MELTY BLOOD
タタリの夜 Freaks Channel
TYPE-MOON
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)真祖《アルクェイド》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)私が|シエル《あのひと》を
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八月初頭。
交通量一時間あたり平均五台。
電鉄使用者一日推定百人前後。
気温、摂氏三十八度。
───その夏。
あまりに息苦しい暑さに、
窒息するサカナみたいと誰かが言った。
街を歩いていたら、そんな台詞とすれ違った。
おかしな話もあるものだ、と独りで笑う。
水槽の中でサカナは窒息するだろうか?
地上に打ち上げられたサカナならともかく、水の中でサカナが窒息するとは思えない。
……少しだけ考える。
放置された熱帯魚。
お腹を見せて浮かぶ死体。
濁った水。
緑色の水槽。
パクパクと口を動かす死んだサカナ。
───ああ。
なるほど、それは巧い喩えだ。
それらの単語は今夏の状況にとても近い。
灼けた空気は手に取れそうなほど暑く、視界は陽炎に揺らいで十メートル先さえ見えない。
日中だというのに人影はなく、街は廃墟のように静か。
道路には自動車の影さえなく、道の真ん中で眠っていても車に轢かれる心配はないだろう。
そう言った意味で、街は深海に沈んだ古代都市じみている。
だからサカナというのは言い得て妙だ。
自分こと遠野志貴も、浅い白色の闇をあてもなく泳いでいる。
おかしな夏だった。
誰もいない訳でもないのに、街には誰もいない。
プラットホームはいつも無人で、人を乗せた電車だけが通り過ぎていく。
そんな反面、注意深く目を凝らせばいたる所に人影があった。
大きなデパートは相変わらず盛況、喫茶店は連日満員。
廃墟のようなのは外だけで、建物の中では例年通りの夏があった。
そう、誰もが建物の中で過ごしている。
それは外があまりにも暑いからではなく、或る、一つの噂に因る物だった。
「―――聞いた?
昨日公園でさ、また誰かいなくなったんだって―――」
「―――それって噂の吸血鬼殺人ってやつ?
うわ、まだ終わってなかったんだね、アレ―――」
また、そんな話し声が聞こえてきた。
いつすれ違ったのか、数人の女の子が楽しそうに話している。
「―――ねえ、君たち」
振り返って声をかける。
道には誰もいない。
街は廃墟のようだ。
声が空耳だったように、通り過ぎた女の子たちも蜃気楼。
彼女たちにすれば、すれ違った自分も陽炎だったに違いない。
気になって公園に足を運ぶ。
公園には人影はなく、静けさは深夜のものだ。
とすると、白夜というのはこういう物なのかもしれない。
「―――アレだろ。ほら、ちょっと前にもいたじゃんか。猟奇殺人っての? 無差別に女を殺してまわってた殺人鬼がさ―――」
「―――知ってる知ってる。戻ってきたんだろ、ソイツ。聞いた話だけどさ、昨日も路地裏でバラバラ死体が―――」
話し声に釣られて振り返る。
学生服の少年たちは白夜に霞みながら消えていった。
それが、遠野志貴が一人で街を歩いている理由だった。
いつ頃からこうなっていたのか、街ではおかしな噂が広まっていた。
曰く、あの殺人鬼が戻ってきた。
曰く、被害者は残らず血を抜かれていた。
曰く、殺人鬼は死神のような吸血鬼だった。
忘れ去られていた一年前の事件。
しかし吸血鬼の再来など有り得る筈がない。
なにしろ犯人はすでに死亡している。
第二、第三の吸血鬼は出現しない。
だというのに、噂には歯止めがきかなかった。
街中で囁かれる犠牲者は日に日に増えていく。
昨日は公園。今日は路地裏。そうなると明日あたりは学校か。
犠牲者は増え続ける。
噂は信憑性を高めていって、今では誰も彼も夜には出歩かなくなってしまった。
……そんな事も、一年前とうり二つ。
窒息するような猛暑。
人通りが絶えた街並。
そして、何より不思議な事なのだが。
――――街では、猟奇殺人など起きてはいなかった。
ちょっとした立ち眩み。
朝から街を歩いて疲れたのだろう。
喉も渇いた事だし自販機で飲み物でも……と思ったところで、財布がない事に気が付いた。
「あっちゃあ───なんか、最近ついてないな」
呟いて、ああ、と納得。
その台詞もこの夏の流行語だ。
実際、通り過ぎる人たちも似たような台詞を呟いている。
運が悪い。
不安が的中。
裏目ばかり出てしまう。
暗剣殺とでも言うのか、この所ちょっとした事故が続いている。
かく言う自分も階段で足を滑らせたり、
翡翠の着替えを偶然覗いてしまって秋葉と琥珀さんにいびられたり、
アルクェイドとの約束を微妙に勘違いして怒らせたり、
先輩が大事にしていたお皿を割ってしまったり、
小さな不幸に事欠かない。
これが単に暑さで注意力散漫になっている……という事なら不思議でもなんでもないのだが、運が悪いのは自分だけではないようだ。
あれで結構やる事に欠点がないアルクェイドや冷静沈着なシエル先輩、完璧主義者の秋葉や掃除マスター翡翠までもがミスを連発する始末。
ここまで偶然が続くと気味が悪いというか、つまり。
「――――それは、偶然ではなく必然では?」
「え……?」
また、すれ違いざまに誰かの言葉。
「――――――――」
後ろで誰かが振り向く気配。
[#挿絵(img/001.bmp)入る]
「――――――失礼」
見知らぬ少女は素っ気なくお辞儀をして去っていった。
「……珍しいな、外人さんだ」
と、そんな事はないか。
外人さんと言えばアルクェイドもシエル先輩も外人さんなんだから。
「────────」
けれど酷く後ろ髪を引かれる。
しばらく立ち止まって理由を考え、数分して思い至った。
「なんだ、ようするに」
答えは簡単。
こうして街を彷徨いだして二日も経って。
ようやく姿を確認できた最初の“誰か”が、今の少女だったのだ――――
そうして立ち眩み。
長いこと立ち尽くしていたから暑さにやられたのだろう。
……まったく、本当に。
今年の夏は、性質《たち》の悪い夢のようで────
遠野志貴との接触を断った。
すれ違いざま彼の脳に刺していたエーテライトを引き抜き、十分な距離をとる。
……おかしい。
失敗したのか、遠野志貴は不可思議な顔付きで私を見つめていた。
ミクロン単位の細さであるフィラメントが見抜かれる事はないと思うのだが。
「――――なんだ、ようするに」
遠野志貴は意味不明な言葉を発すると、花壇に腰を下ろした。
立ち眩みだろう。
読みとった情報通り、彼の健康状態はあまり良好とは言えないようだ。
◇◇◇
……ここが、件の路地裏。
人の姿はおろか、一週間ほど遡っても人間の気配が感じられない場所。
「ここで遠野志貴は“真祖《アルクェイド》”と協定を結び、混沌と戦う事になった」
一年前の話だ。
物体の寿命、
存在の終わりを視覚できる“直死の眼”を持つ遠野志貴は、
ここで真祖であるアルクェイド・ブリュンスタッドと知り合った。
いや、正しくは二度目の出会い。
一度目は遠野志貴による一方的な干渉で、その時の彼は殺人嗜好に支配された危険人物だった。
……うん。記憶を読んだ限り、遠野志貴は善良な人物だ。
けれど突発的に殺人行為を求めるのは変わっておらず、彼を安全と断定する事はできない。
「存在の“死”を読みとれる遠野志貴は、ナイフを使っていかなるモノをも解体する。不死身である真祖を殺せたのは遠野志貴だけだった」
真祖。
現代においても色あせない怪奇伝承の一つ、吸血鬼。人の血を吸い、不死身で、陽の光の前に灰となるリビングデッド。
その発端となった吸血種を、この世界では真祖と呼ぶ。
真祖に噛まれ血を吸われた人間は、彼等と同じように人の血を吸う怪物となる。
そうして真祖によって吸血種になったモノを、我々は死徒と呼ぶ。
現在では吸血鬼の大部分は死徒と呼ばれる亜種だ。彼等の中でも最も古く力のある死徒は二十七人おり、彼等は二十七祖と呼ばれている。
「そのうちの一人、混沌はこの地で消滅。
そればかりか祖として扱われていたアカシャの蛇もここで転輪を終えている」
二十七祖の十位、ネロ・カオス。
番外位アカシャの蛇、ミハイル・ロア・バルダムヨォン。
教会の騎士団でさえ放置するしかないと言われていた両名が、まさかこんな極東の地で消えるなんて誰が予測しえただろうか。
「……いいえ。予測していたモノなら一人」
予測。いや、あくまで可能性の一つとして上げていたモノなら一人いたのだ。
尤も、その人物とて詳細を予測していた訳ではない。
ただ彼の計算式の答えが『この土地で祖が滅びる』という物だっただけ。
「ともあれ祖は滅びて、真祖はいまだこの土地に残っている。監視役として教会の代行者も駐在しているし、他にも色々と歪みがある」
日本という国は私たちとは違う勢力図を持つ一団だ。この小さな島国の中で独自の規則を作っている。
その一つとして、魔は魔によって管理させる、というルールがあるのだろう。
ここ一帯の魔を統括しているのは遠野という一族で、今の当主は吸血種に酷似した混血であるらしい。
「……遠野秋葉、か。そちらにも興味はありますが、今は真祖と彼の確保が先ですね」
私には時間がない。
ヤツの発生地域の割り出しに時間をかけすぎてしまった。
今回を逃せば次はないだろう。
三年前、教会の手を逃れたあの吸血鬼。
私はソレを自分自身の手で葬らなければならない。
「満月まであと数日。こんな、何の勝算もなしで事に挑むなんて、認めたくはないのですが」
アトラスの錬金術師にあるまじき行為だ。
けれど遅すぎた訳ではない。
三年前。
吸血鬼討伐が失敗した時から、私はアトラスと離反した。
脱走者である私を連れ戻す為、魔術協会は広範囲に渡って手配書を回しているだろう。
逃走を続けてきた肉体と精神はとうに平均精度を下回っている。
それでも────
「――――間に合った。
私には、まだ可能性が残っている」
急がなければならない。
私の目的はただ一つ、吸血鬼の殲滅だ。
人の身を冒す吸血鬼という病魔、この街に根付いた吸血鬼。
その両方を、私は排除しなければならないのだから───
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1/出会いと再来 Enter
“シオン・エルトナム・ソカリス。
これを次期院長候補と任命する”
勅令を告げる学長はいつも通りの渋い顔。
その他大勢の院生と教官は目を見開いていた。
ざわめきは収まらず、何百という視線が私に向けられた。
まさか、という驚愕。
許されない、という非難。
信じられない、という否定。
言葉にならない声は、全魔術で言う呪詛のようだ。
“シオン・エルトナムは、以後シオン・エルトナム・アトラシアと称するように。
彼《か》の者には教官の資格が与えられ、扱いは特使と同格である”
学長の言葉は絶対だ。
それは権威から来る物だけでなく、言語そのものに絶対的な命令権が含まれている為だろう。
院生たちは抗議を呑み込んで、ただ私を睨みつけるばかりだった。
「────」
私に格別変化はない。
議会堂の中で平静を保っていたのは学長と私だけだった。
他の者達──院生ばかりか教官たちまで、有り得ない出来事に言葉を失っていた。
それも当然だろう。
私はこの時、シオン・エルトナム・アトラシアとなった。
名にアトラスを冠する錬金術師はこの学院における代表と同意だ。
それが院生の中から、しかもエルトナムの者に与えられようとは誰が予測し得ただろう。
「────────」
その時。やはり私は冷静だった。
事前にアトラシアに選ばれると報されていた訳ではない。
単に今のアトラス協会の中で、後継者に必要な能力を持っている人間が私以外にいなかっただけ。
驚くというよりは、当然すぎて退屈だった。
……それからの生活は、一体何が変わったのだろう。
私の環境に変化はなかった。
私の家であるエルトナムは没落貴族で、周囲からの軽蔑は相変わらずだ。
私は優れた生徒である事を証明して、先祖が冒した罪を帳消しにしている。
周囲の人間は私を排除したがっていて、
私が優等生である以上は無視するしかなく、
アトラシアとなった私は、彼等を排除できる立場になった。
彼等は私の報復を怖れたらしい。
彼等がした事と同じ妨害が返ってくると予想したのだろう。
侮らないで貰いたかった。
私は貴族だ。
罪人とはいえエルトナムは貴い血を伝える一族なのだから、私情で権力を振るう事などない。
そもそも、私は彼等に対して何の感情も抱いていない。
私は、私を遠ざけようとしていた彼等を、望み通りに遠ざけた。
それも以前と変わらない。
私は誰も必要としていないのだから、彼らと関わる必要がない。
私は予てから必要だった研究室を貰い、優れた生徒であり続けた。
それが八年前の出来事だ。
何が正しくて、何が間違っていたのか。
――――正直、今でもよく解らない。
「……いけない、もうこんな時間だ」
目を覚ます。
疲れが溜まっているのか、意味のない夢を見た。
いや、夢を見たのだからまだ余裕があると言うべきか。
精神的な負担が大きいとユメなんて見ないと言うし。
「……日中動きすぎたせいだろう。昼間の温度はどうかしていたし」
日本の夏は暑いと聞いたが、まさかこれ程とは思わなかった。
砂漠生まれの私でも、この街の陽射しは強すぎる。
日中の暑さは眠ってやり過ごしたのだが、おかげで起床時間を守れなかった。
「……寒い夜。休みすぎたのかしら」
どちらにせよ混乱しているのは確かなようだ。
まともに睡眠を取って情報を整理しなくては、いずれ破綻してしまう。
「……その前に、発生場所を確認しておかないと」
体が動く内に準備を終えておかなければ。
幸い、この街のデータは遠野志貴から引き出してある。どこが情報の発生源なのか判明しているのだから、無駄な移動はしなくて済む。
「ああ、そう言えば……遠野志貴。彼の確保も優先事項でしたね」
時刻は午前零時前。
彼の巡回経路は三通りだ。
さらりと、彼が何処に現れるかを先読みした。
◇◇◇
「……と、あとはここだけか」
見慣れない広場に出る。
オフィスから少しだけ外れた広場。
少し前までは街で二番目に大きい公園だったここは、今では私有地となっている。
「うわ。下から見るとほんとおっきいな、これ」
建築途中のビルを見上げる。
来年の春に完成予定の一大建築。
何に使われるかはいまだ不明で、一大デパートになるだの、某電子産業の本社になるだの、まあ色々と噂されている。
「周りも整地しちまってまあ。ここまでやらなくてもいいのにな」
ビルの周囲は鏡のようにまったいら。
神殿《シュライン》、というビル名に相応しいと言えば相応しいが、正直これはやりすぎだろう。
「────さて」
息を潜めて周囲の気配を探る。
周辺に人影はない。
吸血鬼殺人が再発した、という正体不明の噂によって、夜出歩く人間は皆無になった。
特に公園や路地裏に人影は見られなくなったが、それとは別の意味でここには人がいない。
「……ま、私有地だし。
俺みたいに不法侵入しないと中に入れないんだから、人影なんてある筈……」
───と。
唐突に吐き気に襲われた。
指先が痺れ、喉が渇きに満たされる。
鼓動が早まる。
脳の後ろから毒が染み込んでくる感覚。
知らず、右手はポケットへ走り、音もなくナイフを取り出した。
「────この、感覚」
……以前何度か感じた悪寒だ。
体質なのか、遠野志貴《じぶん》は“人間離れ”した連中を前にすると、こんな感覚に襲われる。
「…………」
……気配がする。
すぐ近くに誰かが立っている。
誰もいない筈の私有地にいる人間《だれか》。
微かな悪寒。
そして、再来した吸血鬼――――
「……けど、なんか……」
妙に気配が違う気がする。
反応が弱いというか、単に“普通とは違う”といった異分子に対する違和感というか。
「──ええい、ともかく確認……!」
「もしもし? そこ、誰かいる?」
ナイフを背中に隠して話しかける。
───と。
「こんばんは。何か用でしょうか」
突然話しかけられたっていうのに、少女は平然とそんな事を言ってきた。
「────」
その姿に、ドキリとした。
特徴的な服装と帽子。
可憐、と言う言葉が恐いくらい似合う顔立ちと、明らかに日本人ではない風貌。
「何か?」
「あ──いや、別に用ってわけじゃないんだけど、その」
「その──すまない、人違いだ。ぶしつけに声をかけて、悪かった」
「いえ。悪かった、という事はありませんでした。むしろ人に挨拶をするのは自然ではないでしょうか」
さらりとした口調。
……言われてみればその通りだ。
なんか、最近の自分はすさんでしまっているのかも。
「……そうだった。遅れてしまったけど、こんばんは」
「はい、はじめまして」
「それで、貴方はここで何をしているのですか。こんな時間に捜し物でも?」
「え? ……ああ、まあそんなところ。そういう君こそどうしたんだ。夜は危ないって話、知らない訳じゃないだろ──」
……って、そっか。
外国の人なら街の噂には無頓着なのかもしれない。観光に来ただけなら、一年前の吸血鬼殺人なんて知らない訳だし……
「なんでもない。……あの、なんでこんな所にいるかは知らないけど、あんまり人気のない所にはいない方がいい。何が起こるか判らないからさ」
「────」
少女はこっちをじっと見つめてくる。
……当然か。いきなり話しかけて、訳わかんないコトを言ってるんだから。
「いえ。何が起こるか判らない、という事はありません。どのようなカタチであれ、結果的に吸血鬼が現れるだけですから。貴方だってソレを捜す為に巡回しているのでしょう、遠野志貴」
「な────に?」
「私たちが捜しているモノは同じだと言っているのです、遠野志貴。……もっとも、目的は大きく異なりますが」
無表情のまま少女は言った。
悪寒が蘇る。
こめかみには針のような頭痛。
「貴方のようなイレギュラーは答えを乱す。起動式が始まる前に刈り取ってしまわないと、今回もよくない結果になりますから」
少女は僅かに腕を揺らした。
カチャリ、という聞き慣れない音。
少女の手には、黒い拳銃が握られていた。
「――――抵抗するのならどうぞ。
私の名はシオン・エルトナム・アトラシア。
ここで、貴方の自由を奪う者です」
少女の体が跳ねる。
見知らぬ異国の少女は、有無を言わさぬ速度で襲いかかってきた。
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
「つっ……!」
「そこまでだ。何のつもりか知らないが、これ以上やりあうのは無意味だろう」
「はい、私の敗北です。貴方のデータは揃っていたというのに読み切れなかった。
……綱渡りのような道行きでしたが、まさか入り口で終わってしまうなんて」
「……………」
「どうしました。私には抵抗する余力はありません。勝手な言い分ですが、できるだけ上手にしてくれれば助かります」
「……上手にって、あのな……君は俺を知ってるみたいだけど、ヘンな勘違いしてないか? 俺は血に飢えてる殺人鬼ってワケじゃないんだから、頼まれたって人を殺したりはしないよ」
「殺人鬼では、ない?」
「ああ。だから倒れた相手に追い打ちもしない。ケンカなんてしないに越したコトはないだろ。
君が俺を襲わないって約束するなら大人しく立ち去るよ。──君、吸血鬼に見えないし」
「……困りました。私は黙秘は使いますが、虚言はできません。ですから、また貴方を襲わない、とは約束できない」
「え……出来ないって、つまり……その」
「はい。この傷が癒え次第、貴方を拘束します」
「────」
「それが嫌ならここで私を殺すべきです。貴方ならそれは容易でしょう」
「………………ばか、容易なもんか」
「? 何か言いましたか、遠野志貴」
「言ったよ。またヘンなのに関わっちまったなってボヤいたのっ! ……ああもう、なんだってこうドイツもコイツも――――」
「――――不可解です。
私には、貴方が苦しんでいるように見える」
「俺には君の方が不可解だけどね。
けどアレだろ、君も自分の言い分は曲げないってんだろ」
「はい。私の解が間違えでない限り、私は私を変更しない」
「だろうな。そういう顔してるよ、君。
(っていうか、そういうヤツにばっかり出会うんだ、俺は)」
「だからまあ……その、そっちの事情を話してくれないか。さっきから俺をどうこうするって言ってるけど、その理由ぐらい話してくれてもいいだろ」
「……私の事情、とは目的の事でしょうか」
「ああ。なんとなくさ、君は悪人に見えない。
事情があるのなら聞くよ。……その、俺を襲ってきた理由にも興味はあるし」
「……解りました。私も貴方が悪人でない事は知っていたし、いま再確認しました。
遠野志貴には、初めから事情を話しておくべきでした」
「?」
「私の目的は吸血鬼化の治療です。
吸血鬼に噛まれた人間を元に戻す方法を、ずっと研究してきました」
「吸血鬼化の治療……?」
「はい。貴方も吸血鬼に噛まれ、人間でなくなった知人がいるのなら判るでしょう。
吸血鬼に冒された人間の末路は死です。
吸血鬼に成る方法はあるというのに、吸血鬼から人に戻る方法はいまだ確立されていません。
多くの魔術師がこの研究に挑み敗れ去っていますが、私は敗れるつもりはない。
不可能とされる事を可能にする。それがアトラシアの条件であるかぎり」
「……………」
「遠野志貴。貴方になら、吸血鬼化を治療したいという私の気持ちが分かる筈です。私と同じ、目の前で吸血鬼になってしまった友人がいるのですから」
「―――――――。
よくそんな事を知っているな、おまえ」
「ぁ……いえ、私に心遣いが足りませんでした。気に障ったでしょうか」
「……いや、いい。俺も大人げなかった」
「話はわかったよ。……吸血鬼化を治療したいっていうのは、なんていうか──そんな事を言われたら、君を憎む事はできなくなる」
「けど、どうして俺を襲ったんだよ。
別に俺は吸血鬼になってる訳でもないし、吸血鬼に詳しい訳でもないよ」
「もちろん貴方自体はサンプルにはなりえません。私は真祖の協力を求めてこの国に来たのです」
「え―――真祖ってアルクェイド?」
「はい。吸血鬼化の治療法を探るのなら、死徒の元となった真祖を調べなければ。
死徒に関する資料ならば教会に揃っている。
けれどそれだけでは鍵が足りないから、不可侵とされていた真祖を調べるしかなくなったのです」
「……そうか。けどアルクェイド、そういうの嫌がると思うよ。アイツ、なんていうか気まぐれな所があるから」
「承知しています。気高い真祖が人間の頼みなど聞いてくれる訳がない。だからこそ、遠野志貴に交渉役を頼みたいのです」
「こ、交渉役って俺のコト……!?」
「(こくん)」
「ばっ、ダメだってば、俺の言うコトなんてアイツが聞くもんか! なんだってそんなコト言い出すんだよ、君は!」
「え……あの、だ、だって貴方は、真祖のこ、ここ、恋人では、ないですか」
「────」
「貴方が間に入ってくれるのなら、少なくとも話はできるでしょう。ですから、まずは貴方を確保したかったのです。……それも、こちらの油断でこのような結果になってしまいましたが」
「む……油断って、さっきのコト?」
「はい。遠野志貴の情報は全て揃っていました。数値的には互角なのですから、熟知している分、私の方が勝率は高かった。だと言うのに敗北したのは、一重に私の能力が及ばなかったからです」
「……? あの、それって油断って言うんじゃなくて、その……単に実力って言うか───」
「な、何を言うのですっ! 今のは油断です! 余分です! 及第点以下です!
計算を間違えたのは私のミスでしたが、実力では私の方が勝っています!
大体ですね、貴方がどのような行動をとるかなんて一時間前に全て予測できていたんです。私が遅れをとったのは回避率0.5%以下の箇所で数値を振り分けられなかっただけではないですか!
つまりその箇所さえ間違わなければ立場は逆転していたのです。まったく、そんなことも判らないのですか貴方は!」
「え───あ、はい、すみません」
「あ……いえ、失礼しました。この話題は避けていただけると助かります」
「(……なんか。今までとは違ったタイプだな、この子……)」
「じゃあ話を戻すけど。つまり、本当なら俺を捕まえてアルクェイドをおびき寄せてたってコト?」
「はい。そこで正式に、真祖に協力を要請するつもりでした」
「そうか、だから今でも諦めないんだな。
……うん、まあ……そういう事なら、いいか」
「? いいか、とは何がでしょう?」
「だから、アルクェイドとの仲を取り持つぐらいはしていいよってコト。……まあ十中八九アイツは断るだろうけど、そうしないかぎり君は諦めないんだろ?」
「(こくん)」
「ほら、協力するしかないじゃないか。
だから手を貸すよ。正直、君の研究ってヤツには応援したいし」
「え………私を、応援する………?」
「ああ。そりゃあいきなり殴りかかられたのは驚いたけど、そんなのは今のでチャラだ。
……君の研究が叶うのなら、少しは───彼女も、報われる気がする」
「………………」
「アルクェイドの事は俺がなんとかするよ。って、実は俺もアイツを捜してるんだ。街の騒ぎがどうも気になってさ、アルクェイドなら知ってるかなってアイツの所に行ったんだけど───」
「真祖は姿を眩ましていた、のですね」
「そう。だから街を巡回しながら、噂の吸血鬼と気紛れお姫様を見つけだそうって思ってた」
「……解りました。それでは私は、貴方の目的に手を貸しましょう。噂を捜しているというのなら、私は貴方より早く噂の吸血鬼を発見できる」
「え、ほんと?」
「はい、本当に噂の吸血鬼が存在するのであれば。
情報収集は私の管轄です。バックアップさえあれば、一日程度でこの街全ての人間をリードできますから」
「―――いや、よくよく分からないけど、そこまでする事はないんじゃないかな」
(……というか、目つきが恐かったぞ、今)
「でも、そうだな。手を貸してくれるなら助かる。正直一人じゃ限界を感じていたところだし」
「では私は噂を追ってみましょう。貴方は」
「アルクェイドを捜して君の前まで連れてくればいいんだろう。それならなんとかなりそうだけど、その前に」
「その前に?」
「君、シオンって言ったよな。協力しあうんだから名前で呼びあった方がよくないか?」
「――――――――――――――――――――」
「……そうですね。それでは私の事はシオンと。
貴方の事は───」
「ああ、志貴でいいよ」
「────────」
「……し、志貴」
「うん、そう呼んでくれればいい」
「……志貴」
「うん」
「志貴。」
「だから、それでいいって」
「…………………………………………………………………………………………………………………」
「……………。
それでは、私は吸血鬼の情報を追ってみます。
志貴は真祖との話し合いの席を用意してください」
「ああ。けどすぐって訳にはいかないぞ」
「当然です。お互い準備に時間がかかるでしょう。ですからまた明日、夜になったらこのビル前で落ち合いましょう」
「オッケー。それならなんとかなりそうだ」
「志貴。少し、よろしいですか」
「えっ……? なに、頭にゴミでもついてた?」
「……似たような事です。それではまた、明日の夜に」
「ああ、それじゃ明日―――って、なんだか懐かしいな、これ。一年前を思い出す」
「?」
「なんでもない。それじゃまた明日の夜な、シオン!」
「……はい。それではまた明日、志貴」
[#改ページ]
2/アトラスの娘 Sion Eltnam Atlasia
───その夜も、気が狂いそうな程暑かった。
「水、を……!」
水分を求めて走った。
夜の森を走った。
山道は険しく、周囲は地獄だった。
歩き慣れた砂漠に比べれば、木々が乱立した山道は針の山みたいだった。
同行していた騎士たちは皆死んだ。
生き残りはいそうになかった。
村に戻れた。
村人は皆死んだ。
井戸は枯れていた。
川は死体で埋まっていた。
それでも、水を求めて地面を這った。
「あ、はあ、あ……!」
咽せても飲んだ。
生き返るようだった。
そのうち何かが絡みついた。
服のようなそれは、際限なく絡みついてきた。
邪魔なので何度も引っ張った。
剥がしても剥がしても、水には布が絡まってきた。
川に口をつけるたびに絡まってくる。
はがしてもはがしても、ずる、と指に絡まってくる。
それは。
布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。
布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》。布《ずる》…………!
皮膚だった。布状になった人間だったモノの亡骸。つま
り死体。中身をすべて飲まれた死体。だらしなくずるず
ると敷き詰められ押し込められ弛みきった何百人という
人間の外皮外皮外皮外皮外皮外皮外皮…………!!!!
「は、あ…………!」
────それでも、水が欲しくて飲んだ。
川につまったずるずるが邪魔でも口をつけた。
着ぐるみのような顔が滑稽だった。
そう、骨抜き 肉無し 内臓空っぽ。
衣服みたいになった人間で川は埋め尽くされていた。
人々は飲み尽くされた。
血液ごと、あの吸血鬼に飲み尽くされたんだ。
――――なんてアクム。まるでタタリ。
「アトラシア。おまえだけでも生き残れ」
騎士団の一人、唯一の知人が言った。
盾の騎士。彼女は女性だった。
だから生き残れた。自分と同じ。
逃がしてもらった。
彼女は、おそらく────
山道を走った。
夜明けまで走った。
出口などなかった。
呪いは自身に返る。
私を呪う私は、私から逃げられない。
目の前には
――――真っ黒い貌の“何か”が。
ごくごくと飲んでいた。
飲み込む以上の血液を、ソレは両目からこぼしていた。
だから足りない。
幾ら飲んでも満たされない。
「キ、キキ、キキキキキ……………!」
血の涙を流しながらソレは笑った。
黒翼がはためく。
黒い眼がにじり寄る。
ぼたぼたと赤黒い血が零れていく。
――――もうじき夜明け。
逃げようと這った足首に
ぬたり、と。
泣き笑いをする飲血鬼が――――
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そうして、私は目覚めた。
……時刻はまだ日中。
夢の中と同じように、今日も街は暑苦しい。
日中歩き回るのは苦手だと思う。
そもそも私たち錬金術師は建物の中で生きる者。
こういった肌を焼く陽光には慣れていない。
それでも約束がある。
彼──志貴と約束をした。彼の代わりに『吸血鬼』とやらの情報を集めなければ。
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街の様子は変わらない。
人の居ない大通り。
陽炎に燻る街並。
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たまに人とすれ違うクセに、振り返れば誰もいないおかしな空虚さ。
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「────────」
[#挿絵(img/BG65.bmp)入る]
暑い。
砂漠生まれの私でもこの暑さは堪える。
[#挿絵(img/BG66.bmp)入る]
早く大きな建物に入って、集まっている脳から情報を引き出そう。
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私の二つ名は霊子ハッカー、シオン・エルトナム。
神経に強制介入するモノフィラメント、エーテライトはこの為にある。
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人間の脳を破壊する事が目的ではないのでクラッカーとは呼ばれない。
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……いや、別にそんな事をしなくてもいい筈だ。
私は、そもそも。
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[#挿絵(img/BG72.bmp)入る]
――――混乱している。黙ってほしい。カット。カットしないと。私はまだ悪夢の影響を受けている。冷静に。冷静に。カット。カット。自分の思考を、止めないと。
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「……………………っ」
疲れが溜まっているみたい。
喉は渇いて苦しいし、疲れた体はキシキシと軋んで縮んでいくようだし。
「は――――あ」
肺にたまった空気を吐き出す。
吐息は熱くて火のようだった。
「くる……し」
微かな目眩がする。
休まなければ。本当にまともな睡眠をとらないと負けてしまう。
私は、もってあと二日か三日。
「でも、私はまだ活動できる」
動くうちは動く。それは生物として当たり前の事だ。
昨夜の戦闘によるダメージが抜けきっていないが、活動に支障はない。
「ああ──そういえば。昨日は、本当に油断してしまったんですね」
志貴の能力は判っていた。
なのに彼の戦闘経験を明確に理解していなかった。
たった数回の戦闘と言えど、志貴が相手にしてきたモノは二十七祖や教会の代行者だ。
それだけの強者を相手にしてきたのだから、私なんて普通の敵にしか見えなかっただろう。
「少し、残念です」
……? なんだろう、今の発言は。
志貴には協力をして貰える事になった。
なら問題は何もない筈なのに、何が残念なのか。
「エーテライトなら打ち込んである。もし彼が協力を拒んでも、すぐに位置は割り出せる」
志貴と協力関係になった後。
私は彼の頭に直接触れて、エーテライトを接続した。
遠隔操作ではなく直接に打ち込んだエーテライトは志貴の神経に深く食い込んでいる。
だから────
「いざとなれば、これで」
……なんだかますます気分が悪くなった。
……余分な事を考えるのは止めよう。
とにかく、今は彼との約束を果たさないと。
◇◇◇
情報収集は容易く終わった。
街の住人は、その大部分が“吸血鬼”の再来を知っている。
だがその信憑性は薄く、志貴が知っている情報と大差ないものだ。
「なのにみな噂を否定しない。信憑性が皆無だというのに、当然のように認められている噂……」
街の人々は誰もが悪い予感を抱いている。
無人の街並は彼等の心の在り方だ。
街は今日も、そして明日も暑く揺らめくだろう。
舞台は記録的な猛暑に襲われているだけの街。
そこに生じた何か発端の判らないおかしな齟齬。
よくない思い付き、不吉な予感、賽の裏目。
偶然か、“不安”と呼ばれる虞れが次々と現実化する暗い夜。
一度も殺人事件など起きてはいないのに“いる”とされる、帰ってきた吸血鬼。
そして。
無人と化した深夜、ビル街を徘徊する謎の影。
「……悶えるような熱帯夜のなか、月はじき真円を描く……その時までに、私は」
この、正体の判らない“噂”を、確かなカタチに導かなければならないようだ。
◇◇◇
シオンは時間通りにやってきた。
「こんばんは。時間通りですね、志貴」
「そっちも時間通り。どっかの誰かとは大違いだ」
……いや、アイツは思いっきり早く来たり、来ていたクセに隠れていたり、と時間そのものは守っていたワケだけど。
「志貴。真祖の件はどうなりましたか」
「それなんだけど、どうも捕まらなくて。アルクェイドの部屋に書き置きしておいたから、明日にはなんとか」
「そうですか。彼女が行方を眩ましているのであれば、確かにそう簡単にはいきませんね」
「そうそう。アイツ気紛れだから、こっちの事情なんて知らずに遊び回ってるに決まってる」
「そうでしょうか。真祖は意図的に志貴から離れているのではありませんか?」
「―――意図的にって、シオン」
「ですから、街に再来した吸血鬼とは真祖である可能性もある、という事です」
「それはない。アルクェイドはそんな事は絶対にしない」
「……絶対。そう言い切れるなんて、志貴は凄いのですね」
「え――――あ、うん、どうも」
間の抜けた返答をしてしまった。
なぜか、シオンの言葉は皮肉ではなく感心したような響きがあったからだ。
「と、ともかくアルクェイドは人間の血は吸わない。シオンは知らないかもしれないけど、アイツは───」
「吸血鬼ではない、と言うのでしょう? 志貴がそう言うのなら、真祖はそうなのでしょう」
「ですが、この街に吸血鬼が再来したというのなら、真祖以外に吸血鬼がいなくてはおかしい。人々の噂にはモデルとなったモノがある筈ですから」
「噂のモデル……? それって一年前の事件だろ」
「それはモデルではなく原因でしょう。ここまで明確になった噂には、必ず目撃談がなくてはならない。
なら真偽はさておき、“夜に徘徊している謎の人物”という実像がないとおかしいではないですか」
「……?」
シオンの言う事はちょっと判りづらい。
いや、そもそも───
「シオン。訊き忘れていたけど、君って何者なんだ。吸血鬼の研究をしているって言うけど、それって──」
「私は錬金術師と呼ばれる者です。志貴も魔術師については知っているでしょう。こちら側にはシエルという人物が所属する“教会”の他に、魔術協会と呼ばれる組織があります」
「私はその魔術協会の一員です。協会は三大の部門に別れていて、そのうちの一つ、アトラスと呼ばれる部門に属しています」
「教会は吸血種といった超越者たちを敵視していますが、魔術協会《わたしたち》は彼等ともそれなりの協定を結んでいます。
……そうですね、黒でもなければ白でもない武力団体……というのが正しいでしょうか」
「……魔術協会……」
……はあ。そうなると先生も協会とやらに入っているんだろうか。ならシオンは先生を知っているのかもしれない。
「知りません。志貴の先生はロンドンの問題児ですから、アトラス院生である私とは関わり合いがありません」
「そうなんだ───ってシオン、君いま……!?」
「志貴の考えはだいたい判ります。そうでなくとも、志貴は思考が顔に出るようですから」
……む。秋葉たちに言われて慣れっこだけど、まだ知り合ったばかりのシオンに言われるのはちょっとショック。
「……まあいいけど。それじゃこれからどうしようか。俺の方は結果待ちだから、先にシオンが集めた情報を教えてもらうのはフェアじゃないよな」
「構いません。私が集めた情報は志貴が知っている情報と大差ないのです。ですから、私からも志貴に伝える事はありません」
「ありゃ。それは困った」
「ですね。こうなっては、やはり足で立証を得るしかないでしょう。再来した吸血鬼、噂の元となった誰かを捜すのなら、夜の街を巡回するしかない」
……むむ。やっぱりそれしかないか。
なんか、ますます一年前じみてきた気がする。
「それと……これは提案なのですが、志貴。探索は二人で行いませんか。私はこの街に不慣れです。志貴が案内してくれると無駄が省ける」
「え……そりゃあ一人より二人の方が心強いけど、いいのか? シオンの目的は吸血鬼の研究だろ。
なら……」
「噂の元が真祖でない、とは言い切れないでしょう? それに志貴の目的が果たせれば、志貴が真祖を捜す時間が多くなるのは道理です。
私だけで真祖を見つけても意味がないのですから、志貴には早く自由になってもらわないと。
こんな事、口にするまでもないと思いますが」
「────」
なるほど、そういう考えもありか。
それなら、まあ。
「じゃあ、お互いギブアンドテイクという事で」
「はい。出来うる限り、志貴の目的に協力します」
◇◇◇
「―――随分歩き回ったけど成果なしか。確かに街はヘンに静かだけど、おかしな雰囲気ってワケでもないんだよなあ……」
「まだ噂の域を出ていない為でしょう。時間が経てば嫌でも犠牲者は出てきます」
「? シオン、それってどういう────」
「危ないっ!」
「止まりなさい!」
「誰だ────!」
「せ……先、輩……?」
「遠野くん……!?
そんな、なんで遠野くんが彼女と一緒に──」
「──シオン・エルトナム。貴方、まさか」
「思い違いです、代行者。
私は志貴に協力を要請し、志貴はそれに応えてくれました。
そこに強制はありません。貴方が危惧しているような事は、決して」
「……そうですか。では、そこの少年は貴方とは無関係という事ですね。ここで貴方が襲われようと、貴方は彼に助けを求めない」
「────」
「せ、先輩、ちょっと待った!
なにか事情がありそうなのは判るけど、いきなり黒鍵を投げつけてくるのは」
「遠野くんは黙っていてくださいっ。
……まったく、どうしてこういつもいつも厄介事に顔を出すんですか!
それとも可愛い女の子の頼みならなんでも聞いてあげちゃうって言うんですか貴方は!」
「あ──いえ、決してそんなコトは」
「とにかく、遠野くんが横から口を出そうが聞きません。邪魔をするというのなら、おしおきの意味も込めて相手をします」
「そしてシオン・エルトナム・アトラシア。
貴方は発見次第、保護、もしくは拿捕《だほ》するようにと教会から手配されています。
アトラス協会からも同様の要請を受けていますが、何か反論はありますか」
「──ありません。ですがここで捕まる訳にもいかない。私を捕えるというのなら、貴方を破壊するだけです」
「そうだよ、いきなりそんなコト言われても──
って、ええー!? シ、シオン! 君、今なんて言った!?」
「従う気はない、という事ですね。
……いいでしょう。──教会の代行者として、貴方を捕縛します」
「ま、ついでに反省の意味を込めて、そこにいる協力者さんにも痛い目にあってもらいますが」
「うわ、先輩ってばどーしてそうやる気まんまんなんですかー!」
[#挿絵(img/WIN_CIEL.bmp)入る]
「っ………!」
「────!」
「手こずらせてくれましたね。ですがそれもここまでです」
「シオン・エルトナム。教会の命により貴方を拘束します。これ以上の抵抗は命に関わると思いなさい」
「く………」
「だめだ、待ってくれ先輩……! シオンは吸血鬼化の治療方法を調べているだけなんだ。何か事情があるにしたって、こんな力ずくで連れて行くなんて間違ってる……!」
「間違えているのは貴方です。シオン・エルトナムの罪状は、そんな単純な事ではないのですから」
「───シオン。関係のない市民を巻き込むのは貴方の本意ではないでしょう。大人しくアトラスに戻りなさい」
「……その要求は呑めません。大人しく退散するのは貴方の方です、代行者」
「愚かな。まだ無駄な抵抗を続けるというのですか」
「はい。それ以上私に近づけば、志貴の命は保証しません」
「え?」
「はい?」
「そ、それは…」
「……どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。シエル、貴方がここから立ち去らないのなら、志貴の脳を焼き切ると言っているのです。
私の腕輪にはエーテライトと呼ばれる擬似神経が収納されています。これがどんな物であるか貴方なら承知しているでしょう」
「エーテライト───そう、何処かで覚えがあると思いましたが、エルトナムとはあの男の直系でしたか。アトラス院は相変わらずですね。貴方のようなキワモノを容認しているのですから」
「他人《ロア》の知識で語らないでほしい。私は貴方の知る男とは別なのだから」
「ですが話は早い。このエーテライトは志貴の脳と繋げてあります。貴方が私を仕留めるより、私が志貴の脳髄を焼き切る方が速い」
「シオン、君……」
「……なるほど。初めから人質として使うために彼を連れていた、という事ですか」
「無論です。この街において、遠野志貴だけが貴方に対する交渉材料になるのですから」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「……はあ。そこまで開き直られては仕方がありませんね。ごめんなさい遠野くん。運が悪かったと思って諦めてください」
「────!」
「え────あの、先輩?」
「シオン・エルトナムに協力している遠野くんも悪いんですし、自業自得というヤツです。
ま、脳の神経が多少焼き切れた方が丁度いいですよ、遠野くんは」
「うわー、先輩本気で言ってるーっ!」
「…………」
「───なんて、簡単に結論を下せたら楽なんですけどね。
残念ですが、私はそこまで貴方を信用していませんよ、シオン・エルトナム」
「確かに貴方の方が彼を廃人にするのが先でしょう。どんなに私が手を尽くしても、それを止める事はできない」
「もっとも、それは治せない傷ではありません。
貴方を仕留めた後で彼を治療すればいいだけの話です」
「……ですが、貴方が遠野くんを操った場合は別です。わたしでは限定解除された遠野くんには勝てない。最悪、退く事さえできないでしょう」
「─────」
「ここで再起不能にされる訳にはいかない。確かにシオン・エルトナムの捕縛命令は届いていますが、それは数ある命令書の一つですから。
目下のところ、わたしの最優先事項はこの街に現れた死徒の処理。貴方の事は、この件が終わった後でなければならない」
「この街に現れた死徒って……先輩、やっぱり噂の吸血鬼はいるんだな!?」
「ええ。確かに教会で観測され、わたしに討伐令が下りました。……ですから、今は彼女の捕縛より死徒の殲滅が先です。けれど二度目はありません。次は見逃しませんからね」
「いいですか、その時までに彼女とは縁を切っておいてください。
……まったく、遠野くんはいっぱいやり残している事があるのに、どうしてこう、自分から厄介事に首をつっこむんでしょう……」
「先輩───見逃してくれたんだ」
「賢明な判断をした、という所でしょう。彼女にしてみれば、私たちに時間と労力を削くのは効率が悪いのですから」
「────」
「何でしょう、志貴。何か言いたそうな顔をしていますが」
「シオン。さっきの話は本当なのか。俺の頭に何か繋げているとか何とか」
「志貴の頭に繋げている訳ではありません。エーテライトと呼ばれる擬似神経を志貴の頭部に密着させ、神経の一つとリンクさせているだけです。志貴の脳にはなんら異状は与えていません」
「だから、何の為にそんな事をするんだ」
「志貴の位置を特定するのが第一目的でしょうか。貴方から私の知らない情報を呼び出す事にも使いますが」
「その延長上にさっきの脅しがあった訳か。俺の神経を焼き切るって言ってたけど、それは実際にできるのかよ」
「はい。難しいですが、成功率は高いでしょう」
「……頭にきた。こういうの、協力関係って言わないだろ」
「……そうですね。貴方が気分を害するのは当然です。ですから私は、知らせるべきではないと判断しました」
「隠してたってコトか」
「はい。そうなれば志貴は協力を断るでしょう。
私としては、貴方のように優れた協力者を手放すのは良くない。隠すのは当然です」
「……そう。それじゃ俺がどうしたいか判るな」
「無論です。先程のは最後の手段でした。使ってしまえばその後には続かない」
「───────────」
「志貴が私と別れるのは当然です。どうぞ、このままお帰り下さい」
「───────────」
「…………志貴。なにか言いたい事があるのでしたらはっきり口に────」
「───────────」
「────────」
「────シオン。
俺が怒るって判ってたってコトは、悪いコトだって判ってたってコトだよな」
「まさか。手段としては最適なのですから、それが間違っているとは思いませんが」
「(じーーーーーーーっ)」
「────────」
「(じーーーーーーーっ)」
「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────」
「(……はあ。この子、嘘が上手いっていうんじゃなくて、単に嘘が言えないだけみたいだ)」
「いいよ。この話は無しにしよう」
「え?」
「だからさっきの件は不問に付すってコト。
……まあ実際、いい手だったとは思ってるしさ」
「は?」
「だから、ハッタリとしちゃあ最高だったってコト。シオンの判断は間違ってないよ。ああまでしなきゃ先輩は引き下がってくれないから」
「────────」
「……違います、脅しではありません。
先程の手段は虚言でも虚勢でもなく、私は本当に───きゃっ!?」
「ばか、こういう時は話に合わせるの。いいから、いつもみたいに“はい”って言えばいいんだ、シオン」
「は……はい、志貴がそう言うのでしたら───」
「よし、それじゃあこの話はここまで。他にもっと訊きたい事があるんだから、小さい事に拘るのは止めにしよう」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「それでさ。先輩はシオンが指名手配されてるって言ってただろ。アレ、どういう事なんだ。君は吸血鬼化の治療を研究しているだけじゃないのか」
「志貴の言う通り、私は吸血鬼化の治療法を研究しているだけです。ですが、それがアトラスの教えに反してしまった。
私の所属している魔術協会には一つだけ破ってはいけない戒律というものが存在します。私は自らの研究の為、その戒律を破ってしまった。アトラス院が私を捕えようとするのはその為でしょう」
「破ってはいけない戒律、か。
それって、その……人殺しとか、そういう事?」
「まさか。アトラス院の戒律はただ一つ。
アトラスの錬金術師は自己の研究結果を外部に公開してはならない、という事だけ。
……けれど、私の研究はアトラス院だけでは為し得ない。どうしても他の協会の知識が必要と判断し、私は各協会を回り、新たな知識の代価として私の知識を公開した。
これはアトラスにとって許されざる行為です。……私が追われている事は知っていましたが、まさか教会にまで手配が回っているとは意外でした。あと半年は知られない筈でしたが」
「……む。要するにシオンは他の学校に留学したんだけど、君の学校はそれを許してくれなかったって事?」
「……はい。極めて端的に言えばその通りです。私は自分から反逆者になったのです」
「反逆者って、そんなおおげ……さ、じゃないのか。先輩は本気だった。それはきっと俺じゃ想像できない事なんだろう。
……君の事だからルールを破ればこうなるって判っていたんだろ。なのにどうして自分から禁を破ったんだ」
「……私には、どうしても必要でしたから。
アトラスに留まっていては吸血鬼の研究はできない。あそこにいては、私はずっと間違えたままだった。
だからどうしても、私は吸血鬼化治療の方法を完成させなければならないのです───!」
「……しょうがないなぁ、ほんと。
(だって、放っておけないんだから)」
「よし。それじゃなんとかアルクェイドを見つけださないとね」
「え?」
「だーかーらー、シオンにはアルクェイドの協力が必要なんだろ? なら早くアイツと話をしないと。一度約束したんだから、最後まで付き合うって」
「……つまり、はっきりとは言えないのですが……貴方は、まだ私に協力してくれる意思があるのですか?」
「あるよ」
「私は貴方を盾として使いました。それが最適である以上、今後も使わないとは限りません。
それでも────その、」
「いいよ。だってさ、こっちの吸血鬼捜しだってシオンの協力なしじゃ難しいし」
「───────────────────────────────────────────」
「はい。わかりました、志貴」
「じゃ、改めてよろしく。……って、ああ、そういえば」
「仲間だっていうのに握手もしてなかったなんて、抜けてるなあ」
「はい」
「?」
「はい、握手。これからもよろしくな、シオン」
「…………(にぎにぎ)」
「? どうしたシオン、手を開いたり閉じたりして。あれ、もしかして俺の手、汚れてた?」
「…………(にぎにぎにぎにぎ)」
「???」
「(ピタッ)────志貴」
「う、え? な、なんだよいきなり、何か悪いコトしたか俺……!?」
「……私の体には無闇に触れないでほしい。アトラスから追われているとは言え、私はエルトナムの跡継ぎです。今後は気を付けてください」
「あ───うん、了解」
「それでは行動を開始しましょう。
昼間は私が情報収集をしますが、夜は共同で街を巡回した方がいい。
私だけで真祖と出会っても意味はありませんし、志貴一人で吸血鬼と出会うのも危険ですから」
「え────って、なんで早足で行くんだよシオン! 待てってば、こっちはさっきのダメージが抜けきってないってーの!」
◇◇◇
「……やはり、まだ収穫はなし、か」
寝床に戻ってきた。
あれから志貴と二人で街を巡回するコト三時間。
これといった成果はなく、私たちは再会を約束して別れた。
志貴は日中のうちに真祖と話をつけてくれるという。
私は、彼の代わりに街の情報収集をしなくてはならない。
[#改ページ]
3/謳え、汝ら蠅の如く Alice's insanity
――――夢を。
私は志貴と協力して吸血鬼を捜している。
同じ目的と違う目的。
志貴の円とシオンの円。
中心点は離れているけれど、重なっている部分だけを拠り所にした、曖昧で雑多な約束。
――――見ている。
彼は私を仲間だと言った。
仲間。協力者。同年輩のそういう相手は、どう客観的に考えたって、友人と言うのではないだろうか。
私たちは二人で吸血鬼を捜している。
志貴は私に協力してくれて、
私も彼には協力してあげたい。
そんな、今まで夢でしかなかった出来事が、さっきまで起こっていた。
――――だから、夢を見ている。
こんなのは一時の物。
私が錯覚しているだけの現実。
目が覚めて期限が来れば、志貴と私は無関係になる。
私はその時を待っている。
それが私の目的であり、終着だ。
……なら。
その終着まで夢が続いてくれるとしたら、それは喜んでいい事なのだろうか────
エルトナムの名は、アトラスでは焼き印のような物だった。
畏怖。嫌悪。敬遠。罪人。
声にこそ出されなかったものの、私はそういうモノとして扱われてきた。
古くから錬金術を学んできた一族。
かつては権力と威厳、尊敬の対象であった名門貴族。
それがただ、かつてそうだったモノにすぎない一族に変わったのはいつからだったか。
……私が生まれた時、エルトナムはすでに没落し、名ばかりの名門として無視されていた。
直接的な原因は三代前の当主が掟を破り、アトラスから離反した事。
二次的な原因として、私たちの技術が他の錬金術師に怖れられていた事。
色々な要素があったのだと思う。
私はただ、エルトナムの誇りを守る為に優等生であり続けた。
周囲がどんな目で見ようが構わない。
私の誇りは私を誇るモノ。
だから誰よりも優れた錬金術師であろうと努力し、主席を取り、あらゆる者に公平で、多くの責任を一任され、文武に優れた生徒を保ち続けた。
……私の中の暗い感情を隠し通して、輝かしい優等生を演じてきた。
周囲の者は見抜けなかった。
私を優等生として扱った。
私は学長の目に適い、次期院長候補の一人として特別な権利を握った。
シオン・エルトナムの将来に闇はない。
私には何の問題もなく、うまくいけば私の代でエルトナムの汚名を返上する事だって出来ただろう。
────なのに。
私は、道を踏み外した。
何も問題なんて無かったのに。
私を無視するしか反抗できなかった彼等。
エルトナムの跡継ぎとして遜色ない能力を持つ自分。
私の未来に問題なんてない。
あるわけがない。
そんな理由が見あたらない。
だと言うのに、私は疑問に囚われた。
それがどんな疑問なのか、どのような解を求めているのか、それさえも解らない正体不明の疑問。
その微妙なズレは刻一刻と比重を増し、いつしか私はその重さが煩わしくなって────
────優等生という化けの皮を剥がしたのだ。
◇◇◇
「……熱、い……」
肌を焼くような陽光で目が覚めた。
……時刻は正午を過ぎた頃だ。
体はまだ眠りを必要としており、体力だって一向に回復していない。
「いけない……昼間のうちに、情報を集めておかないと」
約束は守らないと。
あれだけの事をした私に、なんでもない事のように頷いてくれた協力者の為に。
「……この暑さは、確かに辛い、けど……」
手の平を何度も握る。
……残念ながら、そんな事をしても志貴の感触は蘇らない。
それでも───昨夜の感動は色あせてはいない。
「志貴の手は大きかったな。男性と女性は体格が違うのだと、実感できたのは初めてだ」
それに、同年輩の人間と何でもない会話をしたのも初めて。
この国に来て、予想外の収穫ばかりが増えていく。
「──約束だものね。タタリの情報はもう集める必要はないけど、志貴が必要だって言うんなら集めないと」
重い体を引き起こす。
私のやるべき事は一つ。
街に出て、出来うるかぎり人々の噂を収集する事。
「それが、志貴の助けになってくれればいいけど」
まあ、どのようなカタチであれ彼が感謝してくるのは判っている。
遠野志貴という人間は呆れるほど人なつっこい。
そんな彼の反応が新鮮で、私は彼を派手に喜ばしたがっていた。
「っ……!」
吐き気がした。
目の前が真っ赤になって、このまま倒れてしまいそうになる。
「───いけない。
今は、情報収集に集中しないと」
今の私には分割思考をする余裕さえない。
目的を果たさないと。
人影のない路上。
太陽の照り返しが煙る街へと歩き出す。
「────────」
体は苦しいけれど、心はそう苦しくはなかった。
私は出来うる限りの力で、無人の街並から情報を収集する───
◇◇◇
約束の時刻より早めに到着すること十分。
昨日と同じく、規則正しい足取りでシオンはやってきた。
「こんばんは、志貴」
「や。やっぱり時間通りだね、シオン」
「はい。待ち合わせの時間は決まっているのですから、遅れる事はありません」
……そう言うシオンの顔色は悪い。
昨日もそうだったけど、日に日に元気がなくなっていくように見える。
「シオン、君大丈夫か? なんか無理してるみたいだけど」
「心配には及びません。体の管理は錬金術師の基本ですから。そんな事より真祖の件はどうなりました、志貴」
「ああ、それなんだけど、今日も捕まらなかったんだ。どうも避けられている節がある」
「───やはり。そうではないかと予想はしていました」
「?? そうではないかって、シオンには判ってたっていうのか」
「断定はできませんが、まず真祖は志貴の前には現れない。この吸血鬼の噂が静まるまでは。
……まあそれはいいでしょう。それで志貴はどうしたのですか」
「ああ、なんとか俺なりの方法でアルクェイドを呼びつけてみた。アイツが一度でも部屋に戻っていれば、今頃は公園に居る筈だ」
「……公園、ですか。真祖が最も多く目撃されている場所ですね」
「? 目撃されてるって、誰に?」
「街の人々にです。日中、吸血鬼の噂を集めてみましたが、その大部分は真祖に関する物でした。
曰く、一年前の通り魔殺人の犯人は金髪の女性らしい。
曰く、通り魔は吸血鬼らしい。
曰く、ソレは公園に巣くっていて、一人ずつ街の人間を襲っていくらしい」
「な……なんだよそれ。まさか、噂の元がアルクェイドだなんて、そんな与太話を信じてる訳じゃないよな?」
「当然です。こんなものはただの噂でしょう。ですが、これだけ噂が一致すればリアルにもなる。
真祖は考えなしに夜の街を出歩いているようです。だから彼女の噂が最も多い。……他には赤い髪をした少女が獲物を捜している、というのも有りましたが」
「あ、赤い髪の少女〜〜?」
「……言ってみただけです。とにかく、最も多いのは真祖が通り魔だという噂です。それを踏まえて行動してください、志貴」
「……解った。とりあえず公園に行こう、シオン。今日こそはアルクェイドに会わせるから」
「…………そうですね。一度痛い目に遭った方がいいでしょう」
「ん、何か言った?」
「言いましたが、独り言ですので。さあ公園に行きましょう、志貴」
◇◇◇
公園に着いた途端、その異状さを感じ取った。
むせかえるほどの血の匂い。
肌にまとわりつく夏の夜気をかきわけて奥へと走ると、そこには────
「な────!?」
「────────」
「────」
白い月下。
地面という地面を血に染めて、無数の死体の上に、アルクェイドが佇んでいた。
「……ふん。失敗したクセになかなか真に迫ってるじゃない、コレ」
頭上の月を睨み、アルクェイドは楽しげに笑っている。
その雰囲気は、どこかおかしい。
アレは間違いなくアルクェイドだ。
けれど微妙に、アルクェイド以外の何かが混ざっているような気配がする。
「あ、やっときた。志貴、人を呼びつけたクセに時間を守らないんだもの。しかも知らない女と一緒だし。なんか、頭にきちゃったな」
クスクスと笑う。
その雰囲気、漂ってくる威圧感は明らかに異状だった。
自制を無くしているというか、お酒に酔った秋葉っぽいというか。
「ア、アルクェイド、これは────」
「ああこれ? 志貴があんまりにも遅いから、ちょっと気晴らし。ちょうど五六人固まってたから遊んじゃった。
けど血は吸ってないから安心して。
そう簡単に血を吸って、自制を無くすようなコトはしないから」
「────おまえ」
「なに、怒っちゃった? なら謝るけど、わたしだって手加減したんだよ? なのに人間って脆いから、撫でただけで死んじゃった。こんなんじゃ気は晴れないし、余計ストレスたまっちゃったわ」
「────」
「……違います、志貴。あれは真祖ではありません」
「……ふぅん。なぁんだ、誰かと思えば貴方なの、シオン」
「え───知り合いなのか、二人とも!?」
「…………………」
「ん? 違うよ、わたしとシオンは初対面。けどわたしとこうして遇うのは二回目よねぇ、シオン・エルトナム・アトラシア?」
「志貴。彼女が街を荒らしている吸血鬼です。この状況と彼女を見れば説明するまでもないですが」
「な……いや、それは違う。違う、筈だ。だってアルクェイドはこんな────」
「アレはアルクェイド・ブリュンスタッドではありません。そうですね、アルクェイド・ブリュンスタッド?」
「ええ。わたしはアルクェイドではないわ。ただアルクェイドなだけなのよ、志貴。
……あ、ますます混乱させちゃったか。じゃあ判りやすく言うとね、アルクェイドの偽物ってところかな」
「偽物……それなら納得できるけど、おまえは」
「偽物には見えない、と言うのでしょう。
それも当然です。アレはアルクェイド・ブリュンスタッドですから。
もともとあの死徒……“タタリ”には、偽物や本物といった概念はない。
アレはただ、人々の噂を纏っただけの醜悪な吸血鬼───」
「ふん、三年ぶりだって言うのに相変わらずね。けど、貴方のそういうところは嫌いじゃないわ。
だって、シオン・エルトナムはあらゆる出来事を敵に回した筈だもの。
それでも私を追ってきたコトは喜ばしいわ。
ええ、生かしておいて正解だったかしら」
「貴方の目的が自滅であるのなら正解です。私はタタリを止める為に来た。
消滅させる事はできずとも、おまえの邪魔をする事ぐらいは出来る───!」
「ぁ……くっ……!」
「お馬鹿さん。貴方、わたしを前にして正気を保てると思うの?」
「さあ、楽にしてあげるわ。本当は貴方を次にしても良かったのだけど、真祖の体の前には見劣りするものね。
……ほんとう、いつも間が悪い娘」
「ぁ……志、貴……」
「っ───!
……なによ志貴。わたしの邪魔をする気?」
「……あのな。そんな訳ないだろう、馬鹿」
「?」
「?」
「俺はおまえの邪魔をするんじゃない。その、アルクェイドとそっくりな顔でくだらねえ事をしたおまえを、解体し尽くしてやるだけだ」
「───へえ、人間にしては凄い殺気。……これなら確かに、今の大口も許せるかな」
「────────」
「いいわ、遊んであげる。志貴と遊ぶのなら気晴らしにもなるでしょうから!」
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「ぐっ……!」
「やるじゃない。けっこう保ったほうよ、志貴。退屈しのぎとしては合格点」
「けどそれもおしまい。時間もない事だし、止めをさしてあげる」
「……! 逃げろシオン……!」
「く───出来ません、志貴……まだ、体がいうこと、を───」
「くっ……こうなったらもう一度、アイツと……!」
「それは、無駄で、す───志貴の方こそ、それ以上の戦闘は、命に関わ、る───」
「バカ、そんな事言ってる場合じゃないだろ……!
このままじゃシオンの方が危ない……!」
「ああ、それなら余計な杞憂よ。まだあの娘は殺さない。今回は特別のようだから、最終決定にはわたし以外のアルケミストが必要になってくる。
その時にエルトナムの娘は役に立つもの」
「だから安心なさい志貴。殺すのは貴方だけよ」
「……!」
「志貴……!」
「それじゃバイバイ、志貴」
「な、何事!?」
「────────」
「────────」
「く───情報が、一定しない」
「───信じられん。この街には、真祖よりタタリに相応しい殺人鬼がいる、という事か」
「……難しいなあ。このわたしで本命だと思ったけど、貴方の能力も捨てがたいし。んー、悩むなあ、どっちにしようかなぁ……」
「─────」
「あ、そんな顔しなくていいわよ? どっちにするか悩むけど、どちらにしたって志貴はここで死ぬんだから。うん、焦らせるのも飽きたし今すぐに殺して────」
「え────?」
「消えなさい、吸血鬼……!」
「不意打ちとはやってくれるわね。貴方の神経は全部カットしたつもりだけど、自分で繋ぎあわせたの? エーテライトの使い方がよく判ってるじゃない」
「に、しても背後から心臓を一突きか。わたしも油断しすぎたなぁ。これじゃこの体を保つ事は難しい」
「――――だが、それもよかろう。
真祖のキャパシティは優れているが、到達できない次元ではない。それならば、決して修得できぬ貴様の能力を選んでやろう」
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4/七夜を名乗る sin,i'm a guilty
アルクェイドの姿をした吸血鬼が消えた後。
俺の体が動けるようになって、シオンの体調が回復した時には一時間ばかり経過していた。
「体の方は大丈夫か、シオン」
「はい。傷は負っていませんから、ダメージとしては志貴の方が重いでしょう。私の変調は目眩のような物ですから、心配には及びません」
……問題はその目眩が何であるか、という事だ。
体の自由が利かなくなる程の目眩なんて有り得ない。
有るとしたらそれは───
「志貴? 貴方の方こそ問題はないのですか。
先程の吸血鬼との戦闘、致命傷は避けているようでしたが、傷は負っているでしょう」
「ああ、それならなんとか。ほとんどが掠り傷だよ。打ち身とかそういった物ばかりだから、こっちも傷はない」
「……なるほど。志貴の場合、まともに攻撃を受ければそれで致命傷になる。生きている、という事は打撃を全て受け流していた、と取るべきなのですね」
「……ま、そういう事。毎度毎度上手くいくとは限らないけど―――って、そんな事はどうでもいいんだ。話さなくちゃいけない事は他にある」
「他、と言うと何でしょうか」
「さっきの吸血鬼の事だ。シオンはアイツと知り合いなのか。君はアレをタタリと呼んでいたけど」
「知り合い、という程ではありません。ただ以前、一度だけ出会った事があるだけです」
「それじゃアレがなんなのか知っているって事?」
「はい。アレはタタリと呼ばれる死徒です。志貴が捜している『噂の吸血鬼』というのはタタリの事でしょう」
「アイツが!? ……ってコトは、噂になってる吸血鬼っていうのはアルクェイドの事なのか!?
あ、いや、勿論本物のアルクェイドじゃなくて、さっきの偽物のアルクェイドがってコトだけど。ほら、あの吸血鬼はアルクェイドそっくりだったから」
「いいえ。それでは順序が逆です。『噂の吸血鬼』がアルクェイド・ブリュンスタッドだったからこそ、タタリはアルクェイド・ブリュンスタッドの姿になっていた」
「え? (ごめんシオン、ちんぷんかんぷん)」
「つまりタタリとは一定の密閉空間において最もメジャーな呪いを被る死徒なのです。端的に言ってしまえば噂を具現化する死徒です。
広まった噂は徐々に現実感を帯びてくる。
例えば、“殺人鬼が公園にいる”という噂を信じた志貴が、ここに転がっているモノを死体と見間違えたように」
「え……って、ああー!? なんだこれ、ゴミ袋が散らかってるだけじゃないか!
死体はおろか、血だってただゴミが散らかっていただけ───!?」
「はい。転がり始めた噂を後押しする事で蓋然性を持たせ、現実と寄り添うほどの情報になった時、その姿を鎧として纏う死徒がタタリ。
先程タタリが真祖の姿をしていたのは、この街で最も信じられた噂が“金髪の吸血鬼”だったからでしょう。
尤も、真祖は実際に殺人を犯していない。
それ故にタタリはまだ人を殺せない。
噂が完全に現実性を持つまで、タタリは噂の真似事しかできませんから」
「……ようするに他人をコピーするって事か。なんか厄介そうなヤツだけど、随分と詳しいんだな、シオン」
「────吸血鬼を研究しているのですから、どのような死徒がいるか程度は知っています」
「…………………」
そうだろうか。
もっと深いところでシオンとタタリって死徒は関係があると思うのだが……ここは追及してみるべきだろう。
「シオン。君はアイツと」
「──それより。注意すべきは貴方です、志貴。残念ですが、タタリは真祖ではなくイレギュラーである貴方を選びました。
……いえ、選ぶというのは間違いですね。もともとタタリに決定権はないのですから」
ふう、と。
疲れた、というよりガッカリした様子でシオンは言った。
「え? 俺を選んだって、何に?」
「ですから、『噂の吸血鬼』に志貴を選んだのです。実際に吸血行為を行っていなかった真祖と違い、シキという殺人鬼は本当に殺人を行っていました。
タタリは噂・情報を現実に孵す死徒。
タタリがシキという殺人鬼を模すのならば、確実に死人が出ます」
「シキを模す───そのシキってロアの事!?」
「ロアではないでしょう。噂の元はロアという吸血鬼ですが、人々に目撃され、信じられた“殺人鬼”は貴方です。そして貴方自身が、殺人鬼になるかもしれない自分を怖れている。
広まった噂があり、それを真実の物として怖れている人間がいる。
タタリにとってはもっともカタチにしやすいパターンです。
これで実際に人を殺せば、噂は完全な真実と成るでしょう」
「そ、そんな事をさせられるか! シオン、君はアイツを知ってるんだろう。ならアイツが何処に行ったのか判らないか!?」
「断言は出来ませんが、タタリが“殺人貴”になるのならば、殺人貴が生まれる場所は、彼が最も鮮明に記録された場所です」
「鮮明に記録された場所───」
つまり、ヤツが最も多く現れた場所。
それは───
路地裏まで走った。
人影はない。
此処は相変わらず無音。
熱い夏の夜気は渦を巻いて、どろりとした空気を流してくる。
その中心。
卵から生まれたばかりの雛のように、夜の粘液に包まれたソレがいた。
「────」
「───やはり。真祖ではなくそちらを選びましたか、タタリ」
「ああ。そこの戯《たわ》けはどう思っているか知らないが、この眼はすでに神域の能力だ。吸血を好むタタリには出過ぎた能力だが、一度ぐらいは経験しておきたいと思うのは人情だろう?」
「愚かな。それではオマエの目的は果たせない。一時の快楽の為、最高のセッティングを逃すのですか」
「ふん、それは君の都合だろう。確かに今回の状況は過去最高だよ。このような機会は二度はない。だが、絶対にない、という訳でもない」
「今回はこの直死の魔眼を楽しみ、次のタタリに希望をかけよう。タタリの寿命はあってないようなもの。無限の未来の果てに、また最高の状況はやってくるさ」
「では、今回は捨てる、というのですね」
「いや。俺にとっては全てが捨て石さ。
だからこそ、その場その場の舞台を楽しむ。
とりわけ今回の主役は稀少だ。名優ではないが、他人には真似できない味がある。
……いやいや、これほど“殺し”に特化した人間はまたとないぞ!」
「────────」
「今回はこれで決めとしよう。そして残念だがシオン、君もここで解体する。
俺は殺人鬼だからな、出会った人間は手当たり次第殺さねばならないんだ」
「……チ。姿ばっかりか声までそっくりか。そのくせ中身は最悪。デットコピーっていうのはこういうのを言うんだな」
「む。口が悪いな、遠野志貴。
なんだか険悪な感じだけど、何かよからぬ事でも考えてるかい?」
「…………。おまえが俺のコピーだっていうんなら、俺の考えぐらい判るだろう」
「はははははは! なるほど、さすがは本物だ!
それじゃあやろうか。
君と俺とでは潰し合いにはならない。
結果は潔く、速やかにつくだろう!」
「シオン、君は手を出すな。
コイツには───俺が引導を渡してやる!」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI.bmp)入る]
5/タタリの夜 Freaks Channel
「───これで終わりだ。何者だか知らないが、その顔で殺人鬼を語るな」
「ふ────は、はは、はははははは!
いや、確かに見事だ。これならば生きながらにして“殺人鬼”と認識されるのも頷ける!」
「志貴、離れて。タタリは滅びていません。時間が早すぎたのでしょう、まだ余力を残している」
「時間が早すぎた……?
シオン、それはどういう───」
「成熟を迎える前のタタリは、何度滅ぼそうが“実現しそうだった噂”に他ならない。タタリというのは存在ではなく現象です。カタチになる前に倒しても、また噂を求めるだけ」
「そうだよエルトナム。君の言う通り、幾度となく私は現れた。それが人の世に依存した私の在り方、私が楽しむ世界という名のミュージアム。
……だが、今回は舞台にもならなかったな。噂の原因となった人間に滅ぼされたのはこれが初めてだよ。
───それで、どうだろう人間。
自らの罪を、罪そのものでうち消した心境は」
「────なに」
「私は罰である。
形に成り得なかった罪を象り、罰を与える現象こそが私だ。
それを、原因である筈のおまえは受け入れるのではなく更なる罪でうち消した。
おまえは殺人行為という罪を、殺人という罰によって消去したのだ」
「────貴様。ニヤニヤ笑いやがって、何が楽しい」
「ああ、楽しいとも。これまでとは比べ物にならぬ程小さい劇ではあったが、矮小ではなかったよ。
自らの過去に蓋をする為、封印すべき過去と同じ手段を重ねるその醜さ。
いや、堪能した。やはり感情の煌めきにおいて、人間に勝るモノはない」
「それは────」
「だが、それはそれだ」
「私の愉しみに水を差した代償は高くつくぞ、小僧」
「ネ、ネロ……!?」
「呪詛は吐き出した人間に返る。貴様は貴様を殺した。ならば、貴様は貴様の罪によって殺されるのは道理であろう。
貴様が怖れるこの|ワタシ《カタチ》こそ、貴様を呪う強迫観念だ」
「────」
「志貴……! タタリの言葉は暗示です、聞いてはいけない! 今は目の前の吸血鬼を倒す事だけを考えてください!」
「さて。それが出来るのであらば、人とはかくも苦しく生きてはおるまい」
「では───タタリによって死ね、人間」
[#挿絵(img/WIN_SHIKI&SION.bmp)入る]
「ふ───AILGU、ガ、YuDoBwPLG」
「こ、今度こそやったか────!?」
「……そのようですね。今回のタタリには、もう情報を動かす余力はない。この街で発生する事は出来ない以上、霧散して次の条件を待つしかない」
「A────、────、────!」
「……消えなさい、タタリ。次はおそらく十年後でしょう。その時まで、私が生きていたのなら、今度こそオマエを滅ぼす」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………き」
「きききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききききき!!!!!!!!!」
「……消えた。死んだのか、アイツ」
「はい。もう二度とアレがこの街に現れる事はないでしょう。そして、私も」
「え? シオン、何か言っ────」
「ぁ……シオン、君、まさか────」
「……申し訳ありません。志貴に繋いだエーテライトを使いました。体の痺れは一時間もすればとれるでしょう。その間に、志貴から記憶を奪います」
「な────どう、して……」
「……私の目的は何も果たせなかった。それは構わないのですが、志貴に私とタタリの関係を口外されるのは困るのです。ですから、私とタタリに関する記憶を消去します」
「ば───そんなコト、しなく、ても───」
「ええ、貴方は何も話さないでしょう。志貴を信用しますが、信頼はできない。
世の中には志貴の意思とは無関係に記憶を覗く者もいます。……この、私のように」
「ですからこれでお別れです。今までの協力と、志貴の好意に感謝します」
「な────待てってシオン、
それじゃ、なにが───」
◇◇◇
───焼き付くような陽射しに眼を細める。
夏も最中、温度は一日ごとに最高気温を更新する有様。
アスファルトは蜃気楼に揺れて、道行く人影は自分以外見あたらない。
きっと、あまりの暑さの為だろう。
世間はいつも通り平和だというのに、街には人っ子一人見られないのは。
白く溶けてしまいそうな陽射しの下、公園まで歩いた。
そこで、ふと冷静になってみる。
どうして自分はここまで歩いてきたのだろう。
この猛暑の中、散歩のつもりだったのか、
誰かと待ち合わせでもしたのか、
それとも───何かを捜していたとでも言うのか。
考えても判らない。
大きくため息をして空を見上げる。
頭上には、狂ったように燃える太陽。
……そうして立ち眩みがした。
長いこと立ち尽くしていたから、暑さにやられたのだろう。
まったく、本当に。
今年の夏は、質の悪い夢のようだ────
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(バッドエンド)