MELTY BLOOD
幻影の夏 Hologram Summer
TYPE-MOON
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真祖《アルクェイド》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が|シエル《あのひと》を
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八月初頭。
交通量一時間あたり平均五台。
電鉄使用者一日推定百人前後。
気温、摂氏三十八度。
───その夏。
あまりに息苦しい暑さに、
窒息するサカナみたいと誰かが言った。
街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。
おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。
水槽の中でサカナは窒息するだろうか?
地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。
……少しだけ考える。
放置された熱帯魚。
お腹を見せて浮かぶ死体。
濁った水。
緑色の水槽。
パクパクと口を動かす死んだサカナ。
───ああ。
なるほど、それは巧い喩えだ。
それらの単語は今夏の状況にとても近い。
灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。
日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。
道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。
そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。
だからサカナというのは言い得て妙だ。
自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。
おかしな夏だった。
誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。
プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。
そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。
大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。
廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。
そう、誰もが建物の中で過ごしている。
それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。
「―――聞いた?
昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって―――」
「―――それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?
うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ―――」
また、そんな話し声が聞こえてきた。
いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。
「―――ねえ、君たち」
振り返って声をかける。
道には誰もいない。
街は廃墟のようだ。
声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。
彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。
気になって公園に足を運ぶ。
公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。
とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。
「―――アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ―――」
「―――知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が―――」
話し声に釣られて振り返る。
学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。
それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。
いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。
曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。
曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。
曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。
忘れ去られていた一年前の事件。
しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。
なにしろ犯人はすでに死亡している。
第二、第三の吸血鬼は出現しない。
だというのに、噂には歯止めがきかなかった。
街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。
昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。
犠牲者は増え続ける。
噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。
……そんな事も、一年前とうり二つ。
窒息するような猛暑。
人通りが絶えた街並。
そして、何より不思議な事なのだが。
――――街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。
ちょっとした立ち眩み。
朝から街を歩いて疲れたのだろう。
喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。
「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」
呟いて、ああ、と納得。
その台詞もこの夏の流行語だ。
実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。
運が悪い。
不安が的中。
裏目ばかり出てしまう。
暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。
かく言う自分も階段で足を滑らせたり、
翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、
アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、
先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、
小さな不幸に事欠かない。
これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。
あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。
ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。
「――――それは、偶然ではなく必然では?」
「え……?」
また、すれ違いざまに誰かの言葉。
「――――――――」
後ろで誰かが振り向く気配。
[#挿絵(img/001.bmp)入る]
「――――――失礼」
見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。
「……珍しいな、外人さんだ」
と、そんな事はないか。
外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。
「────────」
けれど酷く後ろ髪を引かれる。
しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。
「なんだ、ようするに」
答えは簡単。
こうして街を彷徨いだして二日も経って。
ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ――――
そうして立ち眩み。
長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。
……まったく、本当に。
今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────
遠野志貴との接触を断った。
すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。
……おかしい。
失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。
ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。
「――――なんだ、ようするに」
遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。
立ち眩みだろう。
読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。
◇◇◇
……ここが、件の路地裏。
人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。
「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」
一年前の話だ。
物体の寿命、
存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、
ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。
いや、正しくは二度目の出会い。
一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。
……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。
けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。
「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」
真祖。
現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。
その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。
真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。
そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。
現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。
「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。
そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」
二十七祖の十位、ネロ・カオス。
番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。
教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。
「……いいえ。予測していたモノなら一人」
予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。
尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。
ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。
「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」
日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。
その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。
ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。
「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」
私には時間がない。
ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。
今回を逃せば次はないだろう。
三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。
私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。
「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」
アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。
けれど遅すぎた訳ではない。
三年前。
吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。
脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。
逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。
それでも────
「――――間に合った。
私には、まだ可能性が残っている」
急がなければならない。
私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。
人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。
その両方を、私は排除しなければならないのだから───
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1/出会いと再来 Enter
“シオン・エルトナム・ソカリス。
これを次期院長候補と任命する”
勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。
その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。
ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。
まさか、という驚愕。
許されない、という非難。
信じられない、という否定。
言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。
“シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。
彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”
学長の言葉は絶対だ。
それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。
院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。
「────」
私に格別変化はない。
議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。
他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。
それも当然だろう。
私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。
名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。
それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。
「────────」
その時。やはり私は冷静だった。
事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。
単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。
驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。
……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。
私の環境に変化はなかった。
私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。
私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。
周囲の人間は私を排除したがっていて、
私が優等生である以上は無視するしかなく、
アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。
彼等は私の報復を怖れたらしい。
彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。
侮らないで貰いたかった。
私は貴族だ。
罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。
そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。
私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。
それも以前と変わらない。
私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。
私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。
それが八年前の出来事だ。
何が正しくて、何が間違っていたのか。
――――正直、今でもよく解らない。
「……いけない、もうこんな時間だ」
目を覚ます。
疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。
いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。
精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。
「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」
日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。
砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。
日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。
「……寒い夜。休みすぎたのかしら」
どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。
まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。
「……その前に、発生場所を確認しておかないと」
体が動く内に準備を終えておかなければ。
幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。
「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」
時刻は午前零時前。
彼の巡回経路は三通りだ。
さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。
◇◇◇
「……と、あとはここだけか」
見慣れない広場に出る。
オフィスから少しだけ外れた広場。
少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。
「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」
建築途中のビルを見上げる。
来年の春に完成予定の一大建築。
何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。
「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」
ビルの周囲は鏡のようにまったいら。
神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。
「────さて」
息を潜めて周囲の気配を探る。
周辺に人影はない。
吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。
特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。
「……ま、私有地だし。
俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」
───と。
唐突に吐き気に襲われた。
指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。
鼓動が早まる。
脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。
知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。
「────この、感覚」
……以前何度か感じた悪寒だ。
体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。
「…………」
……気配がする。
すぐ近くに誰かが立っている。
誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。
微かな悪寒。
そして、再来した吸血鬼――――
「……けど、なんか……」
妙に気配が違う気がする。
反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。
「──ええい、ともかく確認……!」
「もしもし? そこ、誰かいる?」
ナイフを背中に隠して話しかける。
───と。
「こんばんは。何か用でしょうか」
突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。
「────」
その姿に、ドキリとした。
特徴的な服装と帽子。
可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。
「何か?」
「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」
「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」
「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」
さらりとした口調。
……言われてみればその通りだ。
なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。
「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」
「はい、はじめまして」
「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」
「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」
……って、そっか。
外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし……
「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」
「────」
少女はこっちをじっと見つめてくる。
……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。
「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」
「な────に?」
「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」
無表情のまま少女は言った。
悪寒が蘇る。
こめかみには針のような頭痛。
「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」
少女は僅かに腕を揺らした。
カチャリ、という聞き慣れない音。
少女の手には、黒い拳銃が握られていた。
「――――抵抗するのならどうぞ。
私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。
ここで、貴方の自由を奪う者です」
少女の体が跳ねる。
見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。
[#挿絵(img/WIN_SION.bmp)入る]
「っ……!」
「戦闘終了。四番、六番思考停止」
「結果は出ました。戦闘における貴方の選択肢はわずか70。いかに貴方が突然死を持とうと、それだけの戦術幅では予測できない筈がない。」
「くっ……この、何が目的だ、おまえ……!」
「私が貴方に危害を加えた事ではなく、私そのものに違和感を覚えたのですか。……的確な直感です。
確かに貴方が感じたように、私は貴方が戦ってきた者たちとは系統が違います」
「────」
「抵抗は止めるべきです。私は貴方の命に興味はない。ただ貴方という要素が必要なだけですから、抵抗しなければ危害は加えません」
「え───って、人の頭に触るな、こら!」
「少しは落ち着きなさい。貴方にこれ以上危害は加えないと言ったでしょう。今のはエーテライトを脳に接続しただけです」
「はい……? の、脳に接続したって、一体何を……?」
「エーテライトと呼ばれる擬似神経。
貴方でも判るように言うのでしたら、ミクロン単位の繊維です。
肉眼では捕えられない細い糸、とイメージするのが最適でしょう」
「……!」
「……うそ。なんか、こめかみあたりに妙な違和感があるけど、これって───」
「ええ。皮膚に密着したエーテライトは身近な神経と接触、融合する。
エーテライトの最大距離は5000mですから、貴方の体全てに浸透する事は容易です」
「ここまで説明すれば理解出来たでしょう。貴方の思考と肉体は私にハッキングされました。
今後、貴方の行動は私が管理します。異論はありませんね、遠野志貴」
「……異論はありませんね……って、無いわけないだろこのアンポンタン! おまえ、何者だか知らないけどアタマは正気か!?」
「失礼な人ですね、貴方は。私は極めて冷静であり合理的に会話を進めている。
遠野志貴、今の発言に訂正を願います」
「訂正なんかするか、ばか! いきなり襲いかかってきたあげく、次は俺を管理するだぁ!? おまえが正気だって言うんなら俺はとっくに気が触れてるよ。
まったく、アルクェイド以来だこんなデタラメ。いや、それ以上のデタラメ野郎だぞおまえ!」
「デ、デタラメですって────!?」
「デタラメ、とは出鱈目、という事でしょう! なんという浅学さだ、錬金術師である私の行動を乱数に当てはめるなんて! いえ、出鱈目という言葉を無秩序として扱うなんて、その時点で確率を蔑んでいる! ええ、貴方の言う通り、遠野志貴は気が触れているとしか思えない!」
「え────う?」
「訂正なさい! 私はシオン・エルトナム・アトラシア、蓄積と計測の院、アトラスの錬金術師です! その私にデタラメとはなんという侮辱だ。私ほど本能を理性で統括し、研鑽し、高速で分割できる者はそうはいない! よいですか遠野志貴、そもそも私は女性であって男性ではない! 貴方風に言うのならデタラメ野郎ではなくデタラメ女郎というのが正しい!」
「────────」
「こちらこそ忠告させて貰えば、そちらの行動こそ法則性がないではないですかっ。ここ一年ばかりの貴方の情報は読みとらせて貰いましたが、その都度勝率の低い方低い方へと進むのには驚きを通り越して泣けてしまった程です! 遠野志貴という人間が今まで生きてこれたのは、まさしく億分の一の奇跡としか────」
「────────(びっくり)」
「ぁ────────」
「───話を戻します。
遠野志貴、貴方には私の研究に協力をして貰います。自由意思は尊重しますが、拒否権はないと考えてください。
貴方の神経の大部分はすでに掌握しましたので、従わなければ、神経を傷つけてでも従わせる」
「え、いや────(二度びっくり)だから、なんなんだよ、君」
「解らない人ですね。私の言うことを聞かないと神経焼きます、と言っているのです。貴方の頭部と繋がっているエーテライトには電流が流せますから、神経を焼く程度でしたら問題はありません」
「……(馬鹿だな、それだったら糸を切ればいいだけじゃないか。肉眼じゃ見えないって言うけど、メガネを外せば……)……」
「止めた方が賢明ですが。エーテライトは切断された瞬間、全体が焼失します。すでに神経と融合したエーテライトは貴方の神経も道連れにするでしょう。
……そうですね、真祖のように体が頑丈な方々には効果はありませんが、人間には効果絶大です。
神経破損による障害より先に、痛みによるショック死の方が先になるかと」
「な────今、君」
「貴方の思考をリードしました。
エーテライトが脳に繋がっているのですから、どのような事を考えているかは読みとれます。主語と述語だけで、接続詞は読みとれませんが」
「……うわあ、びっくり。なんだって、こう」
(その、こういう物騒なのとばっかり縁があるんだろう、俺)
「誤解なきように。私は貴方に強制労働をさせる気はありません。あくまで私の目的と貴方の目的、そのどちらも果たせるような相互関係を提案したいだけです」
「……? お互いの目的が果たせるような、だって……?」
「はい。私の目的と貴方の目的は、多少なりとも接点があります。そうでなければこのような交渉は致しません」
「……よく言うよ。こういうのは交渉とは言わないだろ」
「私は成功率の高い手段を選んだだけです。貴方に協力して貰うには、この方法が最も適していただけの事」
「さあ、先程の疲れも回復したでしょう。私の戦闘方法は相手の体力を削ぐ事を目的としたもの。貴方たちのように相手の肉体を削ぐものではないのですから」
「……確かにね。ヘンな糸さえなければ、今すぐ走り去ってるところだよ」
「構いませんが。一度繋がった以上、私が外さないかぎりエーテライトは外れません。貴方が何処に行こうと、的確に追っていけます」
「はいはい。そんな事だろうと思った」
「で。互いに協力しあうって、どういうコト」
「言葉通りの意味ですが──どのような心境の変化ですか。あれほど私を罵倒していた貴方が、素直に話を聞いてくれるなんて」
「聞かざるをえない状況だからだろ。
それに、まあ、君は荒っぽいけど丁寧っていうか、一線を心得ているように見える。
さっきだって倒れてる俺にトドメはささなかったし、今だって極力話合いをしたがってる。
……だから、まあ。別に他意はないけど、悪人には見えないかなって」
「倒れている貴方に追撃をしなかったのは、単に遠野志貴は追いつめると強力な反撃をすると判断したからなのですが……貴方がそうとったのなら良いでしょう。私が異論を挟むのは無意味です」
「では簡潔に話をしましょう。
私の目的は吸血鬼化の治療方法の確立です。
その一環として生きている吸血種のデータが欲しい。例えば、死徒と呼ばれる吸血種の元となった最初の一である真祖を」
「え……真祖って、アルクェイドの事?」
「はい。今では彼女が現存している最後の真祖です。
……いえ、純度の低い真祖でしたら多少は存在していますが、私が必要としているのは真祖の王族であるアルクェイド・ブリュンスタッドのデータです」
「アルクェイドのデータ……それってアイツをモルモットみたいにするって事か」
「まさか。それが可能な相手ではないと貴方が一番良く理解しているでしょうに。
真祖にはあくまで協力して貰うだけです。彼女の血液と体液、身体の調査と真祖の吸血衝動の仕組みが知りたい。
できれば一週間ばかりラボに来てほしいのですが、それこそ吸血鬼化の治療より難しいでしょう。彼女が私に協力してくれるとしたら、それは貴方が同伴して、多少データを取る程度でしかない」
「? なんで俺が一緒だとアルクェイドが協力するって思うんだ、君は」
「そ、それは───貴方は、今地上で最も真祖に関心を向けられている人間だから、でしょう」
「ともかく、私の目的は医療という側面から吸血鬼を淘汰する事です。その為には多くの吸血鬼のデータが欲しい。
吸血鬼に噛まれ、人間でなくなってしまう人間。彼等の治療法は今まで不可能とされてきた。
私は、その不可能に挑みたい。
これは貴方の目的にも添っていると筈です。
一度、吸血鬼になってしまった知人を持つ遠野志貴なら」
「────」
「────なにか?」
「別に。君、弁が立つなって思って」
「正当な評価は喜ばしいですが、何故そんな事を言うのです?」
「いや。次に軽々しく彼女の事を口にしたら、君とは敵になるしかないと思っただけだ」
「────」
「……確かに配慮が足りませんでした。私が口にして良い事ではなかった」
「……いいさ。君の目的が吸血鬼化の治療だって言うんならいい。
確かにそれは、俺にとって大切な事だ」
「では協力して貰えるのですね、遠野志貴」
「ああ。けど君もよく分からないな。そこまで俺の事を知っているのなら、初めから話し合いをすれば良かったのに。吸血鬼化の治療って言われたら、俺は断れはしなかったよ」
「……そのようですね。これは私のミスです。遠野志貴という人間を、完全に理解していなかった」
「ですが、結果的にはこれが最良だったでしょう。口約束は確実ではない。貴方が私への協力を優先しなかった場合、幾つかの手段で貴方に問いただす事ができるのですから」
「はいはい。敗者は勝者に従えってコトね。それはもういいけど、俺だってそう暇じゃないんだ。こんな夜更けに歩き回ってたのも用があったからなんだぞ」
「噂の吸血鬼を捜しているのですね。その件に関しては何も言いません。私も、噂の吸血鬼には興味がありますから」
「? 君、噂の吸血鬼を知っているのか?」
「はい。この街にやってきて、その噂を聞きました。街の雰囲気もどこかおかしいですし、何らかの異状が起きているのは判ります」
「……そうか。よそから来た君でさえそう思うんだから、やっぱり噂になってる吸血鬼は本当にいるのかも知れないな」
「その真偽は定かではありませんが、真祖はその吸血鬼を追っているのでしょうね。彼女にとって死徒は処罰するべき相手。自分が居着いた街に現れたとあっては放ってはおかないでしょう」
「────! 君、アルクェイドが行方を眩ましてるってコトも知ってるのか」
「今、貴方がそう考えたのです。真祖が貴方を避けている、という事は、貴方を気遣って一人で解決しようとしているからでしょう。
ですから、噂になっている吸血鬼を捜せばおのずと真祖に出会える。その時に貴方がいてくれれば、真祖も私の話を聞いてくれる」
「……なるほど。俺に協力してほしい事って、つまり」
「はい。貴方には真祖との交渉の橋渡しをしてほしい。とりあえず、それが貴方に望む優先事項です」
「……はあ。そんな事ならお安いご用だけどさ。その、とりあえずって響きに不吉なモノを感じるんだけど」
「それは当然でしょう。先程貴方も言ったではないですか、敗者は勝者に従うものだと。私は貴方に勝ったのですから、多少の権利は行使します。それに何か不満でもあるのですか?」
「あるけど黙ってる。君だって噂の吸血鬼ってのを捜しているんなら、俺のやるべき事は変わらないんだし。アルクェイドを見つけるまでは協力するよ」
「賢明ですね。私も真祖との交渉が終わり次第、この国を発ちます。あまり長居するのも危険ですから。交渉がどのような形になろうと、それは私の能力の問題です。
ですから交渉が決裂しようと、貴方に繋いだエーテライトはその時に外します。
それでよろしいですね、遠野志貴」
「ああ、文句はないよ。けどさ、具体的に俺はどうすればいいんだ? アルクェイドがいそうな場所を案内したりすればいいのか?」
「いいえ、必要があればその都度指示を出します。貴方は私の言う事を聞いてくれればいいだけです」
「そうですか。それじゃあ指示をどうぞ、お嬢様」
「では街の調査を。私は不慣れですから貴方に先導していただきます」
[#改ページ]
2/アトラスの錬金術師 Extra Alchemist
そうして、彼女との巡回が始まった。
「それじゃあ先輩の言うところの魔術師とは違うんだ、君は」
「広く伝わるところの魔術師、とは違います。
現在、魔術師とは魔術協会で主流となっている秘儀の実践・解明者を指します。
錬金術は秘儀の実績ではなく、秘儀の開発にあると考えてください」
「開発って、新しい魔術を作っているのか?」
「魔術系統はすでに完成していますから、魔術ではなく技法の開発を。錬金術の名の通り、卑金属を貴金属に換える、というのが代表的ですね」
「あ、ピンときた。あれかな、銅を金にするってヤツかな」
「……ええ。ですがそれは中央協会の錬金術師です。私は彼等とは異なる錬金術師であるアトラス院の者。物質の変換にはあまり魅力は感じません」
「ふぅん。錬金術師にも種類があるんだ」
「種類ではなく派閥ですね。私たちは少々異端として扱われています。魔術協会は三大の部門に別れているのですが、アトラスはその中でも腫れ物として扱われているのです」
「あ、またその単語。アトラスって地名?」
「地名、でしょうね。アトラス山という、山一つを学院にした協会があるのです。……ロンドンの魔術師は穴蔵、と呼んでいます。周りは砂漠ですし、まあ、あながち間違いではないのですが」
「砂漠……? それじゃ君の故郷って」
「魔術発祥の地と言われています。単に歴史が古いというだけなのですが」
とまあ、複雑怪奇な会話をしながら夜の街を巡回する。
彼女は口数は少ないが無口という訳ではなかった。訊けば大抵の事は答えてくれるし、彼女の方から質問してくる事もある。
必要のない事は話さないけれど、必要なら丁寧にじっくりと話し込んでくる。
「……(もしかしてすごくお喋り好きなんじゃないかな、この娘)……」
「何か他に質問ですか」
「え、いや……それじゃあ、君のいう所の錬金術ってなんなのかなあ、とか」
「人間の研究。それ以外は錬金術というより科学と言えます」
「人間の研究? 魔術とか魔法じゃなくて?」
「はい。アトラスの錬金術師は、もともと魔力回路が少ない者たちの集まりだと言います。
彼等は自分たちが自然と関われない事を認め、あくまで人間として終着に至る道を志した。
その結果が現在のアトラス院。
私たちは唯一自由になる“自身の頭脳”を何よりも巧く使い、未来という設計図を作り上げる」
「未来を───作り上げる?」
「ええ。未来は起こるものではなく作るものだという事は、言うまでもないでしょう。
世界は今現在に揃っている材料で、良かれ悪かれ未来を作っていく。私たちはその材料を把握、調査し、未来を計測する。
確率の偏りを事前に変更させ、材料によって出来上がる模型を完璧な物とする。
魔力回路とは、言ってしまえば「根源」と呼ばれる「大元の一」に繋がる道です。魔術師はそれを通して理想の未来を引き寄せる。
けれど魔力回路が乏しい私たちは、あくまで自身の頭脳だけで理想の未来を作り上げようとしたとか」
「作りあげようとした……? 過去系だけど、それって……」
「失敗、したのでしょうね。
いつからかアトラスの錬金術師は未来の予測ではなく、各々が至高とする物事を作る事に専念しだした。
一説によると何代目かの院長が出してしまった「答え」をなんとか否定する為に、対抗する兵器を作り出そうとしているとか。いまだ院生にすぎない私には知り得ない事ですが」
「むむむ……? ようするに、君たちは」
「今では体のいい武器職人、という所でしょうか。それでも私たちの基本は秘儀と科学の融合です。それを成す為の技能が、アトラスの錬金術師の基本と言えますね」
「ふうん。じゃあその技法っていうのが、エーテライトとかいう糸なのか」
「エーテライトはエルトナムにのみ伝わる技術です。アトラスの基本は高速思考と分割思考。その後に変換式や加速式といった錬金術を修得します」
「??? 高速思考ってのは、響きの通り速く考えるって事だろ。じゃあ分割思考っていうのは……」
「それも言葉通りの意味です。アトラスの錬金術師は思考を分割して複数の思考回路を持ちます。
通常、人間の脳には思考をする部屋が一つしかありません。分割思考とは、この「思考の部屋」に間取りを作り、空間を幾つかに分ける技術です。
アトラスの錬金術師であるのなら、最低で三つの分割思考が出来なくてはならない。五つで天才のレベルですね。過去、最も優れた院長で八つだったと言います」
「……ふうん。ようするに脳っていう計算機が二つも三つもあるってコトか」
「別々にある、のでは意味がありません。
思考は複数ありますが、その目的はつねに一つ。
高速思考により記号化された複数の思考は、それぞれ別の物でありながら一つの命題解決の為に相互に情報を影響を与えつつ、やはり別々に動くのです。
単純に計算をするだけならば、現代では機械に迫られるかもしれません。けれど一つの定義を解くのならば、いまだ私たちに迫るモノはないでしょう」
「うわ。それじゃあすごく頭がいいんだ、君。
……そうか、さっきの戦いの時、どうもこっちの動きが読まれてるって思ったのは───」
「貴方の行動は前もってシミュレートしておきました。ですがその通りに動く敵などいません。
あらゆる状況は秒単位で変化していきます。そのルートは系統樹の図式に近い。私たちはその分岐の毎に“次はどのルートになるか”という可能性を計算し、もっとも可能性の高いルートを選ぶ。
その結果として、先読みした通りの状況が起きる。
……戦闘時における私たちは未来を見ているのではなく、未来に一歩だけ先に跳んでいる、というべきでしょうか。
ですから、先程の戦闘も私はつねに敗北の可能性を孕んでいました。
秒単位の選択肢で計算を間違えてしまえば、私はただの道化です。貴方が何かの気紛れで今まで優先純度が低かった行動をしてしまえば予測は外れ、私は呆気なく敗北していたでしょう。
尤も、そういった偶然性さえ予測する為の高速思考と分割思考なのですが」
「はあ。なんか凄いな。戦う前から勝負はついてたって感じだ」
「アトラスの錬金術師は“勝利しうる未来”がないかぎり戦いません。
……私と貴方では、間違いなく貴方の方が戦闘者として優れている。
そういった場合、私は事前に貴方に勝つ為あらゆる手段を講じるでしょう。
私たちが戦う、というコトは勝てる材料が揃っている時だけですから。
けれど、私たちはそれでようやく互角にすぎません。
身体能力・魔力回路で劣る私たちは、未来を予測する事で最悪の展開を回避し続ける。そしてあらかじめ用意した逆転の位置に事態を導き、僅か一瞬の好機に全ての確率を注ぎ込む。
錬金術師は敵と戦うのではなく、己れの頭脳と戦う者。頼りとするのは自身のみ、刹那の思考に命を懸ける───それが、アトラスの錬金術師の在り方です」
「へえ。計算とか予測とか言っているわりには、根は勝負師みたいな印象だね」
「間違いではありません。ゲームマスター、という意味で、私たちはまさしくそれなのですから。勝負に懸ける者はすべからく冷静であり、同時に熱を感じていなければならないのです」
「(なるほど、確かにそんな感じだ)」
などと話しているうちに、街の主立った部分は回ってしまった。
彼女と歩き始めてすでに二時間近い。
その間にすれ違った人影はなく、街はひたすらに静かだった。
日中の、強い陽射しで焼き尽くされるような暑さはない。
夜の街はわりと涼しくて、散歩には最適と言えた。
「交番に在中している警察官はいませんね。街を巡回しているのでしょうが、一度も出会わなかった」
「え───ああ、そう言えばそうだな。せっかくパトロールしていても人と遇わないんじゃパトロールの意味がない。……って、今回はそれが幸いしたか」
「? 今回、とはどういう意味ですか」
「いや、だってさ。傍目から見たら俺たちってヘンなコンビだよ。これだけ目立つのもそういないんじゃないかな」
「……目立つ……? それは私たちが、ですか」
「どっちかっていうと、君が。
珍しい格好だし、お巡りさんに見つかったら職務質問されると思う」
「……質問、されるでしょうか」
と、彼女はチラチラと自分の格好を見て不思議そうに首を傾げた。
……やっぱり。
そんな事だろうと思ったけど、彼女は自分の格好が普通だと思っている。
「私はおかしいのでしょうか」
「うん、目立つ」
「……………」
あ。なんか、不服そう。
「では、その時はその時です。質問をされた時は偽証するしかありません」
「おっけー。んじゃ、もし訊かれたら友達ってコトで誤魔化すから、君もそれっぽい口裏を合わせてくれ」
「─────────────────────────────────────────────────────────────────――――――――――――――――――――――」
ルートはなんとなく帰り道になりつつある。
俺たちは巡回をはじめた高層ビル前へと戻ろうと足を進ませていた。
と。
「志貴」
後ろから、いきなり名前で呼びかけられた。
「え────」
「その、私の事はシオンと呼んで下さい。
と、友達なのですから、名前で呼び合わないといけません」
彼女───シオンは道ばたに立ち止まって、そんな事を言ってきた。
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――」
「……よし。それじゃあシオン、そろそろ戻ろうか」
「はい。私も、そう思っていました」
───シオンとの巡回は何事もなく終わった。
シオンは大した理由も言わず、明日も街の巡回をやるのだと言う。
「明日の夜も今日と同じ時間に、ここで」
それだけ言ってシオンは去っていった。
エーテライト、とか言う怪しげなモノで繋がれている以上、こっちは彼女に付き合うしかない。
……まあもっとも。彼女に強制されなくとも夜の街の巡回はやろうと思っていたから、別段なにが変わったという訳でもないのだが。
◇◇◇
その夜も、気が狂いそうな程暑かった。
それは山間の村の出来事。
時間に停滞しているような小さな村で、その事件は起こった。
発端は一つの伝承。
たしか他の村から嫁いできた女性が三つ子を孕み、そのうち二人が死産だと良くない事が起きる、という昔話だった筈。
たしか二人の兄弟の血肉を奪って生まれ出た赤子は吸血鬼になって村に害を成す、だったろうか。
末代まで続く呪い。
村社会に浸透した、不文律の見えない法。
この国に倣って言うのなら祟り、だろうか。
ともかく、伝承は真実となった。
赤子は成長し、成人の日に吸血鬼となった。
無論、伝承を怖れた村人たちによって、成人する一日前に処刑されてはいたのだが。
その三日後。
吸血鬼によって村は全滅した。
前もって派遣されていた教会の騎士団も全滅した。
私は逃げて、逃げて、逃げて。
山道を走った。
夜明けまで走った。
出口などなかった。
呪いは自身に返る。
私を呪う私は、私から逃げられない。
目の前には
真っ黒い貌の“何か”が。
[#挿絵(img/BG21.bmp)入る]
夜明けは遠い。
僅か一夜だけしか存在できない吸血鬼に、全てが飲み尽くされた。
伝承は真実だった。
祟りは、自らを生み出した村人たちを滅ぼし尽くし、祟りである事を証明したのだ───
◇◇◇
……暑い。
異常な暑さ、くわえて無風。
砂漠の熱気に慣れている筈なのに、この国の暑さには耐えられない。
喉がカラカラに渇いていた。
野宿している為か、肌は甲羅のように硬くなっている気がする。
「水───水分が、ほしい」
ぼんやりと口にして、休めていた思考が回り始めた。
「……そう。ひどく苦しいと思えば、もうこんな時間だったんだ」
時刻は正午になろうとしている。
昨夜、志貴と別れてからここに戻って、そのまま睡眠。
睡眠時間は都合8時間というところか。
「眠りすぎた。これでは思考が鈍化してしまう」
ズキズキと痛むこめかみに指を当てて、ふう、と深呼吸をする。
「……呆れる。思考だけが私たちの武器だと言ったのに、これでは志貴に示しがつかない」
もっとも、彼がどのくらい昨夜の話を聞いていたかは疑問だが。
「……まあ。彼に示しをつける必要性はまったくないのだけど」
そう、示しをつけるとしたら自分自身に。
すでにアトラスとは縁がないとしても、私が錬金術師である事は一生変わらないのだから。
───思考速度こそが私たちの魔術だ。
思考が速い事は当たり前。そこからさらに多展開する図面を競争させる技法を高速思考と言う。
そして、さらに優れた錬金術師は脳内に複数の区間を持つ。
高速思考が一人前の錬金術師の証だというのなら、区間の数は才能の証だろう。
分割思考と呼ばれるそれは、優れた錬金術師でも三つから五つが限度とされる。
志貴には「思考する」という部屋を分割する、と教えたが、それはあくまで平均的な錬金術師の分割である。
優れた錬金術師は、実際に「思考する」部屋そのものを複数持ち得る。
そして「部屋」は相乗効果を及ぼしている。
四つの分割思考が出来るという事は、二百五十六もの思考を持つ事。それも単純に二百五十六人の錬金術師分の計算が出来る、という訳ではない。
二百五十六の高速知性が、個々の隔てなく、同じ目的の為に淀みなく回転し互いを補佐するという事だ。
極限の鍛錬は、時に奇跡を起こす。
錬金術師の魔術とは、ようするにソレなのだ。
私たちは弱い。
身体は遺伝的に脆く、魔力回路さえ一般人以下だ。そんな私たちの祖先が作り上げた錬金術は、元となった錬金術《アルケミー》とは種が異なる。
終末を回避する為などと謳い、様々な兵器を創る。けれどその実、私たちは私たちを守る為に武器を作っているだけ。
それが成果をあげた事はない。私たちはただ作るだけだ。
なぜなら、私たちの学院にあるただ一つのルールこそが、“いかなる禁忌をも許すが、創造の解放を禁じる”なのだから。
彼等《アトラス》に触れる事なかれ。
それが中央の魔術師たちの口癖だ。
いつしか私たちは不可侵の、有り体に言えば腫れ物として扱われてきた。
私たちは何もしない。
ただ穴に籠もって、効率のいい兵器を作っているだけの魔術師たち。
私たちを暴くという事は、世界を滅ぼす兵器を開封するという事に他ならない。
故に、私たちはこう呼ばれる。
───アトラスの錬金術師。
それはかつて天を支えながら、ただ黙していた巨人の名前。
「……アトラス院の中でさえ理解者のない、独りきりの錬金術師達には相応しい名称」
───別に、それがどうという事もない。
私はまだ若いから夢物語に憧れているだけだ。
歳をとって成熟すれば、青い夢なんて見なくなる。
「……夜までまだ時間はある。少し情報を集めておこうかな」
志貴を私の目的の為に協力させているのだから、私も彼の吸血鬼捜しを手伝うべきだろう。
だって、彼は───
「仲間、なんだから」
しかも同年輩。
おかしな話しだけど、私は外に出るまで自分と同い年の人間というものを巧くイメージできなかった。
つまり、その、それほど同年代の相手を知らなかったという事である。
それが異性だとしたら、もう私の理解を超えていると言ってもいい。
「……ふん。志貴のデータはもう十分すぎるほど取っている。理解できないコトなんてない」
だから、彼が私に協力してくれるコトは判っているし、信用できる。
彼のロジックには“裏切る”という命令がキレイさっぱり抜け落ちているのだから、契約さえしてしまえば裏切られる事がない。
「───だから少しだけ。
彼の労働に見合った労働を、私もしないと」
言い訳じみた台詞を呟いて立ち上がる。
……そうして思った。
言い訳なんて物をしたのは、これが初めてではないだろうかと――――
街の様子は変わらない。
人の居ない大通り。陽炎に燻る街並。たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。
「────────」
暑い。白く溶けてしまいそうな、清らかで淀みのない陽光。
早く大きな建物に入って、そこに集まっている脳から情報を引き出そう。
私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。
人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。
……いや、違う。
別にそんな事をしなくてもいい筈だ。
私はただ再来したという吸血鬼の情報を集めるだけ。
たとえそれが、すでに知っている物にすぎないとしても。
「……………………っ」
疲れが溜まっているみたい。
喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。
「は――――あ」
肺にたまった空気を吐き出す。
吐息は熱くて火のようだった。
「くる……し」
微かな目眩がする。
休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。
私は、もってあと二日か三日。
「でも、私はまだ活動できる」
動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。
昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。
速く済ませて寝床に戻れば、すぐに夜になってくれるだろう。
情報収集は容易く終わった。
街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。
だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。
「……だと言うのに、みな噂を否定しない。
信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂」
街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。
無人の街並は彼等の心の在り方だ。
街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。
舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。
そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。
よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。
偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。
一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。
そして。
無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。
「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」
この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。
◇◇◇
シオンは時間通りにやってきた。
「時間通りですね、志貴」
「ああ、なんとか屋敷を抜け出してこれた。秋葉のヤツがなんか挙動不審でさ、しきりにロビーをうろついていて困った困った。……もしかして俺が夜出歩いてるってバレてるのかな」
「それは無いと思いますが。志貴から引き出したデータからでは、遠野秋葉という人物はそのように回りくどい監視はしないでしょう」
「……む。それはまったくもって」
「その件は志貴の問題ですから、私には無関係です。それより真祖の件はどうなりましたか」
「ああ、それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」
「そうですか。彼女が志貴に気を遣って吸血鬼を追っているのなら、事件が解決するまで志貴には近づかないでしょうし」
「けれどこうとも考えられますね。街で噂になっている吸血鬼は一年前の吸血鬼ではなく、一年前から街にいた吸血鬼なだけかしれない、と」
「───シオン、君」
「そもそも真祖こそ、最も強い吸血衝動を抱える生物です。彼女が一年間も人間の街にいて、何一つ事件が起きなかった方がおかしい」
「それは違う。アルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないだけだ。
アルクェイドは───」
「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」
「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」
「噂のモデル……? それって一年前の事件の事だろ」
「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。
真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」
「……?」
シオンの言う事はちょっと解りづらい。
「噂が真にせよ嘘にせよ、元になったモデルは必ず有るという事です。真祖が追っているのもそのモデルでしょう。
ですから、そのモデルさえ見つければ良いのです。私は真祖に出会えるし、貴方は噂の吸血鬼と対面できる。これはとてもシンプルだと思いますが」
「……そうか。ま、言われて見ればその通りだ」
「でしょう。それでは今夜の巡回を開始します。昼間のうちに情報は集めておきましたから、噂の元となった場所を重点的に回ります」
◇◇◇
「今度は路地裏か。あそこもよくよくついてない場所だよな」
「ついていない場所、というよりは立地条件が良すぎるのでしょう。これから行く路地裏は、都市の死角として理想的すぎ────」
「シオン? どうした、何かあったのか」
「血の臭いがします」
「え……?」
……シオンは吐き気を堪えるように顔に手を当てる。それだけ血の匂いが濃いのだろうけど、こっちはまったく感じない。
これでも血の匂いには人一倍敏感だと自負していたんだけど……。
「志貴は真贋を嗅ぎ分けているだけです。
これは擬似的な血の匂い。今のこの街には相応しいですが────」
「っ、何処行くんだシオン!」
シオンを追いかける。
シオンは路地裏へ入っていった。
「なんだ、やっぱり血の匂いなんて───」
路地裏に変化はない。
ただ、街の噂の所為だろうか。
一年前のように、路地裏が血にまみれている光景が脳裏に浮かんでしま────
「────!?」
「そこにいるのは誰です!」
「!?」
がたん、という音。
物陰に隠れていたのか、潜んでいた何かは音もなく路地裏を走り去っていく。
その一瞬。
走り去っていく人影の髪がなびくのが見えた。
背中までかかる、長い長い赤い髪。
それは、間違いなく───
「志貴、追いかけます!」
「あ────ああ、わかった!」
街は無音。
俺たちの走る足音だけがカンカンと響く中、俺たちはソレと遭遇した。
「に、兄さん……!?」
「秋葉──おまえなんで、こんな所に」
「そ、それはこちらの台詞です! 消灯時間はとっくに過ぎているのに、屋敷を抜け出して何をやっているんですか!」
……秋葉は明らかに動揺している。
後ろめたい物があるのか、いつも凛とした気丈さがまったくない。
「……何をしてるって、俺は噂になっている吸血鬼を捜しているだけだ。別に悪い事はしていない。説明はこれだけで十分だろ」
「え……いえ、それは確かに、簡潔で解りやすい説明ですけ、ど」
「じゃあ次はおまえの番だ。……おまえ、こんな夜更けに何してるんだ。何かの間違いだってのは判ってるけど、さっきのはどういう事だ」
「あ───いえ、わ、私だって後ろめたい事など微塵もありません。ありませんけど、その……」
「その?」
「兄さんには説明しづらいと言うか、説明したくないと言うか……」
もじもじと指を絡ませる秋葉。
……路地裏にいたのは秋葉なのかはっきりしていないが、何か隠しているという事だけは明確だ。
「あのな。そんな言いぶりだと疑いたくもないのに疑わしくなるだろ。いいからはっきりと言えって」
「────」
「志貴、時間の無駄です。彼女には話す意思がありません。それに、もし憑かれているとしたら、本人には自覚がないのだから答えられない」
「シオン……? 憑かれているってどういう……」
「……待って。その女性はどなたですか、兄さん」
「いや、誰って────」
と。答えて、背中が冷たくなった。
「────────」
さっきまでの動揺ぶりは何処に行ったのか、秋葉はいつも以上に秋葉然としてこっちを見据えている。
「あ、秋葉、彼女は────」
「ええ、判ってますわ、兄さん」
嘘つけ、全然判ってないだろおまえ!
「私は当然兄さんを信じています。けれど、どうしましょう。こんな夜更けに、しかも異性を連れて歩いているなんて、どう誤解されても文句は言えませんよねぇ、兄さん?」
「…………」
遠回しに「どんな弁解もできませんわ」とおっしゃる秋葉お嬢様。
まったくきょうはくだ。
「だから違うってば!
これには訳があってだな────」
「志貴。彼女は貴方の妹ですね?」
「そうだけど、ちょっと黙っててくれ。今取り込み中なんだ」
「それは後回しです。彼女を調べてみたくなりましたので、捕獲してください。抵抗するようなら強制的に」
「ぶっ────!」
「────」
「な、なんて事言い出すんだシオン! 秋葉には冗談通じないんだから、そんなトンデモナイこと言い出さないでくれー!」
「志貴。貴方に拒否権はないと判っている筈ですが」
「ああもう、判っててもダメ! たとえ脳に電気を流されるようが、秋葉にそんな事できる訳ないだろう!」
つーか、秋葉の反撃はきっとそれ以上に凶悪だよぅ……!
「……仕方ありませんね。まあ、確かに一度くらいは現状を教えなくてはいけませんか」
くいっ、と指を動かすシオン。
と。
なんか、体が勝手に動き始めるんですけど……?
「え────ええ!?」
「エーテライトは志貴の神経に繋いである、と言ったでしょう。これは、本来このように扱うものです」
「うわ、ばか、止めろーーー! この、人権迫害、冷血鉄面皮、人の人生デタラメにして楽しいのか、ええい、難しいコト言えば済まされると思うなよバカぁっっっ!!!!」
「……素晴らしい。今の罵倒で私も良心が消えました。志貴の協力に感謝します」
「わーーーーー! うそうそ、今のワンモアー!」
「却下します。今の罵倒を繰り返されたら、私も冷静であり続ける自信がないので」
くい、くい、とシオンの指が動く。
釣られてナイフを握り始める遠野志貴。
「きゃーーーー! シャレになってないっすー!」
悲鳴が漏れた。
秋葉は───
「────」
……なんか、髪を赤くして不敵な笑みを浮かべていらっしゃる。
……あれは、怒っている。
とんでもなく怒っている。
俺に命令するシオンと、それに反論しない俺と、なにより秋葉を捕えろ、というシオンに秋葉お嬢様はご立腹な様子だった。
「……ふぅん。事情はよく判りませんけど」
……うう、事情が判らないのなら聞いてくれー。
「どうやら兄さんには、強烈な目覚ましが必要なようですねぇ?」
ペキペキ、と指の骨を鳴らす秋葉。
それ、目覚ましじゃなくて体罰〜〜〜っ!
[#挿絵(img/WIN_AKIHA.bmp)入る]
「グワ、ヤラレター」
どってん、どんどん。
秋葉の(容赦ない)攻撃をくらって、ど派手に転がる秋葉の兄こと遠野志貴、つまり俺。
「チィ、油断した……!」
……なんて悔しげに言ってみる。
俺が本気だったら秋葉はもっとエスカレートしていただろう。
それがこの程度で済んだのは、一重にこっちが手加減していたからである。
出来るかぎりシオンのエーテライトに逆らってわざと負けた甲斐があった。
ああ、まさに兄貴の鑑。略してアニガミ。
「く……手足が、言うことをきかない……」
渾身の演技でヤラレタ事をアピールするアニガミ。
だが。
「志貴、わざと負けましたね───!」
「兄さん、手を抜きましたね………!」
二人は同時に叱咤してきた。
いやもう、どーしろちゅーねん。
「馬鹿にして、そんな手加減をされて喜ぶと思っているの!? 立ちなさい兄さん、やり直しを要求します!」
「む、無茶言うなー! そりゃ手を抜いたのはホントだけど、やられたのもホントなんだ、やり直しなんかできるワケないだろ!
だいたいな、手加減に気づいたんなら、おまえも手を抜けば丸く収るんだって気がつかなかったのかー!」
「あ……それは、そうですけど」
「ほら見ろ。まったく、秋葉はそのカッとなる性格を治さないとダメだぞ」
「──────なるほど」
「つまり、志貴はどうあっても彼女と戦わない、というのですね」
「当たり前だ。いくらシオンが無理強いしても出来ない事もある」
「……仕方がありません。それでは私が彼女を捕えますので、志貴は傍観するように」
「……あのね。俺は秋葉と戦うのがイヤなんじゃなくて、秋葉がケンカする事がイヤなんだってば。シオンが秋葉にケンカを売るっていうんなら俺が買うよ」
「その体で私と戦うのですか?
勝算はそれこそ小数点以下ですが」
「それでもやるのっ! それにな、シオンじゃ秋葉に勝てないぞ。アイツは知らない相手には容赦がないんだ。本気になった秋葉は、ちょっと手に負えない」
「……なるほど、今志貴から彼女の詳細を引き出しました。確かに強敵です。何の前準備もなしで戦える相手ではない」
「なら」
「……解っています。私たちの目的は吸血鬼を捜し出す事。遠野秋葉というサンプルの捕獲は二次目的にすぎない。まずは吸血鬼を発見するのが先決ですね」
「───良かった。君が秋葉ほど怒りやすくなくて」
「彼女もそう短気ではありません。志貴がそのような発言をするから彼女が短気になるのです。一目瞭然というヤツですね」
「え────?」
「で。誰が怒りやすいんですか、兄さん?」
「! い、いや、今のは言葉のアヤというか、気が抜けたが故の吐露って言うか……」
「ふん。そのお話は帰ってからゆっくりするとして……そこの貴方、吸血鬼を捜しているというのは本当なの?」
「事実です。志貴には私の目的を理解した上で協力をして貰っています」
さらりと言うシオン。
……まあ、それも事実なんだけど、一番大事なイベントが語られていないのではないだろーか。
「そういう事でしたらこちらも譲歩しましょう。何が目的かは知りませんが、貴女が争わないというのでしたら私も手はあげません。
……目的も同じのようですし、ここは話し合った方がよろしいのではなくて?」
「? 目的が同じ……?」
「────」
「本来なら無視するか徹底的に戦うのですけど、今回は止めましょう。……正直に言うとね、私も貴女の手腕に興味を持ったから」
秋葉、ふふふ、と何やら妖しい笑い。
「そうですね。協力者は多いほど助かります」
一方シオン、まさかの合意。
「良かった、貴女が物分かりのいい人で。
近頃は人の言う事をきかない人ばかり相手にしていたから、よけい好意を持ってしまうわ」
「私も同感です。好意を持たれるのは良い事ですから」
なにらアイコンタクトで互いを認め合う少女二人。
「……うわ、ヤな予感……」
いやこう、寒気がぶるっと。
[#改ページ]
3/戦うお嬢さんたち Battle princess
説明はてっとり早く終わった。
シオンの目的が吸血鬼化の治療であり、そのキーマンであるアルクェイドと交渉したがっている事。
俺が噂の吸血鬼を捜している事。
二人の目的が合致して一緒に街を巡回している事、等々。
「納得がいきました。それならば、確かに貴女には兄さんの手助けが必要でしょう」
「非があるとしたら、またお一人で厄介事に手を出していた兄さんだけです。兄さんの行動を見逃している翡翠にもきつく言っておかないと」
「翡翠は関係ないぞ。俺が翡翠の目を盗んで外に出てきてるんだから」
「それはそうでしょうけど、翡翠は定期的に兄さんの部屋の様子を見ているんですよ? 兄さんがいなかったら気がつくに決まっているじゃないですか」
「……う。それは、巧妙に設置したニセ志貴クン人形によってだな、こうダンボールを被った潜入員ばりにカモフラージュされてるんだ」
「あんなテディベアを無理やり改造したモノに騙される使用人はうちにはいませんっ。だいたいですね、あんなモノをどうやって調達したんですか兄さんは」
「いや、都古ちゃんに誕生日プレゼントを持っていったら、なんか、逆にアレ貰っちゃった」
ちょっと前の事だ。
啓子さんから都古ちゃんが伊達メガネを欲しがっていると聞いてプレゼントしたら、都古ちゃんは終始無言だった。
んで、帰り際に突然おっきなクマのぬいぐるみを持ってきて、いいから持っていって、と都古ちゃん。
以来、俺の部屋には八門開打によって死に至る傷を負ったテディベアがいたりする。
「そうですか。普段は鈍感なくせに、都古には気が回るのですね」
「お世話になってるんだから当然だろ。
……まあ、啓子さんの方から都古ちゃんの誕生日だから来てくれって誘いがあったんだけど」
「でしょうね。兄さんが女性の誕生日を覚えているようには見えませんから」
「う───いや、覚えてはいるんだけど、つい」
誕生日の次の日に思い出す、というか。
「二人とも、そろそろいいでしょうか」
「え!? あ、うん、いつでもいいけど」
「ああ、申し訳ありません。つい話し込んでしまいました」
「では本題に戻しますが。遠野秋葉、貴方はなぜ夜の街を巡回していたのですか」
「兄さんと同じです。街で噂になっている吸血鬼の真偽を確かめなくてはいけませんから」
「まあそんな事だろうと思ったけど、どうして秋葉がするんだよ。おまえだったら、その」
「人を使えばいい、と言うのでしょう? ええ、私だってこの程度の事で自らの足を運ぶ事はしません。けど事が一年前の出来事の延長なら、私たちだけで解決しなくてはいけない事なんです」
「なんでさ?」
「な、なんでさって、それは────」
「事が遠野家の暗部、だからですね。一年前の事件は遠野シキの存在を隠蔽した為に起きた物です。
この土地の闇を管理しなくてはならない遠野家が、自らその禁を破ったとあっては均衡が崩れてしまう」
「……そういう事です。このような調査や処理は分家が済ます瑣末事にすぎない。けれど、事が遠野シキに関する事である以上、分家筋に任せる訳にはいかない。
だって、遠野シキは兄なんです。遠野の血によって発現してしまったシキを処罰していなかった、なんて事実を知られたら───」
「宗家としての遠野と、遠野家長男としての志貴の立場がない。
一年前、この街で明らかに異常事件が起きているというのに遠野家が傍観していたのはその為でしたか。
そして今回の吸血鬼が一年前の延長だとすれば、やはり自分たちで対応するしかない」
「ええ。けど信頼できる人間は翡翠と琥珀だけ。あの二人に吸血鬼の相手なんてさせられないでしょう? だから私が、仕方がないけどこうしてわざわざ出向いてきたという事です」
「……そういう事か。理由はよく判った」
「けど秋葉、おまえだって軽率だぞ。相手が吸血鬼だって初めから覚悟してるんなら、一人で調べるのは危険だ。吸血鬼の事はこっちでなんとかするから、おまえは屋敷に帰ってろ」
「そうはいきません。この街における人間外の事件は遠野家の責任です。……一年前は原因が原因なだけに後手に回ってしまいましたが、今回は犠牲者が出る前に解決しないと」
「それは当然。だから俺とシオンで解決するよ。秋葉は屋敷で様子を見てくれてるだけでいい」
「兄さん。私の身を気遣っている、というのでしたら怒りますよ。私がこんな事をしているのは遠野家当主としての責務からでも、つまらない正義感からでもない。私は、ただ」
「話はそこまでにしてもらえますか。
志貴、私は遠野秋葉の行動は正しいと思います」
「……そんなのは分かってる。けど秋葉は一人しかいないんだ。こんな事で何かあったら、俺は」
「志貴も私も一人しかいないでしょう。ですからこうやって協力している」
「どうでしょう。目的が同じなのだから、三人で協力しあうというのは。
率直に言えば、純粋な戦力としてなら志貴より彼女の方が判りやすい。志貴はジョーカーですが、安定した強さではない。その点彼女はつねに結果を出すクイーンです」
「………………」
「遠野秋葉。貴方の意見は」
「言うまでもないでしょう? 貴女の提案には非の打ち所がないのですから」
微笑んで片手を差し出す秋葉。
「────」
シオンは少しだけ固まった後、たどたどしく秋葉の手を握り返した。
「……はあ。秋葉たちだけは、こういう事に関わらせたくなかったのに」
秋葉や翡翠、琥珀さんは、なんていうか平和の象徴だった。
だから三人には、こういう血生臭い出来事には関わってほしくなかったんだけど。
「しょうがないか。けど今夜はここまでだぞ。もうじき朝だし、吸血鬼が出てくるって時間じゃない」
「そうですね。……ええ、それは置いておいて」
と。
秋葉はこそこそとシオンに耳打ちしだした。
「……ところで貴女。兄さんに何かしたようだけど、何をしたの?」
「……エーテライトの事ですか? これは……」
ぼそぼそと話し合う二人。
小声なので聞こえにくいけれど、シオンは丁寧に遠野志貴に言うことを(強制的に)きかせているカラクリを説明しているようだ。
「……ふんふん、なるほど……」
それをかつてない熱心さで聞いている秋葉お嬢様。
「つまり、それなら────」
「本人の自由意思には干渉できませんが、行動を抑制、監視する事ができます」
「────素晴らしいですわ!」
轟咆一喝。
突然『ですわ』言葉でぐっと拳を握る秋葉さん。
「シオン、泊まる所はあるの!?」
「いえ、特定の場所は決まっていません」
「決まりね。今日から屋敷を自由に使って結構よ。詳しい話も聞きたいですし!」
強引にシオンを引っ張っていく秋葉。
「…………はあ」
こうなっては仕方がない。
ため息をつきながら、二人の後を付いていった。
◇◇◇
一日明けて夜。
俺たちは三人で街を調べている。
シオンと秋葉はすっかり意気投合したのか、
「それでは街の噂は大きく三つに分かれている、というのね? シオン」
「はい。元々の原因となった“一年前の通り魔の再来”という物が細かなモデルによって三つに分かれたのでしょう。
そのうちの一つとして吸血鬼は金髪の女性、というのがありますが」
「ふん、それは噂ではなく事実です。あの女も気ままに夜出歩いているからそんな噂を立てられる」
「ですが貴方も人の事は言えません。長い黒髪の通り魔、というのは秋葉の事ではないですか。
秋葉は志貴や真祖ほど人目を忍ぶ技術がないのですから、行動は慎重に行うべきです」
「う……確かに、それは注意すべき事ですね。今後は気を配りますから、その話は止めましょう」
などと、仲睦まじく話し合っているという次第だ。
仲睦まじいついでに言うと、シオンが俺に繋いでいたエーテライトは外してもらった。
秋葉の「私の兄さんなんですから」という意味不明の発言を、シオンはコクンと頷いて了承したのだ。
「二人とも、次行くぞ。路地裏や大通りには人通りがなさそうだから、後は公園だ」
「はい。そこで異常が見られなければ別の手段に切り替えましょう」
街の様子は相変わらずだ。
日中は強い陽射しで白く煙り、夜中になれば熱い空気で街中が揺らいで見える。
風は一向になく、道を行く人影も自動車の音もしない。
道を歩いて目に付く物といえば、独りで明かりを放っている自動販売機ぐらいの物だ。
そう言えば、誰かが絵に描いた街のようだ、とこぼしていたっけ。
写真のようだ、と言わないあたりが的を得ている。
連日の陽射しと実体のない噂話。
そのくせ夜は無音だという虚構だらけの街には、現実感というものがまるでない────
「ここにもおかしな違和感はありませんね。
……どうも避けられているみたい。噂の吸血鬼とやらは、私たちのような人間は狙わないんじゃないかしら」
「……秋葉。自分を囮にしよう、という案は効果的ではありますが、貴方には不適切です。そういう事は頑丈で妖気を抑えられる者でないと」
「あら、失礼ねシオン。妖気ではなく滲みでる才気と言ってくれない? だいたい貴女だって人の事は言えないわよ。うまく抑えているようだけど、私から見れば────」
「っ────! 避けろ、シオン!」
「!?」
「誰だ────」
「誰だ、とはこちらの台詞です。何故貴方たちが彼女と一緒にいるんですか」
「────」
「────」
「せ、先輩……!?」
「……秋葉さんも一緒、という事は最悪の事態にはなっていないようですが───いえ、それとも遠野秋葉が偽物だとしたら、予想を上回る最悪さですね。秋葉さん、貴方は本物ですか?」
「? 本物かって、なに判りきったコト言ってるんだよ先輩。いや、それ以前にいきなり黒鍵を投げつけてくるなんてどうしたんですかっ!」
「……シオン。兄さんが割って入ると面倒だわ。少しの間黙らせてくれる?」
「……(コクン)」
「────! ────、────!」
「上出来です。───さて。それじゃあ話し合いといきましょうか、先輩」
「……(遠野くんは巻き込まれただけのようですね……)」
「いいでしょう。その様子では遠野くんだけが何も気づいていない、という訳ですね。
それで秋葉さん。貴方のコメントはどうしますか?」
「言うまでもないでしょう。私は遠野秋葉以外の何者でもありません。そう言う貴方こそ本物の先輩ですか?
前から荒っぽい人だと思っていましたけど、いきなり襲いかかってくるほどの狼藉者ではなかった筈ですが」
「……なるほど。単に遠野くんの保護者という訳ですか。それなら貴方には手を出しません。遠野くんともども、そこで大人しくしていなさい」
「────(カチン)」
「では、シオン・エルトナム・アトラシア。
貴方は発見次第、保護、もしくは拿捕するようにと教会から手配されています。
アトラス協会からも同様の要請を受けていますが、何か反論はありますか」
「──ありません。ですがここで捕まる訳にもいかない。私を捕えるというのなら、貴方を破壊するだけです」
「従う気はない、という事ですね。……いいでしょう。──教会の代行者として、貴方を捕縛します。魔術協会に恩を売るつもりはありませんが、貴方はそれだけで罰せられるべき存在ですから」
「────」
「なんだ、そういうコト。色々と口上を述べていましたけど、結局はそれですか。先輩も進歩がないというか、馬鹿の一つ覚えというか。
つまるところ、教会の狗《いぬ》な訳ですのね」
「───それはどういう意味ですか、秋葉さん」
「だってそうでしょう? 貴方たちはただ黒か白かで判断する。黒であれば、その人がどんなに善行をつもうが無視して殺しにかかる。
まったく、一体いつの時代の人間なのだか。
それでも私、貴方は別だと思っていたんですよ?
なにしろ貴方だって、昔は黒だったのですから」
「───わたしを同類と言いましたね、遠野秋葉」
「ええ。今はどうあれ、過去は変えられませんもの」
「……いいでしょう。ここに貴方がいるのは好都合です。貴方がここ数日何をしていたか、詰問する手間がはぶけます」
「────ふぅん。それはどういう意味ですか、先輩」
「決まっているでしょう? 噂は時に真実を孕みます。
吸血鬼の噂には、長い黒髪の少女、という話もあるとか。教会の代行者として、貴女が本性を現したかどうかを調べる義務がある」
「そう。もともと私の身は潔白ですけど、先輩が調べたいというのでしたらご自由に。
───ただし。
私の体に触れようというのですから、それ相応の代価は頂きますが」
「望むところです。わたしの払う代価と貴方が受ける屈辱、どう見ても貴方の方が大きくなりますけどね───!」
「来るわよシオン、注意して!」
「判っています。志貴、ロックを外しますから対応してください!」
「───あ、動ける……って、もうなんだよこれ!
黙って聞いてれば喧々囂々、そんなにケンカしたいのかー!」
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「……ここまでですね。止めましょう、これでは互いに共倒れてしまいます」
「都合のいい事を言わないで。
一度始めた以上、生半可な結果で終わるなんて事はありません……!」
「その意気はお見事ですが。本当にそう思っているんですか、秋葉さん。このままわたしと最後まで争っていい、と」
「っ……!」
「秋葉、代行者の発言は正しい。このまま続けた場合、倒れるのは私たちです。私は戦闘を中断します」
「シオン……!
いいです、それなら私と兄さんで────」
「俺も反対。おまえだって判ってるだろ、秋葉。先輩は本気でやってない。
シオンを生け捕りにしようとしていて、かつ三対一だっていうのに互角なんだぞ。これで本気で潰し合いをされたら倒れるのはこっちだ」
「────」
「理解して貰えたようですね。
……ですが、わたしでは貴方たちを追い込むのに時間がかかるのも事実です。
現在、わたしの最優先事項はこの街に現れようとしている吸血鬼の処罰。だというのに貴方たちに労力をさいて、体力を減らす訳にはいきません」
「では代行者。吸血鬼を仕留めるまでは私を見逃す、というのですか」
「教会の指令はこの街に現れるタタリを処理する事。シオン・エルトナムの保護は協会からの要請。
代行者たるわたしがどちらを優先するかは語るまでもないでしょう」
「まあ、確かに貴方は放ってはおけない。けれど遠野くんが一緒にいるのなら人間を襲う事もない。彼と一緒にいる、という事は悪いことは出来なくなる、という事ですから」
「加えて秋葉さんが一緒なら遠野くんが貴方に騙される事もない。その点は信頼していいのでしょう、秋葉さん?」
「言われるまでもありません。それにシオンは人を騙すような人でもないわ」
「シオン・エルトナムを信頼しているのですね。
それは構いませんが、手を引くのなら今のうちですよ。
吸血鬼の気配は日に日に強くなっている。
おそらくは今日か明日にでも現れるでしょう。
それを処理した後は彼女の捕縛を優先します。
その時でも邪魔をするというのなら容赦はしないので、そのつもりで」
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4/混沌を名乗る sin,you are guilty
「───シオン。
さっき先輩が言っていた事だけど」
「はい。何でしょう、志貴」
「……見つけ次第保護、ないし拿捕の手配が回ってるってどういう事だ。保護はともかく、拿捕っていうのは穏やかじゃないだろう」
「兄さん、今はそんな事どうでもいいじゃないですか。それより────」
「いいのです、秋葉。意図的に黙っていた事は事実なのだから、訊かれたのなら答えるのが協力者として最低限の誠意でしょう」
「代行者が言っていた通り、私は指名手配を受けています。
志貴。私がアトラス院に所属している錬金術師だという事は話しましたね」
「(こくん)」
「私はそのアトラスから離反しています。アトラスで教えを受けた者は、一生涯アトラス院から出てはならない……などという決まりがある訳ではありませんが、
不文律としてアトラスから外に出る事は違反とされています。
私は、それを三年間も犯している」
「……だから保護、ないし拿捕してでも連れ戻せっていう事か。けど、それだけで先輩が襲いかかってくる事はないと思う」
「……はい。アトラスは魔術協会の一部門です。いかに協定を結んでいるとは言え、教会とは古くから相反する組織。
その教会がアトラスの要請を呑む、という事は教会側にも私を捕える意味がある、という事です」
「それは、吸血鬼絡みで?」
「───三年前の話です。
教会はある死徒を処罰する為、アドバイザーとしてアトラスに協力を要請しました。
……その死徒が、吸血鬼になる前は錬金術師であったからです。
私はアトラスの代表として教会に赴き、討伐隊である騎士団に同行した。
……結果は無惨でした。騎士団は全滅し、使徒が根付いた村も全滅。唯一生き延びた私は教会に出頭せず、かといってアトラスにも戻らず、こうして今もその使徒を追っています」
「それが君が追われる理由か。
それじゃ、もしかしてこの街に現れた吸血鬼っていうのは」
「三年前、私が取り逃がした吸血鬼。
タタリと呼ばれる死徒です」
「………………」
そこまで訊けば話は簡単だ。
幾ら鈍感な俺だって、事の辻褄ぐらいは見て取れる。
「シオン。君は教会に頼まれて吸血鬼退治に参加しただけなんだろう。だっていうのに何故、今も取り逃がした吸血鬼を追っているんだ」
「それは……」
シオンの言葉が止まる。
彼女が言い淀む姿は、これが初めてかもしれない。
……だから、それが理由だ。
初めて出会った時の妙な違和感。
夜にしか行動しない彼女。
先輩がシオンを放っておけないという事実。
吸血鬼化の治療方法を捜しているのは、
つまり────
「ああもう、今はそんな事を訊いている場合ではないでしょう! シエル先輩の言い分が正しいのなら、吸血鬼はじき現れるのでしょう? なら、急がないと犠牲者を出してしまいます!」
「秋葉、貴方は」
「お喋りは時間の無駄! シオン、貴女が私たちに話すことがあるとしたら、それはもっと別の事ではなくて? 私たちは、その吸血鬼とやらの正体さえ知らないのですからね!」
「───そうだな。秋葉の言う通りだ。
今のは、どうでもいい問題だった」
「当たり前です。
まったく、兄さんは詰まらない事にばかり気が向くんですから。今後は気を付けてくださいね」
「すまん。反省する」
「解ればいいんです。さて、それじゃあシオン」
「ぁ────なんでしょう、秋葉」
「そのタタリ、という吸血鬼について話してくれますか? 敵がどのような物なのか把握していなくては戦いになりませんから」
「……はい。タタリ、というのはある死徒の別名です。その使徒に個体名が付けられなかった為、俗称としてタタリ、と名付けられました」
「タタリ……それって祟りの事?」
「はい。語源はこの国の祟りでしょう。
密閉されたコミュニティーで広まった風習。ある禁忌《タブー》を犯す事により発動する呪い、とも言えますね。
この街に現れた死徒は、そういった“人々の不安から生じた呪い”と言えます」
「呪い? つまり実体はない、という事?」
「実体はありますが、それは一夜限りの事です。
タタリという死徒は、人々が不安に思うイメージをカタチにするのです。
その方法として、広く伝わり現実味を帯びた噂を利用する。
タタリという死徒にはカタチがない。
カタチがない以上は存在しません。
そのタタリを形にする容器が、現実味を持つまで浸透した噂なのです」
「……よく解らないけど、つまり噂を現実にする死徒なんだな?」
「結論としてはそうです。
これには条件があり、基本的に噂になるモノはヒトガタではなくてはいけません。
元は人間だったタタリは、ヒトガタでなければかつての知性が働かない。
ですからタタリが発生するコミュニティーというのはそう多くない。現代の文明社会において、殺人鬼・吸血鬼といった噂が浸透する事は希ですから」
「ヒトガタ……だから吸血鬼の噂はどれも知ったような噂だったのか」
「噂には実在のモデルが必要ですから。
夜な夜な現れる金髪の女性、一年前に夜の街を徘徊していたナイフの青年、長い髪を靡かせて街を闊歩する少女。
これらの噂の元は、言うまでもなく志貴たちです。そして吸血鬼事件に関わっていたのも事実。
タタリは噂をカタチにしますが、元からいる人間にも乗り移る。
街の噂が『夜な夜な現れる金髪の女性』に統一されていたら、タタリはその噂を纏うか、実際にいる『夜な夜な現れる金髪の女性』に乗り移って噂をカタチにしていたでしょう」
「……だから先輩は本物だの偽物だの言ってたのか……じゃあ、下手したら俺や秋葉の偽物が出てくる事もあるのか」
「はい。ですが二人はすでに“自分以外に殺人鬼がいる”と知りましたから。
タタリが二人の姿に成る事はあっても、二人が乗り移られる事はありません」
「……ふうん。それじゃ一つ訊くけど。街の様子が変だったのは、その吸血鬼の仕業なの?」
「ええ。これは一つの固有結界ですから。密閉されたコミュニティーが少なくなった昨今、人為的でなければ閉鎖空間は作れない」
「そう。それじゃあタタリっていう吸血鬼を倒せば暑苦しい夏ともお別れという事ね。
───ふん、俄然やる気がでてきたわ」
ニヤリ、と不敵に笑う秋葉。
なんだ、涼しい顔してあいつも連日の暑さに参ってたのか。
まったく、いつまでも意地を張ってクーラーを使わないから。
「オーケー、相手の正体は掴めた。それでシオン、タタリっていうヤツはもう現れてるのか?」
「タタリが発生するのは満月の夜です。
今日か明日、どちらかに発生し、一夜限りの殺戮を行います」
「何処に現れるかは判る?」
「場所は絞れています。今夜発生するとしたら、間違いなく路地裏でしょう」
────路地裏に着く。
周囲は無音。
うだるような暑さだけが充満した空間には、何か、不吉な予感が満ちていた。
「……現れるとしたらここか。それでシオン、タタリはどんな姿で出てくるんだ?」
「……特定はできませんが、真祖か、それに近いモノでしょう。
元々より強い不安になるのがタタリの目的です。
この街で最も強い素体は真祖ですから、タタリは真祖の姿に成るでしょう。
もっとも、そう巧くいかないのが祟りというものですが」
「人間の噂をカタチにする、といっても噂を操れる訳ではない、という事ね。
タタリとやらがアルクェイドさんの噂になる事を望んでも、街の人間が違うモノを不安に思えばそちらに移行せざるを得ない」
「そういう事です。タタリが成るモノは最強の存在ではなく最凶の存在。そういった意味では、過去に凶行を繰り返した死徒に成る確率は高い」
「……なるほど」
それは助かる。たとえ偽物でもアルクェイドと戦うのは避けたい。
気分が悪いし、何より勝てそうにないし。
「……過去に実在した死徒、か」
凶悪なイメージ。
確かにシキ──ロアは実在した吸血鬼だ。
けど、俺はアイツを殺人鬼とはイメージできない。ヤツには善も悪もあったと思う。
だから噂にのぼるような殺人鬼は、実際に大量虐殺をしたあの────
「出ます。確率的には明日が最有力でしたが、計算違いでしたか。……二人とも、注意を」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「────!?
ちょっと待て、なんでアイツが……!」
「志貴、貴方よりにもよってここでアレを連想したのですか!」
「え───何、あれって俺のせいなのか!?」
「タタリは人に影響を与えるだけの憑き物ではない、と言ったでしょう! 実際有り得ない“怪物”を生み出すのも、人の不安に因る物です。
志貴にとって、ネロ・カオスはその二点を備えた最悪の祟り。だからこそ満月を待たずしてタタリが実体を持ったのです!」
「っ───」
「───私では混沌を捕える術はない。
このままでは三年前の繰り返しだ───!」
「言い争いをしている場合ではないでしょう! アレがなんなのかは知りませんが、敵ならば倒すだけです! 二人ともやる気がないのなら下がってなさい!」
「……そ、そうでした。秋葉の言う通り、ここで取り乱しても始まらない。
タタリがなんであろうと、ここで捕えるだけなのですから───!」
糸を構えて吸血鬼へと向き直るシオン。
黒い混沌は徐々にカタチを成していき、そして、一年前の殺戮者の姿となった。
「タタリ、ここで因果を断ってみせる……!」
[#挿絵(img/WIN_AKIHA&SHIKI&SION.bmp)入る]
戦いは終わった。
タタリという死徒は、一年前に現れた吸血鬼・ネロの姿のまま崩れ落ちていく。
「…………」
不完全と言えば不完全だったのだろう。
アレがもし本当のネロ・カオスなら、こうも単純に倒す事などできなかった筈だ。
「終わりよ。勝敗は決したわね、吸血鬼」
秋葉が歩み寄る。
止めを刺そうと言うのだろう。
黒い吸血鬼は、
「────────────────────────────────────────────────────────────────キ」
「キキ、キキキ────」
「キキキキきキキキキキキキキキキキキキキキきキキキキキキキキキきキキキキキキキキキキキキキキキキキキきキキキキキキき!」
故障したかのように嗤い出した。
「────今のは、まさか」
「クク、なんという茶番だ。これほどの好条件において、この身が成る前に滅ぼされようとは」
「だがそれも一時の夢。タタリには何の支障もない。ここでワタシが完全に消滅しようが、いずれタタリは発生する。
環境に依存する永遠。それこそがこのワタシだ」
「……やはり……タタリを滅ぼした所で、オマエという現象は消えないのですね、ワラキア」
「如何にも。残念だったな、娘。おまえが癒やされる事はない。何時になるか判らないワタシの再来を待ち続けるがいい。夜の端で、醜く、濁った手足を引きずりながらな!」
「…………なら、残る手段は一つだけ」
「であろう。だがそう巧くいくかな、エルトナムよ」
シオンはジリジリとネロへと近づいていく。
「止めろシオン、止めは秋葉に任せるべきだ。下手に近づくと何が残っているか判らない……!」
「兄さんの言う通りよ。こういった奇怪な輩は、手の届かない位置から倒すに限ります」
「……二人の気持ちは嬉しい。ですが、それでは」
呟くシオン。
同時に、ソレは巻き起こった。
「!?」
「伏せろ秋葉!」
突然の閃光。
崩れていくネロの最後の抵抗だろう。
「シオン、君も────」
シオンの姿を捜すが、光で何も見えない。
だと言うのに。
何もかも白い世界の中。
ネロは黒い霧となって散っていく。
そこへ、今まで見たこともない速さで走り寄る誰かの影。
霧散していくネロへ走り寄ったソレは、
ためらう事なく、
黒い吸血鬼に噛みついて───
「────」
光が収まった。
秋葉は目を瞑って姿勢を低くした警戒態勢。
シオンは──さっきと同じ場所に立ったまま、秋葉に倣うように身構えている。
「終わったみたいね。さっきのはアイツの断末魔ってところかしら」
「はい。蓄積したデータが開放されたのでしょう。データが拡散した以上、タタリはもうカタチには成れません。少なくともこの街では」
「この街では? それじゃあアイツ、また懲りずに出てくるっていう事なの?」
「タタリは現象ですから、完全には消去できない。人間が存在するかぎり不安は無くならない。
タタリはその不安をカタチにするシステムのようなモノですから、タタリを完全に止めるには人間が滅びるしかないのです」
「……そう。けどもうこの街には現れないんでしょう? それなら事件は解決よ。タタリとやらが他で発生したのなら、それはその街で解決すべき事件だし」
「はい。志貴と秋葉を悩ませていた吸血鬼は消えました。街の不自然さも元に戻る。虚言の夏はこれで終わりです」
「それを聞いて安心したわ。それでは屋敷に戻りましょうか。兄さんもシオンも疲れたでしょう?
今夜はゆっくり休みましょう」
「いえ。タタリが滅びた以上、代行者は私を放ってはおかないでしょう。ですから一刻も早くこの国から立ち去らなければ」
「あ、そう言えばそんな人もいましたっけ。けど安心なさい、シオンは遠野家に来た客なのですから、あの女にとやかく言われる筋合いはありません」
「気持ちは嬉しい。しかし私はタタリを追いかけてきただけです。タタリが消えれば、次に行かなければ」
「……そう。シオンがそう言うのなら、私が止める事はできないけど」
「はい。短い間でしたが、お世話になりました」
「仕方がありませんね。けど何かあったら遠慮せず訊ねに来ていいのよ。私、シオンの事は嫌いじゃないから」
「それは良かった。私も、秋葉たちとは別れがたい」
「同感ね。本音を言えば、せめてアレを上手く使えるぐらいまでは残っていてほしいけど、それは私の我が儘だし」
「心配はありません。基本は教えましたから、後は秋葉の修練次第です」
シオンは秋葉に何かを手渡す。
……うわあ、エーテライトあげてるよあの人。
「……それじゃあ。元気でね、シオン」
手渡されたエーテライトを包むように、秋葉はシオンの手を握る。
「…………………」
握手は苦手なのか、シオンはわずかに固まってから、辿々しく握手を返した。
「────」
秋葉と握手を終えて、シオンはちらりとこちらに視線を送る。
「……………」
「……………」
彼女は目を伏せてから、
「それでは、これで。二人とも仲良く」
一礼して、路地裏から去っていった。
「────────」
無言でその背中を眺める。
「最後まで無言でしたね、兄さん」
「───うん? ああ、ちょっと考え事があって」
「だからって何ですか。シオン、兄さんとも握手したがってたのに。兄さん、少し冷たいんじゃないですか?」
「────うん? ああ、冷たいかもしれない」
「呆れた。私、兄さんの事を見損ないました」
空返事の俺に文句を言う秋葉。
けれど心底空返事だった訳でもない。
事実、ある考えに襲われた俺の体は、じんわりとした寒気に包まれていた。
[#改ページ]
5/幻影の夏 Hologram Summer
……暗い。
とうに日は昇っているというのに、此処は暗い。
暗闇が浸透する。
肌が黒く染まっていくような錯覚。
血管が荊のように鋭利になる感覚。
吐き気はすでにない。
あれほど苦しかった熱も、
あれほど乾いていた喉も、
今では苦痛とは感じない。
私は回復した。
もうこの体が崩れ落ちる事はない。
昨日まで死を受け入れていた体は貪欲になって、
これから続く、長い長い生を受け入れるだろう。
私を脅かすモノは何もない。
体も治った。
私を支配しようとするモノも消えた。
私は予測していた中で最悪のケースをとって、自らの問題を解決した。
だからもう私を悩ませるモノなんてない。
……悩む必要はない。
否、悩む権利さえありはしない。
私はこのまま黒く染まる事を考慮して、より良い未来を予測する。
……と。
意味もなく、外に出てみたい、と思った。
「……………」
それは、より良い未来ではない。
黒い私はもう外には出られない。
少なくとも、陽の光は浴びられない。
以前のように半端なままであったのなら衰弱するだけだったが、今ではもう───陽の光は、私にとって即死の炎だ。
「……私は、夜を待たないと」
夜を待って街を出る。
それでおしまい。
この街であった事も得た物も全ておしまい。
私は初めからタタリを目的としてやってきた。
第二目的である吸血鬼化の治療も、こうなっては意味がない。
だから早く立ち去ろう。
日が沈んで、夜になって、誰もいなくなった後に早々に立ち去るのだ。
……けど、おかしな話。
街を立ち去る私の姿は、まるで誰かから逃げるような、そんな後ろめたさを持っていた────
◇◇◇
そうして、彼女はこの場所にやってきた。
「こんばんは。街を出る前に、きっとここに立ち寄ると思った」
「───────」
彼女は赤い瞳でこちらを見据えている。
その気配は、今までの物とは違かった。
「そうか。気のせいだと、思っていたんだけどな」
頭痛がした。
以前、ここで彼女と出会った夜に感じた違和感が数十倍になっている。
シオンの背後に揺らめく影は、彼女自身に取り憑いた呪いのように見えた。
「タタリが消える時の目眩ましはシオンだったんだな。
君は、あの時」
「はい。タタリを噛みました」
「───なんだってそんな事を」
「その質問は無意味です。
志貴は理解しているからこそ、この場所で私を待っていたのではないですか」
「悪いな。あいにくそこまで気が利くヤツじゃない。知っていたのなら、あの時に君を止めていた」
「そうですね。ですが、私が志貴に理由を話すと思いますか?」
「思うよ。シオンはいつだって訊いたら話してくれたからな」
「なるほど。それならば仕方がありません」
「簡潔に言ってしまえば、私はタタリに噛まれた人間です。三年前タタリに噛まれ、少しずつ吸血鬼化していく体を引きずってこの街までやってきました」
「私が吸血鬼化の治療法を研究していたのもその為です。ですが、研究には期限があった。
タタリという吸血鬼は一夜しか現れない。一度現れた後、何年後かにまた一夜だけ現れる。
……タタリに噛まれたにもかかわらず、私が人間でいられたのはその為でしょう。
ですが、私の吸血鬼化は刻一刻と進んでいきました。
すでに半吸血種となった私の体は、タタリの命令に逆らえない。
次にタタリが現れた時こそ、私が完全に吸血鬼となる時だった。
タタリが現れるまでに治療法を確立出来なかった私には、もうタタリを倒すか───それが出来なければ、親《タタリ》を取り込んで私がタタリとなるしかない。
私がタタリとなれば、タタリに支配される事はないのですから」
「それで自分から吸血鬼になったのか」
「およそ考えられる最悪の結果になりましたが、これも予測の範疇です。
私は、後悔などしていません」
シオンの声には感情がない。
倣うように、そっか、と感情のない声で頷いた。
「けど、今なら間に合うんじゃないか。その黒いモヤは、まだシオンになっていない。君の周りにあるだけのようだ」
「ええ。タタリの夜は昨日ではなく今夜ですから。この夜が始まれば、私はタタリに成るでしょう」
「それでいいのか、シオンは」
「はい。次のタタリ発生が何時になるかは答えが出ています。
……二十年後のオーストララリアか、三十年後のトランシルバニア。
どちらにせよ、その頃まで私が保つ確率は低い。
錬金術師として、確かな答えを取るのは当然です」
「…………」
「私を殺しますか、志貴」
「殺さない。けど、その黒いのを殺す」
「それは私を殺す、という事です。
タタリでない私は、様々な事柄に追われ、息絶えるのですから」
「そうかな。どっちにしたって辛い道なんだろ。
それなら────」
「私の為になる方を取る、なんて言わないでほしい。
貴方には、そこまで私に介入する権利はない」
「あるよ。シオンとは友達だから、間違った事はさせたくない」
「────────」
「……このまま街を去ろうとした私が間違いでした。私はタタリを継承するというのなら───まず、その証を立てなければ」
「タタリには人間らしい感情など必要ない。
私にも人間らしい感情など存在しない。
しない、筈だった」
「────」
「まだ小娘ですね、私は。
たった数日間、今までなかった物を与えられたぐらいで人間になってしまったのですから」
「……やっぱりな。気が付いてないようだから言っておこう。
君は自分を冷酷な人間だと思いこんでいるようだけど、根は甘い善人にすぎない。
君は嘘をつかないんじゃない。
シオンは嘘が下手なんだよ。
だって、自分さえ騙せていない」
「────ええ。恐らく、貴方は正しい」
黒いモヤが揺らめく。
彼女の全身に力が行き渡る。
静かに、ナイフを取り出した。
「嘘を真実にする為に、貴方を殺す。
────さよなら、志貴。
初めての友人を殺せば、私も少しは死徒らしく振る舞えるでしょう」
シオンの体が消える。
自分でも呆れかえるぐらいの冷静さで、迫り来る彼女へと視線を向けた。
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「仕留めた────!
手応えはあったが、どうだ……!?」
倒れ込むシオンへと振り返る。
戦闘の果て、最後の一撃で彼女に纏わりつく黒いモヤを一線したが、結果は───
「────、────!」
シオンは倒れない。
地面に膝をついて、嘔吐を堪えるように背中を丸め、そして、弾けるように飛び退いた。
「──予想外です。貴方は、こんなモノまで殺せるなんて」
振り返るシオンの背中には黒いモヤはない。
彼女の言うタタリを、俺は確かに殺せたようだ。
「っ…………」
だがそれでも、彼女から発せられる嫌悪感に変化はない。
シオンを見る度に、いや、彼女の赤い瞳を見るたびに頭痛が起こる。
「ですが結果は変わりません。私はタタリを噛んだ時点で、もう吸血鬼になってしまった。
貴方がした事は、今回のタタリを無くしただけです」
「く……それじゃあ、シオンは」
「私が吸血鬼である、という事は変えられない。
タタリが消えた事で吸血衝動は抑えられましたが、それでは今までと何も変わらない。
……変わったとしたら、無理に人間を襲う必要はなくなった、という点だけです」
「………そうか。でも、それなら今まで通りじゃないのか。
シオンは今まで吸血鬼として生きてこなかったんだろう。ならこれからも今までと同じように、吸血鬼化の治療法を研究すれば……」
「……そうですね。吸血種となった人間の治療法を研究する、という私の目的は生きています。
そういった点では、私は今までと変わりません。
異なるのは、魔術協会の追跡者以上に、教会の代行者が私を処罰しに来るという点でしょう」
「………シエル先輩とか、それ以外の人間が?」
「はい。ですから、私の研究が完成するまでに、私が生き残っているという確率は低い」
「それならうちに来ればいい。秋葉だって言ってただろ。遠野の屋敷にいるかぎり、シオンに手は出させない」
「それは矛盾していますよ、志貴。
私が吸血鬼として生きる為にはタタリに成るしかなかった。けれど貴方はタタリには成るなと言い、吸血鬼化の治療法を見つけろと言う。
それは正しい。
けれど、遠野の屋敷にいては研究は完成しないでしょう」
「────────────」
「吸血鬼として隠れて生きていく、というのなら遠野の屋敷に匿われるのは理想です。
けれど、人間に戻る為に研究を続けろというのならこの国にはいられない。
治療には私の親であるタタリというサンプルがどうしても必要ですし、この国には吸血鬼のサンプルが無さ過ぎる。
最後に訊きますが。
志貴は、私にどうしろと言うのです」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
言葉につまる。
それは、望めばいくらでも長く悩んでいられる質問だ。
ただそれでも、この答えだけは変わらない。
「……………………そうだな。
シオンに、吸血鬼は似合わない」
「────はい。その答えは、素晴らしい」
「今度こそ本当にさようなら、志貴。
先程の事は謝罪しません。
貴方は、私から安易さという弱さを奪ったのだから」
「ですが、今の発言には感謝します。
……不思議な事ですね。私に後悔はない。
だというのに、ふと思ってしまった。
────貴方と初めて出会ったあの時。
私は貴方に負けていた方が、良かったのかも知れないなんて」
「────────」
そうして彼女は消えた。
止める言葉は持たなかったし、止める事など出来なかった。
「……後悔はないなんて、また」
そんな、拙い嘘を。
「それで。君はその体で吸血鬼を捜すのか」
そんな呟きには何の意味もない。
周囲には今だ闇。
暑い夜気と無音の街並の中。
何一つ答えがないまま、見えもしない彼女の後ろ姿を見守り続けた────
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(バッドエンド)