利用者各位の思いは同じらしく、チップの箱には十円玉がほとんどで、中には五円玉さえ混ざっている。
御趣旨はあまり御諒解いただけてないもののようであった。
さっきのドリンクが三百九円。このトイレが三十円。早く着きすぎたために、計三百三十九円の出費となった。
五時二十分。
総勢四十三名を乗せたはとバスは、東京駅南口を出発した。
四十三名の内訳は、町内会風団体十七名を軸に、われわれ二名、OL二名、中年夫婦六組という構成であった。
ガイドのおねえさんに訊いたところでは、意外にも、全員東京もんであるということであった。
ガイドのおねえさんの説明によると、東京タワーは、ことしで創立三十周年、これまでに登った人は一億人に達するという。
「しばらくの間、東京の夜景を楽しみながら、ドライブをお楽しみください」
と、おねえさんは言うが、そう急に楽しめ、と言われて、じゃあすぐに楽しみます、という心境にはなれないものだ。
わりきれない気持ちでいるうちに、バスは早くも東京タワーに到着した。
ただちに記念撮影ということになる。
東京タワーの下で、記念撮影用にしつらえてある台や椅子に、立ったりすわったりして、「ハイ、右はじの人もう少し左に寄って」などと言われながらフラッシュを待つ。
そのすぐ周りを、|東京の人《ヽヽヽヽ》がジロジロ見ながら通る。
OL二名は、
「早く撮っちゃってよ。恥ずかしいじゃないの」
とあせる。
それからわれわれは四列に整列して、「長崎県皇居奉仕団」の御一行様といっしょに、エレベーターの前に並んでエレベーターを待った。
「奉仕団」の女性のほうは、例外なく、奉仕団のユニフォームたる白い割烹着《かつぽうぎ》を着用に及んでいる。
エレベーターに乗りこむと、扉の横に大きく、「耳がヘンになったら大きく息を吸いこんでください」と書いたものが貼ってある。
割烹着が、
「耳がヘンになったら大きく息を吸いこめばなおるんだと」
と隣の割烹着に告げる。
目の前に大きく書いて貼ってあるんだから、わざわざ口に出して言わなくてもわかるのッ。
あっというまにエレベーターは、地上百五十メートルの展望台に到着した。
目の前にひろがる東京の夜景に、「奉仕団」はそれぞれの感想を口々にもらすのだった。
感想はいずれも短いもので、
「ンマー」「ヒャー」「アレー」「ウワー」「きれー」
といったようなものであった。
展望台には、われわれはとバス一行、「奉仕団」のほかに、福島県の中学の修学旅行、アベックなどがいた。
どういうわけか、夕暮れの展望台にはアベックが多いのだ。
どうしてなのかなあ、と思っていたら、アベックがあちこちでキスを始めた。
もうほんの、三十センチすぐそばに人がいるのに、平気でキスをしているのだ。しかも濃厚なやつをだ。
キスばかりでなく、ヘビのように体をからみあわせているのだ。
ぼくは、血が逆流するほどの怒りを覚えた。
こいつらを取り締まる法律はないのか。
ないならすぐに臨時立法でも緊急立法でも何でもいい、奴らを取り締まる法律をつくれ。
国はいま何をなすべきか、それを考えてほしい。イラクの問題も大事だが、この問題だって緊急を要する大問題だ。
たしか「東京港をクルーズしながら豪華フランス料理フルコースを食べる」という話だったと思うが、こんな東京タワーの展望台上の話ばかりしてて大丈夫なのか、と、読者諸賢はいぶかり始めたことと思う。
しかし、こうしたとりとめのない話が、いかに重要な役割をはたしていたかということを、読者諸賢はあとになって知ることになるのである。
ヘビのようにからみあって、すぐ目の前でキスをされても、ぼくはいい。ぼくは我慢する。
しかし、福島から出てきた純真な中学生の目にはどう映るか。ぼくはそれが心配なのだ。
それをこうして、歯ぎしりしながら憂えているのだ。
政府当局に、一考をお願いして話を次にすすめよう。
目の前の事態を憂いつつ、心を残しつつも、バスの集合時間が迫ったので現場を離れなければならなかった。
六時三十分、四十三名|遺漏《いろう》なくバスに戻ってただちに出発。
六時四十五分、東京港日の出|埠頭《ふとう》着。
七時〇〇分、乗船開始。
はとバスは、実に正確にスケジュールをこなしていく。
「シンフォニー」は千百トン。三階建ての白い船だ。
タラップを登って乗船すると、「最大積載人員六百二十名」と大きく書いたプレートが貼ってある。
一行のおばさんの一人が、
「最大積載人員六百二十名だって」
と隣のおばさんに告げる。
目の前に大きく書いて貼ってあるんだから、わざわざ口に出して言わなくてもわかるのッ。
こういうおばさん同士というのは、例えば「寅さん」の映画をいっしょに見に行って、おいちゃんとおばちゃんが寅の悪口を言ってたりすると、
「こういうときに寅さん、ひょっこり帰ってくるんだよね」
なんて言いあいながら、うなずきあったりする仲なのだ。
乗船すると、ただちに全員テーブルにつく。
テーブルの上には、パンと、白ワインがワイングラスに一杯ついである。
いよいよ東京港クルーズ豪華フランス料理フルコースの夕べが開始されるのだ。
まず「ハム盛り合わせ」というのが出た。
皿の上に、ハム一枚と、サラミソーセージ二枚と、四角いソーセージが一枚。それに白身魚のスモークが一枚。
白ワインを優雅に飲みながら、この一皿を片づけると、次に「ビーフシチュー」が出た。
ふつうのビーフシチューではなく、下に幅広のスパゲティが敷いてあって、その上に角切り風の牛肉が八個のっていて、その上にキヌサヤが四枚散らしてある。
ウーム、どうもなんだか様子がヘンだぞ、と思いながらも、次の料理を待つことにした。
豪華フランス料理フルコースにしては雲行きがおかしい。
次にやってきたのはコーヒーであった。
すなわちこれでおしまいなのであった。
I青年とぼくはすっかり青ざめ、あらためてパンフレットを取り出した。
パンフレットには、
■コース名=「夜景の東京タワーとシンフォニー」。
■コースガイド=新しいイルミネーションで夜空に浮かぶ東京タワーからの展望と豪華観光船でのどかな船旅。
■コース内容=東京タワー→東京港トワイライトクルーズ・新造観光船シンフォニー(食事と飲物付)。
としか書いてない。
どこにも「フランス料理」の文字もないし「フルコース」の文字もない。まして「豪華」の文字などどこにも見当らない。
「これはいったいどういう……」
と、I青年があわててもう一つのパンフレットを取り出した。
これははとバス全体のパンフレットで、われわれの「東京タワーとシンフォニー」の隣が東京夜の味めぐり≠フコースで、そこにフランス料理の写真が載っている。
その写真を、われわれは、われわれのコースの料理だと勘ちがいしてしまったのだ。
「フランス料理」は(間違い・そのI)であり、「フルコース」は(間違い・そのII)であり、「豪華」は(間違い・そのIII)だったのだ。
ただの〔食事と飲物付〕を、われわれが勝手に、〔豪華フランス料理フルコース〕だと思いこんでしまったのだった。
(間違い・そのI)の「フランス料理」は、その経緯からいってわかるとしても、(間違い・そのII)の「フルコース」の誤解はどうして起きたのか。
さらに、(間違い・そのIII)の「豪華」はどこから発生してきたのか。
その答えは実に簡単で、その料理の写真が「フルコース」であり、その内容がとても「豪華」だったからなのだ。
ここにおいて、すべての事実が判明したのだった。
(豪華フランス料理フルコース)の夕べは、突如として、(ハム四枚とビーフシチュー)の夕べに変貌したのであった。
こういう突然の変貌はまことにつらい。
準備万端整えて、四十二・一九五キロのマラソンをスタートしたとたん、道路が陥没して急に中止になったようなものだ。
ハム四枚とビーフシチューの食事はまことに早い。
七時十五分に開始された食事は、七時四十五分にはすべて終了した。
日の出埠頭帰着は九時三十分である。
クルーズとはいっても、夜のことゆえ、はるかかなたに陸の灯が見えるだけだ。
デッキに出て、ただひたすら呆然とし、呆然に飽きたからといってもどうすることもできず、再び呆然とし、呆然に継ぐ呆然で呆然となった。
ですからね、ホラ、東京タワー展望台上のアベックや、セパホルンZなんかが、ずいぶん重要な役割をはたしたってことが、この文章をここまで読んできて初めてわかったと、こういうわけだったのです。
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初体験ディナーショー
クリスマスが近づくと、ディナーショーというものがはやりはじめる。
有名な歌手が、有名なホテルで挙行する夕めしつき歌の夕べ≠ナある。
歌手は誰でもいいというわけではなく、何となくクリスマスが似合う歌手、ホテルが似合う歌手が選ばれる。
ピンカラ兄弟はいけないし、一節太郎なんかも、どちらかというと敬遠される。
ひと昔前だったら越路吹雪、この人はディナーショーが似合った。
梓みちよなんていうのも、どういうわけか、ディナーショー向きで、よくは知らないが、金子由香利という人も、ディナーショー向きといわれている。
男性歌手になると、フリオ・イグレシアス、布施明、郷ひろみ、急に雰囲気が変わって菅原洋一といった路線の歌手。
つまり、何ていうか、愛の歌≠ェらみの人がクリスマスまぢかのディナーショーに似合うというわけだ。
世の中のふつうのおとうさんたちは、こうしたディナーショーとは無縁の生活をおくっている。
ホテルだとか、愛だとか、ディナーだとかとは縁がない。
無縁ではあるが、ディナーショーというものについてのイメージは持っている。
「とにかく暗いんだよね、まわりが」
「小さいテーブルに、二人ですわるんだよね、おんなと」
「でもって、スエードのカサのランプがともって赤いんだよね、テーブルの上に」
「そこで、フランス料理食ってると、近づいてきて歌ってくれるんだよね、歌手が」
「そう。愛の歌を」
「雰囲気盛りあがったとこで、うんと飲ましちゃうんだよね、おんなを」
「で、そのあとどうにかしちゃうんだよね、おんなを」
おとうさんたちのイメージは、まだまだ続きそうだが、とにかく会場の雰囲気としては、近、狭、暗、がしっかりとイメージされているはずだ。
歌手との距離は近く、会場は狭く、そしてあたりは暗い。
どうしたって二人の甘い夜≠フ雰囲気は盛りあがる。
「そういうわけでですね、I君。ぼくも一生に一度でいいから、ホテルのディナーショーというものに行ってみたいと、こう思ってしまったわけなんだよね」
と、ぼくは、編集部のI青年に持ちかけてみた。
「チケット取りましょう。どのホテルのどのディナーショーがいいですか」
I君はいともたやすくひきうけてくれたのである。
クリスマスにはまだ間がある十一月中旬のことであった。
I青年は、あちこちをあたってくれた。
「チケット、ようやく取れました」
「フリオ君とか、布施君とかのやつ?」
「いえ、それが、ほとんどみんなすでに売り切れで、五木ひろしさんのがようやく取れたんですが」
「………」
「あと、古舘伊知郎さんのもまだありますが」
「………」
ここで、ディナーショーの値段にちょっとふれておきたい。
歌手の格ばかりでなく、食事の内容、収容人員などでも変わってくるようだが、五木ひろしさま、四万三千円。八代亜紀さま、三万五千円。郷ひろみさま、布施明さま、森進一さま、ともに三万八千円。
レイ・チャールズさま、五万円。
フリオ・イグレシアスさま、八万円。
古舘伊知郎さまは、一体どういうディナーショーになるのかよくわからないが、お値段は三万円である。
われわれのディナーショーは、そういういきさつで、五木ひろしディナーショーと決まった。場所は新高輪プリンスホテル。
時間は、六時半から九時半までである。
「そこでですね、I君」
「ハイ」
「ディナーショーというものは、一人で行くものではないし、男同士で行くものでもないよね」
「むろんです。男同士で行ったら笑われます」
「問題はそこなんだよね」
「あ、大丈夫です。チケットは二枚用意しましたから、そういうたぐいの方面の女性を伴っておでかけください」
「問題はそこなんだよね」
「わたし、口は堅いほうですし……」
「問題はそこなんだよね」
「あいにくと、そのたぐいの女性を切らしていると……」
「切らしているんだよね、ずうっと」
「でも、一流ホテルの一流歌手の一流ディナーショーで釣れば、たちどころに」
「問題はそこなんだよね」
「わかりました」
I君は、当日、責任をもって、B社のよりすぐりを、総力をあげて送りこむことを約束してくれたのであった。
当日。
グレーのダブルの上着にチャコールグレーのズボン。ネクタイと同系統のポケットチーフというパーティーっぽいいでたちで、ぼくは新高輪プリンスホテルに出かけて行った。
靴はむろん、二光通販で購入した、八センチ身長が高くなるシークレットブーツである。
ロビーの柱の陰から、I君がすまなさそうに現れた。
ぼくはただちに、すべての事情を了解した。
B社が、総力をあげて、I青年を送りこんでくれたのである。
ぼくとI君は、なるべく離れるようにして会場に向かった。
ディナーショーは、ホテル本体とは離れた、「国際館パミール大宴会場『北辰』」というところで行われる。
なんでも、一昨年のIOC総会の会場となったところだそうだ。
長い通路を歩いていくわけだが、会場に近づくにつれ、行き交う人の雰囲気が、ホテルのロビーにいた人たちと少しずつ違ってくる。
五木ファンカラーというか、ひろしファン色というか、そういう雰囲気が少しずつ色濃くなってくる。
全国民謡コンクールの控室というか、盆踊りの夕べというか、そういう身なりのおばさんの一団がいる。
かと思うと、首相主催の芸能人の集い的一団もいるし、まてよ、ここは宮廷晩餐会の会場であったかと錯覚するほどの、金ラメ入りスソひきずりのイブニングドレスに白長手袋のおばさんが数人たむろしていたりする。
かと思うと、熱海芸者研修会風のグループと、PTA役員会御一行さま風が立ち話をしていたりする。
その向こうでは、料亭女将懇親会風と、全国煙草耕作者連合会婦人部風が旧交をあたためていたりする。
もうおわかりだと思うが、客の大半が女性で、しかもおばさん歴十年以上というベテランのおばさんばかりなのだ。
こうしたファンの集いのときだけ再会する、ファン同士というのもたくさんいるようだ。
さて、五木ひろし四万三千円のディナーショーは、いかなる展開になっていくのであろうか。
入口は突然の大ホールであった。
天井の高い体育館のような大ホールで、とりあえずカクテルを飲む、ということになっている。
入口のところにバーコーナーがあって、黒服のバーテンが数人、客の注文に応じてシェーカーを振っている。
ビールやワンカップなどの日本酒はない。
ぼくはダイキリをつくってもらい、I青年はギムレットを注文した。
この広い大ホール内を、民謡と盆踊りと熱海芸者と料亭女将と宮廷晩餐会と芸能人の集いとPTA役員が、ごちゃまぜになって右往左往している。
会場の片隅では、五木ひろしカレンダー、色紙、カセット、テレカなどを販売しており、もう一方の片隅では、グランドピアノとフルートとハープの生演奏が行われている。
ここで三十分ほど過したあと、「ではそろそろ」と本会場に誘導される。
ディナーショーの会場は、つまるところ劇場であった。
本格的な舞台があって、客席のところにディナー用のテーブルが並べてある。
熱海や箱根などの温泉ホテルの、アトラクションつき大食堂をうんと豪華にしたものと言えるし、芸能人などがやる結婚披露宴に大舞台を付けたものとも言える。
こぢんまり、などとんでもない話で、収容人員は七百名。
ここで食事をしながら歌謡ショーを見る、というわけではなく、七時から八時まで食事、八時から九時三十分まで歌謡ショー、というふうに、ショーと食事ははっきりと分かれているのである。
どうもなんだか様子がちがう。
これならなにも、ここでメシを食わなくたって、よそで食べてきてからショーを見てもいいわけだ。
全員席についたところで、まずシャンペンが支給される。
黒服のボーイの数が多い。ざっと数えて百人はいる。
七百人に、きっちり一時間でフランス料理のフルコースを食べさせなければならないわけだから、こうした人海戦術が必要なのだ。
シャンペンのあとオードブル。
トリュフ入りのフォアグラなども配置した本格的オードブルである。
うしろの席の三人づれの女性のテーブルから、「この前のときと同じね」という声が聞こえてくる。
五木ひろしディナーショーの定連らしい。
白いテーブルクロスの卓上には、小ビンのボルドーの赤と白が配備されていて、空けるとお代わりを持ってきてくれる。
テーブルの上には、塩、胡椒のビンはあるが、醤油、ブルドックソース、ラー油などのビンはむろんない。
豪華けんらんの衣裳の方々の中に、ふだん着の上にカーディガンをはおっただけ、というような老婆が一人いる。
どうみても、海辺の漁村の雑貨屋の老婆、という感じである。
オードブルのあとは、カップの上をパンでおおったスープ。
それからヒレステーキ。
さっきの雑貨屋の老婆≠、それとなく観察していると、スープのときのスプーンの扱い方といい、ステーキを切るナイフ、フォークの使い方といい実に見事なのだ。
きっと雑貨屋の老婆などではなく、地方有数資産家令夫人なのかもしれない。
ステーキのあとは、オードブル風シャーベットが出て、コーヒーが出て、これでおしまい。
七時五十五分、すべてのテーブルの上はきれいに片づけられて、いよいよ五木さまの登場を待つばかりだ。
「なんかこう、せめて水わりとか飲みながらショーを見たいとこだよね」
「ナンキン豆でもいいですね」
とI君と話しあったが、会場は緊張した雰囲気で、飲食許すまじの気配が濃厚だ。
七時五十八分、楽団員着席。
なんだかしらないが、胸がドキドキしてくる。
八時〇分。
いきなり八人の体格のいいダンサーが、宝塚歌劇風に飛び出してきてラインダンスを踊る。途中で五木さまが、黒の上下に身を包んで登場して、いきなりラブ・イズ・ア・メニー・スプレンデッド・スィング≠ルか四曲を続けて歌う。
場内の和服のおばさまたちは、暑くもないのに、いっせいにセンスを取り出してカオをあおぎはじめた。
みんな、あらかじめセンスを持参してきているらしいのだ。
五木ひろしショーには、センスは一種の必携品であるらしい。
ロックコンサートの会場の女の子たちの、ペンライトに相当するものなのかもしれない。「五木サーン」という声援が飛ぶわけでなし、かけ声がかかるわけでなし、ロック風総立ちになるわけでなし、ただひたすら拍手だけという実に大人しい観客ばかりなのである。
五木さまの歌が佳境《かきよう》に入り、五木さまの例の腰づかいが激しくなると、おばさまたちのセンスづかいも激しくなる。
場内のあちこちで、センスがさざなみのように波うっている。
歌がさらに佳境に入り、クライマックスのところに立ち至ると、おばさまたちは、センスを激しくつかいながら、こんどはうなずきはじめる。
「うん、そうそう」
というふうにうなずく。
さらに感きわまってくると、さらにうなずきが激しくなる。それがさらに進むと、こんどは隣りの人と激しくうなずきあう。
「ここのところなのよね」
と、激しくうなずきあって、連帯感を分かちあう。
話は少し変わるが、最近の歌謡ショーは、音が大きすぎなくないだろうか。
ロックの影響なのかもしれないが、楽器の音ともどもの大音響で、ガンガン、ビンビン、どれが声やら楽器やら反響やら、歌詞さえはっきり聞こえない。
歌声というものは、もう少し小さな音量で聞くもののような気がする。
四曲歌ったあと、途中、何回かのトークで間をもたせ、歌謡ショーはいよいよ終盤にさしかかった。
八時五十五分、ああ、五木さまは、ついに舞台から客席に降りてこられた。
どっとわきあがる歓声。
おばさんたちも、ついにこらえきれなくなって、ついに声をあげてしまったのだ。
テーブル全部というわけにはいかないが、要所要所のテーブルに立ち寄って、歌いながらファンの握手に応じる。
そのたびにどよめくおばさんたち。
あっちのテーブルから、こっちのテーブルから、おばさんたちがこのときとばかり小走りに走り寄ってきて握手を求める。
スポットライトをあびて、歌いながらにこやかに応じる大スター。
五木さまは、少しずつわれわれのテーブルのほうにも近づいてきた。
ぼくのすぐ前のテーブルの、全員和服の五人づれのおばさんたちの、センスづかいが激しくなった。ものすごい勢いで痙攣《けいれん》的にセンスが動く。
あのあこがれの大スターが、生身で、いま、スポットライトをあびて歌いながら自分のほうに接近してきているのだ。
ぼくでさえなんだか胸がドキドキしてきた。
五メートル、四メートル、そしていま、二メートル。
も、もし、こ、このテーブルに、い、い、五木さまがいらっしゃって、あ、握手の手をさしのべられたりしたら、ど、ど、どうしよう。
こ、こんばんは、なんちって、ご、ごあいさつしたほうがいいべか、などと、もう本気で心配して思わず中腰になってしまったほどだ。
やはり大スターになる人には、それなりの威光というようなものがあるようで、本当に背中がゾクゾクして、思わずテーブルの下にかくれようとしたくらいだ。
しかし五木さまは、最大接近時二メートルで急に方向転換して、北北西の方面に去っていってしまわれた。
心の底からホッとして、椅子にすわりなおしたときには、掌にいっぱい汗をかいていたのだった。
一人のおじさんが駆け寄って、五木さまの首すじのあたりの汗をふいてあげている。
気色のわるいことをするおじんだな、と思って見ていると、このおじさんはこのハンカチを、つれのおばさんに誇らしげに渡している。
すなわちこのおじさんは、五木ひろしの汗のついたハンカチ≠即座に作製し、これを戦利品としてつれのおばさん(多分奥さん)に与えたと、こういうわけだったのだ。
ハンカチの周辺の人々から、どっと歓声があがっている。
最後に、五木さまが、パッパパラリラ、ピーヒャラピーヒャラの替え歌を歌うと、場内にどっと手拍子がわきあがり、おばさんたちもようやくそれなりの盛りあがりをみせるのだった。
大スターは舞台にもどり、もう一曲歌い、歌いながら舞台の奥に消えると、おばさんたちは、アンコールを求めるでもなく、そそくさとセンスをしまい、急にふだんの顔にもどり、そそくさと会場の外に出ていくのだった。
単行本 一九九二年三月 文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 平成七年三月十日刊