東海林さだお
東京ブチブチ日記
目 次
春先のお出かけ
服  飾
食 味 評 論
温  泉
テレビ・ウォッチング
待  つ
自動車教習所教官の反論
洗  濯
おじさん症候群
カ  ニ
小 唄 入 門
は と バ ス
三 行 広 告
ガイジンの日本観
清涼飲料水
八 丈 島
スポーツの持つ病い
夏の終わりの民宿
春先のお出かけ
春先のお出かけは楽しい。
心がウキウキする。
ポカポカと陽気のいい日は、用事がなくとも外を歩きたくなるものだ。
桜だよりもチラホラし始めた三月の初旬、ぼくは用事があって新宿まで出かけて行った。
用事といっても大した用事ではなく、商売用のケント紙を買いに行ったのである。
漫画はケント紙というものに描くことになっている。
西荻窪《にしおぎくぼ》から新宿まで電車で十四分、お出かけの規模としては、まあ、わりあい小規模なお出かけである。
規模としては小さいが、商売物の仕入れ、という意味から考えると、かなり重要な使命を帯びたお出かけということもできる。
お寿司屋さんが魚を仕入れに行くようなものだ。これは商売の根幹をなす重大な用事である。
ケント紙は一枚十円である。これを三百枚ほど仕入れてくるつもりである。仕入れ総額三千円。
使命としては重大なお出かけではあるが、金額的に考えればそう大したお出かけではない、ということもできる。
規模極小、使命重大、金額|僅少《きんしよう》、といったようなお出かけだったのである。
出かける前にお出かけ全体のプランを練った。時計を見ると午後一時半、まだ昼食はとっていない。
そこで、次のようなスケジュールを作りあげた。新宿に着いたら昼食、そのあとケント紙購入、帰宅、という綿密で一分のスキもないスケジュールができあがった。
「グアム島四日間、朝夕食事付き、初日島めぐり二日間フリータイム、七万八千円」
などというスケジュールには及ばないながらも一応の旅行プランというものを練りあげたのである。
昼食は天丼《てんどん》、という構想も追加された。
天丼はおよそ八百円、新宿までの往復費用三百六十円、ケント紙代三千円、総費用四千百六十円、という金額も計上された。
こうした壮大かつ綿密なスケジュールのもとに、ぼくのお出かけは開始された。
西荻窪の駅で、総費用の中から百八十円を取り出して切符を購入しホームに上がる。
初春の午後の太陽はポカポカと暖かく、下から吹き上がってくる春風が頬に心地よい。
駅でタバコを吸っているおばさんに関する考察
ホームは閑散としていた。
おばさんが一人、ベンチでタバコを吸っている。駅のホームでタバコを吸っているおばさんをときどき見かけるが、彼女たちはいつも確信に満ちてタバコを吸っている。
嫌煙権とか、肺ガン説とか、そういった世の中の動きとはわたしは一切関係ありません、という態度でタバコを吸っているものである。
西荻窪のおばさんも確信に満ちてタバコを吸っていた。
上流、という感じではなく、ごく普通の、「下駄ばき」風のおばさんである。
電車がくるまでの一服を、心ゆくまで味わっている様子であった。
実にもう、タバコが似合うおばさんなのである。
ズボンをはき、バッグのようなものをヒザに置いてその上に両ひじをつき、前かがみの姿勢になって暗い目つきでタバコを吸っている。おばさんの人生とタバコとは、切っても切れない関係にある様子であった。
口を突き出して煙を吸いこみ、口をすぼめて細く強く煙を吐き出し、
(ああ、いやだ、いやだ)
というふうにタバコの灰を落とす。
おばさんの人生には、いまよくない出来事が起きているもののようであった。
ぼくらの喫煙はかなりいい加減なもので、ただなんとなく煙を吸いこみ、なんとなく吐き出すのだが、このおばさんは違う。
上唇を下唇より前方に突き出して充分すぼめ、勢いよく下方に吐き出す。
煙が唇を通過するときの摩擦感のようなものをも味わっているらしいのだ。
タバコの灰を落とすときは、人指し指を充分に曲げ、ゆっくりと素人っぽくトントンと落とす。
水商売の女の人は、人指し指をまっすぐ伸ばして慣れた感じで落とすが、おばさんは素人だから素人っぽいのである。
吸い終わると、灰皿のところまでトボトボと歩いて行ってきちんと灰皿に吸いがらを入れるのだった。
こういうところも、いかにも「おばさんの喫煙」らしくてなかなかいいではないか、とぼくは思うのだった。
上り電車が三鷹《みたか》方面から、春がすみと共にユラユラとゆらめきながらやってきた。
おばさんはヒザの灰をポンポンと払うとトボトボと電車に乗りこんだ。ぼくも電車に乗りこんだ。
黄色い靴をはいた青年に関する考察
午後一時半ごろの上り電車はいつもすいている。
あいているシートに坐ってふと前方を見ると、ぼくの正面に坐っている青年の靴が目にとまった。
なんと黄色い革靴をはいているのである。
青年は、いまはやりの黒いダブダブのオーバーコートを着て黒のズボンをはき、黒のロングマフラーを首に巻いている。
全体を黒でコーディネートしているのだが靴だけがまっ黄色なのだ。靴のデザインはヒモ式のまっとうなものなのだが、色がこの世のものとは思えない色だ。
いったいこの青年は、この靴をどこで発見して購入したのだろうか。
ぼくはいままで、靴屋で黄色い革靴を売っているのを一度も見たことがない。
よくもまあ探し出したものだ、とぼくは思った。と同時に、こういう靴は、どういうメーカーがどういう目算があって製造したのだろうか、ということが気になってきた。
また、どういうデザイナーが、どういう発想でこういう靴をデザインしたのだろうか、ということも気になってきた。
また、そのメーカーの社長が(あるいは販売部長が)どういう考えで製造OKの決断を下したのか、ということも気になってきた。
いろんなことが気になってきて、ぼくの頭の中は急速に忙しくなってきた。
いずれにしてもこういう靴を製造販売するのはマドラスとか大塚とかの大メーカーではあるまい。
製造OKの決断は下したものの、販売部長としては果たしてこの靴が売れるかどうか大いに危惧《きぐ》したに違いない。
しかし販売部長の危惧をよそに、こうして現にその靴を購入してはいている青年がここにいるのだ。
(よかったじゃないか)
とぼくはその販売部長を祝福してやりたい気持ちになった。
それにしてもこの靴はどこで売っていたのだろう。
山手線沿線、中央線沿線のちゃんとした靴屋ではまずお目にかかることはできない。
イトーヨーカ堂松戸店あたりの「皮革品春の一掃大棚ざらえ」のコーナーの片すみに、そっと置かれていたと考えるのが妥当と思われる。
そうすると、三鷹方面から乗ってきたこの青年が、どういう経路で松戸と結びつくのかということが新たに問題になってくる。
三鷹と松戸では方角が結びつかない。
この問題に取り組もうとしたとき、電車は新宿に到着してしまったので、
(ま、いいか)
とぼくはつぶやいて電車を降りた。
天ぷら屋の名店についての考察
綿密なスケジュールに従えば、とりあえず昼食ということになる。
目指すは天丼である。
新宿三越の裏手に「つな八」という天ぷら屋の名店があるのを思い出した。
ここはまだ一度も行ったことはないが、きょうはひとつ名店で勝負してやろうじゃないか、という気持ちになった。
そういう気持ちになって駅の中央口の改札を出たとたん、左手のほうから立ち食いそば屋のそばつゆの匂《にお》いが流れてきた。
この「そばつゆ」の匂いというものは、いつどこにどういう状態でいても、ついフラフラとそっちに引き寄せられていく強力な吸引力を持っているものである。
まして午後一時半の空腹どき、その吸引力は絶大なものがあった。
ぼくはもうなんの考えもなく、その匂いのほうへ二、三歩引き寄せられて行った。
そうしてふと我にかえってようやく踏みとどまった。
ここで天丼が立ち食いそばに変わってしまっては、きょうの重大な使命を帯びたお出かけ全体に大きな蹉跌《さてつ》をきたすことになる。
しかし「そばつゆ」の吸引力は絶大なものがあるようで、あやうく踏みとどまりはしたものの、上半身は大きくそば屋の方角に傾いていたのである。
ようやく体全体を垂直に立て直し、ぼくは駅の階段を上がって行った。
「つな八」は、山本益博氏の本では一つ星ではあるが名店の聞こえ高い店である。
天ぷら専門店は、夜が勝負の商売で、昼間はサービス天ぷら定食などでお茶をにごしているところが多いらしい。
恥ずかしい話だが、ぼくはこのトシになるまで、ちゃんとした天ぷら専門店で天ぷらを食べたことが一度もない。
デパートの中にある天ぷら屋で天ぷら定食を食べたことがある、という経験しかない。
初体験、しかも名店で、ということになるとどうしても緊張してしまう。
「つな八」は老舗《しにせ》らしい店構えで、店の前には「営業中」も「サービスタイム中」も、メニューの一端を示す貼《は》り紙もなにもない。
ちょっと気おくれがしていったん店の前を通過し、やめようかと思い、それから意を決して引き返し、思い切って引戸を引いた。
戸を開いて、
「あの、あの、あの……」
と全面的にうわずって入って行くと、前面にカウンターらしき所が目に入ったので、
「あの、あの、あの……」
と、人指し指を突き出して上下させながら手近の空いている椅子に坐りこみ、
「天丼!」
と、声だけは力強く発することができた。
すると意外なことに、カウンターの中の人が、
「うち、天丼はやってません」
と言うのである。
ぼくは動転した。
「天丼」としっかり目標を定め、目指す天ぷら屋に無事到着し、無事カウンターに坐り、しっかりした声で「天丼!」と言い、気分はもうすっかり天丼になっているのに、その天丼がないというのだ。目の前がまっ暗になった。
「あの、あの、すると……」
「天ぷら定食になりますが」
カウンターの中の人が言う。
「そうです。それです。天ぷら定食です」
我ながらヘンな言い方だと思った。
天丼がなかったことに動揺していない、たじろいでいない、という態度をとろうとしたせいなのである。
ぼくは少しもひるんでいない、という態度を表明するためにカウンターに片ひじなどついてアゴをなでたりした。
しかし時すでに遅く、周囲の客がいっせいに冷ややかにぼくのほうをチラと見たのである。
(このドシロートが!)
という態度がありありとみえる。
(こんな名店に来て「天丼!」だってサ。アハハハ)
と心の中で笑っているに違いないのだ。
(しかし「天丼!」はまずかったな)
とぼくはうなだれた。
(しっかりした発声だっただけによけいまずかった)
見習いらしい若いのが寄ってきて、
「お飲物は?」
と訊《き》く。
(いまはお飲物どころじゃない)
という気持ちになって断ると、見習いはなんとなく不貞《ふて》くされて引き下がって行った。
(だいたいこういう店に来て「天丼」なんていうくらいだからお金ないんだ、ヤーイ、ヤーイ)
という態度があったように思われた。(なにしろひがんでいるところだから)
しかしこの見習いは、来る客来る客に「お飲物は?」と訊いてはことごとく断られているのである。ヤーイ、ヤーイ。
まずお盆が到着した。
お盆の上には、ゴハン、味噌汁(シジミ)、お新香(青菜を刻んだものごく少量)、紙をのせた皿、お茶、の一式が並べられている。
ぼくが以前デパートの天ぷら屋で食べた天ぷら定食は、揚げた天ぷらをいっぺんに皿に盛って持ってきたが、ここは揚がった順にその都度紙のせ皿の上に置いてくれる方式らしい。二時近い時間だというのに店はほぼ満員である。客は実年男ばかりだ。
昼間の天ぷら屋は実年男がよく似合う。
ぼくのすぐ目の前で、やはり実年の男が天ぷらを揚げている。
天ぷら定食九百九十円、という貼り紙が見える。
突如天ぷら三個が、ぼくの紙のせ皿の上に投下された。
エビとイカとアナゴであった。
(九百九十円の天ぷら定食というとこんなものだろうな)
と思いながらハシをとる。
天ぷら三個で丼一杯のゴハンをまかなうのはかなりの困難が予想された。
天つゆもかなり味がうすい。
ぼくはまずエビ天を天つゆに浸し、突っついたり押し拡げたりして天つゆの充分な浸透をはかった。
エビを半分だけかじりとって残り半分をゴハンの上にのせてゴハンをひと口。
ここでふと、かじりとった半分はゴハンの上にのせるのではなく、専用の紙のせ皿の上に置くのが正しいのではないか、という迷いが起きた。そこであわてて紙のせ皿に置きかえ、置きかえはしたものの次のゴハンを食べるためにまた取りあげてゴハンの上にのせた。食べかけのエビをマゴマゴとあっちこっちへ置きかえたりして、名店での食事は容易ではないのだ。
次にイカを完了し、続いてアナゴに着手し、お新香の配分にも心を配り、ゴハンの残量とのかねあいも見きわめがつき、後顧の憂いがなくなったころ、また突如、ぼくの紙のせ皿の上に白ウオ及び小エビのかき揚げが投下されたのである。
一瞬、ハシを持つ手が空中で止まった。
(なんということをしてくれるのだ)
ゴハンの残量はおよそ三口。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びつつ細々と耐乏生活を送っていたのに、突如大量の援助物資が投下されたのである。うれしい悲鳴というより(余計なことをしてくれた)という気持ちのほうが強かった。
ゴハン大量消費、天ぷら貴重、そういう思想で食事を進行させていたのに突然事態は逆転したのである。
天ぷらは突然貴重でなくなりゴハンのほうが貴重になってきたのである。
あり余る天ぷらと、乏しいゴハンをなんとか組み合わせてようやく食べ終え、ホッとしてお茶を飲んでいると、なんということか、またしても天ぷらが投下されたのである。
ピーマンであった。
(もうッ)
お茶を持つ手が怒りで震えた。
ゴハンなしで、ピーマンだけを味気なく食べる。ようやく食べ終えたとき、隣の客がゴハンの「おかわり」を申請したのである。
ここはゴハンおかわりアリの店だったのだ。それならそれなりの全体の構想の立てかたがあったはずだ。
(この食事は失敗だった)
とつくづく思った。食事の個々の部分は、天ぷらも充分おいしく「成功」していたのだが、全体としてみると明らかに失敗だった。
後悔の念激しく席をたち、うなだれてレジのところに行き千円札一枚出して十円のお釣りをもらい外に出る。
ケント紙購入のほうは大した波乱もなく、商談は順調にすすみ、こちらのほうは全体として「大成功」の出来であった。
ではお出かけ全体としての出来ばえはどうだったろうか。
八百円のはずの食事が九百九十円かかり、総費用としては百九十円の赤字を出してしまったわけだから大成功とはいいがたい。
(ま、いいか)
とつぶやきながら、ぼくは帰りの電車に乗りこむのだった。
服  飾
ぼくは会社勤めをした経験がないので、身仕度に人一倍時間がかかる。
人一倍どころか、二倍、日によっては三倍以上かかることもある。
会社勤めをしたことがないと、なぜ身仕度に時間がかかるのか、会社勤めと身仕度とどういう関係があるのか、エ? ドーナンダ、という疑問が当然出てくると思う。
エートですね、会社勤めの人というのは、毎朝、たとえば七時二十分起床、七時二十五分身仕度、七時三十分朝食、といったような、分刻みの定例行動というものが出来あがっていると思う。
定刻と行動が、常に一致していなければならないと思う。
靴下をはき始めるのが何時何分、ネクタイ締め終りが何時何分、というように、毎日毎日時間に合わせた身仕度をしているはずである。
つまり会社勤めの人は、身仕度のプロなのですね。
ところが、定刻に会社に到着する必要のないわれわれは、そういう訓練を少しもしていない。だから悲しいかないつまでたっても身仕度のアマにとどまっている。
われわれには定刻の思想というものがまるでないのだ。
毎日毎日、寝たいだけ寝て、寝飽きると起きる。
起きると、まずパジャマを脱ぎ捨て、パンツ一つになる。
いうまでもないが、この時点で身につけているのはパンツのみである。
ここから、いよいよ身仕度に取りかかるわけである。
だいぶ前に、自動車の組立て工場を見学したことがあるが、組立て工場の入口のところに最初に登場するのは、シャーシーとかいう車輪もまだ付いてない車の土台だった。
ベルトコンベアに乗って、これが少しずつ移動するたびに、シートとか屋根とか車輪が装着され、エンジンが装着され、内装が施されていって出口のところでは一人前の自動車となって、自《みずか》らエンジンをふかして工場を出て行く。
いってみればこの時点のぼくは、工場入口の土台ということができる。
これからいろんなものが体に装着されていって、やがて一人前の人間になって世間に出て行くことができるようになるのだ。
ぼくの場合、最初の装着は靴下である。
靴下をはくのに、ふつうの人ならものの一分もかからないだろうが、ぼくの場合は数分、場合によっては十分以上かかることもある。
二本の袋状のものを、二本の足にはめこむのになぜそんなに時間がかかるのか。
寝|惚《ぼ》けまなこでアクビを噛《か》み殺しつつ、まず片っぽうの靴下を片っぽうの足にはめこむ。
これはまあ、ものの数分で済む。
ここで、もう片っぽうの靴下をはいてしまえば問題はないわけだが、片っぽうの靴下をはいているうちに、靴下をはくという行為が、嫌になるというか飽きてしまうというか、とにかくそのままその行為を継続したくない気持ちになってしまうのである。
もう一本は、
「そのうちに」
とか、
「折りをみて」
という気持ちになって、もっと変わった違うことをしたくなってしまうのである。
靴下をはくという行為は、ふつうは二本でワンセットになっているのだが、ぼくの場合は一本ずつに分かれているのである。
そこで靴下を片足だけにはいたスタイルでテレビをつける。
ぼくの起きる時間は、たいていの局がワイドショーをやっている。
あちこち、ガチャガチャとチャンネルを廻し、「ロス疑惑に新事実」というところで止める。
上半身はだか、パンツ、靴下片っぽうという服装で、(これで服装といえるかどうかわからないが)「ホウ」とか「ヘエー」とか、うなずきながら画面に見入る。
そのうちに、
「靴下、もう片っぽうはいてもいいな」
という気持ちに、少しずつなっていく。
そういう気持ちが昂《たか》まったところで、ようやくもう片っぽうの靴下を取りあげる。
取りあげて、靴下をしみじみと眺める。
汚れを点検しているわけではなく、その形状にふと興味を持ったのである。
靴下というものは、いままで気がつかなかったが、なんという情ない形をしたものなのであろうか。
要するに、これは袋ではないのか。
靴下というものが、人間の歴史上にあらわれてから、その形状において、なんらかの改良が加えられたことがあるのだろうか。
この世に登場してから今日まで、靴下はこのダランとした情ない袋状以外の形になりえたことがあるのだろうか。
なんてことを、靴下をつまみあげながら思いつき、考えこんでしまうのである。(毎日毎日、考えこんでしまうわけではないよ)
人類のほうはどんどん進歩してきたのに、靴下は少しも進歩していないではないか。しっかりしろ!
なんて、靴下を叱《しか》りつける。(毎日毎日、靴下を叱りつけてるわけではないよ)
それにしても靴下は、万物の霊長が身につけるのにふさわしい、もう少し威厳のある形にならなかったのだろうか。
しばらく靴下を眺めているうちに、
「しかし、靴下というものは、この形以外になりえないのだよなあ」
と思い至り、
「ま、いいか」
とつぶやきつつ、もう片っぽうの足にはめ込む。
これまでに、すでに五分以上が経過しているのである。
身仕度開始から、五分以上が経過しているのに、その成果といえば靴下を一足、両足にはいただけなのである。
会社勤めの人ならば、この時点ですでに、遅刻は確実なものとなっているはずだ。
ここで思いたってトイレに行く。
トイレから戻って、再びテレビの前に坐りこみ、靴下をふと見ると、足先のツメのところが突出しているのに気付く。
ツメが伸びているのだ。
「そうだ、ツメを切らなくちゃ」
と思い至り、ツメ切りをさがしに立ちあがる。
ツメ切りをさがしているうちに、
「そういえば、ゆうべはフロに入らずに寝てしまったな」
と思い出し、
「パンツも取りかえなくちゃ」
と思う。
ツメ切りをようやく探して戻ってくると、ツメを切るために、せっかくはいた靴下を脱いでしまう。
パンツを取りかえるために、パンツも脱いでしまう。
パンツと靴下という二大根幹装備が装着されていたのに、それさえ取り払ってボディそのものになってしまったのである。
また最初からやり直しになってしまったのである。
素裸のままツメを切り終え、こんどは手早く靴下をはき、それからタンスの引出しをあけてパンツを取り出す。
パンツはブリーフとトランクスを、その日の気分ではき分けている。
窓の外の天候を見て、
「きょうはブリーフ日和だな」
と思えばブリーフにし、
「きょうはなんとなくトランクスで勝負してみたい」
と思うとトランクスにする。さしたる根拠はないのだが、なんとなくはき分けているのである。
きょうの気分はブリーフであった。
「グンゼ製品、お徳用二枚入り七百円、L」
というやつである。
ブリーフの片っぽうの穴に片足を突っ込んだところで、テレビの画面が、
「三浦問題新展開」
というタイトルを映し出す。
ここで、
「ホウ! ドレドレ」
と興味は急にテレビに移り、そのままの姿勢でソファに坐りこむ。
靴下二本装着、パンツ片足通し途中引きあげ、という状態で、しばらくテレビに見入る。
どうせなら、靴下二本装着、パンツ両足通し全引きあげ、という状態になってからテレビを見ればいいのに、と人は思うかもしれないが、ぼくにしてみれば、そう先を急ぐ必要は少しもないのだ。
しばらくテレビの「新展開」を見てからようやく立ちあがり、もう片っぽうの穴にもう片っぽうの足を通し、少しよろけ、立ち直り、パンツを充分にヘソのあたりまで引きあげる。
それから少しガニマタになって内股《うちまた》のところのパンツの引っかかりを修復する。
「やれやれ」
とつぶやいてまたソファに坐りこむ。
身仕度は、自分でもあきれるほど進捗《しんちよく》していない。
ここで装着関係の行為を突如中断し、洗面所に行って歯をみがき始める。
朝、現代人がしなければならない二大行為は、装着関係行為と、顔面修復関係行為である。
ふつうの人は、この二大行為のどちらかを、集中的に行なって終わらしめ、次にもう一つの行為に移る。
装着なら装着を全部終了せしめ、それから修復関係に移る。
だがこの目下ブリーフに靴下の人は、そういう考えが少しもないのである。
洗面所で歯だけみがくと、テレビの前にとって返し、また坐りこみ、タバコを一本吸う。
それから急にノドの乾きを覚え、冷蔵庫のところに行き、一リットル入り、低温殺菌牛乳上州というのを取り出し、三角の注ぎ口のところに直接口をつけてゴクゴクと飲む。
テレビの前に再び戻る。
テレビの前は、朝のベースキャンプのような役割になっており、なにか一つしてはここに戻ってくるということを繰り返しているのである。
ベースキャンプで一服し、テレビをぼんやり眺めたのち、再び洗面所に向かう。
洗面所で髪をとかしつつ、鏡に映った自分の姿をつくづく眺める。
上半身はだかのブリーフ姿の中年男が鏡に映っている。
しかし、ブリーフ姿の中年男というのは、実に物悲しい光景でありますね。
華やかさ、というものが少しもない。(あたりまえだけど)
これはなぜかというと、ブリーフというものは、機能そのもの、用途そのものだからなのですね。
装飾が少しも施されていない。
遊びの余裕がどこにもない。
下腹及び足の付け根あたり一帯をおおう、という観念と、人体の水まわりに関する配慮のみなのである。
下腹一帯をおおい、そこに水まわりの取出し口を付けただけなのである。
ブリーフのほうは、それでも取出し口が付いているだけまだましかもしれない。
トランクスに至っては、取出し口さえ付いていないのである。
両足を突っこむための穴を、取出し口と兼用させているのである。
よく考えてみれば、これはあまりに水まわり器官をないがしろにした仕打ちではなかろうか。
閉じこめておいて、出入口さえ付けないのである。
そのへんにある隙間《すきま》から、適当に出入りしてよ、といっているのである。
「ウム、けしからん」
と、ぼくは急に義憤にかられた。
そのうち、
「そういえば、ブリーフの取出し口は、すべて右向きにできている」
ということに気付いた。(鏡を見ながら、いろんなことに気付いちゃうんだよね)
ブリーフは、着用した人の右側に取出し口が付いていて、右側からしか取り出せないのだ。
すなわち、ブリーフはすべて、右利き用にできているのである。
ハサミだって、グローブだって、左利き用がちゃんと用意されている。
和包丁にだって、ちゃんと左利き用があるのだ。
なのに、ブリーフには左利き用がない。
これはこの朝の大発見であった。
ぼくは幸い、右利きだから何の不便もないが、左利きの人はどんなにか不便を感じているにちがいない。きっと人知れず泣いているにちがいない。泣きながら用をたしているにちがいないのだ。
突然ではあるが、ぼくはここで、左利きの人のための、左側取出し口付きブリーフを、声を大にして提唱したい。
大発見に気分を昂まらせて、再びテレビの前のベースキャンプに戻ってくる。
それにしても、身仕度は、いっこうに進捗しない。
今回のベースキャンプ出立にしても、鏡の前で新発見をしただけでなんの作業もせずに戻ってきてしまったのである。
少し反省し、身仕度のほうの進捗をはかる。
タンスの中からランニングシャツを取り出す。
取り出してつまみあげ、またしてもつくづくと眺めてしまう。(眺めるのがよくないんだよね)
しかしこれは、いったいなんなのだろうか。
いちおう下着ということになっているが、ほとんど布の部分がないではないか。
特にその上半分は、ほとんど穴だらけではないか。
前面の胸のあたりもほとんど空白であるし、背中のほうもほとんど空白である。
ランニングシャツは空白の下着なのだ。
空白を売る商品なのである。
「こんなことがあっていいのかッ」
ランニングシャツをつまみあげながら、ランニングシャツを叱りつける。
しかも値段は、全域布製の丸首シャツとほとんど変わらないのだ。
それはそれでいい。
いったい、何のためにこれを着用するのだろうか。
釈然としないまま、憮然《ぶぜん》としてこれを頭からかぶる。
かぶってスソをずり下げる。
身につけてはみたものの、たしかに胸も背中も、どこもおおわれはしない。胴まわりが少しおおわれただけだ。
なにかを着用したという気が少しもしない。
「意味がないではないかッ」
と怒り、胸のあたりを見、首をまわして背中のあたりを見、また怒る。(しかしランニングシャツを着て怒ってもしょうがないナ)
怒りながら、また洗面所に行って、こんどは歯をみがき、ヒゲを剃《そ》り、顔を洗う。
今回の出立に限っては、一挙に三つの行為を完遂させることができた。
怒りが行動を促進させたもののようであった。
だが身仕度開始から、すでに三十分以上が経過しているのである。
会社勤めの人ならば、もうとっくに電車に乗っている時間である。
だがこの男は、下半身はいまだブリーフである。
ブリーフ姿で、
「身仕度、だいぶ整ってきたな」
と満足し、今度は新聞を取ってきてそれを読み始めてしまう。
ここからが長い。
一般紙四紙、スポーツ紙二紙を、およそ一時間ほどかかって読み終える。
日によっては、新聞を読んでいるうちに眠くなり、せっかくはいた靴下をまた脱いでフトンにはいりこんで寝てしまうこともある。
この日もついにそうなってしまった。
眠りから醒《さ》めて再びベースキャンプに戻ると、テレビはお昼のワイドショーになっており、三浦問題が再び論じられており、それを見ながら先程脱ぎ捨てた靴下を再びはき始める。
さすがに前回よりは手早く二本の靴下をはき終えるのだが、ここでまた急に気が変わり、はいたばかりの靴下を脱ぎ、ブリーフも脱ぎ、ランニングシャツも脱いで、全裸となって風呂に入ったりしてしまうのである。
食 味 評 論
最近は食いもんの評論が盛んである。
グルメとかグルマンとかを称する人も多い。こういう人は、文章の書き出しで、まず、
「わたしはいわゆる食通ではない。口がいやしいだけだ」
と断る。
だが書き進んでいくうちに、
「『丸金寿司』(仮名)のコハダは、いい仕事がしてない」
だの、
「『満来軒』のシナチクは大変おいしいのだが、麺《めん》とのバランスがわるい」
だの、
「『天政』のおやじは、天ぷらの腕は確かだが目に光がない」
だのと、ヘンなところまで批評したりして、結局のところ食通ぶりをひけらかすことになるのである。
ぼくとてこの分野に野望を持っていた。
食味評論家として一家をなしたい、重鎮といわれたい、とかねがね思っていたのである。しかし時すでに遅く、この世界には数々の名評論家が輩出してしまった。
フランス料理、中華料理、和風料理、エスニック料理、それぞれの名評論家が確立してしまった。一人でこれら全部を受けもっているという恐るべき人さえいる。
ぼくの出て行く場所はもはやどこにもない。せめてラーメンだけでも受け持たせてもらいたいと思っても、この分野もすでに何人かの名評論家がおられる。
(なにかないか)
ぼくは考えた。残された分野はないか。穴場はないか。抜け道はないか。
考えあぐねているうちに、たった一つだけまだだれも手をつけてない分野がみつかったのである。
定食屋評論家である。
この分野だけは、まだだれも手を染めていない。
そうだ、定食屋評論家になろう。
「定食評論なら彼をおいてない」
といわれる定食界の重鎮になろう。
やがて名声を得たぼくは、定食屋のおやじたちに恐れおののかれる存在となるのだ。
ぼくが定食屋に入っていくと、おやじは恐懼《きようく》してメシの盛りをよくしてくれるにちがいない。おかみさんは豚汁の豚肉を掻《か》き集めてよそってくれるにちがいない。
とりあえず、わが仕事場のある西荻窪駅周辺から評論活動を始めようと思った。
この周辺には、およそ五店ほどの定食屋がある。すべて歩いて行ける距離である。
取材活動には中古のサンダルを使用しよう。シビックを使うほどの距離ではないからだ。
批評の方式は、かのミシュランの方式を取り入れることにした。秘密調査員が(わたくしのこと)現地に赴いて秘密に取材し、星印をつけるというあの方式である。
サバ味噌煮とか、納豆定食上新香付きの世界に、ミシュランの方式は少し酷かとも思うが、こうしたことによって惰眠をむさぼる定食界に活を入れることができるかもしれない。わたくしは、中古のサンダルを駆って最初の店に出かけて行った。
藤 丸 食 堂(仮名)
テーブルのないカウンターだけの細長い店である。忙しい時間をはずして午後二時ごろ行ったので客は一人もいない。
夫婦ものらしい二人が、ぼんやりテレビを見ていた。
入って行ったぼくを見て、(なにしに来た?)という目でいっせいに振り向く。
食堂にメシを食いに行ったのに(なにしに来た?)はないだろう。この世に密《ひそ》かに定食評論家が誕生し、密かに調査活動を開始したのを二人はまだ知らないのだ。
水を持ってきたおばさんに、
「予約はしてないのだが」
と言おうと思ったのだが、どうもそういうシステムの店ではないらしいので適当なところに座を占める。
定食屋のメニューは膨大である。壁のはじからはじまで貼りめぐらしてある。
定食屋にはメニューの基礎とでもいうものがある。(ライス、味噌汁、おしんこ、百七十円)と告示されているものがそれである。
この「基礎」に、煮魚とか、納豆とか、イカフライとかをオプションとして注文するシステムになっている。
わたしは、かたわらに無言でたたずんでいたおばさんに、
「サバ味噌煮、納豆」
と力強く告げた。おばさんは力なく引きあげていき、力なく「サバ味噌煮、納豆」とシェフに告げるのであった。
正装(丸首白シャツ、汚れた前かけ、サンダルが定食屋のシェフの正装である)に身を包んだシェフは、
(たいした客じゃねえナ)
というようにけだるく立ちあがりガスに火をつける。
寿司屋などでは、まずコハダを握ってもらって食べてみれば、その店のおよその実力がわかるという。コハダにいい仕事がしてあるかどうか、それが実力判定の基準となるのだ。
では定食屋の「コハダ」に相当するものはなにか。
わたしはサバの味噌煮だと思う。
サバの味噌煮にきちんと仕事がしてあれば、まずその店は信頼できるのである。
いちはやく納豆がきた。
定食屋では、納豆は醤油《しようゆ》をかけずにネギとカラシを添えて供される。醤油の裁量は客にまかせるのがふつうだ。
まずネギの切り方に注目する。ネギの切り方がふぞろいである。厚切りのもあれば薄切りのもある。途中でちぎれているのもある。
ネギの切り方にいい仕事がしてない。
納豆を掻きまぜるべく箸《はし》立てから箸を取って割ると片方が途中で折れてしまった。
箸の出来にバラツキがあるようだ。箸の仕入れに目が届いてない証拠である。
その箸で納豆を掻きまぜると、納豆のネバリに負けて箸がヘニャヘニャする。箸に力がない。納豆の糸の切れ方にも力がない。
続いてライス、味噌汁、おしんこ(たくあん二切れ)が到着する。
ライスの量は非常に多いのだが、盛り方がひどい。丼のフチにあちこちにゴハンがへばりついている。盛ったというより、投入した、もしくはぶち込んだ、という感じである。
ゴハンの盛り方に愛情がない。
味噌汁をひと口すすってみる。
まるでダシの味がせず、具はワカメなのだが朝から何回も煮かえしているらしく、ワカメに火が通りすぎている。通りすぎて溶けかかっているのさえある。
シェフは時々ワカメの火の通り具合を点検してほしい。
だいたい定食屋の味噌汁は、朝から夕方まで煮っぱなしというのが多い。
なかには、朝からどころではなく、おとといの夜から注《つ》ぎ足し注ぎ足しでもたせている店もある。もっとひどい店では、
「うちの味噌汁は、昭和三十五年の開店以来、ずうっと注ぎ足してきていまや家宝的存在となっております。だから火事のときはまっ先にこれを持って逃げるように家の者に言ってあります」
といううなぎ屋のタレみたいな味噌汁もあると聞くが、人づてに聞いた話なので、真偽は定かではない。こういう店の味噌汁の豆腐の中には、開店以来、一度もすくいあげられることなく生きのび、いまだに漂い続けているのもあるそうだ。
最後にサバの味噌煮が到着した。
このサバの味噌煮は絶品だった。サバの切身はかなり大きめで、そのまん中に箸を突きさしてみてその柔らかさにまず驚かされた。
魚の肉とは思えない、まるで豆腐のような柔らかさなのである。おそらく五日前あたりから煮かえし続けた結果であると思われる。
口に含んでみると、魚肉の繊維はすべて破壊しつくされ、まるでテリーヌのような舌ざわりである。魚の香りも味噌の香りもすべて飛ばし去って、サバの味噌煮でありながら、サバの味噌煮とはまるでちがう料理に変貌《へんぼう》せしめているのである。シェフのこの腕と根気は並のものではない。
(充分な仕事がしてある)
わたしは感服した。
えてして魚料理は、火の通し方に微妙な火加減が要求されるものである。
しかしここまでくれば、この火の通し方はシェフ独自の方針と明確な主張としてとらえるべきであって、わたしはむしろすがすがしい思いがしたくらいであった。
評価☆ 本来なら星なしなのだが、サバ料理の独自性を買って星一つとした。
今後の精進をのぞみたい。
高 山 食 堂(仮名)
八人ほどのカウンターにテーブルが二つという店である。
ランチタイムをはずして行ってみると、ここのシェフはランニング姿で競馬新聞を読んでいた。ランニングは、定食食堂のユニフォームとしては「略装」である。
ここも夫婦ものらしい二人組である。
定食屋というところは、レストランのようにメニューの選択に充分な時間がとれない。どうしてもせかされる。
夫婦二人して、(一刻も早く注文を)という切羽つまった眼差《まなざ》しでわたしを見つめている。それほど切羽つまった状況とは思えないのだが、二人は息さえつめているようだ。
ここでは、イカフライと冷《ひ》や奴《やつこ》と焼きのりをオーダーした。
まず水が出る。水は水道の水だがグラスはいいものを使っている。サッポロビールというネームの入ったメーカー品である。
注文を受けると略装のシェフは競馬新聞を折りたたんで天ぷら鍋《なべ》に火をつけた。
クーラーはないが風の通りがよく、それほど暑くはない。風の通りには二つ星をあげられる。まず冷や奴が来た。一丁の八分ほどのでかい豆腐が皿にのっかっている。おろし生姜《しようが》も糸ガツオもついてない。
まるで仕事がしてない。
続いてゴハンが到着した。盛り方は先述の店より丁寧だったが中身がひどかった。だいたい定食屋のゴハンはうまくないものだがそれにしてもここのはおそろしくまずい。古々米というより古々々米というやつらしく、まさかこんなゴハンは来まいと思っていたからわたしの落胆はひどかった。
おいしいゴハンは一粒一粒が立って輝いているものだが、ここのは米粒は長年の貯蔵にすっかり疲れきって全員横になって寝てしまっている。
わたしはシェフのイカフライを揚げる手つきをじっと見つめた。揚げものの名人は、ネタにどの程度火を通すかに精魂を傾けるという。音と色に目と耳を凝らすという。
しかしこのランニングのシェフは、どう見ても精魂を傾けているようには見えない。
第一凝らす目に光りがない。
鍋をのぞきこむ姿勢に力がない。
イカフライは量だけは豊富であった。
短冊型の、占いの筮竹《ぜいちく》大のものが五本、刻みキャベツを従えて湯気をあげている。フライの油切れがわるい。わるいというよりぜんぜん油切りをしないのだ。油のしたたるフライなのだ。中身はモンゴウイカであった。
これがおそろしく堅くてなかなか噛みきれない。なんとか本体は噛み切ったのだが、イカの皮がむいてないために、皮の部分がゴムのように伸びる。それを強引に箸と歯で引っぱると、イカがスッポリとコロモから抜け出て裸になってしまった。
定食屋のイカフライのイカが、コロモから抜け出るぐらい悲しいことはない。
コロモにポッカリあいた空洞を見つめ、だれしもしばし悲嘆にくれる。裸のイカを再びその空洞に収納し、改めて食べてみたのだがイカにまるで味がない。
なんとかしてこのイカのどこかに、イカの味をさぐりあてようとするのだがどうしてもイカの味がしない。ソースをダボダボかけないとゴハンのおかずにならないのだ。
シェフは素材のうまさで勝負することを避け、ソース(キッコーマン)のうまみで逃げようとしている。この安易な姿勢は、定食屋全体に共通することなので、あえてここで指摘しておきたい。
焼きのりは袋に入ったまま供されるので、まるきり仕事がしてないことはいうまでもない。
ランニングのシェフは、フライを揚げ終わると、すぐ再び競馬新聞に取り組んだ。
今度は、その目の凝らし方、のぞきこむ姿勢、いずれにも充分力があり、精魂傾けている様子がありありとわかる。
長年にわたって研鑽《けんさん》をきわめた自分の世界に対する静かな情熱、そういったものが見る者にひしひしと伝わってくる。
評価 当然星なし。今後の精進も期待しない。定食好きは近寄るなかれ。
阿 部 食 堂(仮名)
定食食堂でありながら、天丼、かつ丼、カレーライス、チャーハンもあります、という店はよくない。
前述の二店がそれであった。
この阿部食堂はそういったものを一切排除して、定食屋としての威厳を保っている。店も清潔、材料の配置にも気を配っているらしくシェフは手際よくテキパキと料理をつくる。
ここでは、アジのフライ、ホウレン草のおひたし、納豆、冷やしトマト、上新香をオーダーした。ここの基礎(ライス、味噌汁、おしんこ)は百七十円なのだが、メニューには「定食は三百二十円以上の注文をしてください」とある。つまり「基礎」のほかに最低百五十円以上のものを注文してくれといっているのだ。
また、「肉豆腐(鍋)三百五十円」のところには「こちらで煮ます」という但し書きがついている。
いろいろ細かい指示があるのだが、これはこのシェフの、それなりの自信のあらわれとわたしはみてとった。
はたしてアジのフライは絶品であった。
火の通し方は精妙にして巧緻、定食屋風のカリッとした揚げ方で、いわゆる名店とはちがった揚げ方である。わたしはそこに、シェフの何かを伝えようとする明確な意志を感じとったのである。
カリッと揚がったコロモのトゲトゲが口蓋《こうがい》を心地よく刺激する。それを噛みしめると、中心のアジのジューシーなうまみが口の中いっぱいにひろがる。それがブルドックのソースとうまくからみあって絶妙なハーモニーをかもし出している。
わたしは思わず揚げ手のカオを見た。
(やりましたね)
わたしの目がそう言っている。
(わかってくれましたか)
シェフの目がそう応《こた》えている。
五十前後であろうか、定食一筋にかけた頑固な職人のカオがそこにあった。
添えられたカラシも充分からく、キャベツの刻み方も丁寧である。
わたしは納豆に目を向けた。ネギの刻み方がかなり厚い。しかし厚さはみな一定で厚かったり薄かったりということはない。
統一性という点では申し分のない仕事というよりほかはない。
冷やしトマトはなんのケレン味もなく丸ごと一個、包丁の冴《さ》えもあざやかに白い皿のまん中に置かれている。白い皿に赤いトマト。わたしはそこに、シェフのなみなみならぬ盛りつけの力量をみた。
トマトは充分冷たく、よく熟れ、噛みしめると酸味がほどよく効き、ほのかな甘みもあり、わずかなエグミと共に、フレッシュなジュースをほとばしらせながらノドの奥にすべりこんでゆくのであった。絶品であった。
わたしはこのなんの変哲もないトマト料理に、このシェフの素材への熱い眼差しを感じとったのである。
なんの仕事もしてないではないか、と人はいうかもしれない。しかしこの場合は、なんの仕事もしてないことが仕事なのである。
問題はホウレン草のおひたしであった。
材料の新鮮さ、ゆで方の確かさ、上にかけた糸ガツオの質、いずれもシェフの力量を感じさせるものではあった。
だが水切りがよくなかった。
器の底のほうにいくに従って、ホウレン草が水っぽくなっている。これは恐らく、前もって器に盛りつけて冷蔵庫にしまっておくせいだと思われる。だから時間がたつにつれ、底のほうが水っぽくなっていくのだ。このあたりシェフに一考をうながしたい。
ゴハンは、今回取材した中では一番熱く、米もよいものを使っているようだ。
味噌汁の豆腐も角が立っており少しも煮くずれていない。上新香はキュウリの糠漬《ぬかづ》けで、糠の香りの充分立ったおいしいものであった。
ただ、定食食堂には不可欠の雑誌類に、片寄りがみられたのが残念だった。
備え付けの雑誌が、少年ジャンプとか少年マガジンなどの少年物ばかりなのだ。
もっとアダルト物にも力を入れてほしい。
評価☆☆ 三つ星を献上したい店だが、ホウレン草の水きりがわるかったのと、備えつけの雑誌に片寄りがみられたので、あえて二つ星とした。今後充分三つ星を狙《ねら》える店として期待したい。
温  泉
ことしの誕生日にある女の人から誕生日プレゼントを頂戴《ちようだい》した。
「ア、わかった。モテた話を書くつもりなんだ。チキショウ。アッチユケ」
などと早合点しないでほしい。
その女の人というのは一種の公的な関係の人なので、そのプレゼントも一種の公的な性質を帯びているものなのである。どうか安心して欲しい。
誕生日プレゼントというと、まあふつうは、花束とかケーキとかセーターとか、そういった華やかなものを想像すると思うが、ぼくが頂戴したのは「日本名湯めぐり」というものであった。
(オレもとうとう誕生日に「温泉めぐり」を頂戴するトシになったか)
と、多少うら寂しい気持ちになった。
こういうものは敬老の日などによく出まわるものなのである。
「日本名湯めぐり」といえば、まあふつうは箱根とか別府とか花巻温泉とかの宿泊券つき周遊券といったものを想像すると思う。
ところが、これが粉なのである。
正真正銘のコナ。
粉がなぜ「名湯めぐり」なのか。
プレゼントをヒモとくと、中から四つの小袋が出てきた。
タバコの箱を平べったくしたような袋には、それぞれ「登別《のぼりべつ》の湯」「箱根の湯」「玉造《たまつくり》の湯」「別府の湯」と書かれてあって、中に25グラムの粉がはいっている。
つまり「登別の湯」の粉を一袋、ご家庭内のタカラホーローバスなどに溶かすと、その湯はたちまち登別温泉と同質の温泉に変貌するというしろものなのである。
濃縮果汁還元の発想というか、農協果汁50%の思想というか、そういう考え方が温泉にも適用されたのである。
しかしこれは大変便利なものである。
この四袋を、毎日一袋ずつ使用すれば、
「きょうは登別、あしたは箱根、あさっては別府」
という夢のような日本縦断温泉めぐりができるのだ。富豪のような豪遊生活が送れるわけなのだ。
しかも、ご家庭内のタカラホーローバスにはいったままで富豪生活が送れるのである。
ぼくはただちに富豪生活にはいろうと思った。そしてそこで更に素晴らしいことを思いついたのである。
きょうは登別、あしたは箱根などとケチなことを考えている場合ではない。なにしろ富豪なのだ。
登別と箱根と玉造と別府をブレンドして一挙に浴槽に投入し、登別と箱根と玉造と別府温泉にいっぺんに入浴してしまうという恐ろしいような壮大な快挙を思いついたのである。これを豪遊といわずしてなにが豪遊か。
粉などといってバカにしてはいけない。粉だからこそできる豪遊なのだ。粉の豪遊なのだ。そういうわけでぼくは、四カ所合同の「名湯」に入湯したのであるが、その気分はどうだったかというと実に複雑なものでありました。
小さなタカラホーローバスに身を縮めてはいるが実はこれが富豪の生活なのだ。なにしろその中では日本各地|選《え》りすぐりの名湯が巡っているのだ。
浴槽の中でヒザをかかえてジッとしているが、これで日本各地の温泉を巡っていることになるのだ。しかもいっぺんに巡っていることになるのだ。ただジッとしているのとはわけがちがうのだ。ドーダ、ザマミロ、バカニスンナ、ハハハハ、などと寂しく笑ったりしたのでした。
そうして頭に手ぬぐいをのせ、ヒザをかかえながら、本物の温泉について考えを巡らせはじめたのであった。
タ オ ル
温泉に到着してまずすることといえば温泉につかることである。
部屋に案内されると、とるものもとりあえずという感じで一階もしくは地下一階の大浴場に向かう。
「いやいや、一階もしくは地下一階とはかぎりません。(別館八階大展望風呂)というのもあるではないですか」
などという人もいるかもしれないがこの際無視。
部屋の片すみに置いてある浴衣に着がえ、ビニール袋にはいった備え付けのタオルを一本取りあげ、ビリッと破って肩にかけ、スリッパつっかけて浴場に向かう。
「いやいや、わたしはその前に、ポットから急須《きゆうす》にお湯をつぎ、卓上の最中《もなか》などを食べます」
などという人もいるが、これも無視。
こういう人いるんだよね、卓上のお菓子を必ず食べる人。食べて必ず、まずいっていう人。「だいたいこういうお菓子ってうまかったためしがない」なんていう人。まずけりゃ食うなっての。食わないでさっさと風呂に行けっての。
お菓子の話ではなくてタオルの話であった。
問題は旅館のタオルなのだ。
旅館のタオルは例外なくうすい。うすくて貧弱で小さい。旅館のタオルが厚かった、という話は生まれてこのかた聞いたことがない。(なんせタダなんだかんな)という態度がありありなのだ。
とにかく切りつめました、お金かけてません、業者泣かせました、というタオルだからタオルとはいえないようなタオルなのである。うすくて向こうがすけて見える。かろうじてタオル、タオルといえないこともない、というタオルなのだ。
野球には打撃三十傑というのがあるが、それでいうとタオル三十傑の五十一位ぐらいのタオルなのである。(どうなっておるのだ)
ぼくはタオルにはうるさいほうだ。
食いものにうるさい、とか、女の好みについてはうるさい、という人は多いが、タオルにうるさいという人はあまりいないかもしれない。でもいいんだ。オレはタオルにうるさいんだ。タオル好き人間なのだ。
タオル好き、というと見方によっては健康的にみえるが、見方によっては病的にもみえる。幼児などで、いつも汚ないタオルを引きずっているのがいるがあれに近いのかもしれない。
タオルは感触がイノチである。
小さな無数の突起がフカフカ感となって心地よい感じを与えるのである。
旅館のタオルは、このイボイボを最小限におさえてある。
「イボイボはなるべく少なく、とにかく安く」
といって業者を泣かせているからだ。
こういうタオルはペタペタと肌にまとわりついてなんとも気持ちがわるい。
こういうタオルで体を拭《ふ》くと、水切れがわるいしぬぐったという気がしない。拭いても拭いても水分が体からとれない。
しぼると、キュウリといいたいところだがネギぐらいに細くなる。
こういうタオルには憎悪さえ覚える。
ほとんど手ぬぐいなのに、かろうじてタオルです、とタオル面《づら》をしているところも憎らしい。身分というものをわきまえてない。だからこういうタオルが浴場や脱衣場などに見すぼらしく捨てられているのを見るとザマミロと思う。わざと近寄っていって踏んづけたりする。
ではタオルはうんと厚ければいいか、というとそうでもないところがむずかしい。厚すぎるのも困る。しぼりづらいし感触が適正でない。
ようくしぼって太めのキュウリぐらい、というのがいい。ヘチマだと厚すぎる。むろんネギはいけない。
大 浴 場
旅館の浴場はすべて「大浴場」ということになっている。
「大展望風呂」「大ジャングル浴場」「大ローマ風呂」など、必ず「大」の字がついている。なかには「大パノラマ大展望風呂」などと大の字が二つもついているのもある。
「大理石風呂」というのもあるが、むろんこの場合は大きいという意味ではない。
大展望風呂というからさぞかし大きいだろうと思って出かけて行くと、これが例外なくそれほど大きくない。
どうみても「中」ないし「小」規模の浴場ばかりである。大の字は、風呂ではなく展望のほうを修飾しているらしいのだ。
むしろ「中パノラマ中展望風呂」といったほうがあたっている。
前を洗ってから湯につかると、たいていの人はまず「ウー」とうなる。
うなったあと周辺を見まわし、さまざまな感想を述べる。
熱いのぬるいの、広いの狭いの、眺めがいいの悪いの、とひとしきり感想を述べあう。
賞讃する人のほうがむしろ少なく、悪口をいう人のほうが多い。
まず「ぬるい」という。それから温泉の注ぎ口のところを見て「出がわるい」という。
そして「どうせ沸かしてんだよなあ」とつけ加える。備えつけのアルミのコップで一口飲んでみて「まずい」といい、窓の外の眺めを見て「たいしたことない」という。
浴場が「狭い」といい、照明が「暗い」という。こういう人と一緒にはいっていると、こっちまで気が滅入ってくる。
せっかく久しぶりに温泉につかっているのに、なにかこう悪いことをしているような気がしてくる。
こういう人は、風呂からあがってからもまだ文句をいう。体重計にのろうとすると、横から「どうせ狂ってる」という。ドライヤーの音が「大きすぎる」という。
こういう人は楽しむということを知らない。
温泉は団体が多い。したがって大浴場にも団体でやってくる。
そうすると、大浴場内に勢力争いのようなことが起こる。
同じグループが七、八人、ドドドドとはいってくると、それで浴場内を制覇したという感じになる。
それぞれの会話が飛びかい声も大きい。
それまで、三、四人のグループで声高に話をしていた人たちが急に静かになる。
それまではこの三、四人が浴場内を制覇していたのだ。二、三人の小グループは、この三、四人のグループの圧政に耐えていたのだ。しかし政権交代の時期がやってきたのである。
旧政権の三、四人のグループは、新政権に圧倒されて押し黙り一人あがり、二人あがりして、まるで敗れ去ったように浴場を出て行く。残りの二人は片すみに移動する。
新政権は意気盛んである。
浴場内のあちこちに分布して、大声で会話を交わしあう。
しかし、しばしの時が流れると、この最大の派閥も、一人去り二人去ってやがて中小の派閥になり下がる。次第に声が小さくなったところへ、ガヤガヤの大声と共に新内閣が浴場内になだれこんでくるのである。
栄枯盛衰、勝者必滅の法則が、平和な温泉郷の浴場内でもくり返されているのである。
浴場内の勢力争いは、ただ単に数の原理によって決着がつくから、たった三名でも政権がとれることもある。他に二名ずつのグループが三つ、わが方が三名という場合はわが方の勝利となる。新内閣成立ということになり当然態度もでかくなる。わがもの顔になる。
しかし油断は禁物である。
二名ずつのグループが三つ、と読んでいたのに、その二名ずつのグループが突然会話を交わしはじめることがある。
離れて湯につかっていた二名ずつ同士が、突然、「吉田部長は今回来てないの?」「うん、なんか出張中とかいってたな」などと会話を開始しはじめ、同じグループだったことが判明する。更にその会話に、もう一つの二名グループが「どこに出張?」などと参加し、一挙に総計六名、隆盛を誇っていたわが三名内閣はあっけなく倒壊する。
弱小派閥とあなどっていた二名ずつは、虎視《こし》たんたんと倒閣のチャンスを狙っていたのである。
そして一挙に倒閣運動を開始し、一挙にそれに成功したのである。
旧内閣はアッという間に解散し、
「そろそろ出ようか」
などと急に小声になってコソコソと浴場を出ていくことになる。
冷 蔵 庫
団体で旅行をしたときは、冷蔵庫との対応がむずかしい。
中のものが気になる。
冷蔵庫の中のものは、会費の中に含まれているのか、各自があとでそれぞれに支払うことになるのか、そこのところがあいまいになっている場合が多いからである。
会費に含まれている場合はなんの問題もない。ただちに早い者勝ちの原理、弱肉強食の法則が適用される。
そのへんがあいまいになっている場合は極めて慎重に対処しなければならない。
冷蔵庫の中のものは、帰りのお会計のときに、そのときの状況によって判断する、などという場合は更に慎重にならなければいけない。
旅館到着そうそうに、
「とりあえず前祝いに一杯」
などといって冷蔵庫をあけ、ビールを一本取り出し、テーブルのところへ持って行って栓抜きで開けようとすると、
「風呂にはいってからのほうがいいんじゃないの」
と、同室の連中の態度がなぜか冷たい。
早くも「冷蔵庫の中のもの会費こみか各自持ちか問題」を懸念《けねん》しているのである。
一人で飲むわけにもいかず、
「それもそうだな」
などといって冷蔵庫にしまおうとすると、最近の旅館の冷蔵庫は「一度抜き出したら再入庫不可能方式」というのを採用しており、もう入れることができない。
しかたなく冷蔵庫の上に置く。
せっかく冷えたビールがあったまってしまう。みんなはそのビールを冷ややかに見ながらタオルをさげて部屋を出て行く。
ぼくもそれを見ながらうなだれて部屋を出て行く、という図式になってしまう。
このビールは、旅行が終わって帰るまで冷蔵庫の上に放置され、その間ずうっとみんなの非難のマトになるのである。
この再入庫不可能方式は、コンピュータ管理のためにそうなっているという人もいれば、ビールなどを外から持ちこんで入れるのを防止するためだという人もいて、その真偽のほどはわからない。
また、ビールの栓を上手に抜いて中身を飲み、水など入れて再び栓をして入れておき、お勘定をごまかすのを防止するためだという人もいる。
しかし客の中には、横になっているビンを引き抜かずに栓だけ抜き、コップに注いで飲んでそのあと上手に栓をしておく、というのもいるという。
さしものコンピュータも、中身を抜かれたのまでは気付くことができない。
旅館のビールの客と旅館の攻防は、まことに激しいものがあるようだ。
ドリンク関係は、ビールよりもその対応の仕方がむずかしい。
お勘定の問題に加えて、その人の人格問題が加わってくるからだ。
なぜ人格問題が加わってくるかというと、ドリンクにはある種のいかがわしさがつきまとっているからだ。
背中を丸めてドリンクを飲んでいる人というのはなんとなくいかがわしい。
魂胆とか思惑とか野望とかいったものを感じさせる。ある種の意志が感じられる。
人間のカラダと飲食物は、ふつうの場合は正常な取引き関係にある。
イワシを食べるとイワシなりの栄養、カロリーが正常にカラダにはいっていって正常の活力となる。
だがドリンクには正常でない活力が求められているのである。カラダの中でなるべく正常でなくふるまって欲しい、と要望されているのだ。
これは正常な取引きとはいえない。すなわち不正である。これがいかがわしさの正体なのだ。
旅館のドリンク関係は、オロナミンCなどの比較的温厚なものが三本、玉龍赤マムシなどの獰猛《どうもう》度の高いものが二本、計五本という配備状況になっている場合が多い。
赤マムシ関係は、ふだんの生活の中では接触する機会が少ない。
だから旅館などでこういうものを目のあたりにすると、どうしても「ぜひこの機会に」と思ってしまうものなのだ。
ぜひ飲んでみたいのだが、それにはどうしても例の人格問題がからんでくる。
むろんお勘定問題もからんでいる。
とつおいつしているうちに機会を逸し、やがて就寝ということになってしまう。
ところが翌朝起きてみると、カラの玉龍赤マムシが二本、冷蔵庫の上にのっていて地団駄を踏む、ということがよくありますね。
テレビ・ウォッチング
テレビ・ウォッチングを始める前に、通称テレビジョンと呼ばれる物体そのものをよく観察してみよう。つくづく眺めてまず思うことは、テレビは箱だ、ということである。大小様々な箱である。一日二十四時間のうち、朝の六時ごろから夜の一時ごろまではテレビとして過すが、あとの五時間ほどは単なる箱として過す。この箱は、もっぱら前面だけを鑑賞するように作られており、横や裏側を鑑賞する人はあまりいない。箱の前面にはガラス状のものがはめこまれており、ここのところに番組と称するものが映し出される。
番組は、人間の営みのありとあらゆるもので構成されており、時には殺人さえも番組として登場し画面に映し出される。
番組は何百という数が用意されており、これらをゴチャマゼにして鑑賞しても一向にさしつかえないのだが、一応それを防ぐためにチャンネルというものが用意されている。
それではチャンネルというものを廻して番組というものを映し出してみよう。
ニ ュ ー ス
最近はニュースとはいわずに報道番組という。ニュースといえば、昔はダークスーツの中年の男が、一人で、首を上げ下げしながら書類のようなものを読むだけのものだった。
最近は大勢になった。「ニュース」と「報道番組」の違いは人数の違いである。
人数を変えただけで、ニュースを報道番組と称するようになった。
そして最近は、この報道番組と称するものが番組の中で幅を利かすようになった。
局の中でも報道関係の人の鼻息が荒いという。報道局の室内は、報道関係の人の鼻息で書類が舞い飛んでいるという。
ニュースも報道も中身は同じである。
ニュースを報道といい替えただけで、報道報道と騒ぐのはホードーホードーにしてもらいたい。
ニュースが報道番組になって、まず女が登場するようになった。基本パターンとしては、中年男と若い娘という組合せが多い。
初期のころは、女は男の左側に位置し、補佐的、あるいは色どり的な感じがあった。
いいニュース、大事なニュースは全部男が読んでしまい、女のほうはそのお余りを読ませてもらっている、というような感じがあった。ところが最近の報道番組では、賢い視聴者はすでにお気づきのことと思うが、女が右側というのも多い。
テレビの画面だと、どうしても右側偉い、左側偉くない、という印象がある。右側が左側を従えて出てきた、という感じがする。
新生報道番組としては、この辺を配慮したにちがいない。
幸田シャーミンが右、逸見政孝が左だと、シャーミンが政孝を従えて出てきたように見える。
さて、中年男と若い娘の基本パターンに話を戻そう。
この組合せは、職場などの感覚でいうとオフィスラブ的な雰囲気がある。(ナニカアルノデハナイカ)的な目で見られがちな組合せである。(そういう目で見ない人はそれでもいいからね)
若い娘のほうはともかく、中年男のほうはそこのところを常に気にしている様子が窺《うかが》える。
娘のほうがニュースを読んでいるとき、おじさんのほうは、暖かく見守っているような、仲良くなりたいような、でも仲良くするとあとが大変だろうな、世間もうるさいだろうな、というように実に複雑な表情をしている。
そこで、あんまり仲が良さそうに見えるのは世間的にまずいな、少しいびってるような感じも出そうかな(ここで『大丈夫かね、キミ』という演技)、しかし、あまりいびってるような感じもいかんな、かといってあまり仲良さそうなのもいかんな、と、おじさんは娘の横でヘトヘトになってる様子が窺える。(窺えない人はそれでもいいからね)
適当に睦《むつ》まじそうに、適当によそよそしく、ここのところにおじさんは心をくだいているようだ。
あまりいびっているように見えてはまずいと思うせいか、若い娘がニュースを読み終わって感想のようなことを一言いったあと、お互いに「ね!」というふうに視線を合わせたりすることがある。なにせおじさんのことだから、この演技がサマになっていない。とてもいやらしくみえる。
(ヘンなことするな!)
と、ぼくとしてはいいたい。
おじさんと娘という取り合わせは、これはもう立派にアベックなのだから、アベックにイチャイチャされればだれだって心穏やかではいられないのだ。あれはやめてもらいたい。
こういう雰囲気は民放独得のものである。
NHKの場合は、おじさんと娘が慣れ慣れしくするという場面はほとんど見られない。
NHKの場合は、二人とも「これはお仕事」と割りきった態度が窺えてすがすがしい。
もっともNHKのほうは、区役所の戸籍係ふうのおじさんばかりで、魅力的なおじさんがいないせいかもしれない。
そのせいで、娘のほうもそういう気にはなれず(どういう気だ?)かえって仕事と割りきりやすいのかもしれない。
それにしても、朝の七時、八時台に、次から次へと繰り出してくるNHKの報道のおじさんたちは、どうしてみんな同じタイプなのだろうか。
全員、頭七三、下ぶくれで登場してくる。
公明党の朝の党大会かと勘ちがいしてしまうではないか。
料 理 番 組
このところ料理番組が花盛りである。
料理番組には、作り方を教える番組と、珍しいものを食べ歩く番組とがある。まず作り方を教える番組のほうからいこう。この番組の最大の特徴はなにかというと、(全員があせっている)ということである。
全員が、時間がない、時間がないといってあせっているのだ。
あらゆる番組の中で、これぐらい全員があせっている番組は他に見当らない。むろん、たまには全然あせらない人もいる。
ゲストの中にはあせらず悠揚せまらず、という人もたまにはいる。
こういう場合は、まわりの人があせる。当人があせらない分だけまわりがよけいにあせる。大抵の場合は、ゲストもホストも全員あせりにあせって目まぐるしいほどだ。
玉ネギを刻んだかと思うとすぐ放棄して鍋を火にかけ、油を注ぎ、まだ油が熱していないのにそこへ材料をドサドサ入れたりする。
オーブンのところに駆け寄り、他の材料を投入して駆け戻り、今度は肉を二、三度切り刻み、すぐ放棄してボールに入ったものを掻き混ぜる。
出演者が浮き足だって作るので見ているほうも浮き足だってしまい、いざその料理を自分で作るときも番組と同じように浮き足だってしまい、急ぐ必要など少しもないのに台所中を走りまわってころんだりしてしまう。
芸能人が自慢料理を作り、それをホスト共々食べてみる、という番組は特にひどい。
ひき肉料理などで、まだ火がよく通ってないのに、時間がないからといって皿に盛りつけてしまい、テーブルのところに小走りに走って行ってあわただしく一口食べ、「おいしい!」などといい合ったりする。
ナマ肉食っておいしいとは何事であるか。
この場合、更にぼくがおぞましく思うのは、料理をしたあと手を洗わないことである。
なにしろ時間がないから手を洗うヒマなどないのだ。玉ネギを刻み、ひき肉をこね、油を扱った手を、そのへんのフキンでぬぐっただけでテーブルにつき、その手でフォークを持って食べるのだ。
見ていて気持ちわるくなり、見ているぼくは何の関係もないのに台所へ行って手を洗ったりしてしまう。めいわくである。
こういう料理番組で一番困るのは見ているほうの意が画面上の人々に少しも伝わらない点である。あたりまえといえばあたりまえなのだが、たとえばこういうとき一番困る。
画面いっぱいに、肉入りチャーハンというのをフライパンでいためているところが映っている。
料理人は木じゃくしでそれを掻き混ぜているのだが、画面右上方のところのゴハンのかたまり及び肉片のところにいつまでたっても木じゃくしが行かない。そこのところのゴハンのかたまり及び肉片は、いつまでたっても掻き混ぜられずナマのままなのだ。
見ているほうは、「その右はじのところ、混ぜないと火が通らないじゃないか」とイライラする。
ところが料理人は、ホストと話なんかしていてそれに気づかない。そして、
「もうそろそろいいですね」
などといって火から引きあげようとする。
見ているほうは、(頼む、頼むからそこんとこ混ぜてくれ)
と身もだえし、画面の右はじのところを指さし、(ここ! ここ!)と叫んだりするのだが画面上の人は一向に気づいてくれない。
なにかいい方法はないのだろうか。
食べ歩きの番組のほうは、レポーターと称する若い女が食べ歩く、というのが多い。
このたぐいの女は、どの女にもいえるのだが表現力というものがまるでない。
なにを食べても「おいしい」という一語で表現する。たとえば南太平洋方面などに行ってカンガルーのテールスープというものを食べるとする。
テーブルに運ばれてきた料理を前にして、女は大抵、
「ワー、おいしそう」
という。それから肉片を切りとって口に含む。口に含むと大抵の女は、目玉を右上方から左上方に移動させる。いま味わっているところなの、という演技である。
見ているほうは、(さあ、どんな味がするかな? 脂っこいのか、さっぱりしているのか。堅いのか柔らかいのか)
と思わずテレビの前で身をのり出したりする。すると女は目玉移動を行なったあと、
「おいしい!」
というのである。それっきりで画面は次の料理に移ってしまう。
見ているほうは身もだえして口惜《くや》しがり、「バカ女、死ね」などと叫んでテーブルをドンドンとたたいたりする。
どうも料理番組は、見ていて身もだえすることが多いようだ。このたぐいの女は、何を食べても「おいしい」としかいわない。
地中海方面へ行って、「舌平目のフォアグラ、トリュフ入りコートダジュール風ソース」などというものを食べてもそれは変わらない。これは解説によれば、舌平目の切身の中に、サケのひき肉とフォアグラとトリュフを詰め、魚貝類でとったソースをかけたものだという。
バカ女は、これを一口、口に含むと、やはり目玉移動を行なって、
「おいしい!」
というのだ。
バカ女め、ほんとに死んでくれ。
通 販 の 人
通信販売専用のアナウンサーというか、タレントというか、そういう人がいますね。
二光通販とか、「東京|03《ゼロサン》・|200《ニイマルマル》の|2222《ニイニイニイニイ》」の日本文化センターとか、いわゆるテレビショッピングの商品の説明、推薦をする一群の人たちである。この人たちは、これ専門で、他の番組にも登場するということはまずない。
これも男女一組で出てくるのだが、男のほうに共通するものがあるような気がする。共通する性格があるように思う。一口にこう、といえないのだが、いつも意味なく笑っている。なんとなくオドオドしている。なぜかすまなそうにしている。家計のことなどに口うるさそうである。無口だが細かいことに気がつくタイプである。玄関にゴルフバッグが飾ってあり、応接間の棚にはジョニ黒とヘネシーが並んでいる家に住んでいる。家の中はきちんと整理整頓されていないと気がすまないタイプである。健康には気を使うほうである。
以上のような点が共通しているようだ。
更にいえば、サラリーマンだったら会社のほうの出世はほどほどにあきらめ、団地自治会の役員として地域社会に生きがいを求める、といったタイプである。
なぜこういうタイプの人たちがこうした番組に選ばれるのだろうか。商品そのものに原因があるような気がする。
通販の商品は、よくいえば意表をついた商品、悪くいえばようやく抜け道を探し当てた、といったような商品が多い。
ぶらさがり健康器、ルームランナー、回転する座椅子、無駄になっている部屋のコーナーに置ける三角形の棚、深海|鮫《ざめ》エキスなど、アイデア商品というか一過性商品というか、そういったものがほとんどである。
こうした商品を説明、推薦するには、先述のタイプが有効なのだ。商品の性質と推薦人のタイプがよくマッチしている。
細かいところによく気がつき、口うるさく、家の中を整理整頓して飾りたてるタイプだから三角棚の推薦にはうってつけであり、健康に気を使うほうだからぶらさがり健康器、深海鮫がよくマッチする。
オドオドしてすまなそうにしているのは、商品の一過性、多少のいかがわしさを熟知しているからにちがいない。
ザ ー ザ ー
深夜、すべての番組が終了すると、テレビはしばらく沈黙したあと、突然、ザーザーという音と共に画面いっぱいに細かいツブツブがちらつき出す。
布団にもぐり、枕にアゴをのせてテレビを見ていた人は、チャンネルをカチャカチャと廻し、どこもかしこもザーザーであることをまず確認する。そして、
「みんなザーザーか。やれやれ」
などとつぶやいてテレビを消し枕の位置を正して眠りにつく。
あのザーザーを、なんだザーザーか、などとバカにしないで、今度、一度じっくり見つめてみることをお薦めする。
なかなかに興味深い番組であることを発見するにちがいないからである。
まずこの時間帯は、全局共通であることを発見することができる。
どの局も全部同じ番組というのは、この時間帯をおいて他にない。
枕にアゴをのせた姿勢でいいから、少なくとも一分間は見続けて欲しい。
次第になにかこう、不安のようなものが襲ってくるのに気づくであろう。
更にもう少し見続けてみよう。
夜のしじまの中で、テレビはひたすらザーザー咆哮《ほうこう》し続け、画面では砂のようなものがただならぬ気配をみせて荒れ狂っている。
不安は更に大きくなって恐怖に近いものになっていくのに気づくにちがいない。
そうなのだ、これは恐怖番組なのだ。
ここで音声を大きくしてみよう。
ザーザーは大きくなり部屋中に響き渡り、砂礫《されき》は凶暴さを増したように画面いっぱいに荒れ狂い始める。
(大変なことになった)
と思うにちがいない。
思わず腰を浮かし、
(エート、こういう緊急の場合、オレはまずなにをすればいいのか)
という気持ちになる。
ガスの元栓を確認したほうがいいだろうか。平和に寝ている家族はどうなる。起こしたほうがいいだろうか。
ここで更に音を大きくしてみよう。
部屋は大音響に包まれ、事態は切迫の度合いを増したことを痛感するはずだ。
ガバとはね起き、寝まきの前を掻きあわせ、救急箱を探しに部屋を飛び出すことになる。
だが、ここで大抵の人は急に冷静になるはずだ。
(いやいやなんでもない。ただのザーザーじゃないか)
と分別を取り戻し部屋に戻ることになる。そして音声を小さくし、寝床にもぐりこむ。
画面はあいかわらずの砂嵐《すなあらし》だ。
(それにしても)
と更に冷静になり、ここで、
(このザーザーは一体なんなのだろう)
と科学的な探求心を起こしてみるのも一興である。放送局が、わざとザーザーを放送しているのだろうか。あるいは番組が終了すると電波かなにかの関係で必然的にこうなってしまうのだろうか。
(あしただれかに聞いてみよう)
などと思いながらテレビを消して眠りにつく、そういう夜があってもいいのではないでしょうか。
待  つ
人は常に何かを待っている。人生は「待つ」の連続といってもいい。
信号を待つ
都心の大きな交差点は、信号がなかなか青にならない。
いつまでたっても車の流れが途切れない。
五叉路などになるとなおさらである。
(いまは、こっちからこっちへ行く車を通してるんだかん。歩きの人はあとあと)
と、えんえんと車が流れて行く。
こっちからこっちへの車の流れが止まったので、もうそろそろかと思っていると、
(今度は、あっちから来てそっちへ曲がる車を通してんだかん。おまーらはあとあと)
と、またしても車の列が続く。
それも途切れたので、やれやれ待たせやがって、と喜び歩きかけると、
(まだまだ。今度はそっちから来てあっちへ曲がる車を通すんだかん。おまーらはあとあと)
と、いつまでたっても車の列は途切れない。
(このへんにたまってる車をぜーんぶ通して、それでも、もし時間が余ったら通してやるんだかん)
とでもいうように、歩行者はえんえんと待たされる。
そうして、ようやく正面の信号が青になる。
「やでうでしや」(谷岡ヤスジ語)
と、一歩踏み出すと、なぜか周辺の人々はまだ動かない。
しかも踏み出した目の前を、車がものすごいスピードで疾走して行く。
「ヒャー」と情ない声を出して歩道に戻ると、周辺の人々は、
(アハハ、こいつ、この交差点のシロートだな)
という表情で冷たい一瞥《いちべつ》を投げかけてくる。
よく見ると、正面の歩行者専用の信号がまだ青になっていない。
さっきの「ヒャー」の一言で、ぼくがこの交差点のシロートであることが、その辺にいる人全部に知られてしまったのである。
すなわち田舎者であることがバレてしまったのである。
自信喪失してうなだれていると、隣の背の高い青年が、歩行者専用の信号が青になるかならないうちに、堂々の一歩を自信を持って踏み出すのである。
青年は人々の先頭を切って、少しの迷いもなく、まだ赤の信号を渡り始める。あやまたずやがて信号は青になる。青年は大股に颯爽《さつそう》と歩を進めて歩く。
彼はこの交差点のプロなのだ。
この都心の交差点を、日常的に利用している都会人なのだ。それを人々に誇示したいのである。
そいつの背中を(コノヤロー)と睨《にら》みすえながら、この交差点のシロートは、いわれのない怒りに体をふるわせて追尾して行くのである。くやしい。
こういう青年は、例えば、クラシックの演奏会などに行くと、曲が終わったとたん、人々より一歩先んじて拍手の一番乗りをするにちがいないのだ。そういう奴なのだ。
そうして、曲が単にちょっと途切れただけなのに、勘違いして拍手をしてしまう人をジロリと見やり、周辺の人たちとニヤニヤしながらうなずきあうのだ。
だからさっき、ぼくが「ヒャー」と叫んで舞い戻ったとき、どんなにか嬉しかったに違いないのだ。
(オレ、これだけが生きがいなんだよね)
と、青年はほくそ笑みつつ交差点の先頭を切って行く。バカ。死ね。
電車を待つ
ぼくの通勤する国電西荻窪駅は、快速電車は止まるが特別快速電車は止まらない。
朝晩は、けっこう電車の発着が多いのだが、昼間はきわめて少ない。
間のわるいときは、十五分も待たされることがある。
その間、特別快速電車が轟音《ごうおん》をひびかせて何台も通過して行く。
冬などは寒風に吹かれながら待っているわれわれの目の前を、暖房で充分に暖められた幸せそうな顔が通過して行く。
彼らの顔には、軽蔑《けいべつ》の色さえ浮かんでいるのである。
僻地《へきち》ないしは過疎地帯の人間を見るような目でわれわれを見る。
(どお? 羨《うらや》ましい?)
という優越の表情さえうかがえるのだ。
口惜しいことに、われわれは羨ましそうな顔をしているに違いないのだ。
奴らは、
(みんなそこで鼻水たらしてずうっと待っていなさいね。われわれは先に行くから)
と言いつつ本当に先に行ってしまうのである。
本当に口惜しい。
いわれなくさげすまれた、というところがどうにも腹だたしい。
(置いて行かれた)という寂しい気持ちになる。
(おれたちだって世が世であれば)
と唇を噛む。
置いて行かれた人々は、うつろな目をしてひとかたまりになり、ひたすら快速電車の到着を待つ。
それから充分待って待ちくたびれたころ、ようやくはるかかなたから、快速電車がオレンジ色の車体を現わしてくる。
特別快速電車は、(おまーらジャマだ、どけどけ)というゴーマンな態度で荒々しく現われ、荒々しく去って行くが、快速電車は謙虚に現われる。
「ドーモ、ドーモ、お待たせしちゃってドーモスミマセン。もうだいじょぶです」
と、置いて行かれた人々を暖かく収容してくれる。冷たく冷えた人々を、暖かく収容して、ほのぼのと出発してくれる。
これが逆に、自分が特別快速電車に乗っているときは、立場が完全に逆転する。
ホームで寒風に吹かれながら待っている人たちを見ると、
(ザマミロ)
と思う。
(僻地の人たち! ぼくたち羨ましいだろ)
と、いわれのない優越感にひたる。
銀行で待つ
毎月二十五日は、銀行の自動支払機の前には六、七人の行列ができているのがふつうである。
そしてその六、七人の中には、(絶対にもたつくに違いない)と確信をもっていえるおばさんが、一人、ないし二人は混じっているものである。
こういうおばさんは、カードを手に持って待っているということはない。
自分の番が来て、初めてカードに思いを致すのである。
そのカードも、すぐにすんなりとは出てこない。手さげ袋を掻き廻し、ようやくカード入れのようなものを取り出す。
(ここまでくればもうだいじょぶ。あとはすばやくカードを機械に挿入してくれるんだな)
と思っていると、ここからが長い。
カード入れの中から一枚ずつ引っこ抜いては、
「あ、これは丸井だったわね。エートこれはイトーヨーカ堂だったわね」
と、老眼をこらして見ているのだが、よく見えないらしく、再び手さげ袋を掻き廻して老眼鏡をさがし始める。
そんなことは、さっき立って待っている間に充分やれたのに、そのときはただなーんの考えもなくぼんやりしていたのである。
ほんとーにもー、どーしよーもないおばさんなのだ。
カードを手にしても、ただちに機械の操作にとりかかるということはない。
考えてはボタンを押し、また考えてはボタンを押し、アラ、違った、などとつぶやいて、また最初から押し直し始める。
うしろの人がイライラして、(ナニヤッテンダ、モー)と、のぞきこんだりすると、キッと振り返り、
(何か犯罪をたくらもうとしたって、そうはさせないんだかんね)
きびしく睨み、機械におおいかぶさるような姿勢になる。
お札が出てきてからも遅い。
丹念に数え、備えつけの封筒にゆっくり収納し、残高カードをじっくり見つめ、ため息をつき、クシャクシャと丸め、くず入れに放り込み、
(だれにも露ほどの迷惑をかけなかった)
という自信に満ちた表情でゆったりと退却して行く。
少しでもすまなかったという態度が見られれば、後続の人も、(トシとってるからしょうがないよ)と労《いたわ》りの気持ちにもなるのだが、こういうおばさんに限ってそれがあったためしがない。
ようやく自分の番がきて、ヤレヤレとカードを入れようとすると、機械がカチャカチャと音をたてて「支払停止」のサインが出る。
おばさんのもたつきが、機械に嫌気を起こさせてしまったのに違いないのだ。
あわてて隣の列の一番うしろに並ぶと、その列には必ずやもたつくに違いないおばさんが、今度は四人ほど混じっていたりするのである。
トイレを待つ
早朝、電車に乗ろうとするとき、急に便意をもよおすことがよくある。
特に前の晩、深酒をしたときなどは、なんの前ぶれもなく、突然待ったなしという状況に陥ってしまう。
脂汗をヒタイに滲《にじ》ませつつ、ようやくトイレを探しだし、ヤレヤレなんとか間にあった、ヨカッタ、もうだいじょぶ、あとはもう排出だけ、と突入しようとすると、無情にも入口のところに「只今清掃中」のフダがバリケード状のものにくくりつけられていたりする。
こういうときは目の前がまっくらになる。
ヤレヤレと思った時点で、大腸及び小腸、S状結腸、直腸、肛門《こうもん》などの排便関連機構は、すでに「送り出し」の作業を開始してしまっているのである。
出るべきものは、すでに続々と出口に到着して次の指令を今や遅しと待っているのだ。「清掃中」のフダをよく見ると、すまないという気持ちからか、「六番ホーム階段下のトイレをご利用ください」と書かれてある。
出口に到達してしまったものをなだめ保持しつつ指示されたトイレに直行し、いざ突入しようとすると、ここにも「清掃中」のフダがかかっている。
朝の清掃タイムには、こういうことがよくある。
目のくらむような思いで、人に突きあたったりしながらようやく清掃中でないトイレを探しだし、今度こそダイジョブ、と「小」の前を泳ぐように通過して奥の「大」のほうに行くと、そこにはむずかしい顔をした数人の男たちが、けわしい雰囲気を漂わせて立っている。暗い目で新入りをジロリと睨む。
トイレの数が五つ、待っている人が三人というような場合はどこに位置するかがむずかしい。
各トイレのドアの前にキチンと立っていてくれれば、自分の位置するところはおのずと決まってくるのだが、なかには二つのドアの中間に立っている人もいる。
この人は、二つかけ持ちしているのだ。
しかしここで、
「この際一人で二つは贅沢《ぜいたく》でしょう。一つはぼくに譲りたまえ」
などと言えば、殺気だってる男たちのことであるから、ただちに激しい口論、つかみあい殴打になることは必定である。
排泄《はいせつ》のことで口論、つかみあい殴打は避けたいとだれしも思う。
そこで、次の次を狙っておとなしくその人のうしろにつく。
ようやく自分のドアが確保される。その隣のドアも待ち人なしだが、そこは先刻入れかわったばかりだ。
ぼくのドアの内部の人は、入ってからすでに久しい。順番としては当然、隣よりこちらが先になるはずだ。そう思っていると、突然隣のドアが開き、折りよく駆け込んできた人が入れかわりに内部に消えていく。
非運、薄幸、無念、悔恨、怨嗟《えんさ》、いろんな思いにさいなまれながら立ちつくしていると、隣のドアから、いま入った人のカチャカチャとベルトをはずす幸せそうな音が聞こえてくる。
ぼくが担当したトイレの内部の人は、あくまでしぶとくカタリとも音がしない。
(そういえばさっき入って行くとき見たが、人相がよくなかった。根性の曲がった奴に違いない。悪い奴に当たってしまった)
と身の不運を嘆く。
きっと中で、のんびりと落書きかなんか読んでいるに違いないのだ。憎んでも憎みきれない凶悪な奴なのだ。
そう思っていると、急に、ザザーという水を流す音が聞こえてくるのだ。
(オオッ、よしよし。よくぞそこで切りあげてくれた。今までのことは水に流そう。そういえば人相もそれほど悪くなかった)
と、ズボンのベルトに手をかけて待っていると、内部は再びシンと静まりかえり、なにをしているのか待てど暮らせど男は出てこない。そのうち他のドアが開き、ぼくは内部の人に恨みを残しながらそこに駆け込んで行くのである。
カードの照合を待つ
いまはあまりそういうことはなくなったようだが、かつてはカードの照合に時間がかかった。
クレジットカードで買物をすると、金額が張る場合は電話でカードの照合をする。
店などの場合は、店の奥に入ってしまえばわからないが、デパートの場合は照合をしている様子が全部わかる。
店員がカードを持って、少し離れたところにある電話のところに行く。
どこやらに電話をかけ、なにやらを相手に伝え、受話器を耳にあてて返事を待つ姿勢になる。
ここからが長い。
店員は受話器を耳にあてたまま、ときどき横目づかいにこちらを見る。
このカードは盗難届が出ていないか、だれかが落としたものではないか、ということをどこかで確認してもらっているのである。
この時点では、ぼくは一応容疑者ということになる。
NHKのテレビニュース風にいうと、
「目下、東海林容疑者を取り調べ中……」
ということになる。
「いや、そんなことはありません。これは単なる手続きでして、一応こういうことをするキマリになってますので」
とデパート側は言うかもしれない。
しかし疑っているからこそ、照合の電話をしているのではないのか。
「東海林容疑者はカクカクシカジカだと言ってるのだがにィ、どうも怪しいんだよにィ。ひとつ所属のコーバンショで確認してもらってくれんかにィ」
などと、刑事が取り調べ室の陰で電話しているのと変わりない。
もし疑ってないのなら電話などする必要はないのだ。
「ウン、この人は目が澄んでいる。悪いことをする人じゃない。信用しましょう」
そういうことになって電話の確認は不用となるはずだ。
疑われている状況というものは決して快いものではない。
やがて疑いは晴れるのだが、目下は無実の罪を着せられているのだ。ジャン・バルジャンなのだ。
周辺の女店員なども、妙に押し黙り、なにかしているふりをしているが、ぼくの挙動をさり気なく監視しているようにもみえる。
「妙な動きはしないほうがいいわよ。なにかあったらすぐ非常ベルを押すことになってるんだからね」
と威圧しているようにも思える。
当然ぼくの挙動はぎごちなくなる。
腰に手をあてて昂然と天井を見上げたかと思うと、急にうなだれて爪を噛んだりする。
これが女店員には挙動不審と映る。いよいよ怪しい、ということになる。
(チキショウ。正しいカードを正しく使っているのに)
と口惜しいが不安もある。
なにかの手違いで、あるいはコンピュータの端末機の故障かなにかで、(コノカードハトウナントドケガデテイマス)ということもありえないことではない。
デパートは隠語が多いから、電話中の店員が「山田さんは昼食です」かなんかの言葉を合図に、店内に非常ベルが鳴りわたるということも考えられる。四方八方から保安の人が駆けよってくるということもありえないことではない。
不安と怒りが最高潮に達したころ、電話中の店員が何事もなかったらしく受話器を置き、このときからぼくは、容疑者から元容疑者の身分となる。
自動車教習所教官の反論
東海林「エー、あのォ、いま、いじめということが問題になってるわけですが、自動車教習所の教官に、まあ、いろいろいじめられたと、そういう話をよく聞くんですが……」
教官A「………」
教官B「………」
教官C「………」
東海林「まあ、そのォ、そういうあれはあれにして、そのあたりに対する反論といいますか、そういうようなことをお伺いしたいと、こういうようなわけのものなのですが」(シドロモドロ)
教官A「………」
教官B「………」
教官C「………」
東海林(あせって)「やはりそういうあれは、なんていうか、あれですか?」
教官A「教習所の教官というと、確かにこわいというイメージはあるみたいですね」
教官C「まあ、一時は確かにありましたね、でもここ四、五年、いやもっと前からかな、かなり変わってきてるんじゃないですか」
東海林「いじめなくなったと」
教官B「その人の(生徒の)感じ方にもよるんでしょうが、やはりある程度の緊張は必要ですからねェ」
教官A「特に若い人は(若い教官)教え方うまくなりましたねェ。生徒さんのウケもいい」
教官B「生徒さんにもひどいのいますからねェ」
教官C「いる、いる」
教官B「全然あいさつなしの人いますからねェ」
東海林「最初に『お願いします』とかの?」
教官B「いきなり来て原簿突き出してですよ、『今日はこれこれをやります』って言ってもウンでもスンでもない。『ああ、いい天気だなあ』という感じで空なんか見てる」
教官C「そういうの最近増えてますよ。こっちだってやはりムッときますよ」
教官A「そういうのだと、やはり五十分なら五十分の中でしっくりいかない場合が出てきますね、なんせ一対一ですから」
教官B「『こうするんだよ、わかりますか?』って言ってもだまーってる」
教官C「やる気あんのかないのかわからんてのもいますねェ。なにを言ってもだまーってる」
東海林「そういうのにも耐えて教えていかなければならない」
教官A「自分はここが不得手だからここのところをもういっぺんお願いしますとか言ってくれればこっちもノッてくるんですけどね」
教官B「S字クランクで、曲がる方を広く取りなさい、といっくら言っても広く取らないで何回でも乗りあげちゃう」
東海林「おばさんでしょう? そういうの」
教官C「若い男にもいますよ」
教官B「何回でも何回でも乗りあげちゃう」
東海林「根気がいいんでしょうね、そういう人」(笑い)
教官A「頭が堅いんだね。こっちの教え方が気に入らないんだね。自分はこのやり方でやるんだと」
東海林「そうやって何回でも乗りあげる」
教官A「どういうものか学校の先生とか医者とかにそういうの多いですね」
教官B「それに銀行の人。この人たちはどうしても普通の人より時間がかかりますね。わたし、どうしてかと考えるんですけど、自動車というのはある程度体で覚えるものなんですね。理論じゃなく……。なのに頭で考えちゃう。理屈をこねちゃう。『本にはこう書いてあった』という調子で考えが固まってるんですね」
東海林「教官がいったとおりに、なにも考えずにやればいいのに」
教官B「そうなんです」
東海林「素直じゃない」
教官B「そうなんです」
東海林「『オレはこのやり方で人生を送ってきたんだ』と。すると逆に覚えの早い人というのは……」
教官A(即座に)「普通の感じのサラリーマンですね。えらくないサラリーマン」
東海林「柔軟性がある。すぐ考え方を変える」
教官C「若い人はやっぱり早く上達しますね」
東海林「おばさん関係はどうですか?」
教官A「これにはいろいろ問題がある」(笑い)
教官B「おばさん関係には別のむずかしさがあります。ここ、グループで来る人も多いんですけど、『あの人はもうあそこまでやっているのに私にはなぜやってくれないんだ』とかね」
東海林「スタートが同じなのに」
教官C「自分がいまどの程度の段階にいるのかということを全然考えない」
東海林「全員いっしょに進むと思ってる」
教官A「おばさん、むずかしいです」(と言って深いため息をつく)
教官C「おばさんでもこっちに全部まかせてくれる人はやりやすいですね。自分はいくら時間がかかってもいいから、とか」
東海林「うーんと時間かかる人いますか」
教官B「います。あれは漬け物屋のかあちゃんだったかナ。五十っくらいの人でダンナさんが足が悪いとかで、配達なんかにどうしても必要だということで来た人ですが」
東海林「どのくらいかかりました?」
教官B「百七時間かかりました」
東海林「普通だと?」
教官B「現在規定は二十七時間ですけど、ま平均すると三十五時間ぐらいでしょうね」
東海林「いま一回いくらなんですか?」
教官A「うちは三千百円です。うちは千葉でも安いほうですよ。東京だと最低でも三千五百円。平均すっと三千八百円くらいかな」
東海林「百時間だと三十万越えるわけか。しかし百時間を越えるというのは……」
教官B「めったにありません。その漬け物屋のかあちゃんもやっと卒業したんですけど、あれで運転して大丈夫かななんて心配してたんですけど、けっこう平気な顔して運転してますね」
東海林「街で見かける?」
教官B「平気な顔して……」
東海林「平気なんでしょうね」
教官B「平気らしいですねェ」
教官C「六十代の人はどうしても時間かかりますね。この間、六十一歳の男の人ですけど六十八時間かかりました」
東海林「よく年齢分だけかかるなんていいますね」
教官C「いや、実際はそんなにかかりません。たいてい年齢より下まわりますよ」
教官B「でもね、わたしは学科を受けもったときよく生徒さんに話すんですよ。現在規定は二十七時間でしょ、どんな習いごとでも二十七時間で覚えてしまうものはないんですよ、と。お花にしろお琴にしろ習いごとというのは場合によっては一生かかるものなんです、と。そういうのに比べたら二十七時間が三十時間になっても四十時間になってもそう大した差ではないんです、と」
東海林「あ、それはいい考え方ですね」
教官A「おもしろいもので、たとえば路上まで五十時間かかったって人いるでしょ。こういう人は路上へ出てからもやはり人の倍かかるかというとそうではないんですね。路上に出てからは普通の人と同じで済んじゃう、なんてことがよくあるんです」
教官C「習いごとというのはきっかけをつかむと伸びるんですね」
教官B「うまくきっかけをつかんで急に伸びて涙流す人いますよ。いままでどうしても出来なかったことがやっと出来たって」
教官C「最近は感動して涙流す人多いですよ、壁を破った感動なんでしょうね」
東海林「女の人ですか?」
教官C「むろん女の人です」
東海林「男は?」
教官C「男は泣きません」
教官A「昔は叱られて泣く女の人けっこういたけど、今はいないなあ」
東海林「叱られても泣かない?」
教官B「泣きません」
東海林「どうしてます?」
教官B「平気です」
東海林「街でよく教習所の車がヨタヨタ走っているのを見かけますが、あれ横に坐っててこわいでしょうね?」
教官C「それがそうでもないんだよね」
教官A教官B(うなずく)
東海林「あ、そうなんですか?」
教官A「やっぱり慣れなんでしょうね」
教官B「ちょっと運転させてみれば、この人はだいたいどういうことをするか、だいたいわかりますからね」
教官C「その心構えをしていればいい」
東海林「でも中にはいるでしょう、なんかしでかしそうな人も?」
教官A「危ないことはけっこうありますよ。ブレーキ(教官用の)はしょっちゅう使いますね」
教官C「ブレーキだけでなく、ハンドル持ちっぱなし、ということもありますよ」
東海林「横から手を出して?」
教官C「そうしないと前の車よけきれないんだから」
東海林「それはスリルがある」(笑い)
教官B「かなりのおばさんで、緊張のあまり、わきもバックミラーも見ないで前だけ見て走る人いるけど、あれはこわいねェ」
東海林「生徒のほうはかなり緊張するんでしょうね」
教官A「路上検定のときなんか、足がこうなっちゃって(ガタガタふるえる)止まんないんだもんね。自分でこう押さえないと止まんないんだよね。離すとまたふるえる」
教官C「何を言っても聞こえないというおばさんもいますね。今日も路上で、ハンドルを少し左に切ってるんですね。で、どんどん左に寄ってっちゃう。いくら右に戻すように耳元で言っても左へ左へ寄ってっちゃう」
東海林「なんにも聞こえない」(笑い)
教官A「夏なんかシートがグッショリになっちゃうおばさんもいますね。本当、もう、もらしちゃったみたいに」(笑い)
教官B「用意のいいおばさんは自分でタオル持ってきますね。始めにシートに敷いとくの」
東海林「クーラーあるんでしょ」
教官C「あってもです」
教官A「ブラジャーの線がくっきり出ちゃう人もいますよ」
教官C「去年の夏は、ハンドルがまっ白になったおばさんいました。塩吹いちゃって」
東海林「やっぱりおばさんはむずかしいですか?」
教官A「おばさん、むずかしいです」(深いため息をつく)
教官B「強くいえないし」
東海林「メカにも弱いし」
教官C「メカに弱いといったってミシン動かせるんだからなあ。ミシンも運転も大して変わらないと思うけどなあ」
東海林「でもミシンはいくら踏んでも動き出さないけど車は動き出しちゃう。(笑い)オートマチック免許が出来たらおばさんたちもラクになるでしょうねェ」
教官A「限定免許の話は前にもあったんだけどいつのまにか立ち消えになっちゃったなァ」
東海林「なぜ出来ないんでしょうね。おばさんに限らず限定免許が出来れば相当時間が短縮されるでしょうね」
教官A「オートマでやると(規定)時間オーバーする人いなくなっちゃうもんなあ」
教官B教官C(うなずく)
東海林「教習所の経営がたちゆかなくなる?」
教官A教官B教官C(あいまいにうなずく)
教官B「いま身障者の人はオートマでやるんですけど、それでも規定オーバーする人いませんからねェ」
東海林「話はちょっと変わりますけど、よく聞く話なんですが、教習所の教官と女性の生徒とですね、一対一になって一時間とか二時間とか過すわけですから、どうしても、そのォ、いわゆるなんていうか、そういうことになっちゃう、なんてことよくあるんですか?」
教官A「トラブルですか?」
東海林「いや、そういうんじゃなくてですね、こう、いい具合になっちゃうとか……」
教官B「恋愛ですか」
東海林「いや、そういうんじゃなくてですね、なんていうか、いわゆる仲良くなっちゃうなんてことは……」
教官C「結婚ですか?」
東海林「いや、そういうふうに仲良くなるんじゃなくてですね、どういったらいいか、ヒマをもてあましたおばさんなんかがですね」
教官A「誘惑ですか」
東海林「それです、それです」(ホッ)
教官A「きっとあるんじゃないですか。あると思いますよ。C君なんか若いからあるんじゃないの」
教官C「あっても断っちゃいますよ」
東海林「やはりある?」
教官C「ありますよ。でも適当にあしらって断りますよ」
東海林「もったいないじゃないですか」
教官A「そういうことに関しては今は厳しいですからね。万が一なにかあったら大変ですからね。それにウチはみんな真面目だし」
教官B「ことしの夏だったかナ、どこかの教習所で女生徒と妻子ある教官がいなくなっちゃったの」
教官A「そう。それで、県の免許課ってとこから教習所係の指導係官が来て、ここにはそういうことないかって聞いていきましたからね」
東海林「厳しい?」
教官A「厳しいです」
教官B「これはずっと以前のことですけど、昔指名制度っていうのがあったんです。生徒が教官を指名して免許取るまでずっといっしょなわけです。このころはけっこう誘われたりした人いたようですよ」
東海林「どういうふうに誘うんですか」
教官B「ウチに遊びに来ませんか、とか。飲みに行きませんか、とか。それから恥ずかしがりやの人は原簿にラブレターはさんだり、とかね。そういうことあったらしいです」
東海林「女子大生なんかがですか?」
教官B「いや、ほとんど人妻です」
教官A「そういうんじゃなくてもですね、やたらに話しかけてくる人いますね。家のことぜーんぶ話すの。運転しながらベラベラベラベラと。子供がカゼひいて熱を出したとか、きのう、父ちゃんの運転でいっしょにスーパーに行ったら駐車場で私のドアのしめ方がわるいといってケンカになったとか、ずーっとしゃべりっぱなし。おもしろくもなーんともないッ。こういうの運転ぜーんぜんダメッ」
東海林「要するにそういうことは今はほとんどない、と?」
教官A「今は厳しいですからねェ」
東海林(ホッとして)「エート、それから、これは街でよく見かけるんですけど、教習所の車が、うしろに十台ぐらい従えてノロノロ走っていることよくありますね。ああいうときどんな気持ちですか?」
教官B「気の毒とは思いますが、こればっかりはしょうがないですねェ」
教官C「生徒はみんなスピード出すのこわいからどうしてもノロノロになるんですね。それで幅寄せなんかやられたりしますけどね」
東海林「うしろにたくさん付いてきちゃったから、この辺でわき道にそれようとか、そういうことは?」
教官A「検定のときはコースが決まっていて、それ出来ないんです」
東海林「出来ないんですか?」
教官A「出来ないんです。あんまりなときは、左へ寄って先に行かせることはありますけどね。こればっかりはね」
東海林「そういう事情があったんですか。ぼくなんかそういうとき、あれは教官が意地悪を楽しんでんのかと思ったりしてたんですけど」(笑い)
教官B「こらえてやってください」(笑い)
東海林「教官になる試験てのはむずかしいんでしょうねェ」
教官A「むずかしいですね。法規とか、教える使命とか、ま、論文とまではいかないんですがそんな感じの試験です」
教官B「二月、六月、十月と試験があって、この間の十月の試験では七十人受けて受かったの二十人だったそうです」
教官C「指導員の上の検定員になる受験の資格が出来るのは、ここの千葉では七年ですからね」
東海林「みなさん指導員になる前は?」
教官A「私は農協の購買部にいました」
教官B「私は鉄道です。たまたま免許持ってたんで自動車の部門にまわされてたんです。ま、人に教えるのが好きなのと車が好きでここに入りました」
教官C「私は印刷屋に勤めてたんですが夜勤が多くてここに移りました」
教官A「みんな車が好きなんですね」
東海林「ようやく免許を取って生徒さんが卒業していきますね。そういうとき、教官にお礼をいってく人いますか」
教官A教官B教官C「いません」
東海林「いませんか?」
教官B「さんざん手古ずらせてやっと卒業できた人でも、廊下でカオ合わせても知らんぷりですからね」
教官A「もう来なくていいやってとこなんでしょうね」
教官C「金払って習いに来てんだから受からせてくれて当然、という考え方なんでしょうね」
教官A教官B(深いため息と共に大きくうなずく)
洗  濯
ぼくの仕事場のそばに、コインランドリーの店がある。
洗濯機十四台、乾燥機五台というコインランドリーとしてはかなり大規模な店である。
過去何十回となく、ぼくはこの店の前を通ったのであるが、この店を利用している人をほとんど見かけたことがない。
ほんの二、三回、下宿住まい風青年が、椅子に腰かけて漫画本を読みながら洗濯物が仕上がるのを待っているのを目撃した程度なのである。とにかくいつ通っても無人。
洗濯関係の機械十九台が、いつもひっそりと静かに並んで客を待っているのだ。
ひっそり静かではあるが、機械たちの意欲というか意気込みというか、そういうものをぼくは店の前を通るたびに感じていた。
機械たちがウズウズしているのだ。
「さあ来い。いつでもただちに洗ってやる。乾かしてやる」
そういう声なき声が聞こえてくるのである。
しかしいつも客はいない。
ぼくはその店の前を、いつも、
「済まぬ」
という気持ちで通り過ぎていた。
そのうちきっと、彼らの期待に応えてやらねばと思っていた。
それにここ十数年、洗濯ということをしたことがない。
ぼくはもともと、洗濯とか草むしりとか、食器洗いとかの、無心でする作業が好きなのだ。無心で出来て、しかもその成果を刻々と目のあたりにできる作業を好む。
しかし難関がひとつあった。
それは洗濯をしている姿を通行人に目撃されるということである。
洗濯をしている姿を人に見られるのは恥ずかしい。
ぼくが目撃した下宿住まい風青年もわびしそうだった。青春してる≠ニいうふうには見えなかった。
だからもしぼくが洗濯してるところを人が見ても、決して中年してる≠ニいうふうには見てくれないと思う。
洗濯をするということは、決して悪い行為ではない。やましい点はひとつもない。むしろどちらかというと善行に属するほうの行為である。
なのにやはりその行為を見られるのは恥ずかしい。
その理由は二つ考えられる。
ひとつは、洗濯物にはどうしても下着関係が含まれるという事実である。しかもその下着は洗濯物であるから当然汚れている。
汚れた下着を、通行人の|すぐそばで《ヽヽヽヽヽ》取り扱うというところが恥ずかしい。
もうひとつは、いいトシこいた大の男が、という体面上の問題である。
いいトシこいた大の男が昼日中コインランドリーで洗濯をしている光景は、少なくとも勇壮な光景とはいえないと思う。
この二つの難問を解決しないかぎり、憧《あこが》れのコインランドリーに行くことができない。
ところが二つの難問が一挙に解決される妙案がほどなく見つかったのである。
この店は、通りに面してコの字型に機械が並んでいる。コの字の直角のところの機械は、通行人にとって死角となる。
ここのところの機械を使用することによって下着問題も体面問題も一挙に解決されるのだ。
ぼくはいよいよ決行の日取りの検討にとりかかった。
いかに死角といえども、店の出入りは人に見られる。その被害を少なくするためには、通行人の少ない日、及び時間帯を選ぶことだ。
こうして決行の日時は、次第に絞られていくのであった。
そうして、五月の連休のまっただ中の三日という日が選定されたのであった。
この頃は都内の人口は極端に減少する。
時間は午後の一時、この日のこの時間は、都内の人通りはパッタリ途絶えるはずだ。
いよいよ待望の五月三日。
洗濯には天候が重要である。
この日の新聞には次のように出ていた。
──東方海上に中心を持つ高気圧に覆われて、日本列島はきょうも天気がいい。しかしアムール川上空を東進する低気圧の影響で、北日本は天気がやや不安定になるかもしれない──
アムール上空の低気圧がちょっと気にかかるが、洗濯にはそれほどの影響はあるまい。
ぼくは手さげ紙袋に、かねて用意の洗濯物を詰め始めた。
洗濯物というものは、あらかじめ用意したりするものではないのだが、この日を期して用意しておいたのである。
あまり多すぎるのも大変だし、少なすぎても洗濯機に迷惑をかける。
そうした観点から選び抜かれた洗濯物は次のようになった。(洗濯物は本来選択したりするものではないのだが)
綿パン、靴下、半そでメリヤスシャツ、ブリーフ(白)、ハンカチ、バスタオル。
これで通常大の手さげ紙袋は、ちょうどスリキリ一杯、という感じになった。
用意するものは、あと洗剤と百円玉。
洗剤はずっと以前に、新聞の販売店がくれた弁当箱大の小型洗剤を持参することにした。百円玉は、コインランドリーの通に聞いた話では、(とにかくたくさん要る)ということだったので三十個用意した。
準備万端ととのって、紙袋ひっさげて「さて」と立ちあがり、それから万全を期してオシッコをし、スニーカーつっかけて表に出た。
そのときの服装は、上がチェックの半袖《はんそで》、下が白の綿パンに白のソックス。
快晴、風力三、気圧一〇一三ミリバール。
そよ風|頬《ほお》にこころよく、遅咲きの八重桜がハラハラと肩に散りかかる。
なぜか、勇姿、などという言葉を思い浮かべつつ、コインランドリーに向かって静かに歩を運ぶ。
コインランドリーはきょうも無人であった。
無人ではあるが、主なき洗濯物が、一台の乾燥機の中に乾ききってへばりついている。
この主は、洗濯物が乾燥しきったのも知らずどこかでパチンコでもしているのにちがいない。洗濯物の全容から判断して、この主は、男性、推定年齢二十三、四歳、独身、モテナイと察しられた。
さまざまな掲示が出ている。
「清潔を心がけよ」「洗濯が済んだらいつまでも中に入れたままにするな」「揮発性のものを使用するな」などなど。このほかに、
「コインランドリー荒しが横行しています。特に女性の方は気をつけてください。不審の者を見かけた方は、店主または警察に通報してください」
というのがあり、なぜかドギマギする。
掲示を読んで、行程としては次のような式次第になることが判明した。
洗濯する、脱水する、乾燥させる。
とは一台の機械で用が済み、こののち洗濯物を乾燥機に移すわけだ。所要時間はいずれも三十分。
店にはいるときは、
(むずかしかったらどうしよう)
と思っていたのだが、
(案外簡単だな)
と思う。
不審の者、と思われないために、すばやく洗濯機の前に歩み寄る。警察に通報されたりしたらかなわない。
ここからがむずかしくなった。
洗濯物は、二千五百グラムを一応の目安とせよとある。紙袋スリキリ一杯の洗濯物は何グラムぐらいなのだろうか。
洗濯物の量によって、大中小とある洗濯機のいずれかを選定しなければならない。
値段もそれぞれ、百円、百五十円、二百円と差がある。
ぼくは安全を期して一番大きいのを選んだ。押しボタンがたくさん並んでいる。
「サイクルボタン」などという近代兵器のような表示が出ている。
サイクルボタンは、「一般衣料」「デリケート色物」「パーマネント・フロレス類」の三つに分かれている。
フロレス類たァ、何者だァ、オラこんな洗濯機いやだァ、と吉幾三サンふうに嘆いたが、これを使うよりほかはない。
わが洗濯物は、どう考えても「一般衣料」に属すると思われた。
「まずフタを開けて中に他人の洗濯物がないかどうか確認せよ」とある。
確認行為を行なってみると、中はカラだったので紙袋を逆さにしてドサドサと洗濯物を放りこむ。
「次に洗剤をその上にふりかけよ」
というので、かねて用意の新聞屋の洗剤をパラパラと適量ふりかける。
「フタをしてサイクルボタンを押し、コイン二枚を引き出し状の所定の位置に置き、引き出しを閉めよ。さすればただちに洗濯機は始動するであろう。ただし始動したらフタは決して開けてはいけんよ」
というようなことが書いてある。
いわれたとおり、コインを置き、なぜかドキドキしながら引き出しを閉める。機械は、
「オレ、この瞬間をずっと待っていたんだよね」
涙ぐみながら、なにやらゴボゴボと動き始めた。かすかに振動しながらゴボゴボいっているのだ。洗濯機はもっとガタガタいうはずだ。
「こ、こ、これでいいのかな」
と少し動揺しながら見守ったが、ただゴボゴボいうばかりなのだ。
(中で何をしているのだろう)
とフタを開けてみたかったが、「開けてはいけんよ」というお達しがすでに出ている。
不安にかられながら見守ることおよそ一分、一分十秒ぐらいで洗濯機が突然、ガッタンゴーと大きく動き始めた。
ガッタンゴーに続いてチャプチャプという水音も聞こえてくる。
これら一連の動きから、ぼくは次のような判断をくだした。
最初のゴボゴボは、水またはぬるま湯が注入される音であり、次のガッタンゴーは、水またはぬるま湯が充分満たされたので、ホンジャ、マ、と、洗濯機が本格的な動きを開始した。
そう判断して、ぼくは店を離れることにした。これから三十分間、洗濯機は、洗濯と脱水という二行程の業務に励むことになる。
業務命令者は三十分間、どこかで時間をつぶさねばならぬ。
喫茶店に行ってコーヒーでも飲もうと思った。
喫茶店のある駅のほうに歩いて行くと、パチンコ屋の前に来た。
すると足がごく自然にパチンコ屋の中にはいっていくのである。
(こういうことは自然にまかせるのが一番いい)
と思い、当人もごく自然にパチンコ屋の中にはいっていった。
とりあえず三百円。
これはアッというまになくなった。時間にして一分とかからなかった。
これでは三十分間でいくらかかるかわかったものではない。
(ま、千円は覚悟しよう)
と思い、台を換えて、こんどは奮発して四百円。
すると二百円分使ったあたりから、中央の、団地ベランダ用ふとんはさみを逆さにしたような超大型チューリップがパッコンと開き、いつまで経っても閉じなくなった。ということは開いたまま、ということである。(あたりまえだ)
パコパコと閉じそうな動きをしながらも全面的には閉じないのである。
当然玉は、そこにどんどんはいって行く。
当然受け皿に、玉がどんどん出てくる。
たちまち上の受け皿は一杯になった。(以後これは上皿と簡略化して呼ぶ)
ぼくはあわてて下の受け皿(以後これを下皿と呼ぶ)へ移動させる棒を押した。
団地ベランダ用ふとんはさみ風チューリップはそれでもまだ閉じない。(以後これを、団ベラふとはさチューと呼ぶ)
下皿もだんだん満杯に近くなってきた。
右手でハンドル、左手で、下皿移動用棒を押し続けながら、左足で足元に放置してあった大箱をたぐり寄せ、これを下皿のさらに下に安置した。
こうしておいて、下皿にたまった玉を左手でつかんではその下の大箱に移す。移しては下皿移動用棒を押す。押してはまた下皿の玉をつかんでその下の大箱に移す。
上皿、下皿、大箱という三段構造の機構をつくりあげたおかげで作業はスムーズになったが、もう狂おしいようなひとときであった。
やがて大箱のほうも一杯になり始めた。
それでも団ベラふとはさチューはまだ閉じない。
上皿が普通預金、下皿が定期預金、大箱が財形貯蓄といったところであろうか。
普通預金から定期へ絶えまなく振り込まれてくるので、定期もたちまち満杯となる。左手で定期を絶えず解約しては財形貯蓄のほうにまわす。
忙しいやら嬉《うれ》しいやらあせるやらで、一時はほとんど半狂乱の状態になった。
右後方の青年が、手を休めてぼくのほうを見守っている。
財形貯蓄も満杯になったらどうしよう、一時中断して箱をもう一個持ってこなくてはなるまい、でも一時中断したらせっかくパッコンと開いてくれている団ベラふとはさチューが閉じてしまうおそれがある。
世の中はよくしたもので、それがピークであった。
団チュー(団ベラふとはさチューの略)は、なんの前ぶれもなく突然閉鎖された。
そしてそれ以後、事態は急に別の展開をみせ始めた。
まず、普通預金が涸渇《こかつ》し始め、解約された定期がそこに充当されるようになった。
次に定期が底をつき、財形貯蓄がどんどん解約されて普通預金に投入されるようになった。一時は盤石《ばんじやく》と思われた三段構造機構も、もはや何の役にも立たない。
一時の隆盛が夢のようだ。
こうなってくると、さしもの坪内寿夫氏といえどももはや打つ手はあるまい。
勃興《ぼつこう》、台頭、隆盛、栄華、衰微、没落の、三十分間の壮大なドラマはこうして幕を閉じた。
落胆の色濃くぼくは店を出た。
だが数分歩くと、急に元気になった。
(たかが資本金七百円で興した会社だ。倒産しても少しも惜しくはないではないか)
(もともと千円を覚悟してはいった店だ。それが七百円で済んだのだ。むしろ三百円|儲《もう》かったというべきではないのか)
という二つの事実に気づいたからである。
コインランドリーに戻ってくると、洗濯機のランプがすでに消えており、洗濯、脱水の二つの事業が完遂されていた。
(こっちの会社は、ちゃんと健全に運営されてるもんね)
と、さらに明るい気持ちになる。
フタを開けると、洗濯機の底に、洗濯物がみじめな姿でへばりついている。これらを取り出し、次なる事業の乾燥にとりかかる。
乾燥機のほうは操作は実に簡単で、フタを開けて放り込み、コイン投入口に百円玉を投入すればよい。
例の、二十三、四歳、独身、モテナイ男性は、どこへ行ってしまったのか洗濯物はまだ乾燥機の中だ。
乾燥機は円筒状のものが回転する仕組みで、百円玉を入れるとただちに回転を始めた。
回転につれて、洗濯物が巻きあがっては落下し、ずり下がり踊り狂い舞いあがる。
洗濯物が急に生き物になって大喜びをしているように見える。
狂喜乱舞とはまさにこのことではないか、と思う。
さっきまで暗い洗濯機の底にへばりついていて、きっとつらかったにちがいない。
それが急に明るく暖かいところに入れられて喜んでいるのだ。
(よかった、よかった。しばらくそうしていなさいね)
と言いおいて、こんどはちゃんと喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。
三十分たって戻ってくると、乾燥機は、欣喜《きんき》と躍動の時代を終えて、いまは静かにひっそりと洗濯物を暖かく内包して休息のひとときを過しているのであった。
洗いたての洗濯物は、白くて清潔で暖かく、ふわふわと柔らかく気持ちがいい。
暖かい洗濯物を紙袋に収めてコインランドリーを出る。
外は快晴で、またしても遅咲きの八重桜の花びらが、ハラハラと肩にふりかかる。
それにしても、現代の洗濯は、水に触れるということがない。ボタンを押しただけである。洗濯ジャブジャブは、けっこう楽しい作業だったのだが、いまはその作業に関与することができない。
ただ眺めているよりほかはないのである。
おじさん症候群
いま、おばさんたちの評判がよくない。
「おばさん症候群」という言葉でもって、おばさんたちは厳しく指弾されている。
いわく、電車の空席に突進する。
いわく、動作の区切り、区切りに「ドッコイショ」と言う。
いわく、テレビに向かっていちいちうなずく。
グループで、道路を横に拡がって歩く。
カルチャーセンターに殺到する。
電車の中で声高に話し合う。
おばさんのやることなすことが、非難の対象になっている。
では、おじさんたちのほうはどうなのか。
おじさんたちの行動は大丈夫なのか。
うしろ指さされるような点は一つもないのだろうか。
ところがよく聞いてみると、これがけっこうあるのですね。
「おじさん症候群」に対する非難の声は、巷《ちまた》に満ち満ちていたのである。
「あれだけはやめてもらいたい」
という声が、特にOLあたりから、さかんにあがっていたのだ。指摘されてみると、いちいち思いあたることばかりなのである。
わたくしも、おじさんの一人として、大いに反省し、しかし少しばかり反論もしてみたく思いました。
「反省はするけれど、こっちだって言い分はあんだかんな」
こういう立場で一つ一つの事例について言及していってみたいと思う。
シーハ、シーハ
OLたちが第一番に指摘するのが、例の「シーハ、シーハ」である。
「ランチタイムに、定食屋からシーハ、シーハしながら出てくるのよね。あれサイテイ!」
「ノレンを分けて出てくるときからシーハ、シーハして、道を歩きながらもシーハ、シーハ。会社のエレベーターに乗ってもまだシーハ、シーハ。午後一時ちょっと前のエレベーターはシーハだらけよ。机に坐ってからもシーハ、シーハ。いいかげんあきらめればいいのに」
言い分はよくわかるのだが、あれはそう簡単にあきらめるわけにはいかないものなのだ。
奥歯に物がはさまったまま、というのは何とも嫌なものなのだ。なんとか早急に撤去してスッキリしたい。ラクになりたい。おじさんはこの問題が解決しないと、次の行動に移ることができないのだ。
だからいまは、このことに専念するよりほかはないのである。
この「専念」によって、多少の体面を損うのはやむをえない。おじさんとしてはそのぐらいの重大決意をもってシーハを断行しているのである。
ま、たしかにシーハに専念している様子は見た目はよくない。
しかしあれは気にしだすと、どうにも放っておくわけにはいかなくなるものである。
最初は、ちょっとはさまっているようだからかるーくホジリ出してやっか、なんていう軽い気持ちでホジリ始める。しかしテキは意外に難物で思わぬ抵抗を示す。特にニラなんかはタチがわるい。
「しめた、取れた」
と思うと、先端部だけがちぎれて取れ、基幹部が歯の間に残留してしまうのである。
このあたりで、この作業に対する新たな決意というか情熱というかそういうものが生まれてくる。
最初は世間体をはばかって、左手で口のあたりをおおったりしているのだが、そのうち、
「それどころじゃないッ」
という気持ちになってくる。情熱のおもむくまま、世間はいつのまにか見えなくなり、アゴは突き出され、歯ぐきはむき出しにされ目はうつろ、多少のヨダレの滴下もみられるという恍惚《こうこつ》のひとときを迎えることになるのである。
それにしても、なぜおじさんたちは昼食後いっせいにシーハに狂奔するのか。
それはですね、キミたちOLにはわからないだろうが、おじさんたちぐらいの年齢になると歯肉というか歯の根っこのところですね、ここが痩《や》せ衰えてくるのです。そして歯と歯の間のすき間も大きくなってくる。
ここに物がはさまるのは当然でしょうが。
物がはさまればそれを撤去しようと思うのも当然でしょうが。
自分の口の中の、自分の歯にはさまったものを、自分で撤去するのがどこがわるいッ。
ンナローッ。
バンドとチョッキ
時代はどんどん移り変わってゆく。行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、人も物も流行も名称も時代とともに刻々と変わってゆく。
おじさんたちは、そこのところに意外にドンカンである。そしてそれに対する対応がおそい。いま流行《はやり》のゴム底の革靴をはいている人を見て、
「オッ、またラバソールが流行りだしたのかね」
などと言って周囲のヒンシュクを買ったりする。その昔、(といってももう三十年も前のことだけど)ラバソールという、ラバーのソールの革靴が流行ったことがあるのだ。
おじさんは懐しくなってつい口走ってしまうのだ。
チョッキはいつのまにかベストになり、ズボンのバンドはベルトということになった。
このあたりの移り変わりに、おじさんたちはうとい。
ビーチサンダルのことを、ついゴム草履と言ってしまうのだ。(それにしても草履はひどいなあ)
ショートパンツは短パンである。
女の人のはくキュロットを「マタつき短パン」などというひどいおじさんもいる。
ジャンパーがいつのまにかブルゾンということになったのに気づかないおじさんも多い。
デパートにノコノコ出かけて行って、
「ジャンパー売り場はどこ?」
とたずね、
「あ、ブルゾンのことでございますね」
と言いなおされ、
「なーにがブルゾンだ」
と反抗的になるのもおじさんの特徴である。
(そうかジャンパーはブルゾンになったのか)
と素直に受けとめればよいものを、
(ブルゾンだって? 笑わせんじゃねェ)
と、おじさんはあくまで反抗的なのである。
サングラスのことを、いまだに色メガネというおじさんもいるし、ゴーグルを水中メガネというおじさんもいる。
でもね、おじさんたちはだな、ついこのあいだまで、水中メガネをかけてゴム草履をはき、海水パンツ(スイミングパンツ)をはいて小川で泳いでいたんだ。
プールなんてものはどこにもなかったんだ。小川をせき止めて魚といっしょに泳いでいたんだ。この記憶を急に消せといわれても困るんだ。
なーにがビーチサンダルだ。なーにがゴーグルだ。なーにがスイミングパンツだ。なーにがスニーカーだ。
ゴム草履はどう言いつくろったってゴム草履ッ。水中メガネはいつまでたっても水中メガネッ。
と反抗するからいつまでたっても改まらないのである。
スキー関係もずいぶん表現が変わったようだ。おじさんたちが若かったころは、スキーといえば、まず背中にリュックサック。リュックサックの中身はスキー靴。スキーと、板と竹でできたストックを肩にかつぎ、身なりはヤッケにスキーズボン。両手に軍手、両足にはゴム長靴、ボストンバッグを一個、これが一般のスキーのいでたちだった。
いまは、いまあげたそれぞれの名称が、ことごとくちがうらしいのだがおじさんはもう疲れた。それぞれの名称を調べる気力がもうない。カンベンしてくれ。
手 拍 子
宴会での手拍子の打ち方がうまくなったらおじさんになった証拠である。
宴席などで、
(ああ、この人の手拍子は年季がはいってるなあ)
と思わず賛嘆してしまうほど、見事な手拍子を打っているおじさんを見かけることがある。
それだけで充分鑑賞に耐えられる、至芸といってもいいほどの手拍子である。
あんまり出世していないおじさんに多いようだ。壁ぎわに五年、窓ぎわに十年、というおじさんたちである。
合計十五年、ひたすら手拍子の修練だけを心がけてきた、と思えるほどの円熟した芸を、このおじさんたちは披露してくれる。
若い人たちの手拍子は、ただ両の手をバッチンバッチンと合わせているだけというのが多い。
おじさんたちの手拍子には変化がある。
ゴルフや野球の打撃では、両ワキをしめろというのが基本だが、手拍子の場合は両ワキをしめてはならない。
両ワキを大きくあけ、両手首をいったん大きく反《そ》らせてから反動をつけてバッチンを行なう。
バッチンの瞬間、両手先を拝むように上下させ、そののち両手のひらの離反をはかる。
両手のひらの離反が行なわれんとする瞬間、少しこすり合わせるようにすれば完璧《かんぺき》である。両手のひらをこすり合わせるか、こすり合わせないか、ここが芸の別れ目である。
そして大切なのはそのときの態度である。
手拍子はあまり真剣に打ってはならない。
いくぶん自堕落、いくぶんヤケクソという態度が望ましい。
首はややうなだれ加減にして左右にゆるやかに振り、手のひらを時には頭上に、時には胸元に、というような変化をつけられるようになれば芸は一段と光り、宴席はいっそう盛りあがる。
このパフォーマンスの合い間合い間に、「ア、ドーシタ、ドーシタ」などの合の手をつぶやくがごとく、怨ずるがごとく入れれば、手拍子芸はもはや完成したといっていい。
全国サラリーマン同盟あたりで、一度「全国サラリーマン手拍子コンクール」というのを開催するといいと思う。そして「手拍子三段」とか「手拍子五段」とかの段位をさずけるのだ。
こうすれば日本の手拍子界も一段と隆盛になるのではないか。
そうなれば、手拍子一筋十五年のおじさんも、定年退職したあと、手拍子の家元として悠々と食べていけることになる。
ハゲ、デバラ
この二つは、おじさん症候群の顕著な例として、もはや古典といってもいいほど言い古されている。これに「季節もの」としてモモヒキがつくのが通例である。
デバラのほうはともかく、ハゲのほうは努力してどうなるというものではない。
どう努力しても、抜けるものは年々抜け落ちてゆく。
しかしおじさんたちは努力するのだ。
養毛剤をふりかけ、ブラシでたたき、あるいはワッカのようなものを頭にはめたりして涙ぐましい努力を続ける。
そうするとOLたちは、
「おじさんてクサイのよね。みんな一様に養毛剤クサイのよね」
と、言って軽蔑する。
おじさんたちは、
(オレはきっと養毛剤クサイだろうなあ)
と常々おびえているものなのだが、そこへあからさまに「クサイ」といわれるのだ。
この打撃は大きい。
おじさんたちは、少なくなった髪の毛をどうしたらたくさんあるように見えるのかに努力する。一本一本を、一ミリ間隔にキチンと並べているおじさんもいる。そしてその一ミリ間隔が狂わないようにチックでようく貼りつける。
苦心、努力のあとがだれの目にも歴然としている。その努力のあとが、OLたちは、
「身ぶるいするほどイヤ」
と言うのだ。
「無いものは無い、そういう毅然《きぜん》とした態度でいて欲しいのよね」
と言う。
デバラのほうは、これは努力次第でどうにでもなるものである。ところがおじさんたちは、こっちに関してはなんの努力もしない。
(ハラが出ててどこがわるい!)
と居直っている人が多い。
(むしろカンロクだ!)
などと、わざと突き出してみせる人さえいる。こういうおじさんたちを見て、OLたちは、「努力次第でどうにでもなるものを、なんの努力もしていないところがたまらなくイヤ」
と、身ぶるいしてみせるのである。
髪の毛のほうは努力しているところがイヤといい、デバラのほうは努力してないところがイヤだという。
努力しても「イヤ」といわれ、努力しなくても「イヤ」だといわれる。
おじさんはとても悲しい。
「とんねるず」を認めない
「とんねるず」を認めるか認めないかが、おじさんであるかないかの分岐点である。
おじさんは「とんねるず」を絶対に認めない。
「『とんねるず』ってなんだい?」
と、「とんねるず」を知らないおじさんは論外である。
おじさんたちは「たけし」は一様に認める。
「あいつは一応芸があるからな」
と言う。
「タモリ」も認める。
「あいつはけっこう教養があるからな」
と言う。
「さんま」は、
「あいつもどうしようもないやつだけど、ま、ドクがないからな」
などと言い、一応見逃す、という態度をとっている。
だが「とんねるず」だけには敵意さえ示す。過日、某作家が「とんねるず」を殴ったそうだが、このとき、おじさんたちの拍手が全国的に鳴り響いたとさえいわれている。
「とんねるず」は確かになんの芸も持っていない。特に石橋など、ただとんだりはねたりして騒ぎまくっているだけである。
芸人はたいてい媚《こ》びるものだが「とんねるず」は媚びない。媚びないどころか威張っている。威張るところが芸になっている芸人もいるが「とんねるず」のは威張り芸にもなっていない。
なのに売れている。そしていい気になっている。
いま挙げたことごとく一つ一つが、おじさんたちは気に入らない。
ところが、いま挙げたことごとく一つ一つが、中高生、大学生、若者は気に入っているのである。そこが「とんねるず」らしくていいという。
いい気になっているところさえ「いい」という。
バカやって売れているところが、自分たちの息抜きにもなるというのだ。
なぜおじさんは「とんねるず」が嫌いか。
たいていのおじさんたちは、特にサラリーマンのおじさんたちは特殊技能を持っていない。ソロバンも簿記も、なんとか鑑定士などの資格も、なにも持ってない人が大部分である。
だからおじさんたちは、週刊誌などの「わたしは特殊技能を修得して転職に成功した!!」などという記事を、いつもうらやましく思いながら読んでいるのだ。
特殊技能を何一つ持たない自分を淋《さび》しく思い、肩身の狭い思いをしているのである。
なのにだ。「とんねるず」は特殊技能を何一つ持っていないのに売れているのだ。
何一つ持っていないところが、かえって|売り《ヽヽ》になるというのだ。
肩身の狭い思い、どころかいい気になっているのだ。ここのところがおじさんたちは許せぬというのだッ。ドンドン。
その他いろいろ
その他いろいろまだたくさんあります、おじさん症候群は。
休日はトレーナーで過す、とか、おしぼりで首すじまで拭く、とか、クシャミをしたあと必ず「ウー」と言う、とか、やたら薬を飲む、とか、会社で青竹を踏む、とか、洋食のスープをジルジル音をたてて飲む、とか、エレベーターの中で女子社員のケツをジト目で見る、とか、当方には様々な報告が届いております。おじさんはけっこう注目されているのであります。大いに気をつけましょう。
カ  ニ
世はまさに飽食の時代だそうで、街には世界中の食品があふれている。
雑食民族日本には世界中のありとあらゆるところからありとあらゆる食べ物が運ばれてくる。
キャビア、フォアグラ、エスカルゴ、サケ、カニ、ニシン、鴨《かも》、アヒル、牛肉、マトン、こうしたものが飛行機で運ばれてくる。
鴨やアヒルが空を飛んでくるのはわからぬでもないが、サケ、カニ、ニシンが空を飛んでくるというのは納得がいかない。泳いでくるべきだ。
特にカニなどは、空を飛んで欲しくない。
「カニの分際で飛行機に乗りやがって。オレなんか飛行機はまだ一度も」
と泣いてくやしがる人もいる。
カニは生きたまま飛行機に乗るからよけいくやしいのかもしれない。死んでから乗るなら多少納得もできる。
ま、とにかくわが祖国ニッポンはどんな材料でも取りそろえることができるわけだ。
こうした時代の風潮の中にあって、
「いえうちはあえて取りそろえません。材料一つで勝負します」
という店がいくつかある。
カニ専門店、豆腐専門店、それからイワシ専門店なんてのがそれだ。
潔《いさぎよ》いということもできるが偏屈ということもできる。見方によって評価が大きくわかれるところだ。
しかし食事の楽しみというものは、海のもの、里のもの、山のものを、あれをつつき、これをつつき、あっちを少し攻め、こっちをちょっとかじり、エート、次は何をいこうかな、なんて考えたりするところにあるはずだ。
なのにあえて原材料一本勝負。
原材料一本の食事とはどのように展開されるのだろうか。始めから終わりまでカニ、出てくるもの出てくるものすべて豆腐、そういう食事は食べていてどんな気持ちになっていくものなのか。材料にはどのような創意工夫がなされているのか。はたして潔いのか偏屈なのか。
そこのところを探険レストラン、グルメワールド世界食べちゃうぞ、そこが知りたい、ワクワクランド、クイズ丸ごとハウマッチ、出かけるオレたちひょうきん族、(なんだかよくわからないけど)と、いうようなわけで出かけてみることにしたのでありました。
目ざすは新宿にあるカニ専門店「かに道楽」。
とにもかくにも全部カニ。カニ攻めでありますね。全篇これカニ一色。カニといったらカニだッ、カニ以外のものは絶対に出ないんだカニ、とにかく食ってみたらどうカニ? なんて店側はいってるわけですね。
ほんとのことをいうと、ぼくはカニにはそれほど好意を持ってるほうではない。
世の中には、
「世界中でナニがうまいカニがうまいといってもカニほどうまいものはない」
なんてことをいう人もいる。だがぼくとしては、カニは「ま、食べてみるにやぶさかでない」といったたぐいの、やぶさか関係に属する食べ物なのである。
それにカニはなんとなくイバッテル感じがする。態度がでかいのだ。姿、形のせいかもしれない。手足をふんばってなんとなく偉そうにしているようにみえる。しょっちゅう飛行機を利用する身分のせいかもしれない。
旅館の食事なんかのときに、刺身関係のところにカニが一匹並んでいると、
「わざわざお越しいただいてありがとうございます」
と思わず頭を下げてしまう。御来臨をあおいだ、という感じになる。カニのほうも、
「わざわざ来てやったんだカニ」
という態度でうずくまって動かない。
どうもカニには好感がもてない。
「かに道楽」はかなり大きな店で、店の看板のところに大きなカニの模型がはりつけてある。廊下を通って十五人ほど坐れる長いカウンターとテーブルが八つというところに案内される。他に座敷がいくつかあるようだ。
カウンターの前には、ズラリと寿司屋ふうのガラスケースが並んでいる。
寿司屋だとここのところに様々な魚やエビやタコやイクラやイカなどが、所狭しとにぎやかに並べられているものだがこの店はカニ一本勝負の店だから当然といえば当然だがカニしか並んでいない。それもぎっしりではなく、ポツン、ポツンと充分に間隔をとって淋しそうに並んでいる。かつては飛行機に乗って華やかなときを過したこともあったのに、いまは全員淋しい境遇におかれているようだ。飛行機に乗ったバチだ。
さてカニ一種類でどれだけの料理を作りあげるのだろうか。
なにしろカニは、ミソのところは別にして足のところに内包されているいわゆるカニ肉、これしか食べることができない。
牛一頭ならば、ヒレ、サーロイン、モモ肉、あるいは内臓、テイル、タンというふうに様々に展開できるがカニは足一本だけなのだ。(本当は八本あるけど)ヒレもサーロインもテイルもない。タンもない。
「さあ、どうする? どうする気だ?」
とメニューを見る。
ところがけっこうなんとかなるものなんですね、足一本で。(本当は八本あるけど)
並べてみると、まずカニ刺身カニ酢カニ天婦羅カニ唐揚げ焼カニカニバター焼カニサラダカニ豆腐カニ茶碗蒸しカニ姿|茹《ゆ》でカニ姿焼カニすき鍋カニちり鍋。
堂々十三種類も作りあげてある。
これにミソ関係のカニみそ、カニみそ甲羅焼きを入れると十五種類。更にカニ寿司というのもある。
ビールを注文し、ツキダシのカニ酢のようなものをつつきながらメニューを検討する。
まずカニ刺身、カニ酢を注文する。それからカニみそ、カニ豆腐、カニ茶碗蒸し、カニ天婦羅、カニ唐揚げ、とどめとしてカニすき鍋、更に本とどめとしてカニ上寿司、以上を矢つぎばやに堂々と注文した。
堂々九品目。
(どうだ、驚いたカニ?)
と着物姿のおばさんを振り返ると、
(いカニも)
という態度でおばさんは去って行くのだった。
まずカニ刺身が到着した。
恥ずかしい話だが、ぼくはこれまで茹でたのしか食べたことがなくナマは初めてなのだ。(別に恥ずかしくないか)
これが意外にというか実にというか、大変おいしいのだ。
やや甘エビに似た舌ざわりで、甘エビよりもっと柔らかく、噛むとトロリ、スルリと口の中で溶ける。ウズラの卵とワサビを溶いた醤油で食べるのだが、味があるようなないような、ほんのり甘いような甘くないような、上品、淡泊、枯淡、しかしウマイ、というような、そういうような味である。
カニ酢は、茹でガニを酢醤油で食べるよくあるやつだ。
ようやくカニ刺とカニ酢を食べ終わる。
正式にはなんていうのか知らないが、カニ用ホジホジ器で、ほじくっては食べほじくっては食べるので時間もかかり、手もけっこう汚れあとには大量のカラが残った。
時間と手間と残ったカラから考えると大変な食事をしたあとのようにみえるが、摂取した総量は両者合わせて茶碗に半分もない。
カラはどんどんたまるのだがハラはぜんぜんたまらない。
努力のわりに収穫があまりにも少ないのである。
しかしカニの足を、背中丸めて一所懸命ホジホジしていると、なんかこうだんだん精神的に落ちこんできますね。
第一姿勢がよくない。
どうしてもうなだれた感じになる。
やってることがまたせこい。
足のつけ根の太い部分はまだしも、先端の小指ほどのところを攻めたてているときは、
(オレもずいぶんせこいことをしているナ)
と、思わざるをえない。
人物が小さくみえる。
たとえば鳥もも焼きなどをわしづかみにして丸かじりしているのと比べてみるとその違いがよくわかる。
骨にしがみついている鳥肉をかじりとり、充分の量の肉片をアグアグと噛んでいると、なんとなく勇壮な気分になる。バイキングの頭目の気分になる。
目の前の客と視線が合ったりすると、
「やんのか、このやろう」
と思わず立ちあがりたくなる。
カニの場合はそうはならない。
うなだれてホジホジ器でホジホジしているときに、ふと目の前の客と視線が合ったりすると、
「あ、すみません。どうもごめんなさい」
とあやまりたくなる。
か細い肉をようやくほじり出して噛んでも歯ごたえはないし、味はあまりしないし、なんとなく釈然としない。納得がいかない。足のつけ根の太い部分は、それでもけっこう大きい肉がとれ多少の噛みごたえはある。問題は先端の先細りの部分だ。
先細りの末端まで、包丁で切れ目が入れてあるからそこのところまでキチンと食べろよ、なんせ高いんだかんな、といってるらしいので一応ホジホジ器で攻めはじめる。
ちょうど塗り箸ぐらいの太さの先細りのところである。ここのカラを強引に押し拡げ、肉をすくい取ろうとするのだが、カラが弾力で戻ろうとしてうまくとれない。肉片も千切れてきてグチャグチャになる。
次第に怒りのようなものがこみあげてくる。
それでも我慢してホジホジしているうちに怒りは本物になってくる。
(もういいッ。やめるッ)
と、足を放擲《ほうてき》する。
たとえうまく取れたとしても、ほんの爪楊子ほどの肉片なのだ。
(惜しくないッ)
と思い、おしぼりで手を拭き、タバコに火をつける。火をつけて放擲したカニの足をなんとなく見ているうちに、
(しかし惜しいナ)
という気持ちになる。
(値段も高いことだし)
と再び足を取りあげ、先端攻めを再開する。しかし掘削掻き出し事業はまたしても難航し、怒り心頭ということになり、
(もういいッ。やめる)
と、こんどこそ本当に事業を断念する。
(しかしカニ食って怒っちゃいけないナ)
どうもカニとは合い性がよくないようだ。仲良くやっていけないような気がする。
カニ肉掘削は難事業だから事業を人にまかせるという手もある。
ところがこうするとなぜかカニを食べたという気にならない。
だいぶ前に、仲居さんがはべる席でカニを食べたことがある。
ここでは仲居さんが事業を全面的に請負ってくれた。
皿には掘り出してくれた肉が山盛りになっている。それをお箸でつまんでは食べつまんでは食べたのだが、全然カニを食べているという気にならないのである。
味も半減してしまう。
もともと味のないものなのに、それが半減してしまうのだから味気ないことはなはだしい。
やはりカニは自分の手でホジホジし、その作業の成果としての肉を味わう、という手順が必要であるようだ。こうすると、いカニもカニを食べたという気持ちになる。
しかしそうなると先述のように、事業難航→憤激→激怒→仮放擲→事業再興→再憤激→再激怒→本放擲、という経過をたどることになってしまう。まことにもってカニというものはやっかいなものなのである。
お銚子《ちようし》を二本あけたころ、ようやくカニ天婦羅、カニ唐揚げ、カニみそ、カニ豆腐が到着した。
この店はどうも待たせる時間が長いようだ。
えんえんと待たせてドドッと到着する。
一つずつ順序よく、というふうにはいかないようなのだ。
正直いってカニ天、カニ唐揚げですくわれた。
長く苦しい、上品淡泊枯淡の時代がようやく終わり、重厚こってり濃厚の時代がやってきたのだ。
天婦羅のほうは、カニの天婦羅とはまあこんなものだろうな、というような味だったが唐揚げがうまかった。
両者とも丸ごと揚げるのではなく、切りとった足を三本ほど揚げたものなのだが、唐揚げは身離れもよく適度な歯ざわりもあり、甘みも増しているようで秀逸であった。
客の入りは八分ぐらいで二十人以上の人がカニで酒を飲んでいるのだが、店の中は静かだ。
客は実年ふうが多いのだが、カニだと酒席が盛りあがらないようなのだ。
カニで酒席がワーッと盛りあがった、という話はあまり聞いたことがない。
作業が複雑、かつ難渋するというせいもあるようだ。
どうしても黙りがちになる。会話がおろそかになる。それどころじゃない、という気分になる。
雑誌の座談会などでは、カニは出すな、が鉄則になっているそうだ。
しかしこういう店の料理人の日常は単調でしょうね。
縄のれんなどの料理人は、マグロを切りタコをさばき、里いもの煮かげんを見、おしんこをきざみ、あれこれ変化がある。
カニ専門料理店の料理人が扱うのはカニだけである。
一日中カニを相手に暮らしている。
一匹のカニをさばき終えると、また次のカニを取りあげてさばく。その次もまたカニである。
客もカニしか注文しない。(あたりまえか)
しかしこうしてカニばかり食べていると、なんかカニ以外のものを食べたくなる。
なんかこう違うものないかなあ、などと思いながらなんとなく手にしたメニューを見たりするのだが、メニューにはカニ以外のものは載っていない。(あたりまえだ)
(しかしなんかないかなあ)
なんて思いながらメニューの裏を見たりするのだが、ここもカニに次ぐカニである。
(しかしなんかないかなあ)
と、しつこく壁のメニューを見たりするのだが、むろんここもカニ、カニ、カニである。
カニ豆腐は、豆腐の上にカニ肉をのせただけのもので、特に論評を加えるというようなものではない。カニ茶碗蒸しもまた同様。
とどめのカニすき鍋がくる。
内容物は、カニ、糸こん、白菜、豆腐、ニンジンといったところで、ツユは関西ふうの薄塩味仕立てである。
ニンジンはカニの形に切ってある。
そういえばこの店は、箸置きも灰皿もカニの形をしている。鍋の周辺にも、カニの飾りがふちどってある。店主のなみなみならぬカニへのこだわりというか執念が感じられる。
鍋物というものは、作業手順が煩雑なものである。
鍋を取りしきっている人は、
(会話など交わしているヒマはないッ)
という威厳に満ちているのがふつうだ。
それを見ている人も、
(そうですか、すみませんッ)
と押し黙ってしまうものである。
そういう沈黙が伴う鍋物の中に、カニが入っているのだ。
沈黙の両巨頭が、あいたずさえて登場してしまったのである。
当然、鍋の周辺は、寂として声なし、という状況におちいる。
重苦しい沈黙があたりをおおう、ということになる。座談会には絶対に出してはならないものの一つということができる。
それに、カニすき鍋をつついている人の顔付きはなんとなく上品である。
自然に上品になってしまうようなのだ。
四、五人で囲んでいても、みんな上品に中身をすくいあげている。
これがスキヤキ鍋だとこうはいかない。
みんな殺気立って中腰になる。
本とどめの、カニ上寿司が到着する。
カニ肉をネタにしたにぎり二個、カニ肉を芯《しん》にしたのり巻二個、カニみそを軍艦巻きにしたものが二個、バッテラふうにした押し寿司二個という構成である。
カニネタのにぎりが意外にうまい。
カニはごはんには合わないと思っていたが、そうでもないようだ。
このあたりになるとさすがにおなかが一杯になる。
カニで満腹、という予期せぬ結果となった。
さて、カニだけの食事の感想だが、それなりにけっこう変化があった、ということができる。
特に天婦羅、唐揚げの果たした役割は大きいようだ。
コースの中にこれを取り入れるか入れないかで、変化の度合いが大きく変わってくる。
カニだけ料理には天婦羅関係を混ぜること、これを今後の人生の教訓にして生きていきたいと思う。
小 唄 入 門
小唄というものがこの世に存在していることを知っている人は多いと思う。
では、小唄とはなにか、ということになるとそれぞれの認識はあいまいになる。
「なんかこう、チントンシャンと三味線が鳴って、それからなんかこうフシのついた文句をいうんだよね」
「通うんじゃないの? 粋《いき》なおっしょさんのところへ」
「うなるんだよね、社長とかが。お座敷で粋な文句を」
一般人の認識は大体こんなものだ。
「三味線」「粋なおっしょさん」「社長がうなる」これが一般人の三大認識である。
そして全体を「粋」という言葉が貫いている。
一般人の認識では、小唄とおっしょさんは分かちがたく結びついている。そして、おっしょさんといえば、芸者上がりであり、昼下がりであり、湯上がりであり、三下がりであり「あら、ちょいと」であり、おくれ毛かき上げであり、「も一ついかが」であるという、なんだかよくわからないが全体としてはよくわかる、という認識を一般人は持っている。
おっしょさんのほうはつき合ってみるに大いにやぶさかでないが、小唄のほうは、やぶさかである、というのもまた一般人の見解である。やぶさか指数は、おっしょさんより小唄のほうがはるかに高いのである。
ぼくの小唄に対する見解もまたこのようなものであった。いずれにしても小唄は自分とは無縁、こういうコンセプトで人生を過していたのである。
小唄というものは社長もしくは専務、このあたりまでの階級がうなるものである、というのも一般的な考え方である。
会社の宴会などで、
「ではこの辺で社長の小唄を」
ということになり、社長が日頃鍛えた小唄をひとくさりうなると、社員一同拍手、また拍手という光景がよく見られる。
うまいのか下手なのか、鑑賞のポイントはどこにあるのか、どういうところが小唄の良さなのか、なにもわからないがとにかく拍手、また拍手、ヨォヨォ、ピィピィ日本一! ということになり、ヤレヤレ、ということになり、坐り直して「ま、ひとつ」と隣に酒を注いでやったりする。
日本の一般大衆の小唄に対する認識はそういうものであった。
ましてこのぼくが、小唄をうなる、などということになるとは夢にも思っていなかった。(しかし|うなる《ヽヽヽ》でいいのかナ)
そのぼくが、本当に小唄をうなることになってしまったのである。まったく人間、どこでどういう破目に陥るかわかったものではない。ぼくは名うての音痴であり、またそれを充分自覚している。だからカラオケバーなどでいくら人に薦められてもただの一度も歌ったことはない。
そのぼくが、本当に小唄をうなってしまったのである。
事の発端はO青年にある。O青年は、ぼくの行きつけのスナックの常連で、いつとはなく親しくなった年下のサラリーマンである。
彼はきわめて普通のサラリーマンで、特に出世志向があるわけでもない。
地味な背広に地味なネクタイ、髪は七三という全面的に地味タイプの青年である。
特にカラオケ好きということもない。このO青年が小唄をやっているというのである。初めてそれを聞いたときは、思わずO青年の頭のテッペンから足の先まで見直してしまった。
これは関係ないことかもしれないが、彼は特にいい男でもないし、女にモテるというタイプでもない。(ほんとに小唄とは関係ないナ)
社長が小唄をやっているので、趣味を同じくしてあわよくば出世を、というタイプでもない。O青年の会社の社長は小唄をやらない。ほんとうに、もうその辺にいくらでもころがっているようなサラリーマンなのである。(O君ゴメンナサイ)
ぼくはどうしても信じられなくて、ナゼ、ドーシテ、ウッソー、ホントニィ? とかいって、おたくそういうことやるふうには見えないしィ、そういうタイプじゃないしィ、似あわないしィ、とかいって、なぜかギャルふうに問いただしてしまったのである。
O青年は至極落ちついて、
「ま、(小唄は)特にどこがどうということはないんだけど、いいもんですよ」
と言うのである。
「普段と違った世界というか、ま、たまにね、四畳半という世界も」
「四畳半!?」
「四畳半で、おっしょさんと差し向かいで、手とり足とり口移しに教えてもらいながら小唄を口ずさむ。いいもんですよ」
O青年はさり気なく言うのだった。
ぼくはO青年の、この発言のひとつひとつに激しく心を動かされた。
まず「四畳半」に心打たれた。それから「おっしょさん」に心が動いた。「差し向かい」にも激しく反応した。「手とり足とり」には動揺さえした。「口移しに」に至っては激しい胸の動悸《どうき》さえ覚えた。
「どうです? 今度ご一緒しませんか。軽い気持ちで」
ぼくのやぶさか指数は急下降した。
軽い気持ちどころではない。重い気持ちでご一緒しようと思った。先程のO青年の発言を文字どおり解釈すると次のようになる。
ご一緒したぼくは「四畳半」でおっしょさんと「差し向かい」になる。
おっしょさんは、熱心にぼくの「手を取っ」て教えてくれることになる。それから熱心さのあまり「足を取っ」て教えてくれることになる。すなわちぼくの足に手をかけてヨイショと持ちあげることになる。当然ぼくはバランスを失ってうしろにひっくり返る。おっしょさんももつれてぼくの上におおいかぶさることになる。
当然着物のスソが乱れることになり、くんずほぐれつということになり、互いの吐く息が荒くなり、荒くなったところで「口移しに」教えてくれるということになる。
小唄の指導というものは、どうやらこういうものであるらしい。このようにして教わるものであるらしい。
「行ってみようかな」
思わずぼくは口走ってしまったのである。
O青年はただちに段取りをつけてくれた。
それから稽古《けいこ》初日の日まで、ぼくの心は重かった。とんでもないことを決心してしまったのだ。
いくたびか中止を申し入れようと思った。
だがそれを押しのけたのが、「おおいかぶさって口移しに」の言葉だった。
決行の当日、ぼくは国電田端駅の近くの縄のれんで焼酎《しようちゆう》を飲んでいた。
心のチューンナップをはかっていたのである。チューンナップは順調に進行していた。
最初わがエンジンは千回転ぐらいだったのだが焼酎三杯目あたりでは四千回転ほどになっていた。
エンジンはうなりをあげ、小唄などいつでもうなれるという状態になった。
ぼくは国電田端駅の改札口に向かった。
ここでO青年と待ち合わせ、おっしょさんの家に向かうという段取りなのである。
O青年とぼくは、タクシーに乗って尾久三業地というところへ向かった。
この三業地の一角におっしょさんの家があるのだ。
タクシーを降りると、そこは不思議な町並みであった。
古びた木造二階建て、旅館のようでもあるし、普通の人家のようでもあるし、また料理屋のようでもあるという、三業地特有の町並みが続いている。街頭がうす暗く人通りもきわめて少ない。
O青年は、その中の人家風の家に近づいた。
今どき珍しい板塀の家である。
木戸を押すと、O青年は中へ入って行った。
「あら、お待ちしてましたのよ」
と、四十がらみ、よく見ると五十も少しからんでいるというような和服姿のおばさんが愛想よくぼくを迎えてくれた。
着こなし、物腰、言葉のイントネーション、いずれもがなんとなく小粋である。
この人がおっしょさんであった。
玄関横の和室に案内される。
中央にコタツ、タンスには昔懐かしい五反風呂敷風のタンス掛けが掛けられている。
その横に仏壇。仏壇にはリンゴ、ハッサク、おまんじゅうが供えられている。
サイドボードの上には、ガラスケース入りの日本人形、犬のぬいぐるみ、羽子板、というふうに全面的に和風、もしくは荒川区下町風にコーディネートされた部屋である。
コタツの上には、チョコボール、おせんべ、ポット、急須、などの来客セットが置かれている。コタツの横には稽古台らしい座卓が一つ。壁ぎわには三味線が三|棹《さお》立てかけてある。
どうやらここが|あの《ヽヽ》、|夢の《ヽヽ》おっしょさんの稽古場であるらしい。
O青年の惹句《じやつく》では「四畳半でおっしょさんと差し向かい」ということだったが、実際は六畳である。
一・五畳の差をO青年に問いただすと、
「仏壇、タンス、サイドボードの占有面積を差し引くと実質四畳半になる」
ということであった。
実質四畳半、これには異存はない。
しかし「実質四畳半で、おっしょさんと差し向かい」というふうに言ってくれたほうがより正確ではなかったか。
ほどなく着物を粋に着こなした二名のお弟子さんが現われ、部屋は急に華やかになった。
ただし、この二名のお弟子さんはかなりの年輩で、華やかさに多少のカゲリがあるのはいなめなかった。
「では」
ということになった。二名のお弟子さんのやや年若い方が稽古台の前に坐る。
おっしょさんは三味線を取り上げ、ペペペンと鳴らして音の調節をはかる。
はかりつつ、
「そちら(ぼくのこと)初めてだから少し飲んどいたほうがいいんじゃないの」
と言い、
奥に向かって、
「ウイスキー持ってきてあげて」
と叫ぶのだった。
タクシーに乗ったり歩いたりしたせいで、四千回転が二千五百回転ぐらいに落ちていたのでありがたく頂戴することにする。
やがてお手伝いらしい充分にトシとったおばあさんが、お盆に角ビンと氷と水さしとおつまみを載せて現われた。
おつまみは立派なマグロのお刺身と青い物の白和《しらあ》えという格式の高いものであった。
ぼくはオドオドとあたりを見廻し、落ちつかずしきりにウイスキーをガブ飲みする。
O青年は悠然とお刺身をつまみ、ウイスキーを口に運んでいる。
そのへんにいくらでもころがっているサラリーマンのO君がとても立派に見えた。
「『青いガス灯』をいきましょう」
とおっしょさんが言い、稽古台に坐ったお弟子さんが胸を反らし胸元をかきあわせる。
いよいよなのだ。
いよいよ小唄のお稽古が始まるのだ。
ぼくは緊張してまたウイスキーをゴクリと飲む。チントンシャンと三味線が鳴って、
青いガス灯ななめに受けてェ
チントンシャン
白い襟足、夜会巻きィ
(ウーン、ガス灯に夜会巻きと来たか。粋なもんだなァ)
とウイスキーをまたガブリ。
駅で別れたあの人の、影がちらつく雲もよい、ギヤマングラスで交した酒に、凍える心暖めつ、帰る煉瓦《れんが》の金春《こんぱる》道を、素足にはいた吾妻《あずま》下駄
(ウーン、ギヤマングラスに金春道に吾妻下駄と来たか。粋なもんだなあ、なんだかよくわからないけど)
「青いガス灯」は以上である。
要するに、デートして酒飲んで下駄はいて帰ってきた、ト、こういうことらしい。
これを三回ほど繰り返してこのお弟子さんの稽古は終了ということになった。
このお弟子さんはかなりの上級者らしく、二、三のところを直されただけだった。
特に、手とり足とりということはなかった。
次のお弟子さんが「春浅き」というのをやり、いよいよO青年の番となった。
O青年は「お伊勢まゐり」である。
チントンシャン
お伊勢ェまゐりにィ、石部のォ茶屋で、会ったとさ
「会ったとさ」のところが芝居のセリフっぽくなる。
可愛い長右衛門さんが岩田帯しめたとさ、
えっささのえっささの、さっさのさ
以上が「お伊勢まゐり」である。
O青年は時には首など振ってかなりノッて歌い終わった。
要約すると、お伊勢まいりに行ったら岩田帯しめた長右衛門に会った、ト、こういうことである。
「だからどうしたっていうんだ」
といわれても困るが、ま、これが粋というものであるらしい。
O青年は次に「うからうから」というのをやり、「そこは優しく」とか「そこは切って」とか「そこのばして」などときどき注意されながらも、なんとか無事に終了。
しかし小唄というものは、上手な人が口ずさむとなんとも粋に聞こえるものだが、O青年のは哀調を帯びて聞こえるのはどういうわけか。
いよいよぼくの番である。
緊張して稽古台の前に坐る。
「エート、初めてだから『梅は咲いたか』にしましょうか」
とおっしょさんが言う。
「梅は咲いたか」なら何度か聞いたことがある。文句も覚えている。
梅は咲いたか桜はまだかいな、柳なよなよ風次第、山吹きゃ浮気で、色ばっかりしょんがいな
というものである。
おっしょさんが三味線をしめ直して、
「わたしがヨッて言ったら始めてください」と言う。
ぼくの緊張は最高潮に達した。エンジンは七千回転ぐらいになってウナリをあげている。
チントンシャンのトテチンシャン、
「ヨ」
うめ、うめ、うめェー
おっしょさんが見かねて、
うめェ〜はァ〜
うめ、うめ、うめェー
それでも三度目あたりから、ようやく、
うめェは〜
という口調になってきた。
なってはきたが、おっしょさんの調子とはまるで違う。
おっしょさんと同じうがなかなか出てこない。
これは音痴の人の通弊なのだが、心に思ったうがスッとすぐに出てこない。
まず正しいうの周辺の音階を口に出し、少しずつ微調整しながら正しいうに近づけていく。そうしてようやく正しいうに突きあたる。
むろんそれまではメロディのほうは全然顧慮していない。突きあたった時点でようやく(メロディのほうもなんとかしなければ)と思い、正しいうに推移しつつメロディの検討、実施をはかる、と、こういう段取りになる。だから音痴の人の歌う歌は必ず正常より常に遅れ気味になる。微調整、検討が入る分だけ常に遅れ気味になる。音痴の人が、正常より早く歌ってしまうということがないのはこのせいなのである。
おっしょさんに遅れつつ、とにもかくにも、
うめェはー咲いたかァ
までたどりついた。
カラオケでさえ一度も歌ったことのない人が、聴衆(三名)を前にして初めて歌うのだ。こんな恥ずかしいことはない。しかもメチャクチャな小唄をうなっているのだ。
聴衆三名は、唖然《あぜん》というか呆然《ぼうぜん》というか、観念したというか、そういう表情で黙然と頭をたれている。
おっしょさんのほうは、途中でこの新弟子の才能を見破ったらしく、授業は弟子の巧稚に関係なくどんどん進行し、とにもかくにも、
山吹きゃ浮気で、色ばっかりしょんがいな
までたどりついた。
ほんとにしょんがいない弟子なのである。
額の汗を拭いてうなだれる。
あたりに気まずい沈黙のひとときが流れる。そのあと形ばかりの稽古が三度ほど繰り返され、
「きょうはこの辺で」
ということになった。
むろん、おっしょさんは「おおいかぶさって」きたりはしなかった。
お月謝のほうは、月四回で一万円なのだが、「生徒優秀につき」ではなく「生徒見込なしにつき」免除ということになった。
このあとO青年とぼくは、三業地の中の料亭に繰りこみ、芸者をあげ、ぼくはさっそく覚えたての小唄を披露発表したのだが、ここでも気まずい沈黙のひとときを余儀なくされたのだった。
は と バ ス
「はとバス」と聞くと、たいていの東京人は、
「エ? 『はとバス』? ハハハ」
と笑う。
たいていの東京人は「はとバス」を知っている。
街を歩いていて、一度は「はとバス」を見かけたはずだ。
そして「はとバス」の窓から、物珍しそうに東京の街を見廻している乗客を見て、
「ハハハハ」
と笑ったことがあるはずだ。
そして「はとバス」の人々の視線を意識して、ふだんよりいくぶんサッソウと歩いたりした経験があると思う。
だからぼくが、
「はとバス知ってる?」
と聞くと、
「エ? 『はとバス』? ハハハ」
という答えがかえってくるのである。
そして、
「まさか、乗ったんじゃないだろうな」
と、なんかとんでもないことをしてくれた、というような答えもかえってくるのである。
ところが乗ってしまったのだ。
とんでもないことをしてしまったのだ。
親にも兄弟にも合わせるカオがない、と、それ以来ぼくはうつむいて暮らしているのだ。
「はとバス」に乗ってどこへ行ったかというと、これまた実にもう、世間にカオ向けできないようなところへ行ってしまったのだ。
「まさか、東京タワーとか、NHK訪問とか、六本木でお食事とか、そういうことをしたんじゃないだろうな」
と、その人は言う。
ところがまさに、そういうことをしてしまったのである。
これから一生、ぼくは「はとバス者《もの》」の汚名を着せられて、うしろ指さされながら生きていくよりほかはないのだ。
しかも「はとバス者」の中でも一番罪の重い「東京タワー者」として、厳しく糾弾《きゆうだん》されながら生きていくことになるのだ。
若気の至りとはいえ、じゃなかった中年気の至りとはいえ、とんでもないことをしてしまったのだ。
ところがですね、この「はとバス」が実によかったのですね。
もう病みつきになるぐらいよかったのです。
あすにでももう一度乗りたい、というぐらいよかった。
なにがそんなによかったのかというと、二階建てバスというのがよかった。
一般の人々より一段高いところに坐って街を走る快感、オレの足の下で人々が暮らしを営んでいるという優越感。
「高い」ということは、意味なく人を「偉くなった」という気持ちにさせるものなのだ。
考えてもみてくれたまえ。(だんだん気分が昂揚してきた)
よく二階にテラスふうに張り出したガラス張りの喫茶店がありますね。
あそこで、街行く人を見下ろしながらお茶を飲んでる人がいますね。
一度ぼくもあれをやったことがあるが、あれは実に気分のいいものなのです。
なんかこう、自分が急に偉くなったような気持ちになる。下を歩いている人々をバカにしたくなる。
というか、人々もバカに見える。
と、まあこれだけでも充分気分のいいものなのに、その喫茶店がですね、そのまま街に走り出した、という感じなのですね、二階建てバスというものは。
どうです? 考えただけでも愉快でしょう。
二階建ての喫茶店が、そのまま街を走ってゆくのです。
そもそも「はとバス」に乗ってみようと思った事の発端は、二階建てバスにあったのである。
もうだいぶ前のことだが、日本にも二階建てバスがやってきて上野から浅草まで走ったことがあった。日本で初めての二階建てバスということでその後もこのバスは走っているが、このときはだいぶ騒がれたものだった。
そのときぼくは勇んで出かけて行ったのだが、エンエン長蛇の列でどうしても乗ることができず、壮途《そうと》むなしく唇を噛んで帰ってきたのだった。
それから幾星霜、ぼくは二階建てバスのことをすっかり忘れて安穏に暮らしていた。
ところがつい最近、「はとバス」に二階建てバスが使用されていることを耳にしたのである。
ぼくはただちに「東京定期観光、夜のコース」の「夜のパノラマコース」というのに申し込んだ。
「夜のコース」は、「夜のお江戸」「夜の東京ディズニーランド」「夜の六本木、新宿ラブナイト」「デラックス赤坂ナイト」「マキシムナイト」などなど合計十五コースある。
二階建てバスを使用しているのはこのうち三コースだけなのである。
この三コースの中で、一番人気のなさそうなのが、ぼくの選んだ「夜のパノラマコース」なのである。
これは東京タワー、青山アンナミラーズでお食事、NHK放送センター訪問、と巡り、合計三・五時間というものである。
魅力のなさ、という点では一番である。
ということは乗客が少ないということになる。ということは、せっかく二階建てバスを選んだのに一階に坐らなければならない危険が少ないということになる。
この選択はまさに正解であった。
あとで判明するのであるが、正解すぎるほど正解であった。
当日の夕方、ぼくはアシスタントのI君を誘って東京駅丸の内南口に向かった。
このコースは「お子様もご一緒に楽しめる夜のコース」ということで、お子様を対象にした企画らしいのである。
乗客全部がお子様づれである可能性がある。
そういうところへ中年男の一人づれが乗ったのではみんなに不気味に思われるのではないか。
そう思ったのでI君を誘ったのだ。
あとで判明するのだがこれも正解だった。
正解すぎるほど正解だった。
出発は五時五十分、集合は五時四十分である。到着順に二階の席へ、ということが考えられたのでぼくとI君は一時間前にバスの前に並んだ。将来出来るべき行列の一番前である。
これは正解ではなかった。
待てど暮らせど、後続が来ないのだ。
最初のうちは、I君と二人で、
「これで二階の一番前の席確保!」
「ザマミロ」
などと騒いでいたのだが、そのうちだんだん不安になってきた。
十分前になってもだれ一人ぼくらのうしろに並ぶ人がいない。
ガイド嬢が仕方なさそうにドアを開けてくれた。
争う必要はまったくないのだが、ぼくらは息せききって二階に駆けあがって一番前の席を確保した。
出発五分前になってもだれも来ない。
運転手が外へ出て行って、うしろに並んでいる違うコースの運転手と話をしている。
「エ? 満席? それじゃダメだなあ」
などと言っている。
どうやらぼくらをそっちに組みこもうとしているらしいのである。
ぼくとI君は不安になった。そして意地になった。
運転手が二階に上がってきたのでぼくは聞いた。
「二人だけでも行くんですか」
「行けといえば行きますが」
運転手はうなだれている。
ぼくとI君は心を鬼にした。
「行ってください」
運転手はうなだれて一階に降りていった。
ぼくはしみじみI君を誘ってよかったと思った。もし、ぼく一人だったら、この大型バスのたった一人の乗客ということになってしまうところだった。
五時五十分、七十二人乗りの二階建てバスは、たった二名の乗客を乗せて、巨体をきしませながら出発した。
I君とぼくはしばらく無言だった。
「すまない」
という気持ちと、
「ちゃんと乗客を集めないのがわるい」
と、会社を責める気持ちが錯綜《さくそう》し、悶々《もんもん》とし、最後は、
「文句あっか」「ンナロー」
と二人同時に居直って悶々にケリをつけたのであった。
それにしてもどえらいことになったものだ。
二階建て大型バス一台を、ぼくらが貸切りで使うのと同じことになったのだ。これは恐らく一生に一度の体験になるにちがいない。
夏のこととて、五時五十分というとまだ街は充分明るい。
ウィークデーなので会社帰りの人たちがゾロゾロ歩いている。
歩きながら、二階のぼくらを見あげる。
見あげながらなにか囁《ささや》き交わしている。
指さして「アハハハ」と笑っている人もいる。
二階建てバスというのが珍しいし、そこにたった二人というのも珍しいのであろう。
ぼくらにも、「はとバス者」というヒガミがある。
ぼくらはだんだん、護送車で送られる囚人のような心境になっていった。
遊覧バスに乗って街を走るとき、人は嬉しい観光気分と同時に、なにかこう疎外されたような気持ちになるもののようだ。
バスの窓から、背広にネクタイ姿で忙しそうに歩いている人を見ると、
「ああオレたちは、実社会を離れてしまったのだ。あの人たちとオレたちは、もう違う世界にいるのだ」
というような、ちょっと寂しい気持ちになる。病院に入院している患者のような心境といってもいい。
それが「護送車の囚人」の心境につながっていったのかもしれない。
「早く暗くなってくれるといいんだが」
「人々の関心が、ほかに向いてくれるといいんだが」
ぼくらは人々より一段高いところに坐って身を堅くしていた。
歩道橋上の人と視線が合う。
思わずパッと身を伏せる。二階の喫茶店でお茶を飲んでる人と視線が合う。
またパッと伏せる。なにも悪いことをしてないのに伏せてばかりいる。
伏せてやり過したあと、
「ンナロー」「ナメンナヨ」
と傲然《ごうぜん》と起きあがる。
すっかり囚人の心境になりきってしまったのだった。
走っているうちはまだいい。困るのは交差点で止まっているときである。
人々の視線を浴びながら、体を堅くし、赤面し、前方を見据えて、
「チキショウ」「ナメンナヨ」
とつぶやき続けるのだった。
ガイド嬢が上がってきて、ガイドを始めた。
「本来はマイクを使ってご説明申しあげるのですが、お二人だけですので」
と断って、ぼくらのうしろから肩越しに肉声で説明してくれるのである。
肩越しの肉声のガイドというのはどうもなんだか具合がわるい。
ガイドをされているというより、教え諭されているような気持ちになる。
ガイド嬢もやりにくいらしく、いわゆるガイド口調が次第に普通の話し言葉になってしまう。
増上寺前の御成門《おなりもん》のところで、御成門の由来をひとくさりやったあと、
「どうもなんだかアレなので」
といって下へ降りていってマイクにきりかえた。
およそ三十分後、バスは東京タワーに到着した。滞在時間は四十五分である。
「行ってらっしゃい」
ぼくら二人は、二人の乗務員に送られてコソコソとバスを降りた。
東京タワーは、二十年以上も前に登ったことがあるような気もするし、初めてのような気もする。I君は初めてだという。
地上百五十メートルの展望台に登る。
眼下に暮れなずむ大都会が、広く丸く拡がっている。地球はやはり丸いのだということを中年にして改めてつくづくと感じた。
高層ビルもあれば中層ビルもあり、三階四階建てばかりの一帯もある。
見渡しているうちに、だんだんかつての田中元首相のような心境になっていった。
列島改造論、などという言葉も頭に浮かんでくる。土地の有効利用、などということも考え始めるのだった。
人間は高い所にいると、どうしても考えが壮大になるようだ。と同時に、偉くなったような気がしてくるもののようだ。
本来、高さと偉さは関係ないはずなのだがどうしてもそうなる。
「あそこの三階四階建ての一帯は、一度全部取り壊して高層ビルに建て直したほうがいいな。ウン、そうしよう」
などと思ってしまう。
「あそことあそこの緑の一帯は、やはり都市空間として残しておいたほうがいいな。ウン、そうしよう」
などと勝手に決めて腕組みなどして次の構想に移る。
「あそこの高層マンションは、北向きで日当りがわるいな。向きを変えたほうがよさそうだ。ウン、変えさせよう」
とも思う。
四十五分は長すぎると思ったのだが、都市改造計画に時間がとられ、短すぎるくらいだった。
バスのところに戻ると、二階建て大型バスが、われわれ二人をいまいましそうに待っていた。われわれ二人を、乗員二人がかりで、全域を冷房までさせて待っていてくれたのだ。
次は青山でお食事である。
このころになると、街はすっかり暗くなっていた。
街行く人もこの二階建てバスに注目しなくなった。
こうなればわれわれ二人の天下である。
ついさっきまでは、身を伏せてばかりいたが、いまはそうする必要がまったくない。
東京タワーですっかり偉くなって戻ってきた二人は、二階建てバスの二階でますます偉くなったような気がしてきた。
眼下でウロチョロする人や車がみんなバカに見えてくる。
タクシーなどが横から割りこんできたりすると、
「オラオラ、チョロチョロするんじゃねーよ」
「われわれの前に割りこんでくるとは不届きなやつ」
「こちらにおわす方を何と心得る」
「頭《ず》が高い!」
などと本気になって二人で叫び合うのだった。割りこんでくるタクシーを、心底けしからんと思う。
たまにこのバスに気がついて見上げたりする人がいると、晴れがましいような気持ちになって肩をそびやかしたりする。
大変な心境の変化である。
青山のレストランに到着。
われわれ二人は、人々の視線を浴びながら、空港で飛行機のタラップを降りる首相のような心境で、晴れがましくバスの階段を降りていった。かなり広いレストランである。
レストランには、すでに通知がいっていて、われわれ二名を「はとバス」コーナーに案内してくれる。
料理は、コロッケ、ハンバーグ、パン、ケーキという粗末なものであった。
一般人というか自由人というか、「はとバス」コースでない人々は、自由にメニューからあれこれ注文して豪華な食事をしている。
われわれは再び急速に「はとバス者」の心境に戻った。
食事を終えて再びバスに乗ってNHKに向かう。ここは、お子様用にしつらえられた遊園地風のコースを順序通りに歩いて行くだけである。大人としては当然おもしろくもなんともない。
全行程を終了してバスは新宿を通って元の東京駅南口に向かう。
見慣れた伊勢丹裏の新宿通りを、二階に坐って見廻しながら走る。
なかなかいい気分だ。
われわれの足の下を、人々がゾロゾロウロウロ歩いている。タクシーや乗用車や、一階建てのバスさえわれわれの足の下だ。
I君が突然「ああ玉杯に花うけて」を歌い出した。
治安の夢にふけりたる、
栄華の巷低くみて、
五寮の健児ならぬ二階の豚児二名は、はしゃぎながら夜の街を走って行くのだった。
三 行 広 告
文章の要諦《ようてい》は簡潔にある。
文章はすべからく簡潔でなければならない。ダラダラ、グダグダは厳に戒めなければならない。
古来、名文といわれている文章はすべて簡潔を旨としている。
そういうようなことは、ぼくとしても充分知ってはいるのだけれども、いざ文章を書く段になると、どうしても簡潔というようなわけにはいかなくて、なんとなく冗長、なんとなくグダグダ、といったような文章になってしまうのですね。
と、いうような文章はよくない。
厳に戒めなければならない文章である。
新聞の三行広告を見たまえ。ここでは一切の冗長冗漫は許されない。
必要最小限の必要事項を、もうこれ以上けずれないというところまでけずり、それを更にもう一けずりけずるという超人的な努力を余儀なくされているのだ。
普通の文章では、いくらけずるといっても名詞をけずるということはまずない。
しかしこの世界では名詞をけずるなんてことは朝飯前なのだ。
ボーイはボイとなり、スナックはスナとなり、パーマはパマとなり、マッサージはマサジとなる。
「拡」だけというのもある。
これは一字ではあるが漢字だから一応、
(なにかを拡げる商売だ)
という察しはつく。ところが「イ」だけというのもあるのだ。これは困る。判読の手がかりがまるでない。
「拡」は、「新聞販売拡張員」をけずりにけずったものであり、「イ」は、「美容員インターン」を極限までけずったものなのだ。
さすがにこれ以上はだれもけずることができないにちがいない。
しかし、この広告主は、
(これ以上、なんとかけずることはできないだろうか)
と、日頃の習性で考えたに違いないのだ。
腕組みして「イ」をじっと見つめ、
(これ以上けずるのはやはり無理だ)
と、ようやくあきらめたに違いないのである。
なかには「◯」だけという、なにがなんだかわからないものもある。
「これは一体なんなんだ」と怒り出す人もいるかもしれないが、見る人が見ればわかるのである。(美容院)
この業界には、業者が苦心してけずりあげ、定着化した慣用句がたくさんある。
募集広告では「社保完」「素人歓」「交食給」「歴持」「通住可」「経験不問」「真面目方」「昇賞寮有」「日祭休旅年二」「細面」などがある。「細面」は「細おもての人募集」ではなく「委細面談」の略であることは言うまでもない。
不動産関係では、「環秀」「買交便」「学商近」「日当良」「南面」「築浅」「惜譲」「緑豊眺秀閑」「公道面諸事便」「居抜固客多」「何必盛事情為換金」「人黒山」などの慣用句が幅を効かせている。
「日当良」には「陽秀」という言い方もあり、このほうが一字節約でき、その雰囲気もよくあらわしているので「日当良」よりも「尚秀」ということができる。
「何必盛」は、「どんな商売をしても必ずや繁盛するであろう」を極度に縮めたものである。「人黒山」は、「人々が黒山のように押し寄せるであろう」の略と思われる。
思わず笑ってしまうほどの名文句ぞろいではあるが、「笑不可業者必死」なのである。
この業界の人たちは、何ゆえに文章の簡素化に必死になるのであろうか。
もちろん「洗練された卓越した文章」を必死になって心がけているからではない。
カネのためなのである。
三大紙といわれる新聞の三行広告の値段は、たとえば読売新聞を例にとると、朝刊で一行が一万四千円である。
一般的には三行広告といわれているが実際には二行のものもある。
二行で二万八千円。募集広告は一回限りということはまずないから、三回として八万四千円。これを二紙に載せるとなると十六万八千円。「業者必死短縮化」も当然のことなのである。
一行にスキ間なく文字を並べると十五字並べられる。そうすると一字あたりの値段は九百三十三円ということになる。
句読点といえども九百三十三円であるから、これは当然はぶかれる。
「てにをは」も当然はぶかれる。
(てにをはなど、つけていられっかッ)
という業者必死の叫びが聞こえてくるようだ。
絶対に欠くことのできない電話番号は、二字分のところに詰めこむから、二行広告だと残るは三十字マイナス二字で二十八字となる。広告のアタマのところには、ラメン、マサジなどの職種を大きい字で入れて人目を引かなければならないから、ここのところに六字分を当てるのが普通だ。二十八字から六字を引くと二十二字。広告主は、たった二十二字で、思いのたけをぶちまけなければならない。
高給優遇、歴持面談、経験不問、真面目方、日祭休旅年二、昇賞寮有、交給……。
言いたいことは山ほどある。
(どうやったって足りないッ)
という広告主のウメキが聞こえてくるようだ。
職種の名前が長い商売の人は悲劇である。たとえば「ボイラーマン」「トレーラー」などを募集する広告主は泣いているに違いない。一方「鮨《すし》」屋の親爺や「鳶《とび》」の親方などは、
(名前の短い商売やっててよかった!)
と嬉し泣きをしているのに違いない。
それでは個々の「業者苦心必死的作品」の数々を一つずつ鑑賞してみることにしよう。
・・・・
・・・・
この三つは職種的には何の関連もない。
しかし共通するものが一つある。
天ぷら曙《あけぼの》は「び」を省略し、サウナ、プレジ(おそらくプレジデントであろう)は、ボーイの「ー」を省略し、島鮨は、教えます、の「え」を省略している。
この「び」「ー」「え」は、理由なくしてはぶかれたのではない。
広告主としては、それぞれをきちんと入れたかったに違いないのである。
しかし、これらの広告をよく見ればおわかりのように二行ギリギリ一杯でもはや一字の余裕もないのだ。
「び」「ー」「え」を入れるならば、もう一行を必要とする。
たった一字のために、もう一行、もう一万四千円を取られるのだ。
「び」一個が一万四千円!
広告主は泣いてバショクを切ったのである。
「業者必死的様相如実」の一例としてここに提示した次第である。
・・・・
・・・・
これはもう判じものの世界である。
なにがなんだかまるきりわからぬ。
「◯技」とはなにか。
プロレスの技《わざ》の一つだろうか、と考える人もいると思う。
ブレンバスターとか、延髄切りとか、そういうプロレスの技の中に、マルワザというのがあって、その技ができる人を優遇して募集しているのではないか、とぼくは最初考えてしまった。
しかしよく見ると、これらは「美容院」というコーナーに並べられているので、◯技は技術者のことではないか、とようやく察することができた。
それにつけても「◯パ」「◯イ」はすごい。
パーマがパだけになっている。
インターンがイだけになっている。
切りつめようと思えばいくらでも切りつめられるものなのだ。
「インターン」が丸裸にされて、かろうじて本体の一部だけが残っている。
イの上の◯は、インターンを丸裸にしましたという意味のマルなのかもしれない。
◯パも◯イも、本体の一部が残っているからまだいい。前掲の「◯」だけの広告は、本体さえも取っぱらってしまっている。
インターンが消されてどこかへ運ばれてしまったのである。
美容界は恐ろしい世界なのかもしれない。
・・・・
・・・・
じっくり読みこんでみると、なんだか恐ろしいような募集広告である。
クリ技《わざ》のできる人を募集しているらしい。
しかも「至急!」求めているのだ。クリ小刀かなんかを振るう技なのであろうか。
そそっかしい人は、協と脇を読みちがえ、クリ小刀で脇の下を刺す人を「至急!」募集しているのかと勘ちがいするに違いない。
「さかえ」のほうの空白も不気味だ。
わざわざ三行使って空白にしている。
その余裕が不気味だ。
実をいうと、これはクリーニング業界の募集広告なのである。
協というのは、クリーニング協会所属の略であるらしい。
クリ小刀も脇の下も無関係であった。ホッ。
・・・・
・・・・
一見さり気ない募集広告である。
しかしよく考えると、よね子さんの苦心、腐心のあとがありありとうかがえる。
「可愛」の二文字がそれである。
可愛の二文字で、この店の規模、坪数、テーブル、椅子の数、店の雰囲気までを、読む者に読みとらせようとしているのだ。
そして読む者は、「可愛」の二文字でそれらすべてを読みとることができるのである。
名コピーといわざるをえない。
応募者の年齢を三十七|迄《まで》、と区切ったところにも、よね子さんの明確な意志を感じとることができる。
普通なら、三十五迄とか四十迄とか、区切りのいい数字を書くところを、三十七と区切ったところがエライ。
よね子さんの考えでは、三十八ではダメなのである。
よね子さんの本当の気持ちとしては、三十五迄にしたかったに違いない。
そこのところをこらえて、三十六歳と三十七歳を追加したのである。
ギリギリ三十七迄、これを一歳でも越えたらイカン、というよね子さんの明確な思想がヒシヒシと伝わってくるではないか。長い人生経験から(何歳の人か知らないが)そういう結論に到達したに違いないのである。
ぜひ一度、お会いしてみたい人である。
・・・・
・・・・
これも不気味な雰囲気を漂わせた募集広告である。これらは新聞の拡張員募集なのであるが、全体がなんとなく恐ろしい。
特に「シバリ班」は凄味《すごみ》がある。
新聞の注文を取ってこない拡張員をシバリあげる役の人を募集しているのだろうか。
シバリあげてムチ打つのだろうか。
そうだとすると五名は多過ぎはしないだろうか。
それともこの拡張団はナマケ者ばかりで、業を煮やした団長が、
「どいつもこいつも役立たずで、もう我慢できん。全員シバリあげてやるッ」
とか言って、急遽《きゆうきよ》、「五名」を「急募」することになったのかもしれない。
そう考えると、この募集広告は全体が恐ろしい雰囲気に満ち満ちてくる。
「即金」も恐ろしいし、「シバリ」も恐ろしいし、「班」も恐ろしい。「五名」も恐ろしいし、「急募」も恐ろしいし、「吉田」も恐ろしい。
それにしても「◯拡」の「長い冬は終った」はどういう意味なのであろうか。
・・・・
・・・・
これらは屋台及び移動販売員の募集である。「夜泣」は夜泣きそばのことであろう。
だがこういうふうに略されると不思議なおかしみが生じてくる。
「仕事がつらくて夜、泣いている人、来たれ」というふうにも読める。
「もう泣かないですむぞ」といっているようにも思える。
「夜泣努力次第で高収入個室」と続けると、「わが社に来て、夜泣くほど努力すれば、高収入を得られる個室(ワンルームマンションなど)を買うこともできるぞ」という解釈も成り立つ。
「夜泣きそば」は、本当は「夜鳴きそば」が正しい。大の男が夜、泣いてたんでは商売にならないではないか。
「焼もろ」は「焼もろこし」のことである。
「竿竹《さおだけ》」は、みんな自分で商売をしているのかと思っていたが、こうした元締めがいる商売であるらしい。
「果物」は「高齢歓」である。そして「昇進」もある。
しかし「高齢」で就職して、どういう「昇進」をするのだろうか。
・・・・
・・・・
一応「モデル」となっているが、この広告の周辺(内外タイムス)には、「SMホスト」とか、ホストクラブのホストなどの求人がたくさん並んでいる。いわゆるファッションモデルとは違うようだ。
年齢が四十以上で肥満体といえば、モテない条件を完備した男性ということができる。
ところが、こういうのが「いい」という女性がいることがこの求人広告によって判明したわけである。しかも「でもいい」ではなく「のほうがいい」なのである。
「肥満体優遇」であり「超高額」を「即金」でくれるというのだ。
ありがたくて涙がこぼれる。
すぐにでも駆けつけたい気持ちだ。
肥満体というのは、いつでもどこでも必ず嫌われるものだとばかり思っていたが、これからは考えを改めなければならない。これからは自信を持って街を歩こうと思う。
・・・・
・・・・
いずれも「金融」の広告である。
おびえている借り手を、「だいじょうぶ」「安心」だと、しきりに励ましている。
見ているうちに、「だいじょうぶ」な気持ちになってくる。
だいじょうぶな気持ちになったところへ「かりてください」といわれれば、
「ほんとにもうしょうがない。んじゃ借りてやっか」という気持ちになる。
「乗ったまま安心」といわれれば、なんかこう本当にゆったりした気持ちになって、安心しきってしまうではないか。
「すぐに役立つ希望額」は、なにやら韻を踏んで、恐ろしい金融の世界を忘れさせて趣味の世界に足を踏み入れたような気分にさせてくれる。うちひしがれた借り手にとって、この「希望」の文字は、本当に希望に輝いて見えるに違いない。
・・・・
・・・・
豪邸街と邸宅街の違いに注目してほしい。
三千万クラスの家の周辺は邸宅街であり、一億三千万の家の周辺は豪邸街なのである。
豪邸は豪邸街にあってこそその存在価値があり、邸宅は邸宅街にあってこそ住む人の心も安まる。
邸宅の周辺が豪邸街だったら悲劇である。
・・・・
・・・・
ここに並べたのは「黒山シリーズ」とでも名づけたい一連のものである。
「人黒山」とは、よくもまあ考えついたものだ。この文字を見ていると、なにかもう店の入口のところは黒山の人だかりで、押しあいへしあい、ある者は倒れ、またある者はそれを踏み越えて阿鼻《あび》叫喚、といったような事態を空想させられる。しかし、黒山の人だかりの中で「盛業中」で「売上大」の店ならなにも手放すことはないではないか、と人は思うに違いない。
だからこそ「事情為」が効いてくるのである。よくよくの事情があるに違いないのだ。
「人黒山」で「盛業中」「売上大」かつ「何業必盛」の店を「事情為」とはいいながら「惜譲」して「換金」しなければならない売主の胸の内はいかばかりであろう。さて最後に、「風情慮外事実報告甚面白無」の不動産広告の中にあって「風情含有余韻嫋嫋頗面白」の名コピーの数数をお目にかけたいと思う。
これらはその道では知られた名コピーライター嘉村哲也という人の「作品」ともいうべきコピーなのである。
「一読感心興味深必賛嘆読後爽」をお約束する。「文字意味不明雖結構楽事可能」である。
ガイジンの日本観
ガイジンA(カナダ人)「アノー、わたしいわゆる商社マンとして日本に来ているわけなのですが、日本に来て最初にとまどったのは、メーシですね」
ニホンジン「メーシ? 飯《めし》ですか? 食事のこと?」
ガイジンA「ノー。メーシ。四角い紙のカードに名前の書いてあるメーシ」
ニホンジン「あ、名刺ですね」
ガイジンA「初対面の人が何人か集まりますと、まずメーシコーカンいうのします」
ニホンジン「します、します」
ガイジンA「日曜日に放送しながらくるのはチリガミコーカンいいます」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
ガイジンA「名刺があっちいったりこっちいったり、ひととき飛びかいます。名刺もらった人は、まず名刺ジーッと見つめます」
ニホンジン「ロクに見ないでしまったりすると失礼ですから」
ガイジンA「名刺というのには、その人が何者であるかという最低限度の資料が書いてあります。それから会社におけるエラサも書いてあります。これをカタガキいいます」
ニホンジン「部長とか課長とかですね」
ガイジンA「名刺は、そこにいる人たちの間にたちまち上下関係を発生させます。名刺を読んだ片方の人は急に卑屈になったり、片方の人は急にいばったりします」
ニホンジン「ま、そういうことありますね」
ガイジンA「偉くないほうの人は、名刺を読み終えると、急に相手を尊敬のマナザシで見ます。オオッというような」
ニホンジン「ナーンダ、というような態度はいけませんね」
ガイジンA「尊敬のマナザシしたあと、あの、なにといいますか。オフダありますね?」
ニホンジン「オフダ?」
ガイジンA「ジンジャのオフダ。シュラインカード」
ニホンジン「あ、神社のお札」
ガイジンA「ジンジャのオフダをもらったときのようにおしいただいて、なかには拝む人もいます」
ニホンジン「ま、そんなような仕草をしますね」
ガイジンA「そして、さも大切そうにガマグチにしまいこみます」
ニホンジン「ガマグチというか、名刺入れですね」
ガイジンA「もう片っぽうの偉いほうの人は、『ワカッタカネ』というようなカオをしていばります。それから『ナメンナヨ』いうようなカオします」
ニホンジン「ハハハハ」
ガイジンA「それから、おもむろにいまもらった相手の名刺読みます。そして、なんだか損したようなカオします。トランプでババを引いたようなカオして『シマッタ』いうようなカオします」
ニホンジン「『シマッタ』ですか。ハハハ」
ガイジンA「バッジいうのありますね。背広のエリにつける」
ニホンジン「あります、あります」
ガイジンA「会社のバッジでまず自分が何者であるかのアウトラインを相手に示し、それから次に名刺でもう少しくわしく説明するわけです」
ニホンジン「そういうことになりますか」
ガイジンA「日本人、バッジと名刺好きですね。総理大臣もバッジつけてます」
ニホンジン「国会議員のバッジですね」
ガイジンA「ヤクザもバッジつけます」
ニホンジン「国会議員とヤクザは必ずつけてます」
ガイジンA「名刺の話にもどりますが」
ニホンジン「ハイハイ」
ガイジンA「名刺もらったら、少しの間ジーッと見つめていろ、と、上司にいわれました。それで、わたしいつもジーッと見つめています」
ニホンジン「それはいいことです」
ガイジンA「でも、わたし漢字全然読めません。日本語はある程度話せますが、漢字全然わかりません」
ニホンジン「あ、そうなんですか」
ガイジンA「なにかこう、うんと黒々と詰めこんであるものと、うんとすき間のあるものが印刷してある、という程度のことしかわかりません」
ニホンジン「なるほど。エート、たとえば、瀧口なんて名前なんかそうですね」
ガイジンA「ですから、名刺もらった相手がどのくらい偉い人か、いくら見つめていてもわかりません、尊敬のマナザシできません。わたし困っています」
ガイジンB(パキスタン人)「わたし日本に来たばかりのとき、夜の街につれてってもらいました。カブキチョウですか? シンジュクの。ハンカガイとかいうそうですね。アソビの街。そしたらアソビの街のところどころに工場がありました」
ニホンジン「工場が?」
ガイジンB「そうです。最初そう思いました。人々が機械の前にズラリと並んで坐って、製品検査のようなことをしているのです」
ニホンジン「ナンダロ?」
ガイジンB「時間は夜でしたから、これが有名なザンギョウだなと思いました」
ニホンジン「残業?」
ガイジンB「日本人よく働く聞いてましたから」
ニホンジン「ハアハア?」
ガイジンB「工場は非常に明るく、そこで働く人々の服装はマチマチだったので意外でした。日本の工場では、チーフも工員もお揃《そろ》いのユニフォームで働くと聞いていましたから」
ニホンジン「なにを作っている工場ですか」
ガイジンB「それがよくわからないのです。直立した機械の下のほうから小さなスチールボールがたくさん飛びあがっていって、クギのようなものの間をバラバラと落ちてくるのをジッと監視する作業らしいということはわかりました」
ニホンジン「それパチンコ屋でしょ」
ガイジンB「そうです。あとで聞いてわかりました」
ニホンジン「残業ねぇ」
ガイジンB「でもそのときはスチールボールの製品検査だと思いました。工場内には作業能率を高めるためのミュージックが音高く流れていました」
ニホンジン「軍艦マーチかな」
ガイジンB「そして、その働いている人々のうしろを上司らしい人がときどき見廻っていました。ちゃんと働いてるかどうか」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
ガイジンB「スチールボールは、下のほうから飛びあがっていって、不良品は途中のクギにひっかかって穴の中に入って排除され、優良品だけが下の穴から完成品として流れ出ていきました」
ニホンジン「あべこべだ」
ガイジンB「なにぶん夜間のことですので、作業員はどうしても眠気をもよおします。それを防ぐために、ときどき、チーン、ジャラジャラという音や、電光をピカピカさせて驚かす装置がついていました」
ニホンジン「なるほど」
ガイジンB「就業時間はわりに自由らしく、ちょっと働いてすぐ退社する人もいるし、長時間働き続ける人もいるようでした。見ていると、優良品が多くて作業能率のあがった人は比較的早く退社するし、不良品ばかりの人はどんどん滞貨して悪戦苦闘を強いられ、作業時間もどんどん延びているようでした」
ニホンジン「あべこべだ」(笑い)
ガイジンB「労働報酬は金銭ではなく、商品で支払われているようでした」
ガイジンC(ブルガリア人)「日本に行ったら是非ラーメンというものを食べてみろ、といわれていました」
ニホンジン「スシ、テンプラ、スキヤキではなく?」
ガイジンC「ハイ。いま日本はラーメンの時代だと。そしてラーメンは現在の日本人が最も愛好する食物であると。そしてラーメンは日本人にとって大変深遠な食物でさまざまな論議のマトになっており、その批評書もたくさん出版されていると聞いていました」
ニホンジン「ラーメンはどのような食物だと聞いていましたか」
ガイジンC「ハイ。主体はヌードルであると。そしてそれにヤキブタステーキと、ベジタブルバンブーとナルトテリーヌとノリペーパーを伴ったものであると。そしてこれだけさまざまな食品を伴っていながら値段が二ドルちょっとという非常にリーズナブルな値段であると聞いていました」
ニホンジン「で、食べてみましたか」
ガイジンC「ハイ。トモダチにラーメンという字を教えてもらい一人で行きました」
ニホンジン「で、どうでした」
ガイジンC「ハイ。街を歩いていったら、ありました。店の入口に非常に短いカーテンがさがっており、そこにラーメンという文字が書かれているのを見つけたときはとてもうれしかったです。カーテンには三カ所ほど切れ目が入っていました」
ニホンジン「のれんていうんです」
ガイジンC「そしてそのカーテンの横に赤くて丸い筒状のダストボックスがぶらさがっていて、そこにもラーメンという字が書かれていました」
ニホンジン「赤ちょうちんですね」
ガイジンC「そこはカウンターだけの店で、客はとても静かで、なにといいますか、みんなクラシックのコンサートの聴衆のような厳粛なカオをしていました」
ニホンジン「名のある店だったんじゃないかな」
ガイジンC「あいているイスに坐って、トモダチに教わったとおり『ラーメン』といったのですが、お店の人は返事もしないのです」
ニホンジン「ありがちだなあ」
ガイジンC「やがてわたしのところにも陶器のボールに入ったヌードルが置かれました。なにかこう茶色くよどんだ陰気な食物だなと思いました。わたしはハシスタンドから一本のワリバシを取って二本に分け、ヌードルをズーズーと食べ始めました。日本では音をたてて食べてもよいのです」
ニホンジン「ハイ」
ガイジンC「ヌードルをすすりながら、ヤキブタステーキとベジタブルバンブーとナルトテリーヌとノリペーパーが到着するのを待っていたのですが、いつまでたっても持ってこないのです」
ニホンジン「………?」
ガイジンC「ほかの人々を見ていても、それらはやってこないのです。そこでわたしはふと思いました。そういえばヌードルをすすりこんだとき、なにか食物クズのようなものをいっしょに飲みこんだが、あれらが、それらではなかったかと」
ニホンジン「あれらがそれらだったんです」
ガイジンC「日本はステーキが高いと聞いていましたから、たとえヤキブタステーキといえども高いはずなのに、それらを伴って二ドルちょっとというのはいかにも安いと思っていました」
ニホンジン「ヌードルの中に伴って入っていたんです」
ガイジンC「あれらは切りくずです。ステーキとはいいません」
ニホンジン「ステーキと聞いていたからそういう誤解が生まれるんですな」
ガイジンC「日本人は、ヌードルのほかにあれらの食物クズをも、ああでもないこうでもないと論議しているそうですね」
ニホンジン「論議してるんです」(笑い)
ガイジンC「わたしがひとまとめにして飲みこんだ食物クズを、それぞれに分けて、ヤキブタステーキにはいい仕事がしてあったが、ベジタブルバンブーは煮くずれていたとか、ヌードルとのバランスがどうのこうのとか」
ニホンジン「いっしょに飲みこんでしまっては批評のしようがありませんね」(笑い)
ガイジンD(スウェーデン人)「わたし、日本に来ることが決まったとき、わたしのまわりの日本を知ってるという人に、日本のこと、いろいろ聞いてまわりました」
ニホンジン「ずいぶん誤解があったとか」
ガイジンD「いろんな人に聞いてまわった結果次のようなことがわかりました」
ニホンジン「どのような?」
ガイジンD「日本人の大部分はダンチというラビットハッチに住んでいて、これは紙と木で小さく小さく仕切られている」
ニホンジン「それはよくいわれます」
ガイジンD「そして部屋には、タタミという非常に大きな草で編んだクッションが敷きつめられていて、ここには靴で入ることはできないので、スリッパといわれる靴の半製品にはき替えてはいります」
ニホンジン「ちょっと違うなあ」
ガイジンD「天井はきわめて低く、大抵の人は一日に三十回はカモイというところにヒタイをぶつけるので、カミカゼハチマキをしてそれにそなえています」
ニホンジン「だいぶ違うなあ」
ガイジンD「日本人はとても信心深いので、各地にあるテンプルやシュラインだけでは物足りず、家庭用のホームテンプルとホームシュラインが備えつけてあります」
ニホンジン「仏壇は大抵の家にあるが神棚のある家は少ないです」
ガイジンD「そして、一家の主人は朝起きると、オテントウサマと称する太陽に向かって、きょう一日の無事を祈ってカシワデパンチをくらわせます」
ニホンジン「いまは年寄りでもそういうことする人少ないですよ」
ガイジンD「シュラインには、ホームシュラインのほかにポータブルシュラインというのもあります」
ニホンジン「おみこしですね」
ガイジンD「日本は地震の多い国で、一日一回は地震があります」
ニホンジン「そんなにないけどなあ」
ガイジンD「日本には動物のゴッドとか樹木のゴッドとか山のゴッドとか、自然物をまつったゴッドが非常に多くあります」
ニホンジン「お稲荷さんとか、たしかにありますね」
ガイジンD「そしてキツネゴッドのシュラインの入口では犬ゴッドが二匹、キツネのガードマンとしてがんばっています」
ニホンジン「コマイヌのことかな?」
ガイジンD「地震はナマズゴッドが起こすと日本人は信じています」
ニホンジン「ま、そういうことになりますか」
ガイジンD「つまり地震はゴッド仲間が起こすのである、と」
ニホンジン「なるほど」
ガイジンD「そこで日本人は考えたわけです。こんなに地震が多くてはやりきれない。神様は地面を揺らすのは楽しいことかもしれないが人間にとってはとてもつらいことだ。このつらさを神様にもわかってもらおう」
ニホンジン「………?」
ガイジンD「そこで年に一度、ナツマツリという行事のなかで、ポータブルシュラインをみんなでワッショイワッショイいいながら激しく揺すって神様に反省をうながすわけです」
ニホンジン「だいぶ誤解があるなあ」(笑い)
ガイジンD「日本人は、信心ぶかいので、電車の中でも座禅をします」
ニホンジン「………?」
ガイジンD「朝電車に乗ると、大勢の人がじっと目をつぶって座禅しています。会社へ行く前の座禅タイムです」
ニホンジン「あれは居眠りしてるんです」
ガイジンD「それから会社に行って仕事して、お昼になるとシャインショクドウというレストランでフルコースを食べます。フルコースはABCにランク分けされています」
ニホンジン「それはA定食とかB定食のことでしょう」
ガイジンD「会社が終わると、全員で『アカチョーチン』と呼ばれているパブに行って会社の続きをします。『アカチョーチン』パブの入口には、イネロープモビールというものがさがっています」
ニホンジン「縄のれんですね」
ガイジンD「日本人はとても風呂好きなので、そのあと『石鹸《せつけん》の国』と呼ばれているところへ行ってお風呂に入ります。そこでは石鹸婦人と呼ばれている女の人が体を洗ってくれたり、尺八の演奏を聞かせてくれたりします」
ニホンジン「だいぶ誤解があるなあ」
ガイジンD「それから家に帰った会社員は、ハオリ、ハカマに着かえて本式のディナーに移ります。あ、その前にホームテンプルの線香に火をつけます。これはモスキートーを防ぐためです」
ニホンジン「だんだん誤解がひどくなるなあ」
ガイジンD「それからお月様におだんごを捧げて、ここでもカシワデパンチをくらわせます。朝のオテントウサマとワンセットになっているわけです」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
ガイジンD「それからようやくディナーです。ディナーが終わるとお茶パーティを催します」
ニホンジン「ただお茶を飲むだけですよ」
ガイジンD「お茶パーティが終わると次に俳句パーティが催されます」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
ガイジンD「大抵のラビットハッチには、『猫のおでこ』という優雅な名前がつけられたガーデンがあります。このガーデンには必ず古池が掘られていてそのまわりにはいつも蛙がいます」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
ガイジンD「そしてその蛙たちが古池に飛びこむのを見ては俳句ソネットをひねるのです」
ニホンジン「ハイハイ」(笑い)
清涼飲料水
夏はノドが渇く。
そこで人々はいろんな飲み物を飲むようになる。
それを狙って、夏が近づくと飲み物関係のコマーシャルがにぎやかになってくる。
テレビなどでは、あれ飲め、これ飲めと、朝から晩までやたらうるさい。
こんなのを作りました、こういうのはどうでしょうか、と画面ではいろんな人がゴクゴク、ングングと、ノドをヒクヒクさせながら飲んでみせる。
一口に飲み物といってもいろいろな飲み物がある。
ビール、シャンペン、サイダー、コーラ、強壮ドリンクから、お茶、味噌汁、お吸い物だって飲み物である。
「いやいや、ラーメンのツユだって飲み物です。ラーメンのツユをバカにすんのかッ」
と怒る人もいるかもしれない。
しかしこの場合の飲み物は、いわゆる清涼飲料水というものなのですね。
まさか、夏が近づいたからといって、ラーメンのツユをゴクゴク飲んでみせるコマーシャルを流したりするメーカーはない。
清涼飲料水……。
だれが考えた言葉かしらないが、実に物々しい表現だと思う。
なにしろ「清涼」である。
漢文調というか美文調というか、飲むと全身に清涼の気がみなぎる飲み物、とこういいたいらしいのだ。
たかが味つき水じゃないの。なにも「清涼」まで持ち出すことはないのではないか。
じゃあ、なんか違う適切な表現があるのか? あるならいってみろ、といわれても困るが、飲料水、これで充分ではないか。
ま、そんなことにこだわっていると話が進まないのでこの問題はさておくとして、最近の清涼飲料水について、おじさんとして一言いいたいことがある。
いいたいことはあるが、いいたいことはひとまずさておいて、最近の清涼飲料水はどのような状況におかれているかについて、ちょっと考察してみたいと思う。
スーパーなどへ行って、飲料水関係のコーナーの前に立つと、実にもう様々な、ワケのわからん飲み物がコーナーいっぱいに展開している。
コーラ、ファンタ、サイダー、ウーロン茶あたりまでは、おじさんとしては充分理解できるが、マウンテンデュー、ナントカメッツ、ジェットストリーム、アップルタイザー、シュエップス、アクエリアス、ダウンタウンソーダカンパニー、バービカン、ブリトビック55あたりになるともうおじさんの理解を越える。
井戸水と三ツ矢サイダーで育ったおじさんたちは、スーパーの棚の前で呆然と立ちすくむよりほかはない。
飲み物になぜマウンテンが出てくるのか、なにがデューなのか、この飲み物のどこのところがジェットなのかワケがわからないではないか。
ここのところがデューなのです、といえるならいってみろッ、といいたくなる。
これらナンタラカンタラいうカタカナ飲み物に対して、なにやらムラムラと敵意のようなものさえわいてくる。
スーパーの飲み物の棚の前で、
「いいかげんにしろッ」
と怒鳴っているおじさんをよく見かけるが、(見かけないか)おじさんの気持ちようくわかる。
そしてですね、いちばんハラ立つのは、これらカタカナ飲み物は、すべてがガキ、及び青少年男女を対象にして売り出されているということである。
「おじさんなんか、ハナッから相手にしてない。おじさんなんかメじゃないよ。ハハハ」
というメーカー側の姿勢がロコツに感じられるのである。
おじさんだって清涼飲料水飲みたい。
飲んで清涼感にひたりたい。
なのにメーカーは、おじさんのことなどひとつも考えてくれないのである。
おじさん向けの清涼飲料水はひとつもないといっていい。
スーパーの飲料水の棚の前で、カゴを抱えアゴに手をやって寂しく立ちすくんでいるおじさんをよく見かけるでしょう。(これはホントに見かける)
おじさんは結局のところ、三ツ矢サイダーの、カンではないビンのほうを二本ほどカゴに入れてその場をトボトボと立ち去っていくのです。事実、カタカナ飲料はおじさんには似合わない。
たとえば前頭部やや後退、腹部やや膨満のおじさんが、マウンテンデューをゴクゴクやっている図はどう見てもサマにならない。
ジェットストリームまたしかり。
ナントカメッツもまた同様である。
テレビのコマーシャルでも、飲んでみせているのは若いもんばっかりである。
おじさんが飲んでみせているのなどひとつもない。
ただ、あの、例外として、コーラの大ビンに限って、飲んでるところがサマになるおじさんがいることはいますね。
建築関係の、現場関係のほうの、タオルのハチマキにラッパズボンに地下足袋姿のおじさんである。
これはコーラがよく似合う。ただしこの場合は大ビンに限ります。
建築現場の鉄骨なんかにドッカリ坐って、コーラの大ビンをラッパ飲みしているところなんぞは、そのままテレビCMにしたいほどよく似合う。
こういうCMも流せ、ヤイッ。
それともうひとつ、これは清涼のほうとは少し違うかもしれないが、強壮のほうの飲み物、これはおじさんによく似合う。
赤マムシ関係とか、黄帝関係とか、あるいはサモンとか、こういうものはむしろおじさんのほうがよく似合う。(話は違うが最近アルギンZはどうしちゃったのかなあ)
これらを摂取中のおじさんのうしろ姿などというものは、疲労と哀愁と、補強と増強と、希望と元気と再生と回復と家庭平和への祈りとを漂わせて、なんだかよくわからないがよくわかるというぐらいよく似合うのである。
若い娘などは、サモンと聞いただけで、おじさんを思い浮かべてしまうほど、おじさんとドリンク関係はよく似合うのである。
メーカー側でも「おじさんにはドリンク関係をあてがってあるから大丈夫」
という考えであるらしいのだ。
大丈夫じゃないッ。おじさんにも清涼飲料水をよこせッ、とぼくとしてはいいたい。
清涼飲料水とは少し違うかもしれないが、近年出まわり始めたものにスポーツドリンクというものがある。通称スポドリ。
これに対してはおじさんたちは概して好意的である。
ポカリスエットとか、アクエリアスとか、ゲータレードとかNCAAとかの名前で発売されているものである。
これらの飲み物には、なんだかよくわからないが物々しい説明が記してある。
陽イオンがどうの、アイソトニックがなんとかだの、電解質濃度がNA+mEg/lだのと、おじさんたちをゾクゾクさせるようなことが一杯書いてある。
おじさんは科学に弱い。
こういう説明を読むと、おじさんは、
「なんだか全然わからないがとにかく効くらしい」と思ってしまう。
「体にいいらしい」と思ってしまう。
おじさんは、「効く」とか「為になる」とか、「いい」という言葉に弱い。
早速飲んでみたい、とおじさんは思う。
しかしおじさんは律儀でもある。
これらの飲料水は、スポーツドリンクということになっている。
こうしたものを、いまの子供たちはコーラやジュースと同じような感覚でゴクゴク飲んでいるのだが、おじさんはそうはいかない。
「スポーツもしないで飲むわけにはいかない」と思ってしまう。
そこでおじさんはトレーナーなどに着がえ、近所を五十メートルほど走ってきてから、やおらカンを取りあげてもう一度説明のところを見る。
「成分」のところには、クエン酸ナトリウム、乳酸カルシウム、L─グルタミン酸ナトリウム、塩化マグネシウム、ナイアシンアミド、リン酸カリウムなどの文字がビッシリと並んでいる。
おじさんは、
「なんだかよくわからないが、ありがたい、ありがたい」
とつぶやいて、ようやくカンをプシッと開け、ゴクゴクゴクと飲んで途中でもう一度説明のところに目をやり、もう一度効能を確認し、今度は最後まで飲み干すのである。
そうして、陽イオンと陰イオンとかいうものが、いまや体中をかけめぐって「為になり」「効いて」きたような気がし、
「これでもうダイジョブ」
などとつぶやいてテレビの前にゴロリと横になったりするのである。
そうして横になっている間にも、体はどんどん「いい」方向に向かっているような気がしてすっかり安心し、おじさんはウトウトと眠ってしまうのである。
実際、トレーナー姿でスポドリを飲んでいるおじさんの姿は、ドリンクに次いで実にサマになっているといえる。
街角でこういうものを飲んでいるところを、会社の部下などに見られても大丈夫である。(なんとなく信頼できる上役!)という印象を与えることができる。上役に見られても大丈夫である。(常に健康管理に気をつけている大事を託せる部下!)という評価がなされ、上役同士の間で、(ヤツは街角でスポドリを飲んでいた!)ということが話題になり、やがて出世、というめでたいことになる。
スポドリ→街角摂取→出世という図式がここに成立するのである。
これが、あのヘンなボトルのマウンテンデューだったらどうか。
部下には、(街角でヘンなものを飲んでいたヘンな上役!)という印象を与え、上役には、(街角でヘンなものを愛好している軟弱な部下!)という評価を下され、やがて左遷ということになるのである。
ここに、マウンテンデュー→街角摂取→左遷という公式が成立するのである。
おじさんはユメユメ街角でヘンなものを飲んではならぬ。
エート、それから、おじさんたちに好意を持たれているものに、ミネラルウォーターというものがあります。
これにはおじさんは敵意を抱かない。
むしろ好意を持っている。
好意は持っているが、なんとなくとまどいもみせているのがミネラルウォーターの特徴である。
どうとまどっているかというと、どういう対応の仕方をしたらいいのかわからなくてとまどっているのである。
たとえば日曜日、おじさんはノドが渇いて何か飲もうと思って台所に行く。(おじさんだってノドが渇くんだからなッ)
冷蔵庫を開けると、中には牛乳とかコーラなどに混ざってミネラルウォーターの一入り紙箱があるのを発見する。
おじさんはもとよりミネちゃんには好意を抱いているので、
「ウムウム、これこれ」
とニッコリうなずき、その紙箱を取り出す。
ところがおじさんというものは、ミネラルウォーターに対してはどういうわけか身構えてしまうところがある。
牛乳なんかには気安く対応できるが、ミネラルウォーターには、なぜか、
(おそれ多くも……)
という感じを抱いてしまう。
これはなぜかというと、おじさんの世代のミネラルウォーターとの出会いはバーだったからである。
現在のガキどもは、ミネラルウォーターと家庭で出会った。しかも大箱で出会った。だから気安く対応できる。
ところがおじさんたちは、バーで、しかも小ビンで出会い、しかも「高いカネ取られた」という忌わしい経験を所有しているのである。
おじさんたちは、水はタダだと思っていた世代である。
「水でカネを取るのはどうしても合点がいかない」
という世代なのである。
エート、なんだっけ? そうそう日曜日、おじさんはノドが渇いて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出したところだった。
そして「おそれ多くも」と思ったところだった。
そういうわけで、おじさんはミネちゃんには牛乳とは一味違った感じを抱いているから、
「せっかくミネラルウォーターを飲むんだから」
と、これからなにか大事をなすような気持ちになってしまうのである。
充分冷えているのに、
「やはり氷を入れて」
と大ごとになる。そして、
「せっかく飲むんだから、ここはひとつ、冷蔵庫製のタダの氷ではなく、セブンイレブンで買ってきたとっておきのダイヤアイス、袋入り定価二百円のほうでいこう」
と事態は更に大ごとになる。
コップも、酒屋でもらった(サッポロビール)というネーム入りのやつではなく、刻み彫刻入りの(いいほう)を持ち出し、事態はどんどん大ごとになっていく。
グラス(もはやコップではない)にダイヤアイスを三かけらほど入れ、少し迷い、もうひとかけら小さいのを入れて厳《おごそ》かにミネラルウォーターをたっぷり注ぐ。
これを目の高さに持ちあげて拝むように見、それから目をつぶって充分味わいながらゆっくりと飲み干す。
(もう一杯飲みたいナ)と思っても、(いやいやとんでもないことだ)と思い直してグラスをおく。
グラスには氷が残る。
冷蔵庫製のタダの氷なら、そのまま流しに捨ててしまうところだが、なにしろ定価二百円のとっておきの氷である。
おじさんはなぜかあたりを見廻し、グラスの中から氷を取り出し、再びダイヤアイスの袋に氷を戻すのである。
戻して冷蔵庫にしまったあと、なんとなく気恥ずかしく、さっきより人間がひとまわり小さくなったような気がしながら台所を離れる、と、こういうことになるのだ。
ミネラルウォーターでビクつき、氷で更にビクつき、ビクビクしながらおじさんは台所を離れるのだ。
どうもおじさんは、いまだにミネラルウォーターにはうまく対応できないでいる。
さっきも書いたように、おじさんは牛乳に対してはうまく対応できる。
平気でゴクゴク飲めるし、何杯だっておかわりできる。
ところがである。
今度一度、ミネラルウォーター一入り紙箱に貼られている値段のシールと、牛乳一入り紙箱に貼られているシールを見比べてみてほしい。そこに驚くべき事実を発見するに違いない。
共に、スーパー値段百九十八円という値段を発見するはずである。
牛乳とミネラルウォーターは同じ値段なのである。これは社会的な問題としてみて実にけしからんことなのである。
この問題は、一度きっぱりと社会問題として取りあげ、おじさん全員で怒り狂わなければならない重大問題なのである。
だってそうでしょう。
牛乳のほうはミネラルウォーターと比べて、比較にならないほど大変なのだ。
牛乳は、まず牛というものが存在しなければならない。そしてその牛にエサを食べさせなければならない。
いまの酪農は、そのへんのタダの草を食べさせているわけではない。飼料として売られているものを買ってきて食べさせるのだ。
それから牛を放牧させるために、広い土地を確保しなければならない。
病気にならないように注射もしなければならない。朝早く起きて乳をしぼり、それを車で集乳所まで持っていかなければならない。
牛小屋の掃除もしなければならない。
ならないことばかりなのだ。
牛が何頭も病気になって、親子四人(ま、何人でもいいけど)暗い電灯の下で抱き合って泣いた夜もあることだろう。
そうした経過を経て、牛乳は一の箱に詰められ百九十八円の値段をつけられてスーパーの棚に並ぶのである。
そしてその横にですね、同じ値段のミネラルウォーターが並べられていると、こういうわけなのです、いまの日本の状況は。
ミネラルウォーターのほうは、なーんにもしてない。湧《わ》いているのをただ汲んできただけ。エサも注射も搾乳も掃除もなーんにもいらない。汲んでくるだけだから、電灯の下で親子四人で(何人でもいいけど)泣くということもない。
汲んで箱に詰めただけ。これが同じ値段で売られるとはどういうわけだッ。
おじさんは怒ってるんだゾ。
八 丈 島
この夏八丈島へ行った。
八丈島はとてもよかった。
一カ月経ったいまも、
(いかったなあ)
と、ときどき思い出してはニッコリしてしまうほどよかった。
まず一行がよかった。
総勢二十一名の一行だったのだが、女性の含有率が高かったのがよかった。
一行二十一名中、女性が十一名という高含有率だったのである。
果物のジュースなどでも、果汁の含有率が高いほどおいしい。果汁10%のジュースより30%のほうがおいしいし体にもよい。
われわれ一行の含有率は、実に50%を越えていたのだからまずかろうはずはないし、体にもとてもよかったように思う。
海もきれいでよかったし、宿の食事もよかった。島の人たちもよかったし、釣りもよかった。(アジを七匹も釣った)
そして、それよりなにより一番よかったのが民宿だった。
民宿に泊まったのは何年ぶりだろう。
国民宿舎には、いまでも年に一回、草野球のチームの合宿で泊まってはいるのだが、国民宿舎と民宿はやはりちがう。
国民宿舎のほうは二階建て以上の建物が多いが、民宿は平屋が多い。
今回泊まった八丈島の民宿大光荘は、むろん平屋であった。
いつでもすぐに地べたに移動できる、というところが平屋のよさだ。
エレベーターだ、階段だ、というわずらわしさがない。
平屋は、地べたと家の中とが混然一体となっているところがよい。
縁側というものも、民宿のよさの一つにあげることができる。
民宿にはたいてい縁側がある。
縁側は、その高さがなんともいえず心地よい。自然に足を投げだすと、ちょうどそこに地べたがある。
わが家もそうだが、最近の家には縁側がない。部屋からいきなり庭になってしまう。
そしてその高さが実に中途半端で、しゃがみ心地が実によくない。
しゃがみこんだような、しゃがみこまないような、腰かけたような、腰かけないような、実に落ちつかない高さである。
八丈島に着いた翌朝、ぼくはしみじみと民宿の縁側に坐っていた。
民宿は朝がいい。
早朝、まだみんなが寝静まっているころ、ぼくはフト目覚めて起きあがった。
まだあたりは薄暗い。
まわりの高いびきの人たちと、残り少なく煙をあげている蚊取り線香を踏まないようにまたいで障子にたどりつく。
障子を開けると、朝もやと夏の冷気が足のほうから這《は》いあがってくる。
廊下をきしませて縁側に出て足を投げだし、タバコを一服。
縁側の下には、木のサンダルやビーチサンダルがぬぎ散らしてある。
ふと見上げれば、軒先には宿泊客の水着やタオルシャツなどの洗濯物。
庭の隅には、民宿特有のだれにでも愛想のいい犬がねそべって横目でこちらを見ている。
その向こうに高く生い繁る雑草と名も知らぬ赤い花。
これらは、いずれも民宿の風景には欠かせないものばかりである。
蚊取り線香、きしむ廊下、古びた縁側、軒先の洗濯物、ぬぎ散らしたサンダル、愛想のいい犬、高く繁る雑草……、このいずれを欠かしても民宿たりえない。
広い庭の中央には、ゆうべ囲んで酒を飲んだたき火が、かすかに白い煙をあげている。
それにしてもゆうべはよく飲んだ。
最初は家の中で飲んでいたような気がする。
それからいつのまにか、宴は庭に移動したのだった。
食堂用の大広間で、宴は開始された。われわれ一行二十一名と、民宿関係及び八丈の町関係など、総勢三十名ほどで大宴会は始まった。
われわれ一行というのは、冒険関係の雄、椎名誠とその一行に、ぼくがまぎれこんだという一行なのである。
冒険関係の勇壮な一行に、ぼくが一名まぎれこんだため、途端に勇壮度がヘナヘナと低下してしまったのはいなめない事実である。
一行の目的は、「八丈島で全員揃ってスキューバ・ダイビングを!!」というものなのに、ぼくはスキューバどころかまるきり泳げないカナヅチなのだ。
沈むことはできるが沈んだら最後再び浮きあがってこないという不帰のダイバーなのである。
それはさておき、宴は勇壮に開始された。
三十畳ほどもある板の間の大食堂のまん中に、特大の鉄板を敷き、そこに大量の炭をガンガンおこした。
その上で、島で獲《と》れた巨大な魚類、アワビ、エビ、及び十キロの牛肉が焼きあげられた。
テーブルの上には、全長五十センチはあろうかというタイの活《い》きづくり、ハマチ、サバ、タコ、ウニ、イカ、アジ、エビなどの刺身が並んだ。
まるで魚類図鑑をぶちまけたような豪華な食卓である。島の特産のトビウオのクサヤも並んだ。
サバの刺身がうまかった。
サバはふつうシメサバにして食べるが、ここではサバがとれたてなのでそのまま刺身で食べる。
島特産の焼酎もうまかった。
「十年貯蔵」という秘蔵の焼酎を飲ませてもらったがこれがすごかった。焼酎というより茅台《マオタイ》酒に近い強烈な味と香りである。
度数は五十度以上は確かだが何度だかわからぬという恐ろしい焼酎である。
一口、口に含むとその強烈な香りはまず鼻腔《びこう》を突き抜け、突き抜けたのち再び口中に舞い戻り、今度は耳と目に抜け、しかしまだ力衰えずあたり一帯に漂い、もう一度鼻腔から口中に吸いこまれて思わずむせてしばし頭の中が空白になるという、想像を絶するしろものであった。
したがってこれを口にする人は、次のような次第になる。
一口、口に含んだ人はまず「ムグ」とうめき、飲みこんだ途端「カッ」と叫んで息を吐き、それから「ゲボゲボ」とむせび、むせんだのち、「ムハー」とつぶやいて「ガックリ」と首うなだれ、首うなだれたのち「ミズ、ミズ」と叫ぶ。
「どれどれ」などといって、次々にトライする人は、例外なく、「ムグ」「カッ」「ゲボゲボ」「ムハー」「ガックリ」「ミズ、ミズ」と、順序正しくくり返すのであった。
宴が中盤にさしかかったとき、町当局がやってきた。町当局というのは町長のことで、いかにも八丈島ふうの風貌の好人物らしいおじさんである。
椎名誠ご一行様が島当局にやってきたので町当局としてご挨拶に伺ったらしいのである。町当局は、椎名さんとなにやらじっくり話しこんでいる。
椎名さんとぼくとは席が離れていたが、人づてに聞くところによると、島の歴史とか、町の財政とか、来たるべき選挙をどう戦うか、とか、そういった話題であるらしい。
こういう宴は、仲間うちでとりとめのない話をして、ワーッと盛りあがりたいものなのである。
歴史や財政や選挙の話は、どちらかというとこういう宴になじまない。
町当局と椎名さんの周辺から、人が一人、二人と離れていって二人の周辺には空白ができた。
町当局はなかなか帰る様子がない。
椎名さんは、「フムフム」とか、「ほう」とか「そうなんですか」と町当局の話に誠実にうなずいているが、うなずき方に力がない。
明らかに苦境に陥っている様子であった。(救援タノム)の視線をあちこちに向けているのがわかる。
ぼくは隣の沢野ひとし画伯に、
「ここはひとつ、椎名救出に向かったほうがいいのではないか」
と言ってみた。
沢野画伯は焼酎にゲボゲボむせびながら二人のほうをチラと見ていった。
「ウン、明らかに苦しんでいる」
ぼくらは椎名救出のプランを練ってみた。
ぼくら二人が、まず町当局と椎名さんの話題に割ってはいる。
そうこうしているうちに、椎名さんがなんとなく現地離脱をはかる。
そうこうしているうちに、われわれ救助隊もなんとなく現地を離脱する、という救出プランである。
(そうこうしているうちに)と、(なんとなく)という、はなはだ具体性に乏しい内容を二大骨子とした、はなはだ頼りないプランである。
「しかし……」
と沢野画伯が突然思いついたように言った。
「二重遭難ということもありうる」
それは充分考えられることであった。
遭難→救助隊出動→救出→遭難者隔離→移送→救助隊引きあげ、と、スムーズに事がはこべばむろん問題はない。
(救助隊引きあげ)のところに問題があるように思われた。
遭難者が無事救出移送されたのち、救助隊がつかまって遭難するという二重遭難のおそれは充分考えられる。
「それだけは避けたい」
二人は力強くうなずきあった。われわれは第二次プランの作成にとりかかった。
第二次プランはすぐに出来あがった。
それは(遭難者を見殺しにする)というものであった。このプランは、救助隊としては非常にラクなプランであったので、救助隊はすぐこれを採用し実行することにした。
われわれは焼酎のビンと、多少のおつまみを携行して、遭難者と目を合わせないようにしながら別室に向かった。
別室は、第二食堂とでもいうような控えの食堂で畳敷きであった。
ここには大勢の人がいた。
宴に疲れた人たちが、ゴロリと横になってテレビを見たりしている。
遭難者を見殺しにした救助隊二名は、携行した焼酎をうつむいてうしろめたくガブガブ飲み、次第に酩酊《めいてい》していった。
そのあと庭でたき火が始まり、宴はそこに移動していったような気がする。
たき火の上で鍋物をしたような気もする。
愛想のいい犬に、鍋物の残りをやったのを覚えている。
ヤブ蚊がやたらに出て、あちこち刺されたのも覚えている。
遅くなって、ようやく自力で脱出した椎名さんが、疲れ切った顔でやってきたのも覚えている。救助隊二名は、遭難者と視線を合わせないようにしてすぐにその場を離れて寝たのだった。
そうなのであった。
八丈島の第一夜は、そのようにして終わったのだった。
縁側でタバコを吸い終わると、軒下の洗濯物をかき分けて庭に出た。
庭の中央で、ぼくはラジオ体操をした。
民宿の朝は、ラジオ体操がよく似合う。
それから庭先にとめてあったバイクにまたがり、民宿周辺をあちこち走りまわった。
椰子《やし》の木の下を走り、ハイビスカスの咲き乱れる中を走り、フリージアの坂道を駆け登った。
全面的に南国の朝の気分であった。
宿に戻ってくると、朝食の時間になっていた。民宿の朝食もよいものだ。ホテルなどのバイキング朝食の、あの妙に静かで、少し怠惰で投げやりな朝食とは趣がちがう。
民宿の朝食には活気がある。
たえまなく人が立ちあがっていってゴハンをつけにいく。
ミソ汁のおかわりをつけにいく。
おヒツのそばに坐った女の人が、
「つけてあげます」
というのを手で制して、自分に見合ったゴハンの量に固執する人もいる。
「おかずが足りない」
と嘆く人がいる。
「わたしの焼きのりでよかったら」
と提供を申し出る人がいる。
「納豆をこっちにまわして」
と中腰になる人がいる。
食事全体が活気に満ちているのである。
ぼくもまわりにつられて、久しぶりにゴハンのおかわりをした。
朝食のあと暫時休けい、そののちスキューバ・ダイビングというスケジュールになった。
ぼく以外の一行の全員が、潜水道具一式を持参してきているのである。
ワゴンで浜辺に着く。
ボンベ屋さんが、人数分のボンベを車に積んでやってきた。
全員すばやく身仕度を始める。
ゴムのスーツを身にまとい、大きなボンベを背負い、足ヒレを履き、腰にナマリの重りを巻きつけ、メガネをかけて酸素の太いクダを口にくわえる。
なんというあさましい姿であろうか。
どう見ても、アマゾンの半魚人である。
これが知性ある人間の姿であろうか。
人間がなにかをくわえている姿というものは、なにかあさましいものを感じさせる。
足に大きなヒレをつけた姿は、人間としての尊厳がそこなわれている。
腰に巻きつけたナマリの重りは、暗い中世の囚人を思わせる。
こうまで身を持ちくずして、水の中にもぐりたいものなのであろうか。
ぼくは岩の上に坐って、あさましい姿でドボンドボンと水中に飛びこんでいく人々を憐れみ深く眺めていた。
ここにいる人々は酸素に屈伏した人ばかりである。みんな哀れな酸素の奴隷なのだ。人々の背中で酸素ボンベは、難所で格さんに背負われた水戸黄門のように威張っている。
(なんせ吸わしてやんだかんな)
と威張っているのだ。
ぼくはもともと水の中を好まない。
泳げないから好まないのだ、と人はいうが、水の中を好まないから泳げないのだ。
ぼくはだいたい首から上に水が来るのを好まない。首のあたりまでなら、いくら水が来てもかまわない。
お風呂なんかで、首のところまでお湯につかるのは大好きである。
しかし首から上に水が来るのを許さない。
人間には人間としての尊厳というものがある。水ごときものに、口周辺、及び目、耳あたりまで侵略されて黙っているわけにはいかないのだ。
まして頭全体が水中に没するなど言語道断である。
ふと目の前に、水中メガネとシュノーケルと足ヒレの一式があるのに気がついた。
だれかが置いていったものらしい。
ここでそれまでのぼくの理論は、急速に転換していくのだった。
(いっちょ、やってみっか)
足ヒレをつけてみる。
(浅いところで、しゃがんでみるくらいならできるかもしれない)
水中メガネをつけ、シュノーケルを口にくわえる。
(シュノーケルなら、口にくわえてもそれほどあさましくはないな)
理論は少しずつ修正されていく。
フーハ、フーハと呼吸の練習をしてみる。ちゃんと息ができる。
(ますますいけそうだ)
水辺までバッタバッタと歩いていき、それから静々と水の中にはいっていった。
首ぐらいのところまで徒歩で行った。岩場の陰である。そこでひとまず大きく深呼吸し、それから少しずつしゃがみ始めた。潜水開始である。水が耳のところまできて少しあわて、気をとり直して潜水を続行し、ついに頭が水中に没した。
あたり一面水である。
水中はシンとして薄暗く、海底の砂と岩肌が見えるだけである。不安が胸いっぱいにひろがる。
ここでかなり息苦しい自分に気がついた。
そうだ呼吸をしなければ、と初めて気がついた。フーハーと息を吐いてみるとちゃんと呼吸ができる。
少し落ちついて潜水を続行する。小さな魚が二匹、右上方から左下方方面へと去っていった。そのあと水中にはなんの変化もみられなかったので水中生活を切りあげることにした。
浜辺までの約二十メートルを再び徒歩で戻り、無事生還してタバコを一服。
タバコをふかしながら、短かった水中生活をふりかえってみた。
楽しいことは一つもなかった。
ただ、ただ不安な水中生活であった。
海からあがってきた一行の一人が近寄ってきていった。
「ショウジさんのね、髪の毛がね。水面にプカプカ浮いているのが見えましたよ。なにしてたんですか」
スポーツの持つ病い
いよいよ秋。秋本番。
秋といえばスポーツ。
ま、夏だって冬だって、それぞれにスポーツはあるが、なんといってもスポーツの本場所は秋。夏や冬は、せいぜい名古屋場所や九州場所だ。なにしろ秋には「体育の日」がある。文部省が(厚生省か)「秋が本場所」と認定したのである。
それにしても「体育の日」はひどいな。
これではどうしても学校の体育の時間を思い出してしまう。楽しくもなんともない。
「スポーツの日」。このほうがよかったのではないか。
ま、それはそれとして、スポーツというと、だれしも健全、明朗、爽快《そうかい》、正義、といった「いいほう」ばかりに目を向けるが果たしてそうであろうか。
スポーツの「光」の部分にばかり目を向け過ぎてはいないだろうか。
スポーツは果たして健全であろうか。スポーツには病いもあれば不正もあるのだ。
競技に先立って、選手代表は、
「我々選手一同は、スポーツマン精神にのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」
と宣誓するが、果たして「正々堂々」であろうか。
物事には、すべて「光」の部分もあれば「影」の部分もある。
今回は、こうしたスポーツの持つ「影」の部分に「光」を当ててみようと思う。(なんだかヘンだな)
ラ グ ビ ー
ラグビーは「お持ち帰りの思想」で成り立っているスポーツである。
ボールという獲物を手に入れた選手は、一刻も早くゴールという我が家に持ち帰ろうとする。(表向きは敵陣ということになっているが)
だれだって獲物を手に入れたら、一刻も早く家族のもとに持って帰りたい、持って帰って家族と共に喜びたい、とそう思うものである。
それが人情というものだ。
その周辺にいる人々も、
(そうか、彼は獲物を手に入れたか。よかった、よかった。家族もきっと喜ぶだろう)
と祝福してあげるのが健全な考え方ではないだろうか。
ボーナスを手にして家路を急ぐ人を見て、微笑《ほほえ》ましく思うのが人の心というものだ。
ところがラグビーは、せっかくその人が手に入れた獲物を、横取りしようとするスポーツなのだ。略奪して逃げようとするスポーツなのだ。
これらは明らかに辻《つじ》強盗、あるいはノックアウト強盗と同じたぐいの行為である。本来ならば犯罪行為として法律によって罰せられなければならない行為である。
社会常識からいえば、競技はただちに中断、警官が出動してその選手を逮捕、留置、テレビの報道班、「2時のワイドショー」「三時のあなた」のレポーターなども出動し、翌日の新聞には「なぜこうした事件が起こったか」の特集が組まれ、「事件の背後にある世相」について赤塚行雄サンなどが一言申し述べなければならない事態になるはずなのだ。
なのに観衆は、妨害、略奪、逃走をはかる犯人に大歓声を送ったりしている。
一般道徳に照らし合わせて考えれば、明らかにおかしいといわざるをえない。
妨害、略奪、逃走をはかる犯人に、今度は別の犯人が飛びかかってその強奪を試みる。
そこへ更に大勢が飛びかかって折り重なり、悲鳴、絶叫、阿鼻叫喚、哀れ善良な獲物運搬人は人々の下敷きになって獲物を奪われる。
弱肉強食、スキあらば襲い奪え、まさにコヨーテ、ハイエナ、犬畜生の行為といわねばなるまい。一種の地獄図といってもよい。
法律なき暗黒の時代を思って人々は暗澹《あんたん》として首うなだれる、そういう事態のはずなのだ。
なのに人々は、これらを黙認するばかりか拍手さえ送ったりするのだ。
博愛、いたわり、慈悲、弱者への思いやり、人間にとって最も大切なものが、ここでは一切認められないのだ。
まさに野蛮きわまりないスポーツといわざるを得ない。
バレーボール
ラグビーが「お持ち帰りの思想」であるのに対して、バレーボールは「排除の思想」で貫かれている。
バレーボールは、日本語訳では排球という。これは排除の排である。
なぜ「排除」するかというと「迷惑」だからである。
自分の陣営に飛んでくるボールは「迷惑」なのである。
「要らない」といっているのである。
要らない、といって相手に送り返し、一同ヤレヤレと安心していると、また送り返してくる。
そこでやむなく、みんなで様々な苦労をして相手に送り返すと、また飛んでくる。
打ち返しても打ち返しても、また飛んでくる。
大抵の人は、このへんで怒りだすものなのだが、この競技の人々は全員大人しく、忍耐強い人ばかりとみえ、受け取り拒否ごっこを黙々と継続するのである。
ボールの立場にもなってみなさい。
あっちへ行って受け取り拒否され、こっちへ行っては拒否され身の置きどころがないではないか。
かわいそうだと思わないのか。
そうして万やむをえず相手が受け取ってしまうと、
「受け取った、受け取った」
といって喜んでいるのである。
要らないといってる物を強引に受け取らせて喜んでいるのだ。
このスポーツには、根本的に病んだ思想が胚胎《はいたい》しているのだ。
常識からいえば、
「そうですか、要らないんですか。ならばウチに置いときましょう」
と、こうなるはずだ。
しかも、相手が最も受け取りにくいかたちで受け取らせようとする。強烈なサーブで、相手が受け取り拒否できないような方法で強引に受け取らせてしまう。
こういうところは陰険、卑劣、病的といわざるをえない。
ラグビーなどは、この点だけは非常に健全である。
飛んできたボールを、大喜びで受け取ってくれる。受け取って大事に抱えて持ち帰ってくれる。送り手として、こんなに嬉しいことはない。
「要らない」といって送り返したものを、何回も何回も送り返してくれば、いくら我慢強い人たちでも、次第に相手に対して憎しみのようなものが湧いてくるものである。
バレーボールは、相手が複数だから憎しみの対象は分散される。
同じネットを挟んでする競技、テニス、卓球、バドミントンなどは相手がたった一人である。(ダブルスもあるが)
一対一であるから憎しみの対象はたった一人に絞られてくる。
こうなると、この競技の持つ「病気性」はますます肥大してくる。
「要らん」
といって送り返したものを、向こうも、
「要らん」
といって送り返してくる。
「要らんといってるのがわからんのかッ」
と相手に対する憎しみはますます湧きあがってくる。
これを繰り返すうちに次第にヒステリー状態になっていくのも当然のことである。
マッケンローなどが、ときどきヒステリーを起こしてバッグを蹴りつけたり、ラケットをたたきつけたりする気持ちもよくわかる。
ネットを挟んでする競技の最も特徴的なものは、相手がどうしても駆けつけられないところへわざとボールを打ち返すという点である。
これは卑怯ではないのか。
相手が最も受け取りやすいところへ打ち返してやるのが「正々堂々」であり「スポーツマン精神」であるはずだ。
この競技の根本にあるのは、意地悪でありいじめである。
意地悪やいじめは、スポーツ精神と最も遠いところにあると思うのだが……。
百メートル競技
百メートル競技はオリンピックの華である。
カール・ルイスの例をまつまでもなく、百メートル競技の覇者はオリンピック全体のチャンピオンである。
しかしよく考えてみると、このスポーツぐらい動作として単純なスポーツは他にないのではなかろうか。
他のスポーツは、走る、跳ぶ、蹴《け》る、投げるなど、いろんな動作が組み合わさってできている。
ところが百メートル競技は、動作としては、右の足と左の足を互いちがいに前方にくり出していく、これだけである。
右足を出したら次に左足、その次は右足と、選手はこれだけを考えていればよい。
スポーツとして「頭を使う」という部分があまりに少な過ぎはしないだろうか。
その単純なところがいいのだ、という人もいるだろう。
しかしこれでは、せっかく高度化した人間の頭脳の使い道がないではないか。
ただすっ飛んで行けばいい、というのでは鳥や獣と変わらないではないか。いや鳥や獣は、獲物をとるという目的があるからまだいい。
百メートル競技には、結果としての目的もなにもありはしない。
とにかくすっ飛んで行けばいいのだ。
人間のスポーツとして、もう少しイロをつけるというか、頭脳プレイの余地が欲しいというか、そういう思いがするのだが……。
マラソンの駆け引きとか、バレーボールのフェイントとか、そういう余地が欲しい気がする。
例えば体操競技の鉄棒。
これはブルンブルンと体を勢いよく回転させてはいるが、着地の段階ではその余剰エネルギーは急激に沈静させてピタリと停止しなければならない。そこのところに高い評価を与えられている。
選手は、ブルンブルンをやっている間も、そののちの制御のことを考えているはずだ。
百メートル競技にも、この考えを取り入れられないものだろうか。
百メートルを走り抜けた瞬間、急制動をかけて一メートル以内で停止しなければならない、というのはどうだろうか。(一メートルじゃムリかな)
ま、制動距離三メートルとか、そういうふうにすれば多少、頭脳も参加できるスポーツになるのではないか。
ただ走り抜ければよい、そのあと突んのめろうが、転ぼうが、引っくり返って頭を打って死のうが当局は一切関知しない、というのでは近代スポーツとはいえないような気がする。
シンクロナイズド・スイミング
最近脚光を浴び始めたスポーツに、シンクロナイズド・スイミングというものがある。
これはどう考えてもいかがわしいスポーツである。
スポーツといっていいかどうかさえ疑わしいスポーツである。
まず全員が化粧をしているところがいかがわしい。
しかもキャバレーのネエチャンたちみたいな厚化粧である。
アイライン、アイシャドー、眉《まゆ》、口紅、いずれも毒々しく塗りたくっている。
いったい厚化粧をしてするスポーツなんてあるのだろうか。
マラソンの増田明美が化粧して走るだろうか。
女子の体操競技などでは多少の化粧はするようだが決して厚化粧ではない。
それから競技中、ヘンな媚《こ》びを含んだような微笑を絶やさないところがいかがわしい。
媚びながらするスポーツがあるだろうか。
増田明美が、媚びながら走ったらどうなるか。スポーツは真剣にするものだ。
真剣であれば微笑の余地などないはずである。またその必要もない。
苦痛に顔をゆがめながら走る瀬古選手の姿は尊い。
瀬古選手が、
「ヤ、ドーモ、ドーモ」
などと、観衆に媚びながら走ったら気持ちわるいだけである。
全員が美人である、というところが最もいかがわしい。
会社の秘書募集ではないのだ。
不美人は、シンクロナイズド・スイミングをやっちゃいかんというのかッ。
不美人採用せず、というのでは、スポーツマン精神はどうなるッ。正々堂々はどうなるッ。たびたび名前を出して恐縮だが増田明美はどうなるッ。
それに名前が長すぎるッ。
シンクロナイズド・スイミングなどと、長ったらしい名前はスポーツマンシップにもとるッ。
シンクロナイズド・スイミングチームはただちに解散、キャバレー・ハリウッドに全員採用してもらいなさい。
綱 引 き
突然綱引きなどという牧歌的なスポーツを持ち出して申しわけないが、これもスポーツであることには変わりない。
会社の運動会などでは、綱引きはメーンエベントの一つに数えられている。
綱引きは団体競技である。
団体競技というものは、グループで助け合ってするものであるが、個々の選手の働き、貢献度などが見ている人にもよくわかる。
何某の活躍によって一点はいった、とか、この一点は何某の一瞬の判断によるところが大きい、とか、そういう点を観衆は感知できる。
ところが綱引きは、そこのところが一切わからない。
大勢の人が一本の綱に取りつき、号砲一発、ワイワイ騒いでいるうちに、いつのまにか勝負が決まる。
だれが大働きをしたのか、だれのせいで勝ったのか、まずもってわからない。
うんと大働きをしても、態度が地味な者はだれもその人のせいで勝ったとは思わない。
逆に、適当に手を抜いていても、態度がハデで、声が大きい者は目立つ。
見ている人は、あいつの働きで勝ったと思ってしまう。
だれとだれがサボったために負けたのか、そこのところさえわからない。
一所懸命やっているふりをすることもできるし、適当に手を抜くこともできる。
それでも競技は成り立つ。会社の運動会などで、綱引きが常にもてはやされるゆえんである。
総  括
あらゆるスポーツの原点は「気晴らし」にあるといわれている。
スポーツをしたあと、人々は気分がスッキリし爽快感にひたることができる。
そしてそれがあすへの活力につながる、というのがスポーツ本来の姿である。
しかし卓球の試合のあと、人々は爽快感にひたれるだろうか。
相手に意地悪の限りをし尽したという自責、相手に意地悪の限りを尽されたという怨念、試合が終わったあと、これらが澱《おり》のように体の中に沈んでいるのではないだろうか。
これで気晴らしになるだろうか。
負けたほうは、試合が終わって家へ帰ってからも、相手の家に駆けつけて一発ぶんなぐってやろうかという暗い衝動に駆られるのではないだろうか。
また、あらゆるスポーツの特性として、「急いでいる」という点をあげることができる。
あらゆるスポーツは「急いでいる」のである。
特に陸上競技はこの特性が顕著である。陸上競技の選手は、全員先を急いでいる。
百メートル競技の選手は、特に先を急いでいる。形相|凄《すさ》まじく、歯をむき出して先を急ぐ。
しかし現代は「急ぐ」ということが見直されている時代である。
「そんなに急いでどこへ行く」
と、急ぐ人に反省をうながしている時代なのである。
「急ぐことに価値があるのだろうか」
と、みんなで考え直している時代なのだ。
歯をむき出し、息せききって百メートルを走り抜いた選手に、一言、
「そんなに急いでどこへ行く」
といってやろうではないか。
彼にはもう行くところがない。
夏の終わりの民宿
男は夏休みだった。
男の夏休みは終わりに近づいていた。
男は温泉にでも行ってみようと思った。
男はあちこちに電話を入れてみた。
もう夏も終わりに近づいているというのに、温泉地はどこも満員だった。
たった一軒だけ、伊豆の民宿が、「空いてます」と言ってくれた。
熱海の一つ先、網代《あじろ》の民宿である。
男はそこに行くことにした。ここは漁港であり温泉も湧《わ》いているという。
(漁港というからには魚が新鮮でうまいにちがいない)
男は魚が好きなのでそう思った。
男は男なので、男らしく男の一人旅をしようと男心にそう思った。
八月二十一日、男は伊豆急の東京駅二時三十分発の三号車三のAという席に坐った。
ここでいう男とは実はぼくのことなので、ぼくのことをことさら男というのはもう止《や》めようと思い、これ以後は男ではなくぼくにしようと男は思った。そういうわけで、もはや男ではなくようやくぼくに戻った男は、通りかかった売り子の女を呼びとめるのだった。
(なかなか戻らない)
女は男の求めに応じて、缶ビールと、ピーナッツ柿の種入りという袋を男に渡した。
女が売買を終えて去ろうとしたとき、男は再び女を呼びとめて、イカクンの袋を要求した。女は男の求めに応じた。女は、男の態度に優柔不断を感じながら去って行くのだった。
ぼくに戻った男は、走り去る車窓の景色にチラと視線を走らせたのち、缶ビールをプシッとあけた。続いてピーナッツ柿の種入りの袋をビリッと破いた。
(列車での缶ビールのおつまみベストスリーということになると……)
男は思った。
(やはりナンバーワンはピーナッツだな)
塩味のよく効いたピーナッツはビールによく合う。
(二番目がイカクン)
本当はタコクンのほうがおいしいのだが、タコクンは値段が高いせいか車内販売にはあまり登場しない。
柿の種というのは、本来はベストファイブにも入らないものなのだが、これがピーナッツと組むと俄然《がぜん》威力を発揮してくる。不思議によく合う。
そこに目をつけたのが、ピーナッツ柿の種入りというブレンド製品なのだ。
この、せっかくのブレンドものを、別々に味わう人がいるがあれはよくない。
ピーナッツと柿の種をいっしょに口中に放り込むのが正しい食べ方である。
柿の種5、ピーナッツ3、この比率がいちばんおいしくバランスもいいようだ。
缶ビールを一本空けたが、柿の種およびイカクンが大量に残っているので、売り子の女が来たらビールをもう一本買おうと思っているうちに網代に着いてしまった。
網代駅はカワラ屋根の小さな駅である。
シーズンも終わりのこととて降りる人も少ない。列車がゆっくりと発車したあと、しばらくぼんやりと蝉《せみ》しぐれの中にいた。目あての民宿清風|苑《えん》は、駅から歩いて二十分ぐらいということなので歩いて行くことにした。
町の軒なみが低い。
郵便局、干物屋、床屋、しもた屋、いずれのカワラ屋根も潮風に洗われて白っちゃけている。通る人も少なく町は静かだ。
やがて海岸沿いの道路に出た。
夏の盛りのころは、車の往来も激しかったであろう通りも、いまは少ない。
遠くから一台が現われ、通り過ぎて行ったあとは急にシンと静かになる。蝉しぐれが急に大きく聞こえる。
波も夏の疲れをいやしているように、気だるく静かに寄せては返して行く。
突堤では、三、四人の人が釣り糸をたれているが釣れている様子はみえない。
シャツが汗で背中にはりつき始めたころ、ようやく目指す民宿が見えてきた。木造二階建て、海岸通りに面して建っている。
磯《いそ》料理、岩風呂、御休憩、旅館民宿清風苑という大きな看板が出ている。磯料理もできるし岩風呂もある、御休憩も可能だ、したがって民宿といい切るには少しもったいない、しかし旅館といい切るほどの自信はない、そういう苦しい胸の内が旅館民宿というややこしい表現になったのであろう。
そう思いながらロビー(のようなところ)に入って行くと、フロント(のようなところ)から宿のアルジがこつこつと、そういう苦しい胸の内は少しも見せずに現われた。
ロビーは、釣具や長靴や火鉢などで占拠され、フロントは閉鎖されてそこにもいろんな物が積んである。階段をギシギシ踏んで二階に案内される。「ぼたん」という部屋である。二階は「ゆり」「きり」「あおい」「ぼたん」という四つの部屋で構成されている。
こうした命名にも、ここのアルジの旅館志向の苦しい胸の内が察しられるのだった。
「ぼたん」は八畳ほどの広さで、ちゃんとした床の間があり、テレビ、冷蔵庫、クーラーも付いている。旅館といってもいっこうにさしつかえない見ばえである。アルジが旅館といいたい気持ちが痛いほどよくわかる。
しかし、とアルジが退出したあと、男は部屋をしみじみと眺め廻して思った。
(この部屋の「ぼたん」たる由縁はどのへんにあるのだろうか)
「ぼたん」というからには、ぼたんの由縁がなければならない。
男の隣の部屋は「ゆり」であるが、ゆりとぼたんと名づけ分けた由縁は奈辺にあるのか。
男は腕組みしてしばらく考えたあと、
(ま、いいか)
とつぶやくと、冷蔵庫をあけてビールを取り出した。茶色の大ビンである。
(ウーン、懐かしい)
男はつぶやいて栓抜きでコンコンとビールの王冠をたたいた。
男はこのところ缶ビールばかり飲んでいるので、茶色の大ビンが懐かしいのだった。王冠コンコンもまた懐かしいのだった。
車中で食べ残したピーナッツとイカクンをつまみにビールを飲む。
窓からは海が見える。波も静かだ。山のせまった入江に夕陽がキラキラと、銀のテープを何本も敷きつめたように輝いている。
たった一人のサーファーが、ウィンドサーフィンの帆を倒したり起こしたりしている。
宿の庭先のビーチパラソルの下で、青年が一人で熱心にかき氷を食べている。
突堤のところでは、たった一人の釣人がじっと動かず釣り糸をたれている。
いまはみんな一人だ。
もう夏が終わろうとしているのだ。
ビーチパラソルの横には、ここの民宿客のものらしい一家の水着が干してある。
観光バスが一台、窓の下を通って行く。
窓際のまばらな観光客の目は少しも輝いていない。もはやなにも期待していない目だ。
ビールを飲み終えると、タオルを肩にかけて男は岩風呂に降りて行った。
岩風呂には先客がいた。庭先に干してあった水着の中身の人々であろう。
おとうさんと、小学生ぐらいの男の子と女の子の三人である。男が入って行ったせいか、一家はそそくさと出て行った。
小学生といえど、女の子だからというわけなのだろうか。小学生といえど、女性にはちがいないわけだから、
(いちおう混浴を体験した)
ということになるのかな、と男は思った。
ここ網代は、ひなびた温泉地ではあるが、温泉の質は大変よく温度も熱く湯量も豊富だという。温度は70度もあり、そこいらのまがいものの温泉とはちがう純正の温泉なのである。
70度だから当然水で薄めなければならない。ということは混ぜものをしているということになるわけで、そうなると、まるきり純正というわけにもいかないような気もする。しかし純正であるからこそ混ぜものをしなければならないというわけでもあるし、そのへんの考え方はどういうふうに考えたらいいのだろうか。
男は湯に肩までつかりながらしばらく考えたあと、
(ま、いいか)
とつぶやいて湯からあがるのだった。
岩風呂と称するだけあって、小さいながらも浴室は、はじからはじまで岩で構成されている。岩が豊富だ、ということができる。
湯量もまた豊富。
(いずれにしても豊富ということはいいことだ)
と男は思った。
風呂からあがって足ふきマットでよく足を拭き、体重計に乗り、扇風機にあたり、竹踏みのようなものに乗って足踏みをし、浴室内のあらゆる施設を利用し尽したあと男は「ぼたん」に戻った。
テーブルの上には夕食の仕度がしてあった。食堂に出かけて行って食べるのではなく、部屋に運んでくれるシステムなのだ。
このあたりのサービスは、今ふうの旅館の上をいくものである。
アルジが「旅館」を表明したい気持ちがここにも現われているのだ。
テーブルの上には、カマスの焼物、アジの酢のもの、卵豆腐、トコブシのような貝の煮物、の四品が並んでいる。
これが夕食のおかずのすべてであろうか。
もしそうだとしたら、と男は思った。
(ぼく悲しくなっちゃう)
宿泊費は六千円である。
六千円だとこんなものなのだろうか。
悲しい気持ちで卵豆腐をほじっていると、
「あら、もう始めてたんですか」
と、おばさんがガラリとフスマを開けた。
刺身の盛りあわせの大皿を抱えている。
かなりの大皿である。
テーブルの上にドンと置かれた大皿の内容を点検すると、
伊勢エビ(かなり大)、マグロ、アジ、タイ、イカ、アワビ、サザエ、ハマチ、
以上の八品目が所狭しと並んでいる。
(もはや何もいうことはない)
男の顔から悲しげな表情が消えた。やはり、
(ニッポンジンは刺身だ!)
と思った。
天ぷらの盛りあわせも来た。
ビールを一本飲み、冷やの紙パック入りの日本酒も一本飲んだ。
(紙パック入りだから、一本、というのはやはりおかしいか)
と男は思った。一本ではなく、一箱飲んだ、というべきだろう。しかし日本酒を一箱飲んだ、ということになると、大変な量の日本酒を飲んだように人に誤解されるかもしれない。
(ま、いいか)
と男は思いつつ食事を進めるのだった。
百円を投入してテレビをつける。巨人中日戦をやっている。久しぶりに江川が投げている。江川が投げると試合の進行が早い。
八時半に試合が終わってしまった。チャンネルを廻すと阪神大洋戦をやっている。
これまで二百円がテレビに支払われているのだが、二試合二百円なら安いものだ、と男は思った。
試合終了と同時に食事も終了した。このあとどうするか。壁の貼り紙を見ると、マッサージが呼べる、と書いてある。
フロントに電話をすると、さきほどのアルジが出て、呼べます、という。
なぜか、呼べます、という言葉に力がない。
「男ですけどいいですか」
と力なくいう。男は男でいいです、力なくいって電話を切った。
三十分ほどして男のマッサージがやってきた。年のころ四十五、六、銀ブチのメガネをかけた体格のいい謹厳な感じの紳士である。白衣ではなく開衿《かいきん》シャツのようなものを着て目も見える。
男は(ぼくのほう)押入れからフトンを取り出して横になった。
男が(マッサージのほう)、
「海のほうを向いてください」
という。
男は(ぼくのほう)いいセリフだな、と思った。海のほうを向いてください……か。海の町でしか言えないセリフである。
男は男のそばに寄ると、肩のあたりから揉《も》みはじめた。かなり力強くかなりくすぐったい。背骨のあたりにさしかかると、思わず、ウヒャヒャヒャと笑いたくなる。
しかしここで笑ってはいけない、と男は思った。男の謹厳な感じが、男の笑いを押しとどめたのである。
夕闇の座敷の中で、中年の男が二人、一人は横たわり、一人はその体にさわっている。
ここで笑ってしまっては、雰囲気が怪しくなる。
そのうちウトウトと眠ってしまった。その間、どこをどうされたのか記憶にない。
「おつかれさまでした」
という男の声で男は目ざめた。
「いくらですか」
と聞くと三千円だという。
三千円を男に払いながら、男は、男二人でなにかヘンなことをした料金を払っているようなうしろめたい気持ちになった。
時間はまだ九時半である。ひと眠りしたあとなので眠くない。
「このヘンに飲むところはありませんか」
と電話でフロントに聞くと、隣にスナックが一軒あるだけだという。
サンダルを突っかけて出かけてみると、すぐ隣の道路から奥まったところにスナックがあった。かなり大きな店である。
外からのぞくと、驚くことに四十人ほどの人が詰まってガヤガヤ騒いでいる。カラオケで歌っている人もいる。驚くことにそのすべてが、年かっこうの似かよった中年の男女なのである。
店をきりもりしているのは母親らしい中年のおばさんと、その娘らしいハタチぐらいの女の子二名である。母親はかなり太っていて、娘はかなり美人である。
外からのぞいて、以上のような事実が判明したので男は引き返そうと思った。
そのとき、ハタチの女の子のほうが物すごい勢いで飛んできて、(本当に飛んできたわけではないが)だいじょうぶだ、というのである。いや、ダメだから、と引きさがろうとすると、いや、だいじょうぶだ、と熱心に励ましてくれるのである。
娘に励まされて男はしぶしぶ店の中に入って行った。カウンターの一番奥の席が一つだけ空いていた。
ビールを頼むと枝豆が出てきた。
それにしてもこの四十人の中年男女はいったいなんなのだろう。そのすべてが互いに知り合いらしく、遠く近く声をかけあっている。そうこうするうちに、四十人のうちのおよそ半数が、アッというまに出ていってしまった。残った二十人は、イスとテーブルをしばらくガタガタやったあと、散在していた人々を集めて一カ所にこぢんまりとまとまった。
「それにしてもあのメンバーでよォ」
座が落ちつくと野球帽の男がタバコを高くかかげながら言った。
しかしこの発言は、「水わりもっと濃くして」だの「アダチさん、そんなとこじゃなくこっちへおいでよ」だの「『大阪の女』ある?」だの「それにしてもヨシオカさんの球けっこう速かったなあ」などの声に無視されてしまった。どうやらこの集団は、町内ソフトボール大会かなにかの流れであるらしい。先ほど帰った二十人は、対戦チームだったにちがいない。
「それにしてもあのメンバーでよォ」
機をみて、さっきの野球帽がまた言った。
しかし第二回目の発言も、一同のガヤガヤで無視されてしまったのである。
中年男女二人の「大阪の女」のボリュームも大きい。野球帽は再び発言の機をうかがう態勢に入った。
そうしてもう一度、
「それにしてもあのメンバーでよォ」
と、「大阪の女」終了を好機とみて発言したのだが、これもみんなのガヤガヤにかき消されてしまったのである。
だが野球帽は、この発言にそれほど固執していたわけではなかったらしく、目ざとく遠くで立っていた美人のおばさんに目を向けると、
「ヤスオカさん、ここ。ここ空いてるから、ここ」
とヤスオカさんを呼びよせるのであった。
カラオケは「大阪の女」が終わっていまは「さざんかの宿」のサワリのところになっている。焼うどんかなんかをフライパンでジャーッといためる音、野球帽やアダチさんの大声、ヨシオカさんの嬌声《きようせい》、顔見しりらしい新規の客の入場、一同の歓声、港町のスナックの夜は騒々しく更けていくのだった。
お勘定六百円を払って男は店を出た。
「ぼたん」に戻ると部屋のまん中に布団が敷いてあった。
シーツも枕カバーも新しかったが布団がきわめて小さかった。
長さは一応長かったが横はばがきわめて細く、欽ちゃんの「欽どこ」で使用されていた布団を払いさげてもらったのかと思ったほどだった。
冷蔵庫から再び日本酒の紙パックを取り出して飲む。
日本酒を一箱飲んで「欽どこ」の布団にもぐりこむ。
蚊の襲来三匹。撃滅二匹。撃滅率六割六分六厘。
(まあまあだな)
男はそう思いながら深い眠りに入っていった。
〈了〉
単行本 昭和六十二年五月 文藝春秋刊
底 本 文春文庫 平成二年三月十日刊