捕手はまだか
〈底 本〉文春文庫 昭和六十二年十二月十日刊
(C) Shun Akasegawa 2000
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目 次
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|捕手《キヤツチヤー》はまだか
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1
土けむりが舞い立った。ドラゴンズの一塁走者宮下の右脚のスパイクが、二塁ベースの脇腹を蹴って止まった。しかしそれより一瞬早く、ジャイアンツのショート河竹のグラブが、キャッチャー篠山からの糸を引くような低い球を受けて宮下のスパイクをサッと掃いたようだった。河竹は、ボールをしっかりと収めたグラブをそのまま天に向けて掲げ、長かった試合の勝利を、五万人の観衆に、味方のナインに、相手のナインに、アンパイヤーに、そして自己に告げた。
河竹の眼に、ドラゴンズの三塁走者がホームめがけて走り出す姿が見えたが、それは、試合が終わったあとの無用の抵抗としか見えなかった。キャッチャーはその走者には眼もくれず、ピッチャーと握手をしに駆け寄りかけていた。ピッチャーの清水はといえば、両腕を高く上げたあと、グラブの腹にげんこつを一発くれて白い歯を見せ、マウンドを降りてゆっくり歩き出していた。
しかし、二塁塁審脇村|止男《とめお》は、河竹がグラブを天に向けて掲げるのとほぼ同時に、片膝を地に着けて両手を水平にピンと伸ばし、大声で叫んでいた。
「セーフ!」
河竹は一瞬ホームを見た。とっさに右肩が投球の姿勢に移ったが、三塁走者はあと三、四歩でホームベースを踏もうとしている。河竹はキャッチャーに送球するのをやめ、脇村塁審に詰め寄った。
「何で……何でこれがセーフなんだ!」
「ノー・タッチ!」
脇村塁審が頬を紅潮させて叫ぶ。
「じょ……冗談じゃない! ちゃんと……」
河竹は興奮のあまり絶句し、その代りにグラブをベースの上に振りおろして、さっきのタッチ・プレーを再現してみせた。二塁手が駆け寄ってきた。ジャイアンツの水島監督もベンチから飛び出してきた。
後楽園球場でのジャイアンツ対ドラゴンズ六回戦、六時に始まったナイト・ゲームは八回を終わってジャイアンツが三対二と一点のリード、九回表ドラゴンズ最後の攻撃は無得点のまま二死でランナー一・三塁だった。バッターは左のボックスに二番の久米、塁間を鋭く抜くヒットは定評があり、開幕以来好調だが、長打はあまり期待できない。一打同点を狙ってその後を三番打者に託すか。しかし、もし三番にヒットが出ずに同点止まりだったら、ドラゴンズの勝ちはなくなる。試合時間はすでに三時間十五分を経過し、なお九回裏のジャイアンツの攻撃が残っているから、延長戦に入ることは望めない。
ドラゴンズの鬼頭監督は、逆転はワンチャンスと見た。一塁ランナーの宮下は駿足である。思い切って走らせよう。そしてランナー二・三塁で久米の巧打を待つ。外野は浅く守っているが、二死後のスタートだから宮下の足なら一挙にホームを狙える。これで逆転だ。
ジャイアンツのバッテリーも当然、駿足の一塁走者を警戒し、鋭い牽制球を三つ立て続けに放って宮下の足を封じようとした。久米のカウント、ワンストライク・ワンボールのあとの三球目に宮下が走った。投球は左打者へのインハイのボール、キャッチャーが二塁に投げるには絶好のコースである。キャッチャー篠山は三塁走者には目もくれず、自信を持って二塁に送球した。だれの眼にも走者に不利に見えた。そして事実、ショート河竹はキャッチャーのきれいな送球を受けるや、滑り込んでくる宮下の足を計算しつくしたタイミングで、あざやかなグラブさばきを見せてタッチした。タイミングは素人眼にもアウトとわかるほどだった。それなのに、脇村塁審の両手は水平に伸びたのである。
ベンチから飛び出してきた水島監督は、血相を変えて脇村塁審に詰め寄った。
「こんなきれいなタッチ・プレーをセーフにされたんじゃ、たまったもんじゃない。だれが見たってアウト、試合終了ですよ」
「多分だれが見たってアウトに見えただろうね。ただしぼくを除いてくれ。一番近くにいたぼくをね」
「タイミングは認めるんですね? タッチがなかったの一点なんですね?」
「河竹くんのタイミングが早過ぎたんだ。彼がタッチしたのはベースで、ランナーの足ではなかった」
「そんな……」
「その直後にランナーの足がベースに着いた」
「………」
「グラウンドで審判が口をきけることといえば、この程度だがね。この眼で見たことを判定する。それだけだ」
水島監督と河竹遊撃手以外のジャイアンツのナインは、試合終了を主張するかのようにみんなダッグアウトに引き揚げてしまった。二塁に滑り込んだドラゴンズの宮下は、水島・河竹・脇村の三人が二塁ベースを囲んでにらみ合っているところから二メートルほど離れ、笑みを浮かべながら膝の屈伸運動を繰り返している。バッター・ボックスの近くでは、カウント、ワンツーのあと勝負をお預けにされた久米がバットの素振りをしている。
満員のスタンドが騒然となってきた。帰りを急いで出口に向かう人の流れがいくつかでき、あちこちから怒号が飛ぶ。
「早くしろ!」
「しろもなにも、もうすることはねえんだ。三対二、ジャイアンツの勝ち」
「それじゃ、どうしてそこに坐ってるんだ」
「何だと、おい、おめえ」
喧嘩になる様子だ。別のところでは、
「審判は神聖!」
「何が神聖かよ。あれでよう」
「おい、久米、もうゲームセットだぜ。今から特打ちかい? ご苦労さん」
「すっきりしろ、すっきり。せっかくいい試合だったのに」
そのうちに、ライトのスタンドから、大勢の声が初めは不揃いで小さく、やがて一つにまとまって大きくなり、スタジアムいっぱいに響き出した。
「ア・ウ・ト、ア・ウ・ト、ア・ウ・ト……」
今度はレフト・スタンドから、ライト側ほど大きくはないが、それに対抗する声が湧き起こった。
「セ・イ・フ、セ・イ・フ、セ・イ・フ……」
チーフ・アンパイヤーの伊集院が、しびれを切らしたのか、あるいはタイミングを計っていたのか、キビキビとした態度で一直線に二塁ベースに歩み寄った。
「さあ、水島さん、野球をやろうよ。二死、走者二塁、三対三、バッターのカウント、ワンツーだ。早いとこ、選手たちをグラウンドに返してやってくれ」
たしかに野球は再開された。しかし、クロス・ゲームにやっと勝ったと思って一度引き揚げたジャイアンツの選手たちの足どりは、一様にけだるそうだった。そして、スタジアム全体のほぼ中央の一点、五万人の大観衆の眼がほぼ等距離でとらえることのできる一点に立って選手たちの肩ならしを見守っている二塁塁審脇村止男は、ピッチャーの再開第一球が投じられるまで、前後左右のスタンドからの非難の野次にさらされていなければならなかった。
「草野球審判!」
「ドラゴンズの廻し者!」
「おりゃ、もっとマナコを開け!」
(もっと言え、もっと言え。おれは、そういうことばを浴びれば浴びるほど気持がいいんだ)
脇村はホーム・ベースのほうを向いて不動のまま、その快感が表情に出ないように気をつけていた。
(審判が主役になるひとときは、こういうときでしかないんだ。しかもきまって悪役だ。ジャイアンツのホーム・グラウンド、後楽園。あのきれいなタッチ・プレーで接戦に終止符を打ったと思ったファンにとっては、後味が悪いのは当然だ。さあ、もっと言え、もっと汚いことを言え。おれは、罵詈雑言を浴びれば浴びるほど、さっきのジャッジの正確さをくっきりと思い出すことができるのさ。何なら、ファイン・プレーをしたあとの選手のように、あんた方に手を振って応えてあげようか。おれは今、それくらい気持がいいんだ)
マウンドになかなかピッチャーが現われない。やがて水島監督が伊集院主審にピッチャーの交替を告げた。八回を投げ続けてきた清水は、試合中断の間、試合終了味方勝利を信じ込んでベンチに引っ込んだまま肩ならしをしていなかった。再開と聞いても、もう気合が入るまい。完投の一勝がたった一つのジャッジでふいになったのだ。水島は新しい投手をブルペンから呼んだ。リリーフエースのサウスポー、辰巳である。肩も充分温まっている。
水島監督が辰巳との打合せをすませてマウンドから離れた。左バッターの久米にとっては、ワンツーのあとでピッチャーが右から左に替って、球筋を読みにくいにちがいない。
規定の八球の準備投球を終えた辰巳は、セット・ポジションを取ったあと、一球だけ二塁に牽制球を送った。それから彼にとっての第一球をキャッチャーに投じた。その瞬間から五秒ほどで起こったことが、結局この試合の帰趨を決めてしまった。
辰巳の球は真ん中から外角に鋭く曲がるカーブだった。久米にとってはむつかしい球である。しかし久米はそれを読んでいたように、右足を踏み出して確実に球をとらえた。打球は三塁手が身を挺して差し出した逆シングルのグラブをかすめ、ファール・ラインに白い煙を立てたあと、左に切れてフェンスをめざした。スタートを切っていた二塁走者宮下は、球の行方をチラと見てから嬉しそうにホームに躍り込んだ。
九回の裏、ジャイアンツの逆転サヨナラあるいは同点引き分けは成らなかった。抑えのリリーフ田宮のまえに三者凡退、四対三でドラゴンズが勝った。九回表の判定をめぐる十五分の中断を含めて、試合時間は三時間と四十五分だった。
「さて、脇村くん、九回表のあのジャッジについて参考になりそうなことを話してくれませんか」
今日のチーフの伊集院が脇村の説明をうながした。
「はい」
後楽園の審判控室、審判員以外は出入厳禁である。今日のゲームの六人の審判が、着替えをすませて反省会をやっている。
「河竹くんはタッチのタイミングの取り方が実にうまい。駿足の宮下くんのスライディングの癖もよく研究しています。しかし、あの場合宮下くんもいつも以上に必死だった。何しろしくじったら試合終了ですからね」
そこまで言って脇村は苦笑いした。
「いや、アンパイヤーに選手やプレーに対する先入観は禁物でしたね。もちろん私は、判定のときはそんな先入観は吹っ飛んでいました。ただ、宮下くんがファーストに出たときにはそんなことが頭をかすめて、これは大事なクロス・プレーになるぞ、しっかり見ようと思っていたんです。久しぶりの興奮でしたね」
「で、そのとおりになった。脇村さんにとってはなかなかいい展開ですね」
ライトの線審をしていた若い審判が興味深そうに口を挟んだ。
「そう、めったにないことだ。しかもそのうえにもう一つめったにないことが重なった。つまり、宮下くんの滑り込んだ足が、予定より一瞬遅かったためのセーフです」
「というと、タッチをかわすために計算して遅らせた……?」
「いや、あの姿勢ではいかに名手といえどもそれは無理だ。気持や体の勢いにさからうことはなかなかできない。ベースの三十センチほど手前にね、ちょっと目立たないくぼみができてたんです。五回の土ならしのときにはなかったと思うんだけど、回が進むにつれて、偶然が重なってそこだけに何人ものスパイクが集中していたんですね。くぼみといっても直径はボール半分ぐらいで、ほんの浅いものです。もちろんぼくは、何回かそこを足でならしていました。それほど気になるものじゃなかった」
「ええ、脇村さんが足でならしてらしたのは覚えています」
「つまりあそこに、宮下くんのスパイクがほんの一瞬引っかかったんですよ。あのとき、河竹くんは一瞬しまったと思ったか、あるいはグラブがベースをはたいた感触をランナーヘのタッチと思い込んだか、それはわかりません。とにかく彼は私のコールを待たずに、グラブを高だかと上げてフィナーレの優雅な舞いを舞ってしまったのです」
「なるほど、ボール半分ほどの土のくぼみが」
「いや、それは幅のことで、えぐられて柔らかくなってた部分の深さは、せいぜい二センチ」
「うん、その二センチが勝敗を左右したわけだ」
「そうです。ところがその穴ぼこは、本来ならジァイアンツに味方したはずですよね。河竹くんが優雅な舞いを披露しさえしなければね」
「つまり……」
「つまり、まあここからは審判じゃなく、守備コーチのつもりで言いましょう。日頃、コーチや評論家みたいな言動は慎むようにしつけられてきたから、こういう身内だけの場所ではときどき発散しないとね。いいでしょ、伊集院さん」
「いいとも、おおいに発散しようじゃないか」
審判控室に初めてくったくのない笑いがひろがった。
「河竹くんはあの勝利の舞いの衝動をもう一瞬我慢して、グラブをベースに着けたまま待っていれば、宮下くんの足にタッチできた。それにもう一つ、その姿勢だったら、私のコールを待たずに直ちにホームヘ送球できた」
「なるほど」
「重盗のサインなんか出てなかった。サードランナーの勘ちがいです。河竹くんがホームヘ放ってれば悠々とアウトだったでしょう。つまり、かりにセカンドがセーフでもホームがアウトでゲームセット、三アルファ対二ですわ。ついでにそれを想定して新聞記者になってみましょうか。“ボーンヘッドで接戦に幕”なんてどうです」
「ハハハ、今度はブンヤさんで発散か。しかしその見出しは、そのまま今日の河竹くんに当てはまるわけだ」
「あの場合は審判のコールのない間はボールインプレーであるという基本を忘れたボーンヘッドですね」
「いやあ、野球というものは、いくつになってもいろんなことを教えてくれますなあ」
伊集院が、ごま塩頭をなでながら言った。若い審判員が、「今頃、ジャイアンツのミーティングでも同じようなポイントが水島監督から指摘されてるんじゃないですかね」
脇村はそれを聞いて、
「多分ね。しかしテレビや新聞でそれを指摘する評論家は少ないでしょう。明日の東京のスポーツ紙では、ぼくは悪役のスターだぞ。しかしその悪役は、そのころは甲子園に向かう列車の中でいびきをかいてますがね」
「“死馬に蹴られたジャイアンツ”ってのはどうです」
「ハハハハ、なかなかやるねえ。じゃ、今日はこんなところで、どうもお疲れさん」
伊集院のことばを最後に、反省会は和やかに終わった。一人また一人、九番と記された役員関係者専用の出入口から球場の外へ出ていく。
もう十時半に近いというのに、出入口の外ではいつものように、まだ六、七人の中学生や小学生がたむろしている。半分は女の子である。中にまだスター選手が残っていはしまいかと待ち受けているのだ。体をきたえているとはいうものの、選手ほど体格はよくない中年の男が姿を現わす度に、こどもたちはがっかりした顔になる。審判の顔を知っているこどもはまずいない。大人の野球ファンでも、一目で審判のだれだれだと見分けることのできる眼をもつ人間はまずいない。
「おじさん」
小学校五、六年と見える男の子が、脇村に人なつっこく話しかけた。ジャイアンツの帽子をかぶっている。
「まだ、だれか中にいる?」
「さあ、おじさんは選手とは別の部屋だからわからないなあ。きみ、だれに会いたいの?」
「――だれでもいいんだ、選手だったら」
選手ならだれでもいい。なるほど。
「いないんじゃないかなあ。もう遅いから、家に帰りなさい」
軽くそう言ってこどもたちに背を見せかけた脇村に、小学生の挑戦的な口調が襲いかかった。
「余計なお世話だよ!」
脇村は足を止めて振り返ろうとした。何か言ってやらなければならない。選手ならだれでもいいという態度で、いつまで無駄な時間をつぶす気なんだ。きみたちには、もっともっと大事なこと、面白いことが山ほどあるじゃないか――。
しかし、脇村は振り返らずにそのまま足を早めた。
(この子も、あの九回表二死後の宮下のセカンド盗塁を見ていたにちがいない。そして、河竹の華麗なタッチに歓声を挙げたことだろう。そのあとで、「ドラゴンズの廻し者」「草野球審判」のおれの判定に、心の底からブーイングを放ったことだろう。そして、“ア・ウ・ト、ア・ウ・ト”のシュプレヒコールに頬を真っ赤にして唱和したにちがいない。遠くから見るかぎり、だれが見てもアウトだったからな。結局のところ、おれが見破った真実は、この子の夢を裏切ったのだ)
「近頃じゃ、よその子にうっかりものも言えませんねえ」
暗闇の中で大人の声がした。意外に近いところから、一目で新聞記者とわかる三十恰好の男の姿が現われた。
「失礼ですが、二塁の審判をなさった脇村さんですね」
「―――」
「スポーツ・オブザーバーの吉岡です」
「悪いけど、今日はお話しすることは何もありません」
「今日の反省会はだいぶ長かったですね」
「別に」
「やっぱりあの判定のことですか」
「関係ありません」
脇村はタクシーをつかまえるために表通りに向かって歩き出した。
「河竹はきれいにタッチしたようでしたけど」
「―――」
「水島監督には、あそこでどう説明なさったんですか」
「吉岡さんでしたか。審判の話を書いたところで新聞は売れませんよ」
「いや、今夜は別です」
「いいですか。あの場合、審判は二つのことばしか持っていないのです。アウトとセーフ、これだけです。そして試合の終わった今は、その二つのことばさえ失っているのです。ことばを持たない人間が相手じゃ、商売にならないでしょう」
「面白いおっしゃりようですが、逃げ口上にも聞こえます」
「たしかにぼくは逃げたい。疲れてるんです」
「一つだけお答えください。今日に限らず、クロス・プレーの最後の一瞬というのは、勘ですか」
「プレーヤーはそうでしょうね。私たちは勘に頼ってはいけません。最初から最後まで、眼です。じゃ、これで」
「眼にも勘の働きがあります。眼の勘でしょう」
「それは眼医者さんに聞いてください」
タクシーがひっきりなしに通る白山通りに出た。脇村はうまく切り抜けられたと思った。タクシーをとめようと手を挙げた。三、四台は客が乗っていて走り過ぎた。
記者の口調が急に変わった。
「あんな判定をして、まちがいを認めないなんて、ひどいじゃありませんか」
タクシーがとまり、ドアが開いた。そのとき、いつのまにか記者のうしろについてきていた三、四人のこどもたちが、脇村の背中に口ぐちに罵声を浴びせた。
「インチキ審判!」
「ヘボおやじ!」
「カラス!」
ドアが閉まった。こどもたちの張りのある声が遠ざかり、クルマが走りだした。
(カラスか。うまいことを言う。グラブもバットも持たず、はなやかな選手たちの間を縫って動く、黒っぽい制服を着たカラス)
さっきまで、スタジアムのまんまん中でスタンドの罵詈雑言を浴びていたときの快感、あの昂揚した気分は、もうよみがえってこなかった。こどもたちの声は、脇村の気持を落ち込ませた。ちょっぴり、悲しさが湧いた。そして怖さが首をもたげた。
(こうして世論が生まれるんだ。正義の味方気取りが世論を作っていく。たかが野球とはいえない、と人は言うだろう。“五万人が目撃していた。その中にはこどもも大勢いた。あの審判は、だれが見てもわかるミス・ジャッジを引っ込めずに、メンツで押し通して試合をこじらせた。許せない態度だ”……こうして事実がぼかされ、核心がふやけていく。そして、アウト、アウトの大合唱だ……そうとも、たかが野球とはいえない)
脇村の連想は、この春中学一年生になった息子の|透《とおる》のことに及んでいく。
(明日はあいつの受難の日だ。学校に行く。友だちから突つかれる。「おまえのお父さんの判定でジャイアンツは負けたんだぞ」、あいつは堪える。おれは透に、堪えることを教え過ぎたかな……)
脇村の家は小田急沿線の経堂にある。ナイト・ゲームのあとはたいていタクシーを拾う。デイ・ゲームのときの帰路は電車とタクシーが半々、地方球場で仕事をしたときはホテルまでかならずタクシーで行く。
家に小型の車を持っているのだが、球場通いには使わない。日常活用しているのはおもに妻の奈津のほうである。
タクシーにはできるだけ一人で乗る。審判仲間ともなるべく一緒に乗らないようにしている。チーフ・アンパイヤーをつとめたとき以外は、電車で帰るのが億劫なほど疲れているわけではないのだが、彼が好んで一人でタクシーを使うのには二つのわけがある。
一つは、どこのだれともわからぬ運転手と二人きりでいる暗く狭い密室が、彼の気分を休めるのである。それまで、直径百数十メートルの円型の空間の底で、何万という観衆の眼に四方八方から取り巻かれ、拍手、歓声、怒号、太鼓、トランペットの音を浴びながら、アウトかセーフか、ストライクかボールかを見極めることに集中していた彼の眼と精神が、この膝を折るような狭い空間、音が急に遠のいた空間の中で弛緩し、解き放たれていく。電車の中ではなかなかそうはならない。電車は乗合いの社会である。たくさんの顔や声を眼と耳に受け入れなければならない。それに、試合のあとの審判のミーティングも簡単に終わり、すぐ一風呂浴びる必要も感じない日などは、試合を見終わったファンで満員の電車に乗り合わせることになる。彼らの試合評や選手評が耳に人ってくることは脇村にとっては楽しみの一つだが、それにしてもまだスタジアムを凝縮して電車に乗せたような雰囲気が尾を引いている。脇村の眼と精神は完全には解放されない。
彼が帰路タクシーを愛用するもう一つのわけは、運転手の話を聞くことである。幸いに審判員は選手とちがって、普通の人にはまず顔を知られていないから、一野球ファンとして同じ話を交わすことができる。脇村の気分がよく、運転手も機嫌がいいときは、たいてい今終わったばかりの試合の話をきっかけに野球談義が弾む。脇村はおもに聞き役で、一ファンを装って適当に相槌を打つ。そうしながら、さっきまで自分が審判をやっていたゲームについて、運転手がラジオを通してどう楽しみ、どんな印象を受けたかを聞き取るのが面白い。彼らのファン気質、野球の見方、野球知識などが飾り気なく伝わってくる。熱血型、冷静型、皮肉型、さまざまである。
しかし、今日は脇村はタクシーに乗っても気分が解放されないままでいる。運転手は、行先を告げる脇村に、前を向いたまま「ハイ」と言ったきり黙ってハンドルを握っている。脇村も、「今日の後楽園はどうだったのかな」と水を向けることもできないでいる。
おそらくこの運転手は、自動ドアを開けたときに、こどもたちが脇村に浴びせたことばを耳にしただろう。「インチキ審判!」「ヘボおやじ!」――そして多分この男はジャイアンツ・ファンだろう。
(そうか。このおっさんが今日の負けゲームの憎き敵か。どたんばであんな判定をしやがって。商売だから乗せないわけにはいかんが、選りに選ってとんだ疫病神にとっつかまったもんだ。ああ、ついてない)
運転手の不機嫌そうな後姿から、脇村はそんなことばを読み取りながら、正面から迫って頭上に抜けていく歩道橋や、左右のネオンサインに眼をやっていた。
「お客さん」
前を向いた姿勢を崩さぬまま、運転手がポツリと言った。車が動き出して五分ほど経っている。
「え?」
「今日のは、やっぱりセーフですか」
来た、と脇村は思った。やっぱりさっきのこどもたちの罵声が耳に入っていて、おれが今日の二塁塁審であることを知っていたのだ。
「セーフです」
さっきの吉岡とかいう記者からやっと逃れたと思ったら、ここにも追及の手をゆるめない男がいた。しかも一対一の密室の中である。眼と精神の解放の場所どころではない。脇村は憂鬱になった。相手にすまいと思った。早く経堂に着け。
ところが、運転手は意外なことばを返してきた。
「そうでしょうねえ。審判の人が近くで一番よく見てますもんねえ」
「―――」
「それを、あれはアウトだとか、やれストライクだボールだとか、遠くで見てる解説者やアナウンサーがもっともらしくケチをつけるなんて、おかしいですよねえ」
「今日のラジオもにぎやかだったでしょう」
「まあ、いろいろ言ってましたけどね。気になさることありませんよ」
「ええ、気にしてたらきりがない」
「大体、一番近くで眼をこらしてるのはアンパイヤーだけでしょ。わたしゃ、やっぱり審判を信じますよ」
「ありがとう。運較手さん、どこのファン?」
「へへへ……ジャイアンツです」
脇村は驚いた。そして感心してしまった。
「そう……今日は残念だったね」
「まあね。でも九回のあそこで、それまでヒット五本で二点に押さえてた清水を替えることはありませんよねえ」
「ははあ……」
「ラジオは、清水はもう勝ったつもりで集中力をなくしているから、辰巳への交替は適切だとか言ってましたが、ちょっと考え過ぎじゃないですかねえ。何くそ! と思って続けりゃいいんですよ」
「まあ、ぼくは意見は差し控えます」
「わかってます。とにかく結果から言うんじゃなくて、清水に完投させたかったなあ」
「それに、あれだけ無用な抗議の時間を置いて、ドラゴンズのバッターに余裕を持たせたのがまずいですよ。ツーストライクと追い込んだあとならともかく、ワンツーですからね」
「―――」
「大体、規則では審判の判定に文句を言えばそれだけで退場もんだって聞きましたけど、どうなんですか」
「うーん」
その通りなのである。
公認野球規則
九・○一(d) 審判員は、プレヤー、コーチ、監督または補欠が裁定に異議を唱えたり、スポーツマンらしくない言動をとった場合には、その出場資格を奪って、試合から除く権限を持つ。
九・○二(a) 打球がフェアかファウルか、投球がストライクかボールか、あるいは走者がアウトかセーフかという裁定に限らず、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレヤー、監督、コーチ、または補欠が、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない。
(b) 審判員の裁定が規則の適用を誤って下された疑いがあるときには、監督だけがその裁定を規則に基づく正しい裁定に訂正するように要請することができる。しかし、監督はこのような裁定を下した審判員に対してだけアピールする(規則適用の訂正を申し出る)ことが許される。
何回も繰り返し読み、解釈を重ね、実地に適用してきて体の一部になっている野球規則の文章が、飛び去っていくネオンを見つめる脇村の脳裡で点滅する。
四・○八 ベンチにいる者が、審判員の判定に対して激しい不満の態度を示した場合は、審判員は、まず、警告を発し、この警告にもかかわらず、このような行為が継続された場合には、次のペナルティを適用する。ペナルティ 審判員は、反則者にベンチを退いてクラブハウスに行くことを命じる……
(今日も、あのあとであったな。二塁ベースのおれの耳にも聞こえてきた。「このような行為が継続」されていた。伊集院さんが一度警告を発したが、いじめっ子のように、いつまでもネチネチとやっていた。伊集院さんもおれも、規則を実行する仕事とともに、試合の時間や観客の置かれている状況を考えて、自己の忍耐力を試すのも審判員の仕事であることを思い、そっちのほうに専念した……)
この男にどう答えればいいか。脇村はしばらく運転手の後肩や首筋を眺めていた。
「まあ、規則ではね、監督に限ってアピールや質問をすることが許されてるんですよ」
「つまり、それ以外はだめなんでしょ?」
運転手は突っ込んでくる。
「うん……まあしかし、試合中の選手はエキサイトしてるしハッスルしてるからね、つい言動に出てしまうことがある。受け取るほうの感じ方もあってね、規則を運用するのは人間だから」
脇村は、自分のことばの歯切れが悪く、いつのまにか受け身に立たされているのを感じていた。
「あたしらが見てると、もっとビシビシやっていいと思うことがありますがねえ。規則が文字通りにいかずに建前になったらおしまいですよ」
彼は、ますますこの運転手の態度に感じ入った。見たところ四十前後だろうか。
「交通規則違反なんて、待ったなしですからねえ」
なるほど、しかし、それとこれとは……
「政治だって、憲法だって、何ですか近頃は建前が多すぎますよねえ」
脇村は内心でうろたえ、このあたりで運転手が話題を変えてくれないものかと思いながらも、一方ではいつのまにか体の疲れが恢復し、落ち込んでいた気分も充実してくるのを感じていた。
伊集院さんも言ってたっけ、「私はね、ちょっと迷いが出たときは、よく草野球を見に行ったもんですよ。そこで素人の選手や審判の動きを眺める。思わぬ発見がありますよ。第一、プロでは起こりえない予想外なすっとんきょうなプレーが起こるでしょ。そんなのを頭の中でサッと判定してみる。面白いよ。それに、あの人たちは慣れないだけにボールを素直に見てますよね。初心忘るべからずです。草野球見物は勉強になりますよ。一日のリクリエーションとしても悪くない」――
そうだ。おれも今、この運転手から素直な見方、基本、初心といったものを聞き取っている。その爽かさ、快さがおれの疲れを癒してくれているのだ。
脇村は、先輩審判のことばを思い出させてくれ、家のドアを気持よく開けられそうな気分にさせてくれたことで、このどこのだれとも知れぬ運転手に礼を述べたい気持に包まれて、車に揺られて行った。
透のやつ、父親のあのジャッジについて説明を受けたいと思って、まだ寝ずに待っているだろう。おれは、あの会心のジャッジを、自信を持って息子に話せる。しかしあいつは、学校でそれを詳しくはひけらかさない。ことば少なに、審判をやっているときのおれのような態度で級友たちの悪口雑言に堪える。その拠りどころは、おれの自信のある説明だけだ。あいつは、おれを信じているから堪えられるのだ。
そんなことを改めて考えながら、脇村は、明日の夜、甲子園球場で顔を合わせることになる、もう一人の息子のような青年の姿を思い浮かべていた。
2
甲子園球場のナイト・ゲーム、タイガース対カープの三回戦は、四回の表カープの攻撃に入ろうとしている。序盤、タイガースは塚本、カープは服部と両チーム速球投手の好投でどちらもチャンスを掴めないまま中盤を迎えている。カープこの回のトップ・バッター小島が三塁側ベンチのまえで二、三度全力の素振りをし、バッター・ボックスに向かって歩き始めた。塚本は準備投球の規定数を投げ終え、キャッチャーの|桑門《くわかど》がその球をセカンドに送り、内野手が球を廻し始めた。
チーフ・アンパイヤーの脇村止男は、ピッチャーに尻を突き出す恰好でホーム・プレートの上に上体を折り、小さな可愛らしい箒でプレートを丹念に掃き清めている。その眼と鼻の先に、タイガースのキャッチャー桑門の顔がある。
「今日の塚本、速いでしょう」
「申し分ない。十秒そこそこだ」
「あ、一本やられた」
ボソボソとした会話はこれだけだった。脇村はベースに最後の一刷毛をくれるとシャンと背を伸ばし、小さな箒を尻のポケットに入れて球審の定位置についた。そして、守備のナイン、バッター、ベース・コーチなどをひとわたり見渡し、マスクをかぶり、プロテクターを前に廻し、左手のインジケーターに眼をくれた。小島が右ボックスにスパイクを踏み入れ、足場を固める。ピッチャー塚本は軸足を投手板にかける体勢に入った。脇村はその足の動きにリズムを合せながら、右手を上に伸ばし、短く、しかし大きな声で「プレー」を告げた。スタンドの人の動きがおさまり、甲子園球場にいるすべての人が、第一球のまえに、それぞれの期待、あるいは予想をもう一度チラリと自分の胸にたしかめるような気配が、球場全体にみなぎったようである。
脇村は気持よく仕事を進めていた。二人のピッチャーのリズムと、自分の体のリズムが合っている。
桑門が脇村にさりげなく「今日の塚本、速いでしょう」と言ったのは、もちろん球の速度と伸びのことだった。脇村にもそれはわかっていた。しかしわざと投球間隔の時間で答えたのである。
野球規則では、走者がいないときは、投手はボールを受けた後二十秒以内に打者に投球しなければならない。投手がこれに違反して、球審がそれを明らかな引き延ばし行為だと判断すれば、ボールの宣告となる。
「明らかな引き延ばし行為」の一つの目安は、何球かに一つがたまたま二十秒を超えるのでなく、投球間隔が慢性的に二十秒を超えることだろう。もしこれがそのとおりに適用されれば、日本のプロ野球の投手の中からは、打者に球を投げないのにボールを宣告され、しかもそれが度重なるという珍記録保持者が続々と生まれるはずである。一球も投げないのに四球を与える記録だって生まれるかも知れない。
二十秒以内という規定は、許容限度ギリギリを示したものである。しかし日本の投手は、平常の投球をこの限度ギリギリでするように自分のピッチやリズムを慣らし、わざと危い橋を渡っている人が多い。中には四捨五入すると三十秒台に行ってしまう場合もある。だから、脇村が桑門捕手に「申し分ない。十秒そこそこだ」と言ったのは、久しぶりにキビキビとしたリズムで進む試合にチーフをつとめる審判の喜びの表現でもあったのだ。カープの服部の投球間隔も塚本と甲乙つけがたい。二人とも好調の証拠でもある。
(この調子だと、今日は二百三、四十ぐらいのコールですみそうだな。試合時間も二時間とちょっとだろう)
タイガースの塚本投手が、桑門捕手のサインに簡単にうなずいてワインドアップ・ポジションをとり、球を持つ右手をうしろに引き始めた。脇村は膝を曲げて上体を倒し、ゲット・セットの姿勢に入った。
今朝、脇村は妻の奈津が運転する車で東京駅に向かった。
「おい、早く着き過ぎたから、皇居を一周してくれ」
「物好きねえ。割増料金よ」
あと数日で五月、深くて重おもしい常緑の松に混じって、さまざまな木々の新緑が勢いを増し、皇居一帯や北の丸公園を包み込んでいた。脇村は緑を眺めるのが人一倍好きだ。眼にもいい。いいと思ったことはやっておきたい。久びさの甲子園への旅立ちで、おまけに今夜はチーフだ。ピッチャーの登板と同じで、審判はチーフをやるローテーションに従って体調を整える。ゆうべは一つトラブルがあったが、あれはおれに一層自信を与えてくれたようなもので、今夜に向けての気分の昂揚と精神の集中にプラスになっている、と脇村は自分に暗示をかけてみる。それに、あの運転手との出逢いがよかった。
縁起をかつぐというほどのものでもないが、東京でのコンディション作りの仕上げとして、脇村は緑に包まれた皇居の一周を奈津に注文したのだった。
(どうやら今夜は気持のいい仕事になりそうだ)
「あなたったら、甲子園に行くときはいつも御機嫌ね。まるで恋人に会いに行くみたい」
「ちがいない。甲子園はおれの恋人、後楽園は女房」
脇村は四十六歳、セントラル・リーグの東京勤務審判員で、審判歴は二十二年になる。大阪勤務と併せた二十八人の審判員の中で、経験の長さでは十指に入る。最初の六年は大阪勤務だったが、その後、東西のバランスの調整の時期に希望して東京に移った。地方シリーズ以外は、原則として東京勤務者は後楽園、神宮、横浜の三球場でのゲームを担当し、大阪勤務者はナゴヤ、甲子園、広島の三球場を担当する。ただし年に何節かは他地区のゲームに組み込まれることになっている。脇村にとって今日の移動は、その数少ない機会の一つ、そして、プロ野球の審判としてデビューした懐かしい古巣甲子園への旅立ちだから、自然に心も弾んでくるというものだ。
「じゃ、神宮球場や横浜スタジアムは?」
「うん、まあ友だちというとこだな。おれは大学野球の経験はないからな。六大学出身の人には神宮が恋人だろう」
「まあ、せいぜい恋人のところで羽根を伸ばしていらっしゃい」
「それが、こってりしぼられたりして」
結婚二十年の経験で奈津も心得ていて、夫がチーフ・アンパイヤーをやるときには、あとあとまで気にするような話題や相談ごとは持ち出さないようにしている。そして軽い冗談を言いながら夫を送り出す。その呼吸がわかっている脇村は脇村で別のことを考える。
(帰ってきたら、その皺寄せが来そうだな。家計の相談。それから、家族揃ってどこかに行ける日を探すこと。それがシーズン中にはまず見つからないから困ったもんだ)
甲子園に向かう脇村は、その甲子園の近くで二十年以上まえに奈津とめぐり逢った頃に思いを馳せた。
奈津とは、審判になって四年目に西宮で結婚した。知り合ったのはその三年まえだった。奈津の実家は、甲子園球場の近くで小さな食堂を営んでいた。脇村は審判に採用されて長崎県から出てきたばかりだった。
審判員になりたての頃、脇村は、ある先輩審判員から言われた。
「プロの審判としてやっていくからには、選手に負けないくらい滋養のある食事をとり、スタミナをつけなければいかん。といって、一流のレストランで高いものを食べる必要はない。むしろそういう場所は花形選手がよく出入りするから避けたほうがいい。食事の場所で会うとついお互いに気を許し、おごったりおごられたりしがちだ。審判のほうから節度を保つことが肝心だ。ではどうする。選手たちも知らないところで、案外いいものを安く食べさせてくれる地味な店があるものだよ。そういう、自分にとって一流の店を自分で探すことだな」
奈津は、脇村が自分で見つけた店の娘だったのだ。脇村は、貴重な助言を与えてくれた先輩に感謝の気持でいっぱいになった。彼は、地味だが自分にとって一流の食堂を見つけただけでなく、そこで、地味だが自分にとって一流の女性にめぐり会ったのである。
二人はたちまちお互いに好感をもち、将来を約すまでになった。脇村は奈津に言った。
「おれが一軍の審判に昇格するまで待ってくれ。それまではきみと結婚する資格はないと思ってるんだ」
給料から下宿代を払うといくらも残らない。そういう経済的な面と、嫁を迎える以上は一軍でという男の見栄もあった。
奈津はにっこり笑って答えた。
「待つわ。頑張ってね」
その一言が脇村の何よりも大きな支えになった。
審判員が、まずプロ野球のジュニア・リーグ、通称二軍の審判でスタートし、そこで鍛えられてから一軍に抜擢されるのは、選手と同じである。
脇村はそこでいろんな選手像を見た。まもなく初めて一軍に抜擢されるだろうと自他ともに認めている選手の、弾む心と緊張の混ざった顔や動き。反対に成績不良のために一軍から降ろされた若い選手の、今度はいつチャンスがあるかといった焦燥を隠せぬ姿。あるいは不調のために二軍に調整にきたベテラン選手の、焦りや悩みとは裏腹に示す余裕たっぷりな態度。そして、そうした一軍と二軍の還流地帯から遠くにいる大勢の若者。若者といっても二十四歳の脇村よりずっと年上もいて、バッティング・ピッチャーとかブルペン・キャッチャーとかいわれる人たちには三十歳台もいる。
プロに入った以上は何とかして一軍へと、みんなが思っているはずだと脇村は考えていたが、入っていくらも経たない若者の中にも、二軍は自分の安住の地、月給をもらって野球を楽しむところとわりきっている者もいるようだった。
(人さまざまだなあ。普通のサラリーマンの世界にもこうした人間模様はある。そこでは、出世しなくてもいいとわりきっている人におれは親しみを覚えることもあったし、おれ自身もその一人だったかも知れない。しかしここではそうはいかない)
脇村は、ある選手には心の中で激励し、ある選手には心の中で(そんな態度じゃだめだ。もっとやる気を出せ)と叱り、ある選手には尊敬の念を抱き、そして黙々と自分の精進を続けた。
判定をめぐる選手とのトラブル、審判軽視、悪口雑言、何度もそういう目に遭って、脇村自身もやる気をなくすことが何回かあった。
この世界に入ってみないとわからないことは、選手たちとの関係だけではなかった。審判員同士の間にも古い徒弟制度を思わせる風習があった。新米の頃は先輩たちの靴磨きは重要な日課の一つだった。野球の現場で気分よくジャッジしているときは忘れている嫌なこと、わずらわしいことが、現場を離れるとまた首をもたげた。脇村は何度か思った。やめて佐世保に帰り、漁船にでも乗るか……。しかし、弱気になる度に脇村を立ち直らせたのは、心から野球が好きなことと、何といっても奈津との約束だった。
誘惑もいろいろあった。二軍の選手たちと地方巡業に出ると、行く先々に商売女が出没し、賭博の世界が暗闇に口をひろげて待っていた。そこでの男たちの身の処し方は、日頃の野球への取り組み方、つまり目標を定めた自己抑制、中途半端、自嘲などがそのまま反映した。
脇村とて、何回か誘惑に負けそうになることがあった。その度に脇村を救ったのは、やはり「一軍へ。そして奈津と結婚」の誓いだった。
精進の甲斐あって、一軍の審判に昇格したのは意外に早く、入って四年目早々だった。最初の試合は、甲子園球場におけるタイガース対スワローズのデイ・ゲームで、脇村は一塁塁審に立った。すぐ近くのスタンドで、奈津が脇村の晴れ姿を見守っていた。彼女は、高校野球なら地元のチームが出るときに甲子園で見たことがあるが、プ口野球を見るのは生まれて初めてだった。
(東京オリンピックの年だったなあ。あれからもう二十年か。結婚して三年後に、新しい環境を求めて東京勤務になった。おれも奈津も若かったなあ)
いろんなものを見たい、いろんなものに触れたいという好奇心が、二人とも人一倍強く、思い切って東京に移ろうということで意見が一致した。奈津が実家のそばを離れることをしぶれば、無理に移るつもりはなかったのだが、彼女には、生まれ育った土地にまったく未練はないようだった。むしろ、未知の土地で二人で生活を築くことに張り合いを感じているようだった。
しかし初めのうちは、奈津は周期的にやってくる予期していた以上の淋しさのためにスランプに襲われることが多かった。地方球場を続けて何日も廻ることがあるとは脇村から聞いていたし、それまでにも度たびあったが、その期間がどんなに長く感じられるかは東京に来て初めてわかったようだった。西宮にいた頃は実家に遊びに行くなどして気が紛れていたのだ。
その実家の食堂は、息子たちがみなサラリーマンになったためにあとを継ぐ者がなく、老父母だけで頑張っていたが、寄る年波には勝てず、脇村と奈津が東京に移ってから間もなく、父母は店を畳んで四国にいる長男のところに身を寄せて隠居してしまった。奈津が気安く遊びに帰れる生家はあとかたもなく消え去った。おまけに、五年経っても六年経っても子宝に恵まれなかったので、独りで何日も家を守るときの淋しさはなかなか解消しなかった。しかし、あきらめていたところへ七年経ってやっと透が生まれてからは、奈津もようやく持ちまえの明るさを取り戻した。
透が五歳になったとき、脇村たちは長かったアパート生活を引き払い、経堂にある小家族向きの建売住宅を求めた。当時の収入としてはかなり思い切った買物である。銀行への月々の返済はまだ続いている。
審判員の給与は、リーグ会長との一年ごとの契約更改である。下がることはないが、スター選手のように成績次第で派手に上がることもない。勤続年数によって地味に上がっていく。
(奈津はあまり愚痴はこぼさないが、家計はいまだに楽じゃないだろうな)
脇村の考えがふたたびそこに戻ってきたとき、奈津の運転する車は皇居一周を終えて東京駅に着いた。
「透は明るい顔で学校に行ったか」
「ええ、元気な顔して行ったわよ」
「今日はあいつ、受難の日だ。あれで、ジャイアンツとドラゴンズが逆だったら、透のもてなされ方もまったく逆だけどな。おまえのおやじ、よくやった、ってね」
「気にすることないわよ」
「あの年頃は、一旦くやしさが爆発したらストレートだからな。今日あいつが帰ったら、うまいこと様子を聞いといてくれ」
「ええ」
新幹線に乗って、すぐひと眠りしようと思ったが、なかなか眠れなかった。眼を閉じている脇村の眼底に透の姿が浮かび上がってきた。
中学校の休み時間に、透が四、五人から取り囲まれている。彼らは口々に「おまえのおやじのミス・ジャッジでジャイアンツが負けた」とか言っている。表情を変えずに聞き流していた透は、突然親指を突き出し、凛々たる声で「退場!」と叫ぶ。(これはいい)、脇村は自分の想像に、思わずニヤリとした。あるいは……入学してからの度重なる我慢がとうとう|堰《せき》を切り、親指どころかげんこつを振り廻して級友の中に突入する。大喧嘩になる……脇村は想像をやめた。そして眼を開き、車窓の外の遠くの景色を眺めた。
すると脇村の脳裡には、自分が今の息子ぐらいだった頃のことが次々に浮かび上がってきた。小学校四年生のときに初めて見たプロ野球、中学・高校での野球、そして、今しがた息子について想像したと同じような、あの忌わしい事件、そして社会人になってからの野球で経験した、あの審判の致命的なミス・ジャッジ、プロ野球審判への一念発起、甲子園でのテスト……。
その甲子園へ、またおれは向かっている。選手として甲子園の土を踏むことのできなかったおれは、やがて、審判として踏むことを決意したのだった。そして、おれに果たせなかった夢を、一人の少年に託し、鍛えた。あいつは立派にやりとげた。選手として甲子園の土を踏んだ。あいつはおれの分身だ。そして今、プロの一流選手に成長した彼と、プロの審判のおれとの、目立ってはいけない蔭の交流……どうやらおれも、ここまで来た。あいつは今夜、甲子園でどんなプレーを見せてくれるか。おれの判定に喰ってかかるか。
挫折がおれをプロ野球の審判にしたのか。いや、そうではない。
公認野球規則
九・○一 審判員の資格と権限
(a) リーグ会長は、一名以上の審判員を指名して、各リーグの選手権試合を主宰させる。
審判員は、本公認規則に基づいて、試合を主宰するとともに、試合中、競技場における規律と秩序とを維持する責にも任ずる。
(b) 各審判員は、リーグおよびプロフェッショナルベースボールの代表者であり、本規則を厳格に適用する権限を持つとともに、その責にも任ずる。審判員は、プレヤー、コーチ、監督のみならず、クラブ役職員、従業員でも、本規則の施行上、必要があるときは、その所定の任務を行なわせ、支障のあるときは、その行動を差し控えさせることを命じる権限と、規則違反があれば、規定のペナルティを課す権限とを持つ。
目立たない主宰者、目立ってはいけない主宰者、そして、選手に、監督に、観衆にひっそりと安心感を与え、人びとの心の底に静かに沈んでいて秩序を保っていく主宰者、そしてベースボールの代表者。その道をおれは選び取り、その道をおれは切り拓いているのだ。
気分が昂まってきた。ビールでも飲みたくなってきた。しかし我慢した。我慢の職業である。審判にとって、こういうときにビールやコーヒーは禁物なのだ。いや、それ以外のときでも尿意を催す飲物は常に控えめにしている。それで平気でいられる体質を作るのには十年かかった。
脇村は、喉に液体を送り込む代りに、ポケットから眼薬を取り出して上を向き、眼球に液体を送り込んだ。そしてもう一つの箱をポケットから出した。箱の中をまさぐって、今度は眼ではなく口に放りこんだ。昆布あめだった。
脇村止男は、昭和十二年に、長崎県佐世保市で生まれた。七男四女の十一人の兄弟の末っ子である。父は近海漁業の漁師だった。
脇村が生まれたときには、すでに三人の兄が満州事変と支那事変で戦死していた。「産めよ増やせよ」の国策に忠実だった父も、九人目が生まれたときには、もうたくさんだと思った。それでもまだその後、女の子と男の子が一人ずつできてしまった。十一人目で父母はおそろしくなった。それにどうせ育て上げても男の子はみんな戦争に行かされちまう。お墓の用意だけでも大変だ。もうやめようというので、十一人目に止男という名前がついた。脇村止男とすぐ上の姉は、野球のチームでいえば補欠である。
その脇村が七歳のとき、県南の大村に海軍兵学校の分校ができ、中学二年からこの海軍エリート養成の学校に入れるようになった。地元には佐世保海軍鎮守府がある。脇村はこども心に海軍将校の服装や態度を恰好いいと思っていた。大村なら家からも近いし、大きくなったらそこに入りたいなと思った。しかし、それから一年足らずで戦争が終わってしまった。終わったら急に野球がはやり出した。脇村もいつのまにか野球に熱中し、体の小さいわりには上手だといわれ、いわれるとまた自信がついてさらに上手になり、友だちの間では一頭地を抜くようになった。
小学校四年生のとき、二人の兄にくっついてプロ野球のオープン戦を見に行った。タイガースとホークスの顔合せである。初めて見るプロ野球の迫力に、脇村は眼を見張った。とくに、タイガースの選手たち、別当・藤村・土井垣のクリーンアップを核とするダイナマイト打線のすさまじさに、脇村は息を呑んだ。その中でもとりわけ印象の強かったのは、和製ヨギ・ベラといわれた土井垣捕手だった。バッターが内野ゴロを打つと、バッターと競争するみたいに、重そうな用具をつけて一塁カバーに全力疾走する姿、むつかしいキャッチャー・フライに、ボールに噛みつきそうな勢いで飛びかかっていく姿、キャッチャー・マスクでこすり上げ過ぎたせいか眉毛が薄くなった剽悍な顔、響き渡る声、そして打撃でも、両腕をピンと伸ばし切った先から飛び出すライトヘの痛打――脇村少年はその土井垣の一挙手一投足を二時間近く凝視し続けた結果、帰り道では、「キャッチャーになろう」と心に固く決めていた。
中学では順調だった。二年生になったばかりの春から、軟式野球部の正捕手の座に坐り、背丈はあまり伸びなかったが、キャッチャーにふさわしいがっしりした体格ができていった。そして西海高校に入学して、念願の硬球をいじり始めた。
西海高校は、野球では戦後の新興派だったが、県大会ではたびたび伝統校を破って優勝していた。夏の地方大会にも県代表として出場したこともあり、脇村が入学した頃には、長崎県では甲子園を狙える二番手か三番手に位置を占めていた。
三年生になったとき、脇村はようやく正捕手の座を獲得した。そして、その年のチームは創部以来最強と自他ともに認めていた。「夏にはかならず関門海峡を渡ってみせるぞ」、脇村たちはその思いを胸に秘めて、充実した気分で練習に打ち込んでいった。しかし行手には思いがけない落とし穴が待っていた。
夏の県予選が近づいていたある日の夕暮れ、練習を終えた脇村たち、家の方角が同じ三、四人が連れ立って下校していると、途中の林の蔭から肥前高校の帽子を被った六、七人が現われ、脇村たちとすれちがったあとで引き返してきて、いんねんをつけ始めた。
肥前高校といえば野球では西海高校のライバルで、県下での実力は西海高校に次ぐと目されていた。西海高校とはわりあい近い場所にあり、通学路の重なる箇所もある。肥前高校の六、七人はその重なる箇所を選んで待っていたのだった。西海高校の野球部員に目をつけてわざわざやってきたのではなく、通りすがりであることを示すためだ。顔を見ると野球部員でも応援団の幹部でもなかった。
その日はどうということもなく別れた。相手は脇村たちに手を出す様子はなかった。脇村たちは日頃の堅い申し合わせを守り、グッと我慢してやり過ごした。
しかしそれから肥前高校の一味は、毎日のように脇村たちの帰路に現われ、挑発してきた。そうやって脇村たちの神経をまいらせる作戦ともとれ、相手のほうから手を出すのを待つ作戦ともとれた。
罵詈雑言の度合いは日を追って増した。彼らは、ほかの生徒たちや一般の市民が通りかかると素早く普通の下校の態度を装うのだった。
何日目かに罵詈雑言はその極に達し、脇村たちの耳に集中して襲いかかってきた。個人を中傷することば、母校の名誉を傷つけることば、西海高校の女生徒について|捏造《ねつぞう》した非行の噂、聞くに堪えないことばが次つぎに浴びせられる。(関門海峡を渡るんだ。甲子園だ)と唇を噛みしめていた西海高校野球部員の中で、とうとう一人が腕を振り廻して相手の中に突っ込んで行った。それを機に忍耐の緒を切った部員たちは一斉にこぶしをかためて飛び込んだ。
肥前高校の生徒たちは、ふしぎに反撃してこなかった。両手で自分の顔や体を防ぐだけだった。今度は連中の我慢のしどころだった。しかし長くは続かず、それぞれ一、二発喰らうと、一人の合図で悲鳴を挙げて一目散に逃げ始めた。しかし、その声は作戦成就の喜びの声のようでもあった。
高校野球連盟の裁定は、西海高野球部員の一方的な暴力行為と断じ、同校を出場停止処分とした。肥前高校は被害者とされて何の制裁も課せられなかった。脇村たちは叫んだ。「ミス・ジャッジだ!」――しかし弁明はとりあげられなかった。暴力は事実として残り、挑発のことばや経緯は、暴力という忌むべき事実のまえにたちまち消え去った。
脇村の高校生活から、関門海峡を渡る夢は完全に消えた。
もっとも、そうやって野球によらずに西海高校という目の上の瘤を降した肥前高校も、結局県予選で敗退した。
家業が漁師で、働き手の男が頭から三人も戦死した脇村の家は、彼を大学に進ませるどころではなかった。それでも脇村は野球を続けたかった。先生からは、有名校の選手でもなく体も小さいので、プロのテストを受けても無駄だといわれた。脇村は、迷った末に福岡の新日本炭鉱に就職した。そこのチームは、全国都市対抗野球大会に一度だけ出た実績があった、甲子園の夢が破れたあとは後楽園だ。脇村はそんな気持だった。
入社して三年目に、その可能性がようやく濃厚となった。新日本炭鉱は九州の地方大会に出場し、この試合に勝てば地方代表の一つとして全国大会に出場できるというところまで来た。試合の相手は筑豊鉄道だった。
新日本炭鉱のエースの調子はよく、脇村のリードも冴え、二対一と新日本炭鉱リードのまま、九回の裏の筑豊鉄道の攻撃となった。そしてたちまち一死、新日本炭鉱の投手は、あと二つアウトをとれば後楽園という思いがちらついたのか、肩に力が入ってヒットを許したあと、四球を二つ続け、一死満塁にしてしまった。一打同点か逆転サヨナラのピンチだ。守備側としては本塁封殺が第一、第二が併殺である。満塁だから併殺も取りやすい。守備陣形はスクイズも警戒して浅めになった。
筑豊鉄道のバッターの打球は、守備側にとって絶好のものとなった。スクイズで同点の策は取らず強打に出たのだ。打球は、前進していた三塁手のやや右を襲う強いゴロ。三塁手はその打球を確実にとらえて本塁へ。理想的な五―二―三の併殺コースである。つまり、五―四―三の併殺とちがって、併殺くずれの間に一点を奪われて同点になるという危険がない。まず本塁で二死、次が一塁だから、かりに併殺が不成功に終わっても点は入らない。
しめた! と脇村は思ってマスクをかなぐり捨て、ホーム・ベースに立ちはだかった。フォース・プレーだからランナーヘのタッチはいらない。三塁手は、脇村が一塁へ転送しやすいように、脇村が胸に構えるミットめがけて申し分のない球を送った。
「よし!」
脇村は大声を出してその球を一塁手へ。まだ悠々間に合う。送球はランナーの走り抜けるスリー・フット・ラインをよけて左側へ。勝った! と思った。
ところが、ボールは一塁手の伸ばしたミットに収まる直前に、ランナーの左肩に当たり、外野のほうに転がっていく。打者走者は、スリー・フット・ラインを走らず、ファール・ラインの内側から一塁ベースを走り抜けようとしていたのだ。明らかに守備妨害でアウト、試合終了である。
ところが、二塁寄りから走ってきた塁審は球が外野に転がるのを見て、両手を水平に伸ばし大声で言った。
「セーフ」
そしてボールインプレーとばかり、外野に転がる球の行方を見守った。ライトが全力で前進して球を取ったときには、筑豊鉄道の二塁と一塁の走者はすでに本塁を走り抜けていた。球審はホームインを認めるジェスチャーをし、ゲームセットを宣した。筑豊鉄道の逆転サヨナラ勝ちである。
新日本炭鉱の監督が飛び出して塁審に激しく抗議した。塁審は首を横に振っている。監督は打者走者の走り方を再現した。
「ここですよ、ここをこう走ったんですよ。守備妨害ですよ!」
「いや、そうは認めない」
脇村は球審に喰ってかかる。
「あれが守備妨害でないなんて! 球審のほうがよくごらんになってたでしょ」
球審は脇村の質問をまったく無視し、ウンともスンとも答えない。脇村は怒り心頭に発して監督と塁審がやり合っているところへ駆けつけた。どっちに転んでも試合終了だ。残るはどっちが勝ったかだけだ。相撲の取り直しみたいに「投げ直し」「打ち直し」「走り直し」はない。とにかく終わった。今から退場処分を喰らおうが屁でもない。
「アンパイヤー! 球審とぼくの位置からはっきり見えたんですよ。球審に聞いてくださいよ」
「余計なこと言うな。審判の判定に口を出す気か」
「単純なアウト・セーフの問題じゃありませんよ。六・○五のK項と七・○九のK項のインターフェアですよ。野球規則を持ってきましょうか」
「き、貴様あ、退場!」
「ハイハイ――念のためうかがいますが、試合終了後の退場処分は記録に残りますか」
「――審判を愚弄する気か」
「いえ、ただの質問です」
「審判は記録係ではない!」
「脇村、おれに任せろ。ベンチに帰っとれ」
監督が言った。
結局、審判の判定どおりで押し切られた。三対二、新日本炭鉱は脇村の一塁悪送球という「失策」で敗退したのである。脇村は監督から慰められた。
「高校や大学とちがって卒業というものはないからな。おまえにはまだ何年もチャンスがあるよ」
しかし、そうはいかなかった。昭和三十年代半ばにさしかかり、未曾有の「神武景気」や「岩戸景気」と謳われる中で、第一次エネルギーの石油への転換と技術革新が進み、石炭産業は頭打ちから下降へと向かい始め、失業者が増え、企業整備合理化をめぐって、三井鉱山をはじめ三菱、住友、古河、明治と激しい争議がひろがっていった。野球どころではなくなった。
新日本炭鉱の硬式野球部は企業合理化方針に副って解散させられた。脇村は、不況の風が舞い、遊休設備と失業者が増えた炭鉱町で、黙々と事務机に向かい、草野球の試合やコーチで気をまぎらせ、ジャイアンツの新人長島茂雄の活躍ぶりを、炭鉱の没落と裏腹に急成長を示す家庭電器のチャンピオンであるテレビで眺めていた。
(あの映りの悪い白黒テレビを眺めていたときだったなあ。プロ野球の審判になってやろうとひらめいたのは)
脇村は二つめの昆布あめを口に放り込んだ。あと二十分ほどで新大阪である。
(どうすればいいかわからずに、とにかく無我夢中でセントラル・リーグ会長に手紙を書いたんだったなあ)
どうせろくな返事はこないだろうと思っていたら、意外にもすぐに丁寧な回答が寄せられた。
リーグでは今、審判員の整備充実を検討中である。しかしすぐに要員採用テストを実施するまでには至っていない。現在のプロ野球審判は、大学野球審判からの移行など少数の例外を除いては、プロ野球選手経験者が主流である。リーグではアマチュアからの採用を含めて、新しい審判を養成する構想を進めている。あなたの熱意を多とし、テスト実施にあたってはかならず御連絡をさしあげるから、今しばらく待機しておられたい。
大体こういう内容だった。待とう、と脇村は思った。それまでは、不況の炭鉱会社からいつクビになって追い出されるかわからないという不安もあり、転職も考えていた。しかし、ここで待てるだけ待とうと思った。
脇村はコツコツと体を鍛え続けた。そして夜は野球規則を繰り返し読んだ。
同僚や近所の中学生・高校生たちとの草野球は楽しかった。脇村のコーチで、こどもたちはめきめき上手になった。炭鉱で働く人も、失業者も、野球に興じているときだけは生活の苦労を忘れた顔になっていた。
二年近く経った。石炭産業の斜陽化はますます深まり、会社ぐるみの業種転換に失敗したりで倒産が続いた。新日本炭鉱も抜本的な方向転換を図り、とうとう脇村も人員整理の対象になった。もはやこれまでと思っているところへ、セントラル・リーグから審判員採用テスト実施の通知が届いた。採用通知ではないのに、脇村は天にも昇る気持がした。そして彼は、その気持どおり是が非でも天に昇らなければならなかった。元に戻ろうにもすでに新日本炭鉱へのはしごは外れてしまっていたからである。
彼はわずかな退職手当を握り、炭鉱町に別れを告げて、第一次のテスト会場の甲子園をめざした。一月末、九州の炭鉱町にも、甲子園にも寒風が吹きすさんでいた。
脇村は、旅費も宿泊費もすべて自弁の就職旅行で、初めて関門トンネルをくぐり、初めて甲子園の土を踏んだ。寒空の下のスタンドは人影なく静まり返り、冷たい風が内野に土埃を巻き起こしていた。そして、五、六十人の受験者がテストを待って寒そうに並んでいた。採用は二人か三人だという。
(こういう形で甲子園に来るとは思わなかった。しかし、遅まきながらおれは、たしかにこのグラウンドの土を踏んでいる。そしておれにはあとはない。負けて帰る母校はない。よし、絶対に受かってみせる。そして、ミス・ジャッジをしない最高の審判になってやるぞ)
第一次の実地テストとペーパー・テストは脇村にとってはごく基本的でやさしいものだった。それに合格して数人に絞られた脇村たちは、二月一日に始まるプロ野球のキャンプに合流して本格的なテストを受けることになった。予定は一週間だという。脇村は、これはハード・スケジュールの中でのコンスタントな力を試されるのだと思った。
炭鉱町で待機中にたゆまず体を鍛え、草野球でプレーや審判やコーチを続けてきたことが役に立った。選手の動きと球がよく見える位置への敏捷な移動、コールのタイミング、その姿勢、そして常にハッスルする態度が、いつのまにか身についていた。脇村は審判部長の眼をひいたようだった。
あとで聞くと、審判部長はにやりと笑いながら、採用の決め手になったものとしていかにも単純な理由を挙げた。「眼が輝いている」「声に張りがある」の二つである。
(しかし、あのときは一見単純そうに思えたこの二つのことが、審判にとっていかに大切なものかを、おれは経験を重ねるほど痛感してきた。眼と声、それに身振り――これは俳優の要件だ。目立たぬ俳優、忘れられていていい俳優、演技を押さえた俳優……)
列車は新大阪駅に滑り込んだ。脇村はとうとう睡眠をとらないままだった。
タイガース対カープの三回戦は、近頃では珍しく速いペースで八回の裏に入ったところだ。タイガース・塚本、カープ・服部の両投手とも、まだ相手に得点を許していない。
よくラッキー・セブンというが、こういう○対○の試合では、八回の裏にホーム・チームが一点でも挙げると絶対優位に立つ。これが打撃戦で、たとえば七対七からのまた一点というのならともかく、両チームを通じて初めての得点ともなればピカピカ光る稀少価値である。ホーム・チームのピッチャーは九回の表の一回だけ緊張を持続すればいい。ラッキー・セブンに対して脇村はこれを秘かにマジック・エイトと呼んでいる。ビジッティング・チームのバッテリーもそのへんを心得ていて、一球も気を抜かずにくるにちがいない。今日はこの八回の裏がポイントである。
脇村は例によってピッチャーに尻を突き出し、ネット裏を拝むような恰好でホーム・プレートを掃く。今度はカープのキャッチャーの森崎がさりげなくつぶやいた。
「脇村さん、今日の服部、最高でしょ」
「うん、みんな急所を突いてくる」
「ヘヘヘ」
「バッターじゃなく、おれのな」
「あ」
森崎はニヤリと笑った。
脇村は、ピッチャーの調子がいいとき、その球がすべて自分の球をめがけて飛んでくる気がする。右から左から、上から下から、ストライクはもちろん、ボールになる球も、好調なときは初めはかならず脇村の急所を狙ってから逸れていく。初めからボールとわかる球は少ないのでバッターも気を抜けない。そしてつい手を出す。無駄な球がないのだ。
もちろん球審はサポーターをつけ、その内側にはプラスチックか薄いスチールでできたカップをかぶせて万全の武装をしているが、それでも冷汗をかくことがある。まえにキャッチャーがしゃがんでいるからといって安心はできない。キャッチャーの股の下から直撃してくることもある。
バットを持ってボックスに近づいてくるのは、タイガースのキャッチャー桑門。キャッチャーながら常に六番を打ち、タイガースのクリーンアップは四人いると評されているほど打撃もいい。
(打つのもキャッチャー、捕るのもキャッチャー、ジャッジするのも元キャッチャー)
キャッチャー出身の脇村は、広いスタジアムの狭い一か所に三人が寄り集まった図に、妙な親愛感を覚えた。これも初めてのことではない。かりにバッターがキャッチャーでなくても、とにかく打者と捕手と球審の三人だけが、他のすべての選手や審判と反対のほうを見つめて狭いところにかたまっているので、脇村はよく、打者と捕手は敵同士ではなく、自分を含めて三人で他の全員を相手に何かをしているような気持になる。今日は特にそれを感じる。好試合だからである。今日は両チームのキャッチャーともリードがいい。調子のいいピッチャーの球を、呼吸の合ったリードによってなお一層生かしている。桑門も森崎も甲乙つけがたい。
脇村のそんな気持がことばになって出た。
「今日なら延長十二回やっても三時間だな」
二人の捕手への平等なことばである。一対一のときも作戦の暗示につながりそうなことばはもちろん避けているが、相手が二人となるとなおさら気を使う。
「なりそうですか」
桑門が聞く。
「さあ」
脇村は慎重に身をかわす。桑門は、すでにマスクを着けてしゃがみ込んでいる森崎に言う。
「森崎さん、すごいですねえ、今日のカーブ」
「そう、いいのはカーブだけ」
お互いに誘いである。二人とも今日の服部の球の中で、カーブが特にいいと思っているのかどうかはわからない。裏を言っているのかも知れないし、裏の裏かもわからない。
それぞれの仕事に向かう姿での十秒たらずのやりとりがすむと、脇村がプレーを宣した。
第一球、外ヘギリギりのカーブ。
「ボール」
脇村の低い声には、「惜しいけどな」という感じも含まれているようにとれた。
「あれ……高さですか」
森崎がまえを向いたまま聞く。
「そう。チョイ低い」
第二球、これも外角へ抜くフォーク・ボール。桑門はバットを出しかけて止める。
「ストライク!」
脇村のコールに、今度は桑門がまえを向いたまま言う。
「ありゃ、コース通ったんですか」
「イエース」
二人とも心の中では脇村のジャッジの正しいことを認めたうえで、脇村に顔を向けないままブツブツ言っている。打者と捕手のかけ引きである。
脇村も、自分のジャッジがいつもより正確で、その自信が態度に現われていることを知っている。こういうときは、ひとりひとりのバッターに応じたストライクゾーンが、脇村の眼底にたちどころにはっきりした輪郭を描き、しかもそれが揺れ動かない。それだけでなく、どんな快速球もベースの上で一瞬止まって見える。この実感は、往年の大打者だけのものではないのである。
さて服部の三球目、インコースをえぐる伸びのあるシュート、ストライク。桑門は、
「あぶないあぶない。手を出したらバットを折っちゃう」
一体、彼は何を待ち、何に的を絞っているのだろう。バットを一度も振らないまま追い込まれている。しかし裏を返せば、相手のキャッチャーもこういうふうになかなかバッターが手を出さないときは気味が悪い。しかも相手もキャッチャーだからこっちの身になって推理することができる。おまけに桑門は好打者だ。始末が悪い。
(森崎は考え過ぎだ。今日は服部の最上級のストレートが使えるのに)
脇村は、すぐ眼の前の森崎の厚い肩を見ながらそう思った。
結局森崎は、服部に一球ゆるいボールで外させたあと、脇村が使えばいいのにと思っていた最上球の外角への直球を服部から引き出した。眼にも止まらぬ速球である。しかし、森崎が狙わせた低目ギリギリよりほんの少し高いか。その瞬間、この球を引き出したのはおれだとばかり、桑門は狙いすましたフォームで左足を踏み込み、スムーズなバットの振りでジャスト・ミートした。打球は伸びに伸び、ライト・ポールの中ほどを直撃した。
(土井垣……)
脇村は、ベースを一周し始めた桑門の姿に眼をやりながら、小学校四年生のときに見た土井垣捕手の姿を思い出していた。
試合はこの一点がすべてだった。脇村がひそかに名づけているマジック・エイトに、自分の一振りで両チーム併せて唯一の得点を挙げた桑門は、上機嫌で塚本をリードし、塚本も渾身の力をふりしぼって九回を三人で片付けた。両投手完投、一対○、タイガースの勝ち、試合時間二時間○八分。
審判更衣室で、脇村は気持よくシャワーを浴びていた。心身を集中しつくしたあとの弛緩と、好ゲームの快い余韻が混じっている。
今までのチーフの仕事の中では一番気持がいいものの一つだったなあ。今日のコールは、九九・九%正確だった。両方のバッテリーとおれとで、キビキビとした試合のリズムが作れた。コールが正確なので、おれのほうに向き直って残念そうなジェスチャーをしたり文句をこぼしたりするケースは、両チームともバッターもキャッチャーも一度もなかった。前を向いたまま小さい声を出すだけだった。こういうことも珍しいな。
お客さんも満足していた。最後まで気持を引きつけておいて八回の裏に一点、しかもホーム・チームの勝ち。六時半に始まったゲームが八時三十八分に終了、お客さんは今夜は余裕を持って家に帰れる。
かくして、審判の存在が観衆やプレーヤーの意識にほとんど介在しない試合、審判がまったく注目を浴びない試合、それゆえにすべての人にとって一番いい試合を、おれは主宰したのだ。
そして、この試合に一点の鮮かな花を添え、今日一番の歓声を浴び、注目を浴びた桑門弘志。おれが育て上げたと自負するおれの分身、おれが少年のときに抱いた一流捕手への夢を引き継ぎ、おれが夢見た甲子園で花開いてくれた桑門弘志。おまえはまだまだ成長を続けるだろう。
着替えをして外に出ると、夜風が首筋に涼しく当たり、その中にわずかに暖かさも感じられた。晩春から初夏への移り変わりが、東京よりも少し早いようだ。
例によってタクシーに乗り、運転手が上機嫌でタイガースの勝った様子を語るのを聞き、「桑門、あれはええキャッチャーでっせ。まだ二十六、七でっしゃろ。まだまだ伸びまっせ」と言うのにうなずき、大阪市内のホテルに帰って落ち着くと、急に奈津に電話をしてみたくなった。
「いかがでしたか。恋人の御機嫌は」
「ああ、今夜はすこぶる付きの上機嫌だよ」
「透はラジオを聞いてたわよ。せっかくお父さんがチーフをやるのにテレビ中継がないって残念がってたけど」
「もう寝たのか」
「まだ起きてると思うわ。それがねえ、あなた……あ、ちょっと透と代るわね。本人から報告させるわ」
何かあったな。やっぱりきのうの後楽園のことかな……
「おう、ラジオ聞いてたって? 桑門のホームラン、すごかったぞ。ポールに一直線」
「―――」
「どうした」
「きょう……」
「きょう、何だ。はっきり言え」
「学校で、二人なぐっちゃった」
言い終わったとたんに、しゃくりあげ出した気配である。(とうとうやったか)、脇村は嬉しそうな声を電話で伝えたい衝動に駆られたが、我慢して低い声で言った。
「そうか、なぐったか。何発だ」
「一発ずつ」
「相手は?」
「逃げちゃった……先生のとこに」
おれのときと同じだ、と脇村は思った。
しばらく経って、また涙声が聞こえてきた。
「お父さん……ごめんなさい。ぼく……約束やぶった」
脇村もちょっと胸が詰まり、しばらく絶句した。
「やっちまったことは仕方がない。しかしいかんぞ、なぐるのはいかんぞ」
「うん」
「あやまったか」
「うん」
「先生は?」
「先生に呼ばれて、両方であやまった」
「よし」
しばらくして脇村は言った。
「今度、お父さんが審判をする試合に、透とその二人の友だちを招待してやる。そう言っとけ」
「はい」
透の声がちょっと元気になったところで、脇村は電話を切った。
息子の友だちに詫びるつもりでも、御機嫌を取るつもりでもなかった。こどもたちは間接的な情報に毒され過ぎている。おれは、こどもたちに専門家としての情報や解釈を口で与えて屋上屋を重ねるようなことはしたくない。こどもたちは、自分の眼で、アナウンスも解説も入らない空間で、じかに野球を見、おれの姿や動きを見るのが一番だ。そのうえで、疑問が湧いたらぶつけてくるがいい。
脇村はまた桑門弘志のことを思い出した。おれは、あいつにもあまりくどくどと話したりはしなかった。おれの短い一言を、あいつは自分の体で受けとめて生かしてきた。おれが教育したとか、おれが育て上げたなどと、もう考えないことにしよう。育ったのは、あいつ自身の力なのだから。
脇村は快い空腹を感じた。そして、一度脱いでベッドに放り出した上着を着、ホテルのレストランに向かって部屋を出た。
3
脇村止男が桑門弘志に初めて会ったのは、十年ほどまえのことである。父の七回忌に顔を出したついでに、久し振りで何日かの休暇を取って故郷の佐世保に帰った脇村は、ふと思い立って母校の西海高校を訪れた。そこで練習していた野球部員の中に、一年生の桑門少年がいたのである。そのとき脇村は三十六歳、すでに東京勤務になっていて、セントラル・リーグの審判員の中では中堅の位置にいた。
小高い丘の上にある母校の姿は、脇村がいた頃とはすっかり変わっていた。瓦屋根の木造校舎は真っ白な鉄筋コンクリートの校舎に建て替っており、校庭から柵もなしにそのまま続いていた林、よく脇村たちが飛び込んだボールを探しに入った林は消え失せていて、白っぽい人家が建ち並び、校庭との境には高い金網が張りめぐらされていた。
(肥前高校とのトラブルがあったところは、林のむこうだった。そうするとあの林に沿った静かな道は、今は舗装されて両側には住宅が並んでいるわけだ。行ってみても仕方がないな)
ふと脇村は、卒業以来こうして初めて母校を訪れている時期のふしぎさに気がついた。
(おれは今、三十六歳。ここを卒業したのが十八歳。おれは、偶然それまでとまったく同じ年数を経て、やっと今ここに足を向けている)
何もかも変わるのはあたりまえだ、と脇村は思った。しかしその中で、相変わらず同じ風景があった。それは、帽子からストッキングまで真っ白な、いや、校庭の土や泥がこびりつき、汗にまみれているのでまっ白とはいいがたいが、とにかく何のマークも飾りもない練習用ユニフォームを着た少年たちが、張りのある声やかすれ声を発しながら一心に球を追っている姿だった。晩春の放課後、校舎の影が東に伸び始め、陽光がかげり始めている。
脇村はバックネットの裏に廻った。そしてしばらくはいろんな少年たちの動きを眺めていたが、それが一段落すると彼の眼はやはりキャッチャーの後姿に集中していった。
背丈は低いほうだろう。肉もまだ付いてなくて、背中の感じはまだ中学生みたいだ。しかし、時折り見せる二塁や三塁への送球は力があって確実で、動作も機敏だった。肉は付いてないが骨と筋肉がしっかりしているのだろう。送球の姿勢も、ミットを右耳のそばまで引き寄せてボールを右手に持ちかえ、その位置から反動をつけて小さなモーションで投げる捕手の基本にかなっている。
キャッチングはどうか。体のわりには足幅が少し広いかな。体重ももう少し前にかけたほうがいい。
脇村がそんなことを考えていると、バッターの打球が高いキャッチャー・フライになって、キャッチャーのまうしろ、ネット裏の脇村のすぐまえに上がった。
勘も動きも悪くない。球の動きをフォローする姿も安定していたが、結局ポロリと落とした。
「眼の高さで捕る!」
脇村の口から思わず大きな声が出てしまっていた。ネットを隔てて目と鼻の先の少年は、悪びれずに帽子を取って、脇村にピョコンと頭を下げた。それから、脇村のことばを復習するように、ミットを胸の上部に構え、上を向いて眼の高さで捕球する恰好をした。
(眼がいい。輝いている)
と脇村は思った。そして、審判員採用テストのときに自分もそういわれたことを思い出した。
監督らしい男がネット裏に廻って脇村に近寄ってきた。脇村は後悔した。思わずあんなことを言ってしまったために、監督から「指導がまちまちになりますから、なるべく口を出さないでください」などと言われるのではないか。
「失礼ですが、先輩の脇村さんではないでしょうか」
意外だった。脇村はその男に見覚えはない。聞いてみると、脇村の卒業と入れちがいに西海高校に入ったが、中学生の頃から高校の対校戦をよく見ていたという。
「めったにない機会ですから、生徒たちに何か話していただけませんか」
「いやいや、あたしは話は苦手でね」
「それじゃ、コーチをしていただきながら」
「先生の方針と喰いちがっては御迷惑ですよ」
「私なんか素人同然で、方針というほどのものもありませんよ」
「プロの在籍者が手を貸すと、出場停止になりかねませんよ。学生野球憲章の第10条の禁止条項に審判も入っていることはご存じでしょう」
「ええ、それは知ってますが、こういうときは別ですよ。それに、噂にされるのは強い学校だけです」
脇村もこういうときは別だと思った。もし、十八年ぶりにぶらりと母校を訪れた先輩が、プロであるばっかりに生徒に即座の指導や助言ができないとしたら、それは規則のほうがどうかしている。それにしても残念なことには、この先生が言う通り、西海高校は野球では「強い学校」ではなくなっていた。夏の大会の予選が始まると、新聞を読む脇村の眼はまず長崎県予選の記事を探す。ここ何年も、母校は一回戦、よくて二回戦で姿を消している。
脇村は、「じゃ、ちょっとだけ」と言ってバックネットの内側に廻った。
三十分経つと、キャッチャーの捕球姿勢は見ちがえるようによくなった。足幅もほどよく定まり、足の両親指のつけ根に体重を乗せよという脇村の指示で、太ももの構えにも張りが出てきた。
あと三、四人の個人指導をしたあとで、十五、六人しかいない部員を車座に坐らせ、キャッチ・ボールやランニングのごく基本的な話をした。その日はそれで解散となった。
「あのキャッチャーは素質がいいですね」
「やっぱりそうですか。体つきからいって、ショートにでも廻そうと思ってるんですが」
「どこのポジションでも、体つきにはこだわらないほうがいいと思いますよ。まだ十六ぐらいでしょ。体ができるのはこれからです。キャッチャーをやればキャッチャー、ショートをやればショートの体つきになっていくものです」
「なるほど、どうもわれわれには先入観があり過ぎますかねえ」
「プロの世界でも同じですよ。まあ、先生や本人次第ですが、ぼくはあの子はキャッチャーがいいと思うなあ」
「往年の名捕手のおことばですから、まちがいはないでしょう」
「ひやかさないでください」
「うちの部では一、二年で二つか三つのポジションを廻って、三年生になって一つにしぼることにしています」
「ほほう」
この監督は、今の高校野球の世界では無理して強くなどなりたくないと言った。脇村には負け惜しみも入っているように聞こえたが、話を聞くうちに面白いと思った。――
――他のスポーツもそうだが、野球も高校のクラブ活動として三年間をどう充実させるかを考えればいい。大学やプロ野球の前段階などと考えるのはよくない。今の一般の風潮は、勝つために、甲子園に近づくために、大学やプロの技法や作戦を採り入れ過ぎ、その消化に力を入れて基礎の基礎がおろそかになりがちだ。ここでは二年生までは二つか三つのポジションをやり、三年生で一応的を絞るようにしている。だから夏の大会に向けたチーム作りやスケジュール作りなど、あまり考えていない。野球はスポーツ、スポーツは遊びだ。遊びの基本と遊びの楽しさを三年間でどう味わうかだ。こんな考えの教師が預かっている野球チームが、そう簡単に他校に勝つはずがない。――監督はそう言って苦笑いした。
「おはずかしい次第です」
「いやいや、実に素直で面白いお考えだ。プロの審判としてぼくが感じていることにも一脈相通じるものがあります」
「脇村さん、あの桑門というキャッチャーを、これからも機会があれば見てやっていただけませんか。私もあの子は逸材だと思います」
脇村は結局、翌日も翌々日も監督から乞われて生徒たちをコーチすることになってしまった。桑門少年は、二年生になったら一度ピッチャーをやりたい、そして三年生にまたキャッチャーに戻りたいと言った。
「それはいい。ピッチャーをやるとキャッチャーのことがますますわかってくる」
脇村は桑門を励まして別れた。
(おれは、あの少年を捕手として大成させてみたい。おれの果たせなかったことをやらせてみたい。甲子園、これはあのチームでは無理だろう。プロの選手としてあそこでプレーするのなら別だが……桑門少年よ、プロの選手になってくれないか。そして、きみは選手として、おれは審判として、甲子園や後楽園で一緒にやってみないか)
夢に近いようなことを考えながら、脇村は故郷をあとにした。
それ以来、プロ野球がシーズンオフになると、脇村はできるだけ長期滞在のスケジュールを作って左世保に帰り、桑門弘志の集中指導をした。冬がめぐってくる度に、桑門の体は背丈はあまり伸びないがたくましさを増し、技術も知識も考え方もしっかりしてきた。野球の有名校に在籍しているわけでもない、体の小さいキャッチャー、それはそのまま脇村の高校生時代を思わせた。しかし脇村は、桑門がその頃の自分の力をはるかに凌駕していることを知っていた。もし、有名校の正捕手でいれば、慧眼なスカウトの目にとまるだろう。
桑門の高校最後の冬、脇村は彼の希望進路を聞いてみた。彼は、できれば大学に進みたいが、家の事情で無理かも知れないと答えた。「それなら……」と脇村はほとんど口に出しかけた。プロのテストを受けてみないかと。しかし思いとどまった。そのとき、本人がプロなどまったく念頭にないことは明らかだった。自分の実力に桑門は気づいていなかった。それまで、脇村も一度もプロをすすめたことはなかった。まだ、そっとしておこう。相談を受ければ別だが、おれのほうからは何も示唆すまい。
その冬の左世保滞在から帰京してしばらくすると、桑門から手紙がきた。
大学受験は断念しました。できれば私は大阪か京都の大学に行って野球部に入り、脇村さんから三年間教えていただいたことを、大きな場所で生かしてみたいと思っていたのですが、父母の負担を考えると、とても無理です。父は魚河岸で一所懸命働いていますが、私の兄弟は五人もいて、食べさせていくだけでやっとです。私は真ん中で兄が二人いますが、彼らも大学に行けませんでした。私だけ特別というわけにはいきません。
しかし、私は野球を続けることができます。私は、硬式野球部のある、福岡の菱倉電機に採用が決まりました。働きながら野球を続けます。社会人野球もレベルが高いと聞いています。仲間に負けないように頑張ります。
これも、三年間の脇村さんの御指導のおかげです。本当にありがとうございました。
(おそろしいほど、おれの辿ったコースに似てる。それに環境も)
貧乏人の子沢山、キッチャー志望、社会人野球……桑門よ、菱倉電機なら都市対抗に出られる実力があるぞ。頑張って後楽園に出てこい。おれが、寸前でミス・ジャッジのために涙をのんだような目に遭わずにな――
脇村は桑門からの手紙をたたみながら、プロのプの字も書いてないことに、ちょっぴり淋しさも感じたが、一方では、他人の示唆を受けることなく彼自身が進路を切り開いたことにホッとしていた。
そして、桑門が菱倉電機チームの正捕手として、全国都市対抗野球大会に出場したのは、入社三年目のことだった。二人は三年ぶりに東京で再会した。
(こいつは、おれの夢を、おれに代ってまず一つ果たしてくれた)
菱倉電機は二回戦で姿を消したが、その年の秋、桑門が休暇を取ってわざわざ脇村に会いにきた。初めての一身上の相談だった。
「タイガースのスカウトの人が、ドラフト会議で指名したいと言ってきました」
「ほう、会社には言ったのか」
「はい、会社も知っていました」
会社は、口を挟む意図はない、本人の判断に任せるとのことだったそうだ。桑門は迷っていた。力を試してみたい気もする。
「しかし、ほかの転職とはちがいますし」
「そう、普通の転職ではない。天職だ」
「―――」
「きみは今まで一番、これが天職だと感じたものは何かね」
「―――」
「いくつになった」
「二十一です」
「あ、そうだったな。今の質問に答えるにはきみはまだ若過ぎるかも知れない」
「いえ、わかります。やっぱり野球です」
「――そう思うか」
「少なくとも趣味や特技という感じはしません」
「焼物を作るのが天職だと思う人は、焼物で一流になって食べていく。絵を描くことが天職だと思う人は、どんなに苦しくてもその道で食べていく。つまり、プロとは、それを天職だと思って逃げない人のことだ。一見そう見えてそうでない人もいる。プロ野球にもいる。金を得る手段に過ぎないと思う人がね。それはプロという世界にいてプロでない人だ」
「脇村さん、ぼく、プロでやってみます」
「そうか、おれと一緒に甲子園や後楽園で、お互いにちがう立場でやってみるか」
「はい」
(こいつはまた、おれの夢をもう一つ現実にし始めた……)
脇村の心の中には、胸が詰まりそうな嬉しさとともに、二十一歳の青年に対する、かすかな嫉妬もあった。
その年のドラフト会議で、桑門弘志はタイガースから第三位指名を受けた。挨拶に来た桑門に、脇村は言った。
「今日限り、おれはきみの相談相手ではなくなった。助言もしないし、すべきでもない。今日からは、審判と選手との関係だ。おれはきみのプレーを判定するだけだ。試合以外のときにも、会って話したり飯を食ったりすることは控える。まあ、一緒の席に連らなるのは同窓会ぐらいだな。きみもそう心得たまえ」
脇村は、うなずきながら聞き入る桑門を眺め、(五年のあいだに、すっかり大人になったな。しかし、眼の輝きは、高校一年のときと同じだ)と思った。彼の脳裡で、少年から青年にかけての二人の像が、一瞬重なった。
おれとおまえは、言ってみれば、お互いがお互いの影なのさ。おまえは、おれが描いた一流捕手という夢の影だ。そしておれは、その夢が実体となって躍動するおまえの影だ。見るがいい。ミットを構える捕手のまうしろに、捕手の黒い影のように添っている球審の姿を。そして、影同士はお互いに口をきかないものなのだ。考えてみればふしぎな関係だな。
甲子園でのタイガース対カープ三連戦の審判を勤め終えて東京に帰った脇村には、翌朝、足かけ四日の東北・北海道シリーズに出発するスケジュールが待っていた。家では一晩休んだだけである。こういうときは、家庭は単なる中継点である。脇村は奈津に言った。
「今晩あたりは、きみは五―二―三のダブルプレーのときの優秀なキャッチャーに見える」
「いじわる、あたしが野球がわからないこと知ってるくせに。何のこと?」
脇村は、新日本炭鉱でキャッチャーをやっていた頃の、あの痛恨きわまる幕切れを思い出しながら、奈津に野球のたとえ話を続ける。
「サードが球をキャッチャーに送る。キャッチャーは受け取りざまファーストに送る」
「全然わからない」
「球がホームにとどまるのは、ほんの一瞬ということさ」
「キャッチャーは球を持ってちゃいけないの?」
「あとで監督から罰金を喰らう」
四日目の晩にホームに戻ってきた球は、次の日は久しぶりにホーム・ベースで日ねもすくつろぐことができた。脇村は奈津と散歩に出た。経堂の自宅と駅の間は歩いて二十分ほどの距離だが、その間の静かな道を選んで、往復二時間ぐらいかけて歩くのが好きである。ちょっと脇道に入ったところに広い畠が開け、湿っぽい黒土がひろがっていて、四季折々の野菜が育っている。土の匂いがする。
「いい匂いだなあ。土は」
「野球場も土の匂いがするでしょうに」
「うん、甲子園とか、きのうまで行ってた地方球場では匂うけどね。でも畠の土の匂いは格別さ。明日からしばらくは、土の匂いのしないところで仕事だ」
「人工芝って、どんな匂い?」
「匂いがしない」
これから夏に向かうにつれて、広い人工芝の上での仕事はつらくなる。輻射熱が異常に高くなるのだ。しかも選手とちがって、審判には攻守交替というものがない。三時間前後立ちっぱなしである。
「透は喜んでたようだな」
「透よりも、お友だちのほうが大喜びだって。ジャイアンツとタイガースの試合を内野席で見られるなんて、大変なんですってね」
「うん……おい、大変ついでに、きみも明日、透たちと一緒に見にこないか」
「だって、野球わからないもん」
「わからない人にも、何か面白いことが起こりそうな予感がする」
「わからない人にも? どんな?」
「いや、それがわかってれば面白くないさ。あくまで予感。まったく野球ってやつは何が起こるかわからない」
脇村の思わせぶりなことばに釣られたか、奈津は珍しく夫の仕事場に足を運ぶ気になったようだ。
レフト・スタンドから大歓声が挙がった。打球はライトとセンターの真ん中を抜け、フェンスに勢いよくぶつかってライトのほうに大きくはねた。予期せぬクッションの方向にあわてた右翼手が懸命に追いかける。打ったランナーは二塁を廻るときにその様子をチラと見て、スピードをゆるめずに三塁をめざす。三塁コーチがスライディングの指示を送る。ライトからの球を中継した二塁手が振り向きざま三塁へ放る。ランナーは身をかがめてヘッド・スライディング。三塁手の強烈なタッチ。三塁塁審は両手を勢いよく横に伸ばした。滑り込んだ桑門はベースの上にスッと起き上がってユニフォームをはたく。セーフを宣した脇村はベースから二、三歩うしろにさがる。
後楽園球場でのナイト・ゲーム、ジャイアンツ対タイガース五回戦は、九回表の大詰めである。
脇村は、三塁側内野スタンド中段の一画を、試合の初めに一度見ただけで、あとはファールフライを眼で追う以外はそっちに顔を向けていない。右から、奈津、透、そして透がなぐった二人の友だちの順に坐っている。透や友だちの眼は、いつも脇村の姿に注がれているわけではない。むしろ彼の存在など忘れた感じでゲームに熱中している。その三人に比べて、奈津の視線は、たいてい夫の姿に注がれているようだ。
八回の裏まで四対三、ホーム・チームのジャイアンツが一点リードしている。四点のうち三点は、ついさっき終わった八回の攻撃で入れたもので、それまで一対三で負けていたのを一挙に逆転したのだ。脇村のいうマジック・エイトである。そしてタイガース最終回の攻撃は、先頭バッターが三振で一死となったが、続く桑門が今の三塁打を放ったのだ。一死、走者三塁。ヒットで同点、外野フライでもスクイズでも同点になる。
ジャイアンツの野手が守備陣形の打ち合わせのためにピッチャーのところに集まった。タイガースのサード・コーチが桑門を呼び寄せ、片腕で肩を抱えるようにしてもう一方の手を桑門の耳元に持って行って何かをささやいている。次のバッターもベンチから出てきたコーチに何か言われている。あるいは、桑門もバッターも、コーチからばかばかしいことしか言われなかったかも知れない。「とにかく、こういう恰好をするためにこういう恰好をしたんだからな。いいか、サインを見落としたら罰金が待ってるぞ」ぐらいかも知れない。あるいは、裏の裏でスクイズか。
三塁塁審脇村止男は、そうした動きに背を向け、三塁側スタンドにも背を向け、退屈そうにスコアボードのほうを見上げている。月夜である。
伊集院球審は、マウンドの集まりに尻を突き出して上体を折り、「いつまで会議をやってるんだ」とばかり、箒でホーム・ベースを丹念に掃き出した。ジャイアンツの内野が定位置に戻った。伊集院が右手を挙げた。
こういう局面では、だます仕掛けを作るのは攻撃側である。守備でだますのはむつかしい。だまされたふりをするというだまし方はあるが、仕掛けるのはむつかしい。しかし攻撃側も、自分で仕掛けたトリックに自分ではまってしまうことだってあるから、うっかりできない。そんなことを考え始めたら自縄自縛の状態におちいり、いつまで経っても野球はできないと思われるが、そこはさすがにプロで、観客が待ちくたびれてうんざりしない程度の|間《ま》で、むしろ適当な間を作ったために観客の緊張と興奮が充分に昂まったと見えるあたりの呼吸で、ピッチャーの第一球の出番を用意した。
第一球。バッターがバントの構えに入った。スクイズだ。バッテリーは初めからそのつもりだったか、とっさにバッターの構えを見てか、投球はウエスト・ボールになった。バッターは飛びつかない。見ると、三塁走者の桑門もスタートしていない。ハテ? 突っ込んできた投手、一塁手、三塁手が元の位置に戻る。
第二球。ストライク・コース。バッターは強打に出た。打球は、結局今までの両チームの緻密な打ち合わせやかけひきはすべて無駄だったのさと言わんばかりに、レフト上空に高く舞い上がった。桑門はタッチ・アップ。レフトは打球を見ながら二、三歩バックしている。位置は深いし、桑門は駿足である。同点は間違いない。
レフトが胸にグラブを構える。取った。三塁コーチの合図で桑門はホームヘダッシュ。おっとっと、胸の位置でボールを捕ったと見えたレフトがちょっとあわてた恰好で膝のあたりでかろうじてボールをグラブに収め直したようだ。それから体勢を立て直してバック・ホーム、桑門は余裕をもってホーム・ベースを走り抜けた。どたんばで四対四。
このとき、レフトからの送球を受けたジァイアンツのキャッチャー篠山が、三塁手にベースに入るよう指示し、ゆっくりとボールを送った。三塁手が脇村にそのボールを示す。脇村は迷うことなく右手のこぶしを上げた。
「ランナー、アウト」
怒ったのは三塁コーチだ。身をよじって、脇村に詰め寄った。三塁のダッグアウトから島尾監督も飛び出してくる。
そのとき、脇村は久びさに三塁側内野スタンドの中段を見やってニヤリと笑った。奈津が透に心配そうに「どしたの、どしたの」と聞いている姿が、脇村の眼に映る。
タイガースの抗議は激しい。何しろ、今のアピール・プレーについての脇村の判定が通れば、ダブル・プレーで試合終了である。
脇村の説明はこうだ。レフトはグラブを胸の近くで構えたが、そのときは打球はグラブに触れず、レフトが次にグラブを膝の位置で構えたときに初めて触れた。しかるにランナー桑門は、レフトが胸で構えたグラブの近くを打球が通過するときにスタートを切った。明らかに離塁が早過ぎた。ゆえにアピール・アウトである。
島尾監督は当然反論する。レフトは胸の位置で一旦捕球してこぼしそうになり、あわてて膝の位置で捕ったのだ。レフトの線審にたしかめるべきだ。
脇村はとりあげない。レフトの捕球の状況とランナーの離塁を同時に確認できる位置にいたのは三塁塁審の私である。
島尾監督も三塁コーチも、本当はコーチと桑門がレフトのトリック・プレーに引っかかったことはわかっている。しまったと思っている。打球がライナーでなく、ゆっくり上から落ちてくるフライだったので、胸のあたりで捕ったとみせかけて、その瞬間にランナーをスタートさせるトリック・プレーができたのだ。プロの選手ならそういうケースを知っていて警戒を怠らない心得ができているはずだが、レフトの演技がこの上なくうまくいったために、まんまとひっかかってしまった。めったにできない、守備のトリック・プレーである。
おさまらない人間がもう一人いた。ホームを気持よく駆け抜けた桑門である。島尾監督のあとから血相を変えて脇村のところに走り寄った。脇村は言った。
「おや、何か忘れ物かね」
桑門は胸で捕球する恰好をして、激しい口調で返した。
「明らかにここで捕りました」
「引っ込みなさい。私の判定には監督だけが質問できるということぐらい、知ってるだろ。それとも何かほかの話でもあるのかね」
桑門は一呼吸置いて、大きな声で言った。
「セーフです」
そのとき、脇村の自慢の声が、待ってましたとばかりに朗々と響き渡った。
「退場!」
右手の親指が突き出てベンチのほうを指している。
(一度、桑門にこれを言ってみたかったんだ)
脇村は、笑いたくなるのをグッとこらえて、一所懸命怒った顔を作っていた。しかし、とうとう「プッ!」と唇が開いて眼が笑ってしまった。その原因は別のことだった。
(何だ、せっかくあいつを退場処分にしたと思ったら、おれのコールでもう試合は終わったあとじゃないか。桑門め、どこまでおれと同じ目に遭えばすむんだ)
脇村は、憤然と背を向けて去って行く桑門をしばらく眼で追いながら、自分の後姿を見る思いに包まれていた。
桑門を見守る脇村の眼が、ふとその先の三塁側スタンドの動きを感じた。見ると、奈津と透と、透の二人の友だちが立ち上がって脇村に向かって手を振っていた。
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十月二日 水曜日
弟の武夫はどうしても遅れ気味になってしまう。哲男は初めは歩調を合わせてやっていたが、あと十五分も歩けば清瀬の駅に着くというあたりになると自然に足が速くなった。武夫も一所懸命ついてくるが、すぐ間隔があいてしまう。哲男は少しいらいらし始めて、にらむように弟を振り返った。熟れた柿の色をした夕日が目に入った。
(柿はまだ早いな。今日はトマトはもらえなかったな)
左右にさつま芋の畑とカボチャ畑がひろがる景色の中を、小さなリュックを背負った武夫の姿が近づいてくる。
(あーあ、お日様を見ても食い物のことばっかり考える)
リヤカーがやってきた。海軍の戦闘帽の下にうす汚れた手拭を垂らした中学四、五年の少年が上体を傾けてリヤカーを引き、そのお母さんらしいモンペ姿の婦人が後を押している。荷はボロ布で被われていて見えないが、哲男や武夫のリュックの中味と同じ、さつま芋やカボチャなどに違いない。哲男たちをわざと無視するように、息子が母親を振り返って話す声が聞こえた。
「こないだ借りた鉄の輪っかの荷車よりも、このゴムのタイヤのほうが引きにくいな」
「そう?」
「かえって重くて方向が取りにくい。意地が悪い感じだ」
「ちょっと代わろうか」
「いや、いいよ」
哲男と武夫が一列になって道をよける。婦人は二人を見てにっこり笑い、武夫に訊ねた。
「坊や、いくつ?」
武夫はもじもじしていたが、リヤカーが武夫を追い越して、武夫のほうを向いていた婦人の首が前を向きそうになったころ、答えなければ損だといった調子で大きな声を出した。
「七歳!」
「そう、感心ね。じゃ、お先に」
やりとりが済んでリヤカーが遠ざかると、棚上げされていた空腹感が急に哲男を襲った。肩にくい込んでいたリュックを降ろし、道端にしゃがんで尻をつく。武夫も無言でそっくり真似をする。
「腹減ったな」
「うん」
清瀬の丸井さんが、哲男たちにとっては目もくらむような白米だけで炊いたおむすびを一個ずつ食べさせてくれてから一時間以上経つ。久し振りにどっしりとしたものを食べたものだから、胃が驚いて活発に動き出し、そのために余計お|腹《なか》が空くのかな。哲男はそんなことを考えながらリュックの紐をほどいた。
さつま芋をなまでかじると、一口目は甘くておいしいが、だんだん口の中に|あく《ヽヽ》がひろがって不快になっていく。そこで茄子を食べてみることにした。哲男はリュックの中から手探りでつるりとした手触りの茄子を一本取り出すと、それを縦に二つに裂き、一つを武夫に渡した。
「今日はトマトがないからな」
「うん」
武夫は青っ|洟《ぱな》をすすり上げた。鼻の下に二本のレールの跡が残る。洟がまたレールの中程まで垂れてくる。またすすり上げる。哲男が茄子をひとかじりしたのを見届けて、武夫もかじりつく。
なまの茄子はパサパサとして水気も味気もない。
「紙みたいだな」
「うん」
それでも二人は半分ずつを口の中に押し込み、飲みくだして、再び駅に向かった。
「お兄ちゃん、今度東長崎だよね」
「同じこと何回も聞くなよ。そうだって言ったじゃないか」
哲男は武夫を叱りつけながら、自分でも(さあ、今度は東長崎、やっと東長崎)と何回も思ってみる。清瀬の丸井さんの家から一時間以上歩き、やっと乗った武蔵野線の電車の中も買出し客で満員で坐れるどころではない。お互いにリュックを床に降ろしたり背負ったりして何とか具合よく空間を埋め、あとは人間がびっしり詰まっている。うかうかしてると東長崎で降りられない。次の椎名町ならまだいいのだが、その次の上がり屋敷か終点の池袋まで持って行かれてしまうと、ことだ。
哲男は武夫の手を引いて、大人たちの背中や腹をかき分けながら少しずつ出口に近寄る。中学三年の哲男の上背はどうやら大人に近づいてきたが、国民学校一年の武夫の頭は、大人の尻や腹のところをうろうろしており、その尻や腹にぶつかりながら、もぐらのように進んでいる。
「くすぐったい! おい、坊主、頼むからやめてくれよ。そうでなくても空きっ|腹《ぱら》でぶっ倒れそうなんだから」
一瞬車内に笑いが湧くが、すぐまた力のない沈黙に変わる。
男たちの服装のほとんどは、旧軍の戦闘服や国民服のうす汚れたカーキ色で占められている。中には白いシャツや登山帽も見えるが、それとて純白ではない。あと、日本軍の色に暗緑色が加わったアメリカ軍の服地も見える。女たちの白地のシャツは、男たちのよりはさすがに少しは白っぽい。モンペやズボンはほとんど黒や紺の地である。絣や矢羽根模様の着物地で作った服も目につく。
哲男は、そういう服装が織りなす空間をかき分けかき分け一歩ずつ進む。汗と垢の匂いが鼻先に押し寄せる。
パッと明るい色が哲男の目にしみた。若い女の胸に大輪の花模様が咲いている。高価な着物をほどいて作ったのだろう。赤、黄、緑、青……哲男は、ついさっきの、丸井さんの家の日当たりのいい縁側での情景を思い出した。
「今日は母が来れないので、これ……」
それは母の若い頃の訪問着だった。哲男の姉の道子は十六で、もうすぐそれを着る年頃になる。母と姉の間で一悶着あったが、結局その着物は、今日の農家への使者たる哲男のリュックの中に入れられた。
丸井のおばさんは、一度奥に引っ込んで手を洗ってから縁先に姿を現わし、慎重な手つきで着物をひろげた。
「わあ、きれい。ほれ、直江」
呼ばれて出てきた直江は、哲男たちをチラリと眺めてから着物に目を移した。そしてしばらく突っ立ったまま、ものも言わず無感動に大柄の花模様を眺めていた。
(この人は道子姉さんと同じぐらいの年だろうか。栄養がよさそうだな)
哲男は、日焼けして固肥りの直江の顔と、半袖の下にのぞく二の腕を見上げていた。やがて直江は、無言のままプイとうしろを向いて奥に引っ込んでしまった。
(どうして口も利かないんだろう。ばかにされてるみたいでしゃくにさわる。いや、多分世慣れしてないんだな。きれいな着物を見てにこりともしないのは、高価な着物を手放すぼくたちへの気兼ねなんじゃないかな)
哲男は、愛想のない直江の態度を、いいほうにいいほうにと考え直している自分に気づいた。
(これが、男が女に好意を持つということなのかな)
哲男が直江の姿をチラチラと思い浮かべているうちに、電車は東長崎に着いた。哲男と武夫は運よくうしろから押し出されて、やっとのことでこぼれるようにプラットホームに降りることができた。哲男はひとまずリュックを肩から降ろし、ズボンを持ち上げてバンドを締め直した。武夫がそれをそっくり真似してにっこり笑った。一人前に任務を果たした兵士のような笑顔だ。しかし、青っ洟だけはいただけない。
二人のズボンは、母が目白駅前の闇市でやっとの思いで買ってきたアメリカ軍のずだ袋でこしらえたものだ。哲男のは長ズボン、武夫のは半ズボンである。生地は強くて長持ちしそうだが、ごわごわしてなかなか足の皮膚になじまない。薄いさるまたを通して哲男の股下にぶら下がった一物まで窮屈になる。
「お母ちゃん、おチンチンが痛いよう」
「我慢しなさい。武士の子でしょう。歩き方を工夫しなさい」
そのせいか、哲男はいくぶん|がに《ヽヽ》股である。武夫の一物はまだ小さいので、それほどでもないようだ。哲男にはもう一つ気になることがある。それは、母が縫ったズボンの縫目から、USAというローマ字のAの途中までが顔をのぞかせていることだ。内側ならまだしも、左膝の外側で、それもそんなに小さいマークではない。
「ちょっと、これ何とかならないかなあ。まるで烙印押されたみたいだよ」
「我慢しなさい。そのうち消えるわよ」
母はまた、我慢しなさいと言った。しかし、なかなか消えそうにはない。
哲男は、そのズボンを持ち上げ、腰廻りを点検する。ジャリジャリという手触りが伝わった。
(大丈夫だ)
父の古いシャツの袖で作った筒が哲男の腰を巻いていて、中には小豆が詰まっている。
半月ほど前、哲男は丸井さんちに母と買出しに行った帰りに、武蔵野線で満員の乗客が急にざわめき出した光景に出逢った。車内で闇物資の摘発が始まったらしい。そして、いつもは降りる客の少ない江古田の駅に着くと、リュックを背負った大人たちが大勢、先を争うように転げ出て四方八方に散って行った。しかし駅の外にはこれまた大勢の警官が待ち構えていて、サーベルから変わったばかりの警棒の性能を試すように、リュック姿の人たちを取り押さえていた。母は哲男の手を握り、車内から動かずに悠然と言った。
「ベイコクがいけないのよね」
哲男は納得したように母を見上げて言った。
「そうだよね。アメリカがいけないんだよね」
母は突然カラカラと笑い出した。
「馬鹿ねえ、アメリカじゃないわよ。お米よ。お米。主食のことよ」
「あ、米穀か」
それ以来、哲男は米だけでなく穀類には緊張するようになった。そして今日は、丸井のおばさんは大輪の花模様がよっぽど気に入ったのか、
「はい、これはおまけだよ」
と言って、小豆をザラザラと籠に盛ってくれたのである。哲男は眼を輝かし、
(お汁粉! でも砂糖がない)
と思いながら、とっさに帰りの道程を思い描いた。
(これは米穀だ。米穀の中の「穀類」だ)
そして、哲男は小豆をリュックには入れず、父のシャツの袖で作った筒をおもむろに取り出して、その中に慎重に入れて行った。武夫まで緊張した面持に包まれて、袖の入口を小さな手でつまんで支えた。
「用意がいいねえ」
丸井のおばさんはおかしそうに笑って兄弟を眺めていた。
東長崎の駅を出ると、哲男は武夫に言った。
「武夫、おまえ、砂糖ってどんなんだか覚えてるか」
「ううん」
武夫は首を横に振った。
「ただいまーっ!」
武夫が凛々と通る声で叫び、台所の|三和土《たたき》に駆け込んだ。すすけたかまどの口に竹筒を当てて一心に頬をふくらませていた母が、武夫の走り込む姿を認めてにっこり笑う横顔が、木戸をあけて裏庭に入ったばかりの哲男の眼に映った。“カン、コン、カッ”という音が庭に響いている。父が、|鉈《なた》を振るって古い材木で薪を作っているのだ。薄明である。父の顔はおぼろげで、黒い刺子が菱形に通った白い剣道着だけが浮いて躍動している。哲男は父のすぐ側まで近寄ると、あらためて、
「ただいま」
と言った。父は鉈を持つ手を休めて息子を見た。鼻の下の八の字髭が汗ばんでいる。
「何か獲物はあったか」
「小豆を少しもらった」
「声が小さい! はっきり言え!」
「あ・ず・き!」
「まあ、あずき?」
台所から母が疳高い声で引き取った。そして一層晴れやかな声で家の奥に向かって言った。
「道子、道子」
「何よ」
「哲男がね、あずきをもらってきたんだって。お汁粉したいわねえ。目白まで行ってお砂糖見つけてこない?」
哲男が台所に入ると姉の道子が茶の間のへりに突っ立って険しい顔をしていた。
「お母ちゃんったら、すぐ調子に乗って、お砂糖なんて、いくらだと思ってんの? ダイヤモンドを買うようなものよ」
「半斤でもいいじゃない」
「それだって二百円はするわよ。こないだ生活保護法ってのができてね、生活扶助手当が月に三百三十円、十一月から四百五十円だって。お父さんの収入いくらだと思う。それ以下よっ!」
「道子!」
と父が怒鳴った。しかし、それっきり行動には移らない。哲男は部屋の奥に消える姉の姿を見送りながら、リュックを三和土に降ろした。
(姉さんは、晴着が小豆に変わったものだから機嫌のいいはずはない)
大沢弘明は、去年の秋まで二十年近くも、中等学校の剣道の教師をしてきた。もっとも去年、昭和二十年は中学以上の学校の授業は全面休止となり、大沢は生徒と一緒に軍の作業に従事し、その合間には乞われて町内会の竹槍訓練などを受け持たされていた。十九年までは、一つの中学で高学年、二つの中学で低学年を担当して、厳しいけれども生徒や教師仲間の評判もよく、剣道五段の誉れ高かった。
敗戦となり、十一月に武道の授業がGHQから禁止されてからは、大沢は国語と漢文の素養を生かし、これも生徒に受けた。大沢は墨で塗り潰された教科書を放り投げ、自分の蔵書から李白、吉田松陰、夏目漱石などの名句名文を引っ張り出し、ガリ版にして生徒に配った。
そのうちに、終戦直後からすったもんだしていた軍国主義者の追放問題が、今年の六月に公職適格審査委員会が設置されてから教育行政の大きなテーマとして脚光を浴び、軍国主義容疑者のリスト作りが進められた。そしていつの間にか、大沢弘明も噂にのぼるようになった。「大沢さんは東京でも有数の剣道教師として中等学校生徒を長年に亘って錬磨し、軍人精神を吹き込み、終戦直前には町内会の成人男女に竹槍を指南し、本土決戦を鼓舞した。そして未だに吉田松陰の国粋主義を、民主日本の中学生に叩き込んでいる……」
それを伝えた道子に、大沢は怒鳴った。
「馬鹿もん! 吉田松陰のどこが国粋主義だ。どこだか言ってみろ!」
「あたしに怒っても仕方ないわよ。とにかくお父ちゃんは当落すれすれらしいわよ。それにさ、戦争に負けても髭をそらないのがまたいけないんだって」
道子は澄ました顔で父を見た。
「ばかばかしい、負けるもんか」
大沢は戦争中、軍国の「軍」も口にしなかった。ひたすら剣道を教え、乞われて槍を教え、興に乗ると自分の好きな詩吟を生徒たちに教えた。
大沢は知っていた。教頭と、国語の教師の一人が自分を陥れようとしていることを。彼らこそ口先で「鬼畜米英、神州不滅、一億玉砕」などと、繰り返し生徒たちにさえずっていたのだ。ところが、このところ大沢の国語と漢文がやけに生徒たちにもてる。
(たかが素人のおれの授業で、彼らの職場が圧迫されるとでも思ってるのか)
公職追放GHQ覚書のG項「軍国主義者または極端な国家主義者」……。
(剣道、吉田松陰、国家主義か。ばかな! 短絡もいいとこだ)
そのうちに、職員室の同僚が大沢を避けて通るようになった。薬罐のお茶を汲みに大沢が湯呑を持ってストーブに近づくと、はずんでいた話し声がやんでしまう。
二十一年度の一学期が終わると、大沢のほうからいやになって中学教師を辞めてしまった。(大沢さんはやっぱり追放された)という噂がひろまった。妻の加代は夫の気性を理解してはいたが、
「そうでなくても飢え死にしそうだっていうのに。よりによってこんな時期に……」
と小声で文句を洩らした。
「心配するな。書道塾を開く。これからは文の時代だ。馬鹿、転向じゃない。おれは昔から文武両道だったんだ」
「お父ちゃん、“道”って名のつくのはよくないらしいわよ。武道だって神道だって」
道子が言った。大沢弘明は目をむいた。
「馬鹿、それとこれとは……おい、道子、それじゃおまえの名前だってだめじゃないか」
「あたし、美知子に変えようかな」
「許さん!」
大沢は玄関に「弘明書道塾」と書いた木の看板を掲げた。そして、木刀や|竹刀《しない》や剣道の防具を押入れの上段の奥に放り込んだ。
大沢弘明、妻・加代、長女・道子、長男・哲男、二女・徳子、二男・武夫の六人が神妙な顔つきでうつむいて、夕餉の椀をすすっている。
「武夫、おうどんを引っ込めなさい」
武夫が洟をすすり上げた。夕餉はうどんではなく、少量の米と麦をふやかし、哲男と武夫が担いできたさつま芋を大量に入れたお粥である。岩塩でちょっぴり味つけしてある。一人一膳半、長男の哲男だけはもう一膳もらえる。武夫がその哲男の椀の中をそっと盗み見る。哲男は残ったお粥の三分の一ほどを武夫に分けてやる。
父の弘明が椀を傾けて最後の一口をすすり込むと、分厚く立派な鼻髭の下に粥汁の二、三滴がぶらさがって光った。
「お父さん」
母の加代が弘明に声をかけた。哲男は、母がその鼻髭についた粥汁を父に注意するのかと思っていたら、そうではなかった。
「新聞、しばらくやめちゃいけませんか。月五円だったのが八円になっちゃったでしょ。ラジオで我慢して……」
弘明は口をモグモグさせて黙っている。すると、末っ子の武夫がポツリと言った。
「ラジオじゃ、学校にお弁当包んで行けないよ」
みんなは、重苦しい空気を吹き飛ばすように大声で笑った。それが収まると、今度は国民学校四年生の徳子が言った。
「ラジオじゃ、お尻がふけないよ」
徳子も大笑いを期待して言ったようだが、時と場合が悪かった。たちまち、隣りにいた姉の道子から、問題のお尻をぶったたかれてしまった。しかし、二人のこどもの発言で、加代は弘明が何も口を開かないうちに、新聞をやめる提案を取り下げた。哲男はほっとした。新聞を読むのが少しずつ面白くなっていたのだ。
(それにしても、おふくろのやりくりも並大抵ではないようだな)
哲男がそう思っていると、母が声をかけた。
「哲男、今日は武夫とお風呂に行ってらっしゃい」
母は哲男に五十銭玉と十銭玉をいくつか渡した。父は他人と顔を合わせるのがわずらわしいらしく、めったに銭湯に行かない。家にも風呂はあるのだが、水道の出が悪く、井戸水も涸れ気味で、おまけに薪も乏しい。父はときどき水で体の汚れを拭き取るだけである。
哲男は、鯨油の匂いのする洗濯石鹸と手拭を持ち、弟を促した。
椎名町五丁目の哲男の家から目白通りに出ると、その向かい側は強制疎開の跡がひろがり、土台石がところどころ土からのぞいている。その左の外れに交番があり、そこから更に左手は目白駅の闇市まで一面の焼跡である。電話局の焼け残ったコンクリートだけがポツンと見える。
哲男は、玉の湯の重い引戸をあけた。途端に大勢のざわめきが、お湯と垢の混じった匂いと共に押し寄せた。武夫がシャツとズボンをスポリと脱いで籠の中に入れ、哲男はゆっくりと脱いで武夫のシャツの上に重ねる。そしてかがみ込んで手拭を股の下にあてがった。いつごろからかそういう仕草になっている。大人たちのやり方に習っているのだが、哲男の心は不安定である。まだ大人ではない。しかし、少し毛が生え始めているのだ。
湯舟は満員で、だれかが一人上がると、それを注目していた中で一番敏捷な男がすかさず入り込む。五つか六つの子が二人、湯舟の湯からやっと頭だけ出して、両手でピチャピチャと水面を叩いている。
「こりゃ、どこのガキだ。そういうことは海でせい、海で」
哲男と武夫もやっと何人目かで湯舟に|入《はい》れた。ぬるい。|おから《ヽヽヽ》のような垢があちこちに漂っている。
「今年になって銭湯は何回値上げになりましたか」
「まったくねえ。たしか去年は二十銭。年が変わっていっぺんに五十銭、そして八月に七十銭でしょ。今年中には一円ですな」
「そうなると、銭湯じゃなくて円湯」
五、六人がどっと笑った。
「こないだ、早稲田の卒業式があったんだって」
「へえ、秋に?」
「うん、繰り上げたらしい。それでね、卒業生が千人、就職できたのがたったの五十人。だから卒業式じゃなくて失業式」
今度は二、三人が笑った。
「何かこう、景気のいい話はないかねえ。どうだい、染物屋さん」
「カーキ色を紺に染める仕事だけじゃ食べて行けないよ。世の中落ち着いて、反物がうんと出廻らなきゃね」
「日本中の反物は今、農家の蔵や箪笥に吸い取られている」
「こやしが効いて|黄金《こがね》|色《いろ》に染まってらあ」
みんなはそれぞれ何がしかの金や品物を持って近郊の農家に頭を下げに行き、引換えに芋や野菜を持ち帰って、からくも栄養失調死を免かれているのだから、お百姓は命の綱なのだが、それだけに反感も強い。今年の二月の預金封鎖以来、今流通している新円の多くは農家に集まっているというので「新円成金」の筆頭に挙げられている。本当の筆頭成金は大規模商工業の資本家たちなのだが、彼らの姿は銭湯にいる人たちの日常生活からは肉眼では見えない。だからお百姓だけが槍玉に挙がる。
この界隈には農家は少ないし、あってもまず銭湯にはこない。だから銭湯では日頃の鬱憤が肉声となって出る。
武蔵野線の池袋から上がり屋敷、椎名町、東長崎と来て、その先の江古田あたりから西は一面の畑で、石神井、大泉、清瀬へと農家が続いている。つまり、椎名町界隈は大都会と農村の接点の位置を占め、古くからの商人や職人が多い。近頃は勤め人も増えてきたが、それでもまだ全体の二、三割だろう。
「剣道も柔道もやっちゃいけないっていうし、何をやろうかなあ」
という声に哲男は聞き耳を立て、声のほうに目を向けた。その男は哲男に背中を向けている。やせてはいるが骨格は太そうだ。
「そうだなあ、野球でもやるか」
答えた人を哲男は知っている。三軒おいた隣りの池田さんで、最近中国から復員してきたと聞いている。玉の湯でもよく見かける顔の一つだ。この人も、陽には焼けているがやせ細っている。
「だけど、ボールが手に入らないよ」
もう一人が割って入った。池田さんは言う。
「作ればいい。ほら、こどもたちがやってるじゃない。ビー玉なんかを芯にして毛糸をぐるぐる巻いて布を被せてさ」
「大人のチームがそれじゃ、恥ずかしいよ」
そのとき、女湯から突然大声が挙がり、騒がしくなった。
「何だ何だ」
このときとばかり、境目のタイルの壁の上に手をかけて、向こうに身を乗り出そうとしている男がいる。もう少しというところで惜しいかな手が滑って尻もちをついた。そこへ番台のおじさんがやって来た。
「みなさん、ええと、ただいま……」
「大本営発表、ただいま湯をもっと熱くします」
「いや、お静かに。女湯でシミーズが二着と化粧石鹸が盗難にあいました。どうか気をつけてください。番台からも見張ってはいるんですが、何分……」
「どうやって気をつけたらいいんだよ。シミーズ、じゃねえや、衣類を身につけて風呂に入れってわけか」
「化粧石鹸ねえ。PXの横流しを、見栄張ってこんなところに持ってくるからだよ」
「それじゃ、そのご婦人方はシミーズなしでどんな恰好で」
「余計な心配するな」
ひとまず騒ぎが収まったころ、今度は男の脱衣場で奇声が挙がった。
「ない! 時計がない。ズボンのポケットの……」
湯舟で低い声がした。
「馬鹿野郎、こんなところに時計なんか持ってくる奴があるか」
「だって、勤め帰りかも知れないじゃない」
そう言ったのは哲男だった。つい口から出てしまったのだ。
「勤め帰りだってな、時計なんかは一旦家に帰って置いてくるもんだ」
「一旦家に帰ったら、勤め帰りにはならないよ」
哲男は大人をからかうつもりなどなかった。ただちょっとおかしいと思っただけだ。ところが相手の虫の居所が悪かったのか、もともと短気なのか、
「やい、小憎、屁理屈抜かすな。まだ毛も生えてないくせに」
ときた。哲男は「生えてるよ!」と言おうとしたが思いとどまった。男は哲男の前にしゃがみ込むと哲男の頭を押さえつけた。そのとき一人の男がとめに入った。
「よしなさいよ。こどもを相手にしても仕方ないでしょ」
哲男は自分の頭から手が引かれたので頭を上げると、やせて色の青白い男の手が、哲男の相手の腕を軽く押さえている。哲男の相手はそれを振り払おうとしているが動かない。やせているが腕の力はよっぽど強いらしい。(これは始まるかな?)と哲男が思っていると、やせた男は腕を離し、相手の気勢をそぐような呼吸で言った。
「ところで若大将、あんた、私たちと一緒に野球をやんなさらんかね」
相手は掴まれていた腕をさすりながら言った。
「野球? ふん、冗談じゃねえや、ボール遊びなんかしてる暇があるかよ」
しかし、それで、喧嘩の呼吸は消えていた。
その後も、その人と池田さんは銭湯の中でしきりに野球チームを作ろうと持ちかけていた。しかしはかばかしくはないようだ。大方の大人の反応は冷たく、反感さえ含まれていた。
「結構なこった。いまどきよ。みんな食うや食わずで一日中働いているときに、ガキみたいに野球をやる暇があるなんて。第一、体力がねえよ」
無理もない。銭湯の中の多くの人は、小さな商店か家内工業で、日曜は休みとか、五時になったら体があくというわけにはいかない。それでも、少しは今の生活に役立つとか、金になりそうなことだったら耳も傾けよう。しかし何の腹の足しにもならないどころか、逆に腹を減らすだけのボール遊びではないか。あいつらは生活に困ってない特権階級なんだ。そんな表情がうかがわれる。
「おやじ! ぬるいぞ。大枚七十銭払ってんだ。けちけちせずにもっと焚け」
やけくそのような声が飛んだ。
池田さんたちはどうやら湯から上がるようだ。さっきのやせた男とあと何人かが脱衣場に向かう。哲男と武夫も上がる時分になって脱衣場に出た。
「四人じゃ、やっぱり無理ですな」
池田さんが言った。四人と聞いて、哲男はほかの二人はどんな人だろうと思って目を上げた。そのとき、哲男を助けてくれたやせた男と目が合った。
「きみ、野球好きか」
「はい」
「いっしょにやってみないか」
「やります」
と哲男は即座に答えていた。
「肉はついてないけど、だいぶ鍛えてるな。何かやってるの」
「いいえ。前に少し父から剣道を習ってましたけど、今は何も……」
「ほう、お父さんは剣道を」
「おじさん、柔道やってたでしょ」
「え? どうしてわかる」
「さっき、何となくそんな気がして。それに足の形で……」
「ハハハ、よくわかったな。それで、お父さんは今は?」
「書道塾を始めたんだけど、まだ生徒は一人もいないんです。だから失業中です」
男は、ほかの三人を振り返り苦笑しながら言った。
「どうも、みんなよく似てますな」
「失格、失業、失意」
池田さんが言う。
(そうすると、柔道さんも失業中なんだろうか。何から失格したのか。玉の湯で見たのは初めてだし、外で会ったこともない。最近よそから来たのかな)
哲男が思い廻らせていると、柔道さんが言った。
「さて、まずボール作りだな。それと場所探し」
大人たちは、ともかくどこかに集まろうと相談している。そして、あさって夕食後に柔道さんの家と決まった。柔道さんは平松という名前で、哲男の家から歩いて十分ほどのところに住んでいることがわかった。
「じゃ、大沢君、あさってね」
と平松さんは言って池田さんたちと帰って行った。武夫は、大人の仲間入りをすることになった兄の顔を見上げ、(ぼくもついて行きたいな)と言いたげな表情をしている。
十月四日 金曜日
「奥さん、そんな……お互いに大変なときなんですから」
池田善之進が平松夫人に言った。
「いえ、変わりばえしませんけど、一口ずつ」
奥さんは、大皿に盛った|さつま《ヽヽヽ》団子をみんなの膝の前に置いた。さつま芋の粉を固めて蒸したものだ。黒光りしていて、奥さんが握ってひねった指の形がついている。
「さあ、大沢君、|かりんと《ヽヽヽヽ》」
平松五郎は笑いながら哲男にすすめる。
「奥さん、それ、落下傘の生地でしょ」
そう聞いたのは、哲男がおととい玉の湯で初めて見た高橋という若い男で、予科練帰りだそうだ。
「あら、おわかり?」
「軍隊にいましたから」
「絹よ、豪勢でしょ」
戦争が終わって占領軍が上陸するまでの短期間に、軍隊や軍需工場からいろんな物が消えたという話を哲男は何度も聞いた。金属や木材などの大きな資材はどこかの会社に廻り、食料や衣類が闇商人に渡って闇市に流れる。中には、本土決戦が叫ばれているさなかに、自分もそれを怒号しながら、無条件降伏の気配を兵士や庶民よりもいち早く知って、兵士を使って大量の食糧を自分の縁故先の倉に運ばせた将校もいたという。
「いよいよ本土決戦に備えて物資を分散させるときが来た」
命令に従って運搬した兵士たちは、終戦の決定を知って激怒してその将校を追い廻したが姿は見えず、倉を叩き壊そうとして汽車に乗ってかけつけたときには、倉の中はすでに空っぽだった。
哲男の姉の道子も陸軍被服廠の勤労動員に駆り出されていたが、終戦直後、その工場のミシンや、キャラコ、ラシャといった生地が少しずつ整理された。あとになってわかったのだが、道子の女学校の校長と工場長が結託して悪事を働いていた。さすがに校長はクビになり、警察に引っ張られて行った。
(奥さんの落下傘の生地も、元はただみたいなものを闇市で高く買わされたんだろうな)
哲男は|さつま《ヽヽヽ》団子を噛み下しながら、今の世では何か異質な光を放つ、奥さんの絹の家着を見つめた。紺一色に染めてある。化粧気のない白い肌によく似合う。きれいな人だなと哲男は思った。そのとき、平松の声が耳に入った。
「じゃ、ボールはそういうことで。毛糸をきつ目に巻いて、直径七センチになったら布を被せる。まず一つずつ試作してくる。大沢君もできるな」
「ハイ」
「おーい、和子」
「なあに」
「何でもいいから毛糸玉を一つ持ってこい」
和子とは奥さんのことだと思ったが、それにしてはもっと若い声だった。哲男は少し心臓が音を立て始めたように感じた。
「グローブはとりあえず軍手か普通の手袋のままでいい。そのほうが上手になる。問題はバットだなあ」
「それはおれが一本何とかしてくる」
そう言ったのは、哲男がおととい玉の湯でみかけたもう一人の男で広瀬徹と名乗った。三十歳ぐらいだろうか。何でも上野のほうに働きに行っているという。
「お父さん」
和子が部屋の敷居の向こうに膝をつき、襖から顔と体半分だけをのぞかせている。
「あったか。おい、入ってきてみなさんにご挨拶しなさい」
和子は観念したように歩を進めて父のうしろで膝をつき、
「いらっしゃい」
と言って、毛糸玉を父の前に置き、足早に立ち去ろうとした。
「和子さん、女学校何年生?」
池田が訊ねた。
「二年です」
そして今度こそとばかり足早に去って行った。哲男は彼女が立ち上がる一瞬の横顔を見た。頬と|耳朶《みみたぶ》がほんのりと紅くなっているようだった。
「大沢君はどこの中学?」
「都立五中です」
「ああ、小石川のほうだね。あんまり家が遠くなくて、これと思うのがいたら、二、三人連れてこないか」
「近くにはいないみたいです。あの、国民学校じゃだめですか」
「うーん、ちょっと無理かな。うまいのがいるかい?」
「ええ、一人知ってます。五年生だけど、ぼくよりうまそうです」
「よし、そいつを今度連れてこい」
「平松さん、われわれも、もう少し集めないとね」
「そう、大人も集めないとね」
平松の家の造りは、哲男の家とよく似ている。木造の平屋で、台所は茶の間よりも一段低い|三和土《たたき》になっており、家の周りは背の低い生垣で裏庭が割合広い。哲男たちが通されたのは八畳の客間だが、見渡したところ家具らしい家具はなく、隅に積まれたりんご箱に本がぎっしり詰まっている。御多分に洩れず天井板ははがされたままで、太い|梁《はり》がむき出しに見え、蜘蛛の巣がかかっている。
(平松さんは、おやじよりはずっと若そうだが、家の感じはよく似てるな。やっぱり、たけのこ生活だな)
と哲男は思った。
「ほら、こういう具合に巻いてって、これぐらいの玉になったら一度しっかり縛ってかためる。その上をまた巻いて行く。途中でまた縛る」
平松は、和子が持ってきた毛糸で説明している。
「大沢君は硬球を持ったことある?」
「いいえ、見たこともありません」
「硬球の赤い縫目はいくつあると思う?」
「さあ……? 百ですか」
「おお、いいとこだ。百八つ」
「除夜の鐘だ」
と広瀬が言った。哲男は平松に聞いた。
「平松さん、硬式やってたんですか」
「うん、昔ちょっとね」
平松は立ち上がって縁側に出、哲男たちに背を見せて、庭に向かって力いっぱい架空のボールを投げた。
平松五郎は四十四歳、哲男が想像したよりは年をとっていた。哲男は、四十七歳の自分の父より十は若いと見ていたのだ。
平松は昭和の初年に大学を出ると、当時中堅の地位を占めていたある商事会社に就職した。昭和四年に本格化する世界大恐慌の直前で「大学は出たけれど」にならなくて済み、その点では運が良かった。やがて平松の勤める会社は、大正期から強まっていた金融資本の肥大、主要産業での諸財閥による寡頭支配の波に呑まれ、M財閥の商社に吸収合併された。それも「寄らば大樹の陰」で、平松にとってはかえって将来を保証されたことになり、不運とはいえなかった。そして結婚し、一子をもうけ、転勤で内地のほうぼうを廻りながらも、平穏な家庭と仕事に恵まれ、中流エリート市民の道を歩んでいた。傍系出身ながらM商事ではその実直さを買われ、昭和十七年には、戦時体制の臨時出張所となった戸畑出張所の所長に栄転した。三十九歳のときだ。そして三年後に終戦。
マッカーサー司令部は日本進駐後矢継ぎ早に、政治、経済、教育、文化の全分野で軍国体制の払拭、民主化のための指令を発し、その中には当然、財閥の解体も含まれた。しかし財閥解体についてはマッカーサーは直接具体的な命令を下したわけではなく、その実施は日本政府と財閥当事者の自主的作業に任せられた。政府と財界は、経済力の分散をいかに最低限にとどめ、財閥の実質的被害をいかに少なくするかに腐心した。一方、各企業の若手の革新的な社員からは経営民主化要求の火の手がつぎつぎと上がった。
平松五郎は結局クビを切られることになった。表向きは戦時体制出張所の閉鎖であり、人脈としては平松が傍系会社出身ということもあった。人員整理の目的もあり、本社や支店への転任も認められなかった。こうして平松は、入社した会社がM財閥に合体したばっかりに、敗戦と共にとばっちりを受けたのである。いくつかの好運のあとで一挙に不運に見舞われたのだ。平松は親戚の多い東京にやってきた。そして北九州よりもすごい一面の焼野原に呆然とした。親戚もそれぞれに痛手を受け、平松の就職を世話する力はなかった。
「この時代に宮仕えしか知らなかった男の弱さをつくづく感じてますよ」
「ぼくなんかも同じだ。いや、平松さん以上ですよ。この哲男君ぐらいのときから軍隊以外知らないんだから」
池田は言った。上野に働きに行っているという広瀬は、二人の話を無表情で聞いていたが、やがて、ぽつりと言った。
「でも、何だか二人とも余裕がありそうだな。何たって、学歴のある人はつぶしが利くよ。もうすぐあんたたちはまた偉くなるよ」
一番若い広瀬のことば遣いが一番ぞんざいだ。上野で何をやってるんだろう。きっと、年齢や学歴なんか通用しない仕事をしているんだろうと哲男は思った。
「無聊と空きっ腹を忘れるために草野球でもやろかっていう男をひやかすもんじゃないよ」
平松は大正末期の高校・大学時代には硬式野球部にいて、外野をやっていた。第一次世界大戦、大資本の勃興、ロシア革命、恐慌、米騒動と揺れ動く中で、平松が大学に入ったころには農民組合や労働組合の動きも活発になり、部落解放、差別撤廃を主張する水平社が結成され、日本共産党が地下活動を始めていた。
大学に入ってすぐ野球部に入部願書を出した平松に、新しい学友の一人が言った。
「おまえも国家体制に踊らされてる口だな」
「何だ、それは」
「わからんか。文部省はだな、学生が政治運動に没頭したり共産主義に走ったりするのをそらすためにだな、スポーツ、なかんずくベースボールを奨励しとるんじゃよ」
「おれはただ、野球が好きなだけだ」
平松の話を聞いていた広瀬は、最後に一つ残っていた|さつま《ヽヽヽ》団子にサッと手を出して口に放り込み、頬をふくらませながら言った。
「へーえ、大学っつうとこは、野球一つやるにも変な理屈があるんだなあ」
平松は、広瀬のことばを真面目な顔つきで受けた。
「でもそれは本当だったかも知れない。時移って今はね、GHQが野球を奨励してるそうだ。よくわからんが、野球は民主主義のお手本だっていうんでね。軟式ボールの生産をメーカーに指示したそうだ。来年になれば出廻るんじゃないか」
「今は闇市にもないねえ」
「うん、昭和十八年以来生産はストップだ。うちにも一つぐらいほしいけどねえ」
「うん、最低一個はないと、よそのチームと対抗試合をする資格はないっていうからね」
「まだ九人の半分も集まってないのに、試合のことを心配するのは早いよ」
いつのまにか夜の九時を廻っていた。大人たちは持ち寄った焼酎を傾け始めた。ツンとする匂いが哲男の鼻を突く。
「哲男は、もう遅いから帰んなさい」
平松が言った。「大沢君」が、焼酎のせいか「哲男」に変わっている。哲男は一礼して部屋を出た。平松が哲男の背中に言った。
「お父さんによろしくな」
玄関に通じる廊下を歩き出すと、不意に和子が前を横切った。そして部屋の襖を開けながら、哲男の顔を振り向いて、はっきりした声で、
「さようなら」
と言った。
「さよなら」
哲男はどぎまぎして答えた。とっさのことで声がかすれたのが残念だった。女の子の髪の毛の香りが残った。
哲男には、夕方から夜にかけての時間が、経験したこともないほど長く充実したものだったように思えた。しかし、せっかくのその気分を、首筋と腰のかゆさが消した。
(畜生、|しらみ《ヽヽヽ》め)
しらみは、どうして下着の縫目に安住するんだろう。哲男のうしろ襟と、さるまたの紐のあたりでうごめいている。
(しらみは、英語ではラウス、複数ではライス、お米のライスとはLとRの違いだけだ。飯粒としらみは似たとこがあるな。偶然の一致だろうか)
哲男はそんなことを考えながら、擦り減ったズックを音もなく進めている。
(和子さんにも、しらみはいるのかな)
今夜も、星が美しい。
十月六日 日曜日
平松家に最初に集まったのが十月四日の金曜日で、六日の日曜には朝から集まって初練習をした。哲男の家を目白通りに出て、玉の湯と反対に右に少し行くと前が大きな竹藪になっていて、その横を通り抜けると草茫々の広い空地に出る。本来は東京海上火災保険株式会社のグラウンドだという話だが、今は草の低いところがこどもたちのドッジボールの場所になっている。哲男たちの初練習は、まず高い草の刈り取りから始まった。鎌や鍬を振るってうつむきながらチーム名を何にするかという議論が進んでいる。
「ドングリーズ」
「草の根刈りをやってるから、グラスルーツ」
「語呂が悪い。フェニックス」
「平凡だ。椎名町ドンキーズ」
「何だ、それは」
「ドン・キホーテの|ろば《ヽヽ》だ」
「ドングリーズとあまり変わりばえしないな」
そのとき、国民学校五年生の川口藤太が、草をむしっていた手を休めて言った。
「カモンボイ」
「――」
みんなは腰を曲げたまま藤太のほうに首をねじった。藤太は悪びれずに言った。
「みんな、知ってる英語言ってんだろ。ぼく、これしか知らないもん」
「どうして知ってる」
「進駐軍がぼくたちを見るとそう言うよ。チョコレートやガムくれるとき」
「おい、それいいな」
平松が言った。
「複数にしてカモンボイズ。仲間に入れっていう呼びかけにもなるし、試合の相手に、さあこいっていう意味にもなる。決めようよ。椎名町カモンボイズ」
「よし決った」
ちょっと型破りの名前に落ち着いてしまった。藤太は目を白黒させながらも嬉しそうだ。哲男は藤太の肩を叩いてやった。武夫は例の二本の軌道の上に青っ洟を走らせながら、手で草をむしっている。
十月六日現在の椎名町カモンボイズのメンバー。平松五郎・四十四歳・失業中、池田善之進・三十六歳・元陸軍大尉・失業中、大島泰道・三十歳・大工職、広瀬徹・二十九歳・職業不明、高橋守雄・十八歳・予科練帰り、田辺政也・十六歳・都立五中五年生、大沢哲男・十四歳・都立五中三年生、池田広之進・十一歳・長崎第三国民学校六年生、川口藤太・十歳・長崎第三国民学校五年生、以上九名。六年生の池田広之進は善之進の息子である。監督はなしで、キャプテンに平松が推された。
土曜日の朝に哲男から知らせを受けた藤太は、その日の学校の帰りに近くの原っぱやどぶを見て廻り、軟式ボールを一つ探し出してきた。ゴムの表面はツルツルに擦り減り、二センチほど割れ目が入っている。水がしみ込んでいるらしく、振るとゴボゴボと音がする。平松は藤太をほめた。
「うむ、貴重品だ。バッティングには使えないが、ときどきこれでキャッチボールをしよう。いざ試合となったらこういうボールでやるんだからな。感じを掴んでおかなくっちゃ」
広瀬は、約束したとおり、中古だが本物の木のバットを下げて現われた。上野のどこで手に入れてきたんだろう。平松は早速振ってみた。
「おい、これは硬式のバットだぞ。哲男、ちょっと振り廻してみろ」
哲男はボックスで構える恰好から思い切ってバットを振った。重い。思わず腰がよろけた。
「おまえのほうが振り廻されてるじゃないか。どれ、貸してみろ」
広瀬が手に唾をつけてバットを振った。
「ありゃ」
やっぱり振り廻されている。平松は笑って言った。
「だんだん慣れるよ。それまで手製で軽いのを一、二本用意しよう」
その日は草取りのあと、キャッチボールだけを一時間ほどした。四十四歳から十歳まで、大人五人、こども四人の変てこなチームができかけている。
十月十日 木曜日
「哲男!」
(しまった)と哲男は思った。一番見つかりたくない人に見つかってしまった。
「あたしのセーター、なにいじってんのよ」
道子は哲男の手からそれをもぎ取った。哲男は、母の編んだ姉のセーターの裾の部分を、両手の親指と人さし指でつまんで揉みほぐしていたのだ。あまりいい恰好ではない。
「闇市に持ってってコッペパンでもかじろうってわけ?」
「違うよ」
「じゃあ、何よ」
「――」
「ガールフレンドに上げようってわけ?」
哲男はふと和子の姿を思い浮かべた。それで少しむきになって正直に言ってしまった。
「ボールにいいなと思って見てただけだよ」
「まったく、油断も隙もあったもんじゃない。おかあさーん」
道子は母に抗議しに茶の間のほうに行った。
(窃盗未遂犯か)
哲男は、もっと慎重にやるべきだったと後悔した。
十月六日、八日、九日と三日練習すると、カモンボイズ所有の五個の手製ボールはずたずたになってしまった。特に打撃練習が始まってからは目も当てられない。よほど丈夫な布を選び、しっかり縫いつけ、毛糸も固く巻いたのに、ボールはすぐジャガ芋みたいに変形し、次に布がほころび、毛糸が飛び出してくる。フライが上がると毛糸が尾を引いて行く。
「糸を引くような打球とはこのことだな」
池田一人が悦に入っている。キャッチボールだけは藤太が見つけてきたゴボゴボボールでやり、二、三日中に大人がもう一個ずつ作ってくることになった。
姉からセーターを取り上げられてしまった哲男は、軟球ぐらいどこかに探しに行けばあるんじゃないかなと思った。昭和十八年以降生産は打ち切られているというが、一個もないわけではないだろう。そう思いながら、とにかく今日また集まることになっている平松宅に行くことにした。
「どこへ行くんだ」
茶の間のちゃぶ台の上で、紙巻器でタバコを巻いていた父が聞いた。
「平松さんち」
「野球と剣道とどっちが面白い」
「野球」
「くだらん」
「くだらんことないよ。腕と腰の使い方が剣道とよく似てる。特にバッティングが」
「まあいい。早く帰ってこい」
父は手巻きのタバコをくわえ、マッチを擦った。その父の姿がちょっと淋しそうに見えた。
哲男は平松家の玄関を入るときに、急に胸が圧迫されるような感じを受けた。その原因はわかっていて、それを打ち消すために哲男はわざと頭の中に「平松和子」と字を書いてみた。玄関にはだれも出てこなかった。奥の部屋に入ると大人はもうみんな揃っていて、国民学校五年生の藤太まで一人前の顔で胡座をかいている。和子はお母さんと風呂にでも行っているのだろう。哲男は何となくほっとし、同じくらいがっかりした。
「藤太、うちにもちゃんと言ってきたか」
「うん」
藤太は真っ赤な毛糸をぐるぐる巻きながら哲男に答えた。大人たちはむつかしい話をしているようだ。
「ラジオが国家管理っていっても、ストのときだけなんでしょ?」
「そうじゃなきゃ困るよ。それにしてもストが始まってからのラジオのニュース聞いた?」
「ああ、何だか下手な」
「逓信省のお役人が読んでんだって。やっぱりアナウンサーと素人は違うねえ」
「今日で五日目か。新聞は、やるやると言ってやりませんねえ。確か同じ組合でしょ」
「そう、日本新聞通信放送労働組合っていうんだけど、実際は企業単位なんだね」
「新聞にやられちゃ困っちゃうよ。便所の紙が切れる」
「ストやってもいいから白紙を配ってほしいね」
聞いているうちに哲男にも大体わかってきた。どうも哲男ぐらいの年齢は始末が悪い。大人ではないから彼らの話していることのすべてがわかるわけではない。それかといって無関心でもいられないのだ。新聞を読んでもそうだ。たとえば東京裁判の記事が毎日のように第二面に載っている。初めのうちは頭に入っている感じで読んで行くが、途中で理解できなくなって投げ出してしまう。放送協会がストライキに入ったことも知っている。ラジオは一日何回かの時報とニュースと天気予報以外は鳴らない。(ストとゼネストはどう違うんだろう。ゼネとはゼネラルだそうだ。マッカーサーもゼネラル・マッカーサーという。ははあ、大規模なストライキのことかな。もう一つおかしいのは、野球ではストライクという。キとクではどう違うんだろう。アメリカ人も区別して発音するんだろうか)などと考えてしまう。
そういえば放送がストに入ったころ、父の弘明が茶の間でぶつぶつ言っていた。
「けしからん、大体ラジオも新聞と同じように社会の木鐸たらんとせねばならんのだ」
「お父ちゃん、ボクタクって何?」
「知らんのか。舌をな、木で作った鈴のことだ。昔、中国でこれを鳴らして民にいろんなことを知らせた。それが論語の中で新しい意味を帯びた。おい、聞いてるのか」
「うん」
「つまり、世のひとびとを覚醒させ、正しい道へ導く人のことだ。それが何だ、新聞もラジオも」
「あれ、ラジオだけでしょ」
「黙って聞け。新聞もラジオもだ、戦争中は軍国主義のお先棒をかつぎ、八月十六日からは占領軍のお先棒をかつぎ、今度はストライキのお先棒だ」
哲男は頭の中で、軍国主義、占領軍、ストライキと並べてみて、ちょっとことばの系列が乱れているように思ったが、反論する自信はない。
「でも、正しいことのお先棒だったらいいんだろ」
「違う。お先棒というのは絶対に正しくないんだ」
よくわからなくなった。でも、どう聞いたらいいのかわからない。哲男には木鐸とお先棒の区別がこんがらがってきた。
哲男の質問で思い出したのか、その日は父は書棚から論語を出して読みふけっていた。哲男が父から聞くところによると、何でも徳川時代の貴重な本だそうである。父は正座して、和綴じの本を丁寧にめくっていく。ところどころ天眼鏡を当てている。
「お父ちゃん、もうそんな大きい字も読めなくなったの」
「馬鹿者。わしの天眼鏡はな、紙背を読み取るんじゃ」
「シハイ?」
「眼光紙背に徹する。紙の裏側、つまり文字に書かれてない意味まで読み取らねば真の読書とは言えん。まったく、近頃の中学生は何も知らんな」
哲男は天眼鏡を借りて父の本を眺めてみた。黄ばんだ和紙の繊維までが拡大されて見え、新聞の活字とは趣の違う木版の字が浮かび上がった。字の一部の墨が薄かったり、一部が欠けたりしている。
「どうじゃ。版木を彫った人の気持がわかる気がせんか。わしにはその時代のことも見えてくるようだ」
哲男はそのときの父のことばを思い出して、また大人たちの話に耳を傾けた。
「しかし世の中騒然となってきましたねえ。今年中はゼネストはないかも知れんが、来年はやるねえ」
「うん、生活権要求はほとんど出揃ったね。新聞、放送、官公労、国鉄、教組、電産、炭労……」
「海員、それに映画演劇もだ」
「ないのは失業者組合だけ」
「ちょっと、おれたち大工左官だって組合はないよ」
と大島泰道が不服そうに口を出した。そこへ、いつのまに帰っていたのか平松夫人が現われ、緊張した面持で平松に言った。
「あなた、玄関にお客様」
「どなた」
「名取さんておっしゃってます。ご年輩の、威厳のある方」
「名取さん……?」
平松は首をかしげて立ち上がった。一座が急にシンとなった。だれだろう。警察か。広瀬とすっかり親しくなっていた大工の大島が、広瀬の膝をつついて冗談半分に小声で言った。
「徹、おまえ上野で何か悪いことしたんじゃねえか」
「馬鹿言え」
という広瀬の顔が心持ち青ざめて見える。平松が客を招き入れる声が聞こえる。やがて平松が部屋に戻ってきた。そのうしろに音もなく、一人の初老の男の姿が現われた。やや小柄で上品な顔立ちで、両手で風呂敷包を支えている。そして和服に羽織を着ている。
「さ、どうぞ」
平松が丁重な態度で招き、上座をあけて座ぶとんをすすめながら、みんなに言った。
「名取さんとおっしゃる。カモンボイズにお話があるそうだ」
名取はみんなに一礼し、
「実は役立てていただきたいものがありまして」
と言って風呂敷包をほどいた。藤太と哲男は思わず身を乗り出した。
中からは、古いグローブが二つと、軟式ボールが一個出てきた。古いといっても本皮である。みんなは声もなく見守る。
「実は先日、玉の湯でみなさんのお話が耳に入りまして、平松さんのお宅の場所もそのときお聞きしてたもんですから」
まだみんなは声が出ず、息を呑んでいる。
「息子の形見なんです。家に置いといても仕方ありません。みなさんに使っていただいたほうが、野球が好きだった息子も喜びます」
「お子さんは、いつ……?」
平松がやっと口を開いた。名取は静かに答えた。
「ええ、十八年の学徒出陣でね、十九年の十月二十四日にレイテ沖海戦で戦死しました。海軍です」
名取俊介は名取鎮生の一人息子だった。昭和十六年に慶応大学経済学部に入学し、野球部に籍を置き、六大学リーグで活躍した。昭和十八年十月二十一日、その直前まで俊介たちがボールを投げ、バットを振っていた神宮球場は、出陣学徒壮行会の場に変わった。雨とぬかるみの中を、七十七校からの学生が執銃帯剣で行進し、泥水がはね上がってゲートルや学生服は汚れるに任された。文部大臣が宣戦の詔勅を読み上げ、東条首相が訓示を垂れ、送る側の大学生代表が壮行の辞を述べ、出陣学徒代表が答辞を読んだ。
「――もとより生還を期せず」
「――屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、もって大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の泰きに置かざるべからず」
観覧席は、動員された六万人の中等学校の生徒で埋めつくされていた。彼らは兄たちの姿を凝視し、父母たちは息子の姿を見守った。そして息子たちの多くは帰らなかった。
鎮生は六大学野球をよく見に行っていた。家でも俊介とよくキャッチボールをした。しかし硬球は痛いし、道端で暴投でもして人に当たったら大変である。だから俊介も父とやるときは軟球で我慢した。
出征前日、父子は家の前で最後のキャッチボールをした。俊介はいつもと違い、全力で父の胸元に投げ込んだ。鎮生もまた持てる力を出し尽して投げ返した。そのうちに、俊介の指にできていた血豆が破れ、ボールに小さな日の丸ができた。
「お父さん。これがぼくの形見です。でも万一日本が勝って帰ってきたら、もう一つ赤い丸をつける。両眼があくというわけ」
俊介はそう言って出征した。
「これがその血の痕です」
名取鎮生はボールをみんなに廻した。健康ボールの頭(実はボールの頭はどこだがわからないが)ののマークの横に、直径一センチたらずの鉄錆色の丸いしみがある。
「でも、名取さん。こんなに大切なお品を」
「いや、いいんです。役立てていただいたほうがいいんです」
「それでは、おことばに甘えてお借りします。そして、もしボールが手に入ったらお返しします」
「なかなか今は手に入らないでしょう」
「それはそうですが」
哲男はさっきから、名取鎮生がどういう仕事をしているのかと考えている。大学教授だろうか。それとも官吏? 実業家? 年齢は五十代の後半か。と思っていると、池田が哲男の気持を読みとったように名取の職業を訊ねた。
「裁判所に勤めています」
なるほどと哲男は思った。広瀬がおそるおそる聞く。
「あのう、裁判官ですか」
「そうです。判事です」
「どこの……?」
広瀬はしつこく聞く。
「東京控訴院、ご存知ですか」
「いやあ、さっぱり」
平松が引き取った。
「あの、大審院の次の……」
「そうです。もっとも近く公布される新憲法では、大審院は最高裁判所に、控訴院は高等裁判所に変わりますけどね。もちろん名称だけでなく制度もね。つまり、天皇の名においてということでなくなるんです」
そのとき、それまで本皮のグローブに手を入れていい気分になっていた川口藤太が、すっとんきょうな声を出した。
「おじさん、裁判官なら野球の審判してよ」
気分がほぐれたような笑いがどっと湧いた。
「いやあ、坊や、審判は裁判所だけでたくさんだよ。本当を言うと、私も外野かどこかやりたいんだけどね」
「名取さん、それはありがたい。ぜひお願いします。そうだ。六大学の名選手とキャッチボールをやってらしたんだから、われわれより筋がいいはずだ」
そしてみんなは、正規のボールも一個できたことだし、ちかぢかどこかに試合を申し込もうと意気盛んになった。
「何か一つだけカモンボイズの共通のものがほしいなあ」
と高橋が言った。もちろんユニホームなどは無理も承知で言っているのだ。しばらくみんな考えていたが、やがて大島が言った。
「スパイクだ」
「えーっ?」
「ハハハ、わらじのスパイクだ。あのなあ、わらじってのは足にぴったりくるし、滑らないし、いいんだぞ。それに手に入りやすい。お百姓に作ってもらってもいいし、作り方を教わってもいい」
「それはいいな。そうしよう。普通の鼻緒の上からまた紐をかけて固定しよう」
「お控えなすっておくんなせえ。手前生国と発しまするは……」
固くなっていた広瀬がやけに陽気になった。
「皆の衆、わらじを脱ぐときゃ一緒だぜ」
大島も混ぜ返した。
十月十三日 日曜日
試合の相手は思ったよりスムーズに決まった。名取判事が加入した日の二日後、十月十二日である。ところがこれが手ごわそうだ。興都建設という三十人ぐらいの土建会社のチームで、大工の大島が決めてきた。チーム名は興都ハンマーズ、名前を聞いただけでも叩きのめされそうだ。もっとも、この時節にハンマーズだってそう場数を踏んでいるわけではない。そして向こうも相手を欲しがっていた。ただし初めは、「え? ガキも混じったチームか」と馬鹿にして難色を示した。大島はカモンボイズの最高年齢と最低年齢は伏せ「屈強の大人六人に中学生の正選手三人」と嘘をついてきた。そして試合球として正規の健康ボール一個ずつを持ち寄ることを約し、試合は十月二十日の日曜日午前十時からと決め、場所は豊島園のグラウンドをハンマーズが確保することになった。
試合のスケジュールが決まると、カモンボイズの練習も熱を帯びてきた。十二日と十三日の土曜日曜は、平松が綿密なプログラムを作り、守備、走塁、連係プレーなどをみっちりやった。打撃にはほとんど手製のボールを使い、最後に藤太が拾ってきたゴボゴボボールを年齢の小さい順に打った。そのボールは中学五年の田辺の番まで廻ってきて、遂に空中で真っ二つに割れてしまった。名取俊介の形見は守備専用に大事に使われた。平松の頭の中には、そのボールを大切に扱うという目的のほかに、もう一つの狙いがあった。それは、本物のボールには守備でこそ慣れておかなければならないということだ。打撃のほうは引っぱたいたら終わりである。しかし守備は、つかまえて抛らなければならない。だから、ボールをてのひらになじませておかなければならない。
この練習でみんなが眼を見張ったのは、最年少の十歳の川口藤太と、最年長の五十四歳の名取鎮生、つまり大島が興都ハンマーズに断られると困るので伏せておいた二人の、ボールさばきの確実さ、敏捷さ、そして柔らかい身のこなしだった。練習を終えて、平松はだれをどこに持って行くかで頭をひねってしまった。ピッチャーだけは予科練帰りの鉄砲肩の高橋守雄を指名してある。キャッチャーは平松自身がいいだろう。そのほか大体は頭の中で描いていたのだが、きのう今日と名取と藤太の動きを見ていると、案外重要なポジションを任せられそうだ。平松は結局、ポジションと打順の発表を、明日の夕方の平松の家での全員のミーティングまで宿題にさせてもらった。
日も暮れかかり、十人は最後に二列に向き合って、名取のボールをジグザグ式に投げ合い、平松が藤太の手にポンと落として練習をやめた。名取のボールをカモンボイズが預かって以来、それを大切に保管する役目は藤太が買って出ている。藤太は家に帰って置場所をいろいろ考えたが、結局、神棚の上に安置することに決めた。本当は肌身離さず持っていて、学校にも持って行きたいのだが、これが一番危ない。押入れは鼠にかじられそうだ。そこで母に袋を縫ってもらって中に入れ、神棚に祭ることにしたのだ。
十月十四日 月曜日
平松の家の八畳間では、リンゴ箱の上のローソクの灯のまわりに男たちが集まって話している。去年の八月に戦争が終わって、やっと燈火管制が解除されたのに、今度は電力危機でしょっちゅう停電だ。そのローソクも貴重な配給品である。おかしなもので、部屋が暗いとみんなの声も低くなり、さも敵の眼を避けて密議をこらしているように見える。哲男にはそれが面白く、(藤太のやつ何してるんだろう。あいつがこういうのを一番面白がりそうなのに)と思いながら大人たちの話に耳を傾けている。藤太だけがまだきていない。
遠くの台所から、かまどの中の薪がときどき、ポン、パチパチとはねる音が聞こえてくる。またカモンボイズの連中のために、せいろでさつま団子でも蒸しているのだろうか。襖を隔てた茶の間では、一升瓶で米を|搗《つ》く音がしている。
「へえ、ピースじゃないか」
「うん、今日やっと並んで買えたんだ」
広瀬が大島に一本抜き取らせ、それから名取にすすめた。
「いや、私は吸わないんです。今、ピースはいくらでしたっけ」
「七月から十円に上がったんです。どうせまた上がりますよ」
「一本一円ですか。配給のゴールデンバットは十本入りで一円でしたね」
「ピースともう一つ自由販売のコロナ、これは十五円」
「自由って高いもんだねえ」
と池田が言った。名取は今日は洋服である。ポケットから手帳を出して繰っている。
「あ、これだ。九月に用があって大阪に行ったんですがね。外食券の汽車弁が二円、お茶が二十銭とあります」
「うーん、タバコは高い」
銭湯でもここでも、どうしても一度は物価の話が出る。
「私はね、判事さんなんてのは、みんな恐い顔した人ばっかりだと思ってましたよ」
話題が変わった。名取に話しかけているのは池田だ。
「恐い顔を持ってないと裁判官になれないとか」
池田が言い直すとみんなが笑った。
「ほら、今やってる東京裁判の、何とかいいましたねえ、あの裁判長」
「ウエッブ」
「あ、そうそう。ねえ、いつも恐い顔してますよ。噛みつきそうな。それとも、名取さんも法廷にお出になると恐い顔になるんですか」
「そんな器用な真似できませんよ」
名取は苦笑いした。
平松は今日は全員集まるまで待とうと思っていたが、あと来てないのは最年少の藤太だけになったので、ポジションと打順を発表することにした。
1 左 田辺
2 中 大沢
3 三 大島
4 投 高橋
5 捕 平松
6 一 池田(父)
7 遊 川口
8 右 広瀬
9 二 名取
9 二 池田(子)
「名取さんと池田君は大体半分ずつ出てもらう予定です」
一同の納得した様子を見て、平松が次の話に入ろうとしたとき、玄関で平松夫人の声がした。
「どしたの、藤太君、さあ元気出して。みなさんお待ちよ」
廊下を渡るいつもの元気な足音はなく、しばらく経ってから藤太の姿が現われて敷居で止まった。ローソクの灯がやっと届くところに、ボサボサの髪と丸顔がぼおっと浮き出ている。唇をしっかり噛みしめて、顔をやや上に向けている。眼に涙をためているようだ。よほど我慢しているらしく、頬がヒクヒクと動いている。涙を落とすまいと上を向いて頑張っているのだ。
平松が静かに言った。
「どうした、藤太」
藤太はしばらくしてゆっくり言った。
「ドロボウが……」
あとはことばにならない。
「泥棒が? きみんちにか」
藤太はかすかにうなずいた。そのとき涙が二滴ほど落ちた。
「ボールを……盗られた」
「とにかく、来て坐りなさい」
藤太は唇を噛みしめたまま、平松の横に来て坐った。
「ほかには? 何か大事なものは」
「ラジオとか、お父ちゃんやお母ちゃんの服とか、お味噌とか」
「お味噌」
みんなは顔を見合わせた。すかさず名取が藤太に声をかけた。
「藤太君、ボールのことはもう忘れなさい。二十日まで一週間ある。ボール一個ぐらい何とかなるさ」
藤太は名取の顔をキッと見て大きな声で言った。
「探します。だって、名取俊介さんの形見だもん」
「藤太君……」
名取判事はそう言ったまま絶句した。しばらく間があって、平松が大きな声で言った。
「よし! みんなで探そう」
そして藤太の肩をポンと叩いた。
「藤太、きみはショートで七番だ。名取さんとのゲッツーでも見せてもらうぞ」
藤太は少し元気が出てきたようだ。そしてみんなの質問に応じて少しずつ話し出した。
藤太は両親と国民学校二年生の弟、それにおばあちゃんとの五人暮らしで、哲男の家とは横丁二つ隔てたところの小さな木造平家建てに住んでいる。父親は国鉄の機関士で長距離列車に乗ることが多く、何日も家に帰れないことが多い。今は信越本線に乗っている。今日も父親は乗務していて帰りは明日の火曜日の予定だ。
「買出し列車だな。大変だろうなあ、お父さんの仕事も。石炭は少ないし」
藤太はうなずいた。下りは東京でひと稼ぎした人と農村に買出しに行く人、上りは買出しをした人と東京に物を売りに行く人で、いつも超満員の鈴なり状態、大きな事故にならないのがふしぎなくらいだという。少量の石炭と薪では機関車も機関士も|気息奄々《きそくえんえん》、バスみたいに登り坂では乗客全員に降りてもらって押してもらいたいほどである。
今日は、母親とおばあちゃんは遠くへ買出しに出かけ、藤太は学校から帰ると弟を連れて、手製のボールを持って原っぱに遊びに出た。窓も玄関も裏口も鍵はきちんと締めた。夕方帰ったときは何も気がつかなかった。玄関の鍵を開けて中に入り、なにはともあれ、いつもの習慣で神棚に目をやると、ない!
ふと見ると窓のねじ鍵が一つ開いて垂れている。二人は夢中で家中と家の周りを探した。ボールだけに気をとられ、ほかの物が盗まれていることには気がつかなかった。藤太は、カモンボイズのだれかがどうしてもボールが必要になって持ち出したのかも知れないと思い、どうかそうでありますようにと祈った。そのうちに母とおばあちゃんが帰ってきた。大騒ぎになった。ラジオがない。箪笥の中のとっておきの着物や服がない。母はすぐに交番に駆けて行った。藤太は母に叫んだ。
「お母ちゃん、袋に入ったボール、血のついたボールのこともね!」
「うーん」
まず池田が言い出した。
「泥棒がすぐつかまらない限り、警察から挙がってくることは期待できないな。このどさくさの時代だ。それに、目立つ物ならともかく、小さなボール一個だしな」
高橋が口を挟んだ。
「ねえ、第一、泥棒はボールだと知って盗んだんだろうか。まだ袋の中を見てないかも知れない」
次に大島が言った。
「もしそいつが野球が好きなら自分のものにする。もし興味がなければ、どこかのチームに売りつけるか、それとも、いや、闇市だ。闇市が一番高く売れる」
「ぼくも闇市だと思う。普通に行ってればね」
平松はそう言って、一息入れてから続けた。
「しぼってみよう。まずどんなに広く考えても東京の外には出ない」
「一体東京に闇市がいくつある」
「そこでだ。まず池袋、それから二手に分れて山手線の界隈の闇市を内廻りと外廻りで調べて行く」
そのほかいくつか意見が出たが、結局二つの部隊に編成することになった。十八歳の高橋から上の大人は闇市へ、十六歳の田辺から下のこどもは運動場や空地でやっている草野球へ、そしてこども以外は、見つかるまで毎晩平松の家に集まる。
「名取さん」
平松が言った。
「もし最後の日に息子さんの血豆が破れてなかったら、大量生産の中のただの一個のボール。探し当てることなんてできやしない。ふしぎなもんですねえ」
「あれは、俊介君のたましいなんだ」
元陸軍大尉・池田善之進がポツリと言った。
十月十六日 水曜日
夕暮れ近く、哲男はへとへとに疲れた足を引きずり、ぺこぺこを通り越した腹を抱えて、平松の家に向かって自宅を出た。
(そうだ、一度藤太の家に寄ってからにしよう。あいつ、どうしてるかな)
きのうも今日も、哲男たち生徒・児童四人は、弟たちや親友を動員して二人ずつ組になり、運動場や空地をしらみ潰しに廻った。しかしたいていはどこも毛糸を巻いた手製のボールか、テニスの硬球の外側の毛がはげてつるつるになったのか、もっと柔らかいコンニャクボールだけが飛び交っていた。たまに野球の軟式ボールらしいのが行ったり来たりしているとハッとして走り寄った。しかしすぐに割って入るわけには行かない。チェンジのときを待って、勇気を出してピッチャーかキャッチャーのところに行く。
「すみません。ちょっとボールを見せてください」
「何だ、君は」
相手はうさん臭そうな眼で哲男たちを見る。あるいは、
「何だ、おまえ、何かケチつける気か」
無理もない。無心で野球をやっているときに「もしかしてぼくたちのボールじゃないかな」という行為に出られたら、だれだって腹が立つ。一日目の報告では殴られた子も何人かいた。
今日も見つからなかった。闇市のほうはどうだろう。哲男が藤太の家に近づくと、思いがけず平松と池田が玄関を出る姿に出逢った。
(見つかったんだ!)
哲男は走り寄って、
「平松さん」
と呼び止めた。
「あったんですか!」
平松は哲男を認めると微笑して、首を力なく横に振った。
(じゃ、二人で何しにきたんだろう)
哲男は二人に追いつき、平松の家のほうに並んで歩き出した。
平松と池田は、藤太の親が余計な心配をしていると気の毒だと思い、盗難の見舞いも兼ねて訪ねたのだった。父親の機関士はたまたま非番で家にいた。そして次のように言った。
盗難に遭ったのはこっちの不注意もある。謝まる。みんなで探そうと言ってくれてるのも有難い。しかし出てきはしないと思う。それよりも、きのう今日の息子を見ていると、思いつめていて勉強どころじゃない。目を離すと学校もさぼりかねない。私も野球は嫌いじゃない。しかしボール一個にこのやり方は異常じゃないか。あなた方は、高いお金を出して別のボールを探すことなど決して考えないでくれと私におっしゃるが、そうしたほうがよっぽどすっきりする……。
哲男は、口数の少ない平松と池田について夜道を歩きながら、自分も心が重くなって行った。心は重く、腹は軽い。今晩も、トウモロコシの粉とフスマで作った団子がちょっぴり入ったすいとんと、筋が多く水っぽいカボチャの煮付けだった。
平松たちは、彼の家に着くと地図をひろげた。手分けして廻った闇市と運動場に鉛筆で印をつけて行く。二日間で、まだ南は新宿までも、北は駒込までも進んでいない。この調子で渋谷や上野まで行くことになるのだろうか。試合は五日後だ。山手線の内側にはまったく手がつけられていない。哲男だけでなく、どの顔にも心は重く腹は軽いと書いてある。哲男はふと考えた。
(ラジオ放送)
しかしスト中だ。いやたとえ正常に復していても、そんなことをいちいち放送してくれるはずはない。
「新聞の広告なんて、とても手が出んでしょうなあ」
池田が言った。哲男と似たようなことを考えていたのだ。
「それは当たってみました」
名取が言った。
「料金もさることながら、場所を取るのが不可能です」
名取さんはもう調べていたのだ、と哲男は感心した。そして無理なのは当然だと思った。表裏二面だけの新聞で、広告は各面せいぜい三段である。雑誌や本の広告と大きな商品の広告のほかは、哲男には意味のわからない官庁のお触れのような字がぎっしり詰まっている。新聞は無理だ、と思いながら、哲男の頭に一案が浮かんだ。新聞ではなくて新聞紙だ。
「あの、新聞紙なんかを使って、電柱や塀なんかにポスターを貼りませんか」
「うん、それも名案だな。たくさんの人の目につく」
「うーん、しかし、家の女どもの抵抗は目に見えておるようだな。便所紙、包み紙などが足りなくなる。それに貴重なメリケン粉」
「落とし紙を逼迫させない程度に、目立たぬように盗んで集まりましょう」
「毛糸をこっそり使うのと同じ要領ですな」
「そうなったら善は急げ。少しでも始めよう」
平松はしばらく茶の間に引っ込み、奥さんと何かやりとりしていた。そしてやがて、にこにこした顔で一束の新聞を抱えて入ってきた。そして哲男には思いがけなく、平松のうしろには硯箱を捧げ持った和子の姿があった。
「和子も習字のお稽古をすることになった」
和子は父親のことばにちょっと照れ笑いした。
「おーい、筆が足りない。どんなボロでもいいからあったら持ってきてくれ」
平松は奥さんに大声で叫んでから、思いついたように哲男に言った。
「そうだ。哲男のお父さんは書道の先生だったな」
哲男自身もそれを考えていた。哲男は父にもたくさん書いてもらおうと思った。しかし今はそのことよりも、自分の提案がすぐ実行に移され、しかも和子が同じ部屋で一緒に作業を始めようとしていることに、言いようのない張りを感じていた。さっきまでの心の重さと腹の軽さはどこかに吹き飛んでいた。
十月十七日 木曜日
学校から帰った哲男と藤太は、哲男の家の八畳間で一心不乱に墨をすっている。父の弘明は中央の坐卓で、ときどき八の字髭をひねりながら、新聞紙にサラサラと筆を滑らせている。もう一人、一年生の武夫が慣れない手つきで小刀を使って新聞紙を切っている。大きさは大小二通りである。
昨夜遅く平松宅から帰った哲男は、父にありのままを話した。父は答えた。
「わしは、野球に関心はない。平松さんという人や哲男たちがやってることにもあまり興味はない。しかし、墨をすり筆をとって、広く社会に知らしめようとする態度はおおいによろしい」
そして、とっておきの赤い墨も二本提供してくれたのである。一本は今朝学校に行く前に平松の家に届けに行った。平松は昨夜だいぶ遅かったらしく、まだ寝ているようだった。玄関には制服を着た和子が出てきた。哲男は落ち着いていたつもりだが声が少しうわずった。
「これ、父から」
それだけでやめて赤い墨を差し出した。和子はそれをてのひらの上で眺め、
「わあ、きれい。どうもありがとう」
と言い、
「ちょっと待ってね。すぐ来ますから」
と奥に入った。哲男は「起こさなくてもいいよ」と言いかけたが、和子の姿はもうなかった。しばらくすると和子だけが現われ、
「お待ち遠さま」
と言って靴をはいた。哲男は自分の勘違いにやっと気づいた。和子は、途中まで一緒に行くから待ってくれと言ったのだ。哲男は少しうろたえたが、すぐ幸せな気分になって行った。焼跡も、強制疎開の跡も明るく映じた。二人は椎名町の駅まで肩を並べて歩き、そこから東西に別れた。
「哲男、何を考えとる。精神を集中せんと硯がゆがむ」
哲男はわれに返った。そしてもう一度だけ(彼女も今頃は学校から帰って墨をすってるかな)と、その姿を思い浮かべてみた。
五年生の藤太も筆を持って新聞紙に向かっている。彼は彼なりの文章を考えようとしている。筆を動かし始めた。
のところに血のあとのある健康ボール。皆さん探して下さい。泥棒さん返して下さい。
そこで一旦筆を止めて考え込んだ。
(泥棒に「さん」をつけるのはおかしいかな。しゃくにさわるな。でも「泥棒」とくると「返して下さい」じゃなくて「返せ」となる。「泥棒、返せ」、そうすると一行目と釣り合わなくなる。やっぱり「さん」でいこう。泥棒も気分をよくして返してくれるかも知れない)
戰死した名取少尉の形見です。たましひです。連絡先・豐島區椎名町三丁目一五二六・松方・カモンボイズ野球部
藤太は一枚目を書き終えた。
「川口君、見せなさい」
藤太は緊張した面持で弘明の前に廻って第一作を差し出す。
「うむ、いい字だ。気持が正直に出ておる。“たましひです”、うん“たましひ”はいい。いいぞ川口君」
哲男は、父はよその子となるとちょっとほめ過ぎると思った。
暗くならないうちに一旦切り上げて、哲男たちはきのうと同じように、書きたてのビラを貼りに出た。母がやっとひねり出したメリケン粉を溶いて作った糊は考えて使わなければならない。一面にベタッとは塗れない。
「うわあ、電柱や板塀って、いろんなもの貼ってあるんだなあ。気がつかなかったよ」
哲男はちょっと不安になった。このビラも同じように目に止まらないのではないか。
貸間求む。お世話代に五球ラヂオ。
「おい! 藤太、きみんちのラジオ何球だった。五球じゃないか」
「違う。三球」
自轉車三臺あり。リヤカーと交換したし。
吉田内閣打倒! 人民よ結集せよ。
貸間あり。但し農村から留學の學生さんに限る。
(これは闇米をもらおうというんだな。留学だって、大げさな)
貸家求む。御世話被下方炭三俵御禮。
二合三勺とは名ばかり。|米《ヽ》を二合三勺、遲配なし。これが當前ではないか。
読んでいたら大変だ。自分のを貼らないうちに日が暮れる。さあ急ごう。少しはほかのビラの上にかかっても仕方がない。
哲男と藤太のコンビで三十枚も貼っただろうか。もう日はとっぷり暮れて電柱に登る足元が見えなくなったのでやめることにした。この調子ではなかなかはかどらない。哲男にも藤太にも焦りの色が見える。
「哲男さん」
「何だ」
「デパートの屋上からビラ撒こうよ」
哲男は驚いて藤太の顔を見おろした。
「もっと小さいビラたくさん作ってさ」
「そんな時間はもうないよ」
「ぼく、明日学校の昼休みにみんなに頼む。ぼくは五年と四年には顔が利くんだ」
「それで何枚できる。昼休みだけで」
「四年と五年で大体三百人だから、三人に一人として、一人五枚で五百枚」
「紙は?」
「三人に一人は自分のノートなんかを破ってくれそう」
「でも、屋上からって効果あるかな」
「哲男さん、東京の中心ってどこ?」
「宮城だよ」
「それじゃ撒けないね。賑やかなとこは?」
「まあ、銀座かな」
「とにかく、中心の賑やかなとこで撒けばさ、新聞が記事にしないかな」
哲男は内心ビクッとした。
(こいつは国民学校児童のくせに、おれよりも読みが深い。さてしかし、それだけで新聞が記事にするだろうか。ええい、当たって砕けろ)
「よし、藤太、あした二人で銀座に行こう」
藤太は眼を輝かした。哲男は言った。
「しかし五百枚じゃ少ない。今日中にできるだけ作って、あした仕事のない大人の人たちにも作ってもらう。おれ、平松さんちに行ってくる」
十月十八日 金曜日
午後三時半。哲男と藤太を乗せた山手線は、神田駅を過ぎて東京駅に近づいている。有楽町は東京駅の次だ。二人ともこんな遠くの、首都の中心まで来たのは戦後初めてである。線路の左右は一面の焼野原で、その焼跡の色と同じようなくすんだ焦茶色の電車が、カーブでかしぎながら苦しそうなうめき声を立てている。やがて、右手前方にいくつかの焼け残ったビルと、そのまた右奥に宮城の隅櫓の白壁と、緑深い森が見えてきた。
電車が東京駅に着いたとき、前に哲男が武蔵野線の買出し列車で目撃した光景が出現した。初めに満員の車内がざわめき出し、電車が停まると何人かの客が先を争って出口に殺到した。出入口近くにいた哲男と藤太は、リュックを背負った大人たちの塊にひとたまりもなく弾き出され、気がついたときは東京駅のホームにいた。大人たちがあちこちで警官につかまっている。あれれ! と思う間に電車のドアが閉まって動き出した。呆然と突っ立っている二人のうしろに、いつのまにか一人のお巡りが立っていた。
「坊主、そのリュックをあけなさい」
「ぼく、坊主じゃないよ」
なるほど、藤太の頭は髪がだいぶ伸びておかっぱに近い。多分、毛|じらみ《ヽヽヽ》の王国だろう。
警官は、むっとした顔で藤太の背中のリュックを強引に引き寄せ、紐をほどいて中を見た。
「何するんだよ!」
「何だ、これは」
「便所に使う新聞紙です」
「何か書いてある」
のところに血のあとのある健康ボール。皆さん探して下さい。泥棒さん返して下さい。戰死した名取少尉の形見です。たましひです。連絡先・豐島區椎名町三丁目一五二六・松方・カモンボイズ野球部
警官はふしぎそうな顔をしてビラをリュックに戻し、二人の顔を見比べると立ち去って行った。
銀座はたしか左手前方だと思いながら、哲男は藤太を連れて、皇居のお濠端の通りを日比谷の方向に歩いている。焼跡に傾き始めた夕日が二人の顔を前から照らしている。
「たしか、このまま真っすぐ行くとGHQだ」
藤太は哲男のことばに一瞬何か考えたようだが、すぐ哲男に大声で言った。
「そうだ、哲男さん、進駐軍の飛行機で空から撒いてもらおうよ」
(こいつにはきのうから、びっくりさせられてばかりいる)、哲男は、藤太の奇抜な発想への不意の感動を押さえながら、わざとぶっきらぼうに突き放した。
「馬鹿、そんなことしてくれるはずないじゃないか」
「いいよ、ぼく一人で行ってみる」
「わかったよ。ついて行ってやるよ」
主導権は哲男より四歳下の藤太に握られていた。
二人の十メートルほど前に、突然巨大な影が立ちはだかった。驚いて見上げると、背の高いMPが白い鉄兜に身を固め、歩道の中央に立ちはだかって通行人を止めている。向こう側には背中合わせに同じ恰好をしたMPが見える。腰にピストルを差し、両手を腰のうしろに当てがって両足を開いて立った。
やがて、左手に高くそびえる石の柱の間から、アメリカ軍の軍服を着た鷲鼻の老人が現われ、石段を降り始めた。あまり艶はよくないが端正な横顔が、哲男の眼に夕日の逆光を浴びて輝いた。やや猫背だが腰はすらりとしている。老人は石段を降り切り、二人のMPの間を通り抜けて、黒塗りの自動車に近づいた。哲男は、自動車の頭に立っているたくさんの星の浮き出た小旗を跳めていた。もう一歩で老人は自動車のステップを踏む。そのとき、リュックを背負った藤太が走り出して叫んだ。
「マッカーサーさあん!」
老人は横を見向きもせずに車に乗り込んだ。MPが藤太を取り押さえた。車はまたたく間に走り出して薄明の中に消えて行った。
藤太は襟首を掴まれている。MPが言った。
「カモンボイ」
藤太はそれを聞くと、不自由な首をねじって哲男を見て、にやりと笑った。そしてMPに向かって大声を張り上げた。
「イエース! カモンボイズ」
哲男も、中学で習っている英語を生かすのはこのときとばかり、
「ウイ・アー・カモンボイズ」
自分でも驚くほど大きな声が出た。MPは青い眼を白黒させている。
二人はビルの裏口に連れて行かれ、MPから二人の軍人に引き渡された。一人は白人の将校で、もう一人は通訳だろうか。日本人のような顔に縁なし眼鏡をかけている。藤太は必死の形相で叫んだ。
「お願いします! マッカーサーさんにとりついでください。このビラを飛行機から撒いて!」
通訳がビラの一枚を取って、将校に何か話している。聞き終わると将校は顔を上に向けてさもおかしそうに笑い出した。そして笑い終わると通訳に何か話した。通訳が藤太に言う。
「坊や、アメリカ空軍はね、もう東京の空には何も落とさないことに決めたんだ。去年までさんざん落としたからね」
藤太は唇を噛みしめて聞いている。将校が通訳に目配せして奥に消えた。そして二、三分すると戻ってきて、藤太の肩を抱え、てのひらを開かせてその上に何かを置いた。哲男が見ると、ソフトボールとチョコレートだった。藤太はそれを見るなり、
「こんなんじゃない!」
と叫んで、ソフトボールとチョコレートを将校に押し戻した。そしてリュックを片方の肩にかけて外に向かって走り出した。哲男は急いであとを追った。
「藤太、撒くんなら池袋まで帰って撒こう。もう新聞に載ってもまにあわないし、やっぱり池袋が臭いと思うよ」
哲男のことばに藤太はこっくりうなずいた。二人は有楽町駅をめざして小走りになった。何か聞いたことのないけたたましい音楽とざわめきが二人の耳に響いてきた。アメリカの水兵たちが上機嫌で賑やかにさえずりながら、二人とすれ違った。強い香水の匂いが残った。
暗くひんやりとしたガード下では、藤太と同じくらいの年の男の子たちが横一列に並んでうずくまり、一心不乱に大人たちの靴を磨いていた。ほとんどはアメリカ兵で、その横には、白っぽく長いスカートをひるがえした厚化粧の女たちがいた。
風向きが変わったのか、不意に哲男たちの耳に銀座のほうからスピーカーの歌声が聞こえてきた。
――きもちいはー、よーくわーかーるー、
リンゴー、かわいーやー、かわいや――
それと共に、三角くじの外れの紙切れが何枚か飛んできて、哲男の足許にまつわりついた。
池袋で降りると陽はとっぷりと暮れていた。もう屋上からビラを撒いても無駄だ。一旦は駅前に出た二人も、あきらめて駅に引き返し始めた。そして大きな闇市をくぐり抜けて行った。
闇市は蜘蛛の巣のようにひろがり、つながったりほころびたりしていた。よしず張り、煤煙と雨と土ぼこりにまみれたテント、それもなく台だけを置いてある店。小皿の上のふかし芋、おむすび、芋飴、鍋に煮立つ串刺しの臓物、スジ、タマゴ、哲男のズボンと同じアメリカ軍の暗緑色のズボン、シャツ、靴下、パン焼器、文化鍋……大人、こども、男、女、商売人、素人。哲男と藤太の鼻先に、行き交う人の汗や垢の匂いと、皿の上や鍋の中の匂いが混じって押し寄せる。哲男のポケットにはもう四十銭しか残っていない。藤太もそんなものだ。これでは何も食べられない。哲男はまた、心は重く、腹は軽いのを強く意識した。
少し先で小さな騒ぎが持ち上がった。二人が小走りに寄ってみると、藤太よりも小さいこどもが二人、大人たちから取り押さえられている。万引だ。
「おい、戻る物が戻ったら放してやんなよ」
「ためにならねえ。こいつら常習犯だ」
哲男と藤太は、そんなやりとりを聞きながら、その子たちの顔を見ないようにして脇をすり抜けた。哲男は下を見ながら考える。
(試合はあさっての十時か。探すのは明日一日しかない。でも明日は少しは練習しなきゃ。そうすると、もうあきらめて別のボールをもう一つ……)
突然、藤太の足が止まり、右手で哲男の手を強く握った。震えが哲男の手に伝わる。哲男は藤太が無言で左手を指した方角を眺めた。一軒置いた先に古道具屋らしい店があり、古ぼけたテニスの軟球に並んで、一個だけ野球の軟式ボールのようなものがある。哲男は眼をこらした。黒っぽい点が見えるような気がする。二人は走り寄った。
「あったあ!」
藤太が思い切り叫んだ。周囲の店の人や客たちが、あっけにとられた感じで手を休め、古道具屋の店先に注目した。丸顔で小肥りのその店の主人は、迷惑そうな顔で、
「何だ一体、おまえたち」
と二人に言った。哲男は答えた。
「これ、ぼくたちが五日前に盗まれたボールです」
藤太が続けた。
「ここに血の跡があるからわかるんです。ギザギザの欠けてるところも覚えています。間違いありません」
「盗まれたかどうか、そんなことおれの知ったことか。いいか、はっきりしてることはな、こいつはおれが正規に仕入れた商品で、正規に買うお客に売るってこったよ」
(正規、正規って、闇市の仕入れに正規なんてあるんだろうか)
哲男はそんなことを考えながら主人に聞いた。
「いくらですか」
「八十円」
二人は驚いて目を丸め、次にがっくりと肩を落とした。
「安くなりませんか」
「おい、坊主。今の日本でこんなボールが簡単に手に入ると思うか」
「日本って言わなくたって、軟式ボールは昔から日本にしかないんです」
「つべこべ言うな。買うのか買わねえのか」
「明日の朝まで待ってください。相談してきます」
「相談はいいがな。いつまで待つって約束はできねえな。今でも八十円で買うお客がいれば、その人に売らなきゃ申し訳が立たねえ。商売とはそういうもんだ」
「お願い、明日の朝まで奥に隠しておいて」
「こどもだと思って同情してりゃいい気になりやがって。営業妨害だぞ」
(ちっとも同情なんてしてないじゃないか)
「おい、お巡りがいいか。それとも恐いお兄さんがいいか」
二人は黙ってしまった。やがて哲男は藤太を表に連れ出して小声で言った。
「おれはここで番してる。おまえは平松さんちに行ってありのままを報告してこい」
「哲男さん、ぼくがここにいたい」
「馬鹿、おまえは小さ過ぎる」
しかし、哲男には藤太の気持もよくわかった。毎日一つ屋根の下で暮らしたボールにやっと逢えたのだ。片時も離れたくないだろう。
「よし、それじゃ気をつけていろ。戻ってくるからな。買いそうな人がいたら何とか引き止めるんだぞ」
「うん」
哲男が戻ってきたのは、それから三時間後だった。いくら大人たちでもおいそれと八十円の大金は集まらない。十円ずつでも何とかしてこようと、平松の家から一旦散りかけたとき、広瀬徹が言った。
「早いほうがいいだろう。おれがとりあえず立て替えとくよ。ちょうど仕事の金を持ってる」
平松、名取、哲男の三人が駆けつけたとき、藤太は古道具屋と隣りのおでん屋の間に坐り込み、眼をぎらぎら光らせていた。三人は小走りに走り寄り、名取鎮生が藤太の両肩を両手で優しく押さえた。「プレーボールに間に合ったね」
藤太は名取の懐に倒れ込み、大声で泣き出した。
十月二十日 日曜日
試合開始の挨拶で、椎名町カモンボイズと興都ハンマーズの面々がホームを挟んで整列した。
「いいですね。一応七回戦ですが、差が九点以上開いたら、何回であってもコールドゲームですよ。わかりましたね」
アンパイアはそのことをいやに強調して二回繰り返した。心なしかカモンボイズのほうを向いてそう言ったように見受けられる。哲男は(|一応《ヽヽ》七回戦とは変な言い方だな)と思った。
アンパイアが念を押したくなるのも無理はない。興都ハンマーズは上背も年恰好も大体平均して見え、一列に並んだ姿が整然としている。二十歳前後から三十歳近くまでだろうか。そして、この食糧危機で先行きもわからない時代にしては、顔色も体格もいい。現場の仕事でいつも体を鍛えていて、食べるものは昔のドカベンとまではいかなくても、それなりの特配は受けているのだろう。
これに対して椎名町カモンボイズは、若者のチームかと思うとそうでもなく、中学生のチームかと思うとそうでもなく、かなりの年輩もいるけれども中年の同好会でもなさそうだ。おまけに陽に焼けたのや青白いの、体格のいいのややせっぽちと、色とりどりである。こういう連中が上背の順でもなく適当に一列に並んだものだから、頭が出たり引っ込んだりで、まるで何かの棒グラフみたいだ。向かい合って挨拶をしたとき照れくさそうな顔をしたのは、むしろハンマーズの面々だった。
(とんだ余興を引き受けたもんだぜ。まあ二回コールドぐらいかな)
そんな気持を押し隠すように、笑いをこらえ、つとめて真面目な表情を保って、ハンマーズの面々は挨拶をした。
いでたちは似たようなものである。ハンマーズは、現場の作業衣のようなのもあり、普通のシャツとズボンもいて、足固めは地下足袋か、すり切れたズックが多い。一人、皮の軍靴がいて、これにはカモンボイズは気をつけないと危ない。
さて、カモンボイズの服装は、大体いつもの着たきり雀の一張羅で、その中では、元陸軍将校の池田と元予科練の高橋の戦闘服が生地もよく垢光りもしてない。そしてカモンボイズの唯一の共通点は、わらじ着用である。これだけは見事に揃った。
用具も同じようなもので、本皮のグローブが両チーム二つずつ、ウソ皮つまり帆布などで作った一応グローブらしい形をしたのが三、四個ずつ、キャッチャー専用のミットなど、もちろんどっちも持っていない。
バットは興都が軟式用を一本、椎名町が広瀬のみつけてきた硬式用を一本持っていて、グローブもバットも両チーム共用にするから何とかなるだろう。
ところでカモンボイズで気になるのは、そのバットの広瀬がいないことである。朝、大島が迎えに行ったら母親が出てきて、昨夜遅く上野に行ったきり帰ってきていないという。きのうの練習にはいたのだ。平松は急遽、名取と半分ずつ出す予定だった六年生の池田広之進を広瀬の抜けたライトにした。
ジャンケンで勝った平松は後攻を選んだ。カモンボイズのナインが、ところどころ雑草の生えたグラウンドに散る。アンパイアが右手を挙げて叫んだ。
「プレーボール」
高橋は平松のグローブめがけて第一球を投げこんだ。
キャッチャー平松の指示はコースと高低だけで球種は直球一本槍である。手製の毛糸ボールでカーブが面白いように曲るというのでゴムの軟球でもそれをやらせると、とんでもない暴投か打ちごろの球になる。真っ直ぐだけでいいと平松は読んでいる。
高橋は立ち上がり好調で三回まで点を与えずにきた。ハンマーズのピッチャーもなかなかいい。カーブやシュートを混ぜてカモンボイズを手玉に取っている。これも三回まで二塁を踏ませぬ好投。とはいうものの、ハンマーズは思うように点が取れないので少し焦りが見える。たちまち九点差のコールドゲームとたかをくくっていたのが案に相違してゼロ行進である。
四回、五回と進む。打席はとうに二廻り目なのだが、ハンマーズはどうも変わりばえしない。高橋にそれほど完全に押さえこまれているわけではない。ヒットの数や得点チャンスはハンマーズのほうが圧倒的に多いのである。ところがあと一本というところで点が入らない。当たりは痛烈なのが多いが、カモンボイズの野手が右に左に前に後によく動くのである。ハンマーズの打者は(ええい、こしゃくな)とばかり、国民学校五年生のショート藤太や、初老のセカンド名取の附近を狙ってみるが、なかなか抜けない。
ピッチャーに完封されているのではなく、相手の守備陣全体から完封されている感じだ。押しているのにあと一歩でホームに帰れず、ほとんど塁に出ていない相手とスコアの上では同じという状態は、かえっていらいらした気持を生む。一方、カモンボイズのほうは、チャンスらしいチャンスも奪えずに来ているのでもちろん残念だが、もともと手ごわそうな相手だ。その相手にも点を入れさせてないんだから上出来じゃないかと、充実した気分になっている。
平松は、多分そういう成り行きを予測していたのだ。唯一の貴重なゴムボールは徹底的に守備練習に使った。これに対して、ハンマーズは、ゴムボールの手持ちはカモンボイズよりいくらか多いとしても、おもに、気持のスカッとするバッティングを楽しんできたことだろう。こんな不自由な、気の滅入りそうな時代だ。練習時間も用具も何もかも不足だらけだ。だから一本でも多く打って気分を晴らしてきたに違いない。それならこっちは、ボールをてのひらでいじる守備を鍛えよう。対等にゲームができるぞ。
そこまで平松が見通していたかどうか。しかし眼前の試合は、そう読み取れる展開になっている。そしてそのまま、あれよあれよという間に最終回の七回に入ってしまった。
先攻のハンマーズは、一死後にチーム九本目のヒットが出てランナー一塁となり、次のバッターの打球は、ショートの右に飛んだ。平松は(しめた!)と思った。藤太の取りやすいところだ。藤太は素早く動いて左足の前で球をとり、そのままの姿勢でセカンドの名取ヘポイと投げた。名取は柔らかい身のこなしでファーストヘ。球は速くないが正確な送球で余裕を持ってアウトにし、ダブレプレー。藤太の家に泥棒が入ってボールを盗まれた日、平松が藤太に「名取さんとゲッツーをやってみろ」と励ましたのが最終回に実現した。
延長戦になりそうな展開は予想もしなかったせいか、アンパイアは試合前にそれを決めておらず、あわてて両方のキャプテンを呼んだ。ハンマーズのキャプテンは九回までの延長戦を希望し、平松はそれを了承した。
七回の裏一死後、バッターボックスに入った平松は、ピッチャーの直球が高目に浮き出したのを読んでいた。このバッテリーはピッチャーがリードしているようだ。ピッチャーの気分のままだとすると、この最終回は力まかせにくる。
果たして、二球目に直球が高目に浮いてきた。平松が振り抜いた球は左中間に伸び、レフトとセンターの二人が背中を見せた。平松がサードに達したとき、球はようやくセカンドに返ってきた。カモンボイズ四本目のヒットである。次のバッター池田善之進は、同じように高目の直球に手を出したが三振。二死で藤太が右ボックスに入る。足場を固める前にチラリと平松を見た。平松はにっこり笑って「行け、行け」というジェスチュアをした。この回のカモンボイズは背の高い大人が三人続いたところへ、急にチビの藤太である。ハンマーズのピッチャーはストライクゾーンを小さくしぼらねばならず投げにくいだろう。低い暴投が出るかも知れない。
案の定、最初は高目、次は低目のボールになった。○―二となれば次はどうしてもストライクだ。相手がチビだからと油断したのか、それともここは確実にストライクをと思い過ぎたのか、ピッチャーはスピードを落とした直球を真ん中に投げた。藤太はゆっくりとためて力いっぱい振り抜いた。ボールは「カポッ」という音を残して、ショートの頭上をきれいに抜いた。一―○、カモンボイズのさよなら勝ち。負けたハンマーズだけでなく、勝ったカモンボイズのナインまでが一瞬呆然とし、それから跳びはねた。
隅の草叢に新聞紙を敷いて腰をおろしていた平松夫人と和子も、いつのまにか立ち上がって拍手している。平松の話によると二人とも野球は全然知らないらしい。だから今日も、七回の表まではつまらなそうに見ていたが、七回の裏になって突然、野球がわかったのである。
同じように野球にはまったく興味がないと言っていた大沢弘明も武夫を連れて見にきていて、鼻髭をてのひらで揉みながら嬉しそうな顔をしている。武夫は兄からもらった手製の毛糸ボールを大事そうに持っている。今日は青っ洟は引っ込んでレールも取り払われている。そろそろ卒業かも知れない。
しかし、何といっても一番嬉しそうなのは藤太の両親である。父親はここに来るまでは、家に訪ねてきた平松と池田は監督か何かで、野球をやるのはこどものチーム同士だと思っていた。それが何と国民学校の生徒は自分の息子ともう一人だけで、しかも相手は屈強な土建屋チームときた。平松さんとやらは一体何を考えているのかと思いながら、息子たちがめったやたらと打ちのめされる惨劇が繰りひろげられるのを覚悟していたが、あにはからんや、最年少の息子のクリーンヒットでさよならである。父親には息子の藤太が急に大きくなったように見える。
ところが、当の川口藤太は、嬉しそうどころか今にも泣き出しそうな顔をして突っ立っている。唇をかみしめ、眼に涙をためて上を向いている。ちょうど、ボールが盗まれた日に平松の家に現われたときのような顔つきである。他のナインは、まだ勝利の興奮覚めやらず、一生この気分を味わっていたいとでもいう笑顔に包まれているのだが。
藤太は、今しがたハンマーズの選手から返ってきたウイニングボールを片手に握りしめている。やがて、藤太の様子に気付いたナインが、彼のまわりに集まり出した。池田が声をかけた。
「どうした、藤太。きみは最高殊勲選手だぞ」
藤太は、ボールを握っていたてのひらを開いた。ボールには四センチほどの裂け目が走り、中の薄暗い空洞がかすかに見える。裂け目の端に、血の痕がある。ボールは土にまみれてどす黒くなっている。
十月二十三日 水曜日
大沢哲男、武夫、平松和子、川口藤太の四人は、目白駅附近の闇市を通り抜け、学習院の正門の前を通り過ぎ、なお東へと目白通りを歩いて行く。焼跡の小屋から七輪の煙が昇っている。晴れていて風もないが、そろそろ肌寒くなってきた。
「ねえ、生えてる木って強いのね。焼けないのね」
和子がポプラ並木を見上げて言う。
「うん、地下水で護られてるから。でもほら、外側は焦げ目がいっぱいある」
「生えてる木のまんまでそこに家を作ればいいんだな」
と、例によって藤太が哲男を驚かせた。武夫が哲男を見上げて、
「お兄ちゃん、あとどのくらい?」
「あと、今まで歩いた半分くらい。買出しに比べりゃ楽なもんだ。荷物がないもん」
四人は、この先の千登世橋を渡って少し先に行った左手奥にある、雑司ヶ谷のお寺をめざしている。
「ねえ、広瀬さんはどうして警察につかまったの」
藤太が哲男に聞く。広瀬の家は藤太の家の近くで、二日前、藤太は学校の帰りに、広瀬の家から、三人の警官が紙の箱をいくつか運び出す姿を目撃した。家宅捜査と証拠品押収だろう。広瀬は独身で、母と姉夫婦の家に同居し、上野方面に仕事に出かけていた。
「ペニシリンの闇をやってた疑いだって。悪いって決まったわけじゃないんだぞ。今は疑われてるだけなんだ」
「ペニシリンって、何?」
「体の細菌を殺す薬。すごく高いけどよく効くらしい。肺炎とか、いろんな大人の病気とか」
「大人の病気って?」
「よく知らない。いいよ、こどもが心配しなくたって」
哲男は藤太にそう言いながら、自分もまだそのこどもだと思った。淋菌とか梅毒とかいうことばは聞いたことがあるが、どんな病気かわからない。梅毒とは梅の実を食べて腹痛を起こすことかと思ったがそんな簡単なものではないらしい。
「ペニシリンって青かびから作るんだってね?」
和子が澄んだ声で哲男に言った。考えごとをしていた哲男は奇襲を受けたように戸惑い、考えごとの中味を見すかされていたような気がした。
「うん、菌で菌を殺すらしいね」
哲男は、藤太が闇市で発見したボールのために、八十円をポンと立て替えた広瀬の顔を思い浮かべた。仕事の金と言ってたけれど、あれもペニシリンの売買に関係のある金だったのだろう。
雑司ヶ谷のお寺に着いた。裏手の古びたお寺の列から、名取や平松など何人かの頭が出ている。四人のこどもたちは急に自然に神妙な気持になり、黙り込んで墓場の雑草を踏みしめて歩いた。
名取俊介の墓にはすでに野花が供えられ、墓石も清められていた。哲男は墓石の背に廻ってみた。
慶應義塾大學經濟學部三年 同大學野球部 海軍主計少尉 レイテ島沖に散華
名取鎮生は、笑みを浮かべて川口藤太に右手を差し出した。藤太はズボンのポケットから、割れたボールの入った袋を取り出して名取のてのひらに静かに置いた。
「お母さんがまた作ってくださったの?」
藤太は無言でうなずいた。菊の花模様が散りばめられた美しい柄の布の袋である。
「さあ、きみたち」
平松がこどもたちを促した。先に来ていた池田の息子の広之進が、園芸に使う小さなスコップで、俊介の墓石の脇の土を掘り出した。哲男も、ポケットから貝掘りに使う柄の短い小さな熊手を取り出し、武夫にそれを渡した。武夫は一層神妙な面持になって広之進の横にしゃがみ込んだ。
藤太は、だんだんまた例の顔つきになって行くようである。哲男は藤太の噛みしめた口元を見ながら、お濠端のGHQの正門前で「マッカーサーさあん!」と叫んで走り寄る藤太の後姿と、ビラの入ったリュックと、その前に立ちはだかるMPの、まるでポパイの腕のような靴と、入日の逆光の色あいを思い出した。
名取鎮生は、こどもたちが掘った小さな穴の中に、ボールの入った袋を入れた。こどもたちの小さな手がその上に土をかぶせた。その手元をじっと見つめている名取の横顔が、哲男にはこう語っているように思えた。
「俊介。みんなが、おまえのたましいを一所懸命探してくれたぞ。さあ、一緒に眠るがよい」
放送ストは、哲男たちが初めての試合をした四日後に解除された。十一月には、主食の配給が二勺だけ増えて一日二合五勺になった。しかし、その中には相変わらず麦や芋などが含まれ、市民への遅配は平均二十日以上に及んでいた。十一月三日には新憲法が公布された。そして、東京の銭湯の料金は、七十銭から九十銭に値上げされた。東京裁判は核心に入り始めていた。
昭和五十七年十月二十四日、日曜日の昼下がり、大沢哲男は、桜本町に向かう東横線の車内で腕組みして目を閉じている。行先は神奈川県立図書館である。
大沢は今日は一日中家にいるつもりだった。ある大学で美学の講師をしている大沢は、来週の講義に向けて今日中にまとめておきたいことがあり、静かな家の中でそれをやるつもりだった。ところが家が一向に静かにならない。いや、妻とこどもたちは買物に出かけて大沢一人なので、家の中は静かなのだが、外が騒がしいのである。スピーカーをつけた車がひっきりなしにやってくる。遠ざかったと思うとまた別のが近づいてくる。風向きのせいか、スピーカーの音量が今日はまた特別に大きい。それで図書館に逃げ出すことにしたのだ。
大沢は、今は横浜市内の割合新しい団地の借家に住んでいる。彼は京都の大学に進み、そこの大学院で美術史の研究にたずさわり、そのまま一旦京都に住み着いた。そこで結婚し、やがて東京の父母を呼び寄せた。道子と徳子はすでに嫁ぎ、武夫は大学を出て大阪で働いていたし、もともと椎名町の家は借家だったので、二人暮らしの老父母は長男の哲男のところに身を寄せることにしたのである。やがて父の弘明は七十八歳で他界した。今年の春、大沢はある大学に招かれて東京に戻ることになった。もう一度椎名町のあたりに住もうかとも思ったが、友人が紹介してくれた横浜の借家が条件がよかったのでそこに決めたのだ。
今日まず聞こえてきたのは、
「御町内のみなさま、毎度おなじみのちり紙交換車でございます。御家庭で御不用になりました古新聞、ぼろ切れ等、ございましたらお声をおかけください。多少にかかわらずトイレットペーパーと……」
接近してきたらしく、スピーカーの音量が耳をふさぎたくなるほどの大きさになった。
無神経に増幅されたスピーカーの声に考えを妨げられて、大沢はいらいらしてきた。それがやっと通り過ぎたと思ったら、今度は、
こんにちは、あっかちゃん
と、一昔前にはやった歌がガンガン響いてきた。
「毎度お騒がせいたします。新鮮な牛乳、脂肪とカロリーを抑えた牛乳、オレンジジュース、ヨーグルト、そのほか各種取り揃えまして……」
(「お騒がせいたします」と断れば、いくらお騒がせしてもいいのか)
大沢はますますいらいらしてくる。昔もそういう商売の人たちはよく住宅地に来た。しかしスピーカーなど使わなかった。機械で増幅されない肉声のままだった。だからやかましくなかった。
少し前、大沢は都心の盛り場で奇異な光景を見た。駅の通路脇に台を置いて若者が電池やネジ廻しの玩具を売っている。それは普通なのだが、台の上に携帯用のかなり大きなテープレコーダーが置いてあって、そこから、
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。自動車、戦車、動物にお人形ちゃん……」
と、手慣れた威勢のいい声が聞こえてくる。若者自身は、やる気のなさそうな顔をして口をつぐんでいるのだ。
ちり紙交換なども、録音テープを廻しているのがほとんどだということは、大沢も知っている。焼芋屋にもそういうのがいるという。バスもそうだ。運転手は口を動かさなくても、テープレコーダーを押せば「次は○○三丁目でございます」とか「お年寄りやお子さま連れの方には席をお譲りください」などと、流暢で美しい女の声が流れてくる。運転手が「譲ろうが譲るまいが、おれの知ったこっちゃないよ」という顔つきで口を閉じていても、声は出てしまうのだ。
(マイクを手にしてものを言うなど、おれのこどものころは、特別に偉い人か特別の職業の人だけがやることだった。政治家、アナウンサーなどラジオに出る人、あとはどんな人がいたのかな。学校の朝礼でも、千人以上の人間を前に、壇上の先生や生徒会長はマイクなしで大声を出していた。そして結構聞こえていたものだ。人の耳が澄んでいたのか。空気が澄んでいたのか)
大沢は新聞をひろげた。折込広告がバサリと落ちる。今日は大方の給料日の直前なので折込も多い。紙が上質だから重さでは新聞の本紙以上だ。その半分は住宅、残りの半分が自動車、あとが日用品――新聞紙面の広告もほぼ半分は住宅である。世の中、新築住宅に満ち溢れているようである。一人二軒買ってもまだ余る。自動車も一人五台持ってもまだ余りそうだ。
スーパーやデパートには各種の衣食住の商品が溢れ、紙やビニールの包装紙は無尽蔵に提供される。だから新聞紙が活躍する領域が挟くなり、家庭の台所の隅に無為に積まれる。だから「毎度おなじみのちり紙交換車」がやってくる。そしてトイレットペーパーを置いて行く。だから新聞紙は便所でも使われなくなり、ますます活動領域が挟くなる。だから台所の隅にますます高く積まれる。だから、……
大沢は、新聞をひろげたまま肝心の記事には注意が集中せず、つまらぬことばかり考えている自分を持て余して立ち上がった。どこかスピーカーの音に邪魔されない静かなところに行こう。広い公園がいいか。いや、休日だから人出も多く、そこでもスピーカーや携帯ラジオが鳴っているかも知れない。考えた末、図書館に行くことを思いついたのである。
大沢はノートと鉛筆を鞄に入れて家を出た。駅に行く途中に大きな公園があり、その一角が野球のグラウンドになっている。小学校高学年と見えるグループが練習している。二十人ほどのこどもが揃いのユニホームに身を固め、二列に整然と向き合ってキャッチボールをしている。ふと気がつくと、そのうしろに野球帽にトレーナー姿の大人が五人、腕組みしてキャッチボールを見守っている。そしてときどき、「ほら、眼をそらさない!」とか「ほらほら、次にすぐ投げることを考えて捕れと言っただろ!」とかいう声をこどもたちに飛ばしている。こども四人に大人一人である。
大沢は公園を横切って行く。一人の子の受けそこなったボールが、ちょうど大沢の足許めがけて転がってきた。大沢はそれを素手ですくい上げ、投げ返してやる前に一瞬そのボールを眺めた。昔のボールは真ん中に鉢巻のような帯が走っていたが、今のは硬球の縫目と同じ曲線がめぐり、たくさんの丸く小さいあばたをこさえてある。大沢はその感触をてのひらで一瞬楽しんで、近寄ってくるこどもに投げ返した。中指の先にジンとした手触りが残る。そのとき、名取俊介が遣して行った鉄錆色の血の痕のついたボールの姿が、不意に大沢の脳裡に甦った。
(おお、カモンボイズ)
公園を出る前に、大沢はもう一度練習風景に目をやった。立派な金網、揃いのユニホームの二十人の小学生、大勢のコーチ、本皮のグローブが二十個、軟式ゴムボールが十個……あたりまえではないか。
(そうだ。あたりまえだ。これで正常だ。しかし、あの、大人も中学生も小学生もごっちゃになって同じことをやり、わらじを履き、たった一個のボールを探し求めて走り廻ったカモンボイズのほうが、声が大きく笑いも弾んでいたなあ)
三十二年ぶりに東京に戻ってきた大沢は、一度母と椎名町に行ってみようと思いながらまだ果たしていない。大学の同僚の話によると、あのあたりもずいぶん変わっているらしい。椎名町という地名は消え失せ、わずかに駅名に名をとどめているだけだそうだ。目白通りには新しいしゃれた店やマンションが立ち並び、池袋には日本一の超高層ビルがそびえている。練馬、石神井、大泉はもちろん、清瀬のあたりも今は住宅街がひろがり、さらにその先の所沢にはプロ野球のスタジアムができて、シーズンに入ると電車はナイター見物の客で夜遅くまで賑わう。
大沢はそういう話を聞きながら、その変わりようを見てみたいと思っていた。同時に、その新しい姿の中に昔の面影も探ってみたいと思っていた。奥の路地まですっかり変わってしまったわけではないだろう。あのころのカモンボイズのメンバーもほとんど残っていないことは聞いている。名取鎮生、死去。平松五郎、転居。川口藤太、転居……しかし、彼らの家や自分の家の跡には一度行ってみたいものだ。それに玉の湯。
(それから雑司ヶ谷の寺にも行って名取父子の墓詣でもしよう)
そう思いながら半年が過ぎている。目先の仕事に追われている。そしてときどき、(今さらあのころのことでもあるまい)とも思ってしまう。
気がつくと、電車は終点の桜木町に停まり、乗客がぞろぞろと降り始めていた。大沢はあわてて腰を上げた。
改札口を出ると、大沢は線路下の歩道を歩き出した。終点から少し戻って左に折れ、切通しの紅葉坂を登って行くと、右手に神奈川県立図書館がある。
大沢が歩いている道は、桜木町から線路沿いに優に一キロは真っ直に続いている歩道である。右側が背の高いコンクリートの壁で、その上を線路が走っている。
(このあたりにも闇市が連なっていたんだろうな)
壁のしみや落書きを眺めて歩きながら、大沢はしきりにあのころのことを思い出していた。藤太と貼った新聞紙のビラ、新聞紙のチラシ……。
(そうだ。図書館であのころの新聞を見よう)
大沢は足を早めた。
「ええと、その時代の新聞は一年を上半期と下半期に分けて綴じてあるんですが。どっちでしょうか」
書庫の係の青年が聞く。
(あれは、二学期のことだったから……)
「下半期です」
大沢は、昭和二十一年下半期の新聞の縮刷版を借り受けると、二階の閲覧室に落ち着き、まずそれをパラパラとめくってみた。
夕刊はなく、表裏二面だけが一日分である。二面ともほとんど写真もなしに活字だけがぎっしり詰まっている。角が磨り減った活字もある。
大沢は、あらためて七月一日から目を通し始めた。あのころの一日一日が二面に凝縮されている。しかも二分の一の縮刷版である。紙も印刷も悪かったころの新聞の写真複写だから、眼を凝らしても判読できない部分がある。それだけに大沢は、三十六年前の焼跡や、闇市や、GHQや、椎名町の界隈が彷彿としてくるのを覚えながら、眼をこすりつけるようにしてページをめくって行った。
天眼鏡を持ってくればよかった、と思った。
[#改ページ]
この小説には、大分中学、|臼杵《うすき》中学、小倉中学など、かつて実在した学校名や、その時代に実際におこなわれた野球の試合のことが出てきます。
しかし、大分中学や臼杵中学にかかわる登場人物と、それぞれの人物の人生経路は、作者のまったくの創作です。たとえば、この小説における大分中学の投手大津留は、当時の実在の投手梅津をいかなる意味においてもモデルにはしておらず、この小説の捕手赤峰は、当時の実在の捕手大塚をいかなる意味においてもモデルにはしていません。他の人物についても同様であることをお断りしておきます。
1
雨脚が速くなり、旅館に急ぐ木谷繁生の靴とズボンの裾が濡れ始めた。左肩にかけた大きな布製のバッグが傘の外に出ている。木谷はそれを、赤ん坊を抱きかかえるように胸の前に廻し、傘を行手に傾けた。バッグの中には、野球のファーストミット、スパイク、硬球二個、ユニフォーム一式、それに小旅行の身の廻りのものが入っている。
(なんとか今日中にやんでくれよ)と木谷は念じ続ける。(明日、グラウンドは多少ぬかっていてもいい。しかし雨だけはやんでほしい。試合を強行するにしても、頭上から雨が落ちてくるのとこないのとでは、気分がまるで違うんだ。せっかく三十三年ぶりに集まるんだからな)、そういう思いを心の中に秘めておけなくなったように、最後のあたりは「三十三年ぶりなんだからな」と、小さな独り言になっている。
木谷は、別府の流川通りを山の手に向かって歩いている。南北に続く海岸通りを西に折れ、立石山のケーブルカーまで一直線に延びる目抜き通りである。午後の三時に近い。今日は十一月二十四日、月曜日だが、きのうの勤労感謝の日が日曜日に重なったので今日にかけての連休となり、通りは、ホテルや旅館を引き払って、帰りの便までの時間を土産物店でつぶしている観光客でにぎわっている。家族連れ、若い男女、老人会と見える一団、女同士のグループなどが、旅行の終りにさしかかったけだるさと、久しぶりにいい旅をしたとでもいった満足げな面持ちを交錯させながらゆっくりと動いている。五、六人の中年の男たちの一団が木谷とすれ違った。迎え酒を飲んで宿を出、外でまた飲んだのか、顔が一様に|まぐろ《ヽヽヽ》の刺身のように赤黒く、同じ紙袋をさげ、同じように黒っぽいコートを着て、ネクタイを着用に及んでいるところまで同じである。
(どういう人たちだろう。同じ職場か、同窓会か、同業者か、あるいはどこかの議員たちだろうか。いずれにしてもこの上機嫌な顔よ)と木谷は思う。(そうか。おれも同窓会に集まったのだった。そして明日はユニフォームを着るのだった)、しかし、ともう一度考える。(きのうから今日の昼にかけては秋晴れだった。彼らは帰り際に雨に降られたのだからまだいい。いっそすがすがしい思いだろう。しかし、おれたちはこれからなんだ。しかも、ただの観光とは違ってこっちは野球……。いや、これは人間の楽しみを差別することになるからやめておくとして、とにかく、おれがこんなにも明日の天気を気にするのは実に久しぶりのことではないか)
さっきまで楚々としておだやかな姿を見せていた鶴見岳は、雨雲に隠れてしまった。やがて木谷は、流川通りを右に折れて細い道に入り、左右の家並みを注意深く眺めて行った。そして一軒の古い旅館の門をくぐった。門にかかる木の看板も古びていて、墨の痕はかろうじて「喜楽荘」と読める。
木谷が喜楽荘の石畳を伝い、玄関に足を踏み入れると、
「おお、キャプテン、待っちょったど」
と太い声がした。
「いやあ、姫野、久しぶりやのう。すまんな、遅くなって」
と木谷は答えた。そして姫野の顔を見ながら、三十年ぶりに会ったのにふさわしいことばを用意しているうちに、姫野のほうが口を開いた。
「キャプテンは、いっこも変わっちょらんのう」
「変わった、変わった。この|白髪《しらが》を見てくれや」
木谷は右手で頭髪をかき上げた。すると、生え際に少し白いものが目立った。
「そんなの、変わったうちに入らん。顔つきが変わっちょらんけん。若いのう」
木谷のほうは、姫野の変わりように驚いていた。頭髪は薄くなって、日に焼けたひたいがせり上がり、めがねの奥の瞳は、テレビなどでよく見かける老政治家のそれのように奥まって鈍い光におおわれ、くちびるにたるみが見えた。しかし、かえってそのために、昔からの姫野特有の人なつっこさがさらに加わったようにも、木谷には思えた。(これが三十年間の忠実な反映というものだ)、と木谷は考えながら、その話題で姫野に応酬するのを避けるように言った。
「それはそうと、集まりぐあいは、どげんかね」
木谷のことばは、東京で慣れてしまったことばに、たった今姫野に呼び起こされた大分弁が混ざり始めて、何となく坐りが悪い。
「うん、臼杵のほうはおおかた揃っちょる。こっちはまだ、地元の四人とおまえだけじゃ」
「先生は?」
「先生は少し遅うなる言うちょった」
姫野は、木谷の荷物をさりげなく自分の手に持って歩き出した。
「とにかく、まず、湯につかってこいや」
「うん、一応みんなの顔を見てからな」
「心配なんは、この雨と、キャッチャーがまにあうかどうかじゃ」
二階の廊下を、木谷と姫野が話しながら歩いて行くと、むこうから、長身で|精悍《せいかん》な顔つきの浴衣姿の男が近づいてきた。男は木谷を認めると笑顔であいさつした。
「やあ、木谷さん。その節はどうもお世話になりました」
「いや、こちらこそ。遠山さん、とうとう明日になりましたね」
「お手柔らかに」
「それはこっちの台詞ですよ。もう、みなさん集まったんですか」
「ええ。きのう、母校でちょっと肩ならしをしてきました。なにしろ、強敵|大中《だいちゆう》とですからね」
「またあ、その手には乗りませんよ。こっちは練習はおろか、まだ九人中五人ですよ。ハンディ大きいなあ」
「とんでもない。うちはおたくに一回しか勝ってないんですよ」
「その一回が決定的だったじゃないですか」
「とにかく木谷さん、先に湯に入ってますから、おいでになりませんか」
「ええ、荷物を置いてすぐ行きます」
遠山肇は臼杵のキャプテンである。そしてかつての主戦投手、一風変わったフォームで横手からくり出す外角低目の速球が、木谷たちを手こずらせた。
いまどき珍しく|絨毯《じゆうたん》が敷いてなく、よく拭き込まれて黒光りしている廊下が、歩くにつれてミシミシと音を立てた。木谷は、その廊下の艶と音によって、あのころの生活の色、形、匂いなどを一挙に呼びさまされた気がした。やがて姫野が大きな部屋の障子をあけた。部屋の中の三人の眼が一斉に木谷に向けられた。
「おお、キャプテン、しばらく」
「しばらく」
阿南清志、セカンド、西南銀行大分支店次長。伊東克雄、センター、大分上野丘高校教員。秦剛正、補欠外野手、大分県庁職員。それに、木谷を玄関で迎えた姫野修はサード、今は大分市で運送業を営んでいる。木谷は四人の顔を眺めながら、三十三年前に一気に戻ったような気がした。しかし、その気持がおさまらないうちに、一方では、三十三年前が、今まで思っていたよりも遥か彼方に押しやられてかすんで行くようにも感じられた。この矛盾した二つの感覚にとらわれたまま、木谷はしばらく部屋の入口に立ちすくんでいた。
今度の集まりは、東京に住んでいる木谷が、福岡にいる遠山に出した手紙に端を発している。七月下旬のことだった。
前略 三十三年前、南九州大会決勝戦で、兄の外角低目への絶妙な制球力の前に敗退した、大中の木谷です。兄は、相変わらず眼光|炯炯《けいけい》としてご活躍のことと拝察します。
毎年七月も深まると、新聞は高校野球予選の記事でにぎわい、小生、古傷がチクリと痛みます。といっても、もはや淡い快感に近い痛みではありますが。
先日、当時のうちのエース大津留と飲んでいるうちに、小生はなにげなく口走ってしまいました。「あのときの両チームで、できれば同じ別府球場で、もう一度試合をしてみたいな」。大津留はたちまち乗ってきました。「ぜひ実現させましょう。善は急げ。今年中にやりたいですね」
遠山さん、小生と大津留の意気投合を、報復の念に燃える鬼などとは、どうかとらないでください。ただ、私たちの青春の、そのまた真ん中を真っ二つに分けたあの試合を、もう一度無心に再現してみることにより、お互いに四十代後半を通過しつつある私たちの回春とし、時計の針を一度逆転してみたいのです。いや、ちと大げさになりましたが、いかがでしょうか、軽やかな楽しみとして、旧大分中学対臼杵中学で、もう一度お手合せ願えませんか。そしてもう一度、旧制中学の|挽歌《ばんか》を奏でようではありませんか。
遠山からはすぐに返事がきた。
前略 貴兄からものの見事に右中間を抜かれた思いです。
私は、博多の街で、当今あまりはやらない紳士服の手作りの仕立てを、少ない常客を相手にやっていますが、最近どういうわけか、スチームアイロンをかけながら、あのころを思い出しておりました。三十年周期とでもいうものがあるのでしょうか。そして、何かしたいと感じながら、それが何であるかに気付かなかったのです。私の心は、目標もなくシャドウ・ピッチングをしていたのですね。そこへ貴兄の手紙が痛烈な打球となって飛んできた、そんなタイミングでした。私の左手のグラブをかすめて右中間を真っ二つ、目が覚めた思いです。文句なくお受けします。
ついては、もし貴兄のご都合がつけば、どこか、東京と福岡のあいだの適当な場所でお会いして打ち合わせたいですね。貴兄のスケジュールに合わせます。
二人が広島で落ち合ったのは、それから二十日ほど経った八月十五日の夕刻だった。
木谷は、日本ソニックという音響映像機器メーカーの公報室長で、たいてい月に一度は一、二泊の地方出張に出る。八月は運よく西のほうで、岡山と広島になった。遠山に連絡すると、十五日の夕刻には広島に行って一泊できるという。木谷は遠山を広島駅で迎え、その足で|薬研堀《やげんぼり》という飲屋街に行き、以前一、二度行ったことのある店に落ち着いた。
「今日は終戦記念日……」
「敗戦から三十五年ですか、早いなあ」
というところから二人の話は始まった。二人が座を占めたのは隅のほうの畳の席で、店の中央は炉端焼風のカウンターになっており、十五、六人の席は満員で、一杯機嫌の声が二人のところまで聞こえてくる。
「まだ八月も中旬ちゅうのに十・五ゲームも開いとったんじゃ、緊張も薄まるのう」
「市民球場は去年より入りが悪いそうじゃ」
「ファンはぜいたくじゃけんねえ」
「おまえも、そのぜいたくな一人のくせ」
木谷と遠山は、そのやりとりを耳にしながら、どちらからともなくにやりとした。
遠山が言った。
「ちかごろの終戦記念日は、プロ野球と高校野球たけなわで……、ちと過熱気味ともいえますね」
「まったく……。平和の証しですな」
「ま、われわれも野球の話になるわけですね。あ、今日、|大商《だいしよう》が浜松商に負けましたね」
「え? そうですか」
「五対三。大商の松本は肩をこわしてましたしねえ」
木谷は、遠山のことばに懐しさを惑じた。大商とは大分商業のことで、木谷たち大分中学とは、野球と喧嘩のライバル同士だった。木谷は言った。
「しかし、大商は夏の甲子園にはしぶとく出てきますねえ。おたくは今年は?」
「いやもう全然……、県の二回戦で双国に四対三で負け。おたくもたしか……」
「ええ、やっぱり二回戦で、別府鶴見丘に何と十一対一。もっともぼくの母校は大分上野丘という名前に変わっていてね、新聞を見ても、半分ひとごとみたいで……」
二人は一合枡にひやの地酒をお代りし、枡の縁に塩をつまんで乗せて同時にちびりとやった。
「遠山さん、博多から北九州一帯、それにこの広島とは、酒の飲みっぷりにかけてはいい勝負でしょう。それに、肴もいい」
「さあ、よそはあまり知らんとですが、ここはたしかに壮観ですなあ」
「この界隈、飲屋ばかり二千軒といいますよ。どうも、酒の飲みっぷりと野球風土というのは合うんじゃないですか」
「それはいえます。高知なんかもそうですね。大体野球ちゅうもんは、お調子もんのところがありますけんね。それに元来が貧乏人のスポーツ、庶民のスポーツでしょうが。酒もしかり、ほんとの酒の味を知っとるのは貧乏人ですけん」
遠山のことばには、木谷と会ってしばらく経ち、酒が入り始めてくつろいだせいか、九州弁が混ざり始めた。
「ははあ、しかし遠山さん、考えてみると、高校野球や昔の中等野球は酒と関係ないね」
「いや、|栴檀《せんだん》は双葉よりですよ。生い立ちのせいで、酒のうまさを予感しながら野球で育つ」
「ハハハ、ぼくの妙な仮説が、遠山さんにこじつけ話を作らせちまったなあ。しかし、貧乏、酒、野球の相関関係は気に入った」
木谷は、遠山の澄んで大きな眼と、贅肉のない引き締まった体つきをさりげなく眺め、(まだまだ切れのいい球を投げそうだな)などと思いながら話を続ける。
「それにしても最近の甲子園は長くなったなあ。八日に開幕して今日で一週間でしょ。それでまだ二回戦だ。そうすると優勝戦は?……」
「順調に行っても二十日過ぎですよ。何と二週間。なんせ、四十九校ですけんねえ」
「あの年は何校でしたっけ?」
「たったの十九校。開幕から優勝戦まで一週間ほどでしたね」
「そして、福島、原の小倉中学が優勝か。颯爽としてたなあ。さて、遠山さんの甲子園体験を聞かせてもらおうかな」
「あんまりいじめんといてくださいよ、初日に姿を消したんですから。おまけにぼくの押し出し四球が決勝点、いや決敗点になったんですよ。それより、そろそろ今度の打ち合わせといきましょう」
「ああ、そうですね。まあ、言い出しっぺのぼくが言うのも何ですが、はたして九人揃うかどうか、ちょっとスリルを感じてるとこですよ」
昭和五十五年の今、あのころ中学四年と五年だったチームメイトは、四十七歳から四十九歳になっている。大分中学のメンバーでは、木谷の知るかぎりでも、レフトをやっていた長山が三年前に癌で死亡し、そして、補欠だった佐藤が、ずっと前に自動車事故で命を落としている。当時ベンチに入っていたのは、両チームともせいぜい十三、四人だった。久しぶりに連絡をとるとして、体の具合の悪い者もいるかも知れない。海外に行っている者もいるかも知れない。日によっては仕事の手がどうしても離せない者も出てこよう。
「それは、うちも同じです」
遠山は言った。
「母校で先生をしていた磯村が、二年前に病気で亡くなりました。まあ、うちは地元の臼杵でやっとる者が多いから、木谷さんとこよりは集まりやすいでしょうが、とにかく連絡をとってみんことにはね」
そして、しばらく二人の話が途絶えた。二人とも、当時のナイン一人ひとりの顔を思い出している様子だった。
木谷の脳裡には、ナインの顔に混じって、別府球場の姿がカメラのフラッシュを浴びたように一瞬浮き出て、そのまま焼き付いた。小さいころ映画で見た中世の古城のように、石を積み上げて|漆喰《しつくい》で固めた外壁、それに、板の尻当てすらない石段の内野スタンド……。すべて石造りのその記憶は、写真でしか見たことのないローマのコロシウムの遺跡を木谷に連想させた。
(そうだ、あれはコロシウムだ。おれたちの野外劇と格闘の遺跡だ)
一九四七年、昭和二十二年七月三十日、別府球場において、全国中等学校優勝野球大会の南九州代表決定戦が、大分中学と臼杵中学のあいだでおこなわれた。勝てば甲子園、どっちが勝っても初出場である。そして、その年かぎりで中等野球は終りを告げ、翌春の選抜大会からは高校野球に移行することになっていた。両校とも「歴史の|掉尾《とうび》を飾りたい」という気特にはなみなみならぬものがあった。
その年の南九州大会は、大分、熊本、宮崎、鹿児島の四県で構成されていた。福岡、佐賀、長崎の北九州では、すでに小倉中学が優勝して甲子園出場を決めていた。大分県の予選では、大分中学が臼杵中学を四対一で破って優勝している。ところが、この二校が南九州大会の決勝戦で再び顔を合わせることになってしまった。大会には、各県予選の優勝校と準優勝校、計八校が出場していた。そして、臼杵中学は、鹿児島二中を三対○、天草中学を十九対一で降し、大分中学は、熊本商業に七対○、宮崎中学に一対○で勝って、大分県勢同士の優勝争いとなったのだ。
それまでの対校試合で、大分中学は臼杵中学に負けを知らない。しかも大分中学の大津留は、四年生ながら、九州では小倉中学の福島と並び称される好投手で、県予選と南九州大会の五試合中四試合をシャットアウトで勝ち進んできた。わずかに一点を許した相手が、県の決勝戦での臼杵中学である。左腕、整ったフォームから投げおろす速球は抜群で、ドロップもいい。
大方の予想は大分中学有利であった。木谷たち選手自身もそう思っていた。監督の安部先生からも、「おまえたちは、わが校の歴史でも最高に充実したチームだ。練習もやれるだけやった。そして勝つべくして勝ち進んできた。ありのままの力を出せば必ず甲子園に行ける」といわれていた。
それを立証するように、先攻の大分中学は、一回に早くも遠山の立ち上がりをとらえ、四死球と長打で簡単に一点を入れた。連投の大津留もがんばって、三回を終って一―○。大分が中盤にもう一、二点とれば勝負は決まると思われた。
四回の裏、臼杵は先頭バッターが四球で出ると、続く三番四番の中心打者に、ベンチはバントを指示した。そしてこれが野選と内野安打になり、臼杵に無死満塁のチャンスが転げ込んだ。相手が大津留という好投手であることを考えて、三、四番の打力を過信せず、確実に塁を進めて中盤にまず同点にしておこうという手堅い作戦が、一挙に逆転のチャンスを掴んだのだ。この意外な局面は大分の野手たちに微妙な動揺を呼んだ。その後ヒット性の当たりは一本もないのに、内野のエラーが重なって、いつのまにか臼杵の三人がホームベースを踏んでいた。三―一、大分のベンチも応援団も茫然とした。何か悪い夢でも見ているのではないか……。
しかし、気をとり直した大分は、五回の表にすかさず長打で一点を返して三―二と追い上げた。大分の攻撃はまだ四回ある。今まで臼杵に土つかずの大分だ。打力もいいし、二点は取れよう。それに大津留も打ち込まれたわけではない。もう点は与えないだろう。大分中学はベンチも応援団も、まだ元気旺盛だった。
たしかに、大津留は五回以降をピシャリと押さえた。ところが、臼杵の遠山投手の投球にもますます冷静さが加わり、得意の外角低目が決まる。大分は一点差ぐらいはね返せると思っていたのが、後半になって回が進んでもゼロが続き、そのままずるずると九回の表になり、そして二死になってしまった。遠山の力投に加え、それまでのびのびと出ていた大分のバットが萎縮し、こんなはずではないと思う気持が自縛状態を生んだのだろう。
千人を越す大分中学の応援団の、文字どおり断腸となりそうな絶叫の中で、最後のバッターの打球は平凡な中飛となり、臼杵のセンター大場がそれをがっちりと掴んだ。三対二、臼杵中学は、甲子園出場を決める大一番で、はじめて大分中学に勝った。試合開始九時三十分、終了十一時十五分、試合時間一時間四十五分。
大分中学 32434014
打安振四犠盗失
臼杵中学 32454131
スコアは、両投手の伯仲した好投を物語っているが、大分が四回に出した集中的な失策が勝敗を分けた。
(三十三年を経た今も、おれがあの試合を思い出してくやしがっているわけではない。ただ、あのときの負け方、決定的なところで力を出しきれないというジンクスが、その後のおれにつきまとってきた……)
木谷は、そういう話を遠山にしてみたくなった。しかし、まず今度の計画の打ち合わせをすませておかねばならない。そう思い直したところへ遠山から声がかかった。
「木谷さん、みんなへの呼びかけは、両校キャプテン連名の手紙でやりませんか。そしてもちろん電話で詰める」
「ああ、連名というのはいいですね」
「文案は、広報室長の木谷さんに任せた」
「む? こいつは遠山投手の速球にひっかかったぞ」
「ハハハ、ぼくは現場のほう、つまり別府球場をあたったり、地元の世話人を決めたりしますよ。日取りはいつごろにしますか」
休日はとてもあいていないだろう。二人は手帳をめくりながら、十一月二十三、二十四日の連休の翌日を狙おうと決めた。勤め人にとっては、いっそ連休とつながったほうが休暇をとりやすいだろうという判断である。これで、目標が大体三か月先となった。日取りが決まり、人数の見通しもできたら、宿の手配も遠山がするという。
「どんな宿がいいですか」
「やっぱり昔風の旅館に落ち着きたいですね。長い廊下があって、部屋との間は障子だけ、隣部屋とは襖だけで仕切られていて、スッとあけて行き来できるようなね。二階の廊下には古い欄干とか」
「むつかしい注文ですなあ、いまどき。まあ、ぼくも賛成です。見つけてみましょう」
両校同宿だが、前夜は別々に食事とミーティングをし、試合が終ってからは、ラグビーでいうノーサイドになって、両チームいっしょにどこかで一杯やろうということになった。また、かりに九人に満たない場合は、野球部以外の当時の在校生を加えてもいいが、できるだけあの試合でベンチ入りしていたメンバーで固めるように、ぎりぎりまで努力すること、そして、この試合はだれかに見てもらうためにやるのではなく、ひたすら自分たちの楽しみだけでやるのだから、ことを大げさにしないこと、当時の監督には連絡をとるが、そのほかの母校の関係者には黙っておこう、観客はむしろ一人もいないほうがいい、ということなどで二人の意見が一致した。
「何となく秘儀めいてきましたね」
と遠山が言う。木谷は笑ってうなずいた。
「ほんと。時の流れを逆にした、秘密の通過儀礼といったところですね」
打ち合わせを終えた二人の話題は、やがてまた自然に昔の野球に戻って行った。あの年の、中等野球最後の甲子園大会。臼杵は、開幕日の第三試合で函館工業に五対三で敗れたが、開幕第一試合に勝った小倉中学はどんどん勝ち進み、樽井投手を擁する岐阜商業と優勝を争って六対三で勝ち、優勝旗がはじめて関門海峡を渡った。その優勝戦は、試合時間一時間十二分の最短記録を作った。
「その小倉が、翌年の新制高校初の夏の甲子園で連続優勝するんですから、憎いですよ」
と遠山が言った。
「憎いといえばねえ……」
木谷が返す。
「小倉中学が一度、大中に練習試合にきたんです。福島と原のバッテリーは、いかにも聡明な顔をしてたなあ。試合はね、一回表、小倉のトップ河野が四球、二番の宮崎が絶妙のバントで自分も生きる。ワンアウトから四番の原がね、測ったように左中間の二塁打を打ってたちまち二点。憎い。絵に描いたような攻めでした。おまけに、あのころのうちの学校のバックネットときたらね、下のほうの金網がずたずたに破れてて、補修する金も材料も手に入らないんで、木の板を打ちつけてあった。ファウルやパスボールがぶつかる度に、バーン、メリメリ、とかいう音がする。はずかしかったなあ。以来ぼくはね、今まで臼杵中学と小倉中学にコンプレックスを抱き続けています」
遠山は、木谷のことばに苦笑していたが、やがて言った。
「ぼくはね、小倉中学の優勝のときの新聞を覚えとりますよ。ええとね、朝日新聞」
「たしか、あのころの新聞はペラ一枚で二面だけだったでしょう」
「そう、十六段に字がぎっしりで、写真も広告もほんの少しでした。そのときにね、小倉中学優勝の記事がね、写真つきで七段ぐらいで載ったんですよ。といっても、今の高校野球の記事に比べれば簡素なものですがねえ。しかし何か大きく見えたもんです」
翌年の昭和二十三年も、大分中学は県予選の三位決定戦で臼杵中学に勝ち、かろうじて東九州大会に出た。この年は、大分、宮崎、鹿児島の三県による大会となり、各県の三位までが出場できることになったのだ。そして決勝戦は再び大分同士、大分一高と大分二高の対戦となった。すでにこの年の三月をもって、五年制の中等学校は日本中でその長い歴史を閉じ、新制の中学と高校に移行していた。それに伴って、木谷は中学五年から高校三年になっていた。大分一高がかつての大分中学であり、大分二高がかつての大分商業であった。この試合でも、木谷たち大分一高は甲子園を目前にしながら、そして七回の表に一点を先取しながらも、その裏に二点をとられ、またもや一点差の逆転負けを喫した。
すでにその年の春には、木谷たちは選抜高校野球で選ばれて甲子園の土を踏んでいた。そして次の年も選抜された。このように、年間を平均した成績は出色であり、力はあったのだ。
木谷たちのクラスが卒業した年の翌年の昭和二十五年夏、大分一高はまたも東九州大会の決勝戦に駒を進める。そのときの相手も大分勢の別府一高だった。そして一回に先取点をあげながら十対三で敗退。
「どうです。決定的な局面までくると力を出しきれない。これはぼく個人の傾向でもあったんですよ」
「そんなことないでしょ」
「いや、野球だけでなくて、ぼくは中学、高校と勉強のほうも人に負けなかったはずなんですが、同じ程度の連中がスイと入った東大の入試に二回落ちました」
「……木谷さん、それは考えすぎだ」
「いや、しかしこのもろさはね、少なくとも野球ではね、ずっとあとの後輩が克服してくれたようですわ。おたくにやられてから十一年後ですよ」
昭和三十三年の地方大会決勝戦で、大分一高からさらに改称された大分上野丘は中津東に九回二死まで二―○とリードされていたが、そこから一挙に四点を入れて逆転し、夏の甲子園に初出場した。しかも、前日の準決勝でも、大分商業に八回まで二―○とリードされていたのを最終回に三―二とひっくり返して決勝戦に進出したのだった。
「往年のもろいキャプテンも、もって瞑すべしと思いましたよ。そしてね、そのころから私の生活や仕事にもツキが廻ってきたというか、自分でもかなり図太くなってきたように思うんです。後輩さまさまですよ」
木谷は昭和三十年に日本ソニックに入社したが、それから四、五年経ったころから、日本ソニックは高度経済成長と技術革新の波をうまくとらえ、ステレオ再生装置、カラーテレビ、VTRの開発などで一頭地を抜き、四十年代にエレクトロニクス輸出産業に飛躍する基礎を固めた。この時期に、文科系若手社員の中で木谷の見通しの確かさと粘り強い仕事ぶりが高く評価され、木谷は同期の中ではつねにトップを切るようになったのだ。
「それは、木谷さん自身の素質と努力のたまものでしょう。上野丘の優勝とは関係なさそうですな」
と遠山は言った。
「いや、あると思ったほうがおもしろいんですよ」
「それじゃ、今度の十一月の勝敗にもこだわりますか」
「いや、それはもう今更……、この年齢になれば超越してますよ」
「さあ、どうですかな」
二人はホテルに落ち着いてからも夜通し話し込んだ。話題はあの試合の前後のさまざまな記憶に及んで行った。あの年、昭和二十二年の初頭というと、十六歳になったばかりの木谷は、東京の大学から冬休みで帰っていた先輩に「日本にももうすぐプロレタリア大革命が起きるぞ」と聞かされて、わけもわからず興奮したことがあった。そしてまもなく、全官公労が二月一日からゼネストに突入すると宣言した。木谷は(これがその、プロレタリア革命の|烽火《のろし》なのか)と思った。ところが前夜の一月三十一日に占領軍がゼネスト中止命令を出し、闘争委員長のスト中止指令の涙の絶叫がラジオから流れた。
「あれ以来、革命ということばを聞くと、ぼくはしらけた気分になるんです」
と木谷は言った。
「うん、あれから労働運動も分断されましたね。だから、社会党が第一党になったと聞いても、もう革命という感じはなかった」
新憲法が施行され、社会党の片山委員長を首班とする内閣が発足したが、結局は八か月でダウン。食糧危機で物情騒然とする中に、古橋広之進が四百メートル自由形に世界新記録を出したというニュースが、別世界からの便りのように飛び込んだ。
空腹、ノミ、シラミ、闇市……。
「あれでよく野球をやりましたねえ。ふしぎなくらいだ」
「そう、野球と、それに映画だけはよく見た」
「ぼくも。それにラジオでは『鐘の鳴る丘』と『日曜娯楽版』が始まった」
「雑誌では、リーダーズダイジェストだけが、紙も印刷もやけによかった」
映画の題名を挙げ出したら止まらなくなり、気がついたら夜が明けていた。
「広島ではよく話しましたなあ」
木谷は湯ぶねに足を入れながら、先にきてつかっている遠山に言った。薄暗いのと温泉の湯気で、相手の顔はよく見えない。
「はあ」
という返事があった。しばらくして、
「九人、大丈夫ですか」
という声がした。洞窟の中で話し合っているような響きがこもっている。
遠山は、木谷たちがまだ五人しか集まっていないのを心配しているのだ。つい三日前に、やっと十人参加可能というところまでこぎつけたのである。遠山はそのことも聞いて知っている。
「もうすぐ、東京と京都から四人着くはずです。ただね、心配なのはあと一人、キャッチャーの赤峰です。仕事で長いこと地方を転々と廻ってるようでね。連絡はすべて奥さんの中継なんですよ。でも、まにあうようにかけつけると言ってきたそうですから、大丈夫でしょう」
と木谷は答えた。そして(赤峰、姿を現わしてくれよ。どうやら九人は揃ったが、馬場がこられなくなったから、おまえのほかにキャッチャーの経験者はいない。小倉の福島、原にひけをとらなかった大津留、赤峰の名バッテリーを再現してくれよ)と、両手で湯ぶねに波を立てながら思い続けた。
雨は小降りになったようである。
2
両校のキャプテンの連名による呼びかけ文が落合圭太のところに届いたのは、八月二十九日だった。
旧式の小さな扇風機がうなりを立てて送る風を横から受けて、落合は無表情に読み進む。
「……改めて此處に雌雄を決せんと爲るに有るや。さに非ず。然らば單に懷舊の情已み難き感傷的遊戲なるや。さに非ず。今日、各分野、各地方に別れ、おのがじし道を進む吾人の、青春の出發點、|坩堝《るつぼ》、而して|搖籃《ようらん》の地は、等しく彼の別府球場なりと信ず。吾人再び打揃ひて彼の土に立ち、熱戰を再現し、一投一打に欣喜し落膽し、以て人生後半への活力を點火爲しめんが爲なり。蓋し、少年の感性を以て未來に臨まんが爲なり。……」
(ふん、ちょっと乗りすぎじゃないか)
と落合は思う。きれいにコピーされたその呼びかけ文の裏面には、両校の校歌が印刷されている。落合は相変わらずの無表情で、くちびるを閉じたまま、しかし母校大分中学の校歌のメロディを小さく鼻で唄っている。そして一番終りの歌詞まで眼で追った。
爲す事無くて朽ちもせば
地下の
先に恥なるぞ
奮へや奮へ我が健兒
立てや千餘の我が健兒
豐山豐水とこしへに
待てる英雄誰なるか
待てる豪傑誰なるか
「英雄豪傑の時代は終った」
落合は木谷からの便りを封筒に入れて畳の上にポイと放ると、そうつぶやきながら立ち上がり、運動靴をつっかけて外に出た。
落合の住いは川崎市で、多摩川沿いにある安普請のアパートの二階の一隅だ。妻と、高校一年、中学二年の二人の女の子との四人暮しで、このところ落合は、一日中か少なくとも半日は家にいる。外出するといえば、多摩川の堤を上流に歩いて、太公望をぼんやりと見物するか、もう少し足をのばして、河川敷にあるプロ野球のファームの練習風景を眺めるか、あるいは町に引き返してパチンコをやるくらいのものだ。結構な身分のようだが、実は落合は失業中なのだ。彼が、人事、労務畑で永年勤めてきた中規模の工作機械メーカーが二年前に倒産し、おまけに専務と経理主任の女とができていて、いっしょに隠匿していた裏金をそっくり持って姿をくらましたものだから、とても退職手当どころではなかった。
社長は二代目で、技術屋としてはいいものを持っていたが、先代が大手の下請けで一代を築いた道を継ぐだけでは飽き足らず、独自の工業用ロボットを目玉商品とする新興独立企業をめざし、それが裏目に出てしまった。コンピューターや数値制御システムの開発費が嵩みすぎ、その芽が出ないうちに、折からその分野に本格的に乗り出した大手メーカーに先を越され、とうとう銀行からも見放されて不渡りを出してしまったのだ。技術革新戦国時代の先端を切ろうとした小さな城の主が、状況を見据えて慎重に出馬した大組織軍団に蹴散らされたのだった。
落合は失業保険で喰いつなぎながら一所懸命仕事を探した。そして今更のように、特別な技術を持たない五十近くの男の就職難を味わう。
社長は長いつきあいで落合を買っていた。そして自分の経営の失敗を落合に詫び、再起の暁には一番に迎えるといい、落合の手を取って号泣した。しかし二年経っても何の連絡もない。
失業保険も切れ、落合は新聞やチラシを見てはパートの仕事に出かけ、妻の季子もスーパーマーケットで働き出した。しかし、生活費の赤字はおおうべくもなかった。
喫茶店の数ほどもありそうなサラリーマン金融のドアを恐る恐るあけても、無職では相手にしてくれない。今年になって、とびきり高利の三軒から、やっと五万、五万、八万で十八万円借りることができた。それで凌いだのも束の間、今度は元金と利息の支払いに追われ、それを払うためにまた小口の借金をする。こうして高利の借金がばかにならない額となり、その残高は、多摩川の太公望やプロ野球の練習をぼんやり眺めている落合の頭の隅に、つねに重く鈍くのしかかっていた。
爲す事無くて朽ちもせば
地下の
先に恥なるぞ……
「今日、各分野、各地方に別れ、おのがじし道を進む吾人の、青春の出發點、坩堝、而して搖籃の地は……」
(おお、大正浪漫派! こういう字句を臆面もなく書ける木谷は、おれが味わっている人生後半の失敗のにがさ、おれが背中に感じている家族への痛みと無縁のようだ。たしかあいつは、日本ソニックでいいところにいたな。“人生後半への活力を點火爲しめんが爲なり”だと? ふん、それをせしめんがために、一体いくら金が要ると思う)
落合は、かんかん照りの堤防を、ランニングシャツに破れたジーパン姿で歩いて行く。
もともと落合は大分で生まれ育った人間ではない。銀行員の父の転勤で、たまたま中学二年から高校卒業までを大分市で過したのだ。父の転勤は太平洋戦争末期だった。新しい友だちもでき、大分弁にもなじみ、社宅の住み心地もわかったころ、大分市は深夜に空襲を受け、落合の家族は至近弾に見舞われながら、防空壕の中で九死に一生を得た。一夜明けると市の中心は焼野原と化していた。登校すると、隣りの別府市から通学している生徒たちが言った。
「うつくしかったのう、ゆうべの大分。ベターッと真っ赤に燃えちょって」
別府は、アメリカが占領後のキャンプ地と保養地に予定していた。それと軍事施設に乏しいこともあって、アメリカは別府には爆弾を落とさなかった。別府に住む生徒たちは、落合たちが逃げ惑って身をすくめていた大分の街に紅蓮の炎が昇るのを、高みの見物としゃれ込んでいたのだ。落合は軽口を叩いた友だちには悪意を感じなかったが、別府というところが嫌いになった。
敗戦後、学校が再開されると、落合は空腹をまぎらすために何かがむしゃらにやりたくなった。そして野球部を選び、くだんの決勝戦ではライトを守って六番を打った。気がついたら一点差で負けていた。母校の応援団席からは、泣き声にかすれた校歌が響いてきた。
待てる英雄誰なるか
待てる豪傑誰なるか
(大げさだな。おれの好みではない)と、そのとき落合は思った。奇妙に冷めていた。
(別府球場など、おれは青春の揺籃などとは思っていない。尻の大きいGIと厚化粧のパンパンが腕を組んで闊歩する、被占領国の原色の温泉場。別府球場は、その原色の街にみすぼらしく取り残されて、古いしみのついた闘牛場の跡のようだった)
落合は、土堤を降りて河川敷を歩き出す。そのとき、眼の隅が、落合めがけて飛んでくる白く丸い物体をとらえ、とっさに右手が伸びて勢よく地を這うそれをすくい上げた。野球の軟式ボールだ。落合はそれを利き腕の左手に持ちかえ、二十メートルほど離れた若者に投げ返した。ボールは一直線に飛び、若者が左胸に構えるグラブに無駄なく返された。と思ったとたん、ボールは若者のグラブからはじけ飛んだ。
(青二才! グラブがボールをとらえた瞬間に、五本の指の神経をグラブの中でサッと集中させるんだ)
落合は、いつのまにか小声で校歌を口ずさんでいた。
峨峨たる|由布《ゆふ》の峯高く
茫たる豐の海廣し
(|豐の海《ヽヽヽ》まで往復の足代はいくらかな? 三万円ではきかないな……)
落合の視野に、プロ野球のファームの球場と、こまねずみのように走り廻る選手たちの姿が入ってきた。その間にかげろうが立っている。落合はきびすを返し、家に向かって歩き始めた。
丹生形成外科医院の院長・丹生徹は、京都ロータリークラブの昼食会から帰ってくると、午後の診療を始める前に、冷房のきいた広い居間で一枚の地図をひろげた。丹羽医院は、広い敷地の中に、白い化粧タイルでおおわれた診療棟と、クリーム色の瀟洒な住宅が並び、二つの建物を長い渡り廊下がつないでいる。住宅の脇の車庫には、たった今勤めを果たしたベンツが体を休めている。待合室にはすでに五、六人の患者がいて、午後の診療開始の三時を過ぎても、まだ看護婦からだれも呼ばれないことにいらいらし始めている様子だ。
丹生がひろげた地図は、長野県の野尻湖の近くに建設される「信濃ドクトルコロニー」の見取図である。コロニーといっても、要するに医者たちの別荘の集まりである。エグゼクティブ・レジャー・エンタープライズという、わかったようなわからないような名前の会社が、知名度が高くてかつはやっていそうな医者を廻りながら計画を進めている。目標は二十五人程度、建物と敷地の分譲価格は、一件平均九千七百万円で、建築は一定の規格に基づいたオーダーメイドとなっている。頭金が三千万円、残りは長期年賦で二代にわたってもいい。一流の医者だけのコロニーというイメージでエリート意識をくすぐる商法が成功したと見え、残る枠はあと二、三件だという。丹生はすでに予約をすませている。
コロニー全体の完成予想図と、丹生の別荘が建つ予定の敷地、それに別荘のスケッチが描き込まれた地図を、丹生は満ち足りた面持ちで眺めている。妻の彩子の父の地盤を受け継いで二十年、働き盛りの丹生の皮膚はつやつやと輝いているが、難を言えば肥りすぎだ。
やがて彼は地図をたたみ、郵便物に目を通し始めた。製薬会社、医療器械会社、ゴルフクラブ、長期信託銀行、証券会社、不動産会社、百貨店、画廊……、ほとんどはカタログを折り込んだダイレクトメールである。そのうちに丹生は、おや? という表情で封筒を裏返した。「昭和二十二年大分中学野球部主将木谷繁生、同年臼杵中学野球部主将遠山肇」、丹生は肉付きのいい指で封を破いた。
「……なお、各自が用意するものは、グラブ、スパイク、適宜のユニフォームのみ。帽子、ストッキング、バット、ボールは地元世話人において一括準備する。また、……」
丹生の顔がほころびてきた。そして右手で二、三回スナップスローの手つきをくり返した。そこへ妻の彩子がコーヒーを持って入ってきた。丹生はあわててその手つきをやめ、手紙をダイレクトメールの束の中にさりげなくまぎれ込ませた。
「あなた、中学の野球部からのは何でした?」
「ん? うん」
彩子はすでに差出人を見ていたのだ。それにしても丹生はなぜ、悪いことをしてでもいるように手紙を隠さなければいけないのだろう。
「浩一との約束、お忘れじゃないでしょうね。あの子、今一番大事なときなんですから」
「うん」
浩一は一人っ子で高校一年である。中学三年までは野球部で活躍し、親子でも暇さえあればキャッチボールやトスバッティングをしたり、プロ野球や学生野球を見に行っていた。ところが高校に入るにあたって、彩子が厳しい方針を打ち出したのである。
「浩一は一流大学の医学部に進んでパパのあとを継ぐ人です。高校に入ってからも野球部など、とんでもありません」
「ぼくは医者になるなんて決めてないよ。それに、パパだって甲子園にも出たのに、一流、とはいえないかも知れないけど、とにかく医学部を出て医者をやってるじゃない?」
「時代がちがいます。ちゃんと目的意識を持って、意志を強くして勉強しなきゃ、競争に勝てないのよ。後継ぎは浩一しかいないんですからね。それにパパは、お金や情実でなんて考えられない人なんですから」
「きみは考えられるのかね」
と、丹生はポツリと言った。
「あたしだって……、第一そんなお金なんてありゃしませんよ」
「もしあったら?」
「いやですよ、そんなやり方」
「うん、それならいい」
浩一はなおも、医者の一人息子だから医者にならなければいけないというのはおかしいと言い張った。そんなこととは関係なく、勉強は一所懸命やる。しかし野球も続けたい。どうしても野球がだめならラグビーをやる。
「いけません! あんな激しい……」
「じゃ、何だったらいいの?」
「何だったらって、たとえば、たまにテニスをやるとか、パパにゴルフの手ほどきを受けるとか……」
彩子が言い終らぬうちに、浩一は大声で笑い出した。丹生もつられて笑ってしまった。
「あなた! あなたからも何かおっしゃってよ。ふん、ひとごとみたいに」
母の一途な情熱は、結局父と息子を承服させた。浩一は野球をあきらめ、勉強に疲れたときは父親からゴルフの手ほどきを受けることになった。それを決めたのは、やはり父親の一言だった。
「よし、浩一、おまえが大学に入るまでは、おれも一切野球はやらんぞ。野球見物もテレビ以外は我慢する」
どうやらこの一言も、彩子が準備した台詞だったようだ。
そういうわけで、彩子が手紙の差出人を気にしたのも無理はない。
「お手紙、拝見できます?」
「え? ああ」
丹生は仕方なしに、呼びかけ文を取り出して妻に渡し、妻に背を向けてコーヒーを口にふくんだ。
「あなた、まさか……?」
丹生はそれに答えずに立ち上がると、白衣に腕を通しながら、秘書にでも命令するように語調を変えて彩子に言った。
「おい、スケジュール表に入れといてくれ。十一月二十四日から二十六日まで、学会出席」
「あら、また学会ですか」
「そう、今度はきわめて重要な学会だ」
白衣を着終えた丹生は、立ったままコーヒーの残りを飲み干すと、元気な足どりで診療棟に向かった。
九月中旬の日曜日。賀来八郎は二週間ぶりの休日を、団地の広場でくつろいでいる。木蔭の芝生に寝そべっている彼の横には、今までテニスとキャッチボールの相棒をつとめていた、中学一年の娘の加奈江が、足を投げ出して坐っている。加奈江の頬とひたいには小粒の汗がにじみ、小さな胸が波打っている。彼女は中学ではソフトボール部に入っていて、小柄な女の子にしては瞬発力があり、往年の甲子園組の賀来も、けっこう彼女とキャッチボールの楽しさを味わえる。
賀来は、娘のひたいの汗を眺めながら、(どうしたものか)と思う。木谷からの手紙の返事をである。
「阿南二塁手と賀来遊撃手の、呼吸の合ったキーストンコンビは、文字どおりこの試合の鍵を握っています」
という木谷の青インクの筆跡が賀来の頭に宿っている。(思い出させてくれるよなあ……)賀来の眼底には、阿南と演じたかずかずのファインプレーがよみがえってきた。とくに、県大会の決勝戦で、一死満塁のピンチに、三遊間のヒット性のゴロを逆シングルでとらえてダブルプレーにし、局面を一気に変えてしまったときの快感。
(阿南はモーションが小さくて機敏、おれは守備範囲が広くて強肩、うってつけの二遊間コンビといわれたなあ)
それと共に賀来には、バッティングの手応えもよみがえってきた。レギュラーになって対校試合に出たときの記念すべき初ヒット。ツースリーになっていた。ピッチャーが投げた次の球は途中まで見えていたが、手許ではもう何が何だかわからずに夢中でバットを出していた。軽い手応えがあり、球はショートの頭上を小気味よく抜いて行った。胸から肩あたりにかけて急に熱くなるのを感じながら一塁に走り込んだ。ベースに立ってひと息入れ、相手のピッチャーや、味方の次のバッターの動作を見守る姿勢に移ってからも、まだ体中がジンジンと脈打ち、てのひらには球をはじき返した感触が残っていた……。
今、賀来は横浜の丘陵地を開いて造成した大きな団地のアパートに住んでいて、仕事は石油の業界紙の編集長である。仕事の時間帯が不規則で、一日中ポッカリ穴があいたかと思うと次の日は自宅で徹夜である。だから、運よく日曜日でかつ仕事がないときは、加奈江とひと汗流して体調を整えるようにしている。今日もその数少ない運のいい日というわけだ。
賀来は仰向けになって空を眺めたまま、加奈江に言った。
「加奈江、十一月の連休のあとだけどね、二日ほど加奈江ひとりでいいか? お父さんいなくても……」
加奈江は一呼吸置いて、父の顔も見ず、わけも聞かずに、
「いや」
と言った。賀来はしばらく黙っていた。やがて、決心がつかないまま口に出てしまったという歯切れの悪さで言った。
「それともね。お母さんが……、加奈江さえよければ遊びに来てくれって言っ……」
「いや!」
加奈江は今度は、賀来が言い終らぬうちに語気鋭く言った。賀来は(うっかりしたことを言っちまったもんだ)と思った。くちびるのまわりに後味の悪さが残った。
「わるい。ごめんよ」
賀来はチラと娘の顔を見た。加奈江は、ちょっとしたはずみで出てきそうな涙をこらえている様子だった。(多感な年ごろの娘に不用意なことを言った。焦って大人の身勝手さが出たというべきか)、賀来は、立ち並ぶ白っぽいアパートの無数の窓を眺めた。
(昔の向う三軒両隣りでは、わりあい簡単にこどもを預かりっこしたもんだ。今では隣りの亭主や奥さんの顔さえ知らない。おれが園子と別れたことも、何となく感付かれている程度だ。それぞれ小さい箱の中の幸せ、あるいは小さい箱の中の不幸せを背負っている)
賀来が園子と別れたのは一年ほど前である。石油業界のとある記念パーティーに夫婦で出席したとき、ある石油会社の若い独身重役が園子に興味を抱いた。みんなが酒に気持よく酔っている場であり、園子も酒は好きなので、色白の肌をほんのり紅く染めて楽しんでいた。ところがその若い重役は酒が飲めない。そして、醒めた眼で園子を見ていた。園子はそれほど美人ではないが、どこか男の心をとらえる魅力があり、酒気を帯びた顔の肌や|肢体《したい》になまめかしさが出ていたのだろう。男も酒を飲んで浮かれていれば、その場かぎりの気持の発散ですんだのかも知れないが、男のほうには彼女の魅力がずっと居坐ってしまった。
二人はいつか深い仲になって行った。しかし、半年ほど経つと男は|閨閥《けいばつ》結婚に追いやられ、園子と別れた。情事が露見したとき、賀来は我慢した。園子を被害者だと思うことにした。
賀来に詫び、しばらく落ち着いたかに見えた園子は、今度は賀来の寛大さが我慢ならないと言い出した。そしてますます酒を飲むようになった。飲んでは娘の前で賀来に当たり、ついには娘の加奈江にも目にあまる乱暴をするようになった。賀来はとうとう離婚を決意し、園子の両親を呼んだ。加奈江は父の許を選び、協議離婚が成立した。
この一連のできごとは、賀来には降って湧いた災難としか思えなかった。ある日、大学時代の友人と飲んでいてそのことを話すと、友人は言った。
「ばか、そんな一方的なことなど世の中に起こりっこないよ。おまえのほうにも必ず原因がある。大体だな、奥さんの浮気がばれたとき、ぐっとこらえたなんてのは偽善の最たるもんだ。なぜ横っ面の一つもはりとばさなかった」
園子はやがてアルコール漬けから脱し、平静を取り戻した。そして、もはや賀来の許には戻れないが、できれば加奈江にはときどき会わせてほしいという便りをよこした。賀来はそれをありのまま加奈江に伝えたが、加奈江は頑として首を横に振った。
週刊の業界紙であれ、新聞の編集長などという仕事は夜遅く、それにつれて朝も遅いものだと思い込んでいた賀来は、加奈江と二人で暮し始めてからというもの、よほどのことがないかぎり、朝は早く起き、夜も早く帰ってきて、それで仕事がちゃんと進むだけでなく、それまでよりもテキパキと片付いていくのにあらためて驚かされた。
「きみたちもやってみろよ」
「いやあ、やっぱり夜は遅くなりますよ」
「いや、父子家庭のほうさ」
などという冗談も飛ばすようになった。
賀来が加奈江に話を持ち出して後悔してから二週間ほど経って、加奈江が夕食のあとでポツリと言った。
「お父さん、十一月の連休のあとって、何があるの」
「いや、もういいんだよ。たいしたことじゃない。昔の友だち同士で野球でもやろうかってだけさ」
「どこで?」
「九州の別府」
「お父さんが出ないと、みんな困るんでしょ?」
「大丈夫、九人は揃うだろうよ」
「お父さん、あたしも行く」
賀来は驚いた。そんなことは考えてもみなかった。
「だって、連休のあと二日帰れないんだよ。加奈江には学校が……」
「先生に話してみる。うん、あたしが自分でゆってみる」
「いや、やっぱり学校休むのはよくないよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
賀来はことばに詰まった。ありきたりの意見なら言えるはずだ。しかし、加奈江の瞳は、そんなことでは通用しないよとでもいうように、賀来を見据えていた。
十一月も十日過ぎになった。木谷は会社から夜遅く帰ってくると、いつものように大判のノートをひろげた。黒インクで書かれたメンバー表が、青や赤で加筆されている。
当時の決勝戦のメンバー
監督 安部準之助先生、大分、OK、持病なし。晴耕雨読、羨しきかぎり。早朝軽いランニング。
投手 大津留豊、東京、OK、トランスワールド・トラベル・エージェンシー。今年に入って軟式四ゲーム、完投見込みあり。
捕手 赤峰孝一、東京から大阪のあと、転居先不明、大津留が調査中。画商だったはずだが現職不明。代りが難しいポジションで、大津留との呼吸もあり、ぜひ現われてほしい。二十日を過ぎてもわからない場合は、至急、馬場俊之に捕手を要請すること。
一塁 木谷繁生、東京、OK、日本ソニック。ゴルフ、硬式テニス、今年に入って軟式野球二ゲーム、打数八、安打五、うち本塁打二、二塁打一(飛距離は三塁打なるも残念ながら脚が伴わず)。
二塁 阿南清志、大分、OK、西南銀行大分支店。ゴルフ。胃潰瘍手術後三年、現在健康。今年に入って野球試合はないが調整良好。
三塁 姫野修、大分、OK、姫野運輸。水泳。地元の世話役一手引受け、有難し。六年前に痔の手術。
遊撃 賀来八郎、横浜、保留、石油産業新聞。軟式テニス、ときどき軽い胃炎。編集スケジュール調整中で十五日までに可否の連絡。不可の場合、左利きなるも落合圭太を廻すか。
左翼 長山和行、東京、昭和五十二年、癌で死亡、葬儀のときの若い奥さんと小さいお子さんの痛ましい姿がいつまでも忘れられない。今度の試合は彼と佐藤の野球葬でもある。左翼には秦剛正。
中堅、伊東克雄、大分、OK、上野丘高校数学教諭。陸上競技コーチ、今年に入って軟式三ゲーム、調整良好。
右翼 塚本忠彦、デュッセルドルフ、参加不能、大蔵物産。代りは丹生徹か、賀来が遊撃の場合落合圭太。
補欠 佐藤昭夫、東京、昭和四十五年、自動車事故で死亡。笑顔がいつまでも少年のようだった。あらためて冥福を祈る。
補欠 落合圭太、川崎、保留、無職。二十日までに確答の約。遊撃または右翼の予定。どこでもこなしていた選手だけに、ぜひ来てほしい。
補欠 馬場俊之、札幌、保留、札幌国際ホテル。スキー、アイスホッケー。ホテル多忙で参可不可能の公算大。赤峰もだめな場合、捕手をどうするか。
補欠 丹生徹、京都、保留、丹生形成外科医院。ゴルフ。やや高血圧気味、二十日までに返事の約。右翼へ。
補欠 秦剛正、大分、OK、大分県庁。ゴルフ、今年になって軟式二ゲーム、胃腸がやや弱い。長山のあとの左翼。
監督を除けば、参加確実六、不能三、保留四、それに赤峰がわからない。もし赤峰がだめで、保留のうち二人がだめなら、もうナインを組むことはできない。
木谷は赤鉛筆で机をトントンと叩きながら思う。(おれだって仕事は忙しい。参加保留の連中は、ホテルの馬場は別として、開業医、編集者、それに無職。おれたちよりはるかに融通がきくはずだ。三か月も前から呼びかけているんだから何とかなりそうなもんじゃないか。それにしても無職って、落合のやつ、何をしてるんだろう……)。そして、木谷の思案は赤峰に及んでいく。木谷の脳裡には、彼の往年のキャッチャーの姿が浮かび上がってきた。守備の回が始まるとき、ホームベースに仁王立ちになった赤峰が、ミットを持った左手と、マスクを持った右手を斜め上に伸ばし、足を踏んばって腰を落とし、大声でナインに気合を入れていた姿……。そして、赤峰が木谷のファーストミットめがけて、一塁ランナーヘの矢のような牽制球を投げてよこしたときの、ミットにジンと響く感触を木谷は思い出した。
(まさか、死んではいないだろうな……)木谷はその想像を打ち消すように、急いで寝巻に着替えて床に入った。
「キャプテン、わかりましたよ! 赤峰さんの居所が」
大津留投手から木谷に電話がかかったのは、十一月十七日の夜だった。
「え! わかった? それで、連絡とれた?」
「いや、家には今、奥さんしかいないんです。とにかく電話で用件だけは伝えておきました」
「で、どこに移ってたの?」
「奈良ですよ、奈良」
「へえ、よくわかったね」
「全国の電話帳を調べていったんです。電電公社で」
「ははあ……」
「大阪を中心にして円周をひろげていったんですよ。幸いあまり遠くない奈良でキャッチ。赤峰という姓だからよかったものの、鈴木や佐藤だったらお手上げでしたよ」
「それはお手柄。で、本人は?」
「それがね、何でも遠くを何日も廻っているそうです。とにかく、キャプテンからも電話を入れてください」
大津留の話によると、旧制中学のチームメイトが集まって別府で野球をやると伝えたとき、しばらくの間電話口の奥さんの声はせず、やがてポツリポツリと話し出したという。そして、話の内容は、自分にはよくわからないことなので、できるだけ早く本人と連絡をとりたいが、行先が決まっているわけではないから、本人から家に電話がかからない以上お手上げだ、しかし連休までには一度帰宅する予定なので、多分大丈夫だろうとのことだったという。そこで大津留は、とりあえず集合場所と時間だけを伝え、詳しくはキャプテンから連絡すると伝えたそうだ。木谷は、赤峰の所番地と電話番号を書き取って、大津留との電話を切った。
同窓会の名簿を更新するとき、連絡もなしに転居している者を探すのが、幹事の苦労の種だ。しかしたいていは、友人のだれかが知っていたり、転居通知や年賀状が行っていたりするのでわかる。また勤め先と連絡をとることもできる。しかし赤峰の場合は画商であり、自宅以外には事務所らしいものもなかったようだ。木谷は同窓生たちを訊ねてみたが、だれも転居先を知らなかった。同業の画商を探して聞いてもみた。赤峰の名前は画商の間でそれほど有名ではなかったが、知っている人も何人かいた。しかし彼らは一様に、「赤峰さんはわれわれの商売の中でも一匹狼のほうですからねえ。いいえ、転居されたことも知りませんでした。そういえばもう何年も会っていませんねえ」と言っていた。木谷は(何か知られたくないことでもあるのか)と想像した。そして(もしや?)と思うこともあっただけに、大津留から、奥さんと連絡がとれたと聞いたときは、ほっとした。
木谷は高校卒業以来、赤峰と一度も会っていない。もちろん奥さんがどんな人かも知らない。それだけに、戻っていた手紙を速達で送り直したあとで電話するときは、少し緊張を覚えた。
――はい、拝見いたしました。多分連絡はとれると思いますが、あのう、それで人数は? あ、そうですか、それじゃ、主人が間に合わなくても何とか九人の方は……。
――はい、絵も扱っておりますし、何ですか近頃は陶器なんかも探し歩いているようでございます。
――ええ、私どもはこどももおりませんし、窮屈なおつきあいもありませんし、どこへ移るのも気軽でございます。
――はい、おかげさまで丈夫でやっております。
――そうですね、出かければ半月ほどは帰りませんが、電話は一週間おきぐらいにかかります。もうそろそろかかってくるはずです。お手紙の中味、確かにお伝えいたしましょう。
――さあ、今どこいらにおりますことやら。先日の電話は金沢からでございました。連休で観光客が増える前には帰りたいと申しておりましたが、あてにはなりません。
奥さんの話しぶりは淡々としていた。木谷は、万一都合のつかないときのために代りは考えてはいるが、正捕手は何といってもチームの|要《かなめ》であり、ぜひ参加してほしいという希望を奥さんに伝えた。
その後、奥さんからも本人からも連絡がないまま、とうとう木谷が別府に発つ前日、十一月二十三日になってしまった。木谷は奈良に電話を入れてみたが奥さんも留守だった。(だめかな?)と思っていると、夜になって奥さんから木谷に電話が入った。
「やっと連絡がとれました。要領が悪くてうまく伝わったかどうか。別府球場ということと、二十五日の午後一時ということは何度も念を押しました」
「ありがとうございました。それでご都合は?」
「出先からまっすぐ行くと申しておりました。試合開始までには何とかまにあうだろうと」
「今、どちらに?」
「会津若松だそうでございます」
「会津若松?」
東北本線、新幹線、日豊本線……、それとも寝台特急? それとも飛行機? 木谷の頭の中ではそういうものが目まぐるしく点滅した。
「ご主人にはご苦労をおかけしますが、ひとつよろしく……」
「いいえ、とんでもございません。あ、それから……」
と言って、奥さんは赤峰の希望を木谷に伝えた。万一ということもあるので、赤峰を除いたメンバーで試合に臨む用意を怠らないでくれというのだ。木谷は、くり返し礼を述べて電話を切った。
木谷は、社会に出てからの赤峰の生活を想像してみた。まず東京での画商の生活。激しい競争に耐えられなくなったのか、それとも「中央画壇」に集まる画家たちの作風に飽き足らなくなったのか、彼は大阪に本拠を移し、東京には無縁の画家を求めて各地を廻り始める。やがて彼の関心は次第に古美術に傾き、奈良に居を定める。そして相変わらず地方を廻りながら、今度は|窯元《かまもと》をたずね歩くようになる。そしてこのあいだは金沢で、今は会津若松……。奈良では奥さんと二人きりの静かな暮し。奥さんとは東京で結婚したのだろう。関西のなまりはなかった。(エレクトロニクスの技術革新や市場動向のおびただしい情報について、つねに神経を注いでいなければならないおれの仕事の環境とは、えらいちがいだ。野球が終ったら一度ゆっくり奈良に赤峰を訪ねてみたいな)と木谷は思った。
ともかく正捕手も参加できそうだ。木谷はまず大津留に知らせるためにダイヤルを廻した。
3
昔どおり緑の筋が三本入ったストッキングと、Oの花文字のついた白い帽子を、姫野が配って歩いている。どちらも真新しい。
「おい、それからみんな、これを胸のところに安全ピンでとめるんじゃ」
見ると、ハンカチほどの大きさの白布が二枚、姫野がそれをつなげると、OITAの大きな文字が黒ぐろと並んだ。
「胸のマークもストッキングも、書いたんじゃなくて染めてあるんだなあ」
と、賀来八郎が感心したように言った。
「あたりまえじゃ。みんなの大切な記念品になるけん。それに来年からも使うようになるかも知れんけんのう」
と、姫野は胸を張った。
賀来はとうとう加奈江を連れてきた。加奈江の担任は若い女の先生で、賀来は園子と離婚したときに事情を説明しに行って一度会っていた。彼女は賀来に、「わかりました。ほかのこどもたちには、お父さんの田舎に法事で行くということにしておきましょう」と言って許可してくれた。
大勢の中年男が大部屋に集まって、はしゃぎながら支度をし、だんだん野球選手の恰好になって行く様子を、加奈江は隅のほうでふしぎそうに眺めている。
「加奈江ちゃん、どや、似合うか」
と、肥った丹生が声をかけた。加奈江は無言で笑ってうなずいた。
丹生の「学会出席」も成功した。ただし丹生は、直前に学会の名目を引っ込め、彩子の心配を無視して浩一にありのまま打ち明けた。息子は「わかったよパパ。こいつは大きな貸しができた。さて、ぼくはいつその権利を行使しようかなあ」と喜んだ。彩子は猛然と反対した。一回それをやると歯止めがきかなくなるというのだ。「パパがいけません。ご自分で約束なさっておいて、ほんとに意志が弱いんだから。三十年以上も前のことと浩一の将来と、どっちが大切なんですか」、賀来はそういう調子のことばを背中に浴びながら、「どっちがって、どっちも大切だ」とつぶやきつつ逃げてきたという感じである。
「あと、球場の使用料とか、バットやボールとか、ちゃんと勘定を廻してくださいよ」
と、大津留が姫野に言っている。
「心配すんな。地元の四人は足代がかかっちょらんけん、これぐらい負担さしちくりい」
「しかし、球場使用料も高いだろう」
今度は落合が聞く。
「それが何と、一時間なんぼやと思う? たったの三百円じゃ、ハハハ。そいじゃけん、八時間も借りたわ。臼杵と|折半《せつぱん》で千二百円ずつ。丹生先生よ、どうや、ゴルフのグリーンフィーと比べて」
「うーむ」
丹生はうなっている。
落合も何とかやりくりしてかけつけた。はじめのうち、妻の季子には何も話さずに思案していた。ところが季子はいつのまにか手紙を読んでいて、ほんの二日ほど前、落合の前に「ハイ」と言って五万円を出した。「どうしたんだ」「サラ金よ。うそうそ、まあ行ってらっしゃいな。何とかなるわよ」。(勤め先からの前借りかな?)と落合は思った。落合は列車に揺られながら、(とにかく、野球から帰ったら今度こそ本腰入れて仕事を見つけよう。そうか、季子のやつめ、おれがその気になるきっかけを期待して無理したんだな)などと考えた。
昨夜は、安部準之助先生の到着を待ってみんなで控え目に飲んだ。木谷は、三十三年ぶりに見る安部先生の美しい老けように、嬉しさと共に羨望を覚えた。七十一歳、皮膚の脂気が程良く抜け、銀髪が程良く光り、腹は引っ込み、そして眼光はますます冴えている。
「先生は心身共にますます充実してますね」
「こら、枯木をひやかすな」
そう言いながらも先生は、胃潰瘍を切った阿南、高血圧気味の丹生、それに胃腸の弱い秦の酒が少し度を過ぎそうになると、昔の、教師が中学生をさとすような態度でストップをかけた。
「わかっちょりますが、こげん気持よう飲むんは久しぶりじゃけん、薬代りじゃ」
「ばあか、おまえは昔からそげん気休め言うち、そいでポカやる子じゃった」
丹生がやられた。そして、みんな十二時には寝て今日に備えたのだ。
「キャッチャーはまだか」
監督の安部先生が、だれに聞くともなくつぶやいた。午前九時を廻り、支度を終えた一同がそろそろ旅館を出ようとしている。
「試合にはまにあうでしょう。もう日豊線に乗ってるころですよ」
と木谷が答えた。赤峰がいなくてもやっと九人にはなった。しかし、馬場がどうしてもホテルの仕事が抜けられないと言ってきた。こうなるとキャッチャーの経験者がいない。だれをもってくるか。いや、赤峰はきっとくるだろう。木谷は思案しながら、みんなと喜楽荘を出た。
雨は昨夜のうちに上がっていた。低い雲が徐々に消えて行くのが手に取るように見え、鶴見岳も頂上まで山容を現わし、グラウンドに近づくにつれ、大分市との間の高崎山がくっきりと見えてきた。
「変わっちょらん!」
別府球場に足を踏み入れた木谷が、珍しく大分弁で大声を出した。昔ながらの石のスタンドが、前夜の雨に洗われて人影なく静まりかえっている。(おれはコロシウムの遺跡に帰ってきたぞ)と木谷は心の奥で叫んだ。
落合も大きな声を出した。
「さあ、安部先生! ノック頼みます」
「まだまだ、まず準備体操とキャッチボールじゃ。みんな骨がポキポキいうぞ」
と安部先生が言った。グラウンドはきのうの雨を吸い込んで軟らかく、ところどころに水溜りが見える。しかし、雨が上がって晴れ間が見え始めた空を頭にいただいているので、みんなの表情は、雨の名残りがかえってすがすがしいとでも言っているようだ。
大分中学に三十分ほど遅れて、臼杵中学ナインの黒い帽子が揃って姿を現わした。それを見て丹生が言った。
「どうも、黒い帽子というのは強う見えていかんなあ、大商も小倉もそうじゃった」
「おい、それにむこうは、監督のほかに十一人もいるぞ」
と賀来も言った。やがて、大分の安部監督と臼杵の寺坂監督が仲よくキャッチボールを始めた。今日は両監督とも半ばゲストということになっており、指揮はそれぞれキャプテンがとるという申し合わせで、二人の老人も気が楽なのだ。
「いやあ、先生方、私たちより柔らかいですなあ」
「ひとつ、ピンチランナー頼みますよ」
などの声が飛ぶ。
「おい、みんな。軽くやっとこうぜ。試合が始まるまでにくたくたになったら目も当てられんぞ」
と木谷が叫んだ。
加奈江は、三塁側の大分ベンチにいたり、スタンドの石段の上を散歩したりしている。真赤なジャンパーが、灰色にくすんだスタンドの中で、|てんとう《ヽヽヽヽ》虫のように動く。
大分中学が十一時にひと休みしてサンドイッチの弁当を食べていると、臼杵の遠山キャプテンが木谷のところにやってきた。
「赤峰さんはどうですか」
「うん、来ると思いますけどねえ」
「何なら試合開始を少し延ばしましょうか」
「いや、いいですよ。一応九人いますから。それに大観衆に申し訳ないし」
大観衆は加奈江一人だった。ところが十二時を過ぎると、スタンドに少しずつ人の姿が見え始めた。木谷は、球場の近くの閑人がきたのだろうと思っていた。しかしそのうちに、一塁側と三塁側に、それぞれ二、三十人の男たちがどやどやと入ってきた。どの顔も四、五十歳といったところだ。そして、グラウンドの木谷たちに手を振ったり大声で叫んだりしている。打ち合わせをしていた木谷と遠山は顔を見合わせた。そこへ姫野と、臼杵の幹事役の小手川がやってきた。
「ばれてしもうたんじゃ、同窓会に」
「必然的に、新聞とテレビにもばれた」
「テレビ?」
木谷は驚いて聞き返した。遠山がゆっくりとした語調で言った。
「木谷さん、時代よのう……」
「ま、ありがたいことですわ」
四人は顔を見合わせて笑った。
一時が迫っても赤峰は姿を現わさなかった。木谷はナインを集めた。
「全員先発で全員最後までやる。腕が折れても足をくじいてもやる。これがほんとのナインだ。つまり、あとはナインだ」
どっという笑いのあとで姫野が聞く。
「キャッチャーは?」
「おれがやる」
と木谷が答えた。
「え? ギッチョでか」
「うん、臼杵のバッターの半分は左バッターだから、おれがギッチョでもセカンド投球のハンディはないと思う。それに、おれのファーストは代ってもらいやすいポジションだ。そのファーストは、落合、きみに頼む。臼杵のファーストの桑田も左利きだから、彼のミットを借りてくれ。おれは自分のファーストミットでキャッチャーをやる。じゃあ、大津留、ブルペンに行こう」
こうして、試合開始直前に、大津留・木谷のバッテリーが軽く肩ならしを始めた。
そのとき、三塁スタンドの小応援団が立ち上がり、右腕を一斉に斜め上に伸ばした。そして、かためたこぶしを振り始めた。
大空高く月澄みて
雲吹きすさぶ秋風に……
旧制中学の校歌が木谷の耳に響いてきた。その声のすぐ下のブルペンで大津留の球を受けながら、木谷は不意に目頭にこみあげてくるものを感じた。(大津留の球の痛さもこたえるが、スタンドのへたくそな校歌も相当こたえるわい)
大分の応援団は、いつのまにか五十人以上になっている。お世辞にもいい声とはいえず、高低も不揃いで、ときどき歌詞を忘れて一斉に詰まっては、どっと湧いた。どうも忘れる部分はみんな共通らしい。
大中の校歌が終ると一塁側の臼杵のスタンドから拍手が起きた。臼杵の応援団も五十人近くになっていた。そして、
榮ある歴史の龜城丘
……
と歌い出した。木谷には、遠くから響いてくる臼杵の歌のほうが、心なしかまとまっていて上手に聞こえた。終ると三塁側から拍手が湧き、それからまた、エールの交歓が始まった。
バッテリーが肩ならしを終えてベンチに戻ってくると、地元のテレビのスタッフが木谷キャプテンのところに挨拶にきた。
「上野丘の後輩の進藤といいます。よろしく」
「やあ、テレビなんて何だか照れくさいなあ。まさか中継じゃないでしょうな」
「ええ、せっかく中継しても、ウィークデイですし。いずれドキュメンタリーに構成させてください。それにしても、お知らせくださっていたら、何人かの方を夏から追跡取材しておもしろいものになったんですが……」
そばで聞いていた落合と賀来が、(そう安易に追跡取材などされてたまるか。気楽に言うな、この若造)とでもいう表情で、進藤の顔をちらりと見た。
一時、いよいよ試合開始。両チームのナインと審判団がホームプレートのまわりに集合した。はじめ木谷と遠山は、攻撃側のチームが相互に審判を勤めようと相談していたのだが、同窓会と新聞社の世話で、ちゃんと黒い制服に身をかためたアンパイヤーが四人揃っている。
ホームプレートを挟んで並ぶ両チームのナインに、主審が言った。
「ルールは三十三年前の南九州大会と同じとします。ところでみなさん、ヘルメットは?」
みんなは一瞬顔を見合わせた。木谷が、
「いやあ、そんなこと考えてもみなかった」
すかさず遠山が、
「アンパイヤー、三十三年前のルールでしょ」
笑いが起こり、臼杵はかけ声をかけると守備に散った。
両チームの布陣。
大 分
1 二・阿南
2 遊・賀来
3 三・姫野
4 右・丹生
5 中・伊東
6 捕・木谷
7 一・落合
8 左・秦
9 投・大津留
臼 杵
1 遊・河野
2 右・小手川
3 捕・久米
4 一・桑田
5 左・関
6 三・後藤
7 二・山川
8 中・大場
9 投・遠山
補 磯谷
補 森
サイレンが鳴り響いた。一回表、トップ阿南の打球は三遊間をきれいに抜くかに見えたが、ショート河野が逆シングルでさばいて右足をふんばり、一塁へ遠投、正確な送球でアウト。
「衰えちょらんのう。それに、あれはだいぶ練習したど」
と、三塁ベンチの姫野がくやしがる。しかし、一体どんな立ち上がりになるかと思われた試合が、このプレーでぐっと引き締まった。
「お父さん、がんばってね」
と、ベンチの隅にいた加奈江が賀来の背中に向かって控え目に言った。賀来はふり返らずにうなずいてバッターボックスに足を運ぶ。遠山は昔どおり外角低目のコントロールがいい。そこに球を集められて賀来はツーワンと追い込まれる。四球目も外角寄りにきた。賀来はそれを力まかせに引っ張った。レフト線を見事に抜く。賀来の脚はそれほど衰えていない。レフトの関がクッションボールの処理にちょっと手間取っている。賀来はサードをめざす。球がサードに返ってきた。賀来は、まだ少しぬかっている土にスライディング。セーフだ。立ち上がった賀来のユニフォームの背中とズボンが真っ黒になっている。すぐ近くの味方の応援団席から、しわがれた大歓声が起こり、ベンチでは、加奈江が蛙のように跳び上がって万歳をしている。(来てよかった)と賀来は思った。加奈江がこんなに全身で喜ぶ姿を、最近では見たことがない。
姫野の当たりは、遠山の低目を意識しすぎたかバットをすくい上げ、高いセンターフライになった。脚のいい賀来はタッチアップから悠々とホームイン。
(あの決勝戦がついきのうのようだ)、と木谷は思い始めていた。遠山の投げ方、味方の一人ひとりの打ち方、賀来の走り方、それぞれのくせはまったく変わっていない。そして力も意外に落ちていないように見える。(おれたちは、今でも中学五年と四年でいるみたいだ。一体おれは、あれから三十三年も生きてきたのか。うれしいような、あっけないような、どこか空しいみたいな感じもする。時間とは一体何だ……)。しかしまもなく、丹生が三十三年間の人間の肉体の営みを実証してくれた。ゴルフスイング一閃、球は勢いよくセンター前に飛んだが、一塁をめざす丹生の巨体を乗せた足は、意志だけが先に走ってもつれている。何と、ワンバウンドでとったセンター大場からの返球のほうが早くてアウト。
「ライトゴロでアウトという記録にはときどきお目にかかったが、センターゴロでアウトというのは知らんな」
と、大分のベンチで声がした。
大津留の立ち上がりは好調だった。左腕投手と左腕捕手、初コンビにしては呼吸も合っている。サインは直球とカーブ、それにコースだけだ。一回はポンポンと三者を討ち取った。しかし、二回のトップ桑田にセンター前に持っていかれたあと、続く五番関のライト前に切れて飛ぶ当たりを、前進して止めようとした丹生が後逸、球はライト線の奥深くへ。こうなると、さっき見せた丹生の脚では目をつむる以外にない。関もホームを踏んで、二単打一失策で二点。
その後、二人の投手が配球の勘を取り戻したのか、バッターのほうが息切れしてきたのか、両チームともヒットやエラーで走者を出しながらも、三、四、五回と無得点で坦々と進む。六回裏の臼杵、駿足のトップ河野の三度目の打席で、大津留は四球を与えてしまった。二番の小手川との間で何かやるにちがいない。河野のリードが大きくなった。一球目、木谷は大津留に、右バッターの小手川に対して外角高目のくさい球を要求した。危い。ヒットエンドランをどうぞというようなものだ。一・二塁間を抜かれたら無死一・三塁だ。大津留の気持もそうだったのか、球は外角を大きく外れた。小手川は見送ったが、河野もスタートは切っていなかった。大きなリードからゆっくりベースに戻ろうとする。左腕捕手木谷はこのときを待っていた。ファーストの落合が低く構える右手のミットめがけて素早い送球。その速さに駿足の河野も唖然としてタッチアウト。三塁側から歓声が挙がった。左利きの木谷は、大津留からの外角一塁寄り高目のボールを、とったそのままの姿勢で、ランナーの注意をひかぬように一塁に投げることができたのだ。
二対一で臼杵が一点のリードのまま終盤に入った。遠山、大津留両投手にもさすがにへばりが見えてきた。こういうときはバッターのほうが有利に見えるが、そう思ってボックスに入る面々も、思ったようにはバットが鋭く出なくなった。七回から守備に入った臼杵の森と磯谷だけが元気な声を飛ばしている。この中年男たちの疲れた様子は、スタンドの観衆にもありありとわかると見え、ネット裏から、
「どっちもがんばれえ。これがほんとの、気力の勝負じゃけ」
という野次が飛んだ。両翼のスタンドの応援も息切れしたらしく、ことばにならないかすれ声が無数に飛び交っている。
八回の表、やや押され気味の大分のトップは、七番ファースト落合。低目に決まっていた遠山の球も、終盤はやや高くなってコースも甘くなっている。ワンツーのあとの四球目が、左打席の落合のインハイにきた。落合は「ウッ!」という、押しひしがれた末のうめき声ともつかぬ声を出して、バットを振り抜いた。落合の耳には球場全体の歓声と嘆声が一束になって聞こえた。ライトの小手川が真うしろを向いてフェンスに走る。打球はその上を越え、無人のライトスタンドに飛び込んだあと、落合の気持を表わすように二、三度はずんだ。今度は、ベースを廻る落合が球とそっくりに二、三度はね上がった。(やったぞ! 同点だ)、落合は近頃の高校生がやるように両手でガッツポーズを作ってダイヤモンドを廻る。(見てくれ、季子、|五万円《ヽヽヽ》のホームランだ)、ベンチから飛び出して落合を握手攻めにするナインには、落合の眼に光るものが、ういういしい少年の涙としか映らなかった。
そのまま、いよいよ九回がきた。しかし最終回という保証はない。とうに不惑を越えて五十歳に手が届こうとする十八人の男どもの眼は、一様にうつろであった。主審の胸のうちには、もしこのまま延長戦にでもなれば、ドクターストップならぬアンパイヤーストップをかけようという思いが去来していたかも知れない。
九回の表、大分無得点。その裏の臼杵、この回トップのサード後藤が当たりそこねの内野安打でファーストに出た。しかしこのあと、大津留は最後のふんばりを見せて、七回から代っていた森と磯谷を三振とセカンドフライに仕とめた。二死一塁、遠山が右打席に入る。一球目、後藤が走った。後藤の走る脚も、木谷がセカンドに投げる球も、最後の力をふりしぼったという感じである。ショートの賀来が二塁ベースに入る。どっちが勝つか。後藤のスパイクと賀来のグラブがベースの上でぶつかった。ひげもじゃの塁審は心持ち遠くからベースを見ていて、「セーフ」と叫んで左腕を水平に二度振った。賀来はちょっと抗議をしたそうに塁審に近寄った。塁審は賀来にくるりと背を向けた。
バッターボックスの遠山が木谷に言う。
「木谷さん、スコアリング・ポジションですが、バッターがぼくでは、どうやら延長戦ですな」
「だまされませんぞ」
カウント二―一のあと、木谷は大津留に、外角に落ちる球を要求した。そのとおりの球がきた。それを読んでいたように遠山はためらわずバットを出した。一・二塁間、阿南が身を投げ出す。抜かれた。丹生が前進してくる。後藤はサードを廻る。丹生は球をすくい上げてバックホーム。丹生はさっきは鈍足を披露したが、肩は強い。グラウンドの軟らかいのを読んでか、丹生の球はワンバウンドではなく、低目のダイレクトで木谷のミットヘ。木谷はその好返球を受け取ってふり向き、ランナーの足にタッチ。木谷と後藤の体がぶつかって一つになった。アンパイヤーの腕はためらわず水平に伸びた。ホームイン、三対二、臼杵のさよなら勝ち。臼杵のナインがベンチから一斉に飛び出してくる。ホームベースの上でその光景を眺めながら、木谷は一瞬思った。(キャッチャーが普通どおりの右利きだったら、今のはアウトだ。赤峰のやつ……)
「ああ、因縁のスコアじゃのう。また三対二か」
と、三塁スタンドから声が洩れた。
サイレンが鳴り、両チームのナインと四人の審判がホームのまわりに並ぶ。木谷は遠山とキャプテン同士の握手を交わして言った。
「甲子園でがんばってください」
両チームがそれぞれの応援団の前に走って行く。拍手と校歌の斉唱がこもごも起こった。
……水に盡きせぬ恨みあり 春風秋雨五百年……
木谷はふたたび、不意に涙が出そうになるのを感じた。(おれは、どんな感動的な、あるいは悲痛なことばにも泣かされたことはない。しかし、歌というやつは妙にこたえる)、そして一列に並んだナインを見渡すと、やはり、涙を押さえようと顔の筋肉をヒクヒク動かしているのが何人もいる。ふと見上げると、スタンドで歌っている中にもいる。(同じだ、あのときと。こういうことは大人になっても変わらないのか。それとも二時間のあいだに中学生に戻ってしまったのか。いやそれとも、反対に年とって涙もろくなったのか)などと木谷は思いめぐらす。校歌とエールが終った。木谷はナインをうながして応援団に一礼し、ベンチに引き揚げた。これから両チームは、新聞社のカメラマンによる記念撮影のあと、着替えをし、うち揃って山の手の観海寺の料亭に行き一杯やろうということになっている。
大分のベンチでは、
「惜しかったが、いい試合じゃった」
「この次はいただくぞ」
「さあ、今日は思いきり飲もうや」
などと口々に言っている。元気が戻ったようである。そのうちに姫野がポツリと言った。
「赤峰はとうとう来んかったなあ」
そのとき、木谷が、
「いや」
と小さくつぶやいてベンチからグラウンドに出、バックネットのほうにゆっくり歩き出した。そこでは四人の審判が談笑していて、そろそろ着替えに向かおうかといったところだった。木谷は彼らに近づくと、そのうちの一人の背中に低い声で、
「赤峰」
と声をかけた。背中が一瞬静止し、それから木谷のほうに向き直って言った。
「私ですか。私は黒谷ですが」
それは、頬と|あご《ヽヽ》に深いひげをたくわえた二塁の審判だった。右腕が付け根からなくて黒い長袖がぶらぶらし、判定のジェスチュアは左手で控え目にしていた。
木谷は、三回を終えるころからその男のことが気になり、阿南がつけているスコアブックをのぞいて審判団の名前を見た。「二塁塁審・黒谷忠次」、(黒谷忠次、黒谷忠次……赤峰孝一だ!)、そういえば新聞社の友人が試合前に言っていた。「はじめは主審と一・三塁の三人制で準備していたが、さっき、それじゃぜひ二塁の審判をやらせてくれという人がきて、話してみると経験も豊富でインチキとは思えないし、審判服も用意してあったので四人制にした」と。
(右腕のないことをみんなに知られるのがくやしいのか……、いや、そうじゃない。おれたちが九人いるのを確かめ、おれたちに気遣いさせまいとして、こっそり塁審になりすましたのだ。スタンドにじっとしてるのでは気持がおさまらなかったのだろう。グラウンドを踏みしめていたかったのにちがいない)、木谷はそう考えながら、だれにも話さずに試合が終るのを待っていた。
「もういいじゃないか、赤峰」
と、木谷は「黒谷」に言った。
「ばれたか」
赤峰はそう言って左手を差し出した。木谷も左手を出して握手した。
「その立派なひげにまんまとやられたよ」
「迷惑かけたな。女房のやつも、おれの腕のことは、きみにも大津留にも電話ではつい言いそびれたらしい。しかしね、来てみて九人いなかったら、ほんとに片腕でも出ようと思ってたんだ」
「きみは立派にゲームに参加したよ」
と木谷は言った。
「赤峰、何かが欠けているというやつは、集まった連中の中にも多いんだよ。いや、みんなだ。みんな、この三十年の間に何か欠けたものを秘めて集まったんだ。きみのようには、はっきりしてないものをね。ゆうべみんなと話していてつくづくそう思った。もちろん、おれもだ。さあ、行こう」
木谷は赤峰の、腕のない右肩を軽く押して、いっしょにベンチに向かって歩き出した。
「木谷、よくおれの代りができたな。いや、あの一塁牽制なんて、おれにもできなかったよ」
「たいしたもんだろ。しかし、最後はきみだったらアウトにして延長戦だったな」
二人がバックネットの前で立ち話をしているときから、ベンチでは姫野と大津留が赤峰に気付いていた。そして木谷と赤峰がベンチに向かい始めたのを見て、まず大津留がグラウンドに飛び出して赤峰に抱きついた。それを、たちまちみんなが取り囲んだ。遠くから見ると、不当な判定をしたアンパイヤーを、選手たちが難詰しているみたいだ。
「赤峰、きちょったんか。よかったのう……」
姫野が声を詰まらせた。
「右腕、いつ?」
「三年前だ。富山で、クルマに猛烈なスライディングを喰らってね。おれはスライディングには強かったんだが、相手がクルマじゃあね」
「もう、痛うないんか」
「ああ、もうすっかりいいよ」
ほんの数秒の沈黙が流れた。
「おい! 正キャッチャーの胴上げじゃ」
と、だれかが叫んだ。歓声が挙がり、あっというまに赤峰の体が宙に浮いた。赤味の隻腕が二度、三度と天を指す。
スタンドに残っていた人たちは、(負けたチームが何で胴上げを?)という顔つきでこの様子を見守っている。姫野が、胴上げの手を休めずに叫んでいる。
「負けた監督や選手を胴上げするわけにはいかんが、アンパイヤーならええっちゃ……」
赤峰はやっと地上に降ろされた。眼からキラキラ光るものがあふれ出て、森の草葉を伝う露玉のように、頬と|あご《ヽヽ》の漆黒のひげを滑り落ちていく。
いつのまにか、臼杵の遠山主将がすぐそばまで来ていて、赤峰に左手を差し出して言った。
「赤峰さん、来年はぜひ主審をお願いします」
赤峰は握手をしながら答えた。
「ぼくのジャッジは、ピッチャーにきびしいという評判ですぞ。特に外角低目にからい」
「よし、文句なしの球を投げてみせますよ」
そのとき、丹生が叫んだ。
「もう一人、胴上げする人間がいたぞ!」
そして、ベンチの前に立っている加奈江のところに走り寄った。
「キャーッ! エッチ」
丹生の太い腕の下をかいくぐって、|りす《ヽヽ》のように逃げ出した加奈江を、今度は落合がつかまえた。
赤いジャンパーに青いジーパン姿の加奈江の小さな体が、紙風船のように軽やかに宙に舞い上がっては落ちてくる。
「がんばれ、かなえ。がんばれ、かなえ。がんばれ、かなえ……」
と調子をとる中年男たちの|どら《ヽヽ》声を、細い糸で縫うように、加奈江の悲鳴が澄みきった大気を駆け抜ける。空はすっかり晴れ渡っている。
[#地付き]〈了〉
「野球を題材にしたものをもう一つ、今度は短篇で書いてみませんか」
別冊文藝春秋の阿部達児編集長からそう言われたのは、|一昨年《おととし》の初夏のことだった。そのころ私は、どこが買ってくれるという当てもなく書いた長篇『球は転々宇宙間』を、勝手に文藝春秋に持ち込んで、幸いにもそれを本にしてもらえることになり、校正刷に目を通していた時期だったと思う。
だれの紹介もなく、電話もせずに長篇の原稿を持ち込んだ私に、礼儀正しく、そしてやや興味深げに会ってくれたのは、阿部さんの下で別冊の編集をやっていた鈴木文彦さんだった。純文学でないことだけが明らかな珍妙な長篇小説、それがどうやら引っかかりそうな分野を担当している人の中で、たまたま運悪く社にいたのが鈴木さんだけだったのである。ところが、鈴木さんにとっての交通事故は私に好運をもたらした。というのは、この阿部・鈴木の別冊コンビは私に劣らず野球狂だったのである。
しかし、長篇の原稿がパスしたころは、私はまだ小説家としてやっていこうとは思っていなかった。とにかく書きたいことを小説の形で一発書いてみたいという感じだった。ところが阿部さんから短篇を書いてみろと言われたとき、私は何となく小説家稼業の入口に立たされたような気がした。それと同時に、受験生のような気持にさせられた。出版社の人から小説の注文を受けたのはこれが初めてである。
それから一週間ほどして、私は短篇の原稿を提出した。阿部さんは「早いですね」と言った。私はひやりとした。早い遅いの基準は私にはわからないが、これは拙速に過ぎたのではあるまいか。
しかし、また好運にもその処女短篇はパスして別冊文藝春秋に載った。それが『|捕手《キヤツチヤー》はまだか』である。さらにまた好運にも、あろうことかそれが直木賞候補作になってしまった。今となっては運が好かったのかどうか。私はそのままずるずると小説を書き始め、やがてそれ以外のことはあまり手につかなくなり、自分しか自分を律するもののない悩み多き日日を過しているのである。
ここに収めた三篇は期せずして、『|捕手《キヤツチヤー》はまだか』――過去と現在の高校野球、『一九四六年のプレーボール』――焼跡の草野球、『影のプレーヤー』――現在のプロ野球、という組合せになった。このうち、専門的なことを知るために取材したのは『影のプレーヤー』である。審判という役割にはまえから関心を持っていたが、それを職業とする人とは話す機会がなかった。たまたま、プロ野球審判員の一覧表で略歴を追ううちに、一人の「銀行員出身で草野球をやっていた」という字句に魅かれた。私自身が銀行で働いていたことがあり、かつ草野球をやっていたからである。この人に何とかして会いたいと思った。そして鈴木文彦さんの手を煩わし、ある夜、後楽園のナイターが終ったあとで会うことができた。セントラルリーグ審判員の福井宏さんである。眼が輝き、声に張りがあり、小柄ながら引き締まった体躯が印象に残った。そして何よりも、福井さんは直截にして闊達な態度で自己を惜しみなく語ってくださった。
もちろん、『影のプレーヤー』の登場人物や事件はすべて、私のまったくの創作であり、脇村止男の生い立ちや人生も、福井さんの話から得たヒントを生かしながらも、福井さんとはちがう。しかし、審判の仕事についての福井さんの経験を聞くことがなければ、この小説が生まれようもなかったことは確かである。あらためて感謝したい。
三篇を一冊の本にまとめる労に当たってくださったのは、出版部の松坂博さんである。以上に挙げた方々のおかげで、私は、野球というふしぎに面白くスリリングなスポーツを暗喩とした物語を、ここにとどめておくことができる。
一九八四年十二月
[#地付き]赤瀬川 隼
単行本
昭和六十年一月文藝春秋刊
(表題作は『影のプレーヤー』)
[#改ページ]
文春ウェブ文庫版
|捕手《キヤツチヤー》はまだか
二〇〇〇年七月二十日 第一版
二〇〇一年七月二十日 第三版
著 者 赤瀬川隼
発行人 堀江礼一
発行所 株式会社文藝春秋
東京都千代田区紀尾井町三─二三
郵便番号 一〇二─八〇〇八
電話 03─3265─1211
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