「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ
『「夢十夜」ななこちゃんSOS!』
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その日、空模様は最悪だった。
帰りには雨になるかね、などと楽観しているうちにぽつぽつと降ってきて、帰る頃にはもう大雨。
ほうほうの体で帰る途中、いつも通るドブ川も水量を増して荒れ狂っていた。
まるで台風じゃん、と橋を走りぬける。と、そこで川上から流れてくる物体に気が付いた。
それが中々のガラクタぶりをしていたもんだからコレクター精神を刺激されちまって、水量を増したドブ川を泳いで回収した。
拾ったのだから、それはもう間違いなく自分の物だ。
桃太郎か何かの気分になって家に帰り、ガラクタを綺麗に洗ってから部屋に持ち込んだ。
んで、ずぶ濡れになった自分の体を風呂で洗って、そのまま就寝。
拾い上げたガラクタが恐ろしく重かったという事もあったんだろう。
まる三日土木工事のアルバイトをしたみたいに体は疲れきっていて、呆気なく眠りに落ちた。
そうして何の因果か、柄にも無く昔の夢を見た。
□教室
「オレのライバルになりそうなのはおまえぐらいのもんだな」
同い年の、まだ十歳にもなっていない小学生にメンチをきる。
おっと、小学生だっていうのにこの教室なのはご愛嬌だ。なにしろガキの頃の学校なんてうろ覚えなんだからこっちで代用してるんだろう。
「―――――――――」
ソイツは目の前にいるオレをなんとも思っていないようだった。
無視している、という訳でもなく、ただ風景と同じように因縁をふっかけてきたオレを眺めている。
「………………………」
頭にきたんでソイツのプリンを食った。
この時は確か給食中だった。しかも月に一度のプリンが出る日。
「ふふん」
と勝ち誇った笑みをうかべるオレ。
「―――――――――」
ソイツはそれでも無言で、興味なさそうに給食を食べ始めた。
「こ、こいつ――――!」
かっちーんときた。
その後は取っ組み合いのケンカになった。
まあ教師に止められて二人して怒られたワケだが、オレはオレで自分の勘は正しかったと一人満足していたワケである。
なにしろ大人しい顔して大暴れしやがったソイツは、見込んだ通りオレの同類だったからである。
んで、腹に四発、顔には数発、ガキのくせに背中やわき腹、とどめには足の関節を決めにきやがったソイツは最後まで声をあげなかった。
や、思った通りの壊れっぷりだ。
その終始無言で嫌味なぐらいに大人びたガキの名前は遠野志貴。
ついでいうとオレの名前が乾有彦。
これがまあ、後々呆れるぐらい長い付き合いになる男との馴れ初めってヤツだった。
……って、なに?
今回、オレな主役なワケ?
「そーですよ、これは有彦さんが主役ですー」
あ、そうなんだ、らっき。
―――って騙されねえぞ。なんだよ、今の能天気なんだか陰気なんだかわからねえ声は!
「ふふふ、それは読んでのお楽しみです。うーんと、お代は寿命一年分でー」
……あっちゃっあ。
なんか、ひっでえ頭痛がしそうだなあ――――
夕焼けが眩しい川原でオレたちは殴り合った。
別にお互いが憎かったわけじゃなく、きっと自分に文句がありすぎて、よく似たソイツを殴って殴ってすっきりしたかっただけなんだろう。
それはソイツも同じで、オレたちは本当に遠慮なく、納得いくまで殴り合った。
その結果、お互い一歩も動けなくなってダブルノックダウンになった、なんて冴えない話ではあるのだが。
そうして草むらに転がって、歯が抜けたー、だの吐きそうだー、だのと文句を言い合っていたと思う。
もちろん、いくら納得いくまで殴り合ったといっても、まだまだ自分に対する文句はつきなかった。
けれどまあ、それはそれですっきりしたのだ。
自分に対する不満なんてものは絶対になくならないのだと解ったし、自分と同じようなバカが居るのだと分かっただけで満足だった。
くわえて、普段冷静なソイツがやけに子供じみていた事も心の底から愉快だった。
その時交わした会話はよく覚えていない。
きっとなんでもない、小学生のガキがするつまらない話だったんだろう。覚える価値もない、その場かぎりの愉快な会話というヤツだ。
けれど。
それでも最後の話だけは、おそらくはずっと胸に残る思い出だった。
どうしてそんな話になったのか、オレたちは臨終の話をした。
今際の際、もうここまで!という時にどんな事を考えるか、なんていうガキらしくない話である。
「それだけは決まってる。オレはさ、死ぬ時にはあやまらなきゃならねえんだ。こうしおらしく頭を下げてさ、みんな、今までごめんなさいってさ」
うん、とソイツは頷いた。
ソイツはよく解るよ、といった顔で川原を見つめて、
「ボクは感謝するかな。みんな、今までありがとうって」
なんて、とんでもなく満ち足りた顔でいいやがった。
その時、痛烈に思い知った。
自分と似ていると思っていたソイツは、その実とんでもないバカモノだった。
オレたちの違いは本当に小さい。ほんの些細な、時計の針が一時間ばかりズレているだけの違いだ。そんな些細な違いは気にする必要もない。
だが、それで痛烈に思い知ったのだ。
死ぬ間際にありがとうだなんて言えるコイツには、オレは一生かなわないと。
気に食わないライバルが一転して友人になって喜んだ途端、ソイツはやっぱりライバルだったのだ、と知らされたようなものだ。
それはもうひどい裏切りで、ものすごく悔しくなったのは当たり前。
だっていうのに、オレは笑っていた。
この、不平等さとか理不尽な暴力とか、そういった世の中の恨みつらみの塊みたいなヤツが、そんな言葉を口にしたコトがたまらなく嬉しかった。
だから笑った。
夕日でキラキラと光る川原を前にして、オレは殴られて傷む腹を抱えて大笑いしたんだっけ―――
□乾家
ここに一戸建ての家がある。
場所は住宅街の片隅。駅までは歩いて二十分強、しかもマイナーな私鉄。くわえて近所にコンビニの一軒もないという、不便極まりない立地条件だ。
それでも住めば都というのか、引っ越してきてから八年近く経てばなんら文句が浮かばないのだから人間ってのはしぶとく出来ている。
家の表札には乾、という漢字が一文字。
これはイヌイと読む。わりあい珍しい苗字なのでこの住宅街にはうち以外にイヌイという表札はない。
「うい〜、とうちゃくー」
学校を午前中でぶっちして、やる事もないので家に帰ってきた。
一応、オレはこの家の住人だったりするわけだ。
苗字は乾、名前は有彦。ある男だから有彦、と簡単に付けられた名前らしい。姉貴なんざ一子というシンプルさで、その由来なんて言うまでもないだろう。
で、その単純なんだか豪快なんだか紙一重な両親は事故でとっくにリタイヤしちまっていて、乾家には姉貴とオレしか住んでいない。
二人きりになったのはかれこれ八年ほど前で、乾有彦は情操教育が大事な時期に親なしで育ってしまったワケである。
しかし、両親がわりになる筈の姉貴はオレ以上に生活能力のないタワケだった。
両親の死に何か感じ入るものがあったのか、姉貴はやりたい事だけをする、というオレ以上のアンポンタンぶりを発揮し、オレはオレでこれ幸いにと同じくやりたい放題に育って、今では立派な不良学生というワケだ。
んで、今日も今日とて必要な単位だけクリアーし、サッサと学校から引き上げてきたワケである。
心残りと言えば一年の娘を外に連れ出すのに失敗したコトぐらいか。
「―――いかんなあ、最近どうも調子が悪い」
今まで女ッ気がなかったアノヤロウが急に艶っぽい状況になったもんだから、ここんところナンパも失敗してばかりだ。
……ま、こういう時はとりあえず寝てから街に出るにかぎるので、とりあえずアジトに帰還するべきだろう。
――――さて。
前もって言っておくと、乾有彦は霊感ゼロである。
十数年生きてきていまだに金縛り一つ経験してないんだから、これだけは間違いないと断言できる話である。
□乾家のキッチン
「っ―――」
包丁を持つ右手が傷む。
この間、雨の日に拾ったガラクタで手の平を切ってしまった傷だ。
派手に出血していたものの傷は浅く、今はバンソーコーを貼って誤魔化している。
オレはコルクボードに貼られている紙――姉帰宅中につき騒音禁ず――を剥がしてから調理にとりかかった。
「……ったく、一子のヤツ居るなら飯ぐらい作っとけってんだ」
オレ同様、姉貴は年中家を空けている。
それが珍しく帰ってきているのだが、姉貴は帰ってくると大抵部屋に閉じこもったまま出てこない。
そんな生活能力ゼロの姉貴に期待しても飯が出てくるわけではないので、てっとりばやく自分で作る事にした。
といってもオレが出来るもんといえば炒飯と炒飯にキムチをいれたキムチ炒飯とあるもん全部いっしょくたに炒める野菜炒めしかできないのであるが。
「……と、なんだこりゃ?」
冷蔵庫を開けて、どうも昨日と趣きが違うなと首をかしげた。
あれだけ大量に買いこんであった野菜類が半分以下になっている。……珍しいコトもあるもんだが、姉貴が何か作ったのかもしれない。
「なんだ、作ったんならオレの分ぐらい残しておけっての」
一人分も二人分もさして労力は変わらねーだろ、と悪態をつきながら野菜炒めを作って、そのまま腹にかっこむ。
「うし、昼飯完了」
ほどよい満腹感を堪能しつつ、自分の部屋へ足を向ける。
――――がさ。
がさがさがさ。
「―――――――あ?」
階段を上って自分の部屋の前まできて、その物音に気が付いた。
がさがさ。ごとごと。もぐもぐ。ごくん。
「……へえ」
驚く前に肝が据わった。
あからさまに何かを漁る音がテメエの部屋からしているのだ。
他のヤツならいざ知らず、こういう荒事で腰が引けるほど乾有彦は行儀の良い育ちをしていない。
「……へっ、オレんトコに盗みに入るとはいい度胸してるねえ……」
ニヤリと笑って、ためらうコトなく襖を開けた。
―――――――ヘンなのがいる。
「ひゃっ?」
「―――――」
襖を閉めた。
「な……なな、な――――――」
な、なんだってんだ今の―――!?
「ちょっ、ちょちょちょちょっと待てよオイ!?」
目、目の錯覚だろうか。
なんか今、見てはいけないモノを見てしまった気がする。
「待て、待て待て待て待て待て待て……! いいか、オレは疲れてる。このうえなく疲れている。なにしろ二日連チャンで徹夜記録更新中だ。そしてカルシウムも不足している。おまけにここんトコ女運も最悪だ。……おし、こんだけ疲れてんなら時たま幻覚を見ちまってもおかしくない……!」
オーケー、それでいこう!
それなら全部オッケー、今見たコトなんて無かった事になる。
ほら、その証拠に部屋の中からする物音だってしなくなって――――
……。
…………。
…………………ごそ、ごそ。
ごそごそ。がさ。もぐもぐもぐ。
「って、なに再開してやがるテメエ――――!」
「うひゃあ!? は、はい、どのようなご用件でしょうか……!」
驚いて顔をあげる謎の生物。
あからさまに不法侵入者のくせに正座をしているあたり、妙に落ちついていてますますワケが解らなくなった。
「な、なんでしょうって、テメエ――――」
「はい、入ってますよ?」
くっ、と鳩のように首をかしげる。
……あ。
なんか、その落ち着きぶりが頭にきた。
「入ってますよ、じゃねえだろ! テメエ、盗人の分際でなに落ちついてやが――――」
その首根っこをひっ掴まえようと腕を伸ばして、スルリ、と畳に手がついた。
「―――――――――る?」
さあ、と血の気が引く音。
オレの腕は目の前の生物を完全にすり抜けていた。
「お―――」
化け、とどうしても口にできないで、ただブンブンと立体映像のような相手を確かめる。
ひとんちの人参(アレは間違いなくオレが買ってきた人参だ)を盗み食っていたソイツは、
「ありゃ、誰かと思えば貴方でしたか。えっと、こんにちはですねご主人さま!」
なんて、意識をオトしかねない言葉を笑顔で吐きやがった。
□有彦の部屋
簡潔にいこう。
突如オレの部屋に現れた正体不明の生物はオカルトだった。
幽霊なんだか生霊なんだか解らないが、本人が「セイレイですー」なんて言っている以上、霊のたぐいであるんだろう。
良く見れば尻尾があったり手足がどう見ても人間のモノではないから動物の霊なのかもしれない。それがどうして人間さまの格好、しかも女なのかなんて、オレに訊かれても心底困る。
つまり今、放心状態にある乾有彦の前でトツトツと身の上話を始めやがったオカルトの正体は依然として不明のままで、唯一解っている事と言えば、
「―――――喋る馬だ」
こいつが動物の幽霊だとしたら、それは間違いなく馬だという事ぐらいだった。
【ななこ】
「違いますよご主人さま。わたし、お馬さんではないのです」
「――――――――」
ご大層にも反論してくる。
ひょい、と目覚まし時計を馬の顔面へと投げつけた。
目覚まし時計は馬をすり抜けて壁に激突する。
【ななこ】
「うわー、あぶなーい」
まったく慌てた風もなく喋る馬。
―――まいった、こりゃあホントに本物だ。
「おい」
【ななこ】
「はい、なんでしょうかご主人さま?」
「ふざけんな、はいなんでしょうかご主人さま?じゃねえだろうが……! 一体なんのつもりで人様のうちにあがりこんだか知らねえけどな、幽霊なら幽霊らしく人間さまに見つかったら消えんのが筋だろう! それを何を呑気に、延々とくだらねえ話をしやがって……!」
ダン、と床を踏みしだいて気勢を張った。
なにしろ相手は幽霊だ。納得はしたものの受け入れる事などできないので、とにかく自分でも不自然なぐらいに怒るコトにする。
【ななこ】
「あう!? あの、それはもう一度同じ話を繰り返せとか、そういうメンドくさいコトを言ってらっしゃるんでしょうか……?」
おずおずとタワケたコトを言う馬。
「んなワケねえだろうこのバカ! ……わかってるよ、テメエは幽霊で前のご主人さまとはぐれて気がついたらオレの部屋にいてハラぁ減ったから勝手に台所から食い物をかっぱらったって言いてえんだろ!? ったく、その程度のことを十分も二十分も長々と話しやがってバカかテメエは!」
【ななこ】
「うっ……だって今度のご主人さまは頭が悪そうでしたから、ちゃんと説明してあげないとダメかなーってがんばってみたんですぅー」
「あ、あ、頭が悪そうだぁぁああああ!? 馬の分際で言うにコトかいてそれかテメエは……!」
触ってもすり抜けるコトを忘れて、両手で馬の頭をグリグリと圧迫した。両手を拳骨にして、頭の左右を抉るように圧迫する、俗に言うウメボシである。
「うひゃっ! いたいたい、ご主人さまいたいですぅ!」
「―――――む?」
と、びっくり。左手ならこいつの体に触れられる。
左手といえば、例のガラクタを拾う時にザックリと切った所だ。
ぱっ、と左手を離す。
【ななこ】
「うわっ。ううう、今のはイヤですよう。もう嫌いになりましたから次からはしないでくださいー」
すりすりとウメボシをされた右側の頭をさする馬。
「……………」
……だめだ。
このヤロウ、一人で怒鳴っているオレのほうが馬鹿に見えるぐらい落ちついてやがる。
「――――おい」
【ななこ】
「もうっ、さっきからそればっかりですねご主人さまは。オイ。おい。おいおいおい。……あれ、なんか語呂がいいですよコレ? おい、しっかりしろご主人さま!なんて言ってみたりしましたがー」
ぱんぱん、と調子に乗ってひづめのついた手で人の頭を叩いてくる馬。
2
□有彦の部屋
「ぶっ―――――!」
……正直シャレにならないぐらい痛い。
どのくらいヘヴィかっていうと、キラキラとオ星さまが飛んでいるぐらいヘビィだ。
「テ、テメエ――――」
今のは痛かったぞ、という言葉を必死に呑み込んだ。
コイツの軽いつっこみでこっちがグロッキー寸前だなんて知られたらどんな強気に出られるか判らない。……まあ、コイツにそれだけの機転があるとは到底思えないが、それでも念には念を入れるべきだろう。
「……おい、馬」
【ななこ】
「はい、なんでしょうかご主人さま」
「……それだ。言いたい事は山ほどあるが、まずはそれを止めろ」
「? それ、とはなんのコトでしょうか」
「だから、そのご主人さまってのはなんなんだよ。言っとくけどな、オレは喋る馬の飼い主になった覚えはねえぞ。加えて言うんならテメエみたいなオカルトに付き合ってるほど酔狂でもねえ……!」
だん、ともう一度床を踏みしだいて気合を入れる。
オレの迫力に押されたのか、馬はわずかに後ろに引いてから、
【ななこ】
「うわっ、ご主人さまはご主人さまではないんですか!?」
なんて、心底びっくりしたようにオレを見やがった。
「そ、そんな困りますっ……! 覚えがないなんて、そんなの契約違反じゃないですか! それだとご主人さまはご主人さまという事ではなくて、えーっと、そのぉ――――」
あたふたと考え込む馬。
その慌てぶりはさっきまでの自分のようで、見ていて気持ちはいいんだが素直に喜べない。
「だからオレはご主人さまなんてモンじゃねえんだっての。オレにとってテメエはただの厄介事なんだから、テメエにとってもオレはただの通行人ってコトにしとけ」
「ええ――――――!?」
ますます困惑する馬。
どうやらコイツにとってはオレはご主人さまという役どころでないといけないらしい。
まあ、そんな事情は知った事じゃない。
動揺するのなら余所で、オレの目の届かない所でやってくれ。
「―――うるせえな。とにかくオレはテメエのご主人さまなんかじゃねえんだ。縁もゆかりもないただの他人なんだからさっさと余所に行っちまえ」
しっしっ、と手を振る。
【ななこ】
「ああ、なるほど。それ、いきましょう」
と。馬は勝手に立ち直っていた。
「そうですよね、ご主人さまではないのならご主人さまではないということです。解りました、特例ではありますが今から有彦さんはただの有彦さんというコトで、わたし承諾しちゃいますー」
「な―――待て、待て待て待て待て! テメエな、何一人でかってに承諾してやがんだよ!ああもう、聞きたくねえけど内容を言え内容を!」
「内容ですかあ? それはですね、わたしはこれからは有彦さんを宿主として存在させて頂く事ですですよ。このお部屋は狭くてあんまりですけど、ちゃんと掃除してくだされば我慢しちゃいます」
馬はきょろきょろと周りを見た後、さーびすですよ?なんて耳打ちしてきた。
「ふ―――――――」
「いえいえ、お礼なんて結構です。わたし、守護精霊になったからにはできるかぎり有彦さんのお側について離れませんー」
「ふ、ふざけんのもタイガイにしやがれ……! だ、誰がテメエなんかオレの部屋に住ませるかあ!」
【ななこ】
「きゃっ……!」
ぐるる、があー、と馬を脅す。
馬はびくびくと体を震わせながら、こそこそと部屋の隅へと逃げていった。
―――なんだ。こいつ、てんで臆病じゃんか。
これならあと一押しで簡単に追い出せる。
「おい」
【ななこ】
「は、はい、こわいです有彦さん」
「そうだ、オレは恐い。怒るともっと恐い。だから出てけ。今すぐ出ていって二度とオレの前に姿を見せないってんなら、盗み食った人参に関しては大目に見てやる」
【ななこ】
「え? ……あの、それってつまり契約破棄ってコトですか?」
「おう。よく知らねえがその契約破棄ってヤツだ。解ったのならさっさと―――」
【ななこ】
「……うわ、そうなんだ。いやだなー、これで何人目かなあ、不慮の事故で死んじゃう人。わたしの責任じゃないっていってもですね、あんまし楽しくないんですよアレ?」
ね? なんて同意を求めてくる。
ぞくり、と背中に走る嫌な予感。
……あんまりにもコイツがアレだから忘れていたけど、そういえばこいつって幽霊だったっけ。
「―――ちょっと待て。それはつまり、アレか。オマエを追い出したら、その―――祟りが、あるとか」
【ななこ】
「……祟り、ですか?」
自称セイレイははて、と首をかしげた後。
【ななこ】
「…………………フッ」
なんて、たっぷり時間をかけて視線を逸らした。
「うわああああ! なんだ、そのフッって含み笑いはなんだコノヤロウ!」
「フフ…………三日後に串刺し……………くすっ」
「て、ててててて、テメエ脅す気か脅す気なんだな!? チキショー、ぜんぜん恐くなんかねえぞオレはー!」
左手で馬を掴み、がくがくと首を揺らす。
馬は人が変わったように苦笑いを浮かべ続ける。
……それで、折れた。
強がってはいたものの、オカルト関係に滅法弱いオレにこれ以上の抵抗ができる筈がない。
オレは心の底の方でこの常識外れの状況を嘆きつつ、明日から何処に逃げよう、なんてコトを真剣に考え始めた。
□有彦の部屋
結局、オレはそのとんでもない厄介者を認めてしまった。
もちろん長居させるつもりはない。隙を見てコイツから色々と話を聞いて弱点を発見し、しかるべき処置をしてどこぞの燃えないゴミに出すべきだと判断したからだ。
……もっとも、オレが出て行けといってもとぼけるばかりで一向に出て行かないのだから現段階では手のうちようがない。
なので、これは根負けした訳ではなく戦略的休戦というべきだろう。
―――さて。
そうなると、家主としては当面知っておかねばならない事がある。
「――――おい、馬」
【ななこ】
「有彦さん、わたしはお馬ではありませんからその呼び方は間違ってると思いますよ? ……えーっと、出来れば名称で呼んでいただきたいなー、とか」
「解ってる。だから教えろよ、名前。テメエはオレの名前を知ってたみたいだがな、オレは幽霊に知り合いはいねえんだ。テメエの名前なんて判る筈がねえだろ」
【ななこ】
「ああ、言われてみればー」
またも緩んだ笑みを浮かべて、馬はセブンと名乗った。
「…………セブン、ねえ」
はあ。そりゃあ日本人じゃないとは思ったが、ホントに日本人じゃなかったか。
……って、そもそも人間じゃなかったなコイツ。
【ななこ】
「……あの、有彦さん……? わたしの名称はお気に召しませんか……?」
馬……セブンは心配そうにオレの顔を覗き込んでくる。……フン、なまじ落ちついてしまうと冷静にコイツの容姿が目に入るようになっちまった。
「―――そうだな、上等なもんじゃない」
「……………………」
がっくりと肩を落とす。
その仕草は手足の不恰好さを差し引いても、馬だなんて罵倒できる容姿ではなかった。
――――――ちっ。
ああまあ、ようするに人間的すぎるという事だ。
だからセブンという名前は気に食わない。
そもそも、この天然の能天気幽霊にそんなスマートな名前は似合わない。
こいつに似合うのはもっと、ダサくてドンくさくて、それでいて丸っこい響きだろう。
「おまえさ、そのセブンっていうのは本名なのか」
「えーっと、それ以外の呼ばれ方をした事がないので多分そうではないかなーって」
「なんだそりゃ。おまえ、自分の名前も分からないのか」
「えーっと、思い出せません」
……それはどうにもよろしくない。
そりゃあ幽霊なんだから名前なんてないだろうけど、幽霊自体が名前を覚えていないのでは話にならない。
かといってセブンという呼び方は実感が湧かない。
湧かないので、
「ななこだ」
「―――――はい?」
「だから、ななこ。オレはオマエをそう呼ぶから、覚えとけ」
そう、便宜上ななこと仮名をつける事にした。
「―――――――――」
馬……もとい、ななこは呆然と立ち尽くしている。
「なんだ、気に食わないなら早めに言えよ。いまならまだ変更可能だぞ」
というか、こいつのコトなら“そんなセンスないのヤですー”とか言うに決まって――
【ななこ】
「えへへー、なんか照れちゃいますねー!」
「――――――――――」
ななこは嬉しそうだ。
……白状すれば、その笑顔はわりと可愛い。
とんがっている耳だの指がない手足だのを差し引きにしても、ななこはかなりの上玉だ。
……というか。
健全な青少年であるオレからすれば、ななこの格好はかなりそそる。
「―――――おし、試してみっか」
畳に下ろしていた腰を上げる。
【ななこ】
「え……? あ、有彦さん、なにかスゴイこと考えてません?」
「別に。ただどこまで人間と同じなのか確かめてみるだけだぜ」
無造作にななこへ歩み寄る。
「ひゃっ―――! あ、有彦さん、目が本気、本気ですね!」
じりじりと部屋の隅に逃げるななこを追い詰める。
「有彦さん、わたしは精霊なんですよ? あの、そういう邪な考えはしないほうがいいかなーって……」
「気にすんな、何事も経験だ」
ま、獣姦ってのは流石に初めてだが、などと付け足す。
「―――――! ひゃあ、有彦さんマスターなみに世界広すぎですようー!」
バタバタと手をふってオレを追い払おうとするななこ。
冗談のつもりで言ったのだが、ななこには通じなかったようだ。……ますます面白い。
「なんだ、マスターってご主人さまってコトか? ……ってコトはなんだ、オレの他にれっきとした飼い主がいるってワケだ」
「うわあああん、あんな悪魔みたいなひと知りませんー!」
ありゃ。今度は両手両足で暴れ出した。
こりゃあよっぽどマスターとやらが苦手らしい。というコトは、そいつを捜し出せばコイツを追っ払えるってコトか。
「―――ま、それはともかく続き続き」
左手を伸ばしてななこの腕を掴む。
柔らかい感触。
……うわ、こいつまじで上玉だ。触っただけでぞくりとくる肌なんて、普段何食って生きてやがるんだろうコイツ?
うーむ、冗談と脅しのつもりでやってるんだが、それも下手をすると本気になっちまいそうだ。
というか、こんな所を他人に見られたらあらぬ誤解を生みかねない。
こんなトンチがきいた服装の女を部屋に連れこんで、嫌がってるのに伸し掛かろうとしているなんて、まるでレイプしているようなもの――――
【一子】
「ちょっと。有彦、あんたうるさいよ」
と。
すぱーん! と勢いよく姉貴が襖を開けていた。
「―――――――――――」
「―――――――――――」
見詰め合う姉と弟。
その緊張を察したのか、
「あ、一子さんですねー。お邪魔してますー」
ななこは、やはり呑気にそんな声をあげていた。
「―――――一子。それは、誤解だ」
前もって言っておく。
【一子】
「……………また、変わった趣味を」
うわっ、その何かを諦めたようなトーンはなんだ、トーンは!
「……まいったね。まさか肉親から変質種を出すはめになるなんて」
襖を閉めて姉貴は階段を下りていった。
そうして、一片の躊躇いもなく受話器を外す音がする。
「ああ、もしもし警察? ちょっと来てほしいんだけどね、いいかい?」
「うわああ、実の弟を警察に売る気かクソ姉貴!」
慌てて廊下へ駆け出す。
「たすけてー、わたしおかされちゃいますー」
弾むような声で姉貴を煽るななこ。
「テメエ、ほんっとにいい根性してやがんな!」
怒鳴り声をあげつつ、今まさにうちの住所を告げようとする姉貴から受話器を取り上げた。
―――はあ。
なんかもう、片足だけじゃなく首まで泥沼につかっちまったような気がする―――
人間、ガキの頃にきっつい出来事を体験していると性根が腐る。
性格骨子というものがあるのなら、骨っていう骨が曲がっちまうようなものだ。
腕のいい骨接ぎ師の世話にならなければ曲がったままで成長しちまって、結果としてオレみたいな人間になっちまう。
まあ、オレの場合は毒にも薬にもならない曲がり方をしたんで、そう偉そうな口上をたれるほどの事でもないのだが。
□教室
初めてソイツを見た時、一目で分かった。
あのガキは壊れてる。
オレと同じで恐いものがなくなっちまったクソガキだって。
オレは両親を失った事故以来、平穏な一日というものに融けこめなくなってしまっていた。
なんの不安要素もない教室にいてもそれを楽しめるコトがない。
この教室はつり橋の上にあって、気紛れな台風でもやってくれば谷底へまっ逆さま―――なんていうコトを想像して、漠然と“ま、そうゆうこともあるよな”なんて納得していた。
恥ずかしい話だが、ようするに早熟なつもりだったんだろう。
なまじひどい目にあったせいで、死っていうものがどんなものか理解しているつもりになっていたのだ。
それは突発的に訪れる。
なんの規則もなく、順序もなく、およそ不平等にオレたちに振り分けられる。
いい人も悪い人も関係ない。
単に運が無い人間が、石につまずくように“死”を受け持つ事になる。
その理不尽さを、オレはガキの頃から知っているつもりでいた。
いや、事実としてそれなりに知っていたと思う。
だからこそ同類が判った。
無邪気なガキどもに紛れて教室にいた、おいおいコイツどっかの病院に隔離したほうがいいんじゃないかっていうぐらい壊れたソイツが。
アレはどんな事故だっただろう。
確か小学校の遠足か何かで遠出をした時の話だ。
山にいって、雨が降ってきて、土砂降りになって、クラスまるごとどこかの小屋に逃げ込んだ。
初めはただの雨だと誰もが思っていた。
だが雨は強くなる一方で、オチとして小屋の後ろにあった崖が崩れて濁流に呑みこまれちまった。
……まあ、小屋はビクともしなかったし崖崩れ自体もそう大きいものではなかった。
そう、多少屋根を突き破って木が突っ込んで来たり、ドアが泥で塞がれて開かなくなったとかそういったレベルの話だ。
それでも小屋に集まったオレたちは不安で不安で仕方がなかった。
泣いていなかったのはオレとアイツだけで、オレはアイツと根競べをするように平静を装った。
……そうだ、結局はそういう事だ。
オレはただ慣れているだけで、自分に責任のない理不尽な死というものを受け入れているワケではなかった。
ただ理屈が分かるだけで答えを持っていたワケじゃない。
だから、その時は静かに、できるだけ静かにして最後の瞬間を待っている事しかできなかった。
それはアイツも同じだったと思う。
ただ違う所があるとすれば、アイツはしきりに窓の外を見ていた。
土砂崩れが始まる前からアイツは外を気にしていて、担任に雨戸を閉めよう、と言っていたのを覚えている。
そうして小屋全体を転がすような濁流がやってきて、オレは目を開けて最後の光景を見届けようとした。
始めは、まあそれなりに冷静だったと思う。
小屋そのものが滑っている、と判った時も驚かなかったし、壁や窓が軋んでひび割れていっても慌てなかった。
泣き叫ぶクラスメイトの声がやかましくて人のいない端っこのほうに這っていったぐらいだ。
が、それがいけなかった。
突然がつん、と衝撃がして天井が破れた。
床に突き刺さる折れた大木。
目と鼻の先にそれが落ちてきて、オレの頭の中は真っ白になってしまった。
こんな事故、いつだって覚悟していたのに何も考えられなくなって動けなくなった。
そんな時。
「みんなの所に戻ろう。ここ、危ないみたいだ」
落ちてきた木の裏から、アイツがひょっこり顔を出してきた。
「おまえ―――――」
恐くないのか、とでも言おうとしたのか。
木の裏から出てくる、という事はコイツも近くにいたという事だ。
目の前に死が、一歩違えば死んでいたという状況で、ソイツは呆れるぐらい平静だった。
「ケガはないんだ。お互い幸運だね。なら、もっと安全なところへいかなくちゃ」
それじゃ行こう、とソイツは小屋の真ん中へと歩き始める。
「――――――――」
それで少しだけ分かった。
オレはいつだって人間は死ぬのだという理不尽さを受け入れていた。それまではせいぜい好き勝手にやっていこうと考えていた。
が、コイツは微妙に違う。
コイツは理不尽な死ってヤツを受け入れた上で、それでものんびりと歩き続けようってヤツなのだ。
「……すげえ、バカ」
というか、異常すぎる。
壊れてると感じたのは当然か。
アイツは容易に死を覚悟できるくせに、次の瞬間には何事もなかったように動けるのだ。
そりゃあ、神経がどうかしているとしか思えないってもんだろう?
「有彦さーん、朝ですよー」
緊張感が著しく欠けた声が聞こえる。
「ほら起きてください、遅刻しちゃいますー」
ぺしぺし、と固い手で頬を叩かれる。
「困ったなあ、一子さんからちゃんと監督するようにお願いされていますから、そろそろ心を鬼にしないといけないみたいですよ」
ぺしぺし、という感触がげしげし、という物騒な響きに変化していく。
「えーっと、それじゃいきますー」
ぐわっ、と大きく振りかぶるような気配がする。
□有彦の部屋
「――――――――っ!」
瞬間、悪夢からうなされたように目が覚めた。
さっきまで頭を預けていた枕には、ななこの前足がめり込んでいたりする。
「な、なにしやがるテメエ――――!」
【ななこ】
「はいっ、おはようございます有彦さん!」
実に元気よく挨拶をしてくるななこ。
……毒気が抜かれるというか、なんというか。いや、そもそもコイツとマトモに話をしていたら頭が痛くなる。
「……おはようございます、じゃねえっての。オレの生活には関わるなって何度言えばわかんだよ、オマエは」
【ななこ】
「はい、ちゃんと承知しています。ですからこうして、できるだけ間接的にお声をかけているんですけど」
「……………」
「それにですね、きちんと学校に行かないとダメだと思うのです。有彦さんは学生さんなんですから」
「―――――」
時計に目をやる。
時刻は午前十時過ぎ。……いまから学校に行ってキチンとするもクソもない。
……ああ、それでもコイツから離れられるなら学校に行くのも悪くない。
「…………」
もそもそと布団から抜け出して学生服に着替える。
【ななこ】
「あ、ご出勤ですか? 有彦さん、少しずつ真人間になってきてうれしいですー」
勝手に人に取り憑いた幽霊は、いつのまにかオレを更生させることを目的としているようだ。
……ああ、誰かコイツを成仏させる方法を教えてくれないもんだろうか。
「……学校に行ってくるから大人しくしてろよ。帰りに人参買ってきてやっから、無闇に冷蔵庫あさんじゃねえぞ」
【ななこ】
「それはもう! あとのことはわたしにお任せしちゃって結構です。それでは行ってらっしゃいませ有彦さん!」
「―――――――」
まったく信用できない笑みを浮かべて、部屋に住み着いた幽霊はオレを学校へと送り出した。
□乾家
「―――さて」
外に出て空を仰ぐ。
空は雲一つない見事な晴天だ。
こんな日に学校に行くなんて勿体無い事はできまい。ここんところななこのせいでストレスたまっている事だし、今日は街をぶらついて遊ぶとしよう。
□繁華街
「おー、久々の解放感!」
がっつ、と両手を握りこぶしにして気合をいれる。
なにしろここ数日間、どうやってあの幽霊を追い出そうかと悩みに悩んでいて羽を伸ばすコトなんてしなかった。
結局そんな方法はなかったわけで、今日からはもうアイツのコトは無かったコトにして遊ぶぐらいしか方法はないって感じだ。
「―――はあ。誰かアイツの追い出し方、教えてくれないもんかなあ……」
こういうオカルト関係に強そうな遠野は、
“有る人には有り、無い人には無いでいいじゃん”
なんていつものまったりぶりでてんでアテにならなかった。
仕方ないんで自分なりにあの幽霊を観察して結果、判明した事は二つだけ。
一つは、アレはオレの部屋、ないし乾家にしか居られないというコト。
理由は不明だが、アイツの行動範囲は乾家に限定されているらしい。
だから他に行く場所もなく、堂々とオレの部屋に居座っているというワケだ。
で、二つ目はやっぱりあいつは性質の悪い幽霊だってコトだ。
“わたし、このままでは消えてしまいます。栄養ください”
なんてコトを言いつつ、あの駄馬は乾家の食料(おもに野菜)を食べること食べること。
本当は人の霊力が必要なのですー、とか言って擦り寄ってきたが、お化けに精気を吸われるなんて耐えられない。
そんなワケで、あれ以来泣く泣く自腹を切ってななこに食料を買い与えている。一子のヤツはアンタのなんだからアンタが面倒みろ、とまるっきり傍観者を気取っていやがるからアテにもならねえし。
……とまあそんなこんなで、実は精神面だけでなく財政面でも困難だったりするワケだ。
こんな生活があと一週間も続いたらバイトを始めるしかない。そうしたらますます学校に行くのが億劫になって、本気で留年しかねないってなもんだ。
「しまらねえなあ。なんだってこんなコトで悩まなくちゃいけねえんだ、オレは」
非常識にも程がある。
なにより呆れちまうのは、幽霊なんていうモンに慣れ始めた自分自身の図太さだ。
「……はあ。なんだって名前なんかつけちまったんだろうねぇ」
少し後悔。
気のせいかもしれないが、アイツは名前をつけた途端、妙に懐いてきたような気がする。
まったく自分らしくない。
オレは目の前で子供が餓死しかけようが、そいつが自分に無関係ならほっとくような人間なのに、どうしてアイツが喜ぶような真似をしてしまったのか。
本当に、心の底から後悔している。
「そもそもなあ、名前をつけたのは嫌味のつもりだったんだが」
それも逆効果だったというコトだ。
アレに嫌味や皮肉なんて上等なモノは通じないともっと早くに理解すれば良かった。
「ったく、ななこじゃねえってんだタコ」
【ななこ】
「はい、なんでしょうか有彦さん」
「いや、だからそれは嫌味のつも―――――――はああああああああああああああ!?」
□繁華街
【ななこ】
「はあああああ、あ、です?」
ずしゃあ! と派手に身を引く。
なんだなんだ、と周りからは奇異の眼差し。
だがそんなモノを気にしている余裕なんてない。
「な、な、な―――――――」
ふるふるとななこを指差す。
そこには確かにななこがいるのだが、周囲の人間には何も見えていないようだ。
みな、突如街中に出現した異常な存在にまったく気が付いていない。
【ななこ】
「やだなあ、恥ずかしいですよう有彦さん。一応わたしの暫定的なマスターなんですから、あんまり面白いコトされると、ちょっと」
「っっっっっっっっ…………!」
がし、と左手でななこの腕を掴む。
「いたっ。有彦さん、痛いですー」
そんな言い分、無視して路地裏へと駆けこんだ。
「天誅!」
□行き止まり
「あいたっ!」
路地裏に連れ込むなり右手でななこの頭を叩いた。
【ななこ】
「あうー、なにするんですかー。有彦さん、すぐに手をあげるのはやめてくださいぃー」
「やめてくださいって、そりゃあこっちのセリフだ! 昼間っから、しかも公衆の面前でしゃあしゃあと出てくる幽霊がナマ言ってんじゃねえ! オマエなあ、ちょっとは自分がおかしいって自覚しろ!」
【ななこ】
「え? わたしおかしくないですよ?」
「―――――っ」
あからさまなはてなマークを飛ばす幽霊。
……ああ。ホント、疲れてきた。
「……解った。よーく解った。オマエさ、ホントはオレを困らせるためにやってきたんだろ? うちに居着いているとか、気が付いたらオレの部屋にいたとかいうのは全部デタラメで、たんにオレをノイローゼにするためにやってきたんだな」
そして差し向けたのは怪しい符術に開眼した遠野に違いない。
【ななこ】
「えー、わたしそんな暇じゃありません。有彦さん、マスターとしては下の下ですから。本来でしたら頼まれたって守護なんかいたしませんよ?」
「―――――――」
こ、こいつはどうしてこう、いつも一言多いんだっての。
「そうかい、そうですかい。ならさっさと失せろってんだ。オレはオマエなんぞに守られるほど酔狂じゃないんだからな」
「そうはいきません。有彦さんは暫定的にしろわたしのマスターになったのですから役目は果たさなければいけないんです。
それにですね、わたしは有彦さんのお部屋から離れられないんですから、どこかに消えるという事もできないですよ」
「――――それだ」
「はい?」
「だからそれだ。オマエ、オレんちから外に出れないんだろ。なのになんだってこんな街中に出てきてんだよ」
【ななこ】
「それはですね、有彦さんの近くなら存在できるからなんです。なんと血の繋がりが日に日に強くなっているわけですね!」
やりましたー、なんて間の抜けた万歳をするななこ。
「血の繋がりって、なんだよそいつは」
【ななこ】
「んー、解りやすくいうと霊的容量の分割というか。つまりですね、有彦さんがついに両手でわたしを叩けるようになったってコトですよ」
「両手で、オマエを……?」
言われて気が付いた。
オレは左手でななこを掴んで、そのまま右手でコイツの頭を叩いたんだっけ。
「う、うわぁあああああ……!」
途端に気持ち悪くなって手を離す。
「あ、それ傷ついちゃいました、わたし」
そんなオレの慌てぶりを冷静に観察するななこ。
「な、なな、なんなんだオマエ! それじゃあ何か、そのうちホントに実体を持つってのか!?」
「はい、有彦さん限定ですけど」
「――ば、ばか言うなよバカ! 前から只者じゃねえって思ってたけど、おまえ一体何者だ!」
【ななこ】
「うふふ、有彦さんに取り憑いた怨霊かもしれませんねえ」
くすり、と陰気な流し目をするクソ幽霊。
ぞわわ、と背中が総毛立つ。
「あ、けど有彦さんの命をどうこうできるレベルではないですよ。まだ前のマスターがわたしを法印で括り付けていますから、有彦さんから霊力を貰う必要はないのです。
そんなわけなので、命がおしかったらわたしのためにおいしい人参をいっぱい買ってきてください」
ふふふ、と根暗笑いをうかべるななこ。
「――――――――」
けど、ちょっと待て。
前々から感づいてはいたんだけど、こいつ……
「ななこ。オマエ、自分がなんなのか知ってるだろ」
【ななこ】
ほら、真顔に戻りやがった。
「やっぱりな。気が付いたらオレの部屋にいたってのは本当だとしても、オマエ自身がなんであるかはちゃんと解ってるってコトだ。……おまえ、オレに取り憑いてる怨霊なんかじゃねえだろ。いい加減正体明かしやがれ」
「残念ですがそれは秘密です。申し訳ないのですが、有彦さんは正式なマスターではないのでお話しできません」
「そうかい、そりゃあ良かった。んじゃあまあ、いい加減出ていきやがれ。おまえが悪霊の類じゃねえんなら祟りだって恐くねえ。第一な、オマエ、オレ以外にもマスターってのがいるんだろ?」
【ななこ】
「はう!? ど、どうしてそれをご存知なんですか有彦さん……!」
「………………」
いや。なんとなくそう思っただけなんだが、そこまで解りやすいリアクションをされるとは思わなかった。
「なら決まりだ。おら、飼い主がいんならとっととソイツの所に戻れってんだ。居場所さえ言えば、あのクソ重いカタマリも持っていってやるからよ」
「あ、有彦さんお気付きだったんですか……!?」
「あったりめえだろ。幽霊が出てくるなんてな、アレ以外にどんな理由があるってんだよ、オマエ」
「うっ……有彦さんの知能指数を低く見すぎていたという訳なのですね……」
はあ、と観念したように肩を落とすななこ。
……コイツ、本当にオレを脅して部屋に住み着こうってハラだったのか。
「決まったな。おら、マスターとやらの居場所を教えろ。オマエもさ、オレみたいな一般人の所にいるよりそういうヤツの所のがいやすいだろ」
ぐい、と手を引っ張る。
――――と。
【ななこ】
「うわーん、イヤですーーーー! あんなひどい人のトコなんか帰りたくないですーーー!」
なんて、子供のように駄々をこね始めた。
「お願いですから有彦さんの所に置かせてくださいーー! わたし、マスターの所に戻ったら今度はどんな改造されるかどうかもうワケ分かりません!」
ばたばたと暴れるななこ。
しっぽがせわしなく動いているあたり、本気で動揺しているようだ。
……にしても。
改造される、というのは聞き捨てられないコトではないか。
「ちょっと待て。改造されるっていうのはどういうコトだ」
【ななこ】
「はい、わたしの新しいマスターはひどい人なんです。もう血に飢えた餓狼って感じで、いやがるわたしに無理やり肉を抉らせたり血に浸らせたり、はては格好良くしてあげましょう、なんて言ってこんなコトするんですよ」
びし、と額を指差す(?)ななこ。
そこにはかねてから気になっていて、刺青のような窪みがある。
「ほう。まさかとは思うが、それは」
「そうなんです……! この額の焼き印だってマスターが無理やりですね、この方がいんだすとりあるな感じがする、なんて言って付けたんです! 由緒正しい聖典にハンダコテあてるなんて何考えてるんでしょう? わたし、いろんなマスターと契約してきましたけど、あの人ほど暴虐武人で天罰覿面で偏食な人なんて知らないです。ですから、どうか有彦さんの部屋に匿ってくださーい!」
よよよ、と泣き崩れるななこ。
よっぽど悔しいのか、ぱんぱんと地面を叩いている。もともと馬のひづめだけに、実にいい音が響く。
「そうか。そりゃあ災難だな」
【ななこ】
「でしょう? うわーい、優しいなー有彦さん。これであのいつ改造されるか分からない日々から解放されるんですねー!」
「おう。で、そいつ何処に住んでるんだ」
【ななこ】
「―――むむ? やだなあ、別にそんなコト有彦さんが知っても仕方ないですよ?」
「仕方なくねえよ。住所が判らねえと宅急便出せねえだろ」
「……………」
「……………」
しばし見詰め合うオレたち。
【ななこ】
あ、泣いた。
【ななこ】
「……そうですか。そうですよね、有彦さんから見ればわたしなんてかなり神秘的で高位の存在にすぎないですものね。ええ、昨今の人間に徳を求めたわたしが未熟だったのでしょう。いいですよーだ、いっそのことまたドブ川に流してくださって結構です。……ああ、あの時はなんて親切な人なんだろうってわたしは感動していたのに、してたの、したの」
ぶつぶつといじけるななこ。
こいつは感情が一定値を超えるとこのようにどこまでもネガティブになるようだ。
「湿っぽいヤツだな。幽霊のクセに恨みがましいコト言ってんじゃねえよ」
「はい、幽霊だから恨みがましいのは当たり前です」
「おう。そりゃあ正論だ」
言って、くるりと背を向ける。
「ま、ならしょうがねえか。いつまでになるか分からねえが、こうなりゃ我慢比べだな」
「?」
「オレはもちっと散歩してから帰るから、しっかり留守番してろよ。うちは空けてばっかりだからな、番犬がいるとそれなりに役立つかもしれねえ」
んじゃあな、と路地裏を後にする。
背後ではやったー、とはしゃぎまわる声が聞こえる。
「―――――――はあ」
何度目かのため息が零れた。
……でもまあ、そう長いコトにはならないだろう。
アイツの言い分じゃマスターってヤツもアイツを探しているんだろうし、その時になったら返せば済む事だ。
ここでアイツを半端にほっぽり出すと逆ギレして攻め入ってきそうで恐いし。
それに、まあ。
拾っちまったからにはそれなりに責任をとるっていうのが、オレのポリシーなんだから。
□食堂
「なんだ。有彦、今日来てたのか」
「ああ、来てた。授業はかったるいんで朝からずっと食堂でだべってたけどな」
「……なんだ、ここんところそんなんばっかりだな。なんでも昨日は体育館でずっとバスケしてたそうじゃないか。授業は受けないのに学校にいたがるなんて、何か秘密の匂いがするね」
「ヘンな嗅覚働かすなっての。たんに家に居たくねえから来てるだけだ。午後は単位とりに授業に出るぜ」
「そう。それじゃあ向かいに失礼」
「―――なあ遠野。おまえさ、幽霊って恐いほうか?」
「……また唐突だな。それ、真剣な話?」
「んー、まあ真面目な話」
「そう。それじゃ答えるけど、それってどっちの方? 化けてでるのか恐いのか、それとも化けてでられるのが嫌なのか。それ次第で話は変わるだろ」
「あ? なんだよそれは」
「だからさ。死人が生き返って幽霊になる事が恐いのか、死んだ人と会ってしまうのが嫌なのか、どっちかっていうこと」
「―――――――――――――ああ、なるほど。おまえは時々さ、妙に鋭くなって恐いな」
「なんだいそれ。幽霊が恐いかって話だったのに、なんでそこで俺の話になるんだよおまえは」
「いやそれがな、今のおまえの質問で長年の謎が解けちまったんだ。……なるほどねえ、そりゃあ恐いわ。死んじまった人間に会っちまうのは、願い下げだよな」
「……ふうん。それが有彦の幽霊嫌いの理由なわけ?」
「そういうコトにしといてくれ。で、そういう遠野はどうなんだ?おまえは死人が生き返るのが恐いクチか?」
「そうだね。ゾンビには多少耐性ができたけど、それでも不気味なモノは不気味だし。会えるっていうなら会いたい人もいるから、俺は前者かもしれない」
「会いたいヤツって、仏様か?」
「普通、生きてる人の怨念は幽霊ではなく生霊というね。……って、なんだ有彦、おまえ幽霊なんてものを信じてるっていうのか? オカルト関係は全面否定してなかったっけ?」
「あー、それが最近色々あってな、少しだけ信じる事にしたんだよ。……でもまあ、それもおしまいだ」
「おしまいって、幽霊の話?」
「ああ。実際に幽霊がいるんならさ、会いたい人間に会えないもんかなあと思ったんだ。けどよ、オレが恐がっていたのは真実それだって気が付いちまった」
「つまり、どうゆうコト?」
「今まで通り、幽霊なんてもんは無視するに限るってコトだ」
□校舎前
小五か小六、どちらかの頃の話だ。
うちの小学校には業間体育というものがあった。
二時間目と三時間目の間に全ての生徒がグラウンドに出て二十分間音楽に合わせて走りまわる、なんてインディアンみたいに愉快なイベントだ。
その日も走りまわるために外に出た時、唐突に、前を歩いていたアイツが転んだ。
まぬけ、石にでもつまずいたか、と馬鹿にしようと歩み寄って声をかけた。
―――んで、全身が総毛だった。
何もないところでぱったりと倒れたソイツは、本当に今にも死にそうなぐらい苦しんでいたからだ。
ソイツは病院に運ばれていった。
そうして次の日、何事もなかったように学校にやってきた。
そういったコトは、実はよく見ていれば頻繁に起きていた。
疑問に思って教師を問い詰めると、乾は遠野と仲がいいから、と、他の連中には教えられていない事を教わってしまった。
なんでもアイツはよく解らない病気持ちで、時折腕が動かなくなったり心臓が止まったりするのだそうだ。
子供心にどこまで理解できたかは知れない。
ただ、アイツはいつ死んでもおかしくないというコトだけは分かったのだ。
それはきとっと、例えばとても高いつり橋を渡っている時に足が動かなくなったら死んでしまうな、とでも思ったからだろう。
それがきっかけになって、本気で、とことん、アイツとケンカをしなくてはいけない、と思い立った。
アイツが帰り際に川原に寄り道をする事は知っていたから事は簡単だった。
川原で待ち伏せて奇襲の先制攻撃。
アイツはパンチをくらって倒れた。
で、突然の暴力に訳が分からない、という顔をした後、にやりと、凶暴な笑いをこぼして殴りかかってきた。
あとはまあ、お互いが殴り合うだけのケンカになった。
そんな馬鹿が終わった後、君はいつもやりたい放題だな、なんてアイツは言った。
それにおうよ、と得意げに頷いた。
人間、いつ死ぬか判らないんだから楽しくやっていかないと損だ、と。
自分になんだかアイツになんだか、とにかく何かに言い聞かせるように答えた。
アイツはきょとんとした顔をしたあと、ただ楽しそうに笑った。
殴られて痣だらけの顔だっていうのにいい顔をしていた。
それはつまり、心の底からの笑みだったからだろう。
その時、ああ、と何かが落ちた。
オレは一生、こいつとダチでいようと決めた。
思い出すのも馬鹿らしい、まだまだガキだった時分の話だ。
□乾家のキッチン
休日の朝、曇った頭を抱えて台所へ下りてきた。
今日は確か、朝のうちに遠野がゲームをやりにくる予定だった筈だ。なんでも新しい家にいる家政婦さんが鬼のようにゲームが巧く、一回ぐらいは負かしたいから特訓させてくれ、とのコトだ。
「なにやってんだかなあ、アイツも」
ともかくハラが減ったのでメシを作ろう、と冷蔵庫を開ける。
「ぶっ―――――!」
とたん、頭の中が真っ白になった。
眠気もぶっとんだ。
理由を言えば冷蔵庫の中身は空だった。
「あんのヤロウ……っ!」
バタン、と冷蔵庫に蹴りをいれて台所から駆け出していく。
□有彦の部屋
「ななこ、テメエまた勝手に冷蔵庫あさりやがったな!」
押し入れで眠っている駄馬に一撃をくれる。
「はうっ!? いかなる天変地異が!?」
殴られた頭を抱えて顔をあげるななこ。
……コイツは人を真人間に更生させる、などと野望をもっていながら、放っておけば午前中はずっと寝ていやがる。更生が必要なのは間違いなくコイツのほうだろう。
「おら、いつまでも寝てんじゃねえ! 今日は客が来るっていっただろう、さっさと一子の部屋にでも行ってやがれ!」
「はい……? あ、これはこれは有彦さん。朝早くからお勤めごくろうさまですね」
寝ぼけているのか、深々とおじぎをしてまたも眠りにつこうとする。
「こ―――のぉ、無駄飯食らいのおおぼけ娘が!おら、さっさと出て来い!」
ななこの耳をひっぱって押し入れから引きずり出す。
【ななこ】
「い、いたいいたい! 有彦さん、みみはひっぱらないでくださいよう、みみ。これ以上伸びちゃったらダンボみたいになっちゃうじゃないですかー」
「ああ、そりゃあいいな。テメエときたら際限なくメシ食うだけなんだからよ、空を飛ぶぐらいやってもらわねえと割りが合わねえだろ」
【ななこ】
「空ですか? 飛べますよ、わたし」
「知ってるよ。体も心もふわふわしてっからな、テメエは」
「うわ、またも暴言。これで有彦さんがわたしを傷つけた回数が二百とんで八十二回になりましたよ?」
「……ああそうですか。ったく、くだらねえコトばっか覚えやがって、テメエもなあ、青いんだからたまには便利道具の一つや二つでもだしてみやがれってんだよ。主人に迷惑かけるだけなんてどこのお化けだオマエは」
【ななこ】
「はい? 青い? 便利道具?」
ななこはあの有名な世界征服マシーンを知らないと見える。ま、どうでもいい話だ。
「なんでもねえよ。ともかくさっさと一子んところに行ってろ。もうじき客が来るんだよ」
【ななこ】
「はい、一子さんのお部屋ですね。あそこは煙草の匂いがひどいので、台所でお食事をとるコトにします。お客様が来ましたら姿を消しますからだいじょうぶです」
「……オマエな。一見従順そうに見えて実はオレの言い分なんてこれっぽっちも聞くつもりはないんだろう?」
「え……? いえ、そんなコトはありませんよ? ただ有彦さんのお言葉とわたしの機能維持を秤にかけると、優先順位の問題が生じるだけなのです」
「――――ほう、その順位ってのはどういうもんなのか詳しく―――」
と、そこで呼び鈴が鳴り響いた。
「って、来ちまったじゃねえか……! ああもう、いいからさっさと出て行け!いいか、絶対に客の前に顔出すんじゃねえぞ!」
【ななこ】
「……解りました。どうせわたしは日陰の女、こうしてずっと有彦さんのワガママに振り回されるサダメですもの…………うふふ」
「―――オマエ。なんなら、今すぐ廃品回収に出してやろうか?」
【ななこ】
「うわ、大人げない。有彦さん、そんなんじゃ女の子にもてませんよ?」
「――――――――っ」
「わわ!」
問答無用で押し入れに叩きこみ、箪笥で封印を施す。
「―――――、――――――!」
ガタガタと暴れる音。
ななこは幽霊のくせに閉じ込められる、という事が嫌いらしい。
二度目のチャイム。
「おう、ちょっと待て――――!」
ななこの相手をしていたら日が暮れる。多少無理があるがコイツはこのままで放置する事にした。
□有彦の部屋
昼過ぎになって遠野は帰っていった。
これなら勝てる!と喜び勇んでいたが、明日にでもリベンジ大失敗、と泣き付いてくるコトだろう。
「――――さて」
箪笥を外して押し入れを開ける。
【ななこ】
中から出てくる泣き顔のななこ。
またいつものように文句を言ってくるんだろうと構えるのだが、何やら様子が違っていた。
「どうした? 中でネズミに耳でもかじられたか?」
「…………………」
反応がない。
ななこはおずおずとオレを見上げた後、
【ななこ】
「あの人、わたしのマスターに似ています」
などと、これまた突拍子もないコトを言ってきた。
「今のヤツがオマエのマスターに似てるっていうのか? なんだ、じゃあオマエの本当のご主人さまってのはオレと同い年ってワケか」
「いえ、姿形はまったく違うんです。それにですね、わたしのマスターは代々女の人ですから。男の人は有彦さんが初めてです」
あくまで仮なのですけど、と付け足すななこ。
「今の人はですね、雰囲気が似ていました。今の人は、恐い人です」
「……? まあアイツは恐いっちゃあ恐いけどな。で、似てるってどのヘンがだよ」
「死人みたいなところ」
きっぱりと、呟くように幽霊はそう言った。
「――――――――」
死人みたいなところとは、またえらく飛躍した考えだ。
まあ言い得て妙かもな、と頷いていると、ななこがさっきからじっと見ている事に気が付いた。
「あんだよ。何か言いたそうなツラしてやがるな」
「……はあ。一子さんも有彦さんも達観しているとは思ってましたけど、ここまでとは思っていませんでした。有彦さん、勘がいいですよね。なのにあの人のコト、恐くないんですか?」
「なんだそりゃ。勘がいいとアイツのコトが恐くなるって言いたいのか?」
「はい。あの人、悪い人ではないと思うのですけど、いてはいけない人なんです。ああいう人は混ざっていてはいけなくて、近くにいると普通の人に害を及ぼします。……その、有彦さんみたいに勘がいい人なら、ああいう人といると危ないって解ると思うのですが」
「危ない、ねえ。そりゃあ厄介ごとに巻きこまれるとかそういった意味か?」
「……………」
ななこは答えない。
言いたい事はなんとなくではあるが解る。
今はともかく、ガキの頃の遠野は確かに危ないヤツだった。遠野本人には何の問題もなかったのだが、ともかく周りに座っていた連中がこぞって席替えを申し出る。
それは子供心に、アイツが持っていた緊張感が恐かったからなんだろう。
言葉にするのなら生きた心地がしない、と隣に座ったガキは言ったかもしれない。
成長するにつれてそういう所は感じさせなくなったが、ガキの頃のアイツは意味もなく危うさを感じさせるヤツだった。
小学生の頃まではクラスにアイツがいるだけで妙な緊張感があった。
それは遠野本人に対するモノではなく、自分本人に対するモノだ。
なまじ遠野がいつだって臨死しているようなヤツだったからか、遠野を見ていると死というものが身近に感じられた。
生き死にのなんたるかを考える事さえしない子供にとって、リアルな死を感じさせる遠野はそりゃあ恐ろしく見えただろう。
……ま、そこまで明確にアイツを捉えていたのはオレと―――弓塚っていう女だけだっただろうが。
「フツーの人間には手に余るか。確かにアイツと一緒にいるとあっけなく死にそうな気がするもんな」
【ななこ】
「……はい。しかもですね、そういう人はそういう事に気が付いてしまう人だけを引きずり込んでしまうものなんです。
有彦さん、あの人といると呆気なく死んじゃうかもしれませんよ? たとえば酔っぱらって帰ってきた時にですね、マンホールのフタが開いていて、そこに落っこちて死んじゃうとか」
「……オマエ、わりとすげえ想像するのな。それは確かに、なさそうでありそうなトンデモナイ事故だ。
だがよ、そんな事故なんてものは何処にでも転がってるもんだろ。オレは別にそんなのはどうでもいいんだ。生きてるんだから死ぬ時は死ぬんだし」
「……有彦さんは死ぬのが恐くないのですね。それはどうしてなんでしょう」
めずらしく真面目にななこは聞いてくる。
というか、こいつが真面目になったのはこれが初めてだぞきっと。
「死ぬのが恐くない理由か。そりゃあガキの頃にこれ以上はないっていうぐらい恐い目に遭ったからじゃねえかな。っと、言っとくがお化けとかそういうんじゃねえぞ」
【ななこ】
「ええ!? 死が恐くなくなるぐらい恐い目なんてあるんですか!?」
驚きつつ考え込むななこ。
トンチがひらめいたのか、ぽん、と手を叩いて顔をあげる。
【ななこ】
「ああ、子供の時に誘拐されたのですね!? 誘拐犯はマスターなみの異常者で、幼い有彦さんをあの手この手で脅迫しちゃって、それはおよそ異端審問に迫る責め苦だったんですか!?」
「おう、当たらずとも遠からずだなそりゃあ」
【ななこ】
「うわあああん、かわいそうですー! その時の恐怖で有彦さんはそんなに根性がひん曲がってしまって、今の悪逆非道な性格になってしまったのですぅー!」
わんわんと泣くななこ。
いっとくが、コイツは決してオレに対する同情で泣いているわけではない。
【ななこ】
「けどそれで死が恐くなくなったというのはどうも辻褄が合わないような気がします。有彦さん、誘拐されたあげく、身代金をダッシュできなくなった犯人さんに殺されかかったわけですか?」
「あー、それも当たらずとも遠からず。わりあいシチュエーションは類似してるぜ」
「うぅ〜、さっきから当たらなかったり遠くなかったり難しいです。もっとこう、有彦さんらしく単純に教えてくださいません?」
「――――――――」
単純なのがオレらしい、ときたか。
やはりコイツとは決着をつけなくてはならないが、まあ、単純というのは間違いじゃない。
「ま、ぶっちゃけて言えば誘拐なんてされてねえよ。オレは単に事故に巻き込まれただけだし」
「事故に巻き込まれただけ、なんですか?」
「そ。前にオレたちが住んでたところってのはマンションなんだけどよ、それが何かの弾みで倒壊しちまったんだわ。天井が一斉に崩れてペシャンコになりかけたんだが、幸運にもガレキとガレキがうまく三角地帯を作ってな、そこに挟まってなんとか助かった」
この家に引っ越してくる前の話だ。
幸い姉貴は学校にいて、家にはオレと両親とばあさんしか残っていなかった。
「どーん、って音がしてな。地響きがした後、天井やら何やらが崩れてきて、ワケもわからねえままにガレキの下敷きだ。
ま、さっきも言ったとおりオレはガレキの隙間に挟まってたから助かったんだけどよ、そのガレキの隙間ってのがやばくてな。ミシミシ軋んでて今にも崩れそうなんだわ。
いやもう、これがマッチ棒で机を支えているようなもんでよ、子供心にも一分だって持たないって思ったね。しかもまわりは真っ暗でさあ、隙間があったから空気こそ吸えたんだけどよ、もう一秒だってそこにはいたくなかった感じ」
【ななこ】
「うわあ、それは恐いですよう。有彦さん、どのくらいまで我慢できたんですか?」
「自分じゃ分からなかったが三日間だったそうだ。救助隊に助け出されてな、三階の住民で生き残ったのはオレだけだったんだぜ」
「みみ、三日ですか……! 有彦さん、よく我慢できましたね。声をあげちゃったり動いたりしなかったんですか?」
「ばーか、してたら生きてねえよ。三日間、身じろぎ一つせず、ただずっと目の前を眺めてただけだ」
「うわあ、わたし有彦さんを尊敬します。すてぃーるはーと?」
「いや、別に我慢強かったワケじゃねえんだ。
……なんていうかさ、思い出すと運が良かったのか悪かったのか分からねえんだけど。オレが下敷きになってる目の前にさ、ばあさんが倒れてたんだ」
そう、倒れていた。
オレと同じようにうつぶせになって、上半身だけが見えていた。
ただばあさんはオレとは違っていて、下半身があるべき所に鉄骨が落ちていた。
「ワケが分からなかった。ばあさんはさ、目の前にオレがいるって分かった瞬間、苦しそうに腕を伸ばすんだよ。
で、ごぶって口から血を吐いた。血以外にもなんか吐き出してた。
ひゅーひゅー息を吸ってさ、よく生きてるもんだって感心するぐらいだぜ。
で、同時に分かったわけ。オレもあと少ししたら、この奇跡みたいなガレキの隙間が崩れればばあさんと同じようになるんだなって」
「そう思った瞬間、もう叫び出したくて逃げ出したくなった。けどさあ、目の前にはばあさんがいるんだよ。口から下を真っ赤にしてさあ、助けて、苦しい、って手を伸ばしているわけ。もう声が出ないのか、ひゅーひゅー息を吐いてさ、血走った目でオレのこと睨んでるんだよ。
……ソレ、オレの知っているばあさんじゃなかった。ただ死にたくなくて、苦しくて、助けてほしくて、一人だけ無事なオレを妬んでいるだけの生き物だったワケ。
それがものすごく恐くてさ、ただじっと見つめていたんだ。
声なんてあげられるワケねえだろ? こっちが生きてるって分かったら、ばあさんはきっとオレを道づれにする。だから声もあげなかったし動かなかったんだ。
オレはさ、助けてくれ、なんで助けてくれないんだって、ありったけの怨念をこめて見つめてくるばあさんを見つめながらさ、頼むから、一秒でも早く死んでくれって願ってた。自分が死ぬのが恐かったし、そんな生き物が目の前にいるのが恐かった」
「そうして目の前の生き物が誰かも分からなくなりかけた時にさ、ごふって音がした。
ばあさんが咳き込んだんだ。オレはヤバイって思った。振動をたてれば軋む。軋んだらガレキが崩れるって。
ばあさんはそれでさ、オレを見るために顔をあげて、血走った目のままでさ、すまないねぇって言って、舌を噛んだ」
――――その瞬間、意味もなく涙が頬を伝った。
意味もなく泣いている自分と、もうひゅーひゅーと息をしなくなったばあさんを見て、分かってしまった。
ばあさんは、ばあさんだった。
手を伸ばしたのは助けを求めていたからじゃない。
ばあさんはオレを助けたかっただけだった。
それも叶わないとと知って、自分が動けばオレも死んでしまうと分かって、ばあさんは何もしなくなった。
―――その時の俺の心を、ばあさんはちゃんと分かっていた。
だから言ったのだ。
すまないねぇ、と。
そんな思いをさせてすまない。
恐がらせてすまない。
助けてあげられなくてすまないねぇ、と。
そうして、咳き込む自分が災いになると思って、もう、ろくに息もできないくせに最後にオレに謝って、舌を噛んだ。
無論、その時はそんなコトを思う余裕さえなかった。
オレは彫像になって、涙の意味も分からず、ただばあさんの亡骸を見つめて、その後に救出された。
その時に勝る恐怖を、オレは知らない。
そうして死というものが誰もが思うような醜いものではないという事も知った。
人間はいつか死ぬ。
オレはいずれ死ななくてはならない。
これはただそれだけの話だ。
ただ死ぬ時に自分がどうすればいいか判っただけの、ちょっとした余談にすぎない。
□有彦の部屋
「とまあ、そういうワケ。オレは目と鼻の先で人に死なれたからよ、フツーのヤツより耐性がついてるんだよ。
あとはまあ―――死ぬ時に何をすべきか決めてるから、それなりに覚悟がついてるってコトぐらいか」
【ななこ】
「はあ。有彦さん、死ぬ時に何をするか決まっているんですか?」
「ああ。いろんなモンに迷惑かけてるからな、最後ぐらいは頭をさげないといけねえだろ。この世に未練を残しちゃ化けてでる」
【ななこ】
「うーん、なるほど。わたしはもう死んでいますから、そういうのってありませんね」
「あー、オマエ幽霊だったっけ。……まてよ、未練なんかないって言ったのか、オマエ?」
「はい。わたし、未練を残して死んだわけではありませんから。有彦さんみたいな悪人とは違いますよ」
きっぱりという腐れ幽霊。
「言うじゃねえか。それじゃあ訊くがよ、未練も恨みもなしで死んじまったヤツがなんで幽霊なんかやってんだよ」
「ですからわたしは幽霊ではなく精霊です。恨み辛みで現世に残っている霊体ではないんですよー」
「またそれか。じゃあセイレイってなんなんだよ」
「む、そうきましたか。……仕方ありませんねえ、本来なら秘密事項なのですが、有彦さんの恥ずかしい過去も聞いてしまった事ですし、少しだけわたしの仕組みを教えてさしあげましょう」
ひっひっひっ、と気味の悪い笑いをこぼすななこ。
……なにか、話がオカルトに進みそうな予感がする。
【ななこ】
「わたしが触媒となったのはもう千年ぐらい昔のコトなんです。精霊には自然霊と動物霊と、そしてそれらを意識的かつ人為的に加工した守護精霊というものがあるのですが、わたしはその守護精霊なんです。
えっと、自然霊か動物霊、どちらかの精霊と人間の霊体をくっつけて人間の味方にする、というモノです。えー、さらに自然霊や守護精霊にはさらにランクがありまして、中には守護精霊なのに聖霊に域に達しているすごい人もいるんです」
「……やっばりな。いきなり付いていけねえ話を始めやがって。止めろ止めろ、そんな話は聞きたかねえ」
【ななこ】
「ダメです。途中で止めると有彦さんを呪います」
「ぶっ――――! オ、オオオマエ物騒なコト言うな!」
「もしくは蹴ります。このように」
□有彦の部屋
「たわばっ!」
「あわ? ダメですよ有彦さん、わたしの直線上に立ってると被弾しちゃうじゃないですか」
「――――――――」
……もうしてる。
しかも全弾命中。あまりの威力にクラクラしている。
「えー、それでは話を続けますね。
わたしはもともと有彦さんと同じ人間でした。
森と湖の綺麗な村で生まれて、村一番の器量良しって言われてたんですけど、残念なことにうちが貧乏だったんです。天は二物を与えずなのです」
……このヤロウ。人が立てないのをいい事に話を再開しやがった。
「ちょうどそのころ、森に棲むという一角馬がお亡くなりになりまして。人の魂を浄化するっていう霊験あらたかな動物霊です。その亡骸の一部である角はそのまま自然霊として転輪するのですけど、どこかの教会の人たちがそれを自分たちの経典にしようとしたわけです。
ですが、自然霊というものはもともと自然よりの存在なので人間の味方なんてしてくれません。そこでですね、もともと自分たちと同じ価値観を持つ魂……つまり人間ですね、それを人身御供にして自然霊にくっつけちゃったワケです」
「そうして人身御供になった人間の魂はより高位な霊体である自然霊に呑まれて消えてしまうのですが、そのおり自然霊は人間としての知識を手に入れてしまって、次第に人間よりの価値観を持つに至ります。
はい、もうお解りですね?
有彦さんがななこ、と呼んでくれるわたしはもともとその時人身御供にされた女の子なんです。えー、元の自然霊が一角馬なので半身半獣なのがその証拠です」
「―――――――」
お、ようやくクラクラが治ってきた。
□有彦の部屋
【ななこ】
「ほら。ですからわたしは未練がなくてもこうして存在しているわけです。……えっと、まあこうして自分の意志を持てるようになるのに数百年、カタチになるのにさらに数百年かかっちゃいます。そういうワケなので、千年ごしの現界ではあるわけですが」
えへへ、と照れるななこ。
それを見て、
「おまえ、なに嘘ついてんだ」
そう、自分らしくないつっこみをした。
【ななこ】
「はい? わたし嘘なんてついてませんよ?」
「嘘だよ。オマエ、人身御供にされたんだろ。人身御供ってのは生贄ってコトだ。オマエはさ、ようするに他人の都合で殺されたってコトじゃないのか」
【ななこ】
「それは誤解です。わたしは自分から納得して身を差し出したんですから。生きていてもしょうがなかったし、なんだかこっちのほうが楽しそうに思えましたし」
【ななこ】
「それにですね、わたしのお葬式はすごかったんですよ! あ、その時はもう死んでしまって一角馬さんの霊体だったんですけど、本当にすごかったんです。
それはとても晴れた日で、村の入り口から塔までずっと白い花が並んでいるんです。話した事もない村の人たちがみんなお葬式に出てくれて、何人もの司教さまが見送ってくれました。
はい、あれは本当すごく綺麗で、初めて生きてきて良かったなあって、とても、嬉しかった」
だから未練なんてありません、とソレは言った。
ま、本人がそう言うんならそうなんだろう。
【ななこ】
「あ―――けど、その後に少しだけ残念なコトがありました。
わたしのお母さんなんですけどね、お父さんが追放されちゃって、その年食べていくお金がなかったんです。お母さんは心を鬼にしてわたしを司教さまに預けて、それでいっぱいお金を貰いました。
けど、ヘンなんです。
わたしのお葬式が終わった後、お母さんはますますやつれてしまって、ほしいものはなんだって買えるのに家にこもって、ずっとごめんなさいって呟いているんです」
「わたし、お母さんの側に立って何度も何度もありがとう、わたし楽しかったよって言うんだけど、お母さんには聞こえなかった。
それで、ですね。
ずっと長生きできるお金を貰ったのに、結局、お母さんは前よりやつれて死んでしまったんです。
わたしは、それがすごく悲しかった。
あんまりにも悲しいから閉じこもってしまって、すぐに一角馬さんに呑まれちゃって、ずっとわたしを使う人の声だけに従っていたんですね。
……まあ、それもあの悪魔のようなマスターが現れてこうなってしまったワケですが」
ひっひっひ、といつもの陰気かつ自虐的な笑いをする。
「――――――――」
なるほど、こいつはこいつで色々とあるようだ。
どうしてこんな話になっちまったかは解らないが、まあ、無駄な時間ではなかっただろう。
自分がこんなだからだろうが、オレはこういうヤツには弱いのだ。
コイツはとことん能天気で、死んじまってもありがとうなんて言えるおおばか者だ。
こういう人に騙されやすいヤツには、オレみたいな騙す側のくせに騙す気がないヤツが側にいてやらないとバランスが悪い。
「ななこ。おまえ、あんなナリしてるがきったはったは苦手だろう」
【ななこ】
「苦手ですよう。だいたいですね、わたしはもっと神々しくて清らかな聖典だったんです。それがわずか半年であんなですよ? ああもう、とんでもないマスターにあたっちゃいました。わたしはですね、今まで実体化したコトなんてないんです。けどあんまりにもマスターが無茶をするから、こうして現界をして抗議しているわけなんですよ」
「……ふうん。オマエ、そんなにそのご主人さまが嫌いなのか。例えば殺したいぐらい」
「え―――――そそ、そんな滅相もないっ! だいたいですね、あの人殺しても死にません!」
「そうなんか。なんだ、そいつと手を切るならそれが一番てっとり早いと思ったんだけどな」
「えっ……手を切るだなんて、そんな」
「手を切りたいんだろ? 悪魔みたいなご主人さまだっていつも言ってるじゃんか」
【ななこ】
「そ、それはそうなんですけど……はい、わたし、切ったり打ったり血を見たりするのは嫌いです。
けどですね、それは仕方がないというか、マスターはマスターで必死なんです。だからその、できればもちょっとわたしの扱いを考えてくれれば我慢してあげてもいいかなーっ、なんて」
「ほう。オマエ、わりとご主人さまのことを庇うじゃないか。あれだけ逃げまわっていたくせに」
「……そうなんですけど、なんていうんでしょうか、放って置けない人なんです。一人じゃタイヘンそうだから守ってあげなくちゃいけないし、なんだかんだ言ってもわたしを実体化させられるぐらいすごい人だし。……あの、わたしに話しかけてきてくれたのも、マスターが初めてだったし」
ごにょごにょと文句を続けるななこ。
「―――――――――」
なんだ、馬鹿みたいじゃねえかオレ。
こっちが気を回さなくても、コイツはコイツでとっくにバランスがとれている。
「あのさあ」
【ななこ】
「は、はい! なんでしょうか有彦さん!」
「おまえさ、それってご主人さまが好きってコトじゃねーの? だからわざわざ逃げ出したりして文句言ってるんだろ?」
【ななこ】
「うっ……そ、そんなコトないですもん……! わたしあんなマスター嫌いだし、今度こそ逃げきってまっとうな聖典に戻るんですから……!」
びくびくと震えながら反論するななこ。
……はあ。こりゃあ、思ったより早く問題は解決しそうな気がしてきた。
終わりは速達で届けられた荷物のように呆気なかった。
□乾家のキッチン
「ん?」
チャイムが鳴った。
時刻は朝六時。オレが朝帰りをしてきていなけりゃ無視するような時間帯だ。
「なんだ、どこのどいつだ」
□乾家
「あーい、どなたー」
玄関を開ける。
と、そこには。
【シエル】
なんか、どっかで見覚えがあるような誰かが立っていた。
「乾さんのお宅ですね?」
「はあ、そうっすけど、なんすか」
「失礼ですが、こちらに――――といった物が預けられていると思うのですが」
「――――、ですか?」
……よく聞き取れなかった。
聞き取れなかったのだが、なんとなくアレのコトだなあ、と納得する。
「……………」
するってーと、コイツがアイツのご主人さまってワケか。
「――――何か?」
「あ、いえいえ。ちょーっと待ってくださいね、すぐ連れてきますから。嫌がっても首に縄つけて無理やりに」
「……恐れ入ります。是非そのようにしてください」
「あい、それではお待ちください、と」
玄関を閉めて部屋へと駆けあがる。
□有彦の部屋
んで、
「おら、お迎えが来たぞばか馬!」
と、押し入れをこじ開けた。
……と。
押し入れの中でふるふると震えている幽霊が一つ。
「なんだ、もう準備オッケーってか?」
「あわ、あわわわわわ。や、やっぱりこのドス黒いオーラはマスターだったんですね……!」
ぶるぶると震えるななこ。
それを無視して、押し入れの一番奥から例のガラクタを取り出した。
【ななこ】
「うわっ! な、なにしてるんですか有彦さん! そんなモノ持ち出したらケガしちゃいます!」
慌てるななこを無視して引っ張り出す。
ようするに、これがコトの発端だ。
大雨の日、ドブ川に流れていた鉄の塊。
銃身だの引き金だの銃剣だのがついた物騒な凶器。
ま、ななこの本体である。
「お、血が付いてる。そっか、拾った時に切った傷から零れたんだな」
きゅっきゅっ、と血をふき取る。
「ああーーーーーーーーーー!」
大声をあげるななこ。
……が、もう姿も見えなければ声も聞こえない。
ようするにこれがアイツとオレの繋がりだったわけだ。
「――――さて。落とし物は落とし物でも、持ち主がいるならちゃんと返さないといけないからな」
拾ったつもりではいたが、オレは単に預かっていただけだった。
レンタルと思えばいい。
借りていた期間は、まあ、それなりに退屈はしなかった。
□乾家
【シエル】
「ご協力感謝します。さて、この件に関してですが―――」
「はあ? 大げさだな、たんにモデルガンを拾っただけなのにこの件だなんて。お姉さん、冗談うまいっすね」
「―――――――――」
誰かに似ているような誰かは言葉を呑み込んだ後、軽く会釈をして去っていった。
……黒いスーツが遠ざかっていく。
その手には不似合いなほど無骨な銃が一丁。
スーツの誰かはぶつぶつと、まるで独り言のように銃に話しかけている。
そうして。
【ななこ】
なんとなく、ソレがオレに向かってお辞儀をした風に見えた。
「――――情けねえなあ。大丈夫なのか、アレで」
この分ではまた逃げ出して誰かに迷惑をかけそうではあるが、それはもうオレには関わり合いのない事だろう。
「――――――あーあ」
ばりばりと頭を掻いて玄関の戸に手をかける。
「これじゃあ当分馬の肉は食えそうにねえなあ」
一人ぼやいて、途端に自分の馬鹿さ加減に呆れてしまった。
いやほら。
だって馬肉なんて滅多に食わねえだろ、フツー?