TITLE : リツ子 その愛・その死
リツ子 その愛・その死    一雄 著 目 次
序詩   佐藤春夫
リツ子・その愛
リツ子・その死
序詩   佐藤春夫
白 昼 杜《と》 鵑《けん》
一雄に。「国破れ妻死んで我庭の蛍《ほたる》かな」の
破調なかなかに咽《むせ》ぶが如く悲しかりければ
た け 高 く
秋 く さ の
き よ ら に も
に ほ ひ し を
あ え か に も
人 若 く
ひ と り 子 を
残 し 逝《ゆ》 く
と こ し へ に
若 く し て
夫《せ》 の む ね に
生 く と 死 ぬ
国 破 れ
妻 死 ん で
我 庭 の
ほ た る 哉《かな》
妹《いも》 が 死 を
つ た へ た る
友 の ふ み
よ み き た り
ま ひ る 野 を
音 に む せ ぶ
ほ と と ぎ す
わ れ は 聞 く
リツ子 その愛・その死
リツ子・その愛
「さん、洛陽《らくよう》に行きませんか?」
「行きましょう」
「すぐにですよ」
とK社の網野君が二階座敷に坐るなり、心持私の表情を見上げるように、こう云った。
洛陽。行きたいと思った。なにを打棄ててでもよいと思った。東洋の文人にとって、またとない目出度い聖地に行脚《あんぎや》出来る心地である。私は辺りの青葉のひるがえるのを眺めながら、例によって新しい生涯にすべり落ちる時のめまいに似た不安と、静かに湧《わ》きおこってくる陶酔とを味わった。
微風が絶えず青畳の上をすべっていた。昭和十九年の六月の晴れた日のことである。誕生十ケ月の長男の太郎が、うず高く積み上げられた本の間に囲われてキャッキャッと声をあげて笑っていた。風が雑誌の頁をめくるのである。それをおもしろそうに小さい手で押えては風に放つ。可愛いと思った。こいつとしばらく離れるのか。たまらないとも思った。しかし、自分にとってまたとない大きい転機が来るだろう。神が運んでくれる自然の転機を素直に受入れるに越したことはない。跳ぼう。思いきって。この俺は、いつも断崖の頂きから飛び降りる名人ではなかったか。
それに――長らく心にかかっていた私の労作についてまたとない恩恵が得られるかも知れなかった。大伴旅人《おおとものたびと》に関してである。上代一流の名家の生涯と、その妹と、二人の子息と、この一族の身近かに時々現れてくる鬱屈の老詩人山上憶良《やまのうえのおくら》は、長いこと私の心について離れなかった題材であった。愛と死と歌の華麗な奏楽の谷間に、折々洒脱《しやだつ》でまた沈痛な老詩人たちのバスの声が混っている。憶良が黄河の畔《ほとり》を経めぐった昔語りを、よまいごとのようにぼそぼそと鋭感の少年に語って聞かせてみたらどうだろう。嘘もある。誠もある。記憶は次第に憶良の肉感で裏づけられたり薄れたりしている。黄河を見はるかした日の戦慄《せんりつ》に近い茫漠の実感から、憶良の語調が不意にあやしくふるえてきたりする。とりとめのない昔語りを聞きながら。大陸の相貌を、家持《やかもち》が幼い夢に描いては消す――。
行こう、と私の決心は強まった。黄河を見たら引返す。黄土層に咲き出した梨の花を栞《しおり》にして、一ひらを老師の手に、一ひらを妻の手に、それから憶良のようにボソボソと支那のお伽話《とぎばなし》を、わが子の寝物語に聞かせてやれば、それでよい。
「行きますよ、いつでも」
と私の返事はきっぱりした。
「そうですか、ありがたい。あなたほどの適任者はほかにないですから」
とK社の網野君はお世辞とも実感ともつかぬ言葉を口にしながら、折から連れだって来ていた婦人記者と肯《うなず》き合うた。「適任者はない」そうだ、私ほどの適任者はない。今、私だけが必ず行って見なければならないところだ。私のみを主体とするならば、これほど重大な旅はない。けれども戦いの日に千里に旅立つからにはなにがなし新しい不安の気持も消せないのである。私は厠《かわや》に立ってみしみしと階段を降りながら、ちょうど茶を上げる妻とすれちがった。
「おい、支那に行くぞ。すぐにだ」
玄関の青葉の照りかえしからか、見上げるリツ子の頬が色を失ったように思われた。茶器をのせた盆を手に一二歩よろめくように後ろにすざる。
「いや、すぐ帰るさ」
耳許《みみもと》に口をよせつつささやいて、自分の手で、よろける妻を壁際のところに静かに支える。麻布を通して手なれた妻のぬくもりが伝うてくる。やがて長身の妻の皮膚が胸から腰の辺りへと波打つようにふるえてきたように思われた。
私は二階に帰って茶を啜《すす》りながら、
「それでいったい、期間はどのくらいになりますか」
「三月ぐらい、どうでしょう?」
「帰れるかな。三月で」
もう東京は第一回の空襲を浴びていた。石神井《しやくじい》の自宅の二階から、松の梢《こずえ》の辺りに、見慣れぬ大型機だ、と妻と太郎と三人して翼に描かれた文字まで見えるように眺めたのは、ほかならぬB25だった。B25の来襲の折はなんの恐怖心もなかったが、相手が米国であってみればあんな生やさしいことですむとは思えなかった。山本元帥が死んでいる。アッツ島からはじまり、クェゼリン、ルオット、サイパンと数えていって、なにか腹の底にひんやりと冷えてくる前途への不安があった。二三日前も芳賀檀《はがまゆみ》氏の邸《やしき》に女房と子供を連れていって、芝生の薔薇園《ばらえん》に案内され、紅白ビロードのような見事な花々を切りとってもらったが、芳賀氏は花を摘み摘み、
「さん、サイパンをどう思う」
「さあ、今度は大丈夫でしょう。こちらから近いのですから」
「いや、危い。二十数隻の大型艦がぐるりと島をとり囲んで、こちらからはまったく近寄れないのですよ」
嘘を云う人ではなかった。どこか確かな筋の情報を得ているのだ。背筋を流れるような冷たい不吉が感ぜられた。こんな日に妻子をおいて千里に旅立つとは――と、しきりな逡巡《しゆんじゆん》も感じられる。が三月なら大したこともあるまいと考えていって、また、旅の魅力に抗しがたいのである。
「帰れるかな、三月で?」
もう一度誰にともなくつぶやいてみて、人から、その三ケ月の旅の完了を予約してもらいたかった。が、誰も答えてはくれないのである。自分でもなるべく短期間がよいと思ったが、出かけたら、それでは終らぬような予感がする。旅立ったら自分でも抑制出来ないところで、次々と新しい旅程が私を誘引する。きまってそうだ。未見の風物の幻がたぐりよせる力は執拗だ。
「まあ、半年にはなりますね」
その半年にも自信がない。あぶなくすると一年になりかねないな、と私は思ったが、網野君が云ってくれる三ケ月を妻への唯一の保証にした。
「三月だそうだ」
「でも、せっかくいらっしゃるなら、ゆっくりでもよろしいことよ」
上ってきて、茶をさし更《か》えるリツ子が云う。
「大丈夫ですよ。奥さん。今度ばかりは太郎さんに会いたくて、さん、すぐに舞い戻りでしょう」
網野君が援兵に出た。けれどもこればかりはあてにならないというふうに、リツ子はちょっと私を見上げ、それから太郎を抱きしめながら降りていった。
急に空虚の気持が増大する。いつのまに、こんなふうの家庭の虜《とりこ》になったろうか、と自分がいぶかしく、
「行き帰りは、飛行機ですか?」
「さあ、そいつは」
と網野君が当惑している。
「飛行機にしてほしいなあ」
変なところで我《が》を張りたくなった。雁《がん》の巣から、見上げる太郎とリツ子を、一挙におき去りにして翔《と》び発ちたいのである。
それでも雑誌記者が帰った後は、リツ子はいつになくはしゃいでいる。いろいろと云う。
「ねえ、太郎。ゆっくり安息が出来ますよ」
夫婦だけの可憐な小さい隠語もあった。
「太郎さんと二人で、毎日太郎の御馳走たくさん作りましょうね」
「太郎さん二人っきりで、このお家でお父さまを待ちましょか。それともおばあちゃまのところにゆく?」
「とにかく、意地悪お父さまがいなくて毎日ねんねよ、せいせいよ、ね、太郎」
さすがに夜はこたえるのだろう。早く床につき、何度も私の体にすがり寄る。すべすべと柔い肌の温かさを縁《ふち》どる麻の寝巻の冷やかな手ざわりが、愛撫の瞬間の陶酔を、とめどなく不安なものにする。
「支那の幽霊はね、煙のなかを走るのだよ。塀《へい》の蔭にそって走るのだよ。俺が死んだら、上海《シヤンハイ》あたりまでは堤防の蔭にそって走ってくるけど、しかし、海は渡れんな。戸惑うね。おまえのところまでは帰ってこれん」
「お船の蔭は?」
「船の蔭か。いや、あんなものに附いて走るのは面倒くさい。東支那海の真中あたりで、離れてしまう。それの方がよっぽど楽さ。キラキラ、サラサラの波の蔭にあっちに浮び、こっちに浮び、ぼんやりと仰向けになって、空を見ながら浮んどこう」
陶酔の果のうつろな眼で、リツ子はあてどもなく天井の辺りを見つめていたが、
「いいことよ。ねえ、太郎。意地悪のお父さまなんか、もう知らない。太郎と私は、ねえ、お父さま。ゆらりと三日月さまにまたがります。甘いい空気がいっぱいに吸えるのよ。いいでしょう。三日月さまはぶらんこのようにお空のなかをゆれて飛ぶのよ。するとほら」
と甘いいを方言のままに長くひっぱって、くすくす笑いながら、ぐっすり眠っている太郎の頭を一つ撫《な》でると、
「ねえ、太郎。ほら、下の真黒い海の真中に、幽霊のお父さまが浮んでいる。波の蔭でぶるぶるふるえていらっしゃる。可哀想、可哀想。ねえ、太郎。あんまりお可哀想だから、ちょーんとひとつ掬《すく》ってあげようか。やめようか。お紐《ひも》でぶら下げてあげようか。でも、意地悪お父さまは、カンダタのようにドブーンとまた海のなかに落してしまおうか」
リツ子は浮かされたように、太郎の顔に頬ずりをしたり、繊《ほそ》い指先で撫でてみたりしながら、とりとめもなく、そんなことを云っていたが、いつのまにか泣いていた。
出発はいつとはっきりわからなかった。しかし今日明日にも軍から通告があるかも知れない、と連絡のK社の網野君が知らせに来た。
同行は土屋文明氏、加藤楸邨《しゆうそん》氏、上田広氏の四人になりそうだ、と云っている。出発前に、是非とも一度は佐藤春夫先生のお宅までお別れの言上にまかりでておきたかった。梅雨がなかなか晴れきらぬのである。
旅の服装が整わないとリツ子はしきりに気を揉《も》んでいる。生憎《あいにく》、私は国民服も編上靴も持ち合せがなかった。
「亡くなったお父さまの日露戦争の時の将校服が残っている筈ですし、弟の編上靴を借りていらっしゃい。すぐ電報を打ってみましょう」戦争のさなかの旅立ち故に心さわぐのである。あわただしくあちこちに電報した。くわしい書簡は一さい禁じられている。けれどようやく晴れ間をみて、リツ子と太郎を伴って関口台町の佐藤先生のお宅に伺った。
紅殻《べにがら》を流しこんだ部厚い漆喰《しつくい》の土塀の上に、相変らず蔦《つた》が青かった。門をくぐって、しばらく閑寂の小前庭の風情《ふぜい》をよろこぶのである。鉢の水に夏の虫が泳いでいた。藤棚の下蔭が不態《ぶざま》に掘りかえされて、形ばかりの竪穴《たてあな》防空壕が急造されてある。ガチャリと扉が開いて、
「まあま、さんですよ。令夫人と坊ちゃんと御一緒」
「上ったらいいね」
と応接間に坐っておられるのだろう春夫先生の聞き馴れた声がした。
「さあどうぞ。よくいらっした」
と奥様に招じ入れられて、遠慮なく上り込んだ。
「洛陽にまいります」
「そうだってね、I君から大体きいた」
先生は応接間の隅に敷かれた珍らしい縁取りの畳の向うはしに坐られたまま、例の通り体を前後にゆするようにしてそう云われた。
「それで、もう日取りは決ったかね?」
「いえ、まだはっきりしませんが」
臼《うす》かなにかを逆さにくりぬいたのであろうか、丸木造りの部厚い茶卓を奥様が重そうに抱えられるので手伝って三畳の真中に据える。
「さあさあ、奥さんあなたも狭いけどお坐りなさい。太郎さん何ケ月になりました」
「はあ、やっと十ケ月になりました」
とリツ子は坐りながら夫人に答えている。
「ふむ発育はよさそうだ」
と先生は、リツ子の膝の上から絶えずすべり降りようともがいている太郎をみてからそう云われた。
話は例の通り世相の痛罵《つうば》と従軍の件に一聘《へい》する。
「富沢とでも行けばあれは馴れているからきっと君も助かったが、つまらぬ軍人が威張って行く先々不愉快だよ」
「富沢さんは行かれぬそうです」
「行かぬそうだね。一緒だとよかったが」
とくりかえされた末に、
「とにかく、軍人と官僚が国をあやまる」
珍らしいバタ附のトーストが卓の上に運ばれた。
「もう食べられるかね?」と先生。
「はあもう何でもいただいて居ります」
とリツ子がいただき、小さくちぎって太郎の口に運んでやっている。それでもバタ附のパンなど生れてはじめてのことだろう、と私は太郎の口許《もと》をじっと見た。
先生の背後の小窓からちろちろと夏の反射光が洩れている。いつもながら、ここの応接間に入ると、幼時の故郷の倉のなかが思い出されるのである。光のせいであろうか。壁の厚みであろうか。それとも雑然と散らばる、諸道具の按配《あんばい》であろうか。壁の色調と調度類の反映のありさまだろうか、それとも壁にかけられた、書画や対聯《ついれん》の風情であろうか。いくらかずつそれらが混り合って特殊な感興を誘うのだろう。
が、ふっと先生の人柄からくる陰影が一番近く今の私の夢を誘うのだと思いはじめていって、これは口にしなかった。叱られそうだからである。どこぞ先生の全人格のなかにとめどないところがあるようだ。なつかしいが、それでいてものさびた、とりとめもなく新しい根源の力のようなものが――。
私は芸術の一番豊饒《ほうじよう》な来源を、「とめどない」というところにおきたい願いを昔から持っている。
「洛陽の周辺は梨の花の多いところと聞いている。君の壮行を祝って詩を一つ書いたから、読んで見給え」
と突然先生の声に驚くと、先生は原稿紙のまま一枚の詩稿を見せられた。思いあまるうれしさにペン書の先生の字体を拾い読む。
「折柳曲《せつりゆうきよく》」
一雄の洛陽に行くを送りて
と詞書《ことばがき》されて格調高いその詩稿は身に過《あま》る光栄と何度もに誦《くちずさ》んでみるのである。
「折柳曲というのは唐代の人々が好んで愛吟した別れの曲名だ」
「ありがとうございました。この詩、写させていただいていいでしょうか」
「ああ、いいが、新潮の七月号にのるはずだよ。が、君の出発に間に合わぬかも知れないね。出たら一冊余分に保存しておいてあげよう」
おそらく心のなかでたゆたっていた私の旅心もこの詩稿をいただいて定った。洞庭《どうてい》、岳陽楼《がくようろう》、天津橋《てんしんきよう》と写真でのみ知っていた未見の風物が、次々と眼に浮んで消えてゆくのである。
「まあ、森槐南《かいなん》の唐詩選評釈をでも一冊携えていくんだね。あれは土地の状況などもしるしてあって、ちょうど手頃のように記憶する」
私はいただいた詩句の末尾のところに、
期満ち秋風の到るあらば身を鴻雁《こうがん》に托し速《すみやか》に来り直ちに
児と婦とを抱け
思ふに洞庭の月光も
石神井の清幽に若《し》かざるべし
とあるのをありがたい慰藉《いしや》激励のお言葉と、今さらのように妻子をかえりみて、用箋《ようせん》をそのままリツ子に廻して見せた。
「もう天《あめ》が下不愉快なことどもばかりだからね。食べる楽しみもなく、生きる楽しみもないね。が、まあ、後は安心しておき給え、僕のことなら、もう楽しむものはなにも残っていないから、一人道を楽しんで玉砕することに決めた」
と先生はまた体をゆすって哄笑《こうしよう》された。その哄笑がからからと部屋の中に反響するので、私は老師の風貌を仰ぎながら、国と人を思いつつ悲痛な感銘を味わった。例によって選びふるったような、重い言葉の抑揚が心に残った。
太郎がキャッキャッと声をあげながら母の膝をすべりだし、板の間を匍《ほ》うてから、危なっかしい腰附で椅子の足につかまりながら立上った。
「あああれを持って来たらいいね」
と先生はなにを思い出されたか夫人をかえりみられる。
「そうそう」
と夫人は即座に立上って瓶ごと水飴《みずあめ》らしいものとスプーンを持参された。先生はそれを取り、よろけるように立上って、声をあげている太郎の側に歩みよられた。自分で掬《すく》って太郎の口に水飴を運びこまれるのである。生れてはじめての水飴の甘味だろう。太郎は大喜びで何度も舐《な》めた。私とリツ子は顔を見合せて、尚《なお》さらありがたいのである。先生は太郎の反応をつくづく見るように、
「知能の発育の方も、どうやら、よろしいようだね」
そう云って、もう一さじスプーンから水飴を太郎のアーンと開いた舌の上にさしこまれた。
やがて席に帰られると、座右《ざゆう》に積まれた子供のための「西遊記」を取上げて、「太郎君。佐藤春夫」と筆書きされ、その本まで頂戴した。私は知遇をいただく光栄をしみじみと感じながら、そろそろおいとましようかとリツ子にささやいて立上った。先生はわざわざ奥様と一緒に門口まで立って来られ、私たち三人を見送りながら、
「君の放浪癖も今度は、大丈夫だろうね。愛妻と愛児をもうけたから」
「大丈夫ですとも、今度はとんで帰っていらっしゃる」
と奥様はいたわるように、そっとリツ子をかえりみられた。
「が、君。旅先の日記を欠かさぬようにするのが大切だよ、後で覚えていると思っても、記憶という奴はあてにはならないからね。後かたもなく消え失せる」
「ありがとうございます」
と答えたまま私はしばらくなんとなく立去りかねた。ふと思いついたので、
「先生。石神井の家に先日蔓茘枝《つるれいし》の苗をたくさん買いこんで植えたのですが、こちらに御入用はありませんか?」
「蔓茘枝ですってよ、欲しいと思って随分探しておりましたのよ」
夫人の声に、先生は肯き、
「では、いただきたいそうだ」
とそう云われた。私は唐突な自分の思いつきを自分でも喜んで、古井戸の石囲いにチラチラ西陽の射すのを見ながら、しばらく朱《あけ》に染る蔓茘枝の秋を心に描いてみるのである。
やっぱり飛行機はむずかしいようである。下関の乗船が七月八日と決定した。それまでは勝手なコースをとってよろしいという。福岡の母たちにもちょっと会っておきたいから、七月五日に離京することに決定した。
心残りなのは畠である。この五月にリツ子と庭を打ちかえして丹精をこめた俄《にわ》か菜園にはキュウリ、ナス、トマト、ゴマなどが雨と日光を浴びて、急に目ざましい生長を見せはじめていた。昨年は住みついたばかりだから勝手もわからず、ほんの五六本の苗をちょろちょろと植えたのだが、近隣の人々が寄ってたかって肥料や手入れの注意をいちいちリツ子にささやいてくれるものだから、思いがけない収穫に驚いた。今年は一挙に拡大して前庭にトマトを五十本、裏庭にナスビ、キュウリ、ゴマをそれぞれ二十本ずつくらい植え込んだ。
さらに生垣の内に沿って、可憐《かれん》な唐辛子《とうがらし》を十本ばかりと、ニラの種子をぐるりと播《ま》いた。手の窪《くぼ》に黒光りの微塵《みじん》の粒子を並べ、それをリツ子と二人してたんねんに播いていったが、これが果して芽になるかと、覚えのない私はいぶかりながら土をかけつつ心細かった。
しかし、見よ。しきりにさわぐ旅心を押えながら、そっと裏庭に立って見ると、あたかも柔毛《にこげ》のような繊《かぼそ》い軟かいニラの芽どもが朝露に濡れてふるえているではないか。
「オイ、出たぞ。ニラの芽が」
と私は大声に呼ばわってリツ子を招くと、旅立ちの整理に余念のないリツ子も太郎を抱いて庭に出た。
「見ろ、ニラだ」
「ほんとう」
とリツ子もうれしそうで、一面生えそろったその二三分の細い芽を、軟かく指の先になでまわしてみるのである。トマトにもナスにもキュウリにも次々と花がついている。キュウリはもう四本ちぎって食膳に副《そ》えた。ナスは一番成りがうずらの卵大につやつやと紫に輝いている。発つ前に初成りが食べられるかどうか。
「こんなにたくさん植えたのに、盛りの時、一緒にいただけないなんて」
とリツ子が気弱く愚痴にするのである。
夥《おびただ》しい放浪の半生で、私は菜園などを一年の季節を通して眺めたためしがない。今年は不思議なことだと自分でも珍らしく思っていたが、やっぱり支那へ旅立ちととうとうきまった。収穫を前にして、千里の道の果へ歩み去る。これが、一番自分らしくにつかわしいとふるい立ったが、旅先の空のなかで、きっとあのニラの芽の柔かい青さばかりは眼の底に絶えずちらつくだろう、とそう思った。
「秋からお出かけになればよかったのに。そうなれば、庭の成りものもいただいて、八月二十九日の太郎のお誕生日を一緒に祝えたのに」
「北京《ペキン》までついてきたらいいじゃないか。荷田《かだ》の家なら泊れるよ」
とリツ子のまったく知らぬ友人の名を故意に持ち出して、不可能事と知りつつ、妻に強《し》いる。由来私は、憐憫《れんびん》の情が一番苦手なのである。こいつから脱け出したいと、行手の茫洋たる旅を飢渇する。
さすがに出発の前日の朝は気が滅入った。昨夜から太郎が発熱しているのに加えて、暁方《あけがた》厠に立ったリツ子が下痢気味だと蒼《あお》い顔で戻ってきた。それでもリツ子は気をとりなおすふうで、
「そうそう。やっとナスビの一番成りが間にあいましたから、ちぎりましょうね」
朝食の後で、そう云った。太郎はまだ眠っている。家の周囲の菜園のありさまをもう一度見廻っておきたかったから、私も後ろからついて出た。細い糠雨《ぬかあめ》が霧のように降っている。相変らずニラの芽立ちが青かった。トマトの下枝にはもう実がぎっしりとついていて、黄色の花が枝の分れ目ごとに無造作に開いている。
「二つちぎれますよ、ほら」
木鋏《きばさみ》を鳴らしながら指さして、リツ子はふりかえったが、静かにかがみこむと、パチリとナスビの実を切りとった。一つ私に手渡してあちらをむく。純白のキャラコを縫った簡単服が、長身の妻の肩から腰の辺りをくっきり描き出していて、ああ、この後姿を忘れまいぞと、ふいに私は今だけ手にとれるような思いがけない明確な寂寥《せきりよう》を感じるのである。
旅立つと初成りの茄子《なす》のへたを剪《き》る
リツ子の後姿を思いおこしながら、私は旅日記の冒頭にこっそりと己の拙《つたな》い句をしるしとめた。
七月五日。雨である。警報下の東京を出発した。太郎が一昨夜から発熱して、三十八度五分前後、リツ子もまた昨朝から下痢がつづいており、かたわら荷造りで疲れ果てているが、二人だけでは残らぬという。下関乗船が七月八日と決められている以上、恢復《かいふく》をまつわけにはいかないから、二人を連れて梅雨のなかを駅頭へ急いでゆく。十一時二十分前に東京駅へたどりついたが、二等車は軍人で超満員、結局三等にはみ出され、ようやく座席を二つ、一ところに譲り合せてもらった。
太郎の発熱はハシカらしい。熱は幾分下ったようだが、マシンが手足、顔に現れた。近くに赤子がいないかと、気がかりの様子で、リツ子は何度も囲《まわ》りをたしかめているのである。太郎を膝にしたリツ子の横には、遺骨を抱えた三十前後のヒステリックな未亡人が腰をかけている。間歇的《かんけつてき》にくしゃくしゃっと頬の筋肉がひきつるが、涙を嚥《の》みこんで泣いているようだ。けれども涙は外には現れない。時々太郎が遺骨の箱にじゃれかかろうとするので、リツ子はしきりに気を揉んでいる。ハシカの割に、今日は元気のようだ。
「風にあてぬがいいですよ」
と隣席の好人物らしい親父《おやじ》さんが云ってくれている。それにしても暑い。どの窓も開放されていて、太郎の衣服が、風にヒラヒラとめくれるのである。雨は大阪辺りからすっかり上って須磨明石《あかし》の周辺の月が出た。松と渚《なぎさ》と月の海を清し、と眺めながら、旅心を鎮めようと願うのだが、その度に太郎の衣服が風にひるがえって、妙に浮足立ったような不安定の焦慮がつきまとった。
前の旅までは車窓から売られていた弁当が、今度は車内だけで発売されている。気がついてみると、私たちの車は食堂車の改造で、料理窓からなにかと売っている様子だから私は物珍らしく立上って煙草とパンを買ってきた。が、なんの粉をねり合せて焼いたのか、とうてい食べられるものではない。リツ子も私も食べやめて、なんとなしに黙りこんでしまうのである。
車窓からではあるが、翌朝北九州地帯爆撃の跡が見えていた。人の心が被っている陰鬱な被害のほかに直接の戦禍を目撃したのはこれがはじめてのことである。私は顔をつき出して眺めていたが、すぐ窓が閉ざされた。
博多駅に正午についた。駅頭にはリツ子の母や姉、それに私の妹たちが大勢出迎えに来てくれている。
「まあ、太郎」
と誰もが奪い合うように太郎を抱えあげてくれるけれども、太郎はぐったりと疲れ切ってせっかくの歓迎の手のなかでしぼんでいた。リツ子はそれが残念でたまらないというふうで、太郎の体をゆすぶりながら、
「ハシカよ。発つ前の日まで、大はしゃぎにはしゃいでおりましたのに」
「そうな、そんなら今日はもう家に泊りなさい。今から松崎まで連れていったらいかんよ」とリツ子の母が云った。リツ子がちらと私を見上げて弁明を求めるようだから、
「私の乗船が八日の朝ですから、今日松崎に出かけないと間に合わないのです。明日はこちらにお邪魔して、こちらから発たせていただきます」
リツ子の里方は福岡市中だが、私の旅装の一部は松崎の家で整えねばならなかった。それに、今度の旅立ちは戦乱の地を深く歩むのである。母への訣別《けつべつ》も忘れておきたくなかった。それで大牟田《おおむた》行の電車の発駅からリツ子の里方に別れ、松崎の家に向った。
さすがに田舎の家は広くて気持がよかった。食糧不足から、母は福岡の家を手離して、一昨年この森のなかの千五百坪を手に入れたのだが、その折、ちょうど帰省の私も手伝って、暴風の吹き倒れの梅の古木などを買いこみ、庭を私流に急造したのが、僅か二年足らずで、庭らしく茂り合うたのもおもしろかった。しきりに松蝉《まつぜみ》の声など聞えていた。
「太郎がハシカで」
「そうね、お座敷に温かくくるんで寝かせておけばいいでしょ」
私をはじめとして十人の子を産み、一人も病気で死なした経験のない母は、子供は自然のままに放っておけば死なないものと、大雑把《おおざつぱ》にきめている。
「それで十人の子持賞はもらったの?」
「いただけるもんですか」
と母が笑った。ちょうど産めよ殖やせよの頃だったから、十人以上の子を産んで育ったところにはその母に国家賞が出ることになっていた。事実からいえば母は該当するはずである。ただし私の父と結婚して四人、父と離別後に再婚して六人産み、後の主人に死なれている。二家にわたるものはいくら十人でも駄目なのであろう。これもまた人為の時流の政策でしかない。法律や戸籍などもたわけたものだ。
トミ女第一男一雄、第六女妙《たえ》、などというふうにしたらどんなものだろう。そうして人は赴くままに愛し、結えられ、死んでゆけばよい。愛情の深浅はその人々の自覚にまつ以外にないではないか。醇良《じゆんりよう》の風俗というものは、その自覚から自然と生れてゆくものだろう。
「でも庭が、実によくなった」
「夏の花木を入れるのを忘れたものですから、百日紅《さるすべり》まで、今がなにも無くて淋しいけどね。春はそれは、それは――」
と母は晴れた明るい庭をつくづく見て、
「先ず梅でしょう。この梅もお蔭でついて、少しでしたが咲きました」
真中に据えた梅の巨木である。
「表の紅梅が美しくてね。それから桃、スオウ、コゴメ、白蓮《びやくれん》でしょう。石楠花《しやくなげ》がまた美しくてね。どうして来ませんでした?」
春のはじめに、度々《たびたび》庭を見に帰って来いと母の便りが来ていたのである。
「帰りたかったが、四五月は仕事が忙しかったので」
それから妹の早苗《さなえ》の結婚の話に移っていった。実は私の友人の島村が家族同様に、家に来ていて、そんな話がはじまっているのである。
「今ね、私も迷い迷っているのですよ。結婚させて、まあ養子みたいに、二人、この家にいてもらおうかとも考えるのですが」
「いいじゃないですか。それが一番よろしいね」
「じゃね、はっきり本人たちの気持を聞いて頂戴よ。一雄さんがいる間に話だけでも決めておきたいから」
「すると今晩ということになりますよ。島村を下宿から呼んどいたらいい」
「そうしてもらうとありがたいけど」
梅の木の根元のあたりにうつろがあるらしく、さきほどからその穴の口を小鳥が出たり入ったりしている。
「あそこ、小鳥が巣をかけたようですね」
「そう」
と母は肯いてから、
「ここはね、まるで小鳥の国のようですよ。春は早くから鶯《うぐいす》がひっきりなしに啼《な》いてね」
「いいな、戦争はどこにあるといったふうですね。もう四五日目には支那の戦場にいるんだなどとは考えられない」
「弾丸の来るところなどへは行かなくていいのでしょうから、その方は安心していますが、体に気をつけて下さいね。支那は病気がこわいから」
母は上海に一二年住んでいたことがある。
「ああ、大抵大丈夫でしょう。それよりリツ子と太郎をなるべくこちらにおいてやって下さいね。里に帰りたがるでしょうが、弟の胸が相当悪そうだから。乳児結核がこわい」
「はい、はい」
と母は云った。リツ子の弟の正道君が私たちの結婚の当夜に喀血《かつけつ》して、手が足りないから、リツ子をしばらく貸してくれと云われたことがあり、医師とも相談したが、「危い、危い。それは連れて無理にも上京なさい」と云われ、先方の母に憎まれながら上京してしまったこともある。今度も淋しさと目先の愛情からリツ子と太郎を手許におきたがるだろう。体質が似通っているにちがいなく、病者の側は憂慮された。
「あなたが、向うのお母さんに、はっきり云っとかなきゃ駄目ですよ」
「発つ前に云いましょう。それから、これは万一の話ですよ。万一ね、あちらで私が死ぬようなことがあったら、太郎は寿美子《すみこ》にやって、リツ子を自由に再婚させてやって下さい」
「はいはい。まさか」
と母は微《かす》かに笑っていた。寿美子は私の妹で、結婚以来子宝に恵まれず、
「兄さんのところに二人生れたら、一人は私に頂戴《ちようだい》ね、きっとよ」
と始終口癖のように云っていた。戦場に行くからには、いつ死なないとも云えぬだろう。それにこんな動乱の日には一寸先は闇である。
「いろいろ変るよ、きっと。物価なんかは帰るまでに倍くらいになっているね」
「そうでしょうか」
と母も頼りなげな表情だった。
夕刻島村がやってきた。太郎には葛湯《くずゆ》だけをリツ子に運ばせる。私もリツ子も疲れ切っているのだが、とても今夜はやすめそうにもない。大勢寄って、久しぶりの会食だった。小さい弟妹たちがさかんにはしゃいで、口々に支那の土産《みやげ》を云っている。
「一雄が土産なんか持ってくるもんか」
中学二年の弟の新次がそう云った。どこへ行っても実際私は土産なぞ持って帰った例《ためし》がない。
「一雄兄さんは戦地へ行ってくるのですよ。お土産などあるものですか」
と母が子供たちを鎮圧する。私はその母にちょっとめくばせして、
「暑いから、涼みがてら外に出て話しましょうか」
「そうね。早苗と島村さん、ちょっとお話がありますから、一緒についてきて下さいね」
「うちも」
「うちも」
子供たちが声をあげた。ついてゆきたいのであろう。
「いけません。あなたたちはお留守番」
と母がその子らを制している。
「ああ、わかった。早苗ちゃんが島村さんのお嫁さんになるったい」
末妹の妙が姉を「ちゃん」づけで呼んで、顎《あご》をしゃくるようにしながら、くすりと笑った。みんながどっと笑ったので、母は団扇《うちわ》でちょいと妙の頭を押えるのである。
戸外へ出た。夏の月が明るく空に浮んでいる。母は団扇を一つ、そっと私の手に差し出した。二本用意してきたようである。生垣に沿って橋の方に歩いていった。竹藪《たけやぶ》の前の小川である。低い欄干のこちらに私と早苗と母、あちらに島村が、向い合って腰をおろした。蛍《ほたる》が二つ三つ流れている。
「簡単だ」
と私は団扇で藪蚊を逐いながら口をきった。
「誰もが思いついて、そのまま迷っているんだけれど、島村君と早苗ちゃんのことね。ひとつ、二人できめてみたら、どうだろう。やってゆけるという気がしたら結婚したらいいのだし、駄目だと思うなら、やめたらいいし。とにかくあなたたち自分のことなんだから、どちらにきめても、私も母も異存はありません。ただ実行に移すだけさ。だから、ひとつ二人だけで、ぶらぶら歩きながら得心のゆくまで話し合ってみて御覧、その結果を母なり私なりにきかせて下さい。でね。大体の意向を今夜中にきめてほしいんだ」ちょっと言葉を切って、
「それだけでしたね。なにかほかに希望がありましたかね?」
と私は母に聞いた。
「いえ、ありがとう。それだけです」
と母が答えた。
「そんなら、僕らはもう少しここで涼むから、二人で月の道を歩いていらっしゃい」
そう云うと、二人は素直に肯き、
「じゃ」
と島村が先に立って歩いていった。
「どう、一雄さん。まとまったら、二人うまくやってゆけるでしょうかね?」
「さあ、そいつは、誰の場合だってよくはわからない。大雑把に、神さまにまかせたつもりで、安心するんですね」
「じゃ、安心しときましょう」
私と母は蛍の息遣いを見つめながら暫時涼んで家に帰った。
帰ってみるとリツ子が色を失って私を迎えに出た。太郎の様子がおかしくなったから何度も私を探しに出たと云っている。
「熱は?」
「三十九度四分もあるんですよ」
すぐ母とリツ子と三人蚊帳《かや》のなかに入ってみた。虫の息のようである。手を握ってみた。乱調子の脈搏である。呼吸が大分荒いようだ。母も黙って太郎の様子をのぞきこんでいる。このまま死ぬのかも知れないと、私とリツ子は顔を見合せて心細がった。蚊帳のなかはむし暑く、枕許《まくらもと》に太郎の食べかけの葛湯が、玻璃皿《はりざら》のなかでにぶく光っていた。疲労から、私の頭が火照《ほて》り上ったままである。
「でも、赤ん坊というものは、いつもこんなふうなものですよ。大抵大丈夫だと思います」
母はそう云って、
「今からお医者さんはとても来ないから、明日の朝までこのまま様子を見ていて御覧なさい」
蚊帳を出て部屋に退くふうだった。
けれども、不思議に三時半頃から呼吸が楽になるようだった。気のせいかとも疑ったが、一息一息見てとれるような急速調の恢復の模様である。腕を握ってみると、いつのまにか正常の脈搏に帰っていた。
「大丈夫だ、おいリツ子、乳を飲ませてみて御覧」
蚊帳を透した光のままに蒼ざめているリツ子が、急にいきいきと蘇《よみがえ》ったふうで、横になり乳房をひっぱりだして、太郎の唇の辺りに差出したが、太郎が急にすわぶりついた。うっすらと一度薄眼をあけてみた。
「飲みますよ、ほらほら」
と太郎の口許の膨《ふく》れ、しぼむありさまを、リツ子はうれしそうに見つめながら指にはさんだ乳首をしきりにゆすってみせた。
四時からうたたねし、七時頃松蝉の声に眼を醒《さ》ました。太郎が起きている模様で、リツ子があやしている。
「よいのか、太郎?」
「ええ、すっかり。ほら」
とリツ子は太郎をこちらむきに寝がえりさせた。
「さっきから、いくらとめても匍《は》い出して仕方がないのですよ。いいかしら?」
眼が輝いて、私の醒めた様子に、大はしゃぎである。昨夜の重態がまるで嘘のようだった。リツ子は一度起き上っていたのだろう、朝の化粧をすませて着衣している。が、かえって子より母の方が蒼ざめ果てていた。
「眠れた、おまえ?」
「はい、ちょっと」
と答えているが、とても眠れなかったにちがいない。私が起き上って煙草をくわえると、リツ子も床を出た。太郎が大喜びで匍いだすのである。
「ねんね、ねんね」
と、リツ子が太郎に蒲団をかけるが、とても一人では寝ていない。添寝してやっても、私の側に匍い出してきた。
「いいかしら?」
「いいさ、こんなものだろう」
私はその太郎を抱き上げながら、小児の生命の現金なうつり変りに驚くのである。
母がお茶を持って座敷に入ってきた。
「お母さま、昨晩は――。まるで夢のようになおってしまいましたのよ」
リツ子が母に云っている。
「よかったね。でも、そんなものよ。死ぬ、なんかと一雄さんがさわぐから、昨夜は私もちょっと心配になったけど」
十人の母には、かなわぬのである。
朝の陽差しが素晴らしかった。陽差しの縁ぎわで母は、茶を入れながら、
「お蔭で早苗の話もまとまったようですよ」
「そう。それはよかった。いつにする?」
「なるべく早くと思うのよ」
「それがいい、でも僕は式には間に合わぬな」
ゆっくりと茶を啜《すす》る。これで心おきなく旅立てると、しみじみありがたいのである。
太郎は午前中に昼寝をした。昼寝の後にまったく元気をとりもどし、家中を匍い廻った。着換えを行李《こうり》につめているから、末弟の着古しの縞のカッターを着せてやったが、ズボン要らずで、膝の下までかくれ、袖を折ってやると、よく似合った。なんの都合でかとりはずして立てかけてある大きな洋鏡につかまって立上り、しきりに自分の顔を珍らしがって、笑ったり、舌を出したり、声をかけている。皆々、それを見て大安堵《おおあんど》であった。縁先に寄ってきた鶏を見て、「ポッポ」をおぼえ、末妹が連れてきた兎に驚嘆しているありさまだ。ただし昨夜の高熱のせいか、下痢を発して朝から四五回つづけている。これなら福岡まで連れていっても大丈夫だと、出発にした。
「出迎えはいいが、見送りは嫌《いや》ですから」
と母は家の門際まで立って淋しそうな顔をした。
「萩《はぎ》の頃までにはお帰りなさい」
「はい、はい」と私は太郎を抱いて外へ出た。
三時のバスに乗り遅れ、負うたり抱いたりしながら私は一里の田舎道を歩いていった。リツ子がひどく蒼ざめているのである。連日の疲労でまいったようだった。
私だけ明朝の切符を買いに博多駅に廻り、福岡のリツ子の実家には七時半頃たどりついた。鯛《たい》の煮附と吸物は妻の最後の心づくしのようだった。
太郎が後片附けのすまぬ食卓の上に上りこんで、椀や茶碗をはねおとした。その騒乱のありさまを見るのすら心嬉しくて、こいつと別れるのかと、今夜ばかりは叱れなかった。リツ子の母も、
「まあま、太郎ちゃんな」
と嬉しそうに云うばかりである。食後東の部屋に病臥《びようが》しているリツ子の弟を見舞ってみた。
「ええ、もう大丈夫ですよ」
と割に元気の様子である。
弟の正道君の発病は、一昨年私たちの人吉《ひとよし》への新婚旅行から帰りついた時に、聞き知った。その頃まだ福岡にいた私の母の家へたどりついて、ようやく眠りついた真夜中の電話だった。何事だろうとリツ子と二人して歩いていったが、電車もなくなった夜更《よふけ》の月の道だった。あの頃飼っていたグロッスが黒い影を曳《ひ》いて私たちの囲りを先になり後になりして跳んでいった。公園の池の畔《ほとり》で、リツ子を抱きとめ、その唇が夜気に冷えきっていたことを覚えている。「急な下痢をして」とリツ子の母が云っていたが、私は胸だと直覚した。手が足りないからしばらくリツ子を残してくれと頼まれ、気の毒だとは思ったが、医師の注意もあり、リツ子を連れて無理に東京に上っていった。リツ子はつつみきれず、後にくわしく病状を語っていたが、私たちの式場で喀血した由。神殿で席が動けず、リツ子の襲《おすい》の裾に血がかかりはせぬかと、ひどく気を揉《も》んだという――。
あの時は無理に引離せたが、今度私の留守中には、リツ子と太郎は必ずこの家にひきとめられるな、としきりな不安におそわれるのである。太宰《だざい》にせよ、亀井にせよ、私の友人の大半は胸をやられていて、絶えず同じ盃《さかずき》で飲み明かしていたから、私は絶対にかからぬ自信はあったが、体質のもろいリツ子と太郎はここに残していくことが不安であった。これだけはくれぐれも云い残して立去らねば、と固く決心して、病者を激励し、それから座敷に帰っていった。
リツ子の姉のイク子が来た。つづいて私の弟妹がビールと焼酎《しようちゆう》を持ってきた。乾盃《かんぱい》、久しく忘れていた未見の風物の幻が眼に泛《うか》ぶ。イク子のほかは誰も飲めないので、私とこの妻の姉だけが酒をあおった。
「さん」
とイク子が云う。
「今度はリッちゃんと太郎ちゃんはずっとこちらの家にやすませて下さいね。お母さんがお願いしておりますから」
もうこれかと私は先ず脅えた。
「二三日静養させていただいて、後は松崎に帰したいのです。妹の結婚のことがありますから」
「結婚式の時は勿論やりますよ、でもそのほか、よ」
「大体松崎でくらさせようと思って、その計画で母に頼んできておいたのですが」
「そりゃ、不公平よ。こちらとも相談なさらなきゃ――さんだって少しはお嫁さんの居心地のことも考えて下さらなくちゃ――」
「ねえさん」
とリツ子が困ってとがめるように姉の袖をひいた。私も病気さえなかったら、むしろこちらから願いたいほどありがたいことだと思ったが、リツ子の母や私の弟妹たちの前では口に出せなかった。しばらく話題を転じてまた飲んだ。
末妹だけはここに泊ることにして、弟たちは帰るという。見送りがてら、リツ子の姉のところにバリカンを借りにゆくことにした。この二三日のあわただしさで髪も剪《つ》んでいないのである。
弟たちと別れて末妹一人を連れ、リツ子の姉についていった。
「いいでしょうさん。リッちゃんのこと」
とまた姉が云う。
「ありがたいのですが、実は病気がこわいのです」
私は率直に言葉にした。
「まあ、正道のこと。もう癒《なお》っているのですよ。絶対に伝染の気遣いはありません」
「安心は出来ません」
「あなたは嫁の気持を知らないのよ。どんなにお宅でリッちゃんが心苦しいか。だって、あなたは松崎のお母さんの後取りじゃ、ないじゃないですか。置いとくなら、柳河《やながわ》のお父さんのところに何故《なぜ》置かないの?」
嫌なことを云う。父と義母と私の関係をよく知っていながらだ。尚さらリツ子が居れる道理はない。
「おけますかね?」
と私はむっとした。
「どうしておけないの?」
私は激してイク子の袖を捉えた。
「主人がいないからといって乱暴なさるの?」
キンキンと声が立つ。イク子の主人は応召しているのである。私は手を離した。ついてきていた末妹が泣きはじめている。ちょうどイク子の家の前で、イク子は走りこんで、玄関のガラス戸をぴしゃりと立てた。私は情なくなった。早く旅だ、と市井の煩わしさを忌《いと》うのである。バリカンは借りずに、引きかえしてリツ子の母の家の戸をあけた。
「バリカンは?」とリツ子が聞く。
「今、姉さんと喧嘩《けんか》をした。太郎とおまえの居場所のことだ」
「姉さんは、いつもああですから」とリツ子が云ったが、不愉快でたまらなかった。警戒警報である。長いサイレンが腹の底にぶるぶるふるえた。
「おい駄目だ、急いでリュックを作ってくれ」
このまま空襲になったら、朝の四時に発つ身づくろいがなにも出来ていないのである。リュックはここの家のを借りていくことになっている。が、たちまち空襲のサイレンが追いかけるように、せわしく鳴った。リツ子の母が起きだしてぶるぶるふるえている。母、リツ子、太郎、妹、と私は四人を激励しながら、海辺まで急がせた。
明る過ぎる月である。渚《なぎさ》に波が白くくねりながら寄せていた。砂の上に毛布を敷いてみんなを寝せる。太郎はねんねこにくるんだまま、なるべく曳《ひ》き上げられた舟蔭の風あたりの少いところへ横にした。リツ子だけ立っている。白服の裾《すそ》が潮風に高く吹き上っている。
「頼むぞ、正道さんを見て来るから」
ブルンブルンと米機の唸《うな》り声が聞えてきた。私は走って家の中にかけこんだ。
「正道さあーん」
大声を出すが、病室にいない。座敷に廻ると、
「ここです」
と庭の防空壕《ごう》から声がして、特徴のある弱い咳《せき》が聞えてきた。私はすぐ小椅子と毛布と座蒲団をかかえだして、庭の防空壕に降りてみた。席をつくって毛布をかけてやる。相変らず旋回音がぶるんぶるんと聞えている。
「大丈夫だと思うが、まあ、ここにいて下さい。私は荷造りをしますから」
時計が三時を打っていた。リツ子が一人戻ってきた。
「間に合います?」
「大丈夫だろう」
「生憎《あいにく》ねえ」
とリツ子は月明りを頼りに行李からリュックヘと靴下やシャツ類をつめ換えた。水筒に水を入れ、旅装はこれでよいかと点検しなおすのである。
「きっと忘れものがいっぱいでしょう。先でお買い求めになってね。こんな支度ですもの」
玄関が暗いので手さぐりで巻脚絆《まききやはん》を巻いていった。靴の先をリツ子がブラシでこすっている。
「太郎の写真が出来てきたらすぐ送ります」
「もういい。行先がとてもわからない」
二人で浜辺に急いでいった。白砂の毛布の上に行儀よく母と妙と太郎が三人並んで寝たままだった。
「じゃ、お母さん行ってきます」
「まあな。きついですな」
と老婆は坐った。私はねんねこをちょっと開いて太郎を見た。スヤスヤと疲れ切って月光のなかに眠っている。
「妙ちゃん、さよなら」
「さよなら」と妹が寝たまま眼を開いてそれだけ云った。
もう一度、太郎の横顔を見なおすのである。リツ子が抱き起そうとするので、
「もういい」とやめさせた。
「じゃ、後はよろしく頼みますよ」
リツ子に云う。が、そこまで、とリツ子はついてきた。川に沿うて急ぎ足で上ってゆく。リツ子はなにも声が出ないふうである。通りの街角までやってきた。
暫時、二人とも立止る。またブルンブルンと爆音が響いてきた。リツ子の長身の服が月明りに白かった。抱きよせようと焦《あせ》ったが、なにか心のなかに不安定な空虚さが波立っている。
「体に気をおつけになって」
ようようにしぼり出すようなリツ子の声だった。
「おまえだぞ、それは」
と私はどなりつけるような声で云って、くるりと後がえると、まっすぐに月の道を歩いていった。
釜山《ふざん》の埠頭《ふとう》を負うた山腹に桜の花が白かった。それを仰いでいると、私の身裡《みうち》の中をつつみきれぬよろこびが匐《は》い上ってゆくのである。
一年――。一口に一年と云うが、この一年の旅は、かりに平時であっても生易しいものではなかったろう。まして累々屍《るいるいしかばね》の間をふみわけてゆくような、動乱の中の旅だった。この旅をつつがなく完了出来た、とかりそめの我身すら尊く思われるのである。
私の旅は、支那を南北に、深く縦断したものだった。記憶に上る町々の風貌を思い描くだけでも夥《おびただ》しい。北京、南京《ナンキン》、漢口《ハンカオ》、漢口から一度白螺磯《はくらぎ》の飛行隊に飛んでいる。そこでしばらく顔馴染《なじみ》になった二十五戦隊の土屋大尉が墜《お》ちたから、生きているものなら、その現場で出迎えようと、白螺磯から今度は対岸の岳州にゆき、深更出発する輸送のトラックを待って、思いもよらず岳陽楼《がくようろう》のほとりに、仲秋明月の洞庭を俯瞰《ふかん》した。
土屋大尉の飛行機は、汨羅《べきら》と鹿門《かもん》の、ほぼ中程にある丘陵に裂けていて、大尉は飛行機から二三十メートルばかり離れた萩の中に、左腕が異様に膨れ上って死んでいた。盛りの萩の花の中だった。
一昨日、飛びたつ前に、その同じ腕を、偶然のことから、私は見て覚えていたので、殊更にいやだった。軍医から歯痛止めの注射を打って貰っていたのである。ばかに白い腕だった。結婚一週間とかで、郷里からこちらにきたと云っていた。新婚の生活が、その腕からすぐ私の連想につながるような、生ま生ましい青年の腕だった。それが紫にふくれ上って変様している。
萩原の萩をし巻ける我をかも
知らにと妹《いも》が待ちつつあらむ
そんな歌を、ぶつぶつつぶやきながら死んででもいるような口許だった。
土屋大尉といえば、空勤宿舎のアンペラ張りの上に、長く寝そべっては、よく太宰治の「女生徒」なぞを読んでいた。こんなところに旧知の友人の著書を見ようなどとは思わなかったから、
「面白いですか!」
「はあ」
と顔を上げて、大尉は大儀そうに笑っていたが、私はその時、太宰が友人だと云うのも面倒だった。実際、空勤者が、宿舎で時間をもて余している時程、困ったことはない。焦慮と頽廃《たいはい》が限りなく混りあったむなしさで、傍観している私の方がいたたまらないのである。何の為に、支那の果までやってきたろうか? この頽廃と焦慮を逃れる為ではなかったか、と空勤宿舎なぞへまぎれこんだ、自分が無性に腹立たしくさえ思われた。
が、彼等は飛ぶ術《すべ》を知っていた。一様に規格に合って、然し颯爽《さつそう》と、飛んで、墜ちていった。
私は何も、死を讃《たた》えはしない。しかし、いちいちの迷える小羊達の面貌が、一瞬にして、決定し、とりとめもなく逸脱した生の誘導と幻惑から、正しい自然への連繋《れんけい》に帰ってゆくのを見るのは却って私自身の生命のあり場を匡《ただ》す頼りのように思われた。
あれ程臆病であった私が、死を見ることを一概に怖《おそ》れなくなっていた。正しい生の誘導の緒口《いとぐち》でも見つけられるように、好奇に死の諸相を追っていた。
土屋大尉を弔うて帰る道すがら、汨羅の水を清いと眺め、白螺磯に帰ってみると、今度は土屋大尉を気づかっていた当の別府少佐が、すぐ墜ちた。
〓江《げんこう》のほとりに墜ち、生きていて舟を漕ぎ下っていたのが見えていたと、僚機の報告は語っているが、勿論、帰っては来なかった。自決したものだろう。桃源のほとりの水に沈んだわけだった。
〓湘《ゲンシヨウ》ハ日夜ニ流レ去リ、愁人ノタメニ、トドマルコトヲ、シバラクモセズ
と幼年の日に祖父から誦《そら》んじさせられた詩文の断片が微《かす》かに私の耳に響いてきて、オフェリヤのように流れ泛《うか》んでいる少佐の姿が眼に浮んだ。
知り合うのは、その死を迎える為のようなものだった。私もそろそろ飛行隊の見聞が嫌になってゆくのである。
二三度飲み合うた羽沢准尉《はざわじゆんい》が乗っていた飛行機を撃たれ、落下傘《らつかさん》で飛び降りながら、その肝腎《かんじん》の落下傘が開かなかった。もどかしげに、空の中で足をゆすって、もがいたのである。
最後に逢うて飲んだ日は、脛《すね》に13ミリの擦過傷を負うて、その傷の全快祝いの時だった。
「さん、そろそろ弾丸《たま》が真中に近寄ってきましてね」
羽沢准尉は豪快に笑ったが、眼尻に不吉な焦躁《しようそう》が消せなかった。
羽沢准尉に続いて、野口准尉が墜ちていった。すぐまた役山少佐が死んでいる。岩橋少佐が、二機で西安に飛んでいって、これまた永久に帰らなかった。
「死んだら、俺は幽霊になって、あの男にとりついてやる」
と語りながら出発したとか、M参謀を深く意趣に含んでいたそうである。
私は愚図つきながら、知り合った大半の飛行隊員の死をたしかめると、はげしく、旅を飢渇した。一度漢口に立帰って、旅行延期を懇請し、再び岳州に出て、それから湘江《しようこう》を民船で溯上《さかのぼ》っていった。湘蔭、湘潭《しようたん》、長沙《ちようさ》に抜け、長沙から衡山《こうざん》を廻り、南嶽《なんがく》に出た。
南嶽では朝日の石崎君の紹介で、思いも寄らず劉止戈《りゆうしか》や胡子安《こしあん》らと知り合って、彼らと厚誼《こうぎ》を結んでいる。何《いず》れも英米の大学を出た洒脱な知識人のようだった。
劉止戈は病弱だと自分で云っていた。南嶽の町のなかの素朴な民家に入りこんでいたが、昔はこんなにふとっていました、と壁に懸けた自分の写真を指さしたりした。私は飛行機でもらった持ち合せのビタミンADを、瓶ごとやると、ひどくよろこんで、夫妻でたいへんな歓迎だった。
I hate the war.
と、くりかえし云っていた。
「自分は戦争が嫌いだから、止戈という名をつけている。止戈は戦いを止めるのだ」
「戦争が終ったら、自分は上海の郊外にでも花畠を作りたい。花を作ってくらすのだ。ねえ」
と、長身の美しい奥さんと肯《うなず》き合っていた。劉止戈はむかし張学良の秘書をやっていた由。自分で云っていたが、これは事実かどうかは知らない。何れにせよ如才ない胡子安よりは、何か気魄《きはく》の鋭い劉止戈の方が私は好きだった。
丁度南嶽も連日空襲のはげしい頃で町民は鍋《なべ》と蒲団を抱えて、逃げまどっていた。
劉止戈は自分の家の庭先に浅い防空壕を掘っていた。その上に、ほんの申訳のように焼け残りのブリキ板のようなものを載せていた。
「駄目だよ、こんなことじゃ」
と私が厄介になっていた堀という中尉が一緒に遊びに行って注意していたが、
「僕は運命を信じます」
劉止戈はそう云って変えなかった。
見ていた胡子安がにがく笑い、ちょっと私の袖を曳いて、
「中国人は、みんな運命を信じている。運命を信じながらバタバタと死んでゆく」
私は胡子安が笑うのを聞きながら、ブリキ板に頭をつき、首を曲げて防空壕の中から見上げている劉止戈を眺めおろして笑えなかったことを覚えている。
南嶽の丘陵は、丁度茶油を絞る白い山茶花《さざんか》の盛りだった。道路には桐油《とうゆ》の桐の葉が、ゆっくりと紅葉していっていた。
私は今迄の辛い雨の旅を忘れたように、他愛なく、この町の紅葉のうつろいを眺めくらした。
山茶花の丘陵の中腹にある胡子安の家にも出かけていって、劉止戈夫妻や胡子安夫妻と、例の運命を信じる流儀の麻雀《マージヤン》を打ったりした。
又晩秋の素晴らしい日に、打連れて、南嶽に遊山《ゆさん》に出かけ、蘇曼珠《そまんじゆ》の所謂《いわゆる》「明滅する湘江」をも俯瞰した。半山亭を左に折れると、たしか、何健《かけん》の別荘があったりした。山道には、そこここに渓流が奔《はし》り、間々《まま》滝が落ちていたように記憶する。山窪《やまくぼ》がいちめん低い青笹に蔽《おお》われていて、そのなよなよと青くて低い笹の原の風情が、得がたく美しかったことも覚えている。
何処《どこ》から掘りだしたか、劉止戈は生粋《きつすい》のブランデーを一本土中から掘ってきて、山上で乾盃した愉快さを、忘れない。これは何とかいう在重慶の要人がかくしていたのを知っていたから、一本貰ってきたと云っていて、其場では私も信じ、面白くもあったが、多分、自分の用心の為の貯蔵酒であったろう。
私達は遊びくたびれて、夕陽に輝く連峰をめぐりながら、その小径をゆっくりとたどったが、突然、私は新しい旅を決意して、自分をはげしく鞭《むち》打った。
「さよなら、です。近く又奥地に出かけます」
劉止戈達は驚いて、ひどく淋しがるふうである。
「どこまで? いつ?」
「さあ、あさってあたりになるでしょう。桂林《けいりん》から柳州迄行きましょう」
「おお、柳州」
と声を挙げて、嘆息し、
「でも帰途には、必ず、寄ってくれるでしょう?」
口々に、念を押す。私は肯きながらも、この動乱の日に再会の約はむずかしいと思っていた。
出発の前夜は、劉止戈の家で、コーヒーを飲みながら、遅く迄語り合った。東西の猥談《わいだん》を、果てしなく口の端に乗せ合ったが、英語が聴きとれぬ劉の細君に、劉がいちいち要点だけ訳してやって、哄笑《こうしよう》が二度ずつ湧くのも、面白かった。念入りに惜別した。
猥談の後の帰路は淋しいものである。殊更明日出発と思うと、旅が不安なだけ、今の名残が尽きないのである。南嶽の凹凸《おうとつ》のある石甃《いしだたみ》の町並が軒毎に暗かった。その暗い道を足許危くたどるのだが、小さい町家の軒先に、何かの迷信からか、太い線香が、ともされてあるのも薄気味悪かった。急に冷えてきて、宿舎に辿《たど》りつくと、一しきり霰《あられ》が瓦を打ちはじめた。湖南省の家々の屋根は、丁度京都の八橋《やつはし》という菓子に似た薄い瓦で葺《ふ》いてあって、その瓦を、霰がパラパラ打つのは切なかった。劉や胡の身状が気づかわれるのである。更にまた己の旅の行末が危ぶまれた。
明日発つと寝る夜のいらか打つ霰
私は自分の句をあり合せの便箋に書き残して、劉と胡に贈り、意味は朝日の石崎君から訳してもらうよう書き添えて、兵士に預け、出発した。
便乗のトラックは飛行機を恐れて、夜道のみをたどるので、疲労の果の暗い眼に、道路の両側にうちつづく、荒廃の家屋が、亡霊のようだった。
家ごと燃やしてあたっている、兵士の集団の側を通っていったこともある。衡陽《こうよう》を抜け、二塘《にとう》三塘とたどっていって、六塘《りくとう》で劉夫妻が暗殺されたことを聞き知った。便衣による拳銃の狙撃《そげき》で、劉は即死、細君は重傷だと、そんな話の模様である。
「運命を信じながら、バタバタと死んでゆく」
と、胡子安の不吉な言葉が思い合された。
「何でも張学良の秘書をやっていたこともある男だそうだ」
と情報の兵士は語っていたが、私はそれ以上、聴きただすのが嫌だった。
六塘の赭土《あかつち》の丘陵あたり、楓樹《フオンスー》が真赤に爛《ただ》れて染っていた。三つ葉楓《かえで》の大模様な紅葉である。下葉から徐々に染ってゆくのだが、もう頂きの辺り迄、赤かった。裾の葉が野分にちぎれながら飛んでいた。
私は追われるように零陵から全県と抜け、全県から興安を通り、暁の桂林にたどりついた。魁異《かいい》な山々が町中にそそり立っている。巨大な鍾乳岩《しようにゆうがん》を屹立《きつりつ》させたようだった。柳宗元は記文の中でこれを碧玉《へきぎよく》のかんざしに譬《たと》えている。それが旭光を受けて七彩《なないろ》に染って映るのは、この世ならぬものに思われた。
何という小説だったかは忘れたが、多分、抗日の大衆小説だったろう。幕阜《ばくふ》山脈の下に生い立った少女が、都会の大学に学んで祖国愛に燃え、抗日軍に身を投じて、その恋人とも散り散りになる。昔の粉黛《ふんたい》と口唇のルージュを捨てて、軍服に身を纏《まと》い、艱苦《かんく》に耐えつつ奮闘力行、遂に女軍の統率者となって、独秀峯の前の広場の前の壇に立つのである。
この小説は雨の長沙の廃屋で見つけて読んだが、私自身独秀峯の前に立ってその数百尺の聳立《しようりつ》の状に驚き、映画にでも仕立てたら随分効果のある小説だと、そう思った。文中この少女が壇に上った時の周囲の景を叙して、「月牙山の月牙が白く光り」となっていたが、なるほど、月牙の山巓《さんてん》に近い辺り、右よりに半月のような空洞が、白く空をすかしてのぞいていた。
私はこの町で、中国軍の女兵の捕虜を見にいった。勿論好奇心からである。更に云えば、この小説の刺戟《しげき》によったものだろう。女兵の捕虜を、日本兵士の慰安婦に使うかどうか、それが、軍の偉い人々の間で盛んに論議されている、とその折、そんな噂も耳にした。
桂林から柳州に抜けるほぼ中間の茘浦《れいほ》あたりの風光ほど素晴らしかったところは、外に見なかった。少女のかんざしなどと、そんなちっぽけな景色とは違っていた。宛《さなが》ら夢か、お伽話の国々の山である。
私は茘浦の天主堂の芝生から、前方に拡がるその大パノラマを眺めていたが、芝生には、真冬というのに、薔薇《ばら》が咲いていた。ふいに疼《うず》くように、妻子恋しく思ったことを覚えている。その気持を大切に、心に育てたくて、樹々の蔭にこっそり忍びこんで、その叢《くさむら》の中で、脱糞《だつぷん》したことを覚えている。カサカサと叢の上に積った落葉が鳴り、自分の愛着の行衛が際限もなく頼りなく思われた。この三千里の旅の果から、自分の女房や、子供にいまだに繋《つな》がっているなどと考えるのは、全くの迷妄《めいもう》だという気持がした。第一、あの危険な、遠い、細い道を、もう一度たどりたどっていって、日本の、然も、石神井の昔の家などにあやまたず帰りつき、更に妻子を抱きとめ得るなどという虫のいい道理がない。すると俺は、ここにとどまって、中国人のなかにまぎれこんで朽ちる方が余程たしかな、根拠のあることなのだ。妻子や母などと、もうここでは根も葉もない妄想にちがいない。どうして俺は、こんな所に迷いこんで来たのだろう。
私は脱糞を終えると、余りの空虚さから、
「わあ、わあ」
と自分の心に狼火《のろし》を挙げながら薔薇の芝生の上に帰ってきた。例の不思議な山々の姿が、青く乳色の波にうねっていた。
芝生の斜面の下に先程から二三頭の犬が集っているのに気がついた。よく兵隊に撃たれずに、こんな所に犬など残っているものだと、近寄って見ると、溝《みぞ》の中に女の死体が、ころがっていた。〓子《クーツ》は剥《は》ぎ取られ、腿《もも》の肉を犬共がポリポリと漁《あさ》り喰っていた。
余りに死体が多いので、私は茘浦から路上の死体を数えていったが、百を数えるところまででやめにした。〓容《らくよう》から柳州に抜ける大高原は、いちめんの燃えさかる野火だった。燃えさかる野火をみつめながら、一刻も早く私の生命を確立しなければ、人間の荒廃に抗し得る術《すべ》がなくなるだろう、と左右になだれている野火の斜面の底に、自分の力をたしかめてみるのである。
私は柳州からひきかえした。自分のいのちだけを正確にたぐり寄せながら、歩く心地である。神はあるか? ある、と仮りに肯定して、それが自分のいのちにだけ、今は明瞭につながっていると考えてみたかった。戦いの道は往《ゆ》きと帰りとでは、全く様相がちがっていた。が、もう見迷うことはあるまいと、淋しいが、かけがえのない自覚を持つのである。空腹の日には、犬も喰った。犬を喰っても、早く自分のふりだしまで帰りたかった。そこにいる妻子を抱きおこして、俺の身につながった新しい火を知らせなければならないと奮いたつのである。
私は二月というのに啼いていた蛙《かえる》の声をおぼえている。株州《しゆしゆう》と汨羅の中程にある汽車発着所に列車を待っていた夜更《よふけ》だった。私は昼間を竹藪の中に退避していたが、やがて古ぼけた汽罐車が火かげを田圃《たんぼ》の水にゆらゆらうつしながらやってくると、兵隊はガヤガヤと先を争って乗りこんだ。私はちょっと遅れて、もう一度蛙の声をたしかめた。まぎれなく、澄んだ声だった。
私が三度目に岳州に帰ってきたのは、このような旅を経めぐってきた後だった。爆撃で跡形もなく吹き飛んだ岳州の駅頭に深夜辿りついて、方向も行方も皆目わからなくなったから、ホームに腰をおろしたまま一夜を明かしたが、同じように腰をおろしていた兵隊達が、明方気づいてみると、そのままの姿で二人、息絶えていた。
だから、岳陽楼《がくようろう》に帰りついた時には、分明な自分の影を見失わなかったとでもいうような、類い稀《まれ》な安堵で一杯だった。私は楼上に一人上っていって、陰陽の蹄《ひづめ》を高く壇の上に抛《なげ》うち、ちろちろと初春の陽ざしの透《とお》った中で、勿体《もつたい》ぶって筮竹《ぜいちく》を掻交《かきま》ぜる楼守から、一枚のお籤《みくじ》を貰い受け、
文章千古香
と読んでいって、小児のように喜んだことを覚えている。
冬涸《が》れの湖水はみすぼらしい迄に萎《しぼ》んでいた。それにもまして兵士らの面にただよう、戦いに対する不信と動揺はかくせなかった。兵士らは町の土民と結託したり、物を掠《かす》めたりして、十万、二十万元と金を抱いて蕩尽《とうじん》していると、報道部の秋元兵長らが語っていた。アメリカの落下傘部隊は、多分岳州の対岸辺りに降下して、この岳州を真先に占拠するだろう。そうすれば、長大な柳州迄の兵站線《へいたんせん》は一挙に遮断《しやだん》されることになる、などとも云っていた。
報道部にはよく「九々《チユウチユウ》」という年の端十四五の少女が遊びに来ていた。十四五といってもひどくませた繊弱《ひよわ》な女の子で、秋元兵長はよく、
「九九八十一《チユウチユウパスイ》」
と、からかっていた。私も口覚えで、この少女が来る度に、
「九九八十一」
を繰りかえしたが、岳州の廃屋の窓に吹きつける氷雨《ひさめ》は寒くわびしかった。
岳州の停車場司令部に高原君という一等兵の詩人がいて、暇を見ては報道部に遊びに来た。一年に近い永い旅の間で、この人が私の名を先方から知っていてくれた、二人目の人であった。出発の寒夜に、停車場司令部のアンペラの間で、少しばかりの地酒をあおりながら語り合った夜の一時を忘れない。高原君は、石油の空罐《あきかん》に灰を盛り、炭火を入れて、私の乗車を送ってくれたが、私は真暗な貨車の中に朱《あか》い炭火を抱きしめて、ゴツンゴツンと不気味に粗悪な路盤を軋《きし》んでゆく車の音を聞きながら、その
「九九八十一」
を繰りかえしていた。
何といっても、鄭州《ていしゆう》あたりの、あの黄土層の断崖《だんがい》に咲き出していた梨の花の白さを忘れることは出来ない。これこそ老師と妻の手に栞《しおり》して持って帰る、たった一つの手土産ではなかったか。
私は類い稀な春にめぐり会うたことをよろこんだ。
また、大黄河の北岸に出て、黄土の上の麦畑の中に野糞《のぐそ》を落しながら、黄河を越えて覇王山《はおうさん》を見はるかした黄闊《こうかつ》な春光を忘れない。
露伴先生の句に、
老子霞《かす》み牛霞み流沙《りゆうさ》かすみけり
とあるそうだが、
麦青み山青み空青みけり
とでも云えそうなあの日のうちよせるような自分の心の中の歓喜を讃えたい。
「麦二三寸。野糞の尻をくすぐるごとし」とその日の日記は、尾籠《びろう》だが、つつまず私のよろこびのままにしるされてある。
釜山《ふざん》の山腹の桜を仰いだのは、このような旅の果だった。肩からは兵隊が懸ける水筒と図嚢《ずのう》。或日は湯タンポになり枕になり、尻あてにも代ったが、今はもう見る影もなく雨露に褪《さ》め、皮革も他愛もなく変形して、ちぎれかけている。
図嚢の中には、五六葉の歴史地図が入っていた。それにリツ子からの手紙が二通。二通とも、八月二十九日に、漢口の飛行場で受けとっている。八月二十九日は、太郎の誕生日で、折から急な招請で、白螺磯に飛び発つ間際だったから、この手紙を受取ったその日の感動は忘れない。全く不思議な一日だった。飛行機はB25の追尾攻撃を受け、降りた途端に、滑走路で生涯初めての身近かな爆撃も体験した。だから、この二通の手紙は、最後の全コースを肌身離さず持って歩いたものである。
図嚢に交叉《こうさ》させて、綻《ほころ》び果てた雑嚢にはノートが五六冊入っていた。
「旅先で日記をつけることを忘れないのがよろしいね。覚えていると思っても、其日其日の印象は、後で跡形もなく消え失せる」
これは支那に旅立つ前に、佐藤春夫先生の、こまかい心尽しの言葉だった。それでもたしか、南嶽迄は、ノートの端に鉛筆を舐《な》め舐め記している。が、旅が苦しくなってからは、そのまま書くことを放棄した。
先生の心尽しの言葉は、何と陰惨な刑罰のように、私の心を、旅の行先まで追いかけてきたことだろう。三日、四日と雨に打たれながら進んでゆく日にも、日記・日記、と絶えず脅えつづけて歩いていた。
けれども、旅とは好奇の旅情を負うて歩むものではない。己の心の平衡を匡《ただ》すのだ、とはっきりと自覚してからは、日記の幻影を、ようやくに振棄てた。だから、スケッチのはしばしに、思いだしては一二行、記録を記しとどめたばかりである。
釜山からの連絡船は行先を明示しなかった。
「何処です? え。門司?」
「いや、どこか裏日本の小さな港につけるらしいですよ」
「コースがわかると、待っていて、狙い撃ちをされるんですからな、ドカーンと」
リュックを負うた帰国者達が、銃剣をつけた兵士に制せられながら、乗船をあせって、ひしめき合っていた。行先がわからないのが、誰にも妙に不安なのだろう。
私も嫌だった。妻子に会い得る明瞭な日程が、こんなところまで来ていてわからないのかと情無いのである。
「もうこれで、二週間、釜山にごろごろしているんですからなあ」
いらだたしそうに、それぞれの愚痴を云っている。誰の面にも憔悴《しようすい》と焦慮の色が濃いのである。
埠頭に二杯、船が着いていた。乗船が始った。雪崩《なだれ》を打っている。私は一等の切符と、特詮《とくせん》の証明書を見せながら、その雪崩の尻につくのである。
小型の船の方に指定されていた。船室の扉をあけると、唐山から車中ずっと同席した大佐と中佐が、寝台に腰をおろしている。
「やあ、また一緒になりましたなあ」
大佐の方がそう云った。唐山から一停車場の区間だけ、芸者風の女に送られてきた大佐である。車中ずっと討伐の快味と冒険談を喋《しやべ》っていた。最後に自分の手を見せるのである。薬指と小指に銃創を受けていて、ひきつったまま動かぬところを、見せているのである。
大佐は船室の中に、私を迎えると、
「もう、ここだけですわい。退屈なのは」
云いながら上衣を脱いで寛《くつろ》ぐふうである。私は海を渡る時なりと一人自分に帰りたいと、些少《さしよう》の迷惑も感じたが、何となしに安堵もあった。この海峡を越える危険度について、最近の状態を知らなかったからである。
船は解纜《かいらん》したようだった。丸窓が閉ざされているので皆目外は見えないが、波の動揺がしきりと感じられてくる。
「全員集合。全員前甲板に集合」
という船員達のどなる声がきこえてきた。
「何ですか?」
「ああ、行かんでもいいですよ。救命袋の装着練習ですわ。まあ、一服」
とチェンメンを差出して、ライターで点じてくれるのである。それから立上ってふらりと出ていった。後に残った中佐は軍用行李をあけてあちこち掻き廻していたが、
「ああ、あった」
ウイスキーを取出すようである。すすめられるままに私は水筒の蓋を借りて、一杯キュッと喉《のど》をうるおした。
「さあ、さあ」
と中佐は何度も注ぐ。注がれるままに私も遠慮なく飲んでいる。大佐の方はしばらく帰って来なかったが、やがてドアを蹴《け》るようにして入って来ると、
「やあ、やあ。あんたの籤《くじ》が大当りだ」
私に向っていう。
「何ですか?」
と少し酔いに火照った顔で見上げると、
「事務長に聞いてみると、福岡ですわ、船着場が」
車中から、私の郷里をよく知っていた。
「ほう、そいつは凄《すご》い。奥さんも、やっぱり福岡市内に居られるですか?」
と中佐が訊《き》いた。
「はあー、その筈ですが」
「そいつは、もう、あんたが一着と決ったわ。奥さん迄の早駆けは」
と、大佐は顎《あご》を崩して笑うのである。多少の不愉快も感じられたが、然し、リツ子の肉体へ程なく結ばれる、と今迄信じ得られなかった遠い幻惑に、明確な証言が与えられる嬉しさがこぼれていった。
全く福岡へ船が着くなどと、思いがけないことだった。福井近くの裏日本の小港に入るとかで、私は、それから一二日のもどかしい車行を想像していた。不馴れな土地の煩瑣《はんさ》な乗換えをわずらわしく、思っていた。それが、一挙に福岡の港だという。余りに手の届きそうな旅の完結に、自分の体さえ頼りなく、何かしらうろたえはじめてゆくのである。
「が、あんまり喜ぶと、えてして、奥さんは赤手旗ということがありますわ」
もう酔ってきたのか、大佐は野卑にそう云って、中佐と顔を見合せて笑っていた。
ブルンブルンと哨戒《しようかい》の飛行機が飛んでいる。私はしばらくこの軍人達の会話から外れていたくて、便所に立ち、それから帰ったまま酔ったふりで、ベッドの中にもぐりこんでいた。酔いが、リツ子への情愛を刻々現実的な想像に煽《あお》り立てるようだった。
やがて甲板の辺りが、何となしにざわめいて、もう九州が見えている、と呼び交わす声もきこえている。危険区域も通り過ぎたから、何処でも思い通りの甲板に出てよろしいと云っている。
私はがばとはねおきて、甲板の上に上ってみた。
見えている。くっきりと、島と山の形が流れていた。どことさだかには記憶はないが、九州の一角に間違いはなかった。
その山の姿にも、妻子の有形の肉体の趣きを、たぐりとろうとあせるのである。洋鏡の上に匐《は》い上った太郎の生後十ケ月の姿が泛《うか》んで消える。然し印象はおぼつかない。が、リツ子の白いキャラコの簡単服をまとうた長身は、絵にでも描けそうに、明瞭に浮んで出た。旅立ちの朝、初成りの茄子《なす》を花鋏《はなばさみ》でパチンパチンと二つ剪《つ》みとった時の姿である。故意に、覚えておこうと見ていたから、刺繍《ししゆう》の花の模様の数さえそのままに覚えている。リツ子は私の杉下駄をつっかけて出ていたので、これはまた私の下駄の鼻緒が黒だったことまで、今見たように記憶に鮮かである。
が、何といっても、細い溝にくびれおりた長いうなじと、おくれ毛と、そのぼんやり白い中に記憶した、小さな左側の黒子《ほくろ》であった。
「ああ、覚えていた。覚えていた」
と、私は今まで、この後姿の復習を忘れていたのに気がついて、然し、それを逐一思いおこせたことを、リツ子の為に喜んだ。何となしにリツ子の安全が信じられるような気がするのである。
旅先の日にも、妻子を思わなかったわけではない。いや、屡々《しばしば》、リツ子や太郎の姿を心の中に描いてみた。その声の色まで思いうかべようとあせったことがある。然し旅先からの安否の危惧《きぐ》は、いつも夢のようで、ひどく心配なような、また安心のような、とりとめのないものである。心配なのは、眼の前に見えぬから、考えれば考えるだけ際限《はて》しなく不安が増大する。同時に安心なのは、側近く見ているわけではないから、現実の事態や実感が伴わず、何かぼんやりと神が守護してでもいてくれそうな気持になる。おそらく、リツ子が私の事を案じてくれているのも、こんなふうなものだろう。
機雷にでも触れたのだろう。汽船が一隻、岬よりに不態《ぶざま》な恰好で沈んでいた。
船ははっきりと見覚えのある博多湾の水路に入ってきた。残《のこ》ノ島を右にし、志賀ノ島を遠まわしにめぐっている。俄かに私の不安が増大する。風物がすべて現実の枠内に入ったから、事態が不吉な妄想に変って切迫してくるようなのである。私は急いで船室に帰って旅装を纏《まと》めてみた。
「ほんとうにあんまりあわてると、奥さんには、赤信号ということがありますわ」
大佐はまだくどくどと酔っている。私が答えずにいると、
「S中佐。今度はひとつ、博多小女郎浪枕《はかたこじよろうなみまくら》といくか?」
「えへへへ、よかですな」
中佐の方も段々あやしくなってきた。
ボーボーと汽笛が二つ鳴っている。平俗な帰郷の哀愁が、抗しがたい力で繰りかえし、繰りかえし私を襲うのである。
埠頭《ふとう》の鉄骨が西陽にまぶしく照り上っていた。ああ筑紫野《つくしの》は菜種の黄の夕陽だな、と私は四月の末のもやもやとした季節の感触を、はっきりと、自分の膚に思いおこすのである。
船がついたのと一緒に、大佐と中佐はあわてはじめた。無理に私をとらえて、博多の地理をくどくどと問うのである。指が不自由だから鞄のバンドを締めてくれとねだったりする。
「まあ、ひとつ旅のよしみで、町角までは一緒にお伴しましょうや」
中佐が改って、そんなことを云っている。連れだったから、結局私も一番後ろから下船した。
「駅まで、どの位ありますか?」
「さあ、まっすぐ徒歩なら七八町はありますよ」
「そんなら、この荷物じゃ、とても歩けませんな?」
もうメッセンジャーは借り取られた後だった。
「そこへ市電があります」
「どうします。市電にしますか?」
と中佐が聞いた。
「嫌じゃ、市電はわしゃ好かんわ。馬車かなんかないかね?」
まだ支那にでもいる心算《つもり》だろう。
「じゃ、私は市電ですから、失礼します」
西陽をみつめながら、さっさと雑沓《ざつとう》の中にまぎれこんだ。
市電の運転手と車掌を鉢巻姿の女学生がやっていた。こんな世情の中に妻子が、どのようにして耐えているであろうかと、新たな不安も募ってきた。
然し三月の初めに漢口《ハンカオ》から五千円送金している。もうふた月近いのだから、ついているとすれば、私の帰国を、間近いものと推察しているにちがいない。
電車を降りると、西公園の辺りは、もうほのぐらい。私は夕闇にまぎれ帰れるのを、静かな幸福に考えていった。リツ子と太郎が、どのように、はしゃぐだろう。漢口の病院長から、大罐《おおかん》の砂糖と飴玉をもらっている。外に土産はなかったが、抱きよせる歓喜だけで一杯だろう。
公園の桜は、八重《やえ》迄散っていた。鳥居から素早く左に折れて、見覚えのある電柱をたしかめると、更に急ぐのである。出発の朝の月明にリツ子がここまで送って出た。来襲機の唸《うな》り声の中だった。
長身の白服が眼に見える。そうだ、帰るとすぐ、リツ子と太郎を伴って、人吉《ひとよし》の湯に一週間ばかりひたりにゆこう。
然し伊崎浦の小路に入ると、胸が不吉にざわめいた。太郎が疫痢で死んだのでは――とそんな妄想が募ってくる。
「唯今」
と玄関の格子をひきあけた。どんな不幸がおこっていてももう驚くまい、と咄嗟《とつさ》な決心に、心を鎮めるのである。それにしても返事がない。
「です。唯今」と大声を挙げてみた。
「あ」と微かなリツ子の声が洩れていた。然し出ては来ないのである。もどかしかった。不安だった。太郎の死が確定的だ。と一人で合点するのである。
「まあ、さんな。リッちゃんば、一年もほっといて」
とリツ子の母が腰をかがめながら現れた。泣いている。もう何でもよい、としびれるような絶望に陥《お》ちこむのである。
「太郎は。居ませんか?」
「松崎ですたい」
「松崎? でも、リツ子は此処《ここ》へ、居《お》るのでしょう?」
「居りますたい。あなたば待ちくたびれて、いたんどりますたい。リッちゃん、さんよ」とリツ子の母は座敷の方に声を挙げた。
「お帰りなさい。太郎お父さん」
襖《ふすま》の向うから、弱い、然しつつみきれぬ喜びの声だった。私も一時に安堵するのである。靴を脱いで上っていった。
襖を明ける。病臥《びようが》のリツ子が、涙顔に笑いを泛べて、私を見た。
「済みません。太郎お父さん」
「どうしたの?」と私は顫《ふる》えながら云ったが、太郎を手許に置いていないことからもやっぱり結核だと知れるのである。
「あの、胆道炎ですげな。滅多になか病気で」
母はそう云ったが、今更何故そんなことを云うのだろう、と、私は黙っている。
「それで、いつから?」
リツ子の顔をみつめながら、静かに聞いてみた。
「三月の末でしつろう?」とリツ子の母が、先に取って答えるのである。リツ子がそれを打消して、
「いいえ一月から。三月に一度起きて又寝ました」
「いいよ、いいよ。もういい。癒《なお》ります。秋迄に癒します」
と私は、静かにそう云った。
「秋迄やら寝るもんか。ねえ、リッちゃん。さんさえ帰らっしゃりゃ、十日もすりゃ、リッちゃんな起きますばい」
そう云って、茶をわかすのだろう、リツ子の母は立っていった。
「夕御飯、まだでしょう? それにお風呂も。私こんなですから、御免なさい――」気弱く、語尾を長くひっぱった。
「いいよ、いいよ。パンを持っている。リツ子も食べないか」
「いいえ、私は結構です。それより、早く松崎にいらっして、太郎に会ってやって下さらない」
「元気か、太郎?」
「はい、そりゃ、お父様とそっくりです。肩を張りながら、腰をふってちょんちょん歩くんですよ」
茶を入れて、リツ子の母が帰ってきた。
「さん、夕御飯な?」
「いえ、結構。私は支那の焼餅《シヨウピン》というのを持っています。パンのようなものですよ。一つ菓子器を持ってきて下さいな」
「そりゃ、よかった。実はさん、今家にお米はないとじゃん。麦と大豆ばっかりで」
私は菓子器に、焼餅と飴玉《あめだま》を盛りあげた。一つリツ子の口に入れてやる。
「まあ、おいしか――。お母さん、支那の飴よ。一ついただかん?」
「ほんなこと、甘さ――」
とリツ子の母も頬ばった。私は思いがけず土産の焼餅で腹をふくらますと、やっぱり風呂にだけは無性に入りたくなった。
「沸《わか》しましょうか、お母さん。私がお風呂を?」
「いえね、誰も入りませんから、もう何ケ月も放ってあって、汚くて、大変ですよ。すぐそこの銭湯にいらっしゃいません。済みませんけど」
とリツ子が困って答えている。私は肯《うなず》いて立上った。一二丁離れた銭湯の湯気に、むせかえるのである。浴室の客の会話は、何かじめじめとよごれて、暗かった。今先迄の旅が、まるで蜃気楼《しんきろう》のように崩れてゆく――。
警戒警報のようだった。ボーッと長く警笛が浴室のガラスをふるわした。私は急いで上っていって、家の方に走るのである。
蒲団はリツ子と並べて敷かれていた。
「警報が面倒だから、失礼させていただきます」
私はそう云ったが、母ももう寝巻に着換えているようだった。
灯りを消して、しばらくじっと黙りこむのである。淋しいが、しかしかけがえない幸福にたどりつけたと、側《かたわ》らのリツ子の息遣いをじっと聞く。空襲警報がつづいてはげしく断続した。しばらく警防団の怒声がわめいて過ぎる。後はシンと鎮まるふうだった。
「待ちながかったろう?」
「はい。でもお帰り迄に起きられなかったら、死のうと思っていましたのに」
「馬鹿。結核なぞというのは、神経衰弱と一緒だぞ」
「でも、太郎が……」
「なんだ。いつも親元ばかりで甘えている子なぞ、どうにもならん。あちこち転々と武者修業さ。然し、今度は、俺が連れて帰ってくる」
「太郎の写真、つきました?」
「いや、着かん。いつ送った?」
「さあ、私が寝つく前ですから?」
「いつ寝ついたの?」
「昨年のね、十月に松崎で風邪《かぜ》をひきましたのよ。それが、こじれて、一度起きて、またこちらにきて寝たのです。でも二月の末にはとてもよかったから、大丈夫だと思ったら、また悪くなりました」
「熱はある?」
「夕方、七度五六分……折角お帰りになったのに、死んだ方がよっぽどいい」低いしのび泣きの声が洩れていた。喉がむせて、咳が混る模様である。
私は、蒲団の上からはげしくリツ子を抱いて眼の涙を啜《すす》り上げた。それから唇を重ねてゆく。熱っぽい口の中に、甘く、舌が波打っている。
「癒る。何でもないぞ。秋迄に熱を取る。正月迄に起き上る。三年目には一緒に泳ごうよ。いいか、リツ子。俺は支那からね。いのちの火を持って帰ったぞ、それをやる。おまえにもやる。太郎にもやる。素晴らしいぞ、そのいのちの火は。おまえの病気なぞ、病気のうちに入らんね」
「ほんとうに。もう、お帰りになったから、きっと、私も癒ります。明日辺り、起き上れるかも知れないわ」
リツ子はそう云って、自分から私の顔を探りよせ、熱い息を私の唇の辺りに運んできた。
寝つかれなかった。やっぱり妻の肌恋しかった。一年である。その旅も尋常の旅とは違っている。生きて還れたのが不思議に思われるくらいの旅だった。
なるほど、遠い旅先の果では、或日は妻子のことも忘れていた。とめどなく歩き、とめどなく夢想し、動員の波及の行衛に呑まれていた。たったひとつ、まぎれなく持ち帰れたのは自分の五体にともる、いのちである。
天《あめ》が下、理想の高下はあるであろう。が、あらゆる分別や思想がかもし出す、禍《わざわ》いについては、見たところである。今は、たった一つの自愛を確立したかった。鍛冶《たんや》し、覚醒《かくせい》して、天意に対《こた》え得るほどの自愛の心を確立したかった。
それにしても……唯今、帰りついたのだ。まぎらわしい己の生命にまっすぐに触れてくれるものが欲しかった。妻の肌をさぐるというよりも、自分のいのちのあり場を、そっとたしかめて見たかった。
われ在りと肌触れ告げん
おのれだに 明すすべなし
妻 病み果つる
わずかに、リツ子の指頭をさぐり寄せて、自分の蒲団のなかに引入れてみる。かすかに顫《ふる》えているのは、一年の悲喜が、この一点に集約されているとでも云うのか。いたずらに暗いばかりである。
ふるへつつより添ふいのち
ありといふか ぬばたまの
夜眼暗くして いきどほろしも
丁度、昨年の晩夏のことだった。蘇東坡《そとうば》の流謫《るたく》の地に近い倉子埠《そうしふ》の河柳の揺るるを見て、はるかに郷家の柳河を思い、あわせてしきりに妻の体を恋うた日があったが、
女子《めた》どもは毛梳《す》きてをらむ
河明る 柳の影も
そよぎてあらむよ
あの日の恋情のもどかしい行衛なさを覚えている。そのあらわな激情に耐えつつ歩き、さて近く寄ってきて、今、かえって妻の体を手にしがたいのは、自分ながらあわれであった。
リツ子も眠りつかれぬ様子である。時折こっそりと、私に気遣うてひきつめたような吐息が洩れてくる。
「眠れないの?」
思い切って声にした。
「ハア――」
あいまいに心をまぎらわすふうの答えである。
「じゃ、足裏をさすってあげようか?」
「いえ、いえ」
と急にあわててとまどう声だったが、私はむっくと起きた。蒲団の裾に廻ってリツ子の足をさぐるのである。
「いけません。ねえ、お父様。汚れています」
ちぢめる様子なのを無理にとらえる。が、カサカサの足だった。こんなに寝ていたのか、と新しい不安がつのって来る。
「洗ったことある?」
「いいえ。穢《きたな》くて。ほんとうに、やめて下さらない?」
「よし、明日洗ってあげるからね」
足裏に何枚もの銭苔《ぜにごけ》が生えているふうだった。それでも、この足にたどりつけた、としばらく、さすって止まないのである。
「お父様」
と、低い、かくすような声だった。
「お勝手の上の戸棚にね。青い徳利に配給のお酒が少しある筈ですよ。取ってから、もう半月ぐらいになりますけれど。お飲みになりません。あそこならちょっとぐらい灯りをおつけになっても洩れませんから」
そうか、とこれはしみじみ有難かった。他に飲む者が無いのに、病人が酒のありかを知っているなどと、やっぱり私のことを考えていてくれたに相違ない。いかにもリツ子らしい思いつきだと、一年振りの、馴れた妻に行当る心地である。
酒といえば、ウイスキーなら鞄の中に一本あった。が、その徳利の酒を飲んで見ねば相済まぬような其場の感傷に誘われるのである。
旅から持ち帰った懐中電燈を手にさげて、お勝手の中で、素早くつけた。ある。ゆすってみる。こぽこぽと闇の中に液体の動く侘《わび》しい音がした。湯呑みも握って帰ってきた。
「あったよ」
と手探りで湯呑みに入れ、リツ子の枕許に坐りながら、飲んでみる。酸っぱかった。変質しかけているようだ。米酒《ミーチユ》の味である。米酒といえば、零陵《れいりよう》の辺りではよく飲んだ。土民の家毎にあの米酒の甕《かめ》が据えられて、その濁り酒の米のところを、ウドン屋の笊《ざる》のような細長い籠で濾《こ》して飲むのである。討伐と称して大抵部落襲撃の掠奪《りやくだつ》の後に飲むのだが、牛をひきつれて、真赤になってよろめき歩いていた兵士の姿を覚えている。
「どうして、寝ながらお酒のあり場など知っていたの?」
「配給がありました時にね、(病人と女の家に酒がどうして要るかいな、)ってお母さんが悔んだのですよ。その後で、裏の漁師と章魚《たこ》に物換えしようとしましたから、(さんが帰られるかも知れんから取っといて、)と云うたら、お母さんがとてもおこって、(何時《いつ》見えるかわかるもんな、よかたい、一年でも二年でもとっとこう。棚の一番上に入れとくばい、ようおぼえときなさい、)と、随分腹掻《はらか》いて――、でも後では、あなたにとっておこうと、お母さんも思ったのでしょう。二三日前も、(ほんなことこりゃ酢になりよるばい、さん、いつ帰らっしゃるかいな、)って云っていましたのよ」
私はくらがりで、酸っぱい冷酒を乾《ほ》しながら、この話は馬鹿に面白かった。微笑《ほほえ》ましい。しみじみ内地に帰りついたような、みじめな世話話《ばなし》である。リツ子やその母の問答の姿迄眼に浮ぶようだった。
「眠れそうだ。有難い。よしおやすみ」
と私はぐっと飲み上げて床に入り、その話にうかぶ情景だけをさまざまに描きつくしながら、帰国第一夜の眠りにつくのである。
寝過した。朝日のなかで、日光よりも私の視線の方をまぶしそうに眺める妻の顔を、久方ぶりにいじらしく見下ろすのである。それほど寝痩《や》せもしていない。頬の白さにポッと赤味さしていた。
「おっと、美人だ」
とふざけながら、硝子戸を繰る。中国の農民の間ばかりを渡り歩いていた私には、妻の顔が何かガラス戸越しの人形のように脆弱《ぜいじやく》な人工の所産に見えた。つくづくとリツ子を眺めて、今更のように夥《おびただ》しい風土の果を経めぐった、自分の旅の重さを感ずるのである。ふっと昔が今に繋がらないような故知らぬ空虚の気持が湧く。昨夜この家の玄関をくぐった時には、まるで昨日発ったばかりの家に帰るほどの気安さだったが、妻に会うてみると思いがけず、旅の中に飢えていった心の狂暴を知るのである。
自分でお勝手に立っていって伏せられた三升炊《だ》きの大きな釜《かま》に湯を沸かした。枯松葉がきっちり結えられていて、それをほぐすと、パラパラに飛散するのである。こんな生活の営みも、何処か故国の静かななりわいだとなつかしかった。が、明日にも焼夷弾《しよういだん》の雨下の中に燃え上って終《しま》うだろう。漢口や長沙辺りの爆撃の規模を知っているから、火叩きで防ぎとめられる戦争ではないと知っている。知っていながら今は、無為にして、しばらく小さな故国の閑をむさぼりたいのである。
シュンシュンと湯が沸き立った。バケツと洗面器を手にさげながら、リツ子の側に帰ってゆく。
「いいです。いやーいやー」
と妻が云うのを、無理に剥《は》ぎとるようにして全身を拭ってやる。リツ子の母はいつのまにかもうすっかり私にまかせきったふうだった。痩顔に窶《やつ》れは見えないが、裸にするとさすが半歳の臥床《ふしど》で、胸から腹の辺りまで、思い切りしぼんでいた。二の腕は思ったより太く、まだ少女らしい初《う》い初いしい張りが残っているが、足は皮膚と肉の間に弱くたるんだ隙間が感じられる。その太腿《ふともも》の辺りで、リツ子は指先にしっかりと絹の下布を押えつけながら顫えていた。
「お縁迄起きられない?」
「いいでしょうかしら?」
「いいさ、でも、そっとだよ」
縁先に差入る朝の光がまぶしかった。私はリツ子を立たせて、素早く五六枚の座蒲団を敷き並べ、その上に毛布をかぶせた。
「ここにちょっと腰をおろしてみて御覧、足を洗って上げよう」
リツ子は素直に肯《うなず》くのである。麻の寝巻の上から静かに丹前を懸けてやる。大きな踏石の上に盥《たらい》を置き、膝こぶしから下に、濡らしたタオルで何度も湯をそそぎかけてやるのである。
「濡れるよ、濡れるよ」
と私はリツ子の浴衣《ゆかた》をつまみあげて、その手触りから、あらためて上布の縞模様を眺めてみる。石神井にいた頃もベタつくからとか云い云い、冬でもよく麻の浴衣を纏《まと》っていた。
「冷たいでしょう。ね、堅いでしょう」
云いながら、いつもそっと私の体により添うて来る時の、その麻布の隙間にこぼれる軟かい膚のぬくもりを思いおこした。
或は幼年の日からの習慣かと思ったが、
「小さい時の、ほら、これはフランネルですよ。浴衣をみんな、洗って終ったものですから」
と一度馴れぬ寝巻を着ていたことがあったのも覚えている。寝巻など、私はいちいちどうであろうとうるさいばかりだが、今思いおこしてみると、これが或は其頃からの病的な嗜好《しこう》の徴候ではなかったか?
「あら。松葉が茶柱のように沢山入っていて、気持いーい」
と声を挙げている。なるほど湯の中に枯松葉が沢山こぼれこんで浮んでいる。釜でわかした折、燃やしつけた松葉がきっとまぎれこんだものだろう。病床に馴染《なじ》んで、久しくそんなものを、見慣れないせいか? それにしても妙なところに感興を持つ女だ、とこれもまた新しい病気の徴候のようで不安だった。
そう云えば、結婚直後人吉の出湯《いでゆ》にゆき、裏山のつつじの花を変に嫌うのをみて、私は不思議だった。血のようだと云っていた。毒のようだと、眼をつむってこわがるのである。馬鹿馬鹿しいから私はそのつつじを折り取って真赤な花びらをムシャムシャ食べて終ったが、この時のリツ子の嫌悪《けんお》の表情を、今でもはっきりと覚えている。嫌悪は、然し、私への信頼にも変っていったようだった。つまらぬことである。嗜好のむら気を、私はその頃、女特有の媚《こ》びだと思っていた。が、今考えれば病者の感覚だ。
「寝汗は出るの?」
「いいえ」
とリツ子は不興な顔をして答えている。
「浴衣は木綿もあるだろう?」
「はい」
「木綿にしなさい。ズッと汗の吸収がいいのだから」
「でも、すぐよごれてべたつくでしょう。毎日洗ってもらっては――母が、あんなですから」
「いいさ。僕が、洗ってあげるよ。木綿にしなさい」
「はい」
と答えているが、余り浮かぬ顔である。私は黙ってリツ子の足裏を乾いたタオルで拭上げた。
「縁側でしばらく横におなり。蒲団を乾してあげるから」
「済みません。ああ、いい気持」
ごろりと横になったが、蒲団を乾して帰ってくると、
「お父様、やっぱり座敷に移して下さらない。お陽さんがこわーい」
そう云えば直射光が入っている。私は急いで座敷の中に昨夜の私の蒲団を敷き、上から毛布で蔽《おお》ってやった。
足湯をしてやったばかりでも、もう疲労が顔を隈取《くまど》っている。発熱してくる前の様子のようだった。頬が桜貝のように淋しく淡く紅さしてゆくのが見てとれた。
「しばらく、おやすみ。昨晩眠れなかったのだろう?」
肯いている。私は一人、並べられた縁の座蒲団の上に坐りこんで、旅から持ち帰ったルビイクインの桃色の包装と銀紙を破り、煙草を一本、ゆらりとくゆらしてみるのである。
もう忘れていたような故国の春だった。筋向いの倉の壁に、入江の潮の反射光がユラユラユラユラうごめいている。あれを柳河では何と云っていた? 水鼠? 壁鼠? もどかしいが、今思いおこせない。もっと感じのある呼名のようだった。
潮の吹きだまりのような磯のにおいが、家の周囲にもたれこんでいる。砂地の庭の隅に、一本、菜の花が左右に折れ曲りながら、ヒョロリと延び立って、真黄色の花を咲かせている。いずれ播《ま》かれた筈はないのだから、こぼれ種だろう。それとも、何か大根の種類の種子か? 小さな上り藤の紫が、そこここに雑草の態《てい》で、折り重なって花を見せていた。
朝食は大豆混りの粥《かゆ》だった。私は中国の旅でどんな食事にも馴れつくしているが、半年病臥のリツ子にはこたえるだろう。急速に打開策を考えねば、と妻の寝顔を覗《のぞ》きこんでいる。
綺麗な顔だ。現代の病弊といったものを正直にみんな集めて終ったような優しい顔だ。小さい時から、電車の軋《きし》る声を聞かないと、夜は淋しくて眠れないと、云っていた。学士様と見合をし、頬を染めて承諾した。それが、大変な学士様だった。大学は飲酒科を卒業して、満洲では狼《おおかみ》撃ちになろうと本気に思いこんでいた学士様。三ケ月の徴用を、自分から志願して一年に延ばし、死者の表情ばかり克明にのぞきこみながら、北中南支をうろつきまわっていた学士様。
それでもその学士様の夫が旅立てば待ち焦がれるのが義務だというふうに、そっとお燈明を上げる女。待ちこがれて寝ついて終って、可愛い坊やを手許にもおけないで、蒲団の中でそっと泣きくらしていたというのか?
侘しすぎるではないか。間違っている。誰が? と私は苛立《いらだ》ってくるのである。日本全体が、いつのまに弱いみじめな装飾の人情に溺《おぼ》れこんで終ったろう。戦争? 一体、何が何を撃つというのだ? 処世の人情に陥ちこんで終った種族に果して復仇《ふつきゆう》があるか? 理想があるか? この劃一《かくいつ》の人情と情緒にはげしく爆薬をしかけねばならないと、広大な地域の旅に鬱積した所在の知れぬ私の心が昂《たかぶ》ってくるのである。
リツ子がふっと眼を覚した。醒《さ》め際《ぎわ》がコトーンと迷夢からでも匐《は》い出すようなふうだった。
「済みません、お父様。眠ったりして。早く太郎に会ってやって下さらない」
「ああ」
摸索《もさく》出来ぬ自分の心の中に、鏡につかまっては立上る頃の太郎の姿が夢のように浮び出た。私は気持を取直すのである。この妻に新しい安堵を与える義務を感じていった。
「五千円受取った?」
「五千円」
とリツ子が特有の眼を見開いて驚いている。
「いいえ、何の五千円?」
「三月のはじめにね、リツ子宛に漢口から五千円送ったのだよ。未《ま》だつかない? 船が沈んだのかな」
私は図嚢《ずのう》を枕許に運んできて、正金銀行の送金証を取出した。リツ子は手に取って見るのである。
「いえ、着きません。可笑《おか》しいわね。まあ、こんなに沢山?」
「着いたらね、リツ子の病気治療と生活の対策を建てようじゃないか?」
「済みません。私が起きていたら、東京でゆっくりお仕事が出来ましたのに、ね」
泣き顔を見るのは嫌だった。所在ないから、図嚢の中を探っていると、リツ子から私宛の手紙が出た。
「ほら、太郎のことを書いてよこした、この手紙ね、二通共漢口の飛行場で受けとった。不思議なことに、それが、去年の太郎の誕生日だ。八月二十九日ね。その手紙を握りながら、其日白螺磯というところへ飛行機で飛んだのだが、飛び降りた処を滑走路で、大変な爆撃に逢ってしまってね。土を全身に浴びたが、助かった。だから、この手紙は、お守りのようで、ずっと今日迄手離さず持ち歩いた」
「まあ――」
とリツ子の感動の方が、私の気持を先走って追い越した。
「太郎の写真、お受取りになりまして?」
「太郎の写真? いや受取らぬ。後にも先にもあの二通だけだ、受取ったのは」
「寝附いてからは恥かしくてお手紙も書けませんでしたが、それ迄は随分書きましたのよ」
受取れる道理はない。岳州から先は、皆目自分でも見当のつかぬ、ゆきあたりばったりの旅だった。すると、俺が追うていった、あの目標は何だった? 血眼になって、一体、何を追うていた、道? 神? 馬鹿馬鹿しい。
そうだ。荒廃の、己の心の行衛を追うていた。兵隊から竹製の雀寄せを作ってもらって、その吹き方をしつっこく尋ねながら、
ツクツクツク ツクツクツク
チュクチュクチュク チュクチュクチュク
と真赤に染る湖南から広西《カンシー》の楓樹《フオンスー》の林の夕べを駆けめぐった。三つ葉の大味の楓《かえで》の紅葉だった。下葉から梢の方に、ゆっくりともみじしてゆく。
唐《から》もみぢ何処に雀が寄るのやら
貧しい、その旅の日の書き棄ての句であった。そこいらには、よく中国兵の死体が転がっていた。巻脚絆《まききやはん》が筍《たけのこ》のように下太で、人の死骸というよりも、ニョッキリと、筍の巻脚絆が転げているふうだった。顔が腐爛《ふらん》しつくして、骸骨が几帳面に、巻脚絆を巻いていた。
「そう、そう、リツ子」
と私は頓狂な声を上げた。
「太郎にいい土産を持ってきた。今から行って聞かせてやろう」
リツ子が驚いて顔を上げている。
「何です? どんなもの?」
私は急いで、応接間に置いた、ボロボロの私の図嚢を抱えてきて、雀寄せを取出した。
「これだよ。いいかい」
口にあてて、例の、
ツクツクツク ツクツクツク
チュクチュクチュク チュクチュクチュク
を繰りかえす。
「何でしょう? お父様、それ、ほんとうになあに?」
半ばいぶかるような、半ば呆《あき》れるような表情で、リツ子は私を見上げている。
「雀寄せだ。これを吹くとね、そこら一杯に雀が寄ってくる」
とまどったような、薄笑いの淋しいリツ子の表情の枕許で、私はしつっこくその雀寄せを鳴らしつづけていたが、
「そうだ、太郎のところに行ってくる」
そのまま、立上った。
松崎の家には、母も太郎もいなかった。無人の広い邸の庭に、石楠花《しやくなげ》が白く褪《あ》せているのである。
私は丁度自分が浦島かリップ・ヴァン・ウィンクルにでもなったような気持がした。無闇に淋しい。寂しいというより空虚であった。頭も腹もガラン洞になったようだ。
一年近く中国をうろつき廻っていた間に、日本中にみんな狐が憑《つ》いて終《しま》ったとでもいうのか? それとも私自身に憑き物が憑いて終ったのか? 病臥の妻などと、そこから先ず、疑わしい。よってたかって私を愚弄《ぐろう》しているふうである。
私は無人の家のガラス戸を繰って、ウイスキーを取出してみた。蓋をねじ明けて、その蓋で飲む。庭の奥に八重のコゴメが白く散り残っているのである。
財布を出してみた。漢口の露店で買い求めた馬鹿に大きい紙入れである。岳陽楼のお籤《みくじ》が、兵站《へいたん》の旅行券と一緒にくしゃくしゃになって入っていた。
文章千古香
岳陽楼では、楼守から教えられるままに陰陽の蹄《ひづめ》を空に擲《なげう》って、このお籤を引当てた時には、可笑《おか》しいくらい喜んだものだったが、馬鹿馬鹿しい。中国では誰でも文章家を気取るのである。五本に一本は必ず出てくる文句だろう。
それにしても北京で替えてきた日本紙幣が、まだ五百円近く入っていた。リツ子の米でも買い入れようと思っていたが、そのうち漢口からの五千円の送金小切手がつくだろう。よし、と紙幣を持った手がちょっとふるえる。先程から兵隊の頃遊びなれた、久留米の田舎の遊び女《め》達を心にうかべている。いや、女ではない。女のいる陰鬱な、家屋の内部の構造が見えてくるのである。ウイスキーを三分の一ばかり飲んで、蓋をした。
ガラガラと庭に車を引入れる音がしてきた。よかった、帰ってきた、と思ったが違っていた。この家を買い入れた折の田舎ブローカーの野田である。赭《あか》ら顔で逞《たくま》しく肥え、左顴骨《かんこつ》の上に特徴のある大きな骨瘤《こぶ》がある。
庭の中に大八車を引入れさせて、勝手に瓦を積みはじめていたが、ふっと私に気附くと、横柄に居直るような顔で寄ってきた。
「ああ、いつ帰んなはったな?」
「今」
「お母《つか》さんは久留米に疎開しとんなさるです」
「久留米に疎開? 可笑しいじゃないか。久留米からこっちに逃げて来るならわかるが」
「太刀洗《たちあらい》がやられましてのう。B29が、あなた、八十機寄ってきて、何も彼《か》んも無かごとうっぽがしましたたい。お母《つか》さんも大分えずがっ(怖がる)とんなはる模様じゃん」
「ほーう。それで野中かね? 行先は」
「国分《こくぶ》ち云うことでしたばい」
私は飲み足らぬような気がして、又ウイスキーの蓋を抜いた。野田が、じろりと私の手許を見た。田舎の風習でちょっと相伴したいような顔附だが、委細構いなく、私は一人で飲む。
「じゃ」
と野田が首をかがめ、
「お母さんに云うときましたが、瓦を出しますけん」
また、槙《まき》の根に積み上げられた、瓦のところに帰っていって、若い男に積ませはじめた。
「そんなら、ゆっくりしなはれ」
野田は云い残して車をガラガラと曳出《ひきだ》していった。車の曲りがけに石楠花の小枝を一本折るのである。詫《わ》びも云わぬ。花のついたその枝が皮一重で白くぶら下っているのを眺めながら、相変らず私はまだ飲んでいる。あらかた半分近く乾したその液体は、透し見ると、揺れて琥珀色《こはくいろ》に底深く鎮もっている。いずれ上海《シヤンハイ》辺りの詰換えであろうが、レッテルだけはブラック・アンド・ホワイトと、黒白の荘重な金模様だ。こんなものを、漢口《ハンカオ》から後生大事に負うてきた、と馬鹿馬鹿しいのである。
京漢線の艱難《かんなん》な帰路が眼に浮ぶ。石門で爆撃に会うた折に、動顛《どうてん》して地に伏し、後で砂をはらって、図嚢のウイスキーは大丈夫かと確かめたが、其折、一体、これを何処で飲むだろう、と想像した。後の日の情景を描くことは、爆撃の後だけに楽しかった。リツ子の顔もちらちらと見えていたような記憶がある。
が、今、此処《ここ》で飲んでいる。娼家の軒先などを心に描きながら。はじめの夢想と、到達された現実を、二つ合せて重ねて見ると、そのズレていったところがおもしろい。こいつが人生という奴だ。
私はアルコールで次第に視覚を麻痺《まひ》させながら、折れてダラリと垂れ下った石楠花の白い褪色《たいしよく》の花の模様を見つめているのである。
暗かった。が、五六年前兵営の頃によく通い馴れた道だった。ぼんやりと、夜目に落ち窪《くぼ》んだ川が照っている。病馬厩《うまや》の塵埃《じんあい》棄場から脱営して、この道の裏を憲兵に脅えながら無二無三に走ったものである。
みぞれの晩だった。灯りを消していたが、女と居るガラス窓に、門燈が映り雨滴が走るのが凄《すご》かった。柿の枯木が氷雨《ひさめ》に濡れてふるえていたのを思い出す。
この柿の木だった、と芽ぶいた夜の木立の下でちょっと立ちつくすのである。
思い切って入ってみた。
「やってるの?」
「ええ?」
と女が不審な顔に覗き出してきたが、
「どうぞ」
私の道具類をさっさと奪って二階に立つ。私は黙って暗い薄板の階段をギイギイ上っていった。同じ部屋だった。勿論女は変っている。農家風の密営業である。暗い蝋燭《ろうそく》を一本ともして、女はジロリと私を見た。初めて気附いたが、あどけない顔だ。がっかりした。心の緊張が崩れるのである。
「酒、飲むね?」
ぞんざいな口のきき方だ。が、間延びている。
「ビール無いか?」
「あります、ばい」
「いくらだ?」
物変り星移る世だから、しきりに心許《もと》ないのである。
「十五円ですばい。よかの?」
「よし。二三本」
と私は云った。女は肯いて降りてゆく。しばらくの歳月の変遷に心うたれている。たしか、一晩二円でとまったこともおぼえていた。今、いくらだろう。五十円か? 女がビールに添えて、堅豆に酢章魚《すだこ》を持って上ってきた。
「何か軟かいものはないか?」
「卵なら、ありますばい」
「そうだ。卵を焼いてくれ」
直ぐまた降りていった。私はポケットから旅に馴染んだ栓抜《せんぬ》きを取出して、ポンと抜き、勝手にコップに注ぐのである。よく見ると、コップの脇にちゃんと栓抜きは用意されてある。それにしても暗い、と歪《ゆが》んでジリジリ横燃えする蝋燭の明りに、ビールを透して見た。卵焼を持って上ってきた。
「電燈はつかないのかね?」
「電燈? つきません。ついても直ぐ警報ですもんな」
「客はあるか?」
「お客さん? なかですばい。ここもずっとやめとりましたばってん、あたしが来てからですたい。徴用で、骨ばおしょり(折)ましたけん」
「何の徴用?」
「日本ゴム、くさい(さ)」
わかりきったことのように云う。地下足袋《たび》作りでどうして骨を折ったのだろう、と思ったが訊《き》くのはよした。
ビールは軍用とレッテルに書かれてある。酒保の軍曹からでも手に入れるのか? 女は丸まっこい健康な顔だった。昼間はきっと畑にでも出ているのだろう。銘仙の格子縞《こうしじま》が馬鹿みたいに太いのである。
「何処の骨が折れた?」
「ここ」
と悪びれず胸をはだけて見せている。人に会う度に見せるのだろう。乳房の下の肋骨《ろつこつ》のようだった。
「もういいの?」
「まあだ、いきまっせん」
「じゃ、困るじゃないか。商売にならんだろう?」
「ふふ……」
と私の気持を吹き消すような笑い方だった。
「ここの家は今何人?」
「じいさんが寝とらすけん、おばさんと私だけ、たい」
女の心算《つもり》で訊いていたが、全家族が三人か。なるほどシンと鎮まっている。
「一人では、商売になるまい?」
「日曜に兵隊さんが来るだけたい。あんたは兵隊さんじゃなかばいな?」
「いつから来た。ここへ?」
「いつ、ち? 小《ち》んか時から何遍でも来ましたもん。兄しゃんと弟が戦死したけん、ほんなこて(本当に)貰われて来たっは正月ですたい」
少し面倒になってきた。飲むばかりがいい。それにしても、これは又馬鹿に野暮くさい応接である。昔の女達とはちがっていた。いつのまにか、この家も一変して、僅かに名残の営業を続けているに相違ない。
季節のせいだろうか。いや、この女のせいである。昔の陰気さがなくなって終ったのは、思いもよらぬ倖《しあわ》せだった。女はしばらく黙ってお酌をしていたが、
「うどんを食べんね? あるよ」
「うどんか? よし、食べる」
と私は喜ぶのである。女は降りていった。今から自分で手打ちをするとでも云うのか? いつ迄経っても上って来ない。蝋燭が燃えつきたが、暗がりでビールを乾しながら、不思議に私は快活になってゆくのである。
「わあ、暗さ。待ちなはっつろう? 蝋燭がなくなったら、呼ぶとよかとに?」
女は手探りでしばらく机の引出しをガタガタ云わせていたが、蝋燭に点火した。丸まっこい女の鼻が、先ず照った。まぶしい程の光明である。
「うどん、ほら」
二人前持ってきた。煮込みに湯気が上っている。
「やあ、有難い」
と私は、ビールを脇によけて、久方ぶりにうどんをすすった。指のようになめらかな太いうどんで、わけぎが黒くなるほど切りこまれている。少し鹹《から》すぎるが、ねっとりと舌に絡《から》みつく程のうまみだった。女も勝手に自分で食べかけていたが、
「足らんね?」
と私の丼《どんぶり》をのぞきこみ、自分の丼からぞろりとうどんを流しこんでくれている。私は黙って、そのうどんも、むさぼり喰うのである。
いかにもはなやいだ朝だった。一昨日博多湾に上陸したなどと思えなかった。五月に近い。土が陽の光にむんむんといきれている。私は太郎に会いに行こうと遊女の家を出たが、電車の駅の方へ抜けるのは嫌《いや》だった。人の顔を見たくない。ここから直接兵営の方に抜ける道は、昔から通り馴れている。深更の夜の道で、足音のする度、田畑にかくれた昔のことが可笑《おか》しく思い合された。半道ぐらいのものだったろうか、と門に沿うて歩きはじめた。
快楽を求め終ったような気持がしない。例の通り、まるで忍苦の道を歩みすすむふうである。菜種畑の花が黄っぽかった。明る過ぎる。それにしても、この菜種畑にかくれて遊んだ幼年の日には、身の丈《たけ》をかくれる程の、菜種の波だと思っていたが、遠眼には油絵具を流しこんだような黄一色も、寄ってみると思いがけず疎《まば》らな痩《や》せた幹と花だった。
土の痩せか? 戦いに疲れたのか? 一途《ず》に豪華な絵巻物に思いこんでいた幼年の夢が崩れている。左胸のあばら骨が一本抜き取られて終ったような便りない空虚が感じられた。が、昨夜の女を抱寄せた折の、意味のない気遅れの反射作用だと気がついた。
ちょっと、女の頬が眼に浮んだ。すると白日の菜種畑の上に、すさまじい、黄金の空虚が立昇るのである。
私は道を急いだ。昔押込められていた兵舎は迂回《うかい》する。相変らず演練の声が、無意味な遠吠《ぼ》えのように聞えている。ドーン、ドーンと野砲か山砲を放つのだろう、沈痛な空砲が、空に唸《うな》ってふるえていた。
半道ではなかった。一里を遥《はるか》に越えている。然し野中の邸のこんもりとした老樹の椋《むく》や楠《くすのき》が見えてくると、ああ、あそこに太郎がいるな、と、我子の成長が分明には想像も出来ないながら、思い切り溺《おぼ》れこんで抱きよせてみたい感情にとらえられるのである。
野中は母方の里だった。もう祖父も祖母も死んで終って、母の叔父の代である。私は七八歳の幼年の日をここで過しているから、一度は太郎も、此処でくらして見てくれることを願ったことがある。この清流は忘れがたい、と川幅は狭いながら、藪《やぶ》の蔭を走っているせせらぎに見入りながら上ってゆく。
杉垣を廻って裏木戸から庭に入る。鎖につながれたドーベルマンが高く吠え上って土を蹴るのである。
玄関のベルを鳴らす。
「はーい」
「どなたー」
と思いがけず先に母の声がして、大柄の母の姿が現れた。しばらく声もなく笑っていたが、
「いつ帰りました?」
「一昨日の夜」
「太郎さーん」
とよく徹《とお》る声で叫んでいる。
「居るの?」
私の声に母が肯《うなず》くから、
「居れば、いいですよ。後でも」
「何処に行ったのかしら、きっと一人で野苺《のいちご》取りよ。あなたの小さい時と同じで、ちょろちょろちょろちょろ、危くて仕方がないの」
私は靴を脱ぎ棄てて上りこんだ。
「離れの二間を借りているのよ」
母は廊下を先に歩きながら云っている。東の離れの間は鬱蒼《うつそう》と高く重なる木立の蔭に鎮もっている。楓《かえで》の芽立が美しくて、光の斑点が、細かく、地の上にそよいでいた。
「長かったのね、ほんとうに」
「出るとね、家のことはすっかり忘れて終う」
「リツ子さんどうでした? 大分いいと聞いてはいるけど、もう近い処でも行けないような世の中だから、見舞にも行けずにいるのですよ」
「大したことはなさそうだけど」
「気のせいもありゃしないかしら、貴方《あなた》のいない時も、気が弱すぎてね。でも、あなたが帰ったんですから、きっともう大丈夫よ」
「ここへいつきました?」
「ついこの間ですよ。太刀洗が大変な爆撃に逢いましてね。松崎も危いというから、半分荷物をこちらへ運んだのよ」
「ここもいいが、松崎も危いことはないでしょう。但し何しろアメリカの飛行機の考えだから、僕も断言は出来ないが」
母が茶を入れた。はじめてしみじみと故国の玉露の香に喉《のど》をうるおすのである。
「少しだが、砂糖と飴玉をもってきましたよ」
「それは有難う」
砂糖の罐を雑嚢から抜き出した。
「それから煙草、半分叔父様に上げたらどう?」
「そうね」
と母は菓子鉢に飴玉と煙草を盛って立上った。しばらくすると帰ってきて、
「大変なおよろこびようよ。でも、あの叔父様には困って終うの。永いことアメリカにいらっしゃったでしょう。だからね、きっと日本の敗けだって。敗け戦《いくさ》で、日本中がトチメン棒を振っている、って」
「何、そのトチメン棒って?」
「私もよくはわからないけど、大勢の犬や狼などに追いかけられて、夢中になって棒をふりまわすでしょう。体裁も、判断もなくなって。きっと、あれのことでしょう。でも、それを常会でなんか仰言《おつしや》るから、憲兵隊に迄呼び出されなすったのよ。困って終う」
「それは困るね」
私も苦笑して母と一緒に飴玉を一つ頬張るのである。
太郎がチョロチョロと帰ってきた。何のことはない、手に、野苺をくしゃくしゃに握りつぶしている。
「ほーら、太郎さん。チチよ。お父さんよ」
太郎はちょっとけげんな顔をしたが、平常云いきかせられているのだろう。私を見て、格別人見知りする様子もない。私が一つ飴玉を頬張らせると、甘そうに口をもぐつかせたが、それを又涎《よだれ》と一緒に指でつまみだして、
「これ、なーん?」
不思議そうに見つめている。生れて初めての味だろう。
「飴玉たい。お砂糖たい」
「なーん? ん、なーん?」
「ほら又、なんなん太郎が始った。飴玉よ、お父様のお土産の飴玉よ。戦争の子供は知らんのね。甘いでしょーう」
母が云ってきかせているのである。肯いて嬉しそうに又カプリと口の中に抛《ほう》り入れた。その太郎を、しばらく私は膝の上に抱寄せてみる。
「太郎、嬉しいでしょう。抱っこされているのは、お父様のお膝の上よ。よかったねー」
母の声に時折じっと首をまわして私の顔を見上げていたが、左手の中に握りつぶした野苺を黙って私の口の中に押込んだ。私は思わず太郎の柔かい手の窪《くぼ》を一緒に舐《な》めて終うのである。遠く忘れていた故郷の川岸に、人知れずふくらみ上る野苺の味だった。いや、あの野苺のひっそりとした三角の形を忘れやしない。特有の紡錘状が三角の握り飯の姿に膨れてゆく。赤らむと露のようにこぼれやすく、つぶれやすいのだ。三歳の小児が、よく野苺を掻分けて見附けてきた。飴玉の味など、覚えることもない。これでよい。とその酸味が、ジンと腹の底に冷え徹ってゆくのである。
やっぱり、太郎を連れ出して見たかった。幼年の日の山と川を、親子二人して歩いてみたかった。私は、行衛の知れぬ自分の心の来源を確めたい。櫨《はぜ》と、小松と、清流の上にかぶさる竹藪と、なだらかな雑木の丘陵を、夢のように朧《おぼ》ろな、昔の追憶の篩《ふる》いで洗ってみたい。
いたく拡散して終った我身の人生を、しばらく幼年の山河の中にひきしぼってみたかった。私の生命の芽生えの日と瓜《うり》二つのような太郎が、私の来源の姿をそのままに繰り返しもし、教えてもくれるだろう。動顛したこの日頃の私の心を、昔の発端の心に重ねたい。
私は太郎の手を取って、静かに川岸を上っていった。
鶺鴒《せきれい》が一羽、流れの向うの白い磧《かわら》の上に渡っている。尾羽の行動が尖鋭《せんえい》に、せせらぎのほとりの空気を顫《ふる》わしつづけていた。
「ほら、あれ」
と、私は太郎に指さして見せている。確認したようだった。歓喜が太郎の眼にきらめき上るのである。
「あれ、なーん? なん、ポッポ?」
「石叩き、たい。石をお尻で叩くでしょう。ほら、ほら、ほうら」
小鳥の尾の行動につれて、太郎の尻を叩いてみせる。太郎はうんうんと肯いてしきりに嬉しそうだった。私に抱きすくめられたい様子である。私はようやくなついてきた太郎を、自分の手にしっかりと抱えあげてみた。
何という軽い子だ。私の手の中に消えていって終いそうではないか、と切ないが、知らずして昨夜の腕の中の女に比べていたことに気がついた。私は太郎をおろして流れの淵《ふち》に、薄い石を、投げてくぐらせて見せるのである。
太郎はよちよちと前になり後になり、いちいち叢《くさむら》の中に苺の在所をたずねている。その都度、嬉しそうに顔を挙げて私を呼ぼうとするが、その呼名を知らないふうだった。もどかしく、いや、悲しそうな様子である。
「ほら、ね。ほら。イチゴ」
叢の中から声を挙げ、相変らず手の中に握りつぶして、くしゃくしゃにもまれた奴を、私の口の中に入れたがる。
「酸っぱい、酸っぱいね」
鼻の上に殊更の皺《しわ》を寄せて見せてやると、一途によろこぶのである。
「スッパイ? スッパイ?」
自分でも同じように大仰に眼の辺りに皺を寄せて、酸味の感覚を、表現で伝え得ることに満悦している。
「太郎ね、これ父だよ。チチ」
太郎の手をとらえて私の顔をなでさせながら、私の存在を教えてみる。太郎はしきりに私の顔を撫《な》でたがった。
「云って御覧。チチー。ねえ、チチー」
てれくさそうにしていたが、もう一度顔を撫でさせてみると、それにつれて、
「チチー」
ようやく、云った。低い声でためすふうである。私はすかさず大声を挙げて、
「ハーイ」
と答えてみせるのである。無人の小川のほとり、樹々や丘陵に木魂《こだま》するほどだった。太郎が元気づくようだった。
「チチー」
「ハーイ」
と又大声で答えてやる。何か辺りの風物の底にかくれている無垢《むく》な天地の神々にでも召喚されているような気持がした。太郎は次第に調子づいて、声を上げてゆくのである。
「チチー」
「ハーイ」
抱き上げた。太郎は、私の耳に口を触《さわ》るほどくっつけて、
「チチー」
と今度は蚊のような低い声で云って、笑っている。私も太郎の耳に口をよせ、
「ハーイ」
と、同じように微かに蚊の鳴くような声で答えて見せるのである。よっぽど、嬉しいらしかった。相好を崩して、手足をバタバタと振るのである。私はその太郎を抱いたまま、櫨《はぜ》を抜けて、川岸の禿山《はげやま》の上に上っていった。
春の陽が西の方に傾きかけていた。物みな正《まさ》しく落ち沈んで、私も静かに前と後ろを見廻すのである。平野の中に櫨の林のささくれた林の葉々が、こちら側に紫紺のくっきりとした蔭をつくっていた。その昔、椎《しい》の実を拾っていた辺りの正玄寺のなだらかな原っぱは、先にゴルフリンクになり、更に今は忠霊塔の周辺地に変っている。百年後は、などと考える迄もない。
急いで生の側を鎧《よろ》わねば、私や、また他愛のないこの小児なぞ、行衛も知れぬ時の波濤《はとう》の中に嚥《の》まれて、消えてゆくだろう。且つ消え、且つ泛《うか》ぶのか? 私は厳《おごそ》かに拒否したかった。正当に己を再建したかった。新しい生を堅固な規模に構築したかった。更に監視したかった。この生命の側を――。
が、今更のように自分の非力を悟るのである。急いで、ポケットから雀寄せを出してみた。湖南の紅葉が眼にうつって来るのである。劉止戈《りゆうしか》の顔が眼に泛ぶ。狙撃《そげき》。誰が狙ったというのか? 誰の為に? すると又広西の路傍に朽ちていた、あの几帳面に巻脚絆を巻いていた骸骨共が眼に泛んだ。何故あの亡霊共が立上って、大きな生の再建の為の戦いを、いどまない?
ツクツクツク ツクツクツク
チュクチュクチュク チュクチュクチュク
と私は、竹製の雀寄せを口にとって、夢中になって唾《つば》をとばすのである。
「それ、なーん? ん、なーん?」
太郎がいぶかって、延び上って見上げている。
ツクツクツク ツクツクツク
チュクチュクチュク チュクチュクチュク
「チチー。それ、なーん? ん、なーん?」
「ポッポがね、沢山沢山、寄ってくると、たい。雀寄せ、たい」
平野の方から、夕陽に赤く染ってきた。川に川霧が匐《は》い上ってくるのである。私はいきどおろしく、死者の表情を次々と思いおこしながら、その雀寄せを狂気のように吹き鳴らしたが、雀は一匹も寄って来なかった。
「一雄さん、どうする?」
辺りが寝鎮まった後で床の中から母が訊く。
「どうって?」
「リツ子さんですよ。あなた達の暮し方ですよ」
「漢口からね、送金小切手を五千円送ったのですよ。それが着いてから処置しようと思っているんだけど」
「いつ?」
「三月のはじめに」
「そう。でもね、一体どこでお暮しのつもり?」
「東京で暮したい。でも、今、東京へ連れてゆくのは無理でしょう」
「何処でだって、病人と太郎を抱えてはくらせませんよ。太郎は預かってあげますから、リツ子さんは、やっぱり先方のお母様から介抱して戴きなさい。そうして、自分の御仕事をしたらいいじゃない?」
「が、向うは、預かれそうもないふうです。大豆と麦の粥《かゆ》を食べている」
「思い切りが悪いのよ。もう、こんな戦争ですもの、着物などさっさとお米に換えて生きてゆかなくちゃ――」
「そうですね。昔の夢が、抜け切らないのでしょう。ところで、子供達はどうしたの?」
弟妹達のことである。松崎にも、ここの家にもいなかった。
「元一は召集。博多にいる筈よ。そのうち会ってやって頂戴な。いつ何処へやられるかわからないそうですから。新次はね、学生のまま八幡《やわた》の工場に動員されています。弾丸つくりですって。丹三もやっぱり学徒動員で、電車の運転をやっているらしいのよ。妙《たえ》と甚兵衛《じんべえ》は早苗《さなえ》が連れて岡山の山奥に疎開してゆきました」
「岡山に疎開。どうして。此処ではいけないの?」
「島村がね、いつこの辺りにもアメリカから上陸してくるかわからないと云ってね、地図を眺めて、岡山の山奥に決めたのよ。私の代りに、早苗が先に子供を連れて、出かけたの」
島村は妹婿だった。
「じゃ、母さんも後から行くの?」
と私はしきりに不審である。
「今、迷っている処なのよ」
「やめときなさい。馬鹿馬鹿しい。それは、いのちは大切にするがいい、でも、ここまでやって来られたら、何処ということないでしょう。死ななければならなくなったら、死ぬ迄さ。じゃ、元、新、丹を見殺しにして、後は逃げて終うというわけ? あの子たちは、後で誰を頼りにするの?」
「そうね。止《や》めましょうか。今日も早苗から便りが来て、あちらの生活それはそれは大変ですって。山の中でお米が無く、毎日芹《せり》と蕎麦粉《そばこ》で暮しているらしいのよ。私が来るか、来ないのか、早く返事を下さいと云ってきているの」
「やめなさい」
「それで子供達はどうしましょう?」
「呼びかえしたらいいじゃないの。この福岡県にだって子供は何万といるのでしょう、それが全部逃げたかしら?」
「そうね。直ぐ電報で呼び帰しましょう?」
私は今更のように驚くのである。浮足立っている。平生この母を信じていただけに、私は故国の急転の有様を、いぶかった。どうしたというのだ、と早く私の床の中に睡りついた太郎のスヤスヤと静かな寝息をたしかめて、そっと抱きよせてみるのである。
さすがに翌朝は母の気持もさっぱりと晴れているようだった。
「島村がね、太刀洗で爆撃に逢って、少し神経衰弱気味になっているのかも知れないの。松崎もあぶない、野中も危い、とこうでしょう。でもね、太刀洗は、本当に大変でしたのよ。B29が八十機揃ってきて、一どきに天地をひっくりかえすようでした」
「それはある。爆撃は怖ろしい。私も、よく知っています。支那のあちこちで、散々やられましたから。でも、松崎や野中に爆弾の雨を降らせる程、アメリカにだって爆弾は余ってやしないでしょう?」
「そうね。松崎に帰りましょうか。やっぱり自分の家が一番いいのよ。でもね、ここの裏の私の借家があったでしょう。あそこがもうすぐ明くから、ここもあそこへ移れたら静かで、いいとこよ。一雄さん、リツ子さんを連れてあの家に入らない? 病気にはきっといいのよ」
「どちらでもいいけどね、然し二軒あるのなら、どちらか、いない方に、私達住まわせて貰ったら助かりますね。しばらく静養させて、そのうち東京に帰りましょう」
「それは結構よ。私達の住むところを、どちらかはっきり決めますから、明いた方に入りなさい。松崎がいいかも知れませんね。あなた達は」
「松崎なら、天国だ」
と私は、私達の生活の目安も立って、一途に安堵《あんど》するのである。
「ああ、そうそう。昨日松崎に廻ったら、野田が、瓦を運び出していましたよ。野田に、売ったか、やったか、したの?」
「そう。たしかね、薪《まき》の代りに百枚ばかりくれと云っていましたのよ」
「百枚じゃ無かったようでしたよ。全部持って行く様子のようでした」
「本当? そんな筈はないのだけど、留守にするとね、もう色んなものが失くなって、一度、一緒に行って見てくれません。私もあちらが心配だけど、やっぱり一人ではこわいのよ」
私は肯いた。
「行きましょう。じゃ、そのうち松崎にリツ子を移しますよ。その前にね、一度東京に行ってきて、K社と、陸軍省に旅行済んだことを報告して来なくちゃ、なりません」
「なるべく早く済ませたい。太郎は預かっておきますから。そうそう、K社と云ったらね、あなたの旅行中にN賞の通知がありました。何ですか、帝国ホテルで授賞式があるのですって」
「いつ?」
「去年の暮のことですよ。あなたに見せようと思って大切にしていましたけれど、空襲騒ぎで」
と云って、茶箪笥《ちやだんす》をあちこちひっくりかえしていたが、
「何処かへまぎれて終って、今、ちょっと思い出せません。こちらへ、たしか持ってきたと思ったのですが」
「いいですよ、もういい。でも賞金は貰ったの?」
「いいえ、東京迄貰いに行けるものですか?」
それでは、滞京の旅費はある、と私は自分で喜ぶのである。しばらく庭に降りて、二十五年昔の木立のたたずまいや名残を探しながら歩いてみた。アメリカから帰国の後に母の叔父は、思い切り庭を改変して終ったから、仲々昔の記憶に重なりにくい。が、奥庭の大きな欅《けやき》の根のうつろだけは、丁度二十五年昔の、そのままの形で残っていた。側へよると、湿気を含んだ苔《こけ》のにおいが、まるで昨日のことのように古い夢を誘うのである。
ここで七つ八つの頃、私は蝦蟇《がま》を飼っていた。重なり合うた老樹の葉々を洩れる陽が、チラチラ、チラチラ銭苔や杉苔の上に降ってきて、このうつろの中に鳴きつめていた、あのクックッという太古さながらの物さびた閑寂の声は何処に行った。私は、そのノッソリと静かな生き物の姿を、心に描きながら、丁度昔の形で葉々の間から、こぼれ落ちている、光の影が、苔の上に顫えつづけるのを、微《かす》かに眺めて飽かないのである。
部屋に帰ってみるとリツ子から電報が来ていた。松崎から回送されている。誰が廻してくれたのか。有難いが、
イソギオイデネガウ」リツ
「どうしたのでしょうね? 悪いのかしら?」
と母もちょっと気遣った。
「そんな筈はないのだけど……」
云いさして、私も自信はない。急いで行ってみる心算《つもり》である。
「太郎、どうします?」
「会いたい様子だったから、ちょっと連れてゆきましょう。太郎かもわからんよ、原因は」
「じゃ、着換えさせなくては。太郎さーん。太郎さーん」
と母は降りていって、しきりに小川の方で呼んでいるようだった。
着いてみると、何のことはない。リツ子は久しぶりに太郎と私を見て有頂天に喜んだが、
「どうかした? 電報など」
と云うと、不審そうに眼を丸くして驚いている。
「リツ子ではなかったのか?」
「いいえ」
私はポケットからくしゃくしゃの電報を取出して見せるのである。
「ああ、お母さん。きっと」
と首をすくめるように云っていたが、出て来たリツ子の母に、
「お母さん、打った? 電報なんか」
「あんたが待っとろうが? 遅いことじゃったな、さん」
と笑っている。頼りなくやりきれぬのだろうと、それは、にくめなかった。
「米も無《の》うしてくさ、さびしゅうして」
とリツ子の母が云っている。私は母から貰った袋の米を三升出して、笑いがとまらなかった。
それでも良かった。リツ子の母の電報から、親子三人が寄れたのである。一年に近かった。
「チチー、チチー」
と絶えず私の首筋にすがり寄ろうとする太郎を見て、
「いつのまに、そんなにお父様になついてしまったの?」
リツ子が眼を細めて云っている。
私は松崎の母の家に、移れそうな様子を、かいつまんで話してやった。駄目でも野中の家は残る筈である。が、その前に東京に行って来ねばならない――。
「東京には幾日ぐらい、おいでになる?」
「十日だな。長くて二週間」
「今度は早く帰って下さいね。今迄はあきらめていましたけど、お目にかかって終うと、お留守が淋しくて。昨日も、一昨日も。支那に行っていらっしゃるのを待った時の方が、よっぽど楽のようでした」
「おう。弾丸のように行って、弾丸のように帰ってくる」
哄笑《こうしよう》するのである。
「嘘。嘘。(さんのように帰らない)って母や正道達がよく譬《たと》え話にするのですよ」
腹がねじれるように笑っていって、哄笑が体内を颯爽《さつそう》と吹き抜ける。妻の言葉に却って自分の野性が呼びさまされる心地である。
「どうも、ここの縁先は吹き通しが悪いのだな。松のボサだよ。手入れをしないから」
暫時、庭に眼をやった。一本の菜種の黄と、紫の上り藤が潮風に吹かれて倒れて咲いている。相変らず向うの飴色の土壁に、潮の反射のユラユラが葡っている。あいつの柳河での呼名を、また、思い出せなかった。
「払って下さらない。構いませんことよ」
「よし」
と私は立上った。太郎を呼ぶ。太郎は茶の間の先の海の見える川ふちの手すりに寄って、何かしきりに潮の中へ投げこんでいた。
「樹を伐《き》るよ」
「なーん? ん、なーん、する?」
「樹を伐るよ。チョッキチョッキ」
太郎が私の足許にぶら下った。鉈《なた》と大鋸《おおのこ》を母から貰う。錆《さび》だらけである。
跣足《はだし》で庭に飛び降りた。私はするすると松に登っていって、委細構いなく、私流に大斧《おおおの》を入れるのである。毛虫が夥《おびただ》しい程巣喰っている。それをバラバラに伐り落す。
「一月分の薪を作りますよ」
縁から見上げているリツ子の母に云うのである。
「まあな。やっぱり男の手が無いと――」
母も驚いたようだった。然し一枝一枝にリツ子の病菌が巣喰っているようで、私は大胆に丸坊主に刈り上げるのである。
太郎が喜んで、はてしない。枝が落ちる度に駈け寄って、その枝をゆすってみる。
「出来ましたの? 出来ましたの?」
と床の中から臆病そうにリツ子は何度も首をもたげて見ていたが、余程気になったのか、私が刈り終って縁側によってくると、
「ちょっと、起きて、見せて戴こう」
掛蒲団を上げてヒョロヒョロと立上った。しばらく、浴衣のまま頼りなさそうにふらついたが、障子につかまって、縁先に立つのである。
ああ、この長身だとそのリツ子の顫える体の屈曲を眺めていたが、何かしら昔よりも凄絶《せいぜつ》になまめいて見えるふうだった。春の陽がむなしく裾の辺りの麻の浴衣に照り返っている。
「まあ綺麗。サッパリとなったこと」
リツ子はそういって、乱れ毛を右の方に掻きよけた。
とにもかくにも、これらの前後の十日余りが、帰国後の私達のせめてもの平安の日であったと云えるだろう。私は、福岡と久留米の家を太郎を抱きながら、電報で呼びよせられるままに往来した。リツ子の熱はほぼ安定しているようだった。夕刻二三分を僅かに越える程度である。
「今迄七八分は出たのですよ。やっぱり、お父様がお帰りになったから。ね、太郎。ハハ、もうすぐ起《おつき》よ」
そう云って太郎の頭を撫でるのである。リツ子は希望に膨《ふく》らんでいるようだった。が、脈搏だけは、いつも不吉に昂進していたことを覚えている。
それにしても、上京はこの機を逸しては来ないだろう、と私は思った。有りのまま、リツ子に云う。リツ子は勿論承知している。が、変に淋しそうだった。
リツ子の母が承知しないのである。
「今迄、ようよう介抱してきましたばってん、もうあなたに引取ってもらわな、とてもやれまっせん」
声が次第に昂《たかぶ》ってゆく。
「東京から帰ってきたら、勿論私が面倒を見ます。ほんの今しばらくです。K社と陸軍省に帰着の挨拶だけはしとかないと」
私が云ったが通じない。リツ子がおろおろと泣くばかりである。
結局家政婦か看護婦を私が雇ってくれるならば、それ迄待つという。自分の腹をいためた娘ではないかと、腹立たしいが、老婆のヒステリーが昂じると、何を主張しているのか、よくわからない。更年期を不幸に過ぎたやもめというものは、自分の母もひっくるめて、時々得体の知れない、不思議な妄動《もうどう》をすることがあって、私にもよくは正体は掴《つか》めない。こんなことばかりが集って市井の人生を構築しているのか、と情ないのである。
食事附で探しても、家政婦も看護婦も見つからなかった。みんな動員されているという。あらかた農村に帰って終ったようだった。
そう云えば福岡はいつ空襲に見舞われるか知れないのである。リツ子の母も、リツ子を早く私にあてがって、本心は早く何処かへ疎開したいにちがいない。
幸い郊外の老婆が来てくれるかも知れないと近処の人から聞きこんだ。北京で購《あがな》った東京迄の特詮《とくせん》の切符が期限が危いと心配だったから、私は雨を押して、出かけてみるのである。二里近く離れた町の、裏小路の見すぼらしい家だった。交渉をするが、福岡にはもう出らんと云っている。
「危うして、えずか――」
と声をあげている。ヨボヨボの老婆で、こんな女が何かの用に立つのかと、部屋の中央の畳に落ちるしきりな雨垂れを見つめながら、馬鹿馬鹿しいが、リツ子の母の気が晴れれば済むのだろう、と念入りに交渉する。ようやく前金二百円で話がついた。穢《きたな》い掌《てのひら》の窪《くぼ》に紙幣を重ねて、繰り返し数えては拝むふうだった。手伝いは長くて、二十日間の約束である。
「今日から来てくれる?」
「今日はあなた、こげな雨じゃー」
とぶつぶつ口ごもるようだから、面倒でも明朝もう一度迎えに来ることにした。
私は家に帰りついて、リツ子に実情のままを話してきかせた。
「何も役には立たないぞ。あれじゃー」
「いいのよ。人が居てさえくれれば母の気が済むのですよ。役に立たないといったって、私が頼めば、コップの水ぐらいは汲《く》んで来てくれるでしょう?」
「まあ、その位のもんだ」
「それで結構。私も気が楽です。お母さんはね、気が向かないと、水一杯持ってきてくれないことがあるんですもの」
「どうして?」
「意地っぱりなのよ。いい時は、おかしいくらい大事にしてくれるのに」
もやもやと暖かい春の夜の雨だった。雨のせいか珍らしく警報も何もない。燈下に横たわる妻と、こうして静かに語り合うているのは結婚以来、何度目ぐらいのことだろう? 支那の話など語って聞かせてやりたいと思ったが、リツ子に興のありそうな話は何一つ思い出さぬのには自分ながら驚いた。
仲の良い夫婦などというのも、他愛ないものである。何につながっているというのだろう?
「九九《チユウチユウ》という女が居りました」
「何のこと? それは」
「中国の女です。耳に、金の耳輪をつけておりました」
「そうして?」
「耳輪がキラキラ光っては揺れておりました」
「それで、どうなすったの?」
「外はみぞれでありました」
「いくつぐらいの女の子?」
「十かな?」
「嘘。嘘」
「十八ぐらいになったかな?」
「それで?」
「九九八十一《チユウチユウパスイ》」
「何のこと? お父様」
「九九《くく》という名前の女です」
「どういうこと?」
「九《く》を中国ではチュウというのです。だからチュウチュウは九九《くく》ですよ、九九《くく》八十一」
「それから?」
「九九八十一。それだけさ」
リツ子はしばらくつまらなそうに私の顔を見つめていたが、急にくしゃくしゃに顔をゆがめて泣きはじめた。
今夜の夜行で又東京に発つと心に決めた。朝のうち、老婆が自分からやって来たのである。ここの家を誰から聞き知って来たものか? これなら、案外役にも立つかと心強い。
晴間に晩春の陽差しが強いのである。老婆は、カナキンの鶯《うぐいす》色の洋日傘をさして、手にバスケットをさげていた。宮仕えにでも来るような気持なのだろう。
「おお、えらいおめかしして来たね?」
私がそう云って玄関に出迎えると、腰を延ばしてにっこりと笑っている。気をよくしたようだった。早速上らせたが、どこにいてもらうという当もないから、先ず病室に案内した。
リツ子の母も出てきて馬鹿にうきうきと歓待する。やっぱり淋しかったのだろう。老婆はまるで客にでもきたようなあんばいだ。リツ子の母と二人でしきりに四方山《よもやま》の話がはずんでいる。年の頃も大差ないのだろう。
「どうしたお病気ですな?」
「なあに、胆道炎たい」
と母が例の不思議な病名を持出して老婆を煙にまいている。
「へえー、タンノウ炎ですな? どげなあんばいですかいな?」
「栄養がゆきわたらんとやろな」
「何か血の少うなりますとですかいな?」
リツ子が閉口して、気弱く笑いまぎらわしている様子である。
「こげなよか御寮《ごりよん》さんば、病気やら、な。あたしが精出して癒《なお》してあげますばい」
と老婆は親身になって云ってくれている。
「起きれば起きられるとばってんな、まあ大事にしてお婿さんに返さんと。こちらが婿で――」
母は私を指さした。
「ほーう。これまたよか婿さんで。いっ時の御辛抱ですたい。私が精出して癒して上げますけん、な」
「頼みますよ、おばさん」
と云い置いて立上った。所在ないから庭に出る。今夜の東京行はリツ子にだけは云っているが、まだリツ子の母には知らせていない。ドタン場になって決行しないと、女相手の仕事は万事障害を百出するからだ。
砂利の庭は、昨夜の雨にまだ乾かず、陽差しの中に湯気を上げていた。
「お母さん、空襲の時飛び出しにくいからここの庭石はみんなはずして終いますよ」
老婆との話に熱中していた母が驚いて面を上げた。庭先の私に気附くと、肯くのである。
「どうぞ。もう、よかごとやって下さい」
実際、こせこせと岩ばかり打重なった庭だった。全部とりはずして前の家の土塀《どべい》との間に、ちょっと、支那の天井《テンチン》(中庭)の風情をつくりたい。私は金梃子《かなてこ》で、容赦なく岩をはがしていって、汗がしたたり落ちるのである。裸になった。熱中しだすと、私は見さかいなく根本からぶちこわして終う性分だ。昨夜の雨が幸いである。岩の根がゆるんでいる。運べるものは土塀際によせ集めるが、後はドブンドブンと、潮川に転がし落すのである。凹凸《おうとつ》と勾配《こうばい》を鍬《くわ》とスコップで平坦にする。こまっしゃくれた植木類は残らずひっくりかえして玄関の入口の両側に集めて終うのである。さっぱりとした。枯れるのを構わずにやることだから手早くて面倒が無い。
なだらかな勾配の、砂ばかりの庭になった。広くなった感じである。松と土塀際の竹だけを残している。気に入った。一服縁側に腰をおろして、旅から持ち帰りのルビイクインに火を点ずるのである。
「お母さん達、どうした?」
いつのまにか見えないようである。
「二人で買物にゆきました。気が合うたのですよ、おかしいわ」
リツ子が寝ながらそう云って、二三度、後からも思い出し笑いをしていたが、
「庭、お出来になりました?」
「ああ」
「お疲れになったでしょう。今夜又、夜汽車でおくたびれになるのに――」
「いいや、俺は旅の中が一番気が楽だ。却って、疲れが休まるね」
リツ子がしばらく黙って終っている。云い過ぎか、とちょっと私は気がさしたが、そんなふうでもなく、リツ子はフラリと蒲団の上におき上った。
「ほんとに気持がいい。お帰りになってから、随分楽になりました」
そう云い、立上って、縁先に歩みよってくるふうだった。昨夜着換えさせてやったから青い棒縞《ぼうじま》の木綿の浴衣をつけている。
「まあ、せいせいしたお庭に早変りして」
「うむ、上等だろう」
「わたしあの木苺がにくらしくて仕方がなかったのですよ。よかった――取って戴いて」
あれは木苺か。そう云えば菜種も上り藤も植木と一緒にみんな引抜いて終ったことに気がついた。玉砂利ばかりが白いのである。
「ちょっと下ろして戴いて見ようかしら。気持がいいのですから、お庭に降りてみたいのですよ。いいかしら?」
「いいだろう」
と庭下駄を出し私は手を差延べかけたが、泥によごれている。
「ちょっと待ってね、草履《ぞうり》を持ってきてあげるから」
「いいのですよ。いいのですよ」
と云っているが、私は手を洗った。玄関のフェルトの草履を持ってきてやるのである。
リツ子はやっぱり縁際にかがんで待っていた。差出した手につかまって、大きな踏石から、用心深く降りている。私の手をそっと離し砂利の上を、ちょうど泳ぐふうに緩慢に歩くのである。
臆病過ぎる。半年も、ただ寝てばかりいて熱を下げようなどと思ったのが、いけなかったのではなかったか? 私はそのリツ子の游泳《ゆうえい》の模様を見るのである。
蓮歩楚々《れんぽそそ》。何か中国の天井《テンチン》の中を歩む唐代の女のように見えてくる。囲われた、狭い矩形《くけい》の庭だった。右下の入江の一方だけが展《ひら》けていて、潮の明るい反映が、土塀からリツ子の額の上に移り、ユラユラと漂い流れているのである。
「くたびれたろう?」
「いいえ」
と首を横に振ったが、手を取った。昔のままにからみよる優しい指だった。ふーっと息を吸いこむように胸をふくらましている。私はそっと抱きよせた。見開いた眼が脅えている。けれども、ふるえながら軟かくもたれよってきて、先程私の左肩にかぶった枯松葉を指先でひとつひとつはらっていた。うなじをとらえ、素早く、唇を寄せるのである。波打って濡れている唇のようだった。
ゆっくりと私の胸を押しのけるリツ子の指先の抵抗が感じられていった。それから、
「今のうちに……」
と一度息切れして、
「お父様。お支度をなさいません」
私は肯いて、リツ子を半分抱えながら、座敷の床の中に寝せつけた。
しばらく、リツ子は両眼を閉じたままだった。その枕許に、中国より持ち帰った旅の品々を取り散らし、それを手提鞄《てさげかばん》に移しながら私は上京の支度を急ぐのである。多くもないが、どれを残すか、といちいち旅の記憶は舞い戻ってきて、思いがけなくそれぞれの愛着の濃淡がさしあたりの上京の為の要不要と喰いちがってゆく。
桂林の廃屋の中から拾ってきた、硯《すずり》の為の小さな翡翠《ひすい》の水差し。そんな玩弄《がんろう》の品々から、これは又頑丈で役に立った革の洗面具入れ。これは漢口《ハンカオ》の辺りでは煙草と紙幣入れの代りに持ち歩いた。
「大変ね」
とリツ子がいつのまにか眼を開いて、物珍らしそうに、いちいち手に触れて眺めている。
「きたないぞ、何度も虱《しらみ》が湧いたのだから」
実際北京の友人の家で、三回ばかり身の周りを煮つめたが、後々までモソモソと虱が葡《は》い廻るように感じられるには閉口した。殊にこの腹巻代りのタオルである。タオルを一ダース漢口で買いこんで、荷になるままに室田君の奥さんから腹巻のように仕立ててもらったが、黄河の沿岸をさまようた頃は、宛《さなが》ら虱の巣のようだった。焼棄てて終おうと何度決心したかわからない。
焼かずによく持ち帰った、と、糸目をはずして、タオルの姿に拡げようとしたら、ポトリと木札が一枚落ちてきた。
「これ、何かしら?」
「お札だろう?」
「あら、成田のお不動様のお札。松崎のお母様から?」
「いや、拾ったのだ」
昨年の十月十六日に拾っている。湖南省の中路鋪でP40の掃射を受けた時、山腹の白い山茶花の下にかくれこんで、助かった。薬莢《やつきよう》がバラバラ落ちてきたことを覚えている。が、すぐ四五間向うの兵隊がやられたようだった。連れの兵士が服を脱がせ、腰のホータイで手際よく応急の手当をして、わいわいトラックに連れ帰った。
私は兵隊がよくやるように13ミリの銃丸を一つ記念に拾っておこうと、兵士が撃たれた辺り迄土をあさっていって、温かい、焼立てのような銃弾と一緒にこの成田のお札を見附けている。多分撃たれた兵士のものだった。脱衣の折に腹の辺りからこぼれたのだ。札の木地のままだから、不潔なようで、拾うのがためらわれたが、これを返してやらねば助からぬような気持がした。拾って、急いで、公路の方に帰ったが、傷者のトラックはもう出た後だった。重態で、次の部落に急行したに相違ない。
私は棄てようと何度も思ったが、戦地では誰もいささか御幣かつぎになる。偶然拾った運のように思いこんで、自分の腹巻の中に入れていた。これは旅中持ち歩いた。漢口でタオルの中に巻きこんだのである――。
「ほら、この日に拾ったのだよ」
とかいつまんで話してから私はリツ子に従軍手帖の十月十六日の項を開いてみせた。
十月十六日、快晴。行軍中、中路鋪ニテ小憩、P40四機来襲掃射ヲ受ク。丘陵ノ山茶花ノ蔭ニカクレテ辛ウジテヤリスゴス。薬莢降ル。トラック便乗ノ兵、一、負傷ノ模様ナリ。スグ車上ニ連レ戻ス。後ニ成田ノ木札ヲ拾ウ。負傷兵ノモノナラン。銃弾ヲ拾ウ。温カシ。山茶花ノ幹、銃創ヲ負ッテ白キ木肌見ユ。
「まあ、その方、おなくなりになりました?」
「さあ、どうなったかな。会わんから」
「このお札、よかったら、私に下さらない?」
おかしなことをいう奴だ、と私はリツ子の顔を眺めたが、丁度木札を拾った日の私のように頼りなくなっているのだろう。
「いいよ」
「でも、折角のお守りですもの、東京から、無事お帰りになってから、いただきましょう」
「俺か? いや、俺はいい。俺はもう内地は大丈夫だ。留守の間、リツ子の方が、心配だから」
そう云うと、リツ子はちょっといただいて、つくづくそのお守りを眺めているのである。
夕暮、老婆達が帰ってきた。上京の弁当があるから、私は早く自分で飯を炊《た》いていた。
「まあ、あなたに御飯なぞ、炊かせたりして」
と母と老婆が一緒になって恐縮している。映画に行った由。上京の申出はスラスラ運んだ。先方が映画の弱味があるのだろう。有難い。二人揃って、毎日行ってくれてもいいのである。
「でも、今度は早う帰ってつかわさい。リッちゃんが待ちますから」
「はあ」
と私は云って、急いで身仕度に掛るのである。
なる程、変った。内地の旅が修羅《しゆら》の様相を呈している。五六時間の延着は普通のことだと云っている。無事に東京にたどりつけるかと、名の知れぬ小駅に、一二時間も、釘附けになっては、心細いことおびただしい。
汽車は宛《さなが》ら空襲の間隙《かんげき》を縫うて走って行くふうだ。糸崎のあたりで立往生。岡山のちょっと先で、又ストップ。姫路が燃えていると、いうのである。余燼《よじん》の消え去らぬ町々のほとりを、列車はあえぎ走るのである。然し白鷺城《しらさぎじよう》は見えていた。
私は支那を経めぐりながら、列車というものの安定を、従来鵜呑《うの》みにしていた、迂闊《うかつ》さに驚いた。列車というものは、路盤という堅固な陣地が構築され、その上にレールが通され、そのレールが、また、きっちりと鋲《びよう》でとめられて、ようやく臆病に、一輛《りよう》の列車が通れるものである。それも、いつ脱線するか知れはしない。ぶかぶかと体が揺れたら、脱線にきまっていた。私は列車というものが、そのように不安定なものだということは、支那の旅でつくづく知らされたが、それでも貨車の中に藁《わら》を敷いて寝そべりながらゆく旅は、気楽だった。いつ爆破されるか、襲撃されるか知れないが、これは戦場だ。
長沙も焼け、衡山《こうざん》も焼け、岳州も焼けていたが、もともと関聯の薄い、私の責任外の町だというような気がしていた。
が、これはどうしたことだろう? と内地の沿線の焼土を眺めて、不思議な追いつめられた、慚愧《ざんき》の感情になぐりつけられる。大阪も焼け、名古屋も焼け、静岡も焼けているのである。静岡は、まだ燃え残りの家、柱がくすぶっていた。女が呆然と大皿を抱えて立ち、子を負い、髪をふりみだして立っていた。
己の確立などという、甘い、たわけた妄想《もうそう》の段ではない。遅かった。どうするのだ? とひとしく今日に生を受けていながら、この未曽有《みぞう》の頽廃《たいはい》を支えとめ得なかった己の怠慢に、焼きつくされる心地である。
「あ、B29」
と車中の一人が空を指しながら云っていた。富士がくっきりと晴れていた。その真上の空に、縦に白い弧を描いて飛行雲が流れている。一点のキラキラ冴《さ》える機影が、長大な虚空の雲を曳摺《ひきず》っていた。
東京は、もう全くの廃墟《はいきよ》である。大森の坂の上あたりに見慣れた町の一角が焼け残っていると車窓から眺めたが、横浜から鶴見、蒲田《かまた》、新橋と、炎は悉皆《ことごとく》を舐《な》めつくしていた。間々ゆがんだ鉄骨とガラン洞のコンクリ建築が、亀裂と明暗だけの、にぶい寂寥《せきりよう》に耐えるふうである。春の飄風《ひようふう》に吹きたてられながら、樹々の幹が、その頂きの辺りだけ、幼時、折り取って焼いて喰った、柳虫の風情でビクついていた。
リツ子と太郎と三人して、出京の折、立並ぶ都心の家並の上に、阻塞《そさい》の気球が空一杯蔽《おお》うているのを眺めた一年昔の壮観は、全く夢のようだった。
私は、戦地から東京の親、妻子、兄弟に宛てた手紙や伝言を沢山託されていたが、池袋の駅を降りてみて、一切投函するのを、止めにした。とめどないではないか。
しきりに旧知の友人を探したかった。幸いK社が護国寺の一角に残っている。支那に出発の際、世話になった「近代」の原氏が相変らず、口角に泡を飛ばして頑張っていた。アメリカを十五年ばかり放浪したという変り者で、日本必敗論だが、その発端が奇抜である。
「日本人は雨を恐れる。いや、雨に左右される。やれ雨降りだといって、洋傘だ、何だと騒いだ上にだ、肝腎の約束はすっぽかす。彼等はですね、――アメリカですよ。彼等は、雨を恐れん。いや問題にせん。レインコート一枚で何処でも走る。いや、服のままで、平気で歩く。濡れたら、乾かす。それだけさ。俺が云っとく。雨を恐れる国民の方が敗けだ。日本必敗さ」
アメリカ帰来の憂国の志士はこう云って、口角に泡を飛ばしている。
雨と云えば私は湖南の雨に、思う存分濡れつづけてトラックの架橋に坐っていたことを思い出した――。
雨水のやり場のない冷たさは先ず真先に足にくる。泥んこの軍靴の縫糸と砂除皮《すなよけがわ》の間からにじみ徹《とお》って、靴下全体が濡れてくる。次に膝頭の中にやってくる。外被をきっちりと掻寄せて、いくら雨水を防いでも一時間と保てない。膝こぶしが小刻みにカタカタとふるえて来る。間もなく雨は上衣の裏ににじんで来る。シャツの腋下《わきした》ににじんでくる。にじんだ個所をつまみあげて、皮膚から離して寒さを防ぐ。けれども永くは続かない。濡れない部分が無くなるのである。
やりきれないから、手拭で初めのうちは拭いている。拭き切れないから絞り取る。それでも雨滴は容赦なく頬を伝い襟首《えりくび》を伝い、やがて腹の辺りをチュルチュルと伝い流れてゆくのが感じられる。
褌《ふんどし》が濡れ、巻脚絆《まききやはん》の中が濡れて終う。それでもまだ雨が降る。
泣く思いである。段々――死ぬ思いになる。やがて、どうにでもなれ、とやけくそに居直ってみる。雨は私の気分には関《かかわ》らないで、相変らず降り続ける。
何でもいいから乾いたものに触りたくなる。指が濡れているのがたまらないのである。腋下に入れ、今度は腹の皮をこすってみるが、どこもここもズブ濡れである。それでも腹にはまだいくらか温《ぬく》みがある。濡れていても、腹をこすっていると、いくらか温かいような気がするので、シャニムニ腹をこするけれど、腹の方が愈々《いよいよ》みじめに濡れてゆくようだから、これもやめる。
眠くなる。膝頭をかたかたいわせながら、ふっと眠りそうになる。眠ってはいけないとポケットの煙草を探る。出してみるが、クシャクシャに濡れて崩れて吸えないのである。
「煙草ですか?」
と一人の兵隊が、腰に下げた竹づっぽを出す。有難い。遠慮はよしにして、
「一寸《ちよつと》待って下さい」
と手拭を絞って指を拭く。口許を拭く。兵隊が風呂敷をポケットから出してくれるので、急いでそいつを二人でかぶる。
「ではいただきます」
と素早く竹づっぽの煙草を抜く。乾いている。乾いた煙草の感触が指の先でたまらない程有難い。ブリキマッチを擦《す》ってくれる。煙のぬくもりが喉《のど》を乾す。風呂敷の下で顔と顔をつき合せて、存分に煙をふかす。
「チェッ、濡れやがった」
と兵隊が云う。私の煙草も帽子から頬を伝う雨で、口許の辺りが濡れてきた。
「取りましょう」
とやけになって、風呂敷をはずす。ひろびろと雨の山野を眺めるのである。上側が濡れたから、片思いにチュルチュルと燃える。ぐるぐる廻して吸ってみるが、とうとう雨に消されてくしゃくしゃになってゆく。
濡れ煙草を遠く抛《ほう》り棄てて、それでも瞬時の幸福に酔うのである。
家屋というものが、一体どれ位有難いものか。濡れ服の体を運びこむ。兵隊は寄せ集めた焚火をかこんで、先ず上衣を取り次にバンドをはずして、ズボンを巻脚絆のところ迄まくりおろし、肌につくシャツとズボンを乾かすのである。
みんな濡れたシャツから立上る、濛々《もうもう》たる蒸気にむれ、頬を真赤に染めて、うんうんと、生命を乾しあげる。けれども一時間で全部は乾かない。反対に一歩行軍を始めれば、三十分にして、再び元の木阿弥《もくあみ》の濡れ鼠である。元の木阿弥になることはわかっていても、休止のたびに必ず乾かす。
コロリと藁の上に横になる。うつらうつらとする。うつらうつらとしながら、しみじみ家というものの有難さを思ってゆく。どしゃ降りの雨がしぶいている。壁は崩れおちて、雨洩れがはげしいが、それでも家だ。
「どんな連中が棲《す》んでいたろうね?」
と愚にもつかぬ感傷を隣の兵隊に洩らしている。まだ祭壇が残り、香立と赤い対聯《ついれん》が見えているのである。
「さあ――」
と兵隊は眠ったような返辞である。
「逃げたのでしょう?」
「逃げたでしょう」
痴者のような会話を交わす。頭が雨でしびれ果ててしまっている。前には中国兵が宿営していた様子である。この藁も或は其時に敷かれたのか? 下手な落書が残っている。「服従統領」それから下はエロ文字だ。
それでも家という奴は有難い。屋根というものは雨を防ぐ為にあるのだな、とつまらないことを感心しながら、うつらうつらと眠るのである――。
だから私は率直に雨をおそれる。必敗の国民といわれようが、雨のこわさをつくづくと知っているのである。
K社で蒐《あつ》め得た師友の状況は、大凡《おおよそ》こうだ。佐藤春夫先生の家は幸い焼け残っているが、先生は信濃《しなの》の佐久平《さくだいら》に疎開。中谷孝雄氏はニューギニヤ、留守宅は松本に疎開。尾崎一雄氏罹病《りびよう》、下曽我《しもそが》に疎開。坂口安吾氏、不明、あちこちの焼跡をうろつき廻っているという説。外村《とのむら》繁氏、全焼(これは焼け残っていたと後でわかった)。亀井勝一郎、不明、おそらくは北海道に疎開。太宰治、甲府に疎開。保田與重郎《やすだよじゆうろう》、北支、留守宅は焼けている。大井廣介、全焼。
芳賀檀《はがまゆみ》氏の家が焼けているのか、いないのか? 私が支那に旅立つ前に、グランド・ピアノを石神井の私の家に運ぶ、と云っていた。が、出発迄、沙汰無しのままだった。
K社からN賞の小切手を貰って、坂下町の停留所を降り、芳賀氏の邸の方に歩いてみる。見渡す限りの焼跡で、距離の感覚がもどかしいばかりに覚つかない。
あの辺か、と思うあたりの丘の一角に、公孫樹《いちよう》の幹が黒く爛《ただ》れていた。焼け失せたと一目で知れるのである。
居た。芳賀氏のようである。向うむきに、焼跡に立っている。
「芳賀さーん」
ふりむいた。何か焦げゆがんだ銅板のようなものを手にしている。
「あ……さん」
と気附いた様子。銅板は、昔、書斎の寝室に懸っていたピエタのブロンズのようだった。
「いつ帰ったの、あなたは? 奥さん、太郎さん、御元気?」
「はあー」
と明確な返答に窮するのである。
「坐らない?」
私も腰をおろした。
「もう、芽ぶいた。強いですね、芝という奴は」
芳賀氏は低くそう云いながら、指先でそれをむしり取っている。なるほど、焼土の上に浅い緑色の芝がポッとまだらに色づいているようだった。
私は慰めの言葉が浮ばないのである。どんな言葉も空疎だろう。あれがピアノ、あれが自動車、とむかし見慣れている夥《おびただ》しい物品の、熱火にゆがみ果てて終った姿を眺めるばかりである。
「恥かしくて、たまりません」
と芳賀氏は横をむいたまま沈痛に云った。どういう意味であろう? 文飾の咎《とが》についていうのか? すれば、私も同罪ではないか、とあたり一面の廃墟を、顧るのである。
「書籍は残りましたか?」
「みんな焼きました。親父の迄」
それでまた、ポツンと言葉はと切れる。傾きかけた陽に大小の木杭《ぼつくい》や、煉瓦《れんが》の焼け残りの壁が長い影を曳《ひ》いていた。
「奥さん、真矢《まや》さん達、お元気?」
「ああ、有難う。元気です。あなたは、いつ帰ったの、支那から?」
「十日ばかり前でした」
「僕も、ついて行きたかった、な、支那に。さん。何処迄行きました?」
「柳州です」
「広西省の?」
「ええ」
「すぐ、雲南ですね?」
「ええ」
「そいつは、素晴らしい。羨《うらや》ましい、な」
「山はね、山は素晴らしかったですよ。鍾乳岩を切立てたような山なんです。死体がごろごろしておりました」
「何処へでもいい。飛び出したいな、僕も。もう一度、連れていって下さいよ」
脱出を願う、切実の声が、重く響いた。
「カロンヌは?」
愛犬である。私が芳賀氏の家に寄食していた頃から馴染んでいた。
「死にました。身のほどを、よく知っている」
傷口はここにも開いていると、氏の満身創痍《そうい》の面持を見つめるのである。氏はしばらく黙っていたが、
「この戦争を、どう思う」
丁度一年前も、同じような問いだったが、まだサイパンをどう思う? と氏が云ったように記憶する。その折も問いながら絶望を嚥《の》みこむような表情だったが、私は新聞の報道のままに、大丈夫でしょう、といい加減に答えていた。サイパンの陥落は南京《ナンキン》で聞き知って、芳賀氏の表情が真先に眼に浮んだ。
もう、今度は、私の答えも期待していないふうの、暗い、なげやりな、問いである。が、勝てる、とは私も云えなかった。
「薔薇《ばら》がね、さん」
と、氏は言葉を変えるふうである。
「少しは生き残っているようですよ」
芳賀氏は立上って、崖の縁の薔薇園に案内した。昨年の、丁度今、この辺り赤白黄、ビロードのような薔薇が咲き誇って、蜜蜂の唸《うな》る羽音がしきりに顫《ふる》えていたことを覚えている。太郎を負うたリツ子も一緒に案内され、氏が花鋏《はなばさみ》で薔薇を剪《き》り、見事な一抱えほどの花束を貰ったことがある――。
勿論、あの折り取ってその芯《しん》をカリカリと食べたくなるような、しなやかで伸びの長い花木の幹は、みんな焼け失せて終っている。
然しかがみこんで指摘する、芳賀氏の指先に、柔かいが、噴出するような、新しい芽立の姿が見えていた。
「ああ、出ますね」
私は肯いて、焼土の中の、その芽立の色をじっと見つめるのである。
帰路に、若林つやのアパートへ廻ってみた。不思議である。焼け残っていた。下の家までずっと燃えよってきて、このアパートを境に、火勢がとまったと云っている。焼跡の菜園に、宝珠のような赤蕪《あかかぶ》が、キッチリと、すわっていた。
焼けた家の台所ででもあったのか、そのほとりの水道に漏水が絶えぬのである。もやもやと明るい夕暮で、その漏水がいつまでも軟かい光線のような弧線を描いて、落ちている。
私は狭いアパートの窓際から、いつまでもその光のしたたりを見つめていたが、
「水を浴びたいけど、若林さん。いいかな? あそこで」
「しょうがない人ね。でも、仕方がない。さんのことだから許してあげましょう」
「ようし」
と私は洗面器を借りて駈け降りた。裸になる。ざあざあと夕まぐれの中に、その発光のしたたりを浴びるのである。たそがれが夜に移る、あわいの色は、シンと五体にとろけこむふうだった。石鹸《せつけん》がよく肌に媚《こ》びる。私は、また、ざあざあと新しい水を浴びるのである。
石神井の私の家は残っていた。残っている、と帰国後私の問合せの電報に折返し返事はあったが、空襲による十時間以上の延着で、二昼夜の車行の間にも、状勢はどう変っているか、しれたものではない、と気づかっていた。辿《たど》りついてみて、さすがになつかしさは一入《ひとしお》である。
全く無人のまま、一年の間放置していたから、近所には顔出し出来ぬくらいの迷惑をかけている。防空上から困る、言語道断だ、と警防団や、防護団がいきまいている。早く留守の人をだしてくれ、と大家の奥さんが、繰りかえし云ったが、もっともな話である。然し私は疎開はしたくない。リツ子が丈夫なら今日からでも、ここで、くらしたい。暮す上には他人と同居は嫌だった。
「が、それでは困ります。周りからも、うるさいし、私も大家として、全く無人で放っとかれるのは、仮りに一週間でも、迷惑です。丁度ね、さん。夫婦だけの罹災者《りさいしや》で、今私の処にいる、とってもいい人がいるんだから、この人を入れてやって下さいな。留守中の家の面倒も見るし、何しろ二人切りなんだから、後からも決してうるさいことはありませんよ。五部屋もあるんだから、助けると思ってね――」
大家の奥さんは、そう云った。これ又至極尤《もつと》もな話だが、動けるようになりさえすれば、いずれリツ子を此処へ連れてくる。特別な病人だから、人々へ気兼ねは閉口だ。
「もう十日待って下さい。私もよく考えて見ますから」
と婉曲《えんきよく》に、大家の奥さんにはことわった。
庭の草木が、見違える程大きくなっている。昨年の蔬菜《そさい》類は、勿論、苅り取られて跡形無いが、リツ子と播《ま》いた、あの掌の中の黒粒の実生《みしよう》の韮《にら》どもが、一尺近い見事な群生に変っていた。
摘み取って、夕べの粥《かゆ》に投げ入れるのである。
妹《いも》と植ゑし庭べのさ韮
生《お》ひにけり そを取り喰うて
羮《あつもの》に泣く
韮粥をすすった後で、拙《つたな》い歌が口をついて出たが、ふと、妻を失うた日の感慨に迄、知らずして心が動いているのを感じていって、おののいた。不吉な挽歌《ばんか》だと、しばらく、胸さわぎが、とまらないのである。
そう云えば、大伴旅人がその妻を失うて、自分の花園の木立の、いたずらに繁り合うのを悲しみ眺めた歌も思い合されるが、私の家の庭には、リツ子と移し植えた、薄《すすき》や立葵《たちあおい》や木づたの類が、所せまく生い重なっているのである。無人の一年に、思うまま荒れ果てた。
空襲警報のようだった。遠近のサイレンが一斉に声を挙げている。
「さーん。よかったら、うちの防空壕に入りませんか?」
隣の人がしきりに呼んでくれている。が、月明の二階を明け放って、一人、小さな傷心に溺《おぼ》れこんで、転がっているのも、悪くはない。
「有難うございまーす。落ちてきたら、入れてもらいまーす」
「なあに、どうせ毎晩のことですし、石神井は焼けたって、家数はありませんからね。大したことはないですよ。でも爆撃の時は、いけないよ、すぐ、降りて、入って下さいな」
下から相変らず声が聞えている。
「はあー、その時は、入れて戴きます」
何処の家もラジオを掛け放しているようだった。冴《さ》えた月光の中に、ラジオの声だけが喧《やかま》しく雪崩《なだ》れこんでくる。放送はB29が波状で次々と侵入しているさまを教えていた。寝ころびながら、私はしばらく、月明のB29の機上の眺望を想像する。そう云えば、深夜の飛行機の旅はまだ経験がなかった。
「さーん。今夜のはどうも入って来る模様が、日本海の機雷投下のようですよ。新潟沖あたりらしい。ではお休みなさい」
下から又大声が響いてきて、雨戸を繰り入れる音がすぐ続いた。
内地の状勢に疎《うと》い私は感心して、隣の男の部厚い声をもう一度胸の中で繰りかえすのである。
五月十九日。私は西銀座の島尾大信氏の事務所を尋ねていた。驚いた。焼け残った一劃の三階建を借り受けたのか買い取ったのか、大理石張りの大掛りな改築工事を始めている。みんな家財を売って逃げまどっているというこの空襲の唯中に、相変らず島尾大信流だと、面白かった。
大信氏とは十五年ばかり昔に、同人雑誌をやったことがある。私の二十二歳の春のことで、学生というより不良少年だった私をこの大信氏が態《てい》よくかどわかして、文学などという方途《ほうず》もない世界に抛《ほう》りこんだのだ。同人費は百五十円だったと記憶する。尤《もつと》も私の知合いの家に同行して二百円ばかり借り足したから、同人費は三百五十円ということになったのか。
なにしろどえらい雑誌をたった一冊だけ作り上げた。この島尾大信氏という人物は今でも私には正体がわからない。驚く程の事務家である。又驚く程の精力家である。但しその目標が何にあるのか、必ずその目的から逸脱して途方もない方向に運行する。
運行しはじめると、その行先がどちらであれ、執拗《しつよう》、熱狂的な奮闘である。
だから、たった一冊だけ出た同人雑誌だが、当時の文芸春秋よりは遥に豪華精巧な編輯《へんしゆう》振りだった。単行本附録附の雑誌である。全部大信氏の執拗熱狂的な編輯に成ったものである。私のような、原稿紙の枠《わく》を埋める作法も知らなかった人間の最初の小説を無理やり掲載して、一体どうする心算《つもり》だったろう。
が、そんなことはもともと氏の念頭にはないらしい。何《いず》れにせよ、大信先生が目論《もくろ》んだ不思議な雑誌によって、私は否応なしに文学という世界の中に抛り棄てられた。その小説の発表から、私は古谷綱武を知り、更に尾崎一雄氏を知り、太宰治等と会っている。
ところで、当の大信氏は一冊の雑誌を出し終ると、例の運行の行衛を変えた。文学なぞ何処かへ消しとんだのである。何か夥《おびただ》しい男女を自分の家に寄食させていたことがあった様子だが、何を目論んでいたのか私は今以てわからない。
最後にこの「精研株式会社」の設立である。火災保険で八十万円入ったというのは仄聞《そくぶん》したが、こんな大胆な工事に取掛っているとは知らなかった。例の通り、豪快の如く、細心の如く、実業の如く、虚業の如く、一オクターヴ甲高い声で傍若無人に私を歓待してくれるのである。
ビールを山の如く林立させている。大信氏は裸でペッペッと痰壺《たんつぼ》に唾を吐きながら、
「空襲の真最中に、大理石などを張りはじめて、島尾大信、気が狂うたというものがおりますが、どうですな?」
「いや、これは成功でしょう」
彼の胆力の為だけにでも焼け残したいものだと、咄嗟《とつさ》に私はそう思った。
「いや、燃えりゃ、なお、面白うござす」
見れば、電話を十二三本も引入れている。赭《あか》ら顔をテラテラと光らせながら、ネロのように吠えるのである。
「文学が、あなた、間尺に合いますな? 私は、あなた、もう体全体に墨を塗ったくっとります。体全体の墨で、ゴロゴロとローラのごと、人生を描いて行くとです、たい。身ぐろみですやなあ。転ぶも転ばんもなか、無理矢理転ばすとですたい。文学は、間尺に合わん」
なるほどそうかと、大信氏の妄執《もうしゆう》のあり場を覗《うかが》うのである。
「さん。面白か時代ですなあ」
「面白いですね。島尾大信さんに、ふさわしい乱世だろう」
私もビールをあおる。大信氏は云う。
「価値が、あなた、一時一刻ひっくりかえって行きよりますもんな。それで誰も彼も動顛《どうてん》しとりますとたい。が、私はもともと、何の価値も信用しとらん。道徳は、あなた、朝令暮改ですたい。が、私はもともと道徳など信用しとらん。ボル、もアナ、も、闇も昼もござすもんか。爆弾の下で、ようと、見分けて見るがよござすたい。退職金ば、あなた、一万円ばかり持って、義理がどうの体裁がどうのと、人の手本のごと思うとった奴どんが顫《ふる》いよりますたい。顫うが、当り前じゃん。自分の底力なしで、借り物《もん》の薄人絹で、裸はいかん、と、人さえ見るというとったとですたい。そいつらが顫えよりますたい。まあ、飲みがっしゃい。このビールが二十五円ですげな。世の中で、高か、とか廉《やす》か、とか云いよりますやな。馬鹿らしか。二十五円という、ただ呼名じゃ、ないですな。昔は三十五銭という、穴明きの白銅と換った。今は二十五円という紙と換る。何処が変りますな。紙の方が燃えやすかというだけですたい。その代り風呂敷には包みよか。転ばんですから、なあ」
島尾大信氏はそう云って、私のコップになみなみとビールを注ぐのである。
そこへ画家風の男が駈けこんだ。栄養失調か? 顔が蒼白くむくんでいる。
「島尾さん。昨夜、博多が燃えとります」
「ほう、そうな」
島尾大信氏は一つ二つ肯いた。
「博多? 博多のどの辺りがですか?」
と私の胸は、不覚にそよぎはじめてゆくのである。
「ええ、殆んど全部のようですな。新聞社から聞きました。荒戸町《あらとまち》あたりの海際一帯が一番、ひどいようですよ。死体がごろごろ海辺にころがっているそうです」
荒戸町? 荒戸町というとリツ子の寝ている伊崎浦はそのすぐ隣ではないか。これはやられた、と私は新しい決定的な衝撃を蒙《こうむ》るのである。リツ子も母もあの老婆も、折重なって汀《みぎわ》の砂の上に倒れ伏しているだろう。いや、汀まで逃げのびることすらかなうまい。私は黙ってビールに顫える喉《のど》を潤おした。島尾大信氏の酒席の中で、とりとめのない杞憂《きゆう》は口にしたくないのである。
ちょっと気まずく、画家風の蒼白い男も、しばらく黙っていたが、思い決したようで、
「島尾さん。急に博多に帰って見ようと思いますけん、少し貸してつかわさい」
「ああ、そうな」
と大信氏は卓上の風呂敷を解くのである。
「お賽銭《さいせん》は、千円でよござすな?」
「そげん要りまっせん」
そう云いながらも、蒼白いむくんだ男は受取った。ピョコンとひとつ首を垂れている。
「そんなら、行ってきます」
今度は階段を、飛ぶように降りている。大信氏は薄眼でジロリと男を見送って、ビールを手にしながら、
「まあ、飲み直しまっしょうや」
私も、コップを挙げるのである。
「さん、あなたのところは博多じゃ、なかったと?」
「いや、女房だけ」
「何処ですな?」
「伊崎浦ですたい」
「ああ、西公園の下の?」
私は肯いて、ビールをギュッと乾す。
「あの男の云うことは、いつも少し大仰にござすけん、当にはならんですよ」
それにしても、あの蒼ぶくれの男が街を焼くのではないのである。アメリカの空襲だ。一概に大信氏の言葉ばかりにも安堵はおけなかった。ふっと何故とはなしに、出がけにリツ子へ渡した中路鋪の、拾い物の木札が眼に泛《うか》んだ。それから、あの雇い入れた老婆の挙動が――、咄嗟の際には、思いがけず素早い動作に変る女かも知れなかった。或は手際よく、リツ子を運び出してくれたかも知れない。
「島尾さんのお宅も、博多ではなかったですか?」
「ああ、おふくろと兄貴が居りますたい。なあに焼ける物は、焼けたが、よござす」
椅子の上に胡坐《あぐら》をかき直して大信氏はググーッと飲んでいる。
「さん。家を作りませんな、家を。焼けたら一日でバタバタと其後に組上げる一万円住宅ば、十軒ばかり用意しとります。燃えるとが何ですな? 燃えたら建てりゃよかろうもん。焼ケレバ建テル、焼ケレバ建テル、焼ケレバ建テル、ですたい。この間、行きつけの小料理屋が焼けて、お女将《かみ》がくやんどりましたから、焼ケレバ建テル、トラックで運んで五時間後に建上げましたやなあ、お女将が魂消《たまが》りましたばい。その代り、万難を排して飲ませろ、ですたい。行きまっしょうか、今から」
私は肯いた。愉快ではないか。もう妻子の運は天にまかせた。その「焼ケレバ建テル」の四畳半で、この乱世の雄と、一晩痛飲してみたいのである。何処からか社員が自動車を呼んで来てくれた。島尾氏は麻の肌着をつっかけて、外へ出る。出がけに、私に一封度《ポンド》のバタを渡すのである。
「男手では不自由でっしょうけん、飯を炊《た》いてバタと葱《ねぎ》をふりかけて食べがっしゃい」
若《も》し生きていたら、これをリツ子の口にとどけてやりたいと、思いがけず私も有難い。
焼跡の凸凹《でこぼこ》の道を自動車は疾駆《しつく》した。一望の廃墟ばかりで、地理がはっきりとはわからぬが、どうやら品川辺りのようである。焼けビルの蔭に車がとまる。ビルにくっつけて新しい家が一軒だけ建っていた。三方を木塀《きべい》で囲っているのである。
「まあ、島尾さん。いらっしゃい」
「どうな。客はあるな?」
「焼けたと知らずに来る人が時々あってね、そりゃ珍らしがりますよ」
「住み心地、いいだろう」
「仲々、いいわ。小さい家って、どうしてこんなに便利なものですかね。だけど、かくれ場がなくてね、弱っちゃう。下の物の着換えまで、お台所でやるんだから」
受け口の、ちょっと美人のようだった。喋《しやべ》る度に、然し、唇がゆがむのである。
「いいじゃないか。贅沢《ぜいたく》云うな」
四畳半は丁度、焼けビルで眼かくしされていた。西陽がビルの側面にギラリと照っている。島尾大信氏は例の裸で、ビールをググッと乾しはじめるのである。戦前見なかった、新しい社会の英雄だと、私はこの不敵の男の口許に見入るのである。
翌日の夜行列車に割りこんだ。もう特詮《とくせん》は利《き》かないから、闇の切符を買い入れた。造作ないことである。
残念だが、石神井の家は、罹災者の同居に同意した。但し帰京の折は、私の仕事の性質上立ちのいてもらう約束である。
「駄目さ、取られたも同然さ。早く云ってくれれば、俺が入るのに」と友人の一人が云っていた。
三等の中はすさまじい地獄図だ。罹災者の群だろう。落ちのびるふうである。私も新聞を敷いて転がっているのである。リツ子のもとを発ってから二三日だと思っていたが、明後日の朝着くとして、出福以来十二日目の勘定になる。
東京――。全く変った。支那に行く前に思いもよらなかった変貌だ。荒廃を蔽《おお》えない、恥かしいが、日本の必敗を、さすがに私も信じないわけにはゆかなかった。島尾大信氏――。不思議な人物が、不思議な生き方を始めている世の中だ。芳賀邸の薔薇の芽は柔かいが、掘って喰わねばならぬ時期が、明日にも来ないと云えるだろうか。
たった一つ、なつかしい思い出があった。若林つやのアパートであの焼跡の漏水を浴びた夕まぐれのことである。しんしんと末世の余光を集めて流す光のしたたりのようではなかったか? 昔は養老の滝と云っている。然し今の世にも、汲《く》めば齢《よわい》を延べる光の水はあるのである。私は辛うじて狂気じみた、陰鬱な長途の車行に耐えるのである。朝炊いた握り飯に、大信氏からもらったリツ子への土産のバタを削って食べた。が、ぺっと、故意に最後のところを吐きだした。これは病者のものである、この脂肪の乳の臭《にお》いは無用だ、俺は養老の真水の方を愛用する、と丁度田舎の婆さんのような頑《かたく》なな克己心にとらえられるのである。
沿線の町々の概況は、僅かこの十日ばかりの間にも変っている。私の眼で見ても、又新しく焼け落ちた町々が、くすぶりながら残りの煙を上げていた。
福岡には夕着いた。駅の表に駆け出して、立ちとどまり、例の憤懣《ふんまん》のやり場のないような、混りあった不思議な癇《かん》高い恥かしさを、総身に感じるのである。足腰の力が萎《な》えてゆく。
焼けていた。北の海迄、青くキラキラと見えていた。焼け尽して終《しま》った町の中を、ノロノロと電車ばかりが走っていた。私は黙ってその吊革にブラ下るのである。
何か、強大な腕力でなぐりつけられて終った後のような、あてどのない侘《わび》しさだ。電車通りから下手の町が一切灰燼《かいじん》に帰して、海との間に細長い焦土の帯が、西公園迄まっすぐに見通せる。私は黙って降りて、鳥居から左に折れた。公園の山の松や杉迄がまだらに焼けている。
支那に旅立った日に、リツ子と別れた電柱が、夕陽の中に傾いて黒く焦げていた。電線や、電話線が、ちぎれてぶら下っている。
伊崎浦の小路に折れる。おや、と胸が早鐘を撞《つ》く。焼け残っているではないか、家の辺りの町の一角が。私は走るのである。玄関の格子を開けた。
「唯今、リツ子」
と信じられない者を、招きよせるふうに大声にリツ子の名を呼んで、その反応を待っている。
「まあ、お帰りなさい」
と嗄《しわが》れるが、まぎれなく、リツ子の声である。上っていった。昔のままの形でリツ子は床についていた。が、モンペの上下を着けている。
「どうした? おい、よかったね」
「お守りが」
と云って、握りしめた掌《たなごころ》の中をふるえながら私に見せ、おろおろと泣くのである。
あちこち火焔《かえん》が上りはじめると、老婆が一番先に逃げたそうである。リツ子は一人で丹前をかぶって汀まで走った由。伊崎浦の汀でも一人、焼夷弾の直撃を受けて死んだとか。潮の中にも炎が立ち、メラメラと波一杯に泛んで揺れて燃えていたという。
一夜は、その渚《なぎさ》で明かし、庭に爆弾が落ちているというので次の夜は漁師の家にとめてもらってごろ寝をし、食事も米をかりて、炊いた話。
「もう、えずうして、と云っておばあさんは荷物も持たないで、翌朝渚からまっすぐ、自分の家に帰っていって終いましたのよ」
「じゃ、何の役にも立たなかったね。でも、よかった。有難い。みんな助かって――。家が焼け残ったのは不思議だな」
「ほら庭の岩をおはずしになったでしょう。丁度あそこのところへ大きな不発弾が落ちてきて、みんな大型爆弾だと云って騒ぎ、この家にも縄《なわ》を張って近寄らせませんでしたが、焼夷弾の何十本か詰っている大型のものだそうでした。昨日ようやく警察が運び出してくれたのですよ」
「運がいいね。そいつが空ではじけていたら、この家は確実に燃えていた」
「あの岩を、あなたがはずしておいて下さらなかったら、岩に当って、きっとはじけていましたのよ。お母さんが神様と人に会う度に話してまわっているのです」
嬉しそうにリツ子の声がうわずっている。私は苦笑した。リツ子だけが大まじめである。けれどもその頬が赤く発熱の様相を呈していた。
「体の方は大丈夫?」
「ええ、ちっとも。汀まで半分走るように行ったのですよ。でも何ともありません」
気が立っているようだった。昂奮が醒《さ》めきれずに、体のことを忘れている。ばかにお喋《しやべ》りになったのに気がついた。打明けるのが私だけなのだろう。
私に話したいと待ちに待っていたに違いない。かえって私が励まされているあんばいだ。
「ほら、あそこ」
と云うから庭に降りてみる。なるほど、砂の上に大きな穴が刳《えぐ》れていて、そう云えば、私が掘り取ってころがした、一番難物の庭石の跡だった。然し、まさか岩が無いから爆発しなかった、ということもあるまい、と思ったが、今は故意に黙している。
「お母さんですね、あれから、大変な話好きになって終って、家をほったらかしては出歩いて、知った人達のところを廻り歩いているのですよ。きっと暗くなるまで、帰りますまい」
当のリツ子こそ、際限もなく話したがる。私はこくりこくりと肯《うなず》いて見せるばかりである。
「石神井《しやくじい》のお家の様子、どんなでした?」
ようやく昂奮がとれたのか、幾分落着いた声でいっている。
「石神井はね。全部大丈夫。あの韮《にら》がね、こんなに大きくなっていた」
私は、両手で長さを教えてやる。
「まあ――、見たーい」
と声を挙げている。同居人のことは省略した。リツ子の上京の折に、気持が弱るとみじめだからである。それに友人はああ云うが、帰る日には、案外、電報一つで立退いてくれるかも知れぬではないか。
「ずっと、モンペを着ているの?」
「はい。逃げやすいように。怖《こわ》かったけど、空襲の後ね、とっても綺麗なお月夜でしたのよ。お父様が支那にいらっしゃった時みたい。あの時浜で、太郎が、お父様から寝せつけていただいた所があったでしょう。あの辺りの砂を探し出して、その上に寝てましたのよ。ザザザーッと竹藪《たけやぶ》に雨が落ちる音のようなのね。焼夷弾の降る音は。でもきっと大丈夫と、いただいたお守りを、しっかり握りしめておりました。ほんとうに、このお守りが無かったら、どんなに心細かったか知れません」中路鋪で拾った、成田の木札を又見せた。
「ほら、お父様」
と今度は丹前の肩の辺りを見せている。真黒に重油のようなものを浴びていた。
「何?」
「焼夷弾の油脂ですって。頭から、いっぱいかかりましたのよ」
「よく、燃えつかなかった」
と私は今更のように、リツ子が遭遇した危難の身近かさを感ずるのである。
「でも、もう大丈夫だ。それにしても、早く松崎に移ろうね」
肯いている。暗くなってきた。珍らしく、波の音が微かに聞えている。川向うの浜辺の家が全部焼けて終った関係か? すると、あれは地行浜の波の音にちがいない。
「しばらく、眠ったら。ずっと眠れなかっただろう?」
だるそうに、又肯いた。そのままそっと眼を閉じて、眠りこんでゆくふうである。
この頃、午後になると、毎日三十八度台の熱が出る。空襲が深刻にこたえたものに相違ない。私は母に逢うて、大体松崎へ移す手筈を整えてきたが、しばらく移動は、ためらわれた。
東京行など、ちょっとおぼつかないふうである。連れて来た太郎が、無心に庭先の虫けらなどを追うている。庭の岩をはずしたのは、太郎の為に一番よかった。それでもまだよくころんで、頭を瘤《こぶ》だらけにしているようだ。
チチに遅れて、ようやくハハも覚えこんだ。勿論リツ子を一番親しい身辺の者と知っているが、この半年ばかり、転々とリツ子の姉や、私の母、妹などの手を渡り歩いたから、母の呼名を知らないのである。一時私の口真似で、
「リツ子」
などと云っていた。何と呼ばれても、やっぱりリツ子は、太郎の呼び声を聞くと嬉しそうに眼を輝かせ、肯いて見せている。然し支那に旅立つ離京の際、乳児結核のおそろしさをリツ子にくれぐれも教えこんでいたものだから、太郎を決して側には近寄せない。実はその折、リツ子の弟の正道君からの感染をおそれていたわけだが、当のリツ子が太郎より先に倒れて、愛情から隔離される、もどかしい悲哀を嘗《な》めている。
が、太郎は珍らしい人間でも見るふうに、ぐるぐると母の病床の囲《まわ》りの畳をめぐるのである。
「ハハ、オッキせい」
などと云っている。
「もうすぐおっき、よ。ね、太郎」
頬を染めたリツ子が太郎に答えると、
「どうしてネンネ?」
「お病気よ。でも、もうすぐ癒《なお》るの」
「なーん? ん、なーん?」
その、なーん? ん、なーん? を余りに繰りかえすから、答えきれず、リツ子はあきらめて、ただ肯いてみせるだけである。
食糧の窮迫はひどかった。朝は粥、昼は抜いて、夜も粥といったあんばいだ。その粥も麦である。精麦をしてない麦だから、一時間煮込んでも、表皮が固く残るのである。
漢口《ハンカオ》から送った正金銀行の五千円は、まだ着かない。私は学生の頃から衣類の入質など特に馴れているから、リツ子の衣類を農村の米麦に換え、金銭に換えたいが、リツ子が、仲々思い切れなかった。いや、リツ子はその母の昂奮をおそれるのである。リツ子の父が亡くなったのは私達の結婚がきまった直後のことだった。かなり成功した方の医師の家だから、惰性の生活風が抜けきらぬ。思い切って口にすれば、私の非力をあばき出されるだけのことである。
が、いのちと、その上にまとうきぬぎぬと、どちらが大事だというのだろう? 後で白状したが、リツ子は空腹に耐えかねて自分で立ち、大豆のいり豆を喰ったとか。私が松崎の母のところへ出かけていった留守だった。
後で、ひどい下痢をおこしている。ようやく空襲の直後の熱がおさまりかけていた時で、松崎移転の打合せも兼ねて出かけたのに、帰って見ると、又高熱にあえいでいた。
「駄目だよ、リツ子。肝腎のお腹《なか》の方をこわしては」
はいはい、というふうに肯いていたが、深夜声をひそめて私に云う。
「おかしいのよ、お母さんは。あなたがお帰りになる迄は、無い物を無理に探してきてでも、私の看護をしてくれてましたのに、この頃は、すっかり投げやりです。食べ物も、わざと粗末にするふうなの。もう少し何か無い?ってこの間云いましたらね、さんにしてもらいなさい。あるもんか、こんな戦争の最中《さなか》に。と青筋を立てておこるのです。嫉妬《しつと》かしら?」
「僕に、力が無いからだろう? それがもどかしいのだよ、きっと」
「でも、私がこんなでは、さんのお仕事も何も出来やしない。東京にいらっしゃれば、随分のお仕事があるのよと云ってきかせても、(ふん、そうな。小説なら此処でも書かれようもん)って云うだけでしょう。まだ着かないけど、漢口からお送りになった五千円がくる筈です。それ迄お父さんが私に分けて下さった信託の預金を貸しておいて下さらない? って云いましたらね、(あんた達あげな金ばあてにしとると? あれは、あんたの金じゃなか。税金逃れに名儀は、子供達全部に変えたとたい)そう云って、真青にふるえて、私を叩いたのですよ。悲しくって――」
泣きだした。
「よせ、よせ。みっともない。よし、明日、俺が借りて来る。東京でね、K社から賞金を貰ったけど、石神井の家賃に置いてきた」
追いつめられた鬱陶《うつとう》しい気持である。自在な足場から何一つ、取りかかれぬ。これが家庭生活というものだと、その足枷《あしかせ》の千万斤の重量と鎖を、縦横に断ち切ってみたいのである。が、先ず、住む家だ。寝ているリツ子だ。頑是《がんぜ》ない太郎だ。そうして、金だ。この金銭というたわけたしれ物が、人類の生活に迷いこんできたのは何時《いつ》のことだ? こいつが瀰漫《びまん》していって、今日では仔細らしく徳義の規準になり、呪縛《じゆばく》になり、あきれはてた暴威をふるっている。
我々の便益のために生れ出た筈のものが、我々を百方、金縛りにしているのである。この陰険な悪魔は、初めに人類への奉仕を申込んで現れてきておきながら、今、何の奉仕があるだろう?
無垢《むく》の人体が描く、清らかな生活と理想を、こいつはあくどい陰謀と詐術を放って、思い切り愚弄《ぐろう》する。不安と焦躁《しようそう》の源泉だ。裏切と謀略の指嗾者《しそうしや》だ。その尻軽の、羽の生えた悪魔が跳梁《ちようりよう》しはじめると、親子も、兄弟も、夫婦も、何もあったものでない。美しい絆《きずな》ほど、悪どい餌食《えじき》にする。が、残念ながら、こいつなくては片時も生きられない、と、私は、昂奮からまた発熱しはじめた様子のリツ子の涙を、指でその赤い頬の上いっぱいにこすりつけてみるのである。
格別あてはなかったが、飛び出した。太郎を首に巻いてである。抱くのにはもう重い。背に負うと、私が大き過ぎるせいか、太郎の背丈が足りないようだ。第一肩に両手を置かぬ。歩かせれば、道草だ。一間おきに石を拾って、
「ほら、チチ、トポーン」
と濠割《ほりわり》の中へ、投げては遊んで動かない。やっぱり肩車に限るのである。
町は焼けつくして終っている。焼跡に、海の風がまっすぐ通って、吹き上っている。遮《さえぎ》る家屋がないせいか、何処の町も、焦土に風ははげしいようだ。小さい太郎が、おどろいて眼を瞠《みは》っている。
「これ、なーん? ん、なーん?」
「電信柱だよ」
「なんして、ゴトーンしとる?」
「爆弾がね、ドカーン、と落ちた」
そのドカーンという時に、太郎の尻と両足を大きく揺ぶってみる。キャアキャアと笑って喜ぶのである。
「なーん? ん、なーん?」
「ドカーン」
何度くりかえしても、どうしても、やめさせない。
当はないのである。こんな焼土の上をいくら歩いてみたところで金が拾える道理はない。高校の頃のA教授? いや、いかん、と自分ながら呻《うめ》いて真赤になる。すると誰だ? ひょっと、鹿島が、と思いがけない友人の姿が眼に浮んだ。学生の頃の旧友だ。但し二年の時に退学した。学生間の噂では、SバアーのY子という女に失恋したというていた。私は鹿島とよくそこへ出かけていったから、Y子は知っている。Y子の顔は、今でもはっきり覚えているが、色の浅黒い、然し不思議な性格破産者のようだった。Sバアーの娘で、娘というより、女王で、勝手気ままにふるまっていた。然し、鹿島の退学の原因は、少くも私の眼には違っていた。Y子が近因だとしても、Y子に熱狂していったその原因がもう一つある。左翼運動からの脱落の焦躁から来たものだ。
「憲兵から叩かれた。この頬だ」
ポロポロと涙を落して、私に云ったことがある。その晩、Sバアーで泥酔した。泥酔してとまりこんだのである。Y子は店を閉じて、又飲んだ。酔った揚句三人で交互に繰りかえし繰りかえしキッスをした。酔ってはいたが、私は生れて初めて異性と接した唇の交情を、電気のように痺《しび》れて受けた。鹿島も同じことだったろう。
Y子は卓上のスタンプインキを叩きこわし、それを自分の頬や私達の顔一杯に塗りつけて、有頂天にわめいて歌うのである。
「おうお、グるーシェンカ」
鹿島が繰りかえし云っていた。その「るー」を顫《ふる》わせながらひっぱった、其夜の鹿島の声を覚えている。
Y子は乳房を出して狂乱した。左右から私達に吸わせるのである。ペッペッと鹿島がY子にかくしながら、唾をはき出していたことも覚えている。私も同じような衝動に駆られたから、知っているが、何か自分の純潔がよごされてゆくような不安だった。鹿島はY子の乳首をにぎりながら、やけに歌った。
盃《さかずき》を乾《ほ》せよ、わが友よ、
若き日は、若き日は、再び
帰らぬものなれば、歌はまし
若き日の恋と、消え去らぬ間に
私達三人は声を揃えて、とめどなく歌っていった。
空は晴れて 春は我等のものなり
若き日に、若き日の幸《さち》あれよ、
おお、
「朗でくさ、明朗でくさ」
とY子はまたスタンプインクを手にいっぱい塗りたくって、自分の乳から、胸一杯を赤く染めるのである。
あれが私達の苦渋と頑迷な青春の爆発点だった。鹿島は親父と気まずくなって、一度Y子と逃げている。然し一二日で帰ってきて、私の下宿にかくれていたが、
「Y子とは、肉体的な交渉は絶対無かった」
と云っていた。どうかは知らぬ。帰ってきてもやっぱり誇り高い純潔な青年であったことには間違いなかった。私の下宿から親父の手許《てもと》に引取られていった。間もなく学校をやめている。
それきり顔を合せたことがない。大学にいた頃、一度鹿島の家をたずねたが、美しい奥さんらしい女が現れて、
「留守です、現場に行っておりまして」
と、丁寧に両手へ額をつき、とうとう会えなかったことがある。親父の土木業をひきついで、事業には相当成功している、と噂には聞いていた――。
「よし、鹿島に会おう」
と、私は首の太郎の足をにぎりしめながら、電車道に急いでいった。あの辺り、焼け残っている筈だ。東公園の側である。
丁度十年昔のように鄭重《ていちよう》に奥さんが手をついて、
「居りますが、どなたでしょう?」
「です」
「あの、どなた様でしょう?」
ききとりにくい様子だから、
「石段の段といったらわかります」
肯《うなず》いてちょっと笑いを含むふうだったが、立上ってすべるように帰っていった。
「おお、。上れ」
と大声に鹿島の声だけが洩れてくる。奥さんがまたそっと現れて、鄭重に座敷へ招じ入れられるのである。障子を明け放った庭に、テマリコの飴色の花が、陰鬱な光に耐えていた。いつ紫に変るのか? それとも紫の後が黄だったか? 太郎が縁先ヘチョコチョコと走りだしていって、跣足《はだし》で庭石の上に降りている。
やがて、みしみし廊下を踏みながら、やってきた。私はその音を聞きながら、歳月が加えていった、鹿島の新しい重量を感じるのである。
「おうお、。何を思い出してやってきた」
現場で鍛《きた》え上げられたのか、不逞《ふてい》の言辞を弄《ろう》しながら入ってきたが、やっぱり十八年昔の、何か純潔と孤独といったふうの感傷はにおうている。
「借金だ」
と私は声をはげましながら、不吉に冒頭するのである。
「よし、よく来た。金はある。ところで、小説は書いてるか?」
「いや、書かん。支那に行っていた」
「そう云えば、貴様の馬鹿に抹香《まつこう》臭い小説を読んだことがある。いつ変った? あんなふうに」
「何だ? その小説」
「いや、題名は覚えとらん? 何か、息子に与えるふうの長々とした説教だ。あれか、その息子?」
私は肯いた。「天明」のことをいうのだろう。
そこへ奥さんが茶を入れて入ってきた。紹介も何もせぬ。
「ビール」
とランタイ漆器の卓《テーブル》を叩きながら、低く云っている。
「子供に枇杷《びわ》でも持って来い」
奥さんは肯いて、立去った。
「どうだ、支那?」
「うむ、もう何もない。裸形の生物が、生きて、呻《うめ》いてひしめきあって、それで、亡んでゆくだけだ」
「日本だって同じだろう」
「いや、日本は尚悪い。余計な、木偶《でく》が仔細《しさい》ありげに歩いている。亡びる日まで、何かぶつぶつとお題目の巻添えだ。その上市民に、長い小市民の夢がこびりついて離れない。鱗《うろこ》を剥《は》がすふうの、出刃庖丁の逆こさぎが必要だろう」
そっとビールが運ばれている。私も鹿島も索漠《さくばく》とわびしい泡を嚥《の》んで酔うのである。
「時にどうした、Y子?」
「よせ、古傷をあばくな。後で貴様が好きだと云っていた」
「嘘つけ。お前はいい男だが、泣所はいつも女だぞ」
私は故意にそう云って、鹿島の遍歴の姿を探るのである。
鹿島はビールをにらんでいたが、それから飲んだ。
「女はあさった。千人を越えるかも知れぬ。然し童貞とおんなじだ」
何のことを云うのだろう? Y子を真剣に恋していたというのか? それとも孤独について云うのか? 彼の純潔の、よごれ場がないとでもいうふうの悲しみか? が、こんな感傷は愚弄するに限るのである。
「放蕩《ほうとう》息子は、きまって、そんなふうに云ってみる」
太郎がビールに気附いて上ってきた。
「なーん? ん、これ、なーん?」
「おお、ビール。飲むか?」
と鹿島が云ってコップを差出した。
「にがい、にがい」
太郎がその泡をちょっと舐《な》めて見せている。
「まあ、およしなさいませよ。可哀想にほら、枇杷がありますよ」
丁度果物を盛合せて入ってきた奥さんは、そう云いながら枇杷を一つ手渡した。太郎がビールの苦渋に口許をゆがめている。枇杷を剥《む》いて、カプリと果物にかぶりついた。
「おうお、。似ているぞ。Y子の乳首に吸いついていた頃の、貴様の童顔と、やっぱり口許がそっくりだ」
そう云って、はげしく哄笑《こうしよう》に崩れてゆくのである。
「が、。お前はいつ貰った。女房?」
「三年目だ」
「見かけによらず、貴様も辛抱強いところがある!」
「馬鹿を云うな。稀代《きだい》の愛妻家だ」
「それで何処にいる?」
「福岡だ」
「いちど連れて来い。俺は会いたいわけじゃないが、おしるこを喰わせてやる」
「寝ているのだ」
「寝ている? 何だ。胸か?」
「うむ」
と私は肯いて見せるのである。
「どれだけ寝た?」
「半年ぐらい、かな? 支那に行っていた留守のことだ」
「ふーむ、仲々癒《なお》らんぞ。が、いい医者がいる。いちど、あいつに診断して貰え」
「誰だ?」
「黒田博士という奴だ。おまえは知らん。いつでも、紹介はしてやるぞ」
「そのうち頼みにくる」
私達は、また静かに飲みはじめた。庭のテマリコがひと時のうちにも、変色していったように感じられる。光線のせいだろう? 鹿島はしばらく黙っていたが、
「おい、。貴様しばらく俺のところの現場にでもやとわれろ、有佐《うさ》の伐採《ばつさい》現場だが」
「子連れでもいいのかな?」
「子連れか? 何処へでも負うて歩くのか?」
「いや首に巻く。ショールといったあんばいだ」
「気が向いたらいつでもいい。ショールの方は、俺の家にでも預かるか? が、教育にはならんぞ」
「子連ればかりではない。女房も、連れ子せねばならんかもわからんのだ」
「ふーむ。そこ迄やといこむ度胸はない。それじゃ、お前達親子を入れて、身代りに俺が芸者屋にでも出てゆかねばならんだろう」
ハハハハと二人顔をゆがめ合って哄笑に移るのである。
「貴様さえよかったら、よそで一杯やってもいいが」
「止《や》めとこう。どうせ、息子の教育にならんことだろう。第一、女房が餓えている」
「そうか。で、例の奴は、いくら要る?」
「千円あればしばらく足る」
鹿島はふらふらと立上った。戻ってきて、
「じゃ、千円」
と私の前に抛り出すのである。私は黙ってポケットの中にねじこんだ。
「では、帰る」
「うむ。何か用意させている。持って帰れ」
残りのコップをキュッとあおった。立上る。太郎が嬉しそうに私を見上げるのである。
「おーい。帰るぞ、石段が」
奥さんが、飯盒《はんごう》のようなものを持って静かに現れた。
「ほんの少し、お汁粉ですけれど」
「有難い。遠慮なく頂戴いたします」
風呂敷に果物のようなものも、沢山包んである。私は玄関に下りて、太郎を首に巻き上げた。両手に飯盒と果物の風呂敷包を下げるのである。
「ショールか? いや、首飾りの風情だな」
鹿島はこう云ってカラカラ笑ったが、
「しばらく、お前の流儀は廃業しろ。そうせんと奥さんは金輪際癒らんぞ。有佐の伐採現場のことは、覚えておけ。それから、黒田博士のことも、忘れるな」
出掛けに、盛沢山の深情をこめて云う。然し又ガラリと調子を変え、
「息子は首飾りだが、お前は馬丁の風情だな。ざまを見ろ、お前の業《ごう》が深いのだ。又飲もう」
そのままくるりと後がえって引込んだ。奥さんに鄭重に送り出されて、私は焼跡の道に出るのである。少しふらつく足許へ焦げたペンチが落ちている。私は太郎を首にしたまま、意味もなく拾い上げてみた。瞬間、桂林の、焦土の中に落ちていた、銀色の細い舞台靴が眼に泛んだ。片足だけだった。それが、支えていたに相違ない華奢《きやしや》な中国の少女の足。街角にそそり立っていた魁偉《かいい》な独秀峯。それが何のつながりもなく、しばらく私の頭の中にひしめいた。
「なーん? ん、それ、なーん?」
「ペンチたい」
ようやく我にかえって、その焦げ錆《さ》びた鉄の廃物を大切そうにポケットの中にねじこむのである。
夕暮の模様である。街が焼け果てて、汀が拡張されたわけだろう。海の鴎《かもめ》が、潮に乗り夕もやの中を、昔の町の中心部にまで、しきりに飛び交っているようだった。
おしるこ。これはまあ、珍らしいにちがいなかった。私は太郎を首にして、鹿島から飯盒一杯貰って帰る道すがら、風呂敷にどろりとにじみだして来るおしるこの色を眺めながら、内々家の者らのよろこびを期待はしていたが、これ程のあらわな効果があるとは考えなかった。驚いた。いや、更に淋しくなったと、云おう。
この四五日、ひどく私達に不機嫌だった、リツ子の母がはしゃぐのである。私の背に後光でも射し出しはじめたふうだった。
「まあ――太郎、誰からいただいたの? おしるこ?」
「なーん? ん、なーん?」
と太郎は云って、リツ子のうわずった幸福をいぶかっている。
私はおつき合いに一杯だけお椀《わん》に盛って食べてみたが、椀の中に、焦土の鴎がしきりに飛び立ってでもいるような、やりきれぬ、其場の気持に襲われた。
他愛ないではないか。つい今しがたまで、金だ、米だ、ともつれあった感情の母子が相好を崩して睦《むつ》みあえる。家庭というものが持っている幸不幸は、たったこれだけのものに繋《つな》がっていた、とやり場のない憤懣を感じるのである。
自嘲《じちよう》がある。それを充足してやれない自嘲が。金銭の側からではない。心の側からだ。実に簡単ではないか。生活の技巧として、いや愛情の技巧として、何の造作のあることでもない。然しそれをいとう、生来の私の性情に気がついた。
全くつまらないことだった。が、私は黙った。鹿島から借りてきた千円をポケットの中にねじこんだまま、誰にも云わないのである。
それを見せればリツ子が安堵《あんど》し、更にリツ子の母が喜んだにちがいない。何のために鹿島を頼っていって、この千円の借用まで申しこんだのか? それにも拘《かか》わらず、リツ子とその母のうわずったよろこびを見て、頑《かたく》なにおし黙った。ポケットの千円をかくしこんだままである。
「昔は、なあリッちゃん。患者さんから貰う砂糖箱が、押入れの中に入りきらんじゃったな。余りたまるけん、三月に一ぺんずつは、乾物屋さんに払いよったな?」
「そうそう。もうお砂糖は見ろうようにもなかったのね。溝《みぞ》の中にドブンと棄てたいようでしたの、ほんとうよ、お父様」
と、リツ子は横すすりにお汁粉の匙《さじ》を運びながら云っている。リツ子の家は、かなりはやった医師である。私は肯きながらも、何の共感も覚えていない。はぐれて、次第に疎隔《そかく》してゆく悲哀が募るばかりである。
「おしるこは、一週間に一ぺんは作りよったな。リッちゃん。この倍ぐらい甘いとば」
母が云う。が、リツ子は何となしに私のにがりきってゆく感情をおそれるようで、
「そうでもないのよ。お母さん。昔のことはみんな、そう思うのよ。このくらいおいしいお汁粉は、昔でもそんなに沢山は食べられませんでした。ほら、かど屋のおしるこ、あれでもきっと、こんなものでした」
かど屋といえば、有名な生菓子とおしるこ屋で、私は覚えているが、たしか鹿島の従弟《いとこ》の家である。そう云えば、焼けたかど屋は、きっと今、鹿島の家に寄食しているに相達ない。私はふっと口にでかかったが、それも云うのをよしにした。
太郎が早く、口の辺りいちめんおしるこでよごしながら眠っている。私はタオルを濡らし、その口辺にこわばりついたよごれをぬぐい取るのである。
「まあ、タアちゃんな、おしるこの夢ば見ながら、しんから眠っとる」
「生れてはじめてよ、太郎は、きっと」
とリツ子も母と肯き合って眺めている。
早く床にした。寝つかれまいが、どうせ警報で灯りは消されるのだから、私も床の中にもぐるのである。
「少し、食べ過ぎました。お父様」
リツ子が所在なさそうに云っている。
「ジアスターゼでも飲むか? まだ、この間の焼豆の下痢が癒っとらんのだろう?」
肯いている。私も気になっていたが、大豆の絞りかすが配給になっている世の中である。有頂天の好物を眼の前に置いてやって、それを抑制させるのは女達の幸福に水をさすようで嫌だった。殊更、その夕はやり場のない不愉快を感じていたから、リツ子の食べるのを、黙って見過していただけだ。
「でも、おいしかった。あのおしるこ」
とリツ子は私が運んでやった消化剤を飲みながら、まだ思い出すふうに云っている。
「ああ、かど屋のおしるこだ」
「まあ――かど屋の? ほんとうですか? でも、どうして?」
昨日このお汁粉の貰い先を尋ねられて、ただ友人からだと答えていた。いつもの例で私は事情をあまりうち明けぬ性分である。こと更、千円の借金のこともあって、いい加減にごま化していた。それでもさすが、リツ子と二人きりになると新しい愛情が湧いてでる。或は取るに足らぬ母への嫉妬《しつと》ではないか、と、考えも及ばなかった自嘲が湧いて来た。
「かど屋の従兄で、鹿島と云う友人から貰って来た」
「鹿島さん? 鹿島さんって、一体どちらのですか?」
「高等学校の頃の友人でね、土建屋さ」
「まあ、鹿島さん? 水茶屋の鹿島さんではなくって?」
「知っとるのか、鹿島を」
と私はいぶかった。何の関係だと怪訝《けげん》な気持が湧く。
鹿島からそんな話は出なかった。いや、何もリツ子の一家の話などした覚えはなかったから、鹿島から聞き得る筈の事はない。親戚《しんせき》ででもあるのか?
「いいえ、一寸《ちよつと》知った事がありますのよ。でも違うかしら、高等学校なぞへおいでになった方だったとは、聞きませんでした。何かお家の都合で、中学ぎりでおやめになった方だと聞いて居りました」
「ふむ、おれの云っている鹿島は、高等学校を二年で止めている。女の子のことからだ」
「まあ――」
とリツ子は驚いている。鹿島のやめた原因は、女の事からだけではなかった。はっきりとした原因は、今でも私にも分らないが、あるいは左翼運動からの脱落ではなかったろうか。その焦躁から、Y子というバアーの娘に惑溺《わくでき》した。いや、ここの所ははっきりとは分らない。度々、私も鹿島と連れだって、Y子のバアーに出掛けて行った。ちょっと奇妙な女だった。が、鹿島が一途にY子を慕っていたとは思わない。何か家との打ちとけ難い摩擦でもあったのか? それが、素因になってY子へ気持だけおぼれ込んで行ったのだろう。いずれにせよ、鹿島はY子とは一度逃げている。どんな関係が続いたのか、その後の事は、詳しくは知らなかった。二年の時の退学は、鹿島の家から願い出たものだった。
「水茶屋の、鹿島組の鹿島さんではなくって?」
「うん。その鹿島だ」
「まあ、やっぱり鹿島さん? こんな事申し上げてもお怒りになっては厭《いや》よ。実は私、鹿島さんからお申し込みを受けた事があるのです」
「ほう。いつ頃?」
「随分、昔の事ですのよ。未だ女学校出たばかりの」
「そいつは、貰われてゆけばよかったね。鹿島なら苦労はしない。さっぱりとしたいい男だ」
「そんなお噂のようでした。でも、学校を出ていらっしゃらないからというので、父が一番反対したのですよ。お母さんは、しっかりしたお家だから、と、随分気が動いたんですけれど」
「お前はどうだ。会うたのか?」
「はい会いました。何かこわいような気がする人で」
鹿島にそんな事があったろうとは、夢にも思わなかった。相手が鹿島であるだけ、陰気な重複とでもいった心が湧いて来て、私はおし黙った。リツ子も勝手な考えにふけるようで、黙っている。灯りの消えた部屋の中に、かすかな波の遠鳴りが響いて来た。街が焼けてから、昔聞えなかった波の音が、風の方向によって、時折鳴る。
「波の音が聞えるね。昔から聞えていたのか?」
「いいえ。滅多に聞えなかったものなのよ」
「そう。焼けたせいだね」
焼跡の鴎の姿が、一しきり私の心の中に舞い立つようだった。
翌朝から又リツ子は少し下痢気味の様子である。自分でお汁粉の誘惑に克《か》てなかったのだから、この度は私にもつとめてかくす風でこらえている。それでも、鹿島のことが、よっぽど気になるのか、朝の粥をこしらえて這入《はい》って来た母をとらえ、
「お母さん、昨日のお汁粉、あれ鹿島さんから戴いたんですって」
「鹿島さんて、誰かいな?」
「ほーら。水茶屋の鹿島さんよ」
「ああ、鹿島さん、な。どうしてさん、知ってあると?」
「高等学校が一緒ですって」
「まあ、そうな。今だから云うとだけど、よか人のごたったな」
「あのお汁粉、やっぱりかど屋のですって。かど屋がね、鹿島さんの従弟だそうですのよ。焼けて鹿島さんの家へ行ってあるって」
「はっきりとは解らんぞ。かど屋が焼けて、多分鹿島の家へ行っとるのだろうと思うだけの話さ。鹿島の家で始終お汁粉を食っとるようだから」
私は不機嫌にそういった。
「まあ! ええ身分なあ、鹿島さんな。リッちゃんが、一ペン貰われかかっとりますたい。鹿島さんから」
「ああ、ゆけば良かったと、昨日もリツ子にいうたところです」
「どうして止めたと、やったかいな?」
と母が云っている。さすがにリツ子は当惑そうな表情で、
「厭《いや》よ、何か怖《こわ》い所のある人のようで、私全然ゆく気なかったの」
私はいい加減に、リツ子の枕頭《ちんとう》の会話から逃げ出したかった。砂地の庭に下りるのである。何とか梅雨までに、リツ子の身体を松崎へでも移さねばならないと心はあせった。が、この日頃病気の安定するゆとりがない。空襲時の無理が、たたったせいもあるだろう。食糧の大変な窮乏にもよるだろう。熱が二三日平温に帰ると、又すぐヒュッと蒸気の中につける寒暖計のように、八度の線を越えてしまうのである。鹿島から借りた千円は、相変らずポケットの奥に這入っている。鹿島とリツ子の新しい関係を聞いてからは、尚更金の事は云い出し難《にく》かった。医師から買い入れ方を促されているヤトコニンを探して来る積りである。しかし結核に的確な薬物があるとは聞かないから、私には疑わしい。いずれ気安めの程度の薬だろう。私の友人にも同病の重患者が沢山いるが、医薬を常用しているものを知らなかった。
部屋の中では相変らず、リツ子とその母がヒソヒソと話し声を交わしている。多分鹿島との見合につながる思い出だろう。
太郎は何処にいったのかと、私は庭の柴折戸《しおりど》を明けて表の方に歩いてみた。
「太郎」
と大声に呼んでみる。返事がない。
「上《かみ》の方に行きよりなさしたばい」
と、向いの老婆が、ちょっと顎《あご》をしゃくってみせた。一丁近く離れた焼跡の中に立っていた。しきりに瓦の類を積み重ねて一人で遊び呆《ほう》けているようだ。水道の漏水が細々走っているのが、面白い様子である。いつこんな所を見附け出して覚えていたのだろう。焼け瓦を洗っては、積み重ねているふうだった。
「太郎さん」
「ハーイ」
と、ビックリ私を見上げて喜ぶのである。
「何をしとる?」
「苺《いちご》。ホラ、苺」
と、その瓦の間から、丸い石をつまみ出して、私に見せるのである。何か野中の叢《くさむら》をでも空想して遊んでいるものらしかった。すると、この瓦は何のつもりだろう。いぶかしかったが、どうやら川の堤防の辺りにつみ上げられた、金網の石を聯想するものらしかった。早く、田舎に連れ帰ってやりたいと私は不憫《ふびん》である。抱き上げる。手足をゆすぶって喜ぶのである。
「何しよった?」
「お川よ、チチー、お川よ」
と水道の細く噴き上る水を指さしている。どうやら濡れた一面を川と空想して喜んでいるもののようである。
「太郎、もう一遍昨日のオジチャンの所へ行こうか」
「行こう。行こう」
と、手足をばたつかせた。何という事もないが鹿島にもう一度会ってみたかった。返さねばならぬ飯盒と風呂敷のあるのが幸いである。私は太郎を負うて家に帰って来た。
リツ子が、又泣いている。
「どうかした?」
「いいえ」
と、首を横に振ったが、母といさかいを始めたものらしい。
「お腹の加減、どう?」
「少し下りましたけれど、もういいのよ、お父様。松崎においてある着物一枚、コッソリ売って戴けません?」
「ああ、金か」
と私はポケットの金をつかみかかったが、出すのはよした。
「お母さんがうるさくって、もうつくづく死にたくなりました」
「いくらあったらいい?」
「さあ、二三百円もあれば結構でしょう」
「ふーむ」
と、私は一度考え込むような様子をして、
「夕方でもいいだろう?」
「ありますと?」
「ああ、満洲の紙幣があるから、何とか交換を頼んで来よう。じゃ一寸廻って来る。鹿島の家にも寄って来るかも分らない」
「いやよ。さっきの事なんか仰言《おつしや》っては」
飯盒を風呂敷で包んで家を出た。出口のところでリツ子の母に会うのである。例の通り近所に、おしゃべりにでも出掛けていたのだろう。
「何処ですな? さん」
「ああ、鹿島の家に一寸飯盒を返して来ます。それから、銀行を廻って来ますが、何か御用事はありません?」
「いや、なか。銀行はなんですな?」
「満洲の紙幣を持っていますから、ひょっと替えてくれはしまいかと思って」
「あると? そんなら替えますくさ。いくらですな」
「ああ、千円」
「そりゃ、よかな。よーと頼んでいらっしゃい。替えるくさ」
「行って来ます」
と、例の通り、太郎を首にした。自分の嘘が、不愉快である。然し、鹿島との事が判ってみれば尚更リツ子は厭だろう。北京《ペキン》から発って帰路奉天の妹の所に一二泊の予定だったから、北京では友人から満洲の紙幣を千円ばかり替えて貰っていた。軍命で急に下車を禁止されたから、その千円は使わないまま持ち帰ってしまったのである。一度、リツ子にも見せた事があったから怪しむ気遣いは全くなかった。
少しあやうい空模様である。傘を取りに、あと返るのも、面倒だから、そのまま急いだ。派出所の脇に焼夷弾《しよういだん》の六角筒が山のように積まれていた。人だかりがしているようだから、一寸私も立止った。
「なんだ、なんだ」
と人々の、ののしり騒ぐ声が聞えて来る。派出所の中に一人の男が連れ込まれていた。どうやら焼夷弾の六角筒を盗み出してゆこうとしたものらしかった。車一杯である。何の目的でそんな事をするのかは解らなかった。焼夷弾なら未だ焼跡を探せば、車の一杯や二杯は集められるのではないか。どういう訳で派出所の横の焼夷弾迄引き出そうとしなければならなかったのか。肝腎《かんじん》の話の所が聞きとれない。
「気違いか、馬鹿だろう」と云っている人もいた。
無用の事に足を取られていたのが、一寸忌《いま》わしかったが、戦争下可笑《おか》しな出来事だ。私は太郎を抱いて電車に坐りながら、鉢巻の女学生の運転手や車掌を見ながら、先程の男の姿を心に描いた。後姿を見ただけだが特徴のある、うなじの縊《くび》れざまだった。
鹿島の家は、相変らずガランと静まったままである。昨日の通り、奥さんが、物静かな鄭重の態《てい》でやってきた。
「よくいらっしゃいました」
「いますか?」
「はあ。じき帰って来ると思いますけれど。どうぞお上りになってお待ち下さいません?」
暫く私はためらったが、今日はしきりに、会ってみたかった。
「じゃ、遠慮なく上ってお待ちします。昨日のお汁粉どうもありがとうございました」
「ほんの少しで」
「やっぱり、かど屋のでしょう?」
「ええ、ずっとこちらに来ているものですから」
「そんな味だと女房が喜んで居りました。くれぐれもお礼を申し上げて戴き度いと云う事でしたから」
昨日の座敷に通された。テマリコが、黄と紫の中間の色に見えていた。どちらに移ってゆくのかと、その不安定な色のうつろいを眺めている。テマリコの葉に匐《ほ》うているのか、雨蛙《あまがえる》がうるさく鳴き始めた。見ている間に、パラパラと大粒の雨が降り始めた。たちまち雨足を真白にしぶかせながら、沛然《はいぜん》たる大雨がやって来た。
「生憎《あいにく》雨で」
鹿島の奥さんの入れてくれる茶が、しばらく、私の鼻に香るのである。
「お縁のガラス戸をお立て致しましょうか?」
「いえ、降り込み始めたら、私がしめさして戴きましょう」
太郎を膝に抱いたまま、私はさかんな庭の泥水の行衛を見守った。丁度燈籠《とうろう》の手前の窪み辺りに集って、熊笹の向うから、渦を巻き、左の低みの方に流れてゆく。
太郎は縁に立って、驚いた表情で庭の雨を見つめている。自動車のエンジンの音が聞えて来た。玄関に横附にされ、細君が走り出てゆく様子だった。
「おう、おう」
と鹿島の声がもれて来る。そのまま、座敷の中に這入って来た。
「雨の中を、よう来たな」
「いや、今降り始めたんだ」
「そうか」
と鹿島は、それだけ云うと、又部屋を出て行った。鹿島より先に奥さんが、七輪を持って座敷へ来た。女中が大皿を持って続くのである。鯛チリの支度のようだった。太郎が目を丸くしている。
「これなーん。ん、なーん?」
と例の驚きの言葉を連発している。
「お魚ですよ、鯛じじですよ」
「鯛じじのお目々、大きいね」
「坊っちゃん、お魚すき?」
「うん。うん」
と頷《うなず》いている。鹿島が和服に着換えて這入って来た。
「よく来た。一寸お前と又会って見たく思っていたところだ」
「何か用か?」
「いや、有佐の製材現場の事なんだが、丁度山小屋が一軒あいている。どうだろう、お前達一家?」
「有難い。然し今一寸、女房の体が鹿児島までは無理のような気持がする」
「そうか。急ぐことはないが」
「動かせるようになったら、よさそうだな、そこは」
「但し、原始生活だぞ。貴様のような里恋しい奴には長続きせぬかもしれぬ」
「馬鹿。自分だろう?」
又酒が運ばれた。
「坊っちゃんには、ホラお汁粉」
と奥さんが、太郎のお汁粉を運んできてくれている。蓋を取ると新しい焼立ての餅が浮んでいた。太郎が待ち兼ねたようにお汁粉に口をつけて、唇を焦《こが》す風である。
「熱いですよ。よく冷《さま》さないと」
「なーん。ん、なーん?」
といぶかる太郎を見つめて笑いながら、奥さんが、七輪の火を団扇《うちわ》であおいでいた。
庭の雨は相変らずたたきつけるようなはげしさで降っている。テマリコと南天の葉々が雨の勢いにうなだれて時々、身もだえては溜った雨滴をバラバラと払い捨てる模様である。
「オイ、やろう」
鹿島の声に盃《さかずき》を上げるが、今日はやや大きめの透明なグラスである。ギュッと乾した。
「家の者達が、昨日のお汁粉に驚いていたが、やっぱりかど屋のだそうだな」
「うん。菓子も作りたがっているが仲々材料が揃わんので」
「せいぜいお汁粉の配給を願うぞ」
奥さんが例の含み笑いで静かに部屋を出て行った。
「今度は最中《もなか》の配給をしてやろう」
「有難い。そいつは、今日か?」
「今日ではない。今から原料を買い集めての話だ。気長に待つさ」
「いつから菓子道楽など始めた?」
「いや、これは商売だぞ。今の所、俺の本業よりずっと収益を上げている。自動車で高い菓子を、配って歩くのさ」
鹿島はそう云って雨の音に、挑むような空虚な笑い声を響かせるのである。
「お汁粉は商売にならんだろう?」
「いや、これが俺の家の頼りの綱だ。始終司令部と県庁と鉄道に配っている。すると不思議なもんだ。砂糖がすべり込んで来る。色々な利権が迷い込む」
「時に鹿島、面白い話をきき込んだ」
「ふむ?」
とグラスを口許迄持ち上げて、いぶかしそうに私の顔を見つめている。
「高山リツ子を知っているだろう?」
「おう。そいつは俺が追い廻して、申し込んだ記憶がある。随分昔のことだぞ。が、ことわられた。いい娘だった。今では文士の女房などになって、苦労をしとると云う」
「なんだ、知っとるのか?」
「ハッハ、お前が聞いた頃は俺もやっぱり聞いたろうさ」
「興冷めした。皆目、つまらぬ。今日出掛けて来たのは、お前の反応を試してやろうという魂胆からだった」
「貴様に、そう古疵《ふるきず》ばかりあばかれていたんじゃ、立つ瀬がないだろう。が、どうだ、状態は? 一度ゆっくり黒田博士に見せるがいい。女房を同じ病気で亡くした人で、人柄は信頼出来る」
「今のところ女房の身柄を、今日明日にも松崎のおふくろの所へ移したい意向がある。下痢なんぞで、伸びのびになっているのだが。移ったらその医者、向う迄来てくれるか?」
「ゆくだろう」
「こちらの状況が一寸安定した時に、見て貰いたい。今は何と云われようと、立てた方針を変えるわけにはゆかないのだから」
「そうだな、結核という奴は、別段どうする事も出来ぬものらしい。ただ現状を正しく知っておくだけの事は要るだろう?」
「レントゲンか?」
「ああ。平熱で起きられるなら、一度是非病院で写真を撮るがいいと云っていた」
「その運びにならないのだ。安定しかかるとすぐまた新しい障害で病状がぐらつくようだ」
「うむ。それが進行状態の結核の特徴だそうだ。ちょっと話だけは今日も黒田にしておいた。今、誰かに見て貰っているのか?」
「ああ、あれこれと三人ばかりの医者にかかっている。おふくろが、移り気で、一人の医者が信じ切れぬものらしい。かかってはやめ、かかってはやめるといった按配《あんばい》だ。黒田博士はありがたいが、今の家に来て貰うのは、こちらの方で恐縮する。きっとおふくろのむら気の巻添えになり、とんだ、迷惑をかけることになるだろう」
暫く二人共雨の音ばかりを聞いている。久しぶりに、わけぎと唐辛子の細かくふりこまれた故郷のチリには、するどい柚子《ゆず》の酸味がはしっていた。鹿島が、大きな鯛の眼玉をえぐり出して、珍らしく太郎の口の中に頬張らせている。
「不思議だ――。いや、馬鹿馬鹿しい」
何を考えるのか、鹿島はそう云って、呆《とぼ》けたように、太郎の顔を見守っていたが、
「仮りに俺が貴様の女房を貰っていたとして、こんな息子が生れていたというわけか? こいつらが、育っていって、さて、恋だ、戦争だ、病気だ。いやその行末など考えると……これは、おそろしい話だな。おい、――」
鹿島は、何か投げ出すふうに、肩をゆすって笑っていたが、涙でも出てきそうに、キラキラとその眼が光っていった。異様な、発作的な表情である。学生の頃の、純潔が、何というか、歳月の中で新しい狂気の隈《くま》を取っている。
「鹿島。おい、貴様も子供を産め!」
「おうおう。手当り次第百人ばかり産んでみるか?」
鹿島は馬鹿馬鹿しく大声で笑って、それから酔いの中に陥没してゆくふうだった。
梅雨が来る。その僅かな合間にも、日本の町々は次々と焼け落ちていった。
私は太郎を首に吊《つ》りながら、食糧を探し歩いたが、青い茎と葉ばかりの玉葱《たまねぎ》をようやく郊外の農家からわけてもらってきて、ラッキョウほどにふくらんだ玉葱の玉をぶらぶらゆすってさげて帰ってきた折の、城の石垣のあたりの焼けざまを、今でも妙にはっきりと覚えている。
兵営は土台石だけが黒く焦げ残っていた。間々《まま》桜や松が、直撃をでも蒙《こうむ》ったのか、ヘシ折れて、ちょっと太古の埋没都市が発掘されたふうだった。
芸術とは何か? いやいや、そんな間《ま》ぬるい問題は残っていない。生存とは何か? そんなことをとりとめなく考えながら、城址《しろあと》を斜に横切って歩いていた。
すると関聯もなく、支那の六塘《りくとう》あたりを歩いていた昨年の自分の姿が見えてくるのである。いや、心の状況が――。
犬一匹通わない、赭土《あかつち》の南斜面の丘陵だった。何ということもなく、ただ真向いから、定めの風といったようなものが吹きとおしていた。余りの空虚さに、ふいに自分の心が、はらわたの中で捻転《ねんてん》するふうだった。
が、南斜面に相変らず秋の陽差しが赤くちろちろと降っていた。仮りに太初の人が、たった一人、同じ向きに歩くとして? この丘陵の見晴らしと、小川のさまと、野芹《のぜり》の繁茂の状に安住の穴を掘るだろう。洞窟《どうくつ》の入口から、しばらく体をさしのべて、風速と日光と乾湿に、己の心身が保全されたか、どうか確めるだろう。更に、俯瞰《ふかん》の眺望を点検しながら、外界からの危害の有無をそっとおしはかってみるだろう。さて、小川の水を汲み、発すれば石斧《せきふ》を取って鳥獣と魚を追うだろう。その肉に、野芹《のぜり》の青菜を添えるだろう。
とすると、審美の根源の分岐点は、この原始の自己保全の快不快に拠《よ》らないか? 拠るとして?
うつそみの我身に足らふ
あめつちのそよぎにかけん
宿なしごころ
人に見せ得るような歌句にも何もなっていないが、そこに自分を育成する拠点を見たように思った日があった――。
私は首の太郎を、ひきおろして、しばらく焼けはてた城址の荒廃を見まわしながら、昔の歌を、そっと繰りかえしてみるのである。
が、今の感銘は更に荒《すさ》み果てているようだった。敗亡の色が、自分の心にまでにじみわたっている。
あざらけき玉葱の茎
青く切り 辛くも堪ゆる
いのちにて あらし
その玉葱の茎を細かく切って、リツ子の粥《かゆ》に煮込んでやった。
下痢はどうやらおさまったが、リツ子の病状は梅雨《つゆ》に入ると愚図ついた。垂れこめた梅雨空のように低迷して、一進一退を繰りかえしている。
然し梅雨晴れと一緒にリツ子を、松崎の私の母の家に移す。多少の熱を押し切っても、と決ってから、今度はリツ子の母が奇妙に昂奮するのには驚いた。
つい二三日前迄、自分の方の疎開先が決っているから、一刻も早く私達の所在を決めて、そこに移る段取りを立ててくれと、云っていた癖に、
「リッちゃん、親ば棄てていったら、ろくなことはなかばい」
「どうして? お母さん。お母さんが、置いてくれんというから、松崎のお母様の方に御厄介になるのではないの?」
「置かんって、いつ云うた? あんた達が、居るふうもなかけん、するごとしなさいと、云うたろうが?」
相変らず、とりとめのない争論の果に、リツ子が泣くのである。いざ別れると決って、愛惜が残っている。その愛惜を勝手な理窟に変えて、嫌がらせを云うのだろう。
「さん。あなたには少し云いたいことがあるとですよ。この病気には、鶏やら、バタやら脂もんをいっぱい、取らせなあ。正道の時は、三日に一羽ずつはつぶしたもんたい」
例によって、私の非力を喞《かこ》つ愚痴になる。私も重々わかってはいるが、ようやく長い旅から帰りついたところで、生計に何の目論見《もくろみ》があるわけもないではないか。
今の処、漢口から送った五千円の到着を待つ以外、私に新しい打開の方策は全くない。私は黙って聞き過しながら、それでも松崎にたどりついたら、この金で、取りあえずの食糧だけは掻《かき》集める、と鹿島の千円にそっと触れてみるのである。
まだ熱は引かないが、松崎へ移る稽古《けいこ》に、用便の都度、リツ子を部屋の中に歩ませる。
「大丈夫よ。お父様。ほら」
ちょっと、太郎の手を曳《ひ》いて、十畳の座敷を往《い》ったり、来たり、新しい生活の期待で、心が浮き上るふうだった。病臥《びようが》の長さから、しきりな新生活への希願がある。一概に、そんないい生活が待っていようとは私には思えないから、浴衣の下の青白い足首を、私はつくづく可憐《かれん》なものに眺めている。
松崎へのリツ子の期待は、リツ子の母と、はげしく反撥し合うようだった。
「何な? のぼせ上って部屋を歩いたりして」
「でも、松崎へ行く時のお稽古よ」
「もう忘れたな? さんの留守の時、松崎から泣いて逃げて帰って来つろうが?」
リツ子は黙って泣いて蒲団の中にもぐりこんで終うのである。或は、そんなこともあったのだろう。家族制度の持つ不快な呪縛《じゆばく》の面に私も気附かないわけではない。然し、そこから脱出し難い現状の自分の非力が、感じられるだけである。
が、自分達が非力の時に、一番この呪縛の方に巻きこまれてゆかねばならないのは、つくづく心外な気持である。
「お父様。お母さんの、あんなのね、あれ、みんなやきもちなのよ。あなたや、松崎のお母様への」
夜更の床の中からリツ子が低い声で云っている。
「私が、あんまり浮き浮きするものですから、お母さんは松崎を妬《や》いてるんですの。その癖、もう私の介抱には飽き飽きして、この間は早く何処かへ出て行けなんかと云うでしょう。何云っているのか、わからない」
いや、リツ子にも私にも判っている。やっぱり娘は可愛いのだ。然し、私の収入のない現状から、リツ子の際限のない、負担の限度に脅えているのだろう。
「あーあ、死んだお父さんさえいてくれたら」
リツ子はそんな嘆息に移るようだった。
もし、リツ子が丈夫なら、と私の利己心が描く幻影に、私はこっそりと一人でひたっている。また、今頃は何処に旅立っているだろう?
「お父様。太郎お父様」
リツ子の呼応に、眼がさめた。
「何?」
「太郎、おしっこでしょう、きっと。さっきから、何度もうめいて寝返りを打っているようですよ」
「おう」
と私は蒲団の中から太郎をひき抜いた。掛物が厚すぎるのか? くるみこまれて、体一杯汗をかいている。縁側からさし出してやるが又、じめじめと梅雨である。
「すみませーん」
リツ子の長くひっぱる声がして、それからあちら向きに所在なげに寝返りを打つようだった。
リツ子が昼間の太陽をこわがるし、それに西鉄電車の閑散の時間を見はからって夜にした。思った程のことはない。結城《ゆうき》のモンペを附けて夜の道をやすやすと歩むのである。出がけにリツ子は又母と口いさかいをしたものだから、ようやく逃れだしたというふうに、立止って空の星を仰いだりする。
電車を二台やり過して、改札口の先頭に三人並んだ。雪崩《なだれ》を打つ。私は太郎を首に掛けたまま走り、ようやく一つだけ座席を取って、遅れて揉《も》まれながら太郎を呼んでいるリツ子に、そこへ掛けさせた。
リツ子は太郎を抱くと云っているが、ようやく疲労の色が見えてきたようだから、私は肩車のままである。
「ねえ、太郎。ここへタッタ」
自分の後ろを指してみせている。然し太郎は、もう私の頭に顎《あご》をつき、眠りはじめているのである。
「いいよ。よりかかって休まないと、後でこたえるぞ」
私が云うと、リツ子は力なさそうに、眼をつむる。時間が遅いのに、相変らず腹の立つような混雑ぶりだった。
小郡《おごおり》で降りる。リツ子が降り際《ぎわ》に、一つよろけるようだった。電車に酔ったのか? ちょっと空を見る、深呼吸でもするふうで、今度はあわててハンケチで口をおさえた。それから外し、臆したように、自分で、そっとそのハンケチをのぞきこんでいる。ホームの上の街燈は暗かった。が、やっぱり黒い血がハンケチの上を匐《ほ》うていた。
「何だ。気にするな。太宰《だざい》などしょっ中だぞ」
叱るように、低く、声をはげまして云うのである。首の太郎は眠っているから、私の上でガクリと横にのめりおちそうになる。
私は改札口を出て、木蔭の所にリツ子をかがませた。昨日預けておいたリヤカーを取ってきて、三枚の座蒲団を按配し、太郎とリツ子をその上に寝せつけた。
「大丈夫か? 少しの我慢だ」
リヤカーを曳《ひ》く。重心が前によっていて馬鹿に重いが、位置を変えさせるのは面倒だった。それより医者をどうしよう、としみじみ田舎の心細さを味わうのである。
それに今日はついたばかりだ。ついた夜から母に喀血の状況を知らせるのはさすがに嫌だった。闇夜の田圃《たんぼ》道に、かわずの声ばかり潮のように、ひろがっている。
宝満川にさしかかった。長い橋である。ここが半道だ、と私はリヤカーの手を握ったまましばらく立留った。額の汗をぬぐうのである。むかし、リツ子と二人、この道をゆっくり歩いたことを思いだした。丁度こんな夜だ。橋のてすりに寄り添うて、長い接吻を交わしたが、誰も通らぬ暗い夜の橋だった。
蛍が一つ低い川面の上をすれすれに滑《すべ》ってゆく。それも今はリツ子には知らせなかった。リツ子はハンケチを口に当てて、リヤカーの上に仰向きながら、黙って空の星を見上げている。例の潮騒《しおさい》のような遠い蛙の声が、またたく星を頼りなくゆすぶっているふうだった。
「ただ今」
と私は母の家の玄関で、ちょっと声がふるえた。燈火管制で真暗のようだった。その闇の中に母の姿を眺めながら、夜更についたことをひそかな仕合せに思っている。
「まあまあ、よく来ました。リツ子さん。お加減どう?」
「有難うございます。お蔭様で。こんな体なのに、又御厄介になりに来ました」
リヤカーから立って出て、風呂敷包を一つにぎり、しっかりと語を句切るように云っている。
「ずっと寝つづけだったのに、今日電車で揺すぶられて、少し参ったようでした。大変な混《こ》み方だ」
「さあ、早くおあがり。私もうこちらで暮すことに決めたのよ。新家の方に私達住むから、御座敷の方を、あなた達、使いなさい。しっかり養生なさいね。リツ子さん。あなた、気弱く余り寝過ぎたのではないかしら?」
「はい、有難うございます」
リツ子が風呂敷を持ったまま、何度も首を垂れている。
空襲警報が聞えてきたのは幸いだった。母は蒲団だけ手探りで探りだし、
「いいようにして、寝て頂戴ね。こんなだから、もう晩は何も出来ないのよ」
「はい、はい」
と私は蒲団を拡げていった。
「リツ子。すぐ寝なさい。もう大丈夫だ」
リツ子は素直にモンペを脱いで床の中にもぐりこんだ。閉めてあった雨戸を、南だけ四五枚繰りあけて、私は星明りを頼りに井戸端からタオルを一本濡らしてきた。一緒に汲んできたコップの水を、リツ子はコクコクと喉《のど》を鳴らしながら飲んでいる。
「お父様。今夜のこと、お母様に仰言《おつしや》らないで下さい、ね。明日はきっと大丈夫なのですから」
「でも、明日の朝、医者だけは呼んで来よう」
「いえ、止めて。お願いですから」
しかし、しきりな不安は蔽《おお》えない。私はタオルをひろげ、リツ子の胸の上にそっと湿布して、それから額の熱さをはかってみた。余り熱はないようだ。何《いず》れにせよ、明日の状況如何《いかん》によることに、自分だけは決めている。服を着たまま眠っている太郎の脇に、私は静かにもぐりこんだ。
「あのあと、また出たの?」
「いいえ、でもこんな体で、お母様にお気の毒で、やっぱり、福岡の母の処へ、何と云われたって、しがみついていればよかったのに」
移動の夜の喀血には、私もこたえた。もともと、その病気なのだ。冷静に考えれば、病態に格段の変化があったろうとは、思えないが、何か眼の前に拭うても消えぬ暗影が現れた心地である。殊に、一新した療養生活に入れてやろうと思っていた矢先である。私の母の許《もと》では、今迄思いがけなかった、新しい種々の障害に気がついた。病態を明かせない。重いと云えば不快を感ずるに相違ない。軽いといえば、外見の軽快をばよそおわねばならず、これはリツ子に過重の生活を強《し》いることになるだろう。
初め母が、野中か松崎か二軒のうち一軒に住みついて、残りの一軒を明けてくれる筈だった。が、やっぱり私が松崎に居れば、自然と心丈夫に思って、こちらへ帰りたくなったのだろう。まだ弟妹が来ていないのは幸せだ。それには、とにかく、独立の二棟があることは有難い。
まあ、どうにかなる、と私は遠い例の蛙のしぐれを聞きながら、無理に眠りをおびきよせるのである。
リツ子は夜通し眠らなかったようだった。朝方から真青《まつさお》になって眠っている。気になってそっと額に触れてみるが、熱はない。一晩眠ってしまうと、何か昨夜の喀血が夢のように疑わしいものに思われた。
太郎は早く目覚めたのか、もう母の処へ遊びに行っている。今晩は久方ぶりに鶏でも一羽つぶしてもらおうかと、洋服を手にとった。ポケットの例の金をさぐって見る。無い。あわてて左ポケット、内ポケットを探ってみる。消え失せている。ハンケチに小さくくるんで、昨日迄たしかに、この右ポケットに入っていた筈だ。裏がえしても見たが全く無い。
蒼《あお》ざめた。更に、憤怒《ふんぬ》した。が怒りはあてどもなくブルブルと自分の胴をかけめぐるだけである。リツ子もおこせなかった。知らせず、こっそりと今日迄かくしていた金ではなかったか。
太郎を首に掛けて、両手で吊革に下っていた、電車の混雑の中のことに相違ない。昂奮が沈静してゆくと、しきりに恥かしかった。自分は仮りに泥棒にはなっても、守銭奴《しゆせんど》にはなるまい、とむかし自分に云いきかせたことがある。世帯染みて、へそくり金迄つくっていたとは全く天下の物笑いになるだろう。自分を励まして、強いてさかんな哄笑《こうしよう》に移ってみた。笑い足してゆくと、腸がよじれるように、次第に可笑《おか》しくなってゆく。
梅雨が上ったようだった。吹き抜けるような、己の性情を、よしともう一度たしかめて、笑いながら庭に降りてみた。
母が太郎と一緒に北庭を掃いている。梅雨上りで百日紅《さるすべり》が素晴らしい葉の色を見せていた。北の端に植えたのより、縁の近くに植えた百日紅の方が格段の生長を見せている。五六本の幹を、よせ合せて植えたのが、風情《ふぜい》よろしくもつれ合って、屋根より高く延び上っていた。庭の中央から見ると、逆光を浴びて、まぶしい空の中に顫《ふる》え輝いているようだ。
「一雄さん、どうしたの? 朝から目出たいことでもあったわけ? 一人で長く笑ったりして」
「ああ、目出たい。すりから、持ちもしない金を、全部やられて終ったのですよ」
「いくら?」
「千円」
「何のお金?」
「ああ、リツ子の栄養費だと思って、伊崎で使わず、かくしていた金ですよ」
「だめですね。いつもお金のこととなると、あなたはうっかりしているから」
「もともと借りた金なんですよ」
「どなたから?」
「ああ、鹿島という友人から」
「尚更、大切にしなければならない、お金じゃありませんか」
久しぶりに帰ってきた庭だから、母は手入れに飽かない様子である。が、花は何も咲いていなかった。
「野中に逃げている間に、何も彼も散りました」
「空襲の時はね。僕の真似をしてかくれなさい。何のことはないよ。支那の一本道で、日に二度ずつきまってやられたのですから」
「リツ子さんは?」
「まだ寝ています。昨晩場所換りで朝迄寝つかれなかった様子です」
「そう。じゃ御飯にしましょうか。今年はね、とうとう太郎の鯉のぼりも立てなかったのよ」
「そうだ、鯉のぼり、そいつは素晴らしい。今日立てようじゃないですか。あのさるすべりの上あたり」
南の百日紅の梢《こずえ》を母に指してみせるのである。
「アメリカの飛行機、大丈夫?」
「まさか、鯉のぼりを狙いは、しますまい。立てよう。立てよう」
私は久しい梅雨の心をかなぐり棄てたかった。母も面白がって、物置に這入っていったが、布製の巨大な赤黒の鯉のぼりを探し出してきた。
「じゃ、一雄さん。あなた、立てて頂戴ね。今日はお庭で、おにぎりにしましょうよ。私、用意してくるから。リツ子さんも、此処まで呼んで来たらどう?」
「ああ、昨夜参っていたようだから、昼迄、とても起きられません」
私は竹竿《たけざお》に鯉のぼりを二つ縛り、梯子《はしご》に縋《すが》りながら、百日紅の頂上に結えつけるのである。
「太郎。ほら、鯉ジジよ」
「鯉ジジ、鯉ジジ」
と太郎が下で足を交互に踏み換えながら、有頂天になっている。私は下に降りて見上げてみた。梅雨晴れの空の中に、上の黒鯉だけが、風を呑んでしっかりと泳ぐふうだった。
母が蓆《むしろ》を持ってやって来た。ちょっと見上げ、
「まあ! いいね、鯉のぼりは、ほんとうにせいせいする」
私は芝生の高みに蓆を敷き、太郎を抱いて胡坐《あぐら》を組んだ。鯉のぼりを庭に立てて喜ぶのは、もう、絶えて十年来無いことだ。あれは、何年の昔になるだろう。亀井勝一郎の芝生の庭先で、奥さんに無理に、握り飯をねだって作らせ、食べながら眺めた鯉のぼりのことを思い出した。あそこには娘の悠乃一人しか生れていない時だったから、すると、あの鯉のぼりは、隣家の奴だったに相違ない。支那事変で私が召集を受ける少し前だった。
同じような、素晴らしい光と風の午前のことだった。が、今日の大戦乱と、もう誰が見ても免かれ難いような日本の敗色を、あの頃夢想だにもしなかった――。
「鯉のぼりは、あれでいいの? 黒赤の上下は?」
「ええ、いいでしょう。下世話《げせわ》にね、恋は苦労が先に立つと云って、黒を上にするならわしのようですよ」
「どうしたろう? あの赤は。ちっとも泳がない」
「口の竹骨が折れているのではないのかしら」
高いから少し強過ぎるような風を受け、黒鯉はハタハタと胴を張って青空を呑むのである。
「月遅れの鯉のぼりなどと、やっぱり戦争のお蔭ですよ」
私は微風の中に腹をふくらますようにして大きく笑い、母が入れてくれる茶をすすってみた。
珍らしく飛行機が来なかった。昨日から、何とはなしに不思議なことである。一昨日、カラーンと、近いところに音がして脅えたのは、燃料タンクが裏の竹藪《たけやぶ》の中に落ちたのだ。キラキラと光る、ジュラルミンの紡錘状の罐《かん》だった。
たしか屋根の辺りにもはげしい物音がしたと思ったが、気をつけて見ると、母屋《おもや》の屋根瓦が一枚粉微塵《こなみじん》に砕けている。やっぱり銃撃を受けたのか。
郷家にいて、戦場を歩いていた時と全く同じ有様に変ってきた。
中国を歩いていた時は、その日その日の露命を逐《お》い繋《つな》いでゆくことで一杯だった。時に妻子を思わぬでもなかったが、遠く離れているとどう思ってみても現実の心配に近寄りにくい。何かしら故国の神とでもいったものが、リツ子や太郎を包んで、ぼやっと庇護《ひご》してくれてでもいるような気持であった。何処で自分の命を抛《ほう》り出さねばならないか、わからなかった。死をおそれなかったわけではない。が、自分の道というか、自分のいのちというか、そんなものをみつめて歩きつめながら、さて、パタリと戦野の果の中に屍《しかばね》をさらしても、何もわめく程のことはない。こんなに明瞭に、自分の生命のありようを思いつめている時に、知らずして命を失うのは、とりかえしつかぬような気持もあるにはあった。
然し、何といっても私は軍人ではなかったのだ。おびきよせられてこの戦場を踏んだわけではない。引きかえそうと思えば、漢口から三ケ月で帰って終《しま》ってもよかったのである。その三ケ月が私に与えられた軍からの課題であった。戦場の奥に迷いこんだのは、まったくの私事である。人様と関係あることとは違っていた。だから死が、来るときにはまた、止《や》むを得まいと思っていた。自分で招いた死だ。軽率と云えば軽率だろう。軽率と云われようが、生得の性は変えられない。
仮りに風光を慕ったなどと気取った言葉で修飾をしてみても、そんな稀薄《きはく》な原因から、あれ程の馬鹿な旅が続けられるわけのものではない。なるほど、時に杜甫《とほ》の足跡と自分の足跡とを重ねてみたい気持はあった。然しまた、私は来陽から随分と奥に迷いこんで終っている。祁陽《きよう》、零陵、全県、興安、桂林、茘浦《れいほ》、柳州と、まさか柳宗元の貶謫《へんたく》されていった道を、尋ねるだけの風狂心は、私にはなかった。茘浦あたりの突兀《とつこつ》たる山容を、噴出する自然力の逞《たくま》しい美しさと仰ぎ見て、一途に己の力をその山々に対比してみたかった。柳宗元は、あの山を少女の簪《かんざし》などに譬《たと》えている。
一口に云ってしまってみると、奥地へ奥地へと私のあの狂気染みた旅の念願は、己の心の平衡を匡《ただ》してみたかった。凡《あら》ゆる価値の、陰惨な変動の場の唯中で――。
その旅の中に、かりに私の心身が亡びるようなことがおこっても、これは仕方のないことに思っていた。屍を離れていった妄執が戦野を駈けめぐれば、それでよい。私は路傍に転がっている彼我戦死者の表情をひとつひとつ覗きこんでいってみて、自分ながら自分の果てしのない念慮の狂おしさをいぶかったものだった。
そんな日に、妻子の夢は見なかった。見ても跡形もなく消えていって終うのである。が、家にたどりついてみて、さて妻子を両手に抱えて見ると、自分の生命はいつのまにか人の支柱に変っている。病む妻と三歳の童児のものである。この妻子を置いて、死ぬわけにはゆかなかった。むなしいわびしさだ。旅の日に、己のいのちと影のありかをしっかりと、みつめていたのを、又見失った心地である。この日頃防空壕の砂塵《さじん》をかぶっては、やりきれぬ憤怒《ふんぬ》を味わった。敵機が去ってゆく、冴《さ》えた真夏の空の青さにかくしきれぬ鬱を放つのである。
今日はまた馬鹿によく晴れている。母が腰の物を一つ纏《まと》っただけのまる裸で、洗濯に余念がないようだ。五十を越えているとは見えなかった。リツ子よりも豊満な女の肌で、両の乳房がぶらぶらとゆすれるままである。もっとも私もパンツ一つのまる裸だ。山林の中で、邸《やしき》が広いからいいようなものの、こう打続く敵機の来襲で、訪客など絶えて無いから構わぬようなものの、親子、孫の太郎迄が裸でいる。太郎は何かしきりに虫けらを追っていた。
「今日、来ませんね?」
母はちょっと笑いかえしながら私を見上げ、
「来ないようですね、来ない間に、お洗濯でもしとかなくっちゃ」
「乾したりすると、又やられるよ」
「もう死んでもいいのよ。こんな陰気な世の中に生きていて、どうします。でも、裸ではね」
又一しきり水に揉《も》みながら、
「あなたが、東京では銀座でも裸でいるよなどというものですから、真《ま》に受けて、すっかり裸に馴れました。もう何も着るのが面倒になったのよ。空襲の時だけは仕方がないから、浴衣をつっかけるけどね」
「いいじゃないの、裸で死んだって」
「いや、いや。それだけはまだ嫌ですよ」
「どうして来ないのだろう? 今日は」
ともう一度私は空を見る。
「来なくても落着かないものね? ラジオでも入れて見て御覧なさい。何処かへ沢山集って、上陸でも始めたのかもわかりませんよ」
「上陸かもわからんね。来たらどうします?」
「仕方が無いじゃないの」
なる程、仕方の無いことだった。私は勝手のラジオにスイッチを入れてみた。聞きとりにくいが、天皇が何か重大放送をするというようだ。十一時。十一時に聞きもらさぬようにしてほしいと、そんなことを繰り返し云っている。
「十一時に重大放送があるそうよ。天皇の」
「陛下の?」
と母は頬の筋肉をこわばらせて蒼ざめた。面をかえている。
「何かしら? きっと最後の戦いよ。皆な死んでくれと仰言るんでしょう。もう、死んでもいいことよ。でも着物だけは着て来なくちゃ――」
そう云い残して母はあわてて部屋の中にかけこんだ。そうかも知れぬ、と私も、そう思った。サイパンが陥《お》ちてから、このかた、もう全く行衛の知れぬ戦いだ。暗鬱な焦慮だけが、誰の胸にも巣喰っている。どうなるのだ? 本土決戦といっても、何を私達はすればよいというのだろう。正確な対処法の知れぬ人生というものほど、味気ないものはない。選び取る道が、失われているではないか? 死ねと云われれば死ぬより外にないだろう。が、狐《きつね》につままれたような、味けない死にざまだ。
私は黙って庭添いに病室の方へ歩いていった。リツ子は蒼ざめて、北窓に垂れ下った八ツ手の葉々を見つめている。生死の分岐路をでも、みつめているふうだ。私には気づかない。気づいても、物憂いのか?
「リツ子。天皇の重大放送があるそうだ」
チラと私の方を見て、それから肯いた。
「聞くか? 茶の間まで行って」
いやいやとゆっくりつむりを振った。軽い咳である。喉の痰《たん》を一つ飲みこんで、
「どうぞ、聞いて下さいな。太郎は?」
そこまで云って、又声がかすれる。一しきり、その障害と争うように、力のない咳が続く。
「熱、出そう?」
肯いている。この四五日間断のない空襲で、リツ子も松林の防空壕まで逃げていた。麻布の浴衣に胸をはだけている。扁平な、乳房の萎《しぼ》んだその胸が、北窓の葉々の照りかえしを受けて、青んでいた。
殺すとすると、この蒼ざめた額の辺りに、一撃を浴びせるのか? 出来ない。松の枝に吊すのか? それとも、薬?
「リツ子? 伊崎の家に、青酸加里は、あったかね?」
リツ子の里の家である。その父が在世中は医者をしていた。キッとなって、私を見る。
「敗けましたの?」
「さあ、わからない。どっちにせよ、勝った筈はないだろう」
「青酸加里は無かったでしょう。何か他の薬なら、残っているかも知れませんけど。正道に聞いて下さいな」
そう云って、北窓の方に向き直った。
「あわてることも、ないだろう」
うむうむと肯いている。感動のない表情だ。勝手に考えて、勝手に処置してくれとでも、云いたげだ。暑さのせいか、又、三十八度台の熱が、正確に、四時頃出る。
茶の間の方に帰ってみた。母が、太郎にも服を着せて、ラジオの前に坐っている。抱いたまま、私を見上げ、
「リツ子さんは?」
「聞かないそうです」
「でも、何か覚悟しなければならないことなら、一緒に聞いた方がよくはない?」
「いいでしょう」
「あなたは、裸?」
「いいさ裸でも。生れた時の恰好だから」
「上着だけでもおかけなさい。新のがあるのよ」
と母は太郎を横にはずして、箪笥《たんす》の一番下の引出しから、弟の霜降りの学生服をとりだした。
「じゃ、着よう」
片袖を抜きとおした時に、アナウンサーの声をうけて、妙な、ひきつるような、オクターヴの高い音が響いてきた。聞きとりにくい、ピクピクと癇《かん》にふるう声である。天皇の放送のようだった。
母があわてて、畳に坐り直し、太郎を抱きよせた。頬から耳の辺り不吉にこわばらせて、聞きとりにくい言葉を摸索するようである。
「五体為《ごたいため》に裂く」とか、
「忍び難きを忍び」とか、しきりに抽象の言葉だが、知らせたくない事態が、表現として修飾されているに相違ない。
敗戦の模様である。肩を顫わせて、母の悲泣の声がはじまった。
「敗けたな」
私はそれだけ云って、思いがけない屈辱感に身裡《みうち》がそよぎはじめてくるのを感じていった。自分達の風物が、自分達の血が、骨肉が、一時に汚水を浴びせられたような、見覚えも何もなかった恥かしさだ。
今迄優越を信じていたその一点に、却って不正確な、低劣な己の醜情が、あばきだされた心地である。
「平静を保て」
というような言葉が繰りかえし繰りかえし電波に拡張された空疎さで叫ばれている。
私は眼を細めた。庭の樹々を眺めている。思いなしか、素早い秋に移っているようだ。キラキラキラキラと葉々のおののきの光の波が視覚の中で、分明な断続の旅愁をあおっている。すると一昨日、壕を出て、長崎の上空辺りに見はるかした、巨大な雲煙と、中空に巻いた炎の渦が、瞬間、心に泛《うか》んで消えていった。
生き残れた、と咄嗟《とつさ》に自愛の感傷がすべって出た。敗れ果てた、父祖の山河の中に――。
「今度の戦争では……」
と、私は泣きはらした母を見た。
「きっと、僕は死ぬと思っていた」
母は黙って肯いているだけだ。ボタンをはめかけたままの霜降りの上衣を脱ぎすてた。太郎を母の膝から抱きとって、縁から庭履《ば》きの下駄をつっかけた。
北の庭に廻ってみる。隠微な苔《こけ》の類が、梅と匐《は》い松の根に毛氈《もうせん》のように土を蔽っていた。太郎が蝉の声に気を奪われているようだから、跣足《はだし》のまま、そっとその苔の上に放してやる。
馬鹿に大きい黒アゲハが、裏の松林から迷いこんできて、しばらく梅の巨木の病葉《わくらば》と、その葉に群る毛虫の辺りを迂回《うかい》した。そのまま空をすべるふうに苔の庭に降りてきて、太郎の頭上近く、フワリと又羽を搏《はばた》いて舞い立った。太郎が追うのである。生籬《いけがき》に添うた蛍草《ほたるぐさ》の白い微塵な花の上を戯れ飛んでゆく蝶と一緒に、走り出した。
私は今更のように、この庭中の孤独に陥ちこんでゆくのである。合歓《ねむ》の花が赤かった。
生残る者として、再び私一人がとりおとされてしまったのだ。このまばゆい草木の繁茂の中に。
「東西に走り南北に喧《かまびすし》く」と昔の人が生者の側のとりとめなさを笑っている。私も或日は国を憂い、或日は世を憤って不用意の言説を弄《ろう》したが、まぎれもなく、己一つの生命をひきずってゆくことすらかなわなかった。
この戦いの路傍に屍を横たえていたあの夥《おびただ》しい死者共は何に化するというのか? こわばった死者の口、落ち窪んだ瞑目《めいもく》のさま、一様に腐爛《ふらん》していって、又新しい蛆《うじ》共の温床をつくるというのか?
が、私は屈しまい。来源も行衛も知れぬこの生命をひきずって、堪えつづけよう。いや、この草木と山河の中に、己のいのちを確立して見よう。発端として、起点として、もしあり得るなら無垢《むく》の生命というものを私の心身の中にひっそりと育《はぐ》くんで、周囲に浮沈する新しい文明を、おのずと湧く自分の力と声だけで監視して見よう。
私はリツ子の病室に帰っていった。
「戦争は敗けました」
リツ子は相変らず黙って肯いているだけだ。熱がかなり上っているようである。頬の紅潮が殊更目立って見えるようだった。発熱の時間に変動でもあったのか。そっと手首をとらえて見る。脈搏が、私と何のつながりもないふうに、思いがけぬ早さでトクトクと搏《う》っている。
不思議である。自分の意志で左右出来ないような生命というものがあるものか? リツ子が、何か途方もなく遠い、見知らぬ国で行違った女のように、手触りない女の影に思えてくる。
「生きなければ、いけないよ」
又、こっくりと肯いた。
「むずかしいが、それでも生きる道は、ある」
自分に云いきかせるその場の感傷が、リツ子への言葉にまぎれていった。リツ子は、火照《ほて》る頬で、じっと私の顔を見つめてかえすのである。
あの夕の、裏藪のジュクジュクと啼《な》いた雀の声を今でも覚えている。妙に沈んだ夕映えの後で、私はリツ子の枕頭から暮れ終るまで、青白く光り残った竹の幹のそよぎを見つめていた。太郎は早く眠っていた。
夜通し裏の松林の辺から車をカラカラ引出すような音が聞えていた。夜間の警報がなくなったので、度々灯りをひねってみたが、勿論何ともわからない。国が敗れたからにはこれ以上の地変も起ろう道理はなかろうから、とたかをくくってそのまま眠った。
朝食の時である。
「なに? 昨晩夜通し、カラカラと松林の中で車が鳴ったのは?」
「そうですね。私も聞いたけど、何だったでしょうか?」
母もしきりに不審顔である。リツ子の朝食を運んでやった後で、
「今朝もやっているようですよ、ほら」と母。耳を澄ますとなるほど、まだカラカラ車の音が聞えている。
「行って見て御覧なさい」
私は肯いて篠竹《しのだけ》を分けながら松林の方へ抜けて見た。赤松の林の小径にリヤカーや車を引入れている。ドラム罐をごろごろ転がして、それを車に積んで運び出すようだった。
土民や百姓の群のようである。空襲がはげしい間、太刀洗の飛行隊から、燃料や潤滑油《じゆんかつゆ》等をドラムのまま、この林の中にかくしたのだ。それを車に積んで、持ち出すようである。
「どうしたの?」
私は一人の百姓に聞いて見た。ウロンな眼附で私の顔をみつめかえす。
「何処かへ、移動?」
「負けましたけん、要りますめえもん」
どなりつけるように、其男が私に大声で云った。私は引きかえした。なるほど、国が破れたのだ。不審顔の母に答えるのである。
「ガソリンやモビールをね、何処かへ持ち去るふうですよ」
「何処かへって? 隊に?」
「いや、戦争に負けたのさ。だから、めいめいの家に盗みだすんでしょう」
「ほんとう?」
「ほんとうらしいね。いいさ、させたいようにさせとくさ」
「驚いたことね。そんな有様だから、負けるのでしょうね」
「まあ、暴動でも起らなきゃあ仕合せの方でしょう」
母も黙って口をつぐんで終うのである。が笑い出すふうで、
「ねえ、一雄さん。今日宝満川迄、泳ぎに行ってみない? 気晴らしと、お洗濯に。堤防にね家中の汚れものをみんな乾してみたいのよ?」
「そいつは素晴らしい。行こう」
と鬱が一時に晴れるのである。
「でも、その暴動は大丈夫?」
「大丈夫ですよ? まだドラム罐が残っている間は、そっちの方で急がしいでしょう」
急いで飯を炊《た》いて、握り飯にした。それをリツ子の枕許にも運んでやった。
「久しぶりにね、泳いで来る。誰も来やしないと思うから、大丈夫だろう。なるべく早く帰ってくる」
「いいことよ、私は。ごゆっくりで。一人で寝てる方が気楽です。飛行機は来ないし」
「何か洗ってきて上げようか。石鹸はないけどね、砂洗いさ」
「いえ、結構」
とリツ子が笑っている。朝の間《ま》で少し加減がよいのだろう。
「洗ってきてやろう、何かないか? 腰の物でも何でもよし」
リツ子が嫌がるのを、無理に箪笥の下の引出しを掻廻して、全部取出した。
「いや、いや」
というのを、
「馬鹿」
と叱って、それを大風呂敷に包み、自分で満足するのである。リヤカーに積んだ。太郎と一緒に、母も無理に、坐らせた。松林を抜けるのである。相変らず血相を変えた盗民の群がつめかけている。あれだけ山積してあったドラム罐が残り僅かになっている。
「呆《あき》れた人達」
ちょっと眉を寄せてみたが、
「でもね、夜通し灯りがつけられるので嬉しくて仕方がないの、昨晩も久しぶりに針仕事をして見たのよ」
リヤカーの上で、母は坐りにくそうにしながら、それでも嬉しそうにそう云った。
河の水は冷たかった。然しよく澄んでいて、こんな真水と親しむのは何年振りのことだろう。
そう云えば、柳州の少し手前の、字を忘れたがたしかラクヨウと云うところだった。綺麗な小川で、その小川のふちにバナナが成っていたから、上っていって、芳香の烈しい花と一緒に層状に重なったバナナの実を折り取ったが、P51が四機、超低空でやってきて、尻餅《しりもち》をつくように滑り落ちた。すぐ側の石橋の下にかくれるのである。ダダーンと地上掃射である。が、爆弾は降らなかった。
私の顔見知りの中尉と一緒に、脅えながら、そのバナナの実を噛《かじ》ってみたが、何かパサパサと酸味の勝った荒い味だった。寄ってきた当番兵が、これは煮て喰うバナナだと云っていた。
敵機が去った後で、その小川で口すすぐのである。洗顔もした。兵隊が水で洗って飯の炊《すい》さんもしてくれる。その間に中尉と連れ立って、バナナ園の下添いに川岸を上ってみたが、私達の炊さんの場から四五十メートルも離れていない上流に、土民の死体が泛んでいた。丁度岸の草につかまるふうで、手をのばし俯向《うつむ》けになり、よく透徹った水の中で、衣服が屈折して揺れていた。木杭に衣類がからみついているようである。毛髪が流れのままに逆立って、その横顔と首筋をくすぐってゆく水の色が青かった。
こんな真水の色ではなかったか、と私は太郎を裸にして、一緒にザブリと水の中に転げこむ。母もお腰一つになって入ってきた。
「いい気持ね」
「ああ」
と私は太郎を抱きよせながら、水に流された。母もぶかりぶかりとその流れの中を二三度流されていたが、
「さあ、お洗濯。太郎を預かってあげましょうか。あなたは向うの方で泳いで来たら?」
「ああ」
と私は、太郎の手を母に預けて、一人上流の深みの方に歩いていった。
さてブカリと水の中に体を抛り出すのである。仰向いた。雲一片無い。大空寂寞と、この明瞭な己の身心のありかを指点出来るのである。
それから起き上って、また一度ブカリと深みに体を抛り出し、浮んで流れる。何にもわずらわされるな。まぎれるな。己の旅情だけを抛り出して、高く澄んだ弧線を描け。為朝《ためとも》の放つ弓の矢のようにだ。
もう一度起き直って、泛んで流れる。私は際限もなく繰りかえしていったが、東の堤防に母の洗い物が、次第に拡がっていった。それが白く、青草の上いっぱいを蔽ってゆくのである。
「チーチー」
と豆粒のような太郎が声を上げている。
「カ、エ、リ、マ、ス、ヨ」
と母の区切った声も聞えてきた。水を踏みながら、ゆっくりと歩いていった。どうやら、リツ子の物も母が洗ってしまったようだった。
「帰りましょう。太郎を一度泳がせて洗ってやりなさい」
私は太郎の腹を支えてピチャピチャと水の中に泳がせたが、この小児の白い膚すら、キラメク程の光り物に思われた。母ももう一度身をかがめながら、ゆっくりと流れの水に流されていった。
陽が大分傾いた。乾燥物の砂をはらって、帰路も二人共リヤカーにのせる。それをゆっくりと押していった。
相変らず眼の色を変えた車が、右往左往している。ドラム罐はあらかた持ち去られて終ったようだった。が、驚いた。一つ手前の森の中に、たしか高射機関銃隊の監視所につくられていた小形兵舎が、いつのまにかバラバラに解体されて、これまた持ち去られて終っていた。
「私、脚気《かつけ》じゃ、ないかしら。少しむくんでいるようですよ。ほら」
そう云ってリツ子は向う脛《ずね》を人差指で押えつけて見せているが、なるほど歪《ゆが》みが、指先の形に、血の気の失せた隈《くま》をつくったまま、仲々元に戻らない。蒲団の上に立膝《たてひざ》をし、秋の陽差しを受けた障子の蔭にかくれて、下の方からそっと裾をめくっているそのふくらはぎの辺り、青白くたるんで見えた。
リツ子の脚気は、今にはじまったことではない。脚気というよりも、何処か虚弱な体質の、それが早くからの、一つの徴候であるように思われた。
石神井《しやくじい》の新居にはじめて家を持った時にも、二階の書斎に上る階段を、大層に難儀がった。
私は生来、父母何れの側からも、並はずれて健康の家系に生れついているせいか、ついぞ虚弱者を身辺に見たためしがない。
「ああ、きつう――」
と階段の中程に立ちとどまる妻の体が、無性に珍らしいのである。五尺三四寸もある大柄で、白い脂肪の層の仄《にお》うような軟かい物腰が、階段の中途に立止るから、面白い。弱いどころではない。私達男より三倍も四倍も豊富な生命の眩惑《げんわく》を湛《たた》えているようで、一途に私の逆上を誘うほどだった。だから弱いのだとは気がつかず、気がついても腑《ふ》におちず、こんなふうなのが、そもそも女なのだ、と思いこんで終っていた。
後ろからリツ子を追ってパタパタとその階段を上ってゆく。
「ヨイショ、ヨイショ」
とその尻を戯れに押すのである。
「いやー。いやー」
とリツ子は、いつも階段の途中にしゃがみこんで終う。すると大抵、私の狂暴な、突発的な愛撫に終るのがならわしのようだった。
身辺に虚弱者を見たことのない私は、一般に、体質の弱いということが諒解《りようかい》出来にくい。気取っているとか、ずるけているというふうにしか受けとれぬ。それが女だと、コケットリーに錯覚する。同情が無いのであろう。いや、無関心なのである。だから友人の病気見舞などついぞ行ったためしがない。
殊に、青年期の飲酒、放蕩《ほうとう》、放浪。いつも惑溺《わくでき》し、蕩尽《とうじん》し、その限度を調整する術《すべ》を知らなかったが、これもまた私の異常な健康に由来したものだったろう。私の無頼《ぶらい》に加わってくる友人は次々と倒れ傷ついていって終ったが、私だけは決して中心から、はずれなかった。バタバタと脱落してゆく友人達を見て、まったく不思議な気持にとらえられたものである。
が、そんな朝、みんな消えていって終った後で、一人ビールをあおるのは、何ともやりきれない気持だった。自分だけとりおとされて終って、自分の体力の余燼《よじん》ばかりが、いつまでもなまなましくくすぶっているふうな、殺伐な悲哀については、余り多くの人は知らないかもしれない。
それにもかかわらず、ここで白状するが、一種名状しがたい愉悦を感じていたことも、事実である。
とりおとされて終ったのは、自分ではない。脱落していったのは彼等である。私はあらゆる生の側の当事者として、今だに、この白けた朝陽の中でビールをあおっているではないか。耐えるということは大変なことだ。残っているということはこれは大変なことだ。耐えて、残って、そこに泡立っている傷心を隈無く点検するのは、私の幼少の日からのたった一つの生甲斐であった。
いうてみれば、私はあたりいちめん焼きつくされて終った焼土の中に、一本残っている木立である。三日月を首輪にして、風がおこれば、静かに呟《つぶや》き、正《まさ》しく覚めていて、己の呟きのなかの快活な響きをたしかめたい。残存者としての、生の愉悦をまぎれなく正しく指摘してみたいのである。
リツ子についても、そうだった。この甘い、優しい、不可思議な同伴者は、然し、終局に於ては私ではないのである。私はこの女のゆたかな幻影に際限もなく惑溺し、女もまた、私といきいきとつながっていくふうに思いこみ、つとめてもみただろう。
或は、私達は世上の一番幸福な、夫妻に似ていたかも知れない。が、リツ子は病気に馴れるに及んで、次第に私のこの不思議なエゴイズムに気がついたようだった。
病気の生理が理解出来ないばかりか、それを理解しようとしない一面が、私の中に、たしかにあった。その不安と焦躁を、リツ子はいちいち私に洩らそうと努めるのだが、それを私は、自制心の足らぬ、他愛のない女の媚《こ》びだというふうに思いたがる。少くも、弱者の側に立っての、静かな同情に乏しいのである。
私は爽《さわ》やかに振舞っていて、得難いほどの健康を保持してきた。いや、大胆に生命をたのしみつつ、大過のない体力を育成した。それが私のみに与えられた天与の恩恵だった、ということに気づかないのである。誰でもが、それを享受しているのだというふうに思いこんでいた。
「ねえ、お父様。明日から朝露を踏んで見ましょうか?」
リツ子は、脛の指痕《しこん》を揉み消してから、今度は戸外の爽涼《そうりよう》に眼を細めながら云っている。
「それがいい。それが」
と私は有頂天によろこんで終うのである。リツ子が私の歓心を得たいと希《ねが》うせいいっぱいの焦慮と愛情だったことに、どうしてあの時気づかなかったろう。あわれな迎合だった。風にゆらめくほどのリツ子の弱い生命の灯を、私は無理に自分の暴風の方に誘っていったのだ。
それでも、親子三人して早暁の朝露を踏んでいった、四五日の思いばかりは消しがたい。
リツ子は上下揃いの結城《ゆうき》のモンペを附けていた。それに、私がたった一つ漢口の路傍の市から買って帰った別珍《べつちん》の中華靴を履くのである。
「だって勿体無いですもの。ねえ、お父様。病気がすっかり癒ってから」
いつも、それを云い云い履きしぶって、今日迄枕許に大切に並べていたが、今度は、自分から思い切ったふうだった。これも、私には情ないことの一つである。鞋子《くつ》など、それが並べられていた中華街の浮薄な喧躁《けんそう》を思っただけでも、トリトメのない現世の薄手な商品でしかないではないか。笑って、一二日で履き破ってくれるような、そういう女を見上げたい。リツ子の中に圧縮されている、ひ弱な現代の女性の不幸を思うわけである。対等の愛情を持ち得ない。不憫《ふびん》だということが、私の心の中に何か焦躁を混えた重荷となって感じられる。今迄は忘れていたことが、病み呆《ほう》けて、ことさら私の胸にこたえてくるようだった。
モンペの腰に、子安貝と小さな鈴を懸けたのは、何かの咒《まじな》いででもあったのか。よろめくたびにリリリと鳴る。妻の体の衰耗《すいもう》のはげしさ故に、私も一概に、この鈴は笑えなかった。
畳から靴を履いてでて太郎の手を握っている。
「ハハ起《おつき》。ハハ起《おつき》」
と、太郎はリツ子の裾まわりに無闇に触れながら、有頂天のようだった。三人手をつなぎ合せて、裏の篠竹の藪の小径《こみち》を抜けるのである。はげしい露だった。
リツ子の手は枯れてはいたが、まだ私の掌の中で温《ぬく》かった。時々立止り、ふーッと息を吸上げる。
「この露、きっと私のお薬よ」
つとめるふうの、心細い足許だった。それでも久方ぶりに、解き放たれた者のすがすがしいよろこびの表情も見えていた。
篠竹の小径を抜けると、そこから一抱えほどもある女松《めまつ》の松林が続いていた。枝々には、朝を啼き交わす目白や頬白の声が混っている。
丁度鼠蕈《ねずみたけ》の時期だった。松林の蔭の道に、この針状の蕈《きのこ》の類が、湿気を含む薄紫の色にチョロチョロとのびあがり、ところによっては、おどろくほどの群生を見せていたのを一度教わってからは、遊び相手のない三歳の太郎が、一人ででかけていって摘み取ってくる程である――。
朝陽が微《かす》かに洩れながら腐植土の黒土の上に顫《ふる》えていた。
リツ子は自分で靴を脱ぎ棄てるのである。ほんとうの素足になった。
「持ってて下さいね。済みません」
下に並べておけばよさそうなものを、土産《みやげ》の靴が尊いとでもいうのか。それとも、跣足《はだし》で歩む自分の姿へ、私の殊更の注意を喚起したかったのか。私は肯いて別珍の靴を手に持った。
「大丈夫か?」
「ええ、ええ。私ねきっと、ほんとうは脚気でしたのよ」
リツ子はそう云い、しばらく松の幹につかまりながら肩を波打たせていたが、やがて歩みはじめた。私は太郎をしっかりと手許に押えて眺めている。
均衡が危ういのだろう。両手を下の方でひらき加減に垂らしている。病臥の枕の邪魔になるというので、髪はふり分けにお下げに組み、首をもたげてすいすいと歩むのが、イタリアの古壁画の少女をでも見るように初《う》い初いしかった。
何か現世の外の光をでもみつめつづけているふうだ。ゆうらりと、跣足のリツ子が、洩れる朝陽を避けては歩む。その土を匐《ほ》うて、ほのかに蕈のにおいの類がこもっていた。
一度引返してきて、微笑みかけるように何となく肯いて、また後がえった。
「さあ、太郎」
と私は押えていた太郎を放つ。憑《つ》きものでもしてきたふうに、リツ子の姿があやしく見えてきたからだ。お百度を踏むふうの、狂言のよろめく足先に思われた。
太郎が一目散に母を追うている。追いついて、くるくると母の周囲をめぐるのである。リツ子は立止って、その太郎の頭につかまった。こちらをふりむき、哀願の眼の色が私につかまりたいようだった。私は駈けよって、リツ子の小脇を抱えてやる。
「疲れたろう。いちどきにあんまり慾張ってはいけないよ」
「いえ、とってもいい気持。でも、あーあ」
とよろけながら、やっぱり私の腕の中におちこんだ。松の根に腰をおろして、私はしばらく、そのリツ子を抱きすくめているのである。
高く動悸を打っていた。頬は青ざめて、唇まで血の気が失せている。太郎は脅えたように、それでも珍らしいのだろう、リツ子の腰の小鈴を、時々つついてみてはチリチリと鳴らしていた。
私は次第に危ぶんだが、本人のリツ子の方が却って朝の松林の散策を続けたがった。希望したというよりも、実は私の手前、はじめたことはつづけなければならないという、弱者の見栄があったのだろう。そんなことぐらいと残っている力の安堵を私に与えたかったにちがいない。
それにもう一つ。リツ子には私の乱暴な健康法への盲信があった。実は私自身、結婚の直後に胸をやられている。多分満洲生活のいびつな不節制に起因していると思うのだが――それに果して結核菌に冒されていたかどうか、今は自分でもわからないが――背の辺りにはげしい疼痛《とうつう》があり、三十七度七八分の熱が二月ばかり続いたことがある。毎夜、滝のようなひどい寝汗で、換えても換えても寝巻がズブ濡れになる始末だった。医師は浸潤をおこしていると語っていた。
けれども私は病人だと自覚しなかった。
「閨房《けいぼう》の過度でね」
と友人には云いふらした。井戸端でザブザブと水を浴びるのは勿論である。泳ぎ、日光浴をやり(その時には無理にリツ子を裸にして一緒に二階の太陽を浴びたこともある)、背骨の下の疼痛のところを寝そべったまま、リツ子に乗ってもらっては踏ませていた。
はじめは可笑しがって私の体の上にのぼれなかったが、私の叱声を浴びると、
「じゃ、白足袋を持ってきますから」
と云いながら、それを履き、
「いいこと? ねえ、ほんとうに、いいこと?」
柱につかまりながら、私の体の上をヨロヨロ歩いた。頼りない、甘い、歩みざまだった。
私は午睡の一時間だけは正確に守ったが、後は酒を呑み、唄を歌い、談笑し、畑を打ち、リツ子を抱いた。
「肺病大先生が、奥さんを、滅法可愛がるんだと」
「いや――。肺病お父様。苦しい、苦しい」
とそのはげしい愛撫の口の下で、リツ子が体を波打たせたことを覚えている。
「太宰がね。には女房は持たせられん、まるで猿に眼鏡を持たせたようだ、と云ったのだぞ」
「もう、いやいや。ほんとに、猿の眼鏡なんかになりたくはありません」
そんなたわけた夜のことも覚えている。
が、私の体の芯《しん》が強かったのか、それとももともと仮病であったのか、私の肺病(?)はわけなく癒《なお》った。誰に語っても、後からは信用しない。知っていたのは、リツ子だけである。
だからリツ子は心の底で、きっと私の超健康法にあこがれていたにちがいない。私もまた、自身の健康の来由を、生得のものと思わずに結果の側からばかり考えて、大胆な自然への帰依だと、誇示してみた。
「そうだよ、風さ――日光さ――ぼくらは自然の中に生れたのだもの。自分の来源を正しく考えて、大胆に、この土を踏まなくちゃ」
あながち間違っているとは思わない。然しこんな病者に聞かせるのは? 危ぶみつつも、立上らせるときには、いつもきまったように私流の感懐を結えつける。リツ子が私流のはげしい健康の信仰を背負いきれず、あえぎよろめいていったのはあわれだった。
「ねえ、お父様。足がこんなにシャンとしてきましたよ」
なるほど馴れるにつれて歩行だけは上手になってきた。然し帰った後の、脈搏と熱はかくせないのである。
当初こそ、私は妻を外気の中へ誘いだす、爽快の魅惑を感じたが、次第にそれにも、もの憂くなってきた。自分の体とちがうのである。匙《さじ》加減がわからぬふうで戸惑った。それに、女には何か固有の感傷が揺れていて、その感傷の昇降を、病態の良不良だと自分自身で思いたがる。それが、正しい健康への意志を、絶えず曇らせてゆくふうに思われた。
それでもリツ子の朝露踏みは必死のようだった。それを早く思いとまらせたいと私も思ったが、はじめに与えた私の言葉の暗示が利きすぎている。リツ子の信念を、一概にくつがえらせたくないのである。
然し疲労の方が大き過ぎると、はっきり私にも見てとれた。
「ねえ、リツ子。又にしないか。又に。今頃は少し露が多過ぎる」
あえぎながら、床にのめりこむリツ子に云う。
「はい」
と蒲団をかぶって残念そうに肯くリツ子が尚更あわれに思われた。自信も何もなくなっている。キラキラと睫毛《まつげ》の奥に、涙が溜ってゆくのである。
疑いもなく、私はリツ子の快癒《かいゆ》を祈っていた。リツ子が立上り、昔の通りいそがしげに御飯を炊き、洗濯をし、太郎の面倒を見てくれる――。石神井の旧宅で、三人ちっぽけではあるが、片隅の幸福を享楽する――。その楽しさは私の眼の中に度々ちらついた。おそらくリツ子の臥床《ふしど》の中の夢の大半は、そんな生活への切ない祈りに満ちていただろう。
けれども、もう一つ。私の心の中には兇悪《きようあく》な、新しい生への意志が動いていた。あんな生活が再現出来るか? 仮りにリツ子が癒ってくれたとしても、あの生活は帰って来まい。帰ってきたとしても、俺が、よけるにちがいない。おそらく、リツ子が全快したトタンに、私は、何処かへ旅立ってゆくだろう。
これはリツ子に語れなかった。誰にも明せなかった。自分でもその来源と、行末のわからない、不吉な妄念《もうねん》である。が、確実に、私の心の奥底で芽生え、うごめきはじめていた。
それを思うと、病みながらのリツ子の夢みがちな表情がまともに見つづけられないのである。私は、はげしく、母の家の廊下という廊下を拭き浄《きよ》め、茶碗を洗った。大家族の母の家の炊事も一切、私がひきうけてやり、風呂も焚きつけるふうだった。驚くのは、母の弟妹である。
「お気の毒に、お父様」
とリツ子は自分の臥床の故だと、気の毒がった。それもある。が、私には押えても押えても頭を擡《もた》げてくる、全然未知の生活への希求があった。それをリツ子に明示するなら、これは、直ちに離別を意味するではないか。すると、この可憐な縋《すが》り切った、優しい女の行末は?
他家に嫁いでいる私の直きの妹の光子が、一度見舞に来たことがある。誰もいない部屋の中で兄妹は、つとめてお互いの不幸をあばかないように喋《しやべ》りあっていた。永い苦労に耐えた、静かな妹なのである。
「お姉さん、どうお?」
「相変らずだ」
「でもお顔の色は大分よさそうね?」
「うむ」
「私達より、却って血色がいいようよ」
「熱があるのさ。紅潮しているのだろう、頬が」
「で、しょうか。早くお癒りになって、もう一度、御兄様も幸福になられなくては」
「うむ」
「私達、羨《うらや》ましい程の東京のおくらしでしたものね?」
「うむ」
「でも、きっと、もうちょっとの御辛抱よ」
「何が、だい?」
と私は外のことを考えていた。
「お癒りになるのがですよ」
「癒るかな?」
「癒りますよ。きっと元通りの幸福のお家に帰れますよ」
「幸福に? 石神井のあの生活に又帰れるとでも思ってくれているの?」
「そうですよ」
「帰れない。ちがった。リツ子がかりに癒っても、もうあんな生活には帰れない。ひょっとするとだよ、癒っても、もう一緒にやって行けないような気さえする」
「いけません、そんな。お姉様が、今、お弱いからよ」
「反対だ。病気だから、押えているのだよ」
自分でも陰気な、内にこもる声に思われた。
「いけません」
と光子が又云って泣きはじめたから、云うのを止した。
「支那からお帰りになって、兄さんは、よっぽどどうかなすっています。やっぱり、お姉様がお弱いからなのよ。早く癒してさしあげなくちゃ」
うむうむと肯いた。三千里の苦しい旅の日が蘇《よみがえ》る。鍋《なべ》と蒲団をもって、逃げまどう兵火の中の土民の姿が。野火の中を歩きつめた自分の影が――。すると、あの火だな。私の幸福を焼き払い私の心をズラしていったのは。
でも、あれ程、リツ子を求めて上陸を焦ったではないか。眼を閉じて、リツ子の白い簡単服に縫取られた模様の数まで、キチリと目蓋《まぶた》のうちに数え得た程ではなかったか。
そうだ。今でもリツ子を愛していることに変りはない。が、その愛、だ。
疑いもなく、リツ子も私を愛してくれている。私のために立上り、私の綻《ほころ》びを綴《つづ》ってやろうと、よどんでゆく眼を、無理に指でひきあけるほどの、切ない生への再起をのぞんでいる。もう本能的な生命への執着とは変っている。私のために立上り、太郎のためにおきあがらねばならないというふうだ。
ついこの間も、枕許に立っていた私の足を、リツ子が、そっとなでさすっているのに驚いた。性愛への、満されぬ淋しさとは違っているようだった。宛《さなが》ら、仏像への帰依と、愛撫のようだった。光の底で、私の皮膚のぬくもりを静かに感触し、何物かをそっと祈念しているようだった。私もためらって、しばらくその場が立去れないのである。
その愛情が、重荷である。愛情というものが、このように一方的に縋ってゆく、そいつが重荷なのである。みじめ過ぎるではないか。
リツ子に昔から感じられた、あの底抜けの善意と信頼が病気に依って誇張されている。
然し私の心の中に巣喰いはじめていった、空洞は、リツ子の善意と信頼をまぶし過ぎると思ったせいではない。その善意と信頼が発するリツ子の自立性の問題なのだ。女の献身を受けて、決してとまどった訳ではない。対等の男女として、愛が発し得ない、何かしら淋しい物足りなさである。
地上に生を受けて、何処かしら、その愛情の発端に愚弄《ぐろう》がある。勿論、リツ子に触れることの出来ない私のやりきれぬ体力の侘《わび》しさが、私の考えを尚一層ひろげていたにちがいない。然しリツ子がかりに快癒してくれたとしても、私達の甘い生活が持続出来得ると思えなくなっていた。何処かで、私に大きな渦を投げかけてくるにちがいないような、新しい焦慮と不安である。
私は立去りたかったのだ。この見覚えのある私達のみじめな景色と、心の模様から。そうして、見上げるばかりの巨大な女性と、野の果を走りたかった。対等の愛慕の声を交わしたかった。
憐憫《れんびん》の情を抜きにしたかった。それが不倫か? 私はじっと妻の寝顔をたしかめるのである。リツ子はまだ眠っていないようだった。
リツ子が私の愛情を疑う気持は、毛頭ない。けれども、私の心の動揺が何となく敏感に、リツ子にも感じとられているようだった。それはきっと、自分の病気のせいにちがいない、とあせって私に向き直る。
「ねえ、お父様。お正月迄にはきっと、私も起き上りますよ」
「癒りなさい。が、起き上ることはないよ。何も正月に。三年は、寝てよろしい」
「三年なんて。いや、いや。私もう半年寝なくてはいけないようでしたら、死んでしまいます」
「寝ている方がいいだろう。お前が起き上ったら、今度は俺はコーカサス辺りに行って終うぞ」
旅――。こいつはリツ子にこたえるようだった。前の旅がある。三ケ月の予定が一年に延びている。それを思うのだろう。おずおずと脅えるふうだった。
「コーカサスってどちら? アメリカでしょう?」
「いや、ちがう。が、何処でもいい。ヒマラヤにでも登るとしよう。ヒマラヤの女はね、大きくてね、頑丈でね、眼が真青なんだそうだ。芳賀檀が云ってたが」
出まかせの嘘である。その嘘は、むしろ自分をだますふうにすべってゆく。
「眼がキラキラ光ってね。その眼に雪崩《なだれ》が映りますよ。と芳賀檀が云ったよ」
口調だけは、まことめかしてちょっと芳賀氏を真似てみる。
「素晴らしいですよ。女とは思えないな。人間の中に、あんな素晴らしい種族があるんだから。まるで神ですよ。と云ってたね」
「ほんとうの事――? でしたら、いらっした方がいいわ。行けるようになりましたらね。太郎も連れていらっしゃる? その時」
「ああ、太郎は連れてゆく」
自分の嘘にのめりこんで、じっと眼をつむる。しばらく、二人共声がつづかない。リツ子の、落ちこみそうな寂寞が、静かに流れよってくるのである。
「ねえ、太郎お父様」
「うむ」
と答えたが、相変らず自分の妄想に耽《ふけ》っている。
「あの本に書いてあること、本当かしら?」
「何の本?」
訊《き》きかえしかけて、然しすぐ気がついた。「療養新道」にちがいない。一昨日からリツ子はそれを読んでいる。
「あの、病気の、御本」
と口ごもりながら云いさして、ためらった。私も先に読んで、知っている。結核患者の性生活のところを云うのだろう。私は知っていたが、強要は出来なかった。自分は、健康者だからである。余りに苦痛なら、軽患者の場合、稀《まれ》に緩和してもよい、というふうのことが書かれていた。
が、リツ子は病態を極端にこわがっている。その消耗に、驚く程神経質だ。だから性の苦痛を、自発的には意識しなかろう。意識するとしても、抑制する筈だ。これも私への可憐な迎合だったにちがいない。
然し堰《せき》が切られると、私はやっぱり抑制出来なかった。
顫えていた。体温が熱かった。久しい病床の中に、忘れかけていたリツ子の甘酸いい、甘美の幻覚がみちみちていると、私の唇は有頂天に惑乱した。
リツ子の眼の中をいくつもの雪崩がすべり落ちてゆくようだった。
今考えて見ても、看護者として私程不適任な者はいなかった。なるほど、私はよく働いた。三歳の太郎を抱えて、リツ子の介抱に奔命した。或はその献身と奔命は、一見、通常の夫が妻を、見取ってやり得る限度を越えていたかも知れなかった。
けれども私の心の置場は、不気味であった。自分でもいぶかしい程のあやしさである。おそらく、リツ子は、私のその心に絶えず脅えつづけていただろう。
私はリツ子を深く愛していたといい得ないことはない。然しながらその愛情が、私の特異なエゴイズムに揺られていたと、これは繰りかえし、私自身が感じた、ことである。それを抑制しようと、努力はした。
然し生得の性は拭えないのである。私は生来、どんな徳義観をもってしても自分を縛ることが出来ないのだ。
私はむかし、天真を貫いて、私達夫妻の愛情を育て得ると思っていた。それを誇示してみたこともある、が、天真とは何だろう? 己のエゴイズムではなかったか。天真は、お互いが湧き立つ健康の日にこそ、愛情に迄昂《たか》まった。リツ子の臥床の姿に会うてからは、病者に対して、どれほどの技巧が必要かということが感じられる。残念なことに私にはそいつが、出来なかった。
私は全く天真にふるまった。自分のエゴイズムに即してだ。そうして、その天真のままの看護に精励した。
朝夕タオルを以て全身を摩擦する。絹の下巻もはずすのである。痩せてはいたが、白妙のような内股《うちまた》が、摩擦につれて美しい紅葉の色に染んでいった。
「お父様。お父様。もう沢山」
とリツ子は感謝よりも、脅えてゆく。が、怠ると、今度はリツ子があせるのである。
「ねえ、お父様。やっぱり拭《ぬぐ》っていただく方がよろしいようよ」
危険だった。私の体力から来る暗示に、しらずしらず、感応していたのである。それを私は知っていた。知っていながら、私の殺伐な生者の意志を感応するにまかせていた。
辛かったろう。細い小さな、揺れる灯火が、暴風の夢を見つづけねばならないようなものだった。どうして、私に、静かな病者への思いやりと、それに附随した優しい技巧がなかったろうか?
家の環境も次第に悪かった。私の母の家は新屋と旧屋の二棟《むね》に分れていて、戦いの最中は、私達親子三人と母の四人ぐらしになったこともある。
弟妹が疎開をし、徴用され、召集されていたからだ。旧屋の方に母が棲《す》み、新屋は私達だけのものだった。
が、続々と帰ってきた。揃えば十人を越える家族だった。その度に母が愚痴に出すのである。
「一雄さん。家の子供だってね、病気になれば鐘崎の別荘に隔離したものよ」
無理もない。病気が病気だから、母の苦痛はよくわかるのである。
其上、家計が傾いていた。
「一雄さん。月に三千円かかるのよ? どうしても、あなた達迄食べさせてはゆけません」
それも尚更よくわかる。然し、私の思案も立たなかった。
東京か? 東京の昔の家に帰るのは、これは一番願わしいことだった。が、病妻と三歳の子供を抱いて、自立の確信は全くない。
すると、リツ子の母に預けるのだ。私は再三太郎を負うて、リツ子の母に嘆願に出かけたが、いつも、ことわられるだけだった。リツ子の母は福岡の家をリツ子の姉の夫妻にまかせて、糸島の山の中に疎開している。八畳一間の農家の隠居家を借りていて、そこへリツ子に寝られて終ったら、田舎の人の口がうるさくて、顔出しも何も出来ないというのである。これもまた無理のないことである。
じゃ、無理なしに、何処であれ、病者の保養が出来るのか、と私はいきどおろしかった。
私の母は云う。
「一雄さん。子供達が帰って来ない時になら、それは私の方から、ここへ来なさいと云った程でしょう。でも、今は困るのよ。何と仰言ろうと先様は、リツ子さんの産みのお母様ですよ。預けなさい。預けて、直ぐにあなたは東京へおいでなさい」
「僕だって、そうしたい。然しあちらの家は一間なんだ。一間に二人の病人は抱えきれぬというんですよ。それも隠居家の間借りで、病人を連れ込んだと云ったら、顔出しも何も出来なくなる。正道君の方は起きているから少し胃腸が弱いといって、言い逃れてゆけるんだ、とそんな話です。でももう、いい。仕方がない、全部連れて東京に帰ります」
「じゃ、そうしなさい。気の毒だけど、早くして頂戴ね」
私は母の顔をもう一度見て、リツ子の病室に帰るのである。
「もう、此処《ここ》居れんぞ。東京に行く。行けるか? リツ子」
「ハイ」
蒲団を眼許《めもと》迄ひきかぶって、リツ子が青ざめて答えるのである。
「全部着物を売る。いいだろう?」
「ハイ。済みません」
と、もう涙を溜めるのである。
「泣くな。泣いて事態が解決するか?」
リツ子の顔を見て一緒に泣きはじめる太郎の尻をピシピシ打ち私は己の鬱屈に耐えるのである。
其夜のことである。リツ子が思い出したような表情で私に云った。
「ねえ、お父様。お出になるのなら、私も東京へ連れていって頂きます。でも、東京はきっと食べ物が無いでしょう」
無いに違いない。人伝ての噂は、東京の半餓死状態を伝えている。痩田《やせた》だが、痩田四反を作っていても、九月からずっとこのかた母の家すら、主食は薯《いも》だった。リツ子に良いと思えないが、その薯ですら、この村に、都会から買出しの列が続いている。
「食糧は、無い。東京には」
私は再び投げやりの憤怒を感じてくる。
「それでね。お父様。今先ちょっと考えたけど、正道や母達に探させたら、きっと糸島の海辺にね、小さい、借りられる家が見つかりますよ。ほら、唐泊《からどまり》や西の浦あたり」
「唐泊や、西の浦?」
と私は、ふいに呼びさまされたように蘇った。私が支那へ旅立つしばらく前のこと、リツ子の伯父に便りして、家を探してもらったことがあったのだ。
実はその頃、私は大伴旅人《おおとものたびと》と妹と、家持《やかもち》や憶良《おくら》を中心に、古代の典雅な物語を書いて見たいと思っていた。それで一年ばかり、太宰府の周囲の地に起居してみたかったのである。初め、水城《みずき》か都府楼か夜須あたり、宝満山の麓の地と思ったが、家の手掛りがちょっとなかった。唐泊は、その時リツ子が思いついたことだった。
「海辺ではいけません?」
「何処の?」
「糸島の」
「糸島の、どこいらだ?」
「唐泊か、西の浦」
海。海は素晴らしいと、私は思って有頂天になったものだった。昔のままの青さだろう。青さで、波がひるがえっているだろう。旅人の船旅の姿も眼に映る。志賀の海人《あま》等の幻も泛《うか》んでくる。
「うん、海はいい」
「あのね、志賀ノ島と残《のこ》ノ島が、すぐ目の前で、朝晩ザブリザブリですよ、お父様」
と私の喜んだ顔に勢いを得て、健康の日のリツ子だった。リツ子にすぐ手紙を書かせ、折かえし、リツ子の伯父から西の浦に六畳四畳半の家が見附かったと返信が来たが、直後に、私の洛陽行が決定して、到頭西の浦には住めなかった。
そうだ、唐泊と西の浦界隈《かいわい》に住めるなら、と私の心は新しく波立った。昔、果されなかった夢の風土に立帰る心地である。病妻を養いながら、思いがけない、神の想を得るかも知れなかった。
「今頃、家があるかな? 疎開で大変だぞ」
「お部屋ならきっとありましょう。前のように、お家一軒はとても見附からないかも知れないけど」
「お母さんのいる草場という処と、どの位離れているの?」
「いえ、すぐ側ですよ。唐泊から一里も無いでしょう。裏の山の中ですから」
「食糧の方は大丈夫?」
「ええ、ええ。それで思いついたのですもの。あそこはね、お魚が生きたままですよ。鯛やら、鰯《いわし》やら。買わんでもねお父様、網で曳いたのを、三人分ぐらい、笊《ざる》さえ持ってゆけば、投げて分けてくれますよ」
「ほんとうか?」
「私ね、小さい時、いつも籠一杯もらってきて、悪くなるほど沢山ありました。それから、草場のお母さんも、あんなことを云っても、行けば喜んで、きっと面倒を見てくれますよ。きっと、お米なんか持ってきます。こちらのお母様にお縋りしているから、やき餅で今はあんな意地を張ってるんですよ」
或はそうか、と私も思い直すのである。それに唐泊や西の浦は何か因縁の地にも思えてくる。そんな適当の家があれば、いって見たい気持もあった。然し、ふっと暗い予感もした。部屋借りしかないとすると、病人を連れこんで、それを黙過する、田舎の家があるだろうか。それに自分の身辺が、旅人《たびと》の悲痛な生涯と、次第に酷似してきたことに気がついた。リツ子を失うならば――。
同行は、私、リツ子、太郎。それに女中の松枝四人が荷馬車の荷の上に思い思いの座をとった。リツ子には特に行李と行李の間の平坦な場所を選んでやり、そこに横臥《おうが》できる工夫をほどこしたが、ほとんど横にならなかった。
出る間際になって、リツ子が襟巻が無いと云う。福岡のリツ子の母の家で、母が糸島の草場に疎開してからは、姉の夫妻が住んでいたから、リツ子の荷物は応接間(昔診療室に使っていた)に纏《まと》めていたのに、その応接間の箪笥の中に見当らなかった。
「姉さん。私の黒ビロードのショールが無いのよ。姉さん、知らん?」
「知らんよ。きっと松崎に置き忘れてきとるよ」
「いいえ。松崎からは持ってきたの。箪笥の開き戸に入れました。その時、首に巻いていました。ね、太郎お父さん」
私も、リツ子がたしかに首に巻いていたような記憶がある。黒ビロードの上に赤と緑の散らしの刺繍《ししゆう》が入っていた。が、無いといえば、或は松崎に忘れてきたかも知れなかった。そんなことには関心の薄い方だ。
「無い筈、無いのよウ」
まだ応接間の中で医薬品の棚までひっくりかえして探している。
馬鹿馬鹿しくて私は馬車に乗った。今先迄寝ていた病人が襟巻の妄執《もうしゆう》から、手当り次第の引出しをガタつかせている。
「おい、やめろ。無いものは無い」
馬方《うまかた》がせくから車の上でどなるのである。
「俺の帯を首に巻け。もうすぐ春じゃないか」
「今からが、寒の入りですよ」
リツ子は無念そうに、それでも襟首に私の帯をぐるぐると巻きつけて出発した。
師走《しわす》間近かの十一月の末だった。ひどい霜の朝で、馬の体幹からポッポッと湯気がたっている。
馬車が福岡を出はずれると、朝陽がまぶしく射しはじめた。リツ子はひどく陽をおそれるから、太郎のバスタオルを頭にかけている。
「洋傘も無くなって……」
と、また愚痴だ。よその家を転々と渡り歩く度に、何彼《なにか》と物は失せたがる。
然し、由来私は体一つで移動して歩く性癖だから、馬車に積み上げられた荷などは、却って生涯に珍らしい経験だ。
太郎を膝にかかえながら、新しい糸島の生活に伴う空想をもてあそんでいる。他愛ない。そのところがまたリツ子には心細いわけだろう。横臥もせずに、妙に滅入《めい》りこんで馬車に揺られながら、黙っている。
私は今、リツ子のジョーゼットと他二三点の衣類を売って千円ちかくの金を持っている。後はまた、どうにかなる、と例の通りはなはだ放漫な場当り主義だった。
が、ひょっとしたら、糸島の今度の生活でリツ子を失うかもしれないぞ――。
「おい。リツ子。大丈夫か?」
「ええ、何ともありません。ねえ、太郎」
物思いの中から浮び出すふうに、リツ子はあわてて私の方をふりかえり、稀薄な微笑に移ってゆく。思いがけない母の声で、太郎が嬉しそうに両手をばたつかせた。
「そう。それはいい」
私は馬車に揺られながら、波がしらの皺《しわ》の模様を見つめている。まだ、手にとれるような悲哀の実感からは遠かった。
漠然と、リツ子の下降してゆく体力の行末のホリゾントを思うわけである。その模糊《もこ》とわびしいホリゾントの方へ、馬車はおもむろに揺れてゆくふうだった。
生《いく》の松原から今宿。今宿から右に折れて、何の鉱石を掘りだすのか、切落された岩山に轟々《ごうごう》と岩石をえぐる音が聞えてきた。
咄嗟《とつさ》にリツ子が両手で耳を蔽《おお》っている。太郎も母に真似て、同じように耳を蔽った。
「馬鹿。轟々おもしろい、おもしろい」
と私は太郎の小さい手を耳許から無理にひきはなすのである。
そこから入江の首にかかった長い橋を渡っていった。潮の中に向う岸と、こちらの岸から石垣の突堤がつき出ている。橋はその中央に架《か》けられているわけで、夥《おびただ》しい貧寒な少女の群が、その石垣の牡蠣《かき》を剥《は》ぎ取っていた。
やがて大原を過ぎる頃から文字通り汀《みぎわ》の道にさしかかった。左手は丘陵、右手は一二丈の崖の下に冬の潮が騒ぎたっている。その汀の道はゆるく高下しながら、波濤《はとう》にそって、また彎曲《わんきよく》をくりかえしているようだった。
私は先程から可笑《おか》しな焦躁を感じている。それはリツ子の小水だ。実は今しがた山の中で、馬車が一休みしたのだが、松枝はさっさと降りていって、木蔭で簡単に用を足した。
「私も、ゆきたいけど――」
とリツ子は其時辺りを見廻した。
「奥さん。構わんですよ」
松枝にもすすめられながら、リツ子は急に断念したらしく、やめて終った。行先に人家でもあるのだろうと私は無理に強いなかったが、長い果てしのない汀の道だった。
昔、通い馴れた道だからリツ子は知っている筈である。私はどうしたわけかこんなつまらぬことに関して妙に虚心でおれなくなる。自分の小便をでもこらえるふうに、もどかしい。
が、断崖の汀の道は相変らず続いている。相変らず散り散りの波がめくれ立っていた。
「いいのか?」
とリツ子の青い顔を見る。
「ええ」
と当人は答えているようだが、私の方が気が気でない。生来辺りを憚《はばか》るふうの躊躇《ちゆうちよ》が一番苦手なのだ。
それが身近かなものだと、腹が立つ。
「おい。停めて、思い切ってやってしまったら」
「いいえ」
とリツ子は又淋しそうに笑っている。
馬方も気がついたふうで、馬車をとめてくれたが、それでも、ゆかぬ。
「いいのよ、いいのよ」
と笑いまぎらわしているだけだ。
私は知らぬ顔をしたかった。つまらぬことだ。こんなことに気を取られるのは馬鹿馬鹿しい。そう思いながらも、リツ子の蒼白くうつむいた表情を見るのが耐え難い。
それでも、よかった。山を廻ると、汀に添うて丁度五六軒の人家の集団が見えて来た。
「おい、あるぞ。便所が」
立上って大声にどなりだす私の顔を見上げながら、
「はい」
と、ようやくリツ子は生色を得たようだった。
リツ子が一軒の農家に這入《はい》っていったので、私は太郎を連れて、ちょっとその後ろの丘に上ってみた。勾配《こうばい》のはげしい石段を登りつめるとモチの木の下に小さな祠《ほこら》がまつってある。思いもよらぬ淫祠《いんし》なので私は驚いた。穴観音のようである。
極彩色の稚拙な絵馬が、そこの部分をあらわに描いて、石の祠のまわりに二つ三つ放り出されていた。半分が雨露か日射に曝《さら》されたのか、異様な白けかたで褪《さ》めている。
周《まわ》りは明る過ぎるような海だった。海を越えて残ノ島が波ともつれ合っている。人事と自然がこのように大胆に対比されているのが、今は、無慚《むざん》のように思われた。私は何となしに、生きているという意志の、盲目の昏《くら》さにのめりこんで終ったような自分のあわれを感じつつ、輪形に白く打寄せてくる真下の波の模様を眺めおろしていた。
「ダンナサマー」
と下から松枝の声がする。私は太郎を負うて、その勾配の険しい石段を降りていった。
「済んだ?」
「はい」
とリツ子がさすがに嬉しそうに云って、
「ほーら」
泥つきの大根を二本握って見せている。
「早速晩のお惣菜《そうざい》にいいでしょう」
馬車が又動きはじめると、後ろから十二三の少年が走ってきた。
「お乗り、さあお乗り」
としきりにリツ子は云っている。やっぱり知合いの家ででもあったのか、と私は別段怪しまなかった。少年は直ぐリツ子の脇に飛び乗ると、ちょっと私の方を眺めなおした。
人見知りするわけではないが、私は余り顔馴染《かおなじみ》でない者と同伴したりするのは好きではない。それが少年であろうと何であろうと、同じことだ。だから、黙った。少年も私に対しては気まずそうだった。
それでもリツ子と土地の方言でしきりに喋り合っている。こらえてた小便を済ませてしまって気分が爽快になったのか、それとも幼時を過した汀の辺りにたどりついたとなつかしいのか。少し横にでもなればいいと私はリツ子の取りのぼせて終ったような昂奮をいぶかった。
やがてリツ子は私の方に向き直って、
「もうそこですよ」
なるほど岬《みさき》をまわると、海岸に帯状の町が見えてきた。然しまだ二三十分の行程はありそうだ。
「ああ、あれか?」
「いいえ、もっとずっと手前です。その山の蔭ですから」
「じゃ、あれは?」
「唐泊ですよ」
あれが唐泊か、と私は歌の中で想像していた風光と、今見る景物とを重ねてみた。しばらく凸凹《でこぼこ》のはげしい道で、海の中に大小の岩がなだれこんでいた。
山を負うたその小さい岬を右から廻ると海沿いに松の林があり、小さい扇形の平地が左の山裾から、右手の海の方に展《ひら》いていた。
「着きましたよ」
リツ子がいかにも嬉しそうにこう云っている。芸もない、のどかに鎮まった海辺の村のようだった。丘の中腹に、学校が見えている。海の陽差しを受けて、教室のガラスがキラキラとまぶしかったが、そのガラスもあらかた半分は破れ放題のようだった。そこから学童達の唱歌の声が洩れてくるのである。
橋をわたると往還の中にリツ子の母が走りだしてきた。随分待った様子である。
「まあ、よう来たな。タアちゃん、タアちゃん」
と声を挙げている。馬車はすぐとまって、少年が真先に跳び降りた。私、松枝、リツ子と続いて降りて、最後に太郎を抱えおろした。
「そこたい、そこの二階じゃんな」
母は海沿いの二階家を指さしている。
家ごとに田舎の好奇な顔がのぞきだした。平生の海を見る習慣からだろう、手をかざして、じっと新来の馬車の一行を見衛《みまも》った。
松枝が上わずった昂奮の態《てい》である。都会からやってきたとでも、自分で思いこんだようだった。少年を大声で手伝わせながら馬車の荷を、サッサとおろしはじめている。
「まあ、よう、むさくるしいとこに来てやんなさした」
母に紹介されて、この家のオバさんが挨拶にやってきた。久しく手入れをしないのか、バサバサと白髪《しらが》混りに油の気が失せている。野良着のままだった。
「行きとどかんことですばい」
「どうぞ、よろしく」
と挨拶に窮して私は頭を垂れるばかりだが、先方の人柄から来る安堵で、この度の移住に伴う不安は先ず消えた。
話の模様から判断すると、この家は戦時中迄饅頭屋《まんじゆうや》をやっていたと云う。勿論、強制的に転廃業させられたわけだったが、久しくこのような楽しい食物の噂だけでも聞いたことの無い私達は、何となく顔を見合せあってよろこんだ。
「まあ、そんならお願いしたら作っていただけます?」
リツ子が訊いている。疲れているに違いないが、初対面から病気とさとられるのは嫌なのだろう。不必要な迄に言葉のサービスにつとめていた。
「ええ、ええ。材料さえ寄せなさっしゃ、いつでっちゃ出来《でけ》ますばい」
オバさんに案内されて竈口《かまどぐち》の土間から続いている二階の階段を上っていった。
「穢《きた》のうござすばい」
なるほど穢い。二間を唐紙《からかみ》で仕切ってある。しかし海に添う東の一間の方に床の間がついていて、部屋の隅から階段が玄関にも降りていた。
「玄関は今迄閉め出いとりましたが、どうぞ開けて使いなさっせえや」
すると病室兼私達の居間は、この海に面した部屋ということになる。海に向って一間幅の中窓が開いているが、あけると、まぶしい程の海だった。蕩《とう》と、ゆらめき合っている。
「いいじゃ、ないか?」
私が、海を見ながらそう云うと、リツ子が自信ありげに肯いた。
私は海の景色に満足すると、
「じゃ、松枝さん。オバさんから下の井戸や炊事場の模様を習っときなさい」
実は早く下のオバさんに引取ってもらわねば、リツ子が横になれないだろうと思ったわけである。
「荷物は?」
「そうだ荷物を上げてもらおうか?」
リツ子はグッタリと疲れて終《しま》ったように、東窓によりかかって坐っている。荷上げで、その都度オバさんも上ってくるようだから、リツ子は横臥出来ないようだった。
私は思い切って、
「オバさん。女房が二三日前迄風邪をこじらして寝ついておりましたのに、今日馬車で無理にやって来ましたから、ちょっと参った様子です。失礼して、すぐやすませますから」
「まあ、早う寝《やす》うでつかわさいや」
とかえって先方があわてている。
「お父様、よろしいの。大丈夫ですよ」
リツ子はまだ気兼ねして、こだわったが、
「戦争の後のハヤリ風邪はキツウ悪かと云いますが、奥さん、早う横になんなさせえや」
オバさんの親切な声に安堵して、ようやく蒲団の上に横臥した。
荷物を一しきり上げ終ると、下のオバさんが茶を入れて上ってきた。太郎と、例の少年が後ろからつづいている。見事にふけ上った薩摩藷《さつまいも》が運ばれて、しばらく田舎の幸《さち》に泥《なず》んでいった。私も思いがけないその田舎の甘味を満喫して、
「おいしいですね。お母さん、ここの藷」
「藷はな、博多の近辺じゃ、ここが一番じゃん」
「川越藷《かわごえいも》もおいしいけど、ここのも随分おいしいでしょう」
とリツ子も寝ながら頬張ってこう云った。やっぱり郷土の自慢は嬉しいようだった。
「じゃ、リッちゃん、もうええな」
「ええ、有難う。お母さん」
「また、明日来る」
そう云い残して、リツ子の母は草場の家に帰っていった。ここから歩いて三十分だそうである。
私は送りがてら、太郎を連れて、あらまし村の模様を見に出かけた。
人情が朴訥《ぼくとつ》なのか、往き交う人々の動作や表情が何となしに緩慢なような心地がする。これを私の郷家の辺り筑後平野の農民と較べてみると、背丈も小さく、顔かたちがなごんで見えた。今来たばかりの早急な印象で、あてになるものでも何でもなかったが、私は自分一人でそう思いこんで、こんな田舎にまぎれこむ、新しい希望と幸福を感じていった。
行き交う人の表情の静かさは或はこのやわらいだ夕暮のせいだろうか。海は東側に大きく横たわり、小田の平地は山を負うて扇形に展いているから、西陽が山に落ちこんで終っているのに、海ばかりはまだ明るく暮れ残って延びている。辺りには山の夕べの靄《もや》が立ちこめてしまっているのに、人々の顔には、海の夕映えが映っているわけである。
村の人は私とすれちがう度に、ちょっと心持頭を下げる。はっきりした挨拶でもなく、さりとて知らぬ顔でやり過しも出来ぬというふうに、瞬間、その夕映えのうつる顔の中にゆるい困惑といったような表情が現れる。それを私は又、久方ぶりにメランコリイ・イン・アイドルネスで眺めるといったあんばいだった。
それでも、この部落の有様が、私には気に入った。太郎を連れてゆっくりと新しい家の方に戻ってゆく。
井戸端ではもう松枝が炊事に余念のないふうだった。流しの脇に一人中かがみで忙がしそうにバタついている。私は後ろからその大きい尻を眺めながら、
「ここ気に入った?」
「ええ、良かとこですばい」
松枝があわててふりかえって肯くから、私も、この村への静かな帰依を保証されたようだった。
リツ子は眠っているだろうか、とそっと二階に上ってみた。が、泣いている。
「どうした? 何かあったの」
「いいえ、さっきの子供ね?」
誰だったろう? とちょっと私は思いおこせなかったが、ああ、あの少年かと気がついて、
「馬車を追いかけてきた少年か?」
「ええあの子供ね、お父様。少し変態よ。ここへ坐っていると思って、ちょっとうとうとしていたら、お蒲団の中に入りこんできて……」
「早く帰さないからさ」
「おかえり、おかえり、と何度も云ったのよ。お藷が食べたいのだと思って、そのままほっといたら、私が眠っているお蒲団の中にいつのまにかはいりこんで、私に抱きついてきたりして」
私もちょっと意外だった。が、どんな貌附《かおつき》の少年だったか、それは思いおこせない。妙に機敏にちょろちょろと小走りする少年のようだった。その前かがみで走るふうの体の恰好だけが眼に浮んだ。まだ、肉感も何も伴わぬ、トンゴ柿とでもいったように頭が尖《とが》って、何かを嗅《か》ぎあさるような少年だった。
「知った子供じゃなかったのか?」
「いいえ、今日お便所を借りたでしょう。あの子が案内をしてくれて、外で待っていたのよ。おばさん何処に行くと云うから、小田だと云ったら、ついていっていい、とそう云うでしょう、断われなかったのですよ。土間に沢山大根があって、晩のお惣菜が無いと困ると思ったから少しわけてねといったら、くれたのですよ。あんな子だとは思わなかったものですから」
「何か、あったわけじゃないだろう?」
「いいえ、それまでは」
「じゃいいじゃないか」
「でも、いやいや。きたならしい。あんまり吃驚《びつくり》してしまって声も何も出ませんのよ」
また一しきり泣きはじめた。私は折角の村への好印象がぶちこわされそうで不愉快だった。どんないたずらをしたというのか、ちょっと知りたくもあったが、聞くのはよした。それにしても、リツ子に不用意なところも無いとは云えぬ。寄ってくる人々をいつも好意のものとばかり思いこみたがるたちだ。その上、今日は少し上わずっていたようだ。
馬車の旅で、思いがけず何ともないという自分の体への安堵のせいか。幼年を過した海辺間近かに帰ってくるという感傷か。それともそんな海辺を、私や太郎に見せてやれるというよろこびか。少年は、まんまと、そのリツ子の心のすきに入りこんできたわけだった。
「その上ね、お父様。帰った後で気がついて見ると、私のハンド・バッグが見えないのよ」
「何か入っていたのか」
「いえ小銭が少うしと、爪切や耳掻きなんかの小さい袋が入っていました」
「いいじゃないか」
「ええ、盗《と》られたものは何でもないの。でもいやらしくって――」
部屋の中は、もう暗かった。電燈が手に入らぬので、下のオバさんから当座十五燭《しよく》を貸してもらったのを手にとって、
「つけようか?」
そう云って私が立上ると、
「いや、いや、お父様。もうしばらくつけないで」
何のためだろう。泣いているからか、と思いながら、リツ子のぼんやりと薄暗い顔を見つめたが、少し熱っぽいようなその頬と唇が、うるんでいた。妙に頼りない孤独にでも陥入って、女の情念に縋《すが》るのだろう。そんな眼差しのようだった。
が、私は嫌だった。疲労からか、接吻も何もしたくない。立上ったまま、ガラス戸を開いて海を見た。ボウと東にはずれてゆくほど、海と空が明っている。最後の名残の雲が、細く金色に染っていた。
「ゴハンよ。チチ――。ゴハン」
下から松枝の先に立って両手をつきながら階段を上ってくる模様の太郎の声がきこえてきた。
夕飯は、下のオバさんからわけてもらったとか云って、里芋の味噌汁と、大根の煮附、それに生大根を卸《おろ》したが、リツ子は大根は一切口にしなかった。
「食べろ、食べろ。こだわったら、可笑しいぞ」
「いや、いや、あんな子からもらったものなんか」
「構わんさ」
「いいえ、もういただきません」
あまり、はっきりとその大根の皿をよけるので、松枝が不思議がっている。気を悪くはしないかと思ったが、私もリツ子もその説明まではしなかった。
太郎が早く眠ったから、私達もすぐ床についた。今迄母の家、姉の家などと、どことなしに気苦労を重ねてきたので、自分達が主宰の生活は、気楽のようではあるが、何となく手持無沙汰で戸惑った。
しばらく波の音を聞いている。昼間はさほどにも感じなかったが、辺りが寝静まってみると、さながら、家を噛《か》みつくほどの怒濤《どとう》の声である。満ち潮にでもかかったのだろう。
「まるで、お船にでも乗っているようですね、お父様」
眠れないのか、リツ子が、くらがりのなかでこう云っている。私は蒲団の中を探っていって、そっとその手を握りしめてみた。
気づかっていたリツ子の熱は翌朝は出なかった。ようやく七度にとどくかとどかないところ。朝陽が海を越えて直射しているなかで、その水銀柱をたしかめながら、
「熱、無いじゃないか」
「お父様、ほんと?」
手をさしのべて、半ばいぶかり半ば嬉しそうに、体温計を私から受取った。
「少しずつ、起きる習慣をつけた方がいいかもわからんね」
十月の半ば頃から、時候のせいか、いくらか熱は下っている。然し恢復《かいふく》の方へ向っているとは限らなかった。リツ子は熱の高下で一喜一憂をくりかえしているが、これを一二ケ月のトータルで計算してみれば、リツ子の生命が必ずしも上昇しているとは思えない。いや、確実に徐々にではあるが、体力は下降の線をたどっている。
それをあらわに言出しにくい。一時の気休めでも、慰撫《いぶ》と激励はしたかった。
「今日ね、親戚廻りをしましょうか?」
「大丈夫か?」
「ええ、一度挨拶だけは済ましとかないと、早速食糧なんか、困るでしょう。それに、みんなの機嫌をそこなうと……」
それは、そうだ。私一人では、皆目敵地に乗りこんだ風情《ふぜい》である。それに初めから病人を連れてきたと思われるのは、私も嫌《いや》だった。近所へも、一目だけでよいから、リツ子の通常の姿を見せておきたかった。いや、誇示してみたかった。その後からゆっくり寝せて、問われれば、風邪をこじらしたとでも云えば済む。
「じゃ、廻るか?」
「ええ、一二軒」
朝食の後に、一時間だけは休養させて、それから支度にとりかかった。リツ子は昨日のモンペを着ようとする。
「なるべく、いい着物が良いぞ」
「でも、防寒コートも、襟巻もありませんもの」
コートは東京の質屋で、手違いから私が流してしまっている。むっとする。つまらぬことを云うやつだ。といつもの通り誰にとも知れぬいきどおりがこみあげたが、
「無しでいいさ。暖かいじゃないか」
「ええ、ええ」
とリツ子は私の気配に脅えながらたんねんに化粧をした。
海波からの朝陽の乱射を浴びて、そのリツ子の化粧の顔が、荒い風波にもまれるように、脆弱《ぜいじやく》だ。
「癒《なお》る迄は、頭など坊主のように剃《そ》ったがいい」
そう云って、先日リツ子の髪を短く切落してやったから、どうにも結びとれぬようだった。なるほどこんな時には困りものだ、と私は、そっとその不憫《ふびん》を感じるのである。
ようやく支度が終ってから、リツ子は私を見上げながら、
「あなたこそ、今日は、もう少し御立派な服装になさらない?」
「無いじゃないか、これでいい」
「藍《あい》の大島は?」
「もう、いい」
支那を一年の間廻ってからというものは、実際自分の服装など、面倒なことは嫌だった。それに太郎をどうせ途中で負わねばならぬだろう。国民服に限るのである。
松枝に後を頼んで、連れ立って戸外に出た。
「もうから、歩きのありよりますな?」
下のオバさんが、嬉しそうにちょっと門口まで見送った。やっぱり効果はあるようだ。
「いいか? 歩けるか?」
しばらく、リツ子の臆病な歩き出しを見て私は気になったが、近所の人々の視線を浴びていると気がつくと、リツ子は思い切りよく歩きはじめた。太郎が有頂天になってその母の先をヨチヨチと駈けていった。
小川に沿って、山道の方へ上ってゆく。
「何処にゆく?」
「うるさい親戚はよしにしましょうよ。今日は、野菜なんかもらえるような、気易いとこだけ、ね」
「それがいい」
親戚廻りなどと、私は納得はしたものの、リツ子よりずっと苦手の方である。軽い散策だけでやめにして引きかえそうかと、今も思ってみたところだ。
リツ子の歩行がたどたどしいから、私も太郎の手を曳《ひ》きながら、ゆっくりと歩いていった。時々リツ子の方をふりかえる。
「昨日の子供ね」
「もう、いや、いや」
「僕のナイフを盗んだな」
「無いのですか?」
とリツ子はちょっと立止った。責任を感じるのか、それとも歩き疲れたのか、蒼ざめた顔である。
漢口の露店で買い求めた、ナイフだった。三角に刃型がとがって、鞘《さや》を荒い毛皮が蔽っている。オランダ製のようだった。戦地で豚肉などの料理に調法したものだ。
「有りません? あのナイフが」
「ああ、なくなった」
「早く仰言《おつしや》ればよかったのに、そんな――」
「今朝、気がついた。それも今先あの少年だと思ったのだ」
「こわーい。きっと又来るわ」
「それより、昨日、あれでおどかされはしなかったの?」
「いいえ、そんなことはありません。もしそうなら、申し上げますよ。でも、こわーい」
ナイフの愛惜は、正直に云ってそれほどなかった。家庭に帰れば、何処となしに少し大袈裟《おおげさ》過ぎる代物《しろもの》である。それより、そのナイフにつながる、少年への新しい好奇心がふくれてくる。自分で云いだして、自分で出来事の異常さに、気をのまれるあんばいだ。
「いいさ。あれを振廻されずに済んで仕合せだった」
そう云って又歩きはじめたが、そんな兇悪なことがやれそうな少年だとは思えない。それにしても何となく不吉な、嫌な、感じはした。
山が段々畠になっている。蜜柑山《みかんやま》のようだった。ふりかえる度に、海の眺望が延びていったが、その坂はリツ子には少し無理のようだった。手をさしのべてやって、そろそろ曳く。呼吸がつまるふうだった。
「いいの? やめようか」
一間置きに立止るからそう言うが、
「でも、もうそこよ」
もどかしそうに、又一息ついて山の中腹を指さしている。
石垣の上に、ネーブルのような見事な柑橘《かんきつ》の大樹が見えていた。上りつめると、ガラーンと淋しい農家である。簡単な藁葺《わらぶ》きに、障子だけが、農家らしくなく、新しい白さで張りかえられていた。障子に南の陽射しがまばゆかった。
「今日は」
とリツ子が声を細めて、呼吸を平静に調節しているようだ。が答えはない。
「もーし、静ちゃん」
思い切ったように、そう云った。然し鎮まりかえる部屋の中から、ボンボンボンボンと柱時計がものうく十か十一の時鐘を鳴らしていったばかりである。
「留守のようよ。お父様、はいりましょう。いいのよ」
リツ子はそう言って、戸の開いた土間に入りこんだ。私も後ろに続いてみる。土間には臼《うす》と、唐箕《とうみ》の類、それに夥しい笊《ざる》や籠が、置かれてあった。
「おかけになりません?」
リツ子はそう云って、疲れたのだろう、先ず自分が上り框《かまち》のところに腰をおろして、しばらく、呼吸を慣らしていた。然し、私は見知らぬ家に腰をおろすのがためらわれて、また土間の閾《しきい》を出ていった。
明るい南の陽射しを浴びながら、木戸の前から更に海を見下ろしている。ここからは、海の眺望は、残ノ島を越え、更に志賀ノ島を越えて、名島の辺りの湾が見えていた。彎入の部分部分で海の色が違って見える。けれども、左方の玄海よりの方向は、一斉に流しこまれた紺碧《こんぺき》の青だった。
向うから手桶《ておけ》の少女が現れた。右手に大きな手桶を下げ、その均衡を取るように、左手を横に反《そ》らしているが、力がゆるみなく、全身に雪崩《なだ》れている。美しかった。それより甲斐甲斐しかった。私は無遠慮に、その歩行の姿に眺め入っている。急ぎ足で、真正面ばかりをみつめている。私には気附かないようだ。
が、ザブリと一度水こぼれして、立ちどまった。いぶかしそうに私を見る。桶をおく。頬を染める。
この家の人だと気づくと、私はあわててちょっと頭を下げて、紅緒《べにお》の藁草履《わらぞうり》から足の辺りを濡らしていった水の行方を見衛《まも》るのである。
「まあ――。なん事だすと?」
少女の眼が輝いて、あどけなく口が開いた。十九。いや、二十を越えていまい。のびやかな、弾力のある手足である。その手を前垂れで先ず拭った。
「リツ子」
と私が呼ぶのと一緒に、リツ子が戸口に顔を出した。
「静ちゃん。私よ。ひょーっと来て――」
「まあ――、珍らしさ。リツ子さんだすな」
「静ちゃん、見えんけん。黙って上りこんどるとよ。御免ね」
「まあ――、どうしよう? 黙って。ひょこっとおいでなさしたりして」
喜悦と羞恥《しゆうち》の感動が少女の面の上に水のように明瞭に波立った。私は驚くのである。
「こちらは、主人。よろしくね、静ちゃん」
「手紙など、やっときなさしゃ――いいとえ。どうしよう?」
身もだえるふうに私へ向ってお辞儀をした。こんな少女があるのか、と私は走り出てきた太郎を捉《とら》えて、何故ともなく深く頭を垂れた。
「こちらは坊っちゃんだすな。ほんとうに、どうしよう?」
まだ、どうしようを云っている。
「昨日から樋《とい》の崩れて、水汲みだすと。折角来なさしたとに、留守やらして。おばあちゃんのどげんたまがりまっしょうか。早う上ってつかわっせえな」
「もういいとよ。静ちゃん。何も構わんどいて。こちらへ越してきましたから、ちょっと挨拶に寄っただけ」
「疎開だすな? 何処へおいでなさした?」
「小田の浜よ」
「まあ、ここの浜へ? 嬉しさ。おばあちゃんが。ああ、ああ。早う帰って来りゃいいとえ。喜びますが、どうしよう? ほんとうに」
静子は、桶から戸口のあたりへ、往《ゆ》きつ戻りつした。手足が顫《ふる》えている。喜びに、困惑しきった顔だった。
「静ちゃん。ね、水を運んでしまって頂戴。それからゆっくり話にしましょうよ」
「まあ――水やら」
「でも、それだけ運んでしまって頂戴」
「そんなら、リツ子さん。ほんとうに上っていてつかわさい。坊ちゃんも。直ぐですけん。ちょっと水ば移して終いまあす」
終いまあすのそのマアスという長くひっぱってゆく発音が、この少女によく似合って面白かった。
静子は水桶を今度は左手に持ちかえて、又立上ろうとする。
「お水のみたーい。お水」
と太郎が走り出してその水をのぞきこんだ。
「まあ、水だすな。坊っちゃん。コップにいっぱいいっぱい汲《く》んであげまっしょう」
静子はちょっと水桶をゆすぶっただけで、土間の方に歩きはじめた。太郎がその後ろについて走る。
私とリツ子は何故とはなしに顔を見合せて爽やかな微笑に移っていった。何か、心の中に満ちあふれてくるものがある。これが、生命だ。何という単純な充実だろう、と私はしばらく見覚えのない幸福を感じていって、静かにその喜悦を奥歯の中で噛みしめた。
リツ子も自分の病気を恥らうふうだった。土間に立ったまま静子を待っている。
やがて水の入ったコップに口をつけ、先ず太郎が現れて、その肩を押しながら静子が後ろについてきた。
「まあ――飲みなさしたが、坊っちゃんな。一杯、二杯、ねえ、キューッと」
太郎がその静子の顔を見上げながら、相好を崩して肯いた。
「さあ、上ってつかわっせえや。穢《きた》のうして、何事も無いとだすが。ねえ、坊っちゃん。お藷だけはありますとよ」
そう云い、土間つづきの部屋の障子を開け放って長火鉢を引きよせた。
「早う、上って下さっせん」
「いいとよ、もう、うちは」
「まあ、困りますが。そげなところに坐って貰うたら。奥様」
と急に奥様に変ったのは、私への顧慮のようだった。リツ子は先程のように上り框に腰を下ろしている。私は土間に立ったままだった。
静子が全く当惑し切った顔である。太郎一人チョロチョロとその火鉢の脇に上っていった。
「手《て》土産《みやげ》も持たずに、上られんとよ。静ちゃん。御免ね」
なる程、何によらず心づくしの手土産を携えて来るのを忘れていた。リツ子は貧窮の我家を考えた上で止めたのだろうが、私は、全く思いつかなかったことである。
「まあ、お土産やら、恥かしさ。そげなものがいただかれますもんか」
恥かしさとは、何の意味の表現だろう。この土地の云いならわしか。しばらく、不思議な云い廻しに私は驚いた。けれどもその言葉のふしぶしが、素朴な感動のまま、きびきびと私の心に伝わった。
「ちょっと上らせていただきましょうか?」
とようやくリツ子はそう云った。私は肯いた。リツ子と私は長火鉢の脇に太郎をはさんだ。
私達が上って終っても、静子はやっぱり落着かず、坐らない。
時折、坐っては茶を入れ、茶を入れては、
「もう、おばあちゃんが」
を繰りかえしている。それから、ふっと気がついたふうに、
「あ、坊っちゃん。良かもんの、ありましたとだすよ」
あわてて長火鉢の火を掃きのけた。消炭を常用するのか、掃き立てるとカンカンと中はおこっている。それを全部周囲に除けていって、真中を掘ると、大きな薩摩藷が二ついけられてあった。
静子はそいつを機敏に手で取った。取出す度に、自分の耳朶《みみたぶ》を握っている。手に来る熱をさますのだろうか、私は馬鹿に面白かった。思いもよらず、静子の耳朶の恰好を見るのである。
厚い耳だった。厚くて丸まっこい耳朶だった。遅れ毛がその辺りふわふわと揺れていた。
「可笑しいごとありますが、おいしいとだすよ。ねえ、坊っちゃん。上げまっしょう」
走って皿を一枚取って来て、その上に一つ乗せ、私とリツ子の間に差出した。
「坊っちゃんは、これ。お姉ちゃんが、剥《む》いて上げますもんね」
二つに割って、湯気の立上る藷の皮を少し剥き、それを太郎に差出している。太郎が熱がるので、リツ子が塵紙《ちりがみ》で巻いてやった。
私もリツ子も食べて見た。素晴らしい味だった。ぬくもりのあるねっとり甘い藷の粒子が、舌と口腔《こうこう》をくまなく塗りつぶすふうである。
「まあ、おいしい。静ちゃん」
リツ子の声に、静子がようやく安堵して、落着きを取戻したようだった。
「そうだすたい。沢庵《たくあん》ば切ってきまっしょう。ザボンばちぎってきまっしょう」
先ず沢庵を皿に盛ってくる。
「もうすぐ新漬が出来ますが。これはおいしゅうは無いとだす」
そこのところに、老婆が一人入ってきた。老婆もまた、来客と見ただけで、おろおろと自分の方であわてている。
「おばあちゃん。リツ子さんだすよ。ほら博多の」
喜びの分担者がやっと出来たとでもいうふうに、静子は上り框に、飛んででて、
「どうしようか?」
「まあな、リツ子さんだすな、たっしゃでなあ」
リツ子がわびしい笑顔で答えている。
「ネーブルとザボン、ちぎって来うか?」
「そうなと、せなあー。どうしようか?」
老婆にもまたどうしようかがうつっていって、貴賓の思いがけない来訪に、困《こう》じ果てたようだった。
間もなく静子の家を辞して去る。昼食までは、ととめられたが、リツ子の疲労の色は蔽《おお》えなかった。
米三升。それに藷、大根、葱《ねぎ》、人参《にんじん》、ネーブルが五つ六つ、大風呂敷に入り切らぬあんばいだ。
坂道の下まで静子に送られた。恐縮と困惑で、リツ子が弱り果てている。
「静ちゃん。私、肋膜《ろくまく》よ。ずっと、お炊事も何もしきらんと。もう大分よいのだけど」
本音である。やっぱりかくせぬようだった。静子は黙って肯いている。顔色から、もう早く感じ取っていたのだろう。いつのまにか静子の方が、愁《うれ》いで静まった少女のやさしい表情にかえっていた。家まで送るというが、
「送ってもらったら困るのよ。休み休みでないと歩けんの。それにまだ、お部屋が、来たばっかりで片附いていないから。二三日うちに、きっと来てね」
「このままじゃ、情ないごとありますが、そんならここで見送らして貰いまあす。卵やらお野菜、きっと用意して持って行きますが――」
「まあ――、要らんよ。静ちゃん、そんなもの」
「家にあるものだけだすたい。坊っちゃん、呼びイ行きますばい。又来るもんね、お姉ちゃんとこ。じゃさよなら」
と、静子の声が思いもよらず涙声に変っていったのには驚いた。その静子の姿を振返り振返りしばらく私達は歩いていった。何を思ったのか、大分離れてしまった静子がまた走って追いかけて来た。
「あさっての昼前には、伺わせて貰いまあす」
まったく、たったそれだけの用事のようだった。私は見覚えのない、そんな人情の哀切に驚くのである。
再び別れて、片手を高く差上げている静子の姿を、遠く見た。
「不思議な人だね」
と、その夜早く床についてからだった。
しばらく、リツ子の答えはとだえている。やっぱり疲れ果ててしまったのか。
相変らず波の音ばかり、船艙《せんそう》をでもゆすぶるように続いている。その怒濤の咆哮《ほうこう》にもてあそばれながら、少女の幻を描くことは楽しかった。
「いくつなの?」
「十九の筈ですよ」
十九と云えば、私にしてみたら高等学校の三年生の時だった。もう飲酒、カフエーと都会の悪癖はつのっている。もしあの頃にでも、あんな少女に出会っていれば、随分と私の生涯も違ったろう。
「どんな、親戚?」
「遠いのですよ――」
リツ子は説明するのが億劫《おつくう》のようだった。
「両親は?」
「なくなったの」
やっぱり結核か、と私の口まででかかったが、それを云うのはリツ子にはためらわれた。あんなに健康そうな体質の家系をも、結核菌は蝕《むしば》むのか? このところがリツ子の家と血脈の近親のように、私には感じられた。
「ねえ、お父様」
と、今度はリツ子からの声だった。
「何?」
「静ちゃんに、あの子供のことを聞いて見ればよかったわ。ひょっとナイフを返して貰えるようになるかも知れませんもの」
そんなことを考えこんでいたのか、と私は何となく不満だった。自分の甘美な夢想をよごされてでもしまったように腹立たしい。
「よせ、よせ」
と反対の方向に寝がえって、また静子の面影をたぐりよせている。
そもそも美というものは、生存の正しい保持に由来するものなのか。すると、リツ子が真昼の少女と対比された。少しむごいが、やっぱり意識の底で、病者の生活から私は、解放を願っているに相違ない。
「ああ、あ。早くお炊事やら、してみたーい」
リツ子がやるせなさそうに、突然、そう云った。静子に、同じ羨望《せんぼう》を感じていたのか、とこれはしみじみ不憫だった。
「早く眠れ。明日の朝こたえるぞ」
「なんだか、疲れ過ぎて眠れないようですの」
帰ってから、リツ子は一度昼寝はしているが、明朝の悪化が気づかわれた。
「熱はない?」
手を差しのばしてリツ子の額に触ってみる。大した熱の出る模様は無い。
「ネーブルでも切って上げようか?」
暗がりの中に、隣の部屋から松枝の意識したような咳ばらいの声が聞えてきた。まだ眠れない様子である。
「もう、結構。お父様」
波の音が、またザブリと家ごと嚥《の》みにかかるようだった。
朝方、少し血痰《けつたん》が混っていたとリツ子が云っている。昨日の遠出が、相当こたえたものに相違ない。然し、熱は思った程は無いようだ。平生の微熱を僅かに一二分越えるだけである。
すぐ臆病になる性分だから、その日一日、リツ子は寝たままだった。食事も床の中で、一切食べている。
「明日静子さんが来たらどうしよう?」
「どうって?」
「御馳走さ」
「ここのあたりね。呼びたがっても、呼ばれたがらないの。とても静ちゃん食べてゆかないと思うけど。第一何も出来ないでしょう」
「コンビーフが一つなら、まだあるよ」
北京《ペキン》から運んだ土産だが、佐藤先生に差上げるつもりで、残して、持っていた。
「でも、あれは――」
とリツ子も事情を知っている。
「いいさ、東京には、いつ帰れるかわからない」
ふっと悲しくでもなったのか、リツ子は蒲団を引っかぶった。
「ライスカレー。ライスカレーがいいなあ」
手料理の饗応《きようおう》がしてみたい。私は大声で、その蒲団の中にきこえるようにわめいてみた。リツ子は、首を出して一つ二つ肯いた。
晴れていた。窓を開けると海が真青に凪《な》いでいる。汀《みぎわ》に小鳥の啼《な》き声だが、何鳥と、私にはわからなかった。
「千鳥か? 啼いてるの」
「さあー」とリツ子も覚つかない。チッチッという声と、小さな小鳥の影が砂の上に広く散らばっていた。白砂に、微塵《みじん》の揺れる斑点《はんてん》を撒《ま》いたふうである。
「私、起きましょうか。静ちゃん、来るの、きっと早いことよ」
「いいさ。来たときに、起きるのなら、起きなさい」
素直に肯いて、そのまま蒲団の中に入っている。
「でも顔だけは、今日はお湯を沸して下さらない」
そう云えば昨日は水で拭ってやった。化粧を後でしたいと云う程の意味なのだろう。
朝の粥《かゆ》を啜《すす》った後で、松枝に馬鈴薯と葱と人参を洗って二階に運ばせた。いくら私でも、下の井戸端では、まだ、炊事をやるだけの度胸はない。
松枝が洗った野菜を運び上げてから、やっとカレー粉の無いことに気がついた。
「リツ子。肝腎のカレー粉が無かったぞ」
「松枝さんから下のオバさんに相談して貰ったら」
「とても無いだろう」
「でも、聞いて御覧になってみなくては」
「じゃ」
と松枝を呼んで、下にやった。
思いもよらずカレー粉はあるようだ。松枝に続いて、下のオバさんが階段の上に首だけだした。
「もーし。あるとはありますが、戦争前のだすばい。気の抜けとりまっしょうもん」
小瓶《こびん》を片手で差上げて見せている。
「よかなら、使いなさっせえや。風邪ひき粉だすが――」
「結構です」
と、私はそのカレー粉の瓶を受取りに行った。
「ライスつくりだすな」
「はあー。後から配らせて貰いましょう」
「いいえ。私ゃライスは食べきらんとだすが。じゃ」
と笑いながらオバさんは降りていった。
ちょっとにおいを嗅《か》いでみた。気が抜けているようには思われない。リツ子が見たがるから、蒲団の上に手渡して私は野菜を俎板《まないた》の上に切っていった。
さすがに、阿蘭陀《オランダ》ナイフの失せたのが残念だ。あれだと、物を裂くように、行届いて切れる。殊に馬鈴薯の芽のあたり、穿《えぐ》り出す犀利《さいり》な切味が失くなったとは無念である。
少年の柿型に上尖りの特徴のある頭の恰好が眼に浮んだ。あいつが、何をするというのだろう。チョロチョロと辺りを掠《かす》めるような歩きざまだった。リツ子の蒲団にもぐりこんで――。すると、まざまざとした妄想が湧いてくるので、急に、私はリツ子の方へ声をかけた。
「ナイフを盗んだ奴ね」
「はい」
とリツ子は驚いてキョトンと眸《ひとみ》を見開いている。
「蒲団の中にもぐりこんできて、それからどうしたの?」
「もう、いやいや」
と眼を閉じた。
「やっぱりさわったの?」
眼を閉じたまま、リツ子は顔を痙攣《けいれん》させながら肯いた。
「よく、帰ったね?」
「でも、私、必死でしたもの」
私はにぶい切味の庖丁《ほうちよう》で、馬鈴薯の白い肉をトントンと苛《さいな》むように切っていった。
昼も間近かになって、ようやく静子がやって来た。リツ子は化粧を済ませ、着換えた後で、又蒲団の中に入っていたから、すぐ起きた。
私が玄関に出迎えに立つと、静子は頬を染めて、浮腰になっている。この人の癖なのか、それとものぼせてしまっているのか、所在なさそうに足が律動するのが、私には心地よかった。
「この間は、沢山ないただき物をして」
「まあ――あげなもん」
と静子の表情が真剣に硬直した。今日は盛装をして来ている。着こなしが、然し何処かぎごちなく、そのぎごちない服飾の中に成熟した処女の力がはみ出ていた。
「奥さん、起きとんなさす?」
「ええ、どうぞ上って下さい」
「そんなら、御免なさっせ」
こんなところで気づまりになるよりは、上ってしまった方がまだましだと、何か血路をでも開くふうに、階段を上っていった静子の様子が可笑しかった。ゆっくりと私はその後ろから上ってゆく。十個ばかりの見事な鶏卵がボール箱に詰められてもうリツ子の膝の前に置かれていた。
「今日ね、静ちゃん。が、あなたが来るというので御自慢のライスカレーを作って待っていたとこよ」
「まあ――、ライスカレーを、さんがだすな?」
初めて私の名が静子から呼ばれている。私も愉快になってきた。
「支那流儀のライスカレーですよ。沢山ニンニクも入っている。いいですか?」
「ニンニクだすな? まあ、どうしよう。うちは食べたことのないとだす」
「構わんですよ。おいしいのだから」
「静ちゃん、御免なさい。私、こうさせてね」
リツ子はちょっとこう云って、箪笥に座蒲団を添えて凭《もた》れよった。
「奥さん、お蒲団に横になんなさっせ。寝《やす》みながらのお話ば伺いますが」
「いいとよ、このままでいいとよ」
リツ子はあわててさえぎった。私も床の中に入ってくれる方が気が楽だが、一概に病者の見栄をこわすのも嫌だった。
「さんは、支那に行っとんなさしたとだすな?」
「ええ、行っておりました。何か御用?」
「いいえ」
とあわてて静子は打消して、
「お仕事は? 海軍さんだすと」
海軍をやめて帰郷したのだとでも思ったのか。
「ちがうのよ。小説書きよ」
「まあー、小説」
と静子がリツ子の答えと一緒に声を上げている。
「静ちゃん、小説好き?」
「ええ」
と素直に肯いた。リツ子は興がるようで、
「どんな、小説?」
「泣こうような小説だすと」
面を伏せて云っている。泣きたいという程の方言だろう。それにしても静子の言葉には感じがあって、私の心もざわめいた。静子を泣かせる程の小説なら、一度は書いて見たいと、この人の顔をつくづく見守るのである。
「静ちゃん。あなたに聞きたいことがあったのよ」
「何だすと?」
面を上げた。
「大原《おおばる》とここの間の七《なな》ツ家《や》のとこね」
ああ、あの話かと私は不愉快だった。それにしても七ツ家とリツ子は云っているが、家は四五軒のようだった。亡《ほろ》んで行ったものだろう。
「お宮のような石段があるでしょう?」
静子の頬が赤く染った。すると、あの淫祠《いんし》のことを、この少女は知っている。
「石段の下の家に十二三の男の子が居る筈なの、静ちゃん、知らない?」
「ああ、あそこは、巫子《みこ》だしたが。そう云えば居りましたろうや。男の子が」
「あの子がね、引越の馬車についてきて、手伝ってくれたのよ。手伝ってもらったのはいいけれど、主人の大事なナイフを盗っていってしまったの」
「まあー、そげな」
と静子が眼をまわした。
「それで、もしどなたかつてがあったら聞いてみてもらえません。ちっともおこっていないから、ナイフだけ返して頂戴って」
「やめなさい。それはいかん」
「ええ、云うて見ますが――」
と静子があわてて答えている。私はリツ子が修飾した言葉の中に、また新しい危難を感じてさえぎったのだが、静子はそれを私の遠慮のふうに受取った。しばらく、気まずい沈黙に陥《お》ちこむのである。
「どうした悪い子だすかいな、御免なさっせ。丁度、おいでなさした日に」
静子は自分の責任ででもあるようにそう云った。私はあの祠から、辺りの海を見下ろした眺望を回顧した。蒼い周辺が、無慚《むざん》に泡立つ海だった。絵馬の泥絵具が日射と雨露に褪色《たいしよく》してころげていた。おっ、と嗚咽《おえつ》したいようなむなしい感動が波立ってくる。私は立上って、部屋の窓の海を見た。窓の海はあれほどのむごい景勝ではないのが仕合せだ。凪いでいる。それにもう少しく凡庸な海の展望が静かに、私の眼の中へひろがった。
静子は話題をでも転じるふうに、
「奥様。お宅は、薪《まき》やらどうしなさす?」
「さあ、何処かから買わなくては」
「いいえ、買わんでよござすが――。うちの山に大きな楢《なら》が一本、崖《がけ》崩れで倒れとりまあす。あれを切ってお使いなさっせえや」
「楢?」
と私は咄嗟に新しい感興に誘われた。
「どんな楢です? 静子さん」
「根のあたり、こげな大きな楢だすよ。とても女手じゃ扱われまっせんと」
「じゃ、一度見せて下さい。その辺り」
リツ子も静子も唐突な私の申出に驚いたようだった。
「どうしてなの? どうなさる?」
とリツ子が私を見上げている。
「ああ、よかったら、炭を焼いてみたいのです」
「まあ――。炭」
と静子が声を挙げた。
「堅炭だすな? 炭焼きなさす?」
「ええ、支那でね、兵隊の炭焼を手伝ったことがありますから」
零陵の手前の山の中で焼いている。楓樹や櫟《くぬぎ》や楢を伐採して炭にした。記念に山茶花《さざんか》を炭にして、今でも手許に持っている。私は図嚢《ずのう》をひき出した。
「ほらこれが僕の焼いたもの」
美しく炭化したキラキラ断面の黒光りする木炭を、静子にそっと手渡した。
「まあ――、炭じゃないごと綺麗だすな」
リツ子は度々見ていたが、また改めて、静子から廻して貰って眺めている。私はしばらく湖南省の至る処の丘陵に栽植された白い山茶花の花を思いおこした。花期は今頃だったような記憶がある。炭の包み紙に、
Thea Sinensis, L.
コノ種子ヨリ茶油ヲ得、不乾性油也、食用、石鹸製造、頭髪、燈火ノ用ニ供ス
当時の覚え書きのままだった。茶樹の蔭で射殺された中国正規兵の姿が眼に浮ぶ。まるで、その妄念が、この炭の中にこりかたまって結晶したようだった。
「焼かせて貰っていいですか?」
「頼みまあす」
とその炭を見ながら、静子が反対に哀願するふうなので、
「でも焼きそこなうかも知れませんよ。あぶないね」
「よござすが」
「見てみたーい」
とリツ子も云った。
「楢の木のあたり、土質を見なくちゃわかりません。一度案内して下さいね」
「今日だすと?」
「いえ、明日にでも致しましょう」
「そんなら迎えに来ますがあー、楢の辺り少し片附けとかんと……」
と云っている。山に化粧をでもするのかと可笑しくて、
「でも、山鋸《やまのこ》や、掛矢などがありますか?」
「ええ、あります」
「じゃ、満点だ」
と私は爽快な気持になった。
机を合せ、松枝に用意のライスカレーを運ばせた。昼食にする。リツ子の言葉に反して、静子は素直に太郎の脇へ座をとった。
黄色のカレーは戦前のもので、かえってよく利いている。
「カライ、カライ」
と太郎だけは云っているが、久しぶりの肉の味で、みんなカチカチとスプーンを鳴らせ合った。
「進駐軍」
と突然何処からか子供達の声がきこえて来た。窓をあけてみると、ジープが五六台汀にとまって、緑色がかったカーキ服のアメリカ兵士が、無雑作に車の中から飛びだした。
「アメリカの兵隊さん?」
「ああ」
と私が肯《うなず》くと、リツ子が窓の側によってきた。
「まあ――、静ちゃん、まるで映画のようよ」
静子もリツ子の言葉に誘われて覗き出しているが、臆したようだった。
兵士達は自動小銃を負うていた。この浜に見られなかった光景だろう。馴れないから、近所の家は門毎に扉をとざしてしまっている。くっきりと海が青かった。その汀に立っている兵士の影は、屈託のない談笑で、見上げたり、見廻したりして笑っている。何とはなしに、私には歔欷《きよき》の感動が波立った。
私はバタンと又扉をリツ子と静子の前にとざすのである。
「まあ、もっと見ていたい」
リツ子が不服そうに、閉められたガラス戸越しに、いつまでも兵士の姿をのぞいていた。
「もーし、旦那様」
と下のオバさんが階段を上ってきた。秘密そうに側へよってきて、
「あなた、アメリカ語ば知っとんなさす?」
「さあ、少しは」
とためらったが、
「そんなら、ちょっと組長さんが下で待ってありますけん」
招かれるままに降りていった。裏口から隣組長というのが入って私を待っていた。
「えらい迷惑なお願い事じゃが、ちょっと浜の進駐軍と話し合うてつかわっせんな。アタキ(私)達はチンプンカンプンで、わかりまっせんもんなあ。ええ、何も悪かこつばするふうな模様じゃなか」
私は承知した。和服のまま組長を連れフラリと汀の方へ歩いていった。
用件を聞いてみる。水である。五六人の兵士が、私を取囲んで、ワッと諒解のついた喜びの声を上げている。私は組長にバケツの水を汲ませにやった。
それから芥屋への道を聞いている。私は中学の頃の英作文の記憶をたどりたどり、
"Go straight on this way, and then turn to the left."
「オー・サンキュウ」
と一斉に湧き立ってバタンバタンと乗車した。まくりあげた長い脛《すね》がのぞいている。
好奇心からだろう、二階から窓を開いて、まだリツ子と静子がのぞき出していた。私はいわれもなく中国の部落部落を兵隊と練り歩いた日を思いだした。戸口の外にぼんやりと放心して立っていた中国の子女の姿を――。
汀の兵士らは、二階の窓のリツ子等に大仰に手をふりながら、
「グゥ・バーイ」
後に汀の砂塵が渦巻くばかりである。
どうしたわけか、そのまま静子は二三日の間来なかった。私はひそかに心待ちにしていたから、その障害が何であろうかと、気を揉《も》んだ。
しかし、炭は一竈《かま》、どうしても焼いてみたかった。実用の上からもこの炭飢饉《すみききん》に甚だ重宝だが、何となしに私の力と心の中に鬱するものがある。それを解き放ってみたかった。
この日頃の些事《さじ》にまみれはててしまった自分を、生存の原始の作業とでもいった仕事の中に集中してみたかった。炭焼という奴は、それに恰好の仕事である。
私は生来サラリイマン風情の通勤や執務というものが、どうしても持続出来ない性分だ。
勿論、拭いがたい我身の怠惰のせいもある。しかし、それだけではない。私は正しい自然との連繋《れんけい》のなかで、魚鳥を撃ち、薪を切るといった仕事に熱中していないと、何かしら見えない焦躁といったものに足許をはらわれる。職能というやつの様々の分化を理窟の上では納得していても、自分の身心の底からにじみだしてくる故の知れぬ不安は、打消せない。
私が作家として、自分の仕事を持続出来なかったのも、また様々の職業を半ば強制的に両親や知友達から与えられて、それをその都度一二ケ月で放りだしたのも、この故の知れない焦躁感に臍《ほぞ》の緒を噛んだ。
何もかも、なげだして、無計画な長途の冒険旅行に旅立っていったのも、根本を云えば、このような、自分の気質の根源にある不安と懊悩《おうのう》からだった。
これを自分の生い立ちの上から考えてみると、私は家庭という気分の安定を、幼時から知らない。
六七歳の頃から祖父母の家にあずけられ、九州の片田舎にある古くて広い家の中で、感情と云うよりは、孤独な自立の教育をばかりほどこされた。いや、教育と云う程の意識的な訓育ではなかったろう。いわば孤立した大きな屋敷の中にほったらかされたわけである。私は誰と遊ぶわけでもなく、またどのような玩具を与えられるわけでもなかった。ひとり野山を歩き、苺《いちご》をつみ、山饅頭《やままんじゆう》を取り、ぐみを取り、小鳥の子を拾い、白い大きな水禽《みずとり》が沼の上に浮游しているのに驚き(多分白鳥ではなかったのか、日本に果して野生の白鳥が棲息《せいそく》するかどうか知らないが)、また庭の木洞《ほら》の中で蝦蟇《がま》の夫妻を飼っていた。
私はこれらの日の祖父母が、一体どのような心を以て私を養育していたのかしらない。このような孫を果してどのような人間の理想像に近づけたかったのか、今考えてもわからない。
想像しうることは、祖父母の間に甚だ不幸な事情が起っていた。云ってみれば祖父母達の一人一人の絶望が私にある種の底抜けの無関心と寛大を与えていたのかも知れない。
私は祖父母から打擲《ちようちやく》されたことを知らない。また祖父母から何等か動物的な愛情乃至《ないし》愛護を蒙《こうむ》った記憶がない。私は祖父母と同室に眠ったことも、一緒に食事をとったことも、一緒に風呂をつかったこともない。
私は一人で際限もなく小川をさかのぼって流れに泳ぐ不思議な魚どもを捕えたが、私の祖父母から、ほめられたことも、叱られたこともない。
つまり私は私の生涯の生き方を決定する最初の日に自分の生命を自由に選びとる幸福と不幸を与えられたわけだった。
木立の間を走り、流れの中に身をもみつくすようにして泳いだが、私はいつもまぎれのない私の生命の歓喜にだけ即《つ》いた。
後日、市井の中にまみれても、まぎれようのない自分の生命の躍動を自覚すると、たちどころに諸事を放り出して旅立ち、野山に逃げかえったのは、私の根本の性情にもよるだろうが、幼年の日の私の環境にもよるだろう。
私は早く炭を焼いてみたかった。リツ子の看護に炭無くては片時も過せないばかりか、朝夕、病妻の側に坐り、その妻の母からとめどない市井の人情を強いられることは堪えがたい。
愚痴も聞きたくない。
私は野山に走りだしたいのだ。斧《おの》を以て、樹々を倒したい。その樹木を鋸で切り、更に細分して、土竈《どがま》を築き、炭を焼いてみたかった。
旁々《かたがた》中国の長い漂泊の旅の思い出にもつながるものである。
あれは零陵に程近い部落のことだった。炊煙を上げると爆撃の目標になり易いから、そこの部隊長が大々的に炭を焼かせ、私はその炭焼兵士の後を追って、山の中で二竈築いた。
あの辺りには中国の楓《かえで》が多かった。三つ葉の、馬鹿に素朴な楓である。下葉からゆっくりと紅葉してゆく、大味な中国楓の紅葉は全く美しいものに思われた。
よく詩文に散見する中国の楓葉《ふうよう》というものをしきりに見たいと思いながら、その中国を果から果まで歩いたのに、秋になる迄はどうしてもわからなかった。
幹は楓というよりは白樺によく似ている。
私は南嶽で知合いになった劉止戈や胡子安から、はじめてそれが楓樹《フオンスー》だと教えられた。それにしては味けない楓だと思っていたが、秋深くなってゆくと、なるほど美しく染っていった。行先々の湖南広西《カンシー》の山々は山茶花の花と楓の紅葉だった。
兵士達はこの楓を切倒して炭に焼いていたが、
「この木は炭には余りよくないですな」
と云っていた。なるほど焼き上るとボソボソと松炭に近い。それに較べると山茶花の炭は緻密で堅かった。但し茶油の原料に栽植されているのだから、さすがの兵士達も気がとがめるようだった。蜜柑畑の蜜柑を切倒して炭を焼くようなものである。
然し焼上ると、上質な、勿体ないような炭だった。
そう云えば、炭焼竈のすぐ側の山茶花畑で中国兵の捕虜が銃殺された。老兵だった。私は嫌なものを見せられるとおそろしかったが、竈の焚口《たきぐち》のところに坐っていると嫌でも見えるので、この捕虜の銃殺だけは目撃した。
坐らせられていた。目かくしは自分から断わった。正面から五人で撃った。
パーンと銃声がおこり、ウオッと跳ね上るようになり、首だけちょっとのけぞるようになったが、前に倒れた。山茶花の花一つ散らないのである。
私はあの日に焼いた山茶花の炭を記念に図嚢に入れて持って帰った。勿論リツ子達にも見せている。先日静子にも見せた炭だった。しかし、この炭を焼いた側で、捕虜が銃殺されたなどとは女達には云わなかった。
私にとっては自分で焼いた記念の炭というばかりではなかった。一つの生命が抹消《まつしよう》された記念であった。何の為にか? 殺すという意味も知らず、自発的な意志もおそらくは持たず、ただきまったことのように、あの五人の兵士は中国兵をねらって撃った。
私が、それを見たのである。見終って、私は炭竈の石蓋《いしぶた》の隙間から焼かけの炭をのぞいた。林立した火焔木がメラメラと不思議な鬼火を上げていた。焼上りに近いようだった。粘土の目塗りをしなければならない。
私はその時唐突に、今度焼上げた炭は日本に持って帰ろうと決心した。するとリツ子の顔がぽーっと目の中に浮び上ってきたことを覚えている――。
静子は四日目にやってきた。卵だろう、又例のボール箱を抱えていた。
「お約束しといたとに、急に青年会の講習があったりして呼ばれとりました。待ちなさした?」
「はい」とも「いいえ」とも云えぬから私はただ笑いまぎらわすばかりである。
「どうぞ、お上り」というと、
「じゃ、ちょっと」
と静子は上った。思いがけないことだから今日はリツ子は床についている。床の上に起き直って、しきりに髪型を気にするようだった。うまくしばれず、枕にあてると、すぐばらばらに崩れてしまうわけだった。
「こんなに剪《き》られてしまって」
とちょっとリツ子は私の顔を見る。
「あら、どなたから?」
「よ。嫌というのに、こんなに短く切ってしまうから、すぐこわれるの」
とリツ子はその散らばった髪を左右にもてあそんでいる。
「卵がすこしたまりました。赤が精分のつくといいますけん、赤だけだあす」
例のボール箱の蓋をあけている。またキッチリと見事な鶏卵が並んでいた。
「赤って?」
「赤は地鳥の卵だすたい。少しシャモのかかっとりまっしょうな。赤くて少し大きいとだす。白は白レグの卵だっしょう」
なるほど箱の中の卵は、赤味がかった大型の鶏卵ばかりのようだった。
「静ちゃん。いただくばっかりでは嫌よ。ね、お金を云って下さらない」
「まあー」
と静子が吃驚《びつくり》して浮足立つふうだ。
「いやよ、ほんとうに、云って頂戴ね」
「そんなら、おばあちゃんに訊《たず》ねてみまっしょう」
「それから堅炭だすな」
と静子は何を思ったのか居ずまいを正して私の方を見た。
「ほんとうに、焼いてやんなさす?」
「焼かせていただきたいですね。でも近所の土を見てみないと」
「まあ、ほんとうだすな? おばあちゃんがたまがって(魂消《たまげ》て)こないだから、そればっかり云うとりますが、山鋸やら、掛矢やらあっちこっちから探いだいて、大騒ぎのありよりまあす」
「困ったな。焼損《そこ》なったらどうしよう」
「いいえ、よござすが。ひょっとあの楢が焼上ったら、山全部焼いて貰おうやら云いよります」
しばらく笑い合った。
「じゃ、見せて下さい。その楢を」
と立上るのである。
「遠いですか?」
「いいえ、すぐそこだすが」
「じゃ、太郎も連れてゆこう」
私は太郎を曳《ひ》き、静子と連れだった。リツ子も気分がよいのかおき上って窓からしきりに手をふっている。それでも、リツ子の視界を遠ざかると急に私達はぎごちなくなってきた。
せせらぎがしきりに鳴っていた。杉や松の枯葉が、その谷の水に沈んだり、ひっかかったりして、まだ海辺にほど近いのに、山の閑寂は私の心をひきしぼった。
「そこだすが」
杉木立を越えると、雑木山が谷の方へ崖崩れしていた。東南になだれた斜面である。もう雑木のもみじはあらかた落ちつくしているようだった。
「ああ、あれ?」
その崖の又奥にもう一つ地すべりが見えている。赭土《あかつち》の膚が荒く見えていた。楢の大木が、土砂と一緒にねじれ落ちて、横転していた。
素晴らしい楢である。小枝まで焼いて十俵は確実だ。私は太郎を静子に預け、その横倒しの楢の幹を小枝につかまりながら攀《よ》じて歩いた。
土には余り自信がない。赤味がかった、粘土のようである。が、本粘土か、どうか。小砂を混入したら、やれないことはないだろう。
谷を匐《は》い上ってくる緩《ゆる》い風だった。これはいい、この風は。特有のにおいを持った炭竈の煙が、ゆらりと私の心の中に立上るようだった。土は心配だが、位置は絶好だ。海が細く左の山裾のところにちらついていた。
私は赭土を何度も手の中ににぎりしめた。谷水を掬《すく》ってこねてみる。
「出来ます?」
「出来るでしょう」
とにかく焼いてみたかった。
「竈築《かまつ》きはいつからだすと?」
「さあ、明日からでも早速始めましょう」
「まあー、お弁当を運びますが」
「そんなことをしてもらったら困りますよ。どうせ火を入れたら、夜昼ここへとまりこみですから。ここで飯盒《はんごう》で自炊をします。ついでだから竈の前に筵《むしろ》小屋を懸けるかな。お宅にランプあります?」
「石油ランプだっしょう?」
「ええ、あったら助かるんだが」
「ありまあす。石油もありますが」
「じゃ、貸して下さいね」
筵も借りることにした。スコップ、鍬《くわ》、一切静子の家に依存するわけだ。
「今から道具見に、うちへ寄ってやんなさす? ここから山続きで、すぐそこだすが」
廻ってみることにした。なるほど、その雑木林の急坂を越えると、すぐ蜜柑山の静子の家は見えている。細い山道が通っていた。
まだところどころ木蔦《きづた》の紅葉などが赤く残っていた。この真赤な南天のような実がなっているつややかな青葉の小樹は万両か?
老婆が出迎えた。
「おばあちゃん。さんは小屋がけして、山ん中へ、泊んなさすとだすげな」
「まあ、な」
とニコニコ笑って、いかにも私の壮挙を祝うてくれるふうだった。
掛矢、スコップ、山鋸、斧、ランプ、筵等何も見てみるほどのことはない。
静子がいそがしそうによせ集め、恥かしそうに取出すが、みんな充分である。土竈を築くつもりだから藁槌《わらつち》が欲しいと思ったが、これもあった。
「明日はまだ竈を掘るだけですから、スコップ一つで結構です」
楢の処分は竈を築いた後にする心算《つもり》である。充分に竈を乾燥させた方がよいからだ。私はそのスコップを太郎の尻に敷き、太郎を背に負うて帰ってきた。
「焼けます?」
とリツ子が云っている。
「ああ、素晴らしい楢だ。土が少し心配だけど。大丈夫だろう」
「幾日ぐらいおかかりになる?」
「そうだね。竈築きは大したことはないが、楢を割るのがちょっと手古摺《てこず》るかも知れないね。でも十日あったら、いいだろう」
「まあ、十日?」
とリツ子は淋しそうな顔をした。
「留守は大丈夫だろう? 松枝さん」
女中に云う。
「はあ、よございます」
「竈築きと薪割りの間は通うのだから。火入れして二日ぐらいはやっぱり山の中にとまりこみだな」
「太郎はどうなさる?」
もう太郎は眠っていた。その寝顔をリツ子はのぞきこみながら云っている。
「連れてゆくよ」
「毎日?」
「ああ、置いとけないだろう」
「ああ、あ」
とリツ子は溜息のような声を立てた。太郎が毎日手許から抜けだすのが淋しいのか、と思っていると、
「私も行ってみたい。お手伝いがしてみたい。炭竈って、どんなでしょう?」
「知らないのか?」
「見たことあるような気もしますけど、でも、どんなのかしら?」
私は原稿用紙を出して、リツ子の枕許で炭竈の設計図と、火入れから焼上り迄、一々図解をしてみせた。いざ焼くとなると、私の炭焼の記憶の方も心許ない気持がする。私はそれを紙に描いてたんねんに復習してゆくのである。
翌朝から熱中する。スコップと弁当を握り太郎の手を曳いて早朝の山の道をあえぎのぼる。静子と来た時にはこんな急坂だとは感じられなかった。
石蕗《つわ》の多い山道だ。夥《おびただ》しい目白の群が鳴き通った。
竈《かま》は楢の倒木の五間ばかり下にした。割木を運ぶ便を思ったわけである。私は測量の巻尺を借入れることを忘れていたことに気がついた。然し目分量でやっても大差ないだろう。
奥行大約二メートル、幅一メートル半のラッキョウ型に赭土を掘って、焚き口を風の流れ上る東南の谷の方に向わせた。
一汗ぬぐう。太郎も山の中は飽きないのか、別段帰りたがる様子もない。掘りとられた穴の中に入って、草の根が竈の壁に不思議な模様をつくっているのを指しながら、
「ね、チチ。コワイコワイオジチャン。ね、ほら、チチ。コワイコワイオジチャン」
なるほど人の面のように見えないこともない。私は笑いながら、鮮明な目鼻を指でえぐってとりつけたら、太郎は驚嘆しているようだった。
少し早目に昼食にする。静子から貰った芋をふかして、それに、お握りを二つずつだった。私のお握りは太郎の二倍以上につくっていたが、やっぱり山の労働は腹が減る。ちょっと物足りない感じだった。しばらく梅干の種をしゃぶって物足りなさを紛らわすのである。
太郎はサイダー瓶《びん》の水をあらかた午前中に乾しあげた。
またスコップで土掘り作業に取りかかる。昼からは日溜りだからビッショリと汗をかく。時々谷の方から匐い上る風に向って汗を拭うのである。
谷の一番裾の左隅に、岡を越えてキラキラと小さい海の部分が見えていた。扇を開いた形である。
「ね、海。太郎」
が、太郎はよく見えないようだった。かがんで教えようとすると、なるほど背丈が足りないのだ。杉の梢《こずえ》の蔭になる。
私は太郎を抱えあげて、
「ほーら、海」
大声で、太郎に海を教えてやった。
「見えたかー?」
「チチー。海、ね、海」
と云っている。認識したようだった。
おや、谷の方から静子が上ってくるようだ。風呂敷包を下げている。気の毒だから、竈を築上げる迄来ないように云っていたのに、やっぱり弁当を持ってきたに相違ない。それにしてもどうして海辺の方から上ってきたのか?
「太郎、ほら山のお姉ちゃんよ」
「お姉ちゃーん」
と太郎が谷に細く徹《とお》る声で、大声を挙げた。静子が手を振って答えている。
登ってきた。ピョンピョン飛ぶような歩き馴れた足である。
「まあ、やっぱしおいでなさしたとだすな?」
「ええ」
と私は掘った穴の進行を笑いながら自分でのぞきこんでみた。
「お宅い(へ)廻ったとだすよ。あげん云いよんなさしたばってん」
ふふふと静子も笑う。
「うちへ?」
「ええ。おばあちゃんが、廻ってみるがよかと云いますけん」
「そう。私達は早く来ました」
「そうだすげな。何もないとだすが、お握りとお茶だけ持ってきましたと」
「困りますよ。そんなことをして貰ったら。それにもう済ましたとこですよ」
「山仕事の時は、いけますがー」
静子はさっさと風呂敷をほどきはじめた。
「太郎ちゃん。お茶」
年代がかった水筒である。大きかった。その蓋は部厚くしっかりと螺旋状《らせんじよう》のねじ込みがえぐれていて、きっと静子の祖父がアメリカから持参したものにちがいない。太郎がそれをにぎらせられ、温かいお茶を狂気して喜んで飲んでいる。
お重《じゆう》の蓋があけられた。お握りである。一列だけ、黄粉《きなこ》のまぶしたお握りが並んでいた。
「太郎ちゃん、これば食べて見なさっせえや。お父様も、どうぞ」
実は私も食べたかった。それで太郎と一緒に、取って食べる。甘かった。甘過ぎもせず、塩の風味が労働の後に何とも云えず香ばしい。
「甘いね、太郎」
「甘い、甘い」
と太郎が云っている。
「砂糖が利いとりまっせんもんなあ」
どうして砂糖などあるのだろう、と不思議だった。黒砂糖の味である。これをリツ子に食べさせたらどんなに驚くか、と私は残念だった。それでも全部は食べ切れない。半分残すのである。
「折角ですけど、もう昼食は済みましたので、全部いただけませんけど」
「あら、お重はおいときますがー。後から、ね、また食べるもんね。太郎ちゃん」
うんうんと太郎が肯いている。
「水筒だけ、あけときまっしょう」
その茶を静子はサイダー瓶に移していった。瓶の口許から溢《あふ》れだすのである。それを見て太郎が水筒の残りの茶を又飲んだ。
立上ると三人で、竈の周りを廻ってみる。
私は大体の竈の模様を説明した。静子もしきりに珍らしいらしく、
「土かぶせの時は手伝いますがあー」
と云っている。
間もなく静子は帰っていった。お重だけ残し、今度は山道の方に抜けるのである。
太郎と静子がしきりに手を振りかわしていた。
私も煙出しに就ては慎重だった。いってみれば、これが竈の生命を決するのである。ラッキョウ型の一番奥に、煉瓦《れんが》一枚分の幅に縦溝《たてみぞ》をつけ、竈とその溝の境に平たい石と粘土を交互に積み重ね薄い壁を作らねばならぬ。その壁の最下部に丁度指二本の高さに煙の口を残さねばならぬ。
幸い石はすぐ横の小川に無際限にころがっていた。私は太郎と二人ヨイショヨイショとその石を運んでゆく。
大体これだけで、私の第一日目の作業は終った。自分の仕事の区切りに満悦する。扇型の、例の海が、早い日没で真赤な色に染っていた。私はお重のお握りをお土産に、山を降ってゆくのである。
「やっぱり静子さんが、弁当を持ってきたよ」
「そうでしょう。ここにも寄ってくれたのですよ」
「余り物のお土産だ」
私はお重箱の蓋をあけてリツ子に黄粉のお握りをさしだしてみせた。
「まあ。でもね、太郎お父様。静ちゃんが私の処にも沢山持ってきてくれたのよ」
松枝が皿に黄粉のお握りを沢山盛ってくるのである。
「なあんだ。でも困るね。こんなにされると」
リツ子も肯いている。然し、あんな自然の好意を拒むわけにはゆかなかった。
「いいわ、明日、私の帯締でもあげて下さらない」
「また、明日も弁当を持ってきてくれるのかしら」
「きっと、そうですよ。断わっても無駄ですもの」
さすがに全身の疲労から、太郎も私も、早目に床につくのである。
いくら断わっても、静子は毎日キチンと昼弁当を持参してきてくれた。好意に甘えすぎるようだったが、しかし、二重になるのは馬鹿馬鹿しいから、私ももう自分の弁当は持参しなくなった。
竈を掘るのは二日で終った。その他に焚き口から段落をとり、真四角の作業場、兼休憩所を掘り取ったが、雨の日のことを考えて、水落しの溝もつけた。
三日目からは楢《なら》の処分にとりかかった。どうも先山の仕事はむずかしい。山鋸もひき馴れなかったが、三寸以上の丸太は、それを割らねばならず、到底私では刃が立たない。
主幹を残し、枝の方から処置していった。
「こんなに太いのは、割る方がいいんですが、とても僕には出来ませんよ」
弁当を持参してきてくれた静子をとらえて云うのである。
「まあ、そげな無理をしなさしたら、骨病み、なさすが。私が手伝わせて貰いまあす」
試みに静子が斧をふり上げるとスポンと割れたのには驚いた。
「お姉ちゃん、強いね」
私は驚嘆して太郎と二人眺めると、静子ははにかんで、
「まあ。見なさしたら困りますがー。力じゃ、ないとだす。馴れると、すぐ割れますとだすよ」
なるほど力ではなかった。静子は背をのばして、一度はずみをつけるようにして打込むが、女らしい可憐な打込みようだった。しかし丸太は、要《かなめ》にでも入るのか、ポクンと割れるから不思議である。
その都度、却って恥かしがるように静子が面を染めるのが殊更美しく思われた。
楢の処理に都合七日かかったわけである。これはちょっと単調で憂鬱な仕事だった。鋸が切れないせいもある。
しかし十日目に、楢の丸太を竈の煙出しの方から並べていって、ロスの多い一番手前に曲ったりくねったりした太目の丸太を並べ終った時には、満ち足りたほこらしさで一杯だった。
折よく静子が来てくれていて、素早く並べ終った。私は煙草に点火しながら、これをリツ子にも見せてみたい、としきりに思った。
縦に並べ終った丸太の上には更に小枝を縦横にぎっしりかぶせていった。
火は先ず一番奥の煙出しのところからつき、この天井の小枝に移って、全体にまわる筈である。
明朝筵《むしろ》を敷き、上から粘土をかぶせて、これを藁槌《わらつち》で叩く。それから簡単な小屋がけをして点火すればよい。私は早く、炭焼の煙を見たくてうずうずした。
しかし筵や藁槌が無いから、少し早目に切上げて山を降《くだ》った。若《も》しリツ子の体の調子さえよろしければ、一度、煙だけでも見せに連れて行ってやりたかった。
「明日、お火々つけるよ。明日、お火々つけるよ」
私は太郎を肩車にして、その足を握ってゆすぶりながら云ってきかせるのである。
「オヒヒ? チチ、オヒヒ」
太郎もはしゃいだ。
階段を二階に上って、リツ子の病室の襖《ふすま》をあける。
「おい、リツ子。竈が築《つき》上ったぞ。明日火入れだ」
リツ子は床の中でボンヤリと上を見ていたが、
「大変でしょう」
「なに、大したことはないさ」
どうも然し、リツ子の様子が可笑《おか》しいような気持がした。眼が空虚に見開いている。
「どうかしたのか? リツ子」
「いいえ」
と答えて一度、向うむきに寝返りを打ったから、私はその横にごろりと横になり、ちょっと唇を寄せようとするとリツ子は片手を出して、その口を蔽うのである。
「どうかした?」
「また血痰《けつたん》がはじまりました」
涙がくっきりとあふれ出た。昂奮からか、また咳が続き、リツ子はゴクンと最後の痰を口にふくむようだったが、自分で急いで枕許の塵紙を取って、それを拭うと、重ねた塵紙の上に丁度鶏頭の花のような紅の模様がひろがった。
「この頃、少しふとってきたようですよ。ほら」
左の腕首のところを自分で握ってみせて、
「もう少しふとりましょう。ねえ、太郎」
とリツ子は食膳に一緒に坐り、雑煮を何杯も代えた。二月の二日のことである。旧正月であった。
一月の末に女中の松枝を帰し、二階の二間が私達三人だけのものにかえったから、急に何かほっとした水入らずの気持にくつろいだ。炊事は一切私がやるほかは無いのである。
「やっぱり、太郎お父様のお料理が一番おいしいね。太郎」
情無いお世辞だった。余計なことを云うな、と激励したい気持である。薄氷を踏むような生活の会話のやりとりがこの頃めっきりふえてきた。
然し、私も食べさせたかった。食べさせれば、すぐそれが脂肪にのって、リツ子の皮膚を蔽うだろう、とそんな錯覚に浮かされていた。それでも、度外れな食慾には驚くのである。
「まあ食べるのはいいから、餅を大根おろしにつけて食べなさい」
「はい、はい」
と雑煮の餅をいくつにもちぎって、たんねんに大根おろしにまぶして食べた。
夜は五時頃から寝るのである。私も後片附は嫌だったし、冬分で昼寝を忘れた太郎が、夕暮と一緒にねむたがるから、枕を並べて三人寝た。太郎とリツ子の間に私が寝るのである。
開け放した窓に相変らず波の音が聞えていた。何を思い出したのか、リツ子がクスクスと蒲団をかぶって笑っている。
「どうした。おい。何が可笑しい?」
答えずに、一人可笑しがっている。
「何が可笑しい?」
「でも、ほんとうの寝正月ですね」
そう云ってやっぱりリツ子は笑いやまなかった。
「何だ。気でも違ったのか?」
しばらくやめているが、又蒲団の蔭でとめどなく笑いはじめるから、
「どうした。おい。どうした」
「いえ、ね」と可笑しさをこらえかねたように、
「あんまりお餅を食べたから」
「馬鹿」
私は久しく心にかかっている旅人と憶良の足跡を太宰管内誌の中にたどりながら、小説の構想を心の上に組んでいった。リツ子は笑いやめたが、何度も寝返りをうっている。それを私に意識させようとするような寝返りだ。眠れない、と云うから仕事をやめた。灯りを消そうとすると、淋しいからつけておいて、という。
しばらくぼんやりと上を向いていると、またくっくっと蒲団を口にあてて含み笑いをはじめていった。
「今日は、よっぽどどうかしているぞ」
「いえ、ね。支那のお話をして下さらない」
蒲団を除《の》けて、しばらく真顔になってこちらを見た。ぽっと頬が紅潮しているようである。少し熱が出ているなと私は思ったが、却って気にとめさせぬ方が良いと思って、
「癒ったら連れていってやるよ、話してもわからん」
「わかります。ねえ、いいでしょう。支那の女の人のお話」
「なお、わからんね。お前には、それは……」
と私も笑い出した。リツ子が今度は真面目な顔になっている。しばらく、ためらっているようだったが、
「支那で、女の方と……お遊びになった?」
「ああ、遊んだ」
と言下に答えた。すると瞬間、衡陽《こうよう》の曙《あけぼの》慰安所の情景がまざまざと私の眼に浮んでくるのである。
大空襲の中だった。銀行か何かを改造したものだろう。広間の中央にはコンクリの床を囲ってぐるりと取引のカウンター台がまわっていた。その真中に、机、椅子を乱雑にとり散らして女達が半狂乱で酔っている。石油罐の中で無闇と火を焚《た》く女。ウイスキーを喇叭《らつぱ》飲みにあおる女。長椅子に寝そべる女。机の上に胡坐《あぐら》をかく女。ズロースも何もはいていなかった。
電燈は無い。蝋垂《ろうだ》れのはげしい粗悪な蝋燭の灯りのなかで、女達の怪しい影絵が白壁に絶えず屈伸しつづけていた。そのままドーミエーの銅版画の一葉を見るようだった。空襲警報である。
「ケセー。ケセー」
と脅える気違いのような甲高い女の声。
「バカヤロウ。スーちゃんと死んで極楽じゃねえか――」
と怒鳴る女もいる。薪を持って「コンチキショウ」と蝋燭を叩きつぶしてゆく女。燃えている石油罐を、蹴とばす女。
月明である。破れ硝子が白く明っていた。ブルンブルンと腹にこたえる例の爆音がつづいている。やがてバフ、バフと地軸を揺るがし踏みにじるような爆弾の落下音に、素早く私も床の上につっぷした。
「アイゴー、アイゴー」
という哀切な泣声も混っている。戸外に狂い出す女。それが爆光に曝《さら》されて浮彫になる。みんな、したたかに酔っている。先程バカヤローと怒鳴っていた女だろう。靴のままテーブルの上に立上って、真っ裸になって暴れだした。歌うのである。無茶苦茶の銅鑼声《どらごえ》だ。ガンガンと机を蹴って踊るのである。恐怖心が、この女を逆に狂躁の方へあおり立てて終《しま》ったようだった。
一人の将校が抜刀のまま広間へ走り出してきた。女の部屋にいたのだろう。同じ机の上に自分も跳ね上って、
「ようし、来い」
と抜刀の乱舞である。爆弾の落下は続いている。近いようである。爆光に裸女と剣が浮出しになってあえいでいる。バフ、バフと爆発音が直ぐ続く。ガラスが飛ぶ。名状しがたい地獄図絵だった。こんな汚辱の状態の中で死ぬのかな、と私は思った。思いながら床に伏して、生きのびたら、この女を抱いてやろう、と波打つその肉の起伏と流動を月光のなかに、眺めていた――。
今先迄笑っていたリツ子がオイオイと泣いているのに気がついた。
「いや、嘘だ。支那で悪いことなんぞしやしない」
慰めの嘘だった。嘘だと知れるように、どこか自分で音調を弱めているのである。
「いいえ、そうじゃないの、いいことよ。今がお気の毒だと、そう思うだけ……」
肩を顫《ふる》わせて泣いている。私はそっとリツ子の濡れている頬の辺りに顔をよせた。顔をよせてしっかりと唇をつなぎとめた。こばまないのである。舌が嗚咽《おえつ》のままに波をうっている。やがてリツ子は静かに私の顔を両手で押しながら、はずしていった。けれども頬だけは私の頬によせて並べとめている。
「ほんとに、いいの。こんな体ですもの。ねえ、博多の新券に美代福っていう、私と瓜《うり》二つの芸者さんがいるんですって。いえ、会ったのよ。みんながあまり云うものですから、道ですれ違った時に教えられたから、ちょっと見ましたけど、ずっと綺麗な人。よさそうな人でした。あの人ならいいけれど……」
「おまえに似た人なぞ、もう閉口だぞ」
私は思い切って笑ったが、笑い終って後味が嫌だった。
「そうね。私に似た人など……。でも私がいやな気のするような女の人は……」
と云い澱《よど》んでいたが、
「もういや、いや」
はげしい嫌悪《けんお》の表情で、又肩をゆすって泣きはじめた。
「太郎が笑うぞ。そんなことを云うとると」
と私は云って、起き上ると、太郎をおしっこに抱えおこした。勢いよくおしっこをし終って帰ってくると、太郎はちょっとリツ子を見て、
「ハハ、エンエンしとるね?」
「えんえんしとる。可笑しいね」
そのまま蒲団の中に、ころりともぐりこんだ。
「早く眠りなさい。灯りを消そうか」
「はい」と云っているから電燈をひねる。
波の音である。けれども、まだ寝つかれぬ様子で、何度も寝がえりを打っている。またくすくす笑いはじめた。私の眠らぬことをよく意識しているような声だった。
「ねえ、太郎お父さま」
「なんだ?」と少しむっとしながら向きをかえると、
「さっき笑ったのは、何だか知っていらっしゃる?」
「知るもんか」
「美代福さんをお世話しようと思いましたの。そうして美代福さんとあなたのことを考えているうちに、だんだんあの人に私が乗り移れるような気がしてきて、……可笑しいでしょう。ほんとに乗り移ってしまったような気持がして、可笑しくて、可笑しくて仕方がなかったとですよ」
何故か方言を混えて云った。リツ子は暗闇のなかでそう云って笑っていたが、私は何となしに身がふるえて、衡陽の裸女と一緒に、女の体がもつれ合い重なってゆくのをしつこく感じていった。
翌朝遅く眼が覚めた。太郎迄が眠っている。お天気のせいだろう。どんよりと薄曇って、海面に波のひだがめくれていた。私の誕生日なのである。太郎が珍らしがるだろうから、是非共赤飯にしよう、とそう思った。
一人抜けだして裏山の上り口まで歩いてみた。梅の蕾《つぼみ》がふくれている。はざまの二軒家の農家に入ってみた。小豆《あずき》が無いか聞いてみたのである。
「ござっせんばい。去年は霧の多ゆしてなあ、黒豆ならちっとはあるが」
と云っている。霧と小豆と何の関係があるのだろう。何か害虫の別名か? 訝《いぶか》りながら外に出た。
蜜柑山の静子が海の方から上ってきた。背負《しよい》子《ご》の紐《ひも》を右肩から垂らしてうつむきながら歩いている。気がついた。面を上げて立止る。私も立止った。すると頬を染め笑いながら歩みよってきて、
「お早うございます。あら、太郎ちゃんな?」
「まだ寝てますよ」
「なん事だすと? 早うから」
静子には云い出しかねて黙っていた。いきいきとした姿である。はずみでるようなういういしさが、健康な体力で劃されている。くっきりとした眉だった。
「今日は僕の誕生日で」
ようやく云う。
「あら、お目出とうございます。何やかや、揃いますと? 小豆、あります?」
「無いとですたい。今、それを探しに出たとこですよ?」
「早う云いなっせなあ。うちに何でもあるとい」
「そんなに、ねだってばかりおれるもんですか」
「まあ、さん。畠のもので奥さんを困らしたら、あたしが困ります。すぐとどけますけん、待っておきなっせえや」
「いえ、いい。太郎といただきに上ります」
「きっとですよ。そんなら十一時に待っておりますよ。おばあちゃんと」
さようなら、と綺麗な声を残して上っていった。そこらを澄み透らせるような凜々《りり》しい声である。私は自分の手足の寒気を強くはらいのけながら、生きかえった心地がした。
リツ子が床におきている。太郎も真似したふうに蒲団の上に坐っていた。
「あずきがあった」
「まあよかった。太郎。お父様がお豆御飯をたいてあげるって」
「静子さんに会うたよ」
「まあ、道理でお父様は嬉しそうにしていらっしゃる。静ちゃんから頂いたんですね」
「うん」と私は北叟《ほくそ》笑んだ。
「でも、何かあげなくては。そう、銘仙《めいせん》を一枚あげましょう」
「おい、リツ子。昨日の話だが、乗り移るなら、静子さんに乗り移れよ」
と私も冗談が素直に云えた。
「そう。でもあんなにいい人には乗り移れない。ほんとうに、ひょっと私死んだら、お願いして静ちゃんに来てもらおうか」
「馬鹿。死ぬものか。第一、お願いしたって断わられる。それより、解った。美代福というお前の乗り移るのは、ろくな女じゃないんだな」
「いいえ、いい人よ。綺麗な人よ。その人も。だって静ちゃんは、あんまりですもの」
「そうか、狐憑《つ》きの同類じゃないんだな」
「そう。そうよ」
とリツ子は私の言葉に吊られて、何かを思い当ったように肯きながら笑いだした。リツ子に促されて、太郎を首に肩車にして早目に出た。銘仙の風呂敷包は太郎が持った。持つと云ってきかないのである。途中に米の配給所を廻っていった。黒米だから、ついでに静子の家の足踏み臼で搗《つ》いて帰る心算《つもり》である。
次第に空が晴れてきた。山の斜面をのぼりはじめてふりかえると、残ノ島まで、一眸《いちぼう》キラキラと小波《さざなみ》立っていた。珍らしく凪《な》いでいる。然しよく見ると、沖の船はゆられている。春の凪《なぎ》がしきりに待たれた。リツ子の口に魚が入らないのである。海辺に来てこの二タ月、魚が手に入ったのはほんの数える程だった。
「海大きいね?」と太郎が声を上げている。
「大きいぞ」
「海のなかにエンエンのハハがトポーンと入っとるね?」
字のことを云っている。松枝が隣の部屋で太郎と二人所在なさから毎日教えたので、満二年にならないのに、漢字を百余り覚えこんだのだ。異様な覚え方である。海という字の中に、母が入っているというのだろう。その母という字の中に点が二つあり、その点をよく泣くリツ子と思い合せて、涙のしたたりだと思いこんで終《しま》ったのだ。だからエンエンの母だと云っている。母という字を一番先に覚え、それもエンエンの母と覚えた。首の太郎がなかなかにあわれであった。
「太郎ちゃーん」
と静子の澄んだ呼び声がきこえている。大きなネーブルの樹の下で手を振っている。頂上の石垣の上の角だった。太郎が足を揺ぶりながら手を挙げる。
「来たとね。よう来んしゃった。太郎ちゃん。一人で、歩いて来なあ。なあ――」
私の首から抱え取った。抱えおろして、ネーブルを一つもいでやっている。
「お姉ちゃんとこ、蜜柑《みかん》いっぱいなっとるね」
「なっとるよ。みんな太郎ちゃんにあげるとよ。要る?」
「うん、要る」と太郎が真面目に肯いている。
いつきてもからりとした南斜面の陽だまりだった。鶏が十四五羽囲われている。その手前のレモンの小樹に三顆《か》くっきりと冴《さ》え上った色でレモンがなっていた。
おばあさんがいつもの通り土間の入口の処に立って待っていた。
「来んしゃったなあ。太郎ちゃん。大きゅうなりんしゃったたい」
五六日前に来ているのだ。それでもこの老婆の口をかると、しみじみ実感のこもった挨拶に感じられるのが嬉しかった。
「リツ子さんのお加減な?」
「はあお蔭様で、きのうは餅を沢山食べました」
「そりゃよかった。病人は、いけさえしなさしゃあ、なあ」
と我事のようによろこんでいる。上り框《かまち》のところに腰をおろした。珍らしく北の雨戸が繰ってある縁を越えて、そのあちらの斜面に、すがすがしい柑橘《かんきつ》の葉々の青が光っていた。なげしの上に故人の額が三枚かけられている。お母さんらしい女の写真は無い。静子のお父さんとお祖父《じい》さんのものだろう。一枚は或は、静子の兄さんか? 二十七八の青年のようだった。が、それにしては風俗が違い過ぎている。誰ともわからなかった。早逝《そうせい》の、死に絶えた家は、家全体がひんやりと息づいているように思われた。
静子のお祖父さんは昔アメリカへ行っていた由。帰って蜜柑山を開いたのだと聞いている。リツ子の母がここのお祖父さんの遠縁に当っていた。けれども母は余りこの家には出はいりしない。医者先生の奥様だと、昔、変な誇りがあったのだろう。よろず自分から世の中を狭《せば》めてゆく性分だ。
静子が茶を入れてきてくれた。きっちりと沢庵を切って小皿にのせてきた。食べるとシャキシャキ口の中で新漬の初い初いしい蔬菜《そさい》の水がふきこぼれる程だった。
「今、バンカンの時節だす。ちぎっとこうと思いよりましたが、太郎ちゃんが喜びなろうと思うて待っておりました。行きまっしょうか、太郎ちゃん」
と静子がいう。大はしゃぎの太郎と静子について私も出た。又勾配を上るのである。海が志賀ノ島迄見渡せる。柑橘の間々に人参や白菜を植えていた。
「よく出来ますね」
「いえ、駄目だす。なり物は男手が無いとつまりません」と太郎を負うた静子が答えている。
「手伝いましょうか?」
「まあ――」と可笑しそうに鋏《はさみ》を持った手で太郎の尻をゆすぶって、
「どげなことでも云いなさす」
「駄目かな。静子さんの半分も出来んかな」
静子はただ笑って、答えなかった。
バンカンというのはザボンと夏蜜柑の合の子のようなものだった。大きさは夏蜜柑ほどである。ただの蜜柑より少しばかり葉が大きく、その葉も疎《まば》らのようだった。しかしぎっしりとなっている。
「太郎ちゃん、見よんなさっせ。取ってきてあげますよ」
そう云い草履《ぞうり》を脱いで瞬く間に上って終った。腰に籠をぶら下げた紺絣《こんがすり》のモンペが、殆どその人の肉体を感じさせないように敏捷《びんしよう》に樹幹の岐《わか》れ目ごとを移動していった。ただパチンパチンという鋏の音ばかりが鳴っている。
「さん。ここから玄海島が真向うだす」
下を見ずに云っている。青空の上に顔だけが浮いて心持火照《ほて》っている。
「そう」私は答えたが気圧《けお》されてのぼれなかった。太郎はあっけにとられて見上げている。一つ静子の取りおとしのバンカンがころころと転げ墜《お》ちて来たのを大事げに両手で拾いあげ、
「あぶないよ。お姉ちゃん、あぶないよ」
を繰りかえしていた。
やがて静子が降りはじめた。籠の紐を腰からほどいて持っているから、
「とりましょう」
「すみまっせん」と静子は低く手を延ばしてバンカンの籠を私に手渡した。
「僕の手につかまって降りなさい」
差上げた私の手を見てちょっとためらったが、思い切ったのか、指先だけにつかまって忽ちひらりと飛びおりた。そのまま太郎の前にしゃがみこんで、
「ほーら太郎ちゃん、沢山でっしょうが」
両手で太郎の頬をヒタヒタと叩いて云う。太郎は私の顔を見上げながら相好を崩して笑っていた。
「そこまで行くと玄海島が見えますとよ、すぐそこですと」
誘われるままに上ってみた。峰続きの尾根がそのところでくびれている。海の視野が倍近くひろがった。静子が指す玄海島は、赭《あか》い崖が険しく聳《そそ》り立っている。手前も先も青かった。何かくっきりと原色で画かれた悲しみのような島だった。波が白く寄っていた。
降りて見るとお婆さんが客膳を二つ据えていた。赤飯と膾《なます》の脇に紅白の餅が添えてある。
「有難いですが、リツ子が待っていますから」
「まあ、真似方だけしてゆきなっせえや。珍らしゅう鰯《いわし》が上りましたけん」
膾にレモンの酸味がした。太郎を納得させて立上る。黒米はこの次に搗《つ》かせて貰おうかと預けたら、
「今搗いたのがありますけん、持ってゆきなっせえ」
おばあさんが白米に換えてくれた。背負子に一杯野菜が詰めてある。
「とてもさん持てまっせんけん、静子ば送らせてやりますたい」
断わるわけにはゆかなかった。持ちきれぬのである。帰りがけに私はそっと風呂敷包を差出した。
「リツ子の着古しですけれど」
おばあさんは開いて見たが、ぼんやりと立ったままである。静子と顔だけを見合せている。どう云っていいかわからないふうだった。
「では本当に御世話様になりました」
私がそう云って太郎の手をひくと、
「困りまあす。さん」と静子が云った。
「着古しですよ」
「いけまっせん」と真剣に云う。私はどんどん外に出た。
しばらく遅れて静子が出た。太郎が云うがままに土堤の上で待っている。背負子を負うて手を振りながら静子は急いで降りて来た。
リツ子は窓のところにもたれていた。
「タロ、お帰り」と嬉しそうに手招きする。静子を見つけると、
「まあ、静ちゃん」とびっくりするような大声で、立上って階段のところへ出迎えた。
リツ子の下痢はその翌日からはじまった。執拗な下痢だった。餅も悪かったろうし、赤飯も悪かった。膾の上に、静子からもらった鰯を天婦羅《てんぷら》にして喰った。バンカンもネーブルも食べている。私も不覚だったが、リツ子の癒りたさ一杯の気持が焦《あせ》り過ぎたからでもある。食べれば癒る。とそんな単純な迷妄に二人共陥ちこんで終っていたのが悪かった。
それでも三日目ぐらい迄は厠《かわや》に立てた。四日目にはもうぶるぶる顫えて立上れないのである。唐泊の医師が来てくれた。外に出て追いかけて訊くのだが、
「はあ、はあ、この病気はね――。まあ模様を見なくちゃ――」
一向に要領を得なかった。水薬と散薬を一日置きにもらいにゆく。飲ませても何の効目《ききめ》もないようだった。下痢は一週間経ってもとまらない。
腸に来たな、と私は異様な魔物の翼が行手を掠《かす》めてゆくような心地がした。リツ子もそれをおそれている。
「この下痢は」とリツ子は嗄《か》れた喉《のど》であえぐように云う。
「あの油ですよ。天婦羅の」
「そうさ。そうさ」と私も答えてやる。
「太郎にも食べさせないで下さいね。あの油を使ったものは」
云い終って、息切れのふーっと熱い吐息をつく。熱は三十八度を越えていた。この間から尻がむずがゆいといっているから見てやると、肛門《こうもん》の脇に二つ漏斗状《ろうとじよう》の穴がぽっくり開いていた。膿《のう》が流れているのである。私はオキシフルでよく洗って脱脂綿に硼酸軟膏《ほうさんなんこう》をつけてやった。これも或は結核菌か、と新しい恐怖を感じるのである。
早く確実な医師の診断を得たかった。然しリツ子はそれを恐れるのである。私もそれを恐れていた。
全く囚人を越える労働だった。夜が殆ど眠れない。太郎が二三度、リツ子が四五度の用便を足してやらねばならないのである。
リツ子の嗜好《しこう》がひどくむら気になってきた。豆腐、豆腐というから豆腐を探して食べさせると二度目には飽く。滋養の豊富な消化物が無いのである。粥《かゆ》が嫌だと駄々をこねる。
半里ばかり離れた山の中に疎開しているリツ子の母が時々降りてきて、
「こげーん痩《や》せさせて。栄養を摂《と》らせなあ」
と私に云う。弁当箱に御飯をつめてきて、二人でかくれて食べるのである。
下痢はやっぱり続いている。リツ子の母はS医師の散薬をちょっと舐《な》めて見て、
「ただのジアスターゼたい。これで下痢がとまるもんな」と嘲笑《あざわら》うように云っている。
私は思い切って十日目に福岡の確実な医師を呼びにゆくことに決心した。その間の留守を頼むと、リツ子の母は肯くのである。
「よござす。呼んでおいでない。それから、博多で、もうちょっと栄養物を寄せてきておやんない」
私は太郎を首にのせて静子の山の方へ上っていった。留守中の野菜や卵をまたもらっておこうと思ったのである。寒かった。夕暮前だった。太郎が肩の上でちぢかんでいる。何か荒い体力のやり場なさが感じられた。するとふっとリツ子が乗り移ったという美代福という女の幻影がちらついた。衡陽の慰安所の女とダブってである。
「おい、太郎」と大声をあげた。
「はーい」と太郎が答えている。
「チチはアシタ福岡行くぞ」
「タロもいくー」と云って足をばたばたさせている。
「アシタは行かれん。静子お姉ちゃんのところでお留守番。蜜柑がいっぱいあるぞ」
「ミカンはいらーん。タロもチチと福岡いくー」
泣きはじめた。肩から下ろす。跣足《はだし》で夕暮の砂礫《されき》の上に立たせるのである。
「エンエンブシン。ガマン」
にらみつけると太郎はぴったり泣きやんだ。それから負うて、
「すぐ帰ってくる。ハハのお医者さんを連れてくるからね」
太郎は黙って微かにしゃくりあげているだけだった。
静子の家についた時にはもう灯りがともっていた。柑橘《かんきつ》の葉が夕暮の中にふるえているようだった。葉裏が時々白く光るのである。
「今晩は」大声で呼んでみた。
「誰だあす?」と静子のひっぱった長い声である。勝手の向うのようだった。けれども出て来ない。
「誰だあす?」ともう一度静子の声だった。
「です」
這入ってゆくと、
「ああ、さんだすな。ちょっと待ってつかわさい。今風呂ですと。おばあちゃんな、どこいったろうか?」
と終りの方は自問するようで、声が落ち風呂場に低くこもっている。しばらく待つと、濡れ髪を掻上《かきあ》げながら、走って出た。袷《あわせ》をつっかけて片手でしっかり押えている。
「まあ。太郎ちゃん。寒かったろう。上んなさっせ」
そう云い土間に立ったまま埋火《うずみび》を掻きたてた。湯上りの頬が心地よげに火照っている。十九とは見えなかった。よく成熟した胸の辺りがゆるくのぞいていた。
「済みまっせん。湯やら使うて。ちょっと待っとってね。太郎ちゃん。帯をしめてきますから」
静子は畳に上って北の部屋にかくれていった。私は太郎を火鉢の脇におろしてやって、上り框に腰をかけているのである。
直ぐ出てきた。畳の上をすべってくる白い足だった。頬がやっぱり燃えている。
「リツ子さんのお加減な?」
「悪いのです」
「まあー、それで、何か急事ですと?」
思い募ってゆくふうの、キラキラ光る眼差しだった。
「それで明日、博多の医者を呼びにゆくのです。その間、太郎を預かっていただけませんか?」
「よござっせなこて。ねえ、太郎ちゃん。お姉ちゃんとこで泣かんもんねえ」
云い云い静子は太郎の手を取って、両手の間でぬくめていた。
「それから留守の間リツ子のお母さんだけですから、又卵と野菜を少し分けて頂きたいのです」
「畠の物なら、あす朝抜いて、届けにゆきまっしょう。太郎ちゃん、卵を抱えて一緒にお母さんのところへ行こうねえ」
ちょっとしばらく言葉がとぎれた。静子はじっと私を見て、
「汚いけど、ここへリツ子さんを連れて来なさっせんですな。おばあちゃんも云うとりましたとよ」
「有難う」と答えて心は奔《はし》ったが、度外れな好意は受け兼ねた。病気が病気だからである。太郎がすっかり睡気《ねむけ》を催したようだった。
「じゃ、明日はお願いします。さあ太郎」
と太郎の手をとったが、
「太郎ちゃんは今夜からじゃないとですと?」
「いや、今晩は連れて帰ります」
「とめときなっせえ。可哀想ですよ。お風呂に入ってねんねしよう。ねえ、太郎ちゃん。お姉ちゃんと」
「でも今晩はまだリツ子に云うてない」
「そうですと。じゃ送ってゆきまっしょう」
静子は断わっても太郎を負うてついてきた。雪でも来そうな寒さである。海に点々と赤青の漁火《いさりび》が見えていた。
「もういいですよ、さあ、太郎」
と太郎の顔をゆすってみるが眠っている。
「可哀想に、送りますよ。お宅迄」
もう山裾の往還が見えていた。背に廻って無理に太郎を抜きとった。思い設けず静子の熱い体にふれるのである。
「そんなら」と静子はその太郎を又抱えて、私の背に大切に負わせてくれるのである。
「さようなら」とどんどん降りた。いつまでも静子が立っている。太郎は湯上りの静子の背中でほんのりぬくもっているようだった。そのぬくもりをはっきりと意識しながら、夜道を家の方に急いでいった。
雪だった。波の上に大きな吹きちぎれる牡丹雪《ぼたんゆき》だった。船の上から見廻すと空中の雪の密度の濃淡がよく知れる。船の進路に、その密度の濃い雪の一集団が狂っていた。舳先《へさき》に舞い狂って、くだける白い波頭に泛《うか》んで嚥《の》まれてゆくのである。
吹きつける雪の中に立ったままだった。豪壮な雪景色だ、としばらく己を忘れるのである。海上の雪は灰色だった。灰色の雪が煽《あお》れる情念のように渦を巻いてうねっていた。この雪の中に、何か己の中からはげしくたたき出してやりたいものがある。明確に手に取れない。不思議な舞い狂う己の中の魔性である。
探りとれないが、確かにある。それをたぐりよせて思いきり巌にぶちつけて見たかった。この日頃、表現の行衛を失うているのである。いや、この一年だ。支那から帰ってから一年である。
ふと昨年の興安の雪景色が眼に浮んできた。桂林の間近かであった。怪異な岩山がそそり立っている。見渡す限りである。見渡す限り、その不思議な数百尺の岩山が鍾乳岩《しようにゆうがん》を並べたてたように屹立《きつりつ》していた。その山々が曙光《しよこう》を浴び雪を浴びて赤青の七彩《なないろ》にうつってゆくさまは、驚く程だった。岩の襞《ひだ》ごとに淡く雪をかぶっている。岩襞から飯盒《はんごう》に雪を掬《すく》い取ろうとして、一人の男が岩にもたれているのに気がついた。四十を出ていまい。胸を一発撃ち抜かれてこときれているのである。服装も立派だが、いやしからぬ人品の中国人に思われた。こときれて間もないのだろう。頬に血の気が残っている。美髯《びぜん》にまだ雪をかぶっていないのである。岩を枕にしていた。足にさらさらと風に吹きよせられる雪が寄っていた。
あの日の雪景色を思いおこすと、この日頃の昏迷《こんめい》を薙《な》ぎはらう、一抹《まつ》の曙光が見えてくるように思えてくる。私は舳先に舞い寄せている不透明な集団の灰色の雪をみつめながら、興安の雪景をしっかりと心にいだきとめるようにして立っていた。
鹿島は都合良く家にい合せた。雪に降りこめられていたのであろう。前々から権威のある医師を紹介してやる、と寄る度に云っていた。
夕ぐれを炬燵《こたつ》に入って飲んでいる。金紗《きんしや》の赤青の掛蒲団が眼につくと、ああこんな生活もあったのか、と奇異な気持が湧いてでた。
「まあ這入《はい》れ。いいのか? その後」
と鹿島が云っている。
「いや、悪い」
「それは困った。が、一杯やれ」
鹿島の注いでくれる酒を茶呑みに受けた。
「それで例の医者を世話してくれ。ザックバランに見てもらいたい」
鹿島は一つ二つ肯いて、盃《さかずき》を何度も上げながら黙っていたが、
「そいつは、今日か?」
「いや、明日船がある」
「よし」と立上った。
しばらく電話をかけていた。それから一応戻ってきて、
「明日は学会でどうしてもはずせんそうだ。あさってでは駄目か?」
「いや、あさってでもよろしいが、船がない。しあさってだ」
「それでいいのか?」
「うん」と肯くと鹿島は電話に帰っていった。
やがてもどってくると、
「行くそうだ。一度唐泊に飲みにいったことがあるので、船はよく知っている。其日に船着場迄出ていてやれ」
「顔を知らんぞ」
「いや、どん尻から降りるそうだ。それにお前の首飾りがあるだろう。ところで、今日はどうした。首飾りは?」
「置いてきた」
「珍らしいこともあるもんだ」
鹿島はいぶかしそうに私を見て、又飲んだ。太郎を肩車にして歩くから、それを鹿島はいつも首飾りだ、首飾りだ、と戯れに呼んでいる。
「じゃ夜通し飲もう。今夜は俺の処へ、泊るのだろう?」
「いや、飲むのは飲むが今夜は泊らんぞ」
「ふうーん」と鹿島は飲みながら私の顔をぬすみ見て、
「下心があるな。首飾りを落してきたことと云い。いつそんな金持になった?」
「いや、おまえから借りるのだ」
わははは、と鹿島は肩を揺すって笑っていたが、
「。貴様、金の罰《ばち》は当らんかもわからんが、奥さんの罰で焦げ死ぬぞ。が、まあ今夜はつきあってやろう」
「いや、今夜は一人で決行する」
鹿島は眼に見えて不興な顔をした。然し出るだけは、とにかく、二人で一緒に出た。焼跡の凸凹《でこぼこ》の道が、暗く雪に汚れている。
「どうして一人だ?」
「自分でもわからんことだ」
「ふん」鹿島が横を向いた。
一緒でもよかったのだが、鹿島に自分の世界をよごされるようで、その夜は私も依怙地《いこじ》だった。が、一体何がよごされるというのか? と自問の果に、にがい自嘲も湧いていた。建つけの悪い川端のバラックで又飲んで、出しなに、
「そんなら」と鹿島は千円貸した。妙に別れ際の悪い後味が尾を曳いた。
私はどんどん歩いてふりかえったが、もう鹿島のトンビ姿は見えないのである。それで、歩いた。空虚と昂奮が裏合せになって、もつれた雪が襟首の中に迷いこんでいた。なるほど首飾りがない、と自分で笑って、首をさすって、淋しかった。
むかし馴れた道が仲々探し当らなかった。雪をふんで焼跡の街を斜に歩いた。思いがけない井戸や下水の穴をよけながら、ガラスや焼瓦を踏んでいった。こんなことなら鹿島を連れてくればよかった、と新しい悔いも湧く。
それでも灯りがともって、焼け残りの家が見えてくると、それと知れた。何となしに胸がくるしく一度だけ家の前を通りすごすのである。
砂利を踏んで、それからどんどんと座敷に通った。畳ばかり青くすげかえられていた。
「誰か呼びなさす?」
よれよれの国民服を眺めながら、おかみが云う。誰でもいい、と云おうと思ったが、
「美代福」
舌がもつれた。
「新券の? 馴染だすな?」
「いや――」
酔いざめであろう、火鉢を抱えてもどうにも寒かった。それですぐ酒を頼んだ。女中をかえして一人で飲む。こんなことは何年振りかと、自分でもしきりにいぶかしく思われた。
女はなかなか来なかった。がそれと知れるなまめいた足音が玄関に立って、廊下に上ったのであろう。やがて、おかみに、
「だれだすな」
後は聞えず、くすくすと忍び笑いだけ洩れていた。
「コンバンハ」と手をついて、
「まあ――」と記憶を掻きさぐるふうだったが、勿論知っている筈はない。おずおず火鉢の脇にいざり寄ってきて、
「戦地から帰って見えたと?」
坊主頭への挨拶だろう。
「いや、美代福を女房にもらえとすすめてくれた友達がいたから、会いに来た迄だよ」
「チャ――誰だすな、その人?」
「いや、男じゃない。女だよ」
「へえ――。珍らしさ。うちゃ心中しよう、その人と」
くるくる眸《ひとみ》をまわして笑っている。似ているといえばその眸が似ているのだろう、とそう思った。
「心中するなら、早くしないと、もう死ぬぞ」
「します。連れてきんしゃい。三人で死にまっしょ」
又笑った。抜けでるようにあどけないところがその眼にある。然し全体の印象は脆弱《ぜいじやく》で、今日の私の鬱憤に耐えきれそうもない風情だった。すると死ぬとすればリツ子を殺したのは確実にこの私だな、と東京の夜々のリツ子の姿が眼に浮んだ。
この女にも憑《つ》きものは何も憑いていなかった。憑いているのは私の側だ、と苦盃《くはい》をはげしくあおるのである。
「雪を見よう。いいか開けて」
「いいけど、変ってあるね。あなた」
庭の障子を明け放った。が、芸もないせせこましい庭だった。雪だけが降りながら、みじめに小池の水に濡れて、泛んで消えている。
「さあ飲もう、美代福」
「こげな雪見酒ははじめてだす」
と美代福も笑って盃を一寸挙げている。
「変っちゃる。あんた、好き」
「じゃ、女房になるか?」
「女房にはなりまっせん。たよりにならん。遊ぶだけ。遊ぶだけでも危っかしい。強盗やないと?」
そう云いくすくす笑って、その言葉が馬鹿に気に入ったのか、もう一度、
「ほんとに、強盗やないと?」
「まあ、そんなもんだ。追剥《おいはぎ》だ。今朝方盗み取った大切の首飾りを置き忘れた」
「へえ――。首飾りを?」
「鹿島を知っとるか? 鹿島組の?」
「ええ、鹿ノ子姉さんの鹿島さん?」
「知っとるなら、そう云いなさい。首飾りの追剥は、ここに現れた、と」
「電話掛けようか、鹿島さんに」
「いやいい、この次に云うたらいい」
あんまり寒い、と美代福が障子を閉めた。
「うちぞくぞくする。風邪ひいたとやなかろうか?」
「飲んだらいい」
「うち滅多に飲まんとよ。今日、飲もうか?」
盃にハンケチを当てて含むように飲んでいる。その額際《ひたいぎわ》がいじらしい程弱々しく白かった。酔いがすぐ顔にまだらに出た。ふーとやるせない息を吐いている。
「きつーい」と机にしなだれ寄ってきた。
「寝たらいい。帰るか?」
「もうきつい。とまらせて」
媚びのようではなく、本当に酔ったようだった。女中を呼んで、部屋に寝せた。私は残り酒を一二本あおりながら坐っている。
リツ子の病臥《びようが》の姿が眼に浮んだ。何か空漠な愛惜が私の心の中にひろがってゆく。もう遠く、さぐり取れぬように肉体の印象は薄れていた。とりとめ得るかな? あの命を。駄目だろう、とそう思った。コトリと大空の中に宝珠を取落してしまったようなうつろな悲しみが湧いて出た。が、太郎を残して死にきれるか? あの不思議な俺達の混合物を。何かしら斬新《ざんしん》な、手離しがたい生命の寵児《ちようじ》を。今夜は蜜柑山で、どんなことを考えているのだろうか。太郎のどんなに不思議な雪の夜だ? 静子のお伽話《とぎばなし》かな、いや、太郎をぬくめている、雪の夜の、お伽話のように寂しい不思議な肉体だろう。
すると、あああの生命だ、俺がさぐりとりたいのは、と唐突な渇《かわ》くような静子への恋情を自覚した。
私は厠《かわや》に立って、はだら雪の庭土と小池を見下ろしながら、美代福の寝ている部屋に荒々しく渡っていった。
空は薄ら寒く曇ってはいたが、今日は海の上に雪は降っていなかった。波だけが沖の風に白く騒ぎ立っている。志賀ノ島と残ノ島の水道を抜けきると、急に船は動揺を増して来た。玄海島が見えている。崖《がけ》の下に白波がくっきりとあおり上っていた。
もう唐泊の岩壁が見えてきた。小田の浜辺の二階の窓が見えてきた。私はまだ私の皮膚を匐《は》うている女の肌のすべすべと蝋石《ろうせき》のように弱々しい感覚を、新しい悔いの形で思いおこしながら、舳先に一人立っていた。
静子が太郎を負うて石組の船着場の上に立っていた。気がついたのか太郎が静子の背の上からしきりに手を振っている。私も延び上って、戦闘帽をゆるく振ってみた。
「チーチー」と太郎が船の繋留《けいりゆう》されぬ先から声をあげている。
「おーい」と私も両手を口に当ててどなってみた。
林檎《りんご》と買い集めの食料をぶら下げて船を飛び降りた。
「ほうら太郎ちゃん。帰んなさしたろうが」
そう云う静子から直ぐ太郎を抱きとって首にのせた。静子は私の荷物を代りに持ってくれるのである。
「泣きました?」
「泣きますもんか、遅う迄お伽話のありましたと。なあ、太郎ちゃん」
「ほんとうに、有難う」
私の顔が少しほてってきた。静子の顔がまともに見れぬのである。
「来なさした? 先生は」
「いや、あさっての船ですよ」
「まあ、奥さんが待っておりまっしょうが」
渚《なぎさ》沿いの崖の道を歩いていった。程よくうねっている人影のまばらな静かな道だった。静子は相変らず洗いざらした久留米絣《がすり》をキッチリと体に纏《まと》うている。健康から湧いてくる嗜好《しこう》が生活の制御の方に自然と向ってゆくのだろう。
「タロウ、ちゃん」と後ろから呼びかけて、
「そしたらば、はもう云いなっせんと?」
「何です? そのそしたらばというのは」
ふりかえった。静子の古雅な顔立に、鬢《びん》の辺りの後れ毛が二つ三つ下っている。ふふ、と静子は口に含んで笑いながら、
「話が終ると、そしたらば? そしたらば? でしたもんねえ、太郎ちゃん」
「よかったねえ、太郎」と云うと、太郎は片手で私の頭を、照臭そうに、もしゃもしゃ掻いた。
「あれ、なーん」
と太郎が道の上の崖を指している。繁みの中に山椿《やまつばき》が赤く咲いていた。
「ツバキたい、あれは」
「取ろうね。太郎ちゃん」と静子が云う。
「よしなさい。危い」
けれども静子は荷物を置くと、蔓《つる》に伝って身軽に崖の上を匐っていった。造作ない、美しい、敏捷《びんしよう》さだった。ポキポキと音を立てて、それからしばらくすると花を片手に、用心深く降りてくる。
沢山の山椿の花だった。それをもうきっちりと巧みに蔓で結えている。髪にも一輪小枝を挿していた。それを抜き取って、
「ハイ、太郎ちゃん。こっちはみんなお母さんに上げようね」
太郎が大はしゃぎにはしゃいでいた。玉の浦の窪《くぼ》のところまでくると、
「ちょっと待って下さいね」
静子は云い云い、花を抱えて降りていった。岩石が平たく海の中につきでている。よく村の人がその岩の上で白菜を潮水に揉《も》むのである。降りていった静子は、山椿をザブザブと波に洗うて帰ってきた。汐《しお》水に荒く洗われた寒椿が目覚めるばかり赤かった。
黒田博士はすぐわかった。桟橋《さんばし》から笑いながら帽子をとって私の方に歩みよってきた。
「さんでしょう。なる程、これが首飾りの坊っちゃんか」
太郎の足指をそっと握ってみせるのである。四十四五の年配に思われた。髪が薄くなっている。人馴れた、信頼のおけるような、響きの長い声だった。
渚の崖の道を歩き歩き、ゆっくりとリツ子の病状をきいている。間々不審になるのだろうかちょっと立留って訊きなおし、眼鏡越しに私の顔をじっと見た。
「先に宿に寄られますか?」
「いえすぐ診察に伺いましょう」
部屋に坐って、静かに部屋を見廻した。それからリツ子の側に寄る。
「どうですか?」
「はあ、いくらか」
「いいですか?」
「楽なような気がします」
脈をみて、鞄《かばん》の中から聴診器を取出した。リツ子の胸をはだけるのである。蒼白い胸に萎《な》えた乳房が並んでいた。
博士は長いこと胸と背を見ていたが、
「なあに、大したことはありませんよ」
リツ子の顔にすばやい安堵の色が見えていた。それから腹部の診察がはじまった。ゆっくりと指を反らして押えている。
「えらいお餅を食べ過ぎましたなあ」
「ええ、その上天婦羅で」
「それはいけなかったですね。何しろ永いこと寝ていらっしゃるのだから、不消化物はいけませんよ」
黒田博士は私の方を見て、
「じゃ結構です。蒲団をかけて上げて下さい」
それから診察道具を鞄の中にしまったが、
「お腹《なか》さえ癒ればね。それからゆっくりと養生です。ここはいいですね。理想的だ」
「きたなくて、むさくるしくて」と、リツ子がしきりに気を揉んでいる。
「いやあ、いいですよ」
青い海に焦点を散らして、博士はしばらくじっと海の面を見つめていた。
「お宿に伺いましょうか?」
私が云うと、リツ子はきっと博士の顔を見た。
「いやーあ、それには及ばんですが、でもまあ、召し上る物の事でも細かに申し上げましょうか。宿で」
云い云い博士は手を洗って、
「では御養生なさいね」
静かにリツ子に目礼しながら立っていった。
リツ子が気にすると悪いので、食後日没近く太郎を負うて博士の宿に来た。博士はぼんやりと手摺《てすり》によって暮残る海の面を見つめている。気がついて、
「さあ、さあ」と私達を部屋の中に招じ入れてくれるのである。
「お子さんは、首飾りの坊ちゃんだけですね?」
「はい、一人です」
「そう、私も一昨年家内をなくしまして、娘の子が一人です」
「私も」という言葉に、はげしいそよぎが胸に来た。
「駄目でしょうか?」
しばらく博士は黙っていた。
「このまま下痢が進んでゆきますと、一ト月が危いかも知れませんね」
「腸にきているのでしょうか?」
「そうと思った方が間違いないでしょう。けれども腸は長いですよ。一部分がやられても、まだまだ起き上る人がいくらもありますから」
「まだ希望が持てますか?」
「医師は患者と一緒に最後の瞬間まで希望は棄てません。奇蹟も時には起りますからね。でもはっきり申し上げればこのままの状態ですと一ト月越すか越せないか。まあ私の家内の一番身近かな経験からも、そんなところのような気がします」
博士はそう云い云い眼鏡越しに私と太郎の顔を見較べて、それから静かに眼を伏せた。
リツ子・その死
「リツ子・その愛」のなかで、一ところ私は故意に事実と相違したことを書いている。それは黒田博士がリツ子の死期を一ト月以内だと断定したことだ。「もう駄目《だめ》です。三十日は持ちますまい」と云ったのは実は唐泊《からどまり》のS医師だった。三月六日のことである。当時の日記を繰ってみると黒田博士は二月の十八日に来てくれていて、その診断はむしろ楽観的だった。
肺の方は云うに足りない。やられていることには間違いないが、この程度で喰《く》いとめ得るのはさしてむずかしいことではない。問題は腸である。然《しか》し腸は何しろ長いのだから、一部分がやられたからといっても療養次第では恢復《かいふく》しよう。但し乳児が乳離れする時ぐらいの用心が肝要だ、と大体そんなことを大層懇切に云ってくれた。
私は黒田博士の言葉通りリツ子にもお母さんにも取次いだが、腸が結核菌に冒されているという疑いのところだけは省略した。リツ子が腸結核というのを盲信的に恐怖していたからだ。
黒田博士の人柄から来る安堵《あんど》もあり、ひどく嬉《うれ》しいふうだった。お母さんも一里近い山の中から毎日通ってきて、弁当箱をリツ子とこっそり開いて私にかくれて喰《た》べていた。それで、リツ子の母が帰った折に、きびしく叱《しか》った。
「乳離れの時の用心だぞ。おまえは出来なかったじゃないか、鶯《うぐいす》の時にも、太郎の時にも」
この時、リツ子は実に嫌《いや》な顔をした。
それはこういう訳である。私が支那《しな》に旅立つ二三カ月前の、霧の深い徹夜の仕事の明方だった。書斎の硝子《ガラス》戸《ど》をバタバタとなぶる音が聞えるから、開けてみるとホトリと一羽の鶯が舞いこんだ。丁度「天明」という百枚ばかりの私の作品が出来上り、リツ子もその浄書のおつき合で起きていてくれて、何というか爽《さわ》やかな、あの朝の私達の喜びようといったらなかった。
私は用心深く帽子で押え、昨冬逃げて終《しま》った頬白《ほおじろ》の鳥籠《とりかご》が空《あ》いているのを物置から出させたりして、掌の中で顫《ふる》えている暖かいいきものを、そっと籠の中に移してやった。
御幣《ごへい》かつぎ屋のリツ子が、
「ねえ、お父さま。きっとこの鳥は太郎の守り神様ですよ」
と云ったりした。いやほんとうに自分でそう思いこんでいたのだろう。
リツ子は一口に御幣かつぎとだけ云って終えば味気無さ過ぎるが、何か際限もなく物や出来事を自分と結《ゆわ》えて考えてゆく性情があった。本人の度外《どはず》れな人なつっこい性分からおこることなのだろうが、すべての物事を無関心で見過せない。何というか万物の縁由《ゆかり》をしみじみと相関的に感じもし信じるのである。仏教とか何とかそういうはっきりした信仰心とはちがっていた。何もかもよそ事には眺《なが》められない。つまりシンパシイの性情が人一倍濃く、とめどないのであろう。
例えば蟾《ひき》である。太郎が生れる少し前の頃、私の家の庭の竪穴防空壕《たてあなぼうくうごう》に蝦蟇《がま》の夫婦が棲《す》みついたが、私は幼年の孤独の日に蝦蟇を飼《こ》うていたことがあってその再来かと、これは先《ま》ず私が大層なつかしがった。又あの真夏の閑寂な時間に、何処《どこ》とも知れぬ物蔭《ものかげ》から、そこばかり涼しげに、クルクルと体に似合わぬ優しい啼声《なきごえ》が聞えてくるのは、云い難く可愛いものである。この蝦蟇への愛情はすぐリツ子に伝染した。私の場合は一途《いちず》に幼年の日を慕う心にきざしている。それがリツ子に移ってゆくと、今度は例の万物相関の縁由をたどる異常な熱狂的な信仰だ。それなくては一日も過せない。殊《こと》に母蟾が一匹の子蟾を負うているのに気付いてからはリツ子の信仰はいちいちこれを私達に結えて終って、あれがお父様、あれが私、あの子蟾が私のお腹《なか》の中の子供の守り神と、いつのまにか決定して終っている。但し蝦蟇の時はどんなことに終ったのか、その顛末《てんまつ》をたしかめずじまいである。多分秋深く土の中にひそんで終ったのであろう――。
さて迷いこんだ鶯の話だが、私もまた思いもよらず、小鳥に熱狂していた頃の私の少年の日が後から後からと思いおこされていって、ほんとうになつかしかった。
落着くようにと萌葱色《もえぎいろ》の風呂敷を鳥籠の上にかぶせ、二階の出窓のところに置いてやった。
「ほらぽっぽちゃん。太郎のぽっぽ、よ」
と太郎が目覚めた時に、リツ子が抱いていって鶯の姿を見せるのである。太郎も珍らしがって片手に母の白く柔軟な乳房をひっぱりだしながら、ばたばたと手足をゆすぶって喜んだ。
二三日目には餌《え》についた。蚊や蜘蛛《くも》をよろこぶようである。ところが摺餌《すりえ》に移る頃、ちょっと私は旅行した。その留守にリツ子は餌入れ一杯の摺餌を与えたらしく、私が帰りついた時には鶯はもうふくれ上っていた。すぐ死んだ。
鶯の落鳥をリツ子はひどく気に病んだ。というのはその頃大島という私の陰気な友人が一人いて少し骨相学や占いにこっていたのだが、庶民金庫の借入の連帯保証人になってくれと頼みにきて、鳥籠の中の鶯の話を聞き、頼まれもしないのに、
「奥さん、これは本当に坊ちゃんの守り神だから大切に飼って下さいよ。こいつが居つかんようではきっと坊ちゃんに心配事がある」
と変に勿体《もつたい》ぶった云い方をした。子供の頃から私は野鳥の飼いにくさをよく知っているから、嫌なことを云う奴《やつ》だと腹を立てたが、リツ子はさして気にもとめぬふうだった。後でわかったことだが、占いは気にしていたのだ。いきものを飼うことが難《むず》かしいということを知らなかったばかりである。小鳥を餌につけて育ててゆくことぐらい鶏を飼っておくぐらいの気易《きやす》さに思ったのだろう。
ところが鶯の落鳥を見て蒼《あお》ざめた。太郎を抱きしめて泣くのである。
「いいよ、ね、太郎。もしそんなことがおこるなら、きっとお母さんが身替りになって死んであげるから」
「馬鹿。なんだつまらん。狐憑《きつねつ》きの云うことなんかをかついだりして」
叱ったがリツ子は余り釈然とはしないようだった。鶯を大切に葬って、それでも二三日落着かないのである。気づかぬところでよく涙をためて泣いていた。
リツ子の乳が少し不足するようだったから、太郎の離乳の稽古《けいこ》は普通の子供より早目にした。三カ月目にはもう果汁を与え、五六カ月目頃からはたしか牛乳や麩《ふ》などを与えていたように記憶する。そのうち粥《かゆ》になり、味噌汁《みそしる》を与え、芋をあたえ、やがて鶏卵にした。この鶏卵の時にしくじった。やっぱり私が出かけていた留守のことで、帰ってみたら太郎が高熱を発している。
「どうした?」と云うと、
「余りよろこぶものですから、卵を一つ半熟でやってしまったのですよ」
と泣きはじめた。ようやく卵黄を三分の一ぐらいずつ与えていたのである。医者を呼んで腸をさらえたが、石鹸《せつけん》の溶液のような、青い下痢便は一週間くらい続いていた。みるみる痩《や》せ細ってゆくのである。これは危いな、とその時私も心細かった。リツ子は生きた心地が無いのである。
「どうぞ、私が身替りになりますから」
と何の神様にかは知らないが、太郎の手を取って泣いて救いを乞うていた。多分大島の陰気な出まかせの占いを気に病んでいたのであったろう。けれども太郎は十日目頃から持ちなおした。乳児の病気など他愛ないもので、恢復しはじめるとまるで嘘《うそ》のようなものである。けろりとして、はしゃぎながら母の乳房にかえっていった。
然しリツ子は離乳の自信をすっかり喪《な》くして終ったようだった。私のいない時には乳以外の一切のものを与えなくなっていた――。
だから、
「乳離れの時の用心だぞ。おまえは出来なかったじゃないか、鶯の時にも、太郎の時にも」
この言葉がリツ子にこたえる意味は私もよく知っている。知っていて、食物に対する充分な注意を喚起したかった。
ところがリツ子に与えた効果は逆だった。身替りの死の事を思いだしたのだ。いや私が強《し》いて思い出させようとしたふうに、リツ子はとったようだった。
「いじわる」
と蒲団《ふとん》をかぶって泣いてひねくれた。翌朝やってきた山のお母さんと一緒に、二人ではげしく泣き合っているのである。
リツ子の下痢は相変らず続いている。階段の上り口のところがどちらからも襖《ふすま》になっていて、そこへお厠《かわ》を置き、下まで降りてゆけなくなったリツ子はいつもここで用を足していた。
「太郎お父さん」
絶え入るような声がきこえるから驚いて襖を開いてみると、お厠にかがみこんだまま、壁に手をつき、ぶるぶると顫《ふる》えて立上れないのである。私は後ろから脇《わき》の下に手をやり抱《かか》えおこして蒲団の中に連れもどした。リツ子を抱えたのは実に久しぶりだった。この一週間ばかりはやめているけれども、いつも三四日置ぐらいには体全体をふいてやっているのだから、見た目には知っているが、触感からくるやつれざまはむごかった。これは駄目だと、私は一瞬すさまじい魔物の羽に、胸を一はき搏《はた》かれた心地であった。
「もうお厠に立つのはやめなさい。無理をせずに本当に癒《なお》してから下の便所に行った方がいい」
リツ子は肯《うなず》いた。はあはあと胸が高く波を打っている。
用便の歴史もとうとう最後の段階に到達したなと、私はブツブツの粘液便を棄てにゆきながら、新しい感慨を催した。
「私は病気をしたことはあっても、お厠の用を人に足してもらったことはありません」
これはリツ子の昔からの自慢だった。
「でも、今度だけ、ね」
と微笑《ほほえ》みながら、お産の後三日だけは、太郎を産んだという特別の誇りがあったのだろう、女中の愛子がいたのに私に甘えて平気で換えさせた。小水が飛散しないよう、紙を何枚も前に添え、臆病《おくびよう》そうに用を足していた。
今度の病臥《びようが》後も、
「いいえ、この迷惑だけは」
そう云いながら、下痢が始っても一週間までぐらいは、いちいち自分で下に降りていた。
はじめは階段の襖の蔭の用便もひどく臆しながらやっていた。一度太郎に気づかれたことがあり、
「ああ辛《つら》、お便所だけでも一人で下まで行けたらいいのに」
「用心さえしたら、すぐに又元通りにかえれるさ」
「ねえ、お父さん。癒ったら何処《どこ》か、いいお便所のあるお家《うち》に越しましょね。そうそう、大行寺がいい。窓から羊歯《しだ》や、笹《ささ》がいっぱい見えますとよ」
「松崎がいいじゃないか」
と私は私の母の家を云うてみた。庭の見える広い便所があるのである。
「いや、いや。私はもうお母さんと早苗《さなえ》さんがおそろしゅして」
私の母と妹のことをそう云って、くるりと蒲団の中にもぐりこんでしまった。
病勢がつのるにつれてリツ子は私の看護を逃《のが》れたがった。次第に加重されてゆく私の仕事の分量を見るに、耐えがたかったのだろう。
太郎とリツ子の全生活を支《ささ》えてゆかなければならなかった。殊《こと》に病気が病気だから、この二人の生活を全く切離してである。生活というものは何と喰べることばかりだったろう。何と糞尿《ふんによう》にまみれはてたことばかりだったろう。
「ねえ、お父さん。もし私が腸結核にでもなったら、あの海地蔵の岩のところから飛びこみますよ」
二月二十七日の夜のことである。
「どうぞ、そうなったらさっさと飛びこんでほしいね」
私は笑ったが、まだ知らないのかと、人間の希望の際限のない慾深さに驚いたことがある。が、ほんとうは、きっと今の病状に確信を失って、私の顔色をうかがったものだったろう。
黒田博士は、薬餌《やくじ》は従前の医師のものでよろしいと云っていた。然しリツ子の母とリツ子が何か一新を期待しているから、と懇願したら、打笑って、
「そうですね。じゃ漢方薬をあげましょう。こいつは案外に効《き》きますよ」
と云ってくれた。連絡が悪くて、永いこと貰《もら》えなかったが、とうとうそいつが届いた。口の太いサイダー瓶《びん》ぐらいの大きな空瓶に、子供だましのような白色のサラサラとした粉末だった。量はいい加減でよいという。一瓶を大体三カ月位の心算《つもり》で飲んでくれ、という伝言だった。丁度来合わせていたリツ子の母が見て、
「そげないい加減な薬があるもんか。分量がどうでもよかやら――」
医師の妻らしく、ちょっと栓《せん》を抜いて味おうていたが、見当がつかぬようだった。
「何じゃろか、何じゃろか?」
といぶかるから、私は、
「南方でとれる、何かの高貴薬だそうですよ」
出まかせにそう言うと、みんな顔を見合せて安堵した。
殊にリツ子は喜んだ。
「ちょっと持たせて」
と臥床《がしよう》のままその瓶を手に握り、光にすかすようにサラサラ、サラサラと粉を振ってみて、
「三カ月ですって? 三カ月ですって? まあ気の永さ」
と微笑が押えきれず、黒田博士の思いやりが、まっすぐリツ子の体に浸《し》み入るようだった。
「今までのお医者さんのお薬も飲むように。あれは消化剤だから、と黒田博士が云うとったよ」
「あれはただのジアスターゼたい」
とリツ子の母が云うた。
リツ子は皆の見ている中で面映《おもは》ゆそうにその薬を飲んだ。唇《くちびる》の辺《あた》りを粉だらけにして、味《あじお》うてでもみるように水を口の中に一度含んでみて、それからキュッと飲んでみるのである。
「何か胸がすうーっとするようよ」
「そうな、それはよかった」とお母さんが云うと、
「このお薬きっと効きますよ、私には」
そう云ってリツ子は静かに眼をつむった。
リツ子の母が帰っていって、太郎も寝鎮《ねしずま》った夜であった。
「お父さん、太郎お父さん」
とリツ子が低い声で私を呼んでいる。
「何だ?」と側《そば》へ寄ってやると、
「あのお薬、とても私に合《お》うているようですよ」
「そうだろう」
「ちょっとここに手をやってみて」
はいれというふうだから私がリツ子の蒲団の中にもぐりこむと、手首をとらえて自分の下腹の上を押えつけさせる。
「ほら、ごろごろ、ごろごろ。こんなことははじめてですよ」
お腹のあたり、たぎるように熱かった。
「そう。効くんだね」
と私はその燃える腹をいつまでもさすってやりながら、薬のからくりをすべて知ってでもいるようにうしろめたく、私自身も信じ得るような薬は無いものかと、キョトンと空間を放視しているリツ子の顔を見つめるのである。
いつでもそうだがリツ子の薬に対する異常な期待は一週間ぐらいで終るのがならわしだ。それでも昨年まではその期待が少くも一二カ月は続いていた。ヤトコニンの時がそうだった。セファランチンの時がそうだった。新しい薬に対する性こりのない期待と失望。そのテンポが次第に圧縮されてゆくことは、目に見えてリツ子の悪化と焦躁《しようそう》を語る尺度のようなものだった。
期待を棄てる時のリツ子の味気無い顔を見るのは耐え難い。何故平常心に帰らぬのだろう。何故薬に頼らず、自分の根源の生命力を信じ、はぐくまないのだろう。私はもどかしいが、病者の心理と健康者の心理とは一概にとけ合うことはむずかしいようである。会話にめっきり嘘《うそ》が多くなってきた。薄氷を履《ふ》むような思いである。
近頃では、またネズミモチの時がそうだった。下のおばさんからすすめられて、リツ子は一時ネズミモチに熱狂した。それで私は太郎を連れて裏山の中をネズミモチの黒い実の小枝を探して廻ったが、丁度リツ子の頭の上に、ナゲシからナゲシへと糸を張って、その青枯れの葉は相変らず今もカサカサと枕頭《ちんとう》に揺れている。
薪《まき》取りに行く度《たび》に、太郎はこの頃でもネズミモチをチャンと覚えていて自分で見付け、
「チーチー、ほらネズミモチよ。取ろうね。ハハにもっていってやろうね」
「もういい」といっても、どうしても実がある限りは私に取らせるのである。
もっとも太郎はもう薬だとは思っていまい。淋《さび》しい母の枕頭のなぐさみか飾り物だと思っているのだろう。それを母の頭の上に全部吊《つ》らせてよろこぶのである。そうして、事実現在では太郎が思っている通りの効用だけをリツ子に与えているにちがいない。
それからまたつい最近では「わかもと」がそうだった。太郎を負うて宮の浦のリツ子の伯父《おじ》の処に寄ってみたところが、
「珍らしゅう、わかもとが来とるばい。リッちゃんの下痢にどうな?」
「わかもと」などどうなるものでもあるまいと思ったが、然し終戦後半歳《はんとし》そこそこで確かな薬品なぞ何処《どこ》にいってもなかった時だった。折角の好意も有難《ありがた》かったし、いくらかでも胃腸の作用を強めるなら、と有難くわけてもらった。
ところがくりかえしくりかえし効能書のところを読んでみて、意想外のリツ子の喜びようである。
「昔から私にはわかもとが一番合いますとよ」
「そうそう、太郎にもあげようね」
などとはしゃぎながら私に取らせて太郎に二粒やってくれと云っている。後で気づいたが、効能の末尾のところに「腸結核」と書かれてあった。自分で打消しながらも、たえずその危惧《きぐ》におびえていたリツ子が、さりげなく一番それと目立たない「わかもと」に希望をつないで、ひそかに、まったくひそかに、快癒《かいゆ》へのはかない悲願をかけていたのだろう。溺《おぼ》れる者の藁《わら》である。溺れかかっていると、人にも自分にも云い聞かせたくない。けれどももう波は口許《くちもと》までかぶっていて、ゆらゆら体を弄《もてあそ》ぶ不吉が、心の底に拭《ぬぐ》いきれないふうだった。
やっぱりリツ子の下痢はとまらなかった。黒田博士の南洋の高貴薬も、ほんのしばらく心に与えた効果以外は全く無駄だった。
「あんまり飲みとうない」
と瓶ごとごろりと私の方に転《ころ》がしてよこすのである。うつろなあわれな眼の色だった。あてどもなく天井のあたりのネズミモチのそよぎをみつめている。この女を地上につなぎとめる何の手だてがあるだろうか、と私はリツ子の耐えている空漠《くうばく》の焦慮を悲しむのである。
三月一日は新円切替だった。二十八日の夜、隣組の副組長が切替の話でちょっとと云ってやってきた。病人がありますから、と私は下の玄関ですませたかったが、
「隣組の代表で奥さんのお加減見舞ばさせて貰《もら》いまっしょう」
無理に二階に上るのである。
「早う伺わねばならんところでしたが、組合の方がいそがしゅうしてなあ――」
リツ子の床の脇に坐りこんだ。
「加減はどうですな?」
「はあ――お蔭様で」
とリツ子はわずらわしそうな眼をあげて私の救いを求めるのである。
「どこばいとうでありますとかいな?」
知っていながらこいつと、私は田舎《いなか》者《もの》の面《つら》にくさを思ったが、
「肋膜《ろくまく》です」
「ほーう、そんなら博多の病院がよござしたろうもん?」
「焼けたじゃないですか」
むっとした。
「そうですたい。焼けましたたいなあ。ここからまっぼすに見えましたやな。おや、あけっぱなしで寒うはござっせんな。病人さんに?」
と東の窓の暗い海を指さした。ざぶりざぶりと波の音が寄せている。何もそう悪気のある男でもなかった、と一時の興奮をさますのである。
「時にお宅は何人でしたかいな?」
「三人です」
「ほーう、そんなら証紙張りは三枚ですたい。あたしん方は十二枚になりますやなあ」
巻きの下手《へた》な手巻煙草をせっかちに吸いながらたもとから手帳をとりだして、
「いくら持っとんなさるかいな?」
「何をですか?」と面《おもて》を上げると、
「まるかとですたい」
指で丸を作って男は口をゆがめて笑った。
「さあ、いくらあったかな」
財布や抽出《ひきだし》をあけて寄せてみるが百二十何円かのようである。
「百二十六円ですね」
「え? はしたがですな?」
とちょっと驚いたように男は私とリツ子の顔を見くらべる。リツ子はひどく卑屈な思いを噛《か》む様子で、
「主人の里から、その都度送って貰《もろ》ているものですから」
嘘である。自分の里近いので見栄《みえ》があるのだろう。私は何処《どこ》にもあてのない収入の生活に又新たな空漠《くうばく》の想いを味わった。リツ子と私の衣類を少しずつ売って生きのびているのである。果して今後今までのような売り喰《ぐ》いが出来るものか。何か思いがけぬ変動の波にさらわれてゆくような頼みがたい不安もあった。
男は一寸《ちよつと》云いにくそうに、煙草の煙をやたら火鉢《ひばち》の中にはたきこんでいたが、
「誰からか頼まれとんなさるかいな?」
「何をですか?」と私が見上げると、
「お宅は三百円ですけん、百八十円、まだ証紙貰いのききまっしょうが?」
「いいや」
「そんなら」
と男はあわてて一膝《ひざ》のりすすむようにして、大きな蟇口《がまぐち》を懐《ふところ》からひきずり出すと、
「頼みますやなあ、換えてやっといてつかわさい」
何枚もの紙幣を見よがしのように引摺《ひきず》りだし、百八十円私の膝の前にきっちりとならべてみせた。
「承知しました」
と私は揃《そろ》えて、箪笥《たんす》の上に置くのである。
「じゃ、どうぞ」
男は早々に帰っていった。男の消えていった辺《あた》りの暗闇《くらやみ》の波の音を聞きながら、私もしきりに味気なかった。
部屋に上ってみるとリツ子が泣いている。
「どうした?」
「もういやいや、生きていとうありません」
「金がないからか?」
と露骨に笑って、私は急に快活になっていった。何か爽《さわや》かな大快事をしでかしてみたいのである。
「おいリツ子。お前の着物と俺《おれ》の着物を一枚残らず売って終《しま》おうや?」
リツ子もちょっと私を見上げて誘いこまれるふうなので、
「着物など、何十枚も持っていて何をする? 丈夫になれば裸でいいじゃないか、裸で。裸で野っ原を踊ろうや」
「お月夜の散歩?」
とリツ子の口がちょっとほころびる。二人だけの隠語であった。
新婚間もない人吉《ひとよし》の温泉宿の、二間つづきの大きな洋間だった。硝子《ガラス》戸《ど》一杯の月である。
「ねえ、裸で部屋の中を散歩しよう」
くすりと頬《ほお》をよせて同じベッドの上でリツ子が笑う。
「いやー」
「いいよ、いいよ。面白いぞ」
私は口や頬に接吻《せつぷん》を浴せながら、リツ子の浴衣《ゆかた》をずり落した。そっとかかえおこすのである。
「ねえ、ぐるっと部屋の中を散歩しよう」
膚をふれ合いながら、肩を組んでそっと忍び足で歩くのである。明るい月だった。白いリツ子の大模様の裸像が、少し前かがみになってついてゆく。
そのうちリツ子も大胆になってきた。ちょっといたずらに硝子窓を明けてみたりする。片手を出して二階の窓から流れの方にひらひら振ってみせるのである。それからクスクスと笑いながら椅子の中にしゃがみ込んだ。私も向い合って椅子にかけた。
「素晴らしいだろう?」
うんうんとうなずいているようだ。
「毎晩しよう。月夜の散歩を」
煙草に点じようとマッチを擦《す》るのをあわてて吹きけして、私の煙草を窓から流れの中に放り棄てて終うのである。又肩を組み合った。そっと部屋の中を一周りする。
「もういい、いや」
とはげしく笑いこけながら、ベッドの中へ走りこむのである。
石神井《しやくじい》の新居に移ってからも、暖い日は月ある毎《ごと》に「月夜の散歩」を繰りかえした。二階から下、下から二階と、部屋部屋を肩を組んで忍び足に歩きまわった。白いしびれるような膚だった。光の影があちこちゆれる曲線で落ち凹《くぼ》んで、支那に旅立った行く先々の月の中で、「月夜の散歩」の情景は必ず私の眼の底にちらめいた。現身《うつしみ》のはかない月夜の遊戯である。遊戯とも云えない程のつかのまのあわれな人体の愉悦だった――。
が今見るリツ子のいたましく頽《くだ》けた四肢《しし》を、どう支《ささ》えとめたら良いのであろう?
「売ろう。俺は国民服一着、リツ子はモンペ一枚だけ残しといたら、いいじゃないか?」
ともう一度云ってみたが気力が薄れた。
「でもお母さんにわかったら、とても……」
急に力無く咳入《せきい》っていたが、やがてリツ子はぐったりと枕の中に沈みこんで終《しま》った。
三月六日は晴れていた。太郎の洗顔を済ませてやって、牛小屋の前の中庭に立つと、陽差《ひざし》がいっぱいに差込んで、藁《わら》からも土からも、蒸気が白く立ちこめていたことを覚えている。下のおばさんが莚《むしろ》をひろげて大根をサクサクサクと切っていた。切乾しにするのである。
「よか日和《ひより》ですなあ、《だん》さん。奥さんのお加減な?」
「はあ相変らずです」
「こげん凪《な》いできましゃ、魚もちったあ上りますばい。しっかり喰《た》べさせなっせえや。奥さんに」
「何ですか、今から取れる魚は?」
「さあ、鯛《たい》もそろそろ上りまっしょうな。カナギですたい。今からは。そうそう。もうすぐ磯物《いそもん》取りで賑《にぎわ》いますばい、浜は」
「磯物《いそもん》てどんなやつ?」
「わかめですたい。わかめにてんぐさ、赤てん、青海苔《あおのり》。そうしましゃ、あわび、さざえ、うに、なまこ。それから小物の取れますたい。メバルやら……賑いますばい、浜は娘御衆でなあ」
「ほーう、いつ頃?」
「もう間はありまっせんばい。彼岸の来ましゃあなあ――。奥さんもきっとぬくうなりゃ起きなさすばい」
起きるだろうか? と心に問うてみて甚《はなは》だ覚つかない。昨夜からリツ子の母がとまりこんでくれているから、今日は米搗《こめつ》きと薪取りに行って来よう、とそう思った。
ちょっと、静子の家の、納屋《なや》の米搗き臼《うす》の姿が目に浮んだ。あれ以来、蜜柑山《みかんやま》の静子の家には一ぺんも行っていない。静子に太郎を預けて、リツ子に似ているという博多《はかた》の芸者と雪の夜を遊んで以来、妙に静子の顔を避けたくなった。四五日前の米搗きもわざわざ宮の浦の組合まで持参して静子の家には行かなかった。
雪の夜の美代福のことはもともとリツ子が云い出したことだから、つつまず聞かせておこうと思ったが、悪化の一途をたどる近頃のリツ子の様子を見ては、これまた云いそびれて終っている。仕方がないことだ。うしろめたい道理はないと思ってみても、やっぱりリツ子にも静子にもわだかまるしこりのようなものが霽《は》れないのである。
太郎が牛のところに行っていた。大根の尻尾《しつぽ》を投げつけて、一目散に私の股《また》の中に走りこんでくる。
「どうもしまっせんばい、太郎ちゃん」
と下のおばさんが顔を上げた。
「そう、太郎のせてあげようか、牛モーに」
私が抱《かか》えあげると、
「いや、いや。牛モーえずい」
と私の首筋にしっかり齧《かじ》りつくのである。
「こわいことがあるもんか、牛モーは静子お姉ちゃんよりえずうないぞ」
私は無理に太郎を両手に抱えあげて、牛の裸の背に押えつけるのである。五月蠅《うるさ》いのであろう。牛が後足で左に廻ったり右に廻ったりする。太郎の小さい腰がその度《たび》にぐらぐらとゆすれるのである。
「えずーい。静子姉ちゃんより、えずーい」
と太郎は泣き出しそうな大声をはりあげるので、私は自分が云うた思いがけない言葉に自分で驚くのである。
「さーん。ちょっと」
井戸端の所で、リツ子の母が呼んでいる。私は笑いながら、太郎を抱えおろして、何だろうかと寄っていった。リツ子の母は辺《あた》りを憚《はばか》るような目付をする。それから急に眼の辺りをくしゃくしゃにさせたかと思うと、泣きはじめた。
「どうしました? え」
蔭の方に入りこんで、声は立てずに両手をあててしばらく泣いていたが、
「牛と遊んだりして、あなたは、リッちゃんのことをちっとも思うとってやないですな」
私は黙って肩車にした太郎の足をしっかり握りしめていると、
「リッちゃんは死にますとばい、もう一ト月で」
「どうしました。何かあったんですか?」
「三十日はもたんとげな。腸結核ですげな。もう消耗熱といって死ぬ前の弱い熱にさしかかっとりますげとな」
そういえば四五日来熱は大分降っている。三十七度六、七分前後のようだった。それを本人はひどく自慢にしていたものだ。
「唐泊《からどまり》のSさんでも見えたのですか?」
うんうんとうなずきながらリツ子の母は大仰に泣きくずれた。余りの興奮故に、私は取残されたように白けかえってしまうのである。
「ちょっと見てきましょう」
という私の後ろから、
「リッちゃんには云わんとですばい。気づかれては困りますばい」
太郎を手に抱きなおして裏から入る。土間を越えて飛び抜ける程明るく青い海の色が見えていた。
リツ子はうたたねをしているようだった。が、私の足音にすぐもの憂《う》い眼を開く。ぼんやりとみつめているだけだ。
「今朝はどう? 加減良いか?」
肯《うなず》きも否定もせずに私を見ていたが、
「お母さんは?」
「今、下だ。呼んでくるか」
いいやと首を横にふっている。
「林檎《りんご》の汁を少うし」
「よし」と林檎をむきはじめたが、太郎が病室との閾《しきい》の襖《ふすま》を少し開いてちらちら覗《のぞ》いているのである。それから小さい片手をさしこんで振ってみせた。
「チーチー。お山へ行こう」
昨夜太郎に薪取りを約束しておいた。早く太郎と二人山の中へ逃げこんで、自分のつつまぬ心の状態に帰りたかった。今から山の上にかけ上り、何か空漠の魔物を捉《とら》えてはげしく角逐《かくちく》してみたい狂暴の想いに掴《つか》まれる。
「あけて、入り。太郎」
大声に呼んでみた。太郎が襖を体ごと運びあげて、ちょっと照れくさそうにしていたが、私の膝《ひざ》の上に走りこんできた。じっとリツ子の顔をみつめている。
リツ子は急に陽気な気持が湧《わ》いたのか、太郎を見ながら、ペロリと舌を出した。太郎も足でバタバタ畳を蹴《け》って、嬉《うれ》しくてかなわぬのだろう、舌を一生懸命のばそうとしていたが、足をすべらせて、とうとう私の両膝の間に笑いこけて終った。これがこの瀕死《ひんし》の病者に産ませた私の子かと思うと、しみじみといぶかしく、太郎に半分林檎をやりながら、いつもの通り、
「此処《ここ》はどこだ?」
「福岡県。糸島郡。北崎村。小田。ターイ」
「父は?」
「ダンカズオ」
「母は?」
「ダンリツコ、ターイ」
ちらとリツ子を見る。
「タロは?」
「ダンタロ」
「父の年は?」
「三十五」
「母の年は?」
「二十八」
「タロの年は?」
「三十五。三十五、三十五、三十五」
と笑いながら、いたずらそうにおどけて快速調で云うのである。
「そんなら、父は?」
「四つたい。アンポンチンの父」
私も大笑いに笑っていって、眼頭《めがしら》に涙がにじみそうになるのをしっかりとこらえるのである。
「なんごとな?」
とリツ子の母がつくり笑いで上ってきた。まだ泣きはらしの眼がよくわかる。然《しか》しリツ子は久しぶりの太郎にのぼせてしまったのだろう、気付かぬふうだった。それでも疲労の色が次第に濃くなってきたようだから、お母さんに、
「太郎と一緒に山に薪取りに行ってきます」
「まあ、今日はおやめない」
「明日あたりちょっと黒田博士の処に行きますから」
リツ子はどんよりとした表情で私を見て、
「もうやめといて、お医者さんは」
「どうせ金もつくって来ねばならんだろう」
私が云うと黙って蒲団《ふとん》で顔を蔽《おお》うて終うのである。
赤土の山道に沿うて空豆の花がいっぱい咲いていた。春の水が細い渓流になってサラサラと流れ下っている。
「ソラマメだよ、太郎。ソラマメ」
「ソラマメ?」
「うん」
と太郎と二人つくづく眺《なが》めて、空豆の花と葉の異様な美しさに驚いた。心がひきしぼられて洗われているのだろう。明る過ぎる春の午前の山はシンと物音は杜絶《とだ》えていた。
いつもの山の窪《くぼ》にたどりついた。日溜《ひだま》りである。ゲンゲとタンポポと菫《すみれ》がバラリと撒《ま》き散らされた珠玉のようにはげしく輝き合っていた。太郎を裸にしてやった。白いひよわな母の体質だ。ピシャリと尻《しり》を叩《たた》いてやると笑いながら、青草の上をトンボを追うて跳《と》んでいる。
ゆっくりと私も衣を脱ぎ棄てた。自分の骨格が仁王のように盛り上ってゆくようなふいな錯覚が感じられる。とめどない真新しい光の洪水だ。
空山《くうざん》に虱《しらみ》をひねると昔の人が云っている。その空山がいたずらにまばゆく冴《さ》えかえっていた。はてしもないことだ、とこの寂とした白昼の空虚を指顧するのである。ゲンゲと青草を跣足《はだし》で踏まえて、両こぶしを堅く握って高く空の方に上げてみた。
ウオッと激越な悲しみが波立った。思い設けていたことである。両の拳《こぶし》は下げないのである。そのまま、
「ワア、ワア」
と大声を挙《あ》げてしばらく泣きつめた。すると悲しみは瞬時にゲンゲの紅白の花の中に散っていった。
「チチ、エンエンしとると?」
と太郎が摘んだ花を長短不揃《ふぞろ》いに手ににぎって私の傍《そば》にいぶかしそうによってきた。
「うん、エンエンしとる」
「何ていってチチ、エンエンした?」
「お花キレイキレイってエンエンした」
「タロもする。エンエンする」
裸のままほんとうに声をあげて泣きはじめた。花をにぎってしゃくり上げるのである。子供は随時思うときに泣けるものか、太郎の姿がいぶかしく、私はようやく両手をおろして、笑いだした。太郎もまた泣きじゃくった顔をほころばせて、笑いはじめるのである。
「太郎。その花、ゲンゲ」
「なーん? ゲンゲ?」
「うん、ゲンゲだ。沢山母につんでいってやろうかね」
私は青草をふみながら、ゲンゲの花をゆっくりと丈《たけ》を揃えて摘んでいった。
頬白《ほおじろ》の啼《な》き渡る声が聞えていた。すると次第に「人生斯《かく》の如し」と何かしら光のような充溢《じゆういつ》した喜悦が身裡《みうち》からふきこぼれていって、我身と太郎の姿まで、典雅荘重の風物と顧みられた。
下り道は太郎を先に歩ませた。花を握ってチョロチョロと走るのである。私は縄《なわ》に結《ゆわ》えた薪を負うて、太郎の後ろを歩いてゆく。
朝来た道とは見違える程、谷の小径《こみち》は光がよそに移っていた。おぐらい杉の林を抜けでると、少女が一人岸辺《きしべ》の土堤の蓬《よもぎ》を摘んでいる。遠目にも静子だとすぐ知れた。私は太郎の体を引き戻し杉の蔭まで後返って、
「太郎、黙っとくとよ、静子姉ちゃんをびっくりさせるのだから」
「うん、うん」と太郎が嬉しそうにうなずいている。
流れを飛んで森の横から土堤の後ろに抜けてでた。薪を置き、太郎を抱えて、跣足になり、それから、
「ワッ」と太郎を静子の肩におぶらせた。
驚いて跳《は》ねあがるのである。
「まあ、たまがらせなさすと。太郎ちゃんは」
そのまま私を見て真赤になっていた。
「何をしてるの?」
「蓬取りですたい」
鬢《びん》の髪がほつれ下っている。
「蓬で何を作るの?」
「お餅《もち》よ、太郎ちゃん」
と云って静子は小刀と籠《かご》をおき、太郎をしっかりと抱き上げた。
「まあ、きれいなレンゲ。お母さんに持ってゆきなさすと?」
「うん、ハハにお土産《みやげ》」
と太郎がゲンゲの花束を静子の鼻に押えつけるのである。
「まあ、よかにおい。何処へ行ってきなさした?」
「お山、ねえ」
太郎が私の顔を呼ぶようだから、
「薪取りでした。明日又福岡に廻るので」
「先生ですと?」
私が一つ肯《うなず》くと、
「じゃ、太郎ちゃんまた来るね。明日お餅が出来るとよ。草のお餅が」
「しょっちゅうお餅のようですね。今度は何の餅?」
静子は頬を染めながらしばらくためらうようだったが、
「年違えですたい。私十九。さんも三十五でっしょう。年が悪いけん厄払《やくばら》いに搗《つ》こうとおばあちゃんの云いますとたい」
「私のも?」
と驚いた。静子は黙って肯いている。
「有難《ありがた》いけど、私のなんかは要《い》りませんよ」
「でもおばあちゃんがつけと云いますと。一つずつ年よりふやして搗きますとたい。喰《た》べようね、お餅を。太郎ちゃん」
太郎が嬉しそうに肯いた。
「明日は来るね? お姉ちゃんとこへ」
そうだ、又太郎を預けようかと、云われるままに私も決心した。云おうか云うまいか、しばらく迷ったが、つとめて低い声で、思いきって、
「リツ子はもう一月持たんそうです」
「えっ」と静子が青ざめた。しばらくぶるぶると顫《ふる》えやまぬようだったが、
「そげなことがあって、よござすもんか」
ふるいたつようなしっかりとした声だった。じっと太郎の手の花を見つめている。が、押えきれぬように涙が一つ二つ落ちてくると、静子はそれを抱きしめている太郎の服に頬ごとこすりつけて拭《ぬぐ》うのである。
海は珍らしいくらいに凪《な》いでいた。玄海丸の屋根に匍《は》い上って、一人、白昼の海の青をむさぼるように見つめている。舳先《へさき》の潮がくりかえしくりかえし同じうねりに昂《たか》められて、泡《あわ》立ち、捲《ま》き返されて、消えていた。
三十日か、有難《ありがた》い。とふいに例の冒涜《ぼうとく》の魔性の声が湧《わ》き上る。己の悲哀を嘲笑《あざわら》うのである。新しい生涯を次々と招きよせる例の軽薄好奇の不常心だ。
それにしてもこんな真昼の船の中にリツ子と二人乗っていたことがありはしなかったか?
柳河《やながわ》で式を挙《あ》げ、人吉に廻って、それから東京、東京から支那へ旅立つ道すがら、福岡で別れている。おや、するといつだったろう、ともう一度記憶をたぐり直してみたら、結婚の前のことだった。二人で志賀《しか》ノ島に行ったのだ。舷側《げんそく》に、うっとりと夢見るように波のひだを眺《なが》めていたその日のリツ子の肢態《したい》が眼に浮んだ。探りとめたいもどかしさで、まだ知らぬリツ子の心と肉体に焦《こ》がれふるえていたのではなかったか。あわただしい三年の日月の夢である。衣は剥《は》がれ、肉体と心は私の冒涜の手に思うさまに探りとられ結えられて、今、三十日の余命が残っている。
が、一体リツ子とはそもそも何であったのだ。太郎という、不可思議な新しい生物を産みおとした。私にとっては結局、おまえのすべては、あの月夜にまばゆかったおまえの肌のようなものだった。私に何もわかっていやしない。何がわかる道理があろう。私とおまえの間にはやっぱり孤独の、摸索《もさく》しきれないような深い霞《かすみ》がかかっている――よくも絶望もせずに耐えてきた、とこの三年の生活ににじむ愛情を、ひどく脆弱《ぜいじやく》な架空の夢に思いこむのである。
船は博多の築港《ちくこう》に昼着いた。私は自分の中にひしめいてくる夥《おびた》だしい想念に揺られながら、桟橋をゆらゆらと渡っていった。
鹿島の家には廻らなかった。先日の金も借りたままだったし、一緒について来ようというのを無理にふりきった別れ際《ぎわ》の後味も嫌《いや》だった。二三の友人の家を駆けめぐって、千五百円借り集めた。これでリツ子の死を待つ三十日が越せるだろう。
黒田博士は留守だった。郷里に帰っているのだという。
「黒田の父が危篤だものですから」
と鄭重《ていちよう》に奥さんが玄関に出てきて手をついてそう云った。若い淋《さび》しそうな顔である。平常《ふだん》私のことをよく聞いて知っているふうで、風呂敷に夏蜜柑《なつみかん》を沢山包み、
「これを坊っちゃんに」
と差出した。風呂敷ごと借りて有難く頂戴《ちようだい》したが、
「先生はいつ頃お帰りでしょう?」
「さあ、今度は永くなるかと思います。お気の毒ですが」
「それでは又」
と云って夕闇《ゆうやみ》の焼崩《やけくず》れた瓦礫《がれき》の町に出た。時々ヒュウと春の飄風《ひようふう》が巻きおこる、その度《たび》顔に砂ほこりと灰を叩《たた》きつけられるのである。あらがい難い情念にあおりよせられるようで、足はいつの間にか「老松」の方に向っていた。
「老松」の座敷の畳は相変らず青かった。客が無いのかどこもシンと鎮まるふうである。直《す》ぐ女将《おかみ》が出て来たが、今日は馬鹿に若く見えるように思われた。覚えているのか、
「ああ、美代福さんでしたろうが?」
「うん」
と横柄に私は破れた煙草を手でちぎり、新しい索漠《さくばく》の感情に耐えるのである。美代福は待ってもなかなか来なかった。女中は帰し、一人で手酌でぐいぐいあおるから、かなり廻ってきたようだった。眼許《めもと》があやしく崩れて揺れはじめている。
「コンバンハ」
と甘いが例のよく切れる美代福の声が聞えてきた。またしばらく廊下でふふふふと女将と二人笑い合うている。するすると襖《ふすま》があいた。
「ああ、あんたやろと思うとりました」
「どうして?」
「電話で坊主頭とお母さんが云うてあるでしょう」
「坊主頭の強盗か?」
美代福はふふと笑ったが、
「でもやっぱり、あんたは強盗やない」
「どうして?」
「やっぱり強盗より何となしに品がある」
ふざけているのか本気なのか、そう云って火鉢《ひばち》の上の私の手をとった。頭からぐるりと左耳に蔽《おおい》をかけている。思いなしか今夜は殊更《ことさら》蒼ざめていて、薄くひ弱そうな額際《ひたいぎわ》のあたりしみじみとリツ子に似ているように思えてきた。
「どうしたその耳は、中耳炎か?」
「あの晩から悪いとよ。今夜も休むつもりやったとえ、あんたやろ、と思うてわざわざ来ましたと」
「耳どんな?」
と私は美代福の頭を手にとって、
「はずしていい?」
「うん。ばってん、ほんとうに痛いとよ」
耳蔽を除《の》けてみた。ばかに白いほっそりした耳朶《みみたぶ》が、おさえをはずしたせいかほんのりと紅《べに》さしてゆくようで、愛らしかった。私はその耳をちょっと銜《くわ》えて噛《か》んでみた。
「ああ痛い。くすぐったい」
私の体を押しのけるのである。
「飲もうか?」と私は盃《さかずき》を手にとった。
「いや、うちゃ飲まん。ほんとうに悪いとよ」
と美代福は徳利を私の盃に傾けるが、その白い軟弱な手は、相変らずこわれやすい、人間の模造品に思われた。
「おまえによく似た俺《おれ》の女房が、今死にかかっているのだぞ」
「嘘《うそ》、嘘。出まかせばっかりの嘘云うとる。この人は」
「ほんとうだ。あと一月は持たんのだぞ」
「ほんとう? そんなら、どうしてこんなところへ来なさすと」
「女房がお前に会うて来いと云うたのさ」
「ばかちん。大まんばっかり云いなさす」
私の掌を握ってピシとたたいたが、その手を今度は軟《やわらか》くさすりながら、いぶかしげに私を見上げて、
「でもほんとうかもわからんね。この人の云うことは。耳に悪いとばってん、飲もうか? 私も」
「うん飲め。死んだっていいじゃないか」
「誰のこと。うち? まあ失礼ね。ばってん、うちゃ急に飲みとうなったと。不思議やね」
美代福はそう云い、くすくす笑いながら、私の顔をじっとみつめて盃を乾《ほ》している。
「女房が美代福に乗りうつると云うとったぞ」
「まあ、気味の悪さ。ほんと? うちゃ見たか――あんたの奥さん」
「会うとるさ」
「会うたと、どこでね?」
「何処《どこ》か知らん。会うたと云うとった」
「何ていうと、名は?」
「名前は云わん」
「ねえ教えて、知っとるよ、きっと」
「リツ子だ。昔の姓は高山。今の姓は。だから俺はダンカズオ」
「リツ子さん? ねえ高山リツ子さん? まああんたはあの人のお婿さん?」
「知っとるのか?」
「まあ高山リツ子さん? まああんなおとなしい人の? あんなきれいな人の? まあ、あんたがいじめると?」
美代福は驚いたように眼をくるくるさせてつづけざまに、まあを繰りかえしていたが、
「知っとるよ。うちゃ、小学校が一緒やもん。手をひかれて、西公園に連れていってもろうたこともあるとよ。級はうちの方が、下ばってん」
昨日のことのように美代福は、白い繊弱な手を、私に見せている。それから私の手を取った。
すると、リツ子は嘘をついていた、何の為《ため》だ、と私の胸の中には不思議な興奮が慚愧《ざんき》の情ともつれ合って駆け上った。酔いが苦しく廻っていた。
「おい、美代福、ダンスをしよう」
私は立上って、美代福を抱《かか》え、座敷の中を大声でわめいて、ぐるぐると廻ったが、故の知れぬ淋しさは消せなかった。
春の雨がやってきたようだった。座敷の縁先の庭地に白く雨足がしぶいている。私は蒲団《ふとん》に入って、蝋石《ろうせき》のような女の膚をさぐりながら号泣したい気持を押えていた。
窓は東の海に開いている。リツ子の枕の上に幅一間の中窓で、正午を廻るときまってパタパタパタパタ北風がなぶるから、やむなく閉める。然《しか》し晴れてさえいてくれれば、大抵リツ子が目覚める九時頃から正午頃までは、きまったように風は凪《な》ぐ。
毎朝、食後病室の掃き掃除の時間だけ、リツ子の母は近処に出かけていってはずすから、掃除を終って母が帰ってくる二三十分を、私はリツ子の枕許《まくらもと》に坐って、ぼんやり海を見るならわしだ。母の介抱で、何となく気持が疎隔してしまったような夫婦の心が、しばらく通う。或《あるい》は二人とも通うた気持になって、私もぼんやりくつろぎ、海の気配を眺《なが》めているのである。
リツ子は新聞を読んでいる。掃いて埃《ほこり》の立つ度《たび》に、その日の新聞を顔の上に蔽《おお》うのもこの日頃の習慣だが、ぼんやりと私が海を見ている間、その新聞に眺め入るのもリツ子のこの日頃の習慣だ。
痩《や》せた両腕を、力をはぶくように胸の脇《わき》にしっかり添え、垂直に立てて、新聞紙を独特の音でパリパリとそよがせながら、隅《すみ》から隅に読み耽《ふけ》る。いや、もう事件が納得のゆくような読書にはなっていないに相違ない。
実は、福岡の家にいた頃、同じ結核の重症を患《わずら》って、奇蹟《きせき》的に快癒《かいゆ》した(と本人は云っていた)リツ子の女学校時代の友人が見舞に来て、
「リツ子さん、あなた新聞読める?」
「読めるよ、なんで?」
「あなたのは軽いとたい。病気のうちに入らんよ。あたしねえ、読めなくなったのよ。読む力もなにもなくなったの。霞《かす》んでしまって、見えんとよ。でも、その時ね、これが命の綱だと思ったのよ。頑張《がんば》ったの。これが見えなくなったら死ぬ。そう思って無理に新聞の活字にぶら下ったの。苦しかったわ。十日位よ。するとね、それから何とか盛りかえしたの。後で聞いたけど、あの時危篤だったのですって。とても助かる筈《はず》はなかったと御医者さんがそう云ったのよ」
同病の先輩は、リツ子にこう云った。私はその時隣室から偶然のことに耳にして聞き、ちょっと面白い話だと思ったが、リツ子はあれを覚えているのだと、この日頃の異常な新聞への執着の原因を知っているのである。
新聞はピンと折られたままに枕許に運んでやらねば気に喰《く》わぬ様子である。ちょっと皺《しわ》になっているというだけでも気にしている。先日も太郎が新聞を濡《ぬ》らして破って終《しま》ったというので、ひどく不機嫌《ふきげん》だった。次第にこらえ性がなくなってきてしまっている。それを手に取って、隅から隅を、あてどなく読み漁《あさ》るのである。
「何か、変ったことあるの?」
余りの空虚さをあつかい兼ねて訊《き》く。
「いいえ」
リツ子はようやく我に帰ったように、新聞を横にすべらせながら、ちょっと私を見た。
「もう、梅が咲いているのでしょう?」
「ああ、咲いた。取って来るか?」
「いえ、要《い》りません。こんな所に梅の花が這入《はい》ってきたって、穢《きた》のうして――可哀そう」
しばらくそう云って眼を閉じるふうだったが、突然感に耐えぬような声を挙《あ》げた。
「歩きたか――太宰府《だざいふ》あたり。梅《うめ》ヶ枝餅《えもち》……」
終りのところをぶつぶつ口にこもるようにつぶやいた。新聞を横から眺めてみると、なるほど「飛梅」の木札と梅花の写真が三面記事の中央に載っている。「梅は生きている」という見だし。一緒に太宰府へ詣《まい》ったことなぞ考え合わせると、今年は一旬近く、花が遅れているようだ。それにしても、梅ヶ枝餅などと、果してそんな食慾があるのだろうか。近頃何かにつけ目先の変った食物を漁りたがる。その癖見れば直ぐ飽いて、事実は喉《のど》を通らないのである。いずれにせよ、梅ヶ枝餅なぞ、敗戦の今日手に入る道理はない。
リツ子が黙って眼を閉じるから、私も黙って海を見る。残《のこ》ノ島が南北の帯になって、丁度病室の真向いの海の中に泛《うか》んでいる。私は、とりとめもなく、岳陽楼《がくようろう》から君山《くんざん》までの距離とくらべてみてどうだったろうか、などと考えながら、うつろな寂莫《せきばく》を味わうのである。君山を眺めた日のような鷹揚《おうよう》な心のゆとりが失せて終った。海面は、散りぢりの淡い波の乱射だ。
その海を越えて、残ノ島の北端の岩鼻に、北風を受ける波が、くっきりと白くかぶさってきては、退《ひ》いて、返している。遠いが、その波の白さだけは明瞭《めいりよう》な映像を結んで崩れてゆく。何かとめどない悲哀をぶちまけているような、間断のない波濤《はとう》の進退である。
「チーチー」
と階下の玄関の辺《あた》りから太郎の呼声が聞えてきた。うっすらとリツ子も眼を見開いている。
「チーチー。山のお姉ちゃんよ」
「あ、静ちゃん」
淋《さび》しい時に思いがけない訪客を喜ぶのだろう、リツ子がはっきり眼を瞠《みは》って私の顔を見た。私は急いで階段を降りてゆく。
太郎がもどかしげに上り口のところへ寄りながら、静子の袖《そで》をひっぱっていた。ガラス戸の角のあたり、相変らず見えつかくれつするように、静子がためらっている。
「いらっしゃい。丁度リツ子が淋しがっているところでした」
今日ははっきりと見舞に来てくれたのだろう。リツ子が与えた銘仙《めいせん》を仕立て直して着込んでいる。ただ平素の習慣からか、すこし丈を短く着込んでいる様子で、足首の辺りが覗《のぞ》いていた。大した寒さではないが、足袋《たび》も何も纏《まと》うていない。粗末な焼杉の下駄をつっかけ、思いがけない頑丈《がんじよう》な坐りだこが、この人の人柄のように頼もしく見えていた。
「チーチ、ほら」
太郎が足を見せている。同じく足袋を与えていない小さい素足に、紅緒《べにお》のこれはまた馬鹿に小さい草履《ぞうり》を履《は》いていた。
「草履、いただいたの? お姉ちゃんから。よかったねー!」
「ウム、ウム」
と太郎が相好《そうごう》を崩《くず》してうなずいている。
「静子さんの手製?」
「ええ、紅緒が良いと、お婆ちゃんが云いますけん」
「有難う。それで、上りませんか?」
「よござす? 御病人は?」
「ええ、今まで退屈のようで新聞など読んでいました。お母さんも留守ですし」
「今日は、お願いに上りましたと」
「お願い? どんなお願いがあるかしら?」
私は不思議になって笑い出すのである。静子は決心したようで、ちょっと後《あと》がえったが、戸の蔭から、かくしていた竹籠《たけかご》を取り出した。相変らず沢山の柑橘《かんきつ》類や蔬菜《そさい》の上に、剪《き》り取られた梅の花束が添えられていた。それを抱《かか》えると、
「じゃ、ちょっと奥様を見舞わせてもらいまっしょう」
「さあ」
と私は太郎を抱き上げて、階段を上る。太郎が脱がないから小さい紅緒の草履は履かせたままである。
「ハハー、ほら」
と太郎は母の枕許で得意げに草履の足を空の中に游《およ》がせた。リツ子がそれを手に取って、些細《ささい》に見るのである。
「まあ、可愛い草履」
「今日は」
と静子がかしこまって、閾《しきい》の所に手をついた。
「いらっしゃい、静ちゃん。いつでも、いつでも、本当に気の毒うして」
リツ子は草履を空に握ったまま、首を垂《た》れている。
「いいえ、行きとどかんことで……。何でも云うてつかわっせんですな」
私はリツ子の手から草履を取った。太郎がその草履をとらえるのである。
「ハクー、ハクー」
「お部屋では履かれん。履くなら表《おんも》」
「おんもで履く――」
太郎は、先程静子にもらったのだろう、むかれたバンカンと草履を握って降りていった。
「一人で危《あぶの》うは無いとですと?」
「いや、一人遊びに馴《な》れているから」
「でも、海の近いとに……。お加減な? よござす?」
ためらうように、静子が言葉を二つに区切って云っている。
「有難う。大分いいようよ」
リツ子がそう云って、眼を伏せ静かに自分の掌を見た。
「いつも、お野菜ばっかりで、飽き飽きしなさしたろうばってん」
静子は云いながら例の竹籠をそっとリツ子の枕許に押しやるのである。リツ子が困ったように緊張して静子を見る。ほかに表現のしようもないのか、やがて例の通りまつ毛にきっちりと涙をためて、
「有難う」
肯《うなず》いた。肯きながら、梅の花束を手に取り、しばらくその香をむさぼっているのである。
「愚図愚図しとるまに、少し花の過ぎとりますが……。香の残っとります?」
「ああ、いい香《にお》い。梅見たい、と朝から思っていたとこよ」
今しがたも取ってきてやろうかと云ったが、リツ子は断ったばっかりだ。やっぱり女は女同士がいいと、言葉の殺伐な効用だけしか信じない自分の習性を顧みるのである。
「僕はちょっと下へ行っとこう」
リツ子は肯いたが、
「あら、さんに、お願い事のありますと。よござす、奥様」
静子があわてて、面を染めるのである。
「僕に用? なんだろう」
私は坐り直して、不思議だった。リツ子もけげんそうに静子を見つめるが、静子は急に臆《おく》して終《しま》った様子だった。
「何? 光栄だな、静子さんの御用なぞ。蜜柑ちぎり?」
「いえ、いえ」
とあわてながら、それでも素朴に口を開き、
「人から、頼まれ事ですと」
「静ちゃんのおめでた、ね? お口添え?」
リツ子はちょっといきいき蘇《よみがえ》ったようにこう云った。
「いえ、いえ違いまあす」
と静子が尚更頬《なおさらほお》を染めている。
「さんのお話伺いたいという人のありますと」
そう云って、やっと落着くふうである。
「僕の話? 何の話だろう?」
「大学を出た方のお話聞きたいとですげな」
「大学? そいつは困った。大学はね、家政科と飲酒科の方を、それも落第ですよ」
聞きとれぬようだった。いぶかしげに私を見直し、
「あのう……、小説家の方のお話聞きたいというとですよ」
「まあ、変ってあるね。うちのの話を聞きたいなどと。だあれ?」
それでもリツ子は嬉《うれ》しそうだった。
「桜井の人だすと。マジメな話ですげな。何か人生問題と云うてありました」
使いなれぬ言葉に一寸《ちよつと》とまどうふうで、清々《すがすが》しい微笑に移るのである。
「そいつは困った。真面目《まじめ》な話は尚更困った。女の人ですか、その人?」
「いいえ。男衆ですと」
「そんならまだいいが」
男の人から頼まれた? 静子の面をみながら、サッと淋しい時雨《しぐれ》に打たれたような思いがけぬ寂寥《せきりよう》が来た。
「御迷惑でっしょう。御病気の最中に?」
静子はしきりにかしこまった。
「うちはいいとよ」
リツ子が云っている。
「いいけど、困った。僕と喋《しやべ》ったって、賢くはならないよ」
「まあ――、よござす? これで安心しましたと。昨日の夜も来て、遅うまで頼みごとのありましたと。うちは云いきらんと云いますけど。(拝むやなあ)と頼みまっしょうが」
静子に溢《あふ》れるような喜悦の表情が湧《わ》いた。
「日取はいつにしまっしょうか?」
「さあ、いつでもいいですよ」
「場所は、ここは御迷惑ですから、うちに来ていただけます?」
「伺いましょう」
「静ちゃん。よかったら、ここにして――。ここで、穢《きたな》いでしょうけど、うちも聞きたいと、その話。会いたいと、その人。ねえ、ここにして」
リツ子が何を思うのか、しきりに嘆願した。淋しいのだろう。そう思いやりながら急に私自身も、だるい孤独に襲われた。真面目な話。人生。何か千里の空漠の空の声を摸索するようで、頼りない寂寥に呑《の》まれるのである。リツ子の枕頭《ちんとう》の梅の枝をさぐってみた。しばらくその香を深く息に吸って、動物の嗅覚《きゆうかく》と花とが交錯する稀有《けう》なはかなさを味おうてみるのである。
静子はその後で馬鹿に浮き浮きと喋っていった。リツ子の珍らしい陽気さに反応したのだろう。牛泥棒の話。ここから芥屋《けや》に抜ける山中に秘密の屠殺場《とさつば》がある模様で、殆《ほとん》ど毎晩のように村の牛がなくなっているのだという。
「まあ、いやね――。私が起きられる頃はどんな世の中になっているでしょう。怖《こわ》い。起きともない。いや、いや。どこの者《もん》かしら?」
とリツ子が脅《おび》えながら云っている。
「流れ者《もん》でっしょう。ここから三里うちにはそげな者《もん》は居りまっせん」
「いや、僕が入るかも知れんよ、静子さん。その牛泥棒の仲間に」
冗談の心算《つもり》で口にしたが、静子もリツ子もあわてながら、ひどく不快な顔をした。私は不謹慎な自分の言葉に自分で興ざめるのである。
「まあ――。どげなことでも云いなさす。山の藷竈《いもがま》が毎晩あちこちで口をあけられて、大騒ぎのありよりますとに」
「藷竈?」
「はい。囲いの藷竈が、山のあちこちで、夜の間に口をあけられて終いますと。こんなことは五十年に一遍もなかった、とお婆ちゃん達のくやんどりますが」
「藷泥棒ね?」
「はい、種藷だす。自分で作らん者《もん》しか、そげなことはしきらん。大方疎開者じゃろう、と評定《ひようじよう》のありよります」
この村では私も、例の疎開者だ。肩身せまく、滅多に不謹慎の言葉はつつしまねばならないことに気がついた。
少し又、風が出てきたようだ。海の窓を閉めると一緒にリツ子が反射的にせきはじめる。静子がそわそわと落着かぬ様子でリツ子の側により、
「肩でもさすりまっしょうか?」
「いえ、いいのよ」
リツ子はそう云っていたが、何を思ったのか急に、
「静ちゃんちょっと、手を見せて」
「まあ、手相見だすな?」
いたわりからだろう、静子は興がるふうに無頓着《むとんじやく》を装うてリツ子の方へ両手をさしのべた。リツ子はしばらくその指を自分の枯れはてた窪《くぼ》にのせて眺めていたが、
「まあ――、いい手。うらやましい」
病者の羨望《せんぼう》と気がついたのか静子は素早く引こめ、ぎごちなく背の後ろにまわしている。そのまま、機敏に火照《ほて》ってゆく頬でしばらくリツ子の蒼ざめた顔を眺め下ろしているのである。
静子は帰り際にもう一度、桜井の青年と私の対談を懇願していった。
「お礼は、どげなことでもさせますけん」
「まあ、お礼要《い》らんよ、静ちゃん」
「いいえ、どげなことでもさせ、まあす」
私は静子の甘い口調の中に、青年への格別な親近を感じて、美しく屈曲する、静子のその手を新しい妬《ねた》ましさで眺めやった。
静子の約束の男はなかなかやって来なかった。五六日目頃だったろう。玄関に静子の声がする。丁度リツ子の母が草場の家に太郎を連れて出掛けていっていた。例によってリツ子の長い用便の最中だったから、私とリツ子はあわてた。
「例の約束やめようか、リツ子。やっぱり静子さんのところがよくはない?」
「いいえ。見たいの、その人。きっと静ちゃんの好きな人ですもの」
私は階上から大声で、二三十分何処《どこ》かで待って貰《もら》うように静子に云った。手早く便器を片付け、リツ子が云うがままに香水を撒《ま》き、階段を降りてみると、青年は玄関のタタキの上に直立のままで立っている。私を見ると謹直な礼をした。静子がガラス戸の向うから、いそいで這入《はい》ってくるのである。
「これが、桜井の可也さんだあす」
その声と一緒に青年は、もう一度たんねんな辞儀をした。
「農士」の文字の入った印絆纏《しるしばんてん》をまとって、その上を軍の帯革で無造作に締めている。二十三、四か。血色の良い頬が素朴な凜々《りり》しさをたたえている。
「どうぞ、おあがり。病人がいましてきたないけど」
「はあ、御無礼します」
何処《どこ》か肥後訛《ひごなまり》のようだった。それとも兵営かなんぞでおぼえたのかも知れない。腰をかけて地下足袋を脱いでいる。悪びれず、そのまま上った。
「じゃ、さん。お願いします」
そう云い一ツ首を垂れて急に静子が帰ろうとするので、
「いいじゃないですか。一緒に上りませんか。リツ子もいるんですから」
けれども静子は上る模様ではなかった。服装も久留米絣《くるめがすり》のモンペである。
「北崎さん。有難う」
青年はそう云って淡泊に静子に一ツ礼をした。
「じゃ、又きます」
静子が帰ってゆくのである。青年は部屋に這入って、キッチリと膝《ひざ》を合せ、病臥《びようが》のリツ子に鄭重《ていちよう》な礼をした。リツ子があわてて背をおこしながら対《むか》えている。
「御無礼します」
とそれを又繰りかえして云っただけだった。私が茶を入れようとすると、
「先生。茶は要りまっせん。水を飲みつけとりまあす」
あわててそう云ったが、それでも入れて、出すと、急いで手にして、その茶を口一杯にくわえゴクリと喉《のど》をうるおした。その緊張の姿から、久しぶりに初《う》い初《う》いしい青年の純潔を感じるのである。リツ子は黙って、じろじろと青年の挙動を見つめていた。
「何の話? 生憎《あいにく》僕は何の智慧《ちえ》もないが」
青年から反射的に移って来た興奮を、私は鎮静しながら、ようやくそれを声にした。
青年は農士の印絆纏の下に着た兵隊シャツのポケットから一冊のノートを取り出した。何か質問の箇条でも書いているのだろう。それをめくっていたが、又閉じて膝の前にきちんと置く。
「先生。迷うとることの二ツありますやなあ」
「そう」
「一ツは家のこと。一ツは自分のこと」
「ほう。でもごたごたは余り人に云わない方がいいよ。自分で解決するに限る。僕にも沢山あります。自分のことも家のことも」
「はあ」
と声だけ云っているが、何かを思いつめたような、その熱っぽいまなざしの表情は変らなかった。
「先生は何か信仰を持ってあります?」
「いや、僕に信仰はない。無神論という程の根拠のある主張でもありません。さっぱりと何もないのだな。君は?」
「はあ、私の部落は全部カトリックで」
「ほう、この辺《あた》りにそんな部落があるの?」
「ありますとよ、お母さんのいる草場もそうです」
とリツ子が寝ながら口ばしを入れた。
「私の親爺《おやじ》は若い頃アメリカに行っておりました。その後宣教師をやったりしたこともありますばってん、今は百姓だす。今でも部落の教会で、集会の時に説教ばやっております。ですけん、私も、生れながらの信徒ですたい」
何の話の口火を切るつもりか、青年は静かにそう云って、然しキラリと私の顔を見上げた。私もリツ子も黙ってうなずくのである。
「私は農士をやって内原《うちはら》の訓練所にいった事もありますが、大体信仰に疑惑を持ったことはありまっせん。朝鮮の元山《げんざん》に出征しておりましたが、本当の戦闘はしたことなく、そのまま復員して来たとです」
口をつぐんだが、何か急に忌《いま》わしい妄想《もうそう》が浮んで来るのか、青年の表情に咄嗟《とつさ》な険悪な模様が浮んできた。けれども話は真摯《しんし》さが溢《あふ》れているから、自然ときき手を誘い込むだけの力がこもる。
「が、先生、この頃は真暗だすやなあ。神もへちまもなか。祭壇にぬかずく度《たび》に、かえって五体の顫《ふる》うごとあります」
「ほう。神に裏切られたの?」
私は努めて低い声で、青年を刺戟《しげき》しないように言葉をいぶした。
「私に兄貴が居りました。おっ母さんが十年前に死に、兄嫁が甲斐甲斐《かいがい》しく家計を見て、親爺と兄貴夫婦、その娘、それに私と五人、貧乏だすが敬虔《けいけん》な百姓だったといえまっしょう。その兄嫁が」
と云って、突然奈落《ならく》を滑《すべ》るふうな思いきった表情に移ったが、
「親爺と姦淫《かんいん》ば働きましたやな。兄貴の出征中だすたい。兄貴は戦死しとります。公報がありました」
私は次第に熱をおびてゆく青年が、この告白をしたかった為に、特に私を選んだのにちがいない、と、ようやくそう思った。
が、何の故の懊悩《おうのう》だろう。兄嫁と父の不義を憎む私憤だろうか。或いはカトリック流の正義観? 一応、兄の戦死で問題は解決していはしないか。どのような醜聞に聞えようが、私は一つ一つの愛情が結《ゆわ》えられ、ほぐれてゆく顛末《てんまつ》に、何の他意も持ちたくない。生来道徳というものへ、関心の稀薄《きはく》な私は、そう思った。
「もう、私は親爺を愛しきりません。いや、私達を導いとるその神という奴《やつ》が信じられんとです。その私の無知が――顔の火照《ほて》るごと恥かしかとだす。悪意と姦淫ばかりが働きよりますやなあ。しこっとりますやなあ――」
しこっとるというところをエンファサイズして云った。雑草の繁茂の状を云う方言だ。いや、病虫による枝葉の密生の個所を云う。私にもその言葉に反応して、あくどく密生し群生してゆく、病葉のしこりが眼に泛《うか》んだ。地上がその病葉のシコリのふうに、蔓延《まんえん》しからみあっている幻覚にとらわれた。
可也君は、一時に崩れて投げやりな嘲笑《ちようしよう》に移るのである。私はしばらく返辞に窮して、そっとリツ子の顔を眺めやったが、ほんの今先まで気づかわしげに青年の挙動をみつめていたリツ子が、いつの間にか眠って終っている。おかしいと気遣《きづか》わしいが、微《かす》かな寝息を立てている。
不思議だった。いや、私は青年の手前、恥かしいのである。可也君も気付いた様子で、
「奥さん、よござす? うるそうござっしょう?」
「いや構いません」
つとめて云ったが、リツ子を見衛《みまも》りながら、青年には新しい鎮静の色が見えてきた。それが不思議な喜悦の表情に変ってゆく。
「先生。奥さんば、早う癒《なお》してあげなさっせ」
「有難う」
「先生と奥さんの為になら、これから毎朝お祈りばしますやなあ」
「有難う。神に」
「はあ」
と青年は悪びれず答えている。私はその敬虔《けいけん》な面持を眺めやりながら思いがけぬ自分の新しい言葉の衝動に誘われた。
「私は何もわかりません。あなたの事情もよくはわからないから、これはただ馬鹿の一つ憶《おぼ》えの言葉と聞いて下さいよ」
全く無邪気な愛くるしい傾聴の姿だった。私はよしどんな嘘《うそ》であれ私達が交《か》わす言葉の音調だけで、今は救われると思い上った。
「いいじゃないの、お父さんも姉さんも。僕は、そのまま憎みながらも許せると思うな。僕らの弱さをね、罪悪とは、私は思わない。弱く、よごれはてていても、何処《どこ》かに清らかな心の指向はあるにちがいないのだから、そのまま生きていることの美しさだと是認したいですね。僕は、愛という言葉は嫌《きら》いだよ。まぎらわしいからね。僕は生きるよろこびというものを、どんなに嘘っぱちでもいいから、確立し是認したい、ね。悲哀をも享楽したいほどの、僕は快活な生き物でありたい、ね。サッパリと生みだされた通りに、サッパリと生きていたいね。そんな日に父母の享楽の夜のことなど思わない。私が生れた類《たぐ》い稀《まれ》な、有難さばっかりだ。少くも私はそのような目出度《めでた》い男だから、目出度く生き了《おお》せたいと思いますね」
「はあ――」
と青年はポケットから大束の煙草の包をとりだした。
「先生。飲みなさす?」
「有難う」
と遠慮なく一本抜きとる。思いがけないことだった。手巻の軟《やわら》かく巻かれた美しい黄ナ葉である。
「あんたも吸うの」
「はあ――」
とこのキリスト教徒も一本銜《くわ》えた。私が徳用マッチを手に取ると、可也君は急いでポケットのマッチを探ったが、私と自分のをつけ終ると煙を一杯に吸いこんで、顔をみつめ合ったまま、どちらからともなく静かな微笑に移っていった。
何かうなされてでもいるのか、リツ子が急に囈言《うわごと》を云いはじめた。低い声だが、緩急が気掛りな抑揚だ。可也君はしきりに気にして、私の気色を伺っている。話の途中に眠りこんだのも不吉だったが、来客の前で寝言か囈言には一寸弱った。意味は聞きとれない。起こそうかとも思ったが、疲れているのならそのまま寝かせて置こうと、迷っているうちに、
「あ――、あ、神様」
突然そう云って、がくんと覚醒《かくせい》したようだった。
リツ子なりに青年の談話から神のことをでも考えていたものだろう。しばらくいぶかしそうに辺《あた》りを見廻している。それから恥ずかしげにそっと私を見て、
「今、眠っておりましたと?」
私は黙って肯《うなず》いたが、格別なことはなさそうだ。可也君はしばらく視線を外《はず》して開け放った海を見渡していた。リツ子は次第にはっきりとした模様で、
「御免なさい。つい、うとうととして終って」
私は肯きながら、何げない態《てい》で言葉のつぎ穂を探し、急いで可也君に向って語をついだ。
「お姉さん、いくつ?」
云って終って、何か醜聞に気を奪われてでもいるような自分の言葉が嫌《いや》だった。
「はあ……二十五、でっしょう」
ためらいながら、急に青年の面が染む。言葉がとぎれたまま、私はしばらくたてつづけに青年の煙草を手に取って吸うのである。
青年は間もなく朴訥《ぼくとつ》に礼を述べながら帰っていった。リツ子はそれを、自分のうたたねのせいのように気にしていたが、実は余りもう青年と喋《しやべ》り合う必要はなかった。それでも全体の印象はひどくよく、私は自分の心が久方ぶりに和《なご》められ、慰められていった心地である。人生などと、何も摸索するがものはない。海辺の吹き通しの微風のすべる病室に今しがた交わし合った言葉が、そのままの音調だけで、ふわりと信じられてくるようだった。
「いい方ね」
「ああ」
リツ子の衰耗の表情を、なつかしいものと自然に見た。
「静ちゃん、きっと好きなのよ」
「そうだろうね」
二人連れ立ってきた野道の姿を、私は心にそっと描いてみる。
「うまくゆくね、あの二人なら」
言葉だけはつくろったが、淋しい妄想《もうそう》が咄嗟に浮んできて、とめどなく揺《ゆさ》ぶられてゆく自分に気がついた。
夕近く隣組から常会の通知が来た。例の副組長が、ぎごちなく玄関に立って、
「今夜は是非共出席してもらいまっせなあ――大事ごとの話合いのありますとたい」
部落常会といえば私はこの海辺に移ってきた最初一度だけ挨拶《あいさつ》を兼ねて出席したが、後はずっと断りつづけている。怠けているわけではなく、事実病妻と幼児を抱《かか》えて、出席はむずかしいのである。
「はあ、子供と病人がいますので」
「誰かと代り合《お》うて無理にも出てつかわさい」
「はあ」
うるさいから、その場の返辞だけはしておいた。
リツ子の母が山の中から持参してきてくれた山芋をおろして久方ぶりにトロロにする。
「トロトロ御飯、トロトロ御飯」
とはしゃいで喜んでいた太郎は、疲れたのか、食事の最中に飯台へ顎《あご》を凭《もた》せたまま眠りこんだ。
「まあ、太郎ちゃんの可笑《おか》しさ。リッちゃん見てなさい」
リツ子の母が病室の襖《ふすま》を開き、リツ子の背を抱《かか》えおこして見せている。全くの珍芸だった。両手に茶碗《ちやわん》と箸《はし》を持ったまま、顎だけで頭の重心を支えて眠っている。よくやることだが、今日はトロロ食べたさで茶碗をしっかりと離さないところが面白い。口から頬《ほお》の辺り一杯をトロロでベタベタによごしている。
リツ子も可笑しそうに笑っていたが、ふいにヒステリックに泣きはじめた。
「早く寝せてやって下さいな」
私も肯いて、部屋の隅《すみ》に床を延べてやるのである。
「早くですよ。ねえ、可哀想に」
私はころりと太郎をその蒲団《ふとん》の上に倒したが、玄関で、
「もーし、もーし、さんもーし」
と大声がする。太郎の上にあり合せの座蒲団をのっけて、走り降りた。
「みんな揃《そろ》うて、待っとりますやなあ」
「はあ、申し訳ないですが、やっぱり欠席にさせて頂けませんか」
「それが困るとだす。今日は、まんぐり合わせて是が非でも、出てつかわっせえや。大事ごとの話合ですたい」
又例の大事ごとを繰りかえしている。
「それじゃ、子供だけちょっと寝かせつけて、急いで伺いますから」
「待っとりますばい」
私は背に男の声を聞きながら、階段を上っていった。太郎に蒲団をかけてやり、自分の飯にする。食卓の後仕舞《あとじまい》より、リツ子の便器を掃除しておいてやらねばなるまい、とそれを手にすると下から、
「さん、まだだすな」
大声がする。そのまま待っている様子だ。癇《かん》が立っている。
「すぐ出まーす」と私も大声で返辞をした。
「うるさかなあ、隣組は」
リツ子の母が云っている。
「お断りになったら?」
とリツ子も気を揉《も》んでいるようだった。
「駄目なんだ。今日は大事ごとの話合だそうだ」
便器はいつも海のがけ下に降りて洗うならわしになっているから、玄関に副組長がいてはちょっと出られなかった。仕方がないから、裏階段から竈《かまど》の方を抜けて、便所に出た。実は竈と流しの脇を通るので、こればっかりは、と下のおばさんからかたく断られている。手洗の水を注ぎ入れて、ゆすいで棄てるのである。幸い、下の一家には気づかれないようだった。
「じゃ、ちょっと行ってきます」
太郎の口許《くちもと》を濡《ぬ》れタオルで急いで拭《ぬぐ》い、玄関に降りる。副組長がまだそのまま立っていた。
「済みません。病人と子供がいて」
と相手の知っていることを、又繰りかえす。憂鬱《ゆううつ》だった。黙って歩きはじめる男の後ろに、夜の波が白くめくれ立っていた。
常会は豆腐屋の土間からとっつきの座敷だった。土間一杯に下駄が散乱し、何かしきりな談笑が、障子の火照《ほて》りの向うで渦巻きおこっている。
「見えなさしたやなあ――」
副組長の声に、ぴたりと談笑がとまったのが私には奇異な心地に感じられた。色んな顔だ。赤茶けて、鄙《ひな》びて、人の良さそうな、また狡《ずる》そうな、眼許《めもと》や口許がそれでも鋭敏に探り合っているふうだ。
「そんなら始めようい」
と誰か太い地声が音頭を取った。
「よか」「よかたい」等しばらく談笑が湧《わ》く。
「さん、もーし」
と二軒先の代書人が、ふいに私の名を呼んだ。
「今日は、お宅い、桜井の可也の息子が見えとりましたろうが?」
「はあ――」
「何ごとの話だすと? やっぱりあなたも天主党で」
「いいえ、ちょっと仕事の上の話があるとかで」
「誰かいな? 何処《どこ》の可也かいな?」
と別の男が代書人に訊《き》いている。
「ほうら、月谷の、耶蘇《やそ》くさ」
「耶蘇の、親子丼《どんぶり》くさ」
どっと一座に湧きかえるような笑声がおこった。私はとまどうのである。何の洒落《しやれ》だろう、と考えていって、一時に我事のように赤面するのである。小一里近い山間の部落の醜聞が、こんな海浜の常会を揺ぶろうとは、思いがけないことだった。田舎《いなか》の人の口の端《は》のうるささが、つくづく思い知らされて、味けなかった。
「みんな、ようい。始めようい。常会の本筋ばくさ」
「おう。始めろう。始めろう」
と再びあらたまって一座のどよめきが、真顔になっていった。
「衛生班長。あんた、切出しない」
衛生班長と呼ばれる蒼白《あおじろ》い男が、押出されるふうに当惑しながら、
「今日は、ちょっと大事なか(なの意)動議の出とりますやなあ」
「ほーう」と一座は鎮《しずま》った。
「ちょっと気の毒いことじゃばってん、見過しの出来んことで、二三軒の家の衆から御注意のあっとりますけん、まあ、部落の為に、悪う思わんどいてつかわさい」
「何ん事かいな?」
と口々に云い寄っているが、思いなしか人々の視線が、私の方に集ってくるように感じられて私は昂奮《こうふん》した。
「さん、もーし」
と例の衛生班長の蒼白い顔が、私を見た。
「奥さんのいたみは何だすな?」
指名されて、今更のように私はのぼせていった。
「はあ――。肋膜《ろくまく》ですが」
「肋膜なら何ごともないが、きつう、はげしか病気じゃげなちゅう噂《うわさ》だすが」
「はあ、昨年の夏からずっと肋膜で」
「ようい、肋膜じゃげなぞ」
「腸ケッカク」という呟《つぶや》きが何処からともなくおこり、その音調が何か兇悪《きようあく》な病名のように響いて一座の表情は脅《おび》えた。
「確かな筋の話じゃが、何かそげな病気ちゅうことで、消毒の動議の出とりますが」
「はあ、お気が済めば消毒でもして戴《いただ》いて結構です」
「消毒じゃなか。海たい」
という声がおこった。
「そうそう、さん、あなたよごれもんば、河口から海に投げ棄てるちゅうことですが? ほんなことかいな」
「はあ」と私は事実はかくせない。海沿いの家が並んでいて、目撃者があるに相違ないことである。
「そら、いかん。海はあなた、汚《よご》してもろうちゃ先祖に相済まん」
一人の男が、膝《ひざ》を半ば乗りだしてそう云った。
「いや、先祖はどうでもいいことじゃが、腸ケッカクの汚れもんば海に入れられたら、あなた、魚が……。もうすぐカナギや鯛《たい》や磯開きも始りますけんな」
「ここの浜の魚は買手の無《の》うなるが」
という声もする。すべての理窟《りくつ》が少しずつ腑《ふ》に落ちなかったが、私は抗議の気力はなかった。自分ながら心細く、対策を失って、滅入りこむのである。部落の衆の顔と口が、しばらく図太い、魔性のもののように揺れ歪《ゆが》んで名状の出来ぬわびしい孤独にのめりこんでいった。
「そうしましたら、どうしたらいいでしょうか?」
とようやく私は口にした。一切この魔性の動揺に身を委《ゆだ》ねて、その指令に従う以外にないではないか。一座はまた新しい動揺に移るようである。対策が考えつかぬ模様である。
「そげな病人ば、大体連れてくるちゅうのがなあ」
発端が、一番にくまれているふうである。
「ここへ移る前は、何処に御座したな?」
「はあー、三井郡の私の母の家に居りました」
「なあー、折を見て、前の所に帰ってもらわな、なあ」という声もある。
「が、当面の事はどうするか?」
という新しい動議があった。一座は又当惑するようだ。
「仕様もないが、山い大穴ば掘ったらどうかいな。そこい毎日棄ててもろうて、上に消毒薬ばかぶせるとくさ」
部落きっての賢者の案だ。ふむと一同は肯《うなず》くふうだが、磯辺の男たちが、海はいかんから山だと反射的に思いついたぐらいのことだろう。然し彼等の父祖の海を汚されることは、これは大変な苦痛だという感じが、私にも素直に来た。
丁度そこへ、
「おうい。みんな、今夜は何事かあい?」
傍若無人に酔っぱらって千鳥足の男が這入《はい》ってきた。一座は哄笑《こうしよう》に移って、私はしばらく救われる心地である。
「景気ばいな。何人燃やしたかいな?」
「また、金歯土産《みやげ》の冥土《めいど》入りばいな?」
しばらく哄笑は次々に湧いていった。余程の人気者の様子である。
「太《ふて》い顔ばすんな。みんな、アタキ(私)が焼かなあ、極楽に浮かばれんとぞ」
男は安兵衛風の一升徳利を下げていた。ずかずか部落会の中央に上りこんで、よろけながら徳利に口をあてている。その口を外し、
「ようい、何事や? 今夜の話合は?」
衛生班長が乗りだすのである。
「実は、部落に困りごとのおこっとるたい。疎開者でなあ、さんちゅう、この方じゃが、奥さんが永わずらいで、その病気が、腸ケッカクじゃげな。その汚れ物ば海に棄ててござるが、海が穢《けが》されちゃ、こりゃ、おまえ、先祖に対しても申訳なし、今からカナギ網も出ることで、浜の魚が買手の無うなろうもん。そこで、何とかしてもらわなあ、と相談のありよるやな」
班長はよろけこんだ男の酒の余勢でもかりたいのか、声をはげましてこう云った。
「汚れもんて、なんや?」
一時に笑声がおこる。
「アポ(糞《ふん》の意)たい」とそこここから笑声につれて声がした。
「さん、て何処に来らっしゃった人かいな?」
「ほうら榎《えのき》の方の二階たい。酒男の後家が居っつろうが、あすこの二階たい」
「おうおう、あの二階の上もん(美人)さんな。この間まで二階の窓のところに見えよったが、いとうであるばいな。俺《おれ》は、あの人なら、小《こま》か時から知っとるやなあ。よか娘さんじゃったが」
「それがきついことに、腸ケッカクげなたい。その汚れ物《もん》ば海に棄てござるけん、注意のありよるたい」
「海に棄てるが、何がいかんや。よござす。さん、お棄てない。遠慮することはなかばい。アタキ(私)が云うちゃる。海や、おまえ何でも流れこむところやろもん。川上の一番きっぱしまで、おまえ達ゃ、歩いていって浄《きよ》めにゆくや。上から何が流れこんどるか、いちいち知るめえもん。よか。海はよか。焼かれんもんは何でも海たい。海へ落しこみない」
「ばか。酔うていいかげんば云うな」
と一座の中に反対の声も湧いたが、男の威勢には勝てぬようだった。私が赤くなるほど大胆な弁護である。反対の声の方は次第に弱まってきた。
「どうや、どうするや?」
と衛生班長が困ったふうで、更《あらた》めて皆の顔を眺《なが》めまわすのである。名案がない。適切な代案に思い到らぬから、ちょっと一頓挫《とんざ》したふうだ。すると青年が一人乗りだした。
「こうしようい。他に棄て場のないもんじゃけん、病院から消毒薬ば貰《もろ》うてもらってくさ、薬ばかけて、岩磯よりの方に棄ててもらおうい」
妥協案ではあるが、これは私にも有難く納得のゆく名案だった。老人連の顔は相変らず渋く晴れぬままの様子である。然し、
「そうたい。若かもんな智慧《ちえ》の多か。それにきまった。さん、その消毒ばして、どんどん流しなっせ」
酔うた男は立ったままでこういって、
「おい、よかろうもん。みんな」
誰も反対するものは無くなった。私は蘇生《そせい》する心地である。男はそれにきまったとたしかめると、今度は愉快げに更めてよろけながら、例の徳利から喇叭飲《らつぱのみ》にする。そこここにつぶやきがおこり、また哄笑に移るものもあったが、衛生班長は、そっと私の側に寄ってきて、
「そんなら、一応引上げてつかわさい。後でようと話し合《お》うてみますけん。消毒して棄ててもろうとはよかが、余り目立たんごとやってつかわさい。私も、何も悪気で云うたわけじゃなかが、一二軒うるさいとこの動議のありましたけん」
私はほっと救われたように一揖《ゆう》して立上った。一座は和《なご》んでいる。他愛ないもんだ。にくければにくいで燃え立って、今度は又一斉に私への同情派へ変ったふうだ。
「ようと看病してつかわさいや」
「気をつけなっせえ」
と口々に私を送る。唯《ただ》一声、例の男がよろけながら大声を上げた。
「あんまり上もんば、揺《ゆ》り殺しちゃ、いかんばーい」
わっと哄笑が湧く。私は酔漢の好意をまぶしく受けながら、戸外に出た。海波の湿気に冷えた風が頬をなぶるのである。
翌朝あらましの常会の模様を私はリツ子の母に取りついだが、
「誰が腸ケッカクやら云うたろうか?」
母はしきりにそこのところへこだわった。まさか腸結核は省いたろうが、母はその模様をまたリツ子に伝えたふうである。朝の掃除の時にリツ子が云う。
「どんな人でした。その酔っぱらいさんは?」
話を伝えきいて感謝しているようだ。
「まんまるい赭《あか》ら顔でね、年の頃、さあ六十位かな」
昨夜の人々の話の模様から、或《あるい》は火葬場関係の者ではなかろうかと私は思ったが、リツ子に云うのはためらわれた。リツ子は何度も繰りかえし私に聞いて、好意を寄せてくれたその男の想像をたのしむふうである。病気のつれづれ、僅《わずか》に心が和んでいる様子だった。
「ああお父様」
思い当ったのか、とふりかえると、
「昨晩ね、あれから静ちゃんが見えて、桜井のあの人からお礼に味噌《みそ》を一貫匁いただきましたのよ」
「ほう、可也さんから?」
「それからね。もっといいものを戴《いただ》いているんですって。静ちゃんが濡《ぬ》らして納屋《なや》に掛けたまま持ってくるのを忘れたんですって。何だとお思いになる?」
「何」
「あてて御覧なさい」
「忘れたって? 濡らして、納屋にかけたって?」
「ええ、ええ」
「人蔘《にんじん》か?」
「いいえ」
「牛蒡《ごぼう》か?」
首をふりながら、可笑《おか》しそうに笑い、
「もっとずっといいもの、お父様の大好きなもの」
「酒か? 酒は濡らせんし、酒の麹《こうじ》か?」
「もうちょっと」
「何だ。云ってみろ」と私はわからなかった。
「煙草ですよ。薩摩刻《さつまきざみ》の上等の葉ですって」
「そいつは凄《すご》い」と煙草飢饉《ききん》の私は喉《のど》から手が出そうになった。
「どうして忘れたかな? 今から直《す》ぐ行って貰ってきたいな」
「行っていらっしゃいませよ、お母さんが帰ってきたら。いいわ。今からでも。もう直ぐ帰ってくるでしょうから」
病人を置き去りにするのは心苦しいが、然し早く煙草を手に取りたかった。この間、可也君が巻いていたあの軟い黄ナ葉にちがいない。
「お厠《かわ》はいいの」
「ええ、要《い》りません」
「じゃ、行って来ようか」
肯《うなず》いている。リツ子の母はどうせ掃除の間を近所へよけて喋《しやべ》りこんでいるのだから、直ぐ帰るにちがいない。太郎さえ居れば行こうと家を出た。
太郎は居た。隣りの桶屋《おけや》の底なし盥《たらい》の真ん中にかがみこんでいる。私を見つけて、
「チチー。ほら、お風呂」
私は肯いて抱き上げた。
道のほとりにはもうすっかり春が来て終《しま》っていた。私は道の上、太郎は路傍の築き上げた畔《あぜ》の上を、片手だけ私につかまって歩いてゆく。畔と畔の切れ目ごとを、私の手に引曳《ひきず》られてピョンと飛ぶ。馬鹿に嬉《うれ》しいようだった。その畔道の上に、初《う》い初《う》いしい淡緑の土筆《つくし》の姿が見えていた。
「ほら、ツクシたい。摘むや愁いのつくつくし」
「ツクツクシ? ツクツク帽子?」
と太郎は有頂天になって、その繊弱な若萌《わかも》えの土筆を、小さい手の中に握りつぶしてしまうのである。
静子は私達がやってきたのを殊《こと》の外よろこんだ。丁度髪を洗ったとかで、その洗い髪を掻《か》き上げながら、
「可也さんが、もう、きつう喜んでありました」
「ああ、有難《ありがと》う。大変なものまで戴いて、どんなお礼を云うたらいいかしら」
「まあ、そげな。奥様のお悪いとい、出掛けていって、よくよくお詫《わ》びを云うといて、ということでした。よかったらもう一二度お目にかかりたい、先生の話を伺うと何か心の澄み徹《とお》るごとあるが、と昨日も遅うまで、なあ、おばあちゃん」
老婆は声には出さず、相変らずいつもの笑顔で、その静子の声にゆっくりと肯いた。出まかせのその場つくろいのこととて、どんなことを云ったろう、と昨日の青年との談合を思いおこしながら、私は赤面してゆくのである。
「ああ、ああ、そうだした。先生に煙草のお礼があっとりますが。納屋に吊《つ》るして、持ってゆくとば忘れて終いましたと」
静子に先生と云われるのも、これまた、戸惑った。青年の言葉から反応したままに云うのだろうが、くすぐったい。静子は洗い髪のしずくのしたたりを手拭《てぬぐい》に絞りながら、納屋の方に駈《か》けだした。素足の裏がパタパタと白く飜《ひるがえ》ってゆく後ろ姿が殊更になまめいて見えるのである。帰ってきて、
「あら、また乾《かわ》いて終うとるが、先生」
黄ナ葉の大きい葉柄の束を二束持ってきた。
「海で沈められた船から浮んだとだすたい。浜の若い衆が小舟を漕《こ》ぎつけて拾うたとだすが、お礼に大分配給のあった模様だす。潮気を洗いおとして、濡れたうちに拡げて、剪《き》ると大層おいしゅうござすげな。可也さんが自分で濡らしてみてくれましたとい、もうほら」
貰って手に取ると成程、いつのまにかパサパサに乾いて終っている。どうしたわけだろう。納屋が何かの乾燥の為にでもつくられてでもいるのか? そう思いながら、それでもうれしく、手に取って香を嗅《か》ぐ。海の潮のにおいはなかった。甘い、そのままの煙草の芳香である。それに静子の香が移っているような咄嗟《とつさ》な希望を感じて、しばらくその錯覚を喜ぶのである。
「もう一度濡らしてみまっしょうか?」
濡らして煙草の甘味が残るか、どうか? 然し、静子の為《な》すがままに誘われてゆくのは、この日頃の乏しい幸福の一つである。私は肯きながら、太郎と一緒に静子の後ろに従った。東の柑橘《かんきつ》の葉々をくぐりながら、裏の筧《かけひ》の側に抜けるのである。山の崖際《がけぎわ》から古びた竹の樋《とい》が抜かれていた。その水を思いがけず大きいセメントのプールに囲っている。浅いがちょっと温泉の浴槽《よくそう》の大きさだ。それも二段だ。養蚕か柑橘の特別の洗い場に設けたのか、最初の水槽から、一段落ちて、又下の水槽に溜《たま》る仕組になっている。アメリカから帰ったという静子のお祖父《じい》さんが作ったものだろう。軟い水藻《みずも》の類が、殊に下方の水槽の底に多く青んでいた。まだ弱い春陽射《はるひざし》が底まで透きとおって、微塵《みじん》の気泡が絶えずポッポッと発《た》っては消える。
静子は上の水槽の側にかがみこんで、ちょっと私を見上げ、
「よござす?」
「ああ、お願いします」
ザブリと煙草の葉を浸して終うのである。私はニコチンとその芳香が消えてゆきはしないかとまたちょっと心細いが、
「ほら、これが可也さんが昨日ひろげてみせてやんなさしたとだす」
なるほど、一枚、見事の大葉に拡がったのを私に手渡した。
「さん、拡げよんなさっせ。ハランを取ってきますけん」
そのまま水の中に葉を泛《うか》べて、走っていった。ハランの大きな葉を二三枚剪取《きりと》ってきた。どうするのかと見ているうちに、拡げた煙草をハランの上に一葉一葉と拡げている。
「太郎ちゃん。ほらお舟」
水の側でチャブチャブいわせながら狂喜している太郎に、静子はハランで大きな笹舟《ささぶね》を一つ作ってみせた。私も熱心に、煙草の皺《しわ》を拡げてゆく。
「いい青年だ。あの可也さん」
「いい方だすな」
静子が他愛なく肯いているのが、ちょっと妬《ねた》ましかった。
「あーら、タナゴの這入《はい》っとりますが、太郎ちゃん」
透《すか》すように顔を水の面につけるから、その映《うつ》った顔がくしゃくしゃに揺れて拡がってゆくのである。
「静子さん。あなた、結婚したらいいな。可也さんと」
「あーら」
はっきりと静子は私の方に向き直って、心持おもてを染めるようだった。
「近くお目出度のありますとだすが」
そう云いながら、今度は静子はちょっと狡《ずる》く笑ってみせる。
「あなた、と?」
「いいえ千鶴子さんだあす。兄さんのお嫁さんでしたが戦死なさしたとだす」
「ああ、姉さんと?」
と私は震撼《しんかん》されて、青年との会話をいちいち執拗《しつよう》に思いかえしていった。するとどうなる? 私はしばらく惑乱するのである。昨日の告白や、巷《ちまた》の噂を、静子は知らないのか?
静子は元にかえって、またたんねんに煙草をほぐしてハランの上に重ねていったが、
「先生の言葉で、はげましを受けた。もう決めたやなあ。と昨日も可也さんの云いよんなさしたが」
「僕の言葉で?」
私は、何を云ったろうと、思いおこせぬ自分の出まかせの言葉に脅えた。
「はい、側《はた》からすすめられて迷うてありましたが、昨日の夕、決心のつきなさした模様だす。千鶴子さん、可也さんによう似合《にお》うた、そりゃよかひとだす。美しゅうして、心の良うして、まだ嫁入られん前から、月谷で評判の立っとりました。マリア様だすげな」
そうか、と私は自分の妄想《もうそう》があちこちに汚れゆがんで屈折していることに気がつき、何か救われたように蘇《よみがえ》るのである。
「静子さん。月谷というところカトリックの部落ですって? ちょっと行ってみたいな」
「まあ――行きなさす。可也さんが、そりゃ喜びなさすが」
「暇を見てね、リツ子のいい時に」
「いいえ、すぐそこだすが。まあ――、昨日も可也さんが、先生に一遍は月谷に来てもらいたか、としきりに云うてありましたとい」
行ってみたかった。農民のカトリック部落なぞ、見たことが無い。それに、その千鶴子という女を可也君と並べてみたかった。汚れた好奇心にも思えたが、また何か新しい祝福をそっと祈念してみたい浄《きよ》らかな私の発心《ほつしん》にも思われた。
「行きましょう。連れていってね、静子さん」
「喜びなさすが、本当に喜びなさすが」
静子はその、喜びなさすがを念入りに繰返しながら立上って、もう一枚のハランをとると煙草を上下から押え、裂いたハランの繊維でくるくると外から結えていった。
病室に母が帰っていた。
「貰ってきた。素晴らしい煙草だ」
「ちょっと見せて、まあ、――」
とリツ子はハランの包みをそっとほどき、我事のようによろこんでいる。
「これで、幾日ありますかしら?」
「十日はあるね。けぶし放題にけぶしても」
「時々可也さんに来て戴《いただ》くといいことね」
「今度は僕がその月谷に出かけてみようと思っているんだ。おまえの暇な時にね」
「そう、お出かけになったほうがいいかもしれないわ。この間私、眠ったりして、御免なさい。いつでもよろしいことよ。ね、お母さん」
「そうなあ。月谷のあたり、葡萄《ぶどう》の名所じゃん。よかとこたい。行っておいでない。いつでも」
「こんどね、味噌の骨、もらってきて」
甘えるようにそう云うが、リツ子は味噌漬《みそづけ》のことを云っている。この頃嗜好《しこう》のむら気がはげしく、食物に対する抑制が無くなってきたようだ。その癖、ちょっと箸《はし》をつけるだけなのである。
「ああ、貰ってきてやろう」
私は煙草をとって、新聞の上にいっぱい拡げてみた。
「ここ、淋しいから、ここにひろげて下さらない」
枕の左脇《わき》に近い床の間を指さしている。梅が穢《きたな》く散り失せて終ってからは、何もないのである。それにしても、淋しいというのは感じがあった。見る淋しさであろう。或は満されぬ自然への憧憬《どうけい》だろう。頭の上の、長押《なげし》から長押へ糸を渡して沢山懸けたオオバコとネズミモチも、もう日蔭干の薬草とは効用が変っている。枕頭のなぐさみだ。タバコとオオバコとネズミモチと、さながら薬草の乾燥場風情《ふぜい》に変ったのは面白かった。その枯葉の雑居を僅《わずか》に愉《たの》しむのだろう。
然し余りつやつやと緑素の濃いものは嫌《きら》うようだ。萌《も》えたつ生存の色を恐怖するのだろう。先日も花キャベツを貰ってきてちょっと据えたが嫌《いや》がった。昔、まだ健康な日にも、ツツジの花をひどく嫌ったことを覚えている。
「いやいや、おそろしゅうして」
いつも体質から反撥《はんぱつ》するものを、さもにくにくしげにこう云うが、私も病者に馴《な》れて、リツ子の選択する快不快の大凡《おおよそ》の基準はのみこんだ。
カサカサの日蔭のわびしい枯葉の色が一番手頃のようである。然し煙草は、これは、豪華であった。床の間にいっぱいひろげて、私も満悦するのである。
「ああ、そうそう。さん。昨夜の隣組のおいさんは火葬場の竈焚《かまた》きさんじゃろう。隠坊《おんぼう》たい」
リツ子の母がおもしろそうにそう云って、リツ子に眼配せしながら笑ったが、リツ子はちょっと不快な顔をした。
「むかし車夫じゃった。人力のだすな。飲まんとええ男じゃん」
「いや、飲んだ勢で庇《かば》ってくれたのでしょう」
「むかしは、相当なくらしばしとった模様ばってん、酒でしくじったとですよ」
よろめく千鳥足の男の姿が眼に浮んだ。あんな男の庇護《ひご》を受けるのもわびしいこの日頃のくらしざまだ。
「女学生の頃、何度もあの人の人力に乗せてもらったわ。おもしろいおいさん」
リツ子にもひそかな感謝の表情は見えている。
「さっきから、リッちゃんと、誰じゃろう誰じゃろうと随分考え合うたな?」
母の声にリツ子がくすくすと笑っている。
「ああ、それから、さん。炭が無《の》うなっとるよ」
「消炭ですか?」
「いや、消炭はまだ少し残っとるばってん、やっぱり消炭じゃトエン(効《き》かぬ)なあ」
すると何処《どこ》を探したらいいだろう、とまた当《あて》のない新しい当惑を感じるのである。
「あなたの十俵が焼きそこのうとらんとなあ」
母が残念そうに云っている。私も苦笑した。支那の旅行の時に炭焼部隊としばらく起居を共にして焼いたことがあったから、それを頼りに、先日静子の山で一竈《かま》ついて大自信で焼いてみたが、天井が陥《お》ち、静子の好意の楢《なら》を全部灰にして終っている。
「そうたい。静ちゃんに聞いてみてごらん」
「いかんよ。お母さん、迷惑よ。静ちゃんにばかり、何もかもお願いしては」
「何処で焼いとるか聞くだけじゃけん、良かりそうなもんな」
「聞いてみましょう」
と私は云った。
「そうたい。桜井の可也さんのあたりにはひょっとしたらありますよ」
母の声に私は月谷行の思いがけない機会に近づいたことをよろこんだ。あってくれればいいと願うのである。山間の谷だというから一軒ぐらい炭竈を築いている家がありそうだ。
「お天気だったら、明日にも行ってみましょう」
私はそう云って、そのカトリックの部落というのを様々に想像してみながら、炊事の竈《かまど》の方へ降りていった。
明日明日と思いたったまま月谷行はぐずついた。リツ子の病勢が悪化したからだ。この四五日小康を得て、所々出廻り、機嫌《きげん》も良かったリツ子の母が、悪化と同時にリツ子の側に坐りこみ、何かと私にあたり散らす。
嗜好のむら気のままにあれこれとリツ子が食物のことを口走るのを、すぐ即座に私に整えさせようとするのである。それには資力が貧しかった。敗戦の国の物資が乏しかった。海辺だが魚がどうしても手に入らぬ。鯛網《たいあみ》なども月末頃からでないと出ないと云っている。磯物も磯開きから後でないと出廻らない。晴れていても海は時化《しけ》て波頭が白くよろめきたっているばかりである。
野菜も乏しい時期だった。白菜が終り、大根、蕪《かぶ》の類が終り、まだ春の野菜が摘めないのである。僅《わずか》に、芹《せり》が萌《も》え初めていた。
私は太郎を連れて、河口から水に浸《つか》り、ずっと小川を溯上《さかのぼ》ってその芹の新芽を探して歩いた。が、あの索漠《さくばく》と冷たい水と川風のことは忘れない。
果して芹など病者に適するのだろうか、と疑いながらも、何か投げやりな自分の心だった。リツ子はもう私の言葉なぞは聞かないのである。思いつくままの食物を喰《た》べ漁《あさ》った。それを揃《そろ》えなければリツ子の母が昂奮《こうふん》する。私は足許《あしもと》にゆれそよぐ冷たい真水の膚をいとおしみながら、然し新しい自分の孤独をたのしんでいた。尻《しり》をからげてやったままに、唇《くちびる》の血の気を失うまで、ピチャピチャと浅瀬を踏んでよろこんでいる太郎を眺めおろすのである。こんな小児すら、耐えて、快活の歩調を失わぬではないか。私はよろめく自分を、自分ではげますのである。
芹は川風にちぢかんでいたが、チリチリの美しい新芽を見せていた。白い根本の茎に思いがけない、放縦な弾力が感じられる。千鶴子。何とはなしに私はまた、この日頃描きなれている未見の女性への好奇な妄想を募らせるのである。ふと、私は満洲の南湖の畔《ほとり》で、野一面に密生した野芹を見つけた日のことを思いおこした。
五月であったか、六月であったか。大陸の芹共は、のびのびと天を仰いでみな垂直に立ち、原全体を蔽《おお》っていた。今頃は凍っているだろう。すると、南湖の畔に移民していった妹達はどうなっているか? 人間の世界などとりとめない。が、あの芹共は五月になればまた確実に、野面一面に萌えだすにちがいない――。
私は手足をすっかりほとびさせて、芹を下げながら太郎と二人帰っていった。
「遅いことじゃったな。ほう、取れた?」
リツ子の母が芹を見て眼を細めている。軟い芹御飯にして先《ま》ず手づかみに私は味おうてみたが、新しい芹の香が立っていた。太郎にも一つ握って、喰《た》べさせてやるのである。可也君から貰《もら》った味噌で、味噌汁も芹にした。然し病人は喜んだだけで、口にはしない。
「もう味噌汁、見とうも無い。いや、いや」
と眉《まゆ》をよせている。つい五六日前までは味噌が入手出来ず、味噌汁、味噌汁と騒いでいたのに、可也君の味噌にももう飽きたのだろう。
「ねえ、お父様、味噌漬忘れないで」
「ああ、行けば必ず貰ってくるさ」
今までねだりつけていた下のおばさんの味噌漬も、ちょっと飽いたのだろう。変った味の味噌漬という意味だ。
「貰ってきて。お父様。明日いいでしょう」
「僕はいつでもゆくよ」
「じゃ、明日行って。炭のこともあるから、ねえお母さん、いいでしょう?」
「明日な。明日はちょっと草場へ帰って寝巻を換えて来んならん。明後日でよかろうもん」
リツ子の母が云っている。リツ子がようやく少しはっきりした模様で、リツ子の母も一度は家に帰ってみたいのであろう。帰って風呂にも入って来なあ、と母は云い足した。
リツ子の母が帰ったから、一日、リツ子の枕許《まくらもと》で煙草の葉を刻んでいる。葉を重ねて巻いて、俎板《まないた》の裏でたんねんに刻んでゆく。庖丁《ほうちよう》をといだから面白いように良く切れた。然し相当の脂《やに》である。二三回に一度ずつ濡《ぬ》れタオルで拭《ぬぐ》い取らぬと、すぐ切れなくなりそうだ。かなりの力が要《い》るから、へばって、刻んだ葉をほぐしてみる。
「私、しましょうか?」
「いいのか? 体に」
「大丈夫よ」
リツ子がそう云うから、新聞紙のまま渡してやると、胸の上にのせ、片手で高くさし上げて、眺めてみてはほぐしている。私は板切れに紙を貼《は》り、その先端に鉛筆を巻きつけた煙草巻で、一本巻き、のどかに一服くゆらしてみるのである。昨日まで刻んで巻く暇がなかったから、葉巻をつくって喫《の》んでいた。
「いいことよ。私ほぐすから、みんなお巻きになったら」
私はゆっくりと巻いていった。こんな煙草の巻き方は、支那で憶《おぼ》え、日本に帰ったら大に宣伝してみようと思っていたが、一年の旅の間にいつのまにか日本にも普及していた。昔、やっぱりこうして巻いていたのを古老達が教えたのか。それとも野戦からの帰還兵でも教えたのか。自然発生的な発明か。そこのところが可笑《おか》しく不思議に思われた。
「ねえ、リツ子。湖南省の長沙《ちようさ》というところの近所だったけど、泊った家が、煙草の山でね。寝床も煙草。薪《まき》も煙草。塵紙《ちりがみ》代用にも煙草を使った」
事実である。辛《から》い土煙だったが、馴《な》れるとさっぱりした風味もあった。何かあの時のような豊かな気持である。
「どうしてこんな煙草、可也さんの手に入るのでしょうか?」
「そこの海で、鹿児島から煙草輸送の船が沈められたのだそうだ。煙草の箱がぷかぷか浮んでね、漁師がそれを拾ってやったお礼に、この辺《あた》り相当煙草が流れこんだのだ、と静子さんが云っていたよ」
ほぐしながら肯《うなず》いている。それからちょっと私を見て、
「やっぱり可也さん。静ちゃんの恋人?」
「いや、違うらしい。可也君は戦死した兄嫁と結婚するらしいよ。千鶴子という名だそうだ」
「千鶴ちゃん?」
「知ってるのか?」
しばらく考えていたが、
「いいえ」と打消した。戦死した兄嫁とまで私は云ったのだが、可也君の例の話をリツ子は忘れて終った様子である。それとも、やっぱり眠って聞かなかったのか。幸いである。今更語ってやる気はなかった。聞かせていいような話ではない。私は黙々と煙草を巻いていったが、
「あーあ」
とリツ子の吐息が洩《も》れるのでちょっと見た。
「起き上って、一度だけ煙草を巻いて上げてみたい」
リツ子はそう云って、ほぐし終った煙草を新聞のまま、胸から畳にすべりおろした。
翌朝は晴れていた。私は太郎を首にして急ぐのである。弁当を持参しないから、なるべく昼までには帰りたかった。それにしても静子はいるかしら、と蜜柑山《みかんやま》の坂道にさしかかるところから石垣の辺りを何度も見た。
「よう来《き》んしゃった、太郎ちゃん。今日はお見えになると待っとりました」
「どうして?」
「きのう、お宅のお婆ちゃまと会いました、と」
「ああ、草場のお母さんと」
静子は、すっかり身支度《みじたく》をととのえていた。やっぱり絣《かすり》のモンペで、よそ行きの服装というのではなかったが、普段着なれているのとは違っていて甲斐甲斐《かいがい》しく、身に合っていた。背負《しよい》子《こ》を右肩にして、すぐ家を出る。
「何をかついで来るの? 背負子など持って」
「あら、炭でっしょうもん?」
静子の言葉に私は赧《あか》くなった。リツ子の母が、もうねだっているのである。それにしても私が言葉にする必要のないのが有難かった。静子が太郎を負うと云ってきかないから、私はその背負子と太郎を換えた。
「太郎ちゃん。お弁当を沢山つくりましたとよ。そうやった。ユデ卵ば一つ上げようか?」
「タマゴ? タマゴ?」
と太郎が有頂天になっている。静子は私が肩にした背負子の中の風呂敷包から一つ卵を取り出して、半分むいてそれを太郎ににぎらせた。
一度谷に降り、せせらぎに添うて、道を上ってゆくのである。細いながら、水は落ちたり淀《よど》んだり、顕《あらわ》れたり隠れたりしながら、その光の断続につれて潺湲《せんかん》の音は絶え間なかった。渓流のほとりの芝に土筆《つくし》が出さかっていた。
「喜びなさすが――」
静子は何度もそれを繰りかえしている。私はむしろ恐縮しているのである。
「何か土産でも持ってくればよかったな」
「要りますもんか。そげなことをしなさしゃ、可也さんが却《かえ》って困んなさすが」
静子の云うがままに従うよりほかに、今は何の手だてもない。谷を渡ってしきりに小鳥が啼《な》いていた。
峠に近づくあたりちょっと息苦しい坂だと喘《あえ》いだが、すぐ広闊《こうかつ》な見晴しに出て、ちょっと立留るのである。真下が桜井だが、月谷はあの山の蔭だあす、と静子が指さした。桜井といえば俳句のZ氏が疎開していると聞いている。小田より温いのか、とその春陽射《はるひざし》を一杯に吸いこんだような明るい盆地の起伏を見た。もう桃の花が開いている。私はポケットの煙草を指に採って、一服、その煙が盆地の方に流れてゆくのを楽しむのである。
また少し降り、また少し登ったところに、赭土《あかつち》の切通しがあって、そこを抜けると、狭くて深い盆地だった。細長く、裂けた感じである。斜面にはどの幹も葡萄の肌が焼かれていた。
「あの家だあす」
静子が指さしているのは左斜面の底に孤立した萱葺《かやぶき》の家だった。深い軒庇《のきびさし》に白く点々と谷川の大きい丸石が積まれてある。地形の複雑さからだろう、部落の家は一軒一軒、高低も、向も、形も変っていた。見えている限りではせいぜい二三十戸ぐらいのものだろう。
「信仰が違うというてよそのものと縁組ばしまっせんけん、ここの月谷は、部落中がみんな親類ばっかりだす」
そうだろう。こんな狭いところで孤立したままの縁組を結んでいたら、近親をめとる以外にないではないか。
太郎をおろしてもらって手を曳《ひ》いた。手をつなぐ時だけはいつも遠慮して静子は一歩すざるのである。負うている時は側近く並ぶのに、その勝手な処女のはにかみが面白かった。
「面白ござすとよ、さん。月谷の娘衆はだすな、お嫁入前にはきっとよその村へ泊りがけで歩きに行きますと」
そうだろう。ここに生れ、ここに死ぬ。黙々とした一生は私なぞに想像も及ばないことだ。男はこれまで、まだ兵隊に行くということがあったろう。女は嫁入り前に一生に一度ぐらいは他部落へでもとまりにゆかねば気が晴れまい。
「千鶴ちゃんは、私のところへ来なさした」
「そう。どうしてお宅と親しいの」
「おじいちゃんがアメリカで知り合うとりますと」
なるほどそうかと曲り折れの道を降《くだ》っていった。
「可也さんもーし」
「可也さんもーし」
静子が二度云うと足踏み臼《うす》の音がちょっとやんで、
「だれだすな?」
柔い、低い声である。声につれて鵞鳥《がちよう》が、奥の方から物珍らしげにガアガアと群れて出た。
「小田の北崎だーす」
「ああ、北崎さんな。這入《はい》んなさっせ」
またゆるい搗《つ》き臼の音がはじまった。
「連れのありますが」
静子はそう云ったが、低くて聞きとれなかったのだろう、答えはない。
「這入りまっしょう」
静子が太郎の手を曳いて私にも眼配せした。暗い。広い土間を越え、奥の土間に、足踏みの台へあがって、半白の老人が米を搗いていた。向うの壁にガラスの小さい窓があって、光は逆に流れているから、老人のこちら側の表情は見えないのである。足を踏みながら今先まで読んでいたのだろう、古風な大型の聖書を、足をやめるのと一緒に、左手でつかまっている横木の上に、そっと置いた。そのままこちらを向く。
「連れだすな?」
予期しなかったようだった。静かに台から降りるのである。
「よう来なさした。北崎さん、ここはむさくろしいけん、食堂に案内してやんなっせ。悦二郎は野良《のら》だあす」
土間から折れたところに、同じく土間だが手づくりらしい素朴で頑丈《がんじよう》な食卓と椅子が置かれてあった。壁に「天主」の文字が掛けられ、讃美歌《さんびか》や聖書の類が隅《すみ》の棚《たな》に積まれてある。ここは朝夕の祈祷所《きとうしよ》をでも兼ねているのだろう。渡来物《とらいもの》のような頑丈な鉄製の燭台《しよくだい》も見えていた。
「掛けなっせん?」
静子の声に肯《うなず》いて太郎と並んで腰をおろすと、何のつもりだろう老人は鵞鳥を抱いて入ってきた。左手で腹を支え右手でその頭のところを握っているが、ガアガアと喧《やかま》しい。
「よう来なさした」
柔い人品だ。五十五、六か。色の褪《さ》め果てた紺の法被《はつぴ》の下に同じく飴《あめ》色に褪めた細い縞《しま》のズボンをはいている。太郎がかけよった。
「なーん? ん、これ、なんポッポ?」
「鵞鳥だすたい。面白ござっしょうが」
老人はそう云ってから突然びっくりするように笑って、太郎の側にしゃがみこんで終《しま》った。何か湧きたつような生気の輝く眼の色に移るのである。思い做《な》しか、私はそこのところに不吉なこの老人の寂寥《せきりよう》を嗅《か》ぎとったように思った。しばらく老人は、太郎のうるさい質問に答えて、いちいち鳥の説明をきかせている。
「ポッポ、卵うむ?」
「産みますばい」
「卵、ポッポになる?」
「なりまっせなあこて」
「卵、おじちゃん沢山持っとる?」
「持っとりますばい、あげまっしょうか?」
「そしたら、ポッポになる?」
老人は眼を狂気のように輝かせて鵞鳥の羽毛を逆さに指でザワめかせながら、又、ワハハハと可笑しそうに笑い崩れるのである。
「こちらは、さんと云うて、あのー」
と静子は、私を見たが、云いにくそうに戸惑って、
「大学を出て、疎開しとんなさすとだす。可也さんに会いたいと云うて見えなさしたと」
「はあ、悦二郎でっしょう。今野良に出とりますけん、呼んできまっしょうか?」
「いいえ、教えていただいたら、僕が行きます」
と私は恐縮した。
「お父さん。私が畑ば知っとりまあす。私が御案内しますが」
静子が云った。
「そんなら、南の畠《はたけ》だすたい。悦二郎ば連れて早う一緒に帰ってきなっせ。お茶ば入れときますけーん」
太郎が鵞鳥をかかえて離したがらないので、叱《しか》って抱く。家は少し陰気な様子だが使いよく、よく整頓《せいとん》されていた。
野をゆく道で、人に擦《す》れ違うが、その都度鄭重《ていちよう》に辞儀をされる。てれくさいが、何か澄み徹った礼節の空気に染むふうで気持も良かった。
狭い盆地の陽ざしは強かった。全く荒蕪地《こうぶち》がなくなっている。土地の効用を巧みに使うというよりも、この狭い別天地を隈《くま》なく墾植しつくしてしまった息苦しさの方が感じられた。どの斜面も、葡萄《ぶどう》と柑橘《かんきつ》の類だった。秋に来てみたいと、しきりに思うのである。
盆地がくびれて、谷がくぐり、また更に狭い盆地に続いていた。家屋の全く見えぬ無住の盆地である。無住の盆地が美しく墾植されていた。可也君と、千鶴子らしい人と、その娘が麦畑に立っていた。
「可也さーん」
と静子が大声を挙《あ》げて呼んでいる。みんないぶかしげにこちらを見たが、可也君は気を付けの姿勢をして、その遠さのまま戦闘帽を脱ぎ、はっきりと礼をした。畔道《あぜみち》に出迎えに立つのである。残った千鶴子が、真赤な着物の女の子の手をとって、まぶしげに私達を見た。
「この間は、御無礼しました」
「いいア、色んなものを戴《いただ》いたりして」
「北崎さん、ちょっと前に知らせてやっときなさしゃいいとえ」
と可也君が静子に云う。
「いや、突然でしたから」
私はそういって、ちょっと千鶴子を見た。千鶴子は時期を待っていたように、子供の頭を手で押えながら、私の方に礼をした。美しく笑う。その笑顔が、泣いてでもゆくように素速く崩れるのは、私の気のせいか。静子が太郎の手をひいて千鶴子の方に寄っていった。
「千鶴ちゃん、ちょっとも見えなさっせんな。私んとこにも、時には寄んなさっせえや。あなたが見えんのでお婆ちゃんがきつう腹掻《はらか》い(立腹)とりますと」
年は六つばかり違うのに心易《こころやす》だてからだろう、静子は千鶴子をちゃん付で呼んでいた。
千鶴子は黙ったままやるせなさそうに一つ二つ肯《うなず》きながら、寄ってきた静子の肩に触れ、枯葉を指で撫《な》で落してやっている。落ちた後もその指の屈伸を、しばらく、静子の肩の上で繰り返していた。
千鶴子は静子より背丈は一二寸低かった。然し成熟した申し分のない美しさで、その美しさが、脅える度《たび》に急に愛着に変ってゆくような危険な魅惑が感じられた。挙動の弱々しさに反比例して、地につながっているふうの根強い秘密の生気である。
「こちらが、先生」
可也君に云われるまま、私のことを知っているのか知らないのか、また淋《さび》しい笑顔をたてて辞儀をした。
「家に帰りまっしょうか。此処《ここ》じゃ、なんのおもてなしも出来まっせんが」
「よござすが、可也さん。お弁当を用意しとりまあす。そこのお山でお弁当開きするもんね。太郎ちゃん」
「畑のいそがしい時に……」
と私が云うのを、千鶴子が遮《さえぎ》った。
「いいえ、なんごともないとだすと、狭い家に居るよりはと、畑に出とりますとだすよ」
瞬間、可也君の表情に急に、例の険悪な焦躁《しようそう》が駈《か》け過ぎたようだった。早くこの甘美な肉体に馴《な》れ合ってゆくのが救われるたった一つの道だろうと、私は私流の無頼な妄想で、この二人の愛情が安定する日を願うわけである。
やっぱり可也君の家に帰ることにした。
「もう半畝《はんうね》残っとりますけん、忘れんようにやってしまいまあす。先い、帰っとってつかわっせんですな」
「手伝いしますがあー」
と静子が云っている。私も可也君の野良仕事を一寸《ちよつと》見たかった。
「帰って用意しとかんな」
可也君は千鶴子にもそう云ったが、千鶴子も帰らなかった。可也君が麦の根の側を掘り進めてゆく後ろから、笊《ざる》を持って肥料を入れてゆく。ちょっと手伝いかけた静子も、黙って二人の姿を眺めているのである。
「灰ですか?」
「いえ、灰に堆肥《たいひ》を混ぜとりますが」
千鶴子は私の方をしばらく見て、それからまた静かに撒《ま》いていった。
帰路は可也君と静子が先に立った。可也君は鍬《くわ》をかつぎ、静子が太郎の手をゆっくりと曳《ひ》くのである。私は千鶴子と並ぶことになったのだが、そんな偶然すら何か神秘めくように千鶴子の表情には絶えず「古代微笑」のようなあやしい幻覚がつきまとった。
「初めてだすと? この村は」
「はあ、初めてです」
「葡萄の熟《う》れる頃だすとなあ」
私は千鶴子の横顔を見た。何の感傷がすべっているのか、その声と全くかけ離れてしまったことをでも考えているふうな眼差《まなざし》が、ぼんやり静子の足許《あしもと》の辺りばかりをみつめている。
「集会は毎日ですか?」
私は意味もないことを訊《き》いてみた。
「いいえ、大抵日曜の昼前だす。今日はミサ拝みのありますが」
可也君が早いのか、大分離れて終《しま》っている。時々太郎がチラと私の方をふりかえるばかりである。余りの空虚さから、私は突然思いがけぬことを口にした。
「是非結婚なさい。可也君と」
千鶴子はキッと立止った。辺りの光をすべて拒絶でもするようなこわばった表情だった。やがて然し、そこのなかに一本するすると柔軟な捨身の法悦《ほうえつ》が湧いてゆくふうで、
「召される日まで、天主の思召《おぼしめし》のままだあす」
私は絶望の声をあんなに甘美な喜悦の響に聞いたことがない。
折から鶯《うぐいす》の啼《な》き声が聞えてきた。温石《おんじやく》の混ろう辺《あた》り、谷の磧《かわら》のあちら側だ。小川のこちら岸は絶えず日光の波に洗われているが、向う斜面は、真竹の青さにまで、日蔭の陰靡《いんび》なふうが匂《にお》うていた。間々《まま》細い椿《つばき》の幹がするすると伸び上っている。その青い真竹の藪間《やぶま》にも、時にちろちろと春の陽射が洩《も》れるのか、姿は見せぬながら、鶯一羽、誠に初《う》い初《う》いしく世馴れぬ啼きざまだった。
可也君と一緒に、かなり前の方を歩いていた静子が、立ちどまってちょっとこちらを振りかえるのである。笑った。まぶしげに目を細めているのが、青麦の上の桃の花とよく映り合う。私は肯ずいて見せた。
静子が畔道《あぜみち》に上っていって、その花を折り取っている。折り取った花の枝を一つだけ太郎にやって、じっと千鶴子と私達を待つのである。千鶴子の娘がかけ出した。
静子は私達が近寄ると、
「千鶴ちゃん、もうすぐ磯開きだすばい。今度はきっと、おいでなさっせえな。それまでに、式すます?」
千鶴子が赤くなって当惑する模様だった。云い過ぎたと思うのか、静子は何とはなしに、そっと桃の花束を千鶴子に手渡している。何となく千鶴子は受け取った。そのまま、俯向《うつむ》くように桃の香りに嗅《か》ぎ入っているのである。
「先生、鶯は要りまっせんな?」
と、可也君が突然大きな声で云った。
「持っているの?」
「いいえ、取りますとたい」
「いや、鶯は飼いにくくて、東京で一度こりこりした事があるのです。落鳥は厭《いや》だから、それに今は女房にかかりっきりで、とてもそんな余裕がありません。飼いたい事は、飼いたいが」
ホー、ケチョ、ケチョ、ケチョ、ケチョ
と、又ひとしきり、藪鶯はそのケチョのところを、上わずった興奮の態《てい》で囀《さえず》っている。
私はふっと、結ばれてゆく愛や情慾のやり場のない行程を考えていって、憂鬱《ゆううつ》になった。妥当な、平穏な、愛の帰結の道はないか? とりとめのない情痴の断続を、ただ人間の場合だけ、いちいち罪業の感にまつわらせてゆくのはやり切れぬではないか。
今度は静子と連れ立った千鶴子の後ろ姿を眺めながら、私は新しい妄想に耽《ふけ》るのである。可也君だけが、黙って太郎と千鶴子の娘の子と並びながら、歩いている。
千鶴子は地下足袋《たび》を履《は》いていた。莫迦《ばか》に小さく、くびれた足だ。背丈も、静子より一、二寸は低いだろう。その低い足首から腰のあたり、柔軟な肉付が、歩行につれて顫《ふる》えるように屈曲する。淋しい、受身の、それでいてどこか投げやりな、不思議な炎がちろめくような足取だ。穢土《えど》を堪《た》えつくしているが、然しその眼が、そっと天界を仰いででもいるような肉体だ。或いは、触れてゆく男性に、熱狂的な宗教と信仰の世界を誘導してゆく、真正のマリアかもわからなかった。すると、宗教というものは、もともと、このような肉の罪劫《ざいごう》のなかに、揺られ、浄《きよ》められて、生れでてゆくものか。
私は疑えなくなってきた。千鶴子と可也君のお父さんとの情痴はきっと真実の事だろう。おそらく、陣歿《じんぼつ》した可也君の兄さんが、まだここの部落に働いていた頃から、可也君も、そのお父さんも、この千鶴子に思いがけぬはげしい思慕を寄せていたにちがいない。
千鶴子が、あの米を搗いている半白の髪のお父さんを、通常の男女が交《か》わす恋愛のように愛していた、とは考えられない。もっと優しくひろがりのある肉の効用で、そっと包んだまでのことだろう。操《みさお》をふみはずしたとするなら(こんな言葉は嫌だが)大きな絶望の上に立つ寛容の心からだったろう。人の情熱を、いちいち拒否出来ぬようなところが、この千鶴子のとめどない愛情の中に、たしかに、ある。いや、もう、私ですら、千鶴子をゆきずりの女性として眺めたくない気がするではないか――。
「静子さーん」
と私は自分でもびっくりするような大声をあげた。
「磯開きはいつ?」
「まあ、たまがらせなさすと。二十八日か、九日だっしょう」
と静子はふりかえって私を待った。千鶴子も眼のふちで微《かす》かに笑って私を待つ。
「その時は僕も誘ってくださいね」
静子と千鶴子が、急に眼を輝かせながら笑い合うのである。
「男衆は、あんまり来なさっせんばい」
「どうして?」
と私が怪訝《けげん》な顔をすると、
「嘘だあす。さんと太郎ちゃん、誘いまっせなこて」
からかう心算《つもり》だったのだろう。静子は浮き浮きと、転げるように、声を立てて笑いはじめた。
可也君のお父さんは、門口のところで縄《なわ》をなっていた。
「畑の邪魔ばして、とうとうみんな呼《よ》うで帰ってきましたと、御免なさっせえな、お父さん」
静子が笑って、こう云っている。お父さんは、静子の声に、野良帰りの皆んなを、まぶしそうに見上げたが、随分待っていたに相違ない。動作のなかに、待ちごらえの出来ぬ一途《ず》な性分が、よく見えた。きっと、何度も立って、出迎えにかかったに相違ない。それを今までこらえて門口で縄をなっていたようだった。
「よかとじゃん。麦肥えやら何時《いつ》でちゃ出来《でく》る。それよりみんな遅いことじゃったなあ」
縄目の緒口《いとぐち》を持ったまま、おろおろと立ち上った。急に仏頂面《ぶつちようづら》で黙ってしまった可也君の表情をしきりに気兼ねするふうだった。
「何の御馳走《ごちそう》にしまっしょうか?」
そう云って、初め可也君の表情を伺うていた千鶴子は、やがてお父さんの顔も等分に見較べて訊《たず》ねている。
「小豆と、ピース豆ば炊《た》いといたが。三郎方にきいたばって、山鳥はなかげな」
「まあ、そげな心配が要りますもんか」
静子が恐縮して声をあげている。可也君のお父さんが、接待の準備に心を砕いていたとは、気の毒だった。
「先生方に坐って貰《もろ》うてからで、良かろうが」
可也君が初めて不機嫌《ふきげん》にそう云った。
「そうたい。早う坐って貰わなあ」
そこで私達は、可也君の後に続いて、食堂に這入っていった。
山上から眺め下ろした時の印象からだろう、低い家とばかり思いこんでいた可也君の家は、よく見ると、思いがけず高く、大きい梁《はり》や桁《けた》が通っていて、食堂も、天井は張られていなかった。可也君は丁度私の真前に坐りこんだが、暗い調度の模様からか、先日私の家を訪《たず》ねてきた時の印象と打って変って急にふけこんで終った人のように感じられた。二十四五の感じがしない。部厚いテーブルの前に腰をおろし、しばらく黙っている。
静子は、私との間に太郎をはさんで坐ったが、気おくれでもするのだろう、次第に椅子をテーブルの角のところへずらしていった。その動作は目立たぬように、非常に緩慢だったから、それだけに、静子の持久的なはにかみが感じられるのである。私もぎごちなく滅入っていった。太郎だけが椅子に落ちつかず時々立上っては、
「ポッポは? ポッポおじちゃんは?」
を繰り返している。
千鶴子も、その娘も、可也君のお父さんも、饗応《きようおう》の準備に忙しいのか、しばらく見えなかった。それを大変済まぬことに思うのだろう、先程から静子が、そわそわと一、二度立上りかけたが、
「よか。手伝は要らんが」
可也君に制せられて、また黙って坐る。みんな、同じ傷口を知っているままに、その傷口をあばいた時に噴出する血漿《けつしよう》のおそろしさをかばい合っているふうだった。誰もが黙し、そのお互いの沈黙におびえている。
「先生」
と突然、可也君の思い設けぬ緊張した声だった。
「兄嫁と、今度、結婚することになりましたやなあ」
私は素速く移ってゆく、可也君の感動を眺めている。その緊張の崩れおちるのを待って、一服ゆっくりと煙草に点火するのである。
「聞きました。静子さんから」
可也君は私の返辞を聞いたのか、聞かぬのか、上の空の模様だったが、又思いきった新しい突破の表情に帰ると、
「先生、責《せ》めんどいてつかわさい、姉さんば。悪かとは、私だすや、なあ――」
私は目立たぬように肯いた。肯きながら咄嗟《とつさ》に静子の面持を見つめるのである。静子は、自然にうなだれていた。同情と憂慮と交々《こもごも》混り合った、真摯《しんし》な面持を心持伏せている。すると、静子は可也一家の、交錯した、姦淫《かんいん》の真相を知っていた。知っていながら、何の故に、可也君と千鶴子の結婚を事もなげに、私に伝えたのであろうか? 処女の素直な、寛容の性情からか? 不思議だった。が、私はそこに類《たぐ》い稀《まれ》な可也君への祝福と指示が見えてくるような心地がした。
「可也さん。こだわらない方がいいように思うなあ――。悪いのは誰でもないんだから。にくむべきものは何もないじゃないの。ただ、一つ家は、後々と不愉快なことがおこるでしょうから、賢く環境を変えてゆくのが、よろしいように思いますよ」
「悪かとは、先生。環境じゃ、無か。心だすやなあ。姉さんと逃げ出《だい》ても……、何処《どこ》に隠れられますな? 心に、隠れ先の無いとだす」
私は可也君が、はげしい自虐の世界に陥ちこんでいることに気がついた。肉が媒介した、まぎれもない宗教的な憂悶《ゆうもん》だ。が、慰める言葉がない。千鶴子の幻影が招く誘惑が甘美すぎた、と今はこの焦躁の青年の心情をあわれむのである。
「チチー。ポッポは? ポッポおじちゃんは?」
しばらく一同の緊張に嚥《の》まれたふうで、黙って鉄の燭台をいじっていた太郎が、又声をあげた。静子が、そっと抱きよせている。然し、小児の退屈が爆発すると、もう押えようがなかった。
「可也さん。失礼ですが、子供を連れて、ちょっと、谷を歩いて来ます」
「済みまっせーん」
と可也君は立上って、
「どうした遅いことかいな。姉さーん」
大声を上げた。老父が、おろおろと走り出してくるのである。手拭《てぬぐ》いでしきりに水の垂れる手を拭っている。
「千鶴子ちゃんな、今、畑ば芋掘りに行ってもろうとるが」
「芋で、何するとかいな?」
「何ごとも出来んばって、外に智慧《ちえ》のなかとたい」
と老父は可也君の威圧に脅《おび》えるようだった。
「ポッポは? おじちゃん、ポッポは?」
太郎が老父の姿に、洗われたように蘇って、走りよった。
「ワハ――。ポッポな? 坊ちゃん、今直ぐ持ってきますばい。鵞鳥だっしょう? そうたい。向うへおいでない。あっちい、おりますばい」
太郎がお父さんの後を追ったので、私も静子もそのまま太郎の後につづいていった。可也君が気づかわしげに、私達を見送るのである。
裏木戸から横に抜けた。赤粘土の、膚の荒い土蔵の脇に、思いがけぬ日溜《ひだま》りがある。その日溜りの砂の中に、これはまた夥《おびた》だしい鵞鳥と家鴨《あひる》が、群をなして、羽を羽搏《はばた》かせていた。
「ほら、ほら。居りましょうが、坊っちゃん」
と老父は一羽を両脚から抱《かか》え取って、太郎に見せた。太郎は眼を丸くしているのである。
ガアガアという家禽《かきん》の一斉な喧騒《けんそう》にまぎれて、老父は有頂天のように飛び歩いた。
「卵産む?」
太郎が相も変らぬ質問を浴びせている。
「産みますばい。今、坊ちゃんに卵ば、山んごついっぱい、煮い煮い、しよりますばい」
長短の篠竹《しのだけ》で編まれた家鴨小舎《ごや》の脇から、ゆるい木杭《きぐい》の段のついた小径《こみち》が、谷の方に降っていた。
「北崎さん。嫁が、谷向うの畠に芋掘りい行っとりますたい。先生ば、あっちさ、気晴らしに案内してみなさっせ。直ぐに、お茶ば用意しときますけん」
「よござすが、お父さん。もう何も構わんどいてつかわっせ。昼弁当は、持ってきとりますとい」
と静子が恐縮の言葉を繰返した。
「ほら、あすこだすたい。見えまっしょうが」
老父は谷のあちらの隅《すみ》を指さしている。なるほど、千鶴子の娘らしい女の子の真赤な着衣がちらちらと隠顕した。
「行きます? 先生」
と静子の声に私は肯いた。
「ここば降りるとすぐだすたい。一本橋のかかっとりますが」
私達はその細い家鴨の径《みち》をだらだらと降っていった。
「気の毒でしたね。可也さんや、お父さん方に」
私も気になって静子に云ったが、静子は何故か黙って終って、危い足取の太郎を、坂の中途で抱き上げるのである。
淵《ふち》のくびれに頑丈《がんじよう》な一本橋がかかっていた。川幅は知れている。二間もなかった。が、私は静子と太郎を顧みてためらうのである。淀《よど》みが深く落ちこんでいた。
「さん、先い、おいでなさっせ。太郎ちゃんは、私が負うて渡りますが」
「いいですか?」
と私は下駄を脱いで、一本橋を渡っていく。渡りながら、ふいに零陵《れいりよう》の山寺のほとりの渓流を思いおこした。丁度水面からの水の反射の遠さが同じ位なのだろう。いや、寸分違わなかったような感じが湧いた。それと、もう一つ、似ているのは眺めている自分の心の、妙な手頼《たより》ない索漠《さくばく》の感じであろう。ふっと零陵の渓流の畔《ほと》りの有様が、今見るように克明に眼に浮んだ。川岸にしだれよっている竹の姿。渡り終った、とっつきの寺の石門の穴に挿《さ》しこまれていた、思いがけぬ、色紙の風車。青ガラスのビー玉にささえられて、それはくるくる、くるくる廻っていた。無人の山寺の門柱にである。多分兵隊のいたずらだろう。土地の玩具《がんぐ》か、それとも兵隊のつれづれの手芸か、とその場でいぶかったことだった。
「静子さん」
と太郎を負うて渡り終った静子に声をかけてみた。
「この川とね、そっくりな川の上を、支那で渡ったことがあるのです」
「まあ、支那にもこげな川のありますと? やっぱし一本橋ですと」
「橋がおちて、兵隊が一本橋をかけておりました」
私はもう一度、谷の水面から反射の遠さ加減をたしかめるようになつかしく覗《のぞ》きこんで見たが、それ以上黙って終った。風車がしゅうねく、眼の底にちらつくのである。燃えながらの風車が――。実は、その小さな色紙の風車の前で一服した。さて一服し終った後で、ライターから風車の紙に点火した。瞬間、燃えながらだるく旋回しかけたが、その色紙の風車はすぐだらりとたれた。燃え落ちたのである。その時、私の心の底にひどくいやな罪業の感がまつわった。どうしたというのだ。くるくると廻りながら、通りすがりの人の心をどれほど和《なご》めるか? それを何の悪意にかられたというのだろう。嫌だった。駈けだしたかった。悪魔にのりうつられてでもいるように狂おしかった。旅の日のとりとめのない出来心である。然しその燃え際《ぎわ》のだるい旋回の姿が今又克明に私の眼の中に蘇った。
不吉だった。大声でわめきだしてみたかった。すると俺は静子に、何かよこしまな痴情をでも感じていはしないか? いや、千鶴子に? 例の通り、自分の逸脱の旅情がとめどないのである。そっと谷岸の、杉の大木の幹をなでさすって、己《おのれ》の鎮静を待ってみた。
「大きいね、太郎。この木」
「大きいね」
と太郎が静子の手からおろされて、見上げている。真似《まね》するふうに太郎も、杉の苔《こけ》の膚のあたりをしきりに撫《な》でさすった。
杉木立を廻った丘の裾《すそ》に千鶴子はしきりに鍬をふるっていた。ツクネ芋の畑のようだった。私達に気がつかない。
「千鶴ちゃーん」
静子の声に、ふりむいて、驚くふうだった。私達に気がつくと、額から眼の辺りを手で拭っている。然しぼんやりと、つっ立ったままだった。
やがて笑った。山裾《やますそ》の窪《くぼ》になっている、日照のよくない畑だ。こんなところに山芋が育つのかと思われる。その陰湿の窪地のなかで、においたつようにあでやかに千鶴子は笑った。
が、近寄ってみると、今先まで泣いていたことが私にも知れるのである。手の泥が、はれぼったい眼のふちから、斜に黒く頬の上をよごして筋をひいていた。
「芋、肥えとります?」
「駄目《だめ》だすと。日当りの悪うして」
「お父さんが植えなさした?」
「いいえ、あの人だす。一昨年植えました。そのまま去年も、蔓入《つるい》ればしたとだすが、肥えまっせん」
静子は肯いている。あの人とは誰だろう、と私はしばらくとまどったが、戦死した千鶴子の主人をいうのだと気がついた。
「私が掘りまっしょう」
静子は馴《な》れたふうで鍬でおこされた土を、今度は小さな金ヘラで、削っていった。
「まあ、よう入っとりますが」
そういって一、二本、雑作なく掘りだしてゆく。細い篠竹《しのだけ》が何本も立てられていた。蔓を捲《ま》かせるのだろう。然し芋の葉はカサカサに枯れ落ちて、細い枯蔓が、断続の糸のように竹の膚を、微塵《みじん》に千切れ匐《ほ》うていた。
「もう、よござすが。お父さんの待ってあります」
千鶴子は静子の掘り上げた芋をひろいとってそう云った。最後に一つ鍬の切込の、乳液の垂れ落ちそうな白い芋の理《きめ》を、暫時、不安そうにみつめていたのが、印象に残った。
「千鶴ちゃん。もうほんとに何もせんどいってつかわさい」
「しますもんか。お客料理はみんな、お父さんだすと」
「お父さん?」
「え、よう覚えてありますと。アメリカやら支那やらの御料理」
千鶴子がそういって屈託なく、ふくみ笑いに移るのである。
「まあ――。教えてもらいまっしょ」
「喜びなさすが――。ほんとうに、それはそれは、巧者だすと」
帰りの一本橋は、馴れたものだった。先ず小さい千鶴子の娘がかけ渡った。その後ろを、千鶴子はなんなく、滑《すべ》るように渡っていった。均衡が一点に集中されていて、青い空の一角に走り去るふうなのが、美しく眼に残った。渡りながらちょっと、太郎を負うた静子を、ふりかえるのである。
「負いまっしょうか?」
「よござす」
静子は笑いかえして、器用に橋を渡っていったが、ふいにドボーンと思いがけない、水音がして、私は驚いた。波紋が岸まで拡ってゆく。
「まあ、太郎ちゃんだすな。たまがらせなさすと」
大仰に笑ってそう云ったが、静子は余り驚いたふうではなかった。そのままさっさと歩いてゆく。太郎が石を用意していて、肩の上から抛《ほう》り落したもののようだった。
「ネエ、トポーン。トポーンお石」
満足げに足をゆすぶって、太郎は笑いあげている。私はその波紋の収束をたしかめながら、静かに後ろから渡っていった。
食卓には白布が敷かれ、花キャベツが時代がかった濃緑の花甕《はながめ》に盛られていた。リツ子の嫌う葉緑の色だ、と私はそのブチの葉の色を可笑《おか》しく眺めながら席につくのである。
これは珍らしいギヤマンのグラスが四つだけ置かれてあった。欠けたのだろう。一つだけ名古屋陶器あたりの、多分卵のせが、グラスの代用に使われていた。静子はそっとその前に坐っている。
紅緑の菱餅《ひしもち》が二つずつ置かれていた。近所からよせ集めたのか。ゆきとどいた饗応で、尚更《なおさら》恐縮した。
やがて千鶴子が大皿に、卵の半身が紅く染められた茹卵《ゆでたまご》を持ってきて、配っていった。ハルビンの復活祭の夜にたしかこんな染付卵を見た記憶があったが、今日は何かの祭礼日か。それとも太郎の喜びを考えて、念の入った加工だろうか。千鶴子は皿の上に配っていって、やがて、静子の前の卵のせを見つけると、それをギヤマンのグラスと替え、一つ卵を据えて、太郎の前に差出した。太郎が珍らしがって、卵をはずしては眺め、眺めては入れている。
「御無礼しました」
と可也君が、這入《はい》ってきて、いつのまにか素朴な凜々《りり》しさにかえっていた。
「お待たせばかりして、なん事もないとだすやなあ」
「まあ、こげな……」
と静子が立上ってあわてている。お父さんと千鶴子が、又大皿と重箱に馳走を積んで現れた。
「先生。山の中ば、何事も無いとだす。まあ、天なる父の思し召しで、とやこうのことだすたい」
老父の声は神の模様を口にかるとき、不思議なつやを帯びていた。可也君が、ちょっとまた、聞きづらげに横を見た。
「どうも、大変な御迷惑をかけました」
私は面目なくなって、それだけ云った。私の前に可也君。可也君の左横に太郎、それから静子。静子の前に千鶴子。千鶴子から少しはなれて私。老父は食卓の右横に坐った。千鶴子の娘が見えないのが、いぶかしかったが、何処かへ遊びにやったものだろう。
「先生。手づくりの葡萄酒《ぶどうしゆ》だすやなあ。まあ、天なる父の思し召しで……」
老父は云いかけて、葡萄酒の瓶《びん》を差出したが、
「御祈祷《ごきとう》は、やめときない。先生は、信徒じゃ、なかが」
可也君の言葉は、少し私にも依怙地《いこじ》に聞えた。
「そうたい。そうたい」
老父は柔和に肯いて、私のギヤマンに葡萄酒を注ぐのである。透明だった。
「御粗末だす」
可也君が云う。
「そんなら」
と老父は云い足りなさそうにグラスを挙《あ》げた。私も盃《さかずき》を乾す。コメカミに浸み徹《とお》るほどの酸味だった。シェリーに似通うている。谷の清冽《せいれつ》の味がしばらく喉《のど》を刺すふうだった。
ピースは甘く煮られていた。黒砂糖の味である。が、この葡萄酒には、よくかなった。
「先生。奥さんの御加減な、どうあります?」
可也君の真摯《しんし》な表情に、
「はあ、いいようですが……」
としばらく云い澱《よど》んだが、酔いから急に真実をぶちまけてみたい衝動にかられていった。
「もう二十日はもちますまい」
が、医師の宣言が真相か? 私は言葉をすべらせていって、自分で脅えるのである。間違っていた。人生の放棄と頽廃《たいはい》から、投げやりな運命論に陥入《おちい》るのは危険である。
私の声は、酔いにつれてちょっと顫えた。
「可也さん。おいしい葡萄酒をいただいて、すこしのぼせあがったのですが、私は、こう思う。私はキリストを知りません。仏陀《ぶつだ》も知らない。然し、私を生んだ来源の、大きな楽しい力の息吹《いぶき》のようなものを感じますね。これが神かどうかは知らない。然し少くも邪悪な底意はないようです。あくどい道化の役がふりあてられているとは思わない。たちの悪い計略が、この造物のあるじの胸のなかにかくされているとは思いません。生涯を徒労のことだとも思わない。みじめではありますが、自分の足取をどんなに快活な歩調にも導き得るでしょう。とめどないといえば、とめどない。けれども、私はこの人生をむなしいこととは思いません。既に生みだされているでしょう。生みだされている以上は、心を洗って来源の声に、新しい快活の人生を積み上げたい。衛《まも》り、戦うて、新しい自分の建立《こんりゆう》の上に乱舞してみたいのですよ。どれほどの私の生活が導き得るか。あわれであっても、毎朝が新しく待たれるのです。今日は、御蔭で、この谷に来て藪鶯《やぶうぐいす》の声を聞きました。舌足りぬ幼ない啼《な》きざまでしたが、あれでいい。光を存分に浴びているではないですか。まぎれないで、自分の来由を正しく知るということは大層にむずかしい。天造の大きな意志を自分に知り得るかどうか、果して、疑問です。でも、私なりに見えてくる世界を、甘くても、一歩育てていって、生活にしてみたいような気がしきりにするのです」
不意に歔欷《すすりなき》の声がはじまった。老父が葡萄酒に酔い哭《な》きをはじめたようだった。葡萄酒の瓶をかかえて、おいおい泣きながら、私のグラスにつぐ。
「先生。先生に裁いて貰わんならんことの、あるとだすやなあー」
老父は手放しで泣いたが、その先は続かなかった。突然扉《とびら》を押してかけだしていった。可也君は黙って千鶴子に眼くばせした。しかし、千鶴子はうなだれたまま動かない。静子が、気遣《きづか》うふうに太郎と立上って、戸口のところまで、出ていったが、やがて、ガアガアと一斉に喧《やかま》しい家鴨《あひる》の声がした。
まるで群集を引つれて海底を歩きわたってくるモーゼの姿のようだった。二十羽近い鵞鳥《がちよう》と家鴨の群が、声を上げ羽搏《はばた》きつつ、よろめきながら、老父の後ろについてきた。
「ほーら、坊っちゃん。ポッポだすやなあ」
「ポッポ。ポッポ」
と太郎が狂喜している。モーゼは泣き笑いの眼を酔いに輝かせながら、家禽の群と一緒に這入ってきた。皿の豆を太郎にも与えて、それを鳥の周囲にばら撒《ま》いている。大変な喧騒だった。
太郎が鵞鳥につつかれて泣きはじめるのである。
「わあー、坊ちゃん。泣かんでちゃ、よか」
その鵞鳥の側に、老父はペッタリと転げ坐りながら、首をとらえて、抱きこんだ。
「ガアガア、ガアガア」
鳥の口真似《くちまね》をはじめて、老父は鳥のもがき出そうとする方向に太郎の前をころげまわった。可也君は、だまってその老父の姿を見守ったまま、まるで化石したようだった。
帰りは大変なお土産だった。リツ子の母から依頼されたままに静子が取次いでいた模様で、私は恥かしく断ってみたが、炭と味噌漬《みそづけ》を静子が先ず背負《しよい》子《こ》に負うた。私は太郎の手を曳いて、御料理の貰い物を風呂敷に下げるのである。
「千鶴ちゃん。磯開きはきっとおいでなさっせえーや」
いつのまにか帰ってきていた、赤い着物の女の子と一緒に門口に立って、千鶴子は何度も低く首を垂れた。斜陽が、そのうなじを白く顫《ふる》わすのである。
老父はまだ酔うていて万歳を繰りかえした。
「可也さんは?」
私は礼をのべようと思って見まわしたが、見当らなかった。
「何処い行ったかいな。見廻ってやんないや」
老父の声に千鶴子は礼をして家の中に入りこんでいった。すぐ可也君が走りだしてきた。編上靴を履《は》いていた模様である。
「峠までおくりまあす」
そう云い、静子の背負子を奪い取った。
「もうよござすが、もうよござすが」
と静子は何度も断ったが、可也君の意気込みを感じると手を曳いて、今度は手持無沙汰《ぶさた》からだろう、太郎を負うた。
曲り折れの上りきったところからふりかえると、家の前庭にまだお父さんも千鶴子も立っていた。女の子の赤い衣が妙に印象的だった。静子に負われた太郎が、静子の声につれて手をふるのである。
「さよなら――。さよなら――」
可也君は、その静子と太郎を見て、それから、ちらと、自分の家の前庭を見るようだった。細い切通しを越えてようやく視界を遠ざかるのである。
先を歩いていた可也君は、今更のように私をふりかえって、
「今日は先生。御無礼しましたやなあ――」
「いいえ、こちらこそ。大変な御世話様になりました」
峠から、桜井の村が俯瞰《ふかん》できた。暮近く、桃の花がポッと赤く夕陽を浴びていた。
「可也さん、もう結構です」
「そうだすな。もう一度お目にかかります。これからちょっと、仲人《なこうど》頼みに桜井ば廻ってきますやなあ」
そう云って、可也君は強《し》いて送ろうとは云わなかった。太郎がいつのまにか静子の肩にうなだれて眠って終っている。私は可也君から背負子を受取って、肩に負うた。
「先生。出来《でく》るか出来《でけ》んか、まあ、やってみますやなあ」
別れ際に可也君は、夕陽を浴びた逞《たくま》しい青年の顔付で、そう云った。
ここから、せせらぎに沿うて降《くだ》るのである。静子はうつむいて終って、黙って歩いている。妙な寂寥《せきりよう》が来た。
夕べの山の風だった。こんな樹々の風を久しぶりに聞いたといぶかしいのである。然し、もやもやと覚えのある春は、渓流沿いを匐《ほ》うていた。
「気の毒ですね、可也さんとこ」
「ええ」
と肯いて静子は二三歩歩いたが、
「可也さんが、しっかり、切開きなさすが」
私を見て、はっきりとそう云った。咄嗟《とつさ》に私は、押えがたい静子へのきびしい思慕の心を意識した。これが冒涜《ぼうとく》の人生か? 私の背負子の紐《ひも》を持つ手が、顫えてくるのである。勾配《こうばい》の山の道に沿うせせらぎは点滅し、緩急のある絶えまのない潺湲《せんかん》の声を立てていた。
打明けるか? 遂には土芥《どかい》に朽ちまぎれる人体ではないか、支那の曠野《こうや》に曝《さら》されていた戦死者の夥《おびた》だしい腐朽の姿が眼に浮んだ。
が、耐えるか? 私は夕暮のあわいの底に、渓流の光を見失うのである。ダラリと燃え落ちる、小さな風車が、くるくる、くるくる、私の眼の中に旋回していった。
糸島の生活では、何といっても薩摩藷《さつまいも》が一番美味《おい》しかった。土地では俗に「糸島源氏」といっているが土質に合うのか、鮮明な紡錘の形を、今に忘れない。太白《たいはく》や農林二号は余り喜ばれないのか、見当らず、供出用の沖縄《おきなわ》百号と、自家用の糸島源氏が殆《ほとん》ど大半を占めているようだった。
その糸島源氏も静子の家の赭土《あかつち》の傾斜面に植えたものが一番おいしく、囲いから静子がとり出してきてくれるのを手に取ると、石英や雲母《うんも》の粒子がキラキラと粉をふいていた。
「はよう、炊《た》いて喰《あが》んなさっせえや、太郎ちゃん」
「オイモ、オイモ」と太郎が藷の籠《かご》を重たげに抱《かか》えてはしゃぐ。
「もうすぐ竈《かま》あけだす。そしたら、太郎ちゃん。山のごといっぱいあげますばい」
三月の末には大抵種藷の竈をあける。私は石神井《しやくじい》にいた頃にリツ子と二人、近所の乳牛を飼っている農家と親しくなって、薩摩藷と牛乳を分けて貰《もら》っていたから、関東流の囲い方を覚えているが、黒土を地下室風に掘り下げて、藷を蔓《つる》ごと一面吊《つ》るしていた。糸島の囲い方は湿気が少いせいだろう。もっと簡単で、山の赭土を穿《うが》った横穴(戦時中の防空壕《ぼうくうごう》はしばしば代りに使われた)にただゴロゴロと詰めてゆくばかりで、その入口の所に分厚く藁《わら》を入れるだけである。
然し、際限もなく静子の家に依存するのは心苦しいから、なるべくよそを廻って藷を乞うように心掛けたが、何によらずこの辺《あた》り一帯は金銭による売買を嫌《きら》うふうで、これには弱った。万事物換えである。インフレ下の金銭を嫌うというよりも、馴《な》れていないのであろう。値段の点で、きまって一二時間はぐずついてしまうのである。大ざっぱに二十円とか五十円とか手渡しても、相手は途方にくれて、人参《にんじん》を添え、白菜を添え、それでも安堵《あんど》がゆかぬ按配《あんばい》である。
藷は糸島に移った当座が一貫匁十円で、三月に這入《はい》ると大体二十五円見当まで昇っていった。けれども、太郎のおやつが何も無いから、藷程重宝な食物は他に無い。私の手指は次第に藷の脂《やに》で黒く染んでゆく有様である。但し蔬菜《そさい》や藷に換える手頃な品物が薄くなってゆき、とうとう、太郎の衣類を持ち出す始末になった。
ここでちょっと生活の概略と手持の品々による生計のやりくりを記してみると、私の軍用シャツ上下が米三升、国民服が米麦混《まぜ》て二斗、皮脚絆《かわきやはん》が味噌二貫匁、醤油《しようゆ》三升、米三升といった有様だ。皮脚絆は漢口で買い中国の遊歴に用いた物であるが、今は太郎と二人薪《まき》とりの山ゆきに使っていたのを、近傍の若い復員軍人に見染められ、論なく換えた。但し、まだ親がかりの青年で、その都度両親の留守を見計らい、盗み出して来るのだから、
「急なこつあ間に合いませんやな」と云い云い、とりあえず米一升と少しばかりの醤油が届けられた。電球は、質が粗悪なせいか、これまでに三度切れ、その都度うろたえるが、たった一軒ある雑貨店で、米一升と換えてもらった。つまり、雑貨、塩、肉、魚類の入手には、一応米に還元して、その獲得をはからねばならないわけである。
太郎の久留米絣《くるめがすり》が藷三貫匁。中国から腹巻にして持ち帰ったタオルは、汚れを洗いおとし、一枚一枚に切り離して米一升、乃至《ないし》藷二貫匁と換わり、これは非常に喜ばれたが、大半は親戚《しんせき》や母や弟妹にわけ与えているので、もう残りは少い。
何といっても、リツ子の衣類が王者である。然しながら、リツ子の母が看病に来てからは、厳重な監視つきで、ちょっと簡単には持ち出しにくい。然し可也君からもらった炭代を払おうと思って、いちど金紗《きんしや》の着物を売りにかかり下のおばさんに仲介してもらって、価格の段取りまできまったところを、リツ子の母に押えられた。
「どうせ、あなたの収入の無かとじゃけん、売っていかんとは云わん。ばってが、なんごと一言《こと》私に相談の無いとですな。着物は私がリッちゃんに買《こ》うてやっとるよ」
なるほど、そうだ。然し今まで母と相談してスムースにいったためしがない。結局、売る結末になるにはなっても、その途中で、さんざん油をしぼられる。それが面倒だ。
こう云って終《しま》うと愛妻の律儀男《りちぎおとこ》が、細君のお母さんからいじめられているふうだが、そうばかりはゆかない。私の素行と性情の側《がわ》に、この母へ納得のゆかぬ不審の点が多々あるのである。それにはリツ子すら脅えている。いや、当の私自身皆目安堵のゆかぬ浮動心が、絶えず波打っていることを、かくすわけにはゆかないだろう。
私は生来、衣類や金銭を木《こ》ッ葉《ぱ》の如く思っている。移動の度《たび》に、すべての家財、衣類、蒲団《ふとん》類を失う習慣だ。よく昔の友人の家などに出かけていって、学生の頃に見覚えのあるその友人の書籍、アルバム、机、座蒲団、着物、背広など見かけると、実に奇怪な感慨にとらえられる。私は、先ず一つの品物を、三年と持続して持ちつづけたためしがない。売り、入質し、流し、移動し、ホッタラかし、人にくれるといったあんばいだ。学生の頃、東京で妹と家を借りていた頃の品物は、下宿住いに変る際、みんななくした。下宿から、芳賀檀《はがまゆみ》氏、桜井浜江、高橋幸雄と勝手に転々ととまり歩いて召集を受け、そのまま一切、下宿にホッタラかした。兵営を出て、今度は満洲行きだ。私の母はその都度蒲団、背広、オーバーなどを整えてくれ、勇躍新京《しんきよう》に居を構えると、私は又無闇《むやみ》と、分不相応な品々を買い漁《あさ》ってちょっと人並の一家を為《な》すが、手ぶらで帰省した拍子に今度はキレイサッパリと東京に移り住むといった有様だ。勿論《もちろん》、満洲の品々はそのままどこにどう失せたか知りやしない。そればかりか新京の従姉《いとこ》から母宛にことづかったトランク三箇(中は土産《みやげ》)を全部東京駅で流して終っている。一時預けに預けたまま、十日を経、二十日を経、遂に月余となって、当時の預け料金にして、何百円かにかさみ、到頭出す術《すべ》を失ったのである。
繰り返すが、私は生来財貨を木ッ葉の如く思っている。その代り、場当りの如何《いか》なる生活の苦渋をも甘受する。然しこれは武士の金銭蔑視《べつし》とは違っていた。他愛ないのである。従って人との貸借は乱脈を極《きわ》めている。
いつも父から、「分相応なくらしをせよ」と叱《しか》られたが、分相応とは慾望の強弱の度合いのことだという、奇怪な思想を持っている。もっとも、無ければ文無しでも、ボロ服一枚でも困らぬのである。
誰だって徳義は守りたい。守った方が安穏《あんのん》だからである。無用の動顛《どうてん》の業苦についてその悲しみを一番知っているのは私だろう。然し私の殺伐な悲哀の側について何も人の理解と同情を乞うわけではない。
云うてみるならば、私は絶えず人の云う、戦災に遭《お》うているわけだ。悲しみは別として、今更己の来歴の動顛を悔い改めたいと思ったことはない。そういう私が、病妻と、その母の側《かたわ》らで生涯に味おうたためしのない他人流儀の生計をあやつらねばならないのである。が、リツ子の母の側からすれば、私ほどの危険な婿も他になかった。皆目納得のゆかぬことばかりだったろう。
金紗の着物は売るには売った。然しその金は全部母が預るのである。
「さん。メバルば探してきておやんない。ハイ二十円あげとくけん」
今頃漁夫の家が開《あ》いているかどうか疑わしいが、明日の朝のリツ子の菜だと母は云っている。よろず云い始めたらそのまますぐ実行に移さないとヒステリーが昂《こう》じる性分だ。太郎が眠って終っているから一人で出た。
憤ろしいのである。リツ子の母が可也君の炭代を出してくれぬ。そのままにしておけば可也君が請求する道理のないことを知っていての、母の行為だから、腹が立つ。自分の物を売って、手許《てもと》の金を持ちたいが、身のまわりに早急に間に合う私の物は、もうあらかた、何もない。靴一足、これは福岡の友人に預けて、その代価七百円を送ってくるまでは、しばらく何の目算もなかった。
「よし電報を打つ」私は無闇に興奮しながら、夜の汀《みぎわ》の道を唐泊《からどまり》の方へ急いでいった。ふと、素晴しい辺《あた》りの霧の有様に気がつき驚いた。
満天に星がきらめいているのである。霧は一丈ばかりの厚さで、海面を蔽《おお》い、更に山の裾《すそ》と襞《ひだ》を匐い上っているから、崖《がけ》の上では丁度私の顔が浮ぶあんばいだ。残《のこ》ノ島がその霧の海に浮んでいる。私の顔だけが濃密な霧の上に丁度指標のヴイのふうに浮んで霧海の上の残ノ島に相対峙《たいじ》しながら、急いでいた。間々《まま》民家の灯火が樹々を洩《も》れ、その光の条《すじ》がいくつにも区切られた長方立体の形で白濁している。まるでその白濁の立方体の光を泳ぎわけてゆくふうだった。
私は、わけなく快活になった。こんな霧夜の有様を見るのは勿論《もちろん》生涯はじめてのことである。かりにこれを私の文章で正確に書き現しても、誰も納得する者はあるまい、とそこのところがまた莫迦《ばか》に面白かった。
顔だけが透明な夜の空気の中で星を仰ぎ、胸から腹の辺りと濁っていって、もう足先の方はおぼろである。二三間先の地肌は見えない。が、その霧の皮膜の上の木立も岩も明瞭《めいりよう》だった。月が無いのに、まるで月夜のように明るく感じられるのも奇異のことである。灯火が丁度冴《さ》えた夜気と霧の境のところにあちこちボーッとにじんでいた。
私は突然静子の家に廻って心当りの漁夫に、魚を相談して貰おうと思い付いた。この頃のような魚不足では、とても飛入りで這入りこんでいって分けてくれる漁師は無いにきまっている。それに二十円というのは戦前の金のかさだ。足りない分を借りて来ておけ、という、リツ子の母の魂胆だろう。リツ子の母の側にしてみれば、ここら一帯の漁師は、すべて顔見知りである。郷党の間では、戦前はかなりの有力者の奥さんだから誰でも簡単に貸してくれるに違いない。けれども私は違っていた。まぎれ込んできた異郷者だ。私の知辺《しるべ》といえば、この部落では、下の小母さんと静子位のものである。
すぐ引き返して静子の家を覗《のぞ》いてみよう。なぜとはなく、一寸後ろめたい気持もあった。が、この霧夜の素晴しさを誰かに打明けてみたい気持である。私はフッと石神井池畔の霧の中をリツ子と手を繋《つな》ぎ合って歩いた夜の事を思い起した。新婚間も無い日の事である。池畔の宿にあても無く飛び出して来て、そこで暮した。しかし沼の霧はモヤモヤと妖精《ようせい》が棲《す》む毒気の様で、こんな快活な変異とでも云い度《た》い様な霧と違っていた。
全く素晴らしいと顔だけ浮んで歩く不思議な霧の層を改めて眺めなおすのである。
静子は家にいなかった。おばあさんが、我が事の様に、オロオロと気遣《きづか》ってくれるのである。
「まあ、生憎《あいにく》だすな。手習いに出とりますが」
「手習い? 何の手習いですか?」
私はいぶかったが、老婆は問いの意味が解らぬ風だった。人の良さそうに笑いながら、私の顔をまじまじとみつめている。
「針仕事?」
「いいえ、あなた、字の稽古《けいこ》だすたい」
ああ、ほんとうの手習いか、と私は尚更《なおさら》不審に思われた。習字の稽古をしているのだとは思いがけないことである。何時《いつ》から始めたことなのだろう。
「じゃ、又」といいかけて、立去ろうとしたが老婆が、あわて始めた。
「もう帰りますが、呼んで来まっしょうか?」
「いいえ、何の用事でもないのです」
出ようとすると、老婆の困惑ぶりがはげしいので、暫《しばら》く上り框《がまち》に腰を下した。やっと安堵《あんど》する風である。沢庵《たくあん》を皿に切って茶を入れ、
「もう帰りますが」を繰り返している。が、静子は中々帰って来なかった。女の一人歩きを恐れない平穏な田舎《いなか》の幸福がしみじみ思われた。
「実は、リツ子に食べさせる魚を……」といいかけたが、老婆は、「もう帰りますが」を又繰り返して、一切私の用件は静子を通じてでないと、聞かぬ、といった風だった。人の良い好意と信頼の顔をつくづく眺めながら、私は慈母に会うた様に心和《なご》むのである。それにしても遅かった。三十分はとうに廻っている。魚は明朝のだから急ぐ事はないが、寝ている太郎が気掛りだった。出がけに、小便をさせてやって来ているから、まだ二三時間は起る気遣いの無い事が解っていながら、やっぱり不安だった。茶を啜《すす》って「又出直します」と戸口に歩むと、老婆が草履《ぞうり》を握って、上り框の上であわてた。困惑して取るものも手につかない塩梅《あんばい》である。こんな人情のふるさとがあるのかと、私の方がむしろ困惑するのである。
「じゃ、ちょっとその辺りまで出迎えに行ってみましょう」
とようやく老婆を納得させて家を出た。霧の底にせせらぎの音が沈んでいる。丸い玉砂利をころがす風の透明のカチカチなり合う音だった。汀《みぎわ》と山ツキでは霧の模様は違っていた。凸凹《でこぼこ》のはげしさに霧どもがまぎれ散っている有様だ。
「あら、さんじゃ無いだすと?」
と思いがけず斜め後ろの路地の中から声がした。一人ではない。同じ年輩の女が二人くすりと笑った。不愉快ではない。何につけ笑う年頃の少女達だと納得したが、それにしても静子の並はずれた成人ぶりが、あらためて感じられる。人のよい老婆と二人、幼時から一切家計を見てきた習慣からだろう。それにしても霧の中でよく私がわかったものだ。
「夜更《よふけ》に、何だすと? 太郎ちゃんな?」
「ああ、寝ました。実はね、漁師を紹介してもらおうと思って来たのですが、リツ子の魚がほしいのです」
「やすかことだすたい。直ぐゆきます?」
「御迷惑じゃなかったら」
「そんなら、チカさん達。御免なさっせ」
と静子は馬鹿に簡単に友人達と別れをした。私に叩頭《こうとう》して二人の少女が霧の中へ消えてゆくのである。
「この間はどうも有難《ありがと》う」と私は先日の月谷行の礼を述べた。
「いいえ、私の方からだすたい。可也さんが喜びなさしてだすな。昨日も千鶴ちゃんがお礼云いに見えよりましたとだすが」
「千鶴子さんが?」
「家へ来て泣いてありましたが、この間で決心のつきなさした模様だす。そうそう、山芋のお土産《みやげ》ば、預っとりますが。式の時、先生、行ってやんなさす?」
「私? さあ、私はもうはずせませんでしょう。残念ですが」
静子は肯ずいた。気がついてみると静子の家の方へ足は向っている。霧が次第に濃くなってきたようだった。
「おばあちゃん、唯今」
静子が木戸を明けると、灯火にさっと横なぐりの霧の帯が生れるのである。
「きつう、遅かったな。大分ここで待ちなさしたとばい」
孫の顔を見ると、急に生色を得、雄弁にもなるというふうだった。
「お魚、なんがいいとだすと。今鯛《たい》はないとだす」
「メバルだそうです。メバルが喰《た》べたいと、リツ子がしきりに云い出して」
そう云いながらふっとリツ子の母が喰べたいのではないか、と私の邪念が駈けるのである。
「そんならクウさんのとこたいな。おばあちゃん?」
老婆が笑って肯いた。
クウさんとは珍らしい名だ、そこならきっとあるにちがいないと不馴れな土地の優しい案内者に、又すがりきって終うのである。
「今からいこうより、明日の朝おとどけしまっしょう?」と静子が云った。老婆が全く同じ表情で、静子と一緒に私の顔を見守っている。
「ハア」と答えたが、汀の霧を静子に見せたかった。霧を眺める感動を誰かに分けてみたかった。
「お母さんが待っていますから、よかったら……」
私の言葉が一寸濁るのである。
「そうだすたい、待ってありまっしょうな」
と静子は気さくに立ち上る。俵から小さい袋に米を移していた。米換えで魚を入手してくれるのかと思うと赤面した。が、二十円を握っているばかりでは何も云い出すわけにはいかなかった。黙って好意に甘えるだけである。静子は米を入れ終ると裏木戸の方に出ていった。見事に結えられた二尺あまりの藁束《わらたば》を運んで来た。
「さん、千鶴ちゃんのお土産だす、山芋だっしょう」
すぐ家を出た。老婆が門口に立って見送るのである。
「マア、どうした霧かいな、船が衝突せにゃよかが」
なるほど、霧夜の汽笛が遠くボーボーときこえていた。しかし海面の霧は厚さ一丈で、その上が澄み切っている事を私は知っている。私は老婆に一礼して下り始めた。
「静子さん、手習いしているんですって?」
「まあ、おばあちゃんだっしょう? 云うたとは」
「いつから?」
その動機が何であるか、私には珍らしい好奇心が騒ぎたった。
「学校出てからずーっとだすと。同じ先生に見て貰うとります」
そうかと平凡な履歴に興ざめた。が、一体どんな字を書くのだろうと、一度静子の手蹟《しゆせき》を見てみたい衝動にかられるのである。山の道を下りきって、崖《がけ》の所を左に折れると、忽《たちま》ちボッと先程の霧が海の上を葡うていた。薄明りである。遠くの空が夕映《ゆうば》えの名残《なごり》のふうに明るかった。
「マア」と静子は声を上げて立ちつくすのである。二ツの首が空の中をぽっかりと浮んで歩くふうだった。霧の丈も先程と寸分変っていない。新らしく世界中の海の上を、この一丈の霧が隈《くま》なく被覆してしまって永久に消え去らないものの様だった。そんなとめどない妄想《もうそう》にさそわれるのである。
「今頃の季節にはよくこんな霧がかかるのですか?」
「いいえ、初めてだすやなあ。珍らしさ、太郎ちゃんが見たら、きっとたまがんなさすが」
と静子はその白濁の霧をしきりに手で扇《あお》いでいた。然し崖のハダが夜目にも知れるので汀の道は平素よりも歩きやすかった。
「マア、ホラさん」と、静子は指さしたが、海の夜鳥が一羽、バタバタと霧をあおっている。丁度その霧の皮膜の境の所を走っているので、鳥の飛翔《ひしよう》が、霧の無限の奈落《ならく》に吸われ落ちるふうである。
案の定、リツ子はメバルにちょっと箸《はし》をつけただけだった。リツ子の母が云うがままに、炭火をカンカンおこし、醤油《しようゆ》と砂糖をたっぷりとそそいで、焦げつきそうなそのひたしの中に一匹一匹抛《ほう》りこんで煮つめたが、頬《ほお》の肉と、片身をすこし口にしただけで、
「油くさーい」
放棄するのである。
「どうしてかいな? さん、鍋《なべ》をよう洗うた? 油いための油がきっと、附いとるとよ。お湯を入れて沸かして、よう洗わなあ――」
母は母で私の調理のせいにするようだ。
その癖、飯はまだ堅い飯を所望する。
「粥《かゆ》にせよ、粥に」と私がいくら云っても、
「お粥はよっちゃりしていて、いや、いや。ねえお母さん」
「そうたい。精分は、やっぱりしっかり炊《た》いた御飯でなからなあ、摂《と》れんよ」
事実そう思って、この母は云っているのかどうか? この頃母子の感情がかもしだしている雰囲気《ふんいき》は異様だった。リツ子の病勢の昂進《こうしん》が、変な嗜虐《しぎやく》的なヒステリーに昂じて、それが母にまでうつり一緒になって私に対抗しているふうだった。
私とリツ子の体力が疎隔して終っている。体力に伴う愛情に危惧《きぐ》を感じているのだろう。然しまだ愛情に疑いを持つだけの余力はあった。
実は先夜、私自身、つまらぬ打明け話をして終ったのである。丁度リツ子の母が草場に帰って留守の夜のことだった。
久方ぶりにリツ子の脇《わき》に床をのべて太郎と一緒にやすんだから、リツ子は珍らしがって遅くまで喋《しやべ》りたがる。
こんな状態で横になって喋っていた夜の聯想《れんそう》につながるのか、それがリツ子の方から美代福の話に移っていった。
「ねえ、お父様。もし私、ひょっと死んで終ったら、一度美代福さんに会ってみて御覧なさい」
「うむ」
「静ちゃんもいいけど、美代福さんの気立てが……やっぱりお父様に一番お似合いになる」
暗黙のうちに静子への私の信頼をよけている。リツ子に似ているという美代福の気立ての方を私に添わせようとするのだろう。
「あんまり似てないじゃないか?」
と私は口をすべらした。口をすべらしたというよりも、こんなに易々《やすやす》と打明けられる時期は無いからだ。一度は知らせておこうかという妻への心の負債を感じていたのだったろう。
が、リツ子は真蒼《まつさお》になった。ぶるぶると顫《ふる》えていった。
「お会いになったの?」
「ああ」と肯いてもう、そこからはかくすわけにはゆかなかった。
「私に死ね、と仰言《おつしや》るの?」
その昂奮の意味がわからなかった。リツ子の生存中に、美代福に触れるものとは思わなかったという意味か。単なる嫉妬《しつと》とも、口惜《くや》しさとも違っているようだった。美代福に触れれば自分は死ぬ、とでもいうふうの、変な誓いか迷信をしっかり抱きしめてでもいたようだった。
口を真一文字に閉じて、際限もなく泣きつくすのである。私は黙った。不用意の言葉がかもしだした、後悔よりもリツ子が心に抱きよせていたらしい、その迷信が、私にまで感応していって、何かむごい、まざまざとした実感に移るのである。
リツ子の食物に対するムラ気は次第に激しくなっていった。私とは、もう殆《ほとん》ど直接には言葉を交《か》わさない。
母に甘えて、昼夜の別なく嗜好《しこう》の変った物を漁《あさ》りたがる。
「お母さんラッキョウが喰べてみたい。ミリンのにおいのちょっと入ったような、小《ち》っちゃいラッキョウ」
すると私は太郎を負うて小粒ラッキョウとミリンを探して歩かねばならないのである。
「ねえ、五分漬が喰《た》べてみたい、カリッとするような五分漬よ」
「ねえ、シラスが喰べたい。橙《だいだい》の酢をおとして」
三月十九日の朝だった。毎朝のきまりで下のおばさんが新聞を階段のところに置いてくれたのを、珍らしく竈《かまど》の前で拡げてみて、ちょっと面白い記事だった。
「親馬鹿、子を殺ろす」
という見出しだが、南方からようやく帰りついた帰郷の兵士を迎えて、その親達が嬉《うれ》しさの余り、いちどきに鰻《うなぎ》を喰わせ、鶏を喰わせ、卵を喰わせて、粥《かゆ》ばかりしかすすったことの無い帰還息子は忽《たちま》ち死んで終った、というのである。その注意書に某医学博士語るとして、腹は薄い粥から徐々に馴らしてゆかねばならない。いくら栄養分の多い物を喰べさせても、吸収されねば何もならぬ、と至極平凡な記事だったが、これは必ずリツ子が読む、と知って面白かった。
リツ子は毎朝新聞に読み耽る。顫える手を胸の脇に垂直に立て、パリパリパリパリ新聞をそよがせながら、隈《くま》なく見る。もう、かすみ崩れるほどのおぼろな眼だ。
実は、新聞が読める間は大丈夫だが、読めなくなったら危いというリツ子の友人の例の闘病述懐談に相変らず縋《すが》っているわけである。
二階の病室に上っていった。箒《ほうき》を持っているから、リツ子の母は、太郎を連れて、例の通り近所にはずす。新聞を枕元におくと、リツ子はすぐ取って、掃除の塵埃《ちりほこり》をよけるふうに、顔にかぶった。
「おい、リツ子」
リツ子は私の語気に何事かと、新聞をそっと又はずしている。
「駄目だぞ、喰べ物を自制しなきゃ。何だ、ラッキョウだとか五分漬だとか、いい気になって、黒田博士が何と云った。乳児の乳離れの時ぐらいの用心が肝要だといったじゃないか。もう下痢が幾日続いている? 粥がよっちゃりして喰べられんとか、お母さんと二人いい気になって。死ぬつもりか?」
故意に私が乱暴な言葉を拾ってどなったので、例の眼をキョトンと空虚に見開いて、脅えきっている。或《あるい》はもう、何の意力も無くなっているのか、とその眼に見入りながら、私もしきりにわびしかったが、言葉はつづけた。
やがてむらむらと反抗的な意志が燃えたってきたのか、しばらく眼に生色を取戻して、それから、投げやりに、くるりとあちらを向いて終った。蒲団《ふとん》をひきかぶった。私は掃除をやめて、そのままドンドンと畳を蹴《け》って階下に降りてゆくのである。
又、何処かで喋りこんでいるのだろう。リツ子の母はいつまでも帰って来なかった。私は太郎の汚《よご》れ物の洗濯を済ませると、竈《かまど》の湯が沸《たぎ》り上っているので、洗面器に移し、二階に持参した。この頃ずっと母が拭《ぬぐ》ってやる習慣だが、自分でリツ子の枕元に運ぶのである。
リツ子は黙って天井を見つめている。思いつめたような、真面目《まじめ》な顔だ。私も黙ってリツ子のその顔を拭っていった。新聞は読んだに相違ない。いつもと違って今日は四ツ折に小さく折り、枕元から遠くはずして終っている。
静脈の透くような蒼白《あおじろ》い額から頬《ほお》、頬から口と、湯気の上るタオルでむすから、拭《ふ》きとると、見慣れぬ異常な美しさだった。思い決した風情《ふぜい》の、朝の昂奮《こうふん》が感じられる。それから手を拭った。繊《ほそ》い指の股《また》をそっとひろげながら静かに拭ってゆくと、
「お父様」
「何?」
「ほんとうに、御免なさーい」
爽《さわや》かな昂奮の面持が、急にくずれ、涙がキラリと滑《すべ》り落ちるのである。リツ子はそれを湯気のまつわる指先で、拭うでなく、ただ、頬の上にたしかめてあそぶふうで、
「でも、私、癒《なお》れるのかしら? ほんとうを仰言《おつしや》って下さらない」
「馬鹿。癒るさ。下痢じゃないか、悪いのは」
「癒ります?」
「癒るさ」
と念を押しながら、今度は私の方が後ろめたく、心そよいだ。
「今からね、仰言る通りのものをいただきます」
「それがいい」
「重湯《おもゆ》ですか?」
「そう。重湯だね」と云って終って、実は私に確信も何もない。ただ四ツ折に畳まれた新聞の医師談を心頼りにするだけで、記事の模様をそっと、繰りかえし胸にたぐりよせてみた。然しリツ子も私も、その新聞については一語も言葉では触れ合わなかった。
女親というものは面白いものである。娘がラッキョウと云えばラッキョウに取のぼせて、私をあちこちに狂奔させメバルと云えばメバルが無ければたちどころにリツ子の栄養が失墜するとでも云うふうに、私を逐《お》い使っていたくせに、
「やっぱり病人は重湯でなからな、なあさん」
「そうですよ」
昨日まで、水のひき具合がどうの、ヨッチャリしすぎたの、と釜《かま》の蓋《ふた》を明る度《たび》に娘の言葉を代弁して毒づいていたのが、急にゆったりと落着くのは不思議だった。
これで癒らなかったら? と然し私は、責任めいた感慨を負わされて、一人滅入った。仮りに最良の療養をつくしたとしても果してこの生命がとりとめ得るか、疑わしい。いやおそらく絶望だろう、とめっきり素直になって終ったリツ子の淋しい横顔に眺め入るばかりである。
実際、母子と私と三人が心和んだのは久しぶりのことだった。然しリツ子の病態はどう見ても最後の段階にすべり落ちて終っている。例の新聞が読めなくなってきた。手を垂直に両脇に立てて、眼をしきりにこらすふうだが、その手が、木枯の中の落葉のように、顫えやまないのである。けれども、これをとめさせながら安堵を与えるだけの効果のある言葉は、私にも思い浮ばない。もう全く、文字を理解するだけの読書にはなっていないようだった。
二十五日には静子が来た。紅白の餅《もち》を持参して、めっきり衰弱しつくしたリツ子の顔を臆病そうに眺めおろすのである。病気が怖《こわ》いというのではないふうだ。滅びに近づく生命というものを見て、少女らしく脅えるのだろう。
「どうあります?」
「いいとよ。この頃はほんとうにいいとよ」
リツ子は静子を前にして、そう云っている。健康な少女を見ながら、はかない生命の見栄のようだった。或は自分の言葉に縋《すが》って、ふるいたとうとするふうだ。
「もうすぐ、ソコリだすやなあー」
「ソコリ、って?」
とリツ子は不審顔だった。私も何のことか判らない。
「磯開きだすやなあ」
静子はそう云って、ちょっと私を見た。
「ああ、磯開き。昔一緒に行ったね、静ちゃん」
とリツ子は海の思い出でもさぐるふうに眼を細めた。
「とれますばい、奥様。もうすぐ磯物がいろいろ出盛りますが――。召し上りものの殖えて、早う起きなさっせなあ」
「ありがとう」リツ子はうなじを伸ばして私を見る。
「鯛なども?」と私は訊《き》いた。
「鯛も沢山あがりますが……。あれは、磯物じゃ、ないとだす」
「お父様。磯開きってね、海藻刈りよ。あわびやさざえや小物のお魚も磯物ですけど、静ちゃん達が取りにゆくのは若布《わかめ》や赤テンなどよ、そりゃ綺麗《きれい》。今度、行って御覧になってみたら」
「おいでなさっせえや、太郎ちゃんと。可也さん達も見ゆるとだす。浜で先生にお目に掛りたい、と昨日も云いにきてありましたとだすが」
静子はリツ子の言葉に誘われて、急に元気づいたふうだった。
すると、静子は磯開きの誘いに来ていたわけだった。それをリツ子の病態に気兼ねして今まで口をつぐんでいたのだろう。磯開きには行ってみたかった。私もまた、リツ子の悪化故《ゆえ》に云い出せずにためらっていたのである。
静子を送りがてら、太郎を探しにちょっと出た。橋の上から、太郎は一人で河口の潮に石を落しこんでいるようだ。静子と私を見付けると駈けよった。
「チチー。何処いく?」
「散歩たい」私は急に海辺を一歩きしてみたくなってそう云った。
「イクー。太郎も散歩イクー」
私はうなずいてその手を曳《ひ》くのである。
静子は妙に黙りこんで終っていた。私の歩行につれて半分磯の方へ歩きかけたが、立留って、
「ここから帰らして貰いまあす」
臆《おく》したようにそういって、そっと太郎の手をゆすり、それから一人砂丘の道を山の方に歩いていった。
「ウミ、アオイね?」と太郎である。
「青い」
私は潮風に吹きちぎれるその足許の太郎の声を聞きながして、際限もない海の色を見つめている。太郎がつぶやいているのは、性こりのない言葉の摸索《もさく》だろう。また、習得の都度に湧《わ》きおこる単純な喜悦だろう。それをいちいち私に確かめようとする。うるさい。
が、ふりかえってみると、砂の上に跣足《はだし》になったまま、波の文様《もんよう》の果を同じようにじっと見衛《みまも》っている。
漠然と大きい、このわたつみの威容を、或はアオイと思っているのかも知れなかった。
私が振返ったのに気付いて、それを喜ぶのである。
「テンも、アオイ?」今度は空を指して太郎が云う。
「青い、ぞおー」と私は幽霊のように両手をゆすぶりながら、空と海の底深い戦慄《せんりつ》を思うさま我子の心の底ににじみこませたかった。
太郎が脅えるのである。
「青い、ぞおー」もう一度大声でわめきながら、私は自分がかえってぶるぶると顫えてくるのを感じていった。
太郎の表情のなかに明かな困惑が現れた。解決に近づいている扉を、逆に封鎖されてゆくような、もどかしい不安である。
それでも急に思い決したふうで、
「チチもアオイ?」
困惑の度《たび》に、私の感情におどりこむ、例の太郎の習慣だ。
「うーん。チチもアオイ、ぞおー」
唸《うめ》くのである。自分の腸までが顫えてゆくふうだった。海の蒼《あお》い恐怖が俺《おれ》の肝《きも》にまで染んでいったというのか? 自分で脅えた。私はガラリと相好《そうごう》を崩して、その小さい太郎をしっかりと両腕の中に抱《かか》えあげるのである。
呼吸につれて時々リツ子の喉《のど》が笛のように細くヒュウヒュウと鳴る。こいつは気味が悪かった。興奮する度にいつもポッと桃色に染んでいたエマルジョンの頬《ほお》の色が、近頃めっきり乾《かわ》いてきたようだ。その上に白くナマズのようなものが粉をふいている。これもまた、結核菌か? 近頃のように急激な病気の悪化の模様を見ると、先《ま》ず看護者の私の方が脅えるのである。
「成田のお守札、お父様、知りません? 失くなったのよオー」
枕の下をしきりに手さぐりしながらリツ子が云っている。乏しい眼の光りで、あてどもなく掻《か》きさぐるふうだった。昨日から母にもくどくどと訊《き》いていたのを、襖越《ふすまご》しに聞いて、私もその紛失を知っている。そのうちどこからかでてくるだろうと、私はわずらわしいばかりである。
が、リツ子はしつこく訊く。
「ねえ、ほら、中国でお拾いになったお守」
訊きながら、枕の下の同じ畳のところを、カサカサと繰りかえしさぐっている。そこだけが、現在のリツ子の活動の分野である。
それにしても不思議だった。いつも枕の下に敷いているものが、そう簡単になくなる筈《はず》はない。その一尺五寸にたりないリツ子の活動の分野から、あれ程大切にしている木札が逃げだす道理はないではないか。太郎が握って持ちだしたのか? けれども、太郎がリツ子の枕許《まくらもと》に行くことは極く稀《まれ》だ。リツ子の母が、盆の上にでものせ、間違えてそれを運びだしたものか。それとも私が――。
そうと考える外はなかった。私も同じようにリツ子の枕許を、蒲団《ふとん》を剥《は》いで探してみるが、無い。床の間、箪笥《たんす》の上と細かに調べるが、無い。広くもない二階の貸間二部屋だ。紛れそうなところは見当らぬ。それにしても無い。無いときまると、何となく私も嫌《いや》な気持がしていった。御幣《ごへい》をかつぐ訳ではないが、無い道理が無いではないか。
リツ子のひどい気の滅入りようを、一概に叱《しか》る気力も失せていった。何となく頼りなく、何となく前途に光明の薄らいでいる時期だ。リツ子のこたえる気持が、私にも敏感に伝わってきて、脅えるのである。
とるに足りぬお守札だ。あれは中路鋪《ちゆうろほ》で拾っている。辛《つら》い中国の旅の途中のことで、山茶花《さざんか》の丘陵の中でP40の掃射を受けた。一人の兵隊が負傷をして、その負傷兵が担《かつ》ぎ去られた辺《あた》りの叢《くさむら》の中で拾っている。多分負傷の応急手当をする際に腹巻の辺りからでもこぼれおちたものだろう。私はまだ温い13ミリの機銃弾と一緒にその垢《あか》よごれた木札を拾って、実はその兵士にかえしてやろうと、追いかけたのだが、負傷兵のトラックはもう出て終《しま》った後だった。捨てずに持ち歩いたのは、何か、そいつを棄てるたたりがおそろしいような迷信にとらわれた。戦場では、多少とも、そんな気弱な気持に陥入ることがあるものだ。
私は腹巻にくるみこみ、何となく内地まで持ち帰って終ったのだが、陸軍省へ帰還報告の為に上京する折、リツ子から所望された。私が中国の旅を恙《つつが》なく終えたのは、このお守りの加護だとでもいうようにリツ子自身思いこんでいたのだろう。
一概に迷信深いというよりも、リツ子は何もかも有難《ありがた》がる性分だ。万物尊崇(?)とでもいうような一風変った信仰を持っている。万物の底に、絶えず働く神の加護を見る。甘くて優しい、生活の汎神論《はんしんろん》といったふうだった。病臥《びようが》してから殊《こと》にはげしいが、然し、臥床《がしよう》以前からもそうだった。
芋が掘れれば有難いのである。林檎《りんご》が店頭に赤くても有難い。茶柱が立ったといって有難い。夕雲が金色に染っているといって、私と太郎を呼出しては有難がって拝《おが》む。庭先の柿の木に蜘蛛《くも》が巣をかけたといって有難がる。これらは、まあ有難く結構だが、原稿料が入ったら押し戴《いただ》く。私の労力を尊んでくれるばかりではない。金銭の尊崇にまで及んでいた。
いちど、馬鹿馬鹿しく腹がたったのは、石神井《しやくじい》にいた頃だが、大掃除の時、畳の下に敷きこんだ新聞紙の間に十円紙幣がまぎれこんでいて、これを神の降下でもあったように押しいただいた。誕生前でまだ言葉のわからなかった太郎にまで、いちいち説明をして、勿体《もつたい》をつけて拝ませている。私は怒鳴った。
「馬鹿馬鹿しいからやめろ。金銭という奴《やつ》が人間の歴史の中にまぎれこんできたのは、ついこの間だ。やがてまもなく亡び去るにきまっている。貸借が徳義の基準かなんぞのように思うのは、お前達の、その拝金思想だぞ。三千年の時間で、はかれ。三千年の――。或《あるい》は、三千里の距離ではかれ。三千里の――」
なあに、リツ子は他愛のない感謝趣味なのである。むしろ、私が強調していた言葉こそ、私のふしだらな、不徳義の、みにくい、自己弁護のようなものだった。そういう自己弁護と裏打ちになった、私のどうしようもない実生活上の懶惰《らんだ》である。実は、大掃除が嫌《いや》でたまらなかった。鬱陶《うつとう》しくてかなわなかった。それを、大掃除が嫌だと、簡単に、人にも自分にも、わからせたくない。つまらぬ云いがかりをつけて、抛《ほう》りだし、ぷいとそのまま石神井の池と森に気晴らしに出かけていった。
「三千年のお父様の仰言《おつしや》ることは、何だか、ちっともわかりません。ねえ、太郎さん」
書きもしない原稿用紙を拡げて机の前に坐っていた私のその後ろに、太郎を寝かせつけながらリツ子がこう云って泣いていた夜のことを覚えている――。
さて、お守りの話だが、これを私から貰《もら》ってリツ子は馬鹿に有難がった。垢《あか》よごれた木肌のままのお守りを何度も押しいただいて、片時も手離さなかった。私の上京した留守の間に、福岡はB29の焼夷弾《しよういだん》攻撃を受けている。リツ子はその攻撃をさけて、渚《なぎさ》に走り、雨下する焼夷弾の中で、このお守札だけを頼りに握りしめていたという――。海の中に何本もの火焔《かえん》が立ち、リツ子自身も頭からかぶっていた丹前《たんぜん》に、おびただしい焼夷弾の油脂を浴びて、私は東京から帰り、その油脂の黒い斑点《はんてん》を眺めながら、リツ子の蒙《こうむ》った危難の身近さに驚いたことがある。同じ渚でも直撃弾を受けて死んだ人や、焼け死んだ人があったという中で、病人のリツ子が助かったわけだった。それ以来、殊更、このお札を命の綱のように尊いものに思いこむ癖がついたようだった。
福岡から、松崎。松崎から糸島と、垢よごれた木札を握りしめて転々した。病勢が悪化するにつれ、この木札への信仰は昂じるのである。
いつも、枕の下に敷いていた。掃除の度に私はその手垢によごれた木札を見て、つまらぬものを与えてしまったと人間の弱さと昏迷《こんめい》をしきりに味気なく思っていたが、それが失くなったとは不思議だった。失くなってしまってみると、私も何か不吉な悪魔の仕業《しわざ》ででもあるような嫌な予感にゆすぶられる。
あちこちと紛れそうなところを探してみた。が、無い。太郎が持ち出す筈はなかった。この頃リツ子の枕近く寄ってゆくことが全く無いからだ。するとリツ子の母か私が、あやまって棄ててしまったものとしか考えようはない。それにしても二人共、リツ子の木札に対する異常な信仰を知っているのだ。実際、不思議なことだった。
もう一つ。これも不思議なことであるが――、私は医者にリツ子の余命三十日を云い渡された日から、ひそかに病床の日記をつけていた。日記風に悟られるのは厭《いや》だったから、第一日をローマ数字で入れた以外は、日附を入れず、中国で使ったノートの後ろの方に、全く小説風に書き記しておいた。ただ、一日と一日のくぎり目を、二行ずつあけている。記入の余暇が殆《ほと》んどなかったから、時々掃除のあとなどはリツ子の枕許でも書いていた。リツ子はうっすらと目をあけて、
「何していらっしゃる?」
「ああ、小説」
「何という題?」
これには困った。平素私は題の方を先につけて小説を書いてゆく慣《なら》わしであり、それをよくリツ子は知っていたから聞いたのに違いなかった。
「ああ、夕波千鳥だ」と、私は出まかせの題を云ってまぎらした。
「いや、いや。夕波千鳥なんか。私が血を吐いて死ぬという小説でしょう?」
「そんな馬鹿なことがあるもんか」
「じゃ、出来ているところを少し読んできかせてみてくださらない?」
「ああ、いいよ」
と、私はとまどいながらも手帳を繰った。太郎と砂丘の処で遊んだ部分を、先ず一節だけ読んでゆく。が、案ずる事はない。しばらく読みすすむうちにリツ子はすやすやと寝息を立てはじめるのである。もう体力の衰耗がかくせなかった。五分と持続して精神を集中できない様子である。私もしきりに淋《さび》しい思いだった。眠っていることを知っていながら、故意に全文を読んでいった。聞いていないと知って、私は弔辞をでも読むふうに、読みすすんだ。いずれこの日記がお前の最後を記録するたった一つの文章になるだろう。そんな感傷も私に湧《わ》く。そんな感傷にゆすられながら、手帳の文字をひっそりと読んでいった。
「ああ、あー」
と、霧の中からでも迷い出したように、リツ子が目覚めた。私は、読みさして、
「どう? 眠ってしまっていたじゃないか」
「御免なさい。この頃眠うして、眠うして。でも、太郎が波の処で遊んでいるとこだったでしょう?」
「そうだ、先を読むか?」
「ええ。でも、あしたにしてくださらない。お茶をひとーつ、ね、お父様」
私は手帳を握りながら、病室を出るのである。
不思議なのはその手帳であった。四五日後のことだが、破り取られていたのである。それもひどく乱雑に、三月の月半ば頃から、月末までの箇所が斜めにむしり取られていた。
病状の変化に関しては、食物の量とか、糞便《ふんべん》の回数などで、特別これといって、書き入れた記憶はない。また、病名は、見られることをも予想して、慢性腸カタル黒田博士診断等と、随分粉飾を施していたのだから、それを嫌ってリツ子が破った筈のこともなかったろう。日記の主体は静子や、可也一家との出入りが主だった。また貰いものの記入や、買入れの食物の模様、それから、あちこちの出歩いた私の行動の備忘録だった。しかし、これ又、太郎が破る道理はないのである。
それでも念の為に太郎を呼んでみた。
「ね、太郎。父の御本ビリビリしたのは太郎か?」
「ウンウン」といつもの通り嬉《うれ》しそうに肯《うなず》いて、
「あア、あ。チチのゴホンビリビリ。あア、あ」
と、破れた箇所を指さして眺めている。どうも破った気配《けはい》には見えなかった。
私は、リツ子の母にも、それとなく聞いてみた。
「この手帳に小説を書きかけていたのですが、何か破ってお使い捨てになりました?」
手帳を開いて、破れた部分をみせるのである。
「ほう、可笑《おか》しさな。私《わたし》ゃ知らんばい」
満更、嘘《うそ》でもなさそうだった。すると一体誰だ? リツ子が、先日私の読んでやった日記を心覚えに、その先が見たくなり、母に頼んで、手に取ってそれを読み、何かの箇所が、気に喰《く》わず破り捨てたと考えるのが、一番ありそうなことだった。しかし、狭い二部屋で書いているからには、いずれリツ子に見られることもあるだろうと初めから考慮に入れていた。だから、むしろ病者に関する限りは、激励になるふうな修飾をも忘れてはいなかった。一概にリツ子が私の日記に脅《おび》えて破り捨てたとばかりは考えられない。それにしても、私は無念だった。リツ子の身辺の変化は書かなかったが、景物の底に漂う、折々の憂愁は洩れなく書きとどめておいた筈だった。おそらくまもなく、リツ子は瞑目《めいもく》するだろう。リツ子の肉感が醸《かも》しだす最後の雰囲気《ふんいき》を記した私の文章が、永久に消え去ることは、丁度、リツ子自身が、私の手の中から摸索出来ぬ地帯にでも吸い込まれていってしまったような、わびしさだった。いや、わびしいばかりではない。不思議なのである。不吉なのである。いよいよ、リツ子が空漠《くうばく》の彼岸《ひがん》にさらわれてゆくのかと、私はうつろな目をぼんやりと見開いている、リツ子の横顔に眺め入るばかりである。
だから潮ぞこりの日が三月二十八日であったか、それとも二十九日であったか、今私は記憶しない。それは破り取られた日記の中に書きこまれていた筈だ。
「まあ、今日は磯開きな」
素晴らしく晴れた春の海を見下しながら、リツ子の母がそういった。私は一寸《ちよつと》掃除の手を止めるのである。リツ子を見た。お天気のせいか、馬鹿に早くから目を覚ましてよどんだ眼を見開いている。
磯開き――。先日静子に誘われたままに、私も忘れてはいなかった。しかしリツ子の悪化をみては、とてもその枕許をはずせる筈はなかった。私ははたきを手にぶら下げながら、同じように、母の後ろから明るく晴れ渡った海を眩《まぶ》しくみた。手に手に赤い竹籠《たけかご》を持った娘達が、玉の浦寄りの方に向って急いでいる。
海は凪《な》いで見違えるような青さだった。鳶《とび》が一羽ゆるく、その海の上を舞うていた。
「お父さま。太郎と見ていらしたら? 磯開き」
「そうたい。いっておいでないや。御飯ば仕舞《しも》うたら」
「はあ」と、私はうなずいたが、ゆけるものとは思わなかった。
「獲《と》ったなあ、リッちゃん。あの時は」
母の言葉にリツ子は黙って肯いている。いつの日かの磯開きの思い出をいうのだろう。
「お母さん。生の海胆《うに》のワタが喰べたかあ――」
「さんから取ってきて貰うて、食べたらええな。精分のとてもつきますとですよ、あれを食べさせると。さん」
「すぐ、僕らにでも取れるのかしら」
「取れますよ。難《むず》かしゅうはない」
「静ちゃんもくるとでしょう?」
と、リツ子は思いがけずその事を覚えているようだった。私は一寸リツ子の表情をさぐるのである。
「食べたかあ――、海胆を」
何事もない。ただそれだけの、病者の欲望に呆《ほう》け果てた顔だった。間もなく眼をつむりまた微《かす》かな寝息をたてはじめた。まだ顔も手も拭《ぬぐ》ってやっていない。睡眠が足りぬというよりも、どうやら、折々昏睡《こんすい》の状態に陥込むような気配が気になった。リツ子の重湯《おもゆ》は枕許に用意したままで、太郎と私だけ早目の朝食を済ますのである。リツ子の母は私達と別に、いつもリツ子の枕許で朝食を摂《と》るならわしだ。私の調理は気に入らず、小さな鍋《なべ》で、リツ子と自分だけの別菜を七輪にかけて作って喰べる。
「リッちゃんが、眼覚してからにしまっしょう」
そう云って、今朝は神妙に枕許にうずくまって待っている。やっぱりリツ子の様子が気がかりなのだろう。
「おっ母さん、もーし」
海寄りの往還《おうかん》の方から声がした。
「誰な? まあ――島ちゃんな」
リツ子の母が硝子《ガラス》戸《ど》を繰って答えている。
「誰ですか?」
私は静子達ではないかと思って、リツ子の枕元にゆき病室の窓から覗《のぞ》きだすのである。違っていた。お母さんの疎開先にあたる大家の娘さんだ。四五人の草場の娘達が連れ立っていた。
「おっ母さんな、磯開きにはおいでなさっせんと?」
「まあ――、私ば誘うてやったとな?」
母も退屈からか嬉しそうに眼を細めたが、
「海は眩《まば》ゆうして行ききらんばい」
「御病人はどうですな?」
とお島さんは手をかざして見上げている。
「ああ、良いですよ」
母はそう云って、ちょっとリツ子を顧みた。上と下で交《か》わす言葉が大き過ぎるからだろう。リツ子はふっと眼を見開いた。いぶかしそうな低い声で、
「だあれ?」
「島ちゃんたい。磯開き行きのありよるよ」
と母がリツ子に答えている。
「気晴しに、おいでなさっせんな?」
下から又お島さんが大声で云った。
「有難う。残念かが、今日はやめとこう。海の眩《まば》ゆうして」と又母が眼を細めた。
「来なさっせん? 来なさっせんならお餅《もち》ばわけときまっしょう。少うしですが」
「まあ、餅な?」
母は嬉しそうに降りていった。弁当代りに持参した餡餅《あんもち》ででもあるのだろう。私は二階から見下ろしているのである。しきりに静子がやってきそうな気がしていた。母もリツ子も磯行きをすすめてくれたが、今日はちょっとゆけそうもない。リツ子の模様が何となしに危いのである。急変でもしそうな、心細さだった。眼の色が馬鹿ににぶっている。呼吸の度《たび》に唇《くちびる》の辺りが顫《ふる》えて、顫え止《や》まぬ。
リツ子の母が上って来た。新聞紙の餅の包みを大切そうに抱えながら、ニコニコと笑っている。
「ターちゃん、ターちゃん」
と太郎を呼び、ひとつ大福を与えて、病室にもどってきた。
「うちは、朝御飯はお餅にしよう」
ききとれたのかリツ子が黙ってうなずいていたが、ふっと思い出したふうに、
「ああ、海胆《うに》。お母さん。お島さんに頼んでやった?」
「そうたいな。忘れとった。さん島ちゃんば追いかけて頼んでください」
私はあわてて階段をかけおりてみたが、お島さんの一行は、もう見えなかった。
「足が早いなあ、もう見えませんよ」
「どうしてかいな。ああ、きっと何処《どこ》かの家で衣裳《いしよう》替えをするとですよ」
と母が答えた。リツ子が無念そうに眼をつむる。そんなに喰べたいのかと、私は病者の異常な嗜好《しこう》に驚くのである。
「静ちゃんが迎えに見えるとでしょう? さん一緒についていって、海胆を取ってきておやりないや」
「大丈夫ですか? リツ子」
と私は喰べ物のことをいうとも、悪化の状況を憂うるともつかぬようなあいまいな問いをした。
「食べたあーい」
とリツ子は、又眼を見開いて唇を顫わすのである。
母が言葉を足して、
「良いとですよ。精分のつくとですよ」
「よし。取ってきてあげよう」
と私はうなずいたが、静子との幸福を先にする後ろめたさでとまどった。
母は大福をタンスの上に置き、又しばらく窓際に手をもたれて、海の方を眺めていた。
突然、
「まあ静ちゃんが、牛車に乗ってくさ……」
そういって私とリツ子の方を等分に振り返った。なるほど、ガラガラと牛車の音だ。窓の方に急いでゆくと、
「先生、居《おん》なさす?」
と、先ず静子のよく徹《とお》る声が上ってきた。
可也君が、牛車を引いていた。千鶴子と、千鶴子の娘が車に坐り、静子が一番後ろに腰をかけて、しきりに上を見上げていたが、私をみつけると、機敏に牛車から飛び下りた。すぐ海に這入《はい》るつもりなのだろう。モンぺは上着だけで、下に赤いお腰を膝《ひざ》の上までたくしあげていた。
可也君が帽子をとり、千鶴子は牛車の上に坐り直して娘の頭をおさえながら、いっせいにお辞儀をした。何となく、私は頬が紅潮してゆくのを感じるのである。
「行っておいでない。あとは良いけん」
「喰べたかあー」
と母とリツ子の声がした。私は自分の心が、うわずってくるのをしきりにこらえた。
リツ子の母の方に向きなおって、
「深いのですか? ズボンでいいかしらん?」
「半ズボンがええな」
「おいでなさす?」
静子の声が又あがってきた。
「ああ、さんに行って貰います。静ちゃん。海胆《うに》のありばば教えてやってつかわさい」
「まあ、海胆だすと? あわびも要《い》りなさす?」
母はちょっと私の方を振りかえってから、
「そうな、あわびも頼みまっしょう。今すぐ下りるけん、玄関に這入《はい》んなさい」
「奥さんのお見舞もさせて貰わんなりまっせんが、今日はこげな恰好《かつこう》で、やめときまあす」
と静子の声がした。母は降りてゆくのである。
「いいのか? いなくても」
と私は、リツ子を見下ろしながら、気がかりになって念をおした。うなずいている。やがて滅入りそうな心細げの様子に変ってゆく。
「早よう帰ってくださいね」
それだけいって眼を閉じた。私は急いで、押入の行李《こうり》をひっくりかえし、半ズボンに着替えるのである。寒がる時の用意に、と、太郎のオーバーを手に持った。
「じゃ、行ってくるよ」
「太郎にバスタオル」
リツ子は眼を開いて、そう云った。もう溷濁《こんだく》しかけているような意識の中で、やっぱり太郎のことを案じているのだろうと、これは不憫《ふびん》だった。急いでバスタオルを握り、
「ほら、バスタオル」
リツ子の眼の方に拡げてみせて、
「じゃ、ちょっと行ってくる」
階段を降りていった。
牛車は家の前に止まっていた。静子にかかえあげられたのだろう、もう太郎は乗っている。
「チチー。ホラ牛モー」
牛の巨大な臀部《でんぶ》の辺りを指差しながら、しきりに感嘆するふうだった。
「お加減な、よござす?」
と静子が母の側に寄ってゆく。
「ああ、良いですよ。この二三日食慾のついてなあ――」
「まあ、よござしたなあ――」
「今日は良い海な。さんに海胆やら、あわびやらの居り場ば教えてやって頂戴《ちようだい》」
「まあ、おやすいことですが」
「お姉ちゃん、早く」
と太郎の言葉に、静子は、
「じゃ――」と後がえった。
可也君が牛の口を取りながら、帽子を脱いで、母の方に端然と礼をした。静子が、太郎の側に乗ると一緒に、ゴロゴロと牛車がきしむ。太郎は牛の尾の旋回に気を奪われているのである。
「アレナーン? ナンすると?」
「尻尾《しつぽ》だすたい。虻《あぶ》やら蠅《はえ》やら追うとだすよ。可笑《おか》しゅうござっしょうが、太郎ちゃん」
静子がしきりに笑っている。
しばらく私は牛車の脇を歩いていた。
「先生。お乗んなさっせえや」
気遣《きづか》わしげに可也君が二度立ち止ったから、私も乗った。千鶴子が改まったように、私に礼をするのである。
「先日はどうも」
私の声に相変らずキラキラと眼が脅えて、
「何ごとのおもてなしも出来んどりました、とお父さんのことづてだす」
「先生。こっちへ」
穴のあいた赤い破れ座蒲団《ざぶとん》を指差している。私が坐らないから、ちょっと静子と千鶴子と私との真中に、気まずい空間があいたふうだった。
が、太郎がよろけながら、その座蒲団の真中へ立っていって坐った。千鶴子はしばらく声を立てて笑い、
「良い坊っちゃんですなあ――。良い坊っちゃん」
その太郎の足を捉《とら》え、足指をしきりになでてなつかしそうにもむのである。
キャッキャッという、くすぐったそうな太郎の笑い声が、しばらくつづいていた。
全く明る過ぎる海だった。残《のこ》ノ島と志賀《しか》ノ島が、なまめき揺れているようだった。海がとろけている。昨日までのめくれ立った波のおもてが、春陽射《はるひざ》しを浴びて眠り呆《ほう》けたふうだった。紺碧《こんぺき》の色に、深いウルトラマリンが流しこまれている。しかし、霞《かすみ》は立っていなかった。牛車に揺られながら、途方もない不思議の世界に迷いこんだ心地がした。病床の妻などと、夢のようである。何かこの牛車が、これだけの人数《ひとかず》を揃《そろ》えたまま、永遠の行程に歩み進んでゆくような心地がした。潮ぞこりの空には相変らず、鳶《とび》がゆるく舞うている。
可也君は牛車を砂丘の中に引き入れ、牛だけを最寄りの農家の庭先きの方へ連れていった。知り合いの家ででもあるのだろう、千鶴子は娘の子の手を引いて、その後ろに続いてゆく。私はその後姿を眺めやりながら、
「可也さん達、もう結婚は決まったの?」
「済みましたとだすよ。先生にも報《し》らせんならんが、恥かしいごとあってなあ――、と。可也さんが云うてありました。それに、ほんの内輪だけだしたと」
「そう、よかったね。静子さん行ったの?」
「はあ。私だけだすたい」
「お父さんは?」
「式には立ち合いなさしたが、あとで五六日何処《どこ》かへ逃げ出《だ》いてありました。千鶴子ちゃんが心配して、何度も私の処に見えなさしたとだすよ。おとといの朝方帰ってあるとだす。(鳥ば打ちいいっとったやな)と云うて帰ってありますとだすげな。今は猟の時期じゃないとだす。それに猟やらなさるお父さんじゃ無いとだす。月谷の猟師の鉄砲ば借りて、持ち出《だ》いてありましたから、可也さんも眠られんごとあったとでっしょう。でもよござした。もう何ごともないふうだす」
私は静子の言葉に激しく震撼《しんかん》された。老父のあの不吉な眼の色が浮んでくる。葡萄酒《ぶどうしゆ》に酔うて鵞鳥《がちよう》の羽をざわめかせていた指先が――。千鶴子の先の夫である、戦死した可也君の兄さんと、それから老父と、可也君と、この三人の間に渦を巻いている交錯した情痴の狂おしい怒濤《どとう》に呑《の》まれるのである。すると、千鶴子の甘美な肉体の幻覚が、私の心の中にもうずくように波立った。
「千鶴ちゃんは、あんないい人だすがなあ。マリア様と云われた人だすよ。美しゅうして、優しゅうして、拝もうようにありますとだすよ。それが――」
と云いさして、しばらく口を噤《つぐ》んでいたが、
「先生、どう思いなさす?」
「仕方のないことでしょう。気の毒だが、誰も悪いことはないのだから。可也さんも苦しいけど、しばらくの我慢ですね」
「お父さん、尚更《なおさら》良い方だすよ」
私は黙ってうなずくより外はない。静子は一寸私を見上げて、それから太郎を抱きとった。先程から牛車の車輪の処に立ち、静子に飛び縋《すが》りたい様子だった。
「さあ、太郎ちゃん。おべべ脱ぐもんね。今日は貝を取りまっしょう。若布《わかめ》ば取りまっしょう。赤てん、青てん、ありますとよ。そうそう、お母さまに海胆《うに》を沢山沢山取っていってあげなさっせえや」
「ナーン? ウン、ナンとる?」
「海胆だすたい。あわびだすたい」
「ウニ大きい?」
「いいえ、大きゅうはないとだす。美味《おい》しいとだすよ」
「どーんなにおいしい?」
「まあ、太郎ちゃんな、あんまり賢うして難《むずか》しさ。ほっぺたの落ちるごと美味しかとだあす」
太郎が、ウンウンとうなずいている。静子は太郎を又牛車の上におろして、堅い黒羅紗《くろらしや》のズボンを脱がせてやっていた。
「御無礼しました。先生」
と可也君と千鶴子が帰って来た。丁度静子と同じように、千鶴子も赤いお腰を腿《もも》まではき上げているようだった。白い顫えるような内腿《うちもも》の肌が見えている。娘の手を引いて紅緒《べにお》の藁草履《わらぞうり》をはいていた。みんな揃《そろ》って砂丘を降り、渚《なぎさ》の方に歩むのである。砂が浜辺の春の陽射を浴びて馬鹿にぬくかった。私は素足の指股《ゆびまた》にからみ寄る、思いがけぬ快楽を味わいつつ太郎の手をひいていった。玉の浦から岩磯寄りの方に少しばかり後戻った。数えきれぬ程、夥《おびた》だしい老幼の群だった。が、男衆は、なるほどこの間、静子の云うた通り少なかった。服装は殆《ほとん》ど統一されている。久留米絣《くるめがすり》の野良着の筒っぽに、赤いお腰をたくし上げている。腰の笊《ざる》も一斉に赤かった。ただ、冠《かぶ》りものだけが、鳥逐《とりお》いのようなもの、菅笠《すげがさ》のようなもの、麦わら経木《きようぎ》、と千差万別のさまだった。しかし、静子と千鶴子は日本手拭《てぬぐい》を申し合せたように、姉さんかぶりに巻きつけていた。手に手に藻刈《もかり》の金箆《かなべら》を下げている。
青かった。その波は僅《わず》かに渚によろけより、繰り返し呟《つぶや》きの声をあげている。岩磯の岩間の辺《あた》り、一番人出が多いようだった。
「千鶴ちゃん、あなたは芽の葉でっしょう?」
千鶴子は静子の方に振り返って肯《うなず》いた。
「芽の葉は、あの、鵜《う》の岩の辺りが多いとだすよ」
「有難う、静ちゃん、あなたは?」
「私は、海胆やら、小物を少しばかり拾うてから、それから芽の葉にしまっしょう」
「いいですよ、僕の海胆なら。一人でボツボツ見付けてみますから」
私はそう云ったが、実は静子は可也君と千鶴子と、二人だけを沖の方に歩みやらせる心やりのようだった。
太古に、熔岩《ようがん》でも流れ込んだようなブツブツと気孔の多い一面の岩が凸凹《でこぼこ》して、その襞《ひだ》の中を潮先が流れ浸していた。いままで、いつも頑《かたく》なに黙り合うていた千鶴子の娘と太郎が、いつの間にか仲良しになり、潮だまりの岩の窪《くぼ》の中を覗《のぞ》きこんでいる。
「千鶴ちゃん。しいちゃんはここの浜においときなっせ、太郎ちゃんと二人で大人しゅう遊びなさすが」
静子が云うと、千鶴子はそっと可也君を見上げている。可也君は肯きも否定もしなかった。黙ったままで沖の海を遠く見つめているようだった。
「そんならしげちゃん、大人しゅう遊ぶとよ」
千鶴子は潮の中に浸りかけ、一度娘の方を振りかえったが、そのまま波の中に歩みこんだ。
「刺又《さすまた》を借りてこよう」
可也君は、新妻と二人並んで潮の中に這入るのを恥らうのか、一寸千鶴子の姿をたしかめたまま、今度は砂丘の方に上っていった。潮は千鶴子の股《もも》の辺りを浸し、それから丁度たくし上げたお腰の裾《すそ》を洗うふうだった。殆ど動揺の無い水面だが、潮に浸ったところで、丁度牡丹《ぼたん》の花のように開いて赤くゆらいだ。ひとりでどんどんと鵜の岩の方に歩いていった。静子は太郎としげ子に浅い潮だまりを教えてやった。たなごのような小さな魚が泳いでいる。が、浅くて狭いその潮底の陽射しの中には、覗いてみると、つくづく不思議な海の生物が充満しているようだった。小さな磯巾着《いそぎんちやく》のようなもの、さまざまのヒトデ、微《かす》かな青い藻がその浅い水の底にゆらめいていた。太郎が、狂喜して水の中に浸っている。時々波がよろめいて、チョロチョロと一筋の襞を伝って流れ込む。
「太郎ちゃん。ここのお池の中から離れなさっせんとよ。ね、しいちゃんも、ここで大人しゅう遊ぶもんね。さん、海胆を探しまっしょうか?」
見上げる静子に私はうなずいた。静子はまるでこの磯の波間から生れだしたようだった。ほこらしく、のびやかに浅い水を踏まえて立っている。
「太郎。このお池から出たらいけないよ。出る時はチチを呼びなさい」
「ウン、ウン」
とうなずく太郎を置いて私は潮に入っていった。生ぬるい潮が、先ずユラリと膝がしらにからみ寄ってくるのである。透き徹った水だった。静子の長い腿《もも》の辺りから下を、青白く屈曲させている。その底に紅緑の目出度《めでた》い海藻《かいそう》類がなびいていた。
シンシンと潮は何処で声を挙げるとも知れず、不思議な響きを立てていた。水の分子と分子との間で鳴り合うのか? 又、あらゆる小さい貝殻や、小石や、岩の気孔にしみ入って、その呟《つぶや》きを繰りかえしているのか? なにか太古さながらの途方もない寂寥《せきりよう》と歓喜を誘う声だった。その声を背筋に聞きながら、波間に浮んで何処かの果へ浮び流れ去ってゆきたいような異様な酩酊《めいてい》に落ち込むのである。静子はいちいち岩間の海藻を金箆で剥《は》ぎ取って、その喰べかたと名前を説明していった。大小二つの海胆を拾いあげた。あわびを採った。
「でも、やっぱり芽の葉とりが一番面白うござすとよ」
私は静子の腕にたくしとられてゆく、海の芽の初《う》い初《う》いしい新緑を青く見た。静子の腿に揺れる波の文様《もんよう》と、海藻のゆらめきと、気高い現身《うつしみ》の法悦を、生涯初めてのものと拝み見た。しかし何を語り、何が摘まれていったか、あらかた夢のようだった。ただ透明な潮のゆらめく起伏の色だけを覚えている。
「チーチー」と太郎がやや深めの潮溜りに落ち込んで、泣いて私を呼ばなかったなら、私達はこの世に引き戻されるような事が無かったろう、というような気さえする。
太郎は頭から潮を浴びていた。ようやく岩の淵《ふち》に這い上ったふうで、それでも赤いヒトデだけはしっかりと握っていた。バスタオルやオーバーは、みんな牛車の上に残しておいたから、太郎だけ連れて、先に帰ろうと思ったが、静子はしげ子の手をひきながら、後ろから上ってついてきた。
静子の腰の赤籠にいつの間にか青い若布《わかめ》が充満しているのである。
牛車の側《そば》には未だ可也君夫妻は帰っていなかった。私は太郎を裸にしてバスタオルで拭《ぬぐ》ってやり、そのバスタオルにくるんで上からオーバーを着せてやった。
可也夫妻は中々帰って来なかった。が、刺又を持った可也君が、先ず砂丘の上に現れて、そのすぐ後ろから恥らう千鶴子がつづいていた。千鶴子はポッと頬を日光に焼いていた。籠に同じく入りきらぬ程の若布を持っている。
「お待たせしました」
と可也君は刺又の柄を地についた。
「取んなさした?」
静子が聞いている。
「いや、章魚《たこ》だけだす」
「まあ、千鶴ちゃん。よう取んなさしたな。何処の辺りだすと?」
そう云ったが実は収穫は静子の方が多かった。
「先の窪へいっとりましたがあ――しげ子ば預って貰うたりして」
「いいえ、私は何も構いまっせんとだす。大人しいことやったなあ。しいちゃん。太郎ちゃんも大人しかったもんね。でも落ちなさした」
ふふふと静子は故もなく笑い紛らすのである。
私は家が気になったが断りかねた。車上で昼食の馳走《ちそう》を受けるのである。
可也家の握り飯の方がうまかった。石蕗《つわ》とカナギの佃煮《つくだに》風なのが、辛《から》く唐辛子《とうがらし》で煮しめられていた。
牛車はユルユルと帰路を辿《たど》るのである。何故かみんな黙り込んでしまっていた。
朝来る時には気付かなかったが、思いがけない渚《なぎさ》の道の凹凸《おうとつ》だった。その凹凸にゆすられながら、自分の日焼けと疲労をひっそりと感じるのである。
「まあ――。遅いことじゃったなあ――」
リツ子の母がそういった。リツ子は眠っているようである。しかし、はしゃぐ太郎の声にうっすらと目を見開いた。太郎が、病臥《びようが》の母に薄い桜貝を指の間に挟《はさ》みこんで、空に透かして見せている。その半透明の貝の明りを眺《なが》めながらリツ子はそっとうなずいた。
「海胆とったよ二つ。喰べるか?」
肯くふうに唇を震わせているようだ。私は静子から分けて貰った海藻の間から、海胆を取り出して、それを俎板《まないた》の上で、四つに割り、その赤いわたを箸《はし》の先でつついたが、ちょっと自分でも舐《な》めてみた。磯の匂《にお》いが荒く口の中に漂うのである。
「さあ」
リツ子は一心に口を顫《ふる》わせながら開いている。箸の先から舌の上に落し込んでやると、一度口中をまろめるようにしていたが、やがて喉《のど》を鳴らせて、コクリとひとつ呑《の》み込んでゆくのである。
唐泊《からどまり》の医者はもう呼びに行っても来なかった。来てもリツ子の気持が昂《たか》ぶるくらいのことである。あれ程堅く約束しておいたのに、お母さんは病人に例の話をもらしたらしい。
「まあだ見えまっせんな。あなたの呼びようの悪いとですよ」
とリツ子の母はもどかしそうに左右の膝《ひざ》を交互にゆすり上げてそう云った。
「もういいのよ。お母さん。どうせ助からないなんておっしゃる御医者様にはかかりません」
リツ子が泣きだしながらそう云った。
「ほんにな。みんなが寄ってたかってあんたを殺すとばい」
とリツ子の母が手拭《てぬぐい》を目にあてて又泣いた。それから私を見上げて、
「呼んで来て下さい。西の浦からでも」
「行って来ましょう」と私は梯子《はしご》を踏んで階下に降りた。
「太郎。太郎」
と浜辺の方に向って呼んでみる。
「おや、坊っちゃんですな。今先そこに見えよったが」
と隣りの桶屋《おけや》のばあさんが顔をくしゃくしゃにして手をかざしながら海を見た。時化《しけ》ている。波頭が白く立っていた。
渚《なぎさ》から川辺の方に廻ってみた。いるいる。浅い川岸で何かを一心に拾っていた。
「太郎」と大きく呼んでみる。
「はい」と立上って、こちらを向き、笑いながら両手を握って高くさし上げた。
「何を取った?」
「ほら、ほうぜ」と小さいこぶしを開《あ》けて見せる。ほとびた白い手のくぼにホウゾウ貝が黒く漆のように光っていた。
「西の浦のお医者さんのところまで行きましょう」
「行こう、行こう」
と下から嬉《うれ》しそうに手をさしのべて、抱き上げると今度は私の顔をじっと見て、
「又行くの」といかにも不審そうに、そう云った。
「歩く」というから防波堤の上を歩ませた。私は下の道から太郎の手をとってひいている。その手をしっかり握りしめて少しずつ用心深く歩くのである。時々チラと私を見て安堵《あんど》する。
一二丈もあろうかと思われる防波堤の下には大小の岩が海の中に飛んでいた。波の動揺の度《たび》に、ヘバリついた海藻が青白くめくれて揺れている。ドッと波が押寄せてきて、突堤の凹《へこ》みのところでせき上げる。太郎と私の頭の上に容赦なく水しぶきが降りかかってくるのである。
「もう降りる」
と太郎は頭から潮を浴びて私の両腕にとびついた。ふるえている。それをタオルでぬぐってやって背に負うて道を急いだ。
曲り角の岬《みさき》のところに大きな松の枝が吹き折れていた。折れ目に黄色く樹脂が垂れている。
「チチ。あれで御飯たきたきね」
うんうんと私は首肯《うなず》いて、私と同様な生活の苦慮から逃れられない四歳の小児をしばらく可憐《かれん》なものに思ってみた。けれども「これもよい」と、
「太郎歌を歌ってやろうか、何がいい?」
「ナがチチカエルがいい」
平生チチハハと呼び慣わされているから、父母の文句が入っている歌の方が殊更《ことさら》親しみ易《やす》いのかも知れなかった。私は太郎を揺《ゆす》ぶりながら大声で歌う。女房が太郎を寝かせつけながらよく歌っていた歌だ。伊太利《イタリア》か何処《どこ》かの子守唄なのであろう。それをリツ子が歌うと甘くたるんだ哀調があった。
汝《な》が父帰る――
「何処からチチが帰るの?」
と例の通り一句一句に追いかけてしつっこく訊《き》く。
「遠い遠い支那からさ」
日を待ち侘《わ》びて――
「どんなお火々をマッチで割るの?」
「ほら、あの松のお枝をマッチで燃やすのさ」
母は嘆けど――
「ハハがエンエンするの。バイキンえずいえずいって?」
「うん、エンエンする。えずい、えずいって」
「エンエンブチンね」
と太郎は背中を叩《たた》いて云う。太郎が泣きだす折に「エンエン不行《ぶしん》」と支那語の片言を混ぜて叱《しか》るならわしになっているからだ。
唐泊の町はいつもの通り相変らず狭く道がくねっていた。翳《かげ》り易い陽の下にカナギが淡く乾されている。時化ているのにやっぱり少しは上るのであろう。
「ようい。太郎ちゃんようい」
と唐泊の伯父《おじ》の声がした。リツ子の母の兄である。
「何処へ行きよるな?」
「お医者さん迎えです」
「来るまいもん?」
「ええ来ません」
「ばあさんが何か云い合《お》うとる模様じゃんな」
リツ子の母が医者と口争いをしたらしいのは私も聞いて知っていた。
「でも行くだけ行って参りましょう」
「うん、行ってやんなさい。どうな、病人は、ちっとは良かな?」
「相変らずです」
「うん、つまるめえな。が、まあ行ってやんなさい」と伯父は云った。「じゃー」と行き過ぎる後ろから、
「ちょっと待ちなさい。太郎くん、カナギをやろう」と紙袋に入れた一掴《つか》みのカナギを背中の太郎の手に握らせてくれるのである。
「太郎、有難《ありがと》うは?」と揺ぶると、
「アリガトウ」
「有難うは要《い》らん。まだようと乾《かわ》いとらんもんな。ばってが食べるとにゃ、その位が良かろうや」
と伯父はそれだけ云うとさっさと家の中にひっ込んだ。
太郎は紙袋から勝手に撮《つま》んでもう口に入れている。それを一つ私の口にもさしこんだ。半乾きの粗《あら》い小魚の味が、それでも舌に媚《こ》びるようにうまかった。そう云えば、リツ子と東京で暮していた頃この伯父が一俵のカナギを送ってよこしたことがある。毎日毎日あぶって喰《た》べて飽かなかった。
「お腹《なか》の子供にいいんですよ」とリツ子も駄菓子のようによくつまんだ。まだ太郎が生れていなかった。
「昔あんなに子供好きだったのに、太郎が生れてから、もうよその子は見るのも嫌《いや》になりました。やっぱりこれが親馬鹿というんでしょうね」
と太郎が生れた後からは今度はそう云って笑っていた癖に、この頃はもう、その太郎を見るのも物憂さそうになっている。
「それとも病気の感染をおそれているのかな」痩《や》せ衰えたリツ子がしきりに不憫《ふびん》に思われた。
海に沿った病院は、誰も客がいなかった。控室から丁度真向いに残《のこ》ノ島が見えている。
壁にかけられた下手などぎつい油絵は、控室からのこの同一の眺望《ちようぼう》に思われた。莫迦莫迦《ばかばか》しい。何という愚劣な重複と煩瑣《はんさ》だろう。いきどおりがこみ上げた。何となしに生きること全体が阿呆《あほ》らしく腹立たしく、いかにも勿体《もつたい》らしく差出されている棚《たな》の上の薬瓶《くすりびん》を思いきってひっくりこかしてしまいたい衝動に駆り立てられるのである。
医師の奥さんが現れた。白いむくんだような目尻のあたりにやけどか何かのひきつりの痕《あと》がある。看護婦も薬剤の調合も兼ねている。
「ああさん。どうですか」
「少し悪いので早速来て頂けないでしょうか」
「今日は回診日ではないですから、今度廻った時に寄るように云いましょう」
「それが病人が心細がっておりますから、気休めにでも是非一つ」
「気の毒ですけど、無駄ですから、そっとなさっておくのが一番いいでしょう」
取りつくしまがないふうだった。けれども来てもらっても仕方がない。私自身も何の成算があって来ているわけでもなかったのだ。
「では今度でも」と太郎を両腕に抱き上げた。西の浦までは坂道を又小一里歩くのである。
「太郎。母のお病気癒《なお》ったら、太郎と父と支那へ行こうかね」
「うんうん」とカナギを喰べて、
「支那にお魚いる?」
「うんいるぞ。こんな大きいお魚が」
口を大きく開いて私は太郎の顎《あご》に噛《か》みついた。太郎はキャッキャッとくすぐったそうに声をあげて、
「太郎をアモする?」
「うん、太郎をアモアモアモッて喰べてしまう」
もう一度太郎の顎にかみついた。気持が一時になぎはらわれる心地がする。
西の浦までの坂道には蝶《ちよう》がうるさい程舞っていた。曇天のぬかるみの上の蝶である。げんげの紅白の上の蝶である。背に負うている太郎と私にもつれよってくるふうだった。
西の浦のN医師はすぐ出て来た。ボソッと玄関につっ立って出て私の言葉を待っている。
「悪いのです」
「ふむふむ」と云うふうにN医師はうなずいた。半開きの後ろの診療室に医療器具と薬瓶が乱雑に散っている。
「気休めでも何でもよろしいですから一ツ注射に来ていただけませんか」
ふむふむと又一つうなずいた。
「今直ぐお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
「よろしい」
半白の不精髭《ぶしようひげ》が延びている。家庭に永い不幸でも続いたのか、変に孤独の風貌《ふうぼう》だった。
「では」
と早々に太郎を負うて外に出た。青空が不安定の亀裂《きれつ》の姿で海の上にのぞいてきた。
「でもあしたはきっとお天気だよ」と背中の太郎にその空を指してみせる。
「そしたらお山に木を取りにゆく?」
「うん、木を取りにゆこう」
「そしたらタロ、お弁当食べる? お山で」
「うん、おにぎり持ってゆこう」
太郎は満足そうに足をゆすって私の背の上でおどっている。次第に空が明ッてきた。
帰路の岬のところには相変らず吹折れた松の枝が下がっていた。潮風にあおられて、晴れ間の青い空の中に揺れている。どうしても取って帰ると太郎が云うが下からはとどかなかった。
「よーし」と私も積重なった鬱陶《うつとう》しい気分を払い棄てたかった。崖縁《がけぶち》の松の幹にするすると登っていって、それからその折れた枝に一気にぶら下った。
「危いよ、太郎。そっち、そっち」
枝の端にぶら下って思いきり揺ぶるのである。太郎がこま鼠《ねずみ》のように逃げている。
山裾《やますそ》の崖の窪にぺったりとはりついて、自分で云い出した出来事のおそろしさに顛倒《てんとう》しているふうだった。
「チーチ。アブナイヨ。アブナイヨ。チチ」
を繰りかえす。汗がにじむ。
樹皮がめりめりと裂けている。ガクンと斜めに体がくるって、それから松の枝と一緒にドウと落ちた。腰と胸をしたたか打った。しばらくはおき上れないのである。太郎が駆けよって来て、私の手をひっぱり上げようとする。ようやく起き上ったが手首の所を鈍く大きく切っている。血が噴き出していた。
「アイタカしたの?」と太郎は愈《いよいよ》気をもんでいる。
「うんうん」とうなずいて、「強いだろう。父は。エンエン我慢だよ」とその血を荒く吸ってみせた。けれども押えていた不思議な涙がにじみ出して来そうになるのである。
「ホウタイマキマキするの? チチ」
それ程のこともなかろうと、左手を高くさし上げていたが、出血はなかなかとまらない。咄嗟《とつさ》にポケットの煙草をほぐしてはりつけた。
「さあ帰ろう」と松の枝を曳《ひ》き摺《ず》って岬の断崖を廻ってゆく。太郎もようやく安堵《あんど》した模様で、その松の枝につかまりながら駆け足でついてくる。
「よかったね、チチ、お火々上等ね」
と次第にはしゃいで駆けている。
「あ、山のおねえちゃんが」
太郎の云う通り静子が窪の浦の崖の裾にこちらを向いて立っていた。
待っている。いつもの通り、熱くて燃えるような眼だ。柄の荒い久留米絣《くるめがすり》のモンペである。赤緒の藁《わら》の草履《ぞうり》をはいている。近づくと髪の上のよく洗われた絞りの手拭《てぬぐい》を手に取った。
「どうなすったと?」
「薪《まき》を一つ取りました」
「まあ、洋服が」
裂けたかなと見てみたが、泥がついているだけのようである。
「それで貴方《あなた》は何処《どこ》へゆくの?」
それには答えず、静子はだまってしゃがんで太郎に背を差伸べている。太郎はちょっとためらって私を見たが、直《す》ぐに負《お》われた。しばらく歩いていて、それから静子は思いきったように、
「奥様の御加減は?」
「駄目でしょう」とポツンと云って私も口をつぐんだ。波頭が白くめくれて見える。カナギの行衛《ゆくえ》でも探るのか、一艘《そう》だけ小舟が残《のこ》ノ浦波にもまれていた。
「毎朝お不動様に詣《まい》っておりますと」
「それはありがとう」
と静子を見たが、静子はまっすぐ道をみつめながら歩いている。思いつめているふうで、髪の毛がバラバラと両鬢《びん》の辺《あた》りに垂れ下っているのが、いかにも気丈に美しく思われた。
「どうしてでも、さんが癒してあげなさっせえーな」
太郎を負うたまま頬の上に涙を拭《ぬぐ》おうともしないのである。静子の生《き》一本の声をきいていると、次第に私も快癒《かいゆ》への祈り方が足りないような慚愧《ざんき》の想いが湧《わ》いて出た。
家の二階の屋根が見えてきた。静子の家の坂道は此処《ここ》から右に折れるから、いいというのに送ってきた。太郎を玄関におろしてやって、
「お母さんの御病気を太郎ちゃんが癒すとよ」
「うん」と太郎は頭を撫《な》でられながらうれしそうに肯《うなず》いた。
「では御大事に。卵がたまっておりますよ」
静子は云い残して帰ってゆく。が、その卵もこの四五日来リツ子の喉は通らないのである。
「さよなら」と太郎が二三歩走り追うて後から大声で云った。静子は一度だけ振りかえって笑いながら「さよなら」と手を振った。
リツ子は向うむきに眠っていた。
「遅うござしたな。誰ですと? 今のとは」
とリツ子の母が立ち上りながらそう云った。
「山の静子さんでした」
「蜜柑《みかん》山の?」
「ええ」と私が低い声でうなずくと、お母さんはタオルと石鹸《せつけん》箱を手に、櫛《くし》で頭を掻《か》きながら、
「ちょっと宮の浦までお風呂に入ってきまっしょう。後ば頼みますよ」と出ていった。
「お芋をあげようか」と低い声で太郎に云う。
「うんお芋」とはしゃぐから、「ハハねんねよ」とそっと口に指をあてる。
朝方ふかしたさつま芋を探すのだが見当らない。箪笥《たんす》の上の新聞紙に喰べすての芋のしっぽと皮が散っていた。
「ああ、おばあちゃんが喰べてしまった。おにぎりにしよう」
「いや、いや」としばらく太郎がぐずっている。
「お芋でしょう?」
と思いがけずリツ子がこちらに顔を向けて眼を開いた。
「太郎に残しといて、とあれ程云ったけど、やっぱりもうないとでしょう?」
「いいさ。ふかしてやろう。それより西の浦のN先生が直ぐ来るよ」
「もうお医者さんは」
と云ってごくりと唾《つば》を飲むふうだった。唇が白く乾《かわ》いている。
「水か?」
「ええ」と低くうなずくので、吸呑みを口に入れてやる。もういいというふうに手をふったが、水が頬《ほお》に流れ出た。それをタオルで拭《ぬぐ》ってやるのである。太郎が一心にみとれている。
「太郎をここに呼んで」と嗄《しわが》れるような声でリツ子が云う。
「太郎。ここにおいでと、ハハが」
所在なさそうに芋のシッポをつまんでいた太郎が急に元気よく走って来た。それでも枕許《まくらもと》でちょっとためらうのである。
「お手々」とリツ子はひからびた蒼白《あおじろ》い手を差し出しかけたが、またひっこめて、
「お湯で拭って下さいな」
私はタオルを薬鑵《やかん》のお湯で濡《ぬ》らしリツ子の手を拭ってやった。拭い上げた手指の股を思わずしっかりと握りしめながら、しばらく私も手放しかねるのである。じっとリツ子も私の顔を見上げている。気持が押えきれなかった。それでリツ子の唇に私の唇をしっかり重ねていった。拒まないのである。リツ子の唇が微かにゆれているようだった。
「太郎。ハハ大事大事ね。死んではいけないね」
涙がリツ子の眼のふちにきっちりとあふれている。そのまま私の顔を見つめていたが、
「さあ、太郎。お手々をかしてちょうだいね」と枕の横に差し出した。ふるえながらじっと太郎の手をにぎりしめている。それから、
「太郎。せッせッせをしましょうね」
歌いだした。低いが甘い抑揚の声である。
「丸山御所から、西と東を見いればねー、見いればねー」
しばらく自分の手を揺っていたが、声も、手の力も消え失せたのであろう、黙って太郎の手だけを握りしめていた。今度は太郎が心配そうに母の手を揺ってみるのである。
「お芋をふかして来てあげようね」
いたたまらないから私は階段を降りていってそれから井戸端で泥にまみれた芋を洗った。洗ってハガマにかけて焚《た》きつけると、気がかりになって又リツ子の病室に上っていった。相変らず太郎が時々母の手を揺っている。
リツ子は泣いたままだった。タオルで涙をぬぐってやって、
「さあさあ太郎。今日とってきた松のお枝でお芋をたきたきしよう」
太郎を抱き上げて下に降りた。半枯れの松の葉をかまど一杯つめこんで、太郎と二人静かに松葉の煙にむせるのである。
「西の浦のN先生だす」
下のおばさんの声がする。急いで出てみると地下足袋《たび》姿のNさんが玄関にぼそっと立っていた。
「さあどうぞ」と招じ入れた。階段を黙って後からついて来た。リツ子は半眼のまま眠っているのか動かない。
「N先生だよ」と枕許で肩の辺《あた》りを浴衣《ゆかた》の上から揺り動かした。ぼんやりと眼を開いて見つめている。N医師はしばらく脈をみて、眼を両指で押開けた。それから胸の辺りだけ一寸《ちよつと》開いて、聴診器をあちこちと当てていた。
何を思ったのかリツ子が右手でその聴診器のゴムの管をしっかりと握りしめている。N医師はしばらくそのままに打棄てておくようだったが、やがてそっとその手を取って蒲団の上に押しのけた。それから蒲団の裾《すそ》をめくってみた。
知らなかった。まるで仁王の足のようにふくれ上っているのである。愕然《がくぜん》とした。私の心の中を今更ながら巨大な魔の影が駈《か》けすぎてゆくふうだった。N医師は蒲団を下ろして鞄《かばん》の中から注射器を抜き取った。リツ子のたるんだ二の腕にぷすりと刺す。それを蔵《しま》って静かに立上った。
「お大事に」とN医師はそれだけを云う。リツ子はそのまま眼を閉じた。終始一言も口を開かぬのである。先程の昂奮《こうふん》が過ぎたのか、と私は気遣《きづか》うが、黙って眠ってしまっている。
「御手洗いを」と私は云ったが、
「いやー」とN医師はさっさと階段を降りてゆく。
「いかがでしょう」と地下足袋を履《は》くN医師の背から追うように低い声で聞いてみた。
「身よりの方々には電報でも」と履き終ってN医師は立上った。「二三日持ちますかな。でも、お大事に」とかえって先方が眼と顔をかくすように急ぎ足で玄関を出て行った。
裏の竈《かまど》の方に廻ってみた。太郎が椅子にかけて一人、枯枝をしきりにくべている。ハガマの上に湯気が勢いよく上っていた。私がゆくと太郎はニコニコと私を見上げて、
「チーチ。もうお芋煮々《にいに》できたよ」
「煮えたかな」
と私はハガマの蓋《ふた》を明けて、大きそうな芋に箸《はし》を一本入れてみた。眼鏡が湯気で掻《か》きくもるのである。
「うむ、もうすぐだ。ああ、これはいい」
一ツ細目の芋を取り出した。お箸のままフウフウ息をふきかけると、太郎も下で口をとがらしてフウフウと云っている。
「おいしいぞ。そら」
と真中から割ってやった。丁度琥珀《こはく》のようにふけ上っている。熱くて太郎は握れないのである。
「ムキムキして」
「ようし」と私は手早くその皮をむき終って太郎の指ににぎらせた。半分を自分でも喰べてみる。うまかった。甘味とぬくもりがねっとりと口の中にからみついて、しばらくはたしかな生存のよろこびに抱きよせられた心地である。
「おいしいね。チチ、おいしいね」と私の表情を無理に掻きたてるように、太郎は私を見上げながら、いつまでもその「おいしいね」を繰りかえしていた。
N医師が云ってくれたリツ子の危篤の状況は、その日は誰にも語らなかった。
電報は、明日打とう。人に知らせたくない、自分の心の安定が出来るまでは、誰にも打明けたくないのである。
幸いリツ子の母は、薄暗くなっても、帰って来なかった。何処か知合のところででも話しこんでいるのだろう。
軽い雨が来た。傘を持って出迎えようかと、何度も海を見るが、夕波が暗くめくれていて、相変らずの時化《しけ》模様である。が、大した降りではない。残ノ島の左方の浦際《うらぎわ》が、細く不安な赤さに染ったまま、細雨が軒と波をなぶるように、折々来ては去っている。
頼みがたい空模様である。リツ子が眠っているから、今の間に行って来ようかと、太郎を首にのせたが、その足首を手ににぎったまま、海の色をぼんやりと見つめて、やめにした。
何か、波の暮色に嚥《の》まれはててでもゆきそうな、寂莫《せきばく》である。次第に足腰も萎《な》えつくして、このまま、己《おのれ》の肉感が暮色の中にとろけ果ててでも行くような、頼みがたい孤独である。
が、この寂莫は生得の肉感の中で知っていた。忘れていただけだ。私の肉体の隅々《すみずみ》を夕波のようにひたひたとひろがってゆく、この悲哀の色は、とっくに、母の母胎をはずれる日から、覚え知っていたような気持がする――。
私は傘をすぼめて後《あと》返ると、そのまま家の中に入りこんだ。竈の方に廻るのである。
「まあ、あなた。家にござしたとな?」
と下のおばさんが私を見た。
「風呂のたちよりますとばい。すぐいでも這入《はい》ってつかわっせえや」
「有難う」
と私は階段を上る。
「直ぐい、よござすが」
私の背を追いかけて、おばさんの声が、背筋に顫《ふる》う。私は急に後がえって、リツ子の病状の急変を、打明けてみたかった。おばさんの足許にひれふして、丁度ロシア人のように、大声をあげてわめいてみたかった。が、ようやくそれに耐え、黙ってリツ子の枕許をのぞくのである。
眠っている。灯《あか》りをつける。昏々《こんこん》と醒《さ》めるふうがない。今日ももう何の食事も喉《のど》を通らないだろう、とそう思った。
冷飯《ひやめし》に人参《にんじん》の煮付を出して、茶漬《ちやづけ》でさらさらと、太郎と二人して喰った。一昨夜リツ子のために、煮しめた菜だった。それをリツ子は昨日から口にしない。少しばかりの山羊《やぎ》乳と林檎《りんご》で、喉をうるおすばかりのようである。
太郎を抱いて下に出た。熱い風呂を一風呂浴びてみたいのである。
浴室は暗かった。蓆葺《むしろぶき》の天井が一とところめくれている。粗末な鉄砲風呂に、一尺ばかりの煙突が申訳に立っているばかりだから、根かぶの濡《ぬ》れ薪《まき》がくすぶるのである。たった一度だが、然し、この浴室でリツ子の体を拭うてやったことを思い出した。
浴衣《ゆかた》と、太郎のねんねこに身をくるんで、初めは臆病《おくびよう》そうに、おののきながら拭かせていたが、
「今日は気持が良いから」
と次第に上気して、洗面器に足を浸し、腰まで洗った。
あんな幸福がある。何か陰気な、じめじめと取落されたような幸福だった。あの時も、きっとこの妻は助かるまい、としみじみそう思いながら、あつ湯を、軟かく、腿《もも》からくるぶしの辺りまで、かけて流してやったことを覚えている。こんな仕草は女の病体を昂《たか》ぶらせるものだ、と知りながら、その時間を意識的に延ばしていた。
「ねえ、太郎。母のあんよ。長い長いねえ」
「ねえ、太郎。母のあんよ、白い白いねえ」
側で見ている太郎の好奇な眼を、そう云い云いはぐらかしたが、
「いやよ、太郎。あっち……ねえ、あっち」
とそれでもリツ子は夫と子から取囲まれて嬉《うれ》しそうだった。
が、あの時、何故、ふいな弱気に襲われたろう。何故、病気の克服を信じて、女を励まし、はっきりと生者の側《がわ》に呼び戻さなかったろうか。何故陰萎《いんい》な幸福に、馴《な》れ、親しんだのだろう。
病者の成行にまかせた仕方のない生活だったと云えるだろうか。そんな生活をいとうふうで、実は何となしに弄《もてあそ》んでいたのではなかったろうか。そう云えば、海辺のこの部落に引移ってからの、淋《さび》しい、低い幸福も感じられた。
すると、果して病者の快癒《かいゆ》を祈っていただろうか? 祈ってはいた。では病者の快癒のために、真正な力を尽したろうか。
ふいに摸索《もさく》しようのない疑問に包まれるのである。それは後ろめたい後悔に、似てもいた。
「どげんしてでも、あなた、癒《なお》して上げなさっせえな」
と、渚《なぎさ》で聞いた静子のはげましの声も聞えてくる。
「が、違う」
と私は新しい湯をかぶって、狂気のようにふるい立つのである。
「海辺の生活がひそかな幸福に感じられたのは、病者の中から、健康の行衛を自分の力のなかに正しく感じ取っていたからだ」
そのままのぼせ上ったように、太郎の湯気の立つ裸の膚に、白い石鹸《せつけん》の泡をこすり附けるのである。
「そうだ、あの時、リツ子の膚を見て、ふいな弱気に誘われたのは、すべての人体を見て、誰もがその崩壊の不吉を感じるのと同じことだ」
「ほうら、太郎。垢《あか》コがいっぱい、いっぱい」
と私は太郎のすべすべの膚をきしきしこすっていった。
「アカコってなーん?」
「垢コってバイキンのような、ばっちいもんたい。ほら、これたい」
と私は自分の腹を人差指でこすってみせる。もう三十年も昔になろう。九州の田舎《いなか》からぽっと人形町の叔母の家に来て、銭湯の女湯に伴われたことがある。私は女風呂などを知らなかったから、殊更《ことさら》東京の下町の銭湯の中で、恥かしくてかなわなかった。
「一雄さん、ほら垢コが垢コが」
と叔母は足の裏まで、こすってくれたことを覚えている。あの叔母は前の震災の折、焼け死んだ。が、考えてみると丁度今のリツ子位の年輩ではなかったか――。
記憶の裏の方に白んでいる叔母の膚を、そっとリツ子の裸の姿に重ねてみる。片膝《かたひざ》を折った立膝のリツ子の純白の膚の模様がまぶしく浮び上ってくるのである。
あれは何処《どこ》だ。人吉の出湯《いでゆ》の浴槽《よくそう》のほとりではなかったか――。
太郎を寝かせつけて終《しま》った後にようやくリツ子の母が帰って来た。
「さん、ちょっと」
と珍らしく、表の玄関の方から私を呼ぶ。降りてみると、
「唐泊《からどまり》から、ずっと静ちゃんに、送ってきてもらいましたやなあ。まあ、入らんな静ちゃん」
と櫛《くし》で頭を掻いて、
「リッちゃんな?」
「ずっと眠ったままですよ」
「タアちゃんな?」
「もう寝ました」
「よかたい。ちょっと上ってゆきなさい」
「いえ、もう」
と成程ガラス戸の外に静子の声がする。
「いつも、どうも」
と私は戸口に半分体を出して、静子の方に挨拶《あいさつ》した。
「くされカナギをもらいに行っとりましたら、お母さんに会いましたと」
「ああ、肥料の?」
「はい」
と静子が肯《うなず》いている。
「それで、もらえたの」
「ええ、明日の朝、リヤカーで曳《ひ》きますと。リツ子さんのお加減な?」
と低い調子に声が変って、静子が見上げた。
「はあ、相変らずです」
「卵、持って来まっしょか?」
「よかったら、持って来ておやんない」
とリツ子の母が言葉を取った。がリツ子の口は通るまい。
「じゃ、明日朝早うに寄りまっしょう。お大事に」
「そう。生憎《あいにく》みんな休んで終《しま》ったから」と私はガラス戸越しの灯《あか》りに映る静子の顔を眺《なが》めやった。
「さん。ちょっと静ちゃんば送っておやんない」
「いえ、よござす。一人で行き馴れとりますが」
と静子は堅くなった。
「まあ、よかたい。送っておもらいない」
「それで、お母さん、夕御飯は?」
「宮の浦で呼ばれてきました」
「そう、じゃ、ちょっと送ってきましょう」
と私は外に出た。
「いえ、要《い》りまっせん」
静子は今にも走り出しそうな気配だったが、私がついて来たのを感じると、黙ってまた立止った。
「ほんとうに、よござすが」
「いえ、いい。太郎が眠ったから、そこまで送ってゆきましょう」
黙って今度は後ろからついてきた。
次第に山道にさしかかった。しばらく胸はおどったが、波の音から遠ざかってゆくのが私には何とはなしに静かな心の慰安に思われた。道の畔《ほと》りに細い渓流の音ばかりが鳴っている。
「今の二階は、まるで船に乗ったようですよ。波の音で――。寝つかれない」
「リツ子さんがだすと?」
「ええ」
と私はあいまいに意味を変えた。静子にとっては、こんな言葉は無意味な装飾だったろう。しばらく又黙って歩いてゆく。空虚なわびしさがこみあげた。小田の浜辺に来た当夜、リツ子が私に語ったそのままの言葉である。が、その後も、静子が、初めて見舞に来た時に、リツ子は同じ言葉を聞かせている。
突然、私は押えきれない心の動揺を感じると、立止った。二つの告白を、今重ねてばらまいてみたい焦慮である。静子が脅《おび》えるのである。
「リツ子が危篤になりました。もう、二三日が持てぬでしょう」
「まあ――」
と静子も立止って、手を挙《あ》げた。ボッと火の玉が私の眼の中を走り去るふうだった。
「でも、この頃落着なさしたと、今先お母さんが云うてありましたとに」
「Nさんが見えたのです。お母さんの留守にです」
一つ明かしてゆきながら、次第に私の心は鎮《しず》まった。が、静子の声はふるえはじめるのである。
「嘘《うそ》、嘘。ちがいまあす。さん」
と向うをむいてしばらく嗚咽《おえつ》していたが、くるりと又私の方に向きなおって、
「嘘でっしょ。さん」
嗚咽のまま闇《やみ》を振切るように丘の方へ駈《か》け上っていった。
しばらく静子の消えていった闇の辺りをみつめていた。腿《もも》までたくしあげて、無心に藻《も》を刈り取っていた磯開きの日の、ほこらしい静子の姿が眼に浮んだ。両足が、白く、透徹《すきとお》る潮の色に屈曲していた。
岩ひだを洩《も》れて、ひいて、返してくる潮の音が、シンシンとそのまま蘇《よみがえ》ってくるようだった。裾《すそ》まで濡らして波打っている水の底に、紅緑の海藻《かいそう》が、ゆらいでいた。
すると、静子とのあの天上のような満ち足りた一日で充分ではなかったか。自分の亡《ほろ》びる日まで、あの裳《もすそ》と、波の屈曲と、潮の文様《もんよう》を心の中にみつめつづけてゆけば足りるではないか。
おそらく、静子の生命を追い索《もと》めていっても、敗《やぶ》れ傷《きず》つく日が来るだろう。もう俺《おれ》は俺の生命だけを、正しく耐えてゆけばそれでよい。追い求めるのはおのれの生の側《がわ》だけだ。
遠い、果《はて》しのない道のりのような心地がした。よろけるように淋《さび》しい気もした。が、耐えつづけてゆけないことはないような力強さも湧《わ》いてゆく。
N医師の言葉が信じられるなら、もう旦夕《たんせき》を出《い》でずして、リツ子を永久に失うだろう。とりとめのない俺の生涯に迷いこんで、摸索しようのない俺の行旅に苦しんだろう。何を実現しようとしての、この俺のおびただしい放恣《ほうし》であろうか。際限のない、無意味な妄念《もうねん》の氾濫《はんらん》であろうか。リツ子の生涯を傷《いた》むというよりも、あてどのない己《おのれ》の生涯の不吉が喞《かこ》たれた。怒濤《どとう》のような悲泣の心が募ってくるのである。
私はくるりと後がえって、せせらぎの道を、水の音だけはっきりと心に刻みこむようにして、帰っていった。
太郎が蒲団から、はみ出している。それを蒲団の中に抱《かか》え入れて、しばらくいだき止め、いつもながらかそかな生命のぬくもりを慕うのである。
「さんですな?」
とリツ子の母の声がした。太郎の枕許だけ明るく灯《とも》って病室の電燈は消えている。
「ハア」
と私は急いで、太郎を蒲団の中にくるみこむと、襖《ふすま》を明けた。灯りをひねる。リツ子が一寸まぶしそうに眉《まゆ》をしかめたような気がしたが、おきたふうには見えなかった。
「お先に失礼しましたやな」
とリツ子の母は眼をつぶったままで、そう云った。
「リツ子は、何かいただきました?」
答えはない。そのままリツ子の母も、又寝入った様子である。私は灯りを消した。襖を閉めがけに、
「御風呂の気持のようして」「結構――」
と、母の夢心地のようなとろけた長い声がした。これで今夜はリツ子の危篤も打ち明けずに済んだかと、もう一度そっと暗がりの中のリツ子の白い顔をたしかめて、静かに後ろの襖を立てるのである。
灯りを消したが、寝つかれなかった。波の音が間近に軒端《のきば》にふるうている。嘘ではなかった。そのまま船に揺られている心地である。
うなされてでもいるのか、
「あーむ、あーむ」というリツ子の弱い声が聞えてくる。起きようか、と匐《は》い出したが、間もなく止《や》んだ。後は怒濤《どとう》のうずまきかえす音ばかりである。じっとききすましていると、心の中の怒濤が重なり重なり合うて次第に恐怖に昂《たかま》ってゆく。波頭が百千の白い幽鬼になって、ふるいかぶさってくるのである。
リツ子は死ぬ。二三日中に。これは確実だ。煙になる。亡びる。消えてゆく。が、死とは何だ。どうとりつくろうても、分明な現実の感銘に近よらない。相変らず、波頭の不吉な幻覚ばかりが、頭をしびらすほどの、恐怖の形で襲い寄るばかりである。
一人で耐えきれぬようにおそろしい。この生命の仮寝《かりね》の中で、一体何が信じられるというか。俺の何が信じられる。この他愛のない俺の逸脱か。この俺の眼前の空漠か? 輾転《てんてん》反側しながらがむしゃらに優しい追憶をたぐりよせてみたかった。うるおいたいのである。
するとその記憶のなかから、一輪、ぽっかりと菫《すみれ》の花が浮びだした。
去年の二月のことである。あれは、白竹鋪《はくちくほ》あたりのことであったろうか。破れはて、洗いざらされてしまった後のような、荒廃の旅の果てのことであった。移動の兵士に打混って、湘桂公路《しようけいこうろ》を東《ひがし》していた。帰路である。が、一体何処《どこ》に帰れるというのであろう。三千里。あの狭い危険な道を、繞《めぐ》り辿《たど》っていって、石神井《しやくじい》の旧居に妻子を抱きとめ得るなどという虫のいいことは、もう信じられなくなっていた。夢より脆《もろ》い。いや、たわけている。考えてみるだけでも恥しい。根も葉もないことのように思われた。野を蔽《おお》う山火事を、ただ明るい、とまばゆく眼を細めながら歩くのである。五、六人の兵士と連れ立っていた。立ったままの家ごとを、焚火《たきび》に燃やしてあたっていた兵士の一群の脇も通っていった。わいわい叫び合うて、遠巻きにぐるりと手をかざしていたが、みんな無意味の声のようだった。細い雨だった。私達はいつ襲撃されるかもわからない、とひそかに自覚しながら、誰も言葉には出さず、公路からかなりはずれた山蔭《やまかげ》の部落のとっつきの廃屋に、ごろりと寝た。疲れきっていた。部落を点検してみるだけの余裕はなかった。誰も不寝番に立つ者はおらず、体をくっつけ合うて一塊になってごろごろ眠った。
何か動物の気配がした。その啼声《なきごえ》のようなものが――。この家ではない。
「何だ?」
と誰か云ったが、みんな、この家ではないと思うとそのまま眠った。
今度はタン、ターンと続けて二つ銃声がした。部落の外部からのようである。猿のような機敏な下士が、一人立上った。
「おいあぶねえぞ、廻ってみよう」
みんな立上った。
「火をつけるな」
私は嫌《いや》だったが一人では心細い。ついて出た。どの家も饐《す》えた馬臭がした。馬はいない。通過部隊が、いつの日か繋留《けいりゆう》したことがあるのだろう。無闇《むやみ》に、暗い。私達は恐怖から、ただ門口をのぞいて廻るだけである。莫迦《ばか》げていた。
するとはずれの廃屋からするりと二つの影が忍びだしたように思われた。ぐんぐん走る。長短不揃《ふぞろ》いの二つの影が田圃《たんぼ》の方に飛んでゆくのである。
「やるか?」
と誰か云った。
「やれ」
ともう一人の兵士が答えると同時に、みんな発砲していた。中《あた》らないようである。影はどんどん遠ざかった。
「畜生」
と又二三発放っていた。闇の中に、もう見えなくなって終《しま》っていた。
翌朝は霧が深かった。全部食糧探しに出かけるのである。
「いるぜ、赤犬が、何度も啼《な》いた」
例の猿のような機敏な下士が云っている。
「が、遠出はするな。ぐるりだけだぜ。七時までに帰って来いや」
下士が先に立って散っていった。私とニキビの少年兵だけが残っている。口数の少ない兵隊だった。私達は不安だから二人で門口から少しはずれた塚の方に歩いていった。
霧が裂けはじめてゆくと、小路《こみち》にそうて、武蔵《むさし》野《の》のような閑寂な雑木林が続いていた。ヒガラかコガラのような啼声もきこえてくる。
「さん、いる。ほら」
とその兵士が指さした。
丁度小径《こみち》のうねり角の辺《あた》りから、林の中に這入《はい》りこんだ所に、一匹の黒犬がいた。木の根を楯《たて》にでもするように、じっとこちらを向いていた。
「打ちますか?」
「さあーどうでも」
と、私はためらった。
「やりましょう」
少年兵は不器用に銃をあやつりながら、引鉄を引いた。黒犬は暫《しばら》くよろめくようだった。
「中《あた》った。さん。ついて来て」
と、こわいのであろう。少年は私を招きながら、走り出した。私はのろのろと続いていった。見たくないのである。突然犬が叢《くさむら》の中から狂い立つように飛び出した。山の方に走るのである。
「オウーイ、何だ」
と発砲の声をききつけたのだろう、遠くから連れの兵士らしい声が聞えて来る。
「犬でーす」
と、少年兵はわめいてそれから手負いの犬を追うていった。そのまま山の方に駈《か》け上がっていってしまった。パーン、パーン、と、追うて、撃つのであろう。銃声だけが木魂《こだま》している。私はなんとはなしに先程犬が立っていた辺りを見まわりに行ってみた。中《あた》っていた。点々と血が匐《ほ》うている。楓樹《ふうじゆ》の白い幹の根元に身体《からだ》ごと、こすりつけたものであろうか、夥《おびた》だしい血痕《けつこん》だった。
が、傍《かたわ》らの叢を見て慄然《りつぜん》とした。土民の男女が重なり合うて倒れている。「良民証」と腕によごれた白腕章を巻いていた。
「ああ昨夜の」
と、私は闇の中に消え去った、長短二ツの影を思い起した。男があとまで生き残ったのであろうか、女の〓子《クーツ》をめくって太腿《ふともも》の銃創を手当していた気配がある。左鎖骨の乳房の上もめくられて、斜めに弾丸を受けたのであろう、ささくれた傷痕《きずあと》が見えていた。男の方はほんの今先息絶えたふうに思われた。何処と傷痕は分らない。掌《てのひら》だけ黝《くろず》んだ血の色にまみれて乾《かわ》いている。霧の裂け目の朝日が顫《ふる》えかかるようだった。次第に恐怖の心は薄らいだ。閑寂といってもいい程の得体の知れぬ侘《わ》びしさだった。何か腹の底の方に、冷たい固形の空虚が拡がって、頼りなくヒラヒラとゆれているような心地だった。
私は死体を離れてソーッと歩いた。枝々に相変らずヒガラ、コガラのような鳴禽《めいきん》類の呼びかわす声が聞えてくる。霧の上半分に、早春の陽差しがにじんでゆくようで、光と霧の比例が見る見る変ってゆくのが、不思議な心のやすらぎを誘うていった。塚の小松の葉にキラキラと露が光っていた。何か匂《にお》うているのである。放棄されたままに、荒れた田畑が、早春の気配を感じて静かに蘇って来るのであろう。その泥土の蘇生《そせい》の匂いのようでもあった。
霧が拭《ぬぐ》うように晴れていった。遠かったが興安《こうあん》あたりの、不思議な連峰が、乳色に陽をあびている。
菫の花がたった一本だけ咲いていた。荒く刈り込まれた稲の根株の間を抜ける、畔道《あぜみち》の上だった。色は淡いが花の朶《たぶ》が、思いがけなく大きく、微風の中にそよいでいた。踏む人も通らないのであろう。柔らかく絶え間もなく顫えている。摘み取ろうとして、私はためらった。思いきって、芝の上に匐《は》うのである。鼻をこすりよせて、風に散る、かすかな香りをむさぼった――。
あの揺れつづけていた菫の姿だった。
怒濤《どとう》の響きの中に、何か灯《あか》りがともるように顫えながら、私の胸の上にポッカリと浮んで来た。暫《しばら》く、追憶のその菫を、幽鬼の波頭共が、声を上げて弄《もてあそ》ぶふうだった。
翌朝早く静子がやって来た。太郎も、リツ子も、リツ子の母も、未だ起きてはいなかった。私が下の井戸端に廻っていると、静子が裏木戸からチラと覗《のぞ》いていたが、私を見つけると、かけよるふうで、青葱《あおねぎ》と鶏卵の入った赤い籠《かご》を差しだした。差出しながら、その籠から、まるで辺《あた》りの霧を払い落すふうだった。見覚えがある。玉藻《たまも》刈りの日の腰の籠だった。洗いたてた蕪《かぶ》が、その籠の目から白くのぞいていた。
「早うござすな、さん」
「はあ」
とうなずきながら、私は恥らった。昨夜の、とりとめのない妄念《もうねん》が、笑われるのである。
「昨日は送って貰《もろ》うたりまでして――。お婆ちゃんから叱《しか》られましたと」
清々《すがすが》しく笑っている。
「実はあなたに、もう一ツ云いたいことがあったのですが」
と、私は冗談めかして、じっと静子をみつめたが、何故かしら、素速く静子の頬が、赤らんでいった。が、やがて鎮静の表情を取戻すと、
「リツ子さんのこと、みんな嘘でっしょう。たまがらせなさすと」
キラキラと、輝きがつのってゆくふうな眼の色だが、脅える不安の面持は消えなかった。
「可哀想だが、本当です」
私は思いきり、静子をおびやかしてみたい衝動にかりたてられるのである。
「もう二三日持ちますまい。だからこんなお野菜を戴《いただ》いても、本当は何にもならないのです。お母さんが自分で食べたくて、あなたにおねだりしたのでしょう」
「まあ、そげなー」
と、そう云って、熱くほてった顔に変ってゆく。私には、その機敏に移ってゆく感情と、肉体の結び目がいつもながら美しいものに思われた。
「が、静子さん、未だ誰れにも云ってはいない。お母さんも知らないのです」
静子はほてった顔で、棒のように立ったままだった。何か云いたげに、ただブルブルと、しまった唇が暫時ゆれただけである。薄い産毛《うぶげ》が口の辺りに霧を帯びていた。
「お野菜はもう要らないが、通る度《たび》に寄ってみてだけは下さいね」
「ハア、お見舞しまっせなあこて――」
「リツ子じゃない。私ですよ。寝つかれない」
我儘《わがまま》に、媚《こび》の声が自《おの》ずと出た。実は、気弱くなぞなってはいなかった。夜は別だが、明けるといつもながら私は暴虐の本性に立ちかえっているのである。
「今朝は何処?」
「カナギとりですと」
「ああくされカナギか。じゃ、私もかついで上げようか」
静子は私の手当り次第の放言と気がついたようだった。ほてり上った顔が冷め、よりどころのない不安の面持に返ってゆく。何も答えないのである。
「そんなら、いってきます。お大事に」
「ああ、僕も後からゆくんですよ。会えるかも知れないなあ」
「太郎ちゃんは? 先へ連れていっときまっしょうか。リヤカーですけん」
「いや、未だネンネですよ。太郎奴《め》は」
「じゃ、待っときまあす」
と、静子は赤籠を残して霧の中を走ってでた。
二階に帰ってみると、みんな一時《どき》に起きている。太郎がキョトンと蒲団《ふとん》の上に坐って、私の方を見上げていた。
「もう、ちょっと待ち、ネエ太郎。母のお手々洗い洗いが済んでから」
襖《ふすま》を開くと、母が毛布の下からリツ子の足をさすっていた。
「どう、気持いいの?」
リツ子は答も肯《うなず》きもせずにじっと眼を見開いて私を見た。私は急いで階下に降りていって竈《かまど》のドーコから熱湯を汲《く》むのである。それをリツ子の洗面器に移してやった。琺瑯《ほうろう》びきの洗面器は、リツ子のにと云って、母が山から持って来てくれたものだった。ぼろぼろに禿《は》げ朽ちていて、穴を防いだ、脱脂綿が、湯の中にふくれ、ブツブツと気泡を上げている。タオルを投げ込んで両手に抱え、母の側に持っていった。
「さん」
と、リツ子の母が云う。
「もう私一人じゃ、リッちゃんは見きらんけん、今日から、おていさんに来て貰うごと頼んできてつかわさい」
「来てくれますかしら?」
「さあ、どうですやろか。こちらが困っとるっちゃけん、来そうなもんな。さん。すぐ今から行ってみて御覧ない」
「そう、御飯の後で行ってみましょう」
「今行っておいでない」
と、いつもの癖で、もどかしそうに両膝を交互にゆするのである。
「あの人は、朝早うから出る人だす。今行っておいでない。太郎ちゃんは見ときます」
「嬉しかあ――。おていさんが来てやるなら」
と、突然リツ子が声をあげた。
「よう、手のとどく人じゃんな」
と、リツ子の母は目尻を細めながら喜ぶふうだった。
「もう、御飯は出来とりまっしょうもん。さん」
「ああ、出来ています。持って上っときましょうか。静子さんから、今、卵を貰ったから、あれでもかけて、食べておいて下さいネ」
「そうな、そりゃよかった。早う帰っておいでないや」
と、リツ子の母は相好《そうごう》を崩している。
私は釜《かま》を抱え上げ、それから静子の赤い蔬菜《そさい》の籠をリツ子の枕許に運んでいった。
「オイ、リツ子、静子さんから貰ったよ」
うなずいて、ぼんやりとその蔬菜の色をみつめている。けれども次第に視力の混濁しているのが私にはよくわかりおそろしかった。
S医師の一月の予言が、余すことあと四日である。二十日目頃には嘘だと、病者と日数を数え較べながら、希望と絶望を交互に感じて一喜一憂したが、N医師の昨日の見立は、もう最後の心臓の鼓動を聞いてしまったとでもいいたげな顔だった。玄関を去り際の仏頂面《ぶつちようづら》が語っている。
私はリツ子の母に云い聞かせようと思い募り、又、ためらった。退屈なのだろう、卵を握りしめてそれを空に透し見ているが、私の一語できっと泣くだろう。
「じゃ、行ってきます」
私は立上った。
「チチー。タローも行く」
と例の通り寝巻のまま、蒲団の上で太郎が地団駄を踏むのである。
「だって、太郎は御飯を喰べなくちゃ――」
「いくー、いくー」
立上って私の足に縋《すが》りつくのである。
「タアちゃん。ゆかんとよ。御飯あるよ」
とリツ子の母がなだめている。然《しか》しとても残りそうもないから、さっさと太郎を着替《きが》えさせた。二階の窓から霧の中に小便を出してやって、昨日の冷えた煮芋を一つ掌に握らせてやるのである。
玉の浦辺りで波の霧が霽《は》れていった。生れて、はじめて、海上の霧の移動を確かめたが、見事に統率された一軍団の後退の有様を見るようだった。塵《ちり》一つ、残らない。爽《さわ》やかな波の反転ばかりを瞬時に置去りにするふうである。波のひだと、岩のひだに一夜もつれ遊んでいた霧共が、号令一下、一斉に浮き上り滑《すべ》っていって、本隊に追いつくといったあんばいである。ただ渚《なぎさ》の崖に添うて、落伍兵《らくごへい》が、殿《しんが》りの行進をつづけてゆく。それも直ぐ失せて、後は青過ぎるほどの海の色だった。波の一ひだ一ひだの尽くることのない皺曲《しゆうきよく》と波動であった。
私は太郎を首にしたまま、しばらく立止るのである。人生の用件などと、とりとめない。最後の波のひだから舞立つ霧のように、リツ子も、早く、この根原のものに還ってくれ、と大きく呼ばわってみたいほどである。
唐泊《からどまり》と日頃聞いているだけで、私はおていさんの家が一体何処《どこ》にあるか聞いて出なかったことに気がついた。可笑《おか》しさがこみあげた。お母さんの周辺を、絶えず逃れたがっているのだな。それにちがいはなかった。それに病者の――。
そう考えていって、リツ子がしみじみと不憫《ふびん》に思われるのである。S医師からあと一月と断定され、三十日をリツ子のために己《おのれ》を棄てて献身するよう心の中で誓うものの、病者の不潔感には、その都度本能的に反撥《はんぱつ》して、結局むごい心の打撃を蒙《こうむ》るのはいつもきまってリツ子である。
この本能は、単純な自己保存にきざしている。リツ子が死んでも、自分の心身は保全したいという無意識のうちの欲望だろう。が、一方私は自分の生命を放棄することを、さして重大には思っていない。それでなければ、危険な戦場の旅を継続することはなかったろう。リツ子の唇に己の唇をあてることはなかったろう。
すると、これは己の審美の分岐点に長年の妄執《もうしゆう》がこりかたまっていったものか。病者の生命の招き方を拒否するのだ。鼻持ちならぬのだ。その状態を忌《いと》うというよりも、その発端の、心の位置について、憤っているのだろう。
そう考えていって、自分の今日を是認するのである。俺は道義を考えたことのない破倫者だ。然し、生命の招き方についてだけ、頑強《がんきよう》な一つの執心を持っている。価値、善悪の判別も、すべて、この執心で貫いていることに気がついた。不憫でも仕方がない。
よし。これで貫く、と心は爽朗《そうろう》に霽れ渡ってゆくのである。
「太郎」
「ハーイ」
と首の上で太郎が答えている。
「太郎。強くなれ。大きくなれ」
抱きかかえて、その小さい太郎の尻《しり》の辺《あた》りをはげしくゆすぶった。
「どーんなに?」
「父みたいに」
私はそう云って笑いくずれながら、伸び上る太郎に何度も私の顎《あご》を噛《か》みつかせるのである。
予期していた静子には会わなかったが、宮の浦の伯父に聞いたら、おていさんなら自分がついていって呼んでやると草履《ぞうり》ばきで家を出た。
「リッちゃんどうな?」
「相変らずですよ」
この伯父にだけは打明けようと思っていたのが、また、云いそびれた。真情の厚い人だけに、リツ子の枕許《まくらもと》に寄って来られたら悲し過ぎる。近いのだから、もう少しさし迫ってから打明けようと心に決めた。
おていさんの家は海の方に露地を下っていったところだった。折れ際に一二段の目の荒い石が据えられて、小蟹《こがに》が沢山匐《ほ》うている。それを上ると狭い露地からまる見えの、四畳半三畳が、見覚えのない流儀で、清潔整頓《せいとん》されていた。
アメリカに永年住んだせいか、とも思ったが、そんな痕跡《こんせき》は余りない。ただ台所も兼ねているのであろう、玄関のつきあたりの三畳に、これは見事なフライパンが、よく使いこんで下げられてあった。
「どうな? 体はええな?」と伯父は馴《な》れたふうで、もう上りこんでいる。
「肩のうずいてなあ。まあ上んなさっせ。えーと、リツ子さんのお婿さんと坊ちゃんくさ」
「さん、たい」
伯父が笑うのに、
「そうそう。そうやった」
と気持よく笑いながら、座蒲団《ざぶとん》を敷いて招じるのである。
「今日は頼みごとで来たやなあ。おていさん。あんた、きつかろうばってん、いっときリッちゃんの看病ばしてやらんな。婆さんがあげなふうじゃけん、さんがきついたい。大学ば出た人が飯たきじゃ、なあ――」
と伯父は私の顔を見る。
「いいや、飯たきは構いませんよ。ただこの頃、少し悪いものですから、太郎を抱えて、行届かんのです」
危篤を打明けねばおていさんに相済まぬと思ったが、伯父に云いそびれたことを、今更持ちだすのも可笑しく思われた。
「まあ、あなたが御飯たきですな?」
「御飯たきて、薬取りから、何もかんも、さんたい。婆さんは、何もしはおるめ?」
と伯父は私を庇《かぼ》うてくれるのである。
「上りまっしょう。少し肩のうずいて、余りお役に立たんかも知れまっせんばってん。いつからですと?」
「今日からくさ」
と伯父が云った。
「そんな御無理は――」
私が云いかけるのを伯父は遮《さえぎ》って、
「いや、早いがよか。なあ、おていさん」
「どうせ上るのですけん、今日からでも行きまっしょう」
とおていさんは快く引受けてくれた。
「後仕舞《あとじまい》をしますけん、十時になりまっしょう」
「済まんやなあ。この人は時間を間違う人じゃ、なか」
と伯父がおていさんを見るのである。有難かった。が、危篤を打明けていないのが、何か人をあざむくように、心の中へわだかまる。
丁寧に礼を云うて外へ出た。狭い露地の果に、海が切取られた藍青《らんせい》の千代紙のように、細い矩形《くけい》で冴《さ》えていた。
私は伯父に別れると、こっそり後がえって郵便局に出た。身近い親戚だけは電報を打つ心算《つもり》である。
リツコキトク一オ
と二三通自分で書き記して、ようやく事態の切迫が、胸の底に響いてくるのである。
静子だった。椅子の太郎を抱《かか》え上げて黙って、私の後ろに立って覗《のぞ》いている。眉《まゆ》が吊《つ》って、秀《ひい》でた顴骨《かんこつ》のあたりが昂奮《こうふん》から赤くふくれて染っていた。悲しみの正しい表情というのは、こんなものかと、私は、自分の心情を恥じらうのである。
私も黙して、郵便局を外へ出る。静子は太郎を抱いたまま静かについて出た。
「カナギのリヤカーはどうしたの?」
「預けてきました」
と云っている。
「じゃ、取って帰りましょう。何処《どこ》?」
「今日は貰《もら》えません。明日ですげな」
「リヤカーは預けたままにしておくの?」
黙って肯《うなず》いている。しばらく耐えるふうだったが、静子のまつげから涙がキラリと滑り落ちた。
「山道から帰りましょうか?」
また肯く。少し廻り道だが、火葬場の塘池《つつみ》の横を抜ける山道があるのである。静子の涙顔は、人に行会うたら異様に思われるだろう、と渚を避けた。
山道には山の風が通っていた。私はその風を頬《ほお》にさばさばと受けながら、ほんの六七丁を廻ったところで、潮の香を忘れて終《しま》ったような、山の清々《すがすが》しさをなつかしむのである。
塘池には、かいつぶりが、白い水尾《みお》を曳《ひ》いていた。火葬場の上の山桜が、ぽっと色づいている。
「もう咲くね」
と、私は太郎を負うた静子に指してみせた。峠から真下に残《のこ》ノ手前の小波が立っていた。しばらくはそのキラキラキラキラのまばゆさに立止るのである。
「キレーね、チチー」
と太郎が静子の肩から声を上げている。
「太郎。ここに太郎のお家、つくろうか?」
「つくろう。つくろう」
と太郎が小おどりして喜ぶふうだった。
百千の黄金の波頭の奏楽である。間断のない光の皺曲《しゆうきよく》と、波動である。何もかも許されているようだった。静かな歓喜がふくれてゆく。
「静子さん」
私はその黄金の波頭の分裂を、細かにみつめながら、語を切った。
「僕と、結婚してくれますか?」
ぶるぶると静子が顫《ふる》えている。万波の光背を負うて、静子の頬が、くしゃくしゃにひきつった。答えない。立ったまま、唇を真一文字に結んで、おしだまっている。歩きだした。坂道を避病院の方に下《くだ》るのである。
太郎の尻にまわした静子の手が、堅く組み合わされているのを見つめながら、私も黙って降りていった。
放念しているようだった。降り際の潮のところでどやどやと村の衆に行き合って、声をかけられたが、静子は心持首を垂れたばかりである。もう何も聞いていない。まっすぐ前をみつめながら、とぼとぼと歩いていた。太郎が、所在なく、その髪の毛を弄《もてあそ》んでいるのである。
家の前に出た。玄関の上り口に太郎を置き、静子は、
「さよなら」
とそれだけ云うて、面を上げず、帰っていった。
階上に上ってみるとリツ子の母が泣いている。私の袖《そで》を曳いて太郎の部屋の階段のところに連れだして、ぶるぶる顫えながら、
「まあ、さん。リッちゃんな危篤ですげな、なあ」
私は黙って肯いた。
「なんごと、かくしなさすと? 親ですよ」
とリツ子の母の声が癇走《かんばし》った。私も昂奮から鼓膜が部厚になってゆくようで、他愛もなく遠い声のように聞えていた。
「こんなにして、放っておく人がありますか。何処からでも医者を呼んできて、葡萄糖《ぶどうとう》や強心剤を打たなこて」
「Nさんが来てくれる筈《はず》ですよ」
「あんな医者が、何が出来ますな?」
「じゃSさんを呼びますか?」
「つまりません。あの人達がリッちゃんを殺したとですよ」
「仕方がないじゃないですか、今から黒田博士でも呼ぶのですか?」
「仕方がないとは、どうしてな。リッちゃんが死にかかっとるのを見殺しにするとですな?」
病室から、リツ子の嗚咽《おえつ》が聞えている。もう、どうにでもなれと、母の顔を見るのである。
「世界中からでも、呼び集めてこなあこて」
「呼び集めたいですよ。気持だけは。今、そんな資力がありますか」
「まあ、口惜《くや》しさ。よくよくの貧乏人にリッちゃんも嫁《かた》づいたもんたい」
「やめて――やめて――」
とリツ子の狂うような昂奮の声が聞えてきた。
「今からすぐ、前原のKさんを呼んでおいでない。あの人はきっと葡萄糖を持ってある」
「ああ、呼んで来ましょう」
「もう医者は要らん。葡萄糖も要らんよ。お母さん」
とリツ子の哀切の泣声が続くのである。
「リッちゃん、何云うとるな。あんた、死ぬか死なぬかの境ばい」
「もう死んでもよか。いやーいやー」
「早くさん、呼んでおいでない。直ぐにですよ」
「直ぐ呼んで参りましょう」
リツ子の母は泣きながら、病室に帰っていって、ピシャリと襖《ふすま》を閉めた。
しきりな空腹が感じられる。私は膳《ぜん》の上の母の喰《た》べさしの食器類を片附けて、太郎と二人、冷えた茶漬《ちやづけ》を喰《く》うのである。
「太郎を置いていって、いいですか」
「二人は見きらん。リッちゃんが危いとですよ」
と襖越しに声がした。静子のところは気がさしたし、よし、連れてゆこう、とお櫃《ひつ》の飯を竹の皮の上に握りはじめるのである。前原まではまっすぐ歩いて山越しの二里だった。
「まあだな?」
と襖を開いて、もどかしそうに母が来た。
「そげん握り御飯をつくってどうするとな?」
「前原ですよ。二里ですよ」
「二里でも十里でも、御飯喰べずに――」
「太郎が、辛抱できません」
「タアちゃんには二つあればよかろうが。いくつ、つくるとな?」
「いくつだって、いいじゃないですか?」
私もむらむらとふるえあがった。
「ようはなか。いくつ握るつもりな?」
「いくつ握ったっていいじゃないですか。私の米ですよ。私が貧乏だと思われるなら、ミシンで何俵替えたとか仰言《おつしや》るばかり仰言らないで、自分の召し上りものだけでも、持って来ていただいたら」
もう母は一月、この家に来ているのである。一度も米は持って来なかった。つまらぬことだと思ったが、母を刺戟《しげき》するのには一番いい。
「なんな。私は、看病に来とるとばい」
「もう看病は要りません。私がやる」
「リッちゃん聞いたな。もう、私は要らんとげな。あんたの親を追出すとげな。居って介抱してやりたいばってん、助けて上げる道は、知っとるばってん。もう仕方なか。ふの悪いとたい。あんたは死ぬばい。さよなら」
リツ子の母は逆上して蝙蝠傘《こうもりがさ》一本持つと、階段につかまりつかまりぶるぶると顫えて降りていった。しばらくリツ子がわあわあ手足を揺って泣いている。
「御免ね。リツ子。云い過ぎた」
と私は太郎を抱いてそっとリツ子の側に坐り、リツ子の鎮静を待つのである。
「早く死にたか――」
しみじみとリツ子は、そう云った。昂奮の後の空虚が、私の心ににがくひろがったが、親子三人だけ、久しぶりに寄り集《つど》う嬉《うれ》しさはかくせなかった。何か、リツ子の病気を癒《なお》してでもやれそうな優しい気持に還るのである。
「リツ子、落着いて、しっかりと病気を癒しなさいね。きっと癒る」
静かにその手を握りしめてやる。手はまだ微《かす》かに昂奮から顫えていて、余りの疲労からだろう、時々がくんと陥没でもしそうな面持である。
「ねえ、リツ子。二三日うちに黒田博士を呼んできてあげる」
「もう要らん、お医者さんは」
とリツ子は、むなしい表情でそう云った。母が逆上して、その都度医師の診断を取りついで終う。リツ子を一緒に誘って呪《のろ》うのである。おそらく、微《かす》かな信頼を繋《つな》いでいるのは黒田博士だけだろう――。
かっきり十時に、おていさんがやって来た。リツ子の喜びようと云ったらないのである。
「良かった――。おていさん。あなたに会いたかった――お母さんが逃げたとよ。好《す》かーん」
と云うて、ちょっと厠《かわや》に立とうとするおていさんさえ手離さないのである。
「好かんとよ、お医者さんは。私が、もう一月で死ぬとげな。危篤げな。危篤が、あるもんか、ねえ。自分が一番良うわかる。気持の良か――今は」
と眼を閉じたままで、おていさんにそう云っている。意識の混乱が聞きとれた。それとも、はかない希望か。一月を順送りにしているのである。
「そうですたい。ここいらの医者の云うことはわかりまっせん。博多でないとなあー」
「黒田先生? でももう良か。医者はいやいや。おていさんが一番よか」
リツ子は甘えて、おていさんから林檎《りんご》の汁を絞って、飲ませて貰っている。
「さん、さん。手紙ですばい」
と階段口に下のおばさんの声がした。何処からだろうか、と住所を誰にも知らせていない私は奇異な心地だった。
「なーん。ね?」
「手紙だそうだ」
とリツ子に答えてやって、下のおばさんから受取った。黒田博士からである。私は喜んで、リツ子の枕許に運び、
「ほら、黒田博士からだよ」
リツ子も何か、奇蹟《きせき》のような幸福を感じるのだろう。嬉しそうに黙って眼をつむった。急いで封を切る。
拝啓、お変りないことと存じます。拙宅にお越しになった由、生憎《あいにく》父の死に逢い、一月ばかり帰国いたしておりました。奥様の御病状いかがでしょうか。早く伺いたいと思いつつも父の死や、御存知のことと思いますが鹿島君の自殺に逢うたりして、取紛れて過しました。鹿島君は誠に気の毒に存じました。或はあなたなど原因の御心当りがあったかも知れませんね。事業の方は好調だと聞いておりましたが、何しろ先代の事業の継続で、余り性分には合っていなかったでしょう。誠に、残念で、何と申し上げていいかわかりません。さて、奥様の方ですが、どんな御様子でしょう。二三日内には、体があきますから、電報ででも連絡して頂けば拝趨《はいすう》いたします。その前に一寸、御模様一筆したためて下されば、尚《なお》、幸いです。とりあえず御見舞旁々《かたがた》、先日のお詫《わ》びまで。くれぐれも御愛護御看病のほど祈ります。敬具
黒 田 生
鹿島が自殺? 何のためだ、と私はがくんと体がのめりそうになるのである。ようやくそれをこらえて、リツ子に二三日中には黒田博士が見えるかも知れない、と知らせてやる。
リツ子は安堵《あんど》して静かな眠りにつくようだった。手紙を握りしめたまま、私はおていさんに後を頼んで、戸外へ出る。関節がばらばらにはずれていってしまいそうな頼りなさだった。
波がめくれている。際限のない分割と反転である。鹿島との別れ際の顔が浮んでくる。苦い後味が。二夜を遊んだ美代福の顔が見えてくる。
やがて、キラキラ、キラキラ、一眸《ぼう》小波のなかに、唇を真一文字に結んだ、静子の顔が、はっきりと、浮んで消えていった。
珍らしく静かな暖かい夜だった。この二三日家ごと揺《ゆさ》ぶられるようにはげしかった波の音は、凪《な》いだのかずっと落ちている。おていさんが夕御飯の後仕舞もしてくれるので、手持無沙汰《ぶさた》に感じられるくらいの無聊《ぶりよう》だった。太郎は早く隣りの部屋に眠って終《しま》っているのである。
「少し足をさすってあげようか」
リツ子は肯《うなず》くふうである。象の足のようにむくみ上った女の踵《かかと》は触《さわ》ると無慚《むざん》な感慨が湧《わ》く。そっと毛布の下にかくしこんで、それでも擦《さす》って減るのならば、といつまでも撫《な》でていた。夕方あたりから少しリツ子の気持のピントがぼやけてきたように思われた。相変らず枕許の天井には、張られた糸にネズミモチとオオバコの葉が沢山掛けられたままである。
「棄てようか、あれを」
「いやよ、いや。淋《さび》しゅうして」
とその乾《かわ》いた枯葉をぼんやり見つめながら、言葉も全く方言に還っている。けれども、オオバコもネズミモチの煎薬《せんやく》も、この頃全く口にしないのである。
「だんさん」などと妙なことを云う。
「おなかの処をさすりさすりして」
うむ、と毛布の下から浴衣《ゆかた》をめくって、リツ子の体温を手に探るのである。
「おこしもほどいてか?」
うむうむと肯いている。相変らず絹の下巻を巻きつけているだけである。けれどもその巻き終りの無雑作な留め方には手馴《てな》れたなつかしさが感じられた。お腹全体をさすってやる。生気も弾力も失って、げっそりと陥《お》ちている。骨の間にひからび陥ちた死火山のようだった。
「もう土筆《つくし》の生える頃でしょう?」
薄目をぼんやり開いてそんなことを云っている。
「もう過ぎた。喰べたね、昔、石神井《しやくじい》で」
私が答えると笑いながらうなずくふうである。同じ思いにひたっていたのだろう。――
あれは何年昔だろう。太郎がまだ生れてはいなかった。石神井の野原の散策で、陽だまりの斜面にいちめん生え揃《そろ》った土筆を見つけ、二人して風呂敷一杯摘んで帰ったことがある。それを煮て、玉子とじにして沢山喰った。そろそろ食糧が少なくなりかけた頃だった。喰べ過ぎて夫婦ともひどい下痢をしたのである。一つ蒲団《ふとん》にやすみながら、かわるがわる一夜中お腹をさすり合った。厠《はばかり》も一緒に行って待つのである。けれども私が楽になる頃はリツ子も楽になっていた。
「大丈夫か?」と妊娠六カ月のお腹をぽんぽんと叩《たた》いて笑った。嬉しくて狂気のように愛撫《あいぶ》し合うたことを覚えている。
それだった――。が、あの時のはちきれるような皮膚のはずみは消えていた。その時の名残《なご》りの感触が探り取れぬのをありあり淋しいものに感じながら、ゆっくりと上下に撫でている。下腹の心持僅《わず》かな隆起と手ざわりにだけ、しみじみとした昔のぬくもりが残っているようだった。リツ子も時折ぼんやりと薄目をあけて私の顔を見つめている。それから低く、
「もういや」と云って眼を閉じた。
おていさんがタオルで手を拭《ぬぐ》い拭い上ってきた。
「どうですな?」
「有難う。何もかもしてもらって今日は極楽のようですよ」
と、私はリツ子の毛布を直してやって、
「お茶をあげようか?」
リツ子がそっと肯いている。おていさんは火鉢《ひばち》の脇で一服煙草をつけていた。私は吸呑《すいのみ》に茶を入れて、両手で温度を調節しながら、ゆっくりとリツ子の口にふくませてやった。
八時頃、宮の浦の伯父が来た。
「どうな、リッちゃん」と煙管《きせる》差《さし》を帯から抜いて、火鉢の脇に坐るのである。リツ子はいぶかしそうに伯父を見て、
「おいさん、どうして来たと?」
「どうしてって、あんたが寝とろうが」
それにしても、たしかにこんな時間に見舞に来たのははじめてのことである。リツ子はしみじみと、
「お母さんが帰ってしもうたとよ」
「そうげなな。因業婆《いんごうばば》あがなあ――」
と実妹のことだが宮の浦の伯父はいつもリツ子の母を悪《あ》しざまに云う。リツ子は珍らしく、嬉しいのかしきりに喋《しや》べりたがった。然し、時々意識が明瞭《めいりよう》になったり、ぼやけたりするようだった。
「おいさん。今頃来るとうちのさんから煙草をみんな吸われて終いますばい」
「そうそう。忘れとったやな。持ってきた。さん、刻《きざみ》ばってん吸いなっせえ」たもとからみのりを一袋探って、私の前に投げてよこすのである。
「いただきます」と私は久方ぶりに煙管で一服つけてみた。
「いいとよ。いくらあっても足らんとよ」とリツ子は云ったが、それでも何がなし安堵《あんど》するように眼をつむった。
思いだしたようにまたちょっと眼を見開いて、
「林檎の汁を、少うし――」
箪笥《たんす》の上の林檎を四半分、おろしにかけてふきんで絞り砂糖と湯で割って、吸呑に入れてやる。
「あーっ」と口にしみるのか酸《す》っぱそうに眉《まゆ》を寄せた。それから、
「お母さんは、慾の深《ふこ》うして、スカーン」と、そのスカーンを長くひっぱりながら絶え入るように云うのである。
「どうした奴《やつ》かいな。なあ。さん、婆さんがあんたに何か無理云うつろう?」
おていさんからでも伯父は事情を聞いたのだろう――。
「もうだあれも居らんが一番良《よ》か。一人で寝とるとが一番よか。スカーン」とリツ子はもう一度伯父にそう云って、それから眼を閉じて眠っていった。
「さん、鯛《たい》が一斤二十五円もするやなあ。負けて終《しも》うたら、日本はもうざまなかな、何もかんも狂うて終うとるとばい」
と伯父はしばらく世間話をしていたが、リツ子が眠ったらしいのを見とどけると、声をひそめて、
「もう二三日げなな?」
私はそっと肯いた。
「今日道でNさんに会うて聞いたとたい。太郎ちゃんが、一番きついたいなあ」
伯父は鼻にかかったような声でそう云いながら、煙管を火鉢にポンと叩いた。
「なーん? ん。なーん?」と一度リツ子が薄目を開いてこちらを見たから、私達はあわてて顔を見合せたが、また何事もなかったように、すやすやと眠ってゆく。
薄暗い電燈である。低いが確実な波の音である。リツ子がひょいと上半身蒲団の上におき上って、敷布の上を指で蚤《のみ》を追うような恰好《かつこう》をする。
「どうした、おい、どうした?」
「蚤のおりますとよ」と相変らず指をくねらせて蚤を追うような手付である。浴衣が乱れて乳の辺《あた》り、皮膚が青白くたるんで見えた。乳首がさむざむと櫨豆《はぜまめ》のように萎縮《いしゆく》している。けれどももう視線も瞳孔《どうこう》も拡散して、何か空《くう》を泳ぐような眼と手である。
「リッちゃん。あんた蚤が見ゆるとな?」と伯父は驚いて声をかけている。
「いいえ、ナーンも見えまっせんと」
リツ子は力無さそうにそう云って、ゴロリと横になり、やがて又昏々《こんこん》と眠っていった。おていさんが寝具の辺りを直しながら、
「夢のような、ふうですなあ」と淋しく笑うのである。私も不思議な気持にゆられる思いで、しばらくぼんやりとリツ子の白い鼻筋を見つめていた。
宮の浦の伯父はすぐ帰った。階段の降り口に立ちどまって、
「可哀そうばってん、もう長うはなかろうや。生かしとけば、あなたにゃよか嫁じゃろうがなあー」と嘆息してしばらく動かない。けれども思いきったのか、
「そんなら又。様子の変ったら知らせてやんなさい」
と外に出た。
星が無い。波の鬣《たてがみ》が白くくねって走っている。バラバラと生温い雨が落ちてきた。私は伯父の提灯《ちようちん》の明りをいつまでも見つめながら立っていた。
おていさんは翌朝早く御飯を焚《た》き終えると帰っていった。ちょっと荷物を纏《まと》めて出直してくるというのである。昨夜夜通しリツ子が苦しがって、足をもませ、尿意を訴えたから、私も殆《ほとん》ど休めなかったが、おていさんも眠れなかったに違いない。正午頃までに帰ってもらえれば充分だから自宅でゆっくりやすんで来て下さいと云っておいた。
空模様がまたあやしくなってきた。隣家の山羊《やぎ》が夜っぴて啼《な》いたのを覚えている。
「あれ山羊メー?」
と真夜中小便を二階の手摺《てすり》から出させる折に、太郎が私に訊《き》いていた。丁度啼いていたのである。リツ子もお厠《かわ》を代えさせた。近頃近所がうるさいからお厠は深夜海辺に持っていって洗うならわしになっている。なるべく綺麗《きれい》にしておいてやろうと夜更《よふけ》に二三度は断崖《だんがい》を降りて洗ってくる。海水と砂を掬《すく》いこんで、ざらざらと揺ぶるのである。雨と風の日にはさすがに嫌《いや》だった。吹き上げる潮と一緒にお厠の洗い棄ての水しぶきを浴びるのである。波打際は物音一つ聞えない。ザザザザ――と汚物を運び去る波の音に唯《ただ》、例の山羊の啼声が断続して混るのである。
嫌な声だ。朝からメーメーと頼りなげに貧相な声を挙《あ》げている。井戸端の洗顔の後に、太郎は山羊メーを見てくると云って出ていった。太郎が駆けだしてゆく、その裏山の庭隅にいつのまにか桜が一本だけ、ぽっと白く咲いていた。
少し遅目にリツ子がふーっと目を覚した。枕元には早くからお湯をしゅんしゅんたぎらせているのである。湯を汲んで顔と手を拭ってやった。
「口をゆすぐの?」
答えない。手を左右に振ってみせて、それから喉《のど》と口の辺りに何か特別な異状を訴える。
「あけて御覧」
蒼白《あおじろ》い顔を歪《ゆが》めながら、大きく口を開いている。ふるえている。舌が真白くなって、幾条《すじ》にも裂けていた。いや、口の中全体が粉をふいて、皸《ひび》のように裂けている。気をつけて見ると、唇もいつのまにか微塵《みじん》のひびに犯されているのである。いつのまにこんな様になったろう。おそろしかった。
「オーオー」と喉を細めて泣くのである。
「待ってね。蜂蜜《はちみつ》を買うて来てあげる」
「オーオー」と泣きやまない。
「ほんのちょっと待つんだよ。蜂蜜を塗ってあげるから」
蜂蜜を買ってくる時間が果してもてるだろうか。そんな不安に襲われる。私は吸呑に砂糖湯だけを注いで枕許に置きながら、リツ子の顔をもう一度そっとたしかめた。
「いいね。しっかりしておくんだよ。直ぐ帰る」
リツ子は肯いているようだった。
「おい太郎。タロ――」
小瓶《こびん》を手にし裏庭に走りでて、太郎を呼んだ。
「はーい」と何処《どこ》かではっきりと太郎の声が聞えている。
「は、や、くー」
「はーい」と駈《か》けて来た。手に一二輪の桜の小枝を握っている。肩車にのせてそのまま私はかけだした。
「何処にいく? チチー」
「すぐそこだよ」
パラパラと生暖かい大粒の雨がきた。東風のようである。しまった、リツ子の枕許のガラス窓を開けたままにおいてきた――。引かえそうかとも思ったが、蜂蜜を命がけで待っているだろうと川沿いの道を走ってゆく。早い雲の足が私達の頭上すれすれに掠《かす》めて飛ぶ。どしゃ降りになってきた。
眼鏡に雨滴が流れて見えないのである。それが頬《ほお》と口に垂れさがる。太郎もズブ濡《ぬ》れだろうが、黙っている。時々私の濡れた坊主頭を掻《か》きなでる。
遠いのである。今頃リツ子はズブ濡れだろう。死んだかな。あの裂けた舌と口で、雨滴を思うさま浴びているような錯覚が湧《わ》いてくる。
山の裾《すそ》に孟宗竹《もうそうちく》が白く風と大雨にたたかれながら揺れていた。そこだった。太郎を負うて濡れたまま農家の土間に入ってゆく。
「御免なさい」
「なんごとですと?」
農家のおかみさんが驚いて親子を見た。
「急病人があって、どうしても蜂蜜が要《い》りますから、少しばかりわけてくれませんか」
「上げますばってん、まあ坊ちゃんをおろして頭なと拭《ふ》きなっせえや」
「ありがとう、急ぐのです」と瓶《びん》を差出した。太郎をおろして頭をタオルで拭ってやる。私の上衣を脱いで、今度は太郎の頭からスッポリとかぶせてやった。
「少《すくの》うござすばってん、もううちの使い分のないとですたい」
入れてくれた。二十円を置いて出る。
「要りまっせんが、もうし。要りませんが」と追いかけてくる。
「傘を持って行きなっせえや。もーし」とおかみさんの声が後ろから聞えているが、雨の中に走り出した。相変らずの豪雨である。小川がいちどきに濁水をはらんで流れている。間に合うかな、と私は跣足《はだし》になって、太郎の足と蜂蜜の瓶を握りしめながら雨の中を浜辺の方に走っていった。
おていさんが帰っていた。リツ子の枕頭のガラス戸はきっちりと閉められているのである。
「ありがとう。よく帰ってくれました。済みませんが、太郎を拭ってやって下さいな」
と私はおていさんにそう云って、シャツの上から着物をつっかけると、リツ子の枕許に坐ってみた。視覚が一層にぶってきたようである。私が帰ったのに気がついて、目を一心に見開こうとするようだ。けれどもたしかには見えぬようである。
「口をおあけ」
「オーオー」とぶるぶる顫えながら口を開く。私は蜂蜜を指につけて、裂けている舌の上にたんねんに塗ってやった。それからとどく限り奥深い口腔いちめんをうるませてやる。最後に唇のまわりに塗ってやった。その都度指にそって唇を動かすふうである。
「さあいい。気持が楽になったろう」
リツ子はしばらく口の中をおそろしそうにあちこち舐《な》めていた。
「蜜をとかしたお湯をあげようか」
ぼんやり眼を見開いてうなずいた。私は吸呑に蜜と砂糖をたっぷり入れ、それをとかして、頬の横から静かに吸わせてやった。
コクリと思いきったように少し飲んでいる。それから、
「あーっ」と安堵のような息をつく。
「おいしいの?」
うれしそうに肯いてまた少し蜜の汁を用心深く飲んでいる。
「林檎の汁ばかり飲んでいたから口がすっかり荒れたのさ」
リツ子が少し落着いた。意識が霧の中からでも迷い抜けたように幾分覚めてきたようで、しばらくまわりを見まわした。枕許のガラス窓が雨に濡れて、幾条もの雨滴が後から後からとすべり落ちている。
「太郎は?」
「隣りにいる。呼ぶか?」
いいやというふうにかぶりを振って、
「濡れましたろう」と思いもよらずはっきり云った。
「ねえ――お厠《かわ》」
「ようし」と私は例の通り腰の下に綿を敷いて、ブリキの用器を差込んでやる。痩《や》せ果てた骨と皮に喰《く》いこむので、用便の都度が殊更《ことさら》に憐《あわ》れである。グルグルと汚物の下るいつもの音が聞えている。
「チーチ、御飯よ」
と襖《ふすま》を開けて太郎が部屋をのぞきこんだ。
「タロー。あっち、ね。あっち、ゆき――」
とリツ子の言葉はしっかりしている。太郎はちらちらと襖の開《あ》け目に顔を出して母の様子をうかがっていたが、齧《かじ》りかけのさつま芋をちょっと見せると、それから笑って引込んだ。リツ子が眉《まゆ》をしかめている。
いつまでもさっぱりとしない模様である。永いのである。腸がすっかり腐り果ててしまっているにちがいなかった。何か、根こそぎこそぎ取れないものか、と私の頭の中にはからみ合った汚物と腸の幻覚が湧いてくる。
「するーっとみんな出てくれるといいけれど。でも済みました」とリツ子が云う。
お厠をはずす。赤い林檎のブツブツの粘液で、もう体内を通っても、何の変化もおこさぬふうだった。私は石鹸《せつけん》で手を洗って、
「重湯か葛湯《くずゆ》を上げようか?」
「喰べとうない」と眼を閉じる。
雨はやんだのか、ぽつりぽつりと雨滴の音ばかりが聞えている。
「あーあ」と希望を失いはてたような吐息をつき、それから辺りを見廻して、
「でも、もう一度蜜を塗って」
とふるわせながら口を開いて私の方にさし出すのである。
口内の微塵《みじん》の亀裂《きれつ》が、思いなしか幾分うるおうているようだ。指先で舌に塗るのに、舌の先が揺れてとまらない。奥深い喉《のど》の中に指いっぱいを差込んで塗るのである。
「いい? 口をもう一度あけて御覧」
開けている。舌の裏側にも赤い裂け目が出来ている。塗ってやる。その奥に、奥歯の金がぼんやりと光っていた。この金の歯が、焼かれて白骨の間に混るのは――と確実な幻想が私の頭の中をよぎっていって、リツ子の顔がまともに見られないのである。
「医者を呼んで来ようかね」
「もういや、誰も呼ばんどいて――」とリツ子はひどく淋《さび》しい顔をした。
「じゃしばらくおやすみよ」と私は指先の蜜を紙で拭う。
「済みません。きたないことばっかりさせて」
ひりりとリツ子の頬から顎《あご》の辺りが痙攣《けいれん》した。そのまま枕の中に沈みこむように眼を閉じて黙って終った。
私は井戸に降りて石鹸で手を洗った。太郎が後ろについてきている。下水の落ち際のところに咲き上った紅白の斑《まだら》の山茶花《さざんか》が季節を過ぎて、咲いたまま雨に腐りかけている。下のおばさんが顔を出した。
「しるしゅうござすな、時化《しけ》て」
「ひどい雨でしたね。おや、このつわは?」
初《う》い初《う》いしい太い新芽の石蕗《つわ》が、無雑作に笊《ざる》の中に投げ入れてある。私は咄嗟《とつさ》に静子の柔軟な四肢《しし》を思いおこした。
「わたしがあなた、きのう晴れ間にちょっと山から採ってきましたと、良かったら食べなっせえや」
「はあ、有難う」
「使いなさっせえや」
とおばさんは両手で大掴《おおづか》みにとって、私の手に渡すのである。受取った。新芽の感触が両手にふきこぼれる程だった。
「太郎。笊を持っておいで」
「はーい」と高麗鼠《こまねずみ》のように太郎が走る。
「奥さんの加減はどうですな」とおばさんが私の顔を覗《のぞ》きこんだ。
「はあ有難う。相変らずのようですよ」
「きつうござすな、あなたも。まあ辛抱しなさっせえや」と深情をこめて云う。
太郎が笊を持ってきた。石蕗の茎をそれに移して水をかけ、太郎を連れて二階に上る。
「石蕗ですな? むきまっしょう。あなた早う御飯をしまいなさっせ」とおていさんが食卓のふきんを取ってくれる。私はカナギの油いために茶をそそいで、ポリポリと遅い朝食を済ませるのである。
リツ子は昼中昏々《こんこん》と眠っていた。何遍覗いても、頭の上の糸に吊《つ》られたネズミモチとオオバコが乾いてかさかさと揺れているばかりである。いつ母の手に渡したのか、朝方太郎が拾ってきたほんの二三輪の花の小枝がくしゃくしゃにもまれたまま枕の脇に置かれてある。
「よく眠りなさすな」と憂わし気におていさんが私を見た。
「医者でも呼んで来ますか」
「やめときなっせ、ひどく嫌《きろ》うてありまっしょうが」とおていさんもさっぱり云った。
私もはじめからそんな心算《つもり》は無かったのだ。死ぬものなら、しっかりと私の両手の中で死なせてやろうとそう思った。けれども、それも押しつまって来たようだな、と確実な死の足取に、あらがいがたい新しい重圧を感じるのである。
遅かれ早かれ、この俺《おれ》も死ぬだろう、確実に。自分の断末魔の妄想《もうそう》が、しばらく私の頭の中にこびりつく。もう何の虚飾も要らないな、と不逞《ふてい》の勇猛心が湧いて出た。
「ようし」と私は荒々しくつわの皮をむしり取って、それから喰べた。にがい苦渋の味の底に云いしれぬいのちの源泉が波打っているように思われた。
「喰べられる?」と太郎が見上げて云う。
「ああ、おいしいよ」
そこで太郎もつわのなまの茎を喰べはじめた。
「にがくて、ガマン?」と訊《き》いている。
「うん、にがくても我慢」
太郎はポリポリと思いきって齧《かじ》っていたが、ペッと唾《つば》と一緒に唇《くちびる》のところに吐きだした。
「やめときなっせえや。太郎ちゃん」とおていさんは笑いながら、太郎の口を拭ってやって、じっといぶかしげに私の顔を見上げるのである。
太郎を呼んで外に出た。しばらくはリツ子が覚めそうにもないのである。
轍《わだち》に水が溜《たま》っていた。雨は止んでいたが、相変らずあやしい空の雲行だった。
「そうだ。夕方には菠薐草《ほうれんそう》の裏ごしの汁を飲ませてやろう」私はそう思って、豆腐屋の野菜畑の方に歩いていった。平常野菜を分けてもらっているのである。
「濡《ぬ》れて穢《きたの》うござすけん、自分で取んなっせえ」と豆腐屋の婆さんがそう云った。
雨に打たれた畑の土が下駄の歯にすぐたまる。私は跣足《はだし》になって、萌《も》え上る菠薐草の新芽を摘み取るのである。
「お豆がほら、沢山、沢山」と太郎も跣足になって後ろで云う。蔓《つる》の先の紫紅の可憐《かれん》な花々に打混って、ピースがぎっしり成っていた。
「もうすぐ喰べられるぞ、ピースが」
「ピース、おいしい?」
「おいしいよ」
「どんなに?」
「こーんなに」と私は太郎の頭の上に菠薐草の両手を思いきり大きく拡げて見せた。太郎がキャッキャッと笑っている。
「帰ろうか」と菠薐草を縄《なわ》で結《ゆわ》えて、私達は歩きはじめた。
「もっと居ようよ」と橋の上で、太郎が立留って動かない。
満ち潮のようである。波が砂を呑みながら、ざぶりざぶりと岸に寄せていた。私もぼんやりとその波のとめどない反転に見とれている。太郎が草の中の蓮華《れんげ》の花を摘んできては橋の上手から小川の中に投げこんで、それからこちらの端に走ってくる。
「ほらチーチ。どんどん、どんどん海に行くよ」
「うん、うん」と私は眺《なが》めているが、河口の辺りで海の波にからみ合うところが面白い。紅白の花の綾《あや》が、流れ流れていって流れこむと思うまにざぶりと波につかまれるのである。何かとりとめもなく生死の境界のように思われた。余程面白いらしい。太郎は何遍繰りかえしても飽きない様子である。ざぶりとまた一群の紅白の花が呑まれていた。
「おい、君」と背の方から自転車が立ちどまる。誰だろう、見覚えはある顔だ。と追憶をたぐったが、財部《たからべ》だった。高等学校の同級だ。同じ寮に起居していた。
「ああ財部か」と私はようやく記憶を洗って、分明な相手の姿をしげしげ見た。
「あんたは東京じゃなかったかね」と財部は云う。
「うん東京だった」
「疎開かね?」
「疎開はせぬ、看病だ」
久しぶりに市井《しせい》の声で、夢から掻《か》きさまされるふうである。
「誰が悪いの?」
「女房だよ」
「それはいかんな、何処《どこ》が悪いの?」
「肺だ」とぶっきら棒にそう答える。
「大変だな。これは坊ちゃんか?」
「うん」
「肖《に》ているよ、そっくりだ」と財部は太郎の頭を撫《な》でながら、「いや肖ている」を繰りかえした。
「悪いのか?」
「うん、今日明日だ」
「そんなことはないだろう」と財部はちょっとあわてている。
「見舞ってゆきたいが――」
「いや、いい」と答えたが、財部が間が悪そうなので、
「今、眠っている」
「そうか、癒《なお》るよ。根気さえ良くすれば」と財部が云った。気の毒なので、
「うん、癒るかも知れん」
「ああ、あれがいい。あのなんとか藤の、――台湾の――」
セファランチンかと云いかけたが私はやめて、
「そうか、飲ませてみよう」
「効くんだよ、あの――あれは」
「有難う」
「じゃ、又会おう。今日は日曜で唐泊までちょっと買出しにきてみたのだ。時には便をよこせよ。此処《ここ》にいるからね」と名刺を出した。西部鉄道資材課長代理財部英一郎となっている。
「じゃ、お大事に。さよなら、坊っちゃん」
財部はそのまま自転車で走ってゆく。松林の崖《がけ》のところに豆粒のように小さく消えていった。私は太郎を連れて菠薐草をぶらぶらと手に下げながら家の二階に帰っていった。
相変らずリツ子は覚めずに眠っている。私は下に降りて、菠薐草を洗って鍋《なべ》で煮た。とろけるように煮つめてみた。割松《わりまつ》の枯木の炎が竈《かまど》の下で赤くちょろちょろと上っている。黙って炎を見つめていた。リツ子とのこの四年の生活が何となしに空虚な、薄弱なまぼろしのように浮んで消える。側に坐って枯枝をくべている太郎がしみじみと不思議な存在に思われた。
「おい、太郎」と私は太郎の頭を一つ叩《たた》いてみた。太郎が吃驚《びつくり》して私を見上げている。炎の色が赤く、太郎の頬《ほお》と眼に燃え映っているのである。
「太郎大きくなってなにになる?」
「チチになる」と笑いながら私を見る。
「チチになって何をする?」
「チチになって御飯タキタキする」
ワハハハと体をゆすって、しばらく私も笑いやまなかった。
夜に入ってリツ子はようやく目が醒《さ》めた。不思議なけうとい長い欠伸《あくび》を一つする。舌と唇の亀裂《きれつ》を忘れて終《しま》っていたのであろう――。
「オーオー」と唇をとがらせて赤子のようにまた泣くのである。
私は早速蜂蜜《はちみつ》を指につけて、舌と喉《のど》の奥に塗ってやった。
「どうお? 加減は」
「オーオー」と相変らず泣くとも呻《うめ》くとも知れぬ声を立てている。
「さあ、菠薐草の裏ごしスープだ」
吸呑に口をつけてぷるぷる顫《ふる》えながら、それでもいくらかは飲んでいた。
「足をさすってあげようか?」
うむうむと肯《うなず》いている。足を交互にさすってやるが、おそらく知覚も何もなくなっているにちがいない。足とは思えなかった。巨大な乾茸《きのこ》の類に思われた。足窪のあたりからポロポロと剥《は》ぎ崩《くず》れてゆくような足だった。
この足の昔の姿を私ははっきりと覚えている。結婚まもない旅の温泉の中だった。私の足と並べて較べてみたのである。殆《ほと》んど同じ大きさのようだった。十文だと云っていた。
「そんな細い脛《はぎ》をしているくせに、なんだ、足だけ末端肥大症だろう?」
とその時私は新妻をいだきとめ得たよろこびにわざと声を挙《あ》げて笑ったが、嫌《いや》な予言に変って終った。湯の中から、足窪の馬鹿に可愛く刳《えぐ》れていたことを覚えている。それにましてゆたかになだれでた雪のまぼろしのような大模様な女体の肌だった。その足首から湯槽《ゆぶね》に引曳《ひきず》りおろしてお湯の中でかるがると抱《かか》え上げたことを覚えている。顫える肌のずっしりとみなぎる重量を覚えている。
今あの時の「末端肥大症」を覚えているかしら、とふっと無慙《むざん》な感慨でリツ子を見た。
年余の病臥《びようが》で額際《ひたいぎわ》はおかしいくらい禿《は》げていた。驚く時に特有のあのくるくると深い明眸《めいぼう》がどんよりとにぶく沈滞の色によどんでいた。乏しい電燈の光の底に、ただ鼻筋だけが白く端麗にとおっている。ちょっと暖かい日には真先にあの鼻の頭が汗ばんで、「ああ、暑っ」とパフでパタパタとはたいていた。
見ろ、一切が丁度、太郎が投げ棄てた蓮華《れんげ》のように流れ流れていって、今河口の波にざんぶりと呑まれかけている。この大盤石《だいばんじやく》のような乾茸《きのこ》の足の裏を如何《いか》ほど撫《な》でさすっても何の甲斐《かい》があろう。美しいものが亡《ほろ》びる日に、波の音だけでは足りなかったか――。
低い嗚咽《おえつ》の声が私の喉をふるわせた。儚《はか》なく過ぎてゆくものを傷《いた》むというよりは、自覚して己の肉体を誘導し得なかった者への、いきどおりの嗚咽のようだった。
「おかあさん、おかあさん――」とリツ子の夢うつつのような声がする。
「どうした? なんだ?」と私がリツ子の肩を両手でゆすぶると、ガクッと幻の中から醒めたようで、しばらく私の顔をいぶかしげに眺《なが》めていたが、
「あーあ。しかぶりました」と泣いている。
「よし。お厠《かわ》だろう?」と急いで蒲団《ふとん》を上げて、綿を腰の下に敷こうとするが、もう腰を浮かす力も無いのだろう。ゆるんだ腰の辺りの筋肉が気持につれてぷるぷるとそよぐだけである。
ほんの少し下に敷いてやった布をよごしている。それを拭《ぬぐ》って、
「ちょっと、おていさん」と呼んでみた。おていさんに手伝ってもらって、お厠を腰の下に差込んだ。
「痛うござっしょうな」というおていさんの声に誘われて、
「あいた――」と声を永くひいている。
そのまま、眠っているのか醒めているのか、かなり長い時間である。私とおていさんは左右の足をさすっていた。
「ああお厠。お厠」とリツ子が云う。出すのだろうと思っておていさんが脇にゆくと、気がついたのか、
「おていさん、お厠入れて――」
「ええ? 入れとるですな? はいっとりますばい。出すとでっしょう?」
おていさんが顔の上から覗《のぞ》きこみながらそう云うと、リツ子はいかにもけげんな顔をして、
「はいっとりますと?」
「ええ、もう永く入れとりますばい。出しましょうか?」
「おかしか――はいっとるとね。私の頭の間違うとる。すみまっせーん。おていさん」と今度は、浮れたように、それでもはっきりとそう云った。
「きついでっしょうもん。出しまっしょうか?」
「いいえ、入れといて――」と答えた。
またすやすやと眠るようである。余りに長いから出してやろうか、とおていさんと話し合っていると、
「太郎お父さーあん」と私を呼ぶ。
「どうした、リツ子。しっかりしなさい。お厠を外《は》ずしてあげようか?」
「いいえ、入れといて。きつか――」と絶え入りそうな声で云う。又しばらく昏々《こんこん》と意識がはずれて終った様子であった。
「太郎お父さーん」ともう一度薄目をぼんやり開《あ》けて私を呼ぶ。
「どうしたリツ子。しっかりしなさい」と両手を握りしめてやると弱いが握りかえしているようだ。
「すみまっせーん」としみじみ長い声でそう云った。
外は荒れてきたようだ。波の音に風がひゅうひゅう混ってきた。建付の悪いガラス戸が絶えずガタガタと鳴っている。
隣りの部屋から太郎の泣声が聞えてきた。
「チーチー」と大きく呼んでいる。
「はーい。おしっこか?」
「おしっこ」
私はリツ子の手を蒲団に置いて、手早くアルコールで手を拭い、太郎の寝部屋に入ってみた。太郎がキョトンと蒲団の上に坐っている。
「さあ、おしっこチュウ――」と私は太郎を抱きとって、スベスベの太腿《ふともも》を握りながら、二階の手摺《てすり》からさしだした。
「山羊《やぎ》メーは?」と太郎が云う。
「今夜は啼《な》かないね。もうきっとねんねしたね」
ざーと向いの納屋《なや》のトタン屋根をしぶかせながら雨が来た。
「さあ完了《ワンラ》」と太郎を寝せつけようとする時に、リツ子のオーオーという呻《うめ》き声が聞えてきた。
「どうしたの、ハハ?」
「きつい、きついって」
「見る――。ハハを見る――」と太郎が云いだした。仕方がないから抱き上げて、病室の閾《しきい》のところまで連れていった。
「ほら、あんよが痛い痛いっていうから、おばちゃんがハハのあんよをさすりさすりしているよ」
「可哀そうになあ――」とおていさんが太郎を見上げている。
ひょっとすると生きている母のこれが太郎の見納めではなかろうか、と私も思ったが、
「アーイター。アーイター。頭が痛い――」とリツ子が云ったので、
「ほら、頭が痛いって。さすりさすりしてやらないといけないから、太郎一人でねんね」
もう一度心配そうに太郎は母の顔を見ていたが、連れかえって蒲団の上にのせると、自分でコロリと横になった。眼を閉じて向うむきに蒲団の中にもぐりこんだ。
驟雨《しゆうう》はやんだり来たりしているようである。時折ザーッと納屋のトタンの表をしぶかせる。九時半である。私はリツ子の枕許に帰っていって、白く枯れた手をもう一度しっかり握りしめた。
「あんまり長いけん、お厠を出して上げました」
「ああ有難う。もう何もわからんのでしょう」
「あーいた。あーいた」と私の手をきつく引く。
「おていさん、水枕を換えてやりますから、ちょっとお願いします」と私は水枕を引抜いて、代りの枕を入れ、タオルをさげて下の井戸に降りていった。
時化《しけ》ているので、階下のおばさん達は、早くから全部寝鎮《ねしず》まっているようだった。私は土間を手探りで井戸端の方へ辿《たど》りながら、井戸のスイッチをパチリと入れた。風になぐられた斜の雨が電燈の光に白く照る。
ギイギイと深夜のポンプのさびた音を、自分ながら不気味に聞いた。水枕の水を換えて金盥《かなだらい》と、バケツ一杯の水を下げた。遠い稲妻《いなずま》のようである。私は灯を消して、用心深く階段を上っていった。
濡《ぬ》れタオルはきつく絞って、リツ子の額にのせてやる。換える度《たび》に、何故とはなしに、しみじみ不憫《ふびん》に思われて、薄くなった額の生え際の赤い髪の毛を、拭って揃《そろ》えてやるのである。
突然リツ子が、「ウォーウォー」とこの世に無いような恐ろしい声を挙げはじめた。両手を高く空の中に泳がせるのである。何か奈落《ならく》の底に墜《お》ちてゆくふうだった。余程の力である。握りしめている私の手を払いのけた。顔の様相が全く変って終っている。すさまじい。
「ウォーウォー」と細いが嗄《しわが》れふるえる断続の声である。絶えず左手で毛布や丹前や浴衣《ゆかた》やお腰を胸の方につまみあげる。磐石の乾茸《きのこ》の足が露出する。知らなかった。もう太腿《ふともも》は木乃伊《ミイラ》ほどの枯れようである。膝《ひざ》から足の先にゆく程次第に大きくふくれ上って、巨大な鉛がつめこまれたように動かない。
「ウォーウォー」と天涯を喚《よ》ぶ野獣の声のようである。眼は三角につっている。おていさんが慄《ふる》えながら毛布と、丹前と、浴衣を引下げようとするが、とまらない。太腿から下腹のあたりまでめくり上げてゆくのである。
右手は絶えず空の中を泳がせる。断崖につかみつくふうである。浴衣の胸はいくら掻寄《かきよ》せてやっても解きほぐれる。
「ウォーウォー」と悪鬼のように呻いている。両手を揃えて上の方に挙《あ》げはじめた。何か掴《つか》まりたいのであろう。私はその両手首をしっかり捉《とら》えて、リツ子の脇から私の首に巻きつかせた。掴みついたふうである。しっかり私の首を抱き寄せた。はだけた胸を浮かせようとする。私は両手をリツ子の両側の蒲団の上にささえるのである。
「リツ子。おいリツ子」
「ウォーウォー」とからめた手をひきしぼる。おそろしい程の腕力である。が、次第に哀願のような悲しい断続の声に変ってゆく。その哀音がしばらく続く。私の首に巻きつけている手の力が、少しずつ抜けてゆく。がくりと蒲団の中に落ちていった。
脈を見る。搏《う》っている。口を脱脂綿でしめしてやる。急いでタオルを濡らして顔の汗を拭い取る。髪をそろえてぬぐうてやる。浴衣の胸をそっと合わせ、陰部と、太腿と、足を蔽《おお》う。
我に還ってリツ子の姿をじっと見た。ハッハッと呼吸は短いが、次第に平静に帰ってゆく。おていさんが脅《おび》えている。
「済みませんでした。脳がやられた模様です」と私は、毛布を掛けてくれているおていさんにそう云った。
十一時をちょっとまわったようである。風が雨と波をあおっている。みち潮だろう。軒下を揺がす程の怒濤《どとう》の声が聞えている。
「どうやら落着きなさしたようだすな」
おていさんがそう云った。私はリツ子の口に自分の耳をそっとあてて、もう一度呼吸を確かめた。早いが静かな呼吸に変っている。
「おていさん。太郎の脇でしばらく横になっていて下さいよ。どうせ私は今夜は徹夜だから」
「そうですな。お茶を飲みなさっせんな」とおていさんは立上って火鉢の火を掻立てると、それから静かに私の前へ茶を汲んだ。私は有難く茶を飲んで、一服煙管《きせる》の煙を楽しむのである。
もう妄念《もうねん》も何も消え失せた。確実な生死の抑揚を心の中にしっかりと畳みこむ心地である。仮りに私の齢《とし》があるならば、よし、この二十年を正確に生きてみようと、謙虚にそう思って頭を上げた。
もう一服茶を啜《すす》る。それから私はおていさんを振りかえって、
「おていさん。このままもてばよろしいが、もしもう一度さっきのような発作がおこったなら、済みませんが下を起してくれませんか。気の毒だがやっぱり宮の浦の伯父さんと、草場のお母さんの処までだけは走っておいてもらいましょう」
「そうですな。険《けわ》しゅうなったら、頼んで走ってもらいましょう。でもこの時化じゃ、来られまっせんばい」
おていさんはそう云って、煙管で一服吸うのである。雨と波の音が相変らず聞えている。この人がいてくれて助かったと、私は若い頃アメリカに行っていたというおていさんのさっぱりとした表情を見守った。
「ほんとに済みません。こんなよくよくの時に来合せてもらうなどと――」
「縁ですたい。リツ子さんと私の縁のよっぽど深いとでっしょう」
とおていさんは微《かす》かに笑って、眠っているリツ子の顔をしげしげと見つめていた。
「さあ、ほんとにしばらく太郎の横に休んで下さい」
「そうですな」とおていさんは立上った。
「そうだ。今のうちに太郎もおしっこをさせておきましょう」と私も立上って、子供の寝部屋に入ってみる。
蒲団の中に手を差し込んだが、無心に眠っている太郎をおこすのがためらわれて、しばらく差込んだままでいる。太郎の膚のぬくもりが私の手に柔かく伝うてくる。しみじみとやさしいぬくもりだ。が、思いきって抱えおこして、
「さあ、おしっこ」と差出した。寝呆《ねぼ》けている。
「さあ、太郎。チュー」と太郎をかかえて揺《ゆす》ぶると、シャーッと勢よくおしっこが出た。
「チチー、雨こんこん降っとるね」
「ああ、降っとるよ」
「降っても、お天気?」
「降ったら雨だよ」と私は問いをはぐらして笑いだした。
「ワーンラ」と云って反《そ》りかえった。
「さあ今度はおばちゃんとねんね」
蒲団に入れると又コロリと横になって眠って終った。
一人病室に帰って、リツ子の額のタオルを換えてやる。先程の発作がまるで他愛のない夢魔のように、静かに昏々と眠っている。糸に吊《つ》られた頭上の薬草類が、壁に不思議な交錯の影を投げている。
相も変らぬゆるがすような軒端《のきば》近い波の音だ。稲妻《いなずま》である。雨は幾らか小止みになったようだが、ガラス戸が風にカタカタと鳴っていた。
気になるから手をかざしてリツ子の呼吸をたしかめる。吐く。吸う。時々、吐く、吐く、それからようやくふーと吸いこむのである。自分の呼吸をしばらくそれに合わせてみる。翳《かざ》した手を眼の上まで持ってくる。二三度振る。薄目を開いているのだが、何の反応も無いようだ。
が、美しい。心地良い労働をした後のように、頬にポッと血の気がさしている。そっと指に触ってみた。先程の不思議な発作も忘れたような枯れ果てた白い手だ。あの発作で、もしやすっかり病気をふるい落したのではあるまいか、とそんな気持が湧いてきた。これで癒《なお》ってくれたら、と思わぬ眩惑《げんわく》に溺《おぼ》れかかる。が、万々そんなことはあるまい、と冷たい水に絞り換えて額のタオルを押えてやった。
それから火鉢の脇にうずくまった。炭をさして、埋火《うもれび》を掻きたてる。一服ゆるりとくゆらしてしみじみとリツ子の寝姿をうかがって見るのである。
又雨が来たようだ。大雨である。雨滴が、暗いガラスの面を斜の尾を曳《ひ》いて走っている。サッとそれが白銀の影絵に変る。稲妻だ。ガラス戸を揺ぶる風は吹きやまない。波の音が少し軒端から遠のいた。引潮にかかったようである。けれども相変らず家ごと呑みつくすような地響と咆吼《ほうこう》を上げている。階段の辺り、何処《どこ》か雨洩《あまも》れの音が絶えず聞えはじめている。
二時を少し廻っている。ガシャーンとブリキの板か何か吹き落ちる音がした。
「何ですと?」とおていさんはおびえて未だ眠っていない様子である。
電燈の心《しん》が燃えつきるように赤くなった。それから消える。停電である。稲妻の明滅ばかりが凄《すさ》まじい。蝋燭《ろうそく》を探す。
「マッチは? おていさん」
「待ちなっせ。箪笥《たんす》の上にありまっしょう」
と、おていさんが起きてきた。不吉な妄想が募ってくる。
蝋燭に火を移して皿に据える。リツ子を見る。何事もない。が、呼吸が少し早くなった。
「困った時に停電になった」
「本当ですな――」と眠れぬのだろう、おていさんはそのまま火鉢の脇に坐って終った。
蝋燭の火が隙間風《すきまかぜ》に絶えず揺《ゆら》めいている。雷鳴が聞えはじめた。
「今頃雷さんは珍らしゅうござすな――」というおていさんの声に、肯こうと思いながらも、
「あっ」と私はリツ子の側ににじり寄った。また両手を空に泳がせはじめたのである。
「ウォーウォー」と例の不吉な断続の声である。
私はおていさんの顔をちょっと見た。
「下をおこしまっしょうな」とおていさんは慄《ふる》えながら蝋燭に火を移して、それを両手に持って出ていった。
「おいリツ子。おいリツ子」
勿論《もちろん》答えない。両手を握ってやった。先ほどのように首に巻きつけた。はげしい痙攣《けいれん》で私の頭を抱きよせる。
「ウォーウォー」と首の上に組合わせた両手を今度は空の方につき上げる。名状しがたい突発的な力である。蝋燭の灯《あか》りが消えそうである。稲妻に照る。歯を喰《く》いしばっている。一緒に奈落の底へさらわれそうな恐怖である。
「ウォーウォー」と苦痛と恐怖と哀願が混り合ったような声である。一人で耐えきれない。はやくおていさんが上ってきてくれないかと思うが、下では「もーし」「もーし」という声ばかりが雨の音に掻き消される。はげしい雷鳴が加わった。私は首に巻いたリツ子の両手首をささえているが、疲労と恐怖で手をはずした。
「ウォーウォー」と右手がヒラヒラ空を掻きさぐって、例の断崖に掴《つか》みかかろうとする恰好《かつこう》だ。絶えず沈下しつづけてゆくような妄念に追われているのだろう。左手で丹前と浴衣《ゆかた》の裾《すそ》を摘《つま》みあげる。例の足が現れた。例の太腿《ふともも》が現れた。腹までめくり上げるのである。左手を押えてみる。無駄である。苦痛から来るのだろう。痙攣的な暴力だ。
「ウォーウォー」と天地の悪霊に呼応しているようだ、それが雷鳴に混るのである。胸の浴衣を掻きのける。半裸の悪鬼の姿である。
おていさんが二本の蝋燭を手にして上ってきた。
「消さないで」と私が云う。もう一度首に両手を巻きつけてやる。
「お医者さんも頼みましたが、見えまっせめえなあ」とおていさんが云っている。
「ウォーウォー」とリツ子が私の首を抱寄せながら、上体を波打たせる。露出する足と腰を、おていさんが絶えず浴衣で蔽《おお》ってやる。
「あ、神様」と今度は云った。呻《うめ》き声の間にひどく投げやりな声だった。哀訴の響きはこもっていなかった。絶望の冒涜《ぼうとく》の声のようだった。
はげしい雷鳴である。おていさんが慄えあがる。相変らずリツ子の呻き声は断続する。両手をついているが、私の首は折れそうである。痙攣の異状に堅い手付である。
その手が次第にゆるんできた。呻き声がやるせない単調な哀音に変ってきた。パラパラと寄木のように手がほどけた。そのまま蒲団の中に落ちこむのである。
「リツ子。おいリツ子」と今度は私がリツ子を抱きよせる。暫《しば》らく哀音の呻き声が続いていた。両手がひらひらと揺れるだけである。
「おていさん。水。水」
唇を濡《ぬ》らしてやる。乳房の辺りだけまだしきりに浴衣を掻きのける。悲しい呻き声がつづいている。
明るい稲妻に、瞬間、リツ子の顔が蒼白《あおじろ》く浮上った。すさまじい雷鳴がすぐ続いた。
「ウォー、ウォー」ともう一度大きい呻き声である。そのままぐったり奈落に陥ちこむふうだった。呼吸だけ僅《わず》かにはあはあと残っている。
脈を見る。微弱な乱打と結滞とが交錯する。手拭《てぬぐい》を堅くしぼって額を拭《ふ》く。髪をそろえて撫《な》でてやる。唇に脱脂綿で水を塗る。胸の浴衣を合せてやる。敷布を直す。
静かである。もう何事もなかったように平静な、清らかな姿である。五分――。十分――。おていさんが蝋燭の灯りを、一本一本と吹消している。いつのまにか、仄《ほの》かな、淡い曙光《しよこう》のようである。雨も雷鳴もやんでいた。
蒼白い、美しい、無心の顔だった。太郎が生れた朝の、あの誇らかな曙光の中のリツ子の顔のようだった。心持口をあけている。半開きの薄目のあたり、まつ毛が淡い光に濡れて、こまやかにそよいでいる。典雅な、聖アンナの鼻のようだった。
私は相変らず、手首を静に握っている。ともすれば微弱な脈搏《みやくはく》が絶えまのない波の音にまぎれそうになる――。
「あっ」と左手をリツ子の口にかざしたが、もうリツ子の息は絶えていた。
しばらくはそのままの姿で波の音を聞いていた。悲しみというよりは驚嘆と、瞬時にめまぐるしい感動が、音のように素早く重り合い、打ち合い、鳴り合って、自分ながら虚脱したようだった。
ただ、確かな波の音が聞えていた。言葉や行動というものは、何か甘い情緒といったものの安定した流動作用に縋《すが》っていなければ、片時も始まらないもののようだった。
「死にました。おていさん。ほんとうに御世話様になりました」
ようやく私はそう云って、枕の側の時計を見た。四時十三分だった。枕頭のガラス窓まで霧が白く匐《は》ってきていた。
「ええ! 亡《な》くなりなさしたと?」
曙光の中をすかし見るようにしていたおていさんはさすがにハッと驚いて、リツ子の側《そば》ににじりよった。知らなかったのだ。瞬間移ってゆくおていさんの佶勁《きつけい》な表情が、時にとって、私には思いがけない慰安のように思われた。
リツ子の死に顔は、何の意味もない全く清潔な空虚といったものだった。生きかえるというのではないが、何か今にもふっと口から白い息を吐き出しそうな感じである。
「まあ、可哀そうに」
おていさんは覗《のぞ》きこむと、はらはらと涙をおとして合掌した。リツ子の額際がくっきりと抜けでている。暁闇《ぎようあん》の中の死者の姿は、そのまま天国に安らうふうだった。
「あんなに苦しむものですかね?」
「苦しみなさしたな。とうとう仏様になりなさした」
とおていさんはリツ子の襟《えり》を掻合《かきあ》わせてもう一度合掌した。
「どうしたらいいでしょう?」
「眼を閉じて、手を組み合せてあげなさっせえや」
そんな意味の問いではなかったのだ。私は茫漠《ぼうばく》とした自分自身の空虚から早く逃れたくて云ったのだが、おていさんは、いちいち身近なところから私の行方《ゆくえ》をさし示してくれるのである。
額は未だぬくかった。半分見開いていた眼蓋《まぶた》は撫で下ろしてやると、難なく瞑目《めいもく》した。それから手を乳の上に組み合わせてやった。おていさんが袖口《そでぐち》のあたりを揃《そろ》えている。
私はふっとこんな寝顔に視入《みい》っていたいつかの夜のことを思いおこした。すると、何とはなしに巻煙草を一本くわえて、その煙をリツ子の口のあたりに吐きかけてみたならば、とそう思った。
「いやよ、いや」
と、きっと昔のまんまに、くるくると甘い眸《ひとみ》を見開いて、笑いながら手を振って煙を逃げようとするだろう――。
リッちん寝呆《ねぼ》けりゃ、屏風《びようぶ》が寝呆ける。
寝呆けお臍《へそ》も、また寝呆ける。
手を振って、その煙を、リツ子が寝呆け眼で追うた拍子に屏風が倒れかかったのだが、私は屏風を倒したままで指にリツ子の下膚をさぐっていった。実はその夜の他愛のない閨房《けいぼう》のたわけ唄だった。疲れたせいか、唐突な思いつきは一途《ず》の衝動に変っていったが、さすがにおていさんにははかれなかった。するともう駄目だというどっとふるうような悲しみが湧《わ》いてでた。
「仏様の顔にシーツを掛けてあげなさっせえや」
とおていさんが静かに云った。
「もうしばらく」
と私はそれだけをようように云って、リツ子の死に顔につくづくと視入った。
おていさんは又しばらく私達の方を向いて合掌している。その姿が私達からいかにも遠い不思議な距離の彼岸のことのように思われた。このまま私が化石して、リツ子と私の二人仏を、おていさんはいつまでも拝んでいてくれるのだと、そんなふうの安堵《あんど》が私の心の中に優しく湧いていった。
が、キラリと朝日の光がガラス越しにリツ子の頬におちかかると、私はあわてはじめた。素早くシーツをかけて死に顔を蔽《おお》う。私の体の中に、見覚えのない新しい空虚がひろがっていった。それは直接の悲しみとは違っている。もっとそれ以前の透明な寂漠《せきばく》か恐怖に似ていた。空虚は大きな真空をつつんでいて、その真空の中にいつのまにか私の五体と精神を拡散して終ったのだ。
頼りなげな山羊の啼声《なきごえ》が又はじまった。
「下のおばさん達までちょっと報《し》らせてもらいましょうか。そうして気の毒だが、山のお母さんの処まで走ってもらいましょう」
「そうですなあ」
とおていさんは云い云い、箪笥《たんす》の上の線香を見つけてくると、それに点じて楊枝《ようじ》さしに突き立てた。三条の細いけむりがゆらりと立ち上っていった。
一番先に宮の浦の伯父《おじ》がかけつけた。リツ子の枕頭に坐ったまま、
「死にました」と私が云うと、
「そうな」
二階の上り際の閾《しきい》のところにちょっとためらって、
「時化で、来られんじゃったもんな」
と子供がベソを掻《か》く時のような老耄《ろうもう》の表情でそう云った。
伯父はシーツを薄くつまみ上げて、ハスにリツ子の死に顔を覗いてから、今度はおろおろと急に落着かなくなった。
「北枕に寝せかえてやんなさい」
手放しで泣いている。
「そうですね」
と私も立ち上った。立ち上ってリツ子の枕の側《そば》から敷蒲団を持上げようとすると、丁度肩の辺《あた》りに私の古ぼけた詩集が一冊敷かれたままだった。
これを敷いているとは知らなかった。おそらく誰にも気づかれぬ時を見はからって、そっと眺《なが》め入っていたにちがいない。その詩集には私の満一年の誕生の日の写真がのせられてあったのだが、リツ子はむかし、太郎に生き写しだといって、ひどく喜んでいたものだ。
病気が病気だから、自分でも感染をおそれて、めったに太郎を近づけなかったから、或はこの写真を太郎の身代りとして、ひそかに眺めて飽かなかったものだろう。そういえば私の支那旅行からリツ子の病臥とあわただしい日が重なって、太郎の写真をついぞ写してやった例《ため》しがない。
本の間には太郎が拾ってきた例の桜の小枝が挿《はさ》まれていた。花びらがはみだしてくしゃくしゃにつぶれている。これがおそらくリツ子の大切な最後の営みであったにちがいない。そう思うと殊更《ことさら》にあわれで、私は咄嗟《とつさ》に詩集をポケットの中にねじこむと、物問いたげな伯父とおていさんの表情には答えなかった。
おていさんが足の方にまわり、私はもう一度力を入れて死者の蒲団を抱《かか》えあげた。
重かった。永い病臥から蒲団の下に湿りが来ていて、今にも蚤《のみ》がはねあがって来そうであった。昨夜のリツ子の指が追うていったあの蚤である――。死体をはずれてゆく蚤どもの何か凄惨《せいさん》な幻覚が湧いていった。
「さん」と伯父が云った。
「嫌《いや》じゃろうばってん、バアさんを呼んでやりなっせ」
「お母さんでしょう。先程下の人を走ってもらいましたが」
「そうな。そんならよか。私は大行寺の和尚《おしよう》を頼んで来《こ》う。お経を一つあげてもらわな、なあ」
「すみません」
「そんなら、又来るやなあ」
伯父は泣きはらしたままの顔で帰っていった。
七時近くリツ子の母が来た。太郎の寝部屋の階段の上り口のところから、チラと白布をたしかめると、ワアワアと声を上げて、真一文字にリツ子の側へよってきた。泥道だったのであろう。足に沢山ハネが上っている。こけつまろびつして来たにちがいなかった。
べったり坐る。坐って無慙《むざん》にリツ子の蔽いをはねのけると、
「ワア、ワア」と又大声をあげて泣いた。
リツ子の弟の正道君もついてきている。お母さんの横に坐って、左右の拳《こぶし》を握りしめ、眼を交互にこすり上げながら泣いていた。
下のおばさんが燭台《しよくだい》と線香立を持って上ってきたが、二階の気配に気遅れしたのであろう、低い声で、
「さん。なんぼ、お淋《さび》しいことかなあ――」
私にだけ挨拶《あいさつ》をすませると、おていさんに品物を渡し、母の後ろからそっとのぞいて、それから手を合せてすすり泣いた。おていさんは順序よく蝋燭《ろうそく》に火をともし、一つかみの線香を線香立に挿《さ》してリツ子の枕許に供えている。
リツ子の母は一度も振かえろうとしなかった。深くリツ子の顔の上にうなだれこんで、泣きつづけ、又語りつづけてゆくのである。
「リッちゃん。きつかったな。可哀そうじゃった。どげんあんたは口惜《くや》しかっつろう。やっぱりそうじゃったなあ。今朝方、あんたが夢枕に立ったとき、正道と二人おき上って、ああ、あんたに何か間違いがあっつろうと思うて、お父様のお位牌《いはい》にお燈明を上げたが、やっぱりそうじゃったな。ああ、情なか。残念か。こげな処で死なしてなあ。立派な家もあり、蒲団もあるとになあ。リッちゃん。あんたは器量もよし、人柄もよし、どげないい処のお嫁さんにでも、と皆から云われ惜まれとったのに――。ふの悪うして、こげな……こげな……」
大声で云いかけて、それからもう感極《き》わまり、咽喉《のど》がひからびて終ったものか、言葉はとぎれた。この母もあわれと私は鎮まって、何でも云ってくれればよいがと思ったが、後はただおいおいとむせび泣くばかりだった。
やがて何を思いかえしたのか、
「何もかも戦争が悪かとたい。この戦争が悪かとたい」
泣き終って、それから私をふりかえると、
「さん。リツ子の口を閉めてやっときなさしゃよかったのに」
そう云われて、更《あらた》めてリツ子を見た。口の辺りが少しゆがんでひきつっている。半開きの口のなかに白い歯が生きたままにのぞいていて、それが白日のなかではむごかった。そうか、かくしてやろうと私は近寄って、指で、そっとリツ子の上下の唇を押えたが、もう全く硬化して終っていた。
「閉じますまいが」
リツ子の母は無念そうにそう云って、しゃくりあげてまた泣いた。
太郎がおきた。隣りの喧騒《けんそう》に気を奪われているふうで、蒲団《ふとん》の上にキョトンと坐り、こちらの部屋を覗《のぞ》いている。私は急いで抱え上げると階段を降り、裏の井戸端に連れていった。連れていって自分もまだ洗顔を済ませていないことに気がついた。
歯ブラシを使う。
「タロもお歯々洗うよ」
「うむうむ」
と肯《うなず》き、先日買うてきてやった小さい歯ブラシを濡《ぬ》らして歯磨粉《はみがきこ》をつけてやる。
「お歯々はこう磨くのだよ」
「こう?」
と上を見て、何のことはない、舌のあたりにただ歯ブラシを揺っているばかりである。私は奪い取って太郎の小さい歯をキシキシと磨いてやった。
「さあ、お顔を洗いなさい」
太郎は洗面器の水の面を一心に見つめている。
「チチー。雨コンコンもお水?」
「そうだよ。雨コンコンもお水だよ」
「海もお水?」
「うん。海の水もショッパーイお水だよ」
「お魚が飲むお水?」
「うん、お魚が飲むお水だ」
「チチー。おしっこもお水?」
「ちがう」
ときっぱり答えた。小さい癖に、私に与える言葉の効果を狙《ねら》っていて、甘えるのだ。
「バッチーイお水?」
尻上りに甘くおどけて、それからチャブチャブと水を使った。側にいながら永いこと母親によりそえないもどかしさが、こんなふうに現れるのだろう。
が、さっぱりと何もかも済んで終った。これから俺の教育というものが、太郎に何を加えてゆくか――。
丁度三年前に、ようやく人の顔を見覚えるようになっていた太郎を抱えあげて、
「太郎。早く大きくなって父の無念をはらせ」
われながらいぶかしい言葉であやしていたが、その頃よく遊びに来ていた中谷英子や若林つや達が、
「何を馬鹿なことを云ってるの。ねえ、奥さん」
と、とまどうリツ子に顔見合わせて笑っていた。
「毎日あんな馬鹿なことを云ってるの?」
「ええ、よく」
「馬鹿ねえ」
勿論《もちろん》冗談もあった。が、薙《な》ぎ払われぬ鬱屈《うつくつ》の気持がこもっていた。妻子を棄てて、動乱の中を一年の間支那に旅立ったのも大半は、あれに追われた。然し、今になってみたら今日の我身をうらなった一番適切な言葉ではなかったか――。
洗顔を終った我子の顔を拭いあげて、
「おい、太郎」
と抱えあげたが、さすがに四歳の我子に、昔のまんまの怪しい言葉を使えなかった。
「早く大きくなれ」
そう云ってひ弱な尻をピシピシと叩《たた》いた。
「さん、もーし」
もみ手をしながら下のおばさんが寄ってきた。
「もうお経がはじまっとりますばい」
「ありがとう」
と太郎を抱えて上ろうとすると、
「ちょっと和尚さんにお膳《ぜん》を据えねばなりますめえけん、用意しときまっしょうな」
「ええ、それはお願いします」
「ほんのまねかたですたい。それからお昼も親戚《しんせき》の方だけにはなあ。私が用意しときますたい」
「皆目見当がつきませんから、よろしくお願いします」
「ええ、よござす。ほんに気の毒になあ」
有難かった。まだそんな年でも無さそうなのにバラバラと白髪が垂れている。この小造りのおばさんは、酒男の昔の主人から若い時に随分苦しめられた様子である。よく二階に上ってきてリツ子の見舞旁々《かたがた》半生の生涯を喞《かこ》っていたが、この家作も殆《ほとん》ど自分の手で持ちこたえたものの由《よし》。土地に馴染《なじ》まず、また女房方ばかりの親戚の間で、リツ子の伯父と、この下のおばさんだけは、何かと親身に不用意の私のなりわいを救ってくれる。
「どうぞ、頼みます」
と私も不遠慮に願っておいて、もうはじまっている読経《どきよう》の声を便りながら、二階の部屋に帰っていった。
大行寺の和尚が見えている。つやつやと脂《あぶら》ぎって、人を人とも思わぬような大音声《だいおんじよう》だった。
太郎がしっかりと私の膝にくっついている。余程のいぶかしさであろう――。
「あれ、お医者さん?」
「ちがう」
「ハハ、きついきついって?」
「ちがう」
「ハハ、何《なん》すると?」
「死んだ」
「うん?」といぶかしそうに見上げるから、
「母は死んだ」
もう一度明瞭《めいりよう》にそれを云った。リツ子の母に聞えたのであろう。後ろを振りかえって、
「知らんとな。タアちゃん。あんたのお母さんが、ほら、ほら死んでしもうたとたい」
太郎の片腕を引ぱって、リツ子の枕許にひきよせるのである。蔽いをめくった。白蝋《はくろう》の面《おもて》は相変らず、少し口がゆがんで、開いている。
「ほら、タアちゃん。お母さんの顔ばしっかり見るとよ」
太郎の怪訝《けげん》そうな表情が見る見る曇った。近寄ろうとしないのである。リツ子の母はむせび泣きながらそれをもう一度無理にひき寄せて、
「タアちゃん、このお母さんの顔ば忘れんとよ」
大行寺の和尚の読経は次第に声が低く長びいてそれから終った。チーンと鐘の音がひきずるように尾を曳《ひ》いて、今度はその響を掻《か》きのけるように、
「ほらタアちゃん。しっかりお母さんの顔ば見ときなさい。どんなお母さんが後から来ても、このお母さんのように太郎ちゃんを大事にする人はおらんとよ」
と、狂気のようなリツ子の母の泣声がたかまっていった。
下のおばさんの手作りのお膳が運ばれた。石蕗《つわ》の豆腐のあえものが見えていた。伯父がお相伴に坐っている。
「小《こま》か時からうちにはよう見えよったが、新仏はいくつであんなさしたかいな?」
「二十八でした」
とリツ子の母が泣きやんで和尚の方に一膝《ひざ》乗りだした。
「惜しいこつになあ――。良か娘さんじゃったが、どこに片付いてありましたかいな?」
和尚は盃《さかずき》を傾けながら血色のよい脂顔でざっくばらんに云った。
「こちらにですと」
と母は右手を私の方に差し出して、奪われたのがこの男にとでもいいたげな剣のある眼で私を見た。太郎がおびえて私の膝にかえって来ている。
「ほう。何の御商売ですかいな」
「小説書きですたい」
とさすがに母は云いにくそうであった。
「ほうお名前は?」
「です」と私が答えた。
「ダンの何といわれます?」
「一雄です」
「いや、失礼しました。火野葦平《あしへい》さんはちょっと会うたこつがありましたが。やっぱりあげなもんを書かれるとで――」
「はあ」と思いもよらず私は火野氏の風貌《ふうぼう》を死者の横にたぐりよせた。
「遺《のこ》されたお子さんはこの方お一人ですな?」
「一人です」
「ほーう。可愛い。生写しですたい。心残りでしつろう。うしろ髪ひかれるごたったろう」
と和尚は杯を上げて、きっちりとそれを膳の上に伏せてから、
「まあ、これが娑婆《しやば》ですたい。ようと菩提《ぼだい》を弔うてやんなっせ」
坐ったままくるりと後ろを向き、死者の白布に手を合わせると数珠《じゆず》をしばらくつまぐっていたがそれから立上った。
「じゃ、また野辺《のべ》送りの時に拝ませてもらいまっしょう」
ドシドシと階段を降りていった。
「さっぱりしてええ坊さんじゃん」と伯父は見送りながらそう云った。
入れ違いにリツ子の姉の夫妻が来た。
「まあ、とうとういかんじゃったとね。もう少し頑張《がんば》りゃいいとえ」
姉が先に立ってまっすぐリツ子の側へゆき白布を取った。
「綺麗《きれい》な顔をして、ほら」
と若白髪《わかしらが》の姉婿を肯《うなず》かせてから、きゅっと頬《ほお》をゆがめて泣きはじめた。泣き終って私の顔を見て、
「リッちゃんを五千円の保険に入れてありましたとですげなね?」
「入れております」と私は答えた。
「嫌《いや》がっておりましたとばい。好《す》かんとよ、保険やら入《はい》らせて、とうちで口癖のようにくやんでおりましたとよ」
姉のイク子はそう云って私の顔をじっと見た。姉の言葉に誘われて、私はふいと一昨年の夏東京の私の家で保険医の前に双肌《もろはだ》を脱いだ折のリツ子の肩から乳の辺《あた》りの顫《ふる》えるような白いまぶしさを思い出した。支那に旅立つ前だった。私が五千円、リツ子が五千円、それに太郎の成人を希願して、育児保険の二千円にも加入した。その日のリツ子のはしゃぎようを覚えている。
「支那で俺が死んだら、リツ子は五千円で何をする?」
「小さいお家を借りて、意地悪お父さんがいなくなったら、毎日せっせと映画を見にゆきます。ねえ、太郎」
と云い云い、間もなく誕生を迎える太郎を抱きしめて頬ずりしていた。
死んだのはいつも道野辺《みちのべ》の石地蔵にあやされているようなおまえであった。悪魔に取り憑《つ》かれた俺の方は、丁度予定の運命だといいたげに、膝に神の子を坐らせて、とりとめのない仮空の妄念を描いている。
「さん」
とまた姉のイク子の声がした。
「お宅の方からは未だだあれも見えまっせんと?」
「来ませんね」
先に来なくて幸いではなかったのか、とまた言葉の蔭に魔がおどった。
「電報をお打ちになった?」
「打ちました。が、誰も来ないかも知れません」
「あんまりでしょう」
ともどかしそうに、イク子は母や夫と顔を見合わせた。
「さん。あなたはリツ子に死ねなんぞと仰言《おつしや》ったって?」
「云ったかも知れません」
「仰言ったとよ。リッちゃんが泣いて悔んだと正道から便りがありました」
私は憂悶《ゆうもん》のこの二カ月間を回想した。助かる見込が全くないのだ。解決は死の時期だけでしかない時間に、永い看護者の心を掠《かす》め飛ぶ魑魅《ちみ》について誰が知ろう――。
月の明るい海だった。リツ子の枕頭のガラス戸を押し開いてなまめき照っている海の窓に凭《もた》れていた。波の屈曲が月の光にくねっていた。旅情凄寥《せいりよう》、と古人は同じ海の月の色を見たであろう。
おしなべて月のくだくる波のむたみだるるうれひありつつ憩ふ
「きっとこの情景は、そのまんま、後の日に思いおこすだろう――リツ子なくして」とその時思った。リツ子は眠っているようだった。珍らしく歌の閑を得た私は、それからつい思うとも無しに友人のおどけた詩を口誦《くちずさ》んだ。
かくてはみそらの星ともなり候へ
何となしにのびやかなゆとりの心が湧《わ》いてでて、それでもう一度つやめかして口誦んだ。
かくてはみそらの星ともなり候へ
眠っていると思っていたリツ子のはげしいすすり泣きの声がはじまった。
「どうした、おい、どうした」
と私はあわてて、かえって自分の口誦んだ詩の意味に驚いた。然し心の底の魔は、きっとこの詩の意味を嗅《か》ぎ知って私の口を動かしたものに相違ない。
「死ねと仰言るの? いいです。死にます。死にます」とリツ子の声は咳《せき》を混えながらたかぶった――。
それだった。私はリツ子の姉の身びいきを是認は出来なかったが、己《おのれ》の魔の跳梁《ちようりよう》にはむしろ私自身が脅かされつけている。
イク子は云う。
「さん。あなたの看病をリツ子はひどく嫌《きら》っておりましたとよ」
そうだ、嫌っていた。嫌っていなければお母さんの看護が得られなかったのだ。早く私を自由にさせてやりたい、と動けぬ体でそれのみを腐心していた――。
宮の浦の伯父が帰ってきた。
「さん。明日野辺送りにしまっしょう。それには死亡診断書と埋葬認可証が要りますけん、医者と役場ば廻ってきてつかわさいな」
「とってきましょう」
と私は立上った。
「さん」とリツ子の母が上を向いた。一寸云いにくそうだったが、
「診断書に腸結核というのはやめといてもらってつかわさい。肋膜《ろくまく》とか何か」
そんなことが出来るのかと私は思ったが、もともと医者の妻だったリツ子の母は手心を知っているのだろう。
「頼みましょう」
と私は云った。
「自転車がありますばい。乗っておいでない」
「そうですか。有難い。さあ、ゆこう」
と太郎を促した。
「太郎ちゃんは置いときなっせ」
伯父が云った。座の者も声を揃えてとめている。けれども私は何とかしてこの場を早く連れ出したかった。
「いく。いく」と太郎も飛上って私のズボンをひきずるのである。座蒲団をひとつ持って降りていった。それを自転車にのせて、快速で走りだす。
父子共に放たれたようだった。
「自転車早いね」と太郎が声を挙《あ》げている。
晴れていたが、風は速い。追い風だった。汀《みぎわ》に沿って、残《のこ》ノ浦波が騒いでいる。今日もカナギ船が時化《しけ》をついて、波に揉《も》まれて散っていた。女房が今朝死んだとは思われない。己の性格の中に吹き抜けるような透明な快活をたしかめて、喜んだ。
けれども唐泊から左に折れる坂道で自転車がパンクした。
驚く程の音だった。この二三日の睡眠が不足で神経が参っているのだろう。私も太郎もギクリとした。
「太郎。自転車がパンクしたよ」
「どうして自転車パンクするの?」
「とがった石があるからさ」
私は降りて、押しながら唐泊の自転車屋までひき返した。それからいつもの通り太郎を首の廻りにまきつけて西の浦に歩いていった。
N医師は在宅だった。相変らずボソリと受付の前に現れた。
「今朝、女房が死にました。どうもお世話様になりました」
「そう。それはお気の毒でした」
「実は死亡診断書をいただきに上ったのです」
「ふむ、ふむ」とN医師は例の通り肯《うなず》いて、用紙を二三枚持ってきた。
「何時でした。亡《な》くなられたのは?」
「午前四時」
「ああ、あの時に」
N医師は一寸顔を上げて肯いた。瞬間、リツ子の呻吟《しんぎん》と雷鳴が聞えてきた。苦悶《くもん》の表情が稲妻の中に浮上る。
「おいくつでした?」
N医師は静かである。
「二十八でした」
「生年月日は?」
「大正八年十一月――ええと、十五日でしたか、二十五日でしたか、忘れました」
軍隊口調が可笑《おか》しかったのか、N医師はちょっと笑った。
「それから病名ですが、本人の母が腸結核というのはやめていただいて、肋膜とか何とかお願いしたいと申しておりました。勝手なお願いで恐縮ですが」
ふむふむとN医師は肯いていたが、
「肺浸潤でいいですか?」
「はい、私は何でも結構です」
書類をもらった。鄭重《ていちよう》に礼を云うて太郎を負うて外に出た。辺りがまぶしいばかりである。リツ子、死亡月日昭和二十一年四月四日午前四時、生年月日のところは、後から書きこめるようにちゃんと字劃《じかく》をあけてある。有難かった。が、リツ子の生涯も一片の紙切れになってしまった、とその紙片を胸ポケットに折込んで太郎の尻を叩《たた》いてみた。
「太郎」
「ハーイ」と尻をつつかれて太郎が答えている。
「太郎、ハハが死んだよ」
「ハハ、どうして死んだの?」
「ハハはもうきついきついって。お起《つき》するのもきついって、御飯喰《た》べるのもきついーって。太郎とお話するのもきついって。それで死んで終《しま》った」
「ハハ、もうお起《つき》せーんって?」
「うん。もうお起《つき》せーん、て」
「そしたらば、ハハねんねするー、って?」
「ねんねするときもきついーって」
「そしたらば、ハハお起《つき》するーって?」
「もうね、お起《つき》も、ねんねも、お話もせんって、死んでしもうたとたい」
峠の日溜《ひだま》りのゲンゲ畠《ばたけ》の中に太郎を下ろした。いぶかる太郎を引よせて、草に匐《ほ》うているてんとう虫を一匹つまみだし、それをそっと私の掌の上に歩かせるのである。
「ほら、太郎。虫が父のお手々の上にいるでしょう。どんどん歩いてゆくでしょう」
太郎は面白がって一心にみつめている。少しむごいかとも思ったが、それを両手でパチーンと叩きつぶした。
「ほら、太郎。てんとう虫が死にました」
太郎は驚いて顛倒《てんとう》するふうだった。
「もう歩《あん》よもしない。ねんねもしない。御飯も喰べない。死んだとたい」
しばらく太郎は、魔術に打たれたように呆けている。
「ハハも死んだ。太郎。あんまりいじめると、何でも死んで終うとよ」
「チチがハハをパチーンしたの?」
「うん。父が母をぱちーんした」
「パチーンしたからハハが死んだの? えずいえずいって?」
「うん死んだ。それからね、太郎。バイキンがアモアモアモーって母のぽんぽんの中を喰べて終った」
「バイキン、えずいね?」
「えずくない。お陽《ひ》さんに当ったら死んで終う。ほら、太郎」
と私は上衣とシャツを脱ぎ棄てた。裸になってゲンゲの花の上に跳《と》び上った。清々《すがすが》しいのである。
「タロもー。タロもー」
「よし」と太郎をまる裸にしてやった。
「さあ、ピョンピョン。ピョンピョン」とおどらせた。
「ねえ、太郎。もう母はどこにも居るとよ。このお花の中にも入っとるとよ。ほら、父のお手々の中に今入った。ほら、太郎のお臍《へそ》の上にも母がちょんと、とまるとよ」
太郎はわかるふうだった。うれしそうに跳《は》ねまわって、丁度私のようにこぶしを握って、
「ほらハハが。ほらハハが」を繰りかえした。
着たがらないのを無理にとらえて、太郎に服をつけさせた。ゲンゲの上に夥《おびただ》しい蝶《ちよう》が舞うている。自分の服を手に取るとポケットの中に詩集が入っているのに気がついた。そっと開いて見るのである。相変らず太郎の拾い取ってきた桜の小枝が挿《はさ》まれている。有難い。これを永く大切に保存して、成人の太郎にわたしてやろう――、そう思った。が、おや、と挿まれている頁《ページ》の詩の不思議な符合に驚いた。
「春の悲歌」である。「はるのひうらみながくうたあはれ」と、二十一、二歳の春の日に書き綴《つづ》ったまま傍書のルビも組まれてあった。
ふるさとに柳は芽ぐむ
影ゆるき水の流れや
さてはまた雲のうつろひ
いつ遠く忘れし日々の
はてもなき長き悔いごと
にほひつつ拾ひかぞへて
をちこちの花誘ひゆく
揚げ雲雀《ひばり》ぬるむ陽を縫ひ
あかあかと空はうるめど
今われは朽ちたるやもめ
昼ながき里の塘池《つつみ》を
歩めども背に負ふ日々の
わが夢にただもまばゆく
もの憂しやわがそぞろ足
太郎を負うて春の陽ざしの中を歩み進んでゆくと、次第に今日の空虚と焦躁《しようそう》が昔の歌の哀調に誘いよせられていって、ようやく単一な哀愁の感情に変っていった。
家に帰って自転車を抱えこみ、太郎の寝部屋の裏階段に廻ろうとすると下のおばさんがあわてて私を竈《かまど》の方に誘いこんだ。
「さんの留守の間にくさ、おっかさんと姉さんが、箪笥《たんす》と行李《こうり》をひっくりかえして、大騒ぎのありよりました。大分持出してもござす風ですばい」
「いいですよ。させたいようにさせとけば」
と私は答えたが「彼等互に、我が衣を分《わけ》わが裏衣《したぎ》を鬮《くじ》にす」と聖書の言葉があらあらしく胸の中にちぎれていった。
二階に上る。
「遅うござしたなあ」とリツ子の母の声である。死者の為に陽射しをよけるのであろう。東窓いっぱいに毛布が張りめぐらされていて、室内は夕方近いように暗かった。燭台に蝋燭《ろうそく》の炎がもつれている。線香の香が漂って、いつのまにか平常の葬儀の風情《ふぜい》に変っているのもあわれであった。リツ子の枕許《まくらもと》に張られていた、あのネズミモチとオオバコの吊糸《つりいと》は、蔭干しの葉ごとどこにも見えなくなっていた。
「取れましたと?」
とリツ子の姉が訊《き》く。
「ええ、取れました」
私はポケットから紙片を出して、皆に見せた。
「さん。リツ子の着物を一二枚出しましたばい。イクちゃんと換えたとやら、貸したとやらありましたけん」
リツ子の母が一寸気遅れのような表情でそう云った。朝方の涙顔は跡形もなく消えている。その声をひき取るようにリツ子の姉婿が一寸居ずまいを正して、私の方にむき直った。
「さん。ちょっと私から申し上げたいことがありますが。実はですね。東京のお家に残してあるリツ子さんの荷物のことですが、あれを早急にお母さんの処へ引き取らせていただけませんか。着物と蒲団《ふとん》類ですたい。何処《どこ》でもそうですが、まあこの辺《あた》りの慣習からゆきますとですね、十年二十年と結婚生活の長い場合は勿論《もちろん》別ですよ。ですがリツ子さんのようにまあようやく結婚以来二三年といった嫁さんの品物は全部元の家に返すのがならわしです。私の弟の場合も結婚後四年で死別しましたが、きれいさっぱりと嫁の持物は返してやりました」
水を流すように雄弁である。ゴマ塩の若白髪で、指の関節をポキポキ云わせながら一寸言葉を切った。
「みんな返してやりました。そりゃー綺麗《きれい》でしたよ。ねえ」
とリツ子の姉が声援に出た。姉婿は又語を継《つ》ぐ。
「それもですよ。太郎ちゃんが女の子だとでもいうのならば、これは成人して着せてやるということもありますが、いずれあなたも新しい奥さんを迎えられることですから、その前に綺麗さっぱりと両家の間にわだかまり無くしておきましょうや。いや、物のわかったさんですからこんなことを申し上げる必要もないことですが、ねえ。えてしてこんなつまらぬことで気まずいことになりがちなものですから。時に、あちらにどれくらい残っておりますか」
「さあ、半分位残っておりましたかね」
「まあー。半分ということがありますか。嫁入の時には七行李持たせてやったのですよ。それにこちらには一行李半もありゃせん。ねえお母さん」
とリツ子の姉が云うとお母さんが肯いた。
「リッちゃんは、早く東京の着物をこちらへ引取っておかねば、と口癖のように云っておりましたよ。ねえ、お母さん」
と又云った。
「何《いず》れにせよですな、さん。直ぐ東京の荷物を引き取りましょうや。お母さんの処へですね。さんがはずせないのでしたら、イク子と私が行きますよ。片付けることをきっぱりと片付けんとね、後々不愉快なことがおこりますからね」
「まあよく考えさしてもらいましょう。私も父や松崎の母に聞いてみた上で。どんなしきたりになっているか」
「聞くことはなかたい。あれはみんな私が作ってやってリツ子に預けておるとですよ」
とリツ子の母はもどかしそうに云った。
そこへ伯父が帰ってきた。
「さんどうしたな。えらい遅いことじゃったなあ。証明は取れたな?」
「ええ。取れました」
「自転車なしで往生したやなあ」
「済みません。途中でパンクをして終ったので」
「ほう、直ったな? それから火葬場なあ、明日よかげなたい。薪《まき》代が七十円。手間が公定で三十円。それに酒代ば百円ばかりやっときなっせ。すこし多かろうばってんな」
「色々有難うございました」
と馴《な》れぬ事柄をさばいてもらう有難さでこの伯父の朴訥《ぼくとつ》な老いの表情をしっかりと見た。
「ああそうそう。棺桶《かんおけ》を間に合わせな。直ぐそこじゃけん、さん、ついておいでない」
「はあ」と私も立上る。
「それからさん」
リツ子の母が後からよびかけた。
「経かたびらと蓆《むしろ》と首から吊る賽銭袋《さいせんぶくろ》を買ってきておいでない」
「はあ」と答えたが何処でそんなものがまとまるものか不審顔で立ちどまると、
「なあに、あるある」
と伯父は先にたってさっさとゆく。私は安堵《あんど》してその伯父の後ろに従った。汀《みぎわ》の処で海を背に豆つぶのような太郎がいた。
「太郎」
と呼ぶと「ハーイ」と駈足《かけあし》でよってくる。
「どこいく? チチー」
「ちょっとお使い」
「タロもいく。おつかい、いくー」というからその手をひっぱった。
「ほう。太郎君も棺桶買いにいくとばいな」
と人の好いおどけ顔で伯父は太郎の顔を眺《なが》めやった。
リツ子の背丈は五尺四寸もあるのだから、これでは間に合うまいと思われたが、外《ほか》にない。作っては、明日までにとても出来上らぬというのである。出来合いの粗末な薄い板の角長の柩《ひつぎ》であった。
「いくらかな?」と伯父は馴れている。
二百五十円だった。
「さんあるな。なければ立て替えとくばい」
あるにはあった。二三日前に私の新しい靴を七百円で売っていたが、丁度リツ子を焼き棄てる為に用意したようなものだった。
「経かたびらはなあ、さん。入棺のときの一式くれ、と云うたら組合に売っとるたい」
「さあ足るかな。どの位の値段でしょう」
と私は見当のつかぬ買物に、嚢中《のうちゆう》が心細くなって尋ねてみた。
「いくら持っとるな?」
「さあ四五百円位のものでしょう」
「足る足る、真似《まね》ごとばい。そりゃ昔は本事《ほんごと》にしよったがな」
と伯父が云った。太郎をかえして一人自転車を組合に走らせた。
何のことはない。玩具《おもちや》である。よく昔郷里の縁日で見かけた地獄絵の亡者の額にはりつけられた三角切れが、藁半紙《わらばんし》で出来ている。同じくペラペラの陣羽織めかした紙衣《かみこ》は、これがかたびらなのだろう。蓆は簾《すだれ》のような二尺と三尺ばかりの葦《あし》を粗《あら》く編んだものだった。
「賽銭袋はありませんから、おうちで晒木綿《さらしもめん》で作って下さいな」
と組合の売子女が優しく云うのを聞いて飛出したが、むっと憤りがこみあげた。私は片手にその簾の玩具類を握りしめながら、死生を分つ直截《ちよくせつ》な儀礼の中にこのようなたわけた遊戯を持ちこんだのは何時《いつ》の時代であったかと、矮小《わいしよう》な末輩族の思い付きを嘲笑《あざわら》う、下腹からの哄笑《こうしよう》があとからあとから押えきれなかった。
夕食の後で湯灌《ゆかん》にした。幸い太郎は疲れきって隣りの部屋に眠っている。蒲団《ふとん》をめくり浴衣《ゆかた》を脱がせて、裸にするとリツ子の体は木耳乃《ミイラ》のように痩《や》せていた。離れがたく、絶えず私の眼の中に寄り添うていたあの甘酸い豊かな肉体は何処に消えた? それに触るれば帰依であり、慰安であり、合歓であるような、あの不思議な現身《うつしみ》のまぼろしは何処へ失せた? 昔の印象がどの一点にも重りにくい。頭だけをすげ残した異様な竹人形に思われた。関節だけが枯幹のように骨のままの形で残っている。ポキポキと何処からでも崩れ折れそうな手足であった。
「まあ、こげんなるまでこらえたとね。きつかったろう」
とリツ子の母は声を挙げて泣きだしたが、その声だけは余念なく私のはらわたまで浸《し》み徹《とお》った。
私はふうふうと手拭《てぬぐい》をバケツの中であつ湯に絞り、腕から脇《わき》、脇から手と拭《ぬぐ》っていって、その指先の細さを捉《とら》え、ああこれが二日前の太郎と組んでゆすっていた「せっせっせ」の指であったかと、しばらく握ったままぶるぶる顫《ふる》えて離せなかった。
弟の正道君もたんねんに胸の辺《あた》りを拭っている。余りの変り果てようで、今と、昨日と、むかしの日々の記憶の群が、あやしくもつれ合い離れあった。私はその混乱を掻きよけながら、無理にリツ子の昔の肉体につながる追憶をたどろうと、もうはや赤紫の斑《まだ》らに変色しはじめている腹を拭《ふ》き、更に陰部を拭いあげて、この妻の体に触れる、最後の手触《てざわ》りを心にとめた。
予想の通り棺はリツ子に合わなかった。肩幅も足りぬから布を敷いて斜めに寝せる。足は膝から無理に折曲げた。殺人の後の死体処理かなんぞでもするような嫌《いや》な後味がつきまとった。窮屈な寝棺のさまが、最後の心残りとなって胸の底にわだかまるのである。
着衣は赤に棒縞《ぼうじま》の銘仙である。白無垢《しろむく》は手許《てもと》になく、紙製の経かたびらは、着せずに膝の上にただのせた。賽銭入れとかの例の頭陀袋《ずだぶくろ》を姉が縫って、それに母が十銭入れ、三途《ず》の河の渡し賃だとか、云っていたが、これは首から掛けさせた。
最後に姉が化粧をした。やっぱり唇を薄く開いている。頬を染め、唇に紅をさす。美しく仕上ったが、化粧のせいだろう、生前の面影とは変って見えた。とにかく入棺を済ませ、釘《くぎ》は打たなかったが、蓋《ふた》だけのせた。
それからリツ子の姉婿が足に廻り、私が頭の方から柩をかかえた。
「ほう。痩せているのに、重いたい」
と姉婿が云っている。
「骨太いとですよ」と母が皆の顔を見渡しながらそう云った。
床の間に先ずおいた。香炉と燭台がその前に移されて粗悪な蝋燭が、蝋を垂らしながら燃えてゆく。リツ子の生きていたしるしが跡形もなく消え失せた。明日太郎が母の行方を失って、さぞかしその淋《さび》しさに心あえぐだろうと、そう思うと私の胸にも掻きむしられるような無念さが湧《わ》いてでた。
一座はみんな吻《ほつ》とした。しばらくリツ子の生前の思い出が誰彼となく静かに交《か》わされた。
「さあ、そんなら、帰ろうか」と伯父が一番に立ち上った。
送りだしていった私に、
「ああ、そうそう」
と振り返って、
「明日の野辺送りの時には、さん。棺のかつぎ手、曳《ひ》き手を雇うとかんならんたい。リヤカー借りは頼んどいたけん、ちょっと今から人雇いに行っといてやんなさい。ほらあの坂の左手の波打際に一軒家があったろうが」
と夜道の果を指した。
「なあに、直ぐわかる。松林の中の掘立小屋たい。程良う云わんと仲々来ん奴《やつ》ばい。暗かけん、下のおばさん方から懐中電燈を借りて行きなっせ」
「何から何まで有難うございました」
と細かな心遣《こころづか》いに頭を垂れた。伯父は提灯《ちようちん》を揺りながら汀《みぎわ》の道をゆっくりと曲って行った。
電燈を借り受けて、もう一度田舎《いなか》の夜道に出ていった。みち潮にかかっているようだ。ザザザーッと波が夜の磯に白くよろめき寄せている。家の在りかは知っていた。が、低い藪《やぶ》と雑草で、入りこむ露地がなかなか見つかりにくいのである。
太い松の下の灯《あか》りの洩《も》れる一軒小屋にたどりついた。
「もーし」とおとなうが返辞が無い。
「もーし」を繰りかえしてどんどんと戸口を打った。
「そっちは入り口じゃなかが――」と寝ていたのであろう、半裸の若い男が別の戸口を押し開いた。
「なんごとな?」
「済みません。明日野辺送りの手伝いをお願いしたいのですが」
と私は云った。
「寒かけん、中へ入って云うてやんなっせ」
云われるままに入り込んだ。一間だったがごろごろと老幼男女入り乱れて眠っている。大家族であった。しかし、他の者は誰も起きぬふうである。
男はひょいと破れ座蒲団《ざぶとん》を肩に乗せて、上《あが》り框《がまち》に中腰した。
「野辺送りは何時頃な?」
「二時頃です」
「つまるめえや。薪《まき》取りに行かんならんたい」
と男は相変らず中腰のままで陰気に云う。
「どうか、ひとつ都合して下さいよ」
「人数は二人要ろうもん?」
「ええ二人」
「いくらつかわすな」
「知りません。いくら上げたらいいですか」
「知らんで人が呼ばるるもんか」
男は陰気な理窟《りくつ》をこねはじめた。
「そう云わずに、いくら上げたら来て貰《もら》えますか?」
「八十円はもらわな、なあ」
と顔を斜めにゆがめ、片眼だけ大きくして、じろりと私の顔を見た。
「いいです。どうぞお願いします。それから私の家は――」
と私が云いかけるのを遮《さえぎ》って、
「今朝死んだところやろもん。聞いとる。聞いとる。その代り、一人分だけ前金ばやっときなっせ」
私は八十円を重ねると拡げた男の掌の上に乗せてやった。外へ戻る。灯りに眼が馴れたので、又戻り道を失った。懐中電燈が暗いのである。男の家の畠の中に迷いこんだようだった。
手入も何も届いていない。雑草がはびこるままだった。何か大根のようなものにいっぱい花がついてしまって、白く咲いている。灯りを近寄せて見ると夜の蝶が二つ三つ眠ったままでさがっていた。
翌朝は生憎《あいにく》と雨が来た。大した降りではなさそうである。時々やむ。がまた時々パラーッときて村の弔問客が弱っている。
十時頃棺の蓋に釘を打つことになっていた。打つ前に蓋を開いて、それぞれ最後の別れをした。リツ子の死に顔の化粧は、昼見ると尚更《なおさら》少しあくどいようだった。
覗《のぞ》いていたリツ子の母が又こらえかねてワッと泣き出した。泣いて太郎を呼んで、もう一度覗かせるのである。
「忘れんとよ。ほらターちゃん。お母さんの顔ば忘れんとよ」
脅《おび》えて覗きこんでいた太郎を見ると、早く二人だけの生活にかえりたかった。
果物と花を少しずつ又入れた。それから寝棺《ねかん》の釘を打つのである。昨夜の手伝いの男が時間より二時間も早くやって来た。酒を所望し、下のおばさんから昼食を出してもらっている。
「目出度《めでた》かとと悲しかととの手伝いは、さん。仕方ござっせんばい。まあ、やっときまっしょうな」
おばさんとおていさんがそう云って、竈《かまど》の前で顔を見合わせた。
そろそろ紺の国民服に着換えようかと、箪笥の抽出《ひきだし》をあけて見たが、私の衣服をのぞいた外は、中は綺麗にさらわれていた。着物だけではない。砂糖もバタも見当らない。
「これもよい」と私は一人だまってうなずいた。
がリツ子の云い遺《のこ》していった本当の言葉を知っているだろうか。
「私が死んだら姉さんには、姉さんがかくしこんでいたショールだけをやって下さいね」
雨の中に、昨夜の男達はリツ子の棺をかつぎ出した。リヤカーに乗せるのである。一人が黒白の帯を曳《ひ》き、一人がリヤカーの引手の中に入りこんだ。ぞろぞろと雑多な傘の村の衆がつづいていった。
海が雨足で煙っている。けれども空の雲は西の方で細く青く裂けていた。野辺送りの藁草履《わらぞうり》が泥水に濡《ぬ》れ足裏から悪感《おかん》が匐《は》い上って、気持が悪かった。
避病院の坂を左に登る。かなりの急坂で、太郎を姉に預けていた私は、柩《ひつぎ》の角を押していった。
火葬場は下り際の塘池《つつみ》のあちら側に建っていた。すぐ後ろの山腹に山桜の大木が淡い花の色を咲かせていた。
田舎にしては設備の整った、割に大きな焼場である。竈の真前が五六坪のトタン葺《ぶき》で、控室を兼ねた土間になっていた。棺を〓《とう》に安置すると同時に、サーッとトタンをしぶかせて一しきり雨が来た。すぐ鼻先の向うの山が煙って見えぬくらいである。遅れてついてきていた野辺送りの人人が、次々と走りこんできた。静子もいる。蒼《あお》ざめて、真紅のコートを纏《まと》って、後ろの方に立っていた。姉に抱かれていた太郎が、頭をじゅっくりと濡らしている。ハンカチでぬぐい去って私の手に抱き取った。
隣り組の常会で顔見知りの隠坊《おんぼう》が千鳥足でよろけて出た。葬儀用の配給酒を半分廻してやっていたのだが、もう随分といい機嫌《きげん》になっている。
竈の扉をパチンと開いて、又閉じて、
「よう燃ゆっですばいこの竈は」と何処となしに肥後訛《ひごなまり》を漂わせながら、そう云った。
大行寺の和尚《おしよう》が立会に来てくれていた。
手持の小さな鐘をチーンチーンとやたらに打鳴らして、折からしぶく雨の音の中に例の大音声を張り上げる。何処からか腹力が湧《わ》いてくるような頼もしい蛮声だった。
竈の扉が開かれた。〓からするするとリツ子の柩がさし込まれた。和尚の大音声が小さくなり、やがてチーンと鐘の音の中に消えていった。隠坊がよろけ足で扉を閉じる。
「さあ、身内の人がどなたか裏口から焚《た》き付けなはるですたい」
私がマッチに点火して、太郎の硫黄《いおう》の経木に火を移した。
「太郎。ほらこの松の葉っぱにお火々をつけなさい」
勢よく引火した。メラメラと松葉の炎が眼に映って、やがて炎は小枝から竈一杯の薪《まき》の方に廻っていった。
「なーんの、八時間ですたい。立派なお骨が出来上りますばい」
隠坊が己《おのれ》の手際《てぎわ》を自慢そうにそういった。しばらく私達はその焔《ほのお》の燃えさかる色をみつめていた。焔には熾烈《しれつ》とでも云いたいほどの慰安の力がこもっていた。
いつのまにか雨が糠《ぬか》のような霧雨に変っている。私は太郎を抱えたまま、控室の入口に立って、「どうも大変有難うございました」と挨拶《あいさつ》した。村の送りの衆は三々五々と散っていった。
坂道の塘池《つつみ》の横から振りかえると、紫の煙が糠雨の中になびいている。それが丁度山桜の辺りに斜め横に消えていって、あたかも花を開かせてゆくふうな、とめどない錯覚を感じさせた。
もう一度、火葬場の煙とその後ろに白い山桜を、私、リツ子の母、リツ子の姉と、三人して振かえって眺《なが》めたが、
「ちょっとダイの家までいって風呂を貰《もろ》うて来うか?」
母が云いはじめた。リツ子の姉は何となくためらう模様で、
「いいかしら? 野辺送りの帰り道になんか」
「もう済んだとじゃけん、よかくさ」
私もちょっと入りたかった。いや、背中の太郎にゆっくりと湯をつかわせてやりたかった。然し相手は私の知らない家の様子だから、黙っている。
「太郎ちゃんは、風邪《かぜ》ひかせるけん、又にするがよかろうや」
なるほど、そうだ。思い遣《や》りもある。然し早く私から遠ざかって、死んで終《しま》った娘への愛惜と、娘婿の悪口を一しきり喋《しやべ》り合いたいものに相違ない。
私はそう思った。
「じゃ」
と岐《わか》れ道を私と太郎だけ、左に折れる。そのまま降《くだ》り道を急いでいった。滅法淋《めつぽうさび》しかった。
自分のヒガミも情ないが、情ないまましばらくこのままの感傷を自分で黙認したい心地である。
ようやく空が明りかけてきたようだ。明りかけたまま不安定の日没に移っている。南斜面の農家の軒先に八重桜が露を帯びて、咲き揃《そろ》っていた。
こんな花の下でリツ子に会うたような記憶が残っているのは……そうだ。福岡の西公園の花の下だった。リツ子と許婚《いいなずけ》の頃である。
花明り
月おぼろ
眉《まゆ》うすく
きみがかんばせ
にほひよるあやしき夕
秘めごとの
細きこころ
歌にこめ 君がひとみに
花うちあぐる かぐはし今宵
いきものの いきたる気配
花々のはなやぎみてる
くるしくも 尊く重き
ひとときの よぎりゆくさま……
見かへれば ここら木ぬれに
白玉の露ぞ残りて
うまし人 消《け》ぬる夕は
ふるき鳥 風に呟《つぶ》やく
そんな詩を書いた夜のことを覚えている。昔に書いたそんな詩が、書かれた稀有《けう》の時間を物語るように、自分の心の中に蘇《よみがえ》る。
もうあんな時間は帰って来ない。
が、それもいい、と私は太郎を負うて歩み降った。
「太郎ちゃん」
静子ではないか。私は何故ともなく急に脅えた。待っていたのか? 夕暮れだが、顔が醜いまでに硬直している。泣いたものに相違なかった。
私は黙って、自分から差しのべる静子の背に太郎を移した。
「お母さん達は、どうなさしたとだすな?」
「ああ、風呂を貰ってくるそうです」
「別れなさした?」
「ああ」
静子は私の方を見ないで、そのまま歩く。太郎も疲れきったのであろう、静子の背の上で黙っている。
この汀《みぎわ》の道を何遍通った。波頭が相も変らぬ静かな屈曲を繰りかえしている。
このまま三人で飛びこんでみたら、と私は潮の渦を覗《のぞ》きこみながら咄嗟《とつさ》な夢想に誘われかかったが、勿論《もちろん》、口に出せることではなかった。オール・インザ・ベインと中学の英語の教科書ででも読んだ記憶の言葉が、その頃の口癖のまま波の波紋のように自分の口のほとりに繰りかえしよせてくる。
「くにの方にお帰りなさすとだっしょう」
「ええ」
「いつだすと?」
「さあ。あさって頃になりますか」
「先生」
水が堰《せき》にさしかかったような嗄《しわが》れた声になったから、急いで静子の顔を見守ると、
「奥様の来年の御命日のときには、こちらに詣《まい》りにおいでなさっせいや」
そんな遠い日のことか、と私はいらだたしく、
「有難う」
「待っとり、まあす」
例の口調が淀《よど》みなく流れだしてしまうと、私はもう静子に来年の命日には迎えに来るなどと自分勝手に決めたことは云えなくなった。
私は歩行をゆるめた。静子が時々汀の道をふりかえっている。もどかしい緩慢な悲哀ばかりが募ってきた。
私は黙ったまま、故意に山道の方へ右に折れた。
静子は立ちどまった。全く困惑したような顔だった。太郎を負うて汀の道に佇立《ちよりつ》したまま、私を見上げ、私の後ろの山の勾配《こうばい》と空をこわごわ見上げるようだったが、
「もう暮れますが」
「ちょっと御堂のとこまで出て、もう一度リツ子の煙を見たいのですよ」
嘘《うそ》だと気がついたかどうか。然し否応《いやおう》なしの私の言葉に静子は肯いて登ってきた。私は暮れ終るまで、村の人に会いたくなかった。いや、万が一にも野辺送りの人に会いたくなかった。
母達は汀の道に抜けるに相違ない。淋しくてかなわなかった。しばらく、静子を手離したくないのである。
リツ子の急変の前々日から会っていない。野辺送りに会えるとは思っていたことだが、身近に静子を見て、静子の動顛《どうてん》した心が、変に硬直した表情と動作に変ってしまったことに気がついた。
自分の気持のせいかも知れないと、何度考えても、リツ子が生きていてくれた頃の静子の柔軟な応対とは、全く違って終ったように思われる。
すると、失ってしまったのはリツ子だけではなかった、と思いがけなく過ぎていってしまったとりかえしのつかぬ時間の悲哀に呑まれかかった。
私は新しい喪失を予感した。
「静子さん」
瞬間、夕まぐれの薄い光が静子の細長く横に切れた眼に翳《かげ》るようだったが、同時に、咄嗟な身もだえるような抵抗の表情が現れた、私はそれを突き破るようにやたらに冒涜《ぼうとく》の言葉を選んでいった。
「待っていてくれますね。リツ子が云い残したのです。あなたと結婚しろって」
「おそろしかことばかり云いなさす。さん、もーし。いけまっせんが」
と静子は私の気持をいちいち追い、また一々さえぎるように必死の声を絞っていた。
しかし、太郎を負うている。逃げだすこともかなわぬようだった。泣きはじめた。脅えるような、呻吟《しんぎん》のような、嗚咽《おえつ》の声が断続する。
御堂が近づいていた。峠近い平坦《へいたん》な荒地は三方に暮れ終らぬ遠い海をめぐらせていた。その果の方で、色彩だけの白い潮がサーッと横に流れていた。
私は立ちどまった。谷の皺曲《しゆうきよく》の山腹に火葬場の煙突が見えてきたからだ。リツ子の煙がなびいていた。が、もう色の識別も何もかなわない。僅《わず》かに山を越えて、空の中に薄黒く消えてゆくだけのようだった。
「太郎ちゃん」
その煙を太郎に拝ませでもするつもりだろう。静子は一しきり太郎をゆすぶっていたが、太郎は眠りこんでしまっていた。静子の眼は、煙の行衛《ゆくえ》をくりかえし追い、時々陥没するような放心の表情にのめりこんでいるようだったが、
「リツ子さあん。淋しいことでっしょう」
それだけ云った。後は泣いている。しばらく泣きやまなかった。それでも、
「先生」
突然、屹《きつ》とした声だった。
「昨晩結納ば受けました」
「結婚?」
「はあ、可也さんのお世話だす」
「いけない。それは、いけない」
と私はさえぎったが、狼狽《ろうばい》よりも運命の重量の方が先にのしかかってくるようだった。
「では、どうする? 僕と太郎は?」
「リツ子さんが、きっとよか奥様をお引合わせなさすが」
「嘘《うそ》。いけない、そいつは」
「ほんとうだす。おばあちゃんと、はっきり決めました」
しばらく泣き、それから静子は黙ってしまった。肩の辺《あた》りが時々しゃくり上げているだけだった。
私は虚脱した。なまめいた海風が、何度も吹きあげてきて、私の顔を吹きすぎるのがゆっくりと感じられた。
しかし、海にはもう光は無い。しぼんでしまった太古の陥没地帯のように、時折燐光《りんこう》のような思いがけない光が波の形にチロめくだけである。
「あ、お母さんのようだすが」
静子が低く、声をあげた。なるほど、リツ子の母と姉のような話し声が向うの窪《くぼ》を上ってきた。可笑《おか》しい。こんな山越えをする筈《はず》のない人達だ。するとやっぱりリツ子の野辺の煙をもう一度眺めに廻ったものに相違ない。この親達もあわれだ、とそこのところはにくめなかった。咄嗟《とつさ》に静子の指が、私の服のポケットを捉《とら》えて曳《ひ》くのである。
「御堂に――」
何故だ? が、私は肯いて静子の後ろを追っていった。ギイと扉の音が幽《かす》かに鳴った。黙る。私は身をかくすようにして、故意に静子と太郎の方へ体をよせた。
やっぱりリツ子の母と姉のようだった。私達には気づかない。その足音につれて、私は静子と太郎をきつく抱えこむのである。
「あっちへやらるるもんか」
「でもさん承知するかしら?」
「さんがどう云うたっちゃ――」
何のことを云っているのだろう。太郎か? それともリツ子の衣類? いや、リツ子の骨のことらしかった。もう一度、
「お父さんの脇で無からなあ――」
そう云って、リツ子の母達の声は遠ざかっていった。
私は静子の唇を抱きよせたかった。暗い。然し太郎を負うた無抵抗の静子の唇に、今触れることは出来なかった。僅かに静子の指をさぐるのである。
堅く、太郎の尻の下に組合わせたままだった。身じろぎもしない。声は立てないけれど、又泣きはじめているのが私にはよくわかった。
「いけないよ。待っていてくれなくちゃ」
「駄目だすが。おそろしかことばっかり云いなさす」
「結納って、ほんとう?」
「ほんとうだす」
「いけない――そんな」
「リツ子さんへの申訳が、立ちまっせんが――」
また嗚咽になった。暗闇の中で私が静子の指を探ろうとするのを、もがきのがれるのであろう。扉のところによっていって、一度右腕で押してギイと開いたが、戸ボソの傾斜からだろう、扉はまたギイと後がえった。静子はそれを放心したように二三度繰りかえしていたが、それから思いきったように堂を出た。
しばらく御堂の前に立ちつくすのである。星も何もなかった。ただ、天際のあたり、海と空の濃淡がわずかに区切れて見えて、例の光りもののような燐光が、幻視だろうか、波の上に時折チロめくだけのようだった。
このまま別れてはならないと、私は思った。それにしても、どうなるのだ。一年を待てと云われても私には出来にくい。一月、いや明日が待てなかった。
妻の死。こんな明瞭《めいりよう》な恐しい淋しい時間に、側《そば》近く近づいている静子の愛情をいだきとめ得ないというのはどうしたわけだ。
道徳。何の為の道徳だ。人が完全に生きることを願う為の道徳ではないのか? 私はもどかしく、狂暴になっていた。
「僕が信じられないの?」
「そげな――先生」
と静子が棒立ちになってすくんでいる。
「では、太郎の母になって下さい。今すぐ」
「奥様のバチが当ります。どうしよう」
「リツ子は死んだのですよ。もう死んだのだ」
私は激しく静子の袂《たもと》を引いて御堂の方へ引戻そうとした。
「チチ――チチ――」
思いがけず太郎が眼を醒《さま》したようだった。
「あら――太郎ちゃん。おっきしなさしたと。寒うは無いとだすな?」
「ここ、どこ? お姉ちゃん」
「峠だすたい。もう夜になりましたとだすよ。今日はお姉ちゃんのお家に行きまっしょうか?」
「うん、うん」
と太郎は肯いたが、いぶかしそうに闇の中を見つめていた。
「まあ、可哀想にだすな」
静子は肩から前に抱えとると、太郎に何度も頬ずりをくりかえしている。
「お母様が、きっと見てありますよ。天から」
「ハハが?」
と太郎は空を見上げたが、それからそっと私の方に手をさしのべた。
「よし、おいで」
私は太郎を静子から受取った。
「負いなさる?」
「ああ、負わせて下さい」
静子が太郎を私の背に抱え上げている。自分のコートと羽織をその上から覆《おお》ってくれた。
「駄目ですよ。静子さん。よその結納を受けたりしては」
「でも、もう先生。はっきりと決めたことだあす」
私は信じなかった。いや信じてもそれをつき破らねばならないと、胸がふるえ上ってくるようだった。
もどかしいままに、しかし何の手だてもかなわないのである。ただ、狂暴にわめいてみたかった。
「駄目です。神様でも、そんなことを許しやしない」
私は逆に山の方へ歩きはじめた。静子は立止っている。
「太郎。お姉ちゃんを呼び」
「お姉ちゃん。お姉ちゃーん」
静子がしばらく答えないからか、太郎も恐怖に駆られるようで大声を上げはじめた。
「はい。太郎ちゃん。もう帰りまっしょう」
「駄目です。太郎のお母さんになってくれるとはっきり云ってくれるまで、お姉ちゃんを連れてゆく。ねえ、太郎」
「うん、うん」
と太郎が肩の上で昂奮《こうふん》するようだった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃーん」
静子が歩みよらないからだろう、太郎は昂《たか》ぶって泣きはじめるのである。
「あら、泣きなさすと。いけまっせんが。困りますが。じゃ、お姉ちゃんが、しばらくおんぶしまっしょう」
静子はようやく歩みよってきて、又太郎を抱きとった。
私は太郎を取り、静子の背に負わせながら、静子の手をしっかりともう一度握りしめるのである。
他愛なかった。静子はまた泣きはじめて、くたくたと草の上にしゃがみこんでしまった。
「いけまっせんが、先生。いけまっせんが」
この二三日全く睡眠を取らないせいだろう。眼の中に光り物が走るようで、私はやたらに狂暴になりたかった。やたらにわめいてみたかった。
生きているあかしが得たかった。静子を奪いとってしまっても、まだ足りないような憤怒《ふんぬ》がある。それをどう表現してよいものかわからなかった。
私は咄嗟に太郎の上から静子へ蔽《おお》いかぶさって叢《くさむら》に倒す。
素早く唇をとらえるのである。太郎は横の草の上に立上って動顛しているようだった。
「いかん。チチ。いかん」
が、そんな声は聞えなかった。鼓膜が部厚く充血してガンガン鳴った。冷たい唇だった。堅く硬化していた。
私は自分の指がおそろしかった。静子の腋《わき》を匐《は》い、汚辱をさぐりとるふうに顫《ふる》えた。
「奥サマー」
静子の硬化した唇が、私の力のすきを見て突然ほとばしるように開き、ガクンと一つ喘《あえ》いでから、両手で草をむしりとって立上った。
その草で顔一杯を蔽ったまま、静子はしばらく、肩ではげしく息を使いながら泣いた。
「奥サマー」
放心したように、もう一度、闇の中でそう呼んで、静子は叢のなかをよろけながら、喘ぎ喘ぎ歩いていった。
私は絶望した。太郎を胸にのせ、ころげたままの姿でいっ時泣いた。妻を焼いたその日に、生きている限りの冒涜を働いたというのか? が、何が許されないのか?
太郎の指をさぐりとって、濡《ぬ》れた自分の頬にあてると、何処《どこ》からともなく遠い波の音が聞えていた。
リツ子の母は御骨拾いにはゆかないと云っていた。が、愈々《いよいよ》出掛ける間際《まぎわ》になるとやっぱりあわててついてゆくと云っている。
紅緒《べにお》の藁草履《わらぞうり》をはき、私も太郎を負って、リツ子の母、リツ子の弟、それに姉婿と私達だった。
うすら寒い。冬の寒気がまだ拭《ぬぐ》いきれぬようだった。私は黙って、皆の先に立って歩いていった。
昨夜静子と登っていった山道にさしかかった、私は故意によけた。
「そっちが近うはないですか?」
姉婿が云っている。私は一度ふりかえったまま、だまって汀《みぎわ》の方に進んでいった。
「そうですたい。御年寄にはこちらの方が楽は楽ですたい」
姉婿がつぶやくようにまた、そんなことを云っている。
家毎に桜が白かった。リツ子が花に化身してしまったような馬鹿馬鹿しい妄想《もうそう》が湧いてくる。
晴れきってはいないが雲に亀裂《きれつ》があるので、海は青過ぎる帯状のところと、白波のめくれ立っているところと層をなしていた。
空虚な眼前の風物の向うの方に、新しくザワめきたってくるような、見覚えのない感慨がある。それが何であるか……
ともあれ、自分はこんな姿で、こんな状態で、何万年昔からたった一人で歩いていたような気持が湧く。いや、太郎を負うて。
火葬場の山道にさしかかった。ふと、ふりかえって御堂の台地の方を眺めてみた。静子が立ちつくしているような錯覚が湧く。
が、そんな筈《はず》はなかった。
「チチ、サムイ。チチ、サムイ」
と太郎が云っている。後ろの姉が抱きとった。太郎を抱きとられるのと一緒に、急にへなへなと崩折《くずお》れてしまうような弱気がした。が、もうそこだ。煙突の後ろの山桜が見えてきた。リツ子の煙を吸ってでもしまったようにしらじらと咲き上っていた。
「あ、仏は、よう焼け上っとりますが。ちょうど、八時間だすたい」
例の千鳥足の隠坊《おんぼう》がもう、朝から赭顔《あからがお》を染めていそいそと私達を出迎えた。
汚れた軍手を指の先ににぎって、バタンと竈《かま》の蓋《ふた》を開いた。抽出《ひきだし》の鉄板をギイギイと軋《きし》ませながら抜いている。
何程のこともなかった。形も何もない。白けはてたばらばらの骨片がサラサラに鉄板の上に散っていた。
頭蓋骨《ずがいこつ》も何も知れぬ。ただ義歯だろうか、焼物らしい歯が一枚ぽろりと、本物の歯の間に混ってころげているのがあわれだった。どこの部分だったか、私には記憶も何もない。そういえば、金の入歯が見当らぬようだった。
「まあ、な。リッちゃん、可哀想に――」
リツ子の母がハンケチを眼にあてて先ず泣いた。
私はリツ子の弟が持参した骨壺《こつつぼ》の蓋をそっと開いた。カチャリと小さな音がして、隠坊が何の為か、私の背の後ろから覗きこむのである。
木箸《きばし》でたどたどしく骨を拾って、一つ一つ骨壺の中に納めてゆく。
「みんな、揃《そろ》えて入れて下さい」
何のことかと、私がリツ子の老母の顔を見守ると、
「頭と、首のとこと、背と、肋《あばら》と、手も、足も、みんな少しずつ入れとかんと、今度の生れ変りが出来んと云いますよ」
私は黙々と自分の指を操った。この砕け果てた骨片が肉を纏《まと》い、つい一昨夜まで泣いては笑っていたというのか。
リツ子の湯カンの姿がまぼろしのように眼の中に浮んできた。あの時まではまだまだ有形のリツ子の追憶が残っていた。私の指が生前の追憶を追うて皮膚の上を摸索した。
然し、今はどうだ。サラサラの骨片が鉄板の上に散らばっているだけだ。それを拾い取っているのは、相も変らぬ私の指である。
この指が、リツ子の生前の悦楽の源を貪《むさぼ》り求めたではないか。この指が湯カンの亡《ほろ》びた屍《しかばね》の上をたどったではないか。いや、昨夜は静子の生命を、たぐりよせようとして狂奔した。
「もう少うし、拾って下さい」
リツ子の母がまだ足りぬというふうに私の手許を見た。
私は自分の生きている指に脅《おび》えながら、もう二三片の砕けた骨を急いで拾い取るのである。
「まあ、その位なら……」
リツ子の母があきらめたようにこう云って、一度覗きこみながら蓋をした。
今度は白木の箱の蓋をした。白布で蔽う。私はそっと抱えて胸に抱いた。
軽かった。が、何かしらその重味が私の肌に添うてきて、ようやく鎮静とでも云うような、静かな、安定した感傷を生んでいった。
とりあえずの太郎の着換えは、二三枚、支那の遊歴の日に使った破れ雑嚢《ざつのう》につめて肩から掛けた。妻の骨壺は目立たぬように白布の上を風呂敷で更に蔽って私の腰にぶら下げた。それから太郎を肩車にのせた。
「ほんにおひどうござしたなあ」
「あなたは気丈にござすけんなあ」
と丁度半年厄介になった下のおばさんが泣きはらした両頬の眼をこすりこすり云った。
「ではお世話様になりました」
と私は早く見送人の視界から立去りたくて後ろを見ずに道を急いだ。急いでいって、岩鼻の曲り角のところから、さすがに半歳《とし》の悲苦をつなぎとめているようなあの二階の窓をふりかえった。
桜がしろじろと浜の後ろの木立の間からのぞいていた。
「ほら、ばんざーい」
と私は唐突に太郎の足をひっぱって云わせてみた。太郎は額にからみつけていた両手をはずして、こおどりしながら、
「ばんざーい。ばんざーい」
を繰りかえした。
波が岩鼻に激している。時化《しけ》ている。けれども空はからりと晴れていた。太郎を連れ、磯物取りの少女らにまじって、あそこの浅瀬の岩間から掻き取ってきた雲丹《うに》の赤い生の腸《わた》を、割ってリツ子にすすらせてやったのは、つい五六日前のなぎの日のことではなかったか。
荒磯のうしほに濡《ぬ》るる
赤き雲丹の 赤きを妹《いも》が
口にふふまする
ドッと体をゆすりあげるような例の激昂《げつこう》が私を見舞ったが、これに耐えるのはこの一年来の私の日常のことに変っている。私は太郎の足をしっかり握って、断崖《だんがい》の汀《みぎわ》の道を歩いていった。
唐泊から博多までのこの三里の道を太郎を首に掛けて歩いたのは何回になるだろう。両手と背に八升のうるちと糯米《もちごめ》を下げて一度通った。あれは二月一日のことである。二日が旧正月、三日が私の誕生日であった。
リツ子の体もあの頃は馬鹿に良かった。
「ああ、松枝さんがいなくなってせいせいしました」
と、それまで手伝ってもらっていた女中が嫁にゆくといって帰ったのをよろこんで、私の咄嗟《とつさ》な愛撫《あいぶ》をめずらしくこばまなかった。
薄汚い納屋のような二階の二間で、仕切りの唐紙《からかみ》の向うに、女中の松枝が所在なさから、夜分などよく下の娘と話し込んでいたが、病気が病気だからひどくひけ目に感じていたのであろう。
「松枝さァーん」
と媚《こ》びるように長くアをひっぱって、
「もうおやすみ。ね、もうおやすみ」を八時頃から繰りかえしていたものだ――。
「チーチ」
と首の太郎が片手をはずして、激発する波の中の巌《いわ》を指しながら云った。我にかえった。
「ほーら、鵜《う》が。うんこをあんなに」
鵜をよく覚えていた。巌の上に海鳥の糞《ふん》が白くしらけて積っていた。私はようやく肩と腰に喰《く》いこんでくる骨壺の重量や、雑嚢や、首の太郎の重味を感じてきて、一つ大きく揺ぶって太郎の腰の位置を変えさせた。
「きつい? チチー」
「うん、きついよ」
「大きくなってタロ重い? チチー」
「うん。大きくなったから、太郎重い」
「重くて、ガマン」
とその我慢を強く、太郎は私の口調そっくりにうれしそうに笑って云った。平生、泣き出す太郎を「ガマン」と励ましつけているのである。
松籟《しようらい》の音である。砂丘の上にささくれた松の幹であった。その松の梢《こずえ》をしおらせて海風がしきりに鳴っていた。
この松林を何遍抜けた――。あの二月一日の前は大《おお》晦日《みそか》のことである。寒かった。夕陽の松林の向うに海が真赤に染っていた。暗くなるまでにたどりつけるだろうかと、首の上の太郎が眠るのを気づかって、先を急ぎながら通り抜けた。振袖《ふりそで》を千円で売り、バタと林檎《りんご》を探しに探して、小田の浜辺《はまべ》の二階にたどりついた時には、もうすっかり暗くなっていた。
「あ、タロー」
と耳聡《みみざと》いリツ子の声が先ず聞えて、それから松枝が走り降りて来て、太郎を取った。荷物を下ろした折の、まぶしいくらいの部屋の電燈の明るさを覚えている。部屋のぬくもりと、リツ子特有のあの甘酸いにおいを覚えている。あの頃はまだリツ子は時々起きていた。
「ほらバタだ」
リツ子はそれを手にのせて、癖になっている例のおし戴《いただ》く恰好《かつこう》を何度もした。早速松枝に焼かせた餅《もち》に塗って太郎にやり、自分でもしみじみ喰《た》べてみて、
「バタがジンジン体にしみこんでゆくようです」
ゆったりと安堵《あんど》するようだった。
「チーチー。ピンカラカラ歌って」
と首の太郎が足をぱたぱたさせているのに気がついた。亡者のまぼろしを強くはらって私は太郎の足を握ってみる。冷たい。松林の中に四十雀《しじゆうから》の囀《さえず》りがこの前の通り聞こえていた。前に此処《ここ》を抜けた時、四十雀の囀るのを聞きながら、出まかせの童謡を歌ってきかせたのを、太郎はまだ覚えているようである。
「よし。ええーと、どんな歌だった。太郎」
「ほら、太郎のあんよが冷たい、よ」
と、太郎は小さい足を私の掌の中からすり抜けそうに揺すぶるのである。
「うん、そうそう」
ピンピン カラカラ
ピン カラカラカラ
太郎のあんよは
つめたいね。
ピンピン カラカラ
ピン カラ カラカラ
おやおや お手々も
つめたいね。
ピンピン カラカラ
ピン カラカラカラ
始終 カラカラ
四十雀。
私は太郎のその冷たい足を両手でぬくめながら静かに歌って歩いていった。
長い砂丘の一本道は誰とも会わなかった。何か人に新しい慰藉《いしや》を恵みつづけてゆくような閑寂な道だった。砂地の上に痩《や》せた裸麦が伸びていた。もうこんなに伸びたのか、と一月ばかりの余裕のない生活からとき放たれたような屈託なさも感じられる。また墾植とでも云うか、人間の可憐《かれん》な成果に久しぶりで逢《あ》い、その成果がキッチリと砂地の浜に風に吹かれている心地もした。
時折太郎が小便を催すので、首からおろして、急いで吊《つ》りズボンのボタンをはずしてやる。何度も注意するのだがいつも間際《まぎわ》になって「おしっこ」を云うのである。黒ラシャの厚い服地が堅いので、脱衣させるのに骨が折れる。間に合わずにズボンを濡らして終《しま》うのである。
「濡れて、ガマン? ねえ、チチー」
「うん。少うしだから濡れても我慢」
気の毒そうに見上る太郎の、何処かリツ子に生き写しのひ弱そうなお尻のあたりをピチャピチャと叩《たた》いてやる。
「ねえ、チチ。タロ、ポンポン大すき」
と今度云う。
「そうか、おにぎりか」
といつの頃からか空腹をポンポン大すきと云いはじめた我子の片言をいぶかりながら、肩の雑嚢を下ろすのである。
「ハハもきつい、きつい、って」
と私は腰の骨壺《こつつぼ》をゆすって見せて、バンドに下げた締り目を解き、日溜《ひだま》りの砂の窪地《くぼち》に先ず置いて、それから自分も腰をおろした。
「太郎。母のポンポンの上で御飯を喰《た》べようか」
「うん、うん」と太郎は嬉《うれ》しそうに肯《うなず》いて、
「ハハもおにぎり喰べたい、喰べたいって?」
今度は私が笑って肯いてみせるのである。そこで骨壺の上に握り飯の竹の皮をのせた。発《た》ち際《ぎわ》に下のオバさんが作ってくれたおにぎりには、きっちりと沢庵《たくあん》が添えてある。その横に小さな茄子《なす》の味噌漬《みそづけ》が光っていた。
「ほうら、太郎。味噌の骨」
私はそれを指でつまんで、いぶかる太郎の口に入れてやる。
「すっぱい、すっぱい」と太郎が眉根《まゆね》を寄せている。
「味噌の骨」には死者の思い出があった。食慾の無い日にはきまってリツ子が「ほらあの骨を」と狡《ずる》そうに私に甘えて、下のおばさんから味噌漬をねだらせたものである。結核が腸に来たと自分でも知ってからは、いつとはなしにその「味噌の骨」を云わなくなった。言葉の「骨」を忌んだのであろう――。
何もかも済んで終った。見ろ、おまえの白け果てた骨の上に、こうして父と子が「味噌の骨」をのせて握り飯を喰べている。
さすがに日溜りは春だった。ヒュウヒュウと風は空の中を泳いではいたが窪地の中には通わなかった。雲雀《ひばり》が空に上っていた。
「太郎。ピーチクピーチク、あれは雲雀だよ」
太郎も空を見上げている。時々パラパラっと砂丘の砂が舞ってくるので、太郎の握り飯の上に砂がかかる。その度《たび》に泣き出しそうになるのを、「ガマン」とこらえさせて、私はたんねんに指で砂をはじいてやるのである。
本作品中、今日の観点からみると差別的ととられかねない表現が散見しますが、作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、原文どおりとしました。(編集部)
この作品は昭和二十五年十一月新潮文庫版「リツ子 その愛」が、同年十二月同「リツ子 その死」が刊行され、平成五年二月両者を合わせて新潮文庫版「リツ子 その愛・その死」が刊行された。
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リツ子 その愛・その死
発行  2001年3月2日
著者   一雄
発行者 佐藤隆信
発行所 株式会社新潮社
〒162-8711 東京都新宿区矢来町71
e-mail: olb-info@shinchosha.co.jp
URL: http://www.webshincho.com
ISBN4-10-861062-8 C0893
(C)Yosoko Dan 1950, Corded in Japan