■ 年越し月姫〜未来へのカウントダウン〜 / 葵原てぃー
ご〜ん。
「じゅうはち〜」
ご〜ん。
「じゅうきゅう〜」
ご〜ん。
「にじゅ〜」
やけに耳に残る鈍い音のあと。
脳天気な声が耳に届く。
今は深夜の大晦日。
俺の部屋にはアルクェイドが居座っていた。
部屋の真ん中で座るでもなくただ立っている。
つい先程までは、とりとめもないことをお互いに
お喋りしていたのではあるのだが、今は二人で何を
するでもなく、ぼーっとしていたのであった。
「なあ、アルクェイド」
「にじゅ〜いち……うん?」
先ほどから指折りしながら除夜の鐘を数えていた
アルクェイドは、それでも俺の声に反応を返す。
「なに?」
「いや、随分と楽しそうだと思ってな」
「楽しいよ」
「だろうな」
そういう俺も、内心わくわくしているが。
年越しというものはなにかこう……普段とは違う
精神状態になるのが自分でも解る。
新年を迎えようという気分のあらわれだろうか。
とはいえ、俺の目的はそこにはない。
アルクェイドの興味が、俺より除夜の鐘に向けら
れているのがどうにも心中穏やかではなかった。
俺は、指折りを続けつつ部屋の中央で立ち続けて
いるアルクェイドに、こう切り出した。
「やはりアレだ、こういう日はこたつが欲しいな」
「こたつ?」
どうやら、聞き慣れない単語らしい。
ぴたりと止まった白い指。
興味の対象が、除夜の鐘から俺に移ったのがあり
ありと見てとれる。
心の中でガッツポーズ。
「テーブル型をした、日本伝統の暖房器具だよ」
俺は、してやったりという内心を表情に出さない
ようにしつつ、詳しく説明することにした。
「こたつというものはだ」
人差し指を立てつつ、俺は解説モードに入る。
「ふんふん」
興味津々といった感じでアルクェイド。
「さっきも言ったように、四脚のテーブル型をして
いて、その天板の裏の部分に電灯をつけてある」
頷く。もう他のことはすっかり意識の外だ。
その頭の中で、どんな形の『こたつ』というもの
の想像が脹らんでいるかを考えるのもまた楽しい。
……さて、説明を続けるか。
「ちなみに椅子は使わない。そしてテーブルの高さ
自体は、このベッドとたいして変わらない」
「それじゃ、床に直接座って使うの?」
「そういうことだな。それでだ……そのテーブルを
覆うようにして布のカバーをかぶせるんだ」
若干想像を超えてきたのか、アルクェイドの眉が
少しばかり寄り始めているのがわかる。
「布って……テーブルクロス?」
「違う。冷たい外気を遮断する布だから、どっちか
というと布団の方が近いな」
俺の解説は続く。
「そしてだ、布の上にもう一枚厚手の板を乗せる。
これで布が固定され、上に物を乗せる時に不安定に
なることが減るということだ」
「合理的ね」
妙なところで納得するアルクェイド。
「そうそう、忘れちゃいけない事がまだあった」
「何?」
俺がぽんと手を叩くと、アルクェイドはついっと
身を乗り出して尋ねてくる。
「ああ、こたつには絶対不可欠な物がひとつある」
至極真剣な声で答える俺、それを聞いてごくりと
喉を鳴らすアルクェイド――
そして、俺は口を開く。
「みかんだ。それも出来れば籠に一杯の」
「……みかん?」
アルクェイドの目が点になる。
「みかんって、あのみかん?」
「他にどんなみかんがあるのか知らないが、たぶん
お前が今考えてるやつで正しいと思う」
「へぇ……」
「いいぞー。寒い日に家の中でぬくぬくとこたつに
潜って食べるみかんの味は。極上だ」
「極上かぁ……」
うっとりとしてみる俺。
同じくうっとりするアルクェイド。
「……それ、ここにはないの?」
「ここは洋館だからなぁ」
自慢ではないが、こたつ完備の洋館などというも
のは見たことがない。
……琥珀さんなら持ってるかもしれないが。
まあ、今はそれは言うまい。
話題がそこで切れ、沈黙が部屋を覆った。
ご〜ん。
「あっ!」
一瞬の静寂を破って耳に届いた鐘の音に反応し、
アルクェイドが声を上げた。
両手をわきわきと折ったり伸ばしたりしたあと、
がっくりと肩を落とす。
そして次の瞬間には俺に向かって怒りだす。
「ちょっと志貴、あなた、やってくれたわね?」
コロコロ変わる表情を見ているだけで、俺として
はもうお腹いっぱいという感じだ。
「まったく……」
唇を噛むアルクェイド。
「仕方がないわね」
少し悩む素振りを見せたアルクェイドだったが、
すぐに何かを決意した表情で部屋の隅を見やった。
ご〜ん。
相変わらずの等間隔で響く鐘が鳴った瞬間。
「翡翠さん! 今の鐘は何回目?」
「37回目です」
「うわぁっ!?」
部屋の隅の暗がりから突然姿を現した翡翠に、俺
は驚いて思わず後ろに飛びすさった。
「ひ、翡翠、いつからそこに?」
自分でも解るほど震える声で、俺は聞いた。
「……最初から」
「さ、さいしょからって?」
思わず声が裏返る。
翡翠は俯いて少し赤くなりつつ、淡々と答えた。
「……だから、最初からです」
ガガーンッ!
「……気づかなかった」
「ええ、わかっています」
最初からいたということは、俺とアルクェイドが
この部屋に入ってきたときからいたということだ。
だとすると、俺たちがキスとか、えーと、キスと
か、んーとキスとかしてたのも、見られていたと。
でも、なんで部屋の隅の闇に同化していたんだ?
「侍女たる者、常に主人の側にあるべし、です」
誰から吹き込まれたのか、妙なことを言う翡翠。
「てっきり、他人に見られた方が興奮するとかの、
そう言う趣味かと思ったわよ」
アルクェイドの追撃が、俺の耳に突き刺さる。
気づいてるなら教えてくれてもいいのに。
「それでは、私は失礼します」
放心状態の俺を後目に、音もなく退室する翡翠。
ご〜ん。
「さんじゅうはち〜」
再びアルクェイドが除夜の鐘を数え始める。
むむっ。
放心している場合ではない。
このままだとまた、俺が寂しくなってしまうぞ。
「なぁ、アルクェイド」
ご〜ん。
「さんじゅうきゅう〜」
俺を無視するアルクェイド。
だが、そのくらいでへこたれる俺ではない。
嫌でも耳に届くよう、大きめの声で話を続ける。
「こたつにも、いろいろ種類があってな……」
「そんなの知らない」
きっぱりと言い切るアルクェイド。
結構傷つくものがあるな、これは。
「掘りごたつとか……」
ご〜ん。
「よんじゅ〜」
「…………」
もはや完全無視。
既に俺の方を見もしない。
くそう。悔しいな。
ならば次の手段だ。
ご〜ん。
「よんじゅういち〜」
「二十八、五十、三、九十六、十七、四十五……」
アルクェイドの声にかぶせるように、俺は不規則
な数を矢継ぎ早に羅列しはじめた。
なにかを数えている人に対する最大の嫌がらせ。
「五十六、二十一、八十六、九十九、七……」
ご〜ん。
「よんじゅうに〜」
「一四一四二一三五六、三点一四一五二……」
ご〜ん。
「よんじゅうさん〜」
「庭には二羽裏庭にも二羽合わせて四羽……」
ご〜ん。
「よんじゅうよん〜」
さっぱり効果がなかった。
「お、おのれ〜」
悔しがる俺。
目を閉じたままの状態で、両手を頭の後ろに組み
鐘の数を数えているアルクェイドを見ながら、俺は
次の妨害手段を必死で考えていた。
この状況、もはや何を言っても無駄だろう。
ならば手段は一つ!
俺はこっそりとアルクェイドに近づいていった。
当然、物音は立てないように細心の注意を払う。
かといって、不自然に呼吸を止めたりもしない。
実に精神をすり減らす作業だが、アルクェイドに
気づかれてしまっては元も子もないのだ。
そう自分に言い聞かせ、一歩一歩近づいていく。
どくん。
どくん。
自分の鼓動だけがむやみに大きく耳に残った。
……よし。
心の中で一息つく。
アルクェイドの身体がもう手の届く位置にある。
あとは、禁断の妨害工作を発動するだけだ。
ここまできて失敗するわけにはいかない。
ゆっくり。
ゆっくりだ。
空気が大きく揺れないように、ゆっくりと。
ご〜ん。
「よんじゅうご……」
数を数えるために開かれた口を、素早く塞いだ。
沈黙。
ご〜ん。
鐘の音が、その沈黙をより強調した。
触れ合った唇は少しだけ湿っていた。
舌が触れなくても何故かそこだけが甘く感じる。
どくんどくんと、収縮拡張を繰り返す心臓。
決して時間が止まったわけではない。
それでも、俺とアルクェイドはお互いにそのまま
ぴくりとも動こうとはしなかった。
ご〜ん。
こうしてから、除夜の鐘がいくつ鳴っただろう。
それさえ解らない程、耳の奥底が沸騰していた。
コン、コン。
「……!」
「…………!?」
突然。
前触れもなく叩かれた扉の音に、俺たち二人は、
一瞬にして我に返り、弾けたようにびくりとしつつ
慌てて身体を離そうとした。
そこでアルクェイドの足がベッドにつまづく。
その泳いだ身体から、何かにすがるような片腕が
伸ばされ、そして俺の腕を掴む。
突然腕を捕まれて身体を引っ張られた俺も、当然
バランスを崩して身体を泳がせる。
その拍子に俺の足は置いてあった椅子に引っかか
り、椅子は派手な音を立てて床に転がった。
「今の音は何ですかっ!?」
そう叫びつつ、ばしんと音を立てるような勢いで
扉を開けて部屋に飛び込んできたのは秋葉だった。
恐らくは、先程のノックも秋葉のものだろう。
秋葉の視線が部屋を泳ぎ、机に、窓に、椅子に、
そしてベッドに移り変わり、そこで沈没した。
視線はそこの一点から動かず、表情も見えない。
いや、なんだか、顔つきが目まぐるしく変わって
表情が読みとれないような……?
……ぴたり。
秋葉の表情二十一変化が停止した。
そして残ったのは、普通の顔。
見ていて寒気が走る、そんな平然とした顔。
俺は、そのまま動けない。
秋葉がゆっくりと唇を開く。
そのほのかに薄赤い唇の上下に分かれる速度が、
まるでスローモーションのように緩慢に見える。
俺は、何故かその視界で死を覚悟した。
「ごゆっくり」
ふっ……と。
極限まで張りつめた緊張をぷつりと切るように。
秋葉の何事もなかったかのような一言が届く。
ばたん。
部屋を出た秋葉によって、扉は閉められる。
そこでようやく俺は、息をしていなかったことに
気づいて、むせるように息を吐いた。
「こ、殺されるかと思った……」
「早く退いてくれないと、私が殺すわよ」
すぐ下から別の声。
ベッドの上でアルクェイドが、俺に押し倒される
形で下敷きになっていた。
ふと気がつくと身体のあちこちに柔らかな感触が
ふにふにと感じられる。
俺は慌てて体を起こして立ち上がった。
すぐにアルクェイドも身を起こす。
その頬はほんのり赤くなっていた。
「志貴、あなた私に何か恨みでもあるの!?」
頬の朱もそのままに、アルクェイドがぷんすかと
俺に対して文句をぶーたれる。
「いや、なんとなく」
俺を見ていて欲しかったなどと、男としては絶対
言えるものではない。
そう答えてお茶を濁し、俺はベッドから離れた。
ベッドの上ではアルクェイドが恨みがましい目で
俺の方を見つめている。
ご〜ん。
「……ほら、また回数数え損ねたじゃない……」
いじけるアルクェイド。
ご〜ん。
また一回。
ご〜ん。
さらに一回。
沈黙の中、打たれていく鐘の音のたび、じわじわ
アルクェイドの眉がつり上がっていく。
危険かもしれない。
そう直感し、窓際に一歩引く。
次の瞬間。
どごぉーーーーーーーーーーーーんっ!!
ものすごい音が、部屋の外から突き抜けてきた。
音だけでなく、震動もほぼ同時に部屋を揺らす。
俺は必死で平衡感覚を保って転倒を免れた。
アルクェイドも何事かと周囲を見回している。
次第に揺れは治まり、周囲に深夜独特の静けさが
戻ってくる。
俺とアルクェイドは視線を交わす。
「……秋葉かな?」
「たぶん」
助かった。らしい。
自分の身の危うさに、背筋に寒気が走った。
「はぁ、もう……あーあ、なんか残念」
肩を落としてため息をつくアルクェイド。
ちょっぴり恨めしげに俺の方を見る視線に、少し
ごめんなさいと言いたくなってしまう。
ご〜ん。
さらに鐘の音。
しかしアルクェイドはそれを数えようとしない。
……数えようにも数えられないのだろうけど。
なにか罪悪感に襲われてしまう俺であった。
こんこん。
先程のよりも柔らかげなノック音がする。
「志貴さん、よろしいですかぁ?」
いつものほわわとした琥珀さんの声。
そうだ、琥珀さんなら鐘の数を数えているかも。
翡翠も数えていたから、たぶん大丈夫だ。
「あ、今、扉開けるから」
そう言うが早いか俺は、扉に手を掛けて開く。
「琥珀さん、丁度いいとこ……ろ……」
俺の言葉が尻すぼみになる。
なぜなら……。
俺の目の前に、黒い男が立っていた。
全てを見下す冷たい瞳、深闇の如き外套の内側。
決して見紛うはずもない。
ネロ・カオスの姿がそこにあった。
硬直する俺。
背後でアルクェイドの殺気が膨れ上がる。
目前のネロがゆっくりと口元を歪ませた。
そして、喋る。
……琥珀さんの声で。
「夜食をお持ちしましたぁ」
「……へ?」
アルクェイドの呆けたような声。
殺気があっと言う間に拡散していく。
このネロ・カオスの外見で、アルクェイド以上に
脳天気な琥珀さんの声を出されるのは、かなりの違
和感が存在するということが頭の隅で整理される。
呆然としている俺たちに、ネロ……もとい、琥珀
さんはにっこりと笑って言った。
「着ぐるみです」
……あぁ……そうですか。
やはりこの人は理解できそうにない。
「それじゃ、ここに置いておきますね」
ネロの姿をした琥珀さんが、琥珀さんの声でそう
言いつつ、ネロの姿でお盆を机に乗せる。
お盆の上にはほかほかと湯気を立てている丼。
年越しそぱだ。
手打ちなのか、そばの太さがところどころ不規則
ではあるが、それだけ美味しそうにも見える。
「のびないうちに召し上がって下さいね」
そう言って退出しようとする彼女を、俺は片手を
上げて押しとどめる。
「琥珀さん、聞きたいことがあるんだけど」
「はい?」
振り向くネロ……いや、琥珀さん。
ご〜ん。
丁度いい具合に除夜の鐘が鳴り響く。
「今の鐘、何発目だかわかるかな?」
俺のその言葉に、背後でアルクェイドがぱぁっ、
と表情を輝かせる様子が見て取れる。
……わかりやすい奴だ。
ともかく、俺は琥珀さんの返答を待つ。
「え〜と……」
さほどの間を置かず、琥珀さんが口を開く。
ネロの姿で。
そして……ネロの声で。
「666回」
「………………」
「………………」
「冗談ですよ?」
沈黙、そして冷たい殺気含みの視線を浴びせかけ
る俺とアルクェイドに対し、そう言いながらべりり
と顔マスクを剥がす琥珀さん。
あのネロの顔がぺらぺらマスクになっているのは
どうにも気分のいいものではない。
そうこうしているうちに、琥珀さんはいつもの通
りの割烹着姿に戻っていた。
ご〜ん。
空いた間に、無遠慮に響く鐘の音。
「本当は、今ので78回目です」
何事もなかったかのように答える琥珀さん。
……いや、実際彼女の中では何も不思議な事など
何もなかったのだろうとは思う。
何を言うでもなく、それでいて何を言えばいいの
かも解らないような沈黙の中、琥珀さんはぺこりと
一礼などして部屋を出ていった。
ぱたん。
ご〜ん。
ドアが閉まり、鐘が鳴る。
「……はぁ」
ため息をつく俺。
「ななじゅうきゅ〜」
鐘を数え出すアルクェイド。
まったく、人騒がせな人だ。
そう心の中で一人ごち、俺は夜食の年越しそばに
手を伸ばした。
作られたばかりらしく、丼からはほかほかと温か
げな湯気が立っている。
汁は黒く、濃いめの関東風らしい。
具も量もそれほど多くなく、いかにも夜食という
感じがありありと見て取れる出来である。
他はともかくさすがは琥珀さん、であろうか。
「アルクェイドも食べないか?」
椅子を起こし、それに座りつつ箸を手に取る。
「ん……いい」
「なんでだ? 美味そうだぞ?」
「……少し冷めるまでおいとく」
なるほど。
しかし、麺類はそれも程々にしないといけない。
「ソバは伸びるから、早めに食べろよ」
「わかった」
そう言っておき、自分はいただきますをしてから
温かいそばをずるずると口に滑り込ませる。
「……ん、美味い」
続いて汁をすする。
こちらもいける。
「うん、やっぱり美味いな」
食事を続けつつ、アルクェイドの様子を窺う。
相変わらずベッドに座り込んだまま、時折ひびく
除夜の鐘の音を数えているらしい。
ゆらり。
「……あれ?」
ゆらゆら。
「……おいおい」
視界が歪む。
いつもの貧血だろうか。こんな時に……?
俺は、ふらつく思考をなんとか抑え、手に持った
丼をもと合った位置に戻すと、ベッドに倒れ込む。
「……志貴!?」
慌てた声のアルクェイド。
ベッドから起きあがり、俺の顔を覗き込む。
「悪い、ちょっと貧血……休ませてくれ」
俺はそれだけを言い、ぱちりと目を閉じた。
すぐに意識が闇に沈む――。
「知恵留先生の授業、が始まりま〜す」
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの音と共に、目の前が突然開けた。
見慣れた教室。
その教壇に、シエル先輩が立っていた。
……授業。
いったい何の授業なのだろう。
俺はとりあえず席に座ったまま黙っている。
「はい、それでは本日は特別授業をします!」
元気いっぱいというか、張りのある先輩の声。
特別授業、と大きく黒板に書かれた白い文字が、
ああ、特別授業なんだなぁ、と当然のことを俺の中
に思い起こさせる。
「本日の授業は……『どうして私の出番はここだけ
なのか、責任者呼んでこーい!』スペシャルです」
……スペシャルなのか。
本気で腹を立ててるのか、それともポーズだけで
演技のみであるのかは、見た目では判断できない。
シエル先輩は、すちゃ、と指し棒を伸ばした。
「はい、そこの遠野志貴くん」
棒の先で、俺を指さす先輩。
「……はい?」
まさか突然に指名されるとは思わなかった俺は、
間抜けな声を上げることしかできなかった。
何で俺なんだ?
シエル先輩の授業なら、有彦だって……。
しかし、教室には、俺と先輩しかいなかった。
「乾くんは出番すらありませんよ。可哀想ですが」
二人きり、と言うワケか?
と、そこで気づく。
……いや、教室の隅で何か白い服のボロクズみた
いな何かが転がっているが、それは自分の中の本能
が全力で見なかったことにしてしまった。
「だめじゃないですか、ゲームオーバーでもないの
に、こんなところに迷い込んでは」
……ゲームオーバー?
なにを言っているのかよくわからない。
「まあ、おかげで私の出番がありましたし、今回は
おしおきとかはナシにしてあげます」
……よくわからない人だ。
いや、以前から変わった人だとは思っていたが、
ここまで俺の理解の外の発言を繰り返すことは無い
はずだったのだが。
現在の俺の理解の内というものが、一部の分野に
深い造詣を持つことになったのも踏まえて、だが。
「仕方がないので、一撃で送り返してあげます」
「……は?」
瞬きする間に、シエル先輩の服装が変化した。
学校の制服から、黒い修道服へ。
そしてその手には、巨大なハンマー。
「……ハンマー?」
「はい」
恐らく先程の指し棒が変化したのだろうが、その
大きさは、とても先輩が片手で持ち上げている事が
信じられないくらいに巨大で重量感に溢れていた。
「これで頭を叩きます」
にっこりと笑顔で告げる先輩。
「頭って……俺の?」
「はい」
「これって……そのハンマー?」
「はい」
「そうしたら、どうなるの?」
「頭蓋骨を貫き通す衝撃で、脳髄ごと内側から……
じゃなくて、あなたが元の世界に戻れます」
「ストップ。今ものすごいこと言いましたね?」
一気に血の気が引く。
いつもの貧血よりタチの悪い寒気が俺を襲った。
冗談ではない。
このままでは殺される――!?
「あ、あれ?」
身体が動かない。
意識がはっきりしたまま貧血に襲われたような。
そんな不可思議な感覚で、俺は机に突っ伏した。
「あ、もう半分起きてるんですね、それなら苦痛も
ほんのちょっとしか感じないと思いますよ」
「ほんのちょっとってなんです、ちょっとって?」
身体が動かないのに喋ることだけは自由に出来る
というのも不思議な話ではある。
そんなことを考えている俺の視界の中、ゆっくり
と先輩は巨大なハンマーを振りかぶった。
「いっきまっすよー?」
なるようになれ。
俺は目を閉じて衝撃に備えた。
ゆさゆさ……。
「……貴、志貴、志貴ってば」
「……ん」
ゆさゆさ……。
身体を揺すられる感触。
そして俺に呼びかける声。
その二つで、俺はゆっくりと身を起こした。
目の前にはアルクェイド。
次に飛び込む俺の部屋。
「……そっか、夢か」
しかもあれ、年末番組の『知恵留さん』だし。
夢にまで見るとは思わなかった。
ご〜ん。
鐘の音。
つまり、俺が意識を失ってから、時間はそれほど
経っていないということか。
「きゅうじゅうご〜」
アルクェイドの声。
まだ数えていたのか。
……ともかく、そろそろ年明けか。
その時だ。
アルクェイドが突然俺を抱え上げた。
そのまま窓際にてくてくと歩いていく。
ぼーっとしていた俺は、為す術もなく運ばれた。
「お、おい、アルクェイド……?」
俺の言葉に笑顔で答えるアルクェイド。
そう、笑顔だけ。
言葉はない。
言葉の代わりに、窓を開ける。
そして。
飛んだ。
星が綺麗な夜だった。
息が白く色づき、そのまま破片へと砕け散る。
その息がそのまま星になったように煌めき、また
その星々は肺へと潜ってそこに宇宙を創り出す。
「いい夜だよね」
「……そだな」
俺はアルクェイドに抱え上げられたまま。
アルクェイドは俺を抱え上げたまま。
ごうごうと耳元で鳴る風の音に耳を傾けながら、
黒く涼やかな夜を切り裂いて空を舞っていた。
そして、着地。
再度、飛ぶ。
それを何度か繰り返し……。
俺たちは、そこにたどりついた。
「あんまり、無茶するなよ……」
「平気。二人きりになりたかったんだ」
俺たちにとって、いつもの公園。
冬らしく所々に雪など積もっている。
空には月が煌々と睨みを効かせていた。
ご〜ん。
「あ、ひゃくなな〜」
……まだ、数えてたんだな。
確か、俺を抱えて走っている時も、鳴っていた。
「あとひとつか」
「うん」
冬の空。
半月夜。
昏く響く108の音の下。
ご〜ん。
「ひゃくはち〜」
俺たちは。
「あけましておめでとう」
「おめでとう」
今年も、二人で過ごしていく。
きっと、今年もいい年になりますように。
/END