赤江 瀑
八雲が殺した
目 次
八雲が殺した
葡萄果《ぶどうか》の藍暴《あいあら》き昼
象《ぞう》 の 夜《よる》
破魔弓《はまゆみ》と黒帝《こくてい》
ジュラ紀の波
艶《えん》 刀《とう》 忌《き》
春 撃 ち て
フロリダの鰭《ひれ》
[#改ページ]
八雲が殺した
小泉八雲が書いた一群の怪談物語のなかに、『茶わんのなか』と題する作品がある。
世間では、八雲の怪談・奇談物には、ほとんど原典となる粉本《ふんぽん》があり、江戸時代に出た通俗本や怪談集などから選んだ話をその下敷きにしている点をあげつらい、純粋な創作小説とは呼べないと見るむきもあるけれど、そうしたせんさくはさておくとして、現在では、≪八雲の怪談≫が文学的にも名高い評価を得ていることは、確かである。
『茶わんのなか』というごくごく短い一篇も、例の『雪おんな』や『耳なし芳一のはなし』などと並んで現在ではよく知られた有名な作品の一つであるから、改めてその内容を紹介する必要もないかもしれないが、村迫乙子《むらさこおとこ》のある懊悩《おうのう》にそれは奇妙な関わり合いをもってもいることだし、とりあえずここでは、八雲の『茶わんのなか』の粉本となった原話《げんわ》のほうを、全文かかげることにする。
〈新著聞集〉(明治二十四年刊)の巻五、第十奇怪篇に、その原話は載っている。
[#2字下げ]茶店《ちやみせ》の水碗若年《すいわんじやくねん》 の面《おもて》を現《げん》ず
天和四年正月四日に、中川佐渡守殿|年礼《ねんれい》におはせし供《とも》に、堀田小三郎といふ人まゐり、本郷の白山の茶店に立《たち》より休《やす》らひしに、召仕《めしつかえ》の関内《せきない》といふ者水を飲《のみ》けるが、茶碗の中に最麗《いとうるわ》しき若年《じやくねん》の顔うつりしかば、いぶせくおもひ、水をすてて又|汲《く》むに、顔の見えしかば、是非なく飲みてし。其夜《そのよ》関内が部屋へ若衆来り、昼は初めて逢ひまゐらせつ。式部平内《しきぶへいない》といふ者也。関内おどろき、全く我《われ》は覚《おぼ》え侍《はべ》らず。扨《さて》表の門をば何として通り来れるぞや。不審《いぶかし》きものなり。人にはあらじとおもひ、抜うちに切りければ、逃出たりしを厳《きびし》く追かくるに、隣の境まで行きて見うしなひし。人々出合ひ其|由《よし》を問《と》ひ、心得がたしとて扨やみぬ。翌晩関内に逢はんとて人来る。誰と問ば、式部平内が使ひ松岡平蔵、岡村平六、土橋文蔵といふ者なり。思ひよりてまゐりしものを、いたはるまでこそなくとも、手を負《お》はせるはいかがぞや。疵《きず》の養生に湯治したり。来る十六日には帰りなん。其時|恨《うらみ》をなすべしといふを見れば、中中あらけなき形なり。関内心得たりとて、脇指《わきざし》をぬききりかかれば、逃げて件《くだん》の境めまで行き、隣の壁に飛《とび》あがりて失ひ侍りし。後又も来らず。
と、ある。
八雲は、この話をそっくり土台にし、無論登場人物もそのまま使って『茶わんのなか』という短篇に仕立てあげている。
つまり話のあらましはまったく同一のものであるが、八雲の作ではそのニュアンスがいくらかちがっている。
原話をわかりやすくかいつまみながら、その点にひとまず触れておこう。
正月年頭の挨拶《あいさつ》まわりに出た中川佐渡守の一行が、途中茶店で休憩した折、供の関内という若党が咽《のど》をうるおそうとすると、とりあげた水飲み茶わんのなかに眉目秀麗な若者の顔がうつっているので、びっくりしてその水を捨て、再び新しく汲みかえるが、何度汲みかえても若者の顔は茶わんの水のなかに現われる。さてもふしぎなことがあるものかなと、気味悪く思いはしたが、遂には一息にその水を飲んでしまう。
この件《くだり》を、八雲は次のように書いている。
――(略)こんどは何やら愚弄《ぐろう》するような笑《え》みを浮かべているのである。関内は、それでもじっと怺《こら》えて驚かずにいた。「何奴《なにやつ》かは知らぬが、もうその手には乗らぬぞ」関内は、そうつぶやくように口のうちでいうと、その茶を、顔ぐるみぐっと飲み干して、それから出かけた。途々《みちみち》、なんだか幽霊を一人|嚥《の》み下してしまったような気がしないでもなかった。(恒文社刊・平井呈一氏訳による。以後の引用もすべて同じ)
ところがその夜、見知らぬ若衆が関内の部屋を訪ね、「昼間初めてお目にかかった式部平内という者です」と名乗るから、関内は不審に思い、「自分にはそんなおぼえはないし、知り合いもないが」と首をかしげる部分では、
――(略)関内はふいとその顔を見て、あっと驚いた。目の前にいるのは、自分がきょう、茶わんのなかに見て嚥み下した、あの薄気味のわるい、美しい顔をした幽霊なのである。かの幽霊がにやにや笑っていたように、今この客も、やはりにやにや笑っている。が、その笑っている唇の上にある両眼が、まじろぎもせずにじっと自分を見すえているのは、明らかにこれは挑戦であり、同時にまた侮辱でもあった。(略)
「いや、拙者、とんとお見知り申さぬが」関内は、内心怒気を含んで、しかし声だけはつとめて冷やかに、そういってやり返した。「それにしても、お手前、当屋敷へはどうして忍び入られたか、その仔細を承りたい」
「ほほう、それがしにお見おぼえがないといわれるか」客はいかにも皮肉な調子で、そういうと、すこし詰め寄りながら、「いや、それがしをお見おぼえないとな。したがお手前、今朝《こんちよう》身どもに、非道の危害を加えられたではござらぬか」
関内はたちまち佩《は》いていた小刀に手をかけると、客の吭笛《のどぶえ》目がけて、烈しく突いてかかった。しかし、刃先には何の手応《てごた》えもなかった。とたんに、闖入者《ちんにゆうしや》は音も立てずに、さっと壁ぎわに飛びのいたと思うと、その壁をすっと抜け出て行ってしまった。(略)幽霊は、ちょうど蝋燭《ろうそく》の灯が行燈《あんどん》の紙をすかすように、壁を抜けて出て行ったのである。
と、書いている。
そして翌晩、三人の男たちの訪問となり、男たちの名がちょっと変えてはあるが、次のような場面となる。
――「われわれは、松岡文吾、土橋久蔵、岡村兵六と申す、式部平内殿の家来の者でござる。昨夜主人がまかりでた節、貴殿は小刀をもって、主人に討ってかかられた。主人は深傷《ふかで》を負われたゆえ、余儀なくその傷養生に、今より湯治に行かれる。しかし、来月十六日には御帰館になられる。そのおりには、きっとこの恨みをお晴らし申すぞ」
関内はいうを待たせず、いきなり大刀を抜いて飛びかかりざま、客を目がけて左右に斬《き》りなぐった。が、三人の男は、隣家の土塀のきわへさっと飛びのくと見るまに、影のごとく土塀を乗りこえて、そのまま……
と、いう形で八雲は筆をおき、一行空けてすぐそのあとに、次のような文章をかかげてこの一篇を結んでいる。
――ここで、この話は切れている。これから先の話は、何人《なんぴと》かの頭のなかにあったのだろうが、それはついに百年このかた、塵《ちり》に帰してしまっている。
わたくしは、あるいはこうもあろうかという話の結末を、自分でいろいろに想像することはできるけれども、どうもしかし、西洋の読者に満足をあたえるようなのはひとつもなさそうである。わたくしはむしろ、関内が幽霊を嚥んだそのあと、どういう次第になったかは、おおかたの読者の想像にまかせておいた方がよいように考える。
すこし長い引用になりはしたが、小泉八雲の『茶わんのなか』は、以上のように原話にそって話がすすめられながら、原話を未完の物語として、読者に読後の想像を喚起させるという形で終っている。
村迫乙子は、むかし学生時代にこの作品を読んだ。
その折、右のごとく、作品の終末に載せられている八雲の言葉と、さらに、作品の冒頭に記されている彼の言葉に、興味を持った。『茶わんのなか』は、こういう書き出しではじまっているのである。
――諸君はこれまでに、どこかの古い塔の、どんづまりは何もないただクモの巣だらけの、どっち向いてもまっ暗がりななかの急な階段を、登ってみようとしたことがあるだろうか。でなければ、どこか断崖《だんがい》を切り開いた海ぞいの道をたどり歩いて行って、もうひと足曲ると、そこはもう絶壁になっている、そういったところへひょっこり出られたことがあるだろうか。そういうときの経験の感情的価値というものは、これを文学的見地からみると、そのとき呼びおこされた感覚の強烈さと、その感覚の記憶の鮮明さとによって、その価値が決定されるものだ。
ところで、日本のある古い物語の本のなかに、めずらしいことにそれとまったく同じような感情的経験を覚えさせる、小説の切れはしが残っている。……これはおそらく、それを書いた作者がものぐさであったか、それとも版元と喧嘩《けんか》でもしたか、あるいは、何かのひょうしに机の前から呼ばれて、そのままそこへ再びもどらずにしまったか、さもなくば、文章の中途で、不慮の死のために筆を中絶したかしたものであろうが、いずれにしても、その物語がなぜ未完のままになっているのか、その理由はだれにもわかっていない。わたくしは、ここに、その代表的な例をひとつ選んでみた。
という前書きがまず記されていて、『茶わんのなか』の物語がはじまるわけである。
乙子は、この八雲の前文と、末尾の後文とを読んで、八雲が「未完のままになっている」「小説の切れはし」と呼ぶ|日本の物語《ヽヽヽヽヽ》に興味をおぼえ、その原話もついでに読みたいと思った。
八雲研究家などの資料を二、三、漁《あさ》っているうちに、それが、先にかかげた〈新著聞集〉に載っている『茶店の水碗若年の面を現ず』という短い物語であることが、わかった。
そして、乙子は、その原話も合わせて読むことができたのだが、読んだあとで、首をかしげた。
首をかしげるというよりも、幾つかの疑問を持った。
どうして八雲は、これを「未完の物語」と呼んだのだろうか。
乙子には、その原話は、「小説の切れはし」とは思われず、「それを書いた作者がものぐさであった」とも、考えられなかった。「版元と喧嘩」かなにかして机の前をはなれ、「そのままそこへ再びもどらず」じまいに投げ出された話とも思えなかったし、「不慮の死」で「筆を中絶したかした」作だとも、無論思わなかった。
作者が誰ともわからない著聞の話《わ》|だね《ヽヽ》を集めた本に載っている話であるから、その文学的な価値は高かろうはずはなかったが、すくなくともこの原話は、これで立派に独立し、末尾の、
――後又《のちまた》も来《きた》らず。
という一語で、物語は完結していると、思われた。
それにくらべれば、八雲の『茶わんのなか』の方が、字数が多い割りに、場景描写などは鮮明になってはいても、また八雲が狙《ねら》ったテーマの点でそのニュアンスのちがいを考慮に入れるにしても、物語の完成度は数等劣っているような気がしたのである。
なによりも、当時小説好きの学生だった乙子に納得がいかなかったのは、原話の最も重要な部分であると思われる文章が、二十四、五字ほど、八雲の『茶わんのなか』では抹殺《まつさつ》されているという一点だった。
この言葉があるからこそ、この物語は存在する価値があり、物語として完結もするのだと断言できる、つまりこの作品になくてはならない重要な文字が、二十四、五字、脱落しているのである。
八雲が、その文字を読み落とすはずはないから、これは彼が故意にけずった文字と見なければならなかった。
そして、この文字をけずったことによって、おそらく、八雲は原話の風貌《ふうぼう》を大きく変え、怪談としての奥行きをさらに押しひろげ、深めようと意図した、いわばそれは小説づくりの苦心の配慮ではなかったかと察しられはするけれど、推察がつくだけに、乙子には、その結果に疑問が残った。
八雲の作品はすべて、いまでこそ邦訳されて日本人の誰もが読むことができるけれど、もともと外国で出版され、西洋の読者へ向けて書かれたものであったから、乙子は当時、あるいはそれは、西洋人と日本人との物の考え方のちがいででもあろうかと思いもしたが、それにしても、八雲の『茶わんのなか』は、この原話の二十四、五字が示す重要な世界の欠落があるために、通俗ばなしの原話にもはるかに及ばない不出来の作になった、という感想を持った。
未完の作というならば、それはまさに、八雲の『茶わんのなか』こそ、そう呼ばれるにふさわしい作であった、と、彼女は考えた。
原話にあって、八雲が抹殺した二十四、五字の文字。
それは、前出の引用文を相互に確かめ返せば一目|瞭然《りようぜん》とすることだが、次の一文である。
式部平内の家来三名が、主人公を訪ねてきて、恨みごとを訴える場面の個所にあった。
八雲の『茶わんのなか』では、会話形に直されている部分に、その言葉は書かれていなければならないものだった。
すなわち、
[#2字下げ]――|思ひよりてまゐりしものを《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|いたはるまでこそなくとも《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、手を負はせるはいかがぞや。
という一節の傍点の部分である。
村迫乙子には、八雲がこの一文を無視したことが、なんとしても理解できなかった。
この一文があるからこそ、茶わんのなかにうつった顔の謎《なぞ》が解け、その謎が解けるからこそ、この物語の怪奇さに、一層深い恐怖や凄《すご》みが生まれてくるというのに。
(この物語の恐怖の花《ヽ》は、ここにあるのに!)
(その花《ヽ》があるからこそ、この物語は、底知れない恐ろしさをはらむことができるというのに!)
(ああ、なぜなんだろう)
村迫乙子は、『茶わんのなか』と、その原話を読んだあと、しばらくの間、そうした疑問にとりつかれ、思い出すたびに歯痒《はがゆ》い思いに身をよじり、ときには地だんださえ踏みたいくやしさを、このいまは亡い明治の文人に勃然《ぼつぜん》と感じたりしたものだった。
しかし、とはいえ、それももう、はるかな昔日のある一時期、幼く若く多感であった頃のできごとではあった。
村迫乙子は、一昨年、夫に先立たれ、昨年、一人息子を手放した。
今年、五十歳になる。
一人息子とはいうが、高夫は、乙子の実子ではない。
乙子夫婦が子供のできない体質をおたがいに持ち合っているとわかったのは、結婚して五、六年たった頃だった。その後、知人の子をもらって育てた息子である。だから、血のつながりはない。
しかし、乙子には、実の子同様、手塩にかけて成人させたという実感がある。それは、亡くなった夫にもあっただろうと、乙子は思う。子供を育てる苦労やよろこびを、人並みに、高夫が自分たち夫婦にも与えてくれたと自覚できる、それだけで、乙子には満足であった。
「老後を、この子に託したりすることなんかは、夢見まい」
それは、夫と最初から話し合ってきたことだった。
だから、高夫が結婚して所帯を外に持つときまったときも、乙子は、それほど騒ぎもあわてもしなかった。
息子を手放すべき時期がやってきたのだと、観念した。もともと、自分たちには持つことが許されなかった息子である。本来の生活にもどったのだと、乙子は思うことにした。
しかし、高夫の結婚が、夫の生前でなかったことに、なにかほっとして救われるような思いがあるのは、これはやはり淋《さび》しさとか空しさみたいなものなのだろうか。夫はそれを味わわずにすんだという感情が、どこかにあるからなのだろうかと、乙子は考えてみたりはする。
まだ年老いたとは思わないが、夫と息子をつづけて失い、誰もいなくなったという惑じは、ふと底がなく、押し殺しようもない気がした。
さいわい、夫が遺した貸ビルと貸マンションの経営を引き継ぐことで、暮らしに不自由はなかった。離れた土地に所帯を持った高夫も、ときどき電話くらいは掛けてよこす。
独りになりはしたけれど、路頭に迷うというほどの行き暮れた身の上ともいえまいと、乙子は、わが身をなぐさめて気をとり直す日々にも、馴《な》れた。
今年に入って、桃の花が咲きはじめた時分であった。
出張の帰り途だといって、高夫がひょっこり顔を見せた。
結婚以来、はじめてのことだった。
「泊れるの?」
「いや、夕方の新幹線に乗らなきゃ」
「まあ。じゃ、あんまり時間ないじゃない」
「そう。鼠《ねずみ》にひかれてやしないかと思ってさ。ちょっと、顔見に寄っただけ。一緒にめしでも食おうと思って」
「厭《いや》ァねえ。こんなことだったら、ちょっと電話でも入れてくれときゃいいのにさあ。といってるひまなんかないのよね。サアたいへん。材料、仕入れてこなくっちゃ」
「いいよいいよ。外で食おうよ。そのつもりできたんだから」
「だって、おまえ、せっかく家に帰ってきたのに……」
「だから、時間は有効にさ。どっか駅の近くで食べてりゃ、ぎりぎりまでゆっくりできるだろ。そのままとび乗りゃいいんだから。さあ、着替えた着替えた」
乙子は、せきたてられるままに外出支度に着替え、久しぶりに息子と持つ時間の短さをなげきながら、その短い時間いっぱいを、すこしでも自分のそばにいてすごそうとしてくれる息子の気持がうれしかった。
前ぶれもなくやってきて、そっけなさとやさしさを同時に見せて、すぐにまた去って行く。
むかしから、そういうところのある子だった。
一つ家のなかにいて、高夫がずいぶん遠くに離れている人間のような気がし、もう届かないと思ってのばした手の先を、意外に近くで無造作につかんでくれていたりした。
そんなむかしのあれこれが思い出されて、涙が湧《わ》いた。
巣離れするまで、育てたのだ。もうこのあとは、どこへでも飛んで行ってしまったらいい。手をのばしたりはしないから、そこで、好きなように生きればいい、と、腹はきめたつもりでいるのに、こうして不意に、間近でその顔を見、声を聞かされたりすると、乙子の心は、望んではならないものを、ふと夢見て、揺れるのだった。
所帯を持ってはじめて見る息子は、どこか大人びて、がっしりとした感じがあった。
「どう? うまくいってるの」
「ご心配なく」
「心配なんかしてないわよ。しなくてすむから、せいせいしてるわ」
「そう。それでいいんだよ。僕のことなんかよりさ、自分のことを考えなきゃ」
「あら、どんなこと?」
「このまま、一人でやってくのかい?」
「やってくって?」
「生活さ」
「やってるじゃない」
「いや、この先ずっとさ。おふくろは、まだ若いんだからさ」
「まあ」
と、乙子は吹き出した。
「おまえ、お母さんに、再婚でもしろっていうの?」
「だめだよな?」
「あたりまえでしょ」
「そりゃまあ、おやじとおふくろ見てりゃ、だめだってことはわかるけどさ」
「わかってれば、よけいな心配はしないでちょうだい。いったでしょ? おまえが家を出るときにも。母さん、一人になったなんて、思わないでちょうだいよって。いつだって、父さん、そばにいてくれてるわ。亡くなったからって、母さん、父さんとの暮らしが終ったなんて、いっぺんだって考えたことありゃしないのよ。あんなひとにめぐりあえて、夫婦になれて、母さん、ほんとに生まれてきてよかったと思ってるのよ。姿形《すがたかたち》がなくなったって、この縁だけは切れやしないわ。父さんは、そういうひとだったのよ」
「わかった、わかった。撤回するよ。そういうだろうと思ってたんだよ」
高夫は、なかばへきえきして眉根《まゆね》を寄せたような顔で、しかしたのしそうに笑った。
その日、高夫に連れられて、村迫乙子は陽《ひ》当たりのいい内庭のある明るいレストランに入った。
「まあ。こんな洒落《しやれ》たお店があったの?」
「あれ。知らなかった? もう三、四年はたってるよ。ほら、いつかアイスクリームの手の込んだやつ、いろいろ買って帰ったことがあっただろ」
「ああ、おぼえてる。夢の国のお菓子みたいな……あんまりきれいで、食べるのもったいないわねっていったあれ?」
「そうそう。あれが、ここの特製だよ」
「そうなの」
「おやじ礼讃もいいけどさ、たまには、こういうところへも、おふくろ引っ張り出さなきゃな」
「あら、方々連れてってもらったわよ。おまえが知らないだけなのよ」
乙子は、すっかりはしゃいでいた。
(今日はいい日。思いがけない日だったわ)
と、あらためて、思った。
運ばれてくる食器も凝《こ》っていたし、料理もうまかった。
気持のいいテーブルの広さや落ち着きに、食器や料理のいろどる景色が実によく似合った。
高夫のくったくのない食べっぷりを眺めているのも、たのしかった。
ナイフやフォークの小気味よい音。グラスの水の澄んだ輝き。こうばしい肉の焼けた香り。
時のたつのも忘れて、乙子は、息子と囲んだ食卓の晴れやかさを満喫した。
「あ、そうだ。ちょっと電話しとかなきゃ」
途中で高夫が座を立った。
そんな高夫の動作も、むしょうにきびきびとして頼もしく見え、乙子は眼で追いながらゆっくりとワイン・グラスを手にとった。
磨きこまれたグラスを透かして、深紅色の液体が静かに揺らぐのが美しかった。
乙子は、瞬時、その手をとめた。
口もとへ運びかけたグラスは、心持ち高めにかかげられ、乙子の視線はそのグラスのまろやかなふくらみに注がれていた。
白い光がうつっていた。
よく見ると、それは人の姿だった。
乙子は、つとこうべをめぐらせて、自分のうしろを振り返った。
すこし離れたテラスのテーブルに、男が一人すわっていた。純白のスーツに陽が当たり、その輝きが乙子の手にしたワイン・グラスにうつっているのであった。
白い光に映えて、若々しいおもざしが清潔だった。
乙子は、グラスに眼をもどし、赤い液体にうつっている白い光を、しばし眺めた。
液体の揺らぎのかげんで、光線は、ふとこなごなに砕けたり、また鮮やかに像を結んで見せたりした。
(まあ、きれい)
透明なグラスをとおして、なかの深紅の液体に、その映像はまるで浮かんでいるようだった。
束の間、乙子は、そんな光の戯れに見蕩《みと》れながら、ゆっくりと何口かにわけ、赤い液体を飲みほした。
ボーイが、あとを注ぎにきた。
そこへ、高夫ももどってきた。
「花嫁さん?」
「ちがうちがう。会社だよ。あれに、電話なんかするもんか」
「あら、威張ることないじゃない。奥さん、大事にしなきゃだめよ」
「してるしてる。さあ、食べて。ほら、まだワインも残ってるじゃない」
高夫は、再び旺盛にナイフとフォークを動かしはじめた。
乙子は、そんな高夫から、ワイン・グラスヘ眼をもどした。
白い光は、もう消えていた。
(おや)
と、うしろを振り返って見た。テラスのテーブルにも、男はもういなかった。
高夫を新幹線の駅に送って街へ出た頃には、陽がかげりはじめていた。
村迫乙子が、三十年近くも頭に浮かべることのなかった小泉八雲の名を、とつぜん思い出したのは、この日の後、二、三日してからであった。
寝つきの悪い夜、乙子はすこしアルコールを入れる。それが習慣のようになっていたが、高夫と別れた日の夜は、そんな必要もなかった。
彼女は、かなり酔っていた。
なにをするのもおっくうで、外出着も脱ぎ散らしたまま、宵の口から早々と床に入った。
眠りはすぐにやってきた。
眠ることが、彼女には、なによりのたのしみだった。この睡眠の時間のなかでだけ、彼女は夫に会うことができた。
眼に見えない幻の夫ではなく、現実の姿形《すがたかたち》をそなえた生身《なまみ》の夫が、彼女のくるのを待っていた。生前とどこにも変わりのない二人の暮らしが、そこにはあった。
だから、乙子は、眠りにつく前、いつも思った。
(どうか、このまま、めざめがやってきませんように)
今日こそは、さめない眠りでありますようにと、祈るのが常だった。
高夫と別れた日の夜も、彼女は一刻も早く夫に会いたいと思った。会って、息子が訪ねてくれたことを、報告したい。高夫の話題で、今夜は|夜っぴて《ヽヽヽヽ》、泣いたり笑ったり、話のたねが尽きないだろう。
ワインの酔いも手伝って、乙子は昂奮ぎみだった。
だが、翌朝、めざめた乙子は、しばらくぼんやりとして、蒲団《ふとん》の上にすわったまま動かなかった。
(なぜかしら。あなたがきてくれないなんて……そんなことは、ないわよね)
(いや、きっと夫はきてくれて、わたしたちはいつものように会いもし、喋《しやべ》りもしたのだが、つい度をすごして酔っぱらいすぎたわたしに、その記憶がないだけなのだ)
頭のしんで、まだゆうべの酔いの名残りが、きりきりした。
その翌日も、また翌々日も、しかし乙子は夢のなかで夫に出会うことができなかった。
めざめるたびに、彼女は小首をかしげ、ふと息をひそめるような真剣な面持ちで、前夜の記憶のなかをうかがい、くまなく、せわしなく、探しまわった。
どんな些細《ささい》な記憶のかけらも、見逃さずにはおかないといった一心な点検の眼であった。
(どうしたのかしら。なぜなのかしら)
なにかが、いつもとちがっていた。
夫に出会えないだけでなく、記憶のどこかが、奇妙に景色を変えていた。
いや、景色という表現は、適切ではない。
記憶のなかには、確かに夫はいなかったが、夫以外のものが、いた。
いた、と、乙子には思えるのだった。
そう思うと、前夜も、その前々夜も、またその前の夜――つまり、高夫に会った日の夜にも、乙子は、自分が、まちがいなく夢は見たのだという気がした。
ただ、その夢に、夫が現われてくれなかったので、夫を探し探しして、見るべきはずの夢をもとめ、一晩中その夢を待ち望んだ彼女には、ついに出会えなかった夫同様、その夢もまた、見なかったのだと、思いこまざるを得なかったのではあるまいか。
夢は、見ていたのだ。
見ていたが、夢のなかには夫はいず、夫がいない夢などは、乙子にとって、見る必要も価値もない、まるで無意味なものだったから、彼女は、そんな夢を見たことさえ忘れ、ひたすら、夫にめぐりあえる夢だけを追いもとめて、むなしく朝を迎えることになったのだ。
しかし、三日も同じようなむなしい夜がくり返されると、さすがに乙子も、その夢の世界の異変に気がつかざるを得なかった。
ふと立ちどまり、うかがうように、夢の記憶をあらため直して、乙子は、そこに、夫以外の人間の顔が確かにあったと、気づいたのだった。
ぼんやりと輪郭の定まらぬ、見知らぬ男の顔だった。
そして、三日間、その顔は、自分の夢のどこかにまちがいなくあったと、自覚したとき、乙子は、急に腹立たしい不快な気分におそわれた。
会えるはずの夫には会えず、見も知らない男の顔が、どうして夢に出てきたりするのだろう。
三日目の朝だった。そんな腹立たしい気分で寝床をかたづけながら、乙子は、とつぜんその手をとめた。
男の顔が、もしかしたら彼《ヽ》ではなかったかと、一瞬思い当たる顔があった。
三日前のレストラン、陽の当たるテラスのテーブルで、眼に眩《まぶ》しい純白のスーツを着てすわっていた男。
(しかし……)
と、乙子は、思った。
年齢は三十前だろうか、若い清潔な顔立ちの男だったという以外に、彼女は、その男の顔を、よくおぼえてはいなかった。
束の間うしろを振り返って見た印象が、漠然と視野に残っているだけで、男が食事をしていたか、茶を飲んでいたのかさえ、記憶にはないのだった。
乙子が、あのとき振り返ったのは、その男に注意をはらったからではなく、ワイン・グラスの表面にうつった白い光の晴れやかさに、心奪われたからであった。乙子の関心は、あくまでも、手もとの赤いグラスを彩る光の造形の美々しさのほうにあった。つい見|惚《と》れて、その白光の正体を、反射的に眼で探した。そこに、あの白いスーツの男がいた、というにすぎなかった。
したがって、男の顔をつぶさに見たわけではなかったが、しかし、彼《ヽ》ではなかったかと思いついたとき、乙子は、アッと小さく声をあげかけたのである。
ワイン・グラス。その赤い液体にうつっていた人間の影。
(そう。わたしは、あのとき、なにか素敵な蠱惑《こわく》的な、おいしい美しいお酒を、飲んでいるような気分になった。きらきら輝く光線の、あの色や形の美しかったこと。口にするのがもったいなくて、いつまでも眺めていたいような、ぜいたくな気分をたのしみながら、わたしは、あのワインを飲みほした……)
乙子は、その回想の途中で、小さく声をあげた。
(そう、飲みほしたのだ、わたしは、あのワインを)
と、思ったとき、まったく唐突に、村迫乙子は、むかし読んだ一冊の本、その本のなかにあった一篇の短い物語を、思い出していたのである。
遠いかなたの記憶のなかから、するすると波間をわけて泳ぎ寄ってくるすばやい生き物。
乙子は、そんな感じで、とつぜんに、小泉八雲を思い起こしたのであった。
そして、思い起こした自分におどろき、かつ深くうろたえてもいた。
一瞬のとっぴな連想が、同時に奇妙な連鎖反応を起こし、遠近さまざまな記憶を集めて一どきに彼女のまわりに押し寄せてきた。
乙子は、そんなふうに感じた。
しかし、その夜からはじまった、もっと奇妙なできごとまで、まだ彼女は予知していたわけではなかった。
四日目の夜、乙子は、はっきりと、その男の顔を見た。
目鼻立ちのひきしまった、すがすがしい若者だった。
のびのびしたその体躯も爽快《そうかい》だったが、立ち居ふるまい、話しかける言葉、その声の、ひとつひとつが礼儀正しく、清潔感にあふれていた。
乙子は、しきりに彼と話し、彼も熱心にうなずいたり、短い言葉を返してきたり、気持のいい声をたてて笑ったり、真顔になったり、微笑したり……しじゅうおだやかに、乙子の話し相手をつとめた。
白いスーツ。白いYシャツ。その白さが眩しくて、乙子は何度も手をかざし、真夏の陽ざしを仰いででもいるように眼を細め、しばたたいた。
どんなことを話したのか、まったくおぼえてはいなかったけれど、めざめてみると、その青年の印象は、鮮やかに残っていた。
それは、乙子がかつて経験したことのない、心が浮き立ち、花やぐような、ふしぎな清涼感のあるめざめだった。
そして、乙子は思った。
(まあ、なんてことなんだろう。こんな信じられないことが、ほんとに、世のなかにはあるんだわ!)
この朝、乙子がおどろいたのは、無論、彼女が、小泉八雲の『茶わんのなか』を思い浮かべたからである。
うつるはずのない人の顔がうつった茶わんのなかの水を、顔ごと飲みほした男のもとへ、顔の主《ぬし》が訪ねてくる。
(そう。きっと、あの青年も、わたしを訪ねてきたんだわ)
と、彼女は思った。
そして、むかし、その物語に本気で腹を立て、原話でいちばん重要な眼目と思われる一節を八雲が『茶わんのなか』では書いていないことを、躍起になって嘆《なげ》いた頃の自分を、あるなつかしさと共に思い出していた。
――|思ひよりてまゐりしものを《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、|いたはるまでこそなくとも《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、手を負はせるはいかがぞや。
(そう。茶わんの水に浮かんだ顔は、ただの奇怪な、妖怪|変化《へんげ》などではないのだ。それは『思ひよりてまゐった』、つまり、思いを寄せて恋い慕い、その恋慕の情を伝えんがための一念で現われた若侍なのだ。関内という男は、その水を一気に飲みほした。若侍の恋慕の思いを、その恋の執着が見せた顔を、体内に受け入れた。「恋は成《な》った。思いは受け入れられた」と、よろこび勇み小躍りして、若い美男の侍は、男のもとを訪ねたのだ。飲んだ者と、飲まれた者との誤解がそこにはあったのだが、その一途な恋慕のいじらしさを、いたわることさえもせず、いきなり「化け物。幽霊め!」と切りかかり、手傷を負わせるとは、いかがぞや。と、主人の恨みを、家来たちがのべにきた。関内は、それにも切りかかり、家来たちは消え、『後又《のちまた》も来《きた》らず』という一語で、原話は締めくくられる。つまり、顔を飲みこんだ男の体内には、恋の思いが恨みと変わった若者の執着が、もう一生消えることなく宿り、男自身の血や肉となって棲《す》むだろう。恋の一念が見せた顔《ヽ》は、すでに飲まれてしまっているのだから。
『後又も来らず』この言葉こそ、この物語を完成させる、見事な結末なのだ。|来る《ヽヽ》必要はないのだから。ほんとうの恐ろしいことは、いずれ、関内の体のなかで、起こるだろう。水は飲まれているのだから)
乙子は、むかし、そう思ったのだ。
だのに、八雲は、この結末の、重要な、実に見事な締めくくりの一語も、彼の『茶わんのなか』からは抹殺している。
(八雲って、なんてトンチキな、小説のわからない男だろう。しかも、原話を、おくめんもなく『未完の物語』と、きめつけている。未完にしたのは、八雲自身ではないか! 原話の花や実《み》に気づかず、それをむしりとっておきながら!)
と、乙子は、かつて憤慨したのである。
――思ひよりてまゐりしものを……
その言葉が、しかしいまふしぎにこころよく、胸をはずませさえして思い出されるのであった。
かりに、自分の夢が、八雲なんかとはまったく関係のない偶然の暗合だったとしても、自分を思い、自分を慕って、あの青年が夢のなかに現われたと考えることは、たのしいではないか。こんなうれしいことがあろうか。
(そう。あれはきっと、神様が、高夫の代りにわたしに与えて下さった、夢のなかのわたしの息子。彼を、息子と思えばよい。息子代りにして暮らせ。そういって下さってるのだ)
乙子には、真実、そんな気がした。
(いいえ。もしかしたら、神様なんかじゃなくて、あなたなの?)
と、乙子は、心のなかで問いかけた。
夫が、そうしてくれたのかもしれない。
(そう。あなたなのね? だからあなたは、遠慮して、出てこないのね? 代りに、あの子を寄越してるのね? どうだ、息子代りにしたらって、あなた謎かけてるのね? わたしたちが、仲よくなれるかどうか、あなたは陰に隠れて、観察してるんでしょ? 試してるのね? 安心して。合格よ。あの子だったら、立派に高夫の代りをつとめてくれるわ。いいえ、立派すぎるわよ。あなたがいて、あの子がいて……ああ、そんな暮らしができたらって、わたし、どんなに思ったか。
見つけて下さったのね。そんな暮らしができる息子を。そうでしょ? どうだいって顔して、あなた、わたしとあの子のいるところへ、きっとひょこっと現われて、びっくりさせるつもりなんでしょ? そんなことに気がつかないわたしだと、思ってらっしゃるの? ええ、ええ。いつだって、いいことよ。大威張りで、出てらっしゃい。何百遍でも、いってあげるわ。ありがとうって。ありがとう。ほんとにあなた、ありがとうね)
乙子は、涙にむせんでいた。
親子三人、水入らず。そんな暮らしが、この先ずっと続くのだと思うと、乙子は、一生、
(もう、なにもいらない、このほかは)
と、涙があふれてくるのだった。
(こんな日がこようとは、思ってもみなかった)
生きていてよかったと、しんから彼女はよろこびの声をあげたのだった。
夢のなかの青年は、夜ごとに彼女を迎えてくれた。
会うたびに、二人の気心も知れ、呼吸も合って、うちとけ合い、親しさは日増しに湧いてきて、乙子はもうすっかりその夢のなかの息子に夢中だった。
夜のくるのが、待ち遠しかった。
今日こそ夫が出てくるか、明日は現われるにちがいないと、その日を待つたのしさにも、心が躍ってならなかった。
そうした日々が、しばらくつづいた。
そんなある日のことだった。
ここのところ、朝ごとにカーテン・レールの金具のひびきがはずみきった音をあげて、朝の光を部屋中へ一気にとりこんでいた乙子の寝室が、その日、昼近くになっても、ひっそり静まりかえっていた。
乙子は、ほの暗いその寝室の中央で、蒲団の上にすわりこみ、腑抜《ふぬ》けたように身動きひとつしなかった。
彼女は、思考力を奪われていた。
なにが起こったのか、いくら考えてもわからなかった。
ゆうべの夢が、どこからはじまり、どこで終ったのか、たどり返す力もなかった。
わかっていることは、夢のなかの青年が、もう息子ではなくなったということだけだった。
あの清潔感にあふれたすがすがしい青年のどこに、あんなに獰猛《どうもう》な、あんなに淫蕩《いんとう》な、あんなに野卑な、獣性がひそんでいたのだろうか。
青年がふるった快楽の卑しい技《わざ》のすべてが、いま乙子の裸身のいたるところに、名残りの跡をとどめている。
いつ、あんなことになったのか。
気がついたときにはもう、乙子は彼の裸体に組み敷かれ、翻弄《ほんろう》されていた。
あの旺盛な疲れを知らない、好色な裸身を、彼は、どこに隠しおおせていたのだろうか。
思いつける限りの痴態を乙子に強《し》いて、乙子を骨抜きにした肉体。
青年のその無数の肉体の記憶が、いま、なまなましく乙子の裸身によみがえってくる。
乙子には、わからなかった。どうして、こんなことになったのか。
彼女はただ、なにも見る力のない眼を、見ひらいて、ぼんやりしているだけだった。
次の夜も、そうだった。
その次の夜も、次の夜も、青年は飽くことを知らないけもののように、乙子をむさぼり、乙子にも、けものになることを強いた。
乙子は、夫の名を呼んだ。
声が涸《か》れるまで、叫んだ。
涸れたあとも、叫ぶことをやめなかった。
しかし、夫は、現われなかった。
現われるのは、彼だけだった。
眠るまい、と、乙子は思った。眠りさえしなければ、彼に会うこともないのだから。
思いながら、乙子は、眠った。
眠りが、乙子を誘うのか。
乙子が、眠りへ急ぐのか。
それも、乙子には、わからなかった。
夢のなかで、乙子は、ときどき、自分の裸身が、眼を見はるほど若やいでいるのに気づく。日増しに、その若やぎは、色艶《いろつや》を深めているように。
乙子は青年に凌辱《りようじよく》されているとき、近頃、不意に思うのだった。
美しい顔をした幽霊に、いきなり怒りの刃を向けて、烈しく突いてかかった一人の男のことを。
気味悪いもの。理に落ちぬもの。理解を絶するもの。怪。
ただそれが怪《ヽ》であるために、有無をいわせず刃を抜いて切りかかった男。
あの関内という男には、ほかに理由などいらなかった。ただそれが怪《ヽ》、不気味なものであるということのほかには。
純粋な殺意。
それは、あるいは、そう呼ばれるべきものかもしれない。
八雲は、その殺意を実行に移した男が、移したあとで受けねばならないなにかの報復を、『茶わんのなか』で、書いた。
――思ひよりてまゐりしものを……
そんな情実の匂《にお》いは、八雲には、不必要だった。
怪と、怪でないものとの、ただ純粋な対立だけが、八雲には必要だったのだろう。
乙子は、なぜそんなことを自分が考えたりするのか、わからなかったが、しきりに関内という男の抱いた殺意のことが、頭のなかを去来した。
(いや、やはり、あの物語は、恋の物語でなければならないのだ)
とも、思った。
そして、あの関内の殺意のなかには、いわれのない恋慕を受けた男の衝撃が、なくてはならないのだ。それがあったから、彼は猛然と刀を抜いたのだ、と。
……あれを思い、これを思い、だが行きつくところは、殺意《ヽヽ》だった。
一杯の赤い液体をたたえたグラスが、眼の前で、揺れる。
あのワインのなかに、この肉体の悪魔が、ひそんでいた。
あの美しい酒が、わたしの体のなかで、いま悪魔の肉に変わりはじめている。
乙子は、とりとめもなく、そんなことを考えた。
考えながら、毎日が、消えては、やってくるのだった。
季節は、夏にさしかかっていた。
日傘がなければ、街なかは歩けなかった。
村迫乙子は、横断歩道を渡りながら、日傘の柄をふと肩の上で、とめた。
その前の人混みを、一人の青年が歩いていた。薄荷《はつか》の匂いでもかげそうな、洗いざらしの涼やかな純白のスーツが軽快だった。
誰も、気づきはしなかった。
乙子の体が、異様にふるえはじめたのを。
その青年は、次の横断歩道の信号で立ちどまった。
前を、車が走っていた。ひっきりなしに、車の群れが走り抜ける。
日傘を握っていた手を急に、乙子は放した。
青年の、真後《まうしろ》に彼女は立っていた。
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葡萄果《ぶどうか》の藍暴《あいあら》き昼
死者は語らず、死人に口なしとは言うが、日野陽太郎の場合、彼がこの世に置き遺《のこ》して行った言葉は、文字にすれば幾十字かあった。
京都市北区西賀茂薬師山×町の畑ぞいに建つモルタル造りのアパートの二階に、陽太郎は十年近く住んでいたが、六畳一間のその南向きの部屋の壁には、マジック・ペンの走り書きで、まず次のような文字が並んでいる。
葡萄果の藍猛き日に 盲たり
真愛しきかも よもついくさめ
おそらくそれは、『葡萄果《ぶどうか》の藍猛《あいたけ》き日に 盲《めしい》たり 真愛《まがな》しきかも よもついくさめ』と読むのであろう。そして、『猛き日に』という部分と、『真愛しきかも』という部分の上を太い棒線で消して、その横にそれぞれ、『暴き昼』、『夜見路知らしめ』という文字をあとから加え、この二箇所を書き改めている。
つまり、その壁に彼が書き遺した文字を正しく綴《つづ》り直せば、
葡萄果《ぶどうか》の藍暴《あいあら》き昼《ひる》 盲《めしい》たり
夜見路知《よみじし》らしめ よもついくさめ
と、読むべきなのであろう。
一見してわかるように、その文句は五・七・五・七・七の三十一音から成っていて、誰にでもすぐに、和歌・短歌として書かれたものであろうことはうなずける。
英司が最後にこの部屋を訪ねたのは、陽太郎が死ぬわずか二日前で、そのときには無論そうした文字など眼にしてはいなかったから、それは陽太郎が死の前二日以内に書きこんだものであることははっきりしていた。
ちょうど窓際に置かれた坐り机について傍の壁に手をのばせば書きこめる眼の高さの位置に、その歌はあった。
英司には、よく意味の呑《の》みこめぬ歌だった。
「彼が作った歌なんだろうかね」
と、警察でもたずねられたが、
「さあ……」
と、言葉を濁すよりほかはなかった。
陽太郎に短歌のたしなみがあったなどということは、この歌を見る日まで、英司はまるで知らなかった。その死も、ひどく唐突なできごとで思いがけなかったが、その思いがけなさと同じくらいに、陽太郎と短歌の取り合わせに、英司はめんくらった。
短歌。
彼の死んだ日に、この短歌《ヽヽ》が眼につかなかったら、あるいはそれほど深く英司は、その死の原因にこだわったりはしなかったかもしれない。
理由のわからない死であったが、人の死に、いつもそれぞれ他人を納得させるだけの理由や原因があるとは限らない。いや、かりに本人の内にはそれはあったとしても、本人以外の人間たちにはまるで了解不能な死も多かろう。なぜ死んだのか、それがわからなければ、わからないままに投げ出してしまうよりほかのない死。陽太郎の死には、最初からそんなところがあったから、無論、英司は英司なりにあれこれと臆測もし、一通りはせんさくもせずにはすますまいが、それはそれとして、結局わからないままに投げ出さざるを得なければ、それも仕方がないと諦《あきら》めたかもしれなかった。
(しょせん、人間の内なる世界は、理解を絶する)
そんな心境にいずれはなって、死のせんさくもやがては月日が忘れさせるにまかせたかもしれない。
短歌が、そうさせなかった。
あるいは、こうも言えるだろう。陽太郎の死の周辺に、短歌が存在したということの不審やおどろきが、英司には殊のほか深く、納得がいかなかった、と。
梅雨に入って、ホテルのメイン・ロビーに面した庭に、一日中|糠雨《ぬかあめ》が糸しだれに降りつづけている日であった。遅出《おそで》の英司が勤務についたのは六時を過ぎていたが、まだ外はほの明るかった。
バーには客がなく、ロビーの飲み物を二つ三つ作ったばかりのところへ、その電話はかかってきた。チーフの藤村がとって、
「加田ちゃん」
と、英司に受話器を渡した。
「はい……」
英司が名乗りをあげる前に、先方の声がとびこんできた。
「ちょっと加田ちゃん、早うきて。えらいことえ。すぐにきて」
うろたえきった声だった。
「誰やねん。もっと落ち着いて喋《しやべ》ってえな」
「なにいうといるねん。ジャムどすがな」
「ジャム? ああ、なんだママか」
「なんだや、あんた、あらへんねん。とにかくすぐにきとくれやす」
「どうしたの。おれ、今日|遅番《おそばん》やねんで」
「そんなこというてるときやないわよ。ほら、なんていうたかいな。あんたが二、三度連れてきはったお友だち。髭《ひげ》の濃い、口数すくない、背の高いひとあったやない……」
「日野……?」
「ああ、それ。そのひと。そうや、日野さんいうたわね。いや、どないしてもその名前が思い出せへんのよ。日野さんやわ、日野さん……」
と、受話器のなかの声は、どうやらそばにいる店の者に告げているらしい声になった。
「日野が、どうかしたの?」
「首、切らはったがな」
「ええっ?」
「たったいま、うちで、この眼の前でよ。首切らはったんよ、あんた」
英司が木屋町のメンバーズ・スナック『ジャム』へ駈《か》けつけたのは、それから十四、五分後のことであるが、その時刻、日野陽太郎は救急車で運ばれた先の病院で、すでにこと切れていた。
その日の模様を、その夜、騒ぎが一段落して『ジャム』のママが語ってくれたところによると、陽太郎は、まだ店を開けたばかりで、バーテンダーのシゲちゃんとホステスのアカリちゃんが営業準備を終るか終らないかのところへ、ドアを開けて入ってきたのだという。口開けの客だった。
「うちもね、ほんの一足前に店へ出てきたばっかりで、まだ煙草の一服もしてへんときやったのよ。シゲちゃんが、顔おぼえてて、あんたのボトルすぐに出したんで、ああそやった、加田ちゃんのお友だちやったいなて、気がついたの。そしたら、いや今日は自前でいくから、新しいの一本出してくれいわはりまっしゃろ。まあ、これがほんまの口開けやわいうて、お出ししたの」
陽太郎は、その新壜のウイスキーで水割りをつくらせると、最初の一杯は黙ったまま飲んだという。二杯目をつくったとき、なにを思ったのか、急にポケットから折りたたみ式のナイフをとり出したのだそうだ。
「へえ。鹿の角みたいな柄のついた……ありまっしゃろ。ジャック・ナイフ。あれどすがな。うちら、びっくりしたんやけど、本人はごくごく普通な、静かな顔しといやすやろ。あっけにとられてる内に、パチンと刃《は》出さはって、なんやしらん、こうグラスの上へすっとその刃を持ってきて、かざさはるのえ……」
ママは、手まねでそのしぐさをやって見せた。
眼の高さに刃の部分を横にしてかかげ、陽太郎は瞬時、そのナイフを眺めたという。
それはほんの束の間のことで、声をかける前に陽太郎はすでに刃をおさめ、ナイフはポケットにしまいこまれていた。
「もう胆つぶしたえ。なにしはるかと思うて、うちらぽかんとしてたがな。そんで、にこっと笑わはるのえ。お客さん、おどかさんといて下さいな。そんな物騒なもの持たはって。いやどすえ、いうたのよ。そしたらね、いや悪かった、すんませんて、すなおに謝らはるのよ。それでね、じつは、これ、お呪《まじな》いやいわはるのん」
「お呪い?」
「はあ。そないいわはってね、水割りのグラスのシートがおっしゃろ。コースター。あれ裏返さはってね、ボールペンで、なにやら書かはったの。そうや」
と、ママは急に思い出したように、言った。
「シゲちゃん。あれ、警察に見せてへんわよ。まだ、どっかにあるのとちがう?」
「ありますよ。もういっぺん事情聞きに行くさかい、そのとき見せてくれいわはったから、とってあります」
シゲちゃんはそう言って、丸型の白い紙に洒落《しやれ》たデザインで店の名を色刷りにしたコースターを、酒壜の並んだ棚からとり出してきて英司の前に置いた。
そのコースターの裏面には、次のような文字が並んでいた。
焼刀之 加度打放 大夫之 祷豊御酒爾
吾酔爾家里  (湯原王 打酒歌一首)
一画《いつかく》一画ていねいに書きとめられた、形はぎごちないがきちんとした文字だった。
「なんなの、これ」
と、英司はけげんな顔をあげて、ママを見た。
「ね? わけわからへんやろ? これ、歌やねんて。ほら、おしまいのところに『酒歌』いう字があるやろ。なんやしらん、読み方教えてくれはったけど、うちようおぼえてへんわ。シゲちゃん、教えてあげて。あんたメモしてはったやろ」
「僕かて、詳しうは知りませんよ。加田ちゃん、表に書いてあるわ」
と、シゲちゃんは言って、コースターの表を返して見せた。
「あのひとがいうの、書きとめただけなんやから」
そこには、カタカナだけが並んでいた。
表のカタカナと裏の漢字をつき合わせてみると、それはどうやら次のように読むらしかった。
焼刀之《ヤキタチノ》 加度打放《カドウチハナチ》 大夫之《マスラヲノ》 祷豊御酒爾《ホクトヨミキニ》
吾酔爾家里《ワレヱイニケリ》  (|湯原 王《ユハラノオホキミ》 打酒《サケヲウツ》歌一首《ウタイツシユ》)
「万葉集の歌なんだって」
と、シゲちゃんは言った。
「湯原の王ってひとが、酒を打つ時に歌った一首いう意味やろ。なんでも、こんなこというてはったわ。酒を打つっていうのは、あの時代では宴席の一種の儀式みたいなもんで、祝いの言葉を唱えながら、剣をかざして、酒に切りつけるしぐさをするんだって。剣の光がね、悪霊、妖魔《ようま》を祓《はら》うんだって。浄《きよ》めのお呪《まじな》いみたいなもんで、まずそうやって酒を祝ってから、飲むんだって」
「そうや。そんなこといわはったわねえ」
「そやからね、急にいまそれふっと思い出したんで、やってみとうなっただけや、いわはるんよ。へえ、人は見かけによらへんいうけど、このひと、若いのに学あるんやなあて、僕ら感心したがな。そやろ? 黙ってスラスラっと、こんだけの漢字書かはるんやもの。それに、その説明やろ。なんやしらん、ちょっとイキじゃない」
陽太郎は、そのあとさらに一、二杯、水割りのお代りをして、ごくおだやかに飲んだという。
「あんまり喋るひとやあらへんやろ。うちには、加田ちゃんと二、三度見えたきりやし、それももうだいぶん前のことやし……加田ちゃんと待合わせですかて聞いたら、そうやないていわはるしな……ま、その万葉集の歌の話を聞かせてくれはっただけで、あとは静かに飲んではったんや。なあ。それほど酔うていやはるとも見えへんかったわなあ」
「うん。酔うてはらへんかったと僕も思うけど」
と、シゲちゃんは答えた。
英司も、そうだろうと思った。陽太郎は、水割りの三、四杯で正体を失《な》くすような男ではなかった。
その陽太郎が、とつぜん立ちあがり、カウンターをはなれたときには、もう手にナイフをつかんでいたという。逆手に持って、その柄にもう一方の手をしっかりと添え、両足を踏ん張った彼は、ナイフの切《き》っ尖《さき》をのばした首のうしろへあてて、横首を掻《か》き切るように前へ振りおろした。裂けた首へ二度、三度と、刃先を突き立てては切りおろしたという。
最初、なにが起こったのか、店の者たちにはよくわからなかった。鋭い血しぶきのほとばしりを眼にして、彼等は色を失ったのだった。
客はほかにはなく、陽太郎が一人だけだった。
陽太郎は、一言も口をきかなかったという。ただ突き立て、切り裂く行為に渾身《こんしん》の力をふるい、やがて足もとへくずおれて、そのまま動かなくなったという。
「もう、うちら、あんた、動転してしもうて……なにをしたやら、いうたやら、わけわからへんのんよ。アカリちゃんは貧血起こすわ、うちは腰が立たへんわで……シゲちゃんがいててくれたさかい助かったようなものの……そやなかったら、救急車もよう呼べへんかったわよ。やっと気がついて、ふるえがどうにかおさまったのが、あのひとの運び出されたあとやもん。とにかく加田ちゃん、あんたにきてもらわへんことには、あのひとの身許《みもと》もわからへんやろ……」
「けど、身寄りのないひとやったやなんてなあ……知らなんだわ」
と、シゲちゃんが呟《つぶや》くように言って、しんみりと黙りこんだ。
「そやねん」
と、英司は、独りごちた。
降って湧《わ》いたようなとつぜんの陽太郎の死を、どう受けとめてよいのか、見当もつかなかった。警察へ、病院へ、そしてまた『ジャム』の店へと駈けまわったあの雨の降る一夜を、英司はいまでも思い起こすと、途方に暮れる。
その死が、まるで不可解だった。
そして、そこにも、やはり歌《ヽ》があった。
いや、考えてみると、彼の死の前後にあったもの、彼が遺したものは、歌《ヽ》しかなかったという気がするのである。
英司が調べたところによれば、陽太郎が死ぬ直前に記した『ジャム』のコースターに残っている文字は、万葉集の巻六、九八九番に、まちがいなく載っている。
湯原の王は、同じく万葉歌人の一人に数えられる天智天皇の皇子・志貴の王子の子供である。
陽太郎が記した湯原の王の万葉歌を、いま読みやすく書き改めれば、
[#1字下げ]焼刀《やきだち》の 稜《かど》うち放ち 丈夫《ますらお》の 祷《ほ》ぐ豊御酒《とよみき》に 吾《われ》酔いにけり
となるだろう。
シゲちゃんがおぼえていた陽太郎の説明も、この歌についてはおおむねまちがってはいないようであった。
二つの短歌が、英司の心に刻みこまれたのは、仕方のないことである。
それだけが、陽太郎の死のいちばん近くにあったふしぎな残留物であったから。
英司の短歌《ヽヽ》探しがはじまったのは、陽太郎の死の翌日からだった。
英司が知っている日野陽太郎の生活のなかには、短歌《ヽヽ》という項目がない。どんな意味にしろ短歌とよばれる世界に触れる日常が、陽太郎にあったとは思えなかった。自分の見落としか。陽太郎が見せなかったのか。人にはもともとそうした見えない暮らしというものがあるということなのか。
いずれにせよ、英司は、はじめねばならなかった。陽太郎の暮らしのなかに短歌と関わりのある生活の一断片、日常の一痕跡、その残香の一気配でもよい、短歌《ヽヽ》が彼と接触する可能点はなかったかと、仕事の合い間合い間をみてはそれを探し、嗅《か》ぎまわるという毎日を。
無論、英司が最初にしたことは、薬師山のアパートを当たってみることだった。陽太郎は十年近くここに住んでいた。はじめは住込みで働いていた新聞店をやめて移った運送会社の同僚たちと一間三人の共同生活だったらしいが、五、六年前からその同僚たちも出て、彼一人が残った形で去年の梅雨どきいのちを絶つまで、ここにいた。
英司が彼と知り合ったのは、高校を出て京都に就職して一年ばかりたった頃のことだった。ホテルの従業員寮に入っていたが、仕事の要領もおぼえてき、ぼつぼつ京都の土地柄も頭に入れたいこともあり、また馴《な》れない土地でのストレスも溜《たま》りがちでそんな鬱憤《うつぷん》晴らしもあって、休みの日には先輩の単車を借りたりして、英司は街なかといわず郊外といわずむやみやたらと走りまわった時期があった。
その夏の日の遠出も、そうした頃のことだった。
京都の北の山岳地帯、清滝川を遡《さかのぼ》り、杉坂から持越峠のあたりまで足をのばし、途中山峡ぞいの枝道を真弓川のほとりへおりて、素裸になり汗やほこりを洗い落としているときだった。無人の渓流を奥のほうから浅瀬づたいに下ってくる膝《ひざ》まくりしたハイカー風な男と出会った。登山帽にリュックサック、運動靴をはいた彼は、ときどき立ちどまり、流れを見まわし、深みへ入ったり浅瀬へもどったりしながら、水のなかを下ってきた。
手に小ぶりな漬け物石くらいの白っぽい石を一つ抱えていた。
「やあ」
と、英司が声をかけると、ぼそっとした声で、
「こんにちは」
と、言葉を返してきた。
すこし行きすぎてから、彼はまた屈みこみ、水のなかから別の石をとりあげたが、じきにもどし、砂地へあがって腰をおろした。
ジーパンをはきながら、英司もそっちへ近づいて行った。単車がとめてあったからだ。
「なにしてるの。石探し?」
同じ年頃の気安さもあって、話しかけると、
「まあ、そんなとこ」
と、彼は答えた。
「喫《す》う?」
英司が煙草を出すと、ちょっと彼は首を振った。
「まだ、未成年」
「未成年?」
と、英司は聞き返した。
背も英司よりは高く、年もひょっとしたら一つ二つ上かなと思ったりもしたので、意外だった。
「いくつ」
「十六」
と、彼は言った。
そういえば、物言いにはそんな稚《おさな》さがなくもなかった。
「ここ、どのあたりでしょうか」
「さあ。おれも単車ぶっとばしてきたから、よくわからないけど、北山のかなり奥のほうだろうな」
「京都のひとなんですか?」
「いや。去年出てきたばかりでね、地理に弱いんだ。街のなかなら、どうってことないんだけどさ」
「これから、帰るんですか?」
「ああ」
「京都のほうへ?」
「うん」
彼は、やや口ごもり、遠慮がちに言った。
「あの……その帰り道、念仏寺のほうを通りませんか」
「念仏寺?」
「はい。嵯峨の……」
「ああ、化野《あだしの》の念仏寺かい? 無縁仏の墓地がある」
「ええ」
「さあ。どうなるのかなあ。そういうのが、まだおれよくわからんのだけどさ。とにかく京都の街へは帰るよ。どうして?」
「いや……もしそっちのほうへ帰られるんだったら、近くまで乗せてもらえないかと思って」
「いいよ。どうせ京都へ帰るんだ。ついでにその寺まで連れてってやるよ。途中で道聞きゃわかるだろ」
「いいですか?」
「いいともさ」
彼はすなおに嬉しそうな顔をし、丸っこい石は抱えたまま単車のうしろ台へ乗った。
あとで考えれば、杉坂、京見峠越えに京へおりればすむものを、念仏寺はかなり遠まわりな帰路となったが、その日、日の落ちかける頃に、ともかく彼をその寺の前でおろすことができた。
「じやあな」
「ありがとう。助かりました」
彼は、きちんと頭をさげ、鳥居本の坂道をおりて行く英司の車を道の端に立って見送っていた。
それから二年ばかりたってからだった。年明けの初弘法《ヽヽヽ》だったか、年末の|しまい弘法《ヽヽヽヽヽ》だったか。いずれにしろ東寺の「弘法さん」の日であった。縁日の露店がたち並ぶ門前の人混みのなかで、英司は肩を叩《たた》かれた。
「あの……人違いだったら、ごめんなさい」
と、そのジャンパーの襟《えり》をたて無精髭をのばした若者は、すこし猫背に小首をかしげるようして、英司を見た。
「やあ……君かァ」
「やっぱり、そうでしたか」
二人は思わず手を出しあって、握った。
英司は遅出《おそで》の日だったし、彼は休みだというので、七条通りまで出て駅近くのそば屋へ入った。二人がおたがいに名乗り合ったのは、この日であった。
「しかしおどろいたね。京都に住んでたの」
彼は笑って、
「あの日からね」
と、言った。
「ええ? あの日から?」
「そう。あの日が、京都に出てきた最初の日だったんだ」
「どういうこと? おれはまた、ヒッチ・ハイクかなんかでやってきた、京都めぐりの旅の高校生だなと思ってたんだけど」
「おれ、高校行ってないよ」
「ん?」
「中学出て、あの夏、こっちで暮らすつもりになって出てきたんだ」
英司は、ちょっと手をとめて、
「まさか……家出……じゃないよな」
「ちがうよ」
「じゃ、就職か?」
「そりゃ、職見つけなきゃ、食っていけないもんね」
「そう。そうだよな」
「あのあと、街へ出て、四、五日、職探しですよ」
「職探しって、君……」
英司は、あきれたように彼を見て、言葉を切った。
「国は、どこ?」
「九州です」
「もちろん、家族のひとなんかも承知の上なんだね?」
「家族、いません」
「いませんって……」
「一人です」
と、彼は言った。屈託のない声だった。
「おふくろと二人暮らしだったんだけど、死んじゃったもんで。あの年」
「あの年?」
「うん。おれ、その墓石探してたんだ」
「墓石?」
英司は、小さく息をのんだ。
あの夏にくらべれば、やや痩《や》せて、その分だけまた大人びて見えもする彼は、どこか朴訥《ぼくとつ》で、どこか超然とした感じを、さらに身につけていた。
「おふくろがね、よくいうとったんですよ。死んだら、骨は半分だけ、おまえのそばに置いときゃいいって。あとの半分は、いつだっていい、折があったら京都へ持ってってくれ。京都なら、どこだってかまやしない。どこでもいいから、ばらまいといてくれってね」
彼は、ちょっと肩を動かして、苦笑した。
「変なおふくろでね。昔から、なにかっていうと、それいうんですよ。わけ聞いても、笑ってるだけでね。まあ、貧乏どん底。おれ一人育てるのに、働きづめだったからね。旅なんてしたこともないし。そんな身分じゃなかったもんね。いっぺん、京都が見たかったのかもしれん思ってね、一緒に連れて出てきたんですよ。いっそおれがここに住みゃ、おふくろもたっぷり京都見物できるでしょ」
「……じゃ、九州の家は引き払って……?」
「家なんてもんじゃないですよ。安アパートの一間暮らしやけ。身軽なもんです。見たでしょ。あんとき担いでたリュック。あれが、おれの全財産。いや、財産なんてのはおかしいな。引っ越し道具ってところかなあ」
「……そうだったの」
英司は、からっとした物言いで喋っている彼の手前、妙にしんみりするのがはばかられたが、声は沈みがちだった。
「だもんでね」と、彼は言った。
「とにかくまず、なにはおいても、墓をつくってやりたかったんです。けど、おれにそんな、墓なんておいそれとつくれるわけないでしょ。そんで、おれ、あそこにきめたんです。九州を出る前に、おれ、京都のこと、ちょっと調べたりしたもんだから、念仏寺のあの墓地の写真見て、これだと思った。あの河原の石の原みたいな……小さい石仏ずらあっと並べた……あれ、いちめん|石くれ《ヽヽヽ》の広場って感じでしょ。こんなかだったら、似たような石を一つ置いたって、誰も気がつきゃしないだろうし……いっしょに供養もしてもらえるし……おれも、墓参りに行けるしね」
彼は、自分に言い聞かせてでもいるような、ぽつりぽつりとした口調で、話した。
「そりゃ、何百年も野に転げ、山に埋もれとった石をさ、集めた無縁仏の墓場じゃいうのは、おれも知っとるよ。けどさ、骨はやっぱり、墓をつくって埋めてやらんといけんていうし……仮りのねぐらを借るだけじゃし……いずれはちゃんとした墓をこしらえてやるつもりじゃしね……辛抱してくれるじゃろう思うたんよ。骨はばらまけていうたおふくろじゃもんね」
「その石だったのか、あれは」
「そう。せめて、石ぐらいはね、おれの気に入ったやつ、と思ってね。人手に触れない……どういうのかな、こう……穢《けが》れのないね、人の足の踏みこまない、清いところから持ってきてやりたかったんだよな。それでもって、あの石の墓地に置いてもあんまり目立たないね。けど、ないんだよな、なかなかそんなの」
「それで、あんなところまで……」
「そう。もっと奥のほうまで入ったんだ。探し探し歩いとったら、ついそんなことになっちまって」
「じゃ、念仏寺には、黙って埋めてきたのかい?」
「そう。小さい骨壺《こつつぼ》だから、瓦礫《がれき》の下の地面をすこし掘ってね、そこへ埋めて、上にあの石を置いてきた。これ、内緒にしてくれるね?」
彼は、柔和な眼で英司を見て、にこっと笑った。
ふとにこっと笑うその表情に、衒《てら》いのない、無垢《むく》なものがあった。素朴な、率直な、淋しさのようなものを、英司はその笑いのなかに見た。笑っているのに、静かな、かなしい顔だと思った。
化野《あだしの》は、名高い鳥辺野と並んで、古くから野に屍《しかばね》をさらして捨てる京の都の葬送の地。雨露に磨滅し、風日に砕かれ、歳月が崩していまはもう仏の跡さえもとどめぬ八千体余の小さな墓石のひしめく群れが、英司の眼にうかんだ。
濃い陽《ひ》ざしを吸って、水の煌《きらめ》きを映していたあの夏の日のリュックサック。
汗まみれのその布地の内で鳴っていたにちがいない小さな骨壺を、英司は思い描いた。
「で、いま、なにしてるの?」
「仕事?」
「うん」
「運送会社の配送員」
「へえ。うまく、いってる?」
「いってなくても、しようがないしね」
彼はそう言って、ポケットから煙草をとり出した。
「喫うのかい?」
「うん。悪くなったでしょう」
くわえた口もとで、また笑った。
それが、日野陽太郎とのつき合いのはじまった日であった。
陽太郎の部屋は、じつに簡素なものだった。
畳敷きの六畳間で眼につくものといったら、小さい坐り机と座布団が一枚。それっきりで、あとはすべて押し入れに入る品物ばかりであった。そのなかでも、道具らしいものといえば、小火鉢と、電気|炬燵《ごたつ》と、扇風機くらいのもので、そのどれも、いらないというのを無理やりに、英司が運びこんで置いて行ったものだった。
「おれのお古なんだからさ。いらなきゃ、捨てたっていいんだぜ」
しかし、たいていその道具もふだんは押し入れのなかに納まっていて、英司が訪ねたりするときに使ってくれるだけだった。つましい暮らしがしんから身についている男だった。
その主《あるじ》のいない部屋のなかは、いつものようにガランとして、この上もなく殺風景だった。小火鉢も、電気炬燵も、扇風機も、きちんと押し入れのなかへ入っていた。
英司は、深い絶望感を味わった。調べるまでもないことだった。この部屋のなかのどこに、英司の知らない秘密の隠れおおせる場所があるというのだろう。
英司は、押し入れのなか、吊《つ》り棚《だな》の上、机の小引き出しの内を、くまなく点検した。探すべきなにかがあるとしたら、そのものの存在する場所は、それですべてであった。
そう多くはない書籍類も、吊り棚の上に並んでいるものだけであった。先々、自動車の修理や整備でもして|めし《ヽヽ》が食えたらなあと言っていた彼らしく、車関係の機械や部品構造などの専門書、ラジオ・テレビなんかの電気関係の機械構造や配線図などがやたら出てくる書物がほとんどで、その方面に暗い英司にはまるでとっつけないものばかりであった。そういえば、何度か英司の部屋のテレビや電気製品を修理もしてくれた。園芸の本もあった。そうだ。草花や樹木の名前にも詳しかった。アパートの下の植込みには、彼が手がけた花が季節ごとに咲いていた。碁の本も数冊あった。石と碁盤を買えばいいじゃないか、と何度もすすめたことはあったが、頭のなかで打つのがいいんだ、と言ってとりあわなかった。
……そんなかつての日々のあれこれを思い出しながら手にとった書籍類のなかには、小説の類いが一冊もなかった。小説も、劇画も、漫画も、読まない男だったと、改めて思わざるを得なかった。ときどき週刊誌や、スポーツ新聞は買っていたが、雑誌を読んだり、芸術関係の書物を手にとっていたりする彼を見たことがなかった。映画もたまには行ったけれど、スポーツ物や、アクション・ドラマ、西部劇、チャンバラ映画、そんなものに限られていたようだ。
それに、手紙類のまったくないのにも、英司はおどろいた。十年近くこの部屋で暮らした人間である。一枚の手紙も受けとらなかったというのだろうか。そういえば、便箋《びんせん》や封筒もなかった。何冊かあった大学ノートは、いずれも機械の図解や記号や点や線や円や弧や……それらに関する記述やメモで充《み》たされていた。万年筆、ボールペン、赤・青のマジックペンが、それぞれ一本ずつ。鉛筆が二、三本。消しゴム。定規、コンパスなどが、小引き出しにはあった。
そして、その机上には、小さな金襴《きんらん》の袋に入った茶入れの棗大《なつめだい》の小壺が一つ飾られていて(それが彼の母親の遺骨の一部であることは、英司もよく知っていた)、その前に供物の水と飯器が置いてある。ほかには、明解国語辞典が一冊あるだけで、なにもなかった。
そうである。英司が見つけ出したいものは、ところどころ白土の剥《は》げかかった壁の面《おもて》に記されている一首の短歌、それを除いては、どこにもその気配さえ探し出すことはできなかった。
「加田はん。この部屋も、そないいつまでもこのまんまにはしておけへんしねえ……」
と、管理人は、言った。
「わかってますて。一、二日内には、荷物はみんな僕が引きとります」
「そうか。ほんなら、頼むわな」
「けど、日野は、明日骨になるいうことやさかい、骨には一晩、ゆっくりこの部屋でやすませてやりますからね」
「ええとも、ええとも。わたしも、お骨拾わせてもらいに行きますがな」
窓の外は、雨だった。
このあたりも、はじめてこの部屋を訪ねた頃には、こんなに人家も建ってなかった。すっかり景色も変わった、と、英司は思った。
変わらないのは、この部屋の内だけだった。
(葡萄果《ぶどうか》の藍暴《あいあら》き昼《ひる》 盲《めしい》たり 夜見路知《よみじし》らしめ よもついくさめ)
英司は、雨に濡れた空に眼を馳《は》せ、口のなかで、ゆっくりとその言葉をくり返した。
歌は、英司にとっても、馴じみのないものだった。理解力のない自分が、もどかしかった。
ホテルの企画室に、短歌に詳しい人間がいるというので、早速今日会ってきたのだが、文字そのものの意味は解読できても、内容に焦点が合わなかった。言葉の意味がわかれば、わかっただけ、よけいに歌は、英司から遠ざかった気がしなくもないのだった。
――藍色の葡萄の実《み》の猛々しく暴々《あらあら》しい日の昼 わたしは盲《めし》いた。盲になった。
「『夜見路《よみじ》知らしめ』っていうのは、『黄泉路《よみじ》』だろうなあ。黄泉《よみ》、つまりあの世への路《みち》を知らせてくれ。教えろってことだよ」
「じや、『よもついくさめ』ってのは、なんですか」
「うむ」
と、企画室の初老の男は喉《のど》を鳴らして、かたわらのペンをとり、メモ用紙に書いてみせながら説明した。
「『黄泉津《よもつ》』、つまり『黄泉《よみ》の国』ってことだ。黄泉の国の、『戦《いくさ》』の、『女《め》』。つまり、戦《いくさ》をする女。戦《たたか》う女。そういうことだろうな」
「……すると、『黄泉への路を教えてくれ、黄泉の国の戦をする女たち』……そうなるんですか?」
「だろうね。『盲になって、眼が見えないから』と、意味もつながるしね」
「じゃ、最初の『葡萄果の藍暴き昼』というのは、どうなるんです。どういうふうにつながるんですか」
初老の企画室員は、にやにやして、
「そいつはわからんなあ、わたしにも」
と、言った。
「おまえさん、どこからこんな歌引っぱり出してきたの。作った人間に聞かなきゃ、わからないよ、そういうのは。ま、頭は現代短歌っぽくて、尻尾《しつぽ》は万葉調だよねえ。あんまり出来のいい歌じゃなさそうだなあ。しかしまあ、おどろいたねえ。うちのバーに、短歌をやるのがいるとはねえ」
「やるんじゃありません。この歌の意味が知りたいだけです」
「いや、いいことですよ。そういう意欲はどんどん持ってほしいねえ」
「つまり、これ、死にたいって歌ですか?」
英司は、多少いらだちながらたずねた。
「そうだなあ。そういうふうにもいえるだろうな」
「じゃ、ここを消して、代りに『真愛《まがな》しきかも』と入れたら、どうなります」
英司は、企画室員をまねて、その文字をメモ用紙の上に書いてみせた。
企画室員は、おどろいたように英司を見て「えらい言葉を知っとるねえ」と、感心した。
「うむ。そうなるとだね、こりゃ複雑になるなあ。『真愛《まがな》しきかも』ってのは、『ああ、ほんとうにいとしい。いとおしい』という感動の言葉だからね。『よもついくさめよ。ああ、おまえが真実いとおしい』『いとおしい、よもついくさめよ』と、呼びかけてるわけだ。激しい愛情表現だね」
と、彼は説明した。
企画室員は、ホテルのサービス・シリーズになっているロビーの夏の催し物のデザインで打ち合わせがあるからと、席を立った。仕事の合い間の落ち着かない|にわか講釈《ヽヽヽヽヽ》であったが、英司もそう長くは職場を空けておれず、バーへもどった。
壁の上の短歌の意味を知るためには、陽太郎が一度記して訂正した部分の言葉も、合わせて考えてみる必要がある。『猛き日に』と『暴き昼』の場合は、どちらもほぼ同じ意味合いのことを表現を変えて言ったものだと思われるが、『真愛しきかも』と『夜見路知らしめ』は、二つの語句が重なり合わず、それだけに、二つの語句のどちらをこの部分に置いてもよいだけの感情が、この歌を記したときの(あるいは作ったときの)記述者にはあった、と考えてよいのではあるまいか。つまり二つの語句は、それぞれに、この歌の作者の心情を知る上で重要な意味を、補い合い加え合ってくれていることになるわけだ。
英司は、そう思った。
そして、どちらの語句も、『よもついくさめ』なるものに、作者が呼びかけている言葉らしい。一つは『おまえがいとしい』と。一つは『黄泉への路を知らせてくれ』と。
しかし、それにしても、『よもついくさめ』とは、なんと奇怪な言葉であろうか。
そして、『盲たり』とは、いったいどういう意味なのだろうか。
もし、この短歌を陽太郎が作ったものだとすれば、『盲《めしい》』たのは陽太郎であることになる。現実に、彼の眼が見えなくなったのか。それとも、歌のなかの象徴的な表現なのか。いずれにせよ、『盲たり』というにふさわしい事柄が彼の身の上にあった、ということだろう。
(わからない)
と、英司は、思い疲れて嘆息した。
(葡萄果の藍暴き昼……とは、なんだ。葡萄果……葡萄果……)
英司は、バーへもどってからも、手はビールの栓を抜き、氷を割り、シェーカーを振り、グラスを磨いていても、心はよそへとんでいた。
「フルーツ、一《ワン》。はい、お待ち遠お」
グリルのウエイターが届けてきた果実皿が、カウンターの上へ置かれた。
「オーダー、二番テーブルね」
バー部のボーイが、軽やかにその大皿を掬《すく》いあげてテーブル・ボックスのほうへ出て行く。
英司は伝票の数字を計上機に打っていて、見るともなしに顔をあげた。注文品を確認する習慣的な動作である。
砕き氷をたっぷり敷いたカット・グラスの鉢皿には、みずみずしい季節の果実が彩り賑《にぎ》やかに盛られていた。なかでもひときわ滴《したた》るような青藍色の花やぎが、鮮やかだった。
英司の手は、とまっていた。
(葡萄……)
なにがなしに、そう思った。
濃い藍色を放つ現実の葡萄を眼の前にして、頭のなかにふっとよみがえるものがあった。
(そうだ。そういえば……そんなことがあった)
いつだったか、どんなときだったか、それは思い出せないけれど、眼の前に葡萄があって、それを食べているときだった。確か、陽太郎が手を出さなかったという記憶が、あったような気がするのである。いや、そうではなくて、なにかの席で陽太郎が出された葡萄に手もつけず、「食べてくれ」と彼の分まで英司にまわして寄こした……そんな記憶だったかもしれぬ。情況はもっとちがっていたかもしれないが、とにかく英司が一人で平らげたおぼえがある。確かにあれは、葡萄だった。
英司は、とっさに思い返してみた。陽太郎が葡萄嫌いだったと思えるようなふしは、ほかになかったかと。
しかし、それははっきりしなかった。陽太郎の口から葡萄嫌いを告げられたというような記憶も、なかった。
結局それは、束の間脳裏をよぎった過去の単なる一情景、いや情景ともいえぬおぼろなできごとの輪郭のない回想だった。
(葡萄か……)と、英司は、頭を振った。
自分が自覚している以上に、その藍色の果実に思い憑《つ》かれているような気がした。
だが、英司は確かめずにすませはしなかった。陽太郎のアパートの住人たち、大家、運送会社の人間たち、彼に接触のあったと思われる人々には、いちいち念入りにたずねてみたが、誰も陽太郎と葡萄について特別な記憶を持ってはいなかった。殊に何年か同室生活を共にした同僚たちには、転職先まで出向いてねばったが、無駄だった。もっとも、一人は郷里へ帰っていて会うことはできなかったけれど。
その梅雨もすぎて、京都は本格的な夏を迎えていた。
祗園祭がすむまでは、ホテルは見えない大波に呑まれているようなところがある。揉《も》みしだかれるにまかせるよりほかはないてんやわんやな時期である。
山鉾《やまぼこ》巡行を終ると、しかし、一息つける日がやってくる。そんな七月も下旬に入ったある日だった。
企画室員のUが、「ヨオ」と手をあげながらバー・コーナーへ顔を見せた。
「一杯、つくって」
「水割りですか?」
「うん」
Uは、カウンターの隅へ腰掛けると、「はい、これ」と言って、一枚の紙片を英司の前に置いた。ホテルの用箋紙であった。
「なんですか、これ」
「参考になるかと思ってね。ほら、こないだの『よもついくさめ』」
「え?」
英司は、まわしかけていたバー・スプーンをグラスの縁で、とめた。
「そこに抜き書きしてきたのは、古事記に出てくる神話の一節だがね、おまえさん、イザナギ、イザナミの命《みこと》の話を、知ってる?」
「え?」とわれに返りながら、英司は、「ああ。ええ」と、うなずいた。
「あれでしょう? 死んだ妻を、忘れられずに、あの世まで迎えに行く…… 『オルフェ』みたいな話でしょ?」
Uは笑って、
「オルフェはよかったなあ。しかし、ま、そういう話だよ。イザナギが男。イザナミが女。この両|命《みこと》が結婚をして、日本の国を生み落としたといわれている神話の神様だ。ま、そんなことはどっちでもいいがね、イザナギが黄泉の国へ行って、妻に、もう一度現世に帰ってくれと頼む。するとイザナミは、『ああ残念なこと。もっと早くきて下さればよかったのに』と嘆くんだ。『わたしは、もうこの黄泉の国の竃《かまど》で煮炊きした食事を食べましたから、二度とそちらヘは帰れないのです。でも、いとしいあなたが折角迎えに見えたのだから、黄泉の神に願ってみましょう。でも、そのお許しが出るまでは決してわたしの姿をご覧にならないように』と言い渡して、奥へ入ってしまう。さて、待てど暮らせど音|沙汰《さた》なしで、待ちくたびれたイザナギは禁を犯して、奥を覗《のぞ》きに行くんだな。ところが、燭火《あかり》に浮かんだ闇のなかでは、妻は見るも恐ろしい醜い姿になっていて、体はとろけて蛆《うじ》がたかり、頭には|大 雷《おおいかづち》、胸には|火 雷《ほのいかづち》 腹には|黒 雷《くろいかづち》、下腹には|拆 雷《さくいかづち》、左手には|若 雷《わかいかづち》、右手には|土 雷《つちいかづち》、左足には|鳴 雷《なるいかづち》、右足には|伏 雷《ふしいかづち》が、物凄まじい形相で生まれ出ようとしていたんだ」
Uは、用箋紙を指さして、「そのあとの|くだり《ヽヽヽ》だよ」と、言った。
――伊邪那岐《いざなぎ》の命《みこと》 はこの有様を見て恐ろしく思はれて、逃げてお還《かえ》りにならうとすると、伊邪那美《いざなみ》の命《みこと》が「私にとんだ恥辱をお与へになつた」と仰せられて、直ちに黄泉津醜女《よもつしこめ》を遣《つか》はして、後を追つかけさせられた。そこで伊邪那岐の命は髪飾の黒蔓《くろかづら》を取つて投げ棄《す》て給ふと、それに野葡萄の実が生《な》つた。醜女がそれを拾つて食ふ間に、命《みこと》は逃げて行かれるのを猶《なお》追ひかけたので、亦《また》右の御|角髪《つのがみ》にお刺しになつてゐた、歯の細かな爪櫛を引き闕《か》いて投げ棄《す》て給ふと、忽《たちま》ち筍《たけのこ》が生えた。醜女がそれを抜いて食べて居る間に、命は逃げ延びなさつた。すると女神はかの八種《やくさ》の雷神に多くの黄泉軍《よもついくさ》を副《そ》へて追はしめ給ふた。
という文章が、その紙上にはあった。
「これは、昭和のはじめに出た次田潤という人の『古事記』の口語訳を、おおむねそのまま書いてきたんだがね、どうだい? 参考にはならんかね」
「え? ええ……」
英司は、しきりに眼で読み返していた。
「問題は、そこに出てくる『醜女《しこめ》』と、『黄泉軍《よもついくさ》』だがね。『黄泉軍《よもついくさ》』というのは、黄泉の国の軍兵ということだからね。つまり、君が持ってきた短歌の『よもついくさめ』ね、あれは、この女たちのことを言ってるんじゃないかと思ったんだよ。『黄泉《よもつ》軍女《いくさめ》』と書くんじゃないのかな」
英司は言葉もなく、ただうなずいていた。
「それに、もう気がついてるだろうけど……」
「葡萄……ですね?」
と、みなまで言わせずに、英司は言った。生唾《なまつば》が湧いてくるのがわかった。
「そう。もっとも、そこには『野葡萄』と訳してあるがね、原文は『|蒲 子《えびかずらのみ》』と、なってるんだよ。いや、あの短歌を見せられたときね、すぐに古事記を思い出したんだけどね。いろいろ説明してる時間がなかったんでね」
「いいんです。ともかくこれだと、葡萄と『よもついくさめ』が、つながります」
英司の声は、はずんでいた。
Uは、三十分ばかりいて、引き揚げて行った。
理由はわからないけれど、「これだ」という確信が、英司にもするのだった。
『盲《めしい》たり』
いぜんとして、その言葉が不可解ではあったけれど。
八月は下鴨神社の夏越《なごし》の神事に明けて、五条通りが陶器市で賑わう若宮祭、六道参りがはじまるともう盆で、送り火の大文字、嵐山の万灯流し、やがて町々には地蔵盆の宵がきて、化野の念仏寺では千灯供養の蝋燭《ろうそく》の火が無縁の墓石の原をうずめる。京都の夏は、彩り豊かな情趣を追っているうちに、足早やにすぎて行く。
千灯供養の日には、陽太郎の代りに一火を捧げに出かけたが、英司にはその石がとうとう見つからずじまいであった。遠い夏の日、深山の渓流ぞいで一度見たあの陽太郎が抱えていた石の面影は、探しもとめる手だてもなかった。
英司は、陽太郎の骨を、その半《なか》ば嵩《かさ》、ポケットにしのばせて、何千本もの蝋燭の灯火の揺らぐ夕闇の石の原に、人知れず手の内で砕いては撤《ま》き砕いては撒きして歩いた。半ばはこの化野で、半ばは英司の部屋で、陽太郎は隙間《すきま》なく母と寄り添って暮らせるだろうと思ったからだ。
(おれが、墓は建ててやるよ。いつになるかわからないけど、それまで、残りの骨はあずかっとくよ)
そんなことを、千灯の揺らぎのなかを歩きながら、陽太郎へ、黙って話した。
その夏も逝《ゆ》き、秋も十月の終り近くになって、思いがけないことが起きた。時代祭や、鞍馬の火祭が観光客を呼ぶ時季だった。
陽太郎とはもう手が切れた筈《はず》の薬師山のアパートの大家から、英司に電話が掛かった。
「加田はん、ちょっとお手がすいたら、きとくれやす。妙なことになってますねん」
「どうしたんですか」
「どないもこないもあらしまへんねん。日野はんですがな」
「日野? 陽太郎のことですか?」
「そうでんがな。まあ聞いとくれやす。あのひとな、桂《かつら》のほうに、えらい部屋借りてはったんどすて」
「部屋?」
「そうでんがな。月十五万もするマンションでっせ。あんた、知ってはらへなんだか?」
大家は昂奮《こうふん》してまくしたてた。
無論、英司にも寝耳に水の話である。
その日、早番をあがって、英司は薬師山の大家の家へ直行した。
「よろしか。今日昼すぎにな、西谷いう人が訪ねて見えたんや。日野はんに会いたいいうてな。日野はんは亡《の》うなって、もう四月《よつき》目でっせいうて話して聞かせたところが、びっくりしてはってな。あんた、びっくりするのは、こっちのほうやがな」
その西谷というマンションの持ち主の話によると、陽太郎は六カ月前に、月十五万の住居を借り、権利金五カ月分、部屋代はすでに向う半年間、合計百六十五万円の金額を前払い済みだというのである。
「西谷はんはな、払いは済んでるのやさかいなんもいうことあらへんけど、家具も入ってるようやのに、どうも住んではる様子がない。家賃は今月分までもろうてるけど、来月は切れるしな。いっぺん様子聞いてみよう、いうてきはったんや。日野はんが、引っ越すまでの連絡先にこのアパートの住所書いてはったさかいいうてな」
上桂のそのマンションの部屋へ、英司は出掛けてみた。家具、生活用品なども半ばは入っていた。充分に快適で、豪華な住まいと言えた。この住まいを手に入れるために、西谷へ払った金額もふくめて、おそらく三百万近くはかかっているだろう。
あぜんとするほかはなかった。狐《きつね》につままれたような話だった。
「おどろくのは、まだ早うおっせ」
と、薬師山の大家は、言った。
「西谷はんはな、こないいわはるんでっせ。日野はんが亡《の》うなったいうたらな、ほな、奥さんがいてはりまっしゃろ、て」
「ええ?」
「そうでんのや。日野はん、一人でそのマンションに入るつもりやなかったらしおっせ。西谷はんには、いうてるそうです。これ、新婚の新居やて」
「そんな、あほな」
英司は二の句が継げなかった。
陽太郎に、女。
それは、あってもべつにふしぎではない事柄だろうが、あり得たとは思えない取り合せでもあった。すくなくとも、英司と彼のつき合いのなかで、その種の心当たりは皆無であった。彼に女でもできたら、すこしはあのアパートの部屋も変わるだろう。暮らしに潤いがでるだろう。そう思ったことは何度もある。彼にも、けしかけてみたりもした。しかし陽太郎は、まるでとりあわなかった。
(あの彼が……)
英司は混乱していた。混乱しながら、上桂の陽太郎が借りたというマンションを訪れたのであった。
信じられなかった。いちばん奥の和室にある押入れを開けたとき、その下段に積んであった短歌雑誌の束、歌集、研究書、そして万葉集に関する幾冊かの本。
英司は、ぼうぜんとそのあり得べきでない本の嵩《かさ》を眺めた。
この本が、ここにある以上、あの短歌は陽太郎が作ったものだと思わざるを得ない。おそらくこの書籍のなかに、古事記の一冊も見つかるだろう。だが、英司には、それを見つける意欲がもう起こらなかった。
英司の知らない陽太郎がこの世にいたことは、証明された。その衝撃に、英司は打ちひしがれていた。もういい、と、思った。なにがわからなくてもいい。これほど奇怪なことが起こるのなら、世のなか、なにがあったってふしぎではない。そう思った。
その年の秋は、物|憂《う》く、虚《うつ》ろな秋だった。
――前略。お手紙見ました。あちこちを流れて歩く仕事についておりまして、実家宛のお手紙を見たのが昨日のことです。ご返事が遅れてすみません。さて、おたずねの「ぶどう」のこと、私には思い当たりません。日野が亡くなったそうで、おどろいています。いい奴《やつ》でした。女にウブなことが玉にキズでしたが。それもあいつらしいところだったと、なつかしく思い出しました。冥福《めいふく》を祈ります。頓首
英司宛に、その手紙が送られてきたのは、初冬のある一日だった。薬師山のアパートで昔陽太郎と同室した仲間の一人で、郷里へ帰ったその男にだけ英司は会うことができなかった。代りに、返信封筒同封で、陽太郎に葡萄嫌いの癖はなかったか……など、問い合わせたのだった。いずれにせよ、梅雨のまだ明けない頃のことだ。
英司は、最初、その時期遅れの返信を無感動な眼で読んだ。投げ出して、しかし急に次の瞬間、その文字へ眼をもどしていた。『女にウブなことが玉にキズでしたが』という箇所だった。それは英司にもごく自然にうなずける追懐だった。が、よく考えると、その追懐さえいままで誰の口からも出たことはなかった。それほど、陽太郎は女っ気のない暮らしに終始していた。だのに、この短い返信のなかに、『女』という文字が入っている。そのことが、ひどくふしぎだった。
流れ歩く仕事をしているという男は、幸運にも返信の裏書きにある住所にまだいてくれた。二度目の復信はすぐに返ってきた。
――前略。女についての話ならどんなことでもというお手紙ですが、残念ながら私がおぼえているエピソードは一つしかありません。私がまだ薬師山のアパートにいる頃でしたから、もうかなり前の話です。木屋町通りとポント町通りの間をつなぐ路地がたくさんあるでしょう。どの路地だったか忘れましたが、ある晩、日野がその路地を出たり入ったりしてるのを見かけたのです。あいつが盛り場うろついてるのめずらしかったもんで、からかってやるつもりで様子を見てると、急にあいつその路地を出てきて、次に行ったのが花園通りで、またそのバー街の道端で三十分ばかり、うろうろしたりボケッとつっ立ってたりして、急にまた今度は新京極のほうへ引き返し、やっぱり道端で立ってるんです。そのころには私にも様子がのみこめました。彼は女の後をついて歩いていたんです。バーからバーへ飲み歩く女の後をです。私は、その晩は黙って帰りました。そんなことがあったもんで気がついたんですが、休みの日に、ときたま彼が遅く帰ってきたりすると、見てられないような気になって、私はもう一度彼をつけてみたんです。その日もやはり、同じことを彼はくり返しました。私はがまんできなくて、途中で出て行ったんです。女に直接話をつけてやりました。もちろん、女は彼のことなんかまったく知らなかったんですが、案外あっさりと承知してくれたんです。私は道端に待たせといた彼に、とりあえず持ち金ぜんぶ握らせて、「そら行け」と肩を叩いたんですが、彼はのぼせきってしまって、女のそばまでは行ったんだけども、二こと三こと話しただけで、息せき切ってもどってきました。「どうしたんだ」って聞くと、「いいんだ」って言うのです。そんなんじゃないから、いい、いいと言って、どんどん先に立って帰って行くのです。そういう奴でした。女のことと言えば、そんな思い出があるだけです。ちょっといい女ではあったけど、日野には無理でしょう。|くらげ《ヽヽヽ》の長い足が揺れるイヤリングをしてたのが記憶に残っています。日野の骨を拾って下さったそうで、お礼を言います。草々。
それが全文だった。
読み終ったとき、とつぜん英司は、胸の奥《ヽ》が揺れるような奇妙な落ち着かなさを感じた。
(|くらげ《ヽヽヽ》のイヤリング……)
(木屋町から先斗《ぽんと》町へ抜ける路地……)
不意に湧いた想念を、まさか、と一度は打ち消した。しかし、英司も、|くらげ《ヽヽヽ》をデザインした風変わりなネックレスや、ブローチや、イヤリングを、好んで身につける女を一人知っていた。ホテルのバーへもよく顔を見せる馴じみ客だった。大きな繊維問屋の娘で、おとなしい上品な顔立ちに似合わず、派手な社交好きの女だった。
(木屋町から先斗町へ抜ける路地。そう。彼女がよく出入りする店も、その界隈《かいわい》には二、三ある)
『ジャム』も、そうした店の一つだった。
(ジャム……)
と、思ったとき、英司は声をあげそうになった。
陽太郎を『ジャム』へ連れて行ったのは、英司である。特別な記憶はないが、もしかして、陽太郎に彼女を知るきっかけを与えたのは、自分ではなかろうか。会えば、彼女に挨拶《あいさつ》はする。そんなとき、陽太郎がいっしょだったとすれば……。考えられないことではなかった。
そして、その『ジャム』で、陽太郎は死んだのである。英司が連れていく以外に、一人で出掛けたことのないその店へ、はじめて一人で入った宵に。
英司は、知らぬ間に立ちあがっていた。自分で押しとどめられない力に動かされながら。
電話で面会を申し入れると、法本祭子《のりもとさいこ》はおどろいた様子もなく、「いいわよ」と言った。
「けど、いま家の者出払うて、留守番役やねんよ。よかったら電話で話して。日野さんのことね?」
英司は、息をとめた。
「ご存じ……なんですか?」
「なにいうてはるの。『ジャム』であなたといてはるとき、会《お》うたやないの。いまだからいうけど、うち、あのひと、かなわんし。道端で会うて、お茶二、三べんつき合うただけやのに、つきまとわはるのんよ。そりゃ、純情なひとやったわよ。けど、純情すぎるわよ。うちと会うてることかて、加田ちゃんにはいわんでくれいわはるし。照れくさいんやて。恥かしいうのよ。けど、あんなことになったやろ。きっと加田ちゃんが、なにかいうてくると思ったわ」
「どうして」
「加田ちゃん、勘いいから。うち、ひやひやしてたのよ。誤解されると困るしね」
「誤解?」
「だってそうでしょ。うちが歌やってるいうたら歌はじめるし、万葉集が好きいうたら早速勉強しはるしねえ。それも一生懸命よ。歌作っては送ってきはるの。八年間続いたのよ。ほとほと呆《あき》れるわよ。それでいて、人には知られたくないのよね。知られないですむ筈ないもの」
「ところが、知らなかったんですよ、おれ」
「そう? そうかもね。そういうところあるものね。けど、うちにしたら迷惑よ。彼がうちを好いてくれはる。それは彼の問題でしょ。ところが、うちも彼を好きなんやと本気で思いこんではるんやから。それがわかったのが今年。結婚してくれいわはるんよ。びっくりしたわよ。うちは、あんたが思ってるような素敵な女でも、いい女でもないって、いくらいうても聞かへんのん。恋人もいてるし、彼もいる。あんたには似合わない女やからて、口|酸《す》っぽうしていうたんよ。それでもええていわはるの。一緒に住んでくれたら、それだけでええ。なにしたかてかめへんて。うち、気味悪うなってな。もうそれしか手がないと思ったの。うちが、彼には、どんな不向きな女か、それを見せるしか。見せたわよ。|けもの《ヽヽヽ》のパーティ、見せたのよ」
「けもののパーティ?」
「ワイルド・パーティよ」
と、彼女は、言った。
「そういう仲間が集まってるところへ、日野さん連れて行ったのよ。そのくらいのことせんと、あの人、わかってくれへんもん。そして、言うたのよ。よう見てちょうだい。男も女もあらへんの。ここにいるのはみんな獣《けだもの》。獣になるのが好きな人間。住んでる世界がちがうのよって」
その翌日に、陽太郎は死んだのだった。
『黄泉《よもつ》軍女《いくさめ》』
陽太郎の激しい声が英司には聞こえた。猛然と投げ放たれて宙に舞う葡萄の実が見えた。その実を放って、いとしいものの住む国を立ち去らねばならなかった古代の男神のかなしみの姿に重なって。
彼は死を選んだ。
しかし、『盲たり』と言い断じて、この世界を去った陽太郎のめざす国が、『黄泉』の名を持つことに、あるいはせめてもの彼の救いがあったのかもしれない。
醜悪な女たちがそこには住んでいると、古事記は伝えているのだから。
英司は、そう思った。
京都は、師走に入っていた。あわただしいホテル業務も、しばらくは彼の手につかなかった。『よもついくさめ』 その言葉にこめた陽太郎の心が、英司のまわりを去らなかった。
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象《ぞう》 の 夜《よる》
謹賀新年
[#1字下げ]近ごろ象の夢をよく見ます。ほら、いつかお話した象。あれだと思います。すっかり棲《す》みついちゃって、夢のなかでわがもの顔。ときには、地響きをたてて、暴《あば》れ放題に荒れ狂います。今度お会いできる日まで、無事でおれるかしら。おしつぶされ、踏み殺されているんじゃないかしら。ほかには、とりたててご報告するようなこともありません。あなたは、どこで新しい年を迎えるのかしら。お仕事、うまくいってる?
一九八一年元旦
[#地付き]東京。  五都子
パリの高垣玄一郎から典彦に送られてきた手紙のなかに、その年賀カードが同封されていたのは、正月もすぎて、もう春先にかかったころのことだった。
玄一郎は、ごく簡単に新年の挨拶《あいさつ》を述べ、そのあとにこう記していた。
[#ここから1字下げ]
同封の年賀状、ご覧のごとく、五都子からのものです。ひまがあったら、一度|覗《のぞ》いてみてやってください。
小生、カメラに飽き飽きしています。困ったことです。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]放浪の徒より。
典彦には、五都子《いつこ》が玄一郎へ宛てて書いた年賀カードの文面も、またそのカードを同封して五都子を訪ねてくれと記した玄一郎の便りの意味も理解できず、何度も二つの紙面に眼をとおしてはみたが思い当たることはなく、小首をかしげた。
同じ都内にでもいれば、ともかくその足で顔を出してみることくらいはできたけれど、勤めを持つ身ではあったし、典彦は名古屋に住んでいたから、彼が東京の五都子を訪ねたのは玄一郎の手紙を受けとって半月ばかり後のことだった。
「まあ、めずらしい。お仕事?」
五都子は、マンションのドアを開けながら陽気に大手をひろげて、はでな声をあげた。
「何年ぶり?」
「渋谷以来だよ」
「そんなになる? じゃ、ここははじめてだった?」
「うん」
「まあ、そうだった?」
大げさにおどろいてみせ、見晴らしのよい応接ルームへ五都子は典彦を案内した。
「ウイスキー? ブランディ?」
「いいよ」
「なにがいいもんですか」
ジーパンに腕まくりをしたシャツ姿の五都子は、化粧っ気のない素顔のせいもあっただろうが、はしゃぎたつような声や身振りとはうらはらに、沈んだ冴《さ》えない肌の色が余計に目立った。
五都子の実家は渋谷の目抜き通りに大きなフルーツ・パーラーを経営していて、七階建てのビルの各階を貸し店舗にして瀟洒《しようしや》なショッピングセンターになっている。
大学時代に、玄一郎はこの高垣ビルの持ち主の一人娘、五都子と結婚し婿《むこ》養子に入った形になるから、本来ならば高垣の家業を継ぐべき立場だったが、彼は卒業と同時に写真家志望の道を歩き出した。もともと、それが玄一郎の入籍条件であったし、高垣の商売も五都子の両親がまだ健在であったから、将来は五都子が高垣ビルの経営をみるということで、二人の結婚は実現したのだった。
卒業後、五年近く、彼等は渋谷のマンションにいたが、玄一郎の名がぼつぼつ世の中に出はじめたころ、現在の吉祥寺へ移った。三人は同じ学部の同期生だったから、そのころまでは学生時代の延長で、典彦もしょっちゅう彼等の部屋に出入りしていた。
典彦が名古屋に転勤してから、そんなつき合いもいままでどおりには行かなくなり、また玄一郎が海外を歩きまわるようになって不在の多い時期にも重なり、典彦は東京へは何度も出てくるのだが、この吉祥寺のマンションへはまだ一度も立ち寄る機会もなく日がすぎていたのだった。
五都子は髪を梳《と》かしつけ、ごくさっぱりとした化粧を手早にすませたのだろう。三十代に入ったばかりの女の花やぎをいくらかとり戻した顔になって、あらわれた。
「電話くらいかけてくれればいいのに。そしたらもっとお洒落《しやれ》して、ご馳走《ちそう》つくって待ってたのに」
「いや、渋谷の店のほうかと思ってね。あっちへは電話したんだ。近ごろ、店には出てないっていうじゃない」
「そう。悪い娘よ。親不孝の仕放題って状態ね」
さばさばとした口調で言ってのけ、
「ともかく乾杯しましょうよ。うれしいわ、なつかしい人の顔見れて。どういう風の吹きまわしかしらね」
と、水割りのグラスをあげた。
典彦もグラスを合わせた。
「彼から年賀状きた?」
「ええ。アルジェで書いたのが届いたわ」
「今度は、なに写しに行ったんだい?」
「知らない」
「どこかの仕事?」
「さあ」
「さあって、君、そのくらいのことはわかってるんだろ」
「わからないの」
「へえ、えらく簡単なんだな」
「そう、簡単なの」
「ま、だいたいそういう人間じゃあるけどもさ……しかし、一年近くも家空けちゃうのに、仕事の内容くらい喋《しやべ》って行くだろうに」
「行かないの。そんな話、いっさいしないわ。わたしも、聞かないし」
「呆《あき》れたねえ。以前はそんなじゃなかったじゃない」
「そうだった?」
五都子は、こともなげに言って水割りを飲みほした。
「仕事、順調に行ってるんだろ?」
「さあ。どうかしら。あなたのほうがご存じなんじゃない?」
「おいおい」
「そりゃあね、コマーシャルの仕事なんか、いくつかしてるにはしてるようだわよ。でも、一本立ちの写真家なんて、とても言えないわね。そうでしょ? あなただって、あの人がここ四、五年、どんな仕事してるのか、わからないんじゃない?」
「けど、最初の個展や写真集なんかでぱっと評判あげちゃって、一時雑誌なんかでも名前見かけたりして、滑り出しよかったじゃないか」
「ほんの一年くらいはね。でも、そんな生易《なまやさ》しいもんでもないでしょ、プロの世界は。その後はご存じのとおり、鳴かず飛ばず。もとの無名時代に逆戻りってところじゃないの。でも、仕方ないでしょ、放っとくより。あの人、カメラしかないって信じて生きてる人だもの。わたしがとやかく口出しできる問題じゃないわ。なにを、どこに撮《と》りに行くのかしらないけど、それがあの人の人生だもの」
「じゃ、連絡先なんかは?」
「あったり、なかったり。今度の場合なんかはね、一応パリにあるにはあるの。安い下宿屋かなんか、そんなところじゃないかしら。でも、しょっちゅうそこにいるわけじゃないみたい。そこを連絡場所にして、あちこち出歩いてるんじゃない?」
「一人で行ってるのかい?」
「わかんない。年賀状だけは出したけど、彼の手に届いてるかどうか」
「頼りないんだな」
「そう。頼りないの。でも、馴《な》れちゃったわ、もう。わたしたちって、考えてみれば、独身時代なんてもの、なかったじゃない? いま、それ、とり戻してるのかもね」
「そんなものかねえ」
「そんなものよ」
五都子は、あっさりと言って、キャビネットの上の煙草をとりに立った。
「何年になるんだっけ?」
「え?」
「いや、君たちさ。一緒になって」
「十一年。おどろくじゃない? わたし三十一よ、もう」
と、五都子は笑って、急にその手を振った。
「よしましょうよ、こんな話。彼がいない間はね、わたし、彼のことすっかり忘れることにしてるの。彼だって、そうしてるだろうしね。さあ、飲みましょう。お料理つくるわよ。さっき電話しといたから。材料どっさり届く筈《はず》。あら、このチーズ、気に入って? もっとあるのよ」
典彦がたいらげてしまった燻製《くんせい》チーズを、キッチンから俎《まないた》ごと運んできて、テーブルの上で切りはじめた。そんな五都子の陽気なしぐさに、ふだんは独り暮らしの無聊《ぶりよう》をかこっているにちがいない彼女の淋《さび》しさがかえってうかがわれるようで、典彦は、もっとたびたび顔を出してやればよかったと、妙な反省心を強《し》いられたりもした。
典彦は、そのテーブルの上に、内ポケットからとり出した五都子の年賀カードを、黙って置いた。
五都子は、ふと眼をとめて、それを見た。
やがて手にとり、確かめなおし、けげんそうに典彦を見あげた。
「ちゃんと、届いてるよ、君の年賀状。彼から、僕に送り返してきたんだ」
「……どういうこと?」
「さあ。それが、僕にもわからない。これが彼からの手紙だ」
典彦は、玄一郎の文面も一緒に見せた。
「わかることは、海のむこうにいても彼は、すっかり君のことを忘れちゃいないってことかな。なにか、心配だったんだろう。僕に、様子を見てくれと頼んできたんじゃないのかな」
「………」
「彼の代りは、僕にはつとまらないだろうけど、とにかく気になってね、出かけてきたんだ。なにか、僕でできることがあったら、話してくれよ」
五都子は、しばらくその年賀カードを眺めていた。
やがて、不意に低く口のなかで笑った。くっくっと含み笑うような声をたてて顔をあげ、典彦を見たけれど、その眼はにわかに濡《ぬ》れはじめていた。
「象って、なんだい? 象の夢ってのは」
五都子は、笑っていた。
笑いながら、
「なんでもないのよ……ばかばかしい……つまらないことなの……」
と、言った。
言いながら、見るまに涙をあふれたたせ、ソファーに深く沈み込んだ。
「ばかね、あの人も……こんなこと、あなたに話したりしちゃって……」
「僕は、なんにも聞いてやしないよ。それを聞こうと思ってやってきたんだから」
五都子は一瞬、異様な声をあげて、顔をおおった。
笑い声とも、泣き声ともつかぬ、か細く鋭い声音《こわね》だった。
典彦は、あっけにとられて、そんな五都子を見まもった。
五都子がその日語った話は、典彦には不可解な部分も多く、確かに奇妙といえば奇妙な話であった。
五都子は、ちょっとしたレストラン並みの手のこんだ料理で昼食のテーブルを賑《にぎ》わせてくれた後、デザートを木彫りの盆にのせて運んできた。
「これ、わたしが彫ったのよ」
「うん?」
「このお盆」
「へえ」
それは、のどかな山野の農村風景をうまくあしらった素人ばなれのした工芸品になっていた。
「いい景色でしょ?」
「うん」
「近頃ね、手持ちぶさただから、そんなことはじめてるの。ほかにも、たくさんあるわ。それにね、その風景を探しに、あちこち旅に出るの、これがまた楽しいの。そう。そのお盆の風景をスケッチしたときの旅だったわ、ことの起こりは」
「ん?」
「厭《いや》ァね。象《ヽ》の話、聞いてくれるんじゃなかったの」
と、五都子は、とつぜん話しはじめたのだった。
「この東京を離れてね、縁もない、名もない村や山里を、スケッチ・ブック一つ抱えて歩いてまわるの。たのしかったわ。木彫りの景色だけを探してまわる。それしか頭にはないの。ほかのことは、みんな忘れて……あちこち、足のおもむくままに歩きまわるの。ほんとにこの世の憂《う》さを忘れたわ。有名な名所・旧跡、人の集まる観光地なんかじゃなくてね、ほんとに名もないひっそりとした村、小さな町、人に知られない山野。わたしね、日本全国の、そういう景色を、いろんな木彫りにしてみたいなって思ったの。わたしの心に感動を呼びさます風景、それを探して歩くの。素敵じゃない? 思い立ったら、矢も楯《たて》もなく、実行したくなっちゃったの」
五都子は、うなずいて、
「そう」
と言った。
「最初はね、玄一郎の心のなかが知りたくて……いえ、すこしでも彼の心が理解できはしないかと、あれこれ考えたあげ句に、思いついたことだったの。カメラ一つ持ってさ、半年でも、一年でも、平気で家を空けておれる彼……わたしには、そんな彼が、ふしぎでならなかったから。理解できなかったから。手持ちぶさたの、気まぎらしにはじめた木彫りが、ある日ふっと、そのことを思いつかせてくれたの。そう、わたしも、旅に出てみたらいい。彼のように、なにもかも放っぽり出して、忘れきって、ただ一つのものだけを探す旅に。それも、どんな探し物だか、出てみなければわからない旅。旅に出て、わたしの眼が、わたしの心が探してくれる探し物を、もとめて歩く旅。そんな旅に、わたしもこの身を置いてみたら、どこかで、彼が、彼の心が、いくらかでもわかるんじゃないだろうか。そう思ったの。そんなことが、思いつきのはじまりだったの」
五都子は、盆を手にとって、ニスを塗った木肌の上を指でなぞった。
その風景を思い出しでもしているような、おぼろな眼の色を見せた。
「はじめてみるとね、ほんとに心がのびやかに……洗われるような気がしたの。このマンションの部屋のなかで、どこへ行っても、なにをしてても、東京の見飽きた街が眼の下にある。それを眺めて暮らしている。あくせく思い屈して生きている。そんな暮らしが、旅に出ると、嘘《うそ》みたいに消えてなくなるの。なにか素敵な景色を一つ、この旅で見つけて帰らなきゃ。そう思うと、ほんとに一心、無心になれるっていうのかしら。楽しいのね。歩くことが、ほんとに楽しいの。なにもかも忘れきって、楽しいの。いつか、玄一郎に、そのことを話したわ。彼ね、軽蔑《けいべつ》しきったような眼で、わたしを見た。そりゃあ恐ろしい眼をしてね。『あほか。おまえ』そう言ったきり、また出かけて行っちゃった……」
五都子は、ふふ、と、口もとをほころばせて笑った。
「わたしにだって、わかってるわ。わたしの旅と彼の旅が、一つことに比べて比べられるものじゃないってことくらいは。彼の旅が、血みどろで、苦渋にまみれて、心魂すりへらして、消耗しつくす辛酸な旅だくらいは。だから、彼と同じことをやってるつもりなんか、わたしにありゃあしないのよ。最初は、すこしでも彼の気持がわかりゃしないかと思ってはじめた旅だけど、でもはじめてみると、わたしの気まぐれな旅は、とっても楽しいんだもの。心が和《なご》んで、生き返るみたいに、さばさばするんだもの。やめられなくなっちゃったの。わたしね、独りで笑ったわよ。やめられないってことだけは、彼もわたしも、同じなんだわ。それだけは、わたしもわかったんだわって」
「だって、そうでしょ」と、五都子は典彦に言った。
「そりゃあ彼には、カメラで探す世界は、真剣勝負。骨身をけずる、地獄の苦しみかもしれない。でも、探し当てれば、それはとたんに、楽しみにも歓びにも変わるものじゃない? その歓びや、楽しみがあるからこそ、苦渋にまみれることもできるんでしょ? わたしを捨てて顧《かえりみ》ない時間、彼は、その歓びや楽しみを探して歩きまわってる。そのことに変わりはないわ。捨てられて一人で放っておかれる時間、わたしにだって、わたしなりの楽しみが見つけ出せたら、これに越したことはないじゃない? 彼の迷惑になるわけじゃなし。そうでしょ?」
「まあ、わからんこともないね」
「そうよ。『あほか。おまえ』なんて言われる筋合いは、ないわよ」
五都子は、再び手彫りの盆に眼を落とした。
「この景色はね、Y県の山のなかを歩いてるときに見つけた農村の風景なの。この柿の木がね、そりゃあ見事な枝ぶりだったの。わたし、近くの農家でね、スケッチしたあと、お茶をよばれたの。話好きのお婆さんが相手をしてくれて、よもやま話に花が咲いたわ。そのときだったの。縁の鴨居《かもい》にね、古い布袋がさがってるの。それにね、もう墨の色はすっかり薄れてたけど、なにか文字が書いてあるのよね。わたしには、『申し子袋』と書いてあるように読めたの。申し子袋って、なにかしら。つい興味が湧《わ》いちゃってね、で、たずねたの。そしたら、その袋は粟《あわ》を入れて吊《つる》してるんだけど、申し子袋ってのは、ほんとうはお米を入れて、子授《こさず》け観音さまへお参りするときに持って行くものだっていうのよね。うちの嫁も、子供ができなくて、むかし何度もお参りしたことがある。そのときつくった袋の、残り袋だっていうの。赤ちゃん、生まれたんですかって聞くと、『ほれ、あそこにおりましょうがの』って、田んぼで稲刈りしてる四十格好のおじさん指さして、笑ってるの。いまでも、春の申し子祈願のお祭り日には、方々から人がお参りにくるんだって。そりゃあ霊験あらたかな『子授け寺』なんだそうなの。そんな話をしてくれたのよ。わたしね、急に、そのお寺に参ってみようかって気になってね。ほんとに、ふらふらっと、そんな気になっちゃったのよ」
と、五都子は、言った。
五都子が、そのことを告げ、寺の名をたずねると、農家の老婦は、おどろいたように、
――まあま、あなたも、お子がでけませんかの。
と、気の毒がり、
――そりゃあ、ええ機会じゃ。ぜひ参ってがええ。あの袋が眼にとまったのも、なにかの縁でありましょうで。
と、すすめたという。
「わたしも、そう思ったのよ」
と、五都子は、典彦に話した。
「毎年二月の初午《はつうま》の日に行われる春の子授け祈願のお祭りの日に、お参りして、特別な祈祷《きとう》を受け、その晩はお堂に泊まってお祈りするんですって。それがしきたりだけど、思い立ったが信心ですよって、お婆さんは言うの。わたしがいま袋を縫ってあげるから、筆も墨もうちにあるし、『申し子袋』と書きなさいって、言うの。うちのお米を一升一合三勺入れてあげるからって」
「一升一合三勺?」
「そうなの。それが、きまりなんだって。申し子袋にそれだけのお米を入れて、お灯明の蝋燭《ろうそく》と、線香を一束、お供物に持参するらしいのね。それを、みんな、お婆さん、揃《そろ》えてくれたの。わたし、思わず涙が出たわ。お金を払うって言うのに、どうしても、とらないのよ。子供が欲しい欲しいと思って、生まれない人の気持は、自分にはよくわかる。あのなさけなさは、その身になってみなけりゃわからないものだって、涙ぐんで話すの。
『これほどええ嫁に、なんで子供が生まれんじゃろうかちゅうて、わたしら、なさけのうて、地団駄《じだんだ》踏むような思いをしましたからの』そう言うの。生まれたときのうれしさは、ほんとにありがたかったって」
五都子は、言葉を切った。
「……身につまされちゃってね。わたしたちにも、子供がいたら、その子が、高垣の店を継いでくれればいいんだし……またそうするつもりで、わたしたち、結婚したんだから。父も、その腹づもりがあったから、わたしたちの結婚を許してくれたのよね。子供。欲しかったわ。いえ、わたしたちには、それはなくてはならないものだったわ。できないものはしようがないじゃないかって、玄一郎は言うけども、できなきゃ、わたしたちの結婚、どこかが完成されないで……その計画ちがいの部分だけが、いつまでもまちがいのまま尾を曳《ひ》いて……わたしたちの歯車を狂わしてく気がするのよね。どこかで、わたしたち、すこしずつ歪《ゆが》んで……その歪みが、すこしずつ大きくなってきて……計画どおりの人生は歩けなくなるんじゃないだろうか。そんな不安が、いつも心のすみにあるの。若さのいちばん旺盛な時期に、わたしたち、一緒になったんだもの。すぐにでも子供を生もうって、若い内に生みきってしまおうって、話し合って結婚したんだものね。父も、そしたら跡継ぎができて、安心するだろう。四方八方、万事がうまく行く筈だ。そう思って、出発したの。生まれる筈のものなら、とっくにもう生まれてなきゃならないのよね。病院にも行ってみたわ。強いて言えば、玄一郎のほうに、精子の弱い体質があるようだけど、それも欠陥とか異常といわれるようなものではない。あなたたちは若いんだから、十分に子供はつくれます。そう保証されたのよ。それで、できないんだから、なさけないわよね。
お婆さんの言葉じゃないけども、ほんとに地団駄踏みたいような思いの毎日だったわよ。だから、わたし、なにかこう……天啓みたいなものに打たれたような気がしたの。あなたは、迷信って笑うかもしれないけど、迷信だろうと、俗信だろうと、非科学的だと笑われようと、わたしは、ああこれだ、と思ったの。こんな形で、祈ることが残されていたんだわ。どうしてこれに、いままで気がつかなかったんだろう。しかも、その祈りの寺が、偶然とは言え、寺のほうから、わたしの前へとつぜん姿を現わした。ほんとよ。大げさでなく、わたしはほんとに、そんなふうに思ったのよ。
その見も知らない農家のお婆さんが、これもなにかの縁でしょうって言ったけど、ほんとにその縁をわたしに授けてくれる人のように思えたわ。だから、わたしは、ためらわず、そのお寺を、その足で訪ねたの」
秋の陽ざしのなかの野道をずいぶん歩いて、歩きくたびれてたどりついた山裾《やますそ》から、巨杉《おおすぎ》におおわれた乱れ積みの山道を、幾曲りものぼり継いだ山腹に、ひっそりとたたずむ小さな堂宇の寺だったという。
藁葺《わらぶ》き屋根の本堂と、傷みのひどい瓦葺《かわらぶ》きの護摩堂が、寄り添うように山門の奥の狭い境内にぽつんと建っていた、と五都子は話した。
それが、西慶寺という寺であった。
高垣五都子が西慶寺を訪れたのは、三年前の秋である。
土地の者たちに「子授け寺」とか「子授け観音」とかよばれているこの天台宗の小さな山寺は、五都子の話によると、どうやら古くからこの寺に伝わる聖天《しようてん》信仰に申し子祈願が結びついて、子授けの霊場となり、その種の祈願者たちによって現在までほそぼそとその命脈を保っている寺のようであった。
「ほんとに貧乏な田舎のお寺さんって感じなの。春のお祭りには、あちこちから参詣者があるって農家のお婆さんは言ったけど、それも数にすれば五、六十人程度のものらしいのね。知る人には知られているけれど、野に隠れた祈願の寺っていうのかしら……そんな印象が、わたしにはしたわ」
と、五都子は言った。
年寄った住職に祈願の仔細を話すと、快く引き受けてくれて、護摩堂に案内されたという。
「お籠《こも》りは、春以外にはお断りしとるんじゃがの。どうしてもお願いしたいという方が、さっきもこられての、お堂にがんばっとりなさる。その方も、遠方から見えたらしゅうてな、そいじゃま、お宿代りにお泊まりなさいと言うとったところですんじゃ。お連れができたのも、仏の縁。ご一緒に、ご祈願しましょういの」
「お願いします」
畳敷きの護摩堂には、住職の言うように先客がいて、地味な身なりの洋服を着た、もう四十近くに見える女だった。
「一人ぽつんと、お堂のまんなかに正座して、祭壇にむかって手を合わせてるの。どう見ても、もう中年のおばさんって感じの人なのよね。わたし、その人見たとき胸を衝《つ》かれたわ。この齢《とし》になって、まだ子供が諦《あきら》めきれないんだ。子供が欲しいんだ、と思うとね……その人に、子供が要《い》るどんな事情があるのかはわからなくてもね、ほんとにいま、この人には、子供が必要なんだ、なくてはならないんだという切実感がね、胸にじんじん突き刺さって伝わってくるの。かなしくってね……なんだか、むしょうにかなしくて、やりきれなくて、足がふるえたわ」
と、五都子は、述懐した。
祈願の法には、住職とその息子らしい二十八、九の青年僧が当たり、二人並んで着座して特殊な明呪《みようじゆ》をとなえる独特な読経なのだという。
二時間近くかかってその祈願が終ると、外はもう暮れはじめていて、ほの暗い堂内は蝋燭の明りだけが揺らいでいた。
住職は立ちあがり、
「このお堂のお聖天さまは秘仏でしてな、お祭りの日にしかご開帳はせんのですがの。お籠《こも》りには、一晩、このお厨子《ずし》の開いたお堂でお寝《やす》み願っておりますんでな、特別ですが、ま、お開きせんわけにもいきますまい」
と言って、祭壇にまつられた古い厨子の扉を開いて見せたという。
「象がいたのよ、そこに」
と、五都子は、典彦に語った。
それは、身の丈二十センチたらずの金銅仏で、歓喜天、聖天などとよばれる、人身象頭の仏であった。
頭部が象、体が人の、二頭の象人が、身を寄せ交し、はげしく抱擁し合っている立像だった。
「……玄一郎に話したら、おまえは、なんにも物を知らないって笑われたけど、わたし、ほんとにはじめて見たの、あんな仏さま。もう、びっくりしたわよ。あんなに淫《みだ》らな仏さまがあるなんて、思ってもみなかった。それが、しかも、顔は象でしょ。長い鼻に、長い牙《きば》。立ってからませ合っている体は、たくましい人身でしょう。二人というのか、二頭というのか……男身も女身も、二本の牙をむき出しにして、陶酔のさなかにある表情をうかべているのよね。官能の極致って姿の仏さまだった。なんとも奇怪でね……もの妖《あや》しくって、体がふるえて仕方がなかった」
住職は、
「この仏はの、もともと、男身が人々に害悪災難をもたらす魔王といわれとるのじゃけども、それを思いとどまらせようとなさっての、観音|菩薩《ぼさつ》が大慈悲心を起こされ、女天の姿になって魔王の性欲をわが身で充たしてやりなされ、その代りに、おまえは仏の教えを受けにゃならんのじゃと諭《さと》されて、それ以後、仏法の守護をつかさどる天身になったという、その姿を表わした仏ですんじゃ。合体仏の女身のほうは、じゃから、観音自在菩薩の化身ですわ。ですからの、本来ならば、この聖天仏は、災難払い、富貴のご利益《りやく》があるといわれたりしとりますがの。ま、ご覧のように、歓喜仏で、非常に官能的なお姿をしなさっとるでしょうがの。この性的なお姿が、どうもうちの寺では、子授けの信仰にご縁があるのでしょうな。むかしから、祈願のお籠りには、この仏の厨子を必ず開くということになっとりますんじゃ。まあ、この歓喜の力、合体の精気、この強大なお力にあやかり導かれますようにということでもありましょう。祈願の思いをこらして、どうぞお寝みなさいますようにな」
と、話して去った。
寺では、夕食まで心配して、握り飯に、野菜と揚げ物の煮《た》き合わせ、汁と香の物の膳をふるまってくれ、蒲団《ふとん》を二組ととのえて、五都子といま一人の中年女は、その夜護摩堂に一泊したのだという。
「ほんとのお籠りにはね、その護摩堂いっぱいにひろげられる大蒲団に入って寝るんだそうなのよ」
「泊まる祈願者全部がかい?」
「そうなのよ。一枚の大蒲団に、何十人もの人たちが一緒に入って寝むんだって」
「雑魚寝《ざこね》だな」
「そう」
「男も?」
「冗談言わないでよ。子供産むのは、女なんですからね」
「じゃ、男子禁制」
「当たり前でしょ」
「しかし、それにしても、おもしろい風習だねえ」
「わたしも、びっくりしたわ。でも、わたしたちは、なにしろ臨時のとび込みでしょ。普通の蒲団を用意してくださったの。だから眠れたんだけど、あの狭いお堂に何十人もがひしめき合って、一枚の蒲団に寝るなんて、とても眠ったりなんかできないわね。それに、私語厳禁。いっさい物は言えないの。ただ心に念じて、祈願一筋。静かにお寝みなさいって、申し渡されたわ。わたしね、春のお祭りの日のお籠りが、どんなに異様な一夜だろうかと、想像すると、ぞっとしたわ。押し合いへし合い、肌は接して、眠れはしない。動けもしない。みんな祈ってるわけでしょ。醒《さ》めてる間は、祈ってなきゃならないんだもの。物言わぬ、ただ一心、祈願に凝《こ》り固まった女たちが、沈黙の堂のなかに息をひそめて充ちあふれているんだもの。異様というより、恐怖だわよ。
そんなことは考えまい。祈りのほかには、雑念をいっさい払わなければならない。祈らなければ、祈らなければって思うんだけど、どうしても、そのお堂にひしめきあふれた女たちの姿が、うかんでくるの。気配や、息づかいや、布ずれの音なんかがね、消えてくれないの。いっしょうけんめい消そうとし、いっしょうけんめい祈ろうとし……もうくたくたになって……きっと、その疲れで、あれ、眠ることができたんだわ。お堂のなかはね、扉をしめて、蝋燭を消すと、真の闇。ほんとにまっ暗がりなの。どんなに眼を開けて見ても、なんにも見えないの。頭の上の祭壇にはあの仏さまがいる。そう思ってふり仰ぐんだけど、どんなに眼を凝《こ》らしても、見えないの。畳二、三枚はなれた隣りには、あの女の人がいる。その顔が見えないんだものね。闇に疲れて眠ったのかもしれないって気もするわ」
五都子が眼を醒ましたときには、もう連れの女はいなかったという。
「お堂の扉が、ほんのすこし開いていて、朝の光が流れ込んでた。隅に、蒲団がきちんとたたまれていて、たぶん彼女があげたんでしょうね。新しいお線香が煙っていた。わたし、あわててとび起きたわよ。よっぽど深く眠り込んじゃったのね。なんにも気がつかないんだもの。お堂を出て、庫裏《くり》のほうへご挨拶にあがったら、もう彼女は早く発《た》ったっていうの。結局、わたしは、その人と、一晩同じお堂に寝泊まりしながら、ろくに口も利かなかったわけよ。そして、わたしも、東京へ帰ってきたの」
五都子は、しばらく口をとざして、ぼんやりと窓の外へ眼をあずけていた。東京の市街地が眼下にひろがっていた。
彼女の指は、膝《ひざ》に置いた木彫りの盆の面をゆっくりと往《い》きつ戻りつしながら撫《な》でていた。
「明くる年の夏だったわ」
と、彼女は、言った。
「男の子が生まれたのは」
「え?」
典彦には、その言葉は、まちがって聞こえたのだとしか思えなかった。
彼は、束の間上体を起こし、すぐにまたソファーに背を戻した。
「来るって字を一字書いて、『来《きたる》』って名前にしたの。玄一郎がつけたのよ。キタル。待ちに待ったものが、来た。とうとうやって来た。そういう意味の名前なの。彼も、わたしも、躍りあがってよろこんだわ。夢じゃないか。夢じゃないわ。何度、来《きたる》に触り合って、頬《ほお》ずりし合って、そう言い交したか知れないわ」
「ちょっと待てよ」
典彦は、やにわにさえぎった。
「子供が……生まれたって?」
「ええ」
「君に?」
「そうよ」
「そんな……」
典彦は言葉をのんだ。
初耳だった。
「ごめんなさい。もちろん、あなたにも知らせる筈だったわ。よろこんでもらう筈だったわ。でも、ほら、思い出してちょうだい。一昨年の夏、あなた、アメリカに行ってたでしょ? 会社の研修で、三カ月、日本にいなかったじゃない。玄一郎はね、電報打とうって言ったわ。国際電話をかけたっていいって。でも、なんだか大げさな気がしてね。わたしたちだけが、勝手にはしゃぎ立って、大騒ぎしてるようで、気がひけたの。どうせ秋にはあなたは帰ってくるんだもの。それからだって遅くはないわ。帰ってきて、おどろかしてやろう。そういうことになったの。それに、わたしも彼も、なにしろ、来《きたる》に夢中だったし……てんてこ舞ってたしね」
五都子は、不意に眼をとじた。
「元気な子だったのよ。だから、信じられないの。急に様子が変になって……病院に走り込んだときには、もう危いって言うの。急性肺炎だって。その日のうちに、死んじゃったの」
「ええ?」
「……秋口に、真冬みたいに冷えたり、また夏に逆戻りしたり、変な天候だったのよね。クーラーの調節なんかも、ずいぶん気をつかってたつもりなんだけど。……たった三月《みつき》。三月と十日、来《きたる》はわたしたちのそばにいただけで、いなくなっちゃったの。お葬式も、赤ン坊のことだしね、内輪だけですませたし……気がついたら、あなたはもう名古屋へ帰ってきてた時期なのよ」
五都子は顔をあげ、典彦を見た。
「知らせられやしないじゃない。生まれました、死にましたじゃあ、あんまりなさけなくってさあ。来《きたる》は、もういなくなったんだから……もとの木阿弥《もくあみ》、すべてがむかしに返ったんだから、いっそこのままにしておこうってことになったの。隠してたわけじゃないの。切り出せなかっただけなの」
長い時間、それから二人は沈黙した。
やがて、五都子が口を開いた。
「お葬式がすんでね、間もなくしてだったわ。電話がかかってきたの。『あなたの来《きたる》坊やのことで、お話があるの』甘ったるい女の声がね、いきなりそう言ったの。場所と時間を告げてね、出てこいっていう呼び出し電話なの。名も名乗らずに、そして相手は電話を切った。それがね、あの女だったの」
「……あの女?」
「ええ。西慶寺の護摩堂にいた女」
唾《つば》でも吐くような口調で、五都子は言い捨てた。
典彦は、そんな五都子を見つめ返した。
どこかの部屋で、鳩時計が時を告げていた。
「東京駅の構内にある喫茶店だったわ。わたし、入って行くといきなり袖《そで》引かれて、振りむくと、中年の女がにこっと笑いかけるでしょ。ぎょっとしたわよ。最初、思い出せなかったの。いかにも気安げに、馴《な》れ馴れしそうに笑うのよ。気が狂《ふ》れてるんじゃないかと思ったわ」
五都子は、眉根のあたりをきゅっとしかめて、典彦がまだ見たことのない類いの険しい表情を束の間うかべた。
――お久しぶり。キタル坊やちゃんは? あなた、一人で見えたの? まあ、残念。坊やに会えるの楽しみにしてきたのに。でも、お見事ねえ。早速、的中。ご祈願なさった甲斐《かい》あったじゃない。羨《うらや》ましいわ。やっぱり、若い方はちがうのよねえ。
「わたし、あ、と思ったわよ。西慶寺。そうあのお堂で、一緒に寝た女だって、はじめて気がついたの。まるで顔おぼえていなかったのよね」
――呼び出したりなんかして、ごめんなさい。わたし、あんまり時間がないの。神戸にいてるもんだから。ちょっとキタルちゃんの顔見せてもらったら、すぐにトンボ返りするつもりだったのよ。だって、ほら、これ買い物袋。街にね、買い物に出た途中なの。急にね、キタルちゃんのこと思い出したら、もう会いたくて会いたくてたまらなくなっちゃってね、夢中で新幹線にとび乗ったのよ。一目あなたとキタルちゃんに会って、おめでとうが言いたくてね。あら、電話で言っときゃよかったわねえ。ぜひ坊やも一緒に連れて見えてって。ああ、残念ねえ。
女は、はでに身をもんで、くやしがって見せた。
「キタルちゃんキタルちゃんって、そりゃもう、のっけからほんとに気安そうに、あの子の名前を連発するのよ。わたしの身許《みもと》も、名前も、明かしたおぼえはないのに。それに、どうして、この人が来《きたる》のことを知ってるのか、わからなくてさ。気味が悪くてねえ。わたし、ぽかんとしてたわよ。お産の様子、体重、身長、髪の毛の色、母乳やミルクのせんさく、講釈、育児器具の会社はどこだの、玩具はどんなの、やれあのメーカーの製品はどうだのこうだの、赤ン坊部屋はどんな部屋か、どんなベッドに寝てるのか、朝は何時に眼を醒ますの? 夜泣きはするの? オムツは? 便は? そりゃもう根掘り葉掘りなの。来《きたる》のことをなにからなにまで、頭の先から爪先《つまさき》まで、細大|洩《も》らさず、それこそ舐《な》めるようにして聞くのよ。あげ句の果ては、やれ会いたいだの抱きたいだの。身ぶり手ぶり、思い入れたっぷりに身もだえるの。人を呼びつけにしといてよ、まだ名前も名乗らないでよ」
「じゃ、亡くなったこと、知らないで?」
「そうらしいのよ。そりゃまあ、わたしだって、気持はわからなくはないわ。同じお堂にお籠りして、赤ン坊祈願をした仲だもの。それに話の様子だと、彼女、日本全国を歩きまわって、子授け、子宝に恵まれる、神仏、霊場、温泉、占い・呪《まじな》い師……そういうところを、片っ端から、渡り次いでいるらしいのよね。それが、たった一度、はじめてお参りしたわたしに、奇跡みたいに来《きたる》が授かって、彼女はいまだにだめらしいんだから、彼女が羨ましがる気持は、よくわかるわ。お気の毒だと思うわよ。わたし自身、似たような思いを、八年してきてるんだもの。だから、なんだかのっけから異常な感じがする人だなあと思いはしたけども、それも子供欲しさの一念が、彼女をなりふりかまわなくしているようなところがあるのかもしれないと、わたしはできるだけ辛抱して、彼女の話につき合ったのよ。『来《きたる》は、もう死にました』いつそれを切り出そうかと、思い思いしながらね。なにしろ、それを話す間もないのよ。キタルちゃんキタルちゃんて、あの子のことばかりを、切れ間もなくのべつまくなしに喋るんだもの。喋りつめるんだもの。なにか変なのよね。普通じゃないの。不快なの。
もっとも、あの子の葬いをして間なしのころだったから、わたしのほうの神経も、正常だったとは言えないわ。来《きたる》のことは、忘れよう。諦めよう。産めることがわかったんだから、またチャンスに恵まれるかもしれない。そう言い聞かせて、泣くまい、歎《なげ》くまい、うろたえまいって、われとわが身を、なだめたりすかしたりして、あの子の死から立ち直ろうとしてた矢先のことだもの。それを、逆撫ででもするみたいに、キタルちゃんキタルちゃん、でしょ。いいかげん頭に血がのぼるわよ」
五都子は、不意に昂《こう》じてきた感情をやりすごしでもするように、言葉を切った。そしてふっと、その口もとで薄く笑った。
「でもね、ふしぎなのよね。いらいら、いらいらしてるうちに、急にわたしはその気になったの。この女に、聞かせてやればいい。聞きたがりにやってきているのだから。そんな気にね。そう。あの子が死んだなんてこと、話してたまるか。そう思ったの。どんなに来《きたる》が、いまも元気で、はつらつとして、素敵にかわいく、|やんちゃ《ヽヽヽヽ》で愛くるしく、すくすく育ってるか。わたしは、思いっきり吹聴したわ。手放しで、話してやったわ。そうしなきゃおれないような現われ方で、彼女はわたしの前に現われたの。話は、これからよ。もちろん、わたしは聞いたわよ。どうして、わたしに子供ができたのがわかったのかって。
『あら、わかるわよ、そんなこと』って、こともなげに言ってね、|に《ヽ》っと笑うの。その笑いの厭らしさって、なかったわ。氏子|帖《ちよう》で見たって言うの」
「氏子帖?」
「ええ。西慶寺にね、氏子帖っていうのがあるの。あのお寺で祈願して、子供の授かった者がね、お礼参りに出かけて、その氏子帖に生まれた子供の名前を書き入れるの」
「なるほど」
「わたしも、体が動けるようになったら、なにをおいてもそうしなきゃあって、いの一番にとんでって、お礼参りはしてきたわ。お寺と、あの農家のお婆さんちにね。だから、氏子帖を見たって言われれば、彼女が来《きたる》の名やわたしの住所を知ったことも、なるほどとうなずけたわよ。その後彼女が、また西慶寺に祈願の足を運んだんだなって、わかったから。
でもね、ひとしきり、キタルちゃんキタルちゃんて言いつめてから、彼女ひょいと時計を見て、『あら大変。もうこんな時間?』って、立ちあがったわ」
――ごめんなさい。ほんとに懐かしくってねえ、キタル坊やちゃんの顔が見たくてしようがなかったの。だって、一つお堂ですごした夜に、できた赤ちゃんでしょう。他人のような気がしないのよ。授かりものって、ほんとにあるのよねえ。それが、よくわかったわ。あのまっ暗闇のお堂のなかに、それを授けた力があったんだと思うと、わたしゾクゾクするのよ。あなたに坊やが宿った夜、同じ闇のなかでよ、すぐそばに、わたしもいたんだもの。神秘的じゃない? あなたとわたししか知らない秘密を、あの夜、わたしたち分け合ったんだって気がしない? わたしは、するの。キタルちゃんが、この世に生を享《う》けた瞬間に、わたしは立ち会ったって気がするのよ。今度、ぜひ、抱かせてちょうだい。お願いよ。
「彼女、そう言うとね、さよならとも言わないで、『列車に遅れる。まあ大変』て、あわてふためいて出て行ったわ。飲んだり食べたりした店の払いもしないでよ」
五都子は、ふと立ちあがって、窓ぎわまで歩き、また戻ってきて、テーブルの上の煙草に手をのばし、抜きとった煙草を口へ運ばずに、手のなかで握りつぶした。
「そんなことは、どうでもいいのよ。わたしが、ぞっとしたのはね、帰りぎわに彼女が残した言葉。その言い草。いえ、その場で、それに気づかなかったわたしの迂闊《うかつ》さ。そのことなのよ。そうでしょ? よく考えたら、彼女、とっても変なことを言ってるでしょ? 確かに、いくつか、奇妙なことを言ってるわよ。そう思わない?」
典彦は、無言で、五都子を見た。
「いいこと? こう言ったのよ」
と、五都子は、確認するように女の言葉をくり返した。
※一つお堂ですごした夜に、できた赤ちゃんでしょう。
「こうも、言ったわ」
※あなたに坊やが宿った夜、同じ闇のなかでよ、すぐそばに、わたしもいたんだもの。
「まだあるわ」
※キタルちゃんが、この世に生を享けた瞬間に、わたしは立ち会ったって気がするのよ。
「どうしてわたし、こんな言葉を聞きすごしていたのかと、あとになって気がついて、身がふるえたわ。そうでしょ? 来《きたる》が、わたしのお腹のなかへ宿ったのは、西慶寺のお堂に籠った夜じゃないわ。そりゃあ、西慶寺のご利益がきっとあったんだと、わたしは思ってるわよ。祈願の思いが、通じたんだ。叶《かな》えられたんだって。そんな神秘な力は、彼女も言うように、確かに信じたいわ。信じる気持にも、なれるわ。でも、来《きたる》は、玄一郎とわたしが、二人でつくった愛の結晶。玄一郎がいなきゃ、わたしのお腹に宿ったりはしない子でしょ? 来《きたる》が、|この世に生を享けた瞬間に《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、どうして彼女が立ち会えるのよ。
『あの夜、できた』『あの夜、宿った』『あの夜、来《きたる》は生を享けた』『わたしは、その現場に立ち会った』――彼女は、そう言って帰って行ったのよ。いいえ、わたしには、わざわざそれを告げるために、彼女は神戸から出かけてきたんじゃないかしら、とさえ思えたわ。
これは、いったいどういうこと? どういう意味? そんな疑問が湧いてくると、急に頭に血がのぼったわ」
※あなたとわたししか知らない秘密を、あの夜、わたしたち分け合ったんだって気がしない? わたしは、するの。
「そう言った彼女の言葉が、聞き捨てにならないことを言ってるようで、吐き気がしたの。すると、その日のなにもかもが、彼女に感じた不快な気持の一から十まで、彼女の言動の一つ一つが、すべてなにか意味ありげで、含みありげに思えてきて、わたし腹に据えかねたのよ。なぜ、彼女を、あのまま帰してしまったのか。言いたい放題なこと言わせて、どこの何兵衛かも聞かずにすませた自分に、腹が立ってならなかったわ」
「……それから、一週間くらいしてだったかしら」と、五都子は、言った。
「また電話がかかってきたの」
典彦は、なんとなく身じろいだ。
二人の女の奇妙な確執劇には、口のさしはさめないようなところがあった。
そして現実に、耳のなかで、その電話のベルは聞こえているように思えた。
「あなたは誰? 名を名乗りなさいって、どなってやったわよ」
と、五都子は、言った。
「けらけら笑うのよ」
神戸の女は、けらけら笑って、
――キタルちゃん、お元気?
と、話しかけてきたと言う。
――いいのよ。誰にも喋りゃしないわよ。言ったでしょ? あなたとわたしの、秘密にしといてあげるわよ。
「なんのこと?」
――あら、白ばくれなくてもだいじょうぶよ。わたし、あなたの家庭に波風立てたりするつもりなんかないんだから。人さまの家庭の平和を、妬《やつか》んだりするような女に見えて? そんなに腹黒くはないわよ、わたし。ただね、そのつもりになれば、わたしには、あなたがいまつかんでるしあわせ、それをいつでもぶちこわせるんだってこと。そのことを、あなたに知っててもらいたかったのよ。だってそうでしょ。そのくらいのハンディは、あなたにかぶってもらわなきゃ。あなた一人が、なにもかも、いいことずくめじゃ、不公平よ。それはちょっと、虫がよすぎやしないかしら?
「いったい、なんの話をしてるの? どういうこと? はっきりおっしゃい」
――まあ怖《こ》わ。いいの? そんな大きな声たてて。旦那《だんな》さま、いらっしゃるんじゃない?
「ちょっと。いいかげんにしてちょうだい」
――あらあら。坊やが起きるわよ。そんなにうろたえなくていいわよ。静かに話しましょ。話すつもりでかけたんだから。いえ、話しとかなきゃ、わたし一人が割り食っちゃうの厭だもの。それじゃあんまり、あなただけがいい子になりすぎない? いいこと? よくおぼえててちょうだい。あの夜のこと、わたし、知ってるのよ。だって、彼は最初、わたしのお蒲団に入ってきたのよ。
「ええ?」
五都子は、息をとめた。
――厭ァねえ。そんなにおどろくこと、ないでしょ。あなたは、たっぷり堪能《たんのう》して、おまけに待望の祈願成就。かわいいかわいい玉のような子まで授かったんだから。でも、誤解しないでちょうだい。さっきも言ったけれど、わたしはそれを、妬《ねた》んだり嫉《そね》んだりしてるんじゃないのよ。わたしのような|おばあちゃん《ヽヽヽヽヽヽ》より、若くて美人のあなたのほうが、彼にしたって、そりゃあいいにきまってるわよ。だから、彼が、わたしだとわかって、すぐに手をひき、途中でひきあげてったのも、無理ないとは思うわよ。そして、あなたのほうに移ったのも、当然だと思うわよ。それは、ごく自然なことだし、お似合いだとも思ってるわ。でもね、思ってはいるけどもね、許せはしないわ。一度わたしに触れといて、逃げ出したのが、許せないの。あなたのほうへ移ったから、許せないんじゃないのよ。あなたを抱くつもりの男が、わたしに触れたってことが、許せないの。あなたと、わたしを、まちがえたってことがね。恥ずかしくって、なさけなくって、もう消え入りたいようなみじめな思いを、わたしはしたのよ。赤ン坊祈願のお参りに籠ったお堂で、そんな思いをさせられたのよ。黙っておれる? 忘れてしまえる? そんなこと、できるもんですか。できないってことを、あなたに、知っててもらいたいのよ。わたしは、誰にも喋りはしないけど、あなたにだけは、知っててもらうわ。あなたのしあわせ、家庭の平和、それはわたしの気分一つで、いますぐにでもひっくり返る。打ちこわせる。それができる人間が、ここにいるってことを、あなたは一生、心のなかに刻み込んでおいてちょうだい。そのくらいの負担は、あなたに背負ってもらわなきゃ、わたしの気がおさまらないの。同じお堂に、同じ祈願で、お籠りして、一夜をすごした者同士でしょ。あなたの夜と、わたしの夜が、こんなにちがっていい筈はないでしょう? フィフティ・フィフティ。それが、あなたに言いたかったのよ。
「そう言うのよ」
と、五都子は、典彦へ訴えた。
「そして、またあの厭な声でけらけら笑って、電話を切ろうとするじゃない。呆れて物が言えないわよ。冗談じゃないわ。お待ちって、わたしも逆上したわよ。『彼《ヽ》、彼《ヽ》って、あなたは言うけど、その彼《ヽ》ってのは、いったい何?』て、たずね返してやったわ」
神戸の女は、ふと忍びやかに笑って、
――とぼけなくったっていいでしょ? あなたにだって、わかった筈よ。あんなに若くて、旺盛で、はずみきったバネのような筋肉を持った男。そんな男が、ほかにいて? あのお寺に。
と、言ったという。
「じゃ……」
「そうなのよ。西慶寺の住職の息子さん。二十七、八くらいの、無口な青年だったけど……どうやら、その人のことを、彼女言ってるらしいのよね。そりゃあ、衣に袈裟《けさ》姿もよく似合って、凛々《りり》しい感じのお坊さんだったわよ。だからって、あなた、言うに事欠いて、なんて女なんでしょうね。あの息子さんに、そんな……ありもしない濡れ衣を……。わたしはもう、あいた口がふさがらなかったわ」
――ふふふ
と、神戸の女は、不意にまた忍び笑って、
――でも奥さん、いいじゃないの。あのお厨子の仏さまがくださった夜だもの。若い人が、見さかいつかなく物狂うのもわかるわよ。妖しい気分になったって、ちっともおかしかないわよ。それが、若さっていうものよ。あの象の仏さまの、それが妖しい法界なのよ。安心なさい。あの夜のことは、わたしが知ってるだけだから。
そう囁《ささや》いて、彼女は、電話を切ったという。
すこし日がたち、忘れたころになると、電話はかかってくる。そのたびに、神戸の女はすこしずつ、大胆に、鮮明に、露骨なしどけなさを増して、一つの堂宇の闇の深みでくりひろげられた欲情の若々しく、秘めやかで、淫蕩《いんとう》な光景を、描写しはじめるのだという。
「信じて。そんなことは、なかったのよ。ぜったいに、なかったわ」
と、五都子は、典彦に語った。
「来《きたる》は、玄一郎の子よ。そのことに、決してまちがいはないわ。でも、なぜかしら。ときどき、ふっとね、湧いてくるの。玄一郎じゃない男の……肉体の感触が。そう。そんなとき、わたしは、立ちどまって、振り返りでもするみたいに、うしろを透かし見ている自分に、気がつくの。遠い西の国にある野深い山あいの一つのお堂、その暗闇の奥を見つめている自分に」
「よせ」
と、典彦は、言った。
にわかに、さえぎるようにして口から洩れて出た声だった。
「そう。やめたい、と、思うのよ。でも、どうしたら、とめられて? わたしの夢のなかに出る、あの巨《おお》きな生き物を」
典彦は、立ちあがっていた。
しかし、立ちあがってみたところで、それは無意味な動作でしかなかった。その先の行動が彼には思いつけなかったから。
彼の眼は、テーブルの上に投げ出されている一枚の年賀カードを、見おろしていた。そこへ帰って行くしかない視線であった。
謹賀新年
[#1字下げ]近ごろ象の夢をよく見ます。ほら、いつかお話した象。あれだと思います。すっかり棲みついちゃって、夢のなかでわがもの顔。ときには、地響きをたてて、暴れ放題に荒れ狂います。今度お会いできる日まで、無事でおれるかしら。おしつぶされ、踏み殺されているんじゃないかしら。ほかには、とりたててご報告するようなこともありません。あなたは、どこで新しい年を迎えるのかしら。お仕事、うまくいってる?
一九八一年元旦
[#地付き]東京。  五都子
[#改ページ]
破魔弓《はまゆみ》と黒帝《こくてい》
松宮家の古いサン・ルームから応接間へむかう長いトンネルのような廊下の壁には、四枚の額縁絵が掛かっていた。
一枚一枚はそう大きなものではなく、有線七宝とよばれる、銀線で絵柄を造形した銅板面に釉薬《うわぐすり》を埋めて彩色した、七宝焼きの手のこんだ工芸品である。
画材は、中国の古い神話に登場する四人の帝王を独特な唐様装束で一体ずつマチエールにしたもので、青帝、炎帝、白帝、黒帝の順で額はかかげられていた。
この中国の四帝は、それぞれ東、南、西、北を治《おさ》め、また四季を司《つかさど》る皇帝でもあって、青帝は春を、炎帝は夏を、白帝は秋を、黒帝は冬を支配する神といわれている。
松宮家の廊下の焼き物絵も、無論この四季を司る皇帝神の名にふさわしい四つの基調色に焼きわけられていて、ガラス質のけんらんたる彩色をちりばめたインテリアにもなっていた。
青帝は無数の微妙な色ちがいの青に、炎帝は無数の赤に、白帝は無数の白に、そして黒帝は無数の黒にいろどられ、それぞれ華麗な宝石の肌を覗《のぞ》きこむような奥深い輝きを湛《たた》え、鉾《ほこ》や、神鞭や、笏《しやく》や、剣を手にかざした異装の古代神たちだった。
昨年の梅雨あけのある日曜日の早朝、松宮家は一人息子の栄雄の仕事場から火を出して、明治の名残りをとどめる和洋折衷の古い建物の一部を焼き、その折の騒動で、この四枚の七宝焼きも二枚は火を浴び、一枚は半損壊して、水びたしの廊下に散乱した焼け跡の家財道具類のなかからこなごなの破片となって、残骸《ざんがい》が発見された。
そうしたなかで、ふしぎなことに一枚だけが、焼け残った壁面に元通りの姿で掛かったまま生き残り、ほとんど原形を損われることもなく無瘡《むきず》の状態を保っていた。
焼け残った皇帝は、光のかげんで多彩な花やぎを内に秘めた黒曜石のような釉肌に衣のひだのはしばしまで繊細な網目のように埋めこまれた銀線が鈍色《にびいろ》の光を放って描き出す冬の司神像、黒帝であった。
軍装とおぼしき唐甲冑《からかつちゆう》に身を鎧《よろ》い、剣をつかんだ闇黒の雄勁《ゆうけい》な立身像である。
明治の時代から松宮家の廊下を飾っていた四帝が、この火事でそのうちの三帝を欠き、黒帝だけが後に残った。
それは、たんなる災禍が残した偶然の現象ではあったけれど、いま振り返ればなにか暗合めいて、ある見えないものの支配の手《ヽ》を感じさせるできごとだったという気がしないでもないのであった。
松宮家にしてみれば、むかしの家業の形見《かたみ》ともいえる貴重の品が、せめて一点だけでも焼失の難をまぬがれたという安堵《あんど》の思いや、僥倖《ぎようこう》をよろこぶ気持以外には、当時誰も、それがほかの皇帝ではなく、|黒帝だった《ヽヽヽヽヽ》ということに特別な関心をはらう者はいなかったけれど。
黒帝が残った。
確かにそれは、ある意味で象徴的な事柄だったかもしれないと、野間征太郎は近頃、ふと思ってみることがあった。
冬の皇帝。
冬。
その暗示が、心をはなれないのであった。
野間征太郎が栄雄とはじめて出会ったのは、三年ばかり前である。
あるデパートが催したクラフト展の会場で、彼は手鏡を一つ買った。鏡の縁や柄や背面にちりばめられた七宝細工の装飾がなんとも美しかったので、思わず手にとったのである。
代金を支払うとき、売り場にいた女の子が、そばの若者をつかまえて、
「彼の作品ですのよ」
と、言った。
腕まくりしたジャンパーに洗い古したジーンズを無造作に身につけた若者は、
「どうも」
と、ぼそっと口のなかで言い、無愛想に頭をさげた。
その頭が丸坊主に刈りあげられているのも印象的だったが、頑丈な体躯《たいく》や身なりの構わなさが、華麗な手仕事の工芸品とはうまくつりあわなくて、栄雄はむしろどこかの飯場か工事現場にでもおいたほうが似合いそうな若者に見えた。
そんな意外感が征太郎の興味を惹《ひ》き、ちょっとの間、その若者を相手に立ち話をした。もっとも、栄雄はそっけないくらいに無口で、七宝焼きのことについてほとんどかわりに喋《しやべ》ってくれたのは売り場にいた女の子のほうであったけれども。
その催しは、若手の工芸作家たちの作品展示即売会で、松宮栄雄は当時まだ美大の学生だった。
征太郎が、七宝焼きをドラマの骨子にした劇作を考えはじめたのは、この頃のことである。
紀元前三〇〇〇年のむかしからすでにエジプトでつくられはじめ、ヨーロッパ中世のキリスト教美術の花形となり、その神秘的な光と色の輝きが宗教美術の精神性をいっそう深め、国家権力とも結びついて、キリスト教を背景に、ビザンティン、ロマネスクなどの美術史上を飾り、ことにフランスを中心に芸術としてさまざまな複雑多彩な技術や技法があみ出された。
東洋にも、ペルシャ、シルクロードをへて中国へ入り、朝鮮から日本にもたらされたのが奈良時代であったという。異国美あふれるきらびやかなこの芸術が、日本国内でたどった消長の歴史も興味深く、室町、安土桃山、江戸、明治と、そのときどきの文化・伝統芸術とあるいは結び、あるいは離反して、盛衰をかさねながら現在にいたっている長く古い美の系脈やその道すじには、どんな人間たちのドラマがあっただろうか。
七つの高貴な宝石の輝きをその一身にそなえているといわれるほどの美しさがあるところから、『七宝』と命名された芸術である。この芸術と関わりを持った人間たちの歴史ドラマ、そんなのもいいではないか。
正倉院の御物、室町・安土桃山時代の金工師たち、江戸幕府お抱《かか》えの七宝師、天保期に独特な技法を工夫した鋳金師が出たところからいまも「七宝村」と呼ばれているという尾張の村、明治に入ってにわかに高度の西洋技術や釉薬の進歩で飛躍する七宝界……などなど、作劇欲をそそる材料はいくらも見つけ出せそうだった。
一枚の手鏡がきっかけで、ふと思いつき、湧《わ》いてきた創作欲であったけれど、なにかできそうだという気はした。
しかし、野間征太郎は、現在かなり売れっ子の劇作家である。テレビなどでもさしあたって消化しなければならない注文作品が目白押《めじろお》しで、それをかたづけて行くのが手いっぱいという状態だったから、いますぐとりかかれる仕事でもなく、七宝はすこしずつひまをみて調べることにした。
そんな具合にあたためている材料は、七宝に限らずほかにもいくつもあったから、彼が特別に七宝について熱心に取材をはじめたというわけではなかった。
だが、とにかく彼の材料ノートに七宝という文字が書きこまれたことだけは確かであった。
そんな仕事の合い間合い間にはじめた材料調べであったが、征太郎は折にふれ、実地にかなりな七宝業者や作品にもあたって歩いていた。
京都の古門前通りに並ぶ骨董《こつとう》商のうちの一軒・遊古堂で、豪華な電気スタンドを見せられたのも、そんな渉猟のなかのある日のことだった。
たいへん凝《こ》った細工のほどこされている洋風なスタンドで、その台座が見事な七宝装飾でおおわれているのはすぐにわかった。
「これが、逸品ですのや。ま、見ておみやす」
と、主人は言って、そのスタンドに電気を入れてみせた。
大きな花文様のシェードに灯《ひ》が入ると、スタンドは眼のさめるようなあでやかな光彩につつまれた。
「どうどす? 絹や紗とも一味ちごうた、なんともいえんぼんじゃりした気分が、ありまっしゃろ。あたりが、パァッと花めいて……この薄い薄い笠《かさ》のかげん、見とおみやすな。花柄《はながら》散らした和紙みたいどっしゃろが。いや、和紙では、こんな明るさは、とても出まへん」
「はあ?」
と、征太郎は、思わず聞き返した。
「すると、あの……この笠は」
「そうどっせ。ぜんぶこれ、七宝どっせ」
「笠の……この、布張りがですか?」
「布やおへんがな。これは、ぜんぶ、七宝張りですがな」
征太郎は、眼をみはった。
まるで紗張りの笠のように光を透かすシェード全体が、七宝でつくられているのだという。
七宝にはそんな技術もあったのかと、舌をまいた。
「ま、この|て《ヽ》の笠やぼんぼりなんかは、ほかにもおすけど、ちょっとこれほど出来のええのは、めったにお目にかかりまへんな」
その折、主人が洩《も》らした話が、征太郎と栄雄の縁をつくったということができる。
「誰の作いうて、はっきりしたことはわかりまへんけど、ま、松宮はんのものでっしゃろな」
「松宮……?」
「へえ。京都の古い七宝屋はんどす。というても、もう店はおへんけどな。明治のなかばに、絶えたんどす」
征太郎は、このとき、松宮という名をどこかで聞いたという気はしたが、すぐには手鏡の若者とかさならなかった。というよりも、手鏡の若者の名は、もう忘れてしまっていた。
「そりゃあ腕のええ七宝残してる人ですけどな。なんでも、人に殺されはったとか、殺したとか……そんな話がおしてな」
いきなりだったので、ちょっと征太郎はあっけにとられた。
「人殺し……ですか?」
「へえ。なんや、そんなこと、聞いてますなあ。まあ、むかしの話やさかい、詳しいことは知りまへんのやけど」
商売柄、征太郎が、こんな話をやりすごすはずはなかった。
「よろしかったら、その話、もうすこし聞かせてもらえませんか」
「いやいや。これっきりどすねん。わたしも、死んだ親父にちらっとそんなこと聞かされたのおぼえてるだけでな。ほかには、なんにも知りまへんのや。とにかく、七宝の松宮いうたら、江戸時代からの古い暖簾《のれん》がありまっさかいな。明治になって、それを一まわり大きうしはったのが、このシェードをつくった松宮はんどすねん。この人が、いちばん腕のたつ職人芸を残してますわ」
「じゃ、職人であり、店の主人でもあったわけですか?」
「そうですねん。そりゃあ大きな商い、してはったそうやから。商才も、抜群やったんやろな」
「もちろん、ほかにも職人たちが、たくさんいたわけですね」
「そりゃそうでっしゃろ。ぎょうさん抱えていやはったやろ」
そんな老舗《しにせ》の大店《おおだな》が、ある日とつぜん絶えたというのも劇的だったが、その原因が殺人|沙汰《ざた》だったというのがもっと征太郎の好奇心をそそった。
「どのあたりにあったんですか、その七宝屋さんは」
「店はもうのうなってるけど、家なら、鷹ヶ峰にありまっせ」
「え? あるんですか?」
「へえ。子孫はいまでも残ってはるから、鷹ヶ峰の、紙屋川へおりた向うっぺたにな。確かいまでも、あるはずでっせ。後の代がお料理屋はんはじめはって、えらい盛《も》りたてはってな。一度は傾いた軒も、商売替えして、立派に起こさはった。木屋町すじに店も構えてはるけどな、もともと住まいは、紙屋川の奥にあるいまの屋敷がそうなんや」
征太郎は、このとき聞いた遊古堂の話が心に残り、どうしてもその屋敷を一度訪ねたいと思った。
ほかの業者や、七宝商たちにも、それとなく殺人沙汰のことは聞いてまわったが、知らない者のほうが多く、なかには病死というのがあったり、心中というのもあって、いっこうに要領を得なかった。
「心中?」
「はあ。女のもめごとで、家つぶさはったんとちがいますか」
「どういう心中だったんですか?」
「そんなん、知りませんがな」
とか、
「病死いうのは、奥さんのほうでっしゃろ」
と、言う者もいた。
「そないに聞いてまっせ。寝たり起きたりしてなはって、ま、そんなことから、女の出入りがあったんとちがいますか」
「じゃ、その女性と心中を……?」
「さあ、そこまでは知らへんのやけど」
と、いった具合で、松宮東助という明治の七宝職人の死は、きわめてつかみどころがなかった。
征太郎は、当時の新聞記事なども日時をかけて調べてみた。だが、松宮東助の死を記録しているものは見つからなかった。
ほかの仕事をするかたわら、すこしずつ集めておくつもりではじめた七宝調べであったが、気がついてみると、征太郎は、知らぬ間に、松宮東助の死に足をとられているようなところがあった。
その頃から、京都にくると彼の足は、しぜん鷹ヶ峰から千束町を下ったあたりの川ぞいの道へむかうことがままあった。
谷あいをながれる川にそって山裾《やますそ》に構えられた住宅は、閑静な環境にふさわしく、瀟洒《しようしや》なものが多かった。
「松宮」と表札をかかげた門構えが石積み段の上にあるどっしりとした家は、煉瓦と木造建築がうまく溶けあった古い風《ふう》あいのある建物だった。
征太郎が、その門から石積み段をおりてくる若者に出会ったのは、桜の時季が終った頃で、一枚の手鏡を買った日から数えれば一年ばかりがすぎていた。
ジーパンに下駄ばき姿のその若者を見たとたん、征太郎は「あ」と声をあげた。
そのときまで、彼がデパートの展示売り場で「松宮栄雄」と名乗ったことを、征太郎は忘れきっていたのである。
若者は、相変わらず、頭を丸坊主に刈っていた。
栄雄は、白布に包んだ釉薬の塊りを鉄板《じようばん》のうえに据え、布越しに金槌《かなづち》で叩《たた》きながら砕いていた。フリットとよばれる釉薬の結晶体で、色つきの氷砂糖のようなガラス状の塊りである。
征太郎は、いつもこの仕事場に入ると、桜の終った時期、栄雄にはじめて招じ入れられた日のことを思い出した。
「おどろいたなあ。君が、あの名七宝師・松宮東助さんの身内だなんてねえ……とすると、曾《ひい》お祖父《じい》さんくらいになるのかな?」
「いえ。四代前だから、曾々祖父です」
「しかし、やっぱり、血は争えないんだねえ」
「そんなご大層なもんじゃありません。ほかに、すること思いつかんし……ま、仕方なくやってるみたいなもんですよ」
栄雄は、曾祖父が起こして現在までつづいている料理屋の家業が肌に合わないらしく、継ぐつもりはない、と言った。そのためにも、なにか仕事を身につけなければと思ったが、適当なものがない。子供の頃から、よく蔵のなかへ入って古い七宝道具なんかをいじって遊んでいたし、そんなせいかもしれないと、説明した。
「つまり、なまけ者なんやろな。手近なところに、そんな道具が転がってたから、いじってるうちに、こんな具合になっただけです」
ぼそっ、ぼそっと、あまり感情を見せない声で、彼は話した。
この仕事場も、高校時代に彼が自分で勉強部屋を改造したのだという。
広い屋敷は森閑として、まるで人気《ひとけ》がないようだった。それをたずねると、両親は店のほうに寝泊まりして、休みの日にしかこちらへは帰ってこないし、彼のほかには家政婦の婆《ばあ》やがいるだけだ、と答えた。
「京都、よくきはるんですか?」
「ん? うん。まあね」
「よかったら、いつでも泊まって下さい。部屋なんぼも空いてますから」
言葉がとぎれると、川のながれる水音や、裏の竹林の葉ずれのそよぎが、はっきり聞こえた。
あの日も栄雄は、仕事台にむかい、レモン色や、ルビー赤や、翡翠《ひすい》や、紫や、白のフリットを、色分けした広鉢に盛りあげて、すこしつかんでは白布にくるみ、根気よく砕いていた。この結晶体がオーブンの火で溶けて、華麗な変貌《へんぼう》の身を見せるのだ。
「七宝、好きですか?」
「うん。すばらしい芸術だと思うよ」
「素人《しろうと》さんじゃありませんね。松宮東助の名前、知ってはるんだから」
「いや、まるで素人ですよ」
と、征太郎は応《こた》えた。
そして身分を明かし、七宝を調べていること、調べているとあちこちで東助の名声に触れ、東助を抜きにして明治の七宝は語れないという気がしてきたこと、そのためにもぜひ東助の身辺が取材したいと思うようになったことなどを話し、ほかにも七宝についていろいろ教えてもらいたいし、力になってほしいと頼んだ。
栄雄は、途中で一度振り返りかけたけど、その顔をもとにもどし、ふたたび手もとに眼を落として、作業の手はとめなかった。
「……そうですか」
と、べつだん声の調子も変えずに返事した。
「じゃ、ここへみえたのは、通りすがりの偶然じゃなかったわけだ」
「いや、いきなりぶっつけでとびこむのも、なんとなく気がはばかられてね……それに、君の家だなんて思ってもみなかったから。そうとわかれば、もっと早くにあがったのに」
「名声だけじゃないんでしょ」
と、栄雄は無造作に、言った。
「ん?」
「松宮が、なぜ七宝屋をたたんだか。それが知りたいわけですね?」
栄雄は、征太郎の返事も待たずに、「うん」とひとりでうなずいて、みじんに砕けたフリットを受け皿のなかへあけた。涼しげなこころよい音がした。
「あなたは、運のいい人だ。親父やお袋に、そんな話持ちこんでも、なんの役にも立っちゃくれませんよ。七宝の知識なんて、まるでない人たちだから。それに、東助のことだって、なにひとつ知っちゃいませんから。そうでしょ? うちはもう、七宝屋でなくなって三代、代が替わってるんですよ。七宝とも、東助とも、無縁な暮らしを、あの人たちはしてるんだから」
「そう」と、栄雄は、もう一度うなずいた。
「僕に会えて、よかったですね。あなたは、いい人間を選んだわけだ。お力になれるかどうか、わからないけど、僕の知ってることは、お話しましょう」
栄雄は、そう言って、細工台を立ちあがった。
薬品の壜《びん》類などがぎっしりつまった大きなガラス戸棚の下の開き戸をあけ、彼は床に膝《ひざ》をついて、なかからなにかを引き出しているようだった。
やがて、白い敷布のような布でくるんだ細長い箱を抱えてもどってきて、銅板や、糸鋸《いとのこ》、ドリル、金切りばさみ、撞木槌《しゆもくづち》、錐《きり》、ペンチ、大小雑多な|やすり《ヽヽヽ》や、竹べら、筆、ピンセットなどが散らかっている台の上を、ざあっと一なぎ一方へかたづけ寄せてから、そのあとへ布包みをひろげた。
長さ七、八十センチのその桐箱から彼がとり出したものは、二張の弓を並べて立てた飾り枠に十本ばかりの矢束をくっつけた、子供用の遊び道具、弓矢のセットとでも言えばよいか。弓にも矢にも、金銀の箔《はく》、蒔絵《まきえ》をほどこした、床の間などへの飾り道具であった。
征太郎はあっけにとられて見ていたが、思わずためいきをついた。
「ホウ。見事なものですね」
「ご存じでしょう?」
「破魔弓ですね」
「そうです。正月に、男の子の前途を祝って床に飾る祝儀道具です」
「かなり古い物でしょう?」
「江戸時代の品じゃないでしょうかね」
「ほう……」
「すくなくとも、明治のはじめには、もううちにあった道具です」
「え?」
と、なにがなしに征太郎は顔をあげ、栄雄を見た。
「破魔弓は、縁起玩具だから、ふつうもっと小型の飾り道具らしいけど、うちのは充分これ実用に耐えますよ。ごらんなさい。鏃《やじり》も象牙《ぞうげ》でできてるけど、しっかり研《と》ぎすましてあるでしょ」
「………」
栄雄は矢を一本抜きとって、ついと征太郎の前へ突き出した。
「松宮東助の、死の様子が、お知りになりたいんでしょ。これですよ」
「これ?」
「この矢。こいつが、盆《ぼん》の窪《くぼ》にね、それからのど首にもね、胸にも、突き刺さっていたそうですよ」
征太郎は固唾《かたず》をのんだ。
「父や母も、こんなこと、知っちゃいないんですよ」
「え?」
「そう。それどころか、この破魔弓がうちにあるってことさえも、父や母は知らないでしょう。僕しか、この道具のことは知らないんです。この弓矢の存在を知らなければ、松宮東助の死の模様もわかりっこないんだから。東助がどうして死んだか、この弓矢だけが知ってるんだから」
栄雄は始終、平静な顔つきで話した。
「僕もね、七宝をはじめるようになってから、東助がなぜ死んだのかを、知りたいと思うようになった。あなたも、見たでしょ。廊下の壁にかかってる四帝。あんなに美しいものをつくって、しかもこんな家が建てられるだけの裕福な暮らしができる。こんな結構な生き方があるだろうか。だのに、東助は、その家業を捨てた。捨てて死んだ。なぜだろうってね。誰かに、とても聞きたかった。だが、誰からも聞かせてもらえない。世間の一部の人間たちが交す噂《うわさ》も、僕は知ってる。けど、それが嘘《うそ》かほんとか、確かめるすべが、僕にはない。知りたい知りたいと思って暮らしてるうちに、いつの間にか、七宝が僕のほうに近づいてきた……とでも言えばよいのかな。身についちゃっていた。僕は七宝を焼くようになっていた。このまま一生、僕は知りたいと思いながら、知らずじまいで、七宝焼くことになるんだろうか。そんな風にも思っていたんだ……」
諦《あきら》めてもいた、と栄雄は言った。
「……美大へ入る前の年だった。うちの旦那《だんな》寺でね、本堂の畳替えを手伝ったことがあるんだ」
栄雄はふっと、思い出したように笑った。
「……僕には、変なくせがあってね。どういうのかな。納屋とか、物置きみたいなところがあると、つい覗《のぞ》いたり、もぐりこんでみたくなっちゃう。小さいときから、なにかというとうちの蔵へ入りこんで、一人で遊んでたせいかな。その日もね、本堂の裏の納骨堂の扉が開いてたんでね、ちょっと入ってみたんです。三十分ばかりいたかな。煤《すす》けた厨子《ずし》なんかがたくさんあって、一つ一つなかを覗きこんだりね、扉の金具をあけて仏様あらためたりしてまわったんだ。そんな古い厨子のなかの一つだった。この桐の箱が入ってたのは」
征太郎は、無言で彼を見つめていた。
「裏側を見て下さい。箱の裏側。『松宮』って書いたるでしょう。ほら」
と、彼は示した。
確かに、薄い墨文字が、そう読めた。
「あけてみると、この破魔弓でしょ。妙なものが祀《まつ》ってあるなあと思って、手にとってみてるうちに、見つけたんです」
「……なにを」
「ここにはありませんけどね、三本ばかり、折れた矢がいっしょに入ってたんです。その矢の羽がね、ほかのと色がちがうんです」
「色?」
「ええ。こんな風に白っぽくないんです。なんだか変色しちゃってね。それを見てて、急に、僕は思いました。そう。理由もなく、思いました。これは、血じゃあないかって」
栄雄が住職に話したのはもちろんである。どうしてこんな箱がここにあるのかと、説明を求めたのだという。
「住職は、うちの松宮とは関係のない物だと言いました。じゃ、どこの松宮なのかと、たずねたんです。彼は話してくれません。矢羽《やばね》の色も、古い汚れのしみだろうと言うんです。僕は、調べさせてもらいたいと詰め寄りました。これが血か、血ではないのか。科学的に」
なぜだか直観的に、そのとき、血だと、栄雄は確信したという。
住職は、矢羽をつかんで渡さない栄雄の顔を、しばらく眺めていたが、やがて諦めたように首を振り、話して聞かせたのだという。
「事情はわからない、と、住職は言いました。しかし、矢羽の汚れは、やはり血なんだと。その話によると、松宮東助は、彼の妻に、つまり僕の曾々祖母に、殺されたんです」
「ええ?」
「東助の妻は病身で、長いこと患《わずら》っていたそうなんです。その妻が、ある夜、夫の東助と、その下で働いていた若い職人とを、この弓矢で射殺《いころ》して、自分も自害して死んだのだと言うのです」
征太郎は、息をのんだ。
「……じゃ、亡くなったのは、東助さん一人じゃなかったんですか?」
「そうだそうです。若い職人を、いっしょに殺しているんです」
「どうしてまた、そんなことを……」
「事情はわからないんです。住職も、先代の住職から申し送りで、弓矢の供養を頼まれた折、それだけしか聞かされてはいないんだそうです。ただ、一夜のうちに、一つ家のなかで、三人も人が死に、それも殺人事件なのに、新聞沙汰にも、警察沙汰にもならずにすんだってことが、僕にはふしぎでしてね」
「ならなかったんですか?」
「だって、そうでしょ。なってれば、世間の人はみんな知ってるはずでしょうが。だったら、僕やあなたが、こんなに知りたがって苦労することもないでしょうが。世間に公表されてれば、すくなくとも、公表されただけの事件の概要くらいは、僕にも、あなたにも、すぐにわかったはずですよ。それがわからなかったってのは、世間の眼からこの事件を隠そうとした力が、どこかにあったってことでしょう? もっとも、どんなに隠したって、一晩のうちに三人も人が死んだんです。なにかがあったと、臆測くらいする人たちがいてもふしぎはありませんよね。そこまで隠しとおせるものじゃない。それが、あなたや僕が聞いた世間の噂ってのになったんでしょう」
「しかし、そんなことができるかなあ……」
「僕も、それがふしぎだったんですよね。いや、僕に話してくれた住職も、そこがふしぎだったんだそうです。先代の住職の話だと、東助の妻、つまり僕の曾々祖母がですね、なにかただの家柄じゃない人との繋《つな》がりがあったらしいというんですがね」
「というと……?」
「いや、僕に聞いたって、わかりませんよ。曾々祖母の実家の縁戚《えんせき》関係か、なんかその辺のことじゃないかと思うんだけど……とにかくえらい人がどこかにいたってことじゃないのかなあ。住職の口振りでは、そんな風に聞こえたけど。とにかく、いまになっちゃ、なんにも確かめられやしないんですよ。殺人事件は表沙汰にならなかったんだから」
「しかし、その若い職人ってのにも、身寄りや親族はいただろうし……」
「それも、どんな風に誰がかたをつけたのか……その人間がわからないし、わかったところでもういないんだし、どうしようもないでしょうが。言えることは、当時の、うちの旦那寺の住職、この人が、この弓矢の永代供養をはじめているんだから、彼だけが事件の真相を知っていそうなただ一人の人間だと思えるんだけど、その住職が、次の住職にはすべてを話していないんです。だからもう、事件は解明しようがないんですよ。奇怪な事件、そう思って腹のなかにたたみこんでおくほかは。住職は、僕に、そうすることを約束させて、この破魔弓のことを打ち明けてくれたんです。事件以後、だからこの破魔弓は、誰の眼にも触れてはいないんです。代々の住職と僕以外の人間の眼には」
栄雄は、弓の弦を指の先で小さくはじいた。
低く幽《かす》かに弓は鳴った。
「僕の父や母も、この弓や矢が存在することを、まったく知らないのです。でも、この弓や矢は、かつて確実に、この家にあったものです。この家が、この破魔弓のねぐらです。しかも、これは、男の子の将来を祝福する弓矢です。人を殺《あや》めたからといって、永代あんな真暗な厨子の奥にとじこめておくことはできません。僕も松宮家の男児です。僕の眼に触れたからには、この弓矢をあのままにしてはおけません。僕の前途を祝ってくれる、本来の弓矢にかえしてやりたいと思ったんです。だから、もらい受けてきました」
「……住職は、なんとおっしゃったんですか?」
「血染めの矢だけは置いて行けと言いました。僕が七宝をはじめたのも、なにかの縁だろう。七宝商の松宮家にあった道具が、また七宝のもどってきた松宮家へ帰る。僕が、約束さえ守れば、それもいいだろう。吉兆の弓矢にかえるように、お祈りはしてあげようと言ってくれました」
「いいんですか?」
と、言って、征太郎は、栄雄を見た。
「その約束を、こうしていま、君は破ってるじゃないですか。僕にすっかり話しちゃって」
「そう」
と、栄雄はうなずいた。
ためらうそぶりも見せなかった。
「あなたにも、いっしょに考えてもらいたいと思ったからです。いや、あなたなら、それをやって下さりそうな気がしたからです、さっき、ふっとそう思ったんです」
「なにをです?」
「東助と、若い職人が、なぜ殺されなきゃならなかったのか。それを殺したのが、なぜ東助の妻だったのか。そうでしょ。大の男が二人、弓と言ったって子供用程度のこの破魔弓で、しかも病身だった女に、|て《ヽ》もなく殺されるもんでしょうか。いや、殺されたんだから、殺せたにちがいはないんだけど……じゃ、いったいそれはどんな状況のもとに行なわれた殺人だったのか。僕一人で考えるより、あなたにも手伝ってもらいたいと思ったんです」
「……なるほど」
「事件は、この家のなかで起こったんです。この家の、どこかで。どこかの部屋で。……僕は、毎日、家中を歩きまわってみます。考えたって、解決のつく問題じゃないけれど」
「でも、考えないわけにはいかない」
「そうなんです。ひょっとしたら、一生、出ない答えをあれこれ探して、ああでもない、こうでもないと、考えつづけるんじゃないかと思うと、ぞっとするんです。一人だけで、こんなものを、この胸のなかに抱えておきたくないんです」
「わたしに肩代りさせようっての?」
「そうです。誰かに、せめて半分だけでも、この荷をいっしょにかついでいてもらいたいんです」
「できるかな、わたしに、そんなことが」
「もう、あなたは、かついでくれています。そうでしょ? あなたにだって、松宮東助がどんなにして、なぜ殺されたのか、それがわからないうちは、ここへきた目的が完遂しないことになるんでしょ? 僕たちは、同じ穴のむじな。同じ穴に、落ちた。松宮東助という穴に。そう思っていませんか。いま、あなたは」
征太郎は、細工台に向かって間断なく釉薬を砕いている栄雄の厚みのある肩や、太い首の引き締まった肉づきの動きに、眼をあずけたまま、今日も、この仕事場にはじめて入った日のことを、ぼんやりと思い出していた。
(あれから何度、自分はここへ足を運んだだろうか……)
(そして昨年。ちょうど梅雨あけのいま時分、この部屋を炎につつんで燃えさかった火……)
征太郎は、その火のまぼろしから、つと眼をそむけでもするように青葉の屋外へ泳がせた。
束の間、あてどない視線であった。
「京都? またァ?」
と、浜子が露骨に口に出して聞き返したり、とがめだてでもするようなためいきをついてみせたりしはじめたのは、いつの頃からだったろうか。
中堅どころの女優業と、ひまさえあれば征太郎のマンションへ顔を出し身のまわりの世話をやいて行くいそいそとした私生活を、どちらも彼女は満喫して、この先いくらつづけても飽《あ》きることはないと言い、征太郎は、もう飽きるほどそんな彼女との生活がつづいていることに、ときどき呆《あき》れ、ときにはこれも腐れ縁かと諦めてもみたりした。
女優と本書き。ありきたりな取り合わせである。ありきたりに生きて行けたら、それで充分。高望みなどするつもりはない。とうに浜子と世帯を持っていたかもしれない。ありきたりに行けないところが、浜子との暮らしの不幸であった。
不幸は、ふだん、忘れておれた。跡形もなく消えていて、まあ似合いの相棒かなと、思わないわけにはいかないほど、二人の仲も順調だった。そんなとき、不幸は眠っていた。
松宮栄雄と出会った頃も、浜子はあるテレビドラマで手強い難役がついていて、大張り切りで女優業に専念していた。
女優になりきっているときは、なりふりかまわぬ打ちこみようで、俗事はいっさい眼に入らない女だった。しかし、そんな仕事中のロケ先からでも、思わぬ時間に、思わぬ場所へ、急に電話がかかってきたりする。
彼女が知る筈のない場所で、また誰にも自分の行動がわかる筈はないと思われるようなとき、いきなり耳許の受話器から、「ご機嫌よう、お元気ィ?」と、ことさら晴れやかな抑揚をつけた声がながれこんできたりすると、征太郎はおどろきよりも前に、さむけをおぼえることがある。
「どうして、ここがわかったんだ?」
彼女はそんな問いかけには一切無頓着な、邪気のない陽気な声をつくってみせ、喋りたいだけのことを喋ると、「ご機嫌よう!」と送話器を置く。
そうしたことはこれまでにも数えきれなくあったから、征太郎が京都のホテルで何度か同じような電話に見舞われたときも、またかと思いはしたけれども、さして気にはならなかった。「やっぱり京都ね? お部屋のほうに連絡したら、留守番電話が『旅』だって言うでしょ。ピンときちゃった」
「なにか用かい?」
「また取材?」
「ほかに、なにがある?」
「いいわね、本書きさんは。取材と言えば、天下ご免の通行手形。西も東も、気のむくままで。七宝、七宝って、ずいぶん今度の取材はご念が入るのね。七宝の本場は、京都だけじゃないわよ。名古屋も、東京も、あるでしょ」
「よけいなお世話だ」
征太郎は、電話を切る。
その不快さの底のほうに、予感のようなものがあった。また、あいつの悪い癖がはじまったか、と。
その旅から帰ってみると、マンションの靴脱ぎ場に、一枚の手鏡がこなごなに砕けて転がっていた。栄雄との出会いのきっかけとなった彼の七宝作品だった。浜子に贈って、彼女もたいへん気に入っていたものだった。
そんなことがあって、彼女はしばらく征太郎の部屋に顔を見せなかった。征太郎も、ほうっておいた。
そうしたある日、徹夜仕事が昼までかかり、原稿渡しをすませてベッドヘ入ろうとしていたところへ、電話が鳴った。とると、
「ご機嫌よう!」
と、賑やかな声がとびこんできた。
「わかる? わたし。いま、どこにいると思って?」
「どこでも、けっこう。おれは、おネンネ」
「あら、ひどい声。徹夜だったのね」
「いまから寝るんだ。邪魔するな」
「待って! 待ってよ……」
と、鼻にかかった声で彼女は引きとめ、
「京都なのよ!」
と、言った。
その宣言でもするような晴れやかな声のひびきが、いっそう腹に据えかねて、征太郎はふとそばだてかけた耳から受話器を引きはなした。
「それがどうした!」
「まあ、ご機嫌ななめね。いいわよ。いま、その眠気を吹きとばしてあげるから。待って……切らないでよ。替わるわね」
ひとりではしゃぎたっているきんきんした浜子の声に替わって、「もしもし……」と別の声が入ってきた。
「栄雄です。松宮です……」
征太郎は、その低く区切り区切り話しかけてくる声を聞きながら、言葉をのんだ。
「聞こえますか?」
「うん。聞こえてるよ」
「びっくりしたでしょう」
「あたりまえだよ。いったい、どういうことなんだい?」
「僕にも、わからないんですよ。とつぜんたずねてみえてね、あなたの知り合いだとおっしゃるんで……」
「君の家に?」
「そうなんです」
「どうして、そこがわかったんだろ……」
「いや。あなたが教えたんじゃないんですか?」
「知らないよ。そんなおぼえはないがねえ」
言いながら征太郎は、つとベッドの脇の壁を見た。栄雄からもらった七宝の絵皿が掛かっている。隅に「松宮」とローマ字で銘がけずりこんである。
これだ、と、思った。
彼女ならやるかもしれない。名前一つわかれば、松宮家を探し出すことくらいやってのけるかもしれぬ。
「……で、なにしてるんだ、彼女はそこで」
「コーヒー飲んでますよ。ここ、喫茶店だから」
「いや、そうじゃないよ。君の家に、なにしに行ったんだい」
「七宝見せてもらえないかって言われたんで、見せましたけど。でも、変わったひとですねえ」
「ん?」
「僕の顔見てね、いきなりケラケラ笑い出すんだから。そしてですよ、『まあ、男性なの』って、こうですからね。僕が、女に見えますかねえ!」
栄雄は憤然として言った。もっとも、声では笑っていたけれど。
「迷惑かけたんじゃないのかい?」
「いいえ」
「つきあってやることなんかないよ」
「ええ。僕も、これからちょっと仲間の会合があるんで、いっしょにここまで出てきたところなんです。あの、替わりましょうか?」
「いいよ」
「じゃ、また。遊びにきて下さい」
「うん」
電話を切ると、言いようのない不快感がこみあげてきた。胸がむかついた。
(京都に、七宝を焼く女がいるとでも思ったのか!)
浜子の考えそうなことだった。
(それにしても……)
と、征太郎の手は、電話を切ったあとも、受話器の上でしばらくふるえていた。胴ぶるいがおさまらないのだった。
(何度くり返したら、気がすむのだ!)
征太郎は、叫び出したい衝動に駈《か》られた。
似たようなことは何度もあった。
浜子は、いつも、どんなときも、誰よりもいちばん征太郎に近く、いちばん親しく、いちばん密接に征太郎とつながり合い、誰よりも征太郎を知っていると確信できなければ、気のすまない人間だった。
征太郎のつき合う相手が、女であれば、それがどんなつき合いにしろ、猛然と闘志を燃やし敵愾心《てきがいしん》をたぎらせた。それだけなら、征太郎も許せはした。
それだけではすまないのだった。
たとえば、かつて征太郎には、肝胆相照らす学友でもあり、二人とない親友でもあり、仕事上では好敵手、人生の友とも呼ぶべき仲間があった。彼は征太郎よりも十歩も百歩も早く世に出た演出家であった。その友と浜子が結婚すると聞かされたとき、征太郎は耳を疑った。このときほど、胆の冷えたことはなかった。彼等の仲は一年足らずで破局を迎えたけれど、その間中、彼女は征太郎と顔を合わせるたびに言いつづけた。「あなたが結婚してくれないからよ」「ほんとは、あなたとしたかったのよ」「あなたしか、わたしにはないのよ」「あなただけを、見てるのよ。彼に抱かれているときでも」「あなただけを愛してるのよ」
浜子は、そんな女だった。
男同士のつき合いには、自分の踏みこむ余地がない。どんなにしても割りこめない。そう悟ると、彼女は翻然《ほんぜん》と手をひるがえし、そのつき合いを打ち壊す人間にも変身した。
征太郎と浜子の仲には、そうした歳月が、隙間《すきま》ない澱《おり》のように重なり合ってよどんでいた
征太郎は、その徹夜明けの日の午後に京都からかかってきた電話を前にして、いつまでもやまなかった胴ぶるいを、いまもときどき思い出す。
ベッドの上にすわりこんだまま、そのとき征太郎は、不意に、遠い昔聞いた声を耳のなかによみがえらせていたのである。
浜子が演出家と結婚した直後、征太郎にむかって吐いた言葉だった。
「そう。がまんができなかったわ、わたしには。あなたと彼は、男同士。キスもしないし、裸で抱き合って寝ることもない。だのに、どうして、あんなにしっかり結び合えるの。信じ合えるの。頼り合えるの。ああ!」
と、浜子は、けものめいた声を放った。
「そうよ。いっそ、あなたたちが、裸だったら、裸でもつれ合って寝ていてくれたら、キスをむさぼり合っていてくれたら……そう! そんな仲の人間たちだったら、どんなにかよかったか! そしたら、わたしは、まだ救われたわ。どんなに、救われたか!」
あなたたちが悪いのよと、彼女は泣いた。
その泣き声を、征太郎は、耳のなかで聞いていたのである。
――抱き合って
――もつれ合って
――裸だったら
――寝ていてくれたら
そんな声が反響し合って、頭のなかをまわっていた。
「なんですって?」
と、栄雄は、ちょっと声を殺して征太郎を見た。
「東助と、若い職人が?」
「そう。そういうことは考えられないだろうか」
「できてたって……いうんですか」
「そう」
「抱き合ってた……」
「裸で、もつれ合って……愛し合って……むさぼりつくして。眠りに落ちた。正体もなく眠っていた。疲れ果てて。満ち足り合って」
「うーむ」
低く、栄雄は唸《うな》った。
東助の妻は病身で、長いこと患っていたという。この広い屋敷内で、そんな妻の眼の届かない場所はいくらもあっただろう。夫婦の寝所も別々だったかもしれないし、夫が夫の寝所にいなかったりすることがあったとしたら……。不審に思って、ある夜、妻は病いの床を出て、屋敷内を探し歩いた……。
明治の夜の松宮家の一つの座敷がうかびあがる。
寝乱れた男たちが、その裸体が、からまり合って眠っている。見おろす女の眼の下に。足もとに。
深い、底のない眠り。安らいで、酔い、痴《し》れて、惚《ほう》けきった……
座敷の床には、金銀箔に蒔絵《まきえ》の弓。象牙の鏃《やじり》に白羽の矢が飾ってある。
それをつかんでいる女の手。衣《きぬ》ずれの幽《かす》かな音。
栄雄と征太郎は、しばらく顔を見合わせて動かなかった。
しかし、その情景も、たまたま思いついた一つの空想にしかすぎなかった。言ってみれば、本書き業の悪い癖で、俗な想像劇である。松宮家の殺人沙汰の真相となる裏づけは、どこにもなかった。けれども二人は、なんとなく、しばらくは沈黙して顔を見合わせたのである。
そんなことがあるにはあったが、征太郎がひどくさばさばした気分で京都へ足を運べるようになったのは、やはり昨年の梅雨明けのある日曜日の朝、松宮家が火事を出したあの事件の日以来のことである。
火は、栄雄が仕事場で使っている金具細工などの折に接着剤の余分な糊《のり》を拭《ふ》きとったりする石油の、不始末によるものだった。
栄雄自身が証言している。
「徹夜したものだから、頭がぼんやりしてて……焼いた銅板の上に石油壜ひっくり返してしもて……ほんまに、どうかしてたんですわ。もう逃げるのがやっとでした」
栄雄は、手や腕に二、三箇所、軽い火傷を負ったほかには、仕事着の前だれとジーパンの一部を焦がしただけですんだ。
だが、征太郎は、知っている。栄雄の証言には、もうすこしつけ足さなければならない部分が、その日あっただろうということを。
なぜなら、火の後、しばらくして、あるテレビ局の廊下で出会った浜子が、手首と足に繃帯《ほうたい》を巻き、髪も短く切りそろえている姿を、見てしまっているのだから。
「どうした」
「うん。ちょっと転んじゃったの。煮《に》えたおやかん持ってね」
浜子は、こともなげだった。
このときに、
(別れよう。この女とは)
と、征太郎は、思ったのである。
浜子が、火事の朝、京都にいたことを、確かめたりするつもりはない。いた、と、征太郎には、わかるのだ。髪の毛もそのときに焼き、毛先を切ったのだ。
そうして、征太郎がほっと救われた気分になるのは、栄雄が火事を起こしたというそのことである。どんな成り行きの火だったかは知らないが、あの仕事場を灰にしてしまう火を、彼がそうやすやすと出す筈がない。とすれば、よほどうろたえたか慌てたかするような|なにか《ヽヽヽ》が、あの朝、あの仕事場で、あったのだ。原因は、浜子だろう。
しかし、なにがあったにしても、そのことに、栄雄がうろたえてくれた。平然と浜子の手に乗ってはくれなかった。そう思われるのが、心の慰めになった。
昨年焼けたその仕事場は、すっかり新築され直している。いま、栄雄はその部屋で、細工台にむかってフリットを砕いている。無造作に、大きな背をすこしかがめて。
火で失った三体の帝王を、新しく彼の手でつくり直すために。
そう。黒帝だけが、冬だけが、ここに残り、いつまでもとどまることを、許してはならぬ。
冬は、一度きて、春にかわってくれなければ、と、征太郎は思った。
その黒帝の作者・東助の死はいまだに謎ではあったけれど、家を潰《つぶ》した東助の黒帝だけが残ったという不吉感は、どうやらとり払えそうな気がした。近く、ほかの三帝が顔を揃えてもくれるだろうから。
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ジュラ紀の波
水の音が聞こえている。
陽《ひ》ざしに灼《や》けた夏草の葉先がそよぐ。触れると火のように熱い。その感触が、腕や頬《ほお》や首筋を撫《な》でる。丈高いするどい密生|茎《ぐき》のしげみの奥で、ときおりまぶしい光が走る。水ぎわまで、そのしげみは深くつづいている。むかしのままだ、と、秀典《ひでのり》は思う。
夏草越しに、さざなみ立って輝いている川面《かわも》がすこしずつ見え隠れして、不意にぎらっと照り返す反射光も、そっくりそのまま残っていた。
歳月を、ふと忘れそうになる。
木武《きぶ》川と椙田《すぎた》川とが合流するこのあたりは、河川敷も広くなって、川はあらかたかつての姿を失っているのに、この夏草のおいしげる川べりの一帯がむかしながらに残っているのは、たぶんこの瀬につき出ている黒っぽい岩床のせいだった。
外見《そとみ》にはごくありふれたなんの変哲もない田舎の川、そんな感じのする風景だが、この二つのながれの合流点にわずかばかり岸辺つづきにせり出している岩床は、黒色|頁岩《けつがん》とよばれ、地質学的には中生代・ジュラ紀のものである。
古い地層や岩石が地表へあらわれている場所を「露頭《ろとう》」といって、鉱石採掘者などが捜しまわる場所であるが、椙田川べりのこの水辺の岩つづきは、まさにその露頭であった。
英典は、夏草のしげみをわけて、せまいその岩場へおりた。
手で触れると、|やけど《ヽヽヽ》しそうに、岩も熱かった。
コツコツと平|のみ《ヽヽ》やハンマーなどの低い空音《そらね》が、いきなり湧《わ》く。
足もとからも、手の平へも、湧きのぼって伝わってくる。
一億六千万年前の生き物の姿をきざんだ石くれを掘り起こす音だった。
陽ざらしの瀬はひとけなく、川だけが動いていた。浅い水のながれはしきりにさざなみ立って動いているのに、その川もふと停《と》まっているかのような錯覚にひきこまれる。
水音もいつか消えていて、平|のみ《ヽヽ》とハンマーの空音だけが真昼間のさかんな光のなかに残っていた。
英典は、聞くでもなく、聞かぬでもなく、眼をほそめ、陽ざしにあぶりたてられたその光のなかの故郷の野や、山や、田や、川の姿を、眺めていた。
ぼんやりと、惚《ほう》けたようなまなざしだった。
松野英典が、高校を出ると同時に離れたこの村へ十四、五年ぶりに帰ってきたのは、父と、母と、兄嫁と二人の姪《めい》、つまり五人の死人を一度に出した葬式に、よび戻されたためだった。
事件は十日ばかり前、白昼に起こった。
町の農協に勤めている女事務員が、猟銃で、縁もゆかりもない人間たちをつづけざまに八人、撃ち殺すという気ちがい沙汰《ざた》の事件だった。
その日も暑く、日曜日だったという。
事件をつぶさに目撃したのは、郵便配達員だった。
彼は配達する郵便物があって、彼女の家の前にバイクをとめた。ちょうどそのとき、彼女がふらっと家の土間口から出てくるのにぶっつかった。
今年高校を卒業したばかりの彼女は、まだセーラー服を着て歩いたほうが似合いそうな少女っぽい娘だったというが、声をかけて郵便を手渡そうとする彼などまるで眼中にない様子で、彼女はそばをとおり抜け、村道へ出て行ったという。
「手に猟銃をぶらさげとろうがの……ありゃっとは思うたけどな、親父が猟をやるしの、その鉄砲じゃ思やあ、べつにふしぎはないしな。気にもとめんじゃったわな。なにかの用で、どっかへ持って行くんじゃろうと思うたわけさ」
銃声がしたのは、そのすぐあとだったという。
郵便配達員は、まだバイクを発進させてはいなかった。サドルに跨《また》がったまま、彼はうしろを振り返った。
陽ざしのなかの田んぼ道を、娘は走っていた。その前方の稲田のなかに、二人の人間がいた。
配達員も顔見知りの農家の若い夫婦連れだった。田の草とり仕事をしていた彼等は、その手をとめて、束の間きょとんとしている風だったが、やがて二発目の銃声がとどろき、二人は田のなかを右往左往しながら、反対がわの畦道《あぜみち》へ駈《か》けのぼった。娘は、そんな二人を追いながら走っていた。
逃げる夫婦者と、それを追う銃を持った女。
夏の日の真昼間道《まひるまみち》の田園で、それは一瞬、唐突な奇妙な光景だったという。
若い夫婦者は畦道から村道へ出て、四、五十メートルばかり走り、その先の長正寺の境内へ逃げこんだ。三発目の銃声がしたのはそんなときで、寺の山門の前で、夫婦者の一人がとびはねるような具合に体を宙に躍らせて地面へ倒れた。そのそばへ駈け寄ったもう一人も、次の弾ではじけとんだ。
それから何発銃声がしたか、郵便配達員はおぼえていないが、彼が長正寺へ駈けつけたときには、境内に、老婆が一人、藤棚の下で子供たちが二人倒れていて、銃を持った女は本堂の階段口にすわりこんでいた。
住職が出てきたのは、そのときだった。女は、ふらふらと立ちあがり、回廊の縁に出てきた住職へ、いとも無造作に銃口を向けた。
「なにするの! どうしたの!」
と、叫んだのは、庫裏《くり》の土間から駈け出してきた住職の妻だった。
女は、そんな二人をわけもなく撃ち殺して、ふらつく足どりで本堂へあがった。そこへ走り出てきたのが、この寺の嫁だった。彼女は奥で洗濯《せんたく》でもしていたらしく、濡《ぬ》れた布を手につかんだまま、裏庭の木戸口から境内へ出てきた。その手が肩のつけ根から宙へはじけとんだのは、一瞬の間であった。
「ほんまに、あっという間じゃったで。なにをする間もありゃあせんわな。誰かに連絡をとるにも、あんた、近くに家はありゃあせんし……わしは、はあ、なんとかせにゃ、あれをとりおさえにゃあ思うて、そればっかりに夢中での……」
と、配達員は、述懐した。
彼は、境内へ駈けつける前に、娘の家へとびこんだが、親父一人、娘一人の家は無人で、黙って座敷へあがりこみ、警察へ電話をかけるのがせいいっぱいだった。
その警察も、やってきたときには、惨劇はもう終っていた。
「どうにもできゃあせんわさ。相手は、弾をつめては撃ち、つめては撃ちしとるんじゃから。十発近こうは持って出とったんじゃないかのう」
銃は、二連発の散弾銃であった。
警察が乗りつけて、はじめて彼女はわれに返り、やにわに銃口を咽《のど》もとにあて自殺をはかろうとしたが、最後のその弾が残ってはいなかった。
「死ぬつもりだったのに!」
と、彼女は逮捕されたあとも、しばらくわめきつづけていたという。
銃と弾を持って出たのは、死ぬ前に、山へでも行って思いっきり発砲したら、いくらか気が晴れるかと思ったからだと、いったという。それでも晴れなかったら、
「死ぬつもりだった」
死のうと思って、家を出たのだという。
そしたら、あの二人が、眼に入った。仲よく稲田の除草に励んでいる若い夫婦。その姿を見たとたん、自分で自分がわからなくなった、と、彼女は取調べ官に語っている。
「急にカッと血がのぼって、頭が火で燃えるみたいになって……いらいらして……殺さなきゃあ、と思ったの。なぜって? そんなこと、わからないわ。殺したいと、思ったのよ。この世で、自分たちくらいしあわせな夫婦はいないって顔、いっつもしてるもの。ベタベタしちゃって、前から好きじゃなかったの。ひとが死のうと思ってるときに……そう思うと、もう悲しくって……なさけなくって……腹が立って……」
と、新聞記事には報道されている。
思わず引き鉄《がね》を引いていた、という。
では、二人以外の人たちをなぜ殺したのかという質問には、
「わからない」と、彼女は答えている。「気がついたときには、そうなっていた」と。
たまたま長正寺へお参りにきた檀家の老婆《ろうば》、藤棚の下で遊んでいた六つと四つになる寺の孫娘姉妹、銃声におどろいて顔を出した住職と、その妻、その嫁たちは、狂気の沙汰としかいいようのないこの女の異常な精神状態の、単なる巻き添えにされて死んだ、と思うほかはないのであった。
長正寺でただ一人この難をまぬがれたのは、檀家の法事へ招かれて寺を留守にしていた住職の長男、つまり英典の兄である、この寺の若い跡取りだけであった。
英典は、この兄からの知らせを受けるまでは、全国の新聞にも報道されたこの事件を知らなかった。
新聞やテレビが身近になかったわけではない。そんなものに関心を持つひまのない生活が、身につきすぎていたせいだった。
さいわい、葬式には間に合ったが、事件の内容を知ったのは、村へ帰ってからだった。
散弾銃による死体のむごたらしさは、耳にするだけでもいたたまれない、眼をおおうものがあった。
しかし、十八歳のこの少女の『殺人鬼』は、
「なぜ君は、死にたかったのか」
「なぜ、自殺しようと思ったのか」
という、事件の発端に触れる肝心な問いかけには、口をとざして、語ろうとはしなかった。
衝動殺人などという近頃|流行《はや》りの常套語《じようとうご》が、無論、この事件にもつかわれた。
じっさい、雲をつかむようなとらえどころのなさが、この殺人にはあって、彼女の精神鑑定が目下行なわれている筈《はず》だった。
それにしても、のどかな田舎の村で、ある日降って湧いたようにもちあがった、悪夢のようなできごとだった。
葬儀が終って身辺に一段落したという感じがもどってきたのは、事件からは十日余もたつ、つい昨日今日のことだった。
通夜や葬式にも顔を出してくれていた英典の高校時代の教師が、昨日の昼前、あらためて訪ねてきた。いまだに同じ高校で教鞭《きようべん》をとっているというから、もう定年間近な年|恰好《かつこう》であろう。髪もなかばは白く、穏やかな人柄の、むかしからあまり目立たない教師だった。
「……よかったら、どうかね。すこしそこらを、ぶらぶらしてみないかね……」
と、彼は、どことなくおずおずした物腰で、英典を外へ誘った。
一時間ばかり、二人は山間《やまあい》の野道や森や藪《やぶ》の小径《こみち》などを、歩いた。
教師は、英典の気持を気づかって、事件のことには触れまいとする風がしきりに見え、教え子時代の話や、いまの学校の様子や、村のよもやま話などを、とりとめもなくぽつりぽつりと口にしたり、村を出てからの英典の暮らしぶりや近況などもたずねた。
「いろんなこと、やりました。職業なんていえるものじゃなかったかもしれないけど……」
「確か、薬品関係のいい会社に入ったんじゃなかったかねえ」
「ええ……あれ辞《や》めちゃったのが、よかったのか、悪かったのか……要するに、都会向きじゃないんでしょうね。サラリーマン稼業が肌に合わないのかな。力仕事やってるほうが、気楽でいいんですよ」
「力仕事って?」
「道路工事、建築現場、地下の穴掘り……なんだかんだですよ」
「いまも……?」
「ええ。山のなかの飯場、渡り歩いてます」
教師は、眉《まゆ》の晴れない顔で、信じがたそうに「うむ」と、唸《うな》った。
「頭のいい生徒だったのにねえ……」
「僕が、ですか?」
秀典は、おどけた風に笑ってみせた。
木蔭の土手に、二人は腰をおろしていた。
教師が、そのことを口にしたのは、話がとぎれて、しばらくたってからだった。
「じつはね……」と、彼は、英典にこの外歩きを誘ったときのような、妙におずおずとした口調にもどり、落ち着かなげに、いった。
「今度のことは、なんとも、桁《けた》はずれに思いがけなくて……お悔《くや》みの言葉もないんだけどねえ……いや、これはね、わたしが口にしていいことかどうか……いまでも、迷ってるんだけどねえ……」
「なんですか?」
「いや……あんな風にね、親族を一度に亡くされた君や、お兄さんを見てるとねえ……やっぱり、黙っていてはいけないんじゃないかと思ったりね……」
教師は、口重く呟《つぶや》いた。
「いわれのない災難にはちがいないけど……そしてもう、なにがどうわかろうと、亡くなった方たちが生き返っても見えないしね……かえって余計な無念さや、残念さが増して、悲しみや、腹立たしい思いをつのらせはしまいかと思ったり……しかしねえ、いわれがない、いわれがないと、この先思い出すたびに、諦《あきら》めきれない無念が残る、これもどんなにやりきれないことかと思うとね……君にだけでも、あの子のことを、話してみようかという気になって……」
「あの子……と、いいますと?」
「上野民子だよ」
教師は、殺人者の少女の名を口にした。
「君は、民子を、知ってるかね?」
「いいえ」
「そうだろうね。そう、君がこの村にいた頃は、まだ、ほんのよちよち歩きの子だったろうからね」
「ぜんぜん、おぼえてないんですよ。そんな子がいたかなあって、思い出してみるんですけどね」
「そう」
家は、長正寺にいちばん近い人家だったし、寺の檀家でもあったから、山仕事をしている民子の父親はよく知っていた。猪《いのしし》などを撃ってきては、
「お寺さんにゃ気がひけるけど、ま、食べてやってくださんせ」
と、きれいに捌《さば》いた肉をこっそり台所へ置いて行ってくれたりしていた、人のいいおやじだった。
「母親は、あの子を生むと、間ものう亡《の》うなってね」
「ええ。その葬式はおぼえてるんですよ」
「そうかね」
「しかし……先生が、上野のことをご存じだというのは……?」
「教え子なんでね、民子も」
「ああ……」
英典は、思わず口をあけ、そしてとじた。
「そう。あの子も、うちの高校を出たんだよ」
と、教師はいって、眼を山田の青い稲の葉波へ投げた。
「……おとなしい子でね。成績もそんなに悪くはなかった。片親育ちじゃあったけど、いじけたところもなくてね。父親の面倒も、よくみてたよ。……あれは、まだ彼女が高校へ入りたての頃だった。わたしが学級の担任でね。ある日、Tの街で、彼女に出会った。世間は狭いってことなのかねえ。産婦人科の病院から出てくる彼女にね」
英典は、教師を見た。
「わたしもおどろいたが、彼女のほうは、もっと胆をつぶしただろうねえ」
T市は、郡部の隣の市から、さらに三つばかり市域を越えたところにある中小都市である。
「妊娠しててね」
「妊娠?」
「うん。……事情を話さないもんだから、弱ったなと思ってたところに、二、三日して、彼女から手紙がきた。『これも、わたしが悪い子だから、神様が罰を下されたんでしょう。先生にはお話します』と、書いてあった。その手紙を読んで、もっとわたしはおどろいた。相手の男は、十四、五歳も年上でね……小学校の頃から、体の交わりをもっているというんだよ」
「ええ?」
「もちろん、いまはもうその男は所帯を持ってるけど、自分のほうが、彼の奥さんよりずっと先に彼を知ったのだし、好きになったのだから、自分と彼の仲は、彼が自分を好きでいてくれる間は、切れないでしょう――と、書いてるんだ。その相手にも、わたしは会った。会って、とにかく妊娠の処置をしなきゃならないからね。そして、した。わたしにできる説得は、双方に、そのときしたんだ。このことは、わたしも今日限り忘れる。君たちも、忘れなさい。これを契機に、手を切りなさい。そう念を押したんだけどね……」
「……切れなかったんですか?」
「いま、思うとね。そうじゃなかったのかという気がするんだよ」
教師は、暗い息をついた。その暗さが、彼の顔を決してもう永久に明るませはしないのではないかと思われるような息を。
「ついこないだね、その男が、死んだんだ」
「え?」
「まだ、三十半ば前……頑丈な体つきの、元気そうな男だったんだがね。急な心臓発作とかで、一日病院に入って、死んだ。上野民子が、今度の事件を起こす二日前だよ」
「………」
「もっとも、わたしも、事件のあとで、これは知ったことだけどもね」
教師は、しばらく沈黙した。
英典も、言葉を返さなかった。
「狂暴……」
と、ふと呟くように、教師は独りごちた。
「確かに、狂暴としかいいようのない人殺しを、あの子はした……。なぜなのか、どういうことなのか……それがわたしにはわからなくてね。ふとあの男のことを思い出し、彼をたずねるつもりになった。そして、知ったんだよ。二日前に、彼が亡くなってたってことをね」
「………」
「|誰にも知られずに《ヽヽヽヽヽヽヽヽ》……|誰にも認められずに《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》……これは、あの子が、あの子なりに、彼と生きてくためには、どうしても身につけなくてはならん生き方だったんじゃないだろうか。そんな気が、するんだよね。あの子は、それを、小学生の時分から、体でおぼえこまされてしまった……とはいえないだろうか。そんな生き方しかできなくても、あの子は、それを一生懸命生きようとしていた……。それが、できなくなった。途方に暮れたんじゃないだろうか」
「いやいや」と、教師は頭を振った。
「だからといって、わたしは、あの子のしたことを、いくらかでも言い繕《つくろ》おうと思ってるんじゃないよ。あの子のしたことは、許されることじゃない。狂気の沙汰だ。鬼畜の沙汰だ……」
「先生」
と、英典は、そんな教師の言葉を不意に、しかし静かにさえぎった。
「いいんですよ。行ってやって下さい。僕に話すよりも、彼女に、それを話してやって下さい。そして、彼女をいま、毎日とり囲んで責めたずねている人たちに、それは話すべきことです」
「……そう思うかね?」
「はい」
教師は、力なく首を振った。
「そうだろうかね。あの子が、それをよろこぶだろうかね。誰にも知られたくはないんだ。知られちゃいけないと、あの子は、思ってるんじゃないだろうかね。もし、あの子がほんとうに狂いきってはいなくて、いくらかでも正気をとりもどしていてくれたらのことだけどもね」
「………」
「そうだろ? あの子と男のことなんて、どうして喋《しやべ》れるかい? 男には、妻子も家族もいるんだよ。こんなことを公にしたら、その人たちはどうなるかね。これ以上の罪を、あの子に犯させたくはないんだよ。あの子だって、正気にもどっているなら、そう思っている筈だよ。あの男とのことは、誰にも喋らずにいたいと。誰にも喋れない悲しさが、あの子にこんな事件を起こさせたんだろ? あの子の狂気や、狂暴さを、わたしには、とり繕ってやることなんてできないよ。また、あの子もきっと、そんなことはしてほしくないと思っていると思うよ。ただ、その狂気や、狂暴さを、君一人くらいには……いや、それもとてもできないことだろうけど……ほんのすこしなりとも、あの子の側から理解してやってもらえることができたらと……ただ、それだけを思ってね」
かなしそうな眼に涙をためて、教師はしばらく、頭を垂れていた。
英典も黙って、そんな教師のそばに並んでいつまでも腰をおろしていた。
低いハンマーのひびきや、平|のみ《ヽヽ》の音が、耳の奥で石を砕き、とだえてはまた鳴りつづいたりしはじめたのは、そんな時間のなかでであった。
夏の村は、ほかに声もなく、陽ざしが澄んで、暑く、静かだった。
水の音が聞こえている。
英典は黒色頁岩の岩場に立って、同じ岩場にしゃがみこんでいる少年の頃の英典自身を眺めおろしていた。
あれも、小学生時分ではなかったか……と、彼は思う。それとも、中学へ入った頃だったか。
いが栗《ぐり》頭の少年は、先に刃のついた化石用のハンマーを器用に操って、岩床を砕いている。このジュラ紀の露頭は、アンモナイト(アンモン貝)の化石が豊富に出ることで有名な場所である。
アンモナイトにも種類は多いが、ふつう、カタツムリ状の円いらせん形に殻を巻いた平たい化石といえば「ああ、あれか」と誰もがうなずく代表的な化石だったから、はじめてその化石を掘り出すことを英典がおぼえた頃、彼は純粋に、採集に夢中だった。
こんな場所が、へんぴな田舎の山のなかの自分の村にあったなんて、と、信じられないおどろきだった。何億年も前の生き物が、そのまま石や岩のなかにとじこめられて、現代の地上に姿を現わす、その神秘さが、たまらなかった。
それを、実地に彼に教えてくれたのが、その頃よくこの村を訪ねては長正寺に宿を乞《こ》うていた化石研究家の二人連れだった。二十五、六歳の男女で、二人はいつもリュックサックにさまざまな採集用具をつめこんで、登山装備のような出で立ちをしてやってきた。
実地に化石を掘ることも、化石についてのいろんな知識を得ることも、英典はこの二人から教わった。彼等がくると、助手みたいにそのそばをはなれなかったし、彼等もなにかと英典を頼りにし、仲間か兄姉弟《きようだい》のように扱ってくれた。
野帳と地図に首っぴきで採集場所を捜し出したり予測したりする彼等を、その見当地へ案内したり、一緒になって探索したりすることが、たのしくてしかたがなかった。
このあたり一帯が、古生代から中生代にかけての地質学的な宝庫であることを、この当時、英典は学んだのだった。
あれは、いつだったか……と、英典は、黒色頁岩の上で、野帳に石の観察事項を書きこんだり、採集した標本に赤エンピツでナンバーを記入したりしては、石を砕いたり削ったりしている少年の姿を、視界のなかに追った。
唇を合わせている彼等を見たのは……。舌が生き物のように動き、もつれあい……唇が唇を吸うためのものだけでなく、舌が舌にからまりあうものだけではないことを、知ったのは……。彼の裸体を見たのは……。彼女の全裸を見たのは……。その裸体が、どんな風に使われるのか……どんな具合に使われながら、形を変えはじめて行くか……どんな形にも変わり得るということを、教えられたのは……。男の裸体が、どんな風に裸体でない人間でない激しいものへ豹変《ひようへん》するか……女の裸体が、どんな風に女でない見知らない露《あらわ》な凄《すさ》まじいものへ変貌するか……つぶさにまのあたりにしたのは……。彼が、どんなに淫蕩《いんとう》な言葉を口にし、どんなに信じられない声を発し……彼女が、それに応《こた》えたか、はじめて耳にしたあれは、いつだったか。どこでだったか。
そのおどろきに、われを忘れ、骨抜きにされ、体中がほのおを吐いているような……火だるまみたいな体になって、英典は動けなかった。
あれは寺の本堂だったか。裏の持仏堂だったか。椙田川の草むらだったか。丸山|堤《づつみ》の土手だったか。権現神社の神楽堂のなかだったか。それとも、もっとほかの藪、ほかの森、ほかの野道や、林でだったか……。
彼等は、それらのどこででも、人眼がなければからまりあい、楽しみあい、飽きることを知らなかった。
二人には、誰の眼もない場所に思えたかもしれないが、いつも、英典はそのすぐ近くにいた。
いや、二人はとうにそれを知っていたかもしれない。知っていて、知らない振りをしているんだと、英典も、何度か思ったことがある。見てもいいんだ。見せてくれているんだから、と、自分に何度もいい聞かせた記憶がある。
そんなとき、英典は、自分でもあきれるほど大胆になれた。おどろくほど、恥知らずな気持になれた。
すると、彼等も、それまでに見たこともないようなあからさまな愛し方を、披露《ひろう》してくれた。戯れあい、楽しみあい、遊びあっているような彼等が、戯れあい、楽しみあい、遊びあっているうちに、やがて、戯れが戯れでなくなってくる、楽しみが楽しみだけでなく、遊びが遊びでなくなって行く、あの凄まじさが、猛然たる昂奮《こうふん》が、英典を、ほとんど狂気とよんでいいものにまでひきずりこみ、物狂おしくさせるのだった。
快楽の芽を、いちどきにふくらませ、蕾《つぼみ》にし、花や実がその先にあることを、肉体で英典に教えてくれたのも、彼等だった。
英典は、彼等がくるのを、待ち焦がれた。待ち暮らした時期がある。密《ひそ》かに待ち、心に念じ、待ちあぐねて、そのたえがたさで、さらに物狂おしい気分をつのらせるのだった。
二人が、村へやってきていたあの時期は、二年だったか。それとも、もっと……三年くらいはつづいただろうか。
ある年、ふっと、彼等は姿を見せなくなった。それ以来、彼等には会えなくなった。
あれは、中学を終る年だったか。もう、高校へ入っていたか……。
英典は、陽ざしのなかで、ハンマーの空音を聞く。彼等にもらったハンマーを、動かしつづけている少年の姿が、見える。
彼は、古い地質時代に生きたアンモナイトの姿形をそっくりそのまま生け捕っているいくつかの石塊《いしくれ》を、眺めている。陽に灼けた手で、もてあそんでいる。ときに、じっと視線をこらす。
別名、キクイシともよばれるアンモナイトの化石は、そのよび名にもふさわしく、ラセン形に巻いた殻は、中心から外へむかって菊の花びらのような放射状の凹凸模様を刻みこんでいる。満開にひしめきあって開ききった美しい菊の花びらを、思わせる。
中生代の白亜紀には、絶滅して、新生代の海からは姿を消した生き物である。
その石面のアンモナイトが、ふと無数の花びらをそよがせるかに見える。花びらの一すじ一すじのながれが不意に、女体の秘奥《ひおう》になびくあやしい飾り毛を、思い起こさせる。
少年は、化石に見入っている。
いが栗頭の陽に灼けた少年の上に、ときおり、猟銃を持って走り出す女の姿が、重なったりする。
(檻《おり》がほしい)
と、英典は、思う。
久し振りにめぐりあう衝動だった。覗《のぞ》く肉欲、見る肉欲、見せる肉欲……その衝動から自分を隔離するための檻。それは、自分の手でつくらなければならない檻。われとわが身をとじこめる檻。
とじこめなければ、走り出すだろう。走り出してはならない方角へむかって。
走れば、とまらない体だった。
檻。
この村を出てからの英典の暮らしは、その檻づくりに費されたといってもよかった。
休むひまのない肉体。働きつめる肉体。眠るとただ疲労が待っているだけの肉体。いじめつづけていなければならない肉体。
そんな肉体のなかに、自分をとじこめておく檻。
英典は、その檻を自分なりにつくってきたと、思っていた。つくっては崩れ、崩れては繕いしてきた檻だった。人並みな人間らしく生きるためには、この檻を出てはならなかった。このなかで、死ねばいい。とじこめられて死に絶えればいい。化石のように、と、思ってきた。
しかし、化石のなかに棲《す》んでいるもの。ほんとうに、それは死に絶えているのだろうか。
陽ざしが、暑い。
ハンマーの音が、躍る。
水の音が、聞こえている。
一億六千万年前の海の潮騒《しおさい》に、それはふと変わったりする水音だった。
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艶《えん》 刀《とう》 忌《き》
細棹《ほそざお》の三味線が、一本、畳の上に投げ出されている。
障子の外は雪だった。
磨きこまれて赤みを帯びた胴は花櫚《かりん》、棹《さお》は紅木《こうぎ》で、転手《てんじん》の黒檀《こくたん》の糸巻きも使いこまれた地艶の色がしっとり脂の乗った感じに手馴じんで、四《よ》つ乳《ぢ》の猫の皮張りといかにも釣り合いがとれている。
布目に手擦《てず》れの跡の目だつ古びた錦の胴掛《どうが》けも、古びたところがかえってこの三味線には似つかわしく、風味があって、なまめかしい。
部屋の隅の卓袱台《ちやぶだい》には、おせち料理の盛られた小さな重箱が一重ねひろげられ、食べかけのごまめが小皿のふちからこぼれている。火鉢の五徳《ごとく》にかかったやかんで燗《かん》銚子の酒が沸《に》えたぎり、そのかたわらには一升|壜《びん》も栓の開けっ放しのまま置かれている。
祝子は、お座敷着の帯も解かず尻《しり》からげにした恰好《かつこう》で横座り、卓袱台に頭を落として酔いつぶれていた。
まだ日は高く、硝子《ガラス》戸越しに風に舞う雪のひらはきらきら輝き、眩《まぶ》しかった。
「祝子はん。おってかねえ」
廊下の外で声がする。
夢うつつで、その声を祝子は遠くに聞いていた。
「郵便だよ、祝子はん」
綿入れの袖《そで》なしの背をまるめ、大家《おおや》の女主人が一枚の封書を持って入ってきた日も、正月だった。
確か、まだ松の飾りのとれない内で、小雪のちらつくような日だった。
新年の宴会座敷を三つ四つまわって帰ってきたばかりのところで、祝子は帯を解きかけていた。
「冷えるわねえ、この部屋は。ストーブお買いよ」
「炬燵《こたつ》でたくさん。火鉢もあるでしょ」
「どうだろねえ。いまどき、火鉢で、炭|焚《た》いちゃって。ストーブのほうが、よっぽど安くあがるのにね」
「だから、ぜいたくしてるんじゃない。一年に一度、お正月の、せめて松の内くらいはさ、昔ながらに、火鉢に炭。ほっかりして、いいもんよ。ああ、日本人って、しみじみ思うわ」
「毎年同じこと言ってるよ」
「そう。これが、わたしの楽しみなの。お正月に火鉢を出して、炭火を埋《い》ける。七ヶ日のぜいたくよ。あとは、炬燵がありゃあ、たくさん」
「倹約、倹約」
「そう。ほんとよ、世の中不景気よ。一年に一ペんのお正月じゃない。三味線呼ぶくらいのお座敷なら、形だけでもいいじゃない、お祝儀のシュの字くらいは、つけたらどう?」
「つかないの?」
「まるで。てんで。影もないわ」
「稼ぎどきだっていうのにねえ」
「火鉢の炭代も出やしないわ。おお寒《さむ》。ほんとに寒いわねえ」
祝子は手早く着替えながら、火鉢のそばへ寄り、炭箱から良質の切り炭を火箸《ひばし》にはさんでつぎ足した。
「どうぞ。炬燵に入ってちょうだい。いまお茶いれるわ」
「いいわよ。わたしがいれるから。それよか、早く着ちゃいなさいよ。見てるだけでも、そんな恰好、風邪引きそう」
「郵便だって?」
「そうよ。これ、どういうの」
「どういうって?」
「ま、いいから、すんだらこっちへきてごらんよ」
大家は、封筒を炬燵の上に置き、改めてその裏書きを、しげしげと見直した。
「日本美術刀剣保存協会……」
「なによ?」
「なにって、そう書いてあるのよ。印刷してあるの。刀剣保存協会事務局。まちがいないわ」
「事務局? どこの」
「だから、刀剣……」
「トウケンて?」
「刀よ」
「カタナ?」
祝子は、ふだん着に着替えてもどってきた。
わけわからなさそうに、
「どれどれ」
と、その封筒を手にとって、一度表書きを確かめ直し、再び裏を返して、首をかしげた。
「ほんとだ。なんだろ。わたし宛《あて》だわよね。東京都渋谷区代々木4丁目××番×号。財団法人日本美術刀剣保存協会事務局――。知らないわよ、わたし、こんなところ」
言いながら、祝子は封を切った。
白い事務用の便箋《びんせん》紙が三枚入っていた。
けげんそうに読みはじめた祝子の眼が、しかしその文字を追うにつれ、せわしなく動きはじめ、顔つきも引き締ってきた。
祝子は、二度、性急に、その文面を読み返した。
そして、思わずとめていた息を吐き出すような溜《た》め息《いき》をつき、しばらくその眼は紙面から離れなかった。
「ちょっと。祝子はん。どうしたのよ。ね、なにごと? なんて書いてあるのよ」
「ん?」
祝子は、ゆっくりと眼をあげて、やっとわれに返ったような顔にもどった。
「ほんとかしら……」
「だから、なにが」
「信じられない」
と、また呟《つぶや》いた。
その日、矢吹祝子が読んだ一通の封書の文面は、次のようなものだった。
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――前略。昭和二十五年六月一日付で、貴殿がM県警察本部へ調査依頼方を申し出られた刀剣|一口《ひとふり》、銘・越《えち》前守《ぜんのかみ》 助広《すけひろ》(身長二尺三寸四分、反り四分、地鉄小杢目《じがねこもくめ》、刃文濤瀾刃《はもんとうらんば》)の件について、当時、国立博物館内に内設されておりました当協会へも照会があり、以後、貴殿添付の押形《おしがた》と共に申請資料は、当協会でも保存し、折あるごとに探索これ心がけてきましたが、残念ながら、行方不明、また該当する物件の情報らしきものもなく、いたずらに長年月が過ぎました。
なにしろ、助広は延宝年時の名工。刀剣史上、新刀の最上位に並ぶ刀匠《とうしよう》です。無論、現存登録されているこの人の名刀は数あります。しかしながら、貴殿が添えられたこの刀の押形を見ます限り、もしこの助広が出てきますなら、あるいは指定物《ヽヽヽ》かとさえ胸躍らされる、『重要刀剣』、『重要美術品』クラスの逸品ではないかと思われます。
それにつけても、大戦後のこうした刀の紛失ケースは数えきれなく、日本刀剣愛好者のわれわれとしては、切歯扼腕《せつしやくわん》の思いがしておる次第です。
さて前置きが長くなりましたが、本状は公式のものではありません。内々に、早急に拝眉《はいび》を得て、貴殿にご相談申し上げたき儀が、このたび突然|出来《しゆつたい》いたしました。
書面ではなにぶんとも不行届きですが、実は貴殿お探しの助広に酷似する品が、過日、T県の某氏より発見申請され、当協会がその鑑定にあたりました。文字どおり偶然の事件ですが、貴殿差し出しの押形に八、九分どおり酷似する点が見逃しできず、是非ともご確認いただきたく、ここにお知らせ申し上げる次第です。
新申請者である某氏にも、この旨、内諾は得ておりますが、刀の入手経路については不|明瞭《めいりよう》な部分があって、その方の追跡調査は不可能です。念のため、書き添えますと、件《くだん》の某氏は、この刀を某刀剣商より価格・八百万円で買い入れたものです。その刀剣商がどこから入手したのかが、辿《たど》れません。この種のルートには、いろいろ彼等にも商売上の秘密があって、追跡は不可能です。つまりこの助広は、登録証なしのヤミの刀として、世間の表には出ずじまいに動いていたのです。
貴殿の場合のように、戦後の刀剣狩りで、強制的に警察力を駆使し、没収同様にして全国からかり集められた刀剣類には、不幸にしてこの種のケースは、まだまだ山とあることでしょう。さいわい、貴殿は、刀剣のいわば指紋とでも呼ぶべき、身許《みもと》証明書代りになる正確な押形を、事前にとっておられたから、こうした時に役立つことになったのです。
思えば、米軍占領下、刀が貴殿の手許を離れて持ち去られてより実に三十数年。貴殿も諦《あきら》めておられたでしょうが、偶然の発見とは言え、このたびのことは、僥倖《ぎようこう》と思うほかはありません。そうした意味でも、是非ご来駕《らいが》をお待ち申し上げております。
尚、本状は、M県警察本部への調査申立て当時の住所に貴殿のお住まいなく、その後ご移転、転入先など、当方にて可能な限り、問い合わせ、探索などの手を尽くして得た最後の貴殿のご住所に宛て、発送いたします。今回のご住所にもご在住なき折は、残念ながら、連絡不能の処置を改めて考えざるを得ません。願わくば、ご開封あらんことをと乞《こ》い祈りつつ擱筆《かくひつ》します。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]頓首
判で押した協会名の横に、『水巻正三郎』と、個人名がしたためてあった。
祝子は、むしろぼんやりとして、遠いところでも見ているようなとりとめもない眼で、その突然の通知状を眺めていた。
「そう言えば……そう。そんなことがあったわねえ」
「ちょっと。あったわねえなんてのんきな話じゃないわよ。ほんとうなの、これ。え。ほんとに、あんたの刀なの?」
「そういうことになるわねえ。死んだ主人のものだから」
「ああ、戦地で亡くなったっていう」
「ええ」
「そうか。土地の旧家だったって言ってたわよね」
「そんなご大層なもんじゃないわよ。旧《ふる》い家じゃあったけど、ただの商人。海産物の卸し問屋。それも戦災に遭《あ》っちゃって、蔵が一つ残っただけの丸裸」
祝子は、ちょっと口をつぐみ、かぶりを振った。
「あの頃のことは、想い出すだけでも厭《いや》なのよ」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。わたしにゃ事情はわからないけど、とにかくここに、こういう手紙が舞いこんじゃってきてるんだもの。あんた、八百万円よ。これがあんたの刀だったら、どうなるのよ。えらいことじゃないかよ。もっと、ワァとか、キャアとかさ、驚いたらどうなのさ」
「驚いてるわよ。わたしが忘れちゃってるのに、たった一本の刀のことを、それも他人の刀のことをよ、よくまァ何十年も忘れずに、憶えていた人がいたもんだって、そのことに呆《あき》れてるのよ。驚いてるわ」
「なに言ってるのよ。そりゃあ、あんたが届けをちゃんと出してたからじゃない。それも、そんなに値打ち物の刀ならさあ、なおのことよ。ほうっておかれて、たまるもんかね」
祝子は、苦笑いして、しんみりとした口調になった。
「そりゃあね、あの頃のこと、大家さんが知らないからよ」
「いえ、戦後はどっこも同じよ。このあたりだってあんた、終戦直後は、進駐軍の命令で、武器になりそうなものはみんな、それこそ子供のおもちゃの短刀まで、持ってかれたのよ。MPや警察が、軒別《けんべつ》あんた踏みこんで、探しまわって行ったわよ。鎧《よろい》、兜《かぶと》、槍《やり》、薙刀《なぎなた》、弓矢、手裏剣、猟銃、空気銃、軍刀、サーベル……まあよくあれだけのもの集めたって感心するほど、ジープやトラックに積んでくの。探す方も方だけど、あるところにはあったんだなあって、舌巻いて眺めたこと憶えてるわよ」
「そうね。どっこもあったのよね」
「ええ、ええ、没収されるのが惜しくてさ、縁の下に埋めたとか、山や森に隠したとか、なかにはあんた、墓石の下を掘って隠したなんて話も聞いたわよ。まあ、うちなんかにゃ、そんな物騒なものも、お宝も、ありゃしないから、ご縁のないお話だけど」
「いえね、わたしだって、刀のことはなんにも知りゃあしないのよ。あの刀が、どんな値打ちの名刀かなんて、まるで知らなかったわ。嫁に入った家に、一本、刀があった。その家には、それは大事な刀だった。言ってみれば、それだけのことなの。刀の良し悪しなんて、わかりもしなかったし、わかろうとも思わなかったわ。嫁に入って、一年足らずで主人が出征。すぐ南方へ持ってかれて、戦死でしょ。その死の公報が届いて、半年のちには空襲。爆撃。家が焼かれて、おまけに家族も、いっぺんに吹っ飛んじゃった……」
「ちょっとお待ちよ。その話、はじめて聞くわよ」
「ええ。そうよね」
「呆れたね。あんた、水臭いわよ。三味線一本抱えてさ、この温泉町にきて、ここの離れの二階を貸して、あんたもう二十年近い付き合いよ。そりゃあ、家や家族のことは、あんたが口にしたがらなかったし、わたしも、聞きゃあしなかったけど……」
「ごめんなさい。喋《しやべ》って、楽しくなるような話じゃないもの。愚痴《ぐち》って、想い出せばさ、情ないことばっかりだった頃のことだもの」
「いいじゃないのよ。わたしは六十峠の向こう。あんたも、じきに峠に近づく。婆《ばあ》さん、婆さん言われたって、もう苦にもならなくなったじゃない。おたがい、前を見るよりも、後《うしろ》見た方が長いんだもの。愚痴りゃいいのよ。愚痴る種が、ある内が花よ。その内、想い出そうとしても、なんにも出てこなくなるんだから」
「厭ァね。暗闇《くらやみ》ばなしにしないでよ」
「暗闇、結構じゃないの。過ぎてみれば、あれも、これも、みんな結局、やり過ごせてきたことばかりだっての、おたがい、よく知ってるもの」
ふっと、祝子はまた、遠くへ泳がせるような眼になった。
「で?」
「え?」
「家族が吹っ飛んじゃったお話」
「ああ……ええ。家も人も、吹っ飛んじゃったり、焼け死んだり」
「まあ……誰も残らなかったの?」
「そう。残ったのは、わたし一人だけ。矢吹に入って、まだなにほども家の風に馴《な》じんだとも、家の人になれたとも思われないような新入りの、嫁だけが一人残って、矢吹の家の者たちは、みんないなくなっちゃった。わたしは、まだ二十歳《はたち》前だった」
「まあ」
「警報も出てなかったのよ。お昼の支度に、干し大根をね、蔵の中へとりに入ったの。途端にドカンでしょ。直撃弾なの。外へ出たらもう火の海。蔵が残ったのがふしぎなくらい、あたりはもうなにもかも。……一人になって、間なしに終戦。無条件降伏。敗戦でしょ。泣いてる閑《ひま》なんか、なかったわ。とにかく、矢吹の家の人間は、わたししかいなくなった。しっかりしなきゃあ。そればっかりを考えたわ」
「実家は? あんたの実家があるでしょうに」
「ええ、あったわ。広島に」
「え?」
「そうなの」
「まさか」
女主人は、絶句した。
「両親もいたし、弟妹《きようだい》もいたわ」
「……みんな?」
「ええ」
「まあ……」
しばらく、二人の言葉はとぎれた。
「ふしぎでしょ。悪いおとぎ噺《ばなし》かなんか、読んでるみたいな話でしょ。結局、焼け残った矢吹の家の蔵一つ。そこだけが、わたしの住める場所。そんな状態だったから、刀を持ってかれた時だって、これは武器、ポツダム宣言で、持つことは許されないんだと言われれば、はいどうぞってなもんよ。隠すなんて才覚は、思いつけもしなかったわ。そりゃあ、出したくはなかったわ。矢吹の家にとっては、ただの刀じゃなかったもの。主人とわたしの結婚にも、なくてはならない刀だったもの」
「どういうこと……?」
「いえね、その刀はね、矢吹の家を継ぐ人間の婚礼の時にだけ、床《とこ》に出して飾られるのよ。代々、そういうしきたりなのよ」
「ヘえ……」
「おかしかない? だって、刀は切るものでしょ。切れ物でしょ。人を斬《き》る。命を断つ。切るとか、断つとか、そんな言葉をつかうのだって、縁起が悪いっていうくらい、普通、|げん《ヽヽ》を担《かつ》ぐわよね。ちがう?」
「そうねえ。そう言えばねえ」
「でしょう? その張本の刃物をさ、刀をよ、婚礼の初夜の床飾りにするんだもの」
「おやまあ、初夜の?」
「そうなのよ」
「また、艶《つや》っぽい刀だわねえ」
「ちょっと。変な声出さないでよ」
「あら、赤くなったわよ、この人」
「ばか言わないでよ。怒るわよ」
祝子は、すぐに真顔にもどった。
「だから、主人に尋ねたの。『その通り。切るんだ』って、主人は言うの。|切る《ヽヽ》は|切る《ヽヽ》でも、矢吹の|切る《ヽヽ》は、魔を切るんだって言うのよ。邪気を払って、夫婦の契りを守る、守護刀だって」
「なるほどねえ」
「契りを固める、破魔の刀だって。そういう風に代々言われてきてる刀だから、そう思えばいいって言うの。そう言われれば、おかしかないでしょ? おかしいどころか、一代に一回だけ、床に飾られる、矢吹家にとっては神聖な、これほどめでたい象徴はないもの」
「そうねえ」
「わたしがね、その刀について知ってる知識は、それだけなの。それと、『越前守助広』という銘を教わっただけ」
と、祝子は、言った。
「だから、手放してはいけない刀だとは思ったわよ。でも、日本が敗けたんだもの。刀は持てなくなったんだもの。仕方ないでしょ。それに……主人も、家も、家族も、みんな、いなくなってしまったんだもの」
「……破魔じゃなくて……別の方を、切ったのよね」
かぼそく、甲高い音《ね》が、咽笛《のどぶえ》をふるわせて祝子の口から洩《も》れた。
長いこと、その声は泣きやまなかった。
泣きつきるまで、祝子自身も、その声をもてあました。
歳月を飛び越えて、突然、焼け跡の蔵の匂《にお》いが押し寄せてきた。その中で泣き崩れている若い稚《おさな》い頃の女身が、いまこの五体に、蘇《よみがえ》ったかと、うろたえた。
「……祝子はん。おってかねえ」
廊下のはずれの階段を、大家の勝子の声がのぼってくるのがわかる。
夢うつつの酔いが、かすみのように祝子の手足にからみつき、五体の力を奪っている。
(そう。三年前のあの正月も、雪が降っていた。一本の日本刀、越前守助広の消息を伝えてきたあの思いがけない通知状が、舞いこんだ正月の日も……)
と、祝子は、思う。
(あの通知状さえ、見なければ……)
(来なければ……)
と、祝子は、|身※[#「足へん+宛」]《みもが》く。
火鉢にかかったやかんの中で首長《くびなが》の銚子の酒が沸えたぎっていた。
その先の畳の上に、三味線が一本、転がっている。
時折、没収された日本刀のことが、矢吹祝子の気にかかりはじめたのは、終戦の翌年に入ってからであった。
それまでは、占領軍にとりあげられてもう縁のない刀だと諦めきっていたし、また、焼け野が原に土蔵一つの身になった暮らし向きや、焼け跡の整理などに追われっ放しで、毎日が無我夢中に過ぎ、刀のことなど想い出すゆとりも、ひまもなかった。
そんな祝子に、刀のことがふと気になったりする日があるようになったのは、人が話している噂《うわさ》を、ある日耳にしてからだった。
没収刀が、持ち主の手許に返ってきたというのである。
美術品としてのすぐれた工芸的な価値や、高い骨董《こつとう》性とか、鑑賞性などを備えた芸術作品として認められる類いの刀は、審査されて、その刀を所持しても危険性のない人物、善意の日本人と認められるような持ち主に限って、返還される――というような話だった。
いや、審査はすべて連合国軍の人間たちが行なうので、日本刀の正しい芸術的価値などわかろう筈《はず》がない。返還許可がおりたのは、みんな連合国の軍関係に特別の顔が利く人物か、縁故のある者たちばかりらしい――とかいう噂もあった。
あちこちでそんな話を聞くようになると、急に祝子のなかに、助広は矢吹家の守護刀であったというわきまえが、立ち戻ってきた。家伝の守り刀である。返るものなら、とり返したい。それが矢吹家ただ一人の生き残りの務めであろうという気がした。
祝子が最初に警察へ出向いて、その旨を懇願したのは、この時である。
係の署員に、剣もほろろの扱いを受け、追い返された。
日本警察には、没収刀に関する権限はいっさいない。かりに返還刀があったにしても、審査は願い出て受けられるという性質のものではない。それはすべて連合国軍側の自由意志による。返る刀なら、黙っていても返ってくる。しかし、もし返ってくるような名刀であったにしても、弱冠二十一歳の寡婦、家もない、家族もない、女一人の焼け跡暮らしの身に、危険刀剣であるに変わりのない刀の責任ある管理がどうしてできるか。身の程知らずもたいがいにしろ、と怒鳴りつけられたのである。
しかし、その年の、つまり昭和二十一年の五月十四日、マッカーサー司令部は、正式に刀剣審査権を日本政府側に渡し、日本政府による所持許可証の発行も許すことになった。
そして、同年八月十四日から十月十四日まで、二箇月間をかけて、戦後初めての、日本政府が任命した日本人審査員・六十名によって、第一回刀剣全国審査が行なわれたのである。
この折、審査された刀は、全国で十万刀余であったという。
この審査を契機にして、わが国の刀剣有識者や専門家たちの手で、美術品としての日本刀を保存擁護する積極的な行動や努力は急に表立って形をとることになる。
昭和二十三年二月に、第二回目の審査が実施された。この時所持許可がおりたのは、十五万本程度だった。
専門家たちは、こうして、終戦直後の進駐軍による刀狩りや没収刀集めの網の目から洩れてまだ全国の野に眠っているにちがいない刀たちに、それぞれ正当な評価や光をあて、保存すべき価値ある刀には安住の地をあたえんものと、努力を惜しまなかった。
しかし、刀狩りの記憶は、まだ全国になまなましかったし、出せば没収されるという思いも消えず、事実、没収刀の所在がそのまま不明の刀も数知れずあり、手放さぬが安全と頑固に信じこんでいる人間たちも多かったろうし、また、今出せば、刀狩りの時になぜ出さなかったかと咎《とが》められるのを怖れた人間たちもいただろう。咎めはないとわかっても、一度隠したうしろめたさで二度目も三度目も出しそびれる者もいよう。また、戦後の生活に追われ、疲れ、刀はあっても刀どころではない無関心者もいるだろう。他人の品定めなど必要とせぬ向きもあろうし、出したくても、審査会場までその刀を持ちこめぬさまざまな理由や事情が、人それぞれにあったであろう。
そしてまた、この所持許可が得られる全国審査が、いつどこで行なわれるかということを、知らずに過ごした人間たちもおそらくあったにちがいない。
敗戦が荒した人の心や暮らし向きは、まだその爪跡も傷口も日本全土にわたって深く、癒えはじめてはいなかった。
野にある刀も、その敗戦の風に荒され、辛酸をなめていたにちがいない。
その姿が見えないだけに、このまま、ただ海のものとも山のものとも知れぬ玉石|混淆《こんこう》の闇のなかへ野放しにはしておけなかった。
全国審査は、野の闇からそんな刀たちを掬《すく》いあげ、陽《ひ》の目を見せてやるためのものだった。
そして、昭和二十四年四月、ついにこの全国審査は、これまでの期限を切って特定の会場で審査していた方式を捨て、常時、届け出さえすれば、いつでも審査が受けられるという現行の方法に改められた。
こんな中央刀剣界の動きが、祝子の身辺に届かぬ筈はなかった。
全国審査の実施を告示した通達書も、祝子は、町内回覧でも見たし、市役所や警察署の告示板でも確かめて、第一回の時から知っていた。
無論、その都度、警察へも出向いた。
強制的に出せと命じられてとりあげられた刀が、いまだに返してもらえなくて、その時出さなかった刀に、審査や許可があたえられる。
「これは、どういうことなんですか。わたしが出した刀にだって、審査を受ける資格はあるでしょ。あの刀を、審査して下さい。いいえ、返してさえ下されば、そちらのお手間はとらせません。わたしが、自分で審査場へ持って行きます」
応答は、いつも同じだった。
――今、調べている。
――関係部署へ、問い合わせ中だ。
――君一人だけじゃないんだ。同件物が山とあるんだ。順番を待て。
――占領軍の管理下に置かれた物は、一括して、占領軍が処理手続きをとる。
などなどの繰り返しで、いっこうに明確な答えを得ることはできなかった。
係官の返答は、人によってさまざまだった。
そんな中で、ある一人の係官の応対に、祝子は希望をつないで待った。
いったん武器として没収された日本刀は、占領軍の全国各軍憲兵隊や海兵隊の司令部が、それぞれの地域別に管轄していて、この各管轄ごとに、没収刀に対する考え方がちがうので、交渉は複雑怪奇なのだという。
「しかしね、中央の日本の専門家たちが、必死にその交渉に当ってくれてね、どうやら、特別優秀刀や、逸品、名刀なんてのは、全国の没収刀の中から、おまえたちが選んでよろしいというお許しが出たらしいんだ。すでに、めぼしい刀は、全国から集められて、一括して、もう東京の博物館へ運び込まれているそうだ。だから、あんたの刀も、立派なのだったから、その中に入ってるだろうし、入ってりゃ、その内、所在ははっきりするよ」
と、その係官は、説明してくれた。
「しかしね、越前守助広というだけじゃ、かりにあんたの刀であったとしても、探しようがないんだよね」
「だから、わたしの憶えている限りの特徴は、みんな絵に描きました。鞘《さや》の色とか、鐔《つば》の図柄とか、柄《つか》の色糸とか、下緒《さげお》の色とか」
「うんうん。それはわかるんだけどね。そういうものは、刀の拵《こしらえ》と言ってね。外の付属品だからね。これはみんな、変えようと思えば、そっくり別のものにとっ替えられるんだよ。肝心なのは、刀の中身でね」
と、これも、いつも言われることだったが、その係官も、閉口しきった顔つきになって言った。
「そんなこと、刀を出す時に、警察の人が記録してる筈じゃありませんか。わたしは、刀の専門家じゃないんですから、刃文がどうの、長さがどうのなんて言われても、わかりません」
「困ったねえ」と、彼は渋面をつくった。
「困ってるのは、わたしの方です」
「まあ、聞いてる限りのことは記録にしてあるから、助広が出るのを待ちましょう」
頼りない返事であった。
祝子は、つくづく、自分に刀の知識のないことが悔まれた。
新婚の初夜の床の間に飾ってあった刀。
夫の郁光が、抜き放って見せてくれた刀身。
手をとって、祝子にもその柄を握らせ、二人して顔を寄せ、近々と眺め合ったその刃文の冴《さ》え。
今でもしっかりと眼の底に焼きついているが、それを口で、あるいは専門用語で、正確に表現することはできなかった。
見ればわかるという確信はあったが、現実に刀がどんな刃文を描いていたかとなると、想い出せなかった。
助広は、初夜の朝が明け初めるまで、同じ寝間の床にあった。鮮やかな白絹の布の上にその抜き身をさらしていた。
祝子は、一夜、夜どおし気がつけば、その刀身を眺めていたような気がする。
郁光は幾たびも祝子を抱きすくめ、求め尽くし、祝子にも求め尽くすことを望み、むさぼり、祝子にもむさぼらせ、溶け、溶け返すことを教え、裸身をくまなく明け渡し、明け渡し返すことを憶えさせ、やがて視界が燃え立ちはじめ、祝子には郁光が郁光でない男に見え、郁光にも祝子が祝子とは思えぬ女に変わっていることがわかり、祝子に驚きの声をあげさせた。
自分が自分でなく思え、夫が夫でなく見えた歓楽のこの一瞬に、祝子は途方に暮れた声を放った。その声に満足すると、郁光は軽い寝息をたてて、祝子をその腕の中から解放した。
解き放たれては見、抱きすくめられては見した助広の刀身は、忘れられなかった。
わずかに一夜、それ限りの対面だったが、祝子は、夜を徹してその刀を見た。
眠りは来ず、しかし郁光の寝息を耳にしながら安らいでいる時間は、快かった。その快さのなかでほっと憩いながら、助広を眺めたのだ。
助広の無数の刀身を、祝子は見たという気がする。
没収刀が発見されれば、必ずその識別はつく。見まちがう筈はない。
祝子は、そう思った。
思いながら、焼け跡の蔵の中で一人暮らした。まるで助広が、いまでは生きる唯一の支えになりでもしたかのように、その発見の日を待ちながら。
そんな生活が五年目に入ったある日だった。
蔵には矢吹家の道具類が残されていて、幸いにして戦災を免れたそれらの品々は、祝子の飢えを凌《しの》ぐ助けになってくれた。祝子は、一つずつ大事に手放し、焼け跡には畑をつくり、切りつめて倹約しながら食いつないで行く助けにした。
その日も、道具屋に売るそうした品の一つをあれこれ物色していて、ちょうどネクタイケース大の桐の箱を長持の隅に見つけた。あけると樟脳《しようのう》の香りが立ち、折り畳んだ奉書紙に外側を包まれた和紙が二枚入っていた。
一目見て、それは、
「日本刀の、拓本!」
とわかる、墨目で写しとられた刀身の図柄であった。
――銘、越前守助広・押形(表・裏)
と、余白の部分に墨書してあり、『身長二尺三寸四分、反り四分、地鉄小杢目、刃文濤瀾刃』と、小書きが書き込んであった。
祝子は、胴ぶるいがとまらなかった。
(あった、ここに。助広が、あった)
やみくもに、その押形《おしがた》をつかんだまま、警察署へ走ったのである。
押形というのは、早く言えば、刀から鞘や柄や|※[#「金+示+且」]《はばき》などいっさいの外装品をとり払って、刀身だけにしたものの上に和紙を当て、その上から石華墨《せつかぼく》でこすりながら、銘や刀の全形を写しとったものである。刃文は手描きでその刀形の上に、現物と寸分違わず丹念に描き込んで行くのである。刀の真贋《しんがん》の識別などには、最も強力な証拠物件となる。
刀剣保存協会の『水巻正三郎』なる人物からの手紙にあった『昭和二十五年六月一日付』というのが、この日のことである。
つまり祝子はこの日、市の警察署を見限って、県警本部へ調査を依頼したのである。
(これで出る)
と、思った日本刀は、しかし、何年待っても出てこなかった。何度問い合わせても、行方が知れなかった。
やがて、祝子は、あの押形を手放したことを後悔した。あれだけが、矢吹家に、一本の日本刀があったことを証明する唯一の証拠なのだったから。
その押形も、返還を申し出ると、
「さあ。あちこち廻ってるだろうからねえ。いま、どこにあるかは、ちょっとわかりませんねえ」
という返事だけが返ってきた。
結局八年、祝子は、焼け跡の土蔵に住んだ。
もう、助広は諦めていた。出る刀ではないと思った。するだけのことはした。出るべき道すじにあるのなら、とっくに出ているだろう。それが発見されないのは、もう絶対に出てこない所へ身を隠したからだ。没収刀は返らない。そう思えばいいではないか。
(あれは、矢吹家の刀)
祝子の心を決めさせたのは、そのことだった。
矢吹家のすべてが、いま、もう亡《な》いのだ。家も、人も、消えて跡形もない。
(あの刀が消えたのも、むしろ自然なことなのだ。守るべき家も、人も、ない)
そう思ったとき、突然、祝子には、これは助広自らの意志なのではあるまいか、とさえ考えられた。
すると、ほんとうに信じられた。助広は、二度とここには帰ってこないということが。
祝子は、あらかた売り払って閑散とした蔵の中を見廻した。
この蔵も、そう言っているように思えた。蔵自らの、これも、意志なのだと。このなにもなくなった、がらんどうになった眺めも。
祝子がM県を離れたのは、それから間もなくしてである。
矢吹家の焼け跡の土地は市の児童福祉施設に寄附し、できれば孤児たちの役に立つことに使ってほしいと言い添えた。
もうこれ以上、矢吹の家の財にすがって生きたくはなかった。二十八歳の年の暮れだった。
刀は、この日から、祝子と無縁の存在になった。
「むこうだって、忘れちゃってるだろうにね」
「ん?」
「いえ、この助広さん。ねえ」
と、祝子は物憂《ものう》そうに、相槌《あいづち》を求めでもするような眼を、その封筒へ投げた。
封筒は丸二日、炬燵の上に置き去りにされている。
「高い足代かけてさ、出て行くことないわよねえ」
と、再び、その封筒を見た。
「なに言ってるのよ。八百万よ」
「会いたくないの。この助広さんにはさ。むこうだって、そう言うわ。こんなお婆ちゃんが、ひょっこり出てきちゃあ」
「本気?」
「ええ」
祝子は「ええ」と頷《うなず》いたその東京へ、しかし出かけて行った自分がわからなかった。
水巻という手紙の主は、温厚な中年の紳士だった。けれども彼との話の内容は、ほとんど記憶に残っていない。発見刀には刃先の一部に小さい疵《きず》が二箇所あり、この点が押形と異るが、これは明らかに後の疵で、発見刀は相違なく押形の越前守助広であること。従って正当な持ち主は祝子であることを、刀を買った人物も認めたが、この刀がぜひとも欲しく、刀剣商との売買関係は別にして、もし祝子にその気があれば、改めて祝子から買いとりたいと申し入れてきていること。
「というのはね、この人、実は故郷にある美術館に、いろいろ私財を投じてね、貴重なコレクションなんか寄贈してきてるんですよ。この刀も、ぜひその一つに加えたいらしくてね……」
水巻は、まだほかにもいろんなことをしきりに喋っていたが、祝子の耳には入らなかった。
一本の日本刀と、やがてその部屋に入ってきた一人の若者とが、祝子の視界を奪っていた。
水巻がなにか言った。その青年を紹介していた。祝子は息をのんだまま、言葉を失っていた。
大宮|薫国《ふさくに》。発見刀の買い主の息子だった。
父親が外遊中で、代理に挨拶《あいさつ》にきたと彼は告げたが、その時の言葉や声を、祝子はまるで憶えていない。
祝子が見、祝子が聞いたのは、遠い彼方の記憶のなかの床の間を飾っていた白絹の上にあった一本の日本刀と、その抜き身を手にとって、「助広だ」と祝子に教えた若者の姿だった。
実際、助広を手にとって、その濤瀾の刃文を眺める薫国を見た時、祝子は声をあげたのだった。
郁光が、そこにいた。
よく見れば、顔も姿もちがうのに、郁光がいるのだった。郁光も、助広も、あの頃のままで、そこにいた。
この日、祝子はうろたえつづけ、そのうろたえが去らないことに動転し、あわてふためく自分におどろき、なお一層うろたえて、一日中平静さを失っていた。
しかし、その動転感は、帰ってからも消えなかった。
「ええ? あげちゃったって言うの?」
「そうよ。わたしが持ってたって、しょうがないもの。それよか美術館でさ、ちゃんと値打ちのわかってくれる人たちに、たくさん見てもらえた方が、あの刀だって嬉しいわよ」
「ただで?」と、勝子は、あきれていた。
「そうよ。もともと、わたしの物なんかじゃないんだもの。わたしのは、これ。これが一本ありゃあいい。なんとか食べさせてくれるもの」
と、祝子は三味線を引き寄せて、転手《てんじん》に手をかけた。
「どうぞ、いつでもきて下さい。この助広にお会いになりたくなったら、いつでも」
別れぎわに、薫国は言った。
美術館が、祝子の住む県と二つ隣りの県にある近さの縁を、しきりに薫国はふしぎがった。彼は、そこに勤めているという。
「よろこびますよ、館の連中」
行きはしない、と、祝子は思った。
(いいえ。決して)
(もう会うことはないわ。二度と。あなたたちには)
そう思って帰ってきたばかりの祝子が、明日にでも出かけたい、と、ふといま思ったような気がしたのである。
(あれから、三年……)
と、祝子は、夢うつつの内で、思う。
何度、出かけて行っただろうか。
そして結局、そのたびに、薫国にも、助広にも、会わずに帰ってきたあの美術館への石畳の坂道を、何度、のぼりおりしたことだろう。
(六十の老いの坂をもう越えきった三味線芸者。おい。おまえ、なに血迷ってやがるんだい)
初夜の床の間の日本刀が、眉間《みけん》の先へ迫ってくる。濤瀾の刃文の濡《ぬ》れた光が躍る。郁光の軽い寝息が、いつの間にか薫国の息音《いきね》に変る。夜着をはだけてゆっくりと薫国が起きあがる。炎色に視界が燃え立ちはじめてくる。
この毎日が、わからなかった。
美術館の林に続く坂道を、ある日並んでおりてきた薫国と、あどけない肩を触れ合っていた少女のような女の子。
よく似合った二人連れだった。
なぜ、あの二人を見ると、心がふるえてくるのだろう。自分が自分でなくなるような気がしてくるのが、わからなかった。
見つめていると、祝子は絶えず、いまにも自分がなにかをしそうな気がしてくるのだ。なにを? それがわからなかった。
いや、二人を見ていなくても、その感じは不意に起こった。いまでは、もうどこにいても、みさかいなくやってくる。
座敷で三味線を弾いていて、ふっと身内に刃物を呑《の》んでいるような恐怖におびえることがあった。弾く手はとめはしないけれど、しきりに手はその刃《やいば》をなでまわしているようだった。
どうしたというのだろう。
(おい。おまえ、幾つになったんだい)
火鉢のやかんが鳴っている。
おせち料理の重箱に銚子が転がっている。
その先の畳の上へ、三味線が投げ出されていた。
弦が一本とんでいる。
「祝子はん、おってかねえ」
廊下の外で声がする。
夢うつつで、その声を祝子は遠くに聞いていた。
参考文献 柴田光男・大河内常平共著「趣味の日本刀」
[#改ページ]
春 撃《う》 ち て
山道を渓流ぞいに歩きながら、和正はときに立ちどまる。つと腕をさしのばし、一瞬身構えると、その腕をすばやく振りおろす。
川の瀬に、鋭い水音が立った。
「チ」
ちょっと舌打ちをして、走り去る岩蔭の魚影を眼で追う。追いながら足はその瀬に踏み込んでいて、無造作に、打ち込んだ得物《えもの》を拾いあげる。
一本の釘形《くぎがた》をした手裏剣だった。
「狙《ねら》いはええ。けど、水に入って剣が死ぬ。小手先で打っとる証拠じゃの。腹。腹で打とうとせんから、生きん」
と、いつも駒蔵は言う。
刃先を手前に、逆に剣尻《けんじり》を前方に構え直して、和正はやにわにその手を返す。返しざまに、剣はとぶ。廻転打ちだ。六、七メートル先の深い木立ちの杉の幹に、手裏剣は刺さっていた。動かぬ標的だと、うまく行く。
もう七十を越している腰の曲がった駒蔵に難なく仕留《しと》められる魚が、一年近くも習練して、いまだに和正の手には負えなかった。
手裏剣を抜く。手の内で持ち直す。歩きながら打つ。打ちながら歩く。この山歩きの時間は、ここのところ和正の日課のようになっていた。
しかし、それは手裏剣の技を身につけるとか、腕前を磨くといった目的があっての山歩きではなかった。むしろ和正にとって手裏剣は、所在無《しよざいな》いときの、所在無さをまぎらすための道具とでもいったほうがいいようなところがあった。
冠山山地のはずれのあたり、山間盆地に小さな町があちこちに開けてはいるが、その周辺の農村はやはりかなり奥まった辺鄙《へんぴ》な山あいの村という眺めを残している。
こんな地方の山奥にある見ず知らずの農村に、ずるずると居続けて和正が住みつくようになってから、もうまる一年、東京を離れた暮らしが続いていた。
「あんたがよけりゃ、いつまでおってくれてもかまやせんがの。けど、毎日、日がもったいのうはないかの。こんなところで、老いぼれ相手に、一文の得《とく》にもならん百姓仕事を手伝うとる時間があったら、その分だけ、あんた、東京へ帰って、そっちのほうを探したほうがええのとちがうか。わしは、その娘さん、東京を離れちゃおるまいと思うがの。女一人、食うて、生きていくにゃ、やっぱり都会がいちばん手っ取り早い。働き口も、なんじゃかんじゃとあるじゃろうに」
和正を置いてくれている農家の主《あるじ》、田中駒蔵も、ときおり、思い出したようにそんなことを口にしはする。
そのとおりだと、和正も思うのである。
自分は女を探している。一人の女を探すことが、いまなにをおいても自分がしなければならないことだと、わかっている。この額田《ぬかだ》の村へも、そのためにやってきたのだ。そして、なんの手掛かりも、ここでは得ることができなかった。手掛かりがない以上、ここは無縁な村である。早々に立ち去るべきだった。
いや、一度は立ち去ったのだ。
そう。最初にこの村へやってきたのは、六年ばかり前だった。そのとき、なんの手掛かりもなく立ち去ったこの村に、再び昨年足を運び、そのままこうして一年の余も住みついてしまっている。
そのことが、和正にも、自分で自分がよくわからないところなのだった。まるでもう弓子を探すことなんか忘れきってしまってでもいるかのような錯覚を、ふとおぼえることさえある。
(おれは、いったい、ここでなにをしてるんだろう)
そのたびに、眼が醒《さ》めたようにそう思いはするけれど、だが、おろした腰をあげる気にならないのが、自分でも、ふしぎであった。
額田の村は、山も野も川も田畑もいま春のあざやかな精気に萌《も》え立っていた。
六年前、この村をはじめて和正が訪ねたときも、春のまっさかりの時季だった。
レンゲ、ナノハナの野道を山あいへ山あいへと飽きるほど歩いて、里のいちばん奥まったあたりの山ぎわに、レンギョウやモクレンの花に軒端《のきば》を飾られた藁《わら》ぶき屋根の農家があった。それが田中駒蔵の家だった。
裏山の山桜も満開で、和正は思わず足をとめ、その眺めにしばらく見蕩《みと》れた。
駒蔵は、陽《ひ》の当たる納屋の入口に筵《むしろ》をひろげ石臼《いしうす》を挽《ひ》いていた。
「涼平?」
と、ちょっと和正を改めて見はしたが、粉挽きの手はとめなかった。
「涼平は、ここにはおらんで」
「じゃ、まだ東京のほうに?」
「さあ、そうじゃろうとは思うがの」
「あの……失礼ですが、涼平さんのお父さんでしょうか?」
「そうじゃが」
「いや、とつぜんお邪魔して申しわけないんですが……さっきも申しましたように、涼平さんにお目にかかって、ぜひお力を貸していただきたいことがありまして……東京でお会いできればと、方々たずねてまわったんですが、ご消息がわからなくて……もしかして、こっちへお帰りにでもなってるんじゃないかと思いまして……」
「帰ってませんで」
「そうですか。じゃ、東京のご住所は、わかりませんか。それだけでも教えていただけると……」
「さあての。あれは、三鷹たらいうたかの」
「三鷹の井の頭。五藤スタジオ……ですか?」
「そうそう。そんな名前じゃったの」
「五藤又七の仕事場でしょう?」
「さあ、そういうことは、わしにはわからんがの」
「仕事場なんです。写真家の五藤又七。彼のスタジオ兼セカンドハウスが、井の頭にあります。涼平さんは、その仕事場の二階にずっと住んでました。それは、僕も知ってるんです。でも、もうそれは二年も前のことですよ。五藤又七が、あんなことで死んじまって、スタジオはなくなりましたし、いまは人手に渡っちゃって、別の住人が入ってます。もちろん、涼平さんも、そこにはもういらっしゃいません」
「……。ほお。そうかの」
駒蔵はさして驚いた様子も見せず、石臼をまわし続けていた。
「ご存じじゃなかったんですか?」
「あれは、出たきり、行ったきり、梨《なし》の礫《つぶて》の|ものぐさ《ヽヽヽヽ》じゃけえ」
「あのう……でも、二年前に、写真家の五藤又七が殺された事件は、ご存じなんでしょ?」
「そうじゃっての。新聞で見たんじゃったかいの」
「ええ、新聞でも、テレビでも、賑《にぎ》やかに報道しましたよ。五藤といえば、写真界の大御所みたいな存在ですからね。もちろん、あれでしょ。息子さんからも、あの事件のときには、なにかそういう連絡はじかにあったんでしょう?」
「いいや。なんにも言うちゃあこんじゃったが」
「なんにもですか?」
「ああ。なんにも」
「だって、あれでしょ。涼平さんは、五藤又七の助手でしょ? ずっともう、ずいぶん長いこと、又七の助手を勤めておられたと聞いてるんですが。又七の仕事の助手はもちろん、身のまわりの世話やなんかも、三鷹ではいっさい、涼平さんがやってらしたんじゃないですか?」
「さあ、そういうことは、わしにゃわからんでの」
いかつい指で糯《もち》の小米を間断なく挽き穴へ送り込みながら、重い石臼をまわす手を瞬時も駒蔵はとめなかった。
「なんせ、ここをとび出したのが、十七か八になるやならずじゃなかったかのう……それきり、外で暮らしとる子じゃからの。はあ、かれこれ、二十年|近《ちこ》うはなるじゃろう。めったに、ここへは戻らんし……戻ってきても、ろくに話す間ものうて、じきに帰って行きよるからの。ま、男所帯の親一人、息子一人の百姓|家《や》……その親も、ごらんのように爺《じじ》になる一方で、殺風景な家中《やなか》じゃけ、あれも、面白うはないんじゃろう。落ち着けようにも、落ち着く腰が、あれにもないんでしょうで」
「すると、ご家族は……」
「はあ、ほかにゃおりゃあせんでの」
「そうですか……」
「まあ、元気でありゃ、それでええと思わにゃ仕方ないような倅《せがれ》じゃから、外でなにをしとるやら、まるでわしにゃ、わかりゃしません」
春の陽ざしのなかで、白無垢《しろむく》な粉をふりこぼす臼の音だけが、ゆっくりと響いていた。
「じゃ、涼平さんが、現在、どこで……どんな仕事につかれているか……それも、お父さんには、連絡がないわけですね」
「ないの」
「そうですか……」
和正は、地べたに腰をおろして、レンギョウの花枝を見あげながら、急にぼんやりとした。レンギョウの花にまじって、緋色《ひいろ》の桃の花枝もいまがさかりの満開だった。
じっと耳にしていると睡魔にひき込まれそうな、きりもない、ゆるやかな石臼の音が、|つと《ヽヽ》やんだのはそんなときだった。
頭《こうべ》を返すと、駒蔵が、皺《しわ》んだ眼をまっすぐに和正のほうへ向けていた。
「一つ、尋ねても、ええかの?」
と、駒蔵は言った。
「え?」
「先刻から、あんたは、五藤又七、又七、と、その写真家の先生を、何度も、呼び捨てにしてなさっとるようじゃったが……なにか、わけでもあるのかの?」
和正は、しばらく老人を見つめ返していたが、不意にその顔をもとに戻した。
花の枝を見あげた視界が、一時に揺らいだ。
「無念で……残念で……地団駄踏みたいくらいなんです。あんな死に方をしてなかったら、僕が、きっと殺したでしょう。そう。殺さないでは、おかなかった。殺したい。殺してやる。毎日、そう思って、暮らしました。この手で殺せなかったのが、情《なさけ》なくて、無念でならないのです。あの男を!」
涙であふれた視界のなかで、緋色《ひいろ》の花が揺れていた。その上の燦爛《さんらん》たる春の空に、それはにじんで溶けて行くまぼろし色の綿雲のように、見えた。
鳳仙花《ツマクレナイ》の花をつぶして、ほそい爪先《つまさき》を染め、
――ほら。
と、宙にかざして泳がせた無心な指や、少女の頃の弓子の笑顔が、その紅色《べにいろ》の雲に溶け込み、淡くにじんで消えて行く。
六年前の額田の村で見たあのいっときの春の空を、和正はよくおぼえている。
忘れたわけではなかった。探し出してやらなければと、逸《はや》り立つ心にいまも変わりはなかった。
五藤又七への殺意が、いまも心を去らずにある、そのことに変わりはないのと同じように。
(では、なにが変わったのだろう)
と、和正は、今日も、また考えた。
あのときと同じ春の空が、頭上にあった。
(あの日立ち去ったと同じように、なぜこの村を後《あと》にして、出て行こうとはしないのか)
「タ!」
「ウ!」
気合とともに手裏剣がとぶ。
和正は、ぶらぶら歩きに、山中の径《みち》を谷ぞいにのぼっていた。
五藤又七が殺されたのは、夏のさなか、陽ざかりどきの午後であった。
新宿の繁華な大通りを一筋裏に入った、しかし道幅も結構広く、賑《にぎ》わいもする、喫茶店や食べ物屋の多い商店街の路上で、事件は起こった。
いや、起こったと人々が気づいたときには、惨劇は、もう終っていたというべきかもしれない。
通りすがりの主婦や、学生、OL、老婆とその連れの子供など六人が、次々に路上のあちこちに転がっていて、ほかの通行人たちにそれが殺人だとわかったときには、もう犯人はその路筋にはおらず、表の通りへふらふらと歩き出ていた。
血に濡《ぬ》れた刺し身包丁をぶらさげた犯人に駭《おどろ》いたのは、むしろ表通りを歩いていた人間たちのほうだった。
じきに街は騒然として、犯人は駆けつけた警察官にとりおさえられ、逮捕された。
三十五歳の、塗装業、酒乱の男であった。
特別にその日の東京は暑かったらしい。新聞や週刊誌の記事などは、暑熱の路上、カンカン照りの街、異常高温にうだる白昼……などという言葉を山ほど並べている。
和正には、その日の暑さの記憶はない。というのは、その日、和正は東京にいなかったからだ。
ニュースは、北海道のロケ先で聞いた。
ほんの端役で科白《せりふ》もろくにない役だったが、久し振りについた映画の仕事で、東京を留守にしていた間の出来事であった。
殺された六人のなかに、五藤又七がいたのである。
世間に名高い写真家で、もう六十の老境に入ってはいたが、見るからに精力的な衰え知らずの風貌《ふうぼう》は、風貌だけにとどまらず、その作品活動にも旺盛な仕事振りを見せ、マスコミにもなにかと賑やかな話題をふりまき、地位も名誉も定まった大物ぜんとした男であった。
いわれなき不慮の災難。
無差別殺人。
動機なき殺害。
などと、こぞってマスコミは喧伝《けんでん》したが、この事件の騒ぎは、無論、著名な写真家・五藤又七が、その被害者の一人に名を連ねていることで、いっそう世間を沸かせた。
ニュースの記事や報道によると、六人の死体は、路上のあちこちに、まるで苦もなく一人一人を刺しては殺し、突いては殺しして、殺人者が造作もなく殺し歩いて通りすぎた跡そのままに、転がっていたという。
五藤又七の傷は、一箇所。頸《けい》動脈を切り裂かれていて、この傷一つで、彼は絶命したのだった。
和正は、そのニュースを聞いたとき、体の震えがとまらなかった。
心が神に通じた、と思った。人を殺す。神が、それを許したと思った。眼に見えない力が、和正に代って膂力《りよりよく》を揮《ふる》ってくれたのだと。
と同時に、その神を、呪《のろ》った。その眼に見えない力の跳梁《ちようりよう》したことを、罵《ののし》った。
五藤又七を殺す。それは、和正が果たさねばならない勤めだった。もう永遠に、それができぬ。その勤めを果たす機会を、和正から奪い去って行ってしまったものへむかって、和正は激怒した。歯噛《はが》みし、嘆き、怨《うら》みの声を放って、咆《ほ》えた。
「ね、ニュースよ。わたし、お勤め、変える」
と、はしゃぎたって、昂奮《こうふん》ぎみな顔をかがやかせながら弓子が和正に告げたのは、和正たちが上京し、おたがいに東京での生活をはじめてから、まだ一年がたつかたたぬかの頃だった。
弓子が中学、和正が高校を出た年の上京だったから、二人とも、十代の時期だった。
弓子は大きな蕎麦《そば》屋に住み込みで就職し、和正はあるデパートの配送課を振り出しに、職場をかなり転々と変えていた。というのは、和正の上京の目的は唯一つ、俳優業をめざすことにあったから。
若気の至りといってしまえばそれまでだったが、肉体一つ、これが元手で自分なりの将来を思い描けそうな道はその頃の和正には、ほかに思いつけなかった。
いや、俳優になることだけが上京の目的だったといえば、嘘《うそ》になる。
和正は、俳優。弓子は、その妻。そして曲がりなりにも食べて行けさえしたらいい。そんな家庭を持つことが、若い二人がめざした目的であり、望んだ夢のいわば設計図だった。
だから、上京してまず和正がはじめなければならなかったのは、俳優業に必要な基礎修業や技術の習得機関に身を置くことだった。それがまず第一歩だと、和正は思った。身寄り頼りのまるでないこの東京で、和正にできることといったら、その種の俳優養成所、学校、訓練所などに入ることくらいしかなかった。
劇団、演劇スクール、演技グループなどを名乗るこの種の集団は、有名無名大小とりまぜ無数にあった。
それらの内のいくつかを出たり入ったりして和正も、この世界の水に汚れたり洗われたりもしたのだが、上京後一年足らずの時期といえば、まだほんのその世界のとば口でうろうろしていた頃である。
金のとれる俳優になるまでに注《つ》ぎ込まなければならない元手と、生活費は、ほかで稼ぎ出さねばならない。養成所には、昼間働いて、夜通う。夜働いて、昼間通う。そんなことの繰り返しに見合った仕事や、収入のいい職を探して、転々とすることになる。
そうした生活が、本格的に和正にもはじまりかけていた時期だった。
「変えるって?」
「うん。もう、決めたわ」
と、弓子は言った。
「おいおい」
「大丈夫よ。変な仕事じゃないんだから」
「なにが大丈夫なもんか。東京へきて、まだ一ペんも、一人じゃ街へ出歩けないようなやつが」
「だって、そうしろって言ったのは、和ちゃんじゃない」
「そうさ。おまえなんか、一人で歩かせられるかよ。ちょっと人混みの中へ出ると、肩組んでやってるのに、怖い、怖いの連発だろ。おまけに、本気で震え出してくるんだもんな」
「だって、ほんとに凄《すご》いんだもの。あんなにぞろぞろ、お祭りみたいに、押し合いへし合い毎日人が歩いてるなんて、信じられないもの。それがみんな知らない人。知らない顔。情なくならない? 悲しくならない? 目まいがしそうになるのよ」
「だから、ちょうどいいんだよ。蕎麦屋の店の中くらいが。そのうちに、おれが馴《な》らしてやるさ。この東京が、おれたちの生活場所なんだからな。ここで、食って、暮らしてかなきゃ、ほかに行き場はないんだから」
「だからよ。だから決めたのよ。和ちゃんだけが、頼りだもの。そばにいてほしいもの。ほんのすこしずつでもね、和ちゃん、助けてあげられるように、わたし、なりたいもの」
「金か?」
「そうよ。早く、和ちゃんのバイトの肩代り、半分くらいはやってあげられるように、なりたいもの」
「ばかやろ」
「ね、聞いて。ほんとに、信じられないくらい、条件いいのよ。高給よ」
「やめろ」
にべもなく、和正は、はねつけた。
「ちがうんだって、最後まで聞いてよ。それでやっぱりだめだって言うのなら、もちろん、やめる」
弓子は、真顔で和正を見た。
「うちのね、お店にときどき見えるお客さんなの。その人がね、お手伝いさん、やってくれないかっておっしゃるの」
「お手伝い?」
「そんなにしかめっつら、しないで。わたしのね、働き振りが気に入ったらしいのよ。以前から、見てたって言うのよ」
「やめろ」
「また、そんな」
と、弓子は笑った。
「名前聞いて驚かないでよ。わたしも最初、ぽかんとしちゃって、それから腰が抜けるくらい、びっくりしたんだから。そんな人が、うちのお店で蕎麦食べてらしたなんて、思ってもみなかったもの」
「もったいぶらずに、さっさと話せよ」
「五藤又七」
「五藤?」
「そうよ。あの有名な写真家の、五藤先生だったのよ」
和正は、この日のこのときの、無邪気に頬《ほお》を紅潮させ、得意満面な様子で浮かれ立つように大きな瞳《ひとみ》をくるくる見張った弓子を、思い出すたびに、涙があふれた。
「やめろ」
と、強引におしとどめる理由を思いつけなかった自分を、呪うほかはなかった。
五藤又七の自宅は田園調布の方にあるが、仕事の都合によっては、月の半ば近くを仕事場で過ごすこともある。
そのために、仕事場は、スタジオ続きに立派な居宅の構えがとってある。瀟洒《しようしや》な建築物であった。
長くいた専任の家政婦が年寄って辞《や》めたあとの、代りを探していた時期だったという。助手の田中涼平がその空白を埋めていたが、彼には写真の助手という任務があり、炊事洗濯、家事一切の雑用をまかなうには、専用の家政婦のようにはいかなかった。
「お仕事柄、お客さんもいろいろあるでしょ。ぜひ女手がほしかったんだとおっしゃるのよ。勤まるかどうかわからないけど、どっちかいうと、外で働くより、家の中のこと、こまごまやってるほうが好きだし、いろいろ教えてもらって、一生懸命やったら、うまくいくかもよ」
弓子の言うとおりだった。
彼女は、家庭向きの女だった。幼い頃から、義理の母と義理の兄弟たちのいる家で、家事に勤《いそ》しむことを強《し》いられ、仕込まれて、育った。それでいて、ひねくれたり、いじけたりしたところもなく、素直で可憐《かれん》な気質がそのまま、あどけない風貌にもなっていた。
五藤又七が、弓子に眼をつけて家政婦にと見込んだ眼力はさすがだと、そのとき和正は感心さえしたのだった。
「それに、ほら、芸能界でも、俳優さんやタレントなんか、たくさん写したりしてらっしゃるでしょ。どんなことで、和ちゃんの力になってくださるか、わからないもの。得はあっても、損にはならないと思うわよ。ね? これ、わたしたちには、チャンスかもしれないと、思わない? 逃がしちゃいけないんじゃない?」
五藤又七。
確かに、和正にも、そのとき五藤又七は、めったに近寄ってはくれない人生の幸運を、そっと運び込むために、二人の前に現われた願っても得られない人物なのかもしれないという気がした。
弓子は、やがて、間なくして、五藤又七の仕事場へ住《す》み処《か》を変えることになった。
主人の留守の手空きの時間などに、ほんの数分、かけて寄越す電話の声が、彼女の生活の張りを眼に見えて伝えるように弾《はず》み、いきいきしてくるのが、わかった。
その声を聞くと、和正にも、張りが出た。
世間の若い男女のように、会いたいときに会い、話したいときに話せる生活が、おたがいの暮らしの中で持てないのは、上京以来、覚悟の上だったから、五藤の仕事場へ移って、いっそう弓子との接触の機会は少なくなったけれども、それはそれだけ弓子がいまの勤めを大事に考えている証しだし、大事に勤めているということは、そのまま和正へのそれは献身行為なのだった。
おたがいに、そのことは、わかりすぎるほどわかっていた。
いっしょに暮らす日のために、離れて暮らさねばならぬこの日々が、二人には、いま必要なのだから。
だから余計に、わずかな時間、たまに聞く弓子の声の明るさは、和正の胸に染《し》みた。嬉しかった。生きる元気が湧《わ》いた。
そうした月日が半年ばかり続いただろうか。
そしてとつぜん、あの電話がかかってきた日がやってきたのだった。
「和ちゃん……」
と、弓子は、一言呼びかけただけだった。
まるで病み患いでもした老婆の声かと耳を疑うような、しわがれた、惚《ほう》けた声だった。
電話は、そのまま切れた。
和正が、終夜営業のスナックのバーテンダーをバイトにしている時期だった。
タクシーにとび乗って、はじめて訪ねる三鷹の仕事場までの道のりは、無我夢中だった。街はもう明けはじめていた。
驚いたことに、弓子は門内の庭に出て、もう踏み石を掃いていた。
急《せ》き込んで駆け寄る和正を、無言で指を口に当てて制しながら、弓子は門脇《もんわき》までやってきた
「どうした。なにがあった」
「うううん」
と、弓子は、小さく首を振った。
「ごめんね。なんでもないの。夜明け前にね、怖い夢見たの。……寝ぼけてたのよ。ふらっと、あんな電話かけたりして」
なんでもない顔ではなかった。笑っては見せたが、別人のように血の気がなかった。
「和ちゃん、朝まで働いてるのに、ほんとにごめん。受話器とってね、あ、寝ぼけてるって、思ったの。いけない、切らなきゃあって」
声にも、力がなかった。
「でも、嬉しい。とんできてくれて」
そう言って、とつぜん両眼をうるませた。
「さあ、帰って。寝て。時間がなくなるわ。昼間も、和ちゃんには、仕事があるんだから」
ありがとう、と弓子は低い声で言って、くるっと背を向け、裏口のほうへ駈《か》け込んだ。
どこかで牛乳配達の鳴らす瓶の音が聞こえていたあの早朝の、思わぬ対面が、考えれば弓子と交した、二人が二人らしいまともな最後の会話が持てた時間だった。
それから三日後の、夜だった。
スナックの休みの日でもあったし、弓子のどこか尋常さを欠いた様子がどうにも気になって、和正の足は再び三鷹へ向かった。
スタジオの明かりは消えていて、電灯は住宅部の建物の裏口寄りの一部屋にだけ点《つ》いていた。たぶんそこが弓子の部屋で、ひょっとしたら五藤は自宅、助手も寝たか、あるいは遊びにでも出ているのかもしれぬ……と、勝手な臆測をしてみたり、いつまでも消えぬ灯を眺めていたりしているうちに、ふと、本気で、いま家中にいるのは弓子一人なのだと思えてきたりして、気がついたときには、和正は門柵《もんさく》を乗り越えていた。
窓にはレースのカーテンが引いてあったが、そばの立ち木にのぼれば、室内は充分に明かりに透けて覗《のぞ》き込めた。
弓子は、ベッドの上にいた。
仰向けに寝て両ひじをかかげ、かかげた腕のかげで顔を隠していた。ネグリジェの胸もとははだけられ、銀髪を短く刈った太い赤ら顔の頭が、その上で動いていた。頭は上へのぼり、下にさがり、右に、左に、小休みもなく動きまわっている。いかつい毛むくじゃらの手が、弓子の体を裏返す。白いわき腹が持ちあがり、宙に反《そ》り、反ったところへ頭が動く。動いたあとを毛深い手が追い、指と、口と、舌が、行き交う。ネグリジェはまくれ返り、臀部《でんぶ》があらわにむき出しになる。粘り強い頭がそこへおりてきて、無垢《むく》な谷間がおしひらかれる。ひっくり返し、ねじ曲げられ、二つに折られ、おし屈《かが》められ、放り出され、引き起こされ、立たされ、寝かされ、転がされ、撓《たわ》められ、引きずられ……されるがままに野放図な姿態をとらされて、ゆるやかに、また獰猛《どうもう》に、際限もなくもてあそばれる少女のような弓子の裸体は、ただいっしんに、辛抱強く、その強制に耐えていた。
いや、耐えているかのように、和正には思われた。
どんな形に肉体を明け渡しているときにも、弓子は顔をおおっていた。おおう手や腕がないときには、シーツや、ネグリジェが、その代りをした。
和正でさえ、まだ一度も、その唇に触れたことのない弓子だった。いや、触れれば、許してはくれただろう。だが、それが憚《はばか》られるほど、弓子はまだ稚《おさな》かった。もうすこし先まで、待ってやりたかった。
その弓子が、五藤又七に犯されている。
信じられない光景だった。しかし、信じるよりほかはなかった。
もう疑いようはなかった。あの電話を掛けて寄越した夜、弓子は又七に凌辱《りようじよく》されたのだ。
そして、助けを和正に求めようとして、思いとどまったのだ。なんのために。答えは一つしかなかった。和正のことを考えたからだ。
将来俳優として独立するために、五藤はきっとなんらかの形で和正の力になれる存在だと、確信しているからにちがいなかった。
和正の三鷹通いがはじまったのは、この初夏の一夜からだった。
はじめなければよかったと、すぐに、和正は後悔した。しかし、やめることはできなかった。
その夏の一月間ばかり、和正は、さらにもっと眼を疑うような情景に接しなければならなかった。
又七にもてあそばれる弓子の裸身は、見るたびに、微妙な変化を見せた。日に日に変わり、又七の強制に次第に応酬するようになり、ときには互角に立ち合い、明らかに官能の歓びを見せはじめ、貪《むさぼ》ることや、堪能することにも馴らされて、ある日、二人は完全に攻守所を変えた。
それからは、夜に限らず、また寝室であるとないとに拘わらず、昼間でも、機会があればもつれ合い、からまり合っている二人を、しばしば見かけることができた。ときには、助手の眼の前でも、それは行われた。ほかに人眼さえなければ、仕事中のスタジオでも。
助手の涼平にカメラや照明器具の配置をあれこれと指示する又七の身辺に、弓子はつきっきりで、その巨体に休みなく戯れかかっていたりもした。涼平の存在など、まるで眼中にないかのような振るまいだった。
その一箇月間ばかりの夏の日々、和正は、仕事もバイトも忘れてすごした。ある日、ふっつりと、この三鷹通いを思い切るまでは。
その日を境にした頃から、弓子との、表向きはなにごともなげに続けられていたたまさかの連絡の取り合いも、絶えることになった。弓子も掛けてこなくなったし、和正も、放っておいた。
五藤又七が、新宿の路上で白昼の惨劇に巻き込まれて死んだのは、和正と弓子の仲がそうして疎遠になって二、三年のちの夏のことである。
事件を知った直後、和正は、北海道のロケ先から三鷹の家に電話を入れた。何度掛けても誰も出ず、無論、弓子の声を聞くことはできなかった。
ロケが終って帰京すると、その足で、和正は三鷹を訪ねた。門は閉ざされていて錠がおりていた。
その後、人に聞くと、弓子は、もうかなり以前に家政婦をやめ、三鷹の家を出ていたことがわかった。誰も、その行先を知る者はいなかった。
和正が去り、又七をまた失ったいま、弓子はどうしているだろうか。途方に暮れてはいまいかと、その心配で和正は訪ねてきたのだが、すでに又七との縁は切れていたのだと知って、拍子抜けもし、またほっとする気持もあった。
それは、もう和正の庇護《ひご》もいらない世界へ、弓子が独りでとび立つことができたということなのかもしれなかったから。
しかし、一方でまた、又七から離れた弓子が、又七の死んだいま、急にいとおしく、もう一度この手にとり戻せるなら、二人は再びやり直せるのではあるまいかと思えもした。
そう思うと、むしょうに弓子が恋しかった。
恋しさは日ごとにつのり、なんとか昔に還《かえ》る手だてはないものかと、思わぬ日はなくなった。
そんな毎日のなかで、ふと、助手の田中涼平のことを、ある日、和正は思い出したのだった。
そうだ。なぜ早く気がつかなかったのか。あの男なら、なにか弓子の消息を知る手掛かりを教えてくれるかもしれない。
思い立って、涼平を探そうとしたが、その涼平も五藤又七の死後、急にいなくなって、誰もその消息を知らないのであった。
又七の遺族から彼の出生地を聞き出すことができて、和正は額田の村へ向かったのだった。
ひたすら弓子恋しさの思いに引きずられての旅立ちだった。
樹間の小枝を散らして風を切る手裏剣。その切っ先が、葉群《はむら》を裂き、木洩《こも》れ陽《び》の光をよぎり、古木の樹皮を打ち砕く。
昨年、再度この村にやってきて、そのまま腰があがらなくなった理由の一つは、この手裏剣だったかもしれない。と、和正は思う。少なくとも、この手裏剣が、そのきっかけになったとはいえるだろう。
昨年、やみくもに、額田の村を訪ねたくなったとき、和正は自分でもふしぎな気がした。もしかしたら涼平が、帰ってきているかもしれない。そうすれば、弓子の消息がなにか知れるかもしれない。そう思ったことは確かだった。しかし、よく考えれば、無理にもそう思うことで、ここを再訪する理由をつくりたがっていたのではないか。
ほんとうはただ、この村の、この春景色、これがもう一度むしょうに見たかったのではなかったか。売れない俳優。弓子のいない暮らし。いや、かりに、芽が出て売れはじめたとしても、もう実現しない家庭。一緒に築く相手のいない未来。夢の残骸《ざんがい》。あるのはそんなむなしさだけだったろう。そんな暮らしに、疲れていた。倦《う》み果てていた。ほとほと嫌気がさしていた。逃げ出したかった。帰りたかった。弓子とはじめようとした暮らしの、そもそものはじまりへ。そのはじまりを二人に授けた無心な鄙《ひな》の自然の大地へ。
――ほら。
と、爪を草の花で薄紅《うすくれない》に染めて、陽にかざしたあどけない少女のいた野の大地へ。
額田の村には、それがあった。和正や弓子にはもう帰る場所のない二人の故郷。それを想い起こさせる野や、花や、陽ざしや、山河の自然が、あった。
和正は、猛然と、そこへ帰りたいと思った。惚《ほう》けたように、そこで眠り落ちたいと。
弓子にもしこの額田の村を見せたなら、彼女もきっとそうしたにちがいない。故郷を想い出した筈だ。そして、ここを立ち去れなくなった筈だ。そう思うと、現実に、弓子を探し出せるのはこの村しかないとさえいう気がしたのである。
一日でも二日でもと、和正がその去り難さに身を噛まれて腰あげの日を決めかねている、ちょうどそんなときだった。田中家の納屋で、ほこりをかぶった古い手裏剣の束を見つけたのは。「なに。|どうげん《ヽヽヽヽ》時分の、わしの遊び道具じゃあの。この奥の寺にの、昔、根岸流をやられよった住職がおっての。遊びに行っちゃ、習うたもんじゃ」
と、駒蔵は、言った。
「へえ。これ、本物でしょ?」
「そりゃまあ、昔のもんじゃろうで」
和正は、造作もなげに駒蔵が打って見せた直打ち、廻転打ちの腕に舌を巻いた。役者根性とでもいうか、俳優稼業の悪い癖で、ついいろいろ教わっているうちに、没頭し、格好だけでもつくまではと頼み込み、一日のばしに、手裏剣にかこつけて日が消えた。
駒蔵も、そんな和正に、倅の姿でも重なるのか、長年の独り暮らしが慰められでもするのだろうか。好きなだけいたらいいと、気ままに放っておいてくれたから、今日|発《た》とう明日発とうと思いながら、ずるずると日がすぎて、いつの間にか百姓仕事や山仕事を手伝う毎日がはじまっていた。
(このまま、いつまでいたら気がすむのか)
和正は、自問する。答えは、なかった。
毎日がそんな日のくり返しで、明けては暮れた。
体があくと、和正は山を歩いていた。
その日も、そうだった。
渓流ぞいから奥の山へ、知らぬ間に踏み込んでいた。気がつくと、道もない山間をのぼっていた。木立ちが急に深くなる。どの方角を歩いているのか。引き返さねば、と思った。その引き返す道の目当ても、もうつかなくなっていた。それもいいではないか、と和正は思う。行き着く先も、帰る先も、思いつけずに生きている人間なのだから。
ときおり、手裏剣の音だけがした。
和正が、それを見たのは、樹林をのぼり、樹林をくだりして日頃歩かぬ山奥を一尾根も二尾根も越えてからのことだった。
眼の前に、いきなりそれは現われた。
一本の櫟《くぬぎ》の木の幹にぼろ布がぶらさがっていた。最初、それはそう見えた。ぼろ布にちがいはなかったが、ただの布ぎれではなかった。よく見ると、布でつくった立ち雛《びな》の人形だった。長い黒髪を肩に垂らし、赤い帯紐《おびひも》を腰に巻いている。黒も赤も、すっかり色|褪《あ》せてはいたけれど。和正が息をのんだのは、その雛の咽首《のどくび》の真ん中に、太みの五寸釘が一本打ち込まれていたからである。釘も、ぼろぼろに錆《さ》びていた。
さらに二、三本先の木に、藁《わら》人形が一つ。その横の木の幹にも、また一つ。細い藁束でつくった手足を大の字形にひろげ、どちらの人形も体の中心部をしっかりと五寸釘で刺し貫かれていた。
和正は、しばらく身じろぎもせず、そのだしぬけの光景に眼を奪われていた。
明らかに、その人形たちは、この山林の木立ちの中で、長年風雨にさらされてきたものたちであることがわかる。
俗に「丑《うし》の刻参《ときまい》り」などといわれる。人を呪い、呪いで害し、祈り殺す人形たちである。人の寝静まる真夜中に、人眼につかない場所で、呪う相手を人形にかたどって、釘打ちにする。その呪術《じゆじゆつ》の作法やしきたりには、さまざまな手数やいわれがあるが、人を害し、呪い殺す、祈りのこもった人形たちであることにちがいはない。
しかし、このとき和正が襲われた驚きは、ただ単に、その人形たちが持っている奇怪な眺めだけによるためではなかった。
和正は、確かに以前、この三体の人形が打ちつけられているこの木立ちの光景そのものを、そっくりどこかで見たという驚きに、息をのんでいたのである。
山は、暮れはじめていた。
県庁のある市立図書館でその写真集を見つけ出すまでは、半信半疑だった。だが確かめ直して、和正は改めて息を殺した。
まちがいはない。五藤又七の代表的な作品集の中の一冊に、『春撃ちて』と題して六点ばかりの奇怪な樹林を扱った作品がある。六点とも、和正の見た山林の人形たちをいろんな角度から写したものである。奥付を見ると、死ぬ五、六年前に出版されていた。フォークロアの味を盛った鬼気迫る作品群である。
画面に写されている樹林の情景を、和正は一枚ずつ現場の山林に立ち戻り照らし合わせてみた。写真の樹林はまちがいなく、その山林で撮られたものであった。
(又七が、額田のこの山奥までほんとうにやってきたのだろうか)
不意に湧いた疑問である。
しかし、和正がアッと声をあげかけたのは、その疑問を持ったときである。
それは、五藤又七が写したと考えるよりも、田中涼平にこそ見つけ出せもし、また見つけ出したなら、そう易々《やすやす》とは人手に渡せない被写体だったと考えるほうが、より自然なのではあるまいか。
無論和正は、この人形たちを見つけた樹林のことを、駒蔵にも話した。駒蔵は格別驚いた風も見せず、
「えらいまた奥まで入りんさったんじゃの」
と、言った。
「じゃ、おやじさんも知ってたんですか」
「いや、見ちゃあおらんがの。山仕事に入る連中から聞いたことはあったいの。ま、子供の悪戯《わるさ》じゃろうけども、気色ええもんでもなあからの。山に入る連中も、あのあたりにゃあ近寄らんようじゃの」
「そういう風習が残ってるんですか?」
「ん?」
「いえ、つまり、その丑《うし》の刻参りみたいなことがですね……」
「この土地にかの?」
「ええ」
「聞いたことはないの。けどまあ、昔は、日本中どこにでも、そういう話はあったんじゃろうからの。話としちゃあ、わしらも耳にはしとるがの」
駒蔵は、子供の悪戯《いたずら》だろうと笑ってとり合わなかった。
「あのう……涼平さんは、知ってたんでしょうか」
「さあての。なんせ、めったに帰ってこん男じゃからの。帰ってきても、すぐに出て行きよるやつじゃから」
「五藤又七は、どうでしょう」
「うむ?」
駒蔵は、いぶかしそうに和正を見た。
「いや……又七がこの額田の村へやってきたりしたことは、なかったでしょうか」
「写真家の先生がかの?」
「はい」
「ないの」
駒蔵は、首を振った。
(そう。又七がきたと考えるよりは、涼平が写したと思うほうが、自然である。理に適《かな》っている)
そう思いついたとき、和正の空想はにわかにひろがったのだった。三十五、六を過ぎるまで、十七、八年間、助手に使われ、遂に陽の目も当ててもらえずに終った男の人間像が、急にある輪郭をまとって浮かびあがってくる気がした。
この人形たちのいる樹林を撮った写真以外にも、田中涼平の作品は、五藤又七の作として世に出されているものがあるのではなかろうか。又七の代表作とも言われる『春撃ちて』が、涼平の作品だとすれば、涼平は又七の代作が可能なほどの腕前を持っていたということができる。とすれば、涼平の撮ったもので、又七の名を冠されて、世に発表された作が、まだこのほかにもあるのではなかろうか……と考えることは、それほど突飛な空想でもなさそうに思えた。
いや、あったにちがいない、と、和正は思った。
その突然の疑惑に捉《とら》われたとき、和正の頭をよぎったのは、一本の手裏剣のことだった。
子供の頃から駒蔵の手ほどきを受け、涼平が駒蔵以上に手裏剣をつかったということは、以前に駒蔵から聞かされていた。
(手裏剣)
そう思ったとき、和正は、息をのんだのである。
無論、五藤又七の死は、誰にも予想できない災禍《さいか》に巻き込まれたものではあった。しかし、もし、その日常に絶えず一本の手裏剣を身におびて、しかも又七の身近にいつもつき従っている男なら……と、和正は思ったのだ。
新宿の炎暑の路頭が眼に浮かぶ。災禍は偶然に、突発的に、一人の狂人の手によって惹《ひ》き起こされたものだった。そのことは、確かである。しかし、もし又七のそばに、その日も涼平がつき従っていたとしたら、どうだろう。その偶然の災禍を、とっさに、即座に、利用することができたのではあるまいか。ほんの一瞬、宙をとんで又七の頸動脈を切った手裏剣。あとは、その手裏剣を拾って、死体に駈けよりさえすればいい……。誰も気がつかぬ間に降って湧いたような無差別殺人の渦中である。そのどさくさにまぎれて、一本の手裏剣を拾うことくらい造作もなくできたであろう。
風を切る手裏剣の唸《うな》りが、和正には、現実に一瞬、聞こえた。
長い黒髪を肩に垂らし、赤い帯紐を腰に巻いて、咽首を貫かれていたぼろ布のような雛人形と、その後消息の知れぬ涼平の面影が重なって、不意に弓子の姿となる。
あの奇怪な樹林のなかで藁人形たちといた一体の女雛の立ち人形は、風雨にさらされ、見る影もないぼろ布に破れ傷《いた》んではいたが、束の間、なにがなしにふと艶《えん》な気配を漂わせ、和正の足を竦《すく》ませた。
雛が見せる、春の情趣だったろうか。
『春撃ちて』
誰が、そのタイトルを、あの樹林に与えたのだろう、と、和正は思う。
一本の手裏剣を手のなかで握り返しながら。
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フロリダの鰭《ひれ》
死出の旅という言葉が、束の間よぎる。
どこかで死を、予感しながらわたしはこの夏を待った。
旅立てば、あるいは死ぬかもしれないという気がしきりにする旅へ、しかしわたしは旅立たなければならなかった。心躍らせ、気もそぞろに、浮き足立ってその旅支度をはじめる自分を、この一年間、わたしは毎日のように夢のなかに見た。
夏がくれば、出かけるだろう。あの海へ。
唐尾《からお》の海へ。
出かけずにはすまさないだろう。
二度と帰れなくなるかもしれない旅だったが、思いとどまりはしないはずだ。
無論、思いとどまることを、考えなかったわけではない。
このまま唐尾のことは忘れて、いや忘れることはできなくても、ふたたびその海へ近寄りさえしなければ、何事もなく今年の夏はやってきて、何事もなくわたしの上を通りすぎてくれるだろう。通りすぎれば、唐尾はただ去年一夏をそこですごし、いまでは記憶のなかに残るだけの、そしていずれは遠い日本海ぞいに名もなく散在する単なる西山陰の小さな一漁村にしかすぎなくなり、やがてその記憶もいつかは色|褪《あ》せて、歳月が、もとの見知らぬ無縁な土地に戻してくれるにちがいない。
何度も、そう思いはした。この一年、絶えず自分にそう言い聞かせて、わたしは唐尾の夏を忘れることに努めてきた。
藤松高志《ふじまつたかし》。彼も、言った。
「二度とくるな。出て行け」と。「いいな。その顔を、二度と見せるな」
肺腑《はいふ》の底から吐き出すような、低く殺気立つ声だった。
赤金色《あかがねいろ》に灼《や》けきった太い咽《のど》ぼとけを鋭く震わせ、わたしの髪をわしづかんだ彼に、夕暮れどきの唐尾の浜辺を引きずりまわされた一刻、わたしは、殺される、と思った。
その粗暴な狂気と恐怖の記憶は、いまでもわたしの髪の根に見えない血玉をふいて甦《よみがえ》る。
「二度とくるな。出て行け」
と、高志は言い、わたしもまた、そうしなければ真実殺されるという怯《おび》えに動転し、ただもう一刻も早く立ち去ることだけに心|急《せ》かれ、無我夢中でその土地を後《あと》にしてきたのだった。
じっさい、唐尾の海を後にし、東京へ帰りついたとき、わたしは胸を撫《な》でおろし、涙を流した。
唐尾でのできごとは、すべて一夏の悪夢。物のはずみで垣間《かいま》見た魔ものめく妖《あや》かしの白昼夢。ふと行きずりに心迷わされた暑熱の村での物狂い。醒《さ》めてしまえば、うたかたの蜃気楼《しんきろう》のようなもので、わが身のまわりに異変の跡はどこにも見当らないのだった。とにかく無事で東京へ帰りつけた。悪夢は払い、虎口《ここう》は逃れたという気がして、東京駅のホームへ降り立ったとき、しばらくその場が動けなかった。ほっと人心地ついたあの深い安堵《あんど》感を、わたしはけっして忘れはしない。
駅頭の人波に身をあずけ、
(ああ、よかった。助かった)
と、わたしは、思わず涙をこぼした。
あのあとからあとからきりもなくこぼれてきてとめようもなかった涙を、どうして忘れることができよう。
誰に言われなくても、二度と、あの西山陰の海へ、わたしが近づいたりすることなどあり得ようか。思い出すことさえすまいと、いまは月日がその記憶を消し去ってくれることだけをひたすら念じ、願い望んで暮らしているこのわたしが。
(ない。けっしてそんなことは、ない)
と、いつも、わたしはかぶりを振った。
そう。わたしは、自分がけっして出かけるはずのない土地へ、今年もまた出かける支度に、いまとりかかっているのである。
藤松高志。
その男の住む村へ、間もなく出発するために。
――犯罪者は、犯行現場に帰ってくる。
――とんで火に入る夏の虫。
そんな言葉が、ふと湧《わ》いて、頭のなかを通りすぎる。
口に出して呟《つぶや》いてみると、その俗諺《ぞくげん》の持つ内容の意外に深い奇怪さや、かなしさが、心の底へおりてくる。
その奇怪さや、かなしさを、わたしは旅立ちの日の朝にも、ふと思い出し、考えた。
唐尾の村は、山陰本線の停車駅・TとE駅とのちょうど中間あたりにある。
山が迫り、小さな岬と入江の出入りがいくつかつながる海ぎわに、寄り集まった漁家の集団があちこちに散在した。
去年、わたしがはじめてこの村へやってきたのは、この唐尾に老人ホームがあったからだ。
大学のクラブ活動の一環として、わたしの所属するクラブでは、毎年夏休みを利用してボランティア活動を行なっている。その内容はさまざまな形をとるが、無料で社会奉仕活動にたずさわるという基本精神に変わりはなく、クラブ恒例の行事になっていた。
部員たちは、クラブに要請のあった施設や福祉団体などのリストとにらみ合わせ、それぞれの適性に見合った奉仕先を選び、あるいはグループで、あるいは個人で、夏休暇中のある期間、全国へ散って行く。
活動のかたわら見知らぬ土地へ旅するという楽しみもあり、遠地を好んで出かけて行く者もあれば、故郷の帰省地やその周辺で奉仕先を見つけたりする連中もいた。
たまたまA県の民生課を通して入っていた唐尾老人ホームの名がわたしの眼にとまり、二年つづいて出向いている北海道の身体障害児童施設を急に仲間に代ってもらって、こちらの方を選んだのだった。
西山陰は、わたしにはまるで未知の土地だったし、地図に地名の出ていないことにも、心|惹《ひ》かれた。世間の眼からは忘れられ、名もなく、小さく、ひっそりと鄙《ひな》びた村で、人手を待っている老人たちがいる。
『海が近く、水泳も可。魚は美味。ホームからの日本海の眺望は素敵ですよ』
と、県からの要請ハガキに添え書きしてあったのも、素朴な人情に触れるようで微笑《ほほえ》ましかった。
必要人員、一名。奉仕希望期間、一カ月。
「わたしが行くわ」
即座に名乗りをあげたのだった。
「あら、泳ぎに行くんじゃないのよ」
「きまってるじゃない」
「どうだか。あなた、このところ、毎年、泳げなかった泳げなかったって、こぼしつめてたじゃない」
「だって、ほんとうだもの。まじめにボランティアやってたからね。今年くらいは、海の匂《にお》いをふんだんに、大盤振る舞いしてもらわなきゃ。大学最後の年だもの」
「ほら、本音が出たじゃない。わたしに北海道押しつけといて、今年こそは、足腰のばして、不真面目にボランティろうって魂胆ね」
わたしたちの間では、活動を「ボランティる」というふうに表現したりもした。
「あなたといっしょにしないでよ。最後のご奉公、誠心誠意、汗水たらしてつとめてキマス」「そう。単身赴任《ヽヽヽヽ》で、監視役もいないしね。せいぜい羽をのばしていらっしゃい」
「ほんと。『水泳も可』だものね」
「こらっ」
わたしたちは冗談口をとばし合って休暇前の任地決めにおおわらわであったけれど、彼女も言ったように「単身赴任」で奉仕先へ出向くのは、わたしにとってはじめてのことだった。
軽口|叩《たた》いて賑《にぎ》やかにそれぞれの持ち場へ散って行くが、奉仕活動は、口で言うほど楽な仕事ではなかった。しかし過去三年間、わたしのそばには大抵仲間がいたし、その気安さや心強さが、仕事を苦にはさせなかった。むしろグループ旅行にでも出かけるみたいに、夏のくるのが楽しみで、心待ちにさえしているような雰囲気があった。
だから唐尾へのボランティアは、一人旅の心もとなさや不安がなかったと言えば嘘《うそ》になる。だが、その不安や心もとなさが、逆に新鮮な旅の興趣を誘ったのも事実だった。一人で一月間、見知らぬ土地で暮らす。はじめての経験である。ボランティアという名目がなかったら、とても家族も許さなかっただろう。羽をのばすと仲間は言ったが、どこかでそんなニュアンスの解放感をもとめる心も、確かにわたしにはあった。
学生生活最後の夏にふさわしい|なにか《ヽヽヽ》。そんなものを、わたしは期待したのかもしれない。その|なにか《ヽヽヽ》が、どんなものか、わたし自身にもよくわからなかったけれど。
そして唐尾は、わたしの期待に、充分に応えてくれた。と、言わなければなるまい。
じっさい、唐尾の夏は、麻薬のようにわたしを骨抜きにした。ふとあおぐ陽《ひ》ざしのなかにも、麻薬の粉はひしめいて、耀《かがよ》い燃えていた。
陽ざらしの標識板が一本立っているだけのバス停道に降り立つと、にわかにその麻薬の香はおしよせてきて、しばらくわたしはめまいにわれを忘れていた。
一年振りに見る村は、去年のままで陽に灼かれ、ここを離れた歳月が不意に消えてなくなるような錯覚に見舞われた。
唐尾老人ホームは、バス道をすぐに折れて山の手に十四、五分、白い砂と石ころのだらだら坂をのぼらなければならなかったが、わたしはそっちへは向わず、まっすぐに海寄りの人家が軒を連ねる聚落《しゆうらく》へおりて行った。
四角いコンクリートの箱をぽこんと道端に一つ置いたような変哲もない立方体の建物が、やがて見えてきた。その先に船溜《ふなだま》りがあり、築港の白い堤防が見える。
コンクリートの建物の前で一度足をとめ、わたしは深く息を吸った。体のしんに花蜜の溶けてさまようような花やぎが無数に生まれ、眼がうるみ、皮膚が燃え、視界が揺らいだ。
唐尾漁業協同組合という金文字が、入口の上に掲げられている。塗装のはげた部分が赤錆《あかさび》の地金をさらしているのも、去年のままだった。
「やあ。江口さんじゃないかのォ」
いきなり声をかけられたのは、そんなときだった。
振り返ると、背の低い初老の男が立っていた。この漁協組合の金融課の主任だった。
「浜崎さん……」
わたしは、あられもない独り寝の素肌を垣間|覗《のぞ》かれでもしたような不意の恥ずかしさにうろたえ、あわてて頭をさげた。頬《ほお》の火照《ほて》りはおさまらなかった。
浜崎は、皺《しわ》っぽい顔を懐かしそうに揺すり、
「そうかそうか。今年もまた、きてくれんさったか。いやまあ、そりゃあようおいでてくれなさんしたの」
と、相好《そうごう》を崩した。
「ホームの年寄り連中も、よろこびましたじゃろう。あんた、ようつとめてくれんさったちゅうて、大評判じゃったぞね」
「いえ、わたしは、あの……」
浜崎は、どうやらわたしがボランティアでやってきたと思っているらしかった。
束の間わたしはためらったが、思いきって口にした。
「藤松さん……あの、いま、お仕事中でしょうか」
頬が、とたんに上気した。
「藤松?」
と、浜崎は聞き返した。
「おお、高志かの」
「はい」
「そうか、そうじゃったいの。高志を、あんたも、知っとってじゃったいのう」
「はい」
「そうそう。あの時分にゃ、まだおりましたわの」
「はあ?」
「いやの。あれは、もうここにゃおりませんで」
「と、おっしゃいますと?」
「死にましたで」
「ええ?」
わたしは一瞬、耳を疑った。
「……死んだ……と、おっしゃったんですか?」
「はい」
浜崎がなにか答えている声が急に遠のき、わたしは短い時間、視界を失った。
すぐに気をとり戻しはしたが、立っているのがやっとだった。
「黒ヶ岬の端《はな》からの、とび込みょうりましたいの」
「黒ヶ岬……? そんな……だって、あそこは、下が岩場じゃありませんか」
「そうですで。潮がさしても、上までかぶりゃしませんいの」
「じゃ……」
わたしは、声をのんだ。
「自殺……」
「でしょういの」
「どうして……どうしてですか?」
わたしの声の異様さに、浜崎はちょっとおどろいたように顔をあげた。
「それが、まるでわからんのですで。わたしらも、びっくりしましたんじゃけ。いまだに首をひねっとる始末での。あれからとびおりりゃ、下が岩場じゃいうのは、わかりきっとることじゃのにの。まっ逆さまに、とんどるんですで。若いもんはなにをするか、わしらにゃ、さっぱりわかりゃしませんい」
「……いつのことです?」
「エエッと……去年の、そう、まだ暑かったわのう。彼岸前じゃったと思いますで。九月の半ば頃でしたじゃろう」
浜崎は、そのあと、中へ入って麦茶でも飲んでいけとしきりにすすめたが、わたしは辞退して彼と別れた。
その足でバス道まで引き返し、二十分ばかり歩いて、漁協のある聚落とは反対がわの入江ぞいに集まった家並みへ入って行った。その下唐尾の聚落のはずれ近くに、藤松高志の家があり、高志の家のうしろの山の傾斜地に石で築いた段々垣や石畳みの坂路地が入り組んでのぼっている人家の群がりが、見あげられる。
高志の家の表札を横に見て、わたしはその前を通りすぎ、うしろの坂路地をのぼった。花崗岩《かこうがん》の石段道を二曲がりほど迂回《うかい》すると、すぐ上に見える家の玄関口ヘ出る。丈の低いシャリンバイの生け垣に、ビールや缶づめの空き缶が何十個となく逆さまにしてつッ掛けてある。枝に空き缶の花が咲いたような奇妙な眺めだった。
「先生の標本採集バケツだ」
と、いつか高志が教えてくれた。
「魚、海藻、貝、エビ、カニ、イソギンチャク……なんでもござれ。磯《いそ》で採集したものは、みんなあいつに投げ込むんだ。小分けがきいて便利なんだと。子供の頃、おれも、よく運ばされたもんさ」
この家には一度きりしかきたことはなかったが、ゆうべのことのように思い出される。夜だった。缶の群れは月の光に染まっていた。高志の舌が、ぼんの窪《くぼ》をはいまわる。耳もとに、力強い呼吸音が甦る。
「だめよ……こんなところで……先生に……会いにきたんでしょ……」
開け放たれた縁側の簾《すだれ》越しに、電灯のともった明るい室内が見える。ラジオの音が聞こえていた。
うなじの根を、高志は吸う。吸いながら唇で掻《か》きわける。月の光に垣根の缶は濡《ぬ》れそぼって輝いていた。
胸もとをはだけながら、高志は言った。
「今夜は、よそう。な? 魚の講釈聞いたって、しょうがないだろ。それよか、こっちのほうが楽しいだろうが。うん? な。浜へおりよう。あの先生の長話につかまってみろ、時間いくらあったって足らないぞ。どうする? 行くか? おりるか? ほら、どうするよ」
高志の声が、その息音《いきね》が、舌が、手が、その指が、わたしをわたしではなくさせ、彼の望む思うがままの姿や形を持つ生き物に、造作もなくわたしを変えてしまう魔法の時間があることを、わたし以上に、高志はよく知っていた。
T大の海洋生物学の教授であるという西巻潤三に、その夜、わたしが会えなかったのは、高志の気まぐれな魔法のせいである。
気まぐれと言えば、高志の魔法は、時と場所をわきまえず、いつその麻酔の手に搦《から》めとられるか、計り知れないところがあった。奔放で、貪欲《どんよく》な、飽きることを知らない施術師だった。気がつくと、いつもわたしは、わたしではなくなった生き物に変えられていた。
その信じがたい変身感が、またわたしの正気を奪うのだった。わたしは、信じた。彼の手にかかったら、どんな姿の生き物にでも変われるのだと。いや、生き物以外の物にでも、なれただろうと。正体をなくしているときのわたしは、真実、どんな変貌《へんぼう》も遂げられるのだと、疑わなかった。
月の光の青みをおびた石積み垣と石畳みの段々坂を、一枚ずつ衣服をはがれ、はがれるごとに一皮ずつ、わたしはわたしの輪郭を変え、姿を崩し、わたしではない物へ脱皮しながら、もつれあい、搦まりあい、戯れあいしておりて行ったあの音もない熱帯夜の場景が、フィルムのように眼先をながれる。
シャリンバイの生け垣は、いま太陽にあぶられて、潮|錆《さ》びた空き缶の花を咲かせていた。
わたしは、その生け垣から眼をはなし、玄関口に立った。
すり硝子《ガラス》の入った格子戸は、錠がかかっているらしく、開かなかった。声をかけ、家の周囲をまわってみたが、無人のようだった。
石段道を引き返し、隣りの家にたずねてみた。
「あの、西巻先生、今年はまだお見えになっていらっしゃらないんでしょうか」
腹を割った小魚を竹串《たけぐし》に刺し込んでは干し縄に連ねていたその家の主婦らしい女は、手をとめて、わたしを見た。
「どなたさんかね?」
「いえ。西巻先生に、ちょっとお会いできたらと思ったもんですから……」
「先生、いらっしゃいませんで」
「ええ。そうみたいですわね。まだ、大学のほうなんでしょうか」
「いいえ。亡《の》うなられましたわね」
「え?」
主婦は、最初のうち、とっつきにくい|つっけんどん《ヽヽヽヽヽヽ》な物腰で愛想がなかったが、話すうちにさばさばした漁家の女らしい気性を見せた。
「ほう。そうかね。ホームにきとりんさったのかね」
「はい」
「そりゃまあ、残念じゃったわねえ。去年ですで。下の浜での、死んどってじゃったんですわ。まあ、こういうことを言うちゃいけますまあけどの。殺されなさんしたんじゃろう」
「ええ?」
「手鉤《てかぎ》での、腹やら胸やら、掻っ切られとっちゃったんですで。自分じゃ、あねえな突きかたはできまい言うて、みんな話しとりますんじゃけどの。自分で手鉤を握っとってじゃったらしいんでの。自殺たら、他殺たら言うて、大騒動でしたいの。結局、どっちともわからんらしゅうありますがの」
「また、どうしてそんなことに……」
「それが、わかりゃしませんのいの。あの先生が、人に殺されなさったり、自分で死になさったり、するわけがわからんのですけ。まあ、なにしろえらいことじゃったわね」
「……去年、とおっしゃいましたわね?」
「はあ。間ものう一年になるがね」
「去年の……いつでしたの?」
「九月十五日です」
と、主婦は正確な日付を口にした。
――去年の、そう、まだ暑かったわのう。彼岸前じゃったと思いますで。九月の半ば頃でしたじやろう。
と、藤松高志の死について歯切れの悪い答え方をした浜崎主任とは、対照的だった。
(九月十五日……)
わたしは、しばらく呆《ほう》けたように陽ざしのなかにしゃがみ込み、動けなかった。全身の力が萎《な》え、抜けて行くのがよくわかった。
唐尾にきた二つの目的、それは、二人の人間に会わなければ達せられないことだった。
藤松高志と西巻潤三。
そのどちらもが、死んでいた。
しかも、時期を同じくして。
なぜ死んだのかもわからなくて。
わたしは、ぼんやりと眼をあずけていた。真夏|陽《び》の燃えさかる光のかなたへ。遠い、その沖合いへ。
そこには、海があった。海しか、なかった。
燦爛《さんらん》たる海であった。
その光のはざまを一瞬、ゆるやかに、泳いで通るものがある。去るかと見れば、巨大な尾の一うねりで、滑り寄ってくる。
妖かしのおぼろな鰭《ひれ》の影であった。
わたしが、二人の人間の死について唐尾で知ることのできた事柄は、土地の人間たちが言うように、ひどくつかみどころのないものだった。
昨年の九月十五日、早朝、「姫ヶ浜」と土地の人間たちが呼んでいる下唐尾の浜の磯辺で、寝巻姿の西巻潤三が死んでいるのを、漁師が見つけた。
西巻の隣家の主婦も言ったように、胸や腹部に十数箇所の突き傷や切り傷があり、いずれも同じ手鉤《てかぎ》によるもので、その深さや傷口の具合からみて、かなり乱暴にめったやたらに切りつけたものらしく、西巻自身が手鉤を振るったものだとすれば、不自然な傷口も何箇所かあった。が、致命傷となったと思われる右頚動脈を突き、さらに掻き切っている傷は、明らかに本人の手によるものと見られ、西巻はその手鉤の柄を両手でつかみ込んだまま絶命していた。
血びたしの手鉤からは、西巻自身の手跡しか引き出せず、たとえば他の人間の指紋などがあったかどうかは、検出不可能という結果が出たという。
凶器となった手鉤は、誰の持ち物とも判明しなかった。
死んだ時刻は、夜半すぎ。午前一時か二時近くであったろうと思われ、その時刻はもちろん、西巻が浜へ出かけた時刻や姿なども、誰一人目撃した者はなかった。
死の動機。まったくなし。と言うよりも、誰にも思い当たる節がないということらしかった。
一方、藤松高志が死んだのは、同じ九月十五日、夕刻だったという。
場所は、上唐尾。西巻が死んだ姫ヶ浜からは、小さい入江を二つほど隔《へだ》てた、唐尾の東のはずれにある黒ヶ岬の岩場だった。
漁協の浜崎が言ったように、高さ二十メートル近い岬の突端から、海にとび込むようにまっ逆さまにダイビングしたと思われる死にざまだった。下が岩場であることは、唐尾の人間なら誰もが知っていることで、これは明らかな自殺行動であった。ゴム草履が岬の上に脱ぎ捨ててあり、高志はジーパンに上半身裸体であったという。
こちらも、死の原因は不明。
ただ、唐尾の人間たちには、二人が同じ日に相前後して、原因のわからぬ死を遂げたという点が、なんとも釈然としない問題であった。
と、言うのは、高志の家と西巻の住まいはごく近くだし、殊に高志は子供の頃から、西巻の部屋には親しく出入りし、西巻の学問材料の採集などにも、彼の手足になって協力する少年だった。成人してからも、西巻と高志のつき合いは変わることなく続けられていたことを、土地の人間たちはよく知っていたからである。
西巻潤三は、四十九歳。
高志は、二十五歳だった。
二人が同じ日に死んだ理由が、彼等にはわからなかった。そして、その死にざまの不可解さが、いっそう理解できなかった。
二つの死には、なにか関わりがあるにちがいない、と思われるのに、その関わり合いがまるで臆測できないのが、彼等にはもどかしく、奇怪であった。
もどかしく、奇怪なままで、二人の死は、結びつかず、それぞれ独立した死として、放置せざるを得ないのだった。
警察にも、この二つの死をつなげて説明することができなかった。できないまま、現在に至っているというのが、去年の九月十五日、この閑《しず》かな漁村で持ちあがった二つの惨死事件の概要だった。
警察は、一時、手鉤の持ち主の探索に主力を注いだらしかったが、やがて、それも諦《あきら》めたという。
「どうして?」
と、わたしは、西巻の隣家の主婦にたずねた。わたしも、その手鉤が、誰の物だったかを、いちばん知りたかったから。
「じゃって、あんた、ここは漁師の村じゃもん。手鉤はごろごろしとりまさあね。それに、西巻先生も、二、三本、持っとってでしたけえの。ま、名前が入っとるとかの、なにかよっぽどの目印か、見おぼえなんかがありゃあせんことにゃ、そりゃあ、わかりゃしませんいの」
「でも、漁師のかたには、大事な腰道具なんでしょ。紛失したとか、なんとかそんな手掛かりみたいなもの、ありそうじゃありませんか」
「それが、なかったんですわね」
「じゃ、先生の手鉤だったんですか?」
「さ、それも、はっきりしませんのいの。先生が、何本持っとられたか、誰も数までは知りませんでの」
まあ、警察が調べて諦めたというのだから、ほんとうにその手鉤の所有者は、誰ともきめかねるのであろう。
〈寝巻姿の西巻が、深夜、浜へおりて行った。一本の手鉤を持って。めった突きにわが身を刺して、咽《のど》掻き切って死んだ〉
あるいは、
〈寝巻姿の西巻が、深夜、浜へおりて行った。一本の手鉤を持った誰かが、そこで待っていた〉
そんな場景を、警察も、村人たちも、さんざんに思い描き、せんさくし尽した揚句、投げ出さざるを得ない事件だったのだろう。
確かに、奇妙な事件であった。
しかし、奇妙にはちがいなかったが、わたしには、二つの死が、それほど遠く隔たり合って結びつけないもののようには、思えないのであった。
それどころか、二つの死が、緊密に重なり合って、理解できる瞬間が、その光景が、幻のように眼の前をよぎる。
おそらく、その死の真相を知ることができるのは、この世に、わたし一人しかあるまい。死んだ二人の人間たちを除いたら。
なぜといって、この土地で、わたしも、死ぬかもしれないと思って出かけてきた人間なのだから。
彼等がもし生きていたら、わたしが死んでいただろう。
いや、わたしがこうして生きているのに、彼等は、二人とも死んでしまった。
と言うことは、かりにわたしが、この唐尾で死ぬことになったとしても、わたしの死には関わりなく、彼等はやはり死んだだろうと、考えなければならないのではなかろうか。
すると、もし、去年彼等が死ななければ、唐尾の村は、今年、まちがいなく三つの死体を抱え込むことになったにちがいない。
わたし一人が、生き残った。
(ほんとうに、死ぬべき人間は、死に値《あたい》する人間は、このわたしだったのに……)
わたしは、ただ呆《ほう》け、することもなく、一日中、黒ヶ岬の上にすわって、時をすごした。
眺めることしか、なかった。海を。
そう。
すべてが、この海からはじまった。
いまではもう、わたしにしか語り明かすことのできない事柄の、そのすべてが。
誰も、気づかない。真実の事件の発端が、去年、わたしがこの唐尾の村に滞在した夏の一カ月間、そのなかで起こったのだということを。
そう。誰も、考えてみようとはしない。高志と西巻の死の前に、もう一人、この唐尾の海で死んだ人間がいたということを。
いや、考えてみるくらいはした者がいたかもしれない。二人の死よりは、わずか半月ばかり前のできごとなのだったから。
だが、考えてみたところで、その死を、高志たちの死に結びつけることはできないだろう。
それを結びつける糸は、死んだ人間たちだけがあの世に持ち去ってしまったから。
そう。去年、わたしがまだこの唐尾にいた頃の、八月も終りに近いある一日だった。土田|猛夫《たけお》が死んだのは。
猛夫。
彼に出会うことがなかったら、わたしはおそらく、西巻潤三という人間の存在も知らずにすんだだろうし、知らなければ、唐尾の夏はなんの屈託もなく、ただ高志のひろげる魔法のマントの一《ひと》はためきを、胸躍らせて待ち、その魔法の手の命ずるままに、姿を変え、姿を消し、変幻自在な魔術の威力に眼をみはり、その囚《とら》われの身のふしぎさに酔い痴《し》れていればよかった。
そしたら、どんなに素晴らしい夏の日々であっただろう。この世に生まれてきたことの、女の身であることの、幸福。それが、この掌《てのひら》のなかにあったのに!
それを思うと、高志とはじめて出会った日が、いっそこの世に存在したのが怨《うら》めしい。
あれは、ホームに旅装を解いた翌日のことだった。唐尾は権現神社の夏祭りで、村の入口などにも幟《のぼり》が立ち、民家の軒には献燈|提燈《ぢようちん》がぶらさがっていた。
聚落《しゆうらく》からは離れていたが、ホームの玄関口にもその提燈を吊《つる》すのがしきたりらしく、園長から渡された提燈を持ってわたしは早速表へ出た。そこへ、小型ワゴン車が乗り込んできて、運転していた若者は、荷物置きから魚箱を一つおろした。
「漁協です」
と、彼は言って、ちょっとけげんそうにわたしを見たが、すぐに出てきた園長に向かって、「これ、どうぞ。裏へ運びますか」
と、もうその魚箱を抱えあげていた。
「まあまあ。いつもすみませんねえ」
園長も彼のあとについて勝手口のほうへまわった。
じきに彼はもどってきて、一度車に乗りかけたが、脚立《きやたつ》にのぼりかけていたわたしを見て、急に引き返してきた。彼は無造作にわたしの手の提燈をとり、ひょいと一かけするように脚立を一段のぼっただけで、高い軒に吊してしまった。そのまま一言もなく、車に帰り、出て行った。
「なんですの、園長さん」
と、わたしは、勝手口ヘまわり声をかけた。
「いえね、お祭りのたんびに、毎年漁協がプレゼントしてくださるの。まあ、見てちょうだい。この鯛《たい》の立派なこと。こんなに沢山」
その恒例のお祝儀魚の差し入れを運んできたのが、総務課の職員の高志だった。
朴訥《ぼくとつ》な、飾りっ気のない印象が、好ましかった。陽に灼けた肌の精悍《せいかん》な色濃さも、いままで接したことのない種類の人間を、わたしに思いつかせた。しかし、それはそれだけのことで、この束の間の初対面の日に、すでにわたしは彼の虜《とりこ》になってしまっていようとは、思いもしなかった。
高志は、翌々日、漁協の勤めが終ったあとで、またやってきた。園内の樹木があんまり茂り放題だったので、と園長に言った。
「ちょっと捌《さば》いときますよ」
ついでに雨樋《あまどい》なんかの繕いや柵《さく》のペンキの塗り替えなども、日を改めて出向くと約束して帰って行った。
「いい青年でしょ」
「いつも、あんななんですの?」
「ええ。彼一人に限りませんよ。みんなよくしてくれますよ。気がついたときに、ああやって、ちょっと手伝ってってくれるのよ」
二、三度そんなことが重なって、彼は顔を見せなくなった。見せないことのほうが当たり前なのに、彼がこなくなると、わたしはふしぎな物狂おしさにおそわれた。一重に切れた力強い眦《まなじり》。頑丈な太い手首。笑うとき、ふと咽《のど》を反《そ》らせてはずみたたせる茫洋《ぼうよう》とした若さ……数えあげればきりもなく思い出される彼のしぐさ。その一つ一つが、わたしにはなくてはならないものになっていることに、わたしは気がついた。
二人いるホームの賄《まかな》い婦の一人がお産で欠員していたので、その肩代りの仕事もあって、わたしの自由になる時間は、『水泳も可』と県からのハガキに書かれてあった日曜の昼間と、あとは夜の睡眠時間くらいのものだった。たまたま、園長の使いで役場に出向いた日、帰途わたしの足は知らぬ間に漁協のあるドックのほうへおりて行った。建物の前を何度行きつもどりつしたか、後に高志から聞かされたが、自分ではおぼえていない。
「うるみきった眼をしてな、ちょっと触っただけでもう、溶けてながれ出そうな感じだった」
と、高志は言ったが、ほんとにそうだったのだろう。ただもう熱にうかされて、恋しくて、苦しくて、わたしにもそんな体験ははじめてのことだった。
漁協のなかで高志はすぐにわたしに気づいたが業務が終るまで放っておき、組合員が帰りきったいちばんあとから、やがて出てきた。
彼は組合のワゴンをわたしのそばにつけ、
「送ろう」
と、一言、言っただけだった。
ホームへの山道に入って、車はごく当たり前のことのように途中からせまい枝道へ踏み込んだ。まだ日も高く、山も暮れてはいなかったが、気がつくと、わたしは全裸だった。いつ脱がされたのかわからなかった。
その信じがたい自分の姿に、わたしはいっそうわれを忘れた。
この日、わたしは完全に、彼の魔法の僕《しもべ》となった。
「漁協には近づくな。せまい土地だ。噂《うわさ》はすぐ立つ。いいな。おれが連絡するのを待ってりゃいい。心配するな。待てなくなるほど、待たしゃせん」
おれにまかせておけ、と高志は言った。言われなくても、わたしはもう彼の言うがままだった。そしてじっさい、高志にまかせ、彼の命ずるままに動いてさえいれば、誰に気取られることもなく、わたしはふんだんに満たされて、会うたびごとに、この上はないと思う満足にさらにその上があることを教えられ、これ以上恥ずかしい人間になりさがれはしないと思う行為に、もっと恥知らずな深間《ふかま》があることを、おぼえ込まされた。
彼は、人の眼がある、と言った。だがまるで、その人の眼を気にしたりはしなかった。時を選ばず、場所を問わず、わたしを思いのままにした。わたしは、ホームを一歩も外へ出なくても、その台所で、廊下で、庭で、洗面所で、物干し場のシーツの蔭で、玄関口で……ありとあらゆる場所を見つけて、幾度、白昼、彼の腕に抱かれたことか。仕事を終えて入浴する。風呂場のドアを開ける。すると彼がそこにいる。そんなことはしょっちゅうだった。
だが、やはりいちばん安らぐのは、日曜の自由時間と、夜だった。
唐尾の夜は、無人島にもひとしかった。どんな狂態をさらそうと、さらしきれない閨《ねや》やベッドは、いたるところにあるのだった。なかでも、姫ヶ浜の外れの樹林や、黒ヶ岬は、どこよりもわたしの気に入った場所だった。
高志に蹂躙《じゆうりん》されるとき、わたしはわたしではなくなった。
あの夜のことは忘れられない。
高志に翻弄《ほんろう》されながら、わたしは、高志を抱いてはいなかった。いつそんなことになったのか。高志の肉体は、わたしの背後にあった。背後からわたしを抱いていた。では、わたしが抱き、わたしを抱いて、暴れ騒いでいるこの肉体は誰なのか。そんなことを、わたしは酔いのおぼろな狂いのさなかで、一瞬、確かに思った。思いはしたが、おぼろな酔いはたちまち深まり、猛然と、わたしはまだ墜《お》とされたことのない深みへ突き墜とされ、いきなり浮上させられる高みの途方もない広さが、狂気を誘い、われを忘れた。
わたしは惑乱し、魑魅《ちみ》と戯れていた。
あんなに晴れあがった、あれほど光に輝き立った、淫蕩《いんとう》な眺望を、わたしは眼にしたことがなかった。真っ暗闇《くらやみ》の夜だったのに。
海の鳴る音が聞こえ、潮のどよもしがもどり、渚《なぎさ》の波のさざめきが耳もとへ返ってきたとき、わたしは、見知らぬ男の肉の上でまどろんでいた。
それが、土田猛夫であった。
高志もかたわらに寝転んでいた。
「おまえらが、こんな仲じゃったとはな。いや、夜遊びしてみるもんじゃの。こねえなのにぶっつかるとはの」
猛夫は、腹の筋肉を合図がわりにひくひくと動かせて、わたしに言った。
「なあ、おまえさんよ。これからも、仲間に入れてくれよな」
正気に立ち返ってからも、わたしは身動くことができなかった。彼の上で肌を合わせてまどろんでいたのだから。とび起きたり、逃げ出したり、あわてふためくことが、なぜかはばかられた。わたしは、ただ息をひそめ、身をすくめているしか仕方がなかった。
そんなわたしを、猛夫の雄器は、まだ刺し貫いていた。
だが、高志がそばにいてくれるのだ。彼にまかせておればよい。自分にそう言い聞かせた。
その高志が、思い出したように、低く笑った。
「けどな。おまえに見られてるとは、思わんかったわ」
「こんなの、独り占めにしとるじゃなんじゃ、虫よすぎるぞ」
「ま、おまえじゃ、仕方ないか」
「よし、きた。そいじゃ、改めて手打ちといくか」
猛夫は、むっくりと起きあがり、わたしの体を高志の腹の上に据えた。
月のない闇夜も海はほの白んで光っていた。
(星明りでも映すのだろうか)
わたしは高志に抱きとられながら、そんなことをふと思った。汗に濡れた彼の胸で、その匂いの懐かしさにむせながら。
猛夫は、たくましい高志をもう一まわり頑丈にしたような男だった。
高志とは同い年で、同じ下唐尾で生まれ、遊び、育った間柄だった。高志は陸に勤めを持ったが、猛夫は漁期に入ると海へ出て行く延縄《はえなわ》船の漁師だった。
八月は、彼の休漁期。九月になると船は出る、と、高志は言った。
(わたしもいないわ、その頃には。学校がはじまるもの)
と、わたしは、何度か口に出かかった言葉を、しかしいつものみ込んだ。
高志と二人だけでいたかったが、高志がそうしろと言うのなら、それに逆らう力はなかった。
二人だけの夜もつくると彼は約束してくれたし、高志と会うことに変わりはないのだからと、つとめて自分を説得した。
しかし、現実には、二人だけで会える夜はほとんどなかった。どんなに隠れたつもりでも、大抵、猛夫は見つけ出した。そして、はじまる歓楽の深さに、わたしたちは泥酔した。そんな夜、高志は、高志と二人っきりの夜より数倍わたしには素晴らしく思えた。
わたしは、猛夫にむさぼられ、猛夫をむさぼりはしたけれど、高志だけを恋い焦れた。彼だけを抱いていた、とはっきり信じきれるのに、ふと高志が見えなくなり、猛夫だけがそばにいて、消えないことがあるようになった。
そんな頃のある日だった。
わたしたち三人は、黒ヶ岬の下の岩場へおりていた。日曜日の午後だった。
岩場の先の水ぎわで、いきなり奇妙な声を聞いて、わたしはとび起きた。
水ぎわに寝転んでいた高志と猛夫のどちらかがあげた声だった。短い悲鳴のような、低い唸《うな》りを発したような、しかしはっきりとわたしには聞こえた声だった。
高志と猛夫は、はうようにしてわたしのそばまでやってきた。どちらも笑っていた。
そんな二人のむこうに、そのとき、不意に人影が現われて、岩場へあがってきた。黒いウェットスーツを着け、潜水メガネにシュノーケルをつけたスキン・ダイバーの男だった。男はそのままわたしたちのそばを通って立ち去った。
とたんに、猛夫が、がまんできないといったふうな笑い声をほとばしらせた。彼は岩場を手の平でしきりに叩きながら、笑った。
「どうしたのよ」
「どうしたかって? おい、話してやれよ。話せねえよな。え、さっきの声、聞いたかよ。とびあがって、こいつ、震えとるんで。なぜだと思う? わからねえよな。あのな、こいつ、さっきの男を、サメとまちがえやがったんだ」
「サメ?」
わたしは、きょとんとして、笑い転げる猛夫と、すこし照れくさそうにして苦笑している高志とを、交互に見くらべた。
「そうだよ。サメだよ。なあ、高志」
猛夫はそう言うと、わたしのほうを見た。
「あのダイバーがな、スーッと水の底を横切ったんだ。おれたちの足の真下でよ。とたんに、あの悲鳴さ。え、どうだい、こんなでっかい図体《ずうたい》してよ。あんた、知らないだろうがな、こいつときたら、昔っからそうなんだ。サメ、と思うたら、もうだめなんじゃ。すくみあがってよ、血の気ひかせて、まっ青さ。ひきつけ起こしたことじゃって、なんべんも、あるんぞ。ガキの頃にゃ、それでおれも、めんどう見させられたもんよ。おれじゃから、ええようなもんの、ひとに喋《しやべ》ったら笑われるぞ。もうええかげん卒業したかと思うとったが、まだ治《なお》っとらんのじゃのう」
猛夫は、水のなかで硬直した高志を岸辺まで運びあげて人工呼吸をしたり、病院へ担ぎ込んだりしたことなどを、いろいろ話した。
確かにそれが事実なら、ちょっと異常な感じはし、病的な恐怖のように思われた。わたしには、とても現実の高志からは信じられない話であった。そのことも驚きだったが、「こいつの鬼門は、サメよ」と、声高《こわだか》に笑った猛夫が、そんな高志の病癖を人には話さず、いつもとりつくろってやってきているらしいことがわかって、猛夫の意外な面を発見したような感動があった。男同士の優しさだろうか。
そして、人には喋らなかった話を、わたしにぶちまけてしまった猛夫に、これまで感じたことのない親しさのようなものをおぼえた。
高志はやはり、しょざいなげに、きまり悪そうな苦笑いをうかべていた。
「でも、どうしてなの? 生まれつきってわけじゃないんでしょ? なにか、原因があるの?」
「原因か」と、猛夫が引きとった。「原因はあるさ。こいつが、凄《すご》いサメの専門家じゃからさ」
「ええ?」
「もっとも、耳学問だけじゃがよ。なあ、高志」
「どういうこと?」
「この唐尾にゃの、偉い魚類学者の先生がおってじゃけえ」
と、猛夫は言った。
西巻潤三の名を聞いたのは、このときが最初だった。西巻は、現在広島のT大学の教授であるが、それ以前は東京の大学にいて、もう二十年近くこの唐尾に漁家を一軒借り(現在は買い取っているが)、毎年夏には避暑もかねてここへ独りでやってきてしばらく滞在するのだという。
彼の専門は、海辺性の小魚類だが、若い学生の頃、三年ばかりフロリダの西海岸に研究生として住んだらしい。
「イングルウッドのウォーレン・ファーマー海洋研究所、だったよな」
と、猛夫は高志に同意をもとめた。
「ああ」と、高志も、うなずいた。
「ここが、凄いところなのさ。サメの研究家じゃあ世界的なファーマー博士の本拠なんだからな。サメも、凄いのがうようよいる。西巻さんは、ばっちりここで、サメの研究手伝ったんだ。明けても暮れても、サメ相手のな。聞いてみろよ。その知識を、こいつがまた、ばっちり頭ンなかに詰め込まされとるからよ。なんせ、五つ六つのガキ時分から、こいつは先生の部屋へ入《い》り浸《びた》りじゃったんじゃから」
「もういいだろうが。しつっこいんだよ、おまえは」
と、高志は、いくらかうんざりした顔で、さえぎった。
わたしが西巻潤三に一度会いたいと思ったのは、この頃のことだった。二人に抱かれていると、高志と猛夫の区別がつかなくなりはじめていたこの頃の。
結局、その機会が見つけられずにいるうちに、夏の終りがやってきた。
なぜ、あんなことをしたのか、わたしにも正確にはわからない。八月の終りの日曜日であった。この日くらいは、せめて幾時間かでも、わたしは高志と二人だけですごしたかった。午後はホームを出られない、と猛夫には伝え、こっそり黒ヶ岬の東の入江へ高志と出かけた。メガネとフィンはいつものように高志が用意し、わたしたちは、泳ぎ疲れるまで泳いだ。高志の素潜りの息の長さは、わたしがいくらがんばってもかなわなかった。こんなにのびやかに水の底を泳ぐ彼に、サメの恐怖が巣喰っているなんて、やはり信じられなかった。
西巻潤三から、サメの知識や、生態や、現実の体験談や、さまざまなサメの恐怖話を、たくさんのフィルムや写真にも接して聞かされてきた高志が、どこかで潜在するサメヘの恐怖を意識のひだに植えつけられていたとしても、それはあり得ることかもしれないが、眼の前の高志にうまく重ならないのであった。
わたしは知らぬ間に、手を動かしていた。水の底で。
「サ、メ」
と、いきなり水中に書いた。西巻から高志たちが教わったという独特なサメ発見の信号で。
彼の背後には大きな岩礁があった。
〈そう。あなたのうしろの岩かげに、サメがいる。あがりましょう、上へ。静かに〉
切迫した身振りで、指さしながら、そんな意味のことを伝えた。
彼は、一度うしろを振り返り、〈OK。わかった〉という合図を返してきた。〈おまえもあがれ〉と、しきりに上を指して。
メガネ一つで潜っている、わずか四、五秒間の水中対話だった。
浮上して、わたしたちは岸辺へあがった。
「ほんとにいたのか、おい」と、高志はメガネをはずしながら言った。
半信半疑の面持ちで。しかし、ふだんの彼であった。
「嘘つき。かついだのね、わたしを。二人して」
「ばか。あいつは大げさなんだよ。しかし、胆冷やさせやがって。この野郎。かついだのは、そっちだろ」
「いたわよ。ほんとうに」
と、わたしは、腹立ちまぎれに言い返した。
笑いたかったが、涙がこぼれた。なぜだか、また、なんのためだか、わたしにもはっきりとはわからないふしぎな涙だった。
そう。わたしは、彼を試した。でも、ほっとした。高志は猛夫が話したようなひきつけも、失心も、異様な恐怖の表情も、まるで見せはしなかったから。人の気も知らないで、ひどい、とわたしはぽろぽろ涙をこぼして思った。あの信号を送った直後の恐怖が、まだ動悸《どうき》を打って、残っていた。
土田猛夫の水死体が揚がったのは、その日の夕暮れどきであった。
潜水クラブのダイバーが、見つけた。猛夫は、ちょうどわたしたちが潜った岩礁の反対側の岩かげに、沈んで死んでいた。死因は、急性心臓|麻痺《まひ》だった。
その死体を見たときに、わたしも、高志も理解した。
わたしたちが潜っていたとき、猛夫も、同じ岩礁のすぐそばにいたのだ、と。おそらく、不意にとび出して、わたしたちを驚かす潮どきでも見計らっていたのではあるまいか。
でも、そんな猛夫が、なぜ死んだのか。その疑問が、わたしには解けなかった。
わたしが、その日知ったことは、猛夫の死体を見たときの高志の驚愕《きようがく》と、歎きぶりと、絶望と……ああ、どうしてあの折の高志の顔を、言葉でなんか表現できよう。それは、はじめて眼にする別人のようなとり乱した顔つきだった。
そして、わたしの髪をいきなりわしづかんだときの、あの恐ろしい表情を、わたしは忘れることができない。
「出て行け」と、彼は叫んだ。「二度とくるな」と。
そう。わたしは、とっさに、殺されると思った。彼は一途《いちず》に殺意を見せた。激しい、凄《すさ》まじい炎《ほのお》のような。この豹変《ひようへん》ぶりは、なんだろうか。
わたしに考えつけることは、結局、ただ一つしかなかった。
「サ、メ」と発したわたしの水中信号を、猛夫も読んだ筈《はず》である。恐怖にすくみあがらねばならない筈の高志が無事で、猛夫のほうが死んだ。これは、どういうことなのだろうか。
しかも、一滴の水も飲まず、その場で心臓をとめたのだ。
もしかして、と、わたしは思った。サメの恐怖に耐えられない神経の持ち主は、高志ではなく、猛夫のほうだったのではあるまいか。
猛夫はあの日、自分自身のことを、じつは喋ったのではないだろうか。あの日岩場で寝そべっていて異様な悲鳴をあげたのは、高志ではなく、猛夫だったのではないか。
高志は、黙って、そんな猛夫の身代り役をつとめていたのではないだろうか。少年時代から、ずっと。人にさとられないように、友の病癖をかばい、事あるごとにその場をとりつくろってやってきたのは、高志のほうだったとは考えられないか。
そう考えると、高志の殺意が理解できた。そう。わたしは殺されてもいい人間なのだ。罪を犯したのだから。人を殺したのだから。
いもしないサメを、いると言って。
この一年、そのことばかりを考えた。そして、出かけてきた唐尾だった。あの夏の終りの日、高志がわたしに示した殺意。それを、この身に受けるために。
わたしを殺さなかった彼が、あの日全身にみなぎらせた殺意、やり場のない殺意、それを思うと、いても立ってもおられなかった。
消えはしないだろう、あの殺意。おさめられはしないだろう。それが、わたしにはよくわかる。海へ出かけなければならない猛夫に、二十数年、ひそみ巣喰っていたサメヘの恐怖。それを抱えて、猛夫は海へ出ていたのだ。明けても暮れても海しかない、板子一枚下は地獄の水の上へ。
(わたしを殺さなかったら、あの殺意は、どこへ向かうだろう。どこで晴らせばいいんだろう。けっして晴れはしないだろう。毎日眼の前にこの海を見て暮らさなければならない高志の暮らしのなかでは)
わたしは、そのことが恐ろしかった。
(西巻潤三さえいなければ……)わたしでさえ、ふと、そう思うのだ。高志が思わない筈がない。この一年、何度そう思ったか。西巻という学者さえいなければ、高志を失うことはなかっただろうに、と。無論、いわれのない言いがかりである。しかしそこしか、この物狂おしさの持って行き場がないのだった。
そんなことはさせてはならない。そう思って、出かけてきた唐尾だった。
いわれのない手鉤を振るう高志の姿が眼に浮かぶ。振るい切れずに、その狂気からわれに返る高志の顔が、そして、その兇行《きようこう》を甘んじて許した西巻の顔が。わたしが受けるべき手鉤だった。
(遅かった。わたしは、遅れてやってきすぎた)
とり残された。わたし一人が!
見えるはずのないサメの影を、あの日海中に描いたわたしを、高志は、許したのだろうか。
(わたし一人を、生かして置き去りにした高志……)
唐尾の海は、光っていた。
音もなく忍び寄るものの幻を垣間《かいま》見せて。
[#地付き]〈了〉
単行本 昭和五十九年六月文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 昭和六十二年五月十日刊