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さあ、きょうからマジメになるぞ!
中場利一
目 次
そろそろ真面目に働こう
ギャンブルの神様
小鉄の笑顔
史上最強の男とは?
「岸和田少年愚連隊」、撮影快調
演技のうまい犬を連れてこい!
いつか書きたい!
オレの写真
海に沈められたこと、ありますか?
初めての東京
天才は、反省しないものである。
百戦錬磨
HEY! タクシー!!
身体は憶えている
あの日流れていた矢沢永吉
汝、隣人を愛せるか
ビッグウェーブがやってきた!!
僕と彼女と「磯ノ浦」で
男の美学とは?
アトランタ五輪をシメに行く
ハンコに気をつけろ
一本の映画
すごいホテル
下町のイキ
僕の身元引き受け人
みどりちゃん
目にチカラの入った奴ら
涙、涙の卒業式
教育とは、何だ!?
サラリーマンになりたい!
女には惚れるな、惚れさせろ!
イイ人、ワルイ人
先生なんて呼ばないで
あとがき
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そろそろ真面目に働こう
そろそろ真面目に働くか。
「そんなことを考えた瞬間って、いつごろですか?」
先日、人にそんなことを聞かれた。
「うむむむむぅ」と私、うなり声をあげて考え込んでしまった。そろそろ真面目に働くかァなんて、瞬間どころかずっと思っているわけであるからして。
たしかに今まで、両手の指と両足の指を全部足しても足らないくらい、職は変わっている。長いもので一年、短いのなら十秒なんてのもある。そのたびに私は思っている。
そろそろ真面目に働くか、と。
面接の時なんか「そろそろ」のカタマリのようなものである。バリエーション豊富な職歴の中からふたつほどを履歴書に書き、
「ボクは結構、コツコツタイプです」
と、人事係の人の前におとなしく座っている。
「以上が当社の給料システムです。何か質問はありませんか? ええと、チュウバさん、いやナカバさん」
会社の門にウンコばかりたれやがる犬をつないでる会社が、なーにがシステムだ、バカヤロめと思いながらも、そろそろ真面目に働きたいから黙っている。しかし、である。
人事係のオヤジのネクタイの結び目を見てしまうと、つい言ってしまうのである。
「質問していいですか」
「ああどうぞ。交通費のこと、まだ話してなかったかな」
「いいえ聞きました。そんなことより、おたくのそのネクタイ、誰が結ぶんですか。着付けの先生ですか」
神社の鈴のようなでかい結び目を、つい指差してしまうのである。しかし、私本人はいたって真面目である。明日から「そろそろ」と思っているワケである。
そんな私の気持ちを知らない人事係は怒ってしまうが、中には私の熱意を見抜き、
「ハハハ、ボクはプレーンノットよりたいこ結びが好きなんだ。いつから出社できるかね」
と大きな心で接してくれる人もいる。よけいに「そろそろ」はふくらむわけである。しかし、しかしである。
――社内親善ボーリング大会――
なんて貼り紙が入社すぐに貼り出されてしまう。それも言うならボウリングだろ、ボーリングって穴を掘ってどうするんだなどと言ってはいけない。なんといっても社内の親善である。
そこにまたいるわけである。今度は人事係じゃなく、工場長や係長クラスのマイボールとマイシューズ持ったオヤジが。で、ゴルゴ13みたいな革手袋はめた右手をくいっと上げて、たるんだ腹とケツを突き出してプロみたいなフォームをとりやがる。
私、つい言ってしまうのである。
「そんな紫色のズボン、どこで売ってんねん」
ピチピチのくるぶしたけのズボンを指差して笑ってしまうのである。今までそのズボンをカッコイイと言っていた連中は黙り込む。ついでにオヤジも黙り込む。そしてゆっくりと言う。
「キミはボクを見て笑っているのかね」
「当たり前やんけ。ワレとオレと二人で夜中に歩いてみい。ポリ公に懐中電灯で顔を照らされるのは、ワレやど」
真面目に働こうとは思っているが、ゴマをすろうとは思っていない。また「そろそろ真面目に」と次の職を探すことになってしまうのである。
タイムカードの音が気に入らないで二日。守衛のオッサンのマユ毛がつながってるからで五日。社長のベンツのアルミホイールが金色だからで半日。
真面目に働こうとする私の前に、障害は次々とやってくる。
「おまえもなあ、そろそろ真面目に働かんとアカンぞ。うちに来いや」
そんな私に声をかけてくれる人がいた。Gさんという洋服店を営む元ヤクザである。
この人には以前、私がまだ十六歳の頃に同じことを言われたことがある。それでGさんの手伝いをした。
成人映画をやってる映画館の前で、未成年相手に帽子をレンタルする仕事だった。未成年のことなら未成年にまかそうとGさんは考え、私を映画館の前に立たせたのである。
たとえば未成年が二人ほど、家からかぶってきた帽子なんかで映画館に入ろうとする。
「コレ、あんたら年が足らんやろ」
切符売り場のババアは窓口から覗《のぞ》き見るようにして言うのである。入場は無理である。
ところが。
同じその二人が家から持ってきた帽子を脱ぎ捨て、私がレンタルしている帽子をかぶって、もう一度窓口へと向かう。
「毎度おおきに」
ババアは切符を売ってくれるのである。その頃、プロのヤクザだったGさんだからできる商売である。もちろん帽子なんかレンタルせずに、入場券を少し高く売った方が、手っとり早い。しかしそれではダフ屋になってしまう。
私が手伝ったGさんの仕事は、帽子レンタル業≠ナある。でも、その時はそろそろ真面目になんて考えてもなかったし、誰も、私に真面目に働いてるねェとは言ってくれなかった。
「今度はカタイ仕事やど。うちの店のお客様相談室の室長」
ヤクザをやめ、近所では真面目で通っているGさんは目を細めて笑っていた。細めた目の奥に、ドシーンとすわったドスのきいた瞳《ひとみ》が居座り続けているのは、誰も知らない。
「お客様相談室て、VIPルームのこと?」
「そう、そこの室長やってくれや」
男子専科・Gと書かれた店の奥には、お客様の苦情を聞いて素早く処理する部屋がある。
もともとヤクザ系ファッションを中心とした品揃えの店である。マネキン人形だってヒゲをたくわえたスキンヘッドである。
「今どき神戸はそんなシャツ着てまへんで。これにしなはれ」
元ヤクザがアドバイスしてくれるヤクザファッションの店が流行《はや》らないわけがない。
しかし、元ヤクザはヤクザではない。現役の頃にいじめられた連中が、お客様という立場で店にやってくる。
「こんなシャツ、生地が弱いんとちゃうかあ」
ライターで火をつけりゃ、シャツは燃えてしまう。NASAの服を売ってるんじゃないんだから。
「やめて下さいよ、お客様」
大きくなった子供のために足を洗ったGさんである。じっとこらえて歯をくいしばる、なんてことやるわけがない。そんな人は最初からヤクザにはならない。
「あそこでハナシ、ゆっくり聞こけ」
お客様相談室には窓がない。しかも防音である。お客様は入ったら最後、
「明日から真面目に働こう」
と心に誓うまで出てこられない。
「ハハハ、無理無理。すぐ忘れるから」
ボコボコ顔のお客様をペシペシ叩《たた》き、Gさんは笑っていたものである。
――そろそろ真面目に働くか――
私なんか毎日思って毎日忘れている。
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ギャンブルの神様
私、ギャンブルの神様と知り合いである。
といっても、その人が勝手に「オレはバクチの神さんやで」などと言っているだけで、本物なのかニセ物なのかはわからない。
神様の名前は「シゲミ」といって私の家の近所に住んでいる。だいたい神様に茂三[#「茂三」に傍点]なんて名前がついていること自体おかしいのであるが、さすが自分で自分のことを神というだけあって、ことギャンブルになるとスゴイのである。
まずはパチンコ。
座って五分もしないうちにリーチがかかる。そしてそのリーチはぜっったいにハズレない。見事に揃ってしまうのである。
「シゲさん、どないしたらそんなうまいこと一発で揃うねん」
善良な一般市民の私なんかは尋ねてみる。
「シゲさんやとォ!? 豊玉《ほうぎよく》様て言わんかい」
神様は怒ってプイと横を向いてしまう。そうなのである。この神様、パチンコ屋では豊玉≠ニいう号で呼ばないとスネる、いや、お怒りになるのである。豊かな玉と書いて豊玉。四十を回ったおっさんの言うようなことではないが、言わないと一週間ほど口もきいてもらえないから仕方あるまい。
「豊玉様、どうしたらそのように、一発で揃うのですか」
「メーター……いや、データや。パチンコはすべてデータや」
小学校の女の子が使うような、カギ付きの日記帳を放り投げてニヤリと笑う。
「そのシステムのノートの中に、この店のデータが書いてあるんじゃい」
言うには言うが、カギはあけてくれない。そこから先は有料である。大金を払わないと見せてはくれない。
「そんなのにお金を払うより、コンビニでパチンコ雑誌買った方が安くて確実でしょ」
豊玉様をバカにしてはいけない。当然そんなデータも書かれているし、それ以外にも、○○というメーカーの携帯電話を持って店に入り、某電話会社の社員割引コードで外から電話をかけてもらうとアラ不思議、7が三つも揃ったわ、なんてのも書いてある。
問題はそのあとの部分である。
そこだけが赤い字で書かれている。
店員の住所・氏名・生年月日。
好きなタバコや酒の銘柄。
「ヘェー、店長の娘さんの住所まで知ってるんけ、シゲさ……豊玉様」
「そや、東京でひとり暮らしや。危ないで、女のひとり暮らしは」
「ここに貼ったァる写真はダレよ」
「この店のオーナーの女や。ヨメさんには内緒らしいけど」
「え……」
「まあ、神様に逆ろうたらバチ当たるて言うこっちゃ。おっ、またきたなァ連チャンや」
神様はなんでも知っているのである。
その神様と競艇に行ったことがある。
「公営ギャンブルみたいなもん、アホらして行けるかい」
と言うのが口グセの神様が、私の家まで誘いに来た時には驚いた。
「珍しいなシゲさん、競艇とかは嫌いなはずやのに」
もとより私がその誘いを断るはずがない。私もその日は確実な固い固い鉄板レースがあるので行く気マンマンであった。
「おう、ちょっと今日はワケアリでな。それよりおまえ、向こうに着いたら栄舟《えいしゆう》て呼べよ」
栄える舟と書いて栄舟≠ナある。競艇用の号も持ってる神様なのである。
で、すぐに競艇場に向かったかというとそうではない。その日の神様はいつもと様子が違っていた。
まずは一週間ほど前にやった麻雀《マージヤン》の勝ち分の集金を始めた。
「麻雀はデータ関係ナシや。あれは眠たなった奴が負けるねん」
といつも言っている神様のことである。ドーピング検査されたらヤバイ物を使ってでも勝ったのであろう。大金がすぐに集まった。
「よっしゃタマはそろた。ほなそろそろ行こか栄舟様」
「まあ待たんかい。もうちょっと金を集めるわい」
カードをズラリと取り出して、神様は笑った。すべてがサラ金のカードである。しかもすべてゴールドカード。それらを使い、借りられるだけ借りまくった。
競艇場の門をくぐった時、神様の両手には紙ブクロが持たれ、その中にはギッシリと札束が入っていた。しかもその金をひとつのレースに突っ込むと言うのである。
「なにいー!! ど、ど、どのレースにつっこむ気ィよ、シゲ、いや栄舟様」
「9レースや」
こともなげに神様は言った。実のところ、私もその9レースは勝負レースと狙っていた。目下、絶好調の若手選手が最高のエンジンと最高の舟を引き当て、前日までずっと一着が続いていた。
「ははーん、と言うことはAのアタマで、あとは流すつもりやな」
「いいや、一点買いやで」
神様が不敵に笑っていた。豪気な人である。日産に電話して「GT‐R一台、出前お願いしまーす」と言えそうなほどの金を持って、それを一点買いで勝負すると言うのである。
「ほほう、となるとA−@やろ。オレも今日はA−@しかないと思うねん。配当、低いやろうけど」
「いーや。@−D一本勝負や」
聞いてビックリしたのは私だけではない。私たちの会話を聞いていた通りすがりのオヤジまでもが、
「やめとき。二着と三着を当てても、一銭もくれへんで」
と、神様の顔を見て首を振っていた。
「栄舟様、あんたも神様やったら見えるやろ。ほら目をつむってみ。A番の艇《ふね》が一番先頭で走ってるやろ」
私は目をつむって言ってあげた。
「おう、見えるでェ。Aの艇が一番で帰っていくわ」
神様も目をつむって答えた。
「ほたらなんでDを買うねん」
私はツバを飛ばして言ったが、神様はただただ笑うだけだった。
かくして9レース目が始まったのである。
私の予想通りAに人気が集まり、A−@が一番人気で安いながらも鉄板レースで、確実だと思われていた。
神様が動いたのは締め切り五分前、オッズの放送が終わってからだった。言っていた通り@−Dの一点買いである。
競艇は一周目が勝負である。一周目の順位が二周目、三周目で変わることなんて、よほどのことがない限りありえない。そう、よほどのことがない限り。
そのよほどのことが目の前で起こった。
二周目を回ってトップを走っていたA号艇が、周回を間違えて一周を残したままピットに引き上げたのである。
「八百長やー!! 金返せー!!」
場内は異様な雰囲気に包まれていた。
「栄舟様、ちょっと聞くけど、こうなるのがわかってたんと違うんけ」
「さあな。そやから言うたやろ、A番が先頭で帰っていくのが見える、て」
神様は当たり舟券をヒラヒラさせながら、いつまでも不敵に笑っていた。神様はなんでも知っている。しかし、ネタ元は、ようとして知れない。
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小鉄の笑顔
一人で道を歩いていたとする。
すると、道端に停まっている自転車のカゴに十万円が入っていた。周りを見渡せば誰もいない。
さあ、どうする。
「もちろんカゴの中の十万円をかっぱらって逃げますよ」
そんなこと言ってると私の友人、小鉄大先生に「おまえの先祖はグラニュウ糖か。甘いなあ」なんて笑われるだろう。
自転車ごと盗んでしまえばいいのである。自分の足をまず確保、と同時に追っ手の足はなくなるわけである。で、ある程度逃げたら自転車を捨てるか、高そうだったら売ってしまうかすればダブルでお得である。
「でも相手が気づいて、車やバイクで追いかけてきたらどうすんの? 捕まるでしょ」
もちろん捕まる。
「ハハハのハ、バレてもうたかあ」
て、笑えばいい。
「そこに十万円があったからさ」
なんて安っぽい言い訳なんかしないで、ニカッと笑ってポリポリ頭をかいとけば、ハナシのわかる大人なら許してくれる。
「もう、仕方がないねェ。次からはすんなよな」
と絶対に言うから。十万円と自転車が戻ればたいていの奴はひと安心してしまうものである。ウソだと思うなら試してみるといい。責任は持てないけど……。
私も小鉄も、バレた時の笑顔がまったく悪びれずキュートだから、結構許してもらえた。
私がコック見習いで働き出した十七歳の頃、キャベツを恐ろしいほどのスピードで切る人がいて、よく言っていた。
「こういうもんはなァ、口で教えるもんと違う。ワシのウデを盗め!」
だから若い私は、
「じゃ、失礼して」
と、その人のウデを出刃包丁で切り落として盗もうとした。その時だって誰も怒らなかったし、クビにもならなかった。
「ケチケチすんなよお」
と笑顔で包丁を振り回す私に、その人は手とり足とり教えてくれた。それもこれも笑顔のおかげである。
私よりさらに笑顔がすばらしいのが小鉄である。天真|爛漫《らんまん》、澄み切った笑顔で頭をかいている。これっぽっちも悪いことをしているという気がないから、タバコ屋のババアの頭を金庫の角でドツこうが、その金庫をあけるために電車の線路上に置こうが、そのためダイヤが乱れて何万人の足に影響が出ようが、
「ごめんごめん、堪忍なあ」
ニカッと笑ってすましてしまう。
車を運転していてもそうである。上り坂の途中で話に夢中になってしまい、ブレーキから足をはなしたことがある。
当然スルスルと車は下がっていき、後ろの車に当たることとなる。
「あ、ごめんごめん。当たった? へっこんだところをお湯につけたら元通りになるから。ハハハ、ごめんなあ」
無邪気な笑顔で去っていく。当てられた方もつられて笑う。
「オレの車はピンポン玉とちゃうぞォ」
あとで気づいて追いかけても、小鉄はもういないのである。
新婚旅行中の新婦をひっかけた時も、
「ごめんごめん、知らんかったから」
某信用金庫の行員用バイクを盗んだ時も、
「ごめんごめん、もう使わんと思てん」
すべて笑顔ひとつで許してもらっている。
しかし世の中、笑顔がまったく通じない時もたまにある。
「どお、スイス銀行の営業マンから暑中見舞いのハガキ届くぐらい、お金欲しいことないけ?」
でっかいバールを手に持って小鉄がやってきたのは、夜中までムシ暑さが残る夏の日であった。
赤い長そでトレーナーに赤のスウェットパンツ姿だった。
「おやすみなさい」
私は小鉄の服装を見ただけで、家の中へ引き返そうとした。こいつが赤の上下を着る時は決まって盗み≠フ時である。
「人間の目は夜になると赤色が見えにくいらしい!」
以前、教育テレビで見た番組を頑《かたく》なに信じているようだ。いくら私が赤より黒の方が見えにくいはずだと言っても聞こうとしない。
「ほたら、サンタクロースはなんで赤やねん。パトカーのランプも赤や。夜中にコソコソと動く奴はみんな赤!」
ぷうっとふくれて言うのである。
「それで、今夜の獲物はなんやねん、車はもういらんぞ」
私は聞いてみた。ついこの間も真昼のパチンコ店の駐車場から、車を盗むのを付き合わされている。小鉄の顧客が白のファンカーゴを欲しがっているというのでついていったのであるが、盗み終わってからえらいオプションがついているのに気づいた。
赤ちゃんである。
後部席ですやすや眠る赤ちゃんを私の家に運び入れ、
「今日の分け前は現物支給ということで」
と小鉄は笑顔で去っていった。あっという間にパパである。
「今日は心配ない。そんな大きな物と違うから」
手に持ったバールで玄関をこじあける格好をしながら、小鉄は無邪気に笑った。私もこの笑顔に弱い。
「なんやねん、何をパチるねん」
「代紋や。ヤクザの代紋」
「おやすみ」
私は今、聞いたことを忘れようとした。
「アホ、なにもヤクザの事務所に忍び込むんとちゃうわい。一カ所に集まってるらしいんや」
「どこやねん」
「カオルちゃんの家」
「さよなら」
よりによってカオルちゃんの家である。岸和田《きしわだ》最強の人である。中学の時からケンカ相手の学生ボタンを戦利品として取るクセがぬけなくて、いまだにドツいたヤクザの代紋を集めているという、カオル様である。急に雨が降ってきたら、駐車中の車のドアをひきちぎって、新聞紙のように頭の上にかざして走るカオル様である。
「大丈夫! カオルの家は家でも別宅の方。代紋一個取り戻して十万円!」
と、小鉄が笑い、私も笑った。カオルちゃんの別宅は倉庫のようなものである。戦利品だけが置かれていて本人はいない。しかも真夜中、そのうえ代紋ひとつ十万。百は下らないであろう。
「レッツゴー! 行くど小鉄」
私と小鉄はカオルちゃんの別宅へと向かった。バールを振り回して玄関の鉄のドアを壊し、人類最初の一歩を別宅内へと踏み入れた。
犬がヨダレをたらして唸《うな》っていた。
カオルちゃんの愛犬キバ君≠ェお留守番をしていた。このキバ君、世界一強い雑種で、人を噛《か》みすぎてアゴがズレている。ハトを好んで食うし、最近はヤバイ薬のしすぎで畳を食ったりカベに頭突きをくらわせたりしているという。
「ごめんごめん。キバ君、起こしたかな」
ひきつって小鉄が笑っていた。
「キバ君、動物は赤が好きでしょ」
私も笑顔で小鉄の背中を押した。
人の笑顔は犬の唸る顔に似ている。
キバ君が歯をむき出して跳びかかってきた。
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史上最強の男とは?
「空手、ボクシング、レスリング、柔道、相撲、それにグレーシー柔術。この中でいちばんケンカが強いのはどれでしょうね」
そんなことを言う奴がいる。
「知るかいボケ、ケンカが強い奴が強いんじゃい」
私は言ってやる。
そりゃそうである。空手で強い奴は、空手が強いだけでケンカが強いとは限らない。なにしろモノは、ケンカだ。ケンカが強い奴が強いのである。
高台の高級住宅街なんかに住んでいて、お母さんのことを「ママ」なんて呼んでいて、家の壁にはプランターが埋め込まれていて、おまけにきれいな花が咲いてやがる。朝になると姉だか妹だか知らないがそれに水をやっている。そんなガキがいくら空手やボクシングをやっていても何も怖くない。
そいつが「オリャ」なんてカケ声をかけながら氷の柱を叩《たた》き割りやがっても全然怖くないね。
「氷の身にもなってみい!」
と、その氷の柱でそいつの頭を割ってやる。
そんな奴より八人兄弟の真ん中あたりにポジションを置いて、親がこづかいをくれないから、金のためなら何だってしますぜ、て言う中学生の方がよっぽど怖いし強いであろう。
フェンスの破れ目からアメリカへ一発かましに行く、九人兄弟のメキシコ人の末っ子や、ガタガタの船で日本にこっそりやってくる、青龍刀を持った兄ちゃんなんかすごく強いよ。やつらケンカ慣れしてるから。
「はん! 毎月、月謝払ろてる奴らに負けてたまるかいや」
こんなことを口グセのように言う男がいた。
この人みんなからネックロックのシゲ≠ニ呼ばれる石材店の息子である。この人の上には朝子ちゃんという姉がいて、この女もまたサバオリの朝子≠ニ呼ばれ、みんなから恐れられていた。
とにかくこの姉と弟、チカラが強い。
「学校行ってるヒマがあったら、この墓石を運ばんかい。晩飯食わせへんど」
と、毎日父親に言われて育っているから、そのチカラたるやハンパじゃない。姉の朝子ちゃんなんか回し蹴《げ》りで店の売り物のお地蔵様の首を吹っ飛ばしたと言われているし、小学校の学芸会では、ただただ、分厚い電話帳を真っぷたつに引き裂くだけの芸をえんえんとやり続け、全校生徒の口をあんぐりとあけさせたほどの強者《つわもの》である。
そんな姉と年中姉弟ゲンカをしてきたシゲさんもまた、いやでもチカラ持ちになってしまう。
抱きつきに来たチカンを反対に抱きしめて失神させた、サバオリの姉と対抗するため、シゲさんはネックロックという聞こえは一人前だが、首を絞めるだけという地道なワザを身につけるようになった。
またお地蔵様の首を飛ばした回し蹴りを受け続けることによって、石よりも固いと言われる打たれ強い身体にもなってしまった。そこへいつもの口グセである。
「習う奴は強いことあるかい。慣れる奴が強いんじゃい」
言葉の裏には格闘技を習いに行きたくても行かしてもらえなかった家庭環境と、姉にしばかれ続けた暗い過去がチラホラとしている。ハングリーとはひがみが出発点なのである。
だから格闘技関係の人を見つけるとシゲさんは必ずケンカをふっかける。
ボクシングの六回戦ボーイとケンカした時もそうだった。
「なーにがロベルト・デュランやねん。石のコブシがどないした。オレは石屋じゃい、ワレの戒名彫り込んだるわい」
と、何もしていないボクシング兄ちゃんに向かっていくのである。向かってこられた六回戦ボーイも仕方なく相手する。
普通の人はボクシングと聞いたら目にも見えないほどのパンチを頭に浮かべるであろう。甘い。
パンチが見えないどころか、こちらのパンチがまずは当たらないのだ。いくら殴りかかっても決定打なんてマグレでも当たらない。
「これはどうしたことか……」
なんて考えてたらムチのようなパンチがすっ飛んできてしまう。しかし、ボクサー相手にこちらが殴りかかったら、のハナシである。シゲさんは殴りかかるようなハデなことはしない。とにかく相手のどこかをつかまえるのである。二発や三発いれられようが構わない。失神さえしなければシゲさんのものである。バットでどつかれてもブロックを打ちおろされても、なんとか相手のどこかをつかまえる。あとはゆっくりと首を絞めつけるだけである。
白目をむいてもまだ絞めている。
よだれが出てきてもゆるめない。
舌の先が出てきてオシッコを漏らし始めてやっと手をはなすのである。何人のボクサーがやられ、何人の空手家がズボンを濡《ぬ》らしたであろうか。
「カカカ、ええ気になるなよコラ石屋。首を絞めるだけやったらマフラーでもできるんじゃい。笑わせるなドアホ」
私の友人Mがシゲさんにケンカを売った。Mという男、とにかく格闘技が大好きで、小さい頃から空手を始め、ボクシングにも柔道にも手を出している。あとは自衛隊に入隊して徒手格闘なる、人を殺すためのワザさえ覚えれば、オレの人生は幸せになると言い切る男である。しかもそれらの格闘技をすべて、
「毎日のケンカがエンジョイできるでしょ」
と、惜しみなく使う。
「オレに言うたんかい、よぅコラ」
「ワレしかおるかい。ちょっと早よ生まれたからいうて、エエカッコすな」
「おまえが何をイチビッて習ってもなァ、ケンカ慣れしてる方が強いんじゃい」
シゲさんはいつものように向かっていった。
ただこのM、いつもシゲさんが相手するような奴とは少し違っていた。格闘技もやってるけどケンカ慣れもしている。そのうえ小学生の時にカワイイ小犬をビニール袋に詰め、走ってくる大型ダンプの前に放り投げてニヤリと笑った冷血な過去も持っている。
いつものようにシゲさんが動き、いつものように何発も殴られ、いつものようにそれでも前へと進み、ついにMのフトコロへと飛び込んだ。
――ギュウウウウ。
首を絞める音がこちらにも聞こえた。
――ガクン。
と膝《ひざ》をついたのはシゲさんの方だった。
胸に千枚通しが突き刺さっていた。
「こ、こら、空手やってんやろ、ボクシングやってんやろ。なんでこんなことするねん」
「アホかワレ、これはケンカやぞ」
Mは刺さった千枚通しを引き抜くと、
「今度は、はずさへんでェ」
とシゲさんの心臓めがけて突き刺した。
「空手、ボクシング、レスリング、柔道、相撲、それにグレーシー柔術。この中でいちばんケンカの強いのはどれでしょうね」
「全部やってて冷血で、人を刺すのをなんとも思わない奴」
私にも何が強いかわからない。ただシゲさんはまだ生きていて、今でもMを追いかけ回してることはたしかである。
「オレは負けてないど」
と、しつこくね。
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「岸和田少年愚連隊」、撮影快調
ちょっとしたハズミで本を出した。知らない人の方が多いであろうが、『岸和田少年愚連隊』という本である。さらにそこへもう一発ハズミがついた。映画になってしまった。
よせばいいのに、ほとんどが岸和田ロケである。最初、岸和田でロケをすると聞いた時、私は「やめろ!」と大声を出した。
「どうしてですか? やっぱ岸和田の映画は岸和田で撮らないとさァ、いけないでしょ」
プロデューサーのEさんは東京弁でそう言うが、まずその言葉が問題なのである。
「あのさァ、ボク岸和田城に行きたいんだけどォ、どう行けばいいの?」
ためしにその辺を歩いてる岸和田人に聞くがいい。間違いなくその人、体中にトリハダをたてるであろう。
「こらワレ、人にモノを聞く時はちゃんと標準語を喋《しやべ》らんかい、おうコラおう」
きっと言うであろう。排他的なのである。
「ワレらみたいなヨソ者に、だんじりさわらせたれへんわい。ボケ」
ふた言目には、これである。だんじり祭りで築いた団結力を前面に押し出してくる。そのくせイッチョカミである。人を仲間には入れたくないが、自分は他の仲間に入りたがる。おもしろそうなことがあれば、すぐ寄ってくる。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
交通事故で車に閉じこめられてる人を見ても、こうは言わない。
「ニーチャン、いけるけ。血ィ出てるで。アバラもちょっとコンニチワァて顔出してるみたいやで。電話したろか」
これ以上、おもろいことはないといった表情でやってくるであろう。
「お願いします! 119番に電話して下さい」
こう言えば丸くおさまる。しかし、
「うるさい! 見せ物と違うぞ」
なんて言えば、おしまいである。自分が仲間はずれにされたと思ってしまうのだ。
「あほんだら! 人が親切に言うちゃってんのにえ。死んでまえアホボケカス」
と、飛び出しているアバラ骨をグリグリとするであろう。
ひとつ間違えば即、好戦的になってしまうのである。ヨソ者を嫌うイッチョカミの武闘派である。これ以上難しいタイプはないであろう。昔、薩摩《さつま》や長州《ちようしゆう》が独自でイギリスなんかと戦争したように、岸和田だって放っておいたらやるかも知れない。ためしにフランスのシラク大統領なんかが岸和田沖で核実験してみるといい。その日のうちに大量の漁船がフランスへ向かうであろう。次の日には、凱旋門《がいせんもん》にだんじりが突っ込むハズである。私が「やめろ」と言うのもわかるだろう。
しかしロケは始まってしまった。
まずは静まり返った真夜中の路地で小鉄役のナインティナインの岡村くんが不良たちに襲われるシーンである。静まり返っているハズの路地には、近所の人たち五十人以上が集まっていた。
町会長さんが回覧板を回したらしい。
「なあなあなあ、誰来るん、誰来るん? なあなあなあ!」
オバチャンはうるさい。しかも何時に来るかまで聞いてくる。
「さあ、ハッキリは知らんわ」
「知らんてあんた、もっとしっかりしいや」
と反対に怒られてしまう。さらにうるさいのはガキである。将来の岸和田を背負って立つだけにスルドイ奴が多い。
「おっさん、今ババ(うんこ)踏んだやろ」
と、まずはロケ隊の大人たちに一発ケリをいれてくる。
「ごめんねボク、静かにしてくれる」
「ボクとちゃうわい。ちゃんと名前で呼ばんかいコラ!!」
次はヒザゲリである。すでにイッチョカミの気質が出てきているのである。
もっとも、そんなことをするのは小学生である。中学生や高校生くらいになってくると、さすが大人である。ロケ隊にそんなことを言ったりはしない。
じーと不良役の役者さんたちを睨《にら》みつけるのである。まさに一触即発、少しでも役者さんたちと目が合うと、
「こらワレ、なにメンチ切ってんねん」
である。役者もへったくれもない。自分の目の前に悪そうなのがいれば、すぐにケンカをふっかけてくる。いい青年ばかりである。
いちばんやっかいなのは、やはりオッサンである。映画なんて何も興味はない、俳優にも関心がない、しかしイッチョカミな血が騒ぐというオッサンである。
真夜中、アパートでのシーンがあった。
アパートの周りは役者さんを見ようとつめかけた見物人で溢《あふ》れ返っている。しかもアパートの前はぶんぶん車が通る道であった。関係者が交通整理にあたっていた。
「おう、なんやなんや、なにやってんねん」
一人のオッサンがフラフラと近づいてきた。
「すみません、映画の撮影してますので、あちらを通って下さい」
「はい、わかりました」
とは言わない。何かおもしろそうなことをやってるなと見に来たのに、仲間に入れてもらえなかった。イッチョカミの血が騒ぎ、それを拒否されたことによってオッサンは武闘派になってしまった。
さらにそのオッサンの家が、撮影しているアパートの裏だった。
「ただいまー!」
と部屋に入ったかと思うと、二秒で表に出てきた。
「おまえらがうるさいから、寝られへんやんけ! どないしてくれるんじゃい、おう!」
である。どうするもこうするもないであろう。部屋に入ってクツをぬいで、また履いただけである。
「三万! 三万出さんかい!」
具体的な数字まで出す始末である。まさに玄関あけたら二秒で三万である。かといってもまさか、
「なにが三万じゃい。いちびってたらポアしてまうど」
とは言えまい。きちんと制作部の人がタオルを持って謝りに行った。
「こんなもんいらんわい! うるさいのをやめんかい!」
オッサンはタオルを自分の部屋の中に投げ、ただただ静かにしろというだけである。あげくにオッサン、
「お前らがうるさーにするんやったらコッチもしたるわい」
と、こんな場合用に買っておいたというカラオケ装置を大音響にし、大声で歌い始めてしまった。こっちが三万円欲しいほどの音である。
――プププ!!――
悪い時には悪いことが重なるものである。今度は表の方で車のクラクションが鳴りっぱなしになった。
「なんでオレを通行人のエキストラに使こてくれんのじゃい」
一人のオッサンが怒っていた。
「家の中のシーンですので、通行人はいりませーん!」
「一人ぐらい通った方が岸和田らしいやんけ!」
だから岸和田のロケはやめろと言ったのに。
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演技のうまい犬を連れてこい!
久し振りに気合の入った不良学生たちを見た。ハイカラーにハイウェストの学生服を着て、手にはバットを持って電車から降りてきた。
といっても映画のロケである。前回に続いて今回も映画のハナシである。
私の好きな俳優の一人に木下ほうかさんという人がいて、その人が今回の映画の主人公たちのライバル関係にある不良学生のてっぺんをやっている。
うまいんだよこの人、不良の役が。
私生活の方でも、バイクが好きでヘルメットをかぶったまま人の鼻に頭突きをかましてる人だから、よけいに味が出ていて、ちょっと町で声をかけられるのが嫌だなァと思えるような不良役を好演しているのだ。この人と子分役の人たちが移動する時がすごい。
「めんどくっさいから、電車乗っていこかい、おう」
役になったまま電車で移動する。たまったものではないであろう、周りの乗客は。映画のロケをしてるって知らない人ばかりである。マユ毛のないのやバット振り回してるのや、メッシュに茶髪にマスクに長グツにペッタンコのカバンばかりなのである。カワイイ顔してスゴんでる今の不良ばかり見慣れている人には、胃にくるほどの迫力である。
で、現場に到着して自分たちの撮影時間までその辺で集まって待機するワケであるが、それはひと言でいって、待機というよりタムロである。
「オドリャ、ケリ上げたろか! おう」
などとセリフの練習してるのや、千枚通しを相手の目に刺すタイミングをはかってるのもいる。木下ほうかさんなんて、うまいからねセリフが。
「こらチュンバ(私の名である)、われカタにはめちゃるから待っとれや」
なんてことをサラッと言ってツバを吐いたりしてる。水道の検針に来たオバちゃんなんかは絶対目を合わさないようにして、道の端を走り去ったりしている。
しかし悲しいことに、ここは岸和田なのである。そんな奴らがタムロしていると、必ず本物の現役がやってくるのだ。
「こらあ、ワレらどこのゴンボやァ」
カラカラと金属バットを引きずりながら世の中なめきった顔をしたのが団体で現れる。
係の人がすっ飛んできて、両者の間に入って一応和解が成立するが、それだけ不良学生が集まれば次にやってくるのは警官である。
「駅前にゴンタクレたちが大勢でかたまってまーす」
と電話が入れば寒くても行くのが、お巡りさんの仕事だからやってくる。その次にやってくるのが女学生。ナインティナインが出てるから「キャアキャア」言いながらやってくる。初めは五人ほどであるが、今の女学生をなめてはいけない。携帯電話をフルに使ってあっという間に五十人や百人である。
次に現れるのは買い物帰りのオバちゃんである。オバちゃんたちにはナインティナインも不良学生も警官も関係ない。目的はひとつ、ロケ隊が「迷惑かけました」と配る粗品のタオルである。「タオルとせっけんは買うものではなくもらうものである」を岸和田のオバハンたちは生きる上のポリシーにしている。
西で葬式があれば並んで菊の絵の入ったボールペンをもらい、東で結婚式があれば並んで紅白まんじゅうをもらうオバちゃんたちである。
「駅前でタオルが配布されてるウワサあり」で五十人は集まる。
粗品用のタオルがよそでは一カ月もつのに、岸和田では三日でなくなったのもよくわかるであろう。
そして最後にやってくるのが、駅前の立ち飲み屋で一杯ひっかけて調子のいいおっさんたちである。目の前には俳優はいるわ、不良はいるわ、ピチピチの女学生はいるわ、タオル持った人妻はいるわで上機嫌である。
「誰か有名な人でも来てるんか」
デレッとした顔で女学生に近寄る。
「ナインティナインやねん」
「ナインティナイン? シックスナインやったら知ってるけどのォ、ハハハ」
立ち飲み屋のネタをそのまま女学生に使い、冷たい目で見られてしまう。
「なにこのオヤジィ! ちょー変ー!」
自分の娘ぐらいのガキに、リンスの香り付きの髪で顔面をバシッと叩《たた》かれるのである。オッサンは黙ってはいない。その辺の民家のプロパンガスのボンベを持ってきて、
「こんなとこで映画なんか撮るなあ!!」
と八つ当たりでボンベの栓をあけて走り回るのである。
さらに係の人の頭が痛くなるようなことを監督が言い出す。
監督はあの井筒和幸氏である。
「ボクは他のカントクのように、あの雲が気に入らんから今日は中止やとか、あの山が気に入らんから山をけずれとか言いません。でもいくらなんでも、あの雪は多すぎる。誰か走っていってちょっと下の方を溶かしてこい」
と富士山を指差した人である。
「犬が一匹欲しいなあ」
ポツリと言い始めた。主人公のナイナイが木下ほうかグループに追われて逃げるシーンで、犬が一匹そこにいてほしいらしい。周りの人はホッと胸を撫《な》でおろした。犬ぐらいその辺で借りてくればいいのである。
「それを犬小屋ごと投げりゃ、おもしれェーだろーなァ」
言い出したのはカメラマンのボート浜田である。この人は「マークスの山」を撮った人で、マイナス十度でハダカで寝ても死ぬどころか寝汗をかいた強者《つわもの》である。普段は競艇ばかりしていて、女性に「御趣味は?」と聞かれたら「ボートです」と加山雄三みたいにニカッと笑う、とんでもない人である。
「おお、それええねェ」
「いいっしょ」
周りの人たちの顔から血の色が消えていくのがわかった。
「ちょっとその犬、投げ飛ばしたいんで貸してくれませんか。骨が折れたらボンドでひっつけておきますから」
と言っても貸してはくれまい。ましてや岸和田である。
「よっしゃ、うちの犬使えや」
快く貸してはくれるだろうが、返しに行った時が怖い。
「ああ!! うちのクロが白髪だらけになってもうてるやんけ。よっぽど怖かったんやなあ。どないしてくれる!!」
一夜にしてシロをクロと名前を変えて文句をつけてくるであろう。かといって見つけてこないと撮影は進まない。
やっと一匹、いい犬が見つかった。犬小屋は、女と映像をごまかすのが得意という美術のベンツ細石が、すぐ壊れるが丈夫そうに見える物を作った。これなら犬も安心して投げ飛ばされるであろう。
そしてついに本番が始まった。
岸和田中央商店街を逃げる主人公たちが細い路地へと曲がった。後ろからは大勢の不良たち。主人公たちは魚のトロ箱をくずし、自転車を投げ、植木鉢を投げ、そして犬が入ったままの犬小屋を投げた――
「はいカット!!」
「うーん、犬の表情がなあ。違う犬探してこい。もっと演技のうまい奴」
撮影はなかなか進まないのである。
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いつか書きたい!
作家になりたい――
私の友人が、突然言い出した。
「おまえがなれるんなら、オレになれないワケがない」
私が本を出してから、いったい何人の人が言ったであろうか。
母も言った。
「あんたを産んだんはウチやから、ウチにも書けるはずや」
じゃ、アイルトン・セナのお母んは、なんでF1に乗ってないんだ? という私の言葉に耳も貸さず、母は目標枚数八百枚という大作『ヤクザな息子と、けなげな母の記録』を書き始めた。
しかし、二十三枚目まで書いた時、
「なんや知らんけど、だんだん腹立ってきた」
と、いろいろなツライ思い出に押しつぶされて、途中で筆を置いた。
別の友人は現在『岸和田三国志』という、登場人物三百人以上、全員実名というスケールのでかい不良物語を執筆中である。たぶん六法全書より分厚い本になるであろう。
「で、おまえはなんや。『岸和田中年愚連隊』はオレにおいとけよ」
私は友人に聞いたのであるが、とにかく作家になりたいと言う。
「作家になったら、好きなもん書けるやろ」
書きたくても、書けない人もいるんだぞ、そこんところをよく肝に銘じておけ、と反対に説教をしやがるのである。
自分で書きたいもの――
そりゃ私にだってある。絶対にいつか書いてやるというものが、今で十ほどもある。ハッタリ半分として五つはある。
「じゃ、そのうちのひとつをウチで書いて下さいよ」
と言ってくれる人もいる。
「いいなあ。あんたみたいなヘタッピでも、一度作家の肩書をもらえば書けるんだもん」
と言う人もいる。そうだよザマミロと言い返したいが、これが結構つらいのである。
なんといっても、相手は編集者である。編集者、英語でいうところの、インテリヤクザ。
彼らがやさしいのは「書きたいものある?」「うん、ある!」「じゃ書いてよ」「うーん、どうしようか」の段階までである。ぼったくりのバーの入り口に似ている。迷っているうちはやさしいが、一歩でも足を踏み入れたら、狼に変身しやがるのである。
「じゃ、書かせてもらいます」
言って一年たっても、なかなか進まないとしよう。
まず一年前に連れていってくれた高級料亭には、絶対に連れていってはくれない。この辺は、ハンコを押してからの映画界と一緒である。
「ではでは、アワビも食ったことだし、次はモノホンのアワビということで」
料亭のあと、ランジェリーパブに連れていってくれたあなたはどこに行ってしまったの? と言いたくなる。
「てめーは黙って書いてりゃいいんだ」
人のモツ煮込みに箸《はし》を突っ込んで怒るのである。
何か書きたいもの、ありますか。
「さあ、どうでしょうか」
なるべく、そう答えるようにしていた。
「実はねェ、ボクはあるんですよ」
やれ書け、それ書け
と口にすることが商売の編集者に言い返されたから、驚いた。
「他の編集者の人は知らないけど、ボクは自分で書いてみたいものがあります」
G冬舎のS氏はそう言って、両切りのピースをゆっくりと燻《くゆ》らすのである。
書きたいものがあるか? と聞かれてばかりいた私としては、ぜひ人のを聞いてみたい。
「なになに、どんなん書きたいん?」
聞いてみた。
「教えてあげない。ナカバさんが言ったら、ボクも言う」
そうはイカのキンタマである。その手できたかと「さあねえ」なんてお茶を濁そうとした。
その時である。
「福耳番長……」
と、S氏はポツリと言った。言っておいて頬を赤く染めている。
「タイトルは『福耳番長』……」
いい大学を出やがって、いろいろな有名作家と付き合いのある、イケイケ編集長のS氏が、「福耳番長」の物語を書きたいと頬を染めている。
「なんやねん、その『福耳番長』て」
私の頭の中には、耳たぶを学生服のカラーでこすって、赤く腫《は》れ上がらせた番長が、ゲタを履いて歩いていた。どうしても先が知りたい。
「だめですよ。これ以上は、ナカバさんが言ってからだ」
S氏はそう言い、最近染めた赤い角刈りを掻《か》き上げながら、
「言ったら、招き猫だらけの居酒屋にでも連れていってあげる」
と目を細めて笑った。福耳番長に招き猫のオマケ付きである。言わねばなるまい。
私は「焚《た》き火と鉄砲玉」という超短編を熱く語った。
――燃えさかる焚き火の中に鉄砲玉をひとつ放り投げる。焚き火を囲む十人の男。玉はどっちにとぶかわからない。男たちの声――
「あっ!!」
「ああ――」
「あれ?」
「ああああー」
「あーあ」
「あ――」
と、声だけで原稿用紙二十枚。さあ、どうだと言った。
「あんた、バカですか」
S氏は外人みたいに肩を上げ、勝ち誇ったように言いやがった。
「いいですか、ボクの『福耳番長』はね」
悔しかったが、聞きたいので黙っていた。
「自分の福耳だけを信じて生きてきた男の、ポジティブ・シンキングな物語ですよ」
ときやがった。日本古来の福耳と、外来語のドッキングである。
あなたは福耳だから、偉い人になる。将来は、金も貯まるし女にももてる。そう言われて育ったものの、何もいい事がない男。しかし、いつも自分の福耳だけを信じて生きる男の夢はやがて成就し、生まれて良かったと人生を振り返る。愛と涙のストーリー――
「とまあ、そんな具合ですが」
「おまえこそ、大丈夫かい」
番長はどこに行ったんだと思いながら、私はあんぐりと口をあいたままだった。
「あなたの『焚き火と鉄砲玉』よりはマシでしょう」
「なんやとお! ほな『温泉タマゴの決心』を聞かせたろかあ」
「明日からハードボイルドに生きるぞ、と決心した温泉玉子のハナシじゃないでしょうね?」
「う、うるさいわい」
書きたいものがある――
書けと言ってくれる人がいる――。実はこのコラムだって、女の枕元でくどくど言ってはどつかれていた自慢話を文字にしたものである。
ごめんなさい。
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オレの写真
うちの家には、写真というものが、ほとんどない。
いや、両親の写真は結構あって、観光バスのガイドさんにコブラツイストをかけてる父の写真や、会社の忘年会で社長のハゲ頭にスキヤキの糸コンニャクをのせてる母の写真なんかは、ゴマンとある。
しかし、私の写真がない。
赤ちゃんの時から幼稚園くらいまでの、私の頭の中にフラッシュバックすらしてくれない頃の写真が数枚だけである。
「なんで、オレの大きなった時のがないねん」
私は母に聞いた。
「カワイイことなくなったもん」
母は堂々と胸と腹を突き出して答えてくれた。カワイイ頃の写真は撮ったが、カワイイ時期が過ぎれば、フィルムすらもったいないそうである。
「それにおまえ、家に帰ってけえへんかったやん」
そうなのである。私には宇宙人にさらわれていたかのように、行方不明になっていた時期がポッカリと存在するのである。
十七歳ぐらいから二十五歳くらいまでであろうか。その頃の私を知る写真というと、全身写真が一枚、ハダカの上半身が一枚、あとは右半身と左半身が一枚ずつ、自分の名前の書かれた板みたいなのを持ったものが警察に数点保管されているだけである。
とにかく写真がない。
「ああ、思い出として写真が欲しい」
あたしの恥ずかしい写真、あ・げ・ま・す。なんて、エロ本の広告みたいなのでもいいから、写真が欲しかった。
そんな私でも作家などと呼ばれるようになると、プロのカメラマンの人が写真を撮ってくれるようになった。
初めて撮ってくれたのは、WPB(「週刊プレイボーイ」)である。パイナップルの横や、シルクの布の上を寝転んだりしながら、はじけるように笑うボインのおねえちゃん。
巻頭グラビアを見ながら、ブルワーカーで体を鍛えようかと思ったりした。
「じゃナカバさん、レンズを睨《にら》みつけて下さーい」
こいつは絶対、山で女を殺したことがあるぞと思えるほど、アウトドア風味のかかったWPBのカメラマンは、私に注文をつけた。
畑の畦道《あぜみち》でウンコさん座りし、ドテラとハチマキで睨みつける私。
パイナップルはどうしたあ。シルクのヨレヨレ布を忘れたんかい。
思いながらもやってる自分が情けなく、明日から名前を変えてFBIの保護下で暮らそうかと考えていた。
しかもその写真はボツで、載った写真は白黒、パチンコ店の中で大笑いする私である。
おのれWPBめ、いつか編集部の便所に忍び込んで、ウォシュレットの管にツマヨウジを発射できるようにしておいてやる、と心に決めたものである。
その後も、写真を撮ってもらえる機会は続いた。しかも、全部プロの人。しかも全部、ポリBOXの前とか、口をあけてポカンと上を見てるとかばかりである。浅田次郎氏との対談の時なんか、浅田さんは井戸の端にハンカチをしいて座り、私は井戸の中にドロロンと立っていたりした。それもWPBである。
「もういい。写真はもういい」
私はもう一度行方不明を誓い、返還後の香港で一大勢力が現れたらオレのことを思い出してくれと日本を後にする用意をしていた。
そこへグラビア℃B影の依頼がきたのである。「週刊SPA!」からなのである。
「写真撮ってやるから、ヒゲを剃《そ》っとけよコラ」
と言われ続けた私のもとに、
「グラビア撮影をさせて下さい」
である。しかも撮ってくれる人は、かの有名な篠山紀信氏である。言っとくけどサイババじゃないよ、似てるけど本物の篠山の紀信さんだよ。
そのうえ、私は撮ってもらうだけで、写真の横には、私をちやほやしてくれる文章が載るという。それを書いてくれるのが、かの有名な新人類£森明夫氏である。言っとくけどドラえもんじゃないよ。まあソックリだけど、メガネをはずした方がもっと似ている。
「はいはいはいハイ。いつでもどうぞ。ハチマキやドテラは用意しなくっていいですかい」
私はうわずって、アンちゃん風に言ったわけである。
「いいです。そのかわり洋服を三点、違うものをお願いします」
アシスタントの人が言った。洋服を三点である。タンスの中にちょうど三つしかないからバッチリである。
「首を洗って待ってろ」
と言われたことは何度もあるが、
「洋服を持って待ってろ」
は初めてなのである。私は東急ハンズでかっぱらった大きな袋に、服を詰め込んで待っていたわけである。首を洗わずに長くして。
来ましたねえ篠山さんと中森さんが。
昔、水前寺清子さんのイトコのハトコの友人という、要するに単なる素人が来て、サインもらったもんだからタダ食いされたという逸話を持つ、行きつけのうどん屋さんにやってきた。
篠山さんに中森さん。もっと偉そうにしている人と思っていたけど、まったく違った。普通のオッサンと予備校生みたいである。ただし、それはカメラを持ってない時だけであるが。
最初に向かった岸和田大劇という映画館の前に着くと、まず篠山さんが変わった。
「○×△□×」
なにやら専門用語を言うとアシスタントの人が、すっとレンズを出したり、カメラを出したりする。前をオバちゃんが横切ろうものなら、
「こらオバハン、まったらんかい」
みたいなことを丁寧かつ、ピシャリと言う。
映画の撮影中、助監督がいくら止めようとしても、
「やかましな! 早よ行かんとネスカフェの大びん、なくなるやろ」
と、安売りのチラシ片手に突っ切った岸和田のオバちゃんが、ピタリと止まってしまうのである。
そして、ジッと篠山さんを見てる。
「なんやなんや、なんの撮影や」
ヒヤカシに来たオヤジも、篠山さんを見てる。
「おいコラ、どっち見てんねん」
普通カメラで誰かがパシャリパシャリとやられていれば、「誰か」の方を向くのが常識であろう。
「あの人、何とか言う人やな」
――そうだよ、あの人はサイババだ。で、となりにいるのはドラえもんだ。オレのWPB担当のTと双子とも言われてるよ。何とか言う人と考えるなら、少しくらいはこっちを見たらんかい。
思ってはみるものの誰もこっちを見てくれない。それがその日はずっと続くわけである。
ぷうっといつもなら私はふくれるであろう。ただし、その分ラクである。誰もどうせ見てないやとラクだった。
撮影が終わり、みんなが帰ったあと、私の体はどっと疲れていた。あれほど疲れたのは初めてだった。
「なんでやろなあ」
誰も見てないはずがない。レンズの向こうとその横で、じっと私を睨みつけてるプロ≠ェいたわけである。写真が魂を抜き取るって話、あれは本当かも知れない。
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海に沈められたこと、ありますか?
うちの母親が言うのである。
――わたいも浜にヨメに来た女や。死んだら浜に捨ててくれ――
なんてことを。
じゃ、すぐ死ねと言いたいのをガマンして聞いていると、もっとすごいことを言い出す。
「散骨なんかせんでええねん」
当然である。海に散骨してカッコイイのは有名人だけである。普通の人がやったら、ゴミを捨てるなって怒られるだけである。
「めんどくさいから、そのままポーンと捨ててちょうだい。焼かんでもええし」
困ったババアである。骨どころか身のまま海に捨てろと言うわけである。ママレモンの空容器と仲良くプカプカ浮きたいらしいのである。で、今回のコラムが始まる。
――海に捨てられたこと、ありますか?――
「ごめんなさい。ボクはネコを段ボールに押し込んで捨てたことがあるんです。あああー」
そうですか、それはいけませんね。うちの近所にもそんな人はいます。犬に毒ダンゴを食わせてルンバを踊らせたり……。違う。
人である。しかも自分が捨てられるのである。
私はそんなありがたい経験が二回ほどある。一度目はロープで手足をくくられ、岸和田の港に捨てられた。まあその時は相手がバカだったのか、私の手首を体の前で縛ってくれたので命拾いした。
真っ暗な海をロープ付きの手足で犬カキする私へ、
「あのガキ、まだ生きてるやんけ。どしぶとい」
などとやさしい言葉を送りながら、節分の豆みたいにナマリのドングリを撃ってくれた人たち約三名は、今ごろどうしてるのかなあ。パナマ船籍のお船のアンカーにくくりつけてあげ、
「ロベルト・デュランによろしく」
と、手を振って見送ったきりである。
二回目はロープではなく、コンクリートだった。悪友の小鉄と仲良く、足元にコンクリートのゲタを履かせてもらい、イチにのサン! と岸壁から投げ捨てられたのである。
きっかけは、車を盗んだだけである。
ちょっとしたビジネスのため、私と小鉄はその日、和歌山の加太《かだ》という所に来ていた。
ビジネスも終わり、フトコロもあたたかくなったところで私はつい、言ってしまったわけである。
「電車で帰るつもりかい、おう小鉄」
たまにはタクシーで帰ろうぜ、金はしこたまあるんだし。そんな気持ちだった。
「おう、ちょうどええのがあるで」
しかし小鉄くんはビジネスマンである。よけいな出費をしなくても、ラクして儲《もう》けるモノを見つけた。
フェアレディ240ZG。
そんなものきちんと家の車庫に入れとけよと、今になって思うのであるが、その時は思わない。
二週間前、中華料理屋のあんちゃんが、阪神高速でぶっツブしたZGと同じ色だあ。ナンバープレートをつけかえるだけで復活だあ。小鉄ぅ、JAFからかっぱらったマスターキーは持って……OK! である。
「どう、一緒に岸和田に来るか」
私はZGと会話しながらやさしくドアをあけ、小鉄は公衆電話にとびついていた。
「買うそうや。今夜中に届けてくれやてよ」
公衆電話から出てきた小鉄は、嬉《うれ》しそうに手帳を閉じた。
レッツラゴー!!
ZGのエンジンをかけた時、真後ろにサバンナとコスモが止まった。数人の男が降り、またあわてて車へと乗り込むのがバックミラーごしに小さく見えていた。
「あらら、小鉄、持ち主に見つかったみたいやど」
「わちゃあ、ロータリーが二台かいや、やばいのォ」
たしかにヤバイ。いくら日産が誇るフェアレディの240ZGでも、相手がロータリーでは引きはなすのはチト難しい。日産がロータリーに勝てるのは、シフトをサードにいれてからである。ローやらセコンドの出足では三Lエンジンでも積まない限り勝ち目はない。しかも加太から岸和田にかけてはクネクネの道ばかりでアクセル全開なんてできないのである。
こんな時どうするか。
「ライトを全部消しちゃう」
正解である。少しでも曲がり角で車間がひらいた時、ライトを全部消すのである。
「じゃあ、前が見えないでしょ」
そう、見えない。真夜中の山道やら峠道をライトなしで走るほど恐ろしいものはない。だからたまーにパッシングをして前方の景色を覚えるのである。自分の名前でさえたまに忘れる私が、一分に一回のパッシングでこれから迫ってくるコーナーを覚えるのである。しかもブレーキを踏んだらランプがつくので、それも踏めない。
そんでもなんとか岸和田まで帰ってきた。そして全速で曲がり角を曲がった……。
あの時のことは今でも覚えている。真夜中の岸和田市堺町の交差点。曲がった瞬間、信じられない物が目に飛び込んできた。
跳び箱の一段目が道路に置かれていたのである。
もしこれを読んでる人の中に「あっそれはオレだ」と思い出した人、あなたのおかげで私と小鉄はやろうと思ってもなかなかできないことをさせてもらえたことに感謝する。
フェアレディ240ZGは跳び箱に失敗し、ひっくり返ったのである。そして屋根で二百メートルほど走った。いやあ、Zの屋根って結構速いのよ。頭の下一ミリでガリガリいってさあ。
笑ってる場合か。
「ごくろうさん、コラァ!!」
私と小鉄を救い出してくれたのは近所の人でも警官でもなく、しつこくてヒマなロータリー二台の人たちである。
「あーあ、また警察行きかあ」
私たちは警察に突き出されるのを覚悟して出てきたが、もともとそのZGの出所もあやしいものであったらしく、近所のラブホテルに監禁された。
「どないしてくれるんじゃい! また同じ色のZG、探さんとアカンやんけ」
「オノレらのおかげで一本(百万ね)パアじゃい」
同業者の人たちは私たちをドツくだけドツくと、日曜大工の店が開くのを待ちかねたようにセメントを買ってきた。
――ドッボーン!!
ホテルの浴槽の排水口の形がついたコンクリートは、私と小鉄を心中のように同時に海の底へと沈めた。
明るかった海面があっという間に真っ暗になり、真横にヌルヌルの車が沈んでいるのが見えていた。そして大きなくさりが見えた。
――あ、船のイカリや。
思った時、それが動いた。
小鉄は自分のベルトの前をはずすと、イカリを抱くようにもう一度はめた。
少しずつ明るくなっていった。小鉄の手はしっかりと私のベルトを握りしめていた。
しかし跳び箱置いたのダレやろな。
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初めての東京
初めて東京に行ったのはいつだったであろうか。
私がまだ、こんな物書き≠ネんていう自分のキンタマの裏スジまで見せるような、仕事をする以前のことである。
当時、私は、「本の雑誌」という月刊誌に投稿をしていた。もちろん、作家としてではない。一読者としてである。その「本の雑誌」の百号記念で、投稿者の一人である私にインタビューする企画が持ち上がった。それで、東京に呼ばれたのだ。私が三十一歳の時である。
三十一にして初めての東京である。いや、東京どころか大阪から出るのも初めてである。ケンカで遠征するのも、せいぜいキタ止まりなのである。
そんな私が東京へ行くというのは、もはや海外旅行へ行くようなもんである。イケナイ過去を持つためパスポートをとれない友人たちからはマルコポーロ様≠ネんて呼ばれたりする。
で、早速、東京へ向かったわけであるが、乗り物はバスと決めていた。こんな場合はやはり、矢沢のエーちゃんみたいに「トラベリン・バス」で行くにかぎる。新幹線でとなりのサラリーマンとヒジかけのとりあいで、ドツキ合いをしている場合ではないのである。
ちょうど岸和田からすぐの堺から、「本の雑誌」のある新宿行きの深夜バスが出ている。堺といえば若い頃、家庭裁判所へ年中来ていたので庭みたいな所である。もうもらったようなもんである。堺からバスに乗ると、明日の朝には新宿に着いてしまうのである。新幹線みたいな、どっちが前だか後ろだかわかんないような電車に乗る必要はないわけである。
「きつい旅だズェ♪ おまえにわきゃるかいィ♪ あのトラベリンバスゥウにィ♪」
エーちゃんのように口をとがらせて乗り込みましたね、私は。バスの名前も、サザンクロス≠セもん。南十字星なんて見たことないけど渋いじゃないの、どこかの喫茶店みたいで。それに私の席は最前列だったので足が伸ばせる。「こりゃいいや」なんてすでに東京弁で言っちゃったりしてるうちに、バスは一路東京へと動き始めた。
――三十歳をこえたらバスはやめた方がいい。
ハッキリと言っといてあげる。夕方出て朝に着くの言葉に騙《だま》されてはイケナイ。その間には十時間ほどの長い退屈が待っている。
「寝りゃいいじゃないですか」
バカを言っちゃあいけない。私、こう見えてもデリケートである。たしかに顔はバリケードだが、心はすごくデリケートなのである。一人でも変な奴が横にいたりするともうアウトである。
私の横にはマラソンの増田明美似の女が座っていた。
いや、別に増田明美さんが変な人と言っているわけではないよ。私のとなりの席の女が、増田明美風だったというだけである。母親が増田明美似で父親が土偶だったら、こんな子供が生まれるんだろうなあ、と思える奴が座っていただけである。しかも女なのである。
「オレはなあ、深夜バスに乗った時がちょうど夏でなあ。横が早見優みたいな女やったんや。その女がタンクトップ一枚でなあ。ヒヒヒ。向こうに着くまでずっと腕と腕がひっついたまんまで……なんで腕に唇がついてないんか、神さんをうらんだで」
友人で、先に東京進出した通称ジョン万次郎様≠ヘ言っていたが、それはいちばん後ろの席である。ぐるりと後ろを振り返ると、そこだけが四列配置の席になっていて、たしかにその日も菊池桃子みたいな女が眠っていた。となりに座ったジェームス三木みたいなオヤジがうらやましい。それにくらべ、私の横は土偶である。まあ、前は三列配置の席だから、通路がある分、ピタリとひっつかないから良かったのであるが、またその土偶がよく動くのである。
夜中のゴキブリのように、たえずゴソゴソ動きやがる。
「えーい、特注のゴキブリホイホイにひっつけて、九竜《クーロン》まで流したろかあ」
と思いながら土偶を睨《にら》みつけると、決まって向こうと目が合う。
――キッ!! いやらしい人!
そんな目をした土偶ちゃん、何をするかと思えば、あわててブラウスの胸元を手で隠すのである。
私、怒りで顔が真っ赤である。
その赤い顔を見てよけいに土偶は、
「ほら、やっぱり覗《のぞ》いてたんだ。ア・タ・シの谷間」
なァんて足のウラ、いや顔をするわけである。
「だァれがオドレみたいな者のチチ見て喜ぶかいボケ。ワレのん見るんやったら道端で座りションベンしてるババアの尻《しり》でも見とくわい」
そう思って睨み返してやると、今度は土偶ちゃん、ゴソゴソと自分の全身をまさぐり始めてしまった。ブラウスの中に手を入れては「ウン」と一人でうなずき、靴下の中に指を入れてはうなずいている。
「ハハーン、この女、お金をバラバラに分けて隠してるな。小学生か、おまえは」
思いながらも、なんだか悪い奴ではないなと思ってしまった。いつの間にか私、ニコーと笑っていたらしい。
「やっぱり狙ってたんだ、あたしのお金とカ・ラ・ダ。一人でニヤついちゃって変な人」
キッとまたもや私を睨みつけた土偶ちゃん。靴下のお金やブラウスの裏のお金なんかを引っぱり出して、カバンの中に入れてしまった。
私、怒りで顔が青くなってしまった。
その青い顔がまたもやいけなかったようである。
「バレたもんだから青い顔してるわ。ザマミロ」
プイッと横を向いた土偶ちゃんは、カバンの中からマクラを取り出して眠ってしまった。町の発明家が考えたようなU≠フ型になった安眠マクラである。そして私の顔をもう一度睨みつけ、右手でそのマクラをしっかりと指差した。
マジックで自分の名前を書いてやがった。
負けた、と思った。もう何をしようがよけいに悪い方にとられるであろう。私はタメ息をつきながら窓のカーテンを少しあけた。夜の高速道路と一緒に、ガラスの反射を利用して私を睨みつける土偶ちゃんの顔が映っていた。キッと睨んだ彼女は、カバンをしっかりと抱きしめ、お互いに一睡もせずにバスは東京へと着いたのであった。
新宿駅到着時刻、午前六時である。私は東京まで新聞配達に来たのではない。それどころか、右も左もさっぱりわからないのである。
――とりあえずは誰かをカツアゲ、いや違う、誰かに道でも聞くか――
歩き始めた時、自動販売機の陰で黒いものが動いた。
東京はまだ、眠っていた。
*
新宿駅ルミネ前、午前六時。
無事にバスから降り立った私の前に、またもやあの女が現れた。
父は土偶、母は増田明美似だろうと想像できる、美術の教科書に出てくる岸田|劉生《りゆうせい》・画「麗子像」のようなオカッパ頭の女が。
私、バスの中ではドルチェのトレーナー上下という、ノンプロ・ヤクザが好みそうな服装でいたのであるが、やはりここは東京である。もう少し若人になってやれと、ジーパンとTシャツに着替えようとした。あとで「本の雑誌」のインタビューもひかえているし。
ちょうどいい具合に自動販売機があった。そこの陰でパンツ一丁になって着替えようとしたら、すでに先客がいたのである。
「麗子像」がU型安眠マクラの空気を抜いて、一カ所へ集めたお金をまたもやパンツやらパンスト、靴下などの各方面へ隠し直している最中だった。
――キッ!!
と、睨まれましたね、私は。着替えるために、すでにスウェットパンツは膝《ひざ》までずらしていたし。
――この人は「変」な人だけじゃない。変の下に「態」もつくんだ――
ワイドテレビみたいな幅広な顔面にそう書いてあった。あわてた麗子像≠ヘ持っていたソロバン塾の生徒用みたいなバッグに、枕からサイフからみーんな突っ込んで走って逃げてしまった。
あわてたのは私である。なんといっても逃げたんだからね、麗子像≠ヘ。逃げたいのはこっちなのに先に逃げられちゃった。
これはエライことである。
「変な大男があたしを犯そうとしたんです。こんな朝早くから」
なんて新宿署にでも駆け込まれたら災難である。まさか警官も、
「百%あんたの気のせい!! あんたと一発しなくちゃ死刑だと言われたら、本官なら笑って死を選びます」
とは仕事上言えまい。しかも土偶かつ麗子像≠フことだから、すでに犯《や》られたなんて言ってるかも知れない。私は身の危険を感じた。もし、こんな所で捕まったりしたら……。
――東京の留置場――
私の頭の中には、マレーシアやパキスタンのカラチ、オランダの山奥あたりの留置場の光景が浮かんだ。
――まったく言葉が通じない――
――すえたような臭いの中、腕に刺青《いれずみ》をいれたランニングシャツのワキガデブがウィンクをおくってくる――
――舌の上にカミソリをのせて笑う、汗っかきのヨガの行者――
逃げねばなるまい。一刻も早く目的地の本の雑誌社≠ヨと走らねばなるまい。急いで着替えた私は、ルミネ前から新宿の街へと足を踏み入れた。そして、世にも恐ろしい早朝の東京の顔を見たのである。
もう大阪へ帰ろうかと思った。
だーれも歩いてない街にはゲロとゴミが散らばっていた。そこにまた見たこともないような、どでかいカラスが集まっていた。カラスがあんなに大きいとは思わなかった。岸和田には、海ドリやお城の堀にアヒルはいるけど、こんな巨大なカラスは初めてである。
カァラスといっしょに♪ かーえーりーまァしょおー♪
なんて気分によくなれるもんだと思った。こんな人の顔を睨みつけてくるような、でっかくて黒い奴と一緒じゃいやだなと思った。しかも、そのカラスの群れの横には髪の毛をギトギトに光らせたバーテンらしき男がゴミを出している。カラスの横にギトギト頭。二日酔の朝に、ソースに濡《ぬ》れたビフカツと、冷えたマーボー丼を突きつけられたみたいである。さらにそのバーテンの顔が左とん平にそっくりなのである。
ケケケと笑うカラス軍団に、ギトギト頭の左とん平。そしてトドメをさすかのように五十メートル後方で繰り広げられる、オカマとヤクザのケンカ。五十メートルこちらから見ても、ハッキリわかるようなノドボトケを揺らしたオカマと、南州太郎のような声を出すヤクザだよ。南州太郎って知らない?「おじゃましまっス」て言ってたジャイアント・ロボみたいな顔のオヤジ。とにかくその二人が大声を出してケンカをしていた。
「なにがオカマは嫌いよお! あたしの身体見てチンチンの先からガマン汁出してたのはダレよ!!」
「バカヤロ!! あれは小便だよ、チンチンが勃《た》つような女を見て小便ちびったんだよ!!」
東京の人って、早朝からすごいこと言ってケンカするんだなァと思っていた。思っていたらピタッと大声がやんで、二人して私の方をじっと見つめた。
カラスも私を見ている。
とん平さんも見ている。
じっと東京が私を睨《にら》みつけてるような気がした。
「あ、あのすんませんけど……」
とりあえずはこの辺で道を聞こうかと思っていた。ちょうど良かったわけであるが、問題は誰に聞くかである。
オカマに聞けばやさしく教えてくれそうだが、横のオヤジが急にヤキモチをやき出すかも知れない。ヤクザに聞けばガマン汁≠フ口止めのためどこか遠くの国に連れていかれるかも知れない。かといってカラスに聞いても突っつかれるだけだしなァ。
とん平に聞くことにした。
「すんません。ちょっと道をお尋ねしたいんやけど」
私の声に、とん平は四回戦ボーイのように上目で睨みつけてきた。しかも顔面をたえずヒクヒクと引きつらせ、一人で脂汗をかいている。唇の横が白く乾いていた。
「兄ちゃん、ちょっと量、いきすぎたんとちゃうかァ? 切れ目の時にしんどいで」
とは言えまい。なにも本人がシャブをやったよ、とは言っていないのである。こんな時は早く話を切り上げるに限る。私は本の雑誌社≠フ住所を言った。
「あの、新宿の二丁目はどこですか」
「あんたが行くの?」
私の質問に、とん平はマユに縦ジワをつくって答えた。私の頭の先から、足の爪先までをじっとなめるように見つめていた。
「今ごろから行っても、誰もいないんじゃないの」
さらに、とん平が言った。誰かいようがいまいがほっといてくれと思った。一応到着時刻は告げてあるので、本の雑誌社≠ノは誰かいるはずである。
「いやいや、予約してあるから、二人ほど待ってるんですわ」
「へェー、二人も相手にするの」
「違う違う、相手するのは一人。もう一人は見てるだけ」
私はインタビューのことを頭に思い浮かべて言った。
「ほほう、すごいねそりゃ。へへへ、あんたもやるもんだね」
「いやあ、それほどでもォ」
とん平は、まあ頑張りなよ、と新宿二丁目への道を教えてくれた。人は見かけによらないものだと私は思い、とん平も同じことを言った。
当時の本の雑誌社≠ェ新宿一丁目にあったことと、二丁目は男が男の恋人を探す場所だと知ったのは、もう少しあとのことである。
雨が降り始めていた。
*
――雨が降っていた。
ギトギト頭のバーテンダーに道を聞いた私は、途中、何度も迷いながら、やっと本の雑誌社≠フ前に立っていた。生まれて初めて見る出版社のビルである。普通のマンションに間借りしていた……。
しかししかし、「本の雑誌」といえばれっきとした書評誌である。編集長は有名なSさんだし、社長だってその世界じゃブイブイ言わせているMさんである。
きっと部屋の中に一歩でも入れば、少数精鋭≠ネんて言葉がビシバシ伝わってきそうな雰囲気があるに違いない。そんなところからインタビューしてもらえるだけでも光栄である。そう思いながら編集部≠ニ書かれたドアをゆっくりとあけた。
そこには社長のMさんがタイコ腹を放り出して眠っていた。その横には目つきの悪い男がコンビニ弁当を黙々と食っていた。
マンションの一室。
眠っている社長。
目つきの悪い男。
コンビニ弁当。
これで部屋中にビデオの機械でも置かれていたら、ウラビデオの中堅会社である。○○企画と書かれた名刺でも出されたらエライことである。インタビューされたあとで変な男が二人ほど、恥ずかしいブリーフはいて出てくるかも知れない。
「おはようさんです。大阪のナカバですけど」
私は用心しながら声を出した。手はいつでも逃げられるように、ドアを持ったままである。
「ああ、ようこそ! どうぞどうぞ、一緒に朝食でもいかがですかあ!!」
目つきの悪い男は、はじけるような笑顔を見せた。社長のMさんもタイコ腹を隠して起き上がった。なんだか突然やってきた刑事と暴力団事務所の当番みたいであるが、私は部屋の中へと足を踏み入れた。
「まあ、とりあえずは朝メシでも食ってからと言うことで」
目つきの悪い男はHと言う、編集部のデスクであった。Hは、私に割り箸《ばし》を手渡しながら、
「ささ、ささ、遠慮せずに食べて下さいよ。疲れたでしょ、ささ」
と言うが、目の前に置かれた物はコンビニの弁当である。しかも残り物である。ちくわの天ぷらについていたらしき天カスや福神漬のハシッコが笑って私を見つめていた。このHという男、今現在も私を食事に連れていってくれたりすると、
「ささ、ささ、遠慮せずに食べて下さいよ。おかわり自由です」
などと言いながら、トンカツの下のキャベツを指差す男である。
そのHが、すごいことを言い出した。
「実はね、ナカバさん。ボクたち徹夜で眠ってないんです。それにインタビューは夕方からなんですよ。東京見物でもしてきたらどうです?」
――雨が降っていた……。
外は冷たい雨。しかも右も左もわからない東京である。
「どこか行きたい所、ありますかあ」
Hはたたみかけるように言った。行きたい所と言われても困ってしまう。私が知ってる東京といえば、テレビでよく見る「新宿歌舞伎町交番24時」のコマ劇場前と武道館ぐらいである。
「いいですねェ武道館。雨にけむる武道館。わかりましたあ」
あっという間に地図が二枚出てきた。一枚は武道館までの地図で、もう一枚はホテルの地図である。
「東京見物したついでに、ホテルのチェックインもしといて下さい。じゃあそういうことで」
Hの言葉を聞きながら、私は涙が出そうになっていた。二枚の地図とも手書きである。真っ白な紙にポツンと黒い点があり、現在地≠ニ書かれている。そのはるか上の方にも黒い点があり「ココ」と書かれている。道も何もない。あるのは点と点を結ぶ線が一本だけで電車≠ニ書かれていた。私はなにもエジプトの人に「ピラミッドはどこですか」と聞いているのではない。
「絶対に返して下さいよォ」
私はHにホネの折れたこうもり傘を借り、雨の東京へと舞い戻った。
東京はすごい所である。
電車に乗っていりゃ必ず着いてしまう。武道館がどこにあるのかわからなくても、人に聞きながら電車に乗ると必ず着いてくれるのである。ただし私が聞いた人はみーんな東京の人ではないらしく、武道館に着くのに三時間もかかった。東京から大阪城に行くのと同じである。
私、この時、武道館に行って、どこかで昼飯を食べて、靖国神社へも行ったりしているのであるが、ハッキリと覚えてはいない。
「人間は嫌なことを忘れようとする動物である」
と、うちの近所の結婚サギ師のケンゴ君が言っているが、たしかにそうである。私がうっすらと覚えているのは、靖国神社の神様に、
「難しいことは言いません。今日一日、今日一日だけでいいですから、無事に終わりますように」
と生まれて初めて頭を下げたことだけである。
気がついた時にはホテルのロビーに立っていた。すでに日が暮れていた。うつろな目にきたないバッグという、訪問販売のオカキ売りのおねえちゃん状態になっていた私に、一人の男が近づいてきた。
「お荷物、お持ちいたしましょうか」
男はサンダーバードのような帽子をかぶって私のバッグに手を伸ばした。
「さわったら、死ぬ前に殺すど」
言ってやった。いくら東京へ来てボロボロの状態になっていても、自分がいつも大阪でやっていることをやられたくはない。私は男を睨みつけたあと、ホテルの受付のおばちゃんを探した。しかしおばちゃんもいないし、受付だってない。
「そうか、ここはラブホテルと違うんや」
気づくとまたよけいに緊張してきた。ラブホテルなら年中行っていたから知っていた。人間洗濯機の中に入ったこともあるし、透明の浴槽にキンタマをひっかけて「シイタケの裏側」なんて言って女にひっぱたかれたこともある。
しかしここはシティホテルである。やってることは一緒でも、一応気どっていやがるホテルである。誰にも会わずに矢印の方向に進めば部屋に着くなんていう便利な物はついていない。
「今から帰ります」なんてフロントに電話したら笑われるホテルである。
「あ、あのナカバですけど」
「はい、少々お待ち下さい」
若いフロントのおねえちゃんはシッカリと客と目を合わせ、そして言った。
「メッセージをお預かりしております。本の雑誌社≠フH様がすぐ来てほしいとのことです」
私はまた雨の東京へ舞い戻っていった。
*
目の前の鉄板で、ジュウジュウと肉が焼けていた。
無事にホテルのチェックインをすませた私は、もう一度夜の新宿に舞い戻っていた。インタビューも終わり、本の雑誌社≠フ人たちに焼肉屋に連れてきてもらっていたのである。
「どうもお疲れさんでしたァ。ささ、遠慮せずに食べて下さい。ささ、ささ」
編集部デスクのHは嬉《うれ》しそうな顔をしながら、私の前へと大きな皿を突き出した。笑うと中国・福建省あたりに中古バイクを売り飛ばしているブローカーに見えるこの男、どうも私のことが嫌いなようである。
大皿の中にはキャベツしか入っていなかった。またである。朝は福神漬のヘタで、夜はキャベツの大盛りである。先に、こやつがいまだに「おかわりして下さいよ、ささ」と言ってトンカツの下のキャベツを指差す、と書いたが、ついでにもう一発書いてこましてやろう。
先月私が東京へ行った時もこのH、
「東京一、寿司のうまい店に行きましょう、ささ、ささ」
と言って、昼と夜のちょうど中間に寿司屋に連れていってくれた。
そんな時間に店が開いているワケがない。
「あれえ、おかしいなァ。開いてねェや」
ニカリとHは笑いましたね。わかっているくせに。で、その後は定番コース、東京で二番目にうまい店、三番目にうまい店、とずっと歩き続けるわけである。東京で二十番目にうまい寿司屋のシャッターを見た頃であろうか、
「もうなんでもええわ、食べる物やったらなんでもOK」
私が言ったら、またまたニカリとHは笑いましたね。カタにはめてこましたった≠ニいう顔をして。
結局は駅前のうどん屋である。
「やっぱ関西の人はうどんでしょ、ささ、遠慮せずにおかわり言って下さいよォ、ささ、さささ」
テーブルの上の七味とネギを指差して言いやがる。しかし、この会社、Hだけがそんな奴ではないのである。
「ナカバくーん、遠慮なんかするなよォ。クワガタ虫じゃないんだから、肉も食えよ。ホラホラ、ホォラ」
焼肉の煙の向こうで、社長のMさんがハシで肉を転がしてくれた。アスファルトのように黒くこげた肉ばかりが私の前に集まっていた。どうやら社風のようである。
しかしまあいいや、焼肉が終われば「どうですか、少し強い酒でもいっちゃいますか」なんてことになるに違いない。
甘かった……。
「じゃ、ボクたちは仕事がありますので、これで」
みんな帰ってしまった。また一人ぽっちの東京である。雨が降っているのに、傘まで取り返されてしまった。もうこうなりゃグレるしかない。現役に戻ってこましたる、である。
「まっすぐホテルに帰るんだよ、夜の新宿はあぶないから」
社長のMさんも言っていた。
「おもろいやんけ、こちとら朝、昼、晩、夜中と一日中あぶない街で育ってんじゃい」
と決心した。思い切り暴れてやる。チャカでも青龍刀でも偽造テレホンカードでも持ってこい。
「オレは本の雑誌社≠フHじゃい! いつでもヤマ返しに来んかい、おう」
なんて大声で言ってやろう。そうすりゃあとで「多国籍軍」がHのもとへと押しよせるだろう。その頃は私、大阪に戻っているだろう。で、Hに言ってやる。
「ささ、遠慮せずに。ささ、ささ」
てね。
「とくにF≠ニいう喫茶店なんか行かないようにね。店の中で変な視線を送ってたら教育的指導を受けちゃうよ」
とHが言っていた所から攻めよう。行って店の前で「小指の思い出」を大声で歌ってやる。
私は小雨を肩で切りながらF≠ヨと向かった。一時間もかかった。まあ、道に迷ったんである。
いやあいるいる、ウジャウジャいました、怖そうな人ばっかりが。
F≠ノ着くまでにも街の角々に立ってるの、携帯電話持ってる目つきのすわった人たちが。携帯電話といっても今みたいにコンパクトなサイズじゃない頃である。良くて掃除機の先っちょサイズで、ヘタすりゃお得用シャンプーのポンプサイズはあった頃である。それでいて電池がすぐになくなるから、持ってる人は少ない。すぐにスクランブル発進しなくちゃならない職業の人たちだけが持っていた時代である。
「さぁてと、まずはメンチでも切りまひょかいな」
私、F≠フ窓に顔をひっつけて店の中を睨《にら》みつけてやった。大阪の人、F≠ニいう店はキタのA≠ンたいな店だよ。そうそう、来る客がみんなうるさい人ばかりだから、店の従業員がテキパキしているところ。
――ギン! ギン!――
サーチライトのように店の中を覗《のぞ》く私に、敵は思わぬ方向からやってきた。ポンポン、と突然肩を叩《たた》かれた。
「てめえ、シメサバにしちまうぞ」
あわてて振り返ったところに、見たような顔があった。
「金《キム》さん!」
「いよっ、久し振りやんかいさ」
油断なく立っていたのは、数年前から行方不明になっていた、金原さん、通称「遊び人の金さん」だった。
この人、生まれつきの遊び人で、仕事なんかしたことなかったのだが、父親が死んで家業のマッサージ業をついだ。ごく普通の、待合室があって順番が来たら、年のいったババアに揉《も》んでもらうマッサージである。ところが金さんが社長になってから、少し変わり出した。
まず待合室にビデオが投入された。今までプロ野球が映っていた待合室に「洗濯屋ケンちゃん」やら、スウェーデン直輸入ビデオが流れ出したのである。あとはもうお決まりのコースである。
客層が急に若くなり、待合室からマッサージ部屋への廊下を、客どもはナナメに歩くようになった。ビデオを見たあとだからね。
「他のこともしますか?」
内モモをさわられて言われたら、いくら相手がババアでも「うんうん」なんて言ってしまうのである。ナナメに歩いた直後だから。
ただこの金さん、事業を拡大しすぎてしまい警察に嫌われてしまった。あげくに組長さんの娘を店で働かせていたから、両方から追われるハメになり、年上の女房と二人、ある日突然、姿を消した。
「今もこっちでやってますのん?」
私は手でモミモミをしながら聞いた。
――そんなうまいこといくかいな。
ちょっと暗い顔で金さんはタメ息をついた。
「東京はな、深呼吸してる奴が、いちばん多く空気を吸い込んだ時に……」
「時に?」
「プスッとピストルで撃つようなところや。血も出れへんわい」
金さんは肩をおとして言った。
「おまえもな、ゆっくり静かに息吸えよ、オレみたいにシメサバにされるど」
「シメサバかァ……」
やれるもんならやってみろ、私は夜の新宿を睨みつけていた。
[#改ページ]
天才は、反省しないものである。
生まれて初めて反省をした。
今まで反省したフリは数多くあったけど、本当に反省したのは初めてである。
思い返せば二十二歳の春、ちょっとした飛び道具を手に入れ、山に向かったことがある。たしかナベ山≠ニかいう岸和田にたったひとつの火山だったと思う。
夜中の火山。車のライトに浮かび上がる空き缶が五本。手元には飛び道具が二丁。
「まずは、オレとチュンバが撃つわい」
ツヨシは片目を閉じ、口を歪《ゆが》めて、空き缶に照準を合わせた。
――一缶につき五万――
賭《か》けをしていた。
「ほな、いくでェ」
元自衛隊のツヨシはペロリと自分の唇をなめると、レンコン式の飛び道具の引き金をしぼった。
見事である。五本中、三本の空き缶が宙に舞った。5×3=15。もし私が一発も当てることができなければ十五万円を払わねばならない。
自信はまったくない。
「空き缶は、撃ち返さないからな……」
不敵に笑った私は、「燃えよドラゴン」のブルース・リーがオハラに言った言葉「板は殴り返してこないからな」をマネて言った。
そして私は自分の持っていた自動式飛び道具の銃口をツヨシに向けた。こやつさえいなければ十五万の出費はまぬがれる。
「コラァ! 人に向けるな。あっぶないやんけ!!」
「ヒヒヒヒヒ」
と、ここまでは、すべて冗談のつもりだった。
自動式の飛び道具の引き金というものは、チョコンと指を触れただけでアウトだなんて知らなかった。
――パム! パム!
勝手に二発も出てしまった。
ツヨシのたったひとつの自慢だった福耳がどこかに飛んでいた。ヒィヒィと嬉《うれ》しそうにのたうちまわるツヨシを見下ろしながら、私は反省すらすることはなく言い放ったものである。
「おまえ、反射神経悪いのォ、これぐらい避《よ》けいよ」
と、まあ、これはフィクションであるが、私は反省しないたちなのである。
だからフィクションだって。つくりバナシ。ウソだと思うんならツヨシに聞いてみろ。死人に口なしって言葉を思い出すだろう。
そんな私が何に反省したのか。問題なのは競輪場である。
といっても、場内のオデン屋で、店のオバハンがよそ見したスキに、鍋《なべ》の中に手を突っ込み、
「なんやァ、この玉子とオアゲさん、つぶれてるやんけ」
と火傷《やけど》をしてまで握り潰《つぶ》したものを値切ったことを反省したのではない。
競輪場の中で、ある人と会ったのである。父である。
私はよく「父はすでに死にました」とか「二代目ロッキー青木をユメ見てアメリカへ渡りました」などと言ってはいるが、実のところ今も近所で生きている。七十歳になって今なお遊び人≠ナある。私は生まれてからこれまで、父が働いているのを見たことがないのだが、最近ではそれはそれで、なかなかシブイのではないかと思い始めている。
「どや、そこらで一杯やらへんか」
私を見つけた父は、照れ臭そうに言った。父と息子、二人で酒を飲むなんて結構、勇気がいるものである。
「そう言うたら、お父《と》んと飲んだことないのォ」
「そやろ、行こ行こ。ワイの顔で、おまえのオゴリで」
父は嬉しそうに言うと、先に歩き始めていた。
向かったのは、近所の立ち飲み屋である。私、どういうわけか立ち飲み屋が大好きである。
きたなく長いコートを着た上に、毛糸の帽子をかぶり、丸くて黒いサングラスのオヤジが、
「オレって、レオンのジョン・レノンみたいやろ」
と、おっさん違うやんけと言いたくなるようなことを言っていたり、
「徳を積みなさい徳を。男は徳を積んで大きくなる!」
と言いながらスルメを自分のポケットにせっせと入れる老人がいたりする。
「ここでええやろ」
父がノレンをくぐりかけて振り返った店は、私が年中行ってる店であった。
「いらっしゃい!!」
入ると店の跡取り息子がタバコをくわえて大声を出した。
「おろろ、なんやタバコOK出たんかい」
今年で十八になる息子は、店の主人の顔を盗み見るようにしてコクリとうなずいた。
「まあ、外で吸うんとちゃうしな。店の中はOKしたったんや」
店の主人はビールを一本とコップをふたつ出しながら言った。父が笑いながら私のコップにビールを注いだ。
「なんか、照れくっさいやろ」
店の息子に言いながら、私は父からビール瓶を奪い取ると、父のコップに注ぎ返した。
「おまえも照れ臭かったか」
チンとコップを当て、父は一気にビールをノドへと流し込んだ。
私が父の前で初めてタバコを吸ったのは、中学の時だったと思う。何故か尻《しり》の穴がこそばゆいような、なぜ父のようにサマにならないのかが、悔しいような複雑な気持ちだった。
「まあな……」
言いながらタバコをくわえる私に、父はマッチを擦って火を差し出した。いまだにマッチの擦り方だけは父のようにカッコ良くいかない。
「いつもは別々やけど、二人がうちで顔を合わすんは、何年振りや」
「三十二年ぶりや」
店の主人に「さあ?」と言いかけた私を遮るように、父はハッキリと言った。
「よう、覚えてるのォ」
「当たり前じゃい」
三十二年前、この店の中で私は父にドツかれたらしい。酒ばかり飲んで家に帰らない父を迎えに行った当時六歳の私は、
「男のグチはみっともないで」
と言ったという。おそらくテレビのマネをしただけだろう。
「あれはきつかった……」
白髪の頭をポリポリかく父を見ながら良く考えると、当時の父は三十八歳。今の私と同じ年である。
グチッてばかりである。
思うようにいかない毎日。自分のことなどおかまいなしに進む周り。置いてきぼりになるんじゃないかという不安。酒を飲むと三十八歳の私はグチッてばかりいる。
「まあ、気にすんな」
父はツマヨウジをくわえて外へと出た。外では小さな子供が母親にぶたれていた。
「えらいのォ。子供をどつける母親がまだおったか」
目を細める父の前で、その母親のひと言。
「トシオ! あほかアンタは! トシオ!!」
父と同じ名前のガキであった。
「こらあ! やめんかい! 幼児虐待はすなオバハン!!」
若い母親にコブラツイストをかける父を見ながら、今さっき反省したことを私は深く反省していた。
[#改ページ]
百戦錬磨
――芝生に入らないでし[#「し」に傍点]ださい――
白い木製の立て札には、そう書かれていた。
「なにがしださい≠竄ヒん。ください≠竄がい」
友人と待ち合わせをした公園のベンチで寝転びながら、私はぶつくさ言っていたわけである。
夜である。周りのベンチはアベックだらけである。
――夜の公園、アベックを襲う少年グループ――
スポーツ新聞を手に持った友人は、
「襲ってほしいのォ。オレは半年ほど入院するから、お前はガキどもをつかまえて親を引きずり出してくれや」
そう言って夜の公園で待ち合わせを決めたわけである。
「誰が男同士を襲うかい。気持ち悪い言うて逃げてくわい」
大きなあくびを連発する私の前に、突然、人影が現れた。
友人ではない。少年グループでもなかった。一人の老女、ドテラを着込んだババアである。そのババア、手押し車を押して包丁を片手に私の前を通りすぎると芝生の前に立ち止まった。
「兄ちゃん、わたい今からこの包丁でノド突いて自殺するから、あとは手押し車に乗せて好きな所に運んでや」
そんなことを言われたら、どうしようかと考えていた。ババアはいらないけど、あの手押し車は欲しいなあとも考えていた。
するとバアさん、包丁をえいや≠ニ芝生に突き立てると、ザクザクと切り取り始めてしまった。あっという間である、芝生が四角に切り取られるのは。
一枚、二枚……五枚ほど手押し車に積んだであろうか。ババアは「ほんま、ええ芝生や」と帰っていった。
「老人を大切にしましょう」なんて若い世代が能書きたれてるうちに、あの人たちは地力をたくわえているらしい。
私は去っていくババアの背中に深々と頭を下げていた。
「おかげでコラムのテーマが浮かびました。盗みについてを書かせていただきます、先輩」
盗みについてである。
年末年始にはもってこいのテーマである。そしてこのテーマにもってこいの人、それは小鉄大先生であろう。
法治国家といわれる日本において、
「モノは買うものではなーい」
と、いち早く宣言したヤロウである。
交番に停まっているハイカブ(警官用黒バイク)からキャブレターを盗んだのをはじめ、小さなモノなら電車でイネムリしてる人のダイヤの指輪、大きなモノなら美しい皮をもつワニさんまでと守備範囲は広い。またその技術力も高い水準を誇っており、窓から顔を出してバックしている車のフロントグリルをはずしたり、信号で止まった車の右側面から車体の下へともぐり込み、左に出てきた時にはマフラーを肩にかついでいるとさえ言われている。
この小鉄、万引きするのでも普通とは違う。まずは狙ったスーパーや百貨店に行くと必ず保安係を探す。
安全を保つと書いて保安係。一般客と同じ服装で一日中店内をウロウロし、万引きしそうな奴を見かけるや物陰から万引き現場を確認し、店の外に出た瞬間に声をかけるという、歩くねずみとりみたいな人たちである。
小鉄はまず、その人たちを探す。
「そんなん、どないしてわかんねん」
と聞くと意外な答えが返ってくる。
「挙動不審な奴を探すねん」
万引き犯に挙動不審と言われる保安係も大変である。しかし、言ってることは的を射ている。
「まず目つき。あいつら人を疑うとこから始まるから、いやらしい」
なるほどである。人を見たらドロボウと思え。反対に万引き犯は「誰も見てない」と信じるところからスタートするらしい。
「それと、あいつらは品物を見てても、値札は見れへんから」
さらになるほど、である。客は品物の値段が気になるが、保安係は値段より客が気になる。
さらにもうひとつ、ここには書けない判別法で保安係を見つけるや、小鉄は万引きを開始する。しかも保安係の目の前でする。
これはもう、あからさまな挑戦である。が、しかし、小鉄にはさっきも書いたように高水準の技術力がある。たしかに五分前よりか体全体がふっくらとしているのはわかっているのだが、現行犯で押さえないと保安係は人をとめられない。
「おたく、五分で太りはったけど、ズボンやら体に巻いてんと違うかあ」
それでは別室に引っぱれないのである。いや、一度だけ見切り発進でやったことがあった。
「ちょっと君、そのコートの中を見せてくれないかなァ」
その店の女性保安係は小鉄を別室へと案内した。連日万引きしているのはわかっている。いつも太って帰るし、太った分の品物が減っている。
「君も一緒に来て」
私も呼ばれて別室へと入った瞬間、
「どうぞ!!」
と小鉄はコートの前をひろげた。女性保安係の顔がしてやったり≠ニなった。
「これは何!?」
小鉄の腹に巻かれたジャンパーを女性保安係は指差していた。
「君はジャンパーを腹巻きにしてるの」
「いいえ……」
「じゃ、これは何! 何! 何!」
「温めてあげてるんですわ」
ジャンパーは私の物である。女性保安係は小鉄ばかりを見て、私を見ていなかった。
「今日くらい、仕掛けてくるぞ、あのオバハン」
と言って私のジャンパーを腹に巻いた小鉄の勝利である。
「まあ、気にすんなや」
小鉄はそう言って、また連日の万引きである。しかし女性保安係はやりにくくなった。あやしいと思っても、もう見切り発進はできない。
「これで……、もううちの店には来ないで下さい」
現金入りの封筒が出された時、私は初めて小鉄の怖さを知った。一日に回った店の数は八つである。八店すべてで毎日万引きし、八店全店から封筒をもらったのである。
「出されたもんは、オレは受け取るで」
小鉄は八つの封筒を受け取ると、次の日もまた同じ店に顔を出した。
「きのう渡した物、もう使こたんか」
「なんのこっちゃあ!!」
そんな小鉄をつかまえたのは、あの女性保安係である。
「あのオバハンやめたんかのォ」
小鉄は新入りの保安係ばかりを見て、私を見ていなかった。
「やったあ!! やったあ!! つかまえた!!」
私と同じジャンパーを着込んだ女の人が、小鉄の真後ろについてすぐだった。時計の値札を足で踏みつけながら、小鉄もニガ笑いをしていた。
そして――
「こらあ芝生ドロボウ! 堂々とせんとコッソリせんかい」
二十年振りに御対面の、年老いた女性保安係に私は大声をはり上げていた。手押し車が少し止まったような気がした。
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HEY! タクシー!!
ついこの間のことである。
うちの母が外出先からタクシーに乗った。外出先といってもほんの目と鼻の先で、まあ歩いても十分かそこらの距離である。タクシーならワンメーターで着いてしまうであろう。
「あん!? なんやてオバハン」
タクシーの運ちゃんは言ったらしい。
「磯《いそ》ノ上町《かみちよう》まで頼んますわ」
「チェ……」
たかがワンメーターぐらい、歩けよクソババア。そんな顔をして舌打ちしながらタクシーは発進した。もちろん運転は荒い。こんな客早く降ろして次の客を狙おうか、そんなことを考えていたのであろう。私の家へ入る道を通りすぎてしまった。
「あらら、今の道を右に曲がらんと」
「次を曲がるがな」
「へえ」
次の道は一方通行である。
「曲がれんど、オバハン」
「どないしまひょ」
「ここから歩け」
ここでうちの母はプチンとキレてしまったらしい。以前働いていたドラム缶工場では、トラックの運転手たちに安全靴でケリをいれていた女である。近所の兄《あん》ちゃんが刺されて帰ってきた時、飛び出した腸を見ながら、
「今晩はホルモンにしまひょか」
と、夕食の献立を思いついた女である。
「ところがどっこい、サイフが家の中ですわ」
と、運ちゃんを家におびきよせる作戦に打って出た。もちろん運ちゃんはお金をもらわないと商売にならないので、ブツクサ言いながらもUターンして、家の前までついてくる。
「ここかオバハン、きたない家やのォ」
「すんまへんなあ。まあ入ってえな」
「早よ持ってこいや」
運ちゃんと仲良く玄関へと入り、
「お客さんやでェー!!」
と、母は大声を出した。
――お客さんやでェ――
うちの家では母がそう言って誰かを連れてきた時は、
「気に入らん奴連れてきたから、息子よ、遠慮せずにボッコボコにしてまえ」
という意味の暗号になっている。
その声を聞いた私はまず玄関へと顔を出し、お客様の全体像、そして顔、雰囲気や目つきなどを確かめたうえ、
(1)素手――
(2)柱の上の木刀――
(3)電話の下のナタ――
(4)少しはなれた場所に埋めてある○〇○――
のどれかに決めて最適なおもてなしをすることになっている。
「さあてと」
その日のお客様は(1)から(4)のうちのどれだァ、と私はゆっくりと立ち上がり、玄関先へと顔を出した。
「どれどれ」
「ああ――!!」
「ああ――!! 待てコラ福田――」
玄関先にいた顔は福田≠ニ私が呼んでるタクシー運転手だった。福田は私の顔を指差して大声で驚くと、踵《きびす》を返して逃げてしまった。
福田則彦――
その男が運転するタクシーには、以前私も乗ったことがある。その時、福田は事故を起こし、ケガ人である私を病院に置いてきぼりにして逃げたのである。
きっかけは女だった。しかもこのコラムの読者である女だ。
――いつも楽しく読ませてもらっております。(中略)私は中場さんのような方が大好きです。(中略)ぜひ、私たちアウトドア派たちと一緒に、自然を満喫しようではないですか――
こんな感じの手紙をもらった。字がすごくきれいだった。
「結局はキャンプかなんかの誘いかいや」
私は女から手紙をもらった嬉《うれ》しさから、つい友人に手紙の内容を喋《しやべ》ってしまっていた。
「そやろのォ。なんか知らんけど、山に行って鍋《なべ》をやりたいらしいど」
「どないする気ィや。行くんか?」
鍋なんか山でしなくても店で食えよ、とは言わない。なんといってもアウトドア派の女たちからの誘いである。「派」である。派ということは風味ぐらいのものであろうから、アウトドア風味の字のきれいな、私のコラムを読んでる女たち。
ロクな女じゃねえやな。
今ならそう思うのであるが、その時はタナボタだと思っていた。もともと、女には目のない方である。
「鍋っていうぐらいやから、うどんでも買うていくかあ。女とうどんをチュルチュルと。ついでにボクにもチュルチュルと」
銀行の課長あたりが言いそうなことを言いながら、私と友人は待ち合わせの場所である大阪は梅田、紀伊國屋書店前へとうどんをクーラーボックスに詰め込んで出かけたわけである。
休日の紀伊國屋書店前である。もう女なんかコンテナに詰め込んで輸出したいくらい、一杯いる。
「どの女やろのォ……」
「あいつと思うけどのォ。違うかな!?」
私と友人は美人から順に、期待をこめて目線を送っていた。何回目線を送ったであろうか。たしか二百六番目あたりの女性が私たちの目線に気づくと、
――ニカ〜
と笑った。ちょうど泉ピン子がすっぴんで胃がシクシク痛んでいるような顔の女である。
「…………」
その女は歯ぐきで笑いながら、一直線で私たちに近づいてくると、
「中場さんですか」
と言った。
「いいえ、違います」
私はちぎれんばかりに首を振り、友人と二人バックで歩いた。その女の後ろには二百七番目から二百十三番目あたりがタムロしていた。
私たちはバックで階段を下り、また登り、一台のタクシーに乗り込んだ。
「流行《はや》ってますのん? バック歩き」
そのタクシーの運転手が福田だった。福田則彦と写真付きの身分証明書が立っていた。
「とにかく逃げて。ミナミに逃げて!」
「あいよ!!」
福田は猛スピードで逃げてくれた。そして、猛スピードで電柱へとぶち当たってくれた。私は後部座席から前まで飛び、頭でフロントガラスを叩《たた》き割ったらしい。
気がついた時は病院の長イスに寝転んでいた。
「ここ、どこや」
「病院や。先生がおらんらしいわい。待たされてんや」
「運ちゃんはどないした?」
私はタクシーの身分証明書の顔を思い出しながら、立ち上がろうとした。
「動くな動くな、血ィ出てるから」
どうやら頭をかなり切ったようで、やさしい友人はクーラーボックスの中のうどんで冷やしてくれていた。頭とうどん、血だらけである。
「運ちゃん体がはさまってたから、次の救急車で……あっ来た来た」
そこへ福田が運ばれてきた。
「うわあ! お客さん脳ミソ出てまっせ」
「これはうどんじゃい」
私は笑いながら福田を見た。身分証明書とまったく違う顔の福田≠ェ私を見ていた。
「あれェ?」
「ヤバイ!!」
今日も福田はタクシーに乗っているであろう。違う名前で。
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身体は憶えている
生まれて初めて、というのはナカナカいいものである。
とくに生まれて初めてのことをしてしまったあとの女なんか、血のついたベッドシーツを恥ずかしそうに浴室に持っていったりしていいものである。
「見ないでェ、恥ずかしいからァ」
背中を丸めてベッドシーツを洗っている後ろ姿を見た時には、脳ミソを持ってない我が息子はまたまた突撃態勢になったりしたもんである。
ところが、である。
生まれて初めてが終わって、そこに慣れ≠ェ入ってきたりすると、そうはいかない。
「終わった、終わったあ。さあてとォテレビでも見るう?」
大あくびをしながら、リモコンをピッである。私が恥ずかしいモノのついたベッドシーツを持って、浴室に行かないといけない。
「おまえよォ、このごろ『ダッコしてえ※[#ハート白、unicode2661]』とか言わんようになったのォ」
「バァーカ。頭のチャンネルも切り替えなさい」
リモコンをピッと私のオデコに向けやがる。「こんな女に誰がした」と言うが、私はそんな女にした覚えはない。勝手になっちゃったくせに。頬をぶったら、シクシク泣いてたくせしやがって。今では蹴《け》り返してくるし。
くそお、覚えとれよォ。
と、ここまで書いたところで、今回のコラムの趣旨から、かなり横道にそれてきたので元へと戻す。
生まれて初めてはいいと書いたが、悪いものもある。私の場合、食べ物である。
生まれて初めてのモノを食ったら、百%必ず下痢をしてしまうのである。
例えばこの間、うちの母がイチゴを出してくれた。イナゴじゃないよ、イチゴだよ。今どきバッタを食いながら、
「白髪はかしこい人がなるっていうけど、ありゃウソだねェ」
とテレビの関口宏を指差してる家庭なんかない。
そのイチゴに練乳がかかっていたわけである。もちろんイチゴは食べたことがあるけど、練乳は三十八年生きてきて初めてであった。
ヤバイ――といつもなら思うのであるが、イチゴの上にウネウネとかかる練乳を見た時、
「オレも、やっと……ここまできたか」
目の前のステイタスシンボル、練乳に涙しながら食ってしまった。
うまかった分、あとがつらかった。
スパゲティもそうである。近所のレストランと呼ぶには気恥ずかしいけど、大衆食堂というには少し高級な店でスパゲティは何十回と食っていた。ところが、東京で結構有名らしい店で食ったらアラ大変、夜通し下痢状態である。犯人はオリーブオイルだろうとみんな言うので、帰って早速、近所の店のオヤジに聞いてみた。
「オヤジィ、オリーブオイルって知ってるかあ」
「おう。海水浴に行く時は、必ず持って行くかんな」
「…………。いつもスパゲティやる時、何の油で炒《いた》めてんねん」
オヤジは、こっそりと言いましたね。
「スパゲティって、炒めんのか……」
茹《ゆ》でただけのスパゲティを長年食べ続けてきた私が、オリーブオイルに勝てるはずがない。
そういう私のクセを知っているWPBの担当君は、いつもいい店へと誘ってくれる。
「北京ダックでも食べますゥ?」
「フカヒレのうまい店を知ってるんですが……」
「ええ!? ハンバーガーもだめなのォ。ハナシになんないねェ、田舎者ォ」
何度、カカト落としをくらわしたであろうか。何遍、首を絞めてオトしてやったであろうか。
「どうです、ここで伊勢エビでも?」
先日、大阪は法善寺《ほうぜんじ》横丁で担当君が言った時も、すでに私の右足は彼の股間《こかん》にめり込んでいた。
「ワレなァ、何遍も同じ事、言わすんやないどコラ。オレは初めての食いもんは……」
そこで、ハタと気づいたのである。伊勢エビなら十日前に食っていると。それは女が買ってきたモノで、かなりの安物であった。
「ほたら、今日は高い伊勢エビ、食うたろやないけ」
一度下痢したものには、二度と下痢しないのも私の特徴である。
「いやいや、冗談です! 伊勢エビよりタコ焼きの方が」
「やかましい」
しまったとあわてる担当君を無理矢理店の中へと引きずり込み、私は、しばらくエビの姿さえ見たくないほど食べまくった。
そして事件は起こった。
店を出た時にはなんともなかった。むしろ腹が痛いと言い出したのは担当君の方で、
「アホめが。伊勢エビのヒゲまで食うからじゃい」
と、パチンコ屋の便所に駆け込んだ彼を笑ったりしていた。私同様、パンツまで脱がないとクソができない担当君のズボンとパンツを預かり、女性トイレの中に隠して帰ったところまでは良かった。
途中、女の家に寄った。寄って、彼女が近所へ買い物に行く足≠ニして買った、ランエボに乗ってドライブに出かけた。
「おまえなァ、何キロで買い物に行くねん」
「さあ、あたしメーター見てないけどォ、突然ガクンとスピードが出なくなるまでェ」
そうか百八十キロでネギを買いに行くのか……ドアホ! と運転をかわった時である。
キュルルルル――
おなかの中で音がしたと思った途端、脂汗まで出てきた。一気である。すさまじい勢いの土石流が、ケツの穴<_ムひとつで持ちこたえてるような感じである。
「どうしたのォ、また初めてのもの食べたのォ」
「おかしいな……伊勢エビ……こないだ食べたはずやのに……」
「ごめーん、こないだのはザリガニなの。そっくりだからわかんないと思って」
おのれ騙《だま》したな、と思っても手遅れである。すでにダムは決壊寸前であり、女のマンションへ戻る時間も許されない状態だった。
こうなりゃ、野グソしかあるまいと場所を探したが街中である。以前小鉄が腹が痛いと高速道路で言い出した時、
「おう、そこでやれ。車で隠したるから」
と路肩に車を寄せ、彼がズボンをずらしてかがんだ瞬間、ゆっくりと車を走らせたことがあった。彼はかがんだまま、ヨチヨチ歩きで車と一緒に歩きグソをしたのであるが、きっとそのバチが当たったのであろう、なかなか適当な場所が見つからない。
ダムはぷるぷると震えていた。
神様仏様、一瞬でいいですから私を犬に変えてください。シートからお尻《しり》を浮かせて運転する私の前に、願いが通じたのか、公園が出現した時は、正直言って涙が出そうになった。
「ひゃー、ひゃあー、ひゃああー」
嬉《うれ》しさと便意に身をよじりながら私は車を止めた。しかし、後続車は止まらずに車のケツにぶつかった。
ダムは木《こ》っ端微塵《ぱみじん》に壊れていった。
女はそれから、口もきいてくれない。
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あの日流れていた矢沢永吉
二カ月ほど前、突然、出張に行っちゃった友人が釈放、いや、無事に帰ってきた。
噂によると、冷たいお薬をやってた市バスの運転手さんや、股《また》の間にヤバイハッパ入りの袋をぶらさげて、「オレは脱腸だあ」と空港で叫んだ商社マンの方たちと、出張先の少し大きめのカプセルホテルで一緒だったと言う。土産話を聞かねばなるまい。
「よおっす、おかえりィ。裁判はいつやあ」
と部屋の中にあがり込んだ途端、
「シィー……」
友人は故・天知茂のように眉間《みけん》にタテジワをよせて、人差し指を口のところにあてがっていた。
「なんや……ど・な・い・し・た?」
何が何やらわからないまま、私は抜き足差し足忍び足で歩いた。
「今、ビデオを録《と》ってんねん。あと一時間ほどやから、喋《しやべ》るなよ」
念を押すような小声を出しながら、友人はテレビ画面を指差した。
私は画面に映っていた「鬼平犯科帳」をプツリと消して言いましたね。
「ちょっとここに座りなさい」と。
「おまえ、またアノ薬とアレとを同時にやってもうたな」
大きな声で言えないセリフも言ってやった。
そりゃそうでしょ。今どき録画やら録音をする時に「声が入るから、静かにせい」なんて言う奴はいない。
第一この男、留置場、いや出張先から帰ってきた一時間後には080の新番号の携帯電話を持っていたのである。私が彼の家に着いたのが三時間後。その時にはいくら使ってもタダのPHSも持っていたほどである。そんな男が何をバカなことと思うのは当然である。
「そう言うおまえも、人のことが言えるかい」
なんと、彼は言い返してきた。
「おまえ、前にオレが遊びに行った時、ゴキブリ用のホウ酸ダンゴ仕掛けてたよなあ」
たしかに仕掛けていた。私、ゴキブリと、すぐ口を割る男は大嫌いである。
「その時オレが『これを食べたゴキブリは死ぬんやな』て声を出したら、おまえなんて言うた?」
大きな声で言うなボケ。ゴキブリに聞こえるやんけ
と私は言ったらしい。おまえのせいで、この作戦は白紙に戻ってしまったと怒ったという。
「それと一緒じゃドアホ。オレも今初めて学習したんじゃい」
私はうなずきながら友人に頭を下げた。その後私と友人はテレビから遠くはなれた所で彼の土産話を聞いたりしたのであるが、実際に声を出したりしたら録音がパァになる時代があったのも事実である。
私が中学生の頃はまだ、システムコンポなんていう物があまり出回ってなかった。少し親が金を持ってる小金持ち≠フガキなんかはテクニクスのタテ型ステレオなんて物を持ってはいたが、それにしたってただラックがタテ型になってるだけのシロモノ、プレーヤーの針なんかすぐ飛んでいた。もちろんラジカセなんか見たことないし、CDなんて「一発やって腹が大きくなった女」の略かあ、としか思わなかったのである。CもDもまだ市民権がなくて、スラング方面で活躍中だった頃の話である。
そんな時代に私がステレオなんて持ってるワケがない。ポータブルプレーヤーという、レコードプレーヤーの横から音が出るやつがあるだけだった。それでいつもキャロルを聞いてたわけであるが、私の悪友小鉄が車を盗んできたもんだからハナシはややこしくなってくる。
「キャロルの曲を流しながら車を流すと、窓から女が勝手に飛び込んでくる」
ニカリと笑って言いやがった。この男、前にも一度同じように、
「○○団地の中を、シンナーの缶を引きずって歩くとケツの軽い女がパクリと食いついてくる」
と言ったことがあって、やってみたら青少年指導員の赤服を着たオヤジが食いついてきたことがあった。
「またそんなこと言うてからに。赤服どつくような弱いもんイジメはしたないど、オレは」
言いながら私は小鉄の手元を見てニヤリと笑った。カセットデッキが握られていたのである。
カセットデッキと言っても、家庭用のインターホンみたいな物だった。電車の車掌さんが持ってるようなマイクで音を拾うのである。
「え!? コードはつながないんですか?」
ってあんた。レコードプレーヤーはレコードを回す物。カセットはカセットを回す物。当時は両者ともあまり仲が良くなかった。
「ほないくで、女のために」
私はプレーヤーを回した。矢沢のエーちゃんが日本語まで英語のように歌い始めた。
「こっちもいくで、二人の未来のために」
小鉄が録音を始めた。マイクは私のプレーヤーの真ン前、特等席である。
二人は息をひそめて黙っていた。
「小鉄くうーん! 晩メシ食べていくかあ」
「ありがとオバチャン! 今日は和食ぅ洋食ぅ?」
「粗食ぅ!」
私は小鉄の頭をひっぱたき、テイク1は失敗に終わった。キャロルの曲をバックにうちの母と小鉄のかけあいマンザイが入っていた。
「もういっぺんいくど、今度は喋るなよ」
「はいはい」
テイク2が始まり、ジョニー大倉の舌たらずな歌声が聞こえ始めた。
「リイチィ! ちょっと前の畑でネギ盗んできてェー」
「何本ー?」
「おなかふくれるくらいィ」
小鉄が私のワキ腹を蹴《け》り、テイク2も失敗に終わった。
その後何度失敗したであろうか。
曲にあわせて歌い出した父のために失敗。くしゃみで失敗。オナラで失敗。もう少しで終わるという時に回ってくる回覧板。青年団の集合を呼びかける町内放送で失敗。
「できたあー、大成功!!」
テイク20あたりでやっとうまくいった。私と小鉄はミュージシャンのようにレコーディングの成功を喜んだ。
「さてと、あとは車に乗ってコレをカーステにほり込むと」
「ほたら、女がトビ魚みたいに窓に入ってくる、と」
もう粗食もネギも食っている場合ではない。早速小鉄が盗んだ車で町に繰り出すこととなった。
中学生が無免許で盗難車に乗ってキャロルである。これがサディスティック・ミカバンドやガロなんかを聞いてたら罪になるが、キャロルなら許されていた。
「ほな行こけ。レッツラゴー!」
私はアクセルを目一杯踏み、小鉄はできたばかりのテープをカーステへとぶち込んだ。
♪間抜けェなファニー・テデボォォーイ♪♪
さすが最悪の録音、エーちゃんが蓄音機から初めて出たエジソンのような声になっていた。
*
最悪のレコードプレーヤーと最悪のカセットデッキで、ダイレクトに録音したキャロルのテープはやはり最悪だった。矢沢のエーちゃんの声は、蓄音機から初めて世に出たエジソンの声みたいだし、ジョニー大倉の甘い歌声は、山の中から掘り出した人骨のコンピューター分析後の声≠フようだった。
しかも小鉄が盗んだ車はクラウンである。今でこそ「いつかはクラウン」だの、兄弟にマジェスタなんてのがいたりするが、当時のクラウンといえば、
――ドンドンくじら。
と、若い者からバカにされてたデカイだけのおっさん用の車だった。キャロルのカセットを持ち込むような車ではない。その証拠に車内には、
――ニニ・ロッソ全曲集。
――クロード・チアリ集。
――子連れ狼BY橋幸夫。
などの車の持ち主用カセットが置き去りにされていた。
「もうちょっとコマシなテープはないんかい」
私はハンドルを握りながら、助手席の小鉄に声をかけたが、出てくるものと言えば、寺内タケシとブルージーンズや浪曲ばかりだった。
「あかん、この車はあかん。音も悪いしシュミも悪い。乗り換えや」
言いながら私は道に停めてある「セリカ」や「スカG」「サバンナ」など高いカセットデッキがついていそうな車を目で物色していた。
「ええ車停まってないか。女が乗ってたらそれごと盗むぞ。一石二鳥や」
言った小鉄は最後のお土産にと、クラウンの中を物色し、大きな紙袋の中へ顔を突っ込んだ。途端「おおおー」と大声をはり上げた。
「なんや」
「出たあ」
小鉄の手には二枚組のレコードアルバムが握られていた。
――仁義なき戦い・セリフ集――
まさにゴールドディスクである。解体屋のポンコツの山から新品のフェラーリを見つけ出したようなものである。
もうキャロルどころではない。エーちゃんやジョニーよりも、山守のオヤジの声である。
「小鉄よォ、わしゃあ何よりも先に車じゃァ思うんじゃが、どうかいのォ」
「おうよ、ソンナの思う通りにせんかい。あとはなんとでもなるけん」
突然広島弁になってしまった私と小鉄の目標は一致した。
まず、いいカセットデッキ付きの車を一台、無理矢理借りる。
その車に乗り換えた二人は、仁義なき戦いのレコードを胸に小鉄の知り合いの家に行く。そこには高級ステレオがあるという。
「そこでキャロルもあるはずや」
「先に言わんかいや」
あとはキレイに録音されたテープを手に車に戻り、夜の街である。BGMにはキャロルと仁義なき戦い。もう怖いものなしである。
しかしまずは車である。
「どや、ええ車はないか」
「前から、ええ車が団体で来てますけど」
物色を始めて三十分ほどたった頃であろうか、前方からおびただしいヘッドライトが見え始めた。
「何台ぐらい来てる?」
私はクラウンを路肩に寄せると、窓から顔を出して言った。すでに小鉄は屋根の上に乗って前方を見つめていた。
「単車が十台ほどに車が五台」
「人数は?」
「さあ、四十人以上かな」
暴走族である。四十人以上の暴走族、普通ならヤバイと逃げるところであるが、われらが小鉄は違う。
「あの五台分のカセットデッキをはずして売りたい」
クラウンの屋根の上でメラメラと炎のように燃えている。
「なんか道具あるかなァ」
私は急いでクラウンのトランクをあけた。早くしないと、その頃の暴走族である。今の若いお子たちみたいに音だけ大きくゆっくりとは走ってくれない。ロケットのように「あっ!!」という間に通りすぎていく。
「傘が一本と、ゴルフクラブか」
いつの間にか横に来ていた小鉄が言った。
「それとクラウン号という戦車が一台」
私は運転席へと戻り、小鉄は傘とゴルフクラブを手に持ち、道端に立ち尽くした。前方十台のバイクは小鉄が担当し、私は後ろの車担当である。
「来たゾォー!!」
いちばん初めのバイクがすっ飛んできた。と同時に小鉄は道路中央へ歩み出て、猛スピードのバイクの前輪へと傘を突き刺した。これをやられるとバイクはつらい。以前、私と小鉄が乗ったバイクの前輪に、日傘を突っ込んだ人がいた。うちの母である。息子がヘソクリをちょっと失敬しただけで、命まで狙う危ないババアである。
前輪に傘を入れられたバイクは転び、後続のバイクもそれに続いた。あとは、もぐらタタキのように「うーん」と起き上がった奴らを、小鉄がゴルフクラブで順番に叩《たた》いていった。
そして私の出番である。
バラバラと車から飛び出してきた連中をクラウンではね飛ばすのである。ドンと車をぶつけると二メートルほどは飛んでくれる。それが嫌なら逃げればいいのである。車と命とどっちが大事か。五台の車が置き去りにされていた。
「どや小鉄、ええカセットついてるか」
早速五台の車を点検する小鉄に声をかけた。
「ぜーんぶ8トラ……」
8トラカセット。今のビデオぐらいの大きさのカセットテープである。音のことなんか言ってはいけない、勢いで聞くものである。
「どないする小鉄」
「どないもこないもなァ……」
なんだかすごく悪いことをしたように思った。ドロボウに入ったついでにそこの家の冷蔵庫をあけたら、三年ほど前のキムコだけしか入ってなかったようなものである。
小鉄と私は深く反省しながら暴走族の車に「ゴメンね」と釘《くぎ》で書き、とりあえず仁義なき戦いをテープにしようと次の目的地へ向かった。小鉄の数少ない友人の一人、高級ステレオを持っている奴の所である。
私、その時初めて、世の中にはたくさんの外人さんがいると知った。
ミッシェル・ポルナレフ。ビートルズ。ゾンビーズ。エリック・クラプトンにジェフ・ベック、スティーヴィー・ワンダー。
そんなところに仁義なき戦い≠ネんていう純国産は出せない。キャロルも難しい。
「きゃろるゥ? オレとこのステレオで歌謡曲は聞かんといてくれや」
小鉄の友人は口のハシで笑いながら、セブンアップを飲んでいた。
「小鉄、おまえこの線、つなげる?」
うちの家に持って帰ったらカベがくずれそうなベース音を聞きながら、私はステレオのコード類を見つめた。
「無理! そやけどステレオの中古を買うてくれる所とは、つなげるけどォ」
「こいつ、オマエの親友か?」
「まさかァ」
ステレオの針が飛び、私の足が飛び、小鉄の頭突きが飛んだ。
次の日、私と小鉄は良質の録音テープ、プラスお金を手に持ち夜の街へと繰り出した。
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汝、隣人を愛せるか
友人の息子が落ち込んでると聞いたので、トドメでもさしてやるかと出かけた。
「なァ、ナカバさん。世の中、金で買えんものもあるよな、な」
悪い女に引っかかったらしき友人の息子は、私の顔を見るなり言った。
「たしかに……」
金で買えないものはある。私は言ってあげた。そしてつい、
「そやけど、金に転ぶ奴は多いわなァ。その女もコロンと転がったんかい」
と、肩をやさしく叩《たた》きながら言ったのである。怒りましたねえ、友人の息子は。
「アホボケカスー!! おっさんなんか最低じゃい」
なんで知ってんだと聞きたくなるような言葉を連呼しながら、二階の自分の部屋へと閉じこもった。
「どないする? 家に火ィつけて、あぶり出すかあ」
ブルンブルンと首を振って断る友人を見ながら、私は思っていた。うらやましいガキだと。
――自分の部屋――
小さい頃からずっと欲しかったものに、自分の部屋というものがある。
「父さんのバカ! バカバカバカ」
なんてことを言いながら階段を駆け登り、ピシャリと部屋のドアを閉める。
「リイチ!! ここをあけなさーい」
「るせんだよォ」
突然鳴り響くステレオの音。
と、まあこういうものに憧《あこが》れ続けてきたわけである。しかし悲しいかな、私の生まれ育った家には駆け登る階段がない。それどころか「バカバカ」などと走ったら外へ出てしまうほど狭いし、ステレオを鳴らしたくてもタコ足配線のコンセントには、電源のスキマすらなかったのである。
もちろん、やる限りのことはやった。
アコーディオンカーテンを勝手に取り付け、幅三十センチ長さ百八十センチの自分の空間を無理矢理作ったりした。
しかし、これでは閉じこもれない。
「お父《と》んのアホォ、おまえなんか人間とちゃうわい」
とアコーディオンカーテンをラララと閉めたって、
「そうやで、お父ちゃんは人間とちゃうで。どっちかいうたらオニかな?」
と反対側から、ラララと開いてしまうのである。ゲンコツが飛び込んでくるのである。
自分の部屋が欲しい。
しかし、諦《あきら》めてはいけない。ずっと思い続けてみるものである。この年になってやっと自分の部屋≠ニいえる仕事場を手に入れることができたのである。
場所は岸和田の春木旭町《はるきあさひまち》。
私の自宅がある磯ノ上町が東京の浅草や千住とすれば、旭町は成城や神戸の芦屋《あしや》みたいな所である。
そこに白いマンションがポツンと建っている。
「おたくの前は、若いスチュワーデスさんが住んでました」
不動産屋のニーちゃんは目を細めて言った。スッチーである。しかも若いスッチー、そのうえさん&tけである。
「社長さん社長さん、安いよ」
キャッチバーでもやばい所はすべてさん&tけである。なのに私は舞い上がっていた。自分の部屋が持てるということで何も見えなくなっていた。
悲劇の始まりである。
「なるほど、スッチーねェ……」
初めてこの部屋にやってきた時、私はベランダに立ち尽くしていた。
長い髪の毛が大量に落ちていた。
ヤバイと思った。まだ一人も女を引きずり込んでもいないのに、ベランダ中、女の髪だらけである。
「ガムテープでペタンペタン、したらええねん」
「ありがと」
どこかで声がしたので言われるままに、私はガムテープをピリリと引き伸ばした。目の前のベランダで、友人の小鉄が笑っていた。
「よお小鉄、ここは何階か知ってるか」
「おう、四階や」
目の前の顔が言った。
「おまえなんで四階のベランダに立ってんねん」
「技というか匠《たくみ》というか」
「ドアホ!! 玄関から来い」
私が大声を出すと、小鉄大先生は頭を掻《か》きながら玄関から私の部屋へとやってきた。言っておくがこのマンション、オートロックのはずである。
小鉄だけではない。毎月一回、目の下にクマのできた、変に早口な青年もやってくる。この前はクリーニング店のジャンパーを着ていた。その前は寝具店の制服である。なのに同一人物、いつも早口で何事か言うだけ言って去っていく。
オートロックのはずである。
しかし、それくらい我慢せねばなるまい、やっと手に入れた自分の部屋である。それにここは仕事場、ある程度静かなら充分ではないか。
自慢ではないが私のマンション、となりのオヤジのオナラが聞こえる。そのうえ、スキマ風がどこからか入ってくる。
白いマンションである。オートロックでスッチーの住んでいた、駅から三分の築二年のマンションなのである。
スキマ風は壁に貼ったメモ帳をパタパタと揺らし、となりの住人はクシャミとオナラを同時にやってくれる。
そのとなりがまた問題多しである。
私の部屋は四階の真ン中である。ゆえに両どなりに人が住んでいる。
まずは右どなりの住人を御紹介しよう。この人、一日中部屋にいる。今、これを書いてる時点で、三日間ずーと部屋に閉じこもっている。メシを食べにも行かないし、台所を使っているような音もしない。
たまに聞こえてくる音が、オナラの音と鉄を引きずる音≠ナある。何をしているのかは知らない。ただ毎日部屋の中で、鉄を引きずっているのだけはたしかなのである。
次いで左どなりである。
左の住人は、ごく普通の青年である。どこで会っても「こんばんは」と挨拶《あいさつ》もする。ただ、一度私の前を歩いていて、郵便物を落としたので拾ってやった。たしか田中≠ニ書いてあったと思うのであるが、訪ねてくる人は「根元さーん」と呼んでいる。友人たちには村上くん≠ニ呼ばれているし、近所の食堂では高屋ちゃん≠ネどと呼ばせている。
たまに水パイプか小さな皿のような音がして、ゴホンゴホンとかなりセキ込んだりしているところをみると、何かを気化させて楽しんでいるのであろう。パンツ一丁で走り出すのが楽しみな青年である。
だからといってこの両どなりのために仕事がはかどらない、ということはない。
せっかく手に入れた自分の部屋である。
スキマ風のタメに大量に入り込んでくるホコリは溜《た》まるが、掃除機で吸い取ればすむことである。
ただ、何度掃除をしても次の日になるとまた長い髪の毛≠ェ落ちている。風呂場《ふろば》にも便所にも長い髪の毛が落ちている。
私の前に住んでたスッチー、生きているんだろうな……。
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ビッグウェーブがやってきた!!
自宅から仕事場へと向かう道、突然私は胸を押さえてうずくまってしまった。
胸をかきむしるようにして苦しむ私の横には、小さなダンボールがひとつ置かれていた。
「猫」
ダンボールの上には、マジックで書かれた漢字が一文字。
「ネコ? なにが猫やねん」
なんだこりゃと思ってよく見ると、ダンボールのフタが少し開き、ネコの足が飛び出していた。しかも死体だ。
「猫」
普通、その一字だけを書いて路上に置くか。「猫」だぞ「猫」。午前十時の住宅街に「猫」はないだろう。燃えないゴミじゃあるまいし。
だからといって、私もそのことで胸を押さえて片ヒザをついたりはしない。
「大変だね、あんたも」
ダンボールを蹴《け》とばして歩き始めようとしたら、近所の女の子たちが歌う唄《うた》が聞こえてきた。
♪大波ィ小波ィで、でんぐり返って、あっぷっぷう♪
「や、やめてくださーい……」
ナワトビの唄を聞きながら、私はクラクラと目眩《めまい》をおぼえたのである。
大きな波や小さな波がやってきて、調子にのった私は「あっぷっぷう」と溺《おぼ》れて苦しんでいる。つらい唄ではないか。猫よりもっと怖い、女のことを唄ってやがるのであろう。
今回は女運についてである。
私にとって女運とは、まさに大波小波でやってくる。小波はまだいい。問題なのは大波、ビッグウェーブである。まだ、人生において二回しかやってきていないビッグウェーブの第一波は、私が十六歳の時にやってきた。
不思議なものである。
きのうまで女の横っ面を張り飛ばして無理矢理エッチなことをやっては、
「悪魔!! あんたなんか悪魔よ!!」
と言われ、「よく御存知で」と頭の6の字を三つ見せてた私が、
「もう、強引なんだから※[#ハート白、unicode2661]」
と言われたりする。ビッグウェーブがやってきたのである。何をやっても不思議とうまくいく波が、女運をはこんできたわけである。
リョーコ。
トモミ。
ナホミ。
あっという間に三人の女ができてしまい四角関係と相成った。
「三角関係ならまだしも、四角はツライでしょ」
ぜーんぜん。三人の女全員が茶髪で、三百メートル先からでも目鼻立ちがクッキリわかるような、化粧の濃い女たちである。
「あっ、リョーコが瞬《まばた》きしてる」
トモミを連れた私は、はるか先の信号機横のリョーコを発見できるわけである。すっと横道に入れば、女同士のバッティングは避けられる。
ところがなんといっても当時の私はまだ十六歳である。こんなことはいつまでも続かない、とは思ってもいない。一夫多妻の国に亡命でもして、何千人もの孫にかこまれてドン・リイチ≠ニ呼ばれるゴッドファーザーになってやるかと考えていた。
考えているうちに波は過ぎ去った。
ナホミを連れて電車に乗ったら、前の席に化粧の濃いのが約二名座っていた。アルバイト帰りのトモミ十五歳と私のズボンを洋服屋に取りに行った帰りのリョーコ十五歳である。リイチ十六歳は青ざめ、そして赤くなり、女三人分のビンタは電車中に響きわたった。
私は深く深く反省した。
――そうか、三角やら四角関係だからうまく転がらないんだ――
ホオに手形をつけ、空を見上げて決心したのである。
――次は六角や八角関係にしてやる。そうすりゃ円に近いんだからいくらでも転がるぞ――
今書いていても、タメ息が出るほどのバカである。
ビッグウェーブの第二波は二十年後にやってきた。私が三十六歳、この仕事をやり始めてすぐの頃だった。
この第二波、かなりの大波で、つい最近まで津波のように続いていた。
まずは一人目、この女はかなり前から付き合っていた女で、川の土手に咲いてる花の名前をスラスラと言える女である。
次にうまくいったのは沖縄の女である。波照間島《はてるまじま》という島に住み、日本国内の基準では作ってはいけないことになっている度数の高い泡盛を製造していた。島の標準価格七百五十円の酒が那覇《なは》では一万五千円になるということで、
「一緒に幸せにならなーい※[#ハート白、unicode2661]」
と私から近寄った。岸和田の華僑《かきよう》¥ャ鉄の紹介だった。
次の女は女優志願の女である。さすが女優をめざすだけあって、スタイルもお顔もバッチリである。
「今度ね、岸和田少年愚連隊って映画やるんだけど、出たい? ん? ん?」
東京は松竹の本社ビルの中を歩いただけですぐオチちゃった。
その他、ナインティナインの大ファンの女高生には吉本興業の名刺を見せて騙《だま》し、ライター志願の人妻には、
「ボク、利一は本名でペンネームは次郎ていうの、浅田次郎。知ってる? オレのことだよ」
とだまくらかして某ホテルに引っぱり込んだりしていた。
その他イロイロで計九名。十角関係でほとんど円である。
「でも十角関係だと、お金がいくらあっても足らないでしょ」
わかってないねェ。足らないのは金ではなく、命≠ネの命。
私は大きな過ちをおかしていた。九人の女すべてにマンションの合カギを渡していたのである。
いつごろからであろうか、部屋の中に色とりどりの長さが別々の、女の髪が落ち始めたのは。
すでにビッグウェーブは沖の方にひっこんでしまっていた。
「へえェ、作家の人って御自分の本のタイトル、漢字で書けなかったりするんですね」
人妻ライター志願と二人、相合傘でそうきゅう≠ニいう字とすばる≠ニいう字について話し合いながら帰ってくると、マンションの入り口で女優志願が立っていた。
「ナカバ君、このネーチャンかわいそうに、八時間も雨の中待ってるんやで」
見事な演技で近所の人を味方にした女優志願は、顔を引きつらせてマンションの中へ入っていった。
「カギ持っとるクセしやがって……」
「どういうこと! ナカバって何? アサダとナカバ、ぜんぜん違うじゃない」
「゛が一緒やんけ」
あわてて部屋の中に駆け込むと泡盛の酒臭い息が充満していた。沖縄の女と、昔からの花の名前女が酔いつぶれ、女優志願にもらったミニテトリスを女高生が踏み潰《つぶ》していた。
「ちょっとココに座りなさい」
九人分のビンタ、そして九本の合カギによる凶器攻撃。顔を腫《ふく》れ上がらせ、血みどろになりながら私は反省していた。
八角やら九角、十角関係というものは、円に近づいていったんではない。よく似ているが○(円)と0《ゼロ》は違うものである。次のビッグウェーブはいつであろうか。
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僕と彼女と「磯ノ浦」で
夏である。
夏になれば、女はみんな薄着になってくれる。ありがと。
しかも女のフェロモンというやつは、外気温が三十度をこえると、
「たまにヘタうってこましたろかしら。一年に一回ぐらいはハメをはずしてもええやんかいさ」
と、つぶやく分子みたいなツブとして空気中に放出されるらしい。ウソだけど。
ま、なんにしろ、夏はナンパの季節である。冬場オコタの中でパジャマやオバシャツを温めていた女たちも、夏になれば海や川や山だと外に飛び出してきてくれる。ありがと。
で、男は必死こいてナンパをするわけであるが、ナンパはやったもん勝ちである。
「男がそんなチャラチャラしたことできるかい。もっとオレは心のこもった恋愛の方が……」
ウソつくな。家でAV見ながらゴソゴソやっている時、友人が突然来たからって、足をコムラ返りさせて玄関に行ってるヒマがあったら、外へ出て立体で動く女を引っかけろ。
どんな大ウソを言ってもいいし、ハッタリをかましてもいい。言ったもん勝ちのやったもん勝ちがナンパなのである。
「えっと、えーと、あの娘にしようか、あっちの娘にしようか」
なんて言いながら女のケツを横目で盗み見てる奴より、
「ウリャウリャウリャア、俺は日本のカバキじゃーい」
と、イッちゃった目で、片っぱしから手をつける奴の方が楽しく夏を過ごせるのである。
私、このコラムがWPBに載る頃にはアメリカへ輸出されている。
「ナンパー」いや「ナンバー」という雑誌のお金、いやおかげでアトランタ・オリンピックのサッカーを見てるはずなのであるが、やりますよ私も。
日本からもいっぱい、女は行ってますからね。
「オレは前園の親戚《しんせき》だ!」
ぐらいは言うかも知れない。スタンドの中で「レッツゴー・前園」なんてイモくさい垂れ幕持って喜んでる三人組なんかいたら、私、サクラを使ってでもやってやる。
「あれ!? 前園さんじゃないですか」
「あいつにサッカーを教えて良かったか悪かったか……やっと答えが出るようですよ」
遠い目をして言ってやる。
「どこ見てんですかあ」
なんて女の子は言わないからね。
「え!? この人、前園さんの親戚の方?」
三人組の一人、足は太いけど結構色白なのが言ったりする。
「そういえば前園さんもそうだけど、この人も満州から引き揚げてきた旧日本兵みたいな顔してるわ」
「ほんとほんと、でも今のセリフ、WPB内でボツになるわよ」
なんてあとの二人、最近髪を切ってうなじの白さが際だった女と、足の小さな指のペディキュアが可愛い女が言ったりする。するんだってば。
もうこっちのものである。
関心さえ持ってくれればあとはなんとでもなる。
「実はボク、前≠ェみよじ[#「みよじ」に傍点]で名前が園≠ネんです。彼とは関係ありません」
バラしても、一度仲良くなっていれば、三人のうち一人ぐらいはなんとかなる。
それでダメなら仕方がない。次の三人組でも四人組でも、声をかけていけばどれかに当たる。
「顔はどうすんの? ブスでもなんでもいいんですか」
そんなのついてりゃそれでいい。それに今はブスはいないよ。ひと夏のナンパは顔は問題なしである。海なんか行った時、あんたは女の子のどこ見てるの? 水着をきてる体か、せいぜい髪形ぐらいでしょ。秋・冬は厚着だから顔がポイントをかなり稼ぐけど、春ごろから見る所が多くなってきて、夏になったら見る所が多くて忙しいんだから、勢い≠フ方が大事である。
うちの近所には「磯ノ浦」という海水浴場があって、私がまだ十七歳の頃、昼は海水浴客、夜になるとサーファーが集まっていた。つまり、二十四時間ずっと女がいるわけである。
そんないい所を私たちが指をくわえて見てるだけのハズがない。ナンパをするため出かけていくワケである。
「今年もやっぱり、女はサーファーやで」
私の友人・ガイラは言ったものである。私、この前年にも同じ磯ノ浦へサーファーの女の子をナンパしに行っている。総勢三十人はいたであろうか。一方、こちらはというと……、
全員がパンチパーマ。
二人に一人が全身イレズミ。
車は黒系の外車のオトシ。
涙が出そうになるメンバーである。もともと天女やら不動明王やらの色つきウェットスーツを彫った男たちが、もう一枚黒のウェットスーツを着込んで「コラ、どかんかい」と来るわけである。男は逃げ、女の子も一緒に逃げてしまった。
「逃げたら、つかまえたらええねん」
ヤケクソになった私たちは、大きな落とし穴を掘って女の子捕獲作戦に打って出た。
すぐパトカーがやってきた。
女だけならいいが男も落ちてしまう。その男を埋めてしまえばパトカーだってやってくる。大失敗である。
「今年は去年みたいな失敗は許されんぞ」
去年、最初に男を生き埋めにした本人、ガイラは言った。
「おまえこそ、そのイレズミをどないかせい。『メッシュのウェットスーツや』なんて言うなよ、コラ」
言った私の髪は、センター分けである。
しかもパンチパーマを無理矢理センターで分けているので、すさまじい髪型である。そのうえ脱色して赤茶色になっている。まるで三葉虫の化石を頭の上にのせたようである。
「大丈夫、もうすぐウェットスーツと車が登場するはずや。そら来た」
現れたのは左官屋の息子タケシ、別名チンポのタケシ=B二十八センチの大蛇を股間《こかん》に飼う男である。すでにサーフトランクスのスソから先が見え隠れしている。
私、もう家に帰ろうかなと思ったが、タケシは家のライトバンを転がしてきたし、ガイラもウェットスーツを着込むという。しかも人数は三人。言っちゃあ悪いがこの三人の中では私がいちばんマシである。
なんといってもサーフボードを借りてきている。これを砂浜に突き刺してニカッと笑えばなんとかなるはずである。サーファーたちの必須《ひつす》アイテムのライトバンに一枚のサーフボードをのせ、私たちはニンマリ笑って磯ノ浦へと向かった。
途中、深夜レストランで女の子を発見した。サラサラヘアに小麦色の肌。サーファーの女が五人もいた。
「サーファーにはこの曲や」
タケシはジャクソン・ブラウンの「ステイ」をフルボリュームで流した。
女の子たちがこちらを向いた。
私はサーフボードの下で手を振った。
ガイラはウェットスーツで笑った。
タケシはトランクスを少し下ろした。
「こらおまえら、サーファーかい!!」
後ろで男の声がした。暴走族のお兄ちゃんたちが三十人ほどいた。
「サーファー狩りやったら相手見てせいよコラ」
夏のナンパはジャマ者がつきものなのである。
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男の美学とは?
毎日暑いのに大変である。
テレビのスイッチをひねりゃ、ちょっとスケールのでかい弱い者いじめをした中学生のハナシでもちきりである。
だいたい、あのガキのために私がどれほど迷惑をこうむったか。
三十代後半のガッシリした体格――
黒いビニール袋を持って、人を睨《にら》みつける――
好戦的な歩き方――
最初の警察発表の時、どれだけの人が「あんた、神戸の方へ行ってないかい?」と聞いたことか。そして聞いた人すべてが、
「でもあんたは酒鬼薔薇《さかきばら》≠チて漢字は書けないしね」
と、ぬかしやがる。たしかにそうだ。酒鬼薔薇≠ヌころか、この間なんか、女に手紙を書き君の心はガラス細工のようだ≠ニ書くところを、ガラス作工≠ニ書いて笑われた。あの中学生のようにインターネットもできない。初めて、ケンカ相手の顔をザックリとナイフではすった夜は、手がひと晩中震えていた。なのに奴は手が震えることもなく千三百字の挑戦状を書いている。一字の間違いもなく。
奴は本当に少年ですか。
そんな奴の顔写真はダメで、殺された少年の写真と実名はOKだとよ。逆だと思うのである。しかもバカな親たちは、早速学校の責任だと騒ぎたてている。
でもねえ、学校は美学までは教えてくれないよ。数学や科学は教えてくれても、男の美学は教えてくれない。
――オレは強い男になりたい――
これも美学のひとつであろう。
――ボクは弱くてもいいから、虚勢を張りたい。さあゲームの始まりだとか言って――
これも、美学だと思う。
――男はやっぱり打たれ強い奴だな――
これは私の美学である。打たれ強い男。何度やられても「よっこらしょ」と立ち上がって向かっていく。まさに、そんな男の鑑《かがみ》のような人がいた。
馬力くんである。
馬力である。「バリキ」。バカではない。毎日、ニンニクをバリバリかじり、どんな強い相手にも一人で立ち向かっていった馬力くん。あのミスター岸和田、カオルちゃんに二十年もの間ずっと勝負を挑んだのも馬力くんである。
対カオルちゃん成績、○勝百敗はいっているであろう。その間、折れた骨の数はほぼ全身骨折に近く、海に投げ込まれても山に埋められても、車で数キロ引きずられても、懲りずに向かっていった。
二人の抗争の歴史の始まりは、中学二年の時である。場所は大黒湯という大黒様のようなオヤジが経営する銭湯。
「なんやカオルやんけ。いくら風呂《ふろ》に入っても、ワレの腹の黒いのまではキレイにならんど」
ラララと湯殿のアルミサッシ戸を開けた瞬間、馬力くんは言ったという。神をも畏《おそ》れぬ御言葉である。カオルちゃんの腹黒さは、誰でも知っている。しかし、面と向かって言えばどうなるか。以前、自動車塗装工のオヤジが、
「黒は黒でも見事な黒や。車でもそんだけ黒色にしようと思うたら、いっぺん下地に白を塗らんとイカン。カオルよ、ワレの下地は真っ白やな」
と、お世辞のつもりで言ってしまったのであるが、〇・五秒後には「よけいなこと言うな、おうコラ」と頭のてっぺんに隕石《いんせき》ほどもあるゲンコツを叩《たた》き込まれ、提灯《ちようちん》のように体が縮んでしまっている。
「こらスッポン、相手見て噛《か》みつけよ。そやないと歯ァ全部折れるどコラ。おうコラ、おう」
言われたカオルちゃんは、湯船に津波を起こすかのように勢いよく立ち上がり、用心深く身構えた。
相手はスッポンの馬力である。今はなき勝新太郎と田宮二郎の最高傑作映画「悪名」の中にモートルの定≠ニいうのがあったが、こちらはスッポンの馬力≠ナある。どちらにも本名がないのである。スッポンだけでも嫌なのに、馬力までついている。バイタリティあふれるスッポンなのである。いくらカオルちゃんでも油断はできない。
その時である。
レーザー光線のような眼光で、馬力くんの顔を溶かしながら睨みつけていたカオルちゃんが、少し下を向いた。
レーザーの照準が、男の局部に移った。そして、カオルちゃんがニカリと笑った。
「おいスッポン、われなんや。まだチンチンに毛ェも生えてないんかい」
言ってしまったのである。
「カオル、おのれはチンチンに毛ェ生えてんかい」
馬力くんも言った。
「当たり前やんけ。もう中学二年やどコラ、おうコラおう」
「ほほう、そらえらいこっちゃ。普通はチンチンの周りに毛ェ生えるけど、おのれはチンチンに生えてんか」
「…………おうコラおう」
「綿棒か、おまえのチンチンは」
――プッチン!
その時カオルちゃんのキレる音が近所中に聞こえたという。時計が止まったり、ラジオに雑音が入った家庭もあったという。私の家では床の間の日本刀がカタカタと動いたりした。
「早よ家に帰って、コップの中でチンチンでも洗ろとけや」
馬力くんの最後の言葉である。言ったと同時に、目の前からカオルちゃんの姿が消えた。大きな影。気づいた時には、両方のヒジを叩き折られていた。
「でや、背中洗いやすいやろ、よう曲がって。おうコラおう」
その後二十年にわたるカオルVS馬力の大抗争の幕開けである。せっかく、前置きに神戸の中学生問題を書いて、社会派などと言われるかもと思っていたのに、台なしの幕開けなのである。そして、馬力くんは入院した。
その後は、入退院の繰り返し人生である。退院してすぐ土佐犬を手なずけ、カオルちゃんに向かわせたが、カオルちゃんの顔を見た途端に犬は馬力くんを襲い、全身ナマスのように噛み切られまた入院。退院して、自作のヤリで後ろから襲ったが刃先をむんずとつかまれ、ガンジス川の洗濯のようにビッタンビッタン地面に打ちつけられ全身打撲でまた入院。
それでも、まだ行った。やられてもやられても向かっていった。実に打たれ強い人である。
二十年目の夏、車を盗んでカオルちゃんを轢《ひ》き殺そうとしたが、持ち主に見つかりケンカになった。
小さな果物ナイフが、打たれ強いスッポン男の人生の幕を下ろした。
「まだまだァ、今、始まったばっかりやでェ」
馬力くんは自分が死んだことすら気づいていないのかも知れない。
「また出やがったか。おうコラおう」
たまにカオルちゃんは、誰もいない宙を睨みつけていたりする。
――打たれ強い男になりたい。諦《あきら》めの悪い男になりたい――
私はいつも思っている。
すぐ音をあげ、あっという間に忘れてしまう。そんな奴にだけはなりたくはない。
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アトランタ五輪をシメに行く
――成田発デトロイト行き、ノースウエスト440便――
なかなかシブイ。
成田はどうでもいいけど、デトロイトというのがなんだかカッコイイではないか。グアムやサイパンじゃなくデトロイト。しかもノースウエストだ。言っとくけど北の腰回り≠チて意味じゃないよ。
この飛行機が何を意味するか。
デトロイトに着いて乗り換えてオーランドへ向かう。そこからバスに揺られてマイアミへ。わかってきたでしょ。
マイアミと言えば――
「く・す・り」
バカモーン。そんなものをマイアミまで買いに行ってたら、儲《もう》かって仕方がないではないか。
サッカーである。オリンピックである。
いまいちエンジンの調子の悪かったブラジルに、日本の若き冷めし食い≠スちが勝ってしまった試合を見てきたのである。
「どうでしょ、日本はやっぱり負けますかね」
「さあ、ケンカとサッカーだきゃ、やってみらんとのお」
マイアミ行きのバスに揺られながら、私はアロハ石川と話し込んでいた。このアロハ石川、私が「サッカー見たーい」と言えば「行っといでー」と、アトランタ・サッカー観戦ツアーに放り込んでくれた雑誌「ナンバー」からの見張り役カメラマンである。
私たちが泊まるホテルからマイアミのオレンジボウルスタジアムまでバスで四時間。順調に走っていたのであるが、追い抜いていくバスすべてがブラジル人で溢《あふ》れ返っていた。
「しっかし、さっきからブラジル人だらけのバスばっかしやけど、何人くらい来てんねん? ブラジルさんは」
「五万人です」
ポツリと答えたのはJTBの辻さんという、腹話術師のように口をあけずに喋《しやべ》る人である。
「日本は何人?」
「千人!!」
「ハハハハハハ」
笑ってる場合ではない。五万人である。血の気のカタマリのようなブラジル人が五万人。それにくらべて日本人が千人。うまい奴とヘタな奴のオセロの最終局面のような図式になるであろう。
「ヘタうったら殺されるかな……」
「ヘタな反則ひとつしても、あいつらこづいてきますからね」
二十四時間ずっと目が泳いでるアロハ石川はますます目を泳がせて言った。
反則ひとつで五万人にこづかれるのである。五万発である。
「いよっ! と肩を叩《たた》かれたりしたら、肩コリも治りますね。五万発ぅ」
ナイキのシューズ、ナイキの短パン、ナイキのTシャツ。前日ナイキショップの兄ちゃんに売れ残りを新作だと騙《だま》されて買った辻さんが言った。
私、もうバスから降りて歩いて帰ろうかと思ったが、そうはいかない。バスの運転手のオヤジが南部のバリバリの白人である。
「差別のどこが悪いの?」
と、金時計をギラギラさせて日本製象印保温水筒を背中に隠しながら言い切るオヤジである。
――ブラジル人の乗った黒人の運転するバスに追い抜かれた――
彼にとって、それはよほど腹が立つことらしい。
バスは路肩を百五十キロ以上で走り、あっという間にマイアミへと着いてしまったのである。
マイアミ・オレンジボウルスタジアム。
結構な建物である。しかし周りはヤバそうなダウンタウンである。
車体のいたる所がめくれ上がった車に乗った四人組。
トランクを開けて商談中の黒人とスペイン人。
家の前にイスを置いて通行人にガンを飛ばす、化学繊維のシャツ男。
普段からヤバイ街。自分たちよりムチャな奴なんていないだろう。そうタカをくくっていたに違いない。
しかし、ダウンタウン中、ブラジル人だらけである。試合が始まるのは夜からなのに、昼には三万人以上到着していたという。
道という道にはバスが停まり、歩くところがなくなったブラジル人は、ダウンタウンの家の庭を歌いながら歩いていく。
ヤバイ兄ちゃんたち大ピンチである。
めくれ上がった車の四人組には、ブラジル国旗がマントのように巻かれ、商談中の黒人とスペイン人はからまれ、イスに座る化学繊維男の芝生の庭には、ブスリブスリ国旗が刺し込まれていく。会場の中も同じである。
七万人ほど入るスタジアムがブラジル人だらけである。
「五万人以上いましたね。肩コリが治るどころか、ナデ肩になったりして」
トラベルはトラブルが語源だと言い切る辻さんは、言っては空ばかり見つめている。
「どないしました? あと三万人くらい空から降りてくるんですか」
「いえ、なんだか雹《ひよう》でも降りそうですから」
辻さんが言うには、マイアミの雹はグレープフルーツほどの大きさがあるという。
「それが鳥に当たって落ちてきて、その鳥のくちばしで顔をザックリ切ったこともあります。これがホントの辻切り」
死んでしまえと思ったがおもしろいではないか。グレープフルーツ大の雹に五万人以上のブラジル人。相手にとって不足はない。ケンカになったらなったでその時である。やるだけやってまだ生きてたら、宅配便でカオルちゃんをブラジルのド真ン中へと送ってやる。
試合が始まった。
ブラジル人大騒ぎである。父親の肩に乗ったヨチヨチ歩きのガキまでもが、とりあえずは騒いでいる。
サッカーを楽しんでいる――
それが、ヒシヒシと伝わってくるのである。
これはナイジェリア戦の時も感じた。
小柳トムそっくりなナイジェリアのオヤジがいて、国旗をマントにしつつ、
「ヘンジンバヘンジン♪」
などとワケのわからない唄《うた》を歌いながら思い切り楽しんでいる。
個人個人で楽しんでいる。
ところが日本人はいつもひとかたまりである。
前園が見たけりゃ前園がよく見えるコーナーの所へ行けばいいのだ。しかし、日本人はピクリとも動かない。いつもひとかたまり、きっちりルールだけ[#「だけ」に傍点]を守って見ている。
いつから日本のサッカーはあんな上品になったのかねェ。足を引っかけられたら大ゲサに倒れる選手。それを見てブーイングのサポーター。
これがブラジルだと倒れた自国の選手を怒っていた。あれくらいジャンプしてかわせと。
結果は知っての通りである。
誰がなんと言おうがブラジルに勝った。そしてナイジェリアに負けた。結局、予選でアウトである。
「ハンガリー戦の前に、いくらか渡さなくっちゃあ。○×国ならすぐ渡してるよ。そうすりゃ五点くらいもらえたのに」
現地のマスコミの人が、そう言っていた。
とにもかくにも、日本サッカー、歩き始めたばかりである。
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ハンコに気をつけろ
久し振りに足が震えた。
その日、私は地元の春木駅に架かる陸橋の上に立っていた。下の駅前広場には大勢の人たちがいる。そいつら全員が、私一人を睨《にら》みつけている。
中には金色に髪を染め、盗んだブルドーザーやユンボなんかを海外に売り飛ばしていそうな顔の奴や、足元に木刀を隠してひとりごとをブツブツ言ってる奴もいる。携帯電話を持った高校生もいれば、顔よりでかいマスクをしたババアもいる。
その数約五十人が、全員私に向かってメンチ、つまりはガンを飛ばしてくるのである。
駅前広場はシーンと静まり返っていた。
やがて一人の男、金髪の重機ブローカーが口を開いた。
「よぉーい……」
と同時に私の顔はこわばった。
「はい!!」
カチンコの音が鳴り、私は引きつった顔で陸橋を下りていった。
映画の撮影である。
「岸和田少年愚連隊」のパート2が始まっているのである。その映画で私はイサミちゃん≠フ役をやってしまっているのである。
「生意気な、どシロウトがァ」
言いたい人もいるだろう。映画に出たくっても出演できない人がゴマンといるのに、なんでテメエなんかが、と思っている人もいるであろう。
特権である。特別の権利と書いて特権。原作者という錦《にしき》の御旗《みはた》を振り回して、出演する女優さんとイチャイチャしたり、スタッフのケツを蹴《け》り上げたりと、好き勝手ができる。
と、私も思っていた。
大間違いである。原作者として大きな顔ができるのは、書類にハンコをおすまでである。
前回の映画の時もそうであった。
「寿司が食いたーい」
「女の尻《しり》を撫《な》でたーい」
と言えば、数秒後にはテーブルの上に寿司と尻がのったりしていた。小便がしたいと言えば、金の箸《はし》でつまんで滴《しずく》を切ってくれそうにもなっていた。ハンコをおすまでは……。
一度ハンコをおしてしまうと、扱いはガラリと変わる。寿司は近所の弁当に変わり、女の尻はどこにもなく、それどころかロケ現場でメイクの女の子に用事を頼まれる。
「ナカバさーん、ボケッと突っ立ってないで、この瓶のフタをあけといてよ」
である。しかも力を入れすぎてビンのフタを壊そうものなら、
「もう! 加減ということも知らないの! バカ」
である。昨日までの栄光はどこにもないのである。
しかし、破れてしまってはいるが、原作者という御旗の威力は少々残ってはいて、「ちょっと出てみたいなァ」と言えば、映画の中のワンシーンだけでも出られるのである。
「バスの乗客、やりますか?」
「ハイ、どうしてもというなら」
「じゃ、いいです。他の人に」
「出ます出ます、出さしてえな」
かくして私は、前作の映画ではバスの乗客になって映画初出演を果たした。顔の小さな役者さんの二メートルほど後方で、鉛筆をくわえるオッサンの役である。
「もう、顔がデカイから遠近感が出ないよォ。もっと小さくなんねえかあ」
ボロクソに言われながら、私はハンコの重大さを噛《か》みしめたわけである。
であるから、今回の二作目のハナシがきた時、私は身構えた。できるものならハンコをあぶり出しにして、撮影が終わる頃に浮かび上がるようにできないものか、とも考えていた。
しかし、相手は映画界の華僑《かきよう》と呼ばれる辣腕《らつわん》プロデューサーN氏である。みんなが大損こいたといわれる映画のあとで、
「もう、散々でしたよォ」
とポルシェを買い、
「どうしたら儲《もう》かるんだろうネ」
と広尾に豪邸をぶっ建てた人である。
「スッポンでも食いませんかあ」
と、私を誘い、広尾の家のプールの底に表札を彫ったと宣《のたま》い、
「ま、ヘリでしか見えねーけどね」
という言葉に驚く私の手にハンコを握らせ、
「世の中、なめとんかあ!!」
とテーブルを叩《たた》く私の手の下に契約書を置いていた。まさに神ワザである。その神ワザはさらに続き、気がついた時には私、大阪は吉本興業の会議室に座っていた。
目の前には主演の千原兄弟が腰を下ろし、その前にN氏と三池監督が座っていた。この三池監督、私の大好きな映画「喧嘩《けんか》の花道」や「新宿黒社会」「不動」をやった人である。辛口である。見た目は初めに書いたように、盗んだ重機のブローカーみたいな顔をしているが、やる時はやる人なのである。
その監督がポツリと言った。
「どうですか、イサミちゃんの役、やりませんか」
私はその時、出された缶コーヒーのシールを集めようと、必死になってめくっている最中だった。
「は?」
「いやいや、イサミちゃん」
「はあ」
また軽はずみに出演してしまい、遠近感が壊れるだの、勝手に赤い顔をするなだの言われるのもシャクである。
「お断りします」と言おうとした。しかしである。その時私の横に座っていた吉本のN山氏が囁《ささや》いた。
「映画で着た衣装、もらえるで」
衣装がもらえる!? 私の頭はフル回転した。どうせ「当時のイサミちゃんはどんな服を着てましたか?」と、映画のスタッフから私に質問があるのはわかっている。
「アルマーニ!!」
と私がひと言いえば、イサミちゃんの衣装はアルマーニである。
「やらせてもらいます」
私は目を輝かせて言った。
そのイサミ役の私は、足を震わせて陸橋の上に立っていた。
黒地に金の糸で刺繍《ししゆう》が入ったようなセーター。黒のチンピラ・コールテンのズボン。黒のコート。アルマーニのア≠フ字も入ってない衣装である。
「この服やったら、何年か前に大量に捨てたがな」
一度ハンコを押したら最後である。すでに「スッポン」は「ロケ弁」といわれる冷たい弁当に変わっていた。
「移動の間、五分で食べ終わるように」
噛まずに飲み込んだ弁当が胃の中で躍っていた。
「本番いきます。テンション上げて!」
監督が足を引きずりながら大声を出した。つい今さっき、木刀でむこうズネを殴られる役を自らやった代償である。顔を蹴られたところも、まだ赤くなっていた。
「よおーい!」
辛口である。ONとOFFの差がこれだけハッキリしている世界は珍しい。
「はい!!」
カチンコが鳴り、私は一段ずつ下りていった。ほんの二十段ほどの階段が、下りても下りても永遠に下までたどり着かないように感じていた。
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一本の映画
ある早朝、私の携帯電話がプルルと鳴った。
誰だ今ごろ、故買商のIさんか、はたまたニコイチ車のブローカーのYさんか、いやまてひょっとすると酒乱のOLのMちゃんかも知れんと私は酒の残りまくった頭を叩《たた》きながら探したわけである。昨日から行方不明の携帯電話くんを。
携帯電話は無事、冷蔵庫の製氷室の中にあったのであるが、電話の声を聞いた途端、私は凍りついた。
「ナカバさん、本日はどうせおヒマでしょ。写真を撮りますので今日のロケ地まで来て下さい。十三時集合!」
というわけで今回も前回に引き続いて「岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇」の映画ロケのハナシである。なんだか自分の原作本である『岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇』をこうして自分で文字にしたり、映画のロケのことを書くというのは恥知らずなコマーシャルをしているようで、みっともないと思う人もいるであろうが御心配なく。私、コマーシャルなんてする気はない。ただ『岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇』と書くだけで原稿用紙の一行は確実に埋めることができるし、コラムのネタがない時のロケ地での出来事は非常にありがたいのである。年をくった売春婦と締め切りの迫った作家はどんなことでもしちゃうのである。そのうち、
「うっ!!」
「ぐえっ!!」
「どはっ」
「バキッ」
と、セリフだけのコラムをやってしまうかも知れないけど、そうなったら誰か「ごくろうさん、もういいよ」って私あてにハガキでも書いてくれ。私はまた、その辺をブラブラしてる兄《あん》ちゃんに戻るから。
ハナシは脱線してしまったが、映画のロケである。携帯電話の声なのである。
――写真撮影のためロケ地へ十三時集合。
電話の声の主は、助監督のKさんだった。このKさん、タミヤの1/35シリーズのドイツ軍歩兵セットのような顔をしている。「シンドラーのリスト」を見終わって映画館から出てきた客に、思い切りどつかれたというエピソードを持つほど似ている。だからどうしたと言われると困ってしまうが、声が非常に冷たい。しかも命令形である。
「はい、十三時に行きます」
と、つい言ってしまうのである。
「なにい! 原作者に対して来いだとォ。車を用意せんかあ!!」
言ってみたいのは山々なのであるが、原作者≠ニいう御旗を振りかざせるのはハンコを押すまで、と前回にも書いたし、もし車が用意されたりしたらよけいにしんどい、のである。
「もう、みんな徹夜で眠いんだからダダこねないでよォ。あとは頼みましたよ、バカナ、いやナカバさん」
そう言って車に乗ってきた奴は助手席で鼻|提灯《ちようちん》をふくらまし、私は運転席でハンドルを握るということになってしまうのである。
これは電車で行くしかないなと、二回ほど乗り換えて私はロケ現場へと向かった。これで行かなければ私もエライのであるが、なんといっても写真撮影である。多少の化粧なんかをしてポスターに写ったりするかも知れない……。
という私の淡い期待は、木《こ》っ端微塵《ぱみじん》に吹き飛ばされてしまう。
現場到着時刻は、十二時過ぎである。どれだけ私が浮き足だっていたかわかるであろう。で、写真撮影は夕方の四時である。しかも、写真はポスター関係ではなく、集合写真という、いわばみんなで撮る記念写真であった。
――パシャ、パシャ、パシャ。
四時間、寒風の中で待たされて三枚写真を写してもらってる私の前に、
「ナカバさん、これ持って下さい。持つんだ!」
と助監督のKさんは板きれを持ってやってきた。かくして、私は首の所だけ切り抜かれた半ズボン少年の絵に顔を突き出し、曖昧《あいまい》に笑う写真を撮られて帰路についたのである。
この怒りをどこにぶつけようか。
そのチャンスは、次の日早速やってきた。私が演ずるイサミちゃんの乱闘シーンの撮影である。
場所は天下茶屋《てんがぢやや》である。
東京の人に天下茶屋と言ってもピンとこないかも知れないが、今回のこの映画、「岸里」「狭山《さやま》」「鶴橋《つるはし》」「岸和田」「放出《はなてん》」と、大阪人がゴクリと唾《つば》を飲み込みそうなイケイケの下町で撮っている。普段は気さくでいい町だけどひとつでも筋をはずすとチトうるさい所ばかりである。
そこで乱闘しちゃうのである。
ロケ現場へ向かうバスに揺られながら「ああ懐かしい。この裏のマンションで小便漏らした人質がいたなァ」と、岸里のハトキン前で思い出したり、「ここだここだ。この通りで小鉄はポンちゃん≠ニ呼ばれて毎日、やばい置き薬を配布してたんだ」と、某パチンコ店前で涙ぐんだりと、私のテンションはいやがうえにも高まった。
そのテンションを別の方向へ上げてくれたのは、またしても助監督のKさんである。
「ナカバさんの前で言うのもなんですけど……」
プリクラで撮った妻と子供の写真がへばりついたジッポで煙草に火をつけながら、Kさんは前置きのあとに言ってくれた。
「結構……重要な役ですよね」
コチーンと音が鳴って体が固くなり、右手と右足を同時に出して歩いてしまうイサミちゃん。いつもならそうなるはずであるが、それが反対に良い方向へとテンションを上げてくれた。
ヤケクソになったのである。
どうせ演技なんてできないなら、そのままでやってやれ。本気でやるぞ。
乱闘シーンの直前に悟ってしまったわけである。かわいそうなのはやられ役の人たちである。一人は鳩尾《みぞおち》にツマ先が入ってしまった。
一人は膝《ひざ》で眼鏡が割れた。
一人なんか、顔がこのコラムの担当に似ていたもんだから、よけいに力が入ってしまい、店のシャッターがへっこむほどぶつけてしまった。しかし誰も文句は言わない。
「すみません。ボクに目線をくれませんか!?」
生爪を剥《は》がしてしまい、足から本当の血を流した奴が言った。他の奴が「血ィ出てますよ」と言った時、そいつは「シッー」と口を指で押さえて怒った。ケガのために気絶している役に回されたら顔が映らないからである。
「目線て、睨《にら》んだらええの?」
「はい、睨んでくれるとカメラがこっち向いてくれるかも知れんので……」
手につくだけでもベトベトする血のりを、そのまま口に含んだ奴もいる。
本当に顔を蹴《け》ってくれてもいいと平気で笑う若者がいる。
「ね、結構、重要な役でしょ」
Kさんがポツリと呟《つぶや》いていた。
「兄ちゃんら、二枚目はおれへんけど、みんな男前やで」
撮影が終わった時、近所の魚屋の大将が血のりを洗えと湯を提供してくれた。体はいやになるほど熱いのに、震えは、なかなかおさまらなかった。
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すごいホテル
「オトサン」というモノを御存知であろうか。
OTOSANと書いてオトサン=Bイタリアで売っている、耳アカ清掃器具なのである。モノはガーゼでできていて、それをロウで固めて、ラッパやメガホンのような形にしている。
それを耳の穴に突っ込むワケである。
そして先っぽに火をつける……。
なんだかすごいことになってきたように思うであろう。たかが耳クソをとるのに大の男が横になって、ラッパみたいなのを耳に突っ込んで火をつけてるんだもの。しかし、イタリアをなめてはいけない。たしかに、多少みっともない姿ではある。私は、これを都内某ホテルの洗面所でやったのであるが、九十度首を折り曲げて、火のついたラッパを耳に突っ込んでいる自分が鏡に映っているのを見た時、三十七年間、俺は「こんなことをするために生きてきたのか……」なんて考えたりもした。
しかし、である。
何度も言うが、イタリアをなめてはいけないのである。日本のわびさび≠中途半端という言葉で片づけて蹴《け》り上げるような国である。
オトサンの火が少しずつ根元に迫ってきて、残りわずか五センチほどになった時、日本の耳カキは両手を上げて「まいった」と言うであろう。わずか五センチのガーゼの中に、その人の今まで生きてきた年月分の耳クソがすべて、吸い上げられているからである。
正直なところ、私はしばしの間、言葉すら出なかった。宿便と同じである。耳カキの届かなかった、鼓膜の近所の分まで、三十七年間の耳クソが見事にガーゼの中に詰まっていたのである。
「オレってこんなに不潔だったのか!?」
やった人みんなが、そう思うらしい。しかし、他人がやったのを見た時、今度は悔しくなるらしい。オレより多いじゃないか、と。
六十歳なら六十年分、五十歳なら五十年分、見事に耳クソを取ってくれるオトサンを手に入れる機会があれば、ぜひやってみて下さい。イタリアの薬局で八百円ぐらいで売ってるらしいから。
さて、今回のハナシなのであるが、オトサンとはまったく無関係である。
「ははーん、じゃお父さん≠ナしょ。オトサンからお父さん。やるね、おたくも」
やかましい。そんなダジャレでコラムがスタートできれば楽なのであるが、今回は前回の続き、映画ロケのことを書こうと思う。考えてみれば、これの方がもっと楽なのである。
さっきも書いたが、私がオトサンを耳に突っ込んでいたのは都内の某ホテルである。ベッドはどっちが上だかわかんないほどでかいし、風呂《ふろ》だってシャワーと湯船が別々で、私の仕事場より広い。おまけにクソをすれば便器が湯でケツまで洗ってくれやがるし、ドライヤーの温風がそのケツを乾かしてくれる。
そこまでは良かった。
次の日は、朝イチで大阪帰りである。
「ドライヤーでケツを乾かしてる場合か。犬みたいにてめえでなめてろ」
と、ロケ隊の助監督・K氏がうるさいのである。なんだか二日前が最終日の予定だったのであるが、出演者でもある私が東京へと勝手に行ったので、撮影が延びたらしいのである。だからといって、私がすんなり帰るはずはない。
「オレの知ったことか。おまえらが原作者が誰かと思い出したら、帰ってやるわい」
私はでかいベッドに寝転びながら言ったわけである。今までのツライことへの仕返しである。
しかし、Kさんの目には、私が原作者なんてものには映ってはいなく、広場で首輪をはなした途端、草ムラから出てこなくなった犬、それと同じように見えていたようである。
「今帰ってきたらホテルを用意するよォ。夜景のきれいな角部屋ァ。メス犬を呼んだらイチッコロ」
私はシッポを振って「イチッコロ、イチッコロ」と帰ってしまった。
バカである。
思い返せば以前、WPBの担当くんにも同じ手口でやられている。
「大阪帝国ホテルの部屋、用意しました」と言われてシッポを振って同じように出ていった。
帝国ホテル・オオサカ≠ナはなく、大阪帝国ホテル≠ナある。近所に「ホテル・カリフォルニア」と「ニュー大谷ホテル」がある、名前は豪華であるがビジネスホテルである。
「あのォ、クーラーを強にしたらゴム臭ーい香りがするんですけど」
「じゃあ、中か弱にして下さい」
「はい……」
久し振りに枕を濡《ぬ》らしたホテルであったが、玄関の水まき用ホースがやけにきれいに巻かれていたのを覚えている。
「帰ってきやがったな」
○○ホテルの前でKさんと落ち合った。冷たく笑う彼の足元に、バームクーヘンのように見事に巻かれたホースを発見した時、私は同じ過ちをおかした自分を呪った。
それにしても、すごいホテルだった。
その日のロケは、ビルの屋上と病院の霊安室である。二月のビル屋上と霊安室というのは、結構寒くて冷たい。だから、ロケが終わってホテルに着いた時はやれやれである。やっと暖かくなれるわい、と思っていた。
私、ホテルの部屋の中で、白い息が見えたのは生まれて初めてである。
たしかに部屋に着く前のエレベーターの中で、見知らぬオヤジから声はかけられていた。
「あんた、初めてかいココは?」
「そや初めてや。しっかしここのエレベーターは冷蔵庫みたいに寒いなあ」
「ヒヒヒ、じゃあ部屋は整氷室ってかァ。寝たら死ぬよ」
変なオヤジだと思ったが、すごく正直者の人だったようである。Kさんがイチッコロと言っていた角部屋の夜景は、部屋と外の温度差で暖かい外側が曇ってまるで見えない。ホテル全体を時間をかけて、ゆっくりと冷やしたような、そんな感じなのである。今まで何千人の人がこの部屋に泊まってはチャレンジしたのであろう、室温調節のダイヤルが強≠フ方向に歪《ゆが》んでいる。チェーン・ロックは短くて一度かけたら一生はずれないような気もする。しかも風呂場の水がポチャンポチャンとひと晩中、最高の演出効果をやってくれる。
「くそお、また騙《だま》された」
ドライヤーで全身を温めながら、私はKさんの言ったことを思い出していた。
「部屋に入ったらまず、利用規則を読んで下さいよ」
ニコニコと笑いながら、実に嬉《うれ》しそうな顔をしていた。
「利用規則第一条」は部屋や廊下で暖房用の火は起こすな≠ニ書いている。誰かがやっちゃったようである。
その他にも許可証のない銃や刀、多量の物品の持ち込みはやめて=B部屋を事務所に使わないで=Bホテルの物を勝手に加工しないで=Bよそから出前はとるなよ≠ネど、このホテルが日ごろどれだけ苦労させられているかがわかる内容ばかりである。
「監督の部屋なんて風呂もないですよ。寝返りうったらベッドから落ちるし」
たしかにケツをドライヤーで乾かしてる場合ではなかったようである。しかし、打たれ強いものが生まれるのは、いつもこんな場所のような気がするのであった。
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下町のイキ
まず見えたのは、イタリア製の靴だった。
駅のホームが長細く映るほどピカピカに磨いた革靴と、あつらえたばかりのスーツ。
――ほほう、いいねえ。なんだか景色が引きしまりますねェ――
ヤクザであるのは、わかっていた。下からなめるように目を上げていくと、胸に代紋が光っていた。
――これで顔にしぶーいキズが一本ついてりゃ言うことないねェ――
思いながら顔を上げた。
「いよォ、チュンバやんけェ」
今でも風呂《ふろ》上がりに天花粉でもはたいてんじゃないかという、伸びきった顔が笑っていた。
――誰やねん、このガキ――
思いましたねェ、私は。せっかくゆっくり見上げていったのにこの顔だもの。棒のアイスキャンディーが半分ほどポトリと地面に落ちていった時のような、すごい損をした気持ちである。
「ひっさしぶりやのォ。今でもこっちで住んでるんか」
そんな気持ちも知らずに、男は馴《な》れ馴《な》れしく私の肩を叩《たた》いた。
ムカッムカッムカッ――
脳で湧き上がった怒りが、かろうじて心の中のブレーキ部門を通っていた。
「おまえなあ。その服装やったら、誰でも成田三樹夫の顔がのってると思うハズやど、普通」
私は目の前のせんだみつお♀轤睨《にら》みつけた。どこかで見た顔である。
「ハハハ。変わってないの、チュンバ」
「変わってないでェ」
――ズバンッ!!
と張りたおしてやった。カクンとヒザを落とした男は、ヨロリと後ろへ下がりながら、
「なにすんねん! チュンバ!!」
と、泣きそうな顔をした。やっぱり木田であった。
木田進。私と中学生活の間、ずっと同じクラスだった奴である。私はこの木田君が大好きで、学生服の背中にチョークで的を書いては、ダーツの矢を持って追いかけ回したり、剣道部だった彼の握力強化のために毎日肩を揉《も》ましてあげた。その都度、木田君は泣きそうな顔をしていた。
「チュンバ……? 君[#「君」に傍点]を付けんかい」
もう一発、鼻のてっぺんでも曲げてやろうかと思い、彼の髪の毛を鷲《わし》づかみにした。その時である。
「こ、これが見えんのかい……」
木田は胸を突き出すようにして、スーツの襟に光る代紋を押しつけてきた。やっぱり、そう来ましたか。私は地面のホコリが飛ぶくらいの大きなタメ息をついた。
――誰だよ、こんなどうしようもないイモをヤクザにしたのは――
思うのである。かなり激しく思っているのである。
定の時もそうだった。この定という男は私の小学生の時からのライバルで、人を集める能力はズバ抜けたものを持っていた。
「おのりゃ、覚えとれよコラ」
「おういつでも来い。そのかわり百人ぐらい連れてこんと足らんぞ」
このたったふた言の会話が命とりになってしまう。
「これで足りますかァ? 一応百五十までは出席とってますけど」
山のような人の群れが、定の後ろで睨みつけていることになる。目玉だけでも三百個である。手と足なんか数えたら、もう力が抜けていくであろう。今はその能力を生かして、運送と人材派遣の会社の社長である。その定に若いヤクザが噛《か》みついた。
「定さーん、何してますの」
8ミリビデオのレンズを涙で濡《ぬ》らしながら、娘の障害物リレーをカメラにおさめていた定は振り返った。
「え……!?」
男は、自分の元子分。二カ月前までは、置き薬の営業をしていた奴である。
「涙流して、何をしてるか聞いてんじゃい」
「ワレ、アホか」
目の前で障害物リレー、校門には万国旗。白いテントの中には新品の体操服を着た校長先生。
「パートウォッチングでもしてるように見えるか」
定ァ、それを言うなら、バードウォッチングだ。パートのおばちゃんが集まったらもっとうるさいぞ。定が娘の勇姿を見ながら泣いてると聞いた私と小鉄は、ラジカセと「娘よ」の入ったテープを持って、定をもっと泣かせてやろうと探していたのである。
「アホて、オレに言うてんかい」
男はぐいんと胸を張って一歩出た。胸にはキラリと代紋があった。
「おまえ以外でおったら、教えてくれや」
「もういっぺん言うてみい」
「じゃかまっしゃい! 二回も言わすなボケ!!」
定の足が男の股間《こかん》を蹴《け》り上げていた。男は顔を真っ赤にして両手で急所を押さえながら、
「定ァ、ワレこの代紋、見えんかったとは言わさんぞ」
と、絞り出すような声で言った。
さあ、どうする定。相手は代紋を付けたヤクザである。こないだまでは軽四に乗って置き薬の交換に回ってたけど、今は玄関先に現れたら最後、帰れと言っても帰ってくれないヤクザである。私と小鉄は「娘よ」のテープより、こりゃお経≠フテープの方が良かったなと話し合っていた。
「あーあ、やってられんのお。こんなドイモをヤクザにしたのん、誰や」
定はひと言だけを言うと、ちらりと私と小鉄の顔を見た。そして笑った。私が生まれて初めて見た定の笑顔である。
「殺してしまえ、そんな世間知らず」
ポツリと小鉄が言った時、定は娘をじっと見ていた。
「どないすんじゃい、よおコラ」
いきり立つ男の前で一回、大きく深呼吸したであろうか。小さな声で定が言った。
「ニーヤン、殺さんど。ワレが殺してくれ言うて泣いても、殺さへんど」
定は男を校舎の裏へと引っぱり込み、夜になっても出てこなかった。
「コ、コラ。どないすんねん、やるんかいチュンバ」
木田はまだ泣きそうな顔をしながらも、胸の代紋をいからせていた。
勘違いは困るのである。そりゃ私だって定だって、代紋は怖い。しかし、目の前の男には負けられないのである。ここは、新宿やミナミやキタと違う下町である。昔、下町の粋なヤクザは代紋を裏返して付けていた。
「男同士のコトでも、代紋が出たらそうはイカン。コトが大きなるわい」
それだけではない。街でケンカになりかけた時、相手は何も知らずに胸ぐらをつかむ。つかむと裏返しの代紋が初めて顔を出す。
「あらら……」
あわてて手をはなせば元通りである。
「最後の逃げ道ぐらい作ったらんとのぉ」
下町である。この町で生まれ、この町で死んでいく。
「いよお、結構甘いぞ」
店の前に座った畳屋の隠居が投げたミカンを、肩で風切るヤクザが受け取る。ハンドルのアソビに心のアソビ。アソビを失くした奴らがヤクザを追い出す。町≠ェ街≠ノなって息苦しくなってくる。
「コラ木田、チュンバ君[#「君」に傍点]て言わんかい」
鼻がひん曲がるくらいどついてやった。だけどオレ、代紋は見ないようにしたし片目をつむっていたから、仕返しは半殺しで辛抱してよ。それが逃げ道っていうもんだろうよ。
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僕の身元引き受け人
久し振りに警察へ行ってきた。
いや、久し振りどころか、自分から出向くなんて初めてではなかろうか。今までは警察が迎えに来てくれていた。
早朝六時頃、ハナ提灯《ちようちん》をふくらませている頃に、彼らはやってきてくれる。来なくていいのに。
だいたいは三菱かマツダの車が近所に停まり、まずは家の裏口で足音がする。地震が来ようがガス爆発が起きようが、私はめったに起きない。しかし、足音だけはいまだに目が覚める。
「アカン、キップ(筆者註・逮捕状のことだよ)回りやがった」
あわてて玄関の戸の隙間から覗《のぞ》くと、向こうも覗いていてウィンクされたこともある。
私の友人のガイラという奴の場合は、夕方やってきたという。風呂場《ふろば》で頭を洗っていると、どうも目の前に人の気配がする。しかし、彼の場合ヤバイとは思わない。
「そういやオレ、霊を感じやすい体質やったのお」
と、彼はお経を唱え始める。そしておもむろに「カーツ!!」と大声を出しながら、霊をぶんなぐったそうである。公務執行妨害で、よけいに遠くへ行ってしまった。
それが今回は、自分から行ったのである。それも二回、たて続けにである。
ひとつめは友人の面会である。
アパートにひとり暮らしの友人は、女が遊びに来るというので大掃除をした。「WPB」や「オレンジ通信」なんかはシャブと同じように天井裏へと隠し、「週刊文春」と「自由時間」をちゃぶ台の上へと置いた。もちろん、ルームシャルダンでイカ臭いにおいも消した。そして女がやってきた。
その日、となりの住人はキムチ鍋《なべ》である。ルームシャルダン木《こ》っ端微塵《ぱみじん》である。二階の住人はビデオを返しにやってきた。普通のおばさんシリーズ≠フ前で、週刊文春は沈没である。
日本刀を持って、暴れても仕方がないではないか。
私は彼のために、トレーナー上下セットを差し入れた。自殺防止用として腰のヒモは抜かれるから、ゴムが入っているヤツにした。そのかわり、時間を忘れて体が温ったまる錠剤を入れといた。ごめんなさい。
その後、そのまま岸和田警察へと向かった。今度は面会ではなく身元引き受け人としてである。
身元引き受け人。
読んでの通り、身元を引き受けてくれる人のことである。私、今まで何十回と身元を引き受けてもらったことはあるが、自分が引き受けに行くのは初めてである。
今まで私、少年期で八回、青年期をあわせると十六回ほど警察のやっかいになっている。もう四回やって二十回になると「よく頑張りました」と警察がゴールドの会員証をくれると友人は言っているが、信じないことにしている。
そのたびにやってくる私の身元引き受け人は母ともう一人、父の弟になるオジサンである。
このオジサン、中場家の広報担当のような人で、身元引き受け人歴はかなり長い。なんといっても父の兄弟の末っ子である。
父の兄弟なんて八人のうち六人が男で、その六人全員が世の中をナメたような人ばかりである。
兄弟ゲンカでさえナタやノコギリを振り回すぐらいだから、他人とケンカをする時など、立ちくらみがしそうなものを振り回す。
他の家を訪ねていって誰もいなかったりすると、まず玄関の戸を蹴《け》り破る。そしてその中へ頭を突っ込み家の中をぐるりと見回す。そこまでしてやっと「留守かあ」と帰ったりする。
そんな兄弟の広報担当は大変である。毎日誰かの身元引き受け人に行かねばならないのである。
その血を受けついだ私の身元引き受け人もまた、オジサンだった。
オジサンが警察にやってくるのは速い。警察から母のもとへ電話が入り、
「おたくのバカ息子を預かってます」
と言ってから十分後には着いている。
着いてすぐ大声を出す。
「こらあ! なんで手錠なんか、かけてるんじゃい!!」
「いやいや、暴れますんや、こいつ」
刑事はまずドギモを抜かれる。いつも大声を出してドギモを抜く者は、同じワザには弱いものらしい。
「はずしまんがな」
刑事は私の右手首と左足首とをつないでいた手錠をはずしてくれた。
自由である。
ポケットに隠していたダーツゲームの矢を、刑事のオデコめがけて一メートルの至近距離から投げられるし、引き出しの中の刑事の名刺を盗んで、
「ボクの父です。ツケといて」
と、あっちこっちで悪用もできる。
私が自由になったら、オジサンは声を落とす。時には流れるように、時には涙につまりながら、私の生い立ちを作り話九十%で語り始める。刑事が犯人をオトすように、オジサンは刑事をオトすのである。
その間、ずっとオジサンは私のことを「中場くん」と呼ぶ。自分も同じ名字のクセにと思っていたが、五十回、百回と繰り返しているうち、自然と刑事も私を「中場くん」と呼び始めてしまうのである。
「中場」と呼び捨てで調書をとられるのと「中場くん」と呼ばれて調書をとられる違いは、後日かなりの差になって表れる。オジサンはすべて計算ずくである。さらにこのオジサン、手ぶらでは来ない。必ず食い物を持ってくる。
「いえいえ、わたいが自分で食べまんねん」
そう言いながらカレー煎餅《せんべい》の詰め合わせをかじる。深夜のカレー煎餅とお茶には、誰だって手が伸びるものである。やさしい気分になるものである。刑事も人の子である。
実は私、そのオジサンの身元引き受け人として警察へ行ったのである。
オジサンと最後に会ったのはいつだったであろうか。たしか成人式の日だった。いつものようにやってきたオジサンを前に、私は窓の外を見ていた。警察署から市民ホールが見え、晴れ着を着た私の同級生たちがいっぱいいた。
その人の群れに突きとばされながら、警察署へと向かう母の姿を見た時、私は目をふせてしまった。
「しっかり見んかいコラァ」
初めてオジサンにドツかれた。そしてオジサンと約束した。
二度と人は殴らないと。
いくら身元引き受け人でも、オジサンと会うのはつらかった。約束なんか、まったく守られていなかった。
オジサンは岸和田警察の駐車場のスミで寝転んでいた。すっぱだかになりアルコールで全身を清められていた。妻に捨てられ、子に捨てられ、ホームレスとして暮らしていたという。
「原因は酒ですか、やっぱり。カッコワルイ」
遅れて姿を現した妻と子は、吐き捨てるように言った。
「これ、どうします?」
「燃やして下さい。そんなもの」
十万以上もしそうなバッグを持った息子は、ビニール袋に入ったオジサンの汚れた服から目をそらした。
「しっかり見んかいコラァ!」
そう叫んでしまった私は、またオジサンとの約束を破ってしまったのである。
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みどりちゃん
さあてと、クリスマスである。
今さら、パークハイアットやら西洋銀座やらと、女が一発で沈没しそうなホテルなんか予約もとれないらしい。
去年のクリスマス、バシッと決めた野郎がそのまま、今年の分まで予約して帰っちまうそうである。
「まあ、半分はキャンセルになりますけどね」
ニカッと笑いながら、某ホテルの人はそう言って頭を下げていた。へえ、そんなもんかい、と私はそのホテルのエレベーターに乗っていたわけである。
その私の仕事場よりでかいエレベーターの箱の中で、実にイヤな野郎を見てしまった。
ぼおっとくわえタバコで立っている私の前に一組のアベック、その横には私のタバコの煙を手であおぐ若いサラリーマンの二人連れがいた。
さて、どっちがイヤな野郎だったでしょうか?
「アベックだ。きっとエレベーターの中で、四十八手のイラスト入りの手ぬぐいでも見ながら、イチャイチャしていたんでしょ」
ブーである。なにも私は有馬《ありま》温泉に痛めた左ヒジの治療に来ているのではない。一応都内の、トドのような外人がプールに飛び込んでは頭を強打して怒っているようなホテルである。
それに、そのアベックの二人はどちらかというと、好ましいタイプである。
「あたし、小さい頃パパと手をつなぐ時、いつもこんなふうに指を持っていたの。パパの小指もタカシの小指みたいに大きくて温かかったわ」
たしかに、なにぬかしとんねん、パパやとコラ、などと言いたくはなった。くわえていたタバコを女の頭のてっぺんに押しつけてやろうかとも思った。
しかし、次に出た男のセリフを聞いて、私の右手は動きかけて止まった。
「いいなあ千草はァ。オレんとこのオヤジは、その小指がなかったよ」
不憫《ふびん》ではないか。健気《けなげ》ではないか。私は友人のガイラのところの息子の顔を思い出してしまった。
毎年クリスマスになると、
「お父さんの小指」
と書いた紙を靴下の中に入れていたあのバカ息子と、そやつの顔がダブッて見えてしまった。
「タカシもつらかったろうけど、タカシのパパの方がもっとつらかったはずよ」
やさしい女の声を聞きながら、
「いいやァ、本人はそれほど気にしてないもんだぞォ」
と涙ながらに教えてやろうとした。
その時である。
たかがタバコの煙を放射能でも浴びているように、手であおいでいた若いサラリーマン二人組の会話が耳に入ってきてしまった。
「どうだった、彼女の返事は」
「うん……それがな」
おだやかではなさそうである。クリスマスを前に、女に言っちゃったようである。私はタバコを分厚いじゅうたんでふみ消し、耳を大きくひろげた。
「このまま……ずっと友達でいようって言うんだよ」
ワハハハハハ、ザマミロと片方の奴が笑うかと思ったが、そうではないようだった。
「そうか……友達か」
「うん、友達だ」
「いいじゃないか、それでも」
おいおいおまえ、それはないだろう。友達なら一生その女と一発もできないぞ。やりたいから言ったんだろ。
「彼女はおまえにとって、かけがえのない人だもんな」
「うん、かけがえのない人だ」
――待てコラ、今なんて言った――
私は二人組にグイッと顔を近づけていった。女がかけがえのない人だと。
かけがえのない人。
そんな大事な言葉を簡単に使ってもらっては困る。
――女なんて盲腸だ。邪魔になったら切ればいい。なんならクスリで散らしてしまうか――
R君はいつも言っている。かけがえのない、なんて重い言葉は使わない人である。
「女ァ、動産、動産。いつでも売り飛ばしたるわい」
そんなことばかり言っているR君に女がついてくるはずはない。誰だって売り飛ばされたくもないし、クスリで散らされるのも嫌である。
しかし、一人だけ「強がり言ってんのよ」とついてきた女もいた。
みどりちゃんである。
このみどりちゃんをナンパしたR君の方法は、かなりロマンチックである。
まずR君はトルエンの缶をひとつ用意したらしい。それを釣《つ》り竿《ざお》の先にくくりつけると、近所の団地内を一周した。
――パクリ。
と食いついてきたのがシンナー大好き少女だったみどりちゃんである。
「いやあ、ビックリしたわい。ほんまに後ろについてくるんやもん」
二人の付き合いが始まった。始まってすぐ、みどりちゃんはピタリとシンナーをやめた。
「Rのこと大好きやし。シンナーなんかやってたら、赤ちゃんに悪いやろ」
濃い化粧を取り、みどりちゃんは近くの食堂で働き始めたのである。
その時初めてR君は知った。いや、周りにいた者たちも驚いた。
みどりちゃんはかなり美人だったのである。シンナーをやめてふっくらした顔は、色白で今で言う鈴木京香のような顔である。
「さあえらいこっちゃ。どないするR君」
盲腸みたいに切れるもんなら切ってみろと、みんなは口々に言った。
「おう、いつでも切ったるで」
小さな声でいうR君の首には、みどりちゃんが編んだみどり色≠フ毛糸のマフラーが巻かれていた。
「ちゃらちゃらすんなァ、ボケ」
みんなの罵声《ばせい》を浴びながら、R君は平然と言ったものである。
「みどりはオレにとって、かけがえのない女や」
言ってすぐである。R君が大きな事件を起こしたのは。
「すまん」のひと言だけを残し、R君は地元から逃げ出した。女を一人連れて逃げたが、それはみどりちゃんではなく盲腸であり、動産である、すぐ金になる女≠セった。
「いつかは帰ってくるやろし、おなかの子供のためにも待ってみる」
R君のかけがえのない人はずっと待ち続け、くたびれ果てたR君はやがて戻ってきた。
「今から、帰ってもええか」
「何を言うてんのん、おかえり」
毎年、クリスマスになると私はみどりちゃんを思い出す。バカな男が帰ってくるんだと、大きなおなかでケーキを買いに走ったみどりちゃんを。嬉《うれ》しさのあまり赤信号を突っ切ったみどりちゃんを。
女は盲腸である。邪魔なら切ればいい。なんならクスリで散らすか。
一度でもかけがえのない人をつくったら、一生強がり言って暮らすハメになってしまう。
今年もクリスマスは、やってくる。
みどりちゃんの命日を前に、R君は今年も独身のままである。
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目にチカラの入った奴ら
芝居を見に行ってきた。
芝居なんて何年ぶりであろうか。私が幼稚園の時にやった「舌切り雀」以来である。
たしかその時は私、おじいさんの役をやった。「舌切り雀」のおじいさん役といえば、準主役みたいなものである。「仁義なき戦い」でいえば山守のおやっさん。「グッドフェローズ」でいえばロバート・デ・ニーロの役。セリフが多い。
それほど大事な役であるから、プレッシャーたるやすごいのである。しかもまだ若い。「キャー※[#ハート白、unicode2661] 女の子みたァい」と近所のおネエちゃんたちにお世辞を言われていた幼稚園児の頃である。
「どうしたんじゃ、スズメたち」
と言うべきところを、
「どないしたんじゃいコラ、スズメェ」
と、カチンコチンにあがった私は、岸和田弁でやってしまった。大ハジである。舌を切られたスズメたちを助けるどころか、
「丸焼きにしてこましたろかあ」
なんて言いながら追いかけてしまったのである。しかしその時は、私たちのあとでやった大芝幼稚園サクラ組演ずる「コブとりじいさん」のおじいさんが、私よりさらにプレッシャーに弱い奴で、自分のコブを食ってくれたおかげでそれほど目立ちはしなかった。
しかし、いまだに芝居と聞くだけで赤くなってしまう。そんな私が芝居を見に行ったのである。今回は自分がやるのではなく見る立場であるから、安心といえば安心ではあるが、その芝居の原作が私の本である。まあ言葉は全部最初から岸和田弁で書いてあるのでいいのであるが、何かそそうをしていないだろうかと心配になってくる。しかも場所が東京の青山円形劇場である。
私、この円形の舞台に弱い。円形と聞いただけでまたもや赤くなってくる。「舌切り雀」より少し前、私は学芸会で大ダイコを叩《たた》いた。周りは円形に組まれた客席があり、ケンちゃんのお母《か》んも来てるし、和田くんのお父《と》んもダムの建設現場から帰って見に来ている。プレッシャーである。チンチンの先がムズムズするのである。
――ドーン!!
自分が叩いた大ダイコが、これほどチンチンに響くとは思ってもみなかった。気がついた時にはダムが決壊するかのように、小便をちびってしまっていた。和田くんのお父んは怒ってしまう。うちのお母んは他人のフリをして帰ってしまう。悪夢である。今でも私の友人の中で小便をおもらしする奴がいるが、そいつらは警察の尿検査から逃げるために、わざとするのだから、意味が違う。で、いやいやながら行ってきた。
日本映画学校俳優科八期生たちの卒業公演「ライオンは夢を見る〜岸和田少年愚連隊伝説〜」である。仕掛人はWPBのコラムで版画をやってくれた山本隆世画伯である。映画学校の先生でもある、この人が私に版画を一枚もくれないクセに原作を持っていってしまった。持っていかれたからには、中途半端なことをしやがったら怒らねばなるまい。見に行ってみて、くだらないことをしていたらキャン≠ニ犬のようにいてもうてやろうかと思っていた。
キャンと言ったのは私の方である。
「まいった」と思った。
芝居をしている若者すべてが、実にいい目をしている。
――目にチカラを持っているか――
私は人を判断する時、いつもそのことを基準にしている。
「目にリキが入ってる奴はなあ、何をしてもリキが入ってんじゃい。なめたらアカンど」
言ったのは私の父である。その血をついだ私が見ても、芝居をしているガキども全員の目が、リキが入っているいい目をしていた。
しかし。しかしである。当然といえば当然なのかも知れないが出てくる若者たちは、当時の若者である私たちとは全然似ていない。
たとえばチュンバ。チュンバとは私の若い頃のニックネームなのである。が、その役をやった若者はキムドク、いや、キムタクを少しワイルドにしたような顔をしている。困ってしまうではないか。場所が東京の青山だからいいものの、岸和田でやったらエライことである。
「あのハクション大魔王がキムタクかいや」
と心ない私の友人たちがあまりの差に怒るであろう。ガイラなんて真っ先に怒るに違いない。ガイラの役をやった若者にはオデコがないのである。いや、あるにはあるがほんのオカザリほど、指が二本入るか入らないかという「ツーフィンガーデコ」なのである。これは見た人しかわからないであろうが、あなた自身明日から死ぬまでの間に、オデコの狭い人と会うたびそいつのオデコの横にショートホープの箱をならべるといい。
「うわあ、ショートホープより短いわあ」
とシャコタン車に驚くような声が出たら、目の前のそいつがガイラの役をやった男である。
小鉄も定もサイもそうである。サイなんか角川春樹氏を茶髪にしたような顔をしてるし、定なんか本物以上にチャラチャラしていて、とてもじゃないが、五十人の子分を動かせる器ではない。なのに本物の顔が浮かぶのである。
チュンバ、小鉄、サイ、ガイラ、定。そしてお母んにお父ん。全員あいつらの顔に見えてきてしまった。たとえば私のお父んの役の奴。もちろん顔なんかまったく違う。それが父の顔に見えてきて、ひとつひとつのセリフがすべて、父の声に聞こえてきてしまうのである。
なぜなんであろうか。
小鉄の役をやった若者は、芝居が始まる数カ月前、一人で岸和田にやってきたという。まったく知らない所を一人で歩き、どんな風が吹いているのかを感じて帰ったらしい。
「オレも行きました!」「私も行きました」
あとで聞くと結構な人間が、来ているのだ。言っておくが、こいつら全員自費で来てるんだよ。
「お金のことはいいじゃないですか」
バカなことを言うなって。青山円形劇場でやるのは四日間だけなんだよ。そのために二日ほどかけて岸和田の空気を吸いに来て、何カ月もかけて稽古《けいこ》をする。
目にチカラを持った奴が好きである。
芝居が終わって打ち上げが始まった時、若者たちより大人連中が先に泣いていた。
「世の中なんかな、なめたらええねん。たいした奴はおれへんから」
父の言葉を思い出し、そのまま若者たちに言ってやった。言ってて自分が恥ずかしくなってきた。たいしたことのない大人が、たいした奴らに言ってんだもん。恥ずかしいよ。
今、私の机の上には一枚の卒業写真が載った、芝居のパンフレットが置かれている。いい目をした若者たちがじっとこちらを見ている。好きな奴がまた増えてしまったようである。
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涙、涙の卒業式
感動してしまった。
何、って卒業式である。私の友人のバカ息子が中学校を卒業するというので、一緒についていってきた。
私と友人が共に卒業したのと同じ学校、我が母校である。私たちが卒業した二十一年前は、まだ全員、帝国陸軍初年兵みたいな坊主頭だったのであるが、それが今やみ〜んな長髪である。
悔しい。やはり悔しい。
目の前にズラリと並ぶ長髪を睨《にら》みつけながら、
「いくら毛ェ伸ばしても、キムタクやらつんく[#「つんく」に傍点]みたいになるかいボケ。ムンクみたいな顔しやがって」
と言ってもダメである。バサリと満員電車の中のOLみたいに髪の毛を振り回されると、
「黙れ、元シバカリ君」
と言われているようで、口をつぐむしかないのである。しかし、しかしである。少数ながら坊主頭も発見した。野球部および柔道部あたりの汗くさい奴らではなく、れっきとした不良にである。
私、立ち上がって拍手しようかと思ってしまった。だってそのワルガキども、わざわざ卒業式のために坊主頭にしていたのだ。トドメにカミソリで文字を剃《そ》っている。
後頭部に寿≠ナある。
寿≠セよ寿=Bしかも後頭部にである。一瞬、結婚式の風呂敷《ふろしき》でもかぶっているのかと思ったが、マジで剃っているのである。
昔も今も変わらないなァと思った。
私たちの卒業式の時も、同じことをした奴がいた。しかも同じ寿≠フ文字である。ただ、やった奴が私の友人の小鉄≠ニいう男だったため、すんなりとはいかなかった。
「どお! ちょっと見てくれや」
卒業式を一週間後にひかえた頃、小鉄はそう言って私に頭を下げた。下げた頭のてっぺんに文字が剃ってあった。
「おめでとうさん。寿、寿」
ニコニコと笑う小鉄であったが、どう見ても寿とは読めなかった。
「寿がどないしてん?」
「そやから、きれいに剃ってあるやろがい。寿ていう字ィに」
言いながら小鉄はもう一度ペコリと頭を下げた。この男、生涯人に頭を下げたのは、この時の二回だけであろう。
「どや、めでたいやろ。なんせ卒業式やからのォ」
「めでたいかどうかは知らんけど、おまえ字ィ間違うてるど。老になってるど」
この小鉄という男、この三年後には梅干し茶づけ≠フ文字入りの梅のイレズミをいれるという、大ボケをかます男なのであるが、下地はすでに出来上がっていたようである。寿≠ニいう字は老≠ノなっていた。
「なにいィー!!」
冷汗をたらした小鉄は、あわてて後ろを振り返り、ヘラヘラ笑う男を睨みつけていた。アキラという、これまた私の悪友である。
「くおら、アキラァ! おまえ『ことぶき』ていう字ィ、知ってると言うてたやんけ」
「え!? その字ィと違うの」
アキラはキョトンとした顔で、小鉄の頭を眺めていた。そのアキラもなにやらカミソリで剃ってあった。この男の場合は文字ではなく、三本のラインをいれてあったのだ。
「それよりアキラ、おまえのその三本線はなんやねん。のしぶくろのヒモか」
私は小鉄の頭をペシペシと手で叩《たた》きながら、アキラの返事を待った。
「アジダスやんけ」
思った通りの返事がかえってきた。
「それを言うならアディダスじゃい。寿もよう書かんもんが英語を口にするなボケ」
口をとがらせながら小鉄はアキラを蹴《け》っとばした。バカ者二人のケンカはみにくいものである。
「まあええやんけ小鉄。あと三人そろえて人∞保∞険≠ト剃ってまえや」
私はなぐさめてやった。四人あわせて老人保険≠ナある。くたばりそうでくたばらない、めでたい文字である。
「やかましいわい。おまえもなんか剃れや。幸≠ネんかどや。しあわせ」
「アキラ、しあわせ、ていう字ィ知ってるか」
「こんな字ィやろ」
アキラは空中に指で文字を書いた。辛=B私はやめることにした。
「それよりおまえら、卒業式の日ィにどつく先公はおるんかい」
老を撫《な》でながら小鉄は私とアキラの顔をながめた。
「小鉄、おまえこそどやねん」
反対に私が聞いた。私とアキラは同じ学校だが、小鉄はとなりの学校である。
「いやあ、みんな急にやさしなって……」
「うちもそうやで」
三人同時にタメ息をついた。そうである。卒業式が近づくと、先生たちは急にやさしくなる。
「人を尊敬しろ。そしてその人の何かを盗んで自分のものにしろ」
先生が太陽を見つめて言うので、私は言われた通り、尊敬する人のサイフを盗んだりした。
「バカモーン! 意味が違ーう」
そのたび人の頭を木のコンパスで叩いていた先生が、少しずつ変わってしまうのである。
「まあ意味は違うけど、最初はそのくらいから始めなさい。ちなみに中場くん、君の気に入らない先生てダレ?」
なんて小声で聞いてくるのである。
「お・ま・え・じゃ」
ニヤリと笑ってやるともっとやさしくなってしまう。しかし、中には本当に腹の立つ先公もいる。私の場合、Hという名の生活指導だった。Hは、私が卒業式シーズンをひかえ、
「あなたの憧《あこが》れの人の第二ボタン、誰より早く入手します。今なら彼の名前の刻印入り※[#ハート白、unicode2661]」
と女生徒相手に始めた商売の邪魔をした先公である。
「あのHだけは、いてまうけどの」
私は小鉄とアキラに宣言し、そして卒業式はやってきた。
私、H先生を前に泣いてしまった。
その先生、毎年一人ひとりの手を握って何かを言うのである。私はその瞬間に頭突きをかましてやろうと待っていた。
「一生忘れない。オレはおまえが可愛くて可愛くて……すまん!! 許してくれ!! つらいことばかり言って。オレはおまえを一生忘れんぞおー」
私の手を握りしめて言うのである。
「先生……」
急に体が熱くなり、涙が勝手に溢《あふ》れ出ていた。私は自分自身を恥じながら、泣いて卒業していった。
「あのH先生、今もおるんかのォ」
長髪中学生の背中を見ながら、私は背伸びをして探してみた。
「すぐそこでおるがな」
友人の指の先に、H教頭が泣いていた。教頭になった今でも、一人ひとりの手を握って回っているようだ。
「一生忘れない。オレはおまえが可愛くて可愛くて……すまん!! 許してくれ!! つらいことばかり言って。オレはおまえを一生忘れんぞおー」
二十一年前と同じセリフだった。
「ハハハ、オレも一緒のこと言われたわい」
私と友人が同時に笑った。
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教育とは、何だ!?
それだけは、勘弁してくれ。
というものが三つあった。そのうちのひとつは講演会。
「ほほーう、あんたが講演会と。言っとくけど漫談と講演会は違うよ」
わかっております。だからこそ、やらないようにしている。
「話してる時はおもしれーんだけどなァ。どうしてそのまま文章にできないのかねェ。脳から口までは伝わるけど、手の先までとなると、途中で忘れちゃうのかなあ」
そんなひどいことを、H社のHやWPBのTなんかが言ってるのも知っている。「本当だったね」と言われたくないので講演会はやらない。
ふたつめは人生相談である。
理由はカンタン、私が相談にのってほしいくらいだからである。
――三十八歳の作家です。まだ一部では町のチンピラと思っている人もいます。ボクは生まれつき、自分が楽しくない時に人が楽しそうだと、アッタマにきちゃいます。今も寝ないでこの原稿を書いているのに、担当のT君は韓国に行ってます。先週はオトサンを耳に突っ込んでブランコで笑ってました。燃やしてもいいですか? 奴の家――
という相談を「天下無敵」のコーナーに送ってポロシャツをもらいたい立場なのである。
三つめは審査員。
これの理由なんか、もっとカンタンである。ダレも「やれ」と言ってくれないので、先手を打って断っているかのように見せているだけである。それに私の場合、好き嫌いしか言えないので審査なんてムリである。
この三つだけは誰が何と言おうがしないぞ、とかたく心に誓っていた。中学の時に「イヤ、イヤッ、やめて」と言いながら足をひろげていく女に、
「おまえ……よくないぞ。言うてることと体が逆やんけ。とりあえずオレはやるけど、悔い改めなさい。いやいや、オレが済んでからでいいから」
と言ったりしていたのに。天に向かって吐いたツバは、やはり自分にかかるようである。掟《おきて》を破ってやってしまったのである。講演会を。といっても一人ではなく、司会の人とゲストをいれた三人のトークショーというやつである。
その日、三百人収容できるという会場はガラッガラである。こんなことなら、近所の病院の「お薬渡し窓口」を、今日一日だけここでやってもらえば人が来たのになァと思ったが、仕方がない。
主催者の人たちが気をつかってくれてるのが痛いほどわかるのである。
「どうですか? 人は集まってますか」
携帯電話で会場と楽屋との連絡をとりあっていた人に聞くと、プツリとスイッチを切ってから、
「さあァ、途中で切れましたから……」
と、汗を流して笑ったりする。その頃、会場では後方三列のイスを取っぱらい、来てくれた人をなるべく固まらないように均等に並べ、舞台に出てきた私が「ま、こんなもんか」と思えるように視覚的演出をしてくれていた。
そんなことなど何にも知らない私は、楽屋の窓から見える小学校の校庭をぼおーっと眺めていた。太陽は適当に照りつけ、大きな木はしっかりと陰をつくり、白いペンキを何度も塗り直した百葉箱、ハデな色で少し気恥ずかしそうなトーテムポールにジャングルジム。これでもかあ、というくらいの実に正統派ストロングスタイルの小学校校庭である。
「やっぱりあれですか、小学生の時から書くのは好きでしたか?」
チャンスだ、話題を変えるなら今しかあるまい、と連絡係の人は私の横に並ぶと眩《まぶ》しそうに校庭を眺めた。
「なにィ、後ろの方の席がガラガラぁ。カカシはバレるやろォ。マネキンならなんとかなるやろけど……」
そんなことを言っていた人と、同一人物とは、とても思えない。
「さあ、どうでしょうか。小学生の頃は書くよりもっぱら読む方でした。六年の時に読んだミシマはショックでした」
ふうっと遠い目でもすりゃあ私もなかなかやるのであるが、もしそんなことを言って「で、書いたのがアレですかい」とアゴの下からなめるような角度で睨《にら》まれるのもつらい。
「いやあ、かいたのは恥ばっかしですわ。ダハハハハ」
私は、自分で自分が少し嫌いになるようなセリフ集(1)の中からとっておきのを、ひとつ出して言った。
「そうですか。その後も書いたり、ということはなかったわけですよね」
「ハイ。まあ中学になると、別のものをシコシコとかいたりはしますがね。ダハハハ……」
また言ってしまった。きっと私の横にいるこの人は、今夜家に帰るとまずネクタイをゆるめるであろう。そしたら奥さんが背広を受け取りながら、
「どうでした、今日の人、えーと、なんだっけ……バカナ? カバナ? ナカバ? バナナ」
口に人差し指をあてて考えるはずである。その時、この人はナイター中継のテレビ画面右上の得点を見つめながら、
「ありゃあ、ただのバカだな……」
とポツリと言うはずである。窓の外の雨を見ながら「雨だ」と言うのに近いボリュームで、「ただのバカだな」と言うであろう。
「それなのに本を二冊も書けるなんて。才能ですかね?」
「さあのォ……さいのォ」
言いかけてやめた。ただのバカだな、ポツリひと言も中止になるかも知れない。
「……うん」とナマ返事をしながらキュウリのQちゃんをひとつ口に放り込み、風呂場《ふろば》へと行ってしまうかも知れない。
「才能です」
キッパリと言ってやった。
才能というのかどうかはわからないが、レンガで人の頭ばかりどついていた私が原稿用紙に字を書いている。何かがあったのであろう。ただ、その何かを見つけ出したのは私ではなく、その日のゲストであるH社の冷血デスクH氏であった。彼は私の何かを見つけ出してくれ、育ててくれた。今も育ててくれている。
教えて育てる。本来教育者とはそういう者のことを言うはずである。もちろん教えて育てるには見つける≠ニいうのも含まれる。
その教育者≠ニいう言葉を当たり前のようにもらっている学校の先生。少しイヤな思い出がある。
小学校一年の頃である。それまで私は絵を描くのが大好きな子であった。最初は鉛筆、しかしそこに色を塗りたくなってくる。絵の具が欲しいが、買ってくれる父ではなかった。
「絵の具て食えるんか?」
ひと言でおしまいである。手はある。自慢の鉛筆画で近所の大人たちの似顔絵を描く。全員ブ男である。ただし父だけは八割増しで美形である。
「この子は絵の才能があるぞ」
絵の具が手に入る。貧乏人の子は頭か体のどちらかをフルに動かさないと何も手にすることはできない。
私は山の絵を描いた。早朝の空気のきれいな一瞬、山はムラサキ色に見える。
「この子は色弱です」
何も知らない学校の先生は言った。
「ムラサキの山なんてあるか」
その日以来、私の目から色が消えた。
*
――この子は色弱です――
早朝の山の絵をムラサキ色に塗った私に、小学校の先生はそう決めつけた。
まったくもってヒドイ話である。早朝の一瞬だけ、山がムラサキ色に見えるという事実を知らない先公は、生徒を色弱というひと言で片づけてしまう。
それで教育者だとかいって胸を張ってんだもんな。やってられない。
「どしたァ、山がムラサキ色になってるけど、モチでも喉《のど》に詰まらせたか、この山は」
ウソでもいいから聞いてくれりゃ、こっちだって説明ができる。先生が生徒にモノを尋ねるって、それほど難しいことであろうか。
ともかくその日以来、私の目からは色が消えた。
「アホらして、やっとられんわい」
一時は信号の黄色と赤さえも見分けることができなくなったりした。
「ほほう、そんなことがありましたか」
ふうっとタメ息をついたのは会場と楽屋との連絡係をしている人である。
「今は見えますけどね」
「じゃ、この色は?」
連絡係の人は人差し指で壁に貼りつけたポスターを差した。
――岸和田少年愚連隊作家・中場利一氏大いに語る――
私の講演会のポスターである。
「黄色です。しかもシュミクソの悪〜い黄色」
「なんですと……」
軽四の全体にポスターを貼りつけ、町内をグルグル回ったという連絡係の人はピクリと血管を動かした。
「プロレスが町にやってくる、と違うんやど」
「似たようなもんですわ」
フン、と顔をそむける私の目の前に、またまたポスターが突き出された。
――難しいことは言わへん――
ポスターには講演会の趣旨ともいえる名コピーが躍っていた。どうせ難しいことなんか言えないだろと、先を見透かされているようである。図星なのである。
「オレは色のハナシをしてんねん」
「ほな、あの色は?」
ぷうっとふくれる私の顔の前を、連絡係の人の指が遮った。窓から見える小学校の校庭、その隅っこに錆止《さびど》めが塗られた鉄の門が見えていた。
日曜日の昼に小学校の門が閉まっているのである。それだけではない、土曜日の昼からも門はかたく閉ざされているらしい。
小学校の校庭。
それはガキどもにとって特別な空間であると私は考える。そもそも小学生なんて、勉強より遊びの方からいろいろと学ぶことが多い。
たとえばドッジボール。よその広場でもできるが、やはり校庭ほど平べったいきれいな場所はない。私たちがガキの頃も、よく学校の校庭でやったものである。
「ほな、いくどォー!!」
近所の同級生たちとドッジボールをやっていると、一人が突然うずくまったりする。
「タイムゥ! タイムタイム。ミッタや」
ミッタとは私たちが住む下町言葉で、ジャストモーメント、ちょっと待ったれや、という意味である。そのミッタ≠フ中心にはいつも勇次という奴がいた。
「なんやユウジか。ほたらしゃあないのォ」
ぜんそくの発作が起こった勇次を囲み、みんなで背中をさすったり水を持ってきたりと遊びは一時中断である。
セミの声だけが響く校庭で、勇次を中心に丸くなっていた人の輪は、
「アリガト。もう大丈夫やで」
と言う勇次の声でまた、四方へ散っていく。
「無理すんなよユウジ、いけるか」
「急に動くなよ、ゆっくりな」
他の学校の者には鬼みたいな奴ら全員が勇次にだけはやさしく、それでも各自小さな声で、
「ユウジを狙え!」
と言い合っている。やさしさと裏切り、人生の裏表を勇次は学ぶわけである。休日の校庭で。
その校庭が閉ざされている。
「ドッジボールしたい奴は、どないするんですか」
「書類を提出して許可をもらうらしいんです」
その場にいた、すべての人が情けなく笑った。
大丈夫か、教育委員会。本当にやる気あるのか、先公ども。
「給食費も銀行振り込みが多くなってます。盗んだりする子供がおるらしいから……」
ガックリときてしまうではないか。
先生よォ、おまえら刑事か。刑事は人を疑うのが仕事だけど、先生は人を信ずるのが仕事だろ。
「行くなら、オレを刺してから行け」
そう言って校門の前に仁王立ちになった先生を思い出す。
「はい!」
私は言われた通り先生を刺し、そして他校へと行った。しかしである。次の日もまた次の日も、私が行こうとするたびに、
「刺せ刺せ! できたら二日前とは違う所にしてもらいたいけど」
と言って仁王立ちになる先生がいたら、生徒はどう思う。
――この先生にだけは、どんなことがあっても迷惑はかけたくない!――
小さな脳ミソの中でも決心するのである。徹底的に信用されると、バカはバカなりに頑張るのである。
「こいつはやってません!」
修学旅行先での酒とタバコがばれた時、二十人以上がならぶ列の中に私だけが入っていなかった。
「それはおかしいでしょ」
他の先生が疑いのまなざしを向ける中、私の担任だけがそう言った。
「こいつはやってません!」
たしかにやっていなかった。その頃は旅館をぬけてオールナイトの映画館で地元の奴らとケンカしてたもの。
信じてやったらどうだい。
休日の校庭をよく見たらわかるはずである。誰がイジメ≠受けてるのか、誰が仲間はずれにされてるのか。
「いやあ、忙しくってェ」
言わせないぞ、おまえら。夏休みがあれだけ長くって、おまけに土・日が休み。それで生徒の気持ちがわからないと悩んでるフリまでしている。
「責任者、出てこーい!!」
のひと言がそんなに怖いのかよ。
教育委員会のみなさん、いっそのこと教育組に名前を変えて「組長」をつくったらどうですか。
「バカにしてんのかあ……」
バカにしてます。群れなきゃ何もできないし、群れたら何もしない。
講演会の帰り道、降り出した雨の中をタクシーで走っていた。その真横を猛スピードでトラックが追い抜いていった。
ケツに文字が躍っていた。
[#ここから改行天付き、折り返して3字下げ]
――とめてくれるな おっかさん
ゆかねばならぬ 定期便――
[#ここで字下げ終わり]
「体張って仕事してるのォ」
タクシーの運ちゃんがポツリとひと言。
体も張る気力のない人たちに、子供を預けて大丈夫なのであろうか。少し考えさせられた五月のある日だった。
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サラリーマンになりたい!
サラリーマンになりたいなァと思っていた頃がある。
誰がって私が、である。
「だってあんた、小学生の頃に『ヤクザになりたーい』なんて言ったんでしょ。あれはウソですかい」
ウソではない。たしかになりたかったし、日々努力もした。
「十万円であいつをいじめて」
と頼まれれば、駅のプラットホームで新聞を読んでる、どこかのオッサンの首根っこをつかんで、そのままホームの下に叩《たた》き落としたりもした。それを一カ月ほど続けてさしあげればオッサンは外出しなくなり、町長選挙にも立候補しなくなる。
またある時は、
「あの人の父親の居場所を聞き出して」
と依頼されるや、その娘を車でかっさらい「海でも見に行こうか」と漁船に乗せて、大阪湾の真ン中に突き落としてさしあげた。二回ほど大きなフェリーのプロペラを目の前で見た女性は、泣きながらペラペラと喋《しやべ》った。
そんな頃である。
「ああ、サラリーマンになりたーい!」
と突然思ったのは。どついてやろうかと思うかも知れないが、思ったものは仕方がない。
第一、私にはヤクザの素質がない。前の文章を読めばわかる通り、あんなことをしているようじゃヤクザにはなれない。ヤクザとはあんなことを誰かにさせる[#「させる」に傍点]人のことである。
ではなんでサラリーマンなのかというと、簡単なことである。
「マン」という字がカッコイイからである。サラリーマン。セールスマン。ドアマン。みんなカッコイイ。セールスマンなんて、日本語で売人≠ニ呼ぶよりはるかにカッコイイではないか。しかし、売人はすでにやっていたので、魅力はなかった。ドアマンなんて、何をする人なのかも、どこに行けば会えるのかも知らなかった。毎日毎日、あっちこっちのドアをあけて歩く人かと思ったりしていた。
やっぱりサラリーマンだな。
私、思いたったら行動は速いほうである。早速スポーツ新聞を買い込んで、適当な会社を探した。
ありましたねェ。世界に翔《はばた》く東洋○○商事≠ニいう貿易会社が。大阪の隅っこの方から世界に翔いてロウソクを輸入している会社である。
「で、あんた高校ぐらいは出てんでしょ」
「ハイ! 半年で出ました!!」
「まあなんでもいいや。スーツ着て明日から来てえな。なに!? 履歴書? そんなもんいつでもええから。とりあえずは出社してえな」
電話即決で、私はサラリーマンになったわけである。なかなかフレンドリーというか、いい加減な会社である。
早速次の日、たった一着の玉虫の入ったコンブラスーツを着て、私は会社へと向かった。
そして初めて気づいた。サラリーマンになるには電車に乗らないといけないことに。
私、今でもそうなのであるが、何が苦手って電車ほど苦手なものはない。第一、電車に乗ったらどこを見てればいいのかわからない。
景色を見てたら酔ってしまう。
人を見てたら睨《にら》んでくる。
本を読んでたら、眠くなってくる。
若い頃なら「なにメンチ切ってんねん」と大暴れもできたが、サラリーマンがそんなことではいけない。ましてや満員電車である。
「オレは満員電車、大好きやで」
いつも言ってるAみたいな奴もいる。Aは満員電車に乗ると、まずおとなしそうな女を探す。そんな女の周りには痴漢が集まる。Aが狙うのはその痴漢どもである。
「どれどれ、オジちゃんにさわらせて」
と、女の尻《しり》に手を伸ばす痴漢のフトコロにAは手を差し入れる。スリである。
「チミィ、この手はなんだね」
チカンがAの手をつかめば、
「チミィ≠トわれこそ、この手ェはなんじェい、おう」
と、Aは痴漢の手をつかむ。目クソ対鼻クソは痛み分けでお互い黙り込むのである。
しかし、私の場合はAのような技術もないし、女の尻をさわるほど電車にも慣れてはいない。
私は駅のプラットホームに佇《たたず》み、さてどうしたものかと考えていた。そこへ電車がやってきた。
――ドスン! と背中を突かれた。
すわ、町長を断念したオッサンの仕返しか、と思ったが違った。人の流れが、私を電車の中へと押し込んだのであった。
「誰やねん、コラ」
後ろを振り返った姿勢のまま、身動きすらとれなかった。自分の周りは憧《あこが》れたサラリーマンだらけである。
「ついにオレもマン≠フ仲間入りかあ」
結構、嬉《うれ》しかったように思う。
昼間の電車のように、ミカンを食べてその皮を、電車の窓にペッタンペッタンひっつけて、貼り絵を楽しんでいるジイさんもいなければ、映画「火垂《ほた》るの墓」のパンフレットをじっと見ながら、
「そろそろ泣くか」
というこちらの期待を裏切って、
「へん!」
とパンフレットを窓から捨てたりするババアもいない。
「バアさん。あんたの人生はもっとつらかったんやな」
なんて言わなくてすむわけである。周りはサラリーマンだらけである。
その時だった。
「オレに金ないからってなあ、ナメんなよお」
という声が聞こえた。声の主は、私の斜め後方の中年サラリーマンだった。新聞を四つに折り、くたくたのコートを着ていた。
そうか、どこかの姉ちゃんにヒジ鉄でもくらったのか、と思っていたが、どうもそうではないらしい。
「オレが噛《か》めないから≠チて、バカにすんなよお」
私の聞き間違いだったらしく、中年サラリーマンはそう呟《つぶや》いていた。そうかそうかあんたは入れ歯なのか、本当は歯がないんだな。女の歯のないのはなかなかいいもんだぞと、私は振り返った姿のまま目だけを動かした。誰も知らん顔で表情すら持っていなかった。
中年サラリーマンは一人で言い続け、私は耳を立てて聞いていた。そして、ずっと私が聞き間違えをしていたことに気づいた。
「オレに金がない」でもなく「オレは噛めない」でもなかったようである。
「オレは仮面ライダーなんだからなァ」
だったのである。
「毎日ショッカーたちと闘ってんだ。バカにすんなよ」
新聞を読みながらひとりごとを言うサラリーマン。黙ったままそれを聞いている、無表情のサラリーマンたち。
――オレは仮面ライダーなんだからな。毎日ショッカーと闘ってんだ――
どんな仮面をかぶり、どんな怪人と闘っているんだろうか。
「大変なんだからなァ……」
結局、私は次の駅で降り、世界へ翔くことはできなかったのである。
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女には惚れるな、惚れさせろ!
さてと、今回は何を書くか。
こんなコラムでも毎回毎回大変なんだよ。オレは自動販売機と違うから、ポンポンとネタが出てくるわけじゃない。ましてや最近、もの忘れは激しくなるし、時たまフラッシュバックで電柱が人間に見えたりもするし、水子の霊は肩の上にのるもんだからすごく肩も凝りやがる。
「気晴らしにパンツ一丁で電柱に登って、モザイク入りでニュースに出るか」
と私、駅前の高い電柱に向かった。
遮断機は下りていた。
電車が走ってきた。
――ドシン!
座布団の上にオイルライターを落としたような小さな音、そんな音が聞こえたと思ったら、私の目の前に人間の片足が飛んできた。
私ねェ、結構こんなの平気なのである。人が刺されて内臓が「こんにちは」と出てこようが、車に跳ね飛ばされた奴が全身をピクピク震わせて私の方を見てようが、全然平気なのである。
しかし、飛んできた右足が私とまったく同じ靴下を履いていた。
「痛たたたたたー」
私、急に右足が痛くなってしまった。気持ち悪いとかはないのに、足が痛くなった。手のツメの生え際のサカムケをめくるのを失敗して、二センチほど新品の皮膚までめくった人を真横で見たような、説明できない痛さである。
「イタタタタター」
と右足を手で押さえて走り回っていると、不思議なことにみんなが逃げていた。落ちている足と私が痛がってる足を交互に見ながら。
「ちがうちがう、あれはオレの足と違うぞ。ホレ、オレのはここにあるやんけ。痛たたたた」
ここで今回のコラムが始まるのである。いつも前置きが長くてすまん。しかも、今回の話と導入部とは、関係ない。問題は逃げまどう人の群れの中で、ピクリとも動かなかった一組のカップルである。
駅の券売機の横で佇《たたず》むカップル。男は両手を女の腰に回し、女は男の胸に顔をうずめている。そのままピクリとも動かない。
「若い二人なんだから、ほっといてあげなさいよ」
いいやほっておけないね、私は。
だってねェ、私が足を押さえて走り回ってたのが夕方の五時くらいである。その前に一度、私はバイクで駅前まで、スポーツ新聞を買いに行っている。その時が朝十時頃で、すでにこのカップルはいたのである。しかも同じ格好、男の両手腰回し&女のドタマ胸の中である。つまりはこの二人、最低で七時間はこの格好でイチャイチャしてるわけである。
ナマグサイ。私なんかすぐ思ってしまうのである。電車の中でも生臭いカップルはいる。オデコとオデコをひっつけ、なにやらゴニョゴニョ言い合っている。
「ねえタカシィ、どうしてタカシはWPBなんてエッチな雑誌を見るのォ」
「あれれ、どうちてミーコはWPBがエッチだと知ってんだァ」
「ええ?」
「さては見たなあ、ハハハ」
「バカァ、バカバカ、ゴニョゴニョ」
なめてんかい、おう、である。WPBにはワレみたいな足と心の図太い女は載ってないわい、である。
――女には惚《ほ》れるな、惚れさせろ。
いい言葉である。おそらくベタベタカップルの男なんて、この言葉の存在すら知らないであろう。女に惚れるから周りが見えないわけである。
「電車の中でベタベタするな、ミーコ」
と言えないのである。バカである。女の強さを知らないのである。女は男と別れても、次の相手が見つかるや、今までのことをコロリと見事に忘れる。
しかし、男はそうはいかない。いつまでも別れた女のことを忘れはしない。
女の好きだった曲。
女の好きだった道。
女の匂い。
すべて覚えている。だから別れた女と道で会った時も、
「うわァ久し振りィ、どしてるゥ」
なんて言葉は女の方が言う。
「い、いよォ……」
言いかけて黙って背中を見送るだけが男である。
――女には惚れるな、惚れさせろ。
しかし、しかしである。惚れさせたらそれはそれで大変である。別れればすぐ忘れてくれる女でも、別れるまでは思うようにはいかない。とくに情の深い女、これは問題である。
Nくんは女をすぐ好きになるタイプである。少しでもやさしくされるとすぐ好きになってしまう。
「もう、またネクタイがゆがんでる」
少し怒ったような顔でネクタイを直してくれた女を好きになった。
「大丈夫、飲みすぎよ。何かあったの」
電柱のカゲで吐いてる時に、背中をさすってハンカチを貸してくれた年上女もすぐ好きになってしまった。
しかしNくん、女を好きにはなるが惚れることはなかった。
――女には惚れるな、惚れさせろ。
女遊びが大好きだった父親によく言われたからである。しかもNくん、生まれもっての飽き性である。一人の女と付き合っても、半年もすりゃ飽きてしまう。
別れよう。思ったら、行動は速い方である。
「別れてくれ、おまえが嫌いやねん」
そんな野暮なことは言わない。惚れさせた女が簡単に引き下がらないことは知っている。
まずは女に嫌われること。Nくんはいつものように女とデート中、公衆便所に入り、出てきた時は男のイチモツを出したままだった。
「あれェ、パンツの中に入れたつもりやったのになあ」
恥ずかしそうに舌を出したNくん、今度は舌を出したままである。
「ちょっとあんた、大丈夫?」
最初は女も笑っているが、会うたびにやられりゃ嫌になる。ましてや人ゴミの中でやられたら、電話にも出なくなる。
「もう、電話かけてこないで、ゴメン」
やれやれ終わったかとNくんは喜ぶのであるが、一人だけそれでも別れない女がいた。
「この人は、あたしがついていないとエライことをやらかしてしまうわ」
やる事やる事、すべてが母性本能をくすぐってしまうのである。
「オレ、実はカツラやねん。ホラ」
頭をカミソリで剃《そ》って、わざわざカツラをかぶった。
「いいの、あたし入れ歯だから」
女は歯ブラシ体操のような入れ歯を突き出して笑った。
「ええんやな、ホンマにやるど。やってもうてもええんやな」
Nくんは友達に仕事を頼んだ。
――女をタライ回しにしてくれ――
Nくんとの待ち合わせのガレージに現れた女は、五人の男に襲われた。シャッターの閉まったガレージの中から、女のNくんを呼ぶ声が聞こえた。
「助けてNくーん、NくんNくんNくんNくん、ナカバくん」
「こらあ! やめんかいボケどもがあ!!」
Nくんがその女をオカマだと知ったのは、惚れてしまったあとである。
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イイ人、ワルイ人
「これ盗んだら高《たこ》う売れるやろのォ……」
小雨に濡《ぬ》れる歩道橋の手スリを見つめながら、思わずひとりごとを言ってしまった。
ステンレスである。
近所の歩道橋の手スリ全部がステンレスになっていたわけである。
まずC君の顔が浮かんだ。
携帯電話三本を持ち、盗品バイクと盗品パーツを扱うC君なら、
「あそことあそこをちょこっと曲げたら、ステンのマフラーの出来上がりや」
と、喜んで買ってくれるに違いない。
次に浮かんだのはY君の顔である。板金屋のY君ならトラック用のハシゴやらガードとかに使うはずである。
いやいや待てよ……。
どうせなら三菱自動車に持っていって、パジェロのカンガルーバンパー用として買い取ってもらうか。
私の淡い夢はどんどん膨らんでいたわけである。と、横を見たら近所のババアの顔がそこにあった。
「このニーチャン、また悪い虫がうずき出したようやで」
どっちが前だかわかんないような顔に、きっちりと書かれていた。
「ワルイ人」
ババアは犬の鎖を引っぱりながら去っていったわけである。
ちょっと待て。
「ワルイ人」
と、私の耳に小音量ながらも聞こえたのであるが、果たして私はワルイ人であろうか。たしかにその歩道橋の前でひとりごとを言ったのは認める。言っただけではなく、ちょこっとだけ実行にも移した。さらに歩道橋の前に立っていたのが早朝五時。その前二日間の記憶も曖昧《あいまい》で、仕事もほったらかしにして何かをしていた。
しかし、である。
「オレみたいなのが生きてて、すんませんね」
と、手スリのネジをゆるめている私より、そのババアの方がはるかにワルイ人だと私は思う。
だってそのババア、犬の散歩はいいけど犬にカッパを着せてるんだぞ。しかも、こないだなんか、ウールマークも洗える洗剤とかいうヤツで、ゴシゴシと犬を洗ってもいた。
「あんたも大変だね」
私は犬を足で踏みつけながら、いろいろと考えたのである。
私はワルイ人なのか、それともイイ人なのか――。
鏡を覗《のぞ》くとなんとなくイイ人っぽい顔はしている。昔ソリコミをいれるのに、カミソリじゃめんどくさいと毛を抜いてしまい、「一生生えてきませんように」と熱くなったアイロンで皮膚を焼いたオデコも今は反省している。仁義なき戦いの梅宮辰夫に憧《あこが》れ、よォし俺も太ってあんな風になるぞと思ったのはいいが、今や完璧《かんぺき》にオーバーランしているのにも気づいている。
そんな私はイイ人ではないのか。
「いいえ、あんたはワルイ人です」
友人の小鉄は言いやがる。
「イイ人というのは、オレのことや」
言いながら小鉄は横断歩道で立っている。一人の老人がやってくる。
「おじいちゃん、ささ、手を引きましょう」
小鉄は老人の手を引き、横断歩道を渡り終える。
これがイイ人か?
小鉄に引っぱられた老人の腕からは、時計が消えている。
私なんか小鉄にくらべりゃ絶対にイイ人である。
「イイ人がヒモになんかなるかい」
小鉄はまた言ってくれる。失礼である。そんな古いハナシを持ち出されては困る。しかしまあ、以前はヒモの頃があったのも事実である。
「荷づくり用ですか、フンドシのヒモですか」
違う。
「実はオレ、十年前までヒモだったんですよォ。いえいえビニールじゃなくて麻です。おもにラッピンク関係で活躍してましてねェ、一度ダンゴ結びしちゃうともうダメですねェ」
早く止めてくれ。それでなくてもあっちこっちから、ベタなギャグが多いと叱られてんだから。
ヒモ。女のヒモである。
毎日ブラブラと遊びながら、女に食わしてもらうという、男にとって最高な奴のことである。
その頃の私といえば「ヤクザになるんだ」と神戸へ行って、三日でケツを割って帰ってきたばかりだった。
「大丈夫。なにもヤクザは神戸だけじゃないから。地元にもたくさん名門はあるわよ」
女はやさしく言ってくれ、私は女のマンションへと転がり込んだ。
その女、大きな声でも小さな声でも言えないから書くけど、とある小さな組の若頭の妹である。しかもその組、結構なイケイケ集団である。
私が女の部屋でゴロゴロとしていると、兄である若頭もやってきたりするわけである。
「ワレ、なんか仕事してんかい」
「いいえ、おたくの妹をしぼってます」
「うちの組に来んかいや」
トントン拍子でハナシは進む。
「ヤクザにはならないで」
女は一切、言わなかった。それどころか、毎日私の顔を見るたびに早くヤクザになったらどうだ、ついては一本立ちした時の名称を考えとこうとよく言った。
中場組――
中利総業――
利一興業――
「うーん、中友会もいいねェ」
などと中毒友の会みたいな名前まで言って、画用紙に代紋を書いた中に、中友≠ニ書き込んだりしていた。
「冗談じゃない。あんたみたいないい人≠ェヤクザになれるワケないでしょ。ヤクザは素質よ」
以前、別の女に言われたことがある。
「ヤクザでもイイ人はおるやろ」
「それは映画の見すぎ。イイ人じゃ、ヤクザはつとまらない」
私はイイ人なのであろうか。
ある日、女の兄が仕事を持ってやってきた。組としての仕事だった。
いつまでもブラブラしてられない。ここらで一発ヤクザになるかと心に決め、私は中友≠フ画用紙を壁に貼りつけて部屋を出た。
――大きな借金をこさえた木工所のバカ息子が夜逃げをした。よって今夜中に木工用機械など、金目の物を持って帰る――
初仕事は、気のぬけるようなものだった。真夜中の木工所には、機械と一緒にバカ息子の母親が置き去りにされていた。ただただ頭を下げる母親は、バカ息子の古くなったシャツのそでを短く切り、ゴムを入れて着ていた。
「あなたっていい人すぎるのよ」
途中で帰ってきた私に、女は画用紙を丸めてぶつけると部屋から追い出した。
私はイイ人なんだろうかねえ。
部屋から出た時、私は女の部屋の合カギを持ったままだった。そう、高い家具と宝石がいっぱい詰まった、息子の古くなったシャツなんかすぐ捨ててしまいそうな、あの女の部屋の合カギ。あとは、彼女が外出するのを待つだけである。
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先生なんて呼ばないで
私は今、結構がっくし≠ォている。
というのも、なにやら東京に偉い占いの先生がいて、よく当たるというのでみてもらったわけである。新年早々、街の占い師に「九月に女から訴えられる」なんて言われてるしね。
結果から言うと、当たっているわけである。
家庭的な人格はない。
厄介事をすぐ引き受ける。
愛情、奉仕は進んでするが、哲学的理念からでなく、なんらかのたくらみ≠ェあるからだ。などなど大当たりである。
ただその中で「エネルギー」という項目があって、普通のサラリーマンの人のエネルギー度が200だそうである。
かの田中角栄のおいちゃんなんて223もあったりする。で、私はというと……142である。
言っとくけど、主婦で150ある。きっとヤンママなんて170はあるだろうし、バーゲンに走るOLなんて190はいってるかも知れない。なのに私は142である。
もてるのは若いうち、パワー不足だそうである。パワー不足なのに女は私を訴えるつもりらしい。
エネルギー不足だから浮気なんかしちゃうと運が減るらしい。仕事も遊びもやってはいけないそうである。
「いっそのこと、出家でもして坊主になるかあ」
と、大阪へ傷心で帰ってきた私は、行きつけの喫茶店でコーヒーをしばいていた。
「坊主になって、ありがたいミニチュア除夜の鐘≠フ通信販売でもやってこましたろかい」
とパワー不足の私の心のソロバンは、二千万円と三千万円の儲《もう》け幅を行ったり来たりしていたわけである。
「勉強部屋ってホテルできたの、知ってる?」
そこへ聞こえてきたのがカップルの会話である。「ん!?」といつもなら耳を立てるハナシの内容である。どうせブタブタ子ぶたのブー≠竄辯もしもしピエロ=iともにラブホテルです)の近所にできたんだろうが、そんな所へ行くと運が減る私には関係のないハナシである。
「今度、行ってみようや」
「いやよォ、なんの勉強するのォ※[#ハート白、unicode2661]」
ケツの穴から背骨が出るくらい、どついてやりたい会話ではあるが、カップルはさらに続けた。
「だって、オレは由美の夜のコーチ≠セもん」
私、灰皿をむんずとつかんでいた。
「じゃあ、あたしは秀のォ、夜のマネージャー≠チてとこね、ふふ」
もう一度グレ直してやろうかと思った。いつでも灰皿を投げられるように構えながら、
「ぼくは先生ってことで、お仲間に」
と、一応シッポも振ってみようかと考えたわけである。ところが、ところがである。
「あんなとこで生徒とバッタリ会ったら大変よ」
「いいじゃないか、休みの日ぐらい先生って呼び方は返上したいよ」
と、きやがった。本当の先生だったわけである。
「なるほど。休みの日まで先生≠ニ呼ばれるのは嫌なんか」
私は灰皿をコトリとテーブルの上へ戻し、うーんと考え込んでしまったのである。一年に一回動くか動かないかの脳ミソを総動員して。
たしかに私も、先生≠ネんて人から言われるのは嫌である。
「でも、このコラムの右上で、あんたは先生って書かれてるじゃないの。それはどうなの? アーン」
その通りである。先生の近況は、などと偉そうではある。
「担当くん、先生はやめてくれ」
と、頭を下げたこともあった。ハイわかりました、と言った担当Tは次の週、「あのバカの近況は」に変えようとした。「そこまではしないで」と鼻と口の間に頭突きをくらわしてやったら、以来ずっと先生のままである。
「こちらがナカバ先生です」
なんて曲がった背中が、シャキーンと音をたてて伸びそうな紹介の仕方をする人もいた。
いやいや、先生なんてめっそうもございません、見たままで紹介して下さいと言ったら、
「あっそう。じゃ、こちらが町のチンピラです」
となってしまった。せめてチンピラに毛の生えた奴とぐらいは言えよと、両方のコメカミをぐりぐりしてやったらまた先生に戻ってしまった。
「先生と呼ばれるほどのバカでなし。ナカバァ、学校から出たら、その先生ていうのんやめてくれへんか」
これは私が中学で習った先生[#「先生」に傍点]の口グセである。
「生徒と先生の時はええけど、一歩でも外へ出たら、わしはおまえみたいな厄介者とかかわり合いになりたないねん」
先生はいつもそう言うが、思い切りかかわってくるのであった。
たとえば、私の父と母が大ゲンカしてやれ「離婚」だ「調停」だと言って騒いでいる時。
「こんな家、飛び出したるわい」
と、外へ出たら先生がいたりする。
「わしの家も嫁が逃げてなあ」
淋《さび》しい者同士、一緒にメシでも食おうやと先生の家に行くと、明らかに今さっき作ったばかりの食事が用意され、先生の奥さんがとなりの家で遊んでる声がしたりする。
授業中の校門に、他校の生徒が何十人も来た時もそうである。
「おまえ行って、話をつけてこい」
他の先公どもはそう言って私一人を校門の外へと押し出した。ガチャンと校門が閉まる音と、もうひとつ、別の音が私の背中ごしに聞こえていた。
「こ、こ、こらァ……多勢に無勢は卑怯《ひきよう》や、やぞォ……」
消え入るような声を出す先生の、震える安物サンダルの音だった。
「ナカバァ、弱い者はイジメるなよ」
私が他のクラスの奴にケガをさせた時、先生は私を自転車の後ろへと乗せる。
「わかってるよ。そやから先生はどつけへん」
「そうかァおおきに。今日はバウムクーヘンにしとこか」
そして途中で手土産を買い、相手の家の畳にオデコを擦りつける。
帰り道は先生が後ろに乗り、私は必死で坂道を漕《こ》ぎ上がることになる。
「なんか夢はあるんかァ、ナカバァ」
先生は後ろで大きく足をひろげ、空を見ながらよく言っていた。
「さあ? まだ自分が何をしたいか、ようわからんわ」
「ええこっちゃあ。若いくせに小ぢんまりした夢なんか持つなよお」
「先生がそんなこと言うてええんかァ」
「あほ、先生なんて先に生まれただけのもんや」
私は、先に生まれただけの人に、いろいろ教えてもらい育てられた。
休みの日であろうとなかろうと、何十年たった今でも先生≠ニ呼べる人が私にはいる。
先生。呼んでもらうのは簡単であるが、呼べる人かどうかになってくると、パワー不足じゃ、ちとつらい気がするのであるが。
[#改ページ]
あとがき
世の中が自分の思い通りになったらなァ、といつも思っている。
「今日は一日中、右を向いてろ」と言えば女は「はい!」と右を向き、「そりゃあ! そこやあ! 行けー!!」と叫べば、お馬は一気に行ってくれる。
しかし思い通りにいったためしがない。
女は右も左も向かずにまっすぐ私の顔を睨《にら》みつけ、「もういっぺん、言うてみ! どのクチが言うたんや、このクチか」とホオをつねり上げ、お馬さんは先に行った馬のケツを追いかけている。
「人生なんて、自分の思い通りにならないからおもしろいんじゃないですか、ハハハ」
笑った奴がいた。親の跡をついで若き社長となり、休日はヨットを浮かべて、祖父にもらったバセロン・コンスタンチンの腕時計をはめている奴。
「ワレみたいなボンボンにわかるかい。ヨットごと海で溺《おぼ》れて死んでしまえ」
オツリが多かったよ、と店員に返しているそいつの背中に念じたことがあった。
思い通りになったのはそれっきりである。
あとはまったく思い通りにならない。
自分の書いたもののタイトルだってそうである。
以前、自分が生まれて初めて酒を飲んだ時のことを、コラムに書いたことがあった。未成年のガキが、年上女と二人で居酒屋で酒を飲み、少し背伸びしたような気になる。
「蒼《あお》いあやまち、フライング・ブルーなんてどうでしょ」
モジモジしながら、私は目の前の女性編集者に言った。その女は口をポカンとあけながらも、「いいですねェ、ステキ※[#ハート白、unicode2661]」と帰っていった。
次の週、雑誌にそのコラムが載った。
中場利一のトホホ初体験記=c…蒼いあやまち、木《こ》っ端微塵《ぱみじん》である。
その後も私とタイトルとの戦いは続く。
「甘い犯罪、スイート・クライムはどう?」「岸和田少年愚連隊にけっていー!!」
「愛の追跡者、ラブ・チェイサーが……」「どつきどづかれ、にしますってば」
この本の時もそうである。
私の家の近所に住むヤクザが、毎日歯をみがいたあとで大声で叫ぶセリフ。
「さあ! 今日からマジメになるどお!!」
これなんかいいでしょ。私は言った。
「標語ならカベに貼っといてください。こちらで知的なのを考えます」
どうも思い通りにいかない。だからといって諦《あきら》めはしない。いつも何かたくらんでいる。
今日も何かを、たくらんでいるのです。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
一九九九年一月
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]中 場 利 一
本書は平成十一年三月に、本の雑誌社より刊行された単行本『ドン!』を改題したものです。
角川文庫『さあ、きょうからマジメになるぞ!』平成15年3月25日初版発行