■ いきなり、知得留先生 / わーにんぐ
ココハドコダ、ソシテオレハダレダ……
ニゲロニゲロ、ニゲロニゲロ、ドアヲアケロー
マヒル、ニフルエナガラー♪ アー♪
ラァーーーー!
「って、いきなり何なんですか! この曲は!」
「何って、決まってるじゃん、知得留先生のテーマ」
「ふざけないでください! 誰がそんな事決めたんですか!」
「えー、だってー、ほら、この前決まったじゃん」
「決まってません!」
目が覚めて……
いきなり展開される光景に、俺は言葉を無くした。
無くすしかなかった。
先輩とアルクエイドが、目の前で怒濤のごとくいがみ合っている。
その光景はいつもの事だと言えば、これ以上ないくらい、いつもの事なんだけど……。
それより、なんで俺はこんな所にいるのだろう?
ここに来た経緯がまったく思い出せない。
確か、ここに来るのは死んじゃった時と、エンディングの時だけのはずだし。
もちろん今回はエンディングまで行ってないから……
ちょっと待てよ。
それじゃつまりアレか? もしかして俺が死んでしまったって事?
背筋に鳥肌が立った。
とにかく、現状を確認しなくては。
「二人とも、落ち着いてくれ」
俺が声をかけると、いかにも怒ってますばかり、先輩がこちらに向き直ってくる。
「落ち着いてなんかいられません! だって、地下室のメロディーですよ。しかもこの人、コレ幸いにとレンタルしてきた挙げ句、テープにとって、私が誰かと会うたびに鳴らしてるんですよ。信じられません!」
「むー、むー、先生には相応しい、ドロドロテーマで良い感じよー」
「相応しくありません! 可憐な私にはもっと別のテーマが似合います!」
「先輩! アルクエイド! 良いかげんにしてくれ、テーマが気に入らないとか、そう言うことをよりも、ここって一体なんなんだよ! なんで、俺がここに来てるんだよ!」
二人の間になんとか割り込んで、自分の意見を告げる
――なんでこんな事に、こんなに気を使わないと行けないんだろう。
先輩はふぅと溜息をついて、アルクエイドから視線を外した。
「しかたありません。この事は次回へ課題にしましょう」
「課題も何も決定にゃー」
「うるさい、そこ!」
ザクリ!
銀光が先輩の袖口で閃いたと思うと、アルクエイドの体がすっ飛んだ。
ゴロゴロと黒板の方まで転がり、彼女は動かなくなった。
てっきり直ぐに復活してきて、
「なにするのよー、この性感帯無差別淫魔狂エクソシストー」
みたいな反応が、返って来るものだとばかり思っていたのだが、予想に反して彼女はピクリとも動かない。
「あの、何したんですか? 先輩?」
「いえ、これを使って黙らせたまでです。本当は使いたくはなかったのですが、まぁ、進行の為には仕方ありません」
「えっと、ただのカレーパンに見えるんですけど……」
「何言ってるんですか! このカレーパンはただのカレーパンじゃありません。なんと、揚げたてですよ。一応月姫の世界では、即死の効果がある武器なんです」
カレーパンで即死……?
無茶を通り越して、やりすぎっていうか……それはちょっといくらなんでも、メチャクチャではないだろうか。
とってつけたような、ほとんどただの思いつきみたいな事を言われても。
それになんかさっきザクリとか言わなかったか?
「……なんで即死なんですか?」
「多分、辛いからじゃないでしょうか? 揚げたてのカレーパンは別名、千年殺しと言われる魔法のアイテムですからね。いかなお天気吸血鬼でもこの辛さには耐えられなかったのでしょう」
千年殺し……?
つまり――
――辛さ千倍?
それって……
「……一応食べ物ですよね。そのカレーパンって」
「もちろんです。美味しいですよ」
先輩は袋からカレーパンを取り出すと、あっさりとかぶりつく。
「むふ、美味しいです」
先輩は本当に幸せそうに、ハムハムと口を動かす。
辛さ千倍を食べてる……平気な顔で。
先輩に料理とか作らせたら、翡翠に匹敵するほどアレな料理が出来るのではないだろうか……
わからない。
一生わかりたくない。
「……もぐもぐもぐ」
先輩はいまだに口を動かしている。
「……」
いや、何も言うまい。
こんな人だというのは、ずっと昔に分かっていた事だ。いまさら何かを言ったところで、逆に空しくなるだけだ。
人間の価値観なんて、その人が持っているものが全てだ。
どんなものであれ――例え即死武器でも――美味しいというなら、それは放って置いてあげるのが人情と言う物。
それに今はそんな場合じゃない。
「それで先輩、なんで俺はここにいるんですか? ほら、ここってエンディングに行くか、死んだりしたときに来るじゃないですか。俺って、もしかして寝ている間に死んじゃったんですか?」
訊ねると、先輩は口の中に入っていたものを咀嚼し、にっこりと笑みを向けてきた。
「安心してください。今回は特別授業ですから。いつもは天国(地獄?)と地上の間にあるこの教室ですが、今日はちょっと趣向を変えて、夢の中での授業なんです」
「夢の中……ですか」
「ええ、夢の中です」
両手に目を落としてみて、ゆっくりと手を握ったり開いたりを繰り返してみる。
確かになんだか感触が鈍い。
それに足が地に付いていないような気がする。
全身が水の中に浮いているような感覚。
これは確かに、夢特有の身体現象と言えるのかも知れない。
「それじゃ、夢だって言うのはわかりましたけど、なんで、こんな所に俺が来たんですか?」
「ええ、それはもちろん、皆様から色んなお便りが飛んできたからです。今回の“いきなり知得留先生”は月姫の疑問や、質問を答えていこうって言うコーナーなんです」
なるほど、そう言うことか……
と、俺は納得しかけて、ふと思った。
そう言えば、こんな話作るって予定、無かったような気がする。
少なくとも、開発スケジュールには書いてなかったような……
もしかして、また制作者の気まぐれか?
うーん、でも、そんな事を言い出したら、質問のコーナーなんては話、ここに来て初めて聞いたような……
なんだか不安になってきた。
「あの先輩……これってちゃんと制作者さんの許しって得てるんですか?」
「いいえ」
きっぱりと先輩は断言してきた。
あまりにあっさり言われたために、開けた口が塞がらなかった。
「……あ、あの……それって……」
「もちろん、無断に決まってます。私の独断です」
「駄目じゃないですか! それじゃ!」
「駄目じゃないですよ。もちろん、これには制作スタッフが一切関わっていないので(オオマジ)、間違った事もあるかもれませんが、何しろこの私の言葉です。制作者の言葉と、私の言葉、全国百億人のファンのならどちらの方が真実と受け取れるでしょうか?」
「人類は百億人もいないような……」
俺は額から汗を垂らしながら、示唆する。
「まぁ、そんな些末な事はどうでも良いです。さっそく行きましょう」
先輩は、さらりとこちらの意見を無視して、カメラ目線で言ってくる。
「あ、それから、私のことはこれからは先輩じゃなくて、先生って呼んでくださいね。一応、そういう設定ですから」
「はぁ……」
しぶしぶ先輩……じゃなくて先生の言葉に頷いた。
先生はポケットの中からはがきを一枚取り出すと、さっそく読み始めた。
「では、行きますね。最初の質問、群馬県のココ、ナッツさんのお便り」
月姫とても面白かったです。
ですが、私にはどうしても疑問が残る事があります。是非ともお答えください。
アルクエイドシナリオのラストバトル。ロアとの戦闘で、ロアって一度アルクの空想具現化にやられて、足首だけになってますよね。
そこから再生したのは良いのですが、その次に志貴に渡り廊下を壊されて、下半身を潰されたシーンがあるじゃないですか。
なんでロアは再生できなかったんでしょう?
足首から(ほんの数秒で)蘇生が出来るのに、上半身がまるまる残っていた状態で蘇生が出来ないのはどういうことなのでしょうか?
納得の行くご回答をください。
「と、言うご意見ですね」
先生は感慨深そうに頷いた。
「俺もあの時は無我夢中であんまり気にしてなかったけど、あれってちょっと変だよね。一体なんでなの? 先生?」
「はい、それはですね。吸血鬼の再生原理から話をしないといけません。遠野くんは“観趾法”をご存じですか?」
「かんしほう? いいえ、初耳ですけど……」
「観趾法は二千年以上前インドで発生し、中国最古の医書である“黄帝内経”という書物に記載された、足の指を注意深く観察し、物理刺激をもって治療しようという医療技術のことです」
「はぁ……」
「その書物によると、足は「第二の心臓」といわれていて、足にはたくさんの神経や毛細血管があり、歩いたりもんだり、適度な刺激を受けると、全身の血液の循環が良くなり、細胞を活性化させると言われています」
「それが吸血鬼の再生と関係があるんですか?」
「そうです。吸血鬼が再生するときには、かならず第二の心臓である足の裏を刺激しているんです。ですから、下半身が無くなったら、再生スピードは一気に落ち込むんです」
「……あ、あの……ホントですかそれ……なんかメチャクチャ嘘臭いような気がするんですけど……大体、吸血鬼は……ヨーロッパの物だと思うんですけど……」
先生は不機嫌そうに表情を歪ませる。
「もう、本当ですよ。一九一三年に米国医師のフィッツジェラルド博士が「Reflexology for good Health」を発表して、世界の医師を驚かしたんですよ。その後、“観趾法”はヨーロッパでも盛んに研究されています。嘘だと思うなら、図書館にでも行って調べてみてください」
「はぁ……」
俺はいまいち納得できないながらも、仕方なく頷いた。
「えっとですね。ですから吸血鬼は健康サンダルをいつも履いていますし、タケフミとかは一家に一台必ず存在してます。マッサージがとても大好きです。ですから、吸血鬼を捜すときの原則は、マッサージ店を隈無く捜すことですね。実際、私がお天気吸血鬼の存在に気が付いたのも、彼女が真っ昼間からマッサージ店にいたことが理由です」
「……えっと……」
「ええ、死徒が発生した理由も実はここにあって、一人だと揉みづらいから、専属のマッサージ師として死徒が生まれたと言われています。つまり死徒はみんなマッサージが上手いんです。嘘じゃないですよ」
「あ、あの……なんだか、本編で言っていることと全然違う気がするんですけど……」
「それはそうでしょう。もし、本編で言っちゃったら、あのシリアスな雰囲気が一気に壊れちゃうじゃないですか。もっともお天気吸血鬼は自分の言っていた事が本当だと思っているみたいです。所詮は与えられた知識しかないわけですから、私のように実践で培った、経験と知識の方がよほど正確です」
「……」
「つまり、そんな訳で、ロアが再生しなかったのは、こんなことが原因なんですね。きっと、お天気吸血鬼に空想具現化を食らったときの、ロアの心中はこんな感じでだと思います……」
(回想スタート)
ノォォォォ、空想具現化だと!
流石は真祖の姫。
ぬかった。くぅ、表情では冷静を取り繕っているが、あのパワーはひじょーに不味い。
この私でも、マジで死ぬ。リアルにデッドする!
確かに、死んでもネクストがあるが、このままあっさりデットするはひじょーに格好悪い!
いかん。
ノォーグットォォッォ!
ヒールの美学的に、こーゆー半死半生のやつのアタックはくらっておきながら、後でムクムク再生して、はん、ユーのパワーはその程度ザンスか……的な行動をとらねばならん!
ならんのだ!
それがヒールのヒールによるヒールの為のヒールソウル!
足だ。そう、せめてレッグさえ、ヤツのアタックの範疇に入らねば、リヴァイバルできる!
攻撃範囲はそこわかとなくルックしている!
ぬぅおりゃーーー。レッグでろー。
おっし、足のフィンガーが出た。もうちょっとだ。
パワーを振り絞れ! ロア! 頑張れ、ミー!
こんな所で死んでなるものか!
ヒールソウルのど根性をしっかりとウイッチさせてやる!
おお、出た。アウト・オブ・レッグ! やった!
いえぇぇぇぃぃぃぃぃぃぃ……
(とか言いながらフェイドアウト)
「これが真実なのです。ええ、ロアも結構、悪人であることを大切にしてるみたいですね」
うっとりとした表情で先生は虚空を見上げた。
「メチャクチャうそじゃん! 志貴、騙さちゃだめよー、そいつめっちゃ嘘つきだからー」
「あ、アルクエイド……」
「うざいです!」
先生は銀の缶詰のようなものをアルクエイドへと投げつけた。
それは見事に、すっぽりと彼女の口の中に直撃し、きっちりと収まった。
「ほぇ……?」
アルクエイドが呻いた瞬間、缶詰の中が手榴弾のように爆砕する。ずんと腹の底に響くような音が教室に響きわたった。
その余波が突風となって俺の前髪を揺らした。
先生は勝ち誇ったように、次の弾(缶詰)を抱えてふんぞり返っていた。
像のマークのある缶のラベルにはこうかかれている。
――埋葬機関御用達インドカレー外伝。
「ふぅ、インドカレーの粉には、浄化の能力がありますからね。さしものお気楽吸血鬼も当分は黙っているでしょう」
いつの間にか、カレー粉にさらされた、アルクエイドの体が、さらさらと灰になっていってく。
「んな、むちゃな……」
アルクエイドには、直死の魔眼よりも、カレー粉の方が効くと言うのか?
いや、問題はそこではない。
「なんか今爆発してませんでした? カレー缶」
「カレーを食べて、爆発ってなんかありそうじゃないですか。それに最後は正義が勝つんだから、あまり気にしないで、良いんじゃないでしょうか?」
「いや、それはちょっと……」
「まぁ、人質を取る卑怯な怪人と、五人で怪人をリンチする正義の味方だったら、みんな正義の味方が正しいと思ってますし、まぁ、問題ないのでは?」
「……な、なんだか、違うような」
俺は半ば呆れかえりながら、先生の持っていた缶に再び注目を移した。
「でも、これって埋葬機関御用達って書いてますけど、もしかして、埋葬機関ってみんなカレーが好きなんですか?」
「いえ、なんとか私が広めよと試みているのですが、約一名、カレー導入に猛反対しているヤな人がいまして……なかなか上手くいってないですよ……。御用達というのは私が使っていますから、業者の人には一応、OK出してるんです」
シエルは力なく肩を落とした。
その嫌な人と言うのが、どうやら本当に苦手らしく、彼女は心底嫌そうにかぶりを振った。
「大丈夫ですか? 先生?」
心配になって声をかけてみると、彼女は口元を緩めた。
「ええ、もう大丈夫です。心配してくれたんですか?」
「え、まぁ……」
「そうですか。それじゃ、次に行っちゃいましょう」
「はぁ……」
「えっと、では次の質問、北海道在住、ペンネーム、リアルグットは泊まらないさんのお便りです」
こんにちわ。月姫、やらせていただきました。
では、基本的な事ですが、質問です。
弓塚のさっちゃんについてです。
いきなり吸血鬼になった挙げ句、志貴くんに問答無用でぶっ殺されてしまう、恐らく月姫中もっとも薄幸なあの少女。
彼女はなんで志貴くんの事を、『殺人鬼』だと思ったんでしょう?
その辺りの事が語られていないので良く分かりません。教えてください。
「ふむふむ、なるほど、この質問も結構多かった質問です」
「そうだよな。あの時って、俺はアルクエイドも殺してないし、全然殺人鬼って感じじゃなかったのに、なんであんな事言っていたのかずっと気になってたんだ。けど、弓塚さん死んじゃって、永久に闇の中かなぁとか思ってたんだけど」
先生はふふふと笑みを零した。
「分かりました。それでは、今回の特別ゲスト、弓塚さつきさんにお越し頂きましょう!」
ガラガラ。
「こんにちわー」
「って、わぁぁぁぁ!」
俺は教室に入ってきた人物を見て、腰が抜けそうなほど驚いて、倒れてしまった。
彼女、弓塚は不思議そうな顔でこちらを見ている。
「どうしたの? 志貴くん」
「あぁ、いや、だって……弓塚さん、俺が殺しちゃったんじゃ……」
「うふ、そんなこと気にしなくて良いよ。そこの人に呼び出されただけだから。墓の中からね」
「ええ、私がネクロな力を発揮して、えい! って感じで呼びしたんです」
にこにこと先生は、そんな事を言ってきた。
この人は、教会のエクソシストじゃないのか……
まったく。
――って、あれ? ちょっと待てよ。
「墓も何も、確か弓塚って灰になったんじゃなかったっけ?」
「……」
「……」
「……」
三者の間に沈黙が流れる。
どこかしらけたような、妙に冷たい静寂。
弓塚の方を見ると、彼女は焦ったように頬から汗を流している。
すると、いきなり先生が視線を険しくして、弓塚を射殺さんばかりに睨み付けた。
弓塚はビクリとそれに反応すると、まるで先生に怯えるように、慌てて胸を押さえた。
「なぁー、胸がクルしいぃー、志貴くんが変な事聞くから、凄くくるしぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
弓塚は辛そうに、うんうんと唸りだした。
「うぅぅー、ほんとにくるしぃー。志貴くんが、そんな事気にしないよって言ってくれない限り、きっとずっとくるしぃぃぃー。うー、志貴くんたすけてぇー」
う、なんか凄く限定した苦しみ方だ。
それに台詞が棒読みのせいか、妙に演技臭いと思ってしまうのは、俺の気のせいだろうか?
弓塚はちらちらとこちらを伺ってくる。
目が合うと直ぐに苦しそうな顔をするが、何故か割と平気そうな気もしなくもない。
なんとなく、俺が気にしないよって言わない限り、本当にずっとこれを続ける気がする。
早く許して、じゃないと私、先生に変な逆恨みで殺されちゃう。
アイコンタクトで、彼女がそう言っているように感じるのは何故だろう?
「わ、分かった。とりあえず、夢の中だし、細かいことは気にしないよ」
「ありがとう! やっぱり志貴くんはいい人だね。私が好きになっただけはあるよ」
弓塚はケロリと笑顔を作ると、目をうるうるさせながら、こちらの手を掴んでくる。
死体のように手が冷たかったりするが、それもやっぱり気にしてはいけないのだろうか。
「はいはい、それではそろそろ理由を教えてくれませんか? 弓塚さん」
「はーい、わかりました先生」
遠い過去を思い返すように、彼女は瞳を閉じた。
「そう、あれは志貴くんが遠野の家に引っ越してから、二日目の日の事――」
あの日、私は毎日の日課で、志貴くんの寝顔を見に行ったの。あ、実は誰にも内緒なんだけど、私、実は忍術かじってて、忍び込むとか凄く得意なんだ。え? なんで忍術なのかって? それはもちろん志貴くんを見るため。大好きな志貴くんをいつも見ていたいから、甲賀の里に行って、一週間の体験授業を受けてきたの。それはもう本当に辛い修行だった。けど修行の成果もあって、私はどんな所でも直ぐに潜り込める凄腕になった。
それからは毎日志貴くんの事を見てた。志貴くんは鈍いから気づかなかったと思うけど、一日のうち、十八時間くらいは見てた。お風呂の時も、着替えの時も、寝るときも、いつもドキドキしながら見てた。
でも、特にドキドキするのが志貴くんが一人エッチしてるとき。最初はビックリしたけど、どんな事を想像してしてるのかなぁとか思ったら、ほんと胸が高鳴った。私の事を想像して欲しいとか思ったけど、やっぱり、そんなことを考えるはちょっと恥ずかしくて……。でも、やっぱり、想像してほしいなー。なんちゃって。
エヘ、だけど私ウブだったから、そんなこと言えるはずもないね。
え、どうしたの志貴くん、そんな怖い顔して。
プライベートの侵害? ストーカー条例適用? んー、良く分からないな。そう言うことは、まぁ、良いよね、愛だし。
あぁ、ごめんなさい。話がそれちゃったね。
それでね。そんなわけで、あの日も志貴くんの事見てたの。
それは志貴くんが遠野の家に来て、二日目の事。
あの日も志貴くんは普通に登校しようとしていたんだけど、お手伝いさん? 割烹着を着た女の子に呼び止められたの。
なんだか、良く分からなかったけど、志貴くんは箱を渡されたわ。どうやらそれは死んだお父さんの形見だったみたい。
だけど志貴くん、そっけないそぶりでこんな事を言うの。
「まぁいいや。琥珀さん、これ部屋に置いておいて」
それで私思ったの。志貴くんは形見とかそう言うのに興味ない人なんだなって。
もちろん、その事はさっちん秘密メモに書き込んだわ。今まで、志貴くんの秘密が事細かに記してある手帳よ。この前、一度無くして大変だったんだから。その後、乾くんが見つけてくれて……ってまた話が逸れたね。
えっと、どこまで話たっけ? あぁ、そうそう箱を部屋に戻してくれまでだったね。
うん、それからね。その琥珀っていうお手伝いさんが、その箱を開けて欲しそうな目で見てるの。志貴くんは優しいから開けて上げるとね、中からなんだか、鉄の棒みたいなのが出てきたの。
でね、知ってると思うけど、それはナイフだった。
へー、そうか。ナイフが形見なのか、珍しいなと思ってた。
それでね。
「ま、もらえる物はもらっとくのが俺の信条だし」
そう言って、志貴くんは――
いきなりナイフをポケットの中にねじ込んだの。
アレって思った。
だって、そうでしょ? 一瞬前まで「部屋に置いておいてくれ」って言った物をナイフだと分かった瞬間ポケットの中にねじ込んだの。
普通ナイフなんて持ち歩かないよね。
し・か・も、あのナイフ凄くでかいよ。
殆ど“ドス”。って言うか私には“ドス”にしか見えなかった。やくざやさんが、おらぁ、タマとったる! とか言うときに使うアレ。
飛び出しナイフだとしても、ポケットの中に収まるのかどうかも妖しいくらい大型のナイフ。どの辺りが果物ナイフなのかちょっと判断に苦しむくらい。
そんなでかいナイフをわざわざ持ち歩こうって言うんだから……
それが、つまり――
「志貴くんが、殺人鬼の証拠なの!」
弓塚はしてやったりとばかり、こちらに指を突きつけてきた。
「って、そんな分けないじゃないか! ナイフを持ち歩いたら、殺人鬼なのかよ!」
「だって、最近じゃ、ナイフ持ち歩いてただけでお巡りさんに捕まるよ。職務質問対象者危険人物ブラックリスト入りだよ」
「そ、それはそうだけど……」
「ほら、やっぱり!」
「違う! 俺は刃物を収集する癖があるだけだよ!」
「へー、刃物マニアだったんですか。遠野くんは」
俺は嫌そうに、そちらに目をやる。
「マニアって言わないでください……先生……」
「でも、ホントに凄かったんですよ。志貴くんの刃物を見たときの目って、ぎらーんって感じで、今にも人を殺しそうな勢いだったもの」
「ゆ、弓塚さん……それだけで、人を殺人鬼にしないでよ……」
「まぁ、それが私が、志貴くんを殺人鬼だって思った理由だよ」
俺はなんだかやるせなくなって、脱力する。
まぁ、結局は勘違いだった訳だし、別にどんな勘違いをするかは、その人の自由だし、別に良いんだけど……
「俺ってそんなに危険人物に見えるのかなぁ……」
はぁ、と大きく溜息をついた。
と、その時、黒板の方からパタパタとアルクエイドが駆け寄ってきた。
「志貴ー、騙されてはいけないよー。こいつらグルだよー。このさっちんは操られているだけだよー。シエルに騙されちゃ駄目だよ!」
「遠野くん」
「なんですか? 先生?」
先生は楽しそうに笑う。
「ちょっとだけ、目をつぶっていてくれませんか?」
「え?」
「ええ、十八歳未満の方には、ちょっとお見せできないものがこれから展開されますから」
「……え、えっと、あの、それってもしかして……」
「あ、もちろんえっちな事じゃないですよ。ふふ、期待しました?」
「してませんけど、先生……。服の裾から、なんか痛そうトゲトゲとか、銃口とか、変な色の薬品ぽい瓶とか出てるのはどういう事なんですか?」
「これは乙女の必需品ですから」
「……」
「じゃ、そう言う事で」
「あ……」
先生は俺の目にアイマスクを付けると、ステップを踏むように、教卓の方に歩いていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――数分後
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
先生の許しを得てアイマスクを外すと、部屋の中はちょっぴり派手目に壊れていた。
その隅っこの方で、アルクエイドは何故か、頭を壁にめり込ませている。
棘のついた妙に痛そうな形の十字架が、アルクエイドの背中を貫通して、そのまま床に突き刺さっていた。
アルクエイドはそのまま身じろぎ一つしない。
……
死んだかな?
「さて、では次の質問に行きましょうか」
「あ、あの……先生……ああ言うのは少し酷いような気がするんですけど……」
見てて凄く痛そうだ。
「は? ああ言うのって何がですか?」
ニコニコと先生は笑みを返してきた。
「いや……えっと、やっぱり何でもないです……」
力がないということはいつだって、暴力に屈すると言うことなのかも知れない。
まさしく真理か……
やな、真理だ。
「えっと、次は、東京都在住の偽きのこさんからのこんなご意見」
にゃー、秋葉可愛いのラー。
とっても、かわぃぃ、得る、王、武威、胃ー、ラブーなのらなぁー。
特にちっこい時が、とってもぷにで、萌え萌えらー。
なぁ、お兄ちゃんと言われたいのらぁ、あきはぁー
あきはぁー。
あぁ、体罰受けたいのらぁぁぁぁー!
「……」
俺は流石に二の句が告げれなくて、沈黙していると、先生はケロリとした様子で、顔を上げた。
「凄く元気な方ですね」
「って、それ以前にやばいですよ先生! この人、言っている事がわけわかんないし。大体質問じゃなくて、ただの魂の叫びじゃないですか!」
「まぁ、そうですけどね」
「だいたい、ぷにとか、萌え萌えとか……どこの言葉なんですか?」
「えぇ!? 遠野君、知らないんですか?」
先生は心底驚いたように、眉をつり上げた。
「知りませんよ。そんな言葉」
生まれて初めて聞いたのだ。知っているはずがない。
「駄目ですよ。遠野くん。この世界に生きている以上、その辺りの知識は必須条件です。時代に乗り遅れちゃいますよ」
「そう言われても……」
「分かりました。ここは遠野くんに正しい知識を教えるために、私が一肌脱ぎましょう。では良いですか?」
先生は、こちらにずずいと顔を寄せてくると、真剣な顔で続ける。
「えっと、それじゃ、お願いします」
勢いに押されて、俺は不承不承頷いた。
「それではまず、“ぷに”から解説しましょう。ぷにと言うのは、いわゆる“ぷにぷに”の略です。ほっぺたがぷにぷにしていると言う意味があります。語源は十六世紀の“ぷにんせすまりあ”。基本義は頬がぷにぷにした子どものことで、男女の性別は問わいませんが、逸般には幼女に限定して使われることが多いです。
もともとは“プティット・ニンフォマニア”(Petite nynphomania:小さな色情魔)の略だったんですが、現在はその意味で使われる事は殆どありません」
「あの……そんな奥が深いんですか?」
「えぇ、もちろんです」
先生は当然のように頷くと、解説を続ける。
「逸般的には、幼女、幼女偏愛趣味者や趣味そのものを指します。基本的に“ロリ”よりも年少の幼女を指すことが多いようです。年齢的には、幼稚園児〜小学校低学年程度が標準的ですね。
逸般系ネットではロリよりもぷにのほうが使用頻度が高いのは、その趣味の人が多いことを意味しています。
ぷにとロリータの違いの考え方は人により様々ありますが、ロリータは性欲対象であるのに対し、ぷには性欲対象ではなく、単なる愛玩対象である。というのが大方の見解だそうです」
「……」
なんとなく、圧倒されてしまった……
いや、なんと言うか、入ってはイケナイ領域と言うのがここあると確信させられた。
それは踏み入れてはいけない、絶対領域。
一度踏み入れたらもう戻って来れなくなる。果てしなく深い底なし沼。
「それで、次は萌えなんですが――」
「い、いや、先生、別にもう良いです」
「まぁまぁ、そう言わずに」
先生はこちの頭を無造作に鷲掴みにすると、凄まじい圧力を加えてくる。
なのに顔は笑顔、さらに恐怖が加速していく。
「では、次は萌えですが……」
彼女はこちらに手に持っていた教科書のような本を開いて見せてきた。
「これを読んでください」
萌える [もえる] (violent love; I’m loving fervently it) 〔一段動詞/@感情〕
非常に熱狂的な様子。愛していること。壊れている人が、“熱狂的に愛してる”という意味で用いる用語。よって、“〜”などを伴って叫び声として用いる事も多い。
俺はついそこに書かれてある文字を朗読した。
「これが埋葬機関の教典に載っている正式な形式です。“萌え”の語源は数説ありますが、かつてなかよしで連載されていた、あゆみゆい著作“太陽にスマッシュ”の主人公、高津萌である説と、NHKの番組“天才テレビくん”内で放映されていた“恐竜惑星”のヒロイン、鷺沢萌である説が有力です」
い、いけない。これ以上聞いていたら、良く分からないが取り返しのつかない事になる。
頭がおかしくなる。それこそ溶けてしまいかねない。
逃げるんだ。
逃げないと染められる。
だが、先生の手はこちらの頭を掴んだまま放さない。洗脳される。
洗脳されてしまう。
墜ちてしまう。
そうなったら、もう戻って来れない。
一生日の当たる場所には帰って来れない。
駄目だ。帰らないと……そんなの駄目だ。俺はまだ墜ちたくない。
「そこまでよ! シエル! もう、これ以上あんたの好きにさせないわ!」
顔を上げると、教卓の上にいつの間にか復活していたアルクエイドが立っていた。
四頭身ではなく、ちゃんとしたいつもの姿で。
「む、邪魔をするつもりですか? せっかくこれからが良いところなのに……」
「長いのよ。そろそろお客さんも飽きてくるころよ!」
「いいえ、そんな事はありません! 私のこうした地道な布教活動をすることによって、多くの信者が私たちの所に来てくれるはずです!」
「何が多くの信者よ。私、あんたの所の教典見たことあるのよ。『初夜』の所になんて書いてあったと思う? 志貴?」
「初夜って……え、っと」
俺が顔を赤らめていると、アルクエイドは目を厳しくして告げる。
「萌え萌えなキャラクタの抱き枕を買った後、初めて使う夜のこと。何に使うかは、依然闇の中である。とか書いてるのよ! こいつらの教典には!」
「げっ……」
流石にちょっと引いてしまった。
「だから、あんたの所の教典を吸血鬼が読んだら、溶けるか、灰になるか、あたまぶっ飛んだりしちゃうのよ!」
「な、何が悪いんですか! 実際そういう信者がたくさんいるんです! アニメやゲームはこの日本で最大勢力を誇る宗教です。お布施だって一杯もらえますし、不況知らずの根強いパワーを持ってるんです!」
「そう言うのを洗脳って言うのよ!」
「私たちはみんなが幸せになるための活動をしているだけです!」
「現実逃避よ! そうして、後はお金を巻き上げようって言うんだから、凄く質が悪いわ。大体ペラペラの設定資料集に五百円も取るなんてどうかしてるわ!」
「そ、それは需要と供給というやつで、本人たちも満足してるんです! 私たちが今更、何を言っても、しかたありません!」
二人はそのまま強く見つめ合った。
既に、方向性は完全に違うところに来ている。
最初は月姫の分からないところの回答じゃなかったのか?
そんなことは既にどうでも良いのか?
何はともあれ、騒げれば良いのか?
この人達は?
「やはり、あなたとは一度本気で決着を付ける必要があるみたいですね」
「……そうね。シエル……」
二人の間に巻き起こった空気が硬質化していく。
重いコンクリートの中のような、そん形になるほど流動的な空間。
「さっきまでは、大人しくしていたけど……今からはそうはいかないわ!」
「返り討ちにしてあげます!」
二人は舞うと、問答無用で戦い始めた。
すでに、全ての事象が破綻している気がする。
いきなり知得留先生の授業はもう終わりなのか?
いや、良いのか?
こんな適当な終わり方で……
山なし、オチ無し、意味なし……
頭文字を取って、やおい。
あぁ、いけない。また一つ、余計な知識を手に入れてしまった……くぅ。
「死ねぇ! シエル!」
「浄化されなさい! 滅殺!」
こうして、不毛なバトルは延々と続いたそうな……
いきなり知得留先生。
授業続行不可能につき………………了
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