[#表紙(表紙.jpg)]
東海林さだお
トンカツの丸かじり
目 次
ビールから熱かんへ
栗の疑心暗鬼
ブドウはがめついか
そば屋で一杯
議事堂の中の食堂
大絶讃イモのツル
スキヤキ大疑惑
お餅解禁
スルメの周辺
危険な話
カニだらけの夜
ビン詰めかわいや
宅配ピザを征服す
天ぷら大仕掛け
大男たちのアンニュイ
初体験「ちゃんこ鍋」
「出会いもの」との出会い
出前出発の真実
メニュー物語
「とても」の宵
味つけ海苔の陰謀
ニチャカリの口《ヽ》福
目には青葉……
夏の甘いもの
ソーメン方面の怪
ビアホール考現学
ほたる観賞の夕べ
いま、青梅の季節
ビールと冷や奴
ドックあがりのトンカツ
トコロ天は磯の香り
夢の?「バーベキュー」
夏だ、ドジョウだ
人動けば、みやげも動く
夏の野菜たちよ
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ビールから熱かんへ
あっというまに日本酒の季節になった。
ついこのあいだまで、汗を拭き拭き、
「この暑いのに、湯気の出る酒など見るのもいやだ」
と思っていた。
なのに、ほんの少し秋風が吹き、朝晩ちょっと冷えてきたかな、と思ったとたん、もう日本酒が恋しくなるから不思議だ。
そしていまは、
「熱かん当然」
と熱かんを楽しんでいる。
この「見るのもいやだ」から「当然」までの間が一週間もない。
このへんの、あっというまの移り変わりが、毎年経験しているのに毎年不思議で呆気《あつけ》にとられるところがある。
秋になって最初の熱かんがうまい。熱かん第一号がうまい。
小ぶりの徳利の首のところをつまんで、トクトクトクと盃に注ぎながら、
「そうそう、この感じ」
と懐かしがる。
ビールのおつまみの検討は、
「エート、枝豆に串かつ。それにポテトフライ」
とかなり大ざっぱだが、日本酒のほうは細密である。
あれこれと、すみずみまでかなり細かく検討する。
この原稿を書く手をときどき休めては、今夜の酒のメニューを考えている。
いつものあの居酒屋に行くとして、まず最初は、待ったなしですぐ出てくるものがいい。
エート、何がいいか……。
(こういうこと考えるの楽しいなあ)
うん、そう。キンピラ。
小皿にこんもりと、トウガラシを少し効かせた辛めのキンピラごぼう。よし、それでいこう。
「エ? きょうはキンピラないの?」
こういうことがあるから困る。キンピラないか……。じゃ、しょうがない。
チクワを薄く切って甘辛く煮たやつ、なんてのもわるくないな。
「エ? ある?」
じゃ、そいつと熱かんを一本。
チクワをちょっとつまんで口に入れ、口の中がしょっぱくなったところで盃に湯気の立つお酒を注ぐ。
盃は、白くて底が浅めで口径は広め、短い足がついてる、というのが好きなのだが、この店はあてがいぶちだからそんなことはいっていられない。
外側のところにメーカーの名前が入っていてフチが少し欠けていたりする。
こいつにナミナミと注いでキューッと一杯。
この店の辛口の酒が、うんうん、ノドの奥の天井のあたりをツンツンと刺激してただいま通過、そしていま食道をまっしぐらに落下中、うーん、そうして、あ、いまです、胃の腑にドシンと到着。
胃の壁がジワジワと熱く、熱い酒が温度を保ったまま胃の中にしみこんでいくのがはっきりわかる。
甘辛のチクワと、清冽の酒が無事通過していったあとには、どんなさかなをもってきたらいいだろうか。
エート……。(楽しいなあ)
こうなると、原稿なんかもうどうでもいいや。(といいながらこの原稿を書いている)
そう。いまだったらサンマ。
そうです。サンマです。これこれ。
大きくて、身に幅があって、おなかのあたりが銀色に輝いているサンマ。これの塩焼き。
皿の上に長々と横たわり、ところどころ黒く焦げ、まだプチプチと音をたてている熱く焼きあがった大サンマ。
もうおさまったかな、と思っていると、思わぬあたりがプシーとはじけて脂がとんだりする。
こいつに大根おろしも添えてもらって、大根おろしの頂上には、うすく滲むていどのお醤油を少々。
サンマは、皿の上に長々と寝そべっているところがいい。
サンマは、どういうわけか、アジや鯛のように踊り串を打たない。
アジや鯛が、体をヘンに波うたせて、苦しそうに皿の上にのっているのを見ると、いつも気の毒でならない。
せめて死んだのちは、のんびりと、ラクに、背すじを伸ばして横たえさせてあげたい。
その点、サンマはラクだ。長々ゆったり、手足のびのび。(手足はないか)
長々と寝そべって焦げているサンマの、胸のあたりに箸を突き入れる。
ハラワタといっしょに突きくずして引き寄せ、大根おろしをちょっとのせて口に入れる。
苦いハラワタと苦くなくて脂っこいハラワタと、なんだかよくわからないがプチッとした歯ざわりのハラワタと白くてプワプワしたハラワタと、口の中はハラワタというハラワタが入り混じり、そこへ身のところと皮のところと大根と塩と醤油が入り混じり、小骨も参入し、口中の混乱と豊饒《ほうじよう》と歓喜と惑溺《わくでき》はここに極まる。
サンマは秋刀魚ともいわれる。
その薄くて流麗な刀身の中に、これほど豊富な混濁の美味が隠されていようとは、初めてサンマを食べる人は想像もつかないであろう。
ニガニガ、ヌルヌルの美味が、口中を脂っぽく通過していったあとに、再び清冽の辛口を流しこむ。
つきだしを食べ、酒を一口飲み、「ではでは」と最初の一品に箸を入れて突きくずす一瞬、というものも、なかなか捨てがたい。日本酒ならではのひとときである。
ゴハンのときとだいぶ趣がちがう。
たとえば、きちんと身なりを整えて皿の上に横たわっているサンマの胸のあたりに、箸を入れて突きくずす一瞬。
肉じゃがの一番大きいやつの頂上に箸をあてがい、ころがらぬように狙い定めてから突きくずす一瞬。
やわらかく煮あがったふろ吹き大根に、最初の箸をしずしずとめりこます一瞬。
これらは、日本酒を飲むという流れの中にあってこそのひとときであって、ゴハンのときとは思い入れが大いにちがう。
チクワの甘辛煮。サンマ、ときて、さて次はなにをいこうか。
じゃがいものサラダ……。うん、これで少し口の中をさっぱりさせよう。
ゆで卵やキュウリや玉ネギの混ざりぐあいよろしく、マヨネーズでほどよくゆるんでいる冷たいじゃがいものサラダ。
口に入れると、キュウリと玉ネギが、まだ少しシャリシャリいうぐらいのできたてがいい。そのあとは厚揚げの焼いたの。
そうして最後の|しめ《ヽヽ》としては、そうですね、焼きおにぎり小二個。
うん、これで原稿もできたし、ちょうど居酒屋の開店時間だ。ではでは。(と机の上を片づけて立ちあがる)
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栗の疑心暗鬼
イガをかぶった栗を見ていると、つくづく気の毒に思う。
なにもそんなに世の中を警戒しなくてもいいのにと思う。
そんなものかぶらなくとも、十分その実は守れるではないか。
そう言ってやっても栗は納得しない。
栗は用心の上にも用心を重ねている。
過剰防衛とも思える重装備で、身辺を警護しているのである。
いろんなものをかぶろう、かぶろうとする。
まず渋皮というものをかぶる。
渋皮は、渋皮というくらいだから、皮に渋がまぶしてあって、これだけでもかなり強固な被膜である。
梨やリンゴの皮のことを考えれば、この渋皮だけでも十分過ぎるくらいだ。
しかし栗は、これだけでは不安でしようがない。この上に、さらに強固な、剣道の胴着のような堅い鬼皮というものをかぶってしまう。
ふつうなら、これでもうすっかり安心して、防衛の問題に終止符を打つはずだ。
事実、ドングリなんかはこの段階でとどまっている。
すっかり安心して、山の地面にコロコロころがったりしている。
ドングリコロコロで急に思い出したが、ドングリコロコロ≠ニいう童謡がありますね。
あの歌を、ドングリコロコロドン|グ《ヽ》リコ≠ニ歌っていませんでしたか。
実はあれは、ドングリコロコロドン|ブ《ヽ》リコ≠ェ本当なんだそうです。
ホーラ、知らなかったでしょう。
ぼくなんか、もう何十年も、ドン|グ《ヽ》リコと信じ切って歌い続けてきてしまって、いまさらドン|ブ《ヽ》リコだと言われても、もう修正は効きません。
ドングリコ≠ニ歌い続けながら死んでいくことにしようと思っています。
エート、話を元に戻して、そうそう、鬼皮の話だった。
そういうわけで、ドングリは鬼皮だけで十分と考えている。しかし栗は、鬼皮だけではまだ不安だ。
さらにその上に、イガというトゲつきのアデランスをかぶっちゃう。
渋皮、鬼皮、イガ、という三段トリプル増毛法、じゃなかった、三段防衛法を採用しているのである。
用心が露骨で、見ていて悲しい。
そんなにまで身構えて、眉間にシワを寄せて世間を睨《にら》まなくてもいいのにと思う。
もっと気楽に考えればいいのにと思う。
王元巨人軍監督だって、もっと気楽に考えればよかったのだ。
「たかが野球じゃないか」
という考えでやればよかったのだ。
栗だってそうだ。
「たかが栗じゃないか」
そういうふうに考えればよかったのだ。
栗のこうした依怙地で反抗的な性格のせいか、「広辞苑」も緊張する。
くり〔栗〕──果実は堅果で長い刺のある「いが」で包まれ、熟すれば裂開して内から果実を散出──
どうです、緊張しているでしょう。
「熟すれば裂開し散出」と、果実の説明にしては記述が物々しい。
それにしても、栗はどうしてこのように疑心暗鬼になってしまったのだろう。
逆に言えば、世間はどうしてこのように栗を追いつめてしまったのだろう。
人間が特別に栗をいじめた、という話も聞かないし、山の動物たちも、栗だけを特にいじめたということはないと思う。
いや、かえって栗の疑心暗鬼のために、人間も動物も迷惑をこうむっているのである。
人間は道具があるからいいとして、山の熊さんや鹿さんなんかは、栗を食べるときどうやっているのだろう。
よそごとながら心配せざるをえない。
売っている栗は、むろんイガは取り除いてあるが、そこから先の作業もかなり難儀を強いられる。
ゆでたての栗はおいしいが、ゆでたての栗は熱い。
火中の栗を拾う≠ニいうぐらいだから大変な熱さでなかなか冷めない。
栗の皮のむき方は人によって実に様々だが、ぼくの場合は、栗をまず逆さに持つ。ザブトン≠ェ上にくるわけだ。
ザブトンの手前はじに前歯を当ててめりこませ、そのまま下におろしていってベリッと一部を引きはがす。
こうして皮の一部が裂開し、果肉が露呈し、内部の様子が歴然となる。
問題はここから先だ。
ぼくとしては、このまま四方八方むいていって、どの部分もくずさず、原型保持のままを、丸ごとパクリと口に入れたい。是非ともそうしたい。
しかしこれは、なかなか叶わぬ夢だ。
必ずどこかがくずれる。
九分どおりむき終わり、もうあと、一筋の渋皮をスッと下におろせば成功、という最後の段階で、ホロリと実がくずれ、そのくずれが他の部分にも重大な影響を与え、全域一挙崩壊、コナゴナ、ヒザの上にパラパラ、という悲しい事態になる。
声もなく、悲嘆にくれることになる。
そのかわり、全域無傷、黄色い栗が丸はだか、というときはうれしい。
うれしくて人に見せたくなる。
そこで同席の人に「ホラ」ないしは「ホレ」と見せ、同席の人はやはり栗の皮むきに没頭している身の上なので「ホー」ないしは「ヘエー」程度の短い賛辞しかくれないが、それでも賛辞を得た上での丸ごと無傷の栗はことのほかおいしい。
口の中でホロリとくずれた栗は、果物とはちがった、みっしりと詰まった木の実の味がする。
やがてたくましい栗の大木になることを予感させる木の味≠ェする。
そして甘い。その甘さは樹液の甘さを感じさせる。
ポクポクとしてコリコリ。
ネトネトとしてホクホク。
クリクリとしてトロトロ。
ハフハフとしてフガフガ。
さつま芋の味に一番近く、さつま芋を木に成《な》らせると、ちょうどこういう味になる。
栗はあとをひく≠ニいう点ではピーナツに勝るとも劣らないところがある。
ゆであがって湯気をあげる栗の山を目の前にして、一個だけ食べてやめることができたら、その人は肝《きも》のすわった大人物ということができる。
一個食べ終わると、必ずもう一個に手が出る。
腕組みなんかして、なんとか誘惑に勝とうとしてもダメだ。
栗を一個だけ食べてやめるのは、つらくて苦しい。だからこれを、真冬に滝に打たれたりする荒行の一つとして加えてもいいとさえぼくは思っている。
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ブドウはがめついか
秋はいろんなものがおいしい。
秋ナス、秋サバ、サンマにブドウ。
柿、栗、カボチャにマツタケ、リンゴ。
フグ、牡蠣《かき》、アンコウ、カモ、タラ、ダイコン……。
きりがないのでこのへんでやめておくが、カツオも「秋の戻りガツオ」といって秋のほうがおいしいという人もいる。
「実りの秋」が「食欲の秋」とぶつかりあうわけだから、ダイエットをしている人にとっては「災難の秋」ということになる。
実りの秋を最も象徴するものは、何といっても果物であろう。
実りの秋は「たわわの秋」でもある。あちらこちらで柿がたわわ、リンゴがたわわ、ブドウがたわわ……。
たわわを見ると、なぜか心がなごむ。胸が満ち足りる。
そうか、そうか、たわわか、と、思わず下から支えて持ちあげてやりたくなる。
しかし、いくらたわわであっても、栗にはこうした行為はしないほうがいいと思う。
柿、梨のたわわ感もわるくないが、ブドウのたわわ感はひと味ちがう。
ブドウ狩りの楽しさは、ブドウ独特のたわわ感を味わうことにある。
目の高さのブドウの房の下に左手をあてがい、右手のハサミで房のつけ根を切る。左手にボッテリとブドウの房が落ちてきて、その重みをやわやわと受けとめたときの、あの喜びは一体何だろう。
このとき、誰の顔にも笑みがこぼれる。
手のひらに、一粒一粒の感触と、全体の感触とが同時にあり、一粒一粒の重みと、全体の重みもまた同時にある。
これがいい。
わが子のようにかわいい。
しかし、いざ食べる段になると、ブドウは柿や梨に比べてことは面倒である。
かなりわずらわしい。
皮の問題とタネの問題がある。
柿や梨は、皮は一回むけば、そのあと皮の問題から解放されるが、ブドウは絶え間のない皮の問題に悩まされる。
一粒一粒、皮を口の中で取りのぞかなければならない。
柿や梨は、タネは最終的な問題として一括処理できるが、ブドウは、絶え間なくタネの問題に悩まされる。
一粒一粒、タネを口の中で取りのぞかなければならない。
昨今、果物界にも西洋思想が普及してきて、「西洋人はブドウのタネを飲みこむ」とかで、ブドウのタネは飲みこんでよろしいということになってきたらしい。
しかし、われわれのように人生の大半を、「タネ飲みこまず」という方針でやってきた人間はそうはいかない。タネ飲みこみにはかなりの抵抗がある。
ブドウを一粒、口に入れたとたん、もう舌の先はタネを追尾しはじめている。
いくら「いいんだ。大丈夫なんだ」と言いきかせてもダメである。
タネ飲みこみ大丈夫、西洋人、タネノミコム、ダイジョブ、日本人、タネノミコマナイ、ソレ、オカシイ、と、いくら説得しても、舌の先は承知してくれない。
タネ吐き出し方式は、舌の先に実に複雑な働きを要求する。
口の中に入ったブドウは、まず舌の上にのせられ、それからホオズキをふくらますように前歯のところに押しつけられて身柄を確保される。
そうしておいて、舌の先が、タネ追求を開始する。
舌の先でタネを追尾し、さぐりあて、舌の先にのせ、そのまま突きあげて上アゴのところにその身柄を拘束する。
そうしてタネを確保しておいて、その間に、実と汁を後方に逃がし、味わい、飲みこむ。しかるのちにタネを解放して口外に追放する、という、器用な日本人ならではの、口中アクロバットが、口の中で展開されるのである。
西洋人がタネを吐き出さないのは、実は、この口中アクロバットができないからなのだ。
西洋人、トテモ、ムリ、ダメネ、なのだ。
そうはいっても、本当のことをいえばブドウはタネを出さないほうがおいしい。舌の先でタネを追求しているうちに、余計な酸味や渋味が出てきてしまう。
こうなると、せっかくの甘味が台なしになる。そこで時には、
「ようし、今回は、タネ飲みこみ方式で食べるぞ」
と決意することもある。
一粒、二粒、と、タネのまま飲みこんでいくうちに、少しずつ不安のようなものが胸をよぎり始める。
小さくて堅いタネが、一粒、二粒、と胃の中にたまっていく有り様が目に浮かんでくる。
こうなると、タネの不安でブドウを味わうどころではない。
モウチョウ≠ネんて言葉も頭に浮かび始めるころ、それまでジッと我慢していた舌の先が、
「そうれごらんなさい」
とウオーミングアップを始める。
三粒、四粒は不安のうちに過ぎ、五粒、六粒あたりで舌の先の肩もあたたまり=A監督も、
「本人がその気じゃしょうがない」
という気持ちになり、七粒、八粒で方式はすっかり旧に復し、舌の先はもはやフル回転、当人の心もこれでやっと落ちつき、日本人、タネ、ハキダス、モンク、アッカ、の心境になる。
だから、デラウエアなどのタネなしを食べるときは、どうにも落ちつかない。
(この一房の、どの一粒にも、絶対にタネはないんだ)
とわかっていながら、舌の先は無意識にタネを探している。
こういうとき、ぼくは舌の先が不憫でならない。死んでしまった母犬を、そのことを知らずに探しまわる子犬のようではないか。
だから自分でブドウを買うときは、タネなしは避けることにしている。
やはり果物には、タネがあったほうがいい。
果物にはそれぞれの方針があって、一つの実に一個というのもあれば、たくさん、というのもある。
例えば桃、梅などは実一個につきタネ一個である。
柿、梨、リンゴなどは一個につき数個だし、メロンなどは無数に入っている。
これはそれぞれの方針であるから、どれがいいとか、わるいとか、はたでとやかくいうべき筋合いのものではない。
実一個につきタネ一個が謙虚であるとか、メロンはがめつい、とか、そういうことはいえないと思う。
しかし、実一個につきタネ何個か、という考え方でいくと、ブドウはどういうことになるのだろうか。
一房で考えればタネはたくさんあるが、一粒で考えればタネは二、三個だ。
謙虚のようでもあるし、がめついようでもある。
一房で一挙に大儲けをたくらんでいるようでもあるし、薄利多売の方針のようでもある。
一体どっちなのか、考えだすと苦労のタネになる。
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そば屋で一杯
もうだいぶ前から「そば屋で一杯」というのをやってみたいと思っていた。
そば屋で一杯は粋《いき》なんだそうだ。
どういうふうに粋かというと、
「なにィ? こちとら江戸っ子でィ。そんなこたァ、あたりめェの、こんこんちきの、べらぼうめの、おとといきやがれ」
といったような範疇《はんちゆう》の、男伊達《おとこだて》の世界なんだそうだ。
ぼくは江戸っ子ではないので、
「そば屋の片隅で、そばァかっこむ前《めえ》に、焼きのりで一杯《いつぺえ》なんざァ、かえって貧乏くさくねえべか」
と、後半急に東北なまり的思考になって、疑問をさしはさみたくなる点もないではないのだが、まあ、かっこいいな、と思う点もないではない。
しかし、「そば屋で一杯」を、いざ決行となると、これでなかなか勇気がいる。
この男伊達の世界には、いろいろなしきたりがあるらしい。
まず、「一人で」なければならない。
何人か連れだって出かけて行って、ガヤガヤ賑やかに飲んだのでは、ふつうの飲み屋の酒と変わらなくなってしまう。
「片隅で」というのもある。
店の中央に堂々と陣取るのは粋ではない。ちょっといじけて飲むところが粋なのである。
「陽《ひ》のあるうちに」というのもある。
陽のあるうちに、多少うしろめたく、しかしいくぶん誇らしく、やや居直って飲むところにそば屋の酒の味がある。
居直るといっても、その加減がむずかしい。
完全に居直って周りの人にからんだりするのは好ましいことではない。
それでなくても、昼日中から酒を飲んでる人は、世間から快く思われない場合が多いので、その言動には十分注意したい。
陽のあるうちに、とはいっても、ランチタイムというのはいけない。
サラリーマン、OLが群れつどう中で、一人徳利を傾けているのは、粋どころか、なにか物悲しい光景になってしまう。
結局午後三時から五時まで、というのが粋タイムということになるのだろう。
飲む酒は、むろん日本酒でなければならない。
ウイスキーの水割りでは台無しだし、むろんバイオレット・フィズなんてのもできることなら避けたい。
と、このように、そば屋の酒のルールを十分わきまえて、さて、どこに行こうか。
近所のそば屋というのはなんとなくためらわれる。
せっかくルールを守って「一人で」飲んでいるときに、知っている人が入って来たりすれば二人酒になってしまう。
そういうわけでわざわざ神田まで出かけて行った。
神田須田町の「まつや」。
創業明治十七年という老舗中の老舗である。
時刻は四時半。
そうしたら、いました、いました、「そば屋で一杯」を決行中の人が、およそ二十名。
同好の士はそれほど多くないと踏んでいたのだが、この時刻にこの人数。
こうなると、「いじけて」とか「うしろめたく」とか「居直って」という気分はなくなる。
さいわい、片隅の席があいていたので「片隅で」だけは確保することができた。
メニューを見る。
こういう本格派のそば屋の、酒のさかなのメニューは、大体どこも同じだそうだ。
まず板ワサ。それから鳥ワサ。
玉子焼き、にしん棒煮、茶わん蒸し、天ぷら、焼き鳥、焼きのり、トロロ……。
いずれもそば屋で扱う材料を流用したものである。
(根性入れて、酒のさかなを作ったりしねぇんだ)
という、そば屋の心意気というか、酒の客に対する冷たい仕打ちというか、そういうものが感じられるメニューである。
その冷たい仕打ち≠ェ、酒の客にはかえって心地よい。
その仕打ちに耐えて飲むところに、そば屋の酒の風情がある。
酒と板ワサと鳥ワサと玉子焼きとにしん棒煮と焼きのりを注文する。
お酒と、つきだしの「そばみそ」がすぐくる。
ほんの小サジに一杯、小皿のヘリに塗りつけてある。
これを箸の先につけてひとなめし、徳利から盃にトクトクと酒を注いでグイとひと干し。
最初の一杯はノドにしみ、鼻に抜け、胃袋にしみこむ。
板ワサがくる。
カマボコなんてものは、ふだんは酒のさかなとしては軽んじられているが、そば屋でこうして正式に出てくると、堂々としてそれなりの風格があるから不思議だ。しかも酒によく合う。
酒は菊正の特級である。
鳥ワサ、玉子焼きがくる。
ほとんど生の鶏肉と、ミツバとネギとのりと醤油の組み合わせが実にいい。
玉子焼きは、料理屋の、ダシの効いたゆるめのダシ巻き風ではなく、甘味もダシも抑えぎみの、さっぱりした、しかし卵の味のある固めの玉子焼きである。
お酒二本目でにしん棒煮到着。
にしんそばのにしんを流用したものだ。
濃いめの甘辛で、そば屋のメニューの中では一番アクセントの強いさかなといえる。
五時を過ぎると店は満員になった。
中年以上の男ばかりである。
ここで飲んでいる客には共通点がある。
篤実、恬澹《てんたん》、そして不器用。
一言でいうと、人生を地味に生きている人たちである。
篤実は顔つき服装にあらわれている。
そして、一日の終わりの酒を、スナックでも小料理屋でも居酒屋でもなく、そば屋で飲む、というところにもあらわれている。
恬澹は、そば屋のメニューそのものと、この値段にあらわれている。(五百円内外)
不器用は、連れだって来る人数にあらわれている。
三人連れというのはまずいない。多くて二人、一人で来る客が多い。
人づきあいがうまくいかないのだ。
一人で来て、書物を片手に徳利を傾けている人も多い。
みんな地味に、ひっそりと酒を飲んで、そそくさと帰って行く。
粋というのとはちょっと違うかもしれないが、いい雰囲気であることは確かだ。
江戸の粋に代わって、近郊の粋、とでもいうようなものが、「そば屋で一杯」に生まれつつあるようだ。
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議事堂の中の食堂
たいていの人は、国会議事堂の姿を、まず教科書で知る。
一番最初に、教科書を通して目にしたものは、のちのちまで権威的なものとして記憶に残るものである。
ましてそれが「国権の最高機関であり、かつ唯一の立法機関である国会が開かれる国会議事堂」ということになると、なんだかよくわかんないけっども、オラ、はぁ、もう、おそれ多くて頭が下がってしまうだ、というくらい威厳と権威に満ち満ちたものになってくる。
あの形といい、たたずまいといい、堂々とした威容といい、一目見ただけで「ただごとでない」感じを人に与える。
だから、あの議事堂の中でゴハンを炊いているなんてことは、想像するのさえ不謹慎なことのような気がする。
まして、あの中でアジの開きを焼いているなんてことは、とんでもないことのように思われる。
ところが現実には、あの威容の中で、ゴハンが炊かれ、アジの開きが焼かれ、タクアンなんかも刻《きざ》まれているのである。「国会議事堂の中で、ゴハンなんか炊かないでくれ」という人もいるだろうし、「いやいや、それでこそ政治の中枢」と感心する人もいるにちがいない。
国会議事堂には、合計七つの食堂がある。
議員専用の食堂が二つ、一般用(職員、見学者など)が一つ、カフェテリア風簡易食堂が一つ、そしておそば屋さんが三軒も店を出している。
国会議員の方々は、むろん議員専用食堂を利用する。
政治家の方々は、常日頃どんなものを召しあがっておられるのだろうか。
体力、気力、精神力、神経、いずれも並の人とはちがったものをお持ちの方々であるから、常人の想像の及ばないものを召しあがっておられるにちがいない。
まさか狸汁なんてものが、メニューの中にあることはないだろうが、いやいや、ひょっとして、なんてことも考えられないことではない。
それほどではないにしても血のしたたるステーキ広辞苑大カット十八万円≠ニか、懐石フルコース全二百六十一品四十五万円≠ニか、その程度のものはあるかもしれない。
議員食堂は、原則として国会議員の専用の食堂であるが、議員にゆかりのある人も利用できる。すなわち議員に用事があって面会に来た人、政治部記者、議員秘書、そしてぼくのような議員にムリヤリ用事をつくって、実は用事はどうでもよくて、ゴハンのほうに用事がある、というような人々である。
議員食堂で、一般人がゴハンを食べようとすると、故三平師匠風にいうと「もう、ターイヘン」である。「紹介」やら「認可」やら「ハンコ」やら「名刺」やらが、バケツに一杯ほども飛び交わねばならない。
そうした難関を乗り越えて、ついにやってきました。
議員食堂の入り口に、ようやくたどりつきました。
そうしましたらですね、愕然というか、がっくりというか、はたまた納得というべきか、メニューが実にどうもありきたりのものばかりなのです。
カレー、かつ丼、スパゲティ、すし、幕の内、などというものばかり。
ステーキがどこにも見当たらない。せめて三省堂コンサイス大カットでもいいからと探したがどこにもない。
懐石フルコースもない。
値段のほうも実に庶民的で、カレー480円、スパゲティ490円、上ずし900円、かつ丼550円、おでん定食650円、カツカレー750円、幕の内弁当には力を入れているらしく千円から二千円まで数種類ある。
この食堂の最低価格はカレーの480円で、最高価格が特上幕の内弁当の二千円、最多価格帯600円といったところだろうか。
議員の方々は、地元有権者御一行様をこの食堂で接待する。
そうした場合、弁当関係が手っとり早いし値段的にも高価格であるから地元の人々にも納得してもらえる。
そこで食堂としても幕の内に力を入れる、と、こういうことであるらしい。
実際に、地元関係者一行風を、議員秘書風が丁重うんざり風に幕の内で接待している風景も見られた。
ビールは一応あるのだが、ビールを飲んでいる人は見回したかぎり一人もいない。神聖な議事堂内での赤ら顔は不謹慎、といった不文律があるようだ。
と、いうわけでですね、国会議員の方々は、庶民的なものを実に庶民的な値段で食べておられたのです。
特にスパゲティの、490円の90円なんてあたりは泣かせるではありませんか。
ふだん、億という単位の金しか相手にしない先生方が、急に500円から十円引くなんて。
「そこに欺瞞を感じる」なんていうことをいう人もいるかもしれませんが、ま、いいじゃないですか。
議員の方々にとっては、490円でも四千九百円でも同じことなのかもしれない。「なんか、そんなような値段だった」というような記憶しかないかもしれない。
特筆すべきようなことは一つもなかったが、一つだけあげると、天井が高かったことである。値段は安かったが天井が高かった。ふつうの建物の二倍近くある。
広さはおよそ百席。
大きなシャンデリアがいくつも下がり、テーブルには白いテーブルクロス、椅子は、予算委員会などでテレビに映るあの椅子と同じやつで、モコモコの模様のモコモコ椅子。
一流ホテルの中の一流レストランといった優雅な雰囲気である。
内装は一流だが、できますものが、おでん定食650円というところが、ニクイ演出といえばいえる。
テレビが三台ほどあって、大勢の人が食事をしているのだがあたりはシンとしている。
議員バッジをつけた議員が、秘書もつれずに一人モクモクと食事をしていた。
印象に残ったのは、ウエートレスのおばちゃんたちである。
気さくで陽気で、どこか陰々とした食堂内の空気を少し和らげていた。
ぼくはここで750円のカツカレーを食べた。特においしいというわけではないが決してまずくはない、という味だった。
あ、それから、おすしのカウンターがありました。ねじりハチマキの職人三人が、注文に応じて威勢よく握っているのだが、あの国会議事堂の中で≠ニ考えると、なんとも妙な雰囲気であった。
一般大衆が心おきなく行ける一般用の食堂のほうは、様子がガラリと一変する。テーブルはデコラ、椅子は濃いオレンジのビニール張り、テーブル上にはハシ立て、醤油ソースのビンに楊子入れ、というふうに、急に一般大衆的雰囲気になる。ラーメンもあれば焼き魚定食もある。
みそ汁70円、納豆70円、おしんこは65円である。65円の5円というところが、またしても泣かせる。
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大絶讃イモのツル
今回は緊急速報です。
とうとうやってしまったのです。
さつま芋のツルを、とうとう食べてしまったのです。
「いつか、きっと食ってやろう」
ずうっと、そう思い続けていたのに、いざ実行となると、やはりかなりの抵抗があった。
「なにもそこまで身を貶《おと》しめなくても」
という声が周辺にあったのも事実だ。
周辺の無理解、無言の抵抗、家名への配慮など、犯行を思いとどまらせる……じゃなかった、決行を思いとどまらせる様々な動きが、ぼくの決意を鈍らせていた。
今回それらを振りきって、熟慮断行、決意と実行、やるっきゃない、の社会党的精神で食ってみたのです。
そうしたら……。
ま、その話はあとにして。
実際の話、さつま芋の収穫が終わったあと、畑の片すみにうず高くうち捨てられているイモのツル、あれを食べるにはかなりの勇気がいる。
実際には、うち捨てられたツルを拾って食べるのではなく、まだ地面とつながって生き生きしているやつを食べるわけだが、それでもこれらは、いずれ畑のゴミとなるものである。
まして当節は飽食の時代である。
そういう時代に、畑のゴミを食った、とあっては末代の恥という考え方も一応納得できる。
しかしです。
思い返せば四十年前、われわれの世代はこの畑のゴミを常食していたのです。
毎年、終戦記念日の八月十五日が近くなると、
「あのころは、あれも食った、これも食った、あんなものにも手を出した」
という話が新聞やテレビを賑わす。
スイトン、フスマ団子とともに、イモのツルも必ず出てくる。
言ってみれば、終戦記念日の食べものの三大スター≠フ一つといってもいい。
当時の、代用食といわれていたものはことごとくまずかった、という記憶があるが、このイモのツルだけはまずかったという記憶がない。
むしろ、(ちょっと甘くておいしかった)という記憶さえある。
懐かしい気持ちもある。
「再会してみたい」
そういう思いが、ぼくにはずっとあった。
そうして四十数年たった秋の暮れ……。
決断はしたものの、イモのツルの入手は一見容易にみえてこれでなかなかむずかしいところがあった。
ウチの近所にはイモ畑もたくさんあるのだが、いざ入手となると手続きがむずかしい。
畑にいるお百姓さんに、分けてくれ、というのは容易だが、そのわけを聞かれると困る。
「食べてみる」とは、家名の問題もあってなかなか口にはできない。
夜陰に乗じて盗む、という方法もないではない。
しかしこれはもし発見された場合、翌日の新聞に、
「中年男、イモのツルを盗む」
と出て、家名の問題はよりいっそう困難な状況にたたされる。
すぐ目の前に、イモのツルはいくらでもあるのに、手に入れることができない、というのが今日《こんにち》のイモのツルの市場的状況なのだ。
そこで、ツテからツテへ、口から口へと、イモヅル式にツテを求めて家庭菜園をしている人から宅配便で送ってもらうという大仕掛けとなって、ようやく十本ほどのイモの大ヅルを手に入れることができたのだった。
十本のツルを目の前にして、万感胸に迫るものがあった。
昔の恋人に再会したような、懐かしいような、恥ずかしいような、照れくさいような気がして、思わずうつむいてしまうのだった。
これからこれを、油でいためて食べようというのだ。
たしか、油でいためて食べた記憶がある。
太くて長いツル本体から、一本一本のクキをはずす。
根元のところから、ポキッ、ポキッととれる。
葉っぱとクキと、たしか両方食べられるはずだ。
ついさっきまで、畑のクズ然としていたものが、少しずつ野菜らしくなっていく。
この作業をしながら、実に複雑な心境だった。
なんだか面映《おもは》ゆいような、やましいことをしているような心境だった。
人に見られたらどうしようと思った。
フライパンを熱して油を入れる。
葉とクキを切りはなし、クキのほうは二つに切ってまずクキのほうからいためる。
一分たって葉を入れ、また一分いためてミリンを入れ、次に醤油をたらす。
そうしてまた一分。
合計三分で火からおろして皿に盛る。
四十年ぶりで再会した恋人は、皿の上でこぢんまりと、つつましく湯気をあげている。
いとしい。
まず葉っぱのほうを食べてみる。
なんとこれが、ヌルヌルしている。
ヌルヌルしていたという記憶はないのだがヌルヌルしている。
つるむらさきとか、つる菜とかいう野菜がありますね、あのヌル感にそっくり。
ヌル感はつる菜だが、つる菜みたいなクセがまったくない。アクもない。
アシタバとホウレン草とつる菜をかけあわせてアクを取り去った、というような味で、これは正直いって予想をはるかに超えておいしい。
アクはないが、野菜にない野生の底力を感じさせるたくましい味がする。
昨今、たよりない野菜ばかり食べている舌には、たしかな驚きを与える葉っぱといえる。まぎれもない珍味。
油でいためる、というところがコツで、あとで煮つけて食べてみたが、こちらはどういうわけかクセが強くなっておいしくない。
クキのほうはフキに似た歯ざわりで、苦みは全然ない。クキのほうにはヌルミが全然なく、味もあまりないので、葉といっしょに食べるとよいようだ。
いまぼくは、すっかりイモのツルファンになってしまった。
中年以上のみなさん、中年の思い出に、ぜひ一度イモのツルを味わってみてください。
かつては、ひもじさのあまり「イモのツルにまで手を出した」われわれが、いま、飽食の果てに「イモのツルにまで手を出した」ことになってしまうのだが。
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スキヤキ大疑惑
スキヤキをするたびに、
(どうも腑におちぬ、釈然としない)
と思っていることがありませんか。
疑問といってもいいし、疑惑といってもいい。
少し強くいうなら大疑惑といってもいい。
スキヤキには、リクルート疑惑に匹敵するくらいの疑惑がある。
怪しの影がつきまとっている。
このことは、多くの識者によって見て見ぬふりをされ、不問に付されてきたのであるが、このまま放置しておいてよいという問題ではない。
いまこそこの疑惑は解明されねばならない。
「リクルートがダメならせめてスキヤキ疑惑のほうの解明を」
というのが庶民の偽らざる声だ。
スキヤキの疑惑は肉の疑惑である。
みなさんは、スキヤキをどういう手順でとり行っているのでしょうか。
エート、まず、スキヤキ鍋を火にかけますね。
そして鍋を熱する。
鍋から少し煙があがったところで、四角くて白い牛脂を鍋肌にこすりつける。
ジュウ、なんていって、いい匂いが立ちのぼる。
問題はここから先です。
ここからスキヤキの大疑惑が始まるのだ。
ぼくはこの稿を書くにあたって、六冊の本で確かめたのだが、「ここで肉を焼く」という本が六冊中五冊あった。「ネギを入れて、ネギの香りを脂に移してから」という、牛脂→ネギ→肉、という本もあったが、スキヤキという大きな流れの中では、その順序は大した問題ではない。
大局的に考えれば、牛脂→肉、という流れになるのである。
「肉は裏表を軽く焼き、そこへワリシタを注ぐ」
ここからあとは、なぜかどの本も、記述の情熱を急速に失う。
「あとはその他の材料を順々に入れ、煮えたものから溶き卵をつけて食べる」
というような書き方になる。
「肉投入」のところまでは、どの本も詳細を極める。
「鍋は十分に熱する」「鍋は鉄の厚いものが材料がくっつかない」「牛脂は鍋の側面にも丁寧に」「肉はよくひろげて一枚ずつ」「肉に赤味が残っているうちにワリシタを」……などなど、説明の大半がこの部分にあてられている。
そして「肉投入」のあとは、「あとは適当に」と、どの本もなぜか急に逃げをうつ。
この逃げの姿勢≠ェあやしい。
実は、ここのところに疑惑があるからなのだ。
疑惑の追及を恐れて入院してしまうのである。
つまり、このようにして、第一回目の肉およびネギおよび春菊および豆腐およびシイタケおよびシラタキなどを食べたとしよう。
最初に肉を軽く焼くのは「肉の旨味をのがさず肉の内部にとじこめるため」という大義名分あってのことだという。
問題は二回目からの肉である。
二回目からの肉は、すでにワリシタが入っているから、焼くことができない。
いきなり煮ることになる。
大義名分は、一体どういうことになるのだろうか。
肉の第一期生は、優れた環境の中で、すこやかにはぐくまれて卒業していった。
十分熱せられた鍋と、熱く溶けた脂の中で、まず焼かれ、焼かれすぎないように見守られ、ワリシタを浴び、肉の旨味は守られ、大事にされて卒業していった。
しかし二期生以降は一体どうなるのか。
二期生以降の責任をどうとってくれるのか。
この「最初に肉を焼く」という手順は、一見、単純な、小さな疑惑事件のように見えるにちがいない。
しかし諸君、だまされてはいけない。
もっと深くて恐ろしい大陰謀が、その裏に隠されているのだ。
スキヤキは「すき焼き」と称していながら、「焼く」のは唯一、このセレモニーにも似た最初の肉投入≠フときだけなのである。
このとき以外、焼く機会はどの材料にも一回もおとずれないのだ。
「すき焼き」と称していながら、その実体は「すき煮」であったのだ。
ここにおいて、疑惑の解明が核心に迫りつつあることが、賢明な読者にはすでにおわかりであろう。
すなわち、「すき焼き」の「焼き」をうたうために、あの行為はなされていたのである。
ただそれだけのために、あの儀式めいた行為がつけ加えられていたのである。
スキヤキには百年の歴史があり、その間にたくわえられた権益、美名、余得などがたくさんある。
それらを守るために、最初に肉をちょっとだけ焼いてみせ、人々を納得させ、あざむこうとしているのである。
「すき焼き」が実は「すき煮」であることを、世間から隠蔽せんがためのあざとい策謀であったのだ。
ウーム、われながらスルドイ推理だ。
「い、いや、で、ですからね。関西風のやり方ですと、ワリシタは入れないわけです。焼いた肉に砂糖、醤油、みりんをじかにふりかける。どうです、これならいいわけでしょう」
と、しどろもどろの弁明が関西方面から聞こえてきそうだが、そんなことではわれわれ「スキヤキ問題追及特別委員会」はだまされない。
一期生は確かにそれでいいかもしれない。
しかし二期生以降は関西風も関東風も同様である。
野菜やシラタキから水分が出て、もはや「脂で肉の表面を焼く」ことはできなくなる。
「一回ごとに全部さらう」という反論もあろう。
肉、野菜、豆腐、シラタキなど、一回分だけ入れて全部食べ、一度鍋をカラにする。
これをくり返すというわけだが、これだって一回ごとに鍋を台所に持っていって洗剤つけて洗うわけにもいくまい。
「一期生ダシ説」というのもある。
ワリシタに、肉の旨味を移すためだ、という説である。
しかしこれは、「表面を焼いて肉の旨味をのがさない」という説明と矛盾する。
ここにおいて、スキヤキの「最初に肉を焼く」という行為は、欺瞞であることが明白になった。
しかしわれわれは、これを衆院特別委員会に持ちだそうというわけではない。
今夜のスキヤキから、「最初の肉焼き」を、正々堂々と追放しよう、と言いたいだけなのである。
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お餅解禁
お餅といえば正月。
この時期以外にも、むろん食べるわけだが、何となく正々堂々と胸を張って食べることができない。
コソコソというほどではないが、世間をはばかるようなところがある。
別にいつどこで食べてもいいわけで、保健所がうるさいとか、警察がうるさいとか、そういうことはないのだが、何となくうしろめたい。
餅の中でも、特に雑煮にその傾向がつよい。夏の盛りに雑煮を食べても一向にかまわないのだが、そういう人はまずいない。
だから正月近くになると、ようやく餅解禁≠ニいう気持ちになる。
「食ってみっか」という気になる。
「食ってみっか」という気になったので、「買ってみっか」という気になってスーパーに出かけて行った。
スーパーへ行ってみると、餅にはシーズンがあることがよくわかる。
暮れには、餅焼き網が目立つところに並べてある。餅焼き網は、焼き網族の中では傍流で、ふだんは棚のうしろのほうに、コソコソとうしろめたく並んでいるのだが、さすがシーズン、堂々、前面中央に押し出されている。
丸いのと四角いのがある。
丸いのが100円で、四角いのが120円。
不思議なもので、丸いほうがいかにも餅焼き網という感じがする。
なぜだろう。
切り餅はすべて四角形だから、四角い網のほうが便利なはずだ。
そこでふと思い出したのが、火鉢と七輪。
そうなのです。
この二者に、その昔かかわった経験のある人だけが、丸いほうを懐かしく思ってしまうのです。
火鉢、七輪世代としては丸いほうを買わざるをえない。
お餅のほうは、六個パック入りで248円。
一個40円見当ということになる。
一個を生醤油で、二個目を砂糖醤油で、三個目は海苔で巻いた磯辺巻きで、四個目をキナコをまぶした安倍川で食べようという計画が即座にできあがった。
そこでキナコを買う。148円。
総計496円の出費となった。
ガスに火をつけ、遠火の弱火でゆっくり焼く。
魚は大名に焼かせ、餅は乞食に焼かせろ≠ニいう格言を思い出し、大急ぎで乞食の心境になってやたらに餅を引っくり返す。
網の上の餅は、やがてモッコリと片っぽうのお尻を持ちあげ、その一端からプシーと空気を吹き出した。
お餅のおならである。
これを手で取りあげると、熱いのなんの、とても持ってはいられない。
(そうそう。焼きたてのお餅って熱かったんだよなー)
と思い出しながら、少し冷めるのを待って両手で引っぱって伸ばす。
餅は十センチほど伸び、伸びてちぎれそうになったところを水飴をなだめるようになだめ、小皿に注いだ醤油をつける。
これを口に持っていってひとくち口に含むと、一瞬、生醤油の味がして、間髪を入れず餅と混ざり、ホグホグ、アフアフ、うんうん、このオ、まったりと弾力のあるお餅と生醤油のハーモニーは絶妙で、粘りに密度と力があり、お餅独特の甘みとほんの少しの苦みもあり、そうそう、これが餅の味であった。
この苦みは、唾液が少しずつ混ざっていくにつれて消えていく。
そしてこれは、これまで気づかなかったことなのだが、餅というものは意外に口の中のあちこちに貼りつく。
まず天井に貼りつき、歯ぐきに貼りつく。貼りつくと気になるもので、そこのところに舌を派遣して引きはがそうとするのだが、このとき天井や歯ぐきの肉が引っぱられる。
これが気持ちがいい。快感の一種といえる。
ときどき歯と歯が餅で接着されて口が重くなる。
この抵抗感も気持ちいい。
食べ物というものは、一般的にいって、いったん口に入れたあとは味わうほうに専念して、そのものの面倒はあまりみない。
あとは歯と舌にまかせて、当人は知らん顔をしているのがふつうだ。
ところが餅はそうはいかない。あちこちに付着問題が発生するから、舌はこの処理に大忙しとなる。
当人も安閑としているわけにはいかず、その処理に巻きこまれる。
したがって、お餅を食べている人の表情は豊かにならざるをえない。
ふつうの、ゴハンと味噌汁の食事のときは無表情の人でも、餅のときだけは表情豊かに食事をする。
入れ歯の人は特に豊かになる。
表情だけでなく、手足も加わったりする。(足は加わらないか)
しかし、この付着問題も、唾液の参入によって少しずつ解決されていく。
そうして、やがて安心の時代がやってくるのである。
お餅は噛んでも噛んでも、最初の状態から変化しない。
たとえばタクアンなどは、口に入れた時点と、十回噛んだ時点では明らかな変化がみられる。
お餅はなんにも変わらない。
お餅はウスとキネで十分|搗《つ》いてあって、口の中ではもはや何もしなくてもいい状態になっている。
それでも人はお餅を何回も噛む。
それはあの弾力が気持ちいいからだ。
確かに餅の弾力は快い。
風船ガムの弾力とも違い、カマボコ、ソーセージの弾力とも違う。
なにかこう、安心の弾力、といったような心地よさがある。
お餅は噛んでも噛んでも、咀嚼《そしやく》の進行ということはないから、そのことに心をくだかずにすむ。いつ呑みこんでもいいし、いつまでも噛んでいてもいい。
お餅をしみじみと噛みしめていると、しみじみと嬉しい。次第に安心の境地におちいっていく。
生醤油でしみじみ食べたあと、砂糖醤油で次の一枚を食べる。
砂糖醤油は実に懐かしい味だ。
子供のころは盛んに味わった味なのだが、大人になってからはすっかり久しい。
(そうそう、この味、この味)
と、懐かしい顔になる。
磯辺巻きは、口中の付着問題を海苔によってある程度解決してある。
その分つまらないともいえるが、醤油の焦げた味と海苔の香りがそれを十分補っている。
安倍川も実に懐かしい味であった。
キナコのホコリっぽさに少しむせ、むせることによって口の中のキナコが更に舞いあがって更にむせると更においしい。
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スルメの周辺
正月あけ早々スーパーへ行ったら、スルメの大安売りをしていた。
ぼくは知らなかったのだが、スルメは正月用品の一種であるようだ。
鯛、昆布、鮑《あわび》、数の子、鰹節などのおめでたグループの一員として、神前に供えられたり、祝儀の席に列席したりする偉い奴だったのである。
茶色く干からびていて、どう見てもそんな偉い奴には見えないのだが、出るところに出れば、それなりの扱いを受ける立派な奴らしい。
そのスルメが、五枚一組二千百九十五円のところを、たったの千円で売られていたのである。
これを買えば、ただちに千百九十五円儲かることになる。
思わず買ってしまったのだが、いまその処置に困っている。
スルメはかたい。
食べるのに時間もかかる。
五枚のスルメは、そう簡単に食べられる量ではない。
それにスルメは腹の足しにならない。
ゴハンのおかずにもならない。
おやつになるかというと、それにもならない。
では、どういうときに人はスルメを食べようとするのであろうか。
まず第一にヒマでなければならない。
ヒマですることがなく、本を読むのも面倒、テレビも飽きた、散歩もおっくう、腹もすいてない。昼寝もついさっき済ませた、というようなとき、じゃあスルメでもかじってみるか、ということになってようやく登場する役柄なのである。
食べ物というよりレジャー用品、ヒマつぶし用具といえるかもしれない。
なにしろスルメ一枚に取り組んだら、小一時間はつきあわされる羽目になる。
だから、入社試験の体力テストかなんかで、
「いまから一分以内にスルメ(大)一枚を食べ終えよ」
などという問題が出されたら大変なことになる。
野球では、肩をこわす、ということがよくあるが、間違いなくアゴをこわす≠アとになる。
野球で肩をこわした人は、ジョーブ博士という人がいるから大丈夫だが、スルメでアゴをこわした人はどうすればいいのか。
スルメの咀嚼《そしやく》には一体どのぐらい時間がかかるのか、ぼくは自分の体を使って人体実験を試みてみた。
使用したのは、幅三センチ、長さ八センチ、総面積二十四平方センチのスルメの一片で、これを遠火の強火で十五秒あぶったものである。
口中投入後20秒経過 味なし。
30秒経過 多少の湿潤。
50秒経過 ややスルメの味。
55秒経過 ウム、スルメの味だ。
60秒経過 細片化始まる。
65秒経過 スルメ本来の味。
90秒経過 佳境に入る。
120秒経過 そろそろ飲みこむかな。
140秒経過 もうひとふんばり。
150秒経過 飲みこむ。
スルメは、いわゆる「噛めば噛むほど味が出る」方面の大家であるから、飲みこみどきがむずかしい。
噛んでも噛んでも未練が残る。
しかし、たったこれだけの小片をこなしただけで、かなりのアゴの疲労を覚えたから、総面積二百五十平方センチ(足を含まず)ほどの丸ごとのスルメを全部食べ終えるには、かなりの時間と体力を要するにちがいない。
さらに十本の足も、ということになったら、これはもう一日がかりの大仕事になる。
この実験で、「アタリメにおけるマヨネーズの有効性」を再認識することができた。
すなわち、スルメは噛み始めてから30秒間は味がしない。
30秒はかなり長い。
この無聊《ぶりよう》のひとときを、スルメの前座として慰めるのがマヨネーズなのだ。
そしてマヨネーズは、スルメ本来の味がしてくる50秒あたりできれいに身を引く。役どころをわきまえた潔い引き際といわねばなるまい。
アタリメがバーなどに出現したのは三十年ほど前ではないだろうか。
いまのおとうさんたちは、スルメにマヨネーズをかけたものを、三十年前から食べていたのである。
一方、おとうさんというものは、マヨネーズに偏見を持っている。
おにぎりにマヨネーズなどとんでもないと思っている。うどんにマヨネーズは、狂気の沙汰だと思っている。「マヨネーズは野菜サラダのみ」と思いこんでいる。
そのおとうさんたちが、すでに三十年前に、スルメにだけはマヨネーズを使用することを許していたのである。
いってみれば、アタリメはおとうさん特別認可第一号≠セったわけだ。
いま、一枚のスルメをかたわらに置いてこの原稿を書いている。
スルメから、実にいい匂いがただよってくる。
その昔、村祭りなどでは、夜店に必ずスルメが並んでいたような記憶がある。
遠足にも持っていったような気がする。
鼻に押しあてて匂いをかぐと、一層いい匂いがする。懐かしい匂いだ。
イカとイカの内臓を、海と太陽と潮風がなでていったような匂い。
くんせいのような、生ぐさいような、発酵したような、それでいて乾ききった日なたの匂い。それらが入り混じり、そこに小さいころの思い出が入り混じる。
スルメの匂いは、工業国日本の匂いではなく、農業と生糸の時代の日本の匂いである。
しみじみとスルメを眺めてみる。
スルメは実にいい形をしている。三角形の土台の上に、菱形のミミ。
このままではバランスがわるいが、まるでそれを察したかのように下にたらした長い十本の足。
そのうちの二本はさらに長く、全体の均衡をこのうえないものにしている。
流麗、しかも端正、そして多少の滑稽。
問題は厚みである。
正面から見たスルメは、きわめて優れた形をしているのだが、側面から見た形はデザインとして論ずるに値しない。
多少の滑稽感は、すべて厚み(ペタンコ)に由来している。
この厚みは、本人の意志でそうなったわけではないだけに、そこのところを衝《つ》かれるのが一番残念にちがいない。
十本の足はデザイン的には有効だが、はたしてイカは本当に十本もの足が必要なのだろうか。
本人としても、実は多すぎて困っている、ということも考えられる。
スルメの足はあまりおいしくないので、食べる側としても「多すぎる」といわざるをえない。
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危険な話
コタツに入ると何か食べたくなる。
あれは不思議ですね。
食べたくなる理由がない。
たとえば列車に乗ったときも、何か食べたくなる。
これにはちゃんと理由がある。
列車に乗るということは行楽であり、行楽と飲食はいつでもどこでも密接につながっている。
コタツに入るのは行楽ではない。
寒さをしのぐためだ。
なのに、入ったとたん、必然的に食べ物を探している。
すると、あるのですね、食べ物が。
ミカンです。
どういうわけか必ずミカンです。
ミカンが器に、山の形に盛ってある。
その隣には魔法ビン。
いまはジャーっていうのかな。
コタツ、ミカン、魔法ビン、この三点セットは、日本の冬の茶の間の象徴である。三者は分かちがたく、揺るぎなく、固く結びついている。
ここから一点でも取り去ると、日本の冬の茶の間はガタガタと崩壊する。
武者小路先生の絵の、カボチャと字とハンコの三点セットに、勝るとも劣らない固いきずなで結ばれているのである。
そういうわけで、コタツに入った人は、とりあえずミカンに手を出す。
コタツに入るとまず両手を突っこみ、肩のあたりまでフトンに埋まる。
そうすると必然的にミカンに目がいく。
目がいってから一拍おいて、やおら、という感じでミカンを一個取りあげる。
話はちょっと変わるけれど、コタツに入って両手を突っこんだとき、火種が天井にあるというのが気になりませんか。
ぼくらの世代は、「火種は下」という仕組みのコタツで育った。
だから今でも「火種は下」の感覚が残っている。
コタツに入ったら、とりあえず両手をあぶる、という感覚も残っている。
その感覚で両手を突っこむと、なぜか手の甲のほうがあたたかい。これが困る。
混乱も生じる。
混乱の中で、(そうなんだ。コタツの火種は天井、という時代になったんだ。だから手をあぶると、手の甲があたたかいんだ。これでいいんだ)と、気持ちを整理し、自分を納得させる。これに毎回時間がかかる。
大体ですね、コタツの火種を天井に持っていったのは大変な間違いだったとは思いませんか。
コタツの内部は暖かければそれでいいというものではない。
火種がきちんと下にあり、そこに手をかざしてあぶると、手の甲ではなく、手の平の内側のほうがまずあたたかくなるという、歴史と伝統にのっとった人体があたたまっていく正しい順序≠ニいうものがあるはずなのだ。
火種だって、考えてみればかわいそうだ。かつてはコタツという家屋≠フ家主として、その中央にデンと腰を据えていたのに、いまや天井裏住まいの身の上になってしまったのである。
しかもいまや、コタツそのものの存続さえ危うくなっている。
それは家具調コタツの出現である。
コタツはいまや、座卓に吸収合併され、絶滅の危機に瀕しているのだ。
コタツの先祖はどんなにか嘆いているにちがいない。
そうそう、コタツに入ると何か食べたくなるという話であった。
コタツにミカン、の話であった。
そういうわけで、コタツに入って、一拍おいてミカンを一個取りあげる。皮をむく。フクロを一つ取りはずす。
ここでですね、男のくせにですね、実に丁寧に白いスジを取る奴がいるんですね。
丹念にスジを一つ残らず取り、(オヤ、こんなところにももうひとスジ)なんてもうひとスジ発見して取り、親指と人さし指ではさんで小指はピンと立て、口をすぼめて、チュ、とシルを吸い、フクロを口からひしぎ出し、皮のところにきちんと収めている男を見ると実にもうイライラしますね。
「ミカンなんかフクロごと食え」と言いたい。
ぼくなんか、皮をむいたら一個丸ごとそのままポイと口に入れる。
口の中で一個丸ごとが、いっぺんにつぶれていっぺんに大量のジュースになる。実にうまい。
いまのミカンは、どれも同じように甘いが、昔のミカンは油断がならなかった。
一個一個、当たりはずれが激しかった。
はずれのミカンは、硬く、酸っぱく、しみじみはずれ≠フ敗北感を味わわされたものだった。
だから、どれを選ぶかは慎重を極めた。
まず形を眺める。
丸く厚みのあるものより、平たく角ばったもののほうが甘いはずだ。
それを手に取って軽く押してみる。
硬くひきしまったものより、いくぶんブワブワしたもののほうが甘いはずだ。
むろんこうしたノウハウは、各人によって異なっていた。
このように慎重に選んでも、それでもハズレはしばしばあった。
ハズレはくやしく情けなく、酸っぱいのを残念のうちに食べる。食べつつ次の一個に期待をかける。
一個めがおいしければおいしいなりに、もう一個ということになり、酸っぱくてまずいなりに口直しにもう一個ということになり、二個が三個になり、今度のがおいしかったらこれでやめようと思って食べるとそれが酸っぱくてもう一個になり、ミカンに一度手をつけた人はどうしても最低三個は食べることになる。
ミカン一個のカロリーは、約30キロカロリーだから、太りたくない人にとっては、「コタツでミカン」はかなり危険である。
「コタツでセンベイ」も同様である。
いや、ミカンより危険かもしれない。
また、コタツに入ると不思議にセンベイを食べたくなるものなのだ。ケーキを食べたくなるということはまずない。
コタツに入って、醤油の味のよくしみた手焼き固焼き海苔巻きのセンベイをバリバリ食べていると、ああ冬だなあ、という実感がわく。
そうして、どうしても渋茶が欲しくなる。渋茶をすすると、今度は何か甘いものが欲しくなる。
「カーサン、何かないかね」とトーサンが言うと、「甘辛の串だんごがあるわ」ということになり、これを食べるとまた渋茶が欲しくなり、渋茶をすすると急に小腹《こばら》がすき、「そうそう、デパートで買ってきた山菜おこわがあるわ」ということになり、これを食べると今度は「シバ漬け食べたい」ということになって、コタツにおける飲食はまことにきりがない。
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カニだらけの夜
「寒くなってきたので、そろそろカニを」
なんて思ってカニを食べに行ったのだが、正直言って、ついひと昔前までは、こういう発想はまったくなかった。
血気さかんな三十代までは、カニなんてものは食いもののうちに入らなかった。三十代までは、食い盛り、トンカツ盛りだった。濃厚もの、フライものがおいしかった。
しかし人生の折り返し点を折り返したいまは、この傾向は大きく変わった。
「カニも食いもののうちだ」
ということがようやくわかってきた。
しかし、大好き、というほどには至っていない。
もう少しトシをとってくると、「世の中でカニほどうまいものはありまふェん」などと、入れ歯をがたつかせながら言い始めるにちがいない。
いまのところは、
「カニ好きというほどではないが、嫌いでもない。それでは困る、どっちかにしてくれ、と言われれば、しばし考えたのち、好き、のほうに手をあげかけて、いや待てよ、と、考えこむ」
というような、微妙なところに位置している。
そういうわけで、
「こんな寒い日は、カニなんかどうカニ」
ということになって、カニを食べに行った。
カニの専門店である。
どの程度の専門店かというと、「メニューはカニしかないんだかんニ」という気合の入った専門店である。
「かに道楽」という全国チェーンの新宿店に出かけて行った。
カニだけで何種類の料理ができるのか、とメニューを見ると、
カニ酢、カニ刺し、焼きガニ、カニみそ、カニ豆腐、カニ茶碗蒸し、カニサラダ、カニ天ぷら、カニ唐揚げ(これがうまい)、カニ甲羅焼き、カニバター焼き、カニすき、カニちり、カニしゃぶ、カニ雑炊、カニにぎり寿司、カニ活け握り、カニバッテラ、カニちらし……
というぐあいに、徹頭徹尾、カニに入れあげたカニづくしとなっている。
この店のカニへのこだわりぶりは徹底していて、箸置き、灰皿、ナベ、切り抜きの笹、すべてカニの形をしている。
店は意外にも混んでいた。
カニ好きは、意外に多いらしいのだ。
やはり男性はやや少なく、女性客が六割五分といったところだろうか。
会社の「課の宴会」風が多く、おばさんとアベックも多い。
アベックの男のほうに共通点がある。いかにもカニ男≠ニいう感じなのだ。
カニ男とはどういう男かというと、カニを食べるときに使うホジホジ器がありますね。あれがよく似合う男。
あれでもって、背中をこう丸めて、横すわりになって細いカニの足を、セコく、しつこくホジホジするのが似合う男。
からだ細く、顔色青く、覇気なく、女に引きずられて、というか、女の言うなりになってやってきましたカニ店へ、という感じの男。
とりあえず、カニ酢とカニ刺しとカニ豆腐とカニ茶碗蒸しとカニ天ぷらとカニ唐揚げを注文する。
カニ酢は、まあ誰でも一応食べたことがあると思うが、カニ刺しがうまい。
甘エビをいっそうトロリとさせ、少し水っぽくさせ、ヌルリとさせた舌ざわりでほのかな甘みがあり、淡泊、精妙、甘露、最後は水のように溶けて口の中をすべり降りていく。
そしてかすかに北の海の味がある。
海の水と、そこに棲む生物のはざまの味、すなわち、海と生物の双方の水際の味≠ニでもいうような不思議な味だ。濃厚の美味の対極にある味、といってもいい。
カニ天ぷらは、エビ天とほとんど変わらないが、カニ唐揚げがうまかった。
エビに似て、鶏に似て、カエルに似て、白身魚に似て、しかし確かにカニで、そして甘い。
カニの肉は不思議な材料で、料理の仕方によって味がガラリと変わる。別の味になる。
このあと食べたカニすきは、塩味のスープで煮るのだが、ここでもまたゆでガニとはすっかり違った味になった。
カニの握り寿司もおいしい。
カニとゴハンは合わないような気がするが、意外に合う。
トロっとしていて脂っこくなく、ややシャキシャキ感があり、味がないようであるところがゴハンに合わないようで合う。
それにしてもカニというものは、労働に対する報酬が実に少ない食べものだ。
カニの食事は、食事全体が、ホジる、という作業一色になる。
ホジるほうが主体で、食べるほうはついでの感じになる。
周りを見回してみると、どの客もホジっている。うつむいてホジっている。
食事をしにきた、というよりも、ホジりにきた、という感じがある。
この、ホジる、という行為は精神的にはあまりよくないようだ。
次第に落ちこんでいく傾向がある。
意気軒昂で店に入ってきた人も、だんだん元気がなくなる。
カニの足を取りあげて、まず根元の太くて大きい肉を掘り出して食べる。
このときはまだ元気だ。
しかし、次第に先細りになっていく先のほうまで攻めていくうちに、だんだん元気がなくなってくる。
耳かきの先が割れているようなカニホジ器で、セコく、つましくホジっているうちに、気が滅入ってくる。
箸の先ほどの太さのところにも、肉はあるらしく、そこのところまで切れ目が入れてある。
「なんせ値段高いかんな」
という思いもあってそこのところを指で強引に押し拡げてホジ器を突入させるのだが、カニのカラは硬く弾力があり、せっかく押し拡げたところが閉じてしまう。ここのところで大抵の人は、
「もういいッ」
と怒ってあきらめる。
あきらめて皿に戻したカニの足を見ているうちに、
「しかし値段高いかんな」
と再び思い、再び取りあげるのだが、結果は再び同じことになり、再び怒ることになる。
ホジるのは面倒だからといって、仲居さんにホジってもらい、皿の上に山積みにしたのを食べると、これがおいしくない。カニを食べている気がしない。
一番理想的なのは、カニに頼んで、足のほうではなく、本体《カラダ》のほうに肉をつけてもらうことなのだが、これはムリな注文だろうか。
母屋がカラッポというのは、この住宅難の時代に、もったいない話だ。
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ビン詰めかわいや
ビン詰めはかわいい。
イカ塩から、ウニ、なめ茸《たけ》、海苔の佃煮、酒盗といった、大小さまざまのビン詰め群を眺めていると、つくづくそう思う。
背の高いの、低いの、太め、細め、色とりどりのビン詰めたちは、さながらおかずのオモチャといった感じがある。
見ていて楽しい。そして好もしい。
不思議なことに缶詰はかわいくない。
趣旨も形態もビン詰めと同様なのに、こちらはなぜかかわいくない。
缶詰は、フタをしてあるときは、たしかに毅然とした態度で身を律している。
しかし、ひとたびフタを開けてしまうと、突然身を持ちくずす。
急にあられもない姿になって、身もフタもないといった様相を呈する。
事実、急にフタがなくなってしまうのだ。
そこのところがかわいくないのかもしれない。
ビン詰めは、フタを取っても毅然とした態度をくずさない。
フタが修復可能というところが、ビン詰めのエライところだ。
ぼくはイカの塩からが好きで、ビン詰めのものをよく買ってくるのだが、これは一回では食べきれない。
何回も食卓に登場することになる。
ビンのまま食卓に出し、そのまま箸を突っこんで食べ、食べ終わるとフタをして冷蔵庫にしまう。
おかずというものは、大体一回こっきりのつきあいのものだが、ビン詰めだけは何回もつきあうことになる。
つきあいが長くなる。
つきあいが長くなると、だんだん情が移ってくる。
情愛は日ごとに増し、だんだん血のつながりのようなものさえ感じてくる。
ぼくの知っている人は、旅行に行くとき、つきあいの長くなったビン詰めを連れていくという。
車窓に置いて景色を眺めさせ、缶ビールのおつきあいをさせ、宿に着くと晩酌の相手をさせ、ゴハンをいっしょに食べるという。
連れ歩いているうちに、愛人のような気持ちになっていくという。
彼が好きなのは酒盗のビン詰めで、冷蔵庫にこれを欠かしたことがない。
冷蔵庫の中の場所も一定で、そこにいつもひっそりとたたずんでいる姿を見るたびに、愛人を囲っているような心境になるのだそうだ。
毎度の食卓に、いくらおかずがあっても彼は必ずそのビン詰めを出してきて置く。
奥さんはそれを快く思わないそうだ。
こんなにおかずがあるのになにが不足なのですか、という。
だから彼は、ビン詰めを扱うときはどうしてもコソコソした態度になってしまう。
テーブルの上に置くときも、物陰などに、たとえば電気釜の陰などに隠すように置く。
それを奥さんは、わざと邪険に扱うという。
そうなってくると、そのビン詰めが不憫《ふびん》で、かえって愛情が増すという。
その気持ち、とてもよくわかるような気がする。
ビン詰めには、不思議にそうした固有の所有意識というか、「これはオレのものだ」という気持ちが強くなるところがある。
特に自分が気に入って買ってきたビン詰めにはそれが強い。
ぼくの場合はイカの塩からがそれに当たるわけだが、他の人が箸を突っこんだりするとシットのようなものを覚える。
食事を終えると大急ぎでフタをしめ、自分で冷蔵庫にしまう。
それほど大事にしていながら、デパートの物産展などで、ちょっと毛色の変わったイカの塩からのビン詰めを見ると、またつい買ってしまう。
「赤づくり」、「黒づくり」といわれるたびに買ってしまい、「沖づくり」といわれてまた心がおどって買ってしまう。
買って帰って冷蔵庫にしまおうとすると、それより以前の物産展で買った「白づくり」が奥のほうから出てきたりする。
そうか、まだあったか、と、よく調べると、さらに奥のほうから「麹づくり」が出てきたりする。
ホヤ、アミ、カニ漬、カニ、鮭のメフン、鮎のウルカ、コノコ、ウニなどの珍味類が続々と出てくることもある。
いずれも、「ゴハンにこの上なく合う」ものばかりである。
しかも、ゴハンに対してこの上ない性能≠発揮する。
酒盗などは、ひとビンでゴハン三十杯は軽くこなす能力がある。
アミの塩からに至っては、五十杯は軽いだろう。
「小型で高性能」がビン詰めの特長である。
アミの塩からだけで、五十杯のゴハンは飽きる。
従って、どうしても途中から、食卓への登場が間遠になり、やがて忘れられていく。
また、こうしたたぐいのものは強力な塩づけのたぐいであるから、滅多なことでは腐らない。従って捨てられない。
これが、冷蔵庫にビン詰めがどんどんたまる′エ因である。
どの家でも、冷蔵庫の大掃除をすればビン詰めの三つや四つは必ず出てくる。
さきほど書いた「小型で高性能」も、冷蔵庫にビン詰めがたまる原因である。
小さくて細いから、どうしても物陰に隠れる。隠れて忘れられる。
しかし小さくて細くて立ちあがった≠ニころがビン詰めの身上なのである。
ビン詰めのおいしさは、立ちあがったおいしさである。
ビンによって中身が立ちあがる。
立ちあがった中身が、ビンですけて見える。
それが食欲をそそることになる。
立ちあがった中身を、箸の先で少量つまみあげる。
箸の持つ立体性と、ビンの立体性が組み合わさって、ビン詰めはいっそうおいしくなる。
ナイフとフォークの文化圏では、このおいしさは味わえない。
このことは、海苔の佃煮を例にとるとよくわかる。
海苔が平べったく、お皿の上などに展開していたのでは食欲はそそられない。
ビンによって立ちあがらせてこそ、食欲がわいてくる。
ビンの中に箸を突っこもうという気にもなる。
なめ茸しかり、酒盗しかり、ウニしかり。
ビン詰めにはフタをねじるおいしさ≠ニいうのもある。
食べようとしてフタをねじっているとき、すでにおいしい。
箸を突っこもうとして、のぞくおいしさ≠烽る。
ビン詰めへの身びいきが、少し過ぎたかな。
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宅配ピザを征服す
(宅配ピザというものを食ってみたい)
と思ったのは、もう一年以上も前のことである。
しかし、いざとなるとなかなかその勇気が出ない。郵便受けに投げこまれているピザ屋のパンフレットを見ているうちに、その勇気が少しずつ萎《な》えてくる。
(この仕組みは手ごわいぞ)
と思う。
(おじさんの手にはおえないな)
と思う。
まずやたらにカタカナが出てくる。
トッピングだとか、ハーフ&ハーフだとか、インチだとかペパロニだとか、パンフレットの文字の半分以上はカタカナである。
カタカナばかりか本物の英語も出てくる。しかも単語ではなく、つながったのが出てくる。
≪ピザのサイズをお申しつけください≫
とあって、そのあとに、
LET US KNOW WHAT SIZE YOU WANT
と、わざわざ英訳してある。
たかがピザのくせに、ナーニが、レット・アス・ノーだ、オレは外人じゃねーや、などと怒ったりするから、仕組み解読によけい手間どる。
仕組みのほうは、ほとんど闇の世界だ。読んでいるうちに頭の中がグルグル回って目まいがしてくる。
しかし、そんなことを言っていては、いつまで経っても宅配ピザを食べることができない。
そこで暗号解読にのり出した。
読書百ぺん意おのずから通ず≠心の支えにして、毎日少しずつ解明に励んだ。
その結果、つい数日前、一年がかりでその全容がほぼ解明できたのである。
実に簡単なことであった。
要約すると、
@ サイズを選ぶ
A トッピングと称する上にのせるものを二〜三種類選ぶ。
B こちらの住所氏名を申し述べる。
というもので、主として@とAの解明に手間どったのであって、Bについての解明は比較的ラクであった。
ただし、ハーフ&ハーフ≠ェ少しむずかしかった。
ピザの中央に見えない境界線を引き、右と左に分ける。
そこへ、右と左とそれぞれ違うトッピングをのせるのをハーフ&ハーフというのだが、ただそれだけではない。
パンフレットには、
≪例えば、25pのピザに、コーンとマッシュルームとピーマンを全体にのせ、左半分にペパロニとツナ、右半分にソーセージとエビとコーンをのせます≫
とある。
これだと、まず全域に何かをのせ、次に右と左に違うものをのせるということになる。
トッピングの種類は二十ほどある。この二十種の中の、どれとどれとどれを全域ものにピックアップし、どれとどれとどれを半域ものに指定するか。半域ものの、どれとどれとどれを右半分にし、どれとどれとどれを左半分にするか。
二十種類の名前をじっと睨んでいるうちに頭の中はグルグル回りだし、しかし、右と左をようやく指定したとしても、グルッと回すと、右も左もなくなるわけだし、その場合はどうなるのか、と考えているうちにまた頭がグルグル回り出し、
(もういいッ。食べなくていいッ)
とパンフレットを放り出すことになる。
しかし、おおよその全体像はようやくつかめたので、やっと「注文してみよう」という気持ちになったのだった。
こういう気持ちになるまでに、実に一年の歳月が必要だったわけである。
一年の成果を今こそ世に問う、そういう意気ごみでぼくは電話の前にすわった。
何を注文するか。
これは一種の公開実力テスト≠ナあるから、あえてむずかしい問題に挑戦してみようと思った。すなわち難敵ハーフ&ハーフである。
全域ものにはフレッシュ・トマト、オニオン、ピーマンを選んだ。
右半分にベーコン、アンチョビ、ペパロニ(なんだかわからぬ)を配し、左半分にエビ、イカ、ツナという、晴れの門出にふさわしい堂々の陣容である。
暗誦はムリなのでパンフレットに○印をつけた。
しかし、これだけではどうも不安なので別紙に書きだすことにした。
それでも不安なので、実際に絵をかき、矢印をつけて名前を書きこんだ。
万全の態勢ができあがった。
大抵のピザ屋は、平日は≪DELIVERY 16:00→23:00≫となっている。
午後四時を待って、ぼくは電話の前にすわった。
なんだか胸がドキドキする。
うまくいくだろうか。失敗したらどうしよう。
うまく話せなくて話がもつれ、揉《も》めたりしたらどうしよう。
119番をかける人は、舌がもつれて、火、火、火事と言うばかりだというが、そういう状態になったらどうしよう。
頭の中をもう一度整理して、ぼくはようやく受話器をとりあげた。
若い男の声で「ご注文ありがとうございます」と言う。
それから「住所、氏名、電話番号をどうぞ」と言う。
ぼくは事実を正直に、飾りなくありのまま申し述べた。
相手は素直に納得し「大きさをどうぞ」と言うので「25センチのものを」と言うと、これもあっさり受け入れられた。
(意外に順調だな)
とぼくは思った。
「トッピングをどうぞ」
いよいよきたな、と思った。
ぼくは深呼吸を一つして、右半分と左半分の説明をした。
絵が功を奏して、詳細かつ具体的な説明ができ、われながら立派な出来ばえだな、と思ったのだが、相手は感動するふうもなく、淡々と、もう一度全体を復唱するのであった。
(こいつは感受性がにぶいな)
と失望しながら、ぼくは電話を切った。
二十七分後、わがピザはホカホカの湯気をあげながら到着した。料金は二千三百五十円である。
この湯気も、料金のうちに入っているにちがいない。全容を眺めてみる。
あんなに苦しんで選び抜き、右半分、左半分、全域、と配置したトッピングなのに、出来あがってみれば、ただいろんなものがのっかっているピザ≠ノ過ぎないものとなっている。
意外においしかったが、味そのものよりも注文≠ノ大きな比重のかかったピザとなったのであった。
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天ぷら大仕掛け
その記事を読んだとき、ぼくはその現場をぜひこの目でみたいと思った。
「大広間の揚げ場がまるで豪華な円卓会議場であることに、まず驚かされる。しかも板前がタネとともに中央からせり上がってくる仕掛けに二度びっくり」
「玄関で靴をぬぐと、二階の瑞穂《みずほ》の間に通される。このラウンジで食前酒を飲みながら、準備のできるのを待つ。コースは約一時間。食後のフルーツは、また別の部屋で出される」
という記事であった。
これはどういうたぐいの店かというと、天ぷら屋なのである。
円卓会議場、せり、瑞穂の間、とくると、どこかの宮殿のような錯覚にとらわれるが、天ぷら屋なのだ。
そ、そこでですね、と、早くもおびえてどもってしまうわけだけれども、値、値段のほうは、ど、どのくらいするのか、と、見、見てみるとですね、一万三千円〜一万八千円となっているわけです。
あ、あのですね、こういっては何だけれども、うちの近所の定食屋の天ぷら定食は、コースというわけではないが、六百円という値段がついてるわけです。
円形ではないが、一応、カウンターになっているし、瑞穂の間ではないが、一応二階もあって、そこには定食屋の一家が住んでいて、どうしてもといえば、そこで食前酒はムリだが、ホージ茶ぐらいは出してくれると思う。
問題はせり≠セ。
これは容易な仕掛けではない。
天ぷら屋が、芝居もどきに、床から静々と上がってくるというのだから、これは一見の価値がある。
「要予約」とあるので予約の電話を入れる。
場所は日本橋の茅場町。四階建ての料亭風のビルである。
料亭風の玄関で、和服の妙齢の女性の出迎えを受け、ジュウタンを踏みしめつつ二階の瑞穂の間に案内される。
す、するとですね、またもおびえてしまうのだけれども、二十畳ほどの瑞穂の間は、赤いジュウタン、シャンデリア、シャガール、琴の音、外国人……と、思わず韻を踏んでしまうようなおごそかな雰囲気なのである。
居並ぶ紳士は銀行風、こっちにいるのは漫画家風……と、韻を踏むのはこのへんでやめにするが、壁面に飾ってある写真は、ご来店のおりに謹写したらしい某宮様とそのご一家である。
ライシャワー氏の写真も廊下にある。
だ、だから、どうだっていうんだ、と居直ってみようと思ったのだが、残念なことに居直れない。
外国人および銀行重鎮風は、ゆったりと場なれした感じで、食事前の談笑のひとときを過ごしている。
こっちだってこういうこと慣れてんだかんな、と足を組んでみたが、スリッパの足組みはどうにもサマにならない。
食前酒はビールの小ビンをたのむ。
ここで、どのコースにするかを訊《き》かれる。
ぼくとしては、できることなら一万三千円でいきたい。しかしそれに問題があるならば一万六千円でも仕方がない。しかし、どんなことがあっても一万八千円は避けたい、と思っていたのに、思わず口をついて出たのは、「一万八千円のコースね」という言葉であった。
慣れてんだかんな、の足組みポーズがこの言葉を言わせたもののようであった。
外国人、銀行重鎮風に続いて、円卓会議場に案内される。
なるほどそこはまさに円卓会議場であった。
何畳敷き、というような概念を離れた広さで、高く(天井)、広く、ほのぐらい。椅子の数は二十四で、すでに半分ほどの席が占められている。
これはやはり会議≠フ雰囲気だ。
国連本部に二十四カ国代表が集まり、これから世界の重要な問題について、天ぷらを食べながら討議をする、といったような雰囲気なのである。
しかし、その周辺をサービスのために動きまわる、和服にスリッパのおねえさんと、黒服に紫色のスリッパのボーイたちが、国連的雰囲気というより、飯坂温泉宴会場という雰囲気をかもしだしてしまうのが少し残念であった。
コースはプラム酒で始まった。
円卓会議場の中央に、三つの揚げ鍋があって、二人の料理人が天ぷらを揚げている。そのまん中に四角い穴がポッカリ開いていて、これが件《くだん》のせりらしい。
その穴の周辺が金で縁どられているとか、彫刻がほどこされているとか、そういったことは一切なく、単なる台所の穴なのである。まことに残念であった。
客が席に着くと、料理人は受話器をとりあげ何事かささやく。
すると見習い風の料理人が、天ぷらのセットを捧げ持って、頭のほうから静々と現われる。(あたりまえだ)
それを手渡すと、こんどは、足のほうから静々と沈んでいく。
ただそれだけのことであった。
しかし外人などには、これが大いに受けるらしいのである。
プラム酒のあと、平目風のお造りが出て、それから天ぷらになった。
まずエビが二、それからナス、キス、カキ、ハス、再びエビ、エビすり身シソ巻き、イカ、三つ葉、メゴチ、シシトウ、再びエビ、小柱エビかき揚げ、ゴハン、赤だし(シジミ)、漬物という順序であった。
途中、すまし汁(若竹)と野菜サラダが出る。
コースの値段の差は、質の差ではなく量の差であるらしかった。
おなかは十分いっぱいになった。
ただ、この店に限らず、コースで出す天ぷら屋は、意外にも天ぷらでゴハン≠フひとときを持つことができないのがいつも残念だ。
ゴハンは、コース終了後、はじめてお新香と赤だしといっしょに出てくる。
ぼくは天丼が懐かしかった。あれなら、天ぷらを食べたいときはいつでも天ぷらが食べられ、ゴハンを食べたいときはいつでもゴハンが食べられる。
味については、ぼくは自信がないので云々することは避けたい。
ただ、味と値段は必ずしも比例するものではないらしく、有名な某食味評論家の評価は高いとはいえない。
しかし、例の、うちの近所の定食屋の天ぷら定食一挙皿盛りコースよりは、はるかにおいしいということは確信をもっていえる。(あたりまえだ)
それに、天ぷらそのものよりも、せりの上げ下げの電気代、ジュウタン代、スリッパ代が、かなりかさむということも考えられる。
この部屋全体の舞台装置からいえば、十分納得のいく値段である。この舞台装置ならば、例えばモツ煮こみフルコース≠ニいったものでも、一万円はとれる。
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大男たちのアンニュイ
テレビで大相撲を見ていると、ときどき観客席が映る。
そこはいわゆるマス席というところで、人々はくつろいで、酒を飲んだり、食べ物を口に運んだりしている。
ぼくはごく軽い気持ちで週刊朝日のM君に、
「あそこで相撲を見てみたい」
といったのだが、この軽はずみな一言が、M君に災難をもたらすことになった。ここからM君の苦闘の一年半≠ェ始まったのだった。
マス席の切符を手に入れる仕組みは、秘密のベールに包まれている。
どこをどうほぐすと、解決の糸口が見つかるのか、それさえわからない。
その仕組みは、もつれあった凧《たこ》の糸のようだ、という人もいれば、からみあった釣り糸のようだ、という人もいる。
もつれあった凧が海中に落ちて、からみあった釣り糸ともつれあってからみあったようだ、という人さえいる。
ぼくが軽はずみに「見てみたい」といってから一年と半年のあいだ、M君は、あらゆるツテとコネとヒキを頼り、知略と策謀と奸計と瞞着と接待と懐柔と懇願を展開していたのであった。
そうしてこの初場所の二日目、ついに本懐を遂げることができたという、まるで「忠臣蔵」のような一年半だったのである。
そのマス席は、土俵からわずか十メートルほどの、極上の席であった。
マス席は、定員四で成りたっている。
ぼくほか「週刊朝日」勢三名は、怨念のこもった切符とは裏腹に、「ワーイ、ワーイ」ときわめて明るく参集したのだった。
マス席はパイプで仕切られ、赤いジュウタンが敷いてあって、その上に小さめの座ぶとんが四枚、灰皿入りの木箱が一つ置いてある。
その広さ、一辺がおよそ一・三メートルの正方形。
お風呂に入るようにして、四人いっぺんにそこのところにはまりこんだ。
四人がはまりこむと、もう余分なスペースはないのだが、しかしそれぞれの持ち物は置かねばならず、コート、カバン、靴、紙袋などの私物をそれぞれの周辺に工夫をこらして配備する。
これが結構大変な作業で、狭い新居に四人いっぺんに引っ越してきて、とりあえず片づけものをしているという心境になる。ようやく片づけものを終えてホッとしていると、「ハイ、おまちどう」と、四人分の弁当と酒のおつまみがやってきた。
酒とビールもやってきた。
住むのがやっと、というところヘ大量の食料品がやってきたのだから、この対応がまた一仕事であった。
すぐそばの土俵ではすでに相撲が行われているのだが、そっちを見る余裕がない。
私物および食料品をようやく片づけ終え、ヤレヤレ、と思っていると、栓ぬきがない、カメラがない、手帳をどこへ片づけた、ということになって、こんどは探し物のひととき、ということになった。
食料品の一式は、このマス席に|ついて《ヽヽヽ》いるもので、自動的に配達されるものなのである。一式の内容は、
焼き鳥五本。イカクン、磯辺巻き、ピーナツ、塩味カリントウ各一袋。力士豆(枝豆)、オードブル(カツサンド、チキンナゲット、カニフライ、笹カマなど)、幕の内弁当──
というものであった。
この一式は自動的についてくるが、酒とビールは注文によって持ってくる。
このマス席の料金と、この食料品一式と、酒とビールの料金はいくらかというと、それは「わからない」のであった。
それでは、このマス席の面倒をみてくれた人に、あとで訊《き》けばわかるのか、というと、それも「わからない」ということなのである。
じゃあ、この料金は、一体誰が、いつ、誰にどう払うのか、というと、それも「わからない」のである。
「なんだかよくわからないが、とにかく乾杯」
ということになって、焼き鳥でとにかく乾杯。
「この焼き鳥、冷えているのに柔らかくておいしいね」
「この力士豆というのは、これ、枝豆をバラしたものだね。このまぶしてあるのは数の子をバラしたものらしい。ヘエ、この醤油をつけて食べるのか」
などと、おつまみと幕の内弁当の内容の点検を終わり、もう一度ビールをゴクゴクと飲み、ここでようやく、
「そういえば相撲もやってたんだっけ」
という気持ちになって、全員土俵のほうに向きなおった。
まだ十両の取組である。
土俵の上では、それなりの熱戦がくりひろげられている。
あたりまえの話だが、土俵は土でできている。鉄骨と鉄筋とコンクリートの近代建築の底のところに、突然土が露出している。建物の底が抜けた、というか、地球が突然露出したというか、そういう感じがある。
何万という着衣の観衆の中の、ハダカの力士は異彩をはなつ。
突然の土の上で、突然のハダカの二人が、立ったりすわったり、また立ったりをくり返している。
右と左から歩み寄った二人は、中央ですわりこんでしきりに頭をさげている。双方であやまっているようにも見える。
「このあいだのヨ、あの件だけどヨ。オレがわるかった」
「いや、オレのほうがわるかった」
と言い合っているように見える。
中央の、頭に鶏のトサカのようなものをつけた小男は、
「まあ、いいじゃないか、そのヘんは」
と仲裁をしているように見える。
しかし、この話しあいはうまくいかず、二人は右と左に別れ、それぞれ汗などを拭いて、
「どうもうまくいかんなあ」
と天をあおいだりしている。
「しかし、ま、もう一回、あやまってくっか」
という気持ちになって、二人は中央に歩みより、再度あやまりあうのだが、この話しあいも決裂して物別れとなる。
これをくり返しているうちに、双方、
「これだけあやまっているのに、まだわかんねーのか。もう我慢ならねえ」
と猛然と突っかかっていって取っ組みあいになる。
というような、筋書きに見えないこともない。
仕切りをくり返しているお相撲さんを見ていると、何かこうのんびりしたものがあって、これから世紀の大勝負をするのだ、という気迫はあまり感じられない。
大男たちのアンニュイ、とでもいうようなものが、仕切りの途中、ふと天井をあおいだりするときに感じられてしまうのである。
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初体験「ちゃんこ鍋」
ちゃんこ鍋というものを一度食べてみたいと思いながら、なかなかそのチャンスがなかった。
ちゃんこという言葉は知っていても、その実体に触れた人は少ないと思う。
ちゃんこ鍋とは一体どういうものか。
鍋物であることは確かだが、その中身は何か。
ここから急に話はややこしくなる。
ちゃんことちゃんこ鍋と正式なちゃんこ鍋とをちゃんと区別しなければならぬ。
相撲の世界では、食事一般のことをちゃんこという。
世間一般で、「さあ、メシを食おう」というところを、相撲の世界では、「さあ、ちゃんこにしよう」というわけだ。
一方、ちゃんこ鍋というのは、そういうちゃんこの中の鍋物のたぐいをいうわけで、鍋物なら何でもちゃんこ鍋ということになる。
お相撲さんが食べれば、おでんもすき焼きも寄せ鍋もちゃんこ鍋である。
一方、そういうちゃんこ鍋ではない、相撲社会独自のちゃんこ鍋というものもある。
一方、ぼくはこれまで、相撲部屋に出かけていってちゃんこを御馳走になったことが二度ある。
一度は花籠部屋で、もう一度は朝日山部屋というところだった。
稽古を見にいって、「ではこれからちゃんこを御馳走します」というので、わくわくしていたら出てきたのはカレーライスだった。
もう一方の部屋では、ただのおでんだった。
一方、(一方ばかりで恐縮だが)正統のちゃんこ鍋は、相撲部屋にいかなければ食べられないというわけではない。
これを売り物にするちゃんこ料理店というものもあちこちにある。
一方、ぼくはつい先週、大相撲を見にいった。このことは前回書いたとおりだが、その帰途、両国駅の近くでちゃんこ料理店を見かけたのだった。
「巴潟《ともえがた》」という店である。
その店へ日を改めて出かけていった。
二階もあるかなり大きな店で、店の造りも高級ムード。しかしビールのコップはサッポロビールのネーム入りという大衆ムード、という店であった。
巴潟という、その昔小結までいった本職のお相撲さんがやっている店である、ということが店のメニューに書いてある。
こういう店は、えてして店の中に相撲関係の小道具をやたらに置いたりして、相撲造り≠ノしがちなものだが、そういう趣向はほとんどない。
店のあちこちに番付表が貼ってあるだけで、あとは相撲甚句らしいテープが流れている。
このテープはエンドレスなので、定期的に「ドスコイ、ドスコイ」というセリフが聞こえてくる。
さて、いよいよちゃんこ鍋の実体である。
正統ちゃんこ鍋の実体とは一体どういうものであるか。
いま、そのナゾが解きあかされようとしているのだ。
ちゃんこ鍋には、醤油味、塩味、味噌味、ポン酢の四種類があった。
中身はどれも似たようなものである。
牛肉、鶏肉、鰯および鰺のつみれ、キンメおよび鮭の切り身、カニ、ホタテ、春菊、白菜、ゴボウ、人参、糸コンニャク、豆腐、竹の子、ネギ、大根、ジャガイモ、しいたけ、油揚げ。
といったようなもので、要するにとにかく何でも入れたゴッタ煮風の鍋物ということができる。
(なーんだ。ゴッタ煮鍋か、そーか、なーんだ)
と、やや軽蔑の念を抱いた人もいるかもしれない。
ところがドスコイなのである。
スープが実においしい。こんなにいろんなものを一緒に煮てしまって大丈夫なのかと思うだろうが、大丈夫なのだ。
カニと牛肉などという取りあわせは、ふつう考えられないが、これも大丈夫なのだ。
多種のものを一挙に≠ニいうところにその秘密があるようだ。
これら雑多な材料を、順序も何もなく、どどど、といっぺんに入れてしまうから、鍋は突然食べごろになる。突然食べ手は忙しくなる。
鍋は土鍋だから、煮たつまでにかなり時間がかかる。
ビールなんか飲んで、のんびり構え、蒸気があがってきたからもういいかな、とフタを取ると、鍋の中は大煮たち、一挙に食べごろということになり、つまり、これら雑多大量のカニや肉や油物やホタテやらが、一挙に食べごろというわけだから、あれも急いで食べなければならず、これもすぐ食べなければならず、その忙しさといったら目が回るどころではなく、眉毛も鼻も回さなければならなくなる。
すなわち、ちゃんこ鍋というものは、中身は多少犠牲にしてスープのほうを採《と》る、というものであるようだ。
そして、ちゃんこ鍋を、ちゃんこ鍋たらしめているのは、ゴボウと油揚げである。ゴボウのダシと油揚げのダシが、この鍋のそこここにそこはかとない影響を与えている。
鍋物の種類は数かぎりなくあるが、獣肉と魚類を一緒に煮ることはまずない。
一般的に、鶏肉や牛肉からいいダシが出ることはよく知られている。
しかしこのちゃんこ鍋のスープを飲んでみると、魚からもいいダシが出ることがよくわかる。ということは、例えば煮魚などをするときは、よっぽど注意をしないと魚のダシが汁のほうにどんどん出てしまうということになる。
味噌仕立てのちゃんこ鍋が、ぼくは一番おいしかったが、それはバターのせいだったかもしれない。
味噌仕立てには一片のバターが加わる。
獣、鶏、油揚げ、魚、ゴボウ、味噌、バターという異様な取りあわせが、独特のちゃんこ鍋の味になっているようだ。
あとで自分でも作って食べてみたが、ある程度同じような味になった。
中身のほうの味は多少我慢して、そのかわりスープのほうをたくさん飲む。
すると不思議にビールがおいしい。
ビールがどんどん飲める。
スープをつまみにビールを飲む、という不思議なことになる。
考えてみれば、味噌汁のようなものを何杯もおかわりするわけだから、だんだんノドが乾いてくるのは当然の話だ。
だからこのスープの味つけのポイントは、塩気はあくまで薄目、ということだと思う。
このスープで、最後に雑炊、うどん、餅という手もある。
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「出会いもの」との出会い
料理の用語に、「出会いもの」というのがあるそうだ。
食べ物同士の運命的な出会いを指して言う。
人間にも、「二人は赤い糸で結ばれていた」という言い方があるが、食べ物同士にもそういうことがあるようなのだ。
最も代表的なのが、カモとネギの出会いである。
カレーライスと福神漬もそうだ。
竹の子とワカメ、鰤《ぶり》と大根、レバーとニラ、トンカツと刻みキャベツ、スキヤキに生卵、切り干し大根に油揚げ……。
いまとなっては誰もがこの組み合わせを当然と思っているが、一番最初にこれらを組み合わせた人はえらい。
たとえば、カレーと福神漬の出会いを思うとき、つくづく運命ということを思わずにはいられない。
はるか遠くインド国に発生したカレーが、どこでどうなったのか、日本の漬物の福神漬にめぐりあい、固い絆《きずな》で結ばれるに至ったいきさつを思うとき、赤い糸≠フ存在を思わずにはいられないのである。
カレーライスは、日本人の感覚では結局ゴハン≠セったにちがいない。
「ゴハンにはおしんこ」の考えが日本人には根強くあって、カレー向きのおしんこ探しが始まったのだろう。
ぬか漬、たくあん、味噌漬、白菜漬、梅干し、と、数々の試行錯誤ののち、カレーは福神漬にめぐりあったのである。
そうして二人は、固く、永く、結ばれることになった。
福神漬は、ふだんはあまり食卓に登場しない。
冷蔵庫の奥のほうで、ひっそりと不遇をかこっている。
しかし、ひとたびカレーということになると、
「もう、どうあっても福神漬」
ということになり、
「なければ買ってこい」
ということになって、子供がセブン‐イレブンに全速力で走っていくというぐらい、カレーと福神漬の結びつきは強い。
ぼくなどは「福神漬がないならカレーは食わない」というぐらい、両者の結びつきを強く支持する者である。
カモとネギは、巷で喧伝されているわりには、いまやその実体に触れる機会が少ない。
カモの質も変わったし、ネギの質も変わってしまって、この両者の赤い糸の結び目は、かなりゆるくなっているようだ。
スキヤキに生卵も、よく考えてみると不思議な取り合わせである。
他の鍋物には、生卵は登場しない。
そしてスキヤキには生卵は実に効果的なのだ。
牛肉の熱を冷まし、塩気を和らげ、肉のうまみを増し、精気を増大させる。
トンカツに刻みキャベツも秀逸である。
他の野菜をもってきても、いずれもキャベツの前には敗退せざるをえまい。
鰤と大根も、「よくもまあ考えついたものだ」と思うぐらいによく合う。
互いが互いを引き立て合う。
人間はつきあう人によって、人間的に向上もすれば堕落もする。
大根は、鰤とつきあうことによって大根的に向上し、鰤は大根とつきあうことによってくさみ≠ェ抜け、ひとまわり大きく鰤的に成長する。
皿に盛られた地味な両者を見ていると、互いの情の深さ≠ェひしひしと伝わってくるのである。
レバーとニラの組み合わせも絶妙だし、切り干し大根と油揚げのからみあいも滋味にあふれ、しみじみとおいしい。
さて。
これまで挙げた出会いものは、すべて誰もが首肯するものばかりである。
「よくもまあ(思いついたものだ)」
と感心し、
「しかしまあ(何とよく合うものだ)」
と納得するものばかりである。
実をいうと、この原稿のタイトルは、ついこのあいだ居酒屋で「まぐろの山かけ」を食べていて思いついたものなのである。
「山かけ」もまさしく出会いものの一種なのだが、どうしても素直に納得しかねるところがある。両者がしっくりいってるとは到底思えないのだ。
小鉢の中のまぐろを取りあげようとすると、まぐろがトロロで貼りついてなかなかはがれない。
ようやくはがして持ちあげると、まぐろだけスルリとトロロから抜け出してしまう。
「山かけ」は、まぐろとトロロをいっしょに食べてこそ、その味わいがある。
そこでまぐろにトロロをまぶしつけようとするのだが、まぐろの表面はツルリとしているから容易にはくっつかない。どう考えても両者は互いに嫌がっているとしか思えないのである。
いっしょになってはみたものの、性格の不一致が判明し、目下怪しい雲行きになっている、とみえないこともない。
両者が協力しあっている様子がどこにもみられないのである。
切り干し大根と油揚げのような、あの和気あいあいがどこにもない。
「山かけ」の小鉢の中はひんやりと冷たく、何かこう、険悪な空気さえ漂っている。
家庭内離婚、などという言葉が浮かんできたりする。家庭内離婚の現場に、それと知らず足を踏み入れてしまったような気まずささえ覚える。
気まずさをこらえて、両者をなだめつつ口の中に入れると、ここでも二人は離れたがる。
口の中で、まぐろがトロロですべってあちこちに逃げまわる。
それを舌で追って片隅に追いつめ、押さえこみ、トロロをからめて噛もうとすると、今度は歯と歯の間からヌルリとすべり出ようとする。
それでもなんとかまぐろを噛みしめることに成功するのだが、山かけ特有の、この、まぐろの冷たいツルリと、トロロの冷ややかなヌルリの味わいは、どう表現したらいいのだろうか。
おいしいか、と訊かれても困るし、よくマッチしてるか、と訊かれても困る。
ではミスマッチのおいしさなのか、と訊かれても困る。
じゃあ、おいしくないのか、と訊かれても困る。
口の中のものを、追い回して片隅に追いこみ、スキをみてかじってやろうという作業が忙しくて味わっているヒマがないのだ。
味わおうとすると、ツルリとすべって飲みこんでしまう。
だからいまだに(山かけはどういう味か)ということがよくわからない。
イカ納豆も山かけに似ている。
もし、まぐろの山かけと、イカ納豆が赤い糸で結ばれて合体したとしたら、口中の騒動は一体どういうことになるのだろう。
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出前出発の真実
出前は楽しい。
「出前をとる」ことが決まると、急に家中がパッと明るくなる。
日曜日の昼近く、なんとなく「出前でもとろうか」ということになり、急に衆議一決、「とる」ことになる。
とたんに家中がはなやぐ。
おとうさんが天丼で、長女のサナエ(中一)が天ぷらそばで、長男のダイスケ(小五)がカツ丼、じゃあ、おかあさんは親子丼にしましょ、ということになって、おかあさんはいそいそと電話のところに駆け寄る。
このとき、一点を睨《にら》んでうなっていたおとうさんから、
「待て。オレもダイスケと同じカツ丼にする」
という迷い抜いたあげくの変更が告げられる。
おかあさんは受話器を取りあげ、
「もしもし、松月庵さん? 四丁目の山田ですけどォ」
と明るい声で歌うように言う。
「……じゃ、オネガイシマース」
という、おかあさんの|しめ《ヽヽ》の言葉はさらに一オクターブほどあがり、一家の明るさはこのとき頂点に達する。
おとうさんは読みかけの新聞を明るくたたみ、サナエは明るく手を洗いに行き、ダイスケは少し緊張してトイレに行き、おかあさんは「お吸いものだけでも作りましょう」と、鼻歌まじりで台所に向かう。
よく考えてみれば、出前をとるということは、それほど大した行事ではない。
一食分を持ってきてもらうだけの話だ。しかし、「食事が外からやってくる」という事実は、なぜか人の心を浮きたたせずにはおかない。
やがて台所から、お吸いものの匂いが流れてくる。
あとはもう、ピンポン≠ニいうチャイムの音とともに、一家がテーブルに駆け寄ればいいという状況になる。
しかし、問題はここから先である。
日曜日の昼食時の出前は、そう簡単にくるものではない。
注文の電話から三十分を過ぎたころから、一家に暗い影がさしこみ始める。
いままで明るくはなやいでいた一家の口数が、次第に少なくなってくる。
焦燥感と切迫感と、そして急激な空腹感が人々を襲い始める。
家のあちこちから、深いため息がもれてきたりする。
さらに十分経ったころ、おとうさんが、
「電話してみなさい」
と重苦しく言う。
それを待っていたように、電話のそばにたたずんでいたおかあさんが受話器を取りあげる。
このときのセリフは大体決まっている。
わりに素直な性格のおかあさんだと、
「四丁目の山田ですけど、出前まだでしょうか」
というセリフになり、ちょっと意地のわるい性格の暗いおかあさんだと、
「四丁目の山田ですけど、さっき頼んだあれ、どうなったんでしょうか」
という針を含んだ言い方になる。
これに対する店側のセリフも大体決まっている。
「いま、出るところです」
というのが一番多い。
実に何気ないセリフであるが、実はその一語一語に、そば屋の出前の歴史がこめられているのである。
出前の歴史は言い訳の歴史である。
歴史によって、鍛えられ、磨き抜かれ、選び抜かれた単語ばかりなのだ。
「いま、出ます」ではなく、「いま、|出るところ《ヽヽヽヽヽ》です」という臨場感あふれる言い方にまず注目したい。
「いま、出ました」と言ってしまっては、店側の持ち時間は極端に制限される。
しかし、「出るところ」には、無限ともいえる持ち時間の幅がある。
たったいま、注文の制作にとりかかった場合から、いままさに店の戸を開けて外へ出るところまで含まれるのである。
しかし「一刻も早く」と願う客は、どうしても「いままさに外へ出る」ほうを採りたがる。そしてそれを信じたがる。
「いま、出るところだって」
と、おかあさんは一同に明るく伝え、一同は「ナンダ、ソーダッタノカ」と明るく信じる。
永年鍛えられた出前の言い訳のプロ≠フ前には、急造の出前の催促のアマ≠ヘ無力である。(そうか、いま出るところか)とニッコリし、つい今しがた、あの松月庵のややデブ気味の出前のおにいさんが、店の戸をガラリと開けて外に出たところを想像する。
いやいや、もう戸をバタンと閉めたところかもしれない。
いやいや、バイクのスターターにキックをくわえたところかもしれない。
いやいや、三丁目のニコマートの角をいま曲がったところかもしれない。その先の道路のくぼみにバイクがはまってはねあがったところかもしれない……。
ところが、三丁目の角を曲がったはずの、この一家のカツ丼二と親子丼と天ぷらそばは、まだ店の調理場にある。
しかも、カツとエビ天はまだ生《なま》だ。さらに十分が経過して、一家は暗雲に包まれる。
おとうさんは、さっきたたんだ新聞を再び拡げて読み始めるが、その目は活字を追ってはいない。
おかあさんは、頬づえついてテレビに見入るがその目はウツロだ。
このとき、不意にチャイムが鳴る。
「きた!」
このときの「きた感」には強烈なものがある。
新聞を読んでいたおとうさんは、ビクッと体をふるわせ、おかあさんは頬づえがはずれてガクッとつんのめる。
ところが、このピンポン≠ヘ、ダスキン≠セったのだ。あるいは丸八真綿∞新聞の勧誘≠セったのだ。
このときの絶望感、無力感、そして空腹感もまた強烈である。
そうして、ここでついにおとうさんは立ちあがるのだ。むろん、マナジリには、強い怒りと決意が刻みこまれている。
最初は押し殺した声で、
「もしもし松月庵さんかね?」
と言い、突然声が黄色くなって、
「大体おまえんとこは一体どういう……」
と言いかけたとたん、再びチャイムが鳴って「おまっとうさん」の声。
おとうさんは、あわてて、「いまきたから」と急に猫なで声になってしどろもどろに電話を切る。
ついさっきまで暗い目をしていたおかあさんが、玄関で湯気の立つお盆をニッコリと受けとっているのを見て、ついおとうさんは「ゴクローサーン」と明るい声をかけてしまうのである。
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メニュー物語
メニューは物語である。
そのことに多くの人は少しも気づいていない。
メニューは一見、単なる羅列にみえる。しかしこれが、省略法を最大限に用いた特異な文体だということを見破った人は少ない。この文体の行間には、無限の記述がある。それを読みこなせる人は少ない。
しかし、
「メニューは歓喜に満ちみちている」
という人もいれば、
「メニューは悲しみの極みだ」
という人もいる。むろん、
「物語って、ストーリーのことでしょ。メニューのどこにストーリーがあるのよ」
という人もいるであろう。
まあ、ねえちゃん、まちなさい。
おっと、言葉が下品になってしまった。
メニューにストーリーがあるのかないのか、そのことは次第に明白になっていく一途をたどるであろうことをわたくしは保証するであろう。
おっと、文体が難解になってしまった。
ここに一枚のメニューがある。拙宅の近所のラーメン屋のメニューだ。
見開き二ページ。タテ書き。右ページから始まって左ページへ進行していく、ごくありふれた一般的なメニューである。
とりあえず読んでみよう。
ラーメン、タンメン、チャーシューメン。肉そば、エビそば、五目そば。ギョウザ、チャーハン、エビチャーハン。中華、天津、上かつ丼。野菜、レバニラ、肉いため。酢豚、カニ玉、八宝菜。ビール、老酒、コカ・コーラ。
どうです。
真実あり、歴史あり、正義あり、策謀あり、成功譚あり、階級闘争あり、風刺あり、クライマックスあり、大団円あり、韻律あり、大河小説、大叙事詩といってもいいくらいの一大ドラマではないか。
「どこが?」
まあ、ねえちゃん、まちなさい。
物語は、
ラーメン、
の一行から始まる。
実にさり気ない書き出しではないか。
誰もが、思わずスッと入っていける手だれの一行である。
この一行を読んだ人は、次の行を読まずにはいられなくなる。
次の行とは何か。タンメンである。
ラーメンの一言が、次のタンメンを惹起せしめたのである。あるいは、誘発したと言ってもいい。ラーメンの次はタンメンという展開は、誰もが納得できるはずだ。(あり得るな)と思うはずだ。
ラーメンの次はタンメン。これは歴史上の史実でもある。
昨今、タンメンの影が薄れたとも伝え聞くが、この店はあくまで正統を旨とする店で、であるからこそラーメンの次のタンメンの記述は重い。
物語はさらに発展する。
ラーメンに端を発し、タンメンへと発展した物語は、いまチャーシューメンにさしかかった。
そしてチャーシューメンは、次なる肉そば、エビそば、五目そばへと勇躍していくのである。そう、まさに勇躍、雄飛である。ラーメンの時代を思い起こしてみよう。貧寒としていた麺の身辺は、いま五目の栄華にいろどられている。
もうお気づきであろう。
このメニューの、第一章、麺の部は、メン族興亡の歴史の物語なのである。
フン族の興亡も一篇の物語であったが、ここには、メン族興亡の歴史が、極めて特異な文体で描かれていたのである。
ラーメンという貧窮から身を起こしたメン族は、チャーシューメンの時代あたりから、一族に奢《おご》りの兆《きざ》しがみえはじめてきた。
一族は、チャーシューだけではあきたらず、肉そば、エビそばと奢侈《しやし》の限りを尽くし、やがてその頂点ともいうべき五目そばの時代を迎えるのである。
その先、メン族に何が起こったか。その記述は、この物語にはない。
しかしそれは記すまでもないことだ。
もしつけ加えるとすれば、歴史の必然「おごる平家は久しからず」の一行でこと足りると言えよう。
こうしてこの物語の第一章、麺の部は終わった。
このメニューは、麺の部、飯類の部、一品料理の部、お飲み物の部、という四部構成になっている。
第二部の物語は、突如、ギョウザから始まる。
ギョウザ、チャーハン、エビチャーハン。中華、天津、上かつ丼、と、軽快な韻を踏んで物語は始まる。
この章には、粉《ふん》族、飯《はん》族、丼《どん》族の攻防、もつれあい、からまりあい、純血、混血などの物語が淡々と描かれているが、それほど興味深い章とはいえない。ただ、ギョウザとチャーハンの組み合わせは、ギョウザライスの上をゆくものとして、重量級の人々の評価が高い。
第三章、一品料理の部こそ、この物語のクライマックスといえる。
ここにこそ、この物語の真骨頂があり、民族の特色もよく出ているといわれている部分である。
野菜、レバニラ、肉いためは、一品料理界の中堅階級である。
それぞれに、飯類の部の「ライス」を呼び寄せて出陣していく。
もう少し富裕のものは、「上新香」「ワカメスープ」なども引率することができる。しかし、この章の眼目はこれらの中堅階級を描くことではない。
彼らの頂点に立つ酢豚、カニ玉、八宝菜という貴族社会を描くことにある。
かつては、この貴族社会の最高位に、鯉の丸揚げ一族というのがいて、中華料理屋のショーウインドーの最下段に、物々しく列席していたものだがいまは亡びた。
そして、青椒肉絲《チンジヤオロウスウ》などの新興貴族が、いま華やかに台頭してきている。
この世界の浮き沈みの激しさを、得意の省略法で描き尽くして秀逸、といわれている名高い部分である。
貴族社会の絢爛と哀歓を描き尽くして、物語は突然、お飲み物の部の大パーティーとなっていよいよ終焉を迎える。大河小説のラストシーンにふさわしい場面ではないか。
ビール、老酒、コカ・コーラ……。日本酒、ジュース、キリンレモン……。
かつてはここに、白乾《パイカル》一族が必ず招待されていたものだが、いまその姿は見あたらない。
こうしていまあなたは、見開き二ページの大河小説を読み終えたわけだ。
そして、あすもまた、このページを開くにちがいない。そしてあさっても。
メニューには、それほどのエンターテイメントがあるということが、わかったかい、ねえちゃん。
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「とても」の宵
こういう話はとても書きづらい。
(とてもいい思いをした)という話は本当に書きづらい。
いい思いをした人は、とかく人にねたまれるし、やきもちを焼かれる。
だから本当は書きたくない。胸にしまっておきたい。
しかし自慢もしたい。
どっちかというと、そっちのほうの気持ちのほうが強い。
うん、書いているうちに、だんだん強くなってきた。
いい思いというのは、とても高くておいしいものを、美女と一緒に、タダで食べたということなのである。
どうです。これ以上のいい思い≠ヘめったにないと思いませんか。
つい書いてしまったが、このいい思い≠フうちの、「タダ」というところは、特筆すべきことではなかった。
「タダ」というのは、いってみればどうでもいいことで、われながらはしたないことであった。
美女というのは、うつみ宮土理さんと女優の洞口依子《どうぐちよりこ》さんである。
洞口さんは、映画「タンポポ」にも出演した若手の女優さんである。
とても高くておいしいものというのは、世界の三大御馳走といわれる、キャビアとフォアグラとトリュフのことである。
どうしてこういうことになったのかというと……、ここから様々なことを説明しなければならない。こんなことは、実はどうでもいいことであって、ああ、早くキャビアとフォアグラとトリュフのことを書きたい。
書いて自慢したい。
だけど一応、説明もしなければならぬ。
いまニューヨークでは、映画「バベットの晩餐会」による「バベット現象」というのが起きているという。(そんなことはどうでもいいんだ)
この映画は、一種の料理映画で、様々な料理が出てくる。
一方、この料理を、そのまま再現するレストランがあって、映画を見た人はそのレストランに直行してその料理を食べる、というのが「バベット現象」というものなのだそうだ。
映画のストーリーは(これもどうでもいいんだけどなあ)、貧しいうえに禁欲を強いられているデンマークのプロテスタントの村人たちが、あるとき、大御馳走をふるまわれて「おらァ、ぶったまげただ」という映画である。
むろん、御馳走に至る経過や、ぶったまげ方に工夫がこらされていて、そこのところが秀逸、ということでアカデミー賞外国語映画賞というのを受賞している。
それでもってですね、この映画は近く日本でも封切られ、御馳走のほうも、「それじゃうちでつくろうじゃないか」という店が現れ、「それじゃそれを記事にしようじゃないか」という雑誌(「週刊朝日」)も現れ、「それじゃあいつに食わしてみようじゃないか」ということになって、われわれ一同が選ばれた、とこういうわけなのです。
(早くキャビアにいきたいなあ)
とにもかくにも映画を見る。
バベットというのは、この映画の主役の女性シェフの名前である。
映画のほうは上の空で見て、しかし料理のところだけはしっかり頭に入れ、料理のほうのホテル西洋銀座に向かう。
ホテル西洋銀座というところは、とても高級でとても値段の高いホテルで、ふつうの人は足がふるえて、とても簡単には入れないというとてもホテルなのである。
こういうところへ、とても美しい女性とタダで入っていって、タダでとても高い料理を食べるというとてもの宴が開始された。(キャビアもうすぐです)
まず食前酒としてシェリーが出た。アモンティヤードというとても有名でとても高いシェリー酒で、ミディアム・ドライと書いてあるが、そのわりにはかなり甘い。
料理の第一陣は映画と同じ海亀のスープ。ただし海亀は、いま捕獲禁止とかで、スッポンが代用されている。
きわめて上等のコンソメで、亀系の味を抑えて、あくまでコンソメでいくんだ、という方針のスープである。
それからシャンパンが出て、そして、ついに出ました、キャビアが。
そば粉のクレープの上に、大サジ二ほどの大粒のキャビア。
映画では、キャビアの上にサワークリームがのっていたが、ここではキャビアの下に収めてある。
魚卵とは思えないようなキャビアの脂っぽさと塩気を、サワークリームでなだめ、そば粉のクレープでとりなす。
その間隙をぬってキャビアが立ち現れようとするのを、またサワークリームとクレープが取りおさえる。
ふつうのフランス料理のコースは、オードブル、スープ、魚、肉、デザートという順序になるが、この「バベットメニュー」は、スープ、オードブル(キャビア)、肉、デザートという順序になっていて魚の部分がない。
メインディッシュの「ウズラのパイケース詰めソースペリグルディーヌ」が出る。
これは映画とまったく同じ造りである。ウズラの肉を開き、そこにトリュフをのせたフォアグラを収め、まわりをパイ皮で囲んである。
トリュフは五百円玉二個大で、フォアグラはマッチ箱大である。フォアグラたっぷり!
ソースは、ややねばりがあり、かなり甘めである。
そしてですね、このソースの中にもですね、トリュフの細片がたっぷり混入されているのです。トリュフたっぷり!
しかしぼくはいつも思うのだが、このトリュフというものは果たしておいしいものなのだろうか。
世界の三大珍味の一つなのだそうだが、ぼくはいつもおいしいと思って食べたことはない。
と、ここで気づいていただけたでしょうか、さり気なく文章の中に自慢が混入されているのを。「いつも」のところです。(本当は二度しか食べたことがない)
わりに淡泊な味と舌ざわりのウズラに、フォアグラの脂と香りとネットリ感が加わり、ソースの甘みが加わり、ソースに濡れて湿《しと》ったパイが加わり、それが一つの味になり、そこのところへ上等の赤ワイン(クロ・ド・ヴージョ、一九八三年)を流しこむと、うっとりとなって次にぐったりとなってしまうのであった。
これらが、ぜーんぶタダだ、と思うと、今度はニッコリとなってしまうのであった。
映画を見て、映画と同じ食事をすると、共通の話題があるから自然と会話がはずむ。すっかり会話の途絶えた中年夫婦の「会話復活テストケース」として、こういうセットはいいかもしれない。
それでも会話が復活しなかったら……。
いかにもありそうでこわい。
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味つけ海苔の陰謀
和風旅館の朝食には、大抵味つけ海苔がついている。お膳のうしろのほうに、ひっそりと、ひかえめに置いてある。
ぼくはいつも、あれが気になってしかたがない。どういうふうに気になるかというと、まず、いつ手をつけるかということが気になる。
むろん、手をつけないで済ます、ということも考えられる。
もともと味つけ海苔の役割は非常用である。ゴハンに対しておかずが足りなくなったときに、非常用として駆り出されるものである。
食事の運営がうまくいって、非常事態が発生しなければ、手をつけないまま放置される。
しかし味つけ海苔といえども、その値段は宿泊費に加えられているはずだから、この場合、明らかにそのぶん損をすることになる。
それはどう考えてもしゃくだ。
味つけ海苔の値段は、一袋二十円ぐらいのものである。
「なんだ二十円か」
と軽く考えてはいけない。
ここから旅館側の陰謀が始まるのだ。
和風旅館の味つけ海苔は、他のおかずと比べて特別待遇をうけているという事実にまず注目してもらいたい。
味つけ海苔はセロハン状のもので堅く密封されている。
このセロハンの包装は厳重で、なまなかの努力では簡単に開封できないようになっている。
「それはそうさ。海苔はしけったらおしまいだもの。しけらぬよう、味が変わらぬよう厳重に密封してあるのさ。むしろ良心的といってもいいんじゃないかな」
などという人もいるだろう。
だからキミは甘いっていうのです。
あの密封≠ェそもそも陰謀の第一弾なのです。
陰謀の第二弾は何か。
それがあのうるし塗り風豪華舟型プラスチック容器フタ付き≠ニいう、ものものしい味つけ海苔専用容器なのです。
あの容器は、味つけ海苔以外のものに使われることは絶対にない。
例えば、朝食の主役のアジの開きでさえ、専用皿にはのっていない。
この皿には、シャケがのることもあるしブリの照り焼きがのることもある。
だし巻き卵ののっている皿も、生卵が入っている小鉢も、決して彼ら専用のものではない。
ただ一つ、味つけ海苔だけが、専用の容器を与えられているのである。
役所なんかでも、うんと偉い人は黒塗りの専用車を与えられるとか伝え聞く。
たった二十円のものを、セロハンで厳重に密封し、豪華容器に入れ、入れただけではなく、豪華フタまでかぶせてしまうその意図は何か。
それは、
「ここまで面倒みたからには、もうどうあっても二十円≠ナは済まさないぞ」
という旅館側の激しい情熱を物語っている以外の何ものでもないのだ。
どうです、こわいでしょう。
豪華容器なしで、セロハンのまま、お膳の片すみに放りだされてあるならば、
「ま、せいぜい五十円も取られるかな」
という程度で済むが、こうなった以上何万円取られるかわかったものではない。(まさか)
陰謀はこれだけで済んだわけではない。
味つけ海苔は、朝食の健全運営に失敗した人だけが手を出すとは限らない。
食事の途中の気散じ、箸休めに、ふと、手を出す人もいる。
セロハン厳重密封は、こうした人たちに対して実に有効である。
あのセロハンは簡単には破れない。
強引に破ろうとすると、中身ごとビリビリと破れるおそれもある。
気散じ、箸休めの人は、味つけ海苔にそれほどの情熱を持っているわけではないから、二度、三度と試み、意外な抵抗にあい、「ま、いいか」ということになって元に戻すということになるのである。
面倒がりの人も、味つけ海苔には手を出さない。
豪華容器のフタを取ったり、厳重密封のセロハンを破るのを面倒だと思う人は目をやるだけで手を出さない。
このようにして、食事運営がうまくいった人と、気散じの人と、面倒がりの人の分の味つけ海苔は、無傷のまま、お膳の上に残されることになる。
この無傷の味つけ海苔の行く末がどうなるか、それはいうまでもなかろう。
食事係のおねえさんの手で回収され、二度、三度と、朝食のお膳にのぼるにちがいないのだ。
なかには、旅館創業以来、一度も傷つくことなく未だに回収され続けている強運の味つけ海苔もあるという。(ないって)
しかもです。
食事運営がうまくいって手をつけなかった人の旅館代にも、きちんと海苔代は計上されるのである。
健全に食事を運営したばっかりに、かえって大損をするという(二十円。二十円)とんでもないことになってしまうのである。
それらのことを思うとき、ぼくの心は千々に乱れる。
旅館の朝食を食べながら、味つけ海苔の容器に目をやっては心が乱れる。
こうした陰謀を、このまま放置しておいてよいのだろうか。
海苔代のことはさておこう。
これはそうした、損した得したという問題ではない。
社会正義の上からも、ひいては倫理上の問題としても厳しく糾弾されなければならないはずだ。
そして、そうした問題が解決された上で、改めて損得の問題(二十円。二十円)が論議されるのはぼくとしては一向にかまわない。
朝食のアジの開きを突つきながら、ぼくは意を決して味つけ海苔の容器のフタを取りあげる。食事運営に失敗したわけではなく、
(世間はそう甘いもんじゃない)
ということを、旅館側に知らせるためだ。
袋をビリビリと破き、一枚取り出し、お醤油によくひたし、ひたした側を内側にし、ゴハンにかぶせ、箸で丸めて下方で閉じて口に持っていく。
こわばった海苔は、口中で一瞬のうちにしおれる。
乾燥から湿潤に至る一瞬の味わいが海苔のいのちである。
二枚も食べればもう十分なのだが、海苔というものは残した分が妙に気になる。
刻々としけっていくような気がして気が気ではない。海苔にはいつも心を乱されてばかりいる。
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ニチャカリの口《ヽ》福
「ギョウザのおいしさは、カリカリに焼きあがった皮の香ばしさにある」
こういうと、本場中国のギョウザをよく知っている人たちから、いっせいに非難をあびる。
「あちらのギョウザは、焼かないの。水《すい》ギョウザか蒸しギョウザしかないの」
グッ。(グッとこらえた音)
皮の問題はそれでもいい。
「ギョウザのグのおいしさは、結局、ニラとニンニクの魅力だよね」
そういうと、
「あちらでは、グにはニラもニンニクも入れないの」
グッ。
グの問題はさておくとして、
「ギョウザって、面倒だけど、あのヒダヒダをつけると、いかにもギョウザらしくなるんだよね」
というと、
「あちらのギョウザは、ヒダヒダつけないの」
グッ。
じゃあ、ヒダはつけなくてもいい。
「ギョウザって、焼きたての熱いやつを、唇が触れないように用心しながらかじりとって、アフアフなんていいながら、かじりとった皮の破れめを愛情こめて見つめたりするところに趣があるんだよね」
というと、
「あのね、あちらのギョウザは一口大なの。それを一口で食べるのが正しいの」
ぼくは、いつもこのへんで怒りますね。
うるせーって。
もう一回はっきりいう。
「ギョウザは、アツアツ、カリカリの皮の焦げめにおいしさがあり、ニラ、ニンニクの香りのないギョウザなんて足で踏んづけたほうがよく、ヒダのないギョウザは気持ちわるく、大きさはかじりとれる大きさ」だと。
水ギョウザの、ノドにツルリとすべりこむおいしさもわからないわけではないが、しかしあれは別のおいしさです。
アグネス・チャンさんが書いた中国料理の本を読んでいたら、日本でいう餃子はたしかに水ギョウザのことだが、焼きギョウザは「鍋貼《クオテイエ》」という名でちゃんとあるのだ、と、チャンさんがちゃんと書いているのだ。
ラーメン屋のギョウザは、底面の焦げめを、わざわざ上に向けて並べて出す。
本来なら、ヒダのついたほうが上にくるはずだし、スーパーなどで生で売っているものはちゃんとそうなっている。
客にわざわざケツのほうを向けて出すということは、それだけケツに自信があるということなのだ。
客は、そのケツのコンガリ具合を見て食欲をいっそうそそられる。
もしギョウザにニラとニンニクが入っていなかったら、われわれは一体なにを頼りに生きていったらいいのか。
ヒダだってそうだ。
あのヒダは装飾のためだけではない。
ヒダのミゾに、ラー油入りのタレがよくからむという役割もはたしているのだ。
それに、なんだって?
ギョウザは一口で食うものだって?
出来たてのアツアツのギョウザを、つい油断して口一杯に頬ばって、地獄の思いをした人はたくさんいるのだ。
熱い鉄板とたったいま別れてきたばかりのカリカリの皮は、驚くべき熱さで舌と上アゴを焼く。
た、た、たいへん、と思ったときは時すでに遅く、と、と、とにかく、ギョウザと口の接触を断とうと、とりあえず口を大きくあけ、こういうとき、人はなぜか上へ逃れようとするもので、アフ、アフ、をくり返しているうちに、つい立ちあがってしまう人もいる。
それほど熱くなかったとしても、一口でパクリと食べてしまうのはなんとなく寂しい。シュウマイの寂しさはこの寂しさだ。
シュウマイをパクリと一口で食べると、なんだか寂しい。
カリカリのおいしさを、より多く味わってもらうために、ラーメン屋のギョウザは底面を押しつけてわざと大きくしてある。
本職の人に聞いたギョウザ作りの秘訣は、次のようなものだ。
@皮作りのとき、ふつうは熱湯で小麦粉を練るが、熱湯の代わりに鳥ガラスープを使うとよりおいしくなる。
A挽き肉の代わりに、バラ肉を包丁でよくたたいて使う。(挽き肉は肉のエキスが抜けていることが多い)
Bグには酒を少々。ラードを少々。
C焼く途中で水を入れるが、水ではなく必ず熱湯を使うこと。
Dグの肉と野菜は、あまり混ぜすぎない。(ネバリが出るとグが堅く引きしまる)
Eグを皮で包んだら、底面を押しつけて平らにする。(きれいな焦げめができる)
皮まで作るのはたしかに大変だが、スープ入りの皮で作ったギョウザは、いつものより二倍おいしい。
大抵の家では、家族全員でギョウザ作りをしたことがあると思う。
@家族全員でギョウザ作りをしたことがある。
Aない。
これによって、その家族の親密度がはかれるという。
ギョウザ作りは楽しい。
自分が小学生に戻り、工作の時間に工作をしているような気分になる。
大きなボウルに肉と刻んだ野菜を入れ、酒と塩と醤油と生姜《しようが》のしぼり汁とゴマ油とラードを入れ、手でニチャニチャとこねまわしていると、だんだんいい匂いがしてくる。
そのままでも食べられそうな実にいい匂いで、つい誘惑に負けそうになる。
それからいよいよ、皮のまん中に、サジですくったグをのせて包む包装作業に入る。
ぼくは何回やっても、最初のうちはどうしてもグを多く入れすぎてしまう。
多すぎて、閉じ口からグが滲み出てしまう。二回めからは、こんどこそ少なめに、と思うのだが、またしても多く入れすぎてしまう。
グをたくさん入れたい≠ニいうあの欲求は一体何なのだろう。
ひもじい育ち、なんてものも関係しているのだろうか。
こうして大小さまざまのギョウザができあがる。家庭のギョウザは、大きさがそろってないところに味がある。
焼きたてのギョウザを口に入れると、まず皮の時代≠ェやってくる。
アツアツ、カリカリの部分を、アフアフと味わっていると、次に皮の柔らかい部分が破れ、うん、この部分のツルリとした味わいも、これでなかなか、なんて思ったとたん、そこの部分が破れて突如ニチャニチャの一団が現れ、口一杯に拡がる。肉と野菜がほどよく熱せられた香ばしさと、ギョウザ特有のニチャニチャ感にひたっていると、そこへ、お忘れではありませんか、と、カリカリの皮が再び参入してきて、口中はニチャカリの口《ヽ》福で一杯になる。
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目には青葉……
目も耳もタダだが口は高くつき
という川柳がある。
ちょっと読んだだけでは何のことかわからないが初鰹を詠《よ》んだ句である。
江戸時代、
俎《まな》板に小判一枚初がつお
というくらい、初鰹が高かったころの句である。
これは川柳なので、かなりの誇張があるようだが、それでも現在の貨幣価値に換算すると、鰹一本が二万円程度で取引されたらしい。
こうなると、「女房質においても」ということになるのも当然といえる。
ぼくが、つい最近買ってきた鰹は、やや大きめのやつで一本二千円だった。
鰹は実に持ちづらい魚である。
胴体が太く丸く、体の表面にウロコがなくてツルリとしている。
おまけに、魚の取っ手ともいうべき尾の際《きわ》のところに鋭いトゲトゲがあって、鰹をいっそう持ちづらくしている。
同じ大きさの鮭と比べてみると、その持ちづらさがよくわかる。
持ちづらさという点では、スイカが野菜の横綱、鰹は魚の横綱だ。
もっとも鰹は、人間にぶらさげられることを考えてこうなったわけではないから、そのことを一概に責めることはできない。
持つには持ちづらいが、泳ぐには泳ぎやすそうだ。
まるで砲弾のような、ムダのないツルリとしたスタイルは、泳ぐための機能美を感じさせる。
「走りのプロ」という言い方があるが、こちらは「泳ぎのプロ」だ。
少なくとも素人じゃない。
ヒラメとかアンコウとかオコゼなどは、海底でバタバタと、みっともなく砂ぼこりをあげたりして、こちらは明らかに泳ぎのほうは素人である。
体にデコボコが多すぎる。
そこへいくと鰹は、なにしろ泳ぎのプロだから太平洋をあっちの隅からこっちの隅へと、すっ飛んで行く。
世界をマタに駆け回る現役の商社マン、という感じがある。
しかし、よく考えてみると、鰹はいつまでたっても現役である。いつまでたっても退職できない。
一方、ヒラメやアンコウやオコゼは、すでに定年退職して悠々自適の生活を送っているという気がしないでもない。砂ぼこりなんかあげたりしてノンビリ遊んで暮らしている、というふうにみえなくもない。鰹が今日もあしたも、大忙しですっ飛んでいくのを横目で見ている。
初鰹というと、とにもかくにも、とりあえず「たたき」という風潮が昨今はびこっている。
しかし、「たたき」はおいしいだろうか。
生の魚に、ニンニクやらアサツキやらシソやらショウガやらをまぶしたら、何の味だかわからなくなってしまうではないか。
それに酢は鰹に合うだろうか。
一切れを厚く切るのも気にくわない。
一切れが大きすぎて、口の中が鰹で一杯になってしまう。
ふだんのぼくは、ステーキでも寿司ダネでも札束でも、「厚い」ということに感激するタチだが、鰹の厚切りだけは好きになれない。
どうも「たたき」は好かん。
ジャパン・バッシングもやめてもらいたいが、鰹バッシングもやめてもらいたい。
鰹は単純に食べるほうがおいしい。
鰹は皮がおいしいから、皮つきのサクどりを買ってくる。
これを金串に刺して、皮のほうだけガス火に突っこんでパチパチと焼く。
これをふつうの刺し身大に切って生姜醤油で食べる。これが一番おいしい。
鰹の刺し身はワサビが合わないというがこれは本当のようだ。
なぜかワサビが浮いた感じになる。
ワサビと鰹が一体にならない。
練りガラシというテもあると聞いたのでためしてみたが、これもあまり感心しない。
鰹丼もいける。
鉄火丼のマグロを、鰹に代えたものである。
サクどりした鰹を、四ミリぐらいの厚さに切る。途中でちょん切れて切りくずみたいになってもかまわない。そのほうがかえっておいしいくらいだ。
これを醤油にひたして十分ほどおく。醤油は、煮切ったミリンとダシ汁(昆布とカツオ)で少し薄めておく。
十分たったら引きあげ、つけ汁がビタビタたれるまま、熱い丼めしの上にのせる。針生姜、細く切ったノリをのせる。
これは十人食べた人のうち、十一人はおいしいという。一人増えているが、これはそばで見ていてどうしても食べたくなった人である。
かつてはこれを、鉄火丼より上という意味で、銀火丼などと称していたのだが、最近は考えが少し変わって、大人しく鰹丼ということにしている。
自家製のナマリ節もおいしい。
これは作り方が実に簡単で、あっけないくらいだ。
サクどりした鰹に、満遍なく薄く塩を振る。
塩をなじませるために十分おく。
蒸し器で十分蒸す。
これで、できあがりである。
熱いうちもおいしいし、冷めてもおいしい。生姜醤油が合う。
蒸すのを五分にすると、まん中が生の、ジューシーなナマリ節になる。
これがまたこたえられない。
ナマリ節と鰹の刺し身をいっしょに口に入れたような、生では出てこない鰹のダシの味が少し出たような、そんな味が生姜醤油とよく合う。蒸す時間を二分にしたり三分にしたりすると、ナマと蒸した部分の比率の変化が楽しめる。
旧友再会漬というのもなかなかいける。
市販の酒盗を改良したものである。
ビン詰めの酒盗はおいしいのだが、どれもこれも塩からすぎる。味がきつい。
そこでこれを、丼なりボールなりに全部あけてしまう。
ここに、鰹の刺し身をこまかく刻んだものを同量以上足す。生の鰹を足して塩気を和らげるわけだ。
腹皮の部分なども入れると、歯ざわりの変化を楽しめる。
よくかき混ぜてビンに戻す。量が倍になっているから、もうさっきのビンには入りきらないよ。
これを冷蔵庫に入れて二晩ほど寝かせて味をなじませる。
これはもうおいしくて、「これだけでゴハンを一ぜん食べよう」などと思ってもそれはムリな話だ。どうしても二ぜん食べてしまう。
旧友再会というのは、一度離れた身とハラワタが、ビンの中で再会するからである。
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夏の甘いもの
六月に入ると、洋菓子屋の店頭にはゼリー物が急に増えてくる。
新聞の折り込み広告には、お中元のギフト用品の案内が増えてくる。
そのギフト案内の、食品の項目の中でかなりの幅を利かせているのが、水羊かん、ゼリー物の詰め合わせセットだ。
甘いもの界に、急に涼風が吹き渡り始める。
ぼくは「甘いものに目がない」というほどではないが、「鼻がない」という程度には好む。
わざわざ買ってきて食べるほどではないが、目の前にあれば、「ぼくは甘いものに鼻がなくてね」なんて言いながら手を出す。
特に水羊かん、ゼリー物には鼻がない。
冷たく、ツルリとした舌ざわりは夏のものだ。
お中元の水羊かんは、輸送の関係で缶入りだが、眺めて楽しめ、けずりとって楽しめるのは、やはり和菓子屋で売っているきちんとした裸の立方体のほうだ。
堂々と大きく、なんのテライもない直方体で、スッパリと切った切り口に気品がある。角《かど》がとがって鋭い直線になっている。
上面が、水面のように光って、側面のやや鋭い光と好対照をなしている。
色は、和菓子の伝統と格式に輝く羊かん色《いろ》≠ナある。
そして、その下に、いま切ってきたばかりのような緑の色濃い桜の葉を敷いている。
この、気品と伝統と格式に、あの和菓子用フォーク≠めり込ませるときの感触もわるくはないが、ぼくとしては最初のひと口はわが歯をめり込ませたい。
すなわち丸かじりの儀≠ナいきたい。
水羊かんを、用心深くフォークで刺し、用心深く口のところへ持っていき(なにしろ崩れやすい)、アグ、と、ひと噛み。歯はズルズルと水羊かん内部にめり込んでいく。このときの感触がたまらなくいい。
めり込んでいって、勢い余って水羊かん内部で、上の歯と下の歯がカチンと音をたてたりするのもいい。
みずみずしくて冷たい水羊かんの両面が唇にあたる。
噛みとったあと、なぜか急にしみじみした気持ちになって、自分が噛みとった水羊かんの歯あとを、しみじみと眺めたりする。
わが業績をしみじみと眺める、というか、偉業をふり返る、というか、そういうことをするものなのだ。
さて、ここで問題です。
この噛みあとを見れば一目瞭然なのだが、上の歯と下の歯とでは、どちらが多く水羊かんを噛みとっているでしょうか。
つまり、どっちの歯が、この噛みとりに大きな功績を残したでしょうか。
@上の歯である。
A下の歯である。
正解はAです。
上の歯と下の歯の噛みあとの境目は、かなり上のほうにある。
さて、手に持ったほうの水羊かんはこれぐらいにして、口の中の水羊かんのほうに話を移そう。
口の中の水羊かんは、冷たく甘くねっとりと舌にまとわりつく。
最初は舌の中央、そして次第に舌の先端のほうに移動させている自分に気づくにちがいない。
甘みは、舌の先端のほうがより強く感じる。
そしてその次に、甘みをより一層強く感じたいためであろう、なんと、舌の上の水羊かんを、口の天井に押し上げ、強くこすりつけている自分に気づくはずだ。
人間の業の深さというものを、つくづく感じるひとときである。
そのあと、天井に張りついた舌を、前方に押し出すことによって舌の上の水羊かんをこそげおとす。
このときも、アズキと砂糖とカンテンが混じりあった甘さを強く感じるはずだ。
だから、水羊かんを口にした人は、必ず一度は舌の先を口の中からチロリと突出させることになる。
下品ということをあまり考えない人は、ここで甘みの余韻を楽しむかのように、赤ん坊をあやすときのような「ン[#小さい「ン」]パッ」というような音をさせる。
甘みに粘りを加えることによって、しつこく、ねちねちと、舌にからませ、こすりつけさせて味わわせようというのが、水羊かん側の策略なのだ。
もともと粘りと美味とは大いに関係がある。
世界の三大美味だか四大美味だかに、フォアグラ、キャビア、北京ダックが入っているが、このいずれもが粘る食べ物である。
北京ダックに至っては、ダックそのものは粘らないので、わざわざモチモチした粘る小麦粉製の皮を参加させているほどだ。
水羊かんに、あまりにこだわってしまった。
ゼリー、カンテンものに移ろう。
お汁粉が冬の甘味の代表なら、夏の代表はミツマメ(含むアンミツ)ということになろう。
男は、いわゆる甘味処≠ノは行けないから、ミツマメを食べるときは缶詰ということになる。
ミツマメ缶は夜中に食べるとおいしい。
ミツマメ缶は、カンテン、ミカン、サクランボ、求肥《ぎゆうひ》、赤エンドウ(黒豆みたいの)、ナシ、アンコといった構成になっている。
これらのものを、ただスプーンですくって適当に食べればいいというものではない。そこにはおのずと、エコヒイキというものが生まれる。
黒豆みたいなものは何となく邪魔で、早めに始末したくなる。そこで片はしから拾って食べてしまう。
ところが人さまざまで、これを大切にとっておいて、あとでゆっくり楽しむという人もいる。
ミカンも邪魔だ。ナシの切れはしも目ざわりだ。「あっちいけ」という感じになる。
かわいいのはカンテン、求肥、アンコたちで「こっちおいで」という気持ちになる。特に求肥はかわいい。
ネッチリとしているのに歯ばなれのいいところが好もしい。
夏の甘味としては、あと、杏仁豆腐、フルーツゼリー、クズザクラ、すあま、なんてものも捨てがたい。フルーツゼリーを前におき、スプーンを右手にかまえ、さてどのあたりから攻めようか、というひとときもなかなかいい。
桃のシロップ缶というのも捨てがたい。
恥ずかしい話だが、ぼくは桃缶のシロップが好きで、どうしてもひと口飲んでしまう。(本当のことを言うと三口ほど飲んでしまう)
女の人にはわからないだろうが、男は甘いものを食べたあと、甘味と共に罪悪感のようなものも残るものなのである。
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ソーメン方面の怪
このところ暑い日が続いたので、「ソーメンでも食べようか」という気になってソーメンを食べに行った。
近所のそば屋に行った。
この店は、むろん、そば、ウドンが主体なのだが、納豆定食もやれば焼き鳥もやる、ラーメン当然、冷やしトマトあります、といったような、ケジメということをあまり考えない店なのである。
「ソーメン、ひやむぎ、各600円」とある。
ソーメン(含むひやむぎ)は、夏になると必ずそば屋に出現するメニューだが、ぼくはこれまで、こういう店でソーメンを食べている客を一度も見かけたことがない。
客がこぞって注文する、という品物ではないようだ。
しかしこうして、夏になれば必ずメニューに出現するところをみると、誰かがいつかは注文して食べているはずだ。
ソーメンは誰でもつくれるし、味にそれほどの差は出ないから、なにも外で金出して食おうという気になれない、というところがあるのかもしれない。
だから外でソーメンを食べている人は多少奇異の目で見られる。
ちょうど昼めしどきだったので、近くの会社づとめのOL三名と相席になった。
OL三名は、自分たちの品物が到着するまでの間、かわるがわるチラチラと、ぼくのソーメンに視線を投げかけるのであった。
ソーメン、及びそれを食べているぼくに対して、不審、ないしは当惑の表情を隠さないのであった。
不快、というほどではないが、楽しかるべきランチタイムに自分たちの周辺で起きてしまった好ましくない出来事≠ニしてとらえているようすであった。
ソーメンは、どうしてそのような扱いを受けるのだろうか。
その理由のひとつに、実体のわりに値段が高い、ということが考えられる。
たとえばこの店のラーメンは350円である。
ラーメンは、スープで評価が決まるところがあるから、スープには手間もヒマもかける。カツブシ、昆布、煮干し、トンコツ、鶏ガラ、玉ネギ……と、手間もカネもかける。
焼き豚、シナチクにもきちんと味をつけなければならない。
一方、ソーメンのほうはどうか。
ソーメンの丼に入っているのは水である。
くどいようだが、ただの水である。
カネも手間もヒマもかかってない。
焼き豚、シナチクに相当するものは、この店の場合、キュウリ二切れ、ミカン二フクロだ。キュウリは切っただけだし、ミカンは缶詰から取り出しただけだ。
これで600円取るのだから、いい度胸だといわなければならない。
ラーメンはもうけがないから、そのかわりソーメンのほうでうんと取って帳尻を合わせようという魂胆にちがいない。
「ラーメンの仇《かたき》をソーメンで」
という考えが、そば屋にあるとしか思えないのだ。
ソーメンは食べていてなぜか虚《むな》しい。
いや、注文するときからすでに虚しい。
ラーメンとかカツ丼とかを注文するときの、あの熱い期待感がまるでない。
水底に寂しく沈んでいるソーメンの白いかたまりが目に浮かぶだけだ。
この寂しさをおおい隠そうと、店側は様々なものをその上に飾りたてる。
サクランボ、ナシ、桃、トマト、シソの葉、うす焼き卵、エビ、しいたけ、ハム、そしてキュウリ、ミカン。
うんと値段の高い店では、これら全部を投入しているところもある。
こういうソーメンは、最初のうちこそにぎやかできれいだ。
それぞれが定位置に座を占めている。
しかしひとたび食べ始めれば、座は乱れ、これら浮遊物はあちこちに散乱し、沈み、千切れ、さながら洪水のあとの被災地のごとき様相となる。
八百屋と果物屋と肉屋が洪水にあって、店先から品物が流れ出た、というような光景となる。
あるいは、難破船が沈んだあとの太平洋上、といった惨状にもみえる。
水に漬かってしまった被災品(キュウリ、ハム、エビ……)などは、うまいはずもないから当然食べない。
ただひたすらソーメンだけを食べる。
だから外で食べるソーメンは、食べたあとの充実感がきわめてうすい。
白くて細い麺をくり返しくり返し食べた、という記憶しか残らない。
量が少ないせいもあって、なにか物足りなく、栄養的にもなにもなかった、と食べ終えて虚しく、お金を払うときも虚しく、帰途も虚しい。
そのかわり、家で食べるときのソーメンは、これとまったく逆の現象になる。
物足りないどころか、食べに食べて、気持ちがわるくなるまで食べてしまう。
家で食べるときは、大きな器にどっさりとソーメンを盛ってテーブルのまん中に置く。それを各自が好き勝手に取って食べる、という方式が多いはずだ。
これだと、どのくらいの量を食べたかがわからない。わからないからどんどん食べてしまう。
冷たいし、口あたりはいいし、ノド越しもいいし、さっぱりしているからいくらでもおなかに入る。
しかも休むことなく、次から次へ箸が出ていく。ラーメンのように熱いものででもあれば、途中ひと休み、というひとときがあるものだが、冷たいからそれもない。
もうこのへんでやめようかな、と思い、いったん箸をとめ、目の前の涼しげなソーメンを見るともなく見ていると、ごく自然にまた箸がのびる。
もうやめた、今度こそほんとーにやめた、と決心して箸を止めるが、いつのまにかまた箸が出てしまう。
そして、「ウン、なんかこう、おなかがくちくなってきたようだな」と気づいたときは、もうすでに遅いのである。
ここから突如として、急激に満腹感が襲ってくる。満腹感というものは、ふつうは徐々にやってくるものだが、ソーメンに限っては常に突如であり、突如のあとの加速感がまたすごい。
急に苦しくなって前かがみになって食卓をはなれ、這うように、泳ぐようにしてソファのところにたどりついてバッタリと倒れ込む。
まさに食い倒れである。
ぼくはこれまで、何回食い倒れを経験してきたことか。
食い倒れとはいっても、大阪あたりの本格的な食い倒れではなく、たかだかソーメンの食い倒れであるから経済的な損失はそれほど大きくはない。ソーメンばかりは、だれでも毅然とした終了≠ヘ無理のようだ。
迷いぬいたあげくの、倒れ込み付きの終わりになってしまう。
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ビアホール考現学
ビアガーデンのほうはまだまだ、ビアホールのほうはいまが全盛。
ビアホールはいま、どこへ行っても客の熱気でムンムンしている。夕方の五時半ごろに出かけて行っても、すでに行列ができているところもある。
六時をちょっとでも過ぎると、どこでも行列は覚悟しなければならない。
たとえば銀座のLビアホールは、六時ちょうどで、すでに二十メートルほどの行列ができていた。
ビアホールの入り口の行列の人ほど哀れなものはない。
行列の先頭の人は特に哀れだ。
すぐ目の前で、大ジョッキぐびぐび、アツアツのソーセージぱくぱく、ウン、このカラシがよく効いて、皮がパリッと破れたときのこの感じがどうにもこう……なんて言いながらワイワイ、ガヤガヤやっているのを立って見ていなければならない。
とにかくもう、ほんの目の前の目のま下のところでこれをやられる。
ぐびぐびとノドが動くのを、半ば憮然、半ば呆然と見ていなければならない。人生において、このぐらいつらいことはそう滅多にあるものではない。
目の前に御馳走を置かれて、おあずけを食らっている犬よりもっとつらい。
天を仰ぎ、腕を組み、足を置きかえ、深くうなだれ、また天を仰ぐ。
暗然、拱手、嘆息。
ビアホールの入り口に並んでいる人は、深く深く絶望している。
それに焦燥が加わっている。さらに憎しみも加わっている。
飲んでいるほうは、これみよがし、というわけではないのだが、見ているほうにはそう見える。
〈そこのテーブルのその二人づれ。そう、おまえとおまえだ。そのデブハゲとヤセメガネだ。さっきからオレ、ずーっと見ているけど、その大ジョッキ、だいぶ前からカラだろ。枝豆も、それみんなカラだろ。会話だってさっきからもう全然ないじゃないか。追加をたのむならたのむ。出るなら出る。どっちかにしたらどうなんだ。エ?〉
と、憎しみのターゲットを一カ所にしぼる。
そして世の中を怨み、社会の仕組みをのろう。
しかし、テーブルがあいたことをボーイが告げたとたん、たちまち表情がくずれてルンルンとなり、〈さっきのことすべて許す。世の中の仕組み、これでなかなかうまくいってるじゃないか。デブハゲゆっくりしていきなさいね〉と、足取りも軽く席に向かう。
ことしのジョッキ相場は、大が830円、中630円、小430円といったところである。
端数の三十円がいい。三十円に、「ギリギリまで勉強しました」という真実味を感じる。
おつまみの種類は全部で六十種。
一番安いのが塩エンドウの430円、一番高いのがステーキ(百八十グラム)の一三〇〇円である。
枝豆が480円、焼き鳥500円、鳥唐揚げ700円、最多価格帯は550円といったところだろうか。
見ていると、テーブルについた人は、まず大ジョッキを注文する。
それから、とりあえず、という感じで枝豆。「大ジョッキ、枝豆」までは全員よどみなく、ここからみんな急によどむ。よどんでアゴをなでる。
ぼくは周りの人を注意深く観察していて、一つの法則を発見した。
それは、枝豆まじりの人は大したことない≠ニいう法則である。
最初に枝豆を注文した人は、その後の注文が大きく発展しない。
枝豆とポテトフライ、枝豆とチーズ、枝豆と焼き鳥といった範囲にとどまり、枝豆とステーキ、枝豆と鳥唐揚げといったような大きな発展が望めないのである。
それにひきかえ、ソーセージまじりの人には将来性がある。
ソーセージと生ハム・メロン、とか、ソーセージとパンプキン・チーズ・フライといったように、800円台価格帯に発展する場合が多い。
ここで一つ忠告しておきたいことがある。
たいていの人は、迷わず大ジョッキを注文するが、あれはやめたほうがいい。
大を注文した人の八割は、三分の一あたりでがっくりとペースが落ちる。
一度落ちたペースは、二度と戻ることはない。せっかくの生ビールは、次第にあたたまり、ガスは抜け、すっかり気の抜けたものとなる。
ビールは他の酒に比べて、急速に勢い≠ェつく。飲んでたちまち気が大きくなる。浩然の気が養われる。
ぼくの隣にすわった初老のサラリーマン二名は、枝豆だけで大ジョッキを完遂するつもりのようだ。
大ジョッキの半分あたりで気が大きくなったらしく、
「営業のわからん奴が来て、営業やられたんじゃたまったもんじゃねえや」
と、かなり声が大きい。
「たまには400万ぐらいの仕事をやらせてみろってんだ」
気が大きくなったわりには規模の小さい話をしている。
ビアホールの客はあまりねばらない。金額にして千五百円、時間にして三十分で席を立つ。
「400万と枝豆」も、きちんと三十分で席を立った。
せっかくの大ジョッキなのに、豪快に飲む人が少ないのもビアホールの客の特徴だ。
大ジョッキを一気に半分、という人はまずいない。せいぜい、ゴクゴクゴク、と、三ゴクぐらいでジョッキを口から離してしまう。
これでは口の中が冷えてこない。
大ジョッキのビールは、ゴクゴクやっているうちに口の中が次第に冷えてきて、やがて耐えられないほどキリキリに冷え、あーもーダメ、これが限度、しかし、もうひと頑張り、ウン、もうダメ、プハー、となるところにそのよさがある。
大ジョッキのビールは、その重たさも味のうちである。
冷たさと呼吸と重たさに、耐えきれなくなるまで頑張るところに大ジョッキのダイゴミがある。
ぼくは実験してみたのだが、口の中が冷えてきたな、と感じるのは七ゴクめあたりからである。だから最低、十ゴク以上は続けないと、大ジョッキのダイゴミは味わえない。
ところが、三ゴクどころか、ひとゴクでジョッキを口から離す奴もいる。
こういう人とはおつきあいしたくない。
こういう人は、こっちが、五ゴク、六ゴクと続け、(ダイゴミいよいよこれからだナ)というときに、「ところでキミ」なんて話しかけてくる。
このときほど無念を感じるときはない。
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ほたる観賞の夕べ
ホタルはいまや幻の昆虫となった。
ためしに、周辺の人十人に、ホタルを見たことがあるか、と聞いてごらんなさい。十人中八人は、見たことがない、と答えるにちがいない。
ただし、老人クラブなんかに行って聞いてはダメですよ。そういうところでは、みんな知っている。
ホタルを一度も見たことがない人は、虫のおしりが光る≠ニいうことがどうしても理解できないようだ。
ぼくも今回、椿山荘の「ほたる観賞の夕べ」というのに出かけて行って、一匹つかまえてつくづく眺めてみたのだが、しみじみ不思議であった。
一センチにも満たない虫の、その四分の一ほどの部分が、そこのところだけ突然、照明室になったように、冷たく明るく光り輝くのである。
まるで自分の呼吸に合わせているかのように、ぼくの手のひらの上で、強く弱く光り輝く。
強く輝くときは、闇の中の手のひら全体が明るくなるほど輝く。
不思議だ。
子供のときも不思議だったが、いまでも依然として不思議だ。
ぼくらが子供のころは、ホタルはいくらでもいた。ホタルなんてものは、ウチワでパシパシたたいたり、竹ぼうきを振りまわしてひっかけたりしてつかまえたものだった。
身分としては、カナブンよりはやや上、トンボ、カミキリ虫よりは下、という格付けだった。
しかしホタルはいまや出世して、芸術品扱いである。
なにしろ「観賞の夕べ」である。
能、狂言、歌舞伎、演劇、絵画、音楽に匹敵する存在となった。
ウチワでパシパシなど、とんでもないことだ。
「ほたる観賞の夕べ」は、どのようにとり行われるのであろうか。
場所は都内有数の名園の中に建つ、椿山荘の八階でとり行われる。
敷地二万坪。園内には、名花名木、緑また緑。
床にはじゅうたん、天井にはシャンデリア。
ホタル様とのとりあわせには、このぐらいの舞台装置を用意せねばなるまい。
形式は、いわゆるバイキング方式である。
≪椿山荘が誇る逸品料理の中から、お好きなものをお好きなだけご賞味いただけます。庭園にともる優美なホタルとともに、印象深い初夏の宵をご満喫ください≫
ぼくはこのパンフレットの中の、≪お好きなものを≫のところで胸が騒いだが、≪お好きなだけ≫のところではさらに胸がすっかり熱くなった。
お好きなだけ……何と感動に満ちた言葉であろうか。
「ほたる観賞の夕べ」、略して「ホタカン」は、この八階にホタルが飛んでおいでになるわけではない。
≪お食事をお召し上がりいただいた後、庭園を自然のままに飛びかうホタルをご観賞いただく≫のである。こちらから面会に出向いて行くのである。
とにもかくにもまず食事だ。
これを済まさないことには面会がかなわない。
八階ホールの片側に料理が並べられてあり、自分の名前の名札のテーブルにすわる。
○○様お席≠フ札が各テーブル上にある。○○工業様≠ネどの法人がらみもあるが、大半は個人名の家族がらみである。
ウイークデーのせいもあって、一家がおとうさん抜き≠ナやってきた、というテーブルが多い。
おとうさんは会社でお仕事、おかあさんと子供は椿山荘でホタルの夕べ、という、まことに今日《こんにち》的な状況が、そのまま絵柄になってあちこちにすわっているのである。
そしてそこに、実家をからませた≠ニいう実家がらみもまた多い。
実家のおとうさんとおかあさんと娘と孫の久しぶりの語らいの夕べ、というような図式があちこちに見られる。
客はまず自分のテーブルに陣取り、そこから出撃していって料理を獲得して持ち帰る、ということになる。
形式はバイキングだが、料理を自分でとり分けるわけではない。
給仕人がズラリと並んでいて、「これ」と指さすととり分けてくれる。
これは一見、親切からでた行為のようにみえる。しかしバイキング形式は、料理の前に立った客はとかく鼻息が荒くなりがちなので、鼻息防止という意味でこうした方法をとっているらしいのである。
そしてなぜかここにはお盆がない。
お盆がないから両手で持てる分、すなわち二皿しか持てない。
一回の出撃で持ち帰れるのは二皿である。
このお盆なし作戦≠焉A鼻息防止の一環として案出されたものであるらしい。
料理は、ローストビーフ、スペアリブ、鴨と豆腐の煮こみ、鰯のつみれ汁、天ぷら、魚介のマセドワーヌ、野菜とパスタグラタン、ソーメン、その他コーヒー、ケーキなども入れて計十四種。
飲み物は、ビール、日本酒、ウイスキー、ワイン(ロゼ)、ソフトドリンクが飲み放題となっている。
だいたい四回の出撃で、主要な料理は食べつくし、おなかのほうもほぼ満杯になって体のほうは十分納得するのだが、頭のほうが納得しない。
いわれのない義務感とか、どこからともなく襲ってくる重圧に耐えかねて、人は再びテーブルから旅立って行く。
特に、何を、という目的もなく、食べ物の周辺をさまよう。
「ホタカン」の料金は税込みで九千八百円。九千八百円には、食べ物代、飲み物代、税金、サービス料、ホタル代が、複雑に入り混じっているはずだ。
そのかねあいを測りかねて、人は料理の周辺をさまよい歩く。
七時半、「そろそろホタルが庭内に飛びかい始めました」の放送で、ようやく人々はフンギリをつけてゾロゾロと庭内に降りていく。
照明を落とした夕闇の庭内に、冷たい夜気が流れ、見上げれば緑の大樹の上にか細くまたたく星の数々。
庭内の細い道を、ゾロゾロ歩くうちに、すっかりお祭り気分になる。
滝のところにホタルの大群がいた。
その数およそ数千。
水としぶきと草と闇の中に、まるで無限の照明をともしたクリスマスツリーのように、小さな光が強く弱く点滅している。
さらにその間を、流れるように、すべるように、飛びかうホタルが右に左に光の糸を引いていく。
その光景は、ちょっと大げさにいえば、この世のものとは思えない≠ルどであった。しばし現世を忘れ、夢幻の境地をさまよい、しかし「これでモトはとった」とソロバン勘定は決して忘れないのであった。
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いま、青梅の季節
いま、梅が出盛り。
八百屋で梅を買い、酒屋に回って35度の焼酎と梅酒用のビンを買い、これを両手にぶらさげ、サンダルをズルベタズルベタさせながら歩いている中年夫婦をよく見かける。
最近、このテの買物の袋をぶらさげた中年ズルベタ夫婦≠ェ急に増えてきたように思う。会社ではシャキッとしているはずのおとうさんが、かあちゃん連れでスーパーなどの袋をぶらさげたとたん、急にズルベタしてしまうのはどういう理由によるものなのだろうか。
大いに究明されなければならない問題ではあるが、しかし今回は梅干しの究明のほうが忙しいので、それは別の機会にゆずりたいと思う。
八百屋の店先に並んでいる青梅は、みんな梅酒用かと思うとそうでもないようだ。梅干し用に買っていく人も多い。
いまどき梅干しなんか作る人いますか、と思うかもしれないが、けっこういるのである。その証拠に、青梅の横に赤ジソが山と積まれている。
毎年、山と積まれている。
この都会の中で、どこでどう作っているのか知らないが、毎年どこかでひそかに、梅干しが作られていることはまちがいない。
梅干しは、かつてはゴハンのおかずの総元締めとして、隠然たる地位にあった。
おかずばかりでなく、疲労回復、食あたり防止、ばあさんのコメカミへの貼布など、保健衛生、防疫、医療関係にまで、少なからず関与していたのである。
梅干しの名刺は、各方面の肩書で一杯だった。
しかし近年、定年退職間近の人々のように、その肩書は一つ一つ減っている。
個人の年間消費量も、ひところに比べると著しく減っているはずだ。特に、昔ふうの、口が曲がって思わず目をつぶってしまうほどの、酸っぱくてしょっぱい梅干しの消費量は減っている。
日本旅館の、朝の梅干し≠フ風習もいまはほとんどみられなくなった。
日本旅館の朝は、梅干しで始まったものだった。朝起きると、テーブルの上に、ポットのお茶と共に、二段重ねの梅干し入れが置いてあったものだった。
上の段が砂糖、下の段が赤ないしは青のカリカリ型小梅、そして数本の楊子《ようじ》が添えられてあった。この楊子でもって小梅を突き刺し、二、三度刺し損じ、ようやく突き刺して砂糖をちょっとつけて口に運ぶ。梅干しの酸味と、砂糖の甘みと、カリカリ感とで、いっぺんに目が覚めたものだった。
梅干しは、基本的にはカリカリ型とグズグズ型の二種類に分類される。
グズグズ型はゴハンのおかず関係、及びばあさんのコメカミ関係に用いられ、カリカリ型はもっぱらお茶うけ用として愛用される。
カリカリ型は、口にくわえてしばらくその酸気と塩気を味わい、しばらくたっておもむろに、ではそろそろという感じで、カリリ、と噛むところに趣がある。
しかし梅干しの保守本流はグズグズ型である。梅酢の中に永年逗留していたおかげで、もうすっかりグズグズになって、ところどころ皮の破れかかっているのを、ハシの先にほんの少しつけて口に入れる。
ウーム、酸っぱい。
歯が浮くような激しい酸味と、鋭い塩気で身ぶるいが起こり、顔中がシワだらけになり、アゴの下が梅干しになり、一瞬、拒絶したいような衝動が起こり、しかしこのまま味わっていたいという強力な欲求も起こる。
母親に叱られた子供が、激しく泣きわめき、手足をバタつかせて反抗しつつも、しがみついていくときのような、人間の根底をゆるがすようながむしゃらな感覚を梅干しは与えてくれる。
そういう強大な力が、梅干しにはある。
この身ぶるいはゴハンを呼ぶ。
ゴハンなくしては、この身ぶるいは治まらない。
ここから、にぎり飯と、日の丸弁当が生まれることになる。梅干し入りのおにぎりは、かろうじて残存しているが、日の丸弁当は絶滅した。
一度絶滅したものの再現はむずかしい。動物でも、文化でも、何でもそうだ。しかし、日の丸弁当の再現は実に簡単だ。あっけないほど簡単だ。弁当箱にゴハンを入れて、その真ん中に梅干しを置けばすぐ再現できる。
昔の人は、これだけでお昼を過ごしたのである。
たった一個の梅干しで、一回の食事を完了することが果たして可能であろうか。
現代人に可能であろうか。
考えてもくれたまえ。
夜霧のハウスマヌカンが、貧にあえぎつつ食するというあの「しゃけ弁」でさえ、シャケの他に昆布の佃煮と大根甘酢漬けを、万が一の場合に備えて待機させているのである。なのに「日の丸」は、徹頭徹尾、梅干しなのだ。どこを見回しても、梅干しの他に何もないのだ。
ぼくは、この壮大な人体実験に挑戦してみることにした。
スーパーで千四百円で購入したドカ弁に麦飯を詰める。何とこのドカ弁には、茶碗五杯分の麦飯が入った。五杯詰めても、上のほうにまだ少しすき間がある。
真ん中に梅干しをのせる。
いよいよ大実験の開始である。
なんだか胸がドキドキする。
もし失敗したらどうしよう。日本人としてご先祖様に申しわけがたたない。
見渡せば、何と荒涼とした光景であろう。目に入るのは、白々と広がる麦飯と、鉄さび色をした梅干しだけだ。どう考えても、梅干し一個で、ゴハンを五杯食べるのはムリのような気がする。
梅干しをジッと見つめたあと、ゴハンを一口。最初の一口は、落語のケチ兵衛方式でいこうと思ったのである。
しかし、麦飯だけの口の中にどうにもガマンができず、ほんの少し、梅干しをハシの先につけて口に入れる。
意外にも、小豆《あずき》粒ほどの梅干しに強大な力があった。強烈な酸味はあとをひき、そのままもう一口、いやいやもう一口と、小豆粒で三口いけることがわかった。
こうして梅干しを大事に大事に食べ進んでいったのだが、結局、全体の四分の三のところでついに梅干しは消滅した。
しかし、麦飯と梅干しだけの食事は潔《いさぎよ》く、つつましく、そして意外においしく、大いに満足のいくものであった。
次はどのおかずを食べようか、という迷いがないところが大いによかった。
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ビールと冷や奴
いま、一年中でビールが一番うまい季節だ。
風呂あがりのビールは特にうまい。
帰りの電車の中で、「今夜はビールだ」と心に決めたおとうさんは、家に帰ってくるなり、とにもかくにもと風呂に飛び込む。
お風呂につかっていても、頭の中はビールのことばかり。
入浴の途中で、矢も楯もたまらず、「エーイ」と掛け声かけて勢いよく飛び出し、体を拭く間ももどかしく、ドシドシ歩いてテーブルの前にドッカとすわりこむ。鼻息もかなり荒くなっている。
いまの季節だと、ツマミは枝豆か冷や奴《やつこ》ということになる。
ドバドバとビールを大ジョッキに注いでおいて、おとうさんは枝豆を一つ、力強くつまみあげる。
力強くサヤを押し、力強くマメをひしぎ出し、塩味のよく効いたやつを力強く噛みしめる。
そうしておいて、「デワ、デワ」と大ジョッキを力強く取りあげ、ナミナミと注がれたビールを、グビグビとノドを鳴らして飲むことになる。
行為の全体が、力にあふれたものとなっている。
一方、冷や奴を選んだほうのおとうさんはどうなるか。
ドシドシ、ドッカまでは同じである。
ドシドシ、ドッカのあと、おとうさんは力強く箸を取りあげ、力強く箸を豆腐に突入させる。これがいけない。
なまじ力が入っているばっかりに、勢いあまって豆腐を突きくずしてしまう。
豆腐というものは、激しい箸の突入に耐えられるほど丈夫にできてはいない。
ここでおとうさんが冷静になれば、ことは無事に運ぶのだが、なにしろ電車の中からビールで頭が一杯になっていたおとうさんのことだ。
冷静になるべきところを、逆に逆上してしまうのである。
豆腐は興奮と逆上に弱い。
そのうえ冷や奴は、枝豆のように手続きが簡単ではない。
箸の先で取りあげた豆腐を、こんどは薬味まじりの醤油にひたすという手続きが残っている。
力と鼻息にあふれたおとうさんは、豆腐の破片をつまみあげた時点で箸をヨロヨロッとさせ、醤油にひたした豆腐を取りあげた時点でアラヨッというような動作をしてしまい、結局、口のところまで到達した豆腐はほんのわずかな小片となってしまう。
おとうさんは無念である。
いまいましさが残っているせいもあって、その小片を力強く噛みしめると、何ということか、あまりの歯ごたえのなさに、しばらく呆然としてしまうほどだ。
こんなはずはない、もう一度豆腐を確認しよう、と、もう一度力強く噛みしめると、歯と歯の間にはもはや何もなく、カツン、という音が耳に響くだけである。
おとうさんは空《むな》しい。
ドシドシ、ドッカ、と力強くテーブルにすわったおとうさんには、力がみなぎっていたのだ。
その力の持っていき場がない。
なにしろ相手は豆腐であるから、ありあまる力を存分にふるうことができない。
おとうさんはもどかしい。
はぐらかされたような気持ちになり、大ジョッキを持ちあげる手つきも力なく、ゴクゴク鳴るノドも弱々しい。
おとうさんの何がいけなかったのか。
豆腐に歯ごたえを期待したのがいけなかった。
ふだんなら決してそんな期待はしないのだが、興奮していたのがいけなかった。
肉体ヒロージのリポビタンDは体にいいが、精神コーフンジの冷や奴は体によくないと、古来いわれてきたはずだ。
その教えを、おとうさんは守らなかった。
豆腐の魅力は歯ごたえのなさにある。
歯ごたえのなさが、魅力のすべてといってもいいかもしれない。
味のほうは説明がむずかしい。特においしい豆腐の説明がむずかしい。
よく「この豆腐はおいしい」とか「まずい」とかいうが、ではその違いを原稿用紙四枚で述べよ、といわれると大抵の人は困るはずだ。
いい豆腐は味が濃い、とか、豆の味がする、とか、堅い、とか、ぬめり感が強いとかいうが、豆腐通にいわせると、そういう豆腐は下等な豆腐だということになる。
おいしい豆腐は、もう何の味もせず、何の歯ごたえもなく、口中のわずかなすき間を水のごとくではなく、豆腐のごとく通過していくものだという。
こうなってくると、まるで禅問答だ。
一体に、関東の人は堅めで味の濃い豆腐を好み、関西は絹ごしの柔らかい無味の豆腐を好むという。
そして豆腐は、関西のほうが本場だ。
京都には、豆腐の名店といわれる店がたくさんある。
ぼくなども、つねづねおいしい豆腐とはどういう豆腐か、ということを気にしているのだが、いざ豆腐を食べる段階になるとつい何となく$Hべてしまう。
豆腐の味噌汁などは特にそうで、つい何となく∴んでしまい、食べてしまい、おいしい豆腐だったのかどうか、さっぱり覚えていないことが多い。
しかし、まずい豆腐の場合は、わりにはっきり気がつく。
そういうことを気にしないで食べ終わってしまうということは、おいしい豆腐だったということになるのかもしれない。
豆腐とはそういうものです、といってくれるとありがたいのだが、世間には豆腐好きと称するうるさい連中がたくさんいる。
豆腐の名店などに行って、周りが「ウン、これこれ。これが本当の豆腐の味」などとさわぐと、ぼくも「ウン、そう。まさにこれ」なんてうなずいたりしているが、見栄でいってるだけだ。
豆腐を食べていて、いつも気の毒に思うことがひとつある。
歯が気の毒でならない。
だいたい歯というものは、口の中に何か入ってきたら噛んでやろう、と待ちかまえているものなのだ。
口中を通過するものにはすべて関与したい、と考えているのである。
永年の習慣でそうなっているのだ。
なのに豆腐の通過に限って、歯はまるきり関与することができない。
なんの挨拶もなく豆腐は通過していく。
メンツをつぶされた歯の無念を思うと、気の毒でならない。
豆腐を食べるとカツカツという歯のあたる音が聞こえる。あれは歯の無念のつぶやきなのだ。
そして、このカツカツというアゴから耳へかけての響きも、実は豆腐の味のうちなのである。
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ドックあがりのトンカツ
毎年、夏休みを利用して人間ドックに入ることにしている。
ことしもそういうことになった。
人間ドックは、二、三日かかるのがふつうだが、このドックは半日ですむ。朝の八時半から始まって、正午過ぎには全過程が終了する。受診者は、前夜の八時から、一切の飲食を禁じられる。
一滴の水も飲んではいけない、とパンフレットに書いてある。
つまり前夜の八時から、検査終了の翌日の正午まで、水一滴さえ口にすることなく過ごさなくてはならない。
こうして16時間飲まず食わず男≠ニいうものができあがった。
これはこわい。こういう男は何をするかわからぬ。
徹夜|あけ《ヽヽ》とか、官僚|あがり《ヽヽヽ》とか、短大|出《ヽ》とかいう言葉があるが、このときのぼくは、まさにこれらのすべてがあてはまる男だったのである。
ドック|あけ《ヽヽ》であり、ドック|あがり《ヽヽヽ》であり、ドック出《ヽ》でもあった。
もっと恐ろしい言葉さえあてはまった。
ムショ|帰り《ヽヽ》、である。
ムショ帰りならぬ、ドック|帰り《ヽヽ》の身分でもあったのだ。
「もう、何をしてもいいんだ」
という心境になった。
ふだんは、コレステロールとか、中性脂肪とか、ダイエットとかを心がけている男なのだが、そのときは違った。
「もう、何を食ってもいいんだ」
という凶暴な気持ちになった。
十二時十一分、検査が終了すると、16時間飲まず食わず男≠ヘ街に出た。
この時間は世間的にも昼めしどきである。男の空腹感は一層増大し、気も狂わんばかりになった。
人間ドックの診療所は東京駅の近くにあったので、街に出た男はすぐに八重洲地下街にもぐった。
ここは世に知られた大飲食街である。血に飢えた狼が、羊の牧場に放たれたようなものだ。
あたり一面、おいしそうな食品サンプルのケースの行列である。
すし、カレー、そば、スパゲティ、ラーメン、天丼、カツ丼、ギョウザ、トコロ天、ステーキ、ソーメン……どれを見ても血湧き肉躍る。
一つ一つ丹念に検討していくうちに、心境は次第にある方向に固まっていくのであった。
それは胃にドシンとくるもの≠ニいう方向であった。
一つの方向が決まると、あとの流れは比較的早い。
ドシン派といえば、どうしたって肉系ということになる。
トコロ天が胃にドシンときた、という話はあまり聞かない。
しかし、肉だけではドシン指数が足りないような気がした。
(肉に油も加えたい)
という心境になった。
こうなると結論は早い。
肉に油ということになれば、それはもうトンカツしか考えられない。
(トンカツ内定)
と、早くも内定をもらって、ぼくはトンカツ屋を探し始めた。
人間は何を食べるのか≠ェ決まると、体がすぐに、その体になっていくという。
例えば、トンカツ決定≠ニいうことになると、体が、みるみるうちにトンカツ向きの体になっていく。
胃とか腸とか、膵臓とか胆のうなどの体の各部に連絡がいき、根回しが行われる。
最初は、
「油ものでくるらしい」
という程度の通達がいき、そののち、
「肉を油で揚げたものがくる」
ということになり、
「結局トンカツに決定」
となって、
「キャベツもくるらしい」
という最後のツメがなされ、体の各部がその準備を始める。
肛門あたりも、その心構えになる。
体全体が、すっかりトンカツ向きの体になり、顔つきもトンカツ顔になる。
歩き方もトンカツ風の歩き方になる。
昼めしどき、昼食に向かうサラリーマンの群れを見ていると、何を食べようとしている人かひと目でわかる、という人もいる。
モリソバの人は、すっかりモリソバ風の寂しい顔になっており、ステーキの人は、早くもテラテラ顔になって歩行速度もモリソバの人より速いそうだ。
そういうわけで、トンカツ内定の人(ぼくのこと)は、すっかりトンカツ顔になって、とある一軒のトンカツ屋の前に立った。ノレンを押して入った時点で、内定≠ヘ採用≠ノ変わった。
「トンカツ定食とビール」
と、ぼくは注文をとりにきた白い割烹着のおばさんに力強く言った。
ここにおいて、採用≠ヘ本採用≠ニなった。
ここまでくればもう大丈夫、と、ぼくは全身の力を抜いた。
ところが、おばさんは、
「トンカツは、ヒレとロースがありますが」
と、意外なことを言うのである。
本採用≠ナすっかり安心していたぼくはあわてた。
ヒレかロースか。
いつもなら、コレステロールとか中性脂肪を気にして、迷わずヒレを注文するのだが、なにしろ本日は、ドック帰りだ。
何をしてもいいのだ。ぼくは力強く「ロース」と申しのべた。
もう大丈夫、あとは、ビールぐびぐび、トンカツかじかじのひとときを、心ゆくまで楽しむだけだ。
だが、おばさんは、またしてもそれを許さなかった。
「ビールはナマとビンがありますが」
ぼくは少しあわて、しかしすぐに落ちつき、「ナマのほうを」と静かに言った。
するとおばさんは、
「大と中とありますが」
と、あくまでも追及の手をゆるめないのである。
ぼくは、「大」と言ったあと、こんどは気をゆるめず、次の追及にそなえたのだが、おばさんは、「もはやこれまで」と、淡々と退却していくのだった。
16時間飲まず食わず≠フあとの生ビール大はおいしかった。
一気に、息もつかずに、大ジョッキの四分の三までいった。
トンカツも、肉と脂の混ざりぐあいのいいトンカツで、とてもおいしかったが、一つだけ気になることがあった。
おばさんの顔色がよくないのが気になった。「一度、健康診断を受けてみればいいのに」とぼくは思った。
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トコロ天は磯の香り
このところ、トコロ天の旗色がよくないようだ。
スーパーなどの、トコロ天の売り場面積も、年々狭くなってきている。
ぼくがよく行くスーパーは、これまで数種類のトコロ天を置いていたのだが、ことしの夏からついに一種類になってしまった。
私立学校の、小、中、高、大学に至るシステムを、かつてはトコロ天方式≠ネどといっていたのだが、いまはほとんど使われなくなった。
エスカレーター方式にとってかわられてしまった。
トコロ天はとてもいい奴なので、この際ぜひ応援をしてあげたい。
トコロテン、などと、ちょっとふざけた名前もいい。
一般的には、トコロ天、と書いているが、この「天」だってどこから持ってきた天だかわかったものではない。
トコロ天は、カップ容器入りになってからすっかりダメになった。
香りがなくなり、細くひ弱になり、印象の薄い食品になった。
いかにも安物、といった感じのプラスチック容器に酢水が入っており、これにヒョロヒョロの千切れそうなトコロ天をひたしてある。酢水にひたされっぱなしのトコロ天からは、トコロ天特有の香りがすっかり抜け切っている。
カップは密閉されて、その上にタレとゴマとノリとマスタードの小袋が載り、その上から丼のフタみたいなフタがかぶせてある。
このフタがなかなか取れない。
いつもこれでイライラする。
添付されている五センチほどの、ギザギザつきフォークもよくない。
オモチャみたいなフォークに、息も絶え絶えの千切れトコロ天をひっかけて食べていると、しみじみと情けない感じがしてくる。
こういう食べ方をしている人を見ると、トコロ天を食べているというより、ただ単に情けながっている、というふうにしか見えない。人物も小さく見える。
だから威厳を必要とする管理職の人などは、決してトコロ天を食べてはいけない。
食べている姿に卑小感が漂うし、食べ終わったあと、歯ぐきにゴマやノリが付着したりして、部下の掌握がむずかしくなる。
トコロ天は、もっと骨太で、野性味あふれる食べものであったはずだ。
トコロ天は、もともと突きたて≠食べるものである。
突きたてのトコロ天には、磯の香りがある。潮の香りではなく、カニが這い、イソギンチャクが波に揺れる、岩場の磯の香りである。
磯の香りを固めたものがトコロ天なのである。
昔の、木でできたトコロ天突きで突いたトコロ天は太い。
いま、カップ入りのトコロ天を量ってみたら、その幅三ミリ、天突きのほうは四ミリもある。
それに昔のトコロ天は硬かった。硬くて太かった。
昔はどの家にもトコロ天突き、いわゆる天突きがあった。
この天突きで、トコロ天を突くのは楽しい行為であった。
天突きの箱のほうに、トコロ天を一丁、頭のほうを先にしてすべりこませる。(頭はないか)
トコロ天は、スルリと自分で入りこんでいく。そのすべりこみかたが、どこか嬉しそうで、そこのところがかわいく、そして少し不憫《ふびん》でもある。
天突きの先っぽを皿の上に狙いさだめ、突き棒でトコロ天を押してやる。
トコロ天は不意の攻撃に驚きあわて、身をくねらせて横に逃れようとするが、それはかなわぬ箱の中。すぐに先端の網のところに押しつけられ、もう一度少し抵抗し、やがて頭を六、九、五十四に分裂させ(網目は54ある)、少しずつ、ニュルニュルと、世の中を窺《うかが》うように出てくる。挿入時とはまったく違った姿となって出てくる。
網の目が、トコロ天の体の中を通過していくときの気分はどんなものなのだろうか。
寒気がする、ということも考えられるし、とても気持ちがいい、ということも考えられる。
このように一丁ずつ突く場合のほかに、ときとして、二丁をいっぺんに入れて突く、「二丁いっぺん突き」という荒業《あらわざ》をかけることもあった。
皿の上に押し出されたトコロ天は、「しまった」という気配を少し見せ、「不本意」という態度も一瞬見せるが、すぐにあきらめ、櫛《くし》でけずったような秩序ある流れをほんの少し乱れさせ、横すわり気味に横たわる。
色気というか、艶《なまめ》かしいというか、そのたたずまいには何ともいえない風情がある。
その姿を見て、なんとなく、「よしよし、待っておれよ」というような気持ちになり、胴のくびれのあたりに酢醤油を優しくかけてやる。溶きがらしをのせてやる。
パック入りのトコロ天には、この「横すわり」がない。
ただもうメチャメチャにくんずほぐれつ、秩序もなにもあったものではない。
割り箸をパチリと割って、裾《すそ》のほうから少しずつかき乱し、すくいあげて口に運ぶ。
プルプル感のあるものを束ねた感触が唇にあり、一本一本のカドがはっきりとわかる。
昔のトコロ天は、そのぐらい硬かった。
一本一本のカドが、「全員ことごとく90度だな」とわかるぐらい硬かった。
このカド感は、他のものにはないトコロ天独特のものである。
カド感を十分楽しんだあと、スルスルとすすりこむ。
プルプルとふるえながらトコロ天は吸いこまれる。
このときのプルプル感もまた、トコロ天独特のものである。
口の中いっぱいのトコロ天は、磯の香りに満ち、酢とからしの香りに満ち、それが鼻腔のほうにまわり、グフグフと少しむせ、それをこらえ、鎮《しず》まるのを待ってほんの少し噛んでからノドの奥のほうに送りこむ。
このときの歯と歯の衝突感は、豆腐のそれとも少し違ってなかなかに趣がある。
いたわるような歯の力加減がいい。
その力加減に応えるトコロ天のくずれ加減がいい。
パックに入っている酢醤油は、甘味が勝ち過ぎているような気がする。
醤油と酢だけのほうがずっとおいしい。
マスタードではなく、和がらしでいきたい。ポン酢で、サラダ感覚で食べるのも乙《おつ》だ。おろし生姜《しようが》も意外に合う。
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夢の?「バーベキュー」
自分の家の庭でのバーベキューは、いわゆるひとつのみんなの夢だ。
夏が近づくと、ホームマガジンのグラビアには、楽しそうなバーベキューパーティーの様子が載りはじめる。緑の芝生、色鮮やかなビーチパラソル、白いガーデンテーブル、その上にセッティングされた色とりどりのトロピカルドリンク、刀みたいな金串に刺された肉の数々、楽しげな語らい、尾を振る犬……。
アメリカンドリームならぬ、まさにジャパニーズドリームそのものといえる光景である。
ぼくはその昔、こうしたバーベキューパーティーに招かれて行ったことがある。パーティーは、友人の家の庭で挙行された。真夏の午後であった。
そしてこのパーティーは、ドリームどころか悪夢のような真夏の午後≠ニなってしまったのである。
あれ以来友人は、ことあるごとに、
「バーベキューパーティーは二度とやりたくない」と言う。
友人の家のパーティーは、まさに先述のグラビアページそのもの、といった雰囲気で開始された。いや、彼のパーティーのほうが、もっと念が入っていたかもしれない。なにしろ備品のすべてが新品であった。
パラソルも、白いテーブルも新品だったし、燃料のチャコールなんとかという豆炭みたいなものは封を切ったばかりだし、主役の鉄製のバーベキューセットは、新品特有の熱の匂いを漂わせていた。
畳十畳ほどの細長い庭に、パラソル、テーブル、バーベキューセットを並べ、十人ほどの人々が群れつどうと、それだけでもう満員なのに、庭の片すみにはなぜかテントが張られていた。
テントのまわりには、実に様々なものが並べられていた。
飯盒《はんごう》、軍手、水筒、このあたりまでは、まあわかる。
双眼鏡、防水つき懐中電灯、シャベル、コッヘル、ラジオ、磁石、釣り竿、サバイバルナイフ、ポリタンク、斧……こうなってくると、(どうも様子がヘンだ)ということになる。
楽しげなバーベキューパーティーであると同時に、災害緊急避難用品展示会場でもある、といったような錯覚にとらわれる。
あとで友人が述懐したところによると、「雰囲気を盛りあげるための品々」であったという。
テント周辺の暗い雰囲気から一変して、テーブルの上は急に明るく、色とりどりの紙コップ、皿、ストロー、トロピカルドリンク、パイナップルが並んでいる。
そこのところへ、本日の主役の友人が、アフリカ探検隊のような格好でさっそうとお出ましになった。
カーキ色の、ポケットがいっぱいついた半ズボン。ヒザまでの長いストッキングにキャラバン風シューズ。サファリジャケット風半袖シャツ。腰には短剣さえさげている。新品のバーベキューセットといい、この服装といい、彼のこの日にかけた意気ごみのほどがうかがえるのであった。
異様な会場への異様な人物の出現で、会場の様相はさらに混乱の度を増した。
アフリカ探検隊が、突然、天変地異に遭遇して難民キャンプに緊急避難し、そののち急遽ハワイ方面におもむいてパーティーを開催している、といったような、何だかよくわからない雰囲気になった。
とにもかくにもパーティーは開始された。
開始と同時に、このパーティーには様々な難関が待ちうけていたことを人々は知るのであった。
難関の第一は暑い≠ニいうことであった。
考えてみれば当たり前の話だが、真夏の午後の太陽は暑い。パラソル一個の影など無きに等しい。人々の頭は、真夏の太陽でジカ焼きされることになった。
その暑くて狭い庭の中で、大量の豆炭をカンカン焚《だ》きにするのだ。暑くないわけがない。缶ビールは、瞬時にしてなまぬるくなった。
難関の第二はかゆい≠ニいうことであった。ヤブ蚊の大群の襲来である。ただちに蚊取り線香、防虫スプレーで応戦したが、こんなことでひるむようでは、ヤブ蚊商売やっていけるはずがない。
第三の難関はけむり≠ナあった。
これまた当たり前の話だが、火の上で肉を焼けば煙が出る。このケムに現代人は弱い。日ごろ、ケムとはわりに疎遠な生活を送っているせいもあって、その対応に慣れていない。人々は闇雲に逃げまどい、物陰で涙を拭くのであった。
四番目の難関はまずい≠ナあった。
豆炭は火力の調節ができないから、微妙な焼き加減は到底望めない。
どうしても、生《なま》か、焼き過ぎか、どちらか一方を選べ、というようなことになってしまう。
おしなべて、人間は「暑い」と不機嫌になるものである。「かゆい」に対しても心穏やかではいられない。「けむい」も言うまでもなく不快である。「まずい」は当然腹立たしい。
暑い、かゆい、けむい、まずい、の人間の四大不快要素といわれているものが、よりによっていっぺんに襲ってきたのだ。
これで楽しかったらおかしい。
会場から、潮が引くように会話が減っていき、やがて絶滅した。
そのうち、「この肉はここで焼くより台所で焼いてきたほうがうまく焼けるのではないか」と言い出す人が出てきた。
それはそうだ。そんなことは初めからわかっている。
「これも台所で」「あれも台所で」という声が多くなり、料理の主力は次第に台所に移っていった。
台所と会場の往来がだんだん激しくなっていった。
こうなってくると、人々は何のために庭にいなければならないのか、疑問をもち始めるのだった。
炎天と猛火の狭い庭で、子供はむずかり、親はたしなめ、犬はあえぎ、ビールはぬるむ。
背中には汗、足には蚊、目には煙、口には焦《こ》げ肉、いいことなど一つもない。
それより何より、このジリジリと照りつける日ざしを避けたい。この強力な火源から遠ざかりたい。
見れば、家の中では、ゴムの木の葉がクーラーの風にひんやり揺れている。
料理の主力も台所に移った。庭にとどまる理由は何一つなくなった。
人々は、まだ燃えさかる火源と、様々な展示品が並ぶ会場をあとにして、家の中に入った。
ひんやりとした家の中で、改めて炎熱の会場を見やりながら、
「一体われわれは、何のために庭に出ていったのか」
ということを反省しあうのだった。
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夏だ、ドジョウだ
ようやく夏が元気になってきた。
ついこのあいだまで、毎日毎日雨で夏が病気だった。毎日毎日、ジメジメ、ジトジト、なんだかナメクジになったような気分になっていたところへ、ようやく元気を回復した太陽が戻ってきてくれた。
やはり夏はこうでなくてはいけない。
こうなってくると、夏だ、元気だ、スタミナだ、ということになってくる。
ウナギだ、ドジョウだ、ニンニクだ、ということになってくる。
いま、ドサクサまぎれにドジョウを紛《まぎ》れこませたが、
「ウナギやニンニクはともかく、ドジョウはスタミナがつくのか」
と迫られると困る。
そのへんのところはあんまり自信がないので迫らないで欲しい。
しかし一般的には、ニュルニュル、ネバネバしたものはスタミナがつくといわれている。
ウナギなんかはまさにそうで、もともとドジョウはウナギの弟といった関係にある。
共に、ヒョロヒョロ、ニュルニュルしている。アナゴもヒョロヒョロ、ニュルニュルしているので、世間一般では、彼らはヒョロニュル三兄弟といわれている。ウナギが長兄、アナゴが次兄、ドジョウが末弟といった関係にある。
「生物学的にもホントにそうなのか」
と迫らないで欲しい。
そのへんのところは、まだ調べてないので自信がない。
人気度、という点ではやはり長兄が一番のようだ。
アナゴとドジョウとどっちが人気があるか、という点になるとむずかしい。
アナゴは、持ち帰りの寿司なんかには必ず入っていて、人気度は高いはずなのだが、それでいてアナゴの専門店はない。
ウナギとドジョウは、共に専門店がある。
おそばの老舗《しにせ》の三兄弟に、それぞれに店を持たせる、なんていう話がよくあるが、こちらのヒョロニュル三兄弟は、長兄と末弟しか店を持っていないわけだ。
次兄は商売に向かず、文学なんかに興味を持ってしまって別の道を進む、というような話は巷によくある。
「じゃあ、アナゴは文学に興味を持っているのか」
と迫らないで欲しい。
まだ調べてないので、そのへんのところは何ともいえない。
さっき、人気度はウナギが一番と書いたが、愛嬌という点ではウナギもドジョウにしっぽを脱ぐ。(兜《かぶと》を脱ぐだっけ?)
ウナギもアナゴも歌を持ってないが、ドジョウは歌を持っている。
ドングリコロコロ≠ノはドジョウが出てくるし、春になれば≠ノも、ドジョッコだの、フナッコだの、と、フナッコといっしょに出てくる。
残念ながら、ウナギの歌、アナゴの歌というのは聞いたことがない。
それだけドジョウは、人々に親しまれているということができる。
そんなわけで、ドジョウは、効能とか滋養とか美味とかを、
「そのへんのところはどうなんだ、エ? どうなんだ」
と厳しく追及したり迫ったりする食べ物ではないのだ。
楽しく交《つ》きあう≠ニいう交きあいかたが一番似合う食べ物なのである。
顔だってつくづく見ると、ヒゲなんかはやして実に愛嬌がある。目付きも柔和で、村の村長さん然としたところがある。
味も、泥鰌と書くように、まさに田んぼの味で、ひなびた田舎の味がする。
このへんのところが、ドジョウ鍋や柳川鍋が、すたれそうでなかなかすたれない理由なのだと思う。
都内にはドジョウの専門店が五軒もある。
そしてどの店も、いつ行っても満員の盛況なのである。
たとえば、ドジョウの老舗中の老舗「伊せ喜[#底本では「七/(七+七)」(以下同様)]」は、いつ行っても六時を過ぎれば行列を覚悟しなければならない。
入り口のノレンには「どぜう」と大書してある。
これを見るといつも、
「ドジョウはどじょうと書くよりやはりどぜうだなあ」
と思う。そして、
「では、どぜうを食べてみませう」
という気持ちになり、
「きっとおいしいでせう」
と心がはずむ。
ぼくは「伊せ喜」に限らず、ドジョウ屋へ行くと、いつもまる≠フほうを食べる。
まる≠ニいうのは、裂いてないほうの丸ごとのドジョウ鍋のことである。
「伊せ喜」では、まる≠ニほねぬき≠ニ柳川≠フ三種類の鍋を出す。
ほねぬき≠ニいうのは、骨とハラワタを取ったやつで、柳川≠ヘこれにゴボウと卵を加えたものだ。
スーパーなどでは、アルミの鍋にゴボウと裂いたドジョウをのせたセットを売っているが、あれはどれも甘からの度合いが強すぎる。
それにゴボウの切り方が厚すぎる。
専門店の味つけは淡泊で、ゴボウの切り方がきわめて薄い。
このほうがドジョウの味が生きる。
スーパーのは、ゴボウと甘からの卵の味だけで、本尊のドジョウの味がしない。ゴボウを取り換え、ツユも自家製のに換えるだけで、かなり味がちがってくるように思う。
専門店でも、まる≠注文する人は非常に少ない。
丸ごとは見た目がグロテスクでいやだ、という人が多いようだ。
ぼくなんかは、見た目があまりにおいしそうなので、どうしてもひと膝のり出してしまう。
深さ一センチ、という非常に浅い鉄鍋に、二十匹ほどのドジョウが身を横たえている。全員ポッテリとした肥満タイプで、身長十センチ、バスト、ウエスト、ヒップ共に五センチといったズンドウ型である。(千四百円)
直径二十センチほどの鍋の中に、二列横隊(縦隊かな?)、きちんと頭をそろえて並べてあるところが少し悲しい。全員討ち死に、といった観がある。
その上に厚切りのネギ(厚さ二ミリ)をふりかけて待つことしばし、ともすれば、くずれがちな一匹を取りあげ、小皿に移す。サンショを少々。ネギとサンショにまみれたドジョウをツルリと口に入れる。
口の中のドジョウはホロリとくずれ、ハラワタのほのかな苦みがまず舌に感じられ、それから骨がサクッと歯にあたってつぶれる。苦みがサンショとネギと薄味のツユと混じりあい、ドジョウの体に染みついた田んぼの味がからみあい、どぜう≠フ味となって口の中にひろがる。
まる≠食べるときは、ドジョウの顔をジッと見つめたりしないほうがいい。
ドジョウに同情は禁物だからだ。
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人動けば、みやげも動く
いつものように近所のスーパーに出かけて行ったら、「夏の帰省コーナー」というのが開設されていた。
いよいよ日本民族大移動のときがきたのだ。
かてて加えてこの時期は、夏のバカンス真っ盛りでもあるわけだから、海に陸に、山に川に、空に地に、人々はうごめきまわり、あふれかえる。
日本全国、移動中≠フ人だらけになる。全国民が移動中、という大変な事態になる。
ニッポンの習慣として、民族が移動すると、みやげ品も移動する。
日本の海に陸に、山に川に、空に地に、民族とワンセットになったみやげ品が大移動をするのである。
みやげ品の入った紙袋をさげてない帰省客、観光客というものは考えられない。
その結果、帰省みやげ、観光みやげの品々が、各家庭、職場などに氾濫することになる。
こうした旅のみやげを買う場合、人はどういう考え方で品物を選んでいるのだろうか。
観光地には必ずみやげ物屋があり、みやげ物屋には必ず観光客がむらがっている。
観光客は、必ず手をアゴにやって思案している。
手をアゴにやってない人は、思案がまだよく煮つまってない人で、煮つまってくると手は必ずアゴにいく。
このとき、どんなことを考えながら品物を選んでいるのだろうか。
まず第一に考えているのは、〔情報を伝えたい〕ということではないだろうか。
旅のみやげは、わたくしはどこそこへ行ってきました、ということを証明する品である。
沖縄に行ってきた一家は、沖縄名産の文字の入った品物をたずさえて隣家におもむき、「ウソ偽りありません」と証拠の品を提出するのである。
隣家の人は、沖縄の文字のところにシカと目をやり、「確かに」と承認するのである。
だからこそ、旅のみやげは、必ずその土地の名産が選ばれる。
旅のみやげにカルピスを買ってくる人はいない。
二番目に、〔大きさ〕を考える。
みやげの品には、暗黙のうちに定められた一定の大きさというものがある。
タテヨコ高さ五センチの箱、などというのはいけない。
たとえそれが、高価なコノワタのビン詰めであってもだ。
面積にしてハガキ二枚大、厚さにして三センチ以上、というのがみやげ品の最低基準である。
できることなら大きいほどよい。
軽いものより重いものがよい。
不思議なもので、人に物をもらうとき、その中身がわからない場合はまず大きさに目がいく。
小さいと、とりあえずがっかりする。
それから無意識のうちに重さを確かめている。軽いと、やはりとりあえずがっかりする。
これだけたくさんの商品が氾濫している世の中である。
小さくて軽いが高価なものはいくらでもある。
大きくて重いが安いものの例は枚挙にいとまがない。
それでも人々は、大きくて重いものを喜ぶ。
貨幣経済以前の、物々交換の時代の感覚をいまだに残しているらしいのだ。
大きいほうのツヅラを選んだ舌切り雀の意地悪ばあさんの選択は、いまだに万人共通の習性なのである。
三番目に〔苦労感を与えたい〕と思うはずだ。
たくさんあるみやげ品の中から、あれこれ選んで苦労しました、という感じを相手に与えたい。
ありきたりでないもの、相手に「ヘエー」という驚きを与えるものでありたい。
大きくて重いものは、この苦労感の項目にもあてはまる。大きくて重いものは、運搬の苦労を相手に伝えることができる。
四番目に、〔なるべく高価にみせたい〕というのがくる。
値段以上にみせたい、という心理を誰も避けることができない。
千円のマンジュウだったら、千三百円にみせたい、できることなら二千円にみせたい、相手がその気になるなら、一万円だと思ってもらってもいっこうにさしつかえない、と、この点に関しての欲望は限りがないものなのである。
値段どおりの評価でいい、と考える人は極めて少ない。
そして最後に〔高い評価を得たい〕というのがくる。
(なんだこんなつまらぬものを)
と思われたくない。
(さすがセンスのよいものを)
と思われたい。
そして、
(そのセンスのよいものを選んだ、このわたしのセンスも評価してもらいたい)
と人格にまでかかわる評価を期待するのである。
沼津名産アジの開き六枚セットに、自分の人格までこめようとする。
まさに、入魂の一枚、である。
こうなるとアジも気の毒だ。アジには荷が勝ちすぎる。
このように、みやげ品の選定基準を書き並べてみると、その底に流れる一つの思想があることがわかる。
それは〔実質以上に〕ということである。
実際より大きく、実際より高価にみせたい。実際のセンスより、もう一ランク上のセンスとして評価してもらいたい。
ここに業者がつけ入るスキが生じる。
あげ底の発想は、業者だけの考えではなく、実は客と業者合意の産物だったということになる。
このように、入魂の一品がある一方、みやげ品でありさえすればよいという基準で選ばれるものもある。
隣近所でやりとりする、お返しのみやげ品の場合がそうだ。
以前、隣が熱海へ行ったときにヨウカンを一本くれたから、今度はウチが何かお返しをしなければ、というような場合のみやげ品である。
こういう品には何の情熱もこめない。
人格もこめない。
あげるほうも何も期待しないし、もらうほうも期待しない。
こういう品物はやっかいである。
処置に困る。
食べる気にならないし、かといって捨てることもできない。
こういう連中は、観光地の店先で陽にさらされ、雨期ものりこえ、「保存」の本場でしぶとく生きぬいてきたやつだ。賞味期間は、一応しおらしく三カ月などと書いてあるが、なーに十年は大丈夫だ。
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夏の野菜たちよ
もうだいぶ前のことだが、旅行で田舎のほうへ行ったとき、とても懐かしい光景を見た。
通りすがりに、窓からチラリと見ただけなのだが、家の中でおばあさんが、孫らしい子供たちと、ドジョウインゲンのスジ取りをしていたのである。
とても懐かしい思いがした。
おばあさんと子供たちは(三人)、何事か話し合いながら、急ぐでなく、せかすでなく、インゲンのスジを取っては笑い合い、取り落としては拾いあげ、小さな卓袱台《ちやぶだい》の周りは憩いに満ちていた。
昔はこういう光景が、どの家庭にもみられた。
インゲンのスジ取りは、子供にとって作業でもあったが遊びでもあった。
いまこういう光景は、どの家庭にもみられない。
子供は塾で忙しい。ドジョウインゲンのスジ取りどころじゃない。
核家族化、塾で忙しい子供、料理をしない主婦などなど、その理由はいくつかあげられるが、それより何より、ドジョウインゲンにスジがなくなってしまった。
スジがないのだから、スジ取りのしようがない。
いや、ぜんぜんないわけではない。
あることはあるのだが、途中で千切れてしまうような、ヒョロヒョロの頼りないスジになってしまったのだ。
昔のドジョウインゲンのスジは、堂々としていた。
途中で切れることなく、最後まできっぱりと、スジらしく、スジを通してサヤから離れていった。
そのスジの者としての自覚と誇りを持った立派なスジだった。
サヤエンドウのスジは、ドジョウインゲンに比べると、まだいくぶんしっかりしている。
しかし昔のスジに比べると、根性がいまひとつ足りない。
途中で千切れるものもかなり多い。
ドジョウインゲンにしろサヤエンドウにしろ、昔のものは豆の各部の役割分担がはっきりしていたように思う。
豆の部分は豆らしく、サヤはサヤらしく、スジはスジらしくふるまっていた。
口の中に入れると、豆の部分とサヤの部分がはっきり味わい分けられ、それがやがて口の中で混然と一体化するところにインゲンのおいしさがあった。
最近のは、豆とサヤの区別がはっきりしない。
豆とサヤが互いの領分に入りこみ、責任分野をわざとはっきりさせないようにしている。
いざというときに、責任の所在をはっきりさせないようなシステムをとるようになってきたのである。
ドジョウインゲンの官僚化である。
この官僚化の波は、インゲンに限らず野菜界全般に及んでいる。
キュウリなんかもそうだ。
このあいだ、志ん生の落語を聞いていたら、
「なんだい、このキュウリは、ワタばっかりじゃねェか。もっとましなキュウリを食わせろィ」
というセリフが出てきた。
そうなのだ。
昔は、キュウリの芯のあたり、種のまわりの少しフワフワしたところを、ワタと称していたのだ。
志ん生は、ワタをけなしたが、ぼくはこのワタの周辺が大好きだった。
いまのキュウリは、ワタもタネもほとんど果肉化しているが、昔のものは、ワタとタネと果肉の部分が判然としていた。
タネになりきっていないタネ部分の、ザクザクした歯ざわり。その周辺のワタのフワフワした舌ざわり。それらが、堅めの果肉の部分といっしょになったものがキュウリの味わいだった。
話はとぶが、その昔、マクワウリというものがあって、これにもたくさんのワタがあった。
ぼくは、このマクワウリのワタが大好きで、まずこのワタを口に含み、チュウチュウとすすって味わい、しかるのちにタネを吐きだし、それからようやく本体の果肉のほうにとりかかったものだった。
いまはマクワウリはないから、メロンでこれをやって、人々のヒンシュクを買っている。
話をキュウリに戻そう。
昔のキュウリは、いまのものの数倍も香りが強かった。
昔はキュウリの出盛りには、一日中キュウリばかり、ナスのときはナスばかりというように、ばっかり食いが多かった。
ちょうどいまの季節はキュウリの出盛りどきで、台所からは朝から晩まで、キュウリもみの香りがただよってきたものだった。茶の間にいても、「またキュウリもみか」とわかるぐらい昔のキュウリの香りは強かった。
それを思うと、いまのキュウリは情けない。ただ青白く、堅く、香りもなく、第一、元のところが苦くない。
昔のキュウリは元のところがかなり苦かった。そのために、元のところを少し切って、塩をつけてこすり合わせるという儀式が必ず必要だったのだ。
いま、こういう儀式をする人がいるだろうか。
とにかく最近の野菜はけしからん。
なっとらん。
さっきから、「昔は」「昔は」と言ってるうちに、だんだん自分がおじいさんになったような気がしてきた。
トマトもけしからん。
ナスにだって言いたいことがある。
いまのトマトは赤すぎる。
トマトなんてものはだね、青いところと赤いところがマダラになっているのが正しい姿なのだ。
全域すみずみまでまっ赤、少しでも青いところがあったらトマトの恥だ、なんて顔してスーパーの棚に並んでいやがる。
いまからでもいいから青くなれ。
昔のトマトは日なたくさく青くさく、そして酸っぱかった。
かぶりつくと、ほっぺたのあたりがキュッとちぢむほど酸っぱかった。
トマトほど太陽を感じさせる野菜はなかった。太陽の光と、太陽の匂いと、太陽のエネルギーが、丸く赤い実いっぱいに詰めこまれていた。
なのにだ。いまのトマトは太陽なんか少しも感じさせない。あの赤くブヨブヨした実から連想されるのは、ビニールハウスである。
概して昔の野菜は、太陽に正直だった。
おてんとさまに恥じるところがなかった。いまの野菜は、おてんとさまに顔向けできない連中ばかりだ。
ナスにも一言いいたい。
最近のナスはまるでスポンジではないか。ナスのぬか漬は、スポンジのぬか漬となってしまったのだ。
わたしは、かナスい。
初出誌 「週刊朝日」一九八八年六月三日号〜一九八九年二月十七日号 (「あれも食いたいこれも食いたい」)
単行本 一九八九年十一月 朝日新聞社刊
〈底 本〉文春文庫 平成七年十月十日刊