「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ
『夏祭り(翡翠)』
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夜になった。
息苦しくなるほど暑かった日中の面影は薄く、どこか寂しげだった夕暮れを過ぎて、街はじんわりと汗ばむぐらいの暑さになった。
乾いた風が、じっとりと汗をかいた肌を冷やしていく。
日が落ちれば夏の装いは薄れ、夜は穏やかな秋の足音を感じさせた。
お祭りに行こう、と翡翠を誘った。
今日は花火大会がある日で、街ではお祭りが開かれる。お祭りが開かれる場所は数ヶ所あったが、花火が一番近くから見れる、というコトで街外れの神社を選んだ。
街を一望できる高台の神社はその周りが田園という事もあり、街中でのお祭りより人込みが少ない。
人込みが苦手な翡翠でも、そこなら気兼ねなく楽しめると思ったのだ。
□田んぼ
あぜ道を歩く。
遠くから祭囃子が聞こえてくる。それは前からではなく後ろから。
虫の声と夏の風の中、俺たちはまだ始まったばかりのお祭りに背を向けていた。
【翡翠】
「志貴さま。今からでも遅くはありませんから、お戻りになられてはいかがでしょう。わたしでしたら一人でお屋敷まで帰れますから」
「いいって、翡翠が帰るなら俺も帰る。二人でお祭りに行こうって言ったんだし、さっきので十分楽しんだしさ」
「……申し訳ありません。わたしがいたらぬばかりに、せっかくのお祭りを台無しにしてしまって」
翡翠は暗い面持ちで俺の後についてくる。
祭りが開かれていた神社の境内。
そこまで足を運んで、三十分ほど人波に紛れていたら翡翠が顔を青くしてしまった。
なれない人込みに当てられたのだろう、翡翠は屋敷に戻るから俺一人で祭りを楽しんでほしい、と言ってきた。
……そんな事はさせられないし、一人でいてもつまらない。
そういった訳で、花火の開始を前に二人して屋敷に戻る事になったのだ。
【翡翠】
「……………………」
俺に申し訳ないのか、元気のない顔で歩いている翡翠。
「翡翠、まだ気にしてるの?」
「……はい。せっかくお誘いいただけたのに、志貴さまにご迷惑ばかりかけてしまって。……やはり屋敷で志貴さまのお帰りを待つべきだったと後悔しています」
「迷惑なんてかかってないよ。むしろ今年は今までで一番楽しかった。……まあ、けど翡翠がつまらなかったっていうんなら、謝るのは俺の方かな」
「―――――――――」
言われて口元に手を当てる翡翠。
「ごめんな、子供の頃から翡翠とお祭りに行くのが夢だったから無理を言っちまって。迷惑ばかりかけてるのは俺の方だ」
「いえ、そのような―――そのような事は、決して」
「そっか。なら、翡翠は楽しかった?」
翡翠の横にならんで、その顔を覗き見る。
「………………」
翡翠はしばし言葉を呑みこんだ後、
【翡翠】
「―――はい。わたしも楽しかったです、志貴さま」
そう、柔らかな笑顔で言った。
――――そうして、二人であぜ道を歩いた。
神社から離れれば離れるほど静かになり、虫の声だけが響く夜道。
アスファルトで舗装されていない土の道を、二人だけで歩いていく。
「……ああ。なんか、こういうのも」
風情があっていいなあ、と背伸びをしながら呟く。
そんな俺の仕草がおかしかったのか、翡翠はくすりと笑った。
【翡翠】
「そうですね。わたしもこういうのは好きです」
……揺れる髪。
今にも消え入りそうな、けれど胸にいつまでも残るような笑顔。
その顔を見れただけで、もう何もいらなくなった。
「翡翠。屋敷に帰ったら花火をしようか。線香花火とか買っていってさ」
「……はい。ですがおかしな花火の使用は控えてくださいますようお願いします。お屋敷の森に火がついては大変です」
「あはは、大丈夫大丈夫、そんな派手なの買っていかないから」
二人で笑い合いながら道を行く。
―――その道が、いつまでも続いていればいいと。
空を仰いで、益体もない事を考えた。
【翡翠】
「志貴さま……? いかがなされたのですが、急に立ち止まられて」
「え―――いや、ちょっと惜しくなって。もうじきこの道も終わりだろ。そうしたらいつもの街に戻っちゃうからさ。……せっかくお祭りなんだから、もう少しこうしていたいなって思っただけ」
「……………………」
「ああ、そんな意味じゃないんだ。屋敷に戻れば戻ったで違う楽しさがあるから、別に戻りたくないわけじゃない。
ただ、なんていうか―――今年の夏も、これで終わりだなって」
「……………そうですね。じき、夏も終わりです」
しんみりとした感傷に囚われて、俺たちはあぜ道で立ち尽す。
□田んぼ
そうして。
暑かった夏を締めくくる、終わりの祝砲が上がった。
「――――――あ」
「翡翠、空だよ空」
そうして二人で一緒に、海の中にいるような田園の中から、満天の夜空を見上げた。
□花火
「――――――――――」
息を呑む音。
……すぐ近くからあげられているという事もあり、花火は街中から見る物とは違っていた。
様々な色彩。
鼓膜を震わせる火薬の音。
夜の闇に広がり、弾け、消えていく火の花々。
数え切れない程のながれ星。
赤い、天の河にいるような、そんな一瞬。
「――――綺麗、ですね」
翡翠の声に頷きだけで答える。
夜空を染め上げる炎は一夜かぎり。
だっていうのに、あまりにも美しくて忘れる事のない一瞬。
そんな偽りの永遠を、今まで毎年見上げてきた。
「……志貴さま、あの」
「ああ、今日はここでお祭りにしようか。花火が終わるまでこうしていよう」
「―――――――――」
はい、と答える翡翠の声。
道に腰を下ろす事もなく、二人でその瞬きを見上げる。
―――――それも、きっと一瞬のこと。
煌いては消え、また煌く星と同じ。
こうして二人でいられる事がずっと続かないように、この光景も、いつかは終わる。
それは忘れないだけの、忘れられないだけの、偽りの永遠だ。
それでもかまわない。
なんでもない一日、輝いていた瞬間を積み重ねていけば、いつかは偽物だって本物になる時が来るだろうし。
……いやいや、そんなコトなんてどうでもいいか。
なにより今、こうしている時間がとても幸福なんだから、難しい事は置いておこう。
「―――ああ。本当、綺麗だ」
ぼんやりと呟いて、傍らにいる翡翠の肩を寄せた。
「………………」
翡翠は何も言わず、ただ手の平を重ねてくる。
その指に応えて、ただ、最後まで星を見上げた。
花火が上がる。
暑かった夏が終わる。
けれど季節が巡ればまた出会える事もある。
だから惜しむ事なんて、本当に何一つないんだろう。
――――そうして、長い長い夏が終わった。
それじゃあ、また縁があったら。
来年の夏も、君と一緒に。