MELTY BLOOD
虚言の王 AGITATOR
TYPE-MOON
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真祖《アルクェイド》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が|シエル《あのひと》を
[#]:入力者注 改頁処理、 挿絵表示
(例)[#改ページ]
(例)[#挿絵(img/001.bmp)入る]
-------------------------------------------------------
八月初頭。
交通量一時間あたり平均五台。
電鉄使用者一日推定百人前後。
気温、摂氏三十八度。
───その夏。
あまりに息苦しい暑さに、
窒息するサカナみたいと誰かが言った。
街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。
おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。
水槽の中でサカナは窒息するだろうか?
地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。
……少しだけ考える。
放置された熱帯魚。
お腹を見せて浮かぶ死体。
濁った水。
緑色の水槽。
パクパクと口を動かす死んだサカナ。
───ああ。
なるほど、それは巧い喩えだ。
それらの単語は今夏の状況にとても近い。
灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。
日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。
道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。
そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。
だからサカナというのは言い得て妙だ。
自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。
おかしな夏だった。
誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。
プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。
そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。
大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。
廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。
そう、誰もが建物の中で過ごしている。
それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。
「―――聞いた?
昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって―――」
「―――それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?
うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ―――」
また、そんな話し声が聞こえてきた。
いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。
「―――ねえ、君たち」
振り返って声をかける。
道には誰もいない。
街は廃墟のようだ。
声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。
彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。
気になって公園に足を運ぶ。
公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。
とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。
「―――アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ―――」
「―――知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が―――」
話し声に釣られて振り返る。
学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。
それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。
いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。
曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。
曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。
曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。
忘れ去られていた一年前の事件。
しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。
なにしろ犯人はすでに死亡している。
第二、第三の吸血鬼は出現しない。
だというのに、噂には歯止めがきかなかった。
街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。
昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。
犠牲者は増え続ける。
噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。
……そんな事も、一年前とうり二つ。
窒息するような猛暑。
人通りが絶えた街並。
そして、何より不思議な事なのだが。
――――街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。
ちょっとした立ち眩み。
朝から街を歩いて疲れたのだろう。
喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。
「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」
呟いて、ああ、と納得。
その台詞もこの夏の流行語だ。
実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。
運が悪い。
不安が的中。
裏目ばかり出てしまう。
暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。
かく言う自分も階段で足を滑らせたり、
翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、
アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、
先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、
小さな不幸に事欠かない。
これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。
あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。
ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。
「――――それは、偶然ではなく必然では?」
「え……?」
また、すれ違いざまに誰かの言葉。
「――――――――」
後ろで誰かが振り向く気配。
[#挿絵(img/001.bmp)入る]
「――――――失礼」
見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。
「……珍しいな、外人さんだ」
と、そんな事はないか。
外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。
「────────」
けれど酷く後ろ髪を引かれる。
しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。
「なんだ、ようするに」
答えは簡単。
こうして街を彷徨いだして二日も経って。
ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ――――
そうして立ち眩み。
長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。
……まったく、本当に。
今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────
遠野志貴との接触を断った。
すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。
……おかしい。
失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。
ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。
「――――なんだ、ようするに」
遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。
立ち眩みだろう。
読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。
◇◇◇
……ここが、件の路地裏。
人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。
「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」
一年前の話だ。
物体の寿命、
存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、
ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。
いや、正しくは二度目の出会い。
一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。
……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。
けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。
「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」
真祖。
現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。
その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。
真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。
そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。
現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。
「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。
そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」
二十七祖の十位、ネロ・カオス。
番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。
教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。
「……いいえ。予測していたモノなら一人」
予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。
尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。
ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。
「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」
日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。
その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。
ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。
「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」
私には時間がない。
ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。
今回を逃せば次はないだろう。
三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。
私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。
「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」
アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。
けれど遅すぎた訳ではない。
三年前。
吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。
脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。
逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。
それでも────
「――――間に合った。
私には、まだ可能性が残っている」
急がなければならない。
私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。
人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。
その両方を、私は排除しなければならないのだから───
[#改ページ]
1/出会いと再来 Enter
“シオン・エルトナム・ソカリス。
これを次期院長候補と任命する”
勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。
その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。
ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。
まさか、という驚愕。
許されない、という非難。
信じられない、という否定。
言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。
“シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。
彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”
学長の言葉は絶対だ。
それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。
院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。
「────」
私に格別変化はない。
議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。
他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。
それも当然だろう。
私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。
名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。
それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。
「────────」
その時。やはり私は冷静だった。
事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。
単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。
驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。
……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。
私の環境に変化はなかった。
私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。
私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。
周囲の人間は私を排除したがっていて、
私が優等生である以上は無視するしかなく、
アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。
彼等は私の報復を怖れたらしい。
彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。
侮らないで貰いたかった。
私は貴族だ。
罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。
そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。
私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。
それも以前と変わらない。
私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。
私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。
それが八年前の出来事だ。
何が正しくて、何が間違っていたのか。
――――正直、今でもよく解らない。
「……いけない、もうこんな時間だ」
目を覚ます。
疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。
いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。
精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。
「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」
日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。
砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。
日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。
「……寒い夜。休みすぎたのかしら」
どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。
まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。
「……その前に、発生場所を確認しておかないと」
体が動く内に準備を終えておかなければ。
幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。
「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」
時刻は午前零時前。
彼の巡回経路は三通りだ。
さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。
◇◇◇
「……と、あとはここだけか」
見慣れない広場に出る。
オフィスから少しだけ外れた広場。
少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。
「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」
建築途中のビルを見上げる。
来年の春に完成予定の一大建築。
何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。
「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」
ビルの周囲は鏡のようにまったいら。
神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。
「────さて」
息を潜めて周囲の気配を探る。
周辺に人影はない。
吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。
特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。
「……ま、私有地だし。
俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」
───と。
唐突に吐き気に襲われた。
指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。
鼓動が早まる。
脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。
知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。
「────この、感覚」
……以前何度か感じた悪寒だ。
体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。
「…………」
……気配がする。
すぐ近くに誰かが立っている。
誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。
微かな悪寒。
そして、再来した吸血鬼――――
「……けど、なんか……」
妙に気配が違う気がする。
反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。
「──ええい、ともかく確認……!」
「もしもし? そこ、誰かいる?」
ナイフを背中に隠して話しかける。
───と。
「こんばんは。何か用でしょうか」
突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。
「────」
その姿に、ドキリとした。
特徴的な服装と帽子。
可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。
「何か?」
「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」
「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」
「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」
さらりとした口調。
……言われてみればその通りだ。
なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。
「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」
「はい、はじめまして」
「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」
「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」
……って、そっか。
外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし……
「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」
「────」
少女はこっちをじっと見つめてくる。
……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。
「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」
「な────に?」
「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」
無表情のまま少女は言った。
悪寒が蘇る。
こめかみには針のような頭痛。
「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」
少女は僅かに腕を揺らした。
カチャリ、という聞き慣れない音。
少女の手には、黒い拳銃が握られていた。
「――――抵抗するのならどうぞ。
私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。
ここで、貴方の自由を奪う者です」
少女の体が跳ねる。
見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「つっ……!」
「そこまでだ。何のつもりか知らないが、これ以上やりあうのは無意味だろう」
「はい、私の敗北です。貴方のデータは揃っていたというのに読み切れなかった。
……綱渡りのような道行きでしたが、まさか入り口で終わってしまうなんて」
「……………」
「どうしました。私には抵抗する余力はありません。勝手な言い分ですが、できるだけ上手にしてくれれば助かります」
「……上手にって、あのな……君は俺を知ってるみたいだけど、ヘンな勘違いしてないか? 俺は血に飢えてる殺人鬼ってワケじゃないんだから、頼まれたって人を殺したりはしないよ」
「殺人鬼では、ない?」
「ああ。だから倒れた相手に追い打ちもしない。ケンカなんてしないに越したコトはないだろ。
君が俺を襲わないって約束するなら大人しく立ち去るよ。──君、吸血鬼に見えないし」
「……困りました。私は黙秘は使いますが、虚言はできません。ですから、また貴方を襲わない、とは約束できない」
「え……出来ないって、つまり……その」
「はい。この傷が癒え次第、貴方を拘束します」
「────」
「それが嫌ならここで私を殺すべきです。貴方ならそれは容易でしょう」
「………………ばか、容易なもんか」
「? 何か言いましたか、遠野志貴」
「言ったよ。またヘンなのに関わっちまったなってボヤいたのっ! ……ああもう、なんだってこうドイツもコイツも――――」
「――――不可解です。
私には、貴方が苦しんでいるように見える」
「俺には君の方が不可解だけどね。
けどアレだろ、君も自分の言い分は曲げないってんだろ」
「はい。私の解が間違えでない限り、私は私を変更しない」
「だろうな。そういう顔してるよ、君。
(っていうか、そういうヤツにばっかり出会うんだ、俺は)」
「だからまあ……その、そっちの事情を話してくれないか。さっきから俺をどうこうするって言ってるけど、その理由ぐらい話してくれてもいいだろ」
「……私の事情、とは目的の事でしょうか」
「ああ。なんとなくさ、君は悪人に見えない。
事情があるのなら聞くよ。……その、俺を襲ってきた理由にも興味はあるし」
「……解りました。私も貴方が悪人でない事は知っていたし、いま再確認しました。
遠野志貴には、初めから事情を話しておくべきでした」
「?」
「私の目的は吸血鬼化の治療です。
吸血鬼に噛まれた人間を元に戻す方法を、ずっと研究してきました」
「吸血鬼化の治療……?」
「はい。貴方も吸血鬼に噛まれ、人間でなくなった知人がいるのなら判るでしょう。
吸血鬼に冒された人間の末路は死です。
吸血鬼に成る方法はあるというのに、吸血鬼から人に戻る方法はいまだ確立されていません。
多くの魔術師がこの研究に挑み敗れ去っていますが、私は敗れるつもりはない。
不可能とされる事を可能にする。それがアトラシアの条件であるかぎり」
「……………」
「遠野志貴。貴方になら、吸血鬼化を治療したいという私の気持ちが分かる筈です。私と同じ、目の前で吸血鬼になってしまった友人がいるのですから」
「―――――――。
よくそんな事を知っているな、おまえ」
「ぁ……いえ、私に心遣いが足りませんでした。気に障ったでしょうか」
「……いや、いい。俺も大人げなかった」
「話はわかったよ。……吸血鬼化を治療したいっていうのは、なんていうか──そんな事を言われたら、君を憎む事はできなくなる」
「けど、どうして俺を襲ったんだよ。
別に俺は吸血鬼になってる訳でもないし、吸血鬼に詳しい訳でもないよ」
「もちろん貴方自体はサンプルにはなりえません。私は真祖の協力を求めてこの国に来たのです」
「え―――真祖ってアルクェイド?」
「はい。吸血鬼化の治療法を探るのなら、死徒の元となった真祖を調べなければ。
死徒に関する資料ならば教会に揃っている。
けれどそれだけでは鍵が足りないから、不可侵とされていた真祖を調べるしかなくなったのです」
「……そうか。けどアルクェイド、そういうの嫌がると思うよ。アイツ、なんていうか気まぐれな所があるから」
「承知しています。気高い真祖が人間の頼みなど聞いてくれる訳がない。だからこそ、遠野志貴に交渉役を頼みたいのです」
「こ、交渉役って俺のコト……!?」
「(こくん)」
「ばっ、ダメだってば、俺の言うコトなんてアイツが聞くもんか! なんだってそんなコト言い出すんだよ、君は!」
「え……あの、だ、だって貴方は、真祖のこ、ここ、恋人では、ないですか」
「────」
「貴方が間に入ってくれるのなら、少なくとも話はできるでしょう。ですから、まずは貴方を確保したかったのです。……それも、こちらの油断でこのような結果になってしまいましたが」
「む……油断って、さっきのコト?」
「はい。遠野志貴の情報は全て揃っていました。数値的には互角なのですから、熟知している分、私の方が勝率は高かった。だと言うのに敗北したのは、一重に私の能力が及ばなかったからです」
「……? あの、それって油断って言うんじゃなくて、その……単に実力って言うか───」
「な、何を言うのですっ! 今のは油断です! 余分です! 及第点以下です!
計算を間違えたのは私のミスでしたが、実力では私の方が勝っています!
大体ですね、貴方がどのような行動をとるかなんて一時間前に全て予測できていたんです。私が遅れをとったのは回避率0.5%以下の箇所で数値を振り分けられなかっただけではないですか!
つまりその箇所さえ間違わなければ立場は逆転していたのです。まったく、そんなことも判らないのですか貴方は!」
「え───あ、はい、すみません」
「あ……いえ、失礼しました。この話題は避けていただけると助かります」
「(……なんか。今までとは違ったタイプだな、この子……)」
「じゃあ話を戻すけど。つまり、本当なら俺を捕まえてアルクェイドをおびき寄せてたってコト?」
「はい。そこで正式に、真祖に協力を要請するつもりでした」
「そうか、だから今でも諦めないんだな。
……うん、まあ……そういう事なら、いいか」
「? いいか、とは何がでしょう?」
「だから、アルクェイドとの仲を取り持つぐらいはしていいよってコト。……まあ十中八九アイツは断るだろうけど、そうしないかぎり君は諦めないんだろ?」
「(こくん)」
「ほら、協力するしかないじゃないか。
だから手を貸すよ。正直、君の研究ってヤツには応援したいし」
「え………私を、応援する………?」
「ああ。そりゃあいきなり殴りかかられたのは驚いたけど、そんなのは今のでチャラだ。
……君の研究が叶うのなら、少しは───彼女も、報われる気がする」
「………………」
「アルクェイドの事は俺がなんとかするよ。って、実は俺もアイツを捜してるんだ。街の騒ぎがどうも気になってさ、アルクェイドなら知ってるかなってアイツの所に行ったんだけど───」
「真祖は姿を眩ましていた、のですね」
「そう。だから街を巡回しながら、噂の吸血鬼と気紛れお姫様を見つけだそうって思ってた」
「……解りました。それでは私は、貴方の目的に手を貸しましょう。噂を捜しているというのなら、私は貴方より早く噂の吸血鬼を発見できる」
「え、ほんと?」
「はい、本当に噂の吸血鬼が存在するのであれば。
情報収集は私の管轄です。バックアップさえあれば、一日程度でこの街全ての人間をリードできますから」
「―――いや、よくよく分からないけど、そこまでする事はないんじゃないかな」
(……というか、目つきが恐かったぞ、今)
「でも、そうだな。手を貸してくれるなら助かる。正直一人じゃ限界を感じていたところだし」
「では私は噂を追ってみましょう。貴方は」
「アルクェイドを捜して君の前まで連れてくればいいんだろう。それならなんとかなりそうだけど、その前に」
「その前に?」
「君、シオンって言ったよな。協力しあうんだから名前で呼びあった方がよくないか?」
「――――――――――――――――――――」
「……そうですね。それでは私の事はシオンと。
貴方の事は───」
「ああ、志貴でいいよ」
「────────」
「……し、志貴」
「うん、そう呼んでくれればいい」
「……志貴」
「うん」
「志貴。」
「だから、それでいいって」
「…………………………………………………………………………………………………………………」
「……………。
それでは、私は吸血鬼の情報を追ってみます。
志貴は真祖との話し合いの席を用意してください」
「ああ。けどすぐって訳にはいかないぞ」
「当然です。お互い準備に時間がかかるでしょう。ですからまた明日、夜になったらこのビル前で落ち合いましょう」
「オッケー。それならなんとかなりそうだ」
「志貴。少し、よろしいですか」
「えっ……? なに、頭にゴミでもついてた?」
「……似たような事です。それではまた、明日の夜に」
「ああ、それじゃ明日―――って、なんだか懐かしいな、これ。一年前を思い出す」
「?」
「なんでもない。それじゃまた明日の夜な、シオン!」
「……はい。それではまた明日、志貴」
[#改ページ]
2/アトラスの娘 Sion Eltnam Atlasia
───その夜も、気が狂いそうな程暑かった。
「水、を……!」
水分を求めて走った。
夜の森を走った。
山道は険しく、周囲は地獄だった。
歩き慣れた砂漠に比べれば、木々が乱立した山道は針の山みたいだった。
同行していた騎士たちは皆死んだ。
生き残りはいそうになかった。
村に戻れた。
村人は皆死んだ。
井戸は枯れていた。
川は死体で埋まっていた。
それでも、水を求めて地面を這った。
「あ、はあ、あ……!」
咽せても飲んだ。
生き返るようだった。
そのうち何かが絡みついた。
服のようなそれは、際限なく絡みついてきた。
邪魔なので何度も引っ張った。
剥がしても剥がしても、水には布が絡まってきた。
川に口をつけるたびに絡まってくる。
はがしてもはがしても、ずる、と指に絡まってくる。
それは。
布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》…………!
皮膚だった。布状になった人間だったモノの亡骸。つま
り死体。中身をすべて飲まれた死体。だらしなくずるず
ると敷き詰められ押し込められ弛みきった何百人という
人間の外皮外皮外皮外皮外皮外皮外皮…………!!!!
「は、あ…………!」
────それでも、水が欲しくて飲んだ。
川につまったずるずるが邪魔でも口をつけた。
着ぐるみのような顔が滑稽だった。
そう、骨抜き 肉無し 内臓空っぽ。
衣服みたいになった人間で川は埋め尽くされていた。
人々は飲み尽くされた。
血液ごと、あの吸血鬼に飲み尽くされたんだ。
――――なんてアクム。まるでタタリ。
「アトラシア。おまえだけでも生き残れ」
騎士団の一人、唯一の知人が言った。
盾の騎士。彼女は女性だった。
だから生き残れた。自分と同じ。
逃がしてもらった。
彼女は、おそらく────
山道を走った。
夜明けまで走った。
出口などなかった。
呪いは自身に返る。
私を呪う私は、私から逃げられない。
目の前には
――――真っ黒い貌の“何か”が。
ごくごくと飲んでいた。
飲み込む以上の血液を、ソレは両目からこぼしていた。
だから足りない。
幾ら飲んでも満たされない。
「キ、キキ、キキキキキ……………!」
血の涙を流しながらソレは笑った。
黒翼がはためく。
黒い眼がにじり寄る。
ぼたぼたと赤黒い血が零れていく。
――――もうじき夜明け。
逃げようと這った足首に
ぬたり、と。
泣き笑いをする飲血鬼が――――
[#挿絵(img/BG21.bmp)入る]
そうして、私は目覚めた。
……時刻はまだ日中。
夢の中と同じように、今日も街は暑苦しい。
日中歩き回るのは苦手だと思う。
そもそも私たち錬金術師は建物の中で生きる者。
こういった肌を焼く陽光には慣れていない。
それでも約束がある。
彼──志貴と約束をした。彼の代わりに『吸血鬼』とやらの情報を集めなければ。
[#挿絵(img/BG61.bmp)入る]
街の様子は変わらない。
人の居ない大通り。
陽炎に燻る街並。
[#挿絵(img/BG63.bmp)入る]
たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。
[#挿絵(img/BG64.bmp)入る]
「────────」
[#挿絵(img/BG65.bmp)入る]
暑い。
砂漠生まれの私でもこの暑さは堪える。
[#挿絵(img/BG66.bmp)入る]
早く大きな建物に入って、集まっている脳から情報を引き出そう。
[#挿絵(img/BG67.bmp)入る]
私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。
神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。
[#挿絵(img/BG68.bmp)入る]
人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。
[#挿絵(img/BG69.bmp)入る]
……いや、別にそんな事をしなくてもいい筈だ。
私は、そもそも。
[#挿絵(img/BG70.bmp)入る]
[#挿絵(img/BG72.bmp)入る]
――――混乱している。黙ってほしい。カット。カットしないと。私はまだ悪夢の影響を受けている。冷静に。冷静に。カット。カット。自分の思考を、止めないと。
[#挿絵(img/BG76.bmp)入る]
「……………………っ」
疲れが溜まっているみたい。
喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。
「は――――あ」
肺にたまった空気を吐き出す。
吐息は熱くて火のようだった。
「くる……し」
微かな目眩がする。
休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。
私は、もってあと二日か三日。
「でも、私はまだ活動できる」
動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。
昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。
「ああ──そういえば。昨日は、本当に油断してしまったんですね」
志貴の能力は判っていた。
なのに彼の戦闘経験を明確に理解していなかった。
たった数回の戦闘と言えど、志貴が相手にしてきたモノは二十七祖や教会の代行者だ。
それだけの強者を相手にしてきたのだから、私なんて普通の敵にしか見えなかっただろう。
「少し、残念です」
……? なんだろう、今の発言は。
志貴には協力をして貰える事になった。
なら問題は何もない筈なのに、何が残念なのか。
「エーテライトなら打ち込んである。もし彼が協力を拒んでも、すぐに位置は割り出せる」
志貴と協力関係になった後。
私は彼の頭に直接触れて、エーテライトを接続した。
遠隔操作ではなく直接に打ち込んだエーテライトは志貴の神経に深く食い込んでいる。
だから────
「いざとなれば、これで」
……なんだかますます気分が悪くなった。
……余分な事を考えるのは止めよう。
とにかく、今は彼との約束を果たさないと。
◇◇◇
情報収集は容易く終わった。
街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。
だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。
「なのにみな噂を否定しない。信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂……」
街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。
無人の街並は彼等の心の在り方だ。
街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。
舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。
そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。
よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。
偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。
一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。
そして。
無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。
「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」
この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。
◇◇◇
シオンは時間通りにやってきた。
「こんばんは。時間通りですね、志貴」
「そっちも時間通り。どっかの誰かとは大違いだ」
……いや、アイツは思いっきり早く来たり、来ていたクセに隠れていたり、と時間そのものは守っていたワケだけど。
「志貴。真祖の件はどうなりましたか」
「それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」
「そうですか。彼女が行方を眩ましているのであれば、確かにそう簡単にはいきませんね」
「そうそう。アイツ気紛れだから、こっちの事情なんて知らずに遊び回ってるに決まってる」
「そうでしょうか。真祖は意図的に志貴から離れているのではありませんか?」
「―――意図的にって、シオン」
「ですから、街に再来した吸血鬼とは真祖である可能性もある、という事です」
「それはない。アルクェイドはそんな事は絶対にしない」
「……絶対。そう言い切れるなんて、志貴は凄いのですね」
「え――――あ、うん、どうも」
間の抜けた返答をしてしまった。
なぜか、シオンの言葉は皮肉ではなく感心したような響きがあったからだ。
「と、ともかくアルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないかもしれないけど、アイツは───」
「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」
「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」
「噂のモデル……? それって一年前の事件だろ」
「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。
なら真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」
「……?」
シオンの言う事はちょっと判りづらい。
いや、そもそも───
「シオン。訊き忘れていたけど、君って何者なんだ。吸血鬼の研究をしているって言うけど、それって──」
「私は錬金術師と呼ばれる者です。志貴も魔術師については知っているでしょう。こちら側にはシエルという人物が所属する“教会”の他に、魔術協会と呼ばれる組織があります」
「私はその魔術協会の一員です。協会は三大の部門に別れていて、そのうちの一つ、アトラスと呼ばれる部門に属しています」
「教会は吸血種といった超越者たちを敵視していますが、魔術協会《わたしたち》は彼等ともそれなりの協定を結んでいます。
……そうですね、黒でもなければ白でもない武力団体……というのが正しいでしょうか」
「……魔術協会……」
……はあ。そうなると先生も協会とやらに入っているんだろうか。ならシオンは先生を知っているのかもしれない。
「知りません。志貴の先生はロンドンの問題児ですから、アトラス院生である私とは関わり合いがありません」
「そうなんだ───ってシオン、君いま……!?」
「志貴の考えはだいたい判ります。そうでなくとも、志貴は思考が顔に出るようですから」
……む。秋葉たちに言われて慣れっこだけど、まだ知り合ったばかりのシオンに言われるのはちょっとショック。
「……まあいいけど。それじゃこれからどうしようか。俺の方は結果待ちだから、先にシオンが集めた情報を教えてもらうのはフェアじゃないよな」
「構いません。私が集めた情報は志貴が知っている情報と大差ないのです。ですから、私からも志貴に伝える事はありません」
「ありゃ。それは困った」
「ですね。こうなっては、やはり足で立証を得るしかないでしょう。再来した吸血鬼、噂の元となった誰かを捜すのなら、夜の街を巡回するしかない」
……むむ。やっぱりそれしかないか。
なんか、ますます一年前じみてきた気がする。
「それと……これは提案なのですが、志貴。探索は二人で行いませんか。私はこの街に不慣れです。志貴が案内してくれると無駄が省ける」
「え……そりゃあ一人より二人の方が心強いけど、いいのか? シオンの目的は吸血鬼の研究だろ。
なら……」
「噂の元が真祖でない、とは言い切れないでしょう? それに志貴の目的が果たせれば、志貴が真祖を捜す時間が多くなるのは道理です。
私だけで真祖を見つけても意味がないのですから、志貴には早く自由になってもらわないと。
こんな事、口にするまでもないと思いますが」
「────」
なるほど、そういう考えもありか。
それなら、まあ。
「じゃあ、お互いギブアンドテイクという事で」
「はい。出来うる限り、志貴の目的に協力します」
◇◇◇
「―――随分歩き回ったけど成果なしか。確かに街はヘンに静かだけど、おかしな雰囲気ってワケでもないんだよなあ……」
「まだ噂の域を出ていない為でしょう。時間が経てば嫌でも犠牲者は出てきます」
「? シオン、それってどういう────」
「危ないっ!」
「止まりなさい!」
「誰だ────!」
「せ……先、輩……?」
「遠野くん……!?
そんな、なんで遠野くんが彼女と一緒に──」
「──シオン・エルトナム。貴方、まさか」
「思い違いです、代行者。
私は志貴に協力を要請し、志貴はそれに応えてくれました。
そこに強制はありません。貴方が危惧しているような事は、決して」
「……そうですか。では、そこの少年は貴方とは無関係という事ですね。ここで貴方が襲われようと、貴方は彼に助けを求めない」
「────」
「せ、先輩、ちょっと待った!
なにか事情がありそうなのは判るけど、いきなり黒鍵を投げつけてくるのは」
「遠野くんは黙っていてくださいっ。
……まったく、どうしてこういつもいつも厄介事に顔を出すんですか!
それとも可愛い女の子の頼みならなんでも聞いてあげちゃうって言うんですか貴方は!」
「あ──いえ、決してそんなコトは」
「とにかく、遠野くんが横から口を出そうが聞きません。邪魔をするというのなら、おしおきの意味も込めて相手をします」
「そしてシオン・エルトナム・アトラシア。
貴方は発見次第、保護、もしくは拿捕《だほ》するようにと教会から手配されています。
アトラス協会からも同様の要請を受けていますが、何か反論はありますか」
「──ありません。ですがここで捕まる訳にもいかない。私を捕えるというのなら、貴方を破壊するだけです」
「そうだよ、いきなりそんなコト言われても──
って、ええー!? シ、シオン! 君、今なんて言った!?」
「従う気はない、という事ですね。
……いいでしょう。──教会の代行者として、貴方を捕縛します」
「ま、ついでに反省の意味を込めて、そこにいる協力者さんにも痛い目にあってもらいますが」
「うわ、先輩ってばどーしてそうやる気まんまんなんですかー!」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る]
「っ────!」
「そこまでです。私たちの勝ちですね、代行者」
「……なるほど。確かに能力が向上している今の貴方と戦うのは分が悪い。加えて彼が協力しているのなら、下手に手を出すのはやぶ蛇でしょう」
「シオン・エルトナム・アトラシア。
貴方の監視はそこの彼に任せる事にします。これ以上貴方に手を煩らわせ、本業が滞るのも馬鹿らしい」
「おかしな事を。志貴は私に協力しているのです。彼が私の妨害をする事なんてありえません」
「ええ、そうでしょうそうでしょう。そこの人は誰であれ甘いんですからね、貴方の邪魔なんてしませんよ。
けれどどのような形であれ、彼と行動すると悪い事ができなくなるんです。これ、覚えておいた方がいいですよ」
「?」
「────遠野くん」
「は、はい! ……なんでしょうか、先輩?」
「そんなに警戒しなくていいです。
いいですか、遠野くんの方から彼女に関わったんですから、ちゃんと最後まで監督しないとダメですよ。途中で放り出したらそれこそ許しません」
「監督って、俺がシオンを?」
「ええ。彼女は吸血鬼を捜そうとしますから、ちゃんと保護してあげてください。少なくとも私が死徒を仕留めるまでの間、彼女を守ってあげないとダメです」
「先輩が死徒を仕留めるまで……って、先輩、先輩も噂の吸血鬼を捜してるのか……!?」
「当然です。教会から正式に指令が下された以上、この街には強力な死徒が潜伏しています。ですから遠野くんもあまり無茶はしないように」
「……教会が計測した……なら、もう──アレは、確実に発生する……」
「そういう事です、シオン・エルトナム。貴方の気持ちも解りますが、死徒狩りは教会の役割。でしゃばるのは止めなさい」
「……そして貴方を捕える役割は私ではなく魔術協会の責務。死徒狩りを糧とする我々が優先すべき事ではない」
「私の事は見逃す、と……?」
「まさか。この街に潜伏した死徒を処理次第、貴方の保護が最優先事項になるのは間違いないでしょう。ですから」
「今のうちに日本を去れというのですね、代行者。……驚いた。騎士団の方々は埋葬機関を殺人者の群だと称していましたが、その情報は誤りですか」
「間違いではありません。ただ、今夜はたまたま気分が悪いだけです」
「埋葬機関と言えど人の子ですから。
……その、猫を被りたくなる相手というのが一人ぐらいはいるものなんです」
「そういう事ですから、遠野くん。詳しいお話は事件が終わってからにしましょうね」
[#改ページ]
3/猛暑、ところにより嘘。 Alice's anxiety
「…………」
「良かった。発見されたのは大きなマイナスですが、彼女を撃退できたのは予想外の展開です。
彼女に発見されてしまったのなら、私には逃げるか最後の手段を使うかの選択肢しかなかった。そのどちらでもない結果に終わるなんて、志貴は予測した以上の外的要因なのでしょう」
「………………」
「代行者はよほど志貴を警戒しているのですね。埋葬機関の一員が“職務に支障をきたすので戦闘を避ける”相手なんて、私は知りません」
「………………」
「ともあれ、予測していた最大の障害は排除できました。これなら───
と、志貴。私の話を聞いていますか?」
「え……ああ、なにシオン?」
「なに、ではありません。代行者を排除できたのですよ? ここは、お互いに喜ぶべき場面だと思うのですが」
「あ──うん、まあそれはそうなんだけど……」
(……それは単に問題を先送りにしただけというか、シオンはともかく俺は余計先輩を怒らせただけって言うか……)
「いや、良くない未来を考えるのは止めよう。それよりシオン。さっき先輩が言っていたのはどういう事なんだ」
「? どういう事なのか、とはどういう事でしょうか」
「だから、シオンが指名手配されてるってコト!
見つけ次第保護……っていうのはいいとしても、拿捕っていうのは行き過ぎじゃないか。
シオンはアトラスっていう所の魔術師だって教えてくれたけど、指名手配されてるなんて言わなかった」
「当然でしょう。口にする必要性を感じなかったのですから」
「か、感じられなかったって、それって隠し事って言わないかシオン!」
「志貴、無闇に怒鳴るのは止めてください。人目につきます」
「ですが、確かに私のミスと認めます。まさか教会にまで私の手配が回っているとは思いませんでした。魔術協会はよほど私を連れ戻したいようですね」
「……いいけど。それでシオン、君は一体なにをしたんだ。先輩が本気で襲いかかってくるなんて滅多にな──」
「──いや、そう多くはなかったりするから、シオンは怒られるような事をしたんじゃないのか?
そうだとしたらちゃんと言ってくれないと困るぞ」
「困る……? 志貴が、どうして」
「そりゃあ協力関係にあるんだから相互理解は必要だろ。……いや、そんなのは建前だな。単にさ、オレはシオンのコトをもっと信頼したがってるだけだよ」
「? それは協力者として必要な事なのでしょうか?」
「うん。仲間として大切なコトでしょ」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「シオン?」
「……志貴。私が追われているのはアトラスの教えに背いているからです。客観的に見て、志貴が“悪い事”と判断する罪状は一切ありません。
志貴は犯罪者に荷担している訳ではないので安心してください」
「え──あ、いや、シオンが悪いことをしたのかって訊いてるんじゃなくて、どうして先輩に追われてるのかって──」
「信じなさい。私は、志貴が嫌悪する事はしていない」
「あ──うん、信じた」
「────はい。
それは、とても良かった」
「では話を続けます。
私の所属していた魔術協会はアトラス院と呼ばれる所です。
魔術協会は一つの組織ではありますが、それは世界各地に拠を構える多くの学院の集合体にすぎません」
「知ってる。魔術協会の中で一番大きいのはロンドンなんだろ。先輩が前に言ってた」
「“時計塔”の二つ名を持つ大英博物館ですね。そこは協会の中でも基本にして至高の学舎です。多くの魔術師は時計塔のスタンスに倣っています」
「ですが、私はそことは大きくかけ離れた土地、エジプトに拠を構えるアトラスの錬金術師です。
他の学院は大小様々な規律の元で神秘を学んでいますが、アトラスにおける戒律は唯一つであり、それを破った者は厳罰に処されます」
「厳罰に処される、って、もしかしてシオン」
「はい。私は唯一つの戒律を破りました。
アトラスはアトラス内で発生した研究の流出を禁じています。ですが、私は自身の研究の為に多くの学院を訪れ、情報を交換しました」
「……つまり、それはアトラスっていう所の秘密を教えてしまったってコト?」
「いえ。アトラス院に関する情報は一切口外していません。私が売り買いした情報は、あくまで私の研究に関する事だけです」
「なんだ、良かった。それなら別に怒られる筋合いはないじゃないか」
「いえ。自己の研究成果は、自己にのみ公開する。これがアトラスの唯一にして絶対の規律です。ですから私の行いは重罪と言えるでしょう」
「錬金術師にあるまじき行為だとは思います。けれど私には、アトラスの規律より自身の疑問を晴らす事のほうが優先的だった」
「ふうん。で、その自身の疑問ってのが吸血鬼化を治療する方法、ってヤツなのか?」
「……そうです。死徒という不老不死、それを求めようする人間の思考回路、それを禁忌として避ける人間の根底命令……どうして、自分自身に疑問を持つのかという疑問が、私の枷です」
「? あのさ、悪いんだけどもうちょっと判りやすく説明できないか? シオンの言い方は(難しくて)解りづらい」
「っ……! 失礼な、志貴の不出来さを私に押しつけるとは何事です! 貴方の言葉に合わせているだけでも時間の無駄だというのに、その上貴方の知性に合わせた会話をしろと言うのですか!
いいえ、そもそも私の説明に足りない単語はありません。足りない物があるとしたら、それは志貴の努力と理解力に他ならない!」
「─────」
「と、ともかく、私の目的は吸血鬼化の治療なのです! 志貴だってこれが確立されれば嬉しいのでしょう!?」
「ああ、それは嬉しい。けどシオン、君───」
「な、なんですか志貴」
「君の目的ってそれだけじゃないだろ。先輩の口振りじゃ、君は今回の吸血鬼騒ぎに関わりがあるんじゃないか?」
「もちろん、志貴に頼まれて情報を集めています」
「…………………」
(じーーーーーーっ)
「し、知りませんっ。わたしには関わりがない事です! ええ、なぜ私がこんな極東の地の、取るに足らない些細な吸血鬼騒ぎに関わらないといけないのでしょう!」
「うわ。取るに足らないってのは酷いな」
「あ、いえ、そういう意味ではなく、つまり現段階では取るに足らないという意味で!
まだ噂が確定されていない以上、犠牲者だって出ていないでしょう? つまり、重大になってくるのは犠牲者が出てからなんです」
「ふむふむ。噂に過ぎない事件なんて、確かに取るに足りない話だよな。はは、それを真面目に追ってた俺も間抜けだなー」
「違うと言っているでしょう! ですから取るに足りないというのは語弊があって、私としては犠牲者が出る前にこの街にたどり着けて僥倖なのです。
いいですか志貴、吸血鬼が再来したという噂自体は無視してはいけない始まりであって──」
「噂を無視してはいけないって、シオン。
君、そんな事よりアルクェイドに用があってこの街に来たんじゃないの」
「っ……! そ、そうだと言ったではないですか。
わ、私は真祖に会う為にこの街にやってきたのです。そこで偶々《たまたま》、私とは無関係の死徒が現れただけではないですかっ!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ま、いっか」
「な、なにがいいのですか、志貴」
「いや、隠し事はあるけど悪人には見えないから、いいかなって」
「……意味はまったくもって理解不能ですが、何か癇に障ります。
志貴、きちんとした説明を要求したいのですが」
「それは却下。ま、事情は判ったからこの話はこれでおしまいにしよう」
「それよりもうじき夜が明ける。夜になったら吸血鬼は出歩かないし、それに」
「志貴の肉親が起きてしまう、ですね? 確かにこれ以上の探索は無意味です」
「……ちょっとシオン。君さ、なんでこっちの事情をそこまで知ってるんだ」
「志貴本人が強く思っているからです。『夜出歩く事を秋葉に知られてはならない』という思いが強く優先されています。
……志貴は秋葉という人物を大切に思っている反面、たいへん怖れていますね。
そこまで志貴の思考を占めている秋葉という人物は何者なのでしょう?」
「いや。その話は、止めにしよう」
(っていうか、止めにしたい)
「とにかく今夜は解散。また明日、同じ時間に集合しよう。今日こそアルクェイドを捕まえるからさ」
「────え?」
「それと昼間は隠れていたほうがいい。
先輩、ああは言っていたけどシオンが一人でいたら捕まえにくるかもしれないから」
「────それは、そのつもりですが、その」
「それじゃあな! また夜、約束の場所で!」
「――――――――。
……困ります。どうしてそう、私を疑おうとしないのですか、貴方は」
◇◇◇
……夢を見ている。
私にとっては無駄な時間。
睡眠は脳を休ませるものだというのに、こんな無駄な思考をしている。
体が弱っている為だろう。
きっと自分をコントロールできていない。
……それは矛盾してはいないか。
疲労困憊というのなら、夢を見る余裕などない。
だというのに、どうして私は、こんな意味のない回想をするのだろうか。
エルトナムの名は、アトラスでは焼き印のような物だった。
畏怖。嫌悪。敬遠。罪人。
声にこそ出されなかったものの、私はそういうモノとして扱われてきた。
古くから錬金術を学んできた一族。
かつては権力と威厳、尊敬の対象であった名門貴族。
それがただ、かつてそうだったにすぎないモノに変わったのはいつからだったか。
私は情報を共有する。
私の父も、その祖父も、そのまた祖父も、同じように知識を身につけてきた。
私たちには学習という過程が無い。
エルトナムの人間は、書物から知識を得るのではなく人間から知識を奪う。
それは合理性を追求した結果だった。
一つの事を知りたいのならば、わざわざ一から学習する必要はない。
熟知した人間がいるのならば、すでに完成した理論をコピーした方が圧倒的に効率が良い。
そう考えた私たちの先祖は、他者の脳に強制介入する手段を編み出した。
第五架空要素《エーテル》で編み上げられた擬似神経・エーテライトを使った魂への強制介入《ハッキング》がそれである。
エーテライトは人体に触れると相手の神経に介入し、新しい神経となってこちらの思考を相手へと送りつける。
言うなれば人間というハードの乗っ取り。
脳は肉体を統べるただ一つ命令系統だ。
そこに第二の命令系統を作り上げ、かつ元からあった命令系統をサブにし、偽造した回線をメインにするのがエーテライトによるハッキングである。
人間の深部にまで到達したエーテライトは、
脳髄からは情報を、
魂の設計図である霊子からは思考法則を偽造する。
無論、一人の人間を完全に掌握するには何千という防壁……理性・本能を突破しなくてはならない。
才能と言えば才能なのだろう。
エルトナムの人間は、そういった“自分以外の情報体への侵入”に困難を感じなかった。
複雑な情報体を掌握する方法は、対象となる理性の屈服以外にありえない。
強大な外界からの意思力―――魔眼による呪縛や薬物による浸食等―――によって支配された人間は、その情報体に傷を付けられ、時に再生不能……廃人となる事も多い。
だが私たちの方法は違う。
他者の情報体に傷を残さず、侵入され書き換えられている事さえ気づかせず、他者の情報を入手する。
それは道徳性が欠けた錬金術師の中でさえ異端とされた技術だ。
そして同時に、エルトナムを力ある一族たらしめてきた秘伝でもある。
……それが崩れたのはいつからだろう。
私が生まれた時、エルトナムはすでに没落し、名ばかりの名門として扱われていた。
直接的な原因は三代前の当主が掟を破り、アトラスから離反した事。
二次的な原因として、私たちの技術が他の錬金術師に怖れられていた事。
そうして、エルトナムに関わる者はいなくなった。
だがそれがマイナスであった事はない。
幸い、祖父も父も私も、迫害らしい迫害は受けなかった。
いくら怖れられ嫌われようが、私たちの技術は合理的な物だ。
彼等に私たちを否定する権利はなく、私たちを上回る錬金術師はいなかった。
だから彼等は、無視する事に決めたのだろう。
私たちを罰する事はできない。
だから、私たちをいない者として扱った。
アトラス院という穴蔵の中で。
エルトナムの屋敷は、もっとも深い闇となった。
けれどそんな事は問題でさえない。
没落したとは言え、エルトナム家の誇りは変わらない。
私は、エルトナムの娘として、誇り高くあろうと努力した。
正しく。
誰よりも優れ。
どのような過去さえはじき返す程の実力を示してきた。
……そう、問題なんて無かったのだ。
私を無視するしか反抗できなかった彼等。
エルトナムの跡継ぎとして遜色ない能力を持つ自分。
私の未来に問題なんてない。
あるわけがない。
そんな理由が見あたらない。
だと言うのに。
私は疑問に囚われた。
それがどんな疑問なのか、どのような解を求めているのか。
それさえも解らない正体不明の疑問。
微妙なズレは刻一刻と比重を増し、
いつしか私は、その重さが煩わしくなって────
……時間だ。
太陽は沈み、街は無音のまま夜になった。
「……いけない……もう、こんな時間」
呟く喉が痛い。
……やはり、まともな部屋で眠った方がいいのだろうか。
連日の暑さで肌が乾燥し、動くたびにパリパリと音をたてる。
「志貴は―――もう来てるんだ。
……まだ十分も前なのに。……そうね、時間は正確に守るよう、忠告してあげないと」
志貴に繋げたエーテライトから、彼の情報は随時伝わってくる。
今日も一日、彼は真祖を捜したり噂の殺人鬼を捜したりと忙しかったようだ。
「それを口にしないのが志貴の性格、か。正直者ね。……優等生を演じている私とは大違いだ」
……それがどうという訳ではないけれど。
なんとなく、志貴との会話は上手くいかない。
辛くもないし嫌でもない。なのに苦手だ。
「……当然と言えば当然か。実際、同年代の異性と話すのは初めてなのだから」
そう、初めて。
アトラスにいた頃では考えられない事。
いや、そうじゃなくて、単に考えてはいけなかっただけ────
「っ……!」
吐き気がした。
目の前が真っ赤になって、このまま倒れてしまいそうになる。
「───停止。今の事柄は、考えてはいけない」
思考を殺す。
余分な事は考えてはいけない。
今の私がすべき事はただ一つ。
真祖と交渉し、彼女を拘束する。
そうして彼女とタタリを引き離し、今度こそあの吸血鬼を───
◇◇◇
約束の時刻より早めに到着すること十分。
昨日と同じく、規則正しい足取りでシオンがやってきた。
「こんばんは、志貴」
「や。やっぱり時間通りだね、シオン」
「勿論です。
……志貴は、そうではないようですが」
「え? 何か言った、シオン?」
「別に。私らしくない独り言ですから、追及はしないでください」
……む。なんか、心なしか顔色が悪い。
機嫌が悪いというか、元気がないのはそのあたりが原因だろうか。
「シオン、大丈夫か? なんか無理してるみたいだけど」
「心配には及びません。体の管理は錬金術師の基本ですから。そんな事より真祖の件はどうなりました、志貴」
「ああ、それなんだけど、今日も捕まらなかったんだ。どうも避けられている節がある」
「そうでしょうね。昨日の代行者のように、真祖も志貴には優等生であろうとしているのでしょう」
「ぷっ。まさか、アルクェイドに限ってそんな事ないって。あいつが人に気を遣うタマかっていうんだ」
「……まったく。心の機微に愚鈍だというのは本当ですね」
「まあいいでしょう。それでは今日も成果はなしですか」
「いや、そこまで考えなしじゃないよ。アイツの部屋に書き置きを残してきた。
大事な話がある、どうせ俺の行動なんて知ってるだろうから十二時過ぎに公園に来い、こなきゃもう朝飯作りに行かないぞって」
「……志貴。それで真祖が応じると本気で思っているのですか」
「うん、応じるよ? 前にアイツと秋葉がシャレにならないケンカした時があってさ。どう見てもアルクェイドの方が悪いんで、謝れって言ったんだ」
「もちろんアルクェイドが謝る訳ないんだけど、朝飯抜きっていったら素直に秋葉に謝った前歴がある。今のところ、これが対アイツ用の最大の交渉です」
えっへん、と胸を張る。
シオンは呆然とした後、
「なるほど。真祖に対する認識を、大幅に改めました」
なんて頷いた。
「それじゃ公園に行こうか。今日こそはアルクェイドに会わせるよ、シオン」
◇◇◇
公園に着いた途端、その異常さを感じ取った。
むせかえるほどの血の匂い。
肌にまとわりつく夏の夜気をかきわけて奥へと走ると、そこには────
「な────!?」
「────────」
「────」
白い月下。
地面という地面を血に染めて、無数の死体の上に、アルクェイドが佇んでいた。
「……ふん。失敗したクセになかなか真に迫ってるじゃない、コレ」
頭上の月を睨み、アルクェイドは楽しげに笑っている。
その雰囲気は、どこかおかしい。
アレは間違いなくアルクェイドだ。
けれど微妙に、アルクェイド以外の何かが混ざっているような気配がする。
「あ、やっときた。志貴、人を呼びつけたクセに時間を守らないんだもの。しかも知らない女と一緒だし。なんか、頭にきちゃったな」
クスクスと笑う。
その雰囲気、漂ってくる威圧感は明らかに異常だった。自制を無くしているというか、お酒に酔った秋葉っぽいというか。
「……待て。おまえ、本物か」
「あら。そう言う志貴は本物かしらね」
「まあそれはすぐに確かめるとして───そこの魔術師。わたしに何か用でもあるの?」
「はい。私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。錬金術師として、真祖の姫君に協力していただきたく参上しました」
「わたしに協力しろ? 珍しいわね、教会の人間以外でそんな事を言ってくるなんて。……いいわ、言ってみなさい。面白ければ聞いてあげる」
「……はい。私は吸血鬼化について研究しています。真祖に血を吸われ死徒となった者。その死徒に血を吸われ吸血鬼となった者。この一方通行に手を加える為に」
「ふうん。それはつまり」
「はい、吸血鬼化の治療に他なりません。人間は貴方たちの血によって異なる生物へと変貌した。ならばまた、人間へと変貌する事も道理の内でしょう。その為には大本である真祖の血を────」
「なんだ、そんな事? だめだめ、つまらないから話はここまでよ」
「っ……! つまらない、とは聞き捨てなりません。もとはと言えば貴方たちがまき散らした病魔ではないですか。貴方には死徒を無視する事はできない筈です……!」
「別に死徒がつまらない、と言っているんじゃないわ。
私はね、あなたがつまらないと言ってるの」
「────それは、どういう意味ですか」
「だってそんな事は不可能だもの。吸血種になった人間は、もう人間には戻れない。時間は逆行しないのよ、シオン・エルトナム・アトラシア」
「それに貴方の目的は別でしょう? 吸血鬼化を治療する? そんなの嘘よ。
それが不可能だって、あなた自身が理解している筈だもの」
「────」
「そうでしょう? だって貴方、とっくに───」
「黙りなさい────!」
「貴方に協力を求めようとした私が愚かでした。人間と真祖は手など取れない。ならば、力ずくで従わせるだけです!」
シオンの体が沈む。
彼女は瞬時に銃を取り出し、アルクェイドへと走り出した。
「な───シオン、待て……!」
制止の声も間に合わない。
シオンは余裕げに佇むアルクェイドへと襲いかかった。
[#挿絵(img/WIN_ARC.bmp)入る]
「───ふん。
二人がかりだろうがなんだろうか、その気になったわたしに勝てる訳ないじゃない」
「っ……」
「けどまいったわね。志貴がそいつの肩を持つから、ついムキになっちゃった。今は少しでも余力を残しておかないといけないのに」
「な……余力を、残しておく、だと」
「ええ。これ以上アレを野放しにしておくのも目障りでしょう? 蠅みたいにわたしの周りを飛び回わられても迷惑よ」
「……まさか。貴方は、アレの正体を知っているのですか」
「当然でしょう。だから一人で片づけようとしているんだもの。志貴は騙されやすいから、あんな虚言者と戦わせる訳にはいかないわ」
「……?」
「で、志貴。なんだってこんなところに呼び出して、そんな女と一緒にいるのよ。……まさかとは思うけど、やっぱり偽物?」
「偽物って、そりゃあこっちの台詞だよ。この死体の山はなんだ。おまえこそ、本当にアルクェイドなのか」
「これはわたしじゃないわ。志貴が来る前は志貴がやってたんだから」
「え……? お、俺が、やってた……?」
「そうよ。わたしから見ると、志貴だってなんだか偽物みたいなんだから。
……どうやらわたしたちはみんなアイツの影響を受けてるみたいね。志貴だって気を抜いてるとホントに殺人鬼になっちゃうわよ」
「ホントの殺人鬼になるって……つまり、その……どういうコト?」
「良くない不安を実行してしまうっていうコトよ。この死体の山だって志貴がバラ巻いていたんだから。
今頃はシエルも志貴の事を捜しているんじゃない? ……もっとも、こんなんじゃ殺人鬼とは言えないけど」
「ば、何するんだアルクェイド! いくらもう手遅れだからって、死体を思いっきり蹴飛ばすな!」
「あ、志貴ったらまだ騙されてる。
いいから、ちゃーんとソレを調べて見たら?」
「調べろって、おまえ……って、あれ?
なんだこれ……ただの、生ゴミがつまったゴミ袋じゃんか」
「あれ、あれれれれ!? なんでだあ!?
さっきは確かに死体と血に見えたのに……!?」
「ほら騙された。
志貴はね、人より厭な経験をしているから余計に現実化させやすいんだよ」
「………質問していい、アルクェイド?」
「うん、いいよ」
「……その。なに、これ?」
「そんなの決まってるじゃない。死体と見間違うよう散乱したゴミの山よ。
殺人鬼───いえ、吸血鬼の仕業でしょうけど」
「吸血鬼って、街で噂になってる例のアレのコト?
シエル先輩も捜してたけど、やっぱりおまえも捜してたんだな」
「なんだ、志貴はもうシエルに聞いてたんだ。
……おかしいな、それじゃあそろそろ現れてもいい頃なんだけど……」
「そっか。わたしが居る事でアイツもまだ本決定していないんだ。……馬鹿ね。欲をかきすぎても自滅するだけなのに」
「……アルクェイド。さっきから一人で納得していないで、こっちにも事情を聞かせてくれると助かるんだけど?」
「そこの女の方が詳しいわよ。わたしじゃ今回の死徒は上手く説明できないし、なにより当事者に聞いたほうがいいでしょう?」
「当事者って、シオンの事?」
「………………」
「そうよ。ほんとはね、そんな女ここで殺しておきたいんだけど、志貴邪魔するでしょ?」
「ばか、そんなの当然だろ! なんだってこう、突拍子もなく容赦なし状態になるんだおまえはっ」
「ほらね。だから今は見逃してあげるわ、錬金術師。アイツがどんな規模になるか判明していない以上、今は無駄な力を使う訳にはいかないから」
「あ───」
「止める間もなく行ってしまいましたね。私たちでは彼女には追いつけませんから、追跡は無駄でしょう」
「それと、ここに残るのは危険です。この熱帯夜では通行人もいないと思いますが、万が一にも発見されれば志貴が犯人にされてしまいます」
「……犯人って、別に誰も殺されていないけど」
「見る人が見れば、です。
ともかく移動する事を提案します。ここは、些か発生率が高い」
「……分かった。いや、シオンの言ってるコトはよく分からないけど、とりあえず移動しよう」
[#改ページ]
4/懐古とてすでに罪 forget-me-not
「それで、アルクェイドの言ってた事だけど」
「…………」
「アルクェイドはシオンを当事者って言ってた。あれ、どういう事だ」
「………………」
「シオン。君、この街に流れてる噂はよく知らないって言ってたけど、ホントは正体を掴んでるんだろ? それをどうして隠していたかは知らないけど……」
「隠していた訳ではありません。
噂について、私が志貴と同じ程度しか知らなかったのは事実です」
「……ですが、そうですね。
この街に潜伏する死徒がどのようなモノであるか、私は志貴よりも熟知しているつもりです」
「やっぱり。人が悪いな、知っていたのならどうして黙ってたんだ」
「志貴は噂の吸血鬼を捜していただけでしたから。
例えるのなら、志貴は傷を治す為に薬を購入しようとしていただけ。その薬の構成を知りたいから求めていた訳ではないでしょう? ですから死徒の正体について説明しても意味がありません」
「……む。意味ならあるよ。相手がどんなヤツか知らないと対策が立てられないだろ。
その死徒はあくまで噂なんだから、ホントに悪いヤツなのかどうかも判らない。話し合いで済む相手ならそれに越した事はない訳だし」
「なんと平和な。アレに対して話し合いだなんて、志貴は寒気がするぐらいズレていますね」
「……意に反しますが、協力してもらっている報酬です。このままだと志貴はアレに容易く懐柔されそうですから。志貴に死なれては、協力者としての私の能力が疑われる」
「志貴。真祖や代行者が捜している死徒、この街の噂の元となっている死徒は“タタリ”と呼ばれるモノです」
「タタリ……? それって祟りの事?」
「ええ、語源はこの国の呪いでしょう。
タタリと呼ばれる死徒は主体性のない吸血鬼です。限られた区間での人々の噂、不安を摘出し、その通りに吸血行為を繰り返します」
「噂通りに吸血行為を繰り返す死徒……?」
「はい。愉快犯、というヤツなのでしょう。
歳を取った死徒は、普通に血を吸うだけでは満足できない。彼等は自らにルールを作り、それを守る事で本来食事にすぎない吸血行為を娯楽と愉しんでいる」
「そして厄介な事に、タタリには噂を纏う特殊能力があるという事です。
真祖の空想具現化に近いのですが、タタリは人間の空想を鎧として纏うのです。ですから人間の不安や悪い噂が凶悪になればなるほど、タタリの能力は上がっていきます」
「……む。えっと、それはつまり、不吉な噂を立てれば立てるほど、その死徒は不吉な存在になるってコト?」
「ええ。祟りとは強い不安、一般性を持つ噂を現実にしてしまう呪い《システム》の事ですから。
その名称を冠するタタリは、文字通り“噂”を具現化する。
これは一種の固有結界と言われています。
強力な死徒は固有結界と呼ばれる、自身を中心として“現実と異なる現実”を作る力がある。
固有結界は、その人間の心象世界を体現したもの。ですからカタチはつねに一定なのですが、タタリの固有結界は“カタチを周囲の人間の心のカタチにする”というモノ。
それ故に、固有結界の内容はその地域によって異なるのです」
「ですが固有結界である以上、その発現はとても短い。いかに強力な死徒と言えど、その維持には一夜が限界でしょう」
「……一夜が限界……だから噂の殺人鬼が現れるのは夜だけなのか」
「いいえ。タタリはまだ発生していません。
タタリをカタチにする為には、噂が蓋然性を持つ程に広まらなければならない。
今はまだ、タタリは噂にすぎない状態です。だから噂だけで、実際には誰も殺されてはいないでしょう?」
「タタリは条件に見合った街に根を張り、良くない噂の浸透を待ちます。そうして時が満ち、噂が現実化してもおかしくなくなった時に発生する。
……そういった意味で、実際にいた殺人鬼・吸血鬼がモデルにされている可能性は高いのです。なにしろ以前に起きた事件ですから、この街の人々がソレを不安に思うのは当然でしょう」
「──ふうん。つまり要約すると、そのタタリっていう死徒はまだこの街で血を吸っていなくて、噂がもっと真実味を帯びたら血を吸い始めるってコト?」
「簡潔に言えばその通りです。
タタリにとって、自分が現れると定めた街は一つの舞台。今はその舞台に観客が集まりだしたにすぎません。集まった観客たちは思い思いの劇を想像し、客席が満席になった時──」
「タタリは現れる。
――――舞台の幕が開くって訳か」
「ええ、一夜限りの。
過去、そういった形式でタタリを発生させてしまった街は、朝までに大量の犠牲者を出しています。ともすれば街の住人全てが死に絶えるような。
何しろ街の人間全員が信じた“良くない噂”なのです。人間は自分が思い描いてしまった悪夢には対抗策を持てない。対抗できないからこそ悪夢なのです。ですから────」
「……祟りは、始まってしまったらもう止められないってコトか……」
「はい。そして、この観客には志貴も含まれている。いえ、ある意味志貴は主賓扱いでしょう。ですから志貴が不安に思っていた事が“タタリ”になる可能性は高い」
「え? ど、どうして俺なんだよ、それ」
「志貴は真祖と最も関わりのある人間ですから。真祖の、その……寵愛を一身に受けているのだから、この街では二番目に重要視されています」
「真祖の寵愛って……そ、それはその、そう思うのはシオンの勝手だけど、なんだってそんなコトで、俺がタタリってヤツに重要視されなくちゃいけないんだ」
「志貴が真祖をよく知っているからでしょう。
考えれば自明の理です。
この街で考えうる最凶の“悪夢”とは、理性をなくした真祖なのですから」
「え──それじゃあ俺が、その……アルクェイドが無差別に血を吸うようになったら困るなー、とかシエル先輩が秋葉とケンカしたら嫌だなー、とか思ったら……」
「実現化する可能性は高いですね。無から有を作るより、有を害に変える方がより祟りに相応しい。タタリは“呪い”をカタチにして使い魔にする死徒、と仮定して下さい。
この場合、タタリそのものが暴走した真祖になるより、タタリがもとからいる真祖に取り憑いて暴走させた方が効率がよいでしょう?
それに、志貴の不安《イメージ》は他の誰よりも明確です。
実際に多くの吸血鬼を見てきた志貴のイメージは、架空の吸血鬼を想像する人々より何倍も優れている」
「──────────────────────────────────────────────────────────ちょっと、待て」
「それじゃ何か。俺がアイツや」
[#挿絵(img/BG45.bmp)入る]
「アレを不安に思ってしまったら」
[#挿絵(img/BG46.bmp)入る]
「────!」
「シオン……?」
「っ……ぁ、は────!」
「シオン、どうした!? さっきアルクェイドにやられた所が痛むのか……!?」
「いえ────そういう痛みでは、ありません」
「単に吐き気をもよおしただけですから心配には及びません。
それより志貴。貴方はこれからどうするのですか」
「……? どうするって、どうして?」
「真祖との交渉は失敗しました。ですがまだ可能性は残っています。彼女にとって優先事項がタタリであるのならば、タタリを利用しての交渉方法もある」
「つまり、志貴に真祖との橋渡しをしてもらう必要はなくなりました。志貴は以前のように──」
「うん? ああ、そういう事なら一緒にやろう。
俺の目的は吸血鬼捜しだし、
シオンもまずタタリってヤツをどうにかしないとアルクェイドと話し合いできない」
「せっかく協力関係を結んだ仲間だしさ。
俺もシオンがいてくれると助かるし」
「───驚いた。志貴、貴方はまだ私に協力するつもりですか?」
「?」
「だって、その……私は、これ以上貴方の為になる情報を入手できません。
それに───隠し事だって、多い」
「訊けば教えてくれたじゃないか。また判らないコトになったら訊くからいいよ」
「────────」
「それじゃとりあえず街を回ってみよう。そのタタリって死徒が実際に祟りを起こす前になんとかしなくちゃいけないし」
───そうして、私は遠野志貴と行動を共にしている。
……何故なのだろう。
真祖に協力を拒まれた以上、彼に同行する必要性はまったくない。
彼はタタリという死徒を勘違いしており、こうして夜の街を巡回していればタタリと出会えると思っている。
――――それは無意味だ。
そんな事でタタリと遭遇できるのなら、タタリはとっくに教会によって封印されているだろう。
私は、無駄と理解しながら志貴と行動を共にしている。
つまり、理由は不明。
……信じられない。
私は、解らない事は不快だ。
なのに、どうして。
この不理解さは、癇に障らないのだろう。
「シオン、こっちの方はどうかな」
「そちらには何も。揺らぎがあるのは街の中心ではなく、末端の方です」
「……街の端っこって言うと、公園とうちの屋敷と工場地帯と新しい工事現場か……あ、学校は? 以前吸血鬼のねぐらになっていたけど」
「学校は除外してかまいません。長期の休みに入って人がいないでしょう? 噂が立たない所、つまり人がいない所にタタリは現れません」
「そうか。ならまずは工場地帯にしよう」
……私の発言は、正しくはない。
タタリは人気が多い所ではなく、人気《ひとけ》を一望できる場所を好むのだ。
ならば、高台にある学校と遠野の屋敷は優れた立地条件である。
……工場地帯へ急ぐ。
そこはかつて、志貴がある別れを経験した所だ。
エーテライトを接続している為、彼の思考は私に流れ込んでくる。
平静を装っているけれど、今、志貴の頭を占めているのは吸血鬼になってしまった一人のクラスメイトの事だ。
「………………」
その思いに、苦しくなる。
一見茫洋とした志貴の内面は、針の山を歩く修行者に似ている。
しかも無意識。
彼は、自分がそういった道を歩いているのだと意識しないでひょいひょいと前に進む。
「…………っ」
いっそエーテライトを切ってしまおうか。
そうすれば彼の思考に流される事もなくなる。
先程の吐き気もそれだ。
志貴があまりにも鮮明に“血”をイメージした為、私まで血に酔ってしまったのだ。
「シオン、そこ気を付けて。階段崩れかかってるだろ。明かりがないから足元に注意すること」
「判っています。月明かりで十分把握できますから」
「だな。ほとんど満月だし、今夜は明るい」
言われて空を仰いだ。
頭上には黄金の月。
……暗く、混雑した廃墟はあの夜を連想させる。
三年前の夜。
山村の一夜。
祟りによって滅びた村。
ただ一人生き延びた自分。
……否。私は、ヤツに見逃されたのだ。
あの、人間の血を吸わなければ生きていけない不出来な生物に、私は情けをかけられ見逃された――――
「……志貴。一つ、質問をするのですが。貴方は吸血鬼を憎んでいますか」
「難しい事を訊くんだな、シオンは」
暗がりの中、前を歩く志貴。
その、背中に。
「───憎んでるよ。それに間違いはない」
一瞬だけ、氷のような殺気があった。
「けど、それは彼等の行いにであって、彼等自身にじゃない。善悪の概念があるのは人間だけじゃないってコト」
「そうですか。私は」
善い吸血鬼も、悪い吸血鬼も関係なく。
ただ、血を吸うだけで不快だった。
人の血を飲む化け物。
人の血を奪っていく簒奪者。
その怪物は、私だけを見逃した。
何故殺さないと問えば、ソレは。
「なに、同類相哀れむ、というヤツだ」
言って、笑いながら言って、消滅した。
それが私の関係者だと思うと、怒りで暴れ出しそうになる。
エルトナムの血を穢した者。
エルトナムの血を穢した私。
もう、とうに戻れないこの体。
「このあたりはハズレかな。やっぱり街中が怪しいと思うんだけど」
……赤。赤色は好きではない。
「とりあえず戻ろうか。次は、そうだな」
……血。血を連想するものは、嫌いだ。
「……シオン?」
……それを必要とするモノたちなんて、誰が――――
「シオン、おい、大丈夫かシオン……!」
……だから、許さない。
ただ一人私を見逃したアイツを、
見逃されて生きのびている私も、
この、不出来で不自由な肉体も。
……そう。
私は今度こそ、この真夏の夜の夢に、幕を下ろしてやらなければ────
◇◇◇
「……っと。なんとかここまで連れてこれたな」
倒れてしまったシオンをベンチで休ませる。
彼女は苦しげな顔のまま意識を失っていた。
……シオンは持病持ちなのかもしれない。
会う度に顔色は悪くなっていくし、さっきだって倒れそうになっていたし。
「……さて、これからどうしたものか。シオンの寝床なんて知らないし、かといってこのままにしておくっていのも問題あるしな……」
シオンが起きるまでここで付き添っているのは当然だとしても、出来れば場所は移したい。
何故なら────
「……深夜、この場所にいて良かった試しがない。
さっきだってアルクェイドと一波乱あったばっかりだっていうのに」
しかし、かといってシオンを連れて行ける場所はなかった。
うちは……当然、大却下。
秋葉、翡翠、琥珀さんにどんな目で見られるか知れたもんじゃない。
先輩の部屋もアルクェイドの部屋も同意。
そうなるとここで朝まで看病するしかない訳だけど……
「その危惧は解るぞ、人間。
この場にいては、いつぞやの夜を思い出すと恐ろしいのだろう」
「────!?」
突然の声に振り返る。
そこには────
「染みついた恐怖は拭えぬモノだ。
それが自身より生じた闇であらば、忘却する事さえ困難だろう」
「おまえ────なんで、ここに」
「何故も是非もない。私は私として此処に存る。偽者でなければ真作でもない。生まれ出でぬモノであろうと、屍と朽ちたモノであろうと、有るとされるのなら偽り無く具現しよう」
黒い外套の吸血鬼。
かつてこの手で倒した筈の敵、666匹の使い魔で武装した混沌がにじり寄ってくる。
「────やる気、か」
「無論。殲滅を望んだのは貴様だ。呪いとは術者に返る自己の罪。
故に───祟りとは、自己を滅ぼす妄念である」
「くっ────!」
黒いコートが翻る。
その闇から迸る無数の獣。
「退きなさい、志貴……!」
「っ……!」
「ほう、もう一人いたか。しかも魔術師。回路こそ少ないが、蓄えは上質だな」
「魔術食いは久しぶりだ。
安心して委ねるがいい。知らぬ仲ではないのだ、無駄なくその叡智を引き継ごう」
「志貴、貴方───よりにもよって、こんな場所でアレを想像したんですか……!」
「うわ、アイツが出てきたのってやっぱり俺のせいなのか!?」
「タタリは人に影響を与えるだけの憑き物ではない、と言ったでしょう。
実際有り得ない“怪物”を生み出すのも、人の不安に因る物です。
志貴にとって、ネロ・カオスはその二点を備えた最悪の祟り。だからこそ、満月を待たずしてタタリはああして実体を持ったのです!」
「な───ってコトは、アイツは……?」
「ええ、アレこそタタリと呼ばれる死徒。……予定は早くなってしまいましたが、こうなっては仕方がありません」
身構えるシオン。
……現れた吸血鬼は、以前のまま、悠然と俺たちへとその魔手を向けようとする。
「───上等だ。一度仕留めた相手、こうなったら何度でも相手になる……!」
ナイフを構えて吸血鬼へと向き直る。
俺のナイフと、シオンの糸。
そしてヤツの咆哮はまったくの同時に、満月の下で交差した――――
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「くっ……!」
「悪くない。流石はナンバー・10。
かつての私を上回るポテンシャルだ」
「だが───これだけの条件下において、これでは些か物足り────」
「なんだ……アイツ、薄れていってる……?」
「──まだ早い。所詮ネロ・カオスは志貴だけが強く思い描いた不安。概念性を持つほどの“噂”に成熟する筈もない。あの状態のタタリを殺す事は誰にも───」
「その隙、貰った…………!」
「ぬ、」
「────」
「これで、貴様に貫かれたのは二度目か」
「なるほど。いかに我と同格の祖と言えど、例外の前には脆いもの。
貴様が姫君を招き寄せ、同時に我をこのようなカタチにしたイレギュラーか」
「まあよい。二十七祖になど成ったところで面白味に欠ける───我が終局体には、オリジナルこそが相応しいからな」
「───信じ、られない」
無様にも、そんな呟きをこぼしてしまった。
遠野志貴の眼は物の死を視る。
それはカタチに対する殺害ではなく、むしろ意味の殺害に近い。
そんな事、彼からデータを引き出した時点で知っていた。
それでも私は理解しきっていなかったのだろう。
彼が、生粋の死神と言うことを。
「……完全にカタチに成っていなかったタタリは情報体にすぎない。それを、物理的な衝撃で消去するなんて──」
なんてジョーカー。
彼ならあるいは、本当に───人間では理解できない幻想種をも殺せるのではないか。
「消えた……倒せた、のか?」
志貴は半信半疑だ。
……それは先程の死徒に手応えがなかった、という事からではあるまい。
元々、情報にすぎないタタリには確かな手応えなどない。
彼はそんな事を超越したセンスで、仕留めた相手の生死を敏感にかぎ取っているのだ。
「シオン、今の」
「……ええ、これで終わりです。志貴が捜していた吸血鬼は消滅しました」
「──それは、本当に?」
「はい。犠牲者が出る前にタタリを無くせて良かったですね、志貴」
「────────」
……嘘をついた。
明らかな虚言に、彼は気が付いただろうか。
それでも彼に否定する方法はない。
彼にとって、タタリを知り得る情報は私だけだ。その私が「終わった」と言うのだから、頷くしかないだろう。
「そうか。わかった」
「で、シオンはどうするんだ? タタリっていう死徒は、その……倒して、しまったけど」
「真祖に協力が得られなかった以上、この街にも志貴にも用はありません。すぐにでも立ち去ります」
「? アルクェイドの事はいいのか」
「ええ。もとより彼女から協力が得られる可能性は低かった。交渉が失敗したのなら、二度目はありません。
彼女との無益な交渉にかける時間を、治療法の追究に回すべきでしょう。
私は、初めからそう決めていましたから」
「そうか。いいけど、それなら」
さっき帰れば良かったのに、と。
ごく自然に言いかけて、彼は止めた。
「────────」
志貴の言い分は、正しい。
私にとって、今夜のタタリ捜しなど意味のない事。
タタリを真祖との交渉に利用する、なんていうのは無意味だと私は判っていたのだ。
だから。
さっきの私はとても低い可能性を採用して、志貴と吸血鬼捜しをした事になる。
「シオン? どうしたんだ、また顔色が悪いぞ、君」
「いえ、心配には及ばないのですが」
つまり私は、例え僅かと言え、打算なしで志貴と一緒に行動した。
それは何故かと思考して、答えはあっけないほど簡単に出た。
────なんだ。
つまり私は、彼に好意を持っているのか。
「────────」
「な、なんだよシオン。急に人の顔じろじろ見て」
「────────」
志貴は慌てている。
よほど私の態度は普通ではないのだろう。
うん、私も実感している。
いくら今まで異性や同年代の人間と話した事がなくて。
いくらそういった物に興味を持っていたからって。
人間はこんな簡単に、人間に好意を持てるようになるなんて知らなかったから。
胸が苦しくなると言うか、妙に顔が熱くて困る。
錬金術師の基本は自己のコントロールだというのに、これでは落第だ。
でも、まあ。
これは、そう悪い感覚ではないみたい。
地面を走っていた犬が、空を飛んだらこんな昂揚を味わうんだろう。
そう思うと不思議に嬉しくなって、途端。
「っ………………………!!!!!!」
───あの吐き気が、こみ上げてきた。
「シオン? 君、さっきからなんかヘンだぞ。やっぱり休んでいた方がいいんじゃないのか」
「……気分が悪いので帰ります。志貴の街を騒がしていた吸血鬼も消えたのですから、私たちの協力関係もここまでですね」
「うん、まあそうなるね」
「それではここで。さようなら、志貴」
……志貴からエーテライトを外す。
これで彼と私を繋いでいた糸は切れ、私たちを繋いでいた契約も終わった。
そうして彼に背中を向けた。
吐き気は収まり、同時に、先程の昂揚もなくなった。
──それで、今までの奇跡のタネが解明できた。
私は人間に好意を持った事がなく、
自分には嫌悪感しか与えていなかった。
だから耐えられた。
あの、乾いて乾いてどうしようもなくなる衝動に。
いまだ半人前の私を突き動かすのは感情だ。
その感情が、否、物を好むという感情が乏しかった私は、衝動さえ乏しかったのだろう。
だから三年間も耐えられたのだ。
しかしそれも限界。
この先人間に好意を持とうが持つまいが、私の体はとうに限界を迎えている。
もう吸わないで体を維持できるレベルではなくなっている。
……ただ、それでもプラスはあった。
吸血鬼になる前の人間。
吸血鬼に噛まれ、
吸血鬼になるしかない人間を堕としめる衝動の源は、ただ、
“他人が欲しい”という、
そんな単純な感情だと、知れたのだから。
[#改ページ]
5/虚言の王 AGITATOR
……熱い。
喉が渇く。
もうどのくらいの間、私は喉を潤していないのだろう。
日が昇れば痛む体。
代わりに得た以前とは段違いの身体能力。
それも当然だ。
運動量が増えたのだから、摂取しなければならない栄養も増える。
普通の食事では間に合わない。満たされない。乾きが消えない。
赤色で、血液は、苦悶より、絶叫を。
そういった背徳でのみ癒える体。
私はずっと、
三年前からずっと、そんな誘惑に耐えてきた。
───あの夜。
タタリに噛まれたあの夏から。
……熱い。熱い。熱い。
喉は喉と貼り付いて、まるで頭を切り取られたかのよう。
私の首は浮いていて、体とはリンクしていないみたい。
首と胴を繋げる方法はただ一つ。
吸血鬼の手足は神経では繋がらない。
吸血鬼を繋げるモノは、赤い赤い血液だけだ。
しかも他人の。
吸血鬼は、誰かの血を奪わなければ生きていけない。
……私はやらない。絶対にするものか。
アイツと同じ行為なんてイヤだ。
他者から奪わなければ存在できない自分なんて、間違っているんだから。
……けれど、同時に納得している。
優れた生命、強大な生命力を維持する為には、より多くのエネルギーが必要なのは自然の摂理。
吸血種は人間より遙かに優れた生命だ。
だから人間と同じ栄養摂取では、とうてい比率が合いはしない。
つまり赤色とか血液とか苦悶とか絶望とか。
そう言った通常では有り得ない、
けれどエネルギーとしては絶大な栄養が必要なのだ。
解っている、判っている。
錬金術師であるのなら、理に適う事は正義の筈。
ならば吸血種は正義ではないのか。
彼等の行いはともかく、生物としての彼等は何も間違えてはいない。
だから血を吸う事は恥辱でもなんでもなくて、当然の行為の筈。
……けれど、私はそれを拒み続けてきた。
判らない。
どうして私は、こんなにも“人間である事”に拘るのだろう。
……解が合わない。
数値をどこかで間違えている。
だからいつまでも疑問が解けないんだ。
けれど、と冷静な頭で思う。
それなら私は一体、何時、何処で、何を、間違えたというのだろう───
「……何を、間違えて」
……と。
自分の呟きで目を覚ました。
「……夜。ようやく満月になった」
それがタイムリミットだ。
熟成した噂がタタリとなる夜。
私の本当の目的、
この身を吸血種へと変貌させた、
エルトナムの敵を討つ刻。
「これで終わり。どうなろうと、明日になれば」
私は終わっていると思う。
……三年間。
アトラスにも戻れず、教会からも逃げ続けて、ただヤツを追いかけ続けた三年間。
その間に得た物が、吸血衝動は他者への好意から発する物だと判っただけ、か。
「……結局。何が間違えていたのかさえ、私には判らなかった」
答えが欲しかったわけじゃない。
ただ、シオン・エルトナムという私のどこか間違えていたのかだけが知りたかった。
答えなんて必要じゃなかったのだ。
何故なら、それは。
「───だって。
答えを出したところで、私がつまらない人間だという事に、変わりはないのだし」
……間違いを正したかった訳じゃない。
ただその間違いを知りたかっただけ。
……だというのに。
それだけの望みが、私には果たせなかった。
「───行こう。今夜が、最後の夜だ」
私は路地裏から歩き出す。
目指す場所はただ一つ。
この街が一望できる神殿、私と彼が初めて話したあの場所だ───
◇◇◇
建築途中の高層ビル。
奇しくも|シュライン《しんでん》と名付けられたここが、私の夜の終着だ。
タタリの収束場所が何処であるかなんて、初めから判っていた。
私は代行者や狩人のように、吸血鬼の気配をかぎ取ってこの街にやってきたのではない。
あらかじめタタリが何処を出現場所に定めたかを計算し、答えを出してやってきたのだ。
私はこの位置に訪れ、結果として、その周りにこの街があっただけ。
「じき時間か。私は、今度こそ」
一人でも、タタリを仕留めなければならない。
「――――――――」
全身が凍る。
アンナモノに太刀打ちできる筈がないのだと思考が停止する。
それも当然。
アレがどのようなカタチになるか、実際に対峙しなくては判らない。
正体がいまだ無い相手のデータはとれない。
錬金術師は情報と戦う者。
だというのに、これから立ち向かう相手はその情報さえ有りはしないのだ。
「────行こう。じき零時だ」
震える足を、凍り付いた理性で進める。
と。
「あ、やっときた」
ビルの入り口には
「やあ。今日は一時間遅れだな、シオン」
気軽に手を挙げて挨拶をする、彼の姿。
「…………………………………………………………………………………………………………志貴?」
「そうだけど……なんだよ、そんなお化けでも見るような顔して」
「だって────その、どう、して?」
「どうしても何も、約束したじゃないか。俺たちはお互いの目的の為に協力するんだろ?
ならまだ何も終わってない。シオンの目的、まだ結果が出てないんだからさ」
「────」
……そうか。
要するに、とぼけたようでいて、彼は全て見抜いていたんだ。
少し、呆れた。
エーテライトを抜いてしまったから、彼が何を考えているのかは判らない。
それでも志貴がどれほどお人好しなのか心底解ってしまった。
彼はまだ吸血鬼が滅んでいない事も、
今まで私が隠していた事も知ってなお、
今まで通りにシオン・エルトナムを待っていたのだから。
「……確かに私の目的はまだ一つも達成できていません。ですがそれは私だけの問題です。
志貴の目的は昨夜果たされた。志貴が私を待っている理由はないと思いますが」
「そうかな。悪いけどそんな気はしない。とにかく確認しないと気が済まないし、ツメを誤って本当に殺人鬼が現れる、なんて事はイヤなんだ」
「俺の問題もまだ中途半端なんだから、ここで降りる訳にはいかない。
……ま、シオンの目的とは近いようで遠い気がするけど、途中までは一緒だろ?
ならもう少し一緒にいよう」
「それは構いませんが、ここから先は責任は持てません。死の危険があった場合、私は志貴より自分の身を優先します。それでもいいのですか?」
「あいよ。俺も自分第一でやるから気にしない気にしない」
「ふん、どうだか」
「? 何か言った、シオン?」
「志貴の言葉は信用できないと言ったのです。
けど、私も気にしません」
「志貴は、信頼できますから」
「────」
そうして、私たちはビルの中へ入っていく。
先程の震えが嘘のように軽い足取りで。
それは私が嬉しいからだろう。
誤魔化さず、はっきりと、私は喜んでいる自分を認めた。
……それは、思っていたより恥ずかしくはなく、どちらかというと誇らしい気がする。
───では気持ちを切り替えよう。
後はこのまま全力で、この心を志貴に気づかせないよう、今まで通りに振る舞うだけだ──
◇◇◇
エレベーターが上がっていく。
電源は生きていなかったが、シオンがちょこっといじるだけでエレベーターは動きだし、こうして二人で屋上を目指している。
「なあシオン。昨日、確かにタタリってヤツが化けたネロを倒したよな。けどタタリはまだ残っている。……それって、つまり本物のタタリを倒さないとダメってコトなのか?」
「いいえ。タタリに本物も偽物もありません。
……そうですね、たとえ志貴でもタタリを完全に殺す事はできないでしょう。アレは、二十七祖の中でも特別な死徒ですから」
「は?」
「タタリは永遠である事を他者に依存した死徒。そういった意味で、異端者と呼ばれた転生無限者ロアとタタリは同じですから」
「ちょ、ちょっと待ってシオン……!
君、今なんて言った……!?」
「? ああ、ロアの事ですか。志貴はロアとは因縁がありましたね」
「そうそう……って、そうじゃなくてその前!
その、タタリってヤツをなんて言った、君!?」
「死徒二十七祖の一人、と言いましたが。
……む。そう言えば、志貴には言っていませんでしたね」
「言ってないって───二十七祖ってアレだろ、死徒の中で一番強いヤツらの集まりだろ!?
タタリがそんなとんでもないヤツだなんて聞いてないぞ、俺!」
「それはこちらの手落ちでしたね。
ちゃんと説明しますから、そんなに怒らないでください」
「タタリは他に類を見ない吸血種です。
死徒とは人間のみを吸血対象とする吸血種を指します。
死徒は大本の吸血種である真祖に吸われた二世か、あるいは自ら吸血種となった人間です。
この中でも最高位とされる死徒を、一般に二十七祖と称します」
「その二十七祖の中で一人、その正体はおろか姿さえ不明とされるモノがいます。
死徒たちでさえ彼が何者なのか知らず、教会の追跡さえ届かない。おそらく他の祖ですら、ソレと対峙した事はない。
ソレは実在するかどうかさえ怪しい吸血鬼。
だと言うのに、確固として二十七祖として君臨する謎の存在。
それがタタリ───ナンバー・13、
“ワラキアの夜”と呼ばれる吸血鬼です」
「ワラキアの夜……それ、先輩から聞いた事がある。教会は二十七祖の住処は全て把握しているっていうけど、その中でただ一人住処が特定できないヤツだとか……」
「ええ。タタリ──いえ、“ワラキアの夜”に住処なぞ存在しません。もとより、アレはこの世には存在しないモノなのです」
「……この世には存在しない……? それって、もう死んでるってコト?」
「いいえ。肉体が滅びたとしても、幽体として未だ存在する祖もいます。
単純に肉体が滅んだだけでは、二十七祖と呼ばれる吸血鬼たちは消滅しない。
そういった事ではなく、“ワラキアの夜”は本当に存在しないのです。
ある一定の条件が揃わなければ永遠に現れない死徒。
けれど条件さえ揃えば永遠に存在する死徒。
それが“ワラキアの夜”が体現した不老不死」
「不老不死、か……死徒でさえ永遠ではないが故に永遠を求める……だっけ」
「それは転生無限者ロアの言葉ですね。
ええ、“ワラキアの夜”は彼にとても酷似しています。永遠を自己にではなく他者に依存した点が」
「死徒は不老不死ではありますが、永遠ではありません。他者の血を飲み続けなければ保てない不老不死は、その実不老でも不死でもないのですから。
多くの祖はその不完全さを完全にする為に手段を講じ、未だ完成に至っていない。
そんな中、自身に永遠を課すのではなく、他者に依存する永遠を試みた死徒がいました。
一人はミハイル・ロア・バルダムヨォン。
才能のある赤子に転生する事で永遠を実現した死徒。
そしてもう一人が“ワラキアの夜”、
ズェピア・エルトナム・オベローン。
彼はロアとは別のアプローチで、他者に依存する永遠を実現しようとしました」
「ズェピア・エルトナム・オベローン……って待った、エルトナムってシオン……!」
「黙って。彼の名に関する事は、彼の正体の説明には無関係です。追究は時間の無駄ですから」
「────」
「彼が目指した物は、他者に依存する永遠。いいえ、環境に依存した永遠と言うべきでしょう。彼は生命としてではなく、自らを一つの“現象”に奉り上げようとしたのですから」
「いかに優れた生命体であろうと、それを上回る生命体には敗北を余儀なくされる。
生命は破壊されれば終わり、死んでしまえば消えてしまう。
けれどある条件によって発生する“現象”であるのなら、破壊されようが死に絶えようが関係がない。何故なら、再び条件が成立すれば“発生”するのですから」
「ズェピアはその発生条件を、人間の想念に定めたのです。
……そうですね、極端に言ってしまえば台風のような物です。一定の低気圧によって発生する台風は、条件さえ揃えば何度でも発生しその脅威を現します。
たとえ志貴が台風という自然現象さえ殺せたとしても、台風自体は世界さえあれば何度でも発生する。
タタリはそれと同じです。
───人間の世さえ続けば永遠に発生し続けられる噂、死に纏わる情報を依代とする社会現象。
そうして生まれたモノが祟り。ワラキアの夜、と呼ばれるに至った吸血鬼」
「──ごめん、シオン。もうちょっと判りやすく言ってほしい」
「方向性はありませんが、方向性さえ有れば与えられた方向性通りの物事を起こすエネルギー、と思ってください。
ズェピアと呼ばれた死徒は第六法と呼ばれる神秘に挑み、これに敗北したと言います。
……それでも流石に死徒と言うべきでしょうか、彼は完全に敗北した訳ではなかった。
システムそのものを書き換える事はできませんでしたが、システムに留まる事はできたのです。
第六法に敗れたズェピアの体は霧散した。
けれどその霧散は彼が望んだ通りの霧散でした。
ズェピアという死徒を形成していた強大な霊子は拡散し、世界に留まった。
本来、肉体から離れ大気に散った霊子……魂のような物は、そのまま無に落ちていきます。
これは弱い流れが大きな流れに取り込まれるのと同じで、抗えない自然の働きです。
肉体という檻から開放された霊子は、意思すらも解脱した為に流れに逆らうという方向性がなく、大本である無に落ちて次の変換を待つのだとか。
……けれどズェピアはそうなる前、まだ生きていた頃に「タタリ」という方程式を完成させた。
ある一定の条件が整った地域ならば、彼の霧散した霊子は地域で発生した“噂”に収束し、再び現世に蘇る。
ズェピアという魔術師は、人間が滅びるまでのスパンで祟りが発生するであろう地域を計算した。あとは千年単位での航海図を作り、その通りに自分の死体が流れるように仕向けた。
無論、そのルートは情勢・状況によって無限に枝分かれする一方通行の物です。
ズェピアはそれを循環するルートへと編み換え、ズェピアという意思が消えた後でも、“霧散した自身”がそのように移動するようにプログラムした。
ズェピアなどという死徒はもう存在しない。だから十三位には名前がない。
今タタリと呼ばれている死徒は、死徒ではなく死徒が作り上げた一つの現象にすぎませんから」
「現象にすぎない、か……。けど、良くない噂を現実化するっていうのが現象って言うのか」
「はい。霧散した死徒だったものには、もう自分から“何か”になろうとする意思さえない。いえ、本来そういったモノに再生する手段などない。
ワラキアの夜という死徒が行った事は単純なこと。要するに、人の噂が真実味を持った時、その噂を自身の体で現実にする、といったシステムを完成させただけの話です。
コミュニティーの人々が同時に思うイメージ、誰もが想像し、その集落の常識となってしまった“伝説”があるとする。
その伝説がコミュニティーにおいて普遍性を確立した時、ワラキアの夜は伝説そのものとなって具現し、伝説通りの事をやってのけて消え去る。
……かつて、ソレが初めてルーマニア───ワラキアで発生した時のように」
「……ワラキアで発生した?」
「……ええ。ルーマニアの一地方であるワラキアには、かつてブラド・ツェペシという領主がいました。
領民には寛大でまっとうな領主だったブラドは、敵軍であるトルコ兵に対しては苛烈なまでの残虐性を見せたと言います。
人を人とも思わぬ行為。死体をさらに殺し、その血を流す事を戦略とした優れた領主。
そこまでして領民を守り抜いた彼は、逆に領民から吸血鬼と噂されてしまいました。
それはあくまで噂です。ですが文明がいまだ闇を帯びていた時代、吸血鬼は身近な存在でした。
そうしてブラド・ツェペシは吸血鬼として人々に怖れられた。その真偽など無関係のところで」
「そしてブラド・ツェペシが死亡した後、街では一つの噂が流れ出したと言います。
──領主が吸血鬼であったのなら、満月の晩に蘇って我々の血を吸いに来るのではないか──
生前でさえ吸血鬼と噂されていたブラドは、その死後でさえ吸血鬼として恐れられました。
その、密閉された空間での吸血鬼の噂、というのはズェピアにとって都合のいいもの。
彼はブラド・ツェペシが死去した後のワラキアを最良のサンプルケースとして始まりの土地にした。
……満月の夜だったと言います。
ソレは人々が噂した通りの“吸血鬼ブラド”と化し、領民たちを悉く惨殺した。
教会の騎士団が駆けつけた時、村には一切の液体がなく、道という道には人の皮が敷き詰められていたそうです。
“飲み尽くすモノ”と噂された吸血鬼ブラドは、血液のみならず村中の水分という水分を飲み尽くしたのでしょう。
悪夢のような夜だと、訪れた騎士達はみなそう思ったそうです。
その有様、その惨殺ぶりがあまりにも惨たらしかった為、教会はソレをこう呼ぶしかなかった。
───最大限の嫌悪と畏怖を込め、
ただ、“ワラキアの夜”、と」
「ワラキアの夜か……で、そいつはその後、どうなったんだ」
「消えました。祟りを広めた人々が死に絶えれば、その祟りはもう広まりません。
ワラキアの夜は自身を作り出した人々を殺し尽くして消滅する。
まあ、もとより現実化できる時間は一夜だけですから、中には生き延びられる幸運な人間もいた事でしょう」
「そこがよく解らないな。ワラキアの夜は祟りを現実化するんだろう。なら祟りの元になった人々を放っておけば、ずっと現実化できるんじゃないのか」
「……いえ。タタリは祟りとしてカタチを得るのです。だからその行動理念は祟りでなければ存在できない。
ワラキアの夜は人々の願望通りの祟りとなって結晶化し、人々の望み通り人間を殺し尽くして消え去る。
祟りとしてしか現れられない以上、タタリは祟りでなければならないのです」
「──そこが妙にひっかかるんだよ。ようするにさ、ワラキアの夜っていうヤツをタタリにしてるのは人間な訳だろ。なら────」
祟りには、悪いモノもあれば良いモノもある筈だ。
例えば“猿の手”のように、純粋に願いだけ叶えてくれる祟りとか。
それなら───人々が良い祟りを思えば、それは吸血鬼にならないのではないか。
「着きました。最上階です志貴」
「……それじゃあこの先に、その」
「はい。日付が変わった瞬間にワラキアの夜が始まる。───志貴は死んではいけないのですから、ここから先は余分な思考はカットして」
シオンが操作パネルに手を伸ばす。
いまだ未完成なエレベーターは、ぎしりと軋み音を立てて開いていった。
「最上階はまだ作りかけか……」
「人の気配が残っていませんね。……ん……ここ数日間、このフロアに訪れた人間もいないようです」
「? シオン、何してんだよ。くるって回るなんて、バレエ?」
「違いますっ。エーテライトで周囲の情報を読み込んだだけではないですか。貴方という人は、こんな時でさえ軽口を────」
「────!」
「────!」
「予兆が始まった……あれが、タタリ……」
「まずいな───視えないぞ、アレ」
「当然です。志貴と言えど、今のアレから死の線は視えない。
貴方でも言葉は殺せない。その中でも、アレはまだ言葉にもなっていない言葉です。
まだ存《い》きていないモノは貴方には殺せない。
今の段階でアレを排除できるのは、アルクェイド・ブリュンスタッドぐらいのものでしょう」
「アルクェイドなら……?
つまりばか力なら壊せるってコト?」
「───ストレートに言いますね。
……前から思っていたのですが、どうして志貴は真祖にだけ率直な発言をするのでしょうか」
「いや。だってアイツには遠回しな言い分なんて通じないし」
「────(カチン)。
…………なるほど。秋葉という人物の気持ちはこういう事なのですね。希望的観測ですが、彼女とは気が合いそうです」
「あの……何を言ってるのかな、シオンは」
「見て判りませんか。独り言です」
「それより離れましょう、志貴。
……タタリが、カタチを成そうとしています」
「────!」
「────────────────」
「やはり───この街で最も力のある素体、実際に吸血鬼を知る人間が思い描いた姿を祟りましたか、ワラキア」
「当然でしょう。ワラキアの夜の目的はタタリなんかじゃない。ズェピアという祖が試みたのは真祖と成る事。
ズェピアはね、どのような要素が絡んでこうなるかは知らなかったけれど、この時間この街にわたしが留まって、真祖としての在り方を薄めているって答えを出した。
ズェピアは二次的な保険として、真祖の姫が祟りになるような地域を調べ上げ、結果としてわたしはこうしてここにいる。
───紆余曲折したけど、これがズェピアの目的でもある。
ワラキアの夜の名称は今宵で終わりよ」
「──────」
思わず息を呑む。
現れたタタリ……ワラキアの夜は、容姿だけでなく性格や口調、仕草までアルクェイドそのものだった。
「あら、あなたもいたんだ、志貴」
「ふうん───一人で来るかと思ったけど、志貴と一緒なんて驚きね、シオン。
三年間で少しは柔軟性を持ったというところかしら。
うん、これならリーズバイフェも貴方を守った甲斐があったっていうものだわ」
「貴様……! 彼女の事を、軽々しく口に……!」
シオンが身構える。
アルクェイド────いや、ワラキアの夜はそんなシオンを楽しげに見つめているだけだ。
「待ったシオン。少し、アイツと話をさせてくれないか」
「志貴……!? 危険です、アレは真祖と同じですが、中身はまるで違う! 話し合いなんて、そんな余分な事は────」
「分かってる。それでも訊いておきたい事があるんだ。
……ワラキアの夜、だったな。おまえが他者に依存する吸血鬼だっていうんなら答えろ。
おまえは───ただの一度も、自分の意志で人の血を吸った事がないのかどうか」
「────」
「なるほどね。志貴ってば、わたし相手でもそーゆう事を気にするんだ」
「……一応訊いておくだけだ。おまえは人間の願望をカタチにするんだろう。
なら、もしかして。
一度ぐらいは、本当にいい祟りだったのかもしれないから」
「ふふ……あはは、あははははははは!
いいなぁあなた、そんな日和った疑問を思えるなんて素敵よ素敵!」
「茶化すな。その姿になった以上、おまえには絶対に答えてもらう。それでどうなんだ。一度ぐらいはあったのか、そういう事が」
「ええ、あったわよ。一度と言わず何度もね。豊作にしてほしいとか、村中がケンカしてるから仲良くさせてほしいとか、ご神木に宿る神さまがほしいとか、流行病を治してほしいとか。
もちろん、わたしはその全てを叶えてあげたわ。だってわたしには人々の噂を叶える為に現れる吸血鬼よ? カタチになった以上、望みは叶えてあげないといけないわ」
「……それじゃあおまえを悪者にしているのはあくまで人間って事なのか。おまえには何の意思もなくて、ただ人間が勝手に自滅しているだけだって言うのか」
「そうよ。このわたしだって、志貴が不安に思わなければ存在しなかったタタリ。
自分から人間を襲おうだなんて、思った事は一度もないわ」
「────────」
「それは嘘です。貴方は、いつだって自分の意志で人を殺した」
「……シオン?」
「へえ? ひどい言いがかりねシオン。
せっかく見逃してあげたのに、これじゃわたしも報われないなあ」
「それでは訊こう、ワラキアの夜。
豊作を願ったという村があった、と言いましたね。貴方はそれをどのようにして実現させた」
「簡単よ。農作物の収穫が少ないのは作物が育ってないからでしょう? だから十分に栄養を与えてあげたわ。村人全員の死体でね」
「村中の諍いを解決したと言いましたね。貴方はそれをどう仲介した」
「それも簡単。みんな考えが別々だから争うのでしょう? だから彼らの願いを一つにまとめてあげたの。最後にはみんな、誰も彼もわたしから逃げる事しか考えなかったわ」
「……土地神が欲しいという村には」
「神さまになってあげたわよ?
神さまが欲しいというのだから、みんなから平等に心臓っていう供物を貰う事になったけど」
「流行病から助かりたかった村は……!」
「流行病からは助けてあげたわよ? 病の進行を止めるには死んでしまうのが一番でしょう」
「────こ、こいつ────」
「なに驚いているのよ志貴。あんまり無礼な態度だと殺すわよ?
もっとも、何もしなくても殺すけどね。
わたしは吸血鬼なんだから、望み通り街中の血という血を吸い尽くさないと」
「そういう事です、志貴。
ワラキアの夜には吸血行為に勝る願いはない。
アレは人々の願望を“血を吸われ死ぬこと”に拡大解釈する悪鬼。
ワラキアの夜……いえ、ワラキアの夜を作ったズェピアという男は、ただ愉しいからという理由で、タタリを発生させた人間を皆殺しにするように定めたのです……!」
「当然でしょう。それぐらいの面白味がないとやってられないわ。人間たちは自らの欲望によってわたしを生み出し、自らの欲望によって滅び去る。
ふふ、皮肉皮肉、人間なんてすっごい皮肉!
素晴らしいわよね、こんな皮肉に満ちた生き物なんて人間だけよ?
キレイなだけの舞台はつまらないもの。
人間を悦ばせるのは救いのある喜劇より救いのない悲劇でしょ?
キレイは汚い、汚いはキレイ。
そんな事も判らないようじゃ、まだまだわたしの後を継がせる訳にはいかないわね、シオン」
「え───アイツ、今なんて」
「ふざけないで。私は、貴方なんかとは無関係だ」
「そう? けどその体はもう限界でしょう。
何にこだわっているのか知らないけど、いい加減汚れてしまいなさい。
貴方がワラキアの夜になるというのなら、タタリなんてもう起こさなくていい。
ズェピアではなし得なかったけれど、貴方とワラキアの夜なら成し得られるかもしれない。
成功率がほんの少しだけ上がるからね」
「…………」
「わたしが貴方を取り込むのも、貴方がわたしを理解するのも変わらない。
主導権なんてわたしはいらない。ただ第六法にうち勝てればそれでいい。
悪い話ではないでしょう?
わたしと一緒になれば、貴方はワラキアの夜からの命令を拒否できる。
だって貴方がワラキアの夜になるんですもの。
そうなれば、後は栄養をどう摂るか悩むだけ。
人を襲うのが厭なら、他にいくらだって方法はある。
貴方は、貴方の尊厳と折り合いをつけてワラキアの夜になればいい」
「――――呆れた。
随分と無様な式を作るのですね、ワラキア。
何百年と発生してきた貴方も、今回ばかりはタタリとなった素体が強すぎた。
貴方本来の知性が、アルクェイド・ブリュンスタッドの知性に支配されている。
……ふん。所詮貴方程度では、真祖に成る事など不可能だったのです」
「───なんですって?」
「貴方の提案など思案するまでもない。
私がこの場に現れたのは貴方をこの手で倒す為。それは完全な私怨です。損得ではなく感情で動く者に取引を迫るとは愚の骨頂」
「────」
「消えなさいワラキア。この夜は貴方の嘘には躍らない。
貴方の嘘が街に浸透する前に、カタチを得たタタリを消してさしあげましょう」
「───ふん。同類相哀れむ、と気をかけたのが間違いだったわね」
「こちらこそ興醒めよ、シオン。貴方がここまで勝率の低い戦いを挑むなんて」
「こ、ここはアルクェイドの城……!?」
「ええ。わたしは真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッド。
こうして自分の世界を具現化する事なんて簡単よ。
シオン。
貴方では、わたしを倒す事なんてできない」
「志貴も災難ね。ここではわたしを縛る法則はない。一度はアルクェイドを殺したあなたも、今度ばかりは絶望的よ」
「さて、今回の街はいつもより大きいようだし、時間が惜しいわ。
いらっしゃい二人とも。
跡形も残らないよう、完全に潰し尽くしてあげるから───!」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る]
「うそ────こんな、のって」
「────取った!」
「あ────消え、る、折角、真祖の体を得たのに、組み替える前に消える、だなんて────!」
「だから精度が落ちている、といったのです。
貴方が計算できたのは私の数値だけ。
志貴というジョーカーを、アルクェイドは知っていても貴方は知らなかった。
いえ、真実理解していなかった。
知っていたのなら、彼と正面から争うなど出来る筈がない」
「────────────」
「────────────」
「く────いいの、か、シオン・エルトナム。私が消えれば、オマエは────」
「人はいつか死ぬ。それだけの事でしょう。
ですが、ワラキア」
「まだ間に合う。まだ────」
「私は貴方を受け入れない。
この命が続く限り、次のタタリも許しはしない」
「、。────、、、、、────、」
「やった……のか?」
「はい、今回のタタリはこれで消滅しました。
この街にワラキアの夜が発生する事はもうないでしょう」
「この街はって……やっぱりアイツは生きているのか」
「……ワラキアの夜を消滅させる事はできません。方法があるとしたら、過去に戻ってワラキアの夜を起動させたズェピアを仕留めるか、起動式が終わる何千年後を待つしかないでしょう」
「───そうか。それで、シオンは」
「今までと何も変わりません。吸血鬼化の治療法を研究しつつ、ワラキアの夜が発生すればこれを叩くだけ」
「それは、一人で?」
「いいえ。一人より二人の方が効率的だと教わりました。
自分の手に負えなかったら、また誰かに協力を求めます。世の中には無償で手伝ってくれるような人だっていると判りましたから」
「だから心配は無用です。
ワラキアの戯言は聞き流してください。
私はまだまだ、そう簡単に倒れたりはしないのですから」
「────シオン」
「志貴には感謝しています。
貴方は私にとって、初めての協力者であり、仲間だった」
「だからここでひとまずお別れです。
タタリが消えた今、代行者が私を捕えにやってきてしまいます」
「そうか。それは仕方ないな。
……うん、結局俺は何もできなかったけど」
「当然です。これは私の物語。
志貴は、単に私の我が儘に巻き込まれただけの観客で────」
───同時に、幕を下ろす主役でした。
「何か言った、シオン?」
「いえ、何も。それでは私は帰ります。志貴も夜明けまでに帰るように」
「……ああ。それじゃあ、また。
何かあったら訊ねてくれ。手伝いぐらいはできると思うよ」
「はい。遠慮なく訊ねに行きますから、お覚悟を」
「はは。それ使い方がヘンだよ、シオン。
最後の最後で日本語間違えたね、君」
「ええ。でもまあ、間違いではないと思います」
そう笑い合った後、私たちはあっさりと別れた。
「そうそう。シオンの研究、期待してるよ。
途中で投げ出したりしたら君を軽蔑するから、そっちこそ覚悟するように」
最後に、私の心を見透かしたかのように言って、志貴は去っていった。
初めて志貴と戦った場所で、私は彼の背中を見送る。
「───やられた。それを言われたら、どうしようもない」
私は優等生だから、軽蔑されるのはイヤなのだ。
……まあ、それより何より。
初めての仲間との約束は、そう簡単には破れない。
「───志貴、貴方にもう一度感謝を」
私のこれからの在り方と、
ワラキアの夜と私の関係に気づいてなお、一度も口にしなかった、その気遣いに。
「さて。私も行かないと」
次のタタリはオーストラリアかヨーロッパ。
発生は早くて十年後。それまで私の体は保つまい。
けれど、倒れる事はできない。
ああ───まったく、重い約束をしてしまったものだ。
「吸血を行えば吸血鬼化が進む。
まずは血を取り入れても、吸血鬼化が抑えられる方法を見つけなくては」
そうと決まれば話は早い。
志貴から遅れること五分と十秒。
私は彼と同じぐらい軽い足取りで、この場所を去っていく。
もうこの国でワラキアの夜が発生する事はない。
私は私として生きている限り、この国に訪れる事もない。
……たった一度、
わずか数日しかいなかった場所。
それでも、この国を忘れる事はないだろう。
ここは私に初めて友人を与えたくれた約束の地。
もう再会はないとしても、ここに帰ってきたいと思う心はなくならないのだから。
「願わくば。彼とこの街に、出来うる限りの蜜月が続くことを」
去っていく足音。
残ったものは熱い熱い夏の空気と、
一つの思い出だけだった────
[#改ページ]
(ワラキアエンド)