「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ
『夏祭り(琥珀)』
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夜になった。
息苦しくなるほど暑かった日中の面影は薄く、どこか寂しげだった夕暮れを過ぎて、街はじんわりと汗ばむぐらいの暑さになった。
乾いた風が、じっとりと汗をかいた肌を冷やしていく。
日が落ちれば夏の装いは薄れ、夜は穏やかな秋の足音を感じさせた。
―――――明日、お祭りに行こう。
普段から忙しい琥珀さんを誘ったのが昨日。
琥珀さんは笑顔で了承してくれて、今日は朝からずっと働き尽くめだった。
もちろん俺も出来るかぎり掃除を手伝った。
そうして夕方、日が落ちてお祭りの時間になった。
□遠野家屋敷
【琥珀】
「お待たせしましたー!」
やってくるなり、琥珀さんははにかむような笑顔。
「――――――」
俺はと言うと、琥珀さんの浴衣姿に目を奪われて放心していた。
【琥珀】
「志貴さん? どうしたんですか、急に目を白黒させてしまって」
「い、いえ、なんでもないです。ただその、琥珀さんの浴衣姿が、その」
あんまりにも可愛くて息を呑んだ、とは言えなかった。
「おかしいですか? わたし、普段から着物ですからそう違和感はないと思うのですけど」
本気で琥珀さんはそんな事を言っている。
「お、おかしい筈なんてないでしょう! 琥珀さん、すごくいいです。そんな今の琥珀さんがおかしかったら日本の着物は全部ダメですっ!」
あ。思わず、拳をあげて力説してしまった。
【琥珀】
「あは、それは言いすぎですよ志貴さん。けどそう言ってもらえると嬉しいです」
琥珀さんは照れたように笑う。
「う―――――――」
桜色の浴衣、という事もあるのだろうか。
普段は落ち着いた着物のせいか、今日の琥珀さんはとても幼く見えて、琥珀さん、と呼ぶのにも抵抗があるぐらいだ。
【琥珀】
「それでは行きましょう志貴さん。お祭り、もう始まってしまいますよ」
琥珀さんは俺の背中を押すように声をかける。
「あ―――うん、分かってる」
いつにも増して元気な琥珀さんに促されて、二人して屋敷を後にした。
□石段
――――高台からは祭囃子が聞こえてくる。
長い階段。
からん、ころん、と響く琥珀さんの下駄の音。
まわりには俺たちと同じように神社を目指す人たち。
上から届いてくるのは祭囃子だけでなく、人々の賑わいや屋台の料理の匂いも混ざっている。
花火までにはまだ時間があるのだろう。
お祭りは始まったばかりという所だった。
【琥珀】
「志貴さん、こちらのお祭りは初めてですか?」
「いや、有間の家に行ってからは毎年来てるよ。まあ、たいていは都古ちゃんのお守りだったからお祭りというよりは戦争って感じだったけど」
「そうですか。わたし、こういうのは初めてなんです。お祭り自体は二度ほど足を運んだ事があるんですけど、こうして中に入るのは今日が最初になります。それが志貴さんと一緒だなんて、もうこれ以上は望めないほど嬉しいです」
琥珀さんの声は弾んでいる。
「そっか。それじゃ今日は琥珀さんをエスコートしないといけないな。初めてのお祭りなんだから、いい思い出にしないとね」
「はい、頼りにしていますね、志貴さん」
にっこりと笑いかけてくる琥珀さん。
……むむ、これは責任重大だ。
□神社
境内は人で溢れかえっていた。
神社まで列になっている四十もの露店、隙間なく流れていく人波。
大声で話し合わないと声が聞こえないぐらい、騒々しく賑やかなお祭りの夜。
「琥珀さん、とりあえずどうしよっかー!」
傍らにいる琥珀さんに話しかける。
【琥珀】
「志貴さんにお任せしますー! あ、けどワタアメというものを食べてみたいです、わたし」
「オッケー! それじゃ付いて来てー!」
人込みをかきわけて歩き出す。
琥珀さんはカタカタと下駄を鳴らして付いて来た。
□神社
そんな訳で、琥珀さんと一緒に露店巡りをする事になった。
琥珀さんは店を見ているだけで楽しいのか、あまり買い物はせず俺の後に付いて来る。
……が、それもここでは一苦労だ。道が狭いのか、あんまりに人が多いのか。
数メートル歩くだけで琥珀さんとはぐれそうになるのは如何ともしがたい。
それでも琥珀さんはとても楽しそうだ。
さっきから笑顔のまま、わー、とか、きゃー、とか、子供のようにはしゃいで、ともかく今まで見たこともないぐらい上機嫌である。
「ねっ! 志貴さん、お願いがあるんですけど」
と。声が聞こえるように、琥珀さんはぴったりと寄り添ってきた。
「はい? なんですか琥珀さん?」
【琥珀】
「はいっ―――あのあのっ、志貴さん、手を繋いでいいですか?」
顔を赤くして、そんな、こっちからお願いしたいような事をおねだりしてくる琥珀さん。
「―――――――――」
ぼっ、と自分の頬が赤くなるのが分かる。
「そうですね。手を繋いでいればはぐれる事もないですから」
それでも勤めて冷静に振舞って、ぎゅっと、琥珀さんの手を握り返した。
□夜景
そうして、夜空には幾つもの花火が打ち上がっていく。
神社の裏手、街を一望できる高台で琥珀さんと空を見る。
【琥珀】
「うわあ、すごいです! 志貴さん、今の花火みましたか!? ぱらぱらぱらって、本当に柳みたい!」
「見た見た。こっちまで降ってきそうだったね、今の」
「はいっ! とってもキレイで怖いぐらいです!」
そうは言うけど、キレイなのは花火だけじゃない。
俺は花火を眺めながら、横で嬉しそうにはしゃぐ琥珀さんを眺めている。
【琥珀】
「志貴さん? どうしたんですか、さっきから黙り込んでしまってますけど」
ご気分が悪いんですか? と心配してくれる琥珀さんに、いや、と首を振って答える。
「そういうんじゃないんだ。ただ、少し後悔してる。琥珀さんがこんなに喜んでくれるなら、もっと早くいろんな所に連れていってあげれば良かったって。
夏はもう終わりなのに、本当にいまさらって感じだけど」
うなだれて、そんな事を口にした。
それを。
「――――もうっ。なにを言っているんですか、志貴さんらしくない」
琥珀さんは、笑顔で簡単に吹き飛ばしてしまった。
「確かに夏は終わってしまいます。けど、そんなことはどうでもいいじゃないですか。夏の次は秋がありますし、その次は冬です。
……それでも、志貴さんがどうしても夏がいいというのでしたら、それだって―――」
□夜景
あっとう間に、次の夏がやって来ますよ。
そう琥珀さんが言って、ぱあん、と一際大きな花火が上がった。
「あ、ほら志貴さん! スターマインですよ、スターマイン! 見なくちゃ見なくちゃ!」
ぐい、と俺の頬を両手で挟んで、強引に夜空を見上げさせられる。
そこには―――
□花火
確かに、見逃すのが損に思える程、美しい火花が散っていた。
「ほらキレイでしょう? せっかく花火を見に来たんですからちゃんと見ないと失礼ですよ。ただでさえ一瞬で終わってしまうものなんですから、わたしたちが覚えていてあげないと花火さんたちも残念がっちゃいます」
微笑む琥珀。
その笑顔は本当に無邪気で、彼女は心の底から、この一瞬だけのお祭りを楽しんでいるようだった。
「――――そう、だね。すぐに消えてしまうものなら、それこそ―――」
「はい。思う存分、悔いが残らないように楽しまなければ勿体無いです」
――――ああ、本当にその通りだ。
後の事も先の事も、悔やむ暇があるのなら今を楽しまなければ勿体無い。
この花火が途絶えて、お祭りが終わって、夏が秋に変わろうとも。
こうしているかぎり、また会える時だってくるのだろうから。
「―――まいったなあ」
散っていく一時の花を見上げて、ぼんやりと口にした。
「はい? まいったなあって、何がですか?」
そんなのは決まっている。
まいってしまう物があるとすれば、それはこの暑い夏と、傍らに居てくれる――
「うん。俺、ホントに琥珀さんが大好きだなって」
いつも笑顔で、俺を叱り、許してくれるこの人だろう。
「―――――――」
琥珀さんは息を呑んで黙ってしまう。
この人は与えられる事に馴れていないので、こんなふうにはっきりと気持ちを伝えると照れ照れになって困惑してしまうのだ。
「――――――ふふ」
そんな所も、まいっている要因の一つだったりする。
「琥珀さん。夏が終わったら、さ」
次は何処に行って何をしようか、と問いかけて口を閉ざした。
ぱあん、と、夜空には大輪の花。
まだ夏は終わっていない。
残ったこの季節、悔いを思わないようにこの人と駆け抜けよう。
お祭りはこれで終わり。
今まで、そしてこれからもありがとうと、声にならない声でお礼を言った。
―――そんなワケで、このお話しはここでおしまい。
けれど幕が落ちたワケでもない。
まだまだ新しい瞬間があって、
もっと幸福な時間を重ねなくてはいけないから。
お祭りが終わっても続くものだってある。
さあ。朝になって目が覚めれば、また新しい日が出会いを待っている――――