MELTY BLOOD
夜が明けたら GOODBYE
TYPE-MOON
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真祖《アルクェイド》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が|シエル《あのひと》を
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八月初頭。
交通量一時間あたり平均五台。
電鉄使用者一日推定百人前後。
気温、摂氏三十八度。
───その夏。
あまりに息苦しい暑さに、
窒息するサカナみたいと誰かが言った。
街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。
おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。
水槽の中でサカナは窒息するだろうか?
地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。
……少しだけ考える。
放置された熱帯魚。
お腹を見せて浮かぶ死体。
濁った水。
緑色の水槽。
パクパクと口を動かす死んだサカナ。
───ああ。
なるほど、それは巧い喩えだ。
それらの単語は今夏の状況にとても近い。
灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。
日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。
道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。
そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。
だからサカナというのは言い得て妙だ。
自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。
おかしな夏だった。
誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。
プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。
そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。
大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。
廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。
そう、誰もが建物の中で過ごしている。
それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。
「―――聞いた?
昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって―――」
「―――それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?
うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ―――」
また、そんな話し声が聞こえてきた。
いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。
「―――ねえ、君たち」
振り返って声をかける。
道には誰もいない。
街は廃墟のようだ。
声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。
彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。
気になって公園に足を運ぶ。
公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。
とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。
「―――アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ―――」
「―――知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が―――」
話し声に釣られて振り返る。
学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。
それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。
いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。
曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。
曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。
曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。
忘れ去られていた一年前の事件。
しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。
なにしろ犯人はすでに死亡している。
第二、第三の吸血鬼は出現しない。
だというのに、噂には歯止めがきかなかった。
街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。
昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。
犠牲者は増え続ける。
噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。
……そんな事も、一年前とうり二つ。
窒息するような猛暑。
人通りが絶えた街並。
そして、何より不思議な事なのだが。
――――街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。
ちょっとした立ち眩み。
朝から街を歩いて疲れたのだろう。
喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。
「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」
呟いて、ああ、と納得。
その台詞もこの夏の流行語だ。
実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。
運が悪い。
不安が的中。
裏目ばかり出てしまう。
暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。
かく言う自分も階段で足を滑らせたり、
翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、
アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、
先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、
小さな不幸に事欠かない。
これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。
あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。
ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。
「――――それは、偶然ではなく必然では?」
「え……?」
また、すれ違いざまに誰かの言葉。
「――――――――」
後ろで誰かが振り向く気配。
[#挿絵(img/001.bmp)入る]
「――――――失礼」
見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。
「……珍しいな、外人さんだ」
と、そんな事はないか。
外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。
「────────」
けれど酷く後ろ髪を引かれる。
しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。
「なんだ、ようするに」
答えは簡単。
こうして街を彷徨いだして二日も経って。
ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ――――
そうして立ち眩み。
長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。
……まったく、本当に。
今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────
遠野志貴との接触を断った。
すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。
……おかしい。
失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。
ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。
「――――なんだ、ようするに」
遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。
立ち眩みだろう。
読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。
◇◇◇
……ここが、件の路地裏。
人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。
「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」
一年前の話だ。
物体の寿命、
存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、
ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。
いや、正しくは二度目の出会い。
一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。
……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。
けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。
「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」
真祖。
現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。
その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。
真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。
そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。
現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。
「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。
そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」
二十七祖の十位、ネロ・カオス。
番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。
教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。
「……いいえ。予測していたモノなら一人」
予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。
尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。
ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。
「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」
日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。
その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。
ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。
「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」
私には時間がない。
ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。
今回を逃せば次はないだろう。
三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。
私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。
「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」
アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。
けれど遅すぎた訳ではない。
三年前。
吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。
脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。
逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。
それでも────
「――――間に合った。
私には、まだ可能性が残っている」
急がなければならない。
私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。
人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。
その両方を、私は排除しなければならないのだから───
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1/出会いと再来 Enter
“シオン・エルトナム・ソカリス。
これを次期院長候補と任命する”
勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。
その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。
ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。
まさか、という驚愕。
許されない、という非難。
信じられない、という否定。
言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。
“シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。
彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”
学長の言葉は絶対だ。
それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。
院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。
「────」
私に格別変化はない。
議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。
他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。
それも当然だろう。
私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。
名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。
それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。
「────────」
その時。やはり私は冷静だった。
事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。
単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。
驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。
……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。
私の環境に変化はなかった。
私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。
私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。
周囲の人間は私を排除したがっていて、
私が優等生である以上は無視するしかなく、
アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。
彼等は私の報復を怖れたらしい。
彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。
侮らないで貰いたかった。
私は貴族だ。
罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。
そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。
私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。
それも以前と変わらない。
私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。
私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。
それが八年前の出来事だ。
何が正しくて、何が間違っていたのか。
――――正直、今でもよく解らない。
「……いけない、もうこんな時間だ」
目を覚ます。
疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。
いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。
精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。
「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」
日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。
砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。
日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。
「……寒い夜。休みすぎたのかしら」
どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。
まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。
「……その前に、発生場所を確認しておかないと」
体が動く内に準備を終えておかなければ。
幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。
「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」
時刻は午前零時前。
彼の巡回経路は三通りだ。
さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。
◇◇◇
「……と、あとはここだけか」
見慣れない広場に出る。
オフィスから少しだけ外れた広場。
少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。
「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」
建築途中のビルを見上げる。
来年の春に完成予定の一大建築。
何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。
「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」
ビルの周囲は鏡のようにまったいら。
神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。
「────さて」
息を潜めて周囲の気配を探る。
周辺に人影はない。
吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。
特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。
「……ま、私有地だし。
俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」
───と。
唐突に吐き気に襲われた。
指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。
鼓動が早まる。
脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。
知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。
「────この、感覚」
……以前何度か感じた悪寒だ。
体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。
「…………」
……気配がする。
すぐ近くに誰かが立っている。
誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。
微かな悪寒。
そして、再来した吸血鬼――――
「……けど、なんか……」
妙に気配が違う気がする。
反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。
「──ええい、ともかく確認……!」
「もしもし? そこ、誰かいる?」
ナイフを背中に隠して話しかける。
───と。
「こんばんは。何か用でしょうか」
突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。
「────」
その姿に、ドキリとした。
特徴的な服装と帽子。
可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。
「何か?」
「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」
「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」
「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」
さらりとした口調。
……言われてみればその通りだ。
なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。
「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」
「はい、はじめまして」
「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」
「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」
……って、そっか。
外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし……
「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」
「────」
少女はこっちをじっと見つめてくる。
……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。
「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」
「な────に?」
「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」
無表情のまま少女は言った。
悪寒が蘇る。
こめかみには針のような頭痛。
「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」
少女は僅かに腕を揺らした。
カチャリ、という聞き慣れない音。
少女の手には、黒い拳銃が握られていた。
「――――抵抗するのならどうぞ。
私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。
ここで、貴方の自由を奪う者です」
少女の体が跳ねる。
見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「つっ……!」
「そこまでだ。何のつもりか知らないが、これ以上やりあうのは無意味だろう」
「はい、私の敗北です。貴方のデータは揃っていたというのに読み切れなかった。
……綱渡りのような道行きでしたが、まさか入り口で終わってしまうなんて」
「……………」
「どうしました。私には抵抗する余力はありません。勝手な言い分ですが、できるだけ上手にしてくれれば助かります」
「……上手にって、あのな……君は俺を知ってるみたいだけど、ヘンな勘違いしてないか? 俺は血に飢えてる殺人鬼ってワケじゃないんだから、頼まれたって人を殺したりはしないよ」
「殺人鬼では、ない?」
「ああ。だから倒れた相手に追い打ちもしない。ケンカなんてしないに越したコトはないだろ。
君が俺を襲わないって約束するなら大人しく立ち去るよ。──君、吸血鬼に見えないし」
「……困りました。私は黙秘は使いますが、虚言はできません。ですから、また貴方を襲わない、とは約束できない」
「え……出来ないって、つまり……その」
「はい。この傷が癒え次第、貴方を拘束します」
「────」
「それが嫌ならここで私を殺すべきです。貴方ならそれは容易でしょう」
「………………ばか、容易なもんか」
「? 何か言いましたか、遠野志貴」
「言ったよ。またヘンなのに関わっちまったなってボヤいたのっ! ……ああもう、なんだってこうドイツもコイツも――――」
「――――不可解です。
私には、貴方が苦しんでいるように見える」
「俺には君の方が不可解だけどね。
けどアレだろ、君も自分の言い分は曲げないってんだろ」
「はい。私の解が間違えでない限り、私は私を変更しない」
「だろうな。そういう顔してるよ、君。
(っていうか、そういうヤツにばっかり出会うんだ、俺は)」
「だからまあ……その、そっちの事情を話してくれないか。さっきから俺をどうこうするって言ってるけど、その理由ぐらい話してくれてもいいだろ」
「……私の事情、とは目的の事でしょうか」
「ああ。なんとなくさ、君は悪人に見えない。
事情があるのなら聞くよ。……その、俺を襲ってきた理由にも興味はあるし」
「……解りました。私も貴方が悪人でない事は知っていたし、いま再確認しました。
遠野志貴には、初めから事情を話しておくべきでした」
「?」
「私の目的は吸血鬼化の治療です。
吸血鬼に噛まれた人間を元に戻す方法を、ずっと研究してきました」
「吸血鬼化の治療……?」
「はい。貴方も吸血鬼に噛まれ、人間でなくなった知人がいるのなら判るでしょう。
吸血鬼に冒された人間の末路は死です。
吸血鬼に成る方法はあるというのに、吸血鬼から人に戻る方法はいまだ確立されていません。
多くの魔術師がこの研究に挑み敗れ去っていますが、私は敗れるつもりはない。
不可能とされる事を可能にする。それがアトラシアの条件であるかぎり」
「……………」
「遠野志貴。貴方になら、吸血鬼化を治療したいという私の気持ちが分かる筈です。私と同じ、目の前で吸血鬼になってしまった友人がいるのですから」
「―――――――。
よくそんな事を知っているな、おまえ」
「ぁ……いえ、私に心遣いが足りませんでした。気に障ったでしょうか」
「……いや、いい。俺も大人げなかった」
「話はわかったよ。……吸血鬼化を治療したいっていうのは、なんていうか──そんな事を言われたら、君を憎む事はできなくなる」
「けど、どうして俺を襲ったんだよ。
別に俺は吸血鬼になってる訳でもないし、吸血鬼に詳しい訳でもないよ」
「もちろん貴方自体はサンプルにはなりえません。私は真祖の協力を求めてこの国に来たのです」
「え―――真祖ってアルクェイド?」
「はい。吸血鬼化の治療法を探るのなら、死徒の元となった真祖を調べなければ。
死徒に関する資料ならば教会に揃っている。
けれどそれだけでは鍵が足りないから、不可侵とされていた真祖を調べるしかなくなったのです」
「……そうか。けどアルクェイド、そういうの嫌がると思うよ。アイツ、なんていうか気まぐれな所があるから」
「承知しています。気高い真祖が人間の頼みなど聞いてくれる訳がない。だからこそ、遠野志貴に交渉役を頼みたいのです」
「こ、交渉役って俺のコト……!?」
「(こくん)」
「ばっ、ダメだってば、俺の言うコトなんてアイツが聞くもんか! なんだってそんなコト言い出すんだよ、君は!」
「え……あの、だ、だって貴方は、真祖のこ、ここ、恋人では、ないですか」
「────」
「貴方が間に入ってくれるのなら、少なくとも話はできるでしょう。ですから、まずは貴方を確保したかったのです。……それも、こちらの油断でこのような結果になってしまいましたが」
「む……油断って、さっきのコト?」
「はい。遠野志貴の情報は全て揃っていました。数値的には互角なのですから、熟知している分、私の方が勝率は高かった。だと言うのに敗北したのは、一重に私の能力が及ばなかったからです」
「……? あの、それって油断って言うんじゃなくて、その……単に実力って言うか───」
「な、何を言うのですっ! 今のは油断です! 余分です! 及第点以下です!
計算を間違えたのは私のミスでしたが、実力では私の方が勝っています!
大体ですね、貴方がどのような行動をとるかなんて一時間前に全て予測できていたんです。私が遅れをとったのは回避率0.5%以下の箇所で数値を振り分けられなかっただけではないですか!
つまりその箇所さえ間違わなければ立場は逆転していたのです。まったく、そんなことも判らないのですか貴方は!」
「え───あ、はい、すみません」
「あ……いえ、失礼しました。この話題は避けていただけると助かります」
「(……なんか。今までとは違ったタイプだな、この子……)」
「じゃあ話を戻すけど。つまり、本当なら俺を捕まえてアルクェイドをおびき寄せてたってコト?」
「はい。そこで正式に、真祖に協力を要請するつもりでした」
「そうか、だから今でも諦めないんだな。
……うん、まあ……そういう事なら、いいか」
「? いいか、とは何がでしょう?」
「だから、アルクェイドとの仲を取り持つぐらいはしていいよってコト。……まあ十中八九アイツは断るだろうけど、そうしないかぎり君は諦めないんだろ?」
「(こくん)」
「ほら、協力するしかないじゃないか。
だから手を貸すよ。正直、君の研究ってヤツには応援したいし」
「え………私を、応援する………?」
「ああ。そりゃあいきなり殴りかかられたのは驚いたけど、そんなのは今のでチャラだ。
……君の研究が叶うのなら、少しは───彼女も、報われる気がする」
「………………」
「アルクェイドの事は俺がなんとかするよ。って、実は俺もアイツを捜してるんだ。街の騒ぎがどうも気になってさ、アルクェイドなら知ってるかなってアイツの所に行ったんだけど───」
「真祖は姿を眩ましていた、のですね」
「そう。だから街を巡回しながら、噂の吸血鬼と気紛れお姫様を見つけだそうって思ってた」
「……解りました。それでは私は、貴方の目的に手を貸しましょう。噂を捜しているというのなら、私は貴方より早く噂の吸血鬼を発見できる」
「え、ほんと?」
「はい、本当に噂の吸血鬼が存在するのであれば。
情報収集は私の管轄です。バックアップさえあれば、一日程度でこの街全ての人間をリードできますから」
「―――いや、よくよく分からないけど、そこまでする事はないんじゃないかな」
(……というか、目つきが恐かったぞ、今)
「でも、そうだな。手を貸してくれるなら助かる。正直一人じゃ限界を感じていたところだし」
「では私は噂を追ってみましょう。貴方は」
「アルクェイドを捜して君の前まで連れてくればいいんだろう。それならなんとかなりそうだけど、その前に」
「その前に?」
「君、シオンって言ったよな。協力しあうんだから名前で呼びあった方がよくないか?」
「――――――――――――――――――――」
「……そうですね。それでは私の事はシオンと。
貴方の事は───」
「ああ、志貴でいいよ」
「────────」
「……し、志貴」
「うん、そう呼んでくれればいい」
「……志貴」
「うん」
「志貴。」
「だから、それでいいって」
「…………………………………………………………………………………………………………………」
「……………。
それでは、私は吸血鬼の情報を追ってみます。
志貴は真祖との話し合いの席を用意してください」
「ああ。けどすぐって訳にはいかないぞ」
「当然です。お互い準備に時間がかかるでしょう。ですからまた明日、夜になったらこのビル前で落ち合いましょう」
「オッケー。それならなんとかなりそうだ」
「志貴。少し、よろしいですか」
「えっ……? なに、頭にゴミでもついてた?」
「……似たような事です。それではまた、明日の夜に」
「ああ、それじゃ明日―――って、なんだか懐かしいな、これ。一年前を思い出す」
「?」
「なんでもない。それじゃまた明日の夜な、シオン!」
「……はい。それではまた明日、志貴」
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2/アトラスの娘 Sion Eltnam Atlasia
───その夜も、気が狂いそうな程暑かった。
「水、を……!」
水分を求めて走った。
夜の森を走った。
山道は険しく、周囲は地獄だった。
歩き慣れた砂漠に比べれば、木々が乱立した山道は針の山みたいだった。
同行していた騎士たちは皆死んだ。
生き残りはいそうになかった。
村に戻れた。
村人は皆死んだ。
井戸は枯れていた。
川は死体で埋まっていた。
それでも、水を求めて地面を這った。
「あ、はあ、あ……!」
咽せても飲んだ。
生き返るようだった。
そのうち何かが絡みついた。
服のようなそれは、際限なく絡みついてきた。
邪魔なので何度も引っ張った。
剥がしても剥がしても、水には布が絡まってきた。
川に口をつけるたびに絡まってくる。
はがしてもはがしても、ずる、と指に絡まってくる。
それは。
布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》…………!
皮膚だった。布状になった人間だったモノの亡骸。つま
り死体。中身をすべて飲まれた死体。だらしなくずるず
ると敷き詰められ押し込められ弛みきった何百人という
人間の外皮外皮外皮外皮外皮外皮外皮…………!!!!
「は、あ…………!」
────それでも、水が欲しくて飲んだ。
川につまったずるずるが邪魔でも口をつけた。
着ぐるみのような顔が滑稽だった。
そう、骨抜き 肉無し 内臓空っぽ。
衣服みたいになった人間で川は埋め尽くされていた。
人々は飲み尽くされた。
血液ごと、あの吸血鬼に飲み尽くされたんだ。
――――なんてアクム。まるでタタリ。
「アトラシア。おまえだけでも生き残れ」
騎士団の一人、唯一の知人が言った。
盾の騎士。彼女は女性だった。
だから生き残れた。自分と同じ。
逃がしてもらった。
彼女は、おそらく────
山道を走った。
夜明けまで走った。
出口などなかった。
呪いは自身に返る。
私を呪う私は、私から逃げられない。
目の前には
――――真っ黒い貌の“何か”が。
ごくごくと飲んでいた。
飲み込む以上の血液を、ソレは両目からこぼしていた。
だから足りない。
幾ら飲んでも満たされない。
「キ、キキ、キキキキキ……………!」
血の涙を流しながらソレは笑った。
黒翼がはためく。
黒い眼がにじり寄る。
ぼたぼたと赤黒い血が零れていく。
――――もうじき夜明け。
逃げようと這った足首に
ぬたり、と。
泣き笑いをする飲血鬼が――――
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そうして、私は目覚めた。
……時刻はまだ日中。
夢の中と同じように、今日も街は暑苦しい。
日中歩き回るのは苦手だと思う。
そもそも私たち錬金術師は建物の中で生きる者。
こういった肌を焼く陽光には慣れていない。
それでも約束がある。
彼──志貴と約束をした。彼の代わりに『吸血鬼』とやらの情報を集めなければ。
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街の様子は変わらない。
人の居ない大通り。
陽炎に燻る街並。
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たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。
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「────────」
[#挿絵(img/BG65.bmp)入る]
暑い。
砂漠生まれの私でもこの暑さは堪える。
[#挿絵(img/BG66.bmp)入る]
早く大きな建物に入って、集まっている脳から情報を引き出そう。
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私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。
神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。
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人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。
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……いや、別にそんな事をしなくてもいい筈だ。
私は、そもそも。
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[#挿絵(img/BG72.bmp)入る]
――――混乱している。黙ってほしい。カット。カットしないと。私はまだ悪夢の影響を受けている。冷静に。冷静に。カット。カット。自分の思考を、止めないと。
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「……………………っ」
疲れが溜まっているみたい。
喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。
「は――――あ」
肺にたまった空気を吐き出す。
吐息は熱くて火のようだった。
「くる……し」
微かな目眩がする。
休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。
私は、もってあと二日か三日。
「でも、私はまだ活動できる」
動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。
昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。
「ああ──そういえば。昨日は、本当に油断してしまったんですね」
志貴の能力は判っていた。
なのに彼の戦闘経験を明確に理解していなかった。
たった数回の戦闘と言えど、志貴が相手にしてきたモノは二十七祖や教会の代行者だ。
それだけの強者を相手にしてきたのだから、私なんて普通の敵にしか見えなかっただろう。
「少し、残念です」
……? なんだろう、今の発言は。
志貴には協力をして貰える事になった。
なら問題は何もない筈なのに、何が残念なのか。
「エーテライトなら打ち込んである。もし彼が協力を拒んでも、すぐに位置は割り出せる」
志貴と協力関係になった後。
私は彼の頭に直接触れて、エーテライトを接続した。
遠隔操作ではなく直接に打ち込んだエーテライトは志貴の神経に深く食い込んでいる。
だから────
「いざとなれば、これで」
……なんだかますます気分が悪くなった。
……余分な事を考えるのは止めよう。
とにかく、今は彼との約束を果たさないと。
◇◇◇
情報収集は容易く終わった。
街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。
だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。
「なのにみな噂を否定しない。信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂……」
街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。
無人の街並は彼等の心の在り方だ。
街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。
舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。
そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。
よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。
偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。
一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。
そして。
無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。
「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」
この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。
◇◇◇
シオンは時間通りにやってきた。
「こんばんは。時間通りですね、志貴」
「そっちも時間通り。どっかの誰かとは大違いだ」
……いや、アイツは思いっきり早く来たり、来ていたクセに隠れていたり、と時間そのものは守っていたワケだけど。
「志貴。真祖の件はどうなりましたか」
「それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」
「そうですか。彼女が行方を眩ましているのであれば、確かにそう簡単にはいきませんね」
「そうそう。アイツ気紛れだから、こっちの事情なんて知らずに遊び回ってるに決まってる」
「そうでしょうか。真祖は意図的に志貴から離れているのではありませんか?」
「―――意図的にって、シオン」
「ですから、街に再来した吸血鬼とは真祖である可能性もある、という事です」
「それはない。アルクェイドはそんな事は絶対にしない」
「……絶対。そう言い切れるなんて、志貴は凄いのですね」
「え――――あ、うん、どうも」
間の抜けた返答をしてしまった。
なぜか、シオンの言葉は皮肉ではなく感心したような響きがあったからだ。
「と、ともかくアルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないかもしれないけど、アイツは───」
「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」
「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」
「噂のモデル……? それって一年前の事件だろ」
「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。
なら真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」
「……?」
シオンの言う事はちょっと判りづらい。
いや、そもそも───
「シオン。訊き忘れていたけど、君って何者なんだ。吸血鬼の研究をしているって言うけど、それって──」
「私は錬金術師と呼ばれる者です。志貴も魔術師については知っているでしょう。こちら側にはシエルという人物が所属する“教会”の他に、魔術協会と呼ばれる組織があります」
「私はその魔術協会の一員です。協会は三大の部門に別れていて、そのうちの一つ、アトラスと呼ばれる部門に属しています」
「教会は吸血種といった超越者たちを敵視していますが、魔術協会《わたしたち》は彼等ともそれなりの協定を結んでいます。
……そうですね、黒でもなければ白でもない武力団体……というのが正しいでしょうか」
「……魔術協会……」
……はあ。そうなると先生も協会とやらに入っているんだろうか。ならシオンは先生を知っているのかもしれない。
「知りません。志貴の先生はロンドンの問題児ですから、アトラス院生である私とは関わり合いがありません」
「そうなんだ───ってシオン、君いま……!?」
「志貴の考えはだいたい判ります。そうでなくとも、志貴は思考が顔に出るようですから」
……む。秋葉たちに言われて慣れっこだけど、まだ知り合ったばかりのシオンに言われるのはちょっとショック。
「……まあいいけど。それじゃこれからどうしようか。俺の方は結果待ちだから、先にシオンが集めた情報を教えてもらうのはフェアじゃないよな」
「構いません。私が集めた情報は志貴が知っている情報と大差ないのです。ですから、私からも志貴に伝える事はありません」
「ありゃ。それは困った」
「ですね。こうなっては、やはり足で立証を得るしかないでしょう。再来した吸血鬼、噂の元となった誰かを捜すのなら、夜の街を巡回するしかない」
……むむ。やっぱりそれしかないか。
なんか、ますます一年前じみてきた気がする。
「それと……これは提案なのですが、志貴。探索は二人で行いませんか。私はこの街に不慣れです。志貴が案内してくれると無駄が省ける」
「え……そりゃあ一人より二人の方が心強いけど、いいのか? シオンの目的は吸血鬼の研究だろ。
なら……」
「噂の元が真祖でない、とは言い切れないでしょう? それに志貴の目的が果たせれば、志貴が真祖を捜す時間が多くなるのは道理です。
私だけで真祖を見つけても意味がないのですから、志貴には早く自由になってもらわないと。
こんな事、口にするまでもないと思いますが」
「────」
なるほど、そういう考えもありか。
それなら、まあ。
「じゃあ、お互いギブアンドテイクという事で」
「はい。出来うる限り、志貴の目的に協力します」
◇◇◇
「―――随分歩き回ったけど成果なしか。確かに街はヘンに静かだけど、おかしな雰囲気ってワケでもないんだよなあ……」
「まだ噂の域を出ていない為でしょう。時間が経てば嫌でも犠牲者は出てきます」
「? シオン、それってどういう────」
「危ないっ!」
「止まりなさい!」
「誰だ────!」
「せ……先、輩……?」
「遠野くん……!?
そんな、なんで遠野くんが彼女と一緒に──」
「──シオン・エルトナム。貴方、まさか」
「思い違いです、代行者。
私は志貴に協力を要請し、志貴はそれに応えてくれました。
そこに強制はありません。貴方が危惧しているような事は、決して」
「……そうですか。では、そこの少年は貴方とは無関係という事ですね。ここで貴方が襲われようと、貴方は彼に助けを求めない」
「────」
「せ、先輩、ちょっと待った!
なにか事情がありそうなのは判るけど、いきなり黒鍵を投げつけてくるのは」
「遠野くんは黙っていてくださいっ。
……まったく、どうしてこういつもいつも厄介事に顔を出すんですか!
それとも可愛い女の子の頼みならなんでも聞いてあげちゃうって言うんですか貴方は!」
「あ──いえ、決してそんなコトは」
「とにかく、遠野くんが横から口を出そうが聞きません。邪魔をするというのなら、おしおきの意味も込めて相手をします」
「そしてシオン・エルトナム・アトラシア。
貴方は発見次第、保護、もしくは拿捕《だほ》するようにと教会から手配されています。
アトラス協会からも同様の要請を受けていますが、何か反論はありますか」
「──ありません。ですがここで捕まる訳にもいかない。私を捕えるというのなら、貴方を破壊するだけです」
「そうだよ、いきなりそんなコト言われても──
って、ええー!? シ、シオン! 君、今なんて言った!?」
「従う気はない、という事ですね。
……いいでしょう。──教会の代行者として、貴方を捕縛します」
「ま、ついでに反省の意味を込めて、そこにいる協力者さんにも痛い目にあってもらいますが」
「うわ、先輩ってばどーしてそうやる気まんまんなんですかー!」
[#挿絵(img/WIN_CIEL.bmp)入る]
「っ………!」
「────!」
「手こずらせてくれましたね。ですがそれもここまでです」
「シオン・エルトナム。教会の命により貴方を拘束します。これ以上の抵抗は命に関わると思いなさい」
「く………」
「だめだ、待ってくれ先輩……! シオンは吸血鬼化の治療方法を調べているだけなんだ。何か事情があるにしたって、こんな力ずくで連れて行くなんて間違ってる……!」
「間違えているのは貴方です。シオン・エルトナムの罪状は、そんな単純な事ではないのですから」
「───シオン。関係のない市民を巻き込むのは貴方の本意ではないでしょう。大人しくアトラスに戻りなさい」
「……その要求は呑めません。大人しく退散するのは貴方の方です、代行者」
「愚かな。まだ無駄な抵抗を続けるというのですか」
「はい。それ以上私に近づけば、志貴の命は保証しません」
「え?」
「はい?」
「そ、それは…」
「……どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。シエル、貴方がここから立ち去らないのなら、志貴の脳を焼き切ると言っているのです。
私の腕輪にはエーテライトと呼ばれる擬似神経が収納されています。これがどんな物であるか貴方なら承知しているでしょう」
「エーテライト───そう、何処かで覚えがあると思いましたが、エルトナムとはあの男の直系でしたか。アトラス院は相変わらずですね。貴方のようなキワモノを容認しているのですから」
「他人《ロア》の知識で語らないでほしい。私は貴方の知る男とは別なのだから」
「ですが話は早い。このエーテライトは志貴の脳と繋げてあります。貴方が私を仕留めるより、私が志貴の脳髄を焼き切る方が速い」
「シオン、君……」
「……なるほど。初めから人質として使うために彼を連れていた、という事ですか」
「無論です。この街において、遠野志貴だけが貴方に対する交渉材料になるのですから」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「……はあ。そこまで開き直られては仕方がありませんね。ごめんなさい遠野くん。運が悪かったと思って諦めてください」
「────!」
「え────あの、先輩?」
「シオン・エルトナムに協力している遠野くんも悪いんですし、自業自得というヤツです。
ま、脳の神経が多少焼き切れた方が丁度いいですよ、遠野くんは」
「うわー、先輩本気で言ってるーっ!」
「…………」
「───なんて、簡単に結論を下せたら楽なんですけどね。
残念ですが、私はそこまで貴方を信用していませんよ、シオン・エルトナム」
「確かに貴方の方が彼を廃人にするのが先でしょう。どんなに私が手を尽くしても、それを止める事はできない」
「もっとも、それは治せない傷ではありません。
貴方を仕留めた後で彼を治療すればいいだけの話です」
「……ですが、貴方が遠野くんを操った場合は別です。わたしでは限定解除された遠野くんには勝てない。最悪、退く事さえできないでしょう」
「─────」
「ここで再起不能にされる訳にはいかない。確かにシオン・エルトナムの捕縛命令は届いていますが、それは数ある命令書の一つですから。
目下のところ、わたしの最優先事項はこの街に現れた死徒の処理。貴方の事は、この件が終わった後でなければならない」
「この街に現れた死徒って……先輩、やっぱり噂の吸血鬼はいるんだな!?」
「ええ。確かに教会で観測され、わたしに討伐令が下りました。……ですから、今は彼女の捕縛より死徒の殲滅が先です。けれど二度目はありません。次は見逃しませんからね」
「いいですか、その時までに彼女とは縁を切っておいてください。
……まったく、遠野くんはいっぱいやり残している事があるのに、どうしてこう、自分から厄介事に首をつっこむんでしょう……」
「先輩───見逃してくれたんだ」
「賢明な判断をした、という所でしょう。彼女にしてみれば、私たちに時間と労力を削くのは効率が悪いのですから」
「────」
「何でしょう、志貴。何か言いたそうな顔をしていますが」
「シオン。さっきの話は本当なのか。俺の頭に何か繋げているとか何とか」
「志貴の頭に繋げている訳ではありません。エーテライトと呼ばれる擬似神経を志貴の頭部に密着させ、神経の一つとリンクさせているだけです。志貴の脳にはなんら異状は与えていません」
「だから、何の為にそんな事をするんだ」
「志貴の位置を特定するのが第一目的でしょうか。貴方から私の知らない情報を呼び出す事にも使いますが」
「その延長上にさっきの脅しがあった訳か。俺の神経を焼き切るって言ってたけど、それは実際にできるのかよ」
「はい。難しいですが、成功率は高いでしょう」
「……頭にきた。こういうの、協力関係って言わないだろ」
「……そうですね。貴方が気分を害するのは当然です。ですから私は、知らせるべきではないと判断しました」
「隠してたってコトか」
「はい。そうなれば志貴は協力を断るでしょう。
私としては、貴方のように優れた協力者を手放すのは良くない。隠すのは当然です」
「……そう。それじゃ俺がどうしたいか判るな」
「無論です。先程のは最後の手段でした。使ってしまえばその後には続かない」
「───────────」
「志貴が私と別れるのは当然です。どうぞ、このままお帰り下さい」
「───────────」
「…………志貴。なにか言いたい事があるのでしたらはっきり口に────」
「───────────」
「────────」
「────シオン。
俺が怒るって判ってたってコトは、悪いコトだって判ってたってコトだよな」
「まさか。手段としては最適なのですから、それが間違っているとは思いませんが」
「(じーーーーーーーっ)」
「────────」
「(じーーーーーーーっ)」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「(……はあ。この子、嘘が上手いっていうんじゃなくて、単に嘘が言えないだけみたいだ)」
「いいよ。この話は無しにしよう」
「え?」
「だからさっきの件は不問に付すってコト。
……まあ実際、いい手だったとは思ってるしさ」
「は?」
「だから、ハッタリとしちゃあ最高だったってコト。シオンの判断は間違ってないよ。ああまでしなきゃ先輩は引き下がってくれないから」
「────────」
「……違います、脅しではありません。
先程の手段は虚言でも虚勢でもなく、私は本当に───きゃっ!?」
「ばか、こういう時は話に合わせるの。いいから、いつもみたいに“はい”って言えばいいんだ、シオン」
「は……はい、志貴がそう言うのでしたら───」
「よし、それじゃあこの話はここまで。他にもっと訊きたい事があるんだから、小さい事に拘るのは止めにしよう」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「それでさ。先輩はシオンが指名手配されてるって言ってただろ。アレ、どういう事なんだ。君は吸血鬼化の治療を研究しているだけじゃないのか」
「志貴の言う通り、私は吸血鬼化の治療法を研究しているだけです。ですが、それがアトラスの教えに反してしまった。
私の所属している魔術協会には一つだけ破ってはいけない戒律というものが存在します。私は自らの研究の為、その戒律を破ってしまった。アトラス院が私を捕えようとするのはその為でしょう」
「破ってはいけない戒律、か。
それって、その……人殺しとか、そういう事?」
「まさか。アトラス院の戒律はただ一つ。
アトラスの錬金術師は自己の研究結果を外部に公開してはならない、という事だけ。
……けれど、私の研究はアトラス院だけでは為し得ない。どうしても他の協会の知識が必要と判断し、私は各協会を回り、新たな知識の代価として私の知識を公開した。
これはアトラスにとって許されざる行為です。……私が追われている事は知っていましたが、まさか教会にまで手配が回っているとは意外でした。あと半年は知られない筈でしたが」
「……む。要するにシオンは他の学校に留学したんだけど、君の学校はそれを許してくれなかったって事?」
「……はい。極めて端的に言えばその通りです。私は自分から反逆者になったのです」
「反逆者って、そんなおおげ……さ、じゃないのか。先輩は本気だった。それはきっと俺じゃ想像できない事なんだろう。
……君の事だからルールを破ればこうなるって判っていたんだろ。なのにどうして自分から禁を破ったんだ」
「……私には、どうしても必要でしたから。
アトラスに留まっていては吸血鬼の研究はできない。あそこにいては、私はずっと間違えたままだった。
だからどうしても、私は吸血鬼化治療の方法を完成させなければならないのです───!」
「……しょうがないなぁ、ほんと。
(だって、放っておけないんだから)」
「よし。それじゃなんとかアルクェイドを見つけださないとね」
「え?」
「だーかーらー、シオンにはアルクェイドの協力が必要なんだろ? なら早くアイツと話をしないと。一度約束したんだから、最後まで付き合うって」
「……つまり、はっきりとは言えないのですが……貴方は、まだ私に協力してくれる意思があるのですか?」
「あるよ」
「私は貴方を盾として使いました。それが最適である以上、今後も使わないとは限りません。
それでも────その、」
「いいよ。だってさ、こっちの吸血鬼捜しだってシオンの協力なしじゃ難しいし」
「───────────────────────────────────────────」
「はい。わかりました、志貴」
「じゃ、改めてよろしく。……って、ああ、そういえば」
「仲間だっていうのに握手もしてなかったなんて、抜けてるなあ」
「はい」
「?」
「はい、握手。これからもよろしくな、シオン」
「…………(にぎにぎ)」
「? どうしたシオン、手を開いたり閉じたりして。あれ、もしかして俺の手、汚れてた?」
「…………(にぎにぎにぎにぎ)」
「???」
「(ピタッ)────志貴」
「う、え? な、なんだよいきなり、何か悪いコトしたか俺……!?」
「……私の体には無闇に触れないでほしい。アトラスから追われているとは言え、私はエルトナムの跡継ぎです。今後は気を付けてください」
「あ───うん、了解」
「それでは行動を開始しましょう。
昼間は私が情報収集をしますが、夜は共同で街を巡回した方がいい。
私だけで真祖と出会っても意味はありませんし、志貴一人で吸血鬼と出会うのも危険ですから」
「え────って、なんで早足で行くんだよシオン! 待てってば、こっちはさっきのダメージが抜けきってないってーの!」
◇◇◇
「……やはり、まだ収穫はなし、か」
寝床に戻ってきた。
あれから志貴と二人で街を巡回するコト三時間。
これといった成果はなく、私たちは再会を約束して別れた。
志貴は日中のうちに真祖と話をつけてくれるという。
私は、彼の代わりに街の情報収集をしなくてはならない。
[#改ページ]
3/謳え、汝ら蠅の如く Alice's insanity
――――夢を。
私は志貴と協力して吸血鬼を捜している。
同じ目的と違う目的。
志貴の円とシオンの円。
中心点は離れているけれど、重なっている部分だけを拠り所にした、曖昧で雑多な約束。
――――見ている。
彼は私を仲間だと言った。
仲間。協力者。同年輩のそういう相手は、どう客観的に考えたって、友人と言うのではないだろうか。
私たちは二人で吸血鬼を捜している。
志貴は私に協力してくれて、
私も彼には協力してあげたい。
そんな、今まで夢でしかなかった出来事が、さっきまで起こっていた。
――――だから、夢を見ている。
こんなのは一時の物。
私が錯覚しているだけの現実。
目が覚めて期限が来れば、志貴と私は無関係になる。
私はその時を待っている。
それが私の目的であり、終着だ。
……なら。
その終着まで夢が続いてくれるとしたら、それは喜んでいい事なのだろうか────
エルトナムの名は、アトラスでは焼き印のような物だった。
畏怖。嫌悪。敬遠。罪人。
声にこそ出されなかったものの、私はそういうモノとして扱われてきた。
古くから錬金術を学んできた一族。
かつては権力と威厳、尊敬の対象であった名門貴族。
それがただ、かつてそうだったモノにすぎない一族に変わったのはいつからだったか。
……私が生まれた時、エルトナムはすでに没落し、名ばかりの名門として無視されていた。
直接的な原因は三代前の当主が掟を破り、アトラスから離反した事。
二次的な原因として、私たちの技術が他の錬金術師に怖れられていた事。
色々な要素があったのだと思う。
私はただ、エルトナムの誇りを守る為に優等生であり続けた。
周囲がどんな目で見ようが構わない。
私の誇りは私を誇るモノ。
だから誰よりも優れた錬金術師であろうと努力し、主席を取り、あらゆる者に公平で、多くの責任を一任され、文武に優れた生徒を保ち続けた。
……私の中の暗い感情を隠し通して、輝かしい優等生を演じてきた。
周囲の者は見抜けなかった。
私を優等生として扱った。
私は学長の目に適い、次期院長候補の一人として特別な権利を握った。
シオン・エルトナムの将来に闇はない。
私には何の問題もなく、うまくいけば私の代でエルトナムの汚名を返上する事だって出来ただろう。
────なのに。
私は、道を踏み外した。
何も問題なんて無かったのに。
私を無視するしか反抗できなかった彼等。
エルトナムの跡継ぎとして遜色ない能力を持つ自分。
私の未来に問題なんてない。
あるわけがない。
そんな理由が見あたらない。
だと言うのに、私は疑問に囚われた。
それがどんな疑問なのか、どのような解を求めているのか、それさえも解らない正体不明の疑問。
その微妙なズレは刻一刻と比重を増し、いつしか私はその重さが煩わしくなって────
────優等生という化けの皮を剥がしたのだ。
◇◇◇
「……熱、い……」
肌を焼くような陽光で目が覚めた。
……時刻は正午を過ぎた頃だ。
体はまだ眠りを必要としており、体力だって一向に回復していない。
「いけない……昼間のうちに、情報を集めておかないと」
約束は守らないと。
あれだけの事をした私に、なんでもない事のように頷いてくれた協力者の為に。
「……この暑さは、確かに辛い、けど……」
手の平を何度も握る。
……残念ながら、そんな事をしても志貴の感触は蘇らない。
それでも───昨夜の感動は色あせてはいない。
「志貴の手は大きかったな。男性と女性は体格が違うのだと、実感できたのは初めてだ」
それに、同年輩の人間と何でもない会話をしたのも初めて。
この国に来て、予想外の収穫ばかりが増えていく。
「──約束だものね。タタリの情報はもう集める必要はないけど、志貴が必要だって言うんなら集めないと」
重い体を引き起こす。
私のやるべき事は一つ。
街に出て、出来うるかぎり人々の噂を収集する事。
「それが、志貴の助けになってくれればいいけど」
まあ、どのようなカタチであれ彼が感謝してくるのは判っている。
遠野志貴という人間は呆れるほど人なつっこい。
そんな彼の反応が新鮮で、私は彼を派手に喜ばしたがっていた。
「っ……!」
吐き気がした。
目の前が真っ赤になって、このまま倒れてしまいそうになる。
「───いけない。
今は、情報収集に集中しないと」
今の私には分割思考をする余裕さえない。
目的を果たさないと。
人影のない路上。
太陽の照り返しが煙る街へと歩き出す。
「────────」
体は苦しいけれど、心はそう苦しくはなかった。
私は出来うる限りの力で、無人の街並から情報を収集する───
◇◇◇
約束の時刻より早めに到着すること十分。
昨日と同じく、規則正しい足取りでシオンはやってきた。
「こんばんは、志貴」
「や。やっぱり時間通りだね、シオン」
「はい。待ち合わせの時間は決まっているのですから、遅れる事はありません」
……そう言うシオンの顔色は悪い。
昨日もそうだったけど、日に日に元気がなくなっていくように見える。
「シオン、君大丈夫か? なんか無理してるみたいだけど」
「心配には及びません。体の管理は錬金術師の基本ですから。そんな事より真祖の件はどうなりました、志貴」
「ああ、それなんだけど、今日も捕まらなかったんだ。どうも避けられている節がある」
「───やはり。そうではないかと予想はしていました」
「?? そうではないかって、シオンには判ってたっていうのか」
「断定はできませんが、まず真祖は志貴の前には現れない。この吸血鬼の噂が静まるまでは。
……まあそれはいいでしょう。それで志貴はどうしたのですか」
「ああ、なんとか俺なりの方法でアルクェイドを呼びつけてみた。アイツが一度でも部屋に戻っていれば、今頃は公園に居る筈だ」
「……公園、ですか。真祖が最も多く目撃されている場所ですね」
「? 目撃されてるって、誰に?」
「街の人々にです。日中、吸血鬼の噂を集めてみましたが、その大部分は真祖に関する物でした。
曰く、一年前の通り魔殺人の犯人は金髪の女性らしい。
曰く、通り魔は吸血鬼らしい。
曰く、ソレは公園に巣くっていて、一人ずつ街の人間を襲っていくらしい」
「な……なんだよそれ。まさか、噂の元がアルクェイドだなんて、そんな与太話を信じてる訳じゃないよな?」
「当然です。こんなものはただの噂でしょう。ですが、これだけ噂が一致すればリアルにもなる。
真祖は考えなしに夜の街を出歩いているようです。だから彼女の噂が最も多い。……他には赤い髪をした少女が獲物を捜している、というのも有りましたが」
「あ、赤い髪の少女〜〜?」
「……言ってみただけです。とにかく、最も多いのは真祖が通り魔だという噂です。それを踏まえて行動してください、志貴」
「……解った。とりあえず公園に行こう、シオン。今日こそはアルクェイドに会わせるから」
「…………そうですね。一度痛い目に遭った方がいいでしょう」
「ん、何か言った?」
「言いましたが、独り言ですので。さあ公園に行きましょう、志貴」
◇◇◇
公園に着いた途端、その異状さを感じ取った。
むせかえるほどの血の匂い。
肌にまとわりつく夏の夜気をかきわけて奥へと走ると、そこには────
「な────!?」
「────────」
「────」
白い月下。
地面という地面を血に染めて、無数の死体の上に、アルクェイドが佇んでいた。
「……ふん。失敗したクセになかなか真に迫ってるじゃない、コレ」
頭上の月を睨み、アルクェイドは楽しげに笑っている。
その雰囲気は、どこかおかしい。
アレは間違いなくアルクェイドだ。
けれど微妙に、アルクェイド以外の何かが混ざっているような気配がする。
「あ、やっときた。志貴、人を呼びつけたクセに時間を守らないんだもの。しかも知らない女と一緒だし。なんか、頭にきちゃったな」
クスクスと笑う。
その雰囲気、漂ってくる威圧感は明らかに異状だった。
自制を無くしているというか、お酒に酔った秋葉っぽいというか。
「ア、アルクェイド、これは────」
「ああこれ? 志貴があんまりにも遅いから、ちょっと気晴らし。ちょうど五六人固まってたから遊んじゃった。
けど血は吸ってないから安心して。
そう簡単に血を吸って、自制を無くすようなコトはしないから」
「────おまえ」
「なに、怒っちゃった? なら謝るけど、わたしだって手加減したんだよ? なのに人間って脆いから、撫でただけで死んじゃった。こんなんじゃ気は晴れないし、余計ストレスたまっちゃったわ」
「────」
「……違います、志貴。あれは真祖ではありません」
「……ふぅん。なぁんだ、誰かと思えば貴方なの、シオン」
「え───知り合いなのか、二人とも!?」
「…………………」
「ん? 違うよ、わたしとシオンは初対面。けどわたしとこうして遇うのは二回目よねぇ、シオン・エルトナム・アトラシア?」
「志貴。彼女が街を荒らしている吸血鬼です。この状況と彼女を見れば説明するまでもないですが」
「な……いや、それは違う。違う、筈だ。だってアルクェイドはこんな────」
「アレはアルクェイド・ブリュンスタッドではありません。そうですね、アルクェイド・ブリュンスタッド?」
「ええ。わたしはアルクェイドではないわ。ただアルクェイドなだけなのよ、志貴。
……あ、ますます混乱させちゃったか。じゃあ判りやすく言うとね、アルクェイドの偽物ってところかな」
「偽物……それなら納得できるけど、おまえは」
「偽物には見えない、と言うのでしょう。
それも当然です。アレはアルクェイド・ブリュンスタッドですから。
もともとあの死徒……“タタリ”には、偽物や本物といった概念はない。
アレはただ、人々の噂を纏っただけの醜悪な吸血鬼───」
「ふん、三年ぶりだって言うのに相変わらずね。けど、貴方のそういうところは嫌いじゃないわ。
だって、シオン・エルトナムはあらゆる出来事を敵に回した筈だもの。
それでも私を追ってきたコトは喜ばしいわ。
ええ、生かしておいて正解だったかしら」
「貴方の目的が自滅であるのなら正解です。私はタタリを止める為に来た。
消滅させる事はできずとも、おまえの邪魔をする事ぐらいは出来る───!」
「ぁ……くっ……!」
「お馬鹿さん。貴方、わたしを前にして正気を保てると思うの?」
「さあ、楽にしてあげるわ。本当は貴方を次にしても良かったのだけど、真祖の体の前には見劣りするものね。
……ほんとう、いつも間が悪い娘」
「ぁ……志、貴……」
「っ───!
……なによ志貴。わたしの邪魔をする気?」
「……あのな。そんな訳ないだろう、馬鹿」
「?」
「?」
「俺はおまえの邪魔をするんじゃない。その、アルクェイドとそっくりな顔でくだらねえ事をしたおまえを、解体し尽くしてやるだけだ」
「───へえ、人間にしては凄い殺気。……これなら確かに、今の大口も許せるかな」
「────────」
「いいわ、遊んであげる。志貴と遊ぶのなら気晴らしにもなるでしょうから!」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「やったか────!?」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「まいったなあ。まだ確定していないわたしを消してしまえるなんて、とんでもないフライング。志貴ってここまでデタラメだったんだ」
「けどこれも無駄な事よ、志貴。わたしを殺してまだ無意味だもの。
それにね、いくら例外だからってあんまり玩具は見せびらかさない方がいいわよ? ネタが割れてしまえば只の人間である貴方なんて、瞬きだけで殺せてしまう」
「言われるまでもない。そんな事は先刻承知だ」
「そう? なら良かった。それじゃあね、二人とも。次に私になった時は簡単に殺してあげる」
「消えた……いや、それよりシオン……!」
「シオン、大丈夫か!?」
「触らないで……!」
「いや、けど……」
「私には、触らないように、と言った筈です」
「…………………」
「心配はいりません。アレが消えたのなら倒れる事もないのですから」
「……君がそう言うんならいいけど。体の方は痛まないのか」
「それは志貴が考える問題ではありません。志貴が優先すべき事は、私ではなく先程の吸血鬼の事でしょう」
「……そうだな。それじゃあ訊くけど、今のアルクェイドは何者だったんだ。シオンやアイツは偽物だって言ってたけど、どう考えてもさっきのはアルクェイド本人だった。
アイツはアルクェイドの顔で五人も殺して……って、あれ? あれれ!?」」
「人間の死体などありませんね。散らばっているのはゴミ袋とその中身だけです。
……まあ、遠目から見れば動物の死体に見えない事はありませんが」
「な、なんで!? さっきは確かに人の死体だったし、血の匂いだってしてたんだぞ……!?」
「錯覚ですね。“公園には通り魔が現れる”という噂に惑わされただけでしょう。
それが先程の真祖──いえ、タタリと呼ばれる死徒の正体です」
「え? さっきのアルクェイド、タタリって言うヤツなのか?」
「……ええ。噂を現実の物にする死徒。否、人々の噂を利用して強力な姿を纏う吸血鬼。
今、この街に広まっている噂は異常です。人々の間で広まり、誰もが真実味を感じる擬似情報。これが普遍性を持った時、タタリという死徒は現れます。いえ、発生してしまう。
タタリとは本体に主体性はなく、あくまで人間の不安によって沸き立つ蜃気楼のような物ですから」
「……? ごめん、ちょーっと全然解らないんだけど、シオン」
「少し、全然解らない、ですか。
私にはその発言が解りませんが、まあ不問にしましょう」
「端的に言ってしまえば、タタリという死徒はカタチがなく、人々の噂が“現実になっても誰も疑わないモノ”になった時、そのカタチになるのです。
この街の人々は金髪の女性が通り魔かもしれない、という噂を信じ、
アルクェイド・ブリュンスタッドという吸血鬼を知っている志貴は、その噂を否定しながらも否定できない事を怖れた。
広まった噂と、事実を知る志貴《にんげん》が抱いた不安。それらを回収して、タタリはアルクェイド・ブリュンスタッドになったのです。
……先程のタタリは真祖の偽物ではありましたが、真祖そのものでもあります。少なくとも遠野志貴という人間にとっては本物以外ありえない。
志貴は真祖が吸血鬼のようになるのが厭だ、と思ったのでしょう? 街に現れている吸血鬼は真祖の偽物だ、とは思わなかった。
だから先程のタタリは、志貴が不安に思った通りの“吸血鬼になってしまった真祖”なのです」
「……なんだよ、それ。俺がそう不安に思ったから、アイツが現れたっていうのか」
「タタリ、とは祟り、ですから。
人間は自らが作り出した盲信によって滅びるでしょう?
タタリとは人間が生み出した不安に成る事で自己を存続させている死徒。
そして人々が思う“不安”だからこそ、タタリを生み出した人々にはタタリに抗う術がなく、悉くタタリに血を吸われる事になる。
……先程のタタリはまだ成りきっていなかったようですね。志貴一人の不安では真実の裏付けはできても普遍性が足りなかった、という事でしょう」
「……言葉だけじゃよく飲み込めないけど、ようするにタタリってヤツはみんなのイメージ通りの力を持つって事だろ。
なら、アルクェイドじゃなく、もっと他の出来事をみんなが不安に思ったらどうなるんだ」
「無論、その姿で現れます。
……タタリという死徒に実体は存在せず、タタリは現れる毎にその姿が変わっている。
過去で計測された最大のタタリは、山一つほどの巨大な獣神だったそうです。
もっとも、それは人々がいまだ闇を怖れていた時代の話。現代で発生するタタリはそこまで圧倒的なモノはありません。
ですが、今回のタタリが真祖の姿で固定してしまうのなら、それは過去最凶のタタリとなるでしょう」
「そ、そうなのか!? いや、確かにアルクェイドのヤツが見境なくなったらそりゃあ手に負えないけど……うわ、どうするんだよそれ!」
「どうしようもありません。そもそもタタリが完全に発生してしまった場合、タタリを生み出した地域は滅びるのは当然でしょう。
それがどのような規模のタタリであれ、タタリは人々の思った不安が具現したもの。不安に思っているモノなのですから、対抗できる筈がない」
「う……それは分かったけど、なんだってそのタタリが俺一人の不安で出来ちまうんだよ。
みんなが不安に思わないといけないんなら、俺一人がアルクェイドが吸血鬼ではありませんように、と思っても影響はないんじゃないのか」
「いいえ。ある意味志貴は中心にいるのです。タタリの目的は、つねにその地域で最悪のイメージに成る事。ですから志貴の不安がタタリになる可能性は高い」
「だーかーら、どうして俺なんだって言ってる」
「志、志貴は真祖と最も関わりのある人間ですから。真祖の寵愛を一身に受けているのだから、この街では二番目に重要視されています」
「真祖の寵愛って……なんか凄い響きだね、それ」
「そうですね。私も、少し言葉を選ぶべきでした」
「────」
「────」
「――――――――」
「――――――――」
「――――――――――――」
「――――――――――――」
「と、ともかく! そう思うのはシオンの勝手だけど、なんだってそんなコトで俺がタタリってヤツに重要視されなくちゃいけないんだ?」
「志貴が真祖をよく知っているからでしょう。
それ以外にも、志貴は実際に吸血鬼を知る人間です。
真祖が吸血鬼に成り下がる、という不安が稀薄でも、貴方にはまだ吸血鬼に纏わる不安がある」
「吸血鬼に纏わる不安―――例えばネロのヤツが生きていたら、とか、シエル先輩が秋葉とケンカしたら嫌だな、とか……?」
「ええ。それらも実現化する可能性も高いですね。無から有を作るより、有を害に変える方がより祟りに相応しい。
タタリは“呪い”をカタチにして使い魔にする死徒、と仮定して下さい。
この場合、タタリ自身が暴走した真祖になるより、もとからいる真祖に取り憑いて暴走させた方が効率がよいでしょう?
加えて、志貴の不安というイメージは他の誰よりも明確です。実際に多くの吸血鬼を見てきた志貴のイメージは、“見たこともない”吸血鬼を想像する街の人間より何倍も優れている」
「……じゃあ、さっきのタタリを倒しても、次はシエル先輩とか秋葉の姿で現れるって事?」
「可能性はあります。
……この街で考えられる最凶のタタリは真祖ですが、噂はまだ成熟していない。
タタリが死徒として現れるにはまだ時間があります。先程のタタリは、幾つかの噂を試している段階にすぎません。
ですから志貴が真祖ではなく、他の人物の吸血鬼化を不安に思えば、タタリはそちらに移行するかもしれない」
「それはまた厄介な……って、結局決定権は俺になるって事かよ」
「志貴のイメージは便利ですから。けれど決定権はこの街そのものにもあります。かつての事件、災害を怖れる人間も多い」
「……なるほど。詳しいんだなシオンは。まるでタタリの専門家みたいだ」
「はい。私は、タタリとはこれで二度目ですから」
「そっか、それなら詳しくなるよな……って」
「二度目!? シオン、君はアレと戦った事があるのか!?」
「はい、三年前に一度。
タタリが発生する地域と時間はランダムとされていますが、その実、タタリ発生の区間は念密に仕組まれたプログラムです。
私は教会からの協力要請を受けて、タタリ討伐に参加した事があります」
「教会からの討伐要請……けどタタリはここにいるんだから、失敗したって事?」
「失敗でした。タタリの討伐も、タタリを防ぐ事も。……教会はタタリというものを理解していなかった。
タタリは滅ぼせる物ではないとあれほど忠告したのに、彼等は通常の概念武装で立ち向かってしまった。
彼等も先程の志貴と同じように何度かタタリを消滅させた。けれどそれでは意味がない。タタリとは死徒の名を借りた自然現象のような物です。条件さえ揃えば何度でも発生する」
「条件さえ揃えば発生する自然現象……例えば雨とか雪とか?」
「はい。暴風を防ぐために雨雲を消去した所で、地球があるかぎり雨雲は何度でも発生する。
……タタリとは情報社会における台風のようなものなのです。
ですがこの台風の発生はそう多くはない。タタリ発生の条件はそう簡単には揃いませんから」
「……世界がある限り発生し続ける死徒、か……なんか、それって」
「(ロアに似ているな……自分にではなく周りに依存した存在って事で)」
「はい、なんでしょうか、志貴」
「あ、いや、なんでもない。それでシオン、その条件ってのはなんなんだ」
「大まかに分けて四つです。
一つ目、噂となるモノは個体、出来れば人間の延長でなければならない。
……これは最低限のルール、という訳ではありません。あくまでタタリ本人の希望でしょうね。元は人間であるタタリは、人間として発生しなければ知性を働かせる事ができませんから」
「次に二つ目。伝説が広まる区域は社会的に孤立していなければならない。
噂の普遍性の確立は広域では難しい。通常、タタリが山村に多く有るのはこの為です。……中には、この街のように予め手を加えておく事もあるようですが」
「次に三つ目。噂が広まる区域の中には一名、ないし数名の受取手がいなければならない。
受取手の基準は様々ですが、噂の元となった出来事を知っている志貴や、噂を広めている人物、という事ですね。
噂には終着点がなければならない。大抵は一人歩きし始めた噂そのものが受取手になるのですが、希に、噂を意図的に先導する事で自分の思うままにタタリを具現させてしまう人間もいます。
タタリと波長が合っているのでしょう。その人間には悪意はなく、なぜか自分の思ったとおりに事が運ぶ、と思う程度なのですが」
「そして四つ目。噂が広まる区域は、あらかじめタタリが定めた場所でなければならない。
そして人々の不安を現実へと孵せるのは一夜のみ。想念の固定はそれが限度です。
タタリは一つの固有結界ですから。一夜以上の発現は不可能です」
「以上が三年前に教会の騎士団に教えた事です。彼等は受け入れはしませんでしたが。
……初めから彼等が信じているのは一つだけですからね、このような話は信じるに値しなかったのでしょう」
「その結果として村人は全て死に絶え、騎士団も全滅した。
リーズバイフェ……団長が私を逃してくれましたが、彼女も生きてはいないでしょう。
そして私も逃げ切れる筈がなかった。
だというのに私が生き残れたのは、タタリが私にだけ情けをかけたからに他ならない」
「情けをかけられて、生き延びた……?」
「(……それは、つまり───シオンは、タタリに血を吸われて───)」
「ぁ……」
「…………………」
「……そうか。それならさっきの事も頷ける。あいつは姿こそアルクェイドだったけど、中身はタタリっていう死徒だった。
だから、シオンはアイツには逆らえなかった」
「……………」
「君が吸血鬼化の治療法を研究しているのもその為か。
……たしかに、それならどうしても研究は続けなくちゃいけない。住んでいた家から反逆者扱いされても、やらなくてはいけない事だった」
「───志貴の考えは正しい。
私は、タタリに噛まれています」
「三年前。村から逃げ延びた私は、森の中でタタリに捕まりました。……タタリは一代限りの死徒。決して二世は作らない異端です。だというのに、アレは私を生かした。
タタリは吸血種としては完成されていても、死徒としては半端な存在。
タタリは他者の血を吸い、他者に血を送っても、完全に支配下にはおけない。
タタリの血《どく》は吸血鬼として弱い物です。
だから私も、いまだ人間を保っています。
ですが今回のようにタタリがカタチを成した時、タタリの影響力は強大になる。
三年前から今まで、タタリが発生しなかったから私は私を保ってこれた。
けれどここでタタリが発生してしまえば、私は吸血鬼に成り下がるでしょう」
「────────」
「吸血種の肉体は人間の肉体より優れている。錬金術師である私が戦闘に参加できるのはその恩恵です。
ですが、優れた性能を持つ機体はより多くの燃料を必要とします。……燃費が悪い、とも言えますね。吸血種の体の維持には、通常の栄養摂取では追いつかない。
吸血種にとって最も栄養素の高いエネルギーは同種の血液。吸血鬼が血を求めるのは生命としての本能。……いつまでも、理性だけで抑えておける物ではありません」
「タタリが完全に発生するのは今日か明日かです。発生前でこれだけの負荷がかかるのですから、アレと対峙した時にどのような事になるか、私には判らない」
「アレが知性の稀薄なタタリになれば問題はなかった。しかし先のように知性がある場合、私は吸血鬼になる確率が高い。タタリは子である私を放ってはおかないでしょうから」
「死徒に血を吸われた人間は、親である死徒には逆らえない。……このルールが生きてるって事か」
「タタリが発生する一夜限りの事ですが。
ですから志貴。貴方がこの先もタタリと敵対するというのでしたら、その時の事を考えておいてください」
「────この先、君が吸血鬼になったら殺すか」
「そのような厄介事が嫌なら、今のうちに別れるか、です」
「……それで。どちらにしたって、シオンはタタリを追うんだろ」
「無論です。吸血鬼化の治療より、タタリ発生の方が早かった。吸血鬼化を避けるのなら、支配される前にタタリを消去する以外にない」
「君は、タタリには逆らえないのに?」
「逆らえない訳ではありません。タタリと敵対するのに意思力を必要とするだけです。
それでは志貴、貴方はどちらを選ぶのですか。私はこのまま別れる事を勧めますが」
「それは、なぜ」
「志貴は私から情報を得る為に協力していた。私とタタリを討つ為に協力していたのではありません。
仮にそうだとしても、私はいつ敵に回るか判らない不安要素ですから。
志貴がタタリを討つというのなら、私とは協力しない方が安全です」
「筋が通ってるね、それ。
けど、シオンが俺に教えてくれる事ってもう無いの?」
「……残念ながら、私が貴方に教えられる事はもうありません。ですから、このまま別れた方がよいと提案しています」
「…………分かった。そういう事にしよう」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
[#改ページ]
4/夜にその名を呼べば Around and Alone
────そうして。
気が付けば、もう次の夜だった。
「……信じられない。まる一日、何をしていたか記憶にないなんて」
いや、記憶はある。
昨夜志貴と別れた。
また明日、という別れではなく、協力関係を断つ別れ。
その後の記憶が曖昧だ。
私は疲れ切った体を引きずってここに戻り、そのまま────ずっと、今まで眠っていた。
「…………そんなに」
重い、コトだったのだろうか。
初めから夢だと判っていたのだ。
なのに、夢から覚めたら現実にいるのがイヤになったとでも言うのか。
「それは有り得ない。全て計算の内だったのだから」
志貴にタタリと私の関係を知られる可能性。
そうなってしまった時の、この当然の結果。
それらを全て予測した上で遠野志貴と協力したというのに、私は。
───残念ながら、私が貴方に教えられる事はもうありません───
「なにが───残念なものか。判っていた事を残念がるという事は、答えが間違えていたという事。
それは有り得ない。私の予測に間違いはないのだから」
……そんな事より行かないと。
タタリが現れるのは恐らく明日。
その前に雑多な噂は全て否定して、タタリのカタチを固定しなければならない───
◇◇◇
「あ……」
何故ここに来てしまったのか。
今日はまだこの場所に用はないというのに。
「……いけない……気を抜くと、本能だけで動いている」
その本能は何なのか、
何を求めて、
誰を求めているかのか、
考えるのは止めにした。
プランは移行したのだ。
私は一人で事を成さなければならない────
一人で街を歩く。
……全てが疲れ切っているのだろうか。
私は今までずっと一人だったのに、今ほど、独りだと実感した事はなかった。
街には相変わらず人の姿がない。
ただ蒸し暑い、うだるような夜。
無音の街で唯一生きているのは、コンビニエンスストアの明かりぐらいか。
「はい差し入れ。
暑いから冷えたジュースは格別だぞ」
「────」
うるさいと思う。
けれど、確かに美味ではあった。
錯覚だったけれど、喉の乾きが癒えたのは何年ぶりだったろう。
交番は無人。
警察官は巡回中なのだろうが、巡回している警察官とすれ違った事はない。
これでは何のための交番なのか。
「けど銃ってのは物騒だな。いや、先輩も物騒って言えば物騒だけど……え、俺?
俺は問題ないと思うけど……ま、お巡りさんに見つかったら捕まるのは一緒か。横にいる誰かさんの格好も目立つし、目があったら逃げる事にしよう」
「────────」
なんだ、アレは私の服の事を言っていたのか。
……少し、感情がささくれ立った。
この服は私の唯一の趣味だ。
せめてこれぐらい着飾ってもいいだろうに、あんな事を言うなんて。
彼は失礼だ。
周りの人間がちゃんと注意してやらなければいけないだろう、うん。
ホテルには明かりがない。
今の街では利用客もいないのだろう、ホテルは廃墟のように静かだ。
「俺だって眠いってば。うちに帰っても眠れないし。
……あのね、夜は部屋で寝てる事になってるんだから、昼間は起きてないと怪しまれるだろ。
うちの連中、みんなそれぞれヘンに鋭くてさ。
誤魔化すのが大変なんだ」
「────────」
断言しよう。その努力は無駄だ。
私でさえ彼の不審な態度が見抜けるのだから、私より親身である肉親に露呈しない筈がない。
……それでも黙って騙されていよう、と思わせるところが彼の人徳というヤツだろうか。
大通りから離れていく。
この付近の路地裏は公園に次ぐ“淀み”だ。
それを説明した時、彼は────
「────無意味な。何をしているんだ、私は」
もういい。
もういい。
もういい。
もういい。
認める。
私は残念がっていると認める。
出来ればあのまま、最後まで友人であってほしかったと認める。
───だから。
認めるから、出ていってほしい。
「ぁ────」
倒れそうだ。
喉が渇く。
それを。別れてしまった友人を“欲しい”と認めた途端、吐き気がした。
首筋が痛む。
穿たれた神経が脈打ち、塞がった筈の傷口から吹き出しそうになる。
喉が乾く。
まるで心臓が喉にあるみたいに、ドクンドクンと早く早くと要求してくる。
「は────ぁ────!」
「はぁ……ぁ……はぁ、あ────」
頭痛と吐き気に導かれてここに来た。
ここに近づけば近づくほど、頭痛も吐き気も小さくなってくれたから。
そして此処には。
「っ────そんな事も、見抜けない、なんて」
「否、誰しも救いには縋るもの。そう己を責める事はあるまい」
一つのタタリが、待ち受けていた。
「……愚かな。昨日志貴に敗れたばかりで実体化するとは。これで敗れれば、明日を待たずにここで滅びる事になるでしょうに」
「敗れれば、の話であろう。今の貴様程度、呑み込むに時間はいらぬ。我が目的の為、その脳髄を頂こうか」
「甘く見ないで貰いたい。そう簡単に敗れるものか────!」
[#挿絵(img/WIN_SION.bmp)入る]
「っ……!」
「よく戦った、シオン・エルトナム。
だがそこまでだ。
どのように思考を巡らせたところで、その体はとうに限界であろう?」
「っ────は、あ────」
「さらばだ。三年もの徒労、ご苦労だったな」
……意識が、落ちた。
これで終わり。
私の時間はこんな所で終わる。
……そこに無念はなかった筈だ。
何故なら、この最期だけは、どう計算しても導き出された答えだったのだから────
「───貴様。
一度ならず二度までも私に刃向かうか」
「それはこっちの台詞だ。
一度ならず二度まで現れやがって。
この街に、おまえが居ていい場所はない」
ああ。また、夢を見ている。
これは醒めた筈の夢だ。
……少し、幸運だな、と思えた。
だって最期の時に、一番欲しかった夢が見れたのだから───
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
────そうして、彼は吸血鬼を一閃した。
「UFJK? 214uI[[[? KCFKDSGHSOPGJ%$’(&!??????」
断末魔がこだまする。
かつてこの街に現れた吸血鬼、二十七祖と分類される死徒の王が薄れていく。
「YUdfg、、AGAAAAX!!!!!!」
薄れていくタタリ。
見届けようと目蓋を開けようとしたが、体はうまく動かなかった。
「────」
彼が何か言っている。
それで、これが夢だと判断した。
私は自分で思っているより可愛らしい所があるようだ。
ヒロインのピンチに颯爽と現れるヒーローに、本気で憧れていたんだから。
……けれどこれは夢。
まず彼が助けに来る事は有り得ない。
仮に彼が夜の巡回を続けていても、ここに訪れる確率は皆無だし、何より、彼は私の正体を知ってしまった。
吸血鬼を憎む彼が、吸血鬼である私を助けにくるなんて、矛盾している。
だからこれは夢だ。
死の間際、死を直視する事が出来ずに見ている幻想。
………………うん。
けれど、無様ではないと思う。
口元が緩んだ。
最後にこんな都合の良い夢を見れるなんて、自分を褒めてやりたい気持ちになって────
[#改ページ]
5/夜が明けたら GOODBYE
「……朝?」
気が付けば寝床に戻ってきている。
体に異状はない。
いや、もとより異常な体だが、昨夜のように活動限界を迎えてはいなかった。
「……喉の渇きはいっそう強くなっているけど、傷は完治しているみたい……」
……記憶が混濁している。
昨夜の出来事は何処までが現実だったのか。
ネロ・カオスのカタチとなったタタリと戦闘し、敗れた。
その後、半死半生で此処まで戻ってきた。
「タタリとは相打ちだった。ヤツは私を倒せはしたが、追い打ちをかける程の余力はなかった、というところか」
………………。
…………………………。
………………………………………。
「───落第だ、私は」
希望的観測もいいところ。
敗れた私が、アレから逃げられる筈がない。
「……なら、もしかして」
願って、吐き気がした。
それこそ希望的観測ではないか。
その可能性だけはない。絶対だ。
「絶対、ですか。そんな言葉を口にするようになるなんて」
私は、私が認めていたほど強くはなかったらしい。
たった数日でここまで壊れてしまうのだから。
「……判っている。タタリは私をあえて見逃しただけだ。三年前の夜と同じように、情けをかけた」
感情の起伏で視界が赤く染まった。
これは怒りだろう。
私は、二度までもあの汚らしい吸血鬼に情けをかけられた。
仲間だと見逃されたのだ。
「───許さない」
私はエルトナムの名を汚したヤツに復讐する。
タタリが完全に孵るのは今夜だ。
時間はあまりない。それまでは一切の思考をカットとして戦いに備える。
……昨夜のように。
未練で思考が鈍化せぬよう、夢という夢を断ち切って。
◇◇◇
建築途中の高層ビル。
此処がタタリの発生場所である事は、最初から判っていた。
私は吸血鬼の気配を追ってこの街にやってきたのではない。
あくまでタタリの法則を読みとり、次の発生場所がここだと断定したにすぎないのだ。
判っていたのはタタリと真祖が同じ地域に有る、という事だけ。
この街も、私に協力してくれた彼の事も、初めから重要な要素ではなかった。
「────行こう。じき零時だ」
乾きと痛みで停止しそうな思考を動かして、前へと進む。
と。
「───そんな体で何処に行くんだ、シオン」
ビルの入り口には、憮然とした志貴の姿。
「…………………………志貴?」
「ああ。なんとなくここだろうなって思って、待ってた」
「───それは、どうして」
「あのな。口で言わなきゃ判らないのか」
「────────」
判らない。
彼の行動が判らないのではなく、彼を前にした途端、何も考えられなくなった自分が判らない。
「あ────」
それでも、考えないと。
彼が此処にいるのはおかしい。
彼が私の前にいるのはおかしい。
だから、何か理由がある筈だ。
合理的で、必然性があり、証明力のある理由。
「───そう、でした。
申し訳ありません、志貴。私は忘れ物をしていたのですね」
指を引いた。
志貴の頭部と同化していたエーテライトが解けていく。
「今エーテライトを離しました。これで志貴は自由です」
そう、たしかにエーテライトが繋がったままだった。
いくら志貴でも、自分の命を私に握られていては黙ってはいられない。
……彼に指摘されるまで、そんな事さえ私は忘れていたのだが。
「………………………」
「志貴……? 用は済んだ筈です。どうして、そう」
立ち去りもせずに黙って、私を睨み付けているのか。
まるで、今の発言に怒っているような素振りで。
「はあ。シオンは言わなきゃ解らないんだな。
……まあ、それはお互いさまな訳だけど」
「昨日だって待ってたんだぞ。なのにいつまでも来やしないから街中走り回る事になった。俺は君と違って何も知らないからな。足で走り回ることぐらいしかできない」
「……判らない。志貴、貴方は何が言いたいのですか」
「何が言いたいかって、そんなの判ってるだろ。俺たちは互いの目的の為に協力するって約束したじゃないか。
俺の目的もシオンの目的も、まだ何も果たせていない。だから───まだ協同戦線は終わってないってコト」
「……失望しました。私が言った事を志貴は理解していなかったのですね。
いいですか、貴方はこの街を守る為にタタリを追っている。ならば私の側にいるのは危険でしょう。
私はタタリの下僕と同じ。いつ吸血衝動に駆られて貴方に襲いかかるか判らない。
そんな獅子心中の虫を抱えて吸血鬼退治をするなど、論の外です」
「そうかな。確かに危険かもしれないけど、なんでか君がいないとタタリって死徒は追い返せない気がするんだ。
それにもし君がタタリに支配されちゃったら、声をかけるヤツが側にいないと困るだろ。
いくらシオンでも、近くに応援してくれるヤツがいないとタタリに負けちまうじゃないか」
「─────────────────────────────────────────────────────────────────」
「それは過大評価です。私はタタリの支配力に抗えるほどの理性はありません。近くに誰がいようと、タタリに支配されれば下僕になるしかないでしょう。だから」
「そんな事はないと思うけど。
……んー、まあそうなったら逃げよっかな。さっきも言ったけど、逃げ足だけは自信があるから」
「────」
……ああ、最悪だ。
私は、彼を論破できない。
そもそもこの人物に説明なんて通じない。
理論とは、つまる所プラスとマイナスだ。
けれど彼の心は損得と関係のないところにあるのだから、理で言い伏せる事なんてできない。
……それに。
力ずくで否定しなければならない私こそが、彼の言葉に、打ち負かされてしまっている。
「……私は吸血鬼です。それでも行動を共にするのですか」
「血の匂いのしない吸血鬼には協力的なんだ。それが友人なら尚更」
「───いいでしょう。
そこまで言うのでしたら反対はしません。タタリはじきこのビルの最上階で実体化します。
覚悟は、本当にいいのですね」
「ああ。二人でタタリとやらをぶっ倒しに行こう」
二人で、と言って志貴は歩き出した。
その背中を、ぼう、と観察する。
「シオン? どうした、急がないといけないんだろ」
それは当然だ。
……だというのに、ふと思ってしまった。
……もし、許されるのなら。
タタリなど放っておいてここで彼と引き返してしまえば、それはどんなに────
「っ……ぁ」
喉が痛い。
それは私が私を責める痛みだ。
私の三年間は、タタリへの復讐しかなかった。
それを今になって弱めてしまった私に、シオン・エルトナムが警告した痛み。
「―――――――――はい。急ぎましょう、志貴」
首筋を指で隠して、志貴の後へ続いていった。
◇◇◇
……エレベーターが上がっていく。
狭い筺の中で、私と志貴は無言だった。
「最上階に着いたみたいだな」
「志貴。もう一度だけ確認します。もし私がタタリの支配下に落ちた時は、犠牲者を出す前に殺すように。ここまで同伴した志貴には、その義務があるのですから」
「…………努力はする。だからシオンも」
「無論です。全力を持ってタタリと戦います」
無言で頷きあった時、エレベーターの扉は開いた。
「───早い……! もうあそこまでカタチになっているなんて……」
「アレがタタリの本体……くそ、まずいな。線が視えない」
「……そうでしょうね。志貴と言えど、今のアレから死の線は視えない。流石の貴方でも言葉は殺せない。その中でも、アレはまだ言葉にもなっていない言葉です。
まだ存《い》きていないモノは貴方には殺せない。
私たちはアレが今回のタタリに孵るのを待つしかありません」
「……なるほど。けどそれも必要ないみたいだな。アイツ、やっぱり」
「アルクェイドに、なりやがった」
「やはり───この街で最も力のある素体、実際に吸血鬼を知る人間が思い描いた姿を祟りましたか、タタリ」
「当然でしょう、シオン。わたしは元々真祖になる為にタタリになった死徒だもの。失敗してこんな現象になってしまったけど、万が一の保険をかけていて助かったわ。
まさか本当にこんな数奇が巡ってくるとは信じていなかったけど」
「……そうでしょうね。貴方が生きていた十五世紀では、真祖の王族が人間に懐柔されるなんて可能性はまさに皆無だった。
……貴方が評価される点があるとしたら、自身が導き出した未来予測を信じられたこと。
……私なら、こんな確率があるなんて認めはしなかった」
「それが貴方の限界ね。優れた思考回路を持っていても、回路に走る理論が未熟だわ。
まあ……それも、少しは成長したかしら。一人では勝てないから志貴を連れてくるなんて、昔の貴方からでは考えられないもの」
「彼は立ち会いです。私がタタリに屈した時に、この首を落として貰う為の」
「そうなの? 志貴はそういうの嫌がると思うんだけどなぁ。ね、志貴?」
「……ああ、イヤだ。けどこれはシオンとオマエの戦いだからな。シオンが手を出すなっていうんなら、彼女が負けるまで手は出さない」
「あはは、志貴らしいね、それ!
うん、それなら少しは遊んであげてもいいかな。
シオンなんてわたしの吸血衝動を流してあげればすぐに堕ちるだろうけど、それじゃ退屈でしょ?
志貴にはシオンが苦しみ悶えてグチャグチャに潰れるところを見せてあげる」
「もちろんその次は志貴の番よ。
志貴なら、わたしが街に出て飲み尽くす前の準備運動に丁度いい。
うん、白状するとね、真祖であるわたしをバラバラにした貴方のコト、ずっとどうにかしてやろうって思ってたんだ」
「───黙れ、吸血鬼。
アルクェイドの顔で、アルクェイドの声で、そんな外衆な笑いをするんじゃねえ」
「あら、気に障った?
いいわねえ、シオンなんかよりよっぽど美味しそうよ、貴方」
「────」
「志貴、気持ちは分かりますが抑えて……!
貴方には、私が敗れた時の役割があるでしょう……!」
「…………っ」
「戯言はここまでですタタリ。貴方と因縁があるのは私だけ。志貴に手を貸してもらうまでもなく、私だけで処罰します」
「……ふぅん。貴方一人で私を倒す、か。
随分と思い上がっているようだけど、それじゃあ少しだけ力の差を見せてあげる」
「───! ここ、アルクェイドの城……!?」
「ええ。わたしは真祖の姫、アルクェイド・ブリュンスタッド。こうして自分の世界を具現化する事なんて簡単よ」
「そしてここではわたしを縛る法則はない。あらゆる束縛から解放されたブリュンスタッドがどれほどの魔王か───この偽りの月の下で、泣き叫ぶまで教えてあげる……!」
[#挿絵(img/WIN_SION.bmp)入る]
「驚いたわ。貴方にここまで適性があったなんてね、シオン」
「ハァ、ハァ、ァ────これで、やっと……!」
「ええ、貴方の勝ち。わたしもそれは認める。だから潔く消えてあげるわ。
───後は、貴方が辿り着いてくれるだろうしね」
「……? 私が、何を……」
「真祖の体もイいけど、それデハ所詮朱イ月マデという事ダ。ワタしは、かつてのわタシが挑んだ第六法に、再戦スベキだ」
「っ……! 志貴、私を殺しなさい……!」
「え──ば、ばか、そんな事できるか!」
「いいから早く! でないと私が────」
「タタリになる、のダ。我が娘ヨ、エルトナムの体を、ヨクゾそこマデ鍛エ上げてクレた……!」
「っ……何が、どうなった……?」
「……! シオン、大丈夫か!?」
「……………………志、貴」
「……良かった。無事だったんだな、シオン」
「…………はい。けれど、やはり、こうなってしまった」
「? 何を言って────!」
「っ……! シオン、何を――――て、君。
目が、赤く――――」
「……見ての通りです。タタリの消滅と私の限界は同時でした。軍配はどちらに上がったのかと言えば、タタリに上がったのでしょう」
「タタリは消滅の際に、その吸血衝動を全て私へ受け継がせました。いえ、そればかりかタタリの意思さえも、私の中で渦巻いている。
もはや説明はいらないでしょう。
私は完全に死徒となった。タタリの後継者に成り果てたのです」
「…………いや、違う。そんな事はない。シオンはちゃんとシオンのままじゃないか。
なら───タタリの支配なんて、受けてない」
「タタリではない、と言うのですね。
……ええ、それは正しいのです、志貴。
実を言うと、タタリの意思なんて私には通じない。彼の望みなんて、私には取るに足らない事ですから。
こんなものは、そう」
「────────」
「これで消えた。タタリはすでになくなりました」
「そうか、良かった……ならシオンは元のままじゃないか」
「────いいえ。私は以前とは違う。
もう、人間には戻れない」
「……吸血鬼としての体を理性だけで抑えてきましたが、その理性が負けてしまっている。
……こうしているのも辛いのです。
けれど、これは約束だから。
せめて志貴には、話しておかないと」
「な、何言ってるんだよ。タタリはもういないんだろ。ならシオンを脅かすモノはない。今まで通りに────」
「───ええ、タタリはいない。
けれどタタリとは関係のない所で、私はもう耐えきれない」
「……今目の前にいるのが貴方でなければ良かったのに。
そうであれば、私は耐えられたかもしれない」
「……志貴。死徒を吸血にかきたてるのは、単に生命維持だけではありません。
人間としての感情が残っているほど、死徒はある感情に突き動かされて人を襲う。
……この理由が乏しくなれば吸血鬼として一人前なのでしょう。多くの死徒が、ただ遊びだけで人の血を望むように」
「けれど私はまだ若い。
タタリのようにただ愉快だから血を飲むのでもないし、死徒たちのように強くなる為に血を飲むのでもない。
私はただ───貴方の血が欲しい、志貴」
「────シオン、君は」
「約束です、志貴。
貴方は覚悟がある、と言った。
なら───今、その覚悟を果たしてほしい。
私は、吸血鬼としての私を容認できない。
誰かから、人から奪わなければ生きていけない体は嫌いだ。私はこれ以上、奪い続ける自分には耐えきれない」
「けれどそれ以上に、今は志貴の血が欲しい。
そうでなければ、すぐにでもこの首を撃ち抜いているでしょう。
私は私を殺せない。だから────」
「────俺に、君を殺せって言うのか」
「はい。そうしなければ貴方が殺されるだけ。
私は終わっています。
一度血の味を知れば見境がなくなる。
その前に────」
「……ふざけるな」
「さあ──大人しくしてください、志貴……!」
「……ふざけるなよ、ちくしょう……! なんだってまた、こんな事をしてんだ俺は……!」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「……………………」
「────────」
「────っ……! ハァ、ァ、ア……!」
「ぁ、ぐ───っ……!
はぁ、あ……わた、し、生きて、る───?」
「……………………」
「……なんで……? どうし、て……止めをさしていないの……ですか、志貴……」
「俺は襲ってきたシオンを倒しただけだ。大人しくなったんなら、それ以上やる事はない」
「馬鹿な……! 吸血鬼の体は人間とは違います!
この程度の傷、すぐに回復してしまう。
吸血鬼を無力化するには完全に命を絶たなければいけない。
貴方はそれを知っている筈なのに……!」
「────────」
「志貴、早く止めを……!
体が動くようになれば、また私は貴方を襲います。
その前に、早く──」
「───うるせえ!
都合のいい事ばかり言うな、この馬鹿野郎……!」
「え、志貴……?」
「その前に早く、だと? なんだよそれ。早くってなんだ。早く何しろってんだよ。俺に殺せっていうのか。吸血鬼だから殺した方がいいって言うのか。
なんだよ、俺に────また、泣いてるヤツを殺せっていうのか、おまえは……!!」
「あ────」
「お断りだ。そんな事、誰がやってやるもんか。
俺は繰り返さない。
シオンがシオンでいるうちは、絶対に終わりになんかしない────!」
「───違う。志貴、わた、私は、そんなつもりで言ったのではないんです。私は彼女のように助けを求めている訳じゃない。ただ、吸血鬼に成り下がる前に貴方の手で────」
「それも同じだ! それとな、軽々しく弓塚の事を口にするな。彼女とシオンは違う。弓塚は、人の血がなければ生きていけない体だった。
でもシオンは違うだろう。
今までだって血を吸っていなかった。ならまだ成りきってないじゃなか。
それがなんだ。吸血鬼を……吸血鬼になっちまった人間を治すってのがさ、おまえの目的じゃなかったのかよ、シオン……!!」
「────────────────」
「だっていうのに今はただ血が欲しい、だ!?
そんなの我慢しろ!
今までだって我慢してきたんだろう、ならこれからも気合いでねじ伏せろ!」
「な……気合いなどと、そんな根拠のない事で抑えられるものではありません……! この、今も心臓が蒸発しそうな衝動を知りもしないクセに、貴方は……!」
「そうかよ。それじゃあ落ち着くまで付き合うだけだ。……いいぜ、血が吸いたくて傷が治ってるんだろ? ならこいよ。おまえがいつもの冷静さを取り戻すまで、何度でもぶっ倒してやる……!」
「っ……!
こ、この……後悔しても知らないから……!」
◇◇◇
「ぁ……はぁ、はぁはぁ……ば、化け物ですか、貴方、は────」
「はん───そんな大振り、当たるもんか───四回目あたりからな、動きがとんでもなく大雑把になってるぞ、おまえ」
「く―――そんな筈は、ありません―――私は冷静に、志貴の動きを予測してい、いるんです、から───」
「のわりには、さっきから、糸も、銃も使ってないじゃない、か、シオン」
「そ、そんな、嘘、です───私は、ちゃんと」
「使ってないって。まさかな、この歳になって駄々っ子のケンカに付き合わせられるとは、思わなかった。
───しかも汚い。そっちはすぐに、腫れが治まるんだもんな───いや、シオンが非力で、良かった。吸血鬼になって、ようやく人並み、だ」
「と、当然、です。私はもともと、タタリという吸血現象に噛まれただけの、半端な吸血種です、から。人の血を吸って、初めて標準的な吸血鬼に、なる」
「そっか……で、どうだよ。第8ラウンド、行くか?」
「無理です、ね。もう体が、動かない」
「なんだよそれ。俺よりピンピンしてるクセに」
「気持ちの上で、です。志貴は空振りさせるコトばかり狙うので、ひどく、疲れます」
「───そう。
じゃ、落ち着いたか、シオン」
「……ええ。志貴が欲しい、という衝動は、なんとか。今は別に、志貴が憎くてしょうがないのですが」
「……む。問題は解決してないのか、それは」
「はい。せめて一回、志貴の頭を叩かないと、気が済みません。
こんな幼稚的な────愉快な気分に、させて、くれやがり、まして」
「シオン。君、言葉遣い、恐い」
「これも志貴の所為です。先程から志貴があまりにも口汚かったので、スラングが移ってしまった。
ああ、もう───本当に、移ったかも」
「移ったって、何が?」
「さあ、なんでしょう。───ともあれ、しばらく休みましょう。私も志貴も、満足に動けない」
「そうだな───って、回復したところでだまし討ちはダメだぞ。まだ血が吸いたいっていうんなら戦闘続行」
「───いえ、私の降参です。
どのような事になろうと、私は貴方を襲う事はできない。
……そして血が飲みたい、と思った人間は今のところ志貴だけですから、志貴以外の人間は襲いません。……志貴は、私に勝ったのですから」
「? よく分からないけど、いいなら、ま、いっか。それじゃ少しだけ────」
「はい。お互い、しばしの休息を」
◇◇◇
目を覚ました頃には夜が明けていた。
私たちは初めて話したこの場所で、最後の挨拶を交わそうとしている。
「で、本当に大丈夫なのか、シオン」
「はい。吸血衝動は収りませんが、我慢できるレベルです。単に断食するような物ですから」
「…………………」
「ご心配には及びません。私の目的は吸血鬼化の治療ですよ? まず、血を摂っても吸血鬼化が進まない方法を発見します。
そうすれば後は、志貴の肉親のように人工血液だけでも体は維持できます」
「え───俺の肉親って、秋葉の事?」
「はい。彼女の事は志貴から情報を引き出しましたから。……日本の吸血種、という物に興味はありましたが、今回は止めておきます。
志貴の肉親に手を出したら、またさっきのような事になりますから」
ああ、それは避けたい。
あんな幼稚な、準備も戦術もない叩き合いは、あの一回だけにしたい。
……うん、一回きり、という言葉は悪くない。
そこに希少性がある限り、そう簡単に忘れる事はないだろうから。
「───それでは志貴。
口にしないといつまでもこうしていそうですから、はっきりと言いましょう」
「そうだね。じゃ、俺から言おうか?」
いえ、と私は首を振った。
これは私の物語だった。
だから幕を引くのも、また私の役割だろう。
「志貴。
タタリはこの街から消えた今、貴方との共闘も終わりました。
今までの協力に、感謝します」
「こっちこそ。結局、シオンの後に付いていっただけだったけどな」
「そうでしょうか。私を捜してくれた事もあったのではないですか?」
「んー……どうだろう。さっきシオンにはたかれたショックで忘れたみたいだ」
「そ、そうですか。なら、そういう事にしておきます」
一つの夢を思い出して、また吸血衝動が沸き上がる。
俯いて、力という力を理性に総動員させて、なんとか隅っこに押しやった。
……だって、これが最後なのだ。
彼の記憶、私の記憶に留まるのはこれが最後。
この先、新しいデータが刻まれないのなら。
ここで最高の思い出を残しておけば、
一生私たちは友人でいられるだろう。
「今日が始まれば、教会の代行者も私を捕まえに来るでしょう。その前にこの国を発ちます」
「そうか。それじゃ、これでお別れかな」
「はい。さようなら、志貴」
「ああ。今までありがと、シオン」
本当に、ごく自然に、彼はそんな言葉を言った。
夢は続いていて、それはここで終わったのだと告げる言葉。
けれど、それは冷たくもなく悲しくもなく、
ただひたすらに嬉しかった。
「志貴。最後に友人としてアドバイスを残そうと思います」
「あいよ、なに」
「では簡潔に。いいですか、志貴は少し気を付けた方がいい。志貴を取り巻く環境は劣悪です。だと言うのに、志貴自身の危機意識は低すぎる。
その和があまりにもとれていないから、周りの人間はこんなにもヤキモキしてしまうんです」
「───む。そんなもんですか」
「そんなもんです。
以後は貴方が思っているよりは二倍増しに自分を大切に扱ってください。
私からはそれだけです」
───言って、私は彼に背中を向けた。
「忠告ありがとう。シオンも元気で」
貴方も、と答えて、歩き出した。
……もうこれ以上、彼を前にしていると優等生でいられる自信がないから。
志貴はしばらく私を見送った後、ゆっくりと歩き出したようだ。
白い朝。
目眩で消えてしまいそうな陽射しの中、私たちは別れた。
後には何も残らない。
私の淡い友情も、恋愛も、復讐も。
タタリを追っていた私は、これからは違うものを追いかけていく。
さて。
最後に共通した事は一つだけ。
うだるような一日の始まりに。
私たちはお互いの明日に向けて、また歩き始めたという事だけだった───
[#改ページ]
(エンド)