緋弾のアリア
赤松中学
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緋弾のアリア
東京武偵高校、そこは武力を行使する探偵――通称『武偵』を育成する特殊な学校。
「あるきっかけ」で頭脳が活性化するという体質を持つ遠山キンジは、そのことを周囲に秘密にしつつ、平穏を求めて日々を送る探偵科所属の高校二年生。
しかし、通学途中に爆弾事件に巻き込まれ、強襲科の超エリートである神崎・H・アリアと出会ってしまったことにより、キンジの日常は平穏とは程遠いものへと変わっていくのだった――。
Sランクの最強武偵・アリアと、(普段は)ただの一般人・キンジの凸凹コンビが凶悪犯に立ち向かう、大スケールアクション&ラブコメディー!!
――空から女の子が降ってくると思うか?
昨日見た映画では、降ってきてたんだ。
まあ、映画とかマンガならいい導入かもな。
それは不思議で特別なことが起きるプロローグ。
主人公は正義の味方にでもなって、大冒険が始まる。
ああ、だからまずは空から女の子が降ってきてほしい!
……なんて言うのは、浅はかってモンだぜ。
だってそんな子、普通の子なワケがない。
普通じゃない世界に連れ込まれ、正義の味方に仕立てられる。
現実のそれは危険で、面倒なことに決まってるんだ。
だから少なくとも俺《おれ》、遠山《とおやま》キンジは――
空から女の子なんて、降ってこなくていい。
俺はとにかく普通に、平凡な人生を送りたい。
だからまずは、転校してやるんだ。この、トチ狂った学校から……
……ピン、ポーン……
慎《つつ》ましいドアチャイムの音で、日が覚める。
……いけね。
どうやら俺《おれ》は、トランクス一丁で寝ていたらしい。
枕元《まくらもと》の携帯を見ると――時刻は、朝の7時。
(こんな朝っぱらから、誰《だれ》だよ……)
居留守を使ってやろうか。
だが、あのチャイムの慎ましさにイヤな予感がする。
もそもそ、とワイシャツをはおり制服のズボンをはくと、俺は一人で住むには広いこのマンションの部屋を渡り……ドアの覗《のぞ》き穴から、外を見た。
するとそこに――やっぱり。
「……う[#濁点付き平仮名う、1-4-84]」
――白雪《しらゆき》が、立っていた。
純白のブラウス。臙脂色《えんじいろ》の襟とスカート。
シミ一つ無い武偵高《ぶていこう》のセーラー服を着て、漆塗《うるしぬ》りのコンパクトを片手に、何やらせっせと前髪を直している。
何やってんだ白雪《しらゆき》。こんな所で。
そう思ってたら今度はすぅーつはぁーと深呼吸を始めた。
相変わらずワケの分からんヤツだ。
――ガチャ。
「白雪」
ドアを開けると、白雪は慌《あわ》ててぱたんとコンパクトを閉じ、サッと隠す。
そして、
「キンちゃん!」
ぱあっと顔を明るくし、昔のあだ名で俺を呼んできた。
「その呼び方、やめろって言ったろ」
「あっ……ごっ、ごめんね。でも私……キンちゃんのこと考えてたから、キンちゃんを見たらつい、あっ、私またキンちゃんって……ご、ごめんね、ごめんねキンちゃん、あっ」
白雪は見る間に蒼白《そうはく》になり、あわあわと口を手で押さえる。
……文句を言う気も失《う》せるな。
星伽《ほとぎ》白雪。
キンちゃんという呼び方で分かるように、俺とコイツは幼なじみだ。
外見は名前の通り雪肌で、さっき直していたつやつやの黒髪は子供の頃《ころ》からずっと前髪ぱっっん。目っきはおっとりと優しげで、まっ毛はけぶるように長い。
さすがは代々続く星伽《ほとぎ》神社の巫女《みこ》さんだ。相変わらず、絵に描いたような大和撫子《やまとをでしこ》を地で行ってるな。
「ていうか、ここは仮にも男子寮だぞ。よくないぞ、軽々しく来るのは」
「あ、あの。でも私、昨日まで伊勢神宮《いせじんぐう》に合宿で行ってて……キンちゃんのお世話、なんにもできなかったから」
「しなくていいって」
「……で、でも………すん……ぐす」
「あー分かった分かった!」
目を潤《うる》ませた白雪《しらゆき》を、俺《おれ》は仕方なく部屋に上げてやることにする。
「お……おじゃましますっ」
白雪は90度ぐらいの深ぁーいお辞儀《じぎ》をしてから玄関に上がり、脱いだ黒いストラップシューズを丁寧に揃《そろ》えた。
「で、何しにきたんだよ」
きちんとテーブルにつくのも面倒だったので、俺は座卓の脇《わき》にどっかりと腰を下ろす。
「こ、これ」
白雪は自分もふわりと正座すると、持っていた和布《わふ》の包みを解《ほど》いた。
そして出てきた漆塗《うるしぬ》りの重箱を俺《おれ》の前に差し出すと、蒔絵《まきえ》つきのフタを開ける。
そこにはふんわり柔らかそうな玉子焼き、ちゃんと向きを揃《そろ》えて並べたエビの甘辛煮、銀鮭《ぎんざけ》、西条柿《さいじょうがき》といった豪華食材と、白く光るごはんが並んでいた。
「これ……作るの大変だったんじゃないか?」
塗《ぬ》り箸《ばし》を渡されながら言うと、白雪《しらゆき》は、
「う、ううん、ちょっと早起きしただけ。それにキンちゃん、春休みの間またコンビニのお弁当ぽっかり食べてるんじゃないかな……つて思ったら、心配になっちゃって……」
「そんなこと、お前に関係ないだろ」
と言いつつ、実際春休みにコンビニ弁当ばっかり食っていた俺はそのうまそうなお重を有難《ありがた》くいただくことにした。いつも思うが、白雪の料理、特に和食は本当にうまい。
白雪は正座したまま頬《ほお》を桜色に染めてうっむき、ミカンをむきはじめた。白い筋を丁寧に取って小皿に乗せているところを見るに、それも俺にくれるつもりらしい。
まあ……お礼ぐらい言っておくか。
腹いっぱいになった俺はミカンを頬張《ほおば》りながら、白雪に向き直った。
「……えっと、いつもありがとな」
「えっ。あ、キンちゃんもありがとう……ありがとうございますっ」
「なんでお前がありがとうなんだよ。ていうか三つ指つくな。土下座してるみたいだぞ」
「だ、だって、キンちゃんが食べてくれて、お礼を言ってくれたから……」
白雪は嬉《うれ》しそうな顔を上げ、なんでか目を潤《うる》ませて蚊の鳴くような声を出す。
あ、あのなー。
なんでいつもそんなにオドオドするんだ。もつと胸を張って生きろ。
そんな、めったやたらに大きな胸をしてるんだから。
そう思った俺は……つい、本当につい。
白雪の胸を、見てしまった。
こっちに三つ指をつく白雪のセーラー服の胸元は、ちょっと弛《ゆる》んで開いている。
そこには深あーい胸の谷間がのぞいており、黒い、レースの下着が――
(く……黒はないだろ!)
高校生らしからぬけしからん下着から、俺は慌《あわ》てて目を逸《そ》らす。が……
じわっ。
体の芯に血が集まるような、あの、危ない感覚がしてきた。
――ダメだ。
禁止しているんだ、俺は。
こういうのを。自分に。
「――ごちそうさまっ」
白雪《しらゆき》から逃げるように、俺《おれ》は勢いよく立ち上がる。
ふう。どうやらセーフだったみたいだな。
白雪はテキパキと重箱を片付けると、今度はソファーに放《ほう》られていた武偵高《ぶていこう》の学ランを取ってきた。
「キンちゃん。今日から一緒に2年生だね。はい、防弾制服[#「防弾制服」に丸傍点] 」
俺がそれを羽織《はお》ると、今度はテレビの脇《わき》に放り投げてあった拳銃も持ってくる。
「……始業式ぐらい、銃は持たなくてもいいだろ」
「ダメだよキンちゃん、校則なんだから」
と、白雪はその場に両膝《りょうひざ》をついてこっちのベルトにホルスターごと帯銃させてしまう。
校則……『武偵高の生徒は、学内での拳銃《けんじゅう》と刀剣の携帯を義務づける』、か。
ああ、普通じゃない[#「普通じゃない」に丸傍点] 。
ウンザリするほど普通じゃないんだよ。武偵高《ぶていこう》は。
「それに、また『武偵殺《ぶていごろ》し』みたいなのが出るかもしれないし……」
白雪は膝立《ひざだ》ちのまま、心配そうな上目追《うわめづか》いで俺を見上げてきた。
「――『武偵殺し』?」
「ほら、あの、年明けに周知メールが出てた連続殺人事件のこと」
ああ、そういえば、そんなのもいたな。
たしか……武偵《ぶてい》の車やなんかに爆弾を仕掛けて自由を奪った挙げ句、短機関銃《マシンガン》のついたラジコンヘリで追い回して――海に突き落とす。そんな手口のヤツだったっけか。
「でもあれは逮捕されたんだろ」
「で、でも、模倣犯《もはうはん》とかが出るかもしれないし。今朝《けさ》の占いで、キンちゃん、女難《じょなん》の相が出てたし。キンちゃんの身に何かあったら、私……私……ぐす……」
女難の相か。ある意味当たってるな。朝からコイツだからな。
白雪はまた涙目だし、校則違反でまた内申点が下がったら―――今の俺の目標、『普通の高校への転校』が、やりにくくなる。まあ、武装ぐらいはしてやるか。
「分かった分かった。ほら、これで安心だろ。だから泣くなって」
俺は溜息《ためいき》をつき、ナイフも――兄の形見の、バタフライ・ナイフだ――棚から出して、ポケットに収める。
白雪はなんでかそんな俺をうっとりと眺め、ほっペに両手をあてていた。
「……キンちゃん。かっこいい。やっぱり先祖代々の『正義の味方』って感じだよ」
「やめてくれよ―――ガキじゃあるまいし」
吐き捨てるように言う俺の胸に、白雪はるんるんと、どこからか取り出した黒い名札をつけてきた。
『遠山《とおやま》キンジ』
武偵高《ぶていこう》では、4月には生徒全員が名札を付けるルールがある。
俺《おれ》はスルーするつもりだったが、白雪《しらゆき》はそれを先読みして用意していたらしい。
さすがは生徒会長で園芸部長で手芸部長で女子バレー部長で偏差値75の超人的しっかり者だな。ぐうたらの俺にとっちゃ、すこぶるやりにくいヤツだ。
「……俺はメールをチェックしてから出る。お前、先に行ってろよ」
「あっ、じゃぁ、その間にお洗濯とかお皿洗いとか――」
「いいからっ」
「……は、はい。じゃあ……その。後でメールとか……くれると、嬉《うれ》しいですっ」
白雪はもじもじとそんなことを言い、ぺこり。
深ーくお辞儀《じぎ》をしてから、従順に部屋を出て行った。
……ふう。
やつと面倒くさいのが出ていってくれたか。
どっかりとPCの前に座り、だらだら……と、メールやWebを見る。
だらだら、だらだら……としていたら、時刻はいつの間にか7時55分になっていた。
しまった。ちょっとだらだらしすぎたか。
――58分のバスには乗り遅れたな。
[#改ページ]
――生涯。
生涯、俺はこの7時58分のバスに乗り遅れたことを悔《く》やむだろう。
なぜならこのあと、空から女の子が降ってきてしまったんだから。
神崎《かんざき》・H・アリアが。
1弾 |La bamabina dal'ARIA《空から女の子が》
雨が降ったら、雨を浴びて楽しめ―――と言ったのはアルチュール・ランボーだつたか? 負け惜しみもそこまでいくとポジティブというかなんというか。
バスに乗り損ねた俺《おれ》はそのランボーだったかに倣《なら》って、仕方なしに通学路の光景を眺めながらチャリで登校することにした。
近所のコンビニとビデオ屋の脇《わき》を通り、台場《だいば》に続くモノレールの駅をくぐる。
その向こうには、海に浮かぶような東京のビル群。
ここ、武偵高《ぶていこう》こと東京武偵高校《とうきょうぶていこうこう》は、レインボーブリッジの南に浮かぶ南北およそ2キロ・東西500メートルの長方形をした人工浮島《メガフロート》の上にある。
学園島とあだ名されたこの人工浮島は、『武偵《ぶてい》』を育成する総合教育機関だ。
武偵とは凶悪化する犯罪に対抗して新設された国際資格で、武偵免許を持つ者は武装を許可され逮捕権を有するなど、警察に準ずる活動ができる。
ただし警察と違うのは金で動くことで、金さえもらえば、武偵法《ぶていほう》の許す範囲内ならどんな荒《あら》っぽい仕事でも下らない仕事でもこなす。つまりは、『便利屋[#「便利屋」に丸傍点] 』だ。 ――で。
この東京武偵[#「武偵」に丸傍点]高では、通常の一般科目に加えて、その名の通り武偵の活動に関《かか》わる専門科目を履修《りしゅう》できる。
専門科目にもいろいろあって、たとえばいま横を通り抜けたのが探偵科《インケスタ》の専門棟。
高1の3学期から俺が転科して入った所で、古式ゆかしい推理学や諸々《もろもろ》の探偵術を学ぶ、まあこの学校の中では一番マトモな学科といえる。
その先にあるのが通信科《コネクト》、さらに向こうに鑑識科《レビア》、この辺はまだ穏便《おんびん》だが、もう少し行くと去年の2学期まで俺が在籍していた――悪名高き、強襲科《アサルト》がある。
……俺は体育館へ向けて、チャリをターンさせた。
よし、なんとか始業式には間に合いそうだぞ。
こんな学校とはいえ、1学期の始業式から遅刻するのは何だからな―――
「そのチャリには爆弾が仕掛けてありやがります」
奇妙な――チラシを切り貼《ば》りして作った脅迫文《きょうはくぶん》みたいな、妙な声。
「チャリを降りやがったり減速させやがると爆発しやがります」
ああ、これはあれだ。ネットで人気のボーカロイド。あれで作った人工音声だろ。
そんな分析をしてしまってから、聞こえたセリフの一部を思い出す。
――爆弾……だ?
いきなり何だ。どこのバカだ。どういう冗談だ。
眉《まゆ》を寄せて周囲を見回すと、ギョッとしたことに俺《おれ》の自転車にはいつの間にか妙な物体が併走してきていた。
車輪を2つ平行に並べただけで器用に走る、タイヤつきのカカシみたいな乗り物。
こいつは……むかしテレビで見たことがあるぞ。
『セグウェイ』とかいう乗《の》り物《もん》だ。
「助けを求めてはいけません。ケータイを使用した場合も爆発しやがります」
セグウェイはしかし無人で、人が立って来るべき部分にはスピーカーと―――1基の自動銃座が載っていた。
「――!」
その銃座から俺を見つめる、銃口。
UZI《ウージー》。
秒間10発の9ミリパラベラム弾をブツ放《ぱな》す、イスラエルIMI社の傑作短機関銃《サブマシンガン》だ。
「なつ……何だ! 何のイタズラだっ!」
叫ぶが、セグウェイは何も答えない。
ただ、俺に銃口を向けながら併走してくるだけだ。
なんだ――!?
いきなり何なんだよ!?
混乱する頭でチャリをあちこちまさぐると――サドルの裏に、いつの間にか変な物が仕掛けられていた。落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら指でなぞる。
―やばい。型《タイプ》までは分からないが、どうやら|プラスチック爆弾《Composition4》らしい。それもこの大きさ。自転車どころか自動車でも跡形なく消しとばせるサイズだぞ。
―― マ ジ か よ ――
全身に悪寒《おかん》が走り、冷や汗が滲《にじ》む。
やられた。直感で分かる。こいつはたぶんイタズラじゃない。
ハメられた。なんてこった。チャリを乗っ取られた。
――世にも珍しい、チャリジャックじゃないか!
ちくしょう。
ちくしょう。
なんで俺が。
なんでこんなことに。
―俺は万一に備え、とにかく人けのない場所を探して走り、走り、第2グラウンドへと向かった。
金網越しに見た朝の第2グラウンドには、いつも通り誰《だれ》もいない。
俺《おれ》は仕方なしに、その入口めがけてチャリをこぐ。
セグウェイは相変わらず、銃を向けながら併走してくる。
この手口。白雪《しらゆき》が言ってた『武偵殺《ぶていごろ》し』の模倣犯《もほうはん》じゃねえか。
ていうか――どうすればいいんだよ!?
ここに来るまでに死ぬほど必死に考えたが、俺は結局手も足も出ずにいる。
――おい俺。俺は。
死ヌノカ。
コンナ所デ。
「――?」
その時だった。俺はこのありえない状況の中、さらにありえないものを見た。
グラウンドの近くにある7階建てのマンション――たしか、女子寮――の屋上の縁《ふち》に、女の子が立っていたのだ。
武偵高《ぶていこう》のセーラー服。
遠目にも分かる、長い、ピンクのツインテール。
彼女は―――有明《ありあけ》の白い月をまたぐようにして、飛び降りた[#「飛び降りた」に丸傍点]。
(――飛び降りた!?)
一瞬ペダルを踏み外しかけた俺は、慌《あわ》ててチャリこぎに戻る。
ウサギみたいにツインテールをなびかせて、虚空《こくう》に身を躍《おど》らせたその女子は――
ふぁさーっ。と。
事前に屋上で滑空準備させてあったらしいパラグライダーを、空に広げていった。
チャリをこぎつつその光景に目を丸くしていると、女の子はツインテ―ルをなびかせ、
あろうことか、こっちめがけて降下してくる!
「バッ、バカ! 来るな! この自転車には爆弾が――」
俺の叫びは間に合わない。少女の速度が意外なまでに速い。
ぐりん。ブランコみたいに体を揺らしてL字に方向転換したかと思うと、右、左。少女は左右のふとももに着けたホルスターから、それぞれ銀と黒の大型拳銃《けんじゅう》を2丁抜いた。
そして――
「ほらそこのバカ! さっさと頭を下げなさいよ!」
バリバリバリバリッ――
俺が頭を下げるより早く、問答無用でセグウェイを銃撃した!
拳銃の平均交戦距離は、7mと言われている。だが、少女と敵の距離はその倍以上ある。
しかも不安定なパラグライダーから、おまけに二丁拳銃の水平撃ち。
これだけ不利な条件が揃《そろ》っていたにもかかわらず、彼女の弾《たま》は魔法のように次々命中していく。反撃するヒマもなく、敵の銃座と車輪はバラバラにブツ壊されていった。
――うまい。
なんて射撃の腕だ。
あんな子が、うちの学校にいたのか?
くるっ、くるくるっ。
二丁|拳銃《けんじゅう》を回してホルスターに収めた少女は、今度は、ひらり。
スカートのオシリを振り子みたいにして、険《けわ》しい表情のまま俺《おれ》の頭上に飛んできた。
そうだ。安心するのはまだ早い。向こうのオシリはどうでもいい。
こっちのケツの下には、ビルの解体にでも使えそうな爆薬が貼《は》り付いてるんだからな! 俺は少女から逃げるように、第二グラウンドへ入る。
「く、来るなって言ってんだろ! この自転車には爆薬が仕掛けられてる! 減速すると爆発するんだ! お、お前も巻き込まれるぞ!」
「――バカっ!」
俺の真上に陣取った彼女は……げしっ! 白いスニーカーの足で、俺の脳天を力いっぱい踏みつけてきた。
「武偵《ぶてい》憲章1条にあるでしょ!『仲間を信じ、仲間を助けよ』――いくわよ!」
女の子が、気流をとらえてフワッと上昇する。
華麗なパラグライダー捌《さば》きに、俺《おれ》は踏まれた怒りも忘れてその光景を見上げてしまう。
なんて運動神経だ。でもスパッツぐらいはけ、とは思う。まあ一瞬で飛んでったから、
何も見えやしなかつたけど。
ていうか――今の言いぐさ。
『いくわよ!』って、何をする気だ。
俺を助ける気か?
――どうやって?
少女はグラウンドの対角線上めがけて再び急降下し、こっちへ向けて鋭くUターンする。
そして――ぶらん。
さっきまで手で引いていたプレ―クコードのハンドルにつま先を突っ込み、逆《さか》さ吊《づ》りの姿勢になつた。
そのまま、物凄《ものすご》いスピードでまっすぐ飛んでくる。
都合、俺はアイツに向かって走る形になった。
「――マジかよ……!」
相手の意図が分かって、俺は青くなる。
こっちが気づいたことに気づいたらしく、少女は、
「ほらバカっ! 全力でこぐっ!」
大声で命令しつつ、逆さ吊りのまま両手を十字架みたいに広げた。
――バカはそっちだ!
そんな助け方があるか!
でも、他《ほか》に方法もねえし―――やるしかない、のか!
俺はもうヤケクソで、チャリをこぐ。
こぐ。こぐ。こぐ! 全速力で!
俺はアイッに、アイツは俺に近づいていく。
2人の距離はみるみる縮まっていく。
ああ、昨日見たアニメ映画に、こういうシーンがあったな。
――でもあれ、男と女が逆じゃなかつたか!?
そう自分にツッコんだ瞬間――上下互い違いのまま、俺は少女と抱き合った。
そしてそのまま、空へさらわれる。
息苦しいくらいに顔が押しつけられた少女の下っ腹からは、クチナシの蕾《つぽみ》のような、甘酸っぱい香りがして――
ドガアアアアアアアアアンッッッ!!!
閃光《せんこう》と轟音《ごうおん》、続けて爆風。
俺《おれ》が乗り捨てたチャリが、木《こ》っ端《ぱ》みじんに爆発したのだ。
あの爆弾は[#「あの爆弾は」に丸傍点] 、やっぱり本物だった[#「やっぱり本物だった」に丸傍点] ――!
熱風に吹っ飛ばされながら、俺たちは――引つかかった桜の木にパラグライダーをもぎ取られ、グラウンドの片隅《かたすみ》にあった体育倉庫の扉に突っ込んでいった。
がらがらと昔を上げ、何にぶつかったのかも分からず……
俺の意識は、一瞬、途切れた。
……
…………
「う…‥っ。痛《い》ッてぇ……」
……俺は……
何か狭い箱のような空間に、尻《しり》モチをっいた姿勢で収まっている。
―――ここは、どこだ。
俺は確か、体育倉庫に突っ込んでしまって……ああ、分かった。
これは、跳び箱の中だ。
どうやら一番上の段を吹っ飛ばして、中にハマってしまったらしい。
しかしなんだろう。身動きが取れない。
身動きが取れないのはここが狭いせいもあるが、座っている俺の前に、甘酸っぱい香りのする何かがあるせいでもありそうだった。
なんだろうこれは。あったかくて、柔らかい。
脇腹《わきばら》を、両側から何か心地《ここち》よい弾力をもったものに挟まれている。両肩に何かがもたれかかっている。さらに額《ひたい》の上には、ぶにぷにした物体が乗っていた。
「ん……?」
額と頬《ほお》で、そのぶにぷにした何かを押しのけるようにすると――
――かくん。
俺に押しのけられたのは、
(…………可愛《かわ》つ……!)
いい、と反射的に言ってしまいそうな……
女の子、の顔だった。
女子寮から飛び降り、パラグライダーに乗ったまま戦い、俺を空中にさらって助けた、さっきの勇敢な少女だ。
「……!」
それで気付く。
俺《おれ》の脇腹《わきばら》を左右から挟んでいるのは、彼女のふともも。
両肩に乗っかってるのは、腕。
―――何がどうもつれ合ってこうなったのかは分からないが、俺は、彼女を抱っこして、ここにハマつてしまっているらしいのだ! ありえん。
ありえないぞ。
女子と、密着しすぎだ。
じわ……と、俺の体の芯《しん》に、熱くなった血液が集まり始める。
ダ、ダメなんだ。俺は。
こういうのは[#「こういうのは」に丸傍点] 。禁止なんだ。
「……お……おい」
声を掛けてみるが、答えはない。
少女は眠るように気を失っている。
その日を縁取《ふちど》るのは、ツンツンと長いまつげ。
甘酸つぱい香りの息を継ぐピンクの唇は、桜の花びらみたいに小さい。
ツインテールに結《ゆ》われた長い髪は、細い窓から届く光に、キラキラ……と豊かなツヤをきらめかせていた。色は、ピンク。珍しい。ピンクブロンドってやつか。
さっきは俺も必死だったから気づかなかつたが……カワイイ[#「カワイイ」に丸傍点] 。文句なしに可愛《かわい》い子だ。まるでファンタジー映画から飛び出してきたような、作りものみたいに可憐《かれん》な少女。
だが……この可愛さはどちらかというと子供とかお人形さんとかに感じる、そっち系の愛らしさで……というのもコイツ、こうやって間近に見るとひときわチビっ子なのだ。
この体格はたぶん、中等部。いや、もしかしたら最近始まったインターン制度で入ってきた小学生かもしれないぞ。
――そんな小さな子が、さつきの救出劇をやってのけたのか。
すごい。それはすごい、のだが……
「……くっ……」
この子はいま俺の腹にまたがるような姿勢になって、腹部をきつく圧迫してきていた。
息が、苦しい。
なので、なんとか姿勢を変えられないものかと藻掻《もが》いていると―――
ちろ、ちろろ。
「?」
俺の鼻を、少女の名札がくすぐってきた。
今日が始業式なので学年やクラスは未記入だつたが、名前は――『神崎《かんざき》・H・アリア』。
「……?」
でも、なんでこんな高い位置に名札があるんだ?
そう思って視線を下ろしていくと――
「―つ!」
このアリアとかいう少女のブラウスが
首の辺りまで、思いっきりめくれ上がってしまっていたのだ!
どうやらここに転がり込んだ時の勢いで、ズレてしまったらしい。
おかげで、白地にハート・ダイヤ・スぺード……トランプのマークがぽちぽちプリントされたファンシーな下着が、丸出しになっている。
『 65A→B 」……?
下着の緑からぴょろっと出ていた妙なタグの表記に ああ、と思いつく。
これはプッシュアップ・プランジ・ブラ。いわゆる「寄せて上げるブラ」だ。
何でこんなことを知っているのかというと生前の兄が詳しかったからで、断じて俺《おれ》が自発的に知っていた事ではないのだが……このアリア、AカップをBカップに偽装しようとしているらしい。だが気の毒だが、その偽装は失敗と書わさるをえないだろう。寄せて上げる元手に乏《とぼ》しすぎて、寄りも上がりもしていないからだ。
とはいえ―― これは、俺にとっては不幸中の幸いだったかもしれない。
もしこの胸がもっと大きくて顔に押し付けられたりしていたら、困った事になっていた。
禁を破って、有無を言わさず、なってしまっていただろう。
『あのモード[#「あのモード」に丸傍点] 』に。
「……へ……へ……」
「――?」
「ヘンタイ――――!」
突然聞こえてきたのは、アニメ声というかなんというか、この声だけでもファンがつきそうな、おいお前その顔その姿でその声は反則じゃないか? ってぐらいの、ちょっと鼻にかかった幼い声だった。
「さっ、さささっ、サイッテー!!」
どうやら意識を取り戻したらしいアリアさんは、ぎぎん! と俺を睨《にら》んで、ばつ! とブラウスを下ろすと―― ぱかぽこぱかぽこぼかぽこ! 腕が曲がったままで力の籠《こ》もってないハンマーパンチを、俺の頭に落とし始めた。
「おっ、おい、やっ、やめろ!」
「このチカン! 恩知らず! 人でなし!」
ぱかぽこぱかぽこぱかぽこぱかぽこ!
どうやらアリアは、自分のブラウスを俺《おれ》がめくり上げたと勘違いしているらしい!
「ち、違う! こ、これは、俺が、やったんじゃ、な――!」
そこまで、殴られつつの俺が言ったとき。
――ガガガガガガガンッ!!
突然の轟音《ごうおん》が、体育倉庫を襲った。
――何だ!?
今、跳び箱にも何発か、背中の側に激しい衝撃があった。
まるで、銃撃されているような――!
「うっ! まだいたのねっ!」
アリアはその紅《あか》い瞳《ひとみ》で跳び箱の外を睨《にら》むと、ばっ、とスカートの中から拳銃《けんじゅう》を出した。
「『いた』って、何がだ!」
「あのヘンな二輪!『武偵殺《ぶていごろ》し』のオモチャよ!」
『武偵殺し』? ヘンな二輪?――さっきの、セグウェイのことか!
じゃあ今のは、まるで、じゃなくて本当に銃撃だったのか!
体育の授業でも拳銃を使う武偵高《ぶていこう》では、跳び箱も防弾製だ。そこはラッキーだった。
だが――こんな箱に追い詰められた状態から、どうすればいいんだ?
分からない、何もできない。今の俺では[#「今の俺では」に丸傍点] 。
「あんたも――ほら! 戦いなさいよ! 仮にも武偵高の生徒でしょ!」
「むッ、ムリだって! どうすりゃいいんだよ!」
「これじゃあ火力負けする―― 向こうは7台いるわ!」
7台……短機関銃《サブマシンガン》が、7丁もこっちに向けられてるっていうのか!?
「――――!」
その時だった。予想外の事が起きた。
銃を撃っため無意識に前のめりになったアリアが――
その胸を、俺の顔に思いっきり押しつけてきたのだ。
パパッ! パパバッ!
跳び箱のすき間から応射するアリアは射撃に集中しているらしく、自分の胸が俺の顔に密着してることに気付いていない。
ああ。
ああ―
これは、アウト[#「アウト」に丸傍点] だ。
なぜなら――あった[#「あった」に丸傍点] から。
無いように見えたが、いや、実際ほとんど無いのだが、そこは女子の胸。
こんなに小さいのに、ちゃんと柔らかいふくらみが、あった[#「あった」に丸傍点] 。
いま俺《おれ》の顔面には、夢のように柔らかい、水まんじゅうみたいなカワイイものが押し当てられている。
知らなかった。女の子の胸とは、ちっこくても柔らかいものだったのか。もっと大きく丸くならないと柔らかくならないものかと思っていたが、違ったみたいだ。
緊急時にもかかわらず、どこか冷静にそんな事を考えてしまったのは――
もう、分かってしまっていたから。
――自分が、自らの心に課した禁忌《タブー》を、破ってしまったことを。
アリアの胸に抱かれるようになりながら、俺は……
『あの感覚』を、感じていた。
体の芯が熱く、堅く、むくむくと大きくなっていくような――言いようのない感覚。
ドクン、ドクン――!
火傷《やけど》しそうに熱くなった血液が、体の中央に集まっていく。
なってしまう。なっていく。
――ああ。
なってしまった。
ヒステリアモード[#「ヒステリアモード」に丸傍点] 、に……!
ズガガガツ! ガキンッ!
弾切《たまぎ》れの音を派手に上げたアリアが、身をかがめて拳銃に《けんじゅう》弾倉を挿《さ》し替える。
「―――やったか」
「射程圏外に追い払っただけよ。ヤツら、並木の向こうに隠れたけど……きつとすぐまた出てくるわ」
「強い子だ。それだけでも上出来だよ」
「……は?」
いきなり口調《くちょう》がクールになった俺に、アリアが眉《まゆ》を寄せる。
ああ、やっちまうのか――また。
その逡巡《しゅんじゅん》は、ほんの一瞬で。
俺はアリアの細い脚《あし》と、すっぽり腕に収まってしまう小柄な背中に手を回し、すっくと立ち上がってしまっていた。
「きゃっ!?」
「ご褒美《ほうび》に、ちょっとの聞だけ――お姫様にしてあげよう」
いきなりお姫様抱っこ[#「お姫様抱っこ」に丸傍点] されたアリアが、ぼんっ。
ネコっぽい犬歯の口を驚きに聞いて、真っ赤になった。
俺はアリアを抱いたまま跳び箱の縁《ふち》に足をかけ、バッ、と倉庫の端まで一足で跳ぶ。
そして、積み上げられたマットの上に……ちょこん。
アリアを、お人形さんみたいに座らせてやった。
「な、なな、なに……!?」
さっきまでの俺《おれ》とは一変してしまった俊敏な動きに、アリアは目をぱちぱちさせている。
「姫はそのお席でごゆっくり、な。銃なんかを振り回すのは、俺だけでいいだろう?」
ああ、俺よ。
俺はもう、自分を止められないらしいな。
「あ……アンタ……どうしたのよ!? おかしくなつちゃったの!?」
慌《あわ》てまくったアニメ声に、かぶせるようにして――
ズガガガガガガンッ!
再び、UZI《ウージー》が体育倉庫に銃弾を浴びせてきた。
だが壁は防弾壁だし、ここはヤッらから見て死角になっている。撃つだけ弾《たま》のムダだ。
俺は苦笑しながら……ヤツらの射撃線が交錯《こうさく》する、ドアの方へと歩いていった。
「あ、危ない! 撃たれるわ!」
「アリアが撃たれるよりずつといいさ」
「だ、だ、だから! さっきからなに急にキャラ変えてんのよ! 何をするの!」
俺は半分だけ振り返って、赤面しまくり混乱しまくりのアリアにウィンクすると――
「アリアを、守る」
マットシルバーのベレッタ・M92Fを抜いて、ドアの外へ身を晒《さら》した。
グラウンドに並んだ7台のセグウェイが、一斉《いっせい》にUZIを撃ってくる。
その弾は――
全《すべ》て、当たらない。
当たるわけがない。
視《み》えるからだ。
今の俺の目には、銃弾がまるでスローモーションのように、全部視えてしまうのだ。
いい狙《ねら》いだ。全て、俺の頭部に照準を合わせてるな。
俺はその一斉射撃を――上体を後ろに大きく反らして、やりすごしてやった。
そしてその姿勢のまま、左から右へ、腕を横に凪《な》ぎながらフルオートで応射する。
見なくても、放《はな》った全ての銃弾の行き先が分かる。
使った弾丸は、7発――
その全てが、UZIの銃口に飛び込んでいくのも、分かる――!
ズガガガガガガガンッ!!
セグウェイたちは全《すべ》て、その銃座のUZI《ウージー》を吹っ飛ばされた。
俺《おれ》の、たった7発の銃弾に。あっけなく。
折り重なるようにして倒れたセグウェイたちが全て沈黙しているのを確かめると、俺は体育倉庫に戻った。
中ではアリアが、なぜだか跳び箱に入り直していた。
跳び箱から上半身を出した状態で、『今、私の目の前でなにが起きたの?』という顔をしている。
そして俺と目が合うと、ぎろ! と睨《にち》み目になって、モグラ叩《たた》きみたいに跳び箱の中へ引っ込んでしまった。
……何だ。
何でか、怒っているようだ。
「――お、恩になんか着ないわよ。あんなオモチャぐらい、あたし1人でも何とかできた。これは本当よ。本当の本当」
強がりながらアリアは、ゴソゴソ。何やら跳び箱の中でうごめく。
どうやら服の乱れを直しているらしい。
だが……それは少し難しいだろう。さっきお姫様抱っこした際に見てしまったのだが、アリアのスカートは最初の爆風のせいか、ホックが壊れてしまっていた。
「そ、それに、今のでさつきの件をうやむやにしようったつて、そうはいかないから! あれは強制|猥褻《わいせつ》! レッキとした犯罪よ!」
と、アリアは跳び箱の指を突っ込む穴から紅《あか》い瞳《ひとみ》でこっちを睨んでくる。
「……アリア。それは悲しい誤解だ」
俺は――シュルッ……と。
ズボンを留めるベルトを外して、跳び箱に投げ入れてやった。
「あれは不可抗力ってやつだよ。理解してほしい」
「あ、あれが不可抗力ですって!?」
アリアは跳び箱の中から、俺のベルトで留めたスカートを押さえつつヒラリと出てきた。
ふわ。見るからに身軽そうな体が、俺の正面に降り立つ。
え。
立ったのか? それで?
というぐらい、やはりアリアはちっこかった。ツインテールを留めているツノみたいな髪飾りで上乗せしても、145、ないだろう。
「ハ、ハッキリと……あんた……!」
ぶわああぁ。
アリアは言いながら睨《にら》み目になり、真っ赤になっている。
ぎゆう、と拳《こぶし》も握りしめている。
そして、わわ、わわ、わ。ローズピンクの唇を震《ふる》わせてから、がいん! 言葉を発する勢いづけのためか床を踏みつけた。
「あ、あたしが気絶してるスキに、ふ、服を、ぬ、ぬぬ、脱がそうとしてたじゃないっ!」
そんなに恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。
「そ、そそ、それに、む、むむむ」
がいん!
また床を踏んだ。床になんの恨《うら》みがある?
「胸、見てたぁあああっ! これは事実! 強猥《きょうわい》の現行犯!」
ぼふっ。
と頭から噴火しそうな勢いで、アリアはさらに赤くなった。耳まで真っ赤だ。
「あんたいったい! 何する! つもりだつたのよ!せ、せ、責任取んなさいよ!」
がいん! がん! ががん!
新しいタイプの地団駄《じだんだ》だな。それ。
ていうか責任って何だ責任って。
「よしアリア、冷静に孝えよう。いいか。俺《おれ》は高校生、それも今日から2年だ。中学生を脱がしたりするワケがないだろう? 歳《とし》が離れすぎだ。だから――安心していい」
噛《か》んで含めるように優しく言うと、アリアは、わああー! と言う口になって両手を振り上げた。
声が出てないのは絶句しているということらしい。
そして――ぎぎん! と涙目になって俺を睨みつける。
「あたしは中学生じゃない[#「あたしは中学生じゃない」に丸傍点]!!」
がすんっつつ! 踏みつけた床がとうとう弾《はじ》けて木片が散った。
――まずいな。
説得しょうとしたが、しくじったようだ。
どうやら歳のことで、さらに怒らせてしまったらしい。
女というやつは、実際より歳上に見られると怒る習性がある。しかもこの子は凶暴だ。このままだと体育倉庫の床が抜ける。フォローしておいた方がいいだろう。
「……悪かったよ。インターンで入ってきた小学生だったんだな。助けられたときから、そうかもなとは思っていたんだ。しかし凄《すご》いよ、アリアちゃんは――」
勇敢な子だね、と続けようとした時……今度は、がばっ。
アリアが、顔を伏せた。
顔の上半分が、影になって見えなくなる。
そして、ばし、と両ふとももに左右の手をついた。
今度は何だ。忙しい子だな。
「こんなヤツ……こんなヤツ……助けるんじゃ、なかった!!」
ぱぎゅぎゅん!
「うおっ!」
足元に撃ち込まれた2発の銃弾に、俺《おれ》は青ざめた。
この子、撃ったぞ! それも二丁|拳銃《けんじゅう》で!
「 あ[#「あ」に丸傍点] た[#「た」に丸傍点] し[#「し」に丸傍点] は[#「は」に丸傍点] 高[#「高」に丸傍点] 2[#「2」に丸傍点] だ[#「だ」に丸傍点] !! 」
一難去ってまた一難、再び――だ。
「ま、待てツ!」
さらに至近距離から銃を向けてきたアリアに――
俺はむしろ飛びかかり、その細腕を両脇《りょうわき》に抱え込んで後ろに突き出させた。
ぼりぱりぱりつ! がきんがきんつ!
アリアは反射的に引き金を引き、背後の床が着弾した音を上げる。
今の――音で分かる。2丁とも弾切《たまぎ》れだ。
『ヒステリアモード[#「ヒステリアモード」に丸傍点]』でよかった。『普段の俺[#「普段の俺」に丸傍点]』だったら、今ごろ鉛玉を何発も喰《く》らって床をのたうち回っていただろう。
俺たちはそのまま、取っ組み合うような姿勢になった。
「――んっ――やぁつ!」
くるっ。
体をひねったかと思うと、アリアは柔道でいう跳ね腰みたいな技で、体格差をものともせず俺を投げ飛ばした。
「うっ――!?」
この子、徒手格闘もできるのか? しかもやたら巧《うま》い。
辛《かろ》うじて受け身を取ると、俺は――その勢いを殺さず体育倉庫から転がり出た。
「逃げられないわよ! あたしは逃走する犯人を逃がしたことは! 1度も! ない! ――あ、あれ? ぁれれ、あれ?」
叫びながら、アリアはわしゃわしゃとスカートの内側を両手でまさぐった。
弾切れになった拳銃に再装填《さいそうてん》する、弾倉《マガジン》を探しているのだろう。
「ごめんよ」
俺《おれ》はさっき投げられた際にスカートからスリ取っておいた予備弾倉を掲《かか》げ――あさっての方向へ投げて見せる。
「――あ!」
遠くの茂《しげ》みに落ちていくそれを目で迫ってから、アリアは無用の長物になってしまった拳銃《けんじゅう》を上下にブン! ブン! と振り回した。
やったな! やったな! という怒りの動作らしい。
「もう! 許さない! ひざまずいて泣いて謝つても、許さない!」
アリアは拳銃をホルスターにぶち込むとセーラー服の背中に手を突っ込み――
じゃきじゃき!
そこに隠していた刀を、二刀流で抜いた。
銃、徒手格闘ときて、今度は刀か――!
唖然《あぜん》とする俺に――だんッ! アリアは人間離れした瞬発力で飛びかかつてきた。
そしてその寸詰まりの日本刀を、俺の両肩めがけて流星みたいに突き出してくる。
ザザッ!
俺はなんとか、背後に転がってそれを避《よ》けた。
「強猥男《きょうわいおとこ》は神妙に――っわぉきゃっ!?」
勢いよく俺の方に踏み出したアリアは、新種のヤマネコみたいな声を上げ――
見えない相手にバックドロップを喰《く》らったように、真後ろにブッ倒れた。
その足元には、アリアの弾倉から抜いておいた銃弾がいくつも転がっている。
さっき、投げた弾倉に向こうが目を奪われた隙《すき》にバラ撒《ま》いておいたのだ。
「こ、このッ……みゃおきゃっ!」
立ち上がろうとして弾を踏み、また両足が真上を向くぐらい勢いよくコケている。マンガみたいだな。
このスキに俺は、とにかく一目散に逃げることにした。
アリアは常人離れした戦闘力を持っている。だが、今は怒りと羞恥心《しゅうちしん》で冷静さを欠いている状態だ。
対する俺は、『ヒステリアモード』。
たとえ100人のFBI捜査官からだって、逃げ切れるさ――
そう思いながら俺は、背中で、彼女の捨てゼリフを聞き流すのだつた。
「この卑怯者《ひきょうもの》! でっかい風穴――あけてやるんだからあ!」
それが俺、遠山《とおやま》キンジと。
後に『緋弾《ひだん》のアリア』として世界中の犯罪者を震《ふる》え上がらせる鬼武偵《おにぶてい》、神崎《かんざき》・H・アリアの……
硝煙《しょうえん》のこオイにまみれた、最低最悪の、出会いだった。
2弾 神崎《かんざき》・H・アリア
(……また、やっちまったよ……)
結局出られなかった始業式の後、俺《おれ》は鬱々《うつうつ》とした気分で教務科に事件の報告を済ませ、新しいクラスにトボトボ向かっていた。
|ヒステリア《Histeria》・サヴァン《Savant》・シンドローム《Syndrome》。
俺は『ヒステリアモード』と勝手に呼んでいるが、この特性を持つ人間は、一定量以上の恋愛時脳内物質βエンドルフィンが分泌《ぶんぴつ》されると、それが常人の約30倍もの量の神経伝達物質を媒介し、大脳・小脳・脊髄《せきずい》といった中枢神経系の活動を劇的に亢進《こうしん》させる。
その結果、ヒステリアモード時には論理的思考力、判断力、ひいては反射神経までもが飛躍的に向上し、うんたらかんたらがどうたらこうたらで……
まあ、一言で言うと。
この特性を持つ人間は、性的に興奮すると[#「性的に興奮すると」に丸傍点] 、一時的にまるで人が変わったようなスーパーモードになれるのだ。
だが、今はもう元に戻ったものの……アリア、すなわち女子の前でヒステリアモードになってしまった事に、俺は激しく落ち込んでいた。
この体質は本来、絶対、人に知られてはいけないものなのだ。
特に、女子には。
(女ってのは……おっそろしい生き物だからなー……)
子孫を残すため、男には女を守る時に大なり小なりパワーアップする本能がある。で、ヒステリアモードとは、それが異常に発達したものらしい。
そして……その本能のせいなのか、俺《おれ》はヒステリアモードになると女子に対してフシギな心理状態になってしまう欠点があるのだ。
1つには――女子を、何がなんでも守りたくなってしまうこと。
困っている女子・ピンチに陥ってる女子を助けるためなら、この力を使い、求められるままに戦ってやりたくなってしまうのだ。
そしてもう1つ、極《きわ》めて耐えがたいのは――
その際、女子に対してキザな言動を取ってしまうことだ。
これはヒステリアモードの大本にある「子孫を残すため」の本能が働いて、女にとって魅力的な男を演じてしまうということらしいのだが……ヒステリアモードの俺は、女子に優しく接するわ、誉《ほ》めるわ、慰《なぐさ》めるわ、さりげなく触るわ、ああ、後から思い出すたびに死にたくなるような、おっそろしいジゴロキャラになってしまうのだ。
(でもまあ、もっとおっそろしいのは……女の方なんだけどな)
思い起こせば――中学――神奈川武偵高《かながわぶていこう》付属中の頃《ころ》は、最悪だった。
この体質を知った一部の女子が、俺を利用することを覚えやがったのだ。
ヤツらは俺をあの手この手のイタズラでヒステリアモードにし、こき使った。ある者はイジメを受けた復讐《ふくしゅう》に俺を使い、ある者はセクハラ教師への制裁をさせたりもした。
つまり俺は……ヤツらにとっての独善的な『正義の味方』にさせられていたのだ。
(白雪《しらゆき》みたいなパターンも、困るんだよな……)
そんな理由から地元を避け、東京武偵高を受験した朝――
運の悪さに定評のある俺は、たまたまタチの悪い男たちにからまれて逃げてきた白雪と廊下でぶつかり押し倒してしまうというマンガじみたハプニングに見舞われ…‥東京《ここ》でもいきなり、ヒステリアモードになってしまった。
で、白雪を追ってきた不良どもをぶちのめし、挙げ句、泣きじゃくるアイツが落ち着くまで、甘い甘い言葉をかけ、優しく慰めてやってしまっている。
それ以来、アイツの生来のお節介焼き属性には妙な拍車がかかってしまったのだ。
(俺は女なんか、ずっと避けて生きていきたいのに……)
そういう[#「そういう」に丸傍点] 本やDVDは別にいい。そもそもああいうものには興味が無いし、何より、見なければいいだけの話なんだから。
だが、生身の女子に関してはそうはいかない。
ヤツらはブラウスの中、スカートの下に爆弾を秘め、そこらじゅうを歩いているのだ。
(ちくしょう……ホントに、困った病気を遺伝させてくれちまったもんだよ……)
俺《おれ》は後ろ頭をがりがり掻《か》きながら、新しくクラス分けされた2年A組に入った。
そう、俺の家――遠山《とおやま》家は、代々この力を遺伝させてきた。
このあまりにも厄介《やっかい》で、面倒で、こっ恥ずかしく、そして……
――兄さんを破滅させた[#「兄さんを破滅させた」に丸傍点] 、呪うべき[#「呪うべき」に丸傍点] 、忌まわしい力を[#「忌まわしい力を」に丸傍点] 。
「先生、あたしはアイツの隣に座りたい」
俺がクラス分けされた2年A組の、最初の|HR《ホームルーム》で――
気絶しそうなほど不幸なことに同じ2年A組だった[#「同じ2年A組だった」に丸傍点]あのピンクのツインテールが、いきなり俺を指してそんなことを言ったもんだから。
クラスの生徒たちは一瞬絶句して、それから一斉《いっせい》にこっちを見て……
わあーっ! と歓声を上げた。
俺は――
ずりっ、とイスから転げ落ちる。
絶句。ただ、ただ、絶句するしかない。
先生が「うふふ。じゃあまずは去年の3学期に転入してきたカーワイイ子から自己紹介してもらっちやいますよー」などと前置きをしたから、イヤな予感はしてたんだ。
そして俺の死角にあった席を立ち教壇に上がったチビがまさにさっきの神崎《かんざき》・H・アリアだったわけで、もうヒステリアモードも切れて通常モードに戻っていたからどうすればいいのか何も思いつかず、半分は銃撃されるのを覚悟で震《ふる》えていた。
そしたらいきなり『隣に座りたい』ときた。
「な、なんでだよ……!」
ようやく出てきた声で、呟《つぶや》く。
『正義の味方』として利用する腹じゃないだろう。アイッは、俺のヒステリアモードのことに気付いてないハズだし。
気に入られた――つてワケでもなさそうだ。アイツはさっきの俺に最後まで武器を突きつけて、怒っていたんだからな。
じゃあ、隣の席に座って、じっくり殺そうってことなのか。
「よ……良かったなキンジ! なんか知らんがお前にも春が来たみたいだぞ! 先生! オレ、転入生さんと席代わりますよ!」
まるで選挙に当選した代議士の秘書みたいに俺の手を握ってブンブン振りながら、右隣に座っていた大男が満面の笑みで席を立つ。
身長190近いこのツンツン頭は、武藤剛気《むとうごうき》。
俺《おれ》が強襲科《アサルト》にいた頃《ころ》よく俺たちを現場へ運んでくれた車輌科《ロジ》の優等生で、乗り物と名のつく物ならスクーターからロケットまで何でも運転できる特技がある。
「あらあら。最近の女子高生は積極的ねぇー。じゃあ武藤《むとう》くん、席を代わってあげて」
先生は何だか嬉《うれ》しそうにアリアと俺を交互に見てから、事情を知らない武藤の提案を即OKしてしまう。
わーわー。ぱちぱち。
教室はとうとう拍手喝乗《はくしゅかっさい》を始めてしまった。
――違うっ! 俺はアイツの事なんか何も知らない。それどころかアイツはさっきまで俺に銃をブツ放《ぱな》してた凶暴女なんだ、だから取り消してくれ――!
そう先生に抗議しょうとした時、アリアが、
「キンジ、これ。さっきのベルト」
と、俺をいきなり呼び捨てにしつつ、体育倉庫で貸したベルトを放《ほう》り投げてきた。
見れば、向こうの制服は上下共にどこかで調達してきたらしく新品になっている。
俺がベルトをキャッチすると――
「理子《りこ》分かつた! 分かっちゃった! ―――これ、フラグばっきばきに立ってるよ!」
俺の左隣に座っていた峰《みね》理子が、ガタン! と席を立った。
「キーくん、ベルトしてない! そしてそのベルトをツインテールさんが持ってた! これ、謎《なぞ》でしょ謎でしょけ? でも理子には推理できた! できちゃった!」
アリアと同じくらい背の低い理子は、探偵科《インケスタ》ナンバーワンのバカ女だ。
その証拠に、武偵高《ぶていこう》の制服をヒラヒラなフリルだらけの服に魔改造している。たしか、スィート・ロリータとかいうファッションだ。
ちなみにキーくんというのは珍妙なコイツが俺につけた珍妙なあだ名である。
「キーくんは彼女の前でベルトを取るような何らかの行為[#「何らかの行為」に丸傍点]をした! そして彼女の部屋にベルトを忘れてきた! つまり2人は――熱い熱い、恋愛の真っ最中なんだよ!」
ツーサイドアップに結《ゆ》ったゆるい天然パーマの髪をぴょんぴょんさせながら、理子はおバカ推理をぶち上げる。
恋って。お前。
だがここはバカの吹きだまり、武偵高。
それでもクラスは大盛り上がりに盛り上がってしまった。
「キ、キンジがこんなカワイイ子といっの間に!?」「影の薄いヤツだと思ってたのに!」「女子どころか他人に興味なさそうなくせに、裏でそんなことをけ?」「フケツ!」
武偵高の生徒はこの一般科目でのクラス分けとは別に、それぞれの専門科目で部活のように組や学年を超えて学ぶ。ので、生徒同士の顔見知り率は高いのだが……
新学期なのに、息が合いすぎだろお前ら。こういうことになると。
「お、お前らなあ……」
俺《おれ》が頭を抱え、机に突っ伏したとき――
ずぎゅぎゅん!
鳴り響いた2連発の銃声が、クラスを一気に凍り付かせた。
――真っ赤になったアリアが、例の二丁拳銃を《けんじゅう》抜きざまに撃ったのである。
「れ、恋愛だなんて……くっだらない!」
翼のように広げたその両腕の先には、左右の壁に1発ずつ穴が空いていた。
チンナンチチーン……
拳銃から排出された空薬英《からやっきょう》が床に落ちて、静けさをさらに際立たせる。
バカ理子《りこ》は前衛舞踏みたいなボーズで体をよじらせたまま、ず、ずず、と着席。
……武偵高《ぶていこう》では、射撃場以外での発砲は『必要以上にしないこと』となっている。つまり、してもいい。まあここの生徒は銃撃戦が日常茶飯事の武偵《ぶてい》になろうというのだから、日頃《ひごろ》から発砲に対する感覚を軍人並に麻痺《まひ》させておく必要がある。だから、なのだが…… 新学期の自己紹介でいきなり発砲したのは、コイツが初めてだろう。
「全員覚えておきなさい! そういうバカなことを言うヤツには……」
それが、神崎《かんざき》・H・アリアが武偵高《ぶていこう》のみんなに発した――最初のセリフだった。
「――風穴あけるわよ!」
昼休みになると同時に質問責めの憂《う》き目《め》にあった俺《おれ》は、なんとかクラスのアホどもをまいて理科棟の屋上へと避難した。
だいたいアリアのことを聞かれても、俺は何も答えられないのだ。今朝《けさ》初めて会ってチャリジャックから助けられてそれから追っかけ回されたというだけの関係。個人的なことは何も知らないに等しいんだから。
溜息《ためいき》混じりにしょぼくれていると……屋上に、何人かの女子が喋《しやぺ》りながらやってきた。
声に聞き覚えがある。どうやらうちのクラスの、それも強襲科《アサル卜》の女子どもらしい。
こそっ。俺は犯罪者のように物陰に隠れた。
「さっき教務科から出てた周知メールさ、2年生の男子が自転車を爆破されたつてやつ。あれ、キンジじゃない?」
「あ。あたしもそれ思った。始業式に出てなかったもんね」
「うわ。今日のキンジつてば不幸。チャリ爆破されて、しかもアリア?」
1・2・3と並んで金網の脇《わき》に座った女子たちは、俺の事を話題にしているようだ。
俺は苦虫《にがむし》を100匹ほど噛《か》み潰《つぶ》したような顔をして、とりあえず静かに身を潜《ひそ》める。
「さつきのキンジ、ちょっとカワイソーだったねー」
「だったね!。アリア、朝からキンジのこと探《さぐ》って回ってたし」
「あ。あたしもアリアにいきなり聞かれた。キンジってどんな武偵《ぶてい》なのとか、実績とか。『昔は強襲科《アサルト》で凄《すご》かったんだけどねー』って、適当に答えといたけど」
「アリア、さつきは教務科の前にいたよ。きっとキンジの資料|漁《あさ》ってるんだよ」
「うっわー。ガチでラブなんだ」
俺は渦中の人として、ついっい会話を盗み聞きしてしまう。
朝から、俺を……ってことは、チャリジャックの直後からストーキングされてたのか。
「キンジがカワイソー。女嫌いなのに、よりによってアリアだもんねぇ。アリアってさ、ヨーロッパ育ちかなんか知らないけどさ、空気読めてないよねー」
「でもでも、アリアって、なにげに男子の間では人気あるみたいだよ?」
「あーそうそう。2学期に転校してきてすぐファンクラブとかできたんだって。写真部が盗撮した体育の写真とか、高値で取引されてるみたい」
「それ知ってる。フィギュアスケートとかチアリーディングの授業のポラ写真なんか、万単位の値段だってさ。あと新体操の写真も」
何なんだその授業は。本当に大丈夫なのかこの高校。
「ていうかあの子さ、トモダチいないよね。しょっちゅう休んでるし」
「お昼も1人でお弁当食べてたよ。教室の隅《すみ》っこでぽっーんつて」
「うわっ、なんかキモぉー!」
わいわいと盛り上がる女子たちの話に、気分がどよーんと沈んでくる。
他人に興味のない俺《おれ》は、その存在すら知らずにいたが……
アリアはどうやら、この変人|揃《ぞろ》いの武偵高《ぶていこう》でも浮くぐらいの目立つキャラらしい。
武偵高校から一般校への生徒の転出には、時期的な制約がある。
これは生徒が持つ銃器・刀剣を一括して公安委員会に登録するよう武偵法《ぶていほう》で定められているためで、更新期の4月にでないと、学校を辞《や》められない規則になっているのだ。
さらに転出を希望する生徒はこの申請を転出の1年前から6ケ月前までの間に教務科に提出しておかねばならい。そして――俺はその書類を、すでに作ってある。
間もなくそれを提出して、来年の4月に、武傾《ぶてい》の世界から足を洗うつもりだ。
(とはいえ……この部屋だけは、惜しいけどな)
――夕方。
クラスのバカどもからようやく解放された俺は、どっかりと自室のソファーに体を沈め、夕焼け空の東京を窓越しに眺めていた。
今年の1月から、俺は寮のこの部屋に1人で暮らしている。
ここは本来4人部屋なのだが、俺が転科した事と、たまたま相部屋になる探偵科《インケスタ》の男子がいなかった事でルームメイトはいない。
これは俺にとって幸運なことだ。
武偵高の変人どもにジャマされないこの空間で、気ままに、平穏に暮らすのは気分がいい。1人ってのは最高だよ。
(ああ、静かだ……)
今朝《けさ》のチャリジャックが、ウソみたいだ。
あの件に関しては、セグウェイの残骸《ざんがい》を鑑識科《レビア》が回収し、探偵科《インタスタ》も調査を始めている。
……だが、切った張ったが日常茶飯事の武偵高では、殺人未遂程度のことは流されてしまうのが悲しい現実だ。強襲科《アサルト》でのドンパチに慣れすぎたせいと、アリアのことで丸1日振り回されていたせいもあり、被害者の俺もかなりスルー気味にしてしまっている。
しかし、あれは一体……何だったんだろう。イタズラにしては悪質すぎる。
あの『武偵殺《ぶていごろ》し』――の模倣犯《もほうはん》は、爆弾魔だ。
爆弾魔はこの世で最も卑劣《ひれつ》な犯罪者の一種で、大抵、ターゲットを選ばない。無差別に爆発を起こし人々の注目を集めてから、世間に自分の要求をぶつけるのが一般的である。
ピンポーン。
となるとあれはたまたま運悪く俺《おれ》のチャリに仕掛けられたものなのだろうか。
ピンポンピンポーン。
それとも俺個人を狙《ねら》ったものか。だが、何の恨《うら》みで?
ピポピポピポピポピピピピピピピンポーン! ピポピポピンポーン!
あー! うっせえな!
誰《だれ》かがさっきから俺の部屋のチャイムを連射している。居留守を使おうと思ったが、ダメらしい。
何だ。今日はいろんなことがあって疲れてるんだ。放課後ぐらい静かに過ごさせてくれ。
「誰だよ……?」
渋々《しぶしぶ》、ドアを開けると――
「遅い! あたしがチャイムを押したら5秒以内に出ること!」
びしっ!
両手を腰にあて、赤紫色《カメリア》のツリ目をぎぎんとつり上げた――
「か、神崎《かんざき》!?」
制服姿の、神崎・H・アリアがいた。
俺はマンガみたいに目をごしごし擦《こす》って見開くが、やっぱりアリアだ。
なんで コイツが ここに !?
「アリアでいいわよ」
言うが早いかアリアはケンケン混じりで靴を玄関に脱ぎ散らかし、とてててと俺の部屋に侵入してきてしまった。
「お、おい!」
俺はそれを止めようと手を伸ばしたが、するっ。ヤツの子供並の身長のせいで、屈《かか》んでかわされる。
しゃら。
長いツインテールをかすめた指先に、そのなめらかな感触だけが残った。
「待て、勝手に入るなっ!」
「トランクを中に運んどきなさい! ねえ、トイレどこ?」
アリアは俺の話になんか耳を貸さず、ふんふんと室内の様子を見回す。そして目ざとくトイレを発見すると、てててっ、ぱたん。小走りに入っていってしまった。
……いかん。
ここは武偵高《ぶていこう》。
そして『武偵《ぶてい》』の語源はそもそも、『武装探偵[#「探偵」に丸傍点]』だ。
尾《つ》けられた――ってことらしい。
「てか、トランクって……」
何がなんだか分からないまま周囲を見回すと、玄関先にはアリアが持ってきたと思われる車輪つきのトランクがちょこーんと鎮座《ちんざ》していた。明らかにブランドものと分かるロゴの入った、小洒落《こじゃれ》たストライプ柄《がら》のトランクだ。
ていうか、これもありえん。
女物のトランクが部屋の前にあるのを近隣の生徒たちに見られたら、後で何を言われるか分かったモンじゃない。
今朝《けさ》の白雪《しらゆき》にも言ったが、このマンションは男子寮なんだぞ。
「あんたここ、1人部屋なの?」
トイレから出てきて手を洗ったアリアは、何が入ってるのか異様に重いトランクを玄関に引きずり入れる俺《おれ》には目もくれず、部屋の様子を窺《うかが》っている。
そしてリビングの一番奥、窓の辺りまで侵入していった。
「まあいいわ」
なにがいいのか。
くるっ――と。
その身体《からだ》を夕陽《ゆうひ》に染め、アリアは俺に振り返った。
しゃらり。長いツインテールが、優美な曲線を描いてその動きを追う。
「――キンジ。あんた、あたしのドレイになりなさい!」
……
…………
………………ありえん。
ありえんだろ。コイツ。
いきなり俺を助けたかと思ったら、拳銃《けんじゅう》はブッ放《ぱな》すポン刀はぶん回す。隣の席に座ってきて、家に押しかけてきて、挙げ句、ドレイになれだ?
「ほら! さっさと飲み物ぐらい出しなさいよ! 無礼なヤツね!」
ぼふ!
盛大にスカートをひらめかせながら、アリアはさっき俺が座ってたソファーにその小さなオシリを落とした。ちゃき、と組んだ足のふとももが少し見えて、そこに提《さ》げてる二丁|拳銃《けんじゅう》が片方のぞいた。放課後にも帯銃か。物騒なヤツだ。
「コーヒー! エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ! 砂糖はカンナ! 1分以内!」
無礼者はそっちだ。
てか、なんだその魔法の呪文《じゅもん》みたいなコーヒーは。
簡単にはご退出願えなさそうなことは直感で分かったので仕方なしにインスタントコーヒーを出してやると、アリアは、
「?」
と、両手で左右から持ったカップに鼻を近づけてふんふんやった。
「これホントにコーヒー?」
どうやらインスタントコーヒーを知らないらしい。
「それしかないんだから有離《ありがた》く飲めよ」
「ずず……ヘンな味。ギリシャコーヒーにちょっと似てる……んーでも違う」
「味なんかどうでもいいだろ。それよりだ」
俺《おれ》は自分もコーヒーをすすりながら、テーブルのイスから不法侵入娘に指を向ける。
「今朝《けさ》助けてくれたことには感謝してる。それにその……お前を怒らすような事を言ってしまったことは謝る。でも、だからってなんでここに押しかけてくる」
口をへの字に曲げて言うと、アリアはカップを持ったまま、きろ、と紅《あか》い目だけ動かしてこっちを見た。
「わかんないの?」
「分かるかよ」
「あんたならとっくに分かってると思ったのに。ん!……でも、そのうち思い当たるでしょ。まあいいわ」
よくねえよ。
「おなかすいた」
アリアはいきなり話題を変えつつ、ソファの手すりに身体《からだ》をしなだれかけさせた。
なんだか女っぽいその仕草に、俺はちょっと赤くなって視線を逸《そ》らす。
「なんか食べ物ないの?」
「ねーよ」
「ないわけないでしょ。あんた普段なに食べてんのよ」
「食い物はいつも下のコンビニで買ってる」
「こんびに? ああ、あの小さなスーパーのことね。じゃあ、行きましょ」
「じゃあって何でじゃあなんだよ」
「バカね。食べ物を買いに行くのよ。もう夕食の時間でしょ」
いかん。会話が噛《か》み合ってない。
ていうかここで夕食まで食っていくつもりか。早く帰ってほしいのに。
俺《おれ》が頭痛に額《ひたい》を押さえていると、アリアはバネでもついてるかのようにぽ―ん! とソファーからジャンプして立ち上がつた。
そして俺の方にととんと歩いてくると、う、おい、近いよ、と思うぐらい顔を近づけてこっちを顎《あご》の下から見上げてくる。
「ねえ、そこつて松本屋《まつもとや》の『ももまん』売ってる? あたし、食べたいな」
武偵《ぶてい》が気をつけなければいけないものが3つある。闇《やみ》。毒。そして女だ。
その3つ目ことアリアはコンビニでももまんをなんと7つも買った。
ももまんとは一昔前にちょっとブームになった、桃っぽい形をしただけの要するにあんまんなのだが、これではもはや買い占め状態だ。まさかその全都を今食うつもりなのかと思ったらそのまさからしく、テーブルについたアリアはすでに5つ目までを平らげている。
その小さな体のどこにそんなにももまんが入る。
俺はいつものハンバーグ弁当を食べながらこの迷惑な侵入者に「早く帰れ」と目で伝える。だがアリアは俺の三白眼などどこ吹く風で6つめのももまんを食べて、ふにゅうー、と頬《ほお》に手なんか当ててうっとり味わっていた。そんなにうまかったか、それ?
「……ていうかな、ドレイつてなんなんだよ。どういう意味だ」
「強襲科《アサルト》であたしのパーティーに入りなさい。そこで一緒に武偵活動をするの」
「何言ってんだ。俺は強襲科《アサルト》がイヤで、武偵高《ぶていこう》で一番マトモな探偵科《インケスタ》に転科したんだぞ。それにこの学校からも、一般の高校に転校しようと思ってる。武偵自体、やめるつもりわんだよ。それを、よりによってあんなトチ狂った所に戻るなんて――ムリだ」
「あたしにはキライな言葉が3つあるわ」
「聞けよ人の話を」
「『ムリ』『疲れた』『面倒くさい』。この3つは、人間の持つ無限の可能性を自ら押し留《とど》める良くない言葉。あたしの前では二度と言わないこと。いいわね?」
そう言うとアリアは7つめのももまんをはむっと食べて、指についた餡《あん》をなめ取った。
「キンジのポジションは――そうね、あたしと一緒にフロントがいいわ」
フロントとは|フロントマン《Frontman》、武偵がパーティーを組んで布陣する際の前衛のことだ。
負傷率ダントツの、危険なポジションである。
「よくない。そもそもなんで俺なんだ」
「太陽はなんで昇《のぼ》る? 月はなぜ輝く?」
またいきなり話が飛ぶ。
「キンジは質問ぽっかりの子供みたい。仮にも武偵なら、自分で情報を集めて推理しなさいよね」
子供みたいななりのお前には言われたくない。
という言葉がノドまで出かかったが、今朝《けさ》はそれで殺されかけたのでグッと飲み込む。
――とにかく、だ。
1つ分かったことがある。
こいつとは、会話のキャッチボールが成り立たない。
ピッチングマシーンのようにぼこぼこ自分の要求ばかり投げつけてくるアリアに対抗するには、こっちも自分の要求を単刀直入に突きつけるしかない。
そう判断した俺《おれ》は、態度を少し横柄なものに切り替えた。
「とにかく帰ってくれ。俺は1人でいたいんだ。帰れよ」
「まあ、そのうちね」
「そのうちっていっだよ」
「キンジが強襲科《アサルト》であたしのパーティーに入るつて言うまで」
「でももう夜だぞ?」
「なにがなんでも入ってもらうわ。私には時間が無いの。うんと言わないなら――」
「言わねーよ。なら? どうするつもりだ。やってみろ」
毅然《きぜん》とした態度で断ると、アリアはその大きな眼《め》でギロッと俺を睨《にら》む。
「言わなぃなら、泊まってくから」
――は!?
俺の頬《ほお》が、痙攣《けいれん》でも起こしたかのように引きつる。
「ちょっ……ちょっと待て! 何言ってんだ! 絶対ダメだ! 帰れうぇっ」
驚きのあまりちょっとリバースしてきてしまったハンバーグをなんとか押し戻す。
「うるさい! 泊まってくったら泊まってくから! 長期戦になる事態も想定済みよ!」
びしっ! と玄関のトランクを指しつつ、俺を睨み、キレ気味に叫ぶアリア。
てことはあれは宿泊セットだったのか――!
なんでそこまでする。何が目的なんだ。
俺なんかを強襲科《アサルト》に戻して、コイツに何の得がある?
「――出てけ!」
これは俺のセリフじゃない。
俺が言うべきセリフを、アリアが先に叫んだのだ。
「な、なんで俺が出てかなきやいけなぃんだよ! ここはお前の部屋か!」
「分からず屋にはおしおきよ! 外で頭冷やしてきなさい! しばらく戻ってくるな!」
ぎぃー! と両拳《りょうこぶし》を振り上げて、アリアは俺にネコっぼぃ犬歯《けんし》をむくのだった。
なんだか知らんが追い出されてしまった。
俺《おれ》は夜のコンビニで口を尖《とが》らせながらマンガ雑誌を立ち読みし、立ち読みしただけじゃ悪いので1冊買つてから自室に戻った。
泥棒《どろぼう》のような手つきで、扉をソー……ッと聞ける。自宅なのに。
お?
アリアの気配がしない。
リビングやキッチンを見回すが、姿はない。
よかった。俺の思いが天に通じたようだ。よく分からないが帰ってくれたらしい。
やれやれ、と安堵《あんど》の息をつきながら、一応外から帰ってきたので手を洗おうと洗面所に向かうと―― ちゃぼん。
風呂場《ふろば》から、音がした。
見れば曇りガラスのドアの向こうで、バスルームの電気が灯《つ》いている。
うっすら見えるちびっこい人影は、浴槽からにょきっと足を出して鼻歌を歌ってる。
ああ、なんだ。風呂にいたのか。
――はい!?
――――風呂!?
ずざっ。
俺は洗面所で後ずさった。
そうか。風呂に入りたかつたから、俺を外に出したのか。
おそるおそる見下ろせば、プラスチックの洗濯カゴにはアリアの制服がぶち込まれてあった。裏返しになったスカートの内側には秘匿用《ひとくよう》のホルスターがあって、左右の拳銃《けんじゅう》が露出している。さらに、これも裏返った白いブラウスには2本の短い日本刀が覗《のぞ》いていた。
ちゃぱあ。
人影というかアリアが湯船から出る音がして、俺は心臓が裏返りそうになる。
ありえん。
ありえんだろ、これ。
と、パニクった俺の耳に追い打ちをかけてきたのは――
……ピン、ポーン……
慎ましい[#「慎ましい」に丸傍点]、ドアチャイムの音!
こ、この鳴らし方は。
(し、白雪《しらゆき》!?)
あまりにあんまりな展開に、
「う、うおっ!?」
ドンつ!
俺《おれ》は飛び出した廊下で足がもつれ、壁に思いっきりぶつかってしまった。
「キ……キンちゃんどうしたの? 大丈夫?」
ドアの外から、白雪《しらゆき》の声がする。
い、いかん。今の音を聞かれた。
居留守は使えないぞ。
「あ、ああ。大丈夫」
平静を装《よそお》って玄関のドアを開けると……
緋袴《ひばかま》に白子袖《しろこそで》――巫女《みこ》装束の白雪が、何やら包みを持って立っていた。
「な、なんだよお前。そんなカッコで」
バスルームの方をチラ見しつつ、ぶっきらぼうに応対する。
「あっ……これ、あのね。私、授業で遅くなっちゃって……キンちゃんにお夕飯をすぐ作って届けたかったから、着替えないで来ちやったんだけど……い、イヤだったら着替えてくるよっ」
「いや別にいいからっ」
本気で着替えてきかねないムードの白雪を、制止しておく。
授業、というのはS研の授業のことだろう。
S研とは超能力《S》捜査《S》研究科《R》という爆発的にアヤシい専門科目の略称で、この巫女さん、詳しくは知らないし知りたくもないがそこでも優等生らしい。
てか、今はそれどころじゃない。我が家の中が超常現象なのだ。
「ねぇキンちゃん。今朝《けさ》出てた周知メールの自転車爆破事件って……あれ、もしかしてキンちゃんのこと……?」
「あ、ああ。俺だよ」
と早口に言うと白雪は文字通り10センチぐらい飛び上がった。
「だ、大丈夫!? ケガとか無かった!? て、手当させて!」
「俺は無事だからっ。触んなっ」
「は、はい……でもよかったあ、無事で。それにしても許せない、キンちゃんを狙《ねら》うなんて! 私ぜったい、犯人を八つ裂きにしてコンクリ……じゃない、逮捕するよ!」
なんか今……セリフの一部に妙な単語が出てきたような気もしたが、空耳だろう。
そういうことにしておこう。
「い、いいからっ。武偵高《ここ》ではドンパチなんて日常茶飯事だろ。この話はこれで終了!」
「は、はい。えっと……はい」
白雪《しらゆき》はまだ何か書いたそうだったが、コクリとうなずいた。
この従順さ、どっかの|ツインテール《アリア》にも見習ってほしい。
「……でも……その、今夜のキンちゃん、なんか……ちょっと、ヘンだよ?」
「へ、へン? どの辺が」
「なんか、いつもより冷たいような気が……」
ぎく。なんだこの勘ぐり。
「き、気のせいだ! そんなことより用事! 用事は何だよっ?」
ていうか、本当に早く追い払わないと。
アリアがバスタオルを巻いて廊下に出てきたりでもしたら、一大事だ。
「あ、あのね。これ」
白雪はもじもじと、持っていた包みを俺《おれ》に差し出してくる。
「タケノコごはん、お夕飯に作ったの。今、旬《しゅん》だし……それに私、明日から今度は恐山《おそれざん》に合宿で、キンちゃんのごはん、しばらく作ってあげられないから……」
「あ、ああ。ありがとありがと。よし用事は済んだ。さあ帰ろう。な?」
俺が包みを受け取ると、白雪は嬉《うれ》しそうに顔をほころばせる。
そして、ぽわっ、と頬《ほお》を桜色に染めた。
「い、1日に2食も作っちゃうなんて、な、なんか私、お嫁さんみたいだね……って、何言ってるんだろうね私。あほ、あはは。ヘンだね。うん、ヘン! ……キ、キンちゃん、ど……どう思う?」
「分かった分かった! 分かりましたからお引き取りください白雪さん!」
「『分かった[#「分かった」に丸傍点]』……って、それってつまり、キンちゃん……私……お、お嫁……」
焦《あせ》りまくって適当に答えた俺に、白雪はなんでか感激したような顔を上げる。
――ちゃぱあ。
古池《ふるいけ》や、バスルームから、水の音。
どきいいいっ。俺の体内で、心臓が肩の辺りまでジャンプした。
「? 中に誰《だれ》かいるの?」
「中に誰もいませんよ!」
なぜか敬語になってしまいつつ、力士のつっぱりみたいな動作で白雪を追い出す。
「……キンちゃん。私に、何か隠してることない?」
なんでか目から光を失わせつつ――白雪が一瞬、無表情になる。
「ない! ないないない! 隠し事なんてありあ、じゃない、ありえねーから!」
「……そう。よかった」
ニコッ。
白雪は春風みたいに爽《さわ》やかな笑顔を作ると、ようやくこっちに背を向けてくれた。
よ……よかった。
とりあえず前門の虎《とら》が片付いた。
俺《おれ》は踵《きびす》を返して室内に戻ると、タケノコごはんをほっぽってバスルームに駆け込む。
こうしちゃいられない。次は後門の狼《おおかみ》だ。
アリアの凶暴性から考えて、入浴中に俺が帰ってきているところを見つけたら問答無用で襲撃してきかねない。あの拳銃《けんじゅう》と刀を取り上げておかねば。
そう思って洗濯カゴの前にしゃがみ、わさっ、と手を突っ込んだとき ――
がらりら。
風呂場《ふろば》のドアを、アリア嬢が思いっきり開け放《はな》って下さってしまった。
「「――!」」
流れる、沈黙。
見つめ合う、瞳《ひとみ》と瞳。
ふわ、と、またクチナシのようないい香りが風呂場から香ってくる。
ツインテールを解《ほど》いてロングヘアーになっていた全身つるつぺたのアリアは、
「ヘ……ヘンタイ……」
ばっ、と右腕で胸を、左手で……その、おへその下を隠した。
そして、ぞぞぞわああ。
俺の両手が女子制服の中に突っ込まれてるのを見て、全身に鳥肌を立てる。
「ち……ちがッ……!」
俺は武器を抱えて立ち上がり、無実を証明しようとした。
――それがいけなかった。
あまりにもテンパりすぎていて、俺は持ち上げた左右の刀に何か布っきれが引っかかつていることに気づかなかったのだ。
右の刀に、ひらり。
左の刀にも、ひららり。
まるで手旗信号みたいに、アリアの上下の下着が引っかかってそれぞれ掲揚《けいよう》される。
小さなトランプのマークがいっぱいプリントされた、ガキっぽい木綿《もめん》の下着が。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜死ね!!」
どごっ!
「ぐっ!?」
アリアは、こっちがヒステリアモードになってしまうより先に飛びかかってきた。
シャレにならない角度で入った前蹴《まえげ》りが、俺の体を「く」の字に折る。
下着をもぎとられながらも、決死の思いで武器を放さない俺の顔面に、
「ホントに死ね!! このドへンタイ!!」
げすっ!
反対の足で、跳《と》び膝蹴《ひざげ》りがめり込んだ。
10センチほど。
神様。
一つ聞きたい。
俺《おれ》が一体何をした。
なんでこんな目に遭《あ》わなきゃならないんだ。
あともう一つ。これなんてエロゲですか。
って、そんなワケの分からないこと考えてる場合か俺。
『ここから入ってきたら殺す』
と床に書かれた線をジトーっと見ながら、俺は2段ベッドの下段に入った。
てかあれ、明らかにマジックで書いてあるぞ。油性の。
怨《うら》めしげに向かいにもう1基ある2段ベッドの上段を見上げると、だらーんと片方のツインテールが垂れていた。ちくしょう。あれを思いっきり引っ張ってやりたい。
「……ふふっ……ももまんピラミッド……」
じゅるっ。
眠りは深いタイプなのか、アリアはうっとりした寝言とヨダレを垂らす音まで放《はな》ちやがった。ああ、イラつく。ていうかピラミッドつて何だピラミッドって。
ここは俺《おれ》の部屋だ。本来、凶悪な侵略者なんぞに気を遭《つか》う必要は全くない。
が、ピンクの薄いキャミソールみたいなパジャマ(ネグリジェっていうのか、あれ)に着替えたアリアは二丁|拳銃《けんじゅう》を携《たずさ》えてベッドルームに入っている。
そんなアリアの後を眠いからといってすぐに追えるわけもなく、こっちはまず向こうが寝付くのを悶々《もんもん》と待つしかなかったのである。
ここは元々4人部屋なので、2段ベッドが2基ある。まあ当然と言うべきかアリアは俺から最も遠い向かいのベッドの上段に陣取ったわけだが、なんか床にブービートラップらしきリード線と対人地雷のようなものが見えるのはきつと幻覚だろう。そう、思おう。
それにしても、本当に迷惑なヤツだ。
勝手に俺の生活に侵入してきて、縄張《なわば》りまで作って、言うに事欠いて――
――強襲科《アサルト》に戻って、一緒に武偵《ぶてい》活動をしろ、だと?
俺は将来、特にやりたいことはない。
何になったっていい。何にもなれなくたっていい。
だが[#「だが」に丸傍点]、もう武偵にはなりたくない[#「もう武偵にはなりたくない」に丸傍点]。
武偵だけは[#「武偵だけは」に丸傍点]、イヤなんだ[#「イヤなんだ」に丸傍点]。
そう思いながら、俺は……落ち着かない気分で、眠りに、落ちて、いった。
「バカキンジ! ほら起きる!」
がすっ!
腹にいきなり入れられたハンマーパンチに続いて、
ぐしゃ!
たまらず目を覚ました俺の顔面に、さらに足が飛んできた。
そのままぐりぐりいーと、アリアは黒いオーバーニーソックスの足で俺の顔を踏みにじってくる。
窓が明るい。もう朝だ。
「|はにふんだこの《なにすんだこの》!」
「朝ごはん! 出しなさいよ!」
「し……る……か!」
俺は顔に押しつけられたアリアのアンヨを両手で押し返す。
「お腹《なか》すくじやない!」
「すかせこのバカ!」
「バカ――ですって!? キンジの分際で!」
分際でってなんだ分際でって。
俺《おれ》はぶんぶん振り回されるパンチをかわしながら、回転受け身を取ってベッドから降りざまに寝室を出た。
なんで起床するだけでこんな007みたいなマネをする必要があるんだこの部屋は。
「お腹《なか》が減った! へったへつたへつたへつたへったあああ!」
「そんだけ大声出せりゃ食う必要はねえ!」
ぎゃあぎゃぁ言いながら襲いかかるアリアの手足を避《よ》け、止め、受け流しながら着替えを済ませ、携帯やら拳銃《けんじゅう》やらを身につけ、鞄《かばん》をつかむ。
なんだか強襲科《アサルト》にいた頃《ころ》の格闘訓練みたいだ。
ぶん! と繰り出されたハイキックを玄関でしゃがんでかわし、靴を履《は》いて――ハタと俺は立ち止まる。
「アリアっ」
みゃうー! となおもパンチを繰り出そうとするアリアの、たまご肌のおでこを手で押さえる。
ぐい、と押し返すと、リーチの差のおかげで向こうのパンチはぶんぶんと空を切るばかりだ。
よし。なんかコイツをいなすコツが少しっかめてきた気がするぞ。
などと慣れてる場合じゃないんだが。こんな状況には。
「なによぅ」
手が届かないことで少しおとなしくなったアリアが、むー、と俺を睨《にら》み目線で見上げてくる。
「登校時間をずらすぞ。お前、先に出ろ」
「なんで」
「なんでも何も、この部屋から俺とお前が並んで出てってみろ。見つかったら面倒な事になる。ここは一応、男子寮ってことになってんだからな」
「うまいこと言って逃げるつもりね!」
「同じクラスなんだし隣の席だ俺たちは! 逃げようがないだろ!」
言ってて自分の不幸が悲しくなってきたが、事実なんだからしょうがない。
アリアは、むぅうううう。
「そんな風船みたいにむくれてもダメだ。別々に部屋を出るぞっ」
「やだ! 逃がすもんか! キンジはあたしのドレイだ!」
アリアは俺の腕に両手でしがみつき、絶対|放《はな》さないぞ! の構えを見せる。
「は……な……せ! この!」
「がぅ!」
がぶ。
なんとアリアが犬歯《けんし》を剥《む》き、俺《おれ》の手を噛《か》んできゃがった!
「いっだだだだ!」
お前は仔《こ》ライオンか!
アリアの口から手を引っこ抜きつつ腕時計を見れば、7時54分。
いかん。58分のバスに遅れる。
バカやってる場合じゃない。
今日からはあのバスを絶対に逃せないんだ。
なぜなら俺のチャリは粉みじんになっちまったんだからな。
「この……疫病神……め!」
俺は仕方なしに、へばりっいたアリアをズルズル引きずりながら部屋を出る。
迷惑なヤツ! 迷惑なヤツ! 迷惑なヤツ! ああ、ちくしょう! でも甘ずっぱい、いいニオイがしやがる! なんてぶちぶち考えながら。
マズい。
このままではマズい。
いま俺は、ワケの分からない侵略者《インベ―ダー》・アリアに日常生活をブッ壊されつつある。
今の目標である『平凡な普通人』になるためにも、まずは平穏な日常を取り戻さなければならない。
というわけで俺は5時間目以降の時間を活かして、アリア対策を練ることにした。
武偵高《ぶていこう》では1時間目から4時間目まで普通の高校と同じように一般科目の授業を行い、5時間目以降、それぞれの専門科目に分かれての実習を行うことになっている。
アリアは、強襲科《アサルト》で戦闘訓練を受けるのだろう。
その際《すき》に俺は、アイツの目の届かないところでじっくりと抵抗運動の準備をするのだ。
そう思って、校外へ自然に出て行くために久々に探偵科《インケスタ》で仕事の依頼も受けてきた。
「キーンジ」
探偵科《インケスタ》の専門棟を出たところで俺を待ち伏せしていたアリアに、俺は膝《ひざ》から崩れ落ちる。
ガーンだな……出鼻をくじかれた。
「なんで……お前がここにいるんだよ……!」
「あんたがここにいるからよ」
「答えになってないだろ。強襲科《アサルト》の授業、サボってもいいのかよ」
「あたしはもう卒業できるだけの単位を揃《そろ》えてるもんね」
アツカンベー。
紅《あか》い瞳《ひとみ》をむいてベロを出したアリアに、気が遠くなる。
女子が、それも美少女が、校舎を出るのを待ってくれていた。これは全国の男子高校生にとって憧《あこが》れのシチュエーションだろう。しかしその女子が事あるごとに二丁|拳銃《けんじゅう》で脅《おど》してくるような凶暴娘の場合は、シチュエーション不成立と言わざるをえない。
「で、あんた普段どんな依頼《クエスト》を受けてるのよ」
「お前には関係ないだろ。Eランク武偵《ぶてい》にお似合いの、簡単な依頼だよ。帰れっ」
武偵高《ぶていこう》の生徒は、一定の訓練期間の後、いきなり民間から有償の依頼を受けることができるようになる。街で事件の現場に偶然居合わせたら、それを解決しても良い。
で、それらの実績と各種試験の成績に基《もと》づいて、生徒にはA〜Eの『ランク』が付けられる。その上にはさらにSという特別なランクがあって、入試の時、俺《おれ》はそのSに格付けされている。
まあ、あれは……白雪《しらゆき》のせいで、ヒステリアモードになっていたおかげなのだが。
「あんた、いまEランクなの?」
「そうだ。1年3学期の期末試験を受けなかったからな。ていうか、俺にとっちゃランクなんてもうどうでもいいんだよ」
「まあ、ランク付けなんて確かにどうでもいいけど。それより、今日受けた依頼《クエスト》を教えなさいよ」
「お前なんかに教える義務はない」
「風穴あけられたいの?」
イラツとした表情のアリアが拳銃に手をかける。
「今日は……猫探しだ」
「猫探し?」
「青海《おうみ》に迷子の猫を探しに行くんだよ。報酬は一万。0・1単位分の依頼だ」
俺は、探偵科《インケスタ》の掲示板に張り出されていた中で一番安くて地味な依頼を選んでいる。
それを正直に伝えれば、アリアも興味を失ってくれるかと思ったが――ダメなようだ。
ふーん、なんて言いながら、逃げるように歩き出した俺の横についてきた。
「ついてくんな」
「いいから、あんたの武偵活動を見せなさい」
「断る。ついてくんな」
「そんなにあたしがキライ?」
「大っキライだ。ついてくんな」
「もっぺん『ついてくんな』って言ったら風穴」
風穴をあけられるのもイヤだつたしもう何も言う気力が湧《わ》かなくなってしまつた俺は、仕方なしにアリアを引き連れたままモノレールで青海まで移動した。
かつて倉庫街だった青海地区は再開発され、今は億ションとハイソなブティックが建ち並ぶオシャレを街になっている。
「で、猫探しっていうけど、あんたどういう推理で探すのよ」
「別に。猫の行きそうなところをしらみつぶしに歩くだけだ。ていうか……お前こそ何か案でも出せ。俺《おれ》に聞くぐらいなら、何かあるんだろ」
「ないわ。推理はニガテよ。一番の特徴が、遺伝しなかったのよねえ」
つまらなそうに言うアリアは、形のいいおでこの下から俺を上目遣《うわめづか》いに見た。
「ていうか、おなかへった」
「さっき昼休みだったろ。メシ食わなかったのかよ」
「食べたけどへったのっ」
燃費の悪いヤツだな。
「なんかおごって」
「いきなり足を引つぱりやがるのかよ……」
そういえば……
今日は適当な依頼を選ぶのに手間取ったせいで、俺も昼を抜いていた。
まあ、ついでだ。また撃たれるのも嫌だし、マックでも買ってくるか。
女王様がご要望なさったギガマックセットを、ドレイの俺が買って戻ってくると……
アリアは、高級ブティックのボンキュツボンなマネキンをぼけーっと見ていた。
マネキンが着ているキラキラしたサニードレスと、自分の体を交互に見ている。
……ぷっ。
あの視線。なるほど。ああいうのに憧《あこが》れているんだな。
寄りも上がりもしない小学生みたいな体型のくせに。
「おい」
「――あ」
振り返ったアリアは、俺が含み笑いしていたのに気付いたらしい。
ぶわぁああ、と赤くなって両手をぶんぶん振った。
「――ち、ちがうの! あ、あたしはスレンダーなの! これはスレンダーっていうの!」
「まだ何も言ってないだろ」
そう言い捨てて、俺は道の反対側にあった公園に入っていく。適当なベンチを見つけてマックの紙袋を置くと、アリアは何か言いたげな顔をしてどしんと隣に座ってきた。
ひらり。武偵高《ぶていこう》の赤いスカートがひらめき、中のホルスターが一瞬見えた。車輌科《ロジ》の武藤《むとう》がパンチラならぬガンチラと名付けていた現象である。アイツは本当にバカだと思う。
拳銃《けんじゅう》をスカートの内側に隠し、緊急時にはそれを素早く出さねばならないため、武偵高の女子は概してスカートが短い。アリアのスカートもその例に漏れず、やたら短かった。
だが、これっぽっちも嬉《うれ》しくないのはコイツのなりが小学生みたいだからだろう。
「|はりは《アリア》。この公園を探す間は、もっと離れて歩いた方がいいぞ」
「|はんへよ《なんでよ》」
もぐもぐと肉肉しいハンバーガーを頬張《ほおば》りながら会話する。
「辺りを見りゃ分かるだろ」
俺《おれ》は飲みさしのギガコーラをベンチに置き、視線で周囲を示す。
この公園では――いつも、あちこちに若いカップルがたむろしている。
海も近いし、新しくてキレイだし、いわゆるデートスポットとして有名な場所なのだ。
最初の調査場所にここを選んだのは、もちろん青海《おうみ》で唯一の公園ということで猫がいそうだったこともあるが、この状況を見たアリアが俺から離れて歩いてくれるだろうという計算もあった。
それはある程度正解だったらしく、アリアは……
「あ……」
向かいのベンチに座っている大学生らしきカップルが寄せ木細工みたいにひっついているのを見て、ポテトをタバコっぼくくわえたまま一瞬硬直した。
そして俺の方を見て、もっぺん向こうのカップルを見て、また俺を見て、ぶわあああ。真っ赤になった。コイツ、赤面癖があるんだな。
「……う。う!」
ベンチの前を腕を組みながら歩いていったカップルを見たアリアは、慌《あわ》てて1人で腕を組んだ。間違っても俺と腕を組みたくないらしい。
「ほらな。もう帰った方がいいぞアリア。こんな所を2人で歩いてたら、またキンジとアリアはつきあってるとか言われちまうだろ。俺はとにかく目立ちたくないんだ。お前だって、好きな男とかいたら誤解されちまうぞ」
「す、好きな男なんて!」
アリアはルビーみたいな紅《あか》い瞳《ひとみ》をまんまるに見開いて、アニメ声を裏返らせた。
「い、い、いないっ! あたしは、れ、恋愛なんて――そんな時間のムダ、どうでもいい! ホントに、ホンっトに、どうでもいい!」
……過剰反応するなよ。ガキじゃないんだから。
どうやら恋愛がらみの話題には相当弱いタイプらしいな。
弱点を一つ発見だ。
「でも、友達とかにヘンな誤解されたくないだろ」
「友達なんて……いないし、いらないっ。言いたいヤツには言わせればいいのよ。他人の言うことなんてどうでもいい」
じゅる、ううううー。
アリアは照れ隠しのせいか、ギガコーラのストローをくわえて思いっきり飲んだ。
「他人なんてどうでもいい、ってのにはまあ賛成だがな。一言、言いたいことがある」
「なによ。けぷ」
「それは俺《おれ》のコーラだ」
ぷばあ!
アリアはいま食道を通過しょうとしていたコーラを噴き出した。
きたねーな。花も恥じらう女子高生とは思えん。
じと、と見ていた俺を、アリアは真っ赤になって――
「このヘンタイ!」
いきなりぶん殴ってベンチから吹っ飛ばしやがった。
おい。どう考えても理不尽だろこの流れは。
夕方。ようやく迷子の猫を見つけた。
公園の端、ドブというか運河というかの水辺にいたのだ。
にい、にい、と弱々しく鳴いていた子猫は依頼の資料にあった通りの特徴をしていて、写真にあったちっちやな鈴もつけていた。あの猫で間違いないだろう。
「よーし。おとなしくしてろよー……」
運河に落ちたゴミ箱に入り込んでいた猫は、俺が近づくと最後の力を振り絞ってフーと威嚇するような声を上げてきた。こらこら。俺は敵じやない。お前を助けに来たんだよ。
ガサガサと紙くずや空き缶の中に手を突っ込んで、毛を逆立てた子猫を取り出す。
「よしよし。良かったな。これで一安心だぞ」
……久々に作った笑顔が、そんなにぎこちなかったんだろうか。
俺と目が合った子猫は、にいー! と鳴くと、逃げようと藻掻《もが》いた。
「お、おい……おっ、うおっ!」
じゃぷ!
俺は猫を抱っこしたまま、運河の浅瀬《あさせ》に派手にひっくり返ってしまう。
念のため携帯や拳銃を《けんじゅう》岸に置いておいたのは、不幸中の幸いだったな。
「……ヘンねぇ?」
テトラポッドに腰掛けて俺を見下ろしていたアリアが、ため息をつくのが見えた。
迷子の猫探しで0・1単位をもらった―その翌日。
「理子《りこ》」
メールで呼び出しておいた通り、理子は女子寮の前の温室にいた。温室とはつまりでかいビニールハウスで、いつも人けがなく、秘密の打ち合わせには便利な場所なのだ。
「キーくぅーん!」
バラ園の奥で、理子《りこ》がくるっと振り返る。
コイツはアリアと同じくらいチビだがいわゆる美少女の部類に入る。ふたえの目はキラキラと大きく、濃いウェーブのかかった髪はツーサイドアップ。ふんわり背中に垂らした長い髪に加えて、ツインテールを増設した欲張りな髪型だ。
「相変わらずの改造制服だな。なんだその白いフワフワは」
「これは武偵高《ぶてぃこう》の女子制服・白ロリ風アレンジだよ! キーくん、いいかげんロリータの種類ぐらい覚えようよぉ」
「キッパリと断る。ったく、お前はいったい何着制服を持ってるんだ」
そう言われて指を折り祈り改造制服の種類を数え始めた理子を見下ろしつつ、俺《おれ》は鞄《かばん》から紙袋で厳重に隠したゲームの箱を取り出した。
「理子こっち向け。いいか。ここでの事はアリアには秘密だぞ」
「うー! らじゃー!」
びしっ。
理子はキヲツケの姿勢になり、両手でびびしっと敬礼(?) ポーズを取る。
苦い顔で俺が紙袋を差し出すと、理子は袋をびりびり破いていった。ふんふんふん。荒《あら》い鼻息。まるでケモノだな。
「うっっっわぁ――!『しろくろっ!』と『白詰草《しろつめくさ》物語』と『妹《マイ》ゴス』だよぉー!」
ぴょんぴょん跳びはねながら理子が両手でぷんぷん振り回しているのは、R‐15指定、つまり15歳以上でないと購入できないいわゆるギャルゲーである。
――服装から分かる通り、理子はオタクだ。
しかし世間一般のオタク女子と違うことには、こいつは女のくせにギャルゲーのマニアという奇特な趣味の持ち主なのだ。中でも特に自分と同じようなビラビラでフワフワの服を着たヒロインが出てくる物に強い関心を示す。
もちろん理子も15歳以上なのでこれらのゲームを買うことはできる。しかし先日、理子はゲームショップも兼ねている学園島のビデオ屋でR‐15のゲームを売ってもらえなかったとぷちぷち言っていた。バイトのお姉さんが理子の身長を見て中学生と判断したらしい。そこで代わりに俺が買ってきてやったというわけだ。
こんなものを買うのは死ぬほど恥ずかしかったし店員のお姉さんにはあらぬ誤解を受けてしまったに違いないが、これもアリア対策のためだ。
――アリアはなぜ、俺をドレイにしたがるのか?
アイツを追い払うために最初に解き明かすべきは、その謎《なぞ》なのだ。
何か明確な理由があるのなら、それを一刻も早く取り除《のぞ》かねばならない。
で、その理由をアイツが教えてくれない以上、こっちでアイツのことを多角的に調べ、推測して対処するしかない。武偵《ぶてい》同士の戦いは、まず情報戦と相場が決まってるからな。
「あ……これと、これはいらない。理子《りこ》はこういうの、キライなの」
あれ。全《すべ》て理子好みのパッケージだったハズなんだが。
ぶっすぅ!、と、膨《ふく》れっ面《つら》で理子が突っ返してきたのは『妹《マイ》ゴス』の2と3、続編だ。
「なんでだよ。これ、他《ほか》と同じようなヤツだろ」
「ちがう。『2』とか『3』なんて、蔑称《べつしよう》。個々の作品に対する侮辱《ぶじょく》。イヤな呼び方」
……ワケの分からないヘソの曲げ方をしやがるな。
「まあ……とにかく、じゃあ続編以外のそのゲームをくれてやる。そのかわり、こないだ依頼した通り、アリアについて調査したことをきっちり話せよ?」
「――あい!」
理子はバカだ。まごうことなきバカだ。しかし探偵科《インケスタ》で知ったのだが、このバカ、バカなりに1つだけ長所を持っている。ネット中毒患者な上にノゾキ・盗聴盗撮・ハッキング等々といったまことに武偵向きの趣味を持った理子は、情報収集が並外れてうまいのだ。言うなれば現代の情報怪盗である。おかげで武偵ランクはAだとか。
「よし、それじゃあとっととしろ。俺《おれ》はトイレに行くフリをして小窓からベルトのワイヤーを使って脱出してきたんだ。アリアにバレて捕捉《ほそく》されるのは時間の問題なんだからな」
俺は周囲を見回してから、ちょうど足のつく高さにあった柵《さく》に腰を下ろす。
理子《りこ》はゲームをなんでか服の中にしまいつつ、ちょっとジャンプしながら俺《おれ》の隣に座ってきた。向こうは足が地面につかないらしく膝下《ひざした》がぶらぶらしてる。
「ねーねー、キーくんはアリアのお尻《しり》に敷《し》かれてるの?カノジョなんだからプロフィールぐらい自分で直接聞けばいいのに」
「カノジョじゃねえよ」
「えー? 2人は完全にデキてるって噂《うわさ》だよ? 朝、キンジがアリアと腕を組んで寮から出てきたっていうんで、アリアファンクラブの男子が『キンジ殺す!』って大騒ぎになってるんだもん。がぉー」
「指でツノを作らんでいい」
腕を組んで……つて。あの朝のことか。
あれはしがみついて離れないアリアを引きずってただけなのに。
「ねえねえ、どこまでしたの!?」
「どこまでって」
「えっちいこと」
「バカ! するか!」
「嘘《うそ》つけぇー! 健全な若い男女のくせにいー!」
理子は満面の笑みで、俺の脇腹《わきばら》を肝《ひじ》で突いてきた。
「……お前はいつも話をそっち方向に飛躍させる。悪いクセだぞ」
「ちぇー」
「それより本題だ。アリアの情報……そうだな、まずは強襲科《アサルト》での評価を教えろ」
「はーい。んと……まずランクだけど、Sだったね。2年でSつて、片手で教えられるぐらいしかいないんだよ」
理子の話に、俺は別段驚きはしなかった。
アリアの、チャリジャックの時の身のこなし。
あれはどう考えても常人のレベルじゃなかったからな。
「理子よりちびっこなのに、徒手格闘もうまくてね。流派は、ボクシングから関節技まで何でもありの……えっと、バーリ、バーリ……パリッゥ……」
「バーリ・トゥードか」
「そうそうそれ。それを使えるの。イギリスでは縮めてバリツって呼ぶんだって」
俺は体育倉庫でアリアにぶん投げられた時のことを思い出す。
確かにあれは凄《すご》かった。ヒステリアモードだったのに、受け身を取るのが精一杯だった。
「拳銃《けんじゅう》とナイフは、もう天才の領域。どっちも二刀流なの。両利《りょうき》きなんだよあの子」
「それは知ってる」
「じゃあ、2つ名も知ってる?」
2つ名――豊富な実績を誇る有能な武偵《ぶてい》には、自然と2つ名がつく。
アリアは弱冠16歳にして、すでに2つ名を持っているのか。
知らない、という顔をこっちがすると、理子《りこ》はこヤリと笑う。
「双剣双銃《カドラ》のアリア」
――双剣双銃《カドラ》。
武偵《ぶてい》用語では、二丁|拳銃《けんじゅう》ないし二刀流のことは、ダブラと呼ぶ。
これは英語のダブルから来ているのだが、そこから類推するに4つ《カトロ》の武器を持つという意味の2つ名なのだろう。
「笑っちゃうよね。双剣双銃だつてさ」
「笑いどころがよく分からないんだが……まあいい。他《ほか》には…‥そうだな、アリアの武偵としての活動について知りたい。アイツにはどんな実績がある?」
「あ、そこはスゴイ情報があるよ。今は休職してるみたいなんだけど、アリアは14歳からロンドン武偵局《ぶていきょく》の武偵としてヨーロッパ各地で活動しててね……」
少し声をシリアスにさせながら、理子はその大きな眼《め》で俺《おれ》を見上げてきた。
「……その間、一度も犯罪者を逃がしたことがないんだって」
「逃がしたことが――ない?」
「狙《ねら》った相手を全員捕まえてるんだよ。99回連続、それも全部たった1度の強襲《きょうしゅう》でね」
「なんだ……それ……」
信じられない。
犯罪者の逮捕などという仕事が武偵に降りてくる際は、たいてい警察の手には負えないようなヤツを押しつけられるのが常だ。武偵はそれをしつこく何度も追って(これを武偵用語で強襲という)、やつと逮捕するものなのだが。99回も連続で、一発逮捕とは……
……そんなバケモノみたいなヤッに追われてるのか、俺は。
そう思うと気が滅入《めい》ってきそうだったので、俺は話題を変えることにした。
「あー……他には。そうだな、体質とか」
「うーんとね。アリアって、お父さんがイギリス人とのハーフなんだよ」
「てことはクォーターか」
どうりで髪も眼も赤いし、日本人離れしてぱっちりした二重まぶたなわけだ。
そもそも名前も、『神崎《かんざき》・H・アリア』だしな。
「そう。で、イギリスの方の家がミドルネームの『H』家なんだよね。すっごく高名な一族らしいよ。おばあちゃんはDame《デイム》の称号を持ってるんだって」
「デイム?」
「イギリスの王家が授与する称号だよ。叙勲《じよくん》された男性は|Sir《サー》、女性は|Dame《デイム》なの」
「おいおい。つてことはあいつ貴族じゃねーか」
「そうだよ。リアル貴族。でも、アリアは『H』家の人たちとはうまくいってないらしいんだよね。だから家の名前を言いたがらないんだよ。理子《りこ》は知っちやってるけどー。あの一族は、ちょっとねぇー」
「教えろ。ゲームやっただろ」
「理子は親の七光りとかそういうの大っキライなんだよお。まあ、イギリスのサイトでもググればアタリぐらいはつくんじゃない?」
「俺《おれ》、英語ダメなんだよ」
「がんばれやー!」
と、俺の背中を叩《たた》こうとしたらしい理子のちっこい手が――
ぶんっ。
思いっきり空振った。
そして、ばし、と俺の手首をブツ叩く。
「うおっ?」
がちゃ。
その勢いで、俺の腕時計が外れて足元に落ちた。
……拾い上げると、金属バンドの三つ折れ部分が外れてしまっている。
「うぁー! ごっ、ごめぇーん!」
「別に安物だからいいよ。台場《だいば》で1980円で買ったヤツだ」
「だめ! 修理させて!・理子にいっぱい修理させて! 依頼人《クライアント》の持ち物を壊したなんていったら、理子の信頼に関《かか》わっちゃうから!」
俺から腕時計をむしり取ると、理子はセーラー服の襟首をぐいーっと引っぱって開け、すぽっと胸の間にそれを入れてしまった。
お、おいおい……と、俺は目を逸《そ》らす。
い、今。でかかったな。
「キンジ? 他《ほか》には?」
「……あ、いや、もうそのぐらいでいい」
女の前でヒステリアモードにはなりたくなかったし、胸元を見てしまったのを勘付かれたら面倒そうだ。俺は慌《あわ》ててそう言うと、そそくさと温室を後にした。
金色か。世の中にはいろんな色の下着があるんだな。
マンションに戻ると、窓から見渡す『学園島』を夕陽《ゆうひ》が金色に染めていた。
武偵高《ぶていこう》とその寮、生徒向けの商店だけが乗っているこの人工浮島《メガフロート》、元々は東京湾岸の再開発に失敗して叩き売りされていた土地らしい。
その証拠に、レインボーブリッジを挟んですぐ北にある同じ形の人工浮島は未《いま》だに空き地で、見たまんま『空き地島[#「空き地島」に丸傍点]』とあだ名されている。
そのがらんとした人工浮島《メガフロート》の南端には仕方なしに立てられた風力発電機がノンキに回ってたりして――うん。のどかだ。キライじゃないぞ。この光景。
『太平洋上で発生した台風1号は、強い勢力を保ったまま沖縄上空を北上しています』
ニュースを垂れ流す液晶テレビが、却《かえ》ってこの部屋の心地よい静けさを際立たせる。
ああ、いい部屋だよ。ここは。
今、ここに女子がいることを除《のぞ》いてはな。
「遅い」
ぎろ、とソファーから頭を傾けてこっちを見てきたアリアは、鏡を持っていた。
ヒマつぶしに枝毛でも探していたらしい。
アリアは仕上げにか前髪を上げてバッチンと銀色の髪留めでまとめ、おでこを出した。
なんかガキっぽい髪留めだが、チビかわいい見た目にはよく似合ってぃる。
たまご肌のおでこはチャームポイントだと、自分でも分かってるんだろうな。
「どうやって入ったんだ」
愚問のような気もしたが、俺《おれ》は抗議の意思表示として一応聞いておく。
「あたしは武偵《ぶてい》よ」
ほら愚問だった。
ここのカードキーを偽造したのだろう。鍵開《かぎあ》けは武偵技術の基礎中の基礎だからな。
「それともあんたはレディーを玄関先で待ちぼうけさせる気だつたの? 許せないわ」
「逆ギレするようなヤツはレディーとは呼ばないぞ、でぼちん」
「でぼちん?」
「額《ひたい》のでかい女のことだ」
「――あたしのおでこの魅力が分かんないなんて! あんたいよいよ本格的に人類失格ね」
アリアは大げさに言うと、ペー、とベロを出した。
ああ。分かってる。分かってるんだよ、本当は。お前は可愛《かわい》い。
見 た 目 だ け は な。
「この額はあたしのチャームポイントなのよ。イタリアでは女の子向けのヘアカタログ誌に載ったことだってあるんだから」
アリアは俺に背を向けると、楽しそうにまた鏡をのぞきこんで自分のおでこを見た。
ふんふん♪
鼻歌まで始める。
俺は不機嫌さのアピールとして、鞄《かばん》をアリアの隣に放《ほう》り投げてやった。だがアリアも慣れたもので、ヘーぜんと自分の額をご満悦で眺め続けている。
「さすが貴族様。身だしなみにもお気を遣《つか》われていらっしゃるわけだ」
俺《おれ》は洗面所に入って、ちょっとイヤミな口調《くちょう》で背中越しに言ってやった。
するとアリアは、
「……あたしのことを調べたわね?」
と、なんでか嬉《うれ》しそうにやってくる。
「ああ。本当に、今まで1人も犯罪者を逃がしたことがないんだってな」
「へえ、そんなことも調べたんだ。武偵《ぶてい》らしくなってきたじゃない。でも――」
そこまで言うとアリアは壁に背中をつけ、ぶらん、と片脚《かたあし》でちょっと蹴《け》るような仕草を見せた。
「――こないだ、1人逃がしたわ。生まれて初めてね」
「へえ。凄《すご》いヤツもいたもんだな。誰《だれ》を取り逃がした?」
おっと。理子《りこ》の情報にもマチガイがあったか。
俺はコップに水をくみ、うがいを始める。
「あんたよ」
ぶっ!
俺は水を盛大に噴きだしてしまった。
俺、って、ああ、あのチャリジャックの後でのことか!
「お、俺は犯罪者じゃないぞ! なんでカウントされてんだよっ!」
「強猥《きょうわい》したじゃないあたしに! あんなケダモノみたいなマネしといて、しらばっくれるっもり!? このウジ虫!」
ドレイからケダモノ、さらにウジ虫か。留《とど》まるところを知らないな俺の評価下落は。
「だからあれは不可抗力だっつってんだろ! それにそこまでのことはしてねえ!」
「うるさいうるさい!――とにかく!」
びしっ! とアリアは真っ赤になりながら俺を指さした。
「あんたなら、あたしのドレイにできるかもしれないの! 強襲科《アサルト》に戻って、あたしから逃げたあの実力をもう一度見せてみなさいっ!」
「あれは……あの時は……偶然、うまく逃げられただけだ。俺はEランクの、大したことない男なんだよ。はい残念でした。出ていってくれ」
「ウソよ! あんたの入学試験の成績、Sランクだった!」
――ぐ。
そうきたか。
やはり武偵は情報戦。そこを掘られてしまうと、やりにくくなりそうだ。
「つまりあれは偶然じゃなかったってことよ! あたしの直感に狂いは無いわ!」
「と、とにかく……今はムリだ! 出てけ!」
「今は? つてことは何か条件でもあるの? 言ってみなさいよ。協力してあげるから[#「協力してあげるから」に丸傍点]」
言われて――かあああっ、と。
俺《おれ》は、赤くなってしまう。
協力してあげる、って。
もちろんアリアは俺のヒステリアモードのトリガーを知らないから気軽に言ったんだろうが――こっちにしてみれば爆弾発言なんだぞ、それ。
要するに俺を、『性的に興奮させる』って意味なんだからな!
「教えなさい! その方法! ドレイにあげる賄《まかな》い代わりに、手伝ってあげるわ!」
「……!」
――つい。
俺の脳裏を、アリアに『手伝わせてる』いろんな光景がよぎってしまう。
今さらながらに考えてみれば、俺とアリアはこの部屋に2人っきりで――
いつの間にか日はとっぷりと暮れ、電気をつけてなかったから室内は薄暗く。
なんだ。やめろ。それ以上考えるなキンジ。
「なんでもしてあげるから[#「なんでもしてあげるから」に丸傍点]! 教えて……教えなさいよ、キンジ……!」
ずずいっ! と俺に詰め寄ってきたアリアから、ふわ。
また、クチナシのような女の子らしい香りが俺の鼻腔《びこう》をくすぐってきて。
俺は――
「うっ……」
マズイことになってきた。
余計なことを考えたせいか、ヒステリアモードに、なりかけてきた。
目力《めぢから》、というのだろうか。
アリアのつぶらな赤紫色《カメリア》の瞳《ひとみ》は、それはそれはキレイで、愛らしくて――
俺はまたあの感覚……体の芯《しん》に、熱く、どうしようもない血がたぎっていくような感覚に襲われる。
――イヤだ。
なりたくない。
あんなモードになんか……俺は、なりたくないんだよ!
「――!」
ドン!
と、俺は無意識にアリアを押しのけていた。
アリアは、きゃっ、とアニメ声で短い悲鳴を上げ、ソファーに尻餅《しりもち》をつく。
ひらり。盛大に舞い上がった短いスカートからは、すんでの所で目を逸《そ》らした。
事ここに至って、俺はやむなく……
アリアに、白旗を揚《あ》げることにした。
「……1回だけだぞ」
「1回だけ?」
だが、無条件降伏じゃない。
条件付き降伏だ。
「戻ってやるよ――強襲科《アサルト》に。ただし、組んでゃるのは1回だけだ。戻ってから最初に起きた事件を、1件だけ、お前と一緒に解決してやる。それが条件だ」
「……」
「だから転科じゃない。自由|履修《りしゅう》として、強襲科《アサルト》の授業を取る。それでもいいだろ」
スカートを直したアリアの方に向き直ると……アリアは形のいいおでこをこっちに向けて、何か考えていた。
武偵高《ぶていこう》では、自分が在籍していない専門科目の授業も自発的に受けることができる。
これは自由履修と呼ばれ単位には反映されないのだが、多様な技術が求められる『武偵』という仕事に就くため、生徒たちは割と流動的にいろんな科の授業を受けているのだ。
優秀な武偵のアリアは、自分のドレイ…‥手駒《てごま》を、欲しがっている。猛烈に。
そしてヒステリアモードの俺《おれ》に出会い、取り逃がしたことで、目を付けたのだ。
『こいつなら、自分の有能なドレイとして使えるかもしれない』と。
そこまでは仕方ない。トランプでいえば、もう、アリアに取られてしまったカードみたいなもんだ。
だが、まだこっちにも伏せているカードがある。
ヒステリアモード、だ。
その詳しいことがバレる前に、俺は、通常モードの平凡な俺をアリアに見せつけてやればいい。
そうすれば、アリアは大したことのない俺に失望して、離れていってくれるだろう。
「……いいわ。じゃあ、この部屋から出てってあげる」
俺の譲歩案に、やっと――疫病神が、出ていく宣言をしてくれた。
「あたしにも時間がないし。その1件で、あんたの実力を見極《みきわ》めることにする」
「……どんな小さな事件でも、1件だぞ」
「OKよ。そのかわりどんな大きな事件でも1件よ」
「分かった」
「ただし、手抜きしたりしたら風穴あけるわよ」
「ああ。約束する。全力でやってやるよ」
通常モードの俺の全力で、な。
3弾 強襲科《アサルト》
戻ってきてしまった。
強襲科《アサルト》――通称、『明日《あす》無き学科』に。
この学科の卒業時生存率は、97・1%。
つまり100人に3人弱は、生きてこの学科を卒業できない。任務の遂行中、もしくは訓練中に死亡しているのだ。本当に。
それが強襲科《アサルト》であり、武偵《ぶてい》という仕事の暗部でもある。
発砲や剣戟《けんげき》の音が響く専用施設の中で、だが今日の俺《ぉれ》は――とりあえず装備品の確認と自由履修《りしゅう》の申請など、訓練以外のことで時間をほとんど使い切ってしまっていた。
事件を1件解決するまでのこととはいえ、拳銃《けんじゅう》の練習ぐらいはしておきたかったところなのだが……そうもいかなかった。というのも、いつもパーティーを組んで行動する強襲科《アサルト》では、生徒たちが自然と人なつっこくなるもので……「おーうキンジい! お前は絶対帰ってくると信じてたぞ! さあここで1秒でも早く死んでくれ!」
「まだ死んでなかったか夏海《なつみ》。お前こそ俺よりコンマ1秒でも早く死ね」
「キンジぃー! やっと死にに帰ってきたか! お前みたいなマヌケはすぐ死ねるぞ! 武偵ってのはマヌケから死んでくもんなんだからな」
「じゃあなんでお前が生き残ってるんだよ三上《みかみ》」
郷《ごう》に入《ぃ》りては郷に従え。
死ね死ね言うのがここの挨拶《あいさつ》なのだが、俺が帰ってきたことを喜んで死ね死ね言う1人1人に死ね死ね返していたら、それだけでかなり時間を食ってしまったのだ。
火薬|臭《くさ》い取《やつ》らをなんとかいなして強襲科《アサルト》を出ると――
夕焼けの中、門のところに背中をついて俺を待っていたチビっこがいた。
言うまでもない。アリアである。
アリアは俺の姿を認めると、とてて、と小走りにやってきた。
そして、不機嫌に歩き始めた俺の横を、一緒に歩き始める。
「……あんた、人気者なんだね。ちょっとビックリしたよ」
「こんな奴らに好かれたくない」
本音である。
「あんたって人付き合い悪いし、ちょっとネクラ? って感じもするんだけどさ。ここのみんなは、あんたには……なんていうのかな、一目置いてる感じがするんだよね」
……それはきっと、入試の時のことを覚えられているからだろう。
ヒステリアモードの、俺《おれ》のことを。
俺たち強襲科《アサルト》の志願者たちに科された試験は……14階建ての廃屋《はいおく》に散らばり、武装のし上で自分以外の受験生を捕縛し合うという実戦形式のものだった。
そして俺は自分以外の受験生を全員すぐに倒し、或《ある》いは罠《わな》にかけて縛り上げた――抜き打ちでマンションに潜《ひそ》んでいた、教官5人も。
……ちくしょう。
思い出したくないことを思い出しちまった。
俺がさらに不機嫌になったのを察したのか、アリアは俺の横を歩きながらちょっと視線を地面に落とした。
「あのさキンジ」
「なんだよ」
「ありがとね」
「何を今さら」
小声ながらも心底|嬉《うれ》しそうなアリアに、俺は苛立《いらだ》った声を返す。
そりゃ、お前は嬉しいだろうさ。
文字通り、自分のために戦う『ドレイ』を手にいれたんだからな。
「勘違いするなよ。俺は『仕方なく』強襲科《ここ》に戻ってきただけだ。事件を1件解決したらすぐ探偵科《インケスタ》に戻る」
「分かってるよ。でもさ」
「なんだ」
「強襲科《アサルト》の中を歩いてるキンジ、みんなに囲まれててカツコよかったよ」
「……」
なんでそういう事を言う。
本人にそういうつもりは無いのだろうが、女子に――それも、見かけだけはとにかく可愛《かわい》い女子にそんなことを言われると、こっちは言葉に詰まる。
「あたしになんか、強襲科《ここ》では誰《だれ》も近寄ってこないからさ。実力差がありすぎて、誰も、合わせられないのよ……まあ、あたしは『アリア』だからそれでもいいんだけど」
「『アリア』?」
普段とは違うイントネーションで自分の名前を呼んだアリアに、俺は首を傾《かし》げる。
「『アリア』って、オペラの『独唱曲』って意味でもあるんだよ。1人で歌うパートなの。1人ぼっち――あたしはどこの武偵高《ぶていこう》でもそう。ロンドンでも、ローマでもそうだった」
「で、ここで俺をドレイにして『デュエット』にでもなるつもりか?」
アリアの方を見ずにそう言うと、アリアはクスクスと笑った。
横目で見れば、本当におかしそうに笑っている。
「あんたも面白《おもしろ》いこと言えるんじゃない」
「面白くないだろ」
「面白いよ?」
「お前のツボは分からん」
「やっぱりキンジ、強襲科《ここ》に戻ったとたんにちょっと活《い》き活《い》きし出した。昨日までのあんたは、なんか自分にウソついてるみたいで、どっか苦しそうだった。今の方が魅力的よ」
「そんなこと……ないっ」
アリアはまた恥ずかしいことを言う。
俺《おれ》はアリアの話を聞きたくなかった。
何か、本当のことを言われてるような気がして―――
「俺はゲーセンに寄っていく。お前は1人で帰れ。ていうかそもそも今日から女子寮だろ。一緒に帰る意味がない」
「バス停までは一緒ですよーだ」
アリアはベーとベロを出して笑う。
相変わらず憎《にく》まれ口を叩《たた》いてはいるが、俺を強襲科《アサルト》に連れ戻したことが本当に嬉《うれ》しいらしい。表情で分かる。分かりやすいヤツだ。探偵科《インケスタ》には向いてないな。
「ねえ、『げーせん』って何?」
「ゲームセンターの略だ。そんなことも知らないのか」
「帰国子女なんだからしょうがないじやない。んー。じゃああたしも行く。今日は特別に一緒に遊んであげるわ。ご褒美《ほうび》よ」
「いらねえよ。そんなのご褒美じゃなくて罰ゲームだろ」
俺は少し早足に歩いて、アリアを引き離しにかかった。てくてくてく。
するとアリアはニヤーと笑って、同じ速度で歩いて真横についてくる。てくてくてく。
腹が立ったので、俺はさらに大股《おおまた》になって加速する。ざつざっざつ。
アリアもスカートをひらめかせてついてくる。ざっざっざざざっ。
「ついてくんな! 今、お前の顔なんか見たくもない!」
「あたしもあんたのバカ面《づら》なんか見たくない!」
「じゃあなおさらついてくんな!」
「やだ!」
だっだっだっだだだだだだだ……
結局俺たちは真横に並びながら走ってゲーセンに着いてしまった。
なんだコイツ。異様に足が速い。
「はあ。はあ。はあ。何これ?」
ツインテールがくっつくぐらい俺の真っ隣に立ちながら、アリアが聞いてきた。
その紅《あか》い瞳《ひとみ》で、店先のクレーンゲームを見つめている。
「はぁ……はあ。ああ、これはUFOキャッチャーだろ」
「UFOキャッチ? なんかコドモっぽい名前。ま、どうせあんたが行くような店のゲームなんだから、下らないに決まってるけど」
アリアはバカにするような表情でクレーンゲームの中をのぞき込んだ。
ガラスケースの中には、ライオンだかヒョウだか分からない動物の小さなヌイグルミがうじゃうじゃ入っている。
「…………あー……!」
べた。
と、アリアはガラスケースにへばりついた。
背の低さとヌイグルミという背景が相《あい》まって、まるで本物の小学生みたいだ。
こんな姿でゲーセンにいたら、警察に補導されてしまうんじゃなかろうか。
「どうした。そんなに珍しいか」
「……」
「どうしたんだよ」
「…………」
「腹でも減ったのか」
「………………かわいー……」
なんだ。
呟《つぶや》かれたアリアらしからぬセリフに、俺《おれ》はちょっと脱力する。
まあ確かにケースの中のヌイグルミはカワイイが……鬼神の強さを誇る見敵必殺の武偵《ぶてい》『双剣双銃《カドラ》のアリア』様のセリフじゃないだろう、それは。
おいキャラが違ってるぞ、とツッコもうと思って横からのぞき込むと、口を逆三角形にしてヨダレを垂らしかけている。いかんだろこれは。公開していい顔じゃないぞ。
「やってみるか」
「やり方がわかんない」
「幼稚園児でもできるぞこんなの」
「すぐにできる?」
「できる。じゃあやり方教えてやろうか?」
俺が言うと、アリアはこっちに向き直ってこくこくこくこくと首を縦にふった。
なんだこのアリアは。調子が狂う。
説明するほどのルールでも無かったが、縦ボタンと横ボタンを順番に押せと教えてやると、アリアはトランプ柄《がら》のがま口を出して100円玉を取り出した。
そして筐体《きょうたい》の前で姿勢を正し、狙撃《そげき》の授業でもやつてるかのような真剣さでクレーンを操作し始める。
うぃーん……
ぽと。
だが、狙《ねら》いが悪い。ライオンだかヒョウだかはアリアのクレーンで前足をちょっと上げただけで、持ち上がりすらしない。
「い……今のは練習っ。おかげでやり方が理解できたわ」
「そりゃ1回やればバカでも分かるだろうな」
「もっぺんやる」
アリアはがま口からもう100円取り出すと、ぱし! ばし! とボタンを押した。
だが、ぽと。
ヌイグルミは今度はオシリとシッポを少し上げただけだ。こいつヘタだな。
「ちなみに500円入れると6回できる」
「うるさい!・次こそ取れる!・コツが分かった!」
分かってないヤッのセリフだぞ、それ。
ぽと。
案の定、またクレーンはヌイグルミを掠《かす》めただけだ。
「ぎー!」
「壊れるなアリアっ」
「今度こそ分かった! 本気!」
ちゃりん。ぽと。ちゃりん。ぼと。
両替機で1000円札を崩してきて、ちゃりんぽとちやりんぽと。
「今度こそ本気の本気! 本気本気本気ほ―――ん―きぃ―――――」
ダメだコイツ。早くなんとかしないと。
見た目通りの小学生みたいなヤツだ。
ギャンブルとかにハマったら身を持ち崩すタイプだな。
「どけ」
アリアが3000円ぐらい浪費した辺りで、俺《おれ》はもう見ちやいられなくなって仕方なしにサイフを取り出した。
プライドの高い貴族様は涙目になってボタンから手を放《はな》さなかったが、押しのける。
どれどれ。
ふむ。
この、落とす穴に近いヤツが狙い目だな。
俺は一見取りにくそうな深い所にある謎《なぞ》のネコ科動物に狙いを定めた。ケースの中のヌイグルミはどれも同じなので、どれを取っても文句は言われないだろう。
ぎゅ。
クレーンは見事、一頭の胴をがっしりつかむことに成功する。
「つ……!」
ごくり。アリアがノドを鳴らすのが聞こえた。
「お?」
見れば、ヌイグルミのシッポにはそのさらに下にいたもう1頭のタグがからまっている。
ぬぬぬぬ……
クレーンに持ち上げられた一匹のシツポにぶらさがって、もう1匹。
「キンジ見て! 2匹釣れてる!」
言われんでも見えてる。
てか、釣れてるつて。
「キンジ、放《はな》したらタダじゃおかないわよ!」
「もう俺《おれ》にどうこうできねーよ」
「あ……あ、入る、入る、行け!」
アリアはどじやないが、俺もちょっとこれにはドキドキする。
1匹は確実だが、もう1匹は……どうだ?
どうだ……どうだ?
クレーンが……
開く……!
ぽと。
っぽと。
1匹目が穴に落ち、そのシツポに引っ張られるようにして、もう1匹も穴に落ちた。
「やった!」
「っしゃ!」
これはけっこう嬉《うれ》しくて。
無意識に――
本当に無意識に。
ぱちい♪
俺とアリアは満面の笑みで、ハイタッチなんかしてしまっていた。
「「あ」」
目と目を、見開き合う。
そして、お互い慌《あわ》てて「「フンッ」」とそっぽを向き合った。
クソっ。
自分に腹が立つ。
なんでこんなヤツと息が合っちまったんだ?
アリアは――
「ま、まあバカキンジにしては上出来ね!」
取り出し口に飛び込みかねない勢いで両手を突っ込むと、中からヌイグルミを2匹|鷲《わし》づかみにして取り出してきた。
ちょっと見せてもらうと、タグには『レオポン』と書いてある。なんだそりゃ。
「かあーわあーいいー!」
ぎゅうううう。
アリアはレオポンを思いっきり握りしめ、抱きしめている。レオポン、破裂しそうだ。
……その姿が、あまりにも『普通』の女の子だったので……
俺はちょっと、なんというか、不思議な心地《ここち》がした。
アリアは、本当は、もしかしたら、ひょっとすると――
普通の子なんじゃないだろうか。
それこそ、さっきアリアが俺に言ったセリフの逆で……
アリアの方こそ、普段から自分にウソをついてムリをしてるんじゃないだろうか。
何かが、本当の彼女を歪《ゆが》めて変えてしまっているんじゃないだろうか。
「キンジ」
ふと見ると……アリアは2匹のうちの1匹を、俺にぐいっと差し出してきていた。
「1匹あげる。あんたの手柄だからご褒美《ほうび》よ」
ツリ目気味の目をニッコリ細めたアリアに、俺はちょっと驚く。
コイツ、こんな表情もできるのか。
チクショウ。
カワイイ。
「お、おう」
俺はレオポンを1匹受け取ってしまいながら、やっとそれが携帯のストラップになっていることに気づいた。
そういえば俺は携帯にストラップを付けたことがなかったな。
付けてみるか。
俺は携帯を取り出して、ストラップのヒモを携帯の穴にねじこむ。
それを見たアリアは、パールピンクの携帯を取り出して自分ももそもそと見よう見まねでレオポンを付け始めた。たまたま、コイツもストラップが無かったらしい。
レオポンの尻《しり》から出ているヒモは中途半端に太く、なかなか携帯の穴に入らない。
ていうかなんでこんな所にヒモを付けたんだヌイグルミの設計者は。
「先につけた方が勝ちよ、キンジ」
「なんだそりゃ。ガキかお前」
「やったわ、入りそう」
「こっちも……入るぞ、お前なんかに負けねー」
そういえば、女子から物をもらったのなんて初めてのような気がするな。
白雪《しらゆき》が何かにつけ大小の贈り物をくれていた気もするが、あれは幼なじみだからノーカンだろう。
俺《おれ》たちはその場で、うんうんうなりながらレオポンくつっけ合戦を繰り広げるのだった。
我ながらスケール小さいな。
居候が《いそうろう》いなくなって――俺の部屋に、平穏が戻った。
1人ばっちの平和な寝室で、朝、携帯のアラームに目を覚ます。
ぎゅ、と携帯をつかもうとしたらレオポンをつかんでいた。
「……」
レオポンをちょっと眺めてから、俺は、だらだら……と登校の準備をする。
コンビニ弁当の残りを食べ、昨日|理子《りこ》から返してもらった腕時計を見ると、
「?」
まだ少し時間がある。
けっこうだらだらしていたと思ったんだが。
じゃあお茶でも飲むか。
おかしい。
俺はちゃんと、ちょっと早めに家を出たのに。
生暖かい大粒の雨が降り始めたバス停には既《すで》に7時58分のバスが来ていて、生徒たちが押し合いへしあいして乗り込んでいるところだった。
1時間目の始まる直前に一般校区に着くとあって、いつもこのバスは混《こ》む。
ヘタすると、満員で乗れないこともあるのだ。
「やった! 乗れた! やったやった! おうキンジおはようー!」
バスに駆けつけると、入り口のタラップで車輌科《ロジ》の武藤《むとう》がバンザイしている。
奥の方はもう生徒でギチギチだ。
いかん。
今日は雨ということもあり、チャリ通の生徒たちが一斉《いっせい》にバスを使ったらしい。
「のっ! 乗せてくれ武藤!」
「そうしたいとこだがムリだ! 満員! お前チャリで来いよっ」
俺は武藤にもっと中へ行けと手つきで示すが、武藤は逆に押し出されそうになるのをこらえているような状態だ。
「俺《おれ》のチャリはぶっ壊れちまったんだよっ。これに乗れないと遅刻するんだ!」
「ムリなもんはムリだ! キンジ、男は思いきりが大事だぜ? 1時間目フケちやえよ! というわけで2時間目にまた会おう!」
2時間目にまた会おう! じゃねーだろ! 薄情者の武藤《むとう》の声を最後に、バスは無情にもドアを閉めてしまった。
中から聞こえてくるおしゃべりやら笑い声やらが恨《うら》めしい。
くそっ。この大雨の中、徒歩かよ。しかも遅刻確定じゃねーか。
大雨の道を、歩く。
視界の向こうにずつと続く、学園島の真《ま》っ直《す》ぐな道路を睨《にら》む。
人工浮島《メガフロート》というものは、そもそも空港の滑走路《かつそうろ》を安価に造ることを1つの目的として開発されたものだとか。
道理でこの学校、無駄に細長い迷惑な形状をしているわけだ。
それだけで不愉快なのに、今日の生暖かい雨。不快指数1000%だ。
武藤が言うとおり、1時間目はフケてしまおうか。
いやいや。1時間目は一般校区での国語だ。一般科目は、いずれ普通の高校に転校した時にしっかり授業についていくためにも必要になる。サボりたくはない。
強襲科《アサルト》の黒い体育館を横切りながら、そんな事を考えていた時……携帯が鳴った。
「――もしもし」
レオポンのストラップを引っ張って電話に出ると――
『キンジ。今どこ』
アリアだ。
何だ。もう時刻は8時20分。授業は始まっているのに電話とは、どういうことだ。
「んー。強襲科《アサルト》のそばだ」
『ちょうどいいわ。そこでC装備に武装して女子寮の屋上に来なさい。すぐ』
「なんだよ。強襲科《アサルト》の授業は5時間目からだろ」
俺が文句を言うと、アリアは声を荒《あら》げた。
『授業じゃないわ、事件よ! あたしがすぐといつたらすぐ来なさいツ!』
俺は自分の姿を苦々《にがにが》しく見回す。
|TNK《ツイストナノケプラー》製の防弾ベスト。強化プラスチック製の|面あて《フェイスガード》付きヘルメット。武偵高《ぶていこう》の校章が入った無線のインカムに、フィンガーレスグローブ。全身のあちこちに食い込むほどしっかりと締めたベルトには、拳銃《けんじゅう》のホルスターと予備の弾倉《マガジン》が4本。
SATやSWATにも似たこのC装備とは武偵《ぶてい》がいわゆる『出入り』の際に着込む、攻撃的な装備だ。強襲科《アサルト》が介入する事件は物騒なものが多く、その際、よくこの装備を指示したりされたりしたものだが――
――事件。
何だ。
何が起きたんだろう。
願わくば、小さな事件であってほしい。
そんなことを祈りながら屋上に出ると、そこには――
俺《おれ》と同じC装備に身を固めて、大粒の雨に打たれているアリアがいた。
アリアは鬼気迫る表情で、何か無線機にがなり立てている。
「……?」
ふと気がつくと、階段の廟《ひさし》の下には狙撃科《スナイプ》のレキが体育座りしていた。
アリアめ。転入生のくせに、いい駒《こま》が分かってるな。
レキは入試で俺と同じSランクに格付けされ――今もSの、狙撃科《スナイプ》の天才少女だ。
身体《からだ》は細く、身長はアリアより頭半分大きい程度。腕は確かだし外見もショートカットの美少女なのだが、その無感情でロボットっぽい性格のため目立たない女子である。
ちなみにこいつの名字《みょうじ》は誰《だれ》も知らない。本人も知らないらしい。
「レキ」
置き物のように微動だにしない彼女に声をかけるが、返事はない。
それもそのはずで、レキはでかいヘッドホンをつけて何かを聞いていた。
コイツとは去年|強襲科《アサルト》にいたころに何度か組んで仕事をしたことがあるのだが……この悪癖《あくへき》、まだ直ってないらしい。
コツコツ、と指でその頭をノックすると、レキはようやくヘッドホンを外してこっちを見上げてきた。相変わらず、CGで描いたんじゃないかつてぐらいに整った顔だ。
「お前もアリアに呼ばれたのか」
「はい」
抑揚《よくよう》のない、レキの声。
「ていうか、そのヘッドホン。いつも何の音楽を聞いてんだ、お前」
「音楽ではありません」
「じゃあ何だよ」
「風の音です」
レキはボソツと言うと、かちや、と狙撃《そげき》銃――ドラグノブという、スリムなセミオートマチック銃だ――を、まるでテニスのラケットか何かのように自然に肩にかけ直した。
「時間切れね」
通信を終えたアリアが、くる、と俺《おれ》たちに振り返る。
「もう1人ぐらいSランクが欲しかったとこだけど。他《ほか》の事件で出払ってるみたい」
俺のランクは、アリアの中では勝手に上方修正されているらしい。
「3人パーティーで追跡するわよ。火力不足はあたしが補《おぎな》う」
「追跡って、何をだ。何が起きた。状況説明《ブリーフィング》ぐらいきちんとしろ」
「バスジャックよ」
「――バス?」
「武偵高《ぶていこう》の通学バスよ。あんたのマンションの前にも7時58分に停留したハズのやつ」
――!?
何だって!?
あのバスが、乗っ取られたっていうのか? あれには武藤《むとう》を始め、武偵高のみんながスシ詰め状態で乗ってるんだぞ。
「――犯人は、車内にいるのか」
「分からないけど、たぷんいないでしょうね。バスには爆弾が仕掛けられてるわ」
――爆弾――
その単語を聞いて、俺の脳裏を数日前のチャリジャックがよぎる。
それを感じ取ったのか、アリアは流し目をするようにして俺を見た。
「キンジ。これは『武偵殺《ぶていごろ》し』。あんたの自転車をやったヤツと同一犯の仕業《しわざ》だわ」
――『武偵殺し』……だって?
聞き覚えのあるその名前に、俺は眉《まゆ》を寄せる。
それは、このあいだ白雪《しらゆき》が話題にしてた連続殺人犯の通称だ。
「最初の武偵はバイクを乗っ取られたわ。次がカージャック。その次があんたの自転車で、今回がバス……ヤツは毎回、乗り物に『減速すると爆発する爆弾』を仕掛けて自由を奪い、遠隔操作でコントロールするの。でも、その操作に使う電波にパターンがあってね。あんたを助けた時にも、今回も、その電波をキャッチしたのよ」
「でも、『武偵殺し』は逮捕されたハズだぞ」
「それは真犯人じゃないわ」
「何だって? ちょっと待て。お前は何の話をしてるんだ――」
おかしい。
この話はあちこちおかしい。
だが――
アリアはビシッとこっちに振り向き、そのツリ目で睨《にら》んできた。
「背景の説明をしてる時間はないし、あんたには知る必要もない。このパーティーのリーダーはあたしよ」
アリアは、ぐい、と俺《おれ》に胸を張ってみせた。
その姿を、石像のように立っていたレキがちらりと見る。
「待て……待てよアリア! お前――」
「事件は既《すで》に発生してるわ! バスは今、この瞬間にも爆破されるかもしれない! ミッションは車内にいる全員の救助! 以上!」
「――リーダーをやりたきややれ! だがな、リーダーならそれらしくメンバーにきちんと説明をしろ―― どんな事件にも、武偵《ぶてい》は命を賭《か》けて臨《のぞ》むんだぞ!」
「武偵憲章1条!『仲間を信じ、仲間を助けよ』! 被害者は武偵高《ぶていこう》の仲間よ! それ以上の説明は必要無いわ!」
俺たちの上空から、雨水に混じって激しい音が聞こえてきた。
――ヘリの音だ。
見上げれば、青色の回転灯を付けた車輌科《ロジ》のシングルローター・ヘリが女子寮の屋上に降りてこようとしているところだった。
アリア……手際《てぎわ》よく、こんなものまで呼んでいたのか。
こうなってしまえば、たしかに説明を聞いているヒマはなさそうだ。
「……クソッ。ああやるよ! やりゃいいんだろ!」
俺が怒鳴るのを見て、アリアは濡《ぬ》れたツインテールをヘリの風になびかせながら――
笑った。
「キンジ。これが約束の、最初の事件になるのね」
「大事件だな。俺はとことんツイてないよ」
「約束は守りなさい? あんたが実力を見せてくれるのを、楽しみにしてるんだから」
「言っておくが、俺にはお前が思い込んでいるような力は無いんだぞ。ブランクも長い。Eランクの武偵を、こんな難易度の高い事件に連れていって本当にいいのか」
「万一、ピンチになるようだったら――あたしが守ってあげるわ。安心しなさい」
インカムに入ってくる通信科《コネクト》の話によると、武偵高のバスはいすゞ・エルガミオ。武藤《むとう》らを来せた男子寮前からはどこの停留所にも停《と》まらず、暴走を始めたという。その後、車内にいた生徒たちからバスジャックされたという緊急連絡が入った。
定員オーバーの60人を来せたバスは学園島を一周した後、青海《おうみ》南橋を渡って台場《だいば》に入ったという。
「警視庁と東京|武偵局《ぶていきよく》は動いてないのか」
上昇するヘリの轟音《ごうおん》の中で、アリアとインカムを通じて話す。
『動いてる。でも相手は走るバスよ。それなりの準備が必要だわ』
「じゃあ俺たちが一番乗りか」
『当然よ。ヤツの電波をつかんで、通報より先に準備を始めたんだもの』
フン、と鼻を鳴らしたアリアは愛用の二丁|拳銃《けんじゅう》のチェックを行っていた。
その銀と黒の拳銃は、色が違うだけで同じものらしい。
あれは――コルト社の名銃・ガバメントを元にしたカスタムガンだろう。あの銃は既《すで》に諸々《もろもろ》の特許が切れているから、けっこう自由に改造がきくのだ。
目立つのはグリップについている|ピンク貝《コンクシェル》のカメオで、そこに浮き彫りされた女性の横顔は、どことなくアリアに似ている美人だった。
『見えました』
レキの声に、俺《おれ》とアリアは揃《そろ》って防弾窓に顔を寄せた。
右側の窓から、台場《だいば》の建物と湾岸道路、りんかい線が見える。
しかしこの距離では、車は小さすぎてよく見えない。
「何も見えないぞレキ」
『ホテル日航の前を右折しているバスです。窓に武偵高《ぶていこう》の生徒が見えています』
『よ、よく分かるわね。あんた視力いくつよ』
『左右ともに6・0です』
サラツと超人的な数字を言ったレキに、俺とアリアは顔を見合わせてしまう。
ヘリの操縦手がレキの言った辺りへ降下していくと、本当にそこを武偵高のバスが走っていた。速い。かなり速度を出している。
バスは他《ほか》の車を追い越しながら、テレビ局の前を走る。ヘリでそれを追うと、人々が局の中からカメラやケータイでこっちを撮影しているのが見えた。
『空中からバスの屋上に移るわよ。あたしはバスの外側をチェックする。キンジは車内で状況を確認、連絡して。レキはヘリでバスを追跡しながら待機』
テキパキと告げると、アリアはランドセルみたいな強襲《きょうしゅう》用パラシュートを天井から外し始めた。
「内側……って。もし中に犯人がいたら人質が危ないぞ」
『「武偵殺《ぶていごろ》し」なら、車内には入らないわ』
「そもそも『武偵殺し』じゃないかもしれないだろ!」
『違ったらなんとかしなさいよ。あんたなら、どうにかできるハズだわ』
――コイツ。
よく世間から批判されることだが、武偵は迅速《じんそく》な解決を旨《むね》とするため、その場その場での判断で物事を解決する傾向がある。
だが――アリアのこれは、セオリー無視もいいところだ。非常識と言い換えてもいい。
要するに有無を言わさず現場に一番乗りして、その圧倒的な戦闘力で一気にカタをつけてしまおうというわけだ。俺……チームメンバーに対する過信も、行きすぎだろう。
――アリアがどこの国でも『独唱曲《アリア》』になってしまう理由《わけ》が、分かった気がした。
強襲《きょうしゅう》用パラシュートを使いつつ、俺《おれ》とアリアはほとんど自由落下するような速度でバスの屋根に転がった。
久々の空挺《エアボーン》だったので、俺は危うくバスから滑《すべ》り落ちそうになる。
その腕を、アリアがつかんで引き留めてくれた。
「ちょっと――ちゃんと本気でやりなさいよ!」
イラツとした声で叫ぶアリアに、
「本気だつて……これでも、今は[#「今は」に丸傍点]……!」
と返しながら、屋根にベルトのワイヤーを撃ち込み、振り落とされないようにする。
アリアは自分もワイヤーを使って、リペリングの要領でバスの背面に体を落としていった。
俺は犯人が車内にいた場合のために、伸縮棒のついたミラーで車内を確認する。車内には生徒がひしめきあっていて、犯人と思われる人物の姿は今のところ見当たらない。
俺は生徒に窓を開けてもらい、ワイヤーを切り離して車内に入った。
元々大混乱だった生徒たちは、俺が入ってきたのを見て一斉《いっせい》に騒ぎ立てる。
言葉が交錯《こうさく》し、何を言われているのか分からない。
「キンジ!」
聞き慣れた声に振り向くと、そこにはさっきバス停で『2限で会おう!』などと言い残して俺を見捨てた武藤《むとう》がいた。
「武藤――2限はまだだが、また会っちまったな」
「あ、あぁ。ちくしょう……! なんでオレはこんなバスに乗っちまったんだ?」
「友達を見捨てたからバチが当たったんじゃねーの」
「――あれだキンジ。あの子」
武藤が指したのは、運転席の傍《かたわ》らに立つメガネの少女だった。
「と、ととと遠山《とおやま》先輩! 助けてっ」
涙ぐんでいる。この子は、中等部の後輩だ。
「どうした、何があった」
「い、いい、いつの間にか私の携帯がすり替わってたんですっ。そ、それが喋《しゃべ》り出して」
「速度を落とすと 爆発しやがります」
そういうことか。
アリアが言った通り、コイツは同一犯の仕業《しわざ》だろう。
俺の、チャリジャックの犯人と――!
『キンジ、どう!? ちゃんと状況を報告しなさい!』
アリアの声だ。
「お前の言った通りだったよ、このバスは遠隔操作されてる。そっちはどうなんだ」
『――爆弾らしいものがあるわ!』
その声にバスの後方を背伸びして見ると、窓の外にワイヤーとアリアの足が見えた。
どうやら逆《さか》さ吊《づ》りになって、車体の下をのぞきこんでいるようだ。
『カジンスキーβ型の|プラスチック爆弾《Composition4》、「武偵殺《ぶていごろ》し」の十八番《おはこ》よ。見えるだけでも――炸薬《さくやく》の容積は、3500立方センチはあるわ!』
気が、遠くなる。
なんだそれは。過剰すぎる炸薬量だ。
ドカンといけば、バスどころか電車でも吹っ飛ぶじゃないか。
『潜《もぐ》り込んで解体を試み――!あっ!』
アリアの叫びと同時に、ドン! という振動がバスを襲った。
生徒たちがもつれ合うようにして転び、悲鳴が連なる。
慌《あわ》てて後ろの窓を見ると――
そこに追突した1台のオープンカーが、グンツ、と退《さ》がってバスから距離を取っているところだった。
「大丈夫かアリア!」
――応答が無い。
今の追突で、やられたらしい。
俺《おれ》はバスの屋根伝いに後部に回り込むため、慌てて窓から上半身を乗り出した。
ウォン! というアクセル音に振り向けば、後ろにいたハズの車――真っ赤なルノー・スポール・スパイダーだ――が、横に回り込んできていた。
その無人の座席から|UZI《ウージー》を載せた銃座が、こっちに狙《わら》いを――
「――みんな伏せろツ!」
車内に叫び、生徒たちが頭を低くした直後――バリバリバリバリツ!!
無数の銃弾が、バスの窓を後ろから前まで一気に粉々にした。
「うおッ!」
俺も一発胸にもらい、車内に押し戻される。
防弾ベストのおかげでケガは無いが……この、跳《と》び膝蹴《ひざげ》りを喰《く》らったような衝撃。何度経験しても、コイツだけは慣れることができない。
ぐらつ。バスが妙な揺れ方をしたので運転席を見ると――
「!」
運転手が、ハンドルにもたれかかるようにして倒れていた。
肩に被弾している。
運転のために、体を下げられなかったのだろう。
バスは左車線に大きくはみ出していく。
避《よ》けた対向車がガードレールに接触事故を起こし、火花を散らした。
――大混乱じゃねえか……!
どうすればいいんだ。
分からない。分からない。今の俺には[#「今の俺には」に丸傍点]、この事態の収拾の方法が――!
「有明《ありあけ》コロシアムの角を右折しやがれです」
転んだ女子が落とした携帯から、ボーカロイドの声が聞こえてきた。
さらにマズいことに、バスは――速度を落とし始めている!
「む、武藤《むとう》! 運転を代われ! 減速させるな!」
俺《おれ》は防弾ヘルメットを脱いで武藤に投げ、再び窓に手をかけながら叫ぶ。
「い、いいけどよ!」
武藤はヘルメットを受け取りざまに被《かぶ》ると、傷ついた運転手を他《ほか》の生徒たちと協力して床に下ろし、運転席に入れ替わった。
「オレ、こないだ改造車がバレて、あと1点しか違反できないんだぞ!」
ヤケクソ気味の武藤の声を背に、俺はバスの屋根に上っていく。
「そもそもこのバスは通行帯違反だ。よかったな武藤。晴れて免停だぞ」
「落ちやがれ! 轢《ひ》いてやる!」
豪雨の中、バスは高速でレインボーブリッジに入っていく。
「――こんな爆発物、都心に入らせる気かよ――!」
俺はいわゆるハコ乗りの状態になりながら、振り落とされないように耐えた。
ブリッジ入口付近の急カーブに、ぐらり――
バスは一瞬片輪走行になったが、何とか曲がりきる。
武藤のかけ声で生徒たちが車の左側に集まり、横転しないよううまく重心を操っていたのだ。さすが武藤。車輌科《ロジ》の優等生だけあるな。
猛スピードで入ったレインボーブリッジには――車が一台もいない。
警視庁が手を回したらしい。道路が封鎖されている。
「おいアリア、大丈夫か!」
「キンジ!」
屋上に登った俺に、ワイヤーを伝って上がってきたアリアが顔を上げた。
「アリア! ヘルメットをどうした!」
「さつき、ルノーに追突された時にブチ割られたのよ! あんたこそどうしたの!」
俺の頭を指すアリア。
「運転手が負傷して――いま、武藤《むとう》にメットを貸して運転させてるんだ!」
「危ないわ! どうして無防備に出てきたの! なんでそんな初歩的な判断もできないのよ! すぐ車内に隠れ――後ろっ! 伏せなさいよ! 何やつてんのバカっ!」
アリアは突然二丁|拳銃《けんじゅう》を抜き、真っ青になって俺《おれ》に突進してきた。
――何が起きた?
事態が把握できず、背後を振り返ると――
今度はバスの前方に陣取ったルノー・スパイダーが、|UZI《ウージー》をブッ放《ばな》すのが見えた。
自分の顔面めがけて。
飛んでくる。
銃弾が。
――死んだ。
本当にそう思った。
ルノーに応射しながら、アリアが――
スローモーションのように、その小さな身体《からだ》で俺めがけてタックルしてきて。
バチッバチッ!!
被弾音が、2っ。
視界に鮮血《せんけつ》が飛び散った。
――が、痛くない。
「アリアっ!」
ごろごろ、とアリアはバスの屋根の上を転がり、側面に落ちていった。
アリアが転がった所についた鮮血の跡が、雨水で流れていく。
「アリア――アリアああつ!」
渾身《こんしん》の力を込めて、アリアに繋《つな》がるワイヤーを引っぱる。
ルノーは速度を落とし、側面に回ってきた。
マズい――いま撃たれたら、アウトだ――!
そう思うが……撃ってこない。
見れば、座席の銃座が壊れている。
アリアはあの一瞬の交錯《こうさく》で、ルノーの武器を破壊していたのだ。
『ピンチになるようだったら、あたしが守ってあげるわ』
あのアニメ声が、俺の脳内でリピートされる。
「アリア――!!」
絶叫と共に、ピクリとも動かないアリアをバスの屋根に引き上げる。
その姿に俺《おれ》が肝《きも》を冷やした時!
パアン!
という破裂音が響いた。
もう一度、パアン!
「!?」
音に続いてルノーは急激にスピンを始め、ガードレールにぶつかって――ドオンツ!
バスの後ろで、爆発、炎上した。
見れば前方、レインボーブリッジの真横に、武偵高《ぶていこう》のヘリが併走してきている。
そのハッチは大きく開かれ、膝立《ひざだ》ちの姿勢でこっちに狙撃《そげき》銃を向けているレキの姿が見えた。
建物の多い台場《だいぱ》では無かった狙撃のチャンスが、今、この大きな橋の上で来たのだ。
『――私は一発の銃弾』
インカムから、レキの声が聞こえてきた。
見れば、バスを狙《ねら》っている。
『銃弾は人の心を持たない。故《ゆえ》に、何も考えない――』
詩のようなことを呟《つぶや》いている。
『――ただ、目的に向かって飛ぶだけ』
これは……強襲科《アサルト》で、何度か聞いたことがある。
レキがターゲットを弾《はじ》く際の、クセだ。
まじないのようなそのセリフを言い終えた瞬間――
レキはその銃口を、パッ、バッハッ、と3度光らせた。
銃口が光るたびにギンッ! ギギンッ! と着弾の衝撃がバスに伝わり、一拍ずつ遅れて銃声も3度聞こえてくる。
ガンッ、ガンガラン、と何かの部品がバスの下から落ちて背後の道路に転がっていく。
それは――部品ごとバスから分離された、爆弾。
『――私は一発の銃弾――』
またレキの声に続いて、銃声。
ギンッ!
部品から火花が上がり、爆弾は部品ごとサッカーボールのように飛び上がった。
そして橋の中央分離帯へ、さらにその下の海へと落ちていく。
――ドゥウウウツ!!!
遠隔操作で起爆させられたのか――海中から、水柱が盛大に上がる。
バスは次第に減速し……停《と》まり。
屋根の上には、ぐったりと動かないアリアと……
結局なんの役にも立たなかった俺《おれ》だけが、豪雨に、打たれ続けていた。
武偵《ぶてい》病院に入院したアリアの傷は……浅かった。
運が良かったとしか言いようがない。
アリアを襲った銃弾は、2発とも額《ひたい》をかすめただけで重傷には至らなかったのだ。
脳震畳《のうしんとう》を起こしていたアリアはMRIも撮ってもらったが、脳内出血も無く、外傷だけで済んでいるようだった。
翌日、報告書を教務科に提出してから武偵病院に行くと――アリアの病室はVIP用の個室だった。そういえばアリアはあれで貴族のお嬢だとか理子《りこ》が言ってたな。
病室には小さいロビーがあって、そこには『レキより』というカードのついた白百合《カサプランカ》が飾られていた。ロボット女のレキが、あんなものを持ってきてたのか。意外だ。
……パッチン……パッチン。
「?」
少しだけ開いていたベッドルームのドアのすき間から、妙な音がする。
不審に思って中を覗《のぞ》くと、そこではでかいベッドに座ったアリアが……
手鏡で、自分の額《ひたい》の傷を見ていた。
「……」
とても集中しているのか、こっちに気づいていない。
額の傷はまだ腫《は》れが引いておらず、真っ赤に浮き立ってしまっている。
2発の銃弾はアリアの額に2本の交差する線のような傷跡を残し、いつも自慢するように露出させていた形のいいおでこを台無しにしてしまっている。
昨日医者に聞いてしまったのだが……あの傷は、どうしても痕《あと》が残ってしまうらしい。
――一生消えない、傷痕《きずあと》が。
パッチン……パチン。
アリアは涙目で鏡を見ながら、いつも使っていたパッチン留めを付けては直し、付けては直ししていた。
それを見た俺《おれ》の胸に、ちくり、と針で刺されたような痛みが走る。
アリアは………自分の額を、とても気に入っていた。
そこに、あんな傷をつけられて――辛《つら》いだろうな。
「……アリア」
俺は今来たフリをしつつ、ちょっとドアから離れてノックをする。
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさい」
部屋の中から、がさごそ、と何か慌《あわ》てた感じの物音がした。
「……いいわよ」
言われて俺が入ると、アリアは早業《はやわざ》で頭に包帯を巻き直し、工具で拳銃《けんじゅう》をいじっていた。
ちょっとわざとらしいが、銃を整備してたフリをしてるらしい。
「――お見舞い?」
そして、露骨にイヤそうな目で俺を見てくる。
「ケガ人扱いしないでよ。こんなかすり傷で入院なんて、医者は大げさだわ」
「レッキとしたケガ人だろ。その額の傷――」
「傷が何だっていうの? なにジロジロ見てるのよ」
「いや、その……それ、痕《あと》が残るんだろ」
「だから何? 別に気にしてないわよ。あんたも気にしなくていい。はい整備終わり」
がしゃ、と拳銃をサイドテーブルに置くと、アリアは腕組みをした。
「武偵《ぶてい》憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ。あたしはそれに従っただけ。あんただから特別に助けたわけじゃないわ」
「武偵憲章だなんて……そんなキレイ事をバカみたいに守るなよ」
「……あたしがバカだっていうの? キンジの分際で。でも……そうね。こんなバカを助けたあたしは、バカだったのかもね」
ぷいっ、とそっぽを向いたアリアに、俺《おれ》は……これ以上この話題で話すのがイヤになって、コンビニの袋を差し出した。
しばらくの沈黙の後、ふんふん、とアリアの鼻が小さく動く。
「……ももまん?」
開けてもいないのに、ニオイで分かったらしい。
アリアは紅《あか》いツリ目をぴきっと見開いて振り向く。
「食えよ。売ってあるだけ……5つ買ってきた。好物だろ」
そう言うとアリアはしばらく黙って袋を見ていたが、がさっ、と奪い取りざまに手を突っ込んだ。
そして、はむはむはむ……と冷めかけのももまんをがっつく。
なんか、手負《てお》いの猛獣に餌付《えづ》けしてるみたいだな。
「ゆっくり食えよ。ももまんは逃げていかない」
「うるふぁい。あたしの勝手でしょ」
餡《あん》のついた唇で憎《にく》まれ口を叩《たた》くと、アリアは黙々とももまんを食べ続けた。
武偵《ぶてい》病院のメシはマズイことで有名だ。きっと、あまり食べていなかったのだろう。
「まあ……食べながら聞け。あの後、犯人が使っていたホテルの部屋が見つかった」
「………宿泊記録は?」
「ない。というか宿泊データが外部から改竄《かいざん》されてたんだ」
俺は鞄《かばん》からクリアファイルを取り出し、アリアの膝元《ひざもと》に置いてやった。
「峰理子《みねりこ》を中心に、探偵科《インケスタ》と鑑識科《レピア》に部屋を調べてもらったよ。だが結論から言うと……犯人像に繋《つな》がるような痕跡《こんせき》は、何一つ見つからなかった」
「でしょうね。『武偵殺《ぶていごろ》し』はケタ外れに狭滑《こうかつ》なヤツよ。足跡なんか残すわけがない」
「『武偵殺し』……か。俺はチャリジャックもバスジャックも、『武偵殺し』の模倣犯かと思ってたんだけどな。なんたって――ヤツは、もう逮補されてるんだから」
「だから言ったでしょ。それは誤認《ごにん》逮捕なのよ」
俺は……アリアの説に、反論できなかった。
確かにこれは模倣犯《もほうはん》などという低レベルな犯罪者の仕業じゃあなさそうだ。
「あと……そのファイルには俺のチャリジャックの調査結果も添付してある。だが、こっちも正直なにも分からないに等しかったよ。セグウェイもUZI《ウージー》も盗難品だったしな」
「使えないヤツらね。そんな資料、読むだけ時間のムダだわ」
「そう思うんならゴミ箱にでも捨てろ」
と言ったら本当にファイルをゴミ箱に槍てやがったので、俺はちょっと腹が立った。
手がかりを掴《つか》めなかったとはいえ、理子たちはみんな徹夜で調査してくれてたのに。
「――出てって。もう済んだでしょ」
「?」
「あんたが強襲科《アサルト》に戻ってから最初の事件。それが済んだんだから、契約は満了よ。あんた、もう探偵科《インケスタ》に戻っていいわ。さよなら」
ももまんを食べ終えたアリアが、吐き捨てるように言う。
「何だよ……本当に勝手なヤツだな。あんだけ強引に引き込んどいて、用が済んだらそれかよ」
「謝ってほしいの? お金でも払えば気が済む?」
「……俺《おれ》を怒らせたいのか?」
「さっさと帰ってほしいのよ。1人にして」
「ああ、帰るよっ」
頭に――血が上ってきたのを感じる。
なぜこんなに腹が立つのかは分からなかったが、アリアの言葉はいちいち聞いていて苦しかった。
フン、と俺もそっぽを向き、病室を去ろうとする。
「何よ……」
ドアノブに手をかけた俺の背中に、アリアが呟《つぶや》くのが聞こえた。
「あたしはあんたに、期待してたのに……現場に連れて行けば、また、あの時みたいに、実力を見せてくれると思ったのに!」
「――お前が勝手に期待したんだろ! 俺にそんな実力は無い! それにもう……俺は、武偵《ぶてい》なんかやめるって決めたんだ! お前はなんでそんなに勝手なんだよ!」
つい、声を荒《あら》げて振り返ってしまう。
なんでか、コイツが相手だと冷静になりきれない。
クソッ。なんでだよ。
俺らしくない。
「勝手にもなるわよ! あたしにはもう時間が無い!」
「なんだよそれ! 意味が分かんねーよ!」
「武偵なら自分で調べれば!? あたしに――あたしに比べれば、あんたが武偵をやめる事情なんて、大したことじゃないに決まってるんだから!」
大したことじゃない[#「大したことじゃない」に丸傍点]。
そう言われて、俺は――
気がついたら、衝動的にアリアに詰め寄っていた。
相手が女だということも忘れて、襟首を掴《つか》みそうになる。
……それを堪《こら》えて、手を握りしめた。
強く、強く、握りしめた。
「な、何よ……何なのよっ」
初めて見せた俺《おれ》のその剣幕には……さすがのアリアも、うろたえていた。
俺はベッドに両手を突き、顔を伏せる。
ああ。今。俺は。
ひどい顔をしてるに違いない。
誰《だれ》にも、見せたくないような顔を。
白雪《しらゆき》にも言われた事だが、うちの家系・遠山《とおやま》家は代々、正義の味方をやってきた。
時代によりその職業は違っていたが、ヒステリアモードという特殊な遺伝子の力で――か弱き人々のため、何百年も戦ってきたのだ。
俺が物心つく前に殉職した父さんも武装検事として活躍していたし、武偵《ぶてい》だった兄さんだって――俺にとっては、人生の目標となるヒーローだったんだ。
だから俺は何の疑いもなく、自ら進んで、武偵高《ぶていこう》に進学した。
中学では酷《ひど》い日に遭《あ》わされたヒステリアモードだって、いずれ父さんや兄さんみたいに使いこなせるようになるだろう――そこまで、前向きに物事を考えられていた。
……だが去年の冬、そんな俺の人生を一変させる出来事が起きた。
浦賀神《うらがおき》海難事故。
日本船籍のクルージング船・アンベリール号が沈没し、乗客1名が行方不明となり……死体も上がらないまま捜索が打ち切られた、不幸な事故だ。
死亡したのは、船に乗り合わせていた武偵……遠山|金一《きんいち》
俺の[#「俺の」に丸傍点]、兄さんだった[#「兄さんだった」に丸傍点]。
いつもか弱き人々のためにほとんど無償で戦い、どんな悪人にも負けなかった兄さんは――警察の話によれば、乗員・乗客を船から避難させ、そのせいで自分が逃げ遅れたのだそうだ。
だが、乗客たちからの訴訟を恐れたクルージング・イベント会社、そしてそれに焚《た》きっけられた一部の乗客たちは、事故の後、兄さんを激しく非難した。
曰《いわ》く、『船に乗り合わせていながら事故を未然に防げなかった、無能な武偵』と。
ネットで、週刊誌で、そして遺族の俺に向かって吐かれた、あの罵詈雑言《ばりぞうごん》の数々。
今でも、夢に見る。
――兄さんはなぜ、人を助け、自分が死んだ?
――なぜ、スケープゴートにさせられた?
それは、ヒステリアモードの遺伝子のせいで――武偵なんかをやっていたからだ!!
ああ。武偵なんて、正義の味方なんて、戦って、戦って、傷ついた挙げ句、死体にまで石を投げられる、ろくでもない、損な役回りじゃないか……!
だから俺《おれ》は――そんなバカなものになるのを、やめたんだ。
これからは普通の人間になる。
生きて、無責任なことを言うだけ言って、平凡な日々をのうのうと送る側になる。
そう、決めたんだ。
決めたんだ――そう。
顔を上げると、アリアは……黙っていた。
その赤紫色《カメリア》の瞳《ひとみ》と目が合った時、俺はアリアに対して抱いてしまう、このどす黒い感情の正体に気付いた。
――コイツは、似ているんだ。俺と。
何か他人には理解しがたい重いものを背負い、武偵《ぶてい》という道を、俺とは正反対の方向へ全力疾走している。悲壮なまでに。
俺は逃げようとして、コイツは、立ち向かおうとしている。
だから――俺はアリアに対して、冷静になれないのだ。
「とにかく……俺は武偵なんてもう辞《や》めるんだ。学校も、来年からは一般の高校に移る」
「……」
「聞いてるのか」
「分かった……分かったわよ……あたしが、探してた人は……」
アリアは視線を俺から逸《そ》らし、1つ、長い瞬《まばた》きをした。
まるで、書いてはいけなかった文章にピリオドを打っように。
「あんたじゃ、なかったんだわ」
4弾 前髪の下
結局アリアとはあのままケンカ別れ――ということに、なってしまった。
これで、よかったんだろうか。
これは……かつて、俺《おれ》が望んだ通りの結未。
俺はあのバスジャックで、今の、何もできない自分を見せた。
それでアリアは俺に失望し、解放してくれた。
おかげで俺は強襲科《アサルト》を出ていける。あとは探偵科《インケスタ》で平和に時間を潰《つぶ》し、来年から普通の高校に転校する。そして、武債《ぶてい》の世界から足を洗って、普通の大人になるんだ。
いいじゃないか。それで。
でも……なんだろう、このモヤモヤした気持ちは。
俺はあれから、なんだか分からない、イラつくような感情を引きずりながら週末を過ごしている。
パッチン……パチン。
テレビを見ても、ネットを見ても、あのパッチン留めの音が頭から離れない。
アリアが退院する予定と聞いていた日曜の朝――今朝《けさ》なんかは、あいつのことを考えないようにと、掃除や洗濯に没頭したりしてみた。
だが、そのせいで――
俺はその昼過ぎ、退院したアリアを偶然、意外な場所で見かけてしまったのだ。
学園島の片隅《かたすみ》にある、美容院で、だ。
たまたま美容院の隣のクリーニング店へ行った帰りにアリアを見つけた俺は、彼女のあまりの変貌《へんぼう》っぷりについ足を止めてしまった。
向こうはこっちに気づいていなかったから、また、盗み見になってしまったのだが……
「……」
少し重い表情をしていたアリアは、長いツインテールはそのままに、少し髪型を変えていた。
前髪を、作っていた。
それはそれでクラッとくるはど可愛《かわい》いのだが、あれは――聞くまでもない。額《ひたい》の傷跡を隠すためのものだろう。
そう思った俺の胸の奥に、また、チクリと鋭い痛みが走った。
白いサクランボみたいなファーのついたミュールを鳴らして、アリアはモノレールの駅へと歩き出す。
その服装は――私服だ。
制服姿かC装備ぐらいしか見たことが無かったので、こういう普通の女の子らしい姿は逆に新鮮だった。
白地に薄いピンクの柄《がら》が入った清楚《せいそ》なワンピースを着たアリアは、まるでファッション誌から抜け出してきたかのように今風だ。
今のアリアの写真を表紙にすれば、雑誌とあの服が飛ぶように売れるだろう。
だが……アリアは普段から身だしなみには気を遣《つか》う方ではあったが、ここまでしっかりおめかしした姿を見たことは無い。
どこへ行くのだろうか。
(デートか?)
か? ではない。
多分そうなのだろう。
……アリアの、カレシ。
いたのか。
どんなヤツなんだろうか。
そう思った俺《おれ》は――なぜかは分からなかったが、つい。
アリアを、尾《つ》け始めてしまっていた。
アリアはモノレールで新橋《しんばし》に出て、そこからJRで神田《かんだ》を経由し……新宿《しんじゅく》で降りた。
少し後ろからついていくと、街の男たちがアリアをチラチラ見ているのが分かる。
そりゃそうだ。こんな可愛《かわい》い子、めったにいない。それが隅々《すみずみ》まで気合いを入れてオシャレをしてるんだから、注目しない方がおかしいだろう。
アリアは西口から高層ビル街の方へ、カツカツとミュールを鳴らしつつ歩いていく。
これも、ちょっと意外な方向だ。
こっちはオフィスビルぐらいしか奴かったハズだが……となると、カレシは社会人だったりするのだろうか?
そんな事を考えながら尾行を続けていると――アリアは、ある意外な建物の前で足を止めた。
新宿警察署、である。
こんな所に、なぜそんなにめかし込んで来る?
「……下《へ》っ手《た》な尾行。シッポがにょろにょろ見えてるわよ」
振り返らずいきなり言ってきたアリアに、俺は棒を飲んだようになってしまう。
――なんだ。
バレてたのか。
「あ……その。お前、昔言ったろ。『質問せず、武偵《ぶてい》なら自分で調べなさい』って」
気まずさから、俺《おれ》はちょっと逆ギレ気味に言いつつアリアの横に立った。
「ていうか、気づいてたんならなんでそう言わなかったんだよ」
「迷ってたのよ。教えるべきかどうか。あんたも、『武偵殺《ぶていごろ》し』の被害者の1人だから」
「?」
「まあ、もう着いちやったし。どうせ追い払ってもついてくるんでしよ」
と言うアリアには、いつもの覇気がなかった。
署内に入っていくアリアに、俺は頭の中にいくつもの疑問符を浮かべながらついていくのだった。
留置人面会室で2人の管理官に見張られながらアクリルの板越しに出てきた美人に、俺は見覚えがあった。
たしか……アリアの拳銃《けんじゅう》のグリップに、埋め込まれていたカメオ。そこに彫刻されていた、アリアによく似た女性である。
柔らかな曲線を描く長い髪。オニキスのような瞳《ひとみ》。アリアと同じ、白磁のような肌――
「まあ……アリア。この方《かた》、彼氏さん?」
「ちっ、違うわよママ」
俺を見てちょっと驚いたような、しかしおっとりした声を上げたその女性は……
アリアの、母親。なのだろう。
わ、若い。
母親というより、年の離れたお姉さんってカンジだな。
「じゃあ、大切なお友達さんかしら? へぇー。アリアもボーイフレンドを作るお年頃《としごろ》になったのねぇ。お友達を作るのさえヘタだったアリアが、ねぇ。ふふ。うふふ……」
「違うの。コイツは遠山《とおやま》キンジ。武偵高《ぶていこう》の生徒で―――そういうの[#「そういうの」に丸傍点]じゃないわ。絶対に」
長い睫毛《まつげ》の目を優しげに細めた母親に、アリアはスパッと言い切る。
そんなに明確に否定しなくてもいいだろうに。
「……キンジさん、初めまして。わたし、アリアの母で―――神崎《かんざき》かなえと申します。娘がお世話になってるみたいですね」
「あ、いえ……」
こんな部屋にいるにもかかわらず、かなえさんはその場の空気をすべて柔らかく包んでくれるような感じのする人だった。
実は、俺はこういうタイプにはちょっと弱い。
柄《がら》にもなくどぎまぎしてしまって、滑舌《かつぜつ》が悪くなってしまう。
そんな俺に、アリアはなんだかイラッとしたような顔をして―――アクリル板の方に身を乗り出した。
「ママ。面会時間が3分しかないから、手短に話すけど……このバカ面《づら》は『武偵殺《ぶてぃごろ》し』の、3人目の被害者なのよ。先週、武偵高《ぶていこう》で自転車に爆弾を仕掛けられたの」
「……まあ……」
かなえさんは表情を固くする。
「さらにもう一件、一昨日《おととい》はバスジャック事件が起きてる。ヤツの活動は、急激に活発になってきてるのよ。てことは、もうすぐシッポも出すハズだわ。だからあたし、狙《ねら》い通りまずは『武偵殺し』を捕まえる。ヤツの件だけでも無実を証明すれば、ママの懲役《ちょうえき》864年が一気に742年まで減刑されるわ。最高裁までの間に、他《ほか》もぜったい、全部なんとかするから」
――アリアの言葉に、俺《おれ》は目を丸くした。
「そして、ママをスケープゴートにしたイ・ウーの連中を、全員ここにぶち込んでやるわ」
「アリア。気持ちは嬉《うれ》しいけど、イ・ウーに挑《いど》むのはまだ早いわ――『パートナー』は、見つかったの?」
「それは……どうしても見つからないの。誰《だれ》も、あたしには、ついてこれなくて……」
「ダメよアリア。あなたの才能は、遺伝性のもの。でも、あなたには一族の良くない一面――プライドが高くて子供っぽい、その性格も遺伝してしまっているのよ。そのままでは、あなたは自分の能力を半分も発揮《はっき》できないわ。
あなたには、あなたを理解し、あなたと世間を繋《つな》ぐ橋渡しになれるようなパートナーが必要なの。適切なパートナーは、あなたの能力を何倍にも引き延ばしてくれる――曾《ひい》お爺《じい》さまにも、お祖母《ばあ》さまにも、優秀なパートナーがいらっしゃったでしょう?」
「……それは、ロンドンで耳にタコができるぐらい聞かされたわよ。いつまでもパ―トナーを作れないから、欠陥品とまで言われて……でも……」
「人生は、ゆっくりと歩みなさい。早く走る子は、転ぶものよ」
かなえさんはそう言うと、長い睫毛《まつげ》の目をゆっくりまばたかせた。
「神崎《かんざき》。時間だ」
壁際に立っていた管理官が、壁の時計を見ながら告げる。
「ママ、待ってて。必ず公判までに真犯人を全部捕まえるから」
「焦《あせ》ってはダメよアリア。わたしはあなたが心配なの。1人で先走ってはいけない」
「やだ! あたしはすぐにでもママを助けたいの!」
「アリア。私の最高裁は、弁護士先生が一生懸命引き延ばしてくれてるわ。だからあなたは落ち着いて、まずはパートナーをきちんと見つけ出しなさい。その額《ひたい》の傷は、あなたがもう自分1人では対応しきれない危険に踏み込んでいる証拠よ」
アリアが前髪で隠していた傷とテーピングにはとっくに気付いていたらしく、かなえさんがアリアを叱《しか》る。
「やだやだやだ!」
「アリア……!」
「時間だ!」
興奮するアリアを宥《なだ》めようとアクリル板に身を乗り出したかなえさんを、管理官が羽交《はが》い締《じ》めにするような形で引っ張り戻した。
あっ、とかなえさんが小さく喘《あえ》ぐ。
「やめろッ! ママに乱暴するな!」
アリアはまるで小さな猛獣のように犬歯《けんし》をむき、その赤紫色《カメリア》の目を激昂《げっこう》させてアクリル板に飛びかかった。
だが板は透明でも、厚く固い。もちろん少しも歪《ゆが》まず、アリアを受け付けない。
かなえさんはアリアを心配そうな目で見ながら、2人がかりで引きずられるようにして運ばれていった。
面会室の奥の扉が――クリーム色の柔らかさとは裏腹に重い金属音を響かせて―――
閉ざされる。
「訴えてやる。あんな扱い、していいワケがない。絶対……訴えてやるッ」
と独《ひと》り言しながら、曇り空の新宿《しんじゅく》駅へ戻るアリアに……
俺《おれ》は、ずっと、声をかけられずにいた。
ただ影法師《かげぼうし》のように、その後ろについていく。
「…」
かつん、かつん、かつん。
ミュールを鳴らしてアルタ前まで戻ってきたアリアは、急に――
かつ……ん。立ち止まった。
俺も、立ち止まる。
背後から見れば、アリアは顔を伏せ、肩を怒らせ、ぴんと伸ばした手を震《ふる》えるほどきつく握りしめていた。
ぽた。
ぽた……ぼたた。
その足元に、何粒かの水滴が落ちてはじけている。
それは……聞くまでもない、アリアの涙だった。
「アリア……」
「泣いてなんかない」
怒ったように言うアリアは、顔を伏せたまま震えていた。
湿《しめ》っぽい風の中、町を歩く人々は道の真ん中に立ち止まる俺たちをニヤニヤ見ている。
痴話《ちわ》ゲンカか何かだと思っているのだろう。
「おい……アリア」
俺《おれ》はアリアの前に回り込み、少し背をかがめて顔をのぞき込んだ。
ぽろ……ぽろ。ぽろ。
前髪に隠れた目から、うつむいた白い頬《ほお》を伝って、真珠みたいな雫《しずく》がしたたる。
「な……泣いてなんか……」
と言うアリアは歯を食いしばり、きつく閉じた目から涙を溢《あふ》れさせ続けていた。
そして、
「ない……わあ……うああああああああああぁ!」
糸が切れたかのように、泣き始める。
俺から顔を逸《そ》らすように上を向き、ただ、子供のように泣く。
こっちの胸が振動してしまうほどの、大きな声で。
「うあぁあああああああ……ママぁー……ママあああああああ……!」
夕暮れの街は、明るいネオンサインに楽しい音楽を乗せて、流行の服や最新の電化製品を宣伝している。ちかちかするその光が、アリアの桃色の髪を弄《もてあそ》ぶように照らす。
追い打ちをかけるように、通り雨が降り始めた。
人々が、車が、俺たちの横を通り過ぎていく。
ケータイを耳にあてた女が、キャハハハ! マジ!? ウケルー! なんて大声で喋《しゃべ》りながら、通り過ぎていった。
……俺《おれ》は。
喧噪《けんそう》の中でいつまでも泣さ続けるアリアに、どうしてやることもでさなくて。
ただ、無言のまま、そのそばに立っている。
東京が強風に見舞われた週明け、一般科目の授業に出た俺の右隣は空席だった。
アリアは学校を休んだらしい。
あの後――アルタ前で泣きやんだアリアが「一人にして」と言ってさたので、俺たちは結局あそこで別れたままになっている。
あの日、俺は偶然見つけたアリアを尾《つ》けて、被害者の1人としてその母親の所についていって……いろんなことを知った。
知って、しまった。
――アリアの母親は、『武偵殺《ぶていごろ》し』の容疑者として捕らえられている。
そして早くも二審まで、有罪判決を受けているのだ。
おそらく、下級裁隔意制度《かきゅうさいかくいせいど》――証拠が十分に揃《そろ》っている事件について、高裁までを迅速《じんそく》に執《と》り行い、裁判が遅滞しないようにする新制度――を適用されたのだろう。
その高裁での量刑、なんと懲役《ちょうえき》864年。事実上の終身刑だ。
また面会室での会話から考えて、アリアの母親の容疑は一連の『武偵殺し』による殺人事件以外にもあるようだ。アリアはその全《すべ》てを冤罪《えんざい》と断じ、最高裁までに覆《くつがえ》そうとしているのだ。武偵として真犯人を見つけるという、荒《あら》っぽいやり方で。
それと――『パートナー』の、こと。
アリアの実家こと『H』家は、貴族の一門だ。で、どうやらそこは警察か何かの名門で、みんな優秀な相棒と組むことでその能力を飛躍的に伸ばし、功績を成してきたらしい。
そのためアリアにも相棒を作ることが求められているのだが――
アリアはそれを、見つけられずにいる。
そりゃそうだろう。
あんな天才児に合わせられる相棒なんて、そうやすやすと見つかるワケがない。アリアが『パートナー』を『ドレイ』と言い換えていたのも、相手に求める能力のハードルを言葉の上だけでも下げて、自分にかかる心理的な負担を軽減させようとしての事かもしれなかった。
そんなことをぼんやり考えながら、全然集中できなかった探偵科《インケスタ》の授業を終えると――携帯に、メールが来ていた。
理子《りこ》からだ。
『キーくん。授業が終わったら台場《だいば》のクラブ・エステーラに来て。大事な話があるの』
普段の俺《おれ》なら、これはまあスルー確定だったろう。
そもそも女子の誘いなんて鬼門だし、理子《りこ》の「大事な話」は大事だったためしがない。
だが、今回は……少し状況が特殊だ。
理子は先週のバスジャックに関連した情報を引き続き調べていて、今日もそのためか探偵科《インケスタ》の授業をフケていた。それに今日、アリアが休んだこともなんとなく気になる。
虫の報《しら》せがした俺は、念のため、モノレールで台場へと向かった。
少し迷いながらクラブ・エステーラとやらに着くと、そこはどうやら高級なカラオケボックスのような店だった。
店の駐輪場には、ショッキングピンクの改造ベスパが停《と》めてある。
この悪趣味な彩色。見覚えがあるぞ。理子のだ。
こいつは一見50ccだが、武藤《むとう》に金を積んで車検スレスレの魔改造がされてあって、時速150キロだかで飛ばせるとか理子が自慢してた。武藤……ホント、仕事選べよ。
時刻は、夕方の6時。
やけに鮮明な夕焼け空は血のようで、紺色のちぎれ雲がそこを異様に速く流れていた。
これは東京に迫る台風の影響だろう。風が、強い。
クラブに入ると、バーラウンジでは会社帰りのOLやデート中の若者が芸術品みたいなケーキをつついていた。見れば、武偵高《ぶていこう》の女子もちらほらいる。流行《はや》ってんだな、ここ。
「キぃーくぅーんー!」
奥から小走りにやってきた理子は、また、例のロリータ制服を着ていた。
今日のは……一段とスゴい。特にスカートがカーネーションの花びらみたいにひらひらと膨《ふく》らんでいる。あれはパニェとかいうアンダースカートで膨らましているのだろう。
「お前なあ。授業サボって……こんなトコで何やつてんだよ」
「くふ。この勝負服のお着付けしてたの。でもキーくんなかなか来ないから、フられたらどうしようかなーって思ってたんだよ。理子うれしー」
「フるとかフられるとかの関係じゃないだろ俺たちは」
「あー、そっけないんだあー? こっからは理子ルートなんですよ!?」
「なんだそれ。イミ分かんねーよ」
笑う理子の上目遣《うわめづか》いが妙に艶《なま》めかしくて、俺は舌打ちする。
やっぱり来るべきじゃなかったか。なんなんだ、コイツ。
理子はぶら下がるように俺と腕を絡ませると、意気揚々《いきようよう》と店の奥に進み出す。
その姿を見た武偵高の女子たちが、ヒソヒソ語り合う。
「やだ。キンジ、こんどは理子ちゃんとつきあってる」
「キンジってチビ専なのかな」
「星伽《はとぎ》さんもいるから、そうじゃないと思う」
こらそこ。聞こえてるぞ。二重三重に誤解するな。
理子《りこ》に押し込まれるようにして入った個室は、アール・ヌーボー調に飾り付けられた2人部屋だった。理子は俺《おれ》をフカフカした長イスに着かせると、その童話のお姫様みたいなスカートで真っ隣に座り、テーブルのモンブランと紅茶を示してウインクしてくる。
「呼び出しちゃったから、理子がぜーんぶおごったげる」
そう言うと理子は甘つたるそうなミルクティーをんくんく飲み、その大きな目でこっちを見つめ上げてきた。
「ぷは。ねぇキーくん、アリアとケンカしたでしょ」
「そんなこと……お前に関係ないだろ」
「関係あるよお。キーくんはアリアと仲良くしなきゃダメなんだから」
「なんでだよ」
「そうじゃないと理子が楽しくない!」
理子はモンブランにフォークをぐっさり刺し、にい、と笑う。
本音、という顔だ。
「はいキーくん、あーんして」
切り分けたモンブランを乗せたフォークを、俺の方に突き出してくる。
「するかバカ」
「――『武偵殺《ぷていごろ》し』――」
何かのカードを切るようにそう告げてきた理子に――
俺は、目を見開いた。
「――何か……分かつたのか」
「あーんしてくれたら教えてあげる」
死ぬほど恥ずかしかつたが、背に腹はかえられない。
俺は理子にモンブランを一口もらうと、さあ教えろと目ですごんだ。
「くふ。あのね。警視庁の資料にあったんだけどね……過去、『武偵殺し』にやられた人って、パイクジャックとカージャックの2人だけじゃないかもしれないんだって」
「どういうことだ」
「『可能性事件』っていうのがあるんだよ。事故つてことになってるけど、実際は『武偵殺し』の仕業《しわざ》で、隠蔽《いんぺい》工作で分からなくなってるだけかもしれないつてヤツ」
「そんなものがあるのか」
「そこにね、見つけちゃったんだ。たぷん、そうじゃないかなあって名前」
理子はポシェットから出してきた四つ折りのコピー紙を、手品でもするかのようにゆっくり、ゆっくりと広げ、俺《おれ》に見せつけてくる。
「――!」
血が、凍る。
『2008年12月祝日 浦賀神《うらがおき》海難事故 死亡 遠山金一武偵《とおやまきんいちぶてい》(19)』
「この名前、お兄さんでしょ? ねぇーこれ、シージャックだったんじやない?」
理子《りこ》の声が、やけに遠く聞こえる。
――『武偵殺《ぶていごろ》し』。
何なんだ、お前は。
誰《だれ》なんだ、お前は。
ナゼ兄サンヲ。
ナゼ兄サンヲ、ナゼ俺ヲ、ネラッタ――!
「いい」
熱を含んだ理子の声に、はっ、と気を取り戻す。
俺と目が合うと、理子はスッと目を細めた。
「いいよキンジ。キンジのそういう――眼《め》。理子ゾクッてさちゃう」
まるで何かに快感を得ているような表情で、理子は俺に上半身を寄せてくる。
「|Je t'amine acroquer[#aはアクサングラーブ(`)付き]《好きた食べちやいたい。》入試の時、理子、キンジの眼[#「眼」に丸傍点]に――ひとめぼれしちゃったんだあ」
「――理子?」
入試の時、ヒステリアモードだった俺はコイッを赤子《あかご》の手をひねるように倒している。
その時のことを、言っているのか。
「キンジっ」
理子は狭い個室の中で、獣じみた動きを見せた。
いきなり、しがみついてきたのだ。
突然のことに、俺は為《な》すすべもなく長イスの上に押し倒されてしまう。
「――理子!?」
「キンジって、ほんっとーにラブに鈍感。まるで、わざと鈍感になろうとしてるみたい。ねぇ……分かってる? これ、もうイベントシーンなんだよ?」
ツーサイドアップに結《ゆ》った理子の長い髪と左右のテールが、俺の頭を覆《おお》うようにして包み込んでいる。
目の前ほんの5センチほどに迫った、理子の童顔。
アリアとはまた違う、バニラのような、アーモンドのような、甘ったるい女の香り。
理子は唇を触れるか触れないかの距離まで俺の頬《ほお》に近づけると、そのまま、耳元に口を寄せてきた。かり。何のっもりか、耳をかじってくる。い、痛い。
「ねえ、キンジい。せっかく高《た》っかい個室とったんだし……ゲームみたいなこと、してもいいんだよ……?」
熱く切ない囁《ささや》きと共に、理子《りこ》は、俺《おれ》に全身をすり寄せてきた。
り、理子。理子って、こんな――色っぽい子だったのか。
探偵科《インケスタ》でそのスジの男どもがコイツを『ロリ顔巨乳』などと呼んでありがたがっていたが、上からのしかかられて、その意味を知ってしまった。
いつも少女趣味なカッコで子供みたいな仕草をしてるクセに、カラダの凹凸《おうとつ》はやたらとハッキリしてて、柔らかくって――
「キンジ。このお部屋でのことは、だあーれにもバレないよ? 白雪《しらゆき》はS研の合宿だし、アリアはもうイギリスに帰つちゃうからね。今夜7時のチャーター便で行くつて話だったけど……んー、もう羽田《はねだ》だよ、きっと。だから……理子といいことしよ? くふふっ」
その誘惑が突然だったせいと、あまりにも意外で心構えができていなかったせいで。
俺は――気がついた時には、体の芯《しん》を熱く、堅く、たぎらせてしまっていた。
ヒステリアモードに――なって、しまっていた。
「――!」
その瞬間、俺の頭の中に閃《ひらめ》くものがあった。
いま理子から聞いた話と過去の事件が、まるで電磁石でも使われたかのように、一本の線で繋《つな》がっていく。
その線は……
ある恐ろしい、取り返しのつかないエンディングにつながっている。
――ヤバい。
ヤバいぞ。
今すぐ、動かなければ!
「ゴメンな――!」
ヒステリアモードの俺が、理子の目の前に手を滑《すべ》り込ませ、パチンッ!
指を、弾《はじ》いて鳴らした。
みゅっ、と理子がまばたきした剃那《せつな》!
「お子様は、そろそろお家《うち》でネンネの時間だろう?」
「あんっ!?」
その小さな体を抱え上げ、くるっ。
俺は体を入れ替え、理子を長イスに横たわらせる。
そして立ち上がると、前髪をかさ上げつつ、部屋を飛び出していた。
ヒステリアモードの、頭で――
5弾 オルメス
どういう刺激を受けるかにもよるが、ヒステリアモードは長くても数十分しか続かない羽田《はねだ》空港の第2ターミナルに着いた頃《ころ》の俺《おれ》は――もう、通常モードに戻っていた。
だが、それでも止まるわけにはいかなかった。
俺の推理が正しければ。
アリアはもうすぐ会ってしまう。会ってしまうのだ。
『武偵殺し』と[#「『武偵殺し』と」に丸傍点]――
空港のチェックインを武偵《ぶてい》手帳にっいた徽章《きしよう》で通り抜け、金属探知機なんかもちろん通らず、ゲートに飛び込む。
アリア。
帰りたければ帰れ。
だが、もう『武偵殺《ぶていごろ》し』と戦ってはいけない。
『武偵殺し』があの兄さんを斃《たお》したのだとしたら――お前1人では、『武偵殺し』には勝てない。絶対に! 兄さんは強かった。
誰《だれ》よりも強かった。そして賢かった。ヒステリアモードの俺より遥《はる》かに、桁違《けたちが》いに。
(アリア――!)
次は、額《ひたい》の傷じゃ済まないぞ!
殺される。
死んでしまうんだ[#「死んでしまうんだ」に丸傍点]、お前は!
俺はボーディングブリッジを突っ切り、今まさにハッチを閉じつつあるANA600便・ボーイング737‐350、ロンドン・ヒースロー空港行きに飛び込んだ。
バタンツ。機内に駆け込んだ俺の背後で、ハッチが閉ざされる。
「――武偵だ! 離陸を中止しろつ!」
目を丸くしている小柄なフライトアテンダントに、武偵徽章を突きつける。
「お、お客様!? 失礼ですが、ど、どういう――」
「説明しているヒマはない! とにかく、この飛行機を止めるんだ!」
アテンダントはビビりまくった顔でこくこくうなずき、2階へと駆けていった。
その後を追いかけたいところだったが、逆に、その場に両膝を《りょうひざ》落としてしまう。強襲科《アサルト》を辞《や》めて体力が落ちていたのが災《わざわ》いした。ここまでの全力疾走で息が切れている。もう、一歩も動けない感じだ。
だが……とりあえずはこれで、離陸を止めることはできただろう。
――そう思った矢先。
ぐらり。
機体が揺れた。
動いて……いる!
「あ、あの……だ、ダメでしたあ。き、規則で、このフェーズでは管制官からの命令でしか離陸を止めることはできないつて、機長が……」
2階から降りてきたアテンダントが、ガタガク震《ふる》えながら俺《おれ》を見ている。
「ば、バッカヤロウ……!」
「う、撃たないでください! ていうかあなた、本当に武偵《ぶてい》なんですか?『止めろだなんて、どこからも連絡もらってないぞ!』って、機長に怒鳴られちゃいましたよぉ」
こ、このバカ……!
どうする。
拳銃《けんじゅう》で脅《おど》してでも、止めさせるか。
いや。ダメだ。今のコイツの話によれば機長は俺を信用していない。今さら脅しても、飛行機を止めることはできないだろう。
窓の外を睨《にら》むと、ANA600便はもう滑走路《かっそうろ》に入ってしまっていた。
今ムリに止めると、滑走路上で他《ほか》の飛行機と衝突する恐れもある。
頭を切り換えろキンジ。もう手遅れだ。
後手に回ってしまったのなら、後手なりの戦い方をしないと失敗する。
――作戦を、変えるしかない。
機体は上空に出て、ベルト着用サインが消えた。
俺は仕方なしにアテンダントを落ち着かせてから……アリアの席、というか個室に案内してもらう。
この飛行機のキャビン・デッキは、普通の旅客機とは明らかに異なる構造をしていた。
1階は広いバーになっていて、2階、中央通路の左右には扉が並んでいる。
これは――この間、ニュースで見たことがあるぞ。
『空飛ぶリゾート』とか言われてた、全席スィートクラスの超豪華旅客機。
座席ではなく高級ホテルのような12の個室を機内に造り、それぞれの部屋にベッドやシャワー室までもを完備した、いわゆるセレブご用達《ようた》しの新型機だ。
「……キ、キンジ!?」
生花で飾り付けられたスィートルームで――アリアが、紅《あか》い目をまん丸に見開いた。
よし。まずは合流できたな。
「……さすがはリアル貴族様だな。これ、チケット、片道20万ぐらいするんだろ?」
ダブルベッドを見ながら言ってやると、アリアは座席から立って俺《おれ》を睨《にら》んできた。
「――断りもなく部屋に押しかけてくるなんて、失礼よっ!」
「お前に、そのセリフを言う権利は無いだろ」
アリアは自分が俺の部屋に押しかけたことを思い出したのだろう。
うぐ、と怒りながらも黙る。
「……なんでついてきたのよ」
「太陽はなんで昇《のぼ》る? 月はなぜ輝く?」
「うるさい! 答えないと風穴あけるわよ!」
セリフをパクられてカッとなったのか――ばっ。アリアはスカートの裾《すそ》に手をやった。
俺は内心安堵《あんど》する。
よかった。帯銃してるんだな。
「武偵《ぶてい》憲章2条。依頼人との契約は絶対守れ」
「……?」
「俺はこう約束した。強襲科《アサルト》に戻ってから最初に起きた事件を、1件だけ、お前と一緒に解決してやる――『武偵殺《ぶていごろ》し』の1件は、まだ解決してないだろ」
「なによ……何もできない、役立たずのくせに――」
がう! と、小さいライオンが吼《ほ》えるようにアリアは犬歯《けんし》を剥《む》いた。
「帰りなさい! あんたのおかげでよ――く分かったの、あたしはやっぱり『独唱曲《アリア》』! あたしのパートナーになれるヤツなんか、世界のどっこにもいないんだわ! だからもう、『武偵殺し』だろうが誰《だれ》だろうが、これからずっと1人で戦うつて決めたのよ!」
「……もうちょっと早く、そう言ってもらいたかったもんだな」
俺は室内にあったもう一つの座席に腰を下ろし、わざとらしく、眼下の街を見た。
「……ロンドンについたらすぐ引き返しなさい。エコノミーのチケットぐらい、手切れ金がわりに買ってあげるからつ。あんたはもう他人! あたしに話しかけないこと!」
「元から他人だろ」
「うるさい! 喋《しゃべ》るの禁止!」
強風の中、ANA600便は東京湾上空に出た。
ふくれっ面《つら》のアリアは腕組み足組みをして座席に座り、ぶっすぅー、と外を眺めている。
俺は――もう、毒を食らわぱ皿までの精神だった。
ロンドンだろうがどこだろうが、飛ぶなら飛べ。こうなれば、今は待ちの一手だ。
「――お客様に、お詫《わ》び申し上げます。当機は台風による乱気流を迂回《うかい》するため、到着が30分ほど遅れることが予測されます――」
機内放送が流れ、600便は少し揺れながら飛ぶ。
揺れ自体は、大したことは無かったのだが……
ガガン! ガガーン!
比較的近くにあった雷雲から、雷の音が聞こえてくる。
ガガガ――ン!!
ひときわ大きな雷鳴が轟《とどろ》くと……アリアは目を丸くして、きゅっ、と首を縮めた。
「怖いのか」
「こ、怖いわけない。バッカみたい。っていうか話しかけないで。耳がイライラするわ」
と言った矢先に、また、ガガーン!
「きゃっ!」
短く悲鳴を上げたアリアを見て、俺《おれ》は苦笑いする。
へえ。双剣双銃《カドラ》のアリア様にも、ニガテなものがあったのか。カミナリとはね。
「雷が苦手なら、ベッドに潜《もぐ》って震《ふる》えてろよ」
「うっ、うるさい」
「チビったりしたら一大事だぞ?」
「バ、バ、バカ!」
ガガガ――ン!!
「――うあ!」
激しく響いた雷の音に、アリアはとうとう座席からジャンプした。
そして、本当にベッドに潜り込んでしまう。
あまりにも今言った通りの展開になったので、俺は……こんな時なのに、笑いがこみ上げてきてしまった。コイツ、もしかしたらホントにチビったかもだぞ。
「アリア!。替えのパンツ持ってるか?」
「バカキンジ! あ、あとで風穴あけてやるから!」
うはは。ガクガク震えてる。
ガガガ――――ン!! ガガガ――――ン!!
運が悪いのか機長がヘタなのか。この飛行機、雷雲の近くを飛んでるな。
「〜〜〜〜〜〜き、キンジぃ〜〜〜〜〜〜」
毛布の中から涙声を上げ、アリアはとうとう席に座る俺の袖《そで》をつかんできた。
「ほ、ほら、怯《おび》えんなって。テレビつけてやるよ」
俺は子供みたいに袖を放《はな》さないアリアにちょっとたじろぎながら、リモコンでテレビをつけ、チャンネルを回していく。最新映画やアニメの映像が切り替わっていき…… 年配の乗客向けに入れられているらしい時代劇のチャンネルで、指を止めた。
『――この桜吹雪《さくらふぶき》、見覚えがねぇとは言わせねえぜ――!』
おっ……これは、俺《おれ》ん家《ち》のご先祖様を描いたチャンバラだな。
名奉行《めいぶぎょう》、遠山《とおやま》の金《さん》さん。
兄さんの説によれば、彼もまたヒステリアモードのDNAを持っていて――露出狂のケがあったのか、もろ肌を脱ぐと急激に知力体力を高めることができる人だったらしい。
「ほら。これでも見て気を紛《まぎ》らわせ」
「う、うん」
話しかけちゃいけないというアリアルールは、どうやら解禁になったようだ。
俺の袖《そで》を握り、ぶるぶる震《ふる》えるその手は小さくて、か弱くて……
今度こそ本当に、ただの女の子の手に思えた。
もし――もしも、だ。
コイツがいま、普通の女の子なのなら。
普段の俺は、ただの、平凡な男子高校生なんだから。
「アリア」
こうやって……震える手に、手を添えてやって。
「キ、キンジ……?」
そう。
普通のクラスメートとして。友達として。
震えを和《やわ》らげてやることぐらいは、できる――
何秒かためらってから、アリアの指が、俺の手を握り返そうとしてきた時……
パン!! パアン!
――音。が、機内に響いた。
今度のそれは雷鳴ではなく、俺たち武偵高《ぶていこう》の生徒がもっと聞き慣れた音――
銃声――!
狭い通路に出るとそこは、大混乱になっていた。
12の個室から出てきた乗客たちと、数人のアテンダント――文字通り老若男女が、不安げな顔でわあわあ騒いでいる。
銃声のした機体前方を見ると、コクピットの扉が開け放《はな》たれている。
「!」
そこにいたのは、さつきの小柄でマヌケなアテンダント。
そいつが、ずる、ずる、と機長と副操縦士を引きずり出してきている。
2人のパイロットは何をされたのか、全く動いていない。
どさ、どさ、と通路の床に2人を投げ捨てたアテンダントを見て、俺《おれ》は慌《あわ》てて拳銃《けんじゅう》を抜いた。
「――動くな!」
俺の声にアテンダントは顔を上げると、にいッ、と、その特徴の無い顔で笑った。
そして1つウィンクをして操縦室に引き返しながら、
「|Attention Please.《お気を付け下さい》でやがります」
ピン、と音を立てて、胸元から取り出したガンを放《ほう》り投げてきた。
俺の足元に転がったそれに、背筋が凍る。
「キンジっ!」
雷の恐怖を押して部屋から出てきたアリアが、悲鳴を上げる。
シユウウウウ……!
音で分かる。
これは――ガス缶だ!
サリン、ソマン、タブン、ホスゲン、ツィタロン|B《べー》。強襲科《アサルト》で習った毒ガスの名前が、頭の中を駆けめぐる。もし強力なヤッだったら、もうアウトだ。
「――みんな部屋に戻れ! ドアを閉めろ!」
自分もアリアを部屋に押し込むようにしながら、叫ぶ。
ばたん、と扉を閉める一瞬前にま飛行機はグラリ、と揺れ。
ばちん、と機内の照明が消え、乗客たちが恐怖に悲鳴を連ねた。
暗闇《くらやみ》はすぐに、赤い非常灯に切り替わった。
「――キンジ!大丈夫!?」
俺の体を心配してくるアリアに顔を上げ、自分で呼吸を確かめる。
息は――できる。目も見える。手足のマヒもない。
一本取られた。どうやら無害なガスだったらしい。
「アリア。あのブザケた喋《しゃべ》り方……あいつが『武偵殺《ぶていごろ》し』だ。やっぱり、出やがった」
「……やっぱり……? あんた、『武偵殺し』が出ることが、分かって――」
赤紫色《カメリア》の目が、まんまるに見開かれる。
俺はヒステリアモードの時に閃《ひらめ》いたあの推理を、伝えることにした。
「『武偵殺し』はバイクジャック、カージャックで事件を始めて――さっき分かったんだが、シージャックで―――ある武偵を仕留めた。そしてそれは、たぶん直接対決だった」
「……どうして」
「そのシージャックだけ、お前が知らなかったからだよ。電波、傍受《ぼうじゅ》してなかったんだろ」
「う、うん」
「『武偵殺《ぶていごろ》し』は電波を出さなかった。つまり、船を遠隔操作する必要が無かったのヤツ自身が、そこにいたからだ」
あの兄さんが逃げ遅れた、というのもそもそもおかしいとは思っていたしな。
「ところが、バイク・自動車・船と大きくなっていった乗り物が、ここで一度小さくなる。俺《おれ》のチャリジャックだ。次がバスジャック」
「……!」
「分かるかアリア。コイツは初めっからメッセージだったんだよ。お前は最初から、ヤツの手のひらの上で踊ってたんだ。ヤツはかなえさんに罪を着せ、お前に宣戦布告した。そして兄――いや、シージャックで殺《や》られた武偵を仕留めたのと同じ3件目で、今、お前と直接対決しようとしてる。この、ハイジャックでな」
推理のニガテなアリアが、ぎり、と悔しさに歯を食いしばる。
そこに――
ポポーンポポボン。ポポーン。ポポーンポポーンポーン……
ベルト着用サインが、注意音と共にワケの分からない点滅をし始めた。
「……和文モールス……」
アリアが呟《つぶや》いたので、俺は揺れる機内でその点滅を解読しようと試みる。
オイデ オイデ イ・ウー ハ テンゴク ダヨ
オイデ オイデ ワタシ ハ イッカイ ノ バー ニ イルヨ
「……誘つてやがる」
「上等よ。風穴あけてやるわ」
アリアは眉《まゆ》をつり上げて、スカートの中から左右の拳銃《けんじゅう》をぞろりと出した。
「一緒に行ってやる。今の俺が役に立つかどうかは、分からないけどな」
「来なくていい」
ガガーン! 再び聞こえた雷鳴に、アリアはキュツと体をこわばらせた。
「どうする」
「……く、来れば」
床に点々と灯《とも》る誘導灯に従って、俺たちは慎重に1階へと降りていく。
1階は――豪奢《ごうしゃ》に飾り立てられたバーになっている。
その、バーのシャンデリアの下。
カウンターに、足を組んで座っている女がいた。さっさのアテンダントだ。
「!?」
拳銃を向けながら、俺たちは眉を寄せる。
彼女は、武偵高《ぶていこう》の制服を着ていた。
それもビラビラな、フリルだらけの改造制服――だ。
バニエで花のように膨《ふく》らませたスカートは、さっさ台場で理子が着ていたもの[#「台場で理子が着ていたもの」に丸傍点]。
「今回も、キレイに引っかかってくれやがりましたねえ」
言いながら……ベリベリッ。
アテンダントはその顔面に被《かぶ》せていた、薄いマスクみたいな特殊メイクを自ら剥《は》いだ。
中から出てきたのは――
「――理子《りこ》!?」
「|Bon soir《こんばんは》」
くいっ、と手にした青いカクテルを飲み、ぱちり、と俺にウィンクをしてきたのは、やっぱり、理子――だった。
この異常な状況に、俺は愕然《がくぜん》とする。
俺と台場《だいば》で別れてから、コイツも――あの改造ベスバでこの飛行機を追っていたというのか? そしてアテンダントに化けて、武偵|徽章《きしょう》を使い――潜《もぐ》り込んだ?
「アタマとカラダで人と戦う才能ってさ、けつこー遺伝するんだよね。武偵高にも、お前たちみたいな遺伝系の天才がけっこういる。でも……お前の一族は特別だよ、オルメス[#「オルメス」に丸傍点]」
理子に言われた単語に、アリアは電流に打たれたように硬直した。
オルメス――?
それが、アリアの『H』家の名なのか?
「あんた……一体……何者……」
眉を寄せたアリアに、にやり、と理子が笑う。
その顔を、窓から入った稲光が《いなびかり》照らした。
「理子・峰《みね》・リュパン4世――それが理子の本当の名前」
……リュパン……?
リュパンつて、あれか。探偵科《インケスタ》の教科書に載ってた、あのフランスの大怪盗。
理子はあの、アルセーヌ・リュパンの……曾孫《ひまご》だっていうのか!?
「でも……家の人間はみんな理子を『理子』とは呼んでくれなかった。お母さまがつけてくれた、このかっわいい名前を。呼び方が、おかしいんだよ」
「おかしい……?」
アリアが、呟《つぶや》く。
「4世。1世。4世。4世さまあー。どいつもこいつも、使用人どもまで……理子をそう呼んでたんだよ。ひっどいよねぇ」
「そ、それがどうしたってのよ……4世の何が悪いってのよ[#「4世の何が悪いってのよ」に丸傍点]」
なぜかハッキリとそう言ったアリアに、理子《りこ》はいきなり目玉をひんむいた。
「――悪いに決まってんだろ!! あたしは数字か[#「あたしは数字か」に丸傍点]!? あたしはただの、DNAかよ!? あたしは理子だ[#「あたしは理子だ」に丸傍点]! 数字じゃない[#「数字じゃない」に丸傍点]! どいつもこいつもよォ!」
突然、キレた理子は! 俺《おれ》たちではない、誰《だれ》かに対して、叫んでいた。
ここではない、どこかに対して怒っていた。
なんだ。なんなんだ、こいつは!
「曾《ひい》お爺《じい》さまを超えなければ、あたしは一生あたしじゃない、『リュパンの曾孫《ひまご》』として扱われる。だからイ・ウーに入って、この力を得た! この力[#「この力」に丸傍点]で、あたしはもぎ取るんだ――あたしをッ!」
何を言ってるのか微塵《みじん》も分からない理子の話を、アリアは深刻な面持《おもも》ちで聞いていた。
「待て、待ってくれ。お前は何を言っているんだ……!? オルメスって何だ、イ・ウーつて何だ、『武偵殺《ぶていごろ》し』は……本当に、お前の仕業《しわざ》だったのかよ!?」
「……『武偵殺し』? ああ。あんなの」
じろ、と、理子がアリアを見る。
「プロローグを兼ねたお遊びよ。本命はオルメス4世[#「4世」に丸傍点]――アリア。お前だ」
その眼《め》はもはや、いつもの理子の眼ではなかった。
獲物を狙《ねら》う、獣の眼だ。
「100年前、曾お爺さま同士の対決は引き分けだった。つまり、オルメス4世を斃《たお》せば、あたしは曾お爺さまを超えたことを証明できる。キンジ……お前もちゃんと、役割を果たせよ?」
獣の眼が、今度は俺に向けられる。
「オルメスの一族にはパートナーが必要なんだ。曾お爺さまと戦った初代オルメスには、優秀なパートナーがいた。だから条件を合わせるために、お前をくっつけてやったんだよ」
「俺とアリアを、お前が……?」
「そっ」
理子は再びいつもの軽い調子に戻って、くふ、と笑った。
コイツ。
このバカ理子を――演じてたのか。今まで。ずっと。
「キンジのチャリに爆弾を仕掛けて、わつかりやすぅーい電波を出してあげたの」
「……あたしが『武偵殺し』の電波を追ってることに気付いてたのね……!」
「そりゃ気付くよおー。あんなに堂々と通信科《コネクト》に出入りしてればねぇー。でも、キンジがあんまり乗り気じゃないみたいだったから……バスジャックで協力させてあげたんだぁ」
「バスジャックも……!?」
「キンジいー。武偵はどんな理由があつても、人に腕時計を預けちやダメだよ? 狂った時間を見たら、バスにチコクしちゃうぞ!?」
腕時計――理子《りこ》が温室で俺《おれ》の腕時計を壊したのは、わざとだったのか。
そしてコィツは修理を口実に時計を持ち帰り、細工を仕込んだ。
そのせいで俺はあの日、7時58分のバスに乗り遅れて――
「何もかも……お前の計画通りだったってワケかよ……!」
「んー。そうでもないよ? 予想外のこともあったもん。チャリジャックで出会わせて、バスジャックでチームも組ませたのに――キンジがアリアとくっつききらなかったのは、計算外だったの。理子がやったお兄さんの話を出すまで動かなかったのは、意外だった」
兄さん。
「……兄さんを、お前が……お前が……!?」
兄さん。
俺の憧《あこが》れで、尊敬の対象だった人。
その兄さんを、コイツが……!
分かる。
頭に、血が上ってきたのが分かる。
これは俺《おれ》の弱点だ。
兄さんのことになると、俺は冷静でいられなくなる――!
「くふ。ほらアリア。パートナーさんが怒ってるよおー? 一緒に戦ってあげなよー!」
理子《りこ》。さすが、怪盗リュパンの4世だな。
ここもまた、お前の筋書き通りってわけかよ……!
「キンジ。いいこと教えてあげる。あのね。あなたのお兄さんは……今、理子の恋人なの」
「いいかげんにしろ!」
「キンジ! 理子はあたしたちを挑発してるわ! 落ち着きなさい!」
「これが落ち着いてられるかよ!」
これ以上、死んだ兄さんを侮辱《ぶじょく》するようなマネは――絶対、許せねえ!
衝動的に、俺がベレッタを握る右手に力を込めた瞬間。
飛行機がまた、ぐらり、と揺れて。
「!」
「おーらら♪」
気がついた時には、俺の手から――ベレッタが消えていた。
がしゃん、がしや……と、虚《うつ》ろな音を立てて、銃は真後ろの床に壊れて散らばっていく。
見えたのは、こっちに小ぶりな拳銃《けんじゅう》――ワルサーP99を構えた理子の笑顔だった。
「ノン、ノン。ダメだよキンジ。今のお前じゃ、戦闘の役には立たない。それにそもそもオルメスの相棒は、戦う相棒じゃないの。パンピーの視点からヒントを与えて、オルメスの能力を引き出す。そういう活躍をしなきゃ」
うっとりとご高説をぶった理子を見て――その隙《すき》に、アリアが動いた。
まるで小さな、獅子《しし》のように。
ばんっ! と床を蹴《け》ったかと思うと、二丁拳銃を構えて襲いかかる。
いける、と判断したのだろう。相手の火器を見て。
常に防弾服を着用している武偵《ぶてい》同士の近接戦では、拳銃弾は一撃必殺の刺突武器になりえない。打撃武器なのだ[#「打撃武器なのだ」に丸傍点]。
となるとモノを言うのは、総弾数となる。
あの広いスカートの中に、弾《たま》が20発でも30発でも入る|UZI《ウージー》を隠し持たれていたら不利だが、ワルサーP99には通常16発までしか入らない。
対するアリアのガバメントは7発。チェンバーにあらかじめ入れておくか、エジェクションポートから手で1発入れておけば、8発まで入る。
これが2丁あるから、最大16発。互角だ。
だが――
「アリア。二丁拳銃が自分だけだと思っちゃダメだよ?」
理子《りこ》はカクテルグラスを投げ捨てると、その手で――
もう一丁、ワルサーP99をスカートから取り出した。
「!」
だが、もう、アリアが止まるワケにはいかない。
バリバリパリッ! という音を上げて、アリアは理子を至近距離から撃ち始めた。
「くッ……このっ!」
「あはっ、あはははっ!」
アリアと理子は至近距離から、拳銃《けんじゅう》でお互いを撃とうとせめぎ合う。
武偵法《ぶていほう》9条。
武偵は如何《いか》なる状況に於《お》いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。
その法を遵守するため、アリアは理子の頭部を狙《ねら》えない。
そして理子も――合わせているつもりか、アリアの頭部を狙わない。
まるで格闘技のように、アリアと理子の手が交差する。
武偵同士の近接拳銃戦は、射撃線を避《よ》け、躱《かわ》し、あるいは相手の脱を自らの腕で弾《はじ》いての戦いだ。
バッ! パパッ!
放《はな》たれる銃弾は、お互いの小柄な体を捕らえず壁に、床に、撃ち込まれていく。
「――はっ!」
弾切《たまぎ》れを起こした次の瞬間、アリアはその両脇《りょうわき》で理子の両腕を抱えた。
2人は抱き合うような姿勢になり、理子の銃撃が止《や》む。
いいぞ! 格闘戦では、アリアの方に分がありそうだ――!
「キンジ!」
アリアに呼ばれるまでもなかった。
ジャキツ――
俺《おれ》は兄の形見のバタフライ・ナイフを、手のひらの中で回転させて開く。
非常灯の下で、刀身が赤く光る。
「そこまでだ理子!」
アリアの背後に突き出た拳銃に注意しつつ、慎重に近づこうとした時――
「双剣双銃《カドラ》――奇遇よね、アリア」
理子が、言った。
「理子とアリアは色んなところが似てる。家系、キュートな姿、それと……2つ名」
「?」
「あたしも同じ名前を持ってるのよ。『双剣双銃《カドラ》の理子』。でもねアリア」
俺の足が、止まった。
その、ありえない、不気味な光景に。本能的に。
なんだ……あれは!?
「アリアの双剣双銃《カドラ》は本物じゃない。お前はまだ知らない。この力[#「この力」に丸傍点]のことを――!」
しゅら……しゅるるっ。
笑う理子《りこ》の、ツーサイドアツプの、テールの片方が――まるで神話にあるメデューサの髪のように、動いて――
シャッ!
背後に隠していたと思われるナィフを握り、アリアに襲いかかった。
「!」
一撃目は、驚きながらも避《よ》けたアリアだったが――
ザシュッ!
反対のテールに握られたもう一本のナイフが、鮮血《せんけつ》を飛び散らせた。
「うあっ!」
アリアが――真後ろに、のけぞる。
側頭部を斬《き》られた。血が、紅《あか》く、紅く、ほとばしる。
「あは……あはは…―曾《ひい》お爺《じい》さま。108年の歳月は、こうも子孫に差を作っちゃうもんなんだね。勝負にならない。コイツ、パートナーどころか、自分の力すら使えてない!
勝てる! 勝てるよ! 理子は今日、理子になれる! あほ、あはは、あははははは!」
また、ワケの分からないことを叫びながら――
理子は髪で押しのけるようにして、アリアを突き飛ばした。
あの髪、よほど怪力なのだろうか。アリアは驚くほど易々《やすやす》と吹っ飛ばされ――ボロ雑巾《ぞうきん》みたいに、俺《おれ》の足元に転がってきた。
「アリア……アリア!」
顔面を真紅《しんく》に染める血に瞼《まぶた》をきつく閉じながらも――アリアは、拳銃《けんじゅう》を放《はな》さずにいた。
理子は――テールで握ったナイフについた血を、べろり。うまそうに、なめる。
ありえない……
アイツはバケモノだ[#「アイツはバケモノだ」に丸傍点]。
とにかくアリアを連れて、逃げなければ!
高笑いしながらの理子の声が、背中にかけられる。
さやははははっ! ――ねえねえ、狭い飛行機の中、どこへ行こうっていうのー?
久々のお姫様抱っこで抱えたアリアは――悲しいほどに、軽かった。
人間というものは、こわばっていたり暴れてたりすると実際より重く感じられる。
アリアは意識が途切れつつあるのか、脱力しきっているのだ。
さっきのスイートルームに逃げ込んだ俺《おれ》は、アリアをベッドに横たわらせた。
血まみれの顔面を、まずは備え付けのタオルで拭《ぬぐ》ってやる。
「う……っ」
うめくアリアのこめかみの上、髪の中には、深い切り傷がついていた。
まずい――側頭動脈をやられてる。
頚動脈《けいどうみゃく》ほどの急所じゃないが、すぐに、血を止めなければ――!
「しっかりしろ……傷は浅い!」
武偵《ぶてい》手帳に挟んであった止血テープで、アリアの傷をとにかく塞《ふさ》ぐ。だが、止血テープとはワセリンで強引に血を止めるだけの、その場しのぎにしかならないモノだ。
それが分かっているのだろう。アリアは、俺の嘘《うそ》を力なく笑って流していた。
「アリア!」
俺は半ばキレ気味に、武偵手帳のペンホルダーに指を突っ込んだ。そこから、『Razzo《ラッツオ》』と書かれた小型の注射器を取り出す。
「ラッツォ――行くぞ!・アレルギーは無いな!?」
「…………な……い……」
ラッツォとは――アドレナリンとモルヒネを組み合わせて凝縮したような、つまりは気付け薬と鎮痛剤を兼ねた復活薬[#「復活薬」に丸傍点]だ。
「ラッツォは心臓に直接打つ薬だ。いいか、これは必要悪だぞ」
前置きすると、俺はアリアの小さな身体《からだ》にまたがるようにベッドに上がった。
そしてそのセーラー服の胸元に、手をかける。
「へ……ヘンなこと……したら、風、穴…‥」
「ああ、風穴あけられるぐらい、元気になってくれよ――!」
俺はブラウスのジッパーを乱暴に下ろし、左右に引き開けた。
「う……」
アリアが、小さく震《ふる》えて――
あの、トランプ柄《がら》の下着が露《あら》わになった。
白磁のような肌。最後の最後まで薄布一枚で守られている、愛らしい、女の子の胸。
どきん、と、俺の胸が跳ねる。
こんな時に不謹慎も甚《はなは》だしい。
でも、ああ、チタショウ。なんでこんなにすみずみまで可愛《かわい》いんだ。コイツ。
「アリア……!」
アリアの白い肌に、震える指を乗せる。
ミニチュアのように小柄な胴に指を這《は》わせ、胸骨《きょうこつ》を探し当てる。
そこから指二本分、上―――そこが心臓だ。ちょうど、フロントホックの辺り。
「き、キンジ……」
「動くな」
「こ…こわい……」
蚊の泣くような声を聞きながら、右手に持った注射器のキャップを口で外す。
「――アリア、聞こえるか! 打つぞ!」
アリアは、答えない。
ピクリとも動かない。
心臓の鼓動が――
止まってる。
アリア!
「――戻ってこい!!」
ぐさッ――!
殴るように、注射針を突き立てた。
迷うと失敗する。だから一思いに、ぎゅっ。薬剤をアリアの心臓にブチ込む。
「――!」
びくん、とアリアが痙攣《けいれん》した。
クスリの激しい威力に、歪《ゆが》む顔。
だがそれすら、今はどういうワケかいとおしく思える。
生きてる。生き返った。その証拠だからだ。
「う……!」
アリアは大きく息を吸い込むと、ぶるぶる震《ふる》えながらその小さな口を聞く。
どうなる……?
甦《よみがえ》ろうとするアリアは……青ざめていた肌をピンクがかったものに戻しつつ、呼吸を次第に強めていく。
そして……
「――っはあ!」
がばっ!
ゾンビ映画みたいに、上半身を起こしてきた。
「って……えっ!? な、な、なな、何!? 何これ! む、胸!?」
だが薬のせいか、アリアの記憶は混乱し、いくらか飛んでいるようだ。
「キ――キンジ! またあんたの仕業《しわざ》ね! こ……こんな胸! なんで見たがるのよ! イヤミのつもりか! 小さいからか! いつまで! たっても! 成長しないからか!
どうせ! 身長だって! 万年142センチよっ!」
混乱状態のアリアは顔どころか全身ゆでダコみたいに真っ赤になって、ブラウスの前を閉じようとした。そして自分の胸に、注射器が突き刺さっていることに気付く。
「ぎゃー!!」
花の女子高生とは思えない悲鳴を上げ、豪快に注射器を引っこ抜くアリア。
「そ、それだアリア! お前は理子《りこ》にやられて、俺《おれ》が、ラッッォで――」
「りこ……理子――ッ!!」
服を乱暴に整えると、アリアはベッドの上から左右の拳銃を《けんじゅう》むしり取った。
そして、鬼の形相のまま、バランスの悪い足取りで部屋を出ていこうとする。
――まずい。
ラッツオは復活薬であると同時に、興奮剤でもある。
クスリが効きやすい体質なのか、アリアは正気を失っているようだ。
自分と理子の、戦力の優劣が判断できていない――!
「待てアリア! マトモにやっても、アイツには勝てないぞ!」
俺はドアの前に立ちふさがり、アリアの左右の拳銃を手のひらごと鷲《わし》づかみにした。
「そんなの関係ない! は、な、せ! あんたなんか、どっかに隠れて震《ふる》えてなさい!」
アリアは俺に両手を握られたまま、牙《きば》のような犬歯《けんし》をむいてわめく。
「し……静かにするんだアリア! これじゃあ、理子に――俺とお前が同じ部屋にいて、チームワークが働いてないことまでバレる!」
「かまわないわ! あたしはどうせ独唱曲《アリア》よ! 理子は1人で片付ける! それにだいたい、そもそも、あんたはあたしのことなんか助けにこなくてよかったのよ!」
俺を睨《にら》むアリアのツリ目は、その紅《あか》い瞳《ひとみ》を激しい興奮に潤《うる》ませていた。
ダメだ。落ち着かせることはできなさそうだ。
「あんた、あたしのことキライなんでしよ!? あんたは言った! 青海《おうみ》に行ったとき! 猫を探しに行く前に! あたし――! 覚えてるんだから!」
ああ、どうすれば黙ってくれるんだ。
アニメ声で叫ぶこの口を、塞《ふさ》がねば。でも、アリアの銃を押さえるこの両手は絶対離せない!。
これを離したら、コイッは俺を撃って、すぐさま部屋を出て行ってしまうだろう。
――これを何とかする方法は――
……無くは、ない。
アリアの弱点を突く、最後の手段[#「最後の手段」に丸傍点]がある。
だがそれをやってしまうと、俺は――
間違いなく、ヒステリアモード[#「ヒステリアモード」に丸傍点]に、なってしまうだろう。
あの、辛《つら》い思い出と共にある、兄さんを破滅させた、ヒステリアモード。
誰《だれ》にも……特に女には見せたくない、自分からは絶対なりたくない、あの自分。
でも……でも!
でも今はもう、背に腹はかえられない!
このままだと、理子《りこ》はまっすぐここにやってきてしまう。いや、もう、扉の前にいるのかもしれない。
俺《おれ》たちが言い争っているのを聞けば、簡単に始末できると踏むだろう。
そしてそれは、おそらく正解で。
銃の無い俺は元より、アリアまで――殺されてしまうんだ――!
「あたしは覚えてる! あんたは、あたしに『大っキライ』って言った! あたし、あの時は普通の顔してたけど――あたし、あんたのこと、パートナー候補だと思ってたのに、『キライ』って言われて――あの時、本当は、胸が、ズキンって―」
ああ、アリア。
――許せ!
「だからもういいのよ! あたしのことキライならいいのよ! あたしのことキラ――」
喚《わめ》くアリアの口を、俺は。
塞《ふさ》いだ。
口で[#「口で」に丸傍点]。
「――!!!」
赤紫色《カメリア》の目を、飛び出させんばかりにして驚くアリア。
恋愛|沙汰《ざた》のニガテなこのチビは、俺の決死のキスに――
思った通り、完全に、固まってくれた。
黙るどころか、両手の先までまるで石化したようにびびんとつっぱっている。
――ああ、そしてこれは、諸刃《もろは》の剣で――
桜の花びらみたいなアリアの唇は、小さくて、柔らかくて……俺のよりもいくらか熱いその唇が種火になって、こっちの全身へと、火炎を広げていくのが分かる。
――ドクン。
体の中心がむくむくと強張《こわば》り、ズキズキと痒《うず》くような、この感覚。
灼《や》けたように熱いそこから、堪《こら》えきれず、何かがほとばしりそうな気さえする。
――凄《すご》い。こんな猛烈なヒステリアモード……生まれて初めて、だ……!
――ぷは!
2人は口を離し、同時に息を継いだ。
長い――キスだったな。お互い硬直してたせいで。
「アリア……許してくれ。こうするしか、なかった」
「……か……か、か、かざ、あにゃ……」
ふら、ふらら、へなへな。
アリアが……その場にへたり込んだ。
「バ、バ、バカキンジ……! あんた、こ、こんな時に……なんてこと、すんのよ……! あたし、あたし、あたし、ふあ、ふぁ……ファーストキス、だったのに……!」
また騒ぎ出すかとも一瞬思ったが、それはなさそうだ。
ノドの奥から出るその涙声は、脱力しきって、かすれている。
「安心していい。俺《おれ》もだよ」
「バカ……! せ、責任……!」
涙目で俺を見上げ、プルプルと小動物のように震《ふる》えるアリアに――
ヒステリアモードの俺は、屈《かか》んで、目線の高さを合わせてやった。
「ああ、どんな責任でも取ってあげるさ。でも――仕事が、先だ」
「……キンジ……! あんた、また……」
俺の声がさっきより遥《はる》かに落ち着き、低くなっていることに気付いたらしい。
アリアは何かを――おそらくチャリジャックの時の事を――思い出したような表情で、目を見開いた。
俺はアリアの、無傷な方の耳元にスッと口元を寄せる。
そして、囁《ささや》きで伝えた。
「武偵《ぶてい》憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ。俺は、アリアを信じる。だからアリアも俺を信じてオトリにしてくれ。いいか。2人で協力して――『武偵殺《ぶていごろ》し』を、逮捕するぞ」
「バッドエンドのお時間ですよー。くふふっ。くふふふっ」
理子《りこ》はどこからか用意したらしい鍵《かざ》で、スィートルームのドアを開けてきた。
そして、ナイフを握る髪の毛を手のように使って扉を押さえつつ――両手に銃を携《たすさ》え、笑いかけてくる。
「もしかしたら仲間割れして自滅しちゃうかなぁーなんて思って待ってたんだけど。そうでもなかったみたいなんで、ここで理子の登場でぇーす。あっ……」
人が変わったように冷静になった俺《おれ》の表情に――気付いたのだろう。
理子《りこ》は実に嬉《うれ》しそうに、左右の拳銃《けんじゅう》とナイフをカチンカチンとぶつけて鳴らした。
「あはっ! アリアと何かしたんだ? よくできたねぇ、こんな状況下で。くふふっ」
コイツ。
知ってるのか。
俺の――ヒステリアモードのトリガーを。
「で? アリアは? まさか死んじゃった?」
髪のナイフでベッドを指しながら、理子が言う。
そこはマクラと毛布を詰めて、人がいるように見せかけているだけの膨《ふく》らみだ。
「さあな」
チラ、と俺が眼《め》だけで横のシャワールームを見ると、理子は目ざとくその視線を追った。
「ああん……そういうキンジ、ステキ。どっきどさする。勢い余って殺しちゃうかも」
「そのつもりで来るといい。そうしなさや、お前が殺される」
低く言った、俺に――
理子はクラツときたような顔をして、拳銃を向けてきた。
「――さいッこー。愛してる、キンジ。見せて――オルメスの、パートナーの力」
引き金を引こうとした、理子に。
俺は、ベッドの脇《わき》に隠しておいた非常用の酸素ボンベを盾《たて》にするように掲《かか》げた。
「――!」
撃てば、爆発する。
俺ごと。そして理子ごと。
それを悟った理子の手が、一瞬、止まる。
一瞬で十分だった。
俺はボンベを投げつけながら、理子に飛びかかろうとする。
ゼロ距離になってしまえば、体格で圧倒でさる。
キンッ! と手のひらの中で音を立て、隠していたバタフライ・ナイフを開く。
「―――!」
理子が眉《まゆ》を寄せた、その瞬間。
ぐらっ!
「うッ!?」
エアポケットにでも落ち込んだのか、飛行機が突然大きく傾いた。
再びのこの悪運は――予測できなかった。ヒステリアモードの俺にも。
足元が大きくブレて、姿勢を崩した俺の目に――
斜めに傾いた部屋の中で、笑う理子のワルサーがこっちの額《ひたい》を狙《ねら》うのが見えた。
そして。
――!
その銃口から鉛弾《なまりだま》が放《はな》たれ、こっちに飛んでくる。のが、視《み》えた。
ああ。これは避《よ》けられない。右にも。左にも。
絶対、避けられない。
それなら[#「それなら」に丸傍点]――
ギイイインッッッ―・
俺《おれ》は、ナイフで――
銃弾を、斬った[#「斬った」に丸傍点]。
……自分でやったことに、驚愕《きょうがく》する。
今回のヒステリアモードは、本当に凄《すさ》まじい。
弾丸斬《だんがんぎ》り。正直、できるかどうか五分五分だと思ったのに。
――左右の壁に、真っ二つになった銃弾が突き刺さる音が聞こえた。
どこか感動を含んだ驚きに、理子《りこ》が眼《め》を見開いた瞬間――俺は、アリアから借りた黒ぃガバメントを抜いて理子に向けていた。
「動くな!」
「アリアを撃つよ!」
体勢的にこっちに銃を向けるのは間に合わないと判断したらしい理子が、シャワールームにワルサーを向けた時。
がたんっ!
天井の荷物入れに、潜《ひそ》んでいたアリアが。
転げ出てさながら、白銀のガバメントで――
ガンガンッ!!
理子の左右のワルサーを、精密に手から弾《はじ》き落とした。
「!!」
さらにアリアは空中で拳銃《けんじゆう》を放し、背中から流星のように日本刀を2本抜く。
「――やっ!」
そして抜刀と同時に、振り返った理子の左右のツインテールを切断する。
ばさっ、ばきっ――
茶色いクセっ毛を結《ゆ》ったテールが、握っていたナイフごと床に落ちる。
「うッ――!」
理子は両手を自分の側頭部にあて、初めて、焦《あせ》ったような声を上げた。
ちゃき、とアリアは刀を納め、流れるような動作で拳銃《けんじゅう》を拾い上げる。
「峰《みね》・理子《りこ》・リュパン4世――」「――殺人未遂の現行犯で逮捕するわ!」
俺《おれ》とアリアが、黒と銀のガバメントを同時に向けると――
理子は……にゃあ―――、と満面の笑みを浮かべて俺とアリアを交互に見た。
「そっかあ。ベッドにいると見せかけて、シャワールームにいると見せかけて――どっちもブラフ。本当はアリアのちっこさを活《い》かして、キャビネットの中に隠してたのかあ……すごおい。ダブルブラフって、よっぽど息が合ってないとできない事なんだけどねぇ」
「不本意ながら一緒に生活してたからな。合わせたくなくても合うさ」
「2人とも、誇りに思っていいよ。理子、ここまで追い詰められたのは初めて」
「追い詰めるも何も、もうチェックメイトよ」
「ぶわあーか」
憎々《にくにく》しげに言うと、理子は髪を……わきわさっと全体的に轟《うごめ》かせた。
その異様な光景に、対応が遅れる。
――髪の中で……何かを操作している!?
「やめろ! 何をしてる!」
俺は理子を捕らえようと、踏み出した。
その、瞬間――
ぐらり!
また機体が大きく、傾いた。急降下、している――!
姿勢を崩したアリアが、壁にぶつかる。
俺も倒れないようにするので精一杯だ。
「ばいばいきーん」
次の瞬間、理子は脱兎《だっと》の如《ごと》くスイートルームから飛び出していた。
おかしいとは思っていた。この飛行機は理子に都合良く[#「理子に都合良く」に丸傍点]揺れすぎている。
アイツは恐らくあの髪の中にコントローラーを隠し、遠隔操作していたのだ。
ANA600便は、台風の雲の中を、恐るべき勢いで降下している。
こんなに高度を下げてどうするつもりだ。
乗客たちの悲鳴を聞きながら廊下を走り、階段を降りると――
理子はバーの片隅《かたすみ》で、窓に背中をつけるようにして立っていた。
「狭い飛行機の中――どこへ行こうっていうんだい、仔《こ》リスちゃん」
さっさの理子のセリフを返してやりながら、俺はガバメントを向ける。
「くふっ。キンジ。それ以上は近づかない方がいいよー?」
にい、と理子が白い歯を見せる。
壁際には理子《りこ》を取り巻くようにして、丸く輪のように粘土状のもの――おそらく、爆薬――が貼《は》り付けられてあった。
「ご存じの通り、『武偵殺し《ワタクシ》』は爆弾使いですから」
俺《おれ》が歩みを止めたのを見て、理子はスカートをちょこんとつまんで少しだけ持ち上げ、慇懃無礼《いんぎんぶれい》にお辞儀《じぎ》してきた。
「ねぇキンジ。この世の天国――イ・ウーに来ない? 1人ぐらいならタンデムできるし、連れていってあげられるから。あのね、イ・ウーには――」
理子はその目つきを鋭くしながら、
「お兄さんも[#「お兄さんも」に丸傍点]、いるよ[#「いるよ」に丸傍点]?」
コイツ。また、兄さんのことを――
「これ以上……怒らせないでくれ。いいか理子。あと一言でも兄さんの事を言われたら、俺は衝動的に9条を破ってしまうかもしれない[#「9条を破ってしまうかもしれない」に丸傍点]んだ。それはお互いに嫌な結末だろう?」
武偵法《ぶていはう》9条。
武偵は如何《いか》なる状況に於《お》いても、その武偵活動中に人を殺害してはならない。
「あ。それはマズいな!。キンジには武偵のままでいてもらわなきゃ」
理子はウィンクしたかと思うと、両腕で自分を抱きしめるような姿勢を取り――
「じゃ、アリアにも伝えといて――あたしたちはいつでも、2人を歓迎するよ?」
ドウッッッッ!!!
いきなり、背後に仕掛けていた炸薬《さくやく》を爆発させた!
「――――!」
壁に、丸く穴が開く。
理子はその穴から機外に飛び出ていった。パラシュートも無しで――
「りつ……」
理子! と叫ぼうとしたが、できない。
室内の空気が一気に引きずり出されるようにして、窓に向かって吹き荒れる。
機内に警報が鳴り響き、天井から酸素マスクが雪崩《なだれ》のように飛び出した。
バーにあった諸々《もろもろ》の物が、窓の穴から吸い出されていく。
紙や布。グラスや酒のビン。そして――俺も――
「――!」
床に据《す》え付けられたスツールにしがみつくと、天井からは自動的に消火剤とシリコンのシートがばらまかれてきた。、トリモチのようなそのシートは空中でべたべたとお互い引っ付き合い、理子が聞けた穴に蜘妹《くも》の巣を張るようにして詰まっていく。
俺《おれ》は手近な窓にしがみつくようにして、外を見た。
僅《わず》かな月明かりの差す、そこには――
くるくるくるっ、と宙を踊るようにして遠ざかる理子《りこ》が見えた。
ばっ。
理子が背中のリボンを解《ほど》くと、あのやたらと布量の多いスカートとブラウスが不格好なパラシュートになっていくのが見える。
最後に見えたのは、下着姿になった理子がこっちに手を振りながら雲間に消えていく姿だった。そうか。機外に脱出するつもりだったから、高度をこんなに下げていたのか。
「――!?」
その、理子と入れ違いに――
この飛行機めがけて、雲間から冗談のような速度で飛来する2つの光があった。
ヒステリアモードの眼《め》が、それを捉《とら》える。
―――そんな。
そんなバカな。
――ミサイル――!?
ドドオオオオオオンツツッ!!
轟音《ごうおん》と共に、今までで一番激しい振動がANA600便を襲った。
突風や落雷とは明らかに違う、機体を巨大なハンマーで2発殴られたような衝撃。
「――!」
俺は必死の思いで窓にしがみつく。
そして、祈るような気持ちで翼の方を見た。
悪夢のような連撃を受けながらも――ANA600便は、何とか持ちこたえていた。
翼は2基ずつある左右のジェットエンジンのうち、内側を1基ずつ破壊されていたが、外側にある残りの2基は無事だ。
血のような煙の帯を引さながらも、辛《かろ》うじて飛んでいる。
さっきの急減圧のせいで、まだ目が眩《くら》む。
だが、急がねばならない。操縦室に。
何とか耐えたとはいえ、ANA600便は急降下を続けているのだ。
機長と副操縦士は、理子に麻酔弾を撃たれたらしく昏倒《こんとう》していた。
「――遅い!」
彼らから取った非接触ICキーで操縦室に入ったところらしいアリアが、やってきた俺に振り返りつつ犬歯《けんし》をむいて叫んでくる。
足元には、あのセグウェイの銃座にも似た妙な機械が転がっていた。これは理子が髪に隠したコントローラーで飛行機を遠隔操縦するために仕掛けていたカラクリを、アリアが外した残骸《ざんがい》のようだった。
アリアはその小さな体をスポッと操縦席に収めると、ハンドル状の操縦桿《そうじゅうかん》を握る。
「アリア――飛行機、操縦できるのか」
「セスナならね。ジェット機なんて飛ばしたことない」
言いながらアリアは、おい、大丈夫なのか、と思うほど大胆に操縦桿を引く。
それに呼応して、ANA600便は目を覚ましたように機首を上げた。
「上下左右に飛ばすくらいは、できるけど」
「着陸は?」
「できないわ」
「――そうか」
機体が、水平になったのが分かる。
豪雨が流れる窓に視線を戻すと、この機体がヒヤッとするほど海面近くを飛んでいたのが分かった。
高度は、300メートルやそこらだろう。危なかった。
俺《おれ》はもう片方の席に入ると無線機を探し当て、インカムからスピーカーに切り替える。
『――31――で応答を。繰り返す――こちら羽田《はねだ》コントロール。ANA600便、緊急通信周波数127・631で応答せよ。繰り返す、127・631だ。応答せよ―』
声が聞こえてきた。俺は計器盤に備え付けられたマイクをONにする。
「――こちら600便だ。当機は先はどハイジャックされたが、今はコントロールを取り戻している。機長と副操縦士が負傷した。現在は来客の武偵《ぶてい》2名が操縦している。俺は遠山《とおやま》キンジ。もう1名は、神崎《かんざき》・H・アリア」
俺の声に、羽田は安堵《あんど》と驚きを混ぜたような声を上げた。
よし。とりあえず管制塔との通信は繋《つな》がった。
俺は続けざまに、さっき機長の腰から拝借しておいた衛星電話を左手で操作する。携帯とよく似たこの電話機は船舶通信などにも使われるもので、人工衛星を介し、およそ地上のどこからでも、どんな速度で飛んでいようと、電話回線に接続できるものだ。
コールを始めると同時に、電話機も、Bluetoothでスピーカーに繋いでおく。
ヒステリアモードはまだ続いている。やるべきことが、順序よく思いつく。
「誰《だれ》に電話してるの」
聞いてきたアリアに、新たにつながった音声がスピーカーから答えてきた。
『もしもし?』
「俺だよ武藤《むとう》。ヘンな番号からですまない」
『キ、キンジか!? いまどこにいる!? お前のカノジョが大変だぞ!』
「カノジョじゃないが、アリアなら隣にいるよ」
武藤剛気《むとうごうき》。車輌科《ロジ》の優等生。
コイツとの腐《くさ》れ縁《えん》が役に立つ時が来たようだな。
『ちょ……お前! 何やってんだよ……!』
「か……かの、かの!?」
自分がカノジョ扱いされてることに、アリアはばばぼばぼ、とまた赤面癖を発揮《はっき》した。
何か不平を言い出しそうだったので――つ、とアリアの唇に人差し指を当てて止める。
「……っ!」
アリアはますます真っ赤になっていくが、とりあえず硬直して黙ってくれた。
「――武藤。ハイジャックの事、よく知ってたな。報道されてるのか」
『とっくに大ニュースだぜ。客の誰《だれ》かが機内電話で通報でもしたんだろ。乗客名簿はすぐに通信科《コネクト》が周知してな。アリアの名前があったってんで、今みんなで教室に集まってたとこだよ』
――俺《おれ》は、羽田《はねだ》コントロールと武藤に状況を手短に伝えた。機がハイジャックされ、犯人が逃亡したこと。ミサイルをぶちこまれ、エンジンが2基破壊されたこと。
『……ANA600便、まずは安心しろ。そのB737―350は最新技術の結晶だ。残りのエンジンが2基でも問題なく飛べるし、どんな悪天候でもその長所は変わらない』
羽田コントロールの声に、アリアが少しホッとした表情になる。
『それよりキンジ。破壊されたのは内側の2基だって言ったな。燃料計の数字を教えろ。EICAS《アイキャス》――中央から少し上についてる四角い画面で、2行4列に並んだ丸いメーターの下に、Fuel《フュエル》と書かれた3つのメモリがある。その真ん中、Total《トータル》つてヤツの数値だ』
さすが乗り物オタク。武藤の声はまるで計器盤が見えているかのようだった。
「数字は――今、540になった。どうも少しずつ減ってるようだ。今、535」
俺の応答に、武藤が舌打ちするのが聞こえてきた。
『くそったれ……盛大に漏れてるぞ』
「燃料漏れ……!? と、止める方法を教えなさいよ!」
アリアがヒステリックな声を上げると、しばらくの間《ま》の後――
『方法は無い。分かりやすく言うと、B737‐350の機体側のエンジンは燃料系の門も兼ねてるんだ。そこを壊されると、どこを閉じても漏出《ろうしゅつ》を止められない』
「あ、あとどのくらいもつの」
『残量はともかく、漏出のペースが早い。言いたかないが……15分ってとこだ』
「さすがは先端技術の結晶だな」
俺は一言、羽田コントロールにグチってやる。
『キンジ、さっき通信科《コネクト》に聞いたがその飛行機はそもそも相模湾上空をうろうろ飛んでたらしい。今は浦賀《うらが》水道上空だ――羽田《はねだ》に引き返せ。距離的に、そこしかない』
「元からそのつもりよ」
アリアが武藤《むとう》に返す。
『……ANA600便、操縦はどうしているのだ。自動操縦は決して切らないようにしろ』
「自動操縦なんて、とっくに破壊されてるわ。今はあたしが操縦してる」
アリアが眼《め》で示した計器盤の一部ではAutopilot《オートパイロット》と書かれたランプが赤く点滅し、点滅と同じテンポで警告音が鳴り続けていた。
詳しくは分からないが、まあ、そういうことなのだろう。
「――というわけで、着陸の方法を教えてもらいたいんだが」
羽田に尋《たず》ねると、
『……すぐに素人《しろうと》ができるようになるものでもないのだが……現在、近接する航空機との緊急通信を準備している。同型機のキャリアが長い機長を探して――』
「時間がない。近接する全《すべ》ての航空機との通信を同時に開いて欲しい。できるか?」
『い、いや、それは可能だが……どうするつもりだ』
「彼らに手分けさせて、着陸の方法を一度に言わせるんだ。武藤も手伝ってくれ」
『一度にってキンジお前、聖徳太子《しょうとくたいし》じゃねーんだから……!』
「できるんだよ、今の俺には[#「今の俺には」に丸傍点]。すぐにやってくれないか。なにせもう、時間がなくてね」
アリアが、驚きの眼差《まなざ》しでこっちを見ているのが分かる。
何か言い出しそうだったのでウィンクで黙らせて、俺《おれ》は正面に視線を戻した。
雲の下――暴風雨の吹き荒れる眼前には、黒い海の向こうに東京圏の光が見えていた。
俺たちはあそこに向かって、突っ込むような形で飛んでいるのだ。
一気に喋《しやべ》る11人の言葉から、着陸の方法はすぐに理解できた。
今は計器も読める。
現在の高度は1000フィート―およそ300メートル。
これは何をどう考えても危険な高度だが、あと10分しか飛べない俺たちは燃料を1滴たりともムダにできないので、1メートルも上げられない。
横須賀《よこすか》上空にさしかかった辺りで――
『ANA600便。こちらは防衛省、航空管理局だ』
羽田からのスピーカーから野太い声が聞こえてきて、俺とアリアは顔を見合わせた。
防衛省……?
『羽田空港の使用は許可しない。空港は現在、自衛隊により封鎖中だ』
『何言つてやがんだ!』
叫んだのは俺でもアリアでもなく、武藤だった。
『誰《だれ》だ』
『俺《おれ》あ武藤剛気《むとうごうき》、武偵《ぶてい》だ! 600便は燃料漏れを起こしてる! 飛べて、あと10分なんだよ! 代替着陸《ダイパード》なんてどっこにもできねえ、羽田《はねだ》しかねうんだ!』
『武藤武偵。私に怒鳴ったところでムダだぞ。これは防衛大臣による命令なのだ』
――不穏な気配に、横へ振り向く。
俺につられて窓の外を見たアリアが、息を呑《の》むのが分かった。
ANA600便のすぐ脇《わき》に――F‐15Jイーグル――
航空自衛隊の戦闘機が、ピッタリつけてきている。
「おい防衛省。窓の外にあんたのお友達が見えるんだが」
『……それは誘導機だ。誘導に従い、海上に出て千葉方面へ向かえ。安全な着陸地まで誘導する』
言われて、アリアが操縦桿《そうじゅうかん》を右―海上に傾けようとした。
俺は羽田との回線を切りつつ、アリアの手を上から握って止める。
「……海に出るなアリア。アイツは嘘《うそ》をついている」
「?」
「防衛省は俺たちが無事に着陸できるとは思ってないんだよ。海に出たら、撃墜される」
「そ、そんな……! この飛行機には一般市民も乗ってるのよ!?」
「東京に突っ込まれたら大惨事だからな。背に腹はかえられないつてことさ」
アリアの手を握ったまま、左に押して――横浜方面へと、舵《かじ》を取らせる。
「キ……キンジ?」
指先を少しこわばらせながら、アリアが不安げに……頼るように、俺を見上げた。
「向こうがその気なら、こっちも人質を取る。アリア、地上を飛ぶんだ」
ANA600億は横浜のみなとみらいを飛び越え、東京都に入った。
燃料は、あと7分。
「で、どこに着陸するつもりよキンジ。都内に他《ほか》の滑走路《かっそうろ》なんてないじやない」
「武藤。滑走路には、どのくらいの長さが必要だ?」
『エンジン2基のB737!350なら……まあ、2450mは必要だろうな』
「……そこの風速は分かるか?」
『風速? レキ、学園島の風速は』
『私の体感では、5分前に南南東の風・風速41・02m」
狙撃科《スナイプ》のレキの声が、少し遠くから聞こえる。
「じゃあ武藤。風速41mに向かって着陸すると、滑走距離は何mになる?」
『……まあ……2050ってとこだ』
「――ギリギリだな」
低く呟《つぶや》いた俺《おれ》に、アリアも、武藤《むとう》も、一瞬黙る。
「ど、どこに降りるつもりなのよ。東京にそんな直線道路、ないわ」
「武偵高《ぶていこう》の人工浮島《メガフロート》の形を覚えてるか。南北2キロ、東西500メートルの長方形だ。対角線を使えば2061メートルまで取れる」
『お、おい……』
「安心しろ武藤。『学園島』に突っ込むわけじゃない」
『……?』
「『空き地島[#「空き地島」に丸傍点]』の方だ。レインボーブリッジを挟んで北側に、同じ人工浮島があるだろ」
『……お、おい。お前つてヤツは……何でそんなトンデモねぇ事を思いついちまうんだ?そこにいるのは、ホントにキンジか?』
「ははっ……ここにいるのは誰《だれ》だい? アリア」
「なっ、なによそれ」
「答えてごらん?」
こんな時にアリアをイジってる場合か、ヒステリアモードの俺よ。
と自分で内心ツッコむ俺に、しかしアリアは、かぁああ。またその赤面癖を発揮《はっき》した。
そしてその吊り目をわぁ、と見開いて、何かツッコミのセリフを出そうとする。
だが――今は俺がこの場をリードしているリーダーだと悟ったのだろう。
気高《けだか》いお嬢様は、ぷいっとそっぽを向くと……
「キンジ」
子供が大人の軍門《ぐんもん》に下る時のような態度で、ぶあいそに言った。
「と、そういうことらしいぜ武藤。残念ながらな」
すぐ眼下に、渋谷《しぶや》、そして原宿《はらじゅく》の夜景が流れていく。
街のみんなはビックリしてるんだろうな。
『……人工浮島に……か。理論的には、可能だろうけどよ』
武藤が、溜息《ためいき》混じりに返してきた。
固かったアリアの表情が、ぱ、と明るくなる。
『でもなキンジ。あそこはホンっトーにただの浮島だ。誘導装置どころか誘導灯すら無い。どんな飛行機であれ、最低の最悪でも誘導灯が無いと夜間着陸はできないんだ。しかも視界は豪雨で最悪、おまけに暴風と来てる。そこに手動着陸なんて――』
「じゃあ着陸は断念して、俺と心中するか、アリア?」
武藤のお小言を遮《さえぎ》ってアリアに振ると、
「あ、あんたと心中なんか死んでもお断り」
なんだか矛盾したようなことを言いながら、ベー、とちっこいベロを出してくる。
「はは。嬉《うれ》しいことが起きた。初めてアリアと意見が合ったよ」
「なにそれ?」
「俺《おれ》も――心中なんてお断りだからさ。アリアを、死なせたくない」
そう言うと、アリアは『もう〜! なんでそういうこと言うかな!』といったカンジで顔を伏せ、また、むぅうううと赤くなる。
「というわけで武藤《むとう》、当機はこれより着陸準備に入る」
『待て、待てキンジ、「空き地島」は雨で濡《ぬ》れてる! 2050じゃ停止できねえぞ!』
「それはなんとかするよ。俺を信じろ」
『……か……勝手にしやがれ! しくじったら轢《ひ》いてやるからな!』
叫ぶと、武藤はキレたのか――教室のみんなに何やちわーわーと怒鳴り、電話を切ってしまった。
新宿《しんじゅく》のビル群をかすめるように、ANA600便は大きく右旋回を始めた。
あと、3分。
短い滑走路《かっそうろ》に着陸するためには減速しなければならなかったこともあり、600便は苛《いら》立《だ》たしいほど悠然と東京ドームを飛び越え、東京駅、銀座と豪雨の街を渡っていく。
「アリア。この飛行機は東京タワーより低く飛んでる。間違ってもぶつけないでくれよ」
「バカにしないで」
車輪を出すと、アリアは操縦のメインを俺の副操縦席に渡した。
さあ、東京湾が見えてきた。
人工浮島《メガフロート》も、もう、見えていいハズだ――
――が
ヒステリアモードの頭が、すぐ、結論[#「結論」に丸傍点]を出せてしまう。
ここまで何とか頑張ってはきたが……
着陸は――不可能[#「不可能」に丸傍点]だ。
『空き地島』が、まるで見えないのだ。
武藤が言った通り、汐留《しおどめ》を境《さかい》に、東京湾は暗闇《くらやみ》に包まれている。
誘導灯も何もないのだからムリもない。分かっていたことだが、ここまでとは。
これでは、着陸すべき角度も、高度も、全く分からない。
こんな状況じゃあ、たとえベテランのパイロットでも惨事は免《まぬが》れないだろう。
では、どう被害が少ないように墜落させるかだ――と、俺がやむなく頭を切り替えようとしたとさ――第六感でそれを察したのか、アリアが、言った。
「キンジ。大丈夫。あんたにならできる。できなきゃいけないのよ。武偵《ぶてい》をやめたいなら、武偵のまま死んだら負けよ。それに、あたしだってまだ――ママを助けてない!!」
アリアの言葉の、途中で……まるで、魔法のように……
「あたしたちはまだ死ねないのよ! こんなところで、死ぬわけがないわ!」
キラ……キラ、キラ、キラ……と。
ベイブリッジの手前にある、『空き地鳥』の上に光が見え始めた……!
『キンジ! 見えてるかバカヤロウ!』
武藤《むとう》の電話回線が復活し、ビシャビシャという大雨の音と共に声が聞こえてきた。
「武藤!?」
『お前が死ぬと、白《しら》ゆ……いや、泣く人がいるからよォ!! オレ、車輌科《ロジ》で一番でかいモーターボートをパクっちまったんだぞ! 装備科《アルムド》の懐中電灯《マグライト》も、みんなで無許可で持ち出してきたんだ! 全員分の反省文、後でお前が書け!!』その言葉に続けて、俺《おれ》と武藤の電話回線に3者間通話、4者聞通話……と、割り込んでくる回線があった。
『――キンジ!』『機体が見えてるぞ!!』『あと少しだ!』『もう少し頑張りやがれッ!』
ヒステリアモードの俺には、分かる。
この、声。
こいつら。
俺とアリアが、バスジャックから助けたヤツらじゃないか――!
あいつらは学園島から空き地島に渡り、誘導灯を作ってくれているのだ!
――武偵《ぶてい》憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ――
俺は高度を丁寧に下げていく。ヤツらが示してくれた、平面まで――!
ザシャアアアアアアアア――――――!!
ANA600便は、雨の人工浮島《メガフロート》に強行着陸を敢行する。
目玉が飛び出てしまいそうなくらいの振動の中で、アリアが逆噴射をかける。
「止まれ、止まれ、とまれとまれとまれぇ――!っ!!」
甲高《かんだか》いアリアのアニメ声に合わせて、
「いくぞ――!」
俺は地上走行用のステアリングホイルを素早く操作して、機体をカーブさせた。
雨の滑走路《かっそうろ》、2050mでは止まりきれない。
それは武藤の言うとおりだ。
だが、手はある。
俺はもう、そのつもりで人工浮島に突っ込んでいるんだ――
迫ってくる。
風力発電の、
風車の、柱が――
ガスンンンンンンツツ!!
翼に風車の柱をブチ当て、引っかけて、600便はグルリとその機体を回すように滑《すべ》らせながら――
俺《おれ》とアリアは、操縦室の中でまるで洗濯機の中の服みたいにもみくちゃになって――
……
「う……つ。ッてぇ……」
……クチナシの‥‥‥香り。
ああ、そうだ。これはアリアの香り。
俺は全身がバキバキに痛むのを感じながら……目を、開けていった。
窓の外に、レインボーブリッジが見える。ANA600便は――停止、していた。
何もかもギリギリだったが、まあ、なんとか、なったわけだ。
だが……なにやら身動きが取れない。
その時点でだいたいオチは予測できたのだが……ひしゃげた副操縦席に座る俺は、アリアにのしかかられていた。
アリアは気を失っていて、俺の脇腹《わきばら》を両脚《りょうあし》ではさみ、両腕を俺の左右の肩に乗せ、その見目麗《みめうるわ》しいお顔を俺の頭に乗っけていた。
「はは……っ」
また、コイツを、抱っこしている。
ソーッとその胸元を見るが……大丈夫。ブラウスはめくれあがっていない。
今回は、撃たれずに済みそうだな。
と思ったのも束《っか》の間《ま》、その代わりにアリアのスカートは派手にめくれ上がっていて――
「……!」
俺は、慌《あわ》てて視線を逸《そ》らした。
そして下を見ないように、アリアに気付かれないように……
手だけで、そーっと、スカートを整えてやる。
これで、よし。
上[#「上」に丸傍点]で殺されかけて生き延びたんだ。下[#「下」に丸傍点]で、改めて殺されたらたまらない。
――だろ?
最終弾 |La bamabina dal'ARIA《空から女の子が》
まずはとにかく病院で泥のように眠り、目が覚めたら何もかも夢だった。
というオチを期待していたんだがそうじゃないみたいだ。なぜなら体があちこち痛い。
全身12カ所に打撲傷・擦過傷《さっかしよう》・捻挫《ねんざ》とくれぼそりゃ痛いよな。これが、マンガや映画のようにはいかない現実ってヤツだ。
今は――
静かな俺《おれ》の部屋のベランダから、東京の夜景が見えている。
『空き地鳥』の風力発電機は一本ひんまがり、その下では解体前のB737-350がぐってりしている。
あー。自分の好きな景色を、自分でちょっと壊しちまったな。
「東京で――こんなキレイな星空、見えるとは思わなかったわ」
「台風一過ってヤツだな」
アリアと俺は満天の星空の下、ベランダで語り合っていた。
今日は警察の事情聴取やらテレビの取材やらで大変だったが……この時間になってようやく、なんとかこの部屋に戻ってこられた。
なんでか、アリアがついてきてしまっているんだが。
「ママの……公判が、延びたわ」
空き地島に視線を向けながら、アリアが言う。
「今回の件で『武偵殺《ぶていごろ》し』が冤罪《えんざい》だつたって証明できたから……弁護士の話では、最高裁、年単位で延期になるんだって」
「そうか」
おめでとう、という空気でもないので、俺は一応それだけ返す。
アリアは翼の祈れたB737を見てから、くい、と俺の方を向いた。
「ねえ。あんた、なんで……あの飛行機に、あたしを助けにきたの?」
……なんで、って。
そんな。
俺にも分からないこと、聞くな。
「……まあ、バカのお前じゃ、『武偵殺し』には勝てないと思ったからだよ」
「あ、あのぐらい……あたし1人でもなんとかできた。バカはそっちよ」
「そうだな。お前みたいなバカを助けた俺は、バカなのかもなあ」
俺はベランダの柵《さく》に肘《ひじ》をついて、深ぁーい溜息《ためいき》をついた。
するとアリアはその大きな瞳《ひとみ》をまばたかせて、少し言いよどんでから……
「ゴメン、いまのウソ」
「どれが」
「1人でもなんとかできた、って言ったこと」
ため息混じりに言うと、アリアは珍しくもじもじとした喋《しゃべ》り方になった。
「あのさ。空で……あたし、分かったんだ。なんであたしに『パートナー』が必要なのか。自分1人じゃ解決できないこともある。あんたがいなかったら、きっと、あたし……」
「……」
「――だから今日はね、お別れを言いにきたの」
「……お別れ?」
「やっぱり、パートナーを探しに行くわ。ホントは……あんただったらよかったんだけど。でも、約束だから」
「約束?」
「1回だけ、って約束したでしょ」
「あ、ああ……」
そういえば、そうだった。
俺《おれ》が強襲科《アサルト》に戻り、アリアと組むのは――1回だけ。
武偵殺《ぶていごろ》しの件が、片付くまで。
「武偵憲章2条。依頼人との契約は絶対守れ。だから、もう追わないよ」
アリアは……もじり、もじり、と。
言おうが言うまいか何度か迷ってから、また改めて、俺をまっすぐ見つめてきた。
「……キンジ。あんたは立派な武偵よ。だからあたし、今はあんたの意思を尊重するし、もう……ドレイなんて呼ばない。だから……もし、気が変わったら……その、もう一度、会いに来て。その時は今度こそ――あたしの、パートナーに……」
まだ諦《あきら》めきれないらしいアリアの申し出に、俺は――
「……悪い」
と、つい目を逸《そ》らしながら言っていた。
俺は、武偵になる気はない。
兄さんのことも、あるし――
それに正直、今回みたいな危険な目に遭《あ》うのはもうこりごりだ。
「い、いいのよ。あんたにその気がないのなら。ほら、あたし……どうせまだまだ、独唱曲《アリア》だから。いま言ったこと、忘れて」
そう言うとアリアは俺に背を向け、少し冷えたのが室内に戻る。
「――あーあ! 東京の4ヶ月、ほんっと最悪だったわ! パートナ―は結局できなかったし、頭にはケガするし、UFOキャッチはうまくいかなかったし!」
ヤケクソ気味に言うアリアに、俺《おれ》は……
最後ぐらいは明るく見送ってやろうと思って、室内に入って作り笑いを見せた。
「次……があったら、UFOキャッチャーのコツを教えてやるよ。でもなあー。あれは、ターゲットを見極《みきわ》めるセンスが必要だからなあ」
「なによぅ。あたしにセンスが無いっていうの?」
ぷん! と両手を腰にあてて俺を見上げてきたアリアが、犬歯《けんし》をむく。
「侮辱《ぶじょく》したら風穴あけてやるがら! 10個……ううん、いっぱい!
べぇ、とベロを出してから、アリアは笑う。
俺もつられて笑った。
何がおかしいのか分からないが、俺たちはそのまま、あはは、ははは、と一緒に笑うのだつた。
玄関までアリアを送り、脱ぎ散らかしていた靴をアリアがはくのを見守る。
「あっ、もうこんな時間? ……急がなきゃ」
「約束でもあるのか」
「うん。お迎えが来るのよ。あんなこともあったし……ロンドン武偵局が《ぶていきょく》、東京に置いてあるヘリで送ってくれるんだって」
ロンドン武偵局。
そこは、アリアが武偵として活躍していた場所だ。
「ママが捕まる前、あたし、あそこで派手に働いちやってるからさぁ。あいつら、早く帰ってこいってうるさいのよ。自分たちの無能を棚に上げてね。でもまぁ……これを機に、いっぺん帰って態勢を立て直すことにしたの」
「帰る……ロンドンに、か」
「うん。ヘリでイギリス海軍の空母《くうぼ》まで行って、そこから艦載ジェット機でぴょんよ」
軍の空母……かよ。スケールでかいな。さすがは貴族だ。
「……見つかるといいな。お前の、パートナー」
「きっと見つかるわ。あんたのおかげで、『世界のどこにもいない』ってワケじゃないことが分かったし」
「そっか……そうだな。じゃあな。がんばれよ」
「うん。バイバイ」
アリアはあっさりとドアを開き……外に出て。
俺はそれを止めることもなく。
扉は、再び閉まった。
これにて、一件落着……か。
………………。
「……?」
アリアの足音が、しない。
出て行ったからには、エレベーターなり階段なりに行かないといけないのだが。
ちょっと不審に思って、覗《のぞ》き穴からドアの外を見ると
「……ひっく……ひっく……えぐっ……うぅ……」
アリアが、扉の前で泣いていた。
「やだよ……イヤだよキンジ……いないよ……あんたみたいなヤツ……絶対……いない。もう、見つかりっこない……よ……」
ぽろぽろ流れる涙を手の甲で必死に拭《ぬぐ》うアリアは、そんなことを呟《つぶや》いていた。
……アリア。
どうして……泣くんだ。
お前、さっき、笑ってたじゃないか。
あんなに前向きに、笑ったじゃないか。
なのにどうして。
どうして泣くんだよ………
アリア。
結局、あの扉を開くことはできなかった。
それは……俺《おれ》の人生を変えてしまうことのような気がしたから。
俺はソファーに深く身を沈めて、額《ひたい》を押さえる。
見なかったことにするんだ。あの、アリアの涙は。
そうすれば何もかも、これで終わる。
そうだよキンジ。よく思い出してみろ。あんなヤツそもそも、いたらうるさいし面倒事ばかり持ち込む疫病神なんだ。いなくなってよかったじゃないか。
さあキンジ。机の引き出しを開けろ。武偵高《ぶていこう》からの転出申請の書類を手に取れ。そう。それでいい。最近は忙しくて持っていけなかったが、こいつを今すぐ、教務科のポストに入れにいこうじやないか。
そして――これからは普通の高校に通い、普通の大学に進学するんだ。サラリーマンにでもなって、思い描いた通りの平凡な人生を送ろうじゃないか。
そう……思えば思うほど……
アリアのことが、頭の中、胸の内に広まってしまう。
アリア。アリア。台風みたいにいきなり現れて、俺の日常をめちゃくちゃにして、また、風のように去っていったアリア。
……なんだつたんだよ、アイツは。
アイツがいなくなって、せいせいすると思ってたのに
なんで俺《おれ》は、こんなに沈んでるんだ。
ちっこカワイであいつの涙に、ほだされたつてのか? 俺が? バカじゃねーの。
机の上の携帯についたレオポンが――、なぜか、泣いているように見えた。
「ちくしよう。キンジ……お前、いま何を考えてる。やめろ。やめろって」
自分に、言う。
勇猛果敢に戦うアリアは……小さなライオンのような子だと、何度か思った。
でも、あいつはライオンなんかじゃない。
迷子の、子猫なんだ。
家から出てきて、どこへ行けばいいのか分からず、誰《だれ》も味方してくれなくて、カラスや野良犬《のらいぬ》と血だらけになって戦って。もうどうしていいか分からなくて、ドブに浮かぶゴミ箱でにゃあにゃあ鳴いてた……
あの、子猫なんだ。
「アリア……」
俺は、レオポンをぎゅっと握りしめた。
アリアが自分の母親――かなえさんを助けたいのなら、『武偵殺《ぶていごろ》し」だけじゃなく他《ほか》の敵とも戦わなきゃいけないんだろう。
このゴミ箱みたいな世界で、戦って、戦って、傷ついて……アリア。
それでいいのかよ。
あいつは最後まで、自分を『独唱曲《アリア》』だと言っていた。
それでいいのかよ。アリア。
半人前のお前が、オルメス家の不良品のお前が――
『独《そ》唱曲《れ》』で、いいのかよ―・
「いいわけねえんだ。分かってるんだろ、キンジ」
俺も――あいつと同じ、遠山《とおやま》家の欠陥品。
正義の味方になんか、なれない。
でも……でも。
――あいつの味方[#「あいつの味方」に丸傍点]ぐらいになら、なれるかもしれない。
ふわ……と。
アリアの残り香が、部屋に少しだけ香った。
クチナシのような、あの甘い、甘い、甘い香りが。
「甘いな……甘いよ。キンジ、お前は本当に……大甘ヤロウだ! ちっくしよう!」
独り言すると、俺《おれ》は転出申請の書類を――びりびりっ。
真っ二つに、引き裂いちまっていた。
アリアが俺の部屋を出てから、30分は経《た》っていた。
この時間はバスもない。チャリも物故《ぶっこ》した。だから大甘ヤロウの俺は全速力で走って、走って、武偵高のヘリポートがある女子寮に躯けつける。
ヘリは――あれに間違いない――屋上に、停まっていた。
ローター翼が回っている。今すくにでも、飛び立ってしまいそうな雰囲気《ふんいき》だ。
最低最悪に間が悪く、エレベーターは点検中で止まっていた。
俺は非常階段に駆け込んで、とにかく屋上を目指す。
南端の男子寮から、北端の女子寮まで、ほとんどぶっ通しで走ってきた。さらに階段を駆け上がって、もう心臓はパンク寸前。あいつはホントに俺をよく走らせるヤツだな。
汗が、流れる。息切れする俺の呼吸を 強い風がさらに乱してくる。
でも、止まっちやいけない。
止まつちゃいけないんだ。
武偵なんてイヤだ。武偵高もイヤだ。女もイヤだ。ヒステリアモードだってイヤだ。その思いは、変わらない。
でも、あの……ちびアリアの涙を無視しちまうような、くそったれヤロウに成り下がるのは――もっとイヤなんだよ!
転出の申請期間は、まだ半年ある。破いた書類は、その間にまた書き直してやるさ。
でも、まあ、それまでの間、もう少しだけ――
もう少しだけ、走ってやるよ!
ばん!
と蹴《け》り開けたドアの向こうでは――一足遅く――ヘリがちょうど、轟音《ごうおん》と共に10mほど屋上から飛び上がってしまっていたところだった。
「アリア!!」
叫ぶ。
もう、何も考えずに。
叫ぶ!
「アリア! アリア――――っ!!」
息切れするノドで。
そのノドが張り裂けそうなはどに、叫ぶ。
人生最大の大声で、叫ぶ!
「アリア―――っ!!」
ヘリの回転翼から吹き下ろしてくる突風に、髪が乱れる。
はぎ取られそうな勢いで、服が、スボンが、ハタハタと風に音を立てて震《ふる》える。
ヘリの音で、俺《おれ》の声は聞こえてなんかいないだろう。
でも、叫ばずにはいられないんだ!
――アリア! アリア! アリア――!
がらん!
ヘリのスライド扉が、ビックリするほど勢いよく開いて。
「バカキンジ! 遅い!」
そこから顔を出したアリアが、なんと、そのまま――!
ヘリの縁《ふち》にワイヤーを括《くく》り付けて、強風の中を飛び降りてきた!
「ちょッ……おまっ!」
ワイヤーで減速したとはいえ、アリアの速度ほほとんと自由落下ってカンジだ。
慌てた操縦手がミスったのか、ヘリはふらつき……アリアは振り子のように流された。
「――うっ? あ、あれリ? あれれ!?」
「……お、おい! ちよっ……!」
アリアをキャッチしようと後退すると、がしゃ。
俺の背中が、屋上の金網についた。
とうとうワイヤーを切り離し、俺めがけて斜めに落っこちてきたアリアに――
――空から女の子が降ってくると思うか?――
――真っ青になった次の瞬間。
「――!」
がっしゃあああん!
俺はアリアにしがみつかれた衝撃で、背中で金網を思いっきりひしゃげさせてしまった。
まるでジャンプ台みたいに斜めになった金網から、滑《すべ》り落ちるようにして屋上に戻る。
よかった。一歩間違えてたら転落してたぞ。
「お……お前なあ!」
「アリア《Aria》! 何をやってるんだ《What're you doin'》!」
俺の叫びに続けるようにして、ヘリから白人が叫んでいるのが見えた。
ロンドン武偵局《ぶていきょく》の、役人だろう。
「ベー」
ヘリが作る下降気流にツインテールを盛大にはためかせながら、アリアは空に向かってアカンベーなんかをしている。
それに、怒ったのが。
ヘリからは武偵局の役人が、何人かワイヤーを使って屋上に降りてきてしまう。
ロンドン武偵局《ぶていきょく》。あいつらはアリアを取り戻したがっていた。イギリスに連れ帰って、こき使いたがっていた。
いったん戻ると言ったアリアに脱走されて、慌《あわ》てているのだろう。
それにしても……マズい。
人数が違いすぎる。このままじゃアリアを連れ戻される。
なんとかしないと……!
だが、今の俺《おれ》に、ヒステリアモードじゃない俺に、できることなんて……
いや! やらなきゃダメだ。そんなの言い訳だ。
ヒステリアモードじゃない俺にでも、できることを探すんだ!
「アリア」
「なに」
「アイツらはまだワイヤーを持ってるか」
「今のリペリングで使っちゃったハズよ。ヘリの中にも予備は無かった」
二丁|拳銃《けんじゅう》に手を掛けながら、アリアが言う。
「撃つなアリア。相手は部外者だ。ケガさせたら大事《おおごと》になるぞ」
「……じゃあどうするつもりよ」
言われて、俺《おれ》は……
半ばヤケクソ気味に、屋上の出入口になっている階段の扉に駆け寄る。
そしてそのドアノブを、ガンガン! と、買い直したばかりのベレッタでブチ壊した。
よし、上手《うま》い具合にひしゃげてくれた。これでここからは出られないハズだ。
「で、出口ふさいでどうするつもりよ!」
ぎー! と怒るアリアに、俺は苦笑いしながら振り返った。
これ、きっと、すごく情けない顔なんだろうな。
「悪りいなアリア。今の俺には[#「今の俺には」に丸傍点]、こんな事しか思いつかねーんだ」
「?」
「お前……俺のために、飛んでくれたんだよな、ここから」
俺が、『武偵殺《ぶていごろ》し』にチャリを乗っ取られた時。
アリア。
お前はこの女子寮の屋上から、俺のために飛び降りた。
飛び降りて、くれたんだよな。
「アリア。今の俺は何にもできない、素《す》の俺だけどな」
「……?」
「――お前がしてくれたことを、恩返しするぐらいのことは――できるんだよっ!」
来いアリア!
お前こそ覚悟しろってんだ!
こんなダメなヤツを相棒にするつもりなら、
このぐらいの無茶、しなきゃなんねーんだぞ!
―――俺はさっきひしゃげた金網に向かって、走る。
「キンジ!?」
アリアが、後を追って走ってくる。
「アリア! お前は独唱曲《アリア》だ! そうだ! そうなんだろ! でもな――」
俺はジャンプ台みたいになった金網を、まんま、ジャンプ台にして――
「俺が[#「俺が」に丸傍点]、BGMぐらいにはなってやる[#「BGMぐらいにはなってやる」に丸傍点]!!」
絶叫し――
俺は、昇《のぼ》りたての満月をまたぐように、空を飛んだ。
―――なあ。
俺《おれ》は、お人好《ひとよ》しなんだろうか?
いったい、なんで、こんなことになっちまったんだろうな?
今さっさ金網に引っかけたベルトのワイヤーが、俺の落下速度を和《やわ》らげている。
盛大にスカートを翻《ひるがえ》しながら飛び降りてきたアリアが、空中で俺に抱きついてきて――
ぼすすっ!
俺とアリアは、女子寮の下にあった温室のビニールハウスに突っ込んだ。
ビニールの屋根がクッションになる――かと思ったんだが。
びりがしゃ、と、俺たちはそのまま屋根を突き破り、温室の中に落っこちてしまう。
「……っ……ってえ……」
「バ……バカキンジ……!」
さすがに、これは無茶だったか。
俺とアリアは、マンガみたいに目をグルグル回してしまった。
――よろ、よろ、と起き上がったアリアから、
「サ、サイテー。あんた、バカキンジモード[#「モード」に丸傍点]なのね……?」
とうとうそんな言葉が出てさてしまって、俺は頬《ほお》を引きっらせる。
完全にではないまでも、俺の秘密を知る人間が増えちまったな。
上空からは、温室にヘリのサーチライトがあてられてきた。
俺たちはその丸い光の中に、照らし出される。
まるで、歌劇《オペラ》の一幕みたいに。
「キンジ」
アリアが、俺にその紅《あか》い瞳《ひとみ》を向けてくる。
俺は尻餅《しりもち》をついたまま、アリアを見上げた。
「あんたには何かをスイッチにして、急激に高まる不思議な力がある」
「……」
「それが何なのかは分からない。あんたもそれを自分では制御できてない」
「…………」
「でもね、今、あたし思いついたの。それなら普段からそれを出せるように――あんたを調教してやればいいのよ! そうよ! 簡単なことだったんじゃない! ね!?」
「ちよっ……! そ、それは物理的に……は可能かもしれないが、倫理的《りんりてき》にムリだ!」
「男が二言《にごん》するんじゃないわよ!」
「一言《いちごん》もしてねーよ!」
「うるさいうるさい! あたしはあんたをパートナーにして、曾《ひい》お爺《じい》さまみたいに立派な『H』になるの! そう決めたんだから!」
「だ……だから何なんだよその『H』ってのは――!」
「まだ分かってなかったの!? 信じらんない! バカバカ! どバカ! ギネス級のバカ! バカの金メダル!」
言い過ぎだろコラ。
「ああもう! あんたで決定したんだから教えてあげるわよ! あたしの名前は――」
アリアは犬歯《けんし》をむくと――ぐい! と。
両手を腰にあて、その寄りも上がりもしない胸を張った。
「神崎《かんざき》・ホームズ[#「ホームズ」に丸傍点]・アリア!」
「ホー、ムズ……!?」
「そう! あたしはシャーロック・ホームズ4世よ! で、あんたはあたしのパートナー、J・H・ワトソン[#「ワトソン」に丸傍点]に決定したの! もう逃がさないからね! 逃げようとしたら――」
待て、待て。
待ってくれ!
「――風穴あけるわよ!!」
エピローグ Go For The NEXT!!!
シャーロック・ホームズ。
100年ほど前に活躍した、イギリスの名探偵。拳銃《けんじゅう》の名手で格闘技《バリツ》の達人。
そして、理子《りこ》はフランスの怪盗リュパン――4世。
初代ホームズと怪盗リュパンはフランスで戦っている。
そして引き分けたまま、一族に遺恨《いこん》を残した――と、探偵科《インケスタ》の教科書に書いてあった。
で、『ホームズ』は、フランス語では『オルメス』と発音する……らしい、のだ。
そういうこと、だった、のか。
でも……なぁ。
ももまんが好物で。ことあるごとに拳銃ぶっ放《ぱな》して。ポン刀ぶん回して。
こんな……ちっこカワイイ……
――こんなホームズ、ありえんだろ!
という俺《おれ》の内心の抗議は全く無意味で、アリアは俺のモード切り替えの鍵《かぎ》を探るというハタ迷惑な名目の元、なんと俺の部屋に戻ってきてしまった。
同居は勘弁してくれと抗議したら、『武偵殺《ぶていごろ》し』の一件は理子を捕まえてないからまだ解決してないでしょと言われてしまった。お前、そういうの、屁理屈《へりくつ》っていうんだぞ。
とはいえ……理子《りこ》はどうせ生きてるだろうというアリアの意見には俺《おれ》も同意だ。それにアイツが事あるごとに言っていた兄さんのこと、そしてイ・ウーとやらのことも気になる。どこからともなくANA600便を撃った、あのミサイルだって謎《なぞ》だ。
この事件――これにて一件落着、ってことにはまだ、なってないんだな。
そんな思いを胸の片隅《かたすみ》に置きつつ、ももまんとウナギまんはどっちがうまいかでアリアと口ゲンカしていたある夜――
ポケットに入れていた俺のケータイから、メール着信音が上がった。
この部屋は微妙に電波状況が悪く、たまにメールが送られてから着信するまで少し時間がかかったり、後でまとめて来たりするのだが……画面を見て、俺はギョツとする。
現在の未読メール‥49件。留守番電話サービス‥録音18件。
それも全部、白雪《しらゆき》から来てる。
そこには――
『キンちゃん、女の子と同棲《どうせい》してるってホント?』
に始まり、
『さっき恐山《おそれざん》から帰ってきたんだけどね、神崎《かんざき》H アリアって女の子が、キンちゃんをたぶらかしたって噂《うわさ》を関いたの!』
『どうして返事くれないの?』
『すぐ行ぐから!』
と、この部分の間に白雪からのメールがコワイものに進化していく様が見てとれる。
「ア、アリア、に、に、にに、ににに逃げろッ!」
「な、何よ。なに急にガタガタ震《ふる》えてんのよ。キ、キモいわよキンジ……」
「ぶ、ぶ、『武装|巫女《みこ》』が――うッ。マズい……来た…… !」
どどどどどどどどど
猛牛か何かが突進しているかのような足音が、マンションの廊下に響き渡っている。
近ついて、い、る―――!
しゃきん!!
金属音と共に、玄関のドアが冗談のように斬り開け[#「斬り開け」に丸傍点]られた。
そこに仁王立《におうだ》ちするのは――
巫女装束に額金《ひたいがね》、たすき掛けという戦装束《いくさしょうぞく》に身を固めた――
「白雪!」
だった。
ここまで猛突進してきたらしい白雪《しらゆき》は息をぜーぜ一切らせながら、ぱっつん前髪の下の眉毛《まゆげ》をギギギンツとつり上げている。
「やっぱり――いた!! 神崎《かんざき》! H《エイチ》! アリア!!
「ま、待て! 落ち着け白雪!」
「キンちゃんは悪くない! キンちゃんは騙《だま》されたに決まってる!」
――一体どこにスイッチがあるのか未《いま》だに分からないのだが、白雪はこうやって、ときどきなぜか鬼神のようなバーサーカーになることがある。
そしてこういう時、なぜか俺《おれ》の周囲にいる人間――大抵、女子が攻撃を受けるのだ。
「この泥棒《どろぼう》ネコ! き、き、キンちゃんをたぶらかして汚《けが》した罪、死んで償《つぐな》え!!」
白雪は携《たずさ》えていた青光りする日本刀を、ぎららり! と大上段に構える。
さすがのアリアも引きまくって、拳銃《けんじゅう》を抜くことすら忘れている。
「やっ、やめろ白雪! 俺はどっこも汚れてない!」
「キンちゃんどいて! どいてくれないと、そいつを! そいつ殺せない!」
「き、キンジい! んとかしなさいよ! な、なんなのよこの展開!」
なんなのよ、って――! そんなの、俺が!!
俺 が 聞 き て え よ !
[#地付き]To BeContinued!!!
あとがき
『ちっこかわいい子は何をやっても許される!』
というわけでお待たせしました、神崎《がんざき》・H・アリアの登場です!
アリアは身長142センチながら二丁|拳銃《けんじゅう》をぶっ放《ぱな》し、二刀流の刀もぶん回す、凶暴な女の子です。しかしこの子、強いだけじゃありません。ラブ関連が大のニガテ、赤面癖、好物は“ももまん”″と、フタを開けてみればキュートなどころもいっぱいです。
この本を読んで下さった読者さんが、そんなアリアのことを
「かわいい!!」
と思って下されば、赤松《あかまつ》は幸せです。
それがあなたとアリアの、ステキな出会いになることでしょう。
さてアリアは物語の中で、クラスメイトの少年・キンジと出会います。
そしてキンジの奇妙な潜在能力に気づき、自分の ドレイ″にしようとするから一大事。
あなたは――キンジになったつもりで、ちっこかわいいアリアに追っかけ回されるスリルをたっぷり味わってみてくださいね。
この本の執筆に際しては、たくさんの人が赤松を助けてくださいました。
まずは三坂《みさか》編集長と、笹尾《ささお》編集。何度も何度も草稿を読んで下さり、そのたびに貴重なコメントをたくさん下さったこと、心より感謝しております。
そしてアリアたちのイラストを描いて下さった、こぶいちさん。アリアたちを私のイメージ通りどころかそれ以上に魅力的に描いていただき、ありがとうございました。ちっこかわいい表紙を拝見した時には、「とったどー!」と宇宙《そら》に叫んでしまったほどです。
さらに、作中に出てくるゴスロリゲームのタイトルを考えてくれた遊真一希《ゆまいつき》さん、渡辺《わたなべ》伊織《いおり》さん、森田季節《もりたきせつ》きん。貴重な助言を下さった重馬敬《しげまけい》さん、日日日《あきら》さん、夏寿司《かずし》さん、田口一《たぐちはじめ》さん、七位連一《なないれんいち》さん、星真仁《ほししんじ》さん、まつともさん。『強猥《きようわい》』という漢字の読み方を教えて下さった武田《たけだ》弁護士。銃のことを教えてくれたAさん。そして、家族の皆さん。
みなさんのおかげで、私は本当に、この本を楽しく書き上げることができました。
この楽しさが、読者の皆さんにも共感してぐれることを願って止《や》みません。
アリアが一人でも多くの読者さんと出会い、幸せな子になってくれますように。
[#地付き]2008年8月吉日 赤松中学《あかまつちゅうがく》
底本:(一般小説) [赤松中学] 緋弾のアリア.zip koutaroux4SryMIz19 32,988,620 e207dc902a565ecc3511f8ad03b780b8d6612879
入力:OzeL0e9yspfkr
2008/10/09作成
校正: