「閑話月姫」(present by TYPE-MOON) シナリオ
-----------------------------------------------------------------------------
●『幻視同盟』
この閑話には多少本編に関係した事柄が使用されています。
月姫本編のいずれかのエンディングに到達した後に、息抜きとして楽しんでください。
しゅん、と音をたてて、志貴さんのナイフは彼の利き腕を通過した。
それで終わり。
あとは本当にあっけなく、彼はドサリと地面に倒れた。
□校舎裏
―――――志貴さんははあ、と肩の力を抜くような、本当にほっとしたような深呼吸を一つ。
「あ――――――」
彼……じゃなくって、殺人犯は地面に倒れたまま動かない。けどそれは死んでしまったわけじゃなくて、単に気絶してるだけなんだ、と見た感じなんとなく解った。
あんまりに速くて見えなかったけど、腕を切った時に当て身とかして気絶させたみたいだ。
まんがみたいだなあ、と驚いてみたりする。
「…………あれ?」
けど、なにかおかしい。
地面に倒れた殺人犯の腕には傷がないし、血だって流出していない。
なのに殺人犯は昏睡してしまっている。
「………?」
なんか、二度びっくり。
「アキラ、ちゃん?」
ナイフをしまって、志貴さんは尻餅をついたわたしに手を伸ばしてくれた。
「あ―――は、はい、ごめんなさいっ!」
慌てて志貴さんの手を握って立たせてもらう。
まださっきのショックは抜けていなくて、膝とかがきゃあきゃあと悲鳴をあげてて、うまく立てずに志貴さんの腕にしがみつく。
……うう、みっともなくて恥ずかしいよう。
「う……あう、う――――」
うまく喋れなくて、ぶんぶんと顔を振る。
大丈夫ですってと言いたかったり、倒れている人の顔を見るのがイヤだったり、男の人に抱きつくのなんて初めてでもう訳が分からなかったり、とにかく頭の中がぐるんぐるんにサンバしてる。
「そうだね。じゃ、ちょっと離れようか」
わたしの気持ちを察してくれたのか、志貴さんはわたしの手を握ったまま歩き出した。
□校門前
志貴さんは学校の正門までやってくると、くるりと振り返って、
「大変な目にあったね」
なんて、なんでもないコトのように微笑んだ。
「ぁ―――――」
とたん、体中に走っていた悪寒が抜けて、泣き出しそうになってしまった。
――――志貴さんの素振りがあんまりにもゆったりしていたせいだ。
なんて人なんだろう。
あんななんでもない一言だけで。
さっきまでの出来事が嘘に思えて、いつまでも震えているのがばからしく思えてしまう、なんて。
そうして、わたしたちは今まで通りごはんを食べに行く事になりましたとさ。
最初にご馳走になったのはおいしいストロベリーパイで、それに比べると今回のはグレードが下がるみたいだけど、まあ仕方がないと思います。
……って、思えば確か三日前。
わたしこと瀬尾アキラが見知らぬ男の人に声をかけられた事が、遠野志貴さんと知り合う発端になったのでした――――
□街中
十二月も後半になると、街は少しずつ雰囲気を変えていく。
騒がしい事に変化はないのだが、その喧騒の色は華やかで、それでいて終わってしまうのだという翳りを帯びた複雑な物となる。
とりわけ二十五日を過ぎてからの街は、にぎやかなのに寂しい、というひどく矛盾した時間帯だ。
クリスマスが終わってしまって、あとは大晦日を待つだけの半端な時間。
終わりと始めという区切りを前にした、だらりと弛緩した五日間。
「――――」
とりわけやる事もなく街を歩いていた。
地元の街から一駅離れた街に来たのは、少し一人になりたかったからだ。
――――ここ数日の話である。
もとから自分の目は普通の眼とは違っていたが、つい一ヶ月前に一際おかしなモノを視てしまった事がある。
それは誰の物とも知れない、現実とは思えないほど奇怪な光景だった。
そこで自分はナイフを片手に、ただ淡々と人間らしきモノたちを解体していた。
……その光景に何の意味があったのかは解らない。
ただ、それ以来自分は以前のように自然に笑う事ができなくなった。
周りに合わせて。
笑いたくもないのに笑う、なんていう自然な笑いが、ひどく困難なものになってしまっただけの話。
「………………まったく。おかしなモノには慣れていた筈なんだけどね」
だが、それで何かが変わった。
ここ数日の世界の有り方の変貌は、劇的とさえ言っていいだろう。
「確かに、遠野の屋敷にはいい噂はないようだけど」
ぼやきつつ街を歩く。
目的なんか初めからない。
ただ、ぼんやりと街を歩いて高ぶった気持ちを抑えようとしていただけ―――・
□街中
「人殺しなんかしちゃダメでしょうっっっ!」
――――と。
物騒な叫び声が、後ろから聞こえてきた。
「なんだあ?」
自分を含めた、大勢の人間が振り返る。
そこには肩をわなわなと震わせた、中学生ぐらいの女の子がいた。
「あの、誰だか解りませんけど! いいですか、そんなコトしちゃいけないんだから!」
少女は通行人全てに対して怒鳴っているように見える。
「おい、なんだよあれ」
「なに、おまえ知り合い?」
「年の瀬だしなあ、おかしいのが出てきやすいんだろ」
立ち止まっていた人々は少女に冷たい眼差しを向けてから歩き出した。
「ああーーっ! ちょっ、ちょっと待った! いい、ほんとにダメなんだからねーーーーー!」
人の波の中で立ち止まったまま、少女は必死に声をあげる。
周りに奇異の目で見られても気にないのか、まだおかしな言動を繰り返している。
「…………………」
これも何かの縁だろう。
何を話すべきかきちんと整理してから、少女に向かって歩き出した。
□公園前の街路
■瀬尾
少女に声をかけて、人並みから離れた所までやってきた。
「あの…………」
少女はさも不安そうに、上目遣いでこちらを見つめてくる。
少女は黒髪のショートカットで、一見すると男の子のようにも見えた。
派手さのない素朴な服装と、首もとまでしっかりと巻かれたマフラーが目に映える。
マフラーがきつね色のせいだろう、どことなく小狐っぽい。
――――さて、とりあえず訂正しよう。
少女は周りからの奇異の視線を気にしていなかった、という訳ではなかった。
顔は羞恥心からだろう、リンゴのように真っ赤だし、体は緊張で小刻みに震えている。
おどおどとした視線はいかにも内向的な性格だし、小柄な体はいかにも小動物的だ。
お世辞にも、街中で大声を出せるほどの度胸があるとは思えない。
「あの…………」
少女はもう一度同じ台詞をつぶやいたあと。
「あなた、これから人殺しをしちゃう人ですか?」
なんて、意味深なコトを言ってきた。
□喫茶店
■瀬尾
興味を引かれたのは言うまでもない。
とりあえず場所を移して、もう少し込みいった話を聞く事にした。
「……あのですね。わたし、こういう所は学校で禁止されてるんです、けど」
おどおどとした口調で、少女はきょろきょろと周りを見る。
なんというか、本当に小狐のような娘だ。
「保護者同伴なんだから気にしない気にしない。ほら、立ってないで座りなさい」
はい、と遠慮がちに答えて少女は座る。
「ここのストロベリーパイは逸品でね。けどほら、男一人でパイを注文するのもアレだろ? いつか女の子と入ってやろうって思ってたわけ」
黙り込んでいる少女に対して一方的に話しかける。
別に返事は期待していない。単に、喋りたいから喋っているだけだった。
「そうゆう訳だから勘定は僕が持つよ。君も食べたいものがあったらなんでも頼めばいい。けどまあ、アレだね。今時喫茶店に入るのがダメだなんて、君どこの学生だい?」
「――――――――」
少女は俯いたまま、不安そうにこちらをにらんでいる。
……まいったな。これじゃこっちから聞き出すしかないじゃないか。
「じゃ、メニューは僕と同じでいいかな。幸い僕は紅茶党だから、そう趣味が違うって事もないだろう」
やってきた店員さんに特大のストロベリーパイとレモンティーを二つ、あと店に入る時に気になったラズベリーのトルテと特製のチーズケーキを注文する。
「………………」
と。
メニュー表で顔を隠していた少女が、遠慮がちにこっちを見た。
物欲しそうな上目遣い。
なるほど。自慢じゃないけど、そういった無言の要求をくみ取るのは得意技だ。
「ああ、ちょっと待って。チーズケーキは二つにしてくれ」
かしこまりました、と店員さんは下がっていく。
「なんだ、チーズケーキが好きなの?」
「はい、ラズベリーが好きなんです」
「…………………」
きっぱりと少女は言った。
――――さて。
気を取りなおして本題に入ろうか。
「それじゃあ聞くけど、さっきのは一体なんだったんだ? 君、悪ふざけであんな事をするキャラクターには見えないけど」
「――――はい。わたし、冗談って苦手です」
「だろうね。冗談にしては笑えないだろ、さっきのは」
「え……笑えません……か?」
「ああ。あまりいい話題じゃなかったし、第一君の目が必死すぎた。理由は解らないけど、君は真剣だったじゃないか。あの時の君を指さして笑えるようなヤツがいたらね、そいつこそ質の悪い冗談だよ」「………………」
少女はじっとこちらを見つめてくる。
こっちが信用に足る人物かどうか見定めているようだ。
しばらく沈黙が続いた。
やってきたストロベリーパイを二人分にカットして食べる。
さくさくのパイ生地に、しっとりとしてかつ後に残らない苺の甘さ。うむ、まったく聞きしにまさる逸品だ。
「――――あの」
「なに?」
フォークを止めて少女を見る。
「実はですね、わたし」
「ああ、解ってるよ。君、未来が視えるって言いたいんだろ?」
「―――――え?」
ぽかん、と少女は口を開ける。
……まあ、そうゆうのも有りかな、と思った事を口にしただけだったけど、今回は当たりだったようだ。
「さて。いい加減君って呼ぶのもなんだし、名前を教えてくれないかな。
僕は遠野志貴って言うんだけど」
■瀬尾(ちょっとテレ)
「あ―――はい。わたし、瀬尾あきらって言います」
言い当てた事がよほど利いたのか、少女――――瀬尾あきらは、顔を真っ赤にしながらそう答えた。
□喫茶店
■志貴
――――君、未来が視えるって言うんだろ?
初めて会った男の人(遠野志貴って言うらしい)は、さも当然のようにそう言った。
「あ、あの―――どうして……?」
おそるおそる遠野さんを見る。
遠野さんは人懐っこい笑顔を浮かべて、
「なんとなく、かな。その手の手合いには慣れてるからね」
なんて、優しい口調で言った。
こういっちゃなんだけど、第一印象はふさふさの子犬かキサマっ、って感じ。
「――――その手の手合い、ですか……?」
「そうだよ。けどまあ、さすがに“あなたがこれから人を殺しちゃう人ですか”なんて言われたコトは初めてかな。
アレにはね、正直ドキッとした」
くすり、と笑う。
黒縁のメガネのせいだろうか。
この人、笑うと少年のように見えて、なんだかホッとする。
「ぁ――――」
それで唐突に恥ずかしくなった。
この人は物珍しくてわたしに声をかけた訳でもなければ、ナンパ(うわっ、いつの言葉なんだろうコレ)目的で誘った訳でもないんだって。
「あの……驚きましたか?」
うん、と頷く顔に、悪意というものは存在しない。
「ご、ごめんなさいっ。わたし、誰だか解らなかったから、遠野さんがそうなのかなって、つい」
……あれ? 今、遠野さんって発音して、何か記憶の隅に引っかかりを覚えたけど……なんだろう。
「謝る必要はないよ。ただ、どうしてそういう結論になったのか聞きたくて誘ったんだ。……えっと、アキラちゃんでいいかな?」
「――――――――」
静かに頷く。
……なんか嬉しいような、恥ずかしいような。男の人に名前を呼ばれるのは、お父さん以外では初めてだった。
「あの、時間もありませんし、はっきりと言います。
あの、出来れば笑わないでください。その方が早く話が終わりますから」
「うん。簡潔なのは、いいね」
「……それじゃ言います。遠野さんの言ったとおり、わたし、人の未来というか、少し先の出来事が見えてしまう事があるんです。
……えっと、本当にたまになんですけど、すごい目眩がして、目が開けていられないのに映像が頭の中に入ってくるっていうか……けどそれを思い出す事はできなくて、たんに“知ってる”って事だけになっちゃうんですけど」
「ふん? つまり映像として記録できないけど、情報としては記憶できるってコトかな。
……僕は専門家じゃないから解らないけど、未来っていうのはまあ、過去とは違ってわずかに決定してないからかなあ。情報っていう個々のパーツとしては揃ってるけど、絵としての全体像はまだ未決定ってコトか」
ふーん、と難しい顔をして遠野さんは紅茶を口に運んだ。
「――――え?」
なっ、なんなんだろうこの人。
普通そんな反応しないよう。笑い話にする、どころじゃない。こんなの、ヘンだ。この人、優しい顔してすっごくヘン。
「あの。信じているん、ですか」
「だってそんな嘘つく人いないだろ。“わたしは未来が見えます”なんて、嘘にしてはリスクが大きすぎるじゃないか」
あっさりと遠野さんは言う。
「……そっか。確かに、遠野さんの言うとおりですよね。そんな嘘、つく人いません」
遠野さんは当たり前のように頷く。
……なんだか。この人の前で疑心暗鬼になるのは、この上なく無駄な行為な気がしてきた。
「で? アキラちゃんは今までそういうコトがあったらどうしてたんだい? 未来視っていうのは過去視よりは便利だよね。いいこと、あった?」
ヘンな遠野さんは、さらにおかしな言い回しをしてくる。
「えっと――――あの、なんですか」
「だからさ。例えば、アキラちゃんが、アキラちゃんの友達がケガをするような未来を視るとするだろ。そういう時、君は助けてあげようとした?」
「――――はい。そういう良いことだったら、何度か出来ました。大抵お節介って言われるんですけど、わたしが見た結果は、頑張れば変えられるんです」
遠野さんは少し意外そうな顔をしてから、なるほどね、とソファーに深くもたれかかる。
「うん。いい子だね、アキラちゃんは」
「――――――――」
ちょっと、どきりとした。
遠野さんはこの上なく優しい笑顔を浮かべてくれたのに、なんだか、すごく――――
「……しかし、そうか。未来視っていうのは本当に便利だな。僕はね、未来視の人が視てしまった未来というものは、絶対に変えられないって思ってたんだ。箱づめの猫と一緒さ。死んでるって確認してしまったが最後、その猫は死ななければならない」
「……そうです。わたしも最初はそう思ってました。けどそのうち、なんか違うなって。もしかするとわたしはその人の未来を見てるんじゃなくて、単に過去を見ているだけなんじゃないかなって、そう思って」
「――――?」
はて、と遠野さんは首を傾げた後、なるほどと頷いた。
「ははあ。アキラちゃん頭いいだろ。理系、得意じゃない?」
「……そんなコトないです。わたし、暗記するのが苦手だから」
「そうなの? おかしいなあ、それじゃそっちのほうに容量を多く使ってるんだろうね。
人の背景―――まあ、足跡とか記憶でいいけど、そういったものを読みとれる人間を過去視っていうだろ。アキラちゃんの場合は同じ過去視でもその次の段階だね。
君はほら、アレだろ。読みとった過去を計算して、その人の未来に起きるコトを文字通り“予測”しているんだ。だから普通の未来視とは違って、アキラちゃん自身の意志で未来を変化させられる。
……すごいな。僕みたいな出来損ないとは大違いだ」
「あ――――はい。たぶん、そうだと思います」
言って、わたしは放心したように遠野さんを見ている自分に気がついた。
……だって、びっくりだ。
当の本人であるわたしでさえ一年ぐらい解らなかったコトを、この人は簡単に当ててしまったんだから。
「それで、か。さっき、あんなコトを大声で言っていたのは。けどさ、いくらなんでもアレは考えなしだっただろ」
遠野さんはざく、とフォークでチーズケーキを刺して、丸ごと口に運ぶ。
「さっきアキラちゃんは前に歩いている誰かから未来を視てしまった。視えてしまった未来は人道に反するコトで、とても黙殺できるコトではなかった。
だが無念にもあんまりに人が多くて、アキラちゃんには今の未来が誰の未来だったか判別がつかない。
仕方なく恥を忍んで呼びかけてみたものの、冷たい都会の人たちは誰一人として君の声を聞いてはくれなかった―――ってのがさっきのあらましなんだろう?」
「そうですけど、違います。遠野さんが、聞いてくれました」
「……まあ、僕は物好きだから数に入れない。
そんなコトよりね、僕が言いたいのはアキラちゃんに未来を視られたヤツの事。……そいつ、どっちにせよアキラちゃんを放っておかないと思う」
今までの優しげな雰囲気から一変して、遠野さんは怖い顔をしてわたしを見た。
「あの……どっちにせよって、どっち、なんでしょうか……?」
「そりゃあ未経験にしても、経験済みにしてもってコト」
「――――――――」
また、どきりとした。
遠野さんは解ってる。わたしが偶然誰かから視てしまった未来の内容も、それがこの後どういう結果を招くかという事も。
「そうだろ? 君はこう言った。人殺しはいけない事だって。身に覚えがない人にはどうってことのない言葉だけど、覚えのあるヤツにすれば聞き流せる言葉じゃない。
もし――――そいつがすでに経験済みなら、間違いなく君の後についてきてる」
「――――!」
慌てて店の中を見渡した。
……って、わたしにそんな、尾行してきた人のコトなんか解るはずないじゃないか。
「でね、逆にこれから経験するっていう場合でも、ちょっとやばいと思う。さっきのアキラちゃんのパフォーマンスはしばらく忘れられない物だ。
まず心配する必要はないと思うけど、相手はそういうヤツなんだろ? なら、コトを犯した後に君のコトを思い出して、執念深くアキラちゃんを捜し当てる可能性だってある」
冷たい声で遠野さんは言う。
きっと、わたしの軽率さに呆れているんだと思う。
「あの――――わたし、わたしは――――」
「そこまで考えてなかった?」
「……………………」
……ううん。そういうコトは考えちゃった。けど、それでも見えてしまったモノが酷かったから、わたしは―――・
「……自分の事より殺されるかも知れない他人の事が気になったわけか。……まいったな。そういうのに弱いんだ、俺」
僕、ではなく俺、と言って、遠野さんは天井を見上げた。
「と、遠野さん、そんな――――――――」
わたしはと言うと、遠野さんの口から“殺される”なんて単語を聞いて、背中を震わせていたりする。
なんていうか、我ながら臆病だ。
人の未来において。死の光景というのは、割合ポピュラーなものだっていうのに。
「仕方ないか。アキラちゃんが迷惑でなかったら手伝うけど、いいかな」
「え……手伝うって、遠野さん?」
「とぼけないでくれ。君、一人で捜すつもりなんだろ。その未来の殺人犯とやらを」
「――――――――」
……すごい。
この人、穏やかそうに見えるけど、本当はすごく怖い人だ。
ふさふさの子犬なんて大間違い。この人、メガネを外したら毛並みのいい狼になるんじゃないだろうか。
「あの……それは嬉しいんですけど、無理です。顔も解らない相手を捜すなんて、普通の人には無理ですから」
「――――だから、僕は普通の人じゃないよ。アキラちゃん程じゃないけどね、特別な眼を持ってるんだ。しかも弱い分、自分の意志で視るコトができる。人を捜すにはうってつけだとは思うけど?」
「え――うそ、遠野さんも未来視なんですか?」
「あのね。未来が視えるんだ、なんて嘘を言っても得なんかないってさっき言っただろ。まあ、僕のはアキラちゃんほど具体的じゃないんだがね」
遠野さんはかつん、とメガネのレンズを指で弾いた。
「……………」
そっか……だからわたしの話をちゃんと聞いてくれて、すぐに受け入れてくれたのか。
それなら確かに頼りになるし、“誰か”を見つける事が出来るかもしれない。
わたしが未来を視るのは、大抵その一日あとの事だ。どこか諦めていたけど、遠野さんが手伝ってくれるなら本当に――――あの未来を変更させる事ができるかもしれない。
「決まりだね。それじゃ頼みがあるんだけど、僕の事は志貴さんって呼んでくれないか。せっかく名乗ったのに遠野さんじゃ嬉しくない」
「あ、はい。志貴さんがそう言うなら――――」
――――と。
志貴さん、と発音して、始めに感じたひっかかりに気がついた。
「あの――――もしかして、志貴さんって遠野先輩のお兄さんですか?」
「え――――?」
がくん、と。
心底驚いたように、志貴さんは肩を落とした。
「遠野先輩って――――ちょっと、待って」
眼を白黒させて志貴さんはわたしを見る。
「じゃあ君は浅上女学院の子……?」
「はい。中等部の二年生です。遠野先輩には色々とご指導をしてもらってます」
「いや、だって――――遠野秋葉は高等部じゃないか。アキラちゃんは中等部だろ」
「そうですけど、うちの学院はあまり中高の隔たりはないです。わたしも遠野先輩も生徒会の役員ですから、会議ではいつも一緒です」
あっちゃあ、と志貴さんは手のひらで顔を隠した。
そうして、しばらく黙ったあと。
「……あの、さ」
「はい、なんですか?」
「頼むから秋葉のヤツには内緒にしてくれないか。その、僕が君に声をかけたこと。街で女の子に声をかけた、なんて知られたら秋葉になんて言われるか解らない」
心底弱ったように志貴さんは言ってくる。
「いいですけど。志貴さん、遠野先輩が苦手なんですか?」
つい思った事が口に出た。
「んー、まあ、そういうコトは、ないんだけど」
志貴さんは煮え切らない返事をして、
「それよりこっちのトルテ、食べない? ラズベリー、好きなんだろ?」
なんて、お代官さまに小判を渡す越後谷さんみたいにお皿を進めてきた。
□喫茶店
■志貴
「それでさ、結局アキラちゃんが見た“未来”ってどんなものだったんだ?」
「え?―――うっ、それは、うぐっ――――」
「ああ、いいよ食べながらで。アキラちゃんの食べっぷり、遠慮がなくて気に入ったから」
「あうっ………わたし、そんなにはしたくなく、ないです」
「うん、そうだね」
ニコニコ顔でそんなコトを言われると、どう反応していいか困る。
とりあえずナプキンで口元を拭いて、じっと志貴さんの瞳を見る。
「……わたしが見たものは断片的な物です。何人かの人が血だらけになってる像と、最後に怖い顔をしてナイフを持った人がいる像。
風景は真っ暗で場所を特定できるような要素はありません。ただみんな一人ずつだったから、同じ場所でやられてしまう、という事じゃないと思います」
「一人ずつか。で、具体的に何人いたの?」
「……三人です。一人目はわたしと同い年ぐらいの女の子で、日焼けしてて、髪にブリーチしてて、これぐらいの長さ」
志貴さんは無言で次は? と尋ねてくる。
「二人目は三十歳ぐらいかな、背たけは志貴さんより頭一つ低かったと思う。小太りしてて、人のよさそうな顔してました。着ていた服が特徴的で、まっ黄色の作業服をきてるんです」
「ああ、それは解りやすいな。この近くで黄色の作業服が制服っていう会社は二つぐらいしかない」
そう応えながら、志貴さんは念入りに二人目の容貌を尋ねてきた。
もっと解りやすい身体的特徴とか、わたしが受けた第一印象とか、果てはどんなふうに血まみれだったか、なんて事まで。
「……そんな所か。手がかりにしては少なすぎるけど、捜してみる価値はある」
「え……?志貴さん、二人目の人を捜すんですか?」
「そうだよ。誰だかわからない殺人犯を捜すより、これから襲われる人を捜して保護したほうが現実的だ」
「それは……そうです、けど」
「ほら、それじゃ三人目の容姿を教えて。まだ記憶が鮮明なうちがいいだろ」
「―――――――――」
……志貴さんはそう言うけど、わたしの場合時間が経とうと一度見た未来の記憶が薄れる事はない。
映像としてではなく単語としてしか記憶できない分、その鮮度が劣化するスピードはゆっくりなんだから。
……まあ、そんなコトが原因かどうかは知らないけど、わたし自身も映像という媒体にはあまり興味をひかれない性質だったりする。
わたしの場合、どちらかというと音に弱い。好みの声質だったら受話器越しの新聞勧誘の人にだってドキドキしてしまうぐらい、音に魅力を感じてしまう。……っと、閑話休題。
「えっと、三人目の人は女性なんですけど……この人、あんまり特徴がないんです。ただ髪が長かったな、ぐらいで」
「……それは困るな。それじゃ捜しようがない」
志貴さんは不機嫌そうに考え込む。
「まあ、悩んでも仕方がないか。それで、その人はどんなふうに殺されていたんだ?」
「……さっきと一緒です。刃物で手とか足とか切られてるんですけど、女の人は両手がありませんでした」
「……ふうん……一人目はただ血まみれなだけなのに、二人目は片手片足で三人目は両手か。ずいぶんと物騒な刃物を持ち歩いてるヤツだな。人間の手足を切断するなら、ナタとかノコギリじゃないと難しい。……そうなると通り魔っていう線はなくなるね。人目につかない場所で・
ゆっくりと解体するしかないじゃないか」
志貴さんはぶつぶつと、優しい顔立ちに似合わない事を呟く。
「で、最後に出てきたヤツって何なの? ナイフを持ってたっていうけど、そいつは死んでないの?」
「―――はい。ナイフを持ってるだけなんです。……けど、すごく恐い感じでした。よく映画で出てくる殺人鬼みたいで」
「……へえ。なんだろうな、ソレ。容姿はどんな感じなの?」
「えっと―――――」
ちらりと志貴さんを見て、俯いた。
……言えない。
ナイフを持っていた人は、志貴さんにどことなく似ている気がした。ただナイフの人はメガネなんかしてなかったし、志貴さんよりもっと若かったのも確かな事だ。
「……よく覚えてないです。ただ思うんですけど、あれって殺人犯自身の姿じゃないかなって」
「? なに、事を終えた殺人犯が自分の姿を鏡で見ていた、とか?」
「あの……そんな日常の延長は見えません。わたしに見えるのは逸脱した日常だけだし、その人自体の姿だって見ちゃいます。だってわたしは当事者じゃなく観測者なんですから」
「―――そっか。じゃあ話は早い……って、ダメか。アキラちゃん、そいつの容姿は覚えてないんだっけ」
はい、と頷く。
志貴さんはふう、と安堵した。
「そうなるとやっぱり地道に行くしかないね。僕はこれから二人目の人を捜してみる。
アキラちゃんは……そうだな、できれば何もしないほうがいいと思う。何しろ相手は殺人犯になるヤツだからね。今だってさっきの一件から付けてきていて、君の事を監視してるかもしれないし」
「!」
またもきょろきょろと店内を見渡す。
……だから、わたしなんかに怪しい人が見つけられる筈はないんだってば。
「女の子の一人歩きは危険だろ。外回りは僕に任せて、アキラちゃんは家で今日視た“未来”を思い返してくれればいいよ」
「けど……危ないのは志貴さんも同じなんじゃないですか?」
「同じじゃないよ。まあ、本当に殺人犯が尾行していて僕も君の仲間だって勘違いしたら、それはそれで話は早いんだけどね。ま、こう見えても腕に自信はあるから、そのあたりは心配しなくていいよ」
さて、と志貴さんは立ち上がった。
「うまくいったら明日、連絡する。アキラちゃんの電話番号教えてくれる?」
「あ―――えっと、それがですね。わたし、今旅行中なんです」
へ? と志貴さんは目を丸くする。
「はい。年末に行きたいイベントがあるんですけど、今年に限って学院の寄宿舎が改装するっていうんです。それで生徒はみんな実家に戻る事になったんですけど、わたしの家って遠いんです。
だから用が済むまでこっちのほうに一人で残ってるんですけど……」
「一人で残ってるって、友達の家にでも泊まってるの?」
「いえ、この近くのホテルです。なんでも二ヶ月前に大きな事故があったとかで、宿泊料がもう嘘みたいに安いんですよ。
それなら一週間ぐらい泊まれるなあって、今回の計画をたてたんです」
「―――ホテルって―――ああ、あのホテルか」
「?」
志貴さんは顔を真っ青にして、少しだけ頭を振った。
「えっと、わたしは十一階の二号室に泊まっていますから、電話ならホテルにしてくれればいいと思います」
「そう。わかった、それじゃ何か解ったら連絡するよ。会計はしておくから、アキラちゃんはゆっくりしていなさい」
……志貴さんは手をあげて、それじゃあと喫茶店から立ち去っていく。
「……おかしな人だなあ」
窓際からその背中を見送る。
□喫茶店
――――――と。
唐突に、それがやってきた。
「あ―――――つ」
すごい。一ヶ月に一回起きれば新記録なのに、こんな、一日に二回も起きるなんて、わたしってばヘンな才能を伸ばしてるんじゃないだろうか―――
真っ暗い夜。
誰もいない建物。片側には大きな壁。
あれは……学校の体育館、だと思う。
そこで、二人は向かい合っている。
一人は志貴さんで、もう一人はあのナイフの少年だ。
二人はなにか話をした後、申し合わせたようにナイフを相手に向けて差し出して―――
□喫茶店
――――って、うそ、だ。
「志貴さん―――刺され、ちゃった」
自分の言葉に愕然とする。
でも今のは間違いのない“未来”だった。
「志貴さん―――――――――っ!」
喫茶店から飛び出て、志貴さんの後を追いかけた。
けど、もう志貴さんの後姿は見えなかった。
いくら捜しても志貴さんのコート姿は見つからなくて、わたしは何をすべきか考え付かないまま、とぼとぼとホテルへと帰っていった。
□ホテルの部屋
「――――って、そうか! 先輩のとこに電話すればいいんだ!」
帰ってきた瞬間、そんな当たり前のコトに気がついた。
「えっと、先輩の家の電話番号って――――」
アドレスから遠野先輩の電話番号を読み取る。
わたしたち中等部の生徒のほとんどは先輩の電話番号を知ってるだろうけど、それを実際にかける子はいないだろう。
高等部だって、先輩と直接話をする人はルームメイトの蒼香さんか羽居さんぐらいだっていう話だ。
遠野先輩ほどみんなに信頼されていて、同時に恐れられている人はいないと思う。
中等部の連中はいいなあ、アレと実際向き合わないなら気楽に信頼できるもんな、と高等部の人たちはよく言っている。
「うっ―――――」
そう思うとわたしなんかが電話をかけるのなんて、すごく恐れ多い気がしてきた。
けど事は志貴さんの命に関わるんだし、恐がってる場合じゃない。
……って、そっか。
わたし、噂の遠野先輩のお兄さんと知り合ったんだ。らっきー、新学期になったらみんなに自慢してやろう―――・
「はい、遠野ですがどちら様でしょうか」
――――て。いつのまにか、無意識にダイヤルをプッシュしちゃってたみたい。
「あっ、う、え――――?」
突然の事に声が裏返る。
「はい、遠野です。どうぞ落ちついてくださいね」
受話器から、なんだかのんびりとした声が返ってくる。
「あ――――は、はい、わたし、落ちついてます」
てやっ、と深呼吸を一度。
「や、夜分遅く申し訳ありませんっ。わた、わたし瀬尾あきらって言いますけど、遠野先輩はいらっしゃるでしょうか!」
「はい、少々お待ちくださいね」
丁寧な響きのあと。
ほんの少しの間があって、
「お電話変わりました。遠野ですが」
なんて、何度も聞いているのにちっとも慣れない先輩の声が聞こえてきた。
「あっ、あの、先輩、こんばんはっ!」
……我ながら、自分の上がり症が嫌になる。
「……………………………………」
受話器の向こうは沈黙しかない。うう、先輩きっと呆れてるんだっ。
「………………………………………瀬尾?」
「あ、はいっ! わたしです、先輩っ!」
「そう。あなたが電話をしてくるなんて、意外ね」
どこか楽しむように先輩は言った。
……うう。遠野先輩のそういう口調は、後で絶対なにかあるんだ。先輩は弱い者を見るといじめたがる悪癖があるそうで、わたしなんか会議のたびに突つかれている。
そういうワケで高等部の人たちから見ると可愛がられてるように見えるそうだけど、わたしは先輩に笑いかけられると背筋がぞくっとしちゃうのだ。
「それで用件はなに? 新年の挨拶にしては早すぎるけど」
「え、あの、そういうんじゃなくてですね―――えっと、その………先輩、お家のほうに志貴さんはお帰りになっていますか?」
びきり、と。
なんか、向こうの受話器から、勢いあまって受話器を握りつぶしてしまうような、そんな音がした。
「瀬尾。志貴さんって、それはどういう――」
「ただいまー」
遠野先輩の声の奥で、男の人の声がした。
「あっ、志貴さん帰ってきたんですね!? 良かった、間に合った! 先輩、ちょっと志貴さんと代わっていただけますか!? どうしても伝えなくちゃいけない事があるんですっ!」
夢中になってまくしたてる。
遠野先輩は何かため息をこぼした後、無言で受話器を志貴さんに差し出したみたいだ。
「はい、お電話代わりましたけど」
「―――――――――」
その声を聞いて、ドキリとした。
受話器ごし、という事でさっきとは違う印象があったのか、それともさっきは顔を見ることばかりに夢中でまともに声を聞いていなかったのか。
ともかく、なんていうか―――すごく、いい声だなって今更ながらに思ってしまった。
わたしはどういうわけか映像より音に反応する質だから、受話器越しの志貴さんの声は、その、控え目に言っても時速160キロぐらいの直球だった。
「あ、あ、あの、瀬尾ですっ!」
「ん?」
やば―――なんか、ばっくんばっくんしてきた。
「あのですね、一つ言い忘れてたんですけど、夜はあんまり出歩かないでくださいっ! とくに体育館の傍なんて絶対にダメです! いいですね!」
「……うん、いいけど。それより体育館の傍って、うちの学校のこと――――」
チン。
「はあ……はあ……はあ……っと、びっくりしたあ」
受話器を下ろして、両肩で息をする。
そのままずるずると床に膝をついて、もう一度深呼吸をした。
「……けど……これで大丈夫、だよ、ね……」
志貴さんは解ってくれたし、さっき見た未来が形になる事はないだろう。
今の電話で問題があるとすれば、それは――――年明けの生徒会室で、遠野先輩にどんな無理難題を押し付けられるか解らなくなった、というコトぐらいだ。ううっ、年明けが恐いよう……。
□街中
「―――――――――はあ」
朝刊の片隅にとある記事を見つけて、陰鬱な気持ちになった。
“独身男性、バラバラ死体で発見”
「被害者は中山皆人、柱戸運搬に勤務……」
柱戸運搬といえば、全身が黄色っていう明るい制服を採用している所だ。
新聞では詳しく載っていないが、バラバラ死体という事は手足が千切れているのだろう。
「…………まいったな」
昨日、瀬尾あきらという子と別れた後、自分なりに手を尽くした結果がこれだ。
「しかし、こんなに早く新聞に載るなんて……アキラちゃん、新聞読んでるかな」
読んでいるとしたら可哀相だ。
この事実は、できるだけソフトに自分の口から伝えてあげたほうがいいだろう。
「……けど一人目はまだ発見されてないっていう事か。二人目はそれだけ慌ててたっていう証拠かな」
考えた所で意味はない。
拾った朝刊をごみ箱に押し込んで、公衆電話へ歩き出す。
ホテルのフロントに電話をいれて、十一階の二号室に繋いでもらう。
「――――あ、アキラちゃん? 近くにいるんだけど、出てこれるかな。いまならお昼ごはん、ご馳走するけど」
□街中
瀬尾あきらはすぐにやってきてくれた。
昨夜はよく眠れなかったのか、目にクマができているのが印象的だ。
■瀬尾
「お、おはようございます志貴さん!」
と、それでも元気に挨拶をしてくれるあたり、なんというか微笑ましい。
「じゃ、ちょっと歩こうか。誘ったのはこっちだから、おいしいものを食べさせてあげよう」
「あ―――はい、ご馳走になります」
昨日のケーキがよほどお気に召したのか、期待に満ちた目をしている。
では、その期待に添うよう今日は豪華な和食にしよう。
□喫茶店
■瀬尾
食事を終えて、昨日と同じ喫茶店に入る。
席に座って、アキラちゃんが言った台詞は
「やっぱり寒いときは鍋ですよね!」
だった。
始めは嫌がっていたが、あんこう鍋はそれなりに気に入ってくれたらしい。
「―――――――――」
さて。気分が落ち着いた所で朝刊にあったニュースを伝えなくてはいけない。
……だがいきなり“君の未来視が実現したよ”というのは可哀相だ。ここはもう少し、無駄話をして間を取るべきか。
「アキラちゃん。ちょっと聞きたいんだけど、いいかな」
■瀬尾(ちょっとテレ)
「え―――はい、いいですよ。……というか、ですね。志貴さんはわたしよりずっと年上なんですから、そんなふうにいちいち断らなくてもいいです」
「そう? なら聞くけど、アキラちゃんは自分の眼の事をどう思ってるのかな。邪魔だとか思わない?」
きょとん、とアキラちゃんはこちらを見る。
■瀬尾
「うーん、嫌だなあって思う時のが多いですけど、邪魔なものだと思った事はないです。わたし、子供の頃からこれが当たり前だったし。
そりゃあ嫌な物を見ちゃった時は気分が滅入るけど、自分にとって嫌な未来だったら努力次第で変える事ができるでしょう? だから、どっちかっていうと得してるのかなって思います」
「そっか。アキラちゃんは誰かの過去を記憶として視て、その結果として未来を予測する。
けどそれらの過去は未来を計算するための変数にすぎないから、よほど近い時間で起こった過去以外は映像としては捉えない。
……つまり視えてしまった人の過去に振りまわされる事なく未来を“覗き視る”事ができるわけか」
それは理想的だ。
未来というものは過去と現在を足した後にでるイコールにすぎない。
つまり他人の未来を知る、という事は他人の現在と過去を熟知してなければならない訳だ。
それも、未来という答えを弾き出す為に、自分の人生と等価値になるほど深く。
だがそこまで他人の過去や現在を熟知してしまっては色々と不都合が生じてしまう。
例えば見られた方のプライバシーの問題とか。
例えば見てしまった方の価値観の変動とか。
■瀬尾(ちょっとテレ)
「志貴さん……?それってどういう事ですか?」
「え? ああ、聞こえちゃった? いや、単に過去視しかできない場合を考えてみただけ。
アキラちゃんは未来しか視ないようにうまく出来てるけど、過去視だけのヤツっていうのは大変だろうなって。
例えばの話だけど、アキラちゃんはいつも外国に移住したい、と思ってる。けど実際問題で今の自分の環境を守っているとそんな事はできやしないだろ。
で、そういう願望を持つアキラちゃんが、たまたま昔外国に住んでいた人の過去を“視て”しまったとする。
「……まあ、よそ様の記憶との混濁っていうのかな。そうなるとね、過去視の人はそれをすでに擬似体験したような気持ちになって、なんだ、どうってことないじゃん、とあっさり外国に移住しちゃったりするんだよ」
■瀬尾
「えっと―――今の自分のお家とか、友達とかそういうのを全部捨てちゃって?」
「そう。普段僕らがこうして自己の環境に閉じこもっているのはね、自己の環境を守るためなんだよ。
誰だって冒険はしたいさ。そして同時に冒険なんてものは誰にだって出来てしまう。けど冒険はできないし、やらない。
今の自分という環境を作ってきたのは自分だ。自然、それは自分にとって少なからず住みやすい環境でなくてはならない。誰だってその環境を捨てて、住み易くない冒険なんかしたがらないんだよ。
「僕らは夢とか自由とか浪漫とか、そういう幻想を餌にして円形のレース場を走ってるような生き物だ。ほら、頭の先にニンジンをぶら下げられている馬と変わらない。
けど、何かの弾みでグルグル回るだけだったレース場からね、柵を飛び越えて脱線してしまう輩がいる。
さっきの過去視の話とか、アキラちゃんが見た殺人犯とかがそれに該当する。
群れからはぐれた生き物は死ぬしかない。だって、あらゆる生物は単体では繁殖できないだろ。増えない、という事はもうないっていう事だ。
だが―――もとから増える事に意義なんてない。もしかするとさ、輪からはぐれて一人きりで死んだほうが、生物は美しいのかもしれないけど」
「――――――――」
はあ、とアキラちゃんは空返事をする。
……と、話が脱線してしまった。
「で、殺人犯の話が出たけど。アキラちゃん、朝刊読んでないだろ」
■瀬尾(ちょっとテレ)
「あっ―――はい、ごめんなさい」
「うん。そこでね、昨日の深夜、男性の死体が出たんだって。バラバラ死体で、アキラちゃんが言ってた黄色の作業服を制服にしている会社の人」
■瀬尾
「――――――――――!」
がた、とテーブルを揺らしてアキラちゃんは立ち上がる。
「―――――――――」
アキラちゃんは顔を真っ赤にして、ふるふると震えている。何か言いたいのに言葉が出ない、といった感じだ。
「……まあ座って。顔写真があったわけじゃないからまだ絶対とは言いきれないよ。不謹慎な言い方だけど、もう少し様子を見たほうがいいし、警察だって馬鹿じゃない。犯人の見つからない事件なんていうのはね、“事件が起きたと誰も解らない事件”だけだ。後にも先にも、完・
犯罪っていうのはそのケースだけなんだから」
そうだ。事件として報道された以上、殺人犯は必ず捕まるだろう。
まあ、それがどのくらい先になるかはまだなんとも言えないんだけど。
「ほら座って。別にアキラちゃんに責任はないんだ。悪いのは殺人を犯したヤツで、君には一切責任はない。そこを間違えちゃいけない。
いいかい、知っていたのに止められなかった、なんていう事が罪になるのなら、テレビで殺人事件のニュースを見ている連中は全員有罪になるじゃないか」
「――――――――――――」
アキラちゃんは無言で立ち尽くしている。
そうしてしばらくした後、しずしずとソファーに座りなおした。
「良かった。あのままでいられたら、二度とこの店にこれなくなる所だった」
「……………そうですけど。志貴さんって、恐い事言うんですね」
「うん? 恐い事って、なに」
「………いいです。確かに、志貴さんの言葉は正しいと思います」
アキラちゃんは俯いたまま、ぼそぼそと話を続ける。
「ねえ、志貴さん。わたしが見た人は、どうして人を殺してしまったんでしょうか」
「困ったな。そんなの僕に解るわけがないんだけど……まあ、いってみれば性衝動なのかもしれない」
■瀬尾(ちょっとテレ)
「―――せ、性衝動って、そんな―――」
ぽっ、と顔を赤くする。落ちこんでいるけど恥ずかしがり屋な所は変わってない。
「だって、もしですよ!? もし殺人犯の人が、誰かを助けるためにやむを得ずに誰かを、その……手にかけなくちゃいけなかったかも、知れないじゃないですか。そういう、したくないけどやらなくちゃいけないっていう行動もあるんじゃないかなって………」
「そりゃああるだろうね。理由は十人十色だから。
けどモノの生き死に関しては、結局は性衝動だろう。
人間を人間たらしめている事は道具の製造だ。それ以外の行動において、人間は人間ではなく動物にすぎない。
動物にとってモノの生き死になんて、本能以外の何物でもない。そもそも何かを殺す、生かすという決定をする時には理性なんて働かない。僕たちはそういう風に出来てる。
当然だろう? だって、理性が働いていたら生き物なんて殺せない。
どのような理由があるにせよね、その瞬間だけは、僕らは理性という咎が外れてしまうんだ」
■瀬尾
「……………………」
「――――ごめん。ちょっと皮肉になってしまった。ちょっと前に似たような体験をしたものだから、僕もこと“死”に関しては冷たいんだ。
けどアキラちゃん。人が人を殺す理由は本当に色々あって哀しい物だけど、結局は今の自分から“変わりたい”っていう願望が元なんだと思う。
例えば、とても憎い相手がいる。彼が生きていると自分は憎む事しかできない。それは嫌だ。不快だ。だから、もう憎まない自分に変わる為に、その原因である彼を殺す。
ほら、この場合だって原因は変わりたいっていう気持ちだろ」
「……そう、でしょうか。そんなのは言い訳です。変わりたかったら、もっと他の方法を探せばいいと思いますけど」
うん、と頷く。
アキラちゃんの言う事はもっともだ。
そもそも自己の変革方法に行き詰まりでもしないかぎり、最終手段とも言える“殺人”なんて事はしないんだから。
「……でも、志貴さんの言う事、やっぱり正しいです。
わからないけど、人を殺めてしまった人はその時点で世界の在り方がガラリと変わっちゃうんでしょうね。
志貴さんの言葉を借りるなら、今まで一生懸命作ってきた“自分の環境”っていうのがみんな台無しになっちゃうんだから」
「―――――――――」
嬉しくなって、つい口元を綻ばせてしまった。
この子は本当に頭がいい。
こんな妹がいたら酷く溺愛していただろうな、と柄にもなく思ってしまった。
□街中
――――昨日と同じように瀬尾あきらと別れた。
彼女も怯えているようだったし、今日はホテルから外に出ないように言いつけてある。
「さて――――三人目は特徴のない女の人、だっけ。見つけるのは大変なんだか、簡単なんだか」
ボリボリと頭を掻く。
あれだけの情報から三人目の女性を捜し当てるのは難しいけど、アキラちゃんだっていつまでもホテルに泊まっているわけじゃない。
出来る事なら早いうちに、彼女の期待に応えてあげないといけないだろう。
――――いいかい、知っていたのに止められなかった、なんていう事が罪になるのならさ。
テレビで殺人事件のニュースを見ている連中なんて、全員有罪ってコトになるだろ?
……その言葉を聞いて、志貴さんは恐いひとだな、と思った。
ううん、恐いっていうより厳しいって言うべきかもしれない。
見知らぬ誰かが殺された、というニュースを見て、多くの人は“可哀相だなあ”と同情すると思う。けど、そんなの翌日には忘れてしまうし、覚えていたとしても同情するだけなら“見ているだけ”と何も変わらない。
たとえ過去であれ未来であれ、知ってしまったのなら行動すべきだと、志貴さんは言っていたんだと思う。
それは、つまり。
ニュースというものを見て、ただそれを眺めているだけのわたしたちは、知っているのに何もしようとしないだけの、ただそこにいるだけの無意味なモノだって言うかのように――――
□ホテルの部屋
ぼんやりと目を覚ますと、時刻はもう正午に回ってしまっていた。
「……………………」
夜があけるまで寝つけなかった事もあって、体はまだ眠りたがっている。
「……新聞、読まないと」
ねぼけ眼をこすってルームサービスで朝食と新聞を頼む。
味気ないホテルのコーヒー(志貴さんはわたしのコトを紅茶党と思っているが、実はコーヒーのほうが好きなのだ)を舌で舐めて、届けられた新聞に目を通す。
「――――――――――」
果てして、三人目の記事はあった。
特徴もなにもない。ただ、なんたらという女性が自宅で殺害されていた、という内容。
確証はないけど、それでも―――その人が三人目なんだって事が、事実として認識できていた。
「あ……電話、鳴ってる」
ぼんやりとした頭で受話器を取る。
フロントの人が遠野志貴さまからお電話です、と告げて、回線を繋げてもらう。
「ああ――――やっと繋がった。おはようアキラちゃん。早速だけど、出て来れる?」
昨日と同じように、志貴さんはそんな事を言っていた。
□喫茶店
■志貴
喫茶店についた時、時計は午後四時になろうとしていた。
志貴さんはいつもの席で待っていて、お辞儀をしてから向いのソファーに座ったりする。
「……その顔だと新聞は見たみたいだね」
「―――はい。志貴さんもやっぱりそうだと思いますか?」
「ああ……いや、どうだろう。あれだけじゃまったくの別件に見えるだろう」
とても不機嫌そうに志貴さんは言う。
昨日までは達観していたけど、流石に今日は穏やかではなさそうだ。
「……志貴さん、怒ってますね」
「ああ」
簡潔に頷くと、志貴さんは重苦しくため息をついた。
「まったく、なんなんだろう、あの記事の小ささは。人一人殺されてるっていうのに、二行足らずの説明しかなかった。あれじゃ被害者がどこの誰なのか、どんなふうに殺されているかも判断できない」
「あの。志貴さんは無関係だって思うんですか?」
「うん? いや、そんな事はないと思うけど、アレじゃアキラちゃんが解らないだろ。……まいったな。きっと昨日の殺人と手口が同じだから情報規制を敷いているんだ。これじゃどうにも内情が伝わらない」
「……志貴さん。それで、これからどうするんですか? とりあえず、もうこれ以上犠牲者が出る事はないと思いますけど」
「それは、確かにそうかもしれない。けどアキラちゃんは犯人を捕まえたいんだろ?」
――――頷く。
別に正義感からってわけじゃないけど、殺人犯は野放しにしちゃいけないと思う。
「そっか。……けど参ったな。ほら、アキラちゃんは“ナイフを持った男”の姿を情報として知ってるけど、僕は知らない。口でアキラちゃんの視た情報を言われても実感できないし。
僕のほうは、これで手詰まりになってしまった」
「あの――――それなんですけど。志貴さんは、その――――」
あの“ナイフを持った少年”に刺される事になる、なんて事は言えなかった。
そもそもあれは一番そうなる可能性の高い未来なんだから、些細な事で優先度は低くなるんだし。
「ん? 僕がなに?」
「えっと、―――わたし、街を歩いて捜そうと思うんです。だから、その、志貴さんが一緒にいてくれたら心強いなって、あの……勝手、ですけど」
なるほど、と志貴さんは指を鳴らした。
「そうだね、そうしよう。それならまだ僕もアキラちゃんの役に立ちそうだし」
「あ……その、そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど、きっと見つかりません。街を歩いているだけで捜し人が見つかるなんて、まずありえっこないです」
「けど無いとも言いきれない。どんなに小さな事でもね、積み重ねればゼロじゃない。アキラちゃんが諦めなければ何かが終わることはない」
嬉しそうに言って、志貴さんは立ち上がる。
「さあ、善は急げだ。人通りが激しいうちにざっと街を流してみようか」
□街路
三時間ぐらい大通りを歩いて、まだ何かを見つけられるような事はなかった。
志貴さんは文句一つなく付き合ってくれて、わたしが寒がったりすると温かい缶ジュースを買ってくれたりする。
「……そろそろ晩ごはんの時間だね。アキラちゃん、何か食べたいものある?」
「えっ……食べたいもの、ですか?」
実はお昼過ぎに起きてから何も食べていなかったので、志貴さんの提案はカモネギだった。……じゃなくて、こういう場合は渡りに船、と。
「うーん、昨日は料亭だっただろ。今日はもうちょっと気軽な店のほうがいいのかな」
志貴さんは人ごみの中に立ち止まって真剣に考えている。
「――――――――――」
とりあえず無言。こういう場合、志貴さんはわたしが思っている以上にいい選択をしてくれるんだけど――――
□街路
「あ――――――――」
ふと。
車線の向こうの街道を歩いている二人連れが目に入った。
うちの学院の先生みたいなコートの人と、“彼”が歩いている。
……遠くてよく解らない。
解らないけど、あの人に間違いない。
「……ん? どうしたのアキラちゃん」
「―――志貴さん、あの人―――――」
“彼”を指差す。
志貴さんはどれ、と視線を移したあと、ぴたりと固まってしまった。
「………メガネ、してるけど……あの、あの人が……」
「あの人が、なに」
「志貴さんを、刺してた人、です」
「は?」
と。心底意外そうな顔をして、志貴さんはわたしを見た。
「―――――――――あ」
し、しまった!それだけは黙っていようと思ったのに、ついぼーっとして、わたしってば……!
「アキラちゃん。僕がアイツに刺されるって、どういうこと」
「あ……う……それが、えっと……わたし、見えちゃったんです。志貴さんとあの人が向かい合って、ナイフで刺し合ってるところ。だから夜には出歩かないでって、電話で注意したんです」
「―――――――――――電話」
ああ、合点がいった、とばかりに志貴さんは頷く。
「……そう。そういうコトもアリなわけか。まいったな、てっきり最後に見えたっていうから友達になれると思ったのに。……なるほど、アキラちゃんの視る未来は本当にあやふやなんだな」
言って、志貴さんはわたしの肩を強く握った。
「殺人犯が誰だか解った。彼、僕の先生だよ」
「――――――!?」
「いいから、とりあえずここを離れよう。僕の通ってる学校に行くけど、いいね」
そのまま志貴さんはタクシーを捕まえる。
「……………………」
志貴さんに続いてタクシーに乗りこんだ。
……志貴さんには夜の学校は危ない、と伝えてある。なのにあえてそこに行く、という事は何か考えでもあるんだろう。
□校門前
「――――――――え?」
タクシーから降りて、わたしは軽い眩暈を覚えた。
何が癇に障ったかというと、正門にある学校名が、チリチリと首筋をあわ立たせる。
■志貴
「さ、ここだ」
志貴さんは慣れた様子で校門まで歩いていくと、校門の鍵(南京錠、だった)を開けてしまう。
「ほら、こっち」
わたしの手を引いて、志貴さんは学校の中へと入っていく。
□校舎前
□校舎裏
「――――――――うそ」
嘘も何も。
ここ、知ってる。
「あの、志貴さん」
震える声で話し掛ける。
志貴さんはわたしの手を引っ張ったまま、まだ、一度も振り返ってくれてない。
「――――なに」
素っ気無い返答。
それにもう、自分でも馬鹿だったなあ、と思うぐらいの衝撃があたまの後ろのほーに炸裂した感じ。
「ねえ志貴さん。一つ、訊いていいですか」
「だから、なに?」
「……あの、ここ高校ですよね。けど志貴さん、さっきここに通ってるって、言いませんでした?」
「うん、言ったけど、ヘンかな」
――――ぜっ、ぜったいヘンです。
だって志貴さんって、その――――
「あの。志貴さん、わたしよりずっと年上ですよね」
「ああ。今年で二十二になるけど」
「あ、そっか。志貴さん、ここの教師だったんですね」
「いや。そんなわけ、あると思う?」
――――ない。うん、ぜったいない。
「あの……あなた、その……」
「アキラちゃん。僕はここの生徒でもなければ教師でもないよ。ただ、遠野志貴はここの学生なんだけどね」
「誰、なんですか?」
「さあ? まあ、少なくとも遠野志貴本人でないのだけは確かな事だけど」
■志貴
言って、彼は振り向いた。
能面のような無機質さ。
――――ああもう、撤回撤回大撤回。
なにがふさふさの子犬とか、毛並みのいい狼だ、こんちくしょー。
だってこの人、どうみたってカマキリそっくりってものじゃないか――――――!
□校舎裏
■志貴
「あ――――」
片手を掴まれたまま、なんとか逃げようともがいてみる。
けど彼の手は離れようがないし、もう片っぽの手には、なんか、白々しいほど間に合わせのナイフが握られている。それも金物屋で買うなものじゃなくて、スミスアンドなんとかってところのすっごいナイフ。
「あの、どう、して――――」
声が震える。
うまく体が動かない。
こんなの、大声を出してキックの一つもすればいいってわかってるのに、体がすくんでしまってる。
だって、あのナイフがちょっとわたしのお腹に向って動けば、わたしはきっと生きていない。
なんか。映画で、銃口を頭に向けられている人の気持ちが解ったような解らないような。
「どうしてだって? ああ、本当にどうしてだろうね。僕としては君とは今日のうちに別れたかったんだけど、このままだと僕は志貴くんに刺されるみたいだから。志貴くんと僕を繋いでいる線は君だけな訳だし、消しておかないとまずいだろう?」
ぎり、と腕を掴む力が増していく。
急ぐ様子もなく、彼は少しずつわたしを抱き寄せようとしている。
「う―――――」
もがいてみるけど、やっぱり何の効果もなかった。
「まったく。だから遠野秋葉には秘密にしてくれって言ったのに。女の子との口約束ほど信用できないものはないな」
「あ―――――っ」
引き寄せられる。……あ、つ、なんか、すごく―――この人、こわ、い―――・
「そんな顔するなよ。そもそもさ、こうなってしまったのは半分君の責任でもあるんだぜ。
ほら、言っただろ。人殺し、なんて叫ばれたらさ、ついさっき人を殺してしまった人間は君を放っておけなくなるって」
「だっ――――だって、あれは、、まだ起きて、なく、て―――」
「二人目と三人目はね。一人目の女の子はさ、本当にアキラちゃんと会う一時間ぐらい前にバラしてきたんだ。で、少し気になってアキラちゃんの話をきいてみたら、なんでも僕はあと二人ほど殺すそうじゃないか。
だからまあ、とりあえず君の言った条件に会う相手を見つけて、その日のうちに殺したわけだ。君の予測が当たった、というわけじゃなくて僕のほうで君の予測を実現したワケだけど……まあ、それも未来視の一つかな」
だん、と。
強引に引き寄せられて、彼の胸元にぶつかった。
「ほら、あまり動かない。首元にナイフあたってるだろ? 少し動くと大変なコトになる。流石に頚動脈からの返り血を誤魔化すのは難しいからね」
「はっ――――――」
喉を反らす。
ちくりと痛むってコトは、薄皮一枚ぐらい切られちゃったって事だろう。
「あー、あと話しておく事ってなんだっけ。ああ、そうそう、誤解なきように言っとくけど、僕は君を騙してたわけじゃないよ。
アキラちゃんが未来視だっていう事は信じてたし、僕だって特別な眼を持ってる事は本当なんだ。
僕はね、君とは違って人の過去を視てしまうんだ。いや、視るというのは正しくないか。共感してしまうわけだから、精神感応に近いのかもしれない。
まあ、それで、ほら――――例の遠野志貴君の事を知っていたわけだけど」
「あ、いっ…………!」
あ―――腕をねじって、そのまま壁に、押し付けられた、みたい―――
「ちょうど一ヶ月前だ。アキラちゃんと同じあの道でね、偶然志貴君を見かけて、彼の過去を視てしまったのがそもそもの発端だ。
彼が体験した過去っていうのは凄くてさ、しばらくは部屋から出る事ができなかったぐらいだ。アキラちゃんが泊まってるホテルでの一件だって知ってるよ。彼、あそこで唯一生き残った人間だし」
「だが、なんていうかな。アレは定められた出会いだったんだ。彼のおかげでやり方もわかったし、簡単に変えるコトができた。
おかげで今は良好だ。アレだけ無意味だった世界も今はこんなに―――有意義に視える」
クッ、と。ナイフの切っ先が、喉元から胸へと降りていく。
「それじゃ、さよなら。君も僕じゃなくて本物の遠野志貴に相談していれば、こんな未来じゃなかったのに」
ナイフが、動いた。
逃げなくちゃいけないのに、目の焦点がナイフから離れてくれない。
ナイフは、本当にあっけなくわたしの胸に付きたてられる――――
「でもまあ、遠野志貴本人とだって結局はこうなっただろうな。なにしろアイツは、僕と同じ異常者なんだから――――!」
落ちる刃物。
ドッ、という乾いた音がしたあと。
「―――あのさ。あんまり物騒な事、言わないでくれないか」
なんて、声が聞こえてきた。
「っ…………!」
彼は手を押さえて、きょろきょろと周りを見ている。
手にはナイフがなくて、必死に自分のナイフを探しているようだった。
で。ちょっと離れた所に、メガネをかけた男の子が立っていた。
男の子は手にナイフを持っているし、どう見ても、わたしが見たナイフの少年なんだけど――・
「あ――――――え?」
ずるり、と。
壁に背をつけたまま、ぺたんと地面に座りこむ。
■志貴
「話は聞かせてもらったけど。あんたが、俺の真似をしてたって人?」
「――――――――」
彼は答えない。
ナイフの少年……っていうか、本物の志貴さんは、じっと彼を見据えている。
「ったく、迷惑な話だ。おかげでここ数日、こっちはずっと先輩に監視されてたんだぞ。犯人扱いされてひどい仕打ちを受けた責任、どうとってくれる」
ぶつぶつと志貴さんは文句を言う。
その声は遠野先輩に電話をかけた時の、なんていうかずっかーんって感じの声質だ。
「――――で。あんた、どうするつもりなんだ?
大人しく自首するのか、それともこのまま続けるのか。続けるっていうんなら、さっきから物影でうずうずしてる人が黙ってないと思うけど」
……?
なんか、がさりと木の枝が鳴った。
……そういえば、彼のナイフが無くなったのは志貴さんのおかげ、ではないと思うし――――
「自首って、本気かい?」
地面に落ちていたナイフを拾って、彼は言った。
……彼はもうわたしを見ていない。目の前にいる志貴さんしか、彼には見えていないみたい。
「君がそれを言うのか? 僕より何人も多くの人間をバラバラにしてきた君が?」
「――――別に。俺は今まで人を殺した覚えはないけど、あんたにそう見えたのなら、それでいい」
言って。
志貴さんは彼へと一歩踏み出した。
「ま――――まて! 僕と君は同類じゃないのか? 生きていても意味なんてなかった。こんな出来レース、ただ走らされるだけの日常に気がついてしまったんだろ?
だから外れたんだ。やり方は君が教えてくれた。生まれ変わるには死ななくていけない。だが死んでしまっては意味がない。だから―――生きたまま自分の価値観をひっくり返す方法が殺人なんだろ?
それが一番てっとり早いって、気づかせてくれたのは君じゃないか!」
「………そう。あんた、生きている事がつまらなかったんだ」
「当たり前だろう! こんな、ただ増え続けてただ作り続けるだけの毎日のどこか楽しいんだ? 明確な目的も終着も知らないのに意味もなくだらだらと伸びやがって。
ほら、おかしいと思わないのか。人間は何百年も前からそんな、なんの目的もない輪を回しているんだぜ!?
生きている事に意味なんてない。それに気づかずにただ消費していく馬鹿どもになんて混ざっていられない。食らいついたらハラワタまで貪るような動物は駆逐していくべきだろう!」
「――――なんだよそれ。これじゃ、ぜんぜん報われない」
腹ただしげに。志貴さんは、そんな言葉をこぼした。
「あのさ、こんな当たり前の事言いたくないんだけど。そんなに世界が嫌いだったら自殺すれば良かったんじゃないか? さっき殺人がいい方法だとか言ってたけど、そっちのほうが一番てっとり早いだろ。その、出来レースとやらを辞めるのはさ」
「え―――――なん、だって?」
「でも出来ないんだろ? だから周りに当り散らすしかないんだ。
生きていく事が楽しくないって? 人生は無意味だって? なんて無様だ。意味もなく生きてるのはおまえのほうだろ。
今まで何十年と生きてたくせに、有意義なモノを何一つ見つけられなかったってんだから……!」
もう一歩。
ナイフを片手にして、志貴さんは近づいてくる。
「そんな自分の不始末を周りの所為にして、あげくに価値観を変える為に殺しただと?
ひどい侮辱だ。おまえなんかに殺されるなんて、あんまりにも報われない」
「なにを――――僕は無様なんかじゃない。世界は変わったんだ。だから今はこんなに生き生きとしてるんじゃないか。こんなに―――ビクビクと全身が張り詰めている」
「そんなの、単に小心者なだけだ。人を殺して恐いんだろ? 本当は楽しかったのに、楽しくないって信じ込んでいた所に戻れないのが不安なんだろ?
ああ、もう―――なんだって俺がこんなつまらないコトを言わなくちゃいけないんだ。
ようするにさ、あんたの世界は変わったんじゃない。
――――それで、終わっちまったんだろ」
志貴さんの指がメガネに触れた。
音もなく。
志貴さんは、自分のメガネを外した。
■志貴(眼鏡無し)
「―――――――――」
息がつまる。
暗い夜のなか。
志貴さんの眼は、確かに青く灯って見えて、すごく――――ああ、これなら殺されちゃってもしょうがないやって思うぐらい、恐かった。
「ま―――――て」
彼は、長年の恋人を見つめるような顔で、志貴さんの眼を見ている。
「わかった。君の言い分は認める。犯した罪は、生きて、償わなければならない。だから」
殺さないでくれ、と言いたいみたいだ。
「ああ、確かに更生が目的なら殺す事はできない」
志貴さんの足が止まる。
彼はにやりと笑って、ナイフを強く握ったようだった。
「なら――――」
「だが、あんたに言わせれば俺は殺人鬼なんだろう? ならさ―――殺人鬼に犯罪者を更生させるなんて、世間一般の道徳なんかあるわけないだろう」
「な―――――――ひ!」
タン、と軽い足音のあと。
襲いかかっていった彼の横をすり抜けて、志貴さんのナイフが流れていた――――――
―――――しゅん、っていう軽い音。
その後に彼の方が倒れて、志貴さんははあ、と肩の力を抜くような、本当にほっとしたような深呼吸をして、メガネをかけなおした。
「――――――」
彼―――いや、殺人犯は地面に倒れたまま動かない。けどそれは死んでしまったわけじゃなくて、単に気絶してるだけなんだ、と見た感じなんとなく解る気がする。
……というか。志貴さんには始めから殺意なんてなかったって、わかってたけど。
□校舎裏
■志貴
「アキラ、ちゃん?」
戸惑いがちの声。
その声で名前を呼ばれて、どーーっ、と心拍が舞い上がってしまって、あやうく倒れこんじゃうところだった。
「君が瀬尾アキラちゃん、だろ? 秋葉から話は聞いてるよ」
志貴さんは手を差し出してきてくれた。
「あ―――は、はい、ごめんなさいっ!」
慌てて志貴さんの手を握って、立たせてもらう。
まださっきのショックは抜けていなくて、膝とかがきゃあきゃあと悲鳴をあげてて、うまく立てずに志貴さんの腕にしがみつく。
……うう、みっともなくて恥ずかしいよう。
「う……あう、う――――」
うまく喋れなくて、ぶんぶんと顔を振る。
大丈夫ですってと言いたかったり、倒れている彼の顔を見るのがイヤだったり、男の人に抱きつくのなんて初めてでもう訳が分からなかったり、とにかく頭の中がぐるんぐるんにサンバしてる。
「そうだね。じゃ、ちょっと離れようか」
こっちの気持ちを察してくれたのか、志貴さんはわたしの手を握ったまま歩き出した。
□校舎前
「あの……あの人、あのままでいいんですか?」
「ああ、後の事は先輩がうまくやってくれる」
簡単に言って、志貴さんはさっさかと校門へと歩いていく。
□校門前
――――そうして、なんだかあっけなく事件は終わった。
というか、わたしに振ってかかる事件なんて、どっちみちこんな程度のモノなんだろうけど。
志貴さんは何も事情を聞こうとしなかったけど、わたしにはどうしても納得のいかない事があって、それだけを聞いてみる事にする。
「あの、志貴さん。もしかして、わたしのこと捜してたんですか?」
うん、と志貴さんは頷いた。
……なんか、ますます解らない。
「どうして? わたし、一度電話しただけです。それもあんな一方的な内容の、イタズラ電話みたいなものに、どうして?」
■志貴
「あはは、確かにアレはイタズラ電話だったね。けどアキラちゃんの声、必死だっただろ? なんか放っておけなくなってさ、きちんと話を聞こうって思ったんだ。
……まあ、それが昨日から捜すはめになった殺人犯と繋がるとは思わなかったけど」
照れくさそうに言って、志貴さんは歩き始める。
「――――さて。それじゃ送って行こうか。アキラちゃん、隣り街のホテルだろ」
「あ――――――」
はい、と言いかけたその時。
くるるぅ、なんて可愛らしい(と、あくまでそう信じたい)お腹の音が、鳴ってしまった。
「っ――――――――――!!!!」
ば、ばかばかばかばかばかっ! 空腹だったことを忘れて、なにホッとしているんだわたし!
「――――――――」
志貴さん……は困ったような顔をして、
「よし。ごはん、食べて行こうか。口止め料ってコトでおごるよ」
なんて、嬉しくなるようなコトを言ってくれた。
「あ……ちょっと待って。その前に――――」
志貴さんはごそごそとお財布を取り出して、ぱかん、と開ける。
つい興味を引かれて覗きこんで、絶句した。
……今時がま口のお財布、というのも凄いけど、中に入っているのが五百円玉いっこ、というのもすごい破壊力だと思う。
「………立ち食いソバって、好きかな」
ぽつりと、消え入りそうな声で呟く。
「―――――――だよな。いくらなんでも女の子は立ち食いソバなんて、やだよね」
「あ―――えっと、その――――」
なんて言っていいものか、必死に考える。
お金だったらわたしの方が持ってるからご馳走します、なんて死んでもいえない。かといってなにか上手い言い分が見つからず、何を思ったのか。
「わ、わたしお蕎麦だい好きですっっっ!」
なんて、ひねりのないコトを口にして、いた。
「―――――――――あ」
かあーーーーーー、と顔が赤くなっていくのが解る。
志貴さんは呆然とした目を見開いたあと、
「そっか。じゃ、付いておいで」
そう嬉しそうに言って、先に歩き出していった。
「――――――――――」
らっきー! と気持ちを押し殺して志貴さんの背中を追いかけて行く。
……まあ、年の瀬も近い今夜。お蕎麦っていうのもシャレていていいのかもしれない。
「――――――――あれ?」
と。不意に、志貴さんの背中を見つめたまま、いつもの眩暈に襲われた。
ぐんにゃりぐんにゃりする視界のなか。
一瞬だけ、遠野先輩と志貴さんと、知らない人たちと一緒にわたしの姿があったような、そんな幸せな幻視をする。
「アキラちゃん?」
「あ、はい――――いま行きます……!」
答えて、小走りで追いかけて行く。
……そっか。色々あったけど、こんな出会いもありなんだ。
わたしは追いついた後、ぱんぱん、と志貴さんの背中に向けて拍手を打った。
――――――さて、それじゃあ志貴さん。
色々迷惑かけるみたいですけど、これからも末永くよろしくお願いします、なんて今年最後の願いをこめて。