「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ
『夏祭り(秋葉)』
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虫の声が聞こえる。
日中目が眩むほどだった暑さは、日が落ちる事で幾分涼しくなってくれた。
夏もじき終わりなのか。
夕暮れ頃から吹き始めた風は穏やかで涼しく、華やかでありながら、どこか寂しい趣きを運んでいた。
□遠野家屋敷
―――お祭りに行こう、と言い出したのは俺だった。
八月後半、今日は花火大会がある日だった。
街はずれにある神社では花火に合わせてお祭りが開かれる。この街に住んでいるのなら、それはもう定番とも言える夏の風物詩だ。
……ただ、それは遠野家の人間にとっては必ずしもそうではなかったと思う。
名家というプライドの為か、遠野家の者は街のお祭りには足を運ばない。
俺も秋葉も子供の頃から、ただ遠くに打ち上げられる花火を眺めているだけだった。
ただそれも八歳までの話。
遠野志貴は有間の家に行き、俺にとって神社のお祭りは夏の締めそのものになり。
秋葉は屋敷に残されたまま、独りで遠い花火を眺める事になった。
……だからだろう。
この街に住んでいながらお祭りを知らない秋葉を、あの神社に連れて行こうと思い立ったのは。
「――――――に、しても」
遅い。
先に外で待っていてほしい、と言われてからもう一時間。
別に待たされるのは苦痛ではないけど、そろそろ出ないと花火に間に合わなくなる時間帯だ。
「―――――――――」
ぐるぐると屋敷の庭を回る。
今か今かと待ち焦がれた頃、
「すみません兄さん、お待たせしました」
と、背中に秋葉の声がかけられた。
「こら、お待たせしました、じゃないだろう。お祭りの時間は知ってるんだから、準備があったのならもっと早く―――――」
【秋葉】
……もっと、早く、準備をして、だな。
「はい? なんですか兄さん? そんな、白昼からお化けを見てしまったような顔をされて」
「ぁ―――――――いや、謝ったから、いいや」
どくん、と高鳴る心臓の音を隠すように視線を逸らす。
「それより秋葉、おまえ―――その髪、どうしたんだ」
「これですか? 単に浴衣に合わせて変えてみただけですけど、おかしいですか?」
笑顔で問い掛けてくる秋葉。
「バ――――――――」
ばか、そんなわけないだろうっ……! などと、叫びたくなるのをぐっと我慢。
だいたい、似合っていなかったら質問なんかしないのだ。
今のは、その。ようするにあんまりにも別人のように可愛く見えてしまったから、つい口が滑ったと申しましょうか―――
【秋葉】
「兄さん? どうしたんですか、先ほどから様子が変ですけど。……こんな事は口にしたくないけど、まさか今になってキャンセルする、なんて事はありませんよね?」
可愛かった笑顔が一転して、いつものツンケンした秋葉に戻る。
「ああいや、別になんでもない。一時の気の迷いだから気にするな」
おかげできっぱりと返答できた。
「ふうん。気の迷いって、何に迷ったっていうんですか兄さんは?」
「あはは、そんなの決まってるじゃないか」
あれだよ、と遠くの空を指差す。
地平線には半ばまで没した太陽。
まあ、ようするに。
この季節、気が迷うとしたら大抵はあのクソ暑い太陽が原因だろうと言いたかった訳である。
□石段
神社へと続く階段。
まわりには俺たちと同じように、お祭りを目指している人たちの姿がある。
からん、ころん、からん、ころん。
軽やかな秋葉の足音。
まだもう少し先という神社からは祭囃子が聞こえてきている。
吹く風は乾いていて、汗ばんだ体を少しだけ冷ましてくれた。
【秋葉】
「へえ、この街にこんな所があったんだ。場違いな高台があるからヘンだなあって思ってたけど」
落ち着いた様子で秋葉は階段を上っていく。
初めてくる場所なのに堂々としているのは秋葉らしいのだが、心なしかその歩幅はいつもより広い。
おかげでさっきから息をあげて追いつかなければならない程だ。
「ちょっと待った。もう少しペースを緩めろ秋葉」
先行する秋葉に声をかける。
秋葉はくるりと振り向いて、
【秋葉】
「もう、だらしないですね兄さんは。普段から鍛えていないからそういう事になるんです。この程度の階段で息をあげるなんて恥ずかしいと思いませんか?」
なんて、俺以上に息を乱しながら言いやがった。
「……まあいいけど、別にそんな急ぐ必要はないんだぞ秋葉。ここまでくれば花火だって近くで見れるんだし、お祭りだって逃げないんだから。まあ、秋葉が神社に一秒でも早く行きたいって気持ちは分からないでもないけどさ」
まったく子供なんだから、と視線で秋葉をからかってみる。
「なっ―――――わ、私は別に、そんなに祭りが楽しみというわけでは―――」
「そう? ならこのあたりで陣取ろうか。花火を見るだけなら、むしろココのほうがくつろげるし」
「そんなのダメです……! 兄さんは私と一緒にお祭りに行くんですから!」
くわっ、と気合をいれる秋葉。
「あ―――――」
ついで、自分の行動を悔いる秋葉。
「ほらな。いいからあんまり意地を張るなよ。今日はお祭りなんだから、のんびり行ったほうが楽しいに決まってる。大丈夫、別に慌てなくても秋葉の前から消えたりしないから」
【秋葉】
「………………ふんだ。そんなの、言われなくても分かってます」
そう呟きつつ、大人しく俺の横に下りてくる秋葉。
俺たちはそのまま、からんころんと下駄の音を響かせて境内へと上がっていった。
□神社
―――――境内は、まるで別世界のようだった。
大小様々、思い思いのライトで照らされた露店の列。
道に溢れかえらんばかりの人波に、耳に懐かしい祭囃子。
所々にぶら下がった提灯は淡い光を放っていて、境内は夜でありながら夜でないような、そんな賑やかな夜に包まれていた。
「―――――――」
境内に上がってくるなり、秋葉は息を呑んだようだった。
けれどそれはお祭りの賑わいに圧倒されての物ではないと思う。
俺たちはいつまでも子供ではない。お互い学校に行って、色々と楽しい事を知っている年頃である。
だからこのぐらいのお祭りを見て、子供のように驚く事なんてなくなってしまった。
秋葉が息を呑んだのは、きっと―――幼い頃に夢見た事が叶ったという、そういった感情だったに違いない。
「―――――――」
そして、それはこっちだって同じだった。
もう八年も前に願ったコト。
秋葉と、翡翠と、琥珀さんと。
みんなで高台の神社で遊びたいという願いは、遅すぎたカタチで実現している。
【秋葉】
「―――――さて、兄さん」
はあ、と夢から覚めるように息をつくと、
「それじゃあ楽しみましょうか。そうですね、まずはあのお店に行ってみません?」
凛とした仕草で、秋葉はそう誘ってきた。
「もちろん。花火の時間になるまで出店全部を回るからな」
秋葉の手を取って走り出す。
―――――溢れかえるような賑わい。
そこで、俺たちは心の底から遊ぶのだった。
□夜景
花火が上がる。
ぱあん、ぱあん、と音をたてて、暗い夜空を照らしていく。
華やかな花火は、転じて祭りの終わりを意味する。
この一瞬だけの刹那の花は、美しく咲き誇るが故に短命だ。
――――夏は終わる。
あんなにも暑く、こんなにも長かったというのに、熱は跡形もなく冷めて次の季節へと移っていく。
カゲロウのような一夏の記憶。
打ち上げられる花火たちは、その象徴にように儚かった。
そんな幻を二人で眺める。
「――――少し、怖いですね」
不意に、秋葉はそんな事を呟いた。
「怖いって、なにが?」
連なる火の花。
終わりが近いのか、煙で白く濁った空には次々と大輪が散華していく。
「だって、幸せすぎて。こんなに今日が楽しいと明日になんてなってほしくないなって。
今日はとても楽しかった。明日はきっと、今日ほどは楽しくはないでしょう。だから、出来る事なら今日という日にずっと留まっていたい」
その考えが怖い、と秋葉は呟く。
―――――幸せな今。
それが終わってしまう事への不安。
人生にとって最良の時は最良であるが故に、それが長く続かないと分かっている自分自身。
その不安を、
「馬鹿だな、秋葉は」
俺も、抱いていた事があった。
「はあ。馬鹿ですか、私は」
「そうだよ。幸せな時間っていうのは終わらないんだ。過ぎても、すぐにまたやってくる。
……たとえそれが、なんでもない一日でもさ」
この祭りが終わって、夏が終わりを告げようとも。
「居てほしい人が傍にいてくれれば、楽しい時間なんてずっと続いてくれるものなんだぞ」
そう。
あの夢の中で俺に教えてくれたのは、他ならぬおまえ自身だったんだから。
「分かったか。おまえがずっと楽しいままでいたいって思うなら、それは今日に留まるってコトじゃなくて―――」
「――――ずっと、自分の幸福を手放さないように留まっていろって言いたいのね。……そっか。ま、言われて見ればその通りだ」
ほんと、私ったら馬鹿みたい、と。
飽きれながら、秋葉は白く煙る夜空を見上げた。
□花火
気がつけば、祭りは最後の瞬間を迎えていた。
盛大に打ち上げられていく花火たち。
今日一日、いやこの夏の出来事全てを弾き飛ばすような、そんな激しい人工の花。
「こういう派手な花火もいいものですね、兄さん」
「だろ。おまえは根が派手好きだからな、きっと気に入るって思ってた」
「ええ、大変気に入りました。ですから来年はうちでこの街の花火大会を運営しましょう」
さらりととんでもないコトを口走る我が妹。
「ちょっ、ちょっと待った。いくらなんでもそれは極端じゃないのかな――――」
「さあ、そうと決まったら少しだけ忙しくなりますね。えっと、うちのグループで花火を扱っている会社ってあったかしら……」
ぶつぶつと呟きながら怪しい妄想に没頭している秋葉。
……はあ。この分じゃ来年もタイヘンな年になりそうだ。
けどまあそれも楽しい毎日だろう。
俺が傍にいれば楽しいのだと秋葉が言ってくれるうように、俺も秋葉がいてくれればそれで楽しい。
夏は終わって、一度かぎりのお祭りがこれでおしまいだとしても、なんら惜しむコトなんてない。
□夜景
―――――さあ、いよいよ次は最後の花火。
それを羨望の思いで見上げた。
打ち上げられて、すぐさま忘れ去られるのが花の運命。
それでも華々しく輝いて消えるのなら、それはそれで、とても幸福な時間なのだろう。
だから、またいつか。
こうしてお祭りが終わっても、楽しい記憶のままお別れしよう――――