■ ひみつのおたから / 文月 文
「何をなされているのですか、志貴さま!」
叱咤の声に振り向けば、そこにはむ〜っと俺を睨んでいる翡翠の姿があった。
……ちっ。見つかったか。
「あはは、なんでもないよ翡翠。ちょっと家の探検をな。ほら、俺ってこの家に不慣れだし」
さわやかに応える俺を無視して、翡翠は俺の手からはしっと袋を取り上げる。
はしっとだ。はしっと。
まるで、猫が獲物を捉えるように、ごく当然の仕種で。
「すいません」も「失礼します」もない。
主に対する礼儀ってゆーものが根本から欠けてるぞ。よよよ……。
ああ、翡翠を教育したやつの顔が見たい……。
『わたしのこと呼びましたー?』
……む。今、一瞬、翡翠とまったく同じ顔の笑い仮面を幻視してしまったような?
ははははは。まさかな。
俺は(偽)志貴と違って過去視はできないからな。
しかし、主を主と思わない傲岸不遜さは姉譲りだよなー。
表面上は完璧だからこそ、違和感があるある。
「……」
心の中でうだうだ言っている俺を無視して翡翠は袋の中身を次々とテーブルの上に置いて行く。
金の燭台。
銀の食器。
伊万里だかなんだかの陶器。
時代がかっている女神像。
エトセトラ、エトセトラ。
「……没収」
理由も問わずに鉈でぶった切るような一言を言う翡翠。
「ま、待ってくだせぇお代官様。それを取られると日曜日のデートが大ぴんちなんですぅ。せめてシルバーのセットだけでも……」
「誰がお代官様ですか。わたしは侍女として志貴さまを泥棒にしたくはありません」
「大丈夫だって、自分の家からかっぱらう分にはよほどのことがない限り裁判にはなんないだぜ!」
「警察は問題ないです! 秋葉さまが問題なんですっ!! こんなことがバレたら座敷牢に閉じ込められますよ」
眉を逆八の字にした翡翠がとうとうと俺に説教をしてくる。
ううっ。子供の頃にさんざん世話になったせいか、どうも翡翠には頭が上がらない……。
翡翠は翡翠で一生懸命「メイド」を演じてはいるけど、気を抜くと「幼なじみのシキちゃんの面倒を見るおねーさん」という昔の癖が出てしまうようだし。
「しかしだな。翡翠。俺はここんとこずっとデートの度にアキラちゃんに奢ってもらっているんだぜ。中学生のアキラちゃんに高校生の俺が!!」
「それは……心中お察しします」
さすがに気遣わしげな目で俺を見る翡翠。
いくら世慣れない彼女でも、それがいかに恥ずかしいことかわかるのだろう。
交通費からイベントのパンフ代まで払ってもらっているもんなー、実際。
『わたしがお誘いしたんですからこれくらいは持たせてください』なーんて言われるんだ。
まあ、アキラちゃんとのデートは基本的にお金がかからないのが救いっていえば救いだな。
「しかし、盗みというのは……」
「だって、しようがないだろう? 秋葉はこづかいくれないし、バイトも禁止。これで他にどうやってお金を調達しろっていうんだ? アルクェイドかシエル先輩に恵んでもらえと?」
「……あの、そういうのは『ヒモ』って言うと姉さんに教えられた記憶がありますが」
ろくなことを教えないでくれ、琥珀さん……。
それはともかく、かっては物欲ゼロで気味悪がられていたこともある俺を悪の道に突き進ましたのは、全てはこづかいゼロという悪夢のためである。
もし、平均的高校生のこづかいをもらっていれば、半分も使わなかったろう。
有間の家ではそうだったのだ。
しかし、完全に補給を途絶えさせられると眠っていた物欲というのが咆哮を上げながら目覚めるものである。
駄目となると欲しくなるのが人情というもの。
そう、シキのように秋葉が俺をダーク志貴にしたのだ!!
有彦あたりにも『変わったよなおまえ。なんか妙に人間臭くなったというか小物になったというか』などとしみじみ言われたりもしたしな。
仕方があるまい、お金とは魔物なのだから。
「そういうわけで他人様に迷惑をかけないためにもこれはもらっていく!!」
「駄目です!」
ぱんっ。
華奢な白い手が俺をはたく。
翡翠が反射的に繰り出すパンチはアルクェイドの攻撃すら見切る俺ですらモーションがまるで見えない光速の拳。
似たような芸は琥珀さんもできて、俺の反射スピードを越えるマッハの動きでナイフを出されたりしたもんだ。
かわいい顔してこの二人、実は吸血鬼より強いんじゃないか? と時たま戦慄してしまうことがある。
「おこづかいくらい、わたしがあげますから。後ろ暗い真似はしないでください」
「へ? 翡翠が?」
「はい。……わたしほとんどお金を使いませんし、その上、姉さんが資金運用をしてくれてますからお金は余っているんです」
琥珀さんの資金運用……外貨預金とか株とかのかわいいものじゃないだろう。
最低でも先物取引、下手をするとマネーロンダリングが必要な危ないことをやっていそうな……。
「しかしだな、翡翠は俺の侍女だろう? 侍女からおこづかいをもらうっていうのは、主客転倒のような」
「いいんです! 志貴さまのお役に立てるとわたしが嬉しいのですから問題ありません」
翡翠の場合、自分が一度良いと思ったものを翻意させることはほとんど不可能だ。
無敵の頑固さで、無理を通して道理を引っ込めてしまう。
もしかして、侍女としては結構致命的な性格なんじゃないだろうか……いや、上手くいけば忠臣と呼ばれるだろうけど、侍女っていうのは一応サービス業じゃないかなーとも思うのだが……。
仕方ないか、何しろこの子の頑固さはダイヤモンドより硬いからな。
「じゃあ『借りる』てことでどうだい? それなら俺もあまり心苦しくないし」
「『借りる』……ですか?」
俺の提案に翡翠は小首を傾げる。
なんだろう? 翡翠の価値観では借りるってことがそんなに珍しいことなのだろうか?
「残念ながら、わたしから『借りる』と返すことは不可能だと思います」
「なんで?」
「姉さんの資金運用では十日で一割ずつ増えていきます。収入が全くない志貴さまでは利息すら返せません」
両目を閉じてきっぱりと言い切る翡翠。
ま、まて……十日で一割ってたら、それは悪徳金融業者御用達の「トイチ」ってやつですか?
「この屋敷の使用人たちも姉さんからお金を借りて、みな首が回らなくなって夜逃げをしてしまいました。……わたしは志貴さまと離れたくはありません」
ぽっと顔を赤くして恥ずかしそうにそうつけ加えた翡翠は愛くるしい。
思わずこちらの顔まで赤くなりそうだったが、前半部の言葉で顔が真っ青になっていたので青と赤で中和されて顔色は元のまま。
しかし、加減ってものを知らんのか、あの人は……。
「じゃあ、貰っておくよ……うん。さすがにトイチを返す甲斐性は無いし」
「はい、それでは『一本』くらいでよろしいでしょうか?」
「一本?」
「一束。つまり百万円です」
「……ぶっ」
「足りませんか。じゃ、五本くらいにします?」
「あはは、翡翠ってばお茶目さんなんだから。そういうギャグを言うキャラとは思わなかったよ」
乾いた笑いをあげる俺の顔を翡翠は不思議そうな顔で見つめている。
「もしかして……マジ?」
「冗談など言ってませんが」
気分を害したような顔で翡翠は応えた。
これはマジだ、大マジだ……洒落にならないことに。
「いや、その、五千円もあればお釣りがきます」
「そんなに少なくて良いのですか? お気を使われなくても……」
「すまない、翡翠。最近買物をしたことがある?」
「いえ。買物は姉さんの担当ですから」
思い出した。翡翠は八年間ほとんど屋敷外に出てなかった超箱入りというか浦島太郎だったんだ……。
他のところではしっかりしてるんだけどな〜この子。
知らないってことは恐ろしい。
「とにかく、五千円でいいって。それだけあれば十分です……」
「はい、わかりました。それでは後ほど志貴さまの部屋にお持ちしますから」
「うん。ありがとね……」
心配げな顔をしている翡翠に力無く手を振って俺は台所を出て行く。
な、なんかとーっても疲れた。まだ陽は高いけど疲れたから寝よう……。
部屋に戻るとベッドに沈み込んだ。
こんこん。こんこん。
部屋をノックする音に目が覚めた。
「はい……」
「翡翠です。志貴さま、よろしいでしょうか?」
「あ、うん。入って」
ベッドから身体を起こすと翡翠が部屋に入ってきた。
「お休みでしたか」
「いや、ちょっとうとうとしていただけだから」
「そうですか、それではこれが先刻約束したものです。お受け取りください」
すっと茶色いマニラ封筒を渡してきた。
おそらくは琥珀さんの趣味だろう。
スパイ映画じゃないんだから、こうゆうものに入れられるとなんか妙に怪しいものに見えるんですけど。
それはともかく、中を開くとちゃんと新渡戸さんが一枚入っていた。
「ありがたくもらっておきます」
「はい。ところで志貴さま。遠野家の秘宝ってご存知でしょうか?」
「秘宝?」
思わず鸚鵡返しに翡翠に尋ねた。
財源がとかく妖しい遠野家だ。裏金とか闇帳簿くらいなら驚かない。
とある事件で遠野家を調べたシエル先輩情報によると、米・露・中・伊のマフィアと絡んでいるとの噂がある。
まあ、おそらく事実だろうな。
オヤジはもちろん、秋葉もイリーガルっていうよりはアウトローだし。犯罪の一つや二つは現在進行形でやってて当然だろう。
何よりこの屋敷の実質的支配者は琥珀さんだ。
あの人がやっていることなど、俺の貧弱な想像力ではおっつかないほどデンジャラスなはず。
しかし……秘宝となると、生生しさの欠片もない。
浪漫というか、はっきり言って嘘くさい。
秘宝やら埋蔵金というのは前世紀に廃れてしまってと思うのだが……。
「このお金を出してもらった時、姉さんが教えてくれたんですよ」
「喋っちゃったの?」
あ! と驚いたような顔をした後、翡翠はばつが悪そうにごにょごにょと小声で呟く。
「その……前にも言いました通り、わたしは長いことお金を使ったことが無いんです。そのわたしが急にお金が要ると言ったものですから、姉さんが不思議がって」
「思わず口を割ってしまったというわけ?」
「も、もちろん、志貴さまがお屋敷の備品を盗もうとしたことは言ってません!」
「いや、そこは信用しているけどね」
たしかに琥珀さんは悪魔のようにずる賢い。
だが、それには及ばないけど翡翠だってかなりの切れ者だ。
何しろ、外見も能力も同スペックだからな。
良心回路のある無しという違いはあるが、基本性能は同じなのだ。
秋葉みたいにころころ騙されたりはしないことは経験上知っている。
「しかし……秘宝ねえ」
「姉さんが、槙久さまから教えてもらったそうです。何でも、戦中に空襲から避けるために何ヶ所かに分けて金の延べ棒を埋めて置いたらしいとか」
金の延べ棒?
金か。
何だかよくわかんない掛け軸とか置物なら、実は二束三文ってことがあるけど金ならたしかだ。
骨董的価値はなくとも、金相場通りの価値はあるからな。
骨董的価値というのは危険だ。
あれは結局のところ需給バランスで値が決まる。
御大層な由来や歴史はあんまり意味がない。
欲しいと思う人が多くなくては高価にはならないのだ。
これは、何度も質屋にうちの備品を叩き売ったことから得た教訓だったりする。
「それで、その場所はわかるの?」
「はい……これです。原本は失われていて、マイクロフィルムだけが残っているらしいですが。もう一枚は姉さんが今の地図に照らし合わせて出した予測位置です」
白黒写真と町内の地図を翡翠は俺に渡した。
写真の方は手書きの地図を写したものだ。
写真は小さいしあまり鮮明ではない、おまけに昔の地図だけであって今とはかなり違う。もっとも基本的な地形や、駅や遠野家といった昔から変らないランドマークはそのままだが。
片方の最新の町内地図には星印が三つついていた。
「学校と公園と……繁華街の外れか。うちからは結構距離があるな」
「何でも、戦中まではその辺りまで全て遠野家のものだったそうです」
この辺りは新興の街らしく、戦前はただの田園風景というか野原ばっかりだったらしい。
学校はもちろん戦後にできたものだし、公園なんては十年くらい前にできたものだから、戦中に隠したというのならたしかに理屈が合う。
「ふーん」
考えながらちらりと時計を見る。
八時過ぎ。学校から人気がなくなるにはもうちょっと時間がかかるだろうけど、先に公園か繁華街に行けばいいか。後の二つは完全に人気は途絶えないだろうし。
「うん、ありがとう翡翠。じゃ、ちょっと行ってくるね」
「あ、あの志貴さま」
出かけるべく、コートを羽織ろうとした俺に翡翠はもじもじと何かを言いかけた。
「何だい翡翠?」
「わたしも連れていってはもらえないでしょうか?」
「……は?」
「その……姉さんが志貴さまのお手伝いをしてきなさいって。後のことは姉さんがどうにかするって言ってきて……」
言いにくいのだろうか? 頭の良い翡翠にしては要領を得ないことをごにょごにょ繰り返している。
「翡翠が外に出たいなんて珍しいじゃないか」
「姉さんが志貴さまの……」
「琥珀さんは良いから、翡翠はどうしたいの? 俺と一緒に来たいの?」
さっきから、翡翠は「姉さん、姉さん」と繰り返している。
琥珀さんが言ったからといって、嫌がる翡翠を外に出すわけにはいかない。
もっとも、嫌がっているようには見えないんだけどね。
「わたし……ですか」
困ったように翡翠はうろたえている。
一度覚悟を決めたら誰の命令にも頑として聞かない頑固な子だけど、こういうところだけは妙にかわいらしい。
困っている翡翠を見るのも悪くはないけど、あんまりいじめるのも可哀想だし、早く外に出たいこともあり助け船を出した。
「まあ、いいや。ついてきたいなら一緒においで」
「は、はい」
いや、そんなに嬉しそうな顔をしてもらうっても困るんだけどなぁ。
アキラちゃんといい、翡翠といい、なんでこんなことくらい嬉しがるんだろう?
誰とは言わないけど、白いのとか青いのとか紅いのはこんな初々しい反応をしてくんないものなぁ。
きっと、この二人も数年後にはああなっちゃうのかな〜。
なんか憂鬱になっちゃうよ。
「どうなされました? 志貴さま?」
俺の隣をてくてくと歩く翡翠がそう聞いてきた。
いや、どうしたってことじゃないっていうか、どうもしてないのが問題っていうか……。
「外に出るときもメイド服なわけ?」
「お気に召しませんか?」
「いや、いいんだどね」
翡翠は不思議そうな顔をしている。「困った」ではない「不思議」だ。
さすが外にも出ないしテレビも見ない浦島太郎。
自分の格好がどれだけ目立つかイマイチわかってないらしい。
それでも、今歩いている繁華街はまあ問題無い。
ケーキ屋か喫茶店の店員が歩いていると思うだろうから。
そういえば、琥珀さんの私服姿は何度か見たことがあるけど、翡翠の私服姿って見たことが無いな。
財宝が見つかったら服を買ってあげようか? 俺のメイドだもんな。
……とか考えると急に後ろから馬鹿でっかい声がかかった。
「あ、志貴だ! やっほー!」
「げ。アルクェイド……」
「アルクェイドさま、こんばんは」
「こんばんわ、翡翠。志貴は態度悪いぞー。何よ『げ』って」
白い吸血姫はぷんぷんと怒っている。
まったく、なんで俺がアルクェイドのご機嫌取りをしなくちゃなんないだよ。
「今日は用があるの。おまえとは遊んでらんないよ」
「用ってどっか行くの?」
「公園だよ」
「なら、いーじゃん。わたしも一緒に行く。いいよね、翡翠」
「わたしは構いませんけど……」
「ば、馬鹿、翡翠。誰かを入れたら分け前をやらなくちゃなんないだろう?」
「たしか、アルクェイドさまはどこかのお姫様でらしたのでは? お金には興味を持たれないかと……」
「うん、何? お金欲しいの? あげよっか?」
にこにこ微笑みながら冊子とペンを俺に渡すアルクェイド。
こ、これは小切手?
「好きな金額書いて。銀行に持っていけばお金に代えてくれるよ」
ぶっ。バブル期の成金か……おまえは?
大金持ちだとは思っていたが、ここまで加減ってものを知らないとわ。
秋葉あたりの中金持ちならこんなことは不可能だ。
もし、こんなことをかっこつけてやろうものなら、琥珀さんに張り倒されて『勝手に小切手持ち出したら修正しちゃいますよー』とか言われながら地下牢送りにさせられるに違いない。
「あの、志貴さま。せっかくですからご好意に甘えられたらいかがです?」
翡翠はごく当然の提案をしてくる。
普通に考えればそうなるだろう。
あるんだか無いんだかわからない財宝よりも目の前にあるアルクェイド資金を使う方が安全確実だ。
だが、これを受け取るのには問題がある。
いや、アルクェイドは何も言わないだろう。
何しろこいつは筋金入りのお姫様だ。金離れの良さはよーく知っている。
しかし、こいつに甘えるとマジにヒモになってしまう。
いや、それ自体は悪くはないのだが、先輩と秋葉に拉致られて矯正させられるおそれがある。ヴァチカン仕込みの拷問とか遠野家秘伝の責めなんかでー。
それは避けねばなるまい。俺は我が身がかわいいのだ。
とか、考えたところでそれをそのまま口にするのはなんか情けない。
「いや、乗りかかった船だからね。それにせっかく翡翠に協力してもらってるんだし」
「……志貴さま」
だから、一言二言でいちいち感慨にふけらないでくれよ〜。
俺が普段、よほど翡翠を無下に扱っているみたいじゃないか?
「ねえねえ。それで、わたしも一緒に遊んでいいの、悪いの?」
「それはだな……」
「あの、志貴さま?」
会話をしているといきなり翡翠が割り込んできた。
礼儀正しい彼女にしては珍しいことだな。
「どうしたの翡翠?」
「アルクェイドさまは、たしか超能力が使えましたよね」
「超能力というか、ほとんど神業に近いこともできるみたいだぞ」
「なぁ」と視線で合図をするとアルクェイドは大威張りって感じに胸を張り、ぶんぶんと首を縦に振る。
こいつは吸血鬼にできることほとんどと、さらに空想なんとかっていうサギみたいな奥の手が使えたりしたはず。
「昔、遠野のお屋敷に戦時中の不発弾があるかもしれないと騒ぎになったことがあるのです。その時検査をした人が針金を使った不思議なことをしまして……」
「針金……あ、ダウジングってやつね。アルクェイドはできる?」
「何、探し物なの?」
「そんなもん。地中をサーチできる?」
「できる……と思うけど」
「よし! アルクェイド、おまえも仲間だ! ただし分け前はやらんぞ!」
「やったぁ!」
無邪気に喜ぶアルクェイド。俺の言葉の意味がわかっているのだろうか?
もっとも、こいつにとっては遊ぶことの方が大切なのかもしれないが。
──というわけで俺たち三人は公園に辿り着いた。
「さて、アルクェイド。この公園内から金目のもの見つけてくれ!」
「らじゃー!」
しばらく、むーと難しい顔をした後、アルクェイドはびしっと指を一点にさした。大きな木の下だ。
「あそこになんかある!」
「よし、真祖の力、この目で見せてもらうぞ!」
ぽんぽんと肩を叩きつつシャベルをアルクェイドに渡す。
「掘れ」という意思表示だ。
脇にいる翡翠が「それはちょっと……」という視線を送ってくるが、そんな心配はない。
好奇心だらけの白猫におもちゃを与えるのは親切というものだ。
「掘ればいいの?」
「俺と翡翠も掘るから競争だ! アルクェイド」
「競争……むむっ、負けないからね。志貴、翡翠!」
喜び勇んでざっくざっくと土を掘り出すアルクェイド。
「──騙されてる、騙されてる」と不憫そうな目で翡翠は彼女を眺めるが、それは間違いというものだぞ、翡翠。人の価値観というのは千差万別だからな。アルクェイドが喜んでいるなら、騙したことにはならないのだ。
「壊れるといけないから、慎重にな」
「わかってる。わかってる」
頷くわりにはざくざくと勢いよく土を掘る白い吸血姫……ほんとにわかってんのか、こいつわ?
片や翡翠は眉を逆八の字にして、慎重に慎重に土をかき分けている。
これはこれで問題だけどな。別に遺跡の発掘をしているわけじゃないんだし。
俺は二人の中間……すなわち、ごく普通になんの面白味もない掘りかたをしている。
なんか二人にインパクトで負けているような?
い、いや。そんなことで競っても意味はない。俺はあくまで財宝ゲットが目的で穴掘り技術を競っているわけじゃないんだ!!
──でも、なんかくやしいな〜。
と、ぶつぶつ呟きながら掘っていると、翡翠の掘っている方からかちんと固い音がするのが聞こえた。
「何か見つかったのか?」
「……」
無言でこくりと頷く翡翠。
俺とアルクェイドの興味津々の視線を受けて、赤くなりつつも大真面目な顔で翡翠は慎重に土をどけていく。
「……甕でしょうか?」
翡翠の手には白い陶器がある。長年土中にあったわりにはきれいなもんだ。
「骨壷だったりして〜」
何の気なく発したアルクェイドの言葉に、翡翠はびくりと震え、甕がその手から滑り落ちる。
かしゃんと乾いた音をたてて甕は割れた。
「……あ、すみません!」
「いや、それより中に何か入っているぞ」
ぺこぺこと頭を下げる翡翠をなだめながら、陶器の欠片の下の布を手に取る。
結構重い。
何かを包んであるようだ。
幾重にも包れた布を解くと、細かい装飾が施してある小さな箱が出てきた。宝石箱だろうか?
鍵はかかっていない。
中を開けるとブローチや指輪やイヤリングがいくつも入っている。
でも、お宝は金の延べ棒だったはずなんだけど……。
「うわー、これ結構値打ちもんだと思うよ〜」
しげしげと宝石箱を眺めながらアルクェイドは感心している。
「そうなの?」
「うん。わたし、自分の城の備品とかよく売るからどーいうのが高いかってある程度なら知っているよ」
「ほう。お手柄だぞ、翡翠! アルクェイド!」
「……いえ」
「ほめて。ほめて!」
しかし、ほとんどホラ話と思っていた宝捜しがまさか当たるとは……。
これだと他の二つのポイントも期待できるかもしれない。
「さて、それじゃ折半といくが……翡翠。どれか欲しいのある?」
「……え? いいです」
「そういうわけにはいかないよ。ボランティアのアルクェイドはともかく、翡翠は協力してくれたんだからちゃんともらわないと」
「えと……じゃ、宝石箱を」
「それだけでいいの?」
「はい。それで十分です」
「まあ、翡翠がそう言うなら……それじゃ、はい」
宝石箱を翡翠に渡すと、彼女はおずおずとそれを受け取った。
「へー、志貴って太っ腹だったんだー」
「せこくは無いつもりだが」
「ふーん。ま、いいや。良いものもらったねー、翡翠」
「……はい」
妙な感心の仕方をしているアルクェイドと嬉しそうな翡翠を伴い、第二ポイントである繁華街へと向かった。
「ここらへんは淋しいよね」
「おまえっていう天下無敵なボディガードがいるだろうが」
「あはは。そういえばそうだねー」
繁華街の路地裏。
以前、俺がアルクェイドに追いつめられた辺り。
たしかにアルクェイドが言うように人気がない。
もっとも、こちらにとってはかえって都合が良いが。
「さて、アルクェイド。さっきみたく気張ってくれ」
「うーん。それがねー。ここは何にもないと思うよ」
「へ?」
「口で説明するより見てもらった方が早いか……試しにここらへん『切って』みて」
道路の一点を白い指でさすアルクェイド。
首を捻りつつも、メガネをずらし、道路のアスファルトを線にそって切る。
四方を切られたアスファルトはストンと地に落ちた。
え? 落ちた?
持っていた懐中電灯で切った場所を見る。
地下の大きな空間には大きな管がいくつかはしっている。ガス管とか電話線の類だろうか?
しかし、これじゃ……。
「ね。駄目でしょ? ここらへん一帯は地下が掘り返されているのよ」
そうか。たしかに都市の地下は開発が進んでいるからな。
これじゃ、何かが埋まっていたとしてもとっくの昔に掘り出されたか、気づかれないうちに土砂もろとも埋め立て地行き……。
「はあぁ……」
わかってはいるけど思わず溜息が出てしまう。
「まだ、後一ヶ所あります。頑張りましょう」
落ち込んでいる俺に翡翠はいたわるように声をかけてきた。
「うん、そうだな。じゃ次のところに行こうか」
「はい」
「おー!」
次の学校が最後のポイントだ。
大物が眠っていると良いのだが。
「どうしたんですか? こんな夜更けにみなさんお揃いで」
学校に行く途中、カソック姿のシエル先輩に声をかけられた。
うー、マズイ。この人はマズイぞ。アルクェイドと違ってお金持ちじゃない。
エクソシストという本職を持っているが、何しろ新人とのことである。
どんな職業でもそうだが、新米の懐は寒い。
アパート暮しでカレーが主食。これではOLというより貧乏学生だ。
『普通の学生と同じような生活をしないと違和感が出ちゃうじゃないですか』と本人は力説していたが、魔術を使える先輩は多少の違和感など「なんでもない」と思い込ませれば済むはず。
演技のためというより、純粋に家計が苦しいと見て良いだろう。
あるいは倹約家かもしれないが。
どちらにしろアルクェイドほど金離れはよくないだろう。
つまり……だ。俺たちの計画を知れば先輩は当然絡んでくるはず!
ここは何としてでもごまかさなくては!!
「何でもないよな。翡翠、アルクェイド。仲良しトリオが歩いていても不思議じゃないでしょう?」
「……」
「なかよし。なかよしー」
困っている翡翠はともかく、自然に調子を合わせてくれる──というか地だろうな──アルクェイド。うん、実に自然だ!
だが、絶妙のコンビネーションにも関わらずシエル先輩は俺たち三人の顔をじーっと見回している。
そして「ふむ」と一度頷いた後、にーっこり笑って言った。
「それじゃ、もう一人仲良しのわたしが加わって仲良しカルテットですね」
そ、そう来たか?
さすがは裏生徒会長の異名を取る策士……まあ、清濁併せ呑む策士だけあって、濁々で根性ババ色の策士の中の策士の琥珀さんには敵わないが。
もっとも、こんなことを考えてることがバレると『志貴さんも粛清しちゃいますよー』とにっこり笑って毒を盛られかねない。
そう、俺は面白半分で「えいっ」と人を奈落の底に突き落とせる琥珀さんと毎日顔を合わせているのだ。
良心回路のあるシエル先輩の悪などおそるるに足らない。
我は二の矢を持てり……。
「アルクェイドは構わないかい?」
にっこり笑ってアルクェイドに話を振る。
幸いなことにシエル先輩とアルクェイドは犬猿の仲だ。
ここで一悶着を起こしてくれれば、翡翠片手にダッシュでトンズラするのみ。
ふふふ……二虎共食の計というやつだ。
見てくれ、琥珀さん! 俺の策を!
「なんだ。シエルも遊びたいんだ。志貴、翡翠、どうする? 仲間に入れたげる?」
……は?
要りもしないときは派手に喧嘩して、必要なときはなぜこうも物分かりが良いんだアルクェイド?
『まだまだ甘いですねー。志貴さん。策士たるもの全てを、偶然すらも計算に入れなくてはいけないんですよー』という歩く策士の声が聞こえたような気がした。
そうだ。猫属性のアルクェイドは気まぐれだったんだ。
こんな単純なことを忘れるとは!?
「わたしも構いませんが……」
まあ、翡翠はそう言うだろうと思ったよ。他の連中と利害が絡んでないし。何より良い子だからなぁ。この子は。
仕方がない……。
「先輩、先輩……」
ちょいちょいとシエル先輩を呼び寄せる。
「内緒話ですか?」
とか言いつつも顔はにこにこ笑っている……俺たちのやっていることに勘づいてるな。これは。
「……実はね、先輩」
「事と次第によっては協力してもよいですよ」
「話さなければ?」
「不法侵入のようなので、警備会社に連絡を……」
警備員が来たところで、アルクェイドに「魅了」してもらうだけであっさり解決するのだが……そうなると先輩が突っかかってくるだろうし。
──仕方が無い。
「成功報酬になるよ。まだほとんど成果は上がってないからガセネタかもしれないし」
「構いませんよ。最近暇ですし。で、わたしの取り分は?」
「俺二、翡翠二、先輩一ではどう?」
「アルクェイドの取り分はないのですか?」
「今回、あいつはボランティアだ。あ、そういえば先輩はボランティアの本業の聖職……」
「わかりました。その取り分で良いでしょう。事情を詳しく教えてください」
ちっ。
せっかく上手い切り返しを思いついたのにあっさりと封殺されてしまった。
「なるほど……この学校にお宝があるんですか」
事情を話すと先輩は妙に難しい顔をしはじめた。
「もしかすると、お宝を守るために怪物がいついたのかも?」
「な、なんですか、その怪物って?」
「知りませんか? 最近夜になるとうちの学校に怪物が出るという噂を」
ふるふると首を振る。
毎日通っている高校だが、そんな噂は聞いたことがない。
もしかして、女の子だけの噂話とかなんだろうか?
「まあ、無理ないですね。目撃者は決まって口をつぐんでいますから、知っている人の方が少ないでしょう」
「なぜです? 喋ると死んでしまうとか?」
「いえ、見た人というのは校舎内でその……デートをしていた人ばかりですから。知られると青少年保護育成条例とか校則とかにひっかかるんですね」
「なるほど……」
それはたしかに言えないな。
よくわかんないお化けより退職やら退学の方がよほど怖い。
しかし、まだ寒いというのに校舎内でなんて……元気なことだ。
「もしかして、先輩はその怪物退治にきたの?」
「退治というより真偽を確かめるために調査をしにきたわけです。まだ被害者は全然出てないみたいですけど、出てからでは遅いですから」
「……志貴さま」
俺と先輩の話を聞いていた翡翠が不安げに俺に話かけてきた。
「ああ大丈夫だよ、翡翠。アルクェイドや先輩はその道の専門家だから」
「夜だけ現れる怪物……幻獣とかかな?」
「まあ、普通の犬や猫でも夜行性ですけどね。後ろ暗いことをしている人はちょっとのことでも気になりますでしょうし」
その専門家の二人が真面目に話をしている。
それでもイマイチ緊張感がないのは、やはりこの二人が非常識なほど強いからだろうか?
「とにかく……だ。虎穴に入らずんば虎児を得ずって言うからな。まずは中に入ってみよう」
俺の提案に他の三人はこくりと頷く。
そして、学校に一番詳しい先輩を先頭に校内に入って行く。
「ところでアルクェイド?」
「……でさ、じいやのその時の顔ったら……。ん? なになに? 志貴」
最後尾にいるアルクェイドは翡翠相手に談笑している。
こいつ、本当に話好きだな。どちらかというと聞く方が好みみたいだが、口数が少ない翡翠相手だと話す側に回るようだ。
「お宝の反応があったら速やかに教えるように!」
「うん、わかった。……でね、翡翠。わたし、じいやにゆってやったのよ……」
にっこり笑ってくれるのは良いのだが、すぐにまた翡翠と話始める。
こ、この白猫はー。もう飽きたのか?
仕方がない。アルクェイドよりは根気があって調査とかが得意なお方を頼ろう。
「あの、先輩。よろしければ財宝を探してくれたら嬉しいかな〜と」
「財宝はどんなもんなんです? さっきの話だと少しは見つかったみたいですけど」
「五十年以上前に埋めた金の延べ棒って聞いてます。さっき見つかったのは宝石箱でちょっと違うのかもしれないけど」
「埋めたというなら地下ですね。床の下だったらどうするんです?」
「その時は床に死んでもらいます!!」
「なるほど。自分の能力な有効な使い方ですね。しかし埋められたのは金の延べ棒ですか……じゃあ、これでいけるかも?
右手を服の中にいれてごそごそと何かを探している。ダウジングの道具でも探しているのかな?
「ちょっと待ってくださいね。持っていたと思うのだけど……あ、ありました」
服の中からごそっと出したのは大き目の掃除機みたいなものだ。
「な、なんですか、それ? なんとなくわかりますけど」
「金属探知器ですよ」
いつもながら色々なものが入っている服だ。
アルクェイドの話だと皆殺しバルカン(弾薬箱付)をしまっていたこともあるとか。
キリスト教の神秘なのか、魔術なのかはよくわからないが、最近では特に驚きもしなくなった。慣れというのは恐ろしいものである。
「……なんかやたらに反応がありますね……」
「話によると戦時中に空襲があったらしいからね」
「というと、この反応は不発弾とか? だったらやっかいですね」
「いや、穴掘り要員はすでにいるから。カモーン! アルクェイド!!」
「……ん? なになに?」
ひょこひょことアルクェイドが近づいてくる。
「こことそことあそこと……まあ、校庭を手当たり次第掘ってくれ! おまえの奇跡パワー、あてにしているぞ!」
「ちょっと、多くない? これでやると大変かも」
シャベルを睨みつつ、うーんと小首を捻る。嫌という感じではないが、不満の相がありありと出ていた。
お人好し無限大のアルクェイドでもさすがに変かと思いはじめたか……むむっ、まずったかな?
「そうね……」
というと、金髪の吸血姫は空を見上げる。空にはまんまるの白い月──。
「月も満ちているしフルパワーが出せるね。ちょっと派手にやってみるかぁ」
にっこりと一瞬笑った後、ふいに大真面目な顔に変わる。
途端、アルクェイドの周囲の空間がぐにゃぐにゃと揺れはじめた。
こ、これは……。
「せ、先輩。止めた方が良いよーな」
「残念。もう遅いみたいですね。それにこの件ではわたし、ただの善意の第三者ですし」
あっさり匙を投げるシエル先輩。
さ、さすがはプロ。仕事とプライベートはきっちりわけるというか、取れない責任は取るつもりはないというか……ここが「正義の味方」との違いなんだなーと感心してしまう俺であった。
それはともかく……。
「いっくよぉぉぉぉっっっ! くぅーそぉーぐげんかぁぁあああっっっ!」
気合一閃、校庭の土塊がめきょっと空中に浮かぶ。土塊の大きさは校舎と同じくらいはある。
アルクェイドの奥の手、空想具現化。ほとんど神の領域の大技だ。
彼女のことはよく知っているはずのシエル先輩ですら、感心した目つきで見ている。予備知識すら無い翡翠に至ってはほけーっと口アングリ状態だ。
「おまけに、どっかぁぁぁんんんっっ!!」
声と共に土塊は霧散した。ここまでやられると大技というより大味というか大雑把というか……。
「ねえ、志貴。どうどう? 頭いーでしょ。わたし! いちいち掘っているより効率的だよ」
「まあ、たしかに凄いのは凄いけど……土の中のものも土と一緒に木っ端微塵だろ? あれじゃ」
「大丈夫。わたしが反応させたのは土だけだよ」
「ほう。たしかに金なら落っこちたところで壊れないしな」
「でしょ。でしょ。アルクェイドさんって頭いいなぁ」
自分で言うな。自分で。
まあ、たしかに、これで大幅な時間短縮はできた。
校庭は結構凄いことになっているが、それは無差別に掘り返しても同じだしな。
ここは一応誉めておくか。
「うんうん。頭を使うのは良いことだぞ。これからも力任せではなく、なるたけ頭を使うように」
「うん!」
誉められるとそれはそれは嬉しそうな顔をする。こういうところが単純……じゃなかった素直でよいことだ。
琥珀さんとか秋葉とかシエル先輩とか素直にほど遠い性格をしている連中よりは反応がわかりやすいし。
「志貴さま……とりあえずこれだけ見つかりましたが」
声と共に、ちゃりっと音を立てる袋を俺に渡す翡翠。
俺たちが話をしている間に翡翠はちゃんと任務をこなしていたようだ。
「さんきゅ。ありがとな」
なでなでと翡翠の頭をなでて労ってから、袋の中を検める。
小銭が多い。中には財布ごとというのもあるが。
ちゅうちゅうたこかいな。ちゅうちゅうたこかいな……ひたすら小銭を数える。
「七千八百二十四円……落とし物として考えると多いかな?」
「そうなんですか?」
「はい。そうですよ。学校にあまりお金を持ってきても意味ないですからね」
翡翠の問いに応えるのはシエル先輩。翡翠ともども調べに行っていたみたいだが、こちらも戻ってきたようだ。
「先輩。何かありました?」
「えーと。不発弾が二つばかり。アルクェイドがもうちょっと深い所の土まで持ち上げたらなかなか楽しいことになってましたね」
「そ、それは……。で、金目のものは?」
俺の問いにふるふると先輩は首を振る。
「ちょこまかと動く翡翠さんに皆回収されしまいした」
「すいません……」
先輩の指摘に翡翠は真っ赤になってしまう。
単純作業の際の翡翠の集中力は凄まじく、周りがぜーんぜん見えなくなる。
いついかなる時にも外部に注意を向けている琥珀さんとは対照的だったりするんだな。これが。
「校庭にたいしたものが無いとなると……やはり校舎内かな?」
「でしょうね。怪物の話が本当だとすると、金目のものかどうかはともかく何かはあるでしょうし。じゃあ、遠野くん。玄関の鍵を『切って』ください」
シエル先輩に請われるまま、玄関の鍵に死んでもらい、校舎の中へと侵入する。
さきほどの先輩の話を聞いているせいか、何やら妙な雰囲気を感じてしまうのだが……。
「うー。暇ー。なんか起きないかなぁ」
「起きたら困るだろーが!!」
ぶぅぶぅ文句を言うアルクェイドを形でこそたしなめるものの、実を言うと俺もかなり退屈している。
校舎内に入って一時間余り調査をしているが何も見つからない。
財宝も、謎の怪物も。
前の方では、真面目っ子の翡翠と先輩が二人で手分けをして根気強く調査をしている。
俺とアルクェイドにお呼びが来ないのは、どうやら戦力外と思われているようだ……なんか不本意だぞ。
「ねえ、志貴。あなた毎日ここに通っているんでしょ? なんか面白いものない?」
「あのなぁ。ここはレクリエーション施設じゃないんだぞ。それに俺は教室と食堂と保健室しか行かないんだよな」
我ながら寒いキャンパスライフだ……言ってて虚しくなってくるなぁ。
思わずはぅーと溜息をついてしまう。
「ふーん。テレビとか漫画では学園生活って楽しそうなんだけどな。あ、そだ。じゃあわたしが謎の美少女転校生として……」
「間に合ってます」
「うー。ほんっと志貴ってわたしにばっかり冷たいんだから」
年齢不祥の謎の美少女なら先輩だけでじゅーにぶんに有り余っているんだよ。
そもそも、俺にとって学校というのは甘酸っぱい恋愛模様の場所じゃなくて、バトルフィールドとしてしか機能してないからなぁ。
「遠野くん、敵です!!」
そう、こんな感じで気がつけば臨戦態勢に……って、へ?
「わうっ!!」
大口を開けた黒犬が俺を狙っている!
はわわっ、メガネ。メガネ。メガネをずらして……ば、馬鹿。まだ来るんでない! こっちにも準備があるってゆーの。
「がううっっ!!」
黒犬が飛び掛かってきた瞬間。
ぺちっ。
ふいに音も無く現れた小さな影によって敵は撃墜された。
「はぁ、助かったよ。ありがとう……えーと」
「いえ、当然のことをしただけです」
ぺこりとおじぎをしたのは……、
「翡翠!?」
「はい、なんでしょう」
きょとんとした顔で俺を見ているのはいつも見慣れた俺のメイド。
「あ、あのー。もしかして結構強い?」
「侍女として主を守るのは当然です。相手が強いか弱いかは関係ありません。主無しには侍女は存在しえません。わたしたちは一蓮托生なんです」
「そ、そうですか……」
それは逆にいうと、メイドに死なれたら主もあの世行きってことですか?
新手の脅迫のような気がするのは俺だけだろうか……。
たしかに秋葉が死んだら琥珀さんも死んじゃったし。逆に秋葉が生きていたら、あっさり復活したということを考えればオカルティックな一蓮托生の関係というのもわからないではない……いや、わかりたくないんだけど。
まあ、翡翠と琥珀は二人きりであんな大きな屋敷を切り盛りしているわけだから、運動部の女の子より体力や腕力があっても不思議じゃない。
それに自警活動もしているから、実は腕にはけっこう腕には自信があるのかもしれない。
あるいは「専用」メイドという奴は普通のメイドの三倍のスピードで動くのかな? 二人とも(髪が)赤いし、頭に飾りつき(カチューシャ、リボン)だし……ありえる!!
しかし、漫画やゲームに出てくるおどおどメイドって空想の産物なのかな?
こんな強力な生物に「御主人様、お許しを……」なんて言わせるには、武術の絶技をマスターしないと駄目だぞ、絶対。
うーむ、先輩に武術教練をしてもらおうかな?
明日の御主人様のために! っとかゆって。
せっかくメイドさんがいるのに「良いではないか。良いではないか。ぐはははっ」っていう真似ができないというの悲しすぎるぞ。
「──志貴さま? どうなされました」
「あ、ううん、なんでもない。ありがとう」
心の中に渦巻く悪巧みを隠しつつ、翡翠の頭をいいこいいこと撫でてあげて活躍を労う。
元々が素直な良い子だから、他の連中のような妙な勘の鋭さがないのがありがたい。
「二人とも付いてきてください。あの犬が噂の怪物だとすると何か知っているかもしれません」
すでに追跡体勢に移っている先輩の言葉に俺たちは頷くと走り出した。
奴は一階の廊下を猛スピードで遁走している。
そして、教室の一つ──茶道部室?──に突っ込んでいった。
続いて俺たちも茶道部室に突入する!
「こ、これは……」
先輩が息を飲んでいる。
黒犬は姿を消していた。
押し入れに大穴を開けて。
逃走経路自体は明白なのだが、問題は──。
「抜け穴なんか作ってたんですか……先輩?」
押し入れの中には床が無く、黒々とした闇が広がるだけ。
間違いなく地下通路だ。
この和室はシエル先輩がほとんど占有している……となれば先輩が掘ったと考えるのか自然だろう。
「知りません。この押し入れは使ったことがありませんから」
「じゃ、誰が?」
俺の問いに先輩は肩を竦める。
皆目見当が付かないと言った感じだ。
「ぶつぶつ言ってないで、さっさと行こ!」
「うわ?」
アルクェイドは俺を小脇に抱えると、闇の中に飛び降りた……思いのほか長い滞空時間の後、音も無く着地をする。
「真っ暗だ……」
地下道だから全然光りがささないのは当然だとわかるのだが、この背景を手抜きしたんじゃないんかと思える前後左右に広がるただの「黒」には本能的な恐怖を感じてしまう。
「そう? わたしははっきり見えるけど。これ、自然にできたものじゃないね。シエルはどう思う?」
「たしかに。ただ、昨日今日できたものでもないようですね。数十年、いえもっと昔に掘られた坑道と考えて良いでしょう」
先輩も翡翠を連れ立って降りてきたようだ。
どうやら、アルクェイドと先輩にはこの闇の中で地形がちゃんと見えているようだ。
「まあ、由来は我々には関係ありません。あの黒犬を追いましょう」
「うん。じゃ行くよー」
言うが早いか再び俺はアルクェイドの手荷物になってしまう。
いや、たしかに暗くて歩くこともままならないから、こうしてもらう方が早いのは早いのだが、みっともないよなぁ。
坑道に入ってから十分あまり。ふいに女の声が遠くからしてきた。
「あら、パトラッシュ。どうしたの?」
「む、敵機発見。いっけー、志貴ぃぃ!!」
「ま、待てぇぇぇ!!」
叫ぶより先に俺はアルクェイドに投げ飛ばされている。
俺の扱いって何……? とブルーになる暇もなく、何かにごちーんとぶつかった。
あ、あたまがわれるーーーーーーっ。
「あたまがいたいよ……いたーーーいいっっ!! 何よ、これっ!!」
激怒する女に胸ぐらを捕まれた。
闇の中に光る赤い目が間近に迫る。
ツインティルに丸い顔。
これは……久々に見る顔だな。
「あれ……とおの……くん?」
「やあ、弓塚」
片手をあげフレンドリーにかっての同級生に挨拶をする。
我ながらかなーりみっともないとは思うが、友好的にしないとこのまま半殺しにされかねない雰囲気だ。
何と言っても今の弓塚は吸血鬼だ。アルクェイドたちほどではないが十二分に強い。
慎重に顔色を窺がっていると、弓塚はぽーっとした顔のまま呟いてきた。
「遠野くんがわたしの手の中に……」
まあ、それはそうだけど。
「やっとわたしの良さがわかったんだね!」
はい?
「うれしいな。遠野くんが自分からわたしの元に飛び込んできてくれるなんて……」
照れ照れと照れまくる弓塚。
この状況でそう思うのか……よほどさっきの打ち所が悪かったのかも?
「あのー、弓塚さん」
「嫌だよ。そんな他人行儀な呼び方なんて、名前で呼んでよ。わたしも志貴くんって呼ぶから」
他人行儀っておもいっきり他人なんだけど……聞きそうにないよなぁ。この状態だと。
「それじゃ、志貴くん。一緒にいこ」
「行くって……どこに?」
「決まっているよ。恋する二人は駆け落ちするんだよ。大丈夫、逃走資金はちゃんとあるから!」
資金?
その一言にぴくんと反応する。
このペースでは財宝とやらが見つかる可能性はかなり低い……なら?
「資金って本当にあるの? ゆみづ……じゃなかったさつき」
「さつきなんて……ど、どうしよう。そんな志貴くんって大胆だよ」
乙女ちっくに盛り上がっているところすみませんが、名前で呼べって言ったのは弓塚、おまえ自身だろーが? やっぱり脳挫傷してるんじゃないか? 本当は。
とか、思っていても口にだしてはいけない。
ここは目先の欲のために俺の天性の才能である、人当たりのよい口調で……、
「さつき。駆け落ちの行着く先は赤貧にあえいで冬の日本海にダイビングだ。愛のためにはまずお金がいるんだぞ」
「うん、そこは大丈夫だよ。三億円の秘密資金のある場所知っているの……」
「本当かい?」
「わたし、そのお金を警備するように頼まれたんだけど……志貴くんとの愛のためなら犯罪者になるわ」
目をうるうるさせて弓塚は俺に語りかける。
ここまで安直にドリームが見れるとは……傷は深いぞ、弓塚。
しかし、俺にとっては好都合。
三億か……。
「でもな、さつき。ピン札だとナンバーからバレる可能性があるんだぜ」
「大丈夫、全部番号不揃いの使い古しの一万円札だから」
よし、おっけー。問題なし!
俺はとびっきりの笑顔で微笑む。
「なら、俺たちの未来に何も障害は無いな」
「うん!」
「じゃあ、早く行かないと……後ろからは先輩たちが来るはずだから」
「あ、そうだね。急がないと!」
はっとした弓塚は俺を小脇に抱えると真っ暗闇の中を爆走しはじめた。
また、このパターンかい? 文句は言わないが。
何しろ、はるか後ろからは……、
「志貴さまー。どこにおられますか?」
「このアーパー吸血鬼! 後先考えずに遠野くんを放り投げるからよ!」
「大丈夫、この近くだってば、志貴の匂いがするからー」
追撃者たちの声が聞こえてきたりする。
「急げ、さつき。敵はすぐ後ろだ」
「うん、がんばる!」
俺の催促にさつきはさらに走る速度を上げる。
すまん、翡翠。
他の二人はともかく、おまえを置き去りにするのは心苦しいが目の前にある現生の魅力には敵わないのだ。
悪い主人を持ったと思ってくれ……。
俺は心の中で翡翠に詫びた。
もし、ここで弓塚に会わなければ。
いや、もし、弓塚が現生を持っていればこんなことにはならなかったのに……。
ああ、運命って残酷。
それから三十分ほど、弓塚は闇の中を走り続けていたろうか?
「えーと……たしか、この辺りだよね。パトラッシュ?」
「わう」
横で走る黒犬は弓塚の問いに答える。
どこかで見たような犬なんだよなー。こいつ。
「なあさつき、この犬おまえの知り合い?」
「え、パトラッシュ? うん、お友達だよ。どこかの使い魔だったらしいんだけど、主に捨てられたんだか死んだかされて、一人ぼっちだったみたいなの。お互い一人ぼっちだけど一緒に頑張ろうねってお友達の契りを結んだのよ」
えへへ……と軽く微笑むさつき。
捨て犬と一人ぼっちの少女の友情……何気にいい話っぽいよな。
だが、ここで情に流されるわけにはいかない!
「なるほど。それで警備の仕事とかなんとか言ってたけど……」
「うん。血を吸おうにも黒いのとか白いのみたいにおっかないのが街をうろついているでしょ?」
おそらく黒いのは先輩。白いのアルクェイドといったところか?
たしかにあの異常に戦闘力がある二人がぶいぶい言っているこの街で吸血行為なんてできるわけないよな。
うちの秋葉ですら口喧嘩はともかく、本気でドツキあったら洒落にならないことを熟知しているためか大人しく輸血パックを吸っているくらいだ。
性格からして戦闘的ではない弓塚なら、三度のごはんにも苦労していることだろう。
「輸血パックってお店屋さんとかじゃ売ってないし……そこで親切な人が『わたしのお仕事手伝ってくれたら、ごはんには苦労させませんよー』って言ってくれたから助かったの」
「ほう。親切な人ね。それで仕事って」
はぐれ吸血鬼に親切な人ってかなりヤバそうな雰囲気がしないでもない。
というか、その口調。どっかで聞いたことがあるな……。
「護衛が多いね。お金の受け渡しとかも。あと今やっている警備とかね。お世話になっているけど……志貴くんとの幸せのためだもの、きっとわかってくれるよね」
わからん。わからん。絶対わからんって、その理屈は。
……と、ツッコミたいのは山々だが上機嫌の弓塚の機嫌を損ねても仕方がない、というか危険なのでやめた。
なんていうか、俺の知り合いってみんな逆ギレを起こしやすい傾向があるから、ウカツにつつくと大火傷をしてしまう。
「わうん」
黒犬が止まると同時に弓塚も止まり、俺を下ろす。
「えーと、ここだよね……あった。あった。うんしょっと」
何やらごそごそしているが、当然俺には闇が見えるだけで何も見えない。
「じゃ、外に出ようか」
「外? 戻ると先輩たちに鉢合わせだぞ」
「あれ……なんだ。志貴くん、この坑道がどこに繋がっているんか知らないんだ」
不思議そうに弓塚は呟く。
「知らないんだ」だって? どういうことだ、いったい?
「……なんか俺が知っているような言い方だけど」
「ふーん。大変なんだね。志貴くんちも」
なぜか妙に話が噛み合わない。
いや、「嫌な予感」で修正をかければわからないでもないが、今のところはわからない……というかわかりたくないというか。
「まあ、いいや。とにかく早く安全なことに出なきゃ。わたし、太陽が出ると外を歩けないから」
再び、弓塚は俺を抱えると走っていき……外に出た。
三つのやたらにごっついジュラルミンケースと共に俺もおろされる。
外はまだ暗く、空気はひんやりとしている……とかいう情景はこの際どうでもよい。
大事なのは目の前のブツだ。
ケースは現金輸送などに使われるアレだ。象が踏んでも壊れない特注品と見た。
何はともあれ、ポケットからナイフを取り出すとジュラルミンケースの一つの鍵を切る。
かちゃりと音を立ててケースが開く。
中には夜目にもはっきり見える福沢先生の山。
その中の一つの札束を取って、中身を確かめる……うん、中まで全部福沢さんだ。防犯用の偽札ではない。
「うん、弓塚。これなら問題ないぞ。パーフェクトだ!」
ぴっと親指を立てて弓塚に合図をする。
「当然だよ。わたし、ちゃんとお仕事してたもの……でも、今は犯罪者なんだよね。恋って怖いよね……」
妙にうっとりしながら誰かに向かって懺悔をしている弓塚。
いや、自分に酔っているだけか? もしかして。
まあ、いいか。
しかし、えらく見覚えのあるところだな、ここ。
いや、毎日見ているというか……。
「なぁ、弓塚。ここってもしかして……」
「うん、志貴くんちのお庭だよ」
はははははは、やっぱり。
そんなことではないかと思ったよ……俺は。
このお金の出所もなんとなーくわかったしな。かっぱらったところで警察に届けられない金だな、きっと。
それは問題ないと見てよいだろう、問題があるとすれば──、
「さつき、早く逃げないとマズイぞ。この家の防犯システムはかなりのものだからな」
そう、俺がこの屋敷に来てから間もなく、とある事件で隠密行動をとっていたことがある。
しかし、屋敷への出入り、および屋敷内での行動は、全て琥珀さんにしっかりモニターされていたらしい。
都合よくシキが投入されたり翡翠が行動不能になったりするのは、いつもどこかで琥珀さんが見ていたからだ……うう、電子の千里眼っていうやつですかー?
庭には各種対人センサー、監視カメラがあちこちに仕掛けているらしい。
おそらく、今ここに侵入者が二人と一匹いることはバレバレだろう。
「え、そ、そうだね。まだここは安全じゃないものね。早く行かなきゃ」
「ああ、急ごう」
「どこに行かれるんです? 兄さん」
ふふふっと悪人笑いをしながら現れたのは、真っ赤な髪をした戦闘モードの秋葉だ。
よ、よりによって一番マズイやつに!
「兄さん、今、投降するなら特別に罪一等減じて地下牢での一ヶ月の謹慎で許してあげますわ」
特赦をしてそれなら、秋葉の法律では俺はどう処罰されるところだったんだろう。
などと考えつつも、ジュラルミンケースの一つにぴったりよりそう。
一つのケースには恐らく一億円が入っているだろう。
札束というのはそれ自体かなり重い。
弓塚が俺のために秋葉の足止めをしてくれることを計算に入れても一つが限度だろう。
俺の特殊能力「七夜」はあくまで高機動モードであって腕力や体力はそれほど上がらない。
一つのケースだけでも抱えて運ぶのはなかなかにやっかいというわけだ。
まあ、住宅街を出れば夜中とはいえタクシーを捕まえられるはず。
なんとかなる……いやなんとかしなければ!
「さつき……」
言葉と共に視線で合図をする。
無言で弓塚は頷くとすっと秋葉の前に立つ。
さすがは思い込みの激しい弓塚。
きっと俺の視線を良い意味に取ってくれたのだろう。
これぞ以心伝心……ちょっと違うか。
まあ、良い。俺はこのチャンスを見逃すつもりはない。
ガシッとケースを抱くと頃合いを見計らう。
その動きを見て、秋葉は弓塚から視線を外すと俺の方を見つめた。
「兄さん……兄さんは私を裏切りませんよね」
胸に手を当て縋るような目つきで俺を見つめてくる。目の端に涙まで浮かべていた。
ふふふ、秋葉。新しい芸風をマスターしたな。
それだ、今までのおまえに足りなかったのはしおらしさだ!
そう、恐怖ばかりでは人は支配できない。
飴と鞭が支配の基本だ。
硬軟を使いわければ皆がイチコロってなもんだぞ。
ただ……俺はおまえの本性を知っているから騙されないんだよなぁ……これが。
「秋葉、俺は何もおまえが憎くて素っ気無い態度を取っているわけではないんだ」
「じゃあ、何で?」
「わからないか……秋葉? 人はパンのみで生きるのではない」
穏やかに兄らしく妹を諭す。
「人にとって重要なのはパンとサーカスなのだ!! おまえはそれを忘れている……」
「サーカス? 娯楽ってことですか。要するに、おこづかいが欲しいってことなんですね」
「ああ、どうしても秋葉が俺にこづかいをあげたくて仕方がないというのなら、俺はきっといい兄になれるだろう……」
「いい兄ですか……例えばどんな?」
「……そうだな。基本料金の三万円で毎日の朝夕の楽しい団欒を演出してあげよう。オプションとしてプラス五千円で手を繋いでの庭の散策だ」
ふふふ、秋葉ってば驚いたような顔をしているな。
まあ、無理もない。彼女に取っては端金で夢のようなスイートライフが手に入るのだ。
「さらに、お風呂での三助や添い寝も応相談だぞ」
「……そうですか」
真剣な表情で秋葉は俺を見つめている。
あら? もっと嬉しそうな顔をすると思ったのだけどな。
「そんなに、私をかわいがるのが嫌なんですかっっっっ!!」
紅い髪が大きく揺れ、紺碧の瞳が俺を睨む!!
あらら……失敗か。
「嫌っていうわけじゃないぞ。世の中は何でもギブ・アンド・テイクだ。それを教えてやろうという兄の心がわからぬとは……」
「わかるわけないでしょっ!! 家族の愛とは無償の愛です!!」
「貧乏だったら、わかるけどさぁ。こんな金持ちなのに、無償ってのはなー」
ぶうぶうと反論をしてしまう。
だってそうだろう?
戸籍上は俺もオヤジの息子なんだから遺産の半分はもらえるんだぜ。
俺が実は七夜の人間かどうかなんて遺産相続では関係ないぞ。何しろ、俺が七夜の人間だって証拠をオヤジが抹殺したからな。法律上では俺は遠野家の長男ってわけ
裁判で訴えたら俺の勝ちはまず間違い無い。
しかし、ここのうちじゃ、いつの時代の民法で動いてるんだが知らないけど、当主の秋葉の総取りだ。
するいよなー。
無欲な俺でも理不尽は許せないのだ。正しい道を行けと先生にも教えられたしー。
「兄さんは、妹がかわいくないのですか!」
「かわいく……か。そうだな。『妹』らしい髪型。例えばツインティルにするとかな……」
「な、なんですか、それ?」
「こうゆうのがツインティルって髪型」
兄妹喧嘩についていけず、ほぇ? とした顔をしている弓塚をずずいと秋葉の前に出す。
「……志貴くん。わたし志貴くんの妹じゃないけど」
「ああ、当然だ。妹というのはさらに『身長は百五十センチ以下ではならないといけない』とその筋では決まっているからな。百六十センチの秋葉はあまりに大きすぎる! したがって俺にとって妹とは、有間のうちの都古ちゃんとなるのだ……向こうは八年来のつきあいだしな。秋葉より六年も一緒にいるし」
「兄さんは私が妹だとは思えないのですね!」
親の仇を見るような視線で秋葉は俺にガンを飛ばしてきた。
ふふん。残念ながら俺はフルパワーのアルクェイドのガン飛ばしを受け止めたこともある、それくらいではビビらんのだ。
「だがな、事と次第によってはおまえはかわいい妹だ。……秋葉、こういう諺を知っているか? 魚心あれば水心っていう……」
「それは地獄の沙汰も金次第と同じと思ってもよろしくて?」
「おお、わかるじゃないか、秋葉! しばらく見ないうちに賢くなったなぁ」
「に、に、にいぃぃさぁぁぁんんんのぉぉぉぉっっ」
なぜだ? なぜに俺にこづかいをやることがそれほどおまえの逆鱗に触れるのだ!
おまえはそんなに金の亡者になってしまったのか?
兄さんは哀しい……。
あ、俺が金の亡者になったのはおまえのせいだからな、そこを忘れるな。
と、呑気に述懐している暇はない。
どうにかしないと、秋葉の怒りの溶岩流に巻き込まれてミイラになってしまう!
目覚めよ、七夜! このピンチから脱出しなくてはいけない! せめて一億円と一緒に。
「ばぁかぁぁ……」
めきょっ。
「……はうっ」
怒りの濁流が爆発しようとした瞬間、どういうわけか秋葉は地面に崩れ落ちた。
な、何があった?
「もう、駄目ですよ。秋葉さま。そんなにしょっちゅうぶち切れるとお身体に悪いっていつも言っているでしょうが」
秋葉の背後からにこにこと笑う琥珀さんが現れた。
折れた竹箒をぽいっと捨てながら。
ぼ、撲殺ですか、琥珀さん? 相変わらず加減ってものを知らない人だ。
「こんばんわ。弓塚さん」
にこにこ笑う琥珀さんに弓塚はじりじりっと後ずさる。
恐怖に顔を引きつらせながら。
やはり、弓塚の雇い主というのは……。
「弓塚さん。志貴さんの持っているケースは何でしょう?」
「そ、それは……」
「わたし、頼みましたよね。ちゃんとお仕事はしてくださいって……」
「で、出来心なんですーーーーーーっっ」
「仕方がないですよね。出来心は誰にでもあります。……でも、お仕置き! えいっ!」
当て身一閃。
「きゃいんっ」
弓塚も崩れ落ちた。
お友達の黒犬とやらもいつのまにか脱兎している……犬のくせに薄情なものよ。
しかし、さすがに琥珀さんだ。吸血鬼ごとき敵ではない。
だが同時に俺も窮地に陥ってしまった。
秋葉はともかく琥珀さんを出し抜ける自信はまったくない。
さて、どうするか?
「志貴さん」
「は、はい。なんでしょうか琥珀さん?」
びくびくしながら我が家のドンにお伺いをたてる。
いつもと変わらぬ声がかえって俺の恐怖心を誘ってしかたがない。
「それ、返してください」
ふるふると首をふっていやいやした。
自慢じゃないが、琥珀さんは怖い。
アルクェイドと先輩と秋葉が束になって攻めてくるより百倍は怖い。
琥珀さんの得体のしれない実力は、俺の殺人鬼としての本能が太鼓判を押していた。
それでも、ここまで来て全てを無にするのは辛すぎる。
俺に出来ることは……せいぜい情に訴えるしかあるまい。
琥珀さんにも情はある。あると信じたい!
……かなり怪しいけど。
「琥珀さん……俺、俺」
「いいから返してください。その三つのケースのお金は使えません」
「へ?」
抱きしめているケースと琥珀さんの顔を見比べていると、「もう仕方がないですねー」といった顔つきで説明をはじめた。
「そのお金はまだマネーロンダリングが済んでません」
「はぁ?」
「それを迂闊に使うと警察に捕まりますよ」
にーっこり笑いつつやたらにデンジャラスなことを言ってくる琥珀さん。
「あ、あのこのお金って、単なる税金逃れとかじゃないんですか?」
「いやですねー。そんなお金なんて座敷牢に山積みですよ」
なるほどそれは有効な使い方だ。
うちは山ほどデッドスペースがあるからな。
査察が入ったところで全部調べるのは一苦労だろう。
それはともかくだ。このお金が使えないというのは……。
「そんなにヤバいの……これ?」
「あたりまえじゃないですかー。今時、一等地にこんな大きな屋敷を持っている人がマトモな商売しているわけないじゃないですかー」
洒落にならないことを当たり前って言わないでくれー。
琥珀さんの世界ではどうだかは知らないけど……。
何しろ俺が知っているだけでも琥珀さんは山ほど犯罪行為をしているからな。
彼女に取っては当然のことなのかもしれないけど。
俺の非難の視線をあびて、琥珀さんはため息をつく。
「仕方ないですねー。返してくれたら、わたしが上手く後始末をしますよ」
「後始末?」
「はい、秋葉さまと弓塚さんの記憶を薬と暗示でちょーっと操作して今夜のことは無かったことにしてあげます。それと、あちらの皆さんへの説明もしてあげますが」
あちら? ……視線を琥珀さんの指定した方向にゆっくりと動かす。
そこは俺たちが出てきた坑道の抜け穴だ。
ちょうど、抜け穴から三人の女の子が這い出してきた……アルクェイドたちが追いついてきたようだ。まさに万事休す。白旗だ。
「琥珀さん、お世話になります……」
「素直な志貴さんって大好きですよー」
自首をする犯罪者の気分で許しを乞うと、琥珀さんは毎度おなじみのにっこり笑顔で応えてくれる。
だから、表情の読めない笑顔は無表情と変らなくってかえって怖いんだって。
とか思っていると翡翠が駆け寄ってきた。
「志貴さま。大丈夫ですか!!」
「大丈夫ですよ、翡翠ちゃん。ねえ、志貴さん」
「ハ、ハイソウデス。コハクサン」
「???」
不思議そうな顔で翡翠は俺と琥珀さんを見比べているが、あんな含みのある声音で言われたらああ答える以外にどうしろと?
一方、先輩たちは倒れた弓塚の方にたむろっている。
「弓塚さんは……倒されてますね」
「へー、琥珀が志貴を助けたんだ。やっぱり強いねー」
「いえいえ。志貴さんを助けるのは翡翠ちゃんのためでもありますし」
琥珀さんは約束通りすかさずフォローを入れてくれた。
「妹はさっちんに返り討ち?」
「はい。彼女は全てを血に染める赤い拳『紅赤手』で志貴さまを助けようとしていた秋葉さまを一撃で轟沈してしまいました」
「くれないせきしゅ……あの伝説の絶技ですか? 弓塚さんも一人前の吸血鬼になるべく修行をしているわけですね。もっとも一人前くらいではあなたには勝てませんが」
「嫌ですよー。そんな」
「いーや。琥珀は強いよ。なんが理由はよくわからないけど」
「はい、わたしも同意見ですね。理由はまったくわかりませんが」
戦闘屋二人は状況をあっさり納得した……ってちょっと待て。
プロの目から見てもそんなにヤパいか、琥珀さんって。
そのヤバイ方がくすりと笑いつつ、翡翠に話しかけていた。
「それで……どうでした。宝物は見つかりました?」
「ええ、一応」
「え?」
翡翠の言葉に、まるで意表を突かれたかのような顔をする琥珀さん……お、おい?
「本当に見つかったの……翡翠ちゃん?」
「はい。姉さんの言われたような金の延べ棒ではなかったのですが、これを見つけて志貴さまから頂きました」
そう言いつつ、翡翠は最初のポイントで見つけた宝石箱を琥珀さんに渡す。
それをじーーーっくり見つめていた琥珀さんは、はぇ〜と息を漏らした。
「良い品ですね……これは」
「でしょ? こうゆうアンティークって今受けているんだよね」
「あったんだ……本当に。不思議なこともあるものです……」
アルクェイドの相槌を気もそぞろに琥珀さんは聞いている……なんか、今、限りなく怪しいことを言わなかったか?
「もしもし、琥珀さん?」
「はい?」
「今、『あったんだ』って言ったよね」
「えーと、そんなこといいました。わたし?」
「しーっかりこの耳で聞きました」
「そうですか」
「そうです」
ふぅと一息をついた彼女は口を開いた。
「あははははははははははははははははははははは」
にこやかに笑う琥珀さん。
「わははははははははははははははははははははは」
自棄糞に笑う俺。
「じゃ、そういうことで」
「待てぇい! 笑ってごまかす気かーーーーっ!!」
「どうしたんですか、志貴さん。怖いですよー」
言葉はほがらかだが、顔には表情がなくなっている。
無表情は琥珀さんの地だ。
となると、やっぱり。
「琥珀さん。告白したいことがあるでしょう?」
「えー、今回は特にありませんけどー」
「いやいや、告白したいことがあるはずだ。無理しないで」
「いいじゃないですかー。ちゃんとあったんだから」
「やっぱり、また得意の陰謀かーーっっ!!」
「結果として嘘はついてないでしょう? それに翡翠ちゃんも喜んでいるし」
ちらっと琥珀さんは翡翠を見る。俺もつられて視線を向けた。
二人に見つめられて翡翠はきょとんとしている。
「喜んでいる翡翠ちゃんを悲しませるなんて、わたし、姉としてできません!」
辛そうな顔をしたりしているが、妹もろとも俺を騙して遊ぼうとしたでしょ、あーた?
「たしかに翡翠は喜んでいるけどな……外に出て気分転換もできたみたいだし」
「そうそう。それに志貴さん、翡翠ちゃんにプレゼントしたりするなんてやるー。ああ、純情な翡翠ちゃんをこうやって飼い慣らしているのね」
「そんなことしてません!」
「あら、『今まで』何もしてないって言えるんですか?」
「あうち……」
痛いところをつかれてしまった。おもいっきりクリティカルである。
俺の心理的防御を突破した琥珀さんは余裕たっぷりでクスクスと笑いながら迫ってきた。
「それにですねー。志貴さんが許してくれないなら──」
一端笑いを止めたあと、一気に声のトーンを低くし小声で囁いた。
「……ほんとうのこと、みなさんにバラしますよ」
ボディブローのようにずずんと効く一発。
耐えろ俺。
ここで卒倒したら他の連中にバレてしまう。
そう、こういう時には!
「わははははははははははははははははははははは」
狂ったように笑う俺。
「あははははははははははははははははははははは」
俺の態度をイエスと認めたのか負けじと笑いかえしてくる琥珀さん。
「ねえ、シエル。ああいうの流行ってるの?」
「さあ、わたし日本人じゃないもので……」
「……」
三人とも俺たちについていけずに茫然と立ち尽くしている。
まあ、そうだろうな。俺も当事者じゃなかったらそう思うところだ。
そう、連中が呆れて立ち去ってくれるまで、後ろ暗いことありまくりの二人は笑い続けるしかない。
それで全てをごまかすのだ!
「わははははははははははははははははははははは」
「あははははははははははははははははははははは」
夜の闇に俺と琥珀さんの狂笑がこだまする。
それを見つめる白くてまんまるの月。
この月にふさわしくルナティックに笑い続ける俺たちであった。
……くすん。くすん。
/END