東海林さだお
タコの丸かじり
目 次
ナイター・弁当・生ビール
激突! 激辛三十倍カレー
究極のネコ缶を食べてみる
「おいしい」ってどんな味?
馬食い団、ひそかに浅草へ
とうもろこしは律儀である
ナゾの季節物、冷やし中華
スイカはがぶり食いに限る
どこへ行ったか「かき氷」
終戦当時の前科を告白する
殿がたはバイキングが苦手
ああ八丈島のタコの丸焼き
プラスチック丼世に氾濫す
本もののうな重に巡り合う
嘆かわしい新おにぎり事情
天下一品丸かじりのすすめ
秘伝「技あり」炒飯のコツ
焼き鳥の串の業績を讃える
うれし懐かし、鯨食べたい
回転寿司なんかこわくない
フライ物の正しい生きかた
もうくさくない「くさい飯」
「ピーナツのナゾ」を追って
がんばれ、デパート大食堂
勇気をもって厚く切る塩鮭
いい気な「おせち」を叱る
牛丼屋のムードはなぜ暗い
やっぱり試食はむずかしい
にぎり寿司の賢い運営計画
台所の「捨てられない」面々
爽やかに散歩シーズン開幕
油揚げの処世術を見習おう
花見点描「花より段ボール」
伝統を誇る菓子パンを総括
立ち食いそばを「評論」する
ナイター・弁当・生ビール
大体において、食事というものは、平和裡に開始され、平穏無事に進行し、大過なく終了するものである。
食事中に、大波乱が起こるということはまずない。(地震でも起これば別だが)
また、そうでないと困る。
食事の途中で、突然立ちあがって慟哭《どうこく》したり、何事か大声で叫ぶ、という事態は日常生活の中ではまずない。
食事中に、突然不幸がおとずれたりするということも滅多にないし、歓喜の絶頂にみちびかれるということもあまり考えられない。
怒号、咆哮、絶叫、太鼓ドンドコドン、笛ピーピーという喧躁のまっただ中で、食事をするというのも、あまり聞いたことがない。
ところが、まさにこうした中で食事をする、という状況がひとつだけある。
球場で、ナイターを見ながら弁当を食べるときがまさにそれなのである。
ナイターの試合開始は、大体六時か六時半。当然夕食どきである。試合終了が大体九時前後だから、何か食べなくてはならない。
野球は筋書きのないドラマ≠ニいわれているくらいだから、弁当を食っていても何が起きるかわからない。
突然の不幸≠ネどは、それこそ茶飯事である。
味方が大事なところで突然エラーをする。相手チームに突然ホームランを打たれる。味方走者が突然無謀な盗塁をして刺される。何か起きるのは常に突然≠ナある。
メシなど、おちおち食っている状況ではないのだ。
「オッ、このブリの照り焼きおいしそうだな。シヤワセ、シヤワセ」
と思った次の瞬間、立ちあがってコブシを振りあげ慟哭しなければならない、などということはしょっちゅうある。
むろん、不幸ばかりでなく、幸福もおとずれるから、弁当を食ってはいても、その双方の対応にかなり忙しいことになる。
ゴハンを呑みこもうとしたとたん味方のホームランが出て、ゴハンを呑みこまなければならないし、立ちあがって拍手をしなければならないし、「いいぞォ!」などの声援をおくらなければならないし、しかしその前にゴハンを呑みこまなければならないし、どれから先にやろうかと考えているうちに考えがもつれてゴハンにむせてゲホゲホしたりしている人もいる。
ことしもすでに、三回ほど神宮球場でナイターを見たが、弁当を欠かしたことはない。生ビールも欠かしたことがない。
生ビールに弁当、この黄金の組み合わせは、屋外に出てその本領を発揮する。
生ビールに弁当、それに頬にあたるそよ風≠ェ加わると、屋外の食事の黄金の三点セットとして完璧となる。
これにさらにひいきチームの優勢≠ェ加われば、もはや何もいうことはない。
試合開始十五分ほど前に球場に行き、それまでに弁当とビールを確保し、きちんと揃えたヒザの上に弁当、右手にビール、耳にラジオ、そうしておいてアンパイアの試合開始のコールを待つ、というのがいつものぼくのパターンなのである。
試合が始まっても、すぐには弁当を開かない。
このあたりは駅弁に似ている。
駅のホームで弁当を買って乗りこみ、列車が発車してもすぐには弁当を開かないものである。
いつ開くかというと、車窓の景色がよいところにさしかかったときに、ようやくおもむろに弁当のヒモに手をかける。
列車における景色のよいところにさしかかったとき≠ノ相当するのが、味方チームがチャンスにさしかかったとき≠ネのである。
「そうそう! よしよし!」
などと言いながら、おもむろに弁当を開く。
神宮球場の弁当は、その日によって少しずつ違うが、幕の内、洋風幕の内、ひれかつ弁当、カツカレー弁当、スキヤキ弁当など数多く用意されている。
ぼくはもっぱら幕の内弁当を愛用しているが、これには千円と千五百円のがある。
同じ幕の内でありながら、五百円の差、というのは大きい。
五百円あれば、ホカ弁ならもう一個ラクに買える。ホカ弁のシャケ弁なら、もう二個買える。
だから弁当屋としては、五百円の差を客に何とかして納得させなければならない。
ひと目でわかる五百円の差を出そうと腐心する。
まず容器が違う。
厚さ五ミリほどもあるポリエチレンの箱には、桐箱風の木目が印刷されている。
深さも、千円のより三ミリほど深い。
おかずの種類は、十二対十三と大差がないので(むろん内容が違うが)、銀紙、笹、パセリなどを多用してその差を明確にしようとしている。
しみじみ眺めると、「五百円の差を見せるのに全精力を使いきってしまって、あとのことはもう知らんッ」というふうに見えないこともない。
ぼくが幕の内を愛用するのは、「その多彩なおかず群をビールのツマミに流用しよう」との魂胆からなのだが、いくら多彩といっても、せいぜいビール二杯ぐらいまでである。三杯目となると、次のツマミを購入しなければならなくなる。ビール三杯目はやめて、水割りにしようか、などの考えも生まれてくる。
そこで、「水割りおよびポテトチップ」と決心して、とりあえず水割り屋を待ちうけるのだが、不思議なことに、決心したとたん、水割り屋は来なくなる。
ついさっきまで、うるさいほど「水割り、いかがァすかァ」とウロウロしていたのに、決心したとたん、どういうわけか寄りつかなくなる。
では、ポテトチップのほうだけでも買っとこうと思うのだが、これも見当たらない。決心するちょっと前まで、「ポテトチップ、いかがァすかァ」と身辺をウロチョロし、「いまは、ポテトチップどころじゃねーんだよ」と、うるさく思っていたのに、決心したとたんどこへ消えたか影も形もない。
この現象は、列車とか映画館の中でも起きる。
列車の中で、うるさく行き交っていた売り子が、たとえば「そろそろビールでも買って飲むか」と決心したとたん、パッタリ来なくなる。
映画館では、「映画見ながらアイスクリーム食うなんて、ダセーんだよ」などと思っているうちはやたらに売りにくるが「しかし食いたくなったナ」と思ったとたんパッタリ来なくなる。
これは、社会学的および心理学的には、「決めるとパッタリ現象」、あるいは「決めパタの法則」と呼ばれ、目下、鋭意、原因究明中と伝え聞くが、その結果が待たれる今日このごろである。
激突! 激辛三十倍カレー
辛さ三十倍というカレーを食べに行った。三十倍といっても、その辛さがピンとこない人が多いと思う。
ふだん食べているカレーの二倍の辛さ、三倍の辛さ、このあたりなら何とか予想できる。十倍あたりから予想がつかなくなるのではないだろうか。
三十倍ということは、ふつうのカレーを一カ月間、毎日食べ続けた分の辛さということもできる。この辛さを一挙に味わってしまうわけだ。
一カ月分の辛さを、一挙に体内に入れてしまうわけだから、多少の身体的損傷はまぬがれないところであろう。
まず、入り口の口中あたりに被害が出て、咽喉、食道、胃、腸、直腸、と、各地に被害をもたらしながら、身体下部後方に抜け出ていくということになるだろう。まるで大型台風が日本列島を縦断したような被害が予想されるのである。
世間一般の風評では、なかでも「下部後方」の被害が大きいという。
このあたりの地盤が軟弱な人、軟弱な地盤を日ごろボラギノールなどで補強している人はかなりの被害を被るらしい。
こういうカレーを一人で食べに行くのはどうにも心細い。
そこで「週刊朝日」の中年I記者に、同行の士を募ってくれるように頼んだところ、断る人が続出したという。
断った理由は次のようなものである。
「以前十倍カレーというものを食べて半死半生の目にあった」「妻と相談してからでないと」「汗かきなので」「ノドが弱いので」「痔のケがあるので」「ローンがあるので」
それでもI記者は、なんとか四人の人員を強引に確保してくれた。
三十倍カレーは、東京・渋谷の「ボルツ」というカレー専門店のメニューにある。激辛決死隊五人は、夕刻七時、渋谷ハチ公前に集結した。
そこから「ボルツ」に向かって歩きながら、一行の口数は極めて少なかった。
これからどういうことになるのだろうか。胃腸関係の薬は一応用意してきたが、外傷関係の用意はない。
あまりの辛さに飛びあがって店の天井に激突し、頭蓋骨陥没ということも考えられないことではない。健康保険証も携行すべきではなかったか。
店の前に立つと、一行五人はとりあえず大きく一呼吸した。
いよいよ三十倍と対決するのだ。
そう思うと、どうしても「討ち入る」というか、「押し入る」というか、「乱入する」というか、そういった気持ちの高ぶりを覚える。
一呼吸したのち、一行は乱入にしては力のない足どりで店内に乱入した。
三十倍カレーという凶悪なものを提供する店にしては造りが明るい。「海岸通りの喫茶店」という感じである。
メニューをもらう。
ごく普通のカレーから五倍まで、一段階ずつ各五段階に分かれていて、六倍から急に「六倍〜三十倍」と大ざっぱになっている。
一行は「十倍」「二十倍」「三十倍」を注文した。
辛さを抑止するためのものとしては、ビール、アイスクリーム、水を注文した。
店の人に訊《き》くと、三十倍は一日に四皿ぐらいしかでないという。
「人間が食べるものではない」という説もある。
他のテーブルにはどんどんカレーが運ばれるが、われわれのはなかなかこない。
「三十倍はちょっと時間がかかります」
という店員の言葉に、われわれのオビエはいっそう募った。調理場で何か恐ろしい仕込みをしているのかもしれない。
一行は押し黙ってカレーの到着を待った。これからの行く末を思って、不安と悔恨に駆られているのか、しきりに汗を拭っている人もいる。
これから出現するであろう、汗、涙、鼻水、ヨダレなどのさまざまな水分に備えてハンカチを確認する人、胸元のボタンをはずす人、上着を脱ぐ人など、すべてが無言のうちに行われた。
全員うちそろって、これから手術をうけるような心境になっていった。
いよいよ問題のカレーが登場した。
例の別添え銀製風容器に入れられており、十倍も、三十倍も、色に変わりはない。ごくふつうの黄土色カレーで、三十倍も特に獰猛《どうもう》な面影はない。
いきなり三十倍からいくことにした。
一口目。特にどうということもなく、酸味の利いたやや辛めのカレー、という印象。二口目も平穏無事に過ぎた。三口目から突如、三十倍の猛攻が始まった。辛さというものは、最初油断させておいて、突然強烈なカウンターブローを放ってくるようだ。
まず口の中が熱湯を含んだようになり、次に舌全体が針で突つかれたように痛くなった。唇がたちまちタラコになった。各地に被害が出始めたのである。とたんに汗関係機関がフル操業になったらしく、顔面および首筋方面に点在する何十万という毛穴から汗がドッと噴き出てきた。舌全体にドシンとくるしぶとい辛さではなく、点在的にチクチク、トゲトゲとくる陰険な辛さである。
熱感と痛感で口を閉ざしていることができない。口中内壁とカレーとの接触を阻むために、全員いっせいに「アヒ、アヒ」と口を開け、「ホレハ、ドーモ、ハフガニ、フゴイ」(これは、どうもさすがにすごい)などと言い合って、「ミフ、ミフ」(水、水)ということになる。そうしてゴクゴク水を飲んで、スプーンを放り出し、イスの背にぐったりもたれてとりあえず摂取を中断し、改めて恐怖のカレー汁をしみじみ見つめる。
しかし、いつまでもイスの背にもたれていたのでは事態は進展しないことに気づき、やおら体を起こして一口、二口食べ、再び「アヒ、アヒ」「ミフ、ミフ」ということになって、またイスの背にぐったり寄りかかる。ただ、もうこの繰り返しである。その間に絶え間なく流れ落ちる汗を拭う。「食事をしている」というより「汗を拭いている」といったほうが正確かもしれない。厚化粧の女の人など、こういう場合、どういうことになるのだろう。
辛さは、食べ進むにつれて倍加していくようだ。
全員|茹《ゆ》だったような顔になり、思考力は半減し、一種の酩酊状態に陥る。
「味はどうか」といわれても困る。味などまるでわからぬ。かすかな酸味と、凶暴な辛さと、噛みしめると歯に残ってキシキシと感じる香辛料の残滓《ざんし》が印象に残っているだけだ。確かに人間の食べものではないのかもしれない。
辛さを耐えしのぐには、氷の入った水がいちばん有効である。ビールは意外に頼りにならない。そのあと「十倍」を食べたが、これが子供だましのように思えた。
翌朝、各地の被害を電話で確かめたところ、「ひさや大黒堂」のお世話になった人が一人だけいた。
究極のネコ缶を食べてみる
世はあげてグルメ時代だそうだ。
グルメ、グルメと、うるさいことになった。
猫も杓子も、というが、その猫杓グループ≠フトップリーダー、猫までがグルメ狂いを始めたらしい。
トップに倣《なら》うのが世の常であるから、こうなれば当然犬だってグルメ化する。
最近の犬猫の贅沢は目に余るらしい。特に猫の贅沢が目立っているようだ。ぼくは、人が贅沢をしていると聞くと、妬《ねた》ましさでいても立ってもいられなくなるタチなので、まして犬猫が贅沢をしていると聞いては黙ってはいられない。
テレビなんかでも、最近は、いわゆるネコ缶のCMがやたらに目立つが、ネコ缶などとバカにしていられない状況になってきている。
〈イワシ〉とか〈カツオ〉とか〈レバー〉ぐらいは、「まあ、そのぐらいの贅沢は時代も時代だしな」などと思うが、〈鮭〉〈ビーフ〉〈まぐろ刺身肉〉あたりになると顔付きも少し厳しくなり、〈舌びらめ&エビ〉〈ターキー(七面鳥)〉までいくと、「こういう事態をこのまま放置しておくわけにはいかないな」という心境になる。
〈舌びらめ&エビ〉〈ターキー〉は、グルメな猫の究極のメニュー≠ニして売り出され、贅沢な素材をたっぷり使って≠り、飽きやすいネコのために、合計五つの味をそろえました。ネコのご機嫌にあわせて、さまざまな味を与えてやってください≠ニある。
ネコのご機嫌にあわせるなって。
これまでのネコ缶は、大体一缶を二回に分けて与えるようになっているが、このシリーズは、一缶が一食分の半分サイズになっている。なぜかというと、毎回開けたての新鮮なおいしさを与える≠スめだという。
猫のエサは開けたて≠ナなくていいのっ。閉めたて≠食わせなさい。閉めたて≠。(なんだかよくわからないけど)
新鮮なサーディンをおいしいゼリーでくるみました。リノール酸、フラクトオリゴ糖も強化したヘルシーフード≠ニいうのもある。
なーにがヘルシー≠セ。猫のエサを、ゼリーでくるむなって。フラクトなんとかというのも要《い》らないのっ。
ビーフを食べやすい大きさにカット≠オたのもある。
食べやすい大きさにカットしなくていいのっ。犬猫は自分で食いちぎるものなのっ。ほんとにもう……。
このほかに、間食用のカルシウムやビタミンEを強化したスナック≠セの、ペット用牛乳というのもある。
そのうち、散歩のあとのノドの乾いたネコちゃんに≠ニかいって、犬猫用のポカリスエットもできるかもしれない。
こうして、やれ食え、やれ飲め、と飲み食いさせれば、当然犬猫は太ってくる。そこで登場するのが、ペット用ダイエットフードである。
ペット用ルームランナー、というものもある。
犬猫なんてものは、昔は、犬畜生といって、畜生科に分類される動物だったのだ。食べ物といえば、残り物のゴハンに残り物の味噌汁をかけたものが常食だったはずだ。
これにカツ節でもパラパラとかけてやれば、ノドをごろごろ鳴らして食べたものだった。肉など与えたら、それこそ狂喜して庭を二周ほど駆けまわってから涙を流して食べたに違いない。
それがですよ、いつのまにか、え? なんだって?新鮮なサーディンをおいしいゼリーでくるみました≠セって?
ふざけんじゃないっ。
こういう事態は、もはや放っておくわけにはいかない。
犬猫どもに「舌びらめ&エビ」を食べさせておくわけにはいかないのだ。
犬猫にだけ、いい思いをさせておいてはならない。
「オレにも食わせろ」という心境に、人間なら誰しもなるはずである。
だって、どう考えても、〈舌びらめ&エビ〉は、犬猫が食うものではなく、人間が食べるものではないか。
そこでですね、買ってきました、〈舌びらめ&エビ〉を。ついでに口惜しいから〈ターキー〉も。
名前だけはスゴイが、値段は一缶百円と意外に安い。しかし、人間が食うから安いのであって、犬猫にとって一食百円は、人間のいくらに相当するのだろう。
テーブルの上にネコ缶を二個並べ、いそいそとビールなんかも用意して席につく。しかし、どうも何だか恥ずかしい。
犬猫の食べ物を、人間であるぼくが食べるというのが、どうもひっかかる。人倫にもとる、というほどでもないが、人間として、してはいけないことのようにも思える。
しかし、もはやあとには引けない。
まず舌びらめ≠開けてみる。生意気にも、いま流行のパッカン方式である。
そこで、パッカン。
何と、舌びらめもエビも、形はなくてペースト状になっている。色はレンガ色で、工事用の塗装剤のような様相を呈していて、グルメ的雰囲気はどこにもない。「ターキー」も同様である。
ためらいつつ、箸《はし》で少量すくって口のところまで持っていったものの、「しかし、このオ……」と苦笑いして、また缶に戻す。何か犯罪を犯しているような気がしてきて、胸がドキドキしてくる。
食べてしまえばどうということもないのかもしれないが、やはり人間として、越えてはならぬ一線というものがあるような気もする。
道ならぬ道に踏み迷う、という言葉もある。
急に思いついて、立っていってカーテンを引く。ネコ缶食ってるところを人に見られてはならない。また思いついて部屋のカギをかける。カーテンを引いた薄暗い部屋で、ネコ缶食ってるところを、不意に踏みこまれて人に見られてはならない。
ネコ缶は、人間が食べても大丈夫なのかどうか、という問題もある。例えば、衛生的な処理は十分なされているのかどうか。万が一、不測の事態が起こることも考えられる。
いつまでも迷っていてもラチがあかないので、思いきって口に入れてみる。
まったりと練り合わされた舌びらめとエビのハーモニーは絶妙で、香りにも密度と力があり……というのは冗談だが、味付けが薄いという点を除けば、確かに舌びらめとエビの味がし、そのハーモニーもわるくない。醤油で味付けすれば、十分酒の肴《さかな》になる。ターキーのほうも、きちんとターキーの味がして、これはゴハンに合いそうだ。食べてから三日目になるが、今のところ不測の事態も起きていない。
ぼくは今後、ネコ族とうまくやっていく自信がついた。なにしろ同じ釜のメシを食った仲≠ネらぬ同じ缶のエサを食った仲≠ニなったのだから。
「おいしい」ってどんな味?
ほんとにもう、なんとかしてくれ。
もう我慢の限界だ。
おじさんはもう怒った。怒ったというより情けない。
もうずっと前から、憤激に耐えないと思っていたことを、いよいよ今日、今から正式に怒ろうとしているのだけれど、もうすでに怒ってしまっていて、唇なんかもワナワナと震えているのだが、それは何かというとだすね、じゃなかった、何かというとですね(舌がもつれている)、今はやりのテレビの食べ歩き番組の、何を食っても「おいしい!」としか言わない、いわゆる食べタレ≠ニいわれるタレントの奴ら、あいつら絶対に許せん。ドンドンドンッ。(テーブルをたたく音)
責任者出てこーい。ハァハァハァ。(激しい呼吸音)
と、まあ、ここで(少し怒り過ぎたかな)と、やや反省しながらいうのだが、ほんとにあいつらは、じゃなかった、あの方々《かたがた》は、何を食べても「おいしい!」としか言わない。
ほかに何か言いようがないのだろうか。
いつだったか忘れたが、テレビのグルメ番組を見ていたら、マンボウを食べるところが出てきた。
マンボウは幻の魚といわれ、市場に出ることはまずない。
たまに網にかかると、漁師が先を争って食べてしまうと言われるほどおいしい魚だという。
その肉質も、魚とはちょっと違ったものであるらしい。
ぼくも一度でいいからマンボウを食べてみたい、味わってみたい、と、かねがね思っていたところへ番組登場となったのである。
どこだか忘れたが、取材班一行は、わざわざマンボウを訪ねて、南のほうへ出かけて行ったのだった。
断っておくが、わざわざ南のほうに、わざわざマンボウを食べに行ったのである。ディレクターやカメラマンや、その他大勢の人も、そのためにわざわざついて行ったのである。
もう隅から隅まで、わざわざなのである。
食べタレ(男)が、いよいよマンボウを食べようとする。
さあ、どんな味がするのだろうか。
潮の香りがするのだろうか。
魚とは思えない肉質というが、魚とどう違うのだろうか。
ぼくだけでなく、誰もがそう思って番組を見つめていたに違いない。
ぼくはテレビの前で、前のめり、中腰という緊迫した姿勢になって画面を見つめた。
食べタレが、マンボウのひと切れを口に入れる。しばし口の中で味わい、目を中空に据え、ウンウンとうなずき、
「ウーン、これはおいしい!」
と、ひとこと。あとにも先にも、マンボウの味に関する感想は、これですべて終了したのである。
バカか、こいつは。(あ、いや、違った、このお方《かた》は)
「あのねえ……」(と、またテーブルをたたきそうになって思いとどまる)。
犬猫だって、おいしいものを食べればおいしそうな顔をするのッ。
犬猫だって、言葉をしゃべれば、おいしいぐらいは言えるのッ。
自分で感じた味覚を、何とかうまく表現しようとしているタレントもいることはいる。
そしてそれがかなり成功している人もいる。
しかし大部分で、このマンボウ男と大差がない。
もう少しマシな男は、
「うん、まったりとして、何とも言えない味がしておいしい」
と言い、女の場合は、
「うん、口の中でふわーっとして、何とも言えずおいしい」
と言う場合が多い。
今のグルメ番組には、このまったり男≠ニふわっと女≠ェ氾濫しているのである。
味を言葉で表現するのは確かにむずかしい。
それは十分わかっている。
あるグルメ番組のディレクターが、そのことを嘆いて、何かに書いていた。
「番組の出演者たちが、いつも『おいしい!』としか言わないので、ほかに言いようがないのか、とよく苦情がくるが、味を表現するのはむずかしいから、しょうがないんだよねー」
というようなことを何かに書いていたが、この人は自分の職業を何と心得ているのだろう。
例えば、営業課の課長が、注文をひとつも取ってこない営業マンに、
「注文取るのはむずかしいから、注文取ってこなくても、しょうがないんだよねー」
と言ってるのと同じではないだろうか。
食べタレの人たちも、とっさに適切な言葉が出てこないということはよくわかる。しかし、だからといって、「おいしい!」「おいしい!」とさえ言っていればいいというものでもあるまい。
誰が見てもおいしそうなものを食べて、「おいしい!」と言ってるのは、道ばたで石ころを拾って、「あ、これは石ころですね」と言っているのと同じである。
これではまるで幼児番組ではないか。
珍しいものを食べたとき、それを表現するのにもっとも有効なのは比喩ではないだろうか。
マンボウは鶏肉に似ているという。
これは別の番組だったと思うが、「城下《しろした》かれい(鰈)」の特集というのをやっていた。
断っておくが特集番組である。
「城下かれい」がなぜ珍重されるのか。
「城下かれい」というのは、大分県の日出《ひじ》というところで獲れる鰈で、ほかで獲れる鰈とは、ひと味もふた味も違うと言われているそうだ。
なぜ違うかというと、その湾に流入する川の水と、湾の海底から湧く真水とが入り混じって、海底を棲みかとする鰈に影響を与えるせいらしい。
どうもそうらしい、というような、街の郷土史家や漁師などの証言を添えて、いよいよ食べタレが「城下かれい」を食べる段になった。
薄造りにしてポン酢で食べる。
真水と川水と海水が、この鰈にどのような影響を与えたであろうか。
食べタレは、薄造りをポン酢にひたして口に入れる。
うん、うんと、二、三度大きくうなずく。
「うん、おいしい。これが本物の鰈の味だったんですねー」
と言うと、それで番組は終了となった。
だからァ、ふつうの鰈とォ、どこがァ、どう違うのかァ、それを言えっていってんだァ。ハァハァハァ……。
馬食い団、ひそかに浅草へ
浅草へ馬を食べに行った。
鰻を食べに行った、とか、牛を食べに行った、という話だと、
「フンフン、それで」
と、ごく自然に合いの手が入るが、馬となると一瞬間があく。
「馬を?」「食べに?」と、聞き返されることになる。「馬を」と「食べる」の間が途切れる。
馬を食べるのは何となく抵抗がある。
牛や豚や鶏を食べるようなわけにはいかない。
牛や豚には申しわけないが、彼らの顔つきや体つきを見ていると、食べられて当然という気がする。
馬はちょっと違う。
われわれが馬というとまず思い浮かべるのは、競走用のサラブレッドである。
あの長く鼻すじの通った顔には高貴の面差しがあり、引きしまった胴、細く長い足には高潔の気配がある。
高貴と高潔を食べるわけにはいかない。
牛や豚には申しわけないが、馬は彼らよりはるかに利口そうな顔をしている。
全国一斉家畜アチーブメントテストを実施すれば、馬は確実に上位を占めるに違いない。偏差値なんかもかなり高いに違いない。知的水準なんかも、他の連中に比べて高いはずだ。
目元なんかも涼しく、利発、怜悧を感じさせる。
利発、怜悧を食べるわけにはいかない。
そのいかない≠烽フを、浅草へ行って食べてしまったのである。
それも刺し身で食べてしまったのだ。
高潔と怜悧を、ナマの刺し身で食べてしまったのである。
本当に申しわけないことをしたと、今では反省している。
「しかし旨かったなあ」と、今でも舌なめずりしている。
今回の馬食い団一行≠フ知的水準もかなり高かった。
「週刊朝日」の「ブラック=アングル」および「似顔絵塾」塾長の山藤章二画伯、その門下生の深津千鶴画伯、「週刊朝日」公私混然文でおなじみのイケベ大記者、本コラム担当の鈴木中記者という豪華オールスターキャストであった。オールスターは夕刻浅草に向かって出発した。
はとバス風にいえば、浅草ナイトツアー馬食いフルコースの夜≠ニいうようなネーミングになると思う。
目指すは、明治三十八年創業の桜肉専門店中江≠ナある。
入り口には紺地に桜の花びらのマークを染めぬいたノレンがかかり、玄関にはハッピ姿の下足番のおじさんがいるという伝統と格式にあふれたお店である。
二十畳ほどの、畳の入れ込みの座敷に、デコラのテーブルが十卓ばかり。
馬食い団は、そのうちの二卓ほどを占拠する。
メニューを見ながら、
「とにもかくにもまず馬刺しだな」
とイケベ大記者が言い、
「タルタル風ユッケもいってみようよ」
と山藤画伯が言い、
「エート、あとは桜鍋とササミ焼きと生姜巻と桜肉ステーキあたりもいってみようよ」
とぼくが言い、あたり≠煢スも、結局のところこの店の馬関係をすべて注文してしまっているのである。
まず馬刺し。(千七百円)
馬刺しは、デパートやスーパーなどでもたまに売っているが、赤黒いものが多い。この店のは、色も鮮やかな赤い色をしており、その赤い肉の中に、ほんの少し白い脂が網状に差しこんでいる。
この脂の分だけ、ふつうの馬刺しより味わいが濃いようだ。
馬肉の特徴は、何といってもその軟らかさにある。筋ばったところや、歯に引っかかるものが何もない。ただひたすら軟らかい。鶏のササミのようであり、牛刺しの脂のないところのようであり、マグロの赤身のようであり鯨のようでもある。
不思議なことに陸≠フ香りがない。
では海の香りかというとこれもない。生姜醤油で食べるのだが、ねっとりと軟らかく、味わっていると舌にまとわりついて、自分の舌か馬刺しの肉かときどきわからなくなる。
そしてノド越しが何ともいえず特に軟らかい。
さっぱりしていて、牛刺しのように、だんだんしつこく感じられてきてイヤになるということがない。いくらでも食べられる。丼に山盛りいっぱいぐらいは、軽くいけそうな気がする。
しかしいくらなんでも、高潔、怜悧の馬を、ナマで、丼一杯食うというのはいささか気がひける。
そこで鍋のほうに移ることにする。
鍋は、ロース∞ヒレ∞シモフリ≠フ三種類がある(それぞれ千三百円、二千円、二千五百円)。
いずれも鮮やかな赤い肉で、馬肉といえば赤黒い肉という印象があったが、考えを改めなければならないようだ。
鍋に入れる具は、シイタケ、豆腐、春菊、ネギ、白たき、麩といったもので、特に変わったものはない。
これを、スキヤキ風のツユで煮て食べる。スキヤキ風のツユに、ほんの少量味噌が入れてある。
ロースには、肉のフチに少し白い脂身がついている。
この脂が実にさっぱりしている。牛の脂のようなしつこさが少しもない。鯨のベーコン風の硬さがあり、噛みしめるとジワッと脂の旨味が口の中に広がる。
馬肉は結局のところ、この鍋と馬刺しに尽きるようだ。他のタルタル≠竍生姜巻≠竍ササミ焼き≠ヘ、特に論評を加えるというほどのものではないようだ。
馬食い団の一行に、馬食いの印象を聞いてみた。
イケベ記者「…淡泊…」
山藤画伯「…軟らかいね…」
深津画伯「…軟らかいですね…」
鈴木記者「さっぱりしている…」
要するに、「さっぱりして軟らかい」ということである。
豪華オールスターキャストが、総力をあげての発言にしては少し物足りない気がしないでもないが、馬肉は印象の薄い肉であるということもまた事実である。
それよりも、馬肉には、人々をしてその印象を薄くさせる何ものかがあるような気がする。
鍋物は、元来、座が盛りあがるものである。談論風発、呵々大笑という雰囲気になるのが普通だ。なのにこの日の鍋は、少しも盛りあがらなかった。しめやかでさえあった。
人類の永い間の盟友である馬を、裏切っているという心理、裏切って食べているという罪悪感、それらが座をしめやかにしてしまったようなのだ。あんまり噛みしめちゃいかん。あんまり味わっちゃいかん、という心理が、その味の印象を淡泊にさせているのかもしれない。
とうもろこしは律儀である
八百屋やスーパーに、早くもとうもろこしが目につくようになった。
とうもろこしは、さつまいも、カボチャ、じゃがいもなどと共に、終戦当時の食糧難の時代の雰囲気を、色濃く残している食べ物である。
当時のおやつといえば、ふかしたさつまいも、じゃがいも、茹でたとうもろこしのいずれかだった。
いってみれば貧しい時代の貧しい食べ物である。
その貧しい食べ物が、この飽食の時代にもけっこう受け入れられているようなのだ。
いま、おやつの習慣はなくなったが、おやつ的雰囲気をいまに伝えるものとしても、とうもろこしは貴重である。
おやつの孤塁を、とうもろこしが守っているのである。
とうもろこしは、間食用の食べ物としては、一切の調味料を必要としない唯一のものである。
バターを塗ったり、醤油を塗ったりする人もいるが、何もつけないでも十分おいしい。
このあたりも、健康を気づかう時代の風潮にマッチしているのかもしれない。
むろん、おいしくなければこのグルメ時代に生き残れるはずもない。
噛みしめると、まず皮の感触があり、その次に穀物とは思えない野菜のような甘味が味わえ、最後に中心部の白っぽい芯の、穀物としての味が残る。
一粒で三種類の味を味わうことができるのである。
それと、これは意外に人々が気づいていない点であるが、とうもろこしは性格的にも人々に好意を持たれるものを持っているのである。
それは几帳面《きちようめん》な性格である。
とうもろこしの粒は、縦一列に整然と、まっすぐに並んでいる。
しかも、一分の隙間《すきま》もなく、誠実に芯の表面を覆《おお》いつくしている。
昔のとうもろこしは、ところどころに空き地があったが、最近のは例外なくびっしりと隙間なく並んでいる。
その過密性は建売住宅を思わせる。
土地の有効利用を考えなくてはならない時代性を、とうもろこしなりに考えているのかもしれない。
なにもそんなにまっすぐに、整然と並べなくても、多少曲がっていても、欠落した部分があっても、消費者としては一向にかまわないのだが、
「いえ、そういうわけにはまいりません」
という態度を貫いている。
そういう律儀《りちぎ》なところも、消費者としては本音をいえばうれしいのである。
律儀というより、一種の整理整頓好き、きちんと片づいてないと気が済まないという性格なのかもしれない。
とうもろこし側にしてみれば、きちんと並べることによるメリットは何もない。
種《しゆ》を保存するための一定の数量が、芯のまわりに確保されればいいのであって、きちんと並べなければならない理由は一つもない。
やはり、きちんと並べるのは、
「消費者が食べづらいことのないように」
という生産者側の意向をくみとった、とうもろこし側の自主的な好意と考えるのが妥当ではないだろうか。
こう考えてくると、とうもろこしの食べ方というものは、おのずと定まってくるようだ。
とうもろこしの誠実、律儀、好意に応える食べ方をしなければならない。
「とうもろこしの正しい食べ方」は、どんなエチケットの本にも出てこない。
とうもろこしの食べ方は、大別すると二通りある。
一つはとうもろこしの実を歯ではずす&法であり、もう一つは手ではずす&法である。
大勢は、歯派≠ェ占めており、手派≠ヘ少数である。しかし、とうもろこしの誠実、好意に応えるには手派≠ナなければならないとぼくは考える。
何のためにとうもろこしは、手間ひまかけてきちんと一列に並べてくれたのか。
手ではずしやすくするためである。
歯でガガーッとけずり取るならば、何もきちんと並んでなくてもいいはずだ。
それに手ではずしたほうが情緒もあるしドラマも生まれる。
手ではずすためには、まず一列の溝をつくらなくてはならない。この一列の溝づくり≠ェなかなかむずかしい。
とうもろこしの一列は人間の手の幅より狭いから本当に苦労する。親指ではじいたり、親指と人さし指でつまんでひっぱったり、それがちぎれたり、茹でたての熱いときは、「アッチッチ」と言ったりしなくてはならない。
この時期は作業のわりに収穫も少なく、事業でいうと、設備投資、基礎づくり初期苦闘時代ということになる。
とうもろこしは、一本で平均十六列、一列の粒数約三十五粒である。(粒の総数は必ず偶数だそうだ)
大変ではあるが、最初の一列を苦労してほじくり出してしまえば、あとの十五列は楽にはずすことができる。
左手にとうもろこしを持ち、右手の親指のハラのところを溝の左側の一列に押しあて、溝側に押し倒すと、粒はバラバラと倒れて手に残る。一回の押し倒しで、五、六粒の収穫があるからこれを口のところに持っていき、上向きかげんに口を開けてそこへパラパラと落としていく。
湿って軟らかく暖かい穀物の粒が、ポタポタポタと舌の上に落下する感触がこころよく、とうもろこし独特の雰囲気をかもしだす。
歯でけずり取る方式では、この雰囲気を味わうことができない。先述の、一粒の三層構造≠味わうこともできない。
それに見た目もよくない。
とうもろこしの両端を持って、まずどの辺にかぶりつこうかと迷っているところからすでにしてよくない。
食事のマナーでは迷い箸≠ヘいけないとされているのである。迷い歯≠ェいけないことはいうまでもない。
大抵の人は、中央どまん中というあたりにかぶりついてその辺一帯をけずり取る。そして次々にけずり取っては空き地を造成していく。このへんは、古い住宅をシャベルカーでけずり取っていく地上げ屋に似ている。
けずり取ってはアグアグと味わい、アグアグしながらも目は次期地上げ候補地の特定と査定に忙しい。
歯でけずり取った跡地を、今度しみじみ眺めてみて欲しい。
とうもろこしの皮、ひきちぎられた粒、取り残された白い芯などで荒れ果てた、見るも無残な荒涼とした空き地を目にするに違いない。
そして自分の行った浅ましくも醜い行跡に、粛然として首うなだれるに違いない。
ナゾの季節物、冷やし中華
冷やし中華始めました
という張り紙が、あちこちのラーメン屋の店頭で見られるようになった。
これを見て、
「そうか、そうか。もう、そういう季節になったか。そうか、そうか」
と、そうか的うなずき、そうか的ほほ笑みをもって迎え入れてくれる人もいれば、
「始めたきゃ勝手に始めればいいだろうッ。もうッ」
と、妙に反抗的になる人もいるから世の中はむずかしい。
冷やし中華始めました≠フ張り紙は、軒先をかすめるツバメや、庭先に咲き始めるアジサイなどと共に、夏の到来を告げる風物詩となっている。
この張り紙によって、客はその店が冷やし中華を始めたことを知る。
まだやっていないのを知らずに冷やし中華を注文し、
「まだやってません」
と、冷たく突き放すように言われて恥をかく、という事態を、この貼り紙によって避けることができる。
「すみません。まだなんです」という姿勢が本来だと思うのだが、こと冷やし中華の「やってない」ことになると、なぜかラーメン屋は居丈高《いたけだか》になる。
(やってなくてどこが悪い)という姿勢になる。
もう一つ納得がいかないのは、始めました≠店頭に告知するならば、当然、やめました≠熏崇mしなければならないはずだ。
それなのに、いまだかつて、やめました≠フ張り紙を見たことがない。
九月の半ばころ、まだやってるかなあ、と思いつつ、注文すると、
「もうやってません」
と、冷たく言われたりする。
なぜラーメン屋は、冷やし中華の、「やってる」「やってない」のことになると居丈高になるのか。これは大きなナゾである。
本当はやりたくないのにやらされている、という迷惑感みたいなものがあるのだろうか。
一種の兵役義務みたいな、義務感でやっているのだろうか。
この張り紙のナゾはまだある。
日本そば屋にも、同じ季節物として、冷やむぎ、ソーメン、冷やしたぬきなどがあるが、こちらはなぜか、始めた≠フ張り紙をしない。
店内の柱なんかに、ひっそりと張ったりしてあるが、店頭に告知するということはめったにない。
ラーメン屋は、始めた≠ニ騒ぐが、日本そば屋は騒がないのである。
これはなぜだろうか。
また、ラーメン屋は、どうやって冷やし中華を始める日を決めているのだろう。
鮎のように、「全国一斉冷やし中華解禁日」というのは、今のところないようだ。
ラーメン屋のおやじさんが、神宮館高島暦などをパラパラめくって、「方位と吉凶とお日柄」のあたりを参考にして、冷やし中華によいお日柄を決めるのだろうか。
冷やし中華が、一年を通したメニューの仲間入りができず、季節物としてのみの地位に甘んじているのはなぜだろう。
冷たいから夏向き、という考え方は当たらない。
盛りそば、ざるそばは、同じ冷たさなのに、一年中メニューの中にある。
それだけの実力がない、ということはいえそうだ。
冷やし中華は、何をいいたいのか、何を具現したいのかがよくわからない。
ラーメンならば、
「脂と醤油の混じりあいです。麺のコシです。熱いです。よく煮こんだチャーシューです。シナチクです。麺とスープのバランスです」
と、方針が明確である。
冷やし中華のほうは、わけがわからない。
「ま、酢ですね。それにゴマ油。ま、適当ですね。あ、そうそう、それにカラシですね。エート、あとは、ま、いろいろのっけてます。いいたいこと何もありません」
と、しどろもどろである。
麺の上にのせる具は、基本的には、キュウリ、ハム、うす焼き卵、ベニショウガ……、高級品になっていくに従って、蒸しどり、クラゲ、チャーシューの細切り、しいたけ、エビ、カニなども参加してくる。これらの具は、すべて他の料理からの流用である。
ラーメンのチャーシュー、シナチクは、いちおう譜代ではあるが、強力な家臣である。
冷やし中華のほうは、外様ともいえない流れ者の寄せ集め部隊である。
冷やし中華のためには死も惜しまぬ、という奴は一人もいない。
ここのところが、冷やし中華の哀れなところだ。
そして、麺の底に、ひっそりと暗く沈んでいる液体、あれもわけがわからない。スープなのかタレなのか、ツユなのかシルなのか、名称さえいまだに定かでない。
そしてそれを麺に、かけたのか、ひたしたのか、浴びせたのか、沈めたのか、それもよくわからない。
確かに麺の上から|タレ《ヽヽ》を|かけ《ヽヽ》たラーメン屋のおやじでさえ、
「そう言われてみっと、かけたのか、ひたしたのか、浴びせたのか、自分でもよくわからなくなったス」
と、なぜか急に東北弁になって困惑の表情になるのである。
作るほうも何となく確信がなく、釈然としないまま作り、釈然としないまま客に供し、客のほうも釈然としないまま食べ始め、釈然としないまま食べすすみ、食べ終わっても釈然とせず、ハテ、この残ったスープは飲んだものか、飲まないものなのか、しかし飲みたい、しかしみっともない、おっと、スープじゃなかったタレだっけ? シルだっけ? ツユだっけ? と思いは千々に乱れ、店を出てからも釈然としない食べ物なのである。
盛りつけ方も店によってマチマチだ。
麺の全域に、きっちりと類別に立てかけてある店もあれば、無秩序パラパラふりかけ方式の店もある。
食べ方もよくわからない。
最初に麺と具をグジャグジャにかきまわしてしまう人もいる。
一般的なのは、とりあえずキュウリあたりをワキに排除して突破口をつくり、そこから麺をほじくり出すという方式である。キュウリだけでなく、具を全部排除して麺まる禿げ、という状態にしてしまう人もいる。
いずれにしても、冷やし中華はあまり上品に食べないほうがいい。少し乱暴に、下品にガツガツ食べたほうが、冷やし中華の食べ方として上品である。
スイカはがぶり食いに限る
スイカは楽しい。
食べても楽しく眺めても楽しい。
スイカの特異性は、その大きさにある。こんなに大きな果物は、果物界広しといえども他に類例をみない。
果物屋や八百屋などのスイカコーナーには、これら大物たちがゴロゴロしているが、その一画は、あたかも相撲部屋のごとき様相を呈している。
果物界野菜界合同の巨魁たちが、揉めごと収拾のサミットを開いている、という観もある。
果物というものは、どういうわけか、人間のてのひらの大きさに合わせようとしているところがある。
リンゴ、ミカン、柿、桃、梨……どれをとっても人間の手になじむ。
ブドウ、サクランボ、イチゴ、アンズ……いずれも指先になじむ。
パイナップル、マンゴー、メロンといえども、何とかてのひらに収まる。
人間におもねって、大きさの自己規制をしているようなフシが窺える。
人間のてのひらだけでなく、冷蔵庫の大きさのことまで考え、
「あんまし大きくなっと、冷蔵庫にも迷惑かけっかんな」
などと、果物野菜界連合協同組合の理事長あたりが(多分カボチャだと思う)みんなを説得しているような気がする。
スイカだけは、人間の都合を一切無視している。自分の都合だけであの大きさになっている。
人間の迷惑なんて少しも考えない。
無論、冷蔵庫のことなんか眼中にない。そのため事実、人間は冷蔵庫のことでは迷惑をこうむっている。
おおらかで、無心で、泰然としている。人間への、こざかしいおもねりや、へつらいは少しもない。
カボチャやパイナップルなどは、
「あんましツルツルしてっと、持ちづらくて迷惑かけっかんな」
と、ミゾをつけたり、ザラザラをつけたり、把手《とつて》の代わりに葉っぱをつけたりしているが、スイカはツルツルである。
持ちづらいことはなはだしい。
スイカ専用の網袋が発明されているから、人間はなんとかスイカを持ち運ぶことができる。もしあれがなかったら、大の男が両手を使っても、十歩と持ち運ぶことはできないに違いない。
十一歩あたりでついに取り落とし、地団駄踏んでくやしがることになる。
日曜の夕方など、八百屋の近辺の路上のあちこちで、スイカを取り落としたおとうさんたちが地団駄を踏んでいる図が展開されるに違いない。
デザインもいい。
とにもかくにもまん丸、小細工一切なし。一見、デザインのことなどまるで考えていないようだが、どうしてどうして、夏の畑の日照りの中で、スイカはちゃんとそのことも考えているのである。
スイカは地肌の暗緑色、あの一色だけであっても誰にも文句を言われる筋合いはない。しかしそれではあまりに面白味がないし、第一陰気である。
そこで、その地肌に、黒のストライプのプリント柄を入れたらどうか、と、スイカは夏の畑の日照りの中で考えたのである。しかし直線のストライプでは、風船みたいで果物、野菜の感じがしない。
千葉、埼玉の雰囲気が出ない。
そこで考えついたのが、ストライプにギザギサをつけることであった。
これではっきりとスイカらしくなった。
こうなれば、誰が見ても、もうはっきりとスイカである。(あたりまえだ)
内部の赤≠焜fザイン的にすばらしい。一番外側の緑、ふちどりの白、そして圧倒的な容量を誇る赤、赤の中に点々と混じる画竜点々睛≠フ黒い種。
このままで、そのまま絵になる。
見た目だけでなく、スイカは食べてもおいしい。しかも楽しい。
おいしい食べ物はたくさんあるが、食べて楽しい食べ物は少ない。
スイカは食べながらも楽しい。
近年、スイカをケーキ感覚で食べる風潮がはびこっているが、あれでは少しも楽しくない。
ケーキ風に切ったやつを、スプーンですくって食べたのでは、せっかくのスイカが泣く。
スイカはがぶり食い、これに限る。
スイカをまず六つに切る。四つだと大きすぎる。それからアゴを十分前方に突き出す。シルが衣服にたれるのを防ぐためである。次に目をカッと見開く(ここが大切)。そして思いきり大口を開け、半月形のどまん中に、かなりの勢いをつけてかぶりつく。
スイカに顔が埋まったような感じになり、唇も歯もアゴも、鼻の頭もスイカにめりこむ。
一瞬、窒息するのではないかと思うが、なーに大丈夫、スイカで窒息して死んだ人はいない。
口中一杯のスポンジ状のスイカの果肉が、口を閉じるにつれてシャワシャワとつぶれ、甘く冷たいジュースになり、口の底辺部にたまって舌がその中にひたされる。そいつを果肉と共にノドの奥のほうにゴクンと送りこんで飲みこむ。
このとき人間の口中は、圧搾式のジューサーとなっている。
スプーンを使うならば、ケーキ風に切らずに半切りにし、道路掘削工事風≠ナ食べることをお薦めしたい。
ガス管や水道管の工事、あの方式である。楽しさという点ではこれが一番といえる。
まん中を掘り進み、いやいやこっち側も少し掘削せねば、と思い、あれこれ手順を考え、工事現場を任された主任のような心境になる。底のほうから水が滲《にじ》み出してくるところなども、道路工事に似ている。ときどき底のほうにたまった水を汲《く》みあげなければ、と、主任の心境はいや増す。
いずれの食べ方でも、食べ終わったときは口のまわりはべろべろになっているものである。
だから、最初に大型タオルを用意しておく。小型でも中型でもいけない。こいつで口のまわり、およびアゴを力強くぬぐう。そしてボテボテになったお腹《なか》をパンパンとたたき、「アーもうーお腹いっぱい」と言って畳の上にゴロリと横になる、というのが正しいスイカの食べ方である。
そしてスイカは、最後の最後まで人間の都合を考えない。最後に残る、あのやっかいな大量の生ゴミ、ミカンやブドウなどの、つつましい生ゴミと比べると、その迷惑度の大きさがよくわかる。
しかし……と、わたくしは考える。
昔の日本は貧しかったが、どの家の台所にも、土間などにスイカの一個や二個はゴロゴロしていたものだ。現在のわれわれの住宅事情は、たかがスイカ一つさえ余裕をもってまかなうことができない。スイカ程度のおおらかさにさえ、たじろいでいるのである。
どこへ行ったか「かき氷」
連日猛暑が続いている。
「かき氷でも食ってくるか」
なんて、簡単に考え、サンダルつっかけて猛暑の街へ出て行った。
そして十分もしないうちに、今や、かき氷を食うということが簡単でないことが判明した。
どこをどう探しても、かき氷がない。氷の文字に千鳥、その下に波がしら≠ニいうかき氷の旗は、街のあちこちにはためいている。
しかしショーケースの中のサンプルをよく見ると、純正のかき氷とは似ても似つかぬゴテゴテ厚化粧のフラッペ風のものが、かき氷≠ニして並べられている。
値段も五〇〇円から八〇〇円という大層な値段になっている。
真ん中あたりは確かにかき氷だが、その周辺にクリーム、てっぺんにアイスクリームをのせ、オレンジやスイカやパイナップルの切れはしを飾り、かけてあるツユもブルーベリーあり、ペパーミントありという、変わり果てた姿になってしまっているのである。情けない。
昔好きだった女性に久しぶりに会ったら、夜の女になっていた、というような感慨を覚える。(夜の女は古いか)
昔のかき氷は清潔だった。
安物のカクテルグラス風の容器に、秀峰富士を思わせる形にかき氷が盛られ、その上にイチゴなら赤、メロンなら緑、レモンなら黄色と、ただ一色が白い氷の頂上ににじんでいた。
富士の脇腹には、へこみの少ない四角っぽいシャジ≠ェ突っこまれてあった。
シャジは、サジと言う奴もいて、ぼくはいつもシャジかサジで迷っていたが、スプーンなどというニヤケたものではなかった。日本古来のシャジ(またはサジ)であった。
この脇腹に突っこまれたシャジは、抜き取るときに十分注意しないと、頂上の崩落≠ニいう突然の不幸を招くことがあった。
頂上の崩落≠ヘテーブルへの散乱≠呼び、経済的な損失及び精神的な苦痛≠呼び、不幸が不幸を呼ぶという典型的な災難をこうむることになる。
昔は夏になればいつでもかき氷が食べられた。
今のかき氷なるものは喫茶店が主体だが、昔はそば屋、ラーメン屋などでも夏場に限りかき氷があった。
それから、冬は鯛焼き、今川焼きをやり、夏はかき氷屋に変身するという軽量級の飲食店もあった。
こういう店には、かき氷のほかに、ところ天、冷やしスイカ、冷やし三ツ矢サイダーなども置いてあった。
当時は冷やす≠ニいうことに意義と価値のある時代だったのである。
そういえば、氷屋は、冬と夏でガラリと変わるという不思議な商売をしていた。
冬は炭屋、夏は氷屋という大変身を遂げるのである。
冬は熱し、夏は冷やす、という両極端を受けもっていたわけである。
中華料理に冬虫夏草≠ニいう珍品があるそうだが、まさに冬炭夏氷≠ニいう生活を送っていたことになる。
そば屋、ラーメン屋でもかき氷を扱っていたが、こちらはかき氷をたのむとなぜかいい顔をしなかった。
客のほうもなぜか「済まぬ」という気持ちになったものだった。労力のわりに値段が安かったせいかもしれない。
かき氷をたのむと、「面倒」もしくは「気がすすまぬ」または「迷惑」といった表情で、その店のおばさんあたりが大きな氷のカタマリをかき氷の機械の台の上にヨッコラショとのせる。
手でハンドルをタテに回すと、どういう仕掛けかタテの回転運動はヨコの回転運動に変わり、氷がシャキシャキとけずられ、台の下に置かれたグラスの上に少しずつ降りつもっていく。
降りつもって円錐形に盛りあがっていくのを、固唾をのんで見守ったものだった。盛りあがったところに、おばさんは小さな鉄のヒシャクでイチゴ水を一杯だけしゃくってかけてくれる。かき氷のツユは、いつだって足りたことがない。いつも少ないツユをやりくりして、時にはツユの全然かかってない部分を味気なく食べたりして何とかしのいでいた。
一度でいいからツユたっぷりのかき氷を食べてみたいと思っていた。なのにおばさんはいつも厳然と一杯きりであった。
「大体このおばさんはケチでしみったれで、顔を見たって因業《いんごう》そのものなんだよ」なんて思っていると、思い直したようにもう一杯ツユをかけてくれることもある。
「見かけは因業だが、根《ね》はいい人なんだ」
と、急に見直したりしたものだった。
かき氷がテーブルに到着すると、まずその全容を慈愛のこもった目でひとわたり見回す。
見回したあと、シャジを用心深く抜き取り、氷の頂上を、叱るがごとく、さとすがごとく、いつくしむがごとく、ペンペンと軽くたたく。ついでに周辺もペンペンとたたく。
山盛りのかき氷は、ともすればテーブルの上にハラハラとこぼれ落ちようとする。この剥離、崩落を防止するために、最初のペンペンは欠かすことのできない作業なのである。
このあとは、頂上から攻める人と、山の中腹にトンネルを掘って掘り進む人に分かれる。
頂上から攻める人は性格の明るい人が多く、トンネルを掘る人は暗い人が多かったようだ。
おばさんが因業でない店では、氷をかく前にツユを一ヒシャク底のところに入れておいてくれる。
トンネルを掘る人は、途中でこの地下水≠ノ突きあたり、嬉しく、懐かしく、シャクシャクと氷を突き混ぜたりしてありがたくいただいた。
かき氷というものは、食べ始めのときはかなり勇んでいるのが、途中で一度、必ずいやになるときがくる。
かき氷の倦怠期≠ナある。
食べているうちに、舌がマヒしてきてコメカミのあたりが痛くなってくる。
このあたりがあぶない。もういいや、という気になる。このあたりを耐え忍べば、あとは何とかなる。何とか持ちこたえて、最後に溶けて残ったツユまでも、飲みつくそうという気になる。これがまた実においしい。
さっき「一度でいいからツユたっぷりのかき氷を食べてみたい」と書いたが、これを一度だけやったことがある。
家庭用の手まわしのかき氷機がはやったころで、これも当時はやったコンクジュース≠たっぷりもたっぷり、大たっぷり注いで食べてみたのだが、当然ながらおいしくなかった。物事は、ほどほどがよろしいようで。
終戦当時の前科を告白する
昭和二十年八月十五日──。
そのときぼくは小学校二年生だった。
玉音放送というものも、ちゃんとこの耳で聞いた。
いま、セピア色に褪せたそのころの自分の写真を見ているのだが、頭は囚人風丸刈り、カーキ色(懐かしい言葉だ)の中国の人民服のような上着に、下はステテコ風の短いズボン。足には何とワラ草履をはいている。
土手の上にすわっているのだが、左手が不自然に左のヒザの上に置かれている。
いまでも覚えているが、そのヒザのところには穴があいていたのである。その穴を、さり気なく左手で隠しているのだ。
何といういじらしい少年!
わが家は終戦の一年前に山梨県に疎開し、終戦の直後に栃木県に移った。
茨城県との県境の小さな山村だった。
当時どんなものを食べていたか──。
終戦といえばまずスイトン。
スイトンといえば終戦──というくらいスイトンは終戦のスター≠ナある。
もう記憶もおぼろげなのだが、小麦粉を水で練ってギョウザ状にまとめ、醤油味の汁(スープ)の中に落としただけのものだった。
コツも秘伝もない乱暴なものだった。
むろん、「スイトンのコシはしっかりしているが、スープとのバランスがどうのこうの」などと批評しながら食べるものではなかった。
しかしスイトンは、それほどまずかったという記憶はない。
まずかったもののベストワンは、何といってもフスマ団子である。これはまずかった。いま思い出しても口の中がザラザラしてくる。
若い人たちに一応説明しておくと、エート、鶏小屋のエサ箱に鶏のエサが入っていますね。あれをひとつかみ手ですくって少量の小麦粉でまとめ、火を通しただけのもの。つまり鶏のエサ。
おとうさんたちはねェ……。(と、ここで急に涙声になる)つい四十年前はねえ。鶏のエサをたべていたのだよ。卵こそ産まなかったけど、それで何とか生きのびてきたのだよ。
なのにだ。ここへきて急にエラソーに、どこそこの寿司は、酢めしの温度が冷えすぎで、ネタのマグロが大きすぎてシャリとのバランスがイマイチでどうのこうの、などとしたり顔で言ったりしているのだ。
子供のころは、白いゴハンなんか十日に一ぺんどころか、年に一ぺんぐらいしか食べたことはなかったはずだ。
サツマイモのまわりに、わずかにゴハン粒がへばりついているサツマイモめし。
うどんの中に、ときどきゴハン粒が見えかくれするうどんめし。
ゴハン二割に麦八割の、二八そば≠ネらぬ二八麦めし。
ぼくらの世代は、そういうものを食べて育ってきたのだ。
なーにが、ネタのマグロが大きすぎる、だ。
なーにが、シャリとのバランスがわるい、だ。
ぼくなんか、中学の二年まで田舎に疎開したままだったので、刺し身というものを初めて口にしたのは高校生になってからだった。そのころは、刺し身というものはサシミ≠ニいうもので、マグロとかハマチとかの区別があるということも知らなかった。
終戦から日が経つにつれ、少しずつ食糧事情がよくなったが、それでも、白米のゴハン≠ノはなかなかならなかった。
二八麦めしが、三七になり、五五になり七三になっていった。麦が丸い麦から押し麦になっていった。
ちょっと話がとぶが、押し麦について不思議でならないことがある。
当時も今もそうなのだが、押し麦をよく見ると、一粒一粒がきちんと〈ふんどし〉をまん中にして正面向きで押しつぶされている。横向きにつぶされている麦が一粒もない。一粒一粒、正面を向かせてから押しつぶすのだろうか。ま、この研究は今後の課題とすることにして、当時、極端に不足していたのは動物性の蛋白質だった。
当人もむろんそうだが、体のほうも逼迫していたらしく、食べられそうな動物を見ると当人ともども目の色を変えて追いかけたものだった。
昆虫さえも大の大人が追いかけたのである。イナゴ、カエル、薪の中にひそんでいるクワガタやカブト虫の幼虫(サナギ)さえ食べた。
サナギは特においしかった。
薪割りなどしていると、たまにこれらのサナギがポトリと落ちる。
カイコのマユの中のサナギそっくりで、これを火であぶると脂がタラタラとたれる。香ばしく脂っこく、こんなにおいしいものはない! と思いながら食べたものだった。
飼っていた鶏を、父親と二人でしめたこともある。一人がカラダのほうを持ち、一人が首を持ち、イッセイのセイで首の人が四回ほどひねる。ひねってグイと引っぱる。コキ、と音がして鶏はやがて絶命する。
カエルもつかまえて食べた。(まるで横井さんや小野田さんだね)
カエルはどこにでもいたから、子供同士で遊んでいるときでも、カエルを見つけると早いもの勝ちでつかまえる。
カエルは生命力が強いのでなかなか死なない。(ああ、ここからは書きたくない。書いて友人、知己を失いたくない)
どうやって殺すかというと、石にたたきつけて殺すのである。
なかなか死なないので、三回、四回と石にたたきつける。
ようやく絶命したところで皮をむく。
足の水かきのところを引きちぎってきっかけをつくり、下に引っぱると皮は頭の先まで一気にむける。(書くのやめようかな)
食べるのはモモのところだけだから、腰のあたりをとがった石などでたたいて切断する。(石器時代だね)
これを火であぶって食べる。鶏のササミに似て、だがもっと弾力があり、わずかな肉片ではあったが非常に美味であった。(とうとう書いてしまった)
これできっと多くの友人や知人がぼくから離れていくに違いない。
「あの、温厚そうで、柔和で、心の優しそうな紳士が(ぼくのこと)昔はそんな残忍なことをしていたのか」
と去っていくに違いない。
ひもじかったのです。蛋白質に飢えていたのです。許してやってください。もうしません。
こんなひもじさゆえの前科を持ちながら、若い人がグルメ談議などをしているのを聞くと、思わずひとひざ乗りだし、ステーキというものはだね、などと言わずにはいられないのもぼくらの世代なのである。
殿がたはバイキングが苦手
都心のホテルは、いま夏枯れ対策で四苦八苦だ。
いろんな催しをして、客集めにおおわらわである。その中の一つ、落語鑑賞食事つき、というのに出かけてみた。
ディナーショーの落語版である。
落語のほうは小さんや米朝などの一流どころで、食事のほうはバイキングスタイルである。
お皿を持って右往左往しながら落語を聞く、という忙しいスタイルではなく、落語と食事は会場が分かれている。
まず食事、それから落語という段取りである。
バイキングスタイルは、旅館の朝食などにもとり入れられて、だれでも一度は経験があると思うが、何というか、次第に興奮してくるようなところがある。
会場に着くまでは、みんな冷静なのだが、料理を目の前にし、皿を手に持ち、人々の行列のうしろについたあたりから少しずつ冷静でなくなってくる。
何となく不安になってくる。
自分が食べるはずの食糧が、人々に奪《と》られてしまうのではないかという不安。全部なくなってしまうのではないかという不安。
それより何より、もしかしたらモトが取れないのではないかという不安。これが一番大きい。
バイキングの魅力は放題≠フ魅力である。食べ放題、飲み放題……人々は放題に弱い。放題と聞いただけでゾクゾクしてきて、冷静でいられなくなる。
放題は得≠ニ密接につながっている。食べれば食べるほど儲かる仕組みになっている。人々は、何とかして大儲けをしたいと思う。
しかし儲かるといっても、地上げ屋みたいに儲かるわけではない。バイキングを食べて何億も儲けたという話は聞いたことがないから、儲かるといっても大したことはないのだが、少しでも儲けを大きくしようと人々は奮闘努力する。
自分の食いものがなくなってしまうのではないかという不安、モトが取れないのではないかという不安、大儲けし損なうのではないかという不安で、行列に並びながら人々は浮足だつ。皿を持って足ぶみする人、前方注視のためアゴがあがったきりの人もいる。
バイキングには、そうした損得の問題のほかに、体面もしくは世間体の問題もある。
損得の概念は、外見的には食糧大量確保、お皿にてんこ盛り、盛りつけの配慮どころじゃないッ、床への多少の落下もやむをえないッ、という事態をもたらし、行動的には、小走り、目の血走り、多少の小突きあい可、押しのけアリ、という結果をもたらす。
つまり多少の体面の損傷はやむをえないと思う。しかしできることならその損傷を軽微にとどめたい、と誰しも思う。
しかし損傷にばかりとらわれて、損得のほうがおろそかになっても困る。
バイキングでは、この損得と体面≠フかねあいに人々は苦慮する。
さて問題の、落語鑑賞バイキングスタイル食事つきの会場のほうにも、こうした風潮は及んでいたであろうか。
このディナーショーの料金は一万五千円である。
客は実年層が圧倒的に多く、その半数以上が女性である。(つまりおばさんばかり)
実年の夫婦づれもかなり多い。ということは二人で三万円ということになる。
三万円出して、一夜、落語と夕めしを楽しもうというのだから、ま、中流以上であることはまちがいなかろう。
従って、たかが食いもののことで目が血走るということはない。
ないけれども、やはり食いものというものは恐ろしいもので、それなりの行動というものは随所でかいま見られた。
落語と食事の配分がどうなってるのかはわからないが、食事のほうはかなり貧弱だった。
並んでいるのは、いかの丸焼き、焼き魚(ホッケ)、枝豆、鶏唐揚げ、五目ずし、ソーメン、刺し身船盛りといった顔ぶれ。
この刺し身船盛りが、アッという間《ま》になくなった。本当にアッという間である。
実年層というのは、戦後の食糧難の体験者である。今は豊かな暮らしをしていても、何かの拍子に当時の習慣がひょいと出る。刺し身なんかしょっちゅう食べている階層に違いないのに、しかもたいした刺し身じゃないのに、おばさんたちは群がってしまった。多少突いてしまったし多少押しのけてしまった。
頭でわかっていても、体がいうことをきかないのである。
料理はときどき補充されたり、新顔が突如現れたりするらしい。
らしいというのは、ぼくが座った席は料理の並べられたコーナーから一番遠くだったから(何しろ三百名の大会場)、そうしたニュースは、人々の噂で知るよりほかないのである。
噂を聞いて駆けつけるようではすでに遅く、いいネタはアッという間になくなっている。
席は自由席で到着順だから、こうしたことを予見した人は、ちゃんと料理コーナーのまん前に陣取って、虎視たんたんと料理の出入り口のところを監視している。「ローストビーフが出た」という噂が広まったので小走りに駆けつけたのだが、もう間にあわなかった。
「クラゲが出た」という海水浴場のようなニュースを聞いて駆けつけたときも、ぼくの三人前で品切れになった。
僻地に住んでいると情報の到着が遅く、なにかと不利で、出かけて行っては不人気で山盛りの枝豆ばかり取って戻ってくることになる。
ぼくと同じテーブルの実年夫婦は、奥さんがやり手タイプ、夫はオットリしている。(シャレではないよ)
奥さんが大量確保してきた皿の中から枝豆ばかり拾って食べている。
奥さんはそれが気に入らないらしく、
「枝豆ばかり食べてちゃダメですよ」
と叱るのだが、夫は枝豆をやめない。
奥さんは焼き魚を食べ、唐揚げを食べ、五目ずしを口に運び、ときどき夫をチラと見ては、
「枝豆ばかり食べてちゃダメですよ。本当に好きなら別ですけど」
と残念がる。
このあと、われわれの周囲にはいろんな情報がとびかった。
「メロンを食べてる人を見かけた」とか「スイカの皿を持って歩いている人を見た」などというもので、確認に駆けつけると、確かにメロンを食べている人がいる。しかも食べているほかに、さらに三切れほどをもう一皿に確保しているのだ。
落語のほうは、バイキングのほうにかなりの精力を使いはたしたせいか、コックリコックリ居眠りをしているおばさんがあちこちにいた。
ああ八丈島のタコの丸焼き
夏休みをいただいたので八丈島に行ってきた。
八丈島は去年初めて行って、ことしは二度目である。
去年は初めてだったので、すっかりあがってしまって何が何だかわからなかった。ぼくは人間でも、初めて会う人だとあがってしまうタチで、まして初めての土地なんかだともっとあがってしまう。
去年は、八丈島から帰ってきて地図を見ても、島のどのへんにいたのか、どの海岸で泳いだのか、どこをどうドライブしたのか、さっぱりわからなかった。
その点ことしは二度目だったので、すっかり落ちつき、どこで何をしていても、(ああいま自分は島のどのへんにいるのか、どのへんで寝ているのか)、ということがすぐにわかり、島の地図なんかもパッと頭に浮かび、実に愉快であった。
八丈島では民宿に泊まって魚ばかり食べていた。
魚ばかりでなくタコも食べたし亀も食べた。
八丈島は魚が豊富、そして新鮮、なにしろ朝、港を出て午後帰ってきた船からおろしたばかりの魚を、刺し身にしたり焼いたりして食べるのである。
鯛の一種のアオダイの刺し身がおいしかった。アオダイの刺し身は皮つきのまま食べる。湯霜≠ノもしないから皮は相当硬い。身も弾力があって歯応えがある。分厚く切った皮つきの一切れをゴリゴリと噛んでいるうちに、皮と身から味が出てくる。
刺し身をゴリゴリ噛む、なんて経験は生まれて初めてである。
飛び魚もおいしかった。
船でちょっと沖へ出ると、船の周りを飛び魚がはねては滑空してゆく。
その様子は、どう見ても遊んでいるとしか見えず、用事があってそうしているとはどうしても思えない。
飛び魚は、刺し身か焼くかのどちらかで、ただの塩焼きが意外に旨い。
ぼくらがふだん食べてる飛び魚の肉はパサパサしているが、獲れたては脂こそないがしっとりと軟らかい。そしてハラワタがおいしい。
島の人の話では、飛び魚のハラワタはサンマに次いでおいしいという。
サンマのハラワタは、ネットリと苦いが、飛び魚のそれはさっぱりと苦い。
川魚のハラワタに似ているが、川魚ほど苦くない。
タコの丸焼きというのも食べさせてもらった。
海べりの漁師の即席宴会に参加させてもらって食べたのだが、本当に丸ごとの丸焼きなのである。これを醤油につけて食べる。
海岸で火を燃やし、ビールや焼酎を持ち寄って午後の五時ぐらいから宴会は始まる。たき火の上に巨大な金網をのせ、その上で獲れたての魚や貝を焼いて食べる。
タコは、頭が野球のボールぐらいの大きさで、これを手づかみにして頭から丸かじりした。
かなり硬く、食いちぎるのに苦労したが、意外だったのはタコにもイカと同じようなワタがあることだった。
イカの塩からにまぶすワタと同じワタである。イカのワタとまったく同じ色と味わいで、これを食い破ってタコの肉にまぶしつけてかじる。
口の周りがワタの色になり、その口でタコの頭にかじりつき、食いちぎるのであるから、見る人をして思わず顔をそむけさせるものがあったに違いない。
なにしろすべて獲れたてであるから何を食べてもおいしい。
こういう、獲れたての魚がいかに旨かったか≠ニいうような話は、読んでいて羨ましいなあ、と思う反面、
「ウン、よかったんだろ。いい思いしたんだろ。わかったよ、もう」
という反感も覚えるものである。
ぼくもこれまで、人が書いたこうした話を読んでいてそう思ったものである。
だからこういう体験記を書くときは気をつけなくてはいけない、反感を買うような書き方をしてはいけない、ヤーイ、ヤーイ羨ましいだろ的書き方をしてはいけない、と常日頃思っていたのである。
そう思っていたにもかかわらず、書いているうちに、少しずつ、ヤーイ、ヤーイ的心境になっている自分に気づき、驚き、反省し、しかしやはり、ヤーイ、ヤーイもわるくないな、と思ってしまう。
慎まなくてはいけない。
海亀の丸煮スープというのも食べさせてもらった。海亀一匹をブツ切りにして、野菜といっしょに煮た亀汁である。
野菜はありあわせのキャベツ、ピーマン、インゲンなどで、味つけは塩だけ、生姜でアクセントをつける。
大鍋をかきまわすと、亀の各部が現れる。肉、内臓、頭、あのマダラ模様のままの手足も現れる。
肉の各部は正直いってそれほどおいしいものではなく、鶏肉とカジキマグロの中間のような味がする。
内臓が旨い。ゼラチン状のところ、レバー風のところ、鯛の目玉周辺風トロトロ部分など、いずれも口の中で軟らかくとろける。
手と足のマダラ模様の皮は、引っぱるとむけ、これは軟らかいゼラチン質で、その次のところが硬めのゼラチン質になっていて、これを骨ごと歯でけずり取って食べる。スープもおいしい。
海の風に吹かれながら熱いスープを飲みこむと、汗がスッと引いていく。(いかん、またヤーイ、ヤーイ≠ノなってしまった)
地元料理の冷やし汁≠ニいうのを教えてもらった。これがあまりにうまかったので紹介せずにはいられない。
作り方は極めて簡単。
大きめのボールを用意する。これに水を入れる。味噌を入れる。刺し身をたたいたものを入れる。ネギ、生姜、みょうが、シソの葉のみじん切りを入れる。氷を入れる。よくかきまわす。飲む。
これだけである。
これが実に旨い。生の魚から意外なダシが出て、スーパーなんかで売っている名もない味噌でも、オヤ、と思うほどの味噌本来の味になる。
味噌は赤味噌系がよく、刺し身はアジ、ヒラメ、鯛、カンパチ、ハマチ、ブリなどが合うようだ。イワシはまだ試みてないが合うかもしれない。
コツは氷を入れたらガシャガシャとよくかきまわして冷やすこと。
この料理には抵抗を示す人が多いに違いない。
味噌を水に入れる、というのに抵抗があり、刺し身を水に入れる、というのに抵抗があるはずだ。刺し身に味噌、というのにもこだわりがあるかもしれない。
味噌を水に溶いたままで煮ない、という点もひっかかるだろう。
そうしたもろもろの常識を排除して、ぜひ一度挑戦してみることをお薦めする。おっと、あったらでいいが、生の唐がらしのみじん切りも有効である。
プラスチック丼世に氾濫す
プラスチックの食器は困る。
対応にとまどう。
主として重さの問題で混乱が起きる。
目の前の食器が、最初からプラスチックだとわかっていれば、それなりの対応、心構えで臨むことができるが、瀬戸物とまぎらわしいものが多いから困る。いや。わざとまぎらわしく造ってある。
我々は食器と対するとき、その重さを無意識に予想している。
丼なら丼、茶わんなら茶わんの重さを、おおよそ予測して、それなりの力加減で対応する。
「いや自分は、いちいちそこまで考えて行動してない」
という人もいるだろう。
だが当人が意識せずとも、体の中の重さ判断諸器官が、きちんと処理してくれているのである。
だから、たとえ一杯の水でも、ガラスのコップと紙コップとでは、はっきり違った対応の仕方をする。
紙コップをガラスのコップのつもりで持ちあげれば、コップは急速に持ちあがってしまうことになる。
一番困るのは丼関係である。
丼は食器の中でもかなり重いほうだ。
丼物は、重さも御馳走のうちである。
持ち重りのする丼物を、ガッキとつかんでワシワシと一気に食べ進んでいくのが丼物のよさである。
一応ちゃんとした店に入り、例えばカツ丼などを注文してその到着を待つ。
店内を見渡せば、その造りも調度品もちゃんとしている。カツ丼の値段も千二百円である。
こういう店では、よもやプラスチックの丼を使っているとは誰も思わない。
カツ丼が到着する。
当人も、体の関係諸器官も、丼=瀬戸物、と信じきっている。
丼+ゴハン+トンカツ=総重量、という計算が速やかに、当人および関係諸器官の間で行われ、「大体このぐらい」という結論が出て、当人もすっかりその気になって丼をひょいと持ちあげる。
すると、それが予想と全く違って急速に持ちあがってしまう。
あの瞬間の空しさ、寂しさはいうにいわれぬものがある。
裏切られた、という思い、おとしめられた、という思い、情けないという思いなどでしばし呆然となる。
胸にポッカリ空洞があいたような空しい気持ちになり、これも時代だ、などの諦観も湧き、空しい気持ちになる。
心理的ダメージばかりではない。
紙コップの例をまつまでもなく、すっかり瀬戸物と信じているから、瀬戸物用の力と速度で持ちあげることになり、丼は急速に持ちあがる。
口の高さに持っていくつもりが、おでこのあたりまで持ちあがってしまう。
たいていの人は、このあたりで気づき、急ブレーキをかけるが、ブレーキの利かない人は頭の上まで持ちあげてしまう。
もっとブレーキの利かない人は勢いがついて放り投げるようなカタチになり、カツとゴハンを頭からかぶってしまう人もいる。(いないか)
こうした店で、丼を持ちあげたとたんビクッとしている人をよく見かける。こういう人は、途中で気づいて被害を未然に防ぐことができた人である。
プラスチックの丼は、持っている間中ずっと頼りない。中途半端な気持ちを抜けることができない。
調整が最後までうまくいかず、左手の丼が高く持ちあがって、体全体が右に傾いたまま食事を続ける人もある。
こうした被害を防ぐためには、プラスチックはプラスチックらしい造りにするのが一番なのだが、プラスチックは悲しいことに本物らしく造られる宿命を背負っている。
プラスチックというものは、もともと本来の色も形もない。何かになる、というのがプラスチックの宿命である。
そして、なろうと思えば何にでもなれる。丼にもなれるし、寿司用の笹の葉にもなれるし、カレーライスにだってなれる。(店頭にある食品サンプル)
店の造りが、本物の瀬戸物を使っている≠ニ思わせる店だからこそ、こうした悲劇が起きるのだが、逆に絶対に瀬戸物は使ってない≠ニ思わせる店でも悲劇は起きる。
そういっては申しわけないが、居酒屋チェーンなどがそれである。
こうした店では、客は入っていくときから、器=プラスチック、の図式が頭の中に描かれている。
客はどんな器に対しても、最初からプラスチックとして対応する。
だから、こうした店で、ところどころ本物を使っていたりすると、客はかえってまごつくことになる。
カツ丼を目の前にしても、プラスチックの信念はゆるがない。プラスチック用の力と速度で軽くヒョイと持ちあげようとして思わぬ抵抗に遭うことになる。
思わぬ抵抗に遭ってまごつき、丼を前に転がして徳利の二、三本も倒し、あたり一面酒びたし、せっかくのカツ丼も酒びたしという悲劇が起きる。
こうなると客は疑心暗鬼になる。
プラスチックと本物が混在しているわけだから、安閑としているとカツ丼を倒したり、お吸い物の椀を放り投げたりすることになり、店のあちこちで騒動が起きかねない。
しかし、まあ大体において、こういう店の食器はプラスチックと思ってまちがいない。
こういう店は、プラスチックが通り相場なのに、いちいちそれを非難する人もよくいる。
いちいち食器を指ではじいては、
「ほら、な。プラスチックだろ。これもプラスチック、あれもプラスチック」
と、ひとつひとつ確認して非難がましいことをいう。
「こういう店は、みーんなプラスチックなんだよなー」
と暗い目でいって、けしからん、というふうにあたりを見まわす。そして周りの人に、「けしからん」の同意を求める。
しかし世の中には、「そんなこたどうでもいい」という人も多く、大体において同意を得られない場合が多い。
そのため、その人はますます暗くなって、ハシでそこらじゅうの器をたたいてまわり、みんなのヒンシュクを買うことになる。
プラスチックの飲食業界への進出は、器だけではない。先述の寿司用の笹の葉、刺し身のワサビをのせる大根の切れはしなどもプラスチックが当たり前になった。
最近の若者は、寿司桶に本物の笹の葉を使ってあったりすると、
「この店は本物を使ってないな」
「なによこれ、本物の葉っぱじゃないの」
などと、わけのわからぬことをいってるそうだ。
本もののうな重に巡り合う
うなぎの名店でうな重を注文すると、小一時間は待たされるという。
一時間をどうやって待つかというと、
「お新香をつまみに、酒など飲んだりして」待つのだという。
こういう名店は、むろんテレビなどは置いてない。
頼りはお新香とお酒。
お新香をポリリ、お酒をチビリ、これで一時間はどう考えても長すぎる。
お酒を飲める人はいいが、飲めない人はどうするのだろう。
黙然とすわってお酒なしでお新香をポリリ、足を組み替えたりしてまたお新香をポリリ、いくらなんでもポリリだけで一時間はつらい。
腕組みなどして天井を睨《にら》み、ため息の五十ほどもつき、テーブルを百ほどもたたき、畳を掻《か》きむしり、柱に|突き《ヽヽ》を三百ほどくれても、まだうな重は来ない。
立ちあがって、柱に頭突きをくらわす人もいるのかもしれない。
懊悩、呻吟、七転八倒のあげく、頭を掻きむしる人もいるだろう。毛のない人は、連れの人の頭を掻きむしったりして、お互いに気が立っているから喧嘩になったりするに違いない。
あるいは、うな重がすでに到着して幸せそうに食べている人を、激しい敵意のこもった目で睨みつけ、睨まれたほうは面白くないから、蒲焼きを口にくわえたまま白目をむいて「ウーッ」とうなり、睨み合いになって、やはり喧嘩に発展するということも十分考えられる。
名店のうなぎ屋の座敷は、頭突きの家鳴り震動、喧嘩の怒鳴り声で阿鼻叫喚、というようなことになっているのだろうか。
ぼくは今まで、うな重は、宴会の途中と出前でしか食べたことがないから、その辺の様子がよくわからない。
そのうな重も、
「うな重だ、うな重だ。ワーイ、ワーイ」
と、ただ単純に喜んで食べていただけである。
そして、「ワーイ、ワーイ。おいしかった。ベフッ」なんて言っていただけなのである。
やれ「身と皮がはがれるからダメ」とか、「余分な脂肪が抜けきってないからダメ」とか、「皮がハシで切れないからダメ」とか、「店内に流れる琴の音が大きすぎるからダメ」とかの、「ダメ」を出したことがない。
それでもスーパーの冷凍のうなぎと、うなぎ屋のうなぎの違いぐらいはわかる。
スーパーのうなぎは、確かにハシで皮が切れない。切れないどころか引っぱるとゴムのように伸びる。
身のほうも、噛むとコキコキした筋肉のような歯ざわりがある。
「噛むとホロリと舌の先でくずれる」というのとは大違いである。
本当の本物は、一体どういう味わいのものなのか、一度知っておく必要がある。
そうでないと、
「どこそこのうなぎは、コキコキ感があり、皮もよく伸び、いかにもうなぎらしいうなぎでとてもおいしい」
などと人前で言いかねない。言って恥をかきかねない。
「尾花」という店に行ってみることにした。「尾花」は、伝統と格式を誇る名店で、山本益博氏の本でも栄光の三つ星に輝いている。ちなみに、三つ星は、東京都内では「尾花」と「石ばし」の二店だけである。
JR南千住駅の近く、線路ぞいに「尾花」はあった。
和風の二階建て、提灯《ちようちん》が下がっていなかったら村の集会場と見まがうような雰囲気がある。
一階が四十畳ほどの畳敷きで、入れ込み式の大広間になっている。
ウイークデーの夕刻六時半、テーブルはすでにほぼ満席。
ウイークデーのせいか、客はほとんど地域住民ふうの人ばかりで、背広にネクタイの人は数えるほどしかいない。
家の中からそのまま駆けつけたような普段着の人ばかりで、夫婦、叔父、叔母、いとこ同士、といったような家族関係が多いようだ。子供連れの一家も多い。
「さて、これからお新香で苦悩の一時間か。やれやれ」
などと思いながらメニューを見ると、これが実に多彩なのである。
焼き鳥、鯉の洗い、う巻き、柳川鍋、茶碗蒸し……。
「お新香ポリリで一時間」を覚悟していたのに、これだけあれば、一時間は楽勝である。むろんビールもある。
畳に目をやると、客が引っ掻いたあともないし、柱に|突き《ヽヽ》のあともない。
家鳴り震動なし、喧嘩なしである。
すっかり拍子抜けがして、お新香、鯉の洗い、う巻き、うなぎ白焼き、うな重特上二千五百円などを注文する。
すわってすぐ、うな肝の佃煮ふうのものとお新香とビールが到着。五分ほどして鯉の洗い到着。更に五分ほどしてう巻き到着。黙然と天井を睨む、どころではない。忙しくて天井など睨んでいるヒマはない。たちまち三十分が経過。
到着したものをあらかた片づけ、さて、ではそろそろ天井でも睨み始めるか、と思っているところへ白焼きが到着。
「おおっ。これはまた忙しくなったな」
と思って白焼きに取りかかる。
白焼きに取りかかって五分もしないうちに、真打ちのうな重到着。
テーブルにすわってから、きっかり三十五分でうな重が到着したのである。
白焼きを大急ぎで片づけ、うな重のフタを開ける。
いよいよ名店のうなぎとの御対面である。
「フム、フム。なるほど」
これが名店の、本当の本物のうな重であったか。
重箱の敷地いっぱいに、ふっくらと焼きあがった蒲焼きが展開している。
焦げ目なく、焼きむらなく、タレを十分に吸いこんで色つや良く、それより何より「敷地いっぱい」が心嬉しく、思わずハシが動いてしまう。
重箱の隅を一区画、ハシで切り取って口に入れる。むろん皮はハシで簡単に切れ、ゴムのように伸びたりはしない。
「タンスにゴン」は、匂《にお》わないのが正しいが、うなぎの皮は伸びないのが正しいようだ。
口に入れると、うなぎとゴハンが、どこからどこまでうなぎで、どこからどこまでがゴハンか判然としない。まさに混然一体、まるでケーキ感覚で口の中でホロリとくずれる。
コキコキ感なし、というのが正しい蒲焼きであるらしい。
口の中は、ゴハンとタレとうなぎの香りでいっぱいになる。
「そうか、そうか。これが本当の本物のうなぎの蒲焼きというものであったか」
と、人生半ばを過ぎてようやく知ることができたのであった。
嘆かわしい新おにぎり事情
「天むす」というのをご存じだろうか。
最近、テレビの料理番組などで話題になっているおにぎりである。
おむすびの中に天ぷらがはいっているので「天むす」という。
「なにィ? 天ぷらのおむすびィ?」
と、世のおとうさん方は片眉をつりあげたりするかもしれないが、天ぷらぐらいで驚いてはいけない。最近のおにぎりの中身は多様をきわめているのである。
納豆、イカ明太子、焼き肉、ザーサイいため、鮭マヨネーズ、シーチキンマヨネーズなどなど、手あたり次第ゴハンの中にいろんなものを埋めこみ始めたのである。
これまでは、おにぎりの中身については一応歯どめのようなものがあった。
梅干しをその元祖として、鮭、タラコ、おかか、昆布の佃煮、以上ここまで、というような歯どめがあった。
それがここへきて、一挙に総くずれとなってしまったようなのだ。
仕掛人はコンビニエンスストア系である。
コンビニエンスストア(以下長すぎるのでコンストと略す)の一角に、弁当、サンドイッチ、おにぎりなどの、簡単便利食コーナーとでもいうようなところがありますね。
世のおとうさん方というものは、どういうわけかあのコーナーを「けしからん」と思っているようだ。あそこから弁当などを取り出している主婦などを「けしからん」と睨《にら》んだりする。「主婦の堕落」と考えているのですね。
ま、それはそれでいいとして、一度、謙虚な気持ちになってあそこをよく観察してみるといい。
実に様々な埋設物を内包したおにぎりが並んでいるのに驚くに違いない。
これらの中で、おとうさん方に特に抵抗があるのがマヨネーズ系だと思う。
「おにぎりにマヨネーズぅ?」
と、もう片っ方の眉をつりあげると思うが、マヨネーズ系は、子供系、ヤングミセス系およびOL系によって多大な支持を受けているのである。いや大人気といってもいい。
鮭缶ふうの鮭を使った鮭マヨネーズなどは、中心部周辺の鮭とマヨネーズがしみこんだあたりがなかなか「いい」といわれている。
コンスト系のおにぎりが、広く受け入れられた原因は、「ノリ・ゴハン分離方式」の導入だといわれている。
ノリをセロハン状のもの(業界ではフィルムといっている)で密閉してからゴハンに巻きつける方式である。これだと、時間が経ってもノリが湿らないでパリパリしている。
ノリをフィルムで密閉してあるが、見た目には普通のノリ巻きおにぎりに見える。このフィルムの中のノリを、|ゴハンに巻いた型のままで《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、ノリだけを抜き取って食べるのである。まるで手品のような技術を要求されるのだ。
セブンイレブン系とマート系では、少し方式が違うが原理は同じである。
ここをはがせ、ここを引っぱれ、ここをちぎれ、などと書いてあるが、もともとおにぎりは丸いものなので、どこから読み始めていいかわからない。そのため必ずといっていいほど初心者は順番をまちがえる。
あっちを引っぱり、こっちをちぎったりしているうちに、ノリもちぎれてきておにぎり全体がボロボロになってくる。
それでもノリは抜き取れない。このあたりになると、たいていのおとうさんは、
「ナニがドーナッテンダー?」
と、イライラして手をふるわせて怒りだすはずだ。
怒りっぽいおとうさんは、ボロボロになったおにぎりを床にたたきつけたりする。もっと怒りっぽいおとうさんは、それを足で踏んづけたりする。そして、
「昔のおにぎりはよかった」
と、大きくため息をつくに違いない。
昔のおにぎりは確かによかった。単純でよかった。
ノリは湿潤していたが、それが気になるということもなかった。大きさも、いまのよりひとまわり大きく、手に持つと少し持ち重りがするというところもよかった。中身は梅干しと決まっていたから、中身について思いわずらうこともなかった。
こういうおにぎりを、例えば山登りの途中などで食べると実にうまかった。梅干しの酸気と塩気が、少し疲れた体にはこたえられない味だった。しっかりと堅く握られたゴハンとノリのコンビネーションも絶妙の味に思えたものだった。
おにぎりは、室内で食べるとおいしくない。屋外に限る。それも少し体を動かしたあとがおいしい。体を動かしたあとといっても、例えばピンポンのあとなどはいけない。やはり山登りに限る。三時間ほど山道を登って、お昼少し前、というあたりが時間としては最適である。
場所は景色のよい見晴らし台周辺。この周辺≠ニいうところが大切である。
見晴らし台のベンチなどで食べてはいけない。そこから少し離れた斜面に生えている切り株を探したい。切り株の切り口は、水平でなくややナナメでありたい。
斜面に生えたナナメの切り株に、ナナメにすわって体全体がナナメになりながら、足を踏んばって食べるとおにぎりはおいしい。「ナナメ食い」がおにぎりの正しい食べ方である。時刻は十一時五十五分というあたりがよい。おにぎりは正午を過ぎるとなぜか味が落ちる。
五十五分に食べ始めて、一個目を半分ぐらい食べたところで麓《ふもと》のほうから正午のサイレンが聞こえてくるというのがいい。サイレンの音でおにぎりが一層おいしくなる。
さてそのおにぎりの食べ方であるが、これも作法どおり正しく食べたいものである。まずおにぎりを一個、包みから取り出したら愛情のこもった目で見つめてあげる。おにぎりは可愛い奴なのだ。
それから一口目をかじり取る。おにぎりの一口目は味気ないものである。一口目がおにぎりの中心部の梅干しのところに到達するということはない。
かじり取ったあとなど見つめながら、せわしなく飲みこみ、すばやく二口目にとりかかる。ようやく梅干しのところに到達する。ここで少し嬉しそうな顔をして、ナナメの足を踏んばって体勢を立て直し、眼下の景色を眺める。二口目までは景色を眺めてはならない。
二口目のあとは二つに割る。このあとはラクな気持ちになってどのように食べてもよいのである。食べながら、少し離れたところにいる仲間に、眼下の景色の感想を伝えるのも一興である。ただしその場合は、口中におにぎりを少し残したままの、やや発音不明瞭な感想でありたい。常識ではこれは下品とされているが、山中のおにぎりに限ってはこれが正しい作法なのである。
天下一品丸かじりのすすめ
丸かじりは痛快である。
食にまつわるもろもろの取り決めを一蹴して潔《いさぎよ》い。
かじりつき、食いちぎる、という行為は、食べ物の食べ方の基本である。
原始にかえったような楽しさ、爽快感がある。
食べ物を、生き生きと食べることができる。
懐石料理などの、チマチマ、コマゴマ、ああしちゃダメ、こうしちゃいかん、アッそれダメ、それやめて、といったバカバカしい約束事からすべて解放される。
いま、丸かじりの風潮が世の中から失われつつあるが、これは嘆かわしいことである。
あらゆる食べ物が、小さく、柔らかく、食べやすく調理されている。
だいたい大口を開ける、という機会が現代人にはほとんどないのではないか。
いま、ちょっと思いきり大口を開けてみて欲しい。そう。口というものは、そこまで大きく開けられるものなのだ。
たまには大口を開けて、アゴの機能をトコトン発揮させてやることも必要である。
どんな食べ物でも、それを食べるとき、これは丸かじりできるだろうか、ということをこれからは考えて欲しい。
意外にたいていの食べ物が丸かじりできることに気がつくはずだ。
特に野菜なんかは丸かじりのほうがおいしい。
いまナスの塩漬けがおいしい時期だが、これなんかは絶対に丸かじりのほうがおいしい。
頃あいに漬かったナスの丸っこいほうにガブリとかぶりつく。
硬い皮が前歯で少しめりこみ、少し抵抗したあとプッツリと破れる。このときキュッと音がする。
やや酸っぱく、やや塩っぽい発酵した味がして先端部が食いちぎられる。皮が残った場合は口をとんがらかしてグイグイ引っぱる。
この食いちぎりの感じがいい。
口の中に、ナスの不定形のゴツゴツしたカタマリがころげこむ。
丸かじりの魅力は、この不定形の舌ざわりにある。いびつでゴツゴツしたカタマリの感触が口の中で心地よい。口の中で位置を整えたりしながら、少しずつくずしていくことになる。
このナスの塩漬けが、薄く平べったく小さく切ってあったらどうだろう。
噛み方も一定、口の開き方も一定、味も一定ということになる。
トマトも丸かじりのほうが断然おいしい。トマトがおいしくなくなった、と、よくいわれるが、丸かじりするとどういうわけか不思議に昔のトマトの味になる。
よく冷えたトマトに、なるべく大きくかぶりつく。かぶりついたら唇の全域をトマトに密着させる。シルの落下を防ぐためと、トマトのシルを一滴も残さず吸い取ろうという魂胆である。
そうしておいて歯のほうはトマトの噛み取り作業に専念させる。
トマトの表面を唇でなぞるようにして少しずつ閉じていってトマトから離す。口の中のトマトのジュースと、不定形の果肉といっしょに噛みつぶす。昔の、あの懐かしい、少し青くさくて日なたくさく酸っぱい味がするはずだ。
キュウリも丸かじりがいい。
キュウリは丸かじりするとバリバリと音がして、いかにも噛みくだいているという快感がある。
噛みくだいているうちにだんだん勇壮な気分になっていく。
ただし、丸かじりする野菜は夏の露地ものでないといけない。
野菜に力がないといけない。
秋冬の、ビニール栽培ものは丸かじりに向かない。
だいたい「露地もの」という表現がすでにしておかしい。
野菜はもともと、すべて露地ものであったはずだ。
野菜というものは、元来、雨に打たれ風に吹かれ、雨ざらし、野ざらしが当たり前なのだ。
雨に打たれてしなり、風に吹かれて揺れながら育つものである。
ビニール栽培の野菜は、風に吹かれて揺れるということが一度もない。ただの一度もない。
生涯、一度も揺れることなく、シンとして動かない。身じろぎもせずに育ち、花をつけ、実を結ぶ植物というものがあるだろうか。何だかこわい気がする。
丸かじりは野菜に限らない。
まずチクワ。
チクワの丸かじりは痛快である。
なぜかはわからないが痛快な気分になる。チクワを丸ごと金網にのせてさっと焼く。チクワの姿焼きである。これをそのまま皿にのせればチクワの姿造りである。こいつをかじっては食いちぎり、かじっては食いちぎりしていると、気分がだんだん昂揚してくる。勇壮な気分になっていって天下を取ったような気になる。(チクワで天下……はムリか)
その昔、魚肉ソーセージの全盛時代があったが、この丸かじりはおいしかった。
噛みとった肉片の中に、ところどころ白い脂肪のカタマリがあって、これがなんともいえずおいしかった。
その頃、つくづくやってみたかったのがハムの丸かじりである。
ぼくらの世代は、ハムについては特別の思い入れがあり、神聖にして犯すべからざるものという思いがあった。
「ローマイヤ」などと聞くと体がふるえたものだった。その神聖なものを、心のままにあっちをかじりこっちをかじりしていったらどんなにいいか。
この夢は実現することなく今日《こんにち》に至っている。そのうち、そのうち、と思っているうちに今日に至ってしまった。
しかしこれが焼き豚となると少し抵抗がある。ベタベタした焼き豚の丸かじりは、やってやれないことはないだろうが、かじりついたあとにさまざまな問題が残るような気がする。
予想もしないような出来事が、衣服のあちこちに起こりそうな気がする。
意外なのは、細巻きのノリ巻きである。
切ったやつをパクリと口に放りこむより、長いやつを食いちぎったほうがはるかにおいしい。
しなりがちな長いやつの先端に、パクリと食いつくとノリがパリッと破れて前歯がゴハンの中に入っていく。
そいつをグイと引っぱると、芯のカンピョウがズリズリとズリ出てくるから、かくてはならじと前歯でカンピョウを噛み切る。破れ残ったノリを、首を横に振ったりして引っぱってビリビリと破り、一口分をようやく噛みとる。
包丁で切ってあるやつよりはるかに味わいが深い。
ヨウカンも丸かじりがおいしいし、歯の丈夫な人にはタクアンの丸かじりをお薦めしたい。
秘伝「技あり」炒飯のコツ
「炒飯《チヤーハン》がうまくできない」
というウメキ声は、巷に満ち満ちている。プロの作った炒飯は、ゴハンがパラッとしていて香ばしい。家庭で作る炒飯は、ベチャッとして、ねり飯の油まぶし≠ノなる。
邱永漢氏の本によると、究極の炒飯は、次の三条件を満たしているという。
(一)米粒の大きさがそろっている。(二)一粒一粒がバラバラでくっついていない。(三)どの一粒にも卵の黄味がよく滲《し》みていて、外から見ると黄色だが中は白い。
素人《しろうと》の炒飯は、(二)が最大の難関である。なぜパラパラにならないか。巷間よくいわれている理由は、(A)火力が違う、(B)ゴハンを空中に放り上げるあの技術がむずかしい、の二点である。したがって、
「家庭では、パラパラ炒飯は無理」
という結論になる。はたしてそうか。
五年ほど前、ぼくは炒飯の名人、新宿は「山珍居」の主人黄善徹氏から炒飯の指導を受けた。そのとき黄氏は、
「家庭でもパラパラ炒飯は可能」
と、はっきり言明してくれたのである。
火力の問題は、「中華鍋を強く熱してから炒《いた》める」ことと、「一回に二人前以上作らない」という二つのことで解決できるという。
三人前以上をいっぺんに作れば、炒飯はまちがいなくねり#ムになる。ゴハンの水分を、いかに素早く蒸発させるか、これが炒飯の要諦である。
「空中放り上げの技術は不必要」
とも黄氏はいってくれた。中華用の鉄ベラで何回もすくい取ってひっくり返せば同じことだという。
五年前に黄氏の指導を受け、その日から十日ほど、ぼくは毎日炒飯に取り組んだ。あちこちの店も食べ歩いた。
そして五年後。この一週間ほど、ぼくは再び毎日炒飯に取り組んだ。すなわち炒飯歴五年という経歴の持ち主なのである。もっとも、五年のうちの四年間ほどは、全然炒飯に取り組まなかったから、実質一週間と十日の経歴の持ち主ということになる。
炒飯ぐらい、その作り方が千差万別の食べ物もめずらしい。
「ゴハンは、ぜぇーったい、温かくないとダメ」
という人もいれば、
「ゴハンは、ぜぇーったい、冷たくないとダメ」
という人もいる。
卵を入れる時期も、「必ず最初に」という人と、「必ず途中で」という人がいる。
炒飯歴五年、中抜き四年、実質十七日の経歴の持ち主は、これらを一つ一つ検討し、実験し、研究した結果、遂に次のような確固とした「炒飯の作り方」を編みだすことに成功したのである。
以下それを、おおそれながら、怯えながらご披露申しあげていきたいと思う。
材料(一人前)
ゴハン丼《どんぶり》一杯。豚三枚肉の塊、煙草《たばこ》の箱大。干し椎茸1。ザーサイのみじん切り大サジ山盛り1。卵1。ネギ十センチ。
黄氏の説によると、使用する油は、豚三枚肉の脂身(白いとこ)が一番よく、「サラダ油はゴハンに滲《し》みないで鍋底に残る」からダメで、「市販のチューブに入ったラードも、いろいろの混ぜものが入っているので」使いたくないという。
確かに豚の脂は、炒めると独特の香ばしい香りが出て、何の料理に使ってもおいしいものである。これがゴハンに滲みこむとさらにおいしい。
干し椎茸は、戻すのが面倒だが、ゴハンの中の歯ざわりという点できわめて『有効』なのでぜひ入れたい。
ザーサイもぜひ入れたい。独特の塩気、歯ごたえが『効果』をもたらす。
ネギは、入れない人も多いが豚肉の臭い消しに必要であり、またネギは、油で熱すると独特の芳香を発するので、ぜひ入れることを『教育的指導』しておきたい。
三枚肉から白い脂を切り取って五ミリ角に刻む。肉のほうも五ミリ角にして軽く塩をパラパラ。ザーサイ、椎茸、ネギはみじん。卵は軽く溶いて塩パラパラ。
以上のものを、作業開始前にコンロのまわりに並べておきたい。調味用の塩も、目の届くところにおいておきたい。
中華料理全体にいえることだが、火にかけてからは一気呵成でなければならぬ。「エート、塩はどこだ」とか「オット、卵を溶くのを忘れた」などの停滞は許されないのである。
そして問題のゴハンである
結論をいってしまえば「冷たいほう」を使う。いろいろ試してみた結果、温かいゴハンはどうしても蒸れた感じが残る。冷たいほうが香ばしい仕上がりになる。温かいゴハンを、わざわざ冷蔵庫で冷やしてから使う店もある。
冷たいゴハンは、塊がところどころあるから、これを箸で丁寧に突きくずしておく(これ重要)
ではガスに点火。
中華鍋を火にかける(フライパンは避けたい)。火は徹頭徹尾全開の強火。
やがて鍋から煙がもうもうと上がってくる。少し不安になるが、ガマンして鍋を熱することおよそ五十秒。
ここで刻んだ脂身を投入。ジャーッと音がして脂が溶け始める。これっぽっちの量で足りるのかと思うが、やがて思いがけない量の脂が滲《にじ》み出てくる。これを鍋肌の立ちあがりのほうまで鉄ベラで行きわたらせるようにする。(こうしないとあとでゴハンが焦げつく)
火力は、鍋を上げ下げして調節する。
脂身がキツネ色になったら(ものの三十秒)ネギを投入。これもキツネ色になるまで。(ものの三十秒)
ここで豚肉のほうを入れる。火が通ったら(これも三十秒)、椎茸、ザーサイを投入、ひとかきかきまわして、いよいよゴハンの投入である。
ゴハンを入れたら、左手で鍋を絶えずゆすりながら、鉄ベラで大きくあおるようにすくい、広く薄く平らにのばして|軽く《ヽヽ》押しつける。(手早く何回も)
二分たったら溶き卵を、ゴハンの上から広範囲にふり入れる。
こうすると卵が塊にならず、糸状に散り、卵もよくゴハンにからまる。
このとき卵が鍋底に白くはりつくが、あわてないで鉄ベラで丁寧にはがすときれいにとれる。
ここで塩(小サジ半分)、コショウして、もう一分炒めたら火をとめる。
ゴハンを入れてから三分。鍋を火にかけてからは総計六分ということになる。
「卵は途中で」が、ぼくのやり方である。
火をとめたらすぐに皿にあけよう。
そのままにしておくと余熱で火が通りすぎる。
黄色がきれいに散った、香ばしい『技あり』の炒飯ができるはずだ。
なお、味の素は炒飯にきわめて『有効』である。うまい、と評判の店の炒飯の秘密は、味の素だったという話もある。
焼き鳥の串の業績を讃える
串はエライ。
このことに人々は少しも気づいていない。これまで果たしてきた串の業績にフト気づいて以来、ぼくは串が不憫《ふびん》でならない。だれも串をきちんと評価してやらないからである。
ナントカ横丁、カントカ小路と称する通りには、必ず一軒は焼き鳥屋がある。
おでん屋、ラーメン屋、一杯飲み屋と並んで、焼き鳥屋は必ずある。
一杯飲み屋のメニューにも、焼き鳥は必ず載っている。
一杯飲み屋に入った客は、まず、ビールあるいは酒を注文し、とりあえず焼き鳥を注文する。
焼き鳥は、一杯飲み屋のメニューの主《ぬし》なのだ。栄光の、注文ランク第一位なのである。
焼き鳥は、どのようにして、今日《こんにち》のこの栄光を勝ち得たのであろうか。
焼き鳥の栄光に、串はどのように寄与してきたのであろうか。
夕方、フラリと行きつけの焼き鳥屋の前を通った。行きつけといっても、四、五回通っただけの店である。
店の戸が開いていたので、フト立ち止まった。立ち止まったとたん、「焼き鳥三本にビール一本。所要時間十五分」というプランが頭にひらめいた。
この店は、カウンターに八席、テーブルが二つという小さな店である。
一番奥のテーブルで、店主、おかみさん、二十一、二歳の息子、店主の母親らしいおばあさんの四人が、鳥に串を刺す作業に専念していた。
この店の焼き鳥は、本物の鳥である。
まだ開店前らしかったが、店主は「どうぞ」と招き入れてくれた。
ビールとつき出しが出る。つき出しは鳥皮を甘辛く炒《い》りつけたものだ。
店主はテーブルに戻り、また串を刺す作業にとりかかる。
テーブルの上には、鳥やモツが山と積んである。ネギの山も、そのかたわらにある。
一家は押し黙って串を取りあげ、鳥を串に刺し、次にネギを刺し、また鳥を刺す。刺し終えたものを横に並べ、また串を取りあげて鳥を刺しネギを刺す。
会話が飛び交うわけでもなく、むろん団欒《だんらん》ではない。
焼き鳥屋の主たる業務は、むろん焼くこともそうだが、この仕込みの串刺しにあるのではないだろうか。
その光景は、この一家の暮らしの成り立ちのありようを、実にわかりやすく説明していた。
このようにして、この一家は生計を営んでいるのだ。
それを見ているうちに、なにか懐かしいものがこみあげてきた。
昔は各家族でも、こうした光景がよく見られたように思う。
母親と子供たちが、テーブルを囲んでインゲンのスジ取りなどをしていたものだった。
開店前の薄暗い焼き鳥屋の片隅で、懐かしいゲマインシャフト≠ェ展開されているのだった。
そのうち、この店の子供らしい中学生の男の子が学校から帰ってきた。
「ただいま」でもなければ「お帰り」でもないが、お互いの一瞬の目くばせが、双方に十分の理解をもたらしたもののようであった。
中学生は、有名私立中の制服を着ている。
そういっては失礼だが、「ホー!」という思いがした。
一区切りついたらしく、店主が立ちあがって焼き鳥を焼き始めた。
やがて三本の焼き鳥が、ぼくの目の前に置かれた。
塩味のよくきいた焼き鳥を噛みしめながら、また一家の作業を見るともなく見ているうちに、ぼくは大変な発見をしてしまったのである。
いまみんなが刺している鳥肉の山は、すでに食べられる大きさに切ってある。
このまま、串に刺さないで焼いても、焼き鳥は焼き鳥である。
焼き鳥というものは、鳥肉の小片を、タレもしくは塩で焼いたものである。
このまま、例えばアミの細かい焼き網かなんかで焼いて、バラバラのまま皿に盛って出しても焼き鳥の名をかぶせることができる。
客は鳥肉を箸でつまんで口に入れ、次にネギをつまんで口に入れるということになる。
むろん、それでもいいはずだ。
なぜ、わざわざ串に刺すのだろうか。
なぜ「主たる業務」として、一家総がかりで串に刺さなければならないのだろう。
ぼくは改めて、目の前の三本の焼き鳥を、全部串からはずして皿に並べてみた。
すると、とたんに、それまで堂々三本の威容を誇っていた焼き鳥は、なんともつまらぬ、平べったくだらしない食べ物に変貌してしまったのである。
鳥、ネギ、鳥、と、順序正しく並べられたまん中を貫く一本の串、これが焼き鳥全体に秩序と威厳を与えていたのだ。全体をキリリと引きしめていたのだ。
皿の上のバラバラの肉片とネギを、箸でつまんで食べてみたが面白くもなんともない。
焼き鳥は、箸を使わないで食べる。
串を右手に持って、先端の肉を、まず上下の歯ではさむ。
はさんだのち、右手を横に引いてズリズリと肉片を串からはずす。
ここに一種の遊技性と野性味がある。
これも焼き鳥の魅力の一つである。
もし焼き鳥が、串に刺さないで、バラバラのまま食べるという様式の歴史をたどってきたならば、今日の栄光はなかったに違いない。
串に刺す、という一点で、焼き鳥は今日の栄光を勝ち取ったのである。
そうなのだ。実にそうなのだ。
ぼくは大変な発見に興奮して、カウンターを思わずドンとたたいてしまった。
店の人たちは、「どうもなんだか早目に酔っぱらってしまったアブナイ客」という目でぼくのほうをチラと見、警戒の目くばせをすると、また串刺しの作業に専念するのであった。
そうなのだ。串はエライ奴なのだ。
串がこの一家の生計を支えているのだ。串が子供の学費をも生みだしているのだ。
串一族には、焼き鳥屋のように、客の前に登場しない串もいる。
鰻のかば焼きの串がそうだ。
かば焼きは、裂き三年、串八年、焼き一生といわれている。串はその焼きの期間を陰で忠実に支えているが、客の前には姿を現さない。謹み深く謙譲の精神にあふれた性格の持ち主なのである。
そういうところも、改めてエライと申しあげておきたい。
うれし懐かし、鯨食べたい
まもなく鯨が食べられなくなるかもしれないという。
南氷洋の捕鯨禁止が本決まりになり、その他の見通しも暗いらしい。
日本では縄文時代から食べ続けてきたといわれる食文化が、ここへきて一挙に断ち切られてしまうかもしれない。
ぼくらの世代は、鯨とは切っても切れない関係にある。
肉といえば鯨のことだと思って育ってきた世代である。
鯨とは子供のころからのおつきあいだが、特に下宿時代は鯨のお世話になった。
もっぱら缶詰でお世話になった。当時は缶詰の中では鯨が一番安かったからである。
缶詰は、鯨の大和煮というやつで、これには普通の「赤肉」と「須の子」の二種類があった。「赤肉」のほうは、とにかく硬く、食いちぎるのが容易ではなく、食いちぎろうとして箸が折れたりしたこともあった。
噛みしめても、醤油と砂糖の甘味の味しかなく、「なんとなく肉らしい味も多少する」という代物《しろもの》だった。
欠点の多い缶詰だったが、その代わり値段が安かった。その値段は、欠点を補ってあまりあるほど安かった。
「須の子」のほうは、「赤肉」の倍ぐらいの値段だったように思う。
肉のところどころにスジと脂の合いの子のような白い部分が網状に入っており、肉も軟らかく、「さすが倍の値段」と思わせる味だった。
このどちらにも、ショウガの小片が入っており、これを嫌ってわざわざ取り除く下宿仲間もいた。
それからベーコン。
フチが赤く彩られており、次の段階が網目をはりめぐらせたような硬いスジで、その次の段階でようやく待望の脂だけ、という三層構造になっている。
ぼくは今でもこのベーコンが大好きでときどき買ってきては食べている。
食べるときは、まず三層構造の網目状の硬いところまで食いちぎって空しく食べ、その次に「待望の脂だけ」の軟らかいところをウットリ食べることにしている。
動物の脂は、総じておいしいものだが、鯨のものは特においしい。
これほど歯ごたえのある脂肪は例を見ない。
口の中にあるときは、口の中が隅々まで脂まみれになるのに、飲みこんでしまうと急にさっぱりしてギトギトが少しも残らないのが、鯨のベーコンの不思議なところである。
鯨のベーコンは「好きだ」と人に言えないところがある。
「好きだ」と言うと、人に軽蔑されるようなところがある。
「口中《くちじゆう》を脂まみれにしてニタニタしている人」というふうにとられるのではないかと思い、鯨のベーコン好きはそのおいしさを人に言えず、しかし言いたく、しかし言えず、今日も黙って人に隠れて台所の陰でベーコンを食べ、口中を脂まみれにさせているのである。
そんなわけで、下宿時代は鯨の大和煮缶詰が重要な蛋白源だった。
これをおかずにして、二合炊きの独身者用電気釜で炊いたゴハンを食べる。
野菜はもっぱらモヤシいため。
蛋白源は鯨の大和煮から、脂肪は鯨のベーコンから、炭水化物はゴハンから、ビタミンなどはモヤシから、というふうに、当時は、役割分担のはっきりした実にわかりやすい食生活をしていたことになる。
そして、四大品目のうち、二大品目、実に半分を鯨にまかせて生きていたのだった。
本当に鯨にはお世話になった。
当時は鯨のベーコンといえば、もうどうしようもないほどの、最下層、という感じのおかずだったのに、さらにもっと下層のおかずもあった。
それが鯨のベーコンの切り屑だった。
これは一山いくらで売られていた。
「切り屑もの」には、ハムの切り屑、ソーセージの切り屑、ハム・ソーセージ合同の切り屑、とあったが、ベーコンは、切り屑グループの中にあっても最下層に位置していた。
だからこれを買うときは、いつも気分的にかなり落ちこんだものだった。
今はちがう。
鯨のベーコンのいいものは、一枚百円ぐらいする。切り屑といえども堂々胸を張って買うことができる。(何もベーコンで胸を張ることはないか)
新宿駅の西口のゴミゴミした飲食店街に鯨カツ専門店があった。
ここにもよく通ったものだった。
今から五、六年前に、専門店はなくなって、定食屋の一軒に、メニューの中の一品として鯨カツは残っている。
新宿に出て時間もちょうど食事どき、ということになると、今でもここに足が向く。
この店は、客が「足もとにネズミがいる!」と騒いでも、店の人たちは、「それがどうした?」と平然としているほど汚い店だが、鯨カツはうまい。
カツは極めて薄く、鯨の厚さとコロモの厚さが全く同じなのだが、この薄さが味の決め手であるようだ。
鯨は火が通りすぎると硬くなる。鯨が厚いと火を通すのに時間がかかる。
この薄さでサッと揚げるところにうまさの秘密があるらしい。
鯨カツを注文すると、客の目の前で、いつ取り換えたかわからないような油で揚げるのだが、不思議なことに意外にさっぱりと揚げる。ギトギト感がない。
てのひら大のカツを五つに包丁で切って、キャベツを敷いた皿にのせるのだが、包丁で切った時点で、カツ本体とコロモがはがれてバラバラになる。
客はバラバラにくずれたコロモを、ジグソーパズルのように元あったところにのせ直して食べる。コロモといっしょに食べないとおいしくないせいもあるが、「のせ直している」ひとときも、この鯨カツ屋の楽しいひとときなのである。
のせ直した上に、溶きガラシをたっぷりつけ、トンカツソースをダボダボかけて熱いゴハンにのせて食べるとこたえられない。
酒の席などで鯨の話が出てくると、話題はいつのまにか必ず昔の話になっていく。こんど一度ためしてみるといいが、必ず昔の話になる。
鯨の話が出てくると、付随して給食の話が必ず出てくる。このあたりから昔話になっていくのである。給食が出てきたところで、当時の生活状況の話になる。
話題のコースは二通りあって、
鯨→給食→当時の人気テレビ番組名コース
というのと、
鯨→給食→メンコ・ビー玉(遊びの種類)
というのと、世代的に二通りに分かれる。
ぜひ今度、ためしてみてください。
回転寿司なんかこわくない
「回転寿司に挑戦してみたいのだが、何だか不安でね」
という人は多い。おじさんに多い。
店内のルールがよくわからないという不安である。
ルールがわからないために、店内でまごついて恥をかくのではないか、と、おそれているのである。
店内のルールはこうだ。
とにかく勇気をふるって店の前に立つ。するとドアが自然に開く(自動ドアだから)。歩く。適当なところにすわる。
ここまでは他の寿司屋と変わらない。
ここからが違う。かなり違う。
目の前を、寿司の行列が貨物列車みたいにゴトゴト通過していく。
これを楽しい≠ニみるか、大人をからかうんじゃないッ≠ニ怒るかは人それぞれである。
寿司は皿に同じネタのものが二個ずつのっかっている。
大抵の初心者は、ここで初めて店内の貼り紙に目をやる。「一皿百二十円」の文字を確かめる。(百円の店もあるが)
(一個じゃなく一皿だな)と確認する。(ということは、一個六十円だな)と、もう一度確認する。確認して安心する。
さて次にどうするか。
醤油用の小皿がないことを、ここで初めて発見するはずだ。ここでかなりうろたえるはずだ。うしろに立っている店員に、「キミ、ちょっと、ここ小皿ないよ」と気色ばんで言いたくなるはずだ。
そう。言わないのが正解である。
他の客がどうしているのか見てみよう。
寿司ののっているのと同じ皿を醤油小皿として使っているのに気づくはずだ。
この皿をどこで手に入れたか。
周りを見回しても、余分の皿はどこにも置いてない。
(ほんとうにもう、しようがねェ店だな)
と、軽蔑的な口調で言って、目の前に流れてきたマグロあたりをとりあえず取りあげ、その皿のフチに醤油を少量注ぎ、マグロ寿司をそれにつけて食べる。
そう。それで正解なのだ。
そのマグロ寿司を食べ終えると、その皿は、突然醤油用皿に変貌する。以後これを、醤油専用皿として使用する。
そういう仕組みになっているのだ。
回転寿司には醤油用小皿がない、というのは回転寿司通の間では公然の秘密となっている。なぜか。その秘密は闇に包まれているという人もいるし、経費節約≠ニ簡単に喝破する人もいる。
お勘定はどうするのか。
店内にはお勘定係≠ェ一名ないし二名いる。大抵客のうしろに立っている。
この人に、「ここお勘定!」と力強く言おう。(か細く、でもかまわない)
するとこの人は、客の食べた皿数を数えてレジのところに行き、もし五枚食べたとすると、「五枚のお客さん」とレジの人に報告する。たとえキミが「山本さん」というお客さんであっても、キミは「五枚のお客さん」として扱われる。
ただここでひとこと断っておきたいことは、店によっては二百四十円の皿もあるということである。原則的には百二十円だが、ウニ、イクラ、赤貝などの高級ネタに限り倍額になる。ただし倍額のものは、皿の絵が違うから一目でわかるようになっている。
このことをよく頭に入れておかないと、「オッ、いいネタ」などと思わず手を出し、皿の絵が違うのに気づいてあわてて引っこめるという醜態を演じることになる。あわてて手を引っこめたあと、(まてよ。倍額といってもたかが百二十円の差じゃないか)と思い直してもう一度手を出すと、皿はすでに遠くへ流れ去っていて再び醜態を演じる、ということになる。
さあ、これだけの知識があれば、もう回転寿司はこわくない。
勇躍、回転寿司に出かけてみよう。
カウンターにすわって、まずマグロあたりからいってみようか。
キミの前にマグロが流れてきたからといって、何の考えもなくすぐに手を出すのはよそう。
よく見まわすと、マグロの皿は合計四皿ほど、ベルトの上で回っている。この四皿を、じっくり比較検討しよう。
このうち、厚さ、大きさいずれも最大のものを選ぼう。その結果、
「ウン、あれ。いま第三コーナーを回りつつあるあの皿」
ということになってその皿の到着を待つ。
しかしこの皿が必ずしも自分のものになるとは限らない。
その皿が、右回りでいままさにキミのところに到着しようという寸前、キミの上流の客がそいつをスッと取りあげてしまうこともある。しかしこのとき、
「そいつはオレのだッ」
と叫ぶのはルール違反である。
さっき、ネタの一番大きいのを選ぼうと書いたが、そればかりでは決められないところが回転寿司のむずかしいところである。回転寿司独特の乾燥の問題≠考慮に入れなければならない。
四皿のマグロがベルトの上を回っていても、いま握って流したものもあれば、二周、三周どころか八周、九周目というマグロもある。
ここのところを比較検討しなければならない。回転寿司は、一回転するのに約二分かかる。九周目のマグロは二十分近く経過している。こういう寿司は回転寿司ならぬ乾燥寿司となっている。
部位の問題もある。ネタがいかに大きく厚くても、場所によっておいしいところとまずいところがある。
これも比較検討しなければならない。
その日の市場価格も考慮に入れなければならない。マグロが高い日は、当然質のわるいマグロばかりであるはずだ。こういう日はむしろマグロを避けたほうが無難である。
すなわち、ネタの大小はどうか∞乾燥ぐあいはどれがひどいか∞部位的にいうとどれか∞本日の市場価格≠ニいったものを常に頭の中におき、常に睨み合わせて比較検討しなければならない。次から次に、めまぐるしく流れてくるネタの一つ一つを、次から次に比較検討しなければならない。比較検討に次ぐ比較検討を強いられる。
しかし比較検討ばかりしているわけにはいかない。ときには、その結果を口に入れなければならないからだ。比較検討に全精力を使い果たしてしまって、いざ食べるときには疲れきってしまって味がわからぬ、ということにもなりかねない。
回転寿司は渓流釣りに似ている。寿司職人が釣り人で、客は渓流にひそむ魚である。
釣り人はハリにエサをつけ、渓流に流して様子を窺っている。魚もエサの様子を窺っている。そしてときどきエサにとびつく。釣り人は「かかった、かかった」と喜んでいる。
最後にひとこと。回転寿司は意外にうまい。
フライ物の正しい生きかた
フライ物は何となく軽んじられているが、フライ物を好む人は多い。
多いからこそ、今も昔も、連綿として肉屋の店頭にはフライ物が並んでいる。
一般的にフライ物というのは、コロッケ、メンチカツ、ハムカツ、串カツ、アジフライ、カキフライ、イカフライあたりをいい、トンカツとなると、別格という感じになる。
フライ物には違いないが、もはやそういっては失礼、というような風格さえある。フライ物から身を起こして、今や錚々《そうそう》たる一派として成り上がり、
「コロッケなんかと一緒にしてもらっちゃ困るよ」
という態度がありありと窺える。
肉屋なんかでは、いずれも同じ鍋で揚げられており、出身≠ヘ同じなのだが、店頭に並べられるときは明らかに扱いが違う。
大きなバットなどに、一緒に並べられるときは、ちゃんと偉い順に並べられる。偉い順に右から、居流れる、という感じで並んでいる。
フライ一族で一番偉いのは、これはもうトンカツで、異論の出る余地はない。
昔はエビフライなんてのも結構偉かったが、今は昔日の面影はない。
問題は二番目である。
一般的にはメンチカツであるが、店によってはハムカツが二番目に並んでいるところもある。
メンチカツとハムカツとどっちが偉いか、という問題は非常にむずかしい。
ハムカツというのは、名称はハムカツだが、実際はソーセージ、という店が多い。これは非難していってるのではなく、ハムよりソーセージのほうがはるかにおいしいのである。ソーセージは、油を吸わせて熱を加えると一段とおいしくなる。これにコロモがついてトンカツソースが加わると一層おいしくなる。
ハムカツは、何となく、まがい物という見方をされている。
本来なら、豚肉であるべきところに、予算の関係でハムなんかで間に合わせて、ヤーイ、ヤーイ、といったような認識のされ方をしているが、ハムカツもおいしい店のは本当においしい。
メンチに少なくともヒケをとらないおいしいハムカツもある。
挽き肉と違ったハム(ソーセージ)独特の香りがあり、全体が堅く引き締まって、これはこれでなかなかおいしいものである。
二位に推すに値する力は十分ある。
しかし、カツの正統を肉とするならば、純血という意味では明らかにハムカツはメンチに負ける。
メンチは、挽き肉ではあるが、ハムに比べれば肉としての純血度は高い。
フライ物の一位はすんなり決まったが、二位はこのようにむずかしい。
そしてここに、さらに串カツが加わると、事態は一層混乱の度を増してくる。
串カツがどのぐらい偉いか、という評価の仕方は非常にむずかしい。
肉の純血≠ニいうことからいえば、ハムカツより確かに上だが、玉ネギの力を借りている≠ニいうところに串カツの弱みがある。そこのところを突かれると串カツは一言もない。
串で維持されている≠ニいうところも、できることなら触れてほしくない点である。異端視されてもやむをえない形態といえる。
肉屋さんも、そのへんのところをキチンと考えているらしく、店によって二位、三位は、メンチとハムで入れかわるが、串カツは四位ということになるようだ。
そして、五位にコロッケがくる。
アジ、イカ、カキなどのフライ物は、特に順位の差はなく、同列六位という扱いを受けている。串カツは、ゴハンのおかずという意味では後塵を拝するのもやむをえないが、相手がビールということになると、俄然話は変わってくる。
突然、トンカツさえ抜いて、一位に浮上してくるのである。
ビールにトンカツ、ビールにメンチカツ、ビールにハムカツ、コロッケ、いずれもイマイチの感があるが、ビールに串カツとなると、間然するところがない。
汗をかいた大ジョッキの傍らに、刻みキャベツ、カラシを従えた串カツの皿、というのは絵にさえなる。
カリカリ、アツアツに揚がった串カツに、カラシたっぷり、トンカツソースたっぷり、アグ、と、ひとかじりすれば前歯に熱さジンとしみわたり、コロモはがれてまず玉ネギ。玉ネギとコロモとソースとカラシで口の中は油まみれ、そこんところにつめたく冷えたビールをドドーと流しこめば、歯にも舌にも歯ぐきにも、チリチリとビールの泡がゆきわたり、油を洗い流し、口の中を大騒ぎさせたのち、ノドの奥のほうに落下していく。
これがコロッケだとこうはいかない。
なんとなく物さみしい。
口の中が大騒ぎにならない。
同じ油まみれでも、まみれ方が違う。
ネッチャリとまみれて、ビールを注ぎこんでも洗い流せないような気がする。
ところが世の中よくしたもので、コロッケはビールが相手ではダメだが、ゴハンということになると生彩を放ってくる。
そして串カツは、ゴハンの前では悄然としてしまう。
もともとフライ一族は、犬や猫が人間を頼って生きてきたように、ゴハンを頼って生計をたててきたのである。
だからゴハンに合う、ということのほうがフライの正しい生き方なのである。
しかし、ここへきて、縁故を頼ってパン関係に進出する傾向も見うけられる。
メンチ、ハムカツなどは、パンにもなじんできているようだ。
そうした中で、ゴハンひと筋、ゴハンに操をたてているのがコロッケである。
むろん、パン関係に身を売ったコロッケ仲間もいることはいる。
しかしコロッケだけは、パンにはあまりなじまない。
やはりゴハンあってのコロッケなのである。
コロッケは、他の一族に比べて一番地味な存在である。風貌、性格、容姿、いずれにも派手さはなく、万事ひかえめ、ひっそりしている。
その地味さかげん、陰影のある面ざし、生活感のあるたたずまい、いずれをとってもゴハンの正妻という感じがする。それもただの正妻ではなく、糟糠《そうこう》の妻≠ネのである。
ゴハンと長く連れ添い、互いの裏も表も知りつくした仲といえる。
ゴハンとコロッケ、これほど貧しく、これほど哀切で、これほど清々しい取り合わせが他にあるだろうか。
だからゴハンは、貧相な妻ではあるがこれを見捨てるようなことがあってはならぬ。トンカツを愛人にしたり、たとえコロッケに先立たれても、メンチやハムカツを後妻に迎えるようなことをしてはならぬ。
もうくさくない「くさい飯」
最近は、世界中のどんな珍しい食べ物でも手に入れることができる。
金さえ出せば、大抵のものは手に入る。中国産の熊のてのひらだろうが、カスピ海のキャビアだろうが、アフリカのワニの肉だろうが、手に入らないものはない。
また、一回の食事が十数万円という満漢全席《まんかんぜんせき》を、わざわざ香港まで食べに行く人もいる。
しかし一方には、金とかそういうものでは絶対に食べることができないものもある。
それは、いわゆるくさい飯≠ナある。
留置場、拘置所、刑務所などで供される官給弁当、略して官弁、これは金を出せば食べられるというものではない。
「世界中のあらゆるものを食べ尽くしました」というグルメでも、こればかりはまだ食べたことがないはずだ。
そういう意味では、極めて貴重な食事、誰もが一度は食べてみたい食事ということができる。(できないかナ)
では、どうしたらこの食事を食べることができるだろうか。
むずかしいことのように思えるが、方法がないわけではない。
正式の手続きを踏めば、だれでもこれを食べることができる。
正式の手続きというのは、街中で正式に暴れたり、正式に無銭飲食をしたりすることである。
正式の手続きとしては、これ以外の方法はない。
今回ぼくは、正式でない方法で、くさい飯を食べてしまった。
「週刊朝日」記者、警視庁記者クラブ朝日新聞記者、警視庁留置管理課のお骨折りによって、正式でない方法、すなわち不正な方法によって食べてしまったのである。
厳密に言えば、「不正を働いてくさい飯を食った」ということになり、人に話すときは、十分気をつけて話さないと大きな誤解をまねくおそれがある。
これまで、ぼくの考えていた官弁≠ヘ次のようなものであった。
まずアルミのお盆。その上にアルミのどんぶり。どんぶりの中には薄黒い麦飯に薄切りのタクアン。薄い塩鮭。ごく薄味の色の薄い味噌汁……。
それから、「わざとまずく作る食事」というイメージもあった。
わざとまずい米を全国から取り寄せ、わざとまずく炊き、わざとまずいタクアンを市場に探しに行き、わざとまずい塩鮭を人に聞いたりしてわざと遠方から取り寄せる、といったような、グルメと正反対のポリシーで作る食事というイメージがあった。
ところが最近の警察は、忙しくてわざ≠ニ何かをするなどというヒマはないらしい。
警視庁でいえば、官弁は、警視庁一階にある職員食堂≠ゥら取り寄せている。
流用といってはヘンだが、その食堂のメニューから、留置場ふうにあれこれピックアップして官弁に仕立てあげているという。
留置場ふうアレンジ≠ニいうことになると、派手で明朗な食べ物はどうしてもしりぞけられ、地味でどちらかというと暗い食べ物が多くなるようだ。
例えば、ぼくが食べさせていただいた一日のメニューは次のようなものである。
朝=ゴハン。タクアン二切れ。昆布佃煮。味噌汁(ワカメ、キャベツ)。
昼=ホットドッグ用パン三本。ジャム。マーガリン一片。チーズ一片。
夜=ゴハン。タクアン二切れ。肉野菜いため(キャベツ、にんじん、モヤシ、豚バラ肉)。アジフライ。さ湯。
朝と昼はともかく、夜はなかなかのものである。肉野菜いための肉は、薄切りではあるが消しゴム大のものが二切れ入っており、町の定食屋のものより立派な肉である。アジのフライも中型ではあるがよく揚がっており、ソースが適量にかけてある。醤油のほうがいい、という人も中にはおり、そういう人には醤油をかけてあげるそうだ。
そして特筆すべきは、ゴハンが麦飯ではなく白米だったことだ。しかも量たっぷりでぼくには食べきれないほどの量だった。しかも、熱くはないが、ほの温かい。
しかも、タクアンは薄切りではなく厚切りで、しかも(しかもが多いが)朝の味噌汁は濃い。
しかしぼくとしては、日本の警察の伝統の問題として、官弁は麦飯であってほしかった。
その旨を申し述べると、「いまは米より麦のほうが高い」という、実に即物的な答えが返ってきたのであった。
さ湯というものを久しぶりに飲んだが、さ湯の実力を改めて見直すことになった。さ湯には、いうにいわれぬ実力がある。水とは違った、しみじみとした滋味がある。
警察の建物の中で味わうと、特にそれを感じる。飲んでいて、心の安らぎのようなものを覚える。水をコップに注いで出されたのとは違った人手≠そこに感じるからだろうか。
そこらあたりのことを、それとなく、「そういうふうなことまで考えて、水ではなく、さ湯にしているのですか」とたずねると、「いや、水だと|あたる《ヽヽヽ》ことがあるから」という実に即物的な答えがまたしても返ってきたのであった。
このように、至れりつくせりの官弁であるが、「官弁はカンベンしてくれ」という人には自弁≠外から取ることも許されている。
食事をしていてふと気がついたのだが、ゴハンとさ湯用の容器はプラスチックなのに、肉野菜いためとアジフライを盛った皿だけがアルマイトなのである。
このアルミの皿は、何となくペット用という感じがある。
これはなぜだろうか。
全部プラスチックで統一したほうが、洗い片づけもやりやすいのではないか。
ここに留置されている方々は、犯罪の容疑者であって犯罪者ではない。
だから一般の人々と同じ扱いをしなければならないというタテマエがある。
しかし容疑濃厚であることも、また事実である。
一般の人と同じ扱いをしなければならないことはわかっているが、かといって、一般の家庭が客を迎えるように、「よくいらっしゃいました。食事どきですので、さあ食べてください。飲んでください」と歓迎するわけにはいかない。かといって、特別に意地悪をするわけにもいかない。かといって、何の意地悪もしないのもシャクだ。
この「かといって」のジレンマと、「このままでは済まさんぞ」の思想がゴッチャになり、「全部プラスチック(歓待)というわけにはいかないんだかんな」の見解に発展し、「一部アルマイト的制裁」を加えた、と考えるのは考えすぎだろうか。
「ピーナツのナゾ」を追って
「ナットウは糸を引くが、ピーナツはあとを引く」という名言がある。(さっき、ぼくが作ったんだけどね)
ピーナツをなんとなく食べ始めて止まらなくなった、という経験はだれでもあると思う。
コタツでテレビを見ていて、ふと目の前にピーナツの袋があるのを発見する。
何気なく手を出し、「ほんの二、三粒」のつもりで食べ始めると、これが止まらなくなる。二、三粒どころか、ふと気がつくと、すでに三十粒ほど食べていて、目の前に大量のカラや皮が散乱していてびっくりすることがある。
ピーナツは食べているうちにはずみがついてくる。次第に熱中、没頭、興奮してきて、なにかしらこう、狂おしいような気持ちになっていくものである。
一粒口に入れ、それがまだ口の中にあるのに、手はすでに次の一粒を無意識につかんでおり、それを口の中にせわしなく放りこむと、また手が次の一粒をつかんでいる。
その速度も次第に速くなっていき、口の咀嚼《そしやく》速度より手の動きのほうが速くなり、口の中にはピーナツがどんどんたまる。かくてはならじと、咀嚼速度を速めると、手の動きもそれにつられて速くなり、互いに競争みたいなことになって、視線はいつのまにか中空を漂い、アゴはあがり、必死の様相を呈してくる。
ピーナツを必死になって食べなければならない事情は何もないのだが、なぜかそうなる。
これがカラつきのピーナツであった場合は、コタツ板一面にカラおよび皮が散乱し、コタツ板からこぼれ落ち、「ああ、これを何とかしなくちゃ」と思い、その思いとあたり一面の様相が一層惑乱を誘い、目は血走り、口中のピーナツをメチャメチャに噛み砕いてだんだんアゴが痛くなってくる。それでも手は絶え間なく袋の中のピーナツにのび、「ああ、こうして自分はダメになっていくのだ」などとヘンなことを考えたりする。
ダイエットをしている人は、これに「ピーナツはカロリーが高いから、このへんでやめなくては」の思いが加わり、逆上、錯乱、自己嫌悪、さまざま入り混じり気も狂わんばかりになる。
それでもようやく何とか冷静さを取り戻し、「ハイッ。おしまいッ」と声に出して自らを励ますようにいって、とりあえず、胸元などの皮を振り払う。
ピーナツの袋を閉じ、輪ゴムで厳重に縛って、二度と手を出せないようにわざと遠くへ放り投げる。疲れきって横になる。しかし、しばらくすると、ムックリ起きあがり、放り投げたところに這って行って取り戻してくる。
厳重に縛っておいた袋を苦心してほどき、「こんどは本当に二、三粒だけ」と言いわけしながら一粒口に入れると、あとは一瀉《いつしや》千里、たちまち三十粒となる。
三十粒でふと我に返り、こんどは「ほんとぉーに、二度と手を出さないように」わざわざ立ちあがって行って、手の届かないタナの上に放りあげたりする。
「やれやれ」などといってコタツに戻り横になるが、またしばらくするとムックリ起きあがり、物置に行って踏み台を持ってきて、タナの上のホコリにまみれたピーナツの袋を引きずりおろしたりする人もいる。(ぼくのことだけどね)
この魔力は一体何であろうか。
「だってピーナツって、煎《い》った豆独特の香ばしさがあっておいしいもの」
という意見もあるだろう。
むろん、それもある。しかし、それだけだろうか。
「堅く締まった豆を、カリッと噛み砕く快感」
をあげる人もいよう。
むろん、それもある。しかし、それだけだろうか。
それだけのことで、人はピーナツに狂乱するであろうか。
われわれ取材班は、ピーナツあと引きのナゾを追って、ただちに取材活動を開始した。(取材班といってもぼく一人だけどね)
ただちに取材先におもむくと(スーパー)、カラつきとハダカの二袋を購入して戻ってきた。取材費は三百九十八円であった。
まずカラつきのほうを試してみる。
そうして、まずわかったことは、「手作業との関連」である。
あとを引く食品は、ピーナツのほかに、天津甘栗、「やめられないとまらない」のカッパエビセンなどがあるが、いずれも手作業がからんだ食品である。
いずれも一つずつ、手でつまんで食べる。そしてこれらに共通していえることは、それぞれの一個が、口中に入れる食品の単位としては極めて小さいということである。
だから、連続的に食べていながら、口の中は常に口さみしい状態にある。
口さみしいので次の一個を急ぐ。
カラつきの場合は、次を急いでいるのに、その間になすべきことがあまりに多い。指に力を入れてカラを割り、指を突っこみ、押し開き、豆をつまみ出し、親指と人さし指でよじって皮をむき、払い落とし、ようやく口中に投入する。
投入したとたん、口の中のほうは次を催促する。したがって当人はもどかしくあせる。もどかしくあせりつつ、ようやくまた二粒ほどを手中にし、あわただしく口中に放りこむと、口はまた次を催促する。当人はあせりにあせり、次第にヒナ鳥に餌を運ぶ親鳥のような心境になっていく。これが、「狂乱に至る病」の最大の原因ではないだろうか。
ハダカとカラつきを比べれば、カラつきのほうがはるかに手間ひまがかかる。
よく考えてみれば、要らぬ作業ではないか。カラをむいてあったほうが、はるかに食べやすいはずだ。
人々がすべてそう考えるならば、カラつきピーナツはとうの昔に絶滅しているはずである。しかしスーパーでは、カラつきとハダカを並べて売っている。これはなぜであろうか。(どうもなんだか、次々にいろんな問題が派生してくるが)
われわれ取材班は、さまざまな討論をくり返した結果、「手が手作業を懐かしがっている」という結論に到達したのである。
いま、道具は機械化され能率化され、最終的には押しボタン化されている。
手はすっかりヒマになった。
手は窓際≠ノ押しやられた。
かつては有能なビジネスマンであった手は、いま、窓際でさみしくすわっている。その昔、鉛筆をナイフで削れた手、あやとりなどという微妙で細やかな動きをなしえた手、コヨリなども難なく作りあげた手は、その昔の働きを懐かしがっているのである。
そうして、ようやくめぐりあった仕事、すなわちピーナツのカラ割りを、大喜びで受けとめているのである。
がんばれ、デパート大食堂
このあいだ、日本橋三越の大食堂で、中華ランチB800円の到着を待っていると、ぼくの隣のテーブルのおじさんが、なんかこう、しきりにエラソーにしているのですね。
ここでとりあえず、中華ランチBの説明をしておくと、これはいわゆる五目うま煮風のもので、例のギザギザ切れ目の入ったイカ、それに白菜、シイタケ、タケノコなどを炒《いた》めて片栗粉でトロミをつけたやつ。これに豚肉フライの小片六個の皿、ワンタンスープ、ザーサイがついて800円。
次にエラソーにしているおじさんのほうを説明すると、年のころ五十一、二、スーツにネクタイという紳士風。どういうふうにエラソーにしているかというと、「右脇の下イスの背ひっかけ天井見上げ全身ずり下がり」というエラソーポーズがありますね。まさにそれ。そうしてあたりを睥睨《へいげい》している。時間は午後の一時半で大食堂は八分の入り。客のほとんどは女子供だから、おじさんの一人客はかなり目立つ。みんなうつむいて忙しそうに食事に励んでいる中で、一人だけそっくり返って天井を見ているから、これも目立つ。
ぼくのほうも目下のところ、中華ランチBの到着を待っている身の上だからヒマであった。それでそのおじさんのほうをチラチラ見ると、向こうもこっちをチラチラ見る。チラチラ見られれば不愉快だから、こっちも向こうを睨《にら》む。昼下がりのデパート大食堂で、おじさん二人がテーブルをはさんで睨み合っているというヘンなことになってしまったのですね。
デパートの大食堂は、いま滅びつつある。都内のデパートで、大食堂を温存しているのは、三越、高島屋、松坂屋、そごうだけである。松屋も伊勢丹も東急も近鉄も大丸も、みーんな廃止してしまった。原因はいろいろあるらしいが、要するに、大食堂→安いという考え方が一般大衆にあり、これが、安い→儲からないの図式を生み、デパート側に嫌われたようなのだ。「各種のコックを揃《そろ》えると能率がわるい」「直営だと、店員がウエートレスになりたがらない」などの理由もあげられている。
いまは温存しているが、いずれ廃止、という方針の店も多いらしい。
いずれにしてもデパート大食堂は、滅びゆく運命にある。
しかし、トキやイリオモテヤマネコのように、守護保存のための学術調査団派遣、あるいは支援団体の結成といった動きは、いまのところないらしい。
数年前、ふと何気なく、懐かしく、デパートの大食堂に立ち寄って以来、ぼくは大食堂のとりこになってしまった。
デパート大食堂は、ぼくらが子供のころは外食のエースだった。「大食堂」で、名古屋弁でいうところのエビフリャアを食べるのが夢であった。
「大食堂」は、昼飯なににしようかと迷ったときなど、まさにうってつけである。
とにかくもう何でもある。
寿司、カレー、幕の内、スパゲティ、そば、チャーハン、カツカレー……。あの膨大な食品サンプルを目のあたりにすると、それこそ「あれも食いたい、これも食いたい」と、人々は少し狂乱状態になるようだ。
大食堂のショーケースは、上下五段、長さ五メートルはある。人々は例外なく、ハジからハジまで歩いて一品一品、仔細《しさい》に検討する。アゴに手をやってハジからハジまでおよそ三分。一回で決まればいいほうで、大抵の人はもう一回スタートに戻って二回目の検討に入る。
一回目はニコヤカだった表情が、二回目になると真剣味をおびてくる。
行きつ戻りつし、ようやく決断を下し、チケット売り場のところまで行ってフト立ちどまり、また引き返してくる人もいる。食べ終わって口を拭《ぬぐ》いながら出てきて、もう一度ケースの前に立って反省と回顧のひとときを過ごす人さえいる。
大食堂の三大特徴は、「テーブル中央の逆さ伏せ湯のみ群を従えた大ドビン」と、「電車の切符によく似たチケット」と、「当然の相席」である。もう一つ付け加えるならば、「劇場の、休憩時間のロビーのようなざわめき」である。
このざわめきは、いかにみんながしゃべっているか、いかにみんながくつろいでいるかの証左である。このざわめきは高級レストランでは見られない。ファミリーレストランとも違った「茶の間感覚」で、みんな外食を楽しんでいるのだ。
ざわめきの中で、子供は走り、赤ん坊は泣き、母は叱り、父は咳《せ》きこむ。
「大ドビン」は大食堂の象徴である。
これなくして大食堂は語れない。
このお茶は、何ということもないお茶なのだが意外においしい。いつでも勝手に、自由にお代わりができるところも、みんなに愛される理由の一つである。
どの大食堂も、お茶は常に熱く、常に豊富である。従業員も、このお茶を誇りにしているのだ。
この大ドビンに、客は不思議な権利意識を持っている。他の店では、「すみません、お茶を」と恐縮する客も、ここでは堂々と要求する。「お茶がない」と怒る客さえいる。この大ドビンは、店の物ではなく客の物なのである。
「切符のようなチケット」も大食堂の象徴である。最近は単なるレシートが多いが、これだと心の底からがっかりする。
日本橋三越は、いまだに切符スタイルを維持している。しかも昔の切符ふうの、ペラペラでない厚手のやつである。
「当然の相席」は大食堂の宿命である。
「一テーブル六名。幼児用椅子追加の用意あり」という構成が一般的だ。
家族五名の団欒《だんらん》の中に、一人で割って入るときなどは慚愧《ざんき》に堪えない思いがする。
テーブルの片隅で、「一人でひっそり食べているおばさん」は、どこの大食堂に行っても必ずいる。しかしおばさんに孤独は感じられず、わびしいという印象もない。一人確信に満ち、堂々と、いつものペースでゴハンをしっかり食べている。おばさんというものは、一人食べに慣れているのだ。一人食べのプロなのだ。
さて、例のエラソーおじさんとの睨み合いはどうなったか。
中華ランチBが到着したので、ぼくは睨み合いを中断して食べ始めた。
それからしばらくして、エラソーおじさんのところにラーメン風のものが到着したのである。おじさんは、別にエラソーにしていたわけではなく、ラーメンの到着が遅れて苦しんでいたのだった。
困惑して天井をあおいでいただけなのだ。それがエラソーポーズに見えたのである。ぼくは和解と連帯の視線を改めておじさんに送り、中華ランチBを本格的に食べ始めた。
勇気をもって厚く切る塩鮭
塩鮭は哀れである。
というのは、ぼくの塩鮭に対する永年にわたる認識なのであります。
塩鮭をジッと見ていると、なんだか哀れで涙が滲《にじ》んでくる。
なぜ哀れか、ということはおいおい申し述べるとして、歳末は塩鮭のシーズンなのですね。
歳末になると、塩鮭が町のあちこちに出没する。
塩鮭というものは、もともと一年中出まわっているものなのだが、歳末に限って全身像で出没する。ふだんは切り身という形で世間とつきあっているのだが、歳末に限ってどういうわけか、装いも新たに全身つながった形で現れる。
「ふだんは切り身で失礼していますが、わたくしは本来こういうものなのです」
と、全身をつなげてご挨拶に現れる。
魚屋の店頭、スーパーの棚、デパートのお歳暮用品売り場に現れる。ご家庭の台所などにも、クロネコヤマトの宅急便のお世話になって現れる。
お歳暮として配達された塩鮭の箱は、お父さんの帰宅を待って開封されることになる。夕刻帰宅したお父さんは、「どれどれ」などと言って上着を脱ぎ、腕まくりして箱をうやうやしく開ける。
塩鮭は、大きい場合もあれば小さい場合もある。お父さんの社会的な実力に応じた大きさの鮭である。お父さんの社会的な実力が、鮭の身長となって家庭の前に披露されるわけだ。お父さんは、その鮭をしばらくジッと見つめたあと、
「ま、こんなものだな。メシ、メシ」
と、つぶやいて、鮭開封の儀は終了する。この「ま、こんなものだな」には、お父さんの自負と自嘲がないまぜになっているはずだ。(もう少し大きいはずだ)という自負もあろう。(この程度の大きさか)という自嘲もある。だから家族は、鮭の身長について、軽はずみな感想を述べてはならぬ。
さて、その鮭であるが、塩鮭の形になった鮭というものは、実に哀れな感じがするものなのですね。
塩鮭をじっくり見つめてみよう。
暗く落ちくぼんで悲しみをたたえたような目。恨みごとをつぶやいているように軽く開かれた口。憤懣やるかたないといったふうに突き出された下くちびる。依怙地《いこじ》そうに張っているエラ。陰険そうに突っ張った鼻柱。そして全身に漂う孤独感。
見ているうちに、なにかこう、暗い気持ちになっていくのを押しとどめることができない。
じっと見つめていると、その身の上になにか不幸があったとしか思えないのだ。
釣りあげられて塩づけにされたのだから、「不幸があった」のは当然ではないかと人は言うかもしれない。不幸がなければ、いまごろは大海をゆうゆうと泳ぎまわっているはずだ。
しかし、たとえば鯛なんかは、同じ釣りあげられた不幸を背負いながらも、魚屋の店頭で満足そうに横たわっているではないか。その姿は、なんの不満もないように見える。目元も優しく微笑《ほほえ》んでいるし、全身が幸福感に包まれている。塩鮭の孤独感などどこにも見当たらない。
鮭は生まれた場所に戻ってくる性質があるという。しかしよく考えてみれば、生まれた場所に戻らなければならない事情などありはしないのだ。他の魚を見よ。生まれた場所がどこであったかなど、だれ一人として考えたこともないのではないか。鮭のこうした堅苦しい考え方、生き方が、不幸を呼ぶ原因になっているのではないだろうか。
鮭の身の上の詮索はこれぐらいにして、クロネコヤマトの宅急便でご家庭に配達された塩鮭に話を戻そう。
ほとんどの家庭が、その処置に困っているのではないだろうか。
たいていの家庭のお父さんもお母さんも、魚をおろすことができないはずだ。
「出入りの魚屋に持って行ってもらっておろしてもらいなさい」
と、お父さんはエラソーに言うかもしれないが、いまどき、出入りの魚屋を持つ家庭などどこにもない。お父さんもお母さんも困り果てているに違いない。
しかしここによい方法がある。
某魚屋さんから伝授された、塩鮭簡易解体法を、本日はお日柄もよろしいので紹介することにいたしましょう。
まず鮭一匹を、処理しやすいように軽く冷凍する。鮭は他の魚に比べて身が軟らかいので、ヘタに切ったりすると身がグズグズにくずれる。それを防ぐために冷凍するのだ。
「うちの冷凍庫は、鮭一匹を入れるほど大きくない」
と、お父さんは言うかもしれない。
そのために、鮭は適当な大きさに切断する。
「適当な大きさでは困る。ちゃんと何センチ何ミリぐらい、と言ってくれなくては困るじゃないか」
と、お父さんは言うかもしれない。
そうですね。大きさにもよるが、ま、全身を四等分ぐらいというところだろうか。このぐらいが、あとの作業がやりやすい。これならなんなく冷凍庫に入る。
だいたい三、四時間ぐらいで鮭は軽く凍るはずだ。
「三、四時間などと、あいまいでは困る。ちゃんと何時間何分と言ってくれなくては困るじゃないか」
と、お父さんは言うかもしれない。(それにしてもこのお父さんは、さっきから少しウルサイな)
三、四時間経って軽く凍った鮭を、図のように身と骨とに切り分ける。こうすれば、おろしたのと同じことになるのである。
凍らせないでこれをやると、身がくずれてなかなかむずかしいことになる。
このあとは、どのくらいの厚さの切り身にするかだけが問題となる。
問題は厚さである。厚さは重要である。厚さは、人をわけもなく感動させる。ステーキにしろ、札束にしろ、ただ厚いというだけで人々は目頭を熱くして感動する。鮭の切り身の場合は感動だけではなく、厚さは味にも影響する。
だいたい最近の魚屋に並んでいる魚の切り身は、ブリにしろカジキマグロにしろ薄すぎるようだ。
薄い切り身は、まわりも中心も均等に火が通ってしまっておいしくない。
ある程度の厚みがあれば、まわりのコンがり、中心ジュースたっぷりのおいしい焼きあがりになる。
せっかくの機会であるからこの際、うんと厚めに切ることをお勧めする。
こういうものは、ともすれば薄く切りがちだが、この際勇気をもって厚さに挑んで欲しい。厚さ四センチ、もっと勇気のある人は四・五センチ、このぐらいだとすばらしい焼きあがりを期待できる。
こうして焼いた塩鮭は、それこそ一枚一枚身がはがれる感じになる。
これを箸《はし》の先で突きくずし、熱いゴハンでハフハフと食べ、暮れの大掃除にとりかかってください。
いい気な「おせち」を叱る
おせちはこのところ、少しいい気になっているのではないか。
この正月、おせち料理とつきあって、なにかこう釈然としないもの、腑《ふ》におちないものを感じた方々も多かったのではないだろうか。
近ごろ、おせちに疑問が多いとお嘆きの諸兄に、この辛口の一文を捧げたいと思う。
おせちは、伝統とか、儀式とか、由来とか、そういうものの上にアグラをかいていい気になっているような気がする。
四段重ねで十二万円のおせち料理さえあるという。
おせちは、明らかに時代とズレてきているようだ。
正月の朝、おとそで祝って酒になり、おせちを少しつまみ、そのあとお雑煮を食べ、「アー、もうおなかいっぱい」ということになり、「さあ、テレビテレビ」ということになってテレビの前のコタツにもぐりこむ。このパターンがニッポンの一般ピープルの間でいちばん多かったのではないだろうか。テレビを見ているうちにいつしか半眼となり、ついウトウト。「ホラホラお父さん、冷えるじゃありませんか」と、お母さんに、暮れのお歳暮に取引先からもらった安そうな化繊の毛布をかけてもらってひと眠りする。するともうお昼。
お昼にまたおせちが出てくる。
それを見て、「おせち、もう見たくないッ」と怒りだしたお父さんもいたはずだ。
昔ならいざしらず、現代の多様な食生活の中にあっては、おせちの魅力はきわめて薄い。カマボコなんてものは、ふだんだって、あんまり食いたいとは思わぬ。竹の子、ゴボウ、フキの煮つけだってそうだ。こんなものはホカ弁でしょっちゅう食べている。
いまさらおせち面《づら》して出てくるなっつーのッ。オイラ食べあきてるってーのッ。……はしたなくも突然たけしになってしまったが、まあ、あの連中はあれでいいとして、あの煮干しの佃煮みたいなゴマメ(田作り)に至ってはヒドイといわざるをえない。あんなものはいまどき猫だって食べない。猫も食べないものを、正月に出すなっつーのッ。(……またしても申しわけない)
ゴマメは見るからに貧相である。貧から身を起こして、ようやくおせち一族に加えてもらったという感じがする。しかし、身についた品性は消しうべくもなく、どこか卑しい。
カマボコや伊達巻きなどの華々しさの中にあって身なりも貧しい。そしてクライ。
どう考えても、晴れの舞台に似つかわしくない連中である。
こんなことをいうと、
「キミは、なんかこう、しきりにゴマメをいじめているようだが、ゴマメをなめてはいけんよ。ゴマメにはちゃんとした大義名分がある。ゴマメは田作りといってですね、五穀豊穣、豊作祈願という主義主張をもっておせちの席に臨席しているのです」
などという人が出てくる。(樋口清之先生あたりですね)
しかし、今は減反の時代なのだ。五穀豊穣、豊作祈願は国策に反する。かえって迷惑なのだ。
ゴマメに限らず、おせちに列席している連中は、みなそれぞれに、いわく因縁、故事来歴があるという。
例えば黒豆は「マメに暮らす。マメに働く」代表として列席しており、昆布巻きは「よろ|こぶ《ヽヽ》」代表であり、エビは「長寿祈願」、カズノコは「多産、子孫繁栄」派で、栗キントンは「栗はカチグリということで勝利」称賛党、というように、それぞれがなんらかの意見の代表として乗りこんでいるらしいのだ。
しかし、これ、一見、日本の伝統と格式とポリシーに裏打ちされたゆるぎない理論のように見えるが、よく考えてみると、ほとんどが万才ネタともいえるダジャレの一種ではないのか。しかもいってることがみんな古すぎる。
カズノコの主張している「多産、子孫繁栄」などは、時代錯誤もはなはだしいうえに、中国あたりから抗議される恐れもある。黒豆がいわんとするところの「マメに働く」などは、ECあたりに知られたら国際問題にもなりかねない。
五穀豊穣、子孫繁栄、国運隆盛、勤労推奨、すべて時代にマッチしていない。
現代のおせちには、減反減税、住宅拡大、家庭崩壊阻止、貿易黒字解消、北方領土返還、といった今日的テーマを盛りこむべきではないのか。
北方領土返還祈願には鮭、家庭崩壊阻止には鍋物、貿易黒字解消には牛肉、オレンジと、代わるべき代表はいくらでもいる。
おせちに列席している連中は、すべて主義主張があるのかというとそうでもない連中もいるのである。ここのところも、おせちに反省を促したい問題点である。
たとえば、先ほども出てきたが、ホカ弁出身の竹の子、ゴボウ、フキの煮つけ一族。彼らにはどういう主義主張があるのか。
「いいたいことがあるならいってみろ」
といわれても、おそらくなにもいえずにうつむくだけであろう。
栗キントンにしてもそうだ。
栗のほうの主張はわからぬでもないが、朋友のイモのほうは(ねばってるほうですね)いったいなにを主張したいのか。
「いいたいことがあるならいってみろ」
といわれても、
「いえ、なにもありません。ただねばってるだけです」
としかいえないのではないか。
以上のようなことを申しのべると、
「いやいや、こういう伝統とか様式とか、そういうものにのっとったものは、なまじ改善したり工夫したりしないほうがいいのです。いじってはいけません」
という人が出てくる。
「このままでいいんだ。体制維持でいくんだ。大丈夫なんだ。しようがないんだ。いろいろ事情があるんだ」
そういう意見は必ず出てくる。
だがよく考えてみよう。
同じように、
「このままでいいんだ。大丈夫なんだ。しようがないんだ。いろいろ事情があるんだ」
といっているうちにだんだんおかしくなっていったものがあるでしょう。
そうです。国鉄です。
「大丈夫。事情があるんだ」といい続けているうちに、ついに倒産したではないですか。(あれは倒産とはいわないか)
おせちだって、このままいけばいつ倒産してもおかしくない状況にあるのだ。
国鉄当局だって、いまの憂き目を見るまでは、まさかそうなるとは思っていなかったはずだ。
このへんを、おせち当局はどう考えているのか。おせち当局の猛反省を促して、この辛口の一文を終わりたいと思う。
牛丼屋のムードはなぜ暗い
食べ物屋の専門店に、牛丼屋とカレー屋がある。
カレー専門店のほうは誰でも気軽に出入りできる。OLも来るし、買い物途中のおばさんも来るし、学生もサラリーマンも来る。
店内の雰囲気も明るい。
みんな気楽にカレーを食べ、談論風発、海外旅行の話なんかも出て、お水をゴクゴク飲んで、明るく店を出て行く。
一方、牛丼屋のほうは、雰囲気が暗い。空気も重くよどんでいる。気楽に出入りできない雰囲気がある。
学生やサラリーマンは来るが、OLやおばさんはまず来ない。
学生やサラリーマンも、どういうわけかはよくわからないが、いかにもモテないタイプが出入りしている。
外から見ると、いつもモテないタイプがカウンターにズラリと並んでいる。
ズラリと並んで、暗く重く、モクモクと牛丼を食べている。むろん海外旅行の話は絶対といっていいほど出てこない。
食事は明るく楽しく会話を交わしながら、というのが正しいあり方だが、牛丼屋ではこれは違反である。減点1となる。反則切符こそ切られないが、店内の客および店員のヒンシュクを買う。
牛丼屋に於いては、元気は禁物である。陽気もいけない。店内の空気になじまない。
意気消沈、これが牛丼屋に於ける客の基本姿勢である。これがまた、牛丼にはよく似合う。
意気消沈して、ガックリ肩など落として投げやりに食べると牛丼はおいしい。
そのほうが格好もいい。
だから、注文するときも、「並ッ!」などと元気よく言ってはならない。
力なく、うつむき加減に、「ナミ」とつぶやき、小さくため息を吐《つ》くのが正しい。
牛丼が目の前に置かれたら、手で丼を引き寄せてはならない。左の片ひじをテーブルについたまま、箸の先を丼のはじに引っかけ、ズルズルと引き寄せるのが牛丼屋に於ける正しい丼の引き寄せ方である。
こうしたほうが、かえって粋《いき》に見える。
しかし、いかにもまずそうに食べてはいけない。
これではあまりにミもフタもないし、お金がなくて、まずいものを我慢して食べているように見えてしまう。
かといって、いかにもおいしそうに食べるのも考えものである。
牛丼がその人にとって大変な御馳走であるかのように見えてしまうし、そうなると、その人のふだんの食生活が推しはかられてしまう。
淡々、というのがいい。
ひたすら淡々、世間一般的に、|ひたたん食い《ヽヽヽヽヽヽ》、と呼ばれている食べ方が牛丼食いの極意である。
姿勢は終始うつむき加減、視線はふせ加減、周りをキョロキョロ見まわしてはならない。
まして、対面している人と視線を合わせるなどは、もってのほかである。
牛丼を食べている人は、その姿を人に見られるのを極度に嫌う。
視線を合わせたりすると、「見たなー」と、丼と箸を置いてつかみかかってくる恐れが十分ある。
ぼくなども、近所の牛丼屋で牛丼を食べているとき、店の前の通りを知っている人が通ったりすると、思わずパッと身を伏せてしまう。伏せたあと、何も伏せることもなかったな、と思い、いややはりあるな、と思ったりする。
そのぐらい、牛丼を食べている人の心境は複雑なのである。
そして傷つきやすくなっている。
傷つきやすくなっているからこそ、視線が合ったりすると、つかみかかってくるのである。
牛丼屋の店内には、なんといったらいいか、不穏な空気、といったようなものが漂っている。
男たちの、いわれのない不満、いらだち、屈辱感、体面、矜持《きようじ》といったものが複雑に入り混じって、一触即発の緊迫した空気となっている。
ぼくはいつも思うのだが、これはどういう理由によるものなのだろう。
値段的に考えれば、一方の雄カレー専門店とそれほど変わりはない。
変わりないのに、カレー専門店にはこうした緊迫した空気は漂っていない。
いらだちも、屈辱感も、矜持の問題も、ない。
やはり、女にモテない、というところがその大きな要因になっているのだろうか。どうも、そのあたりに原因があるような気がする。
カレー専門店と比べて、世間的な評価もあまりよくないようだ。
サラリーマンが、昼休みに牛丼屋の前を通りかかって、中で課長が背中を丸めて牛丼を食べているのを見かけたとする。
課長の威厳は、その時点で確実に一五パーセントほど低下するはずだ。
また、世の奥さん方も、
「おたくのご主人、このあいだステーキ屋でお食事しているところを見かけました」
と言われるのと、
「おたくのご主人、このあいだ牛丼屋で食べていましたよ」
と言われるのとではどっちが嬉しいか。
だからこそ客は、牛丼屋の店内で意気消沈しているのである。
実力からいっても、牛丼はカレーと比べて、一歩もひけをとらないと思う。
牛丼そのものは、極めておいしいものである。
ぼくなども、お腹《なか》がすいているときなど、心底しみじみおいしいと思う。
甘辛の煮汁のたっぷりかかったゴハン、適度に脂を残した薄切りの牛肉、ゴハンと牛肉のはざまで、独自の戦いを進めている玉ネギ。三者相まってゆるぎない味をかもしだしている。
丼物には、カツ丼、天丼、親子丼、鉄火丼などいろいろあるが、その専門店なるものは極めて少ない。
カツ丼専門店というのは聞いたことがないし、鉄火丼の専門店も例がない。
ましてチェーン店となると、これは牛丼のみである。
つまり牛丼は、数多い丼物の中から、丼界の代表として選ばれたということになる。
数々の地区予選を勝ち抜いて、丼地区代表として甲子園出場を勝ちとったということもできる。いやいやすでに、準々決勝、準決勝、決勝にまでこぎつけたといってもさしつかえない。
カツ丼も天丼も親子丼も丼地区予選で牛丼に敗れ去ったのである。
決勝戦の相手は、むろんカレー専門店である。
ぼくとしては、決勝戦も勝ち抜いて、牛丼が丼界のドンとして、その地位もドンドン高まっていくことを希望します。
やっぱり試食はむずかしい
試食が板についてきたら、男の料理も一人前になったといえる。
スーパーやデパートの試食コーナーで、売り子のおばさんがさし出す試食の楊子《ようじ》に、ごく自然に手が出るようになれば、その人のゴキブリ指数は高いといわねばならない。
ごく自然に手が出、ごく自然に味わい、「また今度にしよう」などと軽やかにいえる人は少ない。
たいていの人は、試食コーナーでぎごちなくなる。急に重厚になってしまう。
特におじさんは、試食を男女問題と同じように考えてしまうようだ。
「一度手をつけたら、それなりの責任をとらねばなるまい」
と考えてしまう。
だから態度が重厚になる。
「どうぞ」と試食の小皿を突き出されると、本心は食べてみたいのに急にムッとした態度をとり、
「オレをなめるのか」
とばかりに、険しい表情でおばさんを睨《にら》みつけるおじさんもいる。
試食は、食べてみておいしかったら購入するという正常な商取引である。
しかし見た目には、なにかこう、食べ物をタダで恵んでもらっているように見えないこともない。
おばさんのほうの態度にも、わずかではあるが、恵んでやっているという態度がほの見える。
そこのところが、おじさんのプライドをいたく傷つけるようだ。
「オレはそこまで落ちぶれてない」
という思いに駆られ、急に口惜しくなり、激しく手を振って居丈高《いたけだか》になったりするのである。
楊子の先の、食べ物屑のようなものに、いちいち責任をとったり居丈高になったりする必要はないのだが、おじさんというものは事を重大に考えてしまうのである。
その点、女の人、特におばさんたちには、そういうところはミジンもない。
スッと楊子に手を出し、ごく自然に、
「そうね。でも、また今度ね」
などと明るくいって、さっさと立ち去っていく。
おじさんたちは、これができない。
ぼくなどもまさにそうなのだが、スッと自然に楊子に手を出すことができない。
楊子の林立した小皿を突き出されると、一度は無意識に手を振ってしまう。
さらにもう一度熱心に勧められると、それほどまでいうなら、という態度でようやく楊子に手を出す。
手を出しながらも、
「ああ、これを食べたら、もうのがれることはできないなあ」
と思ってしまう。
食べて買わない、などということは、とんでもないことなのである。
そこには、おばさんたちには窺いしれない男のプライドとか、ミエとか、世間体とか、体面とか、さまざまな思いが入り混じっているのである。
食べ物屑のようなものに対しても、男は責任をとらなければならないのである。まさに「男はつらいよ」なのだ。
晴海の国際見本市会場で「'87国際食品展」というのが開かれた。
これは世界中の食品メーカーが寄り集まって、食品関連業者を相手に、製品の取引をしようというものである。
新聞の紹介記事などでは、「世界中の食品を試食してまわれるのが魅力」としてあった。
まさに、試食の本場である。
試食で苦しむおじさんにとって、修業するにはもってこいの場所である。
当然ぼくは出かけて行った。
会場の入り口で、来場者の業種を示す名札を胸につけるように指示される。
業種は、「ホテル・旅館」「商社・流通・小売り」「製造」「フードサービス」「官公庁」「その他・一般」などとなっている。
ぼくは当然「その他・一般」なのだが、「その他・一般」は見劣りがする。そこで「ホテル・旅館」を選んでつけてもらった。
これを胸につけていれば、有名ホテルのいま売り出し中の若きシェフ、と見まちがえてくれる人もいるかもしれない。
そうなれば、試食のときに何かと有利である。
しかしこれは、いってみれば身分詐称ということもできる。
身分詐称は立派な犯罪である。立派な犯罪を犯して、ぼくは会場に入って行った。
ワイン、食肉、ハム、紅茶、コーヒー、菓子、うどん、アイスクリーム、レトルト食品……世界中のあらゆる食品関連メーカーが、製品を展示して軒を並べている。
この会場は、業者相手の見本市だから、製品を試食してOKとなったらただちに商談、期日設定、納入、という段取りになっている。
ぼくはまずハムのところに歩み寄った。ハムの周辺にチーズを貼りつけた新製品である。
スーパーなどでハムを試食しても、そののちの購入はせいぜい一本である。
だがここでの試食は、そののちの購入の単位が違う。
だから係の人は、試食する人の胸の名札にまず注目する。「その他・一般」に対するときは、目に光がないが、「ホテル・旅館」に対しては目が光り輝く。
ぼくはチーズつきハムの小片をつまんで口に入れた。シェフふうのむずかしい顔をして首を少しかしげてみせる。
「いかがでしょうか」
というふうに、係の人はぼくの口元をじっと見つめる。
「ウム、まあ、しかし、ナニのあれが、少し、そういうアレで、ナニだな」
と、ぼくはわけのわからないことをいいつつ、少しずつ後じさりして行って、それから急に足早になってその場を去った。商談不成立。
食い逃げである。
またしても犯罪を犯してしまったのである。会場に着いて、ものの二分とたたないうちに、身分詐称と食い逃げという二つの犯罪を犯して、目下逃走中という身の上になってしまったのである。
逃走をはかりながらも、次の目標を探す。
一度犯行を犯した犯人は強い。ふだん、ハムの小片にいちいち責任をとっていた人とは思えない凶暴性を発揮しだしたのである。ワインのところへ行って赤ワインを飲み、パンのところへ行ってパンを食べ、焼き肉のところへ行って焼き肉にあずかり、食後のコーヒーを飲み、アイスクリームさえ食べてしまったのである。
ここでもおばさんたちは、試食のプロぶりを発揮していた。
マーマレードのサンプルを、わしづかみにしてかっさらって行ったおばさんがいた。
にぎり寿司の賢い運営計画
何から食べるか。
それが問題だ。
例えば日本旅館の朝の食事。
いまは、大食堂に集まって食べるという形式が多い。
自分の席にすわって、自分の分をひとわたり眺める。
アジの開き、厚焼き卵、焼きのり、生卵、タクワン二切れなどが並んでいる。(あんまり大した旅館じゃないな)
これらを見まわして、誰でも一応のプログラムを組む。
前半をアジの開きで展開していって、中盤はそれに厚焼き卵を加えて大いに盛り上げ(それほど盛り上がらないか)、後半はゴハンに生卵をかけて一気にかきこむ。タクアンは一切れだけ残しておいて、これはお茶うけにしよう。
こういったような運営方針を組み立て、「では、では」と、ようやく前のめりになって箸を取りあげる。
寿司の場合はどうか。
寿司といっても、カウンターで食べる寿司ではなく、テーブルで食べる一人前の寿司桶に入った寿司。
「並」では面白くないから、一人前千百円ぐらいの「中」ということにしよう。「中」の一般的内容は、カッパ巻き2、鉄火巻き2、エビ1、タマゴ1、イカ1、タコ1、ハマチ1、マグロの赤身1、中トロ1、ウニまたはイクラ1、といったところだろうか。
これらが、一人前の寿司桶の中に、エビを中心にきれいに並べられている。
さあ、何からいくか。
誰しも少し迷うところである。
「いや、寿司なんてものはね。目についたのから手当たり次第、ガガーッて食べればいいの。ガガーッて」
という人もむろんいる。
そういう人は、この際あっちへ行ってなさいね。あっちへ行ってイクラとイカをいっぺんに口の中に放りこんでガガーッて食べなさい。食べてゲホゲホとむせんでその辺に吐き出して店の人におこられなさい。
とりあえず、という感じで、まずカッパ巻きから食べる人は多い。
オープニングは無難にいきたい、と考える人たちである。冒頭から騒ぎを起こしたくない、事を荒立てたくない、と考えているのである。
人生を無難に生きていきたい、と考えている人に多い。
冒頭カッパ巻き、そうしておいて次の手をゆっくり考える。
たいていの人は、全体を、前期、中期、後期に分けて考える。
こういう人は、中期=最盛期、と考えるようだ。
すなわち、最盛期に自分の一番好きなものを集中させ、大いに盛りあげようという考えである。
自分の一番好きなものが、例えばマグロであれば(ドラフト一位というわけですね)、マグロを中期の中心にもってくる。二番目に好きなものがハマチであれば(ドラフト二位ですね)、ハマチをマグロの前にもってくる。
前期は別名「初期片づけ期」ともいう。あまり好きでないものを、この時期に片づけてしまおうというわけだ。
カッパ巻き、イカ、タコなどが片づけ物として選ばれる。
これらは別名「片づけ物」あるいは「迷惑物」とも呼ばれる。
では、イカ、タコなどの迷惑物は、ないほうがいいかというとそうでもない。
これら迷惑物を、耐え忍びながら食べる初期があるからこそ、そののちの中期が一層盛りあがるというわけなのだ。
「そんなネ、七面倒なことをすることないの。マグロが好きなら、最初にマグロをガガーッて食べてしまえばいいの」
と、また例の「ガガーッの人」はいうかもしれないが、こういう人の食事の後半はあまりに寂しく惨《みじ》めである。
こういう人は、「あと先のことを考えない人」として世間の評価も低い。
週刊誌などで、「上役はキミのここを見ている」などという特集をよくやっているが、上役だって見ている。麻雀をやって部下の人物をみる、ということをよく耳にするが、寿司を食わせて人物をみる、ということもよく耳にする。(耳にしないか)
さて、初期を、耐え忍びながら味気なく食べ終えたとしよう。
ここで大抵の人はお茶を飲む。
いよいよマグロである。
マグロをドラフト一位に指名する人は多い。マグロに入る前の序奏としてハマチを食べる人も多い。「いよいよ感」を盛りあげようというわけだ。
ここで問題になるのは、イクラ、またはウニの処遇である。
イクラ、ウニを「中期物」と考えるかどうかが問題になってくる。
中盤を盛りあげ過ぎると、後期があまりに寂しいものになる。
ぼくとしては、イクラ、ウニは、「後期印象派」として温存しておくことをお薦めしたい。これがあるかないかによって、後期の印象が大きく変わってくる。
赤貝などがあった場合は、その処遇もまたむずかしいものとなる。赤貝をどうするか。
初期に合わず、後期としては生ぐさすぎる。これはむしろ、「中期ロマン派」としてとらえるのが妥当のように思う。
後期は、ウニ、イクラを中心に、その前後に、タマゴ、エビなど、「何となく残ったもの」を配置する。
一番最後の|締め《ヽヽ》としては、カッパ巻きを一個残しておく。これで口の中をさっぱりさせて、お茶、ということになる。
全体の手順がうまくいき、締めもうまくいくと、お茶もひときわおいしい。
ところが、手順、締めが、うまくいかない場合が往々にしてある。
常々、「マグロ、ドラフト一位」と考えている人が、いざ寿司を目の前にしたら、そのマグロがひどいものだった、などという場合である。
こういう人は、マグロまでの手順を、頭に描きながら店に入ってくる。
マグロまでの手順を頭に描きながらテーブルで寿司の到着を待つ。
頭の中はマグロでいっぱいなのだ。頭の中はマグロだらけなのだ。
なのに、到着したマグロは、薄く、小さく、赤黒く、干からびている。
こうなると、せっかく組み立ててきた運営計画が、一挙に音をたててくずれる。
頭の中がマグロだらけだっただけに、そのショックは大きい。憤怒と逆上と無念で頭の中は大混乱になる。逆上して、いきなりウニを口の中に放りこみ、その後の展開がメチャメチャになる。
手順とか展開とか面倒なことを考えずに、心穏やかに一人前の寿司を食いたいと思っている人には、「まぐろ寿司」をお薦めする。
これなら始めから終わりまで全部マグロだから、手順もなければ展開もない。
台所の「捨てられない」面々
台所とゴミは切っても切れない関係にある。
生ゴミ、乾きゴミ、ビンや缶などの燃えないゴミ、毎日毎日台所で生産される。これらのゴミは、はっきりゴミ≠ニ認定されたゴミである。
やっかいなのは、はっきりゴミといいきれないゴミ、ゴミになりかかってはいるが、まだ十分にゴミになりきってないゴミたちである。
冷蔵庫を開けてみよう。
そこには、ゴミなのにゴミと認定してもらえないゴミたちが、たくさんしまいこまれているはずだ。
探し物をしていて、使い残りのハムの塊が、冷蔵庫の奥のほうから出てくることがある。これは確か、三週間ほど前に半分使ってしまいこんだものだ。
とりあえず、においをかいでみる。
少しにおうような気もするし、しないような気もする。火を通せば食べられるかもしれないが、なにしろ三週間も経っている。あぶないことはあぶない。
このハムは、「ま、とりあえず」ということになって、再び冷蔵庫にしまいこまれる。そうしてこのハムは、さらに十日経って再発見される。もはや、食べることはできないであろう。
この時点で、このハムは、ゴミの資格を十分備えたことになる。はっきりゴミになったのだ。しかし発見者は、はっきりゴミと認定していながら、まだこれを捨てたりはしない。
「もっと、ようく腐ってから」
というヘンな理由のもとに、もう一度冷蔵庫にしまいこまれるのである。
腐っていることは十分承知しているのだが、ゴミとしては腐り方が足りない、資格がいまひとつ十分でない、ということらしいのである。
冷蔵庫の中には、こうしたゴミ二軍、ゴミの多摩川組とでもいうべきものが充満しているはずだ。
野菜室の使いかけのニンジンも、魚室の古いアジの開きも、「もっと、ようく腐ってから」捨てられることになる。
お母さんたちは、毎日、冷蔵庫の片隅で、こうしたゴミ二軍をせっせと育成し、養成しているのだ。
これらは、生《なま》ゴミならぬ生《い》きゴミとでもいうようなゴミで、生きながらすでにゴミと化しているのである。
仏教では、生きながら仏になるという即身成仏《そくしんじようぶつ》というのがあるが、これはさしずめ即身成ゴミということになろうか。
台所には、食べ物に限らず、こうしたゴミ二軍があちこちにしまいこまれているのである。
高崎のだるま弁当、横川の峠の釜飯の容器が、流しの下にしまいこまれてはいないか。
お父さんが出張のとき買って食べ、「これ、なにかのときに使えるから」とわざわざ持って帰ったものである。
だるま弁当も、峠の釜飯も、どういうわけかなかなか捨てられないものである。
重くてかさばる容器を、苦労して持って帰ると、おかあさんは感激し、「これ、なにかのときに使えるのよね」と、うれしそうにいって丁寧に洗って流しの下にしまいこむ。(戸棚でもいいけど)
「なにかのとき」というが、どういうときに使えるのだろうか。
「ハイキングのときに使える」というかもしれないが、こんなに重くてかさばるものを弁当の容器として持って行くのだろうか。
ま、仮に持って行ったとしよう。
持って行って食べたとしよう。
食べたあと、そこでもこれを捨てることはできないに違いない。捨てきれずに持ち帰り、「もう二度とこんな重いものを持って行くのはコリゴリ」といいながら、また丁寧に洗って流しの下にしまいこむことになる。
「二度とコリゴリ」なら、いますぐゴミとして捨てなさい。
これからゴキブリのシーズンがやってくる。
ゴキブリホイホイは捨てどきがむずかしい。
粘着シートに、ほとんど満杯の状態になってもなかなか捨てられない。
「もう一匹かかってから」
と、お母さんはねばる。
もう一匹かかると、
「まだここんとこにスキマがある」
と、未練がましい。
全域スキマなくゴキブリが貼りつき、ホイホイの中を、ゴキブリたちが自由に横断するようになって、やっと決心がつく。
しけりかかった袋入りのセンベイが、菓子センベイ関係の缶の中にしまいこまれてはいないだろうか。
センベイは、ハムのように「はっきりダメ」という時期がなかなかこないからよけいやっかいである。
どの家庭でも、食べかけのセンベイの袋が、輪ゴムをかけられて缶の中に入っているはずである。
このセンベイは、もう三カ月以上も前から缶の中に入っているから、明らかにしけっている。一つ割ってみると、パリッと割れないでミシミシと割れる。
こういうセンベイは、もはや食べる気がしない。将来も絶対に食べることはないであろう。
しかし、食べて食べられないことはないというところが、センベイの泣きどころである。
「ほんとにもう、早くしけっちゃえばいいのに」
などといいながら、おかあさんは袋の切り口を丁寧に折り、しけらないように@ヨゴムでしばって缶の中にしまいこむのである。
このセンベイは、それからさらに六カ月|経《た》っても、一年経っても捨てられずに、缶の中で生きながらえることになる。そうして孫子《まごこ》の代まで引きつがれ、「おばあちゃんのセンベイ」として語りつがれることになるのである。(まさか)
これはいままでの例と少し傾向が違うが、「買った氷」もなかなか捨てられないものである。
セブンイレブンなどで売っている定価二百円のダイヤアイス、これは氷の消耗度が問題となる。
こうした氷は、来客用として冷蔵庫に入れられている。
これをおとうさんは、特別いいウイスキーを飲むときに使ったりする。
特別いいウイスキーだから、氷もいいのを使いたい。グラスもいいグラスである。水割りを一杯作って飲む。いいウイスキーだから一杯キリである。(二杯でもいいけど)
飲み終えると、氷がグラスに残る。まだ角もとれていない立派な氷である。
消耗もしてないし疲弊もしてない。
製氷皿の氷なら、いさぎよく流しに捨てられるが買った氷はそうはいかない。
おとうさんは、しばし迷ったのち、少し顔を赤らめながら、これらの氷を水道の水でよくすすぎ、再びダイヤアイスの袋に詰めこむのである。
爽やかに散歩シーズン開幕
春先は、一年を通じて散歩にもっとも適したシーズンである。
散歩開幕=B
プロ野球は、開幕までに、自主トレやら山ごもりやら、オープン戦などがあるが、散歩はいきなり開幕≠ナある。
足腰を鍛える、バーベルで筋力をつけるなどの準備はいらない。
特殊な技術もいらない。
それほどの技術はいらないが、強《し》いていえば、右足と左足をいっぺんにではなく、交互に繰り出していくというのがコツといえばいえるかもしれない。
散歩は一年中楽しめるものであるが、特に春先がいい。ポカポカ陽気の中を、何の目的もなくブラブラ歩くのは楽しい。
厳寒の冬、目も開けられないような、横なぐりの猛吹雪の中の散歩は楽しくない。
一歩間違うと、「八甲田山死の行軍」となって行き倒れになる恐れもある。
真夏の散歩も汗だくになる。
秋の枯れ葉を踏んでの散歩もわるくはないが、春先の散歩とは少し趣を異にする。
散歩はやはり春先がいちばん。
よその家の庭先の、ようやく咲き始めた梅や桃の枝ぶりを見あげながら、ブラブラ歩いて行くのは楽しい。
ただしこの場合は、歩行速度と電柱に気をつけたい。
枝ぶりを見あげながら、足早《あしばや》に歩いて行って電柱に激突、転倒、意識不明、救急車出動、三日後その電柱の根元に花束とお線香、というような事態は避けたい。
散歩には、服装と足ごしらえが大切である。三つ揃いのスーツにエナメルの靴というのは、どちらかというと散歩には向かない。
手には何も持たないこと。
何かを持っていると、それが気になって散歩が楽しめない。
せいぜい手帖にボールペンぐらいにとどめたい。特にネジ回し≠ヘ持たないほうがいい。昼日中、人家の中の路地をあちこちウロウロ徘徊するのであるから、不審尋問などを受けた場合は非常に不利な状況となる。
髪などもきちんととかし、良民としての節度を保ちたい。
蓬髪《ほうはつ》、垢面《こうめん》、幣衣《へいい》、破帽《はぼう》、ゴザなどかかえての散歩はむろんいけない。
目的を持たないことも大切である。
「ついでに買い物を」
などと家の者にメモなどを渡された場合は、その内容をよく検討しよう。「納豆、油揚げ」ぐらいならいいが、「豆腐三丁、豚コマ四百グラム、砂糖二キロ、味噌三キロ、キッコーマン二リットルビン、お米ササニシキ十キロ」などとあった場合は、ただちに散歩を中止しよう。
ただし、散歩の途中、ふと何かを買いたくなる、というのは一向にかまわない。
本屋の店先などで、ふと新刊本を目にして購入し、それを懐に散歩を続けるというのは、かえって散歩の気分が盛りあがる。
しかし古本屋の前で、ふと目にした「森外全集全26巻」を購入する、というのはさしひかえたい。その後の散歩が二宮金次郎になる。
散歩の途中の「ふと」は大切にしたい。
花屋の店先で、ふと、立ちどまって花を見る。
今川焼屋の前で、ふと、立ちどまって今川焼が焼かれていくのを見る。
いかにも散歩の興趣を増してくれる。
しかし、不動産屋の前で、ふと、立ちどまり、「山林3ヘクタール、山梨県、事情為換金惜譲早勝」などの物件に興味を持ち、中に入って問いただす、というようなことはしてはならない。話が込みいって、午前中いっぱい不動産屋から出られなくなる。
散歩の途中、何か食べたくなるということはよくある。
この場合、そば、串だんご、お汁粉などの軽いものにとどめたい。
サバ味噌煮定食、ラーメンなどは、なぜか散歩には向かない。フランス料理のフルコースというのもこの際避けたい。
飲み物だったら、コーヒー、昆布茶、牛乳あたりが無難である。
焼酎、赤まむしドリンク、ユンケル黄帝液などは、別の機会にゆずりたい。
散歩にもいちおうの決まりはある。
時間にして一時間、距離にして二キロ、経費にして千円以内、というのが散歩の規模としては適当である。
JRの一区間が、だいたい二キロである。
きのうは、仕事場のある西荻窪から吉祥寺まで歩いた。
途中、一軒一軒、家の造り、庭先の様子などを見ながらブラブラ歩いた。古びた家もあれば新築の家もある。
古い家を一軒こわし、そこに建て売りを四軒強引に建てた、というような家が最近は多い。
一軒一軒が、敷地ギリギリいっぱい、駐車場どころではないという家である。
駐車場どころではないはずの敷地内に、あらゆる無理、難題、道理を越えて、ちゃんと車が止めてある。
車の占める面積より、どう見ても止めてある面積のほうが狭いのに、車が一台、何事もなかったかのように収まっているのである。
ここに至るまでの難行苦行は、想像にあまりある。
どのような運転技術の持ち主か、ぼくはその家のインタホンを押して主人に面会を乞い、苦心談を聞いてみようと思ったくらいである。
古い家は思いきり古い。
大正時代の民家そのまま、木造羽目板、塀は植木の植えこみに竹垣《たけがき》、竹垣の上には長靴の逆さ干し、玄関には万年青《おもと》の鉢、万年青のまわりには卵のカラ、という、いまだにサザエさんしている家もある。
住宅街のはずれに、まるでやる気のないそば屋があった。
店頭の食品サンプルは、すっかり陽にやけて色あせ、ザルソバにも天丼にもうっすらとホコリがかぶっている。
もうかれこれ、十年はこの中を掃除していないはずだ。片隅にはクモの巣、底面のベニヤはまくれあがり、クモの巣の主も嫌になってどこかへ行ってしまったという、やる気百パーセントなしの店である。
「こういう店こそ、散歩の途中の食事にはふさわしい」と、ぼくは思った。
散歩に疲れ、やる気のない店の片隅でひっそりととそばを食う。わるくない風情ではないか。
ガタピシと戸を開けて中に入ると、「何事か」という表情で店の主人が奥から出てきた。思ったより若い、四十前半という主人である。
しかし客が来たのに「何事か」はないだろう。
天ぷらそばを注文すると、主人は「迷惑この上ない」という表情で奥にひっこむのであった。
ぼくはタバコに火をつけ、「何も期待しない」という表情でそばの出来あがるのを待った。
油揚げの処世術を見習おう
新入社員諸君。
就職おめでとう。
諸君はきょうから、社会の荒浪にもまれながら生きていくことになる。
早くも頭角を現し始めている人もいるだろう。そのまま順風満帆、表街道をまっしぐらという人もいよう。
しかし大多数は、やがて厳しい現実に埋もれていくことになる。
この競争社会の中で、時には挫折を感じ、どうにもならないハンディキャップを感じることもあるに違いない。
そうしたなかで、どう身を処し、どう地歩を着々と築いていったらよいか。どこに自分の活路を見いだしていったらよいか、迷いぬく日々がきっとくるに違いない。そうしたとき、何に頼り、何を心のよりどころにしたらよいか、諸君は途方にくれることと思う。
そういう場合の心の支えとして、わたしは油揚げを推奨したい。
突然油揚げが出てきて、諸君はきっと驚くだろう。
しかし我々が油揚げから学ぶべきものは非常に多いのである。
油揚げは、豆腐製造のついでに作られるものである。生まれながらに、傍流の運命を背負わされてこの世に送り出されてきた。
スタートからすでに、大きなハンディキャップを背負っているともいえる。二流校出身、あるいは三流校出身と同じ境遇ということがいえる。一流校出身が居並ぶ会社などでは、一見、将来の道は閉ざされたかのように見える。
しかし油揚げは、希望を捨てなかった。
主流の豆腐たちは、あるものは湯豆腐、冷奴として主役を演じ、あるものはすき焼き、おでんなどの鍋物界でけっこういい役職を与えられ、またあるものは麻婆豆腐などの中華系に身を転じて、主要な役割を演じている。
そうした活躍ぶりを横目で見ながら、油揚げは自分の活路を模索していた。
豆腐に比べ、油揚げは容姿も見劣りがする。
豆腐が、白く瑞々《みずみず》しい肌と、立体感あふれる容色を誇っているのに対し、油揚げはその容姿偏平、色浅黒く、肌には見苦しいシワさえ深く刻まれている。
油揚げは、この窮状をどう乗り越えたか。
油揚げは、まず活路を味噌汁に求めた。自分の針路を、味噌汁の実に見いだしたのである。
しかも自分一人ではなく、協力者と組むことを考えた。
油揚げと大根の千切り、油揚げとキャベツ、油揚げとカブ、油揚げと豆腐、油揚げとジャガイモ……。協力者は続々と現れた。
いずれも味噌汁の実のコンビの傑作といわれるものばかりである。
特に、油揚げと大根の千切りの組み合わせは、味噌汁の実の最高傑作とさえいわれている。
こうして油揚げは、味噌汁界にこの人ありといわれる、ゆるぎない地位を獲得したのである。
しかも大切なことは、この組み合わせのいずれに於いても、油揚げは脇役だということである。
「パートナーを立てる」という精神を片時も忘れない性格も、人々の好感をさそったようだ。
自らリーダーシップを取ることなく、周囲との協調を大切にする、というのが油揚げの生き方である。
社内に於いても、こうした生き方があるということを、諸君は肝《きも》に銘じていて欲しい。
周囲との協調によって良い仕事をする、これがサラリーマンの基調であることはいうまでもない。
油揚げ自体は、それほど味のあるものではない。
しかしこれが、ひとたび味噌汁の中にひたされると、味噌汁やダシの味を吸いこみ、自己の味と同化させ、噛みしめたとき、油揚げ独特のあの滋味あふれる味となる。自分を強く主張することを避け、周囲との同化によって自分の持ち味を引き出す。しかもそれが自分の実力以上の力を発揮する結果となっているのである。
このあたりも、組織の中の人間として油揚げに学ぶべき点は決して少なくない。
示唆に富んだ油揚げの生き方といわねばなるまい。
味噌汁に目をつけた、という点も、油揚げの並々ならぬ洞察力を感じさせるところである。味噌汁は、食事の主流ではなく傍流である。主流はあくまでもゴハンとおかずである。
主流の中にあっては自分は生かされない、と油揚げは考えたのである。
そして、あえて傍流の道を選んだのである。この選択はまちがいではなかった。
まちがいではなかったからこそ、「油揚げと大根の千切り」という大仕事を成し得たのである。
「人の行く裏に道あり、花の山」
これが油揚げの処世術なのである。
味噌汁に確固とした地歩を築いた油揚げは、次にゴハンへの接近をはかった。
いよいよ主流への挑戦である。
むろん油揚げは、自分が主流向きでないことは十分知っている。
だから接近の仕方にも独自の創意と工夫をこらした。
だれでも容易に考えつく、おかずとしての道はあえて避けることにした。
油揚げが考えついたのは、ゴハンにいきなりおおいかぶさる、という奇襲戦法であった。
窮余の一策、捨て身の戦法である。
これがすなわち稲荷《いなり》ずしである。
ゴハンとしても、いきなりベッタリとおおいかぶさられてしまっては、もう身動きができない。
おとなしく、稲荷ずしとして観念せざるを得なかった事情もよくわかるような気がする。
稲荷ずしに於ける油揚げは、おかずではなく一種の皮である。
おにぎりに於けるノリと同じように、一種のパッケージともいえる。
パッケージではあるが、噛みしめていると実はおかずであるということがよくわかる。
ここのところが、油揚げが考え抜いた独自のアイデアなのである。
ネーミングにも、心を配ったらしい。「稲荷」を持ってきたのがよかった。
これが単刀直入の「油揚げずし」だったら今日《こんにち》の成功はなかったに違いない。
こうして油揚げは、ゴハン界の一角、弁当方面に切りこむことに成功したのである。そして遂に、セブンイレブンのケイコさんと共にテレビCM出演という快挙を成しとげるまでに至ったのである。
諸君、特にいま、前途に光明を見いだせないでいる諸君。心くじけたら油揚げに思いをいたそう。油揚げだってやれたではないか。
花見点描「花より段ボール」
ついこのあいだ、
「梅は咲いたか、桜はまだかいな」
などといっていたと思ったら、アッというまに花見のシーズンが終わってしまった。花吹雪舞って、いまはもう葉桜。
こうなると卯の花の季節待ち遠しく、ホトトギス一声鳴けば、水芭蕉咲いて初夏の到来となる。
ことしも靖国神社でお花見をした。
お花見といえば上野公園が有名だが、靖国神社の中も、毎年かなりの賑《にぎ》わいを見せている。屋台も、かなりの数が立ち並ぶ。焼きそば、焼きイカはいうに及ばず、鮮魚、シシャモ、車エビ、帆立て貝などを並べた本格的炉ばた焼き風の屋台さえあった。おかみは髪をイキに結いあげ、和服姿であくまで本格を目ざしていた。
ことしの桜は、花の量が例年より少なかったような気がする。
花の色もいつになく薄かったようだ。
桜の花の色が、年々薄くなっていくような気がするのはぼくだけだろうか。
それでも花見の宴は、年々盛んになってきている。酒食の食のほうが、グルメブームを反映してか豪華になってきた。
つい七、八年前のお花見の食関係は、全くのありあわせのものが多かった。コロッケ、メンチカツ、さつま揚げ、といった飯場宴会風のものが多かった。あるいは、ピーナツ、柿の種、さきイカ、といった学生下宿風のものも多かった。
ところがこの数年、その様相はガラリと変わってきたようだ。
デパートやスーパーの高級お惣菜コーナーを、そのまま持ってきたような賑わいを見せているのである。
ハム、ローストビーフ、テリーヌ、フライドチキンの銀皿盛りあわせ、などというホテルのパーティーまがいのものさえ持ちこまれている。
ゴザの上のローストビーフというのは、花見ならではの取りあわせといえる。
「お惣菜コーナーのものなら何でも」といっても、花見の宴には向かないものもむろんある。
冷奴なんてものは花見には向かないし、納豆なんてものも合わない。
花見の宴で、納豆の糸をたらしながら酒を飲む、というのはどう見ても様にならない。
お花見は、するのも楽しいが、周りの様子を見て歩くのもなかなか楽しい。
午後の三時ともなると、敷地内は場所取りのビニールシートや段ボール敷きで、八割方が埋めつくされる。
この靖国神社は、都心にあるせいか会社関係が圧倒的に多い。
陣地確保の方法もさまざまである。
ビニールシートの四隅に石を置いただけ、という簡単なのもあれば、四隅に真新しい杭を打ち、ヒモを張りめぐらし、固有の領土を強くアピールしているところもある。
もっと領土意識、防衛意識の強いところは、張りめぐらしたヒモにズラリと洗濯物風に新聞紙をかけまわし、侵略許すまじの姿勢を一層明確にしている。
ビニールシートだけのところは、
「そこ、もうちょっと詰めてよ」
などの侵攻がたやすそうだが、ここまで防衛意識をむきだしにされると、
「もはや侵攻はムリだな」
という気持ちにさせられる。もっと無防備なところを攻めてみよう、という気になる。
こうしてみると、よくいわれる「防衛ハリネズミ論」も、あながち根拠のないものでもないのかもしれない。
いい場所から席は埋まっていく。
東南角地、日当良、交便のところが、花見でもはやり優良物件である。
道路から奥のほうになると、たどりつくまでに曲がりくねった私道を通らねばならず、なにかと面倒である。
そして、すぐそばに、枝ぶりのいい桜の大木があれば、環秀、再難得、惜譲の最良物件ということになる。
不動産などでは、「駅近」が優良物件の条件だが、花見の場合は、「木近」がそれに当てはまる。「木近」がムリな場合は、せめて上空に枝の一本も懸かっていて欲しいとだれしも思う。
「上空枝一懸」でも、まあ一応、優良物件といえる。上空に何もない花見は寂しい。土地の形としては四角が理想的だが、右ドッグレッグ、中央にゴミカゴのハザードあり、という苦心の作もある。
土地が確保されると、そこに上物《うわもの》をのせることになる。上物としての最上等のものは、なんといっても段ボールである。
なにしろ地べたの上にすわるのだから、ビニールシートではゴツゴツしすぎる。
ゴザは、なんとなく哀れである。
段ボールは、その弾力性、安定感、充足感、いずれも申し分ない。地下街浮浪関係の方々が、段ボールを珍重するわけもよくわかる気がする。
段ボールの優れている点は、これを形よく折りたたむと座ぶとんにもなるという点である。
実際に、広く敷きつめられた段ボール座敷に、課長と係長らしき人のみ、段ボール製の座ぶとんをあてがわれ、その上にきちんとすわっているグループもあった。しかしこうなると妙なもので、かえってなんだか哀れな感じがする。
段ボール座ぶとんを作った部下も哀れだし、その上に背広を着てすわっている上役も哀れである。
しかもこのグループは、同じサイズの段ボールの箱をズラリと並べ、テーブル代わりにしてその上に酒や食べ物まで並べている。段ボールの座敷に段ボールのテーブル、そして段ボールの座ぶとんという、段ボールずくめの宴会なのである。
こうなると、単なる花見の宴ではなく、本当に金に困った会社が、座敷を借りられずに、屋外で段ボールの宴会を開いているように見えてくる。
こういう場所では、あまりに正式を目ざすのも考えものである。
しかし、ここで繰り広げられている花見の大宴会を、事情をまるで知らない外人などが見たらどのように思うだろうか。地価狂騰のニッポンと考え合わせて、ついにラビットハッチにも住めなくなって屋外に追い出されたと考える外人もいるかもしれない。ラビットハッチが、ついに段ボールハッチになったと思うのではないだろうか。
しかも、屋根なし、壁なし、土台だけ、吹きさらしの段ボールハッチである。
どのグループも、食べきれないほどの料理を並べ、飲みきれないほどの酒を並べている。宴果てると、食べきれない料理は、惜し気もなくドサドサと捨てられる。こんなことをしていると、そのうち、本物の段ボール生活を余儀なくされる日がくるのではないだろうか。
トイレは、男のほうもえんえん長蛇の列であった。この行列は、一見宝くじ発売の行列に似ていた。ただこの行列には、希望がないという点が少し違っていた。
伝統を誇る菓子パンを総括
パンの中で、一番真面目なパンはどれか。
それはまちがいなく食パンである。
身辺を飾ることなく、虚飾を排し、自らは語らず、無欲|恬澹《てんたん》、媚びず、へつらわず、ただこげ茶色に日焼けして静かに端座している。
その風貌は、まさにパン界の実直代表といえる。
他のもろもろのパンたちの、小賢しい小細工、おもねり、目立とう精神を一蹴して、威風堂々、自信に満ちあふれている。
奇をてらわぬ実質本位のその形からも、真面目ひとすじ、朴訥《ぼくとつ》、愚直ともいえる生き方が感じられる。
食パン≠ニいう名前もいい。
面白くもなんともないところがいい。
食パンの食≠ヘ、主食の食である。
「箱形の型を使って焼いた主食用のパン」と広辞苑に出ている。
主食を担《にな》っている、という自信が、小賢しい細工を放棄させているのかもしれない。
食パンの次に真面目なのが、いわゆる調理パンである。
彼らも実に真面目だ。食パンとは別の意味で真面目である。
ホットドッグ用のパンなどに、コロッケやハムカツ、焼きそば、スパゲティなどをはさんだ連中で、別名惣菜パンともいう。
こちらは食パンと違って、媚び、おもねりに満ちあふれている。やたらにあたりの様子を窺っている観がある。
しかしそれは、何とかして人のお役に立ちたい、腹のたしになりたいという、奉仕の精神から出たことであり、あまり嫌味に感じられない。
真面目な精神の発露が、ああいう形態をとらせた、ということもできる。
もともと努力型のパンで、企業努力という点では第一位に推すことができる。
その昔、コッペパンというパンがあって、これはこれでけっこう真面目な奴だったのだが、どこか悲劇的なパンであった。
なんとなく、ジャイアント馬場を連想させるパンで、真面目にやっているのに、それがかえって大ボケになってしまうという損なキャラクターであった。
一時は、主食方面のパンとして、食パンに次ぐ華やかな地位にあった。ジャム、マーガリン、ピーナツバターなどに傅《かしず》かれ、隆盛を誇っていたものだった。
特に、重臣ピーナツバターを従えたときなどは、パン屋の花形として、子供たちの熱狂的な声援をあびたものだった。
なんとなく大ボケの性格が、軽んじられ、うとんじられるようになったのだろうか。次第にパン屋の店頭から姿を消すようになった。
真面目にさえやっていればいい、というものでもないらしく、パンの生き方もこれでなかなかむずかしいものであるらしい。
主食方面から菓子ケーキ方面に移行していくに従って、パンは真面目でなくなっていく。
いわゆる菓子パンといわれる連中は、不真面目というわけではないが、食パンなんかに比べれば真面目さが明らかに足りない。パン界の遊び人、ということもできる。
だからかえって、主食方面での評価は低いが、間食方面では大人気となっている。
ゆるぎない地位さえ確保している。
洋菓子化、ケーキ化と、多様化する傾向の中にあって、アンパン、ジャムパン、チョコパン、クリームパン、メロンパンは未だ健在である。
ただ甘食《あましよく》だけは脱落したようだ。
ここへきて、また復活しつつあるというが、めったに見かけることはない。
甘食は妙な奴だった。妙でワケのわかんない奴だった。第一、単位があいまいである。
円錐形のものが二個、底辺のところを合わせて売られていたが、あれは二つ合わさって一個と考えるのか、そうなると片側は半個ということになるが、半個でもちゃんと売ってくれたからやはり半個でなく一個ということになるし、そのへんのところがいまだによくわからない。
いまだに釈然としない。
そういうところが嫌われて没落したのかもしれない。
上アゴの歯のところにくっつく、というところも嫌われたのかもしれない。
チョコパン、クリームパンは健在である。ただ嘆かわしいことに、形と中身が無秩序の状態になった。
昔は、貝殻状のものにはチョコ、グローブ状のものにはクリームと、厳然と区別されていた。なのに今は、貝殻状のものに、チョコもジャムもクリームも入っているし、グローブ状のものも同様である。
一体誰がこんなことを許したのか。
われわれがちょっと目を離したスキに、とんでもないことになってしまっていたのだ。
昔は、貝殻=チョコ、グローブ=クリーム、と安心していられたが、これでは油断もスキもありはしない。
貝殻のほうは、入り口のところに開口部があるから中身がわかるが、グローブのほうは食べてみなければわからないではないか。おじさんは怒っているんだぞ。
ま、しかし、そうなってしまったものはしかたがない。おじさんはあきらめる。
その昔、チョコパンとクリームパンは、その他の菓子パンとは別という観があった。アンパンやジャムパンより、チョコ、クリームのほうがずっと偉かったのである。だから扱いも丁重だった。
チョコパンの場合は、まず入り口のところのセロハンのフタをはずし、これに付着したチョコを舐《な》めとるのがオープニングセレモニーであった。
そして必ず尻っぽのほうから食べる、というのが子供たちの暗黙の了解事項だった。
クリームパンは周辺から、というのも当然の習わしだった。
いずれも、「不毛から肥沃へ」という考え方であることはいうをまたない。
メロンパンも健在ではあるが、なぜか色が褪《あ》せている。黄色が薄くなっている。衛生法かなんかが、やかましくなったせいかもしれない。
こいつもワケのわかんない奴だった。
丸くて黄色くて、カサカサしていて一番上のところがカサブタ状になっているのだが、これがどうしてメロンなのか。
昔は、メロンパンとはそういうものだ、と、それなりに納得していたのだが、よく考えてみると、あのどこの部分がメロンなのか。どの部分がメロンに該当するのか。どこにも「メロン」が見当たらないではないか。
当時、強引に「メロンだ」と主張し、大衆と子供を強引に納得させた人は偉いといわねばなるまい。
立ち食いそばを「評論」する
今回わたくしは、突然ではあるが食味評論家になった。
食味評論家にもいろいろあるが、わたくしの専門分野は立ち食いそばである。
一年ほど前、わたくしは定食評論家としてデビューし、四軒ほどの定食評論を発表したが、どういうわけか、定食界からも、食味評論界からも全く無視された。そこで今回は装いも新たに、立ち食いそば評論家として再起をはかるつもりなのである。
幸い、この分野は、まだだれも手を染めていない。いずれは、立ち食いそば評論にこの人あり、といわれる重鎮になりたいと思っている。
前回の定食評論は、辛辣《しんらつ》すぎたきらいがあり、これが嫌われた原因のような気がするので、今回は温かい批評、思いやりのある批評を心がけるつもりである。
まだ批評家としての自信がないので、店名はあえて伏せることにする。
中央線沿線駅前某店☆☆(地図略)
かなりはやっている店で、客の絶え間がない。
中年のシェフと、パートのおばさんらしい人と、二人でやっている店である。
わたくしは店に入ると、迷わず「きつねそば」を注文した。立ち食いそば屋の力量は、きつねそばにこそあらわれると信じているからである。
そばの名店では、客の注文があってからそばを茹《ゆ》で始めるが、こういう店では、そばはすでに茹でられており、各丼に一つずつ投入されている。あとは熱湯に入れて温めるだけだ。
「ぎりぎりまで仕事がしてある」
と、わたくしは好ましく思った。
わたくしの目の前のシェフは(目に光がない)、そばを茹でザルに入れて、チャッチャッチャッを開始した。
チャッチャッチャッは四回である。わたくしとしては、せめて十回はして欲しいと思ったが、これはこれでこのシェフの明確な方針なのだと思うことにした。
そばを丼に投入。揚げをその上にのせる。大きな玉じゃくしでそばつゆをすくってかける。
「おまっとうさん」の声もなくカウンターにドンと置く。わたくしがカウンターに置いた二百七十円を、ジャラッとすくってレジに入れる。その流れるような一連の動きには一分のスキもなく、わたくしはそこに、立ち食いそば職人としての見事な職人芸を見た。
わたくしは、まず刻みネギの容器からネギを取るべく、「ネギつかみ」を取りあげた。立ち食いそば屋のネギつかみは、氷つかみが代用されており、正しく噛み合わずに必ずねじれているものである。
ねじれていて、ネギがなかなかつかめない。しかしわたくしは、このねじれを、立ち食いそば屋の風情としてとらえることにしている。
つかみづらいネギを、苦労してつかんでいると、「ああ、わたくしは今、立ち食いそば屋のそばを食べようとしているのだなあ」という実感が、しみじみと湧いてくるのである。
この店のネギの切り方は秀逸である。ネギの切り方に独特の工夫がこらしてある。あるものは厚く、あるものは薄く、あるものは途中で千切れ、切りきれずに数個つながったものさえある。
バラエティーのある切り方、シェフはこれを目指しているようだ。
立ち食いそばの味は、どの店もそれほど変わりはない。せめてネギの切り方で、店の特徴を出そうというシェフの明確な主張、と、わたくしは読みとった。
七味の缶を取りあげる。缶ぶたに、クギで穴をあけた立ち食いそば屋独特の七味缶である。こういう七味缶の穴は、乱暴に開けられているものが多いが、この店のは、穴の大きさ、間隔、いずれも一定できちんと揃っている。「七味缶にいい仕事がしてある」と、わたくしは思った。こうした店の七味は、十回振ってようやく三回出る、というぐらい出がわるいのが普通で、打率でいうと三割三分というのがこの業界の常識である。
しかしわたくしは、もどかしいという気には少しもならず、むしろ食事前の腹減らしの運動として適当ではないかと思っている。
ハシを取りあげる。
ハシは簡単には割れず、かなりの抵抗を示したのち、ようやく二つに割れた。
ハシに力がある。こうした店のそばには力がないのが普通だが、そのかわりハシに十分力がある。
簡単には割れない、いい材質のハシを使っているということもできる。
すなわち、材料が十分吟味されているということであり、このシェフの目が、店のすみずみまで行き届いているということを示している。
そばを一口すすってみる。
そばは、よけいなコシや歯ごたえは一切なく、噛むと、噛み切れるというよりつぶれるという感じで、いかにも立ち食いそばらしい伝統を感じさせるそばである。
そばは香りが大切といわれるが、そういうものには全く拘泥せず、小麦粉の香りの十分立ったそばである。
では、うどんかというと決してうどんではなく、では、そばかというと決してそばではないという微妙な位置をかたくなに守り続けており、わたくしはその心意気に深く感銘したのだった。
そば粉が何割で、つなぎが何割とかの、むずかしい議論を一切避け、むしろつなぎだけでできているそばといってもよく、わたくしはむしろ、すがすがしい思いさえしたくらいである。
ツユを一口すすってみる。
チャッチャッチャッが四回なので、ツユは十分すぎるくらいぬるい。
かけそばは熱いのが命、という人もいるが、立ち食いそばは、急いで食べる客が多い。あわただしく駆けこんできて、あわただしく食べていく人にとって、熱いそばはかえって迷惑である。ぬるいからこそ速く食べられるのである。
食べ手のそうした事情を考えて、シェフは、あえてチャッチャッチャッを四回でとどめたのである。
わたくしはそこに、作り手の、食べ手側に対する細やかな心づかいを感じとって、その心づかいにしばし瞑目した。
油揚げに目を注いでみる。
立ち食いそば屋の油揚げは、半分をさらに三角に二分したものと、フルサイズをドンと出す店とがある。
この店はフルサイズである。
ただ、フルサイズの油揚げのはしが、少しまくれたまま供されたのが気になった。これはやはり、まくれを直してから客に供するべきではなかったか。
作り手のちょっとした心づかいが、食べ手の気持ちをふるいたたせるということを、この店のシェフは知って欲しい。
評価
そばおよびツユ、ネギの切り方、いずれも十分三つ星に値する店だが、油揚げのまくれが気になったので、あえて二つ星とした。今後の精進をのぞみたい。
初出誌
「週刊朝日」昭和六十二年一月二日九日号〜昭和六十二年九月一八日号
(「あれも食いたいこれも食いたい」)
単行本 昭和六十三年六月 朝日新聞社刊
底 本 文春文庫 平成六年八月十日刊