天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語
中村 弦
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)四月《よつき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)卯崎|新蔵《しんぞう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)あれ[#「あれ」に傍点]だったのか
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〈カバー〉
時は明治・大正の御世。孤独な建築家・笠井泉二は、依頼者が望んだ以上の建物を造る不思議な力を持っていた。老子爵夫人には亡き夫と過ごせる部屋を、へんくつな探偵作家には永遠に住める家を。そこに一歩足を踏み入れた者はみな、建物がまとう異様な空気に戸惑いながら酔いしれていく……。
中村 弦
Gen Nakamura
1962(昭和37)年東京都大田区生まれ。國學院大學文学部卒業。『天使の歩廊―ある建築家をめぐる物語―』で第20回日本ファンタジーノベル大賞大賞を受賞、デビュー作となる。「新しい伝奇ロマンの開拓者」(荒俣宏氏)、「静かに着実に高みに上り詰めた傑作」(椎名誠氏)など、選考委員各氏から絶賛を浴びた。
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中村 弦
Gen Nakamura
ある建築家をめぐる物語
天使の歩廊
新潮社
天使の歩廊
ある建築家をめぐる物語
目 次
――明治十四年――
T 冬の陽
U 鹿鳴館の絵
V ラビリンス逍遥
W 製図室の夜
X 天界の都
Y 忘れ川
――昭和七年――
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天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語
[#地から2字上げ]――明治十四年――
「しかし赤ん坊っていうのは、なんて正直なんでしょうね。ついさっきお乳をやったばかりで、お腹がふくれていると見えて、親のことなんか見むきもしない」
「まだ猿並みの知恵もねえはずなのに、やけに小利口そうな顔をしていやがるじゃねえか。何を考えてるんだろうねえ、まったく」
「あら、まあ。そういや、『天上天下唯我独尊』なんていいだしてもおかしくない顔つきだこと」
「ばかいえ。生まれて四月《よつき》しかたってねえ子がしゃべるもんかい」
「いやですねえ、おまえさん。いまのはただのたとえですよ。ほんとうにしゃべるわけがないでしょうに……」
縁側に寝かされた赤ん坊を覗きこんで言葉を交わしているのは、その子の両親だった。
十一月のよく晴れて晩秋にしてはあたたかい日の昼さがり、銀座煉瓦街の裏通りに面した一軒での出来事だった。
海の方角からほどよい風が吹いていた。二階屋と板塀にかこまれた庭には、竹竿がところせましと架けわたされ、たくさんのシャツが干されている。東風を受けてはためく純白のシャツは、まるでおおぜいの人間が奇妙な舞踏《ダンス》を踊っているようだ。
父親の名は笠井弥平《かさいやへい》、母親の名はよねといった。弥平の生業《なりわい》は洗濯屋で、庭に干されているシャツも客からのあずかり物である。
おくるみのなかの赤ん坊は首をこころもちかたむけ、澄んだ瞳をしっかりとあけて、庭でひらひらしている洗濯物を見ていた。すこし興奮しているらしく、からくり人形みたいなぎこちなさで両手をふり動かした。語り合う声に反応してか、ときおり両親のほうに目をむけるが、すぐに視線はまた庭のほうへともどっていく。
梅雨の時期に生まれたその子は、この夫婦の次男だった。ちょっとはなれた庭のすみでは、数えで三つになる上の息子の良一《よしかず》があぶなっかしい足どりで歩きながら、店の使用人にかまってもらっている。どちらの息子も母親のよねにとってはお腹を痛めて産んだたいせつな子どもにちがいないが、正直なところ、上の子よりも下の子のほうが利発そうな顔立ちをしているのはたしかだ。
「この子はきっと偉くなるにちがいありませんよ」よねは縁側の次男を抱きあげ、顔をよせた。「なあ、泉二《せんじ》。お役人か何かになって、みんなに尊敬されるようにおなり。お父ちゃんとお母ちゃんみたいに洗濯屋なんかで終わるんじゃないよ」
西洋洗濯屋が明治という新時代にふさわしい、誇りにできる商売だと考えている弥平は、その言葉を聞いて不服そうに唇をねじ曲げたが、もともと気のいい性格なので、しばらくするともう機嫌を直して妻といっしょに笑っていた。
泉二という名の赤ん坊は、なおも母親の肩越しに庭ではためく洗濯物を見つめた。
たくさんの真っ白なシャツは青い空を背景に、ふくらんだりひるがえったりしながら、まばゆく輝きつづけた。
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T 冬の陽
1
大正三年、東京の街に木枯らしが吹くころ、小石川の植物園にほど近い一軒の家の門前で、矢向丈明《やこうたけあき》は人力車をおりた。
その年も世間ではいろいろなことが起こっていた。海軍の収賄事件が発覚し、政府を糾弾する民衆が議会を取り巻いて内閣を総辞職に追いこんだり、欧州の国々のあいだに大戦が勃発して、ついには日本も参戦したりした。しかし丈明がやってきたこの界隈は、そんな巷の騒ぎなどとはまるで無関係に深い静けさにひたっている。
門の表札には「笠井」と書かれていた。古い家だ。おそらく徳川時代から建っているもので、むかしは小身の侍の住まいだったのではないか。荒れ果てているというわけではないが、多すぎる庭木にかこまれている上に、南どなりの寺の境内には椎や杉などの鬱蒼とした林があるせいで全体が翳り、必要以上にすさんだ印象をあたえる。
この家にくるのはひさしぶりだった。まえにきたのが昨年末の夫人の葬儀のときだから、あれから一年近くがたつわけだ。足が遠のいているうちに、この家の主にかんして少しばかりのうわさは耳にしたものの、実際には彼がどのような生活を送ってきたのか、たしかなことは何ひとつ知らない。
玄関の外から丈明は呼びかけた。
「ごめんください」
家のなかはひっそりとしていた。引き戸を細めにひらいて、もう一度呼びかける。
「ごめんください」
返事はなかった。丈明は不安になった。しばらくまえにここに宛てて手紙を送り、訪問の意向はつたえてある。当日の都合が悪ければいってよこしてほしいと書いたのに対して何の応答もなかったので、了解してもらえたものと信じていたが、さては留守にしているのか。
三たび言葉をかけようとしたとき、奥から男の声がした。
「あがってくれ」
丈明はほっとした。脱いだ外套を腕にかけて、手前の六畳間にあがりこむ。
右手の襖がすうっとひらき、白い顔が覗いた。額にかかった髪の下から、静かな眼力を秘めた瞳がこちらを見つめている。その視線とむき合うと、なんだか丈明はどきりとして、あいさつの言葉がしどろもどろになった。
「ああ、笠井君。留守じゃなくてよかった。いったいぜんたい、ぼくの手紙は届いていたのだろうかね……」
着流しすがたの長身がゆらりと揺れ、男はこちら側へ出てきた。
「きみが今日くることは知っていたよ」
男の背後にむこうの部屋の内がかいま見えた。うずたかく積みあがった書物や畳の上に散らかった大判の紙などが、障子越しの淡い光に浮かんでいる。その光景を丈明が目にしたのは、ほんの一瞬だった。家の主がさりげないしぐさで襖を閉じてしまったからだ。
「あちらで話そう」
男はさきに立って、べつの部屋へ客を導いていった。そちらの八畳はきれいにかたづいているが、薄暗いのに変わりはなかった。
どうしてこの男は、こんな日当たりの悪いところで借家暮らしをつづけてきたのだろうか、と丈明は思った。勤めていた会社の給与をもってすれば、もっと上等の場所に居をかまえることだってできたはずだ。いまさらいっても詮ないことだが、もしかするとちがった環境にいれば彼の奥さんだって、あんなふうにならずに済んだのではないかという気さえしてくる。
丈明に座布団を勧めておいて、家の主は部屋を出ていった。
待っているあいだに丈明は所在なげに部屋をながめた。縁側に面した障子に薄墨で描いたような木の影が映っている。何も活けていない花器が床の間にぽつんと置いてある。床脇の壁には、額縁にはいった小さな油彩画がかかっていた。――天使を描いた絵だった。湧きあがる雲を背景に、白い衣をまとった天使が飛んでいる。その絵が以前きたときにもあったかどうか思いだそうとしたが、よくわからなかった。どちらかというと、はじめて見る絵のような気がした。
ややあって主はもどってきた。手にした盆に、湯気の立つ碗がふたつのっている。
「きみが淹れたのか?」座卓の上に置かれた茶を見おろして丈明は尋ねた。
「そうだが」
「まえにいた女中はどうしたね?」
「ひまを出した。おれひとりなら自分で何とかできるからな」
戸外でときおり木々の葉が風に鳴っていた。ほかには何の物音もしない。
むかいに腰をおろした主は、腕を組んで卓上へ目を落としている。何を考えているのやら、その顔つきからはさっぱり読み取れない。
彼の名は笠井泉二といった。丈明が泉二と出会ったのは二十年近く前、中学校時代のことだが、そのころから泉二は余人には覗くことのできない淵を胸の内に隠しているような感じの男だった。
いつまでも黙りこくっているわけにはいかないので、丈明は切りだした。
「笠井君、ごぶさたして済まなかった。あんなことがあったあとだから気にはなっていたんだが、最近むずかしい仕事をいくつもかかえていたものでね、ついつい連絡しそびれてしまった。きみのほうはどうだい、近ごろはどうしている? 仕事はしているのか?」
「とりたてて何もしていない」というのが泉二の答えだった。
「そうか……。あれはたしか春ごろだったかな、笠井君が光竹《みつたけ》本店を辞めたと風の便りに聞いたときには、ぼくも驚いたよ。きみが奥さんのことで悲嘆に暮れて、はたらく意欲をなくす気持ちもわからないではない。だけど、あんな一流会社の社員の座をふいにするのは、いかにも惜しいじゃないか。このあいだ学会の集まりで卯崎《うざき》先生とお会いしたが、先生もきみのことを心配しておられたぞ」
「卯崎先生か」と泉二はつぶやいた。「そういえば、先生の設計した中央停車場はどうなった?」
「工事が追いこみにはいったよ。青島《チンタオ》陥落の凱旋を開業式典といっしょにやることになったせいで、竣工が十二月に早まってね、現場は大あわてらしい。いずれにせよ駅舎の外観はできあがっているんだ。まだ見たことがないのなら、ぜひ足を運んでみたまえ。さすがは卯崎先生の作品だ。じつに壮観だぜ」
本来の調子を取りもどして丈明はぺらぺらとしゃべった。泉二が大学の師である卯崎|新蔵《しんぞう》の仕事に興味を示したことで、丈明はすくなからぬ勇気を得ていた。泉二が建築をつづける意欲をまったく喪失しているのではないかと内心危ぶんでいたのだが、これなら望みはありそうだ。
「ところで、ねえ、笠井君。きみはまだ三十を超えたばかりだ。建築家としての立派な腕も経歴もある。隠居するには、いくらなんでも早すぎるだろう。ここらあたりでどうだい、気を取り直して新しい仕事をしてみては」
「それが今日の本題か?」
泉二に図星を指され、丈明は指で鼻のわきを掻いた。
「まあ、そういうことになるな。うちの会社にいま、ある子爵家から依頼がきているんだ。そのことできみに相談したかった」
丈明は言葉を切って相手の反応を見た。泉二はこちらをむいている。すくなくとも話を聞くつもりはあるようだ。
「きみとは長いつき合いだから、単刀直入に話すことにするよ。じつはその子爵家の依頼というのが、ひと筋縄ではいかない代物でね、ほとほとこまっているんだ。矢向組ではその子爵家の工事をまえにも請け負ったことがあって、そのときの設計をやったのが、ほら、きみもよく知っているあの雨宮利雅《あまみやとしまさ》君だ。依頼主の希望もあって、今度の設計も最初は雨宮君がやる予定だった。笠井君にいちばんに頼みにこなかったことについては、どうか気を悪くしないでほしいんだが」
蠅でも追い払うようなしぐさで、泉二は片手をふった。そんな気兼ねは必要ないという意味だろう。
「雨宮君は今年の春ごろ子爵家と一度目の打ち合わせをして、新しい家の構想を練りはじめた。しかしこれがなかなかうまくいかなくて、提出する案はことごとく却下された。この半年、手を替え品を替え、十回近くも図面を引き直したが、それでもいっこうにお気に召してもらえない。とうとう雨宮君はやる気をなくしてしまって、この仕事をおりるといいだした。彼はけっこう誇り高いし、ほかにも有力な後援者《パトロン》がついていて挫折知らずでやってきたから、こういう成り行きには慣れていないんだな」
「それで彼の代わりをさがして、おれのところにきたわけか」
丈明は神妙な面持ちになった。
「虫のいい頼みだということは承知している。でも、どうだろう、力を貸してはもらえまいか?」
「丈明が自分でやったらどうなんだ? おまえだって建築学科を卒業した一人前の建築家じゃないか」
「いや、ぼくなんかでは務まらないよ。矢向組では設計の仕事はわずかで、ほとんどは現場監督の延長のようなことしかやってこなかったんだ。とくに親父が死んで兄貴が会社を継いでからは、それを手伝って、得意先の接待やら経営関係にまで首を突っこむ始末でね。建築家としての感性なんぞ、とっくに錆びついてしまったさ。それに今回のは、とりわけむずかしい依頼だ。雨宮君の失敗を見ていてわかったんだが、あの子爵家の注文に応えるためには、たんに経験豊かな建築家というだけではだめなんだ。それ以上の何かが必要なんだよ。それに気づいたとき、どういうわけか笠井君のことが頭に浮かんだ」
泉二は部屋のすみをにらんでいたが、やがて視線を丈明にもどした。
「その依頼主が望んでいるのは、どんな建物なんだ?」
丈明は待ちかまえていたように身を乗りだした。
「先方が建ててほしいといっているのは、こんな家なんだ。生きている人間と死んでいる人間とが[#「生きている人間と死んでいる人間とが」に傍点]、いっしょに暮らすための家[#「いっしょに暮らすための家」に傍点]。きみ、そういうものをつくれないかな?」
組んでいた腕をほどいて、泉二は両手を卓にのせた。上半身がまえかがみになり、障子の明かりのなかに顔があらわれる。
「生きている人間と死んでいる人間とが、いっしょに暮らすための家?」
「そうさ。なんとも風変わりな依頼だろう?」丈明はにっこりと笑った。「この仕事、引き受けてくれるね、笠井君」
*
一週間後のある日、丈明は新橋ステーションで泉二と落ち合い、十時五十分発の汽車に乗りこんだ。
その日は泉二も上等の洋服を着こみ、中折れ帽子をかぶっていた。先だって小石川の家の薄暗い部屋にうずくまっていた人物とは、まるで別人のようである。
午後一時すぎに国府津《こうづ》で汽車をおり、小田原電気鉄道に乗り換えた。終点の小田原からさきは、さらに山越えの軽便鉄道に二時間以上揺られて、熱海に到着したときには日も暮れかけていた。
停車場のまえで子爵家の御者が待っていた。その男のあやつる箱馬車で、目的地までの最後の道のりをたどった。
三十分ほど走ると、相模灘を見おろす高台の上に西洋館があらわれた。残照の空を背景にそれはシルエットと化し、周囲の森と一体になっていた。
丈明は隣席の泉二にいった。
「あれが上代《かみしろ》子爵家の別邸だ。あの館の工事は矢向組でやったんだ。設計は雨宮君さ。五年前に先代当主の善嗣《よしつぐ》翁が隠居なさったときに建てたものでね、ご先代は薨去《こうきょ》されるまでのあいだ、あの館で奥方様といっしょに暮らしておられた」
「ご先代はいつ亡くなった?」泉二が尋ねた。
「ええと、去年の暮れ近くだったな。年の瀬にもかかわらず、東京でおこなわれた葬儀にはとてもたくさんの人が集まったよ」
「黎子《れいこ》とおなじころか……」
泉二の言葉を聞いて、丈明ははっとした。――そうだ、たしかに笠井君の奥さんが亡くなったのとおなじ時期だ。どちらの葬儀にも出席したのに、迂闊にも丈明はそのことに思いいたらなかった。なんとなく申しわけない気がして、泉二のようすをうかがうと、彼のよこ顔にはとくべつに何の表情も浮かんでいない。いつもどおりの飄々とした態度で、行きすぎる夕景をながめているだけだ。
ほどなく馬車は、煉瓦積みの長い塀に沿った坂道をのぼっていった。あがりきったところの門から敷地内にはいる。西洋館の車回しをゆるゆるとまわって停止した。
丈明と泉二が馬車をおりると、年老いた家職が玄関にあらわれて丁重にあいさつし、ふたりを館に招き入れた。
邸内を歩きながら丈明は、ホールのすみにならんだ陶器の壺や廊下の壁にかかった西洋画に視線を走らせた。この屋敷を飾る和洋の美術品には、おとずれるたびに目を見張る。もちろん代々の家宝としてつたえられた品も含まれるだろうが、ここにあるものの多くは、先の子爵が明治の御代になってから買い集めたと聞いている。先代は絵画や彫刻や工芸品をことのほか愛していた。ちなみに、現在家督を継いでいる息子の弘嗣《ひろつぐ》のほうは、美術品に対して父親ほどの関心はもち合わせていないようだ。
応接室で待つうちに、その弘嗣子爵がやってきた。髪に白いものがまじり、丸眼鏡をかけている。上代家は大名華族だが、弘嗣子爵は武家というよりもむしろ公家の血を引いているのではないかと思わせるような、おっとりとした風貌をしていた。
「いや、遠路ごくろうさま。わたしのほうも、たまたまこちらにくる用事があったものだから、お会いできてちょうどよかった。残念ですが都合があって、明朝には東京に帰らなくてはなりませんが、あなたがたはどうぞゆっくりしていってください」
丈明は泉二を子爵に紹介した。
「工学士で建築家の笠井泉二君です。彼はわたしと東京帝大工科大学の同窓でして、卒業後は光竹本店の建築部で腕をふるっていました。今年の春に独立して、いまはひとりでやっています」
「それはたのもしい人を連れてきてくれた。雨宮君の代わりが見つかってよかった」弘嗣子爵は泉二に愛想よく笑いかけた。「それにしても雨宮君はいけなかったね、からだを壊すなんて。彼の具合はどんなふうですか?」
「おかげさまで快方にむかっていますが、まだむりはできない状態です。先日見舞ったときも、最後まで設計ができなくて残念だと悔しがっておりました」もっともらしい調子で丈明はいった。さすがに雨宮が嫌気を起こして仕事を放りだしたと告げるわけにもいかず、胃腸の病気で仕事をつづけられなくなったと子爵家にはうその報告をしてあるのだ。「しかし、こちらの笠井君も優秀な男ですから、ご安心ください。かならずやご隠居様のお気に召すものをお目にかけられるはずです」
子爵は「ご隠居様」という言葉を耳にして、いささか眉を曇らせた。
「今回は、母のわがままにつき合わせてしまい、ほんとうに申しわけない。自分の母のことながら、いったいあの人が何を考えているのか、わたしも理解に苦しんでいるのです。非常識だという声もまわりから聞こえてくるし、こまったことだとは思うけれど、他方では母が本気でそれを望んでいるならしかたがない、これも孝徳と信じて母の願いをかなえてやろうと、そんなふうにも思ったりして……。あのとおり母は武家育ちの気丈な質《たち》で、いいだしたら聞かないところがあるから手に余ることもあるでしょうが、笠井さん、あなたもどうか、よろしくたのみます」
泉二は子爵に真っすぐ目をむけ、
「全力を尽くしましょう」と答えた。
「ありがとう」と弘嗣子爵はいった。「では、今夜はくつろいで、旅の疲れを癒してください。母はすこし体調がすぐれず、今日は休んでおりますが、おそらく明日にはきみたちと会って話ができるでしょう」
*
翌朝、弘嗣子爵が東京へ発ったあと、子爵の母との面会が予定されている正午までのあいだ、丈明と泉二は屋敷の庭を散策してすごした。
おだやかに晴れわたり風もなく、寒さはほとんど感じなかった。初冬の庭の美しい景色のむこうに、雨宮の設計したルネサンス風の館が白い下見板張りの外壁を輝かせていた。
池のほとりのベンチに腰をおろしているところに家職の老人がやってきて、面会の用意が整ったと告げた。ふたりは彼のあとについて館にもどった。
隠居の章子《あきこ》は食堂で待っていた。彼女は夫の死後ずっとそうしてきたように、今日も黒いドレスで身を包んでいる。
「お加減はいかがですか?」
丈明の問いかけに、章子は神経質そうな細面をあげた。
「昨夜は持病の偏頭痛がひどく、お迎えにも出られなくて失礼いたしました」
章子は天保十五年の辰年の生まれだと、丈明はまえに聞いたことがある。もう七十を超える計算だ。顔や首や手の甲にあらわれた老いのしるしは隠しようもないが、それでも背筋は定規をあてたように伸び、口調もしっかりとしていた。理知的で鋭利な光が、瞳の奥に宿っている。
「こちらが新しい建築家の笠井さんね。あなたのことは弘嗣から聞いております。――おふたりとも、どうぞお座りください。まずはお昼を召しあがれ」
席に着くと、洋食の皿が運ばれてきた。老婦人は最初に出たスープを飲み、つぎの前菜を食べただけで、あとの料理にはほとんど手をつけなかった。
頃合いを見はからって丈明はいった。
「本日はお時間をくださり、ありがとうございます。ご隠居様のご意向をわたしから笠井君につたえることもできたのですが、やはりじかにお目にかかってお話をうかがったほうが、彼も正確なところが理解できると思ったものですから」
「それはそれでけっこうです。わたくしも新しい建築家の方とは、ぜひお会いしておきたかった。まあ、しかし、まえの雨宮さんのときには何度お会いしても、こちらの希望をお汲み取りいただけなかったようですけれど」
「申しわけございません。雨宮君もできるかぎりの努力はしていたと思いますが……」
「よろしいですか。わたくしの望みは、とても簡単なことです。あとどれくらい生きられるのかわかりませんが、残りの時間を夫のそばですごしたいと、そう望んでおりますの。先代が亡くなって一年近くになりますが、遺骨はまだこの屋敷のなかにございます。菩提寺のお墓に早くお入れすべきだと周囲の者たちは騒ぎますが、わたくしはそれを拒みつづけてまいりました。そのようなことをしては、夫と離ればなれになってしまう。わたくしはつねに、あの方のそばにありたいのです。
息子の弘嗣も先代の遺骨をここに置いておくことには反対しております。亡くなった人のためには、それ相応のとくべつの場所をもうけるのが世の習いだと、以前に弘嗣は申しました。その言葉を聞いて、わたくしは思ったのです。では、その『とくべつの場所』をつくればよいのだと。わたくしは夫と自分がともに暮らすための家を新しく建てることを主張いたしました。時間はかかりましたが、ようやく弘嗣も納得してくれました。それほど立派なものでなくてよいのです。だれにも妨げられず、ふたりで静かにすごせる場所であれば、それでじゅうぶん。笠井さん、わたくしはあなたにそんな家をつくっていただきたい。おわかりいただけましたか?」
泉二は宙を見つめていた。三十秒ほどそうしていただろうか、やっと口をひらいた。
「そのためには、もっとお話をうかがわなくてはなりません」
「話? どんな話でございましょう?」
「亡くなったご先代のこと。あなたご自身のこと。おふたりがともにすごされた日々について、くわしくお聞かせ願いたいのです」
丈明は驚いて泉二をふりかえった。
「笠井君、あまり長々とおじゃましてもご迷惑だし、おからだのことも心配だから……」
「かまいません」章子はきっぱりといった。口元にふしぎな表情がただよっている。「まえの雨宮さんはそんなことお尋ねにもなりませんでしたし、こちらからお話しすることもございませんでしたが、それが家をつくるために必要だとおっしゃるなら、喜んでお話しいたしましょう」
三人は応接室に移動した。
老婦人はきちんとした姿勢で椅子に腰をおろし、両手を膝の上に置いた。
そして静かに語りだした――
2
わたくしがはじめて殿様にお目見えしたのは、いまから五十年以上もむかし、最盛期にくらべてご威光は衰えていたとはいえ、いまだ徳川様が権力を握っていらした時代、年号でいうなら安政六年のことでございました。
いま「殿様」と申しましたのは、むろんわたくしの夫、善嗣のことです。明治四十二年に弘嗣に家督をお譲りになってからは、わが家では息子が「殿様」と呼ばれる立場になり、夫は「ご隠居様」になられましたが、この話のなかでは便宜的に、わが夫を「殿様」と呼ばせていただきましょう。そのほうがわたくしも話がしやすいので……。
さて、お目見えをいたしました場所は、上代家の江戸藩邸でございました。そのとき、陸奥国|駒居《こまい》城主・上代|嗣久《つぐひさ》の嫡男でいらした殿様――と申しましても、当時はまだ若様でいらしたわけですが――は十八歳。いっぽう、下野《しもつけ》国|川添《かわぞえ》城主・結木信繁《ゆうきのぶしげ》の正室の三女であったわたくしは十六歳。将来の夫婦《めおと》としての顔合わせでございました。
五万石の外様大名の上代家と、十万石の譜代大名の結木家。いうまでもなくそれは両家の政治的思惑によって取り決められた縁談で、婚姻の当事者である男女の意思が介在する余地はまったくございませんでした。ですから、はじめから自分の感情は押し殺し、父上のおっしゃるがままに淡々と嫁ぐつもりでおりました。にもかかわらず、殿様に対面した刹那、わたくしはあのお方に好意をいだいたのでございます。
角張った顎に通った鼻筋、濃い眉、引き結ばれた薄い唇。それだけ拝見すれば、たしかに凛々しい武人のお貌《かお》です。しかし、わたくしが注意を引きつけられたのは、その瞳でございました。切れ長のぽってりしたまぶたのあいだに、少年のおもかげを残した鳶色のやさしげな目が光っておりました。このお方となら、うまくやっていけそうだ。そんな直感が稲妻のように走り、わたくしは深い安堵のために胸が熱くなったのでございます。
明くる年の春も盛りのころ、赤坂の結木家の上屋敷から愛宕《あたご》町の上代家の上屋敷に、わたくしは輿入れいたしました。いまでもよくおぼえておりますのは、そのすこしまえに起きた事件のせいで、江戸の町には不穏な空気がただよい、婚儀の席にも何かしら暗い影が差しているように思われたことでございます。その事件とは、勅許を待たずに米国との条約締結を断行した井伊大老が、攘夷派の浪士に襲われて亡くなった、いわゆる桜田門外の変でございました。時代はすでに幕府の瓦解にむけて、ゆっくりと動きだしておりました。
あとになってふりかえれば、殿様とわたくしがともに歩みだしてからの十年は、幕末から明治にいたる激動のただなかにございましたが、それでも最初の二年ほどは、それなりにおだやかな日々がすぎました。
おなじ屋敷で暮らすようになって、たがいに気心が知れると、しだいに殿様の人となりについて、いろいろなことがわかってまいりました。なかでもいちばんの発見は、殿様が書画や陶磁器のたぐいに、なみなみならぬご関心をおもちだということです。
殿様はそうした一面を表の場では、けっしてまわりの者にお見せになりませんでした。わたくしのおります奥向きにいらしたときだけ、秘蔵の掛け軸や屏風絵、茶器や花器などをお運ばせになり、部屋じゅうにおならべになって、飽くことなく鑑賞されるのでございます。
「まるで殿様はわたくしではなく、それらの品々とお逢いになるために、お渡り遊ばされるようでございますね」
あるとき皮肉まじりにそう申しあげると、殿様は愉快そうにお笑いになりました。
「おかしいか? おかしいであろうな。武家の跡継ぎともあろう者が、こんなものにうつつを抜かしておるとは」
「いえ、そんなことはございません。わたくしも美しいものは好きですから」
殿様は急に真顔になられて、
「わしはな、今度生まれ変わるときには、大名の家などにはけっして生まれてこぬ」と、そうおっしゃいました。
「では、どういう家に?」
「絵師か陶工か彫物師か、そんな者の家に生まれる。そして技を学び、職人になるのだ。このような品々をおのが手でつくりだすことのできる職人を、わしはつくづくうらやましく思うのだ」
それは殿様のご本心でございました。
そののちも、ことあるごとに殿様が口に出されたのは、大名家の生活など窮屈なものだという意味のお言葉でございました。父君や母君や家臣たちのまえでは、人の上に立つに足る完璧な器量をそなえた若様の役をこなしておられますが、じつのところは満たされずに苦しい思いを胸に秘められている――殿様はそんなお方でいらっしゃいました。
わたくしは殿様に共感いたしました。自分も毎日の暮らしに不満をもっていたからでございます。
ご承知のとおり徳川幕府は、その支配を強固にするため、大名の正室と嫡子を人質として江戸に住まわせておりました。嫡子である殿様はむろんのこと、正室の娘であったわたくしもまた江戸で生まれ、江戸の外へは一歩も出たことがないまま生きてまいりました。それにくわえて、いずれ他家へ嫁がせるたいせつな姫様ということで、好きなところへ出歩くこともままならず、檻のなかの希少で高価な愛玩動物のようにあつかわれることに、内心うんざりしながら成長してきたのでございます。
いつかこんな場所は抜けだして、ふたりでどこかへ行こう。殿様とわたくしは、よくそんなことを話し合いました。行くとしたら、どこがよいだろうか? どうせならペルリの黒船のような蒸気船に乗り、いまだ見ぬ海の彼方を見物しにいきたい。支那《シナ》を経て印度《インド》、亜剌比亜《アラビア》、埃及《エジプト》、仏蘭西《フランス》、英吉利《イギリス》、和蘭《オランダ》――。そこで目にするのは、どれもこれも想像を超えたものばかりだろう。象や駱駝などの奇妙な生き物たち、人語を話す極彩色の鳥、風変わりな花を咲かせる異郷の植物。壮麗な城や寺院や高楼の建ちならぶ街に足を踏み入れれば、青い目や赤い髪や褐色の肌をした人々の集う市場で、金銀に輝く装飾品や精緻な紋様の織物が商いされ、耳慣れない楽器の調べがいずこからともなく聞こえてくる……。
けれど、そんな夢物語など吹き飛ばすかのように、時代の大きな流れはわたくしたちの上を通りすぎていきました。
わたくしが嫁いできた年の翌々年、すなわち文久二年の春、殿様の父君、上代嗣久が参勤交代で国元に帰った直後にお倒れになり、ひと月後にお隠れになって、殿様は若くして跡式を相続されました。
おりしも、わたくしのお腹のなかには赤ん坊がおり、その子は夏に生まれました。男子でした。殿様は亡き父君のあとを継いで国元におられたので、長男の出産に立ち会うことはおできになりませんでしたが、祝いの品々とともに書状をお送りくださり、子どもに直嗣《なおつぐ》という名をおあたえになりました。
藩主の座に就かれた殿様が直面されたもっとも大きな問題、それは藩を取り巻く情勢の混乱でした。開国により物資が急速に海外に流れていくようになって、国内では品不足がすすみ、物価が高騰しておりました。幕府に対する不満はどんどんひろがり、尊皇攘夷を叫ぶ者たちが外国人を襲撃したり、佐幕派の者たちと斬り合ったり、町民や農民のあいだでも打ち壊しや一揆が起こっておりました。いまのところ事件のほとんどは江戸から西でもちあがっておりましたが、東国もいつ騒動に巻きこまれるやしれません。まことに殿様はご不運な時期に藩主になられたものです。
でもそうしたなかで、さいわいなこともございました。幕府は諸大名を抑える苦肉の策として、参勤交代制を緩和するとともに、大名妻子の江戸在府制を廃止いたしました。つまり、大名の正室や嫡子は国元に帰ってもよろしいという許しを出したのでございます。殿様が当主になられたのと、ちょうどおなじころのことでございました。
さすがにはじめのうちは慎重に周囲のようすをうかがっていらした殿様も、ほかの藩主の妻子がつぎつぎと出立しているとの報を受けて、ついに文久三年の秋、わたくしと直嗣を国元にお呼びよせになりました。
江戸をはなれて旅のできることが夢のようでございました。駕籠に乗り、供の者たちをしたがえて奥州街道を北へ北へ、宇都宮から白河を抜け、上代家の領内にはいると、金色の稲穂がこうべを垂れる稔田《みのりだ》が出迎えてくれました。――はじめてお国入りを果たしたその瞬間が、もしかすると人生のなかでいちばん幸福なときだったのかもしれないと、わたくしは時折そう考えます。
*
国元に行って三年がすぎ、殿様とわたくしにはふたり目の子が授かりました。長女の八重《やえ》でございます。
その幸福とは裏腹に、幕府の瓦解はいよいよ決定的となり、わたくしたちの藩にもまた過酷な運命が近づいておりました。
徳川家茂公亡きあと将軍になられた慶喜公は、薩摩や長州を中心に武力倒幕の気運が高まってくると、政権を形式的に朝廷に返上してその場をしのごうとなさいましたが、それで事は治まりませんでした。朝廷のもとに樹立された新政府は、慶喜公に内大臣の官位の辞退と所領の返納を要求いたします。旧幕府側の勢力はそれを快く思わず、慶応四年一月、慶喜公を擁して京にはいろうとし、新政府軍と衝突、のちに戊辰の役と呼ばれるいくさがはじまったのでございます。
旧幕府軍は錦の御旗をかかげる新政府軍のまえにあえなく敗退し、その残党勢力は戦いながら東へのがれました。それを追って新政府軍も東進し、とうとう奥羽の地にも戦火がひろがってまいりました。
旧幕府側に組した会津藩や庄内藩を討伐しようとする新政府の動きに反発し、陸奥や出羽や越後の諸藩は同盟をつくって対抗しようといたしました。
この列藩同盟に参加するか否か? 駒居のお城では殿様の御前に家臣たちが集まり、激論を闘わせました。旧幕府側について徹底抗戦をすべきだと主張する者がいるいっぽうで、もはや〈官軍〉を名乗る敵の勢いに勝てはしないと反論する者がいる。その合議のようすをじかに拝見したわけではございませんが、両者のあいだで板ばさみになられた殿様のご苦労はいかばかりであったか、想像にかたくありません。
結局、合議では同盟の盟約書に署名することが決まりました。こんなことを申すと、お家の大事と真剣に取り組んでいらっしゃった殿様に失礼でしょうけれど、いくら議論したところで駒居のような小藩の取るべき道は最初から決まっていたのかもしれません。すぐとなりの沼部《ぬまべ》藩や、近くの仙台、米沢の大藩など、周辺のほとんどが同盟への参加を決めている以上、敵にかこまれたくなければ参加するよりほかになかったのでございます。
慶応四年五月の同盟成立に先立ち、すでに白河口や越後方面では新政府軍との戦端がひらかれておりました。しかし装備の点で新政府軍のほうが勝っている上に、同盟諸藩の足並みがそろわず効果的な戦い方ができなかったため、同盟軍の旗色は日を追うごとに悪くなっていきました。
そんななかで駒居藩は、藩境に兵を置くにとどめ、領外への出兵は控えておりました。同盟からの要請は幾度もまいりましたが、援軍を差しむけられるほど戦力に余裕がないことを理由にことわっていたのでございます。
六月もすぎ七月になると、あちらの藩が降伏した、こちらの藩が敵方に寝がえったなどという知らせが、次々とはいってくるようになりました。そして七月下旬、ついに新政府軍が駒居の領地に迫りました。
明日にはもう藩境を越えて敵が攻めこんでこようという夜、わたくしが城内の奥御殿で三歳になる八重を寝かしつけておりますところに、殿様がおいでになりました。
殿様は娘の寝顔をご覧になりながら、戦況のことなどを小声でお話しになったあとで、ふと床の間に目をおむけになりました。
「おお、みごとな絵皿だのう」
そこに飾られているのは、かつて結木家の父上が八重の誕生を祝して贈ってくださった川添焼きの名品でした。
「ああいったものを生みだせるのは、武士ではなく職人だ」思い詰めたようすで殿様はおっしゃいました。「米をつくるのも武士ではなく百姓だし、子を産むのも武士ではなく女子《おなご》がやる。わしら武士は自分では何ひとつつくりだせぬくせに、みながつくったものを取りあげるか、さもなくば、いくさをして焼いてしまう。武士とは、なんとむなしく益体もないものであろうか」
わたくしは首をふりました。
「いいえ、殿様。もうひとつ、おできになることがございます。守ることでございます」
「守る――守る――」
その言葉を殿様は何度もつぶやかれ、それから静かにほほえまれました。
「そなたにまず打ち明けよう。わしはこのたびのいくさ、やめようかと考えておる」
「はい。殿様がそうお決めになるのなら、わたくしもそれがよろしいかと存じます。殿様を信じておりますゆえ」
殿様は大きくうなずかれ、足早に部屋を出てゆかれました。
ただちに殿様は家臣たちをお集めになり、所領を戦火にさらして領民を路頭に迷わせることのむなしさを長時間にわたって説かれました。やがてその真摯なお気持ちが通じたと見え、みなの心は戦争を避ける方向でひとつにまとまったのでございます。
その夜のうちに駒居の兵は藩境から引きあげ、入れちがいに降伏の書状をたずさえた使者が新政府軍の陣にむかいました。明くる朝、お城の門はあけ放たれ、殿様は城下の寺にいらっしゃって、みずから謹慎なさいました。
ところがでございます――
恭順の態度を示すだけでは、新政府軍は許してくれませんでした。
城下にはいってきた新政府軍は、要所に兵を配置し、お城に大砲をむけました。そのあとで指揮官が殿様のもとをおとずれ、ある要求を突きつけました。となりの沼部藩がいまだ刃向かっているので、討伐の手助けをせよというのでございます。
殿様は断固ことわろうとなさいました。沼部城主とは遠戚でもある間柄。新政府軍に弾薬や兵糧を差しだすにやぶさかでないが、多少とも血縁筋にあたるお家に矛先をむけるようなまねはできない。
むろん相手の指揮官も引きません。それをいうなら日本全国すべての者が同胞《はらから》のようなもの。同胞どうしの争いを早く終えて国がひとつにまとまらなくては、諸外国に独立を侵されることにもなりかねない。ここまでいっても兵を貸さないのであれば、駒居も朝敵と見なし、城も町もことごとく焼き払う。
こうなってしまっては、新政府軍のもとめに応じるほかはございません。殿様は家老たちにはかり、農民町民から招集した兵や人足は家に帰すことになさいました。そうして、それ以外の藩士二百名からなる正規軍を、断腸の思いで送りだされたのでございます。
新政府軍は駒居の兵をさきに立たせて進軍いたしました。藩境の虎落野《もがりの》に達すると、沼部藩の軍が布陣しておりました。沼部側は当初、近づいてくる駒居軍を応援に駆けつけてくれたものと勘ちがいし、油断しているあいだに銃撃を浴びて、はじめて駒居藩が寝がえったことに気づきました。そこで両軍はぶつかり合い、激しい戦いをくりひろげたのでございます。
決死の覚悟で迎え撃つ沼部軍の守りはかたく、昼すぎに火蓋の切られたいくさは夕刻にまでおよびました。戦いのあとには敵味方双方の死傷者が野を埋め尽くすように倒れていたといいます。駒居側だけでも四十名を超える戦死者と七十名近い負傷者が出ました。沼部側の損害はそれより多かったことでございましょう。駒居軍を盾にして後方から砲撃だけをくわえていた新政府軍は、まったくの無傷で、沼部軍が敗走すると歓声をあげて沼部領内になだれこんでいったそうでございます。
虎落野の戦いののち沼部のお城は包囲され、数日間の抵抗のすえに屈しました。磐城一帯をほぼ平定し終えた新政府軍は、いよいよ会津にむかって兵をすすめます。
九月になって、ひと月にわたる籠城戦をもちこたえた会津鶴ヶ城にも白旗があがり、庄内藩もまもなく降伏いたしました。
奥羽越の列藩同盟は完全に敗れ去りましたが、戊辰の役はこののちも、最後の旧幕勢力が拠点を築いた蝦夷地に戦場を移して、翌年五月までつづいたのでございます。
3
東国でおおぜいの人の血が流されていたころ、江戸は東京と名称が変わり、元号も明治に改元されました。
明治元年十二月、新政府は奥羽越列藩同盟に参加した諸藩に対する処分を発表いたしました。多くの藩は領地の一部ないしはすべてを没収され、藩主に隠居が命じられましたが、わたくしたちの藩はおかまいなしということになりました。それどころか逆に明くる年、沼部攻めに功があったとして賞与をあたえられたのでございます。殿様はさぞかし複雑なお心持ちでいらしたことでしょう。
明治二年六月の版籍奉還により、殿様は藩主から藩知事になられました。同時に大名の身分は公家とともに廃止となり、このふたつをまとめた華族という新しい身分ができたため、殿様もその華族に名をつらねられました。
おなじ年、わたくしたちは三番目の子どもを授かりました。男の子で、これが現在の当主の弘嗣でございます。
そして二年後には廃藩置県。藩知事はみな免官になり、すべての華族は旧領地をはなれて東京に移り住むように明治政府から命じられました。
そのとき、わたくしは不安でございました。政府のいいなりになって東京へ行くことに対する恐れや疑いを、駒居の地をはなれるまえに殿様に打ち明けました。東京は、かつて自分たちが将軍家への人質としてとらわれていた場所。じつは双六のふりだしに戻るみたいに、わたくしたちは檻のなかへ逆戻りしようとしているのではないか?
案ずるにはおよばないと殿様は断言されました。これからは為政者としての立場に縛られることなく、いままでにない気ままな暮らしができる。むかし話していたように遠い国へ行くことだって夢ではないかもしれない。
実際に東京へ行ってみると、殿様のおっしゃったとおり、とりたてて不本意な境遇を強いられることはございませんでした。華族は〈皇室の藩塀〉として忠誠を誓い、下層階級の者たちの規範となることをもとめられましたが、その程度でございました。
華族のなかには、すすんで官職についたり、天皇家のおそばにお仕え申しあげたりする方もいましたが、殿様はそのようなことはご遠慮なさり、華族どうしの面倒なつき合いからもできるだけ距離をお置きになりました。
加賀の前田家や薩摩の島津家ほどではございませんが、わたくしたちもご先祖様からそれなりの資産を受け継いでおり、旧来の石高に見合っただけの家禄を引きつづき政府から拝領しておりました。殿様とわたくしは愛宕町のもとの上屋敷に住まい、使用人たちにかこまれて何の不足もなく生活することができました。
東京にくるまえに感じていた心配は、ただの杞憂にすぎなかったのだとわたくしは考えました。結論からさきに申しますと、その考えはまちがっておりました。わたくしたちはたんに、つぎの大きな波が押しよせてくるまでの、かりそめの平穏のなかにいただけだったのでございます。
そんなこととは露知らず、わたくしは安逸な時間に身も心もひたしきっておりました。殿様もまた、これからは何でも好きなことができると以前ご自分でおっしゃったそのお言葉を証明なさるかのように、旺盛な意欲で新しい事柄と取り組んでいかれました。
まず殿様がなさったのは、絵のお勉強でございます。元幕府御用であった狩野派の絵師を月に何度か屋敷にお呼びよせになり、その指南を仰がれました。
はばかりながら、それまで絵を描かれたことがほとんどおありにならない殿様が、三十を超えたお歳で手習いをおはじめになったわけですから、そうめきめきと上達なさるものではございません。お若い時分から一流の絵師の作品をご覧になって培っていらっしゃった審美眼も、この場合はかえってお邪魔となりました。ご自分の描かれるものが、めざしていらっしゃる理想とあまりにもかけはなれていることを早々に悟られ、殿様はがっかりなさったごようすでした。それでも生来の忍耐強さと美に対する熱意とがお味方し、殿様は絵の勉強をおやめになりませんでした。いいえ、そればかりか、さらにもうひとつ異なる方面から美術とのかかわりをおもちになったのでございます。
明治九年、すでに東京に官立の工部美術学校が開校しておりましたが、それに刺激をお受けになった殿様は、くだんの狩野派の絵師にご相談なさり、べつの絵師も幾人か招聘なさって、明治十一年、屋敷の一部を使って画学校をひらかれました。最初は日本画だけを教える、生徒十名ほどのささやかな学校でございましたが、のちに西洋画や木彫、図案などの科を増やしていき、ご存知のとおり上代美術学校と名を変えて、現在も存続しております。
殿様はときおり、ご自分のおつくりになった画学校の教室へ足を運ばれ、授業を見学されたり、たまさか生徒たちに混じって絵筆をお執りになったりなさいました。分けへだてのないお心で、悩んでいる生徒にはお励ましを、貧しい生徒には経済的なご支援をおあたえになり、彼らが卒業したあとも、その作品を購入されたり、これはという者を絵画好きの知り合いや美術商に紹介なさったりして、卒業生たちが一人前の画家として成長していく後押しをおつづけになったのでございます。
かつて殿様は武士のことを、何ひとつ生みださない無益なものと評されました。武士でなくなられたいま、美しいものをこの世に生みだす手助けを思う存分なさりたかったのでございましょう。
ところがそんなやさき、殿様のご計画に水を差すような出来事がふたつ、相次いで起こりました。
ひとつ目は、画学校にかんして流れた妙なうわさでございます。どんなうわさかと申しますと、殿様は工部美術学校の授業が西洋の絵画や彫刻にかたよっていることに強い不満をいだいていらして、それに対する抗議の意味から日本画を学ばせる学校をおつくりになったのだというのです。
その風説の源がどこだったのかはわかりませんが、事実無根であることは確かでございました。殿様は工部美術学校と同様に教育というかたちで美術の振興に貢献されたいと望まれただけで、批判なさるおつもりなど毛頭おありにならなかった。しかし、新聞などに書かれて話が世間にひろまると、お上の決めたことに楯突くとはけしからんと怒る人や、上代家の当主は華族にふさわしくないなどといいだす人も出て、誤解を解くのに殿様はずいぶん苦労なさいました。
そのことがあってから、殿様はだんだんとお元気をなくされました。もしかすると殿様はお気づきになったのかもしれません。新しい時代がきて好きなことは何でもできるというお考えが、ただの思いちがいにすぎなかったことに……。
そして追い打ちをかけるように、ふたつ目の事件が起こりました。
明治十三年、八月のはじめの暑い昼さがり、殿様はお出かけのご用がおありになって、屋敷の門のところで俥《くるま》に乗ろうとされていらっしゃいました。そのとき突如ものかげから、短刀をもった若い男が飛びだしてきて、殿様に駆けよったのです。門番や家職があわてて男を取り押さえましたので、さいわい殿様におけがはございませんでした。犯人はただちに警察に突きだされました。
警察署での詮議の結果、つかまった男は、殿様の学校に出入りしている画材屋の店員であることがわかりました。さらに男は、以下に申すような驚くべきことを白状したのでございます。――じつは自分は、戊辰の役の際に駒居軍と新政府軍によって攻められた、あの沼部藩の一藩士の息子である。虎落野の戦いで父と兄が戦死し、城下が焼かれたときに母と妹も亡くなり、身寄り全員をいっぺんにうしなった。当時まだ十歳の子どもで、親類をたよって出てきた東京でも、つらい目にしか遭わなかった。数年前から神田の画材屋へ奉公していたところ、店の言いつけでたまたま行かされたさきが、駒居藩の旧藩主がひらいている画学校だった。これはなんという奇縁であろうか。ひょっとすると親兄弟があの世で敵を討ってもらいたがっているのではないか? そんな考えが頭のなかに浮かんだ。もしもあのとき駒居の裏切りがなければ、家族は生き長らえていたかもしれない。自分もこんな境遇に追いこまれずにすんだかもしれない。そう思うと、駒居の殿様に対する恨みが激しく湧き起こって、ついに襲撃を決意するにいたった。それからというもの、店の用事で愛宕町の屋敷にくるたびに邸内のようすをさぐり、殿様を討つ計画を練っていた……。
そのような話を警察からお聞きになった殿様は、何日ものあいだご気分がふさがれたごようすで、ご飯もほとんど召しあがりませんでした。十年以上の歳月を越えて、むかしの影が襲いかかってきたのでございます。過去の亡霊からは終生のがれることができないのだと、いまさらながらにお感じになって、そのお心は暗澹たる思いに包まれていたことでございましょう。
戊辰の役のとき殿様は、身内の者や所領の民を守るために、しかたなしに盟約を破ったのでございます。そうした苦渋に耐えて武家の世界にようやく別れをお告げになり、新しい生活をおはじめになったおつもりが、突然こんなことに……。
殿様のことがお気の毒でしかたがございませんでした。夜も更けてから夜具のなかで、わたくしはひっそりと涙を流しました。
*
明治十年代から二十年代にかけては、内閣や憲法や議会ができ、今日までつづく国家のかたちがおおよそ固まっていった時期でございます。このころ華族の身分につきましても、政府の目的にかなうような改革がくわえられました。
華族のなかに公侯伯子男の五爵がもうけられ、維新の勲功者が新たに仲間入りをいたしました。世襲財産を設定したり貴族院議員になったりする特権があたえられるいっぽうで、婚姻や養子縁組や相続にかんしてのみならず生活のすべてにわたって宮内大臣の監督下に置かれることが、法律の条文で定められたのでございます。
新しい体制に華族の身分が定着していくにしたがって、華族どうしの関係も緊密になり、日々の煩雑な交際を避けて通ることができなくなりました。いつのまにかわたくしたちの身のまわりからは、東京にきた当初の心地よさは消え、その代わりに、江戸表で大名家に暮らしていた時代とさほど変わりのない息苦しい日々がはじまったのでございます。
現在はもう隠居の身ですから、いつわらざる気持ちを明らかにいたしますが、華族の世界とはまことに住みづらいところでございます。みな気位ばかり高く、つまらぬことで見栄を張ったり、徒党を組んで反目し合ったり、陰険な策をめぐらして争ったり。だれかの身にすこしでも変わったことがあれば、そのうわさはすぐにひろまり、口さがない人たちが寄ってたかって陰口を叩いて、ことによっては宮内省にまでご注進におよぶ……。
そういったことに殿様も辟易なさっておいででした。華族どうしの集まりからお帰りになったあとなどは、とりわけご機嫌がお悪く、ささいなことに苛立たれてお付きの者をお叱りになったり、お酒を召しあがりすぎて悪酔いなされたりしました。
わたくしはすでに四十を超え、若いころの一途な気概や精神の張りをうしないかけておりました。自分の置かれた状況を憎み、腹を立てているうちに、だんだんと疲れきって、ある種のあきらめが生じてまいりました。――そのあきらめをはっきりと意識したのは、鹿鳴館の舞踏室にいたときでございます。
政府は明治十年代の後半、不平等条約改正の実現のためには欧米並みの国家の体裁を整えることが肝要と考え、西洋の文明をさかんに取り入れて模倣しておりました。そうした欧化主義政策の一環として社交場の鹿鳴館が建てられ、そこで連日のように優雅な夜会が催されたことは、いまさらお話しするまでもないでしょう。最近ではあの時代の出来事はとんだ茶番劇、国史の恥として非難されることも多うございますが、当時の政府は大まじめでした。国策に協力すべく、おおぜいの華族が鹿鳴館に通いました。
わたくしの実父、結木信繁伯爵が佐伯穣《さえきみのる》外務大臣と懇意の間柄であった関係で、わが家にも招待の声がかかりました。殿様は気の乗らないごようすでしたが、義父の頼みとあっては致し方ございません。わたくしをともなって出席されることになさいました。
殿様はそれまでにも参内の折などに洋服をお召しになっていらっしゃいましたが、わたくしははじめてでございました。事前にローブ・デコルテをあつらえ、殿様とごいっしょに舞踏練習会へ行ったりもして、夜会に出る準備をいたしました。
最初の晩は非常にとまどいましたが、回をかさねるにしたがい西洋式の宴にもじょじょに慣れてまいりました。
そうして、あれはたしか四度目か五度目の夜会の晩でございます。殿様とワルツを踊りながら、わたくしはふと思いました。華族の世界を嫌うのなら、さっさと爵位を返上して平民になればよいのだ、と。
ところが、あらためてじっくりと考えてみて、その行為の非現実的なことを悟りました。よしんばわたくしたちが平民になったところで、お金など手に取ったこともないのですから、やはり財務のあれこれはこれまでどおり家の使用人にまかせなくてはなりません。ところが、その使用人でさえも、華族令によって保護された特権階級のもとではたらいた経験しかないわけですから、世間一般に通用するような経済観念を期待することもむずかしく、海千山千の実業家たちと肩をならべてやっていくのはとても無理でした。もしかすると、どこかで経営を誤って破産するか、詐欺師にだまされてぜんぶ巻きあげられてしまうことだって、じゅうぶんにありえます。つまるところ、いかに華族の世界を呪っていようと、そこから抜けだすだけの力がわたくしたちにはないのでございます。
なるようにしかならない。人はしょせん、どこかでだれかが奏でる音楽に踊らされるものだ。どうせ踊らされるのなら、抗うのをやめてその調べに身をゆだね、優雅に楽しく舞ったほうがいいではないか。そんなふうに考えると、心がすっと楽になっていきました。交錯する人影のあいまにちらつく白い大時計や、西洋の婦人の放つほのかな香水の匂い、ドレスの裳裾どうしが触れ合う感触、そういった周囲のあらゆるものが快い旋律と一体になって、からだに流れこんでくるように感じられました。
踊り終えてから、ふたりでベランダに出て涼んでおりますときに、わたくしは殿様に申しあげました。
「はじめは気がすすみませんでしたが、近ごろはなんとなく踊るのがおもしろくなってまいりましたわ」
瓦斯《ガス》灯のともる前庭から殿様は視線をおあげになりました。
「うむ。こうした生活も案外、悪くないのかもしれぬのう」
わたくしたちはたがいに目を見交わし、かすかなほほえみを浮かべました。
それ以降、殿様とわたくしはしだいに、時代の奏でる音楽に身をまかせるようになっていきました。愛宕町の屋敷に西洋館を建て増し、着るものから食事からすべて洋風の生活に切り替えましたのも、このころでございます。鹿鳴館のほかにも、たくさんの豪奢な宴に出ました。明治十八年に長女の八重が政商の角田《すみだ》家に嫁いだことが縁となって、殿様は鉄道や鉱山などの事業に出資されるようになりました。もはや政治に関与されることはありえないと思われましたのに、人に推されるままに貴族院議員もお務めになりました。
ふたりで外国へ旅もいたしました。かつて想像しておりましたとおり、見るもの聞くもの、何もかもがめずらしく驚きに満ちておりました。が、どういうわけか殿様もわたくしも心の底からは楽しめず、なんとはなしに醒めた状態でございました。
旅行のときばかりではございません。ふだんの暮らしにおいても、いろいろなことが真にもとめているものとはちがっているという思いが、胸のなかでつねに渦巻いておりました。けれども、わたくしたちはその違和感に気づかないふりをして、二十年の歳月をやりすごしたのでございます。
やがて、そうした偽りの生の報いともいうべきものがやってまいりました。それは、長男の直嗣の死でございました。
話はさかのぼりますが、殿様が子爵の位を受爵なさった翌年、学習院の中学科を卒業した直嗣は、みずからの意志で陸軍士官学校の予備生徒隊に入隊いたしました。当時、華族の子弟はなるべく陸海軍に従事するようにという勅諭がくだっており、直嗣の決断もそれにお応え申しあげてのことだったと推測いたします。
幼い時分から直嗣はきまじめな性格の子でございましたが、ある日唐突に、軍人になって国家のために尽くしたいといいだしたときには、わたくしたちもびっくりいたしました。軍人になる以外にも華族の義務を果たす方法はいくらでもあると殿様は諭されましたが、直嗣は聞き入れません。ご先祖様とおなじように武をもって貢献するのが大名華族の道であると主張し、とうてい引き留めることはかないませんでした。
直嗣は予備生徒隊から士官生徒の課程へとすすみ、優秀な成績で卒業して望みどおり軍人になりました。明治二十七年の清国との戦役では、武家の子の名に恥じない勇猛果敢さを見せ、勲功をたたえられました。
明治三十七年に直嗣は、乃木大将麾下の軍の歩兵少佐として旅順を包囲する陣営におりました。露西亜《ロシア》軍の立てこもる旅順要塞は周知のように守りがかたく、八月と十月の二度にわたる総攻撃にも落ちませんでした。十一月の三度目の総攻撃の際に直嗣は、白襷隊《しろだすきたい》と呼ばれる特別部隊に志願いたしました。そして二十六日、敵に夜襲をかけ、その激戦のさなか行方知れずとなりました。
直嗣の亡骸が見つかったのは、明くる年の一月、要塞が降伏したあとのことでございました。敵陣から一町にも満たないところに倒れていたそうでございます。
家に直嗣の遺骨が帰ってまいりました日のことは忘れられません。夜遅くにわたくしが目を覚ましますと、となりの寝台で休んでおられるはずの殿様がいらっしゃいません。庭をへだてた日本館に明かりがともっているのが、窓から見えました。
渡り廊下を通ってそちらまでまいりますと、仏間に殿様がひざまずいておられました。安置してある直嗣の骨壺の蓋をおあけになって、なかを覗きこんでいらっしゃいます。
「どうなさいましたか?」
わたくしがうかがいますと、殿様は下をむかれたままおっしゃいました。
「夢を見た。荒れ果てた野に直嗣が立っていて、お父様、お父様と呼びかけてくる。わしに何か用があるらしい。だからこうして尋ねにまいったのに、直嗣のやつ、ひとことも口を利いてくれんのだ……」
ろうそくの炎に殿様の瞳が光っていました。
「章子よ。なにゆえ、こんなことになってしまったのであろうな? こんなところで、わしらは何をしておるのか? どこへ行けば、こんな空虚から抜けだせるのかのう?」
殿様のご質問に、わたくしはお答え申しあげることができませんでした。
直嗣をなくされたころから殿様はめっきりお歳を召されたようになり、隠居というお言葉を口になさるようになりました。直嗣には妻がおりましたが、子はございませんでした。すでに分家していた次男の弘嗣を家にもどして、家督を継がせることになりました。
直嗣の死から五年後、何もかもを弘嗣にお譲りになって、殿様はこの熱海の別邸へお移りになりました。もう絵筆をお執りになることもなく、美術品を鑑賞されることもまれになり、くる日もくる日もぼんやりとすごしておいででした。
そして昨年の十二月十九日の朝、書斎の窓から海をながめていらっしゃる最中にお倒れになり、その日のうちに殿様は瞑目されました。享年七十二でございました。
さて、長々と語ってまいった話も、そろそろおしまいに近づきました。
いかがです、笠井さん、これでおわかりいただけましたか? ――はい、矢向さん、何でございましょう? ――ええ、ありがとう。たしかにすこし疲れましたが、話すことはわたくしにとりましても、けっして無駄ではございませんでした。こうして過去をふりかえり、いままで気づかなかったことに気づかされましたから……。
自分の望みは殿様のおそばにあることだと、はじめにわたくしは申しましたが、じつはそれだけではございませんでした。
思えば、殿様とわたくしを結びつけていたもっとも太い絆は、おなじ檻に閉じこめられた者どうしの憐れみでございました。檻のなかの温和な虎として生まれ、時代の大きな移り変わりのなかで調教師が交替しても、ついぞ檻から出ることはかなわず、外の世界の森や草原にあこがれながら殿様は生涯を終えられたのでございます。せめてお亡くなりになってからは、殿様を自由にしてさしあげたい。何ものにも縛られない場所にお連れし、そこで永遠にお安らぎいただきたい。それが自分のいちばんの願いだということが、いまになってはっきりとわかりました。
殿様は生きていらっしゃるあいだ、わたくしを守ってくださいました。今度はわたくしがお守りする番でございます。
4
老婦人の話が終わってからしばらく、語り手本人もふくめて応接室にいる三人は身じろぎひとつしなかった。
陽は大きくかたむき、室内が薄暗くなっていた。窓から光の帯が差しこんで、廊下の側の壁を照らしている。
ほどなく章子が呼び鈴を鳴らして女中を呼び、カーテンをしめて部屋の明かりをつけるように命じた。それがきっかけとなって、丈明も呪縛から解き放たれた。
マントルピースの上の置き時計に目をやると、四時に近かった。今日じゅうに東京へ帰るつもりでいたが、最終の汽車はとっくに熱海駅を出てしまっている。
章子は女中の運んできた紅茶で喉を潤したあと、泉二のほうをむいた。
「ところで、館を建てる予定の場所は、もうご覧になりましたか?」
「まだです」と答えたものの、泉二はどこか上の空だった。訊かれたこととはべつの何かに気を取られているようだ。
「いまから見にいらっしゃいますか? それでしたらご案内いたしますが」
「あ、いや」丈明は泉二に代わっていった。「それにはおよびません。わたしが笠井君を連れていきますから。ご隠居様は暖かい屋内にいらしてください」
「いいえ、わたくしは平気です。日が暮れるまえにまいりましょう」
章子が立ちあがったので、丈明も泉二をうながして腰をあげた。
館を出て、花壇の中央にある石段をおり、和風の庭園をよこぎっていった。庭木や石灯籠が地面に長い影を落としている。松林のむこうに覗く海原は、すでに輝きをなくして紺色に沈んでいた。
池のほとりから小道を左にはいったさきが建設予定地だった。そこは別邸の敷地の南端に位置している。北側が林になっているほかは、東側が海に面した崖、南側と西側が低木の生えた下り斜面で、見晴らしがとてもよかった。
その場所までくると、さすがに泉二もわれにかえり、まわりに注意をむけた。彼は靴やズボンがよごれるのもかまわず草地を行き来し、地面に鋭い視線を投げたり宙を見すえたりした。そのようすはまるで、あらかじめ存在している不可視の建物を透視しようとしているかのようだった。
丈明と章子はちょっとはなれたところから、そんな泉二を見ていた。
「ふしぎな人ですね、笠井さんという方は」低い声でいった老婦人の口調には、非難する感じはなく、むしろ親しみがこめられている。「今度こそ期待しておりますよ、矢向さん」
その言葉の重さに丈明は内心ひやりとしたが、自信に満ちた態度をよそおった。
「だいじょうぶです。おまかせください」
章子は満足そうにうなずいてから、肩に巻いたショールを胸のまえへよせた。
「ああ、陽が落ちて、寒くなってまいりましたわね。わたくし失礼して、さきに戻らせていただいてもよろしゅうございますか?」
「もちろんです。そうなさってください。笠井君のほうは、いつまでかかるか知れませんから」
軽く会釈して章子は去っていった。
見送ってから、丈明は泉二へ目をもどした。泉二は歩きまわるのをやめ、日没に面をむけている。その額や鼻筋がうっすら黄桃色に染まっていた。
おい、笠井君、と丈明は心のなかで呼びかけた。夕陽などながめて、きみはいったい何を考えている? まさか景色があんまりきれいだから、仕事のことも忘れて見とれているわけではあるまいな? ぼくはきみを信じているぜ。きみならきっと、ものすごい建物を考えだしてくれるはずだ。大学時代にきみが引いた驚くべき図面の数々を、ぼくは忘れていない。あれは先生方にはあまり評判がよくなかったようだけれど、あのころからぼくはきみを高く評価していた。そして、いつかいっしょに仕事をしたいと願いつづけてきたんだ。たのんだぜ、きみ……。
山の彼方に陽が没しきるまで、泉二は西の方角を見つめたままであった。
*
矢向組の事務所に泉二が電話をしてきたのは、東京に帰ってから三日後のことだった。
「もしもし、丈明か?」
「やあ、笠井君。このあいだはどうも。いま、どこからかけているんだね?」
「水道町の自働電話からだ」と泉二はいった。「丈明、ひとつ頼みがある。もう一度、熱海の現場へ行かなくてはならない。先方に連絡して、了解を取ってほしいのだが」
「うむ。それはもちろんかまわんが、行くのはいつにする?」
「ご先代の命日は十二月の十九日だったな。その日がいい」
丈明は壁に貼った予定表を見た。
「その日はぼくの都合が悪いな。別件で打ち合わせがはいっているんだ。それに確かその日は、東京で一周忌がひらかれることになっているんじゃなかったかな」
「それでも屋敷がからっぽになるわけではあるまい。だれか人はいるだろう。現場で調べごとをするだけだから、丈明がこなくても、おれひとりが行けばじゅうぶんだ。日の出前の早い時刻に行くから、門をあけておいてもらえたら、勝手にはいって作業する」
そんな時間に行って何をするのかという問いが喉元まで出かかったが、丈明はそれを呑みこんだ。
「わかった。先方にそう伝えてみるよ」
泉二とのやりとりを終え、すぐに丈明は子爵家の別邸に電話をかけた。
章子に事のしだいを話すと、やはりその日は善嗣の一周忌で留守にする予定だといわれた。本来は一周忌など営むつもりはなかったのだが、そのくらいはしなければ子爵家としての面目が立たないと弘嗣が執拗に訴えるものだから、しかたなく承知したのだという。しかし館には使用人が残っているので、泉二の願いをかなえることはできる。彼の希望どおりに取りはからうと章子は約束した。
その一件があってから、にわかに丈明の好奇心に火がついた。泉二がどんな建物の構想を練っているのか、知りたくてたまらなくなったのである。
先日の熱海からの帰り道、日本橋の矢向組に立ちよった泉二に、これまで雨宮利雅がつくって却下の憂き目に遭った図面を参考まで見ておくかと丈明が尋ねたところ、その必要はないと彼は答えた。だから、その日は土地の測量図と地盤調査の資料だけをわたしておいたのだが、いまになって思えば、すでにあのとき泉二の頭のなかには具体的な案があったのではないか? 今回の熱海再訪はおそらく、その案をより完全なかたちにするためのものなのだろう。――そう推測したものの、質問しても素直に教えてくれるような相手ではないし、図面ができあがるまでは、よけいな口出しはしないほうがいいということも心得ていたので、傍観するよりほかになかった。
それでも一度だけ、頭のなかに響く誘惑の声に負けて、ひそかに探りを入れてみたことがある。十二月十九日の晩、子爵家別邸に電話をしたのだ。
電話線のむこうには、いつもの家職の老人があらわれた。
「あ、矢向様、こんばんは。ご隠居様はあいにくと、今夜は東京の本邸にお泊まりでございます」
「それは知っています。ご隠居様がいらっしゃらなくてもけっこう。ぼくはあなたと話がしたかったのですから。今日は建築家の笠井君がお世話になったようで、ありがとうございました。彼の作業は無事すみましたか?」
「はい。滞りなく終えられたごようすで、六時まえにはお帰りになりました。ご隠居様からは、お泊めして丁重におもてなしをするようにと言いつかっておりましたが、笠井様はどこかべつに宿をお取りになっていらっしゃるようでした」
「そうでしたか。で、彼がそちらに着いたのは何時ごろでした?」
「まだ夜の明けきらないうちにおいででした。わたくしが五時すぎに門の鍵をあけにまいりますと、すでに外の道で待っていらっしゃいまして……」そこで何かを思いだしたらしく、家職は上品な笑い声をたてた。「笠井様は手に六尺くらいの長さの真っすぐな木の棒をもっておいででしたので、わたくし、最初はてっきり押しこみ強盗か何かだと勘ちがいして、びっくりいたしましたよ」
「ほう、木の棒ですか。そんなもので彼は何をしていたのでしょう?」
「さあ……」
「彼が作業しているところをご覧になりませんでしたか?」
「一度だけ拝見いたしました。笠井様は現場でお昼を召しあがるとおっしゃいましたので、わたくしがそのご用意をしてもってまいりますと、あの方は棒を地面に立てて、その影の長さを巻き尺ではかっておいででした。けれど建築の知識のないわたくしには、それがどのような作業なのか、さっぱりわかりませんでした」
建築の知識のある丈明にも、現場で泉二が何を調べていたのか、まったく見当がつかなかった。
*
年が明けて、大正四年一月――
二日の仕事初めの日、設計案ができあがったという連絡が泉二からはいった。年始のあいさつまわりのあいまを縫って、丈明は小石川へと人力車を急がせた。
泉二の家の玄関には門松も注連飾《しめかざ》りもなかった。出てきた泉二に年頭のあいさつを述べると、家の主は目をしばたたかせ、年があらたまったのをはじめて知ったような顔をした。もしかすると仕事にずっと没頭していて、丈明が行くまでほんとうに新年のおとずれを知らなかったのかもしれない。
このまえとおなじ、天使の絵のかかった部屋に通された。
卓上に数枚の図面がのっていた。
それをひと目見るなり、丈明の全身には鳥肌が立った。想像していたとおり、独創的で奇抜で、前任の雨宮が考えたどの建物ともちがっていた。明治以降わが国で建てられたいかなる西洋館とも趣を異にしていた。よくやったと快哉を叫びたくなるいっぽうで、正反対の不安が丈明を襲った。
はたしてこの図面を見て章子はどんな反応を示すだろう? 予想もつかない。これは一か八かの賭けだ。もしも泉二の考えた建物が、どうしようもない的はずれの代物だったとしたら? そう考えるとぞっとした。泉二の案は常識の枠を超えているぶん、失敗すれば雨宮のとき以上の悪印象を相手にあたえるだろう。そうなれば泉二だけでなく矢向組も、上代子爵家という大事な顧客をうしなうおそれがある。
しかし、その悲観的な考えを丈明はすみやかに心の端へ押しやった。自分は泉二を信じている。彼の建築の力を信じている。
「よし」迷いをふり払うように彼はいった。「これでお見せしよう」
事務所にもどって熱海に電話をすると、一月のなかばごろなら弘嗣子爵も滞在しているという。子爵にも立ち会ってもらったほうが何かと好都合なので、その時期に合わせて設計案を見せにいくことに決めた。
約束の日、丈明と泉二はまた汽車の旅に半日を費やして、子爵家別邸へおもむいた。
昨年、章子の長いむかし語りを聞いたのとおなじ応接室で、当の老婦人とその令息をまえに図面をひろげたときには、丈明はひどく緊張していた。胸にあいた不安の穴を埋めるために、もっともらしい理屈をならべ立ててしまいたかったが、設計にかんして説明するのは自分ではなく泉二の役目だ。
泉二はいつもの淡々とした口調で語っていった。彼の話は、間取りはこうなっているとか、基礎の工事はどうするとか、壁や屋根は何の材料でやるとかいった表面的なことばかりで、どういう意図でこのような設計をしたのかについては、いっさい触れない。
依頼主たちの反応を丈明は固唾を呑んで見守った。弘嗣子爵は図面の上に目をさまよわせて、あきらかにとまどいの色を浮かべている。となりの章子は無表情のままだ。泉二がひととおりの説明を終えたあとも、室内は沈黙に満たされていた。
そのうち子爵が図面の一か所を指さした。
「入口の両側に立っているもの、これは何ですか?」
「天使像です」と泉二は答えた。
子爵は眉間に皺を刻んだ。
「天使像? ふつう天使像というのは、基督教の教会などに置かれるものではないのですかな?」
「かならずしもそうとはかぎりません」と泉二は答えた。が、それ以上の補足をくわえるつもりはないらしい。
「そうですね、たとえば――」あわてて丈明は口をはさんだ。「明治九年に松本に建てられた開智学校をご存知ですか? あの建物は一般の小学校なのに、玄関の上には天使の像がかかげられております」
「なるほど」といったものの、子爵はまだ納得がいかないようすだ。
しくじったかな、と丈明は思った。泉二がそこに天使像を配した理由を、彼だって正確に理解しているわけではないのだ。
そのとき章子が口をひらいた。
「奥のまるい部屋の真んなかの、この四角いものは何でございましょう?」
「ご遺骨を安置するための祭壇です」と泉二はいった。「詳細はあらためて図面を起こしますが、その台座の上には左右にならべてふたつのくぼみをつくります。かたほうのくぼみが、ご先代のご遺骨を置く場所になります」
「すると、もうかたほうが……」
「そうです。いずれ、ご隠居様ご自身がお使いになる場所です」
「待ちたまえ」弘嗣子爵がさえぎった。「まさかきみは、新しく建てる家をのちのちは墓所として使おう、などといっているのではあるまいね?」
「そのつもりで設計しました。この建物は住居であると同時に霊廟でもあります。べつのいい方をすれば、住居でも霊廟でもなく、その中間に位置するものです。ご隠居様のご希望をかなえるには、そうしたかたちしかありえないのです」
「いや、そんなことは――」
子爵は異議をとなえかけた。それを制するように章子の断固とした声が響いた。
「これでけっこうでございます。すばらしい建物だと思います」
弘嗣は驚いて母親を見た。
「でも、お母様」
「弘嗣さん。あなたは、このような『とくべつの場所』をつくりたいというわたくしの申し出を、とうに承知してくれたものと考えていたのですが」
「たしかに承知しました。しかし、こんなかたちでは想像していなかったもので……」
「この案、わたくしは気に入りました」
「どうしてもですか?」
「はい、どうしてもです」
子爵はため息をついた。
「まあ、いまはいいでしょう。先々どうするかは建てたあとにでも、またゆっくりと話し合いましょう」
丈明はほっとし、テーブルの下で握りしめていたこぶしから力を抜いた。
章子は泉二にむき直った。
「あなたはわたくしの望んでいたとおりのものを考えてくださいました。お礼を申しあげます。どうかこの案ですすめてください」
泉二はうなずいた。
5
矢向組の内部や工事に関係する業者のあいだでは、泉二の設計した建物は〈上代子爵家別邸新館〉という仮称で呼ばれた。
遅くともご先代の三回忌までには完成させてほしいというのが、子爵家の――つまり章子の――希望だった。図面が細部までかたまって着工の運びになったのが二月中旬。残り時間は十か月ほどしかなく、工期短縮のために丈明は知恵をしぼらなくてはならなかった。
泉二も足繁く建設現場をおとずれ、各部が図面どおりにつくられているかに目を配ったり、棟梁の相談に乗ったりした。工事がとくべつむずかしい箇所に差しかかると、現場近くの飯場に泊まりこむこともあった。
途中、屋根のスレートの張り付けで高度な技術を要求されるところがあって、屋根葺き職人が難色を示したり、内装用に発注した伊太利《イタリア》産の大理石が欧州大戦の影響でなかなか届かなかったりといった危機的状況もあったが、それもなんとか切り抜けた。そしてその年の十二月、ご先代の忌日まで一週間を残し、上代子爵家別邸新館は完成した。
引き渡しの前日、丈明はひとりで建物の周囲をめぐり、笠井泉二が設計した館をさまざまな角度からながめた。工事の期間ずっと目にしてきたのに、いまでも見飽きることはなかった。
建物は幅約十メートル、奥行き約二十二メートル。玄関を西にむけ、東の海の方角に長く伸びていた。平屋建てで建坪は六十坪ほど。おなじ敷地内の雨宮設計の本館にくらべれば小規模だが、身にまとった風格のせいで、けっして狭小には見えなかった。
手前の四角い箱形の部分と、その背後に置かれた円筒形の部分の、ふたつの構造物から建物は成っていた。すべて鉄筋コンクリート造りで、磨きあげた白御影を張って外壁を仕上げてある。
前部構造物の正面は、コリント式の柱式《オーダー》がささえる希臘《ギリシア》神殿風の柱廊玄関になっていた。そこの階段のあがり口の左右に一体ずつ立つのは、大人の背丈とおなじくらいの高さの天使像だ。どちらも美しい女のすがたをしていて、背に大きな翼を折りたたんでいる。右側の天使は何かを押しとどめるようなしぐさで片手をまえへ突きだし、左側の天使は剣と盾をもって館を守護するように前方を見つめていた。それらは建物の外壁と同様の御影石製で、泉二が起こした図面をもとに、上代美術学校出身の彫刻家が製作したものだった。
いまは玄関の扉がしまっていて見えないが、入口をはいると直進する廊下があり、両側には食堂を兼ねた居間や寝室、使用人の控え室、厨房、浴室などがならぶ。突きあたりは後部の円筒形の構造物につながっていた。そこは泉二が図面に〈円堂〉という名でしるした部分で、なかは直径六間の円形のひと部屋で占められている。部屋の中心に、例の骨壺をのせる祭壇がある。円堂の屋根はドーム型で、希臘神殿式の三角の破風《ペディメント》のある前部の屋根とともに黒いスレートで葺かれていた。
建物のなかでもっとも目を引くのは、円堂の壁の南側と北側にそれぞれ十三個ずつうがたれた窓であろう。黄色い色硝子をはめこんだ、さほど大きくはない縦長の窓だが、それらはすべておなじ高さにあるのではなく、順々にずれていた。丈明はいま円堂の南側にいるが、そちら側の面を例に取るなら、いちばん東寄りの窓は建物の基礎近く――屋内から見れば床すれすれ――にあって、そこから西へひとつ移るごとに窓の位置はすこしずつ上へあがっていく。やがて真南に面したあたりで屋根のそば――屋内から見れば天井付近――まで達した窓は、今度は逆に下にむかっておりていき、いちばん西寄りの窓でふたたび基礎近くまでさがって終わる。全体として見れば一連の窓は、南に面した場所を頂点とする両肩さがりの曲線である。円堂の反対側の窓も、こちら側と対称のおなじかたちになっていた。ただの意匠と解釈するにはいささか風変わりな窓の配列は、この建物をより謎めいたものにしている。
なおもあれこれ考えながら丈明が建物を観察していると、急に背後で何かが動いたので、彼はふりかえった。
「なんだ、きみか――」
そこにいたのは笠井泉二だった。泉二は丈明のよこまできた。
「ついにできあがったな」と丈明がいうと、
「できあがったな」と泉二も応じた。
それからふたりは黙りこんで建物へ目をむけた。
どのくらいの時間そうしていたろうか、丈明のほうからおもむろに話しかけた。
「ねえ、笠井君。まえからひとつ尋ねたかったのだが、きみは去年のご先代の命日に、ひとりでここの建設予定地をおとずれたね。あのとき、いったい何を調べていたんだ? じつはね、ぼくは好奇心をどうしても押さえきれなくて、あとでこの家の使用人に訊いてみたんだよ。きみはあの日、地面に棒を立てて、影の長さをはかっていたそうじゃないか。ひょっとすると、円堂のあの興味深い窓の配列は、そのとき調べていたことと関係があるんじゃないのか? あの窓には何か仕掛けが隠されているんだろう?」
泉二はゆっくりとかぶりをふった。質問に対する否定の答えではなく、質問自体に答えられないという意味のしぐさであるらしい。
「そうか。話したくないのなら、べつにかまわないが……」
二十年来のつき合いなのに、どうして泉二はこういうことを秘密にするのか? 泉二の気むずかしさがわかってはいても、なんとなく丈明は寂しかった。その落胆をまぎらわせるように彼は話題を変えた。
「さっき子爵からお話があったのだけれど、明日の引き渡しのあとで、工事の関係者を集めて慰労の宴をひらいてくださるそうだ。きみも出席するだろう?」
「いや、おれは東京へ帰るよ」
「なぜだい? きみの設計した建物が完成したんじゃないか」
「おれにできることはもう終わった。それに、あまり長くこの建物のそばにいるのはつらいからな」
「つらい?」
「ああ。つらいな」
なぜつらいのかと丈明が考えをめぐらしているうちに、泉二は片手をあげた。
「じゃあな、丈明。今回は世話になった。おれに何かできることがあったら、また声をかけてくれ」
泉二は踵《きびす》をかえすと、落ち葉を踏みしめて木立ちのあいだを遠ざかっていった。
*
上代子爵家に建物が引きわたされた翌日、使用人たちの手で家具や什器が運びこまれた。その日じゅうに章子は新しい館へ移り、ご先代の三周忌をそこで迎えた。
大正四年十二月十九日。
まだ暗い時刻に目覚めた章子は、円堂へ行った。日の出前の薄明かりのなかで、祭壇の亡夫の遺骨に線香をあげて手を合わせる。それから近くの椅子に腰をおろした。
館のなかには真新しい建物につきものの建材や塗料の匂いがただよっていた。ここで暮らしはじめた当初はその匂いが章子を落ち着かなくさせたが、いまではもう慣れた。新しい館のすべてに彼女は満足している。なかでもご先代のいるこの円堂が、やはりいちばん居心地のよい場所だ。
そのままじっとしていると、まるい部屋の両側に孤を描いてならぶ色硝子の窓が、じょじょに明るんできた。右手のいちばん東寄りの窓に、ひときわ明るい光がふくれあがった。直後、まばゆい光線がさっと差しこんで、祭壇の上を一直線に照らした。ご先代の骨壺の片側が金色に輝いた。
陽がのぼるにつれて光線は骨壺からそれていったが、しばらくするとまた隣の窓からおなじ場所に差してきた。もうすこしたって、その隣の窓のところに太陽がきたときにも同様のことが起こった。太陽と窓との偶然の位置関係がつくりだす美しい光景に、時間がたつのも忘れて章子は見とれた。
だが、まもなく気がついた。
ちがう。これは偶然の光景などではない。そうなるように建築家が意図したのだ。ご先代の命日のころに窓からはいる陽差しが、ちょうどご先代の骨壺の上を照らすように計算して、笠井泉二は窓の位置を定めたのだ。窓が壁に曲線のかたちを描いてつらなっているのも、そのためだったのである。
このことを悟った瞬間、なんともいえないすがすがしい気持ちが章子の胸を満たした。それは遠いむかし、生まれてはじめて江戸をはなれて上代家の国元に旅したときに味わったのと同質の解放感であった。
窓の仕掛けは建築家から依頼主への、この上もない贈り物だった。章子は心のなかで泉二に感謝の言葉を述べた。
その日、章子はほとんど一日じゅう円堂のなかにいて、窓からはいる陽の光をながめてすごした。窓のひとつひとつから光線が祭壇へ差すたびに、さまざまな時代のさまざまな殿様が脳裏によみがえった。江戸藩邸で最初にお会いしたときに少年のように瞳を輝かせていらした殿様。屋敷の奥にお越しになって書画を鑑賞していらっしゃるときの満足そうな殿様。海の彼方のいまだ見ぬ国々について熱っぽく語っていらした殿様。満一歳になったばかりの直嗣と国元で初のご対面をされたときのうれしそうな殿様。画学校をひらくために奔走していらしたときの生き生きとした殿様……。
冬至間近の短い日が暮れだすと、想い出のなかの殿様もしだいに老いていった。
そうして――
西の端の最後の窓から差していた光が、祭壇から奥の壁へそれていき、急速にしぼみ、とうとう消えた。部屋のなかに闇が落ちてきた。
しかし、それで終わりではなかった。
祭壇のよこに殿様が立っていた。若々しい姿にもどり、舞踏会用の礼服を着ている。
「殿様……」
「章子、ひさしいのう。息災であったか?」
胸がいっぱいになって、章子はうなずくことしかできなかった。
「夜会の時間だ。いっしょに踊ってはくれぬか?」
「ええ、喜んで」
差しだされた殿様の手はあたたかく、しっかりとした存在感があった。
立ちあがった章子も、いつのまにか真っ黒な喪のドレスではなく、空色のローブ・デコルテに身を包んでいる。からだがすばらしく軽く感じられる。まるで翼が生えたようだ。頬に手をやると、皺が一本もなくなっていた。
流れてきたワルツに乗って、章子は殿様と踊った。何の苦労もなく思いどおりにステップが踏める。雲の上を飛んでいるみたいだった。一生のうちで最もじょうずに踊れているにちがいない。
章子は首を伸ばし、夫の耳にささやいた。
「殿様、ご安心ください。わたくしたちはもう大丈夫です。建築家の笠井さんが、すばらしい場所をつくってくれました。ここは完全に守られております。これまでわたくしたちをもてあそんできたあの大きな力も、この建物にははいってこられません」
殿様と自分はいま、ほんとうの自由を手に入れたのだ、と章子は思った。
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U 鹿鳴館の絵
1
七月のある朝、守谷喜久臣《もりやきくおみ》が勤めに出る用意をしていると、部屋のすみにかがんで夫の脱いだ着物をたたんでいた妻の定子《さだこ》が、唐突に息子の話をはじめた。尋常小学校三年の勇一郎《ゆういちろう》が、東京府の小学校の合同展覧会に絵を出して優秀賞に選ばれたというのである。
勤め先からもち帰っていた書類を風呂敷で包みながら、喜久臣はおざなりの反応をかえした。
「ほう、そうか……。勇一郎のやつはそんなに絵がうまかったかな」
「あなたはご存知ないかもしれませんが、学校の先生も誉めてくださるほどなんですよ」定子は上目づかいにちらりと喜久臣を見あげ、「お忙しいのはわかりますけれど、たまには子どものこともかまってやってくださいな。あなたに声をかけてもらえなくて、勇一郎も寂しがっております」
喜久臣は平静をよそおって支度をつづけたが、内心おだやかでなかった。妻や使用人に見送られて家を出たあと、内山下町にむかう人力車の上で、定子の言葉を思いだして彼はひとり憤慨していた。――まったくもって妻はわかっていない。赤坂にそこそこの広さの屋敷をかまえて安穏に暮らしていられるのがだれのおかげなのか、毎日おれがどんな思いで勤めに励んでいるのか、そのへんのことがぜんぜん呑みこめていない。
喜久臣は数え年で三十八だった。鹿鳴館の次席館員を務めている。次席館員といえば館長に次ぐ役職だ。館長の補佐はもちろん、一般の館員たちの監督や建物の管理運営のいっさいに気を配らなくてはいけない。つまるところ館長などというのはお飾りの名誉職にすぎないから、実質的に鹿鳴館を切り盛りしているのは喜久臣なのだ。たくさんの書類に目を通し、いつ果てるともしれぬ宴に立ち会ったりして、帰宅が夜更けになることもざらであった。気苦労の多い役どころであるが、不満に思ったことは一度もない。徳川幕府が欧米諸外国と結んでしまった不平等条約を平等なものにあらためることは、わが国にとって長年の悲願である。条約改正を成功させ、日本が西欧列強にも負けない一等国に成長する上で、鹿鳴館の果たす役割は大きい。鹿鳴館に勤めていると、新しい時代をつくりあげる一翼を担っているのだという高揚感が味わえる。
喜久臣をこの地位につけてくれたのは、おなじ長州の出身で維新の功臣でもある佐伯穣だ。喜久臣は御一新のあと、山口の藩庁で財務関係の仕事をしているときに佐伯穣の目に留まり、彼が中央政府に出仕する際に声をかけられて、そのもとではたらくようになった。実際ここまでやってこられたのは佐伯がかわいがってくれたおかげである。これからも佐伯の期待に応えて職務に邁進し、さらなる出世を果たして、行く末は国政を直接左右できるほどの要職にまでのぼりつめたいと喜久臣は願っていた。
こうした大望をいだいて努力しているのに、定子ときたらあんなことをいう。勇一郎はふたりが結婚してから七年目に授かった唯一の子なので、ふつう以上にいとおしいと感じる気持ちはわかるが、だからといって……。
喜久臣の乗る俥は、ちょうど虎ノ門のあたりに差しかかっていた。外堀のなかの碧の水面をながめ、疾駆にともなう涼やかな風を受けているあいだに、眼裏《まなうら》に勇一郎のすがたが浮かんできた。じょじょに怒りが消え、喜久臣の心はやわらいでいった。
たしかに定子のいうとおり、おれは忙しすぎて息子の顔をまともに見られない日がつづいている。勇一郎はもう十になるのだし、父親が頻繁にかまってやる必要はない、ここぞというときに出ていってすべきことをすればいいと考えていたが、そんなふうにするにはまだ早いのか? 父親がかかわりをもたなくなればなるほど、不憫に思った母親や祖母や女中たちが子どもの世話を焼いて、あげくの果てには勇一郎を甘えん坊のひ弱な男に育ててしまうのではないかという懸念もある。やはりここしばらくは無理をしてでも、おれが相手をしてやるべきなのかもしれない。
よし。今日はひとつ、勇一郎が賞をもらったという絵を見にいって、帰ったらあいつに褒美の言葉でもかけてやることにしよう。
こうして内山下町の鹿鳴館に到着するころには、喜久臣の意志は最初と正反対のところに落ち着いていた。
*
さいわいその日、鹿鳴館では大きな催しはなく、要人が訪ねてくる予定もはいっていなかった。
喜久臣は午前中に急ぎの用をかたづけ、正午の号砲《どん》が鳴ると適当な理由をつけて館を抜けだした。おかかえの俥夫には朝のうちに話しておいたので、通用口の外で人力車が待っていた。まず、むかいの東京府庁へ行くように命じた。
正面の門を出たところで、道をへだてたあたりに不審な人影を見つけた。府庁の塀に沿って落ちるかげのなかに、着物に袴という身なりの若い男が七、八人たむろしている。彼らは黙って腕を組み、喜久臣をにらみかえしてきた。
そいつらが何者なのかは調べるまでもなくわかっていた。自由民権の壮士たちである。
外務大臣の佐伯穣は、鹿鳴館の舞踏会に代表されるような欧化政策をつづけるかたわら、関係諸外国と秘密裏に条約改正交渉をすすめてきた。今年――明治二十年の春になって佐伯の改正案が各国に承認され、ようやく調印に漕ぎ着けるかに見えたやさき、日本側の政府内部からつぎつぎに反対の声があがった。佐伯の改正案があまりにも相手方に譲歩しすぎていて、従来よりもかえって不利なものになっているというのだ。
改正案の内容やそれに対する反対意見のことが世間に漏れると、今度は自由民権家たちが騒ぎだした。多数の日本人乗客を見殺しにした英吉利人船長が領事裁判で軽い刑しかいいわたされなかった前年のノルマントン号の海難審判や、今年四月に総理大臣の松倉秀照《まつくらひでてる》が政府関係者四百人を招いて官邸で催した派手な仮装舞踏会の一件などで、国民の不満はすでに募っていたから、自由民権派はたちまち勢いづいた。
ここのところ民権壮士たちは、ああして毎日のようにやってきては鹿鳴館のまわりをうろついていく。彼らは鹿鳴館を愚昧な政策の象徴と捉えているのだろう。壮士たちのあやしい動きに呼応して喜久臣も、警視庁にたのんで警邏《けいら》の回数を増やしてもらったりしたが、それでも不安はぬぐい去れない。
ほうっておけば、かつての自由党員のように激化事件を引き起こさないともかぎらないのだから、松倉総理大臣もぐずぐずしていないで、あんな目ざわりなやつらは早く駆逐するなり捕縛するなりして一掃してほしいものだ。そう思いつつ喜久臣は、視界から消えるまで壮士の一団を目で追っていた。
府庁の門前に俥を乗りつけると喜久臣は玄関をはいり、そのへんにいた若い官員をつかまえて、小学校の合同展覧会はどこでひらかれているのかと尋ねた。官員は喜久臣を待たせて奥へ訊きにいき、やがてもどってきて、下谷区御徒町の小学校が会場になっていると告げた。そこの校舎はつい最近できあがったばかりで、夏休み明けに近隣のいくつかの学校から生徒の一部を移す計画になっているが、それまでの期間は空いているので今回の会場に使われたのだそうだ。
さっそく喜久臣は、教えられた御徒町の小学校へ俥を走らせた。三、四十分ののちにはそこに到着していた。
赤煉瓦二階建ての、たしかに真新しい校舎である。幾部屋もの教場や長い廊下の壁に、たくさんの図画や習字や作文が貼りだされてあり、喜久臣のほかにも観覧者のすがたがちらほら見受けられた。
府内のいろいろな学校から出品されているので、図画だけでもかなりの点数にのぼる。教科書に載っている何十種類かの手本を見てそのとおりに写した絵ばかりであるから、おなじ絵柄のものが数多くあった。学校ごとに分けて展示されているのをたよりに、喜久臣は辛抱強く歩きまわって、やっと勇一郎の絵をさがしあてた。
なるほど、息子の絵の下には「優秀賞」と書かれた黄色い札がさがっている。絵は岩山から滝が流れ落ちるさまを描写した山水画だ。むろんこれも手本を見て描いたものだろうが、賞をもらうだけあって、なかなかよく描けている。絵画に対してそれほどの知識も関心もない喜久臣だが、その程度のことは感じ取れた。
さて、今日帰って、勇一郎には何と声をかけてやろう? まさか息子を将来、絵描きにするつもりはないから、絵の才能をそのまま誉めるわけにもいかない。へんな気を起こして、絵の道にすすみたいなどといいだしたら事だ。この調子でほかの学科もがんばりなさい。そんな言葉が適当か……。
そのとき、おなじ部屋のなかでひそひそと交わされている話し声が、喜久臣の耳に届いた。遠慮して声を落としているのか、内容までは聞き取れないが、なんとなく気になって声のするほうへこうべをめぐらした。
教場のすみに若い男が立って、壁の絵を指で示しながら三人の観覧者を相手に何やらしゃべっている。そこにむらがっているのは女ばかりで、年格好からすると生徒の母親たちのようだ。男が何か口にするたびに、彼女たちは深くうなずいたり感嘆の声を漏らしたりしていたが、そのうちに男に頭をさげて部屋を出ていった。
しばらくすると若い男もどこかへ消えたので、好奇心から喜久臣は、さきほどまで人の集まっていた場所へ足を運んだ。
そこの壁には十枚ほどのふしぎな絵が貼ってあった。ほかのところに展示してある絵とは、あきらかにようすがちがうものばかりだ。いうなれば乱暴で秩序がなかった。へたくそといってもいい。学校のほうでそれなりの出来映えだと判断してここに出しているはずなのに、まったくもって喜久臣にはそれらの絵の選ばれた理由がわからなかった。
絵に気を取られているあいだに、さっきの若い男がもどってきた。手ぬぐいを握っているところを見ると、便所へでも行ってきたらしい。絣の単衣《ひとえ》に小倉の袴をはき、書生じみた風体だが、歳はもうすこし上のようだ。絵のまえにいる喜久臣に、男は話しかけてきた。
「ここにある絵にご興味がおありですか? これらの作品をどう思われます?」
「どう思うかといわれても、よくはわからんが……。一見したところ、ふつうの絵とはちがうようだね」
当惑しつつ答えると、わが意を得たりといったようすで男は笑った。
「まさにそのとおり。これはふつうの臨画とはちがいます。手本をまねて描く臨画の方法は現在、図画の教育の場で広くおこなわれていますが、それとはべつの方法で描かれたのがこれらの絵です」
「べつの方法というと?」
「手本を用いずに、頭に思い浮かんだままを自由に描く方法です」
「しかし、小学生の子どもが手本無しで描けるものかな」
「もちろん全員が描けるわけではありません。並の絵の才能しかもっていない子どもに対しては――いうまでもなく、そういった子が大多数を占めるのですが――やはり従来の臨画の方法をもって、手本を示して学ばせるのがよろしかろうと思われます。ところが生徒のなかには、生まれながらにしてある程度の画才をもち合わせている者がいる。手本など見なくても目のまえの物体や景色をじょうずに写し取ったり、頭のなかに想像した光景をそのまま絵にしたりできる力、そういう力を天性の能力としてもっている子どもがいるのです。そういった子にとって臨画はもの足りません。彼らの才能を伸ばすためには臨画ではふじゅうぶんなのです。そればかりか、かえって害になるといってもいい。本来なら自由に伸びていくはずの才能をひとつの型に押しこめ、萎縮させ、損なってしまうおそれがあるからです。彼らには自由に伸び伸びと描かせる必要があるのです」
自信に満ちた態度で弁舌をふるう若い男に、喜久臣は反感をおぼえていた。こういう話し方をする連中を彼はほかにも知っている。民権壮士のやつらだ。ひょっとしたらこの男も自由党の残党ではないかしらん? まさかとは思ったが、意地悪な気持ちも手伝って喜久臣は問いただしてみた。
「さきほどからきみは、自由、自由とさかんに口にするが、何かとくべつに政治的思想的信条でもおもちなのか?」
「いいえ、そのような……。純粋に美術教育の話をしているだけです。ぼくは小学校で図画を教えている河本《こうもと》という者ですが、今日はたまたま受け持ちの授業のない曜日にあたっておりまして、校長にとくべつの許可をもらってここへきました。さきほど述べたようなことを観覧者の方々に説明し、そうした教育方法の有用性についてぜひとも知っていただきたいと考えたものですから」
「ふうん、きみは図画の教師か」
「そもそも、ぼくが画才のある子どもたちに自由に描かせてみようと思い立ったのは、上代善嗣子爵のおかげです。ぼくは上代画学校というところで絵を学びましたが、上代子爵はその学校の経営者でいらっしゃいます。何かの折に子爵は、あらゆる束縛から解き放たれなければ真に創造する力は芽生えないという趣旨のお話をされました。そのお話が感銘深く、ずっと心に残っていたのです」
「上代子爵……」と喜久臣はつぶやいた。
「子爵をご存知なのですか?」
「ああ、いや、面識があるというほどではないが」
喜久臣はその人を鹿鳴館の舞踏会で何度か見かけたことがあった。かつては陸奥国のほうに所領をもっていた大名華族で、美術好きが高じて絵の学校をつくったと聞く。
その河本という図画教師に自分の身元を明かすつもりはなかったので、どうして子爵を知っているのかという説明は避け、喜久臣はべつの方向に話をもっていった。
「すると何かね、ここにある絵はその自由に描かせる方法で、きみが自分の学校の生徒に描かせたのかね?」
「はい」と、図画教師はこころもち肩をそびやかして答えた。「教え子のなかでも、とくに才能のある者たちを選びました」
そこの壁の絵を喜久臣はあらためて端のほうからながめた。絵の題材は人物や動物や植物から、馬車や軍艦や風景、あるいはそれらを組み合わせたものまで多岐にわたっていた。毛筆で描いたもの、鉛筆で描いたもの、絵の具で着色してあるものなど、画材もいろいろだ。
最後に、右のすみのいちばん上にある一枚へ目が行った。それは建物を描いた絵だった。真んなかに大きな建物があり、その上を数羽の鳥が飛んでいる。絵の左下には、子どもの字でこう書かれていた。
ろくめいくわんのゆめ
一ねん かさいせんじ
背後から河本が声をかけてきた。
「どうです、その絵を描いたのは尋常の一年生ですが、そんな歳で描いたものとは思われないでしょう? その子はものすごい才能を秘めた生徒ですよ」
「題名にある『ろくめいかん』というのは、あの鹿鳴館のことだろうか?」
「ええ。日比谷の練兵場のそばにある、あの鹿鳴館のことでしょう。その子は西洋館が大好きでしてね、いつも建物の絵ばかり描いているんです」
喜久臣は急に、うなじのあたりを針でちくちく刺されたような気がした。何か面倒なことが起こりそうなときによく感じる、おなじみの感覚である。
その子は西洋館が大好きでしてね[#「その子は西洋館が大好きでしてね」に傍点]。――どこかでまえに、これとおなじような言葉を耳にした。いつ、どこでだったろう?
ひとつの記憶がゆっくりと浮上してきた。もしかして、あのときの?
もう一度絵を見た。子どもの手になるものだから、とうぜん線が乱れたり、かたちがくずれたりして無茶苦茶な印象はぬぐえない。だが、そんな表面的な欠点は無視して注意深く観察すれば、意外にもその絵が実際の鹿鳴館の特徴を的確につかんでいることがわかってきた。中央上部にふくらんだ独特のかたちの|腰折れ屋根《マンサード・ルーフ》。その左右に突きだした何本もの四角い煙突。正面《ファサード》の両翼に伸びた二層のアーケード・ベランダ。稚拙ながらも、そういった細部がきちんと描写され、水彩絵の具で塗り分けられている。
それ以上に驚くのは、アーケードの柱のあいまが設計図面の透視図法のように抜け、建物の内部が透けて見えていることだった。二階の舞踏室のあたりには、ダンスを踊っているとおぼしき人々のすがたがある。一階の玄関のそばから上階へむかって伸びる三つ折りの大階段も描かれていた。
建物のまわりに目を転じれば、そこにもいろいろなものが見て取れた。
屋根の上には鳥たちが飛んでいる。いや、よく見れば、それには翼のほかに手足がある。奇怪なことにそれは鳥ではなく、背中から翼を生やした人間たちであった。
建物の左手には塀や木がある。右手にはべつの小さな建物――現実に鹿鳴館の裏に建っている官舎だろうか? ――があった。
そして下には――
そこに意識をむけたとたん、めまいをともなった衝撃が喜久臣の脳天を襲った。
建物の下には、道のようなものが描かれていた。一寸ほどの幅で平行する二本の線が鹿鳴館の下から出て、まず真下へおり、それから右に折れてすこしすすみ、最後に上へあがって、となりの小さな建物(官舎?)へつづいている。二本の線のあいだは薄墨色に塗られ、人間のかたちをした黒い影のようなものがそこを歩いていた。
その道のようなものは、見ようによっては、鹿鳴館とべつの建物をつなぐ道路に見えなくもない。しかし喜久臣にはちがうものに見えた。
まさか……。驚きのあまり彼はあとずさった。
河本が不審そうに喜久臣の顔を覗きこむ。
「どうかしましたか?」
「なんでもない。わたしはこれで失礼するよ」
喜久臣は急ぎ足でその場をはなれた。
どうやって学校の外へ出たのか、いつ人力車に乗ったのか、まったくおぼえていない。われにかえったときには、俥はずいぶん南まできていて、神田川に架かる橋を渡るところだった。
2
鹿鳴館に帰り着いてから喜久臣は、部下にある書類をもってこさせた。それは館に出入りしている業者の台帳だった。
彼は多少の冷静さを取りもどしていた。帰りの俥の上で、おのれによくいい聞かせたのだ。こういうときにはまず落ち着いて、事実関係をはっきりさせることだ。なぜこうなったのか、どう対処すればいいのかを考えるのは、それからあとの話だ。
事務室の奥で机にむかい、綴じられた事務用箋を一枚一枚めくっていった。酒屋、獣肉屋、麺麭《パン》屋、舶来織物商、洋品店、家具職人、写真師、庭師、印刷屋……いろいろあるが、そのなかから洗濯屋の記録をさがしだした。
鹿鳴館にきている洗濯屋は、京橋区銀座の笠井弥平という者だった。給仕たちの制服や客室の寝具、食堂のテーブルクロスなどの洗濯をそこが一手に引き受けている。
やはりそうだ。偶然とは思えない。あの絵を描いた「かさいせんじ」は、この笠井という洗濯屋の息子と同一人物だと考えてまちがいなかろう。
その洗濯屋の息子は以前、鹿鳴館でちょっとした騒ぎを起こしていた。あの出来事を喜久臣はいまだ鮮明に記憶している。館はじまって以来の珍事だったが、あのときはまだ、あとでこんな深刻な事態に発展するとは予想もしなかった……。
台帳に目を落としたまま喜久臣は、その日のことをまざまざと思いかえしていた。
*
事件が起こったのは、昨年の十一月二日のことだった。
翌日の天長節に鹿鳴館では例年どおりの盛大な舞踏会がひらかれることになっており、そのしたくのために館内はあわただしい雰囲気に包まれていた。
そんななかで昼すぎに、帝大工科大学造家学科教授の卯崎新蔵が館の事務室を訪ねてきた。喜久臣は舞踏会当夜の警備について打ち合わせの最中だったが、来客がだれだかわかると直ちに応対に出た。
「これは卯崎先生。おひさしぶりです」
「突然の訪問で恐縮です」卯崎は喜久臣に気さくな笑顔をむけた。
鹿鳴館に勤務するまえの一時期、喜久臣は佐伯穣の命令で工部省にいた。卯崎とはそのころからの知り合いである。卯崎は工科大学の前身である工部大学校の造家学科の第一回卒業生で、喜久臣と出会った当時、彼はちょうどそこを首席で卒業し、英吉利への官費留学の栄誉を勝ち取ったところだった。のちに卯崎は足かけ五年にわたる留学を終えて帰国し、現在の教授の地位についたのである。
「おいそがしそうですな」廊下を行き来する給仕や大工をながめて卯崎はいった。
「明日、舞踏会があるものですから」
「それでしたら、こちらの用件は日をあらためたほうがよさそうだ」
「なに、こまごまとしたことはすべて部下にまかせてありますので、わたしはそれほどやることもないのです。どうぞお気兼ねなく」
「そうですか。では」といって卯崎は切りだした。「先日、コンドル先生のほうからお話があったのですが、こちらの建物に何か不具合が生じているそうですね?」
「おお、その件ですか。コンドル先生ではなく、卯崎先生が調べてくださるので?」
「本来であれば、鹿鳴館を設計したコンドル先生がご覧になるのがいちばんなのですが、近々先生は英国に一時帰国されるご予定で、とてもご多忙なのです。それで、わたしが代理をたのまれました。先生がおもどりになるまでは、わたしに何なりとご相談ください」
「わかりました。コンドル先生の一番弟子の卯崎先生に診ていただけるのなら、こんなに心強いことはありません」
喜久臣は卯崎を二階の舞踏室へ連れていった。そこでも給仕たちが椅子をならべたり屏風を運んだりして立ちはたらいている。
喜久臣は部屋の中央まで行った。
「じつは床が少々へこんできているようなのです。試しに撞球の球を落としてみますとね、ここらへんに転がってくるのでよくわかります。――ほら、こうして足踏みすると、きしきし鳴る箇所もある」
卯崎はしゃがみこんで目を凝らしたり、靴で強く踏んづけたり、すみへ行って壁と床の境を覗いたりしながら、五分ほど調べていた。
「なるほど。たしかに床が沈んできている。いくら頑丈につくってあるとはいえ、おおぜいの人間が上に乗って踊りまわるのだから、床組が歪んでくるのもやむをえないことです。いずれにせよ、いっぺん床板を剥がして修理したほうがいいでしょうな」
「それにはどれほどの費用がかかりますか?」
「まあ、これだけの広さだから安くとはいきません。くわしく調べて見積ってみることにしましょうか」
そんなことを話し合っていたとき、ひとりの館員が喜久臣の視界をよこぎった。何かこまったことがあったのか、彼はあわてたようすで左見右見《とみこうみ》しつつ部屋の外を通りすぎていく。気になった喜久臣は卯崎との話を中断し、廊下へ出てその男を呼び止めた。
「おい、きみ。どうしたね?」
「それが、その……」館員は口ごもった。「どうやら館内に、部外者の子どもがはいりこんでしまったようなのです」
「なんだと? 玄関番は何をしていた? 今日のように人の出入りの多い日は、とくに注意しなくてはだめだろう!」
「申しわけありません」
「早くさがしだせ!」
「はい!」
館員は小走りに立ち去った。
なんたることか。よからぬことをたくらむ反政府の輩が、この建物をねらっていないともかぎらないのに、たるんでいるにもほどがある。喜久臣は頭に血がのぼり、こめかみのあたりの血管がどくどくと脈打つのを感じた。問題は不用心ということだけにとどまらない。舞踏会の準備中とはいえ、食堂や談話室には客たちがいるのだ。はいりこんだ子どものことで苦情でも出たら、喜久臣の責任になる。館長は用事があって外出しているが、そろそろ帰ってきてもおかしくない時刻だ。いくらお飾りとはいえ一応は上役だから、こういう失態の場面は見られたくなかった。館長を通じて佐伯穣の耳にでもはいれば、出世に影響するかもしれない。
大きなため息をついて、喜久臣は卯崎のほうをむいた。
「恐縮ですが、ここでお待ちいただけますか? わたしもさがしてきますので」
「アハハハ、これは厄介なことになりましたな」卯崎が口の両端をあげて笑うと、口髭もいっしょに吊りあがった。「では、わたしはこのへんにおりますから、ハハハ……」
喜久臣は舞踏室にいた給仕たちを呼び集め、彼らを率いて一階におりた。てきぱきと指示をくだし、手分けをして捜索にあたらせる。
玄関ホールから左右の翼に散らばった給仕たちは、まもなく早足でもどってきた。
「どうだ、いたか?」
「いいえ、見あたりません。一階にはいないようです」
喜久臣は舌打ちし、部下を従えてふたたび二階にあがった。
「いましたよ、守谷さん」卯崎が舞踏室の入口で手招きしていた。「あなたが下へ行ってからしばらくして、ふらりとここへあらわれたんです」
舞踏室を覗くと、年のころは五、六歳、黄八丈の長着に黒い兵児帯を締めた男の子が、部屋の真んなかに立っている。はいってきた大人たちには目もくれず、ものめずらしそうに室内を見まわしていた。
「いったいぜんたい、どこの子どもだ?」いまいましげに喜久臣はつぶやいた。
「出入りの洗濯屋が連れてきた子です」と館員のひとりが答えた。「裏で洗濯物の受け渡しをしているあいだに、厨房のよこの口から勝手にはいってしまったようで……」
喜久臣は給仕たちを叱りつけた。
「何をぼんやりしている? さっさとつまみださないか!」
一同が動きかけたとき、
「まあ、まあ」と、卯崎がみなを押しとどめるようにして子どもに近づいた。その肩に手を置き、
「さっき聞いたところでは、この子は西洋館が好きらしいんですよ。せっかくだから、すこしなかを見物させてやってもいいじゃありませんか」
卯崎は子どもを抱きあげた。
「きみはいくつだ?」
「六つ」と子どもはいった。
「数えの六歳か。すると、明治十四年の生まれだな。この鹿鳴館もその年に工事がはじまったんだ。できあがったのは、それから二年たってからだけれどね」
卯崎は子どもを抱いたまま舞踏室を一周した。境の折り戸を抜けて隣室へも足を踏み入れ、そのあとでベランダに出た。
「ほら、いい眺めだろう?」
ベランダからは、まるい池や大きな瓦斯灯や六角形の四阿《あずまや》をそなえた前庭が一望できた。突きあたりには敷地の正面の門があり、さらにそのむこうに東京府庁がある。鹿鳴館の門も府庁の建物も、旧幕時代の薩摩藩や郡山藩の藩邸の一部を転用しているので、鹿鳴館とは対照的に古めかしい和風のたたずまいを見せていた。右に目を移せば、陸軍練兵場のだだっ広い土地がひろがっている。
指でさして子どもにあれこれ説明してやっている卯崎のうしろで、喜久臣はひたすら気を揉んでいた。前庭の飾りつけをしている職人たちが、いぶかるようにこちらへ視線をむけている。館長も帰ってきそうだ。早く子どもを館から追いだしたかった。とはいえ、帝国大学の教授ともあろう人に、そんなことはやめろなどと命令するわけにもいかない。
「ろくめいかんをつくったのは、おじさんなの?」子どもが卯崎に尋ねた。
「いいや、おじさんではない。おじさんの先生がつくったんだ。その人はジョサイア・コンドル先生といってね、英吉利人のとても偉いアーキテクトなんだよ」
「アーキテクトって何?」
「日本の言葉では造家師という。造家っていうのは、むかしふうにいえば普請だな。それにかかわる仕事をする人が造家師だ。おじさんもその造家師なんだぞ」
「ゾウカシ? ゾウカシになれば、ろくめいかんがつくれるの?」
「ああ。鹿鳴館だって、上野の博物館だって、参謀本部や遊就館のような建物だってつくれる」
「じゃあ、ぼく、大きくなったらゾウカシになる」
「そうか。ならば、おじさんは造家の学校で教えているから、いずれその学校にくるといい。待ってるからな」
卯崎は子どもの頭を撫で、愉快そうに笑った。
「さあ、きみのお父さんが心配しているといけない。そろそろ行こうか」
ベランダからなかにはいった卯崎は、舞踏室をよこぎり、左翼の裏階段を使って子どもを階下に運んだ。喜久臣もほっとして、あとについていった。
裏手に面した戸口の外に、四十がらみの男が立っていた。着物の裾をからげた上から前垂れをつけ、山高帽をかぶっている。それが父親の洗濯屋だった。
子どもを抱きかかえた卯崎を見ると、洗濯屋はぺこぺことお辞儀をした。
「あー、こいつはすいません。やっぱりなかにおりましたか。とんだお手間を取らせちまいまして」
父親は引きわたされた子どもの頭をこぶしでこつんと叩き、小声で叱った。
「ばか野郎め。ちょっと目をはなした隙にいなくなりやがって」
喜久臣は卯崎をよけて戸口の石段の上へすすみでた。親子を見おろして一喝する。
「おい、注意してもらわんと困るじゃないか!」
洗濯屋は喜久臣を見あげ、あわてて帽子を取った。
「あ、これは館長様で?」
「わたしは館長ではない、次席館員だ。いいかね、ここは外国から貴賓の方々がお見えになる場所なんだぞ。そんな子どもにうろうろされては、建物の品位に傷がつくばかりか、わが国の恥でもある!」
洗濯屋は平謝りに謝った。
「まことに申しわけのないことです。この子にはよくいい聞かせますんで――あ、いえ、ここにはもう二度と連れてきませんので、今度ばかりはどうかご勘弁を……」
「つぎにまたこんなことがあったら、出入りを差し止めるからな」
「へい、かしこまりました」
洗濯屋は幾度も頭をさげ、子どもの腕をつかんであとずさった。大八車のところまで行くと、くるりとむきを変え、子どもを荷台に乗せた。そこで待っていた店の小僧とともに車を引き、逃げるように帰っていった。
喜久臣の背後から低い笑い声がした。ふりかえると、卯崎の愉快そうな顔がある。裏門のほうへむかう大八車を見送りながら卯崎は、心の底から感心したようにいった。
「いや、あれはなかなか頭のいい子だ。それに、とてもいい目をしていた。もしかすると将来は、ひとかどの人物になるかもしれませんよ。アハハハハ……」
以上が昨年十一月の話だ。
3
元来、喜久臣は小心者である。職務を完璧にこなす優秀な官吏として周囲におぼえられているが、そうした彼の仕事ぶりはじつは臆病のなせるわざなのだ。
気の小ささゆえ、もしもを考えると心配でたまらず、彼は何をするにも病的なほどの用意周到さで事にあたる。自分のまかされている範疇に、たったひとつでも不安の種を残しておくことが許せない。気にかかる件があれば、それを解決することがその時点での最大の関心事となる。
小学校の合同展覧会で「ろくめいくわんのゆめ」と題された絵を見た日、案の定、喜久臣はそのことだけに脳を支配された。早めに帰宅したものの、不機嫌に黙りこくったまま夕餉をすませ、さっさと書斎に引きこもった。賞をもらった勇一郎の絵のことなど、すっかり念頭から消えていた。
翌日、鹿鳴館へ行ってから、どうしてもあの絵がもう一度見たくなった。――昨日の絵に描かれていたのは、ほんとうにあれ[#「あれ」に傍点]だったのか? もしかすると自分の見まちがいではなかったか? そんな疑いが起こり、ふたたび絵を見て確かめたくなったのだ。
そこで喜久臣は午後になると、また適当な用にかこつけて外出し、まえの日とおなじ御徒町の展覧会場をおとずれた。河本という図画教師はその日はきていなかったので、だれにも邪魔されず落ち着いて絵をながめることができた。
絵を見た結果、不安は払拭されるどころか、かえって増大した。
絵のなかの鹿鳴館の下に描かれているもの、それはやはり道路ではない。道路でないとすれば、何なのか?
決まっている。地下道[#「地下道」に傍点]だ。
喜久臣の目には昨日よりもはっきりと、それが地下道として映った。問題の部分は薄墨色に塗られている。これは地下道の内部の暗さを表現しているにちがいない。そこを歩いている人間が影のように真っ黒なのも、光のない場所であることの証しと思えた。
しかし――
鹿鳴館に地下道があることは、ごくかぎられた関係者しか知らない秘密であった。一介の小学生などに知りえようはずのない事柄なのだ。
その地下道は、鹿鳴館が襲撃を受けた場合を想定してつくられた脱出路だった。入口は二階右翼の客室と一階右翼の新聞室とにそれぞれあって、壁の一部のように偽装されているので、ふつうに見ただけではわからない。二階から一階までは二重の壁のすきまに人ひとりが通れる幅の隠し階段があり、そのさきが地下道へとつながっている。地下道も多少窮屈だが、そこをたどっていけば、鹿鳴館の裏手に建つ官舎の物置に出られるようになっていた。
こうした抜け道をつくることを最初に提案したのは喜久臣だった。喜久臣は佐伯穣のもとで、明治十三年の計画段階から鹿鳴館とかかわっていた。当時は神風連の乱や西南戦役のような不平士族が起こした反乱の記憶もまだ生々しかった。政府高官の集まることの多い鹿鳴館が反対勢力にねらわれる可能性はじゅうぶんに考えられたし、そのような事件が起これば国内の要人ばかりか外国人の客も危険にさらされる。もしも外国人が日本人の手で傷つけられたとしたら、条約改正交渉に悪影響をおよぼすことは必至だ。そうした事態を憂慮した喜久臣は、いざというとき館内にいる貴顕を外に逃がすための手段を講じておいたらどうかと、佐伯に進言したのだ。
佐伯穣は喜久臣とは正反対の大胆不敵な性格の男で、そんな彼の気性からすれば、喜久臣の意見は考えすぎだとして退けられるおそれもあった。なかば却下されるのを覚悟した上での提案だったが、意外にもそれは受け入れられ、おおまじめに検討され、そして採用されるにいたったのである。いまになって思えば、喜久臣の鼠のような用心深さを、佐伯は自分に欠けているものとして必要としていたのかもしれない。だからこそ喜久臣を腹心のひとりに起用し、条約改正交渉の鍵を握る鹿鳴館へ送りこんだのではないか?
こうしたいきさつで、鹿鳴館の下には抜け道が掘られることになった。あいにくと周辺の地盤は水分の多い泥土から成っていて、地下道を築くのは難工事だったけれど、やはり脱出路をつくっておいて正解だったと喜久臣はあとで胸を撫でおろした。というのも、明治十四年に結成されて自由民権運動の中心的組織となっていた自由党に内紛が生じると、一部の党員が高官暗殺をたくらんだり暴動を起こしたりするようになったからだ。そうした過激な動きを抑えきれなくなった党の幹部は、十七年に党を解散したが、そののちも残党たちによる政府転覆のもくろみは跡を絶たなかった。つい昨年も、箱根離宮の落成式に出席する高官を暗殺する計画が事前に発覚し、おおぜいの元党員が逮捕されたばかりだ。これまでのところ鹿鳴館が襲われたことはなく、暗殺者や暴徒からの脱出路として抜け道が利用されたこともないが、万が一のときの保険としてその存在は重要だった。
もっとも最近になって、本来とはべつの目的に抜け道が使われたことがある。使ったのは松倉総理大臣だ。
好色漢として知られる松倉は、鹿鳴館でひらかれたある舞踏会の折、ひとりの女性を口説き、その夜いっしょに雲隠れする約束を取りつけた。宴も終盤近くなって彼女をさきに玄関から出し、用意した馬車で待たせておいて、すこし間を置いてから自分も抜けだすつもりでいたが、階段の手前に人が多く――そこには彼の奥方もいた――なかなか外へ出ることができない。そこで思いだしたのが例の秘密の脱出路のことである。なんと松倉総理大臣は喜久臣にこっそり耳打ちし、二階客室の隠し扉をあけさせ、そこから抜け道を通ってだれにも知られることなく脱出したのである。そのとき首尾よく事が運んだのに味を占めたらしく、それからあとにも都合三度、彼は同様の目的に抜け道を使用した。
喜久臣としては、そんなことのために抜け道をつくったのではないという苦々しい思いもあるが、総理大臣の命令とあっては拒むことはむずかしい。唯々諾々と松倉の要求にしたがい、あとは口をつぐんで知らんふりをするしかなかった。
まあ、そんな出来事もあったが、鹿鳴館の抜け道の真の用途がいまだ襲撃者からの脱出路であることに変わりはない。これからも地下道の秘密は守られなくてはならないのだ。
ところが、どうだろう。その地下道を絵に描かれてしまった。尋常小学校の一年級に通う子どもの手によって……。
いったい洗濯屋の息子は、どうやって地下道のことを知ったのか? とうぜん、いちばんに思い浮かぶのは、昨年の天長節前日の事件のことである。あのとき鹿鳴館のなかを歩きまわっていた子どもは、たまたま抜け道の入口を見つけてしまったのか? いや、それはありえない。巧妙に隠された入口はふだんぴったりと閉ざされていて、特殊な方法でないとあけられない仕組みだ。無関係の人間がふらりとやってきて、偶然に発見することなど考えられない。
では、関係者のだれかが子どもに秘密を漏らしたのか? 鹿鳴館のなかで抜け道のことを知っているのは、喜久臣を除けば館長と給仕長だけだ。柏原《かしわばら》館長は世間知らずの伯爵様だが、まがりなりにも以前は藩主だった人だから、こういうことについては信頼してよい。給仕長のほうも長州閥から採用した忠義に篤い男で、彼が漏らしたとも思えない。
館の外部はどうか? 鹿鳴館の計画会議に出席していた面々、たとえば佐伯穣外務大臣や造家師のコンドルは論外としよう。それ以外にも、例の個人的な目的で抜け道を利用した松倉総理大臣や、さきの工部卿で現在は内務大臣を務めている久保寺恒太郎《くぼでらつねたろう》など、数名の閣僚が鹿鳴館の脱出路の存在を知っているけれど、彼らも自分たちの身の安全がかかわることなのだから、それなりに慎重であるにちがいない。よしんば彼らのうちのだれかが漏らしたにせよ、その話がなぜ銀座の洗濯屋の子どもにつたわるのか、その点が解せない。
するとやはり、実際の工事にたずさわった者たちか? そういう者のひとりが何かの拍子に、たとえば酒に酔うとかして、自分の子どもに抜け道のことをしゃべり、さらにその子の口からあの洗濯屋の子どもに流れたのか……。ありえない話ではない。
用心深い喜久臣は、そのあたりのことについても工事のときに万全を期したつもりだった。隠し階段の取り付けや地下道の掘削にあたっては、身元のはっきりした大工や土工のなかから、とくに口のかたそうな者を集め、隠密で工事をおこなわせた。図面もコンドルにたのんで、隠し階段の描かれているものと描かれていないものの二種類を用意してもらった。鹿鳴館全体の工事にあたる大工の棟梁には、隠し階段の描かれていないほうの図面をわたし、そのとおりに建物が完成したあと、現場にだれもいなくなってから、喜久臣の選んだ大工たちがやってきて、もう一枚の図面にしたがって改装するようなかたちで隠し階段を取りつけた。それとはべつに併設の官舎のほうから地下道をひそかに掘りすすめ、やがて両者がつながって抜け道は完成した。この工事にくわわった者たちには、抜け道のいっさいにかかわる事実の口外を禁じ、違反した者は厳罰に処せられると告げた。口止め料としてじゅうぶんすぎる大枚も払った。そこまでしたのに、しゃべってしまった者がいるというのか?
なにはともあれ、現実の問題として鹿鳴館の地下道を描いた絵がここにあり、それが堂々と衆目にさらされている。あってはならないことだった。展覧会ははじまったばかりで、聞くところによれば八月の下旬までつづくという。あとひと月も、この絵はここに貼りだされつづけるわけだ。
もし民権壮士たちがこの絵を見たら……。それを考えると身ぶるいがした。鹿鳴館の脱出路は脱出路としての価値をうしなう。逆に襲撃のための侵入路として利用されるかもしれない。何か手を打たなくては。早急に――
真っさきにすべきなのは、この絵を描いた子どもに会うことだ。そして、絵に地下道を描いたわけを問いただすのだ。
*
展覧会場を出た足で喜久臣は、洗濯屋の息子が通う尋常小学校へむかった。展覧会は学校別に区分けされていたので、子どもの学校がどこなのかはすでに知っていた。鹿鳴館からもほど近い元数寄屋町にある小学校だった。
名刺に刷られた「鹿鳴館次席館員」の肩書きが効力を発揮したのか、ふいの訪問にもかかわらず、小学校の校長は喜久臣を快く自室に迎えてくれた。
勧められた椅子に腰をおろすと、一方的に喜久臣は話しだした。
「さっそくですが、おたくに『笠井せんじ』という名の男子生徒がおりますな?」
「はい、たしかに」名簿も確かめずに校長はいった。校長に名前をおぼえられるほどの目立った生徒のようだ。「あの生徒がどうかしましたか?」
喜久臣は半分うその返答をした。
「御徒町でひらかれている合同展覧会へ行きましてね、そこに出品されているあの子の絵を見ました。たまたま、わたしの勤めている鹿鳴館を題材にした絵でしたが、一瞥して驚きましたよ。いや、じつによく描けている。あの絵の作者は、この上もなく非凡な画才をもっています。わたしはひどく感銘を受けましてね、あれを描いたのがどんな子なのか知りたくて、こうしてお邪魔したしだいです」
「そうですか。では、図画担当の河本先生にお尋ねいただくのがよろしいでしょう。いま河本先生は授業中ですが、もうちょっとお待ちいただければ、本日の学科がすべて済みますので――」
「いや。河本先生とは昨日、展覧会場でお会いしました。本日は校長先生からお話がうかがえれば、それでけっこう」
校長は困惑したふうだったが、立ちあがって部屋の奥の棚から帳簿のようなものを取ってきた。それをめくりつついう。
「そうですなあ。ひと口でいえば、すこぶる頭のよい子です。図画だけでなく、作文も算術も成績がよろしい。どんな学科でも教えたことはすらすらと覚えてしまう。そればかりか、上級の生徒が使う教科書を教師から借りていって、よりすすんだ内容を独学で勉強してしまうそうです。行儀もよくて落ち着きがあり、けんかやいたずらなど、あの年ごろの子にありがちな悪さとも無縁です。教師のあいだでは非常に評判のよい生徒ですよ」
相槌を打ちながら喜久臣は、校長の手元の帳面を盗み見た。〈せんじ〉という名は、漢字で〈泉二〉と書くらしい。
「ほう、そんなに優秀な生徒ですか。ますます興味深い。この目でじかに見たくなりました。いかがでしょう。部屋の外からでけっこうですから、その子のすがたをちらりと拝見するわけにはまいりませんか?」
「その程度なら、かまわんでしょう」
校長は一年級の男子の教場まで喜久臣を案内してくれた。ふたりは廊下に面した硝子窓を通して、うしろのほうから部屋のなかを覗いた。算術の授業中らしい。黒板に教師が書いた初歩的な数式を、石盤と石筆を使って生徒たちが解いている。
「あそこにいる子です。むこう側から数えて二列目、まえから三番目」
校長にいわれた席を喜久臣は見た。それまではどんな子だったか忘れていたが、見た瞬間に思いだした。鹿鳴館にはいりこんだあの子どもにまちがいない。
あんな小さな子の描いた絵に、おれは悩まされているのか。大の大人がわずか七歳の子どもに翻弄されるなんて……。そう考えると急に腹立たしくなって、われ知らず喜久臣は険しい目つきになった。
すると、その視線に勘づいたように、子どもがだしぬけに石盤から顔をあげて、こちらをふりむいたのだ。反射的に喜久臣は身を引いた。窓のかげに隠れる寸前、一対の瞳と真正面からむき合うかたちになった。
鼓動が急激に速まったが、できるかぎり平静をよそおって喜久臣はいった。
「ははあ、いかにも頭脳明晰そうな生徒ですな。いやいや、すっかり時間を取らせてしまって。これで気が治まりましたよ」
「それはよかった」
喜久臣と校長は教場のまえをはなれた。
玄関まで送ってきた校長に礼をいい、校門で待たせておいた人力車のところへもどって、喜久臣はひと息ついた。これで絵の作者が例の洗濯屋の子どもにまちがいないと確認できたわけだ。あとはあの子が出てくるのを待つばかりだが……。
喜久臣は緊張していた。さきほど教場のなかから子どもが彼にむけた、あのまなざしのせいだ。澄んで真っすぐな目。こちらの思惑などおかまいなしに何もかも貫き通し、見透かしてしまうような目。それが喜久臣には真剣のごとく危険で恐ろしいものに感じられたのだ。――しっかりしろ、と喜久臣は自分を叱咤した。相手はただの子どもじゃないか。こわがる必要なんてない。
彼は人力車の俥夫に、さきに鹿鳴館へもどっているようにいった。子どもの跡をつけるのに俥では目立ちすぎるし、うちの主人は人さらいでもするつもりなのかと、あらぬ疑いを俥夫にいだかせるのも嫌だったからだ。
ひとりになると、通りの反対側の日かげにはいり、扇子で顔をあおぎながら学校が退けるのを待った。ときおり懐中時計を取りだして時刻を調べた。
ややあって授業の終わりを告げる鐘が鳴った。校門から生徒がぞろぞろ出てくる。ひとりひとりにすばやく目を走らせた。しばらくして笠井泉二を見つけた。好都合なことに連れはいなかった。
泉二は学校のまえの道を東のほうへ歩いていく。多少距離を置いて、喜久臣は子どもを追った。なるたけ人通りのすくないところへ行ってから声をかけるつもりだった。
十五間幅のにぎやかな大通りまできた。子どもは人道の雑踏をすり抜け、行きかう俥をやりすごし、鉄道馬車の軌道をよこぎって直進していく。――おかしい。泉二の父親のやっている洗濯屋は、銀座の京橋寄りにあるはずだ。どうしてそちらへ行かない? あの子はそこに住んでいるのではないのか? 喜久臣が首をかしげているあいだに、泉二はどんどんすすんでいって突きあたりの橋を木挽町の側へ渡ってしまった。とんだ道草である。
これはあやしい。もしかするとあの子は、何かの陰謀に加担しているのではなかろうか? たとえば父親の洗濯屋はじつは隠れ蓑で、その正体は政府転覆をたくらむ一味のひとりなのでは? 鹿鳴館への襲撃計画がひそかに練られており、洗濯屋をよそおった父親が館の状況をさぐりにきているのだとしたら……。昨年あの子が館のなかにはいりこんだのも、内部の偵察が目的か。そうした計画に関与しているうちに、泉二が鹿鳴館の抜け道にかんする知識を得たのだとすれば、話のつじつまも合ってくる。
銀座のへんにくらべたら通行人の数は減っていた。子どもに声をかけようと思えばいつでもかけられるが、ひょっとすると一味の隠れ家まで案内してくれるかもしれないし、このままようすを見ることにした。
釆女町の近辺で道を何度か折れたが、方角としては海のほうへむかった。橋を渡って築地にはいり、西本願寺の北側を抜ける。これまでにもきたことのある道らしく、自信に満ちた足どりで泉二は歩いていく。
最後にたどり着いたさきは、大川の河口に面した外国人居留地だった。雑居地域の奥の外国人だけしか住んでいない場所まできた泉二は、星条旗をかかげた亜米利加公使館が対岸に見える運河のほとりで立ち止まった。そこの木かげに腰をおろし、手にした風呂敷包みを解いて、鉛筆と帳面のようなものを取りだす。そうして喜久臣にとってはいささか拍子抜けしたことに、公使館の建物を写生しはじめたのである。
炎天下、思いのほか長い距離を歩かせられて、喜久臣は疲労困憊していた。子どものいるところから半町ほどはなれた柳の木に身をよせて、山高帽子を脱ぎ、ハンケチで顔や首の汗を拭いた。
横浜のほうにくらべたら築地の居留地はこぢんまりとしている。住んでいる者も宣教師や公館職員が大多数だから、とても静かで通りに人影はほとんどない。白く塗られた下見板張りの住居や赤煉瓦の教会がひっそりとならび、庭先に向日葵《ひまわり》や夾竹桃《きょうちくとう》が咲いていた。
木の幹に身を隠すようにして喜久臣が泉二のほうをうかがっていると、道のむこうから日傘を差した西洋人の女性がやってきた。婦人は近くの家へはいりかけたが、川べりの子どもを見て歩みを止めた。彼女は泉二のそばへよって絵を覗きこみ、何か話しかけた。泉二が顔をあげて何か答える。婦人はいったん家にはいり、すこししてから硝子のコップを手にしてもどってきた。婦人の出したコップを、泉二はお辞儀をして受け取った。それに口をつけ、なかのものを飲む。レモネードか何かだろうか? その光景を見ていたら、喜久臣も強烈に喉の渇きをおぼえた。
泉二が飲み終えるまで婦人はそこにいたが、からっぽのコップを受け取ると、手をふって家に帰っていった。それきり彼女はあらわれなかった。
そのあとも十分か十五分ほど喜久臣は待ってみた。公使館のさきの河口を蒸気船が通過したほかには、何も起こらなかった。
もういいだろう。そろそろ子どもと話をすることにしよう。
木のもとをはなれて、泉二に近づきかけたとき、背後に馬の蹄の音がした。
「ヘイ、ミスター・モリヤ」と声がかかる。
ふりかえって馬上の人を見あげると、知り合いの英吉利人だった。ヘンリ・マクガヴァンとかいう英語の教師で、鹿鳴館の外国人倶楽部にも出入りしている。築地で学校をひらくかたわら、政界や財界の有力者の家へ出稽古にも通っていた。佐伯穣の次男だか三男だかが、やはり彼から英語を教わっていて、いずれ喜久臣のところの勇一郎にもどうかといって以前にマクガヴァンを紹介されたことがある。
英語教師は馬からおり、達者な日本語で話しかけてきた。
「今日はどうしましたか? 何しにきたのですか?」
「あ、いや……ちょっと近くに用事があったものですから」
「わたし、いま用事から帰ってきたところです。とても暑いですね。わたしの家、この近くですから、よかったら一緒にきて、冷やしたビアーでもどうですか?」
「ああ……せっかくなのですが、ノーサンキューです。まだ仕事が残っておりますので、この次にさせていただきましょう」
「それは残念」といいつつ、なおもマクガヴァンは世間話をつづける。最初は喜久臣もがまんして聞いていたが、だんだん苛ついてきて、ステッキのさきで地面をこつこつ叩きだした。そこでようやく喜久臣の落ち着かないそぶりに気づいたらしく、英語教師は話を切りあげてくれた。
マクガヴァンが馬の手綱を引いて横道にはいっていくのを見届け、喜久臣は川べりの木の下に視線をもどした。
泉二が消えていた。
急いで周囲を見まわす。道のさきの角を曲がっていく子どもの後ろ姿が見えた。喜久臣は小走りに追いかけた。
そこの角を曲がったが、子どもは影もかたちもなくなっていた。両側の家の玄関先や庭を覗きながら、つぎの十字路まで行った。どこにもいない。
上着の背まで汗びっしょりになって、彼は周辺の通りを行ったり来たりしたけれど、ついに泉二を発見することはできなかった。
4
喜久臣はくたびれ果てて家にもどった。
いつもより早く床を伸べさせ、よこになったものの、なかなか寝つかれなかった。からだはひどく疲れているのに、頭の芯が妙に冴えている。蒸し暑い暗がりのなかで頭に浮かぶのは、鹿鳴館の絵のことだ。
あの絵のことが佐伯穣に知れたら、どうなるだろうか? 佐伯はまちがいなく激高し、大声で喜久臣を怒鳴りつける。それから部下に命じて、喜久臣を含めた鹿鳴館の館員を徹底的に取り調べるだろう。絵を描いた子どもが一年前に鹿鳴館にはいりこんでいたことまで知られてしまうかもしれない。そうなったら、無関係の者の出入りを許してしまったかどで、まちがいなく喜久臣は責めを負わされる。抜け道の存在が子どもに知れたのは、あのときではない。工事にかかわった職人かだれかが、べつのときに漏らしたのだ。そう主張しても無駄だ。どちらにせよ秘密が漏れるのを防ぎきれなかったのだから、彼はいまの地位を追われるのだ。
そんな羽目に陥らないためには、どうしたらいい? とりあえず、あの絵が人の目の届かないところへ消えてくれればよい。それによって危険な状態を完全に脱しきれるわけではないが、すくなくとも目先の問題は解決される。
もっとも手っ取り早いのは、展覧会場から絵を盗んでしまうことだ。喜久臣自身がやらなくても、人を雇って盗ませることはできる。多少の金を恵んでやりさえすれば理由も聞かずに法を犯してのける人間が、この世にはいるのだ。だが、そうすると盗まれた絵が衆目を集めることになる。ほとんど無価値と思える子どもの絵がどうして盗まれたのか、その絵にはいったい何が描かれていたのか、物見高い連中は知りたがるだろう。そんなことになったら藪蛇である。
泉二の絵に世間の関心をむけることなく、それを確実に処分してしまう方法はないものか? いくつかの計画が浮かびはするが、どれも大がかりな根回しが必要だったり、非常な危険がともなったりして、実現できそうになかった。
喜久臣は夜具を押しのけ、輾転反側をくりかえしたあげく、ある結論めいた境地に到達した。――あの絵にかんしては、このまま何もしないほうが安全ではないか?
冷静に考えれば、展覧会場に足を運ぶ観覧者たちは、まさか子どもの描いた絵に政府の機密が隠されているなどとは思ってもいない。あの絵を見ても、そこから抜け道の存在を読み取る者はおそらく皆無だろう。ただひとつ心配なのは、佐伯穣や柏原館長など鹿鳴館の秘密に通じている人間が、ひょっこり展覧会場にやってきて絵を目にしてしまうことだが、その点についてだけは運を天にまかせるしかない。
いまはへたに騒がずじっと身を縮めて、大ごとにならないように祈りつつ展覧会が終わるのを待ったほうがいい。問題に直面して何もせずに手をこまねいているなんて、これまでにしたことがないが、今回にかぎってはそうするよりしかたがないのだ。
しかし何ごとも起こらず、無事に展覧会が終わったとしても、根本的な疑問は残る。笠井泉二はどうやって鹿鳴館の秘密を知りえたのか? それが解明できなければ、いつまでたっても喜久臣は安心できない。今回は失敗したが、なんとしてもあの子の口から真相を聞かずには済まされない。
考えに疲れ、明け方近くに喜久臣は浅い眠りに落ちた。夢を見た。
夢のなかで彼は、白昼の通りを駆けずりまわっている。泉二を追っているのだ。泉二はすぐ目のまえにいるのに、いくら懸命に足を動かしても、いくら懸命に手を伸ばしても、つかまえることはできない。あとすこしで追いつけそうになると、子どもは忽然と消え、道の彼方や川の対岸にあらわれるのだ。あっちこっちにふりまわされ、息を切らせて、喜久臣は気分が悪くなった。
そこで回り舞台のように場面が変わり、今度はどこかの建物のなかにいる。時刻は深夜だ。硝子戸から差しこむ月光が闇を裂いて、幅の広い階段の最初の数段を浮かびあがらせている。そこが鹿鳴館の玄関ホールであることに喜久臣は気づいた。
彼はそこでも泉二をさがしている。一階にはいないようなので、手すりをつかんで階段をのぼっていく。あがって正面の舞踏室の扉がひらいていた。室内には月明かりを背にして、ふたつの人影が立っている。小さな人影と、それに寄り添うように大きな人影。小さなほうは泉二にちがいない。大きなほうは帝大の卯崎先生だろうか? 近づいてみると、そうではない。大きな影は佐伯穣だった。爛々と光る目で佐伯は喜久臣をにらんでいる。
こんな小さな子どもが、なぜ鹿鳴館のなかにいるのか? そう詰問されて、喜久臣はひやりとした。弁解しようとしても、舌がもつれて言葉がうまく出てこない。
いわなくていい、わかっている、と佐伯穣はいった。守谷、おまえしくじったな? あれほど目にかけてやったのに、その期待を裏切ったんだ。おまえも武士の子なら、責任の取り方は心得ているだろう。そういって佐伯は喜久臣に短刀を差しだす。それを受け取った喜久臣の手は小刻みにふるえた。
いつのまにやら館員たちがまわりに集まっている。事務員や給仕、料理人、そして柏原館長までもが、佐伯穣といっしょになって喜久臣を見ている。
死ぬのはいやだ。でも、こんなにおおぜいに見守られていては、ぶざまなところをさらすわけにはいかない。彼らの視線を強烈に意識しながら、喜久臣は真っ白な装束の襟を腹のほうまでひらき、刀を鞘から出した。切っ先が月の光を反射して冷たく輝いている。
気合いを入れて刀を左の下腹に突き刺した瞬間、人垣のすきまから澄んだ瞳でこちらを見つめている泉二と目が合った……。
*
朝――
目覚めた喜久臣は腹に痛みを感じた。腹といっても、夢のなかで切った部分ではなく、もっと上のほうだ。みぞおちのあたりに、こぶし大の石でも呑みこんだみたいに重たく締めつけられるような感覚が居座っている。その鈍い痛みは悪夢の記憶と相まって、喜久臣をどうしようもなく不快で陰鬱な心持ちにさせた。
起きあがってみると、からだもだるかった。手足に力がはいらない。めまいがして天地がぐるぐると回転している。昨日の疲れからまだ回復していないのか?
その日はたいせつな用があって、仕事を休むわけにはいかなかった。朝餉にはほとんど手をつけず、風呂場で水を浴びてむりやりに気合いを入れた。力をふりしぼるようにして内山下町へ出勤した。
前日に仕事場を長く空けていたせいで、机の上には目を通すべき書類が積みかさなっていた。午前中にそれをかたづけた。午時《ひるどき》になっても、胃の痛みがひどくて食欲は起こらなかった。お茶だけを飲み、あとは腰かけて目を閉じていた。
一時になると二階の空き室を使って、外務省からきた役人たちと会議がひらかれた。去年から懸案になっていた舞踏室の床の修繕工事が、ここにきてやっと本決まりになり、そのための予算組みが話し合いのおもな議題だった。
会議のあいだじゅう、からだの倦怠感はひどくなるいっぽうで、それにくわえて頭痛もはじまった。なんとか最後までもちこたえ、客たちを玄関まで見送った。
その直後、喜久臣は倒れた。そのまま意識をうしなった。
覚醒したとき、彼は内幸町の病院に運びこまれていた。枕元に医師と定子がいた。妻は夫がコレラとかチブスとかいった悪い流行病にかかったのではないかと心配していたが、医師の見立てでは暑気あたりに急性の胃炎が併発したものだろうということだった。
三日ほど入院した。それでも本調子にはほど遠く、医師の強い勧めもあって、喜久臣はしばらく自宅での静養を余儀なくされた。
5
その年の八月、関東から東北にかけて皆既日食が起こった。
それは喜久臣が半月あまりの自宅静養を終えて、ふたたび仕事場に通うようになってから一週間ほどあとのことだった。
日食が起こることはあらかじめ予想されていて、はるばる亜米利加から星学の専門家が来日したり、日本政府も皆既帯にはいる地域の役所や警察署や学校に心得書きをわたして観測を奨励したりした。皆既帯の中心線上に位置する黒磯や白河の方面へは、この希有の天文現象を見物しようとおおぜいの人が押しかけ、その人たちの便をはかるために鉄道会社は臨時の汽車を出したほどであった。
東京でも九分九厘以上が欠け、皆既に近いようすになるといわれていた。日食の起こる午後の時間は官庁や銀行、商店などの多くが休業し、夜同然の暗さになるので照明が必要ということで、瓦斯会社は夜間と同様に瓦斯を供給することを決めた。
鹿鳴館もほかの官庁にならって午から原則閉館のあつかいとし、食堂や談話室の利用は差し止められた。ただし例外としてひらかれる催しが、ひとつだけあった。外国人倶楽部の主催による日食の観測会である。
前庭の四阿やその周辺には、二時まえから参加者たちが集まりだした。婦人や子どももまじっている。みな立ち話をしたり、給仕が配った飲み物を口にしたりして、日食の開始を待っていた。指南役は亜米利加人の地理学者で、彼は観測の道具として表面を煤で燻して黒くよごした硝子板を何枚も用意してきていた。
「雲が切れてきたようだね、守谷君」
玄関のまえに立って前庭をながめていた喜久臣は、柏原館長に声をかけられた。
「はい」と喜久臣は応じた。「朝方はひどく曇っていましたので心配しておりましたが、このぶんなら日食が見られるかもしれません」
「はじまるまでにはまだ間があるのだろう? 話したいことがあるから、ちょっと上まできてくれんか」
「かしこまりました」
館長のあとについて喜久臣は二階へ行った。
館長室にはいると、柏原館長は深刻な表情になった。
「聞いたか? 政府の高官たちは外国の公使といっしょに家族連れで、船に乗って銚子沖まで日食観測に出かけたそうじゃないか。佐伯君の条約改正案が宙に浮き、交渉の無期延期が通達され、長い努力の成果がまさに水泡に帰そうとしているこのときに、彼らはいったい何を呑気にしておるのだろうね? わしは連中の気が知れんのだが」
「お言葉ですが館長、まだ水泡に帰すと決まったわけではありません。民権家たちの騒ぎが終息すれば、かならずや交渉は再開されるでしょう」
「それまで佐伯君はだいじょうぶなのか?」
「だいじょうぶ、とおっしゃいますと?」
館長は意外そうな顔をした。
「知らんのか? 佐伯君を外務大臣の座からはずそうという動きがあるらしいのだ。すでに後任の大臣を決めるべく、松倉総理大臣が根回しにはいったという噂もある」
まさか、と喜久臣は思った。その話は初耳だった。松倉がおなじ長州閥の佐伯を切るというのか? だがいわれてみれば、思いあたる節がないわけでもない。先だって喜久臣が外務省まで職務復帰のあいさつに出むいた際、佐伯の態度がすこしおかしかった。ことによると喜久臣の知らないあいだに、予想以上に深刻な事態になっているのかもしれない。
「わたしは佐伯さんを信じています」と喜久臣はいった。「あの人は物事を中途であきらめるような人ではありません。なんとしてもいまの場所にとどまり、条約改正を最後までやりとげるはずです」
「それならばよいが……」
柏原館長は短くうなると、苛ついたように指で顎鬚をしごいた。
一時間後、喜久臣は館長と二階のベランダに出て、南西の空を仰いでいた。あいにくと空のそのあたりは雲におおわれていたが、日食の進行にともなって天が暗くなっていくのがわかった。
鹿鳴館の白い西洋漆喰《スタッコ》の壁がじょじょに翳り、三時半近くになると市街は日没直後のような闇におおわれた。急ぎともされた瓦斯灯の明かりが、前庭の観測会の人々をぼんやりと照らしだした。気温もさがっていた。突然の夜の到来に驚いた鳥たちが木々の上で騒ぎだし、遠くで犬の吠える声もする。
ふいに南の空に雲の途切れた箇所があって、そこから星がひとつ覗いた。切れ間がひろがりながら西へ移動するにつれ、信じがたい光景が喜久臣の視野にはいってきた。
雲間に出現した太陽は、陰暦二十七日をすぎた月よりも痩せて、糸のように細っていた。それはつい先刻までさかんに燃えあがらせていた炎を突如吸い取られ、残った部分だけで懸命に輝こうとしているかに見えた。ふだんの輝きにくらべれば数百分の一の明るさに衰えた小さなかたまりが、消え残りのすみの一番ふくらんだ部分で孤独な輝きを放っている。そのようすは優美で可憐でさえあるが、しかし、見慣れた平生のすがたから大きく変貌した太陽は見ようによっては、のっぺらぼうのごとく不気味で、天にぽっかり黒い口をあけた禍々しい穴のようでもあった。その穴から不吉な気配が流れだし、地上にあるすべてのものを包みこむかに思えて、「破滅」とか「終焉」とかいった語を喜久臣は連想せずにはいられなかった。
ある予感が彼の胸中をよぎった。――ひょっとすると館長が危惧しているとおり、われわれのしてきたことは何もかも無になってしまうのではないか?
いま、佐伯穣が崖の縁まで追いやられているとして、さらにそこに鹿鳴館の地下道のことが暴露されたとしたらどうなるだろう? あきらかになった脱出路の存在は、政府を攻撃するためのかっこうの材料として使われるにちがいない。松倉や佐伯は肝心なことは何ひとつしないくせに逃げ道ばかりはいつもちゃんと用意しているとか、はじめから保身のことしか考えていないとか、逃げ腰の政治をやっているのだから外国にばかにされて、いいようにあしらわれるのも無理はないとか、そんな批判が嘲笑まじりに投げつけられるさまが目に浮かんでくる。それは最後のとどめになって佐伯の失脚を確実なものにし、条約改正案もほんとうに消滅してしまうだろう。
喜久臣は慄然とした。こういう結末には断じてしたくなかった。
まえにも考えたように、あの展覧会の絵それ自体はほうっておくにしても、やはり笠井泉二には会っておかなくてはならない。全快したらあの絵の謎を解明しようと心に決めていたのに、鹿鳴館にもどってからも忙しさにかまけて泉二に会うのを延ばし延ばしにしてきた。だが、こうなったら一刻の猶予もならない。至急に泉二と会って、あの子が地下道について知りえたわけを何としてもさぐりだすのだ。それが鹿鳴館を守り、佐伯穣の信頼に応えるために、喜久臣にできる唯一のことだった。
口をあけて空を見あげている館長に、喜久臣は声をかけた。
「急用を思いだしましたので、これから出かけてまいります」
それだけいうと彼は建物のなかへはいり、階段を駆けおりた。
*
今日は点灯夫にとくべつの指示が出されていたらしく、銀座の大通りの両側にならぶ瓦斯灯にも火がはいっていた。街頭のあちらこちらに、おびただしい数の人々がたたずみ、ものもいわずに天を見守っている。日食はふたたび雲に隠れていたが、いつまた現れるかもしれず、だれもがそれを見のがすまいと身がまえているのだ。
京橋のたもとで喜久臣は人力車をおりた。そこで待つように俥夫にいいつけ、薄闇のなかの横丁へまぎれこんだ。大通りから東に一本はいった裏道を新橋のほうへ歩いていく。
笠井の洗濯屋の場所は、鹿鳴館の台帳に記された番地から見当をつけてあった。直接そこへ行くのはまずいような気もするが、喜久臣が病に臥せっているあいだに月が変わり、小学校が夏休みにはいってしまったいま、泉二を確実につかまえるには家へ出むくしかない。近所の人間の注意がちょうど空へむいているので、人目を引かずに済むのがせめてもの幸いだった。
ほどなく「西洋洗濯店 笠井」と書かれた看板を見つけた。銀座煉瓦街に特有の円柱のならぶ歩廊に店は面している。間口はそれほど広くない。
地味な縞柄の長着に前垂れをつけた三十格好の女が、幼い子どもふたりといっしょに店の入口で日食を見物していた。子どものかたほうは男の子だが、泉二ではない。
喜久臣は女に話しかけた。
「失敬。あんたはこの店の人かね?」
空から名残惜しそうに視線を引きはなした女は、喜久臣を見て上等の客と判断したのか、たちまち姿勢をあらためた。
「はい、さようでございますが、お洗濯物のことで何か?」
「そうではないが、まずは店の主に、鹿鳴館の守谷がきたと伝えてほしい」
鹿鳴館と聞くと女はいっそう丁重な物腰になり、子どもをその場に残して店の奥へ消えた。母親がいなくなっても男の子と女の子は天の一角をながめたまま、石像と化したように動かなかった。
入口のところで待つうちに、板の間のむこうの暖簾が割れ、男が顔を覗かせた。泉二の父親の弥平だ。弥平のうしろではべつの男がひらたい台にむかって立ち、洗濯物に火熨斗《ひのし》をあてている。
「これは、これは」弥平は急いで出てきて、床に両膝を突いた。「ええと、たしか鹿鳴館の館長様でいらっしゃいましたか……」
「館長ではない。次席館員の守谷である」
「ああ、そうでございましたね。エヘヘヘ」弥平はごまかし笑いをした。「それで今日はどんなご用で? もしかすると、いつぞやうちの倅がご迷惑をおかけした件でございましょうか? あの節はほんとうに失礼をいたしました。あれからは一度も倅をそちらに連れていったことはございませんので――」
「あのことはもうよい。今日は用というほどのことでもないのだが、すこし思うところがあって立ち寄らせてもらった。話が長くなるが、かまわんか?」
「へい、そりゃもう。こんなそまつな家で何のおもてなしもできませんが、ま、どうぞおあがりくださいまし」
「では、そうさせてもらおう」
喜久臣は上がり框にステッキを置き、靴を脱いで板の間にあがった。
奥の座敷へ通された。縁の外は板塀にかこまれた庭で、ところせましと架けわたされた竹竿にシャツや上着やズボンが干してある。
「見苦しい眺めで、あいすいません」
「気づかいは無用だ。それより仕事のじゃまをして悪かったな」
「いえ、あたしのほかにも使用人がふたりほどおりますんで、そっちのほうは大丈夫でございます」
「この商売をはじめて長いのか?」
「そうですね。ここに店をひらいて、かれこれ十年ぐらいになりましょうか」
もともと弥平は深川の出で、幕末のころに職をもとめて横浜に行き、居留地の外国人相手の洗濯屋に勤めだした。一心にはたらいたおかげで店の主人に信用され、そこの長女のよねと結婚して、暖簾分けのようなかたちで店をもつことを許されたのだという。
弥平の話を聞きながら喜久臣は、家のなかをさりげなく観察した。怪しいところはとくにない。さきほど見た店のようすにも不自然な部分はなく、かつて喜久臣がいだいたような、自由党の残党が洗濯屋に化けているのではないかという疑いは捨て去っていいように思われる。
「なかなか繁盛しておるようではないか」
「はあ、おかげさまで。やっぱり夏は洗濯屋にとっちゃあ稼ぎ時ですからね。とはいっても今日はなんだか天気がよくありませんし、さっきから妙に薄暗くなってきて夕立でもくるのかと思ったら、なんでもお月さんがお天道さんを隠す日食とかいうもんが起こってるっていうじゃありませんか。開化の時代になっても、いろいろと面妖なことは起こるもんでございますねえ。その日食とやらが見たいばっかりに、女房まで家のことをほっぽりだして子どもらと一緒に店のまえに突っ立ってやがる始末で、みっともねえったらありゃしませんや。エヘヘヘヘ……」
「ときに笠井さん」折を見て喜久臣はいった。「まえにあんたが鹿鳴館に連れてきたあの男の子はいるかな? ちょっと話がしたいのだが」
「へ、泉二とですかい?」
「うむ、泉二君とだ」
ちょうどそのとき襖があいて、さきほど店先にいた女が盆の上に茶をのせて現れた。
「あ、およね」と弥平はいった。「泉二のやつはいるかい?」
「いいえ。泉二はまた絵を描きに出かけましたよ。あの子が何か?」
「こちらの旦那様が泉二にご用があるそうだ」
「あらまあ。それじゃ、ついさっき出ていったばかりだから、まだそのへんにいるかもしれません。日食見物の人が多くて見つかるかどうか知れませんけれど、ちっと捜してきてみましょうか?」
「おう、そうしてくれるかい」
よねは客のまえに茶を置き、そそくさと出ていった。
そのあと、弥平がもの問いたげな目つきで喜久臣の顔をうかがうので、納得のいく説明をしてやらなければならなくなった。以前に元数寄屋町の小学校の校長に話したのとおなじ要領で、もっともらしいつくり話を聞かせた。――じつは先日、御徒町でやっている小学校の合同展覧会へ行って鹿鳴館を描いた絵を見つけ、その出来がたいへんいいのに驚いた。描いた者の名前に目をやると、聞きおぼえのある名字だ。しばらくして、それが去年会った洗濯屋の息子だということに気づいた。今日はたまたま用事があって近くまできたので、泉二を誉めてやることを思いつき、それでここへ足を運んだ……。
そんな喜久臣の話を、洗濯屋の主はまるごと信じたようだった。
「へえ、そいつはまた、もったいないお話でございます。旦那様のような偉いお方から、うちみたいな平民の小倅が、お誉めのお言葉を頂戴できるなんて、こんな名誉なことはございませんや。どんなにか泉二も喜ぶことでしょう」
「いまも描きに出かけたそうだが、あの子はそんなに絵が好きなのか?」
「そりゃもう。年がら年じゅう出歩いて、そのへんの景色を紙に写してるようなありさまで。ほかの勉強もろくすっぽしないで絵にうつつを抜かしているようなら、こっちだって叱らなきゃなりませんが、そういうわけでもありませんでね。親の口からいうのも何ですが、あいつはけっこう学校の成績がいいんですよ。ふしぎなもんですねえ。泉二のそういうところは、だれに似たんでしょう? 変に聞こえるかもしれませんが、なんだか泉二がほんとうに自分たち夫婦の子なのかって、たまにあたしらも自信がなくなるときがあるんです。いや、べつにかわいくないっていうんじゃありませんよ。泉二には兄と妹がおりますが、そっちのふたりはごくごくふつうの子どもなんです。兄妹のなかで泉二だけが、何かそこいらの子にはねえようなもんを持ってるみてえな気がして、ときどきおかしな気分になりましてね」そこで弥平はしゃべりすぎたかなとでもいうように、頭のうしろをぽりぽりと掻いた。
「あの子は俗にいう神童なのかもしれんな」
「あたしにはよくわかりませんが、すくなくとも小学校の図画の先生はずいぶん見こんでくださってるようで、どこかの立派な絵の師匠にいまのうちから弟子入りさせたらどうかと、しきりに勧めてくださるんですよ」
「すると、将来は絵描きの道にすすませるのか?」
「いえねえ、それが当の泉二にそのことを話しましたら、案外な答えがかえってきましてね。いえ、お父さん、ぼくは絵描きになるつもりはありません、ほかになろうって決めてるものがありますって、そんな意味のことを申しますんですよ」
「ほう」
「で、あたしが、それじゃあ、おまえはいったい何になりてえんだって訊きますとね、どこでそんな仕事のことをおぼえたのか知りませんが、造家師になりてえなんていいだしまして。造家師ってご存知ですかい? 建物の普請にかかわる仕事らしいですね。そういや泉二は西洋式の建物をひどく気に入ってまして、最近は描く絵もそんなもんばっかしになってきましたから、なるほどとは思いましたが、ときどき突拍子もねえことをいいだすんで、こっちもたまげちまいます。それにしても考えてみますとね、いまより泉二が小さかった時分から、あたしは鹿鳴館様へ洗濯物の上がりを納めにまいりますときには、あいつをたびたび連れていってやったもんですから、もしかするとそれが西洋式の建物へ興味をもたせるきっかけになったんじゃないかと――」
ふいに弥平は口を閉じ、庭先へ目をやった。
「あ、うわさをしていりゃあ、あいつが帰ってまいりましたよ」
物干し場を兼ねた庭に、家のよこをまわって泉二がはいってきた。うしろでよねが両手をふり動かして、家畜でも追いやるようなしぐさをしている。
座敷から弥平も手招きした。
「おい、泉二。早くこっちへきて、ここにいらっしゃるお方にごあいさつしねえか。まえにもお会いしたことがあるはずだが、この人は鹿鳴館の館長の守谷様だ」
「館長ではない。次席館員だ」喜久臣はまた訂正した。
縁側まできて、泉二は喜久臣にぺこりとお辞儀をした。こうやって見ると、ごくふつうの子どもにしか見えない。
「さあ、きみ」喜久臣はできるだけやさしい声でいった。「こっちにあがってきなさい」
泉二は草履を脱いで座敷にあがり、畳の上に正座した。
「守谷様は、おまえが展覧会に出した絵をたいそう気に入られて、わざわざ誉めにきてくださったんだぞ」そう弥平が説明すると、
「ありがとうございます」といって泉二はふたたび頭をさげた。
喜久臣は泉二が大事そうにかかえている帳面へ目をやった。
「そこにもっているのは、きみが描いた絵だね? よかったら見せてくれないか?」
子どもはためらっていたが、父親がわたすようにと合図を送るので、そろそろと画帳を差しだした。
受け取った帳面を喜久臣はひらいた。
画帳といっても、藁半紙の束を紐で綴じた手づくりの代物だ。そこに毛筆や鉛筆で描かれているのは、たしかに洋風の建物を描いた絵ばかりであった。喜久臣が倒れる前日に泉二の跡をつけたとき、築地外国人居留地の川べりで写生していたと思われる亜米利加公使館の絵も見つかった。
絵のうちの何枚かには、まえから喜久臣の気にかかっている例の有翼の人間が描きこまれている。鹿鳴館の絵とおなじように、そいつらは建物のまわりを飛びまわっていた。
「ねえ、泉二君。展覧会に出品した絵にも描いてあったけれど、この羽のある人は何なんだい?」
「天使です」と子どもは答えた。
「天使?」喜久臣は弥平を見る。「この家では耶蘇の教えを信じているのかね?」
「いいえ、うちは真宗の檀家ですが」
「ならば、どうしてこの子は天使など出てくる絵を描くのか?」
「さあ、そいつはあたしにもわかりませんや」弥平は苦笑した。「さっきも申しましたとおり、こいつはときどき親でも首をかしげたくなるような突飛なことをいったりやったりしますんで。どうか聞き流してやっておくんなさい」
「そうか……。まあ、よかろう」
このあたりから喜久臣はだんだんとあせりだしていた。そもそも弥平がこの場にいるのがじゃまである。父親さえいなければ、あれこれ遠回しにさぐりを入れなくても、地下道のことをずばりと尋ねられるのだ。
「この帳面のほかにも、あの子が描いた絵はあるのかな?」
「あると思います」と弥平。
「せっかくだから、それも見せてくれ」
「へい、かしこまりました。――おい、泉二。上の部屋にべつの帳面があったろう。あれをもってきな」
喜久臣の期待に反して、泉二が自分で取りにいってしまった。
もう一冊の画帳を手に泉二がもどってきてからも、思いつくかぎりの方法で喜久臣はねばってみたが、核心に近づくための機会を得ることはできなかった。そのうち話題も尽きてきて、時間稼ぎがむずかしくなった。
もはや限界だった。
「それではそろそろ、おいとますることにしようか……」そんな言葉が自然と喜久臣の口を突いて出た。
敗北感を噛みしめながら、彼は腰をあげた。倅の絵がご覧になりたくなったら、またいつでもお越しくださいとか、今後とも当店をご贔屓にとかいう弥平の声を背中に聞き、玄関で靴をはいて往来へ出た。
京橋にむかって歩きだし、喜久臣は心のなかで悪態をついた。くそっ、おれは何をやっているんだ? あんなに勢いこんでやってきたのに、またもや失敗するとは――
「あのう、おじさん」
自分が声をかけられていることが、すぐにはわからなかった。
「おじさん、すみません」
はっとしてふりかえると、真うしろに泉二がいた。泉二は自分の身長とおなじぐらいの長さの棒を両手でささえて持っている。喜久臣のステッキだ。彼はうっかりしてステッキを置いたまま店を出てきてしまったのだ。
ちょっとはなれた店のまえでは、泉二の両親がならんで立ち、ほほえんでいる。
しめた、と喜久臣は思った。こうなるように仕組んだわけではないが、忘れ物をしたことが千載一遇の好機をもたらした。
「それを届けるために追いかけてきてくれたのかい? ありがとう」
彼は身をかがめてステッキを受け取った。
泉二は店へもどりかけたが、すでに喜久臣がステッキとは反対の手で子どもの袖をしっかりとつかんでいた。
「待ちなさい」膝を折って子どもと目線の高さをそろえる。「どうしてもきみに教えてほしいことがある。いま展覧会に出している絵のことだ。あの絵で鹿鳴館の建物の下に、黒っぽく塗った道みたいなものが描いてあるだろう。おぼえているかい?」
泉二はうなずいた。
「あれは何だね?」
泉二は喜久臣を見つめた。また、あの目だ。澄んだ水のように透明で、それでいて直線的な力をもち、こちらの腹の底まで見通してくるような目……。
視線をそらしたくなるのをこらえて、喜久臣は子どもをにらみかえした。
「わからないです」と泉二はいった。
「わからない? 自分で描いたのにわからないのか? じゃあ、どうしてきみは、あの黒い道みたいなものを描いたんだ?」
答えがかえってくるまでの短い間が、永遠にも等しく感じられた。
「ゆめです」
「夢?」
「まえにろくめいかんを見たあと、夜になってゆめを見ました。ろくめいかんの空に白くてきれいな天使がとんでて……それから地面の下にはまっくらな道があって、白い天使とはぜんぜんちがう黒い人があるいてました。その黒い人は、なんだかよくないことをかんがえてました」
喜久臣は眉をひそめた。
「どんなふうによくないことだね?」
「わかりません……。何か、おんなの人についてのこと……」
松倉総理大臣が鹿鳴館の地下道をどういう目的で使ったかを考えて、喜久臣はしばし絶句した。
「……で、夢はそれでおしまいか?」
泉二は首をふった。
「そのあと、上のほうで天使がはなしをしてました」
「天使が話? どんな話だ?」
「ほんとうは、ろくめいかんはもっとちがうものなんだ。ろくめいかんは、ほんとうとはちがうふうに使われてしまった。だから、ろくめいかんはうしなわれた[#「ろくめいかんはうしなわれた」に傍点]って、天使はそういってました」
いつのまにか喜久臣の手は、泉二の着物からはなれていた。
「鹿鳴館はうしなわれた?」
それはいったいどういう意味かと尋ねかけたところ、泉二は唐突にむきを変えて走りだした。
「あ、待ちなさい!」
引き留めようとしたが間に合わなかった。一目散に駆けていって、子どもは店のまえの両親のところへたどり着いた。
弥平とよねは喜久臣にむかってあらためて会釈し、泉二の背中を押して三人で店のなかにはいっていく。
喜久臣はひとり立ち尽くした。
すでに日食は終わり、夏の午後にふさわしい明るさがもどってきている。
雲のかげからまばゆい陽光が差してきたとき、彼は展覧会で見た泉二の絵に題名がついていたことを思いだした。それはたしか、こういう題であった。
「ろくめいくわんのゆめ」
――鹿鳴館の夢。
いまになってみれば、喜久臣が追いもとめていた問いの答えは、はじめからそこに説明されていたのである。
*
それからひと月もしないうちに、佐伯穣は外務大臣を辞任した。条約改正案に対する反対運動の火勢がいやましに強まり、収拾のつかない混乱に発展することを恐れた松倉が、佐伯に詰め腹を切らせたのである。
佐伯穣の失脚とともに、明治政府の欧化政策も急速に衰退した。鹿鳴館は落成後わずか数年のあいだ歴史の表舞台に立っただけで、あとは時の流れにゆっくりと沈みこみ、人々の記憶から遠ざかっていった。
七年後の明治二十七年六月二十日、東京直下を震源とする強い地震が起こった。損傷を受けた鹿鳴館は、改修をほどこされて華族会館に払い下げられることが決まった。その改修の際に、二階と一階を結ぶ隠し階段は取り払われ、地下道の入口もふさがれた。すでに建物の管轄は外務省から宮内省に移っており、守谷喜久臣も館を去っていたが、以前の事情にかんする申し送りがなされていたために、抜け道の撤去は極秘におこなわれた。
さらに半世紀近い歳月がたって、昭和十五年、民間の保険会社の所有になっていた鹿鳴館――といっても、とうにその名では呼ばれなくなっていたが――は、ついに取り壊された。敷地の一隅を掘りかえすと、裏手のほうにむかって伸びる崩れかけた深い溝のようなものがあらわれたが、国家総動員法のもとで国民が一丸となって戦争の時代を突きすすんでいた当時、そんなものに興味を示す者はだれもいなかった。溝はただちに埋められ、上に木造バラックの事務所が建てられた。
こうして喜久臣が守ろうとした抜け道の秘密は、皮肉にも抜け道自体がその存在意義をうしなったあとまで、永久にたもたれたのだった。
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V ラビリンス逍遥
1
とどのつまり警察というところは軍隊とおなじで、頭のなかをからっぽにして上官の命令にしたがうことが要求される。坂牧克郎《さかまきかつろう》は四半世紀前の露西亜との戦役のときに三年間の従軍経験があり、その後二十年以上にもわたって警察に勤めてきて、そうした組織のありようは身に染みているはずなのに、服従の鉄則を破って上司に刃向かってしまった。
後悔はしていない。あの場合はああするしかなかった。もし目をつぶって感情や理性を押し殺していたら、自分に属する何かたいせつなものをうしない、彼は永久に彼でなくなっていたにちがいない。
しかし反抗の理由はどうであれ、掟にそむいたからには相応の処分が待っていた。克郎はそれまでいた県の警察部の特別高等課を追われ、片田舎の小さな警察署に飛ばされた。以来、その署の薄暗い部屋のかたすみで書類仕事をこなす日々がつづいている。
警察署の署員たちは克郎がどのような経緯で来たのかを知っているらしく、瀕死の野良犬にむけるような憐憫と侮蔑の入りまじったまなざしで彼を見た。克郎は警部補で、警部である署長を除けば署員はみな下の階級ばかりだから、さすがに正面切って彼をばかにする者はいなかったが、かげでいろいろ言われているだろうことは想像がついた。
もはや克郎は自分の置かれた状況をなんとも思わなかった。出世や名声にそれほど執着はないし、ふたりの娘もすでに嫁いで現在は妻とふたり暮らしだから、これ以上の昇給も必要ない。署員十名にも満たない小さな警察署で閑職についたまま退官の日を迎えることになっても、いっこうにかまわないと、とっくに腹をくくっていた。
こんなわけだから、昭和六年の春に突然、署長からいままでとはちがう種類の仕事を命じられたときには、彼も驚いた。
その日の朝、克郎が呼ばれて署長室にはいっていくと、阿辺《あべ》警部は窓のそばに立って外をながめていた。道をはさんだむかい側の家の庭先には桜の大樹があり、おりしも満開で、署長はその風景を観賞していたらしい。
「お呼びですか?」
「ああ、ごくろうはん」
阿辺署長はのんびりとした動作で窓からはなれ、執務机のあちらに腰をおろした。小太りでどことなく締まりのない顔つきをした署長は、信楽焼の酒買い狸の置物にそっくりだ。
「きみがここへきてから、もうどれくらいになるやろな?」
「ちょうど二年になります」と克郎はいった。
「もうそんなになるか。いやあ、坂牧君はようやってくれてる。わしも大助かりや」
無言で頭をさげながら克郎は、こんな皮肉をいうために署長はわざわざ自分を呼んだのかと考えた。――が、そうではなかった。
「ところで」署長は指先で机の表面をこつこつと叩いた。「内勤ばっかやったら退屈やろ。そろそろべつの仕事しとうないか?」
「べつの仕事いいますと?」
「野分《のわき》村でな、調べんならんことが持ちあがった。大西湖南《おおにしこなん》ちゅう物書きがあすこに住んでるの知ってるか?」
「はい。そういう話は小耳に挟んだことあります」
「その人物が、おとついの晩から行方知れずになってるらしい。自分の意志で消えたのか、事件に巻きこまれたのか、そのへんのことはようわからん。昨日の夕方《よさがた》、村の駐在所に知らせがあって、広根《ひろね》巡査がこっちにも報告してきよった。警察部長におうかがいを立てたところ、いま刑事課は大津の質屋殺しのほうで手いっぱいやさかい、うちからしかるべきもんをやって事件性の有無を調べてみるようにいうことやった。どうや、坂牧君。きみが野分村へ行って調べてくれへんか?」
一瞬の沈黙のあと、わかりましたと克郎は答えた。
「ほな、たのむわ」そういった署長の目に、かすかな笑みが浮かんでいるように見えたのは気のせいか。
ほどなく克郎は自転車にまたがり、巴《ともえ》町の警察署を出発した。野分村にむかう道は石ころだらけだった。立襟、五つ釦《ボタン》の濃紺色をした制服の腰で、サーベルがかちゃかちゃ音をたてて鳴った。
巴町も野分村も近江平野の端に位置し、まわりを緑におおわれた山々にかこまれている。起伏や森林をよけ、道はゆったりと曲がりくねって伸びる。のぼり坂が多いが、自転車をおりて押さなくてはならないような急勾配はすくなく、一時間もかからずに目的地に着くと思われた。
それにしても、署長はどういうつもりで自分にこの仕事をまかせたのか? そこのところを克郎ははかりかねていた。
刑事巡査がいれば当然その者が派遣されたはずだが、県内でもっとも規模の小さい巴警察署にその担当は置かれていない。代わりに克郎が選ばれたのは、過去に保安課刑事係や特高課での捜査経験があるからだと解釈することもできる。けれど、それは彼が何の問題もないふつうの警察官であった場合の話で、実際には咎めを受けて御預けになっている身だ。そんな人間を大事な用件に使ったりして、署長までもが上から睨まれることになりはしないか? その危険に署長が気づかないはずはない。昼行灯のようなふりをして、じつは意外と策士なのだ、あの人は。
だが、まあ――
ペダルを漕ぎつつ、克郎は唇のすみを歪めて自嘲ぎみに笑った。
そんなのはしょせん、どうだっていいことだ。自分は大きな機構の歯車のひとつにすぎないのだから、よけいなことで頭を悩ませるのはやめて、職務の遂行に専念すればよい。
*
一年ほど前、警察関係者の葬儀に参列する都合で野分村のはずれの寺まできたことがあるが、村のなかへ足を踏み入れるのはこれがはじめてだった。
山あいにひらけた平地に田んぼや畑がひろがり、民家の藁葺き屋根が点在する。一見のどかな田園風景だが、この村にもまた長引く不況の波が確実に押しよせていた。昭和二年の金融恐慌とそれにつづく四年の世界恐慌でさらに深刻さを増した経済状況の悪化は、米価や繭価を暴落させ、農村にも大きな打撃をあたえた。壊れているのに修理されずに放置されている建物や荷車に、村人たちの窮乏がありありと見て取れる。まわりに草木が生い茂り、荒れるにまかされた家々は、住人が村での生活を棄てたことで空き家となったものだろう。町へ出たところで、どこも失業者であふれているのだから、そう簡単に職など見つけられるはずもないのだが……。
克郎は村のなかを抜け、駐在所のまえまできて自転車を停めた。
物音を聞いて広根が玄関口にあらわれた。署からきたのが克郎だと知ると、駐在所受け持ちの若い巡査の顔には、あきらかに驚きの表情が浮かんだが、すぐに彼は背筋を伸ばして敬礼した。
「これは坂牧警部補殿。もしかすると、作家先生のことで来やはったんですか?」
「そうや。わしが調べることになった」と克郎はいった。立場が立場だから一人前の上司を気取るつもりはないが、遠慮がちにするのも変なので、なるべく自然にふるまうことにした。「あらましは署長から聞いた。その後、何ぞ進展はあったんか?」
「いえ、何もあらしまへん。さっきいっぺん、〈迷宮閣〉へ行ってきましたが、作家先生は行方知れずのままです」
「迷宮閣?」その耳慣れない言葉に、克郎は思わず訊きかえした。
「ご存知ありまへんか? 作家先生の住んではる屋敷の名ですわ」
「ほう。探偵小説を書く人の屋敷にふさわしい名前やな」
正直なところ克郎は、くだんの小説家にかんしてあまり多くを知っているとはいえない。人づてに聞いたり新聞で読んだりした記憶が、すこしばかりある程度だ。――大西湖南。全国的に名の売れた大衆文芸の作家で、野分村に一風変わった家を建てて暮らしている。山をおりたところの糸栗《いとくり》町一帯に広大な土地を所有する大地主でもある。と、そのくらいのことしかわからない。克郎は本をよく読むほうだが、湖南が書いた小説はいまだに手に取ったことがなかった。
彼は駐在所にはいり、広根巡査に質問したり戸口調査簿を見せてもらったりして、大西湖南についての基本的な知識を得るところからはじめた。
大西湖南というのは筆名で、本名は大西|甚平《じんぺい》という。明治二十一年の生まれで――克郎は十六年生まれだから、むこうが五歳年下になる――湖南の両親は彼が若いころに他界し、兄弟姉妹はもとよりおらず、妻帯もしていない、養子も取っていない。つまり、ひとりの係累もいない。野分村に土地を買って屋敷を建て、糸栗町から移り住んだのが大正十三年のこと。以来七年間、数名の村人を使用人として雇うほかは、近隣の住人とのつき合いはいっさいなく、ずっとその屋敷に閉じこもって暮らしてきた。広根巡査はここの駐在所にきて三年になるが、そのあいだ湖南のすがたを目にしたのは、最初の戸口調査で屋敷を訪ねた際のわずかに一度きりだという。
「変わりもんの作家先生――村人はそう呼んでます」と広根はいった。「自分が会《お》うたときの印象も、無口でぶっきらぼうで、人間嫌いの世捨て人いう感じでした。あの人が変わってはんのはそれだけやありまへん。さっきいうた迷宮閣ですけど、あれがまたえらくけったいな代物でして」
「そない変わってるんか?」
巡査は身を乗りだした。
「ええ、そらもう。外から見ただけでも変わってますけど、建物のなかはもっと変わってます。あれを見やはったら、警部補殿もきっと驚かはりますよ」
「そら楽しみや。――で、昨日の話やけど、大西湖南がいてへんようになったんをだれが知らせにきた? 屋敷の使用人か?」
「ちがいます。屋敷に出入りしてる磯谷《いそがい》いう年寄りが知らせてきやはりました」
「それ、どういう人や?」
「なんでも糸栗町で税務代弁者してる人で、作家先生の古い知り合いや言わはってましたけど」
「その人、もう糸栗へ往《い》んだんか?」
「いえ、夕《よん》べは屋敷に泊まらはって、さっき行ったときもまだいてはりました」
「ほんなら、その人からも話が聞けるな。さっそく迷宮閣とやらに行ってみよか」
克郎と広根は駐在所を出て、それぞれの自転車に乗った。広根の先導で走りだした。
さほど大きくもない村だから、たちまち中心部をはずれて人家はまばらになる。
しばらくすすんだところで、背後から自動車の音が近づいてきた。黒塗りの車体のタクシーだった。きっと糸栗町からきたのだろう。町には鉄道が通っていて、遠くからこのあたりをおとずれる者は、たいていそこの停車場からタクシーか乗合バスでやってくる。
タクシーの幌の下の後部座席には、中折れ帽をかぶった男の客がひとり乗っていた。車が追い抜いていくとき、男は克郎たちのほうをじろじろながめた。
「何もんやろ?」タクシーが行ってしまうと、克郎はつぶやいた。
広根が速度を落としてふりかえった。
「たぶん新聞か雑誌の記者ですわ。どこで聞きつけたんか知りまへんけど、今朝から何人か村のなかをうろついて作家先生のこと尋ねてまわってます」
記者がもう出張ってきたのかと克郎は驚いた。彼らのすばやい動きは、今回の出来事に対する世間の関心の高さを物語っている。大西湖南がいかに有名であるかに、あらためて気づかされた。
道はそのうちに鬱蒼とした森へはいっていった。目的地で客をおろしてきたのだろう、さきほどのタクシーが引きかえしてきて克郎たちとすれちがった。
数分後、右手に高い鉄の柵があらわれた。柵のあちら側が大西邸の地所だ、と広根が説明した。敷地のなかにも森がつづいているので、迷宮閣という名の建物を外から見ることはできなかった。
柵の門のまえに五、六人の男が集まっていた。背広を着てネクタイを締め、写真機や手帳をもっているところから、彼らの職業はひと目で知れた。
警察官の到着に勘づいた記者たちは、あっというまに群がってきた。○○新聞だとか××日報だとか名乗り、口々に質問を浴びせてくる。
「何かわかりましたか?」
「大西先生はどこへ行かはったんでしょ?」
「誘拐事件ですか?」
自転車を置いた克郎と広根は、立ちはだかる記者をよけて門に近づいた。
「調べるのはこれからや」と広根がいった。「はいはい、じゃませんで通して」
門のなかには大西邸の使用人がふたりいた。猫背ぎみの年配の男と、がっしりした体格の青年で、記者たちがはいりこまないようにそこで見張っているらしい。彼らは門扉を細めにあけて、克郎と広根だけを入れてくれた。
巴警察署からきたと克郎が告げると、年配の男はうなずいた。
「ここで待っといてくれやす」
そういって男は木立のむこうに消え、やがてべつの男を連れてもどってきた。
「ようおいでやす。わしは磯谷|正市《しょういち》いいます」いっしょにきた男が克郎にあいさつした。歳はおそらく六十を超えたくらい、おだやかな物腰の折り目正しい話し方をする人物だ。
「ああ、駐在所に知らせにきやはったんは、おまはんですな」
「そうです。ここじゃ落ち着きまへんし、くわしい話は建物のなかでしまひょか」
2
敷地の奥へ案内されていくと、木々の梢のあいだから迷宮閣がすがたを見せた。その全貌があきらかになったとき、驚嘆のあまり克郎は足を止めた。
磯谷と広根も立ち止まった。
「はじめて見やはりますか?」尋ねたのは磯谷だ。「変わってますやろ?」
「こら、どえらい建物ですなあ」と克郎は応じた。
「大西君のお気に入りなんですわ」
「大西はんがご自分で設計しやはったんですか?」
「いや、まさか。なんぼ彼が賢いいうたかて、さすがにそこまでは……。これを設計しやはったんは専門の建築家はんです。笠井はんいうお人でしたけども」
笠井某という建築家を克郎は知らなかった。しかし、非凡な建築家であることは眼前の建物が証明しているように思えた。
迷宮閣は特異だが、非常に美しい建物だった。和洋折衷といえばいいのか、壁や窓の意匠は洋風なのに、屋根は古い寺などに見られるような棟の両端に鴟尾《しび》の反りかえった日本風の瓦屋根である。ぜんたいのかたちは不規則な階段状で、中央へ行くほど高くそびえていた。屋根や壁がいたるところで複雑な構造に組み合わさり、すべての位置関係をひと目で把握するのはむずかしい。四、五階建ての高さがあって、頂きに望楼のような部分がのっている。混雑した形状のわりに、しつこさやあくどさが感じられないのは、屋根と壁面がそれぞれ黒い瓦と明るい灰色の石で統一されているため、そして各部が絶妙な均衡をたもって配置されているせいだろう。
この建物には人の視線を吸いよせ、見る者の心を虜《とりこ》にする力がそなわっているようだった。そこに立って、いつまでも眺めていたかった。胸の内でしばしの葛藤があり、警察官としての意識がかろうじて打ち勝って、やっと克郎はさきへすすむことができた。
建物の玄関は、十段ほどの石段をのぼった高い位置にあった。両びらきの扉をはいると、広いホールに出た。ここにくるまえに広根巡査が予見したとおり、克郎は外観を目にしたとき以上の衝撃を受けて、茫然と周囲を見まわした。
そこはかなりの高さのある吹き抜けで、はるか上の空中には、たくさんの板状のものが無数の梁にささえられて、入り組んだかたちに架けわたされていた。その間隙から長い鎖が垂れ、先端に重厚なシャンデリアが吊りさがっている。それはいまは灯っておらず、代わりに壁や床に影を落としているのは、明かり取りのステンドグラスから差しこむ色とりどりの淡い光線だった。
その場所がさきほどまで身を置いていた戸外の風景とあまりにもかけはなれているので、視覚的にも心理的にも混乱し、自分がどこにいるのかがわからなくなりそうだった。玄関をはいって何歩か来ただけなのに、それまで継続していた時間が唐突に断ち切られ、現実の外へ放りだされたような気分である。
だんだんと暗さに目が慣れ、細部が見えてくるにしたがって、吹き抜けの上に架かっているのはただの板ではなく、両側に手すりのついた階段だということがわかった。ある階段は一直線に、べつの階段は中途で折れ曲がり、各所で連結したり分岐したり交差したりしながら階と階とをつないでいる。異様な眺めだ。いったい何のために、あんなものがあるのか?
まもなく克郎は思いあたった。
なるほど、ここは〈迷宮閣〉だ。その名称に偽りも誇張もないのだとすれば、建物のなかにほんとうの迷宮があってもおかしくない。あれらの奇妙な階段は、その迷宮の一部なのではないか? にわかに信じがたいことではあるけれど、変わり者の探偵小説作家の屋敷ならば、それもありうる気がした。
磯谷にうながされ、克郎たちはホールの左手へ移動した。そこからさきは一間ほどの幅の廊下がつづいている。
迷宮にいよいよ足を踏みこむのかと身がまえたが、なんのことはない、廊下のすぐさきにある扉をあけて、磯谷はふたりの警察官を部屋のなかへ導き入れた。
*
中央に椅子とテーブルを据えた十畳ほどの広さの部屋だった。応接室だろう。
そこにもステンドグラスの窓があった。女のすがたをした幾人かの天使が雲を越えて空高く舞っているさまが、ステンドグラスには表現されている。
「わしと大西君との関係を、最初にご説明しといたほうがええようですな」
克郎と広根を長椅子に座らせ、自分もむかいに腰をおろすと、磯谷老人はいった。
「そちらの駐在はんには昨日ちょっとお話ししましたけど、わしは税務代弁者をしてて、大西君の御父君の生前から、この家の税務をまかしてもろてました。大西君の御父君のこと知ってはりますか? あの人は県会議員も務めるほどの立派なお方でしたけども、明治三十六年の夏に奥様といっしょに琵琶湖の花火見物に行かはって、乗ってた屋形船が汽船と衝突してとんぼりがえってもうて、お気の毒におふたりとも亡くならはったんですわ。そのとき大西君はまだ十六で、中学校に通てました。大西君の御父君はふだんからわしのこと、ずいぶん高《たこ》う買《こ》うてくれはってて、自分にもしものことがあったら息子の世話をよろしゅう頼むなんて冗談のように言わはってたんですが、亡くなってから遺書をひらいてみると、たしかにそのとおりのことが書いてあって、わしも驚きました。ほいで大西君が成長するまでのあいだ、わしが後見人になって彼の相続した財産を管理することになったんです。大西君は高校へ進学し、それから東京の大学で勉強しました。大学を卒業して糸栗へ戻《もど》てきたとき、わしはあずかってた財産をぜんぶ彼にかえして役目を終え、それからは相談役のような立場で助言をしてました。しかし、あとでまた大西君のほうから、もういっぺん財務管理をしてくれへんか言うてきたもんやさかい、今度は仕事として引き受けることにしたんです。彼がこっちに越してからは、糸栗の土地の面倒はわしが代理で見てます」
「そうやったんですか」と克郎はいった。「ところで、大西はんは糸栗町にようけ土地をもってはるのに、どうしてこない山のなかに越してきやはったんですか?」
「さあ……。大西君はむかしから無口で、自分の考えをまわりのもんにいちいち説明せんもんやさかいに、わしにもようわかりまへんけど、たぶん腰を据えて小説の書ける静かな場所がほしかったんとちがいますか。財務の仕事をわしにまかせたんも、小説に専念するためやった思います」
「なるほど」
克郎は上着のポケットから手帳と万年筆を取りだし、肝心の用件に移ることにした。
「さて、その大西はんがおとついから行方不明いうことですが、行く先に心あたりはあらしまへんのですな?」
「ええ、ありまへん。念のため、大西君がおらんようになった翌日、ほうぼうに電話して、何ぞ知らんかいうて訊いてみたんですわ。むろんこの村には電話線がきてまへんし、巴町まで行って役場のまえの公衆電話を使《つこ》てです。出版社やら文壇関係やら親戚筋なんかを中心に、わしの知ってるかぎり手当たり次第にかけてみましたけど、みんな何も知らん言うてました」
その説明を聞いて、ひとつだけ謎が解けた。記者たちが電光石火の早業で湖南行方不明の報をつかみ駆けつけてくることができたのは、この磯谷の電話のおかげなのだ。
「どうにも腑に落ちんのですわ」と磯谷はつづけた。「警部補はんもご存知かもしれまへんけど、大西君は小説家なんちゅう仕事をしてるせいか変わってまして、長いこと屋敷から一歩も外へ出んまま暮らしてきました。そやさかい、気まぐれでどっかへひょいと出かけるいうんは、まずもって考えられん話なんです」
「ほな、大西はんはご自分の意志でどっかへ行かはったんやない、たとえばだれかに無理やり連れてかれたんやて、そないに考えてはんのですか?」
「いえ、そこまでの確証があるわけやないですけど……まあ、万が一のことを心配しましてな、駐在はんに届けたんです」
そこで磯谷は言葉を切り、ためらうようなそぶりを見せた。
「それと……じつはもうひとつ、おかしなことがありまして」
「何です?」
「ここの女中はんの話やと、大西君がおらんようになったとき、戸口や窓の鍵がぜんぶ内側からかかってた[#「戸口や窓の鍵がぜんぶ内側からかかってた」に傍点]いいますんや」
克郎は手帳から目をあげ、話し手の顔をまじまじと見た。
「人の出てった形跡がないいうことですか? ほんまにそうやったら、大西はんは屋敷のなかにいてはるいうことやないですか?」
「理屈からいえばそうです。けど、わしら屋敷のなかを隈なくさがしましたんや。一度やなしになんべんも。それでおらんのやし、やっぱし外へ出たて考えるしかないのとちがいますか?」
ちょうどそのとき扉がノックされ、部屋にひとりの女がはいってきた。地味な着物の上から白い前掛けをつけ、盆をもっている。克郎と広根に会釈し、テーブルに近づいて、茶卓にのった碗を三人のまえに置いた。
「ああ、ええとこにきてくれた」と磯谷がいった。「紹介します。ここの女中をしてる鈴野《すずの》キミはんです」
女は戸惑ったようにまばたきし、目を伏せて、またお辞儀をした。
磯谷の説明によれば、鈴野キミは屋敷の一階に部屋をあたえられ、住み込みではたらいている。女中はキミひとりで、使用人はほかに、さきほど門のところで会ったふたりの男――石川周兵衛《いしかわしゅうべえ》とその息子の浩作《こうさく》がいるだけだ。周兵衛と浩作は自宅で畑仕事をするかたわら、数日置きに通ってきて、キミにはできない力仕事などをやっているそうだ。
昨日の朝早く、磯谷は石川の息子のほうから連絡をもらって、はじめて糸栗町の家から飛んできたので、おととい大西湖南がいなくなったときのことは、じつはよく知らないという。そのあたりの事情はむしろ、当日屋敷にいたこの鈴野キミに尋ねてもらったほうがよい、と磯谷はいった。
克郎は空いている椅子に女中を座らせ、彼女から話を聞くことにした。
キミの歳は二十代のなかばぐらい。とびきりの美人ではないが、色白で清楚な感じのする女だった。多少緊張しているようだが、芯の強い性格で頭の回転も速いらしく、はっきりした口調で理路整然と受け答えした。
「気《きい》ついたときにはもう、旦那はんのおすがたは見えんようになってました。最後に見たのは、午後の四時くらいですやろか。上のほうのお部屋へ用事があってあがっていったら、廊下を歩いていかはりました」
「そのときの大西はんに、何か変わったようすはありまへんでしたか?」
「ちらっと見ただけやさかい何ともいえんのですけど、見たかぎりではべつに」
「ほんなら、ここしばらくのあいだ大西はんご自身やその身のまわりで、とくに変わったことはありまへんでしたか? だれかが訪ねてきたとか、電報や手紙が届いたとか、いつもとちがうことを大西はんがしやはったとか、まあ、それ以外でもかまへんのですけど、とくに気づいたことありまへんか?」
床に目を落とし、キミは考えこんだ。
「お客はんが来やはったり、何ぞ届いたりいうことはありまへんでした。旦那はんご自身のことについては、すんまへんけど、見てへんさかいにわからんのです」
克郎は刑事の時代に身についた性分で、話にすこしでも矛盾や疑問を感じると、どうしてもそこを突きたくなる。
「見てへん? どうしてです? 女中はおまはんひとりなんやし、一日はたらいてれば、いやでもいろいろ目にはいってくるんとちがいますか?」
いささか詰問口調になったが、キミは動揺したふうもなく冷静に応じる。
「よそはんならそうかもしれまへんけど、このお屋敷ではちがいます。旦那はんは一日の大半、建物のいちばん上の書斎に閉じこもってお仕事をしてはりますし、べつのときも人にまわりをうろうろされんのを嫌がらはります。そやさかい、わたしはなるたけ旦那はんのお邪魔をせんようにしてて、たまにご用があって呼ばれるときのほかは、おそばでご様子を見るいうことがおへんのです」
「なら、おとついも大西はんは書斎にこもりっぱなしやったんですか? そういう状況であの人の見あたらんいうことが、いつ、どういうふうにわかりましたんや?」
「それは晩のお食事がきっかけです。晩ご飯は六時と決まってますよって、わたしはふだんどおり五時五十分くらいには、旦那はんが食堂として使《つこ》てる上のお部屋へこさえたもんを運んで、テーブルにのせてきました。一時間ほどたって下げにいきますと、お膳にお手をつけはったご様子がありまへんでした。お仕事がなかなか一段落せんで召しあがるんが遅れるいうこともおますし、そんときはもうちょっと待ってみることにしました。けど八時をすぎても旦那はんのおりてきやはる気配はのうて、ご飯やお汁はとうに冷めてしもうて……。そんでわたし、どうしてええのかわからんようになって、しかたなく書斎のまえまで行って戸を叩いたんです。お返事はありまへんでした。恐る恐るなかを覗くと、お部屋はもぬけのからでした。これはおかしい思いまして、お屋敷のあちこちをさがしましたが、どこにもおすがたが見あたらしまへんのです。そんでもってはじめて、ただごとやないてわかったんです」
「そのあと、どうしました?」
「お屋敷を出て、石川はんの家へ行って、周兵衛はんと浩作はんを呼んできました。ふたりとも、建物のなかやまわりをいっしょに捜してくれよったんですけど、やっぱし旦那はんはいやはりまへん。ほいでもまだ、ひょっこりどっかから戻《もど》てきやはるかもしれんいう気が捨てきれんで、ひと晩だけ待ってみることにしました。明くる朝、またみんなで話し合《お》うて、とにかく磯谷はんに相談しよういうことになり、浩作はんが電話をかけに巴町まで自転車を走らせたんです」
「さっき磯谷はんから聞きましたが、大西はんのすがたが見えんようになったとき、屋敷じゅうの鍵がかかってたいうんは、ほんまのことですか?」
「へえ。最初にひとりで捜してるとき、戸締まりも見てみたんです。こない広いお屋敷やけど、ほとんどの窓は嵌め殺しやし、人の出入りできるとこはわりと少ないんです。開け閉めできる窓や一階の玄関や裏口の戸には、内側に頑丈な閂《かんぬき》がついてます。その閂がぜんぶしっかりとかかってましたんや。ひとつずつ確かめましたさかい、まちがいおへん」
結局引っかかってくるのは、この鍵の問題だった。
克郎は手帳をにらみ、すこし考えてからいった。
「この建物は広いだけやのうて、ずいぶん特殊なつくりをしてるようやないですか。迷宮閣いうくらいやし、ひと口に屋敷のなかをさがすいうたかて、そう簡単やないですやろ? 大西はんが屋敷のどこにもいやはらへんいうんは、まちがいないですね?」
それまで無表情だった鈴野キミの顔に、変化らしきものがあらわれた。白い頬にかすかな赤みが差し、瞳の奥に意味ありげな光が輝く。しかし彼女が口をひらくよりもまえに、磯谷がしゃべりだした。
「そら、たしかにこの建物はとくべつなつくりをしてます。ここを迷宮閣と名づけたんは大西君ですが、まさにその名のとおり、なかは迷路みたいに入り組んでますし、知らずにはいった人は確実に迷わはります。そやかて実際には、ほんまの迷宮ちゅうほどには複雑やおへんのや。ややこしいことはややこしいけど、慣れてくれば自由に行き来できるようになります。おキミはんかてここにもう五年も勤めてはんのやし、どこがどこにつながってて、どこにどういう部屋があるんかちゅうことは、じゅうぶんに心得てますがな。そのおキミはんたちがなんべんも捜したあとで、明くる日わしがここへ着いてから、みんなでもういっぺん隅々まで調べたんやし、そらもう絶対におらんて断言できますわ」
そこまでいわれたら、相手の言葉を信用するしかなかった。
3
迷宮閣から出てくると、外の世界は明るい日差しに満ちていた。あまりのまぶしさに克郎は目を細め、帽子の庇を引っ張って目深にかぶり直した。
そのまま帰らずに、残りのふたりの使用人からも話を聞くことにした。門の見張りは広根巡査と磯谷に代わってもらい、石川周兵衛と浩作を建物のそばまで連れてきて、ひととおりの質問をした。
石川親子の話をまとめると、以下のようになる。――おととい彼らは朝八時ごろ屋敷にきて、敷地内の掃除や草木の手入れをした。建物のなかでの仕事はなく、昼食のときに裏から厨房にはいったきりだから、屋内で起きたことについてはほとんどわからない。とにかく庭ではたらいている最中には、何も変わったことはなかった。夕方五時には作業を切りあげ、歩いて十分の森のはずれにある家へもどった。九時半をすぎて、そろそろ就寝しようというころ、いきなり鈴野キミがやってきて屋敷の変事を知らせた。それからさきはキミが話した内容とおなじだった。注意を払って聞いていたが、とくに食いちがう点は見つからなかった。
克郎は親子を解放し、門のところへ行って磯谷に別れを告げた。きたときと同様、門前の記者たちの攻勢をかわしながら、警部補と巡査は自転車にまたがって屋敷をはなれた。
駐在所に着くと正午だった。克郎は巴町から持参した握り飯を取りだし、広根は残り物の冷や飯を茶漬けにして、それぞれ昼飯を食べた。
食事のあとで克郎は広根にいった。
「村のなかも回っときたいんやけど、また道案内たのめるか?」
「了解です」と、勇んだ調子で広根は答えた。若い巡査は今回のことを、村での単調な勤務に刺激的な変化をもたらしてくれる貴重な事件として歓迎しているようだ。
最初にむかったのは村長の屋敷だった。ふつうの百姓家とはちがい、代々栄えてきた豪農らしく、杉林をめぐらした敷地内に蔵や厩や蚕小屋がならぶ立派なかまえである。
母屋のまえに立って声をかけると、奥から大声が響いてきた。
「作家先生のことなら何も知らんで! つき合いなんて、ろくにないんやさかいな!」
貫禄のある図体をした年配の男が着物の胸元をはだけたまま、声のあとを追うようにして縁側へ出てきた。男の顔は赤黒い怒気を含んでいたが、警察の制服を見たとたん急に態度をあらためた。
「こら、えらい失礼したわ。駐在はんたちやったんか。わしはてっきり、また種取りの連中か思て……」朝から記者が代わる代わるやってきて質問するので、おちおち昼寝もできずに閉口していたのだと村長は弁解した。
克郎は笑った。
「わしらも記者とおなじで、質問しにきたんですわ。作家先生とつき合いがのうても、うわさくらいやったらお耳にはいってますやろ?」
「まあ、うわさなら、いくらか聞こえてこんこともないけど」
克郎たちは勧められて縁側に腰をかけた。村長もそばにあぐらをかいた。
「村のなかでの大西はんの評判はどうですか?」
「そら、やっぱし、変わりもんちゅうふうに言われてはるわな。住んでるもんがみんな、こんな辺鄙なとこはなるべくやったら出ていきたい思てるような土地に、好き好んで屋敷かまえて住まはんのやし」
「なんであの人は、この村へ移ってきやはったんでしょ?」
「さあなあ……変人の考えはようわからんけど、糸栗のへんじゃ、けっこう早い時期から小作争議がはじまって、地主と小作人とが組合つくって闘ったさかいに、そういうのに巻きこまれるんが嫌やったんとちがうか」
「たとえば大西はんの土地の小作人が、この村まで押しかけてくるいうこともあったんですか?」
「いや、そんなんはなかった。なんでもあの人のとこは、要求されるがままに小作料をまけたり先送りしてやらはって、争いごとにならんで済んだそうや。ようけ財産もってはって、ふところに余裕あって、できたことやろ思うけどな」
「大西はんはそないに物持ちですか?」
「そらそうや。あのでかい屋敷見さっしゃい。あんなん建てられるんやさかい相当なもんやで。先生が親から相続したんは土地ばっかやなしに、製糸工場とか鉄道会社の株とか温泉の権利なんかもあったちゅう話や。工場や証券類は屋敷を建てる資金に変わってもうたようやけど、そんでもまだかなりのもんが手元に残ってるらしい」
「ここ数年の銀行破綻じゃ、被害を受けなんだんですやろか?」
「それがな、なんでもあの先生、銀行には金をあずけん主義やそうで」
「銀行にあずけんで、どこに置いとくんですか?」
「そら、あの屋敷に決まってるがな。建物のなかは迷路になってるいうやないけ。きっと自分の財産隠すために、あんな忍者屋敷みたいなもんこさえはったんやで。迷路の奥のほうのどんな盗人もたどり着けん場所に、お金やお宝が山のように眠ってるて、村のもんはしきりと噂しよる」
多少の間を置いて克郎はいった。
「だれぞ大西はんの財産をねらってるいう話は、聞かはったことありますか?」
村長は手のひらをふった。
「さすがに、そらあらへんで」そこで小声になって、「でもほんじゃ、あれか? もしかして作家先生、ほんまに何ぞ悪だくみに遭わはったんか?」
「まだ調べてる最中やし、何ともいえまへんけどな」
「ふうん……。じつはわし、あの人が行方知れずになったて聞いたとき、何ぞ恐《こわ》いこと起こりよったんやないかて真っさきに考えたんや。先生はまっこと分限者《ぶげんもん》やし、気味の悪い話なんぞ書いてはるさかい、だれから目《めえ》つけられてもおかしいないわな」
ひとりで納得したように村長はうなずいていた。
村長に礼をいい、停めてある自転車のところへもどってから、広根は克郎を見た。
「つぎは、どこ行かはりますか?」
「そやな。なるたけ事情通で、湖南の話を聞き知ってそうなもんのとこへ案内してんか」
克郎の希望どおり、広根はその後三時間ほどにわたって村のあちこちへ彼を引きまわしてくれた。有力な証言が都合よく得られるとは期待していなかったが、いまは辛抱強く手さぐりをつづけるしかない。
農村組合の世話役や診療所の医師、村一番の地獄耳といわれる炭焼き小屋のおやじ、霊感が強くて占いをよくするという老婆などと克郎は会った。村長のときと同様、その人物たちが湖南について語る口ぶりにも、冷淡な無関心と露骨な好奇心とが交互に顔を覗かせた。迷宮閣の工事のときには職人がたくさん出入りして村がにぎわったのに、それからあとはまったくの恩恵なしだとぼやく声から、あの作家には狐が憑いているにちがいないという、およそ信憑性の薄い風説まで、聞いた話はさまざまだった。それでも克郎は一応すべてを手帳に書き留めた。
最後に青年団の団長を訪ねた。あいにくとその男はよその村へ出かけていて留守で、代わりに男の妻と立ち話をした。乳飲み子をおぶった女は、大西湖南ではなく、女中の鈴野キミのことを語った。
「そうそう、お屋敷にいるおキミちゃんのこと知ってはりますか?」
克郎が関心をもった態度を見せると、女は熱のこもった口調でいった。
「あれは大正から昭和にあらたまるちょっとまえのことでしたか、おキミちゃん、縁談がまとまって糸栗町のほうへお嫁に行きやったんです。相手方は大きい商家の総領息子はんで、鈴野の家じゃ玉の輿やいうて大喜びでした。ほんでも人生どないなるかわからんもんですなあ。おキミちゃん、むこうのお| 姑 《しゅうとめ》はんとうまくいかんで、一年くらいでお暇を出されたんですわ。ほんまにかわいそやった。わたしら同情しましたで。おキミちゃんが作家先生のお屋敷にはいりやったんは、それから半年してです。相手はあんなけったいなお人やけど、お金はぎょうさん持ってはるし、おキミちゃんかて嫌がってへんようやさかい、まあ、ええことやったんとちがいますか。けども、それがどうです? 今度は男のほうがどこぞへ消えてしもうたやなんて、なんちゅう不幸なめぐり合わせなんやろ、あの娘《こ》は……」
途中から話の道筋を見うしない、克郎は困惑して首をかしげた。すると女が口元を手でおおい、くすくすと笑った。
「あら、堪忍しとくれやす。わたしの説明がまずかったみたいや。――ほら、あれですわ。おキミちゃん、表向きはただの女中はんやけど、ほんまはそうやないんやて。作家先生のお妾《めかけ》はんみたいなもんなんやて。みんな、そういうてますわ」
背中の子どもがむずかりだしたので、女の話はそこまでになった。
*
その日の夕刻、克郎が巴警察署にもどり、署長室へ報告にいくと、阿辺署長は調べ物でもしているのか、眼鏡をかけて本の頁に目を落としていた。
「お、坂牧君、ごくろうはん。どうやった?」
克郎は野分村で見聞きしたことを署長にくわしく伝えた。
「そうか。密室になった屋敷から人間が消えたか。まるで探偵小説に出てきそうな話やな。ほんまに鍵がかかってたとしたら、大西湖南はどこへ行ったんやろ? ――ほいで、きみの考えは?」
「今日調べたかぎりでは、犯罪がおこなわれたいう証拠は見つかってまへん。しかし鍵のことといい、突飛なつくりの屋敷といい、本件にはふしぎなことがからんでます。もうすこし突っこんで調べてみたいいうんが本音ですけど、あと何日か猶予をいただくわけにはまいりまへんか?」
署長は口元をほころばせた。克郎の熱意に感心したというよりも、自分の思惑どおりに事が運んだのを喜んでいるような笑い方だ。
「そやな。ええやろ。警察部長にはわしからあんじょう言うとくさかい、納得いくまでやったらええ」
「ありがとうございます」
克郎は一礼し、部屋を出ようとした。
「ところで――」と署長がいったので、克郎は足を止めた。
「は?」
「どんなもんやろか興味が湧いて、本屋へ行って買《こ》うてきたんやが」
阿辺署長は机の上にひらいてあった本を取りあげ、表紙を克郎のほうにむけた。それは『新型病原体X』という表題で、大西湖南の著書だった。
「三月に出たばっかの新作や。本屋のおやじの話やと、湖南の本はただでさえ売れ筋やのに、失踪のうわさがひろまって、ますます売れ行きが伸びたそうや。わしみたいなやつが、ようけいよるちゅうことやな。もっと仕入れなあかんて、店主のやつ喜んでたわ」
「もう読まはったんですか?」
「この本はまだ出だしやけど、こっちのは読み終わった」
わきに置いてあったべつの本を署長は差しだした。おなじく湖南の書いた『眼球兵団』という本だ。表紙を飾っているのは、都市の上に浮かぶ血走った大きな目玉の絵だった。
「子どもだましや思てたけど、これがどうして、なかなかよう書けてる。おもろい話やで。貸してやるさかいに読んでみい。ほれ。――遠慮せんで、ほれ」
署長が熱心に薦めるので、本を受け取らざるをえなかった。
その夜、克郎は宿直の当番にあたっていた。
夜が更けて署内にひとりになると、署長から借りた本に自然と手が伸びた。いくら宿直でも仕事と無関係のことをするのは勤務規定違反だが、これは捜査の一環のようなものなので差しつかえないと判断した。
小説のまえに「発刊に寄せて」という文章が載っていた。沢柴十夢《さわしばじゅうむ》という編集者が書いたものだ。湖南がどんなに優秀な作家であるかを説き、彼の経歴にも触れている。
[#ここから2字下げ]
湖南君は不幸にも若くして孤児となつたが、其《そ》の逆境にも屈せず、学生時代より小説家たらんと志した。而《しかう》して大正十年、小生が編集長を務める『未来青年』誌の懸賞小説に『海神国《アトランチス》よりの遣ひ』を応募、見事優秀賞に輝いて己が夢を果たしたのである。更に翌年発表した長篇第一作『悪鬼の絵巻』で一躍人気作家となり、爾来十年に亘《わた》つて数多《あまた》の作品を発表して探偵小説界に新風を吹き込んで来た事は、今更改めて繰り返す迄も無からう。
全体に湖南君の作品は純然たる犯罪を取り扱つた探偵小説と云ふよりも、科学、歴史、民俗、宗教等の諸分野を自由奔放に闊歩し収穫される処のいろ/\のアイデアを、独自の手法に依つて探偵小説の器に盛り付けるが如き奇想天外の作風を旨とし、其の豊富な知識教養と巧みな筆に支へられたストーリイテリングは、想像を絶する驚愕と恐怖に満ちた異世界へ読者を誘ひ込んで呉れる。斯様《かやう》な点が湖南君の小説の魅力であり、又好評を博する所以《ゆゑん》であらうと小生は常々考へてゐる。
[#ここで字下げ終わり]
この沢柴という男は、湖南の技量をかなり持ちあげている。阿辺署長もあんなに誉めていたし、世間一般からも高く評価されているようだが、実際そんなにすぐれた小説家なのだろうか? 克郎は頁をめくり、『眼球兵団』の冒頭を読みはじめた。
東京四谷にある自宅の寝室で真夜中に不審な物音で目覚めた少女が、薄暗い廊下をただよう一対の目玉を目撃するところから物語は幕をあける。少女が恐ろしい体験をしたのとおなじ夜、三宅坂の陸軍省の内部では、特務機関の大佐がいずこからともなく飛んできたナイフによって心臓をひと突きにされて死亡した。さほど離れていないふたつの場所で同時期に起こった異常な出来事のあいだには、何らかの関係があるにちがいないと考えた探偵は、敢然と捜査を開始する……。
平易で簡潔だが快い律動感のある文体は、何の抵抗もなく克郎の頭に流れこんできた。場面がつぎつぎと、まるでキネマを観ているように浮かびあがる。彼はたちまち小説に引きこまれ、時間のたつのを忘れた――
*
彼は抜き身のサーベルを手にしていた。警察に勤務しているとき腰にさげているあのサーベルだ。
目のまえには血にまみれた西洋人の顔がある。両眼は驚きと恐怖とで見ひらかれ、口は空気をもとめる鯉のようにぱくぱくしている。額の右側から血が流れだしていた。その傷をつけたのは自分なのか? 手にしているこのサーベルで切ったのか? 思いだそうとしてみても、記憶は定かではない。
まわりでは銃弾がひゅんひゅん飛びかい、至近距離に落ちた砲弾が土砂をどっと巻きあげる。民家や荷車があちこちで燃え、立ちのぼる黒煙で空が真っ暗だ。進軍ラッパが吹き鳴らされ、どこかで軍馬がいななく。
戦場だ。ここはあの戦場なんだ。
だが、おかしいと思う。警察官のかっこうをして戦地にいるのもおかしいが、それ以前に戦争はもう終わったはずだ。自分はたしかに連隊の仲間と帰ってきた。故郷の町の日の丸が打ちふられる通りを行進し、なつかしい兵営の門をくぐった。
でも、彼はまた戦場にいる。額から血を流した露西亜人をまえにして。
恐ろしくなって彼は左手で自分の喉を押さえた。それでも不安でたまらなくて、右手のサーベルをめちゃくちゃに動かした。そのはずみに誤って、面前の露西亜人を切ってしまう。ぱっくりと割れた腹から新たな血液をほとばしらせ、相手は地面にくずおれる。
ああ、しまった、と彼は泣きそうになりながら考える。これでまた、べつの戦争がはじまってしまう。自分は帰れない。安らかな場所には二度と帰ることができない……。
――そこで目が覚めた。
しばらくのあいだ、自分がどこにいるのかわからなかった。つけっぱなしの電球が天井で満月のように輝いている。硝子窓の外は夜の暗さだ。せまい座敷の煎餅布団の上に、彼はよこたわっていた。
枕元の『眼球兵団』の本に目が留まり、ようやく克郎は思いだした。ここは巴町の警察署のなかだ。戦争はとうのむかしに終わっている。自分は宿直室で、規定により許されている数時間の仮眠を取っていたにすぎない。寝がえりを打って仰むきになり、彼は安堵のため息を漏らした。よかった。夢でよかった。
いまのとおなじ悪夢は、過去にも見たことがある。一度ならず何度も。もう数えきれないくらいの回数。
その悪夢の由来を突き詰めれば、どこへ行き着くのかもわかっていた。九歳のときに遭遇したある事件だ。本格的な暴力によって人の血が流されるのを間近で見たのは、あれが生まれて最初の体験だった。そのとき暴力をふるったのは警察の巡査、傷ついたのは露西亜の皇太子。有名な大津事件の折のことだ。日本じゅうを震撼させたその事件の現場に、克郎は居合わせたのである。
明治二十四年五月十一日、外遊途上に日本に立ちよった露西亜の皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチは、琵琶湖観光を終えて滞在先の京都にもどるべく、人力車に乗って大津市内を通りかかった。克郎は家族といっしょに沿道の見物人のなかにいた。ニコライの俥が克郎の目前を通過した刹那、警戒にあたっていた巡査のひとりが突如サーベルを抜き、斜め後方から皇太子に切りつけた。ニコライがふりむくと、ふたたび巡査の剣がひらめいた。皇太子は何か叫んで俥から飛びおり、克郎のいる方角へ走ってきた。サーベルをふりかざした巡査があとを追った。
見物人たちが悲鳴をあげて右往左往するなか、母親に手を引っ張られて道をあける寸前、克郎は皇太子と衝突しそうになった。ニコライ皇太子の顔を真正面から見た。犯人のすがたなどまったく覚えていないのに、その一瞬のニコライの顔は強烈な印象をもって克郎の記憶に刻みこまれた。ただでさえ白い露西亜人の面は極度の緊張で氷のような色になり、両の瞳ばかりが熱くぎらぎらと光っていた。こめかみにあてた片手の指のはざまから太い筋になって頬をくだった鮮血は、純白の上着の襟や肩を真紅に染めていた。
直後、犯人は人力車の俥夫やほかの巡査たちに取り押さえられた。皇太子はただちに手当てを受け、命に別状がないことがわかると、その場を立ち去った。
凶行を目撃してから、血まみれの異国人の顔がときおり夢にあらわれて、克郎はうなされるようになった。しかし、それはいっときのことで、何年かたつうちに悪夢はおのずから影をひそめた。そのまま何ごともなければ、その夢は二度と見なかったかもしれない。けれども、あの戦争が起こった。血だらけの顔を記憶の古井戸から引きあげ、目立つ場所へ運んできたのは、まちがいなくあの戦争だった。
高等小学校を出た克郎は――勉強ができて上級の学校へすすみたいという意欲はじゅうぶんにあったのだが、三男坊の身分ではそれもかなわず――織物問屋の丁稚になった。そこに奉公しているときに満二十歳となり、徴兵検査を受けて甲種で合格し、現役兵として徴集されて大津の歩兵第九連隊に入営した。
おりしも日本は露西亜と戦端をひらこうとしていた。一人前の男子としてお国のためにはたらけるのは晴れがましいことではあるが、その反面すっきりしないものを彼は感じていた。かつて異常な心理状態に陥った巡査がニコライ皇太子を傷つけてしまったときには、日本人は同胞の犯した罪に心を痛め、土下座までして露西亜に詫びたというのに、それからわずか十数年後には、当の皇太子が皇帝ニコライ二世として即位しているその国に対して、みんな強い反感をいだき、満州の地から露西亜人を追い払えと叫んでいる。置かれた状況によってまるで正反対の態度を見せる人間というものが、克郎には不可解であり、また恐ろしくもあったのだ。
連隊は広島から船に乗り、遼東半島に上陸した。それから奉天まで転戦していく一年と数か月のあいだに、人の死ぬ瞬間や死んだあとのすがたを克郎はくりかえし目撃した。南山《なんざん》の戦いで敵のマキシム機関銃に射抜かれ、ばたばたと倒れていった仲間たち。首山堡《しゅざんぽ》の手前で、砲弾の直撃を受けて真っぷたつに千切れた馬の臓物のなかに、うつ伏せに倒れていた騎兵。沙河《さか》を渡ったさきの村で食い物をさがし、打ち捨てられた民家にはいって目にした日本兵と露西亜兵の死体。つかみ合いの死闘をして相打ちになったと思われるふたりの人間は、熱い抱擁の果てに息絶えた恋人同士のように見えなくもなかった……。
戦場へ行って間もないころは、死の場面に遭遇していたたまれない気持ちになったり、心臓の鼓動が速まったりしたが、そのうち平気でいられるようになった。これだけたくさんの死がまわりに満ちていて、それに心やからだがいちいち反応していたら、たまったものではないので、自分を守るために人はそういう変化をするものらしい。
心身が何も感じないかわりに、目にした光景は写し絵のようになって、何百枚何千枚と脳裏に焼きつけられた。それらが以前に見た血まみれの露西亜皇太子の顔と入りまじり、戦争から四半世紀がすぎたいまでも、何かのはずみに悪夢となってあらわれるのである。
ここのところ、すくなくとも巴町へきてからは、悪夢の回数はふしぎと減っていた。今夜ひさかたぶりに見たのは、おそらく仮眠にはいるまえにひと息に読み通した湖南の小説がきっかけだろう。
克郎は起きあがって、『眼球兵団』を手元に引きよせ、頁をぱらぱらとめくった。
あの特異なたたずまいの迷宮閣のなかで、作家はこんな作品を書いていたのか……。グロテスクな眼球が夜の帝都を徘徊し、そのたびに人が死んでいった。結末までに七人の死体が転がり――最後のひとりは、ほかの六人を殺した犯人だった――帝国陸軍の関与したある突拍子もない研究の秘密が読者のまえに明かされる。そんな小説だった。
奥付のほうまで見ていくと、最後に著者の近影が載っていた。大西湖南は面長で頬がこけていた。光の関係で落ちくぼんだ眼窩の黒い翳りのなかに両目が隠れているので、とても陰気な顔つきに感じられる。
この男と自分は正反対のことをやってきた、と克郎は思った。克郎が血ぬられた過去の体験に悩まされ、その記憶から逃れようとあがいているときに、湖南は克郎の悪夢と似たりよったりの荒唐無稽で猟奇的な空想を、好んで小説に仕立てあげてきたのだ。
まったく妙な話だった。
ひっそりとした夜の底で、克郎は手のひらで顔をこすり、深く息を吐いた。
4
明くる日、克郎はふたたび野分村に自転車を走らせた。駐在所に立ちより、状況に変化のないことを確かめてから、ひとりで大西邸へむかった。
門前に群れる人の数は前日よりも増えていた。記者たちにくわえ、付近の住民と思われる野次馬もまじっている。
石川親子がまた門の番をしていた。克郎のことはもう知っているので、すぐに建物へ近づくことを許してくれた。
迷宮閣のそばまでくると、やはり克郎は立ち止まって、その外観をじっくり眺めずにはいられなかった。
建物の最上部にある望楼のようなかたちの部分に、彼は目を留めた。鈴野キミが話していた湖南の書斎というのは、あそこのことだろうか? 注意して見ると、望楼に似ているのはおおまかな形状だけで、実際には周囲を展望するには不向きなつくりであることがわかる。窓がきわめて小さく、そこに嵌まっているのが色硝子だからだ。昨日は意識しなかったが、建物全体を見わたしても、窓はすべて小ぶりで、色硝子や磨硝子などの不透明な硝子しか使われていない。内部からおもては見えず、外部からなかも覗けない。なんという閉鎖的な屋敷なのか……。
克郎は建物の正面の石段をあがり、玄関のまえに立って呼び鈴を鳴らした。
しばらくして扉のむこうから、歩兵銃の遊底を操作して空薬莢を排出するときのような、がちゃ、がちゃという金属的な音が聞こえた。湖南がいなくなった際に閉まっていたという、例の頑丈な閂をはずしている音にちがいない。
ひらいた扉の内側に鈴野キミがいた。
「磯谷はん、今日はいてはりますか?」と克郎はキミに尋ねた。
「すんまへん。東京からお客はんがお出でやしてて、いまそのお相手中なんですわ。ご大儀はんですけど、そっちがすむまで待ってもろてもよろしおすか?」
「ああ、待たせてもらいます」
克郎はホールの端の長椅子へ案内された。
「|お茶《ぶぶ》でも入れてきますさかい」
そういって行きかけるキミを、克郎は呼び止めた。
「あ、鈴野はん。おまはんにも話あんのやけど」
キミは黙って克郎を見つめた。
「あのな、昨日わしが、ほんまに大西はんは建物のなかにいやはらへんのかて訊いたとき、おまはん何ぞいいたそうにしてましたな? もしも話し足りんことあるのなら、遠慮せんでいうてみてくれやす」
鈴野キミは視線をそらし、何度もまばたきした。緊張するとまばたきするのが、この女の癖のようだ。
「ほんじゃ、いいますけど……じつはわたし、やっぱし旦那はんは屋敷の外へ行かはってへん思いますんや」
「なんべん捜したかて見つからなんだんですやろ?」
「ええ。捜したかて、おすがたは見あたらしまへん。ほんでも建物のなかにいやはるいう気がしてならんのです」
「そらまた、どうして?」
キミは睫毛をふるわせながら慎重に言葉を選んだ。
「旦那はんは外の世界がお嫌いなんです。このお屋敷だけがご自分の居場所や思うてはんのです。そんなお人がここを出てかはるはずおまへんやろ」
最初は平板だったキミの声に、だんだんと熱い響きがこもってくる。
「あの方は、ご自分の小説とおんなじくらい、このお屋敷を好いてはんのです。最後に見たときもそうやったけど、ときどき書斎からおりてきて建物のなかを散歩しやはります。壁に触れたり、手すりを撫でたり、ステンドグラスの絵をながめたり、そんなことしやはりながら、階段をあがりおりし、廊下から廊下へ、部屋から部屋へ延々と歩かはります。まるで気に入った本をじっくり読むみたいに時間をかけて、建物のなかをうろつかはんのです。旦那はんにとっては、そうしてるときが一等幸福らしいんです。もしかすると小説のお仕事をしてはるときより、もっともっと幸せかもしれんのです」
キミの瞳が涙で潤んでいるのを見て、克郎は狼狽した。
「お願いします」とキミはいった。胸のまえで拝むかたちに両手が合わさっている。「旦那はんをさがしとくれやす。見つけとくれやす。見つけだして、こっち[#「こっち」に傍点]へ連れ戻《もん》しとくれやす。後生ですさかい」
そのときホールのすみから話し声がした。磯谷と見知らぬ男がこちらへ歩いてくる。
鈴野キミはあわてて目元をぬぐい、べつの方角へ立ち去った。
「警部補はん。きてはりましたか」
克郎に気づいて磯谷が近づいてきた。いっしょにいる男を秀林社《しゅうりんしゃ》の沢柴十夢だといって紹介した。
さわしばじゅうむ……。克郎は思いだした。昨晩読んだ『眼球兵団』の本に、湖南を賞賛する文をよせていたあの編集者だ。そういえば目のまえにいる男は、どことなくあの文章と似ている。もったいぶった口髭を生やし、神経質そうに眉をしかめ、背広の胸を傲然と反りかえらせているさまは、芝居の登場人物みたいに大げさだ。
「知らせを聞いてじっとしておれず、夜汽車に乗って駆けつけました」と沢柴はいった。「いまも磯谷さんと話していたのですが、これは尋常ならざる事態です。小説家がいなくなったなどというと世間の人は、不振《スランプ》に陥って書けなくなり逐電したとか、衆目を集めるためにみずから失踪劇を演じてみせたとか、すぐにそういうスキャンダラスな筋書きを思い浮かべるかもわからんが、湖南君にかぎって断じてそんなことはない。彼は才能にめぐまれているし、真摯な性格ですから。ぼくは湖南君が何らかの事件に巻きこまれたものと確信しています。県の刑事課でも、とっくに捜査を開始しているのでしょうな?」
克郎は正直に答えた。
「まだ刑事課は動いてまへん。犯罪やいうことがはっきりせんうちは、本格的な捜査もできんわけでして」
「これはもう事件に決まっていますよ。よからぬことをたくらむ人間に、湖南君は連れ去られた公算が大きい。いなくなったときに屋敷じゅうの鍵が閉まっていたそうですが、その話を聞いてぼくはピンときましたね。それは犯人が捜査を攪乱するために仕組んだトリックですよ。だから、ただちに捜査をはじめてもらわないと困ります」
ちょっと待ってほしい。あせる気持ちもわかるが、この屋敷の主が個人の意志で消えた可能性も否定できないし、そのへんを明確にする材料がほしくて自分も調べているのだからと、そんな道理を克郎は説いたが、東京からきた編集者は聞く耳をもたなかった。
「いいでしょう。警察があくまで重い腰をあげないというなら、こちらにも考えがある。あなた方がきちんと責務を果たすように、できるかぎりのことをするつもりですから。まあ、見ていてごらんなさい」
捨てぜりふを残すと沢柴十夢は、靴音を乱暴に響かせて建物から出ていった。
客を送りだしてもどってきた磯谷は、かすかに苦笑いした。
「えらい短気で、きつい御仁《ごじん》でしたな」
克郎は内心、沢柴に焚きつけられて磯谷までもが性急な行動を要求してくることを危ぶんでいたが、さいわいそのような展開にはならなかった。昨日とおなじように克郎と磯谷は、天使のステンドグラスがある応接室でむかい合わせに腰をおろした。
これも昨日とおなじように鈴野キミがお茶を運んできた。さきほど感情を顕わにしたのを恥じているのか、彼女は克郎と目を合わせず、さっさと用事をすませて出ていった。
「今日はお願いがあって寄せてもらいましたんや」と克郎は磯谷にいった。「迷宮閣のなかを見せてもらえまへんやろか? もちろん強制やありまへんけど、協力してくれはると助かります」
「そら、見たい言わはるならお見せしますけども、やっぱし警部補はんは大西君が迷宮閣のなかにおるいうお考えなんですか?」
「そうとはかぎりまへん。わしはただ、この建物のことが気になるんです。大西はんの小説から抜けだしてきたようなこの不思議な建物と、大西はんが失踪しやはったことの間には、何ぞつながりがあるんやないかて思えるもんですさかい」
「まあ、ええですわ。なかをよその人に見せるか見せんかは、ほんまは大西君が決めることやけど、彼がおらん以上、資産の管理をまかされてるわしが代わりに決めたかてかましまへんやろ」
「それともうひとつ――迷宮閣の設計図があれば、それも見せてもらえますやろか?」
「ああ、設計図でしたら、あらしまへんな」
即座に返事がかえってきたので克郎は、おやと思った。そのけげんそうな面持ちを見て、磯谷がつけくわえた。
「最初から設計図はありまへんのや。設計のときも工事中も完成したあとも、建築家はんはこっちには設計図を一度も見せてくれまへんでした[#「設計図を一度も見せてくれまへんでした」に傍点]」
「つまり大西はんは迷宮閣の設計図を、ただの一度も見やはらへなんだちゅうことですか? 施主が図面にまったく目を通さんまま、この屋敷は建てられたいうんですか? 施主と建築家が図面で間取りとか打ち合わして、それでええいうことになったら着工いうんが、ふつうの流れやないですか?」
「ところが、この迷宮閣の場合はちごてました。けったいな話ですけど、ほんまのことですわ。すこし長くなりますが、そのときのことお聞かせしまひょか」
記憶の底をさぐるように磯谷は視線をさまよわせた。
「大西君が新しい屋敷を建てたい言うて、わしのとこに相談にきたんは、たしか彼が一作目を出した明くる年のことやから、大正十一年の初夏のころやった思います。大西君はもう、設計をたのむ相手まで決めてました。それが昨日もお話しした笠井泉二ちゅう建築家はんです。大西君はその人のうわさをどっかで聞くか読むかして興味をもったらしいんです。大西君にたのまれて、わしは笠井はんの連絡先を調べました。矢向組て知ってはりますか? 明治のはじめからつづく大手の建設会社ですけど、そこの矢向丈明いう人を通じて笠井はんと会う約束ができました。笠井はんが東京から出てきやはって初回の打ち合わせをしたんが、その年の八月ごろです。場所は琵琶湖のほとりのホテルでしたわ。会合には大西君と笠井はんのほかに、わしと矢向はんも同席しました。
わしが笠井はんに会《お》うて感じたんは、大西君に負けず劣らずの変わったお人やいうことです。笠井はんと大西君とは外見的にも性格的にも似通ったとこがありましてな、笠井はんのほうが多少年上いうだけで、痩せて体形がひょろっとしてるとこ、いつもむっつりしてて気むずかしいとこなんかが、お互いそっくりでした。似た者どうしで馬が合《お》うたんか、大西君は笠井はんをたちどころに気に入ったようでした。金はいくらでも出すし、自由にやってもろてええから、永久に住めるような建物をつくってほしい[#「永久に住めるような建物をつくってほしい」に傍点]。大西君は笠井はんにそう頼んだんですわ」
そこまで一気に話して喉が渇いたらしく、磯谷はテーブルの上のお茶を取りあげて、がぶりと飲んだ。
「ええと、それで設計図のことですけどな、初回の会合からひと月ほどして、笠井さんと矢向はんが今度は糸栗町まで来やはって、二度目の打ち合わせをしたんです。そのときに笠井はんがいわはったんですわ。設計をするにあたって、ひとつだけ条件がある。それは設計図を施主にぜったい見せんことや。それを承知してもらえんのなら、仕事はできへん。その条件に、はじめは大西君も面食らったようでしたけども、説明を聞くうちに納得して呑むことにしたんです」
「笠井はんは大西はんに、どない説明しやはったんですか?」
「施主の注文どおりのもんを建てるには、それ以外に方法がない。その代わし満足のいくもんをつくってみせる。たしかそんな説明やった思います。――迷宮閣の工事は大がかりで、屋敷が完成するまでには二年かかりました。その期間中、笠井はんの取り決めた条件は徹底して守られて、現場の監督はんや大工はんにいたるまで図面を極秘あつかいにして、わしらの目にはけっして触れんようにしてました」
「ほいで、建物が完成したときの大西はんのようすは?」
「彼はめずらしく笑《わろ》てました。この建物が心底気に入ったようでしたわ」
克郎は腕を組んで宙を見つめた。
「なんや、迷宮閣の謎がますます深まるような話ですなあ……。建築家はなぜ設計図を見せんことに、そないこだわったんですやろ? 建物のなかが迷路になってるさかいにですやろか?」
「わかりまへん」と磯谷はいった。「大西君とつき合《お》うてると、おかしなことにようぶつかりますしな、そのたびごとに考えたり悩んだりするんは、とうの昔にやめてもうたんですわ。――まあ、なにはともあれ、建物のなかをご案内します」
ふたりが立ちあがりかけたところへ、鈴野キミがあらわれた。
「磯谷はん、すんまへん。さっきの沢柴はんいうお客はんが、もういっぺん用事がある言うて戻《もど》てきやはりました。旦那はんをさがす手伝いを募るんで、村長はんに紹介してくれ言うてはりますけど」
「そらこまったな……」
磯谷は克郎をふりかえった。
「さきにむこうへ顔出してきます。なんならおキミはんに案内してもろて、行ってておくれやす。――な、おキミはん。警部補はんが建物のなかを見たいそうやさかい、よろしゅう頼みますわ」
それだけいって磯谷はホールのほうへ行ってしまった。
克郎とキミはしばし無言でむき合っていた。
ややあってキミがいった。
「行きまひょか」
彼女はさきに立って歩きだした。
*
応接室を出て右に行けばホールだが、キミは廊下を逆にすすんだ。
廊下は小刻みに折れ、ほどなく克郎は方向感覚を乱されて、建物のどちら側へすすんでいるのかがわからなくなった。
「警部補はん」まえをむいたままキミがいった。「わたしから離れたらあきまへんえ。迷子になりますさかい」
克郎は胸の底に漠然とした不安がひろがるのを感じたが、わかったと答えた。
何度目かに角を曲がると階段があり、ふたりはそこをのぼった。のぼったさきの扉をひらいたら、二間四方の小さな部屋だった。中央の台座に高さ一メートルほどの白亜の天使像が佇立し、窓からの光線がそれを照らしている。はいってきた所とはべつに、右と左と正面にもそれぞれ扉があった。
「迷宮閣のなかにはこないな部屋がぎょうさんあって、それが廊下や階段で結ばれて迷路のようになってます。――ほな、こちらへ」
キミは右手の扉をあけた。また廊下がつづいている。
廊下はやはり短い距離で折れ曲がり、あちらこちらで枝分かれしていた。本来であれば、そうした枝道の一本一本を丹念に調べたいところだが、そんなことをしていたらどれだけ時間がかかるかしれない。いまはおとなしく案内に従うほかなかった。
新しい分岐点に行きあたっても、キミは躊躇することなくひとつの道を選んでいく。磯谷もたいした迷路ではないといっていたが、はじめてきた克郎にしてみれば正真正銘の迷宮《ラビリンス》としか思えなかった。
いくつもの小部屋を通りすぎた。四角い部屋、まるい部屋、三角の部屋、天井の高い部屋、奥行きのある部屋。ある部屋の床には白と黒のタイルが市松模様のように交互に敷き詰められ、またある部屋の壁には真紅の壁紙が貼られていた。べつの部屋では百合の花の図案のステンドグラスが大理石の床に、透き通った光をこぼしていた。
キミのあとについていきながら克郎は、最初に建物にはいったときとおなじ感覚に襲われた。ここが野分村であることが、にわかに信じがたくなる。自分がいまいるのは、ふだん暮らしている場所からかけはなれたどこか――地球の裏側か月か火星の上に建つ建築物のように感じられる。
同時に、ここにきた目的を彼は失念しかけていた。湖南の件の手がかりをもとめてやってきたのに、いつのまにか目にはいるものに感嘆するだけの見学者と化している。こんなことではいけないと自分を戒め、思考をむりやり職務へ引きもどす。
「こない複雑やのに、よう迷いまへんな?」克郎はキミの背に話しかけた。
「一日になんべんも往復してますさかい……。もちろんはじめは迷いましたけども。道順をおぼえこむまで相当かかりました。わたしの来るまえに雇われたお人は、道をおぼえきれなんだり迷路を気味悪がったりして、みんな辞めていかはったそうです。まえに磯谷はんがそう言うてはりましたわ」
ほんでも鈴野はんが辞めなんだのは、どうしてです? すんでのところで克郎はそう尋ねそうになったが、その質問は呑みこみ、べつのことを訊いた。
「大西はんは自分の財産を隠すために、この迷路をこさえはったんやて、そう言うてる人もいてますな?」
「ただのうわさです。村の人たちが言うてはるような秘密のお蔵なんて、わたし見たことも聞いたこともありまへん」
キミはきっぱりと否定し、廊下の突きあたりの扉をあけた。
突然視界がひらけた。空中に張りだした通路のようなところだった。手すりのむこうには、空間がぽっかりとひろがっている。克郎は手すり越しに見おろして、そこがどこだか知った。玄関をはいってすぐのホールの真上だ。吹き抜けのなかほどの高さに彼らはいる。
ホールのすみに磯谷と沢柴が立って話しているのが見えた。ふたりの声は吹き抜けに拡散し、さすがに上までは届いてこない。
「ここからさきは、ふだん旦那はんが生活してはる場所です。ほんまはお客はんがはいったらあかんとこなんやけど……」
そういいつつキミは、吹き抜けの上部にむかう階段へ克郎を導いていった。
下から仰いだだけでも圧倒されるその構造物を目のあたりにして、克郎は全身に鳥肌が立つのを感じた。人ひとり通れる幅の木製の階段が、たがいに手を伸ばせば届くほどの距離を置いて縦横に走り、空中に複雑怪奇な迷路をつくりあげている。キミが恐れるふうもなくのぼっていくので克郎もしたがったが、もしも彼だけだったら足を踏み入れる勇気をもてたかわからない。ものの一分もしないうちにキミは正確な道筋をたどり、階段迷路の終点にたどり着いていた。
また扉があった。そこをはいると廊下のように長く伸びた部屋だ。手前から奥まで両側の壁面が書架になっていて、おびただしい数の本がならんでいる。小説や事典、画集、歴史や科学関係の本、犯罪学や解剖学の専門書、克郎には判読できない横文字のタイトルの洋書などが、図書館のように几帳面に分類され、すきまなく収まっていた。
そのつぎに案内されたのは円形の部屋だった。白いクロスのかかったテーブルと背もたれの高い椅子が一脚ずつ置いてある。
「旦那はんがご飯を召しあがるとこです」
天井に採光用の窓があるのでそれなりに明るいが、テーブルと椅子と天窓のほかには家具も装飾もない簡素な部屋だ。そこで作家がひとりで食事しているすがたを克郎は思い浮かべた。それから、作家のために日に三度、料理の膳をもって迷路のなかをやってくるキミのことを考えた。
食堂を出てちょっと行ったところで、廊下の壁のくぼみに異形の像があるのを発見した。足を休めて克郎はそれに見入った。
頭部は象で、からだは人間に近い。長い鼻を蛇のようにくねらせ、四本の腕に蓮華の花や椀などをもっている。布袋のようにでっぷりとした腹の下で脚を交差させ、あぐらをかいて座っていた。名前は忘れたが、印度のほうでこんな神が祀られていると、どこかで読んだことがある。キミに尋ねればわかるかもしれないと思い、克郎は顔をあげた。
――キミのすがたはなかった。
はっとして左右を見まわす。だれもいない。はぐれてしまったことに気づいた。
キミの名を呼んでみる。
遠くから、警部補はん……という声がかえってきた。数メートルさきで廊下は三方に分かれている。どちらの方角から聞こえてきたのかはわからない。
またキミの声がした。いま行きます……そこを動かんで……。
声のしたと思えるほうに克郎はむかった。前方に扉があったので、それをひらいた。
薄暗い部屋。キミはいない。その代わりに、壁にかけられたたくさんの写真のなかから、おおぜいの人間がこちらを見かえしていた。
何枚かの写真が目にはいった。――紋付の着物で正装した男がどこかの和館のまえに立っている写真。――そのおなじ男と丸髷を結った女、そして女の腕のなかの幼児が写っている写真。――学帽に詰襟の制服を着た少年の写真もある。少年の顔には、『眼球兵団』の著者近影で見た大西湖南の面影があきらかに見て取れた。
興味を惹かれたが、いまはゆっくりと眺めている場合ではない。まわれ右をして克郎は部屋を出た。
廊下をもどりかけたが、どちらから来たのかもわからなくなっていた。だいじょうぶ、あわてるな。すぐにキミが見つけにきてくれる。自分にそういい聞かせたが、一か所でじっと待っていることなど到底できず、手近の扉をあけて彼はすすんだ。
キミの気配が感じられないかと、ときおり耳を澄ました。聞こえるのは床を踏む自分の靴の音と剣帯の金具が鳴る音だけ。立ち止まればそれらの音すら消えて、これ以上の静謐はないというぐらい静かになる。
窓のすくないこの屋敷では、いたるところに霞のような闇から霧のような闇まで、さまざまな濃さの闇が立ちこめていた。それは湖南の小説に出てくるみたいな犯罪者や魔物がひそむ暗黒とはことなり、あたたかくて好ましい種類の暗がりであった。
完全な静けさと淡い闇のなかに身を置いていると、いつしか克郎の心に変化が起こっていた。迷ってしまったことへの焦りや不安が薄れ、心の表層が凪いだ海のように平らになっていく。
ふいに彼は、この屋敷の主のことがすこしだけ理解できたように思った。
もしかすると大西湖南も克郎とおなじように何かに怯え、それと闘ってきたのではないだろうか? 昨夜、『眼球兵団』を読んだあと、湖南と自分は両極の位置関係にあると感じたが、いまではちがう気がする。ああいう小説ばかりを書くことで、湖南は恐怖に抗おうとしてきたのではないか。そうして、迷宮閣を建てて閉じこもったのも、その恐ろしいものから逃れるためだったのでは……。湖南が自分の心境をどの程度、建築家に漏らしたのかはわからないが、たとえ多くを語らずとも、笠井泉二は施主のもとめているものを正しく理解し、その願いをかなえるために強固な〈城〉をつくりあげた。そんなふうに想像するのは的外れか?
湖南と迷宮閣のことを考え、なおも克郎は歩きつづけた。
気がつくと、目のまえに扉があった。それはいままで見てきたどの扉よりも大きく立派で、喇叭を吹きながら飛びまわる天使の彫刻が表面を飾っていた。
ぴかぴか光る取っ手をつかみ、克郎は扉を押しあけた――
*
自分はなぜ警察官になどなってしまったのだろう? 流血沙汰と近しい場所にいる警察官になど、なるべきではなかったのだ。そのことがいま、はっきりとわかる。
露西亜とのいくさが終わったあと、兵役の現役期間を終えて克郎が除隊してみると、以前に奉公していた織物問屋はなくなっていた。戦争中の浮かれた好景気のなかで店の主人が株に手を出し、戦後の株価の暴落で全財産をうしなって夜逃げしたのである。もどるところがなくなった克郎は、しばらく長兄の家のやっかいになっていたが、軍隊時代の仲間に誘われて、深く考えもせずに巡査採用試験を受けた。誘った男は落ちたが、克郎は合格した。
あのときにもっと冷静に考えていたら、自分には適さない職業だとわかったはずだ。なぜなら、これ以上の血を見るのが彼はいやだったから。長いあいだ自覚していなかったが、大津の町で血にまみれた露西亜皇太子の顔を見た瞬間から、彼は暴力を恐れるようになっていたのだ。それなのに、いかなる運命のいたずらか露西亜兵との殺し合いに出むき、そこから帰ったら今度は、かつてニコライ皇太子を傷つけた犯人が属していたのとおなじ警察の一員になってしまった。悪夢から逃げようとすればするほど、かえって深みにはまっていくように……。
派出所や駐在所に勤務して巡査部長となり、保安課の刑事に抜擢され、やがて警部補に昇進して新設された特別高等課へ。――そこまではまだよかった。待ちかまえていた罠がだしぬけに口を閉じるみたいに、あの出来事が起こったのは昭和三年の冬のことだ。
労働者や失業者を扇動して県下で大規模な暴動を計画しているとして、特高課は複数の左翼活動家の一斉検挙をおこなった。克郎のくわわっていた班は、活動家たちのなかでいちばん年の若い学生の家へ踏みこんだ。問題の学生は不在だったが、その男の妹の部屋におびただしい数のアジビラや機関紙が隠されているのが見つかった。妹を近くの署に引っ張り、取り調べることになった。
まだ十七の少女だった。兄がどこへ行ったのか、印刷物をどういうつもりで保管していたのかを尋ねても、彼女は答えなかった。班長の警部が怒り、少女の頬を平手で何度も撲《は》った。それでも彼女は頑強に黙秘をつづけた。そこで警部は、べつのあるおぞましい方法によって口を割らせようとした。その場にはおなじ班の巡査部長と巡査もいて、彼らも釣りこまれるようにその所業にくわわった。克郎にはできなかった。鼻や口から血を流して苦痛に歪んでいる少女の顔と、大津事件のときのニコライの顔がかさなっていた。
ついに克郎は止めにはいった。こんな尋問の仕方はやめるべきだ。あまりにもむごい。人道に反している。そう主張した。上司や同僚は少女からはなれ、凶悪な犯罪者を見るような目で克郎をにらんだ。その瞬間、克郎は特高課に居場所をうしなった。巴警察署への異動を命じられたのは、それから三月《みつき》後のことだ。
ああ、しかし――
そんなことはもう、どうでもいい。すべて終わってしまったことだ。この瞬間たいせつなのは、自分がここにいるという事実である。
やわらかな光のあたる場所に克郎はいた。
どこか広い部屋の一角のようだが、よくわからない。見まわしても、視界はぼんやり曇っている。ただ、とても静かで、暑くも寒くもなく、完璧な調和と均衡がたもたれた所だということがわかる。
いずこからともなく、そよ風が吹いてくる。鼻腔をくすぐる空気のなかに、快い香りがまじっている。なつかしくて胸がせつなくなるような、それでいて安らぎに満ちた匂い……。
ずっとここにいたいと克郎は思う。ここには心の平穏を乱すものはひとつとしてなく、あれやこれや思い煩うべき心配事も存在しない。そして何よりもここにいれば、あの血まみれの顔や白刃のきらめき、砲声、阿鼻叫喚などと永久に決別できるのだ。
自分が立っているのか座っているのかも判然としない。ただ、からだじゅうがふわふわとしたものに包みこまれているような感じだ。このままだと眠ってしまいそうだが、かまうものか……。
まどろみのなかに克郎が身をゆだねようとしたとき、足音が近づいてきた。部屋のむこうにだれかがいる。克郎は眠気をこらえ、懸命に目を凝らした。
痩せぎすで背の高い男――大西湖南であった。著書の写真にあったとおりの陰気な顔つきをしている。あの写真と唯一ちがうのは、眼窩の奥の瞳がかげに隠れていないことだ。その目は克郎を見ている。いや、ただ見ているのではなく、炯々《けいけい》とまなこを光らせて睨《ね》めつけているのだ。怒りと敵意をたたえた、険しく恐ろしい目だった。
克郎は言葉が出なかった。からだのまわりにあった心地よい感覚が消えていた。
彼はあとずさり、むきをかえて部屋を飛びだした。扉をあけたところに床はなかった。彼は落下した。
どれくらいの時間が経過したのか――
警部補はん……警部補はん……。
だれかが克郎を呼んでいた。
声がするほうへ視線をやると、そばにキミがいて克郎のからだを揺さぶっている。彼は廊下のすみに仰むけに倒れていた。
「ここは……」いいかけて彼は思いだした。「そうや、さっきの部屋は?」
「さっきの部屋?」
「入口の戸に喇叭を吹いてる天使の彫刻のある広い部屋。ついさっきまで、わしはそこにいたんです」
キミはちょっと黙り、それから首をふった。
「このお屋敷に、そないな部屋はありまへん」
壁に手をつき、克郎は上半身を起こした。
「わしはたしかに行ってきました。静かでぬくくて、天国みたいに気持ちのええとこやった。それとも、あれは夢やったんか?」
「夢や思いますのか?」
宙を見つめて克郎は考えこんだ。
「いいや、あれは現実や。あの部屋に匂てた香りが、鼻先でまだしてるような気がする」
「ほんなら、警部補はんもあっち[#「あっち」に傍点]へ行かはったんですね」
克郎はキミを見つめた。
「どういう意味です?」
「だれにいうたかて信じてもらえん思て、ずっと胸にしまってたんですけど、何年か前にいっぺんだけ、わたしも見たことない部屋へ迷いこんだことがおます。そういうふしぎなことがここでは起こりますのや。――ふだんは見えてへんけど、何かの拍子にあらわれるあっち側[#「あっち側」に傍点]の部屋。旦那はんもそないなとこへお行きやして、戻《もど》てはらへんのやないですか? わたしはそう思います」
そうだ、と克郎も思った。あの部屋で自分は大西湖南と会った……。
そのことをキミに告げるかどうか迷ったが、彼はいいだせなかった。
5
茫然自失の態で克郎が巴町に帰り着いたのは、夕方もだいぶん遅くなってからだった。
警察署の軒下に自転車を停め、玄関をはいっていくと、背広すがたの男が何人か廊下をうろついていた。よく見もせずに記者だろうと判断し、一階の大部屋へ行きかけたところ、進路をさえぎるようにひとりの男が歩いてきた。
「おう、坂牧。ひさしぶりやな。まめでやってるか?」
気さくな調子で声をかけてきたのは記者ではなかった。克郎と同期に警察へはいり、まえに刑事係で肩をならべて仕事をしていた同僚だった。いまでは警部に昇進し、保安課から独立した刑事課の課長になっている。廊下にいたのは私服の刑事たちであった。
なんでこいつらがここにいるのかと克郎はいぶかしんだ。適当にあいさつをかえして、それから尋ねた。
「大津の質屋殺しはかたづいたんか?」
刑事課長は渋い顔をした。
「まだや。けど、人員を半分こっちへまわせいう警察部長じきじきの命令なんやし、しょうがないわな。――なに、見てろ。こんなヤマ、すぐ解決したるさかいな」刑事課長は豪快に笑った。
克郎は大部屋にはいらず、その足で署長室へ行った。
「ああ、坂牧君。ごくろうやったな」
阿辺署長は眼鏡をかけ、机の上に目をむけていた。卓上にあるのは大西湖南の小説本ではなく、巴署管内の地図だ。
「刑事課の連中とはもう会《お》うたか? すまんな。急に風向きが変わりよってな。東京の出版社の人間で沢柴ちゅうのがおるそうやけど、どうもそいつが原因らしい」
「沢柴十夢なら知ってます。今日の昼間、大西邸にきてました」
「うむ。その男がたまたま県知事の義兄と知り合いでな、そのつながりを利用してねじこんできよった。おかげで知事から警察部長へ、湖南の行方不明がこれほど世間を騒がしてるのになぜ捜査せんのかてお叱りがあって、それで刑事課が馳せ参じたちゅうわけや」
「ちょうどええ頃合いやったのかもしれまへん」克郎は目を伏せ、低い声でいった。「いずれにせよ自分にはもう、この件を捜査する資格がないように思います」
署長は老眼鏡のレンズの縁越しに克郎を見つめた。
「どないしたんや? 何があった?」
「大西湖南と会うたんです」
「なに……。どこにおった?」
「信じられんような話ですけど――」と前置きして、克郎は迷宮閣での体験をありのままに語った。
「信じられんな。そないお伽話のようなこと、警察官として信じるわけにはいかん」それが署長の返事だった。とうぜんの反応だと克郎は思った。自分で体験しておきながら克郎自身も半信半疑なのだから。
「けど」と署長はつづけた。「一個人としては信じる。そないなこともあるかもしれんて思う。理屈に合うことばっかやったら、この世はつまらんしな」
克郎は署長の狸面を、ふしぎな感動をもって見守った。
「でも、ええか、坂牧君。きみが望むと望まざるとにかかわらず、刑事課が出張ってきよったからには、この件から離れてもらわんならん。くれぐれもいうとくけど、捜査に口出ししたらあかんで。とくに、いまの話はここまでにしとくんや。ほかの連中がわしとおんなじとはかぎらんのやさかい。わかったな?」
*
明くる日から刑事課は、巴署のほかに周辺各署の応援を得て、野分村より巴町を経て糸栗町にいたる広い範囲で聞き込みをおこなった。その捜査のようすは新聞で大きく報じられ、「県警、遂に究明に乗り出す」とか「五十人態勢の大捜索続く」といった見出しが数日のあいだ三面を飾った。
さらに秀林社の沢柴十夢が、湖南発見につながる有力な手がかりを提供した者には懸賞金千円を贈ると発表すると、一般の住民たちまで探索にくわわった。村人はもちろんのこと、巴町や糸栗町やもっとはなれた土地からも続々と人が詰めかけ、湖南のすがたやその遺留品をもとめて森や山に分け入った。野分村一帯はまるで祭のような騒ぎになった。
内勤の仕事にもどった克郎は、そういった成り行きをただ遠くからながめていた。湖南の居場所をすでに知っている克郎の目には、すべてが徒労と映った。署長に釘を刺されているので、その事実を口外することはできず、彼の胸には始終もやもやしたものがわだかまっていた。
その時期、克郎の無聊を慰めたのは、『眼球兵団』に引きつづいて署長が貸してくれた湖南の著書『新型病原体X』だった。本がきっかけとなって、またあの悪夢が顔を覗かせるかもしれないのに、彼は読まずにはいられなかった。それが湖南の小説の魔力なのだろう。例によっておどろおどろしい内容の物語であったが、さいわいにも本を読んだ夜、このまえのような悪夢を見ることはなかった。
捜査が開始されて五日目、大きな動きがあった。それは克郎にとっても意外なことだったが、大西邸の使用人の石川親子のうち、息子のほうが逮捕されたのだ。罪状は窃盗だった。石川浩作はこれまでに何度も、大西邸から嗜好品や食料を内緒でもちだし、自分で飲み食いしたり友人に分けあたえたりしていたのだという。浩作の周囲のだれかが沢柴十夢の賞金目当てに密告したらしい。報告を受けた警察が石川の家を捜索したところ、納屋から舶来の酒や煙草、缶詰などが出てきた。巴署に連行された浩作も、金持ちに雇われている者の役得のようなつもりでついやってしまった、と盗みを認めた。
刑事たちは浩作が物品をくすねる以上のことをしたのではないかと疑った。それどころか、まわりの人間についても叩けば何か出てくるにちがいないと考えて、浩作逮捕の翌日、石川周兵衛と鈴野キミにも任意同行をもとめた。刑事につき添われたキミが署の玄関をはいってきて、二階の取り調べ室に連れていかれるのを克郎は目撃した。こうなると、さすがに素知らぬふりはできない。彼女の嫌疑をいますぐ晴らしてやりたかった。
そうした胸の内はまたもや署長に見透かされていて、克郎は署長室に呼ばれ、軽はずみな行動はしないようにとの忠告をふたたび受けた。それでも彼はひそかに決意していた。もしもキミたちが度を超えた苦痛を味わわされるようなことがあれば、自分の首を賭けてでも刑事課長にかけ合おうと。
一方、キミたちの取り調べと前後して、刑事たちは――克郎がそうであったように――湖南邸の内部に関心をいだいた。そして、しかるべき法的手続きを踏んで屋敷にはいり、磯谷の立ち会いのもとに家宅捜索をはじめた。しかし彼らは迷宮閣を過小評価しすぎており、あまりにも広大で複雑なつくりをまえに捜索一日目で退散を余儀なくされた。――といっても諦めたわけではない。七年前に建設にたずさわった矢向組に協力をもとめたのだ。問い合わせたところ、矢向組の東京本社に迷宮閣の設計図が残っていることがわかった。建設当時、現場監督を務めた社員が、図面をもって野分村までくることになった。その到着を待ち、じゅうぶんな打ち合わせと準備をした上で家宅捜索は再開された。
二度目のときには、どういうわけか克郎も応援に駆りだされた。屋敷内の壁や扉には設計図にもとづいて位置や順路を示す貼り紙がされ、それらと図面の写しをたよりに、おおぜいの人間が建物じゅうを歩きまわった。何ひとつ見落とすまいと家具の下や押し入れの奥まで懐中電灯がむけられた。天井裏にのぼったり床板の一部を剥がすことまでされた。何年間も屋敷を満たしてきた静けさと闇は奪い去られ、そこは克郎がキミに案内されて歩いたあの迷宮閣ではなくなっていた。
ほかの警察官にまじって、先日行かなかった最上階の書斎までのぼった克郎は、すくなからぬ失望をおぼえた。書物や紙切れにうずもれた、ただのせまくて薄暗い部屋にしか見えなかったからだ。だが、それは湖南のせいでも迷宮閣のせいでもない。自分たちにこそ責任があるのだ。すくなくともこんなやり方をしているかぎり、ほんとうの迷宮閣の扉はけっして開かれないだろう。湖南のいる場所には、ぜったいにたどり着けないだろう。克郎はそう感じた。
満を持しておこなった湖南邸の捜索がからぶりに終わると、刑事課長は目に見えて意気消沈し、世間の風評も警察の能力を疑う方向へかたむいた。どこかの法律家が「証拠不十分のまま冤罪が生みだされようとしている」と述べた論評が新聞に載り、批判の声は一挙に高まった。キミと周兵衛は署に連れてこられてから四日後の朝、帰宅を許された。
それから一週間ののち、県のほかの場所で新たに起きた強盗傷害事件は、野分村での仕事を切りあげる打ってつけの口実を刑事課にあたえた。そちらの捜査の優先を理由に、課員の大部分が巴署をはなれた。二人の刑事があとに残り、さらに半月のあいだ捜査をつづけたが、もちろん収獲はなく、最後には彼らも夜逃げ同然に去っていった。
石川浩作は窃盗の罪で起訴され、裁判で相応の懲役刑をいいわたされた。周兵衛は息子の罪と自分の不行き届きを恥じ、家族を連れて村を出ていった。浩作の盗みを沢柴に密告した人物は、結果的には湖南発見に貢献できなかったため、一銭の金ももらえずじまいだったという噂を克郎は聞いた。
桜の季節が終わり、躑躅《つつじ》の花が咲くころになって、大西湖南の失踪事件はだんだんと世間からかえりみられなくなっていった。そうして、その年の秋口に満州事変が勃発すると、完全に忘れられた。
野分村はまた、もとの静かな村にもどった。
*
昭和二十年七月のある日、琵琶湖方面から南にむかう列車のなかに克郎はいた。
まわりの乗客は克郎とおなじような老人や、くたびれきった女、腹をすかせた子どもたちがおおかたを占め、十代の終わりから四十代なかばくらいまでの男はほとんど見あたらなかった。彼らは兵隊として駆りだされ、絶望的な戦況のもとで亜米利加兵や支那兵との殺し合いを強いられている。
克郎は警察の制服ではなく、薄よごれた国民服を着て、ズボンの裾にゲートルを巻いていた。いろいろあったが、彼はもう警察官ではないのだ。
阿辺署長が退官したあと、驚いたことに克郎は巴警察署の署長を拝命した。阿辺前署長の推挙による人事だった。いまでも阿辺には深く感謝している。克郎も退官まで巴署で勤め、そののちも町にとどまるつもりだったが、妻が病を患った関係で瀬田町の長女の嫁ぎ先の近くに家を借り、そちらに引き移った。その妻にも昨年先立たれ、現在はひとりで暮らしている。それほどわびしい気はしない。ほとんど一日じゅう彼は本を読んでいた。湖南の著書もすべて読んだ。家の本棚には、昭和八年から九年にかけて秀林社が出版した『大西湖南全集』全二十三巻がならんでいる。
迷宮閣であのおかしな部屋へ迷いこんでから、例の悪夢を見ることは絶えてなくなった。あそこにいたのはほんの束の間だったが、あの場所のもつ力が何か作用をおよぼして、悪夢の元凶を取り除いてくれたのだと彼は信じていた。
克郎が今日むかっている先はほかでもない、野分村である。明け方の空襲で瀬田川の対岸の軍需工場に爆弾が落ち、そこから立ちのぼる火柱と黒煙を見ているうちに、迷宮閣へ行ってみたいという思いが卒然と湧きあがったのだ。
列車が糸栗駅に着くと、彼は満員の列車をおりた。バスの時間まで二時間近くあったので、駅舎の待合室で読書をして待った。
巴町経由・野分村行きのバスには、克郎のほかに十数名の客が乗りこんだ。知人と出食わして、野分村へ何をしにいくのか尋ねられるのも面倒だと思ったが、運よく知った顔はいなかった。
代燃車の木炭バスは停留所以外の場所でも何度か停まり、そのたびごとに初老の運転手が罐《かま》のようすを調べにおりた。巴町の手前の急勾配では、克郎も乗客たちといっしょに下車して車体の後部を押した。
克郎以外の客は巴町でおり、野分村まで行ったのは彼ひとりだった。あれから村の人口は下降の一途をたどり、いまではいつ廃村になってもおかしくないほどだ。駐在所もとうに閉鎖された。
真っ白な夏雲のあいまから強い日差しがふりそそいでいた。克郎は額や首の汗をタオルで拭き拭き、休息も取らずに村の奥の森をめざした。急ぐ必要はないのに、ついつい早足になる。
迷宮閣が湖南の縁戚にあたる人物の手にわたったことは、ずいぶんまえに聞いていた。作家の知名度にあてこんで観光客むけのホテルに改装しようという計画もあったらしいが、それも戦争の影響でお流れになり、屋敷は長いこと無人のまま放置されてきた。
到着してみると、かつて敷地の四囲にめぐらされていた高い鉄の柵は、金属供出でもち去られたらしく、コンクリートの基礎部分を残して消えていた。巴町から引っ越す直前にも克郎は名残を惜しんでここへきたが、あのときはまだ柵があり、建物の見える位置まで近づくことはできなかった。いまならそれができる。迷わずに彼はそうした。
庭には草木がはびこっていた。蔓草に足を取られないよう注意しつつ前進した。
屋敷が見えたとき、克郎は安堵のため息をついた。十四年前の春と変わらぬすがたで、迷宮閣はそこにそびえていた。彼もむかしとおなじように建物に見入った。
三十分ほどして克郎はふと、建物の右手の木かげにひとりの人間が立っていることに気づいた。着物にもんぺをはいた女だ。何者だろうかと克郎が考えているあいだに、女はその場をはなれ、ゆっくりと近よってきた。
声が届く距離までくると女はいった。
「おひさしぶりです、警部補はん。――いえ、あのあと警部はんにおなりやしたんですね」
「鈴野はん。おまはんでしたか……」
鈴野キミと会うのは、湖南の失踪のとき以来だった。歳月の流れが多少の変化をもたらしているにせよ、彼女はじゅうぶんに若く見えた。
「わしはもう警部でも何でもあらしまへん。七年前に退官して、いまはただのじじいですわ。鈴野はんのほうは、まだこの村に?」
「はい。未練がましいて笑われるかもしれまへんけど、時折こうしてお屋敷のまわりを歩いて、むかしのこと思いだしてます。おかしいですやろ?」
「そんなことありまへん。わしかて今日は急にこの建物が見とうなって、汽車とバスを乗り継いできたんやさかい、おあいこですがな」
ふたりは声をそろえて笑った。
「ところで鈴野はん」笑いやんでから克郎はいった。「おまはんにはふたつのこと謝らなあかんて、ずっと気になってましたんや。まずひとつは濡れ衣を着せられそうになったとき、助けてあげられなんだこと。あのときは、えらいきつい思いしましたやろ。遅ればせながら謝ります。堪忍しとくれやす」
キミは二、三度まばたきし、それからこっくりとうなずいた。
「もうひとつは、大西はんを連れ戻《もど》しとくれ言うて頼まれたのに、それができなんだこと。じつはあの日、あっち側[#「あっち側」に傍点]へ迷いこんだとき、大西はんがいやはったんです。あの人は怒りをみなぎらせた目で、わしをにらんではりました。あれは侵入者に対する非難の目やった。自分の世界へ何しにきた? 何の権利があってここにいる? 大西はんはそう言うて怒ってはったんや思います。ほんまにお恥ずかしい話ですけど、そのときはともかく大西はんの目つきがおそろしゅうて逃げてきたんですわ。すんまへん。わしにもうちょっと勇気があったら……」
キミは静かに微笑した。
「もうええんです。気にせんといておくれやす。もともと、わたしの勝手な片想いやったんです。この迷宮閣と旦那はんの取り合いをしても勝てんいうことは、はじめからわかってたことやし。そやさかい、もう忘れとくれやす」
それだけいうと、キミは迷宮閣をふりかえった。つられて克郎の目も屋敷へむく。そうやってふたりはしばらく建物を見つめていた。
ややあって、キミが克郎にむき直った。
「ほんなら坂牧はん、わたしはこれで……。どうか、おからだに気《きい》つけはって」
「ああ。鈴野はん、おまはんもな」
キミは夏草を踏んで正面の道のほうへ歩いていった。
ひとりになった克郎は、迷宮閣へ視線をもどした。彼は大西湖南という人間がつくづくうらやましかった。自分にも巨万の富があり、その上で笠井泉二のような建築家と出会えていたら、こんな屋敷を所有することができたのだ。
湖南は笠井泉二に「永久に住めるような[#「永久に住めるような」に傍点]建物をつくってほしい」と依頼したという。常識に照らせば不可能と思えるその注文に、異彩の才能をもつ建築家はある魔術的な方法で応えた。
建物を設計図の呪縛から解放し、空間や時間の制約から自由にすること。――施主の目に設計図を触れさせないようにして笠井泉二が成しとげたのは、まさにそういうことだったのではないかと、いつのころからか克郎は考えるようになっていた。
いささか奇妙なかたちをしているにせよ、設計図を手わたされた大工や職人たちにとって迷宮閣は、有限の容積と構造をもつ、ごくあたりまえの建物にすぎなかった。
ところが、図面を一度も見ていない湖南にとってはちがっていた。迷宮閣の内部には、想像しうるかぎりのいかなる部屋も廊下も階段も存在した。彼は想像力によって、自分だけにひらかれた場所を自在につくりあげることができたのだ。それら〈むこう側〉の領域は湖南にとって、空想というこの世のものではない素材でつくられているため、時間の流れにさえ縛られず、無限につづく稀有の建築物となりえた。
最終的に湖南は、現実の世界と完全に手を切り、その〈もうひとつの迷宮閣〉ともいうべき場所へ移住していった。おそらく彼はいまでもそこを逍遥し、永遠の夢にひたっていることだろう。
どういう拍子でか克郎は、むこう側の部屋をかいま見ることができた。もういっぺんあそこへ行ってみたいという気持ちはあるが、それはかなわぬ望みだ。迷宮閣は湖南のもの。その屋敷の主は未来永劫、大西湖南ただひとりなのだから……。
克郎は唇の端を曲げて笑うと、大西邸の建つ森をあとにした。
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W 製図室の夜
1
明治三十七年四月八日、東京帝国大学工科大学の第三学期がはじまった。
二学期を終えたとき八人いた建築学科の三年生は、七人に減っていた。
教室に集まった七人をまえに、里中琢爾《さとなかたくじ》教授はまずこんな話をした。――このたびの堀田東洋彦《ほったとよひこ》君の事故は、ほんとうに残念だった。卒業を目前に命を断たれた彼の口惜しさを思うと、胸が痛むし気落ちもするが、これからの三か月間は学業の総仕上げをすべき重要な時期であるから、どうか諸君は堀田君の弔い合戦をするようなつもりで頑張ってほしい。
そのあと教授は学生を順番に教卓へ呼び、春期休業中の課題となっていた卒業設計の案に目を通していった。各人の案をじっくりと点検し、質問をしたり批評をくわえたりしたので、全員のぶんを見終わるまでにはたっぷり一時間かかった。
授業がすみ、帰りじたくをした学生たちがつぎつぎと退席するなかで、そのうちのひとりに里中教授は声をかけた。
「ああ、笠井君。きみは残ってくれないか。ちょっと話がある」
教壇に近づいていく笠井泉二をよこ目で見ながら、矢向丈明は教室を出た。
廊下のすこしまえをほかの級友とならんで歩いていた雨宮利雅が急にふりむき、丈明に気づいて声をかけてきた。
「春休みはどうだったね?」
「なんだか、ぼんやりとすぎてしまった感じだな。課題のほかは腰を据えて何もできなかったよ」
「むりもないね。休みの初っ端にあんな事件があったのだから」
そういいつつ雨宮は、もといた教室のほうへちらちら視線を送っている。ああ、なるほど、と丈明は雨宮の心の内をすぐに理解した。笠井泉二がどうして居残りを命じられたのか、雨宮にはそれが気になっているのだ。
中学のころから常に雨宮は、泉二とともに学年の成績優秀者の上位に名をつらねてきた。本人は泉二のことなどまったく眼中にないようにふるまっているが――すくなくともそう見せかけようと努力しているが――言葉や態度の端々にときおり、泉二への強烈な対抗意識がうかがえる。
廊下の曲がり角まできて、ようやく雨宮は教室をふりかえるのをやめた。
「ところで矢向君。今日の帰り、ぼくの家によっていかないか? あいつらも来るといってるんだが」雨宮は「あいつら」というところで、前方を行く後藤《ごとう》と富永《とみなが》へ顎をしゃくった。
「せっかくだけれど、ぼくはこれから図書館へ行って調べ物をするつもりなんだ」
「なら、それが済んでからでもいいじゃないか。まだ昼前だし、時間はたっぷりとあるだろう。それに、苑子《そのこ》のやつも、きみの顔を見たがっていたぜ」
苑子という名前を聞いて、丈明の意志はすくなからず揺らいだ。その心理を見透かしたように雨宮がたたみかけてくる。
「な、だから、かまわんだろう? ぜひ来たまえよ」
話しているあいだに、ふたりは建物の出口まできていた。玄関のアーチの下から出ていきかけて丈明は立ち止まった。
「おや……」
「どうした?」と雨宮が尋ねる。
「帽子を教室に忘れてきたらしい。取りにもどるから、ここで失敬するよ」
「そうか、わかった。じゃあ、きっと帰りによってくれたまえな。待っているから」
「ああ、行くよ」反射的に丈明はそう答えてしまった。
急ぎ足で教室へ取ってかえすと、部屋の入口の扉が半分ひらいていた。
なかから里中教授の声が聞こえてくる。
「――いいかね、笠井君。きみが今日もってきた設計案は、たしかにそれなりの魅力があるし完成度も高い。そのことは認める。しかしだ、あれは伝統的様式の基準から、いささか懸け離れすぎている。いままで何度もいってきたことだが、きみの作品はいつも奇をてらいすぎているように思えるんだ」
丈明は扉の外で入室をためらっていた。
教授の言葉はつづいた。
「斬新な方向性を試みるのは、一人前の建築家になってからでも遅くはない。きみはまだ学生なのだから、はやる心は抑えて、まずは基本に忠実にいくことだ。さっきはみんなの手前もあっていわなかったが、笠井君の実力をもってすれば、正統的なクラシックやゴシックの建物を立派に仕上げて、最優秀の成績で卒業することも夢ではなかろう。だからこそ卒業設計では、もっと一般的な建築をやってほしいのだ。じつをいえば、これはわたしだけの希望ではない。卯崎先生もそう望んでおられるのだよ……」
そのあたりまで耳にして、丈明はわれにかえった。盗み聞きをするのは誉められたことではない。彼は急いで教室のまえをはなれた。
中庭でしばらく時間をつぶしてから、また教室へ行ってみた。今度は扉がしまっている。なかにはだれもいなかった。
授業のとき座っていた机のよこの鉤に、丈明の制帽は引っかかったままになっていた。
*
数学や応用力学や測量から建築条令や地震学や美学にいたるまで、丈明たちはじつにさまざまの学科を学び、実地演習もやってきたが、そういう課程は三年の二学期までで終わり、あとに残されているのは卒業計画の設計と論文だけであった。
卒論の題目として丈明が選んだのは「公共建築の将来的展望」だ。その日の午後、彼が図書館へ足をむけたのも、その論文の資料をさがすためだった。
図書館での調べ物は、お世辞にもはかどったとはいえなかった。本の頁に目を落としても、無関係な思考ばかりが頭に浮かび、ほとんど集中できなかった。周囲の事物がやけに遠くに感じられ、時間が自分を置き去りにして流れていくようだ。気がつけば彼は漫然と虚空を見つめ、死んだ堀田のことや最近はじまった戦争のことなどを考えている。
ここ数日、彼はずっとそんな調子で、何をしても身がはいらないのだ。
昨年から世間では露西亜と戦うべきか否かが論議の的になっていたが、だんだんと主戦論の優勢にかたむいて、この二月ついに戦いの火蓋が切られた。いまや日本国内はどちらをむいても戦争一色で、街じゅうがなにやら不穏な熱狂に駆り立てられている。新聞の号外売りが日に何度も大声をあげて往来を走り抜け、老若男女を問わず人々は飢えた者が食糧にむらがるのにも似た勢いで戦場からの知らせに殺到した。よるとさわると仁川《じんせん》沖の海戦や旅順港閉塞作戦のことがみなの口にのぼり、子どもたちまで戦争ごっこに打ち興じているありさまだ。ただでさえ、そんな落ち着かない状況のところへ、降って湧いたような級友の死に直面して、自分は精神的にまいりかけているのかもしれないと丈明は思った。
ほんとうは今日、雨宮の家によるのも気がすすまないのだ。どうせ行ったって、いつもの自慢話につき合わされるのが落ちだ。先日どこどこの財閥の屋敷へ父親とともに招かれていって自動車というものにはじめて乗ったとか、築地のなんとかいう洋食店のビフテキは値が張るが非常にうまいとか、そんなたぐいの話を延々と聞かされるか、あるいは金に飽かせて買った建築関係の洋書や米国製の写真機を見せびらかされることになるのだろう。心に余裕があるときならいいが、いまの自分にそれが耐えられるかどうか……。
それにもうひとつ、苑子のことがある。彼女が丈明の顔を見たがっていると、さっき雨宮はいったが、あれは本当なのだろうか?
苑子は雨宮利雅の六つ年下の妹だ。あの小柄で美しい娘のことを考えると、丈明は自分の気持ちがよくわからなくなってしまう。彼女に会いたいという思いと、会うのがおそろしいという思いとが、胸のなかでせめぎ合うのが感じられる。
まあ、いい……。どちらにしても約束してしまったのだから、今日は行くしかない。
午後二時ごろになって丈明は、図書館での不毛な状態にけりをつけ、大学の正門を出た。ところどころに桜の花びらのこぼれた道を、電車通りとは反対の方角へむかった。
ほどなく、たくさんの寺が築地塀《ついじべい》をつらねる駒込の界隈に差しかかった。そこから西へすこしはいったあたりに雨宮の家はある。
その屋敷は手入れの行き届いた広い庭をわきにしたがえ、堂々たるかまえの日本館と西洋館がならんでいた。雨宮家は越前|鳴山《なるやま》藩の江戸詰めの藩士の家系で、利雅の父親は現在、農商務省で官途についている。雨宮利雅は長男だから、いずれこの豪勢な屋敷をそっくり引き継ぐことになるのだろう。
丈明は何回か来たことがあって勝手を知っているので、日本館の母屋で取り次ぎを請うこともせず、雨宮と妹の苑子がふだん寝起きしている西洋館のほうへじかに足を運んだ。
一階のベランダの外から声をかけると、硝子戸のなかに雨宮があらわれた。表へまわれと手で合図を送ってくる。玄関へ行った丈明を、雨宮は扉をあけて迎え入れた。
「やあ、よくきた。あがってくれ」
丈明は靴を脱いでスリッパにはき替えた。
「そうだ」と雨宮がいい、丈明に上体をよせてきた。「きみ、さっき帰りがけに忘れ物を取りに教室へもどったろう。あのとき里中先生と笠井君はまだいたのかい?」
予期せぬ問いに丈明は上体をかたくした。ふたりが教室にいたと答えれば、泉二が先生から受けていた忠告のことまで話さなければならなくなる。だが、あれを他言するのは気が引けた。
「教室にはもう、だれもいなかったよ」丈明はうそをつき、とぼけて訊きかえした。「それがどうかしたのかい?」
「いや、べつに何でもないさ」
雨宮は丈明に背をむけて、廊下をすたすたと歩きだした。
彼のあとについて応接室にはいると、丈明は真っさきに苑子のすがたをさがした。彼女はそこにはいなかった。
後藤と富永がくつろいだ姿勢でソファにふんぞりかえり煙草をふかしながら、仁川に上陸した陸軍先遣隊がどうしたとか、旅順の敵要塞がこうしたとか、戦争の話題で盛りあがっている。丈明は目線で彼らにあいさつし、手前の長椅子に腰をおろした。
そのうちに女中が銀の盆に四人分の紅茶をのせて運んできた。彼女が去ってから、雨宮は「さて」とつぶやいて身を乗りだした。
「それじゃ矢向君もきたことだし、さっきの話のつづきをしようじゃないか」
「さっきの話というと?」
丈明は級友たちを見まわした。
「堀田君のことだよ」と富永がいい、そのあとを雨宮が引き継いだ。
「彼が死んだときのくわしい状況は、きみも知ってるだろう? はたして本当に事故だったのだろうかって、みんなで話し合っていたのさ」
「でも、あれは警察できちんと調べて、事故だったという結論に落ち着いたんじゃないのか? 里中先生もそうおっしゃっていたが」
「そういうことになってはいるけれど、案外と真相はちがうのかもしれないぜ」
砂糖を入れた紅茶をスプーンでかきまぜる手を止めて、丈明は雨宮を凝視した。
「何を根拠にそう思うんだね?」
「根拠なんてものはないが、一高の藤村操君が去年、華厳滝に飛びこんで以来、まねをする者が出て問題になっているだろう。あれの二の舞になるのを恐れて、学生たちを刺激しないように、警察や大学が実際とは異なる発表をしたということはありえないかな?」
「じゃあ、堀田君が自分からすすんで電車に轢かれたというのかい?」
「すくなくとも電車の運転手は、そう主張したそうじゃないか」
紅茶のカップからあがる薄い湯気を見つめて、丈明は考えこんだ。
「しかしだよ、すでに事故ということで片がついてしまった件にかんして、いまさらぼくらに何ができる?」
「そこなんだ」雨宮は芝居めかしたしぐさで人さし指を立てた。「その点について、さっきみんなでいろいろと頭を悩ませてみたんだが、さほど手間をかけずに真相を確かめられる方法をぼくが思いついた」
「ほう。そりゃまた、どんな方法だい?」
「堀田君に訊いてみるんだよ」
丈明はぽかんと口をあけた。
「堀田君に訊くって、いったいどうやって? 彼は死んじまったんだぜ」
「そのとおり。彼は死んでしまった。もうこの世にはいない。――ところで矢向君、きみは〈テーブル・ターニング〉というのを知っているか?」
「いや、知らない」
「西洋でおこなわれる交霊術の一種だ」
「交霊術? つまり、なにかい、その『テーブル何とか』をやって、堀田君の霊を呼びだそうっていう料簡なのかね? いまからそれをやるつもりかい?」
「そうだよ。みんなで話し合って、そういうことに話がまとまったんだ。それで矢向君がくるのを待っていた。きみも参加するだろう?」
「ちょっと待ってくれ……。その『テーブル何とか』というのは、どんなふうにやるものなんだ?」
「テーブル・ターニングは文字どおりテーブルを使っておこなう。複数の人間が卓のまわりに立って表面に手を置き、霊を呼びだすんだ。霊がきたら質問をし、テーブルのかしぐ方向によって〈はい〉か〈いいえ〉を判定する」
「むかし流行った〈こっくり様〉に似ているな」
「さすがは矢向君、なかなかの炯眼だね。実際、亜米利加の船乗りがテーブル・ターニングを日本にもたらして、それがこっくり様に変化したという説もあるんだよ。ちなみに、以前これの方法をぼくに伝授してくれたのも、父の知り合いの米国人だったがね」
丈明は低い声で唸った。
「だがなあ……心霊とか交霊術とか、その手のたぐいはいかがなものかな。いやしくも最高学府に学ぶわれわれが用いる手段としては、非科学的すぎやしないだろうか?」
「ならば、矢向君。そういうきみは仏壇のまえでご先祖様に手を合わせたり、試験の直前に社寺に詣でて願をかけたりということは、ぜったいにしないというのかい? そういう行為だって、心霊的なものを信じる立派な証しだと思うんだが。それに、非科学的というけれど、英国や米国では前世紀からすでに〈|心 霊 研 究 協 会《ソサイエティ・フォー・サイキカル・リサーチ》〉なる団体が組織されて、霊魂や千里眼について科学的見地から研究をつづけているそうだよ。一概に非科学といって切り捨てる態度こそ、科学の精神から離反しているのではないのか?」
理屈からいえば、たしかに雨宮のいうとおりで、丈明は何の反論もできなかった。
「そうそう」と雨宮がつけくわえた。「いい忘れたが、この交霊会には妹にも参加してもらおうと考えている」
「え、苑子さんもかい?」と後藤がいった。
富永も意外そうな顔つきをしている。どうやらこのことは、ふたりにとっても初耳だったようだ。
「うん。じつは苑子は小さい時分から霊感が強くてね、墓場の近くで青白い光を見たり、夜中に金縛りに遭うなんていうのはしょっちゅうだった。いまでも不幸な出来事の起こった場所などを通りかかると、得体の知れないものの気配を身近に感じて背筋が寒くなることがあるらしい。そういう人間が参加すれば、霊を呼びよせやすくなるはずだ」
雨宮は丈明を見た。
「それで、きみはどうするね? 協力してくれるのかい、くれないのかい?」
どうも雨宮は最近、苑子に対する丈明の心を見抜いているようで、妹を餌に丈明を釣るがごとき行動に出ることがある。丈明のほうでも雨宮の魂胆どおりにあやつられるのを不本意に感じつつも、苑子と会えるのだったらまあいいかという気分になって、垂れてきた釣針に結局は食らいついてしまう。
「わかったよ。やるのはかまわないが、まさか罰が当たったりはしないだろうね?」
雨宮はにやりとした。
「真剣な態度で臨めば平気さ。では、二階《うえ》へ行って妹を呼んでくるから」
部屋を出た雨宮は、まもなく苑子をともなって戻ってきた。
「後藤さん、富永さん、こんにちは」流行の庇髪を結い、紫色の矢羽根絣のお召しをまとった苑子は、帯のまえで上品に両手をそろえて客たちにほほえみかけた。
「あら、矢向さんもいらしてたのね。おひさしぶりですこと」
丈明は返事をかえすのも忘れ、数か月会わないあいだに新たな変貌をとげた苑子の美しさに見とれた。薄化粧をした彼女の瓜実顔は、切れ長の目といい、ほどよい高さの鼻梁といい、ふっくらした唇といい、どことなく高貴な感じのする色香をたたえている。女学校に通っていたころはまだ少女じみたあどけなさを残していたのが、去年卒業するあたりから急に大人びた印象になり、言葉つきや立ち居ふるまいまでもが一人前の女性にどんどん近づいてきた。
後藤や富永も、さきほどまでとは打って変わって居住まいを正している。雨宮の妹の美貌に心乱されている男は、丈明ひとりではないのだ。
「それじゃ」と、雨宮は一同を見わたしていった。「交霊会の準備に取りかかろうか」
*
テーブル・ターニングに使用する卓は、窓のそばにあった小ぶりの丸テーブルが選ばれた。天板の縁や四本の猫足に繊細な彫刻がほどこされた、腿ぐらいまでの高さのものだ。
のっていた花瓶をどけ、部屋の中央にテーブルを移動して周囲に人が立てるようにした。窓のカーテンを閉め、室内を暗くする。それから五人で丸テーブルをかこんだ。
丈明の右側に雨宮が、左側に苑子が立ち、むかいに後藤と富永がいる。雨宮の指示で、たがいの指先がかすかに触れ合うように卓上に片手を置いた。直径が一尺半ほどのテーブルの表面は、四人の男の無骨な手とひとりの女の華奢な手でおおわれた。
「最初にまず、堀田君を呼ぶんだ」と雨宮がいった。「精神を集中して彼のすがたを頭に思い浮かべてくれたまえ」
「苑子さんは生前の堀田君と会ったことがあるのかい?」富永がもっともな質問をした。
「直接会ったことはないが、幾度か写真を見せたことがあるし、どんな人間かも話しているから、差しつかえはないだろう」
雨宮の説明に、苑子もうなずいている。
一同は目をつむった。身をすこしかがめ、真っすぐに伸ばした片腕をテーブルに押しあて、その姿勢のまま微動だにしない彼らを、もしもかたわらで見る者があったら、奇妙な活人画を演じていると勘ちがいしたかもしれない。
はじめて早々、丈明は交霊会とは無関係なものに心を奪われてしまった。苑子が着物の懐に忍ばせている匂い袋だと思うが、左手からほのかに芳香がただよってくるのである。死んだ級友を回顧しようとすればするほど、間近にいる苑子へ注意がそれていってしまい、丈明はこまった。何でもいいから堀田にかんすることを考えようとした。
雨宮や後藤や富永や、現在ここにはいない笠井泉二――彼らとは中学や高校のころからいっしょだった。その面々にくらべたら、金沢の四高を卒業して建築学科へはいってきた堀田とは、さほど長い付き合いとはいえない。それでもこの三年間には、大学の行き帰りに道連れになっていろいろなことを話したり、日光や奈良へ実習旅行にでかけた折、宿屋で深夜まで酒を酌みかわしたこともあって、丈明は堀田に対して同級生としての親しみをじゅうぶんに感じていた。
堀田東洋彦はきまじめで努力家の青年だった。今日ここに集まっている一派のように遊びにかまけることもなく、空き時間や授業のあとにはよく、図書館で勉学に励んだり製図室で図面とむき合ったりしていた。その甲斐あって、前学期の彼の成績は笠井泉二、雨宮利雅に次いで八人中の三番。雨宮は堀田が自殺したのかもしれないというけれど、何かに悩んでいるふうには見えなかったし、あれだけ学問をつづける意欲をそなえた人間がみずから命を絶つなんて考えられない。
丈明がやっと邪念を追い払って、すべての意識を堀田にむけるのに成功したころ、雨宮は静かな声でいった。
「堀田君……堀田君……きているのなら返事をしてほしい。テーブルを揺さぶって知らせてくれ」
何も起こらなかった。部屋のなかの柱時計がコチコチ鳴っている。
しばらくして雨宮がもう一度、おなじ文句をくりかえした。やはり変わったことは起きなかった。
丈明は尋常小学校の三年か四年のとき、近所の友だちとこっくり様をしたことがある。木の棒でつくった三又の上にお盆をのせ、いまのようにして待っていたが、こっくり様はとうとう降りてこなかった。今日もあのときとおなじく、何もないままで終わるのか。
そう考えたやさき――
テーブルのどこかがミシッと鳴った。そして突然、ガタガタと音をたてて円卓が左右に揺れだした。
はっとして丈明はまぶたをひらいた。振動が腕を通じて肩までつたわってくる。
むこう側の後藤と富永も、驚いた表情でテーブルに目を落としていた。
「よくきてくれた、堀田君」
雨宮がいうと、テーブルはぴたりと静止した。
参加者のひとりひとりに雨宮はすばやく目配せをした。いいか、はじめるぞ。彼の瞳はそう告げている。丈明は口のなかにたまった唾を飲みこんだ。
左どなりの苑子をうかがうと、彼女は前方の宙を見あげている。その視線が飛翔する羽虫を追うみたいに上下左右に動いた。ここにきている霊が彼女には見えるのか……。
「堀田君」雨宮は一語一語はっきりと発音した。「きみに質問があるのだが、そのまえに便宜上の取り決めをしておこう。ぼくの質問に対する答えが〈はい〉である場合には、テーブルをぼくのほうへかたむけてくれ。〈いいえ〉である場合には、それと反対へかたむけてほしい。いいかね?」
一拍置いてテーブルがゆっくりと雨宮の側へかしぎ、すぐにもとにもどった。
「では、堀田君。最初の質問をする。きみは事故に遭って命を落としたのだろうか?」
テーブルの脚が一、二寸もちあがり、雨宮とは逆のほうへかたむいた。答えは〈いいえ〉である。
「二番目の質問をする。事故ではないということは、きみは自分からすすんで命を絶ったのか?」
テーブルはふたたび雨宮とは逆方向へかたむいた。また〈いいえ〉だ。
「事故でも自殺でもない?」後藤がつぶやいた。「いったいこれはどういう――」
雨宮はあいているほうの手を使い、身ぶりで後藤に黙るように指示した。そのあとで彼は慎重に唇を舐め、つぎの問いにすすんだ。
「どちらでもないということは、まさか堀田君、きみはだれかに殺されたのか?」
テーブルは雨宮のほうへかしいだ。
「〈はい〉だって?」
「信じられん……」
今度は丈明と富永が同時に口をひらいた。
「静かに」と、雨宮の押し殺した叱責の声が飛ぶ。
部屋じゅうに緊張がみなぎるなか、雨宮はつぎの質問をした。
「堀田君。きみを殺したのは、ぼくも面識のある人物か?」
テーブルが〈はい〉の方向にかたむく。
「大学内のだれかか?」
〈はい〉
「それは建築学科の三年生か?」
〈はい〉
「この場にいる者のひとりか?」
丈明はぞっとしながら、その質問に対する答えを待った。さいわいにも答えは〈いいえ〉だった。
しかしそうなると、級友のなかで残っているのは三人しかいない。雨宮は堀田殺しの犯人を容赦なく追及するかまえだ。
「堀田君。きみを殺したのは土屋《つちや》君かね?」
〈いいえ〉
「じゃあ、三好《みよし》君か?」
〈いいえ〉
丈明は愕然とした。残るはひとりだった。
「それでは、笠井君なのか?」
雨宮が尋ねたとたん、テーブルが勢いよく質問者の側――つまり〈はい〉の側にかたむいた。みんなの手が卓上をはなれた。人の輪が崩れ、テーブルは大きな音をたてて絨毯の上に転がった。雨宮はあわてて飛びすさり、両側にいた丈明と富永も、ぎょっとしてあとずさっていた。
つぎの瞬間、苑子の上体が大きく揺れた。彼女が自分のほうへ倒れてくるので、丈明はとっさに手を出してささえた。その拍子に苑子の胸元からかぐわしい香りが立ちのぼり、丈明の鼻腔をくすぐった。
彼の腕のなかで雨宮の妹は失神していた。
2
翌週の月曜日の夕方、丈明は大学のある本郷から湯島を通り、さらにお茶の水橋を渡って、小川町の近くまでやってきた。
土蔵造りの商家がならぶむこうに、ニコライ堂の丸屋根と尖塔がそびえている。仕事の退けた勤め人や学校帰りの学生、買い物の女たちなどで往来はにぎわっていた。
道の中央の線路を東京市街鉄道の車両が行き来する。停留所で停まって客を乗り降りさせては、また鐘をチンチン鳴らして出発していく。東京市内から鉄道馬車がつぎつぎとすがたを消し、それに代わって電気鉄道があらわれたのは、昨年の夏以降のことだった。露西亜との戦いがはじまれば、軍は兵器や物資の輸送のために大量の馬を徴発する。それを見越して鉄道会社は、開戦前に電化を急いだのだろう。
両国、日比谷、九段の各方面へ線路が分かれている三差路をすぎ、須田町のほうへすこし行ったあたりで、丈明は足を止めた。人道沿いに置いてある荷車と人力車のあいだに立って、街鉄の軌道をながめた。平行して通る二本の線路を右や左から、トロリーポールのさきに青白い火花を散らして、ときおり電車が走ってきた。
ちょうどこの場所だ。堀田東洋彦はここで死んだ。
堀田は駿河台にある叔父の家に下宿し、そこから大学へ通っていた。二学期が終わった三月三十一日の夜、八時をまわったころ、彼は手紙を出してくると家人にいい置いて外出し、三十分後にここで両国行きの電車にはねられたのである。
駆けつけた巡査が電車の運転手に事情を訊いたところ、逆方向にむかうべつの電車とすれちがった直後に、相手方の車両の陰からふいに堀田があらわれたという。ブレーキをかけたが間に合わず、ぶつかって倒れた堀田のからだは、運の悪いことに避難器《フェンダー》の網の下をすり抜けて車輪に巻きこまれてしまった。最後まで堀田は電車のほうを一度もふりかえらなかった。電車が迫ってくるのを承知していながら、わざと目をそらし、覚悟の上で踏みこんできたように見えたと運転手は語った。
その時刻、通りの商家はあらかた店じまいをし、人影もまばらだったが、二、三の通行人が轢かれた前後を目撃していた。彼らの話によれば、堀田は道を横断するような格好で出ていき、小川町の方面にむかう電車をやりすごしたあと、対向の両国行きにはねられたのだそうだ。とくに小川町方面行きの電車の斜めうしろを走っていて、堀田の行動をもっとも近くから見ていた俥引きの証言は、神田警察署の係官の関心を引いた。「轢かれた学生さんは、なんだか考えごとに夢中になってるみてえで、往来の左右にゃこれっぽっちも注意を払っていませんでしたぜ」と、俥夫はそういったのである。
堀田の叔父の家の者からも警察は話を聞いた。そして、堀田がみずから命を絶たなくてはならないような理由は見あたらず、遺書も残されていないことから、運転手の自殺説を退け、不注意ではねられたものと結論づけた。新聞にも事故と書かれ、丈明もそれを信じた。
しかし、である――
雨宮の家の交霊会で得られた答えはちがっていた。
簡潔なふたつの| 文 《センテンス》が丈明の脳裏に、でかでかと箇条書きにされている。
一、堀田東洋彦は殺された。
一、殺したのは笠井泉二である。
はじめるまえはテーブル・ターニングに疑いをいだいていた丈明だが、目前で実際に卓が動き、霊媒のような役割をはたしていた苑子が緊張で気をうしなうにおよんで、自分たちはほんとうに堀田の霊と交信したのだという確信をもった。そのいっぽうで、なぜあんな答えがかえってきたのか、その点についてはどんなに考えても納得できない。堀田が自分の足で電車のまえへ出ていくところが目撃されているのだ。その死にどうやって泉二が関与できたというのか?
数分置きに通る街鉄の車両を見つめつつ、丈明は心のなかで両手を合わせて、いまだそのへんをさまよっているかもしれない友の霊に語りかけた。――堀田君、どうか教えてくれたまえ。きみの身に何が起こったんだ? そのことに笠井泉二はほんとうに関係しているのか?
答えはなかった。
電車を五、六台見送ったあとで、丈明はため息をついた。いつまでこうしていても仕方がない。家へ帰ろう。須田町の停留所のほうへ彼は歩きだした。
と、そのとき、前方の人ごみの一点へ丈明の視線は吸いよせられた。サージの黒い学生服に身を包み、角帽をかぶった男が、ちょっとはなれた道端にたたずんでいる。
それはなんと笠井泉二だった。さきほどまで丈明がしていたのとおなじように、泉二も通りの真んなかへ目をむけていた。丈明には気づいていないようだ。
丈明は思わず立ち止まりそうになったが、とっさの判断で歩きつづけた。そのまま素知らぬふりをして泉二の背後を通り抜ける。
さきに横丁があったので、そこの角に身を隠して泉二のようすをうかがった。泉二はここへ何をしにきたのか? やはり彼は堀田の死とつながりがあるのか? そんな考えが頭のすみをよぎる。
しばらくして泉二は、丈明がいるのとは反対の方角へ去っていった。その後ろ姿が雑踏のむこうへ消えてしまうまで、丈明は彼から目をはなさなかった。
*
丈明が笠井泉二とはじめて会ったのは、中学校三年の春だった。
成績がずば抜けてよかった泉二は、一年級を終えると飛び級して、三年級の丈明のいる組へはいってきた。
飛び級をしたくらいだから、国語、漢文、外国語、歴史、地理、数学、博物といった学科の成績が優秀であることは予想がついた。ひとつ意外だったのは、泉二が絵の方面にも長けていたことである。図画の時間になると、泉二の描いた模写や写生に組じゅうの者の目が釘付けになった。どれもこれも美術学校の学生が描いた作品と見まがうばかりのみごとな出来映えだった。
丈明はたちまち泉二に惹きつけられた。いったい彼は何者なのだろう? どうすればこんな具合に何もかも難なくやってのけられるのか? できれば泉二とじっくり語り合って、その頭脳や精神をさぐり、秘密の一端なりとも解き明かしたかった。
だが、その望みをかなえるのは容易ではなかった。泉二が独特の近よりがたい雰囲気をもっていたからだ。
中学校の三年級といえば数えで十七、八歳前後の少年たちの集まりで、ほとんどの者は子どもじみた無邪気さや野蛮さから脱しきれていない。折あらば悪ふざけもするし、どうしようもない騒ぎだって巻き起こす。そんななかで泉二だけはみんなから距離を置き、つねに超然とかまえていた。とくに必要があるときしか彼は周囲の者と話をしなかった。喜怒哀楽をおもてに出すことはまれで、もしかすると泉二は感情というものをもち合わせない特異な精神構造の人間なのではないかと丈明は本気で疑ったほどだ。
四年にすすむと、丈明は泉二とちがう組になった。五年のときもべつだった。彼とはそのまま疎遠になってしまうような気がして、丈明はすこし残念だった。
ところが、明治三十一年の三月に東京府尋常中学校を卒業し、九月に第一高等学校へ入学してみると、おなじ工科志望の組に泉二のすがたがあった。偶然が仕組んだいたずらは、それだけではなかった。そのころの一高では新入生は最初の一年間だけ寄宿生活を送ることが義務づけられていたが、丈明は泉二と寮の同室に割りあてられたのである。
それでようやく丈明は、泉二との交流を真剣に試みようという気持ちになった。勇気をだして彼に接近した。顔色をうかがいながら丈明が遠慮がちに投げかける言葉に、泉二はべつだん迷惑そうなそぶりも見せず、彼特有の淡々とした口調で応じてくれた。
泉二は一風変わった、つかみどころのない性格であるが、いざ腰を据えて対峙してみれば、心配していたほどには付き合いづらい相手ではなかった。泉二が銀座で西洋洗濯店を営む家の次男であること、工科のなかでも建築学科への進学を希望していることなどを、そのとき丈明は泉二から聞いた。丈明自身は小伝馬町の大工の棟梁の次男坊なので、なんとなく似た境遇の泉二に親近感をおぼえ、自分と同様に建築の方面をめざしていることにも、ふしぎな縁《えにし》を感じた。
寄宿寮時代の泉二にまつわる出来事で、とりわけ忘れられない一件がある。
それは一年生の一学期がはじまって三月《みつき》ほどがすぎた十一月末のことだった。とある夜更け、丈明は奇妙な声を耳にして目を覚ました。
畳の上には十数名の生徒が床をならべて眠っている。南の空高く真んまるの澄んだ月がのぼっているのが窓越しに見えた。
ひっそりとした夜気のなかに、だれかの低い唸り声が響いている。まもなく丈明は、となりの布団の泉二がそれを発しているのだと気づいた。
丈明は月の光に照らしだされた泉二のよこ顔を観察した。ぎゅっと閉じたまぶたのまわりには幾筋もの皺が刻まれ、かすかにふるえる唇のあいだから、うーん、うーん、と苦しげな息が漏れている。
しばらく見守っていたが、泉二の苦悶はひどくなるいっぽうなので、とうとう腕を伸ばして泉二の肩に触れた。
泉二は何ごとかをつぶやいた。「白い翼……」という言葉だけが、かろうじて聞き取れる。
「おい、だいじょうぶか?」
丈明がささやくと、やっと泉二は目をひらいた。自分の置かれた状況が理解できないらしく、しきりにまばたきをくりかえしている。
「おれはいま、どうしていた?」つぶやくほどの声で泉二は尋ねた。
「ひどくうなされていたよ。だから起こしたんだ」
「そうか……。すまない」
泉二は寝がえりを打ち、壁のほうをむいた。
一夜明けて教場へおもむいてからも、丈明の心には前夜のことがなんとなく引っかかっていた。体操の学科のあと、用具をかたづける当番で泉二とふたりきりになったので、その機会に丈明は水をむけてみた。
「そういえば、きのうの晩はずいぶん夢見が悪かったようだね?」
組の者が兵式体操で使った木銃を倉庫の架台にもどしつつ、
「ときどき夢でうなされることがあるんだ」と泉二はいった。
答えてもらえないかもしれないが訊くだけ訊いてみようと思い、丈明はさらに問うた。
「寝言で『白い翼』とかいっていたけれど、どんな夢を見ていたんだい?」
泉二は黙々と仕事をつづけた。返事はないものと丈明があきらめかけたころ、唐突に答えがかえってきた。
「おれの家が洗濯店だということは、まえにも話したな。その家の裏庭に洗濯物が干されている場面から夢ははじまった。現実の庭は十坪程度しかないのに、夢のなかの庭は学校の校庭ほども広いんだ。そしてそこの一面に、たくさんの真っ白なシャツが干されている。そのシャツが見ているうちにだんだんと、背に白い翼の生えたものに変化していく。やがてそれは天使のすがたになった。何百という数の天使が、いままで干されていた竹竿をはなれ、羽ばたきの音を立てながらこっちへ飛んでくるんだ。天使たちはおれを取りかこみ、口々に何かいった。地上の言葉ではないから、はっきりした意味はわからない。ただその口調に要求するような、命令するような響きがこもっていることだけは感じ取れる。天使に四方から押し包まれ、白くてふわふわした翼に口や鼻をふさがれて、おれはどんどん息苦しくなる……。そこで丈明に起こされた」
丈明は作業を忘れて聞き入っていたが、話が終わると感心したようにいった。
「そりゃまた、すごい夢を見たものだね。そんなのをいつも見るのかい?」
「天使が出てくる夢は、子どものころからよく見ていた」
「心の奥にひそんでいるものと関連づけて夢の意味を科学的にさぐろうとしている学者が欧羅巴《ヨーロッパ》にいると聞いたことがあるけれど、その伝でいけば、きみの夢に出てくる天使はどんな意味をもつのだろう?」
泉二は何も答えずに首をふった。数か月間つき合ってきてわかったことだが、そういうしぐさを彼がするときは、この話はこれでおしまいという合図だった。それ以上の追及は断念せざるをえなかった。
それから三年がたった――
丈明は競争試験を乗りきり、東京帝国大学工科大学建築学科への入学を許された。もちろん泉二もいっしょだった。
ふたりのほかに一高から建築学科にすすんだ者は三人いた。雨宮、後藤、富永である。
雨宮利雅は当初、造船学を志望していたが、土壇場になって建築へ鞍替えした。いかなる心境の変化があったのかはわからない。志望変更の理由を丈明が尋ねても、雨宮ははぐらかして答えようとしなかった。
以前「造家学科」と呼ばれていた建築学科は、英語の「アーキテクチャー」の訳語が「造家」から「建築」へ見直されたのにともない、明治三十一年に現在の名称にあらためられていた。丈明たちが入学した当時、学科の頂点に立っていたのは、ジョサイア・コンドルの一番弟子といわれる卯崎新蔵教授で、彼は工科大学の学長も兼任していた。
入学して数週間後、丈明は学校の廊下で卯崎教授に呼び止められた。
丈明は卯崎新蔵とは旧知の間柄だった。矢向の店はもともと、幕府請負の大工棟梁だった祖父が興したもので、徳川時代の末から明治にかけて外国人居留地の建物を手がけるなどして成長した。祖父のあとを継いだ父の基助《もとすけ》は、西洋建築についてより多くの知識を得ようと、仕事を通して知り合った卯崎教授の指南を仰ぐようになった。その関係で丈明が幼いころから、卯崎は小伝馬町の矢向の家に足繁く出入りしていた。卯崎は子ども好きで、丈明や彼の兄の源太郎《げんたろう》をとてもかわいがってくれた。丈明が建築を学ぼうと思い立ったのも、卯崎の影響によるところが大きい。
工科大学の廊下で立ち話をしたとき卯崎教授は、短い雑談のあとで思わぬ方向へ話題を変えた。
「ところで、丈明君と机をならべている笠井泉二という学生のことだが、彼はきみとおなじ一高の出身だったね?」
「そうです。笠井君がどうかしましたか?」
「うむ。じつは彼とは、まえにもどこかで会ったことがあるような気がするのだが、それがどこだったか、どうにも思いだせんでね」
「いつごろの話なんですか?」
「それもよくわからん。なんでも、ずいぶん昔のことだったように思うが」
「しかし先生、そんなにまえでしたら、笠井君だってまだ子どもだったでしょうに」
丈明が口にした「子ども」という言葉に、卯崎教授の表情が変わった。
「子ども? おや、ちょっと待てよ……。笠井君は東京の産だったかな?」
「ええ。生まれも育ちも銀座で、家は洗濯屋をしていると聞いています」
卯崎は目を見張った。
「もしかすると……」
「思いだされたのですか?」
卯崎は半信半疑のようすで、欧化政策全盛のころに鹿鳴館で会った小さな男の子の話をした。
「あれはたしか、洗濯店のおやじが連れてきた子どもだった。目をきらきら輝かせた利口そうな子でね、建物のなかが覗いてみたくて、勝手にはいってきたのだ。追い払うのもかわいそうだったので、とくべつに見学させてやった。そんなに西洋館が好きなら、アーキテクトになれば鹿鳴館みたいな建物はいくらでもつくれると教えると、それじゃ将来はアーキテクトになると答えおった」
「そのときの子が笠井君だったのですか?」
「わからん。断言はできんが、あの力に満ちた目つきがそっくりだ。十五年ほど前の話だから年齢も合致する」
「よろしかったら、ぼくのほうから笠井君に確かめてみましょうか?」
丈明がそう申し出ると、卯崎教授はしばし思案したのち、にっこりと笑った。
「いや、それはあえてせんでおこう。これが事実ならおもしろいが、わたしの思いちがいだったらつまらんからな。いまの話はきみの胸の内だけにしまっておいてくれたまえ」
――こうして笠井泉二にまつわる謎が、またひとつ増えたのだった。
*
堀田東洋彦が死んだ場所で丈明が泉二のすがたを見かけてから一週間がすぎたころ、卯崎新蔵が建築学科をおとずれた。
卯崎はすでに工科大学の学長を退き、名誉教授の立場にあるが、ときどき教室へ顔を出しては学生たちを見てまわる。卯崎のあとを継いで主任教授になった里中は、学生がいいかげんな図面を引いていると、教え方が悪いと自分が叱責を受けるので、卯崎がくるときにはいつも戦々恐々としていた。
卯崎名誉教授は里中教授やほかの助教授、講師たちをあとに従え、本館二階の三年生の製図室へはいってきた。廊下の側から順に学生たちの机を覗きこんでいく。製図用の広い机にひろがっているのは卒業設計の図面だ。一からのやり直しを命じられたりしたら大ごとだから、ほとんどの学生は里中教授と同様、張り詰めた面持ちをしていた。
やがて卯崎は窓ぎわまで行き、空いている席のよこに立った。
「ここはたしか、堀田君が使っていたところだな」と卯崎はいった。「彼は気の毒なことをしたね」
「はい。まったくです」と里中教授が応じた。
何ものっていない机の上を卯崎はぼんやり見ていたが、そのうち悲しげにこうべをふって、ひとつ後ろの机へ移動した。
そこには笠井泉二がいた。卯崎は泉二の図面にじっくり目を通し、それから満足そうにうなずいた。
「正統的な歴史主義様式の邸宅だな。なかなかよろしい。この調子ですすめなさい」
卯崎の背後で里中教授も安堵の笑みを漏らした。泉二が自分の助言を聞き入れ、まえの奇抜な設計案を捨て去って一般的な建物に変更したことに、里中は心底ほっとしているようすだった。
何ごともなく巡回が終わり、卯崎名誉教授が引きあげてしまうと、緊張から解放された学生たちは休息を取るために席をはなれた。
「外をぶらつかないか?」丈明にそう声をかけてきたのは雨宮利雅だった。
ちょうど丈明もひと息つきたかったので、いっしょに出ることにした。
戸口のところでふりかえると、製図室に残っているのは笠井泉二ひとりになっていた。そのすがたが記憶のなかにある光景と結びついた。堀田東洋彦もよくああして、休みも取らずに図面にむかっていたっけ……。
廊下で後藤と富永がくわわって、いつもの顔ぶれになった。建物を出た四人は文科大学の裏手の池へおりていった。
池のほとりに腰をおろして世間話をしているうちに、富永が妙なことをいいだした。
「そういや、ぼくは昨日、いささかこわい怪談を耳にしたぜ」
「おい、まだ四月だぞ。怪談の季節には、ちっとばかし早すぎやしないか?」後藤が茶々を入れた。
池にむかって石を投げていた雨宮が手を止めた。
「いいじゃないか。せっかくだから聞かせてくれよ」
「それじゃ話すけど、出るんだそうだよ、これ[#「これ」に傍点]が」といって富永は、両方の手の甲を胸のまえで垂らし、幽霊を示すしぐさをした。
「どこに出るんだ?」と雨宮。
「工科大学の本館さ」と富永。
「だれから聞いたんだ?」と丈明は尋ねた。
「おなじ下宿にいる工科の二年生からだ。そいつ自身が見たんだそうだ。夜の十一時ごろ、たまたま正門のあたりを通りかかったら、本館の二階にふしぎな光がぼうっと輝いていたというんだ」
後藤が眉をしかめた。
「光が見えたのは二階のどのへんかな?」
「玄関の左右に塔のようになっている部分があるだろう。あの左側の塔のよこから数えて、三つ目の窓だったというんだがね」
「それってつまり、ぼくたちが使っている製図室の窓ってことじゃないか。それも、ちょうど堀田君の席があるあたりだ」後藤は短く身ぶるいして、自分の膝を抱きかかえた。「いやだな。製図室にもどるのがこわくなっちまった」
「なるほど」と、面は池のほうへむけたまま、確信に満ちた口調で雨宮がいった。「堀田君はいまだ成仏できていないと見える。成仏できないのはきっと、それなりに理由があるからだろう」
残りの者はいっせいに顔を見合わせた。あきらかにみんな、雨宮の家で先日おこなわれたテーブル・ターニングのことを思いかえしていた。
3
五月になった。
陸軍の第一軍が鴨緑江《おうりょくこう》を渡って進撃し、露西亜軍と一戦まじえてこれを討ち破ったという知らせがはいり、巷の人々はまたひとしきり騒いでいる。
そんな時期のある日曜日の昼さがり、丈明は裏神保町の本屋の店先で雨宮苑子と待ち合わせた。約束の時間よりすこし遅れて彼女はやってきた。その足でふたりは錦町の錦輝館《きんきかん》へむかった。
苑子は大柄な牡丹文様の友禅に藤紫の織り帯を締め、どこかの華族の令嬢といっても通りそうな装いである。かたや丈明は立襟のシャツの上から絣の袷《あわせ》を着て、袴をつけただけの学生式のかっこうだから、釣り合いの取れないことはなはだしい。すれちがう人々の目に自分たちは、金持ちの家のお嬢様とそのお供についてきた書生というふうに映っているのではないかと丈明は思った。
最初のうち彼は緊張と気はずかしさとで、何を話してよいやらわからなかった。苑子とふたりきりで外を歩くのは、もちろんこれがはじめてである。そもそもこんなことになったのは雨宮利雅にたのまれたからだ。――苑子が神田錦輝館でかかっている「日露戦争活動大写真」を観たいといっているが、自分はもう観てしまったので、代わりに連れていってくれる人をさがしている。数日前に雨宮はそう丈明にもちかけてきた。くだんのごとく手玉に取られているようで嫌な感じはしたが、苑子との距離を縮めるには願ってもない好機である。迷った末に丈明は引き受けた。
今回の活動写真は従軍技師が撮ってきた戦況の実写なので、ことのほか前評判がよく、錦輝館は大入り満員の大盛況であった。日章旗のかかげられた小屋の入口で、長い順番待ちをして券を買い、ようやく会場にはいれた。
桟敷のうしろのほうにならんで腰をおろすと、苑子の側からかぐわしい微香が流れてきた。交霊会のときとおなじ匂いだ。失神した苑子を抱き留めた瞬間、着物を通して手のひらにつたわってきた感触が、丈明の脳裏にまざまざとよみがえった。力の抜けた彼女のからだは、搗《つ》きたての餅のようにやわらかく、それでいて護謨《ゴム》毬みたいに弾力があった。思いだすと胸の奥が燃えあがるようだ。
開会時間がきて、場内が暗くなった。
舞台にフロックコートを着た弁士があらわれ、大きな布に描かれた絵を客席にむけて見せた。露西亜に見立てた熊が満州の地図の上で仁王立ちになり、いばっているところを描いたものだ。弁士はその絵をまるめて、脱いだシルクハットのなかに入れた。つぎに取りだしたとき、四つん這いになった熊に日の丸の腹掛けをした金太郎がまたがっている図にすり替わっていた。客たちはいっきに沸きかえり、拍手が起こった。
それでは日本の勇士たちがくりひろげる征露の戦いぶりをご覧《ろう》じろ、と弁士が口上を述べ、ヴァイタスコープが舞台の奥に像を投影しはじめた。客たちの頭のあいだから丈明は映写幕《スクリーン》に目を凝らした。
一本目は四月十五日の旅順港口の海戦を撮影したものだった。濃い髭をたくわえた指揮官が軍服の背筋を伸ばし、艦橋から周囲をにらんでいる。彼が号令を発すると、白い服の水兵たちが甲板の上を駆けまわり、大砲がつぎつぎに黒い砲煙を吐きだした。彼方の海面に何本もの水柱があがった。
そのほかにも陸軍の進軍風景など十種類ほどが上映された。青山でおこなわれた広瀬武夫中佐の国民葬を写した写真もあり、その直前には実際の役者が舞台上に出てきて、中佐が戦死したときの模様を寸劇で演じたりもした。広瀬中佐がどんなに立派な軍人であったかを弁士は歌うような節まわしで切々と語り、客席からは賞賛の声があがった。
お開きになって錦輝館を出ると、夕方に近かった。
そのあとの予定を丈明は考えていなかったが、苑子が日比谷へ行こうといいだした。そちらのほうで今夜、戦争の緒戦の勝利を祝って東京市民大祝捷会の提灯行列が催されることになっている。それを見物したいというのである。
丈明と苑子は神田橋から街鉄に乗り、日比谷公園でおりた。時間がくるまで公園のなかを散歩した。
公園は昨年の六月に開園したばかりだ。陸軍練兵場の跡地を利用しただけあって敷地はとても広いけれど、今日は提灯行列が目当ての人たちがすでにたくさん詰めかけて、どちらをむいても人間だらけだった。
歩き疲れて池のそばのベンチで休んでいると、思いだしたように苑子がいった。
「兄から聞いたんですけど、夜になると大学でふしぎなことが起こるんですって?」
「ああ、製図室の窓に光が見えるというあれですか?」
「ええ、そうです。近ごろでは毎晩のように目撃されているとか。しかもその光は、亡くなった堀田さんが座っていた席のあたりに見えるんだそうですね。学問に未練を残した堀田さんが通ってきているにちがいないって、うちの兄などは申しますが、矢向さんはどうお思いになりますか?」
「この目で見ていないので、はっきりしたことはいえませんが、ぼくの推測ではおおかたそれは、見回りの宿直がもってきた洋灯《ランプ》の明かりか何かでしょう。ふしぎでも何でもありませんよ、きっと」
「では矢向さんは、先だってのテーブル・ターニングのことも信じていらっしゃらないの?」
苑子の黒々とした瞳に見つめられ、丈明はまぶしそうに目をしばたたかせた。
「あ、いや、別段そういうわけでもないのですが……。ただ、あのときにかえってきた返答の内容が、ぼくには合点がいかないのです。堀田君の死に笠井君がかかわっていたなんて、ちょっと理解しかねます」
「矢向さんは笠井さんのことを、ずいぶんと信用していらっしゃるのね。あの人は相当変わった方だと聞いていますけれど」
「たしかに彼は変わっています。でも、学問的芸術的に秀でた者がふつうと変わっているというのは、歴史上よくあることです。天才は凡人が目を留めないようなものに着目し、凡人が考えないような方法で思考する。その結果が奇抜な言動となってあらわれるのです。それだけの話ですから、笠井君のような変わり者がかならずしも悪人や犯罪者になる素質をもっているとはかぎらない。そう信じています。――そう信じてはいますが、じつをいえば気持ちが揺らがないわけでもないのです。笠井君が無関係だとしたら、堀田君の霊はどうしてあんな返答をしたのか? ああいう返答が得られた以上、彼らふたりのあいだには、ぼくの想像できない何かが起こったのではないか? そんなことをあの交霊会以後ずっと考えてきました。いまにいたるも結論は出ず、ぼくは悩みつづけているんですよ」
苑子は片手で着物の袂をいじり、しきりと何か考えているふうだったが、急に口元に小さな笑みをたたえた。
「ほんとうに真面目な方ですのね、矢向さんは。そんなに思い詰めると、おからだに障りましてよ。もっと気楽におなんなさいまし」
てっきり丈明は、自分がテーブル・ターニングに疑いをもっているのを、苑子は遠回しに責めているのだと思っていたので、なんだかはぐらかされたような感じがした。
そのとき苑子が、はっとしたようすで周囲を見わたした。
「あら。いつのまにやら、すっかり暗くなりましたわね。そろそろ提灯行列がくるころじゃありませんこと?」
「その時分ですね」と丈明もいった。「行ってみましょうか?」
公園を出たふたりは、堀に沿って馬場先門のほうへむかった。おびただしい数の人間で道路はあふれかえっていた。何千人――いや、何万人もの人々が、手に手に提灯や万灯や幟や旭日旗をかかげ、公園めざして練り歩いてくる。南のほうでドーンという音がして、色とりどりの閃光が夜空に散った。花火の打ちあげがはじまったのである。
丈明と苑子は三十分ばかり馬場先門の手前の橋の上に立って、行列や花火をながめていた。
行列の参加者のほかにも、丈明たちのような見物人がどんどん押しよせてきて、周辺の人ごみは膨れあがるいっぽうだった。人と人との間隔がじょじょにせばまり、丈明は息苦しさをおぼえた。
それにしても、と彼は思う。だれかに命じられたり雇われたりしたわけでもないのに、こんなにおおぜいが一か所に集まって提灯をふったり万歳を叫んだりしているなんて、よくよく考えるとおかしな話だ。もはやこれは、たくさんの人間がいちどきにかかる催眠術のようなものかもしれない。まえに催眠術の公開実験を見たことがあるが、あのときに術をかけられた者たちとおなじで、ここにいる人々もおのれの意志をなくし、よそから与えられた何かの暗示に突き動かされているように見える。
そうか! 丈明の頭のなかでふいに、ある恐ろしい考えが炸裂した。
――催眠術という手があったか!
堀田東洋彦は電車に轢かれる直前、考えごとに夢中になっているようで、通りの左右には注意を払っていなかったと、目撃者は証言した。そのとき堀田はもの思いに耽っていたのではなく、催眠術をかけられていたとしたら? しかも、その催眠術をかけたのが笠井泉二だとしたら?
さきほど苑子のまえで、泉二は悪をおこなうような人間ではないと明言したばかりなのに、その確信がたちどころに遠のいていくのを感じた。泉二みたいに頭がよければ、市販の指南書を読んで催眠術を独学することも不可能ではあるまい。そして習得した技を使って、電車に飛びこむように堀田に暗示をかけることも……。
そこまで考えたとき、となりの人間と肩がぶつかって丈明はよろめいた。気がつくと、まえにもうしろにも右にも左にも厚い人の壁ができていて、ぐいぐいと圧してくる。見物人のかたまりはいつしか提灯行列とごちゃまぜになって、噴火口から流れだす溶岩のようにゆっくりと移動していた。
剣呑な感じがした。混み合っていない場所へ避難したほうが安全だと本能が告げている。丈明はからだのむきを変え、人を掻き分けながら電車通りのほうへすすみだした。
そこで「矢向さん、矢向さん」とくりかえし呼ばれ、彼はしまったと思った。苑子のことを忘れていたのである。
ふりむいたが、苑子は見つからなかった。彼女の名を叫び、四方八方に目を配ったものの、そのすがたは人垣にさえぎられてしまっている。
苑子をさがすうちに、丈明自身も後戻りできなくなっていた。彼は群衆にはさまり、自分の意志とは無関係に橋の西詰へと運ばれていった。もはや苑子を見つけるどころではない。転ばないように気をつけているだけで精一杯である。
だれかの落とした提灯が踏みつぶされて燃えあがった。あちこちから「押すな」とか「痛い、痛い」という抗議があがるが、それらの声もだんだんと言葉にならない唸りや叫びに変わっていった。
圧倒的な流れに呑みこまれた者たちは、ただひたすら手足をふんばり、強烈な押し競べに耐えるしかなかった。他人の肘が脇腹に食いこみ、身をくねらせてそれから逃れると今度は足を踏まれ、そこから解放されると次は胸を圧迫されて呼吸困難に陥る――そんな苦痛と恐怖のなかで時間がじりじりと経過していった。あたりに満ち満ちた人間のどよめきは、地獄の底から響く罪人たちの苦しみの声のように天と地の間にこだました。
もうだめだ、これ以上は耐えられないと丈明が観念しかけたころ、からだにくわわっていた圧力がすこしずつ減ってきた。さらにしばらくたって、人間どうしの隙間にゆとりができてきて、息がつけるようになった。
命拾いしたと彼は思った。それはけっして大げさな表現ではなかった。橋の上から人波が退いてわかったことだが、欄干のきわにしゃがみこんだり倒れたりして介抱されている人々がいた。押されたり踏まれたりして怪我をした人たちだ。ぐったりしたまま、担架や荷車にのせられて運ばれていく者もいる。
突きあたりの門を見ると、かぶせた筵《むしろ》の下から人間の手足がはみだしていた。いやな予感がした。丈明は近づいていき、そばにいた巡査に、じつは連れとはぐれてしまったのだがと告げた。
巡査は筵をめくり、遺体を見せてくれた。よこたわっていたのは初老の女と十歳くらいの男の子だった。丈明は手を合わせて南無阿弥陀仏と唱え、すぐに視線をそらした。
怪我をした人も亡くなった人も永楽病院に順次運ばれているから、心配ならそちらも調べたらよかろうと巡査は教えてくれた。いわれたとおりに丈明はしたが、行ったさきでも苑子を見つけることはできなかった。
九時をまわったあたりで、丈明は苑子をさがすのをあきらめた。電車に乗って駒込の雨宮邸をめざした。
到着して西洋館の呼び鈴を鳴らすと、雨宮利雅が出てきた。
「苑子さんは?」開口一番に丈明は訊いた。
「矢向君、今日はごくろうさまだったね。待っていたまえ」そういって雨宮は奥に引っこんだ。
五分ほどして苑子があらわれた。彼女が無事と知って丈明は喜んだが、苑子はかんかんに怒っていた。
「あなたったら、ほんとうにひどい方ね! わたしが難儀して助けをもとめているのに、ほったらかしで行ってしまうんですもの。やっとのことでわたしは人ごみの外に逃れて、こんなに人が多けりゃ金輪際見つけてもらえないと思ったから、俥を拾ってさっさと帰ってきましたの。ああ、まったくとんだ災難だったわ!」
丈明はくりかえし詫びたが、苑子の機嫌は直らなかった。
彼は悄然として雨宮の家から引きあげた。
*
明くる日の新聞に、前夜の提灯行列の混乱で死亡した者は十九名、負傷した者は多数という記事が載った。惨事の起こったそもそもの原因は、馬場先門を警戒していた警察官が門内にはいってくる雑踏を堰き止めようとして、一方的に門扉を閉じてしまったことにあるらしかった。まかりまちがえば自分も死者のひとりに勘定されていたかもしれないと考えると、いまごろになって丈明は背筋がつめたくなった。
気分が落ち着いてから丈明は、提灯行列を見物しているときに突然ひらめいた、例の催眠術云々という仮説を思いだした。そのことが幾日も彼の頭をはなれなかった。
週のなかばになって丈明はある決心をした。
その日、大学から家にもどったのが午後の四時ごろ。夕飯後は自分の部屋で暗くなるのを待ち、九時近くなると紺絣の普段着の上から袴をつけ、足音を忍ばせて玄関へむかった。耳ざとい婆やに途中で見つかり、こんな時間にどこへおいでかと問い詰められた。適当にごまかしてその場をのがれたが、正直にいえないような場所へ遊びにいくものと勘ちがいされたらしく、婆やはあきれたような目つきで丈明のことを見ていた。
本郷三丁目で電車をおり、大学の長い塀に沿って歩きだしたのが、ちょうど十時ぐらいだった。正門のそばまできて背伸びをし、塀越しに真っ暗な構内をうかがった。
うわさはほんとうであった。左手の奥の建物に、ぽつんと一個明かりが見える。ぼんやりにじんだ黄色い光だ。ひとところにあって動かない。今夜は月がないので正確にどこの窓だか見定められないが、工科大学の本館の正面、中央からやや左よりの二階であることはまちがいない。やはり三年の製図室のへんだ。
先日あの光の正体について苑子に意見をもとめられたとき、きっと見回りの者がもつ洋灯《ランプ》の明かりだろうと丈明はいったが、あれは女のまえで格好をつけたいという虚栄心から出たいつわりの答えだった。実際には彼もほかの学生たちとおなじように九割方は怪異現象だと信じている。死んだ堀田の魂魄がこの世へおとずれてきた、その顕現のようなものだと捉えている。この考えが正しいとしたら、あそこへ行けば堀田と会えるわけだ。もういっぺん堀田に会って、彼が死んだほんとうの理由を尋ねたい。丈明が今夜ここへ足を運んだ目的はそれなのだ。
こわくないといえば嘘になる。現にいまも緊張のために腕や足が痺れたようになり、手のひらが汗で湿っている。だが、真相を知りたいと願うのなら、あの怪しい光のもとへおもむくしかない。逃げかえりたい気持ちを抑え、丈明はふたたび歩きだした。
こんな時刻でも研究などで遅くまで居残っている者がいるので、正門のよこの小さな鉄扉はあいている。けれども、そこを通ってなかへはいろうとすれば、門番に用向きをただされるだろう。それも面倒なので、丈明は弥生町の側の脇道へはいり、できるだけ暗いところを選んで塀を乗り越えた。靴をはいてきたから難なくやりおおせた。
頭上で星屑が輝いていた。実験室や列品室の建物が黒々とした塊となってうずくまっているなかを、闇に目を凝らしながら丈明はすすんだ。
前方に煉瓦造り二階建ての工科大学の本館がある。こうして星明かりのもとで眺めると、そのゴシック様式の外観は、どことなく西洋のお伽話の挿絵に描かれている古い城を連想させる。内部にどんな魔物がひそんでいてもおかしくないようだ。
どこからなかへはいるかは、昼間下見をして決めておいた。応用化学教室の建物とのあいだに桜の木が何本か立っている。そのうちの一本によじのぼり、太い梢を注意深くつたって二階の窓に手を伸ばした。桟をつかんで強く揺さぶると、ぎいっと音がして窓があがった。すきまから身をすべりこませる。はいったところは、不用の机や椅子が押しこんである倉庫のような小部屋だ。そこの窓の鍵が不用心にも、かなりまえから壊れっぱなしになっているのを彼は知っていたのだ。
手さぐりで戸口にたどり着き、立ち止まって耳を澄ました。静かだった。何の気配もしない。深呼吸をして扉をあけ、廊下へ足を踏みだした。
工科の本館は中庭をかこんで口の字のかたちをしている。はいってきたのは裏手に面した場所だから、建築学科の製図室へ行くには建物を半周しなければならない。濃い闇の落ちる廊下は、どこまで行っても尽きることがないように感じられた。歩いているうちに現実味がふと薄れて、悪い夢のなかにでもいるような気がしてくる。その錯覚を追い払い、喉元までせりあがってくる恐怖をこらえて、丈明は前進をつづけた。
ようやく製図室のまえにたどり着いた。扉は閉まっている。その取っ手を握ってまわすとき、彼の緊張は頂点に達した。胸郭の内で心臓が奔馬のように暴れていた。
扉のむこうの製図室には、淡い光がひろがっていた。光の源を目でさぐると、堀田東洋彦の机の上に火のはいった洋灯《ランプ》が置かれている。外から見えた明かりは、そのともしびに相違なかった。
堀田の席からひとつ後ろへ視線を移すと、黒い人影があった。製図机におおいかぶさるようにして手を動かしている。
堀田だ、堀田東洋彦だ――と丈明は思った。
腰から下の力が抜けていく。その絶望的な瞬間に彼は悟った。とてもではないがこんな臆病な自分に、死者と面とむかって話すことなどできようはずがない。なぜ最初からそれに思いいたらなかったのだろう? こんなところへくるべきじゃなかった……。
丈明は踵をかえして逃げようとした。が、すんでの所でとどまった。よく見れば、彼が堀田と思った者の輪郭は、べつのだれかにそっくりだった。
多少の冷静さを取りもどした丈明は、製図机のあいまを通り、恐る恐るそちらへ近よった。そして、そこに座っているのが幽霊でないことを確かめた。
その人物はいぜんとして図面に目を落とし、烏口を使う手を休めなかったが、来訪者の存在にはとうに気づいていたらしく、おもむろに口をひらいた。
「こんな遅くに何をしている?」
ひと呼吸置いてから丈明は応じた。
「それはこっちの台詞じゃないか、笠井君」
笠井泉二は机から顔をあげた。いままで陰になっていた目鼻立ちが、洋灯の明かりに照らしだされた。
泉二が黙っているので丈明はいった。
「最近、夜になると製図室にあやしい光がともるって、みんな噂している。きみは毎晩ここへきて、そうやって洋灯をつけて図面を引いているのか?」
泉二はうなずいた。
「昼間よりも夜のほうがいいんだ」
「こんなことをしていて平気なのか? 宿直が見回りにきたら大目玉を食らうぞ」
「あの人には酒を付け届けておいたから平気だ。玄関の合い鍵も貸してもらっている」
丈明は泉二の手際のよさに感服した。そんな取引をやってのける策略家の面が泉二にあるとは知らなかった。
「ぼくがここへきた理由だけど」と丈明はいった。「じつは堀田君に会うつもりだったんだ。その……ここには堀田君の幽霊がいると考えていたものだからね」いってしまってから、自分の無知蒙昧を披露したようで恥ずかしくなった。
「堀田に会って、どうしようと思った?」と泉二は訊いた。
「彼が死んだわけを尋ねてみるつもりだった。あれは事故だったのか、自殺だったのか、それとも――」
丈明は泉二を見つめた。
泉二も丈明をじっと見かえす。
「――それとも、きみが殺したのか」ついに丈明はその言葉を発してしまった。
「おれが殺した?」泉二はわずかに目を見ひらいた。「そうか……もしかすると、そうなのかもしれないな」
「ぜんたい、きみと堀田君とのあいだに何があったのだ?」
「知りたいか?」
「知りたいとも。たとえ、どんなにつらい真実を知ることになっても、大きな疑念に悩まされながら残りの人生を送るよりはましだ」
おもむろに泉二は学生服の懐に手を入れた。内ポケットから封筒があらわれる。
「堀田の書いたものだ」そういって泉二はそれをわたしてよこした。
堀田東洋彦から泉二に宛てられた封書だった。日付は三月三十一日になっている。堀田の死んだ日だ。
「それは春休みの一日目に、堀田の訃報よりも遅れて、おれのところへ届いた」と泉二はいった。
折りたたまれた便箋を丈明はひらいた。まちがいなく堀田の手蹟である。講義で聞きのがしたところを写させてもらおうと、何度か堀田から帳面を借りたことがあるので、彼の書く文字の特徴はわかっていた。
こんな便りをいきなり送る非礼を詫びる文章から、手紙ははじまっていた。そのあとに思いもよらない堀田の境涯が記されていた。要約すれば以下のようなことだ――
堀田東洋彦の祖父は加賀藩おかかえの蘭学者として藩校で教鞭を執り、金沢にこの人ありと全国に知れわたるほどの碩学であった。堀田家の家督を継いだ父も祖父に倣い、学問で身を立てようとしたが、御一新の前後の混乱で思うとおりにならず、不遇の時代をすごしたのち中学校の教師に落ち着いて、その薄給で糊口をしのぐようになった。父は自分の代で一家が零落したことを恥じ、家門再興の夢を長男の東洋彦に託した。それゆえ東洋彦は、幼いころから厳しい教育を受けて育った。たとえどんな苦労をしようとも行く末は祖父のごとき大人物となって、堀田の家に往時の繁栄を取りもどすことがおのれの使命と心得よ、と、そんな訓戒をあたえられて成長したのである。
中学、高校と、東洋彦は何の疑問を感じることもなく、父にいわれるがままに切磋琢磨をかさねた。将来どの方面へすすむかも父の考えにしたがった。東洋彦は幾何学的な直観力と図画を正確に描く才能がとりわけすぐれていると誉めてくれた教師が中学時代にあって、その言を信じた父は何人かの知り合いとも相談した上で、ゆくゆくは工科へ行って建築を学ぶようにと息子に申しわたした。
東京帝大の工科大学に入学を許された東洋彦は、金沢から東京に出て建築学科へ通いだした。しかし入学して間もなく、彼は生まれてこのかた体験したこともないような大きな挫折を味わった。いままで学校でいちばんの成績を取れと父に命じられ、実際にそれをやってのけてきた東洋彦だったが、いざ大学へきてみると、日本じゅうから集まった学生たちのなかには自分よりも優秀な者がいたのだ。その事実に彼は打ちのめされ、世界が根底からくつがえったような気がした。もはや首席となって父を喜ばせられないおのれが無価値に感じられた。これまで信じてきたほど自分は頭のよい人間ではなく、父親の大望を背負って生きていく資格などないのではないかと思った。それでも彼は幼少時代から忍耐を叩きこまれていたので、苦しい心の内をだれかに打ち明けることも何かの気晴らしで発散することもせず、将来に対する強い不安にさいなまれつつも、従来どおりに――いや、従来以上に勉学に励んだ。それよりほかに為すすべを知らなかったのである。
そうして今日――三年の二学期の最終日になるまで、なんとか持ちこたえてきたものの、とうとう東洋彦は力尽きてしまった。上をめざして苦闘することに倦み、堀田家の総領の責務を果たすことにも疲れ、これからさきは一歩もすすめない所まできてしまった。家門再興の使命をまっとうできないことが確実になった以上、もう生きていてもしかたがない。いま、大学からもどってこの手紙をしたためているが、これを書き終えて投函したら、このふがいない一生に決着をつけるつもりでいる。父のためにも堀田家のためにも、また自分自身のためにも、そうすることが最善の道なのだ。さいわいなことに下にはまだ中学生の弟が控えていて、それなりに優秀であるから、もしかすると彼が自分に代わって父の夢を実現してくれよう。重荷を肩代わりさせるようで弟には気の毒だが、こればかりはどうにもならない。
――そんな内容のことが、堀田東洋彦の便りには綿々と綴られている。
最後はこんな文面で締めくくられていた。
[#ここから2字下げ]
処で僕が何故、組の中でも親しく交際した事の無い笠井君をわざ/\選んで、斯《か》うした話を長々と語つて聞かせるのか、君は些《いささ》か不審に思ひ、或いは迷惑に感じてゐるかも知れない。此処《ここ》で其《そ》の点を明確にしておく必要が有るだらう。一つ勘違ひしないで欲しいのは、僕は別段恨み事を述べる為に此れを書いてゐる訳では無いと云ふ点だ。確かに僕は笠井君に初めて見《まみ》えた時から、君の大いなる才能に羨望の念を抱き、君のやうに為れたらどれ程良いかと心密かに思ひ続けて来た。君程の能力が有れば、父の望む通りの夢など容易に叶へられる筈だから……。然《しか》し其れは単なる無い物ねだりに過ぎぬ。僕は斯う云ふ結末が自分に訪れた事を誰か余所《よそ》の人の所為《せゐ》にする積りは無い。畢竟《ひっきゃう》、僕が死なねばならぬのは、自分の至らなかつた所為だ。僕が無能で脆弱な人間だからだ。
兎《と》に角《かく》次の事だけは覚えておいて欲しい。僕は君の才能に、殊に建築の才能に深い感銘を受けてゐた。自分も又建築を志す学生であると云ふ立場を忘れ、君の作品にすつかり惚れ込んで仕舞つた。君の引く図面の前では、僕は只一人の熱烈な支持者《ファン》でしかあり得なかつた。――詰まる処、僕が伝へたかつたのは以下の事柄に尽きる。若《も》しも僕が今迄とは異なつた僥倖な道を辿つてゐたとして、今後も生き続けたとしたなら、僕は将来何時の日にか必ずや笠井君に、自分の家を設計して呉れないかと頼んでゐたに違ひない。其処《そこ》まで僕は君の生み出す建物の想像を超えた像《ビジョン》に魅惑され、其の神秘の佇まひに憧れてゐたのだ。
僕は彼《あ》の世から笠井君を眺めてゐるよ。君が立派な建築家と為つて、無類の建物を後世に残す事を信じてゐる。どうか頑張つて呉れ給へ。
其れでは御機嫌よう。
[#ここで字下げ終わり]
手紙を読み終わっても、丈明はいうべき言葉が見つからなかった。
堀田が死んだ翌週、上野の寺で営まれた葬儀のときのことを彼は思いだした。故郷に帰省していて間に合わなかった一名を除き、その葬儀には建築学科三年の全員が参列した。金沢から駆けつけた堀田の両親もその場にいた。母親は焼香の人々に頭をさげながら、ハンケチで目頭を押さえていた。父親はそれとは対照的にみごとなまで毅然とした態度をたもっていたが、棺の蓋を釘で打ちつける音が最後に響いたとき、肩をがっくり落として十も老けこんだように見えた。
いますべてを知った丈明は、なんという不幸な父と子の関係かと思った。親が子に授ける教育も、考えてみれば一種の催眠術のようなものだ。術がいっこうに効かないのも不幸だが、あまり効きすぎてもこうした不幸な結末となる。
丈明はもう一度ゆっくりと手紙を読みかえしてから、封に入れて泉二の手にもどした。
「さっきは悪かった。きみが殺しただなんて、ばかなことをいってしまって……。ぼくはとんだ見当ちがいをしていたようだ。ほんとうにすまない」
「あながち見当ちがいではないのかもしれない」と泉二はいった。「おそらくおれは知らず知らずのうちに、堀田が死にむかっていくのに手を貸していた。それだって立派な罪かもしれない」
どう答えていいのか、丈明にはわからなかった。
うつむくと、机の上の図面が目にはいった。おや、と丈明は思った。それが昼のあいだ泉二が取り組んでいる卒業計画とはちがう設計図だったからである。
「その図面は何だい?」
「これか。これは堀田のためのものだ」
「堀田君のためのもの?」
「堀田の手紙の最後に書いてあったこと――あれは事実上の設計依頼だとおれは感じた。だから、あいつのために家を設計することにしたんだ」
新たな驚きが丈明を見舞った。
「じゃあ、きみは堀田君の家を設計するために、毎晩ここへ通ってきていたのか?」
「そうだ。だが、もうすぐそれも終わる。この部分の墨入れが終われば完成だ」
泉二は烏口に墨を含ませ、図面の一か所に定規をあてて線を引きはじめた。ついいましがたまで丈明と話をしていたのに、つぎの瞬間にはもう製図に没頭している。丈明はただ見守るしかなかった。
洋灯《ランプ》の火屋《ほや》のなかで燃えつづける小さな炎。製図室の暗がりのなかにならぶ無人の机。壁の上でうごめく泉二の巨大な影。そういったものを眺めながら丈明は、今夜のことを自分は一生忘れないだろうと思った。
三十分ほどして泉二は筆記用具を置いた。
「できたのか」と訊くと、「できた」という。
「見せてもらっていいか?」と訊くと、「いい」というので、丈明は腰をかがめて設計図へ目をよせた。たちまち引きこまれた。
しばらくして泉二が「帰るぞ」といったときにも、丈明は未練がましく図面から視線をはなさなかった。しかし、泉二が洋灯をもって出口へむかったので、しかたなしにあとを追った。
部屋を出がけに丈明はふと、背後に何かの気配を感じた。彼は首をめぐらし、そこではっと息を呑み、全身を硬直させた。
窓硝子に真っ暗な夜を背景にして堀田東洋彦の上半身が映っていた。部屋のなかに堀田のすがたはないのに、硝子の上にだけいるのである。大学の制服を着た堀田は自分の席へ座り、そこから身をねじるようにして泉二の机の図面を覗きこんでいた。頬のこけた青白く透き通ったよこ顔。その口元に浮かんでいるのは満足そうな笑み。
丈明は小さな叫びを発して、はじかれるように廊下へ飛びだした。
廊下を行きかけていた泉二が、足を止めてふりかえった。
泉二にも教えようと、丈明は製図室のなかを指さしかけたが、落ち着き払った泉二の表情とむき合った刹那、どういうわけか取り立てて騒ぐほどのことでもないような気がしてきた。こんなのは泉二のまわりでは、ごくごくあたりまえに起こっていることなのかもしれない……。
早鐘のように打つ心臓の上に片手を置き、丈明は目をぱちくりさせていたが、やがてつくり笑いを浮かべると、かすれた声でいった。
「ハハ……だいじょうぶ。なんでもない」
4
週末、丈明は雨宮の家をおとずれた。
あいにくと雨宮利雅は、だれかの屋敷で催された宴に父親とともに招かれていったとかで留守だった。
代わりに西洋館の玄関口に出てきたのは苑子である。提灯行列のときのことをまだ根にもっているのではないかと丈明は警戒したが、なんとか怒りは治まってくれたようだ。彼女は丈明をにこやかに迎え入れ、応接室へ通してくれた。
「今日は兄に何のご用でしたの?」
「例のテーブル・ターニングのことで少々」
丈明がそういうと、苑子は探るようなまなざしをむけてきた。
「どういったことでしょうか?」
「あなたも関係者のひとりだから、お聞かせすることにしましょう。先だってある出来事があって、ぼくは堀田君の死の真相を確かめることができました。事情があってくわしいことは述べられませんが、これだけは明言しておきます。――笠井君が堀田君をどうこうしたわけじゃありません。テーブル・ターニングで出た答えは何かのまちがいでした。笠井君の名誉のためにも、その点だけははっきりさせておく必要がある」
「そうですか」といった苑子のようすは、どこか上の空だった。窓ぎわの花瓶がのった丸テーブルを彼女は見つめている。テーブル・ターニングのときに使ったあの円卓だ。
苑子は丈明へ視線をもどした。頬のあたりが微かにこわばっていた。
「矢向さん。兄とわたしを許してくださいね」
意味がわからずに、丈明は眉根をよせた。
「何のことですか?」
「許してください。わたし最初から乗り気じゃなかったんです。でも、兄が強引にもちかけるもので、ことわりきれなくて……。じつはあの交霊会は、兄といっしょに仕組んだつくりごとでした。兄とわたしとでテーブルを動かしていたんです」
丈明の頭の芯から何か熱いものが、ぱっと周囲へひろがった。
「じゃあ、あなたの霊感が強いというのも……」
「あれも嘘です。そんな力わたしにはありません。最後に気絶してみせたのも、にせものの交霊会をほんものらしく見せるために、兄にいわれてやったお芝居です」
「なぜ、そんなことを?」
「兄はうらやんでいるんです。あなたと笠井さんのことを。おふたりのあいだに結ばれた信頼関係に、高等学校のころからずっと嫉妬してきました」
「お兄さん自身がそういったんですか?」
「実際にそういったのではありませんが、兄は考えていることが言葉や態度にあらわれるから、見ていればわかります」
「その嫉妬のために彼は、笠井君の信用を失墜させようと、あんなインチキをたくらんだわけですか? いかにも低俗で卑劣じゃありませんか」
「そういう意味では、兄はまだ子どもなんです。頭はいいのかもしれませんが、心のほうは尋常小学校の餓鬼大将と大差ありません。何ごとも自分がいちばんで、思いどおりに運ばないと気がすまないんです。そんな兄のわがままを満足させるために、昔からわたしはいろいろな手伝いをさせられてきました。いいかげん近ごろじゃ、ばからしくなって、ついにこうして洗いざらい打ち明けるしだいです」
――ということは、苑子が自分と親しくしてくれたのも、すべて雨宮利雅から頼まれてやっていたことなのか? そう考えると丈明は、胸の真んなかを刃物で切りおろされたような気分になった。
丈明の悲嘆などおかまいなしに苑子の告白はつづいた。
「兄にとって笠井さんは邪魔者なんです。あの人さえいなければ、兄は学校でみんなからの尊敬を独り占めできるんですもの。それで笠井さんが憎くてたまらず、しだいに笠井さんを打ち負かすことが人生の目標のようになってきたんでしょう。大学にはいるときに笠井さんとおなじ学科を選んだのも、勝ち負けの決着をおしまいまで付けたかったからなんだと思います」
雨宮が競争相手《ライバル》として泉二を意識していることは承知していたが、そこまで強烈な感情とは知らなかった。怒りを通り越して丈明は空虚さをおぼえた。怪物的にねじくれた雨宮の闘争心も、それに利用された堀田の死も、ただむなしいだけであった。
「さぞかし怒っていらっしゃるでしょうね、矢向さん。わたしたちと絶交しますか?」
「正直に話してくれたあなたに免じて、それはしないでおきましょう。だけれど……」
「だけれど?」
丈明はかぶりをふり、椅子から立ちあがった。別れの言葉も述べずに玄関を出た。いくらお人好しといわれる自分でも、しばらくこの家にくることはないだろうと思った。
*
六月末の期限ぎりぎりになって、丈明は卒業計画を提出した。
設計はそれなりに仕上がったという自信があった。心配なのは論文のほうだった。竜頭蛇尾のおそまつな代物であるのは自分でもわかった。もしかすると留年になるかもしれないという不安から、課題を終えた喜びを味わうことが彼にはできなかった。
提出から四、五日たって、丈明が家でごろごろしていると、父の基助が人をよこして彼を店へ呼びだした。卯崎新蔵のところへ書類を届けてほしいというのが基助の用件であった。そんなのは店の事務員にでもやらせればよいものをと彼は内心ふてくされたが、そこではたと思いあたった。卒業できるかどうか心配だと兄に漏らしたのが、父の耳にも伝わったのかもしれない。それで基助はわざわざこうした用をつくり、それにかこつけて行ってようすをうかがってこいと言外にほのめかしてくれているのではないか? 丈明は考え直し、父が親切でもうけてくれた機会を利用させてもらうことにした。
いぜんとして大学に影響力をもつものの、教育の第一線から退いた卯崎名誉教授は、新橋の近くの民家の二階に事務所をひらいて、建築家として活躍していた。丈明が訪ねていったとき、所員たちは出払っていて、事務所にいるのは卯崎ひとりだった。
さほど忙しくもないらしく、書類を受け取ったあとも卯崎は、まあ、ゆっくりしていけといって、一階の大家のおかみさんにお茶を運んでもらったりした。
「きみはあれか、やっぱり卒業したら、家のほうの仕事をやるのか?」マッチで煙草に火をつけながら卯崎はいった。
「はい。父も兄もそうしろといってくれてますので」
「うん、わたしもそれがいいと思う。そうしたまえ。この国の建築はこれからますます盛んになる。請け負う仕事も増えて、矢向の店はいま以上に繁栄するだろう」
「ありがとうございます。ええと、ところで先生。里中先生から何かお聞きではないですか?」
「何かとは?」
「その……卒業のことです。ぼくは卒業できるんでしょうか?」
「ああ、そのことか。だいじょうぶだろう、きっと」
あまりにも軽い調子なので、かえって丈明は心細くなった。
「ほんとうに平気ですか?」
「平気、平気」と卯崎は澄ました表情でいう。「きみなんかより、もっとこまった状況の者もおるしな」
「ぼくよりこまった状況って、そりゃいったいだれですか?」
「きみなら吹聴して歩くような心配もないから、とくべつに教えてやるが、それは笠井泉二君さ」
「え、笠井君ですか?」
「そうだ。まったく彼にはしてやられたよ」卯崎は苦笑し、天井にむかって煙草の煙を長々と吐いた。「おととい里中教授がこまりきったようすでやってきて、笠井君の提出した卒業設計をわたしに見せた。さすがにわたしも仰天したよ。その図面というのが、この数か月のあいだ彼が製図室で引いていたクラシック様式の邸宅ではなくて、ぜんぜんべつの建物だったのだからね。あずかったままだから、きみにも見せてやろう」
卯崎はかたわらの棚から、筒状にまるめた大判の紙を取ってきて、机の上にひろげた。
見るなり丈明は心のなかで、あっと叫んだ。
――これか! 泉二はこれを提出したのか!
丈明がその設計図を目にするのは二度目だった。一度目は五月の闇の深い晩、工科大学の本館で見た。――いま丈明の目のまえにあるのは、泉二が夜な夜な大学の製図室で堀田東洋彦のために引いていた、あの図面だったのである。
立面図、平面図、断面図、詳細図など、六、七枚から構成されていた。こうして昼の光のもとでながめても、図面から受ける印象はこのまえの夜とおなじだ。現実ばなれしたような美しさがあり、全身の毛が逆立つほどの妖しさを感じる。
「建物の名称からすると、個人の邸宅らしいんだが」と卯崎はいった。
なるほど、図面の上には「H邸」と書かれている。事情に通じている丈明には、堀田の頭文字のHだとわかるが、卯崎教授はそれに勘づいてはいるまい。
「わたしにはこれは邸宅でなく、むしろ何かの記念建造物みたいに見えるがね」卯崎は渋い顔でつぶやく。
図面の建物は、円筒形の塔のかたちをしていた。書きこまれた寸法を見ると、直径は約十二メートル、高さは四十メートル強。基本構造は煉瓦造りで、その上に漆喰を塗ったり大理石を張ったりして白亜の外観に仕上げる予定らしい。卯崎の指摘どおり、邸宅らしい面影はどこにもない。高い塔というと東京ではすぐに浅草十二階の凌雲閣を思い浮かべるが、あれは人々が物見遊山に出かける場所だ。高楼のかたちをした建物が居住に適しているとは、ふつうでは考えにくい。
見た目でいえば、泉二の設計した塔は凌雲閣というよりも、まえに建築史の授業で写真を見せられた〈ピサの斜塔〉に似ていた。しかし、ピサ大聖堂の鐘楼においては周囲を柱廊が取り巻いているのに対して、泉二の塔の外周にはらせん階段がめぐっている。建物の中核部分は直径八メートルほどの円形の部屋が九層に積みかさなっていて、そのまわりを一間ほどの幅のゆるやかな階段が反時計まわりにぐるぐるとのぼっていく。らせん階段の外部に面した側には、ロマネスク風のアーチとそれをささえる細い円柱がつらなっている。その柱廊式のらせん階段が建物の外観のほとんどを包みこんでいるため、塔はその白さと相まって、とても優美で繊細なすがたになっていた。
最初はなかなか気づかないが、注意深く観察すれば、塔を取り巻く単一のらせん階段と見えるものが、じつはAとBのふたつのらせん階段が二重にかさなっているのだとわかる。まずAのらせん階段に着目してみると、それは建物の南側、一階の玄関をはいったすぐ右手からはじまり、一層分をのぼるごとに塔を半周する。合計四周し、建物の最上階へ達する。いっぽうのBのらせん階段は、玄関から見て塔の反対側、すなわち北側にある裏口のよこからはじまり、ちょうどAのらせん階段のあいだに挟みこまれるようなかたちで、Aと同様に塔の上まで通じている。このふしぎな構造のおかげで、Aの階段をのぼって九階まであがり、Bの階段をつたって一階までおりてくるというように、ひと筆書きの要領で下と上とを行き来することもできる。さらに、各階の円形の部屋には南と北とに出入口があり、それぞれがAとBの両方の階段につながっているので、この建物には行き止まりの個所が一か所もない。つまり塔の内部では、きた道を引きかえすことなく、つねに前へ前へとすすむことが可能なのである。
泉二の塔にはもうひとつ、特徴的な意匠がほどこされていた。それは最上階の平たい屋根の上に配置された五体の天使像だ。建物のへりに近いあたりに東西南北をむいて四体が立ち、それらの中央のひときわ高い台座に、両腕と両翼を大きくひろげた天使がいて、背中を大きく反らせ、天を仰むいている。それぞれの天使像の綿密なスケッチまで泉二は描きあげていた。
図面に熱心に見入る丈明に、卯崎は声をかけてきた。
「どうだね? 美的見地からいえば、すぐれた建築であることはまちがいない。構造や材料もよく考えられている。製図の技術も申し分ない。だが、わたしはこの設計によい評点をつけることができない」
「それは笠井君が先生方のご指導にそむいたからですか?」
「それもあるが、それだけじゃない。いちばんの大きな理由は、笠井君の建築がわれわれの世界の枠外にある[#「われわれの世界の枠外にある」に傍点]からだ」
卯崎はたぶん〈常識の範疇からはずれている〉というような意味で、そんな表現を用いたのだろう。けれどその言葉は、卯崎の意図とはべつの発見を丈明にもたらした。
そうか、そうだったのか。
この泉二が設計した塔は、われわれがいるのとはべつの世界の建物[#「われわれがいるのとはべつの世界の建物」に傍点]なのか……。
泉二は堀田が生きていたと仮定して、この世で堀田が暮らすための家を設計したものと、これまで丈明は考えていたが、それはまちがいだった。死んだ堀田があの世で住むための家を泉二は設計したのだ。だから〈H邸〉は、およそ常識とはかけはなれた邸宅になった。開放感あふれる柱廊式のらせん階段、建物内部の行き止まりのない構造――そういったものは、せめてあの世へ行ってからは学校での窮屈な日々を忘れて、広い心持ちで伸び伸びとすごしてほしいという泉二の願いのあらわれではなかろうか? 何かの記念建造物のようだと卯崎は評したが、まさにそのとおりで、鉄路の露と消えるまでの堀田の短い一生はけっして無意味ではなかったと、その労をねぎらい苦闘をたたえるための記念碑をこの白い塔は兼ねているのかもしれなかった。
そういうたぐいの建物だからこそ、あのような時間をわざわざ選んで泉二は製図机にむかったのだ。死んだ者のための建築を生みだすには、夜の闇と静けさ、そしてそこに宿る魔力が必要だったのだ。
「笠井君の建築は特殊だ。普遍性というものをもっていない」と卯崎はいった。「普遍性のないものが広く世のなかに貢献することはむずかしい。帝国大学の目的はそもそも、日本が一等国をめざすにあたって国家有用の人材を育てることにある。その観点からすれば、笠井君は不合格と見なされてもおかしくはない」
「では、彼は落第なんですか?」
「いや、卒業はさせようと思う。笠井君はこれ以上、大学にいてもしようがない。あすこにはもう彼の学ぶべきことは残っていないんだ。笠井君はすでに建築を身につけてしまっている。これが建築だとわれわれが考え、教えたり学んだりしているのとは随分ちがっているが、確固としたおのれの建築を体内に宿している」
卯崎は言葉を切り、二本目の煙草を取りだした。すぐには火をつけず、その先端をじっと見ている。
「笠井君を異端者として排斥することはたやすい。でも、それはしたくない。彼の建築が国家や社会に実際的な利益をもたらすことはないかもしれんが、どこかにいるひとりの人間のためには役に立つにちがいない。この明治という時代に起こった大波が、いつの日か行きつくところまで行って勢いをうしない、あたりに浮かぶ塵芥ばかりが目に付くようになったときこそ、笠井君のような建築が必要となるのだろう。そのときがくるまで彼にはあきらめずに建築をつづけていてほしい。――わたしはそう考えとるんだよ」
*
七月初旬、卒業の可否が発表された。矢向丈明と笠井泉二の名は卒業者の名簿にはいっていた。
建築学科の首席になったのは雨宮利雅だった。彼は成績優秀者として恩賜の銀時計を授かった。
丈明は卒業後、あらかじめ決めていたとおり、家業の建築請負業を手伝いだした。泉二のほうは卯崎の推薦で光竹本店へはいり、技師補として建築部に勤めた。
露西亜との戦争は多大な犠牲を払いながらも、なお一年のあいだつづいた。米国の仲介で講和が結ばれたのは翌年の九月のことだった。
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X 天界の都
1
大正八年三月の末、卯崎新蔵が死んだ。春先にこじらせた風邪が重い肺炎に変わり、ひと月あまり病床についたのちに六十六年の生涯を閉じたのである。
葬儀は青山の斎場で執りおこなわれた。
その日の朝、矢向丈明は時間にゆとりをもって葬儀場におもむいたが、入口の左右にもうけられた受付には早くも行列ができていた。東京帝大工科大学で長く教育にたずさわり、日本の建築界に大きな影響をもちつづけた人物の葬儀であるから、会葬者はかなりの数にのぼると予想された。
ひとつの列の最後尾に同期の後藤がいるのを見つけ、あいさつをしながら丈明は彼のうしろにならんだ。
「突然だったね。卯崎先生がこんなに早く亡くなるなんて想像もしていなかったよ」
「ほんとうだね」後藤もしんみりした口調で応じた。「先生は新しい議事堂の建設を夢見ていらしたのに、それを実現できないまま亡くなってしまわれたなあ」
受付をすませて後藤といっしょに建物にはいると、おなじく同期の富永が彼らを認めて近よってきた。三人で立ち話をし、花輪や生花にかこまれた棺をながめているうちに、丈明は無性に悲しくなった。矢向の店へきた卯崎に抱きあげてもらった幼い日のことや、大学の製図室で失敗した図面をまえに叱られた記憶がつぎつぎと脳裏をよぎる……。
「あいつ、今日は張りきってるな」ふいに後藤が予期しない言葉を発したので、それまでひたっていた感傷から丈明は引きもどされた。
後藤の視線を追うと、黒いフロックコートで礼装した雨宮利雅が祭壇のまえにいる。卯崎家の遺族と何か打ち合わせたり、供物を運んできた学生に置く場所を指図したりして、せかせかと動きまわっていた。
「雨宮君は里中先生から会場の仕切りをまかされているそうだ」富永が説明した。
「彼もすでに助教授だからな」後藤がうなずく。
しかし丈明は雨宮を見て、べつのことを連想していた。雨宮がむかしから宿敵と思い定めている相手――笠井泉二のことを考えたのである。
そういえば笠井君はどうしたろう? 今日はくるのだろうか?
数日前、兄の矢向源太郎から卯崎先生の訃報を聞くと、丈明はただちに小石川の泉二の家へ使いの者をやった。葬儀の日取りも追って速達郵便で知らせてある。いくら人づき合いを好まない泉二でも、恩師の葬儀にはくるにちがいない。
丈明は後藤と富永に尋ねた。
「きみたち、今日は笠井君を見かけたかね?」
「さあ……」後藤は首をかしげた。
「笠井君なら、さっき受付でぼくの五、六人まえにならんでいたぜ」と富永が答えた。
富永のまえにいたということは、もうとっくに建物にはいっていてもおかしくない。泉二の長身は人ごみのなかでも目立つはずなのに、どちらをむいても丈明は泉二のすがたを発見できなかった。
やがて葬儀がはじまった。
僧侶が読経しているあいだも、里中琢爾博士と矢向源太郎が代表で弔辞を読みあげている最中も、丈明は泉二のことが気にかかってならなかった。幾度も周囲に目を走らせ、焼香に立つひとりひとりにも注意を配った。が、やはり泉二はいない。だんだん丈明は落ち着きをうしなっていった。泉二は何をしている? ほんとうに斎場へきているのか?
葬儀がすんで出棺の準備がされているとき、丈明は建物の外へ出た。
受付のそばに土屋と三好がいた。彼らにも泉二を知らないかと訊いてみる。
「ああ、いましがた笠井君は、あっちのほうへ行ったよ」三好が敷地の門を指さした。
反射的に丈明も門のほうへ行きかけたが、その近辺には出棺を見送る人たちが立錐の余地もないほど立っていて、近づくのもむずかしい。
やい、笠井君、と丈明は心のなかで毒づいた。いったいきみはどこにいるんだ? なぜぼくのまえに出てこない? 笠井君は知らないかもしれないが、卯崎先生はきみのことをずいぶん心にかけてくれていたんだぜ。ちょっとばかし涙でうるんだ目でも見せてくれたら、それだけでぼくは安心できるのに……。
建物のほうの気配があわただしくなったので、丈明はふりかえった。
棺が霊柩用の馬車に乗せられるところだった。
人々のあいだから、すすり泣きが聞こえる。
威勢のいいことが大好きだった先生のために、弟子たちが両手をあげて叫んだ。
「卯崎新蔵先生、万歳! 万歳! 万歳!」
それが合図のように馬車が動きだした。人垣のあいだをゆっくりと抜けて、丈明の恩師は火葬場へ、そしてその先にあるべつの世界へと旅立っていった。
*
建築学科の同期がひさしぶりに集まったのだから、どこかで一杯やりながら卯崎先生の思い出話でも、という成り行きになるのはわかっていた。先手を打って丈明は適当ないいわけをし、後藤や富永と別れて斎場をはなれた。葬儀に参列しただけなのに彼は妙にぐったりしていた。今日はこれ以上だれかと話すのが億劫だった。
丈明は御所のまえの大通りへむかった。そこから電車に乗って帰宅するつもりだった。彼の前後にも葬儀から帰る人たちがいて、おなじ方向へ歩みをすすめている。
すこし前を行く背広の男に、丈明はふと注意を留めた。
見おぼえのある後ろ姿だ。もしやと思い、早足で追いつく。よこから顔を覗くと、やはりそうだった。
「平丘《ひらおか》さん」と丈明は声をかけた。
男は立ち止まり、目を見張った。
「おう、きみか……」
平丘|賢悟《けんご》というのが、その人の名だった。平丘は建築学科の丈明たちの一年先輩にあたり、かつて笠井泉二が勤めていた光竹本店の建築部で泉二と机をならべて仕事をした男だ。また、泉二の亡き妻・黎子の実の兄でもある。
斎場で泉二と会おうとしても会えず、代わりにここで平丘と会えたことに、丈明は因縁めいたものを感じた。
丈明は平丘とともに足を運んだ。
「卯崎先生のことは残念でしたね」そう丈明がいうと、
「巨星堕つとはまさにこのことだな。卯崎先生にはもっと長生きして、この国の建築を引っ張っていってほしかったよ」と平丘は応じたが、どこか心ここにあらずといったようすだ。
やや間があって、平丘はだしぬけに丈明のほうをむいた。
「矢向君、きみはこれから用事があるかい?」
「いえ、べつにありませんが……」
「それなら、どこかでひと休みしていかないか? なんだかぼくは疲れちまったよ」
いわれてみれば平丘の顔色は青白く、目元や頬のあたりに疲労の色がただよっている。
「いいですよ。お供しましょう」と丈明は答えた。さっき別れてきた後藤たちには申しわけないが、この機会をのがす手はなかった。じつはまえから丈明は、平丘とはいっぺん腰を据えて話をしたいと考えていたのである。
平丘の案内でよこ道にそれ、五分ほど歩いた。薬研坂の途中にある料理屋へはいった。その店に平丘は仕事のつき合いで何度か来たことがあるという。
二階の座敷にあがり、料理を二、三品と熱燗を注文した。まだ昼前ということもあって客はほとんどいないようで、店のなかはしんと静まりかえっている。
はじめのうち平丘はむずかしい表情で天井をにらんだり、むやみに煙草をふかしたりしていた。それでも酒がきて杯に口をつけると、ようやく人心地がついたらしく、ぽつりぽつりとしゃべりだした。
「そういや、きみは笠井君と組んで仕事をしているそうだね」
「ええ、彼が設計して、うちの会社がそれを建てるというやり方ですが」
「上代子爵のところの仕事については、ぼくも聞いたよ。すごいものをこしらえたようだな」
「あれは笠井君の手柄ですよ。そのあとも笠井君とはいくつか仕事をしましたが、彼は依頼主の望んでいることを――ときには依頼主自身でさえもが自覚していない心の奥に隠れた望みを――もののみごとに見抜いて、思いもかけない方法で実現するんですよ」
「なるほど」
「平丘さんはその後、笠井君とは行き来があるのですか?」
「最近ではあまりない。さっき葬儀場で会ったが、彼の顔を見たのは三年ぶりだ」
「葬儀場で会ったのですか? ぼくは会えませんでしたが……」
「うん。会って話をしたよ」
「笠井君のようすはどうでした?」
「彼は、なんというか……あいかわらずだったよ」
平丘はかすかに吐息をつき、手にした猪口へ目を落とした。そのまま酒の表面を凝視している。まるでそこに何か映っているとでもいうように。
「笠井君に会うと、いろいろ考えてしまってね。それが身に応えるんだ」
「いろいろというと、やはり黎子さんのことですか?」
「それも含めて、いろいろとだね」
例の話題をもちだすのは、いましかないと丈明は判断した。
「平丘さん。じつをいうと、ぼくは以前からあなたにお尋ねしたいことがあったんですよ。この場でうかがってもよろしいでしょうか?」
「きみの訊きたいことは、だいたい察しがつく」うつむいたままで平丘はいった。「大正二年、黎子が死んだ年、ぼくと笠井君が行った欧米出張のことだろう?」
「おっしゃるとおりです。その旅行先で笠井君の身に何か異変があったという噂を聞いたことがあります。それは事実なのですか?」
杯をあげて平丘は、いっきに飲み干した。
「いいさ、話してやろう。きみは笠井君の数すくない理解者のひとりだからな」
「理解者だなんて……。ぼくは彼のことを理解できてなどいませんよ。ずっと理解したいとは思ってきましたが」
平丘は鼻孔をふくらませて小さく笑った。
「そうだな。笠井君のことを理解できる人間なんて、この世にひとりもいないのかもしれない。しかし、すこしでも理解に近づきたいのなら、あのときぼくが見聞きしたことは参考になるはずだ。――ぼくは長いあいだ、この話を自分の心のなかだけに封印してきた。もしもこの話の詳細が笠井君のことを快く思っていない連中、たとえば雨宮君のような男の耳にでもはいったら、さぞや笠井君に不利なかたちで世間に流布することになるだろう。そうならないためにも口をつぐみつづけるしかなかった。事件について知っている在英日本大使館の友人にも他言無用と釘を刺しておいたし、帰国してから光竹の上役たちに問いただされたときも適当にぼかして全部は話さなかった。そこまでしても、倫敦《ロンドン》で笠井君に何かが起こったという噂がひろまるのは、防ぎきれなかったわけだがね」
丈明は急に自分がはずかしくなった。そんな覚悟で平丘が秘密にしてきたことを、ただの好奇心から聞きだそうとしているのだ。
「あの……平丘さん。もしも話したくないのなら、無理にとはいいません。ぼくはあきらめますから」
「いいや」平丘はかぶりをふった。「こうなったからには、ぜひとも聞いてもらいたい。たのむから聞いてくれたまえ。本当のことをいうとね、そもそも今日ぼくがきみを誘ったのも、この話がしたかったからなんだ」
「そうなんですか?」
「そうだとも。あの一件をだれかに話したいという気持ちは、ぼくのなかで年々大きくなってきた。できることなら、ここらへんでだれかに打ち明けて、肩の荷を減らしたい。どうだい、矢向君。ぼくの重荷の一部を肩代わりしてくれるつもりはあるだろうか?」
「わかりました」と丈明は答えた。
「ありがとう」と平丘はいい、それから自分の頭の内部を見わたすみたいに座敷の端から端まで、ぐるりと瞳をめぐらせた。
「さて、どこから話しはじめようか?」
2
さて、どこから話しはじめようか?
六年前に旅先で起こった出来事は、笠井君の死んだ妻・黎子と無関係ではない。
黎子の生前に、矢向君はあいつと何度会ったことがある? 婚儀の席で一度。ほかには笠井君の家を訪ねた折に幾度か顔を合わせた程度か?
ここは思いきって時間をさかのぼって、ぼくの妹であり笠井君の妻であった黎子とは、いったいどんな人間だったのかというあたりから話しだすのがよさそうだ。その後じょじょに笠井君と黎子の出会いや、あの欧米出張のこと、そして黎子の死について話を移していくことにしよう。語っていくあいだには、もしかして矢向君がすでに知っていることも混じってくるかもしれないが、そこはちょっと我慢をして付き合ってほしい。
明治二十一年、黎子は東京根津の平丘家に生まれた。長男のぼくと長女の黎子は歳が九つもはなれているが、それには少しわけがある。
ぼくたちの父親は平丘|周臨《しゅうりん》といって西洋画の画家だ。いまは職を退いて悠々自適にやっているが、何年か前までは東京美術学校の西洋画科で教えていた。父は京都の生まれで、はじめ日本画を志したが、のちに東京へ出て西洋画に転向した経歴をもつ。母と結婚してぼくが生まれ、ぼくが数えで五つになった年、父は母とぼくを残して油彩画を勉強するべく巴里《パリ》に旅立った。その当時は留学などといっても官費留学がおもな時代だったが、父の場合は才能に惚れこんで援助してくれる人がいて、そのおかげで四年間もむこうの空気を吸ってこられた。帰国してから儲けたのが、ぼくの妹の黎子だ。父の留学がなかったら、ぼくと妹の歳はこれほど離れなかったかもしれない。
自分でいうのもなんだが、ぼくは父親不在の緊張感のなかで幼少期をすごしたせいか、けっこう忍耐強くて聞きわけのいい性格に成長した。ところが黎子ときたら、まるで逆なんだ。父は黎子をかなり甘やかして育てた。それは巴里留学のあいだ家族をかえりみなかったことに対する父親なりの償いの気持ちのあらわれだったのかもしれないが、おかげで黎子はたいへん自由奔放で個性的な方向へ伸びていった。
あいつは仏蘭西の宣教会が運営する高等女学校へ通い、そこで基督の教えに触れて信者になった。また上級生に紹介されて、ある女流歌人の主宰する短歌結社にもくわわった。その主宰の歌人というのが、厭戦的な歌を発表したり、婦人解放運動にかかわったり、自由恋愛を提唱してみずから実践しているような人物でね、そういう思想に黎子も大いに共感したらしく、いっときは日本の国家や家族のあり方のことで議論を挑んできたりして、父やぼくをこまらせたよ。
黎子が女学校を卒業して二年ほどしたころ、父の知人を介してある縁談が舞いこんだことがあった。相手は文部省の官吏で家柄も申し分なかった。黎子はあんまり乗り気でなかったが、父親はどんどん話をすすめてしまった。ところがその後しばらくして仲人が、ひどく苦りきったようすでわが家へやってきた。なんでも黎子がその婚約者にけんかを売り、相手をカンカンに怒らせてしまったのだという。あんな生意気な女とは結婚できないから、どうか破談にしてくれと相手方はいっているそうだ。
そのときはさすがに父も血相を変え、娘を呼びつけて詰問した。ぼくは廊下からその場面を見物していた。
「いったいぜんたい、どういう料簡でけんかなどしたのだ?」
父親の問いかけに黎子は澄ました表情で応じた。
「だってお父様、あの方はわたしにこういったのよ。『いいかい、きみ、ぼくのところへ嫁いでからは、五七五はいっさい禁止だ』って」
「それで、おまえは何と答えたのだ?」
「『あなたってばかね』って、そういってやりましたわ」
「どうして、ばかなんだ?」
「わたしがやっているのは三十一文字《みそひともじ》の短歌です。あの人、文部省のお役人のくせに短歌と俳句の区別もつかないんだわ。そんな人に、わたしの夫になる資格がありまして?」
父もぼくもあんぐり口をあけたまま黎子を見かえすしかなかった。いうまでもなく、その縁談はお流れになったよ。
そんな逸話ひとつとっても、いかに黎子が気が強く変わった女だったかということがわかるだろう。ぼくはその件からあと、黎子は終世結婚などしない、いや、できないだろうと考えていた。その予想がいつか裏切られるなんて夢にも思わなかった。
――ここらへんで目先を変えて、笠井君のことにも触れておこうか。
笠井君が卯崎先生の紹介で光竹本店の建築部にはいってきたのは、明治三十七年の七月だった。
彼はああいう一種つかみどころのない性格だから、最初のころ建築部の部員たちは非常に困惑したようだ。まわりの人間とは必要最低限のことしか話さないし、酒の付き合いもしない。製図室では黙々と図面にむかっているだけだ。無愛想でお高くとまったやつだと、みんなの目には映ったかもしれない。
ぼくはしかし笠井君の特異さには、それほど抵抗を感じなかった。ふつうとはちがう雰囲気の人間がそばにいても、ぼくはあまり気にならないんだ。木に生った実のかたちがそれぞれ違うみたいに、人それぞれのかたちがあって当然だ。そういう前提がぼくの心に培われたのは、黎子のおかげかもしれない。身近に強烈な個性の人間がいたせいで、自然と慣らされていたわけだ。
笠井君のくる一年前にぼくも入店したばかりで同年代だから、ぼくたちはいっしょに仕事をする機会が多かった。まだ建築学科にいた時分、ひとつ下の学年に笠井泉二という変わった天才がいるということは知っていたが、実際に間近ではたらいてみて、聞きしに勝る才能の持ち主だと感じ入ったね。
矢向君も知ってのとおり光竹本店の建築部は、徳川時代から銅山の経営で財をなし明治期には銀行業でさらなる発展を遂げた光竹一族が、事業にかかわる建物の普請のいっさいを統括してすすめる目的でつくりあげた部署だ。ごくたまには一族のだれかの本邸や別邸の仕事もあるが、九割以上は事務所や銀行の社屋の設計なんだ。建物の規模が大きいから、ひとりでまるまる全部の設計をやるということはない。手分けをしてやる。ぼくや笠井君のような入店したての技師補にまわってくるのは、機械的にこなせるが時間のかかる面倒な仕事と相場が決まっている。
その職務を笠井君は愚痴ひとつこぼさずに果たした。彼の能力はずば抜けていた。言葉足らずの上役がいいかげんな指示で仕事をおろしてきても、自分のしなければならないことを的確に把握し、短時間で要領よくやり遂げてしまう。期待以上の出来あがりに仕事を命じた側も舌を巻くほどだった。
笠井君を付き合いづらい人間として敬遠していた上役たちも、仕事の腕は認めざるをえないわけで、彼は異例の早さで技師に昇格したよ。
*
笠井君と黎子の出会いだがね、結果的にふたりを引き合わせてしまったのは、このぼくなんだ。
忘れもしない明治四十二年の初夏――笠井君が入店してからちょうど五年がすぎたころだった。ぼくは笠井君をなかば強引に誘って、ある集まりに連れていった。
その集まりというのは若い文士や絵描きたちが立ちあげた会で、神田の洋食屋で食べたり飲んだりしながら文学や芸術について広く意見を交換するという趣向のものだった。父が美術学校で教えた画家が数人まじっている関係で、ぼくは建築家の肩書きでその会にくわわっていた。黎子もメンバーのひとりだった。あるとき会の話を聞いて興味をもった黎子は、誘われもしないのにくっついてきて、どういうわけかみんなに気に入られ、そのまま常連になったんだ。そんなふうにして参加できるくらいだから、たいして堅苦しい集まりでもなく、会員の紹介ならだれでも歓迎してもらえた。
とはいえ、笠井君のようなむずかしい性格の人間を、ぼくは何のつもりでその集まりに引っ張っていったのか、そこのところがどうしても思いだせないんだ。また、そういった誘いに応じたことのない笠井君が、なぜそのときにかぎって黙ってついてきたのか、その点も説明がつかない。どちらもただの気まぐれといってしまえばそれまでだが、ぼくはこうした偶然の重複の裏に運命のようなものを感じずにはいられない。
あのとき笠井君を連れていかなければ、妹の将来は変わっていただろうか? たぶん黎子は死なずにすんだのではないか? 笠井君だってあんなつらい目に遭わなかっただろう。ときどきそんなことを考えて、ぼくは胸が締めつけられるように苦しくなる。彼と妹に不幸のきっかけをもたらしたのは自分だと責めたくなるんだ。時の流れというのは残酷なものだね。ほんとうに残酷だ……。
ともあれ笠井君と黎子とは、くだんの集まりで最初に顔を合わせた。その場面のことは、いまでもよく覚えているよ。
ぼくと笠井君は会社が退けてから行ったので、神田に着いたときにはもう会がはじまっていた。洋食屋のいつもの部屋にはいっていくと、黎子のやつは新進気鋭の絵描きのとなりに腰をおろし、仏蘭西絵画について何かおしゃべりしているところだった。ぼくたちに気づいた妹は、いささかきつい印象の眉をあげ、にこりともせずに尋ねた。
「あら、兄様。そのお連れの方はどなた?」
ぼくは笠井君を紹介してやった。
すると黎子は彼をじっくり眺めたあと、こういったんだ。
「満月の輝きの色ね、笠井さんの目は」
*
笠井君が神田の集まりにきたのは、それ一回きりだったが、そののちに彼と黎子はぼくの知らないところで逢うようになったらしい。どちらから先に近づいたのか、どのような経緯で関係が深まったのか、笠井君は黎子のどこに惚れ、黎子は笠井君のどこを好いたのか、そういったことについては皆目わからない。恋愛の心理とは奇なるものだと断じておいて、あとは矢向君の想像にまかせるほかはない。
炎暑の夏がすぎ、木々の葉が色づいて散り、雪が降るあいだ、彼らは交際していることなどおくびにも出さなかった。笠井君は会社でいつもどおりに仕事をし、黎子は家でふつうにふるまっていた。まわりの人間は何も勘づかず、何も怪しまなかった。
つぎの春がめぐってきたある日のこと、父とぼくのところへ黎子がいつになく殊勝な態度でやってきて、今日ある人が家を訪ねてくるから会ってほしいといった。
父とぼくが首をかしげて、だれだろうと待っていると、時間になって玄関にあらわれたのが笠井君だったので、ぼくはちょっと驚いた。さらに客間に通された笠井君が、黎子さんと結婚させてもらいたいといったので、腰が抜けるほどびっくりした。
この青天の霹靂に父もかなり動揺したようだった。が、いたずらに甲羅を経てはいない。泰然自若をよそおって、威厳に満ちた声で笠井君に問うた。
「黎子は基督信者だが、よろしいのですかな?」
かまわない、と笠井君は答えた。
「黎子は以前ある人と婚約までしておきながら、相手に失礼な口を利いて破談となりました。そんなお転婆なやつでも、よろしいのですかな?」
いっこうにかまわない、と笠井君は答えた。
「黎子のほうでも、この件は承知しているのですかな?」
承知しています、と、それまで廊下で立ち聞きしていた黎子が顔を覗かせて答えた。
これで半分以上は話が決まったようなものだった。
明治四十三年五月、工科大学の建築史の教授であり、うちの父とも親交のある稲葉聞多《いなばぶんた》博士の媒酌により、笠井君と黎子は結婚した。そして、小石川の東京帝大付属植物園の近くに新居を借りて住みはじめた。
彼らの結婚はちょうど、七十六年周期で出現するハレー彗星が地球にもっとも接近したのとおなじ時期のことだった。彗星の尾に呑みこまれて地球は滅びるなどと騒ぎ立てる者もいたが、そんな不吉な予言もふたりの新婚生活には、これっぽっちも影響をおよぼすことはできなかっただろう。笠井君と黎子は家の外にならんで立って、夜空に伸びる箒星の白い影を祝福のしるしとして仰いだにちがいない……。
ところで人間というのは、時と場合によっては驚くほどの変貌ぶりを見せるものだね。笠井君のもとへ嫁いでからの黎子が、まさにそのよい例だった。
かつての跳ね返りぶりがまるで嘘のように影をひそめ、あいつは信じられないほどの落ち着いた女になった。あいかわらず短歌の結社誌に投稿はつづけていたものの、家庭のこともおろそかにせず、女中のお初《はつ》をしたがえて、こまごまとした仕事をきちんとこなした。ついこのあいだまでは銘仙の長羽織などで着飾って、女友だちと銀座や浅草を闊歩していたのが、棒縞のお召しと丸帯の似合う御新造さんに早変わりしていた。ときおり用があってむこうから平丘の家へきたり、こちらからおとずれた際に、ぼくはそのことで黎子をからかってやった。そんなことをすれば、昔だったらまちがいなく脹れっ面になるはずが、黎子はまったく動じなかった。性質までが温和になっていたんだな。笠井君といっしょになることで酸とアルカリが中和するみたいに、あいつのなかで精神の化学変化のようなものが起こったんだと思う。
黎子は何かの拍子に、自分はこの歳になってやっと尊敬できる人を得た、それが夫の笠井泉二だというようなことをぼくにいった。夫はものすごい才能を秘めた人だから、なるたけ邪魔をしないようにして、仲よくやっていきたいとも語った。黎子は基督信者なので日曜日には教会へ礼拝に出かけるが、笠井君にはそれを強要したり勧めたりしたことは一度もないという。黎子は自分の生き方を守りながらも、笠井君の人生を尊重し、自分なりにそれに協力しようとしていたんだ。
いっぽうの笠井君はどうだったのだろう? 彼は結婚して何かが変わったのか? ぼくが仕事場において観察するかぎり、笠井君には何の変化もないように見受けられた。
家ではどんな暮らしをしていたのか? 彼は私生活などおよそ想像できないたぐいの人間だから、このあたりのことは矢向君も興味があるだろう。じつはそれについては黎子から、いくつか興味深い話を仕入れている。たまに黎子は兄妹の気安さで、家庭内での笠井君の暮らしぶりをぼくに聞かせてくれることがあったんだ。
平日に帰宅してからも、仕事が休みの日にも、笠井君は書物をひもといたりスケッチのようなものを描いたりして、机にむかって過ごすことが多かったらしい。しかし折々には、黎子と連れ立って勧工場や活動写真などに出かけ、ごくふつうの夫婦と変わらない時間をもったようだ。
いちばんよく出かけたのは、家のそばの植物園だった。ふたりで肩をならべて林のなかの小道をそぞろ歩き、温室へはいったり、季節の花々を観賞したりした。
笠井君は草や木の名前を驚くほどよく知っていた。名札を見ないでも、たいていの植物の名をいい当てることができたという。感心した黎子が「あなたは建築家で植物学者じゃないのに、どうしてそんなに草や木のことをよく知っているのか?」と訊くと、笠井君は「建築物は世界の雛型のようなものだから、まずこの世界のことをよく知っていなければ駄目なのだ」という意味の答えをしたそうだ。
ねえ、矢向君。そういうたぐいの質問にあの笠井君が素直に答えるなんて、ずいぶんめずらしいことじゃないか? やはり笠井君にとって黎子は、たがいに心を通い合わせたいと思える、この世に無二のたいせつな存在だったんだよ。
黎子という伴侶を得たことで、笠井君の上にも確実に変化は起きていたのさ。
*
笠井君と黎子がいっしょになって三年がすぎた。
彼らにとって悲劇の年となる大正二年がやってきた。
その年の春、ぼくと笠井君は上役から欧米出張を命ぜられた。これは建築部の主力部員が海外の建築について見聞をひろめ、技量にさらなる磨きをかける目的で半年から一年くらいのあいだ欧米各地を視察するもので、会社が費用のすべてを負担してくれる。もとはといえば、光竹の第十三代当主・光竹|治左衛門《じざえもん》保晴《やすはる》が明治中期に西洋を旅し、その進んだ文明――とくに建築に衝撃を受けて、実地に海外を見て歩くことの重要性を痛感、そこからはじまった制度だった。いずれにせよ、欧米出張に行かせてもらえるということは有能な人材として認められたに等しく、非常な名誉と考えられていた。
光竹がもっとも重要視している東京本店の新社屋の建築計画が、いよいよ一年後から動きだすことになっており、その出張では亜米利加式オフィスビルの視察が最優先の課題としてあげられていた。その関係でぼくたちは、まっさきに米国へおもむくことになった。そののちに大西洋を渡って欧羅巴を見学、シベリア鉄道で帰国するという、地球を東まわりで一周する大旅行だ。出発は九月下旬と決まった。
ところが、そんな矢先、笠井君にひとつの問題がもちあがった。
黎子が身ごもったんだ。
あいつの妊娠がわかったのは六月上旬のことだが、ぼくたちの出張はそのずいぶんまえに決定しており、いまさら取りやめるわけにはいかない状況だった。
たしかに初産なのに、子どもが生まれるころに父親が遠い異国にいるというのは、いささか気の毒な話ではあった。笠井君は気にも留めていないように見えた――すくなくとも、そのようにふるまっていた――が、黎子はかなり不満を感じているらしかった。
いまでも思いだすのは、平丘の母とぼくが何かの用事で小石川の家を訪ねた折のことだ。そのとき笠井君は留守で、家には黎子とお初しかいなかった。
母とぼくと黎子が卓をかこんでいると、唐突に黎子がこんなことをいいだした。
「ねえ、兄様。秋から行く会社のご旅行ですけど、どうしても笠井を連れていかなけりゃいけないんですか?」
「なんだい、やぶからぼうに。べつにぼくが連れていきたいというわけじゃなくて、会社の命令なんだから仕方ないだろう」
「それなら、いっそうのこと、わたしもご一緒させていただけません?」
「ばかをおいいじゃないよ」母が割ってはいった。「おまえ、西洋の旅先で赤ん坊を産むおつもりかい?」
「いいじゃありませんか。平丘のお父様が留学していた巴里のへんで産めば、仏蘭西産だということになって、お父様だって大喜びするでしょうよ」
それからも黎子はことあるごとに笠井君の出張について、もってまわった言い草で異議を唱えつづけた。ただし、それは笠井君のいない場所にかぎられていた。笠井君のじゃまをしたくないと以前みずから明言したように、あいつは彼に遠慮していたんだと思う。笠井君に行かないでくれと面とむかっていえないぶん、ぼくや母に愚痴をこぼすことで、ひとり取り残される恨みを晴らしている。と、すくなくとも当時のぼくはそう解釈していた。
だが、実際には、事はそう単純ではなかった。そのことをぼくが知ったのは、ずっとあとになってからだ。真相に気づいたときにはもう、何もかもが手遅れになっていた。
妹のお腹のふくらみは、だんだん大きくなった。
ぼくと笠井君の旅立ちのときは、刻一刻と迫った。
3
九月二十四日。出発の日になった。
その日の午後、どんよりと曇った空のもと、ぼくと笠井君は横浜の桟橋でこれから乗りこむ日本郵船会社の阿波丸を背に、見送りの人々にかこまれて立っていた。
たかが七、八か月の出張にせよ、長い道中には何が起こるかわからない。船が難破して海の藻屑と消えるかもしれないし、どこかの街角で悪漢に襲われて落命などということもありうる。そんな覚悟の旅立ちだから、みんなとの別れはどうしても感傷的な色合いを帯びた。ぼくはまず光竹の上役や同僚たちとあいさつを交わした。そのあとで平丘の父母や、ぼくの細君、六歳と四歳になるふたりの娘。そして笠井家の黎子と女中のお初……。
黎子に別れの言葉をかけたとき、あいつはぼくの目をちらりと見た。何かを訴えるような気配だったので、ぼくはいやな感じがした。
案の定、ぼくと笠井君が舷梯《タラップ》をのぼる段になって、黎子は船のなかが見物したいからといって、いっしょについてきた。
ぼくたちは給仕に案内され、旅のあいだ使う部屋へ通された。
船室は一等だった。はじめは二等か特別三等でじゅうぶんだと考えていたのだが、上陸の際の入国審査や検疫検査が簡便にすむ一等で行けと会社がいうものだから、せっかくなのでその勧めにしたがったのだ。
「へえ、こんなすごい部屋に泊まりながら半月も航海なさるのね。まるで船の上とは思えないくらい。ホテルのようだわ」黎子は妙にはしゃいだようすで、隣同士にならんだふたつの船室を交互に覗きこんだ。
ぼくと笠井君がそれぞれの部屋にはいると、黎子はぼくにくっついてきた。大きな寝台をはさんでむき合い、あいつは小声でいった。
「兄様、これが最後のお願いよ。わたしも連れていって」
ああ、やっぱりな、とぼくは心の底でつぶやいた。かならず最後に妹は駄々をこねるという気がしていた。その予想が当たった。
「なあ、黎子。そんなの無理に決まってるだろう。来年の五月あたりには帰ってくるんだから、おとなしく待っていておくれ。お産のことは心配するな。母さんやお初がついているじゃないか」
黎子はまなじりを決して睨みかえしてきた。
「あのね、わたし、お産のことが心配なんじゃないの」
「そんなら何が心配なんだ?」
「わたしはね、あの人のことが気がかりなのよ」黎子は隣室を――隣室にいる笠井君を壁越しに指さした。
「なるほど。旅行中、彼の身に災いがふりかかるんじゃないかと考えているんだな」
「そうじゃないわ」
「じゃあ、どういうことなんだ?」そこでぼくはついつい語気を荒らげてしまった。「要するに、笠井君がいないあいだ寂しいだけなんだろう。それであれこれいって、ぼくに不満をぶつけているわけだ」
「ちがう」黎子は苛立ったように顔をしかめた。「ちがうの。うまく説明できないんですけど……」
あいつがいいかけたとき、出港の時刻が迫ったことを知らせる銅鑼《どら》が外のデッキで打ち鳴らされはじめた。
ぼくは正直ほっとした。これで黎子を追い払える。
「さあ、おまえ、もう下船しなくては」
ぼくは妹をうながして船室を出た。
廊下のさきで笠井君が待っていた。彼は自分の妻の切羽詰まった感じには、まったく気づいていないようだった。あるいは気づいていても、黎子を刺激しないように知らないふりをしていたのかもしれない。
――あれから六年たったいま、ぼくは妹の話をまじめに聞かなかったことを深く後悔している。あの当時、ぼくは何もわかっていなかった。同様に笠井君もわかっていなかったのだ。ふたりとも黎子の態度をただのわがままと考えていた。
デッキではいぜんとして銅鑼があわただしく鳴り響いている。別れを惜しんで船上まできていた人々が、急いで舷梯《タラップ》のほうへ集まっていた。
助けを求めるようなまなざしを黎子はぼくに注いだが、ぼくは黙って見かえすことしかできなかった。
笠井君のほうから黎子に近づいた。片手をあげ、無言であいさつをする。
黎子は思いつめた表情で夫に歩みよった。銅鑼の音に負けないように相手の耳に口をよせた。黎子の唇が動き、いくつかの言葉を送りだした。
とたんに笠井君の面持ちが一変した。何かに驚いて彼がわずかに身を引くのがわかった。そのさまを見届けるみたいに黎子はあとずさった。それから踵をかえし、人々にまじって船をおりていった。
舷梯がはずされ、舫綱が解かれて、阿波丸はゆっくりと桟橋をはなれた。
桟橋の上で、光竹の人間やぼくの家族が手をふっている。
黎子だけは手をふらなかった。あいつは着物の帯の下、胎児の宿るあたりに片手をあてて、白い顔をこちらにむけていた。
ぼくのよこに笠井君はじっと立ったまま、手すりを握りしめていた。彼は小さくなっていく黎子のすがたへ、いつまでも視線を投げつづけた。
*
北米航路の定期船は横浜を出たあと、途中どこにも寄港しない。太平洋のよるべのない海原をひたすら突きすすみ、亜米利加大陸のヴィクトリアとシアトルを一路めざす。
日本の陸地はほどなく水平線の彼方へ消え、デッキに立って四方へ瞳をめぐらしても、視界にはいるのは一面の波のうねりだけとなった。変わった光景があるとすれば、時折いずこからともなく飛来しては船にまとわりつく白い海鳥の群ぐらいのものか。
阿波丸の一等にはぼくたちのほかにも、政府のお役人、商社の重役、海外遊学に出かける財産家の子弟などの日本人や、世界一周旅行の帰路だという米国の法律学者の夫妻などが乗っていた。出発して二、三日もするうちに、ぼくは彼らと顔見知りになり、世間話をする関係になった。
いっぽう笠井君はどうしていたかというと、彼は船が沖へ出てからすぐに自分の部屋に閉じこもってしまった。出発当日の夕食の時間になっても食堂にこないので、船酔いでもしたのかと給仕に尋ねたところ、食事は船室で摂るからそちらへ運ぶようにといわれたそうだ。
ひとりで部屋にこもっている理由が船酔いでないとすれば、思いあたるのは出航直前の黎子とのやり取りだ。あのとき黎子は自分のむしゃくしゃを、とうとう笠井君にぶつけてしまったのではないか? いままで口にしたこともないような残酷な言葉を吐きだし、それで笠井君は傷ついてしまったのでは? もしそうだとすれば、黎子の代わりに兄のぼくが詫びるのが筋というものだった。
食事がすむと、ぼくは笠井君の船室のまえへ行って扉をノックした。
二度目のノックで彼は扉をあけた。
「笠井君、だいじょうぶかね?」
「すこし考えたいことがあります。もう一日したら出ていきます」それだけいって笠井君は、ぼくが黎子のことを詫びるひまもなく引っこんでしまった。
翌日の夕刻になって、約束どおり笠井君は食堂にあらわれた。ぼくは彼を船客たちに紹介した。話しかけてくる人々に、彼は無表情にうなずき、最低限の返事しかかえさなかった。まあ、それはいつものことなので、ぼくはべつに気にしなかった。
その後、笠井君は船室からしばしば出てくるようになったが、ほかのだれとも交流せず、もちろんデッキビリヤードなどの遊戯にもくわわらず、船上を静かに歩きまわったり、海や空をながめたりして過ごした。船客のあいだでも彼のことは噂になったようで、あるとき米国人の婦人にぼくは呼び止められ、あなたのお友だちは日本を出て間もないのにもう懐郷病《ホームシック》にかかったのかと訊かれた。
「なに、ふだんから彼は孤独癖があるのですよ」ぼくはそう答えておいた。
心配していた時化《しけ》に遭うこともなく、阿波丸は予定どおり十月九日に加奈陀《カナダ》のヴィクトリアに入港し、翌十日には米国のシアトルに着いた。
亜米利加大陸に第一歩をしるしたぼくたちは、シアトルの街を見てまわり、その日は市内に一泊することにした。異国でのはじめての宿泊なので勝手がわからないから、なるたけ親切そうなホテルを選んだ。空き室の有無を帳場へ問い合わせたところ、二人用のところにお連れさんと相部屋になるがよろしいかといわれたので、よろしいと答えた。
その晩そのホテルの部屋で、ちょっとした出来事があった。
真夜中にぼくは、となりの寝台の笠井君が暴れている気配で目を覚ました。彼は寝具を引きつかみ、激しく首をふっていた。何かの病気の発作ではないかと危ぶみ、ぼくは急いで声をかけた。すると笠井君はがばりと上半身を起こし、息を切らしながら宙をにらんだ。
「悪い夢を見ただけです。頭を冷やしてきます」そういって笠井君は寝台からおり、上着を羽織ると出ていってしまった。
これはのちに笠井君の身に起こる異変の兆しだったのだが、当時のぼくはたいして注意を払わなかった。なんだ、うなされただけかと安心し、ひさしぶりに揺れのない大地の上で眠れる喜びを噛みしめつつ、また睡魔のふところへ潜りこんでいったのだった。
翌日、ぼくたちは鉄道に乗り、市俄古《シカゴ》へむかった。
市俄古ではフラー社の支店ではたらいている工科大学の後輩の北條《ほうじょう》君と落ち合った。周知のとおりフラー社は米国随一の建設会社で、オフィスビルを数多く手がけている。ぼくたちは北條君に彼の職場や設計を手がけた建物を案内してもらい、技術的な方面でいろいろと教えを受けた。鉄骨の組み上げ方や各階の床を効率よく使う間取り、光井戸《ライトウェル》によって外光を採り入れるやり方、最新式の昇降機など、かなりの収穫があった。
十日あまりを市俄古ですごし、そのあとはピッツバーグで製鉄工場を見学した。そこから華盛頓《ワシントン》、フィラデルフィアを経由し、十一月のなかばには紐育《ニューヨーク》に到着した。
紐育! そこは驚くべき大都会だった。列車の窓から紐育の街を最初に目にしたとき、ぼくは思わず窓硝子に顔を押しつけて、その光景を凝視したね。それから市街に踏みこみ、さらなる驚愕に叩きのめされた!
都市のあちこちに雲を突くほどの高さの|摩 天 楼《スカイスクレーパー》がそびえていた。その根本の昼なお暗い領域には高架鉄道や市街電車が行き交い、さらに道路の下に地下鉄道まで走っている。まさに空想の未来都市が眼前にあらわれたような衝撃だった。
紐育には光竹の代理人として駐在している日本人がいて、彼がぼくたちを連れまわしてくれた。市俄古にもずいぶん高層の建物はあったが、紐育のものは高さにおいても数においても勝っていた。いちばん高いのは、ぼくたちがおとずれた年の四月に完成したばかりのウールワース・ビルだった。その背丈たるや並じゃない。六十階ほどもあって、約二百四十メートルというから、じつに浅草の凌雲閣の四倍以上の高さだ。ほかにもメトロポリタン・ライフとかシンガーとかパーク・ロウなどといった、百メートルを超えるようなやつが建っている。そういう建物のひとつひとつをぼくは持参したカメラで写真に収め、設計にかんする資料を手に入れようと躍起になった。基礎が岩盤で地震のない土地だからあんなに高いものが建てられるのであって、日本ではむずかしいだろうか? しかし、いつか東京の市街をこんなビルディングで飾ることができたなら……。そんな想像をたくましくして、ぼくは胸を高鳴らせたよ。摩天楼の絵葉書を何十枚も買いこんで、紐育のすごさをつたえようと日本の家族や友人に宛てて送ったね、あのときは。
そんな興奮ぎみのぼくとは対照的に、同行の笠井君は冷めていた。いや、冷めているというよりも、べつのことが彼の意識を支配しているみたいだった。一応は建物を調べ、要点を書き取めたりスケッチをしたりはするのだけれど、それ以外の食事をしているときや乗物で移動しているときなどに、遠いまなざしをしていることが度々あった。
そうだ。紐育にいるあいだに、あきらかに笠井君の挙動がおかしくなったことが、いっぺんだけあったっけ……。あれはバッテリー・パークから蒸気船に乗ってコニー・アイランドへむかう途中、自由の女神のそばを通りかかったときだ。頭上に松明をかかげて佇立する巨大な女像神を、ぼくたちは船の上からながめていた。
と、船べりから笠井君がいきなり身を大きく乗りだした。
「黎子……」と、彼はたしかにそう口走った。
ぼくはびっくりして笠井君をふりかえった。彼はあっけに取られたような表情で女神像の台座あたりに瞳を凝らしている。こころもち顔色が青ざめていた。
ややあって笠井君は我にかえったように、ぼくのほうを見た。そしてすぐに目をそらし、デッキのむこうへ行ってしまった。
そんなことがあって、さすがに呑気なぼくも心配になってきた。天才がときとして神経の病にかかるという話はよく耳にする。笠井君にもそういう問題が生じたんじゃなかろうか? だが、本当にそうだとしても、どうしたらよいのかぼくにはわからない。恐る恐る旅をつづけるしかなかった。
紐育に二週間近く滞在してから、ぼくたちは米国をはなれた。当初の予定では、つぎはベルギーのゲントでひらかれている万国産業博覧会へ行くはずだったが、市俄古や紐育で時間を取りすぎてしまったため、十二月上旬の終幕には間に合わなくなった。そこで博覧会はあきらめて倫敦へ行くことにし、英国へ渡る船の切符を手に入れた。
その際たどった紐育・サウサンプトン間の北大西洋航路では、まえの年に例のタイタニック号が氷山と衝突して沈没し、千五百人もの犠牲者を出すという大惨事が起きたばかりだった。乗船中にその海難事故のことを考えると、ぼくは正直こわくなった。夜、船室の丸窓から暗い海を覗き、だしぬけに闇のむこうから悪魔の角のかたちをした氷山が現れたらどうしようなどと気を揉んだりしていた。
それとおなじ不安に駆られたわけではなかろうが、英国へむかう九日間の船旅のあたりから、笠井君の尋常ならざる行動が目につくようになった。
ある夜更けに船室の扉がノックされたので、何だろうと思って起きていくと、船員が笠井君を連れて立っていた。船員の語るところによれば、笠井君はこんな遅い時間にひとりでデッキに出て、暗い海をぼうっと眺めていたのだそうだ。そのまま飛びこんでしまうのではないかと危惧して、船員は彼を引っ張ってきたのだという。ぼくは船員が帰ってから、なぜそんな所にいたのかと笠井君に問いただした。彼は黙っているだけで、いっこうに要領を得ない。しかたなくその晩は笠井君を部屋にかえした。
つぎの日の夜、ぼくは笠井君のことが心配でなかなか寝つかれなかった。すると深夜一時をまわったころに、となりの船室の扉があき、足音が通路を遠ざかっていった。ぼくはあわてて着替えをして、あとを追った。デッキでは笠井君が船べりに立ち、暗い海へ顔をむけていた。ぼくは物陰に隠れ、何かあったら即座に飛びだせるように身がまえて、笠井君のようすを観察した。
笠井君はさがしものをするみたいに海面へ視線を泳がせていた。何を見ているのか? 真夜中の海にいったい何があるというのだろう? まさか氷山ではあるまいな? 彼の頭のむこうには漆黒の夜空があり、針のさきのような星々が冴えた光を放っていた。
三十分ほどのち、笠井君は手すりの前をはなれた。しっかりとした足取りで船室にもどっていったので、ぼくはとりあえず胸を撫でおろした。
*
サウサンプトンから倫敦までは、急行列車に乗ってすぐだった。
ウォータールー駅に降り立って市内へ出ていくと、この英国の古都には紐育のようなばかでかい建物はほとんどないことがわかった。目抜き通りの両側に立つ建築物は高くともせいぜいが五、六階建てで、その煉瓦造りや石造りの街並みのむこうに、議事堂や寺院の塔がぽつりぽつりと突きだしている。
米国にいたときは科学技術と合理主義の結晶のような摩天楼を絶賛したぼくだが、こうして倫敦にきてみれば、建築学科でコンドル先生の教えに源を発する英国式の建築教育に馴染んだ身としては、なんとなく故郷にもどってきたような親近感をおぼえた。
倫敦の日本大使館には、ぼくの中学時代の親友である馬場《ばば》君が勤務していた。馬場君は仕事の手が空いている日に、視察の案内役を買って出てくれた。
ぼくたちは徒歩や辻馬車や地下鉄で市内のあちらこちらへ行き、これまで写真でしかお目にかかったことのないさまざまな建築物を間近から見学した。バッキンガム宮殿、国会議事堂、ウェストミンスター寺院、タワー・ブリッジ、倫敦塔、セント・ポール大聖堂、倫敦大火記念塔、リージェント街の四分円形街路《クウォドラント》、アルバート・ホール、|水 晶 宮《クリスタル・パレス》などなど……。
ふしぎなことに倫敦にきてからは、ぼくの知るかぎりでは、笠井君に異常な行動は見られなかった。やはりこの街の親しみのあるたたずまいが彼を落ち着かせたのかもしれないと、ぼくは勝手な解釈をして、ひとりで安堵していた。あとからふりかえると、それは嵐のまえの静けさにすぎなかったのだが……。まさかこの倫敦であのような急展開をむかえるとは、ぼくは想像もしていなかった。
一度だけ、気になるといえば気になることがあった。
馬場君に導かれてオックスフォード街を大英博物館の方角へむかっていると、ある美術商の店先で笠井君が急に立ち止まった。陳列窓《ショー・ウィンドウ》のなかにかけられた一枚の絵に、彼は食い入るようなまなざしをむけていた。
その絵というのは、天高く盛りあがる雲の峰を背景に、白い大きな翼をもつ天使が軽やかに飛翔しているさまを描いた油彩画だった。カンバスの号数でいうなら十号前後の小ぶりの作品だが、写実主義的な筆致でこまかく表現されているため見映えがした。
真剣な面持ちで絵を見つめていた笠井君は、すこし待っていてほしいと我々にいい、ひとりで店へはいっていった。そして、その場で天使の絵を購入した。
その日、見学を終えてホテルへ帰ると、笠井君の買った絵が美術商から届いていた。
いったんそれぞれの部屋に別れてから一時間ほどして、ぼくは用事があって笠井君の部屋をおとずれた。入口で笠井君と話しながら奥へ目をやると、包装を解かれた天使の絵が寝台の上に寝かされていた。ぼくがくる直前まで、彼はその絵をながめていたらしい。
いまになれば、はっきりとわかる。その絵と笠井君との出会いは、まさに数日後に起きる事件の前奏曲《プレリュード》だったんだ。
さて――
ようやく、肝心の事件について語るところまで漕ぎ着けたね。
倫敦市内を一週間にわたって視察して、ぼくたちはつぎの目的地の巴里へ発つことになった。明日は街をはなれるという十二月十五日の夜、馬場君は送別会だといって、ぼくたちを食事に誘ってくれた。
約束の時間になってホテルの一階に馬場君があらわれても、笠井君はなかなか部屋からおりてこなかった。ぼくは彼を迎えにいった。
笠井君は自室の寝台の上で胡座《あぐら》をかき、壁に立てかけた天使の絵をながめていた。片手でしきりに額をこすっている。
「どうしたね? もう馬場君が下にきてるぜ」
ぼくがいうと、笠井君はふりむいた。
「頭が痛むので、外出は遠慮しておきます」
「そうか……。風邪でも引いたかな?」
頭痛の話が本当かどうかはわからなかった。けれど、むりに連れだして、またようすが変になってもこまる。いまはそっとしておくべきだと、ぼくは判断した。
「安静にしていたまえ。あまり痛むようなら、給仕に薬を持ってこさせるとよかろう」そういい残し、彼を置いてぼくは出かけた。
それは倫敦名物の霧がとくに濃い晩で、この街の人間はよくこんな状態で道をまちがえずに歩けるものだと、馬場君と冗談をいい合ったのをおぼえている。
馬場君が連れていってくれた店で肉料理に舌鼓を打ち、ワインも少々飲んだ。ほろ酔い気分でもどってきて、宿の門前で馬場君と別れたのが九時すぎくらいだったろうか。
笠井君の状態をたしかめておこうと思い、ぼくは彼の部屋のまえに立った。扉が細めにひらいていた。部屋へはいってみると笠井君はどこにもいない。あの天使の絵だけが、さきほどと変わらず壁に立てかけてあった。
いやな予感がして、ぼくは一階の帳場へ問い合わせた。
「お連れ様は八時ごろ、おひとりでお出かけになりました」と受付係は答えた。
十二時近くまで待ったが、笠井君はもどってこなかった。ぼくは馬場君の下宿へ行って彼を叩き起こし、事のしだいを報告した。ふたりで一度ホテルまできて笠井君が帰っていないのを再度たしかめた上で、警察に届けたほうがよさそうだということになり、馬場君が倫敦警視庁《スコットランド・ヤード》まで出むいてくれた。
その晩、ぼくは一睡もできなかった。もしも笠井君の身に何かあったら、ぼくは黎子に顔向けできないと思った。
夜があけて、また馬場君がきてくれた。いまのところ警察からは何の連絡もないとぼくが教えると、彼は自分のほうでも出来るかぎりのことはするからと慰め、大使館へ出勤していった。
十一時ごろになってホテルへ警察官がやってきた。
ミスター・カサイとおぼしき東洋人が見つかった、と警察官はぼくに知らせた。早朝ウェスト・インディア・ドックの対岸あたりで気をうしなっているところを、通りかかった船乗りに発見されたのだという。警察がきて調べているあいだに彼は意識を回復したが、熱が高く伝染病の可能性もあるので、東へすこし行ったグリニッジの街の病院に運ばれたそうだ。
警察の馬車に乗せられ、ぼくはグリニッジへむかった。
病院では担当の医師とまず会った。その後の診察で伝染病の疑いは晴れたが、熱はまだかなりあって、それが気がかりだと医師はぼくに告げた。
案内されたさきの病室によこたわっていたのは、まぎれもなく笠井君だった。彼の目元や頬は発熱のせいで赤みを帯びていた。
笠井君はぼくを見ると、真っ先にこんなことをいった。
「平丘さん。黎子のいったことは正しかった」
何のことかわからず、ぼくは彼の神経がついに完全におかしくなったのかと疑った。
「黎子のいったこととは?」
「横浜で船出する直前に黎子がいったことです」
ぼくはその一件を思いだした。
「あれか……。あのとき、いったい黎子はきみに何といったんだね?」
「『この旅に出たら、あなたは以前のあなたでなくなる。そしてわたしたちは、たがいをうしなうことになる』そういいました。あれは本当のことだった」
「どういうことだろうか? ぼくにはよくわからないが……」
「聞いてください」
笠井君は手を伸ばし、ぼくの腕をつかんで引きよせた。それから語りだした。
あんなに饒舌な笠井君を見るのは初めてだった。もしかすると彼は黎子にこそ、このことを伝えたかったのかもしれない。しかし黎子がそこにいないものだから、しかたなく黎子の代わりに義兄のぼくに伝えたのではないか。
そのとき警察官は医師と外にいて、室内にはぼくたちふたりだけだった。
熱があるのにしゃべっても障りはないのかと心配だったが、さえぎるわけにもいかず、ぼくは笠井君の話に耳をかたむけた――
4
結婚するまえから笠井君は、黎子のある能力に気づいていた。その力は彼女のつくる短歌によくあらわれていた。理屈では説明できない万物の関連性、曖昧模糊とした世界の奥に潜む本質、そういったものを単純明快な表現でずばりといい当てるようなものが、黎子の作品には多かった。彼女は論理ではなく感性によって、それらの歌をつくっていたと思われる。直観的な力に黎子は長けていたのだ。
笠井君はその才能に一目置いているがゆえに、横浜での別れのときに黎子が口にした言葉は、視察旅行のあいだじゅう彼の心に重くのしかかった。
――この旅に出たら、あなたは以前のあなたでなくなる。
――そしてわたしたちは、たがいをうしなうことになる。
黎子の鋭い直観力は自分たちの未来によこたわる暗い運命を、なんらかのかたちで見通しているのではないかと彼は考えた。
妻の言葉が引き金になったように、北米航路の船旅のあいだから、笠井君はひとつの悪夢に苦しめられはじめた。それはこんな夢だった。
黎子がまだ生まれていないはずの赤ん坊を抱いて、どこか花畑のようなところに立っている。すると空から大きな白い鳥が舞いおりてきて、鋭い鍵爪でふたりを引っつかみ、どこかへ運び去ってしまう……。
ぼくがシアトルの宿で笠井君と相部屋になったときに彼が見た悪夢も、それとおなじ内容だった。
時間がたつにつれて、夢は現実にまで侵食してきた。紐育では自由の女神の台座に立つ黎子と赤子のまぼろしを目撃したそうだ。いわれてみれば、これについてもコニー・アイランドへむかう船上での出来事として、ぼくには該当する記憶があった。
さらに、どこか遠いところから見知らぬ者の声が聞こえてくるようにもなった。ホテルの部屋で、歩いている街角で、汽車を待つ停車場で、昼食を摂る食堂で、ふとした瞬間にその声ははじまる。言葉の具体的な内容まではわからないが、ゆっくりとした口調で諭すように、あるいは命じるように笠井君の耳に響いてくるのだという。北大西洋上で真夜中に船内をさまよい、暗い海をながめていたのも、その声の主をさがしてのことだった……。
こういった笠井君の打ち明け話によって、これまでの彼の不可解な行動について、ぼくはおおむね納得がいったのだった。
つづけて笠井君は、行方知れずになった前夜から、倒れているところを発見された今朝にかけて、自分の身に何が起こったのかを説明した。
昨晩、ぼくと馬場君が出かけてからも、いぜんとして彼は天使の絵を見ていた。
そもそもオックスフォード街の美術商でその絵を買ったのは、たんに絵が気に入ったからではなかった。彼は店先で絵をひとめ見たとき、脳の奥を刺激されるような感覚を味わった。思いだせそうで思いだせない遠いむかしの記憶と、その絵が深く結びついているような気がしたのだ。絵をそばに置いてじっくりながめれば、記憶をよみがえらせることができるかもしれないと考えた。絵を手に入れてから、ひとりで部屋にいるときには、たいていその絵を見ていた。あまり長く見つめたせいか、頭の芯が疼くようになり、だんだんと鋭い痛みに変わっていったが、それでも彼は絵から目をはなさなかった。
ぼくが部屋へ迎えにいったとき、笠井君はもうすこしで何かを思いだしかけていた。頭痛がしていたのは本当だが、外出を断ったより大きな理由は、せっかく手元に引きよせた記憶をのがしたくないからだった。
ひとりきりになってしばらくすると、またあの声がした。まえの声にくらべると今度の声は近くから、かなりはっきりと聞こえた。ついてこい、とその声はいっていた。
笠井君は絵を見るのをやめ、声に導かれてホテルを出た。
街路には霧が立ちこめていたが、道に迷いそうになると一方向から声がして方角を示してくれる。声のするほうへ、するほうへとむかっていった。
霧はどんどん深くなり、瓦斯灯の明かりさえもおぼろになる。
どのくらい歩いたのかわからない。
そのうちに、鬱蒼とした木立の奥の大聖堂《カテドラル》とおぼしき建物のまえにたどり着いた。ぜんたいは霧につつまれて不明だが、相当の規模をもつ建築物のようであった。
蔦がからみついた鉄の門扉はひらかれていた。なかにはいれ、と声が命じる。
彼は門を抜けて建物につながる道をすすんだ。道の両側には白い花々が咲き、霧のなかでぼんやりと光っていた。
建物の正面《ファサード》の階段をあがると、樹齢千年の大木のように太い円柱がならんでいた。奥に扉がそびえている。扉の表面や周囲には、たくさんの人間や、人間でない何者かのすがたをかたどった彫刻があしらわれていた。いくつかの彫刻が彼のほうをじっと見おろしている。
声は扉をひらくように要求した。その言葉に彼はしたがった。
突然あたりが明るくなった。まぶしさに目を細めつつ、建物のなかへ足を踏み入れる。光に慣れてくるにつれて、そこがとてつもなく広い空間であることがわかった。
ふしぎな意匠の壁や柱やアーチが四方にあるので、建物の内部だということはわかる。が、とにかく巨大な場所だ。幅や奥行きもあるが、高さも大抵ではない。しかも外は夜だというのに、ここは真昼みたいな明るさに満ちている。
光はどこからくるのか? 彼は真上をふり仰いだ。
そびえたつ壁面のはるか上に――そこまでは一里もの距離があるように感じられた――大きな丸天井《ドーム》があり、細密な天井画がその表面を飾っていた。天空に雲がかかり、雲のあいまから陽光が降りそそぐ。その光線のなかをたくさんの天使たちが飛びかっている。そんな絵だ……。
いや、天井画と思ったものは、じつは本物の風景なのだとすぐに気づいた。差してくる光は彼の手の甲にあたって、くっきりとした明暗をかたちづくっていたし、雲間を飛翔する天使の群は翼をはばたかせて動きまわっていた。
丸天井を仰いでいるあいだに、天使の群から四人が抜け、らせんを描くようにしてゆっくりと降下してきた。
やがて、その端整な顔立ちがはっきりとわかる距離まで天使たちは近づいた。四人とも一見したところ女性と見受けられるが、よく観察すれば、目鼻立ちが濃く、口元は引き締まり、少年期の子どものように中性の雰囲気をただよわせている。
そばへきた天使たちは、彼を四方から取りかこんだ。大きな翼に目のまえをさえぎられたと思った瞬間、彼のからだは浮かびあがっていた。
天使たちは上方へ彼を運びあげていく。ある高さまでのぼると天使のうちのふたりが離れ、残りのふたりが背後につくだけになったので、視界が利くようになった。
さきほどまで彼が立っていた床面は、信じられないほど遠くになっていた。その光景もほどなく雲につつまれた。
しばらく雲のなかを飛んだ。そして何のまえぶれもなく眺望がひらけた。
頭上には抜けるような蒼穹がひろがっていた。太陽が照りつけているのに、空の高みの濃紺色をしたあたりでは星がいくつも光っている。足下には果てしない雲海があった。雲はさまざまな表情をしていた。盛りあがった部分にこまかな皺がよって灰色の脳髄のように見えるところ、重層的に入り組んで光と陰の複雑な模様を描いているところ、雪をかぶった起伏のある平原にそっくりなところ……。
進行方向へ目線をもどすと、入道雲のむこうから何かがあらわれた。
それは何のささえもなく中空に浮かんでいた。全体的に黄金の色をしていて、棘《とげ》のようなたくさんの突起物があらゆる方向へ突きだしている。まるで太陽や星の光輝をそのまま立体造形として表現したみたいな物体だった。
近よっていくにつれて、その造形物はとほうもなく巨大であることがわかった。
自分はまえにもここへきたことがある。唐突に彼はそう思った。自分はたしかに以前にも、あの物体を見たことがある。
そのいっぽうで、見たことなどあるわけがないと、心のべつの部分がその確信を否定していた。――この場所の記憶をもつ自分と、もたない自分のふたつに、おのれの意識が分離していくのを彼は感じた。
いつのまに入口を通過したのか、いきなり時間が飛んだような感覚があり、その輝きのかたちをした物体の内部に彼ははいりこんでいた。
何だ、ここは……。思わず彼は目を凝らして、まわりの状況をたしかめた。
この場所では、天は天でなく、地は地でなかった。どちらをむいても大地と思われる面がひろがっていた。ちょうど球体の内部にはいって、空洞の中心から八方をながめている格好だ。いま彼のいる地点が、天といえば天である。
周囲を取り巻く大地はきらきら光っていた。その煌めきのひとつひとつが建物だった。
球体の内側にひろがるこの世界は、おびただしい数の建築物がつらなる一個の壮大な都市だ。ここは雲の上に存在する異世界の首府――天界の国の都なのだ。
人間の住む世界が地球という球体の外側の面にひろがっているのに対して、この天界の都は球体の内側の面にある。いわば、ここは裏がえしの地球のような場所だった。
こうべをめぐらせば、右にも左にも、上にも下にも、前にも後にも、街がつづいている。逆さまになったり横倒しになったりした建物がなぜ崩壊しないのか、にわかに説明はつきかねるが、網膜に映るものを信じるほかはない。
想像を絶するこの光景に驚嘆し、戦慄している自分がいる。その傍らにいるもうひとりの自分は、まるで散歩の途中に住み慣れた街をながめるみたいにそれを睥睨《へいげい》している。落ち着きはらっているほうの彼は、ここがどういう世界であるかをとっくに知っているらしい。
ふと彼は、自分が何者かわからなくなった。父母のもとで育ち、学校へ通い、仕事をし、妻と暮らした歳月が、じつはうたかたの夢で、ほんとうは自分ははるか以前から、ずっとここにいるのではないか……。
気がつくと彼は、球体の内側のいっぽうの面に接近していた。その位置からはもう、市街のようすがつぶさに見て取れる。
水のかわりに雲の流れる運河の上を彼は飛行していた。その運河の岸辺に沿って、さまざまな建築物が点在していた。――鉱物の結晶体を彷彿させる多角形の高楼があった。その近くには透明な壁の金字塔《ピラミッド》があり、内部にかさなる階層に小さな町を内包していた。あちらには一本の円柱で佇立する大きな球体があり、こちらには三角や四角の枠が複雑にからみ合った記念碑《モニュメント》みたいなものが建っていた。宙に浮いた円盤から垂れている水滴のかたちをした建物や、巨大樹が四方に伸ばした枝から実のようにぶらさがっている家々などもかいま見えた。漏斗状の屋根を飛び越え、太い管をより合わせた形状の塔をかすめ、アーチ型の橋か門かわからないものの下をくぐり、彼は連れていかれた。
そのうちに彼を運ぶ天使たちは、ある建物の上へ舞いおりた。
ようやく目的地へたどり着いたらしい。
そこは楕円形をした屋上だった。縁に列柱がならび、噴水や庭園があり、中央には長方形の石の台が据えられていた。
台の上には水盤があり、その隣には生まれたてと思われる赤ん坊が、裸のままでよこたえられていた。赤ん坊は小さな手足をぎこちなく動かしながら、時折まぶたをあけて、焦点の定まらない目で外界をさぐるが、明るさに耐えられないらしく、またすぐに閉じてしまう。そんなことをくりかえしている。
赤ん坊のいる台のむこうに、ひとりの天使が待っていた。いままで付き添ってきた天使たちとは異なり、その天使は翼と衣がすべて金色だった。
金色の天使と台をはさむかたちで彼は立たされた。
天使は彼を見つめた。ずいぶんと背が高く、双眸は彼の頭よりも上にある。その瞳は氷の面のように澄んだ光をたたえていた。
ゆっくりとした所作で天使は、台の上の赤子へ視線を落とした。同時に、かたわらの水盤へ手を伸ばす。水盤には金に輝く液体が満たされている。天使の人さし指がその液体にひたされた。抜かれたとき、指のさきは金色《こんじき》に濡れていた。
その指を天使は赤子の額へあてた。額に触れたところで指の動きは止まらず、皮膚のなかへ何の抵抗もなく潜りこんでいく。
その刹那――
どのような偽計《トリック》が用意されていたのかはわからないが、台の上の赤ん坊は消え、代わりにそこには彼自身がよこたわっていた。
天使の指は彼の頭蓋を貫き、脳の奥まで押し入ってきた。痛みはないが、あまりのことに彼はからだをのけぞらせ、言葉にならない叫びをあげた。暴れる彼をほかの天使たちが制した。
深くまで達した指のさきから、真っ白な光の奔流がなだれこんでくる。
むかし嗅いだ神社の境内の沈丁花の匂い。たくさんの洗濯物が干されていた銀座の家の裏庭の景色。絵の具を含ませた筆を画用紙の上に置いたときの感触。朝夕に鳴り響いていた居留地の天主堂の鐘の音……。そういった記憶がものすごい速度で、幾層にもかさなる幕をめくりあげるように、目の前にあらわれては消えていく。
形も色も、光も闇も、時間も空間も、何もかもがめちゃくちゃに混じり合い、脳がいっきに沸騰し、こなごなに飛び散るような衝撃が襲ってきた。
そして――
すべてが吹き飛んでいったあとに、あるひとつの記憶だけが残された。それは鋭い刃物の切っ先のように彼の意識に突き刺さった。
気をうしなう寸前、彼は理解した。
自分のなすべきことは何か[#「自分のなすべきことは何か」に傍点]?
そのためには何を犠牲にしなくてはならないか[#「そのためには何を犠牲にしなくてはならないか」に傍点]?
それがはっきりとわかったのである……。
――グリニッジの病院の一室でぼくの腕をとらえ、自分の体験をそこまで語ったとき、笠井君はふいに黙りこんだ。
ぼくはぎょっとして寝台の上の彼を見つめた。
笠井君の瞳から大粒の涙が幾筋もこぼれ落ちていたのである。
*
医師が解熱の処置をほどこしたにもかかわらず、笠井君の熱は容易にさがらなかった。馬場君も見舞いにきて、このままの状態がつづくようなら、ホテルにもどして大使館付きの日本人医師に任せたほうがよいのではないかと助言してくれたが、ぼくはもう少しようすを見守ることにした。
笠井君が病院にいるあいだに、ぼくは彼が倒れていたという場所まで足を運んでみた。そこはテムズ河の船着き場に沿った倉庫街の一角だった。その界隈をくわしく調べてまわったが、笠井君がおとずれたという大聖堂《カテドラル》のような建物は見いだせなかった。
ほかにも腑に落ちないことがあった。ぼくたちの宿泊しているホテルと笠井君の発見された場所との距離である。宿はピカデリー・サーカスのそばにあり、そこから笠井君が倒れていたところまでは直線距離にして二里近くはなれていた。おまけに、ふたつの地点はテムズ河をはさんで反対岸に位置している。笠井君は深い夜霧のなか、「声」に導かれながら、そんなに長くて複雑な道のりをほんとうに歩き通したのだろうか? ぼくにはよくわからなかった。
入院して三日目の朝、笠井君の熱は平常にさがり、翌日の十九日には退院した。
笠井君はいつもの多くを語らない笠井君にもどっていた。
彼とホテルへ帰ってから、ぼくは思案した。これからどうするべきか? こんな事件が起きたのだから、光竹に連絡して視察旅行を中止するべきか? 半日ばかり悩んで、ともかく巴里まで行こうという結論に達した。
しかし、翌朝ぼくたちが宿を引き払う準備をしていると、思いもよらない知らせが届いた。ホテルの給仕が部屋へきて一通の封筒を差しだした。国際電報だという。
ぼくは急いで封筒のなかの紙切れをあらためた。発信人は日本の光竹本店で、ぼくたちふたりに宛てられたものだった。
REIKOFUJIN SIKYO. SISATU TYUSISI KIKOKUMO KANARI.
それは何度見ても、「黎子夫人死去。視察中止し帰国も可なり」と判読できた。
ぼくは愕然とし、隣室の笠井君にその電報をもっていった。
笠井君は電報に目を落としていたが、やがて机にそれを置いて部屋を出ていった。
いっときの混乱が鎮まると、ぼくは身のふり方を決め直さなくてはいけないと感じた。会社はぼくたちに決断をゆだねている。この旅行は遊びではない。建築部の部員として視察にきているのだ。いまだ旅程のなかばで、巴里からさきは羅馬《ローマ》、維納《ウイーン》、伯林《ベルリン》などをまわる予定だ。黎子の夫である笠井君だけを帰国させ、ぼくは私情を殺して会社の職務を全うするべく視察旅行をつづけるという方法もあった。けれど、いまの笠井君をひとりで帰してもよいものか? 悲しみのあまり途中で何かしでかしたらと考えると、その選択もむずかしい。とはいえ、笠井君に旅のつづきを強要する気にもなれない。
笠井君をさがしてみると、廊下の突きあたりのベランダにいた。
「黎子のことは残念だった。なんと慰めればよいか……」
応えはなかったが、ぼくは語を継いだ。
「それで、きみはこれからどうしたい?」
「帰ります、日本へ」思いのほか、きっぱりとした口調だった。
その日のうちに、ぼくたちはドーバー海峡を渡る船の上にいた。
倫敦からは日本郵船会社のものも含め、日本にむけた定期船がいくつか出ているが、そういうものに乗れば日本まではどうしたって二か月ほどはかかる。いっぽう伯林、モスクワ、哈爾浜《ハルビン》、大連を経由して、おもに陸路でもどった場合、乗り換えは多いが半分程度の日数で済む。黎子はもう死んでしまっているのだから、いまさら急いでもしかたがないが、帰ると決めたからには少しでも早くというのが人情だった。
ひと月後、ぼくたちは船で神戸に到着した。神戸駅で汽車に乗るまえに、平丘の家と光竹本店には電報を打っておいた。新橋駅の改札で、ぼくの母、笠井君の兄の良一さん、光竹の上役の三人が出迎えてくれた。
「黎子はどうして死んだのです?」開口一番にぼくは母に尋ねた。長いこと心にいだきつづけてきた疑問だったので、食ってかかるような言葉つきになってしまった。
「お腹が大きいのに無理はするなといったんだよ」母は目に涙を浮かべて答えた。「けれども、いうことを聞いてくれなくてねえ……」
ぼくたちが出かけてから、しばらくのあいだ黎子はとても寂しそうにしていたという。だが、一か月ほどしたころから、結社の仲間の家でひらかれる歌会に出席したり、上野へ音楽を聴きにいったり、本郷の教会の奉仕活動に精を出すようになった。そうすることで寂しさをまぎらわせようとしていたのではないかと母はいった。
身重のからだで頻繁に出歩いたため、やはり悪い影響があったらしく、十一月ごろから手足にむくみが出たり、立ちくらみをしだした。それでも黎子は外出をやめない。そして十二月のある月曜日、降誕祭が近いのでその支度を手伝うといって教会にむかい、西片町の坂で倒れて医科大学の病院にかつぎこまれた。黎子は全身に痙攣を起こし、意識不明に陥っていた。
あとになって医科大学出身の友人にくわしく訊いてみたところ、妊娠というのはお腹のなかに自分とはべつの生命をひとつかかえているわけで、想像以上に母体に負担がかかるものらしい。妊娠の終わりの時期に悪阻《つわり》に似た症状があらわれることがあるが、それは負担にあえいだ肉体が悲鳴をあげているのだという。その悲鳴に耳を貸さずにからだを酷使すれば、あたりまえのことだが最悪の事態も起こりうる。
次の日の朝九時ごろになって、一度だけ黎子の意識がもどった。母とお初が付き添っているところに、ぱっとまぶたをあけて笠井君の名を呼び、彼のすがたを探すようなそぶりをした。それからふたたび目を閉じ、半時間後に逝ってしまった。
黎子が息を引き取ったのは、奇しくも十二月十六日の午前中――英国との時差を考慮すれば、笠井君が倫敦のホテルから行方知れずになって奇妙な体験をしたのと、まさにおなじ頃合いの出来事であった。
笠井家、平丘家、光竹本店の三者で話し合い、出張中のぼくたちには電報で知らせておいて、残念ながらその帰りを待つわけにはいかないから、日本にいる身内の手で葬儀をおこなうということに決まった。葬儀は小石川の家でひらかれ、黎子の信仰を重んじて本郷の教会から呼ばれてきた神父が祈りを捧げた。
そんなわけで、ぼくたちが新橋駅から小石川の家へ行くと、黎子とお腹のなかの子どもはすでに骨壺に収まっていた。
帰国して数日がすぎたころ、笠井家の女中のお初が、泣きそうな顔で根津の平丘家へやってきた。帰ってきた日の晩から、笠井君が部屋に閉じこもって出てこないのだという。食事も摂らず、このままでは死んでしまうから、なんとかしてほしいと彼女は訴えた。ぼくは取る物も取りあえず、小石川へ駆けつけた。
玄関をあがってすぐよこの部屋に、障子をしめきって笠井君はいた。
「笠井君。ぼくだ、平丘だ」外から何度か話しかけてみた。
ややあって応えがあった。三十分ほど待ってくれと彼はいう。
ぼくは待つことにした。
お初が奥の八畳間へ案内し、お茶を淹れてくれた。
その部屋にいるあいだに、ぼくは床脇の壁へ視線をやって、おやと思った。そこに見覚えのある絵がかかっていたからだ。倫敦で笠井君が購入したあの天使の絵だった。
絵を見ているうちに、これまで心のなかにくりかえし去来したあるひとつの考えが、また頭をもたげてくるのを感じた。その思考は日本からの電報で黎子の死を知ったときに芽生え、シベリア鉄道の汽車から雪におおわれた原野をながめている道中でどんどんふくらみ、日本に着いたあとでは心の大部分を占めるようになっていた。帰国の途上に幾度か、そのことを笠井君に確かめてみようとしたものの、彼のうつろな目を見ると、それもためらわれた。しかし、あれはどうしても笠井君に確かめておかなくてはならない。そうしなければ、ぼく自身が納得できないのだ。
懐中時計を出すと、約束の三十分がすぎていた。
ぼくは笠井君のいる部屋の前まで行き、また声をかけた。
「はいってください」と笠井君がいうので、ぼくは障子をあけた。
薄暗い部屋だった。笠井君は洋灯《ランプ》をともし、机にむかって正座している。彼のまわりの畳には、丸めたり破いたりした反故の紙切れや、たくさんの書物が散らばっていた。
机の上には何かの設計図がのっている。
「何の図面かね?」とぼくは問うた。
「黎子と子どもの墓です」と笠井君は答えた。
しばらく沈黙がつづいた。
「ねえ、笠井君」意を決してぼくはいった。「グリニッジの病院できみはぼくに語ったね。あの一夜の体験によって、自分のなすべきことは何か、そのためには何を犠牲にしなくてはならないか、それがわかったと。その『犠牲』とは、黎子とお腹のなかの子どものことだったんだね?」
笠井君はかすかに頷いたように見えた。
ひと月後の二月下旬――
光竹本店の建築部長宛てに、笠井君は退職願いを出した。欧米出張に行かせてもらいながら、それに見合うはたらきもせずに辞めるとは何事かと怒る者もいたけれど、黎子の死のことがあったので、おおかたの意見は笠井君に同情的だった。
大正三年の三月末をもって、笠井君は光竹を去った……。
*
「――だいたい以上が、ぼくの知っていることのすべてだ」
平丘賢悟はそういって話を結んだ。
聞き終わってもすこしのあいだ、どう感想を述べればいいのか丈明はわからなかった。黎子夫人の死の陰にこんな事件があったのかと、ひたすら彼は驚いていた。
「倫敦の霧の晩に笠井君が見たというものですが」やっと丈明は口をひらいた。「大聖堂《カテドラル》のような建物、雲の上のおかしな都市、彼の頭に指を入れた天使……そういったものは現実に存在していたんでしょうか? それとも彼の幻覚だったんでしょうか?」
「ぼくはこう考えているんだよ。すくなくとも笠井君は日本から電報が届くまえ、グリニッジの病院でぼくに話をしている時点で、あきらかに黎子の死を知っていた。いや、それ以前から夢などを通して、黎子が自分のもとからいなくなることを予感していた。黎子のほうでも漠然とだが、ふたりの別れに勘づいていた。あの旅の前後に起きた一連の出来事には、常識では説明のできない何かが関与していたのは確かだ。だから、笠井君の見たものを一概に幻覚として片付けてしまうわけにはいかない」
そこで平丘は言葉を切り、目をしばたたかせた。
「説明のできないことといえば、黎子の訃報を受け取ったあとで日本へ帰るあいだに、どうにも解せないことがあったんだ。あの時期はまさに欧州大戦の前夜で、おおぜいの間諜《スパイ》が暗躍していたころだから、どの国も旅行者の出入りには厳しく目を光らせていたはずだ。日本だって英国と同盟関係にあるわけで欧羅巴の情勢とは無縁でいられない。日本人にも詮議が課せられてとうぜんだ。だが、ぼくたちはどこの国境でも、すんなりと通り抜けられた。検問所の係官はほとんど書類をあらためもしないで、ぼくと笠井君を通過させたんだ。いまになってみれば、何か目に見えない力がはたらいていたとしか考えられない。たぶんその力は、笠井君が日本にもどるのを手助けしていたんだ。――やはりぼくは、この世界の枠を超えたどこかむこう側に、常識では説明できないべつの世界があって、笠井君はそこと深い結びつきがあるのだという気がしてならない」
「その〈むこう側〉の世界と〈こちら側〉の世界とをつないでいるのが、笠井君の会った天使ですか?」
「そうだね。基督教でいうところの天使と同一のものかどうかはわからないが、とにかく両方の世界を行き来して、〈むこう側〉の力を〈こちら側〉へおよぼすような役目を果たしているのではないかな」
平丘は腕を組んで天井を見あげ、さらに言葉をつづけた。
「ここから先はまったくの想像になるのだが、もしかすると笠井君自身もそういう〈天使〉のひとりなんじゃないだろうか。彼は〈こちら側〉のある種の人たちを救う使命を帯びて、〈むこう側〉から遣わされた使者なのかもしれない。子どものときから彼は自分ではそのことに気づかないまま成長してきた。そして妻を得てから三年ほどのあいだは、ますますふつうの人間に近くなった。ところが、〈むこう側〉にいるほかの天使たちはそれを許さなかった。彼から家族を取りあげ、みずからの使命を思いださせることにしたんだ。笠井君がいっていた『自分のなすべきこと』とか、そのための『犠牲』などという言葉からすると、そういう見方もあながち的外れではないようにも思えるのだが」
「つまり、黎子さんとお腹の子を奪ったのは、天使たちだと?」
「そういうことになるね。笠井君は本来の仕事をするために、家族を――人間としての幸せを犠牲にしなくてはならなかったんだよ」
「それが本当だとしたら、ずいぶんむごい話ですが……」
「まったくだ。しかしね、それは我々の世界の基準に照らしての感じ方だ。笠井君の天使たちは、善とか悪とかいった〈こちら側〉の価値観とはまったく無関係のところで、彼らなりの計画にもとづいて行動しているのだろう」
丈明は茫洋とした砂漠に放りだされたような気分になった。平丘の解釈をすべて鵜呑みにしていいのかはわからない。けれど、丈明の記憶に刻みつけられた泉二にまつわる出来事のあれやこれやが、平丘の話を裏づけているようにも感じられる。
平丘は疲れ果てたように両手で顔をこすった。
「なあ、矢向君。いまいったことが真実だとして、あの旅に出るまえにぼくがそれを知っていたなら、いったいどんな選択ができただろうね? 笠井君を日本に残していく? そうすれば黎子は死なずにすんだのか? 黎子は笠井君の妻として生きつづけ、笠井君は付き合いづらいがすばらしく有能な建築家として光竹で仕事をつづけていたのだろうか? それとも、いずれ違うかたちで天使たちは笠井君から家族を奪い、本来の道にもどそうとしたのか? ぼくはさっき笠井君と会うといろいろ考えてしまうといったけれど、要するにこういうことなのさ」
いつのまにか正午をすぎていた。店に客がはいりだしたようで、座敷の外からは話し声や足音が聞こえ、あわただしい気配がただよってくる。
「あと、ひとつだけ伺ってもよろしいですか?」と丈明はいった。
「なんだね」
「笠井君が黎子さんと子どものために設計したというお墓は、実際に建てられたのですか? それはどんなものなんでしょう?」
「その墓は大正三年の春、笠井君の設計図にもとづいて建てられた。場所は黎子が子どものころ好きでよく行っていた鎌倉の海のそばだ。丘の上の教会墓地にある。――どんな墓かというと、直径二尺ほどの黒い石の球体なんだ。石材は大興安嶺《だいこうあんれい》のほうで産出する黒石の一種でね、大量の炭素を含んでいるから非常に黒い。それをさらに磨き抜いて、おそろしく真っ黒に仕上げてあるんだ。球体がのっている台座もおなじ石で、すみのほうに小さく『黎子と愛子ここに眠る』と彫りこんである。そのほかに文字はなく模様も装飾もない。墓のまえに立って、その光を封じこめたような、まるい暗黒のかたまりを見つめているとね、内側へ内側へと吸いこまれていくみたいな錯覚をおぼえる。まるで笠井君の悲しみがそのまま凝縮したような墓だよ、あれは」
もしかすると、そこには妻子といっしょに、人間としての笠井泉二が眠っているのかもしれないと丈明は思った。
明日あたり、その墓に詣でてみようかと丈明は考えはじめていた。
[#改ページ]
Y 忘れ川
1
敷丸隆介《しきまるりゅうすけ》は東京日比谷にある帝国ホテルの宴会場《バンケットホール》にいた。
中央のテーブルには豪勢な料理がずらりとならび、客たちのさんざめきと楽団の奏でる音楽が入りまじって、孔雀の模様がデザインされた高い天井にこだましている。そこでひらかれているのは、明治の時代から経済界に君臨してきた政商のひとり、角田計壱《すみだけいいち》の還暦を祝う集まりだった。恰幅のいいからだを紋付の羽織と袴で包み、広間の中央でたくさんの人間にかこまれて高笑いしているのが、主賓の角田である。
その角田にお義理のあいさつをすませ、煙草と香水と酒の匂いのする混沌のなかへただよいだした隆介は、ふと何の脈絡もなく前年の震災のことを思いかえしていた。
一年前――大正十二年の九月一日に起きた大地震は、関東一円に甚大な被害をもたらし、欧州大戦後の不景気にさらなる追い打ちをかけた。政府の手がける復興計画は、はかばかしく進んでいない。東京市内にはいまなお災害の爪痕が残り、帝国ホテルのむかいの日比谷公園をはじめとして、ところどころの公園や広場や空き地に建つバラックでは、何万人もの被災者がみじめな生活を余儀なくされている。
だが、隆介自身も含め、今日この宴に集まっている者の大部分にとっては、もはや地震のことなど他人事に等しかった。彼らはたしかに地震で大なり小なりの損害をこうむりはしたが、さほど時を置かずに立ち直り、平然と日常にもどっていった。それができるだけの強固な権力や資力をそなえていたのである。
それにしても、と隆介は考える。もしもこの瞬間、去年のやつをしのぐような大地震が襲ってきて建物が倒壊し、宴会場にいる実業家や政治家や華族や軍人がことごとく押しつぶされるようなことになったら、日本の社会はどうなるだろう? 命令系統の頂点に立つ者たちをうしなって、さだめし大混乱に陥るにちがいない。無政府主義者《アナーキスト》の喜びそうな空想だが、しかし、そういうのもまた一興かもしれない。あたりを見まわしてみれば、つき合っていて胸くそが悪くなるような狡猾で腹黒い連中が顔をそろえている。こういう輩がいちどきに消えてなくなるのだから、自分もいっしょにお陀仏になるにせよ、ずいぶん痛快で胸のすく出来事のように感じられる……。
「どうかしましたか? 何かお気にかかることでも?」
話しかけられて隆介はふりかえった。
そばに男がいた。つややかな布地のモーニングコートに蝶ネクタイを結び、鼻の下に気取った髭をはやした四十代くらいの男だ。けげんそうな面持ちでこちらを注視している。どうやら隆介は地震で建物が壊れるところを熱心に想像するあまり、柱や梁や天井をきょろきょろ見あげていたらしい。それで男は奇異に取ったのだろう。
「昨年の地震のことを思いだしていたものでね」と隆介は答えた。
「ああ、なるほど。地震で建物が崩れないか、それでお気を揉んでらしたのですね」
実際は崩れるのを期待していたわけだが、面倒なので否定しなかった。すると男はわが意を得たりとばかりに身をよせてきた。
「ご安心ください。この建物は地震に対してすこぶる強靭につくられております。構造は鉄筋コンクリートですし、区画と区画のつなぎ目には伸縮自在の工夫をほどこして、揺れの力を吸収するようにしてあります。現に例の大地震にだってびくともしなかったでしょう。もとはといえば、わたしが設計者のフランク・ロイド・ライト氏に、いかに日本が地震国であるかを説き、耐震性を高めるように勧めたからなのですよ」
「ほう、あなたはライト氏とご面識がおありか?」
「ええ。若いころ米国へ留学していた折に知遇を得ましてね、それから親しく行き来しております。帝国ホテルに新館建設の話がもちあがったときにも、真っさきに彼を設計者として支配人に推挙したのは、このわたしなんですよ。――あ、申し遅れましたが、わたし、こういう者です」
男は上着のポケットから名刺を出して、隆介にわたした。「工学博士、建築家、東京帝国大学工学部建築学科助教授 雨宮利雅」と名刺には書いてある。
隆介も名刺を差しだした。
「これはご無礼いたしました。あの敷丸商事の社長様でいらっしゃいましたか。お初にお目にかかります」
雨宮利雅はそんなあいさつをしたあとで、自分がどんなに偉いお歴々と交際があるか、建築家としてどんなに立派な仕事を手がけてきたか、といったことを得々と語りだした。隆介の会社では、おもに軍の関係だが建築の請け負いもやっている。それを承知の上での売り込みだろう。早くも隆介はこの雨宮という男が嫌いになりかけていた。言動のここかしこにちりばめられた露骨な虚栄心が鼻につく。
適当にあしらって放りだすつもりで相手の話を聞き流していたが、急に思いだしたことがあって隆介は気を変えた。雨宮の自慢がひと区切りついたところで、彼は強引に話題を転じた。
「ところで雨宮さん、あなたは建築学科で教鞭を執っておられるほどだから、建築の世界にもさぞかしお顔が広いのでしょうな。ひょっとして、笠井泉二という建築家をご存知ではありませんかな?」
その名前を聞いて、どういうわけか雨宮の表情は一変した。如才ない笑顔が消え、目尻の皮膚が突っ張ったようになる。
「知らんわけでもありませんが、それが何か?」
「その人と連絡を取りたいのです」
「仕事を依頼されるおつもりですか?」
「まだはっきりと決めたわけではないが、あるいはそういうことになるかもしれない」
雨宮はかすかに首をふった。
「ならば、考え直されたほうがよろしいでしょう。彼は評判がよくありませんから」
「それはつまり、設計の腕が悪いということですか?」
「ちょっとちがいます」雨宮はあたりをはばかるように見まわし、いくぶん声をひそめた。「何かに取り憑かれているんですよ、彼は。呪われているといってもいい。彼が設計する建物は、そこに住む人の心を狂わせるという噂があるのです。たとえば上代子爵家のご先代の奥様で章子夫人という方がいらっしゃいますが、あの方は大正の四年だか五年だかに笠井君が設計した建物にお移りになって以来、だんだんとご様子がおかしくなって、いまでは人とのまじわりをいっさい絶って建物に閉じこもってお暮らしということです。じつをいいますと、その子爵家の仕事は最初わたしのところへきたんですよ。けれども、ちょうど仕事が立てこんでいて都合がつかなかったものですから、泣く泣くおことわりしました。いまではそのことを深く悔やんでおります。わたしがお引き受けしていれば、そんな不幸な顛末にはならなかったのですからね。――それからつい最近も、関西のほうに住んでいる小説家の大西湖南という人が、笠井君に仕事を発注なさった。出来あがった屋敷というのが、なんでも内部が迷路になっている不可解な代物だそうで……。わたしはいやな予感がしているのですよ。大西氏の身にも何か妙なことが起こらなければいいのですがね」
「なかなか興味深いお話ですな」隆介は感心したようにいった。「ええと、それで笠井さんの連絡先のことですが、あなたはおわかりにならない?」
信じられないといったふうに雨宮が目を見ひらいたので、隆介は皮肉な微笑を浮かべた。
「あなたのご忠告はよく承りました。もしも将来、笠井さんの設計した家に住むようなことになったら、じゅうぶん注意することにしましょう」
雨宮はすこしのあいだ憮然として口をつぐんだが、それからそっぽをむき、ぼそぼそした声でいった。
「矢向組の社長の弟で矢向丈明という男がいます。たぶん彼なら、おさがしの人物の居所を知っているでしょう」
「そうですか。ありがとう」
隆介はその場をはなれた。
笠井泉二が一風変わった建築家で、上代子爵にたのまれて熱海の別邸におかしな建物をつくったということは、隆介も以前に聞いて知っていた。だが、雨宮のいうような「取り憑かれている」とか「呪われている」とかいったたぐいの話は信じる気になれない。ああした言葉がれっきとした工学博士の口から漏れたことも解せないが、まあ、どの道いいかげんな讒言《ざんげん》と見なして差しつかえなかろう。隆介自身だって、日露戦争のときに砂利を詰めた缶詰を軍に納めて平気な顔をしていたとか、構造に欠陥があるとわかっている大砲を売って兵隊を死傷させ、あとから金を払ってその事件を揉み消そうとしたとか、いろいろな陰口を叩かれてきたが、すべて根も葉もないつくり話だった。どこの世界にも他人の足を引っ張りたがるやつはいるのだ。
ともかく、せっかく思いだしたのだから、この機会に笠井泉二と連絡を取ってみよう。隆介はそう決めた。
もう七、八年前のことになるが、笠井泉二にかんする噂を最初に聞きこんできたのは、隆介の妻の輝子《てるこ》だった。それ以来、輝子はときたま、その建築家の名前を口にするようになった。なぜ妻がそんなに笠井泉二にこだわるのか、当初はいぶかしく思ったが、いずれなんとはなしに納得がいった。もともと輝子はああした特別なところに身をひたしていた女のせいか、どこか浮世ばなれしたもの、通り一遍ではないものに関心をよせるきらいがある。変わった建築家やふしぎな建物に興味を惹かれるのも、そうした性向のあらわれかもしれない……。そして、目を輝かせて笠井泉二の建築の話をしている妻を見ているうちに、隆介の頭のなかに自然とある計画が浮かんだ。輝子は自分の生まれ故郷の信州の村に強い郷愁をいだいている。ひとつその村に土地を購入して、笠井とかいう建築家に輝子のための別邸を設計させてみてはどうか。
輝子は隆介といっしょになるまえも、なってからあとも、ものをねだるということをしたためしがなかった。着物をあつらえてやるといっても、宝石を買ってやるといっても、いつも遠慮ばかりしていた。けれど、別邸建設の思いつきを隆介が持ちだしたときはべつだった。めずらしく満面に喜色をたたえ、興奮で声を弾ませた。――まあ、あなた、ほんとうですの? ほんとうによろしいの? ええ、そうしましょうよ。ぜひそうしてくださいな。
大正十年の夏、隆介は輝子とともに信州の村をおとずれ、妻の望む場所に建設用地を手に入れた。ところがその直後、会社のほうで大きな仕事が動きだして隆介はにわかに忙しくなり、また昨年は大地震があったりして、約束は留め置かれたままになっていた。この一、二年、妻は催促したくてもできずに悶々としてきたにちがいない。そろそろ計画を再開してやらねば、輝子にも気の毒であった。
*
敷丸隆介の青山の屋敷は一万坪の敷地をもち、まわりの住人からは敷丸御殿と呼ばれて誉めそやされている。さきの震災でも家屋の倒壊や火災は免れ、大正初年に竣工した当時からの変わらぬすがたをとどめた。心字池をそなえた回遊式庭園の一隅に和洋折衷様式の優雅な住まいがたたずみ、そこに隆介と妻が使用人たちにかしずかれて暮らすほか、渡り廊下でつながった分館には主人が執務をおこなう事務所があって、そこでも数名の通いの秘書がはたらいていた。
残暑も終わりかけた九月中旬のある日の昼さがり、敷丸輝子は住居の二階にある自分専用の洋間にいた。
さきほどから彼女は両手を揉み合わせたり着物の襟に触れたりして、落ち着かなげに室内を歩きまわっている。数分ごとに立ち止まり、飾り棚の置き時計に目をむけた。
渋谷駅まで迎えにやった自動車が、そろそろ帰ってきてもいい時刻だ。もう間もなく、笠井泉二はこの屋敷へやってくる。
泉二と会う日取りが決まった一週間ほど前から、輝子はそわそわして何ごとも手につかない心持ちだった。それでも強い意志で自分を抑え、人前では努めてふだんと変わりなくふるまった。
喜びと恐れ――そのふたつの感情が交錯して胸が高鳴る。輝子は常々、かつてあんな境遇にあった自分がこんなに恵まれた生活をしていることを奇跡だと考えていたが、ならば、こうして笠井泉二と会えるのは彼女の人生におとずれた二度目の奇跡といえた。信じられないような僥倖に感謝するいっぽうで、しかし、何も知らずに泉二と会う手筈を整えてくれた隆介のことを思うと、とんでもない罪を犯そうとしているみたいに不安になる。
実際に過去の事実を伏せて隆介をあざむいているには相違なく、その上なおも夫の情けにつけ込んでその心をあやつりつづけてきたのだから、とんだ毒婦と非難されても弁解のしようはない。隆介のほうはまったくの自由意志で別邸づくりを思い立ったつもりでいるはずだが、じつのところ夫をはるかにしのぐ熱意をもって計画を押しすすめてきたのは輝子にほかならなかった。ほのめかしてその気にさせたり、はかなげなふうをよそおって同情を引いたり、むかしの商売で嫌々ながら身につけたそれらの手練手管をこのときばかりはせいいっぱい駆使して、ときには罪の意識を感じつつも、おのれの思惑どおりに進展するように時間をかけて慎重に仕向けてきたのである。
最初から何もかも打ち明けた上で夫に頼んでみることもできたのではないかと、この期におよんで顧みたりもするけれど、もしもそうしていた場合、いまとおなじように事が運んだとはかぎらない。敷丸隆介という男は欲しいものがあれば、どんな犠牲を払ってでも手に入れる。そして獲得したものは絶対に手ばなさない。とことんまで独占しようとする。そんな性格だから、ほんとうのことを話したとしたら、彼は笠井泉二を妻のそばへはけっして近づけなかったのではないか。長いこと描いてきた夢を確実にかなえるには、やはりいまの方法を選ぶしかなかったのだ。
もう一度、時計の針をにらんで、輝子は書き物机のまえへ行った。引き出しをあけて、文具や紙切れの下から雑誌ほどの大きさの平たい油紙の包みを抜きだす。
油紙を取り去ると、なかから現れたのはふたつ折りにした厚紙だった。あいまに一枚の図画用紙がはさんである。長い歳月を経てきたために、全体がうっすら黄ばんで、端が曲がったり破れたりしていた。
いずれにしても、やり直すには遅すぎる。ここまできたからには、おしまいまで秘密を守り抜くしかない。隆介はとても勘の鋭い男だから、不必要の疑いを持たせてはならない。もちろん使用人たちに対してもおなじだ。隆介の妻になって二十年以上になるが、いまだに女中たちが輝子の過去について噂し、ひそかに侮蔑の念をいだいていることは、平生の空気からも察せられた。泉二とのある関係[#「ある関係」に傍点]を彼女たちに嗅ぎつけられたら、このときとばかりに輝子は醜聞の生け贄にされるだろう。その騒ぎは時を置かず隆介にも知れるだろう……。そんな羽目に陥らないためにも、これまでどおり用心深くすることだ。
遠くから自動車の音が聞こえた。正門に面した側の窓からレースのカーテンを透かして見ると、敷丸家のシボレーが屋敷の車回しへはいってくるところだった。
輝子は図画用紙を筒状にまるめ、真んなかをリボンで縛った。それを単衣の袂に突っこんで、外からふくらみが目立たないように位置を調節した。一刻も早く下へおりて泉二を出迎えたかったが、ひとまず我慢して女中が呼びにくるのを待った。
一階の応接室には、さきに隆介がきていた。夫は客とむかい合って壁のまえに立ち、何ごとか熱心に語っている。いつものあれ[#「あれ」に傍点]だなと輝子は思った。
いまでこそ隆介は土木建築や海外貿易や鉱山経営にも手をひろげているが、元来は軍需品の取り扱いを専門に会社を興し、一貫して帝国陸軍の御用商人として活躍してきた。そのせいもあって隆介には、ライフルだのピストルだのを蒐集する趣味がある。集めた銃は応接室の壁に銃架をもうけて飾ったり、硝子張りの棚に陳列したりして、はじめての訪問者があると、かならずといっていいほど彼はそのコレクションを披露するのだ。
あっちのは普魯西《プロシア》のドライゼが開発した世界初の元込め銃で、わが国でもツンナール銃という名で戊辰のいくさの際に使われたとか、こっちのはウィンチェスターで、亜米利加西部の開拓者のあいだでは非常に重宝がられたものだとか、そんなことを隆介は説明している。客は黙って聞いていた。
武器の講釈が終わってから、ようやく輝子は訪問者と引き合わされた。隆介はまず「妻の輝子です」と客にいい、そのあとで「こちらが建築家の笠井さんだ」と輝子に客を紹介した。
笠井泉二は白い背広の上下を着ていた。世の男たちのなかでは隆介も背が高いほうだが、泉二はその隆介よりもさらに二、三寸上背があった。隆介が筋肉質でがっしりしているのにくらべて泉二は痩身だから、見た目には隆介のほうが大柄に見える。
輝子はていねいにお辞儀をし、わざわざ足を運んでくれたことへの礼を述べた。
泉二は低い声で「どうも」と応じた。その顔つきを輝子はさりげなく観察してみた。無風の日の水面のように何の感情も読み取れなかった。目の奥に静かな光をたたえて輝子を見かえしているだけだ。
敷丸夫妻と笠井泉二はテーブルをはさんで対座した。
隆介はただちに本題にはいった。
「先日、矢向丈明さんと会った折に話しましたので、大概つたわっていると思いますが、わたしは妻のために別邸を建ててやりたいと考えておるのですよ。あなたはなかなか面白いものをおつくりになるようだし、過去に手がけたお仕事のうわさを聞いて妻もたいへん興味をもっております。いかがですかな、設計を引き受けていただけましょうか?」
「お引き受けしましょう」と泉二は答えた。
「まことにけっこう」といって隆介は上機嫌の笑みを浮かべた。「建てる場所は信州長野県です。松本から山のほうへ少しはいったあたりだから、遠くてお手数でしょうが、ご都合がよろしいときに一度お連れいたしますよ。――ああ、それからひとつお願いがあります。これも矢向さんからお聞きおよびかもわからんが、わたしの経営している会社には建築の部門がありまして、今度の建物の施工はそこにやらせようと思っとります。矢向さんに相談したところ、笠井さんはべつだん矢向組と専属契約を結んでいるわけでもないし、そうしてくれて構わんからとのご承諾を頂戴しました」
「その件も了解しています。現場との意思疎通が円滑に図れさえすれば、ほかのことにはこだわりません」
「恐縮です。これ以外に何か取り決めておくことはありますかな? どういう大きさでどういう間取りのものを建てるかといったことは、わたし抜きでも、じかに妻と話し合って決めていただいてよろしいですから。妻のために建てるのだから、彼女が満足すればそれでいいんだ」
部屋の扉がノックされたので、隆介は話を中断した。
執事がはいってきて深々と一礼し、隆介に何か耳打ちをする。
「わかった」と隆介はいい、執事をさがらせた。自分もソファから腰を浮かせた。
「申しわけない。仕事の用件で急ぎの電話がきたようです。ちょっと中座しますが、適当に打ち合わせをすすめていてください」
隆介は大股に応接室を出ていった。
窓へ目をやると、渡り廊下を分館にむかって歩いていく夫のすがたが見えた。泉二とふたりきりになる機会がこんなに早くこようとは思ってもいなかったので、輝子は緊張したが、このときをのがす手はなかった。すかさず彼女は切りだした。
「どんな建物にしたいかというお話ですけれど、じつはわたしにはもう、はっきりとした希望があるのです」
輝子は袂に忍ばせてあった図画用紙を取りだし、まるめたままテーブルにのせて泉二のほうへ押しやった。
「どうぞご覧になって」
泉二はリボンの結び目を解き、古ぼけたワットマン紙をひろげた。一瞬の間を置いて彼の面に驚きの波紋が走った。
「むかしある男の子が、その絵をわたしに描いてくれました。いつか建築家になって、こんなのを設計してあげようと、その子はいいました。約束を果たしていただくときが、やっと巡ってきたようです。おぼえておいでですか?」
図画用紙の上に泉二は視線をそそいでいた。
「おぼえています」ゆっくりと答え、彼は顔をあげた。「あなただったのか……」
「そうです。笠井さんの家の近所で牛乳屋をやっていた、あの諸橋《もろはし》の家の輝子です。子どもの時分に別れたきりだから、お会いしてすぐにおわかりにならないのも、無理はございませんわね」
ふたりはたがいを見つめ合った。
「元気そうでよかった」と泉二がいった。
「あなたも」と輝子はいった。「笠井さんが建築家になっていらっしゃることは、以前あるところで上代子爵の別邸のお話が出て、それで知りました。以来、あなたの手でこの絵の建物を実現していただけたらと、そればかりを想いつづけてきましたの」
話しながら輝子は渡り廊下を気にしていたが、隆介が引きかえしてくるのが見えたので、いきなり早口になった。
「夫がもどってまいりますが、いまのお話は内緒にしておいていただけますか? 何か勘ちがいをされて、つまらない疑いでもかけられたら、あなたのご迷惑となりましょうから。それから、その絵はあなたが預かっておいてください。建物が完成するときまで」
泉二は目でうなずき、絵をもとどおりに丸めると、上着のふところへ滑りこませた。
その直後に扉があいて、隆介がはいってきた。
「やあ、すみませんでしたな、笠井さん。それでお話はどこまで進みましたか?」
2
輝子が家族とともに信州の村から東京へ移ってきたのは、明治二十二年の春、彼女が数えで九つのときだった。
彼女の父は松本藩に仕える下級武士の家の嫡男で、廃藩後は明治政府が交付する金禄公債のわずかな利子では食べていかれず、城下から四里ばかりはなれた山あいの村に引っこんで、農作物をつくったりして生計を立てていた。そんな暮らしも先が見えていると判断した父は、妻とふたりの子を連れ、活路をもとめて都会へやってきたのである。
父は人から融資を受けて、京橋区の新栄町に搾乳所をひらき、そこでしぼった牛乳を売り歩く商売をはじめた。近くに外国人居留地があって西洋人がたくさん住んでいたこと、日本人のあいだでも滋養のある飲み物として牛乳が受け入れられつつあったことなどが幸いして、父の事業は思いのほか順調にすすみ、わずか一年で銀座に販売所を出すまでに成長した。最初は牛舎とひとつづきになった粗末な住居で雨露をしのいでいた一家も、銀座に店を借りてからは、そちらの二階で寝起きするようになった。父は販売所の番を母にまかせ、新栄町まで毎日通って、明け方から暗くなるまで熱心にはたらいた。
信州にいたころにくらべたら、東京ではいろいろなものが手にはいるし人力車も鉄道馬車もあって、どんなに便利だかしれないと父も母も喜んでいたが、輝子は東京という場所になかなか馴染めなかった。往来のにぎやかさは輝子を落ち着かない気分にさせた。周囲に山や森がないのも寂しかった。
街の様子もさることながら、そこにいる人間とも打ち解けられなかった。上京後しばらくして、輝子とひとつ年下の弟は小学校の尋常科に行きだした。学級の生徒から言葉の訛りのことでからかわれたり、意地悪で持ち物を隠されたりと、ふたりはしばしば悲しい目に遭った。弟は父親譲りのたくましい性格でそれらを克服したが、輝子のほうはそういうわけにはいかなかった。時を経るにしたがって嫌がらせを受ける回数は減ったけれど、彼女は友だちをつくれずに孤独なままだった。
その状態に変化がおとずれたのは、東京へきて二年目の秋――校庭のかたすみに赤のまんまが咲きだした時期のことだ。
元数寄屋町の小学校からの帰り道、銀座の大通りを京橋のほうへ歩いていた輝子は、尾張町のあたりまできて、洋酒問屋のわきの狭い路地の入口で樽に腰をおろして絵を描いている少年に出くわした。ちょうど輝子とおなじくらいの歳で、竹の定規のはみだした風呂敷包みを足元に置いているところからすると、彼も学校の帰りのようであった。
輝子がその男の子のすがたを目にするのは、それが初めてではなかった。小学校のそばの柳の根方だったり、銀座四丁目の新聞社のまえだったり、輝子の家のそばの橋の袂だったり、そのたびごとに場所はちがったが、彼がそうやって絵を描いているのをこれまでにも幾度か見かけたことがあった。
その日、少年はたまたま輝子に背をむける位置にいたので、袴の膝にひろげた画帳が覗きこめた。鉛筆を握る手がいそがしく動きまわり、樹木と家が一体になったような何か妙なものを紙の上に描きだしている。
輝子は歩調をゆるめた。どんな気性の少年かわからない。何を見ているんだと怒鳴られるかもしれないし、もっと悪くすれば小突かれる危険だってある。そんなことになるまえに立ち去ったほうが利口だと思ったが、好奇心が警戒心にまさって彼女は完全に足を止めた。
少年は作業に熱中していて輝子に気づかない。あるいは気づいても無視しているのかもしれない。輝子はしだいに大胆になって、しばらくすると真横から絵を見おろしていた。最後には勇気を出して声をかけた。
「何を描いてるの?」
少年は面をあげて輝子を見た。案外と鋭い光を帯びた目つきだったので輝子はひやりとしたが、何ごとも起こらず、彼は画帳に視線をもどした。
「家の絵だよ」と少年は答えた。
「そんな家がこのへんにあるの?」
「ないさ。夢で見た家だもの」
彼は絵のつづきに戻ったが、ややあってまた口をひらいた。
「今朝、夢に天使が出てきたんだ」
天使というのが何なのか、当時の輝子は知らなかった。でも、話の腰を折りたくなかったので、そのまま聞いていた。
夢のなかで少年は、天使に導かれて歩いていたという。そのうち、どこか広い空き地のようなところへ出た。彼は手のひらに植物の種のようなものを数粒つかんでいた。天使の指示にしたがってそれを地上に蒔くと、たちまち何本かの芽が吹いてきて、驚くほどの速さで伸びた。それらは見る見る太くなって枝をひろげ、しまいには互いにからみ合って巨大な西洋館に成長したのだそうだ。目覚めてからも夢の内容をおぼえていたので、今日一日その光景を絵にしようと試みているが、夢のとおりに描くのはなかなか難しいと少年は語った。
輝子はますます興味を掻き立てられ、画帳を見せてもらえないかとその子に頼んだ。
少年はつかの間、透かし見るような目を輝子にむけたが、すぐに納得がいったらしく画帳をわたしてよこした。
前のほうにむかって頁をめくっていくと、なるほど最初の五、六枚は少年が説明したような夢の絵だった。それより前にはいろいろな絵がある。共通しているのは、すべてが建物の――それも洋風の建物の絵だということだ。実際の建物を写生したと思われる絵が半数くらいを占めるいっぽうで、残りは現実に存在するとは考えにくい建物であった。たとえば、空中に浮かんでいるように見える館だったり、雲の上まで突き抜けている非常に高層の塔だったり、西方の砂漠の国にあるという金字塔《ピラミッド》――何かの本で写真を見て輝子はそのかたちを知っていた――をちょっと彷彿させる建物だったりした。
「とっても絵がじょうずなのね」と輝子はつぶやいた。
京屋の時計台の鐘が四時を告げると、少年は荷物をまとめて立ちあがった。家にもどるというので、輝子もいっしょに歩きだした。偶然にもふたりは帰る方向がおなじだった。
そのうちに、輝子の父が営む牛乳販売所のまえまできた。
「あたし、ここに住んでるの。諸橋輝子っていう名前よ。あなたは?」
「ぼくは笠井泉二」
「また今度、あなたの描いた絵を見せてもらってもいい?」
「いいよ」
輝子と別れた少年は、諸橋の牛乳屋から通りをへだてて半町ほどさきにある西洋洗濯店まで行き、建物のよこのくぐり戸から内側へ消えた。
こうして輝子は意外な近所にひとりの友を得た。笠井泉二のすがたを見かけると彼女は声をかけるようになった。新しい作品を見せてもらい、それにかんして質問したり感想をいったり、ときには絵と関係のない話もした。画帳にむかう泉二のそばにならんで座り、白い紙の上に想像を超えたかたちの建物が生みだされていくさまを飽かずに眺めていたこともある。
それと、こんな出来事もあった――
泉二と知り合って数か月がすぎたころだったか、ある日の午後、輝子は母からいいつかって新栄町の搾乳所まで届け物に行く途中、画帳をかかえた泉二と出会った。
「あら、こんにちは。これからあたし、お父さんのところへ行くんだけれど、よかったらあなたもこない?」
泉二は黙ってついてきた。
輝子の父は搾乳所のまえで雇い人たちと、牛乳の配達に使う硝子瓶を洗っていた。輝子は用事をすませたあと、泉二を父に紹介した。
「おお、そうかい」と父は相好を崩していった。「笠井さんのところの子かい。せっかく来たんだから、牛を見物していくといい。うちで飼ってるのはホルスタインといってな、亜米利加から仕入れたやつなんだ。和牛なんかより、よっぽどたくさんの乳が出るんだぞ。そら、お輝。牛舎へ案内しておやり」
輝子はいわれたとおりにした。
搾乳所が建っているのは、さる大名屋敷の跡地の一角で、牛舎も藩邸の時代から残っている厩に手をくわえたものだった。牛舎の柵のなかには、白と黒のまだらの大きな洋牛が二十頭近くもいた。
一頭一頭を泉二はじっくりと観察していたが、おもむろに画帳をひらいて絵を描きはじめた。牛の絵でも描くのかと思ったら、いつものように建物の絵だった。屋根を取り除いた状態を斜め上から俯瞰した図で、建物の内部は板塀で何十もの小部屋や短い廊下に仕切られている。
「何の建物?」
「牛の家さ」
「ふうん。なかがこまかく分かれているのは、牛が逃げないようにするため?」
「ちがう。牛が怖がらないようにするためだ。牛というのはずいぶん臆病のようだから、こうしてやったほうがきっと安心するんだ」
「牛が臆病だってことがよくわかったわね。あたしのお父さんも年中そういっている。牛は図体が大きいけれど、肝はちっちゃくて、怖がらせるとお乳が出なくなっちゃうんだって。だから、牛の気持ちのわかる人でなくちゃ、牛の世話はできないんだって。あなたも牛乳屋になれるわね」
「ぼくは牛乳屋にはならないよ」
「あら。それじゃ何になるの?」
「造家師になるんだ」
「ゾウカシって?」
「建物をつくる人だ」
「大工さんってこと?」
「実際に普請をする人じゃない。図面なんかを引いて、どんな建物にするのか考案する人のことさ」
ふたりは搾乳所を出て、銀座のほうへ戻っていった。
三十間堀までくると、橋の上で立ち止まって川を覗きこんだ。舫《もや》われた伝馬船のまわりの黒い水に落葉がたくさん浮かんでいる。
「東京の川って、信州の川とちがうのね」
「どんなふうにちがう?」
「このへんの川はどれもこれも、じっとしていて動かない。まえにあたしが住んでいた村じゃ、家のそばに川があったけれど、いつも駆け足をするような速さで流れていたわ。夜のあいだも、さらさらさらさら音がしててね、その音を聞きながら眠るととっても気分がいいの。あたし、いつか信州へ帰って暮らしたいな」
輝子の説明を聞いているのかいないのか、泉二はじっと水面を見おろしていた。尋ねられたから答えたのに満足な反応が得られないので、輝子はすこしがっかりした。
だが、そのとき泉二は、彼女の話を聞き流していたわけではなかった。――そのことはもっとあとになって、輝子が銀座を去らねばならなくなったときに判明した。
明治二十五年、東京へきて四年目の夏、輝子の父が突然倒れた。搾乳所で牛に飼葉をやっている最中に卒倒したのである。数時間後に意識を取りもどしたものの、手足に麻痺が起こって思うようにからだを動かせなくなっていた。言葉にも重い障害が出た。過労が祟った末の中風《ちゅうぶう》だと医者は診断した。もとどおりに回復する見込みはすくないともいった。
母や使用人たちだけでは仕事がうまく回らず、出資者たちも父の再起がおぼつかないと知ると、銀座の店に押しかけて融資した金の回収を迫った。そのあげく、搾乳所は牛や雇い人ごと、そっくり他人の手にわたってしまった。床のなかの父は動かぬ肉体を小刻みにふるわせ、うめき声をあげて悔しがった。
一家は銀座の店の明け渡しをもとめられ、よそに越さなくてはならなくなった。
輝子は笠井の洗濯店へ行き、くぐり戸の外へ泉二を呼びだして、引っ越しすることになったと告げた。泉二はいつもとおなじ調子で、「そうか」とつぶやいただけだった。
銀座をはなれる日がきた。家財道具と病身の父を荷車に乗せ、いざ出立というときになって、泉二があらわれた。
泉二は輝子に一枚の紙を差しだした。
ワットマンの上等の図画用紙に、鉛筆と絵の具を使って絵が描いてある。川に不思議なかたちの橋が架かっている絵だ。いや、よく見れば、それは橋ではない。家である。橋のかたちをした家だった。アーチ型をした橋脚の基部に、流れに臨んでバルコニーのようなものがしつらえてあり、そこに着物すがたの女の子がひとり立っている。
輝子は口元へ手をあてた。
「もしかしてこの家、あたしのために考えてくれたの? ここに立っているのがあたしなの?」
「うん。いつかこんなのを信州の田舎に建てて暮らすといい。そのときには、ぼくが図面を引いてあげるよ」
輝子はうなずいた。何度もうなずいた。
「ありがとう。この絵、大事にするわ。さようなら」
*
T型フォードの貸切自動車はエンジンを吹かし、ゆるやかな坂道をのぼっていった。座席の幌は折りたたんであるが、日差しが暖かいので寒さはほとんど感じない。
道の右手には山の斜面がある。反対側はもみじの盛りの森で、紅や黄の照り葉が視界の彼方までつづいていた。その奥に見え隠れしている銀色の帯は、陽光にきらめく川だ。
青山の屋敷で輝子が笠井泉二と再会してから、ひと月半がすぎていた。ここは長野県松本の市街から北東に十五、六キロきた山中。
おりしも車は蛇行するようなカーブに差しかかっていた。それがふたたび直線にもどったとき、道沿いに藁葺き屋根の家々が出現した。ひとつ目の民家を通りすぎたところで、輝子は運転手に声をかけた。
「停めてちょうだい」
自動車は砂利をはね散らかして停止した。
どの家も蔓草や雑草に侵され、朽ち果てるにまかされている。人の気配はなく、犬や鶏の鳴き声もしない。
輝子はとなりの席をふりかえった。
「ここが衣田《きぬた》村。わたしの生まれた場所です。いまは廃れて、もうだれも住んでいません。明治の終わりごろにほかの村に合併されて、地図から名前も消えました」
笠井泉二は何もいわず、あたりの光景に目を配っている。
「家を建てようと思っているのはもう少し上ですけれど、お見せしたいところがあるので、ここからちょっと歩きませんか?」
その提案にも泉二は首を縦にふっただけだった。
輝子と泉二は車をおりた。
助手席にいたお政《まさ》もそれに做おうとするので、輝子は彼女にいった。
「あなたはいいわ。さきに車で行って、柵の入口の南京錠をあけておいてくださらないかしら?」
輝子がハンドバッグから取りだした鍵を見おろし、お政はわずかに眉をひそめた。
「でも、奥様、こんな場所ですからお足元があぶのうございますし、わたくしもお供したほうがよろしいかと……」
わざと輝子は無邪気に笑ってみせた。
「だいじょうぶよ。わたしはここの森のなかを山猿みたいに走りまわって育ったんだから。じゃあ、お願いするわね」
お政はまだ何かいいたそうに唇の端を動かしていたが、結局は鍵を受け取った。自動車はお政を乗せたまま出発し、がたがた揺れながら木立のあいだを遠ざかっていった。
別邸の建設用地へ泉二を案内する今度の旅に、敷丸隆介はくわわっていない。最初は彼もくることになっていたが、あとに控えていた九州行きの仕事が早まって都合がつかなくなったのである。隆介が参加できないとわかって、旅が延期になるものと輝子は覚悟を決めたが、実際にはそうならなかった。自分抜きで妻がよその男と出かけるのを、隆介はよく許してくれたものだと思う。
隆介の代理として女中頭のお政が同行することになった。おそらくお政は隆介から、万が一にもまちがいなどが起こらぬよう、輝子と泉二をよく見張れと命じられたにちがいない。輝子と泉二とお政の三人は昨日、新宿から十時間あまりをかけて松本までやってきたが、その汽車のなかでも、松本へ着いてから投宿した旅館でも、お政は隆介にあたえられた役目を忠実にこなした。輝子のほうでもむろん、その邪魔をしたりはしなかった。
けれど、いまから行くところだけはべつだ。あそこへは、どうしても泉二とふたりきりで行きたい。東京へ帰ったらお政はこのことを隆介に報告するかもしれないが、短い時間で切りあげれば、あとで夫に問い詰められてもいい繕うことはできるだろう。
輝子はさきに立って、泉二を導くようにして村のなかを進んでいった。
「二年前にきたときには、このあたりの道もすっかり草が生い茂って荒れ放題になっていました。それを人をたのんで、もとのとおり歩けるようにしてもらいましたの」
むかし輝子の一家の暮らしていた家が、道の左側にあった。家のよこの小道にはいり、林を抜けていく。秋の澄んだ空気のむこうから低いせせらぎの音が聞こえてきたので、輝子は思わず口元をほころばせた。
ほどなく川のほとりに出た。川幅はそれほどないが、水の量はたっぷりとあり流れも速い。両岸から張りだした木々の枝葉が、川面に淡い影を落としている。岸辺の水に接するあたりは岩がちで、あちらこちらに白く小さなしぶきがあがっていた。
これがわたしの話していた川よ、と心のなかで輝子はいった。口に出さなくとも、泉二はわかってくれているはずだった。
上流にむかっていくと、川の端に平たい岩がならんでいた。輝子は着物すがたではあったが、飛び石づたいに注意深く渡っていき、いちばん広い岩の上まで行った。泉二もあとにつづいて彼女のとなりへやってきた。
輝子は子ども時代、母といっしょにここへきて洗濯の手伝いをした記憶がある。あのとき、あかぎれだらけだった母の手にくらべて、いまの自分の手はなんときれいなことか。申しわけないくらいに皹《ひび》ひとつない。
膝を折って輝子はしゃがみこんだ。手の先を川に入れると、指のすきまを水が勢いよくすり抜けていく。
「忘れ川――村の人たちはこの川のことをそう呼んでいました。なぜそう呼ぶのか由来は知りませんが、いい名前だと思いませんか? わたしは好きです、その名前が」
泉二は流れにひたした輝子の手を見ていた。
「あなたには忘れたいことがあるのですか?」
しばしの沈黙のあとで輝子は答えた。
「わたしの過去のことは、もうどこかでお耳にしていらっしゃるでしょう」
「あなたの口から聞かせてくれませんか?」
「いじめるおつもりなの?」
「そうじゃない。わたしは十二歳のころのあなたではなく、いまのあなたが必要としている建物をつくりたいんだ。現在のあなたについて真実を知らなくては、それはできない」
色づいた葉がときおり枝をはなれて、ひるがえりつつ川へ落ちてきた。静かだ。川の流れのほかには何の音もしていない。
「わかりました」と輝子はいった。「あのあと銀座をはなれてから両親と弟とわたしが移り住んだのは、深川のみすぼらしい裏長屋でした。わたしは母とともに針仕事などをして生活をささえようとしましたが、寝たきりの父にくわえて弟も胸を患い、その治療のためにさらにお金がいるようになって、しかたなく借金をくりかえす始末……。最後には金貸しに迫られて、おまえにさえその気があるのなら家族を助ける手立てがあるんだといわれ、連れていかれたさきが浅草の観音様の裏のほうにある一軒の銘酒屋でした。銘酒屋ってご存知でしょう? お酒を飲ませるお店なんてかたちばかりで、そのじつは派手に着飾った女たちが男のお客の相手をする私娼窟ですよ。十八のときから四年間、わたしはそこではたらかされました。ああした境遇のことをむかしから苦界なんていうけれど、そんな紋切り型の言葉じゃいいあらわせないほどの地獄でしたね、あそこは。――銘酒屋の立ちならんだあの界隈は、先年の震災ですっかり焼け野原になったって聞きました。それを知ったわたしは、こんなことをいうと不謹慎に聞こえるでしょうが、なんだかとてもせいせいした気分になったんですよ。わたしが当時のことをどれだけ忌わしく思っているか、それでおわかりでしょ?」
話しているうちに輝子の言葉つきはだんだんと、遊女の時代に使っていたぞんざいで蓮っ葉な口調に近づいていった。二十年以上も前のことなのに、あのころの自分はけっして滅びず内側にひそんでいて、記憶とともにひょっこり顔を覗かせるのだ。
「わたしは家族のためと思って、ひたすら我慢したんですよ。けれど、結局みんなを助けることなんてできなかった。たしかにわたしの身売りでそれまでの借金はかえせたし、いくらかお金が残りはしたけれど、しばらくすればそれもお米や薬に消えちまい、また貧乏がはじまる。助けにいってやりたくても、こっちは前借り金に縛られている身だからどうにもできやしない。わたしが浅草にいるあいだに、とうとう三人とも死んじまいました。弟は肺病の菌に腸や骨まで冒されて、父は最後の力をふりしぼって首をくくって、母はふいの流行病にかかって。そして、わたしだけが取り残された。みんなのあとを追って死のうかとも本気で考えましたよ。でも――そんな絶望の底から、ひとりの馴染客がわたしを救ってくれたんです。それがいまの夫の敷丸隆介です。そのときの夫はまだ駆けだしの実業家で、わたしを身請けするお金を工面するのにもけっこう無理をしたようです。さいわいあの人は商才に恵まれていて、そのあとにのぼり調子の成功を収め、ご覧のとおりの財を築きました。おかげでわたしまで奥様などと呼ばれる身分になって……。夫には深く感謝しています。けれど、まえの自分には考えられないような贅沢な暮らしをしていると、運命の皮肉や生きていることの虚しさを感じるときがあります。わたしだけが幸福になって、死んだ父母や弟にすまないと、ときどきそんな気持ちになるんです。不幸な過去は忘れたい。でも忘れられない。いや、忘れたらいけないんだって思うんですよ」
そこで輝子は口をつぐんだ。流れる水にまた手を入れる。今度は手首まで、羽織の袂が濡れるのもかまわず深く突っこんだ。
泉二の瞳には、温かみに満ちた穏やかな光がひろがっていた。
「話してくれてありがとう」と彼はいった。
輝子は泉二を見あげた。
「そういえば、銘酒屋の二階の窓から浅草十二階が見えました。あの不思議なかたちの塔を目にするたびに、わたしは笠井さんのことを思いだして、いまごろ建築家になるための勉強をしているのかなって考えたものです。ひとりのときには、あなたの描いてくれた建物の絵を箪笥の奥から取り出して、よくながめました。それを見ながらいろいろ想像していると、実際に絵のなかの建物へ行ったような気がしてくるんです。それがわたしのただひとつの楽しみでした。どうにか正気をたもってあの四年間を生き抜くことができたのも、あなたの絵のおかげです。だから、わたしは夫とおなじくらい笠井さんにも感謝しています」
泉二はかすかに笑ったようだった。
「笠井さんのほうはどうなんです?」と今度は輝子が尋ねた。「どんな人生を送ってこられたんですか? 奥さんやお子さんはいらっしゃるんでしょう?」
泉二は視線をそらした。
「妻はいましたが、大正二年の終わりに死にました。お腹に宿した子どもといっしょに」
輝子はゆっくりと立ちあがった。
「それはお気の毒に……。悲しい目に遭ったのは、わたしひとりじゃなかったのに、それをわたし――」
「いいんです」と、泉二は輝子の言葉をさえぎった。
ついいましがたまで川に浸けていた輝子の手から水がしたたり落ちていた。輝子と泉二は同時にその水滴を見つめた。
「行きましょうか」と泉二がいった。
ふたりは道にもどり、忘れ川に沿って歩きだした。
お政が待つ場所に着いたときにも、輝子の右手はまだほんのりと湿っていた。
3
敷丸隆介が雨宮利雅とふたたび顔を合わせたのは、昭和二年の秋口、場所は偶然にも一度目に会ったのとおなじ日比谷の帝国ホテルだった。
その日、ホテルの宴会場《バンケットホール》では橘内《きつない》子爵家の嫡男と大友《おおとも》財閥の令嬢との結婚披露宴が催されることになっていた。それに招かれて隆介はやってきたのである。
大正天皇の崩御から一年にも満たず、華族が婚儀を執りおこなう時期としてはあまりふさわしくなかったが、それでも橘内子爵が挙式に踏みきったのには深いわけがあると関係者のあいだではささやかれていた。同年の春に起こった大規模な金融恐慌によって、華族銀行の異名をもつ十五銀行が休業し、子爵家は大きな損失を出した。そのため、一流財閥である大友家とのつながりを一刻も早く確保して経済的支援を仰ぐ必要から、子爵は縁組みを急いだというのである。十中八九ほんとうの話だろうと隆介は思った。
隆介がホテルに到着したとき会場はまだ準備中で、招待客は階下のロビーで待たされていた。客たちを見わたすと、三年前ここで角田計壱の還暦を祝った際とおなじ顔ぶれが半数以上を占めている。しかし、それらの人々にあの折のような活気は認められなかった。みな、すみのほうにかたまって深刻そうにひそひそ語り合ったり、しょぼくれたようすで遠くをながめたりして、華燭の典という雰囲気にはほど遠い。居ならぶ人間がそんなだから、石や煉瓦を多用した建物の内装までが寒々しく感じられる。
先だっての恐慌で深い痛手を負ったのは橘内子爵にかぎったことではない。このロビーにいるほかの華族や実業家たちも含め、経済界ぜんたいが大きな損害をこうむった。今日の宴席にくわわれる者はまだいい。破産してすべてをうしない、いっさいの社交の場からすがたを消した連中だっている。大地震ではびくともしなかった素封家も、よって立つ金融の地盤が揺らいではひとたまりもないのだった。
そうした騒ぎのなかで隆介の会社はどうだったかといえば、かなりよく持ちこたえたと賞賛すべきだろう。敷丸商事は軍需と官需が圧倒的に多く、よそにくらべると欧州大戦後の不景気の逆風をまともに受けずにすんだので、嵐を乗りきるだけの余力がじゅうぶんに残されていたのだ。同業者のほとんどが大きく後退したり脱落したりしたおかげで、隆介はいま非常な優位に立っていた。将来の展望も彼に味方している。日本の景気は今後ますます厳しい方向にむかい、その閉塞状況から抜けだすには足がかりを海外、とくに大陸に求めざるをえないだろう。そうなれば軍関係の仕事はこれまで以上に増え、すでに満州や支那にたくさんの拠点を展開している敷丸商事にとってはいっそうの好都合となる。
自分は最後まで生き残る。そして角田だの大友だの光竹だのといった大財閥を打ち負かして、頂点にのぼり詰めてやる。――そんなぎらぎらした野望を匕首《あいくち》のようにふところに忍ばせつつ、隆介は澄ました態度で帝国ホテルのロビーに腰をおろしていた。
見おぼえのある男が玄関をはいってきたのは、そのときだった。それがだれか隆介は瞬時に思いあたった。むこうも隆介を記憶していたらしく、目が合うと挑発するような薄ら笑いを浮かべて歩みよってきた。
「おや、敷丸さん。いつぞやは」
「これは雨宮さん、またお会いしましたな。その節は笠井泉二氏の連絡先を教えてくださってありがとう。おかげで工事も順調にすすみ、おそらくこの秋には竣工の運びとなるでしょう」
「ほほう、やはり彼に仕事をたのんだんですね」
「いかにも。いやあ、笠井さんはまったくすばらしい建築家だ。いい仕事をしてくださっているので完成が楽しみですよ」
雨宮の頬や耳がわずかに赤みを帯びた。
「いたしかたないですね。どの建築家を選ぶかは施主の方の自由ですから。あとで何かあっても、自業自得とあきらめていただくほかはありませんな」
その言葉を無視して隆介はいった。
「わたしの見たところ、あなたは笠井さんのことをあまり好いてはおられんようだ。ちがいますか?」
核心を突かれて雨宮はややたじろいだ様子だった。
「まあ、好きか嫌いかといわれたら、そりゃたしかに嫌いですがね」
「なぜ嫌うのです?」
「なぜとおっしゃられても、うまく説明できかねますが……。ええと、そう、生理的にとでもいいましょうか、とにかくわたしはあの男のすべてが気に食わんのですよ。もしかすると、生まれたときからの宿命かもしれませんな。むこうとこちらでは氏素性からして違うのだから。わたしの家は代々越前鳴山藩主の片平《かたひら》家に仕え、江戸御留守居役などの要職をたびたび輩出した家柄です。あんな銀座くんだりの洗濯屋の倅なんかとは相容れないのも当然でしょう、ハハハハ」
この言い草には隆介も、脳の血管が脈打つほどの怒りをおぼえた。あんたの目の前にいるこのおれも富山くんだりの薬屋の倅だから、たがいに虫が好かないのも当たり前だな。そう雨宮にいってやりたかった。が、ちょうど給仕が階段のほうにあらわれて、会場の支度がととのった旨を大声で告げたので、話はそこで打ち切りになった。
客たちが宴会場へはいり、披露宴がはじまった。さすがに時節に配慮して、装飾も演出も万事が控えめだった。
不景気な顔をした連中とぱっとしない円卓をかこんで退屈な祝辞を聞いているあいだに、さきほどの雨宮とのやり取りを反芻していて、隆介は突然あることに気づいた。
銀座くんだりの[#「銀座くんだりの」に傍点]洗濯屋の倅、と、雨宮は笠井泉二のことをそういった。
そういえば、輝子も銀座で暮らしていた時期があったのではないか?
あれはたしか青山に現在の屋敷を建てた直後ぐらいだから、もうずいぶん前になるが、ある用事の帰り道、夫婦で人力車に乗って銀座のへんを通りかかった。行きすぎる町並を輝子が熱心にながめているので、どうしたのかと隆介が訊くと、じつは子どもの時分に三年ほどこの近くの借家で暮らしたことがあるのだと彼女は打ち明けた。せっかくなので隆介は俥のむきを変えさせ、一丁目から四丁目のあたりの裏通りをゆっくりと走らせた。むかしの銀座の面影は大正十二年の震災でうしなわれたが、妻と行った当時はまだ明治前期につくられた煉瓦街がしっかりと残っていた。輝子は懐かしそうに目を細めて道の両側の家々を見つめた。――そのときの妻のようすを思いだしたとたん、いままで無関係に存在していたいくつかの事実が意味をもってつながり合い、ひとつの疑惑へと変化した。
まさか……。隆介は自分で自分の考えに愕然とした。それはいくらなんでも、おれの思いすごしだろう。しかしすぐに、そういう可能性も否定できないと考え直した。
翌日――
東京市内某所の建物の一室を隆介はおとずれた。そこでひとりの男に会った。その男には会社の業務に関連してこれまで幾度か仕事をたのんだことがあり、信用の置ける人物だとわかっていた。
男の稼業は私立探偵だった。
*
明け方の薄暗い部屋のなかで隆介は目を覚ました。枕の上で首をまわし、となりの布団を見る。妻の寝顔があった。
そこは青山の屋敷ではなく、松本の旅館だった。隆介は昨日、輝子とともに列車でこちらへやってきた。
先週の末、ついに別邸の工事が終わった。完成した別邸へは今日、貸切自動車を雇って行くことになっている。
笠井泉二もくる予定だった。あの人にはたいへん世話になったから建物の完成をいっしょに祝ってほしいのだと隆介は妻にいい、彼女のほうから建築家を招待させたのだ。思ったとおり、輝子の誘いに泉二はすんなりと応じた。いまごろは夜行列車に乗って、諏訪湖か塩尻のあたりをこっちへむかっていることだろう。
隆介は布団から出た。窓ぎわの籐椅子に腰をかけて煙草を吸う。
新雪を戴いた飛騨の山々が曙光を浴びて街のかなたに姿をあらわしつつあったが、そんな荘厳な景色とはまるで正反対の黒く淀んだ世界に隆介の心はひたっていた。妻の安らかな寝息を聞きながら、彼は自分が今日やろうとしていることについて、ひたすら考えをめぐらした。
やがて輝子も起きてきた。
朝餉の席で隆介は努めてさりげない口調でいった。
「おれは別邸へ行くまえに、すこし用事で立ち寄らなくてはいけないところがある。おまえのほうは出来上がった家を一刻も早く見たいだろうから、ひとりで先に行っててくれてかまわない。笠井さんはおれが行くとき、いっしょにお連れするよ」
夫の意図をはかりかねて輝子はいった。
「あら。でも、三人でいっしょに行ったほうがよくはありませんか? 車の往復も一度ですみますし。わたしのことなら、あなたのご用が終わるまでここで待っていますから、どうぞお気づかいなく」
「なに、遠慮することはない。新しい家は家具も入れてないし、まだ泊まるわけにはいかないんだ。行った早々帰るのでは、おまえもつまらんだろう。一時間でも二時間でもよけいにいて、望みのかなった喜びを存分に味わうがいいさ」
食事を終えるやいなや、隆介は番頭に命じて貸切自動車を呼びよせた。旅館の玄関口にそれがくると、輝子に家の鍵をわたし、さっさと送りだしてしまった。
立ち寄るところがあるというのは、もちろん嘘である。笠井泉二とふたりきりになるための口実だ。建築家の乗る列車が到着するまで、とくにやることはなかったが、宿でじっと待つ気にもなれず、松本城の堀のまわりを歩いて隆介は時間をつぶした。
二時間ほどして旅館に帰ったら、輝子を運んでいった車が折よくもどってきた。それに乗って松本駅へ行った。
笠井泉二は薄茶色の外套のポケットに両手を突っこんで、駅舎のまえに立っていた。隆介が車からおりていくと、中折れ帽の庇に片手を添えて軽く会釈した。
隆介はむりに笑ってみせた。その顔が自分でも木彫りの面のようにかたく感じられた。
「やあ、笠井さん。よくおいでくださった。輝子のやつも喜ぶでしょう。ああ、妻は建物を早く見たいというので、ひと足さきにむこうへ行かせましたので」
「そうですか」と泉二は無表情に応じた。
隆介と泉二を乗せた自動車は市街地を抜け、町の東につらなる山地のなかへはいっていった。車中ふたりはほとんど口を利かなかった。後方へ流れていく風景をそれぞれに見つめた。
信州の大地はいま、錦秋のただなかで燃えあがっていた。金色に輝く撫や楢の葉、真紅に色づく楓や漆の葉などが、山の斜面や谷あいの森をまだらに染めあげる。その鮮烈な彩りは、ただでさえ高ぶっている隆介の心をいやがうえにも刺激した。黄金と血の色だ、と隆介は思った。人間が求めてやまないそのふたつのものの色で年ごとに景色を飾ってみせる自然は、しょせんどんな綺麗事をならべても人間社会をつかさどっているのは欲望と憎しみだ、人は富と争いを好む生き物なのだということをわれわれに教え諭しているようではないか……。
車が旧衣田村の打ち捨てられた集落まできたとき、隆介は運転席の背もたれを叩いて車を停めさせた。
「ここから歩きましょう」そういって彼は、同乗者の答えも待たずに車をおりた。
泉二は黙ってついてきた。
自動車は方向転換をして引きかえしていった。運転手には正規の運賃よりも余分にわたし、夕方四時ごろになったらこのさきの建物まで迎えにきてくれといっておいたので、その時刻までにすべてを片付けねばならない。
廃村と林のなかを通り、隆介と泉二は忘れ川に沿った小道へ出た。そこで隆介はようやく口をひらいた。
「白状しましょう、笠井さん。わたしは初めに、今度つくる別邸は妻さえ気に入ってくれれば、それでじゅうぶんだといいました。あなたの描いた設計図にもあまり真剣に目を通さなかったし、現場へは基礎工事をしているころに一度足を運んだだけで、あとはあなたや会社の連中にまかせきりにしてきました。けれど、わたし自身けっして興味がないわけじゃなかった。逆に完成した建物を見るのが、ものすごく楽しみだった。だからこそ、いままでここへはなるべく近づかないようにしてきたんです。途中経過を見てしまっては、初対面の印象が薄れますからね。完成した建物と最初に相対したときの衝撃を、できるかぎり強烈なものにしたいという気持ちがあったんです」
こころもち歩調をゆるめ、隆介は斜めうしろを歩いていた泉二とならんだ。
「笠井泉二という建築家は呪われている、彼の設計した建物はそこに住む人間の心を狂わせるといったような噂話を、わたしは以前ある場所で耳にしました。そんな風評を立てられる人物は、よほどの変わり者か天才にちがいない。実際に会ってみると、やはり笠井さんの全身からは、そこいらの御用建築家には見られない力強い気のようなものが立ちのぼっていた。頼むならこの人しかいないと直感しました。つい先だってまで、その判断には誤りがなかったと信じていた。つまり、わたしはあなたをかなり高く買っていたのですよ。――だが、しかし、どうやらそれもわたしの見込み違いだったようだ。建築家としての腕はともかく、そのほかのところでは、結局あなたも野良犬と同程度の良識しか持ち合わせていなかった。こともあろうにわたしの妻とぐるになって、わたしをあざむいたのだから……」
隆介は完全に歩みを止めた。からだごと泉二にむき直る。
「笠井さんは銀座の生まれだそうですね。わたしの妻も子どものとき、銀座にいたことがあるといっていた。それを思いだして、わたしは人を雇ってくわしく調べさせたんですよ。そうしたらどうだろう、あなたと輝子はつい近所に家があって、幼馴染だったというじゃありませんか。けっこう仲がよかったらしいですね。それについて妻はひと言もわたしに告げず、たまたまどこかで聞いた話から笠井泉二という建築家をはじめて知ったようなふりをして、とうとうわたしに別邸の設計まで依頼させた。これはあなたがたふたりが、あらかじめ示し合わせて仕組んだことなんでしょう? もしかして輝子が浅草の十二階下ではたらいていた時分も、あなたはあいつのところへ客として通っていたんじゃないんですか? そうしてわたしを利用する算段を考え、それを実行に移したんだ。残念ながら探偵もそこまでは調査しきれなかったようですが、おおかたそんなことだろうとわたしは睨んでいる。別邸の工事中も輝子はあなたがきている時期を見計らって、よくここをおとずれた。そうやってふたりで逢って、何も気づかないでいるわたしをとんだカモだと嘲笑っていたにちがいない」
話しているあいだに怒気がこみあげてきて、両手がぶるぶると震えだした。こぶしを握りしめ、なんとかそれを抑える。――はるかむかし銘酒屋の角灯の下で輝子に最初に袖を引かれた夜、この女は自分と似通ったものをもっていると感じ、それで惚れこんで隆介は彼女を女房にした。結婚して何年かたって、輝子が子どもが出来ないからだだとわかっても、ほかに妾をつくるようなことはしなかった。輝子さえいればそれでよかった。彼女のことだけは信じていた。その信頼がみごとに裏切られたのだから、隆介の怒りは並大抵のものではない。けれども五十をすぎた男が色恋沙汰で取り乱すなんて、あまりにもみじめな光景だ。そんな醜態をさらすのは隆介自身が許さなかった。怒りはひそかに燃やし、復讐は一撃で果たす。それが彼のやり方だ。仕事のほうもずっとそれでやってきた。
「敷丸さん、それは考えすぎだ」泉二が静かに反論した。「奥さんはあなたを裏切るようなことはしていない。ここへきているときは女中頭のお政さんがいつも一緒だった。奥さんの潔白はお政さんが証明してくれるでしょう」
「ふん、お政ね」と隆介は吐き捨てるようにいった。「あいつも家のなかでは、どんなささいな手抜きも見のがさないと女中たちから畏れられているが、その眼力だって完璧なわけじゃない。たぶんお政よりも輝子のほうが役者が上だったんでしょう。このわたしでさえ、長いこと出し抜かれてきたくらいだから。――とにかく、かくも長い年月にわたって、わたしをだましつづけてきたんだ。それだけでじゅうぶんな裏切りだ。いいですか、わたしはね、富山の薬屋の家で七人兄弟の末っ子に生まれて、尋常科を終えるか終えないかのうちによその店へ丁稚にやられた。そこで手代や小僧たちから手ひどいしごきやいじめを受け、我慢に我慢をかさねたけれど、とうとうこらえきれずに飛びだして東京へきた。それからは自分を足蹴にしたり虚仮《こけ》にしたりした奴らを見かえしてやりたいと、そればかりを考えて生きてきたんですよ。そして下層の無力な立場から血のにじむような努力をして這いあがってきた。踏みつけにされたり辛酸を嘗《な》めたりするのは、もうこりごりなんだ……」
そこで隆介は深呼吸し、何かを追い払うようにかぶりをふった。
「こんな愚痴をいつまでこぼしていても仕方ありませんな。以上に申しあげたような理由で、わたしはあなたのことも輝子のことも許すことができない。――だから、こうすることにしたんです」
隆介は外套のポケットに隠しもっていた拳銃を取りだした。すばやく撃鉄を起こして、銃口を真っすぐ泉二にむけた。
*
どこかで、パン、という音がした。やや間を置いて、おなじ音がもう一度した。
輝子はその音を完成した別邸のなかで聞いた。彼女は閉じていたまぶたをひらいた。
何の音だろう? 遠くの音のようだし、かたわらでは忘れ川が滔々と流れているので、その正体をしかと聞き取ることはできなかった。
何かが勢いよく叩きつけられるような、あるいは破裂するような音だった。夫と泉二の乗る自動車が到着したのか? いや、車の音にしては妙だ。もしかすると鉄砲の音かもしれない。猟師が猪でも撃ったのかも。
まあ、いい、と輝子は思った。いまはとりあえず外のことなど放っておこう。
三時間前に輝子はこの家に着いた。時間をかけて内部を見てまわり、ふしぎな心持ちになった。出来上がったばかりの建物なのに、ひどく懐かしい感じがしたのだ。
目に映るすべての個所がすばらしかった。とりわけ最後にきたこの場所に、輝子はもっとも強く惹かれた。
ここは母の子宮のように彼女を包みこんでくれる。ここにいると悩みや苦しみが洗われていくようだ。
ふたたび輝子は目をつむった。
身じろぎもせず、水の流れに耳をかたむけているうちに彼女は、現実と非現実のはざまによこたわる、たそがれ色の世界に引きこまれていった……。
*
隆介の手に握られているのは、米国レミントン社製のデリンジャーという小型拳銃だった。屋敷の銃器のコレクションから選びだしてきたものだ。手のひら程度の大きさだから隠しもって歩くにはうってつけだが、そのぶん射程が短い。正確に的に当てるにはかなりの至近距離からねらう必要がある。すきを突いて反撃されないように注意しつつ、隆介はぎりぎりのところまで泉二に近づいた。
引き金にかけた指に力を入れようとしたとき、右手の下方でふいに水音がした。反射的にふりむく。川面にあがった水しぶきのなかで流線型のものがひるがえり、銀色にきらめいて消えた。魚が跳ねたのである。
視線をもどすと、小道のよこの藪に泉二が飛びこんでいくのが見えた。あわてて隆介は、その背にむかって引き金を引いた。発砲の反動が腕を駆け抜ける。舞いあがった硝煙が鼻を刺激した。茂みのなかの人影は止まらなかった。隆介は急いで藪に分け入り、遠ざかっていく人間めがけて二発目を発射した。命中の手応えはなく、あっというまに泉二は木の間にまぎれてしまった。
隆介は悪態をついた。デリンジャーの上下二連になった銃身を折り曲げ、空の薬莢を捨てて新しい弾丸を込める。あいつはこれから別邸へ行き、危険が迫っていることを輝子に知らせようとするだろう。そこでなんとか追いついて、かたをつけるしかない。
隆介は泉二のあとを追って森のなかを走った。血の色をした紅葉が禍々しいステンドグラスのように頭上にひろがり、あいまから降りそそぐ光の箭《や》がときおり彼の網膜を射た。息が切れ、喉や肺が焼けるみたいに熱くなったが、それでも歯を食いしばり走った。
しばらくして車一台が通れる幅の道路に出た。衣田村の廃村から別邸につづく道である。道はさきのほうで忘れ川を渡っていた。その橋のところまできて隆介は、笠井泉二が設計した別邸をはじめて目のあたりにした。予想を超えたその景観に、彼は追跡を忘れて建物をながめた。
隆介のいる橋から上流へ二百メートルほどさかのぼった渓谷の入り口に、その建築物はあった。ゆるやかな弧を描くアーチにささえられ、いっぽうの岸から反対の岸へと伸びている。橋と家とが一体になったような構造だった。窓の位置などから推察すると、橋の上の家屋のほとんどの部分は一階建てで、橋梁ぜんたいを平たくおおっていた。上流にむかって右側――つまり東の岸は、西の岸にくらべて土地が低いので、そちらのすみには橋桁から下に三階分の高さの建物が付属している。家も橋も白っぽい石材で表面を仕上げてあり、装飾はすくなくて簡潔な形状だが、ダムや発電所のような無骨な感じはせず、あくまでも優美で繊細な印象をたもってまわりの風景に溶けこんでいた。
あの男、こんな建物をつくりおったか……。肩で息をしながら隆介は胸の内でそうつぶやいた。
別邸の入口は西側の岸にあって、道路はそちらへむかっている。すでに建物のなかにはいったのか、路上にも入口の付近にも泉二の影は見えない。隆介は橋を渡りきり、坂道をのぼって敷地の門にたどり着いた。
細くあいた門扉のすきまを抜け、車回しをよこぎると、玄関のまえに立つ白亜の天使像が彼を出迎えた。若い女のすがたをした天使像は、訪問者を受け入れようとしているみたいに両の腕《かいな》をひろげている。像の足元は円形の池で、建物のほうから水路をつたってきた水がそこへ流れこみ、池の縁からあふれた水はさらに、べつの水路を通って忘れ川へとそそいでいた。池の水面が天使の裸足の足の裏とちょうどおなじ高さにあるため、まるで天使像は水の上に直接たたずんでいるようだ。
玄関の車寄せをくぐったむこうは、別邸の奥につながる通路だった。左右に建物の入口とおぼしき扉があるが、どちらも鍵がかかっている。中央の通路を行く以外になかった。通路のわきにも側溝がもうけられ、水が流れている。水は建物のずっと奥からやってくる。すすむにしたがって、あたりを包む水の音がだんだん大きくなると思ったら、急に視界がひらけた。
そこは入り組んだかたちの中庭のような場所で、何度も折れ曲がり、せばまったりひろがったりしながら、橋の上の建物の間隙を対岸のほうまでつづいていた。その空間のいたるところに、さらさらとおだやかな音をたてて水が動いていた。わずか二、三十センチ幅の溝を通る水もあれば、飛び石づたいに越えなければならない数メートル幅の水流もある。ゆるい段差のわきに手すりのようなかたちのものがあるが、よく見ればその上部のU字型のくぼみにも水が走っていた。べつのところでは、建物のあいまに架かった樋から硝子板みたいな感じに水が落下している。
いくつもの流れをまたぎ、くぐり、あるいはそれらに沿って隆介は歩いた。あたりに満ち満ちた水音は、低いうねりのように寄せてきて、耳からばかりでなく衣服の下の皮膚からも体内へ染みこんでくる。中庭の真んなかで彼は足を止め、からだの向きをゆっくりと変えて、人工的につくられたせせらぎや小さな滝の数々を見わたした。たんなる目先の美しさを超越して、根源的なものに訴えかけてくる何かがこの場所にはあった。
そばを通る水路に目を落とすと、対岸で舞い落ちたものが流されてくるのか、紅や黄に染まった葉が水に浮いて一葉また一葉と通りすぎていく。――橋の上を流れている水は、渓谷の奥の滝の上から引かれてきているのだろう。そして橋のかたちをした建物のなかを東岸から西岸へ抜け、玄関前の天使像の池を経てふたたび川へもどっていく。この建築物は川の流れの一部を取りこむことによって、忘れ川とより深く結びついた。いや、それと一体になることに成功したのだ。
彼はその場にしゃがみこんで、拳銃を左手に持ち替え、右の手をそっと水路に浸けた。つめたすぎもせず、あたたかすぎもしない水が五本の指を撫で、手の甲の産毛をなびかせた。いつのまにか隆介は、自分が何のためにここへきたのか、ほんとうは何がしたいのかが、よくわからなくなっていた。つい先ほどまで身の内にあふれていた怒りは、うそのように消えうせ、代わりに澄んだ水音が意識の面いっぱいにひろがっている。
だしぬけに視界が曇った。頬骨のそばをつたって何かが落ちた。左手で触れると目の下が濡れている。驚いたことに隆介は泣いているのだった。あとからあとから涙はあふれてきた。泣いたことなんて、ずいぶん長いあいだなかった。最後に泣いたのがいつだか思いだせないくらいだ。丁稚にはいった薬種問屋で年上の小僧たちに強要されて雪のなかを裸足で歩かされたときも、仕事の不始末の濡れ衣を着せられて丸一日何も食べさせてもらえなかったときも、上京してから勤めた麻布の軍用雑貨屋の店先で酔った兵隊にからまれて血反吐を吐くまで殴られたときも、彼はけっして泣かなかった。そのぶん累積されてきた涙が、いまごろになって一気に噴きだしたのだろうか?
立ちあがろうとしたが足に力がはいらず、よろめいて尻餅をついた。もういいのだと隆介は思った。おれはよく頑張った。みごとに耐えて、ここまでやってきた。敷丸の名が全国に轟いたいま、彼を軽視する者はひとりもいない。ここいらでもう気張るのはやめにしよう。妻が自分に嘘をついていたとか、よその男とつながっていたとか、そんなことさえどうだっていい。もっとほかに大切なことがあるはずだ。それが何かはまだはっきりとわからないけれど、答えを得る鍵はこの建物にあるような気がした。
かなり時間がたってから、隆介は泣きやんだ。涙が乾いたのを確かめて腰をあげ、中庭のさきへ歩いていった。
建物の扉がひらいていた。そこからなかにはいった。廊下の大きな窓から下流側が望めた。
隆介は窓に近づいた。掛け金をはずして硝子窓を引きあげ、外へ拳銃を放り投げる。小さな鉄のかたまりは弧を描いて、川の流れに吸いこまれていった。
廊下の突きあたりに階段があった。それをいちばん下までくだると、川の音がすぐ近くに聞こえた。薄碧色のタイルを敷き詰めた床のむこうに忘れ川が見える。アーチの下の流れに面したテラスだった。
壁に嵌めこまれた石の長椅子に、輝子が顔をうつむかせて腰かけていた。川から差す水明かりが顔や襟のあたりで躍っている。
妻のとなりの空いた場所に隆介も座った。
輝子の瞳が夫のほうへ動いた。彼女は見ちがえるほどに晴れ晴れとした表情をしていた。
「ああ、いらっしゃいましたのね」
「うん、きた」
「いかがですか、ここは?」
「悪くない」と隆介は答えた。
ちょっとたってから、彼はなかば独り言のようにつけ足した。
「笠井泉二の建物が住む者の心を狂わせるというのは、こういうことだったんだな」
*
輝子のいるテラスに泉二がきたのは、隆介がくるよりも少しまえのことだった。
そのとき輝子はまどろみ、夢を見ていた。
夢のなかで彼女は忘れ川に胸まではいり、なおも深いところへ行こうとしていた。一糸まとわぬからだの上を透き通った水がすべるように流れていき、何もかも拭い去ってくれるようである……。
と、かすかな気配がして、輝子はまぶたをあけた。
目のまえに建築家が立っていた。
これも夢のなかの出来事のような気がして、輝子はぼんやりと見あげた。
「もうしばらくで敷丸氏がきます。だが心配はないでしょう。この建物にはいってしまえば、おそらくは大丈夫だ」
泉二の言葉の意味はよくわからなかったが、彼がそういうのだから安心してよいのだと輝子は思った。
「これをかえしておこう」
泉二は筒状に巻いた図画用紙を輝子の手に握らせた。子ども時代に彼が描いてくれた家の絵だ。輝子がもらったものだが、別邸の設計を依頼するとき泉二にあずけておいた。
「行ってしまうのね」
「ええ。約束は果たしたから」
「ありがとう、笠井さん」
泉二は微笑し、柱のかげへ歩き去った。
輝子はまたひとりになった。
そのうちに夢のつづきがはじまった。
――忘れ川の流れが彼女のからだを洗い流していく。長い歳月のあいだに付着したさまざまなものが取り払われ、なかから一匹のすらりとした体型の魚があらわれる。魚は下流にむかって泳ぎだした。どんどんくだっていくと、川幅が広くなり、河口に出た。そのさきは海だ。さえぎるもののない海。何ものにも束縛されることのない海。気がつくと背中から白い翼が生え、水面をはなれて宙を飛んでいる。そのままどこまでも上昇していく。のぼるにつれて彼女のからだは透明になり希薄になって、やがて雲のようにただよう。それが冷えて水となり、彼女は何千、何万という雨粒になって落ちていく。山々の木や岩にあたり、地上でより集まった水は、川へそそぎこんで、ふたたび流れをくだる。見覚えのあるところまで還ってきたとき、水は白いしぶきとなって弾けた。橋と家とが一体になったような建物の下の、水明かりに照らされた女にむかって飛んでいく。
そして――
輝子は目をあけた。
彼女の身に変化が起こっていた。苦痛をともなわずに過去が思いだせるようになっていたのである。
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[#地から2字上げ]――昭和七年――
春もなかばの彼岸のころ、矢向丈明は列車に乗って熱海をめざした。
故上代善嗣子爵の未亡人である章子夫人が、昨年の暮れに亡くなった。その知らせを受けたとき丈明は、矢向組の請け負った工事の関係で台湾へ行っていたため、葬儀に参列することができなかった。十日ほど前に仕事が一段落してようやく東京へもどり、遅まきながら弔問を思い立って、こうして車中の人になったのである。
小田原・熱海間のいくつものトンネルを抜けていくあいだに丈明はふと、笠井泉二を章子に引き合わせるために彼と連れ立って子爵家の別邸へむかった昔日のことを思いかえしていた。いまはこの省線が通ったおかげで熱海までの旅もずいぶん楽になったが、あのころはまだ小田原から大日本軌道の軽便鉄道を使って、海を見おろす崖の上をのろのろと行くしかなかった……。
子爵は列車の到着時刻に合わせて、駅まで自動車を差しむけてくれていた。
高台の上の屋敷で上代弘嗣子爵と会い、丈明はまずお悔みの言葉を述べた。
しばらく会わないうちに弘嗣子爵は髪がすっかり白くなり、丸眼鏡の奥の瞳は落ちくぼんでいた。もちろん子爵を老けさせたのは、母親をうしなった悲しみばかりではなかろう。打ちつづく経済の低迷で華族の暮らしは以前ほど楽ではなくなった。先代子爵が創設した美術学校は資金繰りがうまくいかず、数年前によその実業家の手にわたったと丈明は人づてに聞いていた。ここの別邸に飾られている美術品も売り立てに出されたらしく、まえにくらべて明らかに点数が減っている。
「時は確実に流れていくものですね」と弘嗣子爵はいった。「わたしの母のように幕末から明治にいたるあの時期を生きた人々がつぎつぎと世を去るにつけ、ひとつの時代が終わりかけているという気がします。ともあれ、故人をお参りしてやってください」
子爵といっしょに丈明は広い庭を抜けて、敷地の南側へ歩いた。
十七年前、笠井泉二が章子の依頼に応えて設計した〈上代子爵家別邸新館〉は、完成したときと変わらぬ姿でそこに建っていた。歴史主義様式の列柱玄関や、入口の階段の左右に侵入者を拒むように立ちはだかる二体の天使像などを眺めつつ、丈明はひどく懐かしい気持ちになった。
玄関をはいって突きあたりの円堂に行くと、中央の祭壇にふたつの骨壺がならんでいた。左側が善嗣子爵の遺骨、右側が章子夫人のものである。
「やはり、ここに安置なさったのですね」
丈明の言葉に弘嗣子爵はこころもち目を細め、円形の部屋の壁に弧を描くように配置された窓の列を見わたした。
「正直なところ、ここに先代とふたりきりでいたいという母の願いが、長いことわたしには理解できませんでした。それが突然理解できるようになったのは、母が亡くなった折のことです。――昨年、奇しくも父の命日とおなじ十二月十九日の朝、母はここに倒れておりました。発見した使用人から知らせを受けて駆けつけたとき、わたしは見たのです。のぼってきた太陽の光線が、あの東の端の窓を抜けて真っすぐ祭壇に差し、先代の骨壺が金色に輝いているのを。そして祭壇のまえによこたわる母の唇に、幸せそうな笑みが浮かんでいるのを……。それは神々しいまでに美しい光景でした。人の終焉としては理想的でした。そういう恵まれたかたちで母が八十八年にわたる生涯を閉じることができたのは、ひとえにこの建物のおかげだと、わたしはそのとき悟ったのです。同時に、母にお休みいただくところは、ここしかないとわかりました」
祭壇のまえで合掌する子爵につづいて、丈明も手を合わせた。
死者と生者がともに暮らしてきた家は、ふたりの死者が暮らす家となった。善嗣子爵と章子夫人はいまごろ、目には見えないがこの建物のなかで、むかしのことを語らいながら仲睦まじく過ごしているのだろう。
子爵と外へ出てから、丈明は足を止めて建物をふりかえった。芽吹きだした木々と崖の下の波音にかこまれてたたずむ白い館へ、すこしのあいだ彼は視線をそそいだ。
するとにわかに、ふしぎな感覚が丈明を襲った。建物が地面から数センチほど宙に浮かんで建っているように見えだしたのだ。そればかりではない。壁や柱や屋根がだんだんと透き通り、それに重なるように七色の光があらわれて、水に落とした絵の具みたいにふくらみはじめた。
それでも丈明は驚かなかった。笠井泉二に関係したことでは、これまでにも幾度かおかしな目に遭っている。驚く代わりに彼は、自分が目撃している光景が意味するところのものを冷静にさぐろうとした。
もしかするとこの建物は、完全には地上に属していないのかもしれない、と丈明は考えた。この世の素材でつくられてはいるが、泉二の駆使した秘密の技法によって、半分はどこかべつの世界――たとえば、大正二年の倫敦での異常な体験を通して泉二がかいま見たという、あの天界の国の都のような場所に建っているのかもしれない……。
「ところで、矢向さん」
弘嗣子爵が話しかけてきたので、丈明の見ていた虹色の輝きはたちまち消え去り、建物はもとのすがたにもどった。
落胆をできるかぎり顔に出さないように努めて、丈明は子爵のほうをむいた。
「何でしょう?」
「笠井さんは近ごろ、どうされているのですか?」
「ああ、彼でしたら去年の十一月、満州へ渡りました。むこうでの仕事を引き受けましてね。新京のずっとさきのほうに町をひとつつくるんだそうです」
「町をひとつ? それは大きなお仕事だ。あの人が設計するのだから、さぞかしすばらしい町になるでしょうね」
「はい。わたしもそう信じています」
上代子爵家別邸新館のあちら側には、青い海と空がひろがっている。しかし反対の方角を望めば、西の山々の上には渾沌とした空気が渦巻いて、春の嵐の気配がきざしていた。
いま、ひとつの時代が終わりかけているのだとすれば、つぎはどんな時代になるのか?
どんな時代がこようとも長生きしなくてはいけない、と丈明は思った。しっかりと目をあけて生きつづけ、笠井泉二という建築家の行く末を見きわめなくては。
それは彼の切実な願いでもあった。
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この作品は第20回日本ファンタジーノベル大賞(主催 読売新聞東京本社・清水建設)の大賞受賞作に、加筆・修正を加えたものです。
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[#地から1字上げ]装画 中村豪志
[#地から1字上げ]装幀 新潮社装幀室
新潮社HPより
第二十回日本ファンタジーノベル大賞
受賞作品
大賞
「天使の歩廊 ある建築家をめぐる物語」 中村弦
(「天界の都 ある建築家をめぐる物語」を改題)
受賞者略歴
中村 弦(なかむら・げん)
1962年11月19日東京生まれ。國學院大學文学部卒業。現在、会社員。
受賞のことば
最近は描かなくなりましたが、学生時代にはよく絵を描きました。そのせいか現在ワープロソフトで小説を書くときにも、まず構図を決めて下書きし、それから徐々に肉付けして細かい部分を整えていくというように、絵を描くのと同じ要領で書いているなと自分で感じることがあります。言葉という画材によって物語の絵肌が出来上がっていくのを眺めるひと時は、本当に心が躍る幸せな時間です。
そうした物語を「描く」愉しみにくわえて、この度の思いがけない受賞では、さらに別の大きな喜びを手にすることができました。本賞の主催・後援の各社の皆様、選考委員の諸先生方、そして関係者の方々に心よりお礼を申しあげます。ありがとうございました。
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底本
新潮社 単行本
天使《てんし》の歩廊《ほろう》 ある建築家《けんちくか》をめぐる物語《ものがたり》
著 者――中村《なかむら》 弦《げん》
二〇〇八年一一月二〇日 第一刷発行
発行者――佐藤隆信
発行所――株式会社 新潮社
[#地付き]2008年12月1日作成 hj
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修正
《ピサの斜塔》→ 〈ピサの斜塔〉
《H邸》→ 〈H邸〉