「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ
『「夢十夜」遠野家のコン・ゲーム』
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□屋敷の裏の林
【琥珀】
「いい天気ですねー」
のどかな呟きと共に、琥珀さんはプラスチックのコップに入ったお茶を啜った。
【秋葉】
「本当に。昼食を外で、というのもたまにはいいわね」
重箱の中はほぼ空になっていて、秋葉も魔法瓶を傾け、自身のコップにお茶を注いでいる。
「翡翠、リンゴ食べる?」
【翡翠】
「いえ……」
俺は重箱に残っているウサギの形に切られたリンゴを指差したが、翡翠は恥ずかしそうに顔を俯けてしまった。
土曜日の昼下がり。
朝からの約束で早く学校から帰ってきた俺は、秋葉達と共に庭で昼食を取っていた。
普段は翡翠達は俺や秋葉とは別々にご飯を食べているのだが、提案したのは琥珀さんだし、そもそもこういう昼食はみんなで食べるもんだという俺の意見が通って、俺、秋葉、翡翠、琥珀さんの四人は重箱を囲む事となったのだった。
「そういえば……」
俺は不意に、昔の事を思い出した。
【秋葉】
「何ですか、兄さん?」
「いや、懐かしいなと思って。遊び疲れた俺達、よくここでおにぎり食ってただろ」
【秋葉】
「よく……って、主に食べてたのは兄さんじゃないですか。わたしや翡翠はせいぜい一人一個がせいぜいだったと思います」
「そうだったかな。まあ、一番動いてたんだから、腹が減るのは当然だろ?」
【秋葉】
「それはまあ、わたし達は兄さん達に引っ張られ回されていただけですもの」
「今、追いかけっこをしたら、一瞬で追い付かれそうだけどな」
ボソリと呟いた俺の一言に、秋葉の髪が瞬時に赤に変色する。
【秋葉】
「……何か言いましたか、兄さん?」
「……いえ、何も」
俺は慌てて翡翠の方に話を逸らせた。
「あ、あの頃は翡翠も活発だったよな」
【翡翠】
「あれは……わたしも志貴さまに合わせようとしていただけです。わたしも本来は、動き回るのは苦手で……」
【秋葉】
「言い訳はいいわよ、翡翠。あなただって兄さんの味方だったもの」
【翡翠】
「そんな、秋葉さま……」
翡翠が哀れそうな顔をする。
「鬼ごっこをしても、真っ先に鬼にタッチされてたのはしっかりと憶えています。ええ、兄さんにも翡翠にも、すぐに追い付かれてしまっていましたね、確か」
「秋葉……まだ根に持っているのか?」
【秋葉】
「まさか。ただ、今勝負したらどうなるか、考えただけで口元が綻んでしまうのは仕方のない事ですけど」
……また、髪が赤くなってるし。
「翡翠……こりゃ、相当恨んでるな」
【翡翠】
俺が翡翠に囁くと、翡翠は小さく頷いた。
「はい。確かに一番足が遅かったのは秋葉さまでしたけど」
「鬼ごっこってのは、足の遅いのを狙うのは鉄則だよなぁ」
【翡翠】
「わ、わたしからは、その辺は何とも」
【秋葉】
「そこ! 二人で何ごちゃごちゃ話してるの! ほら、琥珀も何か言ってあげなさい!」
【琥珀】
「と申されましても。わたしは参加してませんでしたから」
あっさりした琥珀の言葉に、その場の空気が固まった。
そうだった。
俺や秋葉達が庭を駆け回っていた時、琥珀さんはずっと屋敷に軟禁されていたんだった。忘れていた訳じゃないけど、思わぬ方向に話が弾んで琥珀さんをないがしろにしてしまう形になってしまった。
「ごめん、琥珀さん……つい、うっかり」
【琥珀】
「いえ、謝る事はありませんよー。わたしもお話聞くのは楽しいですから」
「いや、でも……」
言葉を探すが、思い付く台詞が見つからない。この会話を続ける事自体が、泥沼くさかった。しかし、この気まずい雰囲気には何かフォローを入れとかないと……。
その時、俺の頭に閃くものがあった。
「そうだ……」
俺はそのアイデアに即座に飛び付いた。
□屋敷の裏の林
「せっかくだから、琥珀さん、鬼ごっこしない?」
【琥珀】
「はい?」
琥珀さんは、困ったような笑みを浮かべた。
【秋葉】
「兄さん、一体何を?」
「だから鬼ごっこだよ。八年前、確かに俺は琥珀さんを外に連れ出して遊ぶ事が出来なかった。それについてはもう、どうしようもない。時間を巻き戻す訳にもいかないからな」
俺は一呼吸ついて、言葉を続ける。
「けど、それなら今から共通の話題になるような事を作ればいいじゃないか。そしてまた、こうやって四人で集まって笑いながら話せるようになればいいと思うんだけど……琥珀さん、どう思う?」
「え、ええと……わたしは」
琥珀さんは困惑していた。
……まあ、いきなりこんな提案されたんじゃ当然か。
俺は翡翠に視線を移した。
「じゃあ、翡翠はどう思う?」
【翡翠】
「わたしは志貴さまの提案に賛成です」
翡翠の言葉に、琥珀さんは驚いて翡翠の顔を見た。
【琥珀】
「ひ、翡翠ちゃん……」
「よし、翡翠は賛成、と。それじゃ秋葉は?」
【秋葉】
「わたしとしては、賛成すると言うよりもむしろ反対する理由が見つからないというべきかしら。当然、賛成です」
秋葉はにっこりと微笑んだ。
【秋葉】
「琥珀に鬼ごっこの参加を命じます。多数決と家長命令、どちらにしてもあなたに選択権はないわよ、琥珀」
「……」
翡翠さんはしばらく考え込んでいたが、やがて、
【琥珀】
「分かりました。それじゃ、わたしも参加させてもらいますね」
「よし、決まった。それじゃ、さっそく……」
俺が立ち上がろうとした時、翡翠が口を挟んだ。
【翡翠】
「ですが、秋葉さま」
【秋葉】
「何? 翡翠、何か問題でもあるの?」
「提案自体には何の問題もございません。ただ、人数が少々不足しているかのように思われます」
【秋葉】
「それもそうね……」
「確かに。もうちょっと人数を増やしたいところだな」
俺は座り直した。
「秋葉、このゲームは昔のローカルルールを採用するのか?」
【秋葉】
「当然でしょう」
【琥珀】
「あの、ローカルルールって何ですか?」
「ああ、琥珀は知らないのね。うちの鬼ごっこは他とはちょっと違うのよ。タッチされた方は当然として、本来の鬼もそのまま鬼を続行っていうルールなの」
「え……? それじゃ、鬼はいつまでもそのままなんですか?」
「ええ。時間まで生き残れば人間側の勝ち。全員鬼になれば、最初の鬼が勝ちになるのよ」
「なあ、秋葉。このルールって誰が考えたんだっけ?」
「わたしは、遠野家に代々伝わる伝統ある鬼ごっこと聞いてますけど?」
「そうか。でも、これって……」
【秋葉】
「どうかしましたか、兄さん?」
「いや……」
俺は軽く頭を振った。昔は全然そんな事、考えもしなかったけど、どうもこのルールはある種族を連想させられて仕方がない。
【翡翠】
「という事は、賞品ルールも……?」
翡翠の言葉に俺は頷いた。
「当然だろうな。ちなみに琥珀の為に説明すると、それぞれの持っている宝物を持ち寄ってそれを賞品にするんだ。だから、みんな必死になる」
【琥珀】
「それって面白いですけど、ちょっと怖いですね」
「勝負にはリスクがつきものって事だよ。さて、人数の問題は、知り合いを何人か呼ぶつもりだけど……秋葉、構わないよな」
【秋葉】
「ええ、それは全然問題ありませんけど。兄さん、意外と顔が広いみたいですし。それでしたらいっそのこと、明日は日曜日ですし、明日丸一日を使ってしまうというのはどうです?」
「そうだな。人を集めるのにも時間が掛かることだし」
俺は頷きながら、頭の中で人数を数え始めた。
□遠野家居間
翌日。
午前九時の天気は、ほぼ太陽の隠れた曇り空だった。
【秋葉】
「……それで兄さん」
秋葉は頭痛を堪えるような表情で俺に尋ねた。
「この面子は一体なんですか、一体?」
【有彦】
「この面子ってのはあんまりじゃないか、秋葉ちゃん」
【シエル】
「そうですよね、乾君」
【アルクェイド】
「そうそう。呼んでおいて、それは無いんじゃないの、妹?」
【秋葉】
「わたしが呼んだんじゃありません! 兄さんが呼んだんです! それとその妹って呼び方はやめてくれませんか、アルクェイドさん!」
【秋葉】
そして、秋葉はギロリと俺を睨み付けた。
「説明してもらいましょうか、兄さん?」
「あ、ああ。それなんだけど……」
俺は指を折りながら、あれからの昨日の行動を思い起こした。
「まず有彦に連絡を取ったんだよ。そしたら、たまたま居合わせたシエル先輩も参加したいって言い出して……そうなると、アルクェイドも呼ばない訳にはいかないだろう?」
【アルクェイド】
「そりゃそうよ。シエルだけ呼んどいて私を呼ばないなんて真似したら、末代まで祟ってやるんだから」
「お前なら、本気で遠野の一族が滅びるまで恨みかねないもんな」
俺はため息をついた。
「あと、うちのクラスから弓塚さんも参戦。唯一まともな子かも」
【さつき】
「あ、お邪魔してます。遠野君のクラスメイトの弓塚さつきです。よろしくね」
【秋葉】
「はい、よろしくお願いします、先輩」
表向き礼儀正しく挨拶してから、秋葉は再び俺を睨んだ。
「兄さん、ちょっといいですか?」
秋葉が引きつった顔で手招きする。
「な、何?」
俺が近づくと、秋葉は俺の耳元に口を近づけた。声を潜め、話し合う。
【秋葉】
「どこが唯一まともなんですか! あれ、目が赤い方……つまり、吸血鬼バージョンじゃないですか!
何だって、あんなのが昼間から活動しているんですか!?」
俺は窓の外をチラッと見た。
多分、曇り空だからなんだろうなーとは思ったが、確証は持てないし、聞く訳にもいかないだろう。本人はとぼけているつもりなのかも知れないし。
「でも、他の面々に比べればマシだろ! 空想具現化を使うアルクェイドやお前の紅赤朱バージョンに比べればずっと! そんな事を言うなら、お前だって他の友達とか呼べば良かったんだよ。以前言ってたルームメイトとか、晶ちゃんはどうしたんだよ!?」
【秋葉】
「そ、それはそうですけど……仕方ないじゃないですか。うちは全寮制ですし、隣の県から呼ぶには遠すぎるんです!」
「なるほど。それは納得行った。しかしだ、それよりも、俺はお前に聞きたい事がある」
【秋葉】
「偶然ですね。わたしもです」
俺と秋葉は同時に口を開き、同じ方向に視線を向けた。
「あれは秋葉が呼んだのか?」
「あれは兄さんが呼んだのですか?」
俺と秋葉の視線の先には、やたらと筋肉質なおっさんと、着物姿の少年の姿があった。
【ネロ】
「人を呼びつけておいてあれ呼ばわりとは失礼な奴だな、小僧」
「呼んでない呼んでない。少なくとも俺は呼んでない」
【シキ】
「実の兄に向かってあれ呼ばわりはないだろう、秋葉! さあ、遠慮なくシキ兄さんと呼んでいいんだぞ!」
「冗談じゃありません! 私の兄は兄さんだけです! そもそも、あなたを呼んだ覚えなんてありません!」
「アルクェイド、犯人はお前かっ!?」
【アルクェイド】
「じょ、冗談でしょ? なんで私がネロなんて呼ばなきゃなんないのよ!?」
「じゃあ、シエルせん……ぱ……あ、あの、黒鍵突きつけるのは止めて欲しいんですけど、先輩?」
【シエル】
「いくら遠野君でも言っていい事と悪い事がありますよ? どうしてわたしが死徒をわざわざ招き入れるんです? 罠に掛けて滅ぼすのならまだしも」
「そ、そ、そうですよね? でも先輩、制服姿で黒鍵は似合わないからやめようね?」
すると、先輩はあっさりと黒鍵を引っ込めてくれた。た、助かった……。
【シエル】
「そうですね。それにしても、一体誰が彼らを呼んだのでしょう。よりによってロア――いえ、この場合は遠野シキですか――まで……」
【琥珀】
「あ、それならわたしです」
「こ、琥珀さん?」
【琥珀】
「はい。せっかくですし、縁の深い人を呼ぼうと思いまして。招待状を送らせて頂きました」
【秋葉】
「縁というより因縁と言うべきなんでしょうね、彼らの場合」
「言うな、秋葉。もう一人の方が出て来て三人に増えてないだけマシだと思え」
「そうします」
駄目だ。俺までメタな事を口走りつつある。
【琥珀】
「あと、もう一人招待状を送ったんですけど返送されてしまいましたし」
残念そうに言う琥珀さんの手には、白い封筒があった。
名前を確かめると、『蒼崎 青子 様』と書かれている。
【アルクェイド】
「……ブルーなんか呼んだら、屋敷が崩壊するわよ、志貴?」
「だから、俺は呼んでないってば!」
「まあ、いいですわ」
秋葉は溜め息をつくと、居間のみんなを一瞥した。
【秋葉】
「みなさん、それぞれわだかまりはあるでしょうけど、ここは遠野家の屋敷です。血なまぐさい真似だけはお控え願いますね」
お前もな、と敢えて口に出しては言うまい。わざわざ死期を早める必要もないだろうし。
□遠野家居間
【秋葉】
「それでは、全員揃ったようですね。それではわたし、遠野秋葉からルールの説明をさせて頂きます。今回の鬼ごっこは遠野家ローカルルールを採用させて頂きます。最初にジャンケンで決めた鬼は、相手にタッチしてもそのまま鬼の役を継続します。つまり、鬼が二人に増える訳ですね」
【アルクェイド】
「はーい、妹質問ー」
【秋葉】
「だから、妹と言うのを……!」
コホンと咳払いをして、秋葉はアルクェイドに尋ねた。
【秋葉】
「話が進みませんからこの点については後でゆっくり話し合いましょう。それで、何ですか、アルクェイドさん?」
「じゃあ、どんどん鬼が増えて行く訳だよね。それで、最後の人間が鬼になっちゃったらどうなるの?」
「今回のゲームには制限時間を設けます。現在九時半ですがゲームの開始時間は午前十時、終了時間は午後四時の全六時間となります。それまで生き残っていられたら、その人が勝者となります。皆さん、参加条件の賞品はお持ちですね?」
【アルクェイド】
「えーと、わたしの場合は持ってるって言うのとはちょっと違うんだけど、話を先に進めてもらえるかな」
「? まあ、いいです。仮に生き残った人が複数だった場合、賞品は山分けとなります。全員が鬼となった場合は、最初の鬼が勝者となります」
「なるほどね。つまり、最初の鬼が吸血鬼で、どんどん死者を増やして行くって訳だ」
アルクェイドの言葉に、シエル先輩の頬がヒクッと引きつった。
そう。それは俺も同じ事を考えていた。つまり、これって伝染する鬼……鬼ごっこと言うよりも吸血鬼ごっこと言うのが正確じゃないんだろうか。
【アルクェイド】
「じゃあ、シエルは絶対に捕まる訳にはいかないわね。まさか、埋葬者が吸血鬼の役なんて、シャレになんないもの」
【秋葉】
「なお、私を含めてやや特殊な能力をお持ちの皆さんを対象にしての話ですが、出来る限り非常識な能力はお控え下さい。せめて、人間レベルでの非常識程度に留めて頂けると幸いです」
「ちょっと待ってくれ秋葉。なんだ、そりゃ?」
「つまり、兄さんの直死の魔眼やネロさんの使い魔はともかく、私の略奪やアルクェイドさんの空想具現化は反則、という訳です」
分かったような分からんような。
【アルクェイド】
「ねえ、妹。それってずいぶんと曖昧みたいに思えるんだけど、例えば二階の窓から飛び降りるとかはありなの?」
「ありです。つまるところ、これは能力者達の良識に任せるしかない訳です。皆さん、能力を使用する前に、一応一般人も参加している、という事をお忘れなく」
俺は思わず有彦を見た。
「まあ、お前なら二階から飛び降りるぐらいの事はしかねないな」
【有彦】
「どういう意味だ、そりゃ」
言葉通りの意味だよ。
【ネロ】
「なるほど、納得行ったぞ女」
よりにもよって、一番最初に理解を示したのはネロだった。さすがは学者先生だけの事はある。
目をぎょろりと見開き秋葉を睥睨しているのは、ひょっとすると多分、肯定の意味なんだろうか、あれは?
「つまり私の場合は“創世の土”が反則に当たるという訳だな。先に確認しておくが、もし万が一私が鬼だった場合、使い魔による対象への接触は有効になるのかね」
【秋葉】
「なりません。これを認めてしまった場合、一瞬にしてゲームが終結してしまう恐れがありますから」
【ネロ】
「了解した」
【秋葉】
「さて、必要なルールの説明は終わりました。それでは、残るは皆さんの『宝物』をご提出願います。一応、これが参加資格となります」
「昔はビー玉とかだったんだけどなぁ」
俺は呟きながら、自分の短刀を取り出した。
「俺の場合はこれ、『七夜の短刀』だけど一応ゲーム中は持っててもいいよな。必要になりそうだし」
「結構です。それでは次は?」
秋葉の言葉に、ネロが一歩進み出てコートの胸元を開いた。黒い影が飛び出たかと思うと、一匹の黒犬が姿を現わした。
【黒犬】
「では、私はこの愛犬クールトーを差し出そう。宝としての価値は充分あるだろう」
【シエル】
「ク、クールトーですって……?」
シエル先輩の顔が引きつった。
「知ってるの、先輩?」
【シエル】
「十五世紀、英仏百年戦争時代に三百匹近い群れを率いてパリ周辺を横行していた伝説の狼王です。でも、あれは犬だから多分、違うと思いますけど」
【ネロ】
「不満ならば、ベートとロボも差し出そうか? 私は一向に構わないが」
ベートはともかく、俺だってシートン動物記の有名なタイトルぐらいは知っていた。あくまで、それにちなんだ名前、と信じたい。でもこのおっさん、一応千年単位で生きてるんだよなぁ。
【秋葉】
「一匹で結構です。まあ、本人がどうしても、というのなら承りますが」
【さつき】
「それじゃ、次はわたしね。原田知世のアルバムだけどいい? 他にめぼしいのがうちにはないんだけど」
【秋葉】
「問題ありません。本人が大事にしている、というのでしたらそれで宝物ですから」
【さつき】
「よかった。それじゃ、わたしも無事参戦出来るって訳ね」
【シエル】
「でも、カレーパンじゃ……駄目なんでしょうね、きっと」
俺の隣でシエル先輩が呟いたが、俺は敢えて無視してあげる事に決めた。
秋葉が弓塚さんからCDを受け取りテーブルの上に置いたのを見計らい、シエル先輩が進み出た。
【シエル】
「それではわたしはこの、第七聖典を賭けます」
ドスン、とどこから取り出したのか巨大な重火器が秋葉の目の前に置かれた。
【秋葉】
「こ、これは……いいんですか?」
【シエル】
「もう一つの宝物は駄目そうですし。他の人達もそれなりの対価を支払っていますから、わたしだけって訳にも行きそうにありませんからね」
とはいえ、吸血種の皆さんならともかく、こんなもん一般人が貰っても使い道に困るぞ?
【秋葉】
「ええと、まだの人は……」
【アルクェイド】
「はーい。わたしまだ出してないよー」
大きく手を上げて振り回しているのはアルクェイドだった。
【秋葉】
「はい、アルクェイドさん。ですけど、何も持ってないみたいですけど」
【アルクェイド】
「へへー」
アルクェイドは笑みを浮かべながら、俺を見た。
悪寒。
それもとてつもなく嫌な悪寒。
「ごめん。俺ちょっとトイレ」
……俺は素早く踵を返し、居間を出ていこうとした。が、遅かった。
ガシッとアルクェイドに襟首を掴まれた俺は、そのまま秋葉の前に突き出された。
【アルクェイド】
「わたしの宝物はこれ! ネロの件もあるし、別に人間が賞品でもいいんでしょ?」
【秋葉】
「いっ!?」
【シエル】
「なっ!?」
声を上げたのは秋葉とシエル先輩。いや、他のみんなも声こそ出さないものの、口をあんぐり開けたり動揺を隠せない様子だった。
【ネロ】
「ふむ、一理あるな、姫君」
……何事にも例外は存在するみたいだけど。
「我が混沌が認められるのならば、人間を賞品にして認められるのもまた道理」
【アルクェイド】
「でしょ? 本当は千年城とか黄金一トンとかも考えたんだけど、あんまり俗っぽいしつまらないもの。それに、今一番大事なのが志貴なのは確かだし――」
「だぁっ! 認められるかぁっ! 勝手に人をモノ扱いするんじゃないっ!」
【アルクェイド】
「あ、大丈夫だって、志貴。鬼になろうが逃げようが、どーせ私が勝つんだもん。心配いらないわよ」
大いに心配だった。
【秋葉】
「じょ、冗談じゃありません! 誰がそんな無体な真似を認めるものですか!」
【シエル】
「そうですっ! よ、よ、よりにもよって遠野くんを賞品にするだなんて、そんな――」
案の定、反対派筆頭の二人がアルクェイドに食って掛かった。
【翡翠】
見ると、翡翠も困ったような顔をしているし。
【琥珀】
……何故に、そんな楽しそうな顔をしているかな、琥珀さん?
【有彦】
「でもよー」
一触即発の三人の間に割り込みこそ掛けなかったものの、声を出したのは有彦だった。この自称俺の親友に、怖いものはないのだろうか。
【秋葉】
「何ですか、先輩。私達は今、忙しいんですけれど」
髪まで真っ赤に染めて激発寸前の秋葉が、ムッとした表情で有彦に尋ねた。
「オレはどうでもいいんだけど、もう一度確認するぜ? 遠野が賞品になるって事は、勝った人間は遠野を手に入れられるって事だよな? いや、オレはこんな奴貰ってもしょうがないんだけど」
「……」
「……」
二人は有彦の言葉に虚を衝かれた様子だった。
【秋葉】
秋葉がコホンと小さく咳払いをした。
「ま、まあ、生き物も賞品として認められるわけですし。私情を挟むのもこの際大人気無かったと認めるべきなんでしょうね」
おい、秋葉。
【シエル】
「そうですね。確かに問題があったかもしれません。いいでしょう。私もここはアルクェイドの言い分を認めて、遠野くんを賞品にするのも是とすべきかと思います」
おいおい、シエル先輩。
「お、俺の意思は?」
【アルクェイド】
「ないよ?」
【シエル】
「ありません」
【秋葉】
「民主主義と家長命令と司会進行役、どの権限で反対されたいですか、兄さん?」
「……」
俺は絶望的な気分で天を仰いだ。
□遠野家居間
「それではアルクェイドさんの宝物は兄さん、と。まさかテーブルの上に置く訳にもいきませんから、受け渡しはゲーム後という事になります」
【有彦】
「いやぁ、よかったな親友。丸く収まって」
「……そうだな、有彦。賞品にしてくれた上に、こんな奴扱いしてくれてありがとうよ」
【有彦】
「はっはっは。心配するな、遠野。オレが勝ってもせいぜい一週間パシリ程度で解放してやるから」
驚くべき事に、有彦は自分の勝利を確信しているらしい。
この面子を相手に、どうしてこう勝つ気満々でいられるのだろうか、この男は。
相変わらず、よほどの大物のなのか、単なる馬鹿なのか掴み所のない奴だった。
「おい、秋葉!」
【シキ】
叫んだのはシキだった。
【秋葉】
「ああ、そういえば貴方もまだでしたね。賞品はなんですか?」
【シキ】
「お前だ」
シキはズビシッと秋葉を指差した。
【秋葉】
「は?」
「だからお前だ、秋葉。何て言っても、オレにとって一番大切なのはお前だからな」
なんだか、だんだん人身売買じみてきたような気がするのは俺だけだろうか?
【秋葉】
「ちょっ……に、兄さん! 何とか言ってやって下さい!」
「いや、確かに何とか言ってやりたいところなんだけど、俺も賞品だし」
口に出しては言えないけど、この件に限って言わせてもらうと、どちらかというとシキの味方なんだよなぁ、俺。
【秋葉】
「し、仕方ありません。兄さんも自身を賞品と認めたのですから、私も認めなければ不公平ですよね……」
「認めてない認めてない。勝手に決められただけだ」
【秋葉】
「それでもです! さあ、他にまだ提出していない人は誰ですか?」
「秋葉、お前は?」
【秋葉】
「ああ、私でしたら一日遠野家当主の座です。形あるものではありませんが、構わないでしょう?」
サラリと恐ろしい事を口にする秋葉。しかし、それでも他の人間の『宝物』よりまともに聞こえるのは何故だろう?
□遠野家居間
【琥珀】
「それでは、わたしはこのリボンで」
琥珀さんが、白いリボンをテーブルの上に置く。「翡翠は?」
【翡翠】
「残念ですが、わたしは今回は参加しません。秋葉さまから、無線中継で捕まった人とその場所をお知らせする役を仰せつかりました」
「あ……そうなんだ。ちょっと残念だな。久しぶりに、翡翠と追い掛けっこ出来ると思ったのに」
【翡翠】
「申し訳ありません……」
【琥珀】
「次の機会には、翡翠ちゃんも一緒にしようね」
【翡翠】
「はい、姉さん。志貴さまも姉さんも、これをどうぞ」
俺は翡翠からトランシーバーを受け取った。
【翡翠】
「何しろ、この屋敷の敷地内は広大ですので、どこで誰が捕まったのか分かりません。提案の一つとして、鬼になった人が黙って鬼になっていない人に接近する、というアイデアもありましたが、公平ではありません。ですので今回は、鬼が相手を捕まえた時に、報告するルールが用いられます」
【翡翠】
翡翠はペコリと頭を下げた。
「わたしはこの居間で待機しています。御用の際にはいつでもお声をお掛け下さい」
「なるほど、分かった。じゃあ、これで全員『宝物』を出し終えたところで――」
【有彦】
「待て待て待て、遠野! 誰か忘れちゃいないか!?」
「……いや、突っ込む前にさっさと出せばいいだろ、有彦? それでお前の宝ってなんだ? 秘蔵のエロ本十冊セットとか言ったら殴るぞ?」
【有彦】
「はっ! オレがそんな平凡な物を出すと思ってるのか? 俺のブツは……これだ!」
有彦は、バンッ!と大きな音を立てながらテーブルの上に分厚いアルバムを置いた。
【有彦】
「ま、厳密にはオレの宝って訳じゃないんだが、こっちの方がよりエキサイトすると思ってだな。わざわざ本棚の奥を漁って持って来たんだぜ?」
「あのなぁ、有彦。そりゃ自分の過去の思い出ってのは確かに大切なモノかも知れないけど、お前の写真集なんかもらって、どこの誰が喜ぶって言うんだよ?」
俺はアルバムを開いた。小学校から中学にかけての学校風景や家での有彦の姿が撮影されている。さすがに行動を共にする事が多かっただけあって、俺の姿も写真のほとんど……ほとんどどころじゃなかった。
「おい、有彦。これ、ひょっとしてまさか……」
俺はアルバムを指差すと、有彦はニヤリと笑った。
【有彦】
「そう、お察しの通り。乾有彦編集による、遠野志貴少年時代アルバム集だ。さあ、秋葉ちゃん! こいつがオレの賞品だ! 当然、認めるよな!」
しまった……。
こんなネタがあるなら、俺も短刀なんかじゃなくて有間の家からアルバムを取り寄せるべきだった。
しかし、もはや手遅れ。既に賽は投げられていた。
【アルクェイド】
「へー、志貴の子供時代ね。どれどれ……」
【シエル】
「アルクェイド、駄目です! これは勝利者に与えられる賞品なんですから、ゲームが始まる前に見ちゃったら意味ないでしょうが」
【アルクェイド】
「またまた、そんな事言って。シエルだって、本当は見たいくせにー」
【シエル】
「あ、う……そ、それとこれとは別です! わたしは正々堂々と戦ってこれを手にいれるつもりでいるんですから」
【アルクェイド】
「……正々堂々?」
「な、何ですか」
「ううん、別にー。普段から闇討ち不意打ち夜討ち朝駆け当たり前の人から、正々堂々なんて言葉が出たから、ちょっと驚いただけよ」
【シエル】
「喧嘩売ってるんですか、貴方は……」
二人の間の空間が、殺気でグニャリと歪み始める。
俺は慌てて二人の間に割り込んだ。他に止めてくれそうな人がいないんだから仕方がない。
「そ、そこ! 戦闘モードに入るな! 今日は殺し合いはなしだってば!」
すると、アルクェイドとシエル先輩は、俺が拍子抜けするほどあっさりと緊張を解いた。
【アルクェイド】
「分かってるわよ。これは挨拶みたいなものだもの」
【シエル】
「そうですよ、遠野くん。今日が無礼講だって事ぐらい、わたし達だって承知してますから。ねえ、アルクェイド」
【アルクェイド】
「うんうん。まあ、ゲームの時は容赦しないけど」
【シエル】
「それはわたしもですよ。ふふふふふ」
そして、再び二人の間に緊張感が生まれる。まるで冷戦だ。
俺はため息をついた。
そういう寿命の縮む挨拶はやめて欲しい。
□遠野家居間
ジャンケンの結果、よりにもよって琥珀が鬼になった。
「ついてないね、琥珀さん」
【琥珀】
「いえ。要は全員を鬼にしてしまえばいいんですよね。逃げ回るのより気楽ですよ」
【秋葉】
「琥珀。目を瞑って百を数え終えたら、動いて構いません」
【琥珀】
「分かりました。それじゃ、数え始めますね」
言って、琥珀さんは目を瞑った。
それじゃ、俺も動くとするか。
【翡翠】
「行ってらっしゃいませ、皆さん。御武運をお祈りしております」
「うん、翡翠も中継係頑張って」
「いーち……にー……」
背後に琥珀さんの声を聞きながら、俺は居間を出た。
□遠野家1階ロビー
さて。
俺はホールを歩きながら考えた。
通常の鬼ごっこの必勝法は一つ、鬼のいる位置を把握できなおかつ相手に気付かれないように監視する事。さらに贅沢を言うなら、万が一気付かれても逃げられるだけの距離が開けていればベストだ。
が、今回はこの手は使えない。
何故ならこのゲームのルールでは鬼は入れ替わらずどんどん増えて行くのだから、監視する対象に自分一人ではとても追い付かない。
いや、それよりも……。
俺は振り返った。
「だぁっ! どうしてみんな、俺について来るんだよ!?」
【アルクェイド】
「えー? だって、志貴と一緒の方が楽しそうだもん。それに、いざという時二手に分かれて鬼を撒けるでしょ?」
【シエル】
「アルクェイドの前の言葉はともかく、後ろの言葉に関してはわたしも同意見ですね」
「でも、それじゃ鬼ごっこの意味が無いんですよ! 大体、この団体の一人でもタッチされたら、一瞬で『鬼』が全員に伝播しちゃうじゃないですか!?」
「で、そっちの二人は!? シキと秋葉!」
【シキ】
「知るか。オレの行こうと思ってる方向に、お前が向かってるだけだろうが。大体、それに関しては昔から、ずっと同じ指摘をしてたはずだぞ、志貴!」
「そう言われてみればそうだったかもしれないけど……秋葉は?」
【秋葉】
「困った事に、兄さんの背中を見ていると追い掛けたくなるんです。三つ子の魂百まで、と言うべきなんでしょうか?」
そりゃ確かに、お前はいつも俺の後ろを追い掛けてたけどさ……。
三つ子云々というより、これはもうパブロフの犬状態だな。
「……弓塚さんは?」
【さつき】
「あ? え、ええと……一人だと、ちょっと心細いかなーとか思ってるんだけど……駄目かな?」
「駄目だよ。さっき、アルクェイドや先輩にも言った通り、それじゃゲームにならないから。とりあえず、一旦は全員散らないと……念の為聞くけど、あんたは何でついて来てたんだ?」
【ネロ】
「私は実戦ならともかく、この手の遊戯は不慣れなのでな。慣れ親しんでいる面々の動きを観察してどう動くかを考察していたのだが、大体分かった。早い話が、いつも通りにすればいいのだな」
「……そうして下さい。さあ! みんな散った散った!」
俺は手をパンパンと叩いて、みんなをけしかけた。
【アルクェイド】
「それじゃ志貴、また後でねー」
【シエル】
「遠野くん、お気をつけて」
【シキ】
「ふははははっ。この屋敷の事なら隅々まで知っている。見てろよ、志貴! オレは最後まで生き残って見せるからな!」
【秋葉】
「兄さん。私はとりあえず、自分の部屋で考えます。いざとなれば、窓から逃げ出す事も出来ますしね」
【さつき】
「ピンチの時は助けてね、遠野くん」
【ネロ】
「さらばだ、人間。今度会う時は敵同士かもしれんな」
外に飛び出す者、階段を駆け上がる者、一階の廊下に向かう者、みんな思い思いの方向に向かっていく。
それを見計らって俺も考える。
そろそろ、琥珀さんが動き始める頃だろう。俺も移動を開始しないと。
と、外に出ようとした時だった。
あれ?
ふと気がついて、俺は足を止めた。
さっき、誰か抜けてなかったか?
□離れの入り口
庭を抜け離れの前に到着する。
後ろを振り返るが、誰もいない。
「はぁ……はぁ……」
どうやら、まだ誰も捕まっていないようだ。少しホッとした。
その時だった。
ザッ……。
耳につけていたイヤホンから小さなノイズが発生した。
『二人目の鬼が生まれました――』
翡翠の声だった。二匹目の鬼が生まれた、という事はつまり琥珀さんが誰かを捕まえる事に成功したという訳だ。
しかし、誰が?
『――現在の鬼は、姉さん、琥珀とネロさまとなります』
「ネロだって……!?」
俺は思わず耳を疑った。そんな。あれは、琥珀さんの手に負えるような相手じゃないはず……。
『――それでは、その時の様子を報告させていただきます』
□遠野家居間
「きゅうじゅうきゅう……ひゃーくっ!」
【翡翠】
「姉さん、それじゃ行ってらっしゃい。気をつけて」
【琥珀】
「あ、翡翠ちゃん。賞品はそこのテーブル?」
「うん、そうだけど。姉さん、机の下で一体何を探してるの?」
「うん、ちょっとね。あ、いたいた」
【黒犬】
「……」
【琥珀】
「ねえ、翡翠ちゃん。この子、大人しい?」
【翡翠】
「さっき、厨房にあった生ハムを与えたから大丈夫だと思うけど。どうするの?」
「ちょっと触れるだけ」
「? 背中を撫でると喜びます」
【琥珀】
「おー、よしよし。さて、これで」
「姉さん、今のは一体?」
「ネロさん、タッチしました。これでネロさんは鬼側となります。翡翠ちゃん、放送でネロさんを呼んでもらえるかな?」
□遠野家居間
【ネロ】
「どういう事だ、娘」
【琥珀】
「ええと、つまりネロさんは混沌なんですよね」
「うむ。私は体内に六百六十六の獣の因子を持つ混沌の群れ。そして、混沌そのものだが、それがどうかしたのかね」
「ここにいるクールトー君も混沌ですよね。つまりネロさんそのものではないのでしょうか?」
「しかし、その解釈には一つ大きな欠落が見られるぞ。腕の一部をもぎ取り、捨てたとする。それに触れたからといって、ルール上の『タッチ』というものにはならないのではないか?」
【琥珀】
「腕の一部は動きません。もちろん、それが足だろうと指だろうと一緒です」
【ネロ】
「む……」
「例えばネロさんが二つに分裂したなら、そのどちらにタッチしても鬼、という事になりませんか? つまりクールトー君はネロさんそのものですから、このタッチは有効ではないでしょうか? 理屈の上では、ネロさんイコール混沌イコール黒犬のクールトー君な訳です」
「うむ……なるほど。つまり三段論法で言うならば、君は私という混沌に触れなければならない。そして我が使い魔であるクールトーも同じ混沌。その混沌に触れたならば、私もまた鬼で然るべきということか」
「そういう事です。残念ながら」
「……」
俺はその場で首を捻った。あれで納得したのか?
学者の考える事はよく分からない。
それはさておき。ネロが鬼側についた証拠に、俺の目の前にネロの使い魔である鹿が出現していた。
□離れの入り口
【鹿】
襲う気はなさそうだが、恐らく監視が目的なのだろう。俺から目を離そうとしない。
離れの中に隠れるという手は没だ。
どこの世界に監視されている目の前で隠れる馬鹿がいる。
仕方がない。
まだ琥珀さんとネロが屋敷にいるというのなら、今のところは森の中にでも隠れるしかない。
俺は踵を返して、歩き始めた。
□林の中の空き地
問題はどうやって、この使い魔を撒くかだな。
そう思って、離れの方を振り返る。
□離れの入り口
【鹿】
「……?」
鹿は、離れの前から動いていなかった。何だ、ついて来ないのか。
□林の中の空き地
【黒豹】
そう思っていると、目の前に黒豹が出現していた。
「うわっ!」
そ、そうか……ネロの使い魔は全部で六百六十六匹。わざわざ、一人に一匹つけるなんて真似をしなくても、各所に設置するだけで充分なんだ。
……確かに秋葉の言う通りだ。
手でタッチする、ってルールが無ければ速攻アウトだったな、これは。
「ふぅ……」
ったく参ったな。一番厄介そうなのが、真っ先に鬼になるなんて。
俺は駆け出した。
それから三十分ほどして。
□林の中の空き地
俺は使い魔たちの眼を忍んで、木の陰に身を潜めていた。
不意に俺の腹が、くぅ……と鳴った。
時計を確認すると十一時半。
そうか、そろそろお昼の時間なんだよな。
……とはいえ、今動くのも得策じゃないだろうし。
俺は少しでもエネルギーの消費を防ぐ為に、木の幹に背中を預けて力を抜いた。
その時だった。
ザッ……。
俺はそのノイズ音に危うく慌てて立ち上がり掛けた。
……三人目か?
『三人目の鬼が生まれました――』
さっきと同じ調子の翡翠の声。
今度は……誰だ?
□遠野家居間
【琥珀】
「そろそろお昼ご飯の時間だね、翡翠ちゃん」
【翡翠】
「でも今日は秋葉さまも志貴さまもいらっしゃらないでしょうし……姉さん、どうする気?」
【琥珀】
「運動した後はお腹が空くものだから、簡単な物を作っておこうと思うの。今日はお客さまも多いし――」
【翡翠】
「鍋?」
「惜しい、翡翠ちゃん! 今日のお昼はカレーだよ!」
「ところで、ネロさまはどこに向かわれたのでしょう?」
「あ、ネロさんならさっき、一人隠れている人を発見したからって外に向かったみたい。戻って来るまでにカレー完成させとこ、翡翠ちゃん」
俺はトランシーバーのイヤホンを自分の耳から引っ張り抜いた。
誰が捕まったかは聞くまでもなかったからだ。
それよりも、木の上から感じる視線が気になって仕方がなかった。
琥珀さんの言う『一人隠れている人』――理屈ではなく直感で、俺の事だと分かった時点で俺は動き出していた。
□林の中の空き地
木の間を縫うように走っているのに、一向に頭上からの視線が離れる気配がない。何匹いるのか知らないが、ネロの使い魔はどうやらかなりの数のようだ。
【黒犬】
前方、行く手を黒犬が塞ごうとする。
「邪魔っ!」
一振りで両前足を『殺した』。いくら単なる混沌とはいえ、遊びの最中の殺しは何となく気が引ける。足程度なら動けなくなるだけで済むし、ネロの中に戻れば問題ない……と思う。偽善だろうか。
それも一瞬の思考。
俺は黒犬の頭上を飛び越え、そのまま足を休めず、素早く屋敷の中に忍び込んだ。
□遠野家1階ロビー
出会い頭に誰かと遭遇するような事もなく、俺は階段を駆け上った。
□屋敷の廊下
ザッ……。
既に馴染みとなった、鬼出現のノイズ。
『四人目の鬼が生まれました――』
「ったく、シエル先輩の次は一体誰だよ……」
□志貴の部屋
俺は自分の部屋の扉を閉めると、扉に持たれかかるようにへたり込んだ。
時計を確認する。
現在、十二時半。
「ふふふ、やっと追い詰めましたよ、志貴さん」
『な、何?』
「まずはこのロープで捕縛させて頂きます。それから、ネロさんの混沌で足を固めてからゆっくりとタッチさせてもらいますねー」
『ちょっと待ってくれ。なんだ、そりゃ?』
「だって、志貴さんはいざとなったら床を殺して真下に逃れたり、運動神経いいですからそちらの窓から逃れる可能性もありますし。だから、まずは足止めをする必要があるんですよー」
『まあ、二階から飛び降りるぐらいの事はしかねないな』
「ですよねー? だからここは大人しく捕まってください。ネロさん、志貴さんも混沌の使用を認めてくれましたよ」
『だぁっ! 認められるかぁっ!』
「そうか。では遠慮なく、外で監視を続けているモノども以外を呼び出すとしよう。小僧、“創世の土”とまではいかんが、三百匹近い獣による阿鼻叫喚地獄を心行くまで味わうが良い。何ならば、我が混沌の仲間内になるかね? ふむ、魔眼使いの使い魔というのも悪くないな」
『勝手に人をモノ扱いするんじゃないっ!』
「それじゃ、志貴さん、大人しくしていてくださいねー。大丈夫、痛くありませんから」
『お、俺の意思は?』
「そんなモノはどぶにでも捨ててください。さあ、ネロさんやっちゃってください」
「うむ――」
□屋敷の廊下
【秋葉】
「人の部屋の前で、あんた達は一体何をしてるのよっ!」
【ネロ】
「ふむ、本当に出てくるとは思わなかったぞ、娘。これぞ正に思う壺、という奴だな」
【秋葉】
「え……? あ、あぁっ!?」
【琥珀】
「残念でした。はい、秋葉さまタッチです。これで、秋葉さまも鬼の仲間入りですねー」
【秋葉】
「に、兄さんは……さっきの声は一体どうやったの?」
【ネロ】
「奇術の種はこれだ。私も永き時を過ごしてきたが、ここまでしたたかな娘も稀だ。まったく恐れ入る」
「テ、テープレコーダー……!? 琥珀、あんた、い、一体いつの間に」
【琥珀】
「皆さんが居間に集まる前に、ちょこっとテーブルの裏にテープで張って録音していたんです。ちょうど志貴さんの台詞が使いやすそうだったんで、編集させて頂きました。古典的な手ですけど、だからこそ結構効果的ですよね?」
「やってくれたわね……琥珀」
【琥珀】
「えへっ、すみません」
「それにしても、あんた達って……」
【琥珀】
「はい?」
【ネロ】
「む?」
「どうも翡翠からの中継を聞いてる限り、意外に息が合ってるんじゃないの?」
□志貴の部屋
「参った。よりにもよって、秋葉まで鬼になっちまったか」
【シキ】
俺の目の前でシキが天を仰いだ。
「これでオレは絶対に捕まる訳にはいかなくなったな。他の奴に秋葉をやる訳にはいかねーし」
「……と言うか、一ついいか?」
【シキ】
「ん? どうした志貴。腹でも減ったのか? オレは減ってるけどな」
はっはっは、と意味もなく笑うシキ。
いや、そんな事はどうでもいい。とにかく俺はまずこいつに聞かなきゃならない事があった。
「どうしてお前が、俺の部屋にいるんだ?」
【シキ】
「ああん? お前何言ってるんだ。ここは元々オレの部屋だろーが。お前がこの部屋の主になったのはつい最近! ったく、離れで生活してたときの記憶がねーのかお前は」
「あ、そうか」
【シキ】
「『あ、そうか』じゃねーよ。ああ、そうだ。とりあえず腹が減っちゃ戦は出来ないって言うしな。これでも食うか?」
シキが袖から取り出したのはウインナーの詰まった袋だった。
「……お前、いつの間にこんなもん取ってきたんだ?」
「あー、秋葉がゲームの説明する前にちょっとな。時間的に悠長に昼飯食う訳にもいかなそうだったし、簡単に持ち運び出来そうなもんがこれしかなかったんだ」
「さすが、勝手知ったる自分の家」
「出来れば飲み物に輸血用パックでも欲しいところなんだがな」
何だか暗黙の了解で休戦状態にあるらしい。俺はシキに尋ねてみる事にした。
「俺はそんなものいらない……ところでシキ、気付いてたか?」
【シキ】
「あん? 何を?」
シキは赤いウインナーをひょいと口に放り込んだ。
「このゲーム、純粋な運動神経だの体力だのの勝負じゃない」
「あー、何せあの策士・琥珀だからな。頭脳戦になるのはしょうがねーんじゃないか? 最初の鬼がオレや秋葉あたりだったらパワープレイになってたんだろうがよ。それに二人目もまずかった。よりによってネロ学者先生と来たもんだ、と。ほれ」
「ああ、悪い」
シキが差し出した袋から三つほどウインナーを取り出し、口に運ぶ。
時計を確認すると、もう二時過ぎだった。道理で腹が減ってる訳だ。
「つまりこのゲームは純粋な鬼ごっこと言うよりもコン・ゲーム、つまり騙し合いなんだよ。今回の鬼は罠を張ったり相手を陥れる事に長けているんだ」
「次はどんな手で来ると思う?」
「さあな。ただ、どうも……」
シキは視線を妙な方向に向けた。左斜め下の床。
「どうした?」
【シキ】
「いや、連中どうやら部屋をしらみつぶしに調べ始めたらしい。こりゃまずいな。近い内に、この部屋も調べに来る」
「透視できるのか?」
「いや、気配が分かる程度だ。だが、足音や声で誰が動いているかぐらいは分かるぜ」
俺達は立ち上がった。
廊下はどう考えても鬼門だ。となると……。
「はぁ……まさか、アルクェイドの真似をする事になるとは思わなかったよ」
俺が窓枠に足を掛けたその時、屋敷の中に甲高い声が響き渡った。
□志貴の部屋
「きゃあーっ! ゴ、ゴキブリーッ!」
メチャクチャ棒読みの上に嘘臭いぞ、秋葉!
【シキ】
「何ぃっ!? 秋葉、待ってろ! 今、オレが退治してやるからなっ!」
俺は思いっきりつんのめり、頭をフロアに打ちつけた。
慌てて起き上がる!
「ば、馬鹿! シキ、行くんじゃないっ!」
「どっちが馬鹿だ! 秋葉が危ないってのに見捨てられるっていうのか、お前はっ! この薄情モノ!」
「いや、薄情モノとか、そういう問題じゃないだろ! 分かってるのか? 秋葉は今、鬼なんだぞ?」
「だからどうした! オレは秋葉を救いに行く! たとえ相手が誰であろうとも、俺は秋葉を守り抜いてみせる!」
それはある種、感動的なシチュエーションと台詞だったのかもしれない。相手があからさまに罠を掛けているのと、よりにもよってその相手がゴキブリ(しかも明らかに狂言)だと言う事を除けば。
俺はシキの両肩に手を置いた。
「分かった。俺はもう何も言わない。俺の代わりに立派に秋葉を守ってくれ、シキ」
【シキ】
「ああ! それじゃあな、志貴。さっきの会話……わりと楽しかったぜ」
「俺もだ」
ニヤリと笑って俺は窓から木に飛び移った。
三本目の木に手を伸ばした時、もはや馴染みとなった翡翠の『報告』が届き、俺はため息をついた。
「さすが血の繋がった兄妹。似たような罠で鬼になるか……」
□離れの入り口
離れの前に、既にネロの使い魔はいなくなっていた。おそらく、鬼の数が増えたので自身の強化の為に引き戻したのだろう。あるいは単に面倒くさくなったか。
□離れの部屋
俺は離れに飛び込むと、畳の床にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……」
時計の針は三時を指していた。
残り一時間。
まったく、何だってこんな事に俺は必死になってるんだか、と思わないでもない。これはあれだ。枕投げと同じで見てる分には冷静でも、プレイしている人間はとにかくムキになってしまうっていう心理。あれに近い。
と、どうでもいい分析をしてしまうほど、どうやら俺は疲れているようだ。
連中だって、大人しく屋敷内の探索に務めて続けるとは思えない。あと一時間と言っても、この離れも決して安心出来る場所じゃない。
ええと、今生き残ってるのは、何人だっけ。
アルクェイドはまだ中継で鬼になったなんて聞いてない。
他は弓塚さん……。
ザッ……。
聞き慣れたノイズに、俺の肩がビクッと跳ねた。
『六人目の鬼が生まれました――』
……誰だ?
□屋敷の廊下
【さつき】
「ふぅっ……昼間とは言っても、さすがは吸血鬼ボディよね。生身の人間とは基本能力からして違うわ。後は一時間逃げ切って、遠野くんと賞品山分け♪ うん、大丈夫。きっと逃げ切って見せるわ。なんたって、あの先輩からだって逃げ切れた事があるんだもん」
「ふん……いざとなれば、そこの窓から飛び降りればいい、と考えているのか?」
【さつき】
「だ、誰?」
「無駄無駄。オレに魅了の魔眼なんて効かないさ。何てったって……」
【シキ】
「ひっ……あ、あなたは……」
「そう。お前さんの血を吸った張本人、言わば親に当たる人間、遠野シキさまなんだからな。いやはや、今回初めて吸血鬼らしい展開になったみたいだ……っと、逃げるんじゃねーよ。動くな」
【さつき】
「っ……う、動けない! ど、どうして?」
【シキ】
「だからさっきも言ったろ? オレはお前の親に当たる人間なんだから、命令には絶対服従。支配からは逃れられないんだよ。さ、て、お前に生き延びられるとオレとしては大変困った事になる。生憎、お前ごときに遠野家の当主の座を渡す訳にはいかないんでね。オレと秋葉がアウトになった時点で、オレがするべき事は一つ。全員を鬼にする事さ。負けっぱなしってのは性に合わないんでね」
□離れの部屋
これで弓塚さんもアウト、と。
って事は残ってるのは俺とアルクェイド……。
……。
…………。
……………………。
ちょ、ちょっと待て!? 誰か忘れてないか?
不意に頭に、ある男のビジョンが浮かび上がり、俺は顔を上げた。
――有彦。
そういえば、あいつもまだ名前を呼ばれていない。
って言うか……あいつ、いつからいなくなってた? 居間では確かにいた。しかし、その後……。
□遠野家1階ロビー
俺は手をパンパンと叩いて、みんなをけしかけた。
【アルクェイド】
「それじゃ志貴、また後でねー」
【シエル】
「遠野くん、お気をつけて」
【シキ】
「ふははははっ。この屋敷の事なら隅々まで知っている。見てろよ、志貴! オレは最後まで生き残って見せるからな!」
【秋葉】
「兄さん。私はとりあえず、自分の部屋で考えます。いざとなれば、窓から逃げ出す事も出来ますしね」
【さつき】
「ピンチの時は助けてね、遠野くん」
【ネロ】
「さらばだ、人間。今度会う時は敵同士かもしれんな」
外に飛び出す者、階段を駆け上がる者、一階の廊下に向かう者、みんな思い思いの方向に向かっていく。
それを見計らって俺も考える。
そろそろ、琥珀さんが動き始める頃だろう。俺も移動を開始しないと。
と、外に出ようとした時だった。
あれ?
ふと気がついて、俺は足を止めた。
さっき、誰か抜けてなかったか?
□離れの部屋
――既にあの時、有彦は姿を消していた。
いや、でもだとすると、あいつは一体どこにいるんだ? 単にすれ違いの連続で会ってないだけなのか? それとも、あいつの事だから、どこかに潜んでいるとか?
その時、外に人の気配がした。
俺はとっさに障子を突き破り、気配と反対方向から外に脱出した。
□林の中の空き地
木々の間を駆け抜ける。
【シキ】
「遅いな、志貴。まあ、どんだけ頑張っても所詮人間だって事か?」
「シキ、逃がしてくれる気はないよな?」
【シキ】
「逃がす理由も無いしな。なに、今日は殺し合いじゃないんだ。大人しくしてればすぐに……」
ゴンッ!
『ゴンッ!』……?
シキは笑みを浮かべたまま、ゆっくりとうつ伏せに倒れた。
【秋葉】
その背後から現れたのは秋葉だった。
「危ないところでしたね、兄さん」
「秋葉……どうして……?」
【秋葉】
「だって、私が鬼になってしまったんじゃ、後は兄さんに生き残ってもらうしか手がないじゃないですか。兄さんでしたら遠野家家長の座も安心して託せますし、それに……その……私という賞品も……」
「ん? どうした、秋葉? なんで顔を赤らめてるんだ?」
【秋葉】
「もうっ! 分からなければ別にいいです! とにかく私は兄さんの味方ですから早く逃げて下さい! すぐに追っ手が来ますよ!」
「あ、ああ。分かった。サンキュな、秋葉」
【秋葉】
「いえ、どういたしまして」
これって、ゲームとしてフェアなのかなぁとかちょっと思ったけど、よくよく考えてみれば吸血種相手に鬼ごっこやってる時点で人間側は大抵の行動は許されるという事で、自身の内心にはケリをつけた。
そして再び駆け出した時、トランシーバーがノイズを奏でた。
「もう、屋敷内は徹底的に捜し終えたみたいですね」
「では残るは、外か離れという訳だな。では、手分けをして探すとしよう。私は姫を探すつもりでいるが、他の者は如何?」
「はーい。わたしは遠野くんを探しに行きまーす」
「秋葉さまとシキ様は既に外に向かわれてますから、わたし達もそれを追いましょう。それでは皆さん、頑張ってアルクェイドさんと志貴さんを見つけましょうね」
□遠野家居間
「……行ったみたいです」
【有彦】
「ふぅっ……あー、苦しかった。見つからないのはいいけど、誰も俺の事を気にかけないってのは、ちょっと腑に落ちないな」
【翡翠】
「かれこれ五時間以上、ソファの陰に隠れていて、腰の方は大丈夫ですか?」
【有彦】
「ふっ……任せてください。この乾有彦、一週間人間椅子をやってても平気ですとも!」
【翡翠】
「それは死んでしまうと思いますけど。ところで、何故そんな所にずっと隠れていたんですか?」
「ああ、これか。これは鬼ごっこってよりもかくれんぼの必勝法なんだけどね。早い話が灯台下暗し。まさか、数を数えてたその場に人が隠れてるとは思わない盲点を突いた技なのさ」
【翡翠】
「勉強になります」
「この技の欠点は、二回は使えないのと、最初に隠れている事に気付かれると真っ先に捕まっちまうって事なんだけど、どうやら今回はうまく行ったみたいだな。おーおー、みんな必死になって外探してるよ」
【翡翠】
「あ……」
【有彦】
「あー、ま、いいや。とにかくみんな出て行ったみたいだし、久しぶりに身体を伸ばせるぜ。んー」
「あの」
「ん? どしたの翡翠ちゃん」
「みんな、ではありません」
「ああ、そうだった。翡翠ちゃんがここにいるもんな。こりゃ失敬」
「いえ、そうではなく。厨房の方で……」
【シエル】
「ふぅっ……ご馳走様でしたー。あんなに一杯カレーを食べたのは、久しぶりです。あ、乾くん発見。はい、タッチ。これで乾くんも、鬼ですね」
【有彦】
「あ……」
【シエル】
「翡翠さん、乾くんが鬼になった報告、お願いできますか?」
【翡翠】
「はい。それでは、これより放送を開始します」
『――という訳で、現在残っているのはアルクェイドさんと志貴さまの二人です。残り十分、頑張って下さい』
今度こそ、本当に俺とアルクェイドの二人だけらしい。
□屋敷の裏の林
そして庭でついに、アルクェイドを発見した。っていうか、何でお前はそんな無防備に歩いていられるんだ!
「アルクェイド!」
【アルクェイド】
「やっほー、志貴。やっぱり無事だったんだね」
「お前、一体どこに隠れてた!?」
【アルクェイド】
「え? わたしはただ、屋敷の屋根の上でずーっと昼寝してただけだけど? 気をつけなきゃいけなかったのは、ネロの使い魔だけだったし」
何故だろう。必死こいて屋敷中を駆けずり回っていた自分が、まるで馬鹿みたいに思えるのは?
「それで、残り十分でこんなところにいるのは何でだよ。大人しく、屋根の上でボーっとしてれば良さそうなもんを」
「だって、それじゃわたし、全然参加してないみたいじゃない。わたしだって、みんなと追い掛けっこしたいわよ」
「ああ、そうかい。俺はうんざりするほどやったから、出来れば替わってもらいたいぐらいだよ」
【アルクェイド】
「うん。上からずっと志貴の行動見てたよ。面白かった」
……今、七夜の血とはまるで無関係の所でアルクェイドに対して殺意が湧く自分が、どうしようもなく愛しかった。
「でしたら、その追い掛けっこを楽しませて上げましょうか、アルクェイド」
俺とアルクェイドの間を強い突風がよぎった。
否、それは巨大な投剣――黒鍵だった。
□屋敷の裏の林
刃の中ほどまでが屋敷の壁に埋まり、衝撃でまだ震えていた。そして、これの使い手といえば、俺の知り合いには一人しかいるはずもなく――
「シ、シエル先輩……」
【シエル】
「はい、遠野くん。これで年貢の納め時ですね」
「先輩、法衣姿でその台詞はちょっと合わないんじゃ……それに、いつの間に着替えたんですか?」
「細かい事はいいんです。さあ、これで全員捕まえました。乾くん、遠野くんをお願いします」
【有彦】
「アイアイサー! 遠野、大人しく捕まりやがれ!」
「御免こうむる!」
俺は飛び掛かってきた有彦をヒラリと避けた。
「アルクェイド!」
【アルクェイド】
「どうも……こっちは逃がしてくれる気配は無さそうね。志貴、先に行って」
「いや、しかしだな……」
「シエルの方は心配無いわ。わたしが牽制している限り、志貴には手を出せない」
「わ、分かった……でも、殺し合いはするなよ?」
「分かってるわよ。ゲームだもの。でもね――」
アルクェイドの目が、ギンと光った。
【アルクェイド】
「黒鍵は反則じゃないかしら、シエル? そっちがそう来るなら、わたしもちょっとだけ本気を出させてもらうわよ」
【アルクェイド】
□遠野家居間
「ぜはーっ……」
俺は屋敷の居間に戻って来た。
時計は午後三時五十九分。
誰かが戻ってくるにしても、俺に触れるまでの時間稼ぎぐらいは出来る。
【翡翠】
「お帰りなさいませ、志貴さま」
「ああ、ただいま、翡翠……ってなんだか、学校から帰って来た時のやり取りみたいだな」
【翡翠】
「そうですね。それから、ちょうど志貴さまが戻られましたので、直接報告させて頂きます。アルクェイド様が『鬼』になりました」
「さすがのアルクェイドも先輩にやられちゃったか」
「いえ、シエル様がアルクェイド様の注意を自分に引きつけている間に、背後から秋葉さまがタッチされました」
「なるほど。じゃあ、最後まで残ったのは俺だけって事か」
【翡翠】
「いいえ。最後に残るのは、誰もいません」
「え?」
俺が問いただすより前に、翡翠の手が俺の肩に触れた。
【翡翠】
「これで、おしまいです」
そう言って微笑む翡翠。
その意味がゆっくりと脳に浸透する。
翡翠が自分から俺に触れてくる事など、まずあり得ない。
それに第一、触れてくる動機がない。
つまり、目の前にいるのは翡翠ではなく、翡翠の格好をした――
「こ、琥珀かっ!?」
【翡翠】
「はい、どうやらギリギリで間に合ったようですね。残り五秒でした」
翡翠――いや、琥珀が頭を下げると同時に、ゲーム終了を告げる時計のベルが鳴り響いた。
□遠野家居間
【有彦】
「えーと、これは運動会の時に有間んちの面々と撮った写真だろ、それにこっちが徒競走の後、貧血でぶっ倒れた遠野」
【アルクェイド】
「へー、志貴にも子供の頃ってあったんだねー」
【シエル】
「アルクェイド、何を当たり前の事言ってるんですか。人間なら誰にだって、子供の時はあります」
「わたしはないもん。うわ、この志貴の写真欲しい!」
「あなたは人間じゃないでしょうがっ! それに、この賞品は琥珀さんの物なんですから、勝手に写真を抜き取っちゃ駄目です!」
【アルクェイド】
「へえ……じゃあ、あなたもそのポケットに忍びこませた五葉の写真、ちゃんと戻しとかないとね。まったく、人にお説教するだけしといて自分はこれだもん。油断も隙も無いんだから」
【有彦】
「弓塚も物欲しそうな顔するなよー。お前だって、中学時代の写真は持ってるだろ?」
【さつき】
「で、でも、わたしは遠野くんの写真なんて、あんまり持って無いもの」
【アルクェイド】
「あと、そっちの妹は本気で真剣にアルバム見てるし。おーい、妹。帰って来いー?」
【秋葉】
「あ……はい? 何ですか、アルクェイドさん?」
「あ、戻ってきた。よくまあ、志貴の写真をずっと飽きもせずに眺められるね。毎日顔合わせているのに」
【秋葉】
「それとこれとはまったく別問題です。私と兄さんは八年間離れていたんですから、その貴重な成長記録に興味を示すのはごく当然の事じゃないですか」
「でも、よかったじゃない。妹の場合、琥珀が勝ったからいつでも見れるし」
【秋葉】
「その度に琥珀に頼まなければならないのが、少々癪ですけどね。まあ、それぐらいは妥協しましょう。こちらは敗者ですし」
【シキ】
「秋葉。志貴の写真ばかりじゃなくて、オレのも見ろ。貴重な実兄の成長記録だ」
【秋葉】
「って、あなたの写真は全部座敷牢での撮影じゃないですか!」
【シエル】
「うわー、これはこれで怖いですね。景色はまるで変わってないのに、写ってる本人だけは成長してます。しかも全部同じピースサインですし、心霊写真みたいですし。これって、琥珀さんの撮影ですか?」
【ネロ】
「アルバムならば、私も所有しているぞ。これまでに取り込んだ使い魔達の記録だ。とくと見るがいい。中には絶滅した動物や珍獣も混じっている稀少本だ」
【有彦】
「うわっ……こりゃ、そっちの兄ちゃんのアルバムに輪を掛けてすごいな。説明受けないと、単なる動物の撮影写真だけど」
【シエル】
「が、がくがく動物ランド……? 全部で六百六十六葉あるんですか、これ?」
【ネロ】
「否だ。死んでしまってから補填したモノも数に入っているから、実質千葉を軽く超えるだろう。それに死徒になりたての頃は、そもそもカメラ自体が無かった。当時は、絵画を以って記録とさせてもらっている」
【アルクェイド】
「ほんとだ……ネロ、あんた絵も描いてたの?」
などと言ったみんなのやり取りを尻目に、俺はソファに座って翡翠と話していた。
あの面子に混じるのは、何だか無駄に体力がいりそうな気がするので離れていたと言うのが本音だったりする。まあ、アルバムは後で見せてもらう事にしよう。
「それにしても、翡翠にはやられたよ。古典的な双子トリックとはね」
【翡翠】
「申し訳ありません、志貴さま。ゲーム終了の三十分ほど前に姉さんから話を持ち掛けられて、入れ替わっていたんです」
「まあ、変装してはいけませんなんてルールは無かったし、別にいいけど。それより、最後の最後で油断した自分の方が痛かった」
【翡翠】
「惜しかったですね、志貴さま」
「うん。あ、そういえば、勝利者の琥珀さんは一体、どこ行ったんだろ? 翡翠、知ってる?」
「姉さんなら、先刻中庭の方に向かわれるのを見掛けました。おそらく、涼みに出られたのだと思われます」
「そっか。それじゃちょっと行って来る」
俺はソファから立ち上がった。
□中庭のベンチ
中庭に出ると、琥珀さんが椅子に座って目を瞑っていた。どうやら翡翠の言っていた通り、本当に涼んでいたらしい。
外はすっかり暗くなっていて、涼しい風が吹いて来る。
【琥珀】
「あ、志貴さん。どうかされましたか?」
俺が近づくと俺の気配に気が付いたのか、琥珀さんはゆっくりと目を開いて立ち上がった。
「いや、ちょっと話でもしようかなと思って。いいかな?」
「はい。全然構いませんよ。それで、何をお話しましょう」
とはいえ、別にこれと言った話題も無かったりする。
「今日は久しぶりに、ずいぶんと動き回ったような気がするよ。かなり疲れた」
【琥珀】
「志貴さん達って、昔もあんな風だったんですか?
つまり、敷地内をフルに使用してたって意味ですけど」
「まあ、どこかれ構わず遊びまわってたって言う意味では当たりだけど、何せ子供だったからなー。今日みたいに本当にあちこち動き回るって事は無かったと思う。それに、昔のゲームはもうちょっと単純だったよ。走り回って鬼に捕まったらアウト、だけだったから」
【琥珀】
「あはは。今日のは途中から、微妙に趣旨が変わってましたよねー」
「うん。昔は、ゲームの最中にカレーを作ったりはしなかったと思う」
【琥珀】
「んー、そうですね。でも、真っ当に勝負しても勝てそうにありませんでしたから。でも、よかったと思いますよ。最後にはちゃんと翡翠ちゃんも参加できましたし」
あれは……参加したって言うのか? よく分からないけど、まあ納得してるならいいか。
「あ、そうそう。これはお返ししておきますね」
と、琥珀さんは袖から短刀を取り出した。柄に七つ夜と刻まれている。俺の短刀だった。
【琥珀】
「シエルさんの第七聖典、秋葉さまの一日当主の座も同様にお返ししとかないといけませんね。貰っても使い道がないですから」
「シキの賞品の秋葉は?」
【琥珀】
「あはは。魅力的ですけど、後が怖いのでそれもやめておきます。でも、志貴さんは一回ぐらいデートの権利ぐらいいいかなとか思ってます」
「ああ、それなら全然構わないよ。そういう意味ではアルクェイドとかが勝たなくてよかったかもしれないな。あいつの事だから、本気で千年城に連れて行かれかねない」
「後の賞品は有り難く受けとっておきます。志貴さんのご幼少時の写真とかは、貴重ですからね」
俺はちょっと困って頭を掻いた。琥珀さんの部屋に俺のアルバム。なんだか落ち着かない気分だった。
「……それじゃ、そろそろ戻ろうか。主役がいないと、みんな心配するし」
【琥珀】
「そうですね。ずっとここだと冷えてしまいますし」
俺と琥珀さんが並んで部屋に戻ろうとしたその時だった。
オーーーーーーーーーン。
遠くから、犬の鳴き声が響いて来た。俺は思わず顔を上げた。
「ん? 野犬かな?」
【琥珀】
「あ、ネロさんの使い魔、クールトー君です」
「は?」
「ほら、最近世の中物騒じゃないですか。だから番犬でも飼いましょうか、とか秋葉さまと話していたこともあるんですよ。ちょうどよかったです」
俺は思わず庭を振り返った。いや、確かにあれを返す、とは琥珀さん一言も言って無かったけど。
「あ、あの黒犬……うちの番犬にする気?」
【琥珀】
「はい。頼もしい限りですね。今度、餌用に生ハムとか買ってあげとかないと駄目ですねー」
頼もしいって……分かってるのか、琥珀さん? あれ、戦闘用の使い魔だぞ? ただでさえ、遠野の屋敷はあまりいい評判を聞かないってのに、あんなの飼った日には一体どんな噂が流れる事か。
「志貴さーん、いつまでもそんな所に立ってると、風邪を引きますよー」
琥珀さんの声に、俺ははっと我に返った。
「あ、はいはい、今戻ります!」
踵を返し、屋敷に向かう。
オーーーーーーーーーン。
俺の背後、月夜の空にクールトー君の寂しげな咆哮がこだました。
□屋敷の廊下
「楽しかった?」
【琥珀】
「はい、それはもう。ありがとうございました」
「そりゃよかった。それじゃ琥珀さん、今回貰った物の中で一番嬉しかった物は?」
【琥珀】
「皆さんとの共通の思い出、ですね、やっぱり」