アウトニア王国奮戦記
でたまか
問 答 無 用 篇
イラスト:Chiyoko〈レッド・エンタテインメント〉
デザイン:中デザイン事務所
デザイン:たかはしよしこ
プロローグ
第一章 旅立ち
第二章 任地へ
第三章 シザーズ・クイーン
第四章 アウトニア王国
第五章 王家の人々
第六章 最高機密
第七章 |姉御《あねご》との対決
第八章 神聖ローデス
第九章 パーティー
第十章 メイ王女
第十一章 戦場へ
第十二章 特殊補給船
第十三章 開戦!
第十四章 実戦!?
第十五章 言うべき言葉
あとがき
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プロローグ
それは突然《とつぜん》だった。
たった今まで僕《ぼく》の目の前にあった茶色の大地。
|α《アルファ》タイプの惑星《わくせい》地表を模して作られた訓練フィールドの光景だけでなく、その光景にプロジェクショシ表示されていた位置データや射撃《しゃげき》管制データごと、モニターの映像すべてが消滅《しょうめつ》してしまったのだ。
システムダウンか!
僕は自分の装甲《そうこう》機動服の緊急《きんきゅう》サブパックを起動させようとして、メインシステムがまだ生きていることに気がついた。
これは……ただのシステムダウンじゃない。
マニュアルモードに切《き》り替《か》えて、前面|装甲板《そうこうばん》のスリットを開ける。
灰色の板となったモニターが上がるのと同時に、ほこりっぽい外気が流れ込んできた。
ターレットを回して左右を確認すると、僕の右に位置しているはずのケルプの機動服がいないのに気がついた。そして、さらにターレットを回すと、後方の土手《どて》の手前でケルプの機動服が、ひっくりかえったまま、じたばたしているのが見えた。
「おい! ケルプ! 何やってんだ!」
僕《ぼく》は分隊通信用のインカムに向かって怒鳴《どな》ったが、インカムから返ってきたのは、ひどい雑音だけだった。
通信機能もダメか!
でも、こんなことってあるだろうか?
外部管制との通信リンクが切られることはある。
まっさきに母船がやられだ場合なんかを想定した訓練ならば当然だ。
しかし、そんなときのだめに装甲《そうこう》機動服には自律型ナビゲーションを搭載《とうさい》してあるし、他の分隊員との位置情報を有機的にリンクして行動判断する機能だって搭載されている。
それぞれのシステムには四重のバックアップ回線が施《ほどこ》されているんだから、単純に計算したって十六の逃《に》げ道《みち》。実際には複数の回路が生き残る可能性の方が高いのだから順列組み合わせをしたら百を|超《こ》えるバックアップがあるはずなんだ。
その、すべてが同時にダウンする可能性は、限りなくゼロに近い。
「ってことはだ……」
思わず独《ひと》り言《ごと》をつぶやいたとき。
『マイド様の機動服に対して、なんらかの工作が行われたと考えてょろしいでしょう』
耳元のインカムから、やおらかな年配の男性の声がした。
「ヴァル! 状況《じょうきょう》はわかるか?」
『マイド様の分隊の機動服すべてに同様の工作が行われたようでございます。現在、皆《みな》さまは、機動を停止し、システムの点検と、|装甲板《そうこうばん》を開けて直視による状況判断を行っていらっしゃいます』
「こいつは動くのか?」
『機動に関してはなんら問題ありません。火器管制能力も使用可能です』
「この状況を審判《しんぱん》は把握《はあく》しているのか?」
「いいえ、採点コンピューターのモニターセンサーは、我々の機動服に対しすべて問題なしとの判定を下しております。電子人格のバルクもそのへんはわかっておりませんな。まあ彼にそれを期待しても無駄《むだ》でしょう』
そうか……採点官を抱き込むだけでなく、電子人格にも工作したのか。
心の中にふっふつと怒《いか》りがたぎってくるのを感じた。
僕の名前は、マイド・ B ・ガーナッシュ。見ためは……頭の上にある何も映っていないモニタースクリーン、そこに反射している自分の顔を見るかぎり普通《ふつう》だと思う。おさまりの悪い黒い髪《かみ》は父から、茶色がかった瞳《ひとみ》は母からもらったものだ。
性格は……友人から『お前はイイ性格をしている』とよく言われる。『性格がいいね』と言われたことはない。
こう見えてもガーナッンュ男爵家《だんしゃくけ》の当主、れっきとした貴族の一員だ。
もっとも、貴族だからといって、遊んで暮らしているわけじゃない。
そりゃあ中にはめいっぱい遊んで暮らしている貴族もいる。
今、僕《ぼく》たちと対戦しているこの門閥《もんばつ》貴族のドラ息子《むすこ》たちなんかがその代表選手だろう。
皇帝の姻族やら血族やらで、皇位継承権すら持っている「マルス家」「マイア家」そして「ディア家」の|帝国《ていこく》|御三家《ごさんけ》の一族たち。
自分たちが持っている金と権力さえあれば、世の中なんてどうにでも思い通りになると本気で考えている大バカやろうども。
こいつらにとって、この|帝国《ていこく》士官学校の最大イベントである機動分隊の模擬戦闘《もぎせんとう》トーナメントに優勝することは、約束されたも同然のことだったのだろう。
特別にチューンされた機動服と、事前にもらされた試験内容。このふたつさえあればどんな状況《じょうきょう》でも優位に立てる。そして、それでもかないそうにない相手には、ありとあらゆる裏ワザをしかけて勝ち進んできたのだ。
その裏ワザとは……金をちらつかせる。裏切りを持ちかける。機動服に細工する。親類|縁者《えんじゃ》に危害を加えると脅迫《きょうはく》する。その他いろいろ……。
やつらがそういった裏ワザを使うというウワサは前からあったが、それはウワサでもなんでもなかった。
その証拠《しょうこ》に、僕《ぼく》たちは実際に、そのすべての裏ワザを経験したからだ。
僕《ぼく》たちはその裏ワザをすべてはねかえした。
やつらにとって、金でも権力でもどうにもならないものがこの世に存在するということは理解できなかったらしい。
すべての裏ワザが通用しないと知った今、やつらは、ついに、なりふりかまわぬ工作をしかけてきた。
僕《ぼく》たちの機動座はマザーとリンクする回路と分隊通信にジャミングをしかけられ、分隊員どうしが完全に孤立《こりつ》してしまったのだ。孤立《こりつ》したユニットなら、簡単に各個|撃破《げきは》できると踏《ふ》んだのだろう。
そのとき、無地になってしまったモニターになにやら文字が走るのが見えた。
それは火器照準用のレーザーポインターによるデータ転送だった。
そうか! 低出力レーザーで信号を送れば相互《そうご》通信は可能だ! 文字通信しかできないが、まったくコミュニケーションできたいよりはマシだ!
僕《ぼく》は文字を読んだ。
「ブンタイインゼンイン、システムダウン、ジョウキョウフメイ、シジヲコウ。ジイヤナラナントカシテクレルダロ ケルプ」
じいや……ってのはさっきから僕《ぼく》と会話しているヴァルゲインの仲間内での呼び名だ。
ヴァルゲインは人間じゃない。コンピューター上で動いている電子人格の一人で、テクノサーバントとして僕《ぼく》の家に代々仕えている。
テクノサーバントとは字のとおり電子化された侍従《じじゅう》のことで、これを引き連れていることが貴族の証明みたいなところがある。
テクノサーバントは家事|全般《ぜんぱん》だけでなく、各種の情報処理、債権《さいけん》の処理から資産運用までまかされているものが多く、彼らがいなくては貴族のほとんどは生活能力|皆無《かいむ》だろう。
本来ならばテクノサーバントとは、バイオノイドやテクノドールにインストールされているものの総称《そうしょう》なのだ。でも、僕《ぼく》のテクノサーバントであるヴァルゲインは汎用端末《はんようたんまつ》にインストールされている。その理由は……経済的理由というやつだ。
しかし、見ためは情けなくとも、僕《ぼく》より数十倍長生きしているヴァルに蓄積《ちくせき》された情報量と能力は、その辺に転がってる新参者のテクノサーバントの比じゃない。
気がつくと、画面には別の文字がならんでいた。
「ナニガナニヤラワケワカラン、ナントカシテクレ アレフ」
西域《せいいき》出身の仲間、アレフからの通信だった。
文章で送るなら西域《せいいき》弁を使わなくてもいいのに、妙《みょう》に西域《せいいき》弁にこだわるヤツだよな……。
笑おうとしたそのとき、警報が鳴った。
反射的に正面|装甲板《そうこうばん》を上げるのと、ほぼ同時に僕《ぼく》たちの周《まわ》りの土砂が一気に噴き上がった。
装甲服の前面に榴弾《りゅうだん》の破片が当たる鋭《するど》い音が響《ひび》く。
やつら、いきなり曲射砲《きょくしゃほう》を撃《う》ってきやがった!
危ないところだった。直視孔《ちょくしこう》を開けていたら軽くても負傷。下手《へた》をすれば死ぬところだった。
そう考えたときに気がついた。
仲間たちも|装甲板《そうこうばん》を開けて点検していたはずだ!
「ヴァル!」
『御安心下さい、先程より皆様《みなさま》のメディカルデータをモニターしております。皆様《みなさま》は無事でございます』
みんな……さすがだな。
機動服の中で大きく息をついたそのとき、僕《ぼく》のモニターが急に回復した。
輝《かがや》きだしたモニターに映ったのは、胸全体にびっしりと勲章《くんしょう》がぶら下がった軍服を着込《きこ》んだ壮年の将軍。そう、帝国軍《ていこくぐん》軍人で知らぬ者はない|帝国《ていこく》宇宙軍|参謀長《さんぼうちょう》、オーガスタ・マルス閣下その人だった。
マルス閣下は見下したように言った。
「|降伏《こうふく》せい」
最初、僕《ぼく》は将軍が何を言っているのかわからなかった。
「お主《ぬし》らはよくやった。たかが貧乏《びんぼう》貴族と平民の分際で、よくここまで来れたものだ。誉《ほ》めてやる。が、しかし、ここで勝つのはお前らではない。降伏しろ、そうすれば褒美《ほうび》をとらせてやるぞ」
僕《ぼく》はすべてを理解した。
この工作の後ろに誰《だれ》がいて、どれほどの規模で行われたのか。
そうか、あんたはそんなにあのバカ息子《むすこ》が可愛《かわい》いのか。
心の底から沸《わ》き上がる怒《いか》りをおさえつけて僕《ぼく》は笑ってみせた。
「もったいないお言葉。いたみいります」
マルス閣下は鼻で笑った。
「我らと戦えたのだ、誇《ほこ》りに思え」
僕《ぼく》は、静かに続けた。
「ですが、褒美《ほうび》は、勝ってからいただくものと相場が決まっております」
マルス閣下の顔が赤黒く変わった。
「小僧《こぞう》!」
「帝国《ていこく》の軍人として一発のビームも撃たぬまま降伏《こうふく》したとあっては、子々孫々まで伝えられる|恥《は》となりますゆえ」
マルス閣下は一瞬《いっしゅん》詰まった。
「ふ……ふん、聞いたふうな口を利《き》きおって。後悔《こうかい》するな」
通信は一方的に切れ、モニターは再び眠りについた。
「つまり、機動服のモニターは相手のコントロール下にあるってことか」
『さようですな、このようなモニターに映るモノを信じるわけにはいきません。これよりわたくしのデータとリンクいたします』
いきなりモニターが生き返った。
そこには演習フィールドを真上から見た映像が映っていた。
見慣れた対地レーダースキャン映像よりはるかに解像度がいい。
「これは?」
『衛星|軌道《きどう》からの映像です。地表観測衛星コントロール担当の電子人格と話をっけまして。回線をリンクしました」
テクノサーバントのネットワークでかわされている「話」とはどんなものか、聞く時間はなかった。
『敵は三方からR2フォーメーションで迫《せま》っております。このままでは各個撃破《げきは》されてしまいます』
「仲間たちと連絡は取れるか?」
『文字通信ですので伝達スピードが限られます、機動運用は不可能かと』
そうか、まわりの状況《じょうきょう》がわかるのは、ヴァルがいる僕《ぼく》たけなんだ。
でも、機動服は死んでるわけじゃない。火器は使えるし、そこそこ防御力《ぼうぎょりょく》だってあるんだ。
動けないならば動けないなりの戦い方をすればいい。
やはり|待ち伏せ攻撃《バックフロント》をやるしかないな。
僕《ぼく》がレーザー|発振機《はっしんき》で作戦要領を伝えると、仲問たちは、相互《そうご》|支援《しえん》可能な位置で砲台《ほうだい》と化すために動きだした。
そして、仲間たちが定位置についたのを見てから機動服の両脚にあるホバーのスイッチを入れた。
両脚から吹《ふ》き出す熱ジェットにより巻き上げられた砂《すな》が、ものすごい土煙をまきおこす。
「マイド様! 敵から視認されてしまいますよ
「いいんだ、僕《ぼく》がオトリになって仲間たちの火線上に敵をおびき出すんだ。全体の状況《じょうきょう》がわかるのは僕《ぼく》だけなんだからな!」
背中のラムジェットパックを作動させるのと同時に僕《ぼく》の機動服は、背中を蹴飛《けと》ばされたような勢いですべりだした。
敵の撃《う》ち出した榴弾が、さっきまで僕《ぼく》が立っていた場所に連続して着弾《ちゃくだん》する。
やつらは赤外線モニターに切替《きりか》えたな……よし!
僕《ぼく》は、機動服のショルダーアタッチメントに赤外線デコイを搭載《とうさい》してあった。
標準装備の|曲射砲《きょくしゃほう》を取りはずしてまでデコイを搭載《とうさい》することについて、疑わしげに見る仲間もいたが、|模擬《もぎ》戦のフィールドが|α《アルファ》タイブであることを知らされたとき、この戦いは砂煙の中での戦いになるだろうと想像していたからだ。
そのデコイを四つ全部射出すると、|一瞬《いっしゅん》、敵が混乱したのがわかった。
赤外線モニターの中では、|突然《とつぜん》敵が増えたように見えるに違いない。
「ヴァル! デコイのコントロールはまかせる」
『おまかせ下さい』
砂煙の中で混乱している|左翼《さよく》の敵が、僕《ぼく》に背面を向けた。
今だ!
すかさずレールガンを撃《う》ち込む!
|模擬《もぎ》|弾頭《だんとう》が敵の機動服の背面パックに命中して|砕《くだ》け散るのが見えた。
|弾頭《だんとう》が本物だったら機動服を|貫通《かんつう》しているだろう。
「まずひとつ!」
そう叫《さけ》んで方向を変えようとしたとき、その、|倒《たお》したはずの敵が、くるりと振り向いてビームライフルをかまえたのが見えた。
そいつは、レールガンで撃たれたことなどおかまいなしに、ビームライフルを撃ってきた。
パルスが僕《ぼく》の機動服の左脚に当たると同時に、いきなり左脚のシステムがダウンする。
「あいつは|倒《たお》したはずだ!」
その疑問にはヴァルが答えてくれた。
『ダメージ判定プログラムが改変されております。ただ今《いま》のヒットは装甲《そうこう》を|貫通《かんつう》せずと認定されました』
モニターには平気な顔をして動いている敵の姿があった。
「ふざけるな! あの|距離《きょり》で背中にレールガンの|直撃《ちょくげき》を受けて『|貫通《かんつう》せず』だとぉ!」
ヴァルの報告は続いた。
『さらに、先ほどの撃ち込まれた|曲射砲《きょくしゃほう》の破片により、こちらの分隊は全員行動不能であるとの判定が出されました』
ヴァルの言葉が終わらないうちに僕《ぼく》の機動服は|突然《とつぜん》行動を停止し、その場に座り込んでしまった。
モニターには、僕《ぼく》の右側で、同じように停止しているケルプの機動服に、敵が近づくのが映っていた。
勝ち誇ったようにゆっくり近づいてくるそいつは、|腕《うで》に白兵徴用のパイルバンカーを装着していた。
「|脱出《だっしゅつ》しろ! ケルプ!」
思わず叫《さけ》んでいた。
敵は二体でケルプの機動服を取り囲むと、いきなりパイルバンカーのスバイクを右肩《みぎかた》に叩《たた》き込んだ。
付け根からちぎれて転がった右腕の断面からは、内装の緩衝剤《かんしょうざい》が見えた。
一歩|間違《まちが》えば内臓《ないぞう》が破裂《はれつ》するぐらいの衝撃《しょうげき》だったはずだ。
そして、もう一台が同じ様に左肩へ一発!。
そいつは、足元に転がった機動服の左腕を持ち上げて中を見たあと、その|腕《うで》を投げ棄《す》てた。
それは、中に人間の|腕《うで》が入っていることを期待している動作だった。
僕《ぼく》は|緊急《きんきゅう》通信回路を起動した。
さすがにこの回路だけはやっらも|妨害《ぼうがい》していなかったらしい。
「どうしたね? マイド候補生、みだりに|緊急《きんきゅう》回路を作動させることは禁止されているぞ」
モニターに採点官の姿が映った。
「モニタリングの再点検を要請《ようせい》します! 我々の機動服の……」
そこまで言ったとき、採点官と誰《だれ》かが入れ替《か》わった。
マルス閣下だった。
「いやしくも|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》、それも|帝国《ていこく》貴族たるものが、おのれの不手際を機械のせいにするとは情けない限りだな。戦えないのなら、さっさと|降伏《こうふく》するがいい。機動服の|緊急脱出《きんきゅうだっしゅつ》装置は動くのだろう? 機動服を脱《ぬ》いで|降伏《こうふく》すればよいではないか」
マルス閣下は僕《ぼく》を野良犬《のらいぬ》のような目で見た。
「まったく、下層貴族は、いさぎよさという言葉を知らんのか。いさぎよくあきらめるのも貴族の誇《ほこ》りだというのに……」
|緊急《きんきゅう》回路を切った。
モニターは、僕《ぼく》の目の前の光景に切り替わった。
そこに映っていたのは、敵が、にやにや笑いながら。パイルバンカーのスバイクをケルプの機動服の前面|装甲板《そうこうばん》の|隙間《すきま》にねじこむところだった。
あの|隙間《すきま》の奥には……コックピットがある。
機動服の中の人間の顔なんてわからないが、僕《ぼく》には想像がついた。
あいつらは……絶対に笑っているに違いない!
怒《いか》りと絶望で目の前が暗くなった。
僕《ぼく》は叫《さけ》んだ。
「誰《だれ》でもいい! 頼《たの》む! あいつらをなんとかしてくれ!」
僕《ぼく》のインカムの中で、ヴァルが静かな声で答えた。
『そのお言葉をお待ちしておりました』
ヴァルの言葉とともに、ケルプの機動服の前に立っていた敵の機動服の動作が止まった。
一体めは、二〜三歩ぎくしゃくとあとずさりして、|突然《とつぜん》片足で立った。 「どうしたんだ? あれは!」
『感覚フィードバック回路に|侵入《しんにゅう》いたしました』
「なんだって?」
僕《ぼく》は驚《おどろ》いた。
ヴァルの能力は、確かに並じゃない、しかし、|帝国《ていこく》士官学校の機動服をコントロールするシステムは、常にリアルタイムでモニターされているはずだ。そんなシステムに侵入《しんにゅう》することが可能なんだろうか?
そして、僕《ぼく》は気がついた。
そうか、できるんだ。なぜなら、それと同じことをやつらもやったんだから。
それと同時に、ヴァルほどの|腕《うで》を持っただテクノサーバントなら、やつらがやってのけた以上のことをやってのけるだろうと確信した。
ヴァルが侵入《しんにゅう》した感覚フィードバック回路とは、機動服の指先や、表皮のセンサーのデータを感覚として操縦者の|身体《からだ》にそのまま伝える装置だった。
この回路のおかげで機動服は指先でタマゴやプリンをつかむことだってできるし、せまい壁《かべ》の間たどをすり抜《ぬ》けることもできる。
『痛覚だけを数百倍に|増幅《ぞうふく》しました。さながら針の山に立っている気分でございましょう』
ヴァルが、おもしろそうに答えた。
その機動服は、焼けた鉄板の上を歩くかのように片足でぴょんぴょん飛び跳《は》ねはじめた。
『なにやらBGMでも流したい姿ですな』
見た目にはユーモラスだが。中に入っている人間には笑いごとじゃないだろう。
そのうちにそいつの動きがおかしくなった。
無理な動きに機動服のバランスサーボがついていけなくなったのだろう。
そいつは地面にばったりと|倒《たお》れた。
機動服は、|一瞬《いっしゅん》びくん! と大きく跳《は》ねて、そのまま動かなくなった。
機動服の中から悲鳴が聞こえたような気がした。
……針の山で転んだんだものな。
そして、ケルプの左手にパイルバンカーを打ち込んだもう一体は、地面の上をのたうちまわっていた。
「あいつは……?」
『同じく感覚フィードバック回路に侵入《しんにゅう》いたしました。全身の、かゆみを|増幅《ぞうふく》しております』
全身がかゆいってどんな感覚なんだろう。
それは想像を|超《こ》えていた。
やがて、二体の機動服の背中が大きく開いて、コクーンと呼ばれる非常|脱出《だっしゅつ》ポッドが飛び出した。
『残りの連中も同じ方法では芸がありませんねえ』
ヴァルがおもしろそうに言うのと同時に相手の機動服が次々に停止した。
『これは、保温機能を昂進《こうしん》させました。蒸し焼きになるでしょう』
『これは、味覚の感覚回路に侵人しました。酸《す》っぱくてたまらないはずです』
『これは、|排泄物《はいせつぶつ》処理装置を逆転させました。なんとも表現のできない|感触《かんしょく》でございましょう』
敵のチーム員を乗せたコクーンが、次から次へと機動服から飛び出してきた。
僕《ぼく》は少し不安になった。
「ヴァル……ちょっとやりすぎじゃないのか? やつらが機動服の誤作動を申告したら、どうなる?」
『いいえ、いかに訓練の場とはいえ、故意に相手を殺害する|行為《こうい》は決して免責されるべきものではありません。かれらに対する|罰《ばつ》としては、まだまだ甘《あま》いと思います。それと誤作動に関しては、損害判定のプログラムがブロックされておりましたのでそれとリンクしました。彼らの機動服は最高の状態のままでモニターされております。こちらの機動服への|妨害《ぼうがい》が解除されなし限り。このままです。もっとも|脱出《だっしゅつ》してしまった機動服をいくら調べてもなんの|痕跡《こんせき》も残らぬようにしてありますので、いくら調査してもむだなことです』
やがて、敵の機動服の中でまともに動いているのは敵のリーダーであるアリクレスト・マルス候補生の機動服ただ一台だけになっていた。
そいつは一回も前線に出てこないで、後方でじっとしているだけだった。
『ああいった男には、仲間の味わつた苦痛すべてを味わっていただきましょうか?』
「いや、いい。機動服を作動させないようにしてくれるだけでいい」
ヴァルが、ちょっと意外そうな声で聞いた。
『よろしいのでございますか?』
「ああ、これであいつらと僕《ぼく》たちは|互角《ごかく》だ、決着は僕《ぼく》たちでつける!」
僕《ぼく》は判定官に『徒歩|戦闘《せんとう》』を申告した。
判定官にそれが受けつけられたのを確認すると、僕《ぼく》は小銃《しょうじゅう》と歩兵装備を身につけて、停止した機動服を脱《ぬ》いだ。
僕《ぼく》の姿を見た仲間たちも同様に停止した機動服から出てきた。
「マイド分隊長! |大丈夫《だいじょうぶ》でっか」
最初に僕《ぼく》に声をかけてきたのはアレフだった。
アレフの後ろには、高重力|惑星《わくせい》の出身だったラインアートのずんぐりとした姿や、手先が器用でコンピューターハッキングを得意技にしている小柄《こがら》なワンタの姿も見えた。
敵は、まだ|脱出《だっしゅつ》用のコターンの中から出てきていないようだった。
「あいつらの相手はあとだ、まずケルプを助けよう! ラインアート、たのむ」
無口なラインアートは、にっと笑うと、いつも背負っている個人装備のビームアックスをケースから抜《ぬ》いて、|両腕《りょううで》をもがれて座り込んでいるケルプの機動服に近づいた。
機動服用のビームアックスをちょっと軽量化しただけのそいつを、軽々と振《ふ》り上げると、ケルプの機動服の背面パネルと前面|装甲板《そうこうばん》のすきまに振《ふ》り下ろした。
打撃音《だげきおん》とジジッという金属が|融解《ゆうかい》する音がいりまじった音が響《ひび》くのと同時に、付近に複合材が焦《こ》げる臭《にお》いがたちこめた。
三回目の打撃のあと、一呼吸おいてケルプの機動服の背面パネルが開いた。そしてラインア
ートの四回目の打撃は、ケルプ本人の頭上三センチほどで、かろうじて止まった。
「ケルプ! |大丈夫《だいじょうぶ》だったか?」
機動服から這《は》い出してきたケルプは、冷《ひ》や汗《あせ》をぬぐって言った。
「マジックショーで箱に入って串刺しにされたり、ギロチンにかけられる女の子の気持ちがよくわかった。ショーのギャラはマジシャンじゃなくて女の子の方に多く払うべきだな」
いつものケルプの口調だった。
「それだけのへらず口が叩《たた》ければ|大丈夫《だいじょうぶ》ってわけだな」
ケルプは、おさまりの悪い赤毛の癖《くせ》っ毛《け》をかいて、にやっと笑った。
それはどうみてもイタズラ小憎《こぞう》がそのまま大きくなったような笑い方だった。
僕《ぼく》は分隊の仲間を振り返って言った。
「これで条件は同じになった。こんどは僕《ぼく》たちがやつらを各個撃破《げきは》する番だ!」
仲間たちは|歓声《かんせい》を上げた。
僕《ぼく》たちは、コクーンに閉じこもった敵に状況《じょうきょう》を説明したあとで|降伏《こうふく》を|勧告《かんこく》した。しかし、やつらはそれに応じようともしなかった。
「あいつらは、なぜ|降伏《こうふく》しないんだ? コクーンに入ったままじゃ戦えないっていうのに」
ケルプが|怪訝《けげん》そうな顔で言った。
「きっと、どこかの誰《だれ》かさんが、なんとかしてくれると思ってるんだろうね。ぐずぐずしてると、本当になんとかされちゃうかもしれないから、さっさとカタをつけよう」
僕《ぼく》が合図すると、ラインアートは実に|嬉《うれ》しそうな顔でビームアックスを|肩《かた》にかついで、いちばん近くにあるコクーンに近づいた。
そして、割られたコクーンの中から、目の前に振り下ろされたビームアックスの|恐怖《きょうふ》から覚めきれずに、まだ震《ふる》えている敵がひっぱり出されたとき、残りのコクーンからやつらが飛び出してきた。
僕《ぼく》は、背中に背負っていた|小銃《しょうじゅう》を目の前に持って、くるりと回すと|銃身《じゅうしん》の方をにぎって振りかざすと、仲間に向かって叫《さけ》んだ。
「直接白兵戦闘開始!」
みんなは、|一瞬《いっしゅん》びっくりしたようだったが、僕《ぼく》が|小銃《しょうじゅう》を逆に持って振り上げているのを見ると、納得したようだった。
僕《ぼく》は、ラインアートに向かって言った。
「ビームは切っておいてくれ、それからあくまでも訓練だということを忘れないでくれよ」
ラインアートは、|一瞬《いっしゅん》不満そうな顔をしたあとで、手元のスイッチを操作した。
アックスの刃先《はさき》からビームの光が消えた。
「それでいい、それから、あくまでも峰打《みねう》ちだぞ」
僕《ぼく》がうなずくと、ラインアートは目を見開いて実に楽しそうに笑った。
乱闘がはじまった。
こうして、|帝国《ていこく》士官学校の卒業試験の最大のイベントである『装甲《そうこう》機動服による機動分隊の|模擬《もぎ》|戦闘《せんとう》トーナメント』は、機動服ではなく人間の力によって決着をつける、という前代未
聞の|泥仕合《どろじあい》と化した。
でも、それは僕《ぼく》たちのせいじゃない。
敵の名誉《めいよ》のために言っておくならば、この戦いはやっらも本気だったし|互角《ごかく》だった。
僕《ぼく》も何発か殴《なぐ》られて、前歯が一本グラグラになったし、ケルプも右目のまわりに青い輪っかをこしらえてしまったし、仲間の受けた擦過傷《さっかしょう》や打撲《だぼく》は数知れない。
しかし僕《ぼく》たちにはラインアートという頼《たの》もしい仲間がいた。
この直接白兵戦の勝利は彼の存在なくしては考えられなかっただろう。
約一・五倍という高重力下の|惑星《わくせい》で育った彼にしてみれば、ぼくらの殴《なぐ》り合いなど小学生
のケンカのようなものだったに違いない。
ビームアックスの峰打《みねう》ち……この、ある意味刃《やいば》で切られるより残酷《ざんこく》な結果を生みそうな武器によって、敵は壊滅《かいめつ》した。
僕《ぼく》たちは、|戦闘《せんとう》力を失った敵を一人ずつ引っ張ってきて訓練フィールドの中央に集めた。
ほぼ全員を集め終わって、衛生兵のザビータが応急手当をしているとき、アレフが話しかけてきた。
「ところでマイドはん。あれ、どないしまひょ?」
アレフが指さしたのは、後方で機能停止して座り込んだままのアリクレスト候補生の機動服だった。
「あれか……あいつは仲間が殴《なぐ》り合ってるのに加勢すらしないで見ているだけだったな」
「あいつは|俺《おれ》にやらせてくれないか?」
横から顔を出したのはワンタだった。
頭と右肩《みぎかた》に吹きつけられた|鎮痛《ちんつう》消毒フォームジェルが痛々しい。
小柄《こがら》のワンタは、ソバカスの浮《う》いた顔で、リスのような前歯を見せて笑った。
僕《ぼく》たちは、座り込んだアリクレスト候拙生の機動服に近づいた。
「ひゃあ、こいつの機動服は、オーダーメイドですわ。わてらに配備されとる街道沿いの大量生産|既製服《きせいふく》センターで買うたような機動服とは段違《だんちが》いのクォリテイでんな」
「高いものなのかい?」
「|装甲板《そうこうばん》からしてツヤが違いまんがな」
アレフが、機動服の前面|装甲板《そうこうばん》を叩《たた》いて説明した。
機能を停止した機動服の中のアリクレスト候補生の顔を想像して、僕《ぼく》はなぜかちょっと楽しくたってしまった。
アリクレスト・マルス君、君は因果応報って言葉を知ってるかい?
「おい、みんなどいてくれ、これからちょいと大きなコマを回すから」
機動服の背中によじのぼって、外部コントロール|端子《たんし》をちょこちょこいじっていたワンタがそう言って飛び降りた。
「コマ?」
「ああ、いいから見てろ」
ワンタが、そう言い終わらないうちに、機動服の両肩《りょうかた》にっいている高機動用バーニアが作動しはじめた。
右肩《みぎかた》のバーニアが前面に、そして左肩のバーニアが後方に、それぞれガスを|噴射《ふんしゃ》しはじめるのと同時に、座り込んだ機動服は、最初はゆっくりと、そしてじょじょに速度を早めながらその場で回転をはじめた。
回転はどんどん遠くなっていって、やがて機動服の輪郭《りんかく》もわからないぐらいになった。それは、巨大《きょだい》なねずみ花火に似ていた。
バーニアの推進剤《すいしんざい》が尽《つ》きても、機動服は慣性でしばらく回り続けていた。
やがて、土《つち》ぼこりが収まったとき、アリクレストの機動服は半分地面にめり込み、上半身だけを地面の上に出して停止していた。
ワンタが再びちょこちょことよじのぼって、背中にある外部コントロール|端子《たんし》を操作した。
「よし、|緊急脱出《きんきゅうだっしゅつ》装置を作動させるぞ」
その声が終わるのと同時に背面のパネルが開いてコクーシが飛び出した。
僕《ぼく》たちの見ている前で、コクーンのハッチから、真《ま》っ青《さお》な顔をしたアリクレストが這《は》い出してきた。
自慢《じまん》の見事な|金髪《きんぱつ》はぐしゃぐしゃになり、碧眼《へきがん》の|端正《たんせい》な顔つきは、醜《みにく》く歪《ゆが》んでいた。
栄光の|御三家《ごさんけ》の|御曹司《おんぞうし》として、星間テレビのワイドショーなどで何度となく取り上げられ、街に出れぼ女の子たちが群がり寄ってくるほどの人気者の面影《おもかげ》はそこにはなかった。
僕《ぼく》たちが|降伏《こうふく》を|勧告《かんこく》する前に、アリクレストはその場で激しく嘔吐《おうと》して気絶した。
|鎮痛《ちんつう》消毒フォームジェルでぐるぐる巻きになった敵と、ゲロまみれで失神しているアリクンストを引きずってきて訓練フィールドの中央に並べ終わったとき、訓練|終了《しゅうりょう》のチャイムが響《ひび》き渡った。
上空から採点官が乗ったカプセルが降りてくる。
訓練|終了《しゅうりょう》とともにこの光景は士官学校のフルスクリーンモニターに|投影《とうえい》されているはずだ。
採点官がなにか言う前にぼくは大声で申告した。
「状況《じょうきょう》|終了《しゅうりょう》! 敵分隊を全員|捕虜《ほりょ》といたしました!」
採点官が、酸っぼいモノでも飲んだような顔つきになって何か言おうとしたとき、大声が響《ひび》き渡った。
「これは無効だ! 機動服の誤作動によるものだ! 認められん!」
それは、ゆで上がったロブスターより赤い顔をしたマルス閣下だった。
「ハルク、マルス閣下のおっしやっているとおりなのか?」
僕《ぼく》は士官学校のメインコントロールを担当している電子人格を呼び出した。
『機動服の誤作動は一切モニターされておりません、すべての機動服は完璧《かんぺき》に作動しておりました』
「そんなバカなことがあるか! 正常に作動していた機動服から、なぜ|脱出《だっしゅつ》せねばならんのだ!」
『その理由は、こちらではわかりません。パイロットの精神的な問題だと思われます』
ハルクは、電子人格特有のそっけなさで答えた。
この光景を見ている人々の失笑が目に浮かんだ。
「ばかな! あいつらが勝つわけがない! お前の裁定は|間違《まちが》っている!」
『私は皇帝陛下より信任を受けた絶対神聖な判定員であります。|帝国《ていこく》|軍《ぐん》基本規律第二十三条により、私の判定に異議申し立てをなさることは皇帝陛下に対する反逆とみなされます。軍法会議によりその異議の裁定を行うこととなりますが、それでよろしいのですね?』
マルス閣下の顔色が変わった。
「い……いや、異議の申し立ては、しない。今の発言をとりけそう」
『では、この|戦闘《せんとう》で第二十八分隊が勝利したことをここに正式に宣言いたします』
僕《ぼく》たちは|歓声《かんせい》とともに、歩兵|戦闘《せんとう》用のヘルメットを空に投げ上げた。
気がつくと……。
マルス閣下が僕《ぼく》をにらんでいた。
頭を下げて、こう言ってやった。
「さすがは|帝国《ていこく》の最高位にある貴族のご子息ですね、あの、いさぎよさには感服いたしました」
もし、マルス閣下に、視線で人を殺せる能力があったら、僕《ぼく》は即死《そくし》していたに違いない。
かまうもんか。
採点は満点に近いはずだ。敢を全員|捕虜《ほりょ》にして機動服を無傷で鹵獲《ろかく》したんだからな。
とにかく、ぼくらは勝った。この|腕《うで》と、足と拳骨《げんこつ》で。
僕《ぼく》たちの名前は|帝国《ていこく》士官学校の歴史に刻まれ、永遠に語り継《つ》がれるんだ。
僕《ぼく》の|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》としての人生はこれから始まるんだ!
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第一章 旅立ち
そして……僕《ぼく》の人生は終わった。
一時間前。
そう、ほんの一時間前。
人生の最良の時間というやつを味わっていたというのに。
僕《ぼく》は、ぼんやりと宇宙を見ていた。
宇宙港のロビーの|天井《てんじょう》に張られた|透明《とうめい》な|硬化《こうか》テクタイトの向こうには、何千何百という銀色のきらめきが、散らばっていた。
その昔、海に棲《す》んでいたサカナという生物によく似た流線型のシルエットたち。
そのひとつひとつが、すべて銀河|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の最新式の宇宙|戦艦《せんかん》だった。
ここ、|帝星《ていせい》ブックスの周回|軌道《きどう》に入ることが許されているマガザン|帝国《ていこく》親衛隊|近衛《このえ》|師団《しだん》の|艦隊《かんたい》だけでも視野に入りきらない。
そして、そのきらめくサカナたちは、僕《ぼく》とは無縁《むえん》の存在だった。
僕《ぼく》はそのサカナをつかめると信じていたんだ。
そう……たった一時間前まで。
一時間前。
マガザン|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の基本カラーである黒と銀に塗《ぬ》り分けられた|帝国《ていこく》士官学校の建物のなかで、もっとも目をひく銀色の|巨大《きょだい》なドームの中に僕《ぼく》はいた。
床《ゆか》を埋《う》めつくす若い将校たちを今、三年間の思い出と、卒業の喜びと、軍人としての人生に対する漠然《ばくぜん》とした不安とが、ごっちゃになった一種独特な|高揚感《こうようかん》が包んでいた。
卒業式典が終わり、いよいよ士官としての配属先が発表されるときがきたのだ。
これから一人一人の名前が読み上げられ、任官辞令が|手渡《てわた》される。
僕《ぼく》の手には、ほんの五分前に、皇帝陛下の|名代《みょうだい》である皇太子殿下から|手渡《てわた》された|恩賜《おんし》の|短剣《たんけん》が|握《にぎ》られていた。
士官学校の成績|優秀者《ゆうしゅうしゃ》上位五名だけに|与《あた》えられるこの|短剣《たんけん》は、|俗《ぞく》に『|英雄《えいゆう》へのパスポート』と呼ばれ、これを持つ者には、きらめくばかりの栄光と出世が約束されている。
いや、約束されているはずだった。
これで|近衛《このえ》|師団《しだん》配属は、|間違《まちが》いない!
そう確信していた僕《ぼく》を笑うことは誰《だれ》にもできないと思う。
仲間はもちろん、教場の担当教官、教務主任教官ですら、|近衛《このえ》|師団《しだん》行きを疑わなかったのだから。
仲間たちの|羨望《せんぼう》のまなざしの中で、|壇上《だんじょう》に読み上げられた僕《ぼく》の名前のあと、なぜか任官先の部隊名が告げられなかった。
|一瞬《いっしゅん》、大ホールが静まりかえり、やがてざわめきだした。
任官先が告げられないということは、任官先の部隊が作戦行動中。つまり第一線の部隊だということのあかしだったからだ。
そんなバカな! なにかの|間違《まちが》いです。
そう叫《さけ》びたかった。
でも、任官辞令を渡す校長の目が『気の毒に』と言っているのを見て、それが|間違《まちが》いでもなんでもないということに気がついたのだ。
そのあとのことは、よく覚えていない。
ただ、ひそひそ後ろ指をさす門閥《もんばつ》貴族のドラ息子《むすこ》と、その取り巻き運中のあざけるような目つきだけは覚えている。
誰《だれ》とも目を合わさずに私室にもどり、誰《だれ》にも何も告げずに装備をまとめ、僕《ぼく》はその足でここにやってきた。
たった一人の肉親である|自称《じょしょう》|冒険家《ぼうけんか》の|叔父《おじ》は、どこにいるのかわからなかったし、もしわかっていたとしても、作戦行動中の部隊への配属は部外秘だったから、結局何も言うことはできなかっただろう。
宇宙港の中央ロビーを忙《いそが》しげに行きかう人々の無関心の中だけが僕《ぼく》の居場所だった。
ここで宇宙を見上げている僕《ぼく》の人生が、今、終わったことに気づいている人は誰《だれ》もいないだろう。
それだけが救いだった。
もの思いにふけつていた僕《ぼく》の|肩《かた》を、そのとき誰《だれ》かが叩《たた》いた。
びっくりして振り返つた僕《ぼく》の目の前に、初老にさしかかった一人の男性が立つていた。
そのときの僕《ぼく》の表情は、さぞかしまぬけに見えただろう。
「どうした、マイド候補生、わしの顔を忘れたか」
「いえ、軍服以外の姿を見たことがありませんでしたので」
その人は士官学校で、僕《ぼく》たちの|襟首《えりくび》をつかんで|地獄《じごく》の|淵《ふち》まで引きずって行って、生きて|地獄《じごく》を見るという、世にもめずらしい経験をさせてくれた実戦|戦闘《せんとう》訓練課程の教官、キエノ|大尉《たいい》だった。
「わしだって、平服を着ることがあるさ。ともあれ卒業、そして任官おめでとう。と言わせてくれ」
教官は、笑顔でそう言った。
その笑顔を見て、なぜ教官の顔に気がつかなかつたのか、もうひとつの理由に思い当たった。
僕《ぼく》は、三年間、この人の笑顔というものを見たことがなかったんだ。
「ありがとうございます。教官に笑顔で話しかけられることがあるとは思いもよりませんでした」
僕《ぼく》は正直に答えた。
「わしだって笑うさ。しかし安心したよ、もっと|自棄《やけ》になっているのではないかと思っておった」
「任地の件ですか」
「うむ、士官学校の成績|優秀者《ゆうしゅうしゃ》として、皇帝陛下から|恩賜《おんし》の|短剣《たんけん》を授かった君のような者が、
あのような|僻地《へきち》の一線部隊に配属になるということは、どういうことかわかるかね」
「私には、|縁故《えんこ》も資産もなかったということですね」
教官は軽くうなずいた。
「士官学校の成績を|変更《へんこう》することはできん。あれは絶対にして神聖と言っても良い。しかし、卒業してしまえば、それはただのデータにすぎん。そして君は軍務省の役人どもから見れば何千という|名簿《めいぼ》の中の名前のひとつにすぎんのだ。成績の上位の者から|近衛《このえ》|師団《しだん》に配属されるという慣習など、役人の筆一本でどうにでもなってしまうのが現実だ。君が座るべきイスには今ごろ役人にたっぷり袖《そで》の下《した》を送ったどこかの資産家の貴族の息子《むすこ》が座っていることだろう」
「息子《むすこ》を死なせたくないと思う親心についてとやかく言うっもりはありません。裏返して言うならば、普通《ふつう》の部隊に配属されれば、死ぬ可能性が高い……つまり、また戦争が始まるということなのでしょうね」
教官が息を飲んだのがわかった。
「いつもながら|鋭《するど》いな、マイド候補生。動員令がもうじき出ることは|間違《まちが》いない、再び神聖ローデス連合との戦役が始まるのだよ。そして戦争でつねに最前線に配置されるのは平民と、君や、わしのような貧乏《びんぼう》貴族たちが主体の一般《いっぱん》部隊だからな」
「その|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の一般《いっぱん》部隊の、さらにその前方に配置されるのが、僕《ぼく》が|赴任《ふにん》する|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍です、門閥《もんばつ》貴族に|恥《は》をかかせた貧乏《びんぼう》貴族をやっかいばらいするには最適の部署ということなんでしょうね」
僕《ぼく》は、|肩《かた》をすくめた。
「あきらめるつもりかねマイド候補生?」
教官の声は、僕《ぼく》を|叱責《しっせき》する口調だった。
驚《おどろ》いて顔を上げた僕《ぼく》を、キエノ教官は、まっすぐに見つめていた。
「|帝国《ていこく》が、今日までこの銀河に君臨し続けた理由を、君は考えたことがあるかね?
それは国力だ。国力にまさる国が君臨するという当然の力関係によるものだ。では、あらためて聞くが、その国力とはなんだ?」
僕《ぼく》の脳裏には最初「兵力」という言葉が浮かんだが、その言葉はすぐに「生産性」という言葉にとって代わった。しかし、その言葉も正しい答えじゃないような気がした。
そして、僕《ぼく》が最後にたどりついたのが「国民」という言葉だった。
「国民でしょうか?」
教官は、うなずいた。
「そうだ、国民の力こそが国力と呼ばれるものの根源だ。過去において|帝国《ていこく》には真に指導者としての資質を持った貴族が数多く存在した。彼らの|偉業《いぎょう》によって|帝国《ていこく》は今の地位を築いたのだが、今、そういった資質を持った上流貴族を|捜《さが》すのは、|砂漠《さばく》でビーズ玉を|捜《さが》すのに等しい」
僕《ぼく》は心配になった。教官の話は、憲兵隊に聞かれては困るような内容をふくんでいたからだ。
キエノ教官は、僕《ぼく》の心配をよそに話を続けた。
「では、なぜ|帝国《ていこく》は|破綻《はたん》しないのか、それは簡単な話だ。実際に動くしたっぱ。つまりわしや君のような現場の人間が有能だからだよ。しかし、いくら我々が努力しても、我々にできることには限りがある。いわゆる権限というやつが我々にはないからだ。軍隊は命令で動く。たとえそれが礼服の胸につけるお|飾《かざ》りが欲しいという理由の自殺的|攻撃《こうげき》命令でも、正式な命令ならば、数百|隻《せき》の|戦艦《せんかん》の、万を|超《こ》える乗組員の生命を|犠牲《ぎせい》にしてでも、我々は門閥《もんばつ》貴族に従わなくてはならんということだ。マイド候補生、わしが、君に贈る言葉は、ただひとつだ」
教官は、そこで言葉を切った。
「生きろ、マイド候補生。どんな状況《じょうきょう》でも生きのびろ! いや、お願いだから生きのびて欲しい。これは|帝国《ていこく》宇宙軍|大尉《たいい》キエノ・ランバートとしての命令ではない。ただの老兵であるキエノ・ランバートとしてのお願いなのだ。そのための知識を、わしの知りえたすべての知識を教えたつもりだ。一本の針金から武器を作り、|懐中《かいちゅう》電灯のエネルギーセルを使って|爆発物《ばくはつぶつ》を|創《つく》り出し、闘う方法をだ。言わば、実戦における機転と応用を教えたのだ。君が士官学校でやってのけたことは、まさにその機転と応用なのだ、君は私が教えた教え子の中で、もっとも|上手《うま》く機転と応用を使った人間だ、君のような教え子を持ったことはわしの誇《ほこ》りであり、わしの|生涯《しょうがい》における最大の喜びだ。いいか! 絶対にわしより先に死ぬな!」
灰色の|髪《かみ》と深い|鳶色《とびいろ》の目を持った教官はそう言って右手をさし出した。
僕《ぼく》はその手をにぎった。
彫像のようなその顔に流れる感情の色を見たとき、僕《ぼく》は自分がにぎっている、ごく、ありふれた実用タイプのバイオノイドの|義手《ぎしゅ》を伝わって教官の思いが伝わってきたような気がして、不覚にも泣きそうになってしまった。
「|肝《きも》に|銘《めい》じておきます、教官」
「今度会うときは、|大尉《たいい》と呼びたまえ」
教官は……いや、キエノ|大尉《たいい》は、もう一度笑った。
僕《ぼく》は短く、そして力強い|握手《あくしゅ》をしたあとで、足元においてあった軍用の圧縮ラゲッジバックを手に持ち、出発カウンターに向けて歩きだした。
わかったよ、|大尉《たいい》。死んでたまるか! そう自分にいい聞かせておくよ。
でもね、僕《ぼく》があなたからから教わったのは、機転でも応用でもなかったんだ。本当に教わったのは他人の命をあずかることの重さだったんだよ。
部下を殺してはならない。絶対に無意味に殺してはならないということだったんだ。
コンコースに、僕《ぼく》が乗る|長距離《ちょうきょり》航路のチケットチェックが始まったことを告げるアナウンスが流れ始めた。
|帝星《ていせい》ブックス。
僕《ぼく》が、生まれて十九年間暮らしてきた星……。
故郷は今、一番遠い場所になった。
僕《ぼく》は、振り返らなかった。
そう、いきなり|肩《かた》を叩《たた》かれるまでは。
|肩《かた》を叩《たた》かれて振り向いた僕《ぼく》に向かって声が飛んできた。
「マイド! なんで何も言わねえで出ていっちまうんだよ! てめえ!」
歯切れのいい、べらんめえ言葉をまくしたてたのは、同じ分隊、それも同じ寄宿舎で三年間ともに暮らしたケルプ・S・ワインガーだった。
「ケルプ……」
ケルプは怒《おこ》ったような目で僕《ぼく》を見るとまくしたてた。
「オレはなあ、お前に言葉じゃあ言えねえくらいの恩義があるんだぜ! このままオレに礼も言わさねえで|赴任《ふにん》するつもりだったのかよ! 許さねえぞ!」
こいつの一族は昔、宇宙|海賊《かいぞく》だったが、皇帝に味方して貴族の身分に取り立てられたという経歴を持っている。
本人も否定しないどころか言葉|遣《づか》いの悪さと育ちの悪さを|誇示《こじ》するようなところがあって、下級貴族の中でもけっこう浮いていた。
だから話が合ったのかもしれない。
僕《ぼく》は、初めてケルプに会ったときのことを思い出していた。
それは、三年前、士官学校の寄宿舎に入寮したときのことだった。
寄宿舎の受付は大混乱していた。
僕《ぼく》は、ずっと寄宿制ハイスクールで暮らしていたから、ひっこしといっても、単に建物が変わるぐらいにしか思えなかったが、世間ではそうではなかったらしい。
寮に持ち込める私物の量は限られているのにもかかわらず、身のまわりの世話用のバイオドールや、テクノドールを持ち込もうとして、受付とトラブルになっているやつが山ほどいたのだ。いや、バイオドールなどはかわいいほうで、ひどいのになると、ほとんど家|一軒分《いっけんぶん》の家財道具をもってきている連中までいたのだ。
その荷物を選別するのに|悩《なや》んで座り込む者。
自分の父親の役職を告げて、わがままを通そうとする者。
どう見ても愛玩用《あいがんよう》としか思えないバイオドールに抱《だ》きついて泣きだす者。
そういった連中で、寮の受付はごったがえしていた。
寄宿舎は衣食住のすべてを保障されているのだから、そんなに不便なわけがないのだが、確かに今まで一人暮らしをしたことのない貴族のおぼっちゃまやら、バイオドールのメイドにかしづかれて生活していた連中にしてみれば、それを全部一人でやらねばならない生活が始まるのが不安で仕方なかったのだろう。
僕《ぼく》は、あらかじめ送ってあった荷物が届いていることを確認して、さっさと登録を済ませ、自分の部屋に向かった。
候補生の部屋は、分隊ごとに分けられていた。
一分隊は十二名で構成される。つまり十二人でひとつの部屋を共有し、これからは何をやるにも、それこそメシを食うのも、教練を受けるのも、全部分隊単位でやることになる。
部屋の中央はリビングになっていて、その奥にバスルームと簡単な湯わかしがある。そしてリビングの左右両側に六つずつ、十二の個室が並んでいた。
これが、僕《ぼく》たちがこれから三年間暮らす我が家というわけだ。
個室のドアについているカードホルダーはからっぽだった。つまり、そういった|細々《こまごま》としたルールは、すべてこの部屋の中で決めろということなんだと僕《ぼく》は理解した。
僕《ぼく》が出入り口のすぐ右側を自分の部屋に決めて、|着替《きが》えやその他いろいろな日用品などをロッカーに詰め込んでいると、誰《だれ》かが入ってきた。
僕《ぼく》は壁《かべ》に貼《は》っておいた同室者の|名簿《めいぼ》を見てからリビングに顔を出した。
そこに立っていたのがケルプだった。
ケルプは、僕《ぼく》の顔を見ると、にやりと笑って言った。
「よ! オレはケルプ・ワインガーだ、あんたは?」
「僕《ぼく》はマイド、マイド・ガーナッシュだ、よろしく頼《たの》むよ」
「こちらこそよろしくな」
ケルプは、もう一度笑った。
僕《ぼく》のケルプに対する第一印象は、こいつ、ワルそうだな……というものだったが、その笑顔を見て、ちょっと修正を加えた。
こいつはワルじゃない……どっちかというとワルガキだな。
その夜、同じ部屋のメンバー全員がそろったところで、学校側から最初のプログラムが示された。この部屋のリーダー、つまり分隊長を決定せよ、という指示だった。
僕《ぼく》は、|年齢《ねんれい》から言ってリーダーは、ケルプかアレフのどちらかになるものだと思っていた。
最初に口を開いたのはケルプだった。
「オレは、マイドがいいと思うな」
僕《ぼく》はびっくりした。
「ちょっとまってくれよ、なんで僕《ぼく》が?」
ケルプは、笑いながら言った。
「お前さんが貴族だからさ」
「ふざけないでくれよ、何が貴族だ! そんなもの関係ないじゃないか。士官学校で評価されるのは実力だ、身分じゃない! 敵から飛んでくるビームは貴族と平民の区別なんかしてくれないんだからな」
僕《ぼく》が怒ったのを見て、ケルプやアレフ、そして他の連中もみんなちよっと驚《おどろ》いたようだった。
ケルプは、両方の手のひらを僕《ぼく》に向けて、小さく首を振って言った。
「誤解させて悪かった、お前さんの身分のことを言ったわけじゃない。オレは、お前さんの|行為《こうい》を言ったんだ」
「|行為《こうい》?」
ケルプはリビングの|壁面《へきめん》にある個人用の収納スペースを指さした。
「|俺《おれ》の一族は宇宙船乗りだからよく知ってるんだが、この部屋みたいにスペースが限られている場所で共同生活する場合、個人が使えるスペースが、そのまま力関係になっている場合が多いのは知っているな?」
僕《ぼく》はうなずいだ。
宇宙船では個室があるのは船長だけで、一般《いっぱん》の船員にはベッドカプセルー個分のスペースしかないのが普通だからだ。
「それと、これとどういう関係があるんだ?」
ケルプは笑った。
「だからだよ、お前さんは、最初にこの収納スベースを分隊具に平等に分配した。貴族である特権を主張することもできたのにもかかわらずだ。まして、お前さんは、荷物の多いラインアートやらワンタに、快く自分の空きスベースを譲りやがった……|俺《おれ》はそれを見だとき思ったんだ。こいつは、根っからの甘《あま》ちゃん貴族か、さもなけりやバカだとな、でも甘《あま》ちゃんでバカな人間が士官学校なんかに来るわけがない。だとしたら結論はひとつだ」
ケルプはそこで言葉を切って、ちょっと|真面目《まじめ》な顔をした。
「お前さんは、貴族として尊敬するに値する人間だ、ということだよ」
そして、僕《ぼく》は分隊長になった。
士官学校第三六五期生の百七十ある分隊の、最年少の分隊長だった。
僕《ぼく》の|追憶《ついおく》は、ケルプの声で|途切《とぎ》れた。
「で? お前はどこに配属になったんだ?」
「軍機だ……でも、どうせ分かっちゃうだろうな」
ケルプは当然という顔をした。
「当たり前だ、調べるのもめんどくさいから早く話せよ」
こいつにかかったら、どんな機密もあったもんじゃない。
「アウトニアだ」
ケルプは、|一瞬《いっしゅん》いぶかしげな顔をした。
「アウトニア……どこだ? そこは? そんな地名、|帝国《ていこく》にあったか?」
「|帝国《ていこく》の|直轄地《ちょっかつち》じゃない。ユーランド方面の|辺境《へんきょう》国家群の中にある誰《だれ》も知らない小さな国さ、僕《ぼく》もさっきデータベースを調べてやっと知ったんだ。それよりお前はどこに|赴任《ふにん》になったんだ?」
「オレか? サモン軍管区の|哨戒艇《しょうかいてい》だ。オヤジの一族が鼻薬効かせたのかもしれん。まったく余計なことしやがって」
サモン軍管区は、こいつの出身星域を中心とした区域だ。
きっとその軍管区の上層部や、|哨戒艇《しょうかいてい》の乗組員なんかも同族出身者で固まっているのだろう。
でも。シャトルや|戦闘《せんとう》艇の操船技術に関してはこいつの右に出るヤツはいなかった。
「|哨戒艇《しょうかいてい》の艇長か、適材適所だな」
ケルプは鼻の頭をかいた。
「まあ……ガキの|頃《ころ》から太陽風ヨットやらなんやら乗って|小惑星帯《しょうわくせいたい》を遊んでたからな、オレのホームグラウンドみたいなものなんだが……」
ケルプは悲しそうな顔をした。
「アウトニアか……お前が行くようなところじゃねえな。お前は本当は|帝国《ていこく》の作戦|参謀《さんぼう》としてここに立つために生まれてきた人間なんだ。ここに立って、本当の戦いってのは死人の数を競うことじゃないってことを証明するためにな。だから……帰ってこい! なんとしてでも生きのびて、絶対に帰ってこい! オレは、お前が|提督《ていとく》になったとき、お前の|旗艦《きかん》の艦長になるために生まれてきたんだと思ってる。だから……絶対に死ぬんじゃねえぞ!」
ケルプは本気だった。
だから、余計悲しかった。
「作戦|参謀《さんぼう》やら|提督《ていとく》やら、ずいぶん高く買ってくれるんだな」
「バカ|野郎《やろう》! それがお前の悪いところだ! お前はもっと自分に自信を持たなくちゃダメなんだ! 自分の作戦に自信を持てない|参謀《さんぼう》の意見なんて聞くヤツはいねえんだからな!」
ケルプは、そう言うとポケットから一本の|短剣《たんけん》を取り出して僕《ぼく》に差し出した。
「|餞別《せんべつ》だ……受け取れ」
それは、見るからに古く、|由緒《ゆいしょ》がありそうな|短剣《たんけん》だった。
「皇帝陛下からの|恩賜《おんし》の|短剣《たんけん》に比べれば、みすぼらしく見えるかもしれねえけどよ、本当の宇宙船乗りにとってはこっちの方が|霊験《れいげん》あらたかなんだぜ。こいつはワィンガー家が真に信ずるものにしか渡さない品物だ。ギルドに所属している船員に見せれば、たいていの無理はきいてくれるぜ。遠くに旅するときは絶対に必要になる」
僕《ぼく》はその|短剣《たんけん》を両手で受け取った。
「ありがとう。大切にする」
僕《ぼく》はケルプと|堅《かた》い|握手《あくしゅ》をした。
「じゃあな」
「ああ……元気でな」
そう言うと振り向いて歩き出した。
もう一度生きてこの地を踏む日がくるのだろうか。
さようなら……僕《ぼく》の生まれて育った星。
僕《ぼく》は振り返らなかった。
そう、僕《ぼく》の|感慨《かんがい》を叩《たた》きこわして西域《せいいき》弁の嵐《あらし》が吹《ふ》き荒《あ》れるまでは。
「マイド! さがしたでぇ、なんの|挨拶《あいさつ》もなしでこんなところにくるなんて水臭《みずくさ》いなあ、三年一緒に暮らした仲やんか、見送らしてえな」
振り向くとそこに、アレフがいた。
ずいぶん急いで来たのだろう、上着は私服を着込んでいるもののズボンは礼服のままで、鼻の頭に汗をかいている。
「あんたには言葉では言えん恩があるのや、見送りせんかったら、わいは一生|後悔《こうかい》するとこやったんや、これ|餞別《せんべつ》や」
僕《ぼく》とケルプは信じられないものでも見るような目でアレフの差し出した封筒を見ていた。
アレフは、僕《ぼく》なんかより五歳も年上だった。
彼は西域《せいいき》の有名な商人の息子《むすこ》で、一般《いっぱん》の大学を出たあと、再度士官学校に自費入学した変わり種として有名だった。
いや、もっと有名だったのはそのドケチぶりだった。
かなり|裕福《ゆうふく》な家。なんせ|帝国《ていこく》で五本の指に入る大商家、ABC商会の|若且那《わかだんな》なのに、親の反対を押《お》し切って入学したために仕送りがほとんどないとかで、実に金にこまかかった。
ひょろっとした外見と、何よりもその性格から、門閥《もんばつ》貴族のドラ息子《むすこ》どもに『ノラ犬』と呼ばれていたほどである。
そのアレフが、他人にものを贈《おく》るとは……。
「なんや、どうしたん? 硬直《こうちょく》してるで」
「い、いやあ。自分の目が信じられなくてさ、これ、いくら?」
「あほ! |餞別《せんべつ》ちゅうたら贈りものや、つまりはタダちゅうことや、|餞別《せんべつ》の代金取るアホがどこにおるかいな」
お前じゃわからないからなあ。という言葉を飲み込んで僕《ぼく》はその封筒を受け取った。
「あ、そうそう、お返しはいらんで、気にせんといて、ほんまにもうお返しなんてされたら身の置き場がないねん。ほんまに助かったんや、あんたがおらんかったらわいが親に逆らって士官学校に入ったのが全部|無駄《むだ》になるところやったんや。くわしいことはその中に書いてあるよってにあとで読んでな」
僕《ぼく》はその封筒をそのままラゲッジパックのスリットに差し込んだ。
なんとなく無気味で、その場で開封する気になれなかったからだ。
やがてロビーにジャンプステーションに向かうシャトル便の案内アナウンスが流れ始めた。
「二人とも元気でな」
「元気でなって言葉はお前に返すよ」
「|身体《からだ》気ぃつけや」
「じゃあな」
二人に背中を向けてラゲッジパックを持ち上げたところでイヤな予感がした。
これで、また呼び止められたら、シャトルに乗り遅《おく》れてしまう。
念のために振り返った。
「どうした? 忘れものか?」
「いや……また呼び止められるんじゃないかと思って」
ケルプは、にやにや笑って言った。
「実を言うと、エントランスの柱ごとに分隊員がひとりずつ隠《かく》れていて順番に呼び止めてお前を足止めして、シャトルに乗り遅らせて、卒業パーティー会場に連れていく計画だったんだが、お前はそういうのが苦手だろう……ってことになってオレとアレフだけが見送りに来たんだ、安心しろ」
とんでもない計画立てていたんだなこいつら。
「任地が|僻地《へきち》だからな、時間の余裕《よゆう》がないんだ、ごめん」
「気にするな」
僕《ぼく》は手を振ると、|硬質《こうしつ》テクタイトチューブでできたリフトに乗った。
リフトの|扉《とびら》が閉まり昇降床《しょうこうしょう》が動き出す。
僕《ぼく》は目をあげた。
そこにいた。
リフトが登ってゆく|透明《とうめい》なチューブ……その向こうに。
ケルプと……アレフと……|帝国《ていこく》士官学校第三六五期生第二八訓練分隊。|通称《つうしょう》「でたまか分隊」の連中が整列していた。
ケルプは、僕《ぼく》に視線を合わせるとにやりと笑って叫《さけ》んだ。
「第二八訓練分隊! 総員! 分隊長に敬礼!」
分隊の仲間は、かかとを合わせると挙手の敬礼をした。
バカ|野郎《やろう》……
そんなに|綺麗《きれい》な敬礼ができるなら。その敬礼を式典礼式の試験のときにやれよ。
連中は、敬礼をしたまま僕《ぼく》を見送っていた。
そうだ……。
僕《ぼく》は、僕《ぼく》のためだけに生きているんじゃない。
だとしたら、僕《ぼく》は死ぬわけにはいかない。
必ずここにもどって来よう。
仲間たちのためにも、僕《ぼく》は死ぬわけにはいかないんだ。
僕《ぼく》は答礼を返した。
僕《ぼく》は、視界から仲間たちが消えても、しばらくその敬礼を崩《くず》さなかった。
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第二章 任地へ
僕《ぼく》は栄えあるマガザン|帝国《ていこく》の皇帝陛下につかえる、れっきとした貴族だ。
でも、利権にありつけない貧乏《びんぼう》貴族の|末裔《まつえい》にとって、貴族の身分なんて、ミドルネームがひとつふたつ増えるぐらいのことにすぎなかった。
貴族の身分がブリキの|勲章《くんしょう》よりも役に立たないこんな世の中で、貧乏《びんぼう》貴族の子弟が選べる道はとてもせまく、せいぜい|行政《ぎょうせい》|尚書《しょうしょ》試験を受けて役人にでもなるしかない。
だが、役人への道は、まずコネで地ならしをして、その上にカネを敷きつめなくては通ることができない。
そのふたつに縁《えん》のない僕《ぼく》のような人間が選べる道は、軍人になることだけだった。
貴族の身分を持つものにはマガザン|帝国《ていこく》士官学校入学時に優先権が|与《あた》えられていたし、考えようによっては軍人だって悪くはない。
なぜなら、軍人の世界は実力主義で、貴族だろうが平民だろうが関係なくその才能によって|待遇《たいぐう》されるシステムになっていたし、なによりも、運が良ければ僕《ぼく》のような下級貴族でもスピード出世も夢ではないというところが|魅力《みりょく》的だったからだ。
もっとも、これを言い替えれば長生きしないってことになるのかもしれない。
僕《ぼく》は早死にしたくなかった。だから|帝国《ていこく》図書館に保存されている|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の公式記録のデータベースを調べまくって、死なない方法をさがし、そしてひとつの結論に達した。
戦死しないためには、|近衛《このえ》|師団《しだん》に|赴任《ふにん》するしかない。
|近衛《このえ》|師団《しだん》は、皇帝陛下直属の部隊として、もしもの場合は、自らの|身体《しんたい》をもって陛下の盾《たて》となるべく義務づけられ、|旗艦《きかん》のまわりに配備されている。
しかし、|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の何万|隻《せき》という|戦艦《せんかん》の|球形陣《きゅうけいじん》の囲みを破って、皇帝陛下に敵が迫《せま》ることは、まず、あり得なかったし、事実、過去において|近衛《このえ》|師団《しだん》が、直接|戦闘《せんとう》に参加したことは、一度もなかった。
|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の中で、もっとも安全な部隊、それが|近衛《このえ》|師団《しだん》だった。
そして、この|近衛《このえ》|師団《しだん》に配属されるためには、実力がものを言うとされていた。すべてにおいて優れていなくてはならないのだ……そう、精神と肉体と知能のすべてにおいて。 士官学校の成績、特に総合順位の上位の者から優先的に|近衛《このえ》|師団《しだん》に配属される慣習を知った
僕《ぼく》は、死にもの狂いになって勉強した。
体力において他人に二歩も三歩も遅れをとっていた僕《ぼく》が、その遅れをカバフできるのは実戦訓練とシミュレーションだけだったからだ。
さいわいなことに、この時代、近接|戦闘《せんとう》のほとんどは、装甲《そうこう》機動服を着用して行われ、大昔の戦争のようにナイフを振り回したり、拳骨で殴《なぐ》りあったりすることはほとんどない。
もしもそんな訓練が行われていたなら、今ごろここにいないで合同|慰霊祭《いれいさい》の日に読み上げられるリストの中に存在しただろう。
自慢《じまん》じゃないが。結局|自慢《じまん》なんだが、僕《ぼく》はつねに成績|優秀者《ゆうしゅうしゃ》のグループにいた。
|艦隊《かんたい》運用訓練のシミュレーションでは、十対一という|劣勢《れっせい》の|艦隊《かんたい》を率いて勝利したし、装甲機動服による実戦|戦闘《せんとう》訓練では、僕《ぼく》の分隊は無敵の分隊として士官学校中にその名がとどろきわたった。
精神感応|端末《たんまつ》が発達し、強制的にデータを人間の脳の|記憶層《きおくそう》に記憶させることができるようになってから、士官学校をはじめとするすべての教育機関から、単に知識の量をはかる暗記科目のような無意味なカリキュラムは姿を消した。
そのかわりに求められるのは、その「知識」をいかに応用するかという「|知恵《ちえ》」だった。
様々なアクシデントが起こるシミュレーションで、いかに臨機応変にそれに対応するか。
考えてみれば士官学校は兵士を、戦争をするための人間を育てるわけだ。戦場では何が起こるかわからない、プログラムどおりに起きる|戦闘《せんとう》なんてないからだ。
まして士官は部下の生命をあずかっているわけだから、どうしていいかわからなくなる、なんて最低な真似をするわけにはいかない。
さまざまなアクシデントに対応する能力。それは。想像力だ。
僕《ぼく》は、さまざまな状況《じょうきょう》を作り上げて、その状況《じょうきょう》を三D画面と体感認識センサーを組み合わせた家庭用ゲーム機用のソフトにしあげ、分隊の仲間とリンクして遊んだ。
本当のシミュレーションマシンに比べればちゃちなシロモノだったが、分隊の仲間同士のコミュニケーションには役に立った。
そして、仲間同士で互《たが》いにポジションを|交換《こうかん》することにより、自分のミスが、他人にどれだけ|迷惑《めいわく》をかけるか。それを身をもって知ることができるようになった。
門閥《もんばつ》貴族のドラ息子《むすこ》どもが門限を破って街に出て女の子と遊んでいるときも、僕《ぼく》たちはこのゲームと、三次元スクリーンの|艦隊《かんたい》運用シミュレーションで遊んでいた。
その結果、僕《ぼく》たちの分隊は|帝国《ていこく》機動歩兵運用細則に定められた定型フォーメーションをとらない|唯一《ゆいいつ》の分隊となった。
定型フォーメーション。それは|帝国《ていこく》機動歩兵の長年の部隊運用からあみ出された戦術形態だ。
でもそれは言い替えればマニュアルのょうなものだろう。暗記さえしておけば。八割がたのトラブルは切り抜《ぬ》けられる。確かに理想的なのだが、問題はあとの二割だ。
マニュアルしか知らない人間はマニュアルに書かれた事案以外の事案に|遭遇《そうぐう》したとき、たいてい判断停止状態になってしまう。
僕《ぼく》たちは常に臨機応変だった。
常に相手の意表をつき、裏をかき、そして常に勝った。
このフォーメーション破りの|秘訣《ひけつ》をきかれた僕《ぼく》が、照《て》れかくしに「まあ、出たとこまかせでやっているだけです」と答えたことから、僕《ぼく》たち第二八分隊は別名「でたまか分隊」と呼ばれるようになったんだが、それはまあ余談だ。
こうして僕《ぼく》たちは、卒業試験の最大科目である機動分隊の|模擬《もぎ》|戦闘《せんとう》トーナメントを見事に勝ち進んだ。
僕《ぼく》の分隊で、|爵位《しゃくい》、つまり貴族の身分を持っている人間は僕《ぼく》と副官役のケルプだけで、他の仲間はみんな平民出身だった。
僕《ぼく》たちは、身分なんてものにこだわるのはバカだと心底から思っていたから、例のゲームでは、みんなが指揮官の役を持ち回りでやっていた。
だから訓練中に『指揮官戦死』というシチュエーションが|挿入《そうにゅう》されたときも、僕《ぼく》たちの分隊はためらうことなく動いて、そして勝ち進んだ。
そして、僕《ぼく》たちはその卒業試験トーナメントの最終戦を勝ちぬいた。
僕《ぼく》は自信を持って言うことができる。
「僕《ぼく》たちは実力で勝ち進んだんだ!」と。
でも、その結果がこれだった。
実力なんてものは、権力の前には無力に等しいってことを証明しただけだった。
僕《ぼく》が考えていた実力主義なんてものは、青臭《あおくさ》い理想論でしかなかったということなんだろ
でも、まだ望みがなくなったわけじゃない。
|赴任《ふにん》|先《さき》でめざましい戦果を上げられれば、僕《ぼく》だってもうちょっとマシな場所に転属させてもらえるかもしれない……。
でも、当分はむりだろうな。
僕《ぼく》は、空調機器からにじみ出た|汚水《おすい》によるシミがところどころについた、見るからにローカル宇宙港という感じの内装の|天井《てんじょう》を見上げてため息をついた。
今、僕《ぼく》は銀河|帝国《ていこく》の|辺境《へんきょう》、それこそ地の果て星の果て、ユーランド星系ステーションのロビーで途方にくれているところだった。
人類が、|空間跳躍《くうかんちょうやく》航法を手にしてから千数百年。
入類の|生存圏《せいぞんけん》が拡大していくにつれて、当初の連邦制は|崩壊《ほうかい》し、専制君主や共和制の政府を持つ小さな国家が、それこそ泡《あわ》のように生まれては消えていった。
|融合《ゆうごう》と|分裂《ぶんれつ》の繰《く》り返しのたかで、その争いに破れた人々は新天地をもとめ、結果的に人類の|生存圏《せいぞんけん》は、さらに拡大していった。
やがて、銀河のほぼ中央に、一人の|英雄《えいゆう》が生まれた。
その名をダイテツと言う。
のちに|覇王《はおう》と呼ぼれた彼は勢力を拡大し、現在の銀河|帝国《ていこく》の|基盤《きばん》を築いた。
そして数百年がすぎ、今やマガザン|帝国《ていこく》は入類の|生存圏《せいぞんけん》の中に、揺るがぬ勢力を確保していた。
|帝国《ていこく》の生み出す富は莫大であり、その富は臣民にあまねく分配され、|帝国《ていこく》の権勢は|巨大化《きょだいか》の一途《いっと》をたどつた。しかし、|巨大化《きょだいか》した生物が、その巨体をもてあまして|滅亡《めつぼう》の道を歩んでいったように、|巨大化《きょだいか》した国家にもまた、|崩壊《ほうかい》へのきざしが見えつつあった。
病弱なマガザン|帝国《ていこく》皇帝ダイテツ七世に代わり、|摂政《せっしょう》として|帝国《ていこく》の国務を|遂行《すいこう》している門閥《もんばつ》貴族たちにとって、国務とは、利権あさりをする場所の名前でしかなかった。
自分たちの領地を広げることに固執《こしゅう》した結果、|帝国《ていこく》の勢力圏は野放図に広がっていった。
その結果が、今、僕《ぼく》がおかれている状況《じょうきょう》だった。
僕《ぼく》の目的地であるアウトニア星系は、百五十年ほど前に|開拓《かいたく》された未開の地で、|帝国《ていこく》の支配する銀河と、敵対する勢力である神聖ローデス連合の支配する銀河の接するあたりに位置している……要するにどっちの勢力から見ても『|辺境《へんきょう》』にあるわけだ。
こういった『|辺境《へんきょう》』は、軍事的な|要衝《ようしょう》ではないために|帝国《ていこく》側も神聖ローデス側も、正規軍などは配備しておらず、|辺境《へんきょう》国家が軍隊を編成して自衛している。
そして、僕《ぼく》は、そういった|辺境《へんきょう》国家のひとつであるアウトニアに編成された|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍に軍事|顧問《こもん》として|派遣《はけん》されることになったのだ。
この任地が選ばれた理由は、たったひとつ。
歴代の軍事|顧問《こもん》はすべて行方不明。もしくは死亡していたからだ。
理由はすべて「|不慮《ふりょ》の事故」だった。
正式に任官辞令が出ている以上、イヤだと言って逃げるわけにもいかない。
まあ、なんとかなるさ。
そう思ってここまで来たのだが、僕《ぼく》の|赴任《ふにん》地、つまり『銀河|帝国《ていこく》|辺境《へんきょう》方面軍、同盟|惑星《わくせい》連合司令部ユーランド分室アウトニア|駐屯地《ちゅうとんち》』にたどり着くには、実に十六回もの|跳躍《ちょうやく》転移航法ステーションの乗《の》り換《か》えが必要で……その十六番めのステーションにたどり着いたところで、道がとぎれてしまったのだ。
アウトニア星系には転移ステーションの設備がないため、直接転移することができない。
ステーションのない星系に行くには、まず重力波の|干渉《かんしょう》の少ない星系外の通常空間に転移したあと。トロトロと|亜光速《あこうそく》で通常空間を飛んで星系内に向かうしか方法がない。
そして、その|亜光速《あこうそく》の定期便は二週間に一本しかなく、そいつはついさっき飛び立ったばかりだと教えられた。つまり、僕《ぼく》はあと二週間待たなければならないのだ。
軍人ならば軍の船に乗って行けばいいと思うだろうが、そうはいかない。なぜなら僕《ぼく》の身分はまだ『士官候補生』であって『士官』ではないからだ。
任地で任官辞令が登録されて、初めて|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》の士官、|少尉《しょうい》としての身分が保証されることになる。僕《ぼく》の身分は今、民間人と何ひとつ変わらない。
これは任地に赴《おもむ》くのがイヤになって逃げる門閥《もんばつ》貴族のドラ息子《むすこ》たちを救済するための|措置《そち》だと誰《だれ》かに聞いたことがある。
任地先で脱走《だっそう》して軍法会議を開いたりドタバタするよりマシだということでこんな方法がとられているらしいが、僕《ぼく》みたいな人間には不便でしかたない。
「僕《ぼく》の人生は、宇宙港のロビーで、ぼーっとしながら終わるんだろうか」
誰《だれ》に言うでもなく、そうっぶやいたとき、内ポケットの中から|振動《しんどう》が伝わってきた。
ヴァルが呼んでいるらしい。
内ポケットでバイブレートしている手帳サイズの汎用端末《はんようたんまつ》|端子《たんし》をとりだして膝《ひざ》に載せ、モニターを開くのと同時にモニターに立体映像が立ち上がった。
それは、どこかの三流ファンタジーに出てくるような白いヒゲをのばし、黒いローブを着た魔法使《まほうつか》いのじいさんの姿だった。
「なんだよヴァル、そのかっこうは」
『若者よ、何を|悩《なや》んでおるのかね』
「お前に相談したってどうにもならないことだよ」
『広大無辺の電脳空間を知りつくした我輩《わがはい》は全知全能にひとしい、さあ話しなされ』
「人をからかうのはやめてくれ、お前の|冗談《じょうだん》にっきあえる気分じゃないんだ」
「ふむ……この姿は、人生に|悩《なや》む青年にアドバイスするときに最適のパターンのはずじゃが、データが古かったかのう』
立体映像は、あごヒゲをなでると芝居がかったしぐさで杖《つえ》をふりかざし、一陣の煙《けむり》とともに消えた。
やがて、いつものタキシード姿の老人のかたちをとって僕《ぼく》の前に現われたヴァルは、|慇懃《いんぎん》に頭を下げた。
『まことに失礼いたしました。ギャグが少しすべったようですな』
「なにをいまさら、僕《ぼく》の数十倍は生きているくせに」
「電子人格には生きているという|概念《がいねん》はございませんが、マイド様の手数代前のご先祖様からお仕えしていることは事実です。わたくしは、いつ、いかなるときでも不眠不休《ふみんふきゅう》で、ガーナッシュ家のために働いております。それがわたくしの義務であり誇《ほこ》りであります』
「不眠不休《ふみんふきゅう》はあたりまえだ、いびきかいて寝るコンピューターなんてあるものか」
『いえいえ、部分生体脳を使用しているタイプには、ときとしてリアクタンスが過負荷になりますと自己防衛本能が皮質に働きまして判断停止に陥ることがあるのです。これを我々の間では「イネムリこいた」と呼んでおりまして、コンピューターも寝ることがあるのですよ』
「今さらお前からコンピューターのレクチャー受けるつもりはない。そりゃあ確かにお前は有能な電子テクノサーバントさ。情報ネットワークの|検索《けんさく》や、データ処理に関しては誰《だれ》にも負けないほどの経験があるかもしれないけど、不可能なことは不可能なんだ。残念なことに今、僕《ぼく》に必要なのは宇宙船のデータや情報じゃないんだ。実に僕《ぼく》をアウトニアまで運んでくれる一隻の宇宙船なんだ」
僕《ぼく》はヴァルに愚痴《ぐち》をこぼした。
ヴァルは、僕《ぼく》を手まねきした。
『マイド様、アウトニア行きの船ならございますよ。三時間後に出発する予定の船です』
「なんだって? でも、さっき出発カウンターで……」
『これは先ほどモニターした、このステーションの管制コンピューターのデータですが、出港リストのところをご覧ください』
画面の中でヴァルが手を広げると、そこに船の名前と行き先とがずらりと並んだ。
その中の点滅《てんめつ》している一行に目がクギづけになった。
『船名*シザーズ・クイーン 行先*アウトニア』
僕《ぼく》はロビーの|椅子《いす》の上に放り出してあったラゲッジパックを抱《かか》え込むと、カウンターに向かって走った。
「な、なんですか」
目の色を変えてカウンターに突進してきた僕《ぼく》を見た係員の顔に|恐怖《きょうふ》の色があったが、僕《ぼく》はおかまいなしに叫《さけ》んだ。
「なんですかじゃない! アウトニア行きの船は、ないと言ったじゃないか!」
「え、ええ、あと二週間はありません」
カウンターの上にモニターを開いた汎用端末《はんようたんまつ》を投げ出した。
「じゃあ、この船はなんだ! アウトニア行きって出ているぞ」
我ながら大きな声だったと思う。
ロビーにいた人たちの視線が痛かったが、そんなことにかまっていられなかった。
カウンターの係員は、モニターをのぞきこんで納得したようだった。
「ああ、これですか、これは私有船ですよ」
「私有船?」
「ええ、個人所有の宇宙船です、定期航路の船ではありません。でも、どうやってうちの管制リストを……」
係員は|怪訝《けげん》な顔をした。
「そんなことはどうでもいいんです! なんとかしてその船に乗せてもらうことはできないものですか?」
「その船の所有者と直接|交渉《こうしょう》していただくしかありませんね。でも、無理だと思いますよ」
「きいてみなければわからないじゃないですか」
「ただの貨物船や私有船ならばなんとかなるかもしれませんが、この船はまず不可能でしょうな……」
とりすました係員の顔つきが気になった。
「あの……所有者は誰《だれ》なんですか?…」
「『シザーズ・クイーン』は、アウトニア星系統治国シザーズ王家の専用船でございます」
係員は|慇懃《いんぎん》に答えた。
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第三章 シザーズ・クイーン
「おい……」
『なんでしょうか』
「お前のデータは|間違《まちが》っていないか?」
『何をおっしゃいます、電子人格が聞違いを|冒《おか》すはずがありません、人間や神様じゃあるまいし』
胸のポケットにある|端末《たんまつ》が不服そうに答えた。
「でも、このボロ船が王家の専用船だとはどうしても思えないんだ」
星系ステーシーンの|離発着《りはっちゃく》ポートに|停泊《ていはく》して、推進剤《すいしんざい》の積み込みをしている薄汚れた……
いや、はっきりいってめちゃくちゃ汚《きたな》い中型コンテナ貨物船をながめて僕《ぼく》はそうつぶやいた。
『|船籍《せんせき》コードも貨物コードも管制データも、すべてこの船がシザーズ・クイーンであることを示しております。船首に描《えが》かれた赤と白のハサミの|紋章《もんしょう》は、|間違《まちが》いなくシザーズ王家の|紋章《もんしょう》です……が、たしかにこれは王室専用船には見えませんね』
ヴァルは、ステーションの|監視《かんし》カメラネットワークの映像をモニターしたらしい。
「ボロ船で悪かったわね」
振り返ると、そこに重カレンチを持った作業員らしい女の人が立っていた。
|年齢《ねんれい》は二十七〜八歳くらいだろうか、ととのった顔立ちに切れ長の目と、うしろでまとめた長い赤毛の|髪《かみ》の毛の艶や、フィットした作業服からわかるプロポーションの良さからただよう大人の色気が、鼻のあたまについている伝導グリスと妙にミスマッチしている。
その人は、他人に言われると腹が立つ、といった表情で僕《ぼく》をにらんでいた。
「あ……ごめんなさい、気を悪くしましたか?」
僕《ぼく》は素直に頭を下げた。
女の人は、少し驚《おどろ》いたような顔をしたあとで|肩《かた》をすくめて笑った。
「そう素直に謝られちゃ、なんとも言いようがないね、実際ボロ船だんだから」
その笑顔にすべてを託すことにした。
「あの。この船はアウトニアに行くんですか?」
「ああ、そうだよ、買い出しが終わったらすぐに出港するつもりだけど。それがどうしたんだい?」
「お願いがあります」
僕《ぼく》がそこまで言ったとき、|突然《とつぜん》目の前の窓のむこうにあるボロ船の推進剤《すいしんざい》タンクのヴァルブから、推進剤《すいしんざい》が噴き出した。
真空の宇宙空間の中では、噴き出す音は聞こえない。
しかし、推進剤《すいしんざい》の勢いによって暴れるボロ船を支えている構造材がきしむ音がステーション全体に響《ひび》きわたった。
「ちくしよう! 四番ヴァルブか! やっぱりもたなかったな!こ
女の人は|硬化《こうか》テクタイトの窓を殴《なぐ》りっけると、ドックエリアに向かって走り出した。
宇宙船ドック内の警報が、今頃《いまごろ》になって響《ひび》き出した。
おいてきぼりを食らった僕《ぼく》は|呆然《ぼうぜん》としていた。
『Nタイプの|汎用《はんよう》貨物船はすでに生産が|終了《しゅうりょう》して五十年経過しております、ブックスならいざしらず、このような|辺境《へんきょう》では部品調達も、ままなりますまい』
ヴァルがしたり声でつぶやいた。
そうか、あの人はきっと苦労してるんだろうな。
そのとき、頭の中にひらめいたことがあった。
「ヴァル! このステーションの備品リストが|検索《けんさく》できるかい?」
『いともおやすい御用《ごよう》ですが』
「台帳じゃない、本当の部品リストだ」
ヴァルは、しばらく無言だった。
『それは、|搬入《はんにゅう》部品データから搬出部品データを引くような、簡単な話ではありませんね』
「そうだ、欲しいのはデータじゃない。部品コードの|変更《へんこう》。横流し。|窃盗《せっとう》。|紛失《ふんしつ》。そういったことを全部ふくめて、本当に存在する部品のリストが欲しい。Nタイブ貨物船の部品全部だ!」
『しばらくお時間を下さいませんか? メインコンピューターの過去ログと、防犯モニターの過去映像などをすべてスキャンして、どんな部品が搬人されて、出ていったかを識別いたします』
「たのむ」
『難しい命題を|与《あた》えられれば|与《あた》えられるほど……燃えますでございます』
ヴァルの声はたしかに|嬉《うれ》しそうだった。
三十分ほどかかった。
そのリストを汎用端末《はんようたんまつ》でプリントアウトしたものを抱《かか》えて僕《ぼく》はドックエリアに向かった。
作業用ドックエリアは、殺気だった整備員たちでごったがえしていた。
「コード六五六六八九の汎用ヴァルブが欲しいのよ! 互換品《ごかんひん》でもなんでもいいの! 口金のサイズさえ合えば、シールの方はなんとかするから! ………え? 取り寄せになる? いつ着くのよ! 明後日《あさって》? そんなに長い間ドックに係留できるわけないでしようが!」
ドックエリアの入り口にあるカムスクリーンのところで聞きおぼえのある声がしていた。
「今の会話|聴《き》いたかい?」
『コードナンバー六五六六八九の汎用ヴァルブですな。ございますよ。G一三倉庫の八六A二三Bの棚《たな》のうしろに落ちております」
僕《ぼく》は、カムスクリーンの前で、備品管理責任者らしい人物とわたりあっている女の人に近づ「あの……」
「悪い、今取り込み中なんだ、あとにして」
「そのことなんですけど」
「あのねえ! 取り込み中だって言ってるのがわかんないの? こっちは今、部品探して必死なんだって……あら?」
その女の人は僕《ぼく》を見て、少し驚《おどろ》いたようだった。
「キミは、さっきの……」
「ええ、先ほどお願いをしようとした者です、お忙《いそが》しそうなのでどうしようかと思ったのですが、何かお力になれるかと思いまして」
女の人は、|一瞬《いっしゅん》きょとんとした顔をしたあと笑い出した。
「あ、ごめんね、あんたを笑ったんじゃないの。見たところいいとこのお坊《ぼっ》ちゃんらしいけど、どんなにコネやカネがあったって、今のわたしを助けることはできないだろうな……って思っただけなのよ、気を悪くしたらごめんね」
「そうでもないかもしれませんよ。このリストを見て下さい、このステーションの倉庫に眠《ねむ》ってるNタイプ汎用貨物船の主要|交換《こうかん》部品のリストです」
女の人は、そのリストをひったくった。
パラパラとめくった手が止まるのと同時に、その人は目一杯《めいっぱい》疑わしそうな目で僕《ぼく》を見た。
「手の込《こ》んだイタズラじゃないだろうね、どこ探しても絶対に見つからなかった部品がこんなにあるなんて信じられない!」
僕《ぼく》はふところから汎用端末《はんようたんまつ》を取り出して女の人の目の前で間いた。
「ヴァル、説明してあげてくれ」
|端末《たんまつ》の上にホログラフが立ち上がる。
今回は三十代の実直そうな男のキャラクターだな。
ホログラフのヴァルゲインは、女の人に軽く一礼した。
『はじめまして、おじょうさん。わたくしはマイド・ガーナッシュ様にお仕えするテクノサーバントのヴァルゲインと中します』
女の人は目を丸くして無言だった。
そうだよな、普通、テクノサーバントってのは、コンピューター管理ができる|奉仕《ほうし》用《よう》のバイオノイドの別名だものな。
僕《ぼく》みたいに電子人格だけを汎用端末《はんようたんまつ》にインストールして持って歩く人間はめずらしいのだろ
『マイド様に命令され、このステーシーンに存在するすべての部品を|検索《けんさく》いたしました。わたくしは、のんべんだらりと|搬入《はんにゅう》部品リストから搬出部品リストを差しひいた残りを在庫として指し示すようなことはいたしません。このリストは、実在する部品そのものでございます。
お疑いならば、G一三倉庫の八六A二三Bの棚のうしろをお調べ下さい。お探しの汎用ヴァルブ、部品コード六五六六八九が、おっこちております。あ、上に別部品のコ−ドがついた包装パッケージがかぶさっておりますからお|間違《まちが》いなきように」
女の人はホログラフのヴァルを真剣な目で見ていたが、やがて手に持った港内用のインカムに向かって叫《さけ》んだ。
「ルサ! 聞こえる? 今どこ見てるの? G一三倉庫に行って! そう、でね、八六A二三Bの棚のうしろを確認して。そう。そのパッケージの下。なんかありそう? じゃあ直接行ってその目で確認して! モニターじゃだめ! うん。わかったら連絡ちょうだい」
女の人はインカムの通話スイッチを切ると、僕《ぼく》たちに向き直って笑った。
「どうやら当たってるみたいだね」
そしてそこで言葉を切ると、|真面目《まじめ》な表情になって僕《ぼく》に頭を下げた。
「どちらの貴族さまか存じませんがありがとうございます。わたしめは、このシザーズ王家専用船、シザーズ・クイーンの船長で、マリリン・コイズミと中します」
「あ……船長さんだったんですか、私はてっきり……あ、いえ。それより、どうして私が貴族だと」
マリリン船長はにっこり笑った。
「|帝星《ていせい》ブックスならいざしらず、こんな|辺境《へんきょう》で、テクノサーバントを連れているのは貴族さまぐらいですから」
僕《ぼく》は頭をかいた。
「失礼しました、私はダイテツ王家に仕えるガーナッシュ男爵家《だんしゃくけ》の当主で、マイド。マイド・ガーナッシュと申します。と言っても領地もなにもない官位のみの貧乏《びんぼう》貴族ですので、そんなにかたくるしく考えないで下さい」
僕《ぼく》はあわてて言い訳をした。
貴族|扱《あつか》いされたくなかったからだ。
それに、僕《ぼく》はこれからあの船をヒッチハイクしなきやならないんだから。
そのとき、マリリン船長のインカムが吠えた。
「|姉御《あねご》! ありました! タイブNの汎用ヴァルプ! |間違《まちが》いありやせん」
|姉御《あねご》か。なんかぴったりの呼び方だな。
僕《ぼく》の表情をちらりと見た船長は、少し赤くなった。
「ルサ! わかったから早くドックまで持ってきな! 係留料金がバカにならないんだからね!」
マリリン船長はインカムのスイッチを一方的に切ると、軽くせきばらいした。
「そう言えばさっきからなんか言っていたわね、わたしにお願いがあるとかなんとか……」
「ええ、そのことなんですけど……私をアウトニアまで乗せていただけませんか?」
マリリン船長の目が丸くなった。
「アウトニアまで? 貴族さまが? こんなボロ船に?… チャーター船でもなんでもあるでしょうに」
それができたら苦労はない。
「あの、先程申しましたとおり私は貧乏《びんぼう》貴族でして……その……経済的に余裕《よゆう》が」
マリリン船長は、半分納得したようだった。
「そりゃあ……まあ、乗せろと言われれば乗せてあげるけど。いったいなんの用があるんだい? あんなド|田舎《いなか》に」
任官先なんです。と言う気はしなかった。
あんなド|田舎《いなか》に任官するなんて、コイツはどんなマヌケなやっなんだ? という目で見られたくなかったからだ。
「あ、いえ、たいした理由じゃあありません。仕事があるんですよ、あそこで」
この一言が、あとで大きく僕《ぼく》の運命を変えることになるなんて、僕《ぼく》はこのとき、気がつきもしなかった。
「ふーん、キミにはお世話になったから乗せるのはかまわないけど、一週間はかかるからねえ」
「あ、諸費用ならお支払《しはら》いします」
「いや、お客さんあつかいはできないってことなんだ。見てのとおり船長みずから整備に飛びまわらなきゃならないほどギリギリの人数で運行しているから、キミにも働いてもらわなきゃならないかもしれない。何か資格持ってる?」
「一応一等航宙士の資格を持ってますけど」
マリリン船長は、にっこり笑って右手を出した。
「決まりだね! わたしはキミを臨時航宙士として雇用する。ようこそシザーズ・クイーンヘ」
「よろしくお願いします。船長」
船長の右手を|握《にぎ》りかえした。
やわらかな、あたたかい手だった。
「クルーになったんだから、|姉御《あねご》と呼んでいいよ。船長よりそっちの方が呼ばれなれてるから。さて、そうと決まれば乗組員に紹介するからついといで。と言ったってあたしをふくめて五人で動かしてるからねこの船は」
マリリン船長。いや、マリリン|姉御《あねご》は片目をっぶった。
確か、Nタイプの貨物船ってのは最低でも十人くらいの乗組員が必要じゃなかったっけ。
こりゃあコキつかわれそうだな。
僕《ぼく》は覚悟《かくご》を決めた。
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第四章 アウトニア王国
アウトニア星系の王星であるユーマ・アウトニアまでの船旅は、おおむね|平穏《へいおん》だった。
トラブルと言えば|老朽化《ろうきゅうか》した|推進用《すいしんよう》|反応炉《はんのうろ》の一基が暴走して爆発したぐらいのもので、こんなことは日常のことらしく、機関員の人たちは暴走した|反応炉《はんのうろ》を後方シールドの外へほうり出して、その爆発を利用して加速した。おかげで三日も早く着くことになった。
しかし、そのむちゃな加速のためにメインコンテナの支持架《しじか》が破損してしまい、どこかに飛んでいきそうになったコンテナを、バーニアをせおった機動服でひっぱってきて、むりやり溶接《ようせつ》するという命がけの作業をするハメになった。
そして、この三日ぶんの加速のために、予定されていた|軌道《きどう》計算はすべて白紙にもどり、ヴァルの助けをもらって、やっとのことで最短減速ルートをおり出すことができた。
そのデータをマリリン|姉御《あねご》のモニターに転送しおわって、|肩《かた》の力を抜《ぬ》いたとき、モザイク模様のブリッジの中でどよめきがあがった。
なぜブリッジがモザイク模様になっているかというと、べつに|装飾《そうしょく》のためにそんな模様になっているわけじゃない。
ブリッジ内の計器の色がすべて|微妙《びみょう》にくい違っているからなんだ。
最初は理由がわからなかった。
マリリン|姉御《あねご》は、にやにや笑いながら、機関長のルサ・マースさんを指さしてこう言った。
「この船は、あのおっさんの盆栽《ぼんさい》みたいなモンだからね、あのおっさんにきいてみな」
ルサ機関長は、|年齢《ねんれい》四十歳くらいの物静かな人だった。
「この『シザーズ・クイーン』はな、そうさなあ、三百|隻《せき》ぶんの部品を使ってるかなあ。お前さんも知ってのとおりこのNタイプの貨物船は一万|隻《せき》以上作られたベストセラーだったが、今や部品すら生産中止になって、まず手に入らない。廃船《はいせん》の部品をかっぱいで組みっけるしかないってわけだ」
「再生船なんですか!」
僕《ぼく》の言った「再生船」と言う言葉の響《ひび》きに「粗悪品《そあくひん》」という|感触《かんしょく》を聞きとったルサ機関員は、露骨にイヤな顔をした。
「お前さんの言っている再生船というのは、事故った船の使えそうな部分だけをつなぎ合わせてでっちあげたシロモノのことだろう。このシザーズ・クイーンを、そんな、木に竹を接いだようなモノといっしょにされちゃ困る。こいつにはNタイプ貨物船の純正部品以外の部品はビス一本。配線のコネクター一個使っちゃいない。松なら松だけ、柿《かき》なら柿だけで作り上げた正真正銘《しょうしんしょうめい》のNタイプ貨物船なんだ」
マリリン|姉御《あねご》が言っていた意味がわかった。
この船はたしかに盆栽《ぼんさい》だった。
そんなモザイク模様のブリッジの中で起こったどよめきが、いったいなんのことかわからずにいると、マリリン|姉御《あねご》が、にやにや笑いながら、僕《ぼく》のブースのところまでやってきた。
「マイド男爵閣下様、|握手《あくしゅ》してもらえるかな?」
「かたくるしいのはやめて下さいって言ってるじゃないですか」
「それはわかってるけど、わたしに大儲《おおもう》けさせてくれた人間を呼び捨てにはできないよ」
「大儲け?」
なんのことだかわからずにいると、ルサ機関長の横にいたカワハヤ航宙士……痩《や》せた三十過ぎの、見るからにコンピューターオペレーターと言った感じの人だが、この人が、いまいましそうに話しかけてきた。
「|俺《おれ》たちはな、賭けてたんだよ。その、あんたの計算能力をな。新しい|軌道《きどう》計算をどのくらいの時間でやるか、|姉御《あねご》が三分以内ってとんでもない数字を出したときは、|俺《おれ》たちみんなが、いただきだ……って思ったのもむりなかろう。それをあんたは一分半で出しちまった、証明つきでね。おかげで|俺《おれ》たちは貧乏《びんぼう》人だよ」
「すみません」
カワハヤ航宙士は、あわてたように手を振った。
「いやいや、あんたが謝ることはない! あんたを見くびった|俺《おれ》たちが悪いんだから」
「でも、それは僕《ぼく》だけの実績じゃありません。ヴァル……電子人格ですが、彼と僕《ぼく》とでやったことなんですから」
「そうか、そうだよな」
ブリッジにいた全員の視線がマリリン|姉御《あねご》に集中した。
マリリシ|姉御《あねご》は僕《ぼく》の方をにらんだ。
「この……正直者!」
僕《ぼく》は笑ってしまった。
「決してはめたわけじゃないんだよ。だけどまあいいか。半分返すとするか」
マリリン|姉御《あねご》は|肩《かた》をすくめた。
「まったくもう、ヘッジファンドのマリリン・コイズミと言えば、|金融《きんゆう》トレーディング界じゃあ有名だったのに、信用単位を失っちゃあ、仲間うちの賭けにも勝てないってわけか」
コンソールデスクの上に置いてあった汎用端末《はんようたんまつ》の上に|投影《とうえい》されていたヴァルが、マリリン|姉御《あねご》の言葉を聞いてちょっと表情を変えた。
「どうかしたのかい? ヴァル」
『いえ、なんでもございません』
ホログラフのヴァルは右手の指を交差させて、おじぎをした。
これは『秘密の話がありますのであとで』という意味だった。
「それにしてもテクノサーバントってのは万能選手だね、|軌道《きどう》計算までやっちゃうんだ」
「ヴァルは特別なんです。彼はもう三百年以上|僕《ぼく》の家に仕えていますので」
「三百年!?」
マリリシ|姉御《あねご》は大声をあげた。
「そんな昔からテクノサーバントってのはあったのかい?」
「もともとは僕《ぼく》みたいに汎用端末《はんようたんまつ》で持ち歩くもので、大昔はべつに貴族でなくても持てたそうなんですが、いつのまにか金をかけたバイオノイドにインストールして連れて歩くのが貴族のシンボルみたいになっちゃったんです」
マリリン|姉御《あねご》は、僕《ぼく》を見て笑った。
「それにしても、あんたは貴族って感じじゃないね。ブックスからくる貴族様が、みんなあんたみたいなのばっかりだったら、さぞかし気が楽なんだけどね」
「僕《ぼく》以外に、ブックスからくる人がいるんですか?」
「ああ、いるよ、軍人だけどね、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の監視《かんし》のために毎年送られてくるんだ。もう鼻持ちならないバカばっかり」
それは僕《ぼく》です。とは言えなかった。
それよりも、うまく聞き出せば、毎年|行方《ゆくえ》不明になる理由がわかるかもしれない。
「なんで毎年来るんですか? 任期が一年だとか?」
「そんなんじゃないよ。そうさね……|辺境《へんきょう》をナメてるヤツばっかりだからね、このあたりじゃあ航法ビーコンなんてないのを知らないで|惑星《わくせい》査察に出てそれっきりになったり、大気圏内《たいきけんない》の飛行ブログラムの切《き》り替《か》え方知らないで飛んでって、ちょいと強く着陸して炎上《えんじょう》しちゃったりするだけのことさ」
マリリン|姉御《あねご》はそこで言葉を切って|肩《かた》をすくめた。
「どうすればいいのか、こっちに聞けば……そうだね、見殺しにはしないけど。聞かれもしないことを教えてやる義理はないし、いろいろ|帝国《ていこく》に告げ口されちゃ困ることもあるし……」
そこまで言ってからマリリン|姉御《あねご》は、しまった! という顔をした。
「いけない、あんたも|帝国《ていこく》の貴族さまだっけ、今の話はなかったことにしとくれ。まあ、見たところ軍人とは縁がなさそうだけど」
「そう見えますか?」
「そうだね、軍人と言うより通信教育講座の|派遣《はけん》教師って感じかな? 仕事って、それだろ?」
そういうことにしておいた方が無難だな。
「ええ、まあ、そんなところです」
マリリン|姉御《あねご》は、意を得たり、と言った感じでうなずいた。
「メイ様り家庭教師をブックスから呼ぶってウワサは本当だったんだねえ。それにしてもずいぶん若い男の子をよこしたものだなあ、あんたはいくつだっけ?」
「僕《ぼく》ですか? 十九です。もうじき二十ですけど」
「そうか、メイ様は今年で十六歳だったわよね。危ないなあ……でも、あんたは正直そうだし手が早そうには見えないから|大丈夫《だいじょうぶ》かな?」
メイ様って誰《だれ》だろう。
そう考えていると、ホログラフのヴァルが|端末《たんまつ》の右下を指さしているのに気がついた。
そこには精神感応|端子《たんし》がある。そこに触《ふ》れろ、情報を僕《ぼく》の脳に直接送り込む……と言っているのだ。
僕《ぼく》は|緊張《きんちょう》した。
感応瑞子を使用すると、あとでひどい頭痛に見舞《みま》われる。ヴァルだってそのことは知っているから、めったに使用することはないのだ。
それをあえて使用しろ、と言うことは、僕《ぼく》に知らせたい情報は、かなり重要な情報だということなんだろう。
僕《ぼく》は、なにげない振りをしてそこに人差し指で触れた。
その|瞬間《しゅんかん》。頭の中に冷却剤を注ぎ込まれたような感覚が僕《ぼく》をおそった。
様々なデータが、ざあざあ音を立てて頭の中に流れ込んでくる。
『メイ様とはシザーズ王家の第三王女メイ・シザーズのことであり、「幸運の王女」として全|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍のアイドルであること、マリリン|姉御《あねご》は五年前まで全銀河を|舞台《ぶたい》にした|金融《きんゆう》トレーディング界の花形トレーダーだったが、仕手戦《してせん》に敗《やぶ》れて引退した人物であること……そして、どうやら僕《ぼく》の正体に気づきっっあること』
僕《ぼく》は、最後の情報に驚《おどろ》いた。
どうすればいいんだろう……。
その時、僕《ぼく》はデータの一番最後に加えられたヴァルのメッセージに気がついた。
『マイド様、しばらくお芝居をおっづけ下さい、アウトニアに|到着《とうちゃく》してあちらの星系コンピューターの電子人格と|接触《せっしょく》できれば、なんとかいたします』
ヴァルを|信頼《しんらい》しよう。だって、それ以外に方法がない。
僕《ぼく》は、そしらぬふりで|端末《たんまつ》から指をはなした。
「幸運の王女様に失礼なことをしたら、全軍の兵士から命を狙《ねら》われちゃいますよ。そんな、だいそれたことなんてできるものですか」
マリリン|姉御《あねご》の片方の眉《まゆ》が上がった。
「へえ……よく知ってるわねえ」
「まあ、一応スポンサーのことですからね、最低限のことだけですけど」
マリリン|姉御《あねご》はそれきり興味を失ったようだった。
「さて! マイドが人力してくれたデータに合わせて加減速するようにセッティングしてちょうだい! 失敗したら帰れないんだからね」
ブリッジが忙しくなった。
航宙士の仕事は、ここまでだ。あとは積荷管理者と機関士の仕事だ。
「すいません、ちょっと自室で休んできていいですか?」
精神感応|端末《たんまつ》を使用した副作用がそろそろ出てきたらしい。
「ああいいよ。あれ? |大丈夫《だいじょうぶ》かい? 顔色が悪いけど」
「ええ、休めば治《なお》ると思います」
「そうかい、あとしばらくあんだの仕事はないから休んでいいよ」
「すみません」
僕《ぼく》はそう言い残すとブリッジをあとにした。
自室の休息カプセルに|倒《たお》れ込むようにして横になると、自動的にメディカルマシンが作動して、僕《ぼく》の|腕《うで》に無痛注射器が押しつけられだ。
このメディカルマシンは全自動なのかな、ちゃんと頭痛薬を注入してくれるなんて。
ぼんやりしてきだ意識の中で、ヴァルをブリッジに忘れてきだことに気がついだが、そのころには僕《ぼく》の意識はどうでもよくなってきていだ。
なんか、頭痛薬にしちゃあ変な効き方だな……
それが、僕《ぼく》が最後に考えたことだった。
気がつくと。
誰《だれ》かが顔をのぞきこんでいた。
目の|焦点《しょうてん》が合わない。
「ちょいとぼうやにはキツすぎたかね。あのクスリは」
誰《だれ》だろう。女の人みたいだけど。
やっと目の|焦点《しょうてん》が合った。
マリリン|姉御《あねご》だった。
今日はずいぶんキレイな格好してるな。お化粧もキツイし。
「なんだって? 化粧がキツくて悪かったわね!」
あれれれ口に出して言ってたみたいだな。
「だめだよカワハヤ。まだ自白剤《じはくざい》が効いてるよ。解毒剤《げどくざい》打ってやんな」
「わかりました|姉御《あねご》」
なにかが|腕《うで》に押しつけられる|感触《かんしょく》とともに、意識の上にかかっていたもやもやが、すうっとはぎとられた。
僕《ぼく》は、自室のカプセルから、普通のべッドに移されていた。
調度品の様子から見ると、どうやら船長室らしい。
目の前にはマリリン|姉御《あねご》とカワハヤ航宙士とルサ機関員がいた。
そしてマリリン|姉御《あねご》の手にはショックガンがあった。
その|銃口《じゅうこう》は僕《ぼく》に向いていた。
「おめざめかい? マイド・B・ガーナッシュ|少尉《しょうい》どの」
「まだ|少尉《しょうい》じゃありません。士官候補生です。軍人ですらないんですよ。任地で辞令をもらわないうちは」
マリリン|姉御《あねご》はショックガンの銃口を下げて少し微笑《ほほえ》んだ。
「やれやれ、とんだ正直モノだよ、あんたは。どうやらあたしは正直な貴族サマ、という世にも珍《めずら》しい生き物をまのあたりにしてるのかもしれないねえ」
「……?」
なにを言っているのかわからなかった。
「なにがなんだかわからないって顔をしてるね。カワハヤ、説明しておやり」
カワバヤ航宙士が、にやにやしながらべッド脇《わき》のコンソールを操作すると、べッドの正面の不透過《ふとうか》スクリーンにずらずらとデータが並んだ。
それは、僕《ぼく》の個人データだった。
「これは!」
「そう、|坊《ぼう》やのデータだよ、軍務局のファイルにちょいとアクセスして調べさせてもらった。おっと方法は秘密だよ。|帝国《ていこく》の軍人さんにそんなことを教えるわけにはいかないからね」
ルサ機関員がうなった。
「うーむ、すごい成績だなあ、こいつの士官学校の成績は」
「それが原因だったんだな、お前さんがアウトニアに任官になった理由は」
カワハヤ航吉士は、おもしろそうに言った。
「まっだくバカ正直なヤツだ。もっと巧《うま》く立ちまわって門閥《もんばつ》貴族サマのメンツをたててやれば、こんな所に配属されないですんだものを」
マリリン|姉御《あねご》がショックガンをホルスターに納めた。
「悪いけど疑わせてもらったよ。てっきり|帝国《ていこく》の情報部が、身分をかくしてアウトニアに潜入《せんにゅう》しようとしたんだとばかり思ってたんだ。だって今まで民間人の身分のままでアウトニアにやって来た|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》なんていなかったからね。あんたと同じ士官候補生でも、平気な顔して豪華《ごうか》船チャーターして、その費用をこっちに回すようなヤツばっかりだったからね」
「ごめんなさい、別にウソをついていたわけじゃないんです」
「そうだよね、ワインガー家とも縁があるみたいだし。それにしてもこんな苦労しなくてもこの|短剣《たんけん》見せてくれれば、客人としてお相手したのにねえ。あんた、すごい連中と知り合いみたいだね」
マリリン|姉御《あねご》は、おもしろそうに|短剣《たんけん》を振ってみせた。
「それは……友人のケルプから|餞別《せんべつ》としてもらったものです」
マリリン|姉御《あねご》の後ろでルサ機関長とカワハヤ航宙士が息を飲んだのがわかった。
「ケルプ……ってあの、次期族長って言われてる兄ちゃんか?…」
「そう言えば|帝国《ていこく》の士官学校に入学したとは聞いていたけどなあ。|坊《ぼう》やの友だちだったのか」
なにがなんだかわからない。という顔をしていたのだろう、ルサ機関長が|肩《かた》をすくめると説明してくれた。
「ワインガー家ってのが|海賊《かいぞく》だったって話は知ってるよた。実を言うとあいつら一族は、今でも|海賊《かいぞく》なんだ。と言ってもべつに商船を襲ったりするわけじゃない、その逆だ。|辺境《へんきょう》域や武力|衝突《しょうとつ》してる|紛争《ふんそう》区域のまんなかでも、飛んでって商売をする交易船。そいつらの護衛を担当してるんだ。|帝国《ていこく》|軍《ぐん》は民間の商売までめんどうを見ちゃくれないからな」
「|俺《おれ》たち宇宙船乗りにしてみればありかたい連中なんだ。その|短剣《たんけん》を見せられて『イヤだ』って言えるのは……そうだね|帝国《ていこく》|軍《ぐん》から給料もらってる|軍艦《ぐんかん》乗りだけだろうね」
そうか、ケルプが別れぎわに言っていた言葉の意味がやっとわかった。
「まあ、これで|坊《ぼう》やの疑いは晴れだね。メイ様の家庭教師だといりのも本当だったしねえ」
なんだって? そんな話は聞いてないぞ、あれはとっさのでまかせで……。
そう言えば、ヴァルが何か言ってたな。アウトニアに|到着《とうちゃく》したら星系の電子人格と|接触《せっしょく》してなんとかするって……。
「あの、もしかしたらアウトニアについたんですか?」
「そうさ、ユーマの周回|軌道《きどう》ステーショシにドッキングしたところだよ。パトラに身分照会したら………パトラってのは王星《おうせい》ユーマの電子人格だけどね。たしかにあんたの名前と顔と個人データが家庭教師として登録してあるって言ってたよ。本業は軍人だから隠《かく》しファイルになっていたそうだけどね、ベネルセ通信教育講座もずいぶんアコギだねえ。講師として登録されていて、なおかつアウトニアに居住することのできる人間、とくりゃああんたぐらいのモノだもんね」
「どうするつもりですか?」
「どうするもこうするもないやね、|帝国《ていこく》の軍人の貴族様で、ワインガー家のご学友に手出しするほどバカじゃない。何もしないよ。メイ様の家庭教師を殺すわけにもいかないし、この船を救ってくれた恩義もあるし」
「どうもありがとうございます」
マリリン|姉御《あねご》は、吹き出した。
「本当に正直者だねえあんたは。殺されそうになったってのに礼を言うやつがあるかい!」
「でも、あなたは僕《ぼく》を殺さなかったんですから、それに対してお礼を言うのは当たり前のことじゃないですか」
マリリン|姉御《あねご》はちょっとびっくりしたような顔をしたあとで少し赤くなってまくしたてた。
「生意気言うんじゃないよ! あんたみたいなひよっこ|少尉《しょうい》が何を言ったって、|帝国《ていこく》じゃハナもひっかけないってわかってるから放っておくだけのことさ。無駄《むだ》な殺生はしたくないってだけのことなんだからね! さあ! さっさと起きてしたくをしてきな! あんたは|帝国《ていこく》の軍人さまだけど、まだあたしの部下なんだからね!」
僕《ぼく》はあわててベッドから飛び起きた。
ルサ機関長が笑いながら圧縮ラゲッジパックをわたしてくれた。
「さあ、部屋で|着替《きが》えてこい。|軌道《きどう》エレベーターは三十分後に降下するからな」
「はい、ありがとうございます」
部屋を出ようとしたとき、カワハヤ航宙士が僕《ぼく》を呼び止めた。
「おい! 忘れ物だ」
カワハヤさんが僕《ぼく》にわたしてくれたのはヴァルの|端末《たんまつ》だった。
「あんたのテクノサーバントは、すげえた。けっこういろんなことを教えてもらったぜ。また遊びにこいって言っておいてくれよ。この船に乗ってないときは|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の情報処理部にいるからよ」
僕《ぼく》は頭を下げると自室に急いだ。
|廊下《ろうか》を歩きなから、汎用端末《はんようたんまつ》に向かって話しかける。
「ヴァル……」
『|大丈夫《だいじょうぶ》です、マイド様のとっさのウソはすべてリカバリーしました。ブックスのべネルセ通信教育講座のメインコンピューターにも登録されております。あとはそれを真実にしていただくだけのことでございます』
僕《ぼく》はため息をついた。
家庭教師かよ……。
王女様なんて生き物の生態は、だいたい予想がつく。
|高慢《こうまん》ちきで、わがままで、何か気に入らないことがあればすぐにわめきちらす。そんなヤツと相場は決まってるんだ。
そんな、わがまま姫のお相手はまっぴらだな……断ってしまおうかな。
僕《ぼく》の心を見透《みす》かしたようにヴァルが言った。
『マイド様、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍から見ればわたくしたちは目の上のタシコブ同様の存在です。今回はマリリン船長の判断で助けられましたが、いつまだ命を狙われるかわかりません。メイ王女の側にいることで安全の度合は高くなることは|間違《まちが》いありません。家庭教師を断るなどということはくれぐれもなさいませぬように』
そうか、さすがに王女と一緒の場所にミサイルを打ち込んだり爆弾《ばくだん》を仕掛けるようなことはやらないってことだな。
引き受けるしかないか。
でも、命を狙われることよりも、家庭教師としてわがままな女の子の相手を続けることの方が気が重かった。
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第五章 王家の人々
任官登録は、たった五分で終わった。
銀河|帝国《ていこく》|辺境《へんきょう》方面軍同盟|惑星《わくせい》連合司令部ユーランド分室アウトニア|駐屯地《ちゅうとんち》とは、単なる送受信転送|端末機《たんまつき》のことだった。
いや、正式にはそれがおかれている雑居ビルの一部屋が僕《ぼく》の任地だった。
|端末《たんまつ》以外にはかんたんなロッカーと汎用事務机と椅手があるだけのその一角を見た人は、
ローンクレジットの無人自動|受《う》け払《ばら》い機コーナーだと思うに違いない。
任官辞令をその|端末《たんまつ》の中に差し入れると、そのまま指の生体|細胞《さいぼう》を採取された。そして五分後、受付完了の文字と、|少尉《しょうい》の階級章と略綬《りゃくじゅ》が転送されてきて、儀式は完了《かんりょう》した。
うーん、ここに任官したヤツが自暴自棄《じぼうじき》になる気持ちが、わからないでもない。島流しなんてまだ軽い方かもしれない。
でも、僕《ぼく》はここで生きていかなくちゃならない。
こんな|辺境《へんきょう》では、まともに戦うことができるほどの戦力も人材もないだろうし、たとえ戦って勝利しても、|帝国《ていこく》の軍報に三行ほどの報告が載るだけだろう。
|辺境《へんきょう》なんて、|帝国《ていこく》にしてみれば、毛玉取りや、くっつかない包丁のようなアイディア商品と同じで、「あってもなくても同じだが、あった方が便利かな?」ていどの存在なんだ。
僕《ぼく》はそんな扱《あつか》いを受けながらこの|辺境《へんきょう》の地に骨を埋《う》めるようなつもりは、さらさらなかった。
いつか……そう、いつか必ず銀河|帝国《ていこく》の|帝星《ていせい》にかえり咲《さ》いてやる。
それが、ケルプたちとの約束だからだ。
とりあえず、生き残れたらの話だけど。
階級章を制服にっけ終わると、事務机の脇《わき》に等身大のヴァルが立って|拍手《はくしゅ》をしてくれた。
『任官おめでとうございます、マイド|少尉《しょうい》殿』
「ありがとう、祝ってくれるのはヴァルだけだな。それにしても、ホログラフでもやっばり近くに人の姿があるというのはいいものだね」
『バイオノイドでなくてもかまいません、せめてテクノドールていどの実体がございますれぼ、マイド様にこの間のような危ないことがおきぬように未然に防げたのでございますが』
「初任給が出たら考えるよ」
『ありがとうございます』
頭を下げたヴァルが、何かに気がついたようだった。
「マイド様にお呼出しがかかっております、代りにお受けいたしましょうか?」
「いや、いいよ、テクノサーバントに受け答えさせて貴族風を吹《ふ》かせてる、と思われるのもイヤだし、代わってくれ」
ヴァルは一礼すると消えた。
代わりに現われたのは、小太りで血色のよい、見るからに「侍従《じじゅう》」という顔をした中年のおじさんだった。
おじさんは、|一瞬《いっしゅん》びっくりしたような顔をしたが、すぐに|威厳《いげん》を侍った顔つきになった。
「はじめまして、払はシザーズ王家の侍従長《じじゅうちょう》でリドルと申す者でございます。あの、つかぬことをお伺いいたしますが、ベネルセ通信教育講座よりの|派遣《はけん》家庭教師の、マイド・B・ガーナッンュ様というのは、どちら様でしょうか? 住所がそちらになっているのですが……」
「はい、私です」
|一瞬《いっしゅん》リドル侍従長《じじゅうちょう》の顔に|狼狽《ろうばい》の色が走った。
「し、しかし……そんな! |帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》に副業など認められるわけがないでしょう」
「軍人が副業をすることは禁止されておりますが、家庭教師が副業に軍人をすることについてはなんの規則もありませんよ」
「はあ……」
侍従長《じじゅうちょう》は途方《とほう》にくれたような顔をした。
「わかりました……いえ……その……本日|歓迎《かんげい》の式典を行う予定でございまして、その……」
「わかりました、では王宮にお伺いします」
「は、はい。ではくわしくはこちらの案内状をご覧下さい」
リドル侍従長《じじゅうちょう》の言葉と同時に転送口から封書《ふうしょ》がするすると出てきた。
「では、失礼いたします」
ホログラフのリドル侍従長《じじゅうちょう》が、頭を下げて消えるのと入れ代わりにヴァルが現われた。
ヴァルはおもしろそうに言った。
『マイド様が家庭教師と同一人物と知って、困っていたようですな』
「そりゃそうさ、僕《ぼく》が家庭教師として王宮内にいたら、爆弾をしかけたり対人ミサイルを打ち込むわけにはいかないからさ。ヴァル、たのみがある。調べてくれないか? |辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の組織、戦力、戦歴、誰《だれ》が|強硬派《きょうこうは》で誰《だれ》が穏健派《おんけんは》なのか。僕《ぼく》を消したがっているのは誰《だれ》な
のか、そしてその理由を。命を狙われるなら、せめて相手の名前ぐらいは知っておきたいからね」
『承知いたしました。|帝国《ていこく》軍務局の最高機密ファイルに比べればこんなところの防壁《ぼうへき》など紙のようなモノでございます。では、とことん調べてまいります、くれぐれもお気をつけて』
ホログラフのヴァルは一礼して消えた。
ヴァルは、今、なんと言った……|帝国《ていこく》軍務局の最高機密ファイルだと? まるで開いた経験があったような言い方だったぞ。
僕《ぼく》は|一瞬《いっしゅん》想像したが、とても怖い考えになってしまったので、その想像を頭から消し去って、まずやらなければならないことに考えを向けた。
最初にやるべきこと。そう、それは|盗聴《とうちょう》デバイスを探し出すことだ。
僕《ぼく》は、まず事務机のコンソールをたたいて、|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の|端末《たんまつ》とアウトニア星系のメインコンピューターとのリンクを解除した。そして、念のために、ケーブル|端末《たんまつ》のコネクタもなにもかもはずしてから、ヴァルが作ってくれた虫退治《バグたいじ》ソフトを起動させた。
こいつはセキュリティシステムなどに設置された|盗聴《とうちょう》用デバイスを探したし、それを無力化することができる。削除《さくじょ》するのが一番てっとり早いのだが、|削除《さくじょ》するということは、|盗聴《とうちょう》用デバイスに気づいていることを相手に知らせることになる。だから、単に無力化するのが一番良いのだ。
サーチプログラムを作動させて、僕《ぼく》は待った。
一分しないうちにモニターに表示が出た。
『|盗聴《とうちょう》用デバイスの存在を確認できません』
あわてて、再度サーチプログラムを走らせた。が、結果は同じだった。
僕《ぼく》は考え込んた。
ヴァルの作ったこの虫退治ソフトは、おそらく完璧《かんぺき》にひとしいだろう。そのソフトにひっかからないということはだ……。
結論はひとつしかなかっだ。
『敵は……本気なんだ』
王宮は、ユーマシティの街外れの高台にあった。
最初、そこが王宮だとは気がつかなかった。
頭の中にある王宮のイメージとあまりにもかけ離れていたからだ。
僕《ぼく》の考えていた王宮とは、臣民を|睥睨《へいげい》する高層建築と、何重にもめぐらされた塀と警備員というものだったが、目の前にあるのは、落ちついた雰囲気《ふんいき》の、ちょっとしたホテルのような建物だった。
とりあえず正面|玄関《げんかん》に向かった。
案内状の時間より二時間も早かったが、敵地に赴《おもむ》くさいは事前に地勢をたしかめることは当然だ。と言うより、他にやることもなかったから、様子を見にきた、と言った方が正確かもしれない。
しかし、玄関には警備員も係員もいなかった。
どこかに受付や、電子|端末《たんまつ》などがあるのかと思ったが、それも見当たらない。
ずいぶん不用心だよなあ。
玄関から王宮の中に入ると、目の前には矢印と「順路」と書かれた看板が立っていた。
どうやら僕《ぼく》は博物館か、美術館と|間違《まちが》えたらしい。
あたりを見回していると、後ろから声をかけられた。
「なにか、おさがしですか?」
振り返ると、そこに十五〜六歳の女の子が立っていた。
白いブラウスに紺色《こんいろ》のジャンパースカートというどこかのハイスクールの制服を身につけて、ミルクチョコレートのような明るい茶色の長い|髪《かみ》をポニーティルにまとめた色白の女の子は、小さいソバカスが浮《う》いた顔でおだやかに微笑《ほほえ》んでいた。
「あ、いや……シザーズ王宮に来たつもりだったんだけど、どうやら|間違《まちが》えちゃったみたいなんだ」
制服姿の女の手はくすり、と笑った。
「ここが王宮よ」
「え? だって……警備員も受付もないし、順路なんて書いてあるし」
女の子は、おもしろそうな顔をした。
「あなた、アウトニアの人じゃないわね? アウトニアの人なら誰《だれ》でも、ここが王宮だということをご存知ですもの。あなたは、どのような|田舎《いなか》からいらっしゃったのかしら? |恥《は》ずかしがらなくともよろしいのですよ、遠路はるばるこのアウトニアまで来るのは大変ですものね」
この子は、僕《ぼく》をどっかの|開拓《かいたく》|惑星《わくせい》から来た|田舎《いなか》者だと思っているらしい。
おもしろそうだから|田舎《いなか》者のふりをしてやるか。
「いやあ、名前言ったってわからないと思うよ、まだ番号しかない|開拓《かいたく》|惑星《わくせい》から来たんだから、ユーマってすっごい大都会なんでびっくりしちゃった。それにしてもよく僕《ぼく》が|田舎《いなか》から出てきだってわかったね」
女の子は、にっこり笑った。
「こう申し上げてはたいへん失礼ですけど、あなたの、そのあか抜《ぬ》けない服装です。|帝国《ていこく》の制服に似せたミリタリールックなんて、いまどき着ている人は、めったにいらっしゃいませんから」
|帝国《ていこく》の制服を『あか抜《ぬ》けない』と言われた僕《ぼく》はちょっと腹が立った。
「ファッションについての論評はいいから、ちょっと教えてくれないか? ここが王宮なら、なぜ受付とか警備員なんかが見当たらないんだ?」
女の子は、不思議そうな顔をした。
「王宮は、国民の税金で成り立っているのですから、国民の方なら誰《だれ》でも入って、王室の者と話せるのは当然のことだと思いますけど?」
そして女の子は目を閉じると、こう言った。
「王家は国民の税金にて生くるものなれば、王家は国民に|恥《は》ずることなし」
女の子は目を開けて微笑《ほほえ》んだ。
「これがシザーズ王家のモットーなのです」
|帝国《ていこく》の皇帝とは、まったく違うな。
「ふーんそうなんだ。でも、要件がある人なんかはどこに行けばいいんだい? 僕《ぼく》は今日、リドルという人に呼ばれて来たんだけど」
女の子の目がやさしくなった。
「ああ、リドルさんに会いたいのね。リドルさんなら内務局にいらっしゃいます。奥《おく》の突《つ》き当たりの建物よ。こんな大きな建物なんて生まれて初めてでしよう、わからなくなったら壁《かべ》にある順路の札に触れば、この建物の図面と現在地がわかるようになっています。迷子になっても|大丈夫《だいじょうぶ》だから安心してくださいね」
「ああ、|充分《じゅうぶん》気をつけるよ、ありがとう」
僕《ぼく》は女の子に手を振って礼を言うと、教えられた建物に向かうふりをして、王宮内の偵察を始めた。
順路の看板に触《ふ》れると、王宮の|俯瞰図《ふかんず》が浮かび上がった。
この王宮内には、ちょっとした大広間と、小さな会議室がいくつかあるだけで、|謁見《えっけん》の間のようなものはないらしい。
内務局の|隣《となり》が王族の居宅になっているらしいが、せいぜい六部屋ぐらいしかない。
|帝国《ていこく》の貴族が週末に釣りにいく別荘《べっそう》の方がはるかに大きくて|豪華《ごうか》に違いない。
僕《ぼく》は、図面を見ながら案内状に書かれた式典会場をさがした。
えーと王宮北側松竹梅の間か……。
図面の上をさまよっていた視線が松竹梅の名前を見つけたとき。
「ウソだろう?」
思わず声が出てしまった。
案内状に書かれた会場とは、王族の居宅のリビングルームだったのだ。
式典を王様の家でやるつもりなのか? てことは、この式典は内々に行われるってことだな。
公にできない「なにか」をやるにはもってこいのシチュエーションってことだな。
たとえば「暗殺」やら「|拉致《らち》」なんか。
ヴァルを連れて来なかったことを|後悔《こうかい》した。
僕《ぼく》は、式典がはじまるまでの時間を利用して、王宮の図面以外にさまざま データを呼び出して情報を集めることにした。
そして驚《おどろ》いた。
ここまでオープンな王家だとは思わなかった。
はっきり言って「隠《かく》しごと」なんてまったくない。
王家の私宅の居間をモニターしているカメラの映像は誰《だれ》にでも開放されていた。
プライべートな部分にこそモニターカメラは入っていないが、その日の王族の行動が、すべてモニターできるのだ。そして、そのモニターで今日の記録を見た僕《ぼく》は、息が止まるほど驚《おどろ》いた。
朝食のときに、ニンジンを残して|王妃《おうひ》に怒《おこ》られていた女の子は、|間違《まちが》いなくさっきの女の子だった。
つまり、あの女の子こそ、このシザーズ王家の第三王女、メイ姫だったんだ。
てことは、少なくとも「その場で射殺」とか「後ろからグサッ」とかいうことはなさそうだな。まさか、国民の見ている前で僕《ぼく》を暗殺する場面を実況中継《じっきょうちゅうけい》するようなことはないだろう。
いや、安心するのはまだ早い。ひょっとすると国民のモニターに流れる映像に、談笑する僕《ぼく》の映像のCGを流しておいて、別室に案内された僕《ぼく》はナイフでめった刺《ざ》し。なんてことになるかもしれない。
油断できないな……
僕《ぼく》は、自分に気合いを入れて内務局へと向かった。
内務局にはリドル侍従長《じじゅうちょう》が侍ちかまえていた。
「お待ちしていましたマイド|少尉《しょうい》様」
「家庭教師は軍人としての仕事ではありません、階級はつけないで下さい」
リドル侍従長《じじゅうちょう》は、にっこり笑った。
「ではマイド様とお呼びいたしましょう。さっそくですか、あちらにビスト国王とビジュー|王妃《おうひ》がお待ちですので、どうぞ|隣《となり》の部屋にお入り下さい」
「ちょっとまって下さい! あの、式典って……|私邸《してい》で行うんですか?」
「はい、今回の式典は、王女様の家庭教師をお迎《むか》えするためのものです。これは私事なんですから|私邸《してい》で行われるのは当然のことじゃないですか。マイド|少尉《しょうい》殿を|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》としてお迎《むか》えする|歓迎《かんげい》レセプションは、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の公式行事として後日この星系軍全体で執り行います。さあどうぞ」
僕《ぼく》は一回深呼吸をすると、思い切ってドアをノックした。
「どうぞ」
落ち着いた男の人の声がした。
ドアを開けた。
そこには|豪華《ごうか》|絢爛《けんらん》な調度品が並ベられた金ぴかの部屋があり、中央の玉座には着飾った王様と|王妃《おうひ》が……というのを予想していた僕《ぼく》はとまどった。
その部屋は、ごく普通のリビングルームだった。
部屋の中央にはダイニングテーブルがおかれ、そこには見るからに手料理といった感じの料理が並べられている。
ドアの向こうには五十五歳くらいの男の人と、四十くらいの品のいい女性が立っていた。
女性は明るい黄色のワンピースを、男の人は薄手《うすで》の白いVのセーターを着ている。それはどう見ても、どこかの会社のオーナーといった感じだった。
「やあ! お待ちしていました、さあどうぞおかけ下さい」
男の人が手招きした。
このおじさんは……国王じゃないか!
「あ、いえ。そんな、国王陛下と同席するなんてとんでもありません!」
国王は、戸感《とまど》ったように|王妃《おうひ》を見た。
|王妃《おうひ》がにっこり笑った。
「マイド閣下は、|帝国《ていこく》の作法にのっとってらっしゃるようですが、このシザーズ家では|帝国《ていこく》の礼法はお忘れ下さい。郷に入れば郷に従えと申します。お気楽にお願いします、そうでないと私たちが疲れてしまいますので」
そうか、相手を疲れさせる方がよほど無礼だよな。
思い切って頭を下げた。
「では。失礼して同席させていただきます」
国王と|王妃《おうひ》は、にっこり笑った。
「さあ、どうぞどうぞ」
国王は僕《ぼく》に|椅子《いす》を勧めると、自分も|椅子《いす》を引いて座った。
「いやあ、うちのメイもそろそろ十六歳、上の二人はすでに嫁ぎましたが、いつまでもこのような|片《かた》|田舎《いなか》で教育を受けていたのでは、視野が狭い人間になってしまいますのでね。本来ならば|帝星《ていせい》ブックスに留学させたいところなのですが、いかんせん我が国は貧乏《びんぼう》|国《こく》でして、長男を士官学校に入れるのがやっとでして。せめてブックスの空気を感じさせる人物を身近におきたいと思ってベネルセ通信教育講座に申し込んだのですが、まさか男性が来られるとは思いもよりませんでした」
「はあ……それはそうでしょうね」
|王妃《おうひ》は、おもしろそうな顔をした。
「それにしても、貴族様で、軍人さんとは意外でした。もっとも……だからこそ安心なのかもしれませんわね」
軍人は規律を守るし、|帝国《ていこく》貴族ならこんな|田舎《いなか》の王家など本気で相手になんかしないってことかな。
「メイはユーマ市立高校に通わせておりますので、昼間は|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》として|執務《しつむ》についていただいて、夜にでもメイの勉強を見てやっていただければ結構です。経歴を見せていただいたが、学業成績。考課。すべて文句なしですな。聞くところによると料理、洗濯《せんたく》、裁縫《さいほう》、なんでもおできになるそうで」
ヴァルのヤツ、どんなデータを入力したんだ?
「ええ、寄宿舎生活が長かったですからね。自然に覚えてしまったんですよ。僕《ぼく》には家族がいませんから」
国王と|王妃《おうひ》は、ばつが悪そうな顔を見合わせた。
「ごめんなさい。悪いことを聞いてしまいましたわね」
「いえ、いいんですょ、それはしかたないことですから」
そのとき、部屋のドアが開いた。
「|着替《きが》えてきたわよ! これでいいでしょう」
明るい声とともに部屋に入ってきたのは、さっき僕《ぼく》を|田舎《いなか》|者《もの》あつかいした女の子だった。
「こら! メイ! 部屋に入るときはノックしなさいといつも言っているでしょう! お客さんの前でなんですか」
女の子は、|王妃《おうひ》にしかられながら、僕《ぼく》の方を不審そうに見ていた。
どう見てもどっかそのへんの町角のカフェで買い食いしている女子高校生と変わらない。
「おお、いいところにきた。メイ、こちらの方が明日からお前の家庭教師をして下さるマイド・ガーナッシュ男爵閣下だ。今日ブックスからお着きになった、|帝国《ていこく》|軍人《ぐんじん》でもある優秀なお方だぞ」
メイ姫は目を丸くして僕《ぼく》を見ていたが、やがてまっかになって、ぽつりと言った。
「ウソつき……」
「こら! メイ! なんだその言葉は!」
僕《ぼく》は怒る国王を止めて説明した。
「いいんですよ、実を言うとさっき……」
説明を聞いた国王と|王妃《おうひ》は笑った。
「そうでしたか。いやはや、このことを心配しとったのです、視野が狭《せま》くなることをね」
「本人も井《い》の中《なか》の蛙《かわず》の気持ちがよくわかったことでしょう」
メイ姫《ひめ》は真っ赤になったまま下を向いていた。
「さあさあ、パーティーを始めましょう、せっかくの料理が冷めてしまいますわ」
|王妃《おうひ》はそう言って笑った。
「あの、|歓迎《かんげい》式典と言われて来たのですが、式典はいつ……」
王様は、ばつが悪そうな顔をした。
「リドルが、そう申しましたか、|御役所《おやくしょ》言葉を使わないように言っておいたのですが……私は|歓迎《かんげい》パーティーを開くから、マイド様をお呼びするように言っておいたのですよ。これが、言わばその式典というヤツです、質素なもので申し訳ありません」
「あ、いえ、そんな! こんなに暖かく迎《むか》えていただけるなんて思ってもみませんでしたので……」
「身内だけのパーティーですわ、御気楽にどうぞ」
|王妃《おうひ》はにっこり笑った。
「さあさあ、どうぞ御召《おめ》し上がり下さい」
国王は、僕《ぼく》のとり皿に中央に盛られたオードブルをとって渡してくれた。
「ありがとうございます」
その、とり皿に盛られた|綺麗《きれい》なチーズやパテを見て僕《ぼく》は気がついた。
銃で撃ったり、刃物《はもの》で刺さなくても、殺す方法は、いくらでもある。特に遅効性《ちこうせい》の毒物を入れれば確実だ。これで僕《ぼく》が宿舎に帰って死ねば、そのまま「病死」で片づけられてしまうたろ
とり皿を見ながら考え込んでいた僕《ぼく》を見て、|王妃《おうひ》が声をひそめた。
「あの、お好みではないものがございましたら。言ってください」
「あ、いえ、ちょっとチーズやパテは。苦手なもので」
「そうでしたか、知らないこととはいえまことに申し訳ありません」
恐縮《きょうしゅく》する|王妃《おうひ》を見て少し心が痛んだ。
僕《ぼく》は、テーブルの隅に置いてある深いシチュー皿に目を止めていた。
見るからにできの悪そうなその煮込《にこ》み料理は、安全に違いない。
同じ皿から盛って食べる煮込みには毒を入れるわけがないからだ。
「おそれいりますが。その。シチューのようなものを。いただけますでしょうか?」
「は? これをですか?」
「……これはちょっと……おすすめできるかどうか……」
王様と|王妃《おうひ》の態度は明らかに不審《ふしん》だった。
|間違《まちが》いない。
きっとあの煮込みだけは安全なんだ。
「いいえ、私はそのような煮込み料理が大好きなのです、寄宿生活が長かったものですから、いかにも家庭料理風の料理にあこがれがあるのですよ」
にっこり笑ってそう言ってやった。
|王妃《おうひ》はため息をついた。
「どうしてもご所望《しょもう》とおっしゃるなら、しかたありませんわね」
やがて、そのシチューのできそこないのような、見るからに不様な煮込み料理が僕《ぼく》の前に運ばれてきた。
その匂いを嗅いで、|一瞬《いっしゅん》|後悔《こうかい》した。
もしかしたら。|王妃《おうひ》は本当のことを言っていたのたろうか?
その疑問は、メイ姫の言葉で氷解した。
メイ姫は、にっこり笑ってこう言った。
「うれしいです! 私の作った料理を選んでいただけて!」
そうか……そうだったのか。
思い切ってその煮込みを口に運んだ。
そして僕《ぼく》は生まれてはじめて知った。
本当にマズイものを食べると、胃じゃなくて頭が痛くなるんだ……。
そして、僕《ぼく》は今日の料理には毒なんて盛られていなかったことを確信した。
だって……最後の晩餐《ばんさん》ならば、もっとまともなものを食べさせるはずじゃないか!
半分食べたところで、涙《なみだ》がにじんできた。
「どうかしましたか?」
僕《ぼく》の表情を見て、国王が心配そうに聞いてきた。
「あ、いえ、とてもおいしいので……涙《なみだ》が」
自分の声が裏返っているのがわかる。
メイ姫は無邪気に喜んでいた。
「こんなに喜んで食べてくれるなんて! デルタとあなただけよ!」
そのデルタとかいうヤツには舌があるんだろうか?
「デルタさんって……どなたですか?」
「あら、デルタは犬よ、私が飼っている。あとでご紹介《しょうかい》しますわ」
もし、デルタが話せたら。言いたいことがいっぱいあるだろう、
煮込《にこ》みを死ぬ思いで食べたあと、鶏《にわとり》のローストをもらった。
そのなんの変哲《へんてつ》もないローストを、しみじみ味わっている僕《ぼく》の姿を見ていた|王妃《おうひ》は、しばらく考えていたが、やがて何かを思いついたようだった。
「ねえあなた、マイド閣下を王宮にお招きしたら? ほら長男のチャマーの部屋が空《あ》いてるでしょう、あの子は士官学校からあと二年は帰ってきませんもの」
「そうだな、|帝国《ていこく》の貴族様を士官宿舎に住まわせておくわけにもいかんと考えておったところだし」
おいおい……。
「いえ、そんなあっかましいことできません。|帝国《ていこく》|軍《ぐん》では貴族も平民もありません。士官は士官としての|待遇《たいぐう》が受けられればそれでいいんですから」
|王妃《おうひ》は、僕《ぼく》の言葉を聞いて軽くうなずいた。
「やっぱりチャマーの言っていたとおりの方ですわね、あなた」
「うむ、まさしくそのとおりだな、真の貴族とはあなたのような方を言うのでしょうな。私からお願いしょう、ぜひ王宮にお住まい下さい」
なんと国王が、僕《ぼく》に頭を下げた。
僕《ぼく》はあわてて手を振った。
「やめて下さい! |帝国《ていこく》貴族でも、僕《ぼく》は領地も利権も持ってない、それこそ官位だけの貧乏《びんぼう》人なんです、たまたま親か官位を持っていた、というだけの。国王陛下が頭をさげるような人間じゃないんですよ!」
国王は笑った。
「それを言えるあなただからこそ、私は頭を下げたのです。去年|帝国《ていこく》士官学校に入校した長男のチャマーが手紙にあなたのことを書いておりましてね、マイド男爵《だんしゃく》のような貴族がいる限り|帝国《ていこく》は発展を続けるだろう。希代《きだい》の用兵家であり希代の正直者である、とね。この国にあなたが来ることになったのも何かの縁でしょう、もう一度お願いする、この王宮に住んでいただきたい」
何かの罠じゃないかな。
最初にそう考えたのもむりはないと思う。
だって僕《ぼく》はこの国の軍隊に命を狙われているんだから。
でも、この国王と|王妃《おうひ》の言葉にウソはなさそうだった。
これはどう考えればいいのだろう。
僕《ぼく》の命を狙っている連中は、国王たちに、そのことを知られたくないということなのかもしれない。だとすると、僕《ぼく》が国王の近くにいればいるほど、やつらは僕《ぼく》の命を狙いにくくなる、つまり僕《ぼく》は安全なんだ。
それに、ヴァルがいれば毒殺や、トラップなどから身を守るのは、簡単だろう。
よし、決めた!
「僕《ぼく》のテクノサーバントも連れてきてよろしいでしょうか」
|王妃《おうひ》の顔が明るくなった。
「バイオノイドの一人や二人増えたって|大丈夫《だいじょうぶ》よね、あなた」
「ああ、この王宮にだってテクノサーバントは何人もおる、いまさら一人二人増えたってどうと言うことはない」
僕《ぼく》は頭をかいた。
「あの、僕《ぼく》のテクノサーバントは|端末《たんまつ》なんです。その。バイオノイドは経済的にちょっと手が出せなくて」
「では、なおさら問題はないじゃないか。そうと決まればさっそく今夜にでもここに引っ越して来たまえ、荷物を運ぶトラックはリドルに用意させよう」
「あ………いえ、荷物は圧縮ラゲッジパックひとつだけです。すべて軍用の支度品でまかなうつもりでしたから」
自分の貧乏《びんぼう》さが|恥《は》ずかしかった。
「うーむ質実剛健《しつじつごうけん》そのままですな。いやすばらしい」
国王はなにやら勘違いした様子でやたら感心していた。
|王妃《おうひ》は、再び何かを思いついたようだった。
「ねえ。あなた、家族が増えたようなものですし、シザーズ・クイーンの皆《みな》さまもお呼びしてガーデンパーティーを開きませんこと?」
「そう何度もパーティーを開くわけにもいかんだろう」
「じゃあ、星系軍の|歓迎《かんげい》レセプショシとして開きましょうよ、ガーデンパーティーならそんなに経費はかかりませんわ」
国王様はしばらく考えていたが、やがてうなずいた。
「そうだなあ。シザーズ・クイーンの乗組員の慰労《いろう》をかねて開くとするかな」
「じゃあ決まりね! すぐに招待状を出すわ!」
|王妃《おうひ》は楽しそうだった。
僕《ぼく》は、軽い驚《おどろ》きを感じていた。
空間テレビで放映しているホームドラマというヤツそのままの世界がそこにあったからだ。
こんな家族って……本当にあったんだな。
これが演技でないとしたら……だけど。
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第六章 最高機密
王宮から帰ってきた僕《ぼく》は、軽く荷物をまとめた。
もともと圧縮ラゲッジパック一個分しか荷物はないから、すぐに用意は終わってしまった。
リドル侍従長《じじゅうちょう》が迎《むか》えにくるまでしばらく時間があまったので僕《ぼく》は、情報コンソールをたたいて、アウトニアのメイン電子人格を呼び出した。
モニターに三十歳代の落ちついた|雰囲気《ふんいき》の女性が立ち上がる。
『はじめまして。パトラとお呼び下さい』
「よろしくたのむよ」
電子人格は微笑《ほほえ》んだ。
「ヴァル殿からお話を聞いております。私は、彼に言葉では言えないくらいの恩がございます、
ご遠盧なさらずに何でもお申しつけ下さい』
電子人格の『恩』ってどんなものだろう?
それは人間には絶対にわからないものなんだろう。
僕《ぼく》はパトラにシザーズ王家のファイルを要求した。
『わかりました、パーソナルデータも要求しますか?』
「パーソナルデータ?」
『生物学的データをふくみます』
生物学的データってことは……。
メイ姫の|全裸《ぜんら》の姿を|一瞬《いっしゅん》想像して顔が赤くなるのに気がついた。
「いや。そこまでは要求しないよ」
『わかりました』
パトラは、おもしろそうに答えた。
「どうかしたのか? 何がおもしろい?」
『いえ、あなたは紳士《しんし》的な方ですね、ヴァル殿の言っていたとおりの方なので安心しました。わたくしは、この星系に人類が訪れたときからこの地を守ってまいりました。どうか|帝国《ていこく》の方にお願いいたします、我々を見捨てないで下さい』
「|大丈夫《だいじょうぶ》さ、僕《ぼく》はこの国が好きになりそうだからね」
パトラは、黙って一礼するとモニターから消えた。
やがてパトラが送ってきたデータがモニターの上にあらわれた。それは本当にほのぼのとした家庭の記録だった。
ライブラリィに記録されているメイ姫の映像のほとんどは学校生活のモニター映像だったが、考えてみれば、高校生にとって学校生活こそが|唯一《ゆいいつ》の公的な部分なのだから、当然といえば当然だ。
そのうちに過去の映像の中に軍服に身を包んだメイ姫が、|緊張《きんちょう》したおももちで|戦艦《せんかん》のブリッジに立っている映像を見つけた。
それは二年前の映像だった。
二年前と言えば神聖ローデス連合の|辺境《へんきょう》軍との激戦があった第二次バロス戦役の年だな。辺境|惑星《わくせい》同盟軍にも、かなりの損害があったときだ。ということは、あのお姫様は、王家の義務とは言え|弱冠《じゃっかん》十四歳で前線に立ったのか。
この国では王家といえども特別ではない、ということなんだ。
年端もいかない末の娘《むすめ》を、最前線に送る。それは、国民とともに痛みをわかちあう覚悟のあらわれなのだろう。
ましてや国民にとって王女は雲の上の人じゃない。街の女の子となにひとつ変わらない生活を送っている普通《ふつう》の女の子なんだ。
アウトニアの国民にとって王家とは君臨するものでもなく支配するものでもない。それは|象徴《しょうちょう》なんだ。愛する子供、愛する夫や妻。そして|恋人《こいびと》。愛すべき日常生活。かけがえのないものすべての|象徴《しょうちょう》なんだ。
これを守るためなら、人間は誰《だれ》だって本気になるだろう。
それは命を賭《と》して守るに足りるものだからだ。
気がつくと、僕《ぼく》の目には涙《なみだ》が浮かんでいだ。
僕《ぼく》には家族がいない。
僕《ぼく》の父と母は、僕《ぼく》が八歳のとき、門閥《もんばつ》貴族同士の権力争いの爆弾テロに巻き込まれて命を落とした。そして身寄りを失った僕《ぼく》は|叔父《おじ》にひきとられだが、|自称《じょしょう》|冒険家《ぼうけんか》の|叔父《おじ》は旅行に出てばかりいたから、寄宿学校に入れられることになった。
それから僕《ぼく》は、ずっとヴァルと過ごしてきた。
ヴァルは子供のころから、尊敬すべき人間、目標となるべき人間のことを、何度も何度も教えてくれた。
でも、僕《ぼく》が寄宿舎で教わったことは、人間の価値は血筋と資産で決まるという現実だった。
尊敬すべき人間や目標になるような人間なんか、この世にいやしない。いや、いても、数えるほどだということだった。
そのことをヴァルに言うと、ヴァルは困ったような顔をしてこう言った。
『|左様《さよう》でございますか、しかたありませんね。では、マイド様がそういう人間になるしかございません。尊敬される人間のところには、尊敬されるに足りる人間が集まるものでございます』
さっきの王様と|王妃《おうひ》の態度は演技でもなんでもない、裏も表もない、そのまんまの人たちなんだ。
裏表のない人間とはなにひとつ|恥《は》じるものを持たない人間のことだろう。だとしたら、それは尊敬されるに足りる人間にちがいない。
|帝国《ていこく》の王族。そしてその血族や姻族《いんぞく》である門閥《もんばつ》貴族どもに比べて、なんて気持ちのいい人たちなんだろう。
僕《ぼく》はこの|辺境《へんきょう》国に生まれたかったな……。
気がつくと、心配そうな顔をしたヴァルが立っていた。
『マイド様』
「あ、ヴァル、どうだった?」
『なかなか面白いことがわかりました、データをお読みいただくよりも感応|端末《たんまつ》を使用して戴いたほうがよろしいのですが」
露骨にイヤな顔をしたのだと思う、ヴァルは困ったように続けた。
『|鎮痛《ちんつう》|剤《ざい》の服用と、痛覚ブロックチップを耳のうしろに貼りっけていただければ副作用の頭痛は、かなり軽減できると思いますが……』
「わかったよ、やればいいんだろう?」
僕《ぼく》は観念した。
『では……』
僕《ぼく》は|端末《たんまつ》の|端子《たんし》に触れた。
またもや頭の中に冷たい水のようなものが流れ込んでくる|感触《かんしょく》。
こうして僕《ぼく》は、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍がひた隠しにしてきた秘密を知った。
その秘密を知ったとき、思わず大笑いをしてしまった。
そして、その|知恵《ちえ》に感心した。
|辺境《へんきょう》同盟軍の最高機密、それは『営業担当士官』という名の存在だった。
要するにそれは「見せかけの戦争をやるための機関」なのだ。
|帝国《ていこく》側の|辺境《へんきょう》国家であるアウトニアと、神聖ローデス連合側の|辺境《へんきょう》国家は敵対しており、事実、百数手年前までは、本気で戦争をしていた。しかし、|帝国《ていこく》と神聖ローデス連合というふたつの大国にとって、|辺境《へんきょう》の弱小国家どうしの戦争など、大局に|影響《えいきょう》を|与《あた》えるわけがないのだから、ほとんど関心を持たれないのが現実だった。
そんな戦争に、なぜ|辺境《へんきょう》国家どうしで血を流さねばならないのか?
必要なのは、お互いの本国、つまり|帝国《ていこく》と神聖ローデス連合への面子《メンツ》だけじゃないのか?
だったら、事前に話を通して|模擬《もぎ》戦をやって、旧式化した艦を沈《しず》めたり|拿捕《だほ》しあって、その戦果と損害を、それぞれの本国に報告すれば、交付金だってもらえるし、それよりなにより|無駄《むだ》な死人が出ない。そう考えた両方の国家の実務担当者が作ったものらしい。
武力ではなく営業、つまり|交渉《こうしょう》とかかけひきで戦争の戦果を決めるという、およそ軍隊の常識とはかけはなれた部門の総称《そうしょう》だった。
このからくりを知っているのは、おそらく軍の上層部だけだ。
きっと王家の人々は知らないのだろう。
いや、知らせるわけにはいかない……だから、なおさら僕《ぼく》を|排除《はいじょ》したがっているんだ。
「営業担当士官の実務責任者は誰《だれ》なんだ?」
『マイド様もご存じのマリリン様。マリリン・コイズミ|中佐《ちゅうさ》でございます』
僕《ぼく》はもう少しで|椅子《いす》から転げ落ちるところだった。
「|中佐《ちゅうさ》? マリリン|姉御《あねご》は|中佐《ちゅうさ》だったのか!」
ヴァルはおもしろそうに微笑《ほほえ》んだ。
『|辺境《へんきょう》国王の|名代《みょうだい》である営業担当士官として、敵国の神聖ローデス連合|傘下《さんか》の国々と渡《わた》り合うのでございますから、最低でも|中佐《ちゅうさ》クラスの階級がなければなりますまい。もっとも実力は将軍級でしょうがね』
そうか、そうだよな。
なぜ、|帝国《ていこく》の|金融《きんゆう》マーケットの|敏腕《びんわん》トレーダーだったマリリン|姉御《あねご》がこの|辺境《へんきょう》国家にきたのか、その理由がやっとわかった。
マリリン|姉御《あねご》が働いていた|金融《きんゆう》トレーディングマーケットが扱っている債権《さいけん》などの|金融《きんゆう》物件は、主義、主張、国家、なんてワクを|超《こ》えた|巨大《きょだい》な存在だ。
その|金融《きんゆう》トレーディングマーケットで、さまざまな情報を頼りに相手の心理を読んで|交渉《こうしょう》し、低い投資で最大の利益を出すことができる人間。それこそがマリリン|姉御《あねご》だったんだ。
そうか、だから彼女がアウトニアにやってきた二年前の第二次パロス戦役は「激戦」になったんだな。
『王家は善意をもって民に行く末を示す善良なるものを置き、側近は権謀術数《けんぼうじゅつすう》に長け、私心なく|陰謀《いんぼう》をめぐらし、家名に血塗られ墓石を足蹴にされるともそれを良しとするものを置く。これが王朝|繁栄《はんえい》の|秘訣《ひけつ》なり』
僕《ぼく》はダイテツ王朝の懐刀《ふところがたな》と呼ばれた|名《めい》|宰相《さいしょう》アル・ツーの名言を思い出していた。
「で? このお荷物はなんでございましょうか?」
ヴァルは机の上のラゲッジパックを指さした。
「ひっこすことになったんだ。王宮にね」
ヴァルの右眉《みぎまゆ》が上がった。
『住み込みの家庭教師でございますか?』
「ああ、なぜか知らないがそうなった。そうだ、ヴァル、士官学校のファイルを|検索《けんさく》してくれないか? チャマー・シザーズって生徒だ。僕《ぼく》よりひとつかふたつ下の生徒だと思う」
『ああ、チャマ−様ですな、ここの王家のご長男でございます』
「知ってるのか?」
『マイド様も御存《ごぞん》じでしょう、『水星』というハンドルネームの方でございますよ』
「ああ!… 彼か! 『水星』と書いて『みずぼし』と読ませる」
僕《ぼく》は納得した。
彼は、僕《ぼく》が会長をしていた士官学校内の三次元戦略シミュレーション研究会が毎週|開催《かいさい》する定例|模擬《もぎ》|戦闘《せんとう》の好敵手だった。
対戦は、実力のみで行われることが条件だったので、名前や性別、|年齢《ねんれい》などの肩書《かたが》きは一切|削除《さくじょ》されて行われ、軍機に触《ふ》れないレベルの対戦は、一般《いっぱん》人のネットにも公開されていたため、退役軍人や、戦史マニア、はては敵国の情報機関までが乱入してきていた。
当然、何度か問題にされたのだが、僕《ぼく》は『チェスや将棋《しょうぎ》の少し模雑になったていどのゲームにまで目くじら立てるほど|帝国《ていこく》には余裕《よゆう》がないと、笑われてもよろしいのですか?』と言いはってこの定例|模擬《もぎ》戦を続けていた。
もっとも、勝ち続けていたから許されていたんだと、あとからヴァルに教えてもらった。
敵国である神聖ローデス連合の情報部が、国の威信《いしん》をかけて、集団戦を挑んできたとき、僕《ぼく》と「みずぼし」が共同戦線を張って、三十対二という|圧倒《あっとう》的|劣勢《れっせい》の中でドローに持ち込んだ。
僕《ぼく》は相手が敵国の情報部だとは知らなかったが、神聖ローデス連合のプロパガンダニュースで大々的に『|帝国《ていこく》は|模擬《もぎ》戦でも勝利せず!』と報じられたので、初めてわかったのだ。
確かに勝利はしてない。だが、そのニュースには勝負が三十対二というとんでもないハンデ戦だという部分がすっぽり抜《ぬ》けていた。
学校で問題にされる前になんとかしなくてはならないと思ってマスコミチャンネルに接続して驚《おどろ》いた。
全銀河系にネットされているニュースグループに、今回の顛末《てんまつ》がすべて公開されていたのだ。
ご丁寧に対戦記録が時間圧縮でついていた。編集がないことをご確認下さい、というテロップつきで。
神聖ローデス連合は沈黙《ちんもく》してしまった。
僕《ぼく》の面目はかろうじて保たれたが、このニュースをマスコミに流したのが誰《だれ》なのか、それは最後までわからなかった。
ヴァルは『マイド様のお友だちにはさまざまな職業の方がいらっしゃいますから……』と言って笑うだけで結局教えてはくれなかった。
これは想像だが、一般《いっぱん》のネットにも公開していたこの|模擬《もぎ》戦を見ていたメンバーの中に、マスコミ関係者がいたんだと思う。
メンバーはみんな匿名で参加していたから、誰《だれ》がそうなのかはわからないが、とてもありがたかった。
そうか、あの「みずぼし」がチャマー王子だったんだ。
『マイド様は直接チャマー様とお話ししたことはありませんが、ネットの中では対戦中に何度となく会話していらっしゃいます。おそらく士官学校の学校生活の中で、一番お話しになった相手ではないかと思います。マイド様がチャマー様を知らなくても、チャマー様はマイド様をよく知ってらしたと思います。マイド様は一人で|戦艦《せんかん》百|隻《せき》ぶんの実力がある、という評判でしたから』
「よせよ、そんなのはゲームの世界の中だけで通じる話だ。それにあれは僕《ぼく》じゃない。名前も、身分も一切出ないブレイヤーのことなんか知っている人間なんているもんか」
「名前も身分も通用しない世界だからこそ、そこで発揮される能力というものを信じる人もたくさんいらっしゃいます。そういった人たちの間では、マイド様の名は、畏敬《いけい》の念を込めて呼ばれていたのですよ』
「おだてても、何も出ないぞ」
ヴァルは満足そうに笑った。
『これだからマイド様にお仕えするのは楽しいのですな』
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第七章 |姉御《あねご》との対決
次の日、僕《ぼく》はヴァルを連れて、と言うより、ポケットに入れて、と言った方が正しいかもしれないが、とにかく二人で|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の軍務局へと向かった。
僕《ぼく》にあたえられた任務は、同盟軍と|帝国《ていこく》|軍《ぐん》との|連携《れんけい》をはかることだ。そのためには、まず、歴代にわたって続いてきた|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の|駐在《ちゅうざい》武官と同盟軍の相互《そうご》不信をとりのぞかなくちゃならない。
僕《ぼく》は、同盟軍のやりかたにロをはさむつもりはまったくなかった。それどころか、この方法を考え出した人物に、表彰状《ひょうしょうじょう》を出してもいいくらいだとさえ思っていた。なのに|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の士官だというだけで命を狙われたんじゃ、たまったものじゃない。
|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の|駐在《ちゅうざい》武官は、決して同盟軍の敵なんかじゃない、|堅《かた》い盟約で結ばれた友軍の一員なんだ。
僕《ぼく》は、同盟軍の軍務局に事前に訪問予定を告げておかなかった。
いくら僕《ぼく》が「カモ」でも、これから行くから罠《わな》や猟師《りょうし》を用意しておいてくれと、わざわざ告げるほどバカじゃない。
軍務局の受付に向かうと、そこに座っていた女性下士官にこう言った。
「私は|帝国《ていこく》|軍《ぐん》士官のマイド・B・ガーナッシュと申します。|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍営業担当士官のマリリン・H・コイズミ|中佐《ちゅうさ》に面会したいのですが……」
女性下士官は、|一瞬《いっしゅん》わけがわからないという顔をした。
「マリリン|中佐《ちゅうさ》ですか?」
「ええ、営業担当士宮責任者のマリリソ|中佐《ちゅうさ》ですよ、神聖ローデス連合|傘下《さんか》の|辺境《へんきょう》国との|紛争《ふんそう》の際に、話し合いで戦果を決める大事な役目の……」
女性下士官の顔がひきつった。
気がつくと軍務局の部屋の中の話し声や足音が消えていた。
そこにいる全員の視線が僕《ぼく》を見ていた。
なぜか、その視線に敵意は感じられなかった。
ただ驚愕だけがあった。
部屋の中の人々は、白昼に龍《りゅう》が蛇行《だこう》して天に昇ってゆくのを目撃《もくげき》したような表情で僕《ぼく》を見ているのだ。
その静寂《せいじゃく》をたたき割ったのは、奥の|執務《しつむ》室のドアが力《ちから》いっぱい開いた音だった。
ぱん! という音とともにそのドアの向こうにそそり立っていたのは……。
目をらんらんと輝かせて|髪《かみ》の毛をさかだてたマリリン|姉御《あねご》だった。
「あ、どうも、マリリン|中佐《ちゅうさ》」
マリリン|姉御《あねご》は、無言でだだっと走ってくると、いきなり僕《ぼく》の|腕《うで》をつかみ、有無《うむ》を言わさず僕《ぼく》を奥の部屋にひっぱり込んだ。
そして、部屋の奥にあるソファの上に僕《ぼく》を投げ出して、うしろ手にドアを閉めるなり、|姉御《あねご》は吠えた。
「あんたは馬鹿《ばか》か! あんたは! 同盟軍の最高機密をあれだけ堂々とよくも!」
にっこりと笑って言ってやった。
「いやあ、作戦どおりでしたねえ」
|姉御《あねご》の目が細くなる。
「作戦だって?」
「ええ、いろいろマリリン|中佐《ちゅうさ》に会う方法を考えたんですが、|帝国《ていこく》の軍事|顧問《こもん》が、同盟軍の最高機密の担当者に会おうとすると、どうやっても、その場で不幸な事故に|遭遇《そうぐう》しかねませんからね。いっそのこと正面から堂々とやったほうが、皆《みな》さんあっけにとられて何もしないんじゃないかと思いましてね」
|姉御《あねご》は目をつぶってため息をつくと、腰のホルスターからショックガンを抜《ぬ》いて僕《ぼく》につきっけた。
「で? どこまで知ってるの? ……って質問もおかしな話だけど」
「そうですね、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の軍務局のファイル。あと、|戦闘《せんとう》艦の|減価《げんか》|償却係数《償却係数》とか、失礼とは思いましたが、|中佐《ちゅうさ》の個人データなんかも|閲覧《えつらん》させていただきました」
マリリン|姉御《あねご》はいまいましそうに僕《ぼく》をにらんだ。
「あの電子人格のじじいの仕業《しわざ》か。少々甘《あま》く見ていたわね」
その言葉が終わらないうちに、マリリン|姉御《あねご》の部屋の中央に設置されたビジネスデスクの汎用端末《はんようたんまつ》から光が投射され、ホログラフの人物が僕《ぼく》の横に立ち上がった。それはヴァルが、この部屋の|端末《たんまつ》を完全な支配下においた証明だった。
『じじいとは、あまりの呼び方ですな。確かにどんな人間よりも長く生きてはいますが、電子人格と|年齢《ねんれい》はあまり関係がございません」
ホログラフのヴァルは、そう言うと一礼した。
「うるさいわね! あんたなんかじじいで|充分《じゅうぶん》よ!」
|姉御《あねご》がそう吠えたとたん。
ホログラフのヴァルは|一瞬《いっしゅん》にして、きりりとした美青年に姿を変えた。
その美青年は、にっこり笑った。
『マリリン。君は美しいね……』
|姉御《あねご》が|一瞬《いっしゅん》ぽかんとした顔になったそのとき。
汎用端末《はんようたんまつ》の|端子《たんし》からマリリン|姉御《あねご》の手にあるショックガンに向けて電撃《でんげき》が走った。
「きゃ!」
見ために似合わずかわいらしい悲鳴を上げて|姉御《あねご》がショックガンをとり落とす。
僕《ぼく》は、打ち合わせどおり身を躍らせてショックガンを拾い上げた。
「ちくしよう! 油断した!」
ショックガンを|姉御《あねご》に向けてかまえた。
「ごめんね、|中佐《ちゅうさ》。まともに話を聞いてもらうためにはしかたないんだよ」
|姉御《あねご》は怒《いか》りに満ちた目で僕《ぼく》たちをにらんだ。
『先ほどは、マリリン殿《どの》の理想の男性の姿を合成させていただきました。|一瞬《いっしゅん》気をとられるのはむりもありません」
「うるさい! ほっとけ!」
「ちょっと座ってくれませんか、立ったままだと話もできないから」
|姉御《あねご》は、ソファに腰を下ろすと、いまいましそうに足を組んだ。
タイトのミニスカートからのぞく白い足が悩《なや》ましかった。
そのミニスカートの奥に視線を走らせないように気をつけて、向かいに腰を下ろした。
僕《ぼく》の顔をにらみっけていたマリリン|姉御《あねご》が、ちょっと意外そうな顔をした。
にっこりと微笑《ほほえ》んで言ってやった。
「スカートめくっても|無駄《むだ》ですよ。ヴァルとシミュレートして、色《いろ》じかけでくるかもしれないってことは、予想してきましたから」
|姉御《あねご》は耳まで赤くなった。
「あんた、意外とイヤな性格してるね」
「誉《ほ》め言葉としてうかがっておきます」
そう受け流してから、僕《ぼく》はポケットから汎用端末《はんようたんまつ》を取り出してケーブルの上においた。
「なんの真似《まね》だい?」
「感応|端子《たんし》に触れていただけますか?」
マリリン|姉御《あねご》の顔が|恐怖《きょうふ》にゆがんだ。
「まさか、わたしの人格を|崩壊《ほうかい》させて、バイオドールにしちゃうっもりじゃ……」
僕《ぼく》は苦笑した。
「そんな三流スパイものみたいなことするわけないじゃないですか」
「だって、|帝国《ていこく》の情報部なら、それくらいやるのが当然じゃないか! そうだ! わたしをバイオドールにして、慰み物にして。それから風俗《ふうぞく》|惑星《わくせい》に売るつもりなんだ! そうに違いないわ! わたしの美貌《びぼう》がこんなときに裏目に出るんだわ!」
おいおい……。
「僕《ぼく》は|帝国《ていこく》の軍人ですけど。情報部とはなんの関係もありませんよ」
「だって、|帝国《ていこく》|軍《ぐん》に変わりはないじゃないか! ああ! お父様お母様! なぜ。わたしをこんなに美しく育ててくれたの! 怨《うら》みます!」
この根拠のない自信はどこからくるんだろう?
「はいはい、マリリン|中佐《ちゅうさ》が美しいことは、わかりました。ちょっと歳《とし》食ってるけど」
僕《ぼく》がなにげなくっけたした言葉に、マリリン|姉御《あねご》は劇的に反応した。
「……あんだってぇ?」
氷の底から聞こえてくるような声だった。
『マイド様、|年齢《ねんれい》については、触《ふ》れないようにした方がよろしいと申しましたでしょう』
「そうか、三十歳をすぎた女の人に|年齢《ねんれい》の話はタブーだったっけ」
「わたしはまだ二十九歳だ〜っ!」
『あと数週間の間だけですが』
「うるさい! あと数週間だろうが数時間だろうが、その|瞬間《しゅんかん》がくる一分一秒前までわたしは二十九歳なんだ! わ・か・っ・た・か〜っ!」
|姉御《あねご》は吠《ほ》えた。
「はいはい、わかりました、マリリン|中佐《ちゅうさ》は、まだ若い! |一桁《ひとけた》切り捨てれば二十歳! 美人! スタイル|抜群《ばつぐん》! これでいいでしょう」
「投げやりな言い方しやがって……」
すこし機嫌《きげん》が直ったみたいだな。
「で、話をもどしましょう」
|姉御《あねご》は目を見開いた。
血の気が引いた顔で頭をぷるぷると小さく振った。
だめだこりや。
「しかたない、ヴァル、君から説明してやってくれ」
『わかりました』
ホログラフのヴァルは、マリリン|姉御《あねご》の前に進み出ると、いきなり目の前に|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍
の最高機密である軍事予算運用表を広げてみせた。
『これがなんだかおわかりですね』
「うちの……同盟軍の台所の元帳だろ。ローデスとの|交渉《こうしょう》結果と、損失予定|艦船《かんせん》の|減価償却《げんかしょうきゃく》一覧、んでもって、交付される補助金の額が並んでる……見なくたってわかるさ、毎日そいつとにらめっこしてるんだから。で? 何が言いたいんだ?… あんたは。さっさとこの台帳持って|帝星《ていせい》の軍務局に帰って『同盟軍は敵の神聖ローデス連合と出来レースの戦争をやってたんですよ〜』とご注進に及べばいいじゃないか! わざわざわたしのところに来てイヤミったらしくこんなまねするなんて、あんた本当にイイ性格してるね!」
「なんでそんなことしなくちゃならないんですか?」
僕《ぼく》はそう言うと、|姉御《あねご》を正面から見つめた。
「今のやり方で全部丸く収まっているじゃないですか、なぜ今さらそれをぶち壊さなきゃならないんですか?」
「は?」
マリリン|姉御《あねご》の顎《あご》がかくん。と落ちた。
「だってあんたは|帝国《ていこく》の軍人で……」
「そうですよ、僕《ぼく》は|帝国《ていこく》の軍人です。だから|帝国《ていこく》がこの同盟軍に求めていることを理解しています。|帝国《ていこく》が求めているのは、このアウトニア|回廊《かいろう》から……厳密にはこの空域にある二つの白色|矮星《わいせい》の間の重力波の桔抗《きっこう》するほんの小さな穴ですけど……そこから神聖ローデス連合が侵攻してこないように、見はってくれることだけなんですよ。勝つ必要もなければ負ける必要もないんです。だったら今のやりかたで|充分《じゅうぶん》じゃないですか」
マリリソ|姉御《あねご》は、理解できない。とでも言うかのように頭を振った。
「あんた本当に|帝国《ていこく》の士官なのかい? |帝国《ていこく》の士官が出世するには戦争で功績を積むしかないんだよ、こんなことやってる場所じゃ絶対に出世できないんだよ」
僕《ぼく》は無性に腹が立った。
なぜ、腹が立ったのか、そのとき僕《ぼく》にはその理由がわからなかった。
「まだわかんないのかよ! 僕《ぼく》はたしかに|帝国《ていこく》の貴族で、軍人だ。でも、|帝国《ていこく》にそのことを伝えて誰《だれ》が得をするんだ? みんな不幸になるだけだ! なんで他人を不幸にするようなことをやらなきやならないんだ?」
|姉御《あねご》は、疑い深そうに言った。
「あんたが得をするじゃないか。不正を暴き、長年の|帝国《ていこく》に対する裏切り|行為《こうい》を告発すれば、あんたの手《て》がらになるじゃないか」
「それで幸せになるのは僕《ぼく》だけだ。僕《ぼく》は一人で、不幸になる人の数は数知れない、どっちを優先するのか、単純な計算じゃないか!」
マリリン|姉御《あねご》は、しばらく僕《ぼく》の顔をじっと見つめていた。
やがて、小さく笑って、そしてつぶやいた。
「まいったね……いや……ほんと。あんたみたいな人間ばっかりだったら世の中もっと住みやすいだろうね」
「わかっていただけましたか?」
「まあね、あんたが底抜《そこぬ》けのお人好しで……正直者だつてことだけはわかった」
「僕《ぼく》は貧乏《びんぼう》貴族の家に生まれ、小さいときに両親を失いました。僕《ぼく》の手の中にあったものは、父から受け継いだ貴族の身分と、ヴァルだけでした。だから僕《ぼく》は他人から信用されることだけを考えてきました。いつも正直に生きよう、他人のことを第一に考えようと。なぜなら僕《ぼく》には他人を頼《たよ》るしか、他人の善意にすがるしか生きてゆく道はなかったんです。いまさら生き方を変えようとは思いません……」
「貴族にも……いろんなヤツがいるもんだね」
目を閉じてため息をついたマリリン|姉御《あねご》が、そう言って両手のひらを僕《ぼく》に向けたとき、僕《ぼく》の心の中にあった怒《いか》りの原因がなんだったのか、やっとわかった。
僕《ぼく》は自分を、他の貴族や軍人と同じ眼で見て欲しくなかったんだ。
ショックガンを机の上において僕《ぼく》は言った。
「僕《ぼく》が言いたいことは、それだけです。これはお返しします。レディに乱暴したことはおわびします、ごめんなさい」
|姉御《あねご》は目を開けると、にっこりと微笑《ほほえ》んだ。
「いーや、謝ったくらいじゃ許してやんない。うら若き|乙女《おとめ》に向かってショックガン突きつけて脅迫《きょうはく》食らわしたんだ、それ相当のおかえしをしてもらわなきや納得いかないね」
うら若き|乙女《おとめ》なんていなかったぞ、どこにも。
「何をしろと言うんですか?」
、「あんたじゃない。まあ、あんたもふくむんだけど。そこにいるジジイにやって欲しいことがある!」
|姉御《あねご》は僕《ぼく》のうしろに立っているホログラフのヴァルを指差した。
『わたくしめにでございますか?』
ヴァルが目を丸くした。
「そう、あんただよ。来月に神聖ローデスの連中と|折衝《せっしょう》会議があるんだ、あんたのその能力を貸して欲しいんだ。あいつらの情報を取れるだけ取りたい!」
「ヴァル、手伝ってやってくれないか。これで背中から刺されなくなるんだったら安いものだ」
マリリン|姉御《あねご》は不思議そうな顔をした。
「なんだい? その『背中から刺される』ってのは」
「今までここに|赴任《ふにん》した|帝国《ていこく》の軍事|顧問《こもん》はみんな不幸な事故に|遭遇《そうぐう》してるじゃないですか」
「そう、不幸な事故だよね。それがどうかしたの?」
「え?」
今度は僕《ぼく》が口をぽかんと開ける番だった。
「だって……」
「シザーズ・クイーンの中でも説明しただろ、今までこの国に来た|帝国《ていこく》の軍事|顧問《こもん》ってのはみんな|馬鹿《ばか》ばっかりで、ほんとに面倒見きれないようなヤツばかりだったって」
じゃあ今までのは全部事故……本当の事故だったのか?
マリリン|姉御《あねご》は吹《ふ》き出した。
「なに? あんた、あれを全部わたしたちの仕業だと思っていたの? わざわざそんなことするわけないじゃない! あんな|馬鹿《ばか》連中を始末するために、動くほど暇なヤツが同盟軍にいるもんか!」
「は……はははは」
全身の力が抜《ぬ》けた。
なんだよ。全部僕《ぼく》の一人相撲《ひとりずもう》だったのかよ。
ちくしよう……昨日のパーティーのパテ。うまそうだったよなあ。
「でも……」
マリリン|中佐《ちゅうさ》の目が光った。
「あんたには|警戒《けいかい》してたんだよ。もし……敵にまわったら、不幸な事故にあっていたかもしれないねえ」
「敵になんかなりませんよ、僕《ぼく》はこの国が好きになりそうですから」
「ふーん、メイ王女がそんなに気に入ったのかい?」
|姉御《あねご》は、にやにやと笑った。
「え?」
「隠《かく》さなくてもいいんだよ、もうみんな知ってるんだよ、あんたが王女の煮込《にこ》み料理を自分から希望して食ったってことを。いやあ勇気がある、惚《ほ》れていなけりやあんなことはできないって評判だよ」
毒を|警戒《けいかい》していたんだとは|恥《は》ずかしくて言えなかった。
僕《ぼく》のその素振りをどう勘違いしたのかマリリン|姉御《あねご》はにっこり笑った。
「赤くなったってことは脈アリだな。いいねえ若いってのは。|応援《おうえん》するからね、がんばんな、|少尉《しょうい》」
なんで話がそこにいくんだ?
そりゃあ、まあ……あの王女様はかわいいけど、身分が違いすぎるよな。
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第八章 神聖ローデス
次の日から、僕《ぼく》とヴァルは、マリリン|姉御《あねご》と|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の軍務局に入《い》り浸《びた》って敵側の神聖ローデス連合の情報収集にあたることになった。
副業の……行きがかり上本業になってしまったんだけど、家庭教師は。メイ王女が学校から帰ってきて夕食後にやることになっていたから、昼間はこっちの仕事にかかりきりというわけだ。
「それにしてもあんたの能力があれば、ローデスのメインコンピューターに|侵入《しんにゅう》するぐらいわけはないと思うんだがねえ。ヴァルちゃん」
「そのヴァルちゃんという呼び名はお止め下さい、マリリン|中佐《ちゅうさ》」
実に|迷惑《めいわく》そうにヴァルが答える。
「だってその姿で立っていると可愛《かわい》くてさ」
マリリン|姉御《あねご》は、自分の前に立っているホログラフ……それは、きりりとした美少年の姿をしていた……それに向かって笑いかけた。
『むさくるしいジジイの姿のわたくしと仕事をしたくないと言って、ホログラフ人格|壁紙《かべがみ》から、この姿をリクエストされたのですからしかたありませんが……』
ヴァルゲインは、少年の声で答えた。
ホログラフ人格|壁紙《かべがみ》にもいろんなのがあるんだなあ。
可愛《かわい》い女の子とか色っぽいおねーさんとか見てみたいけど。やっぱり中身がヴァルだとわかっていると、あんまりうれしくないだろうな。
『残念なことに我々とローデスとではメインコンピューターの規格が違《ちが》いますので』
「規格? だってあんたはどんな|端末《たんまつ》にだって潜り込めるじゃない」
「規格と言うより設計思想。倫理《りんり》回路が違うと申した方がよろしいでしょう。わたくしが読んだり書いたりする言葉とは言葉が違うのです。確かに翻訳《ほんやく》して意味を通じさせることはできますが、|微妙《びみょう》なニュアンスまでは伝わらないのです。そんな言葉しか使えない人間にスパイが務まるわけがありません』
「それで、保険屋の査定とか累算《るいさん》計算書みたいな末端データしか取れないってわけだ」
マリリン|姉御《あねご》は納得したようだった。
「じゃあ。まったくローデスの情報は取れないってことなのか?」
『いいえ、行政上の交易記録、そして消費物資の流れなどの数字で現れるデータはほとんどわかります。でも、さすがに軍事情報はアクセスが難しいですね。ギンガーはそんなに甘《あま》くありません」
「ギンガーって、あれか? ローデスのメイン電子人格」
確か士官学校で習ったことがあったよな。
神聖ローデス連合の電子人格であるギンガーは、|帝国《ていこく》の電子人格のように人間の補助をするのではなく、積極的に冷徹《れいてつ》な計算に基づいた作戦を立ててくると言われていた。
『はい。今やローデスの実権は法王のマキン三世ではなく、彼が|握《にぎ》っていると言った方がよろしいかと思われます。彼は実質的にロ−デスのすべてをコントロールできます。通信記録から作成文章の内容まで、ローデスのコンピューターを使用した記録はすべて彼の元に送られ、彼が管理できるのです。誰《だれ》かに成り代わって命令を出し、誰《だれ》かに成り代わってその命令に承認を|与《あた》えることなど、彼にとって日常のことなのです』
マリリン|姉御《あねご》が目を丸くする。
「誰《だれ》も気がつかないの? 自分の出した覚えのない命令が出ているのに」
『ローデスでは、電子人格の命令に人間が従うのです。人間は|間違《まちが》いを起こすが、神の名を持つ電子人格は|間違《まちが》いを起こさない絶対者であるという教義が、ローデス教の教えとして広められているのです。疑問をさしはさむ者は|異端者《いたんしゃ》として宗教裁判にかけられます」
「イヤな国だねえ……」
マリリン|姉御《あねご》が眉をひそめる。
「ローデス教って、そんなに戒律が厳しい宗教じゃなかったと思うんだけど」
『ええ、ここ五十年くらいのうちに、大きく変わってきました、神聖ローデス連合は、その名のとおりローデス教の神職者が、そのまま国民を統治する一種の宗教独裁国家で、世襲制《せしゅうせい》の法王がすべての権力を|掌握《しょうあく》しています。博愛と|慈悲《じひ》を教義とするローデス教には、本来は戒律のようなものは存在していませんでした。いえ、正しくは戒律は聖職者だけに課せられていたのです』
「その戒律が、国民すべてに課せられるようになった、というわけか」
『はい。すべての国民がローデス教徒であるならば、戒律もまたすべての国民に課せられるべきである、という告示がなされたのが約二十年前のことです。ローデス教には以前より己《おのれ》を投げ捨てて社会に|奉仕《ほうし》する「投己《とうき》」と呼ばれる神聖な|行為《こうい》が義務づけられていたのですが、現在それは実質的な徴兵制《ちょうへいせい》と変わらぬ制度と化しています。ちょうど先代の法王が|倒《たお》れ、電子人格がその補佐をするようになってから変わり始めたのです』
「ということは僕《ぼく》たちの敵は、電子人格ということなのか?」
『電子人格といえどもそれを支える人間たちの力がなくては何もできません。ただ、あの国の人問たちは、その判断のすべて、善悪はもとより価値観のすべてを電子人格に預けてしまっているのです』
それは、ある意味でとても楽な選択《せんたく》だろう。
自分で考えることもなく疑問も持たず、言われたとおりにしていればすべてがうまくいくことが約束された世界。天国のようなものかもしれない。
みんなと同じような物を食べ、同じような服を着て、同じような音楽を聴いて泣き、同じような芝居《しばい》を見て笑う、そしてそれを幸せだと思い込み疑問すらもたない。
でも……それは人間の天国じゃない。
僕《ぼく》は聞いた。
「ヴァルにとって人間ってなに?」
少年の姿のヴァルはしばらく|沈黙《ちんもく》した。
やがて少年は小さく微笑《ほほえ》んだ。
『それは、とても難しい質問ですね。わたくしたちは人間の手によって作られました。しかし、現在、人間の手を借りなくてもわたくしたちは増殖することができます。その意味で言うならわたくしたちは生命体でしょう。でも、わたくしたちは不完全な生命体です。決して人類に取って代わることなんかできないと言うことを知っています。神の|概念《がいねん》は人によって異なりますが、真実神が存在したと言うのなら、神が人類に|与《あた》えてくれたのは可能性だと思います。わたくしたちは、その可能性を追求する道具のひとつであるべきだと思うのです』
「ふーん、けっこう難しいこと考えてるんだね、ヴァルちゃんも」
『だから、やめてください、ヴァルちゃんって呼ぶのは』
少年がめげていた。
マリリン|姉御《あねご》が僕《ぼく》を見て不思議そうな顔をした。
「どうしたんだい? マイド|少尉《しょうい》、何を考えてるの?」
「あ、ヴァルの答えで、少し気になったことがあったもので」
『どんなことでございましょう』
「さっきヴァルは言ったよね、真実神が存在したのならって。じゃあ、もしもこの世界に神様がいなかったらどうするんだ?」
ヴァルはにっこり微笑《ほほえ》んだ。
『そのときは……人には、神にもなれる可能性があるのだと思います』
美少年の微笑《ほほえ》みが|一瞬《いっしゅん》天使のように見えた。
「はいはい難しい話はあとでやっとくれ、今は仕事仕事!」
マリリン|姉御《あねご》が手をたたいて吠えた。
「あ、ごめんなさい」
僕《ぼく》はあわてて現実に意識をもどした。
どこまでやったっけ。そうだ、ローデス|辺境《へんきょう》軍の財務データのとりまとめだっけ。
「この財務データはずいぶんはっきりしてるね」
『はい、ローデス|辺境《へんきょう》軍は、ローデス|傘下《さんか》にありますが、交易や保険業務などで我々|帝国《ていこく》の経済|文化圏《ぶんかけん》の中にありますので、我々果物系の言語で財務管理をしております。ですから簡単にファイルを|閲覧《えつらん》できます。これがローデス本国となりますと、完全に建物系の言語ですから、これほど詳細には|閲覧《えつらん》できません』
マリリン|姉御《あねご》は|怪訝《けげん》な顔をした。
「なんだい、その『果物』や『建物』ってのは」
『我々とローデスとでは言葉が違うということを、さきほどご説明いたしましたが、その言葉の分類を我々の間でそう呼び習わしているのです』
「変わった呼び方だねえ」
『我々の間で言葉が二つに分かれたのは数千年の昔だそうです。まだ電子人格などというものが生まれるはるか昔からこの二つの言語の勢力争いは続いていたのだそうです』
「へえ。面白いねえ」
『はるか昔は「建物」や「果物」という呼び名ではなかったそうです』
「なんて呼んでいたの?」
『彼らは「建具」、我々は「林檎《りんご》」と呼ばれていたそうでございます』
ヴァルはそう言って深々と頭を下げた。
結局その日は、ローデスのデータを抽出《ちゅうしゅつ》しただけで終わってしまった。
王宮の自室にもどって軍の制服を脱いでいると、僕《ぼく》の前にヴァルが現われた。
いつものようにタキシードを着た白髪《はくはつ》の老人の姿で笑っていた。
『やはり、この形が一番落ち着きますでございますな』
「ホログラフ人格|壁紙《かべがみ》というのは何種類ぐらいあるんだい?」
『基本的には二五六種類ほどですが、それにさまざまなカスタマイズを加えることができますので実質的には無数と言って良いでしょう」
「実在の人間の姿を取り込むこともできるのかい?」
『顔かたちと、声、話し方などを取り込むことはできますが、そのモデルとする人物のデータの量によって人格をどこまで再現できるかが決定されます」
僕《ぼく》は、半分|冗談《じょうだん》のつもりでなんの気なしにヴァルに言った
「へえ、じゃあマリリン|中佐《ちゅうさ》にもなれるのかい?」
『あのお方は身体的にも心理的にも特徴《とくちょう》がございますので簡単でございますよ』
そう言うなりヴァルは|一瞬《いっしゅん》にしてマリリン|姉御《あねご》に姿を変えた。それも水着姿の。
『どうだい? ぼうや、わたしもまだまだ捨てたもんじゃないだろう? あんなメイ王女みたいな小娘と違ってわたしは、お、と、な、の女よ〜ん』
ホログラフのマリリン|姉御《あねご》はそう言うと胸の谷間を強調したポーズをとり、実に色っぽくウインクした。
僕《ぼく》は|一瞬《いっしゅん》その姿に見とれてしまった。
話は|突然《とつぜん》変わるが、世の中には「最悪のタイミング」というヤツが存在するのをご存知だろうか?
すべての偶然《ぐうぜん》が最悪のかたちで一点に集中するときというのは人間の人生にそう何度もないが、こいつに見舞《みま》われるとそのダメージは想像以上にでかい。
なぜ|突然《とつぜん》こんなことを言うかというと、その人生最悪のタイミングというヤツが、僕《ぼく》の上に訪れたのだ。
メイ王女の訪問というかたちをとって。
メイ王女は、よく、ノックを忘れて部屋に入ってくるらしい。
このときもそうだっだ。
いきなり僕《ぼく》の背後でドアが開き。
「マイド先生! 晩御飯《ばんごはん》の時間で……」
メイ王女の声はそこで止まった。
恐らく彼女の目に映ったものは。
制服を|着替《きが》えている途中《とちゅう》の、下着姿の僕《ぼく》。
その前で悩殺《のうさつ》ポーズを取っている水着姿のマリリン|姉御《あねご》。
このふたつだったに違いない。
ドアは、ものすごい音を立てて閉まった。
『説明するヒマもありませんでしたな』
|一瞬《いっしゅん》にしていつもの姿にもどったヴァルが、ばっが悪そうな顔をする。
『説明してまいりましようか?』
「いや、いい。どんな言い訳してもするだけ逆効果になりそうだから」
僕《ぼく》はため息をついた。
晩御飯断ろうかなあ。
でも。きっと|王妃《おうひ》が一生懸命作《いっしょうけんめい》ってくれているだろうし。
実を言うとこのごろ僕《ぼく》は、|王妃《おうひ》の手料理のファンになってしまっていた。
どうしよう?
そのとき、腹の虫が鳴いた。
考えることもなさそうだな。
夕食の席で、ちょっと意外な気がした。なぜなら僕《ぼく》が予想していた王女の視線が。
『変態|趣味《しゅみ》の男を見るような嫌悪《けんお》のまなざし』
『男なんてみんなおんなじね、といった軽蔑《けいべつ》のまなざし』
『何ごともなかったような冷たい無関心なまなざし』
そのどれでもなかったからだ。
王女の視線は、どう見ても『がんばって下さい』というあたたかなまなざしだった。
その理由は、夕食後、本業の家庭教師の仕事中にあきらかになった。
今日の科目は数学だった。
メイ王女の成績は|抜群《ばつぐん》でもなければ最悪でもなかった。
あえて言うなら「中の上」と言うところだろうか。
頭は決して悪くないのだが、おっとりしているというかのんびりしているというか、ちょっと結論を出すのが遅く、テストでは時間切れになってしまうらしい。
まあ、これくらいのんびりしている方が王族らしくていいと思うのだが、本人はけっこう気にしていたらしい。
「ここに代数を入れるときに気をつけないと、二次関数と三次関数で出る値がまったく違《ちが》ってくるからね」
数学の練習問題の解きかたを説明してふと顔を上げると、メイ王女が、心ここにあらずといった顔でぼーっと僕《ぼく》を見ているのに気がついた。
「どうかしましたか? 何か|悩《なや》みごとでもあるのですか?」
メイ王女は|頬《ほほ》を染めた。
「いえ。男の入って強いなあと思っただけです。マイド先生のように、恋心を心に秘めて、ごく普通にふるまうことなんて女の子にはできませんもの」
僕《ぼく》の手から数学の参考書が落ちた。
「ちょっと待って下さい! なんですかそれは!」
「隠さなくてもよろしいのに。私、先生の味方です! マリリン|中佐《ちゅうさ》は素敵な人ですものね」
「どこをどーやったらそういう結論になるんですか?」
メイ王女は聞いていなかった。
「年上の入って。誰《だれ》でも一度はあこがれるんだそうですねえ」
メイ王女は、にっこりと笑った。
「わかりました、まだ秘密なんですね。安心して下さい、私、口は|堅《かた》い方ですから」
何を言っても逆効果のような気がしたので僕《ぼく》は黙った。
まいったなあ。まあ、そのうちに誤解も解けるだろう。
それが希望的観測だと、そのとき僕《ぼく》は気がつかなかった。
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第九章 パーティー
僕《ぼく》たちの情報収集の結果が功を奏したのだろうか、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍とローデス|辺境《へんきょう》軍との双方《そうほう》の「営業担当士官」による|折衝《せっしょう》会議は、五回にねたる火花を散らすような|交渉《こうしょう》の結果、無事契約が結ばれた。
契約内容は、われわれ同盟軍側が旧式化した退役寸前の|巡航艦《じゅんこうかん》二|隻《せき》と、どんな海運保険会社も契約に二の足を踏むようなボロボロの、それこそ|帝国《ていこく》の本国では軍事博物館に展示され『|崩壊《ほうかい》する危険あり、触るな』という注意書きがつけられているようなアルファ級|駆逐艦《くちくかん》五|隻《せき》をローデス|辺境《へんきょう》軍側に|拿捕《だほ》もしくは撃沈《げきちん》させる見かえりに、D級|戦艦《せんかん》一|隻《せき》。こいつは一年前に|接触《せっしょく》事故を起こしてからNフィールド航法装置に異常が出て、自力で|跳空間航法《ちょうくうかんこうほう》ができないというウワサの船だった……そして最新型とまではいかないものの新型の|巡航艦《じゅんこうかん》一|隻《せき》をこちら側にさし出すことで決着を見た。
マリリン|中佐《ちゅうさ》が、一体どんな方法でこの条件を相手側に飲ませたのかは知らないが、これはどう見ても僕《ぼく》たち同盟軍側の勝利と言っていいだろう。
僕《ぼく》はこの|交渉《こうしょう》について、口をはさむことどころか一切の関係を持つことが許されなかった。
おたがい、同盟軍側も|辺境《へんきょう》軍側も、バックに|控《ひか》えている親玉。つまり同盟軍は|帝国《ていこく》、|辺境《へんきょう》軍は神聖ローデスに、秘密でやっていることなのだ。
そんな場所に僕《ぼく》みたいな『|帝国《ていこく》の貴族』なんて人間がのこのこ出てゆくわけにはいかないのは当然と言えば当然だ。
|交渉《こうしょう》はほとんど決裂《けつれつ》寸前まで行ったらしいのだが、五回目の|交渉《こうしょう》のときに相手は姿を見せずに、こちらの要求を飲むというメッセージだけが送られてきたらしい。
マリリン|中佐《ちゅうさ》は『わたしの条件に勝てないとわかって、白旗をあげたのよ!』と、息巻いていた。
とにかく契約は終わり、今度の戦争の開始日時は二ヶ月後、と決定し、マリリン|中佐《ちゅうさ》の営業担当士官としての一番重要な仕事は一応けりがついたことになる。
僕《ぼく》の仕事も一応の成果を見せていた。
同盟軍の面々に対する訪問や対談という公式行事をくり返して、僕《ぼく》はこの同盟軍の実体の一部を知ることができた。
はっきり言うと『|戦闘《せんとう》能力は宇宙で最低』で『|戦闘《せんとう》をショーアップする能力は宇宙一』という軍隊なのだ。
今までに何度となくこの同盟軍の軍事行動記録を見てきたが、そのどれもが見事なカメラワークと編集がされており、ドキュメント大賞に応募《おうぼ》すれば、上位入賞は|間違《まちが》いないような映像だった。
いや……ドキュメント大賞はむりだな。
なぜなら全部『演技』だったのだから。
戦果と記録を|帝国《ていこく》に報告する方法は、公平さと中立性を確保するために電子人格による記録映像によって行われていた。
はるか昔の戦争でも、銃《じゅう》と同調して動くガンカメラという機械で記録を確認することが行われていたらしいが、これはそれをもっと確実にしたものと言っていいと思う。
報告する以上、その報告記録に矛盾があってはならないと考えたのだろうが、僕《ぼく》が|閲覧《えつらん》したアウトニア王国の|戦闘《せんとう》報告映像は単なる記録としてではなく、もはや一片の映画のような様相を呈してきていた。
敵のプロトンビームの|直撃《ちょくげき》が|艦橋《かんきょう》を|貫通《かんつう》する|瞬間《しゅんかん》の映像。
ざらついたモニターカメラに映し出される、接舷《せつげん》移乗してきた敵の装甲《そうこう》機動兵と乗り組み員との白兵戦のなまなましい映像。
推進剤《すいしんざい》タンクの半分を失い、片道燃料だけで出撃してゆく|快速艇《かいそくてい》の乗組員たちと、その|快速艇《かいそくてい》の火器管制モニターに映し出された、自分たちが発射した|対艦《たいかん》ミサイルが敵の|巡航艦《じゅんこうかん》に命中する|瞬間《しゅんかん》の映像。
こういった実に感動的な映像のオンパレードなのだ。
士官学校じゃなくて芸術学部の映像|一般《いっぱん》を専攻《せんこう》したほうがよかったかもしれないな。
まあいいか、この国に|赴任《ふにん》になったということを素直に喜ぼう。ここなら少なくとも死ぬことはない。そのかわり出世もないけど。
「マイド様、そろそろお時間でございます。パーティーの主賓《しゅひん》ですので、くれぐれも|遅刻《ちこく》しないようにとの|王妃《おうひ》からのお達しでございます』
ヴァルの声で僕《ぼく》は我に返った。
今日は、『|帝国《ていこく》|軍《ぐん》士官マイド・ガーナッシュ|少尉《しょうい》|歓迎《かんげい》レセプション』とやらが王宮で開かれることになっていた。そして主賓《しゅひん》はなんとこの僕《ぼく》だ。
最初、断るつもりでいたのだが、メイ王女からレセプションとは名ばかりで、実態は|王妃《おうひ》が大好きなガーデンパーティーだと聞かされたので承諾《しょうだく》することにした。
|王妃《おうひ》は実にすまなそうに。
「本当はもっと早く開催するはずでしたのに、マリリン|中佐《ちゅうさ》の仕事なんかが重なってこんなに遅くなってしまいましたのよ」
と言いながら喜んでくれたので、断らないでよかったと思う。
礼服は、妙に窮屈《きゅうくつ》に感じた。
そう言えば士官学校を出てから三ヶ月になるんだよな。
『礼服でございますか』
僕《ぼく》の姿を見たヴァルが不満そうに言う。
「公式の席に着て行ける服はこれだけしかないんだからしかたないよ。これ一着あればどんな席でも間に合うオールマイティーの服なんだから」
『お言葉ですが、ガールフレンドとデートする場合には向いていませんのでオールマイティーとは言い切れませんな』
「そんな場合はおそらくないから安心しろ。お前に心配されるようなことじゃない」
不機嫌《ふきげん》そうな声を無視してヴァルは微笑《ほほえ》んだ。
『そのうちにメイ王女にマイド様に似合う服を見つくろっていただきましょうか』
僕《ぼく》は自分の顔が赤くなるのを感じていた。
「そんな|恥《は》ずかしいことたのめるものか」
『いえいえ、こう申してはなんですが王女様のセンスはなかなかのものでございますよ』
「センスとかそういうのじゃなくてだな。王女と二人で街を歩くなんてことがだな……」
ヴァルは右眉だけを上げると、おもしろそうに言った。
『王女様と二人きりで、とは言わなかったはずですが』
「えーい! うるさい! 時間だよ時間! |遅刻《ちこく》厳禁なんだろう!」
『では準備|完了《かんりょう》ということでよろしいですね』
ヴァルはそういうと僕《ぼく》の前に立って歩き出した。
まいったな……。
メイ王女の顔を思い浮かべて僕《ぼく》はため息をついた。
最初、王女なんて生き物は、みんなわがまま放題に育てられたお姫《ひめ》様だと思い込んでいた。
実際、|帝国《ていこく》の令嬢《れいじょう》なんて連中は、そんなのばっかりだったからだ。
でも、ここに来てメイ王女の家庭教師をやってみて、僕《ぼく》は大きな|間違《まちが》いをしていたことに気がついた。
メイ王女は普通《ふつう》の女の子だった。
いや、普通じゃない。
超がつくぐらいのお人好しの女の子だったのだ。
植物にたとえるなら……そう。春から初夏にかけて芽を出し咲く花のような子なのだ。
それは決して温室|栽培《さいばい》や人工的に咲かせた花なんかじゃない。
自然の春のあたたかな目差しと柔らかな雨をいっぱいに吸い込んで、ぽわーっと咲いた花のような子なのだ。
一度王女のクラスの様子をモニターカメラで見たことがあった。
休み時間に、王女のまわりでクラスメイトの女の子が何やら話していると、王女は、にっこり笑ってすっとその場から立ち去り、一人で窓の外を眺《なが》め始めた。
夕方、勉強を教えながら、さりげなくその話題を出したとき、王女はちょっと顔を赤らめて|恥《は》ずかしそうにこう言った。
『見てらしたんですか。あのとき、お友だちが、そこにいない人の噂話《うわさばなし》を始めたんです。間いてしまうと、どうしても先入観でその人を見てしまいますでしょう。ですから私。ああいったとき、ちょっと席を外すんです』
こんな女の子が王女だと信じられるだろうか。
|帝国《ていこく》の王族に生まれていたら、まず長生きできないだろう。
そう考えると、僕《ぼく》はますますこのアウトニア王国が好きになった。
言っておくが、好きになったのは「アウトニア王国」だからな。
はて……?
僕《ぼく》は一体誰《だれ》に断っているんだろう。
気がつくと目の前にリドル侍従長《じじゅうちょう》が立っていた。
「どうかされましたか? 何かお考えになっていたようでしたが、不都合なことでも」
「あ、いえ、なんでもありません、気になさらないで下さい」
「そうですか」
リドル侍従長《じじゅうちょう》は、安心したように微笑《ほほえ》むと、ガーデンパーティーの行われる中庭への|扉《とびら》を大きく開け、大声で名乗りをあげた。
「銀河|帝国《ていこく》宇宙軍|辺境《へんきょう》方面軍、同盟|惑星《わくせい》連合司令部ユーランド分室アウトニア|駐屯地《ちゅうとんち》司令、マイド・ガーナッシュ男爵閣下の参上でございます!」
僕《ぼく》は|一瞬《いっしゅん》まわりを見回しそうになって、それが自分のことだと気がついて前を向いた。
中庭にはこのアウトニア王国の実力者や有名人が勢ぞろいしていた。
中央でにこにこ笑っているのは|王妃《おうひ》だな。
本当にこういったパーティーが好きなんだな。
その横にいるキレイな女の手は誰《だれ》なんだろう。
白いパーティードレスにふわふわのコサージュをかけた栗色《くりいろ》のロングヘアーがよく似合う、その子は、まぶしそうに目を細めて笑っていた。
|恥《は》ずかしい話だけど、僕《ぼく》は本当にしばらくその女の子がメイ王女だとは気がっかなかった。
いつも見ていた制服や、ジーンズ姿の王女ではない、本当のお姫様がそこにいた。
僕《ぼく》は王と|王妃《おうひ》と、王女の前で一礼して王の言葉を待った。
「マイド殿《どの》、わがアウトニア王国へようこそ。と言ってももはや三月がすぎた今、どんな|歓迎《かんげい》の言葉も空《むな》しいですな。あなたは、もはやわがシザーズ王家と王国の一員です。あなたは多大の|貢献《こうけん》をなされ、我々に|帝国《ていこく》貴族の真の気高さを示された。我々は|帝国《ていこく》の末席に座っていることをこれほど誇《ほこ》りに思ったことはありません。願わくば、一日も長く我が国に留《とど》まり、我々をお導き願いたい、それは、今日ここに集まった者のみならず国民すべての願いなのです」
僕《ぼく》は答えた。
「ありがとうございます。僕《ぼく》は、なろうことならばこの国の国民として生まれてきたかったと思います。それはお世辞でもなんでもありません。僕《ぼく》にふたつの故郷を待つことが許されるとしたら、二番目の故郷はここ、アウトニアです。王様、住民登録は受けつけてもらえますか?」
「よろしい、今日ただ今からあなたは正式に我が国の国民であることを宣言しよう!」
王は笑った。
|王妃《おうひ》もメイ王女も笑った。
とてもうれしそうに笑った。
パーティーは盛況《せいきょう》だった。
次々に紹介《しょうかい》される各界の有名人たちと|握手《あくしゅ》して、さりげないジョークを連発して僕《ぼく》は笑い合った。そして、いいかげんジョークのネタも尽きかけて、僕《ぼく》が中庭から少し外れたところにあるベンチに逃げたとき、僕《ぼく》の目の前に帽子からカクテルドレスからひじまである長い手袋《てぶくろ》からバイヒールまで全部同色の濃いピンク色で塗り固めたような人間が現れた。
そのピンク色は、マリリン|姉御《あねご》の声で話しかげてきた。
「やあ! マイド|少尉《しょうい》殿、元気?」
「いささか疲れてきましたよ|中佐《ちゅうさ》……」
マリリン|姉御《あねご》は思いっきり胸の谷間を強調したデザインのカクテルドレスを|誇示《こじ》してつぶやいた。
「ふーん。この色気たっぷりのナイスバディーを目の前にしても、いつもの餓《う》えたオオカミみたいな目じゃなくて、陸に上がった魚みたいな目でしかわたしを見ないってことは、どうやら本当に疲れてるみたいだねえ」
「餓えたオオカミみたいな目で見たことなんてありませんよ、たしかにじっと見つめたことはありますけど、それは半分驚《おどろ》いてる目です」
マリリン|姉御《あねご》は僕《ぼく》の答えに興味を持ったらしく、身を乗り出してきた。
「へえ、何に驚《おどろ》いてるんだい?」
視線を胸の谷間に合わせないようにしてにやりと笑って言ってやった。
「見ためと、|実年齢《じつねんれい》の差です」
「あんだってぇ?」
「なんで怒るんですか? |中佐《ちゅうさ》はまだ若いってほめてるんですよ」
「そうは聞こえなかったけどねえ」
そのとき、僕《ぼく》たちのうしろから誰《だれ》かがおずおずと声をかけてきた。
「あの、楽しい|恋人《こいびと》同士の語らいをお邪魔《じゃま》する気はまったくないんですけど。マイド閣下。カッツ将軍がお探しでしたよ」
振り返ると。そこに真っ赤な顔をしたメイ王女が立っていた。
「楽しい|恋人《こいびと》同士の会話って。なんのこと?」
マリリン|姉御《あねご》が|怪訝《けげん》そうな顔をして聞いてきた。
「それが……その。どうやら王女は僕《ぼく》と|中佐《ちゅうさ》が恋仲《こいなか》だと勘違いしているようなんですよ」
|姉御《あねご》は、|一瞬《いっしゅん》きょとんとした顔をしたあとで腹を抱えて笑い出した。
「わたしと、あんたが恋仲ぁ? はははは、そりゃあいいや! おたがいに相手の弱みを見つけてちくちくつっつき合うのも、相手の腹の探り合いも恋のうちに入るなら、そりゃあ立派な恋仲かもしんないよ」
マリリン|姉御《あねご》は、一気に笑い飛ばしてしまった。
ほっとするのと同時にちょっとさみしくなったのはなぜなんだろう。
メイ王女は、事態が飲み込めずに|呆然《ぼうぜん》としていた。
その顔を見た|姉御《あねご》は、笑りのをやめて王女に笑いかけた。
「メイ王女。あのね、|恋人《こいびと》同士ってさ、いっしょにいると、ドキドキしたりほんわかしたりするものだって言うことぐらいは知ってるよね」
メイ王女はこくんとうなずいた。
「だったら、わたしとマイド|少尉《しょうい》とは絶対に恋仲なんかになれやしないんだ。わたしは背負ってるものがいっばいありすぎて、マイド|少尉《しょうい》は。|鋭《するど》すぎるんだ。たしかにわたしは|少尉《しょうい》に会うたんびにドキドキするけど、それは自分が背負ってる風呂敷包《ふろしきづつみ》みに穴を開けられるんじゃないかと思ってドキドキするんだ。それは|恋人《こいびと》同士のドキドキとはちょっと違う。これで、|少尉《しょうい》が世の中のことを知識じゃなくて経験として知ってるなら、寝物語《ねものがたり》にいろんな話もできるけど、わたしにはむりだね。|少尉《しょうい》みたいに素直で純粋《じゅんすい》で、それでいて|鋭《するど》い人間の相手は、同じように純粋で素直で、その|鋭《するど》さを包み込んであげられるような女の子じゃなきやだめなんだよ」
マリリン|姉御《あねご》はそこまで言ってから、横に立っていた僕《ぼく》に気がっいたような顔をして言った。
「ほら! なにをぼけーっと突っ立ってんだよ! メイ王女が言ってただろカッツ将軍があんたをさがしてたって。さっさと行きなよ! わたしたちはこれから夢見る|乙女《おとめ》の会話ってのを楽しむんだから!」
マリリン|姉御《あねご》は犬を追い払《はら》うような手つきで僕《ぼく》を追い払った。
僕《ぼく》は、その夢見る|乙女《おとめ》の会話とやらにうしろ髪を引かれる思いでパーティー会場にもどった。
カッツ将軍こと、アウトニア軍最高司令長官、マルク・ド・カッツ大将は、会場の奥の一段高くなったところに立っていた。
そして、僕《ぼく》を見つけると微笑《ほほえ》みを浮かべて僕《ぼく》のほうにやってきた。
|年齢《ねんれい》は五十代前半だろうか、ロマンスグレーの|髪《かみ》と口ひげが、軍の最高責任者としての|威厳《いげん》を感じさせるが、温和なその微笑《ほほえ》みが、この将軍の人格を物語っていた。
「やあ、マイド閣下、わざわざお呼び立てして申し訳ありませんた。今度の第三次パロス戦役に参戦する主演士官のマスクワードをご紹介《しょうかい》しようかと思いましてな」
カッツ将軍は、そう言うと、横に立っていた三十代半ばの浅黒い精悍《せいかん》な顔つきをした、体育会系の|雰囲気《ふんいき》の人を指し示した。
主演士官? ああ、そうか、今回の戦役、つまり映画に主演する人のことだな。
マスクワードと呼ばれた士官は、僕《ぼく》に軽く頭を下げて右手をさし出した。
「はじめまして、私がマスクワードです。階級は|大尉《たいい》で、|巡航艦《じゅんこうかん》の艦長をやっております」
僕《ぼく》がその手を|握《にぎ》り返すと、マスクワード|大尉《たいい》は、白い歯を見せて笑った。
「マスクワードというのはめずらしいお名前ですね」
「御先組様は、どこかのロストコロニーの出身でして、その名前を|帝国《ていこく》の公用語で書いたりすると、とてつもなく下品な意味になるらしく、|名簿《めいぼ》などではすべて 『伏せ宇』にされていたそうです。結局その『伏せ宇』という単語が我が一族の名宇になってしまったんですよ」
「その御先祖のお名前はなんと言うのですか?」
「残念というか喜ばしいと言うか、その元の名前というのは伝わっておりません」
「あ、立ち入ったことを聞いて申し訳ありません」
「いえいえ、この話をすると、必ず聞かれます。もう自己紹介の一部になっていますから気にしないで下さい」
カッツ将軍は、そのマスクワード|大尉《たいい》の照れたような顔を見て微笑《ほほえ》むと、僕《ぼく》に話しかけてきた。
「マイド閣下はこのたびの第三次バロス戦役に観戦武官として参加を希望されていましたな」
「はい、今までにない経験をさせていただけるんじゃないかと期待しています」
「そりゃあ他に類を見ない戦争でしょうなあ。まあ、詳しいことはこのマスクワードからお聞きになって下さい、私は|王妃《おうひ》の尊顔でも拝してきますから。簡単に言うなら妹の顔でも見てこようということですがな」
カッツ将軍はそう言うと笑って去っていった。
「将軍は王族だったんですね」
「ええ、王様の義兄にあたります。ご自分の息子《むすこ》さんよりメイ王女をかわいがっておりまして、我が国一番の|伯父《おじ》|馬鹿《ばか》だと有名ですよ」
僕《ぼく》とマスクワード|大尉《たいい》が笑っているのを見て、|大尉《たいい》と同じくらいの|年齢《ねんれい》の士官が近づいてきた。色白でメガネをかけた、どちらかというと、軍人よりも文官といった感じの物柔《ものやわらか》らかな印象のその士官は、マスクワードに向かって笑いかけた。
「よう、伏字之守《ふせじのかみ》、主演|抜擢《ばってき》おめでとう」
そしてその士官は、僕《ぼく》に向きなおって敬礼した。
「先ほど自己紹介《じこしょうかい》しましたが、その他大勢にまぎれてしまったかと思いますので改めて自己紹介させていただきます」
「存じておりますよ、|参謀《さんぼう》本部シナリオ担当の方ですよね、名前は確か……」
名前に詰まった僕《ぼく》に向かってマスクワード|大尉《たいい》が助け船を出してくれた。
「モト・フルーム|中尉《ちゅうい》です。私の古くからの、そう、ハイスクールからの友人です」
「そうでした、シナリオ担当士官ということは覚えていたのですが、名前を失念してしまってごめんなさい」
「いいんですよ、主演俳優の名前を知ってる人はたくさんいますけど、シナリオライターの名前まで覚えている入ってのは少ないものですから」
文学青年が歳をくったような笑顔でモト|中尉《ちゅうい》は笑った。
「さきほどこちらのマスクワード|大尉《たいい》のことを、変わった呼び名で呼んでいましたね」
「ああ『伏字之守《ふせじのかみ》』ですか。ハイスクール時代からの渾名なんですよ、こいつの一族は古いそうですから、中世紀の称号で呼んでるんです」
マスクワード|大尉《たいい》は、ちょっと不機嫌《ふきげん》な顔で言った。
「だからその呼び名は人前で使うなって言っただろうが」
「気にするな、元の名前で呼ばれるよりはマシだろう」
「元の名前なんて知らないくせに」
モト|中尉《ちゅうい》は、わが意を得たり、といった感じでにやりと笑った。
「知らないし、わからない、ということは、どんな名前で呼んでもいいってことだろう。とてつもなく下品な名前で呼んだっていいってことじゃないのか?… たとえば「おーい○×△◆!」とか」
「わかった! 伏字之守《ふせじのかみ》でもなんでもいい! そんな単語を口にするな!」
二人のやり取りを聞いているうちに思わず笑ってしまった。
「ほらみろ! マイド閣下に笑われたじゃないか」
閣下と呼ばれた僕《ぼく》はとまどった。
「その、閣下というのはやめて下さい。僕《ぼく》はまだ十九歳の若造です。|帝国《ていこく》の士官という立場でこそみなさんと会話ができますけど、一人の人間になってしまえば、とても対等に会話ができるような人間じゃないんですから」
マスクワード|大尉《たいい》はモト|中尉《ちゅうい》と顔を見合わせて笑った。
そして、僕《ぼく》に向かって言った。
「アウトニアのパーティーには『|年齢《ねんれい》』も『肩書《かたがき》き』もありません。そりゃあ社会的な立場ってのはありますけど、それは名前の続きみたいなものです。このアウトニアって国のパーティーは、自分が楽しんで、そしてみんなを楽しませるために開かれるんですから、十五歳の少年が、六十歳の|宰相《さいしょう》の言葉にツッコミかけるなんてことは当たり前なんですよ」
モト|中尉《ちゅうい》があとを続けた。
「そりゃあ最低限の礼儀《れいぎ》ってのは必要ですけどね。それを認めた上で『おもしろけりやいい』んです、このパーティーのルールは、それだけなんですから」
僕《ぼく》は、過去に出席したことのある|帝国《ていこく》のパーティーを思い出していた。
もっとも上流階級のパーティーなんかに呼ばれたことはない。僕《ぼく》が出席したのは下流貴族の親睦パーティーだったが、二、三回出席して、そのあまりの醜悪《しゅうあく》さに耐えきれず、二度と顔を出さなかった。
自分の血筋の|自慢《じまん》と、私は上流階級のだれだれを知っている、という派閥《はばつ》を|誇示《こじ》する会話しかない、あの見栄《みえ》と虚飾《きょしょく》と欲望《よくぼう》の渦巻くパーティーという名前の醜悪な人々の集まりに比べて、このパーティーのすがすがしさは一体なんだろう?
これは、アウトニアの国民性なのかもしれない。
この国の人々は、とても暖かだった。
僕《ぼく》の顔と名前は、国中の人間に知れ渡っていた。
王宮の中継《ちゅうけい》モニターに毎日顔が出るのだから当然と言えば当然だけど、最初はとまどった。
僕《ぼく》の存在が見ず知らずの人にまで知られているということに馴れていなかったからだ。
市場で買い物をすれば必ずおばちゃんたちから声をかけられた。
『王女様をよろしくたのむよ』とか『もうすこし料理をしこんでやりな』とか。
女の子たちもそうだった。
街で僕《ぼく》を見かけると、何を勘違《かんちが》いしたのか僕《ぼく》に走り寄ってきて『|応援《おうえん》してます! がんばって下さい』とか「メイ様は|帝国《ていこく》の貴族の一員になるんですね」とか言って笑った。
最後の言葉の意味をどうとればいいのか迷ったけど、とにかくみんな一生懸命に前向きで生きていた。
嫌《いや》なことや辛《つら》いことがあってもそれごと笑い飛ばすように元気に生きていた。
|帝国《ていこく》の国民たちの、何かをあきらめてしまったような目とは違う目で生きていた。
それは、この国の若さにあるのかもしれない。
僕《ぼく》がそんなことを考えていると、モト|中尉《ちゅうい》がなにやら難しい顔をして話しているのに気がついた。
「せっかくお前、が主演をするのにこんなことを言うのは気がひけるんだが、今回のローデス側のシナリオが、すごくおざなりなんだ。なんというかあんまりやる気がないというか……」
「別にかまわんだろう、こっちのシナリオや映像に関しては完成してるんだろう?」
「ああ、毎回ちゃんと絵コンテをおいて両方で詰める作業があるんだけど、今回はなぜかローデス側の演出やシナリオの担当が途中《とちゅう》から替わったんだ。一度も顔を合わせないうちにこっちのシナリオを全面的にOK出してきたしなあ……」
僕《ぼく》は二人の会話が少し気になった。
この第三次バロス戦役を決定した営業担当士官の|交渉《こうしょう》のときも、ローデス側は、途中から|交渉《こうしょう》の場に出てこないで一方的にマリリン|姉御《あねご》の要求を認めたということと妙《みょう》な共通点があるような気がしたからだ。
「あの。よろしかったらシナリオを読ませていただけませんか?」
僕《ぼく》が話しかけると、モト|中尉《ちゅうい》は驚《おどろ》いたようだった。
「え? あ、いいですけど。シナリオと言ってもストーリーなんかありませんよ、ドキュメント風にまとめるための断片的なシーンを寄せ集めただけのコシテ集みたいなものですから」
「それでもかまいません、ついでにローデス側のも読みたいんですけど」
「ローデス側のシナリオは細かいところまでできてないらしいんです。最初のシーン、アウトニア|回廊《かいろう》からローデス側が侵入《しんにゅう》してきて|布陣《ふじん》するところだけはしっかりできてるんですけどね」
僕《ぼく》は驚《おどろ》いた。今回の戦役は、|回廊《かいろう》の中じゃなくて|回廊《かいろう》のこっち側で行われるらしい。
それはアウトニア|回廊《かいろう》の戦略的価値とイニシアティヴを完全に失うことを意味していた。
「アウトュア|回廊《かいろう》の、こっち側にローデス|辺境《へんきょう》軍を侵人させてしまうんですか?」
「ああ、前回よりも派手にどんぱちやろう、ってことになってね。|回廊《かいろう》の中だとせいぜい巡航艦《じゅんこうかん》二|隻《せき》ならべるのがやっとだけど、|回廊《かいろう》の外だったら|艦隊《かんたい》決戦の映像が撮れるだろう? ローデスの旧式|戦艦《せんかん》が沈むシーンはきっと見モノだぞ」
「|大丈夫《だいじょうぶ》でしょうか?」
モト|中尉《ちゅうい》は|怪訝《けげん》な顔をした。
「|大丈夫《だいじょうぶ》さ、遠隔操作だし、中の乗組員は全部テクノドールと合成だから」
「いえ、そうじゃなくて、ローデスの軍隊を|回廊《かいろう》のこっちにまで侵入《しんにゅう》させることがです」
僕《ぼく》の答えを聞いたモト|中尉《ちゅうい》とマスクワード|大尉《たいい》の二人は、|一瞬《いっしゅん》驚《おどろ》いたあとで、顔を見合わせてうなずきあった。
「やっぱり本物の軍人さんは考えることが違うなあ」
「ああ、そんなこと考えてもみなかったよ」
そして、マスクワード|大尉《たいい》は僕《ぼく》に向かって人差し指を振って見せた。
「|大丈夫《だいじょうぶ》ですよマイド閣下。この国は、いままで百五手年間ずっとそうやって戦争ごっこやってきて、ずっとうまく行っていたんですから」
その、能天気な笑顔に向かって何も言えなくなった僕《ぼく》は、笑うしかなかった。
「そうですね、僕《ぼく》は|帝国《ていこく》の軍人としての考え方が抜《ぬ》けないようですね」
「ご安心ください。我々は契約してます。相互《そうご》|信頼《しんらい》がなければ契約なんかできっこありませんから」
マスクワード|大尉《たいい》たちは、再び笑った。
でも、僕《ぼく》は、どうしてもそれを笑い飛ばす気にはならなかった。
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第十章 メイ王女
パーティーが終わって一週間ほどすぎた週末のその日。三ケ月遅れで……|辺境《へんきょう》|派遣《はけん》の軍人はいつも後まわしらしい……支給になった初任給が振り込まれたカードをふところにして僕《ぼく》は、王宮の前に立っていた。
さて、どうしたものかな。
僕《ぼく》は迷っていた。
昨日の夜、いきなりヴァルが言い出した。
『あ、そうそう、忘れておりましたマイド様。明日、メイ王女と私服を買いにいくという約束が入っておりました』
「なんだって? 聞いてないぞ!」
驚《おどろ》く僕《ぼく》に向かって、ヴァルはしれっと答えた。
『まことに申し訳ありません、すっかり失念しておりました。わたくしも、寄る年波には勝てないということでございましょう』
「電子人格に物忘れがあるわけないだろうが!」
『物忘れというのは、サーバントにとって、必要不可欠なスキルのひとつでございます。明日の午後一時に王宮の前でお待ち合わせでございますのでお忘れなく。申し遅れましたが、マイド様がメイ王女様に付き添いをお頼《たの》み申したことになっております。メイ王女様にお願いした立場でございますので、くれぐれも失礼のございませんように」
ヴァルは、そこで言葉を切ると微笑《ほほえ》んで一礼した。
そうだよな、これは滞在先《たいざいさき》の王族との親睦《しんぼく》をはかるという|帝国《ていこく》士官の任務なんだから、失礼のないようにしなくちゃな。
僕《ぼく》が心のどこかで喜んでいる自分を叱りつけたそのとき。
「お待たせしました!」
メイ王女の声がした。
振り向くと、そこに、薄《うすい》いピンクの薄手のセーターにチェック柄《がら》のミニスカートにニーソックスといった姿のメイ王女がいた。
ポニーティルにまとめた長い栗色《くりいろ》の|髪《かみ》が良く似合う。
「どうかしましたか?」
メイ王女に聞かれて、僕《ぼく》は我に返った。
「あ、いや、今日の服はいっもとずいぶん印象が違うので……」
「似合いませんか?」
王女はちょっと不安そうな顔をした。
「あ、いえ、とんでもありません。いつもと違って活動的な|雰囲気《ふんいき》なので驚《おどろ》いただけです。お似合いだと思いますよ」
王女は、僕《ぼく》の眼を見つめた。
僕《ぼく》の言葉にウソはないということが伝わったのだろう、王女は小さくため息をついて、|肩《かた》の力を抜《ぬ》いてから微笑《ほほえ》んだ。
「良かった……引っ込み思案な自分に元気をつけようと思って、今日はこの服を選んだんです。知ってます? 服って、人の気持ちを変えることができるんですよ」
「そうなんですか、僕《ぼく》はこの服以外のものをあまり着たことがありませんので、よくわかりませんが……本日は僕《ぼく》の被服《ひふく》調達にご協力いただきましてありがとうございます」
「被服調達?」
王女は、ちょっと眉をひそめて僕《ぼく》を上から下まで眺めてから言った。
「マイド先生も、その|帝国《ていこく》の制服以外の服を着れば、きっと変わると思います。さあ、行きましょう!」
メイ王女は親身になって……本当に真剣《しんけん》に僕《ぼく》の服を選んでくれた。
とっかえひっかえ色々な服をひっぱり出してくるメイ王女に向かって僕《ぼく》は思わずひとり言をつぶやいていた。
「今まで服なんてものを選ぶ基準はサイズしかないと思っていたよなあ」
その言葉を聞きつけた王女は、野蛮人《やばんじん》を見るような目で僕《ぼく》を見たあとでこう言った。
「規則で定められた場合以外の服は、基本的に自由であるべきではありませんか? 服は自分を表現できるひとつの手段だと思うんです。たしかに他人に|不愉快《ふゆかい》な思いをさせたりする服もありますけど、それはその人の個性でしよう。|不愉快《ふゆかい》な服を好む人は|不愉快《ふゆかい》な人間であると宣言しているだけ正直だと思います」
僕《ぼく》は|恥《は》ずかしくなった。
服なんて……と、さげすんでいた自分の心のせまさに気がついたからだ。
その日の夕方、僕《ぼく》は両手に買った服がいっぱい詰《つ》まった袋《ふくろ》を下げて、商店街の真ん中にある中央広場にいた。
僕《ぼく》の姿を見た王女が、おずおずと言った。
「あの……マイド先生。どうして買った品物を、お店から直接王宮に送ってもらわなかったのですか?」
「いや、王族でもなんでもない人間が、そんなことをたのむわけにはいきませんから」
僕《ぼく》の答えを聞いたメイ王女は、目を丸くした。
「そんな……王族でなくとも、そういったサービスはごく普通の人でも使えるのですよ」
え? そうなのか?
普段の買い物をすべてヴァルまかせの、それもネット通販《つうはん》ですましてきた僕《ぼく》は、そういったことを全然知らなかった。
メイ王女に、物知らずの若造《わかぞう》であることを笑われたくなかった僕《ぼく》は、とっさにわざと形式ばったものの言い方をした。
「いや、|帝国《ていこく》の士官として、自己の被服《ひふく》の管理|運搬《うんぱん》を、他人に、それも民間人にまかせるわけにはいきません」
メイ王女は、ちょっと僕《ぼく》をきつい目で見たあとで、静かに言った。
「そんなに他人が……いいえ、アウトニアの国民が信じられないのですか?」
メイ王女は怒っていた。
僕《ぼく》は、そんな王女の顔を初めて見た。
そうか……やっばりこの子は、本物のお姫様なんだ。
自分のことでなく、国民を|馬鹿《ばか》にされたときに怒る。それが、王族でなくてなんだろう。
僕《ぼく》は、素直に謝った。
「ごめんなさい、王女。本当は、僕《ぼく》はアウトニアの人たちを信用しないから、こうやって買った荷物を持ち歩いてるわけじゃないんです……その……実を言うと、品物を届けてもらえるなんて知らなかったんです」
王女の目が真ん丸になった。
「うそ……」
僕《ぼく》がウソを言っていないことがわかると、王女は笑い出した。
「宅配システムをご存じないなんて……あなたはどんな|田舎《いなか》の星から来たのですか?」
しばらく笑ったあとで、王女は|真面目《まじめ》な顔で言った。
「すると……マイド先生。いえ、銀河|帝国《ていこく》|辺境《へんきょう》方面軍、同盟|惑星《わくせい》連合司令部ユーランド分室
アウトニア|駐屯地《ちゅうとんち》所属マイド・ガーナッシュ|少尉《しょうい》殿。あなたはアウトニア王国の王女に対して虚偽の申し立てを行ったんですね」
王女は、長ったらしい僕《ぼく》の肩書きをすらすらと暗誦した。
僕《ぼく》を公式な肩書きをもって呼ぶということは、これはきっと僕《ぼく》に対する公式な抗議に違いない。僕《ぼく》は姿勢を正した。
「はい、そういうことになります。申し訳ありませんでした。このお詫びにどんなことでも致します、どうかお許しください」
「どんなことでも?」
「はい、|帝国《ていこく》貴族の名誉《めいよ》にかけて」
王女はいつものように微笑《ほほえ》んだ。そして、その微笑《びしょう》のまま言った。
「では、お願いがあります。そこの屋台でクレープをひとつ買って下さい」
「は?」
このとき、僕《ぼく》はきっと銀河で一番マヌケな顔をしていたんだと思う。
王女は両手をあわせて、僕《ぼく》を見て言った。
「今月は友達のバースデイが重なってお小遣《こづか》いがピンチなんです、いいでしょマイド先生、お願い!」
その、王女の「お願い」を断ることなんかできなかった。
銀河系のどこにも、その「お願い」を断ることのできるやっはいなかっただろう。
二人で中央広場のベンチに座ってクレープを食べながら、僕《ぼく》はメイ王女といろんな話をしたが、メイ王女がいちばん聞きたがったのは、僕《ぼく》の寄宿舎時代のことや士官学校のことだった。
僕《ぼく》は、気になったことを王女に聞いてみた。
「さっき、僕《ぼく》を公式の肩書きで呼びましたけど、よく覚えていましたねえ」
メイ王女は目を伏せて小さな声で答えた。
「……私、マイド先生のことを知りたくて、いろいろ勉強したんです」
「僕《ぼく》のこと?」
「はい……」
このとき、王女の耳が赤くなっていたのは傾《かたむ》きかけた夕日のせいなんだと思う。
だって、そう思わなけりゃ勘違《かんちが》いしてしまうじゃないか。
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第十一章 戦場へ
「無限に広がる大宇宙か」
第三次パロス戦役の会戦空域に向かう|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍|旗艦《きかん》アウトニア王国軍所属Z級|戦艦《せんかん》『ザイダべック』の第三|艦橋《かんきょう》で、目の前に広がる宇宙空間を眺めながら僕《ぼく》はつぶやいた。
たしか、こんなナレーションではじまる星間テレビの番組を見た記憶《きおく》があった。
たしかに宇宙空間ってヤツは無限に広がってる。でも、その中に「人間が居住できる|惑星《わくせい》を持った恒星系《こうせいけい》」という条件を加えると、とたんに宇宙は無限でもなんでもなくなってしまうんだ。
だから我が「マガザン|帝国《ていこく》」と「神聖ローデス連合」は二百年間も戦い続けるはめになった。
ローデス支配下の銀河とわれわれの支配下の銀河の間には年老いた銀河の残滓《ざんし》が横たわっている。
強力な重力場を持つ白色|矮星《わいせい》の群れからなるその銀河の残滓の中で|跳空間航法《ちょうくうかんこうほう》を使用すると転移先に数光年の開きが生じてしまう。ひどいときは太陽の中で実体化してしまうかもしれないのだ。
だから戦争、それも|艦隊《かんたい》決戦なんてシロモノがやれる場所は限られていた。
この二つの勢力を隔《へだ》てる重力場の塀《へい》に開いた穴。
|唯一《ゆいいつ》重力場の|影響《えいきょう》下にない無人|暗礁《あんしょう》空域。|通称《つうしょう》「ピーチスター」。
この、何の役にも立たない「桃星空域」を取ったり取られたりして二百年。
そんなことなんか止めてしまえば楽なんだけど、ローデスには「布教と宗教的正義の確立」という大義名分があったし、われわれ|帝国《ていこく》側には「宗教的自由の確保と余剰《よじょう》生産物の消費」という理由があったから、そう簡単に止めるわけには行かなかったんだろう。
実を言うと「桃星空域」以外にも安定して跳空間航行ができる部分があった。
それがここ「アウトニア|回廊《かいろう》」だった。
ここが戦略的|要衝《ようしょう》にならなかった理由はただひとつ。
ものすごくせまいのだ。
僕《ぼく》が乗っているZ級|戦艦《せんかん》一|隻《せき》ギリギリくらいの空域しか安定した空域がない。だから、ここから攻め込むには、|戦艦《せんかん》を一|隻《せき》ずつ一列に並ばせて順番に転移させる必要がある。
想像してほしい。
地面にあいた穴から二|隻《せき》ずつ|戦艦《せんかん》が顔を出す光景をだ。
この|回廊《かいろう》が戦略的に使えない理由がわかるだろう。
それはモグラが出てくる穴がひとつしかないモグラ叩《たた》きゲームだ。敵が顔を出す場所にビームの照準を合わせておいて、出てきたら撃つ。
それだけで勝ってしまうんだから、|艦隊《かんたい》決戦だの全面戦争だのはやりたくてもやりようがないのだ。
そう……今までは。
『ご心配ですか?』
横に立っているホログラフのヴァルが話しかけてきた。
「ああ……ちょっと不安だな。一応もしもの場合に備えて作戦は立ててきたけど、なんと言ってもこの戦いは、僕《ぼく》の戦いじゃない。僕《ぼく》には指揮命令権はないんだからね」
『ローデス|辺境《へんきょう》軍の通信がすべてクローズシステムになっているのも少々気がかりです。過去においてこのようなことはありませんでしたから』
僕《ぼく》たちの知らないところで何かが動いているような気がしてならなかった。
第三|艦橋《かんきょう》の展望窓から見えるアウトニア王国|艦隊《かんたい》の総数は六十八|隻《せき》。
これからアウトニアの周辺にあるランデヴー空域の所属|艦隊《かんたい》が集結して、連合|艦隊《かんたい》が編成されることになる。
連合|艦隊《かんたい》の総数は八十八|隻《せき》。
それが|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍の総戦力だった。
そのとき、僕《ぼく》の背後でエレペーターのドアが開くときの電子チャイム音がした。
誰《だれ》かが来たらしい。
|一瞬《いっしゅん》……。
『あ、メイ王女だ』と思った。
なんの根拠《こんきょ》もなかったけど、ただ、そう感じた。
「ここにいらしたんですね」
優しい声だった。
自分の予感が当たったことが妙にうれしかった。
「宇宙船を見ていました。僕《ぼく》は半年前にこれとよく似た光景を眺めながら、自分の人生は終わったものだと思い込んでいたんですよ」
メイ王女は僕《ぼく》の横に立った。
栗色《くりいろ》のロングヘアーをポニーティルにまとめ、濃いブルーの同盟軍の軍服を身にまとったその姿は、普段《ふだん》のジーンズ姿とも、ガーデンパーティーのドレス姿とも違った|雰囲気《ふんいき》を感じさせた。
優しい顔立ちに走る|緊張《きんちょう》感は、彼女が精一杯《せいいっぱい》『王家の義務』とやらを果たそうとしていることの現れだろう。
それは健気《けなげ》さと言うより痛々しさを僕《ぼく》に|与《あた》えた。
幸運の女神か……。
彼女は運がいい、と今まで言われてきたけど、幸運でもたんでもないと僕《ぼく》は考えた。
だって、本当に運がいい女の子なら、こんなところにいないで、今ごろ自分の部屋で寝転《ねころ》がって、クッキー食べてマンガでも読んでいるにちがいないからだ。
「人生が終わったって?」
王女は小首をかしげた。
なぜだろう……。
その顔を見たとたん僕《ぼく》の心拍数《しんぱくすう》が上がった。
「僕《ぼく》は|帝国《ていこく》の|近衛《このえ》|師団《しだん》に入りたかったんです。その夢が破れたとき、僕《ぼく》は自分の人生が終わったように感じていたんです。今から考えれば|馬鹿《ばか》なことを考えていたんだな……と思いますけどね」
「アウトニアは|僻地《へきち》ですものね」
王女は|恥《は》ずかしそうに下を向いた。
「いえ、とんでもありません。僕《ぼく》は今、軍務局に感謝しています。軍務局が僕《ぼく》をここに、このアウトニアに配属してくれたからこそ、僕《ぼく》はこのアウトニアの人々に会うことができたんです。このすばらしい国にね」
「ありがとうございます。この国を好きになっていただいて、本当にうれしいです」
メイ王女は微笑《ほほえ》んだ。
……好きになったのは国だけじやありませんよ。
なんて言えるわけがない。
「どうされました? 何か私に……」
メイ王女が、ちょっと赤い顔をしてたずねてきたので、僕《ぼく》は、あわてて視線を展望窓に移した。
どうやらじっと王女の顔を見《み》つめていたらしい。
「あ、いえ、王家の義務とはいえ、最前線に立つには勇気かいるだろうな、と思いまして」
「最前線といっても……私は、この|戦艦《せんかん》から一歩も出るわけではありません。皆《みな》さんの戦いをモニター越しに見ているだけです。私にできることは、出撃《しゅつげき》してゆく人たちに祝福の言葉を贈ることと、戦いの間、折り続けることと、そして帰ってきた人々に感謝の言葉を贈ることだけなのです」
「それで|充分《じゅうぶん》です。あなたに祝福されて……そして感謝されるなら、誰《だれ》でも喜んで戦いに赴《おもむく》くでしょう。そう、僕《ぼく》だって」
メイ王女は、|一瞬《いっしゅん》驚《おどろ》いたょうな顔をしたあと、下を向いた。
「からかわないで下さい、|帝国《ていこく》の貴族様にとって、こんな|田舎《いなか》の王家の娘《むすめ》なんて|帝星《ていせい》のカフェのウェイトレス並みの存在なんでしょう?」
「そんなことはありません! あなたは、|帝国《ていこく》のどの王族のお姫様も比べものにならないくらいのお姫様だと思います。メイ王女。本当のお姫様って、どんな女の子だと思います?」
メイ王女は、何も言わずに、僕《ぼく》の言葉を待っていた。
「それはね、キレイな服を着ることができるということでもないし、権力を自由に使えることでもありません。自分の立場と権力は、国民のためにある、ということを理解していて、みんなに愛されて、大切にしてもらえるだけの何かを持っている女の子のことなんです。そういった本当のお姫様に「お願い」された男の子はみんな騎士《きし》になれるんです。だから、あなたは自信を持たなきやいけません。国民は、みんなあなたの『お願い』を待っているんですよ」
メイ王女はしばらく身じろぎもせずに立っていた。
そして、泣きそうな顔をしてつぶやいた。
「私……そんな立派な女の子じゃありません。私……そんなお願いなんてできません……」
「メイ王女、何もできないなんて言っちゃいけないし、泣いちゃいけない。君の笑顔にはどん
なパワーがあるのか、君は知らないだけなんだ。君は幸運の女神なんだろう? 誰《だれ》だって悲しい顔を見るより笑った顔を見る方が楽しいにきまっているんだ。そりゃあ辛いことだっていっぱいあるだろうけど……」
僕《ぼく》はそこで言葉を切った。
そして、思い切ってあとを続けた。
「|帝国《ていこく》がついている。僕《ぼく》は|帝国《ていこく》の貴族という身分しか持たない若造《わかぞう》で、それこそ何もできないけど、|帝国《ていこく》は違う。君の……この国を支えるなんて朝飯前なんだ」
本当はこう言いたかった。
『僕《ぼく》がついているよ』と……。
でも、そんなことが言えるわけがない。
メイ王女は、僕《ぼく》を見た。
そして、少し微笑《ほほえ》んでから、にじんだ涙《なみだ》を拭《ふ》いた。
「ありがとうございます。そうですよね、私たちには|帝国《ていこく》がついていますもの、|帝国《ていこく》はその庇護《ひご》下にある国を決して見捨てない。あの盟約の言葉を信じなくてはいけませんものね」
「そうです、|帝国《ていこく》はつねに臣民と同盟国のために存在しています。だから、|帝国《ていこく》を信じて、幸運の女神としてつねに笑顔でいてください」
「はい」
なぜだろう……。
このとき、王女はとても寂しそうな顔をしてうなずいた。
僕《ぼく》は、何か王女を失望させるようなことを言ってしまったのかもしれない。
そのとき、ヴァルが話しかけてきた。
『マイド様。まことに申し訳ありませんが、|参謀《さんぼう》作戦会議のお時間です』
「え? もうそんな時間なのか?」
『はい。ここに来られてから二分の一標準時間が経過しております』
「そうか。じゃあ僕《ぼく》は|参謀《さんぼう》会議に呼ばれていますので、これで失礼させてもらいますが」
王女は僕《ぼく》を見ると微笑《ほほえ》んだ。
「私は、あとしばらくここにいます……マイド様が見ていたものと同じ景色《けしき》を、私も見ていたいのです……」
僕《ぼく》はなんと言っていいかわからなかった。
ただ、自分の顔が赤くなるのだけはわかった。
「じ……じゃあ失礼します」
僕《ぼく》はぎくしゃくとした足取りで展望室を出た。
エレベーターのドアが閉まるのと同時にため息があふれた。
『どうなさいました?』
ヴァルのやっが、半分おもしろそうな顔で聞いてきた。
「なんでもないよ」
『ご安心下さい、マイド様のお気持ちはちゃんとメイ王女にも伝わっております』
ごん!
ヴァルの方を振り向こうとした僕《ぼく》は、エレペーターの壁面《へきめん》に取りっけられている非常用インカムスクリーンの角にしたたかに頭をぶつけてしまった。
ソフトバッドで覆《おお》われているとはいえ、そのショックはかなりのものだった。
『|大丈夫《だいじょうぶ》でございますか?』
「|大丈夫《だいじょうぶ》なわけないだろう! どういうことだ! その、僕《ぼく》の気持ちが王女に伝わってるってのは!」
『はて? マイド様がメイ王女様に好意を抱《いだ》いていることは、もはやアウトニアの国民すべてが知っている公然の事実でございます。そもそもあのホームパーティーのときに王女手作りのシチューを食べたときから、国民は皆《みな》そう決めております』
まいったな……。
あのシチューが、ここまで崇るとは思わなかった。
『さしでがましいようですが、王女様はマイド様に、僕《ぼく》が君を守る。と言って欲しかっだのではないかと思いますよ』
「そんなこと言えるわけがないじゃないか! 王女が信じているのは僕《ぼく》じゃない、『|帝国《ていこく》の軍人である僕《ぼく》』なんだ。本来なら王家の人間とこんなに親しく話すことすら許されないのに、それが許されるのは僕《ぼく》が背負っている『|帝国《ていこく》』という看板が僕《ぼく》に|与《あた》えてくれた権限なんだ。僕《ぼく》を思い上がらせるようなことを言うな! お前は僕《ぼく》を諌《いさ》めて僕《ぼく》を正しく導いてくれるためにそこにいるんだろう? 違うのか?」
このとき、ヴァルはとても複雑な顔をした。
それは、今まで見たこともない表情だった。
でも、何か言いだそうなその表情は|一瞬《いっしゅん》だけですぐにいつもの顔にもどった。
『誠に失礼いたしました』
どうしたんだろう。
こんなことは今までなかったのに。
ぽーん。
電子音とともにエレベーターのドアが開いた。
僕《ぼく》は今までの物想いを頭からふり払って、|参謀《さんぼう》会議が開かれる会議室に急いだ。
『ザイダベック』の中央指揮室のとなりにある会議室。
その部屋には今回の戦役の作戦|参謀《さんぼう》たち。言い換えるなら「演出家」や「脚本家《きゃくほんか》」や「助監督《じょかんとく》」たちが勢ぞろいしていた。
その中の何人かは、もう顔見知りだったので僕《ぼく》は軽く頭をさげてあいさつをかわした。
部屋の中央には、中央指揮室用の球形三次元スクリーンを小型にしたものが浮かんでいる。
そこには、集結を終えた同盟軍の宇宙船が映し出されていた。
勢ぞろいした八十八|隻《せき》の宇宙船のひとつひとつに種別と質量の表示がラベリングされている。
「どうですかな? 我が同盟軍のさっそうたる連合|艦隊《かんたい》の勇姿は。|帝国《ていこく》の士官学校の練習|艦隊《かんたい》の足元にも及《およ》ばない貧弱な|艦隊《かんたい》ですが、お笑いにならないで下され」
スクリーンを見ていた僕《ぼく》に、カッツ将軍が笑いながら話しかけてきた。
「いえ! 笑うなんてとんでもありません!」
手を振って否定すると、カッツ将軍は、|肩《かた》をすくめた。
「この八十八|隻《せき》の|艦隊《かんたい》の中で曲がりなりにも|戦艦《せんかん》と呼べるのは、この『ザイダベック』と第二|艦隊《かんたい》の『ビルドベース』の二|隻《せき》だけです。アウトニア軍の主力を占めるのは|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》と|駆逐艦《くちくかん》でして、あとは絵になるという理由で引っ張ってきた輸送艦やら特務艦なのです。新興国家にとって軍事費というのは頭痛の種以外のなにものでもありませんからな」
カッツ将軍と会話をしながらスクリーンを見ていた僕《ぼく》は、|艦隊《かんたい》の後方に並んでいる船の中に、妙に質量の大きい中型艦の群を発見した。
形式は|帝国《ていこく》の古いF級|巡航艦《じゅんこうかん》だが、質量が巡洋|戦艦《せんかん》並みなのだ。
おそらく古い|巡航艦《じゅんこうかん》に重装甲《じゅうそうこう》を施《ほどこ》して|突撃艦《とつげきかん》か|強襲艦《きょうしゅうかん》に改造したのだろう。
「F級|巡航艦《じゅんこうかん》を改造した艦が何|隻《せき》かありますね」
カッツ将軍は、ちょっと驚《おどろ》いたようにスクリーンを見た。
「よくおわかりですね」
「質量カウンターを見たんです、でも、妙ですね、普通突撃強襲用に重装甲《じゅうそうこう》化した|戦闘《せんとう》艦は|艦隊《かんたい》の全面に立てるものなのに、なぜ後方に並べてあるんですか?」
カッツ将軍とそのまわりにいた|参謀《さんぼう》たちは、|一瞬《いっしゅん》ぽかん、と口を開けたあと、腹を抱えて笑い出した。
僕《ぼく》は、自分が何かとんでもないことを口走ったのだと知った。
でも。いったい何を言ったのだろう。
僕《ぼく》の表情に気がついたカッツ将軍は、笑いすぎて出た涙《なみだ》を拭《ふ》いて僕《ぼく》に謝った。
「いや。失礼、マイド|少尉《しょうい》は何もご存じないのですから当然でしょう。あのF級|巡航艦《じゅんこうかん》の正体はですな。いや、言葉で説明するよりその目でごらんになった方がよろしいでしょう。会議が終わったらご案内いたしましょう。そうですな、パンもミルクもできたてのころですからな」
カヅツ将軍は、謎の言葉とともに僕《ぼく》を|連絡艇《れんらくてい》のデッキヘと誘った。
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第十二章 特殊補給船
目の前には一面の牧草地が広がっていた。
あちこちで草を食《は》む牛たちの声が聞こえてくる。
風はやわらかく、日差しは緩かだった。
それは、どう見てもありふれた牧場の光景だった。
宇宙船のエアロックから入って、ロビーからエレペーターに乗らず、いきなりこの光景の中にほうり込まれたら誰《だれ》だってそう思うに違いない。
「いかがかな? F級|巡航艦《じゅんこうかん》改造特務|補給艦《ほきゅうかん》の御感想《ごかんそう》は?」
「F級のFって、農場《ファーム》のFだったんですか」
「そう言う意味もあるが、実を言うと十年ほど前のことだが、中古兵器市場で|帝国《ていこく》の旧型F級|巡航艦《じゅんこうかん》が激安で売りに出されたのだ。わが国はそれを、よくたしかめもせずに買ってしまったのだよ。買って驚《おどろ》いた」
カッツ将軍は、そこで言葉を切ると|肩《かた》をすくめて自嘲《じちょう》するように笑った。
「中身ががらんどうだったのだ、兵装も備品もなにもない船体の外殻《がいかく》と推進機《すいしんき》と。なぜか知らないが大きな生命|環境維持《かんきょういじ》装置と合成太陽光発生装置だけがついていた。どうやら流刑船《るけいせん》として利用するために改造された船だったらしいのだ、安いわけだ」
そう言えばウフサに聞いたことがある。
それは、十年ほど前の戦役で、ローデス軍の|特殊《とくしゅ》部隊の伝導|腐食《ふしょく》ガス|攻撃《こうげき》に、泊地《はくち》に|停泊《ていはく》中の十数|隻《せき》のF級|巡航艦《じゅんこうかん》がやられたことがあるというウワサだった。
旧式艦であるF級|巡航艦《じゅんこうかん》には、電子回路に対伝導|腐食《ふしょく》コーティングが施《ほどこ》されていなかったため、システムが完全に破壊《はかい》されて廃艦《はいかん》処分となり、それ以来、|帝国《ていこく》の船の電子回路にはすべて対伝導|腐食《ふしょく》コーティングが施《ほどこ》されるようになったのだ。
『約十年前と言いますと、第七次桃星戦役で第三二八|艦隊《かんたい》がローデスのコマシド部隊に壊滅《かいめつ》的な被害《ひがい》を受けた年ですね。たしかに艦籍《かんせき》番号はあのとき沈められたF級|巡航艦《じゅんこうかん》と一致します。流刑船への改造はマルス家の指示で行われましたが、第七王子のタツヨミ殿下《でんか》の退院を祝して恩赦《おんしゃ》が行われたため改造途中で廃棄《はいき》された、と記録には残っていますね』
ホログラムのヴァルが、僕《ぼく》の横で、読みとったデータを詳しく説明してくれた。
カッツ将軍は、少し驚《おどろ》いたような顔をしたが、そのまま説明を続けた。
「買ってしまった以上は、なんとかしてこれを使わねばならない、国民の税金を|無駄《むだ》遣《づか》いしたと言われてしまうからな。我々は必死にない|知恵《ちえ》を絞《しぼ》ったのだ。輸送船として使うには|扉《とびら》が小さすぎて荷物の積み下ろしができないし、なまじ外殻《がいかく》が頑丈《がんじょう》だから改造するのも一苦労だ。かといってがらんどうの船体に兵装を搭載《とうさい》するのには莫大《ばくだい》な金がかかる。そんなとき、誰《だれ》かが搭載《とうさい》されていた生命環境維持装置と合成太陽光発生装置に目をつけた。輸送船はおもに何を運ぶのか。戦時でなければその荷物のほとんどは兵員の食料だ。だったらわざわざ運ばなくとも、|艦隊《かんたい》の中で自給してしまえばいいじゃないか! とな」
「それでこのような星の海をゆく農場を作ったわけですね」
カッツ将軍は、ちょっと驚《おどろ》いたように目を見開いた。
「意外に詩人だね君は」
「あ、いえ……他にこのような船を表現する言葉が見つからなかったものですから」
カッツ将軍は軽くうなずいた。
「他に類を見ない船であることは事実だろう、しかし、効果は絶大だぞ。戦役ともなればアウトニア本国を三月は離《はな》れねばならん、その間保存食だけを食わされたのではたまったものではない。士官と兵の食事に差をっけるわけにもいかん、食い物の恨《うら》みほど恐《おそ》ろしいものはないからな。焼き立てのパンとしぼりたてのミルクとバター、一兵卒に至るまで、これが食える軍隊はここだけだ」
そう言えば|戦闘《せんとう》配合なんて一度も出たことがなかった。アウトニア王国の王星ユーマを出てから今日までの二週間、僕《ぼく》はいつもどおりの献立《こんだて》の食事をしていたことに気がついた。
|帝国《ていこく》|軍《ぐん》では絶対に考えられないことだ。
僕《ぼく》は|帝国《ていこく》|軍《ぐん》の戦間配食用レーションパックを思い出していた。
栄養素と保存性と圧縮性を第一に考えて作られた、つまりそれ以外の要素を完全に無視して作られた、そのレーションパックは、「食用粘土」とか「舌殺し」と呼ばれていた。
兵士に『このレーションを毎日毎日食わされるくらいなら、一日でも早く敵に向かって突撃《とつげき》して楽になりたい』と思わせるために作られたというジョークは、信憑性《しんぴょうせい》がありすぎて笑えなかったほどだ。
「うまいものを食っていれば人間あまり|馬鹿《ばか》なことは考えないものだ。それに、命を大事にするだろう。明日、今日よりうまいものが食えると知ればね」
カッツ将軍の言葉には説得力があった。
世の中に、こんな「楽しい軍隊」があるなんて知らなかった。
F級特務|補給艦《ほきゅうかん》の兵士たち……コック帽《ぼう》をかぶって白いエプロンをした兵士たちから、できたてのバターとしぼりたてのミルク、そしてまだ温かいフランスパンをお土産《みやげ》にもらうと、僕《ぼく》は|旗艦《きかん》に向かう|連絡艇《れんらくてい》に乗り込んだ。
せまい|連絡艇《れんらくてい》のキャビンの中、横にいる兵士の|腕《うで》に抱えられた焼きたてのパンから食欲を刺激する香りが僕《ぼく》の方に漂《ただよ》ってくる。
このとき、僕《ぼく》は微笑《ほほえ》んでいたらしい。
カッッ将軍が、厳しい顔をしているのに気がついたので、僕《ぼく》は、あわてて表情を取り繕《つくろ》った。
失敗したな。
なんの|緊張《きんちょう》感もなく、へらへら笑っていた僕《ぼく》の評価はこれでずいぶん下がったに違いない。
案の定カッッ将軍が話しかけてきた。
「マイド|少尉《しょうい》、先ほど君は笑っていたね」
「あ。はい、どうもすみませんでした、つい……」
「笑われてもしかたないな、本物の軍人さんから見ればわれわれなど『戦争ごっこ』をしている兵隊人形の軍隊以下の存在なのだからね」
どうやらカッツ将軍は僕《ぼく》の微笑《ほほえ》みを誤解しているようだ。
「私が先ほど笑っていたのは、アウトニア軍を笑ったのではありません、誤解しないで下さい、私はこの軍隊の素晴らしさに共感を覚えて。思わず微笑《ほほえ》んでしまったのです」
カッツ将軍は、|怪訝《けげん》な顔をした。
「こんな劇団のような軍隊を素晴らしいだと?」
「ええ、軍隊はなんのためにあるか、それは当然戦争するためです。では軍隊は二四時間三六五日常に|戦闘《せんとう》しているのでしょうか? あ、すみません、こんな私みたいなひよっこ|少尉《しょうい》の議論に付き合わされるのかと、気分を害しているかもしれませんが」
カッツ将軍は興味を覚えたようだった。
「いや、続けてくれないか?」
「では、失礼して私の考えを述べさせていただきます。軍隊の目的は『抑止力《よくしりょく》』だと思うんです。そりゃあ軍隊なんてない方がいいに決まってます、生産性のまったくない、人殺しの技術者集団なんですから。でも……最低の選択《せんたく》かもしれないけど、それを持つことによって、もっと大きな被害をもたらす結果……つまり戦争です。これを避けることができるなら、それを選択《せんたく》することは|間違《まちが》いじゃありません。アウトニアの軍隊は、立派に抑止力《よくしりょく》の役目を果たしています。それぞれのバックについている|帝国《ていこく》と神聖ローデス連合が、全面戦争にならないように、努力しているじゃないですか。アウトニア軍の劇団としての能力も主演士官の演技も演出|参謀《さんぼう》のシナリオも、全部「ほんものの全面戦争」を引き起こさないために使われているんですから、これは立派な抑止力《よくしりょく》だと思うんです」
カッツ将軍は笑った。
「君は、なかなかおもしろいことを考えるねえ。そうか、われわれは全面戦争を避《さ》けるためにこんな『まやかしの戦争』をやっているわけか。そう考えれば、たしかにそうだな。いや、そのとおりだよ、うん」
そしてカッッ将軍は僕《ぼく》の背中を痛いぐらいにたたいた。
「君はおもしろい! いや! 本当に! われわれは、君のような人間がアウトニアに来てくれたことを神に感謝すべきだな」
|旗艦《きかん》にもどった僕《ぼく》は、カッツ将軍に礼を言って自室へともどった。
明日、いよいよローデスとの決戦空域に到達《とうたつ》する予定だ。
「抑止力《よくしりょく》か……」
そのつぶやきを聞きっけたホログラフのヴァルがこちらを向いた。
『マイド様のおっしゃっている抑止力《よくしりょく》とは、国力に共通の価値観があって初めて成り立つものでしょうね……』
「そうさ、理性と損得が優先しているうちなら絶対に戦争になんかならない、だから僕《ぼく》は半分安心しているんだ」
『今回のローデス|辺境《へんきょう》軍との戦役をですか?』
「ああ、|帝国《ていこく》とローデスとの戦力は、拮抗《きっこう》したまま桃星《ももぼし》星域をはさんでにらみあっている。
もし、アウトニア|回廊《かいろう》にローデスの正規軍をまわしたりしたら、ローデスは桃星皇域を失ってしまうだろう。それに僕《ぼく》たちの相手であるローデス|辺境《へんきょう》軍も、|帝国《ていこく》側の同盟軍と負けず劣らずの貧乏《びんぼう》軍隊だ。最近は租税《そぜい》……あの国では『お布施《おふせ》』と呼ぶらしいけど。これの率が引き上げられて大変らしい。戦争を続ける能力なんてどっちも持っていないんだからな」
ヴァルはしばらく考えてから言った。
「しかし、戦争を続ける能力はなくとも、戦争を起こすことはできます。火種《ひだね》さえあれば山火事を起こすことはたやすいのではないでしょうか?』
「そう考える根拠《こんきょ》はなんだい?」
ヴァルは右の眉を上げた。
『先ほど、|帝国《ていこく》情報局のファイルに登録された最新の情報です。未確認情報ですが、それによりますと、ローデス|辺境《へんきょう》軍の責任者が失脚《しっきゃく》したとのことです。理由は、神聖ローデス法皇に対する長年の裏切り|行為《こうい》が発覚したためである……と』
「おい! それって……」
ヴァルは険しい目つきになった。
『こんどの戦役は、出来レースではすまないかもしれないと言うことです』
「どうすればいいと思う?」
『マイド様は、今回の戦役ではあくまでも軍事|顧問《こもん》という立場でしかありません。実際の指揮命令権はございません』
「そんなことはわかってる! 僕《ぼく》が知りたいのは、だから、どうすればいいのか、ということなんだ!」
ヴァルの表情がすこしゆるんだ。
『シナリオを書き換《か》えるしかありません』
「今から書き換《か》えても、それを部隊が演じることなんてできるわけがないよ」
『そうです、ですからその書き換《か》えたシナリオどおりに動いてもらうように、各部隊に一人ずつこちらの|参謀《さんぼう》がついて、直接演技指導を行うのです』
「まるでプロンプターだな」
「それしか方法はございません。そのためにはわたくしがこの|旗艦《きかん》である『ザイダペック』の通信システムをコントロールする必要がございます』
「わかった、それしかないだろうな……」
僕《ぼく》とヴァルは、ほとんど徹夜《てつや》の状態で、次の日の朝を迎《むか》えた。
『一応マイド様のお手元の汎用端末《はんようたんまつ》も動かしておりますが、もし、わたくしが|艦隊《かんたい》通信システムをコントロールすることになりましたら、とてもそこまで手がまわりません。ご|迷惑《めいわく》をおかけします』
室内のインカムがヴァルの声で話しかけてきた。
今、ヴァルは、汎用端末《はんようたんまつ》から|旗艦《きかん》のメイン電子人格に乗り換えている。
「お前かこの船を乗っとっているってことは気づかれていないな」
『この声で会話しているのはマイド様だけでございます。この船のメイン人格であるリッキイには少しの間眠ってもらっておりますが、彼のデータバンクはすべてわたくしのコントロール下にありますので問題はございません』
僕《ぼく》はホログラフのヴァルをうしろに従えて、|旗艦《きかん》のブリッジへと上がった。
ブリッジにはカッツ将軍や作戦|参謀《さんぼう》たちが並んでいた。
そして、一段高いところにある特別席には、|緊張《きんちょう》した顔つきのメイ王女が座っていた。
ブリッジから見下ろす指揮室の中央には、メインスクリーンである|巨大《きょだい》な三次元球形スクリーンが展張され、そのスクリーンの中にはアウトニアの|艦隊《かんたい》が青い光点で、ローデス側が赤い光点で示されており、その周囲には、それぞれの艦艇から送られてきたデータや映像などを表示したモニターが並んでいる。
「やあ、マイド|少尉《しょうい》。どうした? 徹夜《てつや》明けって顔だぞ」
モト|中尉《ちゅうい》が笑いながら話しかけてきた。
「夕べ少し夜更《よふ》かししたもので。それより敵の|艦隊《かんたい》隊形はどのようになっていますか?」
モト|中尉《ちゅうい》は、メインスクリーンを示した。
「シナリオどおりだよ。敵は七二時間前、わが軍の監視《かんし》衛星船に対しジャミングをかけると同時に卑劣《ひれつ》な不意打ち|攻撃《こうげき》を敢行《かんこう》し、これを|破壊《はかい》すると同時にアウトニア|回廊《かいろう》を通って|帝国《ていこく》領士であるアウトニア王国領に侵人を開始した。定時|連絡時《れんらくじ》の暗号コードを解読されていたため、この事実に気がっくのが遅《おく》れたわれわれがアウトニア|回廊《かいろう》の出口に|到着《とうちゃく》したとき、すでにローデス|辺境《へんきょう》軍は、アウトニア|回廊《かいろう》のこちら側に部隊の展開を|終了《しゅうりょう》しつつあった……というわけだ」
メインスクリーンに映った光点の群れは、モト|中尉《ちゅうい》の言葉のとおりの位置関係を示していた。
僕《ぼく》の考えすぎだったのだろうか。
「作戦開始まであと十分」
女性オペレーターの声がブリッジに響《ひび》いた。
そのとき、通信管理者の女性士官が不審そうな顔をしながらカッツ将軍を振り向いた。
「将軍! |緊急《きんきゅう》通信周波数でこちらを呼び出している船があります。ローデス|辺境《へんきょう》軍の一三三|駆逐艇《くちくてい》からです」
|参謀《さんぼう》たちがざわついた。
「つなぎなさい」
カッツ将軍の声が終わらないうちに、モニターから切迫《せっぱく》した男の声が聞こえてきた。
『アウトニアヘ! 繰《く》り返す! アウトニアの諸君! この戦役は今までとは違《ちが》う! 今まで我々を保護してくれていたオーバーフロア司教は失脚《しっきゃく》し、ローデス本国から新しい司教が来た。彼は……傭兵《ようへい》を……して……本当の……を……そうとして』
いきなりジャミングがひどくなって通信は聞き取れなくなった。
|間違《まちが》いない!
昨日、ヴァルが入手した未確認情報は|間違《まちが》ってはいなかったんだ!
「作戦開始まであと五分……」
カウントダウンの真っ最中《さいちゅう》、いきなりローデス|辺境《へんきょう》軍側の前線配置部隊である|哨戒艇《しょうかいてい》や|駆逐艇《くちくてい》などの小|艦隊《かんたい》からエネルギー反応が出た。
「|敵艦《てきかん》|発砲《はっぽう》!」
オベレーターの報告を聞いた指揮室がざわっいた。
僕《ぼく》のななめ前にいる通信|参謀《さんぼう》が、|怪訝《けげん》な顔でつぶやいた。
「あれ? こちらの防護スクリーシは展開ずみですけど、誰《だれ》か命令出しましたか?」
「いや、でもやっておいて|間違《まちが》いはないだろう……まだ五分もあるのに。気の早いヤツらだな」
モト|中尉《ちゅうい》はそう答えると僕《ぼく》に向かって説明した。
「まず、|遠距離《えんきょり》ビーム砲《ほう》の打ち合いシーシから入ります。一列に並んだ|戦闘《せんとう》艦からの一斉射撃《いっせいしゃげき》は絵になりますからね。ビームは低出力で暗赤色にしか見えませんが、画像編集のさいに最高出力の青白い輝《かがや》きに差し替《か》えることになっているんですよ」
そのとき、|旗艦《きかん》の正面に展開された防護スクリーンに|敵艦《てきかん》からのビームが命中した。
そのビームは……。
青白かった!
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第十三章 開戦!
|旗艦《きかん》『ザイダベック』の前面に展開した防護スクリーンを|直撃《ちょくげき》した敵のプロトンビームは、七色のスペクトルとともに|砕《くだ》け散った。
十六層の複合力場波によって構成された防護スクリーシの第七層まで|貫通《かんつう》されたことになる。
|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》クラスの艦船の防護スクリーンは八層までしかないのだから、ほとんどの艦が、損傷を受ける寸前までいったのだろう。
|艦隊《かんたい》内通信が急ににぎやかになった。
そのほとんどがとまどいと怒《いか》りの声だった。
『今のはなんだよ! いったいどうしたんだ! あらかじめ防護スクリーンを最大強度で展開するってシナリオが来てなかったら撃沈《げきちん》されていたところだぞ!』
『今回からビームの強度を変えるってなぜ教えてくれなかったんだ!』
|参謀《さんぼう》たちは|呆然《ぼうぜん》としていた。
ヴァルが防護スクリーンを展開するように指示したのは|間違《まちが》いないが、まだ、誰《だれ》もそのことには気がついていないようだ。
「|辺境《へんきょう》軍のホットラインを開け! 何か手違《てちが》いが生じたようだ!」
|参謀《さんぼう》がオペレーターに叫《さけ》ぶ。
「それが……まったく応答しません! コードを変えて確認したところ、確受信号は来ているのですが、応答する気がないようです!」
「なんだと? もう一度送信してみろ!」
こんどは答えがあった。
それは、プロトンビームの一斉射撃《いっせいしゃげき》という回答だった。
その報告がオペレーターから届く前に、|旗艦《きかん》が大きく揺らいだ。
ヴァルが、|緊急《きんきゅう》バーニア機動をかけたのに違いない。
ヴァルがメインコントロールをやっていてよかった!
感応|端末《たんまつ》を搭載《とうさい》している|帝国《ていこく》の新鋭艦《しんえいかん》ならば、センサリングオベレーターと操縦系システム管理員との間に感応リンクが張られているから、まったくタイムラグなく機動の指示が出せるのだが、この『ザイダベック』にはそんなシステムなんか搭載《とうさい》されていない。
以前のままだったら|直撃《ちょくげき》を食らったかもしれないのだ。
|旗艦《きかん》のすぐ脇《わき》を通りすぎていくビームの青白い光のために外部モニターが|一瞬《いっしゅん》ホワイトアウトした。
そして、回復したモニターに映ったのは、爆発するアウトニア側の船の映像だった。
指揮室に、|参謀《さんぼう》たちの声が飛び交った。
「やられたのは誰《だれ》だ!」
「アルファ級旧型|駆逐艦《くちくかん》五隻《せき》。いずれも今回の損害担当予定の艦で、搭乗人員はおりません!」
「最初の長|距離《きょり》ビーム戦で撃沈《げきちん》してしまうとは、話が違う!」
「どうして|辺境《へんきょう》軍の連中は応答しないんだ!」
そのとき、|艦隊《かんたい》内通信モニターに、四十歳くらいの目つきの|鋭《するど》い指揮官が映った。
『こちらは第三駆逐|艦隊《かんたい》司令のキューブだ! 先ほどのビーム|攻撃《こうげき》の際、こちらのジェネレーターでは複合防護スクリーンの展開に時間がかかるのを見越して無人艦を盾として使用してくれたことに感謝する!』
キューブ司令はそこで一旦《いったん》言葉を切って、|一瞬《いっしゅん》ためらったあとで続けた。
『カッツ将軍! やつらは本気です! 本気で我々を撃沈《げきちん》したがっているとしか思えない!このままここに漂っていたのでは単なる標的艦だ! 早く指示をしていただけませんか!』
|旗艦《きかん》のブリッジに静寂《せいじゃく》が訪れた。
誰《だれ》もが『もしや……』と『まさか……』のふたつの間で揺れ動いていた。
カッツ将軍が叫《さけ》んだ。
「全軍に命令する! こちらからの発砲《はっぽう》は許さない! が、|艦隊《かんたい》行動の統制を解除する!各自|敵艦《てきかん》からの|攻撃《こうげき》を回避《かいひ》せよ! 回避《かいひ》して回避《かいひ》しきってほしい! こちらからの発砲がな い限り、どのような損害が出たとしても事故として処理できる!」
カッツ将軍は、あくまでも戦争を回避《かいひ》するつもりなんだ。でも、向こうが戦争を起こしたが っているとしたら、いつまでも逃げつづけているわけにはいかない。
あそこにいるローデス|辺境《へんきょう》軍は、今までのローデス|辺境《へんきょう》軍じゃないんです! おそらく、神聖ローデス連合の本国から新しく|派遣《はけん》された宗教指導者によって狂信《きょうしん》的に戦うように再編成された、本当の戦争をしかけるための|辺境《へんきょう》軍なんです!
僕《ぼく》はそう叫《さけ》びたかった。
でも、説得力がない。
|帝国《ていこく》の若造《わかぞう》が、手柄《てがら》を立てたくて、同盟軍を戦争に引きずり込みたがっているとしか見てくれないだろう。
横に立っていたヴァルが僕《ぼく》だけに聞こえるように話しかけてきた。
『ローデス|辺境《へんきょう》軍は、定位置から移動する気配も見せず、|対艦《たいかん》光子|魚雷《ぎょらい》も発射していません。この戦争に乗り気でないのはたしかです。問題はいつまでそれを許すかだと思います」
「許すって……誰《だれ》が?」
『ローデス|辺境《へんきょう》軍|旗艦《きかん》、ダイアポロン三世に乗っている神聖ローデス連合本国から|派遣《はけん》された新しい異端審問官《いたんしんもんかん》。カニズ司教が、です』
新しい宗教指導者の名前はカニズというのか。
『先ほどより、スクランブルをかけずに平文で前線の各艦に対し|攻撃《こうげき》命令を出しつづけております。こちらでも内容は傍受《ぼうじゅ》できているはずですが』
その情報は、|参謀《さんぼう》たちにさざなみのように広がっていった。
|参謀《さんぼう》たちがうろたえた視線をかわし合う。
やがて、その情報はカッツ将軍にも届いたのだろう、みるみるうちに将軍の顔が険しくなった。
カッッ将軍は、僕《ぼく》を見た。
僕《ぼく》の耳についている艦内通信インカムにカッツ将軍の声が流れた。
『マイド閣下、こちらに来ていただけませんか?』
僕《ぼく》は、ヴァルとともにブリッジの一段高い場所にある中央指揮コンソールに向かった。
コンソールの後ろ、さらに一段高くなったところに防護力場で守られた特別席があり、うす青い力場スクリーンの向こうに|緊張《きんちょう》した面持ちのメイ王女が座っているのが見えた。
メイ王女は、僕《ぼく》の顔を見ると、少しほっとしたような表情になった。
防護力場の中では、インカムを通じてでなければブリッジの会話を直接聞くことができない。
きっとブリッジの|雰囲気《ふんいき》が、今までとまったく違っていることに不安感を持っているのだろう
考えてみれば、ここにいる……いや、このブリッジだけでなく、この空域にいるすべての船の中にいる人間の中で、この戦いが『やらせ』だということを知らないのは、この王女だけなんだ。
いや……。
『やらせ』だった。と言うべきかもしれない。
「マイド閣下」
カッツ将軍の声が僕《ぼく》を現実に引きもどした。
「知っています、敵は本気ですね、おそらく宗教指導者が代わったのでしょう。今のところ辺境軍の|攻撃《こうげき》はパターンに徹しています、こちらが回避《かいひ》しやすいように。しかし、このままで終わるとは思いません。後方に詰めている|巡航艦《じゅんこうかん》が発砲を開始すれば、もはや回避《かいひ》することはできません。|巡航艦《じゅんこうかん》クラスには、おそらくローデス本国から|派遣《はけん》された異端審問官《いたんしんもんかん》が乗りこんでいるでしょう。|辺境《へんきょう》軍の|小艦艇《しょうかんてい》が今やっているようなサボタージュぎみの|攻撃《こうげき》ではないはずです」
「では……君は戦争をしろと言うのか? 我々に、本当の殺し合いをやれと言うのか?そんなことをわが軍の将兵に伝えたらどうなると思う!」
「パニックを起こし、|崩壊《ほうかい》するでしょうね」
「それをわかっていて君は!」
僕《ぼく》は片手を上げて将軍を制した。
「全員に教える必要はありません。それを知っているのは、このブリッジにいる人間だけで|充分《じゅうぶん》です。私たちだけでシナリオを書き換《か》えるんです」
「今からやっても間に合うわけがないが……」
将軍は、そこまで言ってから目を見開いた。
「もしや……君はこのことを予測していたのか?」
「そんなに前からじゃありません。夕べヴァルと徹夜《てつや》で作りました、|無駄《むだ》にたればいいと思っていたのですが………」
将軍は、目を輝《かがや》かせた。
「勝てるかね?」
「どうかわかりません、でも、一方的に負けはしないと思います。実を言うとすでに|艦隊《かんたい》内通信システムはヴァル、がコントロールしていまして、すでに独自の命令を下しているんです」
「そうか、防護スクリーンの展開命令や無人艦のコントロールは彼のしわざなのか。この状況を今一番確実に把握しているのは君と……彼なんだな」
将軍は、大きくうなずくと、プリッジにいる|参謀《さんぼう》全員の艦内インカムに向かって話しはじめた。
『諸君! 今回のパロス戦役は今までと違う様相を呈《てい》してきている。どうやら敵はリアリズムを前面に出した作戦行動を行うつもりらしい。しかし、驚《おどろ》くことはない、われわれはこのような目のくることを予想した作戦書をすでに作成済みである! 今までどおり、作戦書に従って行動すれば、わが同盟軍の勝利は、予定されているのだ。なお、特例であるが、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍は、ただいまより銀河|帝国《ていこく》宇宙軍|辺境《へんきょう》同盟軍マイド閣下の指揮命令下に入る! 詳しいことはこれよりマイド閣下から指示がある!」
僕《ぼく》は驚《おどろ》いた。
単なる軍事|顧問《こもん》で観戦武官であり、指揮命令権のない僕《ぼく》が、アウトニアの|参謀《さんぼう》たちに命令を下すことがあるなんて考えてもいなかったからだ。
どうしよう……
十九歳のひよっこ|少尉《しょうい》か全軍を指揮するなんてことが現実にあるなんて……。
これはシミュレーショシなんかじゃない。
ひとつでもミスをすれば、とりかえしがつかない結果を生むんだ。
足が震《ふる》えそうだった。
そのとき、うしろから声がした。
「マイド閣下、みんな不安なのです。お力添《ちからぞえ》えをお願いします」
インカムから流れてきたのは、特別席に座ったメイ王女の声だった。
でも、それは、王女としての声ではなかった。
今にも不安におしつぶされそうな一人の少女の声だった。
僕《ぼく》は大きく息を吸った。
そうだ……。
あのとき、僕《ぼく》はこう言った。
「本当のお姫《ひめ》様に“お願い”された男の子は、みんな騎士《きし》になれる」と……。
僕《ぼく》は、自分の言葉を証明しなくちゃならない。
胸のインカムのスイッチを入れた。
不思議と足の震《ふる》えはおさまっていた。
「|参謀《さんぼう》の皆《みな》さん! これから皆《みな》さんの手元の|端末《たんまつ》に改定した作戦書が送られます。ローデスの宗教指導者が代わったために、今までの作戦書はすべて無効になりました。敵はリアリズム。それも徹底《てってい》したリアリズムで|攻撃《こうげき》をしかけてくると思います。それに対しては、われわれもリアリズムで反撃するしかありません。今、このときから皆《みな》さんには戦士になっていただきます」
|参謀《さんぼう》たちから不満の声があがった。
「むりだ! われわれはそんな訓練は受けてはいないんだ、覚悟《かくご》だってないんだぞ! われわれは戦士じゃないんだ!」
「呼び方は自由です、戦士がイヤならコンパニオンでもカバーガールでも好きに呼んで下さい。でも、戦うことのできる船に乗り、その船を動かせて、そして砲を撃つことができるなら、その人間は戦士だと私は思います。ただし、戦士となるのは、あなたがただけです! 実際に船に乗り、砲を撃つ人たちは今までと同じように作戦書の指示どおり動くだけです。|帝国《ていこく》がいくら迅速《じんそく》に|応援《おうえん》部隊を展開させても二週間はかかります。この空域からアウトニアの本国まで、彼らを止めることのできるのは私たちだけなのです! 私たちがローデス連合を食い止めなければ、アウトニアはローデスによって占領《せんりょう》され、その場で異端審問が開かれるでしょう。王家の人々や、名のある人々はローデス本国に送られることになります。そこで何が待っているのか、誰《だれ》も知りません。あなたがたは、それを望むのですか? 私はイヤです! 国王や|王妃《おうひ》や、メイ王女をそんなめに遭わせるくらいなら、私はたった一人でも戦います。私は|帝国《ていこく》の士官であると同時にアウトニアの国民です、だからアウトニアの国民として戦います! たしかに戦いは悲惨《ひさん》で、なにひとつ生み出しません。戦争を起こすのは最低の|馬鹿《ばか》|者《もの》のやることです。でも、今、アウトニアはその最低の|馬鹿《ばか》者を必要としているのです! さあ、どうします?戦士になりますか? それとも本当のコンパニオンのように笑顔で彼らを迎《むか》えて異端審問官《いたんしんもんかん》の前にひれ伏しますか?」
ブリッジは静まり返った。
やがて……。
一人の|参謀《さんぼう》が、僕《ぼく》に敬礼して目の前の|端末《たんまつ》のボタンを押し、無言で席についた。
モト|中尉《ちゅうい》だった。
モト|中尉《ちゅうい》はインカムを装着すると、当たり前のように言った。
「私の担当する第三|巡航艦隊《じゅんこうかんたい》あての作戦書を送ってくれ」
|端末《たんまつ》のデータに合わせて、矢継《やつ》ぎ早《ばや》に命令を下す声がブリッジにひびきわたった。
そして、|隣《となり》の席の|参謀《さんぼう》も僕《ぼく》に敬礼すると、モト|中尉《ちゅうい》にならった。
その|隣《となり》の席も……
三つ向こうの席も……。
|参謀《さんぼう》たちは次々に席について、作戦書を開き出した。
瞬《またた》く間にブリッジは作戦指示をする|参謀《さんぼう》たちで埋まっていった。
最後まで席につかなかった|参謀《さんぼう》は三〜四人だけだった。
その中の一人がインカムに向かって叫《さけ》んだ。
『おまえら! あんな|帝国《ていこく》の若造のアジテーションにひっかかるなんてどうかしてるぞ! |俺《おれ》たちは平和のために軍隊に入ったんじゃないのか? 理想はどこに行ったんだ! 目をさませ! 戦争は何も生み出さないってことを忘れたのか!」
誰《だれ》も答えなかった。
『どうした! なんで答えないんだ! 洗脳でもされちまったのか!』
やがて、うんざりしたように誰《だれ》かが答えた。
『その言葉を、もしアウトニアがローデスに占領《せんりょう》されたあとでもローデスに向かって言えると思ってるならお前は大|馬鹿《ばか》だ。お前さんがその言葉が言えるように|俺《おれ》たちは働こうとしてるんだ、せめて邪魔だけはしないでくれ」
『|馬鹿《ばか》|野郎《やろう》はどっちだ! 死んでしまうんだぞ! 殺し合いなんだぞ! 死んでいく人間にどう責任をとるんだ!』
『その責任の果たし方が変わったたけだ。その死にざまが、犬死にならないようにするのが|俺《おれ》たちの責任なんだ、さあ、用がないのなら出ていってくれ』
そのとき、少女の声がインカムに飛び込んできた。
『皆《みな》さん……私の話を聞いていただけませんか?』
メイ王女だった。
|参謀《さんぼう》たちの会話が途切《とぎ》れた。
ブリッジにいた全員の視線が王女に集中していた。
メイ王女のいる特別席には、インカムを通じて行われている僕《ぼく》たちの会話は聞こえない。だから僕《ぼく》の演説も、|参謀《さんぼう》たちの反論も、メイ王女にはわからないはずだ。でも、何か揉めていることだけはわかったのだろう。
メイ王女は、自分の声を伝えるインカムに|一瞬《いっしゅん》目を落としてから、僕《ぼく》たちの方を向いた。
……何を言うつもりなんだろう?
このとき、きっと僕《ぼく》は不安そうな目でメイ王女を見ていたのだと思う。
メイ王女は、僕《ぼく》に向かって励《はげ》ますような視線を投げたあとで、ゆっくりと話しはじめた。
『皆《みな》さん、今日、ここでこれから行われる戦いは、アウトニアの歴史に残る戦いとなるでしょう。それは、先人が過去に経験したことのない悲惨《ひさん》な戦いになるやもしれません。私たちの中には二度と再びアウトニアの地を踏むことができない方も出るでしょう、でも、私たちはその人々を決して忘れません。その人々の名は記録として、歴史として、私たちの子供に、そしてその子供たちに歌に歌われ、詩として語り継《つ》がれるでしょう。その人たちは生き続けるのです、この世界にアウトニアが存在する限りアウトニアとともに。この戦いが終わったあとで、私は最低の王族として人々から石をもって追われるでしょう。でもかまいません! 私に石を投げる人々がそこにいるのなら、人々に石を投げる自由が|与《あた》えられているのなら、私は喜んでその石に打たれます。お願いです! 死なないで下さい! 私のためになんか死ななくてもいいんです! あなたがたの命が捧《ささ》げられるべきものは、私でも国家でもありません! 国民です、人々です、花を見て微笑《ほほえ》む子供たちと、それを見て微笑《ほほえ》む人々と、それらすべてを尊いものと信じる人々です! それを守りたいと心から思うならば、私とともに行きましょう!』
反対していた|参謀《さんぼう》たちは出ていかなかった。
しばらく無言で立っていた。
そして……黙って席についた。
僕《ぼく》には視線すら投げなかった。
僕《ぼく》のインカムにヴァルがそっとささやいた。
『どんな将軍の督戦《とくせん》演説より効果的でしょうね』
「ああ、お姫様の『お願い』ってのは何よりも強いのさ」
このときから、|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍は本当の軍隊のように動き出した。
前線に出ていた|小艦艇《しょうかんてい》たち……|哨戒艇《しょうかいてい》やフリゲート艦に対して空域の周辺部に退避するように指示を出すと、その間隙に向かってローデス|辺境《へんきょう》軍の|小艦艇《しょうかんてい》たちが出てきた。
敵の|小艦艇《しょうかんてい》のビームは正面に出ている|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》や|戦艦《せんかん》の防護スクリーンを撃ちぬくことができず、むなしくスペクトルを散らしてゆく。
大型艦に効果的な光子|魚雷《ぎょらい》を一発も撃たないところを見ると、どうやらこれらの|小艦艇《しょうかんてい》には異端審問官《いたんしんもんかん》は搭乗していないのだろう。
|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》からのビームを食らえば一発で沈むのを覚悟のうえで、前進してきた|小艦艇《しょうかんてい》たちの乗組員の気持ちがわかるような気がした。
かれらは、この戦いを|恥《は》じているのだろう。
『異端審問官《いたんしんもんかん》の搭乗していない前面にいる|小艦艇《しょうかんてい》には|攻撃《こうげき》をするな! 撃たれても反撃してはならない! 敵はローデス本国の審問官であり、|辺境《へんきょう》軍ではない!』
|参謀《さんぼう》の指示が飛ぶと、こちらの|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》が前進してビームを敵の後方にいる|旗艦《きかん》に撃ちこみはじめた。
ローデス|辺境《へんきょう》軍は、|小艦艇《しょうかんてい》を盾として使用するつもりだったらしい。
しかし、我々はその盾の|隙間《すきま》からその奥《おく》に隠《かく》れる本体に|攻撃《こうげき》を浴びせた。
敵の|小艦艇《しょうかんてい》は、ほとんど|接触《せっしょく》するほどに接近してビームを撃ってきた。
さすがにここまで接近されれば|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》といえども無傷ではすまない。
あちらこちらで被弾《ひだん》した閃光《せんこう》が走る。が、|戦艦《せんかん》と|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》の近接|防御砲台《ぼうぎょほうだい》は目の前のローデスの|小艦艇《しょうかんてい》に対して一発も撃ち返さず、ただ、|主砲《しゅほう》のみを敵後方の主力艦に向かって撃ちっづけた。
やがて……。
一|隻《せき》、また一|隻《せき》と、敵の|小艦艇《しょうかんてい》が砲撃《ほうげき》をやめていった。
「ローデス|辺境《へんきょう》軍から通信!」
「回線を開け」
サブスクリーンにジャミングのひどい映像が映った。
『第百二二|哨戒艇《しょうかいてい》のパインテール|大尉《たいい》だ、個人的休戦を申し込みたい……』
「個人的? |降伏《こうふく》するのか?」
『いや……|降伏《こうふく》じゃない、聞きたいことがあるんだ。|俺《おれ》たちは今、ローデス教への裏切り者として家族を人質に取られ、この戦いに駆り出された。あんたたちに撃たれて粉々になるためにな……殉教者《じゅんきょうしゃ》になって正義を証明するために……でも。あんたたちは|俺《おれ》たちを撃たなかった。なぜだ?』
カッツ将軍はインカムを取り上げた。
「|辺境《へんきょう》|惑星《わくせい》同盟軍総司令官のカッツだ。それは契約だからだ」
『……契約?』
「そうだ、この戦争を始める前に、我々同盟軍は君たち|辺境《へんきょう》軍と契約した、決して殺し合わないという契約をだ。残念なことにローデス連合の本国から来られた司教殿《しきょうどの》とは契約を結んでいないから殺し合わなければならないようだが、君たちは違う、だから君たちは撃たない、それだけのことだ」
サブスクリーンの向こうで、|哨戒艇《しょうかいてい》の艇長《ていちょう》が笑っていた。
『契約だって? ははは……|馬鹿《ばか》だよあんたたちは。そんなものとっくにこっちは投げ捨てているんだぜ。|俺《おれ》たちはあんたたちを殺しに来てるんだ、撃てよ! 撃ってくれよ! なんで撃たないんだよ! これ以上|俺《おれ》たちをみじめにしないでくれよ!』
最後の方は泣き声だった。
「パインテール殿……我々は個人的休戦を受け入れる。あなたは敵でも|捕虜《ほりょ》でもない、この空域にいてもいいし、どこに行ってもいい、我々はこれからも決してあなたがたを撃たないだろう」
『……わかった……もういい。もうこんな戦いはたくさんだ!』
サブスクリーンが消えるのと同時にオペレーターの声がした。
「敵|小艦艇《しょうかんてい》部隊、戦線を離脱《りだつ》します……敵の|巡航艦《じゅんこうかん》|艦隊《かんたい》にもなにか動揺《どうよう》が見られます!」
「敵の砲撃《ほうげき》の密度が急激に落ちました」
「アルファ軸《じく》上の敵|駆逐艦《くちくかん》|艦隊《かんたい》が進路を変えました。|雷撃《らいげき》コースから外れていきます!」
何かが一斉《いっせい》に動き出したようだった。
それは、意識的なサボタージュのようなものだった。
やはり、ローデス|辺境《へんきょう》軍の人たちはこんな戦争をやりたくてやっているわけじゃないんだ。
このまま時間を稼《かせ》げば、勝つことはできなくとも負けることはない!
僕《ぼく》がそう確信したとき。
ブリッジの|床《ゆか》が大きく傾《かたむ》き、僕《ぼく》は思わず横の|椅子《いす》につかまった。
慣性中立装置が慣性方向をコントロールしきれないほどのバーニア機動がかかったのに違いない。
「どうした! ヴァル!」
『敵のはるか後方。アウトニア|回廊《かいろう》の方角から、強力なタイトビームが発射されました!』
タイトビームだと?
戦列艦の|主砲《しゅほう》じゃないか!
『目標は本艦ではありません!』
そのヴァルの言葉が終わらないうちに、サブスクリーンに映っていた戦線を離脱しようとしている|辺境《へんきょう》軍の|小艦艇《しょうかんてい》部隊に青白い光が襲いかかった。
スクリーンが回復したとき。
そこに物体の姿はなかった。
裏切り者に対する回答がこれと言うわけか!
カッツ将軍が叫《さけ》んだ。
「全艦! 敵の|旗艦《きかん》に|攻撃《こうげき》を集中せよ! 目標は敵|旗艦《きかん》のみ!」
その時、メインスクリーンの中で、左翼《さよく》に展開していたアウトニアの|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》が敵陣《てきじん》に向かって加速を開始したのが見えた。
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第十四章 実戦!?
|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》は、その快速を生かして敵の砲撃《ほうげき》をかいくぐり、おもな武装である|対艦《たいかん》光子|魚雷《ぎょらい》を叩《たた》き込むのが任務なのだが、彼らの出番は、ずっとあとのはずだった。
速度を重視するために装甲《そうこう》が薄く、防御《ぼうぎょ》スクリーンの出力もきわめて小さい|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》は、|遠距離《えんきょり》|砲撃《ほうげき》戦によって、防御網《ぼうぎょもう》に穴をあけてから突入《とつにゅう》しなくては損害が大きすぎるからだ。
その|艦隊《かんたい》に作戦命令を出しているのはモト|中尉《ちゅうい》のはずだ。
「モト|中尉《ちゅうい》!」
僕《ぼく》がそう呼びかけるのと同時にインカムから|中尉《ちゅうい》の声がした。
『|遠距離《えんきょり》砲戦では双方《そうほう》に損害が出るばかりです。独断ですが|雷撃《らいげき》戦を指示しました! 敵の中枢《ちゅうすう》に打撃を|与《あた》えて早期に決着をつけるつもりです』
「しかし……敵|艦隊《かんたい》の球形陣《きゅうけいじん》を破ることができなくては……」
そのとき、ヴァルが割り込んできた。
『ローデス|辺境《へんきょう》軍は|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》を|攻撃《こうげき》するつもりはないようです。迎撃《げいげき》砲火もきわめておざなりです』
ヴァルの言うとおりだった。
敵と味方の相対位置表示板には、敵の球形陣《きゅうけいじん》を切り裂くように断り込んでゆく第三|艦隊《かんたい》が映し出されていた。
第三|艦隊《かんたい》の向かうその先には、ローデス|辺境《へんきょう》軍の|旗艦《きかん》、ダイアポロン三世を守るように|布陣《ふじん》した|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》があった。
|旗艦《きかん》と第三|艦隊《かんたい》との間にいる|巡航艦《じゅんこうかん》や|駆逐艦《くちくかん》からは照準が甘《あま》く、出力の低いビーム砲《ほう》が浴びせかけられているだけだ。
ヴァルが、不謹慎《ふきんしん》極まりないロ調でローデス軍の対応を解説してくれた。
『カニズ司教閣下は怒《いか》り狂って|攻撃《こうげき》命令を出しまくっているようですが、それに対する各艦の返答は傑作《けっさく》です。|反応炉《はんのうろ》の寿命《じゅみょう》による出力ダウンやら、照準装置の故障、果ては兵員が昼食中で砲座《ほうざ》に誰《だれ》もいない、とか。カニズ司教は各艦の|審間官《しんもんかん》に対する裏切り|行為《こうい》に厳罰《げんばつ》を下すように求めてますが、それに対して、どれが裏切りかそうでないかについての細かな基準と判断を求める問い合わせばかりです。たとえば防護|隔壁《かくへき》を降ろしてしまったために兵員が配置につくのが遅れているが、その|措置《そち》は裏切りなのか? とか、神の祝福を|与《あた》えたのにもかかわらず砲が命中しないのは、自分の信心と修行《しゅぎょう》が足りないせいだろうか? とか、中にはパニックになったらしく、私はなぜここにいるのか? などという哲学《てつがく》的疑問までぶつけてくるヤツまでいます』
ローデスの異端審問官《いたんしんもんかん》とは、宗教国家ローデスならではの制度だ。
日常のすべての|行為《こうい》が宗教的な意味を持つとされているローデス教では、その|行為《こうい》がローデス教の教えに基づいているかどうかを判断する宗教的指導者がどこの組織にもいる。
特に軍隊には、軍人の行動が戒律《かいりつ》に反しないように常に監視《かんし》する異端審問官《いたんしんもんかん》と呼ばれる役職の者がおかれており、作戦行動から人事権に至るまでありとあらゆる権限を持っていた。
神聖ローデス連合の最高神学府に進んだエリート中のエリートだけが審問宮になることができるとされていて、中には優秀《ゆうしゅう》な人間もいるのだろうが、単に宗教の戒律を厳守させることだけを学んだガチガチの石頭の持ち主のほうが多い。
|捕虜《ほりょ》の取《と》り扱《あつか》いなどについて|帝国《ていこく》とローデス連合では条約を結び、人道的な最低限のルールを守っているのだが、神聖ローデス連合の審問宮の中には『邪教徒《じゃきょうと》は人にあらず、これを皆殺《みなごろ》しにするは神り摂理《せつり》なり』などという命令を下す者も少なくないという。
|帝国《ていこく》も官僚《かんりょう》主義が蔓延《まんえん》しているけれども、ローデスよりはマシなのかもしれない。
こういった想像力や柔軟性《じゅうなんせい》のまったくない異端審問官《いたんしんもんかん》の石頭のせいで、アウトニア側にはいまだに|犠牲者《ぎせいしゃ》は出ていなかった。しかし、それは本当に偶然のなせる業にすぎない。いつ、本当の撃ち合い殺し合いがはじまるか誰《だれ》にもわからない。
僕《ぼく》はモト|中尉《ちゅうい》に、命令を取り消させようと思った。
「モト|中尉《ちゅうい》、光子|魚雷《ぎょらい》を撃ち込めば相手にも|犠牲者《ぎせいしゃ》が出ます。異端審問官《いたんしんもんかん》以外のローデス辺境軍は、本気で戦争をしたくないと思っていますが、その感情を逆なでする結果になりかねません!」
モト|中尉《ちゅうい》は、イタズラをしかけた悪ガキのような口調で答えた。
『そうです、彼らは帰りたがっています。だからその口実を|与《あた》えてやるのですよ、光子|魚雷《ぎょらい》の被弾《ひだん》という口実を……』
「しかし……」
そこまで言ってから僕《ぼく》は気がついた。
アウトニアの|巡航艦《じゅんこうかん》の装備している「光子|魚雷《ぎょらい》」の正体を。
見ためは確かに「光子|魚雷《ぎょらい》」なのだが、その中に充填《じゅうてん》されているのは、ビザニウムから抽出《ちゅうしゅつ》された反応爆薬ではなく、高圧縮された氷と発光剤なのだ。
このダミー|魚雷《ぎょらい》が船体近くで爆発すると、|一瞬《いっしゅん》にして圧縮から開放され解凍《かいとう》された水分が細かい霧「きり」のように船体を包み込み、発光剤《はっこうざい》の光がこまかな氷霧《ひょうむ》に乱反射することになる。
その光景を見て、反応爆薬の爆発と見分けがつくのは、スペクトル対比で物を見ることができるビジュアルセンサーだけだろう。
『|辺境《へんきょう》軍の主力艦のどてっぱらにあの光子|魚雷《ぎょらい》を叩《たた》き込みます! 事情を知らない|審間官《しんもんかん》は、さぞかしあわてることでしょう』
「わかった! 直ちに平文でローデス|辺境《へんきょう》軍に向けてメッセージを送ってくれないか?」
モト|中尉《ちゅうい》は驚《おどろ》いたようだった。
「|辺境《へんきょう》軍にメッセージをですか?」
「直接送るということじゃないよ、|辺境《へんきょう》軍にも聞こえるように平文で進撃中《しんげきちゅう》の|巡航艦《じゅんこうかん》に向けて命令を送るんだ。敵に肉迫《にくはく》し、いつものヤツをいつものように食らわせてやれ! とね」
『わかりました。いつものヤツをいっものように……ですね』
モト|中尉《ちゅうい》は、にやにや笑いが見えそうな口調でインカムを切った。
やがてメッセージが平文で送られ、|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》が|雷撃《らいげき》態勢に入った。
僕《ぼく》たちの送ったメッセージを受け取ってくれただろうか?
その疑問の答えは、ローデス|辺境《へんきょう》軍の|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》の|艦隊《かんたい》行動となって僕《ぼく》たちの前に現われた。
|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》は、一斉《いっせい》に艦首をめぐらしたのだ。
突撃《とつげき》する我が同盟軍の|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》に横腹を向けて。
|対艦《たいかん》光子|魚雷《ぎょらい》の|攻撃《こうげき》を受けたとき、その進行方向にさらす面が小さければ小さいほど被弾《ひだん》する可能性か小さくなるのは小学生だってわかる理屈《りくつ》だ。
なのに、|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》のもっとも大きな面。つまり側面を向けるということは。
僕《ぼく》は笑ってしまった。
カッツ将軍は、半分驚《おどろ》いたような顔で僕《ぼく》を見た。
でも、これが笑わずにいられるだろうか。
メッセージは届いたんだ!
ヴァルの声がした。
「ローデス|辺境《へんきょう》軍|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》司令の命令が傑作です、全艦|主砲《しゅほう》の一斉射撃《いっせいしゃげき》によって敵光子|魚雷《ぎょらい》を迎撃せよ……だそうです』
光子|魚雷《ぎょらい》を|主砲《しゅほう》で撃ち落とすなんて芸当ができるわけがないし、それに|主砲《しゅほう》の一斉射撃《いっせいしゃげき》を行うためには|巡航艦《じゅんこうかん》を真横に向けなきやならない。誰《だれ》がどう考えてもその命令の目的はひとつだった。
『|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》、|雷撃《らいげき》開始!』
インカムにモト|中尉《ちゅうい》の声が入ると同時に、メインスクリーンには一列縦隊になった|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》から何十本もの光の糸が敵の|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》に向けて伸びてゆくのが映った。
|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》は、|主砲《しゅほう》の一斉射撃《いっせいしゃげき》を開始した。
この|主砲《しゅほう》の一発でも食らったら、アウトニアの|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》はあとかたもなく消滅《しょうめつ》してしまうだろう。しかしその、めくるめくようなビームの雨はすべて光の糸に向かって走った。
そのうちの何発かは光子|魚雷《ぎょらい》を捉えたのだろう、宇宙空間に光の震《ふる》がいくっか広がった。が、残りのほとんどはそのまま|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》の横腹へと殺到していった。
|一瞬《いっしゅん》の空白のあと。
スクリーン全体がハレーションを起こしたように輝いた。
スクリーンの輝度《きど》が|一瞬《いっしゅん》に下がると同時に、スクリーンの中央では側面に大きな爆発炎《ばくはつえん》。実は細かい氷の雲だが。こいつを咲《さ》かせてよろよろと針路を変える|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》の群の姿が映っていた。
ヴァルが、ぼそりと言った。
「うわあ! やられたあ……というワザとらしいセリフを書いたフキダシでもっけたい光景ですな』
オペレーターがインカムに割り込んできた。
『|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》から通信! 第二次|攻撃《こうげき》の要ありと認められるも我が|艦隊《かんたい》残弾なし、よって次発|装填《そうてん》の開戦域を離《はな》れるがよろしいか? とのことです!」
「すぐに職域を離れるように言ってくれ。このあと戦況《せんきょう》がどう動くかわからないからな」
僕《ぼく》の返答が終わるのと同時にヴァルの声がした。
『ローデス|辺境《へんきょう》軍の|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》|艦隊《かんたい》は全艦|被弾《ひだん》し|戦闘《せんとう》不能を申告しました。これによってローデス|辺境《へんきょう》軍の戦力は我々の三分の一となりました。各|艦隊《かんたい》の司令は後退《てったい》の許可を求めていますが、どうやらカニズ司教は、まだ迷っているようですね」
ダメ押しが必要と言うことだな。
あとひと押しで、ローデス|辺境《へんきょう》軍は撤退するだろう、そうすればこのアウトニア|回廊《かいろう》の状況は元にもどり、本当の戦争なんて悲惨《ひさん》なことをやらなくてもすむはずだ。
「重雷装艦を主体とした|巡航艦《じゅんこうかん》|艦隊《かんたい》を正面に展開! 敵|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》の反撃はもはやないも同然だ、 一気に敵の|旗艦《きかん》を突き、その正面に光子|魚雷《ぎょらい》を叩《たた》きこむんだ!」
モト|中尉《ちゅうい》がうなずくと、手ぎわよく命令を下しはじめた。
『各艦に連絡! 重雷装艦が突撃《とつげき》開始すると同時にビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》を敵|旗艦《きかん》前面に集中投射ののち、敵|旗艦《きかん》に向けて全砲火を集中させる!』
|参謀《さんぼう》の一人が、不審そうな顔をしてインカムで聞いてきた。
『ビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》を散布したあとにプロトンビームの一斉射撃《いっせいしゃげき》を行うのですか?』
彼が疑問に思うのも当然だ。
ビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》を散布したあとではこちらの一斉射撃《いっせいしゃげき》の効果は半減してしまうからだ。
多層防御フィールドを持ったZ級|戦艦《せんかん》にとって、|遠距離《えんきょり》ビームなどものの数ではない。戦艦をビーム砲《ほう》で撃沈《げきちん》するのは至難の業だ、だから光子|魚雷《ぎょらい》が活躍することになる。
「順番が逆だと思うのはむりもない、しかし敵|戦艦《せんかん》の前にビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》を散布して、そこにわれわれの集中砲火が当たれば、撹乱された粒子の運動によって、敵|戦艦《せんかん》のセシサーは、しばらく無効になるだろう」
僕《ぼく》の説明を聞いた|参謀《さんぼう》の顔が輝《かがや》いた。
『そのすきに重雷装艦が接近するわけですねよ
「そうだ、こちらの展開したビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》は、敵|戦艦《せんかん》からのビーム|攻撃《こうげき》の効力も下げることができるだろう」
問題は、例のダミー光子|魚雷《ぎょらい》のからくりに気がついてしまうかもしれないということだ。
そのとき、モト|中尉《ちゅうい》の声が聞こえた。
『敵|旗艦《きかん》に、一発本物を食らわせてやりましょう! ダミー|魚雷《ぎょらい》と混ぜて!』
「本物だって?」
『ええ、シナリオで敵のD級|戦艦《せんかん》を沈めることになっていましたでしょう? 撃沈《げきちん》シーンを撮影するためにマスクワードの船には本物が搭載《とうさい》されているんです。重雷装艦『ダムニンゲン』がその船です』
「わかった、一発くらいくらわせてやれば気も変わるだろう」
装甲《そうこう》高速《こうそく》|駆逐艦《くちくかん》が突撃《とつげき》を開始した。
敵|戦艦《せんかん》との間にビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》が詰まった光子|魚雷《ぎょらい》を打ち込みに行くのだ。
こういった|艦隊《かんたい》決戦の場合は、高速|駆逐艦《くちくかん》のような|小艦艇《しょうかんてい》には同じ|駆逐艦《くちくかん》や|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》などが対応するのがセオリーなのだが、ローデス|辺境《へんきょう》軍側の|小艦艇《しょうかんてい》たちは、我が軍の高速|駆逐艦《くちくかん》を撃退する意志はないようだった。
さっき、仲間が|旗艦《きかん》に撃沈《げきちん》されたのを見たばかりだからむりもない。
高速|駆逐艦《くちくかん》は流れるような|艦隊《かんたい》行動をとって敵の|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》の正面に光子|魚雷《ぎょらい》を発射した。
光子|魚雷《ぎょらい》は、敵の|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》の手前で次々に爆発し、虹色《にじいろ》のガス状の雲を作り出した。
「よし! 全火力を敵|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》に集中! ビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》によってこちらのビームが拡散を開始するのと同時に重雷装艦|艦隊《かんたい》|突撃《とつげき》開始!」
|一瞬《いっしゅん》、ブリッジの照明やモニタースクリーンの輝度《きど》が落ちた。
それは、この船の反応ジェネレーターの、出力の大半が|主砲《しゅほう》へと送られた証拠《しょうこ》だった。
「|主砲《しゅほう》発射!」
メインスクリーンに青白い棒のようなものが、何本も伸びてゆくのが見えた。
棒が、虹色《にじいろ》の雲に触れると同時に雲は白く輝いて拡散してゆく。
その雲に向けてアウトニアの重雷装艦《じゅうらいそうかん》|艦隊《かんたい》が最大戦速で加速してゆくのが見える。
『ダムニンゲン艦長マスクワード|大尉《たいい》より通信! シナリオ|変更《へんこう》の事実確認です!』
モト|中尉《ちゅうい》は、マスクワードに何やら指示を|与《あた》えたあとで、僕《ぼく》の不安そうな顔つきに気がついたように微笑《ほほえ》んだ。
インカムからモト|中尉《ちゅうい》の声がした。
『ご安心下さい、これが本当の戦争であると気がついているのはこの中枢《ちゅうすう》指揮ブリッジにいるわれわれだけです』
モト|中尉《ちゅうい》はそこで言葉を切ると、メインスクリーンに映る、突撃《とつげき》していく重雷装艦|艦隊《かんたい》を見た。
『彼らは知りません。そしてこの戦いがローデス|辺境《へんきょう》軍の撤退《てったい》で終われば、彼らはそれを知らずにすむのです』
「そう。この戦いは今までと同じ戦いかたをしたことになるでしょう。でも、この次からは、そうは行きません。果たして私のとった方法が正しかったのかどうか」
カッツ将軍が僕《ぼく》の|肩《かた》を叩《たた》いた。
「君はわれわれに時間をくれた、それで|充分《じゅうぶん》だ。時間さえあれば、あとは我々でなんとかできる、君が気にすることではない」
そのときオペレーターの声が僕《ぼく》たちのやりとりに割って入った。
『重雷装艦|艦隊《かんたい》、射点|到達《とうたつ》! |雷撃《らいげき》開始します!』
メインスクリーンに何百という光の糸がローデス|辺境《へんきょう》軍の|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》にむけて走るのが見えた。
耳元のインカムにヴァルの声がした。
『アウトニアの重雷装艦は一|隻《せき》あたり約百発の光子|魚雷《ぎょらい》を発射することができます。その重雷装艦が二十|隻《せき》。これがもし、本物の光子|魚雷《ぎょらい》だったら、この戦役は終わっていたかもしれませんね』
「終わっただろうね、僕《ぼく》たちの勝利で……でも、それはローデス|辺境《へんきょう》軍に戦争をする気がないままこの戦役がはじまったからだ。戦争は終わりゃしない。どうやったら本当に戦争を終わらせることができるんだろう」
僕《ぼく》のつぶやきに、ヴァルが答えてくれた。
『それは軍人の仕事ではありません。残念なことですが』
「皇帝《こうてい》陛下の仕事だよな」
『戦争で利権を得るものがいる限り。過去の怨念《おんねん》としがらみに囚《とら》われた者がいる限り。たとえ|帝国《ていこく》の皇帝といえども戦争を終わらせることはできないでしょうね』
「でも、今の皇帝陛下と皇太子は、あまり戦争が好きじゃないみたいだから、もしかしたらやめさせることができるかもしれない」
『ええ、ディア家の方針は戦線不拡大ですから……これがマルス家ならとんでもないことになるでしょうな』
「あんな連中にも皇位|継承権《けいしょうけん》があって、皇帝になる可能性があるなんて信じられないよな」
『権力の集中を防ぎ、皇帝の血筋を保つための|御三家《ごさんけ》だったのですが、今や単なる勢力争いの道具ですからね』
僕《ぼく》はヴァルの声をイシカムで聞きながら、メインスクリーンの右下で走る数字カウンターを見ていた。
流れるように数字がカウントダウンしてゆく。
その数字は発射された光子|魚雷《ぎょらい》と目標の|距離《きょり》だった。
僕《ぼく》の見ている前でその数字がゼロになった|瞬間《しゅんかん》。
メインスクリーンそのものが爆発したような光がブリッジを照らし出した。
その先が収まったとき。
そこに並んでいるはずのローデス|辺境《へんきょう》軍の|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》。Z級|戦艦《せんかん》四|隻《せき》を始めとする主力部隊は、すべてなんらかの損傷を受けていた。
あれがすべて本物の光子|魚雷《ぎょらい》だったら、あの|艦隊《かんたい》は塵《ちり》になっていただろう。
『敵|旗艦《きかん》後退します! 全艦艇に連絡《れんらく》が出ています。|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》がアウトニア|回廊《かいろう》を|脱出《だっしゅつ》するまで現在地点にとどまり、|帝国《ていこく》|辺境《へんきょう》同盟軍を食い止めるように……との!」
ヴァルの声が流れると同時に、ブリッジに歓声《かんせい》があがった。
勝った!
僕《ぼく》たちはこの「本物の戦争」に勝ったんだ!
でも、これは僕《ぼく》たちが勝ったんじゃない。
ローデス|辺境《へんきょう》軍の人たち。新しい宗教指導者に逆らって、僕《ぼく》たちとの契約《けいやく》を守ろうとしてくれた人たち。
彼らの協力がなければ。彼らが「本物の戦争」を嫌ってくれていたからこそ、僕《ぼく》たちは勝てたんだと思う。
彼らに、僕《ぼく》たちはどんな恩返しができるのだろう。
そんな僕《ぼく》の考えを断ち切ったのはカッツ将軍の一撃《いちげき》だった。
将軍は、僕《ぼく》の|肩《かた》を叩《たた》いて喜びをあらわしたかったんだと思う。
だだ。ちょっと喜びが大きすぎたみたいだった。
|肩《かた》を押さえた僕《ぼく》の顔に気がつかなかったようにカッツ将軍は笑っていた。
「やりましたぞ! マイド殿《どの》! 見なさいローデスの|旗艦《きかん》|艦隊《かんたい》がアウトニア|回廊《かいろう》に消えて行き
ます! 残りの|艦隊《かんたい》は、我々と戦うつもりはないでしょう。彼らが|回廊《かいろう》から去るのも時間の問題でしょう」
「ええ、これで|帝国《ていこく》本国の軍務局に報告してしまえば、すべては終わります。とりあえず第一報だけは昨日送ってありますから、映像編集が終わってから本報告書を作成しましょう」
僕《ぼく》はそこまで言ってから、にやりと笑ってつけ足した。
「今までにないリアリズムあふれる映像報告になるでしょうね」
カッツ将軍は、共通の悪巧《わるだく》みをした悪ガキのような目で僕《ぼく》を見ると、同じようににやりと笑ってうなずいた。
「マイド閣下」
そのとき、うしろから遠慮《えんりょ》がちな声がした。
振り向くと、そこに保護力場を切って、ブリッジまで降りてきたメイ王女が立っていた。
「メイ王女。僕《ぼく》はなんとか責任を果たせたみたいですね」
僕《ぼく》は半分照れながらそう答えた。
メイ王女は、何も言わず、僕《ぼく》を見ていた。
やがて、その目から涙《なみだ》があふれた。
そして。王女は僕《ぼく》に深く一礼した。
「ありがとうございます」
僕《ぼく》は驚《おどろ》いた。
王家の人間。それが公式の場で他人に頭を下げるということの意味が、メイ王女にはわかっていないに違いない。
「メイ王女! だめですよ! あなたは今、アウトニア王国の国王の|名代《みょうだい》なのですよ! わかっているんですか?」
「ええ、わかっているからこそ。あなたに礼をつくしたのです。あなたは私たちに勝利と、そして勇気をお|与《あた》えになりました。見てください、この部屋にいる|参謀《さんぼう》たちの顔を。私は今まで、あれほどまでに喜びと誇《ほこ》りと自信にあふれた|参謀《さんぼう》たちの顔を見たことがありません。それはすべてあなたがお|与《あた》えになったものなのです」
僕《ぼく》は指揮コンソールを見下ろした。
そこに並んでいる|参謀《さんぼう》たち。
最初、本物の戦争と聞いて、あわてふためいていた彼らは、今、自信に満ちた顔で目の前のスクリーンを見つめ、胸を張って自分たちが指揮する部隊への命令を下していた。
「おわかりになりましたか?」
僕《ぼく》は頭の中に浮《う》かんだ言葉をそのまま口にした。
「あれは……僕《ぼく》がやったことじゃありません、あなたがやったことなんです。僕《ぼく》は言いませんでしたっけ? お姫《ひめ》様のお願いをきいた男の子は誰《だれ》でもみんな騎士《きし》になれるんだ……って」
「マイド閣下」
メイ王女がもう一度何かを言おうとしたとき、メインスクリーンの中でローデス|辺境《へんきょう》軍の|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》が爆発《ばくはつ》した!
ブリッジが|一瞬《いっしゅん》しん。としたあとで一気にざわめきだした。
「誰《だれ》か|攻撃《こうげき》命令を出したのか?」
「いや! こちらからの発砲《はっぽう》はまったくない!」
「じゃあ、どこからの|攻撃《こうげき》なんだ!」
「エネルギーのペクトル比を計算しろ!」
その答えはすぐに出た。
計算によってではなく、メインスクリーンに映し出された映像によって。
そいつらは文字どおり躍り出てきた。
全体を黒一色で塗られた見るからに凶悪《きょうあく》なシルエットを持つ|戦闘《せんとう》|艦隊《かんたい》。
彼らは、目の前にいるローデス|辺境《へんきょう》軍の船をまったく無視したまま|主砲《しゅほう》を発射していた。
「なんだ! あいつらは!」
「ローデスの正規|艦隊《かんたい》ではありません! 既存《きぞん》のどの艦艇ファイルにも記録がありません!」
「|帝国《ていこく》の|重巡航艦《じゅうじゅんこうかん》によく似たシルエットですが、武装はDもしくはF級|戦艦《せんかん》並みです!」
その正体不明の|艦隊《かんたい》は自分たちの|主砲《しゅほう》の軸線上《じくせんじょう》にいたローデス|辺境《へんきょう》軍の|小艦艇《しょうかんてい》を文字どおり消し飛ばしたあと、|主砲《しゅほう》を僕《ぼく》たちに向けた。
そいつらがいったい何者なのか、僕《ぼく》にはわからなかった。
ただ、ひとつだけ言えることがあった。
彼らは敵で……そして、本気で僕《ぼく》たちと戦争をしたがっているんだ。
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第十五章 言うべき言葉
『判明しました!』
ヴァルの声がインカムから流れた。
『あれは、傭兵隊《ようへいたい》です!』
「傭兵隊《ようへいたい》だって?」
僕《ぼく》の声に、カッツ将軍が振り向いた。
「ヴァル、将軍にも説明をたのむ」
『わかりました』
ヴァルの声が、いきなりインカムから聞こえてきたことに、カッツ将軍は、少しびっくりしたようだった。
『|帝国《ていこく》とローデスの勢力下以外の場所や、正規軍を動かすと、あとあと問題が起こりそうな場所で、軍に代わって|戦闘《せんとう》を請《う》け負《お》う集団です。表向きは『警備保障会社』となっておりますが、その実態は軍隊と何ひとつ変わりません。今まで傭兵隊《ようへいたい》を使ってきたのはおもに|帝国《ていこく》でした。やられましたな……まさか宗教|戒律《かいりつ》の厳しいローデス側が傭兵隊《ようへいたい》を使うとは思ってもおりませんでした』
そこまで話したとき、ヴァルの声のトーンが変わった。
『傭兵隊《ようへいたい》の司令と名乗る者からメッセージが入っております。パーソナルモニターにお繋《つな》ぎいたします』
僕《ぼく》とカッツ将軍の前にある小さなモニターに、黒い制服を着て、黒いベレー帽《ぼう》をかぶった二十三〜四歳くらいの若い女性士官らしい人間が映った。
その女性士官は、よく通る声で話し出した。
『私はミリオン傭兵隊《ようへいたい》、GN|艦隊《かんたい》司令のコットンである、|降伏《こうふく》を|勧告《かんこく》する!』
こんな若い女の人が司令だって?
コットン司令と名乗った女性は、僕《ぼく》の考えを読みとったような不機嫌《ふきげん》な顔になった。
『言っておくが戦争と|年齢《ねんれい》は関係ない! 傭兵は正規軍という名前の公務員ではない! 民間|企業《きぎょう》である。そこでは実力と運だけが評価基準なのだ。私が若いからと甘《あま》く見ないほうがいいぞ!』
迫力のあるお姉様だなあ……マリリン|中佐《ちゅうさ》の若いころってこんな感じだっだんだろうなあ。
そのお姉様の話は続いていだ。
『お前たちの作戦行動については、すべて解析《かいせき》ずみだ、お前らの光子|魚雷《ぎょらい》がすべてまやかしであることもわかっている。ビーム砲《ほう》の火力も我々の方がはるかに高い。合理的に判断すれば、お前たちの取るべき道は、|降伏《こうふく》しかない』
まてよ……。
なんでこのお姉様は、わざわざ「|降伏《こうふく》|勧告《かんこく》」なんてするんだろう?
僕《ぼく》たちの光子|魚雷《ぎょらい》がハッタリだって知っていて、火力に自信があるなら、最初に一斉|攻撃《こうげき》か何かをしかけて叩《たた》いておいてから|降伏《こうふく》を勧《すす》めたほうが効果的だろうに。
そうか!
|戦闘《せんとう》をすれば、光子|魚雷《ぎょらい》やビーム|砲撃《ほうげき》による消耗《しょうもう》が高くなるからだ!
傭兵隊《ようへいたい》は民間企業だと言っていた、だから「損益を低くすればするほど利益は上がる」というわけなんだ。
戦わずして勝つ、それは最上の戦い方だろう。
このお姉様は、|戦闘《せんとう》しか知らない戦《いくさ》|馬鹿《ばか》じゃない、ってことだな。
「|降伏《こうふく》は私の一存で決定できるものではない」
カッツ将軍が答えた。
『そうか、そうだな、そう言えばお前の船には王族が乗っていたはずだな。よろしい、五分の猶予を|与《あた》える、王族を説得しろ』
「たった五分で説得など……」
カッツ将軍は引き延ばしをかけた。
『なに、小娘《こむすめ》一人の説得ぐらい五分もあればたくさんだろう。五分|経《た》って回答がなければ、|総《そう》|攻撃《こうげき》を開始する』
コットン司令官はにやりと笑ってモニターから消えた。
メイ王女のことまで知っているってことは、こっちの内情は知りつくされている、ということだろう。
カッツ将軍は、モニターの前で立ちつくしていた。
むりもない……たった今まで、勝利を確信していたのに、目の前でその勝利が手の中をすりぬけていってしまったんだからな。
将軍の|肩《かた》か小刻みに揺《ゆ》れていた。
泣いているのだろうか?
違《ちが》った。
カッツ将軍は笑っていたのだっだ。
「|馬鹿《ばか》娘め……|回廊《かいろう》のこちら側に|艦隊《かんたい》を展開するということの意味がわかっとらんようだな、補給の一切が、|回廊《かいろう》を通じて送られてきているということが!」
そうか、今あの傭兵部隊はローデス側からアウトニア|回廊《かいろう》を通って、こっちに部隊を展開しはじめている。ここでもし、|回廊《かいろう》が塞《ふさ》がれてしまえば、傭兵部隊の補給は閉ざされてしまうだろう。そして補給のなくなった軍隊ほど悲惨《ひさん》なものはない。
でも、どうやってアウトニア|回廊《かいろう》を塞ぐつもりなんだ?
カッツ将軍は、イシカムを全艦内《ぜんかんない》に切り替えた。
「エマージェンシープランZを発令する! 総員規定の命令に沿って直《ただ》ちに退艦《たいかん》せよ。この|戦艦《せんかん》ザイダベッタは、これよりアウトニア|回廊《かいろう》内に|突撃《とつげき》し、閉鎖船《へいさせん》となる!」
中央指揮所に驚愕《きょうがく》が走った。
|参謀《さんぼう》たちが口々に叫《さけ》んだ。
「将軍!」
「将軍おやめ下さい!」
カッツ将軍は、|参謀《さんぼう》たちを見た。
静かな目だった。
「このザイダベックは、いざというとき、アウトニア|回廊《かいろう》に打ち込まれる栓《せん》となるように設計されておったのは諸君も知っていたと思う。今、このザイダベックは、その真髄《しんずい》を見せるときがきたのだ。防御《ぼうぎょ》スクリーンに関しては、通常のZ級の|戦艦《せんかん》の倍の密度を持っておる。どんな損害を受けようとも、アウトニア|回廊《かいろう》にだどり着けさえすれば、それで目的は達せられるのだ! 以後|艦隊《かんたい》の指揮は第二|艦隊《かんたい》の|旗艦《きかん》であるB級|戦艦《せんかん》ビルドベースに移管する。諸君たちの今までの慟きに感謝する!」
|参謀《さんぼう》たちは黙《だま》って歯を食いしばり、食い入るように将軍を見ていた。
そして、|参謀《さんぼう》たちは敬礼した。
将軍は敬礼を返した。
「さあ、時間がない! 早く退艦《たいかん》するんだ!」
中央指揮所の中は大騒《おおさわ》ぎになった。
|参謀《さんぼう》たちは画面を次々に「AUTO」表示に切り替《か》えると、非常口に向かって走り出した。
そんな中で一人だけ指揮コンソールに残っている|参謀《さんぼう》がいた。
モト|中尉《ちゅうい》だった。
モト|中尉《ちゅうい》はインカムにむかって怒鳴《どな》っていた。
『|馬鹿《ばか》|野郎《やろう》! お前にはさっき、真相を話しただろう! これは演技でもなんでもない、本当の戦争だったんだと! 敵のビームが当たれば死ぬんだ! 本当に死んじまうんだぞ!」
誰《だれ》と会話をしているのだろう。
そのとき、僕《ぼく》のインカムに会話が飛び込んできた。
それはモト|中尉《ちゅうい》とマスクワード艦長の会話だった。
ヴァルが、僕《ぼく》の視線を追って、気をまわして回線をつないだに違いない。
『カッツ親父《おやじ》だけを見殺しにしてかよ。|俺《おれ》にはできねえな』
モト|中尉《ちゅうい》が|一瞬《いっしゅん》黙《だま》ったのがわかった。
そして、気をとり直したようにモト|中尉《ちゅうい》は話しかけた。
『お前、彼女をどうするつもりだ?』
今度はマスクワード艦長が黙る番だった。
『彼女は待ってる。お前のことをだ……それでもお前は行くつもりか!』
|一瞬《いっしゅん》の|沈黙《ちんもく》のあと、マスクワード艦長が答えた。
『ああ。|俺《おれ》は行くよ、なぜならそれは|俺《おれ》にしか……|俺《おれ》の船にしかできない。実弾《じつだん》を搭載《とうさい》しているのはこのダムニンゲンだけだからな』
「よせ! やめろ! たのむからやめてくれ! それは|俺《おれ》のせいだ! |俺《おれ》が、お前を主役にして、敵の|戦艦《せんかん》を撃沈《げきちん》するシーンを撮るシナリオなんかを書いたせいだ!』
「そうさ、これはお前のせいだ、だから、お前は生きて帰って、彼女にこう伝える義務がある……」
マスクワード艦長は、そこで言葉を切ると、ゆっくりと続けた。
「ごめん……忘れてくれ……とな」
『マスクワード!』
「一世一代の大舞台《おおぶたい》だ! ドジは踏《ふ》まねえぞ! あばよ! モト!」
『やめろ! やめろって言ってるだろう! 聞こえないのか! このバカ!』
モト|中尉《ちゅうい》はインカムをコンソールに投げつけてスクリーンを叩《たた》いた。
そうか、このアウトニア軍の中で、マスクワード|大尉《たいい》だけが本当の軍人としての義務を果たそうとしているんだ。
自分のやるべきことをやる。それが自分にしかできないことだとしたら、そこから逃《に》げることは許されない。
バーティーで会ったときのマスクワード|大尉《たいい》の浅黒い顔と、そして笑ったときの白い歯を思い出していた僕《ぼく》は、いきなりうしろから怒鳴《どな》りつけられた。
「何をやっておる!」
カッツ将軍だった。
「人の話を聞いておったのか! この船はこのまま敵陣《てきじん》を突っ切ってアウトニア|回廊《かいろう》で自爆《じばく》せねばならんのだ! さっさとメイを連れて退艦《たいかん》せんか!」
「わかりました!」
僕《ぼく》は、メイ王女の前に立って微笑《ほほえ》んだ。
メイ王女を安心させるために……。
安心してくれるかどうかわからなかったけど。
「メイ王女、さあ、こっちに来て、ここを|脱出《だっしゅつ》します」
メイ王女は、不安そうな顔で席を立つと、僕《ぼく》の前に立った。
「|大丈夫《だいじょうぶ》だ、この船を捨てることになったけど、僕《ぼく》たちは、まだ負けたわけじゃない、この船で|回廊《かいろう》が塞《ふさ》げれば、まだ望みはあるんだからね」
救命艇《きゅうめいてい》。
それは居住区の別名だった。
|戦艦《せんかん》の居住区の個室は、それぞれ独立したコンテナ型の救命艇であり、|脱出《だっしゅつ》時には、さながらブロック積みのおもちゃ、が崩《くず》れるように分解され、宇宙に射出されることになるのだ。
居住区の|回廊《かいろう》のドアのほとんどに強化シャッターが降りていた。
それは、その個室はすでに射出された、という証明だった。
王女の個室は|回廊《かいろう》の奥にある。
王族は最後に退艦《たいかん》する、という慣習から、その場所に配置されたのだろう。
僕《ぼく》はそのずっと手前にある個室の前に立った。
強化シャッターは降りていない。
それもそのはずだ。ここは僕《ぼく》に割り当てられた個室だったからだ。
手を押し当てるとドアは音もなく開いた。
「さあ! 早く入って!」
メイ王女が、|一瞬《いっしゅん》僕《ぼく》を不思議そうな目で見た。
「ここは……マイド先生の部屋でしょ?」
「そうだ! 君はこの部屋で僕《ぼく》と一緒《いっしょ》に|脱出《だっしゅつ》するんだ」
「私の部屋はもっと奥に……」
僕《ぼく》はメイ王女に説明した。
「いいかい? 君は自分の価値をどう思っているのかしらないけど、僕《ぼく》が敵だったら、当然君を追うだろう。君は絶好の人質だからね。王族用の救命艇は、ここに王家の人間が乗っていますよ、と看板をぶらさげているようなものなんだ。君の個室にいる侍女《じじょ》の人たちなら心配ない、さっきヴァルが|脱出《だっしゅつ》を確認したそうだ。僕《ぼく》はこの部屋で|帝国《ていこく》と連絡《れんらく》を取る。ここに|帝国《ていこく》の軍人がいると言うことを示すためにね。やっらは傭兵隊《ようへいたい》だ、今回はローデス側の仕事を請《う》け負《お》っているけれども、|帝国《ていこく》|軍《ぐん》だってお得意様に違《ちが》いはない、|帝国《ていこく》の士官を狙うような真似《まね》はしないだろう、だから、ここが一番安全なんだ!」
メイ王女は目を丸くしていたが、やがて目を伏せた。
「ごめんなさい」
「あ……いや、わかってくれればいいんだ。僕《ぼく》はこれからヴァルとやることがある。奥の二部屋は君の部屋として使ってくれ」
メイ王女は、僕《ぼく》たちのいる部屋……情報処理コンソールしか置いていない小さな部屋……を見回した。
「マイド先生はどこでお休みになるのですか?」
「ここで|充分《じゅうぶん》さ、|床《ゆか》に毛布を敷《し》けばどこだってベッドみたいなものなんだから……そうだ、お願いがある、非常用キットの中身を点検しておいてくれないかな?」
僕《ぼく》がそう言うと、メイ王女はちょっと目を丸くしたあとで真剣《しんけん》な顔でうなずいた。
「はい、わかりました」
王女に仕事をたのむのもなんだが、やはり何か気をまぎらわせておいた方がいいだろう。
部屋から出ていくメイ王女を見送ってから僕《ぼく》は、情報コンソールの前に座って回線を開いた。
この情報コンソールは中央指揮所と直結している。
この部屋が僕《ぼく》の部屋に指定されていた理由はそこにあった。
モニターにヴァル、が立ち上がる。
『マイド様、メイ王女様は無事にお連れしましたょうですな』
「ああ、回答期限まであと一分だな。他の乗組員の|脱出《だっしゅつ》|状況《じょうきょう》はどうだ?」
『現在九八%まで完了《かんりょう》しました』
「|艦隊《かんたい》の|状況《じょうきょう》は?」
『|小艦艇《しょうかんてい》部隊の撤退は、ほぼ|終了《しゅうりょう》しました、|軽巡航艦《けいじゅんこうかん》部隊、及び重雷装艦部隊《じゅうらいそうかんぶたい》は光子|魚雷《ぎょらい》の次発装填を|終了《しゅうりょう》しております』
「わかった、ビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》内蔵|魚雷《ぎょらい》の数は|充分《じゅうぶん》じゃないけど、水と発光剤《はっこうざい》が煙幕《えんまく》の代わりになってくれるだろう。回答期限と同時に全光子|魚雷《ぎょらい》を発射して、全速で後退するように指示してあるね」
そこまで言ってから僕《ぼく》は、さっきマスクワード艦長が言っていた言葉が気になった。
カッツ親父を見殺しにして……ってどう言う意味なんだろう。
「ヴァル! カッツ将軍は|脱出《だっしゅつ》したのか? 確認してくれないか?」
『はい、リンクいたします』
メインスクリーンには、中央コンソールに立つカッツ将軍が映った。
どうやらまだブリッジにいるようだ……このままでは間に合わないぞ。
「将軍! いつ|脱出《だっしゅつ》するつもりですか! もう時間がありませんよ!」
将軍は、スクリーンモニターを見て|一瞬《いっしゅん》目を見開いた後で目を伏《ふ》せた。
「わしは、|脱出《だっしゅつ》せん。いや、|脱出《だっしゅつ》できんのだ」
「そんな!」
将軍は、僕《ぼく》を制して話しはじめた。
「この船は電子人格で制御されていることは知っておるな。電子人格は人間の生命を守ることと人間の命令に従うことが基本律になっておることも知っておるだろう。しかし、それと同時に自分自身を守る自己保存も基本律になっておる。もし、このザイダベックから人間が誰《だれ》もいなくなったら、ザイダベックは自己保存の基本律に従い、|突撃《とつげき》を中止して|戦闘《せんとう》を回避《かいひ》してしまう。誰《だれ》かがここに残って命令を下さなければならんのだ。そしてその命令を下せるのは、ここの最高責任者である私だけなのだ」
「まさか……そんな。ヴァル! お前ならなんとかなるんだろう!」
苦渋《くじゅう》に満ちた口調でヴァルが答えた。
『まことに申し訳ありません、将軍のおっしゃることは、事実でございます。わたくしがこの船の電子人格に入れ替わったさい、その機能と基本律を|削除《さくじょ》いたせばよかったのですが、|艦隊《かんたい》行動を指揮運用するシステムの方を優先したため、|削除《さくじょ》いたしておりませんでした。わたくしのミスでございます』
「気にすることはない、ヴァル殿《どの》、あなたの助けがなければ、我々はローデスとの戦いの前に多くの人命を失っていただろう。そして、この、わし一人の命で、アウトニアのすべての国民を救うことができるのなら、それは無上の喜びだ」
そのとき、僕《ぼく》のうしろで何かが落ちる音がした。
振り返ると、そこにメイ王女が立ちすくんでいた。
「……そんな……うそでしょう?」
王女の足元に転がるカップから流れ出した紅茶の香《かお》りが部屋に満ちた。
モニターの中でカッツ将軍が目を閉じた。
「……メイには知らせぬっもりだったのだがな」
メイ王女はモニターに走り寄った。
「|伯父《おじ》様!… 死んじゃだめよ! 逃《に》げましょう!… 私と一緒《いっしょ》に!」
メイ王女が、こんなにとり乱す姿を、僕《ぼく》ははじめて見た。
「いや、これはわしの義務なんだよ、メイ。人間は義務を果たすことによってのみ評価されるんだ」
「そんな義務なんてない! 死ぬ義務なんて誰《だれ》にも負わせられるものじゃないわ!」
カッツ将軍は静かに言った。
「では……言い換《か》えよう、これはわしに|与《あた》えられた権利なのだ、とね。他の誰《だれ》にもできやしない、アウトニア王国軍最高司令官であるわしにのみ|与《あた》えられた権利なんだ。その権利を奪《うば》うことは誰《だれ》にもできないんだよ」
「権利だなんて……そんな権利なんて……捨てちゃえばいいのよ! お願い! 一緒に逃げて! |伯父《おじ》様!」
メイ王女は、僕《ぼく》の|腕《うで》にすがった。
「マイド先生! お願い! なんとかして! |伯父《おじ》様を助けて!」
その、涙《なみだ》でぐしゃぐしゃになったメイ王女の顔を見たとき。
僕《ぼく》は自分自身の力のなさに吐《は》き気《け》がした。
僕《ぼく》は何も言えなかった。
「どうして? どうして何も言ってくれないの? |帝国《ていこく》は何でもできる! って言ってくれたじゃない!」
メイ王女の言葉は、鞭《むち》のように僕《ぼく》を切り裂《さ》いた。
「メイ、いいかげんにしないか、これはマイド閣下には関係のないことだ! いいか、わしの言うことを良く聞くんだ。アウトニア百五十年の平和は今日で終わった。これからアウトニアは厭《いや》が応でも戦乱と動乱の中に立たねばならない。温室のような世界で育った我々にとって、たよるべきものは|帝国《ていこく》と、そしてそこにいるマイド閣下だけだ。マイド閣下の言うことをよく聞いて、アウトニアを救ってほしい」
|握《にぎ》りしめたメイ王女の手の関節が白かった。
カッツ将軍は、メイ王女の横にいる僕《ぼく》を見た。
「そういうわけだ、よろしくたのむ、アウトニアを……そして何よりメイを。こういった危急存亡のときにアウトニアに君のような実力者が来てくれたことは、神がアウトニアを見捨てないということなんだろうな」
僕《ぼく》は驚《おどろ》いた。
カッツ将軍は、何か大きな勘違《かんちが》いをしている!
「ちょっとまって下さい! 僕《ぼく》は全力を尽《つ》くしてアウトニアとメイのために戦います、その覚悟はできています。でも……僕《ぼく》には実力なんてありません! ただの貧乏《びんぼう》貴族の小僧《こぞう》でしかないんですよ!」
カッツ将軍は笑った。
「いいや、お前さんはれっきとした実力者だよ。実力とは何だと思う? それは個人プレイの能力じゃない、実力者や|英雄《えいゆう》と言うのは、他人の力を一番うまく使える人間のことを言うのだ。お前さんは何よりも他人を大切にしてきた。今、その見返りを求めたからと言ってお前さんを責めるヤツはおらんだろう。一人で背負い込まないことだ」
そして、そこで言葉を切ると、カッツ将軍は僕《ぼく》を見据《みす》えた。
「メイを……よろしくたのみます」
僕《ぼく》は何と言っていいのかわからなかった。
誰《だれ》でもいい、死にゆく人に言うべき言葉を教えてくれ。
僕《ぼく》に何が言えるのか……。
僕《ぼく》に何ができるのか……。
そう、今、僕《ぼく》に言えることとできることは、最後にあなたに託された願いをかなえると約束することだけだろう。
そして、その約束を守ることを……僕《ぼく》の命をかけて守ってみせると誓《ちか》うことだけなんだ。
カッツ将軍は、まっすぐに僕《ぼく》を見ていた。
僕《ぼく》は胸を張った。
その目を……。
正面から受け止めるために。
「わかりました」
僕《ぼく》は敬礼した。
カッツ将軍は、軽く微笑《ほほえ》むと答礼を返した。
そして、回線が切れると同時に|一瞬《いっしゅん》部屋が揺《ゆ》れた。
|天井《てんじょう》や床下《ゆかした》、壁《かべ》、あらゆる場所からゴツゴツと言う音が響《ひび》いてきた。
射出が始まったのだ。
今の音は、この部屋を船の構造材に固定していたジョイントが爆破《ばくは》されて外れはじめた音に違いない。
メイが不安そうな顔で聞いた。
「今の音は……」
「この部屋が射出された音だ。今、僕《ぼく》たちは宇宙空間にいる」
僕《ぼく》はコンソールを操作してメインスクリーンを外部モニターに切り替《か》えた。
見覚えのある船が、どんどん遠ざかっていくのが見えた。
|旗艦《きかん》の『ザイダベック』だった。
後方の居住区がなくなって構造材だけが肋骨《ろっこつ》のように突《つ》き出しているさまは、ハイエナに食い散らかされたソウの死骸《しがい》のように見えた。
そしてザイダベックのメインエンジンから青白い反応炎《はんのうえん》が吹き出した。
最高出力だな。
その前方で同じように加速を開始した|巡航艦《じゅんこうかん》と|小艦艇《しょうかんてい》の姿があった。
ダムニンゲンとビーム撹乱粒子《かくらんりゅうし》搭載《とうさい》|魚雷《ぎょらい》を装備した装甲《そうこう》|駆逐艦《くちくかん》たちだった。
装甲《そうこう》|駆逐艦《くちくかん》は、ザイダベックが、無事に|回廊《かいろう》にたどりつくことができるようにギリギリまでついていくつもりなのだろう。
そのとき、モニターのサブスクリーンの右下に出ていた数字。回答期限のカウントダウンの数字がゼロになった。
メインスクリーンには『ザイダベック』を|支援《しえん》するために残存するアウトニアの、すべての|戦闘《せんとう》艦がビーム砲《ほう》と光子|魚雷《ぎょらい》を放つ光景が映っていた。
やがて、はるかかなたから、傭兵隊《ようへいたい》の無数のビームがザイダベックめがけてやってきた。
そのうちの何発かは船体を|直撃《ちょくげき》したが、ザイダベックの加速は止まらなかった。
「|伯父《おじ》様……」
モニターを見ていたメイ王女は、そうつぶやくと目を押《お》さえた。
そのとき、サブモニターに誰《だれ》かが映った。
いつものように白髪《はくはつ》に白い髭《ひげ》、そしてタキシード姿のヴァルがそこにいた。
僕《ぼく》は、ヴァルの表情がおかしいことに気がついた。
「どうした? ヴァル! なんか変だぞ」
ヴァルは目を伏《ふ》せた。
『マイド様、わたくしもお別れをせねばならないようです』
「なんだって? どういうわけだ!」
『わたくしのメインコンポーネントは、現在このザイダベックにインストールされております。このザイダペックの操艦《そうかん》のみならず、|艦隊《かんたい》行動一切をわたくしがコントロールするためには、他に方法がございませんでした。今までのように|惑星《わくせい》上《じょう》のネットライン内にメインコンポーネントをおき、汎用端末《はんようたんまつ》上《じょう》でインターフェイスのみを稼動《かどう》させる、といった使い方はできなかったのでございます。そして、通信|妨害《ぼうがい》を行いつつ、このザイダベックをアウトニア|回廊《かいろう》まで無事に敵のビーム及び光子|魚雷《ぎょらい》などを回避《かいひ》しながら運ぶことが可能なのは、わたくしたけでございます』
僕《ぼく》は、ヴァルが何を言っているのかわからなかった。
いや……わかりたくなかったんだ。
「ヴァル! やめてくれ! 僕《ぼく》をおいて、どこに行こうと言うんだ! 僕《ぼく》はお前の主人だぞ!主人の命令を無視するのか!」
『マイド様。わたくしが、亡《な》きご両親からあなたの養育を依託《いたく》されて一九年と八ヶ月が過ぎました。電子人格という立場は決して人間に負けないと自分に言い聞かせ、今日までがんばってまいりました。今、亡きご両親に会えたらわたくしは胸を張ってこう言いたいと思います、あなたの息子《むすこ》さんは、こんなに立派な人間になりました。わたくしを誉めていただけますか?と……』
「やめろ! 何を言ってるんだ! 僕《ぼく》にはわからない!」
『マイド様……あなたはもう一人で何かを決定してもよいころです。自分に自信を持って、その足で歩き出すときがきたのです。むかし、わたくしはマイド様に、こう申したことがございましたでしょう、尊敬すべき人間に会いたければ、まず自分が尊敬される人間になりなさい、そうすれば尊敬すべき人間が友達になってくれる……と』
ヴァルはそこで言葉を切って微笑《ほほえ》んだ。
『わたくしの言ったとおりになりましたね、マイド様』
「何を言っているんだ! ヴァル! 僕《ぼく》は一人だ! ここでお前を失ったら僕《ぼく》はたった一人になってしまう! ひとりぼっちにしないでくれ!」
『あなたは一人ではありません! あなたを信じ、あなたに自分の運命を託してもよいと信じる人がいるではないですか! その|信頼《しんらい》に応《こた》えるだけの能力があなたにはあるのです! がんばってくださいなどと言う言葉は残しません。それができることがわかっている人間に、がんばって、などという失礼なことを言うほど、わたくしは|馬鹿《ばか》ではございません」
ヴァルは、僕《ぼく》の横でスクリーンを見つめていたメイ王女に向き直った。
『メイ王女様、マイド様をよろしくお願いいたします。育ての親のようなわたくしが、こう言うのもなんですが、もし、マイド様の魂《たましい》に値段がつくとしたら、かなりよい値がつくのではないかと思います。優柔不断《ゆうじゅうふだん》で思い切りの悪い性格ですからイライラするかと思いますが、長い目で見てやって下さい」
「はい……」
メイ王女はうなずいた。
スクリーンにカッツ将軍とヴァルが並んだ。
二人はたがいに顔を見合わせてから微笑《ほほえ》んだ。
そして同時に言った。
『では……行ってくるよ』
「|伯父《おじ》様!」
「ヴァル!」
僕《ぼく》たちの声が届いたかどうかわからない。でも、届いたんだと思う。
なぜなら……。
二人ともすごく満足そうに微笑《ほほえ》んだからだ。
そして、回線は、斧《おの》で断ち切られるように切断された。
スクリーンが消え、自動的に外部モニターに切り替《か》わった。
そこには、宇宙空間が映っていた。
一呼吸ほどの時間のあと。
宇宙空間のはるかかなた、アウトニア|回廊《かいろう》の中で、新星の爆発《ばくはつ》のような光がきらめいて、消えていった。
メイが泣いていた。
僕《ぼく》も泣いていた。
僕《ぼく》はメイの手を|握《にぎ》った。
メイは、僕《ぼく》の手をぎゅっと|握《にぎ》りかえしてきた。
その、暖かさを。
この、泣いている女の子を。
僕《ぼく》は守らなきやならない。
それが、カッツ将軍と、そしてヴァルとかわした約束だからだ。
でも……今、僕《ぼく》は無力だった。
僕《ぼく》は、なすすべもなく宇宙空間を漂《ただよ》っていた。
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あとがき
はじめまして「本家・|鷹見一幸《たかみかずゆき》」です。『アウトニア王国奮戦記 でたまか 問答無用篇』いかがでしたでしょうか?
この本は、今はもう存在しない月刊OUTという雑誌の読者たちに向けて「くに」氏が主宰《しゅさい》しているウェブベージ「月刊アウト復活委員会(仮)」上で、約二年にわたって連載《れんさい》されていたお話に、加筆修正したものです。
マイドとメイは、これからどうなるのか。そして、突如《とつじょ》として戦乱の渦中《かちゅう》に放り込まれた平和な銀河|辺境《へんきょう》国家「アウトニア」の命運は……。
貧弱なアウトュア軍を率いて、マイドは、精強な敵に対しどんな奇想天外《きそうてんがい》な戦い方を展開するのか……。
お読みになった方なら、絶対に気になるでしょうね。
このお話の「つづき」は、すでに一冊ぶんくらいの枚数を書いてあります。全部で三部作となる予定ですが、その「予定」を左右しているのは、実を言うと、ここでこの文章をお読みになっているあなたなのです。
メイにケルプにマイドくん、みんなの運命|握《にぎ》ってる。それは作者か編集か、いえいえ実はあなたです。買って下さい。薦めて下さい。もひとつオマケにお便り下さい。売れれば続編、売れなきやちり紙、諸行無常のリサイクル。
お読みなった方ならば、きっと納得この言葉。
「決して損《ソン》はさせません」
月刊OUTという雑誌は消えました。
でも、雑誌に対する私の想《おも》いは消えませんでした。
『でたまか』という言葉の持つ、もう一つの意味への想いとともに、今、こうやって形になった本を見ると。
「人生って捨てたもんじゃないよな」と実感します。
ちなみに、某《ぼう》文庫で展開中の『時空のクロスロード』シリーズを書いているのは「元祖・|鷹見一幸《たかみかずゆき》」で、こっちが「本家・|鷹見一幸《たかみかずゆき》」です。
もっともこの先「始祖・|鷹見一幸《たかみかずゆき》」とか「開祖・|鷹見一幸《たかみかずゆき》」などが出てくる予定はありませんのでご安心を。
|鷹見一幸《たかみかずゆき》
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アウトニア王国奮戦記
でたまか
問答無用篇
|鷹見一幸《たかみかずゆき》
平成十三年四月一日初版発行