美食倶楽部
谷崎潤一郎大正作品集
谷崎潤一郎
種村季弘 編
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目次
病蓐の幻想
ハッサン・カンの妖術
小さな王国
白昼鬼語
美食倶楽部
或る調書の一節――対話
友田と松永の話
青塚氏の話
解説 巨人と侏儒
美食倶楽部
――谷崎潤一郎大正作品集
病蓐の幻想
彼は病気で、床に就いて呻(うな)って寝ていた。――たゞさえ彼は意気地なしの、堪(こら)え性のない涙脆(もろ)い人間なのだ。十年前に取り憑(つ)かれた神経衰弱が、未だに少しも治癒しないで、年が年中、蜘蛛(くも)の巣のような些細な事に怯(おび)え憂え顫(ふる)えている人間なのだ。それが運悪くこの四日ばかり、歯を煩ってすっかり元気を銷亡(しようぼう)させて、事によったら死にはしないかと案ぜられた。
直接歯のために死なないまでも、歯齦(しぎん)の炎症から来る残虐な悪辣(あくらつ)な、抉(えぐ)られるような苦痛のために、精神という物が滅茶滅茶に掻き壊(こわ)されて、気が狂(くる)って死ぬかも知れなかった。彼は自分の肉体が人並(ひとなみ)はずれて肥満していて、心臓の力の弱っている事を、不断から非常に気に懸けていた。それで僅かな熱でも出ると、神経を病み始めて、まず自分から大病人になってしまった。
「歯齦膜炎でそんなに熱の出るはずはないと思います。何度ぐらいおありになるか測って御覧になりましたか。」
と、歯医者は不審そうに云った。
「いや、測ってはみませんけれどたしかに少しあるんです。御存知の通り僕は太っているもんですから、熱には馬鹿に弱くって、………」
「あったところが多分六分か七分です。測って御覧になる方がかえって御安心ですよ。」
こう云われても彼は決して、測ってみようとはしなかった。測ってみて、もしも八度か八度以上もあったら大変だと思った。そうして実際、そのくらい熱があるかも知れなかった。
何でも下顎(したあご)の、右の一番奥の齲歯(むしば)がぼろぼろに腐蝕して、歯齦(はぐき)の周囲に絶え間なくだくだくと毒血を湛えて、膿(う)み疼(うず)き燃え爛(ただ)れて、そのために顔の半面が、始終かっかっと火照(ほて)り付いているのであった。最初はたしかにその齲歯が痛むのだと分っていたが、ついには片側残らずの歯が、上顎のも下顎のも、一本一本細かく厳しくきりきりと軋(きし)んで、どれが痛みの親玉なのか一向に分らなくなってしまった。その痛さに朝から晩までさいなまれつゝ、じっと辛抱している事が、人間として堪え得る苦しみの最上の物であるらしかった。ここまで来れば、どんなに精神のしっかりした脳髄の透明な人間でも、多少は頭の機能が乱れて、馬鹿か気違いに近いような、朦朧(もうろう)とした滅茶滅茶な状態になりかゝるだろうと彼は思った。現に彼は、あまりの痛さに神経が妙になって、痛いのだか痛くないのだか分らない感じがして来た。彼は熱に浮かされて、もやもやと霧の中に囲(かこ)まれたような夢心地に犯されながら、いろいろの事を考え始めた。
「人間が痛みというものをハッキリと感じ得る場合は、それほど痛みが深刻でない時なのだ。痛みが一層昴進して来ると、もう一と通りの痛みという物とは全く違った、一種異様な感覚を生ずる。」――彼はそう考えながら、今の自分の苦痛を味わっていた。四五日前までは、例の齲歯の心(しん)の方が、明かに錐(きり)のような物で無慈悲にぐいぐいと突かれるのに似た痛さであったが、だんだん口の中で「痛み」の領土が拡大し出して、今まで安穏に平和を楽しんでいた隣の臼歯(きゆうし)に響き始め、それから上顎の犬歯(けんし)がいつの間にやら共鳴を試み、最後に片側の全部の歯の列が一面にヴァイブレエションを起して、ちょうどピアノの鍵盤の上を乱暴な手が掻き廻した如く、どれもこれも悉(ことごと)くぴんぴんぼんぼんと騒々しく相応じた。そうして、非常に雑多な沢山の音響が一度に室内に充満すると、一つ一つの声という物はまるきり聞えなくなって、極度の騒々しさが極度の静かさと一致してしまうように、極度の苦痛もまた極度の安楽と一致するかの如くであった。
たとえてみれば、上下の顎骨の歯の根から無数の擾音が喧々囂々(けんけんごうごう)と群り生じ、一つの大きな、綜合された呻りを発して、 というように、口腔内の穹窿(きゆうりゆう)へ反響し続けているのであった。それはちょうど、恐ろしく野蛮な力でグワンと頬桁(ほおげた)を擲(なぐ)られた跡などに、長く長く残っている痺(しび)れた感覚に似通っていた。そうして一々の歯の痛み工合(ぐあい)を、よく注意して感じて見ると、痛むというよりは、Biri biri-ri-ri ! と震動しているように想われた。
「そうだ、痛みが極度に達すると、むしろ音響に近くなるのだ。あたかも空中で音波の生ずるように、歯齦(はぐき)の知覚神経が一種のヴァイブレエションを起すのだ。」と、彼は腹の中で呟(つぶや)いた。
その凄(すさま)じいヴァイブレエションのために、口の中の空洞(くうどう)が全く馬鹿になって、神経も何も聾(つんぼ)にさせられて、今ではそれほどに痛くもなくなっている。「なんだ、己(おれ)はさっきまで大変苦しがっていたが、落ち着いて考えると、苦しくも何ともないじゃないか。」と、云いたいような心地もする。平生非常に死を怖れている人間が、いよいよ病気で死ぬ時に臨むと、案外安心してしまうように、神経というものもあまり強烈な刺戟を受けると、相当な「あきらめ」を生じて都合よく外界に順応し、苦痛を苦痛と感じさせない調節作用を行うのであろう。――少くとも彼は、今や自分の神経が自分の意志の欲するまゝに、鈍くも鋭くも自由に変化する事を発見した。「痛くないぞ! 痛くも何ともないぞ!」こう命令すると即座に神経はピタリと働きを止(と)めて、あれほどの痛みがまるきり感じなくなってしまう。反対にまた、口の中の任意の点へ神経を凝集すると、直ぐにその部分が痛み出す。彼は己れの注文通りに、どれでも好きな歯を撰んで、一本一本随意に随時に痛み出させる事が出来た。
彼は図に乗って、子供がピアノを徒(いたずら)するように、神経の手をあっちこっちの歯列(しれつ)の上へ駆使しながら、いろいろの方面を痛ませてみた。ある特別の一本だけを痛ませる事も出来るし、二本でも三本でも一緒に一度に Biri ! biri-ri ! と痛ませる事も出来た。
「こうなると実際ピアノと同じ事だ。一々の歯が、あたかもピアノの鍵のように思われるから不思議じゃないか。」――何だか彼は、各々の歯の痛み方(かた)の程度に応じて、音階を想像する事さえ出来そうであった。一番前の方の、一番痛みの少い奴を仮りに Do とすれば、その次ぎにやや痛い奴を Re とする、それよりもまたやや痛いのを Mi とする、かくて立派に七つの音階が出来上ると、今度は「汽笛一声」でも「春爛(らんまん)」でも「さのさ」節でも喇叭(らつぱ)節でも、好きな歌を奏する事が出来そうな気持ちになった。
「うんそうだ、たしかに音階を想像し得る。――それにつけても己はよっぽど熱があるに違いない。――熱に浮かされてぼんやりしているから、こんな奇妙な考が起るのだ。」――同時に彼は、また一としきり耳ががんがんと鳴って、体中の血が頭の方へ鬱陶(うつとう)しく上騰して来るのを覚えた。彼は眼を潰(つぶ)って、局部に氷嚢をあてたまゝ、深い暗い所へ昏々と墜ちて行くような心地がした。折々大波に揺り上げられ、揺り下(おろ)されているようでもあった。しかし未(いまだ)に失心してはいないと見えて、間もなく再びさまざまの妄念が、脳髄の中で蛆(うじ)の沸くが如くうようよと蠢(うごめ)き出した。
彼の横臥している病室の外には、割合に広い庭園があって、九月の上旬の、初秋とはいいながら真夏と少しも変りのない、赫灼(かくしやく)とした日光が毎日毎日蒸し蒸しといきれていた。南に面した花壇には紫苑(しおん)や芙蓉(ふよう)や、紅白の萩がそろそろ花を持ちかけて、繁茂した枝葉(えだは)を(ぼうぼう)と蔓(はびこ)らせ、穂の出かゝった糸すゝきや萎みかゝった桔梗(ききよう)や女郎花(おみなえし)が、おどろに乱れた髪の毛のように打ち煙っていた。百日草、おいらん草、カンナ、蝦夷菊(えぞぎく)などの燦然(さんぜん)と咲き誇っている今一つの花壇の縁(ふち)には、小さい愛らしい松葉牡丹(ぼたん)の花びらが、びろうど色の千日坊主と頭を揃えて、千代紙を刻んだように綺麗に居並び、二三尺の高さに伸びた葉鶏頭とダリヤとの間から、真赤な、心臓のような紅蜀葵(こうしよくき)の大輪が、烈日の中にくるくると燃えていた。
「あなた、………また紅蜀葵が一つ散ったわ。あの花はほんとに寿命が短いのね。一日咲くと、色もなんにも褪(さ)めないのに、ぽたりと地面へ落ちてしまうのね。」
彼の妻が、氷嚢の氷を取り換えてやりながら、彼に云った。
「うん、………」
と、さも大儀らしく答えたきり、彼は庭の方を見向きもしないで、相変らず歯を押えたまゝ静かに悲しげに横臥していた。けれどもあの生々(なまなま)しい、真赤な花が、綺麗に咲き綻(ほころ)びたまゝ、風もないのに突然地面へ転げ落ちる様子を想うと、何だかそれが忌まわしい事の知らせのように感ぜられた。今の今まで、盛んに血を吸って膨(ふく)れている自分の心臓が、もしかするとあんな風に、いきなりぼたりと崩壊する前兆ではあるまいか。………
「でもまあ向日葵(ひまわり)がよく咲いたこと。ちょいとあなた、ちょいとこっちを向いて庭を御覧なさいよ。」
妻は再びこう云って慰めようとしたけれど、今度は彼は見向きもしないで、たゞ苦しそうな溜息を吐いた。自分がこんなに呻っているのに、呑気(のんき)な事をしゃべっている妻の態度が甚しく癪(しやく)に触ったが、わざわざそれを叱り付けるだけの元気も出なかった。
痛くない方の片側を枕につけて、唇を半分ばかりあーんと開いて、床の間の掛軸を視詰(みつ)めたまま倒れている彼は、この時舌の先を徐(おもむ)ろに、韶陽魚(あかえ)のように動かしながら、例の一番奥の齲歯を極めておずおずと撫で擦(さす)ってみた。気のせいか知らぬが、うろが平生よりも素敵に大きく深くなって、噴火山の火口の如く傲然と蟠踞している。その洞穴(ほらあな)の底津磐根(そこついわね)から不断の悪気が漠々と舞い上って、口腔の天地を焦熱地獄と化しているのである。………彼にはその齲歯の、暴君的な堂々たる痛み工合が、あたかも毒々しい向日葵の花のように想像された。周囲(まわり)に橙色(だいだいいろ)の絢爛な花弁を付けて、まん中に真黒な、蜻蛉(とんぼう)の複眼(ふくがん)の如き蕊(しべ)を持っている向日葵の、瑰麗(かいれい)な姿は、どうもこの驕慢な齲歯の痛みに酷似していた。
「そうだ。歯の痛みは音響に近いばかりでなく、それぞれ雑多な色彩を持っている。」――彼はそんな事を思った。ふと、いつぞや読んだ事のあるボオドレエルの "Les Paradis Artificiels" の一節が彼の念頭に浮かんだ。........."Les ?quivoques les plus singuli?res, les transpositions d'id?e les plus inexplicables ont lieu. Les sons ont une couleur, les couleurs ont une musique."(音響は色彩を発し、色彩は音楽となる。)………これはこの詩人がハシイシュを飲んだ時の、ハリュシネエションの描写であるが、しかし阿片(アヘン)やハシイシュの力を借りずとも、彼は幾分かそういう風なハリュシネエションを感ずる事が出来た。少くとも一々の歯が、痛み方に相当する音階を持っているとしたなら、その音階が一変して、千紫万紅、大小さまざまな花の形に見える事はたしかである。一番根強く執念深く、まるで熟した腫物(できもの)のように疼(うず)いている奥歯が、向日葵の花であるとしたなら、それと反対に狭く鋭く、ぴくりぴくりと軋んでいる上顎(うわあご)の犬歯は、ちょうど血の塊(かたまり)か火の塊が、眼の暈(くら)むような速力で虚空に旋転と舞い狂めいているような、真赤な、辛辣な痛さである。「なるほどこれは真赤な痛さだ。何か非常に赤い物が、焔々と燃えて渦巻いている痛さだ。」――彼は直ちに紅蜀葵を連想せずには居られなかった。そうして考えれば考えるほど、ますますその歯と紅蜀葵との関係が密接になって、ついには全く口の中に、あの鮮明な赤い花が、くっきりと咲き誇っているような気持ちがした。それからまた、顎の隅の方で微かに痛んでいる一団の臼歯は、一本の茎の先に沢山の花を持ったおいらん草のクリムソンに似通っていた。チクチクと虫の螫(さ)すような、愛らしい、いじらしい痛み方をする前歯の群(むれ)は、あたかも花壇の縁(ふち)を彩(いろど)る松葉牡丹に適合していた。不思議な事には、それらの歯が、各自固有の特色によって、激しく痛めば痛むほど、彼の妄想は一層明瞭な形を取って眼前に髣髴(ほうふつ)した。かくして彼は忽(たちま)ちのうちに、口の中を庭の花壇と同じような美しい光景に化してしまった。そこには初秋の午後の光がかんかんと照って、蜂や蝶々が花から花へひらひらと飛び戯れている。………
気が付いて見ると、熱は前よりもさらに一段と高まっていた。眼の先の物が何だか頻(しき)りにちらちらと動いて、カレイドスコオプを覗(のぞ)いているようだ。床の間に懸っている浮世絵の美人画がぐらぐらと揺めいて、立体派の線の如き bizarre な線を現わしている。座敷の天井が、いつの間にやら馬鹿に低くなって、立てば頭がつかえるほど下って来たらしく、嫌に室内が狭苦しく、蒸し暑く、窮屈である。こんな牢獄のような処に、いつまで自分は鬱々として、熱に浮かされている事だろう。どうせ十日も半月も寝ているのなら、いっそひろびろとした野原のまん中で、青空を仰ぎながら、涼しい木蔭の草の上にでも倒れていたい。
「あゝ切ない、………息苦しい、………嫌になっちまうなあ。」
彼は夢中で、こんな譫語(うわごと)を云いそうになった。そうして、名状し難い遣(や)る瀬なさとあじきなさに襲われて、頬っぺたの垢に汚(よご)れた涙を、紙屑のようにぼろぼろとこぼした。
よんどころなく片手でそっと睫毛(まつげ)を拭いて、また歯の事を考える。口の中の呪わしい地獄、美しい花壇の事を考える。――
"A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu, voyelles, ..............."
どういう訳か、Rimbaud のソンネットの一句が、天際に漂う虹の如く彼の心に浮かんだ。恐らくそれは、繚乱(りようらん)たる花園の光景から連想されて、記憶の世界に蘇生(よみがえ)って来たのであろう。もし、あの仏蘭西(フランス)のシムボリストが想像するように、A、E、I、U、Oの母音に、黒だの白だの赤だのゝ色があるとすれば、口の中で刻一刻に、ずきん、ずきん、と合奏している歯列の音楽、――色彩の音楽は、悉(ことごと)くアルファベットに変じ得るかも知れない。.........A, B, C, D, E, F, G, .........
体の工合も心の調子も、もう本式の病人と違いはなかった。ちょいと枕から頭を擡(もた)げると、忽ち眩暈(めまい)を覚えて、うすら寒い戦慄が止めどもなくぶるぶると手足を走る。飯を食うにも、小用を足すにも、すべて蓐中に横(よこた)わったままである。
「九月になったのに何(なん)ていう暑さだろう。これじゃ土用の内よりもよっぽど非道(ひど)いわ。事によると地震でも揺るのじゃないかしら。」
隣の部屋で、妻が女中にこんな話をしている。
ほんとうだ、地震が揺るかも知れない。――彼は地震が大嫌いであった。地震については随分いろいろの書物を読んで、かなり豊富な知識を持っていた。六十年目に大地震があるという説の虚妄な事や、日本の家屋はヤワな西洋館に較べて、案外耐震力の強靱な事や、大地震の際には必ず前に異常な地鳴りを伴う事や、少くとも彼のように、年中気に病んでびくついている理由のない事を、充分心得ているくせに、彼はやっぱり明け暮れそれが心配になった。住宅を移転する時、田舎の旅館に宿を取る時、女郎屋待合で夜を過ごす時、彼が真っ先に思い出すのは地震に対する用意であった。怪しげな西洋造りの三階四階の建物などへは、なるべく這入(はい)らないように努めて、這入ってもそこそこに飛び出してしまった。浅草辺の活動写真を見物するのに、彼は大概出口に近い隅の方に立ち竦(すく)んで、いざといったら逃げ出す用意を怠らなかった。そうして無事に見物が済んで、小屋を出て来ると、「まあよかった。」と胸を撫でゝ、命拾いをしたような気持ちになった。
自分が生きているうちに、どうしても一回、大地震があると彼は思った。日本にいて、殊に地震の多い東京に住んでいて、相当に長生きをするつもりなら、否(いや)でも応でも、一度は大地震に際会して、九死に一生を得なければならない。それが彼には病気よりも何よりも、一番危(あぶな)っかしい、剣難(けんのん)至極な綱渡りであった。なぜと云うのに、人間が不治の難病に罹(かか)る事は頗(すこぶ)る稀であるけれど、大地震はたしかに一遍はあるのである。そうしてその一遍の大災厄を、首尾よく免れ得るかどうかゞ、彼にとっては非常な疑問である。――もっとも彼は、今から二十三四年前、多分明治二十六年の七月に、大地震と云ってもいゝくらいの素晴らしい奴に出会(でつこわ)した覚えがあった。ちょうど彼が小学校の二年の折であったろう。午後の二時時分、学校から帰って、台所で氷水を飲んでいると、いきなり大地が凄じく揺れ始めた。「大地震だ!」と、彼は咄嗟(とつさ)に心付いたが、どこをどう潜り抜けたのか、一目散に戸外へ駆け出して、大道の四つ角のまん中につくばっていた。その頃彼の家では日本橋の蠣殻(かきがら)町に仲買店を出していて、あたかも後場(ごば)の立っている最中であった。米屋町の両側に軒を列(なら)べた商店の、土間に溢れるほど雑沓(ざつとう)していた相場師の群衆は、誰も彼も金の取引に気を奪われて、日盛りの苦熱を忘れていたが、突然、がらがらがらと家鳴震動し出すや否や、右往左往にあわてふためき、ほとんど路次のように窮屈な、せゝこましい往来の、ぎっしり詰まった家並(やなみ)の下を揉みに揉んで逃げ惑うた。………
「あゝ、己はあの時でさえ、あんなに恐ろしかったのだから、もしあれよりもさらに大きい地震に逢ったらどうするのだろう。己は今では肉がぶくぶく肥満して、心臓が弱くなって、とても子供の時分のように身軽に逃げる事は出来ない。おまけに現在病蓐に倒れて、体が利かなくなっている際、そんな災難が突発したら、己の運命はどうなるだろう。」
彼の頭はいつか全く、地震に対する危惧と不安とに充たされていた。今という今、大地震が揺り出したら、自分は必ず逃げ損(そこな)って、梁(はり)の下に圧し潰されるに違いない。それでなくても立てば足元がよろよろして、眼が眩(くら)みそうになるのだから、地震と聞いたら即坐に逆上して卒倒してしまうだろう。考えてみると、いつ何時地震が揺るかも知れないのに、不自由な手足を持って寝ているというのは実に危険だ。まるで噴火山上に身を托しているようなものだ。あゝ、ほんとうにどうしたらいゝだろう。――彼の記憶は、再び明治二十六年の、七月のある日の地震の光景に戻って行った。あの時彼は、前に云った大道の四つ角に蹲踞(うずくま)って、生きた空もなくわなゝきながら、世にも珍らしい天変地異をたゞ夢の如く眺めていた。夢だ! ほんとうに夢のような恐ろしさだ! その後(のち)二十幾年も彼はこの世に生きているが、あの時のように薄気味の悪い、あの時のように物凄い、あらゆる形容詞を超絶した Overwhelming な光景を、爾来(じらい)一遍も見た事がない。彼の避難した地点というのは、今の蠣殻町の東華小学校の門前に近い、一丁目と二丁目との境界にある大通りで、今でもあの四つ角には交番が建っているはずだ。何でも彼の経験によると、大地震という物は地が震えるのではなく、大洋の波のように緩慢に大規模に、揺り上げ揺り下ろすのであった。自分の足を着けている地の表面が、汽船の底と全く同一な上下運動をやり出した時を想像すれば、恐らく読者はその気味悪さの幾分かを、了解する事が出来るであろう。………いや、汽船の底と云ったのでは、まだ形容が足りないかも知れない。むしろ軽気球のように、――踏んでも掘ってもびくともしない、世の中のすべての物よりも頑丈な分厚(ぶあつ)な地面が、むしろ軽気球のように、さも軽そうにふらふらと浮動するのである。そうして、その上に載(の)っかっている繁華な街路、碁盤の目の如く人家の櫛比(しつぴ)した、四通八達の大通りや新路(しんみち)や路次や横丁が、中に住んでいる無数の人間諸共(もろとも)に、忽ち高々(たかだか)と上空へ吊り上げられ、やがて悠々と低く降り始める。彼は比較的見通しの利く四つ辻にいたために、この奇妙なる現象を真にまざまざと目撃した。彼の前方へ一直線に走っている、坦々たる街路の突きあたりには、遠く人形町通りが見えていたが、その路の長さは大凡(おおよ)そ二三町もあったであろう。然るに訝(あや)しむべし、この二三町の平(たいら)な路が、彼の蹲踞(うずくま)っている位置を基点として、あたかも起重機の腕の如く棒立ちになり、向うの端の人形町通りを、天へ向って持ち上げるかと思う間もなく、今度は反対に深く深く沈下し出して、彼は全く急峻な阪の頂辺(てつぺん)から、遥か下方の谷底に人形町通りを俯瞰(ふかん)する。あゝその時の強(こわ)さ恐ろしさ! 人間が、測り知られぬ過去の時代から生存の土台と頼み、光栄ある歴史をその上に築き、多望なる未来をその上に繋いで、安心して活動していた大地という物が、かくまでも不安定に、かくまでも脆弱(ぜいじやく)であろうとは………彼はようやく七つか八つの少年であったから、恐怖のあまりにあるいはこんな幻覚を起したのかも知れないが、しかし決して、自分の眼で見た光景を、誇張して述べているのではない。思うに彼はその刹那から、今のような臆病な人間になったのであろう。その瞬間に、人間の生命のいつ何時威嚇されるかも知れない事を、つくづくと胆に銘じたのであろう。
「あゝあッ」
と云って、彼は頬にあてゝいた氷嚢を外しながら、俯向(うつむ)きになって顔を枕の上に伏せた。急に、当時の四つ辻の光景が眼前に浮かび上ると、胸の動悸が激しくなり、体中が総毛立って、とてもジットしてはいられなくなったのである。
「あなた、氷を取り換えるんですか。」
妻の声が聞えたので、「はっ」と気が付いて、彼はようやく我に復った。――今見たのは夢であったかしらん。今まで地震の事を想像したり、懸念したりしていたのは、夢であったのかしらん。それとも覚めていながら、あんな考えが頭の中に往来していたのかしらん。彼にはそれがいずれであるか分らなかった。たゞ、悪夢を見た後(あと)と同じように、びっしょりと額に汗を掻いていた。
「ほんとに蒸し暑い、嫌な陽気だねえ。こんな日にはきっと地震が揺るかも知れない。――今年あたりはそろそろ大地震がありやしないかね。安政の地震があってから、もう随分になるのだから。」
また台所で、老婆がこんな独語(ひとりごと)を云っている。
彼の女は今年七十幾歳になる老人で、安政の地震をよく知っていた。その折彼の女は、十六七の若い娘で、江戸の内でも一番被害のひどかったと謂われる、深川の冬木に住んでいたのだが、しかも幸いに難を免れて、今日まで長い世の中を生きて来た。彼の地震に関する知識は、この老婆の経験談と、大森博士の著述とに負う所が頗る多い。大森博士は云う、大震の起る時刻は日中に少く、大概夜間か払暁であると。果して老婆の話によれば、安政の大震は夜の十時頃に江戸を襲った。博士は曰く、東京は山国と違って、普通の地震に地鳴りを聞く事は稀であるが、しかし大震の起る前には必ずこれを伴うと。そうして老婆は、あの晩地震の直ぐ前に、何事が生じたかと思うような、囂然(ごうぜん)たる地響きを聞いたという。博士は曰く、東京の下町で、最も地盤の強固な所は銀座から築地へかけての一廓である。反対に最も脆(もろ)いのは本所深川浅草の全部、及び神田の小川町であると。老婆の話は、またこの説をも裏書きしている。その他大風の吹く日には、大震の起った例のない事、日本造りの二階建(だ)て、三階建(だ)ての家屋では、上にいるほど安全な事、厠(かわや)、湯殿、物置等、簡単な平屋は容易に倒壊しない事、煉瓦塀の危険な事、西洋館では、窓やドーアの枠(わく)の中に、鴫居(しきい)に乗って立っているのが、一番大丈夫である事、彼は博士と老婆から、交々(こもごも)これらの教訓を与えられた。
「それ故もしも、今日の内に大地震があるとすれば、恐らく夜になってからだ。今夜からあすの明け方へかけての間、それが一番心配な刻限だ。」――
彼はあくまで、老婆の予言のあたらない事を熱望しながら、内々やっぱり彼女の直覚を畏れていた。その上、いやな事には午後になってから、風が全くなくなっている。縁側の障子の、ガラスに映っている草葉の影を、いかに長い間視詰めても、微塵も動かない。額越(ひたいご)しに望まれる庭の向うの、遥かな丘の上にある銀杏(いちよう)の大木の梢を仰ぐと、それがくっきりと青空に聳(そび)えたまゝ、まるで油絵の遠景の如く静まり返って、先の先の小さな葉までそよとも揺ぐ様子がない。
「それ御覧なさい、ね、風がちっとも吹かないでしょう? いくら風がないと云ったって、大概の日には、表へ出ると少しは吹いているもんです。今日のように、薄(すゝき)の葉や蜘蛛の巣までがまるきり動かないような、こんな日はめったにありやしません。どうしても今夜あたりは大地震がありますよ。ちょうど安政の地震の日にも、昼間はこんな天気でしたっけ。」
いつしか老婆が彼の枕元へ来て、一国(いつこく)らしい、妙にぎらぎら底光りのする瞳を据えて、脅やかすように彼に云った。
「そんな馬鹿な事があるもんか。今日のような風のない日はいくらもあるさ。」
こう云って、笑おうとした彼の唇は、意地悪くもピリピリと痙攣(けいれん)を起して、微(かす)かに顫えた。
「いゝえ、あなた、こんなに風のない日というものは、容易にありは致しません。どんなにないように思われても、よく気を付けて見ると、あの高い所にある銀杏の葉なんぞが、きっと少しは動いているんです。旦那は今までに、それを試(ため)して御覧になった事がないんでしょう。嘘だと思し召したら、この後気を付けて御覧なさい。――もっとも今夜の大地震に、運よく助かったらの話ですが、………」
日が暮れたら風が出るだろう。夜が近づくに従って、少しは涼しくなるだろう。そういつまでも、朝から晩まで無風状態が継続するはずはない。………しかしだんだん日が翳(かげ)り出して、薄暗くなった天井に、電燈のカアボンが、紅い、ルビーのような光を滲(にじ)ませて来たが、依然として風は全く死んでいる。息のつかえるような、頭を圧しつけるような暑熱が、天地の間に磅(ほうはく)して、寝ている彼は動(やゝ)ともすると、重苦しさに気が遠くなりそうである。そのくせ神経は刻々に昴奮しているらしく、時々、何の理由もないのに動悸がドキドキと早鐘を打って、襟頸(えりくび)から蟀谷(こめかみ)の辺(へん)へ、血が恐ろしく上(のぼ)って来る。
「さあ、いよいよ夜になりましたよ。ね、旦那、やっぱり風がないでございましょう?………この塩梅(あんばい)じゃあどうしても揺りますよ。………ようございますか。いつかもお話ししました通り、大地震には必ずその前に地鳴りが致しますからね。始終枕に耳をつけて、地鳴りに気を付けていらっしゃいましよ。もし、遠くの方からゴウゴウという音が聞えたら、その時こそいち早くお逃げなさいまし。そうすればあなた、大概無事に助かりますよ。」
老婆は子供を諭(さと)すように、噛んで含めるように云った。
「だがお婆(ばあ)さん、私はこんなに熱があって、体がふらふらしているんだからなあ。………逃げるって、全体どこへ逃げたらいゝだろう。」
「………」
その時老婆は、黙然として首を傾けつゝ、何かほかの事に注意を奪われているようであった。あたりはもう真暗な夜になっていた。庭に立っている黒い木の影が、やはり人間と同じ恐怖に襲われて、将(まさ)に起らんとする天変地異を、息を凝らしつゝ待ち構えている。………
「ちょいと、旦那、………あれをお聞きなさい。」
ふと、老婆は低い声で、こう云いながらにやにやと笑って、なおも熱心に耳を澄ませている。
「ね、旦那、あれがあなたに聞えませんか。………」
笑っていた老婆の顔は、やがて生真面目に引き締まって、例の怪しい瞳の底には、極度に緊張した神経が、次第に強く光り始める。
「何が聞えるのさ、お婆さん。何がさ………」
半分物を云いかけた彼は、にわかに何事にか怯(おび)えたように、黙ってしまった。彼の耳は、この時突然ある音響を聞いたのである。――聞える、………たしかに聞える。それはいつから鳴り出したのか分らないが、遠くの方で、鉄瓶の湯の沸(たぎ)るような音が、微かにゴウゴウと呻っている。思うによほど以前から鳴っていたのであろう。そうして彼が気が付いた頃には、大分ハッキリ聞き取れるようになって、見る見るうちに、汽車が走って来るほどの速力で、ますます近く、ますます騒然と響いている。もはや一点の疑う余地もない。………
「あれが地鳴りかい?」
「そうです。」と云う代りに、老婆は堅く口を噤(つぐ)んで、頤(あご)で頷(うなず)いた。その間に、もう音響は遠雷ぐらいの強さになっていた。彼はあわてゝ夜着を撥ね除(の)けて、立ち上ろうとしたが、老婆は至極落ち着き払って、まだ枕元に据わっている。
「お婆さん、まだ逃げないでも大丈夫かい。」
彼は、恐怖が下腹の辺から胸の方へ、薄荷(はつか)のようにすウッと滲(し)み上(あが)って来るのを感じた。
「いゝえ、もう逃げなければいけませんよ。………けれど私は逃げないつもりなんです。私なんざあ、安政の大地震にも寝ていて助(たすか)った人間ですもの。こうしていても、大概うまく助かりますよ。だが、あなたは早くお逃げなさい。逃げるなら今のうちです。一刻もぐずぐずしてはいられません。もう直ぐ地震がやって来ますから。………」
この時地鳴りは、さながら耳を聾(ろう)するような大音響となって、老婆の話し声を圧してしまった。彼は咄嗟(とつさ)に再び夜着を撥ね除けたが、うっかり立ち上ったら逆上して眼が眩(くら)みそうなので、それがまた非常に心配になった。
「おい、みんなどうしたんだ、お光はいないかお光は?」
彼は一生懸命に咽喉(のど)を搾(しぼ)って、妻の名を呼んだ。しかしその声もやっぱり地鳴りに掻き消されて、自分の耳にすら聞き取れない。急に動悸が激しく搏(う)ち出したので、彼は面喰って、両手でしっかりと心臓の上を抑えた。この工合(ぐあい)では逃げ出したり逆上したりする前に、まず心臓が破裂して死ぬかも知れない。………
もう助かろうという望みはなかった。ただ、俎上の魚が跳ね廻るように、最後の断末魔まで、死に物狂いに暴れるだけの話であった。彼は相変らず、後生大事に心臓を抑えたまゝ、勃然と身を挺して立ち上ったが、案の定、頭の中がグラグラして精神が渾沌となり、バッタリ倒れかゝったので、再び四つん這いになってしまった。………忽ち天地を震撼するような、海嘯(つなみ)の押し寄せるような、一段と豪壮な、雄大な地鳴りが始まって、百獣の咆(ほ)えるが如く轟いている。………
その瞬間に彼は喜ばしい事を発見した。「なんだ、これはほんとうの地震ではない。己は大丈夫死ぬはずがない。」と、彼は思った。彼は幸いにも、自分が現在夢を見ているのだという事を、夢の中で意識したのである。けれども夢の中にもせよ、地鳴りはいよいよ物凄く、動悸はますます昴進して、少しも恐ろしさに変りはない。おまけにいくら眼を覚まそうと焦っても、どうした訳か容易に夢を振り解(ほど)く事が出来ない。彼はまた、もう一つ不思議な現象に心付いた。――よくよく考えると、地鳴りだけは確に夢に違いないが、動悸の方は夢ばかりではないらしく、実際に心臓が気味悪く鳴っているのである。それ故地震は夢であっても、心臓が破裂すればやっぱり死ぬに違いない。夢の中で死ぬと同時に、ほんとうに死んでしまうかも知れない。
そう思っているうちに、彼はハッと眼を覚ましたが、果して動悸がドキドキと響いている。もう少し夢を続けていたら、正しく心臓が破裂するところであった。あたりを見廻すと、枕元には老婆もいず、隣の部屋では妻が機嫌よく笑いながら、子供をあやしている。
「そうだ、案に違(たが)わず夢だったのだ。地震ではなかったのだ。地鳴りも何(なんに)も聞えはしない。」――
けれども彼は地鳴りの代りに、耳がガンガン鳴っている事を発見した。恐らくその耳鳴りが夢の中へ現れて、あの凄じい地響に聞えたのであろう。畢竟(ひつきよう)、眼が覚めて見ても、夢と実際上の間にはほとんどこれという差別がなく、彼は未だに幻想の世界にいるような心地がする。そうして、いつの間にやら実際の世界も、夢で見たのと同じような蒸し暑い夜(よる)になっている。依然として、風がちっとも吹かない。纔(わず)かに老婆のいない事と、地鳴りが耳鳴りに変ったゞけで、やっぱり不安な不愉快な、大地震の揺りそうな宵である。
全体彼は、どこまでが実際で、どこから夢に這入ったのか分らなかった。たしかに夢だと思われる箇所もあるけれど、どうしても夢でなさそうな気のする点が矢鱈(やたら)にあった。何でも彼は大分前から、ぼんやりした半意識の境をうろついて、幾度となくいろいろの夢を見たり覚めたりしていたのであろう。紗(しや)のように薄い柔かい衣(きぬ)を、何枚も何枚も身に纏(まと)ように、夢の上へ夢を襲(かさ)ね、一つの泡から無数の泡を噴き出して、果てしもなく妄想の影を趁(お)うかと思うと、やがてまた一枚一枚にその衣(きぬ)を脱ぎ、一つ一つその泡を失うて、明(あか)るい現実の世界へ戻る。――そんな真似を何遍となく繰り返していたのであろう。
彼は今、ややハッキリと意識を恢復したけれど、しかしまだ完全に、現実の世界へ帰ったような気分ではなかった。どうもどこかしらに、紗の衣が一枚か二枚被(かぶ)さったまゝ、取り残されているらしかった。そうして、せっかくハッキリしかけた意識が、純白な半紙を墨汁へ浸(ひた)したように、隅の方から次第々々に曇り始めて、捨てゝ置くと白い部分がだんだん小さくなって行った。数限りもない夢の夢を潜(くゞ)って来たのに、まだまだ後からもくもくと夢の雲が押し寄せて来る。あたかも高山を行く旅人のように、彼の心は今晴れたかと思う間もなく、直ぐまた霧に包まれる。………
「己はもう夢を見てはいない。今己が聞いているのは、地鳴りでなくてたしかに耳鳴りだ。しかしそれにしても、今夜は実際大地震が揺りそうな晩だ。己はほんとうに、地鳴りに注意していなければならない。」
と、彼は考え始めた。
体がふらふらするにもせよ、地震が揺ったら逃げられるだけは逃げてみよう。その代り、この大地震に首尾よく助かりさえすれば、もう安心だ。人間一生のうちに、大地震は大概一度しかないのだから、今度の奴をうまく逃れたら、もう心配な事はないのだ。後(あと)は体を丈夫にして、病気に罹(かか)らぬ用心さえすれば、いくらでも長生きは出来るのだ。そうなったらどんなに彼はせいせいするだろう。どんなに自己の幸運を天地に謝する事であろう。――どうせ一度は打(ぶ)つかるものなら、いっそ一日も早く、自分の運命をいずれかへ片附けてしまった方が、かえって思い切りがいゝかも知れない。
とにもかくにも、今夜の大地震が彼の一生の運試(うんだめ)しなのだ。泣いても笑っても、彼の天命はその時定まるのだ。彼が短命な横死を遂げるか、幸運な長寿を保つか、仰(の)るか反(そ)るかの大事件が、一にその際の彼の挙措に懸っているのだ。こうなってみると、彼は如何(いか)にかして巧妙に狡猾に、難関を躍り超えてやりたかった。彼は有らん限りの思慮を運(めぐ)らし知慧を絞って、万全な避難策を工夫しなければならなかった。そのためにあんまり頭を使い過ぎて、一生馬鹿になってもいゝから、是非とも緻密な研究を遂げ、念には念を加えた上で、充分に確かな成案を立てた後、身に降りかゝる大難を、冷静に沈着に、スポリと潜り抜けてやろう。
もし、今夜の大地震が、古来未だかつて前例のない、ほとんどこの世の終りとも称すべき空前絶後のものであって、東京市中が海中へ陥没するほどの大震であったら、到底免(まぬか)れる術(すべ)はないのだから、避難策を講じたところで無駄な話である。そこで、仮りに今夜の地震の強さを、安政のそれと同じくらいの程度だとして、まず第一に、彼の現在住んでいる家は、果して全然崩壊するであろうか。全部でなくて、一部分だけが崩れるだろうか。一部分が崩れるとしたら、そもそも如何なる部分であろうか。そうしてまた、全部あるいは一部分が崩壊する際、一寸の隙もないほど、ぴたんこに潰れてしまうだろうか。――これらが一番重大な問題である。
安政の記録に徴するに、当時の江戸の人家が、一軒も残らず潰れてしまった訳ではない。かえって、潰れた家の数の方が、潰れない家の数に比すると遥かに少い。その他は大概、震災よりも火災のために焼失している。直接地震で潰れた家は、ほとんど悉(ことごと)く本所深川浅草等の、地盤の脆い下町にあって、江戸の大部分を占める山の手方面の建物は、割り合いに災害を受けなかった。この事実から推定すると、家屋の崩壊するとしないとは、建物自身の強弱よりも、むしろ建物の立っている地盤の強弱如何という事に、余計関係を持つようである。そうだとすれば、彼の家はいわゆる東京の山の手――小石川の高台に位するのだから、十中の八九まで、崩壊の憂はないとも云える。もし十中の八九でなく、十が十まで崩壊の憂がなければ、それこそ絶対に安全であるから、格別心配する必要はないが、こゝにどうしても、十中の一二分だけは崩壊のポシビリティーが残っていて、その僅かなる一二分のために、彼は非常な脅威を受けているのであった。
下町よりも山の手の方が地盤が強い。これは一般に確かに事実である。しかし安政の地震の際に、下町の災害が激甚であったのは、必ずしも地盤の脆いためのみならず、下町の位置が当時の震源地に近かったという原因もある。即ちあの時の地震の中心地は、今の亀戸駅の附近であった。それ故、今夜の地震が全く同一の地点に震源を置かない限り、山の手と下町との災害の程度が、安政の時のように顕著なる差異を示すかどうか、頗る疑わしい。不幸にして震源が山の手方面、殊に小石川にでも発生したなら、恐らく彼の家は滅茶々々に潰れてしまうだろう。そんな場合は極めて稀であるけれど、少くとも自分の家が多少は崩壊するものと、断定する方が間違いがないらしい。
次ぎに平屋よりも二階屋の方が、抵抗力の微弱な事は明瞭である。彼の家は総二階ではないけれど、ちょうど病室と北の廊下との真上に方(あた)って八畳と四畳半の二階座敷が載っている。だから彼の家の中で、一番危険なのは病室である。――そう気が付くと、彼は覚えず竦然(しようぜん)とした。――いざという時、たとえ遠くへ逃げる事が出来ないまでも、せめてこの病室からは是非とも逃げ出さなければならない。
かりに、二階が病室の上へ潰れて来るとして、天井の平面が規則正しく、垂直に沈下するはずはない。必ず幾分か曲ったり撓(しな)ったりして、凹凸を作りつゝ降りて来るであろう。つまり、梁(はり)が緩んだ場合には、二階の床の、一番重い物を載せている部分が、真先に下へめり込む訳である。そう考えると、最も危いのは八畳と四畳半との境界にあたる箇所である。そこには高さ六尺に余る、頑丈なオーク材の本箱があって、中には洋書が一杯に詰まっているから、多分五十貫目以上の重量が懸っている。不断からその辺の立て附けが狂っているのを見ても、いかにあの本箱の重いかという事は想像される。疑いもなく、そこが第一に潰れて来るに違いない。すると、その本箱の真下になるのは、病室の北の廊下であるから、大体において天井が北に歪(ゆが)みつゝ沈下するだろう。だから、病室を遁(のが)れる時にはなるべく北へ寄らないようにして、逃げ出す事を忘れてはならない。
病室の北を避けて逃げ得る道に、二つの方向がある。一つは南の庭である。一つは西隣りの六畳の座敷である。この座敷は平屋であって、おまけに箪笥(たんす)という、究竟(くつきよう)な庇護物が置いてあるから、病室よりは遥かに安全である。万一潰れても、遅く潰れるに極まっている。問題はただ、この六畳と南の庭と、いずれが余計安全であるかという点に帰着する。
天井の面が垂直に、病室の上に潰れて来ない事は前にも云った。それと同時に、天井板ばかりでなく、二階座敷全体もまた、必ず東西南北のいずれかへ傾きつゝ倒れる事は明瞭である。好い塩梅(あんばい)に、真北か真東へ倒れてくれゝば仕合わせであるが、もし少しでも、南か西へ傾くとすれば、庭と六畳との内、いずれか一つの上へ落ち懸って来る危険がある。なるほど本箱のある箇所は、そこの天井だけめりめりと凹(へこ)んで、真先に下へ落ちるであろう。しかし、例の本箱が北にあるからといって、必ず二階全体が、屋根ぐるみ北へ倒れるという理窟はない。思うに二階全体の倒れる方向は、本箱の位置よりも、むしろ地震の方向によって決定するだろう。即ち地震が北から来れば南へ倒れ、東から来れば西へ倒れる。これが一般の原則であろう。
彼の家は東西に細長く、南北に短かい建物であるから、地震が東西に揺れる際には、比較的抵抗力が強い。これに反して、南北に揺(ゆ)す振(ぶ)られたら、忽ち崩壊するかも知れない。そうすると、六畳の方へ二階座敷の倒れる時は、つまり東西の震動であって、非常に稀な場合である。よし倒れても、倒れるまでにはかなりの時間を要するであろう。反対に、庭の方へ倒れる時は南北の震動であるから、この場合には何らの猶予なく、即座に崩れかゝるであろう。それ故、南の縁側から直ちに庭へ飛び降りるのは、どうかすると甚だ危険である。地震が東西から来ても、南北から来ても、とにかく一旦西隣りの六畳へ落ち延びて、しかる後そこからさらに、もっと安全な避難所へ移るのが最善の手段である。
人はよく、地震の際に戸外へ出るのは危いと云うけれども、この説を一概に首肯する事は出来ない。土蔵の傍とか下見(したみ)の前とか、家屋の倒れかゝる範囲内の戸外に居れば、無論危いに違いないが、迅速にその範囲を逸脱して、広濶な地面へ逃げれば、今度は非常に安全である。安政の地震にも、いち早く家を飛び出して、広い四つ角のまん中などへ遁れた者は多く助かっている。もっとも、地割れというような恐れはあるが、これは地面が海中へ陥没するのと同様に、到底人力では防ぎ難い災(わざわい)で、そんな時には室内に居てもやっぱり助かる道理はない。彼の家は地盤の丈夫な小石川にあって、南の方から西南の方へ広濶な庭園を控えているのだから、結局その庭園の西の隅の地域、――即ちいずれの方面から見ても、家屋の倒れかゝる範囲外に位する地点、そこが彼の家中で最も安全な、絶対の避難所である。臨機の処置として、一旦西の六畳へ遁れた彼は、なお未だ完全に危難を脱しているのではない。最後に、何とかして今云った庭の西隅まで到達すれば、ここに始めて、滞りなく脅威を免れた訳である。
六畳の座敷にも、南に縁側があって、そこから庭へ降りるのに差支えはない。しかしそうすると今度は六畳の座敷自身が、縁側の外へ斜めに倒れて来て、未だ範囲外へ落ち延びないうちに、彼を後ろから圧し潰すという心配がある。いわんや彼は病体で、敏捷な行動が取れないのだから、この心配はますます多い。従って、六畳の座敷から直ちに庭へ出る事は禁物である。そこからもう一度、より安全な室へ遁れて、さて徐(おもむ)ろに機会を窺い、圧し潰される恐れのないのを見定めてから、悠々と庭へ抜け出した方がいい。………
どうしたのか、その時彼はぱっちりと眼を開(ひら)いた。が、相変らず意識はどんよりと曇って、心(しん)から眼覚めたのではないらしい。彼は今まで眼を潰って、大地震の避難策を講じていた事を想い出した。再び眼を潰れば、直ぐその思想が復活して、ついには何か形のある夢を育(はぐゝ)みそうであった。
ぼん、ぼん、ぼん、………と、時計が十時を打っている。彼の病蓐の傍には、薄暗い、陰鬱な電燈の明りを浴びながら、妻と子供とがすやすやと眠っている。
「あゝ、もう夜半だ。天変地異が刻々に近づいているのだ。己は大急ぎで、研究を続行しなければいけない。是非とも地震の来る前に、結論に到達してしまおう。」
彼はあわてゝ、再び思索に没頭した。
………かつ、夜半とは云え、こう厳重に四方の雨戸が締まっていては、庭へ出るにもおいそれという訳に行かない。そうかと云って、わざわざ妻を呼び起して、今から雨戸を明けさせるのも、あまり突飛な、臆病な話である。………
そうだ、雨戸なんかは岐路の問題だ。そんな事に頓着している余裕はないのだ。早く先(さつき)の論点に戻って、大急ぎで結末を附けなければ、ぐずぐずしていると間に合わない。大至急! ほんとうに大至急だ!
家屋が、東西に倒れる憂少く、南北に倒れる憂多しとすれば、彼は六畳の座敷から、どこまでも東西の線に沿うて逃ぐるに如(し)かない。ちょうど、母屋(おもや)の西端に二た坪ばかりの湯殿がある。云うまでもなく、それは頗る簡単な平屋造りで、床は頑丈なたゝきであるから、屋根の下ではここが一番最後に倒れる部分である。彼はまず、六畳の座敷から此の湯殿へ突貫する。そうして、あたかもディオゲネスのように、風呂桶の中へ身を潜めて、その上を蓋で塞いでおく。こうすれば万一湯殿が倒壊しても、彼は桶によって擁護されるに違いない。………ところで、湯殿には南と西とに出口があって、それが二つとも庭へ通じているのだから、………
もう少うしで結論に到達しようとする一刹那、彼の耳は、不意に、遠くの方で鉄瓶の沸(たぎ)るような音響を聞いた。
「あゝ、己は何という不運な人間だろう。もう少しという所で、とうとう地鳴りに追い付かれてしまった。………しかし、まだ地震が揺るまでには多少の余裕があるに相違ない。その間を利用して、己は一と息に結論を捕えてしまおう。」
そう思っている隙に、音響は一層接近したらしく、この世の破滅の知らせのように、殷々(いんいん)として深い地の底から湧いて来る。
「………南と西とに出口があって、それが二つとも庭へ通じているのだから、………あゝ神よ、願わくば今直ぐ結論に到着するまで、暫く地震を控えさせたまえ!」
彼は口の中でこう云いながら手を合わせた。そうしてなおも工夫を続けた。――二つとも庭へ通じているのだから、あくまでも東西の線に沿うて行く原則に律(のつと)り、南の出口を避け、西の出口の雨戸を外して庭へ飛び出し、そこから西の隅の地点へ、真直ぐに逃げる。既に湯殿へ遁れた彼は、潰されても心配はないのだから、出来るだけ沈着に、充分に機会を待って、ゆっくりと落ち延びるがいゝ。逃げる時には、たとえ体がふらふらしても、なるべく四つ這いに這わぬ事である。四つ這いになれば、どうしても圧し潰される面積が拡大するし、何かの際に身を転(かわ)す事が不自由になる。柱や植木に掴まっても、立って歩くに越した事はない。………
「さあ、これでもう結論が済んだ。大分地鳴りが強くなっている。己は一刻の猶予もせず、直ちに実行に取り掛ろう。今から支度を始めれば、大丈夫庭まで逃げられる。」
けれども彼が蒲団(ふとん)を撥ね除けて、立ち上ろうとする瞬間に、忽ち囂然(ごうぜん)たる爆音を発して、素晴らしい大震動が襲って来た。それは明治二十六年の七月の時のに比べると、十倍も二十倍も激甚であった。「あっ」という間に、座敷の床は自動車の如く一方へ疾駆し出した。………
彼は愕然として眼を覚ました。部屋の中には元のように、物静かな電燈の光が朦朧(もうろう)と漂うて、妻子はやっぱり眠っている。
「なぜ己は、こんな無気味な夢ばかり見るのだろう。今度こそほんとうに、己は夢から覚めたのであろうか。どうぞほんとうに覚めてくれゝばいゝ。群がり寄せる妄想の中から、何とかして早く逃れてしまいたい。」
彼は眼瞼(まぶた)をぱちぱちやらせて、一生懸命に気分を引き立てようと努めた。好い塩梅に、段々意識が判然とする様子であった。今度こそ間違いなく、眼が覚めて来るらしかった。その証拠には、今まで心に感じなかった歯の痛みが、再び Biri ! Biri-ri ! と、脳天へ響き始めた。………
(大正五年十月作)
ハッサン・カンの妖術
今から三四十年前に、ハッサン・カンという有名な魔法使いが、印度(インド)のカルカッタに住んでいて、土地の人は無論のこと、あの辺を旅行する欧米人の驚異の的になっていた事は、予もかねてから話に聞いて知っていた。しかし、予が彼についてやや詳細な知識を得るに至ったのは、つい近頃で、ジョン・キャメル・オーマン氏の印度教に関する著書の中に、この魔術者の記事を見出してからである。
この書の著者は、かつてラホールの大学に博物学の教授を勤め、印度の宗教や文学や風俗について、数種の著述を試みた人であるから、その云うところは十分に信頼するに足りると思う。著者はハッサン・カンの事を、まず次のように書き出している。――
Some thirty years ago, or thereabouts, Calcutta knew and took much interest in one Hassan Khan, who had the reputation of being a great wonder-worker, …… Several European friends of mine had been acquainted with Hassan Khan, and witnessed his performances in their own homes. It is directly from these gentlemen and not from Indian sources, that I derived the details which I now reproduce. ...............
オーマン氏は、欧羅巴(ヨーロツパ)人の目撃した妖術の実例を、二つ三つ列挙した末に、ハッサン・カンが自(みずか)ら人に語ったという言葉を引いて、彼が神通力(じんつうりき)を体得するようになった由来を述べている。伝うる所によると、この妖術者は生れながらにそのような力を持っていたのではなく、少年の頃はたゞ平凡な、一箇の回教の信徒であったが、ある日偶然、自分の村にさまようて来た印度教の僧侶に見込まれて、術を授かったのだという。僧侶は最初、ハッサン・カンに極めて厳格な四十日の断食(だんじき)を課し、さまざまな禁厭の方法や呪文の唱え方を教えた後、とある山陰の洞穴の前に連れて行って、窟(いわや)の中にあるものを見て来いという命令を下した。――"With much trepidation I obeyed his behests, and returned with the information that the only thing visible to me in the gloom was a huge flaming eye."――彼はその時のことをこう話しているが、物凄い、真暗な洞穴の奥には、一箇の、爛々と燃え輝く巨大な眼球が見えたのである。すると僧侶は、「それでよろしい。もうお前には神通力が備わっている。」と宣告して、試みに大道の石ころに向って一つ一つ印を結ばせた。そうしてさらにこう云った。「さあこれから家(うち)へ帰って、お前の部屋の戸を締めておいて、この大道の石ころを運んで来るように、お前の眷属(けんぞく)に命令してみるがいゝ。お前には人間の眼に見えぬ眷属が附いていて、いつでもお前の用を足すのだ。」――ハッサン・カンは云われるまゝに家へ帰って、自分の部屋の戸を閉じて、口の内で眷属に命令を云い渡すと、その言葉がまだ終るか終らぬうち、彼は不思議にも、例の石ころが忽然(こつぜん)と自分の足元に横(よこた)わっているのを発見して、云い知れぬ恐怖と驚愕とに打たれたという。
以上の話でも分るように、彼の魔法は主として彼の影身(かげみ)に添うているあるスピリット、即ちジン (djinn) と称する魔神の眷属が媒介となるのであった。しかもこのジンは、必ずしも彼に対して常に柔順な家来ではなく、どうかするとその命令に腹を立てたりするらしかった。現に、オーマン氏の知っている四五人の欧羅巴人が、ある時彼と共に食卓を囲みながら、この場へ直ちに一壜(びん)のシャンパンを出してみろという注文を、冷やかし半分に提出した事があった。彼は冷やかされたのが癪(しやく)に触ったのか、ひどく興奮した調子で、何やらぶつぶつとしゃべっていたが、やがて憤然と席を離れてヴェランダに立ち、虚空(こくう)に向って声を荒らげつゝ二たび三たび命令を伝えた。すると三度目の言葉が終るや否や、空中からシャンパンの壜がつぶての如く飛んで来て、鋭い勢でハッサン・カンの胸にあたり、床に落ちて粉微塵に砕けてしまった。
「どうです、これで私の魔法の力が分ったでしょう。しかし私はあまり性急に云いつけたので、ジンを怒らせてしまったのです。」
と、彼はその折一座を顧みて、息を弾(はず)ませながら云った。
まだこのほかにも、オーマン氏は彼に関する奇怪な逸話を紹介しているが、予は今こゝで、それを読者に取り次ごうとするのではない。予がこの小説の中で、特に諸君に語りたいと思うのは、近ごろハッサン・カンの衣鉢(いはつ)を伝えた印度人が、わが日本へやって来て、しかも東京に住んでいること、並びに予がその印度人と懇意になって、親しく幻術を実験したことである。それを諸君に話す前に予(あらかじ)め諸君の好奇心を唆(そそ)っておく必要から、予はたゞちょいと、オーマン氏の著書を引用したに過ぎないのである。
予が初めてあの印度人に会ったのは、たしか今年の二月の末か三月の上旬であったろう。ちょうど中央公論の四月の定期増刊号へ、玄弉三蔵(げんぞうさんぞう)の物語を寄稿する事になって、そろそろ執筆しかけている時分であった。ある日の朝、予はあの物語を書くために、アレキサンダア・カニンハム氏の印度古代地理とヴィンセント・スミス氏の「玄弉の旅行日誌」(The itinerary of Yuan Chwang) とを調べたくなって、上野の図書館の特別閲覧室へ出かけて行った。その折、予は予の隣に席を占めて、英語の政治経済の書籍を傍に堆(うずたか)く積み上げたまゝ、熱心に読書している一人の黒人を見たのである。勿論当時の予は彼について格別の注意を払わなかったが、たまたま予の繙(ひもと)いている物が印度に関する書冊であったために、彼の方では多少の好奇心を起したらしく、予の風采や挙動などを、頻(しき)りにちらちらと偸(ぬす)み視るような様子であった。予はそれから暫らく図書館に通って、毎日朝の十時頃から午後の二時頃まで、相変らず印度古代の地理や風俗を調べていると、例の印度人も必ず近くの椅子に陣取って、時々何か話しかけたそうに、じっと予の方を見詰めているらしかった。年配は三十五六かと思われる、小太りに太った、やゝ背の低い体格の男であった。豊かな漆黒の髪を綺麗に分けて、いつも紺羅紗(こんラシヤ)の背広服を着て、一日は暗緑色のネクタイにラッキー・ビーンのピンを飾り、他の日には黄橙色の羽二重のネクタイにブラックストーンのピンを刺していた。とにかく、その服装はあまり上品な感じを与えなかったにもかかわらず、そのでっぷりした円顔の中にある、冴えた大きな瞳と、濃い長い眉毛(まゆげ)と、厚い唇の上に伸びている八字髭(ひげ)と、それから小鼻の両側に刻まれた深い皺(しわ)とは、エジプトのプリンスが所蔵しているという中世印度の肖像画の、タメルランの容貌に髣髴(ほうふつ)とした趣があって、一種の威厳と柔和とを含んでいるように思われないでもなかった。
予は二日目あたりから、いつかこの印度人と懇意になってしまいそうな、ぼんやりした期待を抱き始めたが、しかし三日目までは別段そういう機会もなくて済んでいた。ところがちょうどその日の朝のことである。特別閲覧室に隣接している目録室の、欧文のカード・キャタローグの "In………" の部の抽(ひ)き出しを開けて、予が専(もつぱ)ら "Indian mythology" の参考書を漁(あさ)っていると、例の黒人はそこから少し隔った "R………" の部の抽き出しを開いて、何か書物を捜し求めているらしかった。予はその時咄嗟(とつさ)の間に彼が "R………" の中で調べているのは "Revolution" の項ではなかろうかと思ったりした。――そう思ったのは、多分彼が印度人であって、この間から重(おも)に政治経済の書を読んでいる事を、うすうす知っていたせいであろう。――するとやがて、彼は "R………" の抽き出しを閉じて "P………" を開いた。予はまたその時も "Politics" もしくは "Political economy" の文字を聯想させられた。彼は幾冊かの書物の名を、鉛筆で紙片へ書き留めながら、間もなくさらに "P………" を閉じて "K ………" に移り、アルファベットの順に並んでいる目録の抽き出しを、次第に逆に遡(さかのぼ)って、だんだん "I………" の方へ近づいて来るのであった。そうしてしまいには予と擦れ擦れになって、現在予が手をかけている筐(はこ)の中の、しかも同じく "Ind………" の部分を覗(のぞ)き込むようにしながら、極めて突然、
「私もこのケースの中に見たい物があるのですが、あなたは何をお調べになりますか。」
というような言葉を、もう少し拙(つたな)い日本語で話しかけた。
「私もこの "Indian mythology" の所を調べていますが、大分手間がとれますから何卒(どうぞ)お先に御覧なさい。」
予はこう答えて目録から首を擡(もた)げた際に、眼の前に立っている印度人の、鼻端の両側の窪(くぼ)んだ所が、さながら煤(すゝ)が溜ったように真黒であるのを見つけ出して、頗(すこぶ)る奇異に感じた事を覚えている。
「あゝそうですか。私は Industry のところをちょいと見せて貰えばいゝのです。直(じ)きに済みますから、ちょいと私に貸して下さい。」
彼は「ちょいと」と云う度毎に、にこにこしながら軽く頭を下げて、その抽き出しを譲り受けた。
こんな出来事が縁になって、それから一日二日の間に、二人はとうとう懇意になってしまったのである。
予は最初彼が印度人である事に興味を感じて、一時の好奇心から附き合っているに過ぎなかったが、だんだん話をしてみると、思いのほかに多方面な趣味と知識があるらしかった。殊に驚いたのは宗教や美術に関する造詣(ぞうけい)の深い事で、予が印度古代の建築や風俗を知るために、適当な参考資料はないかと云うと、彼は言下にデヴィス、カニンハム、フウシェエなどの著書の名を五つ六つすらすらと挙げて、予を少からず煙(けむ)に巻いた。何でも生れはパンジャブのアムリツァルで、婆羅門教(ばらもんきよう)を奉ずる商人の息子であるが、四五年前に、高等工業学校へ入学する目的で日本へやって来たのだと云った。
「しかしあなたは、先日政治経済の本を頻(しき)りに読んでいましたね。」
予がこう云って不審がると、彼は言葉を曖昧(あいまい)にして、
「なあに別段、政治経済と限った事はありません。私は何でも手あたり次第にいろいろの物を読むのです。――実は高等工業学校の方を去年卒業してしまったのですが、印度へ帰っても面白い事もありませんから、こうしてぶらぶら遊んでいます。一つ日本の文学でも研究してみましょうかね。」
などゝ、いかにも閑人(ひまじん)らしい口吻を弄する様子が、どことなく普通の留学生と違っていて、事によったら「印度の独立」を念頭に置く憂国の志士ではあるまいかと、思われるような節(ふし)もあった。
もう一つ、彼について意外に感じたのは、互に名乗り合う以前から、彼が予(あらかじ)め予の名や職業を心得ていた事である。
「あゝ、そうですか、あなたが谷崎さんですか。私はあなたの小説を読んだ事があります。」
と、彼は云った。聞けば宮森麻太郎氏のリプレゼンタティヴ・テエルズ・オヴ・ジャパンを繙(ひもと)いた時、巻頭に載っていた英訳の「刺青」を非常に面白く読んだので、それ以来「タニザキ」という名を覚えていたのだそうである。
「――それで分りました。あなたは今度、何か印度の物語を書こうとしているのでしょう。この間から印度の事を大変委(くわ)しく調べているから、私は妙だと思っていました。失礼ですが、あなたは印度へいらしった事があるのですか。」
予が「いゝえ」と答えると、彼は眼を円くして、詰(なじ)るような口調で云った。
「なぜ行かないのです? この頃は宗教家や画家が盛んに日本から出かけて行くのに、あなたはどうして行かないのです。印度を見ないで印度の物語を書く? 少し大胆過ぎますね。」
予は彼に攻撃されて、耳の附け根まで真赤にしながら、慌てゝ苦しい弁解をした。
「私が印度の物語を書くのは、印度へ行かれないためなんです。こう云うとあなたに笑われるかも知れないが、実は印度に憧れていながら、いまだに漫遊の機会がないので、せめて空想の力を頼って、印度という国を描いてみたくなったのです。あなたの国では二十世紀の今日でも、依然として奇蹟が行われたり、ヴェダの神々が暴威を振ったりしているというじゃありませんか。そういう怪しい熱帯国の、豊饒(ほうじよう)な色彩に包まれた自然の光景や人間の生活が、私には恋しくて恋しくて堪(たま)らなくなったのです。それで私は、あの有名な玄弉三蔵を主人公にして、千年以前の時代を借りて、印度の不思議を幾分なりとも描いてみようと思ったのです。」
「なるほど、玄弉三蔵はいゝ思い附きですね。いかにもあなたが云うように、印度の不思議は二十世紀の今日でも、玄弉三蔵が歩いた時代とあまり違ってはいないでしょう。私の生れたパンジャブの地方へ行けば、科学の力で道破することの出来ないような神秘な出来事が、未だにほとんど毎日のように起っています。………」
二人がこんな話をしたのは、天気の好いある日の午後、昼飯を済ませて図書館の裏庭を散歩している折であった。前にも云ったように、それほど日本語の巧みでない彼は、少し込み入って来ると知らず識らず英語を交えて、ブライアのパイプを握った右の手頸(てくび)を上げ下げしつゝ、静かな、しかし力のある語気で云った。
予の好奇心はその時いよいよ盛んになった。あたかも玄弉三蔵の物語を書こうとしている際に、この印度人と相知るようになったのは、願うてもない仕合わせである。彼の故郷のパンジャブ地方に、現在行われつゝある不思議というのは如何なる事か、予は直ちに質問を試みないではいられなかった。
「神秘な事件というと、たとえばどんな事でしょうか。参考のために伺いたいと思いますが、………」
予はこう云いかけて、ふと、彼の顔色を窺ったが、まだ何かしら云いたい事があったにもかかわらず、それきり次ぎの言葉を出さずに、黙って凝視を続けるべく余儀なくされた。なぜかと云うと、今まで機嫌よくしゃべっていた彼の相貌が、予の質問を発する瞬間に恐ろしく変ってしまった事を発見したからである。彼は火の消えかゝったパイプを口に啣(くわ)えたまゝ、南向きの、日あたりのいゝ樹に凭(もた)れて、両腕を固く組んで俯向(うつむ)きながら、上眼づかいにじっと一方を眺めている。――その眼はいつの間にか、眉毛の下の、深く窪んでいた眼窩(がんか)の中に這入(はい)り切らぬほど、大きく一杯に押し拡がって、黒眼と白眼との境界がくっきりと分るように冴え返っていた。その眼は、陰翳というものゝ微塵もない、西洋料理に使う磁器の皿のような地色と硬さとを持つ眼であった。真白な西洋紙のまん中へ濃い墨の斑点を打ったような、全く潤おいのない、鋭い光というよりも底気味の悪い明るさを持つ眼であった。そうしてどこか遥かな所で聞える物音に注意を凝らすが如くであった。また額には、上眼を使っているために、太いだぶだぶした皺が重畳(ちようじよう)として起伏していた。予はその皺の夥(おびただ)しい数と逞(たく)ましい波状とについても、普通の人の額に刻まれるものとは非常に違っている事を看取せずにはいられなかった。要するに全体の表情が沈鬱、恍惚、悔恨、などのいずれをも含んでいるような、いずれとも異なっているような、一見して甚だ奇異の感じを抱かせるものであった。
彼の怪しい瞳は、予が呆然として彼の姿を睨み詰めている間、ついに一遍も予の方へ注がれなかった。予はそれでも、あまり長く沈黙するのを不自然であると悟ったので、暫らくしてから、
「ねえ、どうでしょう、その話を私に聞かせてくれませんか。」
と、遠慮深く尋ねてみた。
すると、遠くを眺めていた彼の瞳は、やがてぐるりと眼窩の中で一廻転して、予の方へ向けられたが、それは予の顔に注意するというよりも、以前の物音が予の顔の中に聞えるのであるらしかった。しかも依然として上眼を使っていて、例の額の皺の数は、洗い出しの木目(もくめ)の如く、微動だもする様子がない。
「………ねえ、どうでしょう。その話を………」
重ねてこう云いながら、予は口元に作り笑いを浮べて、彼の鼻先へ乗り出して行った。けれども彼は相変らず黙々として、たゞあくまでも視線を予の方へ注いでいる。そうするうちに、彼の眼球はますます大いさと明るさとを増して来て、予の胸の奥の、何かひやりとしたものに触れたようであった。予は何らの理由も予感もなしに、突然かすかな身ぶるいが襲って来るのを覚えた。
とうとうその日は、それきり彼と話をする機会がなかった。予が裏庭から閲覧室へ戻ると、ほどなく彼も這入って来たが、始終澄まし込んで、無愛想な面つきをしていた。どういう訳で、彼の態度はこんなに急変したのであろう。予は彼に視詰(みつ)められた時、何故(なにゆえ)戦慄を感じたのであろう。――こういう疑問は当然予の心を囚(とら)えたけれども、しかしそれほどいつまでも予を悩ましはしなかった。恐らく彼は、世間によくある気むずかしやの人間で、一日の内に二度も三度も機嫌の変る性分なのに違いない。彼の瞳が予を怯(おび)えさせたのは、この頃神経衰弱に罹(かか)っている予の感覚が、たまたま珍しい人種の眼の色に接したためにあり得べからざる幻影を見たに違いない。予はそういう風に簡単に解釈した。
しかるに、彼の不機嫌は思いのほか長く続いて、その後毎朝閲覧室で出遇っても、まるきり予の顔を忘れてしまったように、一言の挨拶をもしなかった。今日は機嫌が直るだろう、明日はきっと直るだろう。――予は図書館を往復する道すがら、そういう期待を抱かずには居られなかったが、一日立ち、二日立つうちに、だんだん望みが絶えて行って、結局このまゝ交際が断たれてしまいそうな、覚つかない心地もした。運よく彼と懇意になったのに、雑誌の締切りが近づいて来る結果、せっかくの話を聞く暇もなく、稿を起さなければならない事が、予にはこの上なく口惜しかった。正直を云うと、予はもう大略参考書を調べ終って、図書館の必要もなくなっていながら、何とかして彼の話を聞きたさに上野へ通っているのであった。そうして、ちょうど四日目の朝になった時、予は是非とも今日のうちに話を聞くか、あるいはあきらめて筆を執るか、いずれかに極めてしまおうと思った。
その日は、長らく吹き続いた北風が止んで、今年になって始めての春らしい陽気であった。小石川の予の家からは、電車の便が悪いので、俥(くるま)で往くことにしていた予は、団子坂を走らせながら、遥かに上野の森を望むと、そこにはもう、霞(かすみ)が棚引いているのかとさえ訝(あや)しまれるほどの、うらゝかな青空が、暖かそうに晴れ渡っていた。桜木町辺の、新築の家が並んでいる一廓には、ところどころの邸の塀越しに蕾(つぼみ)を破った梅の花が真珠のように日に映えていた。予は何となしに、毎年季節の変り目に感ずるような生き生きとした喜びが、疲れた脳髄に沁(し)み込んで行くのを覚えた。
その喜びは、図書館の前に俥を乗り捨てた後までも、なお暫らく続いていた。予は威勢よく階段を馳せ上って、閲覧室へ這入って行くと、まず何よりも大きな洋館の窓の外の、紺碧(こんぺき)の色に心を惹かれて、一番壁に近い方の空席を占領した。そうして、外から忍び込む爽(さわ)やかな気流を深く深く吸いながら、じっと大空を仰いでいると、白い柔かい雲の塊が、巍然(ぎぜん)として聳(そび)え立つ図書館の三階の屋根の上を、緩(ゆる)く絶え間なく越えて行くのであった。予の眼は本を読む事を忘れて、長い間それをうっとりと眺めていた。しまいには雲が動かないで、図書館の屋根の方が蒼穹(そうきゆう)を渡って行くように見えた。
例の印度人は、大分離れた場所に席を取って、予の方へ背中を向けて、英字新聞の綴じ込みらしいものを余念もなく筆記していたが、やがて、煙草でも喫(の)みたくなったのであろう、ふいと立ち上って室の外へ姿を消したきり、容易に戻って来なかった。
「――そうだ、きっと裏庭を散歩しているに相違ない。彼を掴(つか)まえるのは今のうちだ。」
こう気がつくと、予は急いで裏庭へ降りて行った。
上野の図書館へ通ったことのある人は、多分知っているだろう。その裏庭は音楽学校に隣接していて、境界の所にさゝやかな土手が築かれている。予は、とある植え込みの蔭に身を寄せて、忍びやかにあたりを見廻すと、今しも印度人が土手の下に蹲踞(うずくま)りつゝ、ブライアのパイプから、鮮やかな煙を吐いているのを認めたのである。煙は、まるで粘(ねば)っこい飴(あめ)のように、しっとりと凝り固まって、真赤な彼の唇を絹糸の如く流れ落ちて、静かな朝の、澄み切った大気の中に浮かんで行った。彼の顔色はこの四五日来の曇りが取れて、絵に画いた達磨(だるま)のように円々と穏和であった。ちょうどその折、音楽学校の教室の方から、慵(ものう)げに響いて来る甘い柔かい唱歌の音(ね)につり込まれながら、半ば無意識に爪先で足拍子を蹈(ふ)んでいるのが、機嫌のよい証拠であるように感ぜられた。予はつかつかと彼の傍に姿を現わして、わざと平然たる態度を装い、
「お早う。」
と、快活な調子で云った。
彼は素直に項(うなじ)を擡げて、しげしげと予の額のあたりを注視しているようであったが、晴れやかな眉の間には、見る見るうちに疑り深い表情が色濃く湛えられた。その眼つきの激しい変りかたは、日向(ひなた)ぼっこをしている猫が、物に驚いた時の様子によく似ていた。予は心中に「しまった」と思いながら、強いて馴れ馴れしい眸(まなざし)をして、なおも何事かを云おうとすると、あたかもそれを制するが如く、にわかに彼はぷうッと面を膨(ふく)らせて徐(おもむ)ろに首を左右に振った。
何という妙な男だろう。何か予に対して感情を害しているのかしらん。――予はいろいろに考えてみたけれど、別段そんな覚えはなかった。むしろ印度という国の不思議さが、この男に乗り移っているような心地がした。予は漠然と、彼の持っている奇怪な性癖が、一般の印度人に共通なものであって、しかもわれわれ日本人の到底理解することの出来ない、心理作用であるかのように想像した。
とにもかくにも、その時まで僅かに望みを嘱(しよく)していた予の計画は、全然画餅(がべい)に帰したのである。もうこの上は断念して、明日から早速執筆するより仕方がなかった。せっかく図書館へ来たついでに、参考の足しになりそうな書籍を二三冊繙いた後、戸外へ出たのは日暮れ方の五時過ぎであったろう。地上の夕闇が刻一刻に、舞台の電気仕掛のように急激に濃くなって、見ているうちに夜に変ろうとする刻限であった。山下から電車に乗るつもりで、公園の森の中をさまようて行った予は、周囲が暗くなるのではなくて、自分の視力が衰えつゝあるような心細さに襲われた。遠くきらきらと瞬いている動物園のアーク燈の光を視詰めていると、鬱蒼(うつそう)とした園内の樹木の蔭から、丹頂の鋭い啼き声が一二遍聞えて、さながら空谷に谺(こだま)するように、反響を全山に伝えて行く。予は駱駝(らくだ)のモオニングに厚い羅紗(ラシヤ)の外套(がいとう)を纏(まと)うていたが、昼間の温度に引き換えて、冷え冷えとした気流の襟(えり)もとに沁み入るのを覚えた。今朝家を出る時に、「晩の御飯には大根のふろふきを拵(こしら)えましょう。」と云った妻の言葉が想い出されると、急に疲労と空腹とを感じて、予の足取りは自(おのずか)ら速くなった。
ふと、自分が今歩いている路は、上野の公園ではなくて、どこか人里を離れた、深山の奥ではあるまいかというような、取り止めのない考えが朦朧(もうろう)と予の念頭に浮かんだ。現在自分の身辺を包んでいる闇黒と寂寥(せきりよう)と、亭々たる無数の大木とは、予にこのような空想を起させるのに十分であった。予は暗闇を辿(たど)っているうちに、自分の服装や容貌までが、全然別箇の人間に変っているような気分になった。自分が今朝、俥に乗って出て来た小石川の家や、つい先(さつき)まで本を読んでいた図書館や、そういう物の在る世界は、ここから非常に隔(へだた)った、遠い彼世(あのよ)の幻であって、そこへ行けば以前の自分が今頃大根のふろふきを喰べているのではなかろうか。あるいはまた、人間の肉体から魂の抜け出す事があるとしたら、今の自分は魂だけになっているのではあるまいか。それとも自分は、現在夢を見ているのだろうか。――予は念のために、今来た路をもう一遍引き返して、図書館の前まで戻ってみようかしらんと思った。いくら戻っても戻っても図書館などはあるはずがないような心地がした。今から僅か十分か十五分の後に、賑かな灯の街へ出て、電車に乗って、多数の人間と肩を擦り合いながら、小石川の家へ帰る事が出来るとすれば、それこそかえって夢に違いない。………
「谷崎さん、………」
その時、予の後ろから、妙にもぐもぐと口籠(くちごも)った、曖昧な声で、予の名を呼びかける者があった。予の妄想は突然破れた。
「谷崎さん、………あなたは今お帰りですか。」
予は殊更に路のない林の中を縫っていたのに、相手はかかる暗闇で、いかにして予を認めることが出来たのか、それが第一に不思議であった。予は簡単に「えゝ」と答えたまゝ、物に襲われたようになって、急ぎ足で東照宮の鳥居の傍の、アーク燈の明るみの方へ出て行った。
振り返って見ると、相手は彼(か)の印度人であった。茶の中折を眼深(まぶか)に被って、寒そうに外套の襟を立てゝ、いつの間にか予とほとんど肩を並べている。予が彼の声を判じ得られなかったのは、彼の唇に黒びろうどの襟巻が纏わっているために、発音がはっきりしなかったせいであろう。
暫らくの間、二人は黙って爪先を見詰めながら歩いていた。ちょうど精養軒の前から、清水堂の下あたりまで行くうちに、彼は一遍ごほんと咳(せき)をしたゞけであった。予は勿論たびたび失敗を重ねているので、十分に相手の意図をたしかめずには、横眼で見る気にもなれなかった。
「タニザキさん、私は大変失礼しました。………」
彼がこう云ったのは、もう公園の出口に近づいた時分である。語り出すと同時に、彼はにわかに活気づいて、携えていたステッキを振り上げて、頭の上の桜の枝を払ったりした。
「私は以前、どうかすると、不意に気分が憂鬱になって、人と話をするのが嫌になる事がありました。その憂鬱は三日も四日も、ある時は一と月も続きました。しかし先年日本へ来てからさっぱりそれがなくなっていたのに、この四五日来、久し振りで発作(ほつさ)がやって来たのです。私は非常に失礼しました。あなたが私に話があるのを知っていながら、私は全くどうする事も出来ませんでした。」
「あゝそうでしたか、それならほんとうに安心しました。私はまた、あなたが何か私に対して、感情を害して居られるのかと思って、この間から心配していたのです。」
予は欣然(きんぜん)として答えたのであった。実際、その日は甚しく落胆して、到底明日から創作に従事する気力がなく、いつも執筆の間際(まぎわ)になって感ずるような、精神の緊張が失われていたのであった。予は広小路の時計台を眺めながら、
「どうです、今ちょうど六時ですが、少しその辺を散歩して、一緒に晩飯をたべてくれませんか。お察しの通り、私は至急に、あなたにいろいろ伺いたい事があるのです。」
こう云うと、彼は早口に「よろしい、よろしい。」と、愉快そうな声で応じた。
その晩、「玄弉三蔵」を書き上げるのに必要な事項を、予が一と通り聴き取った場所は、池ノ端の「いづ栄(えい)」の二階であった。最初はどこかの洋食屋へ行くつもりであったが、入れ込みの座敷では万事に都合が悪いので、ここの一室を択(えら)んだのである。予は予(あらかじ)め、質問の要領を手帳に列記しておいて、歴史、宗教、地理、植物等の、広汎な範囲に渉(わた)って、片端から尋ねて行くと、彼は立ちどころに逐一説明を与えてくれた。やがて話題はいわゆる「現代印度の奇蹟」に移って、彼が親しく目撃したという、パンジャブ地方の預言者や仙人の、不思議な妖術や物凄い苦行の実例が、滔々(とうとう)として彼の唇から縷述(るじゆつ)された。およそ二時間ばかりというもの、予はほとんど息をもつかずに、無限の感興に浸りながら耳を欹(そばだ)てた。
「………一体、印度人の信仰から云うと、Asceticism ということ、つまり難行苦行(なんぎようくぎよう)の法は、人間が神に合体するために是非とも必要なものなんです。われわれの持っている『悪』は、すべてわれわれの物質的要素、――即ちこの肉体から来るのですから、能う限り肉体を苦しめる事によって、われわれの霊魂はだんだん宇宙の絶対的実在と一致します。これを仏教の言葉で云えば、起信論にいわゆる浄法薫習(じようほうくんじゆう)という事です。われわれの肉体を苦しめる度が、より強ければ強いだけ、それだけ高く霊魂は神の領域に上って行きます。そこで今度は、こういう事が云われるようになりました。――今まで肉体の牢獄に繋(つな)がれていた魂が、次第に宇宙の精霊に薫習するに従って、ついには反対に、物質の世界を支配するようになる。自分の肉体は勿論のこと、それを包んでいるあらゆる現象の上に、絶対無限の自在力を持つようになる。結局どんな人間でも、難行に服しさえすれば、この世の中の事は、必ず自分の思うがまゝになるというのです。」
彼はしゃべっているうちに、盛んに日本酒の杯を挙げた。そうして、いつの間にか予の質問をそっちのけに、まるで演説のような口調で、止めどもなく雄弁になった。
「………だからここにある人間があって、何か一つの神通力を得たいと思えば、難行の功徳(くどく)でその目的を達する事が出来るのです。あなたは多分マハバアラタの中にある二人の兄弟の話を覚えているでしょう。彼らは三世(スリーワールズ)を支配しようという祈願を立てゝ、さまさまの難行に服しました。たとえば頭の頂辺(てつぺん)から足の先まで、体中に泥土を塗って、木の皮の衣(ころも)を着て、人跡稀なるヴィンディヤの山巓(さんてん)に閉じ籠ったり、爪先で立ったり、数年間も眼瞬(まばた)きをせずに眼を開いていたり、断食断水を行ったり、それでも目的が遂げられないので、最後には自分の体の肉を割いて、火に投じたりしたのでした。この時ヴィンディヤの山は燃ゆるが如き兄弟の信仰のために熱を発し、天地の神々は兄弟の宿願の大規模なのに恐怖を感じて、能う限りの迫害を加えました。しかし彼らはついにこれらの困苦に打ち克(か)って、梵天(ブラアマ)から望み通りの権力を授けられたのです。以上の神話でも分るように、難行の目的は必ずしも罪障消滅にあるのではなく、むしろこの世で擅(ほしいまゝ)なる暴威を振い、もしくは敵を征服したいというような、反道徳的の動機のものが多いのです。畢竟(ひつきよう)、不屈不撓の意志をもってあくまで苦行を続けさえすれば、その人間はどんなに偉大な宿願をも成就する事が出来るのですから、一とたびそういう行者が現われると、ほかの者は、人間でも神様でも大恐慌を来たします。その証拠には昔ウッタナバダ王の王子で、僅か五歳の少年が大願を発したために、世界中の神々が大騒ぎをしたという伝説があります。少年は継母の妃に虐待されて、国王の位を継ぐ事が出来ない代りに、宇宙第一の権力を得ようとして、天人、夜叉(やしや)、阿修羅などの妨害を物ともせず、執拗に難行を継続しました。すると神々は驚き惶(あわ)てゝヴィシェヌの大神の救いを求め、ようやく大神の調停によって、少年の希望に制限を加えたのです。そこで、少年の魂は天に昇って北極星となりました。かくの如く、人間の難行苦行は神々の脅威となるばかりでなく、神々自身もまた難行を必要とする場合があって、かの造物主の梵天(ブラアマ)さえ、行を修めなければならないのです。………」
だんだん酔が循(まわ)るにつれて、彼の大きな冴えた瞳は、ねっとりと油を滴(た)らしたように潤おっていた。彼は非常に物をよく喰う男であった。器用な手つきで箸(はし)を使いながら、二人前の中串の鰻(うなぎ)を見る見るうちに平(たいら)げてしまったが、片手は絶えず杯に触れていた。そうして、たまたま話に身が入って来ると、忽ち箸と杯とを捨てゝ、あぐらを掻いている両足の親指の先を、両手で頻(しき)りにぐいぐいと引張るような癖があった。
「いや、有難う。これだけ話を伺えば、私は大きに助かります。どうぞ今夜はゆっくりと飲んで下さい。」
予はノート・ブックを閉じて、料理と酒とをさらに追加しなければならなかった。
「私はカバヤキが大好きなのです。酒なら日本酒でも西洋酒でも、何でも構わず飲むのです。――印度人は愛国心がない代りに、コスモポリタンですからな。」
こんな皮肉らしい冗談を云って、大声で笑い出した時分には、彼はもう泥酔に近くなっていた。予はその真黒な、触ると埃(ほこり)が手に着きそうな襟頸の辺が、火照(ほて)って光っているのを見た。
「タニザキさん、私は今夜は非常に愉快です。日本へ来てから今日まで一人も友達がなく、始終孤独で暮らして来たのに、あなたのような有名な小説家と、親密になる事が出来たのはこの上もない光栄です。ねえ、タニザキさん、どうぞ私の酒を飲むのを許して下さい。私は元来酒飲みで、毎晩ウイスキイをやるのですが、今夜のように酔っ払ったことはめったにありません。あなたは多少迷惑かも知れませんが、多分堪忍してくれるでしょう。」
予はたしかに迷惑であった。この印度人と懇意になる事を願ってはいたものゝ、今夜はなるべく、一二時間で用談を済ませて、感興の消えやらぬ間に、一枚でも半枚でも稿を起してみたかったのである。しかるに彼は予にいつまででも相手をさせて、一と晩中しゃべり続けそうな気勢であった。しまいには膳を押し除(の)けて、その髯面(ひげづら)をほとんど頬擦りせんばかりに近寄せながら、予の右の手をしっかりと捕えた。
「………ねえ、タニザキさん、私は今夜あなたと友達になった証拠に、自分の身の上を話そうと思うのです。私はこの間、商人の息子だと云いましたが、あれは全く(うそ)なんです。実は商人の息子でもなく、婆羅門教の信者でもありません。私は今はフリー・シンカアです。そうして私の父というのは、パンジャブの国王、デュリープ・シングの家臣でした。――こう云ったらばあなたは恐らく、私がどんな人間だかお分りになったでしょう。」
彼は予の手頸をぐいと引張って、何か謎(なぞ)をかけるような眼つきで、暫らく予の瞳を見据えていた。予はデュリープ・シングの名を聞くと同時に、果して彼が曲者(くせもの)である事を、――革命党の志士である事を推量せずには居られなかった。なぜかと云うと、デュリープ・シングというのは、千八百四十九年に、パンジャブが英国に併呑(へいどん)された時の国王であって、彼はその後、英国に対して一とたび叛旗を飜した事を、ついこの間参考書の中で読んでいたからである。
「分りました。私は始めから、あなたがそういう人間ではないかと、想像していたのです。やっぱり私の考えていた通りでした。」
「ふん、あなたはえらい、あなたはさすがに小説家だ。」
彼はこう云って軽く予の肩を叩きながら、詳細に自分の閲歴を語り出した。その話によると、彼の父親はデュリープ王に寵愛された侍従であって、祖国が併合の厄難に会った時、王に随行して欧羅巴に渡り、長らく英国に逗(とゞ)まっていた。その頃国王はまだ頑是(がんぜ)ない少年であって、父もようやく二十(はたち)を越した青年に過ぎなかった。二人は彼(か)の地で泰西の教育を受け、基督教の信徒となったが、数年の後、全くイギリス風の紳士と化して、父は再び印度に帰って来たのである。そうして、二度目の妻を娶(めと)って、カルカッタに住んでいた間に、生れたのが彼であった。
「………欧羅巴の文明の空気を吸って来た父の思想は、その時分からだんだんオリエンタリズムに復帰し始めたようでした。私は早くから父に英語を習っていましたが、やがて英語よりもサンスクリットが必要だと云い出して、ヴェダの経文を覚えさせられました。子供のことで、ハッキリした事情は分りませんでしたが、父は何でも晩年に及んで、不平と煩悶とのために、始終いらいらした、面白くない余生を送っていたようです。彼は英国人の政治のしかたを、いや、むしろ一般に西洋の科学的文明というものを、恐ろしく呪っていました。その結果一旦帰依(きえ)した基督教の信仰を捨てゝ、婆羅門教に改宗したくらいでした。」
彼はさらに言葉をついで、最後に父が国王の叛乱に加担した折の、幼い記憶を予に語った。そうして、祖国の独立に関する意図と画策とは、自分が父から受け継いだ唯一の遺産であると云った。
「………たとえ失敗に終ったとは云え、私は父の事業に対して、満腔の同情を持っていますが、たゞあの時分の、父の思想の傾向については、多少間違っている所があろうと思うんです。私は父があまり極端な西洋嫌いになったのが、悪かったのだと思います。つまり、欧羅巴の物質的文明を軽蔑し過ぎた事、就中(なかんずく)科学の価値を否定した事、これはたしかに父の大きな誤りでした。今日(こんにち)印度の大陸が英国人の有に帰して、容易に独立の機運を作り得ないのは、みんなわれわれの同胞が私の父と同様に、科学的文明の力を覚(さと)らない結果なのです。東洋流の虚無思想に惑溺(わくでき)して、物質の世界を閑却している結果なのです。………」
彼の話題は、ようやく彼の最も興味を有するらしい方面に落ちて行った。予は眼前に、酒を呷(あお)って国事の非なるを慨嘆(がいたん)する燕趙悲歌(えんちようひか)の士を見たのである。彼は口を極めて祖国の人民の無気力を罵倒し、迷信を呪咀(じゆそ)し、社会制度を非難した。印度に立派な宗教や、文学や、芸術などが存在したのは、遠い昔の夢であって、今ではたゞ懶惰(らんだ)なる邪教と蒙昧(もうまい)なる妖法との栄えている、「あなたの小説の材料にしかならない国土」だと云ったりした。
「私は勿論、精神よりも物質の方が貴いと云うのではありません。東洋の哲学が、西洋のそれに劣っていると云うのでもありません。しかし、とにかく、祖国が完全に独立するためには、徒(いたず)らに政権を回復しようと焦るよりも、むしろ人民の間に科学的知識を鼓吹し、経済思想の開発を促すのが急務だろうと信ずるのです。そうして、全印度の人民が物質的文明の恩沢を知り、十分にそれを消化し利用するようになったならば、独立の機運は自然に熟して来る訳で、日本帝国の勃興はその適例だろうと思うのです。」
彼はこういう見地から、一つにはまた英国官憲の監視を逃れる必要から、なるべく露骨なる政治運動に関係する事を避けて、専(もつぱ)ら電気工業や化学工業に関する学問を研究した。それで日本へやって来て、高等工業学校の電気科を卒業したのであるが、実はこれからどうしたものかと、目下のところ方針に迷っている。最初の計画では、卒業後直ちに帰国したならば、普(あまね)く同胞の資本家を糾合(きゆうごう)して、西洋人の財力や知識を藉(か)らずに、何か殖産興業の株式会社を起そうという考えであったけれど、とても自分の力では、今から急にそういう仕事が出来そうもない。結局、もう一二年日本に滞在する事にして、現在では諸方面の工業会社の経営方法を、実地について視察したり見学したりする傍(かたわら)、各国の法律や歴史や制度文物を調べている。自分はあくまでも実業を手段とし、独立運動の伝播(でんぱ)の方を本来の目的とする者で、あまり迂遠(うえん)な道を取りたくないから、将来国へ帰ったら会社を組織する一面に、多数の技師を養成して、彼らに理化学以外の学問――政治経済の知識をも注入し、隠密(おんみつ)の間に愛国心を喚起して、革命の種子を植え付けようと企てゝいる。
「どうです、私はかなり遠大な計画を持っているでしょう。ちょうど日本の頼山陽が『歴史』によって尊王討幕のムーヴメントを刺戟したように、私は『実業』によって独立の機運を導こうというのです。いくら革命々々と云って騒いだって、金がなければ全く手も足も出ませんからね。――どうです、私の考えは間違ってはいないでしょう。私はたびたび友達から夢想家だと云って笑われますが、そんな事はないでしょう。あなたは一体どう思いますね。」
「さあ、あなたの事はよく分らないが、一般に印度人は空想の力が豊富に過ぎるようですね。たとえば経文(きようもん)や叙事詩の中に現れている空想は、美しいには美しいけれど、あまり荒唐無稽で、際限もなく雄大で、放埒(ほうらつ)に流れているようですね。」
予はせめても、問題を宗教や文学の方面へ引き戻そうとして、内々話頭を転じたのであった。しかるに予の謀略は見事に失敗して、彼の談柄(だんぺい)はますます岐路に入り、ますます饒舌に奔放になった。要するに彼は、夢想家と云われるのをひどく気にかけて、自分にだけは印度人の通弊がない事を、極力弁護するのであった。革命家はアイディアリストであってはならない。自分は吉田松陰よりも西郷南洲を取り、マッジニよりもカブールを愛し、孫逸仙よりも蔡鍔(さいがく)を尊敬する、などゝ云った。
「いや、お蔭で今夜は非常に面白く過しました。私とあなたとは大分立ち場が違うけれども、お互に東洋の一国に生れた以上は、同情と理解とを持ち合って、双方の事業を扶(たす)け合う事が出来ると思います。これから時々、こうして一緒に飯でも喰って、意見を交換するようにしようじゃありませんか。」
予はこう云って、そろそろ帰り仕度をし始めながら、殊更に懐中時計を出して見た。もう十一時近くであった。
女中が勘定書きを持って来る間、膳の上には食う物も飲む物もなくなっているのに、彼はまだ何かしらしゃべっていた。そうして、予が五円なにがしかの金を支払うべく、蟇口(がまぐち)の蓋を明けようとすると、彼はいきなり、
「勘定は私が払います、私があなたを奢(おご)ります。」
と云うや否や、ズボンのポケットへ手を突込んで、カチンと音をさせながら、膳の上へ十円の金貨を一枚投げ出した。
予が無理やりに金貨を引込めさせて、自分の金を払うまでには、長い間押し問答をしなければならなかった。すると今度は、「せっかく私も金を出したのだから、これで今夜は吉原へ行こう。」と云い張って、またぞろ私を梃擦(てこず)らせた。驚いた事には、彼は大概一週に一度は吉原へ行くので、角(かど)海老(えび)の何とかいう華魁(おいらん)とは古い馴染であると云った。
「それにしても、どういう訳であなたは金貨を持っているのです。」
「私は金貨が大好きなんです。いつも日本銀行へ行って、札を金貨に取り換えて貰って、ざくざくとポケットに入れて歩くのが、何だか馬鹿に好い気持なんです。これ御覧なさい、この通りですよ。」
こう云って、彼は片手の掌に一杯の金貨を載せて予の眼前で振って見せた。予にはその額がどれほどあるか、ちょいと想像もつかなかった。
「ね、こんなにあるから大丈夫です。これから直ぐに自動車に乗って出掛けようじゃありませんか。」
予は明日の仕事を控えてもいるし、それにこの頃、遊びの興味を覚えなくなったので、どうしても附き合う気にはなれなかった。予は彼を引き立てるようにして、ともかくも「いづ栄」の門口を出た。
「あなたが行かないのは残念ですが、そんなら私一人でも行きます。私の家は遠方ですから、これから帰るのは大変です。」
彼は上野の停車場前の、タキシーの溜(たま)りまで予を連れ込んだが、そこでとうとうあきらめたらしく、独りで自動車に乗って、角海老へ走らせたようであった。
別れる時、念のために住所を尋ねると、彼は車台の窓から首を出して、「この頃に是非来てくれろ。」と繰り返しながら、予の掌に一葉の名刺を残して行った。「府下荏原(えばら)郡大森山王一二三番地、印度人 マティラム・ミスラ (Matiram Misra)」――名刺には日本字と英字とで、こう刷ってあった。
予はその明くる日から図書館通いを止めにして、半月ばかり家に籠って「玄弉三蔵」を脱稿した。何分後(おく)れて書き始めたので、締め切りの期日に追われたために、あまり満足な出来栄えではなかったが、四月の中央公論にそれが発表せられると、早速大森のミスラ氏へ宛てゝ、雑誌と礼状とを送っておいた。いずれ暇を見て、一遍訪ねるつもりでいながら、伊香保へ旅行したり、母の喪(も)に会ったり、いろいろと用事にかまけて忘れていた。
すると、五月の下旬になって、ある日ミスラ氏から一封の手紙が着いた。この頃、予が母の死を時事新報で読んだと云って、変な日本文の悔(くや)み状(じよう)をよこしたのである。予は早速返事を書いて彼の好意を謝した上に、近々御伺いしようと思うが、御都合はどうかというような意味を認(したゝ)めてやった。
それに対する彼の答は、直ちに予の手許に届いた。「自分は大抵、午後の六時か七時過ぎには在宅しているから、いつでも遊びに来て貰いたい。たゞし、運悪く角海老などへ出かけた留守に、御来訪にあずかると恐縮するから、なるべく前に御通知を願います。」というのであった。にもかかわらず、予は予め通知を出さずに、突然思い立って、ある日の夕方大森へ出かけて行った。
ミスラ氏の家へ着いた時分には、もう表は真暗になっていた。それに、ちょうど六月の十日頃の事で、空はいつの間にか入梅らしくどんよりと曇り、湿潤な夜風と共に細かい雨を降らしていた。彼の住まいは、院線(いんせん)の鉄路に沿うた山の手に立っている、小ぢんまりとした、バンガロウ風のカッテエジであった。一体西洋館の邸宅というものは、こんな晩には妙に陰鬱に見えるもので、彼の家もやはりそういう感じを起させた。門の左右に低いかなめの生垣があって、さゝやかな庭を隔てゝ木造の母屋が控えている。そうして、全体に蔦(つた)の葉が若芽のように絡(から)まっていて、往来に面する窓からは一つも明りが洩れていない。わずかに門燈のしょんぼりと灯(とも)っているのが、植え込みの芭蕉(ばしよう)の新芽を葉の裏から照らして、その葉が風に揺ぐ度毎に、しとしとと滴(したゝ)り落つる雨垂れが、夜目にも鮮かに光っている。予は玄関の呼鈴のボタンを捜すのに大分手間を取って夥(おびただ)しく雨に濡(ぬ)れた。
出て来たのは年の若い、日本人の下女であった。刺を通ずるとほどなくミスラ氏が自(みずか)ら現れて、なつかしそうに予の手を強く振りながら、
「さあどうぞお上り下さい。こんなお天気に、今夜あなたが来てくれようとは全く意外でした。ほんとうに暫らく振りでしたね。」
と云って、玄関の右手の一室へ案内しかけたが、ふと思い付いたらしく、
「あなた、応接間よりも私の書斎を見てくれませんか。あそこの方が落ち着いて話が出来ます。」
こう云って、予を書斎へ導いて行った。
廊下から室内へ招ぜられた時、予が最初に眼に触れたものは、部屋の中央の、著しく大きなデスクであった。天井に吊された電燈の、緑色の絹のシェードから落ちる光線が、ちょうど真下にある机の表面をくっきりと照らして、そこだけが幻のように明るくなっていた。主人は今まで、何か製図のような仕事をしていたと見えて、机の上には一杯に図面が拡げられ、定規(じようぎ)だのコンパスだの絵の具だのが散らばっていた。
「突然お訪ねして、勉強の邪魔になりはしませんかね。お忙しければ今度ゆっくり伺いますが、………」
予がこう云うと、
「忙しいことがあるもんですか。あんまり暇で退屈だから、ドロウイングをやっているんです。ね、あなた、ちょいとこれを見て下さい。」
と、彼はパイプを握った手で図面の上を指しながら、
「これをあなたは何だと思います。――これがその、私が国へ帰ってから設立しようという水力電気の会社の図面です。この土地の広さが大凡(おおよ)そ十エーカーばかりあって、森林を切り開いた、山の中腹にあるのです。そうしてここに湖水があって、この水で電気を起そうというのです。………」
その会社の資本が何百万円で、何ボルトの電気を作るとか、ここには社員が何百人働いていて、この部屋では何をするとか、予が仕方なしに聴いていると、彼は一々精密なプランについて、熱心に説明するのであった。図は大型の二枚の紙へ、平面と立体と別々に引いてあって、丹念に色彩を施され、「パンジャブ州水力電気株式会社設計図」というような文句が、英文で麗々しく記入されていた。とにかく見たところでは、立派な建築の大会社であるらしかった。
「………するとあなたの計画は、いよいよ実現されるんですね。いつ頃印度へお帰りになるのです。」
「なにまだ帰りはしませんよ。これはみんな空想ですよ。あっはゝゝゝゝ。」
彼はいきなり、ドシンと椅子へ腰を落して大声で笑い出した。
「資本金も湖水も十エーカーの土地も、残らず私の空想ですよ。私はたゞ紙の上へ、墨と絵の具で大会社を建てゝみたのです。同じ空想でも、このくらい頭と労力を使うと、なかなか立派なものが出来ますな。つまり一種の芸術ですな。あっはゝゝゝゝ。」
予は思わず竦然(しようぜん)として、彼の顔色を窺わずには居られなかった。「事によったらこの男は、発狂したのではあるまいか。」――こういう考えが、その瞬間に予の脳中に閃(ひらめ)いたのである。
予は内々、彼の素振りや部屋の様子に眼を配った。二人はその時、デスクを隔てゝ向い合っていたが、ちょうどミスラ氏の口髭(くちひげ)から上は、ランプの笠の影に隠れて、突きあたりの本箱の辺は暗さが一番濃くなっていた。室内の広さは十五畳ぐらいあったであろう。書斎としてはかなり贅沢で、装飾や設備なども整っているように見えた。本箱の左側の壁にはガス・ストーヴが切ってあって、右側には護謨(ゴム)の樹の植木鉢の向うに、一間の硝子(ガラス)戸が篏(は)まっていた。硝子戸の外には、大森の海を遠望するヴェランダがあるらしく、折々それへ南風がばたばたと打突(ぶつ)かっていた。
下女が紅茶を運んで来る間に、ミスラ氏は製図の器具を片附けて、再び機嫌よく語り始めた。その挙動には別段不審な点はない。以前よりもいくらか話し振りが性急(せいきゆう)になって、眼の働きが鋭くなったかと、感ぜられるだけであった。黒っぽいセルの背広を着て、素敵に大きいエメラルドの指輪を篏めて、相変らず達磨然たる容貌を持っていた。
「私は今でも、毎日午前中は上野の図書館に通っています。近頃は政治経済にも飽きてしまったので、この間ショウペンハウエルとスウェエデンボルグとを読んでみました。あゝいう物もたまには面白い気がしますね。」
話はそういう方面から、だんだん宗教や哲学の領域に這入って行った。彼は西洋のメタフィジックと大乗仏教の唯心論とを比較して、東洋人の考え方は科学的でないけれども、事物の核心(かくしん)を把握する直覚力に至っては、西洋人の及ぶ所でないなどゝ云った。
「だから哲学や宗教の極致が、現象の奥に潜んでいる霊的実在を洞観して、大悟徹底する事にあるのだとすれば、東洋の方が西洋よりも遥かに進んでいるようです。西洋人の得意とする分析だとか帰納だとかいう方法を以て、現象の奥の世界を見る事は出来ない訳です。………」
彼は直ぐに例の演説口調を出して、いつぞや「いづ栄」の二階で会った時のように、雄弁になり饒舌になった。その論旨は必ずしも彼の独創の見ではなく、随分これまでに云い古るされた説であったが、いかにも舌端に精気が溢れて、ぱッと見開いた瞳の中に脅かすような力があって、予をあくまでも傾聴させずには措(お)かなかった。
「ですがあなたは、この前ひどく東洋の虚無思想を攻撃して、科学を謳歌していたじゃありませんか。近頃はオリエンタリズムが好きになったんですね。」
予はやっとの事で隙を狙って、この質問を彼の長広舌の間に挟んだ。
「いや、私は先(せん)からオリエンタリズムが嫌いではありません。私はかつて一遍でも、科学万能論を唱えた覚えはありません。」
彼は威丈高になって、机を叩きながら云った。
「私が東洋の虚無思想を攻撃したのは、愛国者としての立場からです。私の意見に従えば、物質と霊魂とは徹頭徹尾反対なもので、どこまで行っても一致するはずはないのだから、人間は是非とも二つの内の、いずれか一つを選ばなければならないのです。従って一箇の民族が、国家としての繁栄を望み、権力を持ちたいと願うならば、霊魂を捨てゝ物質に就くよりほかはないでしょう。その点において、科学的文明を築き上げた欧羅巴人は物質界の優者です。もしも印度人が人間の住むこの地上において、欧羅巴人と覇を争おうとするならば、婆羅門教や仏教の哲学は有害にして無益なものです。――そういう訳で、祖国の独立を生涯の事業にしている私としては、東洋流の厭世観を攻撃せずには居られませんが、一旦自分の立ち場を離れゝば、印度人の抱いている思想や哲学は、古来人間の頭の中で考えられたものゝ内で、一番幽玄な、一番深遠な、科学の力で突き破ることの出来ない真理だろうと思います。われわれは長らく西洋流の教育を受けて来た結果、科学的に証明された真理でなければ、真理でないように考える癖がありますが、しかし、未だに印度人の説の方が、正しくはないかと思う事がしばしばあります。われわれは物質の世界を支配する法則だけを科学に教わるので、心霊界の秘密を知っている者は、たゞ印度人だけなのです。物質と物質との関係は科学によって説明されるかも分りませんが、物質と霊魂との交渉は、印度人でなければ説明する事は出来ません。この間もあなたにお話ししたように、今日(こんにち)印度の行者(ぎようじや)の中には、科学者に解けない謎を解いて、奇蹟を証明する事の出来る人々が、決して少くはないのです。現に、私がまだ五つ六つの子供の時分、カルカッタに住んでいた頃に、たびたび会った事のあるハッサン・カンという男などは、実に不思議な術を行う坊主でした。………」
この妖術者の名を聞くと同時に、予は胸を躍らせて、我知らず膝を進めたのであった。
「あゝそのハッサン・カンの事です。私はとうからそれをあなたに聞こうと思っていたのです。」
予は手を挙げて、なおもしゃべり続けようとするミスラ氏を制した。
「………実はこの前『いづ栄』の時にも、尋ねてみようと思いながら、ほかの話に紛れてしまったので、今夜は忘れずにいたのでした。私はその魔法使いの伝記を、ある本の中で読んだのですが、もう少し委(くわ)しい事蹟を知りたかったのです。それにしても、あなたが彼に会った事があるのは、ほんとうに意外でした。」
「いや、それよりもあなたがハッサン・カンの名を知っている方が意外ですよ。お望みとあればお話ししてもようござんすがね。………」
彼は不意に横を向いて、硝子戸の外の暗闇を眺めた。その時彼の眼は眩(まぶ)しい物を視詰めるように細かく瞬(またゝ)いて、小鼻の周囲には得意らしい、あるいはまた狡猾らしい、奇態な微笑が浮かんでいた。
「………何分子供の時分の事で、はっきりとは覚えていませんが、私の父がハッサン・カンの信者になっていたために、彼は折々私の家へやって来ました。あなたは今、彼の事を魔法使いだと云いましたが、決して単純な魔法使いではないのです。彼は一派の宗教を開いた聖僧なのです。」
「私の読んだ本の中には、彼を回教の信者としてあって、時には随分、魔術を使って悪事を働いた人物のように書いてありましたが、それは間違っているんですね。」
「いや、間違いという訳でもありません。」
彼の口調は次第に以前ほど雄弁でなくなって、遠い記憶を辿りながら、もの静かに、考え考え言葉を足しているようであった。
「ハッサン・カンは若い頃には、回教を信じていた事があるのです。彼が時々魔法を使って、悪事を働いたというのも、全然(うそ)ではありませんが、それはたまたま彼の宗旨を誹謗(ひぼう)した者に懲罰を加えるためだったのです。つまり宗旨を弘めるために得意の魔法を利用したので、決して何の理由もなしに、悪事を働きはしませんでした。元来われわれ印度人の考えている魔法―― Sorcery ――というものは、人間が難行を修めて解脱(げだつ)の妙境に達した時に、自然に体得する神通力であって、基督教徒が悪魔の使いとして斥(しりぞ)けている巫術(ふじゆつ)とは、大変に趣が違っています。支那でも孔子は、怪力乱神を語らずなどゝ云っていますが、印度における魔法の地位はこれと全く反対で、アタルヴァ・ヴェダの経典を見ても分る通り、数千年の昔から、宗教上非常に重大な要素となっているのです。われわれの云う魔法使いは、世間普通の奇術師や巫覡(いちこ)の類を指すのではなく、現象の世界を乗り超えて宇宙の神霊と交通し得る、聖僧の事を意味するのです。ハッサン・カンはつまりそういう人だったのです。殊に彼の宗旨では、魔法は一層重大なもので、その宗教のほとんど全部であったと云ってもいゝくらいでした。彼の教義にしろ、哲学にしろ、宇宙観にしろ、悉(ことごと)くみな魔法によって解決されるのでした。………」
「すると、その魔法というのは、たとえばどんな事をするのでしょう。何かあなたが御覧になった実例について、説明を願いたいのですが。」
頂点に達した予の好奇心は、予を極端に性急にさせた。動(やゝ)ともすると、抽象的の議論になりたがる彼の談話を、時々正しい方角へ向き直させるのに、予は油断なく努力しなければならなかった。
「まあ、待って下さい。追い追い実例をお話ししますが、彼の魔法を説明するには、まずどうしても、彼の宗教から説明しないといけないのです。」
ミスラ氏はこう云って、悠々と紅茶を飲んで、その茶碗の中へ眼を落したまゝ、暫らく何事かを沈思するようであった。
相手の一言半句をも逃すまいとして、緊張しきっていた予の聴覚は、折から戸外にざあという響きを立てゝ、土砂降りになり始めた雨の音を聴いた。蒸し暑い、息の詰まるような部屋の中はひっそりとして、家の周囲を流れる点滴が、室内の物を濡(ぬ)らしはせぬかと思われるほど、親しみ深く間近く聞えている。遥かに大森の停車場の方で、汽車の汽笛が濛々(もうもう)たる雨声の底から奈落(ならく)へ沈んで行くように悲しげに鳴っている。
「………委しく云うと非常に長くなりますが、大体の要領だけを話しましょう。彼の宗旨といったところで、やはり仏教や印度教の哲学に胚胎(はいたい)しているのですから、われわれにはさほど珍しい思想ではありません。」
やがて、ミスラ氏は机の上に一枚のレタア・ペエパアを拡げて、それに鉛筆で図を書きながら言葉を続けた。
「ハッサン・カンの説に従うと、宇宙には七つの元素があって、それがこの現象世界を形作っているというのです。いわゆる七つの元素とは、第一が燃土質、第二が活力体、第三が星雲的体形、第四が動物的霊魂、第五が地上的睿智(えいち)、第六が神的霊魂、そうして第七が太一生命(たいいつせいめい)とも名づくべきものです。ところがこれらの七つの元素は、始めから箇々別々に存在していたものではなく、さらにその上にある涅槃(ニルヴアーナ)に帰してしまいます。つまり世界万有の根源は涅槃であって、涅槃だけが永遠不滅の、真の実在だということになります。涅槃がどうして七つの元素を生み、生滅流転(しようめつるてん)の世界を作るかというのに、それは仏教や数論派の哲学と同じく、無明(むみよう)の働きによるものだとしてあります。無明が涅槃を牽制して始めて太一生命を生み、太一生命がまた無明に感染して神的霊魂を生み、それからだんだん第五、第四、第三の元素が分派するのです。ですから太一生命は、宇宙の大主観たる涅槃の海に、無明の影がほんのりとかゝった状態なので、まだ認識の主体もなく、対境もない場合をいうのです。さて、その次ぎの第六元素即ち神的霊魂というのは、太一生命が箇々の小主観に分裂した最初の形で、それはたゞ『無象(むしよう)の相(そう)』もしくは生存の意志だけを持っています。次ぎの第五元素たる地上的睿智になって、ようやく認識の対象たる客観を生じます。それから第四の動物的霊魂では、外境に対する喜怒哀楽の感情が激しくなって、種々雑多なる欲望や執着が増して来るのです。ハッサン・カンは第七元素の太一生命を純主観的存在と名づけ、第六元素から第四元素の動物的霊魂までを、半客観的存在と名づけました。畢竟(ひつきよう)無明の涅槃に感染する度が、濃くなれば濃くなるほど、物質は精神に打ち勝って、客観性が強くなって行くのです。それで第三元素から第一元素までは、精神的分子の最も稀薄な状態であって、これを純客観的存在と名づけます。一切の無生物はこの部類に属するもので、日月星辰は第三元素から成り、風、火、水等は第二元素から成り、その他多くの鉱物は、第一元素から成っています。以上でざっと、実在及び現象に関する彼の見解を、説明したつもりですが、なお一言重要な点を附け加えると、ハッサン・カンは一元論者であって、二元論者ではないということです。涅槃を精神とし、無明を物質だとすれば、二元論者のようにも考えられますが、無明も元来は、涅槃の内に含まれているので、あたかも金属に錆(さび)の生ずるように、清浄静寂なる涅槃の表面の曇って来たものが、無明だという事になります。………」
「いや、お蔭で大変よく分りました。するとハッサン・カンの説は、馬鳴菩薩(めみようぼさつ)の唯心論に近い所があるようですね。第七元素の太一生命というのは、仏教の阿梨耶識だと解釈すれば、間違いはないでしょう。」
「まあ、もう少し辛抱して聞いて下さい。これからがいよいよ彼の世界観 Cosmology に這入るのです。これもやっぱり、印度古代の伝説によった者で、まず宇宙を永遠不滅の世界と、生滅輪廻(りんね)の世界との二つに分けます。不滅の世界は、蒼天の最上層に位する涅槃と、その下層にある無色界、色界の二世界で、無色界には太一生命が遍満し、色界には神的霊魂が浮動しています。さて色界の下層には欲界があり、その下層には須弥山(しゆみせん)の世界があって、これらの世界は摩訶劫波(まかごうは)の間に一遍壊滅に帰し、空劫(くうごう)を経て再び形成せられる所の、生滅の世界です。生滅界の最高級にある欲界は、須弥山の頂辺(てつぺん)から色界に至るまでの、空間を占めている世界で、そこには、神的霊魂と地上的睿智との化合物たる諸天人や、低級の神々が住んでいます。欲界以下の須弥山の構造は、普通に知れ渡っているものと大差はありませんから、極く簡単に説明してしまいましょう。この山は宇宙の中央に屹立(きつりつ)していて、高さが八万由旬(ゆじゆん)、周囲が三十二万由旬。山の北面は黄金から成り、東面は白銀から成り、南面は瑠璃(るり)、西面は玻璃(はり)から成ると云われています。須弥山の外側には七内海(ないかい)と七金山とを隔てゝ鹹海(かんかい)があり、そのまた外廓に大鉄囲山が繞(めぐ)っていて、世界全体を包んでいます。これらの九山八海は、その底にある金輪水輪風輪の三輪によって支持せられ、金輪と水輪の厚さは併せて十一億二万由旬、風輪の厚さは十六億由旬です。ところで、われわれ人間はこの世界のどこに住んでいるかと云うと、須弥山を取り巻く鹹海の四方に、各々四つの洲(しま)があって、南方にある閻浮提洲(えんぶだいしゆう)が、人間の棲息している国土なのです。即ち閻浮提洲は地球上の大陸に相当する訳で、日本や印度や欧羅巴は、皆この洲(しま)に属しているのでしょう。その他の三洲にも一種の人類が住んでいるのだそうですが、われわれとは容貌や形状が大変違っているということです。人間以外の生物の内で、竜鬼、夜叉、阿修羅、緊那羅(きんなら)等の悪神悪鬼は、欲界の下方にある須弥山の中腹から、山麓に亘(わた)って散在し、畜生は大海を主なる住処とし、餓鬼は閻浮提洲の地下五百由旬の所に住み、地獄は四大洲の地下一千由旬の所にあります。――ハッサン・カンの世界構成説は、大凡(おおよ)そこんなもので、今もたびたび云うように、別段新しい教義ではありませんが、これを魔法と結び付けるに従って、一大異彩を放って来るのです。」
しゃべっているうちにミスラ氏は知らず識らずに鉛筆を動かして、レタア・ペエパアの上に立派な須弥山の図を描いた。その図は彼の談話よりも一層綿密で、山頂から山麓に到る間の、輪廻の世界の種々相や、そこに生えている植物や、宮殿の景色や、ところどころに聳(そび)え立つ峰巒(ほうらん)の名前や、山腹の中天を運行する日や月や星までも附け加えてあった。
「………われわれは涅槃や須弥山の世界を、伝説によってぼんやり想像しているだけで、実際に見た者もなければ、信じている者もありません。殊に科学的知識を備えた現代の人間には、たゞ滑稽な、矛盾に充ちた、古代人の妄想として考えられるばかりです。しかるにハッサン・カンは、自分の説に疑を挿む者があれば、いつでもその人に須弥山の世界を見せてくれるのです。どうして見せるかというと、最初にまず、魔法によって、その人の心身を分解し、精神を虚空に遊離させてしまいます。断っておきますが、人間の精神は神的霊魂と、地上的睿智と、動物的霊魂との、三元素から形成されているのですから、一旦遊離した精神は、さらにこれらの元素に分れます。その時、その人の精神は第六元素の神的霊魂のみとなり、次第に浄化されて、無色界の太一生命に復帰し、ついに昇騰(しようとう)して最上層の涅槃界に這入るのです。もうその折は、その人の精神は即ち宇宙の大主観と同一であって、『その人』は直ちに涅槃なのです。しかるに、涅槃は無明の薫染(くんせん)を受けて、今度は反対に下層世界へ沈澱し始めます。第一に無色界へ降(くだ)り、次ぎには色界へ降り、次ぎには欲界へ降って、抽象的存在がだんだん具象的存在に変り、とうとう須弥山の頂上へ降って来るまでに、再びその人の精神が、神的霊魂によって形作られます。こゝでその人は、欲界の住者たる天人の形体と、性質とを備えるようになり、遊行自在(ゆぎようじざい)の通力を得て、あるいは天空に飛翔し、あるいは奈落に潜入し、須弥山の山腹にある悪神の世界から、海底の地獄、餓鬼の世界を洽(あまね)く経廻(へめぐ)って、六道(ろくどう)の有様を仔細に見る事が出来るのです。こうして結局、四大洲を巡覧して、鹹海中の閻浮提洲に辿り着くと、ハッサン・カンが中途まで迎えに出て、その人を地上のもとの住み家へ連れて行きます。同時にその人は、いつの間にか天人の通力を失って、全く以前の『その人』の姿に復(かえ)っているのです。――
これがハッサン・カンの魔法の内の、最も重要な、最も驚くべき術なのです。それは一種の催眠術だと云う人があるかも知れません。しかし、催眠術だとすれば、少くとも天人から人間に戻った瞬間に、夢から覚めたという感じを伴うはずですが、彼の魔法にかゝった人々は、ついに最後まで、そういう感じを抱かないのです。第一、須弥山の世界へ迎えに出て来たハッサン・カンが、人間になった後までも、ちゃんと眼の前に控えているくらいですから、夢と現実との境界らしいものは、どこにも見付からないのです。世間では魔法だと云いますが、ハッサン・カン自身に云わせれば、それは難行の功徳(くどく)によって、体得せられる正法(しようほう)でなければなりません。この正法を学んだ人は、生きながら輪廻の世界を解脱(げだつ)し、自分は勿論、他人の霊魂をも、自由に須弥山上の涅槃界へ、導く力を持つようになるのです。そうしてこれが、宗教の極致であると云うのです。」
「なるほど、それでハッサン・カンの魔法というものが、始めて私に分りました。今のあなたのお話がほんとうだとすれば、いかにもそれは驚くべき、宇宙その物のように偉大なる魔術です。恐らく彼の魔術の前には、他の一切の科学も哲学も、何らの権威をも持たないでしょう。――私は実は、そんなに素晴らしい、そんなにサブライムなものだろうとは、少しも予想していませんでした。私の読んだ本の中には、彼が時折ジンと称する魔神を呼び出して、不思議な術を行う事だけが記してあったに過ぎないのです。」
「あゝそうでしたか、その本の中にはジンの事が書いてありましたか。」
こう云いながら、ミスラ氏は何故(なぜ)か非常にあわたゞしげに、突然椅子を立ち上ったが、頭痛でもするように片手で額を抑えたまゝ、部屋の四方を緩やかに歩き始めた。
「どうしたのです、どこか気持が悪いのですか。」
「いや、」
と云って、彼はちょいと首を振って、何となく切なそうな、ある感情を押し隠しているらしい様子で、
「………そのジンというのは、須弥山の中腹の、夜叉の世界に住んでいる魔神なのです。………」
と、無理に平静を装うような声で云った。
「ハッサン・カンは、仮りに人間の姿に変じて、閻浮提洲へ降りて来ましたが、彼はその実、色界に住んでいる大梵天(だいぼんてん)の神であって、先年娑婆を死去した後は、自分の旧(もと)の世界に帰り、もろもろの光明仏の間に交って、未だにそこに生きているのです。ところでジンという魔神は、大梵天に奉侍する家来ですから、ハッサン・カンが人間界にいた間は、いつでも彼の影身に添うていたのです。そうして、今でも往々、大梵天の使者となって、神のお告げを伝えるために人間界に降りて来ますが、ジンの声を聞く事の出来る者は、ハッサン・カンの信者だけなのです。彼の宗旨を信ずる者には、ジンの声が聞えるばかりでなく、その姿までも、――あの物凄い姿までも、眼に見えるようになるのです。………」
予は、ミスラ氏が、「その姿」と云ってから更にまた「あの物凄い姿」と云い直したのを、不審に思わずにはいられなかった。そればかりではない、今まで室内を漫歩していたミスラ氏はそう云い切っておいて、ぴたりと立ち止まって、相手の返答を待っているように、しげしげと予の顔色を窺っているのである。
「あの物凄い姿というと、――それではあなたは、ジンを見たことがあるのでしょうか。」
こう云った予の声は、かすかなふるえを帯びていた。予はこの質問を発するのに、何だか心が進まなかった。この質問の後に来るものは、恐ろしい事実であるように感ぜられた。
「そうです。――私は見た事があるのです。私は以前、ハッサン・カンの信者だったのです。」
ミスラ氏はこう云って、ようよう少し落ち着いたように腰をおろした。
「私は正直を云うと、この問題に触れるのが不安なようでもあり、愉快なようでもあるのです。それで先(さつき)から、云おうか云うまいかと躊躇していたのですが、話がここまで進んだ以上、今さら隠す必要もありませんから、白状してしまいましょう。――私の覚えているハッサン・カンという人は、意地の悪そうな眼つきをした、吃(ども)りの癖のある、前歯のぼろぼろに欠け落ちた爺さんでした。しかし私は、その爺さんから直接に教化されたのではなく、彼の熱烈なる崇拝者であった私の父から、信仰を授けられたのです。その時分私の父はハッサン・カンの第一の高弟であって、ほとんどその師に劣らぬ位の、魔法の達人になっていました。父は己れの魔法によって、印度の独立を成就するのだと云っていました。私はしばしば父の魔法にかけられて、須弥山の世界に遊び、兜率天(とそつてん)から八熱地獄の底までも、経めぐったことがありました。そうして、たしか八つになった歳に、父は私に魔法を伝授してやると云って、ヒマラヤの山奥に連れて行って、パスパティナアトや、ゲダルナアトの霊場を巡礼し、ついにベルチスタンのヒンガラジの寺院までお参りをしました。それからカルカッタへ帰って来て、一箇月間の断食(だんじき)をした後、私はとうとう魔法の秘術を教えられたのです。私は自由に、ジンを呼び出す事も出来れば、自分や他人の魂を、須弥山の世界へ遊ばせる事も、出来るようになったのです。父は死んでから天人になって、須弥山の最頂上の、善見城(ぜんけんじよう)に住んでいますが、私は折々そこへ行って、恋しい父に会った事がありました。」
予とミスラ氏の二人の顔は、明るいデスクの面を隔てゝ、ランプの笠の暗がりの中に相対していた。予はミスラ氏の、異様に燃えて輝いている瞳の光が、急に気味悪く感ぜられて、俯向(うつむ)いてしまった。予の眼は自然と、デスクの上の須弥山の図面を見た。その図は既に、単なる古人の妄想ではなく、欧洲やアメリカの地図と同様に、実在世界の縮図であるかと考えると、予はもう半分、魔法にかゝっているような心地がした。
「………その後私は、成人するに従って、この間池ノ端の鰻屋でお話しした通り、印度人の宗教的傾向を、甚しく呪うようになりました。父の事業の失敗は、宗教熱にかぶれたためだと、信ずるようになりました。私は心の底から、ハッサン・カンの邪教を憎み、民を愚にする妖法であると断定しました。それでせっかく覚え込んだ魔法や教義を、殊更に忘れるように努力して、なるべく西洋の科学的思想に親しみ、自分の頭脳を改造しようと試みたのです。この改造は随分骨が折れましたが、それでも結局、成功を遂げたように思われました。いや、一時はたしかに、成功したに相違ありませんでした。最近二十年の間というもの、私の心はもう全く印度的でなくなって、思想は元より感情の作用までも、西洋流に変ってしまったと、信じ切っていたのでした。すると、つい今から二三箇月前、ちょうどあなたに始めて図書館で会った時分です。ある晩のこと、不意に私の眼の前に、ジンの姿が現われたのです。それから続いて一週間ばかり、ジンは毎日私の傍へやって来て、天に昇ったハッサン・カンや、私の父の命令を伝えるのです。『お前は何という心得違いな人間だ。お前は決して、お前の頭脳を改造する事は出来ないのだ。お前はもう、昔の信仰や宗教を捨てゝしまったつもりでいるが、お前の父や、お前の教祖は、未だにお前を見放しはしない。その証拠には、お前は今でも神通力を持っているのだ。(うそ)だと思うなら、験(ため)してみるがいゝ。そうして、一日も早く、お前の使命を自覚するがいゝ。』――ジンは始終、こういう言葉を私の耳に囁(ささや)きました。あなたはあの頃、私がひどく憂鬱になって、沈んでいたのを覚えているでしょう。私は以前、子供の時代に、ジンを見ると必ず憂鬱になる癖がありました。それを私は、あの時久し振りで味わったのです。たしかあなたは、二人で鰻屋へ行った日の朝、図書館の庭で、何か私に話をしかけたでしょう。すると私が、にわかに不機嫌になって、遠くの方を睨んでいたのを、よもやお忘れにはなりますまい。あの折私は、あなたの声を聞くと同時に、ジンの声を聞いたのでした。………」
ミスラ氏は自分で自分の言葉の恐ろしさに堪えざるものゝ如く、肩を縮めて、両手をしっかりと胸にあてゝ、総身をぶるぶると戦(おのゝ)かせつゝ語るのであった。彼の両眼は瘋癲病者(ふうてんびようしや)のそれのように、無意味に虚空に見開かれ、頤は激しい痙攣(けいれん)を起し、額の生え際には汗がびっしょりとにじんでいた。
「………あの時から今日になるまで、私は絶えず、十日に一度ぐらいずつ、ジンの襲撃を受けているのです。ジンはいつも、『魔法を試してみろ。』と云って、執拗に私を促すのです。私は随分長い間、彼の忠告に反抗していましたが、この頃になって、自分の心に少年時代の神通力が、現在残っているかどうかという事を、一遍試してみなければ、不安心のような気になりました。それで、十日ほど前、先月の末のある晩のこと、私はとうとう思い切って、この部屋の中に閉じ籠って、二十年来一度も口に上(のぼ)さなかった、秘密の呪文を唱えてみたのです。すると、どうでしょう、私の身体は忽ち分解作用を起し、第六元素に還元した私の霊魂は、飄々(ひようひよう)と天空に舞い上り、涅槃界から無色界に降り、無色界から色界欲界と順々に降って、一瞬の間に善見城の父の住所に着いたのです。父は予め私の来るのを知っていて、涙を流して私に意見を加えました。それから先は委しく説明するまでもありません。幼い時分に、幾度も巡歴した事のある六道の世界を、父に案内されながら通り過ぎて、途中で父に別れを告げ、難なく人間界へ戻って来ました。――結局私は、未だに神通力を備えているという事を、証拠立てられてしまったのです。私の頭を組み立てゝいる科学的知識は、その根柢から動揺し出したのです。あなたは多分、目下の私が、どれほど煩悶しているかという事を、推量して下さるでしょう。私はどうして、私の習った化学や、天文学や、物理学や、生理学と、この須弥山の世界とを調和させたらいゝでしょう。科学はわれわれに経験を重んじる事を教えます。しかも須弥山の世界の光景は、私にとって確かな経験なのです。科学上の事実よりも、さらに明かな事実なのです。私の脳髄は、どこまでも印度人の脳髄でした。私はやはり、非科学的な人間に生れていたのでした。」
こう云って、ミスラ氏は腹だゝしげに髪の毛を掻(か)き毟(むし)りながら、机の上に突俯(つつぷ)してしまった。
こゝまで書いて来れば、読者は恐らく、それから以後に起ったその晩の出来事を、既に想像したであろう。最初に魔法の説明を聴き、次ぎに魔法の実験談を聴いた予は、最後に自(みずか)ら、実験する事が出来たのである。
予はミスラ氏に、こう云ったのであった。
「あなたは今、自分の神通力によって遍歴して来た須弥山の世界を、たしかな事実だと信じている。断じて夢や妄想ではないと主張している。そうして、それが夢でないために、あなたは煩悶しているのである。ついてはその須弥山の世界を、私にも一つ見せてもらいたい。果してそれが催眠術でないかどうか、今度は私に判断させて貰いたい。もしも私が、自分の経験から、催眠術であることを証拠立てたら、あなたの煩悶は全く消滅するだろう。」
予の発案に対して、ミスラ氏は強いて反対を唱えなかった。のみならず、彼は自分の魔法をこの間から他人に試してはみなかったので、彼の方にも十分な好奇心があるらしかった。そこで直ちに、実験が行われたのである。
予はその晩の経験を、――一生忘れる事の出来ないあの経験を、いかにして読者に伝えたらいゝであろう。あの時の世界の有様や、予の心持を、今になって考えてみても、予はやっぱりミスラ氏と同様に、事実であるとしか思われない。少くとも、それは決して夢や催眠術ではない。
予が目撃した須弥山の世界を、詳細に語ろうとすれば、何年かゝっても語り尽す事は出来ないだろう。それはほとんど、宇宙と同量の紙数を要し、文字を要するに極まっている。こゝでは単に、その内の最も興味ある、最も重(おも)な経験の二三を、簡単に記載するだけにしておこう。
予はまず、ミスラ氏と向い合って、椅子に腰をかけたまゝ、能う限り呼吸を止めているように命ぜられた。予にはそれが寸毫(すんごう)も苦痛でなく、いつまででも、極めて愉快に続けられた。予の感覚は、第一に嗅覚から、味覚、触覚、視覚という順序に消滅して行って、聴覚だけがやゝ暫らく残っていた。予の耳には長い間、ミスラ氏の呪文の声が聞え、置き時計の十一時の鳴るのが聞えた。やがて、聴覚も全然消滅してしまったが、意識は極めて明瞭で、五感以外の、ある一種の内感覚が保たれていた。予は確実に、自分が今何をされつゝあり、いかなる状態にあるかを知っていた。予の存在の全体は、たゞ清浄な恍惚感だけであった。予はもう、神的霊魂になったらしく、だんだん上方に向って昇騰しつゝある事が、内感覚によって知覚された。
ほどなく、太一生命に合して、無色界に達したようであった。予は、『予』というものが、稀薄なる微気的(びきてき)大身体である事を感じた。けれどもしまいには、その感じさえなくなってしまった。恐らく、涅槃界に這入ったのであったろう。………
…………………………………………………………………
予は再び、おぼろげなる意識を持ち始めた。何か、存在を慕う傾向というようなものが、頻(しき)りに予を下の方へ、引っ張って行くらしかった。
予は予の周囲に、予と同じような、多数の霊魂の浮動するのを知った。
予の内感覚は、次第に元のようにはっきりして来た。予はいつの間にか、『予』というものが密着不離の皮衣に包まれている事に心付いた。予は今までの内感覚のほかに、運動感覚を持つようになった。皮衣の裡(うち)には、既に筋肉があり、内臓があるらしかった。須臾(しゆゆ)にして、五感が一つ一つ、嗅覚を先にして恢復して行った。予の瞳は光線を見、色彩を見、自分の身体を見た。予は、欲界の下層にある、須弥山の頂上に住む天人であった。予は狂喜して躍(おど)り起(た)った。………
…………………………………………………………………
予は天空を飛行して、山頂から山麓へ下った。須弥山の四方を形成する四種の地質は、各々その色を虚空(こくう)に反射して、北方の空は金色(こんじき)に輝き、東方の空は白銀の光に燃えていた。四天王の世界を過ぎて、広目天(こうもくてん)や持国天等の風貌に接した時、予は図(はか)らずも、奈良東大寺の戒壇院にある彼らの彫刻を想い浮べた。
諸仏と悪魔との戦が到る所に演ぜられていた。持軸山の頂に立って、数万由旬(ゆじゆん)の高さから、下界に放尿している阿修羅もあった。日輪と月輪とを迫害している悪鬼もあった。予は、そのほか無数の荘厳な世界や暗澹(あんたん)たる世界を見たが、就中(なかんずく)、最も予の心を傷(いた)ましめたものは、鹹海(かんかい)中の弗婆提(ほつぼだい)の洲(しま)に住んでいる、我が亡き母の輪廻(りんね)の姿であった。
母は一羽の美しい鳩となって、その島の空を舞っていた。そうして、たまたま通りかゝった予の肩の上に翼を休めて、不思議にも人語を囀(さえず)りながら、予に忠告を与えるのであった。「わたしはお前のような悪徳の子を生んだために、その罰(ばち)を受けて、未だに仏に成れないのです。私を憐れだと思ったら、どうぞこれから心を入れかえて、正しい人間になっておくれ。お前が善人になりさえすれば、私は直ぐにも天に昇れます。」――こう云って啼く鳩の声は、今年の五月までこの世に生きていた、我が母の声そっくりであった。
「お母さん、私はきっと、あなたを仏にしてあげます。」
予は斯(か)く答えて、彼女の柔かい胸の毛を、頬に擦り寄せたきり、いつまでもそこを動こうとしなかった。
小さな王国
貝島昌吉がG県のM市の小学校へ転任したのは、今から二年ばかり前、ちょうど彼が三十六歳の時である。彼は純粋の江戸っ児で、生れは浅草の聖天町であるが、旧幕時代の漢学者であった父の遺伝を受けたものか、幼い頃から学問が好きであったために、とうとう一生を過(あやま)ってしまった。――と、今ではそう思ってあきらめている。実際、なんぼ彼が世渡りの拙(まず)い男でも、学問で身を立てようなどゝしなかったら、――どこかの商店へ丁稚(でつち)奉公に行ってせっせと働きでもしていたら、――今頃は一とかどの商人になっていられたかも知れない。少くとも自分の一家を支えて、安楽に暮らして行くだけの事は出来たに違いない。もともと、中学校へも上げて貰うことが出来ないような貧しい家庭に育ちながら、学者になろうとしたのが大きな間違いであった。高等小学を卒業した時に、父親が奉公の口を捜して小僧になれと云ったのを、彼はあくまで反対してお茶の水の尋常師範学校へ這入(はい)った。そうして、二十の歳に卒業すると、直ぐに浅草区のC小学校の先生になった。その時の月給はたしか十八円であった。当時の彼の考では、勿論いつまでも小学校の教師で甘んずるつもりはなく、一方に自活の道を講じつゝ、一方では大いに独学で勉強しようという気であった。彼が大好きな歴史学、――日本支那の東洋史を研究して、行く末は文学博士になってやろうというくらいな抱負を持っていた。ところが貝島が二十四の歳に父が亡くなって、その後間もなく妻を娶(めと)ってから、だんだん以前の抱負や意気込みが消磨してしまった。彼は第一に女房が可愛くてたまらなかった。その時まで学問に夢中になって、女の事なぞ振り向きもしなかった彼は、新世帯の嬉しさがしみじみと感ぜられて来るに従い、多くの平凡人と同じように知らず識らず小成に安んずるようになった。そのうちには子供が生れる、月給も少しは殖(ふ)えて来る、というような訳で、彼はいつしか立身出世の志を全く失ったのである。
総領の娘が生れたのは、彼がC小学校から下谷区のH小学校へ転じた折で、その時の月給は二十円であった。それから日本橋区のS小学校、赤坂区のT小学校と市内の各所へ転勤して教鞭(きようべん)を執っていた十五年の間に、彼の地位も追い追いに高まって、月俸四十五円の訓導というところまで漕(こ)ぎつけた。が、彼の収入よりも、彼の一家の生活費の方が遥かに急激な速力をもって増加するために、年々彼の貧窮の度合は甚しくなる一方であった。総領の娘が生れた翌々年に今度は長男の子が生れる。次から次へと都合六人の男や女の子が生れて、教師になってから十七年目に、一家を挙げてG県へ引き移る時分には、あたかも七人目の赤ん坊が細君の腹の中にあった。
東京に生い立って、半生を東京に過して来た彼が、突然G県へ引き移ったのは、大都会の生活難の圧迫に堪え切れなくなったからである。東京で彼が最後に勤めていた所は、麹町(こうじまち)区のF小学校であった。そこは宮城の西の方の、華族の邸や高位高官の住宅の多い山の手の一廓にあって、彼が教えている生徒たちは、大概中流以上に育った上品な子供ばかりであった。その子供たちの間に交って、同じ小学校に通っている自分の娘や息子たちの、見すぼらしい、哀れな姿を見るのが彼にはかなり辛かった。自分たち夫婦はどんなに尾羽打ち枯らしても、せめて子供には小ざっぱりとしたなりをさせてやりたかった。どこそこのお嬢さんが着ているような洋服が買って欲しい。あのリボンが欲しい。あの靴が欲しい。夏になれば避暑に行きたい。そう云って子供にせがまれると、一(ひ)と入(しお)不便(ふびん)さが増して来て、親としての腑(ふ)がいなさがつくづくと胸に沁(し)みた。その上にまた、彼は父親に死に後(おく)れた一人の老母をも養わなければならなかった。律義で小心で情に脆(もろ)い貝島は、それらの事を始終苦に病んで、家族の者に申訳がないような気持にばかりなっていた。で、いっそのこと暮らしの懸かる東京を引き払って、田舎の町に呑気(のんき)な生活を営んでみよう。そうして少しは家族の者を安穏(あんのん)にさせてやりたいと思ったのである。G県のM市を択(えら)んだのは、そこが細君の郷里である縁故から、幸いにも転任の口を世話してくれる人があったためである。
M市は、東京から北の方へ三十里ほど離れた、生糸の生産地として名高い、人口四五万ばかりの小さな都会であった。広い広い関東の野が中央山脈の裾(すそ)に打(ぶ)つかって、次第に狭く縮まろうとしているあたりの、平原の一端に位している町で、市街を取り巻く四方の郊外には見渡すかぎりの一面の桑畑があった。空の青々と晴れた日には、I温泉で有名なHの山や、その山容の雄大と荘厳とで名を知られたAの山などが、打ち続く家並の甍(いらか)の彼方に聳(そび)えているのが、往来のどこからでも眺められた。町の中にはT河の水を導いた堀割が、青く涼しく、さらさらと流れていて、I温泉へ聯絡(れんらく)する電車の走っている大通りの景色は、田舎のわりには明るく賑やかで、何となく情趣に富んでいた。貝島が敗残の一家を率いて、始めてそこへ移り住んだのは、ある年の五月の上旬で、その町を囲繞(いじよう)する自然の風物が、一年中で最も美しい、最も光り輝やかしい、初夏の日の一日であった。長い間神田の猿楽町のむさくろしい裏長屋に住み馴れた一家の者は、重暗く息苦しい穴の奥から、急にカラリとした青空の下へ運び出されたような気がして、ほっと欣(よろこ)びの溜息をついた。子供たちは、毎日城跡の公園の芝生の上や、T河の堤防のこんもりとした桜の葉がくれや、満開の藤の花が房々と垂れ下ったA庭園の池の汀(みぎわ)などへ行って、嬉々として遊んだ。貝島も、貝島の妻も、ことし六十いくつになる老母も、にわかに放たれたような気楽さを覚えて、年に一遍、亡父の墓参に出かけるよりほかは、東京というところを恋しいともなつかしいとも思いはしなかった。
彼が教職に就いたD小学校は、M市の北の町はずれにあって、運動場の後ろの方には例の桑畑が波打っていた。彼は日々、教室の窓から晴れやかな田園の景色を望み、遠く、紫色に霞(かす)んでいるA山の山の襞(ひだ)に見惚(みと)れながら、伸び伸びとした心持で生徒たちを教えていた。赴任した年に受け持ったのが男子部の尋常三年級で、それが四年級になり、五年級に進むまで、足かけ三年の間、彼はずっとその級を担当していた。麹町区のF小学校に見るような、キチンとした身なりの上品な子供はいなかったけれど、さすがに県庁のある都会だけに、満更の片田舎とは違って、相当に物持ちの子弟もいれば頭脳の優れた少年もないではなかった。中にはまた、東京の生徒に輪をかけて狡猾(こうかつ)な、始末に負えない腕白なものも交っていた。
土地の機業家でG銀行の重役をしている鈴木某の息子と、S水力電気株式会社の社長の中村某の息子と、この二人が級中での秀才で、貝島が受け持っている三年間に、首席はいつも二人のうちのいずれかゞ占めていた。腕白な方ではK町の生薬屋(きぐすりや)の忰(せがれ)の西村というのが隊長であった。それからT町に住んでいる医者の息子の有田というのが、弱虫でお坊ちゃんで、両親に甘やかされているせいか、服装なども一番贅沢(ぜいたく)なようであった。しかし性来子供が好きで、二十年近くも彼らの面倒を見て来た貝島は、いろいろの性癖を持った少年の一人々々に興味を覚えて、誰彼の区別なく、平等に親切に世話を焼いた。場合によれば随分厳しい体罰を与えたり、大声で叱り飛ばしたりする事もあったが、長い間の経験で児童の心理を呑(の)み込んでいるために、生徒たちにも、教員仲間や父兄の方面にも、彼の評判は悪くはなかった。正直で篤実で、老練な先生だという事になっていた。
貝島がM市へ来てからちょうど二年目の春の話である。D小学校の四月の学期の変りめから、彼の受け持っている尋常五年級へ、新しく入学した一人の生徒があった。顔の四角な、色の黒い、恐ろしく大きな巾着頭(きんちやくあたま)のところどころに白雲の出来ている、憂鬱な眼つきをした、ずんぐりと肩の円い太った少年で、名前を沼倉庄吉といった。何でも近頃M市の一廓に建てられた製糸工場へ、東京から流れ込んで来たらしい職工の忰で、裕福な家の子でない事は、卑しい顔だちや垢(あか)じみた服装によっても明かであった。貝島は始めてその子を引見した時に、これはきっと成績のよくない、風儀の悪い子供だろうと、直覚的に感じたが、教場へつれて来て試してみると、それほど学力も劣等ではないらしく、性質も思いのほか温順で、むしろ無口なむっつりとした落ち着いた少年であった。
すると、ある日のことである。昼の休みに運動場をぶらつきながら、生徒たちの余念もなく遊んでいる様子を眺めていた貝島は、――これは貝島の癖であって、子供の性能や品行などを観察するには、教場よりも運動場における彼らの言動に注意すべきであるというのが、平素の彼の持論であった。――今しも彼の受持ちの生徒らが、二た組に分れて戦争ごっこをしているのを発見した。それだけならば別に不思議でも何でもないが、その二た組の分れ方がいかにも奇妙なのである。全級で五十人ばかりの子供があるのに、甲の組は四十人ほどの人数から成り立ち、乙の組にはわずかに十人ばかりしか附いていない。そうして甲組の大将は例の生薬屋の忰の西村であって、二人の子供を馬にさせて、その上へ跨(またが)りながら、頻(しき)りに味方の軍勢を指揮している。乙の組の大将はと見ると、意外にも新入生の沼倉庄吉である。これも同じく馬に跨って、平生の無口に似合わず、眼を瞋(いか)らし声を励まして小勢の部下を叱咤(しつた)しながら、自ら陣頭に立って目にあまる敵の大軍の中へ突進して行く。全体沼倉は入学してからまだ十日にもならないのにいつの間にこれほどの勢力を振うようになったのだろう。貝島はその時ふいと好奇心を唆(そそ)られたので、両頬に無邪気な子供らしい微笑を浮べながら、さも面白さに釣り込まれたような顔つきをして、なおも熱心に合戦の模様を見守っていた。と、多勢の西村組は忽(たちま)ちのうちに沼倉組の小勢のために追い捲(ま)くられて、滅茶々々に隊伍を掻き乱された揚句、右往左往に逃げ惑っている。もっとも沼倉組の方には、腕力の強い一騎当千の少年ばかりが集ってはいるのだけれど、それにしても西村組の敗北のしかたはあまりに意気地がなさ過ぎる。殊に彼らは、誰よりも沼倉一人を甚しく恐れているらしい。ほかの敵に対しては、衆を恃(たの)んでかなり勇敢に抵抗するのだが、一と度び沼倉が馬を進めて駈(か)けて来るや否や、彼らは急に浮足立って、ろくろく戦いもせずに逃げ出してしまう。果ては大将の西村までが、沼倉に睨(にら)まれると一と縮みに縮み上って、降参した上に生(い)け捕(ど)りにされたりする。そのくせ沼倉は腕力を用うるのでも何でもなく、たゞ縦横に敵陣を突破して、馬上から号令をかけ怒罵(どば)を浴(あび)せるだけなのである。
「よし、さあもう一遍戦をしよう。今度は己(おれ)の方は七人でいゝや。七人ありゃ沢山だ」
こんな事を云って、沼倉は味方の内から三人の勇士を敵に与えて、再び合戦を試みたが、相変らず西村組は散々に敗北する。三度目には七人を五人にまで減らした。それでも沼倉組は盛んに悪戦苦闘して、結局勝を制してしまった。
その日から貝島は、沼倉という少年に特別の注意を払うようになった。けれども教場にいる時は別段普通の少年と変りがない。読本を読ませてみても、算術をやらせてみても、常に相当の出来栄えである。宿題なども怠けずに答案を拵(こしら)えて来る。そうして始終黙々と机に凭(よ)って、不機嫌そうに眉をしかめているばかりなので、貝島にはちょっとこの少年の性格を端倪(たんげい)することが出来なかった。とにかく教師を馬鹿にしたり、悪戯(いたずら)を煽動したり、級中の風儀を紊(みだ)したりするような、悪性の腕白者ではないらしく、同じ餓鬼大将にしてもよほど毛色の違った餓鬼大将であるらしかった。
ある日の朝、修身の授業時間に、貝島が二宮尊徳の講話を聞かせたことがあった。いつも教壇に立つ時の彼は、極く打ち解けた、慈愛に富んだ態度を示して、やさしい声で生徒に話しかけるのであるが、修身の時間に限って特別に厳格にするという風であった。おまけにその時は、午前の第一時間でもあり、うらゝかな朝の日光が教室の窓ガラスからさし込んで、部屋の空気がしーんと澄み渡っているせいか、生徒の気分も爽(さわ)やかに引き締まっているようであった。
「今日は二宮尊徳先生のお話をしますから、みんな静粛にして聞かなければいけません」
こう貝島が云い渡して、厳(おごそ)かな調子で語り始めた時、生徒たちは水を打ったように静かにして、じっと耳を欹(そばだ)てゝいた。隣りの席へ無駄話をしかけては、よく貝島に叱られるおしゃべりの西村までが、今日は利口そうな目をパチクリやらせて、一心に先生の顔を仰ぎ視(み)ていた。暫くの間は、諄々(じゆんじゆん)と説きだす貝島の話声ばかりが、窓の向うの桑畑の方にまでも朗かに聞えて、五十人の少年が行儀よく並んでいる室内には、カタリとの物音も響かなかった。
「――そこで二宮先生は何と云われたか、どうすれば一旦傾きかけた服部の家運を挽回することが出来ると云われたか、先生が服部の一族に向って申し渡された訓戒というのは、つまり節倹の二字でありました。――」
貝島も不断よりは力の籠った弁舌で、流暢(りゆうちよう)に語り続けていると、その時までひっそりとしていた教場の隅の方で、誰かゞひそひそと無駄話をしているのが、微(かす)かに貝島の耳に触(さわ)った。貝島はちょいと厭な顔をした。せっかくみんなが気を揃えて静粛を保っているのに、――全く、今日は珍しいほど生徒の気分が緊張している様子だのに、誰が余計なおしゃべりをしているのだろう。そう思って、貝島はわざと大きな咳払いをして、声のする方をチラリと睨みつけながら、再び講話を進めて行った。が、ほんの一二分間沈黙したかと思うと、またしても話声はこそこそと聞えて来る。それがちょうど、歯の痛みか何かのように、チクチクと貝島の神経を苛立たせるので、彼は内々癇癪(かんしやく)を起しながら、話声が聞える度びに急いでその方を振り向くと、途端にパッタリと止んでしまって、誰がしゃべっているのだかは容易に分らなかった。けれどもそれは、教室の右の隅の方の、沼倉の机の近所から聞えて来るらしく、しゃべっている者はたしかに沼倉に違いないと推量されて来た。もしもその者が沼倉以外の生徒であったならば、殊にいたずら者の西村なぞであったらば、貝島は直ぐにも向き直って叱りつける所だけれど、なぜか彼には沼倉という子供が叱りにくいような気がした。何だかこう、子供でいて子供でないような、煙ったい人間のように感ぜられて、叱るのが気の毒でもあれば不躾(ぶしつけ)でもあるかの如く思われたのであった。一つにはまだ馴染みの薄いためでもあるが、彼は今日まで沼倉に対して、教室での質問以外に、親しみ深い言葉を交えた事は一度もなかった。で、なるべくならば叱らずに済ませよう、そのうちには黙るだろう、と、出来るだけ貝島は知らない風を装っていると、反対に話声はだんだん無遠慮に高まって来て、ついには沼倉の口を動かす様子までが、彼の眼に付くようになった。
「誰ださっきからべちゃべちゃとしゃべっているのは? 誰だ?」
と、とうとう彼は我慢がし切れなくなって、こう云いながら籐(とう)の鞭(むち)でびしッと机の板を叩いた。
「沼倉! お前だろうさっきからしゃべっていたのは? え? お前だろう?」
「いゝえ、僕ではありません。………」
沼倉は臆する色もなく立ち上って、こう答えながらずっと自分の周囲を見廻した後、
「さっきから話をしていたのはこの人です」
と、いきなり自分の左隣に腰かけている野田という少年を指さした。
「いゝや、先生はお前のしゃべっている所をちゃんと見ていたのです。お前は野田と話をしていたのではない。お前の右にいる鶴崎と二人でしゃべっていたのだ。なぜそういう(うそ)をつくのですか」
貝島は例(いつ)になくムカムカと腹を立てゝ顔色を変えた。なぜかというのに、沼倉が自分の罪をなすりつけようとした野田という少年は、平生から温厚な品行の正しい生徒なのである。野田は沼倉に指さゝれた瞬間、はっと驚いたような眼瞬(まばた)きをして、憐れみを乞うが如くに相手の眼の色を恐る恐る窺っていたが、やがて何事をか決心したように、真青な顔をして立ち上ると、
「先生沼倉さんではありません。僕が話をしていたのです」
と、声をふるわせて云った。多勢の生徒は嘲けるような眼つきをして一度に野田の方を振り返った。
それが貝島にはいよいよ腹立たしかった。野田はめったに教場の中で無駄口をきくような子供ではない。彼は大方、この頃級中の餓鬼大将として威張っている沼倉から、不意に無実の罪を着せられて、拠(よ)ん所なく身代りに立ったのだろう。もしも罪を背負わなかったら、後で必ず沼倉にいじめられるのだろう。そうだとすれば沼倉はなおさら憎むべき少年である。十分に彼を詰問(きつもん)して、懲(こ)らしめた上でなければ、このまゝ赦(ゆる)す訳には行かない。
「先生は今、沼倉に尋ねているのです。ほかの者はみんな黙っておいでなさい」
貝島はもう一遍びしりッと鞭をはたいた。
「沼倉、お前はなぜそういうをつくのです。先生はたしかにお前のしゃべっている所を見たから云うのです。自分が悪いと思ったら、正直に白状して、自分の罪をあやまりさえすれば、先生は決して深く叱言(こごと)を云うのではありません。それだのにお前は、をつくばかりか、かえって自分の罪を他人になすり付けようとする。そういう行いは何よりも一番悪い。そういう性質を改めないと、お前は大きくなってからロクな人間にはならないぞ」
そう云われても、沼倉はビクともせずに、例の沈鬱な瞳を据えて、上眼づかいに貝島の顔をじろじろと睨み返している。その表情には、多くの不良少年に見るような、意地の悪い、胆の太い、獰猛(どうもう)な相が浮かんでいた。
「なぜお前は黙っているのか。先生の今云ったことが分らないのか」
貝島は、机の上に開いて置いた修身の読本を伏せて、つかつかと沼倉の机の前にやって来た。そうして、あくまでも彼を糺明(きゆうめい)するらしい気勢を示しながら、場合によっては体罰をも加えかねないかのように、両手で籐の鞭をグッと撓(しな)わせて見せた。生徒一同はにわかに固唾(かたず)を呑んで手に汗を握った。何事か大事件の突発する前のような、さっきとは意味の違った静かさが、急に室内へしーんと行き亘(わた)った。
「どうしたのだ沼倉、なぜ黙っている? 先生がこれほど云うのに、なぜ強情を張っている?」
貝島の手に満を引いている鞭が、あわや沼倉の頬ッぺたへ飛ぼうとする途端に、
「僕は強情を張るのではありません」
と、彼は濃い眉毛を一層曇らせて、低くかすれた、同時にいかにも度胸の据わったしぶとい声で云った。
「話をしたのはほんとうに野田さんなのです。僕はを云うのではありません」
「よし! こっちへ来い!」
貝島は彼の肩先をムズと鷲掴(わしづか)みにして荒々しく引き立てながら、容易ならぬ気色で云った。
「こっちへ来て、先生がいゝと云うまでその教壇の下で立っていなさい。お前が自分の罪を後悔しさえすれば、先生はいつでも赦(ゆる)して上げる。しかし強情を張っていれば日が暮れても赦しはしないぞ」
「先生、………」
と、その時野田がまた立ち上って云った。沼倉は横目を使って、素早く野田に一瞥(いちべつ)をくれたようであった。
「ほんとうに沼倉さんではありません。沼倉さんの代りに僕を立たせて下さい」
「いや、お前を立たせる必要はない。お前には後でゆっくり云って聞かせます」
こう云って貝島は、遮二無二沼倉を引立てようとすると、今度はまた別の生徒が、
「先生」
と云って立ち上った。見るといたずら小僧の西村であった。その少年の顔には、平生の腕白らしい、鼻ったらしのやんちゃんらしい表情が跡かたもなく消えて、十一二の子供とは思われないほど真面目くさった、主君のために身命を投げ出した家来のような、犯し難い勇気と覚悟とが閃(ひら)めいているのであった。
「いや、先生は罪のない者を罰する訳には行きません。沼倉が悪いから沼倉を罰するのです。叱られもしない者が余計なことを云わぬがいゝ!」
貝島はかあッとなった。どうして皆が沼倉の罪を庇(かば)うのだか分らなかった。それほど沼倉は、常に彼らを迫害したり威嚇したりしているのだとすれば、ますますもって怪(け)しからん事だと思った。
「さあ! 早く立たんか早く! こっちへ来いと云うのになぜ貴様は動かんのだ!」
「先生」
と、また一人立ち上ったものがあった。
「先生、沼倉さんを立たせるなら僕も一緒に立たして下さい」
こう云ったのは、驚いた事には級長を勤めている秀才の中村であった。
「何ですと?」
貝島は覚えず呆然として、掴んでいる沼倉の肩を放した。
「先生、僕も一緒に立たせて下さい」
つゞいて五六人の生徒がどやどやと席を離れた。その尾について、次から次へとほとんど全級残らずの生徒が、異口同音に「僕も僕も」と云いながら貝島の左右へ集って来た。彼らの態度には、少しも教師を困らせようとする悪意があるのではないらしく、悉(ことごと)く西村と同じように、自分が犠牲となって沼倉を救おうとする決心が溢れて見えた。
「よし、それなら皆立たせてやる!」
貝島は癇癪と狼狽のあまり、もう少しで前後の分別もなくこう怒号するところであった。もしも彼が年の若い、教師としての経験の浅い男だったら、きっとそうしたに違いないほど、彼は神経を苛立たせた。が、そこはさすがに老練をもって聞えているだけに、まさか尋常五年生の子供を相手にムキになろうとはしなかった。それよりも彼は、沼倉という一少年が持っている不思議な威力について、内心に深い驚愕の情を禁じ得なかったのである。
「沼倉が悪いことをしたから、先生はそれを罰しようとしているのに、どうしてそんなことを云うのですか。一体お前たちはみんな考が間違っているのです」
貝島はさもさも当惑したようにこう云って、仕方なく沼倉を懲罰するのを止めてしまった。
その日は一同へ叱言を云って済ませたようなものゝ、以来貝島の頭には、沼倉の事が一つの研究材料として始終想い出されていた。小学校の尋常五年生といえば、十一二歳の頑是(がんぜ)ない子供ばかりである。親の意見でも教師の命令でもなかなか云う事を聴かないで暴れ廻る年頃であるのに、それが揃って沼倉を餓鬼大将と仰ぎ、全級の生徒がほとんど彼の手足のように動いている。沼倉が来る前に餓鬼大将として威張り散らしていた西村は勿論のこと、優等生の中村だの鈴木だのまでが、懼(おそ)れているのか心服しているのか、とにかく彼の命令を遵奉(じゆんぽう)して、この間のように沼倉の身に間違いでもあれば、自ら進んで代りに体罰を受けようとする。沼倉にどれほど強い腕力や胆ッ玉があるにもせよ、彼とてもやっぱり同年配の鼻ったらしに過ぎないのに、「先生がこう云った」というよりも、「沼倉さんがこう云った」という方が、彼らの胸には遥かに恐ろしくピリッと響くらしい。貝島は永年の間小学校の児童を扱って、随分厄介な不良少年や、強情な子供にてこ擦った覚えはあるが、これまでにまだ沼倉のような場合を一遍も見た事はなかった。その子がどうしてかくまでも全級の人望を博したのか、どうして五十人の生徒をあれほどみごとに威服させたのか、それはたしかに多くの小学校において、あまり例のない出来ごとであった。
全級の生徒を慴服(しようふく)させて手足の如く使うということ、単にそれだけの事は、必ずしも悪い行いではない。沼倉という子供にそれだけの徳望があり、威力があってそうなったのならば、彼を叱責する理由は毛頭もない。たゞ貝島が怖れたのは、彼が稀に見る不良少年、――とても一と筋縄では行けないような世にも恐ろしい悪童であって、そのために級中の善良な分子までが、心ならずも圧迫されているのではないだろうか、追い追いと自分の勢力を利用して、悪い行為や風俗を全級に流行させたり教唆したりしないだろうか、――という事だった。あれだけの人望と勢力とをもって、級中に悪い風儀をはやらせられたらそれこそ大事件であると思った。しかし、貝島は、幸い自分の長男の啓太郎が同じ級の生徒なので、それとなく様子を聞いてみると、だんだん彼の心配の杞憂(きゆう)に過ぎない事が明かになった。
「沼倉ッていう子は悪い子供じゃないんだよ、お父さん」
啓太郎は父に尋ねられると、暫くモジモジして、それを云っていゝか悪いかと迷いながら、ポツリポツリと答えるのであった。
「そうかね、ほんとうにそうかね、お前の云付(いつ)け口を聞いたからといって、何もお父さんは沼倉を叱る訳じゃないんだから、ほんとうの事を云いなさい。この間の修身の時間の事は、あれは一体どうしたんだ。沼倉は自分で悪い事をしておきながら、野田に罪をなすり付けたりしたじゃないか」
すると啓太郎は下のような弁解をした。――あれはなるほど悪い行いには違いない。けれども沼倉は格別人を陥れようなどゝいう深い企みがあったのではなく、実は自分の部下の者(即ち全体の生徒)が、どれほど自分に心服しているか、どれほど自分に忠実であるかを試験するために、わざとあんな真似をやったのである。あの日のあの事件の結果として、沼倉は、級中のすべての少年が一人残らず彼のために甘んじて犠牲になろうとしたこと、そうしてさすがの先生も手の出しようがなかった事を、十分にたしかめ得たのである。当時彼の指名に応じて、第一に潔(いさぎよ)く罪を引き受けようとした野田や、野田の次に名乗って出た西村や中村や、この三人は中でも忠義第一の者として、後に沼倉からその殊勲を表彰された。――啓太郎の話す意味を補ってみると、大体こういう事情であるらしかった。で、沼倉が如何にして、いつ頃からそれほどの権力を振うようになったかというと、――啓太郎の頭ではその原因をハッキリと説明する事は出来なかったけれども、――要するに彼は勇気と、寛大と、義侠心とに富んだ少年であって、それが次第に彼をして級中の覇者たる位置に就かしめたものらしい。単に腕力からいえば、彼は必ずしも級中第一の強者ではない。相撲(すもう)を取らせればかえって西村の方が勝つくらいである。ところが沼倉は西村のように弱い者いじめをしないから、二人が喧嘩をするとなれば、大概の者は沼倉に味方をする。それに相撲では弱いにもかかわらず、喧嘩となると沼倉は馬鹿に強くなる。腕力以外の、凜然とした意気と威厳とが、全身に充ちて来て、相手の胆力を一と呑みに呑んでしまう。彼が入学した当座は、暫く西村との間に争覇戦が行われたが、直きに西村は降参しなければならなくなった。「ならなくなった」どころではない、今では西村は喜んで彼の部下となっている。実際沼倉は、「己(おれ)は太閤秀吉になるんだ」と云っているだけに、何となく度量の弘い、人なつかしい所があって、最初に彼を敵視した者でも、しまいには怡々(いゝ)として命令を奉ずるようになる。西村が餓鬼大将の時分には、容易に心服しなかった優等生の中村にしろ鈴木にしろ、沼倉に対しては最も忠実な部下となって、ひたすら彼に憎まれないように、おべっかを使ったり御機嫌を取ったりしている。啓太郎は今日まで、私(ひそ)かに中村と鈴木とを尊敬していたけれど、沼倉が来てから後は、二人はちっともえらくないような気がし出した。学問の成績こそ優れていても、沼倉に比べれば二人はまるで大人の前へ出た子供のようにしか見えない。――まあそんな訳で、現在誰一人も沼倉に拮抗(きつこう)しようとする者はない。みんな心から彼に悦服している。どうかすると随分我がままな命令を発したりするが、多くの場合沼倉の為す事は正当である。彼はたゞ自分の覇権が確立しさえすればいゝので、その権力を乱用するような真似はめったにやらない。たまたま部下に弱い者いじめをしたり、卑屈な行いをしたりする奴があると、そういう時には極めて厳格な制裁を与える。だから弱虫の有田のお坊っちゃんなぞは、沼倉の天下になったのを誰よりも一番有難がっている。――
以上の話を、忰の啓太郎から委(くわ)しく聞き取った貝島は、一層沼倉に対して興味を抱かずには居られなかった。啓太郎の言葉が偽りでないとすれば、たしかに沼倉は不良少年ではない。餓鬼大将としても頗(すこぶ)る殊勝な嘉(よみ)すべき餓鬼大将である。卑しい職工の息子ではあるけれど、あるいはこういう少年が将来ほんとうの英傑となるのかも測り難い。同級の生徒を自分の部下に従えて威張り散らすという事は、そういう行為を許しておくことは多少の弊害があるにもせよ、生徒たちが甘んじて悦服しているのなら、強いて干渉する必要もないし、干渉したところで恐らく効果がありそうにもない。いや、それよりもむしろ沼倉の行いを褒(ほ)めてやる方がいゝ。子供ながらも正義を重んじ、任侠を尚(とうと)ぶ彼の気概を賞讃して、なおこの上にも生徒の人望を博するように励ましてやろう。彼の勢力を善い方へ利用して、級全体のためになるように導いてやろう。貝島はこう考えたので、ある日授業が終ってから、沼倉を傍へ呼んだ。
「先生がお前を呼んだのは、お前を叱るためではない。先生は大いにお前に感心している。お前にはなかなか大人も及ばないえらい所がある。全級の生徒に自分の云い付けをよく守らせるという事は、先生でさえ容易に出来ない仕業だのに、お前はそれをちゃんとやって見せている。お前に比べると、先生などはかえって耻かしい次第だ」
人の好い貝島は、実際腹の底からこう感じたのであった。自分は二十年も学校の教師を勤めていながら、一級の生徒を自由に治めて行くだけの徳望と技倆とにおいて、この幼い一少年に及ばないのである。自分ばかりか、すべての小学校の教員のうちで、よく餓鬼大将の沼倉以上に、生徒を感化し心服させ得る者があるだろうか。われわれ「学校の先生」たちは大きななりをしていながら、沼倉の事を考えると忸怩(じくじ)たらざるを得ないではないか。われわれの生徒に対する威信と慈愛とが、沼倉に及ばない所以(ゆえん)のものは、つまりわれわれが子供のような無邪気な心になれないからなのだ。全く子供と同化して一緒になって遊んでやろうという誠意がないからなのだ。だからわれわれは、今後大いに沼倉を学ばなければならない。生徒から「恐い先生」として畏敬されるよりも、「面白いお友達」として気に入られるように努めなければならない。………
「そこで先生は、お前がこの後もますます今のような心がけで、生徒のうちに悪い行いをする者があれば懲(こ)らしめてやり、善い行いをする者には加勢をして励ましてやり、全級が一致してみんな立派な人間になるように、みんなお行儀がよくなるように導いて貰いたい。これは先生がお前に頼むのだ。とかく餓鬼大将という者は乱暴を働いたり、悪い事を教えたりして困るものだが、お前がそうしてみんなのためを計ってくれゝば先生もどんなに助かるか分らない。どうだね沼倉、先生の云ったことを承知したかね」
意外の言葉を聴かされた少年は、腑に落ちないような顔をして、優和な微笑をうかべている先生の口元を仰いでいたが、暫く立ってから、ようよう貝島の精神を汲み取る事が出来たと見えて、
「先生、分りました。きっと先生のおっしゃる通りにいたします」
と、いかにも嬉しそうに、得意の色を包みかねてニコニコしながら云った。
貝島にしても満更得意でないことはなかった。自分はさすがに、児童の心理を応用する道を知っている。一つ間違えば手に負えなくなる沼倉のような少年を、自分は巧みに善導した。やっぱり自分は小学校の教師としてどこか老練なところがある。そう思うと彼は愉快であった。
明くる日の朝、学校へ出て行った貝島は、自分の沼倉操縦策が予期以上に成功しつゝある確証を握って、さらに胸中の得意さを倍加させられた。なぜかというのに、その日から彼が受持ちの教室の風規は、気味の悪いほど改まって、先生の注意を待つまでもなく、授業中に一人として騒々しい声を出す者がない。生徒はまるで死んだように静かになって、咳(しわぶき)一つせずに息を呑んでいる。あまり不思議なので、それとなく沼倉の様子を窺うと、彼は折々、懐から小さな閻魔帳(えんまちよう)を出して、ずっと室内を見廻しながら、ちょいとでも姿勢を崩している生徒があれば、忽ち見附け出して罰点を加えている。「なるほど」と思って、貝島は我知らずにほゝ笑まずにはいられなかった。だんだん日数を経るに従って、規律はいよいよ厳重に守られているらしく、満場の生徒の顔には、たゞもう失策のない事を戦々兢々と祈っている風が、ありありと読まれたのであった。
「いや、皆さんはどうしてこの頃こんなにお行儀がよくなったのでしょう。あんまり皆さんが大人しいので、先生はすっかり感心してしまいました。感心どころか胆(きも)を潰してしまいました」
ある日貝島は、殊更に眼を円くして驚いて見せた。「今に先生から褒められるだろう」と、内々待ち構えていた子供らは、貝島のおったまげたような言葉を聞かされると、一度に嬉し紛れの声を挙げて笑った。
「皆さんがそんなにお行儀がいゝと、先生も実に鼻が高い。尋常五年級の生徒は学校中で一番大人しいと云って、この頃はほかの先生たちまでみんな感心しておいでになる。どうしてあんなに静粛なんだろう、あの級の生徒は、学校中のお手本だと云って、校長先生までが頻(しき)りに褒めておいでになる。だから皆さんもそのつもりで、一時の事でなく、これがいつまでも続くように、そうしてせっかくの名誉を落さないようにしなければいけません。先生をビックリさせておいて、三日坊主にならないように頼みますよ」
子供たちは、再び嬉しさのあまりどっと笑った。しかし沼倉は貝島と眼を見合わせてニヤリとしたゞけであった。
七人目の子を生んでから、急に体が弱くなって時々枕に就いていた貝島の妻が、いよいよ肺結核という診断を受けたのは、ちょうどその年の夏であった。M市へ引き移ってから生活が楽になったと思ったのは、最初の一二年の間で、末の赤児は始終煩(わずら)ってばかりいるし、細君の乳は出なくなるし、老母は持病の喘息(ぜんそく)が募って来て年を取る毎に気短かになるし、それでなくても暮らし向きが少しずつ苦しくなっていた所へ、妻の肺病で一家はさらに悲惨な状態に陥って行った。貝島は毎月三十日が近くなると、一週間も前から気を使って塞ぎ込むようになった。貧乏な中にも皆達者で機嫌よく暮らしていた東京時代の事を想うと、あの時の方がまだ今よりはいくらか増しであったようにも考えられる。今では子供の数も殖えている上に、いろいろの物価が高くなったので、病人の薬代を除いても、月々の支払いは東京時代とちっとも変らなくなっている。それに、若い頃ならこれから追い追い月給が上るという望みもあったけれど、今日となっては前途に少しの光明もあるのではない。
「そう云えば東京を出る時に、あなた方がMへお引越しになるのは方角が悪い。家の中に病人が絶えないような事になりますッて、占い者がそう云ったじゃないか。だから私がどこかほかにしようッて云ったのに、お前が迷信だとか何とか笑うもんだから、御覧な、きっとこういう事になるんじゃないか」
貝島が溜息をついて途方に暮れている傍で、何かというと母親はこんな工合(ぐあい)に愚痴をこぼした。細君はいつも聞えない振りをして、黙って眼に一杯涙をためていた。
六月の末のある日であった。学校の方に職員会議があって、日の暮れ方に家へ戻って来た貝島は、二三日前から熱を起して伏せっている細君の枕もとで、しくしくとしゃくり上げる子供の声を聞いた。
「あ、また誰かゞ叱られて泣いているな」
貝島は閾(しきい)を跨(また)ぐと同時に、直ぐそう気が付いて神経を痛めた。近頃は家庭の空気が何となくソワソワと落ち着かないで、老母や妻は始終子供に叱言を云っている。子供の方でも日に一銭の小遣いすら貰えないのが、癇癪の種になって、明け暮れ親を困らせてばかりいる。
「これ、おばあさんがあゝ云っていらっしゃるのに、なぜお前はお答えをしないのです。お前はまさか、いくらお母さんがお銭(あし)を上げないからといって、人の物を盗んで来たのじゃありますまいね」
こう云いながら、ごほん、ごほんと力のない咳をしている細君の声を聞くと、貝島は思わずぎょっとして急いで病室の襖(ふすま)を明けた。そこには総領の啓太郎が、祖母と母親とに左右から問い詰められて、固くなって控えているのであった。
「啓太郎、お前は何を叱られているのです。お母さんはあの通り加減が悪くって寝ているのに、余計な心配をさせるのではありませんて、この間もお父様が云って聞かせたじゃないか。お前は兄さんのくせにどうしてそう分らないのだろう」
父親にこう云われても、啓太郎は相変らず黙って項垂(うなだ)れたまゝ折々思い出したように、涙の塊をぽたり、ぽたりと畳へ落していた。
「いゝえね、もう半月も前から私は何だか啓太郎の素振りが変だと思っていたんだが、ほんとうにお前、とんでもない人間になったもんじゃないか」
老母も同じように眼の縁を湿らせながら、貝島の顔を見ると喉を詰まらせて云った。
だんだん問い質(たゝ)して行くと、老母の怒るのにはもっともな理由があった。啓太郎は今月に這入(はい)ってから、已(や)むを得ない学校用品を買う以外には、無駄な金銭を一厘(りん)でも所持しているはずがないのに、時々どこからかいろいろの物品や駄菓子などを持って来る風がある。先達(せんだつて)も五六本の色鉛筆を携えているから、妙だと思って母親が尋ねると、これは学校の誰さんに貰ったのだと云う。一昨日はまた、夕方表から帰って来て、廊下の隅の方に隠れながら、頻りに何かを頬張っているので、祖母がそうッと傍へ行って覗(のぞ)いて見ると、竹の皮に包んだ餅菓子が懐に一杯詰まっていた。そう云えばこの頃啓太郎は、不思議にも以前のように小遣い銭をせびった事がない。疑い出せばそのほかにもまだ怪しいことがいくらもある。どうもあんまり様子がおかしいから、折を窺って糺明してやろうと考えている矢先に、今日もまた、五十銭もするような立派な扇子(せんす)を持って帰って来た。聞いてみるとやっぱり友達に貰ったのだと云う。それならどこの何という人に、いつ貰ったのだと云っても、黙ってうつむいているばかりで容易に返辞をしない。いよいよ不審なので厳しく問い詰めた結果、ようやく貰ったのではなく買ったのだという所まで白状させた。しかし、そんな買い物をするお金を、どうして持っているのだか、それだけはいくら口を酸っぱくして叱言を云っても実を吐かない。たゞ「人のお金を盗んだのではありません」と、あくまでも強情に云い張るばかりである。
「盗んだのでない者が、どうしてお金なんぞ持っているのだ。さあそれを云え! 云わないかッたら!」
祖母はこう云って、激昴のあまり病み疲れた身を忘れて、今しも啓太郎を折檻しようとしているのであった。
貝島は、話を聞いているうちに、体中がぞうッとして水を浴びたような心地になった。
「啓太郎や、お前はなぜ正直にほんとうの事を云わない? 盗んだのなら盗んだのだと、真直ぐに白状しなさい………お父さんは、お前にも余所(よそ)の子供と同じように好きな物を買ってやりたいのだが、この通り内には多勢の病人があるのだから、なかなかお前の事までも面倒を見ている暇がない。そこはお前も辛いだろうけれど我慢をしてくれなければ困る。お父さんはお前がよもや、人の物を盗むような悪い子だとは思いたくないのだが、人間には出来心という事もあるから、もともとそんな料簡(りようけん)ではないにしろ、何かの弾みでさもしい根性を起さないとも限らない。もしそうだったら今度一遍だけは堪忍して上げるから、正直なことを云いなさい。そうしてこれから、二度と再びそういう真似はいたしませんと、よくおばあさんにお詫びをしなさい。よう啓太郎! なぜ黙っている?」
「………だってお父さん、………だって僕は、………人のお金なんか盗んだんじゃないんだってば、………」
すると啓太郎は、こう云ってまたしくしくと泣き始めた。
「お前はしかし、この間の色鉛筆だの、お菓子だの、その扇子だのをみんな買ったんだっていうじゃないか。そのお金は一体どこから出たのだ。それを云わなければ分らないじゃないか。そういつまでもお父さんは優しくしてはいられないよ。強情を張ると、しまいには痛い目を見なければならないよ。いゝかね啓太郎!」
その時にわかに、啓太郎は声を挙げてわあッと泣き出した。何だか頻りに口を動かしてしゃべっているようだけれど、あまり泣きようが激しいために暫く貝島には聴き取れなかったが、結局、
「………お金といったってほんとうのお金じゃァないんだよう。にせのお札(さつ)なんだってば、………」
と泣きながらも極まりの悪そうな口調で、幾度も幾度も繰り返しては、言い訳をしているのであった。見ると、少年は懐から皺(しわ)くちゃになった一枚の贋札(にせさつ)を出して、それを翳(かざ)しつゝ手の甲で頬っぺたの涙を擦(こす)っていた。
父親は札を受け取って膝の上にひろげて見た。それは西洋紙の小さな切れへ、「百円」という四号活字を印刷した、子供欺しのおもちゃに過ぎないもので、啓太郎の懐にはまだ四五枚も隠されている事が明かになった。五十円だの、壱千円だの、中には壱万円だのというのもあって、金額が殖えるほど活字の型や紙幣の版が大きく出来ている。そうして、紙幣の裏の角のところには、いずれも「沼倉」という認印が捺(お)してあった。
「ここに沼倉という判が捺してあるじゃないか。このお札は沼倉が拵(こしら)えているのかい?」
貝島は大凡(おおよ)そ事件の性質を推察して、ほっと胸を撫(な)でおろしたものゝ、それでも未だに不審が晴れなかった。
「うん、うん」
と、啓太郎は頤(あご)で頷(うなず)いてますます激しく泣き続けていた。
とうとうその晩、一と晩中かゝって、啓太郎を宥(なだ)め賺(すか)して吟味した末に、貝島はその札の由来を委しく調べ上げる事が出来た。そこには彼が予測した通りの、沼倉という少年の勢力発展の結果が、驚くべき事件となって伏在していたのであった。――
啓太郎の談話から想像すると、貝島が我ながら老練な処置だと思って己惚(うぬぼ)れていた餓鬼大将操縦策は、半ば成功したにもかかわらず、いつの間にかその弊害も多くなっているらしかった。一度(ひとたび)教師から案外な賞讃と激励の辞を聞かされた沼倉は、大いに感奮すると同時に一層図に乗って活躍し出した。彼は第一に、同級生の人名簿を作って、毎日生徒たちの言動を観察しては、彼独特の標準の下に一々厳重な操行点を附けて行った。出席、欠席、遅刻、早帰り、――そういう事柄をも、先生が行うのと同じような権威をもって、一々帳面へ書き留めた事はいうまでもない。のみならず、欠席者には欠席の理由を届けさせた上、別に秘密探偵を放って、果してその理由が真実かどうかを調べさせた。道草を喰って授業に遅れたり、仮病(けびよう)を使って休んだりする者は直きに探偵のために証拠を掴まれるから、好い加減な(うそ)をつく訳には行かなかった。――そう云われゝば貝島は思いあたる節があった。この頃はさっぱり欠席や遅刻をする生徒がない。C町の荒物屋の忰の、橋本という病身な子供までが、真青な、元気のない顔をしながら、感心に毎日学校へ通っている。何にしても皆が非常に勉強家になったらしい。結構な事だと喜んでいたのであった。――探偵には七八人の子供が任命されていた。彼らは常に級中の怠け者の家の周囲を徘徊したり、密かに跡をつけたりして、油断なく取り締まっている。勿論一方にはきびしい罰則が設けられて、命令を背いた場合には、たといそれが級長であっても、あるいは、沼倉自身であっても、甘んじて制裁を受けなければならなかった。
罰則の種類がだんだん殖えて来るに従って、制裁の方法も複雑になり、探偵の人数も増すようになった。しまいには探偵以外に、いろいろの役人が任命された。先生から指名された級長はそっちのけにされて、代りに腕力のあるいたずら者が、監督官に任ぜられる。出席簿係り、運動場係り、遊戯係り、というような役も出来る。大統領の沼倉を補佐する役が出来る。裁判官が出来る、その副官が出来る、高官の用を足す従卒が出来る。役人のうちでも一番位の高いのは、副統領の西村であって、これは二人の従卒を使っていた。優等生の中村と鈴木とは、始めのうちは性質が惰弱(だじやく)なために軽蔑されていたけれど、次第に沼倉から尊敬されて、後には大統領の顧問官になった。
それから沼倉は勲章を制定した。玩具屋から買って来た鉛の勲章へ、顧問官に命じてそれぞれもっともらしい称呼を附けさせて、功労のある部下に与えた。勲章係りという役がまた一つ殖えた。するとある日、副統領の西村が、誰かを大蔵大臣にさせて、お札を発行しようじゃないかという建議を出した。この発案は、一も二もなく大統領の嘉納する所となったのである。
洋酒屋の息子の内藤という少年が、早速大蔵大臣に任ぜられた。当分の間の彼の任務は、学校が引けると自分の家の二階に閉じ籠って、二人の秘書官と一緒に、五十円以上十万円までの紙幣を印刷する事であった。出来上った紙幣は大統領の手許に送られて、「沼倉」の判を捺されてから、始めて効力を生ずるのである。すべての生徒は、役の高下に準じて大統領から俸給の配布を受けた。沼倉の月俸が五百万円、副統領が二百万円、大臣が百万円、――従卒が一万円であった。
こうしてめいめいに財産が出来ると、生徒たちは盛んにその札を使用して、各自の所有品を売り買いし始めた。沼倉の如きは財産の富有なのに任せて、自分の欲しいと思う物を、遠慮なく部下から買い取った。そのうちでもいろいろと贅沢な玩具を持っている子供たちは、度々大統領の徴発に会って、いやいやながらそれを手放さなければならなかった。S水力電気会社の社長の息子の中村は、大正琴を二十万円で沼倉に売った。有田のお坊ちゃんは、この間東京へ行った時に父親から買って貰った空気銃を、五十万円で売れと云われて、拠(よ)ん所なく譲ってしまった。最初はそれが学校の運動場などでポツリポツリとはやっていたのだが、果ては大袈裟になって来て、毎日授業が済むと、公園の原っぱの上や、郊外の叢の中や、T町の有田の家などへ、多勢寄り集って市を開くようになった。やがて沼倉は一つの法律を設けて、両親から小遣い銭を貰った者は、すべてその金を物品に換えて市場へ運ばなければいけないという命令を発した。そうして已むを得ない日用品を買うほかには、大統領の発行にかゝる紙幣以外の金銭を、絶対に使用させない事に極めた。こうなると自然、家庭の豊かな子供たちはいつも売り方に廻ったが、買い取った者は再びその物品を転売するので、次第に沼倉共和国の人民の富は、平均されて行った。貧乏な家の子供でも、沼倉共和国の紙幣さえ持っていれば、小遣いには不自由しなかった。始めは面白半分にやり出したようなものゝ、そういう結果になって来たので、今ではみんなが大統領の善政(?)を謳歌している。
貝島が啓太郎から聞き取った処を綜合すると、大略以上のような事柄が推量された。それで、子供たちが彼らの市場で売捌(うりさば)いている物品は非常に広い範囲に亘(わた)っているらしく、その晩啓太郎が列挙したゞけでも二十幾種に及んでいた。即ち左記の通りである。――
西洋紙、雑記帳、アルバム、絵ハガキ、フィルム、駄菓子、焼芋、西洋菓子、牛乳、ラムネ、果物一切、少年雑誌、お伽噺(とぎばなし)、絵の具、色鉛筆、玩具類、草履(ぞうり)、下駄、扇子、メタル、蝦蟇(がま)口(ぐち)、ナイフ、万年筆、
このように多種類の物品が網羅されていて、彼らの欲しいと思うものは、市場へ行けばほとんど用が足りるのであった。
啓太郎は先生の息子だからというので、沼倉から特別の庇護を受けているために、お札には常に不自由しなかった。――多分沼倉は、貝島の家庭の様子を知っていて、啓太郎の窮乏を救ってやろうという義侠心もあったらしい。――彼はいつでも懐に百万円くらい、大臣と同じ程度の資産を有していた。祖母に見咎(みとが)められた色鉛筆だの餅菓子だの扇子だのゝほかにも、これまでにさまざまな物品を買い求めているという。
しかし沼倉は、ほかの命令はとにかくとしてこの貨幣制度だけは、先生に見付かると叱られはせぬかという心配があった。で、決してこのお札を先生の前で出してはならない、先生に知れないようにお互に注意しようじゃないかという約束になっていた。もしも云付(いつ)ける者があったら厳罰に処する旨の規定さえ出来ていた。啓太郎は一番嫌疑を蒙り易い地位にいるので、不断から気を揉んでいたのだが、今夜図(はか)らずも盗賊の汚名を着せられた口惜しさに、とうとう白状してしまったのである。彼が散々強情を張ったり、声を挙げて泣いたりしたのは、明日沼倉に厳罰を受けるのが恐いのであった。
「何だ意気地なしが! そんなに泣く事はないじゃないか。沼倉がお前をいじめたら今度はお父さんが沼倉を厳罰に処してやる。ほんとうにお前たちはとんでもない事だ。たといお前が何と云ってもお父様は明日みんなに叱言を云わずにはおきません。お前が云付け口をしたんだと云わなけりゃいゝじゃないか」
父親が叱り付けると、啓太郎はその言葉を耳にも入れずに首を振りながら、
「そう云ったって駄目なんだってば、みんな僕を疑っていて、今夜も探偵が家(うち)の様子を聞いているかも知れないんだもの。………」
こう云って、またしてもわあッと泣き出してしまった。
貝島は、暫くの間あっけに取られてぼんやりしているばかりであった。明日沼倉を呼び出して早速戒飭(かいちよく)を加えるにしても、全体この事件はどこから手を附けてどういう処置を施せばいゝか、そんな事を考える余裕のないほど、彼はひたすら呆れ返って度胆を抜かれていた。
その年の秋の末になって、ある日多量の喀血(かつけつ)をした貝島の妻は、それなり枕に就いて当分起きられそうもなかった。老母の喘息(ぜんそく)も、時候が寒くなるにつれて悪くなる一方であった。山国に近いせいか、割合に乾燥しているM市の空気は、二人の病気に殊更祟(たた)るようであった。六畳と八畳と四畳半との三間しかない家の一室に、二人は長々と床を並べて代る代る咳入っては痰(たん)を吐いていた。
高等一年へ通っている長女の初子が、もうこの頃では一切台所の仕事をしなければならなかった。暗いうちに起きて竈(かまど)を焚きつけて、病人の枕許へ膳部を運んだり、兄弟たちの面倒を見てやってから、彼女はひびとあかぎれだらけの手を拭ってやっと学校へ出かけて行く。そうして正午の休みにはまた帰って来て、一としきり昼飯の支度をする。午後になれば洗濯もするし、赤ん坊のおしめの世話もしなければならない。それを見かねて、父親は勝手口へ来て水を汲んだり掃除を手伝ってやったりした。
一家の不幸は今が絶頂というのではなく、まだまだこれからいくらでも悪くなりそうであった。貝島は、ひょっとすると自分にも肺病が移っているのではないかと思った。移るくらいなら、自分ばかりか一家残らず肺病になって、みんな一緒に死んでくれゝばいゝとも思った。そういえば近頃、啓太郎が時々寝汗を掻いて妙な咳をするらしいのも気になっていた。
それやこれやの苦労が溜っているためか、貝島はよく教室で腹を立てゝは、生徒を叱り飛ばすようになった。ちょいとした事が気に触って、変に神経がイライラして、体中の血がカッと頭へ逆上して来る。そんな時には、教授中でも何でも構わず表へ駈け出してしまいたくなる。ついこの間も、生徒の一人が例のお札を使っていたのを見付け出して、
「先生がいつかもあれほど叱言を云ったのに、まだお前たちはこんな物を持っているのか!」
こう云って怒鳴りつけた時、急に動悸がドキドキと鳴って、眼が眩(くら)んで倒れそうであった。生徒の方でも沼倉を始め一同が先生を馬鹿にし出して、わざと癇癪を起させるような、意地の悪い真似ばかりした。父親のお蔭で啓太郎までが、仲間はずれにされたものか、近来は遊び友達もなくなって、学校から帰ると終日狭苦しい家の中でごろごろしている。
十一月の末のある日曜日の午後であった。二三日前から熱が続いてゲッソリと衰弱している細君の床の中で、それでも側を放れずに抱かれている赤ん坊が、昼頃から頻りに鼻を鳴らしていたが、やがてだんだんムズカリ出して火のつくように泣き始めた。
「泣くんではないよ、ね、いゝ児だから泣くんではないよ。………ねんねんよう、ねんねんよう、………」
くたびれ切った力のない調子で、折々思い出したように、こう繰り返している細君の言葉も、しまいには聞えなくなって、たゞ凄じい泣き声ばかりがけたゝましく辺(あたり)に響いた。
次の間の八畳で机に向っていた貝島は、その声がする度毎に障子や耳元がビリビリと鳴るのを感じた。そうして、腰の周りから背中の方へ物が被さって来るような、ジリジリと足許から追い立てられるような、たまらない気持がするのを、じっと我慢して、机の傍を離れようともしなかった。
「泣くなら泣くがいゝ、こんな時には泣き止むまで放っておくより仕方がない」
父親も母親も祖母も、みんな申し合わせたようにそうあきらめているらしかった。
まだ二三日はあるはずだと思っていた赤児(あかんぼ)のミルクが、もう一滴もなくなっていた事を知ったのは今朝であった。が、三人の親たちはそれよりももっと悲惨な事実に気が付いていた。明後日の月給日が来るまでは、どこを尋ねても家中に一文の銭もないのである。それを口へ出すのが恐ろしさに、三人は黙ってお互の腹の中を察していた。こういう折にはいつもそうするように、姉娘の初子が砂糖水を作ったり、おじやを煮たりしてあてがってみたが、どうした訳か赤児は一切そんな物を受け付けないで、「ウマウマ、ウマウマ」と云いながら、一層性急な声を挙げた。
貝島は、この声に耳を傾けていると、悲しい気持を通り越して、苦も楽もないひろびろとした所へ連れて行かれるような心地がした。泣くならウンと泣いてくれる方がいゝ。もっと泣けもっと泣けと、胸の奥で独語(ひとりごと)を云った。かと思うと次の瞬間には、ジリジリと神経が苛立って、体が宙へ吊るし上るようになって、自分の存在が肩から上ばかりにしか感ぜられなかった。そのうちに、彼はふいと机の傍を立ち上って、もどかしそうに室内を往ったり来たりし始めた。
「そうだ、勘定が溜っているからといって、そんなに遠慮することはない。………あすこの家(うち)の忰は己の受持ちの生徒なんだ。………今度一緒にと云えば、おついでゞよろしゅうございますと云うにきまっている。耻しいことも何にもない。己は一体に気が小さいからいけないのだ。………」
こんな考が浮かんだのをきっかけに、彼はいつまでも頭の中で一つ事を繰り返しながら、同じ所をぐるぐると歩き廻っていた。
日の暮れ方に、貝島はぶらりと表へ出て、K町の内藤洋酒店の方へ歩いて行く様子であった。洋酒店の前へ来た時、店先に彳(たたず)んでいた店員の一人が、叮嚀(ていねい)に頭を下げて挨拶をした。貝島はちょいと往来に立ち停って、ニコリとして礼を返した。………帳場の後ろの、缶詰や西洋酒の壜がぎっしり列(なら)んでいる棚の隅に、ミルクの缶が二つ三つチラリと見えた。しかし貝島は、何気ない体(てい)でそこを通り過ぎてしまった。
家の近所まで戻って来ると、赤児はまだ泣いているらしく、ぎゃあぎゃあという喉の破れたような声が、たそがれの町の上を五六間先まで響いて来た。貝島ははっとしてまた引き返して、今度はどこというあてもなくふらふらと歩き出した。
M市の名物と云われているA山の山颪(やまおろし)が、もう直きに来る冬の知らせのように、ひゅうひゅうと寒い風を街道に吹き送っていた。T河に沿うた公園の土手の蔭のところには、五六人の子供たちが夕闇の中にうずくまって何をして遊んでいるのか頻りにこそこそと囁き合っているらしかった。
「いやだよ、いやだよ、内藤君。君やあズルイからいやだよ。もう三本きりッきゃないんだから、一本百円なら売ってやらあ」
「高えなあ!」
「高えもんかい、ねえ沼倉さん」
「うん、内藤の方がよっぽどズルイや。売りたくないッて云ってるのに、無理に買おうとしやがって、値切る奴があるもんか。買うなら値切らずに買ってやれよ」
その声が聞えると、貝島は立ち停って子供らの方を振り向いた。
「おい、お前たちは何をしているんだね」
子供たちは一斉にばらばらと逃げようとしたが、貝島があまり側に立っているので、逃げる訳にも行かなかった。「もう見付かったら仕方がない。叱られたって構うもんか」――そういう覚悟が、沼倉の顔にはっきりと浮かんだ。
「どうだね、沼倉。一つ先生も仲間へ入れてくれないかね。お前たちの市場ではどんな物を売っているんだい。先生もお札を分けて貰って一緒に遊ぼうじゃないか」
こう云った時の貝島の表情を覗き込むと、口もとではニヤニヤと笑っていながら、眼は気味悪く血走っていた。子供たちはこれまでに、こんな顔つきをした貝島先生を見た事がなかった。
「さあ、一緒に遊ぼうじゃないか。お前たちは何も遠慮するには及ばないよ。先生は今日から、ここにいる沼倉さんの家来になるんだ。みんなと同じように沼倉さんの手下になったんだ。ね、だからもう遠慮しないだっていゝさ」
沼倉はぎょっとして二三歩後へタジタジと下ったけれど、直ぐに思い返して貝島の前へ進み出た。そうして、いかにも部下の少年に対するような、傲然たる餓鬼大将の威厳を保ちつゝ、
「先生、ほんとうですか。それじゃ先生にも財産を分けて上げましょう。――さあ百万円」
こう云って、財布からそれだけの札を出して貝島の手に渡した。
「やあ面白いな。先生も仲間へ這入るんだとさ」
一人がこう云うと、二三人の子供が手を叩いて愉快がった。
「先生、先生は何がお入用ですか。欲しい物は何でもお売り申します」
「エエ煙草にマッチにビール、正宗、サイダア、………」
一人が停車場の売り子の真似をしてこう叫んだ。
「先生か、先生はミルクが一と缶欲しいんだが、お前たちの市場で売っているかな」
「ミルクですか、ミルクなら僕ん所の店にあるから、明日市場へ持って来て上げましょう。先生だから一と缶千円に負けておかあ!」
こう云ったのは、洋酒店の忰の内藤であった。
「うん、よしよし、千円なら安いもんだ。それじゃ明日またここへ遊びに来るから、きっとミルクを忘れずにな」
しめた、と、貝島は腹の中で云った。子供を欺してミルクを買うなんて、己はなかなかウマイもんだ。己はやっぱり児童を扱うのに老練なところがある。………
公園の帰り路に、K町の内藤洋酒店の前を通りかゝった貝島は、いきなりつかつか店へ這入って行ってミルクを買った。
「えゝと、代価はたしか千円でしたな。それじゃここへ置きますから」
と、袂(たもと)からさっきの札を出したとたんに、彼は苦しい夢から覚めた如くはっと眼をしばだゝいて、見る見る顔を真赤にした。
「あッ、大変だ、己は気が違ったんだ。でもまあ早く気が付いて好かったが、とんでもないことを云っちまった。気違いだと思われちゃ厄介だから、何とか一つ胡麻化(ごまか)してやろう」
そう考えたので、彼は大声にからからと笑って、店員の一人にこんなことを云った。
「いや、これを札と云ったのは冗談ですがね。でもまあ念のために受け取っておいて下さい。いずれ三十日になれば、この書附と引き換えに現金で千円支払いますから。………」
(大正七年七月作)
白昼鬼語
精神病の遺伝があると自ら称している園村が、いかに気紛れな、いかに常軌を逸した、そうしていかに我がままな人間であるかという事は、私も前から知り抜いているし、十分に覚悟して附き合っているのであった。けれどもあの朝、あの電話が園村から懸って来た時は、私は全く驚かずにはいられなかった。てっきり園村は発狂したに相違ない。一年中で、精神病の患者が最も多く発生するという今の季節――この鬱陶(うつとう)しい、六月の青葉の蒸し蒸しした陽気が、きっと彼の脳髄に異状を起させたのに相違ない。さもなければあんな電話をかけるはずがないと、私は思った。いや思ったどころではない、私は固くそう信じてしまったのである。
電話のかゝったのは、何でも朝の十時ごろであったろう。
「あゝ君は高橋君だね。」
と、園村は私の声を聞くと同時に飛び付くような調子で云った。彼が異常に昴奮している事はもうそれで分ったのである。
「済まないが今から急いで僕の所へ来てくれたまえ。今日君に是非とも見せたいものがあるのだから。」
「せっかくだが今日は行かれないよ。実はある雑誌社から小説の原稿を頼まれていて、それを今日の午後二時までに、どうしても書いてしまわなければならないんだ。僕は昨夜から徹夜してるんだ。」
こう私が答えたのは(うそ)ではなかった。私は昨夜からその時まで、一睡もせずにペンを握り詰めていたのであった。なんぼ園村が閑人(ひまじん)のお坊っちゃんであるにもせよ、こちらの都合も考えずに、見せる物があるからやって来いなどゝ云うのは、あんまり呑気(のんき)で勝手過ぎると、私は少し腹を立てたくらいであった。
「そうか、そんなら今直ぐでなくてもいゝから、午後二時までにそれを書き上げたら、大急ぎで来てくれたまえ。僕は三時まで待っているから。………」
私はますます癪に触って、
「いや今日は駄目だよ君、今も云う通り昨夜徹夜をして疲れているから、書き上げたら風呂へ這入(はい)って一と睡(ねむ)りしようと思ってるんだ。何を見せるのだか知らないが、明日だっていゝじゃないか。」
「ところが今日でなければ見られないものなんだ。君が駄目なら僕独りで見に行くより仕方がないが。………」
こう云いかけて、急に園村は声を低くして、囁(ささや)くが如くに云った。
「………実はね、これは非常に秘密なんだから、誰にも話してくれては困るがね、今夜の夜半の一時ごろに、東京のある町である犯罪が、………人殺しが演ぜられるのだ。それで今から支度をして、君と一緒にそれを見に行こうと思うんだけれど、どうだろう君、一緒に行ってくれないかしらん?」
「何だって? 何が演ぜられるんだって?」
私は自分の耳を疑いながら、もう一遍念を押さずにはいられなかった。
「人殺し、……… Murder, 殺人が行われるのさ。」
「どうして君はそれを知っているんだ。一体誰が誰を殺すのだ。」
私はウッカリ大きな声でこう云ってしまってから、びっくりして自分の周囲を見廻した。が幸に家族の者には聞えなかったようであった。
「君、君、電話口でそんな大きな声を出しては困るよ。………誰が誰を殺すのだかは、僕にも分っていない。精(くわ)しい事は電話で話す訳には行かないが、僕はある理由によって、今夜ある所である人間がある人間の命を断とうとしている事だけを、嗅ぎつけたのだ。勿論その犯罪は、僕に何らの関係もあるのではないから、僕はそれを予防する責任も、摘発する義務もない。たゞ出来るならば犯罪の当事者に内証で、こっそりとその光景を見物したいと思うのだ。君が一緒に行ってくれゝば僕もいくらか心強いし、君にしたって小説を書くよりは面白いじゃないか。」
こう云った園村の句調は、奇妙に落ち着いた、静かなものであった。
けれども、彼が落ち着いていればいるほど、私はいよいよ彼の精神状態を疑い出した。私は彼の説明を聞いている途中から、激しい動悸と戦慄とが体中に伝わるのを覚えた。
「そんな馬鹿げた事を真面目くさってしゃべるなんて、君は気が違ったんじゃないか。」
こう反問する勇気もないほど、私は心から彼の発狂を憂慮し、恐怖し、しかも甚だしく狼狽した。
金と暇とのあるに任せて、常に廃頽した生活を送っていた園村は、この頃は普通の道楽にも飽きてしまって、活動写真と探偵小説とを溺愛し、日がな一日、不思議な空想にばかり耽っていたようであるから、その空想がだんだん募ってきた結果、ついに発狂したのであろう。そう考えると私はほんとうに身の毛が竦(よだ)った。私よりほかには友達らしい友達もなく、両親も妻子もなく、数万の資産を擁して孤独な月日を過している彼が、実際発狂したのだとすれば、私を措(お)いて彼の面倒を見てやる者はないのである。私はとにかく、彼の感情を焦(い)ら立たせないようにして、仕事が済み次第早速見舞いに行ってやらなければならなかった。
「なるほど、そういう訳なら僕も一緒に見に行くから、是非待っていてくれたまえ。二時に書き上げて、三時までには君の所へ行けるつもりだが、事によると三十分か一時間ぐらいおくれるかもしれない。しかし僕の行くまでは、必ず待っていてくれたまえよ。」
私は何よりも、彼が独りで家を飛び出すのを心配した。
「いゝかね、それじゃおそくも四時までにはきっと行くから、出ないで待っていてくれたまえ。いゝかね、きっとだぜ。」
こう繰返して、彼の答を確めてから、ようやく電話を切ったのであった。
が、私は正直に白状する。――それから午後の二時になるまで、机に向って書きかけの原稿の上に思想を凝らしてはみたものゝ、私の頭はもう滅茶々々に惑乱されて、注意が全然別の方面へ外れてしまっていた。私はたゞ責め塞ぎのために、夢中でペンを走らせて、自分でも訳の分らぬ物を好い加減に書き続けたに過ぎなかった。
狂人の見舞いに行く。それは園村の唯一の友人たる私の義務だとは云いながら、実際あまりいゝ気持ちのものではなかった。第一、私にしたって彼を見舞いに行く資格があるほど、それほど精神の健全な人間ではない。私も彼の親友たるに背かず、毎年この頃の新緑の時候になると、かなり手ひどい神経衰弱に罹(かか)るのが例である。そうして今年も、既に幾分か罹っているらしい徴候さえ見えている。この上狂人の見舞いになんぞ出かけて行ったら、いつ何時(なんどき)、病気が此方へ乗り移ってミイラ取りがミイラにならぬとも限らない。あるいはまた、園村が今夜行われると信じている殺人事件が、たとえ事実であったにしても、――そんな馬鹿げた事があるはずはないが、――私は到底彼と一緒にそれを見に行く好奇心も勇気もない。殺人の光景などを目撃したら、園村よりも私が先に発狂してしまいそうだ。私は全く、友人としての徳義を重んじて、いやいやながら園村の病状を見舞いに行くだけの事であった。
原稿がすっかり出来上った時は、ちょうど二時が十分過ぎていた。いつもならば、徹夜の後の疲労のお蔭でぐったりとなって、少くとも夕方まで熟睡を貪るのであるが、四時という約束の時間が迫っているし、それに昴奮させられたせいか私は睡くも何ともなかった。で、一杯の葡萄酒(ぶどうしゆ)に元気をつけて、今年になって始めての紺羅紗(こんラシヤ)の夏服を纏(まと)うて、白山上の停留場から三田行きの電車に乗った。園村の家は芝公園の山内にあったのである。
すると、電車に揺られながら、私はある恐ろしい、不思議な考えに到達した。園村が先刻、電話口で話した事は、ひょっとすると満更のではないかも知れない。今夜のうちに市内の某所である殺人が行われるということ、それは少くとも園村にとっては、明かに予想し得る出来事であるかも知れない。そうして、その予想の的中を見るためには、是非とも私を同伴して犯罪の場所へ誘って行く事が必要であるのかも分らない。――つまり園村は、私を、この私を、今夜のうちに某所において彼自身の手で殺そうとしているのではあるまいか。「お前に殺人の光景を見せてやる。」こう云って私を誘い出して、彼自身の手で、私の生命の上にその光景を演じて見せようとするのではなかろうか。――この考えは突飛ではあるが、滑稽ではあるが、決して何らの根拠もない臆測だということは出来なかった。勿論私は、そのような残酷な悪戯(いたずら)の犠牲に供せられる覚えはない。私は彼に恨みを買ったことも、誤解されたこともないのであるから、常識をもって判断すれば、彼が私を殺す道理は毛頭ない。けれどももし彼が発狂しているとしたら、誰が私の臆測を突飛であると云えるだろうか。荒唐無稽な探偵小説や犯罪小説を耽読して気違いになった人間が、その親友を不意に殺したくなったとしたら、誰がそれを不自然だと云えるだろうか。不自然どころか、それは最も有り得べき事実ではないか。
私はもう少しで、電車を降りてしまおうとした。私の額には冷たい汗がべっとりと喰着(くつつ)いて、心臓の血は一時全く働きを止めたらしかった。そうして次の瞬間には、さらに別箇の、第二の恐怖が、海嘯(つなみ)のように私の胸を襲って来た。
「こんな下らない空想に悩まされるようでは、事によると己(おれ)ももう、気が違っているのではなかろうか。さっき電話で話をしたばかりで、園村の気違いが忽ち移ってしまったのではなかろうか。」
この心配の方が、以前の臆測よりも余計に事実らしいだけ、私には遥かに恐ろしかった。私は何とかして、自分を狂人であると思いたくないために、以前の空想を強いて脳裡から打ち消そうと努めた。
「己は何だって、そんな愚にも付かない事を気に懸けているんだ。園村は先(さつき)たしかに、自分は今夜行われる犯罪に関係がない、下手人が誰であるか、犠牲者が誰であるかも全く知らないと云ったじゃないか、彼はただ、ある理由によって、殺人が演ぜられるのを嗅ぎつけたのだと云ったじゃないか。そうしてみれば、彼は決して己を殺そうとしているのではない。やっぱり発狂したために、ある幻想を事実と信じて、己と一緒にそれを見に行く気になっているのだ。そう解釈するのが正当だのに、なぜ己はあんなおかしな推定をしたのだろう。ほんとうに馬鹿げ切っている。」
私はこう腹の中で呟(つぶや)いて、自分の神経質を嘲笑(あざわら)った。
それでも私は、お成門で電車を降りて、園村の住宅の前へ来た時まで、彼に会おうという決心はまだハッキリと着いていなかった。私は彼の家の傍を素通りして、増上寺の三門と大門との間を、二三度往ったり来たりしてさんざん躊躇した揚句、どうにでもなれというような捨て鉢な了見で、園村の家の方へ引返したのであった。
私が、立派な西洋間の、贅沢な装飾を施した彼の書斎の扉を明けると、彼は不安らしく室内を歩き廻りながら、焦(じ)れったそうに暖炉棚の置時計を眺めているところであった。うまい工合に、時刻はきっちり四時になっていた。洋服のよく似合う、すっきりとした体格を持っている彼は、品のいゝ黒の上衣に渋い立縞(たてじま)のずぼんを穿(は)いて、白繻子へ緑の糸の繍(ぬい)をしたネクタイにアレキサンドリア石のピンを刺して、もうすっかり、外出の身支度を整えていた。宝石の大好きな彼は、か細く戦(おのゝ)いているようなきゃしゃな指にも、真珠やアクアマリンの指輪をぎらぎらと光らせて、胸間の金鎖の先には昆虫の眼玉のような土耳其(トルコ)石を揺がせていた。
「今ちょうど四時だ、よく来てくれたね。」
こう云って、私の方を振り向いた彼の顔の中で、私は何よりも瞳の色を注意して観察した。が、その瞳は例によって病的な輝きを帯びてはいるものゝ、別段従来と異った激しさや、狂暴さを示してはいなかった。私はやゝ安心して、片隅の安楽椅子に腰をおろしつゝ、
「一体君、さっきの話はあれはほんとうかね。」
こう云って、わざと落ち着いて煙草をくゆらした。
「ほんとうだ。僕はたしかな証拠を握ったのだ。」
彼は依然として室内を漫歩しながら、確信するものゝ如くに云った。
「まあ君、そうせかせかと部屋の中を歩いていないで、腰をかけてゆっくり僕に話して聞かせたまえ。犯罪が行われるのは今夜の夜半だと云ったじゃないか。今からそんなに急(せ)かなくってもいゝだろう。」
私はまず彼の意に逆らわないようにして、だんだんと彼の神経を取り鎮めてやろうと思ったのである。
「しかし証拠は握ったけれど、僕はその場所をハッキリと突き止めていないのだ。だからあんまり暗くならないうちに、一応場所を見定めておく必要があるのだ。別に危険な事はなかろうけれど、済まないが君も今から一緒に行ってくれたまえ。」
「よろしい、僕もそのつもりで来たのだから、一緒に行くのは差支(さしつかえ)ないが、場所を突き止めるのにもあてがなくっちゃ大変じゃないか。」
「いや、あてはあるのだ、僕の推定するところでは、犯罪の場所はどうしても向島でなければならないのだ。」
こう云う間も、彼はその証拠とやらを握ったのが嬉しくってたまらないらしく、平生陰鬱な、機嫌の悪い男にも似ず、いよいよ忙しく歩き廻って、元気よく応答するのであった。
「向島だということが、どうして君に分ったんだね。」
「その理由は後で精(くわ)しく話すから、とにかく直ぐに出てくれたまえ。人殺しが見られるなんて、こんな機会は、またとないんだから、外してしまうと仕様がない。」
「場所が分っていさえすれば、そんなに慌てないでも大丈夫だよ。タクシーで行けば向島まで三十分あれば十分だし、それにこの頃は日が長いから、暗くなるには未だ二三時間も間がある。だからまあ、出かける前に僕に説明してくれたまえ。話を聞かしてくれなくっちゃ、一緒に連れて行って貰っても、君ばかりが面白くって、僕は一向面白くも何ともないからね。」
私のこの論理は、正気を失っている彼の頭にも、もっともらしく響いたものか、園村は鼻の先で二三度ふんふんと頷(うなず)いて、
「じゃ簡単に話をするが………」
と云いながら、相変らず時計を気にして渋々と私の前の椅子に腰を落した。それから彼は上衣の裏側のポッケットを捜って、一枚の皺(しわ)くちゃになった西洋紙の紙片を取り出すと、それを大理石のティー・テエブルの上にひろげて、
「証拠というのはこの紙切れなのだ。僕は一昨日(おとゝい)の晩、妙な所でこれを手に入れたのだが、ここに書いてある文字について、君も定めし何かしら思いあたる事があるだろう。」
と、謎(なぞ)をかけるような調子で云って、一種異様な、底気味の悪い薄笑いを浮べながら、上眼使いにじっと私の顔を視詰(みつ)めた。
紙の面には数学の公式のような符号と数字との交ったものが鉛筆で書き記されてあった。―― 6 * ; 48 * 634 ; 1 ; 48 85 ; 4 12 ? 45 ………こんな物が二三行の長さに渡って羅列してあるばかりで、私には無論何事も思いあたるはずはなく、どういう意味やら分りもしなかった。私はその時まで園村の精神状態について半信半疑の体であったが、こういう紙切れをどこからか拾って来て、犯罪の証拠だなどゝ思い詰めている様子を見ると、気の毒ながら彼が発狂していることは、もう一点の疑念を挟む余地もなかった。
「さあ、一体これは何だろうかしら? 僕は別段思いあたる事もないが、君にはこの符号の意味が読めるのかね。」
私は真青な顔をして、声を顫(ふる)わせて云った。
「君は文学者のくせに案外無学だなあ。」
彼は突然、身を反らしてからからと笑った。そうしてさもさも得意らしい、博学を誇るらしい口吻で言葉を続けた。
「………君は、ポオの書いた短篇小説の中の有名な "The Gold-Bug" という物語を読んだことがないのかね。あれを読んだことがある人なら、ここに記してある符号の意味に気が付かないはずはないんだが。………」
私は生憎(あいにく)ポオの小説を僅かに二三篇しか読んでいなかった。ゼ・ゴオルド・バッグという面白い物語のある事は聞いていたけれど、それがどんな筋であるかも知らないのであった。
「君があの小説を知らないとすると、この符号の意味が分らないのも無理はないのだ。あの物語の中にはざっとこんな事が書いてある。――昔、Kidd という海賊があって、アメリカの南カロライナ州のある地点に、掠奪した金銀宝石を埋蔵して、その地点を指示するために、暗号文字の記録を止めておく。ところが後になって、サリヴァンの島に住んでいるウィリアム・ルグランという男が、偶然その記録を手に入れて、暗号文字の読み方を考え出した結果、首尾よく地点を探りあてゝ埋没した宝を発掘する。――大体こういう筋なのだが、その小説中で一番興味の深い所は、ルグランが暗号文字の解き方を案出する径路であって、それが非常に精しく説明してあるのだ。そこで、僕が一昨日手に入れたというこの紙切れには、明かにあの海賊の暗号文字が使ってある。僕は、ある所に捨ててあったこの紙切れを見ると同時に、何らかの陰謀か犯罪かゞ裏面に潜んでいる事を、想像せずにはいられなかったので、わざわざ拾って持って来たような訳なのだ。」
その物語を読んでいない私には、彼の説明がどの点まで正気であるやら分らないので、残念ながら、一応彼の博覧強記に降参しなければならなかった。
「ふゝん、大分面白くなって来たぞ。そうして君は、この紙切れをどこで拾ったんだね。」
私は母親が子供の話に耳を傾けるような態度で、こう云って唆(そゝの)かした。そのくせ腹の中では、学問のある奴が気違いになって、無学な人間を脅かすほど始末に困るものはない。今にどんなとんちんかんを云い出すか、見ていてやれと思ったりした。
「これを拾った順序というのは、こうなんだ。――ちょうど一昨日の晩の七時ごろ、例によってたった独りで、僕が浅草の公園倶楽部(クラブ)の特等席に坐を占めて、活動写真を見ていたと思いたまえ。君も知っているだろうが、あそこの特等席は、前の二側か三側ばかりが男女同伴席で、後の方が男子の席になっている。たしかあの日は土曜日の晩で、僕が這入(はい)った時分には二階も下も非常な大入だった。僕はようやく、男子席の一番前方の列の真ん中あたりに一つの空席があるのを見附けて、そこへ割り込んで行ったのだった。つまり、僕が腰かけていた場所は、男子席と同伴席との境目にあって、僕の前列には多勢の男女が並んでいた訳なのだ。僕は最初、それらの客を別段気にも止めなかったが、暫らく立つうちに、ふとある不思議な出来事が、自分の鼻先で行われているのを発見して、活動写真をそっちのけに、その出来事の方へ注意深い視線を向けた。僕の前にはいつの間にか三人の男女が席を取っていた。何分にも場内が立錐の余地もなく混み合っていたし、特等席の客の中にも立ちながら見物している者が、ぎっしり人垣を作っていたくらいだから、僕の周囲は暗い上にもさらに暗くなっていた………。」
「………それ故僕には、その三人の風采や顔つきなどは分らなかったが、彼らの一人が束髪に結った婦人で、あとの二人が男子であるという事だけは、後姿によって判断された。それからまたその婦人の髪の毛が房々として、暑苦しいほど多量であるところから、彼女がかなり年の若い女である事も推定された。二人の男子のうちの、一人は髪の毛をてかてかと分け、一人はキチンとした角刈の頭を持っていた。三人の並んでいる順序は、一番右の端が束髪の女、真ん中が髪を分けた男、左の端が角刈の男だった。こういう順序に並んだところから想像すると、右の端の女は真ん中の男の細君か、あるいは情婦か、少くとも彼と密接の関係のある婦人であって、左の端にいる角刈は真ん中の男の友人か何かであるらしかった。――君にしたって、僕のこの想像を間違っているとは思わないだろう。こういう場合に、もしその女が二人の男に対して、同等の関係を持っていれば、彼女は必ず二人の真ん中へ挟まるだろうし、そうでなかったら、特に関係の深い方の男が、もう一人の男と女との間へ挟まるに極まっている。………ねえ、君、君だってそう思うだろう。」
「はゝ、なるほどそうには違いないが、えらくその女の関係を気に病んだものだね。」
私は彼が、分り切った事を名探偵のような口吻で、得々と説明しているのがおかしくてならなかった。
「いや、その関係が、この話では極めて重大なのだ、僕がさっき云った不思議な出来事というのは、その女と左の端にいる角刈の男とが、まん中の男に知られないようにして、椅子の背中で手を握り合ったり、奇妙な合図をし合ったりしているのだ。初め女が男の手の甲へ、何か指の先で文字を書くと、今度は男が女の手へ返辞らしいものを書き記す。二人は長い間頻(しき)りにそれを繰り返しているのだ。………」
「はゝあ、そうするとそいつらは、もう一人の男に内証で、密会の約束でもしていたと見える。だがそんな事は、世間によくある出来事で、不思議というほどでもないじゃないか。」
「………僕はどうかしてその文字を読みたいと思って、じっと彼らの指の働きを視詰めていた。………」
園村は私の冷やかし文句などは耳に這入らないかの如くなおも熱心に自分独りでしゃべって行った。
「………彼らの指は、疑いもなく、極めて簡単な字画の文字を書いていた。僕は容易に、彼らが片仮名を使って談話を交換している事を、発見してしまったのだ。それに大変都合のいゝことには、真ん中の男が、あたかも僕の直ぐ前の椅子に腰かけていて、その左右に彼ら二人がいたものだから、出来事は全く僕の真正面で行われていたんだ。で、僕が片仮名だと気が付いた途端に、女はまたもや男の手の上へそろそろと指を動かし始めた。僕の瞳は、貪るようにして彼女の指の跡を辿(たど)って行った。その時僕が読み得た文句は、クスリハイケヌ、ヒモガイイという十二字の言葉だった。しかもその文字が男にはなかなか通じなかったと見えて、女は二度も三度も丁寧に書き直して執拗(しつくど)く念を押した。男はようようその意味が分ると、やがて女の手の上へイツガイイカと書いた。二三ニチウチニと女が返辞をしたゝめた。………その時まん中の男が、偶然に少し体を反らしたので、二人は慌てゝ手を引込めて、何喰わぬ顔で活動写真に見惚(みと)れているようだった。彼らの秘密通信は、残念ながらそれでおしまいになったのだが、しかし、クスリハイケヌ、ヒモガイイという十二字の文句は、果して何を暗示しているだろう。イツガイイカとか、二三ニチウチニとかいう文句だけなら、密会の約束をしているのだと推定する事も出来るけれど、クスリだのヒモだのが密会の役に立つはずはない、女は明かに、男に向って恐ろしい犯罪の相談をしているのだ。『毒薬よりも紐を使って、………』と彼女は男に指図しているのだ。」
園村の説明は、もし彼の精神状態を知らない者が聞いたならば、どうしても真実としか思われないような、秩序整然とした、理路の通った話し方であった。私にしてもうっかりしていれば、「おや、ほんとうかな。」と、釣り込まれそうになるのであった。けれどもよく考えてみると、たとえ暗闇だとはいえ、多勢の人間のいる中で、片仮名で人殺しの相談をするなんて、そんな馬鹿な真似をする奴が、ある訳のものではない。やっぱり園村が一種の幻覚に囚われて、何か別の意味を書いていたのを、自分の都合のいゝように読み違えたのだろう。私は一言の下に彼の妄想を打破してやろうかと思ったが、彼の気違いがどの程度まで発展するか、その様子をあくまで観察してやろうという興味もあって、わざと大人しく口を噤(つぐ)んでいた。
「………そうだとすると、僕は恐ろしいよりもむしろ面白くなって、何とかしてもう少し彼らの密談を知りたかった。いつの幾日にどこで彼らの犯罪が行われるのか、それが分りさえすれば、密かに見物してやりたいという好奇心が、むらむらと起って来た。すると、暫く立って、好い塩梅(あんばい)に二人の手は再び椅子の背中の方へ、次第々々に伸びて行った。が、今度は女の手の中に小さな紙が丸めてあって、それが男の手へそうッと渡されると、二人はまたもとの通りに手を引込めてしまった。その光景をまざまざと見ていた僕が、どれほど紙切れの内容に憧れたかは、君にも恐らく想像が出来るだろう。――男は紙切れを受け取ると、大方それを読むためなんだろう、間もなく便所へ行くような風をして、席を立って行ったが、五分ばかりすると戻って来て、その紙切れをくちゃくちゃに口で噛んで、鼻紙を捨てるように極めて無造作に、椅子の後へ、即ち僕の足下(あしもと)へ投げ捨てたのだ。僕はそれをこっそりと靴の底で踏みつけた。」
「だがその男も随分大胆な奴だねえ。便所へ行ったくらいなら、便所の中へ捨てゝ来れば宜(よ)かったろうに。」
と、私は冷やかし半分に云った。
「その点は僕も少し変だと思うんだけれど、多分便所へ捨てるのを忘れてしまって、急に思い出してそこへ捨てたのじゃないかしらん? それにこの通り暗号で書いてあるのだから、どこへ捨てたって大丈夫だというつもりだったのだろう。まさかこの暗号の読める奴が、つい眼の前に控えていようとは考えられないからね。」
こう云って彼はにこにこ笑った。
ちょうど時計が五時を打ったが、好い塩梅に彼は気が付かないらしく、全然話に没頭している様子であった。
「………写真が終って場内が明かるくなったら、僕は三人の風采をつくづく見てやろうと思っていたんだが、彼らはそれまで待ってはくれなかった。角刈の男が紙切れを捨てると、女はわざと溜息をして、つまらないからもう出ようじゃありませんかと、真ん中の男を促しているようだった。女の声はいかにも甘ったるく、我がままな、だゞを捏(こ)ねているような口振だった。彼女がそう云うと、角刈りが一緒になって、そうだな、あんまり面白くない写真だな、君、出ようじゃないかと、相応じたらしかった。二人に急(せ)き立てられながら、真ん中の男も不承不承に座を離れて三人はとうとう出て行ってしまった。前後の様子から察すると、二人は初めから活動写真を見る気ではなく、ただ暗闇と雑沓(ざつとう)とを利用して、秘密の通信を交すために、そこへ這入って来たに過ぎないのだ。しかし彼らがいなくなったお蔭で、僕は易々(やすやす)とこの紙切れを拾うことが出来た。」
「で、その紙切れに書いてある暗号文字はどういう意味になるのだか、それを聞かせて貰おうじゃないか。」
「ポオの物語を読めば雑作もなく分るんだが、ここに記してあるいろいろの数字だの符号だのは、みんな英語のアルファベットの文字の代用をしているんだ。たとえば数字の5はaを代表し、2はbを代表し3はgを代表している。それから符号の†はdを表し*はnを表し、;はtを表し?はuを表している。そこで、この暗号の連続をABCに書き改めて、適当なパンクチュエーションを施してみると、一種奇妙な、こういう英文が出来上る。――
in the night of the Death of Buddha, at the time of the Death of Diana, there is a scale in the north of Neptune, where it must be committed by our hands.
いゝかね、こういう文章になるのだ。もっともこの中にあるWという字は、ポオの小説の記録には載っていないんだから、彼らはWの代りにVの暗号を使っている。それからこの中のDやBやNの花文字は君に分りいゝように僕が勝手に書き直したので、別に特殊な花文字の符号がある訳ではない。ところでこれを日本文に飜訳するとまずこうなるね。――
仏陀の死する夜、
ディアナの死する時、
ネプチューンの北に一片の鱗(うろこ)あり、
彼処(かしこ)に於いてそれは我れ我れの手によって行われざるべからず。
ね、こうなるだろう。一見すると何の事やら分らないが、よく考えると、だんだん意味がはっきりして来る。『仏陀の死する夜』というのは、六曜の仏滅にあたる日の晩という事なんだろう。今月の内に仏滅にあたる日は四五日あるが、一昨日の晩に女が二三ニチウチニと書いたところから察すると、こゝで仏滅の日というのは、正しく今日の事に違いない。次ぎに『ディアナの死する時』という文句がある。これは恐らく、ディアナは月の女神だから、月が没する時刻を指しているのだろう。それで、今夜の月の入りは何時かというと、夜半の午前一時三十六分なのだ。ちょうどその時刻に、彼らの犯罪が行われるのだ。それから面倒なのはその次ぎの文句、『ネプチューンの北に一片の鱗あり。』という言葉だ。これは明かに場所を指定してあるのだが、この謎が解けなかったら、とても殺人の光景を見物する訳には行かない。………
ネプチューンという名詞が、全く僕らの想像も及ばない、彼らの間にのみ用いられている特有な陰語だとすれば、甚だ心細い訳だが、前のディアナだの、仏陀などから考えると、必ずしもそんなむずかしいものではなさそうに思われる。ネプチューンというのは海の神、もしくは海王星を意味している。だからきっと、海あるいは水に縁のある場所に違いないと僕は思った。その時ふいと僕の念頭に浮かんだのは向島の水神(すいじん)だった。君も御承知の通り、あの辺は非常に淋しい区域だから、そういう犯罪を遂行するには究竟(くつきよう)の場所柄でなければならない。『ネプチューンの北に一片の鱗あり』――して見ると、水神の祠(ほこら)か、でなければ八百松の建物の北の方に鱗形の△こういう目印を附けた家だか地点だかゞあるのだろう。『水神の北』という、極めて漠然たる指定だけしかない以上、その目印は案外たやすく発見される場所にあるように考えられる。『彼処に於いてそれは我れ我れの手によって行われざるべからず。』――この場合の『それは』という代名詞が殺人の犯罪を指していることはあえて説明するまでもないだろう。『行われざるべからず』―― must be committed の、commit という字の意味から考えても、犯罪事件であることは分りきっている。『我れ我れの手によって』というのは、その女と角刈りの男との両人が力を協(あわ)せて、ということなんだ。クスリハイケヌ、ヒモガイイという言葉と対照すれば、いよいよこの謎は明瞭になってくる。もはや一点の疑念を挟む余地もないのだ。こゝに犯罪の犠牲者となるべき人間の事が、書いてないのは惜しいような気がするけれど、あの晩の出来事から推定すると、大方三人のまん中にいた髪をてかてか分けた男が、附け狙われているのだろう。もっともその犠牲者が誰であろうと、別段僕らの問題にはならない。僕らはたゞこの暗号の謎を解いて、場所と時刻とを突き止めて、彼らの仕事を物蔭から見物する事が出来さえすれば沢山なのだ。そこで、今から僕らの取るべき行動は、向島の水神の附近へ行って、鱗の目印を探しあてる事にあるのだ。――さあ、もうこれだけ説明したら、事件がいかに破天荒な、興味の深いものであるか分ったゞろう。そうして目下の場合、僕らにとっていかに時間が大切であるかという事も、君は考えてくれなくてはいけない。僕はさっきからこの事件を君に報告するために、一時間半も貴重な時を浪費してしまった。………」
なるほど、そう云われてみると、既に時計は五時半になっていたが、六月の上旬の長い日脚は、まだ容易に傾きそうなけはいもなく、洋館の窓の外は昼間のように明るかった。
「浪費した事は浪費したが、お蔭で大変面白い話を聞いた。君はそれにしても、一昨日から今日までの間に、鱗の目印を探しておけばよかったじゃないか。」
こう云いながら、私はこの場合、彼に対してどういう処置をとったものかと途方にくれた。私はそゞろ、一旦忘れていた昨夜からの徹夜の疲れを感じ始めたので、なろう事なら彼のお供を断りたかった。これからわざわざ向島まで出かけて行って、めあてのない探偵事業の助手を勤めるなぞは、考えてみても馬鹿々々しかった。そうかといって、彼を独りで手放すのは、なおさら安心がならないのであった。
「そりゃ、君に云われるまでもなく、僕は昨日の朝から一日かゝって、水神の附近を隈(くま)なく捜索したんだが、鱗の目印はどこにもないんだ。そうして見ると、多分その目印は犯罪の行われる当日にならなければ、施されないものなのだ。彼女はきっと、今朝になってからどこかあの附近へ目印を附けたに違いない。もっとも僕は昨日のうちに、大概この辺ではあるまいかと思われるような場所を二つ三つ物色しておいたから、今日はそれほど骨を折らずに見附かるだろうと予期している。しかし何にしても暗くなっては不便だから、直ぐに出かけるに越した事はない。さあ立ちたまえ、早くしよう。そうして用心のために、君もこれを持って行きたまえ。」
こう云って、彼はデスクの抽き出しから一梃のピストルを取って、それを私の手に渡した。
彼がこれほど熱心に、これほど夢中になっているものを、止めたところでどうせ断念するはずはない。要するに彼の妄想を打破するためには、やっぱり彼と一緒に向島へ行って、今日になっても鱗の目印などはどこにもない事を証明してやるのが一番適切である。そうしたら如何に園村が気が変になっていても、自分の予想の幻覚に過ぎなかった事を悟るだろう。私はそう気が付いて、すなおにピストルを受け取りながら、
「それじゃいよいよ出かけるかな。シャアロック・ホルムスにワットソンという格だな。」
こう云って機嫌よく立上った。
お成門の傍から自動車に乗って、向島へ走らせる途中においても、園村の頭は依然としてその妄想にばかり支配されていた。ソフトの帽子を眼深(まぶか)に被って、腕を組みつゝじっと考え込んでいるかと思うと、忽ち次ぎの瞬間には元気づいて、
「………今夜になれば分ることだが、それにしても君、この犯罪者は一体どういう種類の、どういう階級の人間だろうね。せめてあの晩に、あいつらの服装ぐらい確めておけばよかったんだが、どうも真暗で見分けがつかなかったんだよ。とにかく、ポオの小説にある暗号文字を使ったりなんかしているんだから、決してあの女も男も無教育な人間ではないね、いや無教育どころか、かなり学問のある連中だね。………ねえ君、君はそう思わないかい。」
などゝ云った。
「うん、まあそうだろうな。案外上流社会の人間かも知れないな。」
「けれどもまた、一方から考えてみると上流社会の人間ではなくって、ある大規模な、強盗や殺人を常職とする悪漢の団員のようにも推定される。それでなければ、あゝいう暗号文字などを使用する訳がない。あの暗号文字は、かなり面倒なものだから、僕のような素人が読むには、一々ポオの原本と照らし合わせて行かなければならない。ところがこの間の角刈りの男は、僅か五六分の間に便所の中であれを読んでしまったのだ。して見ると彼らは、あの暗号を年中使用していて、僕らがABCを読むと同じ程度に、読み馴れているに違いない。畢竟(ひつきよう)彼らは、暗号を使わなければならないような悪い仕事を、今までに何回となく繰り返しているのだ。………さあ、そうなってくると、彼らはなかなか一と通りの悪漢ではないように感ぜられる。」
われわれを乗せた自動車は、日比谷公園の前を過ぎて馬場先門外の濠端を、快速力で疾駆している。
「しかしまあ、彼らが何者であるか分らないところが、僕らにとってはまた一つの興味なのだ。………」
と、園村はさらに語り出した。
「………僕は最初、彼らの犯罪の動機となっているものは、恋愛関係であろうと思っていたけれど、彼らがもし、恐るべき殺人の常習犯であるとすれば、恋愛以外に何らかの理由が伏在しているのかも測り難い。いずれにしても、僕らにはたゞ、今夜の午前一時三十六分に、向島の水神の北において、何者かゞ何者かに紐(ひも)をもって絞殺されるという事だけしか分っていないのだ。そこが著しく僕らの好奇心を挑発する点なのだ。………」
自動車は既に丸の内を脱けて、浅草橋方面へ走って行った。
* * * * *
* * * * *
それから三時間ほど過ぎた、晩の八時半ごろのことである。私は、気の毒なくらい鬱(ふさ)ぎ込んで、黙々として項垂(うなだ)れている園村を、再び自動車に乗せて芝の方へ帰って行った。
「………ねえ君、だからやっぱり何かしら君の思い違いだったんだよ。どうも君の様子を見るのに、この頃少し昴奮しているようだから、なるべく神経を落ち着けるようにしたまえ。明日からでも早速どこかへ転地をしたらどうだろう。」
私は車に揺られながら、むっつりと面を膨(ふく)らせて考え込んでいる園村を相手に、頻(しき)りにこう云って説き諭していた。
実際、その日の夕方、六時から八時過ぎまで私は園村に引き擦り廻されて、水神の近所をぐるぐると探し廻ったが、案の定鱗の目印などは見附からなかった。それでも園村はあくまで剛情を張って、見附けないうちは家へ帰らないと称していたのを、私は散々に云い宥(なだ)めて、やっとの事で捜索事業を放棄させたのである。
「僕はほんとうにこの頃どうかしている。君にそう云われると、何だか気違いにでもなったような気がする。………」
と、園村は沈んだ声で呻(うめ)くように云った。
「………だがしかし、どうも不思議だ。どうしたって、彼処(あすこ)辺(いら)に目印がなければならないはずなんだが、………僕がいかに神経衰弱にかゝっていたって、一昨日の晩の事は間違いがある訳はない。もし僕に何らかの間違いがあるとすれば、あの暗号の文字の読み方か、あるいはあの文章の謎の解き方について、どこかで錯誤をしているのだ。とにかく僕は内へ帰って、もう一遍よく考え直してみよう。」
彼がこう云って、未だに妄想を捨てゝしまわないのが、私には腹立たしくもあり、滑稽にも感ぜられた。
「考え直してみるのも宜(よろし)かろうが、こんな問題にそれほど頭を費したってつまらんじゃないか。たとえ君の想像が実際であったにもせよ、そんなに骨を折ってまで突き止める必要はありはしない。僕は昨日から一睡もしないので、今日はひどく疲れているから、この辺でひとまず君と別れて、内へ帰って寝る事にする。君も好い加減にして今夜は早く寝る方がいゝ。明日の朝遊びに行くから、それまで決して、独りで内を飛び出さないようにしたまえよ。」
いつまで彼に附き合っていても際限がないから、私は浅草橋で自動車を降りて、九段行きの電車に乗った。全く狐につまゝれたようで、何だか一時にがっかりしてしまった。向島へ着いてから三時間の間、彼は捜索に夢中になって、私に飯さえ食わせなかったので、急に私はたまらない空腹を覚え始めた。が、その空腹も、神保町で巣鴨行に乗り換えた時分から、にわかに襲って来た睡気のために分らなくなってしまった。そうして小石川の家へ着くや否や、いきなり床を取らせて死んだようにぐっすり眠った。
それから何時間ぐらい眠った後だか分らないが、表門の戸を頻りにとん、とん、と叩くらしい物音を、私は半分夢の中で聞いた。ぶうぶうという自動車の喘(あえ)ぎも聞えた。
「あなた、誰かゞ表を叩いているようだけれど、今時分誰が来たんでしょう。自動車へ乗って来たようだわ。」
こう云って、妻は私を呼び起した。
「あゝ、またやって来たか、あれはきっと園村だよ。先生この頃少し気が変になっているんだよ。ちょッ、困っちまうなあ。」
私は拠(よ)んどころなく睡い眼を擦(こす)り擦り起き上って、門口へ出て行った。
「君、君、ようよう僕は今、場所を突き止めて来たんだよ。ネプチューンというのは水神じゃなくて、水天宮の事だった。僕は誤解をしていたのだ。水天宮の北側の新路(しんみち)で、やっと鱗の目印を見附け出した。」
私が門の潜(くぐ)り戸を細目に明けると、彼は転げるように土間へ這入って来て、私の耳に口をあてながらひそひそとこんな事を囁いた。
「さて、これから直ぐに出かけようじゃないか。今ちょうど十二時五十分だ。もうあと四十六分しかないのだから、僕ひとりで行こうかと思ったんだけれど、約束があるからわざわざ君を誘いに来たのだ。さあ、大急ぎで支度をして来たまえ。早くしようよ。」
「とうとう突き止めたかね。だが、もう十二時五十分だとすると、今から行ってもうまく見られるかどうか分らないね。あべこべにそいつらに見附かったりなんかすると危険だから、君も止(よ)したらいゝじゃないか。」
「いや、僕は止さない。見る事が出来なかったら、せめて門口にしゃがんでいて、絞め殺される人間の呻り声だけでも聞きたいもんだ。それに、僕がさっき見て来たところでは、目印の附いている家は小(ち)いさな平屋で、二た間ぐらいしかない、狭っ苦しい住居なんだ。おまけに夏だもんだから、障子(しようじ)も何も取り払って、一二枚の葭簀(よしず)と簾(すだれ)が懸っているだけなんだ。そうして君、裏口の方に大きな肘掛窓(ひじかけまど)があって、そこの雨戸も節穴や隙間だらけで、そこから覗(のぞ)くと内の中が見透しになると来ているんだから、恐ろしく都合がいゝじゃないか。――さあ、こんな話をしているうちにもう十分立っちまった。今ちょうど一時だ。行くのか行かないのか早くしたまえ。君がいやなら僕は独りで行くんだから。」
誰がそんな所で人殺しなんぞする奴があるもんかと、私は思った。だが咄嗟(とつさ)の場合、私は彼を独りで放り出す訳にも行かないので、迷惑千万な話であるが、やっぱり一緒に附いて行くより仕方がなかった。
「よろしい、待ちたまえ、直ぐに支度をして来るから。」
私は室内へ取って返して、大急ぎで服を着換えた。
「どうしたんです、あなた、この夜半(よなか)にどこへおいでになるんです。」
妻は目を円くして云った。
「いや、お前にはまだ話さなかったが、園村の奴が二三日前から気が狂ってきて、妙な事ばかり云うので、弱ってるんだ。今夜もこれから、人形町の水天宮の近所に人殺しがあるから見に行こうと云うんだ。」
「いやだわねえ、気味の悪いことを云うのねえ。」
「それよりも夜半に叩き起されるのは閉口だよ。しかしウッチャラかしておくと、どんな間違いをし出来(でか)すかも知れないから、何とか欺して芝まで送り届けて来よう。どうも全くやり切れない。」
私は妻に云い訳をして、彼と一緒にまたしても自動車に乗った。
深夜の街は静かであった。自動車は白山上から一直線に高等学校の前へ出て、本郷通りの電車の石畳の上を、快く滑走して行った。私はまだ、夢を見ているような気持ちであった。
入梅前の初夏の空は、半面がどんよりとした雨雲に暗澹と包まれて、半面にチラチラと睡そうな星が瞬(またた)いていた。
「もう十七分! 十七分しかない!」
と、松住町の停留場を通り過ぎる時、園村は懐中電燈で腕時計を照らしながら云った。
「もう十二分!」
と、彼が再び叫んだ時、自動車は彼の頭のように気違いじみた速力で、急激なカーヴを作りながら、和泉(いずみ)橋の角を人形町通りの方へ曲って行った。
私たちは、わざと竈(へツつい)河岸(がし)の近所で自動車を捨てゝ、交番の前を避けるために、そこからぐるぐると細い路次をいくつも潜った。あの辺の地理に精(くわ)しくない私は、園村の跡について真暗な狭い道路を、すたすたと出たり這入ったりしたので、未だにそこがどの方角のどういう地点に方(あた)っているか、はっきりとは覚えていない。
「おい、もう直ぐそこだから、足音を静かにしたまえ! それ! その五六軒先の家だ。」
黙って急ぎ足で歩いていた園村が、こう云って私にひそひそと耳打ちをしたのは、むさくろしい長屋の両側に並んでいる、溝板(どぶいた)のある行き止まりの路次の奥であった。
「どれ、どこの家だ、どこに鱗の目印が附いているんだ。」
すると、私のこの質問には答えずに、園村は立ち止まってじっと腕時計を視詰めていたが、忽ち低いかすれた声に力を入れて、
「しまった!」
と云った。
「しまった! しまった事をした! 時間が二分過ぎちまった。もう三十八分だ。」
「まあいゝから目印はどこにあるんだ。その目印を僕に教えたまえ。」
私は、彼がこんなに熱中している以上、せめて鱗形に似通ったようなものが、何かしらその辺にあるのだろうと思ったので、こう追究したのであった。
「目印なんぞはどうでもいゝ。後でゆっくり教えてやるからぐずぐずしてないでこっちへ来たまえ。こっちだこっちだ。」
彼は遮二無二私の肩を捕えて、右側にある平屋と平屋との間隙の、ほとんど辛うじて体が這入れるくらいな窮屈な廂合(ひあわい)へ、ぐいぐいと私を引っ張って行った。と、どこかに五味溜(ごみため)の箱があるものと見えて、真暗な中でいろいろな物の醗酵した不快な臭が、ぷーんと私の鼻を衝(つ)いた。それから耳朶(みゝたぼ)の周りに蜘蛛(くも)の巣が引絡まって、かすかにぷすぷすと破れたようであった。私より五六歩先に進んで行った園村は、いつの間にかそこに彳(たたず)んで、息を凝らしつゝ、左側の雨戸の節穴へ顔を押しつけていた。
廂合の右側の方は一面の下見(したみ)であって、左側の、――園村が今しも顔を押しあてゝいる所にはなるほど彼が先刻話した通りに、大きな肘掛窓があって、節穴や隙間だらけの雨戸が篏(は)まっているらしく、そこから室内の明りがちらちらと洩れて輝いていた。その光線の強さから判断すると、家の中には極めて明るい眩(まばゆ)い電燈が煌々(こうこう)と燈っているかの如く想像された。私は何の気もなく近寄って行って、園村と肩を並べながら、一つの節穴に眼をあてがってみた。
節穴の大きさは、ちょうど拇指(おやゆび)が這入るぐらいなものであったろう。今まで戸外の闇に馴れていた私の瞳は、そこから中を覗き込んだ瞬間に、度ぎつい電燈の光に射られたので、暫く視力が馬鹿になって、たゞ眼前に二三の物影がちらつくのを、ぼんやり眺めたゞけであった。私にはむしろ、自分の傍に立っている園村の、激しい息づかいがよく分った。そうして死んだような静かさの中に、彼れの腕時計のチクタクと鳴るのが、さながら昴奮した動悸のように感ぜられた。
が、一二分の間に、だんだん私の視力は恢復しつゝあるらしかった。最初に私の見たものは、縦に真直(まつすぐ)にするすると伸びている、恐ろしく真白な柱のようなものであった。それがこっちへ背中を向けて据わっている一人の女の、美しい襟足の下に続く長い項(うなじ)の肉の線であると気がつくまでには、さらに数秒の経過があったかと覚えている。実を云うと、その女の位置があまりに窓際近く迫っていて、ほとんど節穴を蔽わんばかりになっていたので、それを人間の後姿だと識別するのは、かなり困難な訳であった。私は纔(わずか)に、潰し島田に結った彼女の頭部から、黒っぽい絽(ろ)お召(めし)の夏羽織を纏うた背筋の一部分を見たばかりで、腰から以下の状態は私の視界の外に逸していたのである。
さまで広くもない部屋の中には、どういう訳か非常に強力な、少くとも五十燭光以上かと思われる電球が燈っている。私が始めに、女の項を真白な柱のように感じたのは無理もないので、少し俯向(うつむ)き加減に据わっている彼女の襟頸(えりくび)から抜き衣紋の背筋の方へかけて、濃い白粉(おしろい)をこってりと塗り着けた漆喰(しつくい)のような肌が煌々たる電燈の下に曝(さら)されながら燃ゆるが如く反射しているのである。私と彼女との距離がいかに近接していたかは、彼女の衣服に振りかけてあるらしい香水の匂が、甘く柔かく私の鼻を襲いつゝあったのでも大凡(おおよそ)想像する事が出来る。私は実際、彼女の髪の毛の一本一本を数え得るほどに思ったのであった。その髪の毛はたった今結ったばかりかと訝(あや)しまれるくらいな水々しい色(いろ)光沢(つや)を帯びて、鳥の腹部のようにふっくらと張った両鬢(りようびん)にも、すっきりとした、慄(ふる)いつきたいような意気な恰好(かつこう)をした髱(たぼ)にも、一と筋の乱れさえなく、まるで鬘(かずら)のように黒くてかてかと輝いている。彼女の顔を見る事の出来ないのは残念であるが、しかしその撫で肩のなよなよとした優しい曲線といい、首人形の首のようにほっそりと衣紋から抜けでゝいる襟足といい、耳朶(みゝたぼ)の裏側から生(は)え際(ぎわ)を縫うて背中へ続いて行くなまめかしい筋肉といい、単に後姿だけでも、彼女が驚くべき艶冶(えんや)な嬌態を備えた婦人である事は、推量するに難くなかった。こんな意外な場所で、こんな美しい女の姿に会ったゞけでも、この節穴を覗いた事は徒労でなかったと私は思った。
こゝで私はもう少し、彼女を見た刹那(せつな)の印象と、最初の一二分間の光景とを記載しておく必要がある。たとえ園村の抱いている予想が間違いであるにもせよ、真夜半の今時分に、こういう女がこういう風をして、こんな所にじっとしているという事実は、とにかく不思議であらねばならない。彼女の頭が潰し島田である事から判断すると、彼女は決して白人(しろうと)の女ではないらしく、芸者か、さもなければそれに近い職業の者である事は明かである。髪の飾りや衣裳の好みが派手で贅沢で、近頃の花柳界の流行を追うている点から察するに、芸者にしても場末の者ではなく、新橋か赤坂辺の一流の女であろう。それにしても彼女は、そこにそうやったまゝ全体何をしているのか、私にはまるきり見当が付かない。私はさっき、「こんな所でじっとしている」と書いたが、彼女は全く活人画のように身動きもしないで、文字通り「じっとしている」のである。あたかも私が節穴を覗き込んだ瞬間に凝結してしまった如く、項(うなじ)を伸ばしてうつむいたなり、化石のように静まっているのである。――事によったら、彼女は戸外の足音に気が付いて、にわかに息を凝らしつゝ、耳を澄ましているのではなかろうか。――私はふとそう考えたので、慌てゝ節穴から眼を放しながら、園村の方を顧ると、彼は依然として熱心に顔をあてがっている。
とたんに、今までひっそりとしていた家の中でたしかに何者かゞ動いたらしく、みしり、みしり、と、根太(ねだ)の弛(ゆる)んだ畳を踏み着ける音が、微かに響いたようであった。園村の狂気を嘲りながらも、いつの間にか好奇心に囚われていた私は、その物音を聞きつけるや否や、再びふらふらと誘い込まれて眼を節穴へ持って行った。
ほんのちょいとの間――たった一秒か二秒の間であるが、その隙に女の位置と姿勢とは多少の変化を来たしていた。恐らく今の物音はそのためであったのだろう。節穴の前に塞がっていた彼女は、斜に畳一畳ほどを隔てゝ、部屋の中央に進み出た結果、私の眼界はよほど拡げられて、室内の様子がほとんど残らず見えるようになっている。ちょうど私の彳(たたず)んでいる窓の反対の側、――向って正面の所は、普通の長屋にあるような、腰張りの紙がぼろぼろに剥(は)げかゝった黄色い壁であって、左側は簾、右側は葭簀(よしず)の向うに縁側が附いていて、外には雨戸が締めてあるらしい。さっきから、彼女の頭の蔭に何か白い物がちらつくように感じたが、今になって見ると、それは手拭い浴衣(ゆかた)を着た一人の男が、彼女の左の方に、ぺったりと壁に寄り添うて、此方を向きながら立っているのである。男の年頃は十八九、多くも二十を越えてはいないだろう。髪を角刈りにした、色の浅黒い、背の高い、どことなく先代菊五郎を若くしたような俤(おもかげ)を持った青年である。私が特に先代菊五郎に比(たと)えた所以(ゆえん)は、その青年の容貌が昔の江戸っ子の美男子を見るようにきりゝと引き緊(し)まっているばかりでなく、涼しい長い眸とやや受け口に突き出ている下唇の辺りに、妙に狡猾な、髪結新三(しんざ)だの鼠小僧だのを聯想させる下品さと奸黠(かんかつ)さとが、遺憾なく露(あら)われていたからである。
男の顔には怒るとも笑うとも付かない、落ち着いているようでしかも何事をか焦慮しているような、不可解な表情がありありと浮かんでいる。が、それよりもさらに不可解なのは、彼の場所から一二尺離れた、左の隅に立てゝある真黒な案山子(かゝし)のような恰好(かつこう)の物体である。私は暫らく案山子の正体を極めるためにいろいろに体をひねらせて眼球の位置を変えなければならなかった。
よくよく注意すると、案山子は黒い天鵞絨(びろうど)の布を頭から被って、三本の脚で立っているのである。――どうしてもそれは写真の機械であるように思われる。この狭い室内に強力な電燈が燈されている事や、女が身動きもせずにいる事から考えると、あるいは男が彼女の姿を写真に取ろうとしているのであるらしい。けれども彼らは何の必要があって、わざわざこんな夜更けに、こんな薄穢(うすぎたな)い部屋の中で、写真を取ろうとするのだろう。何か秘密に写さなければならない理由があるのだろうか?
私は当然、この男が、ある忌まわしい密売品の製造者であって、今しもこの女をモデルにして、それを作ろうとしている最中である事を想像した。それで始めてこの場の光景が解釈された。
「何だ馬鹿々々しい。園村の奴、己を大変な所へ引っ張って来たものだ。もう好い加減にあいつも気が付いたゞろう。」
私は園村の肩をたゝいて「飛んだ人殺しが始まるぜ」と云ってやりたいような気がした。事件の真相が分ってみれば、彼の予想の全然外れていたことは明かになったものゝ、私の好奇心はさらに新な方面へ向ってむらむらと湧き上るのであった。昨日の午後から名探偵のお供を云い付かって東京市中を散々引き擦り廻された揚句、こんな滑稽な場面に打(ぶ)つかったかと思うとおかしくもあるが、一概に笑ってしまう訳には行かなかった。人殺しではないまでも、やっぱりそれは一種の小さな犯罪である。その光景が将(まさ)に演ぜられんとするのを、夜陰に乗じて戸の隙間から窃(ぬす)み視るという事は、私をして殺人の惨劇に対すると同様な、名状し難い恐怖を覚えしめ、緊張した期待の感情を味わせるのに十分であった。私は普通の潔癖からでなく、むしろ全身に襲い来る戦慄のために、危く顔を背(そむ)けようとしたくらいであった。
しかし、写真の機械はそこにぽつねんと据えてあるばかりで、男は容易に手を下しそうもない。彼は相変らず突き当りの壁に凭(もた)れて、女の方を意味ありげに視詰めているのである。そうして私がこれだけの観察をする間、彼も女と同じように身動きをする様子がなく、じっと立ったまゝ、例の佞悪(ねいあく)な狡(ずる)そうな瞳を、活人形のガラスの眼玉の如くぎらぎらと光らせている。女の姿勢は、以前の通りの後ろ向きではあるが、今度は膝を崩して横倒しに据わった腰から下がよく見えている。畳に垂れている羽織の裾の隅から、投げ出した右の足の先の、汚れ目のない白足袋の裏が半分ばかり露われて、その上に長い袂(たもと)の端がだらりと懸っている。さっき、纔(わずか)に彼女の上半身を窺(うかが)っただけであった私は、全身を見るに及んでいよいよ彼女の悽艶な体つきが自分を欺かなかった事を感じた。何というなまめかしい、何というしなやかな姿であろう。寂然と身に纏うた柔かい羅衣(うすもの)の皺一つ揺がせずに据わっているにもかかわらず、そのなまめかしさとしなやかさとは体中の曲線のあらゆる部分に行き亘(わた)っていて、何かこう、蛇がするするとのた打ってでもいるような滑らかな波が這(は)っているのである。驚愕の眼を (みは)りながら眺めていれば眺めているほど、私の胸には、嫋々(じようじよう)たる音楽の余韻が沁み込むように、恍惚とした感覚が一杯に溢れて来るのであった。
私の瞳がどれほど執拗に、どれほど夢中に、彼女の嬌態へ吸い着いていたかという事は、部屋の右の方にある図抜けて大きな金盥(かなだらい)が、その時まで私の注意を惹かなかったのでも明かであろう。実際、この部屋にこんな大きな金盥が置いてあるのは、写真の機械よりも一層不可思議な謎であって、この女さえいなかったら、私は疾(と)うに気が付いているはずであった。金盥とはいうものゝそれは西洋風呂のタッブほどの容積を持った、深い細長い、瀬戸引きの楕円(だえん)形の入れ物で、縁側に近い葭簀の前の畳の上に、直(じか)にどっしりと据えられているのである。
彼らは一体、この盥を何に使おうとするのだろう。こういう場所に据え附けてある以上、勿論沐浴の用に供するのでない事はたしかである。………一方に写真の機械があって一方に金盥がある。そうして真ん中に女が据わっている。全体何を意味するのだろう?………こう考えてくると私にはだんだん盥の用途が判然してくるような心地がした。つまり彼らは、「美人沐浴之図」とでもいうような場面を写そうとしているのに違いない。それにしては、女が着物を着ているのは変であるが、今にそろそろ支度に取りかゝるのだろう。彼らがさっきから黙ってじっとしているのは、大方写真の位置を考えているのだろう。そうだ、きっとそうに違いない。そう断定するよりほかに、この場の謎を解く道はない。………
私は独りで合点しながら、なおも彼らの態度を見守っていた。が、彼らはなかなか用意にかゝりそうな風もない。女はいつまでもいつまでも元の通りに据わったまゝ俯向(うつむ)いている。男も棒のように突ッ立ったきり女の姿を睨(にら)んでいる。しんとした、水を打ったような深夜の静かさの中に、この室内で音もなく動いているたった一つの物は、男の瞳だけである。その瞳も、一途(いちず)に女の胸の辺から膝の周囲へじろじろと注がれるだけで、決してほかを見ようとはしないらしい。写真を写すために位置を選定しているにしては、あまりに奇怪な眼の動き方である。私は一応念のために、その瞳から放たれる鋭い毒々しい視線を伝わって、男の注意がどこに集まっているのかを検(しら)べてみた。
何度見直しても、どう考えても、男の視線は疑いもなく女の胸から膝の上に彷徨(さまよ)うているのである。のみならず、項垂(うなだ)れている彼女自身も、自分の胸と膝の上とを視詰めているらしく感ぜられる。後つきから判断すると、彼女は左右の肘を少し張って、あたかも裁縫をする時のような形で両手を膝の上に持って行きつゝ、そこに載せてある何物かをいじくっているのである。そう気が付いて見るせいか、彼女の膝の上には何か黒い塊のような物がもくもくしていて、それが彼女の体の蔭にある前方の畳の方にまで、ずうッと伸びているらしい。
「………誰か、男が彼女の膝を枕にして寝ているのではないかしらん?………」
ふと、私がこう思った瞬間に、突然、ずしん! と、重い物体を引き擦るような地響きを立てゝ、彼女は写真の機械の方に向き直った。彼女の膝の上には、一人の男が首を載せたまゝ仰向けに、屍骸(しがい)になって倒れていたのである。
私がそれを目撃した刹那の気持ちは、何と形容したらいゝか、とにかく未だかつて経験した覚えのない、息の詰まるような、体中に血の気がなくなって次第に意識がぼけて行くような、恐怖の境を通り越して、むしろ一種のエクスタシーに近いくらいの、縹渺(ひようびよう)とした無感覚に陥ったのであった。――屍骸であるという事が分ったのは、その男が寝ているくせに眼を明いているのみならず、瀟洒(しようしや)とした燕尾服を着ていながら、カラアが乱暴に(むし)り取られていて、真紅な女の扱(しご)きのような縮緬(ちりめん)の紐が、ぐるぐると頸部に絡まっていたためである。そうして、断末魔の苦悶の状態を留めたまゝ、逃げ去った自分の魂を追いかけるが如く空(くう)を掴んでいる両手の先が、ちょうど女の胸元の、青磁色にきらびやかな藤の花の刺繍を施した半襟の辺にとゞいている。彼女は屍骸の脇の下に手を挿し入れて、鮪(まぐろ)のように横(よこた)わっているものを、自分の体をひねらせると同時にぐっと向き直らせたのであるが、向き直ったのは胴から上だけで、でっぷりと太った、白いチョッキが丘の如く膨れている下腹から以下の部分は、くの字なりに曲ったまゝ以前の方に投げ出されている。彼女の繊細な腕の力では、大方その便々たる腹の重味を、どうにも処置する事が出来なかったのであろう。――そう思われるほど、その男は小柄な割に著しく肥満しているのである。顔はハッキリとは分らないけれど、鼻の低い、額の飛び出た、酒に酔ったような赤黒い皮膚を持った、三十歳前後の醜い容貌である事だけは、横から見ても大凡(おおよ)そ想像する事が出来る。
ここに至って、私は今の今まで気違いであると信じていた園村の予言が、確実に的中した事を認めない訳には行かなかった。ふと、私は心付いて、殺されている男の頭を見ると、銀の鱗の模様の附いた女の帯に接触しているその髪の毛は、果して園村の推測の如く、綺麗に真ん中から分けられて、てかてかと油で固めてあったのである。
新しく私の眼に映じたものは単に男の屍骸ばかりではない。首を垂れて、膝の上の屍骸の表情を打ち眺めている女の、頬の豊かな、彫刻のようにくっきりとした横顔も、今や歴々と私の視野の内に現われて来た。天井に燃えている白昼のような電燈が、その美しい皮膚を照らすのを喜ぶが如く光を投げている女の輪廓は、櫛(くし)の歯のように整った睫毛(まつげ)の端までも数えられるほど、刻明に精細に一点一劃の陰翳もなく浮かんでいるのである。その伏目がちに薄く開いている眼球の上の、ふっくらと持ち上った眼瞼の上品さ、その下に続いて心持ち険しいくらい高くなっている鼻の曲線の立派さ、そこからだらだらと降りて下膨(しもぶく)れのした愛らしい両頬の間に挟まりながら、際立って紅い段々を刻んでいる唇の貴さ、下唇の突端から滑らかに落ちて、顔全体の皮膚を曳き締めつゝ長い襟頸に連なろうとする頤(おとがい)の優しさ、――それらの物の一つ一つに私の心は貪るが如く停滞した。
恐らく、彼女の容貌がかくまで美しく感ぜられたのは、この室内の極めて異常な情景が効果を助けたのであったかも知れない。だが、それらの事情を割引きしても、彼女が十人並以上の美人であることは疑うべくもなかった。近頃の私は、純日本式の、芸者風の美しさには飽き飽きしていた一人であるが、その女の輪廓は必ずしも草双紙(くさぞうし)流の瓜実(うりざね)顔ではなく、ぽっちゃりとした若々しい円味を含みながら、水の滴(したた)るような柔軟さの中に、氷の如き冷たさを帯びた目鼻立ちが物凄く整頓していて、媚(こ)びと驕(おご)りとが怪しく入り錯(まじ)っているのであった。
そうしてもし、その女の容貌の内に強いて欠点を求めるならば、寸の詰まった狭い富士額(ふじびたい)が全体の調和を破って些(いささ)か卑しい感じを与えるのと、太過ぎるくらい太い眉毛の、左右から迫って来る眉間の辺に、いかにも意地の悪そうな、癇癖(かんぺき)の強そうな微かな雲が懸っているのと、こぼれ落ちる愛嬌を無理に抑え付けるようにして堅く締まっている唇の閉じ目が、渋い薬を飲んだ後の如く憂鬱な潤味(うるみ)を含んで、胸の悪そうな、苦々(にがにが)しい襞(ひだ)を縫っているのと、――まずそれくらいなものであろう。しかしそれらの欠点さえもこの場の悽惨な光景にはかえって生き生きと当て篏(は)まっていて、一層彼女の美を深め、妖艶な風情を添えているに過ぎなかった。
思うに私たちは、この男が殺された直ぐ後から室内を覗き込んだのであったろう。あるいは私が最初に節穴へ眼をあてがった時分には、まだその男の最期の息が通っていたかも知れなかった。壁に沿うて立っている角刈の男とその女とが、長い間黙々として控えていたのは、犯罪を遂行した結果暫らく茫然として、失心していたのに違いない。………
「姐(ねえ)さん、もうようござんすかね。」
角刈の男は、やがて我に復ったようにパチパチと眼瞬(まばた)きをして、低い声でこう囁いたようであった。
「あゝ、もういゝのよ。――さあ、写して頂戴。」
と、女が云って、剃刀(かみそり)の刃が光るような冷たい笑い方をした。その時まで下を向いていた彼女の眼は、急にぱっちりと上の方へ(みひら)かれて、黒曜石のように黒い大きい眸(まなざし)の、不思議に落ち着き払った、静かに溢れる泉にも似た、底の知れない深味のある光が、始めて私に分ったのである。
「それじゃもう少し後へ退(さが)っておくんなさい。………」
男がこう云ったかと思うと、二人は急に動き出した。女はずるずると屍骸を引き擦って、部屋の右手の金盥の近くまで後退(あとずさ)りをして再び正面を向き直る。男は例の写真器の傍へ寄って、女の方へレンズを向けつゝ頻りにピントを合わせている。女はまた、凜々(りり)しい眉根をさらに稟々しく吊り上げながら、やゝともすれば膝の上から擦(ず)り落ちようとする太鼓腹の屍骸を、羽がい絞めにして一生懸命に支えている。屍骸の上半身は前よりも高く抱き起されて、ちょうど頭の頂辺(てつぺん)が彼女の頤の先とすれすれに、がっくりと顔を仰向けたまゝである。その様子から判断すると、男が写真に取ろうとしているのは潰し島田の女の艶姿(あですがた)ではなく、奇怪にも絞殺された人間の死顔であるらしい。
「どうです、もうちっと高く差し上げて貰えませんかね。あんまりぶくぶく太っているので、腹が邪魔になって、上の方が写りませんよ。」
「だって重くってとてもこれ以上持ち上りやしない。ほんとうに何て大きなお腹(なか)なんだろう。何しろ二十貫目もあった人なんだからね。」
こんな平気な会話を交しながら、男は種板を入れて、レンズの蓋(ふた)を取った。
写真が写されて、レンズの蓋が締まるまではかなり長かった。その間、燕尾服を纏うた屍骸は両腕を蛙のように伸ばして、首をぐんにゃりと左の方へ傾けて、あたかも泣き喚いているだゞッ児が母親に抱き起されているような塩梅に、だらしなく手足を垂れていた。頸部に巻き着いている緋縮緬(ひぢりめん)の扱(しご)きも、一緒にだらりと吊り下っていたことはいうまでもない。
「写りました。もうよござんす。」
男がそう云った時、彼女はほっと息をついて、屍骸を横倒しに寝かせて、帯の間から小さな手鏡を出しながら、――こういう場合にもその美しい髪形(かみかたち)の崩れるのを恐れるが如く、真珠とダイヤモンドの指輪を鏤(ちりば)めた象牙色の掌を伸べて、島田の鬢の上を二三遍丁寧に撫でた。
男は簾の向うの勝手口の方へ行って、水道の栓をひねっているらしく、バケツか何かへ水を注ぎ込まれる音がちょろちょろと聞えていた。それから間もなく、一種異様な、医師の薬局へでも行ったような、嗅ぎ馴れない薬の匂が鋭く私の鼻を襲って来た。私は始め、男が写真を現像しているのだろうかとも思ったけれど、それにしてはあまりに奇妙な薬の匂で、嗅いでいるうちに涙が出るほどの刺戟(しげき)性を持っている工合が、どこかしら硫黄の燻(くすぶ)るのに似ているようであった。
すると、男は簾の蔭から両手にガラスの試験管を提(さ)げて出て来て、
「ようよう調合が出来たようですが、どんなもんでしょう。このくらい色が附いたら大丈夫でしょうな。」
と云いながら、電燈の真下に立って、ガラスの中の液体を振って見たり透かして見たりしている。
不幸にして化学の知識の乏しい私には、二つの試験管に入れてある液体が、いかなる性質の薬であるか分らなかったが、奇妙な匂は明かにそこから発散するのであるらしかった。男の右の手にある方の薬液は澄んだ紫色を帯び、左の手の方のはペパアミントのように青く透き徹っていて、それらが電燈の眩い光線の漲(みなぎ)る中に、玲瓏(れいろう)として輝く様子は、真に美しいものであった。
「まあ、なんていう綺麗な色をしてるんだろう。まるで紫水晶とエメラルドのようだわね。………その色が出れば大丈夫だよ。」
こう云って女がにっこり笑った。今度は以前のような物凄い笑い方ではなく、大きく口を明いて、声こそ立てないが花やかに笑ったのである。上顎(うわあご)の右の方の糸切歯に金を被せてあって、左の隅に一本の八重歯の出ているのが、花やかな笑いに一段の愛嬌を加えている。
「全く綺麗ですな。この色を見ると、とても恐ろしい薬だとは思えませんな。」
男はなおもガラスの管を眼よりも高く差し上げて、うっとりと見惚れている。
「恐ろしい薬だから綺麗なんだわ。悪魔は神様と同じように美しいッていうじゃないの。」
「………だが、もうこれさえあれば安心だ。この薬で溶かしてしまえば何も跡に残りッこはない。証拠になる物はみんな消えてなくなるのだ。………」
この言葉を男は独語(ひとりごと)の如くに云いながら、つかつかと金盥の前へ進んだかと思うと、その中へ試験管の薬液を徐(しず)かに一滴一滴と注ぎ込んだ後、再び勝手口へ戻って、バケツの水を五六杯運んで来て、盥へ波々と汲み入れるのであった。
それから彼らは何をしたか? その薬液で何を溶かしたか? そうしてまた、あの硫黄に似た異臭を発する宝玉のような麗(うるわ)しい色を持った薬は、何から製造されているのか? 全体そんな薬が世の中にあるのか?――今になって考えてみても、私はたゞ夢のような気がするばかりである。
やゝ暫くして、
「こうしておけば、明日の朝までには大概溶けてしまうでしょう。」
男がこう云ったのに対して、
「だけどこんなに太っているから、日外(いつぞや)の松村さんのような訳には行きはしない。体がすっかりなくなるまでには大分時間がかゝるだろうよ。」
と、女が従容(しようよう)として答えたのは、その死骸が二人の手によって掻き抱かれて、――依然として燕尾服を着けたまゝで、――どんぶりと薬を湛えた盥の中へ浸されてから後の事である。
死骸を漬ける時、彼女はかいがいしく襷(たすき)がけになって、真白な二の腕を露わしていたが、投げ込んでしまってからも襷を取ろうとはせず、井戸の中のヨカナアンの首を見ているサロメのように、両手をタッブの縁につけて、一心に水の面を眺めていた。その左の手の、手頸から七八寸上のところには、ルビーの眼を持った黄金の蛇の腕輪が、大理石のような肉の柱にとぐろを巻いて、二重に絡み着いているのを、私はありありと看取することが出来た。
しかし、殺された男の体がどういう風にして薬に溶解しつゝあるのか、残念ながら私はそれを精しくは見届ける訳に行かなかった。前にも断っておいた通り、盥は西洋風呂のような形をした背の高いものなので、わずかに表面に浮き上っている死骸の太鼓腹と、その周囲にぶつぶつと湯の沸(たぎ)る如く結ぼれている細かい泡とが窺われるに過ぎなかったのである。
「はゝ、今日の薬は非常によく利くようじゃありませんか。御覧なさい、この大きな腹がどんどん溶けて行きますぜ。この工合じゃあ明日の朝までもかゝりやしますまい。」
角刈の男がこう云っているのに気が付いて、さらに注意を凝らして見ると、驚くべし、腹は刻々に、極めて少しずつ、風船玉の萎(しぼ)むように縮まって、ついには白いチョッキの端が全く水に沈んでしまった。
「うまく行ったね。あとは明日の事にしてもう好い加減に寝るとしよう。」
女はがっかりしたようにぺったりと畳へ据わって、懐から金口の煙草を出してマッチを擦った。
角刈の男は彼女の云うがまゝに、縁側の方にある押入れから恐ろしく立派な夜具を出して来て、それを部屋の中央に敷いた。どっしりとした、綿の厚い二枚の敷布団の、下の方のは猫の毛皮のように艶々とした黒い天鵞絨(びろうど)で、上の方のは純白の緞子(どんす)であった。軽い、肌触りの涼しそうな麻の掻巻(かいまき)には薄桃色の薔薇(ばら)の花の更紗(さらさ)模様が附いていた。女の夜具を延べてしまうと、男は次の間の玄関へ行って、別に自分の寝床を設けているらしかった。
女は白羽二重(しろはぶたえ)の寝間着に着換えて、ぼっくりと沼のように凹(へこ)む柔かい布団の上に足を運んだ。そうして、雪女郎のような姿で立ち上りながら、手を上げて電燈のスウィッチをひねった。
もしその際に女が明りを消さなかったら、………あの晩の私たちは、危険な地位にある事をも忘れて果てしもなくその光景に魂を奪われていた私達は、多分夜の明けるまで節穴に眼をあてがっていたであろう。急に室内が真暗になったので、私はやっと、自分が一時間も前から、狭苦しい路次の奥に立ち続けていた事を思い出したのであった。いや、正直な話をすると、暗くなってからも未だ私たちは何かしらを期待するものゝ如く、半ば茫然として窓の前に彳(たゝず)んでいた。
夢から覚めたような私の胸の中に、続いて襲って来たものは、いかにして彼らに足音を悟られないように、この路次を抜け出す事が出来るかという不安であった。この窮屈な、一人の体が辛うじて挟まるくらいな庇合(ひあわい)の中で、万一靴の音がカタリとでも響いたら、それが彼らに聞えないというはずはない。さっきからひそひそと囁き交している彼らの私語が、一つ残らず、私の耳へ這入った事実に徴しても、彼らとわれわれとの距離がいかに近いかは明かである。もしも彼らが、われわれによって自分らの罪状を目撃されたと気が附いた場合に、私たちの運命はどうなるであろう。彼らが悪事にかけてどれほど大胆な人間であり、どれほど巧慧な手段を有し、どれほど緻密(ちみつ)な計画を備え、どれほど執念深い性質を持っているかは、今夜の出来事で大概想像する事が出来る。たとえ私たちがこの場を無事に逃れたとしても、彼らに一旦附け狙われた以上、われわれの生命はいつ何時脅かされるか分らない。あの、金盥に放り込まれて五体を薬で溶かされてしまった燕尾服の男の運命が、いつ我々を待ち構えているかも測られない。――少くとも私たちは、それだけの覚悟を持って、昼も夜も戦々兢々として生きて行かなければならなくなる。それを思うと迂濶(うかつ)にここを動く訳には行かなかった。
私は自分が、今や絶体絶命の境地に陥っているような気がした。私はとにかくもう二三十分もじっとしていて、彼らが眠りに落ちた時分に、こっそりと立ち退くのが一番安全の策であろうと、咄嗟の間に考えを極めた。私よりももっと路次の奥に這入っている園村は、私が動かなければ勿論そこを出る事は出来なかったが、彼もやっぱり同じような事を考えたと見えて、むしろ私の軽挙妄動を戒めるが如く、私の右の手をしっかりと握り緊(し)めたまゝ、息を殺して立ち竦(すく)んでいた。
私にしても園村にしても、よくあの場合にあれだけの分別と沈着とを維持していられたものだと思う。歯の根も合わずに戦(おのゝ)いていたくせに、よくこの両脚が体を支えていられたものだと思う。仮りにあの時、私たちの戦慄が今少し激しかったとしたら、私の胴や、私の腕や、私の膝頭の顫え方が、もう少し強かったとしたら、あんなにまで完全に、針ほどの音も立てずにいられたろうか? 私のような臆病な人間でも、九死一生の場合には奇蹟に類する勇気が出て来るものだという事を、今さらしみじみと感ぜずには居られない。
だが、仕合せにも私たちはそんなに長く立ち竦(すく)んでいる必要がなかったのである。なぜかと云うのに、電燈が消えてから多くも十分と過ぎないうちに、ほどなく室内から安らかな熟睡を貪るらしい女の寝息と、角刈の男の大きな鼾(いびき)とが、――何という大胆なやつらであろう!――さも気楽そうに聞えて来たからである。私たちはそれで始めて命拾いをしたような心地になって、注意深く靴の爪先を立てゝ路次を抜け出た。
表へ出ると、園村は私の肩を叩いて、
「ちょいと待ちたまえ。僕はまだ鱗(うろこ)の印を君に紹介しなかったはずだ。――ほら、彼処を見たまえ。彼処に白い三角の印が附いているだろう。」
こう云って、その家の軒下を指した。なるほどそこには、ちょうど標札(ひようさつ)の貼ってある辺に、白墨で書いたらしい鱗の印が、夜目にも著(しる)く附いているのを私は見た。
考えれば考えるほど、すべてが謎の如く幻の如く感ぜられた。謎にしてもあまりに不思議な謎であり、幻にしてもあまりに明かな幻であった。私はたしかに、その光景を自分の肉眼で目撃したには相違ないが、それでもどうしても、未だに欺かれているような気持ちを禁ずる事が出来なかった。
「もう二三分早く駈けつければ、僕らはあの男が殺されるところから見られたんだね。惜しい事をした。」
と、園村が云った。二人は期せずして再びうねうねと曲りくねった新路を辿りながら、人形町通りへ出て江戸橋の方角へ歩いて行った。私の頬には、湿っぽい気持ちの悪い風が冷え冷えとあたった。半分ばかり晴れていた空にはいつの間にか星がすっかり見えなくなって、今にも降り出しそうな、古布団の綿のような雲が一面に懸っている。
「園村君、………たとえ低い声にもせよ、往来でそんな話をするのは止した方がいゝだろう。そうしてわれわれは、これからどこを通ってどっちの方へ帰るんだね。夜半にこんな所をうろうろして、係り合いにでもなったら厄介じゃないか。」
私は苦々しい顔をして、たしなめるように云った。私の方が園村よりも余計昴奮して、常軌を逸しているらしく見えた。
「係り合いになる? そんな事はないさ。それは君の取り越し苦労というものさ。君はあの犯罪が明日の朝の新聞にでも発表されて、世間に暴露するとでも思っているのかい? あれほど巧妙な手段を心得ているやつらが、跡に証拠を残したり、刑事問題を惹き起したりするような、ヘマな真似をするはずがないじゃないか。殺された男は、恐らく単に行方不明になった人間として、当分の間捜索されて、やがて忘れられてしまうに過ぎないだろう。僕はきっとそうに違いないと思う。だからよしんば我れ我れがあいつらの仲間であったとしても、われわれの罪は永久に社会から睨まれる恐れはないのだ。僕が心配したのは、社会に睨まれる事ではなくて、あいつらに睨まれやしないかという事だったのだ。あの男とあの女とに睨まれたが最後、僕らは到底生きて居られるはずはないから、その方がいくら恐しいか知れなかった。しかしまあ、好い塩梅にあいつらの目を逃れる事が出来た以上、僕らはもう絶対に安全だ。何も心配する事はないのだ。そこで、僕らの生命の危険が確実に除かれたとなると、僕はこれからいろいろやってみたい仕事がある。………」
「どんな仕事があるんだい? 今夜の事件はもうあれでおしまいじゃないか?」
私には園村の言葉の意味がよく分らなかったので、こう云いながら、にやにやと笑っている彼の表情を不審そうに覗き込んだ。
「いや、なかなかおしまいどころじゃない。これから大いに面白くなるのだ。僕はあいつらに気取られていないのを利用して、わざと空惚(そらとぼ)けて接近してやるのだ。まあ何をやり出すか見ていたまえ。」
「そんな危険な真似はほんとうに止めてくれたまえ。君の探偵としてのお手並はもう十分に分ったのだから。」
私は彼の酔興に驚くというよりもむしろ腹立たしかった。
「探偵としての仕事が済んだから、今度は別の仕事をやるんだ。………まあ精しい話は自動車の中でしよう。どうせ遅くなったのだから君も今夜は僕の内へ泊りたまえ。」
こう云って、彼は今しも魚河岸の方から疾駆して来る一台のタクシーを呼び止めた。
自動車は我れ我れを載せて、中央郵便局の前から日本橋の袂(たもと)へ出て、寝静まった深夜の大通りの電車の軌道の上を一直線に走って行った。
「………ところで今の続きを話そう。」
と、園村が私の顔の方へ乗り出して云った。その時分から、彼はだんだん活気づいて来て、何かしら尋常でない輝きがその瞳に充ちていた。私はやっぱり、彼の精神状態を全くの気違いではないまでも多少狂っているものと認めざるを得なかった。彼の神経が妙な所で鋭くなったり鈍くなったりする様子や、頭脳が気味の悪いほど明晰に働くかと思うと、急に子供のように無邪気になったりする工合は、どうしても病的であるとしか思われなかった。病的になっていればこそ、今夜のような恐ろしい事件を予覚する事が出来たのに違いない。
「僕がこれからどんな事をやろうとしているか、僕にどんな計画があるか、それは話しているうちに自然と分って来るだろうと思うが、それよりもまず、君は今夜のあの犯罪の光景を、どういう風な感じをもって見ていたかね? 無論恐ろしいと感じたには違いないだろう。しかしたゞ恐ろしいだけだったかね? 恐ろしいと感ずる以外に、たとえばあの女の素振なり容貌なりに対して、何か不思議な気持ちを味わいはしなかったかね?」
こう畳みかけて、園村は私に尋ねた。
しかし私は、それらの質問に応答すべくあまりに気分が重々しくなっていた。私の頭の奥に刻み付けられたあの場の光景、――恐らくは一生忘れることの出来ない、あの光景を想い出すと、私はまるで幽霊に取り憑(つ)かれたようになって、ぼんやりと園村の顔を見返すだけの力しかなかった。
「………君は多分、あの節穴から室内を覗いて見るまで、僕の予想を疑っていたのだろう。君は始めから、人殺しなどが見られるはずはないと思っていたのだろう?………」
と、園村は私に構わずしゃべり続けた。
「君は昨日から僕を気違いだと思っていた、気違いの看護をするつもりで、あの路次の奥まで附いて来たのだろう。君が僕に対して、腹の中では迷惑に感じながら、いゝ加減な合槌(あいづち)を打っている様子は、僕にはちゃんと分っていた。僕は君から気違い扱いにされているのをよく知っていた。いや、事によると、君は未だに僕を気違いだと思っているのかも知れない。けれども僕が気違いであってもなくっても、あの節穴から見た光景は、もはや疑う余地のない事実なのだ。君にしたってそれを否む事は出来ないのだ。そうして君は、僕と違ってあの光景を予め覚悟していなかっただけ、それだけ僕よりも驚愕と恐怖の度が強かったに違いない。少くとも僕の方が君よりも冷静にあの光景を観察したと僕は思う。あの、女の膝に転げていた屍骸が始めて我れ我れの眼に這入った時、僕の驚きは恐らく君に譲らなかったかも知れないが、僕が驚いた理由は、君とは全く違っていたゞろうと思う。………
………君は大方、あの女がまだ後向きでいた時分には、膝の上に何が載っかっているのだか気が付かずにいたゞろう。従って、あの女と角刈の男とが、何をしようとしているのだかも分らずにいたゞろう。ところが僕は早くからその蔭に屍骸が隠れていることを信じていたのだ。君も覚えているだろうが、女は最初節穴を一杯に塞(ふさ)ぐくらいに僕らの側近く据わっていた。おまけに僕の覗いていた節穴の位置は、君のよりも一尺ばかり低い所に附いていたので、僕は暫くの間、女の背中から右の肩の先と、その向うの壁の一部分と、金盥の側面とを見たに過ぎなかったのだ。それから中途で、女が一間ばかり前へにじり出ただろう。君はあの時、ちょいと穴から眼を放したようだったが、女は膝で歩きながら畳を一畳ほど前へ擦り出て行ったのだ。けれども依然として僕らの方へ真後を向けたまゝで一直線に擦り出て行ったのだから、無論その蔭に何があるか見えはしなかった。たゞわれわれは、その時始めて、あの女の後姿を完全に見る事が出来るようになったゞけだった。女は体を左の方へ少し傾(かし)げて、両手を膝の上に載せてちょうどお針をしているような恰好で据わっていたゞろう。………ねえ君そうだったろう?………あの恰好を一と目見ると、僕はその膝の間に絞め殺された首のあることを直覚したのだ。ちょいと見れば何でもないようだが、あの恰好は決して、普通の物を膝の上に載せている場合の姿勢ではないのだ。君は気が附いたかどうか知らないが、女は背骨と腰の骨をぐっと伸ばして、頸から上だけを前の方へ屈(かが)めて、何となく不自然な俯向(うつむ)き方をしていたゞろう。あの女は体つきが非常に意気でしなしなしていたし、それに柔かいお召しの着物を着ていたから、よほどよく注意しないとその不自然さは分らないけれど、とにかく何か重い物を膝に載せて、全身の力でじっとそれを堪えているような塩梅式だった。そうしてその力は、殊に彼女の両方の腕に集まっていたらしく、左右の肩から肘へかけて、一生懸命で力んでいるために、筋肉のぶるぶると顫えている様子が、微かではあるが僕にはハッキリ感ぜられた。しかもその戦慄は折々彼女の長い袂に伝わって大きく波打った事さえあるのだ。それで僕の考えるのは、女はあの時、既に殺されて倒れている男の傍へ擦り寄って、屍骸の上半身を自分の膝へ凭(もた)れさせて、ほんとうに息が絶えたかどうか試して見ながら、念のためにもう一遍首を絞付けていたのだろうと思う。それでなければあんな恰好をするはずがないのだ。腕が顫えるほど力を入れていたのは、両手でしっかりと縮緬(ちりめん)の扱(しご)きを引っ張っていたためなのだ。そういう訳で、僕はあの時から女の蔭に屍骸のある事に気が附いていたので、それがいよいよ僕らの眼に這入った際には、格別驚きもしなかった。僕が驚いたのは、むしろあの女の容貌の美しさだった。あの時まだ犯罪の方にばかり注意を奪われていた僕は、あの女の顔が見えた瞬間にどんなにびっくりしたゞろう。………」
「そりゃ僕だってあの女の器量は認めるさ。」
私はその時、何となく園村が癪に触って、突然意地悪く口を挟んだ。
「………認めることは認めるが、君が今さらあの女の容貌を讃美するのは変じゃないか。なるほど非常な美人には違いないけれど、あの位の器量の女なら一流の芸者の中にいくらもいるだろうと思う。君が以前新橋や赤坂で遊んだ時分に、あれほどの女はいなかったかね。」
私がこう云ったのはかなり皮肉のつもりであった。なぜかというのに、園村は近頃、「芸者なんぞに美人は一人もいない。」と称して、ふっつり道楽を止めてしまって、西洋物の活動写真にばかり凝っていたからである。そうして時々女が欲しくなると、わざと吉原の小格子(こごうし)だの六区の銘酒屋などへ行って、簡単に性慾の満足を購(あがな)っていたのである。一時は随分、親譲りの財産を蕩尽しそうな勢で待合這入りをしていたくせに、この頃の彼の芸者に対する反感は非常なもので、「浅草公園の銘酒屋の女の方があいつらよりよほど綺麗だ。」などゝしばしば私の前で公言していた。それほど趣味が廃頽的になっているのに、今夜の女を褒めるというのは、少し辻褄(つじつま)が合わないように感ぜられた。
「そりゃ、単に器量から云ったらあのくらいなのは新橋にも赤坂にもいるだろう。………しかし君、あの女は必ずしも芸者ではないらしいぜ。」
と、園村は少し狼狽して苦しい言い訳をした。
「けれども潰し島田に結ってあゝいう風をしていれば芸者と認めるのが至当じゃないか。少くともあの女の持っている美しさは、芸者の持っている美しさで、それ以上には出ていないじゃないか。」
「いや、まあそう云わないで僕の話を聞いてくれたまえ。なるほど風采や着物の好みなどから見れば、あの女は芸者らしくも思われる。それからまた、あの顔立も、芸者の絵葉書などによくあるタイプだという事は僕も認める。しかし君は、あの女の太い眉毛から眼の周囲に漂っている不思議な表情――あの物凄い、獣のような残忍さと強さとを持った表情に、気が付かなかったゞろうか。あの唇のいかにも冷酷な、底の知れない奸智(かんち)を持っているような、そうしてしかも悔恨に悩んでいるような、妙に憂鬱な潤いを帯びた線と色とを、君はどう感じたゞろうか。芸者の中に一人でもあのような病的な美を持っている者があるだろうか。一つ一つの造作(ぞうさく)から云えばもっと整った顔の女はいくらもあるだろう。だがあれほどの深みを持った美しさが、芸者の中に見られるだろうか。ねえ君、君はそう思わないだろうか?」
「僕はそう思わんよ。………」
と、私は極めて冷淡に云った。
「………あの顔は綺麗には綺麗だけれど、やっぱり在(あ)り来(きた)りの美人のタイプに過ぎないと思う。君はあの場合をよく考えてみなければいけない。あの女はあの時人を殺していたのだぜ。あゝいう恐ろしい悪事を行っている場合には、どんな人間だって物凄い顔つきをするじゃないか。その表情に深みが加わって、病的になるのは当り前じゃないか。たゞあの女は、非常な美人であるために、病的な美しさが一層よく発揮されて、一種の鬼気を含んでいるように見えただけの事なんだ。もしも君があの女に待合の座敷か何かで会ったとしたら、普通の芸者と選ぶところはなくなってしまうさ。………」
私たちがこんな議論をしている間に、自動車は芝公園の園村の家の前に停った。
もう四時に近く、短い夏の夜はほのぼのと白みかゝっていたが、私たちは一と晩中の奔走に疲れた体を休ませようという気にもならなかった。二人は再び、昨日の夕方のように、書斎のソオファに腰をかけてブランデーの杯を挙げつゝ、盛んに煙草の煙を吐き、盛んに意見を闘わしているのであった。
「それはそうとして、君はあの女の器量をなぜそんなに詮議するのだね。それよりもあの犯罪の性質の方が、僕にはよほど不思議な気がする。」
私がこう云うと、園村は唇へあてゝいた杯をぐっと一と息に飲み乾して、それをテエブルの上に置きながら、
「僕はあの女と近附きになりたいのだ。」
と、半分は焼け糞のような、そのくせ妙に思い余ったような、低い調子でこっそりと云って、長い溜息を引いた。
「また始まったね、君の病気が。」
と、私は腹の中で思うと同時に、それを口へ出さずには居られなかった。
「………悪い事は云わないから、酔興な真似は好い加減に止めたらいゝだろう。君はあの女に接近して、燕尾服の男のような目に会ってもいゝのかね。いくら君が物好きでも、絞め殺されて薬漬けにされたら往生じゃないか。まあ命が惜しくなかったら近附きになるのも悪くはあるまい。」
「近附きになったからって何も殺されると極まった訳はないさ。始めから用心してかゝれば大丈夫さ。それに君、さっきも云った通り、あの女は我れ我れに秘密を掴まれている事を知らないのだから、無闇に僕を殺すはずはない。そこが大いに面白い所なんだ。」
「君はほんとうにどうかしている。気違いでないまでもよほど激しい神経衰弱に罹(かか)っている。実際気を附けた方がいゝぜ。」
「あゝ有り難う、君の忠告には感謝するが何卒僕の勝手にさせておいてくれたまえ。僕はこの頃、何となく生活に興味がなくなって体を持て余していたところなんだ。何かこう、変った刺戟でもなければ生きて居られないような気がしていたんだ。今夜のような面白い事件でもなかったら、それこそかえって単調に悩まされて気が違ってしまうだろう。」
こう云ううちにも、園村は我れと我が狂気を祝福するが如く続けざまに杯の数を重ねた。平生から酒に親んでいる彼は、軽微なアルコオル中毒を起して、しらふの時には手の先を顫わせているくらいだのに、だんだん酔が循(まわ)るにつれて顔色が真青になり、瞳が深い洞穴のように澄み渡って、奇妙に落ち着いて来るのであった。
「殺される恐れがないという確信があるのなら、近附きになるのもいゝだろう。――しかし君、君はあの女にどういう風にして接近するのだね。あの女の身分や境遇が分っているのかね。仮りにあの女の商売が芸者だとしても、無論一と通りの芸者でない事は極まり切っている。あの女は何のために人を殺したのか、どこからあゝいう恐ろしい薬を手に入れたのか、それからまたあの角刈の男とはどういう関係に立っているのか、そういう事をよく調べてから接近した方が安全だろうと思う。せめてその位は僕の忠告を聴いてくれたまえ。」
私は心から園村の様子が心配でたまらなくなって来た。
「ふゝん」
と、園村は鼻の先であしらうような笑い方をして、
「その点は僕も気が附いている。あの女と角刈の男とが、どういう人間だかという事も大凡(おおよそ)見当がついている。目下の僕は、いかなる手段で、いかなる機会を利用したらば、最も自然に彼らに近附くことが出来るかという、その方法について考えているところなのだ。もしあの女が君の云うように芸者であるとしたら接近するのに雑作はないのだが、僕にはどうもそうは信じられない。」
「僕にしたって芸者であると断言した訳ではないさ。あゝいう風をしている女は、芸者のほかには、あまりないと思っているだけさ。僕にはそれ以上の解釈は付かないのだから、あの女が芸者でないとしたならどういう種類の人間なのだか君の考えを話してくれたまえ。いや、そればかりでなくあの犯罪の動機も、わざわざ屍骸を写真に取った訳も、その屍骸を薬で溶かしてしまった理由も、それからあの恐ろしい薬の名も、君にもし解釈が出来るのなら教えてくれたまえ。僕にはあの不思議な出来事の一つ一つが、まるで謎のように感じられるばかりでほとんど説明が付かないのだ。僕はさっきから、あれについての君の考えを聴きたいと思っていたのだ。」
私はこういう問題を提供して、気違いじみた彼の頭の働きをいよいよ妙な方面へ引き入れる事が、園村のためによくないだろうとは思っていた。にもかかわらず、こんな質問を試みないではいられないほどあの犯罪の光景は私の好奇心を煽(あお)り立てゝいたのである。
「それは僕にも分らない点がいろいろある。しかしまあ、大体僕の観察したところを話してみよう。――」
こう云って、彼は教師が生徒に物を教えるような口吻で、諄々(じゆんじゆん)と説き始めた。
「実は僕も、それらの疑問をどう解いたらいゝか、今現に考えている最中なので、ハッキリとした断案に到達した訳ではないのだが、まず第一に、あの女が芸者でないことだけは確かだと思う。僕がこの間活動写真館で会った時には、あの女は庇髪(ひさしがみ)に結っていた。そうして少くとも片仮名の文字を書いていた左の手には、今夜着けていたような指輪を篏(は)めてはいなかった。それからまた、さっき我れ我れが節穴へ眼をつけた瞬間に、あの女の着物から、甘味のある芳ばしい香(こう)の匂がわれわれの鼻を襲って来ただろう。ところがこの間の晩は、僕とあの女との距離がもっと近かったにもかかわらず、かつ僕の嗅覚(きゆうかく)は特に鋭敏であるにもかかわらず、何の匂もしなかったのだ。けれどもこの間の女と今夜の女とが別人であるという訳はない。屍骸を薬で溶解してまでも、完全に証拠を湮滅(いんめつ)させようとしている人間が、あゝいう重要な相談を他人に任しておくはずはないだろう。あの晩の女が、片仮名だの暗号文字だのを使って、角刈の男と重大な打ち合わせをしていた様子から判断しても、必ず彼女は今夜の女と同一人でなければならない。そうだとすると、あの女は日によって衣裳だの持物だのを取り換える癖のある人間なのだ。あの女が犯罪を常習とする悪人だとすれば、ますます変装の必要がある訳なのだ。場合によっては、芸者の真似をして潰し島田に結う事もあろうし、束髪に結って女学生と見せかける事もあろうというものだ。もしあの女が芸者だとすれば、この間の晩だって指輪を篏めていてもよさそうなものだし、香水ぐらいは着けていそうなものじゃないか。それに、今夜の着物に着いていたあの匂は、普通の芸者が使うような香水の匂ではない。………」
「………あの匂が何の匂だか君には分ったかね?………あれは香水ではないのだよ。あれは古風な伽羅(きやら)の匂だよ。あの女の今夜の着物に伽羅が焚きしめてあったのだ。まあ考えてみたまえ。今時の芸者で衣服に伽羅を焚きしめているような女はめったにないだろう。あの女がよほど変った物好きな人間だという事は明かだろう。いかに物好きであるかという証拠には、襷がけになって屍骸を運んだ時、左の腕に素晴らしい腕輪が篏まっていたのを君は見なかったかね。あの腕輪は普通の芸者が着けるものにしては、あまりに趣味の毒々しい、あくどいものだ。それをあの女が、潰し島田に結って伽羅の香の沁みた衣裳をつけながら、腕へ篏めているというのは、随分突飛な、不調和な話じゃないか。つまり何という事もなく、たゞもう無闇に変った真似をする事が好きな女なのだ。それから君は、あの女に殺された男が、燕尾服を着ていたという事も、考慮の内に加えてみなければいけない。あの場合の燕尾服は何にしても奇抜千万で、ますますこの事件を迷宮へ引き入れてしまうが、燕尾服と芸者とは少し対照が妙じゃないか。それからまたあの女は、角刈の男に向ってこんな事を云っていたね。『恐ろしい物はすべて美しい。悪魔は神様と同じように美しい。』とか何とか云ったね。あの文句は、芸者が云うにしては生意気過ぎる。それにこの間の暗号文字の通信などを考えると――あの英文を彼女自身で作ったのだとすると、とても芸者なんかに出来る仕事ではない。もっともそういう教育のある女が、芸者になる事も絶無ではないが、もしあれほどの器量と才智とを持った芸者がいるとしたら、それを我れ我れが今まで知らずにいるはずがない。第一芸者などが、あの恐ろしい薬液をどうして手に入れる事が出来るだろうか? のみならずあの女は、あの薬の調合法までも心得ていて、角刈の男に指図(さしず)していたようじゃないか?――こういういろいろの理由から、僕は彼女を芸者ではないと信ずるのだが、最後にもう一つ、僕の推定をたしかめる有力な根拠があるのだ。というのは、女がさっき、屍骸を薬液の中へ漬けた時、『この男は太っているから体が溶けてなくなるまでには時間がかゝる。この間の松村さんのような訳には行かない。』と云ったゞろう。そう云ったのを君は覚えているだろう。………ところで君は、あの松村という名前について、何か思い出した事はないかね。」
「そうだ、松村と云ったようだった。――しかし、別に思いあたる事もないけれど、その松村が何だと云うのだね。」
「君は先達(せんだつて)、――ちょうど今から二た月ばかり前の新聞に、麹町の松村子爵が行衛(ゆくえ)不明になったという記事の出ていたのを、読んだかしらん?」
「なるほど、ハッキリとは記憶していないが、読んだような覚えもある。」
「その記事は朝の新聞と前の日の夕刊とに出ていて、当人の写真が掲載されていた。そうして夕刊の方にはかなり精しく、家族の談話までも載せてあった。それで見ると子爵は行衛不明になる一週間ばかり前に、欧米を漫遊して帰って来たのだが、洋行中に憂鬱症に罹(かか)ったらしく、東京へ帰っても毎日家に閉じ籠ったきり誰にも人に会わなかったそうだ。で、ある日あまり気が塞(ふさ)いで仕様がないから一月ばかり旅行をして来ると云って邸を出たなり、行(ゆ)き方(がた)が知れずになったのだという。
………子爵は京都から奈良へ行って、それから道後の温泉へ廻ると云っていたそうだ。誰も供をつれては行かなかったが、家令の一人は中央停車場まで見送りに行って、現に京都までの切符を買って汽車に乗り込んだところを見届けて来たのだという。要するに家族の意見では、旅行の途中でいよいよ気が変になって、自殺でもしたのではないだろうか。出発の際には多額の旅費を用意して行ったし、別段遺書らしいものも発見されないから、覚悟の自殺ではないまでも、ふらふらとそんな気になったのではないだろうか。という事だった。それから十日ばかりの間、松村家では毎日子爵の肖像を新聞へ出して、懸賞附きで行方を捜索していたようだが、何らの有力な手がゝりも得られなかった。もっとも、子爵が東京を出発した明くる日の朝、京都の七条の停車場で子爵の肖像にそっくりの紳士が、年の若い貴婦人風の女とつれ立ってプラットフォームを出て来るところを、ちらりと見たという者があった。が、家令の話では子爵は長い間欧羅巴(ヨーロツパ)へ行って居られた上に、帰朝されてからも孤独の生活を送って居られたので、社交界に一人の顔馴染もあるはずはなく、そうかといって、勿論花柳社会などへも足を入れられた事はない。だから子爵が若い貴婦人を同伴していたというのは、有り得べからざる事実であって、多分人違いか何かであろう。という事だった。その後もう二月にもなるけれど、子爵の消息が分ったという記事も出なければ、屍骸が発見されたという報道も伝わらない。結局未だに、子爵は死んでしまったとも生きているとも分っていないのだ。僕はあの新聞を読んだ時には、それほど気に止めてもいなかったけれど、さっき女の口から『松村さん』という名前を聞いた時、ふと、それが子爵の事に違いないように感ぜられた。あの女に殺された松村という男が、もしや子爵ではあるまいかしらん? いや、たしかに子爵に相違ない、きっとそうだ。というような気がした。………いゝかね、君もよく考えてみてくれたまえ。子爵は東京から京都までの間で生死不明になっている。もしも京都へ着く前に汽車の中で何らかの変事があったとすれば、それが分らずにいるはずはない。そうして見ると、やっぱり京都へ着くまでは何事もなかったのだ。子爵の身の上に異変があったとすれば、それは京都へついてから後の事なのだ。のみならず、七条の停車場で見たと云う人があるばかりで、その後子爵の姿がどこの停車場にも、どこの宿屋にも見えないのだとすると、子爵は京都の中で、自殺したか、殺されたかに違いない。ところで自殺にもせよ他殺にもせよ、それが普通の方法をもってしたのならば、しかも京都の市中で行われたとしたならば、今日まで屍骸が発見されずにいる道理はないだろう。………いゝかね、そこで僕は考えたのだ。さっきあの女は、燕尾服の男の屍骸を指さして、『この男は松村さんと違って太っているから。』と云ったね、して見ると女が殺した松村という男は痩せていたのだという事が分る。そうして、子爵の松村なる人も写真で見ると、非常に痩せている。………
………女はまた、松村なる人の名前を呼ぶのに、『松村さん』と云って特にさん附けにしている。それは女がその男とあまり親密な仲でない事を示すと同時に、ある意味における尊敬を払っているのだと考える事は出来ないだろうか。たとえば我れ我れが、自分に何らの関係もない人の名を呼ぶ場合に、普通は誰々と云って呼び捨てにするけれど、それが社交界の知名の士であるとか華族の名前である場合には、大概誰々さんと云ってさん附けにする。女が特に松村さんと云ったのは、松村なる人が華族であって、かつ自分とは深い馴染でないからではあるまいか。男が彼女の情夫であるとか、旦那であるとか、とにかく親しい仲の者であったなら、そいつを殺してしまった場合に、何もさん付けにするはずはないだろう。『松村の奴は』とか、『あの野郎は』とか云うべきところだろう。単にこれだけの理由をもって、あの女に殺された松村と子爵の松村とが同一人であると推定するのは、あるいは早計であるかも知れない。しかしここにもう一つ、その推定に根拠を与える有力な事実がある。それは東京を独りで出立した子爵が、七条停車場へ着いた際には、若い貴婦人を同伴していたという噂のある事だ。子爵家の家令は、子爵が如何なる種類の婦人とも交際がないという理由をもって、その噂を否認しているけれど、かりにその婦人が汽車の中で子爵と懇意になったとしたらどうだろう。交際嫌いな子爵の平生から推(お)してみて、そんな事は絶無であると云えるかも知れない。しかしその女が、奸智に長(た)けた婦人であって、最初から子爵を籠絡(ろうらく)する目的で、巧妙な、用心深い手管(てくだ)をもって接近して行ったとしたら、しかもそれが身なりの卑しくない、容貌の美しい婦人であるとしたら、子爵がその女に気を許す事がないだろうか。子爵は多額の旅費を用意していたそうであるから、その金を巻上げるために女が東京から子爵の跡を付け狙っていたのではないだろうか。………こう考えて来ると、どうも僕にはその貴婦人が昨夜の女であって、子爵はたしかに京都の町のどこかしらで、あの女に殺された揚句、体を溶かされてしまったのではないかと思う。………」
「すると君の意見では、あの女は汽車の中で悪事を働く箱師の一種だと云うのだね。」
「うん、まあそうだ。………子爵の所在が未だに発見されないところを見ると、あの女に殺されて薬液の中へ消え失せてしまった松村なる人が、子爵であると考えるのは最も自然じゃないだろうか。そこで子爵とあの女とが以前からの馴染でないとすれば、無論子爵は所持していた金のために命を落したのだろう。あの女はたしかに箱師には違いないが、しかし一と通りの箱師ではなく、何か大規模な悪徒の団員の一人であって、それが片手間にそういう仕事をしたのだと見る方が至当ではないだろうか。あの女は、東京と上方(かみがた)と両方で同じような犯罪を行っている。あの薬液やあの西洋風呂を据え付けた家が、京都にもあるに違いない。これにはきっと東海道を股にかけて盛んに例の暗号通信を交換しつゝ、頻々とあらゆる悪事を行っている兇賊の集団があるのだ。………」
「なるほど、だんだん説明を聞いてみると君の観察はあたっているようにも思われる。そうして今夜殺された燕尾服の男も、やっぱり華族か何かだろうか。」
こう云って私はさらに園村に尋ねた。正直に白状するが、私はもういつの間にかすっかり園村の探偵眼に敬服して、一から十まで彼の意見を問い質さなければ気が済まないようになっていた。
「いや、あれは華族じゃないだろう。僕の想像するところでは、今夜の殺人は松村子爵の場合とは大分趣を異にしている。」
と云いながら園村は椅子から立って、洋館の東側の窓を明けて、煙草の煙の濛々(もうもう)と籠った蒸し暑い部屋の中へ、爽(さわや)かな朝の外気を冷え冷えと流れ込ませた。
「僕はある理由によって、今夜の男は彼ら悪漢の団員の一人であろうと推定する。」
園村はまずこう云って、再び元の席へ戻りながら、不審そうに眼瞬きをしている私の顔をまじまじと眺めた。
「あの男はこの間活動写真を見ていた時の様子から判断すると、あの女の情夫か亭主でなければならない。君はあの男が燕尾服を着ていたために、貴族であると思うのかも知れないが、今夜のような、あゝいうむさくろしい路次の奥へ、貴族ともあろう者が燕尾服を着て来るだろうか。それよりはむしろ、貴族に変装してどこかの夜会へ出席した悪漢が、自分の住居へ帰って来たところだと観察する方が、余計事実に近くはなかろうか。あの男が女の情夫であるとすれば、どうしたってそう解釈するよりほかに道はない。殊に女は、さっき写真を写す時にこんなことを云っていた。『………ほんとうに何て大きなお腹なんだろう。何しろ二十貫目もあった人なんだからね。』と云っていたじゃないか。『何しろ二十貫目もあった人なんだからね。』という一語は、彼女とその男との関係を説明してあまりあると僕は思う。」
「ふん、それも君の観察があたっているような気がする。そうだとすると、つまり女は角刈の男に惚れたために、あの男を邪魔にして殺したという訳なんだね。」
「さあ、当然そこへ落ちて来なければならないのだが、何だかそうでないようなところもある。君も見ていただろうけれど、屍骸が盥へ放り込まれてから、角刈の男は最初に女の布団を敷いて、それから次ぎの間へ別に自分の床を取って寝たようだったね。のみならず、男は始終女の命令に服従して、女を『姐(ねえ)さん』と呼んでいたね。二人が惚れ合っているのだとしては、あの様子はどうも腑に落ちないじゃないか。そうしてさらに不思議なのはあの写真の一件だ。屍骸を溶かしてしまってまでも証拠を晦(くら)まそうとするものが、何のために写真なんぞを取っておくんだろう。自分の手でもって殺した男の俤(おもかげ)などは、夢に見てさえ恐ろしいはずだのに、何の必要があってあんな真似をしたんだろう。いずれにしてもあの殺人は、よほど奇妙な性質のもので、案外なところにその原因が潜んでいるのじゃないかしらん?」
「案外な所に潜んでいる? と云うと、たとえばまあどんな事なんだ。」
「たとえばね、――これは僕の突飛な想像に基いているのだけれど、――あの女は何か性的に異常な特質があって、人を殺すという事に、ある秘密な愉快を感じているのではないだろうか。そうして、さほどの必要もないのに、たゞ殺したいために殺すというような癖があるのではないだろうか。あの女の行動をよく考えてみると、この想像を許す余地は十分にある。いゝかね君、最初子爵は汽車の中で近づきになっただけで、彼女に殺されてしまったのだ。この場合の殺人は、金を盗んでその犯跡を晦ますためであったかも分らない。だが、子爵の所持金はどれほどあったか知れないが、たかゞ旅行の費用に過ぎないのだから、多くも千円には達しないだろう。それんばかりの金を盗むのに、命までも取らないだって済みそうなものじゃないか。たとえば子爵に魔睡薬を嗅がせるとか、仲間の男を使って自分以外の者の手で仕事をやらせるとか、あれほどの女ならほかに犯跡を晦ます方法はいくらもあるじゃないか。しかもその殺し方が一と通りの方法ではないのだ。わざわざ子爵を京都の市中へおびき出して、彼らの巣へ連れ込んだ上、殺した揚句に薬漬にしたり、頗(すこぶ)る面倒な手段に訴えている。それが昨夜の殺人になると一層不思議だ。金銭のためでもなく、そうかといって必ずしも痴情の果てゞもないらしく、燕尾服の男はほとんど無意味に殺されて、おまけに屍骸を写真に取るという厄介な手数までもかけられている。この一事だけでも、あの殺人には女の道楽が、病的な興味が手伝っているのだという事は明かじゃないか。僕が思うのに、恐らく子爵もその屍骸を写真に取られたのじゃないかしらん。いや、もっと想像を逞しくすれば、彼女は今までに同じ手段で何人となく男を殺していて、それらの屍骸は悉(ことごと)く写真に写されているのではないだろうか。自分の色香に迷わされて命を捨てた無数の男の死顔を見ることが、ちょうど恋人の俤に接するように、狂暴な彼女の心を満足させるのではないだろうか。少くともそういう変態性慾を持った女が、世の中に存在しないとは限らないだろう。………」
「そういう女がある事は、僕にも想像出来ない事はない。けれども、たまたまあの燕尾服の男が彼女の慾望の犠牲に挙げられたのには、何かほかにも原因がなければなるまい。彼女が君の云うような物好きな女だとしても、男と見れば手あたり次第に殺したくなるはずはなかろう。たとえばあの角刈の男が殺されないで、特に燕尾服が殺されたのは、どういう訳なんだろう。」
「それはこうなんだ。――あの燕尾服の男は彼女の情夫である上に、多分あの悪漢の集団の団長だったからなのだ。つまり彼女は、自分よりも優勢の地位にある意外な人間を殺す事に興味を持ったのだ。角刈の男は彼ら夫婦の子分であるから、殺そうと思えばいつでも殺せる。そんな人間を犠牲にしても面白くはない。松村子爵を狙ったのも、子爵が社会の上流の貴族であるという事が、きっと彼女の好奇心を唆(そその)かしたのに違いない。それに、団長の場合には、彼を殺せば自分が代って団長の地位を得られるという利益が伴っている。現に角刈の男は彼女の命令を奉じて女団長の指揮の通りに働いていたではないか。」
「なるほど」
と、私は園村の説明にすっかり感心して云った。
「そういう風に解釈すれば、どうやら謎が解けて来るようだ。つまりあの女は恐るべき殺人鬼なんだね。」
「恐るべき殺人鬼、………そうだ。であると同時に美しい魔女でもある。そうして僕の頭の中には、恐るべきだという事は理窟の上から考えられるばかりで、あの女の美しい方面ばかりが際立っている。ゆうべの光景を想い浮べてみても、ただ素晴らしい怪美人だ、この世の中の物としも思われないほどの妖艶な女だ、というような感情のみが湧き上って来る。昨夜節穴から覗き込んだ室内の様子は、たしかに殺人の光景でありながら、それが一向物凄い印象や忌まわしい記憶を留めてはいない。そこには人が殺されていたにもかかわらず、一滴の血も流れてはいず、一度の格闘も演ぜられず、微かな呻き声すらも聞えたのではない。その犯罪はひそやかになまめかしく、まるで恋の睦言(むつごと)のように優しく成し遂げられたのだ。僕は少しも寝覚めの悪い心地がしないで、かえって反対に、眩い明るい、極彩色の絵のようにチラチラした綺麗なものを、じっと視詰めていたような気持ちがする。恐しい物はすべて美しい、悪魔は神様と同じように荘厳な姿を持っていると云った彼女の言葉は、単にあの宝玉に似た色を湛(たた)えた薬液の形容ばかりでなく、彼女自身をも形容している。あの女こそ生きた探偵小説のヒロインであり、真に悪魔の化身であるように感ぜられる。あの女こそ、長い間僕の頭の中の妄想の世界に巣を喰っていた鬼なのだ。僕の絶え間なく恋い焦れていた幻が、かりにこの世に姿を現わして、僕の孤独を慰めてくれるのではないだろうかと、いうようにさえ思われてならない。あの女は僕のために、結局僕と出で会うために、この世に存在しているのではないだろうか。いやそれどころか、昨夜のあの犯罪も、事によると僕に見せるために演じてくれたのではないだろうか。――そんな風にまでも考えられる。僕はどうしても、たとえ自分の命を賭しても、あの女と会わずにはいられない。僕はこれから彼女を捜し出して、彼女に接近する事に全力を傾けるつもりでいる。………君が心配してくれるのは有り難いが、どうぞ何も云わないで勝手にさせておいてくれたまえ。前にも云った通り、僕はあの女の秘密を探るのが目的ではない。僕は彼女を恋いしているのだ。あるいは崇拝しているのだ、と云った方が適当かも知れない。」
こう云って園村は、両手を後頭部にあてゝぐったりと椅子に反り返りながら、眼を潰ったきり暫くの間沈思していた。
それほどに云うものを、何と云って諫(いさ)めていゝか言葉も分らず、おまけにもう、口をきくだけの気力が失せてしまったので、私も同じように椅子に仰向いたまゝ沈黙していた。そのうちに燃え上るような酔が体中に弥蔓(びまん)した疲労を蕩(とろ)かして、二人は深い快い綿のような睡りの雲に朦朧と包まれて行った。このまゝ二日も三日も打(ぶ)っ通しに寝てしまいはせぬかと、半分眠りかけた意識の底で考えながら、………
私は、あの殺人の事件があった明くる日一日を園村の家に寝通して、夜遅く小石川の家に帰った。心配して待っていた妻は、私の顔を見ると直ぐに、
「園村さんはどうなすって、やっぱり気違いにおなんなすったの?」
こう云って尋ねた。
「気違いというほどでもないが、とにかく非常に昴奮している。」
「それで一体ゆうべの騒ぎは何だったの? 人殺しがあるなんて、まあ何を感違いしたんでしょう。」
「何を感違いしたんだか、正気を失っているんだから分りやしないさ。」
「だってあれから水天宮の近所までいらしったんでしょう。」
私はぎっくりとしながら、さあらぬ体で云った。
「なあに、あれから欺(だま)したり賺(すか)したりして、やっと芝の内まで送り込んでやったのさ。誰があの時刻に水天宮なんぞへ行く奴があるものか。ほんとうに人殺しがあったのなら新聞に出るだろうじゃないか。」
「そりゃそうだわね。だけどまあ、どうしてそんな事を考えたんだか、気が違うというものは変なものなのねえ。」
こう云ったきり、妻は別段疑ってもいないようであった。
私は二日振でようよう自分の家の寝床の上に身を横えながら、もう一遍昨日からの出来事を回想してみた。そもそも昨日の午前中、ちょうど自分が約束の原稿を書きかけていた際に、園村から電話がかゝって来たのがこの出来事の発端である。もしもあの出来事が夢であったとすれば、夢と事実との繋がりはあの電話の時である。あれから自分はだんだんと迷宮の中へ引き込まれ出したのである。園村の気違いが自分に移ったのだとすれば、たしかにあの時が始まりである。何かあの辺で自分はチョイとした思い違いをして、それからとうとう本物になってしまったのらしい。………そんならどこで思い違いをしたのだろう。
だが、いくら考え直してみても、私には思い違いをしたらしい箇所が見付からなかった。私が昨夜見た事は、やはりどうしても真実に相違なかった。昨夜の午前一時過ぎに、水天宮の裏の方で、殺人罪が犯された事は、現在自分の肉眼をもって目撃した事実であった。たとえ私は狂者と呼ばれても、その事実を否定することは出来ない。すると、その事実について園村が下したところの判断は、大体あたっているのだろうか。あの犯罪の性質や、あの女や、角刈と燕尾服の男や、それらに関する園村の意見は正鵠(せいこく)を得ているだろうか。――それを私が説破するだけの反証を挙げる事が出来ない以上は、やはり正当と認めるよりほかに仕方があるまい………。
私のこの不安と疑惑とは五六日続いた。その間に二三度園村の邸を尋ねたが、いつも彼は不在であった。何か用事があると見えて、この頃は毎日朝早くから外出して、夜おそくでなければお帰りがないと、留守番の者が不思議そうに語った。
ちょうど私が一週間目の日に尋ねて行くと、彼は珍しくも在宅していた。そうして機嫌よく玄関へ迎えに出ながら、
「おい君、大変都合のいゝところへ来てくれた。」
こう云ってにわかに声をひそめて、
「今、僕の書斎へあの女が来ているんだ。」
と、喜ばしそうに私の耳へ口を寄せて云った。
「あの女が?………」
そう云ったきり、私は次ぎの言葉を発する事が出来なかった。よもやと思っていたのに、彼はやっぱり彼女を掴まえて来たのである。いや、あるいは掴まえられたのかも知れない。そうして酔興にも私を紹介しようというのである。
「そうだ、あの女が来ているのだ。………この五六日僕は始終家を明けて、水天宮の近所を徘徊して、あの女を附け狙っていたのだが、こんなに早く近づきになれようとは予期していなかった。僕が如何にして、如何なる順序で彼女と懇意になったかは、いずれ後で精しく報告する。まあとにかく君も会ってみたらいゝだろう。」
こう云っても、私がまだ躊躇しているので、彼は私の臆病を笑うように、
「まあ会ってみたまえよ君、別に危険な事はないから、会ったって大丈夫だよ。」
と云った。
「そりゃ、君の書斎で会う分には危険な事はなかろうけれど、これを機会にしてだんだん懇意になったりすると、………」
「懇意になったっていゝじゃないか。僕とは既に友達になってしまったのだから。」
「君は自分の物好きで友達になったのだから、今さら止めたって仕様がない。しかし僕は物好きのお附き合いだけは御免蒙(こうむ)る。」
「じゃ、せっかく内へ呼んでおいたのに、君は会ってくれないんだね。」
「会ってみたいというような好奇心は十分にある。だが、表向きに紹介されるのは少し困るから、なるべくならば蔭へ隠れてそうッと見せて貰いたいものだ。………どうだろう君、書斎では隙見をするのに不便だから、日本間の方へ連れて行って貰えないだろうか。そうしてくれると、僕は庭の植え込みの間から見てやるが。」
「そうかね、それじゃそうして上げよう。なるべく君の見いゝように、客間の縁側へ寄った方で話をしているから、君はあの袖垣の蔭にしゃがんでいるがいゝ。あすこならきっと話声まで聞えるだろう。その様子を見た上で、もし気が向いたらいつでも紹介して上げるから、女中を取り次ぎに寄越したまえ。」
「はゝ、まあ有り難う。恐らく取り次ぎを煩わす必要はないだろう。」
こう云いかけて、私は急にある心配な事を思い出したので、ぐっと園村の手を引捕えて念を押した。
「だが君、いくら友達になったからと言って、我れ我れが彼女の秘密を知っているという事を、君はまさかしゃべりはしないだろうね。そのために君は殺されてもいいとしても、僕までが飛ばっ塵(ちり)を受けるのは迷惑だからね。」
「安心したまえ。その点は僕も心得ている。女は僕らに覗(のぞ)かれた事を、夢にも知りはしないのだ。勿論今後とても僕は決して口外しやしないから。」
「そんならいゝが、ほんとうに用心してくれたまえ。あれは彼女の秘密であると同時に僕らの秘密だという事を、忘れずにいてくれたまえ。二人の生命に関する秘密を、僕に断りなしに勝手に口外する権利はないのだから。」
私は非常に気に懸ったので、わざと恐い顔つきをして、こんな言葉で特に彼の軽挙を戒めておいた。
私はその日、庭の袖垣の蔭にかくれて再びあの女を窃(ぬす)み視る事になったが、その様子をこゝにくだくだしく書き記す必要はない。たゞ、女が紛う方なきあの晩の婦人であった事と、その日は割前髪に結って一見女優らしい服装をしていた事と、腕には相変らず例の腕輪が光っていた事と、最後に容貌の美しさは節穴から覗いた時に少しも異らなかった事を、附け加えておけば十分である。
園村は既に彼女とよほど親密になっているらしかった。何でも二三日前に、浅草の清遊軒の球場で知り合いになったのだそうであるが、彼女は球を百ぐらいは衝(つ)くという話であった。
「あたしの身の上は秘密です。誰にも話す訳には行きません。ですからどうぞそのつもりで附き合って下さい。」
彼女はこう云って、それを条件にして園村と交際し出したのだという。で、園村はいよいよ自分の推察があたっていたことを心中にたしかめながら、わざと彼女の住所や境遇を知らない体裁を装って、毎日毎夜、東京市中のバアだの料理屋だの旅館だので落ち合っていた。昨日は新橋の停車場で待ち合わせて、箱根の温泉へ一と晩泊りで遊びに行って、ちょうどその帰りに、芝公園の自分の家へ連れて来たところなのであった。
* * * * *
* * * * *
こんな工合にして園村と纓子(えいこ)――女は自分をそう呼んでいた。――との関係は、一日一日に濃くなって行くらしかった。たまたま私が訪問しても彼はほとんど家にいる事はなかったが、彼と彼女とが連れ立って自動車を走らせていたり、劇場のボックスに陣取っていたり、銀座通りを手を取り合って散歩したりしているのを、私はしばしば見ることがあった。その度毎に彼女の服装は変っていて、ある時は縮緬浴衣に羽織を引懸け、ある時は女優髷(まげ)にマントを纏い、ある時は白いリンネルの洋服を着て踵(かかと)の高い靴を穿(は)いていた。そうして、その美しさに変りはなくとも、日によって彼女の表情はまるで別人のように見えた。
そのうちに、ある日、――多分二人がそういう仲になってから一と月も過ぎた時分であったろう。――非常に私を驚かした事件が持ち上った。というのはほかでもない、園村の周囲には纓子ばかりでなく、いつの間にか例の角刈の男までが附き纏っている事を、私は偶然発見したのである。それを見たのは三越の陳列場であって、私がそこに開かれている展覧会へ出かけて行った時、園村は纓子のほかに角刈の男を連れて、意気揚々と三階の階段を降りて来た。園村の方でも私を避けたようであったが、私は思わずギョッとして立ち竦(すく)んだまゝ声をかける気にもならなかった。角刈の男は滑稽にも大学生の制服を着けて、書生が主人の供をするように、鞠躬如(きつきゆうじよ)として二人の跡に随行していたのである。
「あの男が出て来る以上は、園村はどんな目に会うか分らない。もう好い加減に捨てゝおくべき事態ではない。」
私はそう思ったので、今度こそは是非とも彼の酔興を止めさせようと決心して、明くる日の朝早く山内の彼の住居へ押しかけて行った。ところがさらに驚くべき事には、玄関へ出た取り次ぎの書生を見ると、それが角刈の男であった。
今日は久留米絣(くるめがすり)の単衣物(ひとえもの)を着て小倉の袴(はかま)を穿いている。私が主人の在否を尋ねると、彼は慇懃(いんぎん)に両手を衝いて、
「おいでゞございます。」
と云いながら、愛嬌のある、しかし賤しい笑い方をした。
園村は書斎のテエブルに靠(もた)れて、ひどく機嫌が悪そうに塞ぎ込んでいた。私は話声が洩れないようにドーアを堅く締めてから、つかつかと彼の傍へ寄って、
「君、君、角刈の男が内へ入り込んでいるじゃないか。あれは全体どうした訳なんだ。」
こう云って、激しく詰問すると、
「うむ。」
と云ったなり、園村はじろりと私を横眼で睨んで、ますます機嫌の悪い顔つきをする。多分私に尋ねられたのが耻しいので、そんな風を装っていたのかも知れない。
「黙っていちゃあ分らないじゃないか。あの男は書生に住み込んででもいるようだが、そうじゃないのかね。」
「………まだハッキリと極まった訳でもないんだけれど、学費に困っていると云うから、当分内へ置いてやろうかとも思っている。」
園村は大儀らしく口をもぐもぐと動かして、不承々々にようやくこんな返辞をする。
「学費に困っている? するとあの男はどこかの学校へでも行っているのかね。」
「法科大学の学生なんだそうだ。」
「そりゃ、当人はそう云っていても、君はそれを真に受けているのかね。ほんとうに法科大学の学生だという事をたしかめたのかね。」
私は畳みかけてこう詰(なじ)った。
「ほんとかか知らないけれど、とにかく当人は法科大学の制服を附けて表を歩いている。あの男は纓子の親戚の者で、あの女の従兄(いとこ)にあたるのだそうだ。そう云って紹介されたから、僕もそのつもりで附き合っているのだ。」
何も不思議はないだろうと云わんばかりに、平気な態度でこう答える園村の様子は、むしろ私に反感を抱いて、うるさがっているようにしか思われなかった。私は暫らくあっけに取られてぼんやりと彼の眼つきを見守っていたが、やがて気を取り直して声を励ましながら、
「君、しっかりしないじゃ困るじゃないか。」
こう云って、彼の背中をいきなり一つ叩いてやった。
「君はまさか真面目でそんな事を云っているのじゃあるまいね。あの男や女の云うことを、一々信用している訳じゃないだろうね。」
「だけど君、彼らがそう云うのだからそう思っていたっていゝだろう。何も殊更に彼らの身の上を詮索する必要はない。もともとあの連中と附き合う以上は、そのくらいの覚悟がなくっちゃ仕様がないんだ。」
「しかし、殊更に詮索しないでも、あの男とあの女とが寄る処には、如何なる危険が発生するかという事は、既に分っているじゃないか。君が纓子に恋しているのなら、女の方は已(や)むを得ないとして、せめてあの男だけは近づけないようにするのが当然じゃないか。」
私がこう云うと、園村はまた横を向いて黙ってしまう。
「ねえ君、僕は今日、君に最後の忠告をしに来たのだ。僕はこの間、君があの男を連れて三越へ行ったところを見たので、余計なおせっかいかも知れないけれど、捨てゝおかれなくなったからやって来たのだ。僕を唯一の親友だと思ってくれるのなら、どうかあの男だけは遠ざけるようにしたまえ。」
「僕にしてもあの男の危険な事はよく知っている。けれども僕はあの男の面倒を見てやるように、纓子からくれぐれも頼まれたのだ。………僕はもう、纓子の言葉に背く事が出来なくなっている。………」
そう云って園村は、私に憐れみを乞うが如く、伏目がちに項(うなじ)を垂れた。
「君はそれでも済むかも知れない。しかしこの間も云ったように、あんまり無謀な事をされると、結局僕までも危険に瀕するのだから、僕はどうしても黙っている訳には行かないのだ。已むを得ない場合には、あいつらを警察へ訴えるかも知れないから、そう思ってくれたまえ。」
私が気色ばんで見せても、彼は一向狼狽する様子もなく、かえって妙に落ち着き払いながら、
「訴えたところで警察に臀尾(しつぽ)を押さえられるような連中ではないのだから、つまり僕らがあいつらに恨まれるばかりだよ。そうなったらなおさら君は困りやしないかね。――まあそんな事は止したらよかろう。ほんとうに心配しないでも大丈夫だよ。僕だって命は惜しいのだから、迂濶な事はしゃべりやしないよ。」
「それじゃ、何と云っても君は僕の忠告を聴いてくれないんだね。そうなれば自然、僕は自分の安全を謀るためにも、この後君には近付かないようにするつもりだが、君は勿論そのくらいな事は覚悟しているのだろうね。」
「さあ、どうも今さら仕方がない。………」
それでも園村は驚いた風もなく、折々じろじろと私の顔に流眄(ながしめ)を与えるばかりであった。――恋愛のためならば命をも捨てる。いわんや一人の友人ぐらいには換えられない。――彼の眼つきはこういう意味を暗示しているようであった。
「よし、そんなら僕はこれで失敬する。もうこの内には用のない人間なのだから、………」こう云い捨てゝ、すたすたとドーアの外へ出て行く私の後姿を、彼は格別止めようともしないで、悠然と椅子に凭(もた)れたまゝ見送っていた。
* * * * *
* * * * *
こうして私は園村と絶交してしまったのである。気紛れな男の事であるから、そのうちにはまた淋しくなって、何とかかとかあやまって来るだろう。きっと私を怒らせた事を後悔しているに違いない。――そう思いながら、私は空しく一と月ばかり過したが、その後ふっつりと電話も懸らなければ手紙も届かなかった。あの時はあゝいうハメになったので、ついムカムカと腹を立てたようなものの、私にしても心から園村を疎(うと)んじていた訳ではなし、あまり音信の途絶えているのが、しまいには何だか心配でたまらなくなって来た。
「事によると、園村は殺されてしまったのじゃないかしらん? 燕尾服の男のような目に会わされやしないかしらん? さもなかったらこんなにいつまでも私を放っておくはずがない。」
私は始終それを気に懸けていた。かつ私には、友情以外の好奇心もまだ幾分かは残っていた。纓子と称する女と角刈の男とは、あれからどうなったであろう。不思議な彼らの内幕が、少しは園村にも分ったゞろうか。………
待ちに待っていた園村からの書信が、それでもとうとう私の手元へ届いたのは、九月の上旬であった。
「ふん、先生やっぱり我慢が出来なくなったと見える。」
私は急にあの男が可愛くなったような気がして、忙しく封を切って見た。が、手紙の最初の一行が眼に這入(はい)ると同時に、私の顔は忽ち真青になった。なぜかと云うのに、その一行には、――「これを僕の遺書だと思って読んでくれたまえ。」――こう書いてあったからである。
「これを僕の遺書だと思って読んでくれたまえ。僕は最近に、多分今夜のうちに、纓子のために殺される事を予期している。彼らは恐らく例の方法で、僕の命を取ろうとしている。――そうしてそれは、いかに逃れようとしても逃れられない運命でもあり、また僕としても、それほど逃れたいとは思っていない。要するに僕が死ぬことはたしかだと思ってくれたまえ。
こう云ったら君はさぞかしびっくりするだろう。僕のほとんど方途のない物好きと酔興とを、憫笑もすれば慨嘆もするだろう。だがどうか僕を憎むことだけは、もしも憎んでいたとしたら、――考え直してくれたまえ。命を捨てゝまでも飛び込んで行く僕の物好きを、たゞ単純な物好きとのみ思わないでくれたまえ。僕はこの間、明かに君に対して無礼だった。あの時の僕の態度は君に絶交されるだけの価値は十分にあった。正直を云うと、僕はあの時、恋しい恋しい纓子のためならば、僕の最後の友人たる君を失っても、惜(おし)くはないという覚悟だった。むしろ余計なおせっかいを焼く君なんかは、この後来てくれない方がいゝとさえ思っていた。そんな気持ちで僕はわざわざ君を怒らせるように仕向けたのだった。命をさえも惜まない僕に、どうして君との友情を惜んでいる余裕が有り得よう。それもこれも、みんな僕の物狂おしい恋愛の結果なのだから、何卒悪く思わないでくれたまえ。僕の性格を知り抜いている君の事だから、今になればあの時の無礼を赦(ゆる)してくれるに違いないと僕は堅く信じている。平素から理解に富み、同情に富んでいる君が今夜限りこの世を去って行く僕を、憐みこそすれ憎んでいようはずはない。そう思って僕は安心して死ぬつもりでいる。
しかし、どうして僕は死ななければならなくなったか、いかにして事件がそこまで進行したか、その経過を今生(いまわ)の際に一応君に報告して、君の無用の心配を除くのは、僕の義務であらねばならない。僕はこの手紙によって、自分の義務を果すと同時に、改めて僕の最愛の友たる君に、自分の死後に関する事件をお頼みしたいのだ。
その後の事件の経過については、精しく書けばほとんど際限はないのだが、たゞ極めて簡単に書き記して、あとは大凡(おおよ)そ君の推察に任せておこう。――つまり、彼らが僕を殺そうとしている第一の原因は、纓子にとって僕という者の存在がもう今日では邪魔にこそなれ何らの愉快をも利益をも与えなくなってしまったからだ。なぜかと云うに、僕は既に自分の全財産を残らず彼女に巻き上げられてしまったからだ。彼女が僕と懇親になったのは、思うに始めから僕の家の財産がめあてであったらしい。………
………僕にはそれがよく分っていながら、やっぱり彼女を愛せずには居られなかったのだ。そうして第二の原因は、彼らの秘密が追い追い僕に知れ渡るようになった事で、これが僕を殺そうとする最も重大な動機であるらしい。彼らは自衛上、僕を生かしておく訳には行かなくなったのだ。
彼らが僕を殺そうとする計画のある事を、僕はどうして感付いたか、それは精しく説明するまでもなく、この手紙に封入してある別紙の暗号文字を読めば、君にも自ら合点が行くだろう。この暗号文字は、内の庭先に落ちていたのを、ゆうべ僕が拾ったので、疑いもなく纓子と角刈の男との間に交された秘密通信である。彼らは例の符号を用いて僕を暗殺する相談を廻らしている。この通信の内容がどういう意味を含んでいるか、この間の方法によって飜訳してみれば直ちに明白になる。要するに彼らは今夜の十二時五十分に、またしても例の場所で例の手段に訴えて僕を殺そうとしているのだ。僕は定めし彼女に首を絞められた揚句、屍骸を写真に写されるのだろう。そうしてあの薬液を湛えた桶の中に浸されるのだろう。かくて明日の朝までには、僕の肉体は永遠にこの地球上から影を消してしまうのだ。考えてみれば、脳卒中で頓死するよりも、大砲の弾丸で粉微塵になるよりも、もっと気持ちのいゝ死に方だ。いわんやそれが自分の一命を捧げている女の手によって行われるにおいてをや。僕はそういう風にして自分の生涯を終る事を、何らの誇張もなしに、この上もない幸福だと思っている。
しかし纓子は、どういう風にして僕を水天宮の裏まで連れ出すつもりか、それはまだ明かでない、もっとも僕は今日彼女と一緒に帝劇へ行く約束になっているから、その帰り路に、何とか僕を欺いて彼処へ引っ張り込む計略なのだろう。大概そんな事であろうと、僕は見当をつけている。
僕の物好きは、最初はたゞ彼女に接近してみたいというのに過ぎなかった。けれども今では自分の全身を犠牲にしなければ已(や)み難くなっている。僕にしても命が惜しければ、今夜の運命を避ける方法がないでもなかろうが、そんな事をしたいとは夢にも思わない。それにまた、彼らから一旦睨まれた以上、今夜だけは逃れたにしても到底いつまでも無事で居られるはずはない。いずれにしても今夜の運命は、とうから僕の望んでいたところなのだ。
だが、君を安心させるために僕は特に断っておく。彼らは自分たちの秘密の一部が僕に嗅ぎ出された事を内々感付いてはいるものの、君と僕とがあの晩に節穴から覗いた事や、暗号通信を拾われて読まれた事や、それらの事件は未だに気が付かずにいるらしい。少くとも僕以外に彼らの秘密を知っている君という者があることは、全然彼らの想像にも上っていない。だから僕が殺された後、君にして自ら進んで彼らの罪状を発(あば)くような行為に出でない限り、君の位置は絶対に安全な訳である。ここに封入した暗号通信の紙片は、たゞ僕の記念として永く君の手許に秘蔵して貰いたい。この紙片を証拠として彼らを訴えるような軽率な真似は、返す返すも慎んでくれるようにお願いしておく。僕も勿論、君の迷惑を慮(おもんぱか)って、節穴の一件は最後まで口外しない覚悟でいる。僕はどこまでも、彼女の色香に迷わされ、彼女の計略に乗せられて死んだ者だと、纓子に思い込ませてやりたい。彼女を恋いし、崇拝している僕としては、その方が彼女に対して余計に親切であり、フェイスフルであると思う。
そこで、僕が君への頼みというのはほかでもない。今夜の十二時五十分に、君は例の水天宮の裏の路次へ忍び込んで、再びこの間の晩のように、窓の節穴から僕の最期を見届けてはくれないだろうか。いかにして僕というものがこの世から失われて行くか、その様子を蔭ながら検分してはくれないだろうか。既に話した通り、纓子のために有るだけの物を巻き上げられてしまった僕は、この世に遺すべき一文の財産もなく、あったところでそれを譲るべき子孫もなく、また君のように芸術上の著述があるというのでもない。その上屍骸をまでも薬液で溶かされてしまったら、僕がこの世にかつて存在した痕跡は、完全に影も形もなくなってしまうのだ。僕が生きていたという事実は、たゞ君の頭の中に記憶となって留まるだけなのだ。そう思うと、僕は何だか淋しいような心地がする。せめては僕の生前の印象を、少しでも深く君の頭へ刻み付けておきたいような気持ちがする。それには君に僕の死にざまを見て貰うのが一番いゝ。君が節穴から覗いていてくれるかと思うと、僕も意を安んじて心おきなく死ねるような気がする。これまでにも散々我がままな仕打をして君に迷惑をかけた揚句、最後にこんなお願いをするのは、重ね重ね勝手な奴だと思われるかも知れないが、これも何かの因縁だとしてあきらめてくれたまえ、そうして是非、僕のこの頼みを聴き届けてくれたまえ。
死ぬ前に、一遍君に会いたいと思っていたのだけれど、この頃は絶えずあの二人が僕の身辺に附き纏うているので、この手紙をしたためるのさえ容易ではなかったのだ。首尾よく今日のうちにこれが君の手もとまで届いてくれるかどうか、そうして今夜の十二時五十分に君が間に合ってくれるかどうか、僕は今そればかりを心配している。
それから、もう一つの肝腎なお願いは、決して僕の一命を救ってやろうなどゝいう親切気を起してくれない事だ。僕が彼女に殺される事を祈っているのは、断じて負惜しみではないのだ。もしも君が、余計な奔走や干渉をしてくれたら、たとえその動機が友情に出でているにもせよ、僕はかえって君を恨まずには居られない。その時にこそ、僕はほんとうに君と絶交するかも知れない。僕の性情を理解してくれないような人なら、友人として附き合う必要はないのだから。」
園村の手紙は、これでぽつりと終っている。それが私の家に届いたのは、ちょうどその日の夕方のことであった。
さて、私はその晩どうしたか。彼の切なる頼みを斥(しりぞ)けて、彼の危急を救わんがために悪徒の一団を警察へ密告したか。それとも彼の希望を容れて、どこまでも彼の唯一の友人としての義務を尽したか。――勿論、私としては後者を選ぶよりほかはなかったのである。
私は、その晩例の節穴から覗き込んだ光景を、到底こゝに詳細に物語る勇気はない。同じ殺人の惨劇にしても、この前の時は自分に何の関係もない一人の燕尾服の男に過ぎなかったのに、今度は自分の親友がむごたらしく殺されるところをまざまざと見せられたのである。どうして私に、それを精しく描写するだけの冷静を持つ事が出来よう。………
かつて園村に暗い横丁をぐるぐると引き廻された私は、あの家の位置がどの方角にあったか忘れてしまったので、それを捜しあてるまでには一時間ばかり近所の路次をうろうろしなければならなかった。そうしてようようあの家を見附け出したのは、指定の時間の十二時五十分よりも五六分早い時であった。――云うまでもなく、鱗の目印はその晩も門口に施されてあった。もしも目印が附いていなかったら、私は大方捜し出す事が出来なかったかも知れない。――かくて私は彼が彼女に絞め殺される刹那(せつな)から、写真を取られてタッブへ投げ込まれる時分まで、始終の様子を一つ残らず目撃したのである。おまけに、この前の時はすべてが後向きに行われたようであったが、その晩は加害者も被害者も節穴の方へ正面を向いて、あたかも私の観覧に供するが如き姿勢を取っていた。園村の眼は、屍骸になってから後も、じっと節穴のこちらにある私の瞳を睨んでいるようであった。
彼が、頸部へ縮緬(ちりめん)の扱(しご)きを巻きつけられながら、死に物狂いに藻掻(もが)き廻って、いよいよ息を引き取ろうとする瞬間の、重い、苦しい、世にも悲しげな切ない呻き声。同時ににっこりと纓子の頬を彩った冷やかな薄笑い。――角刈の男の残忍な嘲りを含んだ白い眼玉。それらの物がどんなに私を脅かしたかは、読者の想像に任せておくより仕方がない。
死体の撮影や、薬の調合や、万事がこの前通りの順序で行われた。最後に傷ましい彼の亡骸が西洋風呂へだぶりと浸されると、
「こいつも松村さんのように痩せているから、溶かしてしまうのに造作はないね。」
こんな事を纓子が云った。
「ですがこの男は仕合せですよ。惚れた女の手にかゝって命を捨てれば、まあ本望じゃあありませんか。」
こう云って、角刈は低い声でせせら笑った。
室内の電燈が消えるのを待って、忍び足に路次を抜け出した私は、茫然とした足どりで人形町通りを馬喰町(ばくろちよう)の方へ歩いて行った。
「これでおしまいか、これで園村という人間はおしまいになったのか。」
そう考えると、悲しいよりは何だか馬鹿にあっけないように感ぜられた。平素から気紛れな、つむじ曲りの男であっただけに死に方までがひねくれている。酔興も彼処まで行けばむしろ壮烈であると私は思った。
すると、それから二日目の朝になって、私の所へ一葉の写真を郵送して来た者がある。開いて見ると、それは紛う方もなく一昨日の晩の、園村の死に顔を写したもので、発送人は無論誰とも書いてはなかった。
写真の裏を返すと、見覚えのない筆蹟で、下の如き長い文句が認(したた)めてある。――
「われわれは、足下が園村氏の親友であったという話を聞いて、この写真を記念のために足下に贈る。足下はあるいは、園村氏の不可思議なる行衛(ゆくえ)不明について、多少の消息に通じて居られるかも知れない。しかしこの傷ましい写真を御覧になったならば、その間の秘密を一層明かにせられるであろうと思う。とにもかくにも、園村氏は某月某日某所において横死を遂げたのである。
なお我れ我れは、園村氏から足下への遺言を委託されている。それは、芝山内なる同氏邸宅の書斎の机の抽(ひ)き出しに、若干の金子(きんす)が入れてあるから、どうかそれを足下の自由に使用して貰いたい。これは同氏がいよいよ自己の運命の避け難きを悟った時、我れ我れに云い残された言葉であるから、我れ我れはたゞ正直にそれを足下に取り次ぐまでである。
われわれは、足下の人格を信頼している。足下にしてその信頼に背かない限り、我れ我れもまた決して足下に迷惑をかける者でないという事を、ここに一言附け加えておく。」
この文句を読むや否や、私はそっと写真を手文庫の底に収めて堅く錠を卸した後、直ちに芝の園村の家に向った。
ところがどうであろう、彼の邸の玄関には、今日も依然として、角刈の男が書生の役を勤めている。そうして、私が何とも云わないうちに、彼はいそいそと私を案内して奥の書斎へ案内するのであった。
するとまた、どうであろう、書斎の中央の安楽椅子には、一昨日の晩殺されたはずの園村が、ちゃんと腰をかけて、悠々と煙草をくゆらしているのである。私はハッと思った途端に、
「畜生! さては園村の奴め! 長い間己を担(かつ)いでいたのだな。」
そう気が付いたので、つかつかと彼の傍へ寄って、
「何だい君、一体どうしたと云うんだい。今までの事はみんなあれは(うそ)だったんだね。僕は担がれたとも知らずに、飛んだ心配をしたじゃないか。」
こう云いながら、穴の明くほど彼の顔を覗き込んだ。実際、ほかの人間なら格別、相手が園村では私にしても怒る訳には行かなかった。
「いや、どうも君には済まなかった。――」
と、園村は遠くの方を見詰めながら、徐(おもむろ)に口を開いた。その表情は例の如く憂鬱で、「一杯喰わせてやった。」というような得意らしい色は、毛頭も現れていなかった。
「いかにも君は担がれたに相違ない。しかしこの事件は、最初から僕が担いだ訳ではないのだ。前半は僕が纓子に担がれ、後半は君が僕に担がれたのだ。それも決して一時の慰みで担いだ訳ではないのだから、どうかその点は十分に諒解してくれたまえ。」
彼はこう云って、その理由を下のように説明した。――
纓子という女は、かつて某劇団の女優を勤めた事もあって、その容貌と才智とを売り物にしていたが、先天的の背徳狂である上に性慾的にも残忍な特質を持っているので、間もなく劇団から排斥されて不良少年の群に投じ、この頃では専(もつぱ)ら金の有りそうな男を欺す事ばかり常習としていた。ところがここに、以前園村の邸の書生を勤めていたSという男があって、その後堕落をした結果纓子と知り合いになったために、彼女は園村の噂をSからたびたび聞かされるようになった。園村という人は、金があって、暇があって、始終変った女を捜し求めている物好きな男だ。気むずかしい代りには、多少気違いじみた性質があって、惚れた女になら自分の全財産はおろか、命までも投げ出しかねない人間だから、あなたの智慧と器量とで欺してかゝれば、きっと成功するに違いない。あなたを一と目見たばかりで、忽ち釣り込まれてしまうようなウマイ計略を授けて上げるから、是非一つ試して御覧なさい。――こう云ってSは纓子にすゝめた。
園村が例の暗号文字の紙片を拾った活動写真館の事件から、水天宮の裏の長屋で燕尾服の男が殺されるまで、それらはすべて纓子が仲間の男を使って、Sの案出した方策の下に、園村をわざわざ節穴へおびき寄せる手段だったのである。暗号文字の文章は、Sが面白半分に考えたので、角刈の男はそれを殊更園村に拾わせるように落したのであった。人体を溶かすという青と紫との薬液も、勿論出鱈目(でたらめ)のいたずらなので、燕尾服の男はたゞ殺された真似をしたのに過ぎなかった。松村さん云々と云った言葉も、偶然彼女が新聞に出ていた松村子爵の事件を思い出して巧(たくみ)に応用したのであった。こうして園村の趣味や性癖を知悉(ちしつ)しているSの策略は見事に的中して、彼は忽ち纓子に魅せられてしまった。
さてここまでは園村が纓子に欺されたので、これから先は私が彼に欺されたのである。彼は纓子と懇意になってから、ほどなく自分が担がれていたという事を悟ったにもかかわらず、それほどまでにして男を欺そうとする彼女の物好きを、――彼自身にも劣らないほどの物好きを、むしろ喜ばずには居られなかった。彼の彼女に対する愛着はそのために一層募るばかりであった。担がれたのだとは知りながらも、彼はあの晩路次の節穴から見せられた光景を、のようには思えなかった。自分もどうかしてあの燕尾服の男のように、纓子の手によって命を絶たれたい。そういう願望のむらむらと湧き上るのを禁じ得なかった。
彼は纓子の思いのまゝに飜弄された。金でも品物でも欲するまゝに与えた。そうして最後に、「私の財産は残らずお前に上げるから、何卒私をお前の手で、この間のようにして本当に殺してくれ。これが私の、お前に対するたった一つのお願いだ。」こう云って、熱心に頼んだのであった。しかし、纓子がいかに物好きな不良少女でも、まさかその願いばかりは承知する訳に行かなかった。
「そんならせめて、私を殺す真似だけでもやってくれ。私はその光景を、私の友達に見せてやりたいのだから。」
そこで園村はこう云って頼んだ。――思うに園村がこんな真似をしたがるのは、単に好奇心ばかりでなく、何か彼に独得な、異常な性慾の衝動が加わっているのであろう。――
「こゝまで話をすれば、もう大概分ったゞろう。君を担ぎたくって担いだのではない。園村という人間が彼女に殺された事実を、僕も出来るだけ君と同様に真に受けていたかったのだ。君に節穴から覗いていて貰ったら、あの晩の気分や光景が、余計真に迫るだろうと考えたのだ。纓子さえ承知してくれゝば、僕はいつでも本当に死んで見せる。」
と、園村は云った。
やがて扉の外に軽いスリッパアの足音が聞えて、そこへ纓子が這入って来た。彼女はたびたび恐ろしい悪戯(いたずら)に用いた縮緬の扱(しご)きを、両手で弄(もてあそ)びながら、私へ紹介して貰いたそうに二人の男の間に立って、悪びれた様子もなく莞爾(かんじ)として微笑した。
美食倶楽部
一
恐らく、美食倶楽部(クラブ)の会員たちが美食を好むことは彼らが女色を好むのにも譲らなかったであろう。彼らはみんな怠け者ぞろいで、賭博を打つか、女を買うか、うまいものを食うよりほかに何らの仕事をも持ってはいなかったのである。何か変った、珍らしい食味に有りつくことが、美しい女を見附け出すのと同じように彼らの誇りとするところ、得意とするところであった。そういう食味を作り出す有能なコックがあれば――、天才のコックがありさえすれば、彼らは一流の美妓を独占するに足るほどの金を出しても、それを自分の家の料理番に雇うかも知れなかった。「芸術に天才があるとすれば、料理にも天才がなければならない。」というのが、彼らの持論であった。なぜかというのに、彼らの意見に従うと、料理は芸術の一種であって、少くとも彼らにだけは、詩よりも音楽よりも絵画よりも、芸術的効果が最も著しいように感ぜられたからである。彼らは美食に飽満すると――、いや、単に数々の美食を盛ったテエブルの周囲に集まった一刹那(せつな)の際にでも――、ちょうど素晴らしい管絃楽を聞く時のような興奮と陶酔とを覚えてそのまゝ魂が天へ昇って行くような有頂天な気持ちに引きあげられるのである。美食が与える快楽の中には、肉の喜びばかりでなく霊の喜びが含まれているのだと、彼らは考えざるを得なかった。もっとも、悪魔は神と同じほどの権力を持っているらしいから、料理に限らずすべての肉の喜びも、それが極端にまで到達すればその喜びと一致するかも知れない。………
で、彼らはいずれも美食のためにあてられて、年中大きな太鼓腹を抱えていた。勿論腹ばかりではなく、身体中が脂肪過多のお蔭ででぶでぶに肥え太り頬や腿(もも)のあたりなどは、東坡肉(トンポウニヨ)の材料になる豚の肉のようにぶくぶくして脂(あぶら)ぎっていた。彼らのうちの三人までは糖尿病にかゝり、そうしてほとんどすべての会員が胃拡張にかゝっていた。中には盲腸炎を起して死にかゝったものもあった。が、一つには詰まらない虚栄心から、また一つには彼らの遵奉する「美食主義」にあくまでも忠実ならんとする動機から、誰も病気などを恐れる者はなかった。たとえ内心では恐れていてもそのために倶楽部から脱会するほどの意気地なしは一人もなかった。「われわれ会員は、今に残らず胃癌にかゝって死ぬだろう。」と、彼らは互に笑いながら語り合っていた。彼らはあたかも、肉を柔かく豊かにするために、暗闇(くらがり)へ入れられてうまい餌食(えじき)をたらふく喰わせられる鶩(あひる)の境遇によく似ていた。餌食のために腹が一杯になった時が、彼らの寿命の終る時かも分らなかった。その時が来るまで、彼らは明け暮れげぶげぶともたれた腹から噫(おくび)を吐きながら、それでも飽食することを止めずに生きつゞけて行くのである。
二
そういう変り者の集まりであるから、会員の数は僅かに五人しかない。彼らは暇さえあると、――暇はいつでもあるのだから、結局毎日のように、――彼らの邸宅や、倶楽部の楼上に寄り合って昼間は大概賭博を打った。賭博の種類は花合わせ、猪鹿蝶(いのしかちよう)、ブリッジ、ナポレオン、ポーカー、トウェンティーワン、ファイヴハンドレット、………ほとんどありとあらゆる方法で金を賭ける。彼らはこれらの賭博の技術にいずれも甲乙なく熟練していて、皆相当なばくち打ちであった。さて夜になると賭博によって集まった金が即座に饗宴の費用に供される。夜の会場は会員たちの邸の一つに設けられる折もあるし、市中の料理屋へ持って行かれることもあった。但し、市中の料理屋といっても、彼らは大抵東京の町の中にある有名な料理には喰い飽きてしまっていた。赤坂の三河屋、浜町の錦水、麻布の興津庵、田端の自笑軒、日本橋の島村、大常盤、小常盤、八新(はつしん)、なには屋………と、まず日本料理ならそんなところを幾回となく喰い荒して、この頃ではもう有り難くも何ともなくなっていた。「今夜は何を喰うことにしよう。」――という一事が、朝起きた時からの彼らの唯一の心がゝりであった。そうして昼間賭博を打ちながらでも、彼らは互に夜の料理のことに頭を悩ましているのである。
「己(おれ)は今夜、すっぽんの吸い物をたらふくたべたい。」
と、誰やらが勝負の合間に呻(うな)るような声をあげると、いゝ考が浮ばないで弱っていたほかの連中の間に、忽ち激しい食意地が電気の如く伝染して、一同はいかにも感に堪えたように直ぐと賛成の意を表する。その時から彼らの顔つきや、眼つきは、ばくち打ちの表情以外に一種異様な、餓鬼のような卑しい凄じい光をもって充たされる。
「あゝすっぽんか。すっぽんをたらふく喰うのか。………だが東京の料理屋でうまいすっぽんをたらふく喰うことが出来るかなあ。」
するとまた誰かゞ心配そうにこんな独りごとを云う。この独りごとは口の内でこそこそと囁(ささや)かれたにもかかわらず、せっかく食意地の燃え上った一同の元気を少からず沮喪(そそう)させて、自然と骨牌(かるた)を打つ手にも勢(いきおい)がなくなって来る。
「おい、東京じゃあとても駄目だ。今夜の夜汽車で京都へ出かけて、上七軒町のまる屋へ行こう、そうすりゃあ明日(あした)の午飯にたらふくすっぽんが喰えるんだ。」
一人が突然こういう動議を提出する。
「よかろう、よかろう。京都へでもどこへでも行こう。喰おうと云いだしたらとても喰わずにゃいられないからな。」
そこで彼らは始めてほっと愁眉を開いて、さらに勢いを盛返した喰意地が胃の腑の底から突き上げて来るのを感ずる。わざわざすっぽんが喰いたさに夜汽車に揺られて京都へ行って、明くる日の晩にはすっぽんのソップがだぶだぶに詰め込まれた大きな腹を、再び心地よく夜汽車に揺す振らせながら東京へ戻って来るのである。
三
彼らの酔興はだんだんに激しくなって、鯛茶漬(たいちやづけ)が喰いたさに大阪へ出かけたり、河豚(ふぐ)料理がたべたさに下関へ行ったり、秋田名物の鰰(はたはた)の味が恋しさに北国の吹雪の町へ遠征したりする事があった。追い追いと彼らの舌は平凡な「美食」に対しては麻痺(まひ)してしまって、何を舐(な)めても何を啜(すす)っても、そこには一向彼らの予期するような興奮も感激も見出されなくなって行った。日本料理は勿論喰い飽きてしまったし、西洋料理は本場の西洋へ行かない限り、始めから底が知れているし、最後に残った支那料理さえ、――世界中で最も発達した、最も変化に富むといわれている濃厚な支那料理でさえ、彼らにはまるで水を飲むようにあっけなく詰まらなく感ぜられるようになった。そうなって来ると、胃の腑に満足を与えるためには、親の病気よりも一層気を揉む連中のことであるから、いうまでもなく彼らの心配と不機嫌とは一と通りでなかった。一つにはまた何かしら素敵な美味を発見して、会員たちをあっと云わせようという功名心から彼らは頻(しきり)に東京中の食物屋(くいものや)という食物屋を漁(あさ)り廻った。それはちょうど骨董好きの人間が珍らしい掘り出し物をしようとして、怪しげな古道具屋の店を捜し廻るのと同じであった。会員の一人は銀座四丁目の夜店に出ている今川焼を喰ってみて、それが現在の東京中で一番うまい食物(くいもの)だということをいかにも得意そうに、発見の功を誇りがおに会員一同へ披露した。またある者は毎夜十二時ごろに烏森の芸者屋町へ売りに来る屋台の焼米(シユウマイ)が、天下第一の美味であると吹聴した。が、そんな報告に釣り込まれてほかの連中が試してみると、それらは大概発見者自身があまり思案に凝り過ぎて、舌の工合がどうかしていた結果だということになった。実際彼らは食意地のために皆少しずつ気が変になっているらしかった。他人の発見を笑う者でも、自分がちょっと珍らしい食味に有りつくと、うまいまずいも分らずに直ぐと感心してしまうのであった。
「何を喰ってもこうどうも変り映えがしなくっちゃ仕様がないな。こうなって来るとどうしてもえらいコックを捜し出して、新しい食物(くいもの)を創造するよりほかにない。」
「コックの天才を尋ね出すか、あるいは真に驚嘆すべき料理を考え出した者には、賞金を贈ることにしようじゃないか。」
「だが、いくら味が旨(うま)くっても今川焼や焼米(シユウマイ)のようなものには賞金を贈る値打ちはないね。われわれはもっと大規模な饗宴の席に適(ふさわ)しい色彩の豊富な奴を要求するんだ。」
「つまり料理のオーケストラが欲しいんだ。」
こんな会話をある時彼らは語り合った。
そこで、美食倶楽部というものが大体どんな性質の会合であり、目下どんな状態にあるかということは、以上の記事でざっと読者諸君にお分りになったであろうと思う。作者は次ぎの物語を書くために、予(あらかじ)めこれだけの前書きをしておく次第である。
四
G伯爵は倶楽部の会員のうちでも、財力と無駄な時間とを一番余計に持っている、突飛な想像力と機智とに富んだ、一番年の若い、そうしてまた一番胃の腑の強い貴公子であった。僅か五人の会員から成る倶楽部のことであるから、別段定まった会長という者がある訳ではないけれども、倶楽部の会場がG伯爵の邸の楼上に設けられてあって、そこが彼らの本部になっている関係から、自然と伯爵が倶楽部の幹事であり、会長であるが如き地位を占めている。従って、何かしら素敵な料理を発見して思うさま美食を貪(むさぼ)りたいという伯爵の苦心と焦慮とが、ほかの会員たちよりも一倍激しかったことはこゝに改めて陳述するまでもあるまい。またほかの会員たちにしても、平生から誰よりも創造の才に長(た)けている伯爵に対して、最も多く発見の望みを嘱していることは勿論であった。もし賞金を貰う者があるとすれば、それはきっと伯爵だろうと皆が期待していた。全く賞金ぐらいは出してもいゝから、何か伯爵が素晴らしい割烹(かつぽう)の方法を案出して、沈滞しきった一同の味覚を幽玄微妙な恍惚の境へ導いてくれる事を、心の底から祈らずには居られなかった。
「料理の音楽、料理のオーケストラ。」
伯爵の頭には始終この言葉が往来していた。それを味わうことによって、肉体が蕩(とろ)け、魂が天へ昇り得るような料理――それを聞くと人間が踊り狂い舞い狂って、狂(くる)い死(じに)に死んでしまう音楽にも似た、――喰えば喰うほどたまらない美味が滾々(こんこん)と舌にもつれ着いてついには胃袋が破裂してしまうまで喰わずにいられないような料理、それを何とかして作り出すことが出来れば、自分は立派な芸術家になれるのだがと伯爵は思った。それでなくてさえ空想力の強い伯爵の頭の中には、いろいろの料理に関する荒唐無稽な空想がしきりなしに浮んでは消えた。寝ても覚めても伯爵は食物の夢ばかりを見た。………気が着いて見ると暗い中から白い煙が旨そうにぽかぽかと立っている。恐ろしい好い香(におい)がする。餅(もち)を焦(こが)したような香(におい)だの、鴨(かも)を焼くような香だの、豚の生脂(なまあぶら)の香だの、薤(にら)蒜(にんにく)玉葱(たまねぎ)の香だの、牛鍋のような香だの、強い香や芳しい香や甘い香がゴッチャになって煙の中から立ち昇って来るらしい。じっと暗闇を見詰めると煙の内で五つ六つの物体が宙に吊り下っている。一つは豚の白味だかこんにゃくだか分らないがとにかく白くて柔かい塊がぶるぶると顫(ふる)えて動いている。動く度毎にこってりとした蜜のような汁がぽたり、ぽたりと地面に落ちる。落ちたところを見ると茶色に堆(うずたか)く盛り上って飴(あめ)のようにこってりと光っている。………その左には伯爵が未だかつて見たことのないような、素晴らしく大きな蛤(はまぐり)らしい貝がある。
五
貝の蓋(ふた)が頻(しきり)に明いたり閉じたりしている。そのうちにすうッと一杯に開いたかと思うと、蛤でもなければ蠣(かき)でもない不思議な貝の身が、貝殻の中に生きて蠢(うごめ)いている。………身は上の方が黒く堅そうで下の方が痰(たん)のように白くとろとろしたものらしい。そのとろとろした白い物の表面へ、見ているうちに奇怪な皺(しわ)が刻まれて行く。始めは梅干のような皺だったのが、だんだん深く喰い込んで、しまいには自身全体が噛んで吐き出した紙屑のようにコチコチになる。かと思うと身の両側から蟹(かに)の泡のようなあぶくがぶつぶつと沸き出して忽ちの間に綿の如くふくれ上り貝殻一面に泡だらけになって中身も何も見えなくなってしまう。………はゝあ、貝が煮られているのだなと、G伯爵は独りで考える。同時にぷーんと蛤鍋を煮るような、そうしてそれより数倍も旨そうな匂が伯爵の鼻を襲って来る。泡はやがて一つ一つ破れてシャボンを溶かしたような汁になって、貝殻の縁(ふち)を伝わりながら暖かそうな煙を立てゝ地面へ流れ落ちる。流れ落ちた跡の貝殻には、いつの間にやらコチコチになった中身の左右にちょうどお供えの餅に似た円いものがぽくりと二つ出来上っている。それは餅よりもずっと柔かそうで、水に浸された絹ごし豆腐のように、ゆらゆらふわふわと揺(ゆら)めいている。………大方あれは貝の柱なんだろうとG伯爵はまた考える。すると柱は次第に茶色に変色して来てところどころにひゞが這入(はい)って来た。………
やがて、そこにならんでいる無数の喰い物が、一度にごろごろと転がり始める。それらを載せている地面がにわかに下から持ち上り出したかと思うと、今まであまり大きいために気が付かなかったが、地面と見えたものは実は巨人の舌であって、その口腔の中にそれらの食物がゴジャゴジャと這入っていたのである。
間もなくその舌に相応した上歯の列と下歯の列とが、さながら天と地の底から山脈が迫(せ)り上げ迫り下って来るが如く悠々と現われて来て、舌の上にある物をぴちゃぴちゃと圧し潰している。圧し潰された食物は腫物(できもの)の膿(うみ)のような流動物になって舌の上にどろどろと崩れている。舌はさもさも旨そうに口腔の四壁を舐め廻してまるであかえが動くように伸びたり縮んだりする。そうして時々ぐっと喉(のど)の方へ流動物を嚥(の)み下す。嚥み下してもまだ歯の間や齲歯(むしば)の奥の穴の底などに噛み砕かれた細かい切れ切れが重なり合い縺(もつ)れ合ってくっ着いている。そこへ楊枝(ようじ)が現われて来て、それらの切れ切れを一つ一つほじくり出しては舌の上へ落し込んでいる。と、今度は喉の方からせっかく今しがた嚥み下した物が噫(おくび)になって逆に口腔へ殺到して来る。舌は再び流動物のためにどろどろになる。嚥み下しても嚥み下しても何度でも噫が戻って来る。………
六
はっと目を覚ますと、宵に食い過ぎた支那料理の清湯(ちんたん)の鮑(あわび)の噫がG伯爵の喉もとでぜいぜいと鳴っている。………
こんな夢を十日ばかり続けて見通したある晩のことであった。例の如く倶楽部の一室で珍しくもない饗宴の料理を味わった後、ストオブの火の周りでもたれた腹を炙(あぶ)りながら、めいめい大儀そうな顔つきで煙草を吹かしている会員たちを、そっとその場に置き去りにしたまゝ伯爵はふらりと表へ散歩に出かけた。――といっても、それはたゞ腹ごなしのための散歩ではない。この間からの夢のお告げを思い合わせると、伯爵は何だか自分が近いうちに素晴らしい料理を発見するに違いないような気がしていた。それで今夜あたり表をぶらついたらば、どこかでそんな物にぶつかりはしないかという予覚に促されたのである。
それは寒い冬の夜の九時近くのことで、駿河台の邸の内にある倶楽部を逃れ出た伯爵は、オリーブ色の中折帽子にアストラカンの襟(えり)の着いた厚い駱駝(らくだ)の外套(がいとう)を着て、象牙のノッブのある黒檀(こくたん)のステッキを衝(つ)きながら、相変らずげぶり、げぶりと喉から込み上げて来るものを嚥み下しつゝ、今川小路の方へあてどもなく降りて行った。往来は相当に雑沓(ざつとう)していたけれど、しかし勿論伯爵はその辺に軒を並べている雑貨店や小間物屋や本屋や乃至通行人の顔つきや服装などには眼もくれない。その代りたとえどんな小さい一膳飯屋でも、苟(いやし)くも食物屋(くいものや)の前を通るとなれば伯爵の鼻は餓えた犬のそれのように鋭敏になるのである。東京の人は多分承知の事と思うが、あの今川小路を駿河台の方から二三町行くと、右側に中華第一楼という支那料理屋がある。あの前へ来た時に伯爵はちょいと立ち止まって鼻をヒクヒクやらせた。(伯爵の鼻は頗(すこぶ)る鋭敏になっていて、匂いを嗅げば大概料理のうまさ加減を直覚的に判断することが出来た。)が、すぐにあきらめたと見えて、またステッキを振りながら、すたすたと九段の方角へ歩き始めた。
すると、あたかも小路を通り抜けて淋しい濠端(ほりばた)の暗い町へ出ようとするとたんに、向うの方から二人の支那人が楊枝を咬(くわ)えながら伯爵の肩に擦れ違った。前にも云ったように、通行人には眼もくれずに食慾の事ばかり考えていた伯爵であるから、普通ならその支那人に気を留めるはずはなかったのだが、擦れ違おうとする刹那に、紹興酒(しようこうしゆ)の臭い息が伯爵の鼻を襲ったので、ふと振り顧(かえ)って相手の顔を見たのである。
「はてな、あいつらは支那料理を喰って来たのだ。して見るとこの辺に新しく支那料理屋が出来たのかしらん。」
そう思って伯爵は小首をひねった。
その時、伯爵の耳には、どこか遠くの方で奏でるらしい支那音楽の胡弓(こきゆう)の響が、闇の中から切なげに悲しげに聞えて来たのである。
七
伯爵はじっと一心に耳を澄ませて、しばらく牛が淵の公園に近い濠端の闇に彳(たゝず)んでいた。胡弓の音は、遥に賑やかな夜の燈火がちらちらしている九段坂の方から聞えて来るのではなく、何度聞き直しても、たしかに一つ橋の方角の、人通りの少い、死んだようにひっそりとした片側町の路次の奥の辺から、凍えるような冬の夜寒の空気の中に戦(おのゝ)きふるえながら、桔槹(はねつるべ)の軋(きし)るように甲高(かんだか)い、針金のように細い、きいきいした切れ切れの声になって今にも絶え入るが如く響いて来るのである。と、やがてそのきいきい声が絶頂に達して、風船玉が破裂するようにいきなりパチリと止んでしまった次ぎの瞬間に、少くとも十人以上の人間が一度にぱたぱたと拍手喝采(かつさい)するらしい物音が、今度は思いのほか近い処で急に伯爵の耳朶(じだ)を打った。
「あいつらは宴会を開いているのだ。そうしてその席上で支那料理を食っているのだ。それにしても一体どこなんだろう。」
――拍手はかなり長く続いた。一旦途絶えそうになっては、また誰かしらがぱたぱたと拍(う)ち始めるとそれに誘われて何匹もの鳩が羽ばたきをするように一斉に拍手を盛返す。ちょうど大波のうねりのようにざあッと退(ひ)いてはまたざあッと押し寄せる。押し寄せて来る波の間から小さな鳥が飛沫に咽(むせ)んで囀(さえず)るように再び胡弓の調が新しい旋律を奏で出す。――伯爵の足は自然とその方へ向いて二三町辿(たど)って行った。何でも一つ橋の袂(たもと)から少し手前のとある邸の塀に附いて左へ曲った路次の突きあたりのところであった。見ると戸を鎖(とざ)したしもうた家の多い中に、たった一軒電燈を煌々(こうこう)と点じた三階建ての木造の西洋館がある。胡弓と拍手の音とは疑いもなくその三階の楼上から湧き上るので、バルコニーの後ろのガラス戸のしまった室内には、多勢の人間が卓を囲んで今しも饗宴の真最中であるらしい。G伯爵は、音楽――殊に支那の音楽には何らの智識をも趣味をも持っていなかったが、露台の下に立って胡弓の響に耳を傾けているうちに、その不可思議な奇妙な旋律がまるで食物の匂いのように彼の食慾を刺戟(しげき)するのを覚えた。彼の頭の中には、その音楽の節につれて彼が知っている限りの支那料理の色彩や舌ざわりが後から後からと連想された。胡弓の糸が急調を帯びて若い女の喉を振り搾(しぼ)るような鋭い声を発すると、それが伯爵には何故か竜魚腸の真赤な色と舌を刺すような強い味いとを想い出させる。それから忽ち一転して涙に湿(しめ)る濁声(だみごえ)のような、太い鈍い、綿々としたなだらかな調に変ずると、今度はあのどんよりと澱(よど)んだ、舐めても舐めても尽きない味が滾々(こんこん)と舌の根もとに滲み込んで来る、紅焼海参(オンシヤアハイセン)のこってりとした羹(あつもの)を想像する。そうして最後に急霰(きゆうさん)のような拍手が降って来ると、有りと有らゆる支那料理の珍味佳肴が一度にどッと眼の前に浮かんで果ては喰い荒されたソップの碗だの、魚の骨だの、散(ち)り蓮華(れんげ)だの杯だの、脂で汚れたテーブルクロースだのまでが、まざまざと脳中に描き出された。
八
G伯爵は幾度か舌なめずりをして口の内で唾吐(つばき)を飲み込んでいたが、腹の底から喰意地がムラムラと起って来て、もうとてもじっとしてはいられなくなった。東京中の支那料理屋で一軒として知らない家はなかったつもりだのに、こんな所にこんな家がいつ出来たのか?――とにかく、自分が今夜胡弓の音に引き寄せられてこの家を捜しあてたのも何かの因縁に違いない。その因縁だけでもこの家の料理を是非とも一度は試して見る値打ちがある。それに、自分の直覚するところでは、何かこの家にはかつて経験したことのない珍らしい料理があるように感ぜられる。――伯爵がそう思うと同時に、伯爵の胃の腑はついさっきまで鱈(たら)ふく物が詰まっていたくせに、にわかにキュウと凹み出して下腹の皮を引張るように催促した。そうして、ちょうど一番槍の功名を争おうとする武士が陣頭に立った時のように、ある不思議な胴顫(どうぶる)いが伯爵の全身を襲った。
そこで伯爵はつかつかとその家の門口を明けて這入(はい)ろうとした。が、意外にも中から締まりがしてあると見えて扉は堅く鎖されている。のみならず、その時まで料理屋であるとばかり思い込んでいたその家の門の柱には、「浙江(せつこう)会館」という看板の下がっているのが、今しもドーアのノッブに手をかけた伯爵の眼に、始めて留まったのである。看板は極めて古ぼけた白木の板で、それへ散々雨曝(あまざら)しになったらしい墨色の文字が、ぼんやりと、しかしいかにも支那人らしい雄健な筆蹟で大きく記されていた。喰物の事にばかり没頭していた伯爵のことであるから、看板の文字に気が付かなかったのも無理はないが、なるほどその建物の外形に少し注意を払えば、料理屋でないことは予め分ったはずなのである。もしもこの家が神田や横浜の南京町にあるような支那料理屋ならば、店先に毒々しい豚の肉だの鶏の丸焼だの海月(くらげ)や蹄筋(ていきん)の干物(ひもの)などが吊るしてあって、入口のドーアなどは始めから明け放してあるに相違ない。ところが前にも述べた通り表に面した階下の扉は門でも窓でも悉(ことごと)くひっそりと閉じられている。それがおまけにガラス戸ではなく、ペンキ塗りの鎧戸(よろいど)であるから、室内の様子は全く分らない。賑かなのは三階だけで、二階の窓も同様に真暗である。たった一つ、門の真上にあたる軒端の辺に光の鈍い電燈が燈っていて、それが例の看板の文字を覚束(おぼつか)なく照らしている。看板と反対の門の柱には呼鈴が取り附けてあって、"Night Bell" という英語と、「御用の御方はこのベルを押して下さい」という日本語とが、名刺大の白紙に記されてある。けれども、どれほど伯爵がこの家の支那料理に憧れているにもせよ、まさかに呼び鈴を押してみるだけの勇気はなかった。「浙江会館」といえば、恐らく日本に在留する浙江省の支那人の倶楽部であろう。そこへ唐突(だしぬけ)に割り込んで行って、彼らの宴会の仲間へ入れて貰うという訳にも行くまい。――そんな事を考えながらも、伯爵は執念深く鎧戸にぴったり顔を寄せ附けていた。
九
コック部屋が入口の近くにあるのだと見えて、鎧戸の隙間からは、蒸籠(せいろう)から湯気が立つように暖かい物の香(かおり)がぽっぽと洩れてくるのであった。その時伯爵は自分の顔が、勝手口の板の間にしゃがんで流し元の魚の肉を狙っている猫に似ていはしないかと思った。化けられるものなら猫に化けても、こっそりとこの家の内に闖入(ちんにゆう)して片っ端から皿小鉢の底を舐め廻してみたいくらいであった。が今さら猫に生れなかったことを後悔したところで仕様がない。「チョッ」と伯爵は口惜しそうに舌打ちをして、ついでに唇の周を舌でつるつると擦(こす)りながら、恨めしそうに扉の傍から離れて行った。
「でも何とかしてこの家の料理を喰わせて貰う方法はないだろうか。」
楼上から雨のように降り注ぐ胡弓の響きと拍手の音とを浴びながら、伯爵は容易にあきらめが附きかねて路次の間を往ったり来たりした。実を云うと伯爵がここの料理を喰いたいという慾望は、この家が料理屋でない事に気が付いた時から、一層熾烈(しれつ)に燃え上り出したのである。それは単に意外な処で意外な美食を発見して、会員たちをあっと云わせようという功名心ばかりからではない。そこが特に浙江省の支那人の倶楽部であるという事、そこでは彼らが全くその郷国の風習に復(かえ)って、何の遠慮もなく純支那式の料理を喫し音楽に酔っているらしい事、――その一事が嫌が上にも伯爵の好奇心を募らせたのである。実際、伯爵は未だ、真の支那料理というものを喰ったことはない。横浜や東京にある怪しげな料理はたびたび経験しているけれども、それらは大概貧弱な材料を使って半分は日本化された方法の下に調理されたので、支那で喰わせる支那料理は決してあんなまずい物ではないという事を、伯爵はしばしば人の話に聞いていた。伯爵は不断から、ほんとうの支那料理という物こそ、自分たち美食倶楽部の会員が常に夢みている理想の料理ではないだろうかと考えていた。だからもしこの浙江会館が彼の推量するが如き純支那式の生活をする家であるとすれば、つまりこの家こそ伯爵の理想の世界なのである。あの楼上の食卓の上には、かねがね伯爵が創造しようとして焦っているところの立派な芸術が、――驚くべき味覚の芸術が、今や燦然(さんぜん)たる光を放ってずらりと列(なら)んでいるに違いない。あの胡弓の伴奏につれて、歓楽と驕奢(きようしや)とに充ちた荘厳なる味覚の管絃楽が、嚠喨(りゆうりよう)として満場の客の魂を揺がせているに違いない。………伯爵はまた、支那のうちでも殊に浙江省附近は、最も割烹の材料に富む地方であることを知っていた。浙江省の名を耳にする度毎に、そこが白楽天や蘇東坡をもって有名な西湖のほとりの風光明媚(めいび)なる仙境であって、しかも松江(ズンガリー)の鱸(すゞき)や東坡肉(トンポウニヨ)の本場であることを想い出さずにはいられなかった。
一〇
G伯爵がこんな風にして頻(しき)りに味覚神経を光らせながら、大凡(おおよ)そ三十分ばかりも軒下に彳(たたず)んでいた際である。二階の梯子段(はしごだん)をどやどやと降りて来るけはいがして、ほどなく一人の支那人が鎧戸の中から蹣跚(まんさん)とした足取りで現われて来た。大方恐ろしく酔っていたのであろう、彼は表へ出た拍子によろよろとよろけて伯爵の肩に衝きあたったのである。
「やあ」
と云って、それから支那語で二三言(ふたみこと)詑(わ)びを云うような様子であったが、ほどなく相手が日本人である事に気が付いたらしく、
「どうも失礼しました。」
と、今度は極めて明瞭な日本語で云った。見ると帝大の制帽を冠った、三十近いでっぷりと太った学生である。彼は一応そう云って詫(あやま)ってはみたものゝ、こういう場所にG伯爵の立っているのが不審に堪えないという風に、暫らくじろじろと相手の様子を眺めていた。
「いや、私こそ大そう失礼しました。実は私は非常に支那料理が好きな男でしてね、あんまり旨そうな匂いがするもんだから、つい夢中になって、さっきから匂いを嗅いでいたんですよ。」
この無邪気な、正直な、そうしていかにも真情の流露した言葉が、淡泊に伯爵の口頭を衝いて出たのは、伯爵としてはたしかに大成功であった。とても平生の伯爵には出来ない芸当であるけれど、それは恐らく伯爵の真心が――世にも珍らしい熱心な、意地穢(きた)なの慾望が、天に通じた結果であったのだろう。この伯爵の云い方がよほど可笑(おか)しかったと見えて、学生は肥満した腹を揺す振ってにわかに快活に笑い出した。
「いや、ほんとうなんですよ。私は旨い物を喰うのが何よりも楽(たのし)みなんですが、とにかく世界に支那料理ほど旨い物はありませんな。………」
「わッはゝゝ」
と、まだ支那人は機嫌よく笑っている。
「………それで私は東京中の支那料理屋へは残らず行ってみましたがね、実を云うと料理屋の料理でない、たとえばこういう支那人ばかりが会合する場所の、純粋な支那料理がたべてみたいとこの間から思っていたんですよ。ねえ、どうでしょう、甚だどうも厚かましいお願いのようですが、ちょいと今晩あなた方の仲間へ入れてここの内の料理を喰べさせて貰えませんかね。私はこういう人間ですが………」
そう云って伯爵は紙入れの中から一葉の名刺を出した。
二人の問答はいつの間にやら楼上の客の注意を惹いたものであろう、後から後からと五六人の支那人がそこへやって来て伯爵の周囲を取りかこんだ。中には鎧戸を半分あけて隙間から顔を出しているのもある。暗かった路次の軒下は、急に室内の強い電燈の光に照らされて、そのカッキリとした明るみの中に、厚い外套を着た伯爵の立派な風采と、脂切った赤い頬ッぺたとが浮んでいる。滑稽なことには、周りにいる多勢の支那人たちも皆、伯爵と同じように脂切った、営養過多な頬ッぺたを光らせて、一様にニコニコと笑っているのである。
「よろしい、どうぞ這入(はい)って下さい、あなたに沢山支那料理を御馳走します。」
その時、頓興(とんきよう)な声でこう云いながら、三階の窓から首を出した者があった。どっという哄笑と拍手とが、楼上楼下の支那人の間に起った。
一一
「こゝの料理は非常にうまいです。普通の料理屋の料理とは大変に違います。たべると頬(ほツ)ぺたが落ちますよ。」
つゞいてまた一人の男が、伯爵を取り巻いている一団の中から唆(そその)かすような声で云った。
「さあ、あなた、遠慮しないでもいゝです。どうぞ上って喰べて下さい。」
しまいには群集の誰も彼もが、酔った紛れの面白半分にこんな事を云い合いながら、伯爵の周囲を取り巻いて盛んに酒臭い息を吐いた。
伯爵は少し面喰って夢のような心持ちを覚えながら、彼らと一緒にぞろぞろと這入って行った。外から見た時は真暗であった鎧戸の内側の部屋の中には、笠にガラス玉の房の附いた電燈がきらきらと燈っている。右側の棚の上には青梅や、棗(なつめ)や、竜眼肉や、仏手柑(ぶつしゆかん)や、いろいろの壜詰めが並べられて、その傍(かたわら)に豚の脚と股の肉が、大きな皮附きの切身のまゝで吊り下っている。皮は綺麗に毛が毟(むし)り取ってあって、まるで女の肌のように柔かくなまめかしく真白に見える。棚の向うの突きあたりの壁には石版刷りの支那の美人画が懸っている。そこには小さな窓が仕切られていて、その穴から夥(おびただ)しい煙と匂いとがぷんぷん匂いながら、広くもない部屋の中に濛々(もうもう)と立ち罩(こ)めている。果して伯爵の想像した通り、穴の向うにコック場があるのであろう。が、伯爵はこれらの物をちらりと一と眼見たばかりで、門の入口のところに附いている急な梯子段へ案内されて、直ぐと二階へ上って行った。二階は頗(すこぶ)る奇妙な構造になっていた。梯子段を上り詰めると一方の白壁に沿うて細長い廊下がある。そうして廊下の片側に、白壁と相対して青いペンキ塗りの板塀が囲ってある。板塀の高さは六尺に足らぬくらいで無論天井よりも二三尺は低い。長さは、多分三間ほどあったであろう。そうしてその一間々々に一つずつ小さな潜り門が明いている。三つの門の内側には、殺風景な垢じみた白い木綿の幕が垂れ下っていて、何だか芝居の楽屋のような感じがする。あたかも伯爵が廊下へ上って来た時に、中央の門の幕がゆらゆらと揺れて、中から一人の若い女が首を出した。むっくりした円顔の、気味の悪いほど色の白い、瞳の大きな鼻の短い、可愛らしい狆(ちん)のような女であった。彼女は胡散(うさん)らしく眉をひそめて伯爵の姿を眺めていたが、金歯を入れた歯並を露出して唇を歪(ゆが)めたかと思うと、ペッと水瓜(すいか)の種を床に吐き出して忽ち首を引込めてしまった。
「こんな狭い家の中を、何のために板でいくつも仕切ってあるのだろう。あの幕の中の女は何をしているのだろう。」
伯爵はそんな事を考える隙もなく、直ぐと再び三階の梯子段へ導かれて行った。
一二
その間にも例の階下のコック場の煙は、伯爵の後について煙突のように狭い梯子段を昇りつゝ、三階の部屋の天井にまでも籠っていた。そこへ上って行くまでに、さんざん煙に詰められた伯爵は、自分の体がまず支那料理にされてしまったかと思ったくらいである。が、三階の室内に籠っているものは、たゞにコック場の煙ばかりではない。煙草だの、香料だの、水蒸気だの、炭酸瓦斯(ガス)だの、いろいろのものがごっちゃになって、人顔もよくは判らないほど、蒼白い靄(もや)のように、そこの空気を濁らせているのである。暗い静かな表の露路から、一挙にこゝへ拉(らつ)して来られた伯爵の、最初の注意を惹いたのはこの濁った空気と、異様に蒸し暑き人イキレとであった。
「諸君、満場の諸君にG伯爵を紹介します。」
すると、伯爵をそこへ案内して来た一団の中から、一人の男がツカツカと進み出て、ワザと日本語を使ってこう叫んだ。
伯爵はヤット気がついて、帽子と、外套とを脱いだが、忽ち右左から五六本の手が出て、それを引ったくるようにして、どこかへ浚(さら)って行ってしまった。次(つい)で、一人の男が伯爵の手を取って、とある食卓の前へ連れて行った。二階と異ってそこは打通(ぶつとお)しの大広間であって、中央に大きな円い卓(テーブル)が二つ並んでいる。各の卓(テーブル)には多分十五人余の客が席に就いていたであろう。彼らは今や、食卓の真ん中に置かれた一つの偉大な丼の美を目蒐(めが)けて盛んに匙(さじ)を運び、箸(はし)を突っ込みつゝ、争って料理を貪っている最中なのである。一方の卓(テーブル)に置かれた丼には――伯爵がチラリと盗み見たところによると――粘土を溶かしたような重い執拗(しつこ)いソップの中に、疑いもなく豚の股児の丸煮が漬けてある。しかしそれはたゞ外だけが豚の原形を備えているので、皮の下から出て来るものは豚の肉とは似てもつかない半平(はんぺん)のような、フワフワしたものであるらしい。おまけにその皮も中味もジェリーの如くクタクタに柔かに煮込んであるのか、匙を割り込ませるとあたかも小刀(ナイフ)で切取るように、そこからキレイに(も)ぎ取られる。見る見るうちに、四方八方から匙が出て来て豚の原形は、一塊ずつ端の方から失われて行く。まるで魔法にかゝっているようである。もう一方の卓(テーブル)にあるのはそれは明かに燕の巣である。人々は頻に丼の中へ箸を入れては心太(ところてん)のようにツルツルした燕菜(えんさい)をソップの中から掬(すく)い上げている。むしろ不思議なのはその燕菜が漬かっている純白の色をしたソップである。こんな真白な汁は杏仁水(きようにんすい)よりほかに日本の支那料理では見たことがない。支那へ行けば湯(たいとう)という牛乳のソップがあると聞いていたが、あれこそその湯ではあるまいかと伯爵は思った。
一三
が、伯爵が導かれて行ったのはそれらのテエブルの傍ではない。そのほかにもまだこの部屋には、両側の壁に沿うてちょうどお寺の座禅堂にあるような座席が設けられていたのである。そうしてそこにも多勢の支那人が、ところどころに配置された紫檀(したん)の小卓を囲みながら、あるいは床に腰をかけたり、あるいは床の上の緞子(どんす)の蓐(しとね)に据わったりして、ある者は真鍮の煙管(きせる)で水煙草を吸い、ある者は景徳鎮の茶碗で茶を啜(すす)っている。彼らはいずれも食卓の方の騒擾を慵(ものう)げな眼つきで恍惚(うつとり)と見やりながら、皆一様に弛(たる)み切った、さも睡そうな顔つきをしてむっつりと黙り込んでいるのである。そのくせ彼らの中には一人として血色の悪いのや、貧相なのや、不景気な様子をしているものは見あたらない。どれもこれも堂々たる風采と、立派な体格と、活気の充ち溢れた顔をしながら、ただ肝腎な魂だけが抜けてしまったように茫然としているのである。
「はゝあ、この連中は今しがた鱈(たら)ふく喰ったばかりなので、食休みをしているんだな。あのとろんとした眼つきで見ると、よほど喰い過ぎたのだろう。」
実際、伯爵にはそのとろんとした眼つきがこの上もなく羨ましかった。彼らのふくれ上った腹の中には、ちょうどあの豚の丸煮のように、骨も臓腑もなくなって旨そうな喰い物ばかりが一杯に詰まっているのではなかろうか。あの腹の皮をぷつりと破ったら中から出る物は血でも腸(はらわた)でもなく、あの丼にあるような支那料理がどろどろになって流れ出しはしなかろうか。彼らの満足し切った、大儀そうな表情から推量すると、恐らく彼らは腹の皮を破られても、やはり平気で悠々とそこに坐っているかも知れない。伯爵を始め美食倶楽部の会員たちも、随分今までにげんなりするほど大喰いをした覚えはあるけれど、こゝに居並ぶ支那人たちの顔に表れているほどの大満足を、かつて味わったことはないように感ぜられた。
で、伯爵は彼らの前をずっと通り抜けて行ったが、彼らはたゞじろりと一と目伯爵を見たばかりで、この珍客の侵入を訝(いぶ)かる者も歓迎しようとする者もなかった。
「この日本人は一体どうして来たのだろう。」
などゝいう疑問を頭に浮べるだけでも、彼らには億劫(おつくう)であったのだろう。
やがて伯爵は案内の支那人に手を引かれて、左側の壁の隅に倚(よ)りかゝっているある紳士の前に連れて行かれた。この紳士も勿論喰い過ぎ党の一人であって、癈人のような無意味な瞳を見開いたまゝ、うつらうつらと煙草を燻(く)ゆらしていたことは云うまでもない。
一四
その紳士の年は、太っているために若くは見えるけれど、もう四十近いかと思われる。ここに集まった会員の中の年長者であるらしい。そうしてほかの人々は大概洋服を着ているのに、その紳士だけは栗鼠(りす)の毛皮の裏の付いた黒繻子(しゆす)の支那服を纏うているのである。しかし伯爵は、その紳士の風貌よりもむしろ彼の右と左に控えている二人の美女に心を惹かれた。一人の方は青磁色に濃い緑色の荒い立縞の上着を着て、それと同じ柄の短いズボンを穿(は)いて、薄い桃色の絹の靴下に精巧な銀糸の刺繍(ぬい)のある紫の毛繻子の靴を、小さな足にぴっちりと篏(は)めている。椅子に腰掛けて右の足を左の膝頭にのせているのが、その小さいことゝ云ったらまるで女の児の懐へ入れるはこせこのように可愛らしい。額の真中から二つに分けた艶々しい黒髪が、眉毛のあたりまで簾(すだれ)のように垂れ下って、その後に椎(しい)の実の如くちょんびりと見えている耳朶(みゝたぼ)には、琅(ろうかん)の耳環がきらきらと青く光りながら揺らめいている。今しがたまで音楽が聞えたのは、大方この女が奏でゝいたのであろう、膝の上には胡弓を載せて、腕環を篏めた左の手でそれを抱えている形は、弁財天の絵のようである。女の顔は玉のように滑(なめらか)に透き徹っていて、少しく出目なくらいに飛び出している黒み勝(がち)の大きな瞳と、鼻の方に反り返っている厚い真赤な上唇とのあたりに、一種異様な謎(なぞ)のような美しさが充ち溢れている。が、何よりも美しいのはその歯並であって、時々歯齦(はぐき)を露わして上歯と下歯とをカチカチ合せながら、右の上頤(うわあご)の犬歯の間を頻に楊枝でほじくっているのが、その驚くべき細かな歯並を誇示するためだとしか思われない。もう一人の方の女もやゝ面長な顔立ちではあるが、その美しさから来る感じにほとんど変りはない。襟に真珠の胸飾りを着けて、牡丹(ぼたん)の花の繍(ぬい)模様のある暗褐色の服を纏うているせいか、色の白さが余計に引立っているだけである。そうして彼女も同じように歯を見せびらかして、楊枝を持って口の中を突ついている右の指には、小さな五六個の鈴の付いた黄金の指環が篏まっている。伯爵がそこへやって来ると、二人の女は空々しくふっと横を向いて、何か紳士と眼交(めま)ぜをしているようであった。
「これが会長の陳さんです。」
伯爵の手を引いていた男は、そう云ってその時紳士を紹介した。それから早口な支那語で、面白そうな身振りや手振りをしながら、何事をか会長にしゃべって聞かせている。会長はうんともすんとも云わずに、眼ばかりぱちぱちやらせながら、今にも欠伸(あくび)が出そうにして聞き流していたが、そのうちにやっと少しばかりにこにこと笑った。
「あなたはG伯爵という方ですか――あゝそうですか。ここにいる人達は皆酔っぱらっているものですから、あなたに大変失礼をしました。支那料理がお好きならば、それは御馳走してもいゝです。しかしこゝの内の料理はそんなに旨くはありません。それに今夜はもうコック場がしまいになりました。甚だお気の毒ですが、この次の会の時にまたいらしって下さい。」
会長は如何にも気乗りがしない口調でこう云うのであった。
一五
「いや、何もわざわざ私のために特に料理を拵(こしら)えて頂かなくても結構なんです。実はその、非常に厚かましいお願いですが、諸君のお余りを食べさせて貰えばよろしいんですけれど、そういう訳には行きますまいかな。」
こう云った伯爵は、相手がもう少し愛憎のよい寛大な態度を示していたなら、実はもっと無遠慮に乞食のようなさもしい声を出したいところであった。あの食卓の様子を一目見てからの伯爵は、たとい一匙でも料理を食わせて貰わずには、とてもこの場を動くことが出来なかった。
「余り物といってもあの連中はあの通り大食いですからとても余ることはないでしょう。それにあなたに余り物を差し上げるのは大変失礼です。私は会長としてそういう失礼なことを許す訳には行きません。」
会長は不機嫌そうにだんだん眉を曇らせて、傍(かたわら)に立っている支那人に何かぶつぶつと叱言(こごと)を云っている。そうして嘲けるような眼付で伯爵の方をちらりと見ては突慳貪(つつけんどん)に頤の先でその男を指図している。多分「この日本人を早く逐(お)い出してしまえ。」とでも云っているのであろう。相手の支那人は興のさめた風でいろいろ弁解を試みるらしいが、会長は傲然と構えて、鼻の穴からすうっと大きな息を吹いているばかりで、一向取り上げてくれそうもない。
伯爵がふいと振り返って見ると、中央の食卓の方では二人のボーイがさらに新しい羹(あつもの)の丼を高々と捧げて、今やそこへ運んでくる最中である。円い、背の低い、大きな水盤のような瀬戸の丼には、飴(あめ)色をしたソップがたっぷりと湛えられてどぶりどぶりと鷹揚(おうよう)な波を打ちながら湯煙りを立てゝいる。その一つの丼の中には蛞蝓(なめくじ)のようなぬるぬるとした茶褐色に煮詰められた大きな何かの塊まりが、風呂に漬かったようになって茹(ゆ)だり込んでいる。それがやがてテーブルの真中に置かれると、一人の支那人が立ち上って紹興酒の盃を上げた。すると食卓のぐるりにいる連中が一度に悉く立ち上って同じように盃を乾す。それが済んだと思うと、我勝に匙を掴み箸を握って、どっと丼の方へ殺到するのである。息もつがずにそれを眺めていた伯爵は、吭(のど)の奥の方で骨か何かがガクリガクリと鳴るような気がした。
「どうも困りました。あなたに大変済みませんでした。会長がどうしても許してくれませんから、………」
叱言を云われた支那人はそう云って頭を掻きながら、不承無精に伯爵を部屋の出口の方へ連れて行った。
「いや、僕らが悪かったんです。僕らが酔っていたものだから、無闇にあなたをこんな所へ引き擦り込んでしまったんです。会長は悪い人ではありませんけれども、やかましい男だものですから。」
一六
「なあに、私こそあなたに飛んだ御迷惑をかけました。しかし会長はどうして許してくれないのでしょう。この盛大な宴会の模様をせっかく目の前に見ていながら、どうも甚だ残念ですがな。………会長が許さなければ駄目なのでしょうか。」
「えゝ、ここの会館はすべてあの人の権力のうちにあるのですから、………」
そう云いながら、支那人は何か他聞を憚(はば)かるようにちょいとあたりを見廻したが、二人はもう外の廊下に出て梯子段の降り口に来ていたのである。
「会長が許さないのは、きっとあなたを疑ぐっているからでしょう。――コック場がおしまいになったというのは嘘なんです。あれ御覧なさい、まだあの通りコック場では料理を拵えているのですよ。」
なるほど梯子段の下からは例のぷんぷんと香(にお)う煙が、依然として舞い上って来る。鍋の中で何かを揚げているらしいシュウッ、シュウッ、という音が、パチパチと油の跳ねる音に交って、南京花火のように威勢よく聞えている。廊下の両側の壁には外套が真黒に堆(うずたか)く懸っていて、客はまだ容易に散会しそうもない。
「それじゃ会長は私を怪しい人間だと思っているんですね。そりゃあ御尤(ごもつと)もです。用もないのにこの路次へ這入って来て、家の前をうろうろしていたのですから、怪しいと思えば怪しいに違いありません。私は自分でも可笑(おか)しいと思っているくらいです。しかしこれにはいろいろ理由があるので、説明しなければ分りませんが、実は我々は美食倶楽部というのを組織していましてね、………」
「何? 何の倶楽部ですか?」
支那人は変な顔をして首を傾げた。
「美食です、美食倶楽部です。―― The Gastronomer Club !」
「あゝそうですか、分りました、分りました。」
そう云って支那人は人が好さそうに笑いながら頷(うなず)いて見せた。
「つまり旨いものを食う倶楽部ですな。この倶楽部の会員は、旨いものを食わないと一日も生きていられない人間ばかりから成り立っているんですが、もうこの頃は旨いものが無くて弱っているんです。会員が毎日々々手分けをして、東京市中の旨いものを探して歩いていますけれど、もうどこにも珍らしいものは無くなってしまいました。今日も私は旨いものを探しに出たところが、図らずもこの内を見付け出して、普通の支那料理屋だと思って路次の中へ這入って見たのです、そんな訳で私は決して怪しい者じゃあありません。先刻差し上げた名刺にある通りの人間です。たゞ食い物のことになると、知らず識らず夢中になって、つい常識を失ってしまうだけなんです。」
支那人は、熱心に言い訳をする伯爵の顔を、暫くつくづくと見据えていた。あるいは伯爵を気違いだと思ったのかも知れない。――三十前後の、背の高い男振りの好い、酔っているせいか桜色の両頬をてかてかと光らせた、正直そうな男である。
一七
「伯爵、私はあなたを少しも疑っていはしません。われわれ――少くとも今夜この楼上に集まっている人達には、あなたの心持はよく分ります。美食倶楽部とはいいませんが、われわれがここに集まるのも、実は美食を食うためなのです。われわれはやはりあなたと同様な熱心なガストロノマアです。」
何と思ったか、彼はそう云って突然伯爵の手を強く握り締めた。そうして眼の縁に意味ありげな笑いを浮べながら、
「私はアメリカにもヨーロッパにも二三年滞在したことがありますが、世界のどこに行っても支那料理ほど旨いものはないということを知りました。私は極端な支那料理の讃美者です。それは私が支那人だからという訳ではない、あなたが真のガストロノマアであるならば、この点において、多分私と同感であろうと私は信じます。そうでなければならないはずです。ねえそうでしょう?――あなたは私にあなたの倶楽部のことを打ち明けてくれました、そこで私はあなたを少しも疑ぐっていない証拠に、われわれの倶楽部、――この会館のことをお話ししましょう。この会館では実際不思議な料理が出来るんです。今あなたが御覧になった、あのテーブルの上に並んでいる料理なんかは、ほんの始め、ほんのプロローグなんです、この後からいよいよほんとうの料理が出るんです。」
こう云って支那人は、自分の言葉が相手に如何なる反応を呈するかを試すように、偸(ぬす)むが如く伯爵の顔の中を覗き込んだ。その言葉は伯爵の食慾を唆(そその)かすために、故意に発せられたものとしか思われないほどであった。
「それはほんとうですか? あなたは冗談に私を欺すのじゃないのですか?」
伯爵の瞳には、何故か知らぬが犬が餌食に飛びかゝろうとする時のような激しい気色が見えた。
「それがほんとうなら、私はもう一遍あなたにお願いします。そんな話まで聞かせておきながら、私をこのまゝ帰すというのは残酷過ぎるじゃありませんか。私が怪しい人間でないということを、もう一遍あなたから会長に説明して下さい。それでも疑いが晴れなかったら、私が美食家であるかないか、会長の前で試験をして下さい。支那料理でも何でも、今まで日本にあったものなら私は一々その味をあてゝ見せます。そうしたら私が如何に料理に熱心な男であるか分るでしょう。全体、それほど日本人を嫌うというのは可笑しいじゃありませんか。あなたは美食の会だと云われたようですが、あるいは何か政治上の会合ではないのでしょうか。」
「政治上の会合? いやそんなものじゃありません。」
支那人は笑いながら、淡泊に否定してしまった。
「しかしこの会では、(ここで支那人はちょっと言葉を句切って、急に真面目な調子になって)私はG伯爵の名前に対してあなたをあくまでも信用します。――この会では、政治上の会よりもむしろ遥に入場者の人選がやかましいのです。この会館で食わせる美食はまるで普通の料理とは違っています。その料理法は会員以外には全く秘密になっているのです。………」
一八
「………今夜ここに集まった連中は重(おも)に浙江(せつこう)省の人達ですが、しかし浙江省の人ならば誰でも入場が出来るという訳ではありません。すべて会長の意志によるのです。料理の献立も会場の設備も宴会の日取も会計も何もかも、みんな会長の指図によって行われます。この会はまああの会長一人の会だと云ってもいゝでしょう。………」
「すると一体、あの会長というのはどういう人なんですか。どうしてあの会長がそんな権力を持っているんですか。」
「あれは随分変った人です。えらいところもある代りに、少し馬鹿なところがあるのです。」
支那人はそう云ってから、暫く躊躇するが如くに口の内をモグモグやっていた。会場の方が騒がしいので、好い塩梅に二人の立話は誰にも注意されずにいるらしい。
「馬鹿なところがあるというと?」
こう云って伯爵が催促した時、支那人の顔にはあまり説明に深入りし過ぎたのを後悔する情が、ありありと見えた。そうして、しゃべろうかしゃべるまいかと思い惑いながら、彼は仕方なしにぼつぼつと言葉を続けた。
「あの人はね、うまい料理を食うことが非常に好きで、そのために馬鹿か気違いのようになるのです。いや、食うことが好きなばかりではありません。料理を自分で拵える事も非常に上手です。それでなくても支那料理というものは材料が豊富であるのに、あの人の手にかゝればどんな物でも料理の材料にならないものはありません。ありとあらゆる野菜、果物、獣肉、魚肉、鳥肉は勿論のこと、上は人間から下は昆虫に至るまでみんな立派な材料になるのです。あなたも知っていらっしゃるように、支那人は昔から燕(つばめ)の巣を食います、熊の掌(てのひら)、鹿の蹄筋、鮫(さめ)の翅(ひれ)を食べます。しかしたとえばわれわれに木の皮を食い鳥の糞を食い人間の涎(よだれ)を食うことを教えたのは、恐らくあの会長が始まりでしょう。それからまた煮たり焼いたりする方法についても、会長によっていろいろの手段が発明されるようになりました。従ってソップの種類なぞは、今まで十幾種しかなかったものが、既に六七十種にまでなっているのです。次に最も驚くべきは料理を盛るところの器物です。陶器や、磁器や、金属や、それらによって作られた皿だの、碗だの、壺だの、匙だのというものばかりが食器でないことが、会長によって明らかにされました。そうして食物は、常に食器の中に盛られると限ったものではなく、食器の外側へぬるぬると塗りこくられることもあります。あるいは食器の上へ噴水の如く噴き出されることもあります。そうしてある場合には、どこまでが器物でどこまでが食物であるか分らないことさえないとは云えません。そこまでいかなければ真の美食を味わうことは出来ないというのが、会長の意見なのです。………」
一九
「………ここまでお話したらば、会長の拵(こしら)える料理というものが、どんな物であるか大概お分りになったでしょう。そうして、その会に出席する会員の人選を厳密にする訳も大方お分りになるでしょう。――実際こういう料理があまり世間にはやり出したら、阿片の喫煙がはやるよりももっと恐ろしい訳ですからね。」
「で、もう一遍伺いますが、今夜これからそういう料理が始まるところなんですね?」
「えゝまあそうです。」
支那人は葉巻の煙に咽(む)せるようなふりをして、こんこんと咳入りながらわずかに頷いて見せた。
「なるほどよく分りました。そのお話で大概私にも想像が出来ないことはありません。そういう美食の会であるとしたならば、政治上の秘密結社よりも余計人選を厳密にするのは当然のことです。正直を云うと、私が常に抱いている美食の理想は、やはり会長の考えの通りだったのです。しかし私には如何にして理想の料理を実現したらよいか、その方法を発見することが出来ませんでした。会長のえらい点は実にその方法を知っているところにあるのです。しかし、たとえ人選を厳密にするにしても、それほど秘密を尚(とうと)ぶならば、なぜもっと少数の会にしないのでしょう。単に料理を食うだけならば、独りでもいゝ訳ではないでしょうか。」
「いや、それについても理由があるのです。料理というものは出来るだけ多人数の人間が一堂に集まって、大宴会を催しながら食べるのでなければ、そういう風に作られたものでなければ、ほんとうの美味を発揮するはずがないという、会長の説なのです。それで会長は人選をやかましくすることはしますが、結局今夜のように大勢の参会者を集めなければ承知しません。………」
「それも私の考えている通りです。私の倶楽部では会員の数は五人という少数ですが、人数の点から云っても今夜の会がそれに較べて如何に大規模なものであるかということが分ります。あまり美食を食いたがるせいか、私は年中旨いものを食う夢ばかりを見ていますが、今夜のこの会場へ這入って来たことは全く私には夢のようです。寝ても覚めても私が絶えず憧れていたのは、実にその会長のような料理の天才に出で遇うことでした。あなたはさっき、私を少しも疑ってはいないとおっしゃった。私を信用して居られゝばこそ、いろいろの話をして下すったに違いない。私がどれほど料理に熱心な男であるかも、お分りになったに違いない。そうしてあなたは、今一歩を進めて、もう一度私を会長に推薦して下さることが出来ないでしょうか。もし会長がどこまでも許してくれなかった場合には、たとえ食卓に着かないまでも、こっそりと何かの蔭にかくれて、せめて宴会の様子だけでも見せて下さる訳には行かないでしょうか?」
二〇
G伯爵の口調は、とても卑しい食物(くいもの)の相談とは思われないほど真面目であった。
「さあ、どうしたらいゝでしょうか。………」
支那人はもうすっかり酔が醒めたのであろう、今さら当惑したように腕組をして考え込んでいたが、口に咬(くわ)えていた葉巻をぷいと床に投げ捨てると同時に、何事をか決心したらしく顔を擡(もた)げた。
「私はあなたに、私として出来るだけの好意を示したつもりです。しかしあなたがそれほどにおっしゃるのなら、何とかして宴会の光景を見せて上げましょう。ですが、会長に紹介したところで、とても許される望はありません。事によったら会長はあなたを警察の刑事だと思っているのかも知れません。むしろ会長には知らせずに、そっと見物した方がいゝでしょう。」
そう云いながら、彼は廊下を見廻して誰も気が付く者のないのを確かめた後、つと手を伸ばして自分の倚り掛っている背中の板戸を力強く押すようにした、すると、外套の堆く垂れ下っていた板戸の一部分は、するすると音もなく後へ開いて、二人の体をその蔭へ引き擦り込んだ。
室の四方は悉(ことごと)く殺風景な羽目板で密閉されている。二台の古ぼけた長椅子が両側に置いてあって、その枕許に灰皿とマッチとを載せたティー・テーブルが据えてあるばかり、ほかに何の装飾も設備もない。たゞ不思議なのはこの室内に籠っている一種異様な陰惨な臭気である。
「この部屋は一体何に使うのですか。妙な臭がするようですな。」
「この臭をあなたは知りませんか。これはオピアムです。」
支那人は平気でそう云って気味悪く笑った。部屋の一隅に置かれた青いシェエドのスタンドから、朦朧とさして来る鈍い電燈の明りが、顔の半面に薄暗い影を作っているせいか、その支那人の人相はまるで別人のように変っている。今まで人の好さそうな無邪気な光を帯びていた眼の色までが、亡国人らしい頽廃と懶惰(らんだ)との表情に満ち満ちているかの如く感ぜられる。
「あゝそうですか、阿片を吸う部屋ですか。」
「そうです、日本人でこの部屋へ這入ったのは恐らくあなたが始めてゞしょう。この家に使っている日本人の奉公人でさえこゝにこんな部屋があることは知らないのです。………」
支那人はもうすっかり気を許して安心してしまったらしい。彼はやがて長椅子に腰を下ろして、それが習慣になっているという風にだらしなく寝崩れながら、低い、ものうい、さながら阿片の夢の中の囈言(うわごと)のような口吻で語り出した。
「あゝ、大分阿片の臭がする。きっと今まで誰かゞ阿片を吸っていたのでしょう。御覧なさい。こゝに小さな穴があります。こゝから覗くと宴会の模様が残らず分ります。この部屋に這入って来たものは、こゝからあの様子を眺め、うとうとゝ阿片の眠りに浸るのです。」
二一
作者は、G伯爵がその晩その阿片喫煙室の穴から見たところの隣室の宴会の模様を、ここに精(くわ)しく述べなければならない義務がある。が、その会の会長が参会者の人選を厳密にするのと同じ意味で、読者の人選を厳密にすることが出来ない限り、その模様を赤裸々に発表することが出来ないのを遺憾とする。たゞ、その一晩の目撃によって、どれほど伯爵が平素の渇望を癒(い)やし得たか、そうしてその後、料理に対する伯爵の創意と才能とが、どれほど長足の進歩を遂げたか、それを読者に報告することにしよう。――実際、その事があって間もなく、伯爵は偉大なる美食家、かつ偉大なる料理の天才として、彼の倶楽部の会員達から無上の讃辞と喝采とを博し得たのである。事情を知らない会員達は、そもそも伯爵が如何なる方面からかゝる美食の伝授を受けたか、伯爵が一朝にしてこういう料理を発見するに至ったのは何によるのかと、訝(あやし)まないものは一人もなかった。しかし巧慧なる伯爵は、あの支那人との間に取り交わした約束を重んじて、あくまでも浙江会館の存在を秘したばかりでなく、それらの料理が自分の独創に出ずることを固く主張して止まなかった。
「我輩は誰に教わったのでもない。これは全くインスピレーションによったのだ。」
そう云って彼は空惚(そらとぼ)けていた。
美食倶楽部の楼上では、それから毎晩、伯爵の主宰によって驚くべき美食の会が催されたのである。そのテーブルに現われる料理は、大体が支那料理に似通っていたにもかかわらず、ある点では全然今までに前例のないものであった。そうして、第一、第二、第三と宴会が重なっていくにつれて、料理の種類と方法とは、いよいよ豊富に複雑になって行った。まず第一夜の宴会の献立から、順を追うて次に書き記して見よう。
清湯燕菜 鶏粥魚翅 蹄筋海参 焼全鴨
炸八塊 竜戯球 火腿白菜 抜糸山薬
玉蘭片 双冬笋
――こう挙げて来れば、少しも支那料理に異(かわ)らないと早合点をする人もあるだろう。いかにもこれらの料理の名前は支那料理にありふれたものなのである。倶楽部の会員達も始めに献立を読んだ時は、「何だまた支那料理か。」と思わないものはなかったが、それは料理が運び出されて来るまでの不平に過ぎなかった。なぜかというに、やがて彼らの食卓の上に置かれたものは、献立によって予想していた料理とは、味は勿論、外見さえもひどく違ったものが多かったのである。
二二
たとえばその中の鶏粥魚翅(けいしゆくぎよし)の如きは、普通に用うる鶏のお粥でもなければ鮫の鰭(ひれ)でもなかった。たゞどんよりとした、羊羹のように不透明な、鉛を融かしたように重苦しい、素的(すてき)に熱い汁が、偉大な銀の丼の中に一杯漂うていた。人々はその丼から発散する芳烈な香気に刺戟されて、我れ勝ちに匙を汁の中に突込んだが、口へ入れると意外にも葡萄酒のような甘みが口腔へ一面にひろがるばかりで、魚翅や鶏粥の味は一向に感ぜられなかった。
「何んだ君、こんな物がどこがうまいんだ。変に甘ったるいばかりじゃないか。」
そう云って気早やな会員の一人は腹を立てた。が、その言葉が終るか終らないうちに、その男の表情は次第に一変して、何か非常な不思議な事を考え付いたか、見附け出しでもしたように、突然驚愕の眼を(みは)った。というのは、今の今まで甘ったるいと思われていた口の中に、不意に鶏粥と魚翅の味とがしめやかに舌に沁(し)み込んで来たのである。
甘い汁が、一旦咽喉へ嚥(の)み下される事はたしかである。けれどもその汁の作用はそれで終った訳ではない。口腔全体へ瀰漫(びまん)した葡萄酒に似た甘い味が、だんだんに稀薄になりながらも未だ舌の根に纏わっている時、先に嚥み込まれた汁はさらに噫(おくび)になって口腔へ戻って来る。奇妙にもその噫には立派に魚翅と鶏粥との味が附いているのである。そうしてそれが舌に残っている甘みの中に混和するや否や忽ちにして何とも云えない美味を発揮する。葡萄酒と鶏と鮫の鰭とが、一度に口の中に落ち合って醗酵しつゝ、しおからの如くになるのではないかというような感じを与える。第一、第二、第三、と噫の回数が重なるに従って、それらの味はいよいよ濃厚になり辛辣になる。
「どうだね、そんなに甘ったるいばかりでもなかろう。」
その時伯爵は、会員一同の顔を見渡しながら、ニヤリと会心の笑みを洩らすのである。
「君たちはその甘い汁を味わうのだと思ってはいけない。君たちに味わって貰いたいのは後から出て来る噫なのだ。噫を味わうためにその甘い汁を吸うのだ。我れ我れのように、常に食物を喰い過ぎる連中は、まず何よりも噫の不快を除かなければならない。たべた後で不快を覚えるような料理は、どんなに味が旨くっても真の美食という事は出来ない、喰えば喰うほど後から一層旨い噫が襲って来る、それでこそ我れ我れは飽く事を知らずにたらふく胃袋へ詰め込む事が出来るのだ。この料理は、大して変った物でもないが、その点において君たちに薦(すす)める理由があると思う。」
二三
「いや恐れ入った。これだけの料理を発明した以上、君はたしかに賞金を受け取る資格がある。」
こう云って、さっき伯爵を批難しかけた男が、まず第一に讃嘆の声を放つ。一座は今さらのように伯爵の天才に対して、敬慕の情を禁じ得なかったのである。
「それにしても、この不思議な料理の作り方を、会員一同に発表して貰う訳には行かないかね。あの甘ったるい汁から、どうしてあんな噫が出るのか、それが僕らには永久の疑問だ。」
「いや、発表することだけは許して貰おう。僕の発明したものが単純な料理であるなら、僕も美食倶楽部の会員である以上、その作り方を諸君に伝授する義務があるかも知れない。しかしこれは料理というよりはむしろ魔術だ。美食の魔術だ。既に魔術であるのだから、僕はこれを作り出す方法を、自分の権利として秘密に保管したいと思う。如何にして作り出すかは、宜しく諸君の想像に任せておくより仕方がない。」
こう答えて伯爵は、会員一同の愚を憐むが如くに笑った。
しかし、伯爵のいわゆる「美食の魔術」は、なかなかこのくらいな程度に止まっているのではなかった。一つ一つの料理が、全く異った趣向と意匠とをもって、思いがけない方面から会員の味覚を襲撃する。味覚?――と云っただけではあるいは不十分かも知れない。正直を云えば、会員たちは彼らの備えているあらゆる官能を用いた後に、始めてそれらの料理を完全に味わう事が出来たのである。彼らは啻(たゝ)に舌をもってその美食を味わうばかりでなく、眼をもって、鼻をもって、耳をもって、ある時は肌膚をもって味わわなければならなかった。
極端な云い方をすると、彼らの体中が悉く舌にならなければならなかった。就中(なかんずく)、「火腿白菜(かたいはくさい)」の料理の如きは最もその適例であるという事が出来よう。
火腿というのは一種のハムである。白菜というのは、キャベツに似て白い太い茎を持った支那の野菜である。が、この料理も例によって最初からハムや野菜の味がするのではない、そうして、献立に記されてあるほかのすべての料理が出されてしまってから最後にこれを味わう順序になっている。
この料理が出される前に、会員はまず食卓の傍を五六尺離れた上、食堂の四方へ散り散りに別れて彳立(ちよりつ)する事を要求される。それから不意に室内の電燈が悉く消される。どんな僅かな隙間からでも一点の明りさえ洩れてこないように、窓や入口の扉は厳重に注意深く密閉される。部屋の中は、全く一寸先も見えないほどの濃厚な闇にさせられる。その、カタリとも音のしない、死んだように静かな暗黒裡に、会員は黙々として三十分ばかり立たせられるのである。
二四
その時の会員の心持を、読者は宜しく想像してみなければならない。――彼らはその時までに散々物を喰い過ぎている。たとい不愉快な噫には攻められないとしても、彼らの胃袋は相当に膨れ上っている。彼らの手足は、飽満状態から来るものうい倦怠を感ぜざるを得ない。体中の神経が痺(しび)れ切って、彼らはともすれば、うとうとと睡りそうになっている。それが突然暗闇へ入れられて、長い間立たせられるのであるから、一旦鈍くなりかけた彼らの神経は、再び鋭く尖って来る。「これから何が現われるか、この暗闇で何を喰わされるのか。」という期待が、十分な緊張さを持って、彼らの胸に力強く蘇って来る。勿論、明りを防ぐためにストーブの火さえも消されているので、部屋の空気は次第に寒くなって、睡気などは跡形もなく飛び散ってしまう。彼らの眼は、見る物もない闇の中で、冴え返って来るばかりである。要するに、彼らは次の料理を口にする前から、思う存分に度胆を抜かれてしまうのである。
彼らがかくの如き状態の絶頂に達した時に、誰か知らぬが、部屋の隅の方から忍びやかに歩いて来る人の足音が聞え始める。その人間が今までそこにいた会員の一人でない事は、いかにもなまめかしくさやさやと鳴る衣擦(きぬず)れの音によっても明らかである。軽い、しとやかな上靴(スリツパ)の音から想像すると、どうしてもそれは女でなければならない。どこから、いかにしてこの室内へ這入って来たのか分らないけれど、その人間はちょうど檻に入れられた獣のように、部屋の一方から一方へ、会員達の鼻先を横切りつゝ、黙々として五六度も往ったり来たりする。その間は多分二三分ぐらい続いたであろう。
ほどなく、部屋の右側の方へ廻って行った足音は、そこに立たされている会員の一人の前で、ぴったりと止まる。――作者は仮りにその会員の一人をAと名付けて、これから次後の出来事を、Aの気持になって説明しよう。A以外の会員には、自分達の順番が廻ってくるまで、その後暫らく何事も起らないのである。
Aは、今しも自分の前に止まった足音の主が、果して想像の如く一人の女であった事を感ずる。なぜかというのに、女に特有な髪の油や白粉(おしろい)や香水の匂が、まざまざと彼の嗅覚を襲って来るからである。その匂は、ほとんど彼を窒息させんばかりにAの身辺に迫って来て、女は彼とさし向いに、顔を擦れ擦れにして立っているのである。それほどになっても相手の姿が見えないくらい、室内の闇は濃いのであるから、Aは全く視覚以外の感覚によって、それを知るよりほかにない。Aの額には優しい女の前髪が触れる。Aの襟元には暖かい女の息がかゝる。そうしているうちに、Aの両頬は、女の冷たい、しかし柔かい掌(たなごゝろ)によって、二三遍薄気味悪く上下へ撫で廻される………。
二五
Aはその掌の肉のふくらみと指のしなやかさから、若い女の手であるに違いないと思う。けれども、その手はそもそも何の目的で自分の顔を撫でゝいるのやら明瞭でない。最初に左右の蟀谷(こめかみ)を押えてそこをグリグリと擦った後、今度は眼蓋の上へ両の掌(てのひら)をぺったりと蓋(かぶ)せて、そろそろと撫で下しながら、眼を潰(つぶ)らせようと努めるものゝ如くである。次にはだんだんと頬の方へ移って、鼻の両側をさすり始める。手には右にも左にも数個の指輪が篏(は)まっているらしく、小さい堅い金属製の冷たさが感ぜられる。――以上の手術(?)は、ほとんど顔のマッサージと変りはない。Aは大人しく撫でられているうちに、美顔術でも施された跡のような爽かな生理的快感が、脳髄の心の方まで沁み渡るのを覚えるのである。
その快感は、直ぐその次に行われる一層巧妙な手術によって、さらにさらに昴められる。顔中を残らず摩擦し終った手は、最後にAの唇を摘まんで、ゴムを伸び縮みさせるように引張ったり弛(たる)ませたりする。あるいは頤に手をかけて、奥歯のあるあたりを頬の上からぐいぐいと揉んでみたり、口の周囲を縫うようにしながら、上唇と下唇の縁を指の先で微かにとんとんと叩いてみたりする。それから口の両端へ指をあてゝ、口中の唾液を少しずつ外へ誘(いざな)い出しつゝ、しまいには唇全体がびしょびしょに濡れるまでその辺一帯へ唾吐(つばき)を塗りこくる。塗りこくった指の先で、何度も何度もぬるぬると唇の閉じ目を擦る。Aは、まだ何物をも喰わないのに、既に何かを頬張って涎を垂らしつゝあるような感触を、その唇に与えられる。Aの食慾は自然と旺盛にならざるを得ない。彼の口腔には美食を促す意地の穢い唾吐が、奥歯の後から滾々(こんこん)湧き出て一杯になっている。………
Aが、もうたまらなくなって、誘い出されるまでもなく、自分から涎(よだれ)をだらだらと垂らしそうになった刹那である。今まで彼の唇を弄(もてあそ)んでいた女の指頭は、突如として彼の口腔内へ挿し込まれる。そうして、唇の裏側と歯齦との間をごろごろと掻き廻した揚句、次第に舌の方へまで侵入して来る。涎はそれらの五本の指へこってりと纏わって、指だか何だか分らないようなどろどろな物にさせてしまう。その時始めてAの注意を惹いたのは、それらの指が、いかに涎に漬かっているにもせよ、到底人間の肉体の一部とは信ぜられないくらい、余りにぬらぬらと柔か過ぎる事であった。五本の指を口の中へ押し込まれていればかなり苦しいはずであるのに、Aにはそういう切なさが感ぜられない。仮りにいくらか切ないとしても、大きな餅を頬張ったほどの切なさである。もし誤って歯をあてたりしたらば、それらの指は三つにも四つにも咬み切られてしまいそうである。
二六
とたんにAは、舌と一緒にその手へ粘り着いている自分の唾吐が、どういう加減でか奇妙な味を帯びている事を感じ出す。ほんのりと甘いような、また芳ばしい塩気をも含んでいるような味が、唾吐の中からひとりでにじとじとと泌み出しつゝあるのである。唾吐がこんな味を持っているはずはない。そうかと云って、勿論女の手の味でもあろうはずはない。………Aはしきりに舌を動かしてその味を舐めすゝってみる。舐めても舐めても、尽きざる味がどこからか泌み出して来る。ついには口中の唾吐を悉く嚥み込んでしまっても、やっぱり舌の上に怪しい液体が、何物からか搾り出されるようにして滴々と湧いて出る。ここに至って、Aはどうしてもそれが女の指の股から生じつゝあるのだという事実を、認めざるを得ないのである。彼の口の中には、その手よりほかに別段外部から這入って来たものは一つもない。そうしてその手は、五本の指を揃えて、さっきからじっと彼の舌の上に載っている。それらの指に附着しているぬらぬらした流動物は、今までたしかにAの唾吐であるらしく思われたのに、指自身からも唾吐のような粘っこい汁が、脂汗の湧き出るように漸々に滲み出ているのであった。――
「それにしてもこのぬらぬらした物質は何だろう。――この汁の味は決して自分に経験のない味ではない。自分は何かでこのような味を味わった覚えがある。」
Aはなおも舌の先でべろべろと指を舐め尽しながら考えてみる。と、何だかそれが支那料理のハムの匂に似ていることを想い浮べる。正直を云うと、彼は疾(と)うから想い浮べていたのかも知れないのだが、あまり取り合わせが意外なので、ハッキリそれとは心付かずにいたのであった。
「そうだ、明かにハムの味がする。しかも支那料理の火腿の味がするのだ。」
この判断をたしかめるために、Aは一層味覚神経を舌端に集めて、ますます指の周りを執拗に撫でゝみたりしゃぶってみたりする。怪しい事には、指の柔かさは舌を持って圧せば圧すほど度を増して来て、たとえば葱(ねぎ)か何かのようにくたくたになっているのである。Aは俄然として、人間の手に違いなかった物がいつの間にやら白菜の茎(じく)に化けてしまった事を発見する。いや、化けたというのはあるいは適当でないかも知れない。なぜかと云うのに、それは立派に白菜の味と物質とから成り立っていながら、いまだに完全な人間の指の形を備えているからである。現に人さし指と中指には元の通りにちゃんと指輪が篏まっている。そうして掌(たなごゝろ)から手頸(てくび)の肉の方へ完全に連絡している。どこから白菜になり、どこから女の手になっているのか、その境目は全く分らない。云わば指と白菜との合子(あいこ)のような物質なのである。
二七
不思議は啻(ただ)にそればかりには止まらない。Aがそんな事を考えている暇に、その白菜――だか人間の手だか分らない物質は、あたかも舌の動くように口腔の内で動き始める。五本の指が一本々々運動を起してある者は奥歯のウロの中を突ッ衝いたり、ある者は舌の周囲へ絡み着いたり、ある者は歯と歯の間へ挟まって自ら進んで噛まれるようにする。「動く」という点からすれば、どうしても人間の手に違いないのだが、動きつゝあるうちに紛うべくもない植物性の繊維から出来た白菜である事が、ますます明かに暴露される。Aは試みに、アスパラガスの穂を喰う時のように、先の方を噛んでみると、直にグサリと噛み潰されて、潰された部分の肉は完全なる白菜と化してしまう。しかもこれまでにかつて経験したことのないような、甘味のある、たっぷりとした水気を含んだ、まるでふろふきの大根のように柔軟(やわらか)な白菜なのである。
Aはその美味に釣り込まれつゝ思わず五本の指の先を悉く噛み潰しては嚥み下す。ところが、噛み潰された指の先は少しも指の形を損じないのみか、依然としてぬらぬらした汁を出しながら、歯だの舌だのへ白菜の繊維を絡み着かせる。噛み潰しても噛み潰しても跡から跡からと指の頭に白菜が生じる。………ちょうど魔術師の手の中から長い長い万国旗が繋がって出るような工合にである。
こうしてAが腹一杯に白菜の美味を貪り喰ったと思う頃、植物性の繊維から出来ていた手の先は、再び正真正銘の人間の肉をもって成り立った指に変ってしまう。そうして、それらの五本の指は、口の中に残っている喰い余りの糟(かす)をきれいに掃除して、薄荷(はつか)のようなヒリヒリした爽かな刺戟物を歯の間へ撒き散らした後、すっぽりと口の外へ脱け出てしまう。
これが第一夜の宴会の最終の料理である。以上二つの実例によって、献立の中に示されたその他の料理も、いかに怪奇な性質の物であるかは大略想像することが出来るであろう。この白菜の料理が済んでから、暗くなっていた会場には以前のように明るい電燈が燈される。が、そこにはあの不可解な手の持主であるべき女の影は跡形もない。
「これで今夜の美食会は終ったのであります。――」
こう云って、その時G伯爵は、驚愕に充ちた会員達の表情を視詰(みつ)めながら、簡単に散会の挨拶を述べる。
「私は先刻、今夜の美食は普通の料理ではなくて料理の魔法であると云った。しかしここに断っておきたいのは、私は何も故(ことさ)らに奇を好んでこんな魔法を用いるのではないという事です、私は決して、真の美食を作り出すことが出来ないために、魔法をもって諸君を煙に巻こうとするのではないのです。私の意見をもってすれば、真の美食を作り出すのには、魔法を用うるよりほかに道がないと思うのです。………」
二八
「………なぜかと云うのに、我れ我れはもう、単に舌のみをもって味わうところの美食という物を、既に幸に味わい尽している。限られたるいわゆる料理の範囲内において、これ以上に我れ我れを満足させる物は一つもないのであります。勢い我れ我れは、自分たちの味覚をさらに喜ばせるためには、料理の範囲を著しく拡張すると共に、これを享楽する我れ我れ自身の官能の種類をも、出来るだけ多種多様にしなければなりません。同時にまた、美食の効果をあくまでも顕著ならしめるために、我れ我れは予(あらかじ)め美味を享楽するに先だって、我れ我れの好奇心を十分その目的物の上に集注させる必要があるのです。我れ我れの好奇心が熾烈(しれつ)であれば熾烈であるほど、その対象物の価値は一層高まって来るのです。私が料理に魔法を応用するのは、即ちこの好奇心を諸君の胸に挑発したいというのが主眼なのであります。………」
会員はたゞ茫然として、あたかも狐につまゝれたような心地を抱きながら、一言の返辞もせずに会場を出て行くのであった。
つゞいてその明くる晩、第二夜の饗宴が同じ倶楽部の会場において開催された。作者はその夜の献立を一々ここに列挙する事の煩を避けて、その中の最も奇抜なる料理の名前と、その内容とを説明しよう。
即ちそれは
高麗女肉(こうらいじよにく)
という料理である。第一夜の献立においては、料理の内容はとにかく、名前だけは純然たる支那料理であったのに、高麗女肉というのは支那料理にも決してあり得ない珍らしい名前である。もっとも、単に高麗肉というのならば支那料理にもない事はない。高麗とは支那料理の天ぷらを意味するので、豚の天ぷらのことを普通高麗と称している。しかるに高麗女肉といえば、支那料理風の解釈に従うと、女肉の天ぷらでなければならない。献立の中からこの料理の名を見附け出した会員たちの好奇心が、どれほど盛んに煽られるかは推量するに難からぬ所であろう。
さてその料理は皿に盛ってあるのでもなく、碗に湛えられてあるのでもない。それは一枚の素敵に大きな、ぽっぽっと湯気の立ち昇るタオルに包まれて、三人のボーイに恭しく担がれながら、食卓の中央へ運び込まれる。タオルの中には支那風の仙女の装いをした一人の美姫が、華やかに笑いながら横わっているのである。彼女の全身に纏わっている神々しい羅綾(らりよう)の衣は、一見すると精巧な白地の緞子(どんす)かと思われるけれど、実はそれが悉く天ぷらのころもから出来上っている。そうしてこの料理の場合には、会員たちはたゞ女肉の外に附いている衣だけを味わうのである。
* * * * *
* * * * *
以上の記述は、G伯爵の奇怪なる美食法に関して、わずかにその片鱗を窺ったゞけのものに過ぎない。片鱗によってその全般を推し測るにはあまり多くの変化に富んだ料理ではあるけれども、しかも伯爵の創造の方が無尽蔵である限り、作者が如何に宴会の回数を追うて詳細な記述を試みるとしても、要するにその全般を知了することは不可能なのである。そこで已(や)むを得ず第三次より第五次、第六次にいたる宴会の献立の内から、最も珍らしい料理の名前を列記するに止めて一とまず筆を擱(お)くことにしよう。即ち左の通りである。
蛋温泉 葡萄噴水 咳唾玉液 雪梨花皮
紅焼唇肉 胡蝶羹 天鵞絨湯 玻璃豆腐
賢明なる読者の中には、これらの名前がいかなる内容の料理を暗示しているか、大方推量せられる人々もある事と思う。とにもかくにも美食倶楽部の宴会は未だに毎晩G伯爵の邸内で催されつゝあるのである。この頃では、彼らは最早や美食を「味わう」のでも「食う」のでもなく単に「狂」っているのだとしか見受けられない。気が違うか病死するか、彼らの運命はいずれ遠からず決着する事と作者は信じている。
或る調書の一節――対話
(A) お前の歳はいくつか。
(B) 四十六です。
(A) お前は鈴木組の土工の頭(かしら)をしていたというがそうか?
(B) そうです。
(A) その方でどのくらいの収入があるのだ。
(B) いそがしい時は月二三百円にはなります。
(A) 大分あるではないか、どうしてそれほどになるのか。
(B) 日当のほかに、百人からの土工のあたまをはねるのでそのくらいになるのです。
(A) それだけの収入があるのに、お前はなぜ悪事を働くのだ。お前は今までに賭博犯で三回、窃盗犯で二回、強盗罪で三回も罪を犯している。なぜそういう事をするのか。
(B) まことに申訳がありません。
(A) 申訳がないではない、どういう訳でそんな悪事を働くのか、――二三百円の収入があるのに、窃盗や強盗をしてまでも金を取りたいと思うのはなぜか、その金は何に使うのか。
(B) その金はみんな女に注ぎ込んでしまうのです、私が悪い事をしたのはみんな女のためなのです。
(A) その女というのはお前の女房の事か。
(B) いゝえ、女房ではありません、みんな情婦のために使いました。
(A) 情婦といっても、お前には何人もあったようではないか。
(B) それは今までには随分多勢ありました。
(A) そのうちでお前が一番可愛がっていたのは誰か。
(B) 私は一体非常に上(のぼ)せ易いたちで、どの女にも一時は夢中になりましたが、それでも一番可愛がったのは菊栄とお杉でした。
(A) お前が菊栄を知ったのはいつだ。
(B) 確か大正元年頃のことだと思います、菊栄が森が崎で芸者をしていた時に始めて知ったのです。
(A) それで、お前が菊栄を殺したのはいつだ。
(B) それは大正三年の十二月二日の夜です。
(A) なぜ殺したのだ。
(B) 菊栄が私に隠してほかに旦那を持ったからです。
(A) お前が菊栄を殺した時の模様を出来るだけ精(くわ)しく話してみよ。
(B) ちょうどその時分菊栄は大森に住み替えていましたので、晩の十一時過ぎに客の座敷から帰って来るのを往来で待ち構えて、海岸へ誘い出して不意に……………をもって…………しました、そしたら菊栄は体をバタバタやりましたけれども私が…………しているので声を立てる訳には行かないで、…………まるで………のようになって一二分で死んでしまいました。私は用意しておいた………で屍骸を………いてそれからそれを…………で………証拠になりそうなものはみんな…………してしまいました。それで今まで誰にも分らなかったのです。
(A) お前はそういう方法をどうして思いついたか。
(B) 私は前から人を殺す時はこうしたらいゝと思って始終考えていたのです。
(A) お前がお杉を知ったのはいつか。
(B) それは菊栄を殺した明くる年の正月、仲間の者と一緒に新宿へ遊びに行った時からです。お杉はその時分C楼でSといって勤めていたのを、それから一年ばかり立って私が身請けして、渋谷の道玄坂へGという鳥屋を出させて妾にしておきました。
(A) お前は今でもお杉を可愛いゝと思っているか。
(B) それは非常に可愛いゝと思っています。あの女も菊栄と同様に浮気な方で、私から散々金を絞っておきながら幾度も私を欺したりしたので、私はたびたび腹を立てましたけれどもやっぱり可愛くて仕様がないので我慢していました。どうしても腹に据えかねていっそ殺してやろうかと思ったこともありましたけれど、あの女を殺してしまうと、もうあんなのはちょっとないと思われたので、考えてみると惜しくなって殺す気がなくなりました。
(A) そんなにお杉を思っていながらなぜ三河屋の娘を手込めにしたのか。
(B) なぜだか分りませんが私はそういう性質なのです。あの晩は大分酔っ払っていましたが、三河屋の娘を見たらついムラムラとそんな気になったのです。
(A) ではお前はその時までその娘を知らなかったのか。
(B) いゝえ、それは前から知っていて好い女だと思って内々眼をつけている事はいました。しかし堅気な娘なのでべつにどうしようという料簡(りようけん)はなかったのですが、あの晩はまたとない好いしおだったのでついそんな気を起したのです。
(A) あの晩というのはいつの事か。
(B) 大正六年の四月十九日の晩だったと思います。
(A) その時の事を精しく話してみよ。
(B) その晩私は××坂の××という居酒屋で十時過ぎまで酒を飲んで、それから道玄坂のお杉の所へ行こうと思って新宿の停車場へ来るとあの娘がいました。あの娘はたった独りでどこかへ使いにでも行った帰りのようでした。私は娘と同じ電車に載ってみたかったので、娘が目白までの切符を買うに違いないと思いましたから私も同じ切符を買って同じ電車に載りました。それから目白駅で降りた時にもうよっぽどそこで引返そうと思ったのですが、娘の帰る路は淋しい所だという事を知っていましたし、つい跡をつけてみたくなって附いて行きました。そうして七八町歩いて人家のない所へ来た時に声をかけたのです。そうしたら娘は前からうすうす気が付いてでもいたのか急に駈け出しそうにしましたから私は矢庭に…………………きました。…………「声を立てると聞かないぞ、殺してしまうぞ」と云いましたがそれでも娘は………………………………………………。…………………………ので私は非常にビックリしてまさか死んだのじゃあるまい、気絶したんだろうと思いましたがどうもやはり死んだらしいので、これはこうしてはおけないと思って、その屍骸を……………院線の土手の所で…………いてしまいました。
(A) 明くる日娘の事が新聞に出た時お前は何と思ったか。
(B) 大丈夫分るはずはないと思いました。菊栄の時の事があるので大胆になっていました。そうしてとうとう分らずに済んでしまったので私は内心得意でした。
(A) お前はそういう犯行を演じた事を、今日まで誰にも話したことはないか。
(B) それは女房にだけは話しました。
(A) いつ話したか。
(B) 菊栄の時にも娘の時にも直きその後で話しました。
(A) なぜ話したのか、何か必要がなければ話すはずはないと思うが、………
(B) 別に必要のない事でも、夫婦の間柄なら話すことがあると思います。
(A) しかし、お前と女房とは一向夫婦らしくしていなかったというではないか。お前は始終お杉の方へばかり行っていて、お杉と夫婦のように暮らしていたというではないか、女房に話すくらいならなぜお杉に話さなかったか。
(B) あんな女にウッカリした事はしゃべれません、あれは人間じゃありません。
(A) では女房は人間だというのか。
(B) そうです、女房は人間です。
(A) でもお前は、いつも女房を人間らしく扱わないで打ったり蹴ったりして、ヒドイ目に遭わせたというではないか。まるで犬猫同様に扱っていたそうではないか。
(B) 犬猫同様に扱ったかも知れませんが、やはりあの女は人間です。私は女房なら、どんな事を打ち明けても大丈夫だと思いました。あれは私がしゃべるなと云えば決してしゃべるような女ではないのです。
(A) お前の女房Eの話だとお前は女房に打ち明けた時、「もしこの事を人にしゃべったら貴様も殺してしまう」と云ったそうではないか。それほど女房を信用しているならなぜそんな事を云うのか。
(B) それはそう云っておどかしてみたゞけなのです。おどかしてはみましたけれども信用はしていたのです。
(A) 信用していたにしろ、たとえ夫婦の間柄でもそういう事はめったに打ち明けられるものではない。打ち明けるには何かそれだけの必要があったのではないか。お前は女房に「己(おれ)は人を殺す事なんぞ何とも思わない、己の云う事を聞かぬ奴は誰でも殺す」と云って威張ったそうだが、一体どういう心持で威張ったのだ。
(B) どういう心持だか自分にもよく分りませんが、たゞ威張りたかったので、威張ったのじゃないかと思います。
(A) お前は人を殺しておいて、心の中で悪い事だとは思わなかったか。
(B) それは悪い事だとは思いました。
(A) 悪い事だと思って良心に咎(とが)めたので、黙っていられなくなって打ち明けたのじゃないか。
(B) 悪い事だとは思いましたが、黙っていられないというほどではありませんでした。
(A) では全く威張りたいためにしゃべったというのだな。
(B) そうです、まあそうとしか云えません。
(A) お前が打ち明けた時女房は何と云ったか。
(B) あれは非常に気の小さい人の好い女ですから、真青になって顫(ふる)え出しました。私はその様子を見るとつい面白くなったので、「ぐずぐず云えば貴様も殺すぞ」と云っておどかしてやったのです。そうするとあの女は「他人を殺すくらいなら私を殺して下さい、私を殺してどうかあなたは自首して下さい」と云いました。私は生意気な事を云う奴だと思ったので、「貴様なんぞ殺したって仕様がない、貴様の指図を受けなくっても殺したければ好きな奴を勝手に殺す」と云いました、そうしたらEは「そんな悪い事をしておきながらまだ後悔しないのですか」と云って、しまいには泣いて意見を始めました。私はEが泣けば泣くほど「何を泣きゃあがる、貴様がいくら泣いたって後悔なんかするもんか、うまく殺せば幾人殺したって分りゃしないんだ」と云って威張ってやったのです。
(A) しかしそう云って威張ったあとで、お前もやっぱり女房と一緒に泣いたそうではないか。
(B) 泣くことは泣きましたけれども、後悔したという訳ではなかったのです。
(A) ではなぜ泣いた。
(B) 妙な事ですが、あの女に泣かれるとしまいには私も泣いてしまうのが癖なのです。私はあの女を泣かせるのが好きでした、泣いている時だけは可愛いゝ奴だと思いました、それであの女を泣かせるような風にばかりしましたが、結局私も釣り込まれて泣いてしまうのです。あの女と一緒に泣くのは何だか好い心持でした。
(A) ではお前は、心の中では女房に惚れていたのか。
(B) いゝえ、惚れるというのとは違います。
(A) しかし、菊栄がお前に女房と別れてくれと云った時お前は嫌だと云ったそうではないか。お前が女房と別れなかったので、菊栄は焼けになってほかに男を拵(こしら)えたのだというではないか。
(B) それはそうですが、何だか可哀そうな気がしたので別れる訳に行きませんでした。
(A) 可哀そうだと思うならなぜそんなにイジメたりしたのか。
(B) あまりイジメたものだから可哀そうになったのです。
(A) それはおかしいではないか、イジメるくらいなら女房にしておく方がかえって可哀そうではないか、お前の女房は実家も相当にしているし、心がけもよいし、お前よりはずっと年も若いのだから、離縁された方がかえって仕合わせなはずではないか。
(B) ………それはそうかも知れませんが、私はつまり、自分のために泣いてくれる女が欲しかったのです。私が悪い事をすると、あとで女房はきっと泣きました、どうか真人間になって下さいと云ってしみじみ泣きました、それが私には悲しいような嬉しいような気持がしました。
(A) ではお前は、女房を泣かせるのが面白いのでわざと悪い事をしたのか。
(B) いゝえ、そうではありません。悪い事はやはり自分がしたくってしたのですが、あとで女房が泣いてくれるとそれでいくらか罪滅ぼしが出来るような気がしました。つまり女房がいてくれた方が悪い事がしよかったのです。だから私のような人間にはどうしてもあゝいう女房がいなければいけないのです。
(A) そうすると、もしお前にあゝいう女房がいなかったらお前は悪い事をしなかったか。
(B) それはそうは行くまいと思います。しかし女房がいなかったら、悪い事をしても張合いがなかったろうと思います。
(A) 女房がいる方が悪い事をするに張合いがある。――ではお前は女房と別れた方が好かったではないか。そうしたらお前は善人になれたかも知れないではないか。
(B) いゝえ、そんな事はありません、私は一生悪い事は止められません。私は善人になれたにしてもなりたいとは思わないのです。悪い事をする方がどうも面白いのです。ですから悪人ながら仕合わせに暮らして行くにはどうしても女房と一緒でなければ困るのです。
(A) それほど女房が大切ならなぜもう少し可愛がってやらなかったか。
(B) でも可愛くないのだから仕方がありません。それに女房はイジメなければ泣かないのです。泣いてくれなければ罪滅ぼしにならないのです。
(A) お前は女房が泣いてくれゝば罪が滅びると思っているのか。
(B) まあそんな気がするのです。
(A) お前は人を二人までも殺しておいて、そんな事で罪が消えると思っているのか。お前はいつか一度は罪が露顕して処刑を受けるとは思わなかったか。
(B) それは思いました、どうせ一度は捕まるに極まっている、捕まったが最後畳の上で楽な往生は出来ないといつもそう思っていました。ですからなおさら罪滅ぼしがしたかったのです。
(A) すると罪滅ぼしというのは、死んでから先のことを云うのか。
(B) まあそうです、とてもこの世では駄目だから、あの世へ行ってゞも助かりたいと思ったのです。
(A) あの世とはどういう事か、お前の女房は神様や仏様を信心してゞもいるのか。
(B) 別に信心しているような様子もありません。たゞ「神様や仏様なんてものは本当にあるのかしら」なんて、よくそんな事を云います。
(A) すると、あの世という考がどうしてお前に起ったのだ。
(B) 前からそんなものがあるようにぼんやり考えていたのです。
(A) あの世にしろ、女房が泣いてくれゝば罪が滅びると思うのはなぜか。
(B) なぜだか分りませんが、何となくそういう気がするのです。
(A) お前は今でもそう思っているのか。
(B) そうです、今でもそう思っています。私がこうしてお調べを受けている間でも、私の女房はきっと蔭で泣いていてくれる、そう思うと心強い気がします。私は随分ヒドイ目に遭わせたり乱暴な事を云ったりしてあの女を泣かしましたが、泣かしたのはいゝ事だったと思います。
(A) では今ではお杉の事は思わないのか。
(B) いゝえ、思わない事はありません。お杉の事は一日だって忘れられません、やっぱりあんな好い女はないように思います。
(A) お前の女房はお前のために蔭で泣いているかも知れないが、お杉は今頃どうしていると思うのか。
(B) お杉の奴は好きな男でも引っ張り込んで浮気をしているに違いありません。そう思うと私はなおさら気が気でならないのです。
(A) お杉と女房とどっちの事を余計考えるか。
(B) どっちの事も始終考えます。しかし、ほんとうに気が揉めるのはお杉の方です、女房の方は向うで私の事を考えてくれると思うので気が揉めることはありません。
(A) 随分勝手な話ではないか。
(B) 勝手な話ですけれどもどうもそうなのです。
(A) お前は女房が泣いてくれゝば罪が滅びると云うが、そういう人の好い女房をイジメたり泣かせたりするのは悪い事ではないか。
(B) それは悪い事かも知れませんが、でもどこかに悪くない訳があるように思えるのです。女房を泣かせると何だか妙に可愛くなって来て、不思議に好い気持がして、私も一時は女房と同じような善人になった気持がする、それが悪い事だという風には思えないのです。悪い事ならそういう好い気持がするはずがありませんし、たとえ悪いことだとしても、女房を散々泣かして私も一緒になって泣くと、それで罪が消えたような清浄潔白な気分になる事はたしかなのです、どうも理窟に合わないようですが実際そうなのです。それで私のような悪人はどうせ一生善い事がやれるはずはないのですから、同じ悪い事をするにしてもたまには好い気持のするような悪いことをしてみたい、そうでもしなければ苦しくってやり切れない、だから神様が、――まあそんな風に私は考えるのですが、――もし世の中に神様というものがおあんなさるなら、きっと私たち悪人のために悪いことをしてもたまには好い気持になれるような方法を授けて下すったに違いないので、私が女房をイジメるのなどは、つまりはまあそれでいくらかでも気を楽にするようにという、神様の思召(おぼしめ)しではないかと思うのです。人をイジメて好い気持がするというのには、何かそういう訳がなければならないと思います。ですから私が女房をイジメるのは菊栄を殺したり三河屋の娘を殺したりしたのとは非常に訳が違うのです。また女房の身になってみてもそうだと思います。夫婦である以上は繋がる縁で夫の罪を自分が引き受けて夫の代りに苦しんでくれる、打たれたり泣かされたりするのは辛いでしょうけれども、それを怺(こら)えてやれば夫の罪滅ぼしになる、あの世へ行っても夫は地獄へ堕(お)ちないで済む、そう思ってくれゝばいゝのだと思います。
(A) お前はそういう心持を女房に打ち明けた事があるのか。
(B) それはありません、自分がこんな心持だという事は自分にも分らなかったのです。今日始めて分ったのです。
(A) では今度女房に会った時に打ち明けてみる気はないか。
(B) そんな気はありません。
(A) しかしお前がそれを打ち明けたら女房も少しは喜ぶだろうとは思わないのか。
(B) きっと喜ぶだろうと思います、けれどもそんな事を打ち明けたらだんだん私は気が弱くなってしまいます、気が弱くなったら悪い事は出来なくなります。
(A) 悪い事が出来なくなれば結構ではないか。
(B) いゝえ困ります、私はさっきも云ったように悪い事はしたいのですから。悪い事をしないでは居られないような人間に、神様が私を生んだのですから。
(A) お前は女房の泣くのを見ると、自分も善人になったようで好い気持だと云ったではないか。するとその時は一時にもせよ「あゝ悪かった」と思って後悔するのではないか。
(B) 後悔するのではありません、後悔したって始まらないと思っています。たゞその時だけちょいと好い気持がするので、ほんの一時ですがその気持が捨て難いのです。まあ悪いことをする間(あい)の手のようなものです。
(A) その好い気持というのは、例えばどんな気持なのか、それを出来るだけ細かに説明してみよ。
(B) どんなと云ってちょっと説明する訳に行きませんが、前にも云ったようにその時だけ女房が非常に可愛く、いじらしくなるので、それを見ているのが何だか好い気持なのです。
(A) ではその時だけ女房の方がお杉より可愛くなるのか。
(B) そう………いや、そうではありません、………同じ可愛いゝのでもお杉のと女房のとは少し違います。女房が泣く時は可愛いゝには違いないのですが、お杉のように可愛いゝのではありません。可愛いゝ工合が違うのです。女房はお杉に比べれば器量もよくはありませんし、色が黒くって、鼻が低くって、体つきにもお杉のような意気な婀娜(あだ)っぽいところがちっともなくって、物の言いっ節(ぷし)なんぞがイヤに几帳面で、不細工で、私は不断はあんな味もそっけもない女はないと思っているのです。あの女の顔を見るとつくづくイヤ気がさしてお座がさめるもんですから、可哀そうだとは思ってもやっぱりお杉の方へ行ってしまうのです。まあ不断はそんな訳なのですが、それが泣く時になるとその色の黒いところや不意気なところが………何だかこう急に不断とは違って来て、…………何だかこう………お杉などゝは全く違ったきれいなものに見えて来るのです。
(A) その「きれいな」というのはどんな風にきれいなのか、どんな風に不断と違って来るのか、説明しにくいかも知れないが、その心持をよく考えて云ってみてはどうか。
(B) まあたとえば………あの女の眼はいつもは何となくどんよりして活気というものがちっともないんですが、泣くとなるとそれが涙で光って来て、妙に生き生きとして来て、――こう云ってはおかしいかも知れませんが、水晶のようにきれいになるんです。お杉の眼も非常に愛嬌がありますけれども、しかしあの女のあの時の眼のように清浄な光は持っていません。私はあの眼を見ると悲しくもなりますが、その悲しいのが好い心持なので、胸のなかまですッと透き徹るようになるのです。
(A) ではきれいだというよりも清浄だというのだな。
(B) そうです、清浄なのです。――どういう訳か知れませんが、私はあの眼を見るといつも神様のことを考えます、やっぱり神様というものは確かにあるんだなというような気がするので、神様はきっとあの眼のように清浄な、気高いものじゃないかと思います。――気高いというと妙ですが、女房は下らない人間ですけれどあの眼だけは気高い気がします。つまり女房には、――私やお杉のような悪人と違ってあれは善人ですから、――いくらか神様に近いところがある、それで泣く時には眼の中に神様のようなところが現れるのじゃないかと思います。そうなって来ると眼ばかりでなく、ほかのところまでがみんな一度によくなって来るので、不断は一向取柄のない顔だの姿だのがその眼と同じように気高くなって来て、どこを見ても不細工なところがなくなって大へん情愛が籠っているように、実際不思議ですがそう見えて来るのです。そこへ持って来て声をしゃくり上げながら、「どうか後悔して下さい、真人間になって下さい」って云われると、その声がまたいつもとは別で、細い、きれいな、腸(はらわた)へ沁(し)み通るような悲しい調子なので、たまらなく可哀そうのような、胸の中がきれいに洗い清められるような気になるのです。
(A) 女房にそう云って泣かれると、お前はいつも何と答えるのか。
(B) 「まためそめそ泣きやがる! 好い加減にしねえかい」ッて云ってやります。「いつまで吼(ほ)えていやがるんだ」と云って横ッ面を張り倒してやることもあります。それはあんまりうるさいから意地になって云うことも云うんですが、しかしそうすればなお泣くことも分っているんです。泣かせるためなのか止めさせるためなのか自分でもよく分らないんです。
(A) そうしてイジメながらお前も一緒に泣いたりするのか。
(B) 女房はいくらイジメてもイジメるほど泣いて、しまいにはおいおい声を出したりして、鼻を詰まらせながら掻き口説くのです。一番たまらない気がするのは「ねえあなた、あたしを打つならいくら打ってもようござんすから何卒改心して下さい、お願いですから、………」ッて云って、涙が一杯たまった眼でもって私をじっと見上げる時です。女房の眼が一番気高く清浄に見えるのはそういう時です。それを見ると私は恐ろしいような悲しいような気がして来るので、それをごまかすためにイキナリ女房の襟髪(えりがみ)を掴んで引き擦り倒すんです。すると女房は倒れたまゝやはりしくしくといつまでも泣いています。私はそのしくしくとしゃくり上げる泣き声を聞いているうちに、云うに云われぬしんみりした気持になるので、ついホロリとして、泣いてはならないと思いながら、泣いてしまうのです。
(A) その時お前はたゞ黙って泣いているのか、それとも女房にやさしい言葉でもかけてやるのか。
(B) 「もう泣くのは止してくれ、お前が泣くと己も涙が出て仕様がねえから」ッて云ってやります。「泣いて意見をしてくれるなあ有りがてえが、己はどうもこういう人間に生れついたんだから仕様がねえ、お前もさぞ辛かろうが夫婦になったのが因果だと思ってあきらめてくれよ、な、堪忍しろよ」ッて云ってやります。すると女房はうん、うんてうなずきながら一層哀れっぽくさめざめと泣き出しますが、私も何か云えば云うほど涙が止めどなく出て来て、悲しい歌でも聞いているように、一緒になって好い心持に泣いてしまうのです。
(A) そこまで来たらなぜお前は後悔しないのだ。そういう心持が長く続けば、善人になれるのではないか。
(B) でも長く続かないから仕様がないのです、その時はそんな気持になってもまた直きに悪い事をするのですから、泣くには泣いても決して改心するつもりではないのです。これから先も生きている間は何度でも悪い事をするでしょうし、何度でも女房を泣かせるだろうと思います。いつまで立っても同じ事を繰り返すだけです。
(A) では女房の方でもやはり駄目だと思いながら泣いているのか、それともいつか一度はお前が改心する事を信じているのか。
(B) それはきっと、自分の力で今に改心させて見せると、そう思っているんだろうと思います。さもなければあゝ根気よくいつもいつも泣いて意見をするはずがありません。そこがあの女のいゝ所なのです。そういう所があるからなおさら可哀そうになるのです。
(A) しかし可哀そうだと思うばかりで後悔しないのでは、一向罪滅ぼしにならないではないか。女房を泣かしておいて好い気持がするだけでは何の足しにもならないと思うが、………
(B) いゝえ、それだけでもやっぱり何かの足しになります、好い気持がしないよりは善い事です、何かあの世で救われる頼りになります。年中悪い事をしていて時々女房に泣いて貰う、その間だけは神様に会ったような気持になる、たとえ後悔するという所まで行かないにしても、「自分は悪人だ、自分は悪い事をしているのだ」ということを忘れずにいられる、これは私のような悪人にとっては大事なことです。私のような人間は、せめて自分は悪人だという事だけは忘れずにいなければなりません、そうでないと私は永久に罪滅ぼしが出来ないような気がします。ですから私の女房は犬猫同然に扱われてはいますけれども、あれがいるので私というものが救われるのですから、あれは非常に必要な人間なのです。
(A) すると、お前の女房は全くお前のために生きている事になるのか。お前は自分のためばかりを考えて、女房のためを考えてはやらないのか。
(B) 女房にしたって私という人間を救うことが出来れば、それがやはり何かしらあの女のためになると思います。あの女が私のような悪人を捨てゝ、善人の男を亭主に持てば今のような苦労がなく楽かも知れませんが、楽をするよりは人を救う方がいゝ事です、あれは善人ですからきっとそう思うに違いありません。人間は誰でも苦しむのが当り前です、私だって苦しくない事はないんですから。
(A) お前はその心持を女房に打ち明けたくないと云ったが、いつか一度は打ち明ける時が来るとは思わないか。
(B) いつか一度はそういう時が来ると思います、しかしそれはこの世の事ではないような気もします。
(A) お前はあの世というものがたしかにあると思うのか。
(B) たしかにあるとは思いませんが、なくては困ると思います。
(A) なぜ困るのだ。
(B) でもこのまゝでは、誰かに、――神様にだか、女房にだか、自分にだか、誰かに済まないような気がしますから。
(大正十年十月稿)
友田と松永の話
1
私が、大和(やまと)の国の「しげ女」という未知の婦人から、一通の手紙を受け取ったのは、今から五六年前、委(くわ)しく云えば大正九年の八月二十五日である。――と、こうハッキリと日附をここに記載することが出来るのは、今でもその手紙を保存しているからであるが、一体私のところへは、未知の文学青年や文学少女から、随分いろいろな手紙が来る。忙しい時には、私は一々眼を通している暇もないから、書斎の隅に束ねておいて、そのまゝ忘れてしまうことなどもあるのだけれど、今も云った「しげ女」の手紙は、珍しくも直ぐに封を切って読む気になった。というのは、封筒の文字がペンではなく、毛筆で、昔風の優雅な書体で認(したた)めてあり、「大和国添上郡柳生村字××松永儀助内しげ女」と記した差出人の名が、「これは普通の文学少女の手紙ではないな」という感じを、一見して与えたからである。
さて、その手紙の内容は、かなり長いものであるが、それがこの話の骨子であるから、煩雑を厭(いと)わず下に掲載することゝしよう。――
拝啓
おん暑さきびしく候折柄、御尊家さまいよいよ御健勝にわたらせられ、大慶に存じ上げ候(そうろう)。さて私ことは、下に記す通り大和の国柳生村居住松永儀助と申す者の妻女に御座候。いまだお目もじ致したることも無之(これなく)、突然斯様(かよう)なる書面を差上げ、失礼の至りとは存じ候えども、此れにはいろいろ深き仔細あることにて、何卒々々、一と通りお聞き取り被下(くだされ)候よう願上候
私こと、松永家へ嫁ぎ候は明治三十八年のことにて、当時夫は二十五歳、私ことは十八歳の折に御座候。夫儀助は当家の総領にて私と結婚いたし候以前、数年間東京に遊学いたし、早稲田大学を卒業いたし候由に御座候。尤(もつと)も家は代々農業を営み居り、結婚後も夫は別に此れと申す仕事も無之、半年ばかりは夫婦睦じく暮し申し候処、その歳の冬老母死去いたし候てより、夫の仕打次第に変り申し、私ことにも辛くあたり、斯(か)かる草深き田舎に老い朽ちて何かはせんなどゝ口走り、折々京大阪へ鬱を散じに参り候。然るところ、その翌年、明治三十九年の夏、ちょうど私こと姙娠中に、夫は何事か堅く決心いたし候様子にて、一二年洋行をして来ると申し、海外へ旅立たれ候。その節私ことは申す迄もなく、親戚一同も大反対にて、いろいろ申しなだめ候えども、力及ばざりしことに御座候
洋行中、夫よりは一回の音信も無之、それより足かけ四年の間、私ことは長女妙子を養育いたし、如何にせしことかと案じ居り候ところ、予(あらかじ)め何の通知もなく、明治四十二年の秋に突然帰国いたし候。元来夫は此れと申す病気は無之候えども、余り丈夫の方にては無之、海外に在りて健康を害し候ように見受けられ、血色なども勝(すぐ)れ不申(もうさず)、帰国して程なく、激しき神経衰弱を患い申候。その後夫は、四十五年の春の末まで、矢張足かけ四年の間国もとにて暮し申し、私にも優しくいたしくれ、妙子をも可愛がり候。健康も少しずつ宜(よろ)しく相成、神経衰弱も追々快方に向い候。然るにその年、四十五年の夏の初めと覚え候。此のたびは何と云う理由も明かさず、又行く先も告げ不申、たゞ二三年の後には必ず帰る故心配するなと申し、その間はたとえいかなる事ありとも行くえを尋ねてはならぬ、尋ねても知れる筈なしと申し、留守中のこと、娘のことなど、くれぐれも云い残し再び家出いたし候。私ことも誠に余儀なき次第にて、是非に不及(およばず)、云いつけを守り候
此のたびも足かけ四年振りにて、大正四年の秋に夫は帰り候。前年と同じく、血色青ざめ、矢張激しき神経衰弱のように見受けられ候。大変お前に苦労をかけて済まなかったなどゝ申し、涙もろき人に相成、妻子をいつくしみ、何かにつけて哀れみ深き様子にて、神信心などいたし候。殊に大正六年の春には、当時十二歳の妙子を伴い、親子三人にて三十三箇所観世音へ参詣仕(つかまつ)り、そのお蔭にや体の調子も亦だんだんと恢復いたし候ように存じ候
此れにて夫も心落ち着き、もはや何事も有間敷(あるまじく)とひそかに喜び居り候ところ、そのうち大正七年の夏に相成、又々前と同じ言葉を残し候て、何処ともなく出て行かれ候。大正四年の秋より数えて、此れもちょうど足かけ四年目のことに候。それより本年は三年目に相成、来年は又四年目のこと故多分帰国可致と、それのみ心待ちにいたし居り候えども、今日迄はいずこに何を致し居るとも一向に知れ不申候
私こと、不束(ふつつか)ながら縁ありて此の人を夫といたし、本年二歳に相成候次女をも儲けて候えば、何も何も辛抱いたし居り、殊に夫は強(あなが)ち妻を疎(うと)んずる故に家出をすると云うにては無之、外に何やら仔細あるらしき模様にて、いつも郷里に滞在中は私ことをいとおしみ、何くれと心にかけて労(いたわ)りくれ、家出の折にも涙をさえ流して、待っていてくれと申し残され候こと故、決して決して夫を恨む所存は無之、何年にてもじっとがまんを致し居り候えども、実は長女妙子こと、昨年冬より肋膜(ろくまく)をわずらい、此の頃は重態にて今日明日の程も気づかわしく、折々熱に浮かされては一と目父に会わせてほしと申し候が不憫(ふびん)にて、毎日途方に暮れ居り候。親戚の者は既に此の前の留守の時にも夫の行くえを捜し求め、又此のたびも或は海外へ渡航せしにやと、その方面をも問い合せなどいたし候えども、更に何の手がゝりも無之、東京、京都、大阪あたりにて、ついぞ似た人を見たと申す話も聞かず、尋ねても分る筈なしと申されし夫の言葉を考え合せて、不思議の思いを致し候
それにつき、先年夫帰国の砌(みぎり)、荷物とては別に無之、全く着のみ着のまゝにて、たゞ小さなる手提鞄(てさげかかばん)を携えて参り、四年の後に再びその鞄一つだけ持ちて旅立たれ候。田舎にて暮し候間は、もちろん厳重に保管いたし、他人は堅く手に触れぬよう申し聞かされ居り候ところ、実は私こと、夫の秘密を探りたしとには候わねども、何とも合点の参りかね候ふしぶし有之(これあり)、相済まぬことゝは存じながら、たゞ一度、鞄の中をそっと改めしこと有之候。中には紫水晶の石を篏(は)めたる男持ちの金の指輪と、友田と刻したる印形と、葉書一枚有之候て、その外には、西洋にて集め候品にや、外国の婦人の、誠にいかゞわしき風俗の写真数十葉を発見いたしたるのみに候。葉書の方は、受取人は東京市京橋区銀座尾張町(おわりちちよう)三丁目カフェエ・リベルテ方、友田銀蔵様と有之、さて発信人は、あなた様のお名前になり居り候。葉書の文言は、一昨夜は失礼しました、例の件はどうなりましたか、御返事をお待ち申しますと云うようなることを、ペン字の走り書にて記され、大正二年五月七日の日附ありしと、今に記憶いたし居り候。私こと、あなた様のお名前は毎々新聞雑誌などにて存じ上げ候えども、友田銀蔵と申される方は存じ不申、又何故に、此友田氏の印形と葉書を夫が所持いたし候哉、それに指輪も、夫の指には太過ぎる品故他人様の物にはあらずやと存ぜられ、旁々(かたがた)一層不審の思いを致し候ことに候
誠に管々敷(くだくだしき)ことを書き綴り、何とも恐れ入り候えども、事情と申し候はあらまし以上の如くに候。それにつけても夫儀助こと、右様なる葉書を所持いたし候こと故、万一あなた様御存知にては無之哉、それとも友田と申し候は夫の偽名にては無之哉など、思案の余り失礼をも不顧(かえりみず)、斯様なる書面差上げ候ことに御座候。前にも申上げ候通り、私ことは夫の所在を強いて尋ね出さんとには無之、たゞあなた様にお心あたりも有之候わば、私より斯様々々に申し越したる趣をお話し下され、娘のわずらい居り候ことを一と言お伝え被下(くだされ)度(たく)、却て私より直に申しやり候よりも、その方夫の気にかない可申と存じ候。もし又松永儀助と申すものを御存知無之候わば、その友田と申される方はいかなる御人にて候哉、その方の御住所等お知らせ願い度、縁もゆかりもなきあなた様に対し、甚だ勝手がましき事にて御迷惑とは存じ候えども、只今の場合あなた様の御力にお縋(すが)り申すより外に道なく、何卒事情御推察被下度候
尚(なお)念のため夫の写真一葉封入いたし候。此れはいつぞや三十三箇所順礼の節、出立の砌(みぎり)に私共三人にて写し候。平素は至って写真嫌いの人に候えども、その折は記念のためとて撮らせ候。当時夫は三十七歳、本年は四十歳に相成候
猶々、私より此の手紙差上候こと、成るべく余人には御内聞に願い度候えども、それも必要の場合にはそうも参りかね候ことゝ存じ候。何も何もあなた様の御一存にて宜しきようお取計らい下され度、幾重にも御願い申上げ候
大正九年八月二十三日
松永しげ拝
――様おん許へ
手紙は、八月の二十三日に投函したので、東京青山の私の家へ届いたのが、翌々日の二十五日の朝であった。
寝坊の私は、寝床の中で、この長い手紙を枕もとにひろげながら読んだ。読んで行くうちに、いかほど私がこの内容に驚かされ、好奇心を呼び起されたかは云うまでもあるまい。そればかりでなく、私はこの「しげ女」という人を、今時の女に珍しい、奥床しい婦人であるように感じた。前にも云う通り、それは優雅な、やさしい書体で、何尺とある巻紙へ細々と書いてあるのである。「家は代々農業を営み居り」と記してあるが、農家といっても無論相当な由緒の家柄なのであろう。そして「しげ女」という人も恐らく一と通りの教養のある婦人であろう。それでなかったら、これだけの事をこれだけすらすらと、昔風の候文で書きこなせる訳はない。――私はそう思いながら、その巻紙をまた始めから巻き直して、二度も三度も繰り返して読んだ。
封入してある親子三人の写真についても、私はそれを手に取ってしみじみと眺めた。写真の大きさは手札型で、三十三箇所へお参りに行く順礼の姿をした三人が、娘を中央に、笠を手に持って立っている全身像である。顔は小さく写っているので、細かい点までは分らないが、「しげ女」の夫、松永儀助という人は、手紙によると「当時三十七歳」とあるにもかかわらず、その写真では非常に老けていて、四十二三歳ぐらいに見えた。痩せた、せいのひょろ長い、いかにも病人じみた男で、頬骨の出た、トゲトゲしい顔だちはむしろ醜い方であり、多少眼つきが鋭いようではあるけれども、大学を出て洋行をした人のような智的な感じはなく、一見したところ、極く平凡な田舎(いなか)爺に過ぎないように思われる。私は私の過去の記憶を探ってみるまでもなく、こういう容貌の持ち主に知合いはなかった。松永儀助という名前も初耳であった。もっとも友田銀蔵とは交際があるが、この写真とはまるで似ても似つかない男で、二人が同じ人間であろうはずはなかった。
夫と並んで写っている「しげ女」の方は、美人というほどではないにしても、見事な手紙の文字から受ける奥床しさを裏切らない、品のいゝ、おっとりした目鼻立ちの女であった。何分田舎の写真師に撮らせたものであるから、旧式な修正がしてあって、生気がなく、人形のように見えるけれども、瓜実顔(うりざねがお)の、堅く結んだ小さな口もとや、柔和であってしかもパッチリと冴えた眼などに、あるいは私の気のせいかも知れぬが、悧溌(りはつ)な個性が偲(しの)ばれるように思えた。それに古風な順礼姿が彼女の人柄を一層可憐な、しとやかなものにさせていた。何だか芝居にでも出て来そうな、風流な、みやびやかな女順礼であった。二た親の間に挟まっている娘の妙子は、可愛い女の児のようではあるが、これこそ全く人形じみていて、父親似であるか、母親似であるかも分らなかった。
私は、手紙と写真とを眼の前に置いて、この事件の性質を考えてみたが、正直を云うと、私が不思議に感じたのは、松永という見も知らぬ男が、鞄の中に私のハガキを秘めていたという、単にその一事ばかりではない。しげ女は知らない事であろうが、そのハガキのみでなく、紫水晶の指輪というのも、数十葉のいかゞわしい西洋婦人の写真というのも、実は私には、心あたりがあるからである。私の推測に誤りがなければ、その指輪も「いかゞわしい写真」も、鞄の中にあったという印形(いんぎよう)とともに、恐らく友田銀蔵の所持品ではないであろうか? なぜなら友田は、私が知ってから十数年来、紫水晶――アメシストの指輪を篏めていて、現に二三日前会った時にも、ちゃんとその石が、彼の左の中指に光っていた。それから彼は、奇怪な女の写真を写すのが道楽で、何十枚となくそういうものを珍蔵していて、私もたびたび見せられたことがあったのである。
すると、松永という男は、私には直接引っ懸りがないとしても、必ず友田に関係があろう。友田に聞けば、何かしら分るに違いなかろう。
こゝまで私が考えて来た時、ふっと気がついたことなのであるが、一体この、友田という男も、長い間附き合ってはいるものゝ、そう思ってみれば、彼が何商売をして、どこに住んでいる人間であるかは、あまりハッキリしないのであった。私が彼に遇うことがあるのは、多く偶然の機会であって、お互の家を訪問した覚えは一回もない。従って私は、彼が独身者であるか、妻帯者であるかもよく知らない。――こんな風にして十何年も交際を続けていたのは、不思議といえば不思議であるが、しかし世の中にはいわゆる「飲み友達」という者があって、酒を飲む時や女遊びをする時のほかには、とんと交渉がないというような間柄がしばしばある。私と友田との関係も要するに「飲み友達」で、酒の上や女の上では随分親しい仲ではあるけれど、結局常にその場限りの附合いであった。
そういう訳だから、私は友田と真面目な用件で文通をした記憶はないが、それでも簡単なハガキぐらいは、折々取り交したことがあるように思う。しげ女が夫の鞄の中から見出したハガキに、「カフェエ・リベルテ方、友田銀蔵様」とあり、かつその日附が大正二年五月七日であるとすると、なるほど私はそんなハガキを書いたかも知れない。というのは、――何分古い話であるから、明瞭に覚えてはいないけれども、――私も友田も、その時分には、カフェエ・リベルテを根城にして飲んでいた。大概三日に一度ぐらい、私はそこで友田を見かけないことはなかった。だから何かしら友田にハガキを出す事があったとすれば、彼の住所を知らない私は、カフェエ・リベルテ宛にして出したであろう。なおまた、そのハガキに記してある「例の件はどうなりましたか、御返事をお待ち申します」という「例の件」とは、果して何の事であったか、これはどうもハッキリしないが、多分良くない相談に違いなく、女遊びの打ち合わせか何かであったゞろうと想像される。友田はあの時分、横浜の山手にある、当時十番館と呼ばれた白人女の魔窟を知っていて、私を始め二三人の飲み友達を、時々そこへ引っ張って行ったことがあった。その魔窟は、見たところでは貴族か何かゞ住みそうな奥深い西洋館で、日本人の客は容易に中の歓楽境を窺い知ることが出来なかったものだのに、友田はそこの常得意であって、彼の紹介だと私たちは訳なく這入(はい)れた。それ故カフェエ・リベルテへ集る物好きな連中は、皆この友田を重宝がった。友田の方でも、十番館へ新奇な女が来たりすると、「おい、この頃こういう女が居るぜ、行ってみないか」と、早速報告を齎(もたら)したものだった。思うにハガキにある「例の件」とは、私がそういう報告を聞かされ、一緒に出かける手筈になっていて、友田の都合を問い合わせたのではなかったろうか。まずわれわれの用事といえば、そんな事に極まっていたのであるから。
私はその後、十番館の女たちとは馴染になって、最早友田の案内がなくとも、一人で行けるようになった。私が行くと、ほとんどいつでも友田が来ていた。十番館というところは、前にも云うように立派な家で、室の数も相当に多く、女も時々入れ変りはあったが、常に七八人ぐらいは居たろう。白人女のこういう家は、普通どこでも同じように、階下にダンス場や酒場があって、二階が女たちの部屋になっている。そしてお客は、まずダンス場か酒場へ行って、女たちを相手に、ダンスをするとか、酒を飲むとかするのである。で、そういう場合私は酒場で遊んでいると、不意に後から「やあ」と声をかけながら、友田が肩を叩いたりする。「今夜は友田さんは来ていないかね」と、私の方から心待ちにして尋ねると、「さあ、二階にいるかも知れませんよ」と、誰かゞそう云っているうちに、やがて当人が、太った、出ッ腹の、相撲取のような肥満した体で、よッちよッちと階段を下りて来る時もある。友田は金放れのいゝせいもあろうが、ここの女たちにひどく持てゝいた。何しろ体量が二十貫ぐらいはありそうな、堂々たるかっぷくで、英語と仏蘭西(フランス)語が頗(すこぶ)る巧みで、その上機智と愛嬌に富み、ちょっとした動作や表情などにもこの道の通人らしい所があったから、日本人の客で白人以上に振舞うことが出来たのは、当時この男一人であった。女たちは「ミスタ・トモダ」と云わないで、「トム、トム」と呼んで、親しんでいた。
「君はまるで、ここの家を我が家のようにしているんだね。」
ある時、私が冷やかすと、
「うん、まあそんなものかも知れないな。」
と、シャンパンのグラスを挙げながら、自分の周りに集って来る女たちを眺め廻して、友田はやに下っていたものだった。
私は前に、友田の職業は分らないと云ったが、それについて思い出すのは、ちょうどその頃、彼があまり十番館に入り浸っているところから、妙な噂が飲み友達の間に伝わった事があった。つまり友田は、お客のような顔はしているが、実はあの魔窟の主人公なので、彼が内証で資本を出して、あの商売を経営しているのじゃないか、――これは誰が云い出したことか分らないけれども、そう云われてみれば、なるほどもっともな疑いであった。私の知っている限りにおいて、その疑いを否定する証拠はないばかりか、かえって肯定する材料がいくらもあった。たとえば彼が珍蔵している例の問題の写真にしても、そこに写っている女たちは十番館にいる女か、あるいはかつていたことのある女たちばかりで、それらの写真がこんなに沢山集ったのは、友田自身の話によると、新しい女が来る度毎に、彼はその女を一室に入れて、撮影したのだそうである。しかしこういういたずらは――単にいたずらであるかどうかも疑問であるが、いくら友田が金放れがよくても、また女たちに持てゝいても、何かそれ以外にあの家と特別な関係がなければ、出来るものでない。一体彼が、私にそんなものを見せたり、そんな話を聞かせたりしたのは、自分がここの主人であるということを、遠廻しに打ち明けたつもりかも知れない。彼は少くとも、私にだけは、自分の秘密を隠さなかったのかも知れない。そういえば彼は、「ハガキをくれるなら、カフェエ・リベルテ方よりも、十番館宛の方がいゝよ。その方が早く届くよ」とも云っていた。そして私は、いつからともなく、彼をあの魔窟の経営者、あるいは投資者であるかのように思い込んでしまっていた。
こゝでもう一度注意しなければならないことは、しげ女が発見した友田宛の私のハガキは、大正二年五月七日の日附であるということである。つまり大正二年頃には東京においてカフェエ・リベルテ、横浜において十番館が友田の根城だったのである。が、しげ女の手紙が私の許へ届いた時分、即ち大正九年八月頃には、カフェエ・リベルテも十番館も、もう疾(と)うに潰(つぶ)れてしまっていた。では友田の所在は分らなかったかというに、そうではない。友田はその時分、また新しい二つの根城に拠っていた。東京の方のは、銀座のカフェエ・プレザンタン、横浜の方のは、山手の二十七番館であった。そうしてプレザンタンの方は、やはりリベルテと同じような普通のカフェエで、二十七番館の方は、これも以前の十番館と全く性質の似通った、白人女の魔窟であった。横浜の山手は、大正十二年の地震のために文字通り全滅してしまって、今では痕跡もないけれども、あの、ゲイティー座の前を本牧(ほんもく)の方へ真っ直ぐに、七八丁行って、何番目かの曲り角を右へ折れたところ、――山手の居留地は一帯にこんもりと樹木が多く、昼間でも閑静な、外国趣味の一区域を成していたが、中でも殊にひっそりとした、少し荒廃しているくらい乱雑に樹々の生い茂った、ちょっと人目に付かないような淋しいところに、その二十七番館はあったのである。多分その家は、開港当時に建てられたもので、そこが魔窟になる前には、相当な外人の邸宅だったのに違いなかろう。間取りの工合、部屋の数などは、十番館と同じくらいで、内部の飾り付けは華やかであったが、外の見つきは、建物が大きく、古びている上に、そういう淋しい場所であるから、化物屋敷の感じがあった。女たちは、皆新しい顔揃いで、無論十番館時代の者は一人も残っていなかった。けれども友田がその家に入り浸っていることは、十番館時代と変りはなく、私の眼には、依然としてそこに特別の関係があるらしく映った。そうして彼は、またそこの女たちをモデルに使ったさまざまな写真を、沢山持っていたのである。
しかるに一つ不思議なことには、友田の十番館時代と二十七番館時代、カフェエ・リベルテ時代とカフェエ・プレザンタン時代、――それが各々どのくらい続いて、彼が前者から後者へ移ったのはいつであったか? ということになると、そのつながりが一向ハッキリしないのである。私は友田のカフェエ・リベルテ時代、大正二年前後から、引き続いて今日まで、ずっと友田に会っているような気がしていたけれども、だんだん記憶を辿(たど)ってみるのに、その間に二三年、――あるいは三四年、――どちらからともなく疎遠になっていた期間があった。十番館が商売を止めたのは、あれはたしか、大正四五年頃だったろうが、もうその前から、友田の姿はふっつりあの家から見えなくなっていた。「どうしたんだろう、この頃トムはちっとも来ないよ」と、女たちがそう云っていたのを、私が聞いたことがあるのは、大正四年の十月時分だったであろう。同時にカフェエ・リベルテの方へも、彼は来なくなってしまった。そうこうするうちに、カフェエ・リベルテも店を閉じて、その後一二年立ってから、リベルテよりも二三丁ほど新橋の方へ寄ったところに、プレザンタンが出来たのである。そこで私が、ある夜偶然、暫くぶりで友田に会ったのは、大正七年の末であったか、あるいは八年の正月であったか、とにかくびゅうびゅう木枯(こががらし)の吹いていた晩だったから、冬のことだったに違いない。それから――そうそう、そういう風に考えてゆくと、次第に思い出されるのだが、その時、というのはプレザンタンで暫くぶりで会った時、私は友田に「そういえば君、十番館がなくなってしまって、横浜もサッパリ面白くないね」と話したのであった。すると友田はニヤニヤしながら、「どうも君は小説家にも似合わない、時勢に疎(うと)い人間だね。この頃横浜にまた一軒出来たんだよ、十番館のようなところが、………」とそう云って、私をその晩――か、それともその後の晩だったかに、始めて二十七番館へ連れて行ってくれたのである。………
これだけ書けば、既に読者も大凡(おおよ)そ心付かれたであろうが、しげ女の夫の松永なる人と、友田との間には、最初に私が考えたよりも、何らか一層、深い関係が潜んでいる如き観を呈する。なぜなら、しげ女の手紙によると、松永なる人が二度目に郷里へ帰ったのは、大正四年の秋であるという。そうしてその人は大正七年の夏までは田舎にいて、それからさらに家出をしたという。ところがちょうどこの期間、――大正四年の秋から大正七年の夏に至る間において、私は友田を一回も見かけた覚えがない。私の方でも、やはり足かけ四年の間、友田に会わなかったのである。私はこのことに気が付くと、急に非常な好奇心に打たれた。次に私は、そもそも友田という男を始めて知ったのはいつであったかを考えてみたが、それは何でも、明治四十一二年頃のことであった。誰が紹介してくれたのか、あるいは紹介を経たのでなく、いきなり酔った勢で互に口を利き出したのか、委(くわ)しいことは忘れてしまったが、場所は日本橋の、その時分は小網町にあったカフェエ・コウノスだったと思う。しかるにここでも、カフェエ・コウノスからカフェエ・リベルテへ移った時期が明白でない。いつからともなく友田はコウノスへ来ないようになり、そのまゝ何年かを過ぎて、ある日突然カフェエ・リベルテへ現われたように記憶する。この、彼が最初にわれわれの圏内から姿を隠していた期間は、果して足かけ四年であったか、今となっては確かな断言は出来ないけれども、一方しげ女の夫の方は明治四十二年の秋に戻って来て、再び国を出て行ったのが大正元年の夏の初めであるとすると、これも大体年代が一致するように考えられる。即ち表を作ってみると、左に示す通りになるのである。
第一期 自明治三十九年夏 松永儀助洋行時代
至同 四十二年秋 友田銀蔵この期の末にコウノスに現わる
第二期 自明治四十二年秋 松永助在郷時代
至同 四十五年春 友田銀蔵韜晦(とうかい)時代
第三期 自明治四十五年夏 松永儀助韜晦時代
至大正四年 秋 友田銀蔵カフェエ・リベルテ、十番館時代
第四期 自大正四年 秋 松永儀助在郷時代
至同 七年 夏 友田銀蔵韜晦時代
第五期 自大正七年 夏 松永儀助韜晦時代
至同 九年 現在 友田銀蔵カフェエ・プレザンタン、二十七番館時代
この表の中の、第一期と第二期については、友田銀蔵に関する方の私の記憶が正確でないが、ほゞ間違いがないとして見ると、明治四十二年以後、大凡そ足かけ四年目毎に、松永儀助が郷里にいる時は友田銀蔵の行くえが分らず、友田銀蔵が東京横浜に現われる時は、松永儀助の行くえが分らないのである。
私はさっきから、まだ寝床の中にもぐりながら、以上の一見奇怪に見える事柄を考えつゞけた。――考えつゞけるべく、余儀なくされた。私はこの表を、ここに示すように頭の中へ描き出して、丁寧に吟味してみた。しげ女の手紙をも、さらに幾度か、読み返し、読み返した。ここに至って誰にでも気がつくことは、友田銀蔵と称する男と、松永儀助と称する男とが、あるいは同一人ではないかという一事だが、私はもう一度、例の順礼姿の写真を枕もとに引き寄せて、つくづくと眺めた。「それとも友田と申し候は夫の偽名にては無之哉」と、しげ女も疑っているのだけれども、しかしこうして眺めて見るのに、その旧式な、ところどころ修正がしてある写真から来る感じでは、松永儀助の人柄は友田銀蔵と似ていないばかりか、むしろその相違が甚しい。二人の間には共通点が一つもない、顔つきにおいても体つきにおいても。
写真はしばしば本物と違うことがないとはいえない。殊に順礼の風などしていれば、なおさら人柄が異っても見えよう。けれども、いかに割引しても、友田の如く肥満している人間が、こんなに痩せて写るわけはない。友田はでっぷりとほとんど病的に太った男。この写真にある松永は、ひょろひょろとした細長い男。友田は頬っぺたがハチ切れそうに膨らんだ円顔。松永は頬がゲッソリ憔(こ)けた、鋭い三角形の顔。二人は極端と極端であって、一方は明るく、豪快に、一方は暗く、陰鬱である。一人の人間が痩せたり太ったりすることはあるが、友田は私が初めてコウノスで会った時から、ずっとこの通りの体質であり、松永の方も、「元来夫はこれと申す病気は無之候えども、あまり丈夫の方にては無之」とか、「それに指輪も、夫の指には太過ぎる品故他人様の物にはあらずやと存ぜられ」とか、しげ女が記しているのを見れば、これも昔から写真のように痩せた男なのであろう。しげ女はまた、「親戚の者は既にこの前の留守のときにも夫の行くえを捜し求め、またこのたびもあるいは海外へ渡航せしにやと、その方面をも問い合わせなどいたし候えども、さらに何の手がゝりも無之、東京、京都、大阪あたりにてついぞ似た人を見たと申す話も聞かず」と記している。一方友田は、かつてカフェエ・リベルテ時代にも盛んに銀座界隈(かいわい)に出没し、近頃は始終プレザンタンへやって来て、一昨々日の晩も、現に私は会っているのである。友田が松永と同一の人間であるとしたら、これが発見されずにいようか? 「自分の行くえは尋ねても分るはずなし」と、妻に云い残した松永なる人が、こんな大胆な行動を取ろうか?
が、徒(いたず)らに蒲団(ふとん)の中で考えていたところで、この問題の解決はつかない。やはり友田に打(ぶ)つかッて見るより方法はない。私は実は、その日は少し忙しい仕事を持っていたのだが、夕方までで切り上げて、とにかく彼を掴まえるために、銀座のカフェエ・プレザンタンへ出かけて行った。万一彼がプレザンタンへ来ないとすれば、必ず横浜の二十七番館にいるであろう。今日までの経験によると、いつでも彼を見出すことは甚だ容易なのである。
2
プレザンタンという店は、ちょっと普通のカフェエとは違った。小体(こてい)な、気の利いた家であった。料理といってはビフテキが出来るだけだったが、そのビフテキは純英吉利(イギリス)流の、炭火を使って金網で焼くという式で、これが東京では珍らしかったし、酒もそこらのカフェエにはない、筋のいゝものを飲ませてくれた。自然そういう店であったから、振りのお客よりは、食道楽の、通な常連をあてにしていて、いわゆる高等遊民の溜り場の観があったけれども、この頃のような夏の宵には涼みがてらの客足が繁く、殊にその晩はその狭い店がかなりごたごた賑わっていた。私は八時から九時までの間、友田を心待ちにしながら、ビフテキを肴(さかな)にフレンチ・ヴァーマウスを三杯飲んだ。が、友田はなかなか来そうもなく、私の周囲のテーブルには、知らない人の顔ばかり見えた。
私は十時まで待ってみる気で、最後のヴァーマウスを飲み干してしまうと、アモンティラドオを一杯命じた。このアモンティラドオという酒は、「アモンティラドオの樽」というポオの物語を読んだ人なら、名前だけは覚えているだろうが、しかし日本でアモンティラドオがどんな酒だか知っている者はあまりなかろう。実は私も、この忘れられない酒の味を、近頃始めて知ったのであるが、これを私に教えてくれたのは友田だった。
「君、この酒を一杯飲んでみたまえ、これがほんとうのアモンティラドオだよ。」
と、友田はある時、ここの酒場のボーイに云いつけて、棚に列(なら)んでいる数々の壜の中から、ついぞ見馴れない一つの壜を持って来させた。
「君はこいつを飲んだことがあるかね?」
「名前は聞いてるが、飲んだことなんかある訳がないさ。一体アモンティラドオというのはどんな酒だい?」
「これは西班牙(スペイン)の特産物で、つまり本場のシェリーなのさ。ほら、この色を一つ見てくれたまえ。普通のシェリーという奴は、もっと色が黒ずんでいるが、これは非常に冴えているだろう。」
友田はそう云って、私の前になみなみと注がれた、琥珀(こはく)色に透き徹った液体を指した。
「これがほんとうのシェリーの色だ。君らが常に飲んでいる奴は、あれは英吉利の模造品で、砂糖で甘味を附けてあるんだが、こいつはそんなまやかしじゃないんだ。交りッけのない、純粋の葡萄(ぶどう)の甘味だ。」
「素敵だ! こんな旨(うま)いシェリーは飲んだことがない!」
私は惚れ惚れと、その酒の色を眺めつゝ叫んだ。それは全く、何ともいえない軽い甘さと、ほろ苦い風味と、南国的な感じの溢れた芳香に充ちていた。
「こんなものがどうしてこの店にあるんだか、不思議じゃないか。これはザラにある酒かい?」
「馬鹿云っちゃいけない! こいつは僕が見付けたんだよ。横浜のK商会の酒庫に二ダースばかりあったのを、一ダースここへ分けてやって、一ダースは僕が引き取ったんだ。」
そう云って友田は得意だった。
で、今もこの酒を飲むにつけても、私の友田に対する疑いはますます深くなるのであった。全体私は、あまり親しくしているためにかえって気に留めなかったのだが、考えてみると、あの友田という男ぐらい、その存在が極めてハッキリしているようで、その実甚だ曖昧なものはないのである。彼はいかなる経歴を持った男であるか? 彼の半生は? 彼の年齢は? 彼の出身学校は? こういう風に一つ一つ尋ねられると、私は何も答えられない。従来友田は、たまたまそういう質問に遇うと、妙に言葉を濁してしまって、「イエス」とも「ノー」とも取れるような、捕捉し難いことを云った。私は彼が英仏語に巧みであり、西洋の習慣や風俗に委しく、洋食や洋酒の種類に通じているところから、一遍あちらへ行って来たことがあるのだろうと、勝手に極めているようなものゝ、友田自身の口からは、まだ明瞭に聞かされた例(ためし)はないのである。彼は時折、上海(シヤンハイ)で遊んだ話はするけれど、巴里(パリ)や倫敦(ロンドン)の噂などはしたことがない。「君の英語や仏蘭西(フランス)語は、どこでそんなに稽古したんだい?」と、尋ねてみても、「何も稽古というほどのことはしやしないさ。毛唐の女を買っているうちに自然と覚えちゃったのさ」と、そう何気なく云うだけで、「じゃあ君、よっぽど長く欧羅巴(ヨーロツパ)にでも行っていたのか?」と追究すると、「あはゝゝゝ、毛唐の女は欧羅巴に限ったこたあないぜ。巴里を見たけりゃ、横浜にだって、神戸にだって、上海にだってあるんだぜ」と、笑いに紛らしてしまうのであった。
「よし、今度はどうしても友田を掴まえて聞いてやろう。十時まで待って来なかったら、この足で直ぐ横浜へ行こう。」
私はそんなことを思いながら、さらに二杯目のアモンティラドオを命じた。
「今夜はお一人で?………お淋しゅうございますな。」
そう云って話しかけたのは、このカフェエでも古顔のボーイであった。彼は銀の盆の上から、その琥珀色の液体を盛ったシェリー・グラスを、私の前に置いた。
「うん、今夜はすっかりあぶれちまったよ、ここの家はひどく繁昌しているが、………」
「夏場はどうも、いろんなお客がやって来るんで、かえってゴタゴタしていけませんや。」
「さっぱり知った顔が見えないじゃないか。実は友田君が来るかと思って、さっきから待っているんだがね。」
「へえ、じゃあまた二十七番ですか。」
そう云ってボーイはニヤニヤしながら、酒場の上に懸っている柱時計を振り返った。
「まだやっと九時半でさあ、繰り込むにはちと早過ぎますよ。」
「だが奴さん、来ないかしら? 来なけりゃ横浜へ逆襲しようと思っているんだ。」
「何です一体、近頃あすこに綺麗なのがいるんですか。」
「いるかどうか、そいつを奴さんに聞いてみるのさ。東京も一向詰まらんからね。」
「ま、もう少し待って御覧なさい。こゝンところ二た晩ばかり見えませんから、今夜あたりはお出でになってもいゝ時分ですよ。」
ちょうどボーイがそう云っている時、
「やあ、来た来た。」
と、私は叫んだ。リンネルの背広に英国製のタスカンの中折を被(かぶ)って、何から何まで真白ずくめの服装をした、顔色ばかりが酒飲みらしくぴかぴかと赭(あか)い友田の大きなずうたいが、とたんに表のドーアを開けてこちらへ歩いてきたからである。
「やあ。」
友田も私を認めると、西洋人がよくするように、手をさし上げて、拇指(おやゆび)と人差指とでぴんという音を鳴らした。そして人込みの間をわけて、出ッ腹の上にワイシャツをだぶだぶ波打たせながら、やがて私と差向いに、どっかりそこへ腰をおろした。
「いらっしゃいまし、お待ちかねですよ、友田さん。」
と、ボーイが云った。
「へえ、誰が?」
「なあに、お待ちかねという訳でもないんだが、一人ッきりで退屈だったもんだからね。」
私はボーイがまずいことを云ったと思ったので、打ち消すように、何気なく云ったが、そう云いながらも私の視線は、自然とテーブルの上に置かれた彼の左の手の甲を射た。問題の紫水晶の指輪は、そのむっちりと肥え膨らんだ薬指に、今夜もキラキラ輝いているのである。
「ボーイ、ジン・ビタスを一杯。」
「ジン・ビタスとは珍らしいね。」
友田はめったにジンやウィスキーを飲まなかった。彼の飲むのは極く筋のいゝクラレット、コニャック、ラインワイン、シェリー、シャンパン、――そんなところに極(きま)っていて、英吉利(イギリス)や亜米利加(アメリカ)の酒は嫌いだった。「コクテルなんていうものは、ありゃあ本当の酒じゃあないよ、酒は絶対に交ぜ物をしない、生一本の味がいゝんだ。亜米利加人は酒の味を知らないんだよ。」そういうのが彼の持論だった。
「いや、あんまり好きじゃないんだが、暑気払いにはジン・ビタスが一番なんだ。あれを飲むとすうッと汗が引っ込むんでね。」
「へえ、それじゃ、僕も一杯貰うか。」
「ジンもドライ・ジンじゃいけない、オールド・トムにビタスをちょっと入れたんでなくっちゃ。………」
そう云って彼は、太った人にありがちの、玉のようにポロポロ雫(しずく)する汗を、ハンケチで拭いた。いつでも堅いシングル・カラーを着けているのが、それも汗でへなへなになっていた。
「あゝ暑、暑、………こう暑くっちゃ遣(や)り切れないな、横浜の方がいくらか優(ま)しだな。」
「ところで二十七番はどうだい? この頃ちっとは変ったのがいるかい?」
「あ、いる、いる、五六日前に上海から来たっていう奴で、素敵なのがいる。」
「露西亜(ロシア)じゃないかい?」
「いゝや、ところが! あれはポルチュギーズじゃないかな。」
「ポルチュギーズじゃ、日本人みたいなもんじゃないか。」
「おい、おい、そう贅沢を云っちゃいかんぜ。眼玉や髪の毛の黒いところが似ているだけで、感じは全然西洋人だよ。ポルチュギーズの女って奴は、顔は日本人を非常に美人にしたもので、体つきは西洋流に整っていると思ったら、間違いはないんだ。」
「どうかなあ、君は話が大きいからなあ。」
友田の話には、いつでも少し掛け値があった。「素晴らしいのが来ている」という口に釣られて行ってみると、大概それほどではないのであった。
「馬鹿を云いたまえ、今度の奴はまず今までにない代物だ。」
「正(しよう)の者を見なけりゃ分らんからな。」
「じゃ、正の者を見せてやるかね。――」
「これから横浜へ行ってかい?」
すると友田は、何も云わずに、憚(はばか)るようにあたりを見廻して、上衣の内隠しへ手を突っ込んだ。
「ここに写真を持ってるんだよ。」
「驚いたな、もう写したのか。」
「そりゃ早いもんさ、来ると早速撮ってやったさ。――ほら、ちょっとこんな工合だ。――」
そう云って彼は、紙入の中からそれを取り出して、掌の蔭で私に示した。
「どうだ君、この体つきは?」
「ふーん、この女はまだ若いね。」
「十八だと云っているが、二十にはなっているだろう。――どうだい、お気に召さないかい?」
「ふゝん、これなら大いに気に入ったよ、行ってみるだけの値打ちはあるよ。」
「あはゝゝゝ、」
友田は椅子を揺がして笑った。
「それ見たまえ。そう来るだろうと思っていたんだ、あはゝゝゝ、」
「ところで友田君、僕の方でも君に見せる写真があるぜ。」
私は友田の笑っている隙を窺って、この一石を投じてみた。そして同じように上衣の隠しへ手を突っ込んだ。
「へえ? 何だいそりゃ?」
「これだ。」
咄嗟(とつさ)に私は、松永親子の絵姿を出して、それをぴたりとテーブルに置いた。
「何だい、これは順礼じゃないか。――」
そうは云ったが、その一刹那の友田の表情は、未だに私の眼底を去らない。彼は写真を突きつけられると、それを手に取って見るまでもなく、ぞうッと総毛立ったように、顔色を変えた。彼のどろんとした酔眼は、ある云い知れぬ恐怖か苦悶か、何か激しい感情を抑圧しているかの如く、怪しく、強く、一杯に(みひら)かれつゝ、異様にギラギラ光を放った。私はちょっと二の句が継げないで、黙ってしまった。
やがて、カチリという音がしたかと思うと、友田はいきなり、非常な勢いで杯を取って、残った酒を一と息に乾した。
「で、この写真がどうしたというのさ?」
やっと友田はそう云ったが、その言葉には包もうとしても包み切れない、憤激の調子があった。
「君はその写真の人を知らないだろうか?」
「知らんよ、僕は、こんな人は。」
「全然覚えがないだろうか?」
「全然ない。」
これは出方が悪かったかな、あまり不意討ち過ぎたので、かえって怒らしてしまったかな。――私はそう思って、陣立てを変えて、今度は優しく、穏かに説いた。
「君がその人を知らないとすると、いよいよ不思議なことがあるんだが、そこに写っている男は、大和の国柳生村の生れで、松永儀助というんだそうだ。」
「ふん、それで不思議な事というのは?」
「二三年前から、その男の行くえが分らないんだよ。」
「じゃあ何かい、君はこの男の友人でゞもあるのかい?」
友田は反噬(はんぜい)するように云った。
「僕は友人じゃないんだが、君が知っているはずだと思う訳があるんだ。――」
私はこの場合、「なるべく余人には御内聞に願い度」というしげ女の頼みではあったけれども、一と通り今度の手紙のことを友田に語らねばならなかった。私は彼を誘い出して、戸外を歩きながら話そうかとも考えたのだが、今夜は店がガヤガヤしているし、ちょうど私たちのテーブルの横には扇風器がびゅうびゅう呻(うな)っているので、ほかのお客に聞かれるような心配はなかったから、それを幸い、むしろこういう明るい所で、彼の顔色の変化を見ながら、静かに話を進めて行くことにしたのである。
私の語調が穏かになるに従って、友田は少しずつ落ち着きを取り返した。が、話の中途で、彼はにわかにボーイを呼んで、アブサントを持って来させて、「ふん、ふん」と云いながら、しっきりなしにそれへ唇をつけていた。彼がアブサントのような強烈な酒を呷(あお)ることは、ジン・ビタスと同様に稀であって、それは明かに、酔った上にもさらに急激な酔いを求めているのだとしか思えなかった。話がだんだん進むにつれて、彼の「ふん、ふん」という受け答えには、次第に熱心の度が加わり、その眼は好奇心に輝いているのが看取せられた。
「そりゃ面白い! そりゃあ探偵小説になるぜ!」
友田はすっかり聞き終ってしまうと、平素の豪快な調子で云って、卓を叩いた。
「探偵小説になるというのはどういう意味だい? やっぱりその男を知っていたのか?」
「いや、僕はその男は知らないんだが、その男が鞄の中に持っていたという品物については覚えがあるんだ。それは確かに僕の物だよ、印形にしても指輪にしても写真にしても。」
「へえ、――じゃ、それをどうしてその男が持っているんだ?」
「僕は一遍、鞄を盗まれたことがあるんだ。」
「はゝあ、そうか、盗まれたのか、………」
「さあ、あれはいつのことだったか、………鞄の中にそんなハガキがあったとすると、多分その時分のことだったろうが、箱根の××ホテルに泊っていて盗まれたんだよ。事によったら、その鞄も僕のじゃないかな。」
「しげ女の手紙には、小さな手提鞄とあるがね。」
「そうだよ、普通によくあるボックスの手提鞄だよ。君のハガキが這入(はい)っていたのは覚えていないが、写真と印形と指輪とは確かにその中へ入れておいた。それから金が二三百円もあったんだが、そいつをそっくりやられたんだ。」
「で、犯人は掴まったのかい?」
「掴まりゃしないさ。僕は表沙汰にするのは厭だったから、警察へ届けなかったんだ。金はわずかだったし、第一その、例の写真なんかゞ出てきた日にゃあかえって極まりが悪いからね。」
「そうすると君が今篏(は)めているその指輪は?」
「これはその後、盗まれた指輪と同じ物を作らせたんだよ。――」
そう云ってから、友田はちょっと考えて附け加えた。
「全体指輪を取られるなんて妙な話だが、僕は非常に雷が嫌いでね、雷が鳴ると指輪でも時計でも、体に着いている金の物をみな外してしまうんだよ。何でもその晩、箱根でひどい雷に遇ったんで、指輪を抜いて鞄へ入れて、そのまゝ忘れて寝ちまった間に盗まれたんだ。」
「じゃあ松永という男は泥坊なのかなあ、しげ女の手紙も立派なもんだし、相当な家柄の主人のように思えるがなあ。」
「だけども君、四年目毎に国を出て行ってしまうなんて、変じゃないか。まあその写真は、物好きな人間なら欲しがるだろうし、ハガキも君の愛読者か何かなら、貰いたがる者があるだろうから、盗んだ物が転々して、その男の手へ渡ったとしてもいゝけれど、それにしちゃあ印形と指輪が変だよ。」
「盗んだ金は使ってしまって、ほかの品物は足が附くから、そっと収(しま)っておいたかな。」
「そうだよ君、そうに違いない。」
「だがそれならば僕のハガキを取っておくのは可笑(おか)しいじゃないか、焼いてしまうか破いてしまえばいゝじゃないか。」
「そりゃ分っているさ、その泥坊は君の小説の愛読者さ、あはゝゝゝ、」
「飛んだ結論になっちまったな。」
「あはゝゝゝ、泥坊だって少し教育のある男なら、君の小説ぐらい読むだろうじゃないか。」
「困ったなあどうも。そうなって来ると、僕はしげ女に何と返事をしてやったもんかな。亭主を泥坊にさせてしまっちゃ可哀そうだし、どんな恨みを買うかも知れんし、うっかりしたことは云ってやれんな。」
「何も知らないと云ってやったらいゝじゃないか、僕も今さら盗まれた物に未練はないから。」
「しかし、君のことについては何とか云ってやらなきゃならんぜ。」
「どうして?」
「しげ女はこう云って来ているんだ、――もしまた松永儀助と申すものを御存知無之候わば、その友田と申される方は、いかなる御人にて候哉、その方の御住所等お知らせ願い度く、………」
「そりゃあいかん! そんなものに係り合ってたまるもんか!」
友田は急に大声を出したが、その時再び、さっと顔の色を変えた。
「だってそのハガキがある以上は、少くとも友田銀蔵なる者を僕が知らないという訳にゃ行かんぜ。」
「じゃあ、友田銀蔵は知っているが、当人に聞いてみたところが、松永儀助という男とは全く何の関係もない。鞄の中にあった物も、そのハガキだけは当人の物かも知れないけれど、そのほかの物は覚えがない。印形についても、友田銀蔵はかつて自分の印形を紛失した事実がない。旁々(かたがた)松永儀助なる人が何故そんなハガキや印形を所持しているのか、当人は頗(すこぶ)る奇異に感じている、――と、そう云ってやってくれたまえ。住所なぞを教える必要はないと思うよ。」
「ところがもっと委しく説明してやらなけりゃ、向うが納得しそうもないんだ。君には迷惑な話だが、しげ女の方じゃ、君が松永それ自身で、友田というのは偽名じゃないかと思っているんだ。」
「じょ、冗談じゃない! その写真と僕と見比べてくれたまえ。」
「あはゝゝゝ、」
私はわざと、他意なき様子を示すために快活に笑った。
「そりゃあ僕には分っているが、しげ女は君を知らないんだから、そう疑うのも無理はないさ。」
「どれ、どれ、どんな男だか、もう一遍写真を見せたまえ。」
友田はそう云って、またその絵姿を取り上げたが、私はその際も、さっきほど露骨ではなかったけれども、やはり彼の眼の中に何か物に怯(おび)えるような、異様な恐怖の浮かんだのを見た。
「ふーん、この男かい、松永というのは。――僕よりずっとじじいじゃないか。」
「それは三十七歳の時の写真だそうだが、今年四十になるんだそうだ。」
「じゃあ僕の方が四つも下だ、僕は今年三十六だよ。」
彼が自分の身の上に関してハッキリしたことを云ったのは、今夜のこの言葉が始めてだった。
「へえ、君は三十六か。」
「そうさ、酉年(とりどし)の三十六さ。明治十八年生れだ。――三十六に見えないかい?」
「顔はそのくらいに見えるけれども、それにしちゃ髪の毛が薄いな。」
「こりゃあ酒を飲むせいだよ、どうも酒を飲む奴はこゝンところが、」
と、頭の頂辺(てつぺん)を彼は摘まんだ。
「早く禿げるんで、僕もそろそろ禿げて来るんじゃないかと思って、こいつにゃあ悲観しているんだがね。」
「ま、髪の毛は少々薄くっても、とにかく君はこの男より四つか五つは若く見えるな。それだけは僕が保証するよ。」
「歳ばかりじゃない、どこを比べても一つも似たところはないじゃないか。」
「全くどこも似ていないな、似ていないんで都合が悪いな。」
「都合が悪いとはどういう訳だい?」
「いや、君とこの男と同一人であるという証拠さえ挙がれば、話の辻褄(つじつま)が合う訳なんだが、そう行かないんで甚だ困るよ。」
私はそう云ってまた笑った。が、実際笑い事でなく、写真の松永と眼の前にいる友田とは、見れば見るほど、残念ながら二人の相違の著しいのが分るのであった。
「じゃあ、こうしよう、――」
と、友田はテーブルへ乗り出して云った。
「要するに僕とこの男とが、似ても似つかない別な人間であることを納得させればいゝんだから、最近に写した僕の写真を送ってやろう。そうすればもう文句はあるまい。」
「なるほど、それが一番簡単だな。」
「僕は明日、早速郵便で君の所へ写真を届ける。二枚でも三枚でも、なるべく僕という者がよく分るように写ったのを届ける。それを君からその女の所へ送ってやって、友田銀蔵とはこういう男だ、この写真を一見されたらお疑いは晴れるだろうから、特に友田の住所や身の上をお知らせするまでもないと考える。――そう云ってやったら、それでよかろう。」
私は一往(いちおう)、この友田のもっともな提議に従うよりほかはなかった。二人はなおも杯の数を重ねてしゃべり合ったが、彼はその間、まだ何かしら気になるらしく、時々チラとテーブルの上に置いてある松永親子の絵姿を、偸(ぬす)むように見た。私も故意に、その写真をいつまでもそこへ出しておいた。
「どうだい君、これから一緒に横浜へ来ないか。」
そう云って彼が立ち上ったのは、かれこれ十一時近くであった。
「どうしようかな、この頃少し忙しいんだ。」
「来たまえ、来たまえ、そのポルチュギーズを見せてやるから。」
「見たいには見たいが、今度ゆっくり出直すとしようよ。――それじゃ写真を忘れずに届けてくれるだろうな。」
「よろしい、分った。写真は必ず届けるから、余計なことを書いちゃ困るぜ。」
二人はプレザンタンを出て、銀座通りを芝口の方へ連れ立って行ったが、不思議なことには、プレザンタンを出ると同時にどっちも黙って歩いていた。友田は友田で何か考えていたのであろう。私は私で、――その晩はつい飲み過ぎた結果、いつもより酔っていたのであるが、その酔いのためになおしつッこい妄想をもって、さっきからの会話の裏を探った。今、自分と肩を並べて歩いているこの「友田」という男、――この男の正体は何者だろう? なるほど鞄を盗まれたと云えば、それで説明はつくけれども、何故彼は松永の写真を見せられた時、恐怖に充ちた眼つきをしたか? 何故強いて酔いを求めたり、装ったりしたか? そうしてまた、何故自分が疑われているにもかかわらず、身分や住所を打ち明けることを欲しないのか? これらの点を考えると、友田を包む謎の雲はますます深くなるのである。友田はさっき、松永という男が四年目毎に韜晦(とうかい)するのは怪しいと云ったが、それが怪しければ友田自身も怪しいのである。「君とこの男と同一人であるという証拠さえ挙がれば、話の辻褄が合う訳なんだ」と、冗談に託して私が云ったのは、実は決して冗談ではない。少くともこの二人は、同一人でないまでも何か秘密に連絡を保っているのではないか? 友田は松永なる男と、洋行中にでも知り合ったのではないか? そしてそれ以来、四年目毎に東京に落ち合って、影の形に添う如く共同動作を取りながら、悪事を働いてゞもいるというような………
「じゃア失敬、――」
芝口の停留場の前へ来ると、ふいと友田はそう云ったが、その素振りには、妙にそっけない所があった。そして新橋駅の方へすうッと消えるように横丁を曲った。
あゝは云っても、友田は果して写真を送って来るだろうか、結局それも胡麻化(ごまか)してしまうつもりではないのか、――私は多少危んでいたのであるが、写真は正に翌々日の午後に届いた。「お約束に従って、僕の人相書をお送りする。」――と、そう彼は書いて寄越した。「実は最近写したのをと思ったのだが、どうも気に入ったのがないから、あれから特に人相書に適当なものを三枚写した。ここに封入してある一枚は全身、一枚は半身、一枚は顔だけの大写し、これだけあれば十分だと思うから、これを三つとも送ってやって、その他の事はあまり書かずにくれたまえ。殊に僕のアドレスなどを知らせては困る」と、またその手紙でも念を押して、「僕は自分の住所や身の上を無闇に人に知らせることが嫌いなのだ。いわんや昨夜の件については、知らせて迷惑することはあっても、何の利益もないのだし、必要もないと認めるから」と、くれぐれも断ってあるのだった。
彼が送って来た三枚の写真は、その目的で撮影したというだけあって、全体の感じ、人柄、体つき、顔の輪廓、頭蓋の形状、その他細かい特長に至るまで、「人相書」としてこれ以上のものは望めないほど、よく似ていた。が、私が唯一つ気がついたことは、全身像にも半身像にも、彼の両手が写っているにかかわらず、指輪が写っていないのであった。彼は写真を撮るに当って、それを抜いたのに違いなかった。「指輪のことを書いてはいけない」とそう云った彼は、やはりそれだけの用心をして、むしろそのために写真を写し直したのかも知れなかった。
私は直ちに、この「人相書」を封入してしげ女の許へ返事を出した。しかしその手紙は、実は友田の注文に篏(は)まったような書き方ではなかった。なぜなら私の気持としては、友田に味方するよりも、しげ女に同情したからであった。それにこの事には、私自身も深い疑問があるのであるから、たとい後難を蒙(こうむ)る恐れがあろうとも、その疑問を押し隠して、しげ女にうそをつくことは出来ない。私はしげ女が寄越したものよりもさらに長文の手紙を書いて、友田という一箇奇怪な人物につき、彼女の参考に資するために知っている限りの事を記した。あの、友田と松永とが四年目毎に交互に姿を隠すのを、五期に分って作った年表。二十五日の晩におけるプレザンタンでの会話のいきさつ。――それらを委しく報じたことはいうまでもないが、その上にもなお、「同封の写真を御覧になって貴女は如何なる感想を持たれたか、この写真が貴女の御良人と少しでも似ているかどうか、そのほか探索の手がゝりとなることでもあらば、御遠慮なく申し越して戴きたい。それによって当方でもさらに取り調べを進めるであろうし、及ばずながらお力添えを致したいから」と、そう云ってやったのである。
四五日過ぎてから、しげ女は私の好意に対して厚い感謝の手紙を寄越した。が、最も私の意表に出で、私を驚かしたのは、彼女があの写真を見せられてもまだ、「いろいろお話を伺いますと、やはり友田と申されるのは、私の夫、松永儀助の偽名ではないかと存ぜられます」と、そう書いている一事であった。――手紙は前と同じような候文で認(したた)めてあるのだが、ここではその意味を記すに止める。――「お送り下すった写真では、友田という方は紛う方なき別人のように見えております。しかし私の心の迷いか、あの円顔の眼のあたりが、どこか夫の面ざしに似ているように思えてなりませぬ。私の夫は昔から痩せている方、そして友田という方は以前から太っておられるのなら、全く根もない疑のようで、私自身にもこの謎は解けませぬが、それでももしや同じ人間ではないか、夫の歳を四つ五つ若くして、太らせたら、あのような顔だちになりはせぬか、何だかそんな気がいたします。それにつき、友田という方の身の丈はどのくらいございましょうか、私の夫は五尺四五寸でございます。なおなおその方の生国、職業、妻子の有無、うそ偽りのなき年齢、盗難に遇ったと申されるのが果して真実か否か等のこと、お分りになりましたらおしらせ下され度、誠に誠に厚かましい儀ではございますが、御親切に甘えてお願いいたします。娘の病気もその後だんだんと宜しからず、今でも父に会いたいと申しておりますので、どうかこの事をとにもかくにもその友田という方へくれぐれもお伝えを願いとう存じます。」――
私はこれを読んで、暫くはたゞ茫然としていた。しげ女の云うことは心の迷いか? それとも友田は何か巧みな方法で、変装してゞもいるのだろうか? 全体そんなことが出来るだろうか?――私はさらに大いなる疑問に行きあたった。
3
しげ女の二度目の手紙の後に友田に会うことが出来たのは、九月の初め、一日か二日の晩だったと思うが、場所は今度はカフェエ・プレザンタンではなく、横浜の二十七番館だった。
その晩私は、彼処へ行けば多分友田に会えるだろうと思ったので、その方が主な目的ではあったが、うわべは「ひょッこり遊びに来た」という体(てい)で出掛けた。桜木町でいつものようにタキシーを拾い、山下町から仏蘭西(フランス)領事館の前へ出て、谷戸坂を上り、例の淋しい、暗い横丁の奥にあるその家の前に乗りつけたのは、夜の九時頃だったろう。
高い所に附いている呼鈴のボタンをステッキで押すと、外から見ては人がいるとも思われない、堅く鎖(とざ)された門扉の蔭の幾間を隔てた方角から、チリ、チリン、という響きが応じる。………実際その家は非常に静かで、その奥深い鈴(ベル)の音は空谷へ石を投じたように、いや、ふとしたら空家の中に棲んでいる化物か何かの仕業のように、左様に気味悪く響くのである。………つゞいてフィリッピン人のボーイが出て来て、鉄の閂(かんぬき)をごそりと外して、そこを細目に、一寸ほど開けて、軒燈の明りの下に彳(たたず)んでいる客の様子を、闇に透かしつゝ、ジロジロと眺める。
「今晩は。………僕、………僕だよ。」
「あゝ、旦那さん、今晩は。」
このボーイは、平素は英語を使うのだけれども、私に対してはしばしば不細工な日本語を用いる。彼は私だと気がつくと、やっと体が這入れるだけ門を開いた。
「旦那さん、あんた暫く来なかったな。」
「うん、暑かったからな。………しかしこの頃新しいガールが来ているだろう? 今夜はそれを見に来たんだ。」
「あゝ、いる、あんた知らないのが一人いるよ。」
「別嬪(べつぴん)か、その女は?」
「あゝ、別嬪、旦那さんきっと気に入る。………」
暗い中で、そのリンネルの上衣と同じに真白な歯が、ニヤニヤ笑った。
「誰かお客が来ているんだね。――」
この暑いのにすっかり鎧戸が卸(おろ)してはあるけれど、ダンスホールの窓の隙間から、一とすじの明りが外に洩れている。――
「誰だいお客は? トムさんじゃないか。」
「あゝ、そう、トムさん一人だけ。………」
「へえ、一人だけか、じゃいゝだろう、這入って行っても。」
私は心で「しめた」と思った。そして玄関から廊下へ上ると、直ぐその左手のホールの扉(ドア)をノックした。
「やあ、来たな。――」
私がそこへ現われた時、友田のトムはセイラー・ジャケットを着て、ピアノの傍のディヴァンに腰をかけながら、燃え立つようなクレープ・ド・シーンの緋(ひ)の服を纏ったキャザリンを、膝の上に載せていた。が、正直を云うと、その服の色が「燃え立つような」緋色であるのを知ったのは後で、始めはそれがどす黒く見えた。なぜならこの部屋の電燈は場合によって赤、白、青の三色に変化するような装置がしてあり、ちょうどその時は赤い光が室内に満ちていたからである。闇に馴れていた私の瞳には、この謎の如き柔かい明りがかえって心地よかったけれども、私は別に考があって、部屋へ這入りしな、いきなり「赤」のスウィッチをぱっと「白」に捻(ひね)り直した。
「あら! 何だってそんなに明るくするのよ!」
と、キャザリンが云って、酔っているのかキャッキャッと笑った。英吉利(イギリス)生れの、小柄な姿のいゝ女で、ここでは一番歳若な売れッ児だった。彼女の前には、水色のジョウゼットの服を着たローザが立っていた。それからもう一人、黄橙色のオルガンディーの服を纏って、ピアノに向っている見知らない女、――これが近頃来たというポルチュギーズに違いなかろう。顔はキャザリンに比べると落ちるが、その肩の肉は馬鹿に美しい。
「あはゝゝ、まあいゝ! 明るくさせておけよ! あいつは今夜特別に見たいものがあるんだ。」
友田はそう云って、私の顔と、そのポルチュギーズの顔とを、等分に眺めた。
「あはゝゝ、正にあてられた形だね。――この女かい、この間の写真のは?」
私は日本語で云った。
「うん、この女さ、紹介しよう。――」
そこから友田は英語を使って、
「えゝと、これが日本の紳士で、有名なる小説家のF・K君、――これが上海から来たポルチュガルの美人のエドナさ。」
「あゝ、そう、あなた小説家?」
エドナは立ってこっちへ寄ってきた。
「そうだよ、この男は日本で有名な小説家だよ。どうだいエドナ、お前の身の上を小説に書いて貰ったら?」
「上海はどこにいたんだね?」
と、私が尋ねた。
「あたし仏蘭西租界にいました。」
「じゃあ、あの辺のカフェエにでもいたかな。」
「いゝえ、そんな所にいやしなかった。上海ではナイス・ガールだったの。」
「日本へきてからノーティー・ガールになっちゃったのか。」
「ちょいと! お近づきの印(しるし)にシャンパンを抜かない?」
そう云ったのはローザだった。この女は、腕が私の脚ほどに太い、毒々しく脂ぎった大年増で、仏蘭西語と独逸(ドイツ)語を流暢(りゆうちよう)にしゃべるが、私の鑑定に誤りがなければ、恐らく露西亜(ロシア)系の猶太(ユダヤ)人であろう。お客がめったに附かない代りには、いつもダンス場にのろのろしていて、酒をねだるのが上手だった。
「今晩は。」
と、そのときまた一人、階段を降りる足音がして、白い服を着たフローラが顔を出した。
「おや、フローラ、お前もいたのか?」
「あゝ、退屈だから二階で引っくり返っていたのさ。――ボーイ、シャンパンのグラスをもう一つ頂戴。」
「マリアは亜米利加(アメリカ)のジェントルマンに誘われて、箱根のフジヤに行っているの。」
「それじゃエミーは?」
「エミーもどこかへ避暑に出かけた。残っているのはこの四人だけよ。」
「Kさん、あなたはまるでポリスのように調べるじゃないか。」
片手でシャンパンのグラスを挙げながら、キャザリンは、その両脚を子供のようにヤンチャに振った。
「そりゃあそうさ、小説家とポリスは同じようなもんだからな。」
「というのは、どういう訳?」
「だってそうだろう。いろいろ人のことを調べたがってばかりいるから。――あはゝゝゝ。」
皮肉のつもりだったのかどうか、友田は椅子に反り返って笑った。
「そういう訳じゃないんだが、ひどくさびれているじゃないか。今夜はお客は君一人かい?」
「うん、僕一人だ。こういう商売は何といっても夏はいかんな。」
「けれども君は毎晩だろう。」
「僕は避暑なんかに出かけるよりも、この女たちとふざけている方が愉快なんだ。何しろ客が来ないんだから、ここのホールは毎晩我が輩の一人天下さ。夏枯れ時を好いしおにして思うさま酔って暴れてやるんだ。」
「トム、トム、もうシャンパンがなくなったよ。みんなにもっと奢(おご)ってくれない?」
ローザがまた酒の催促をした。
「オールライト! さあ音楽だ! 何かやれやれ!」
友田は大声で怒鳴ったかと思うと、いきなり立って、両手でキャザリンを宙に支えた。彼女はシャンパンのグラスを放さず、その方の手だけを高く翳(かざ)したが、やがて友田は踵(かかと)でクルクル歩きながら、緋の服を着た彼女の体を、シャンパンぐるみ水車のように廻し始めた。
「あれ、あれ、トム! ちょいとお酒を飲ましちゃってよ!」
日本人にはとても発音できないような、鋭いキャーッという声で彼女は叫んだ。
「トム、トム、キャザリンとタンゴを踊って御覧よ。」
そう云ったのはフローラであった。そして彼女はピアノに向って、もうその曲を弾き出していた。
「タンゴか、よかろう! おいK君、君は我が輩のタンゴを見たか?」
「タンゴは知らんね。」
「じゃあ見ていたまえ、こんな工合だ。」
空に浮かんでいた女の体は、ゆらりと一と振り大きく揺られて、地に落されたが、落ちると同時にすっくと立ったキャザリンは、直ぐに友田と手を組みながら、タンゴ・ダンスのステップを蹈(ふ)んだ。――一体私は今までたびたび友田のダンスを見たこともあり、彼が舞蹈に巧みなことは知っているけれども、しかしタンゴを見せられるのは初めてゞある。私は実は、タンゴなどゝいうものは、活動写真で見るほかには西洋人のも見たことはない。いわんや日本人たる者が、それをこんなに器用に踊りこなそうとは、いかに友田でも意外であった。
男は女のかぼそい胴を、背中へ手をかけてしっかりと抱く。そして左の手で女の右の手を握り、あたかも一本の腕のようにぴったり揃えて前へ突き出し、腰を振りながら歩いて行く。あるときは緩く、あるときは迅く、忽ち激しい乱舞になっても、女の体は男の体に吸い着いたまゝ離れない。男が一歩を蹈み出す時、その脚の蔭に必ず女の脚が重なる。男がひらりと身を飜すと、女もそれに纏わりながらひらりと廻る。二人はちょうど縫い合された衣のようで、男を白い表地とすれば女は緋色の裏地である。思うに友田はキャザリンを相手に、始終この踊を踊り慣れているのであろう。太った彼がダンスとなると身が軽いのもさすがであるが、それにシックリ意気を合せて、捩(よじ)れ縺(もつ)れて寄り添うて行くキャザリンは、ほとんど足が地に着いているようではない。彼女は今、自分が踊っていることさえも打ち忘れ、何を思い、何を考える隙もなく、無心にくるくるくるめきながら、男の胸に靠(もた)れかゝって、うッとり酔わされているように見えた。踊はだんだん情熱的に、猛烈になり、ぱっと左右に分れては合し、分れては合する。男は女を斜めに押し倒し、抱き起す時に、大きな魚を釣り上げたように、一本の指頭で吊るし上げると、女は五六遍キリキリ舞いをして、また仰向きにだらりと吊り下る。彼女の栗色の断髪は、つやゝかに揺れ光り、倒(さかさ)まに垂れたその顔には、シャンパンの酔いが発したのか、一時に紅く血が上った。
友田は続けざまに何番も踊った。そして踊の合間には、次から次へと、いろいろな酒を無闇に呷(あお)った。見る見る彼は酔い始めたが、その急激な、妙に慌たゞしい酔い方は、ちょうどこの間のプレザンタンにおける場合と同じであった。
「あゝ、くたびれた!」
ふうッと大きく溜息をついて、どしんと椅子へ掛けるや否や、今度はフローラを、グイと膝の上に引き寄せて抱いた。
「トム、お前のお酒は、それはなアに?」
「ベネディクティン、………」
「あたしに一杯飲ましておくんな。」
フローラが下から、口を開けて迎えた。そして咬(くわ)えていた煙草を、あべこべに友田の口へ挿した。
「ペッ、ペッ、苦い煙草だなあ。」
「苦けりゃお止し、あたしが吸うから。………」
「うゝん、おくれ、何卒(どうぞ)お願い。………」
甘ッたれた声で友田は首を振りながら、やがてどろんとした眼つきで、私の方を振り返った。
「どうだいK君、僕のタンゴは?」
「盛んなもんだね。」
「盛んなもんだじゃ分らないな、巧(うま)いとか拙(まず)いとか云ってくれなきゃ。」
「巧いもんだ、恐れ入ったよ。」
「よし! 恐れ入ったら一杯飲みたまえ。」
「やあ、もう盛んに飲んでいるんだ。」
「あはゝゝゝ、また盛んか。」
友田はたわいもなく笑った。
「だけども君はどこでタンゴを習ったんだね?」
「そりゃあこいつを覚えるのにゃあ、苦心したもんだよ。別に習った訳じゃあないが、つまり散々カフェエやキャバレを荒した結果さ。」
「いつ時分?」
「ずっと昔。」
「洋行中にか?」
「馬鹿云っちゃいかん、憚(はばか)りながら洋行なんかしたことはないんだ。」
「でも日本でじゃないだろう、上海あたりで覚えたのか。」
「おい、おい、ポリス気質を出しちゃいかんよ、あはゝゝゝ。」
私はさっきから、機会があったら例の話を持ち出そうとしていたのだが、友田はどろどろに酔っているように見せながら、決してキッカケを与えなかった。彼の側にはローザが腰かけ、その後にはキャザリンが、椅子の背中から腕を伸ばして、フローラの手を握っていた。三人の女が絡まり合っている中に、友田は花束に埋れたような恰好(かつこう)で、時々一つの杯をあっちへ渡し、こっちへ渡しゝた。が、そうしながらも油断していない証拠には、私が何か云いそうになると、ふいと立ち上って、
「さあ、来い、フローラ、アパッシュ・ダンスだ。」
などゝ云いながら、両手をひろげて、よろよろ踊り出すのであった。
こゝで私は、彼の不思議な遊び振りについて説明しておく必要があるが、一体友田は今夜に限らず、この家へ来るととかくこういう悪ふざけをする癖があった。それは一つには、女どもが彼をチヤホヤして、何でも彼の云うなり次第になるせいもあろうが、彼自身もまた、酒を飲んでは多勢を相手に馬鹿騒ぎをする、つまり陽気な、ぱッとした遊びが好きなのであって、誰でなければならないという極まった相手があるのではない、――時間つぶしに来るだけのことで、女を抱くのが目的ではない、――事実はどうか分らないとして、うわべは人にそう見せていた。私は一時、彼の相手はキャザリンではないかと疑ったこともある。けれども、今まで、一度もそれを確かめ得たことはなかった。例のフィリッピン人のボーイに聞いても、「トムさんに女はありません。あの人は実に奇妙な人で、いろいろな姿の写真を撮ったり、随分ひどいいたずらはしますが、唯それだけのことなのです。変った人もあるものですよ。」と云うのであった。それで私は、たびたび彼の傍若無人な、眼に余るような乱暴狼藉を見せられているから、別に今さら驚くことはないのであるが、今夜の騒ぎ方は少し常軌を逸していて、ほかにお客がないからの不遠慮ばかりとは思えなかった。やっぱり彼は、腹の底に何か不安があるのではないか。絶えずある者に追いかけられているような、落ち着かない気分でいるのではないか。そしてその気分を胡麻化(ごまか)すために、酒を飲んだり、大声を出したり、ドタバタ踊ったりするのではないか。そういえば彼は、さっき私が這入(はい)って来た時は、静かに女たちと話していた。彼がソワソワし出したのは、私の顔を見てからであった。あたかも私というものが彼のためには甚だ忌まわしい影を背負って来たかのように。………
「あッはゝゝゝ、トム! どうしたというのよお前さんは!」
「トム! トムの酔っ払い!」
見ると友田は、フローラに突き飛ばされてホールの板の間へ臀餅(しりもち)をつき、ビリケンのように腹をつき出し、足を投げ出してペチャンとすわっている。それを女どもが手を引っ張って抱き上げようとするのだが、腹が重いのでなかなか上らない。上りかけてはズルリと落ちて、またペチャンとなる。キャザリンが帽子を持って来て頭へ載っける。ローザが頸飾(くびかざ)りのビーズを外してその頸へかける。友田は急に膝を折って大仏様の表情をする。かと思うと、やがてムックリ起き上って、またフローラを掴まえては「アパッシュ・ダンス、アパッシュ・ダンス」と喚(わめ)き立てる。タンゴ・ダンスは踊れるけれども、アパッシュ・ダンスは友田一流の出鱈目(でたらめ)踊りで、無闇に女を突き飛ばしたり、胴上げをしたり、腰をすくったり、何の事はない、まるで柔道の稽古のように荒々しい。フローラの紅い髪の毛は、――多分染めたのに違いないが、それは全く非常に紅い髪の毛だった、――ばらばらに乱れて炎のように額に降りかゝり、着物はところどころ綻(ほころ)びが切れて、おりおり肩が丸出しになる。男も女も皆酔っ払って、淫らな風を何とも思わない。その光景を眺めながら、彼らがべらべらしゃべり立てる英語や仏蘭西語を聞いていると、ここは日本の横浜ではなく、巴里かどこかの居酒屋にでもいるようであった。
「K君、K君。」
と、不意に友田は、私がぼんやりアッケに取られている後(うしろ)から、腕を捉えた。
「酔ったぜ僕は。今夜は特別に馬鹿に酔ったぜ。こういう晩には底抜け騒ぎをしてやるんだから、君も一緒に踊りたまえ。」
友田は、私にも英語を使った。その云い方には、酔いに紛れて人を圧迫するような、変にずうずうしい調子があった。
「いや、僕はいかん、暴れる方は君に任せる!」
「ふうん、そうかい、それじゃあれかい?」
彼は眼の角でニヤニヤしながら、頤(あご)でエドナの方を示した。
「え、どうだいアレは?」
「悪くはないな。」
「あッはゝゝゝ、恐れ入ったろう。僕の云うことは(うそ)じゃなかろう。思召(おぼしめし)があるなら遠慮はいらんぜ。」
エドナは独り隅の方にかけ離れてギタルラを弄(もてあそ)んでいたようだったが、騒ぎが激しくなるに従い、もうその楽器をあきらめたらしく傍に置いて、両手をしとやかに膝の上に重ねていた。この頃来たので場馴れないせいもあるのであろう、じっと静かに、うッとり黒眼がちの瞳を据えて、放心したように椅子に靠(もた)れている姿は、洋服を着てはいるものゝ、なまめかしさがちょっと日本の芸者のような感じである。私は再び、その美しい肩の円みを眺めた。膝の上の手も象牙のようにほの白く、その指先の薄紅いのが際立っていた。
「あのおッとりとしているところが気に入ったな。」
「気に入ったらば二階へ行きたまえ、どうせ今夜は泊るんだろう。」
「うん、どうしようか、十一時だな。――」
私はポケットから時計を出した。
「泊るさ、泊るさ、忙しいことはないんだろう。」
「泊ってもいゝが、今夜はそんなつもりじゃないんだ。」
「あッはゝゝゝゝ、イヤに勿体(もつたい)をつけるじゃないか。」
「実は何だよ、君に話があるんだが、松永しげ女から返事が来たぜ。」
出し抜けに私はそう云って、直ぐに続けた。――
「やっぱり君が亭主に違いないと云うんだ。なるほど写真は別人のように見えるけれども、それでも何でも友田銀蔵は松永儀助であることを直覚的に信ずると云うんだ。」
「おい、オドカスない! 悪い洒落(しやれ)だぜ。」
友田はがッと何か大きな塊を嚥(の)み込むような様子をして、眼玉全体が白眼になるほど眼を見張った。
「いや、ほんとうにそう云って来たんだ。そればかりじゃない、もっと委しく君の素性を知らせてくれという訳なんだ。」
「実にしつッこい女だなあ、写真が違えばそれで分っているじゃないか、何をそれ以上疑うんだ。君に対しても失敬じゃないか。」
「そう怒ったって仕様がないさ、向うは亭主に逃げられちまって血眼になっている際だから、いろいろ想像するんだろうよ。」
「どうも小説家はそれだからいかん! 女の事だと察しがよくって。」
「そりゃあ僕は同情するね、第一最初の手紙の書き方が、当世でなく、奥床しくッて、馬鹿に惚れ込んじゃったんだ。僕が亭主ならあの手紙を見て直ぐに帰るね。」
「じゃあそうしたらどんなもんだい、亭主の代りに行ってやったら。」
「冗談でなく、君が直接手紙をやってくれないかな。自分はこれこれこういう男で、決して松永某では有り得ないということを十分に納得するように書いて、戸籍謄本でも附けてやったらよくはないかな。」
「そんなことをする必要はない。」
「君が必要がなくっても、向うの女が可哀そうだよ。」
「僕はその女に同情がないんだ。」
「だってこのままにしておくと、向うはいよいよ君を疑うばかりだと思うが、それでも構わんというのかね。」
「構わん、構わん、写真を送ってやった以上はこっちの義務は済んでいるんだ。もうその話は止そうじゃないか。」
「困ったなあどうも! 何しろ先は僕を唯一の頼りのように思っているんで、打っちゃっとく訳には行かないし、そうかといって君の素性を委しく教えてやりたくっても、僕は一向知らないんだし、………」
私はわざと空惚(そらとぼ)けて云ってやったが、友田は脅やかされたように私を睨んだ。
「君は何かい、知っていれば教えてやるつもりかい?」
「そりゃ教えてやる。――実は知っている限りのことは、ちゃんと教えてやっちゃったんだ。」
「どんなことを?」
「僕の知っている限りのことをさ。――この間の晩の会話のことから、君と僕との関係から、指輪のことから、何から何まで、――」
指輪のことゝ云った時に、友田の眼には抑え切れない憤懣の色が浮かんだ。彼は手を挙げて、私を擲(なぐ)りそうにした。もしも二人きりであったら、実際擲ったかも知れなかったが、彼は「チョッ」と舌打ちをして、床を二三度荒々しく往ったり来たりした。
「ヒドイじゃないか、そんなことをして! だから日本人は困るというんだ! 遊び友達というものは、互に秘密を守り合うのが徳義なんだぜ。」
「何を日本語でしゃべってるんだい!」
と、ローザが酔いどれた声で怒鳴った。つゞいて誰かほかの女の声が聞えた。
「シャタップ、シャタップ! 日本語はここじゃ禁物だよ!」
「けれどもそれは軽い徳義だ、僕はしげ女にウソをつく方が、もっと不徳義だと思ったんだ。それに何だよ、そう云うと君は一層怒るかも知れないけれど、しげ女が君を疑うのにも、多少の理由はあるような気がするんだ。」
「ふうん、というのは?――」
床を歩いていた友田は、あたかも弾丸があたったようにピタリと立ち止まった。
「考えてみると、君と僕とは随分古い附合いのようだが、やっぱり四五年置きぐらいに、ときどき交際が途切れているようだよ。そうしてちょうどその年月が、松永の方と合うようになるんだ。僕はしげ女の手紙を読んで、初めてこのことに気が付いたんで、不思議な感じがしたもんだから、ほんのその場の感想としてしげ女にも書いてやったんだがね。………」
「君はそれじゃあ………」
友田が半分云いかけた時、パチ、パチ、パチ、と、部屋の電燈を赤くしたり、青くしたり、真暗にしたりした者があった。とたんに鋭く、
「もう好い加減に止さないかッたら!」
と、キャザリンが叫んだ。
「トム! 日本語を使うのは止めておくれよ! あたしたちが詰まらないわよ。」
「トムはお酒の上が悪いよ! 何をKさんに怒ってるんだい?」
「いや、安心しろ、何でもないんだ。この小説家が気違い女に惚れているんで、意見しているところなんだ。なあK君、それに違いないだろう。」
「そうそう、正にその通りだ。」
「あはゝゝゝ。」
友田は痙攣(けいれん)的に笑った。まだパチパチと眩い閃光が続いているので、その顔色は分らなかったが。………
4
友田銀蔵はどうなったであろうか?
私はその後の事を知らない。
あの晩以来、友田は二十七番館へ来なくなってしまった。そしてその二十七番館も、ほどなく閉鎖してしまったのである。
大正四年に、彼が姿を晦(くら)ました時にも、彼の巣であった十番館が直きに空家になったのである。即ち友田は、今や三度目の韜晦時代に這入ったものに違いなかろう。それが松永儀助の方と、関係があるかどうかということは疑問だけれども。…………
その後まる一年の間というものは、特に記すべき出来事もない。
その明くる年、大正十年の十月に、松永儀助が彼の郷里、大和の国添上郡柳生村へ帰って来たという知らせを、私はしげ女から受け取った。彼は今度も、足かけ四年目に戻ったのであった。
絶えて久しい我が家の前に彼が始めて現われた時の、一家の喜び、親子夫婦の面会の場面、万事はしげ女の書信の中に委しいのだが、それらは読者の想像に委せる。たゞ書き加えておきたいことは、あれほど父を恋い慕っていた長女の妙子は、好い塩梅(あんばい)に当時病気が快方に向い、松永の家庭は、喜びの上にも喜びを重ねたのである。
田舎に落ち着いた後の松永が、どんな素振りで、どういう生活をしているかについては、しげ女はしばしば私に報告することを怠らなかった。彼女の語る所によれば、夫は四年という月日をどこで暮らして来たのであるか、それは一と言も云わないけれども、和服姿で、例の手提鞄だけを唯一つ持って帰ったことや、その日がやっぱり秋の夕ぐれだったことや、ひどく窶(やつ)れて、痩せ衰えていたことや、家族の者に大変やさしく、涙脆(もろ)くしてくれることなど、すべての様子がこの前戻って来た時と少しも変らないのであった。そればかりでなく、しげ女は夫の鞄の中に、今でも昔の通りの物が、――ハガキと、写真と、印形と、紫水晶の指輪とが、正しく忍ばせてあることを、間もなく確かめることが出来た。
「夫はどうしてあゝいう物を未だに所持しているのでしょうか、その写真やら指輪やらが紛う方なき友田氏の物であるかどうかを、一度あなた様に見て戴けたら、疑いが晴れるでございましょうが、」と、しげ女はある時云って寄越した。「もはや夫が戻って参りました上は、その疑いを強いて究める必要がないとは申すものゝ、また三四年たちましたら家出をするやも測り難く、わたくしとしましては何かの場合にやはりそのことを知っておきたいのでございます。わたくしは時々、いつぞやお送り下さいました友田氏の写真をそっと取り出し、夫の顔と見比べたりなどいたしますが、友田氏は若く、夫は年老い、一方は太り、一方は痩せ、同じ人とは受け取り難いようでもあり、またある時はどこか面ざしが似通っているようでもあり、いよいよ迷うばかりでございます。」――彼女はその迷いを、私を措(お)いては誰に洩らすべき者もないので、暇を偸(ぬす)んでは訴えて来た。
越えて翌年、大正十一年の三月の末、私は京都から奈良に遊んで、暫くそこのホテルに滞在していたが、しげ女はそのことを新聞で知り、ホテルへ宛てゝ手紙を寄越した。
「この頃あなた様はそちらに御逗留遊ばすとのこと。奈良と申せばここから僅か五六里のところ、何かの折にお目に懸れゝばどんなに仕合せでございましょう。この柳生村と申すのは関西線の笠置駅で降り、あれから名高い梅の名所、月ヶ瀬へ参る途中の村でございます。つきましては、只今はちょうど梅も見頃、自然月ヶ瀬へおいでになることもございましたら、きっとこの村をお通りになると存じますが、お暇はございますまいか。わたくしこと、おついでの節あなた様にお立ち寄りを願い、一昨年以来のお礼も申し上げ、かつ夫にもお引き合せ致したく、あなた様のお目がねにて、長年の疑いを解決することが出来ましたらと、勝手ながらそのようなことを考えております。お断り申しておきますが、夫はあなた様とわたくしとが折々文通いたすのを知っておりますが、その事につき別に立ち入って尋ねたことはございません。わたくしはあなた様の愛読者として手紙を差上げるという風に、つねづね夫に申しており、夫はまた、自分の留守中わたくしがあなた様のお作物を読み、淋しき時を慰められていたことを喜んでいるようでございます。………」
かようなしげ女の消息は、いたく私の好奇心を唆(そそ)った。私は梅を見るよりも、松永儀助の人柄を見るのが目的で、彼女の家を訪れる気になったのである。
明くる日の朝、八時に奈良を立ち、そこから三つ目の笠置駅で降りると、月ヶ瀬行きの乗合自動車が駅の前から通っていた。しかしその日はあまりに空が美しく、乗り物に乗るのは勿体ないような天気なので、柳生村までは二三里という麗(うらら)かな路を、私は徒歩で出かけて行った。
途中梅見の客を満載した自動車が何台も通る。それがすみ切った田舎の空気を濁らして、ぽっと砂煙を揚げて行くのが目障りであったが、私は歩き始めると直ぐ、「歩いていゝ事をした」と思った。実際こういう素晴らしい日に、春の大和路をぽつぽつ歩く愉快さは、歩いた人でなければ分らない。多分この道は月ヶ瀬を経て伊賀の上野へ出る県道であろう。大和は大体、吉野郡を除いては奇峭(きしよう)な山や幽邃(ゆうすい)な渓(たに)があるのでなく、平な、やゝ白ッちゃけた明るい路が、ところどころに点在する村落を縫い、小川を渡り、丘陵に沿うてうねっているばかり、一見しては至極あたりまえな景色であるが、その凡庸な、あるがまゝなる田野の姿が、のんびりとして、いかにも春らしい感じである。そして見渡す限りのものが、遠くの方の土蔵の壁や、草葺(くさぶき)屋根や、道端の樹木や、田圃(たんぼ)や竹藪や、何でもないものが皆美しい。皆キラキラと日に輝いて人を酔わせる。冬の外套を着て来た私は、ひとりでに足が進むので、シャツの裏へじっとり汗をかいた。折々ほっと立ち止まっては打ち眺めると、ずっと向うの山の裾(すそ)には紅い霞(かすみ)がゆるやかに棚引き、空には小鳥がしきりなしに囀(さえず)り、いつしか自分は絵にある「平和の村」の中にいた。恐らく武陵桃源(ぶりようとうげん)とはこういう長閑(のどか)な、うらうらとした気分を理想化したものであろう。殊に私の眼をうっとりさせたものは、到る処の傾斜面にある茶畑であった。それらの傾斜は、女性的な、柔和な円みを持つ丘で、その丘の腹にある茶畑は、何という日光の魔法であろう! どれもこれも金色に光るびろうどの玉だった。私は全く、何のために歩いているのかを忘れた。一日この道を行き暮らしても疲れを知らぬ心地がした。
柳生村というのはなかなか広く、村へ這入ってから大分行かねばならなかったが、松永の家は果して旧家であるとのことで、直きに分った。
刺を通ずるまでもなく、中庭に立っていたしげ女は、門へ出て来て私を迎えた。彼女の後から四五歳ぐらいの女の児がチョコチョコ小走りに走って来た。それが大正八年に生れた二番目の娘の文子であった。
「今日はあんまりお天気がよいので、もしひょッとして、こういう日においでになりはしないかと存じまして、………」
しげ女はそんな風に云った。写真の感じを裏切りはしないが、日向(ひなた)にいたせいかその頬は紅く、古風な丸髷(まるまげ)の型も大きく、三十五という歳よりは二つ三つ若いくらいに見え、物云いなどもハッキリしていて、銘仙の衣類も醜くなかった。
邸は旧幕時代のまゝの豪農の構えで、薄暗い間取りであった。奥の客間に請ぜられた私は、「只今主人が御挨拶に参りますから」ということで、暫くしげ女とくつろいで話す時間があった。私は何より、彼女の見事な手蹟のことが頭にあったので、それから尋ね始めたが、彼女は正式な教育としては、奈良の女学校を出たゞけであること、しかしこの家へ嫁いでから、暇に任せて読み書きをしたこと、などを語った。その時私の知り得たことは、この松永家は戦国時代の松永久秀の一族であって、何百年となくこの地に住んでいる、そして彼女が昔風な文字や文章を書き綴るようになったのは、彼女自身の趣味というよりは、むしろこの家の家風による所が多いのであった。夫は最初、まだ母親が存命の時分は、その古臭い家風を非常に嫌った。母が亡い後もそういうしきたりが残っていたので、そのための家出かとも思われたのであったが、この十数年来、気象が優しくなるにつれて好尚もだんだん改まり、今では彼女が和歌を学んだり古典の文学を読んだりするのを喜ぶようになり、近頃は毎朝、「これで手習いをせよ」と云って、法華経の普門品(ふもんぼん)を模写することを日課のようにさせている。夫自身も、祖父の時代に集めた漢籍をいろいろ土蔵から捜して来ては、そんなものに親しんでいる。――で、話がそこへ移って来たので、私が主の健康について尋ねると、
「少しずつ宜しい方ではございますが、どうもはかばかしくございませんので、この春はまた、親子づれで三十三箇所をお参りすると申しております。この前それですっかり体が直りましたものですから。」
と、彼女は答えた。
儀助の体量は十一貫と少しゝかないということだった。それに平素から胃が弱いので食慾に乏しく、日に一回分ぐらいしか食事を取らず、酒はほとんど嗜(たしな)まないというようなこと、もっとも自分も体のことは気をつけているようで、養生法を守っているから、病身といっても案外患った例(ためし)はなく、こういう人はかえって長生をしそうに思えて、さほど心配はしていないということ、長女の妙子もその後お蔭様で丈夫になり、今では奈良の親戚へ預けられて、女学校へ通っていること、――問われるまゝにそれらの近状を細々(こまごま)と話すしげ女の様子は、手紙で想像したよりも晴れ晴れしく、たゞ幸福な細君に見えた。もしも夫が今後長く居着いて、再び国を出るようなことがなかったら、このうらゝかな平和な村に住む彼女は、全く今日のお天気のような長閑(のどか)な余生を送るであろう。
私の質問が手提鞄の一件に及んだ時にも、彼女の顔は予期したほど曇りはしなかった。彼女はそれを私に見せたいとは思うけれども、生憎(あいにく)夫の眼があるので、持ち出す訳に行かないという事情を述べ、その鞄の形状、紫水晶の指輪のデザイン等につき委(くわ)しく語った。私は現物を見ないのであるから、正確なことは云えないのであるが、話だけ聞いたところでは、それらは友田銀蔵の所持する物と符節を合する如くであった。
二人が対談している折柄、外の廊下に、たどたどしい、病人が歩くような足取りが、鬱陶しく響いて、やがて、主の松永儀助が這入って来た。
儀助は私と視線が合った時、はにかむような眼つきをした。彼は四十二になるはずだが、もう五十近い老人に見えた。額や頸の周りには細かい皺(しわ)があり、髪は赤ちゃけて鬢の毛は白く、高く突き出た喉の骨が、物を云うとグリグリ動いた。いや、枯木に着物を着せたような痩せた体のあらゆる関節が、グリグリ動く感じだった。それは私に糸の縺(もつ)れた操り人形を連想させ、今にも糸がぷつりと切れて、五体がバラバラに壊れそうであった。儀助自身もあるいはそんな恐怖に襲われていたのであろう。なぜなら彼の立居振舞には変にビクビクしたところがあり、自分の体を脆い瀬戸物か何かのように、いたわっている様子があった。すわっていても彼は必ず一方の手を畳へついて、ヨロヨロする上体を支えていた。そうしなければ、眩暈(めまい)がするらしく、直ぐ仰向きに倒れそうになった。「神経衰弱のよほどはげしいのに罹(かか)っているな」と、私は思った。
いつぞや順礼の写真を見た時、私は彼の眼の鋭いのに心づいたが、それも病的な鋭さであった。極端な人間嫌い、強迫観念に怯(おび)えている男、――そういう人の持つ眼であった。その青黄色い血色の、疎髯(そぜん)の生えたトゲトゲしい容貌、言葉少なにポツポツと語る皺嗄(しわが)れた声、煙草の脂(やに)で汚れている歯、――いうまでもなく、どこにも友田を想い出させる点はなかった。私は彼の座に堪えぬような素振を見ると、好い加減にして席を立った。
「わたくし共にはあんなではなく、気が向いた時は何かと話もしてくれますし、あなた様のお噂などもする折があるのでございますが、どうも人様の前へ出ますとあゝいう風で、誠に失礼をいたしましたが、………」
と、しげ女は門口へ送って来て云った。
「いや、そんなことは何でもありません。しかし奥さん、せっかくですが御主人は友田銀蔵とは違っています。似ているところがあるようにおっしゃったのは、多分奥さんの気の迷いです。ほんとうに窶(やつ)れておいでのようですから、どうぞくれぐれも御大切になすって上げて下さい。」
私は、しげ女の顔にうら悲しげな色が浮かんだのを見ながら云って、別れを告げた。彼女は門に彳(たたず)んだまゝ、暫く私の後影を見送っていた。
私はその日、とうとうお天気に誘惑されて月ヶ瀬へ廻り、帰りは伊賀の上野へ出て、荒木又右衛門の鍵屋の辻(つじ)を見物したり、芭蕉の墓を弔うたりしたことであった。上野の町は小さいながらいゝ町であった。夜は大盛楼の盆梅を賞(め)で、そこに泊まった。
5
「………K君、君は小説家のことでもあるから、定めしいろいろの変った事実や珍しい話を知っているだろう。けれども僕の不思議な身の上を君に本当に分って貰うには、どこから話し出したらいゝか、君は恐らく僕の云うことをすっかり聞いてしまっても、容易に信じてはくれないかも知れない。――」
友田銀蔵はそう云ってまたコニャックの杯を乾(ほ)した。それは今年、大正十四年の六月のことで、私はあれ以来会わなかった友田と、その晩始めて神戸のカフェエ・サン・スーシーに落ち合ったのである。
「――僕は元来大和国の添上郡柳生村の生れだ。僕の一家は土地の旧家で、戦国時代の松永久秀の子孫であった。従って僕の戸籍上の姓名は松永儀助だ。ナニ? それでは君が一昨々年の三月に会ったもう一人の松永儀助は何者だと云うのか? まあ待ちたまえ、それは話して行くうちに分る。――そうして僕は二十五の歳、明治三十八年にしげ子という嫁を貰った。断っておくが僕はしげ子に惚れた訳でも何でもない、当時大学を出たばかりで結婚する気はなかったのだが、何分そういう旧家のことだから、父がない後は当主の僕がそういつまでも家事を放って遊んでいる訳に行かなかったのだ。僕は母親の命令で、イヤイヤ東京から呼び返されてしげ子を妻に持たされてしまった。僕は勿論不平だった。あんな田舎で一生くすぶってしまうなんて、考えてみてもたまらなかった。何といっても歳は若いし、血気の頃だから、刺戟のない生活が辛抱できない。それに生れつきの享楽主義者で、怠け者で、仕事をするのが大嫌いなところへ、幸か不幸か遊んでいても食うには事を欠かなかったもんだから、暇さえあれば歓楽を趁(お)う夢ばかり見ていた。僕はしきりに都会に憧れた。東京までは行かれなかったが、何とかかとか用事を作っては時々京大阪へ出かけて、祇園(ぎおん)や新町で金を使った。もっとも僕は芸者遊びには飽きていたんで、絶えず新しい歓楽を求めて已(や)まなかったが、当時はそんなことよりほかに許されなかったし、半分はヤケも手伝っていた。ところがそのうちに母親が死んで、眼の上の瘤(こぶ)がなくなってしまった。口やかましい親類はあっても、もう恐い者は一人もない。さあそうなると急に体がウズウズし出した。もうどこへでも自由に行かれる! そして面白い国があったら日本へなんか帰らずともいゝ! 僕はとうとう、ずっと前から行きたい行きたいと思っていた巴里(パリ)へ行くことにきめてしまった。――」
「君も知っている通り、今日の僕は日本人でありながらほとんど西洋人の生活をしている。大体僕の生活といえば酒と女に対する趣味が全部を占めているようなもんだが、日本の酒や日本の女は大嫌いだ。一から十まで極端な西洋崇拝だ。今考えると僕がこういう傾向を持つようになったのは、そんな田舎の旧家に育って、古い習慣に圧迫された反動もあるだろう。それから一二度、東京時代にある悪友の紹介で横浜へ行き、日本人にはめったに這入れない奇怪な夢の国、――白人の歓楽境を覗(のぞ)いたせいもあるだろう。とにかく僕はその時分からすべての東洋趣味を呪った。ちょうど柳生村のあの家の中が薄暗いように、東洋の趣味は皆薄暗い。雅致だの風流だのというのは、天真爛漫の反対のものだ。健康な人間、若い人間、一人前の生活力のある人間のすることでなく、ヨボヨボの老人などが、仕方がなしにつまらない所へ有難味を附けて喜んでいるので、要するにそれは引っ込み思案のヒネクレ主義、卑屈なゴマカシ主義に過ぎない。同じ快楽を味わうのにも、東洋人は十のものを五六分で済ませる。そうしてそれを余情があるとか、奥床しいとか云っている。けれども実は余情があるのでも何でもなく、刺戟を思う存分に取り入れるだけの体力がないのだ、素質がないのだ。たとえば歌を唄うにも、喉から有りったけの声を出さずに、さび声で唄うのをイキだと云う。女が男の前へ出るにも、その肉体美をできるだけ多く見せようとはせず、かえってできるだけ袂(たもと)や帯で隠してしまって、それを色気があると云う。ところが、本当はそうじゃないんで、声を出そうにもウラ声でなければ高い音が出ず、呼吸が続かず、肉体美を見せようにも、露骨に見せれば皮膚は汚いし、手足の線は不恰好だし、つまり素質が貧弱なんだ。それで仕方がないもんだからイキだの色気だのとゴマカシているんだ。僕はそう思って東洋趣味を軽蔑した。東洋人の黄色い顔に不快を感じた。僕の唯一の悲しみは自分もその顔の持主であるということだった。僕は鏡を見るたびに、黄色い国に生れたことの不幸を感じた。黄色い国にいればいるほど、自分の顔が一層黄色くなるような気がした。僕の願いは一刻も早く、この生ぬるい、気が滅入るような薄暗い国を飛び出して、西洋へ逃げて行くことだった。そこにはイキだのさびだのというイジケた趣味でなく、声高らかに歓楽を唄う音楽がある。露骨にすれば露骨にするほどなお美しい肉体がある。そこにあるものは余情の反対、含蓄の反対、強い色彩、毒々しい刺戟、舌の爛(ただ)れるアルコール、――十のものなら十二分にも味わうという積極的の享楽主義、飽くことを知らぬ陶酔の世界だ。僕はそういう西洋の生粋の地として、巴里(パリ)を目指した訳だったのだ。」
「出かけたのは明治三十九年の夏で、その時しげ子は姙娠していた。僕は内々、生きて日本へ帰らない覚悟をしていたので、家族が後で困らないようにそれだけの手当をしておいたが、しげ子もうすうす、僕にそういう決心があるのを感づいていたゞろう。心のうちでは夫の無情を恨みもすれば、泣きもしたゞろう。しかし夫の我ままな気質を知っている彼女は、たゞ温順(おとな)しく云いつけを守るより仕方がなかった。僕も国を出る時は多少哀れな気がしたけれども、船へ乗ると直ぐ、そんな事はキレイに忘れた。なぜかと云うのに、仏蘭西(フランス)へ上陸するまでもなく、日本を離れると早速上海を振り出しに、もうその歓楽がポツポツ始まったのだから! 正直に云うが僕はあの当時、到る処の港々でその土地に住む女に惚れた。いっそ巴里なんか止めてしまって、この女の傍で暮らしてやろうかと、どこでもそう思ったくらいだった。が、さてその次の港へ着くと、より新しい未知の世界が僕を迎える。日本から遠くなればなるほど、一歩々々に僕の惑溺(わくでき)は深くなり、陶酔は強くなる。こうして僕のデカダン生活は巴里へ着いて絶頂に達した。――」
「東洋人の慎しやかな頭ではほとんど想像することの出来ない絢爛(けんらん)なもの、放埒(ほうらつ)なもの、病的なもの、畸形(きけい)なもの、――あらゆる手段と種類とを尽した、眼の眩(くる)めくような色慾の渦巻、――僕の見た巴里は、全く僕がこの世に有り得ない淫楽の国として、わずかに夢に見ていたところのそれであった。僕は勿論身も魂も捨てるつもりでその渦巻に巻き込まれた。享楽主義者が享楽のために斃(たお)れることは覚悟の前だ。酒の毒、煙草の毒、美食の毒、女の毒、――それらの毒に五体が痺(しび)れて死んでしまうなら、むしろ自分の願うところだ。僕は歓楽に浸る度毎に、これがいよいよ最後ではないかというような気がした。今日は死ぬか、明日は死ぬかと思いながら遊んだ。その『死の予覚』は僕を臆病にさせないで、かえって勇敢に奈落の底へ突進させた。『死』を思うが故に酒も女も一層深刻に僕を魅惑した。――」
「こうして僕は、巴里へ着いてから一年半ほど立った頃には、精神的にも肉体的にも、全く『西洋』に同化してしまった。洋行すると誰でも多少西洋かぶれがするものだけれど、恐らく僕ぐらい徹底的に、そうしてしかも短時日の間に、体質までもガラリと変ってしまった者は少いだろう。僕は自分ではそんなに激しく変ったことを感じなかったが、もうその時分、たまたま往来で日本人に出遇っても、僕を彼らの同胞であると認める者は一人もなかった。ある者は僕を伊太利(イタリー)人だと云い、ある者は西班牙(スペイン)人だと云った。僕が我ながら自分の変化に驚いたのは、ある晩友達の女を連れてカフェエへ行くと、直ぐ隣りのテーブルに日本人が腰かけている。見るとその男は、大学時代にかなり親しく附き合っていたSという旧友ではないか。しかるにSは僕の方を見ても知らん顔をしている。僕は不思議でならなかったが、なるほどそうか、自分はそれほど昔と違ってしまったのか、Sが見てさえ分らないくらいになったんだなと心づくと、何とも云えない愉快な気がした。僕はわざわざ立ち上ってSの前へ顔を突き出して、仏蘭西語で話しかけてやったけれども、僕のこの声を聞いてさえ、やはりSには分らないのだ。僕はあんまり嬉しくって、自分の部屋へ飛んで帰って、鏡の前でつくづく自分の姿を眺めた。それから、出発当時日本で撮った写真があったのを思い出して、それを持って来て比べて見ると、まあ、どうだろう! 顔つき、体つき、皮膚の色つや、眼の表情、――まあ人間が、たとい環境が違ったにもせよ、僅か一年半ほどの間に、かくまで変化するということがあり得るだろうか! 一体僕は国にいた時分は痩せていたものだが、航海中に連日連夜酒を飲んだので、だんだん酒太りに太り始めて、もう仏蘭西へ着いた頃には以前の洋服が着られなかったくらいだから、自分の体が急激に肥満しつゝあることは知っていたけれど、それが人間全体の感じを一変するほどになっていようとは、今の今まで、こうして写真と比べて見るまで気が付かなかった。過去の自分の姿を見ると、僕は変ったというよりも知らない間に、一人の別な人間になっているではないか! 大和の国の添上郡柳生村に生れた、松永久秀の子孫であるところの松永儀助という者は、いつの間にやらこの世にいなくなってしまって、代りにここに一人の男が、――日本人だか、伊太利人だか、西班牙人だか、人種も国籍も分らないところの一人の男が、鏡の前に立っているのだ。そうしてこれが現在の『自分』というものなのだ。そう思った時の僕の気持は、何と云ったらいゝか、一種異様な恐怖に近いものだった。よく西洋の怪談などに、自分と全く同じ人間が現われて来る話があるが、僕のはそれと反対に、自分がそのまゝ他人に化けてしまったのだ。僕は何だか、悪魔に憑(つ)かれているような気がした。『己(おれ)は一年半前まではこんな人間だったのか』と、またしみじみと『松永儀助』の写真を眺めた。なるほど、なるほど、これではSに分らなかったのは当り前だ、自分が見てさえこれが自分の写真であろうとは、とても考えられないのだから!」
「そうだ、己はもう松永儀助ではないのだぞ。この写真に写っている一人の見知らない日本人、――痩せた、陰鬱な顔つきをした東洋人は、己とは何の関係もないのだぞ。僕は心中にそう叫んで、写真を床に叩きつけた。僕の胸にはその時新たなる歓喜が湧いた。自分は最早日本人ではなくなっちまった、完全に西洋人になり切ったと思うと、僕は夢中で凱歌(がいか)を奏し、双手(もろて)を挙げて躍り狂った。日本の食い物、日本の着物、その他いろいろの日本の習慣が記憶に浮かんで来たけれども、それも僕には、自分の過去の経験ではなく、ある東方の未開の人種の生活のように思い出された。この仏蘭西のマルセーユから船に乗って、東へ東へと一と月半も海を横ぎると、やがて日本という島国がある。そこの人間は黄色い顔をして、薄暗い家の中に住み、話をする時は小声でゴモゴモと口の内で語り、朝は黒い漆を塗った木のお椀で味噌汁を吸う。まあ何という色彩のない、じめじめした生活だろう。そうして寝台も椅子もなく、起きている時は天井の低い部屋の中に、膝を折ってすわっている。その窮屈さは想像したゞけでも息が詰まる! もしも『松永儀助』ではない現在の僕――僕はその時分ジャック・モランという仏蘭西名前で自分を呼んでいた。――が、そんな生活の中に置かれたら、一日も生きては行かれない気がした。」
「それなら僕が、こうして現に日本にいるのはどういう訳か、死ぬまで西洋にいなかったのはなぜかと君は云うのかね? さあそこだ、僕はそこにも悪魔のいたずらがあるのを感じる。というのは、今話したように僕はすっかり巴里の讃美者になってしまって、たゞもう毎日耽溺(たんでき)の上に耽溺を続けていた。無論死んでも日本へ帰るなぞという気は少しもなかった。体もその後ますますムクムク太って来て、その絶頂に達した時には、日本の目方で二十貫五百目もあった。そして皮膚の色はいよいよ白くなり、頬には薔薇(ばら)色の紅みがさしてピカピカと輝き、これでは『死んでも帰らない』どころか、なかなか死にそうな様子もないので、僕は一層、底の底まで歓楽の酒をすゝった。すゝってもすゝってもも飽くことを知らなかった。人は健康になろうと思ったら、西洋流に強く明るく、積極的に生きることだ。食慾であろうが色慾であろうが、欲するまゝに腹一杯貪ることだ。東洋流の消極主義はかえって人間を病弱にする。見ろ! 己は西洋に同化してから、この通り丈夫になったじゃないか。いくら遊んでも不養生をしても、どんどん太る一方じゃないか。この逞しい体格が積極主義の勝利を語る何よりの証拠だ。――僕は次第にそういう信念を持つようになり、すっかり大胆になってしまった。その時分の生活の面白さといったら、気候はよし、食い物は旨し、心配な事は何一つなし、恋の冒険は後から後からと成功するし、賭博をやれば勝つばかりだし、………全く、果てしもない『幸福』の海の中を、順風に帆を揚げながら乗っ切って行くようなものだった。おまけに懐にはまだ十分に金があったし、たとえその金を使い尽しても、堕落することを厭(いと)わなければ食って行く道はいくらもあった。なあに、阿弗利加(アフリカ)の黒ん坊でさえ面白可笑(おか)しく暮らして行ける巴里のことだ。黒ん坊の真似ぐらい出来ないことがあるもんか。そうしてまかり間違えば野たれ死をするまでのことだ。――僕はそのくらい呑気(のんき)に構えていたもんだったが、前にいう悪魔のいたずらというのは、ちょうどこの最中にやって来たんだ。何でもそれはお天気のいゝ、日本で云えば小春日和(びより)の午後のことだったが、ブールバールを散歩していると、あんまり並木が美しいので、僕はフイと立ち止まって、高いプラターヌの梢から青い青い空を見上げた。と、そのとたんどうしたはずみかグラグラとして、空一面に細かい泡が粒だって見え、急に眼の前が晦(くら)くなってグーッと仰向けに倒れかゝった。ほんの一瞬間の発作で、オヤ変だな、と、思う間もなく直ぐに回復してしまったから、その日はそれきり忘れていたけれど、しかしその後、そういう発作がときどき起って、突然上を向くと眼がグラグラする。後頭部に分銅(ふんどう)が吊り下っているような、鈍い重い感覚があって、後へ引っ張られそうになる。ところが段々、上を向く時ばかりでなく、俯向(うつむ)く時にもハッと驚くことがあった。ある時往来で手袋を落して、それを拾うために屈もうとすると、体じゅうの血が一挙に脳天へ逆上して、頸の周りの血管がはち切れそうに膨れ上り、顔はうで蛸(だこ)のようにカッカッと熱して、そのまゝ気が遠くなると同時に大地へ突んのめりそうになった。オヤオヤ、これは不思議だ、一体己はどうしたというんだ。………僕はその時はちょっと慌てた。もっとも達者な人間でもどうかした加減で眩暈(めまい)がすることはあるもんだから、多分何でもないんだろう、一時の現象に過ぎないんだろうと、タカを括(くく)っていたのだったが、それがやっぱり、靴の紐を結ぶ時とか、髪の毛を洗う時とか、俯向く度毎にどうしてもイケない。甚だしきはある日食堂で熱いスープをすゝっていると、突然カッカッと逆上し出して、気が遠くなって、スープの皿へペタンとお時儀(じぎ)しそうになった。僕は危く、鼻の頭へスープを着けそうにしたとたんにはッと気を取り直したけれど、その驚きは非常だった。スープが熱かったせいかも知れぬが、それを飲むために俯向いたくらいで逆上するのじゃ、ウッカリ人中へ出ることも出来ない。これは神経衰弱かしらん? あるいはまた、悪い病毒が頭を侵して来たのかしらん?………不思議なもので、そうなって来ると僕はにわかに臆病風に吹かれ始めた。『まかり間違えば野垂れ死をする』という覚悟は今でも変らないつもりでいながら、僅かな眩暈や逆上ぐらいでも急に心臓がドキドキ鳴って、無闇に恐ろしくてたまらなくなる。臆病風という奴は、コッソリ人間の心に喰い込んで、不可抗的に襲って来るのだから、いくら死ぬ覚悟をしていたところで、こいつは防ぎようがない。つまり『死んでもいゝ』ということゝ『死の恐怖』とは両立するのだ。死んでもいゝが、恐いことは恐いのだ。僕はこいつに襲われると、全く屁でもないことが恐ろしかった。何だ貴様は! 死んでもいゝと云っていたのに、こんな事が恐くってどうするんだ! そう思いながら、たゞ理窟なしに体じゅうがワナワナ顫(ふる)えて、顔は土気色に真っ青になり、ぞうッと冷汗が湧いて来て、アワヤ卒倒しそうになる。往来のまん中でも、人ごみの間でも、咄嗟(とつさ)にそれが起って来ると、僕は夢中で気違いのようにバタバタ駈け出す。髪を掻(か)き毟(むし)る。家に居る時だと床板を蹴ったり、ドーアや壁に打(ぶ)つかったり、手あたり次第にそこらの物を投げ飛ばしたり、洗面台へ駈けつけて頭から水を打っかけたりする。動悸は一層激しくなって今にも心臓が破裂しそうに早鐘を打つ。その恐ろしさは五分か十分ぐらいしか続かず、ブランデーを二三杯飲むと大概静まってしまうのだけれど、いつ何時突発するか分らないので、僕は毎日ビクビクしていた。どんな時でもブランデーの罎を放したことはなかった。」
「この馬鹿々々しい恐怖の襲来は、初めは独りぼっちの時に限っていたんで、自分以外に気が付く者はなかったから、その間は始末がよかったけれど、だんだんそうでないことが起った。僕はその時分、スーザンという踊り児に惚れていて、明け暮れその女と会っていたんだが、するとある晩のことだった、いつものように二人はお約束の場所に落ち合い、僕は長椅子に腰かけながら、スーザンと甘い囁きを交していた。このスーザンは特別に生地が白かったから、僕は今さらその美しさに打たれたように、鼻先にある彼女の真白な腕を視詰(みつ)めた。『あゝ、何という素晴らしい肌をしてるんだろう』と、いつも感じることなんだけれど、その晩は殊に惚れ惚れと眺めた。そうしてこう、腕の方を見ている間は、ただうっとりと、魂を奪われているだけだったが、それから次第に視線を移して、その腕よりもなお冴え冴えと、抜けるように白い肩の肉づきを見たと思ったら、にわかに僕は総毛立つような戦慄を覚えた。僕の視神経がその肩の皮膚の異常な『真っ白さ』に曝された瞬間、アッという間に僕はグラグラと眩暈を感じて、冷たいものがヒヤリと胸に衝き上った。『あゝ真っ白だな』『あゝ美しいな』と思う感じが、直ちに一種の恐怖となって、あたかも高い絶壁の上から深い谷底を覗いたように、僕の両脚はガタガタ顫えた。女の肌の真ッ白いのが恐ろしいなんて、考えると滑稽だけれど、それが図抜けて美しい場合は、そうしてしかも惚れた女の体の一部である場合は、誰でも胸がどきッとして、軽い寒気を感じることがあるものだろう。つまり僕にはその刺戟がヒドクきたんだ。『おや、お前さんどうしたのよ? 顔の色が真っ青じゃないか』とスーザンは云って、いたわるように擦り寄って来たが、そうされるとなお、その白い肌が一と際まざまざと迫って来るので、僕の恐怖は極点に達した。僕は夢中でスーザンの手を振りもぎって、洗面台へ駈けつけるや否や、シャーッと頭から水をかぶった。『スーザン、スーザン、ブランデーを! 早く、早く!………』と、そう叫んだまでは覚えているが、それから先はぼうッと気が遠くなってしまった。………」
「あゝ、ほんとうに己は何という不仕合せな人間だろう! あんな可愛い女がありながら、もうその女と恋を楽しむ気力もないとは!………僕はスーザンの抱擁を逃れて宿へ帰る道すがら、そう思ってしみじみ自分が恨めしかった。さしあたっての当惑は、その次の晩もまた会う約束になっていたので、それをどうして切り抜けようかということだった。昨夜のような醜態を見せて愛憎を尽かされるくらいなら、いっそ此方から捨てゝしまおうか? が、自分はスーザンがイヤになったのでも何でもない。今夜もあの女が待っていると思えば、やっぱり会いたくてたまらなくなる。あの真っ白な肌の色も、発作が去ってしまった後では、恐ろしいどころか忘れがたない魅惑の種で、あれほどの女を捨てることなぞ出来るものかと、なお恋しさが増して来る。とうとう僕は思い切って、『今夜はどうか発作が起りませんように』と心のうちで祈りながら、女のもとへ出かけて行く。こういう風にしてそれから後も逢っていたけれど、大概の晩は重くか軽くか発作が起る。そうして何より困ることは、単に肌の白さに限らず、美しいものでも楽しいことでも、刺戟が強くなり過ぎるとすべてイケない。ウッカリ図に乗って恋の歓楽を絶頂まで登り詰めようとすると、忽ち恐怖の谷が開けて、不意にズシンと冷たい地の底へ引き落される。燃えるような唇が近よる時、腕と腕とが永劫(えいごう)に離れじと絡み合う時、無邪気にきゃッきゃッとイチャツキ合っている時、………発作は意地悪くもそういう折を狙ってはやってくる。歓楽の度が激しい時は、あたかもそれを木ッ葉微塵に打ちのめすように、一(ひ)と入(しお)恐怖の度も激しい。従って僕はたとい発作が起らない時でも、恐怖の予感に脅やかされて、十二分の楽しみに耽(ふけ)ることができない。これは何という皮肉だろうか? 十のものを十二分にも味わうという享楽主義、積極生活を信ずる僕が、その信条を実行することが出来ないハメに陥ったというのは?………」
「………K君、僕が君に聞いて貰いたいのはここのところだ。僕は今も云うようなみじめな状態に落ち込んでから、毎日々々、どんなに懊悩(おうのう)したゞろう。巴里の空は相変らず青々と晴れ、日はうらゝかに照り輝き、美しい女は数知れず街を通るけれども、その空を仰げば眼が廻るし、日の光に射られゝば上(のぼ)せてくるし、白い肌を見れば恐くなる僕には、もうそんなものは何の慰めにもならない。僕の視覚は既に太陽の光線にさえも堪えられないほど、衰えていたのだ。僕は日の光のさゝないような、うす暗い部屋に閉じ籠ったきり、もぐらもちのようにじッとへたばって考えつゞけた。と、その時ふいと、僕の脳裡に浮かんで来たのは、ちょうど自分が今いる部屋と同じように薄暗い、そうしてどこか優しみのあり、柔かみのある、大和の国のあの故郷の家のことだった。自分がその家を捨てゝ来たのは僅か一二年前だけれども、それは実に古い古い、遠い昔の記憶のように思い出された。生れ落ちてから二十何年という間、極く旧式に暮らして来た、その家の中での生活の有様、………夜寝る時は今でも古風な行燈(あんどん)をともす習慣だったが、その行燈のぼうッと枕もとを照らしている夢のような仄明るさ、油煙で黒く燻(くすぶ)っている天井の板や大黒柱、暗い伏戸の、覚束(おぼつか)ない灯影(ほかげ)のもとに夜着を被って、うつらうつらとまどろんでいる妻の寝顔、………あゝ日本のことなんか思うのではないと、僕は幾度も打ち消したけれども、しかし打ち消せば打ち消すほど、今やそれらの情景は云うに云われない懐しさをもって心に甦って来るではないか。故郷のことばかりではない。僕は祇園や新町の色里のことも想い出したが、あの神秘的な、つゝましやかな三絃の音色、余情を含んださびのある唄声、かつてはゴマカシのイジケた趣味として排斥したものが、不思議にも今は、それを想像したゞけでも荒(すさ)んだ神経が静まるような感じを覚える。そうして女の肌の色も、真っ白いのよりも黄色がゝっている方が、和(なご)やかであり、甘(あま)みがあって、真に自分を心の底から労(いたわ)ってくれるような気がする。それから僕は、朝な朝なの味噌汁の匂いを想い浮かべた。漬物、米の飯、昆布だしの汁、鯛(たい)の刺身、それらのものがお膳の上へ並んだ時の、おっとりとした落ち着いた色合と、潤いのある舌ざわりとが、考えられた。僕は自分で、『とうとう貴様は日本が恋しくなっちゃったのか、馬鹿! 意気地なし!』と罵ってみたが、一度そういう気持になると、もう仕様がない。見るもの聞くもの悉(ことごと)くが東洋趣味と比較されて、西洋の方はただケバケバしく、派手で薄ッぺらのように思える。思うまいと努めても絶えず耳もとで囁(ささや)くものがある。――『お前は東洋人なんだぞ、いくら西洋に心酔したって、西洋人になりきれはしないぞ』と、その囁きは僕をそゝのかす。どこへ行っても必ずそれが着いて廻る。三度の食事の度毎に、『どうだお前は? このピカピカしたガラスや金属の食器でもって物をたべて旨いと思うか? このテーブル・クロースはどうだ? この磁器の皿はどうだ? なるほど清潔には違いないが、渋みも深みもないじゃないか。それよりお前はあの漆塗りのお椀やお箸でたべた方が、ほんとうに胃の腑へ収まりはしないか』と囁きは云う。『お前はナイフや肉叉(フオーク)を使って物を食うのを、殺伐だとは感じないのか。人間よりも獣に近い食い方だとは思わないか』とそゝのかされる。オペラへ行けば、『おい、おい、いくらお前が、西洋人の唄や芝居に感心したような風を見せても、そりゃあ駄目だぞ。ちゃんと己には分っているぞ』と、また囁きが意地の悪い嘲りを洩らす。『あのソプラノやバリトンの唄を聞くがいゝ。声量があるの、調子が高いのと云ったって、まるで獣が吼(ほ)えているのだ。それ、それ、あいつらが大きな声を出すと、お前の耳は今にも鼓膜が破れそうにビリビリ鳴っている。そしてお前はお前の故郷の人々が唄う、あのふくみ声のやさしい唄を慕っているのだ。な、それがお前の本音じゃないか』――この囁きは次第に強く、頻繁になって、しまいにはそれがハッキリと聞えた。『さあ、悪いことは云わないから、お前は早く日本へ帰れ。真っ白いもの、明るいものをあまり見過ぎると恐くなるのは、東洋人の体質なのだ。このギラギラした色彩の中に生きていれば、東洋人は必ず神経衰弱になるのだ。お前がどんなに白い女を愛そうとしても、お前の体質が許さないのだ』――」
「僕はこの声に反抗したけれども、日増しに募っていく恐怖は、奈何(いかん)ともすることが出来なかった。ついにはあらゆる西洋流の生活様式に不安を感じ、戦慄を覚えた。高い建物の傍へ行く時、エレヴェーターを上下する時、快速力で自動車を走らせる時、堅い、コチコチした床板や鋪道(ほどう)を蹈(ふ)む時、木目というものが少しも見えない、四方が壁ばかりの部屋にいる時、………そしてすべての匂いという匂いが、白粉(おしろい)でも、香水でも、着物でも、食い物でも、いろいろなものに沁(し)み込んでいる白色人種特有の匂いが、みな鼻について胸がムカムカするようになった。『さあ、さあ、もうそうなったら駄目じゃないか。死ぬにも生きるにもこの国にいられやしないじゃないか。とにかく船へ乗ってみろ、ちょっとでもいゝからこの国の岸を離れてみろ、そうしたらお前はほっと安心するようになる。お前の動悸も神経も直ぐに静まる。欺(だま)されたと思ってまあやってみろ』――僕はぐいぐい誰かに袖を引っ張られた。日本へ帰るのはイヤだイヤだと思う一方、『早く逃げろ、早く逃げろ』と後から追い立てるものがあった。僕は慌てゝ郵船会社の汽船へ乗って、半(なかば)は解放されたような、半(なかば)は後髪を引かれるような心持で、デッキの上から隔たっていくマルセーユの港を眺めた。………」
「K君、君は覚えているだろうが、僕が始めて小網町の『鴻の巣』で君に会ったのは、明治四十一年の暮だったろう。実を云うと、僕はあの時日本へ着いたばかりだったのだ。僕は神戸へ上陸すると、国の者には知らせないで、真っ直ぐ東京へやって来た。というのは、僕の心には、まだ何となく東洋趣味に反抗する気が残っていたので、オメオメ故郷へ帰ることを忌ま忌ましいように思ったからだ。僕は東京で二三の知人に行き会ったけれども、誰も松永儀助であるとは感づかないので、暫くどこかの温泉地に隠れて体力を養い、神経衰弱をすっかり直してしまってから、また何とかして西洋へ行こうと考えていた。そうして君に会った時に、僕は始めて『友田銀蔵』という出鱈目の仮名を名乗った。ところがその後、僕の健康は少しも恢復(かいふく)しないばかりか、ますます悪くなる。食慾は減り、色慾もだんだん起らなくなり、酒は一滴も飲めないようになってしまい、一種の気付け薬として用いていたブランデーさえも、飲めばかえって恐怖が増して来る。あの年の暮から明くる年の秋にかけて、ある時は箱根、ある時は伊香保、ある時は別府という風に、僕は方々の温泉を経めぐり、しまいにはもう人の知らない信州の山奥の湯の宿に籠って、一切の刺戟を遠ざけながら禅僧のように暮らしてみたが、それでもどうしても良くならない。体はメッキリ痩せ衰えて、歩く力さえなくなって、梯子段(はしごだん)の上り下りにもヨボヨボする。『あゝ、己はこのまゝ死ぬのかも知れない、国の者たちはどうしているだろう、家へ帰って優しい妻の介抱を受けたら、直ることもありはしないか』――そう思うと涙がほろほろこぼれて来る。四年前の別れた晩に、さめざめと泣いた妻の俤(おもかげ)が浮かんで来る。おゝそうだった、あの時彼女は姙娠していた。その子が生れて、無事に育っているとすれば、もう数え年の四つになる。………すると不思議にも頑是(がんぜ)ない子供が手をひろげて、『お父ちゃん、お父ちゃん』と呼ぶのが聞える。『あいよ、あいよ、泣くんではないよ、お父ちゃんはきっと、お帰りになりますよ』と、その子を抱いてあやしている妻の声も聞える。故郷恋しさが身に沁み渡るに従って、体はいよいよ衰弱して、起きも上れない病人のように、一日布団にもぐり込んでいるようになった。そしてある時、どんなに自分は痩せたことかと思いながら、ふと枕もとの手鏡を取って見ると、頬骨の出た、髯のぼうぼうと生えた顔は、その感じから、皮膚の色から、眼の表情から、何から何まで、いつの間にやら昔の松永儀助に戻っているではないか!」
「僕のこの時の驚きは、巴里の旅宿で自分の変化に驚いた時より一倍大きく、うす気味の悪いものだった。あの、日本人だか、伊太利人だか、西班牙人だか、人種も国籍も分らなかったジャック・モランという男、――そしてその後君に始めて会った時に『友田銀蔵』と名乗った男、――つい去年まで自分はたしかにその男に違いなかったんだが、それが当人の知らない間に、再び元の『松永儀助』になっているとは、一体自分は何者なのか? 孰方がほんとうの自分であるのか? 一年間に全く別な人間に化けてしまうような、こんな奇妙な体質のものが自分以外にあるであろうか?――」
友田銀蔵は、何か眼に見えぬ力に導かれているように、ここまで一と息に語って来たが、ここで一段と身を乗り出して言葉をつゞけた。
「――ところが不思議はこればかりではない。僕はそれから国へ帰って、もう一生涯、慈愛の深い夫として、父親として、田舎の土に埋れてしまうつもりだった。その間の消息は、しげ子が君に書いた手紙の通りで、明治四十二年の秋から四十五年の春になるまで、足かけ四年というものを、僕は一箇の村夫子(そんぷうし)として柳生村の家に暮らした。佗(わ)びしい、暗い、刺戟のない生活ではあったけれども、その佗びしさや刺戟のなさが、どんなに僕の神経を休め、不安を除いてくれたゞろう。僕の家の近所には、荒(すさ)んだ心を慰めるに足るいろいろの名所やお寺がある。三月になれば月ヶ瀬の梅が開き、四月には吉野の花が綻(ほころ)び、五月には奈良の藤の花が咲き、若草が萌(も)える。僕は妻や娘を連れて大和路の春を探り、南円堂や、東大寺や、薬師寺や法隆寺などの寺々へお参りをする。親子三人が古いお堂の仏像の前に合掌する時、自分はしみじみ東洋人だという感激が胸の底に湧いて来る。自分の父も、自分の母も、やはりこのお堂にお参りをして、この御本尊を拝んだことがあるのではないか。われわれ親子が跪(ひざまず)いているこの所に、先祖代々の親たちも額(ぬか)ずいたことがあるのではないか。そう思って御仏の姿を仰ぎ視ると、遠い昔の父や母がわれわれ親子を見守っているような、涙ぐましい心地になる。こうして僕は何の不安もなく、安らかな余生を送りそうであったが、前にも云う足かけ四年の歳月が過ぎると、再び自分自身にも思いがけない変化が起った。僕の体は、一番衰弱していた時には十一貫しかなかったが、その後少しずつ、眼に見えないほど肉が附いて、まあ十二貫二三百にはなったゞろう。すると段々、僕の食い物に対する趣味が変って来た。そういう田舎のことだから、僕の家では肉食をやらない、魚も生魚はめったに食わない、味噌汁、漬物、新鮮な野菜や果実、………国へ帰って来た当座はそれらのアッサリしたものを喜んだのに、僕の味覚は次第にもっと脂ッこいもの、濃厚なものを要求し出した。こんなものばかりたべていたんじゃ命が続かない! 僕はときどきお膳に向って溜息をつき、巴里でたべたシャトオブリアンの肉の香りや、ブヨベイスのスープの匂いを想い出した。何かぐうッと腹一杯にハチ切れるもの、舌がジリジリ灼(や)け着くもの、体じゅうの血が煮え返るものが食いたい。食い意地というものは恐ろしいもので、その慾望が充たされないと、生活全体がグラつき始める。僕は食いたい一心で、奈良や大阪へ出かけて行っては、何でもかでもうんと滋養分を詰め込んでやろうと、すっぽんだの鰻(うなぎ)だの、牛肉のすき焼だの、そんなものを鱈腹(たらふく)たべた。それから僕はあれ以来すっかり絶っていたアルコールの味を試みた。ある大阪の料理屋へ行って始めて禁酒を破った時は、いつかの神経衰弱がブリ返しはしないかと思って、ちょっと気味が悪かったけれど、飲んでみれば何でもない! 仰向いても、俯向いても、グルグル廻っても、駈け出しても、眩暈(めまい)もしなければ上気もしない。エレヴェーターへ乗っても愉快だ。自動車をとッとと走らしても愉快だ。『あ、己は健康だ、己は自由だ、あの忌ま忌ましい臆病風は、いつの間にかどこかへフッ飛んでしまった!』我を忘れて僕は大声を挙げて叫んだ。盛んな情慾、無限の歓楽を慕う心が、その酔いの下から突き上げて来た。………」
「こういって来れば、僕がその年の夏になって、二度目の家出をした訳は説明するまでもないだろう。僕はこの前と同じ理由で田舎がイヤになり、日本がイヤになり、東洋がイヤになり、消極主義がイヤになったのだ。僕は再びスーザンの白い肌にあこがれ、モンマルトルの花やかな夜が慕わしくなり、そしてもう一度、ジャック・モランの昔に返りたかったのだ。たゞこの前と違うところは、その時の僕は最早洋行するだけの金がなかった。なあに金なんかどうでもいゝ、三等だって構わないから、往きの船賃だけあればどうにでもなるという気もしたけれど、何しろ一度神経衰弱で懲(こ)りているので、さすがに僕は金なしで行く勇気はなかった。ここがやっぱり日本人の弱いところかも知れないが、もう東洋はイヤになった、己は今度こそ西洋へ行って死んでしまおうと思う一方、金がなくって、酒も飲めないし、旨い物も食えなかったなら、せっかく恢復しかけた体が、まただんだん痩せはしないか、そしてあの恐怖病が襲って来たらどうしようという危惧があった。僕はしげ子に、『まあ三四年辛抱してくれ。どこへ行くか分らないが、生きていたら帰って来ることもあるだろうから』と云い残して、二千円足らずの金を持って上海(シヤンハイ)へ渡った。僕の最初の考では、上海へ行けば立派な西洋の生活がある。むしろある意味では巴里以上の歓楽がある。僕はあそこで暫くの間我慢をしよう。そうして体の様子を見て、もう大丈夫恐怖病も起らないし、ホームシックも感じなかったら、そのうちに何か機会を捕えて西洋へ行こうというつもりだった。しかるに僕は上海へ着くと、瞬くうちに二千円の金を使い尽してしまったが、ちょうどその時、ある亜米利加の魔性の女に惚れられて、ピンプになった。ピンプというのは君は勿論御承知だろうが、まず体(てい)のいゝ男妾と女衒(ぜげん)をかねたようなものだ。僕はその女に引き取られて、二三人の娘を置いて、ある賤しい商売を始めた。この商売のことについては別に委しく云う必要はないけれども、一体白人のそういう娘ども、いわゆるホワイト・スレーヴというものは、東洋の港にはどこにもあって、その抱え主はお互に連絡を取り、融通をつけ合っている。抱えられている女どもは、ときどきこっちの港からあっちの港へ住み替えて、横浜、神戸、天津、上海、シンガポール、香港と、始終グルグル動いている。中には手広く、一軒の家で方々の港へ支店を置いているのもある。僕はこういう商売に手を染めるのは恐ろしかったが、しかし何かしら仕事がなければ食う道がない。その上僕に出来る商売はこれ以外に一つもない。まあ何事も気の持ちようだ、酒と女に取り巻かれて、好き勝手な真似が出来て、それで金が儲かるなら、こんなうまい話はないじゃないか。己はまだしも運がいゝのだ。こゝ二三年辛抱して、金が溜ったらキレイサッパリ足を洗って西洋へ行こう。――僕はそんな風にもくろんでいた。」
「そうこうするうち、大正二年の春になって、僕は日本へやって来た。というのは、君も知っている横浜の十番館の魔窟、あれが売り物に出ていたから、あれを買い取って上海の方の支店を設ける計画だった。だから今度は日本が恋しさに帰って来たというのではない。奴隷商人の手先として、取引のために東洋の横浜というところ、――一つのマーケットへ出向いて来たのだ。僕の名前は、断っておくのを忘れたが、上海へ行く時すでに『松永儀助』の方を捨てゝしまって、偶然君に名乗ったところの『友田銀蔵』を用いていた。僕は内々、上海にいる一年間に、あの驚くべき体質の変化がまたやって来て、再び巴里時代のように肥満することを予感していたが、その予感は見事にあたった。僕の体は、一年間の暴飲暴食で忽ちゴム毯(まり)のように膨れた。そうして国を出た時は十二貫二三百目の痩せッぽちが、今度横浜へ来た時には、ちょうどこの前のレコードと同じく、二十貫五百目になっているではないか! 僕は大手を振って東京へ乗り込み、ある晩銀座のカフェエ・リベルテへ這入ってみると、そこでまたもや君に出遇ったという訳なんだ。………」
「君は想像力の発達している小説家だ。僕の不思議な生涯について、これだけ云えば後は大凡(おおよ)そ推量してくれるだろう。一と口に云えば、僕の体質はそれから以後も大体足かけ四年目毎に変化するのだ。一番痩せている時が十一貫、一番太っている時が二十貫五百目、――足かけ四年の周期を置いて、僕はこの間を往ったり来たりする。十二貫まで痩せてしまうと、うす暗い故郷の家が恋しくなり、純日本式のあらゆる趣味がなつかしくなり、感傷的な気分になり、体も顔つきも性格も全く『松永儀助』になって柳生村へ帰って来る。そうして平和な月日を送っているうちに、だんだん健康が恢復する。まず第一に旺盛な食慾が起る。次に色慾がやって来る。東洋趣味がイヤになり、消極生活が嫌いになる。目方が少しずつ殖えて来て十二貫を越すようになる。すると急激に肥満しそうな予感を覚えつゝ家を飛び出す。上海へ行って手蔓(てづる)を求めて、ホワイト・スレーヴの稼業を始める。一年間に僕の体重は十二貫から二十貫近くになる。僕は『友田銀蔵』となって、また横浜へ支店を置いて、支那と日本を股にかけつゝ商売をする。………こうして大正元年から十四年の今日まで、この変化を繰り返しているのだ。ナニ? あれ以来西洋へ行かなかったか、金が儲からなかったかというのかね? いや、金は相当に儲かったんだが、大正三年に世界戦争が始まったんで入国の手続きが面倒になったし、それにそういう商売をしていれば、白人の女はどうでも自分の自由になる。横浜にいても上海にいても、僕のいる所は巴里と同じだ。僕がどんなに放蕩無頼の限りを尽していたかということは、君にもたびたびお目に懸けた、あの写真のコレクションでも分るだろう。ジャック・モランにならなくっても、『友田銀蔵』のトムさんで沢山だったのだ。その方が都合が好かったくらいだ。だから、僕は始めは好い加減にして足を洗おうという気だったが、しまいにはもう、洋行するよりこの商売を押し通そうと度胸をきめた。そういう訳で、大正四年に十番館を止めた時には儲けた金を上海の銀行へ預けておいて、今度は大正八年にその金で二十七番館を開いた。銀座のカフェエ・プレザンタンへ、『友田銀蔵』が三度目に現われたのは、多分その時分のことだったと思う。………」
世にも珍しい友田銀蔵の身の上を、ここまで静かに聴き取った私は、その時ようやく質問の言葉を挟んだ。
「ではあのカフェエ・プレザンタンも、その前のカフェエ・リベルテも、やっぱり君が経営していたのかね?」
「いや、あれは偶然、十番館があった時代にリベルテがあり、二十七番館の時代にプレザンタンがあったというだけで、僕とは何の関係もないんだ。だから彼処のボーイたちは僕がどういう人間だか、うすうす気が付いていたかも知れないが、ほんとうの事は知らなかったはずだ。」
「では何のためにあゝいうところへ出入りしたのかね? 友田銀蔵時代の君は、日本人の社会に用はない訳じゃないか。」
「あゝ、そう、それだ。大事なことを云い残してあるんだ。――僕はいつでも、君が出入りをするというカフェエを聞いて、君に会いたさに出かけて行ったのだ。僕は君のような小説家に、いつか一度は、この我ながら実に不思議な身の上を聞いて貰いたいと思っていたんだ。しげ子が発見した鞄の中に、友田の印形と、指輪と、写真と、それから君のハガキを忍ばせてあったのは、どういう訳だと君は思うね? 僕は松永儀助になって帰国する時、ほかの物はみんな売り払ってしまうんだけれど、あの鞄の中の物だけは決して放したことはなかった。それは記念のためばかりではない、人はいつ死ぬか分らないから、田舎で重い病気にでもなった場合に、『この松永が君の友人の友田銀蔵だ、顔はすっかり違っているが、ここにこれだけの証拠がある』と、ちゃんと打ち明けられるように用意していたのだ。そんならどうして、いつぞやカフェエ・プレザンタンで詰め寄った時に、素直に告白しなかったのかと云うだろう。が、あの時の君のやり方は、僕にはあまり不意討ちだった。君はいきなり順礼姿の写真を突きつけた。もう半分は僕の秘密を観破している態度を見せた。僕は最初にまず驚かされ、次には君に反感を抱いた。そればかりでなく、勝手に君に手紙を出したしげ子のやり方にも腹を立てた。僕はしげ子にあの鞄の中の物をコッソリ見られていたことを、君の話を聞くまでは全く知らなかったのだ。あの時僕がイコジになったのは当然じゃないか。」
「あれから後、二十七番館で会った時にも、イコジだったね。」
「僕はあの晩は恐ろしかったんだ。国の話を聞かされたのが動機となって、臆病風が直ぐやって来て、忽ち痩せてしまいそうな予感に脅やかされていたんだ。あの晩は酒で胡麻化したけれども、あの明くる日から臆病風は果してやって来た。僕はどんどん痩せ出して、一年後には松永儀助になってしまった。」
「じゃあ、一昨々年の三月に僕が柳生村で会った松永儀助という人は、今ここにいる君に違いないのだろうか?」
「あゝ、そうだとも。――いや、あるいはそうでないかも知れない。――」
そう云って友田銀蔵は、もう何杯目だか知れないコニャックの杯を置いた。
「――松永儀助という人間と、友田銀蔵という人間とは、やはり別々なのかも知れない。二人は違った人格なのだが、一人がこの世にいる時は一人がいない。そうして彼らは代る代るこの『僕』というものに取り憑くのだ。僕にはそうとしか思えないんだよ。」
それから彼は、私の前へ手をさし出して紫水晶の指輪を示した。
「ね、見たまえ、現在の僕は友田銀蔵で、断じて松永儀助ではないんだ。僕はいつでもこの指輪で自分の体重を測量する。これがキッチリ指の肉に食い込んで、いくら動かしても抜けない時は、僕の目方は少くとも二十貫近くあるんだ。」
「そうすると君は、またあの商売で上海と横浜を往復しているのか?」
「横浜は地震で駄目になったから、今度は神戸で始めるんだ。けれども僕は、こうして結局どうなるだろう? 友田銀蔵と松永儀助をいつまで繰り返すのだろう? 僕は今年四十五だが、三四年たてばまた松永儀助になる。そうして今度は、もうそれっきり友田銀蔵は戻って来ないのじゃなかろうか? 何だか僕はそういう気がする。この前の時も日本を遠く離れると、臆病風が一層早く来そうに思えて、上海よりは横浜にいる時が多かった。神戸となると、松永儀助の故郷になおさら近い訳だね。………」
友田銀蔵はちょっと悲しげな眼つきをしたが、それでも私には、四十五という歳よりは確かに三つ四つ若く見えた。
青塚氏の話
由良子は夫の中田が死んだのは肺病のためだと思っていた。今でも彼女はそう思い、世間もそう思っているのであるが、中田自身は、そうは思っていなかったらしい。それは中田が最後の息を引き取った部屋、――須磨の貸別荘の病室において発見された遺書を見れば分るのである。
で、ここにその遺書を掲げる前に知っておいて貰いたいことは、由良子が一とかどのスタアとして売り出すようになったのは、その体つきが持っていた魅力のせいには違いないが、一つには死んだ夫のお蔭でもあったということである。中田は彼女が十六七の頃、ほんのちょっとした一場面へ出るエキストラとして働いていたのを、多くの女優の卵どもの中から早くも見出したのであった。彼は自分の地位を利用して、だんだん彼女を引き立てるように努めてやったので、結果はどこの撮影所にも有りがちな、監督と女優の恋、朋輩(ほうばい)どもの嫉妬や蔭口、それからおおびらな同棲にまで事が進んでしまったのは、由良子が十八の時であった。彼女の方には最初は純な気持ちのほかに、この男を頼って出世をしようという野心も手伝ってはいたであろう、が、結婚してから後の彼女はついぞ浮気などしたことはなく、はたの見る眼も羨ましい仲であった、現に中田があんなに衰弱して死んだのも、あんまり彼女が可愛がり過ぎたからだという噂さえもあるくらいに。
彼女は健康で運動好きで、そのしなやかな体には野蛮と云ってもいいくらいな逞ましい精力が溢れていたから、そんな噂もあながち無理ではないのである。去年の秋に夫が須磨へ転地してからも、撮影の合間に始終訪ねて行ったものだが、それは必ずしも看病のためとは云えなかった。夫はあの患者の常として、肉は痩せても愛慾の念はかえって不断より盛んであった。そして由良子がさし出す腕を待ち構えていたばかりでなく、病気の感染をも恐れずに、恋の歓楽を最後の一滴まで啜(すす)ろうとする彼女の情熱を、どんなに感謝したか知れなかった。そういうことが積り積って、結局夫の死を早めたのであろうことは由良子も認めない訳に行かない。しかし夫が喜んでその死を択んだ以上、それで差支えないのではないか。彼女としてもああするよりほか、あの場合仕方のないことであった。自分にも夫と同じような、盛んな愛慾が身内に燃えていた。そのために自分が浮気をしたのなら悪いけれども、夫の望む死を死なせてやったのである。もうこの世から消えて行く火に、自分の魂の火を灼(や)きつかせて、思いの限り炎を掻き上げてやったのである。中田は定めし心おきなくあの世へ行くことが出来たであろう。彼は恋人と結婚してから僅か四年しか生きなかったとはいうものの、二十五歳から二十九歳まで、――由良子の十八歳から二十二歳まで、――つまり人生の一番花やかな時代を楽しみ、幸い彼女にも裏切られることなく、いやないさかいを一度もせずに済んだのであった。由良子にしても自分の性質や今後のことを考えると、中田との恋を円満なもので終らせるためには、ここで彼が死んでくれたのが都合が好かったような気もする。夫にもっと生きていられたら、いつまでおとなしくしていられたか、それは自分でも保証の限りではないのである。彼女は最早や監督の愛護によらないでも、ある一定のファンの間には容易に忘れられない地歩を築いていた。要するに映画の女優なんて、芸より美貌と肢体なのだ。どんな筋書の、どんな原作でも同じことで、笑う時には綺麗な歯並びを見せびらかすこと、泣く時には涙で瞳を光らせること、活劇の時には着物の下の肉の所在が分るようにすることを、忘れないで芝居していればいいのであった。あの女優は下手(へた)糞(くそ)だ、いつもする事が極まっていると云いながら、それでも見物は喜んでいるので、時々裸体を見せてやれば一層喝采するのであった。中田が彼女の絵を作る時も、実はこのコツで行ったのであって、監督が一人の女優を――殊に自分の愛する女を――スタアに仕立て上げるためには、芸を教え込むよりも監督自身がその女の四肢の特長をはっきりと掴み、それの一々の変化を究めて、そこから無限に生れて来る美を発展させればいいのであると、そういうのが彼の持論であった。彼女は中田の監督の下に幾種類もの絵巻きを撮ったが、それらは「劇」というよりも有りと有らゆる光線の雨と絹の流れに浴(ゆあ)みするところの、一つの若い肉体が示したいろいろのポーズの継ぎ合わせであるに過ぎない。彼女は何万尺とあるセルロイドの膜の一とコマ一とコマへ、体で印を捺(お)して行けばよかった。つまり彼女という印材に中田はさまざまな記号を彫り、朱肉を吟味し、位置を考えて、それを上等な紙質の上へ鮮明に浮かび出させたのである。由良子は亡夫にそれだけの恩を負うていることは一生感謝するけれども、一とたび印材の良質であることが認められれば、朱肉や、位置や、紙質は第二の問題であり、彫り手はいくらでもいるであろうし、まかり間違えば印材のままでもつぶしが利くことを知っている。だから中田に死なれても狼狽や不安を感ずるよりは、いささか恩を返したという心持ちの方が強かった。夫の臨終の枕もとに据わって彼女が洩らした溜息の中には、重い責任を首尾よく果たし終(おお)せた人の、満足に似たものさえもあった。とにかく彼女は夫を無事にあの世へ送り届けたのである。行く先のことは分らないけれども、今の彼女は何の疚(やま)しいところもなしに、蝋のように白い夫の死顔を気高しとも見、美しいとも見て、まだ消えやらぬ愛着のうちに身を置きながら、仏の前に合掌することが出来たのである。
さて前に云う遺書は、遺骨を持って貸別荘を引き上げる時に机の抽き出しから出たのであるが、それを彼女が読んだのは四五日過ぎてからであった。彼女は最初古新聞紙に包んである菊版の書物のようなものが、遺書であろうとは気が付かなかったし、またそんなものを夫が書き遺して行ったろうとは、少しも期待していなかった。そして糊着けになっているその新聞紙を破いて見たのも、ほんの気紛れからであった。新聞紙の下にはまたもう一と重新聞紙が露われ、その表面に「ゆら子どの、極秘親展」と毛筆で太く記されていた。二重に包まれた中から出て来たのは、背革に金の唐草の線の這入(はい)った、簿記帳のような体裁をした二百ページほどの帳面で、それへ細々と鉛筆で認(したた)めてあった。病人は須磨へ転地してから、ものうい海岸の波の音を聞きながら臥(ね)たり起きたりして暮らしていた一年近い月日の間に、暇にまかせて病床日誌を附けるように書きつづけて行ったのであろう。非常に長い分量のもので、鉛筆の痕(あと)がもうところどころ紙にこすれて薄くなっていた。なんにも胸に覚えのない由良子は、亡夫が何を打ち明けようとするのか不思議な感じに打たれたのであったが、やがて彼女を軽い戦慄に導いたところの奇異な内容、死んだ人間がそのために死を招いたと信じていたところの事実については、下に掲げる遺書自らが語るであろう。――
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大正×年×月×日
私は今日から、生きている間はお前に打ち明けないつもりであったある事柄をここに書き留めて行こうと思う。という訳は、私はやはり生きられそうにも思えないからだ。ゆうべお前が帰る時にいろいろ力をつけてくれたり慰めてくれたりしたけれども、あれから独り考えて見ると、どうも自分の運命は一直線に「死」を目指しているような気がする。そうしてそれが今の私には不安ではなく、かえって一種のあきらめに似た安心になってしまったようだ。二十九やそこらで死ぬのは惜しいが、私はお前の若い美しい盛りの時を私の物にした。その上お前にこんなにも深く愛されながら逝くことを思えば、そう不仕合わせな一生でもない。こう云えばお前は、あたしだってまだ二十二だから盛りの時が過ぎ去ったという歳でもなし、これからもっと美しくなり、もっとあなたを愛して上げますと云うかも知れない。しかし私は、今その事を書いて行くのだが、実は肺病で死ぬのではなく、ほかに原因があって死ぬのだ。その事が私を病気にし、生きる力を私から奪ってしまった。私にとってはその事が「死」だった。それは恐らくお前が聞いて気持ちのいいことではなさそうだから、いっそ永久に知らせまいかとも思うのだけれど、そうかと云って、せめてお前にでも訴えないで死んでしまうのは、あんまり情ない気がしてならない。全く考えようによっては、こんなことで一人の人間が死ぬなんて、馬鹿々々しいようなことでもあるのだ。が、まあともかくも聞いて貰おう、少し読めば分るように、これはお前というものにも至大の関係があるのだから。
話はずっと前のことだが、私がまだ達者でいた時分、――あれは一昨年の五月の半ば頃だったと思う。ある雨の降る晩に、私は京極のカフェエ・グリーンで一人の見知らない男とさし向いに、洋食の皿をつッついていた。何でもお前の「黒猫を愛する女」が封切りされた日で、私は池上や椎野と一緒に「ミヤコ・キネマ」へあの絵を見に行った帰りだった。もっともカフェエへ寄ったのは私一人で、二人はほかに行く処があって別れたのらしい。見知らない男は私より前に来ていたので、私は何気なく、彼のさし向いの椅子が空いていたから腰を下した。それからやや暫くの間は、黙ってテーブルを挟んでいたに過ぎなかったが、そのうちにこう、彼は妙にジロジロと私の顔を見て、時々口辺に微笑を浮かべながら、何か話しかけたそうにしている。それは人の好い男が酔っ払って、(彼はチーズを肴(さかな)にしてウイスキーを飲んでいた。)相手欲しやの時に示すあの態度なので、可愛げのある、とても憎めない眼つきをしていた。いつもならこういう場合に、私の方から早速話しかけるのだけれど、その晩は此方に酒の気がなかったし、それにその男は四十恰好(かつこう)の上品な紳士だったから、そう不作法に打(ぶ)つかる訳にも行かなかった。彼の様子には大変人なつッこい所もあるが、臆病な、はにかむような、女性的な所もあるようだった。彼が私の方を向いたり笑ったりするのも、極めて遠慮がちにやるので、大概は此方へ横顔を見せるように斜(はす)ッかいに腰かけ、両脚の間へスネーク・トゥリーのステッキを立てて、その柄の握りを頤(あご)の下へ突ッかい棒にしながら、独りでモジモジしているのだ。そんな工合で、私が食後の紅茶を飲みにかかるまではとうとうきッかけがなかったんだが、やがて突然、
「失礼ですが、君は映画監督の中田進君ではないですか。」
と、思い切ったように声をかけた。
私は改めて彼の顔を見上げたけれど、――雨に濡(ぬ)れたクレバネットの襟(えり)を立てて、台湾パナマの帽子を被っているその目鼻立ちは、全く覚えがないのであった。
「ええ、そうですが、忘れていたら御免下さい、どこかでお目に懸ったことがありましたかしら?」
「いいえ、今夜が始めてですよ。君はさっきミヤコ・キネマにおられたでしょう。僕はあの時君らの後ろにいたもんですから、話の模様で君が中田君だということが分ったんです。」
「ああ、あの絵を御覧になりましたか。」
「ええ、見ました。僕は深町由良子嬢の絵はほとんどすべて見ていますよ。」
「それは有り難いですな、大いに感謝いたします。」
そう云ったのは、中学生や何かと違って、分別のあるハイカラそうな紳士が云うのだから、私にしてもちょっと嬉しく感じたのだ。すると彼は、
「いやあ、そういわれると恐縮だな、感謝はむしろ僕の方からしなけりゃあならん。」
と、きれいに搾(しぼ)った杯をカチンと大理石の卓に置いて、例のステッキの握りの上に載せた顔を、私の方へ間近く向けた。
「こう云うとお世辞のようだけれど、日本の映画で見るに足るものは、君の物だけだと僕は思う。どうも日本人は下らないセンチメンタリズムに囚(とら)われるんで、芝居でも活動でも湿っぽいものが多いんだけれど、君の写真は非常に晴れやかで享楽的に出来ていますね。活動写真というものは要するにあれでなけりゃあいかん。僕はああいう映画を見ると、日本が明るくなったような気がして、頗(すこぶ)る愉快に感じるんです。」
「そう云って下さる人ばかりだといいんですがね、中には亜米利加(アメリカ)の真似だと云って、ひどくくさす人があるんですよ。」
「なあに、亜米利加の真似で差支えない、面白くさえありゃあいいんだ。もっともそれを下手に真似られちゃあ困りものだが、君はたしかに亜米利加の監督と同じ理想、同じ感覚で絵を作っている。あれなら亜米利加人が見たって決して滑稽に感じやしない。どうですか君、君の映画を西洋人に見せたことはないですか。」
「いや、どうしまして、まだまだとてもお恥かしくって、………」
「そんなことはない、それは君の謙遜じゃあないかな。僕なんぞは君、この頃西洋物よりも君の絵の方を余計見ているくらいなんだが、西洋物にちっとも劣らない印象を受ける。時にはそれ以上の感興を覚える。………」
「どうもそいつは、………そいつは少し擽(くすぐ)ったいなあ。」
どういう了見か分らないが、あまりその男が褒め過ぎるんで、私は少しショゲたのだった。さればといって、その男は人を茶化している様子でもなかった。私はただ、彼が見かけよりは恐ろしく酔っているらしいことに気がついただけで、それはしばしば大酒家にある、飲むと眼がすわって、変に物言いが落ち着いて来て、血色が青ざめて来るたちの、あるねちねちした酔い方だった。だから一見したところでは、時々ジロリと鋭い瞳を注ぐ以外にはほとんど真面目で、言葉の調子もいやにのろのろと気味が悪いほど穏やかなのだ。
「いや君、ほんとうだよ、お世辞を云っているんじゃない。」
と、彼は泰然として云うのだった。
「けれども僕は、君の手柄ばかりだとは云わない。いくら監督がすぐれていてもそれに適当な俳優を得なければ駄目な訳だが、その点において君は幸福な監督だと思う。由良子嬢は非常に君の趣味に合っている。全く君の映画のために生れて来たような婦人に見える。ああいう女優がいなかったら、とても君の狙っている世界は出せないだろうな。――おい、おい、」
と、そこで彼は女給を呼んで「姐(ねえ)さん、ウイスキーを二杯持っておいで」と、その物静かな口調で命じた。
「僕ならお酒は頂きませんが。」
「まあいい、せっかくだから一杯附き合ってくれたまえ。君の映画のために、そうして君と由良子嬢の健康のために祝杯を挙げよう。」
一体この男は何商売の人間だろう? 新聞記者かしら? 弁護士かしら? 銀行会社の重役のようなもので、のらくら遊んでいる閑人(ひまじん)かしら? というのは、最初は臆病らしく思えたが、だんだん話し込んでいるうちにどこか鷹揚(おうよう)なところがあって、私を子供扱いにする様子が見える。しかし私は先がそれだけの年配ではあり、気のいい伯父(おじ)さんに対するような親しみもあるので、多少迷惑には思いながら、強いて逆らわないで彼の杯を快く受けた。
「ところであの、『黒猫を愛する女』というのは誰の原作ですか。」
「あれは僕が間に合わせに作ったんです。いつも大急ぎで作るもんですから、碌(ろく)なものは出来ませんでね。」
「いや結構、あれでよろしい。由良子嬢には打ってつけての物だ。――由良子嬢が風呂へ這入(はい)っていると、あすこへ猫が跳び込んで来るシーンがあるが、あの猫はよく馴らしたもんだな。」
「あれは家に飼ってあるので、由良子に馴着(なつ)いているんですよ。」
「ふうん、………それにしても、西洋では獣を巧く使うが、日本の写真では珍しいな。由良子嬢もいつもながら大変よかった。湯上りのところはほとんど半裸体のようだったが、ああいう風をして見られるのは、日本の女優では由良子嬢だけだろう。なかなか大胆に写してある。」
と、何やら独りでうなずいているのだ。
「あすこン所は検閲がやかましくって弱ったんです。僕の作るものは一番当局から睨まれるんですが、今度の奴は西洋物以上に露骨だと云うんでね。」
「あははは、そうかも知れんね。風呂場から寝室へ出て来る時に、うすい絹のガウンを着て、逆光線を浴びるところ、――」
「ええ、ええ、あすこ。あすこは二三尺切られましたよ。」
「あすこは体じゅうが透いて見えているからね。――けれどもあれは今度が始めてじゃないじゃないか。あの程度の露骨なものは前にもあったように思うが、………あれはたしか、『夢の舞姫』というんだったか、………」
「ああ、あれも御覧になったんですか。」
「うん、見た。あン中にちょうど今度のシーンと同じようなところがある。もっともあれは風呂場じゃあなかった、由良子嬢が舞姫になって、楽屋で衣裳を着換えているところだったが、あの時は乳と腰の周りのほかには何も着けていなかったようだね。君はあの時は逆光線を使わないで、由良子嬢の右の肩の角からずうッと下へ、脚の外側を伝わって靴の踵(かかと)まで光のすじが流れるように、横から強い光線をあてたね。」
「ははあ、よく覚えておいでですなあ。」
私がちょっと呆れ返ったように云うと、
「うん、それは覚えている訳があるんだ。」
と、彼は得意そうにニヤニヤして、だんだんテーブルへ乗り出して来ながら、
「あの絵には由良子嬢の体の中で、今までフイルムに一度も現われなかった部分が、二箇所写されていたと思うね。君はあの絵で、始めて由良子嬢の臍(へそ)を見せたね。僕は乳房の下のところからみぞおちへ至る部分までは、前に『お転婆令嬢』の中で見たことがあったが、臍は未知の部分だった。あすこを見せてくれたのは大いに君に感謝している。………」
私は「夢の舞姫」の絵でお前の臍を写したことは、人から云われるまでもなくちゃんと覚えている。お前も多分あれを忘れはしないだろう。私はお前を撮影する時、お前の体のどんな細かい部分をも不用意に写したことはなかった。運動筋肉のよじれから生ずるたった一本の皺(しわ)と雖(いえども)、それがフイルムに現われている以上、決して偶然に写ったのでなく、予(あらかじ)め写るように計劃したのだ。お前が体をどの方向へどれだけの角度に捩(ね)じ曲げれば、どこの部分に何本の皺が刻まれて、それらがどういう線を描くかということを、あたかも複雑な物語の筋を組み立てるように詳しく調べてやったことだ。だからあの絵でも「お転婆令嬢」でも、なるほどこの男の云う通りには違いないので、私の苦心を彼がそんなに酌んでくれたのは有り難い仕合わせであるけれども、しかしどうも、………妙なことばかりいやに注意して見ている奴だ、と、そう思わずにはいられなかった。ところが彼は私が変な顔つきをするのに頓着なく、お前の体についての智識を自慢するようにしゃべり続ける。――
「けれども何だよ、由良子嬢の臍が深く凹(くぼ)んだ臍だということは、――僕は出臍が嫌いなんだ。――実は前から知っていたんだ。それはほら、『夏の夜の恋』で、びっしょり濡(ぬ)れた海水服を着て海から上って来るだろう? あすこで体に引ッ着いている服の上から、臍の凹みがぼんやり分るね。君はあの凹みを見せるためにわざとあんなに服を濡らして、あすこン所をクローズアップにしたんじゃないかい? どうもなかなか皮肉な監督だ、ストローハイム式だと僕は思ったよ。――だがあの時は、とにかく服の上からだったが、『夢の舞姫』で確実に分った、やっぱり想像していた通りの臍だったということが。」
「へえ、するとあなたはそんなに臍が気になりますかね。」
私は冷やかすように云ったが、彼はどこまでも真面目だった。
「臍ばかりじゃない、すべての部分が気になるさ。『夢の舞姫』に始めての所がもう一箇所ある。」
「どこに?」
「どこにッて、君が知らないはずはなかろう。」
「知りませんなあ、そういう所があったかなあ。」
「あったとも。――足の裏だよ。」
彼は私が内心ぎょっとしたのを見ると、にわかに声高く笑い出した。
「あはははは、どうだい、ちゃんとあたっただろう。何でもあれは、舞姫が素足で踊っていると、舞台に落ちているガラスの破片を踏んづける。可憐な舞姫は苦痛をこらえて踊りつづける。足の裏から血が流れて、舞台の上にぽたぽたと足の趾(ゆび)の血型がつく。その血型はこう、爪先で歩いた恰好(かつこう)に、五本の趾が少し開いて印せられる。――そうだよ、僕は由良子嬢の足の親趾の指紋まで見た訳だよ。――それから、そうだ、踊ってしまうと、気がゆるんでばったり倒れる。それを舞姫に惚れている俳優が、抱き上げて楽屋へ担ぎ込む。椅子を二つ並べて、その上へ由良子嬢を臥(ねか)して、ガラスを抜き取ったり洗ったりする。その時俳優は傷口を調べるために、テーブルの上の置きランプを床におろして、下から光線が足の裏を照らすようにする。ね、あの時だよ、由良子嬢の足の裏が始めてほんとうによく見えたのは。――」
「では何ですか、あなたはそういう所にばかり眼をつけていらっしゃるんですか。」
「ああ、まあそうだよ。君にしてもそういう見物の心理を狙っているんじゃないかね。僕のような人間がいて、君の作品を君と同じ感覚をもって味わって、由良子嬢の体をこんなに綿密に見ているとしたら、それが君の望むところじゃないかね。」
「ま、そう云っちまえばそんなもんだが、何だかあなたは薄ッ気味が悪いや。」
その男の酔った瞳に、意地の悪い、気違いじみた光が輝やき出したのはその時だった。彼の顔色は前よりも青ざめ、唇のつやまでなくなっていた。私は何がなしに不吉な予覚を感じたが、今この男に魅(みい)られたという形になって、逃げ出す訳にも行かなかった。それに私は当然一種の好奇心にも駆られていた。
「どんな事ですか、そのもう少し薄ッ気味が悪いッていうのは?」
「う、まあ追い追い聞かせるがね。」
と、彼はまた女給を呼んで、「ウイスキーをもう二つだよ」と叫んでから、
「君は由良子嬢の体については、この世の中の誰よりも自分が一番よく知っているつもりなのかい?」
「だってそうでしょう、長年僕が監督している女優だし、それに何です、御承知かも知れませんが、あれは僕の女房なんです。」
「左様、君は由良子嬢の亭主だ。そこで僕は、亭主と僕とどっちが由良子嬢の体の地理に通じているか、そいつを確かめてみたいという希望を持っているんだよ。こう云うと君は、そんな物好きなことを考えるなんて不思議な奴だと思うだろうが、ここに一人の人間があって、その男はまだ、君の奥さんを一度も実際には見たことがないんだ。そうしてただフイルムの上で長い間研究して、君の奥さんの体じゅうの有らゆる部分を、肩はどう、胸はどう、臀(しり)はどうという風に、それをはっきり突き留めるためにはある場面のクローズアップを五たびも六たびも見に行ったりして、今では既に眼をつぶっても頭の中へその幻影が浮かび上るほど、すっかり知り尽してしまったとする。そういう人間が、ある晩偶然その女の亭主に、――…………………………………と思われる男に出遇ったとしたら、今も云うような物好きな希望を持つのは当り前だよ。」
「ふうん、………そうすると、あなたがつまりその人間で、そんなに僕の女房の体を知っているとおっしゃるんですか。」
「ああ、知っている、嘘だと思うなら何でも一つ聞いて見たまえ。」
私が黙って、眼をぱちくりさせている間に彼は躊躇なく言葉をついだ。
「たとえば由良子嬢の肩だがね、あの肩は厚みがあって、しかも勾配がなだらかで、項(うなじ)の長いせいもあるが、耳の附け根から腕の附け根へ続く線が、もしもそれを側面から見ると、どこから腕が始まるのだか分らないほどゆるやかに見える。頸(くび)は豊かな脂肪組織に包まれていて、喉の骨や筋肉はほとんど見えない。わずかに横を向いた時に、耳の後ろの骨がほんの少し眼立つぐらいだ。ついでに背中の方へ廻ると、肩胛骨(けんこうこつ)が、腕を自然に垂れた場合はやはり脂肪で隠されている。が、さればといって、二つの肩胛骨のくぎりが全然分らないのではない。なぜかというと由良子嬢の背中には異常に深い背筋が通っているからだ。そのために嬢の背中は、二つの円筒を密着させたように見える。そうして円筒と円筒との境目にある溝が背筋だ。その溝の凹みにはいつでも暗い蔭が出来ていて、よほど強い光線を真正面からあてない限り、蔭が残らず消え失せることはめったにない。嬢が真っ直ぐに立った場合には、背筋の末端、腰の蝶番(ちようつが)いあたりのところで、堆(うずた)かい臀の隆起が、一層その蔭を大きくさせる。嬢が体を左へねじると、ねじった方の脇腹へ二本の太いくびれが這入る。くびれとくびれの間の肉が一つの円い丘を盛り上げる。同時に右の脇腹の方に、肋骨(あばらぼね)の一番下の彎曲(わんきよく)だけが微かに現われる。………」
いやな奴だとは思いながら、これを聞いている私の心には、お前の美しい背中の形が生き生きと浮んだ。お前も多分ここを読む時に、裸体になって鏡の前に立って見る気になりはしないか。そうして背筋の深さだの、脇腹に出来る二本のくびれだの、肋骨(あばらぼね)の露出だのを試しながら、いかにこの男がお前の写真をよく見ているかを想像して、私と同じ薄気味の悪さに襲われはしないか。………
「そうです、そうです、あなたのおっしゃる通りですよ。そんなら背中以外の部分は?」
と、私は知らず識らず釣り込まれて、そう云わずにはいられなかった。するとその男は、
「君、鉛筆を持ってないかね。」
と、卓上にあった献立表の紙をひろげて、
「口で云ったんじゃまどろッこしいから、図を画きながら説明しよう。」
と云うのだった。そしてお前の腕はこう、手はこう、腿(もも)はこう、脛はこうと、順々にそこへ描き始めた。
彼の線の引き方には、どう考えても絵かきらしい技巧はなかった。(彼が絵かきでないという私の推察があたっていたことは、後になってから分ったのだが。)「ここのところがこんな工合で、ここがこうで」と云いながら、ゆっくりゆっくりと不器用な線をなぞるようにして彼は描いた。時には眼をつぶって上を向いて、じーいッと脳裡の幻を視詰めるような塩梅だった。が、その怪しげな、たどたどしい鉛筆の跡が次第にでっち上げる拙い素描、幼稚な絵の中に、しろうとでなければとても画けない変な細かさと、毒々しさと、下品さとをもって、執念深く実物に似せた形があるのだ。ある特長を小器用に捕えて、これが誰の顔と分る程度の漫画式の似顔を画くなら、そんなにむずかしい業ではない。けれども彼の描くのは顔でないのだ。お前の腕、お前の指、お前の腿を切れ切れに描いて、それらが私の眼に訴える感じでは、決してほかの誰のでもなく、お前のものに違いないのだ。彼はお前の体じゅうに出来るえくぼというえくぼ、皺という皺を皆知っていた。それは芸術とは云えないだろうが、何にしても驚くべき記憶力だ。そうして彼はその記憶するところのものを、一つも洩らさず寄せ集めて、丹念に紙の上へ表現するのだ。
私はその後、有田ドラッグの店の前を通ると、この男の画いた素描を想い出すことがしばしばあった。あの蝋細工の手だの首だのの、ぬらぬらした胸の悪い感じ、………それでいてどこか人間の皮膚らしい感じ、………この男の絵はちょうどあれだった。たとえばお前の腿から膝のあたりを画くのに、この男はお前が膝を伸ばしている時と「く」の字なりに曲げている時とで、膝頭のえくぼにどれだけの変化が出来、どこの肉が引き締まり、どこの肉がたるむという区別をつけて二た通りに画く。その肉のふくらみを現わすのには細かい線で陰翳を取って行くのだが、それが実にぬらぬらと、お前の肉置(ししお)きのもっちゃりとした心持ちをよく出しているのだ。この男は踵の円みから土踏まずへのつながりを描いただけで、お前の足を暗示させる。そうしてお前の足の第二趾が親趾よりも長いことや、それが大抵親趾の上へ重なっていることを見落していない。足の裏を画かせると、五本の趾の腹を写して、これが小趾の腹、薬趾の腹だという風に、それぞれの特長を掴まえている。私にしてもお前の足の爪研(みが)きを手伝ったことがなかったら、こうまで詳しくは知りようがないし、きっとこの男に恥を掻かされたに違いなかろう。
「乳とお臀の恰好を知るのには苦心をしたよ。」
と、この男は白状した。彼が云うには、お前の体で今までフイルムに露出されない部分といってはほとんどないのだが、乳房の周囲と腰から臀の一部分だけが、どんな場合にも一と重の布で隠されていた。長い間、彼はその布の上に現われる凹凸の工合に注意していた。すると運よく「夢の舞姫」の時に、お前がシュミース一枚になって、そのシュミースの紐(ひも)がゆるんでいることがあった。お前はそのなりで床に落ちている薔薇(ばら)の花を拾った。拾った瞬間に体を前へ屈めたから、自然シュミースが下方へたるんで、紐のゆるんだ隙間から、――彼の形容詞に従えば「印度(インド)の処女の胸にあるような」完全にまんまるな、「二つの大きな腫物のように」根を張ったところの乳房が見えた。乳首までは見えなかったが、もうそれだけで彼にはお前の乳の全景を想像するのに充分だった。人間の体は、ある一箇所か二箇所を除いたほかの部分が悉く分ってしまえば、その分らない部分についても、代数の方程式で既知数から未知数を追い出せるように、推理的に押し出せる。――彼はそういう風にして、いろいろのシーンから既知の肉体の断片を集めて、それらによって未知の部分、――お前の臀の筋肉のかげとひなたとがこうでなければならないことを、割り出したと云うのだ。
「どうだね君、僕はまるで参謀本部の地図のように明細に、どこに山がありどこに川があるかということを一々洩れなく絵に画けるんだよ。君は亭主だというけれども、こんなに精密に暗記しているかね。」
テーブルの上には、もう何枚かの紙切れが散らばっていた。彼は献立表の裏へ一杯にその「地図」を画きつぶしてしまうと、やがてポッケットから「ミヤコ・キネマ」のプログラムを探り出して、その裏へ画き、ナフキンペーパーの上へ画き、しまいには大理石の上にまで画いた。その仕事は彼に非常な興奮と悦楽とを与えるらしく、黙っていればまだ何枚でも画きそうにするのだ。
「もし、もし、もう分りました。もうそのくらいで沢山ですよ。とてもあなたには敵(かな)いませんや。」
「それから、――そうそう、活劇をやったり感情の激動を現わしたりする時に、息をはっはっと強くはずませることがあるね。そうするとこう、ここの頸の附け根のところに、脂肪の下からほんのちょっぴり骨が飛び出すよ、こんな工合に、………」
「いや、――いやもう結構、もう好い加減に止めて下さい。」
「あはははは、だって君、君の最愛の女の裸体画を画いてるんだぜ。」
「それはそうだが、あんまり画かれると気持ちが悪いや。」
「そんなことを云ったって、君は年中女房のはだかを写真に撮って、飯を喰っているんじゃないか。それから見ると僕の方は割が悪いよ、これだけ画けるようになるには容易なことじゃないんだがね。」
「分りました、分りました。僕はこの絵を貰って行きますよ。こいつを女房に見せてやります。」
私はそう云って、それらの紙切れを急いでポッケットへ捩(ね)じ込んだが、彼は内心お前に見せて貰いたいのか、それともそんなものは、画こうと思えばいくらでも画けるので惜しくもないのか、私のするままに任せていた。しかし私は、勿論これをお前に見せるつもりではなく、直きに破いて便所へ捨ててしまったが、見せたらお前はさぞかし胸を悪くしたろう。お前はお前の美しい体が、有田ドラッグの蝋細工にされたところを想像するがいい。………
「帰るならそこまで一緒に行こう」とその男が云うので、二人つれ立ってカフェエを出たのは九時頃だったろう。私は既に二時間近くも、この何者とも分らない人間の酒の相手を勤めたのでありながら、どういう訳でまたのこのこと附き合う気持ちになったものか、多分私は、彼を薄気味の悪い奴だと思う一方、次第に変な親しみを感じさせられていたせいであろう。この男を気味が悪いというのは、つまりこの男があまりにもよく私自身に似ている点があるからではないか。この男は私と同じ眼をもって、お前の肉体の隅々を視ている。そうしてし
かも、彼はこの世で直接お前には会ったことがない。天から降ったか地から湧いたか、彼はふらりと私の前に現われて、私でなければ知るはずのない私の恋人、私の女神の美を説いて聞かせる。私は彼を恋敵として嫉妬する理由は少しもない。なぜなら彼の知っているのは、フイルムの中の幻影であって、私の女房のお前ではない。影を愛している男と、実体を愛している男とは、影と実体とが仲よくむつれ合うように、手を握り合ってもいいではないか。………
私はそんなことを考えながら、その男の歩く通りに喰っ着いて行った。その男は、京極を河原町の方へ曲って、あの薄暗い街筋を北へ向って歩いて行く、空はところどころ雲がちぎれて、星がぼんやり見えたり隠れたりしていたが、まだあたりには霧のような糠雨(ぬかあめ)が立ち罩(こ)めている。そして折々、ぼうっと街燈に照らし出される彼の姿は、実際一つの「影」の如くにも見えるのであった。
「君は勿論、由良子嬢は君以外の誰のものでもない、確かに君の女房であると思っているだろう。――」
と、彼は半分独り語のようにそう云い出した。
「――けれども君の女房であると同時に、僕の女房でもあると云ったら、君はどういう気がするかね。」
「一向差支えありません。どうかあなたの女房になすって、たんと可愛がって頂きたいですな。」
と、私は冗談のような口調で云った。
「という意味は、僕の女房の由良子嬢は要するにただの写真に過ぎない。だから何の痛痒(つうよう)も感じないし、やきもちを焼くところはないと、君はそう思って安心しているという訳かね。」
「だって、あなた、そんなことを気にしていたら、女優の亭主は一日だって勤まりやしませんよ。」
「なるほど、そりゃあそうだろう。だがもう少しよく考えて見たまえ。第一に僕は聞きたいんだが、一体君は、君と僕とどっちがほんとうの由良子嬢の亭主だと思う? そうしてどっちが、亭主としてより以上の幸福と快楽とを味わっていると思う?」
「うへッ、大変な問題になっちゃったな。」
私はそう云って茶化してしまうより仕方がなかったが、その男は闇を透かして、私の顔を憐れむように覗(のぞ)き込みながら云うのだった。
「君、君、冗談ではないよ、僕は真面目で話してるんだよ。――僕の推測に誤まりがなければ、多分君はこう思っているだろう、僕の愛しているのは影だ、君の愛しているのは実体だ、だからそんなことはてんで問題になるはずはないという風に。――しかし君にしても、フイルムの中の由良子嬢は死物ではない、やはり一個の生き物だということは認めないだろうか?」
「認めます、それはおっしゃる通りですよ。」
「では少くとも、フイルムの中の由良子嬢が、君の女房の由良子嬢の影であるとは云えないと思うね、既に生き物である以上は。――いいかね、君、こいつを君は忘れてはいけない、君の女房も実体だろうが、フイルムの中のも独立したる実体だということを。――こう云うとそれは屁理窟だ、二つが共に実体だとしても、どっちが先にこの世に生れたか、君の女房がいなければ、フイルムの中の由良子嬢は生れて来ない、第一のものがあって始めて、第二のものが出来ると云うかも知れないが、もしそう云うなら、君の愛しているところの、そうして恐らくは崇拝してさえいるだろうところの、真に美しい由良子嬢というものは、フイルム以外のどこに存在しているのだ。君の家庭における由良子嬢は、『夢の舞姫』や、『黒猫を愛する女』や、『お転婆令嬢』で見るような、あんな魅惑的なポーズをするかね。そうしてどっちに、由良子嬢の女としての生命があるかね。………」
「御尤(ごもつと)もです、僕もときどきそういう風に考えるんです。僕はそいつを僕の『映画哲学』と名づけているんです。」
「ふふん、映画哲学か、」
と、その男は、妙に私に突ッかかるように云いながら、
「そうすると結局、こういうことが云えないだろうか、――フイルムの中の由良子嬢こそ実体であって、君の女房はかえってそれの影であるということが? どうだね君の哲学では? 君の女房はだんだん歳を取るけれども、フイルムの中の由良子嬢は、いつまでも若く美しく、快活に、花やかに、飛んだり跳ねたりしているのだ。もう十年も立った時分に、君はしみじみ昔の姿を思い起して、ああ、あの時分にはこんなではなかった、あすこの所にあんな皺はなかったのに、いつあんなものが出来たんだろう、そうして体じゅうの関節にあった愛らしいえくぼは、どこへ消えてしまったんだろうと、そう思う時があるとする。その時になって、もう一度昔のフイルムを取り出して、映して見るとする。君は定めし、えくぼは消えてなくなったんでも何でもない、永遠に彼女の体に附いていることを発見するだろう。君の女房は衰えたかも知れないが、夢の舞姫は今でもやはり、シュミースの下に円々とした乳房を忍ばせ、床に落ちた薔薇の花を拾うだろう。黒猫を愛する女は、相変らず風呂へ這入(はい)ってぼちゃぼちゃ水をはねかしながら、猫と戯れているだろう。君はその時、君の若い美しい女房はフイルムの中へ逃げてしまって、現在君の傍にいるのは、彼女の脱け殻であったことに気がつく。君はそれらの映画を見て、一体これは自分が作った絵なのかしらん、自分や自分の女房の力で、こんな光り耀(かが)やかしい世界が出来たのかしらんと、今さら不思議な感じに打たれる。そうしてついに、これらのものは自分たち夫婦の作品ではない、あの舞姫やお転婆令嬢は、自分の監督や女房の演技が生んだのではなく、始めからあのフイルムの中に生きていたのだ。それは自分の女房とは違った、ある永久な『一人の女性』だ。自分の女房はただある時代にその女性の精神を受け、彼女の俤(おもかげ)を宿したことがあるに過ぎない。自分たちこそ、彼女のお蔭で飯を食わして貰っていたのだと、そう思うようになるだろう。………」
「そりゃあなるほど理窟としては面白いですが、僕の女房が歳を取るように、フイルムの中の彼女だってだんだんぼやけてしまいますよ。フイルムというものは永久不変な性質のものじゃないんですから。………」
「よろしい、そこで吾(わ)が輩(はい)は云うことがあるんだ。――君は僕が、何のためにこんなにたびたび由良子嬢の映画を見に行くか、そうして何のために、こんなに詳しく由良子嬢の地理を覚え込んだか知っているかね。さっきも絵に画いて見せたように、僕はこうして眼をつぶりながらでも、彼女の体を好きなようにして眺められる。『さあ、由良子さん、立って下さい』と云えば立ってくれるし、『据わって下さい』『臥(ね)て下さい』と云えば、僕の云う通りになってくれる。僕は彼女を素ッ裸にして、背中でも、臀でも、どこでも見られるし、倒(さかさ)まにして足の裏を見ることも出来る。君は亭主だというけれど、自分の女房をそんなに自由に扱えるかね。仮りに自由にさせられるとしても、こうしてここを歩いている今、彼女を抱くことが出来るかね。僕の方の由良子嬢は、どんな時でも、呼びさえすれば直ぐにやって来て、どれほどしつッこい注文をしても、いやな顔なんかしたことはない。君の女房は歳を取るだろうが、僕の方のは、たとえフイルムはぼやけてしまっても、今では永久に頭の中に生きているのだ。つまりほんとうの由良子嬢というもの、――彼女の実体は僕の脳裡に住んでいるんだよ。映画の中のはその幻影で、君の女房はまたその幻影だという訳なんだよ。」
「けれどもですね、さっきあなたもおっしゃったように、僕の女房がいなければ映画が生れて来ないでしょう? 映画がなければあなたの頭の中のものだって無い訳でしょう? それにあなたが死んじまったら、その永久な実体という奴はどうなりますかね。そこン所がちょっと理窟に合わないようじゃありませんか。」
「そんなことはない、この世の中には君や僕の生れる前から、『由良子型』という一つの不変な実体があるんだよ。そうしてそれがフイルムの上に現われたり、君の女房に生れて来たり、いろいろの影を投げるんだよ。たとえばだね、僕は以前亜米利加(アメリカ)のマリー・プレヴォストの絵が好きだったが、君もあの女優は好きなんだろうね。いや、改めて聞くまでもない。」
と、彼は私の驚いた色を看(み)て取りながら云うのだった。
「君は恐らく由良子嬢を発見した時に、これは日本のマリー・プレヴォストだと思ったんじゃないかね。そういえば、――そうだ、――プレヴォストにも風呂へ這入る場面があったね。やっぱり由良子嬢のように体の透き徹るガウンを纏(まと)って、風呂から上って、湯殿の出口でスリッパーを穿(は)くところがある。――あれはもう何年前のことだったか、随分古い写真だけれど、僕は今でもよく覚えている。あの時プレヴォストは後ろ向きに立ちながら、なまめかしいしなを作って、スリッパーを突っかけた。突っかける時にわれわれの方へ足の裏を見せた。ね、そうだったろう、君も覚えているだろう? あの場面はソフト・フォーカスだったので、彼女の全身が朦朧と見えたに過ぎないけれど、しかしあの女優の顔つきや体つきの感じは由良子嬢にそっくりじゃないか。殊にクローズアップで見ると、仰向いた時の鼻の孔の切れ方が実に似ている。腕や手のえくぼもちょうど同じ所に出来る。裸体にしたらもっと似たところがあるだろうし、臍も凹んでいるような気がする。――残念ながら僕はプレヴォストの臍を知らない。僕の知っているのは由良子嬢のと、『スムルーン』で見たポーラ・ネグリの臍だけだ。――が、そういう風に、あえてプレヴォストばかりじゃない。由良子嬢に似ている女はこの世界じゅうにまだ幾人もいるんだよ。うそだと思うなら、君は静岡の遊廓の××楼にいるF子という女を買ったことがあるかい? その女は無論プレヴォストや由良子嬢ほどの別嬪ではない、いくらか型は崩れているが、それでもやはり『由良子系統』であることはたしかだ。その女の体じゅうに出来るえくぼは由良子嬢の俤を伝えている。そうして何より似ているのは二つの乳房だ。………………………………………………………………………………………………………………」
そう云って彼は、彼の知っている限りの「由良子型」の女を数え挙げるのだった。その女たちは全身がそっくりそのままお前の通りではないまでも、なお何となく肌触りや感じにおいて同一であり、しかも必ず、ある一部分はお前に酷似した所を持っていると云うのだ。たとえば今の静岡県のF子の胸には、お前と同じ乳房がある。お前の『肩』は東京浅草の淫売のK子という女が持っている。お前の『臀』は信州長野の遊廓の〇〇楼のS子が持っている。お前の『膝』は房州北条のなにがしの女に、お前の『頸』は九州別府温泉の誰に、そのほかお前の『手』はどこそこに、お前の『腿』はどこそこにある。彼はお前の肉体の部分部分を研究するのに、映画についたばかりではない、その女たちについても覚えた。さっきの「地図」はお前の「地図」であると同時に、その女たちの「地図」であると云うのだ。
「君、君、非常に都合の好いことには、由良子嬢のあの美しい『背筋』が、直きこの近所にあるんだよ。君は大阪の飛田遊廓を知っているだろう? あすこへ行って、B楼のA子という女を呼んで、背中を出さして見たまえ。それからもっと近い所では、この京都の五番町に『足』があるんだ。あすこのC楼のD子という女だがね、日本人の足の趾は、親趾よりも第二趾の方が長いのはめったにない、ところがあの女のは由良子嬢のにそっくりなんだ。………」
それから彼はまた「実体」の哲学を持ち出して、プラトンだのワイニンゲルだのとむずかしい名前を並べ始めたが、私はそんなくだくだしい理窟を覚えてもいないし、一々書き留める根気もない。要するにお前、――「由良子」というものは、昔から宇宙の「心」の中に住んでいる、そうして神様がその型に従って、この世の中へある一定の女たちを作り出し、またその女たちに対してのみ唯一の美を感ずるところの男たちを作り出す。私と彼とはその男たちの仲間であって、われわれの心の中にもやはり「お前」が住んでいると云うのだ。この世が既にまぼろしであるから、人間のお前もフイルムの中のお前もまぼろしであるに変りはない。まだしもフイルムのまぼろしの方が、人間よりも永続きがするし、最も若く美しい時のいろいろな姿を留めているだけ、この地上にあるものの中では一番実体に近いものだ。人間というまぼろしを心の中へ還元する過程にあるものだと云うのだ。………
「いいかね、君、そうなって来ると、君と僕とは由良子嬢の亭主として、一体どれだけの違いがあるんだ。君の持っている幸福で、僕のあずからないものが一つでもあるかね。僕は君と同等に、いや恐らくは君以上に彼女の体を知っている。僕は彼女をいかなる場合、いかなる所へでも呼び出して、着物を剥いで臥かしたり起したりさせられる。だがそれだけでは……………………――………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。しかしそれでも不充分だ、完全な一人の『由良子嬢』として、……………………………………………………………………。よろしい、それなら僕の家へ来たまえ、実を云うと、僕は一人の『由良子嬢』を持っているのだ。――」
私は思わず立ち止まって、彼の顔を視詰めないではいられなかった。
「へえ? あなたも由良子を持っていらっしゃる?――そりゃアあなたの奥さんなんですか。」
「うん、僕の女房だ、――君の女房とどっちがほんとうの『由良子』に近いか、何なら見せてやってもいいがね。」
ここに至って、私の好奇心が絶頂に達したことは云うまでもあるまい。この男の言動はますます出でてますます意外だ、不思議な奴もあればあるもんだ。――が、その云うところは私の図星を刺す点もあり、ちゃんと辻褄(つじつま)が合っているのだから、こいつがまさか気違いではなかろう。多少気違いであるとしても、私は彼の異性に対する観察の細かさ、感覚の鋭さには敬服している。私は当然、彼の細君、――彼の「由良子」と称する婦人に会ってみたくてたまらなくなった。それにこの男は未だに身分を明かさないので、こうなって来るといよいよそれが知りたくもあった。
「どうだね、君、僕の女房を見たくはないかね。――」
と、彼は横眼で人の顔色を窺(うかが)いながら、イヤに勿体(もつたい)を附けるような口調で云うのだった。
「――見る気があるなら見せて上げるが、………」
「気がないどころじゃありません、是非ともお目に懸りたいもんです。」
「それでは僕の家へ来るかね。」
「ええ、伺います。――いつ伺ったらいいんですか。」
「いつでもよろしい。今夜でもいいんだ。」
「今夜?――」
「ああ、これから一緒に来たらどうかね。」
「だって、――もう遅いじゃありませんか。お宅は一体どちらなんです?」
「直きそこなんだ」
「直きそこというと?――」
「自動車で行けばほんの五分か十分のところさ。」
気がついて見ると、私たちはもう出町橋の近所まで来ていた。そして時刻はかれこれ十時半なのである。この男は何でもない事のように「今夜行こう」と云うけれども、始めて近づきになった私をこんな夜更けに自分の家へ連れて行って、細君に引き合わすつもりなのだろうか? それほど御自慢の細君なのだろうか?
「変だなあ、担(かつ)がれるんじゃないのかなあ。――」
「あはははは、そんな人の悪い男に見えるかね、僕は?」
「けれども、あなた、これから伺うと十一時になりますぜ。あなたはいゝとおっしゃったって、奥さんに悪いじゃありませんか。」
「ところが僕の女房は、そりゃあ頗(すこぶ)る柔順なもんでね、僕が何時に帰ったって怒ったことなんかないんだよ。いつもニコニコして機嫌よく僕を迎えるんだ。その夫婦仲のいいことと云ったら、――そいつを今夜是非とも君に見せてやりたい。」
「冗談じゃない、アテられちゃうなあ!」
「うん、まあアテられる覚悟で来ることが肝要だね。」
「肝要ですか。」
「アテられるのが恐ろしいかね。」
「恐ろしいかッて、――そいつは少し、――タジタジと来ますな。」
「あはははは、君は年中自分の女房を見せびらかしているんだから、今夜はどうしても僕の女房を見る義務がある。ここで逃げるのは卑怯だぜ。来たまえ、来たまえ。」
もうそう云っている時分には、彼は私の腕を捉えて、橋の西詰にある自動車屋の方へぐいぐい引っ張って行くのだった。
「いや、こうなったら逃げやしません、度胸をきめます。――」
彼は私を自動車屋の前へ待たしておいて、自分だけツカツカと奥へ這入って、小声で行く先を命じていた。その時私は、カフェエを出てからこの男の姿を始めて明るみで見たのであるが、さっきの酒が今頃になってそろそろ利いて来たのであろう、いつの間にやら彼の人相は別人のように変っていた。その眼は放埒(ほうらつ)に不遠慮に輝やき、口元には締まりがなくなり、鼻の孔はだらしなくひろがっている。眼深(まぶか)に被っていた台湾パナマの古ぼけた帽子が、後ろの方へずるッこけて、だだッ児のように阿弥陀になって、縮れた髪の毛が額へもじゃもじゃと落ちかかっている塩梅は、どうしても不良老年の形だ。老年と云えば、私はさっきこの男の年を四十恰好と踏んだのだけれど、帽子が阿弥陀になって見ると顔には思いのほか小皺があって眼の皮がたるみ、髪にはつやがなく、鬢(びん)のあたりに白い物さえ交っていて、ひいき目に見ても四十七八、五十に近い爺(じじい)なのだ。彼の酔い方が私の想像していた以上であったことは、そのだらりとした態度や、足取りで明かだった。が、それでも彼は飲み足りないのか、
「おい、君イ、まだかあ!」
と、どら声を出して運転手を催促しながら、ポケットからあまり見馴れない珍しい容れ物、――薄い、平べったい、銀のシガレットケースのような器を出して、頻(しき)りに喇叭(らつぱ)呑みをやるのだ。
「何ですか、それは?」
「これか、これは亜米利加人が酒を入れてコッソリ持って歩く道具さ。活動写真によくあるだろう。」
「ああ、あれ。そんなものが日本にも来ているんですか。」
「あっちへ行った時に買って来たんだよ。こいつあ実に便利なんでね、こうしてチビリチビリやるには。………」
「盛んですなあ、いつもそいつを持ってお歩きになるんですか。」
「まあ夜だけだね。――僕の女房はおかしな奴で、夜が更(ふ)けてからぐでんぐでんに酔っ払って帰ると、ひどく喜んでくれるんだよ。」
「すると奥さんも召し上るんで?」
「自分は飲まないが、僕の酔うのを喜ぶんだね。………つまり、その、何だ、………僕をヘベレケにさしておいて、有りったけの馬鹿を尽していちゃつこうっていう訳なんだ。」
私は彼がそう云った瞬間、何か知らないがぞうっと身ぶるいに襲われた気がした。このイヤらしいノロケを云いながら、彼はゲラゲラと笑い続けて、私の眼の中を嘲けるが如く視つめている。私の顔は真っ青になったに違いなかった。何という不気味な狒々爺(ひひじじい)だろう。やっぱりキ印なのかしらん?………それに全体、女房々々と云うけれど、こんな爺に若い美しい女房なぞがあるのだろうか、変な所に妾でも囲ってあるのじゃないのか。………………
それから間もなく、二人を乗せた自動車は恐ろしく暗い悪い路をガタピシ走らせているのであった。私はあの時分、京都へ来てからまだ幾月にもならなかったので、あの晩どこを通ったのだか、今考えてもはっきり呑み込めないのだが、とにかく出町橋を渡ってから直きに加茂川が見えなくなって、やっと車が這入れるくらいなせせッこましい家並の間を、無理に押し分けるようにして右へ曲ったかと思うと、今度はまた左へ曲る。雨は止んだが、空はどっぷり曇っているので山は一つも見えないし、もうどの家も戸が締まっていて、町の様子は分らないながら、ところどころにざあざあと渓川(たにがわ)のような水音のする溝川がある。その男は窓から首を出して、「そこをあっちへ」とか「こっちへ」とか、時々運転手に指図している。そのうちにだんだん家が疎(まば)らになって、田圃があったり立木があったり、ぼうぼうと繁った叢(くさむら)があったり、たしかに郊外の田舎路へ来てしまったらしい。
「驚いたなあ、どこまで連れて行かれるんです。大分遠方じゃありませんか。」
「まあいいじゃないか、乗った以上は黙って僕に任せたまえ、君の体は今夜僕が預かったんだよ。ねえ、そうだろ? そうじゃないか。」
「だけど一体、………いいんですかこんな所へ来てしまって?」
「いいんだってばいいんだよ、いくら酔ったって自分の家を間違える奴があるもんか。………どうだね、一杯?」
車が揺れる度毎にどしんどしんと私の方へ打(ぶ)つかって来ながら、その男はよろよろした手つきで喇叭呑みをやっては、それを私にもすすめるのだが、次第にしつッこく首ッたまへ齧(かじ)り着いて、まるで女にでもふざけるように寄りかかって来る、その口の臭さと、ニチャニチャした脂ッ手の気持ちの悪るさといったらない。よほど酒の上の良くないたちで、酔ったら人を困らせるのが常習になっているのだろう、何しろ私は飛んだ奴に掴まってしまった。
「もし、もし、済みませんがこの、………手だけ放してくれませんか、これじゃあ重くって遣(や)り切れねえや。」
「あはははは、参ったか君。」
「参った、参った。」
「君と一つキッスをしようか。」
「ジョ、ジョ、冗談じゃあ、………」
「あはははは、由良子嬢とは一日に何度キッスするんだい? え、おい、云ったっていいだろ? 三度か、四度か十ッたびぐらいか、………」
「あなたは何度なさるんです?」
「僕は何度だか数が知れんね。顔から、手から、指の股から、足の裏から、あらゆる部分を………」
途端に彼はたらりと私の頬ッぺたへよだれを滴らした。
「うッ、ぷッ、………もう少し顔を………向うへやってくれませんか。」
「構わん、構わん、由良子嬢のよだれだったらどうするんだい? 喜んでしゃぶるんじゃないのかい?」
「そりゃアあなたじゃないんですか。」
「ああ、しゃぶるよ、僕はしゃぶるよ。………」
「馬鹿だなあ。」
「ああ馬鹿だとも。どうせ女房にかかっちゃあ馬鹿さ。惚れたが因果という奴だあね。」
「だけどよだれを舐(な)めなくったって、………奥さんは幾つにおなりなんです?」
「若いんだぜ君、幾つだと思う?」
「そいつがどうも分りませんや、あなたの歳から考えると、………」
「僕はじじいだが、女房はずっと若いんだよ。悍馬(かんば)のように溌剌(はつらつ)たるもんだよ。まあ幾つぐらいだと思うね。」
「僕の女房とどっちなんです? 由良子はちょうどなんですが、………」
「じゃあ同い歳だ。」
「そんな若い奥さんを? 失礼ですが、第二夫人というような訳じゃあ、………」
「第一夫人で、本妻で、僕の唯一の愛玩物で、むしろ神様以上のもんだね。」
ゲラゲラと笑って、またよだれを滴らしながら、――
「どうだい、恐れ入ったろう。僕は女房に会うためにこんな淋しい田圃路を、いつも今時分に一人で帰って行くんだよ、自動車へも乗らずテクテク歩いて。………すると女房は僕の足音を聞きながら、奥の寝室の帳(とばり)の中でうつらうつらと、ものうげな身をしょざいなさそうに、猫のように丸めて待っているのだ、体じゅうに香料を塗って、綺麗になって。………僕はそうッと寝室へ這入って、やさしく帳を分けながら、『由良子や、今帰ったよ、さぞ淋しかったろうねえ。』――」
「ええ?」
「あはははは、ビックリしたかい?」
「だって、名前まで『由良子』なんですか。」
「ああ、そう、『由良子』としてあるんだよ。そうしないと人情が移らんからね。」
やがて車は、こんもりとした丘の下で停った。
「ここだよ、ここだよ」と云いながら、彼は先へ立って急な石段を登り始める。懐中電燈を出して照らしながら行くところを見れば、なるほど毎晩遅く帰って来るのであろう。段の両側には山吹が一杯、さやさやと裾(すそ)にからまるくらい伸びている。青葉の匂いが蒸すように強く鼻を衝いて、懐中電燈の光の先に折々さっと鮮かな新緑が照らし出される。
「そら、もうそこだよ。」
と云われて、私は坂の上を仰いだ。見ると、軒燈が一つぼうッと燈った白壁の西洋館があった。
暗いのでよくは分らなかったが、その西洋館は丘の上にぽつりと一軒建っているので、隣り近所に家はないらしく、あたりは一面の籔(やぶ)か森であることは、今も云う青葉の匂いや、土の匂いや、もののけはいで感ぜられる。そうして欝蒼(うつそう)とした影が背後をうずだかく蔽(おお)っている様子では、うしろは崖か山になっているのだろう。石段を上り詰めると、突きあたりの正面に、白壁を仕切っての龕(がん)のように凹んだ入口がある。入口の扉は三尺ばかりの板戸であると思ったのだが、近づいて見るとガラス戸であった。家の内部に明りが燈っていないので、それが遠くからは黒い板戸に見えたのであった。さっき石段の下から望んだ一点の燈火は、その龕のような凹みの真上に、円筒型のシェードに入れられて、白壁の上へ朦朧(もうろう)と圏を描いている。西洋館とはいうものの、この外構えの塩梅では、四角な、平家の、昼間見たらば殺風景な掘っ立て小屋のようなものらしい。………
彼ははっはっと息を切らしながら、ポッケットから鍵の鎖をカチャカチャと取り出して、入口の扉を開けた。私は彼のあとに続いて土間へ這入った。彼は内部から今の扉に鍵をかけて、泥だらけの靴を脱いで、手さぐりでスリッパアを穿いたようだった。――どこかにスウィッチがあるのだろうに、明りをつけようとはしないで、暗闇でやっているのである。外の門燈がガラス戸を透してぼんやり映ってはいるものの、その覚束(おぼつか)ない光線では、土間の様子はさっぱり私にはわからない。はっはっという彼の吐息がにわかに酒臭く、けぢかく反響する工合から察すると、この玄関はわりに狭いのに違いなく、ひどく窮屈な壁の間へ閉じ込められたような気がする。と、彼は再び懐中電燈を照らし始めた。光の先を床の方へ向けながら、何か捜し物をしているらしい。光がチラリと通り過ぎるあたりに、支那焼のステッキ入れと、鏡の附いた帽子掛けの台が見える。台には帽子が三つ四つ懸かっている。ソフトの中折れと、鼠色の山高と、鳥打ち帽と、普通の麦藁(むぎわら)と。………台の下には革のスリッパアが二三足あって、中に一足、派手な鴇色(ときいろ)の絹で作った、踵の高い、フランス型の女のスリッパアが交っている。――私が第一に驚いたのはこれであった。というのは、それは大分穿き馴らしたものらしく、脂じみた足型がついているのであるが、もしこのスリッパアを黙って見せられたら、私はきっとお前のものだと思うであろう。それは私の家にある、お前の穿き古るしたスリッパアにそっくりなのだ。同じ所に皺が寄り、同じ所に踵や趾の痕が出来、同じ足癖で汚れているのだ。私はそれが眼に触れた瞬間、お前の美しい足の形を明瞭に心に浮かべた。とにかくにも、そのスリッパアはお前の足と同じ足が穿いたのだ。「おや、うちの女房が来ているのかな」と、私はそう思ったくらいだった。
彼はそのスリッパアを大切そうに傍へ置いて、――恐らくわざと私に見せたかったのであろう、――革のスリッパアを一足取って、「これを穿きたまえ」と私の前に投げてくれたが、それきり懐中電燈を消してしまった。そうして先へ立ちながら、暗い廊下を真っ直ぐに進んだ。二人が一列にならなければ通れないほど狭いところを、彼はよろよろと両側の壁へぶつかりながら行くのである。自分のうちへ帰って来たので、気が弛(ゆる)んだのかも知れないが、そういう私もよほど飲まされていたに違いない。何しろまるで入梅のようなじとじとした晩だったから、その家の中は蒸し風呂のように生暖く、おまけに彼の酒臭い息が廊下にこもって、ふうッと顔へ吹きつけて来る。私は襟元がかっかっと上せて、一ぺんに酔が発したのを感じた。
「さあ、まずここへ這入ってくれたまえ。」
廊下の突きあたりへ来た時に、彼はそう云って左側の部屋へ私を通した。それから彼はマッチを擦(す)って、ゆらめく炎を翳(かざ)しながらつかつかと室内を五六歩進んだ。見ると一個のテーブルがあって、上に燭台が載っている。その蝋燭(ろうそく)へ彼は手の中の炎を移した。
蝋燭の穂が次第に伸びるに従って、そのテーブルを中心に濃い暗闇がだんだん後ろへ遠のいて行ったけれども、まだこの部屋がどのくらいの広さで、中にどういうものがあるのか見究めることは出来なかった。ちょうどこの時、私と彼とは燭台を挟んでさし向いに椅子へかけた。私の視線は一とすじの灯影(ほかげ)を前に赤々と照らし出された相手の顔へ、期せずして注がれたのであったが、私が見たものは実は顔ではなく、脳天のところがつるつるに禿げた頭であった。彼は台湾パナマの帽子を脱いで、テーブルの上に置いていた。そうしていかにもくたびれたという恰好で、椅子の背中へぐったりと身を寄せ、糸のちぎれた操り人形のように両腕を垂らし、首を俯向(うつむ)け、未だにはっはっと吐息をしていた。だから彼の顔の代りに、その禿げ頭がまともにこっちを見返していたという訳になる。けれども私の酔眼にそれが人間の頭であると呑み込めるまでには、多少の時間を要したのであった。私は彼がこんな立派な禿げ頭を持っていようとは、今の今まで想像もしなかったのだから。なるほど前額にも後頭部にももじゃもじゃとした縮れ毛があって、ぐるりと周囲を取り巻いているから、帽子を被れば巧い工合に隠れるのである。私は暫くアッケに取られて、その蛇(じや)の目(め)形に禿げた部分をしみじみと眺めた。もうこの男は「五十に近い」どころではない、たしかに五十を二つか三つ越しているだろう。………
と、彼はいきなり、物をも云わず立ち上って、部屋の隅の方へあたふたと駈け付けて、また何かしら飲んでいるらしく、ゴクリ、ゴクリと、見事に喉を鳴らしている。ははあ、先生、酔いざめの水を飲んでいるんだなと、その飲み方があまりがつがつしているので、私は最初そう思ったのだが、よくよく見ると、隅ッこの所に洋酒の罎を五六本列(なら)べた棚があって、彼はその前に立ちながら、独りで聞(きこ)し召しているのである。そうして五六杯も立て続けに呷(あお)ってから、濡れた唇をさもうまそうに舐(な)めずりながら、――よだれで濡れていたのかも知れない、――私の方へ戻って来て、今度はそこに突っ立ったまま、テーブルの上の燭台を取った。
「さあ君、女房に会わせて上げよう。」
「へえ、――ですがどちらにいらっしゃるんで?」
「向うの部屋だよ。そうッと僕に附いて来たまえ、今すやすやと寝ているからね。」
「およっていらっしゃるんですか、そいつはどうも………」
「なあにいいんだ、ここが女房の寝室でね。――」
そう云っているうちに、彼の手にある蝋燭の火は既に隣室の入口を照らした。
それは何とも実に不思議な部屋であった。部屋というよりは押し入れの少し広いようなもの――と、まあ蝋燭のあかりではそう見えるのだが、そこと今までいた部屋とは、濃い蝦(えび)色の帳で仕切られているだけで、それを芝居の幕のようにサラリと開けると、中にも同じ色の帳が三方に垂れていて、まん中に大きな寝台がある。――だから寝台がほとんど部屋の全部を占めているという形。で、その寝台がまた、日本の昔の帳台のように、四方を帷で囲ってある、つまり支那式のベッドなのだ。そうしてまたその寝台の帷が――これもハッキリとは分らなかったが、――暗緑色のびろうどのような地質なので、こう幾重にも暗い布ばかり垂らしたところは、何の事はない、松旭斎天勝の舞台だと思ったら間違いはない。
「ここに女房は寝ているんだが、どこから先へ見せようかね、――背中にしようか、腹にしようか、足にしようか。………」
と、彼は手を伸ばして、帷の上から中に寝ている女房の体と覚しきものをもぐもぐと揉んで見せるのであった。その眼は怪しく血走って、さも嬉しそうなニタニタ笑いを口もとに浮かべながら。………
こう書いて来れば、その寝台の中に寝ていた者が何であるかは、無論お前にも分っただろう。私も実はそれが人形だろうということは、もうさっきからの彼の口ぶりで予想しないではなかったのだが、ここに誠に気味のわるいのは、それがお前に生き写しであるばかりでなく、彼はそういう人形を、――彼のいわゆる「由良子の実体」なるものを、――幾体となく持っているのだ。即ちお前の寝ている形、立っている形、股を開いている形、胴をひねっている形、――それから到底筆にすることも出来ないような有りと有らゆるみだらな形。私が見たのは十五六だったが、彼の言葉に従うと、「うちには由良子が三十人もいる」と云うのだ。
私はよく、船員などが航海中の無聊(ぶりよう)を慰めるために、ゴムの袋で拵(こしら)えた女の人形を所持しているというような話を聞いたことがある。しかし実際にそういうものを見たことはなし、またそんなことが有り得るかどうかも疑わしいと思っていたけれど、この男の人形はつまりそれなのだ。彼はそれらの三十人もある「女房」を、一つ一つ丁寧に畳んで、風呂敷に包んで、棚の上へ載せてあるのだ。例の天勝式の装置、――寝室の三方に垂れている帳のかげに、その棚は幾段も作ってあって、一段一段に、何か暗号のような文字で印がつけてあるのである。お前は彼が、
「さあ、今度は女房のしゃがんだところを見せようかね。」
といった工合に、呉服屋の番頭が反物を取り出すようないそいそとした恰好(かつこう)で、それを棚から卸して来る時の滑稽な様子を考えて御覧。そうしてそれらの等身大のお前の姿が、十五六人も黙然と列(なら)んで、物静かな、しーんとした深夜の室内に立ったところを想像して御覧。おまけに彼がその平べったく畳んだものを膨(ふくら)ます手際といったら、実に馴れたものなのだ。水道をひねって瓦斯(ガス)に火をつけると、直ぐにお湯が出て来るような仕掛けがしてあって、――これも帳のかげにあるのだ、――そこから管を引張って人形の孔へ取りつけると、見ているうちに膨らんで来る。それが次第に一個の人間の形を備え、だんだん細部の凹凸がはっきりして来るに従って、腕から、肩から、背中から、脚から、紛う方なきお前を現ずる。水を注ぎ込む孔の作り方と位置についても、馬鹿々々しい注意が払われていて、氷枕の栓のようなあんなぶざまなものではないのだ。一つ一つの人形によって□□□□□□皆適当に考えてあって、それを詳しく説明することはお前に対する冒涜のような気がするから、私はこれ以上を云うことが出来ない。彼は恐らく、水を注ぎ込むというその事自身を享楽しているに違いあるまい。「君、僕は造化の神様と同じ仕事をしてるんだよ。昔の神様がアダムとイヴを作る時にはどこから息を吹き込んだのか知らないが、面白くって止められなかったに違いないぜ」と、彼は云うのだ。
お前は定めし、そんなものがいくら自分に似ているといっても、ゴムの袋ならたかが知れている、どうせたわいのないものだろうと思うであろう。彼がいかにしてあの驚くべき精巧な袋を縫うことが出来たか、その凄じい苦心の跡を語らなければそう思うのももっともだけれども、一と通り説明を聞いた私にも、さて自分でやって見ろと云われたら、到底あの真似は出来そうもない。云うまでもなくそれは材料の買い入れから最後の仕上げまで、悉く彼一人の手で作られたもので、彼の工房へ這入って見れば、決して偽りでないことが分る。お前はそこに、凡(およ)そお前の肉体に関する得られる限りの参考資料が、途方もない執拗と丹念をもって集められているのを発見するだろう。人はすべての表面が鏡で張られた室内へ閉じ込められると、ついには発狂するものだそうだが、お前はきっと、ちょうどそれと同じ気持ちを味わうだろう。
「ところでちょっとこっちの部屋を見てくれたまえ」と、彼は私を廊下の反対の側にあるその工房へ連れて行ったが、そこで私の眼に触れたものは、床、壁、天井の嫌いなく、あらゆる空間に陳列してあるお前の手足の断片だった。殊に奇異なのはお前の体の部分部分を、――秘密な箇所や細かい一とすじの筋肉などまでを、――著しく拡大した写真が、方々に貼ってあることだった。なるほどこれだけの写真があって、これを毎日眺めているとすれば、あの霊妙なる有田ドラッグ式素描が画けるのに不思議はないと、私は始めて分ったのであった。が、それにしても彼はどうしてそれらの写真を手に入れたか、お前に会ったこともない彼がいかにして撮影したであろうか。――この疑問に答えるために彼が出して見せたものは、いろいろな絵から切り取った古いフイルムの屑だった。短かいのは一とコマか二たコマ、長いのは十コマ二十コマぐらいずつ、彼はすべてのお前の映画から彼に必要である場面を集めているのだ。「夢の舞姫」が床に落ちた薔薇の花を拾っているところ、血の滴れる足で舞台で踊っているところ、趾の血型の大映し、「お転婆令嬢」の乳房の下からみぞおちのあたりがハッキリ現われているシーン、「夏の夜の恋」の凹んだ臍(へそ)が見える部分、――およそ彼が詳しい描写で私を驚かした場面の数々は、みんなそこに備わっているのだ。彼はお前の耳の形と、口腔内の歯列びの様子が知りたさに、それが明瞭に写っているたった一とコマのフイルムを得るべく、常設館から常設館へと、ある一つの絵を追いかけて、一度は岡山へ、一度は宇都宮へ行ったと云うのだ。
「………世間には僕と同じような物好きな奴が多いということを、僕はその時に発見したね。なぜかって云うと、由良子嬢のある一つの絵が東京と上方で封切りされる、それからだんだん地方の小都会へ配附されるに従って、不思議とフイルムのコマの数が減って行くんだ。勿論それは地方地方の検閲官がカットする場合もあるだろう。けれどもこの方はどこの県でも大体の標準が極まっているから、そんなに無闇に切るはずはない。最初に二十コマあった場面が、次ぎから次ぎへと旅をする間に十五コマになり、十コマになり、ひどい時にはしまいに一つもなくなってしまったりするのは、変じゃないか。これは途中で切り取る奴があるからなんだよ。由良子嬢がやって来るのを待ち受けて、彼女の手だの足だのをまるで飢えた狼のようにもぎ取って行く奴があるんだ。そういう人間が大勢いるという証拠には、田舎の町の常設館の映写技師に聞いてみたまえ。彼らはちゃんと心得ていて、金さえやれば望みの場面を一とコマなり二たコマなり、こっそり切って売ってくれる。それが彼らのほまちになっているくらいなんだ。………」
彼の仕事は考古学者の仕事に似ていた。考古学者が深い土中から数世紀層前の遺骨を掘り出して来て、何万年の昔に生きていた動物の形を組み立てるように、彼は日本国中の津々浦々に散らばっているお前の手足を集めて来て、やがて完全な一個の「お前」を造ろうとするのだ。壁に貼ってある大きな写真は、彼がそんな風にして手に入れたフイルムを、引き伸ばしたものなのであった。彼は一定の比例によって部分部分を引き伸ばしておいて、それに従って粘土で一つの原型を作る。さてその原型へ当て篏(は)めながら、ゴムの人形を縫い上げる。あたかも靴屋が木型へ皮を押しあてて靴を縫うのと同じような手順なのだが、仕事の難易は勿論同日の談ではないのだ。第一彼はお前の肌となるところの、実感的な色合と柔かみを持つゴムを得るのに苦心をした。私が手に触れた塩梅では、それは女の雨外套などに用いる、うすい絹地へゴムを引いた防水布、――あれによく似た地質であって、あれよりもっと人間の皮膚に近いようなものだった。彼は大阪神戸東京と、方々の店へ註文を発して、やっと五軒目に気に入った品を手に入れることが出来たのであった。そうしてそれを縫い上げるのに、粘土で作った「原型」に就いたばかりではなく、腑に落ちないところや分らないところは生きた「原型」に当て篏めても見た。彼は一と通り縫い上げたゴムの袋を、わざわざ静岡まで持って行って、××楼のF子の乳房に合わせてみたり、信州長野へ持って行って〇〇楼のS子の臀に合わせてみたり、東京浅草のK子の肩や、京都五番町のA子の背筋や、房州北条の女の膝や、別府温泉の女の頸などに、一々合わせたのであった。
しかし私は、彼がいかにしてあの燃えるが如き唇を作り、その唇の中に真珠のような歯列を揃えることが出来たか。いかにしてあのつややかな髪の毛や睫毛(まつげ)を植え、生き生きとした眼球(がんきゆう)を篏め込むことに成功したか。いかにしてあの舌を作り、爪を作ったか。それらの材料は一体何から出来ているのかという段になると、ただ不可思議と云うよりほかには想像もつかない。彼も「こいつは秘密だよ」と云って、ニヤニヤ笑うばかりであったが、その薄笑いは私に一種云いようのない、恐ろしい暗示を与えないでは措(お)かなかった。ある何かしら不潔なもの、物凄いもの、罪深いものから、この材料は成り立っているのじゃないだろうか? 私はそう思って戦慄した。話に聞いた、航海中の船員が慰み物にするというゴムの人形なるものが、実際あるとしたところで、この半分も精巧なものではないであろう。ある程度まで人間に似せた袋を縫うだけなら、不可能なことではなかろうけれども、このゴムの袋は鼻の孔を持ち、鼻糞までも持っているのだ。そうして全く人間と同じ体温を持ち、体臭を持ち、にちゃにちゃとした脂の感じを持ち、唇からはよだれを垂らし、腋の下からは汗を出すのだ。彼がそういう人形を三十体も拵(こしら)えたのはなぜかと云うと、……………………………によって、いろいろのポーズが必要であるからだった。たとえば………………………、膝の上へ載せる時のポーズ、立って接吻する時のポーズ、…………………………………………………………、………
呆れた事には、「ちょいとこんな工合なんだよ」と云いながら、彼はそれらの人形を相手に、私の前で彼独特の享楽の型を示すのであった。(彼は絶えず酒を飲んでは元気をつけていた。)そしてしまいには、「………………………………………………」とか、「この鼻糞の味はどうだろうか」とか、いよいよしつッこく絡まって来て、揚句の果ては私にもそれを舐(な)めてみろというのであった。
「あ、そうそう、君は僕が女房のよだれを舐めるなんて馬鹿だと云ったね。ほら、この通り………この通り僕は舐めるんだぜ。これどころじゃない、……………………………………。」
彼はいきなり床の上へ仰向けに臥(ね)た。股を開いてしゃがんでいる人形が、彼の顔の上へぴたんこに据わった。彼は下から両手を挙げて人形の下腹を強く圧(お)さえた。人形の臀の孔から瓦斯(ガス)の洩れる音が聞えた。私はこの狒々爺の顔から禿げ頭へねっとりとした排泄物(はいせつぶつ)が流れ始めたのを、皆まで見ないで窓から外へ飛び出してしまった。そして真っ暗な田舎路を一目散に逃げて行った。
* * * * *
* * * * *
由良子よ、私がお前に話したいと云った事実はこれだけだ。
私はお前が、この話を一笑に附してくれることを心から祈る。呪いを受けるのは私一人で、お前は快活であることを祈る。しかし私はこの事があってから、お前の映画を作ることに興味を失ったばかりでなく、むしろ恐れを抱くようにさえなってしまった。どうも私には、お前を美しいスタアに仕上げて、お前の姿を繰り返し写真に映したりしたことが、結局あの爺にお前というものを奪われたことになったような気がしてならない。お前はお前の知らない間に、あの爺に丸裸にされ、手でも足でも、あらゆる部分を慰まれていたのだ。そればかりならいいけれども、私の恋しい可愛い由良子は、この世に一人しかいないもの、完全に私の独占物だと思い込んでいたのに、あの晩以来、その信念がすっかりあやふやになってしまった。お前の体は日本国中に散らばっている、あの爺の寝室の押し入れの棚にも畳まれている、お前はそれらの多くの「由良子」の一人であり、あるいは影であるに過ぎない。………そういう感じが湧いて来る時、私はお前をいくらシッカリ抱きしめても、これがほんとうの、唯一の「お前」だという気になれない。果てはお前が影である如く、私自身まで影であるように思えて来る。私たち二人の真実な恋は、破れないまでも空虚なもの、うそなもの、それこそ一とコマのフイルムの場面より果敢(はか)ないものにさせられてしまった。
今となってはもう悔んでも取り返しの附かないことだが、私はあの晩あの爺にさえ会わなければよかったのだ。私は幾度か、あの晩のことが夢であってくれますように、そしてあの爺も、あの丘の上の無気味な家も、跡かたもない幻であってくれますようにと祈っただろう。しかしその後あの丘のほとりを夜昼となく通ってみるのに、あの家が正しくあそこにあることは事実なのだ。私は今では、あの爺がどういう名前の、どういう人間であるかということも略(ほぼ)知っている。そればかりでなく、お前の背筋を持っているという五番町のB楼のA子にも、乳房を持っているという静岡のF子にも、肩、臀、頸の女たちにも皆会ってみて、彼の言葉が決して偽でなかったことを確かめたのだ。その女たちは彼の本名を知らない様子だったけれども、彼が珍しい変態性慾者であること、時々写真器やゴムの袋を持って来ていろいろ無理な註文をすること、彼女たちを呼ぶのに「由良子」と云っていることなどを、一様に語った。
しかし由良子よ、私の唯一の、ほんとうの「由良子」よ、私はお前にその男の名前や身分を知らしたくないのだ。お前もどうかそれを知ろうとはしてくれるな。私は今わの際に臨んで、お前に隠して行くことはこれ一つだ。そして私は、来世でこそは真実のお前に会えることを堅く信じて、まぼろしの世を一と足先に立ち去るとしよう。………
〔編集付記〕
一、底本には『谷崎潤一郎全集』(全十三巻、中央公論社、一九六七年)を用いた。
一、初出は各々次の通りである。
「病蓐の幻想」(大正五年十一月号「中央公論」)
「ハッサン・カンの妖術」(大正六年十一月号「中央公論」)
「小さな王国」(大正七年八月号「中外」〈原題「ちひさな王国」〉)
「白昼鬼語」(大正七年五月―七月「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」)
「美食倶楽部」(大正八年一月―二月「大阪朝日新聞」)
「或る調書の一節」(大正十年十一月号「中央公論」)
「友田と松永の話」(大正十五年一月号―五月号「主婦之友」)
「青塚氏の話」(大正十五年八月号―九月号、十一月号―十二月号「改造」)
一、原文の旧かなづかいを現代かなづかいに改めた。
一、原文の表現を損わない範囲で漢字語の代名詞・副詞・接続詞などをひらがなに改めた。
一、送りがなは原文通りとし、読みにくい語には若干振りがなを付した。
解説 巨人と侏儒
種村季弘
でっぷりと肥えた太り肉(じし)、半白の丸頭、いかにもまけずぎらいそうに、不敵にむすんだ口の辺。文豪ポートレートなどでおなじみの谷崎潤一郎といえば、大方がこれである。大(おお)谷崎。三島由紀夫がいいだした。たしかに風格からして巨人である。そこに『細雪』という大河小説の印象が重なる。大谷崎の評価はますますゆるぎないものとなる。
それはいい。しかしもしかするとそのために、小谷崎のほうの影がうすくなったかもしれない。神話学では巨人と侏儒(こびと)はべつべつのものではない。両者とも神話的始原児の二つのあらわれであるにすぎない。巨人とは、つまりは図体の巨きい侏儒なのだ。
とすると谷崎潤一郎も、たためば掌のなかに入ってしまい、ひろげれば大人の屍体のひとつもくるんでしまえる、風呂敷のようなものかもしれない。大きいともいえるし、ちいさいともいえる。大谷崎もいれば、小谷崎もいる。
そう、ちょうど「青塚氏の話」にでてくる女優のダッチワイフのようなものと思えばいい。たためばちいさく棚の上にのせてしまえるし、ふくらませれば等身大の女体になってなまめかしく身をくねらせる。「友田と松永の話」の友田と松永のように、風船玉のようにふくらんだ血気盛りの中年男かと思うと、その同一人物がいまにもしわだらけのゴムのぬけがらになってしまいそうな、しぼんだ老人の風采に変っている。その後者のような、いじましくしぼんだ谷崎もまた谷崎なら、一度はマイナー・ポエットとしての谷崎から、要するに「陰翳礼讃」の小谷崎から、谷崎世界を編集してみるのも一興なのではあるまいか。というわけで、手短にいえば、これは小谷崎の眼でみた谷崎世界である
小谷崎は大正時代に大輪の花を咲かせた。もとより明治、大正、昭和三代を生きて書いた作家である。なかで明治と昭和はめまぐるしい高度成長時代の時間が流れた。列強に追いつけ追いこせのかけ声がかまびすしい。ただ大正だけは、比較的という限定つきにもせよ、時間の流れの緩慢な島宇宙、周囲の大波からそこだけひっそりとかこわれた人工楽園を形成した。その静かな月光性の庭園にさまざまの幻想の花々が花咲き、はぐくまれた。人形幻想、美食幻想、悪女幻想、恐怖幻想、分身幻想、魔法と妖術、マゾヒズム幻想。小谷崎の人工楽園には、そのすべてが花咲き、栽培され、ときに異交配によってグロテスクな珍種変種を生みだしもした。
しかしいかに百花繚乱と悪の花々が咲き乱れていようと、根はひとつかもしれない。あるいは、悪女とみえ、美女とみえ、聖女とみえ、なんのことはないごくありきたりの地女とみえたのも、たった一人の女のきまぐれな仮装変装だったかもしれない。大きいとみえたものがちいさく、ちいさいとみえたものが大きかったように、悪女は聖女の、美女は人形の、美食は悪食の、恐怖は快楽の、それぞれが分身だったということもあり得る。ちなみに巨人が侏儒の分身にほかならないことの消息はすでにのべた。
のみならずここでは、音は色彩の、色彩はにおいの、においは触覚の、触覚は味覚の、それぞれがそれぞれの分身であった。「Les sons ont une couleur, les couleurs ont une musique.」(音響は色彩を発し、色彩は音楽となる。)ことほど左様に、ボードレールの音と色彩の交感や、ランボーの母音と色彩の兌換性が、たとえば「病蓐の幻想」でのモティーフである。サンボリストは、この音と色の共感覚(ジンエステジー)を交感(コレスポンダンス)と名づけて重用した。したがって「病蓐の幻想」は、Biri biri-ri とひびく歯痛の呪わしい音楽が昴揚して、はてはあらゆる色彩の紛糾、東京潰滅の大地震幻想へと交感してゆく巨大なサンボリスト的・共感覚的交響曲と一応はいえよう。
とはいえ(ここでの)ボードレール的共感覚の人工楽園は、阿片やハシーシュの揺蕩たる酩酊感の上に確固として定位してはいない。酩酊感というなら、それは苦痛の酩酊感である。苦痛の作り上げた人工楽園が腐臭や汚物の只中にぐんぐん抬頭しはするけれども、同時にこの空中楼閣は、大正という人工楽園の地盤を一瞬にして液化せしめてしまう大地震の予感の上に築かれている。ちなみに「病蓐の幻想」は大正五年作、大正十二年の関東大震災をさかのぼること七年前であって、作家の幻視力のすさまじさにいまさらのように感服しないわけにはいかない。そういえば震災直後に関西で成立した、徴兵恐怖の幻想を描いた「恐怖」も、一見堅固な日常のありもしない唐突な液化・無化を描いて真に迫る恐怖小説である。ついでながら恐怖小説ということでいえば、「病蓐の幻想」のBiri biri-ri という口腔内部の歯痛のリズムが、地震という地球物理学的外部現象に交感していく転位現象は、ポオの「告げ口心臓」の、殺人犯の心臓音が死体のありもしない心臓音に転位していく恐怖をふまえて語られているだろう。
ここで強調しておきたいのはしかし、谷崎潤一郎の人工楽園が、ひとまず苦痛や恐怖、汚物や腐敗物を構成要素としていることである。美も快楽も、それとは正反対のものから出発して到達される彼処(かしこ)なのだ。かしこには美と快楽と静謐。時間のない、あるいは時間に汚染されない美と静謐の世界は、まず時間という腐敗と苦痛を生みだす物質的ななにものかから分泌されてくるのであって、ア・プリオリにそこにあるのではない。逆説的にも、物質による浄化作用がまねき寄せられるのである。いわば物質的洗身。ありきたりの大正耽美主義者と谷崎潤一郎をへだてるのは、このふてぶてしい現実主義、「きれいはきたない、きたないはきれい」の、あくまでもさめた、冷酷な現実認識を通しての幻想である。大正人工楽園はいずれは液化して元の木阿弥となるだろう。にもかかわらず、というよりはそれゆえに、それは人工楽園のかけがえのない輝きにかがやいている。そしてもとよりその輝きの正体は、作家のことばの輝きにほかならない。
きれいはきたない、きたないはきれい、といえば、むろん、きれいはきれい、きたないはきたない、という言い方もある。そちらからみれば、きれいはきたない、はウソである。したがって恐怖や汚物から美を構成する谷崎作品はどこかウソっぽい。演劇的、というより劇場的(シアトリカル)である。一例が「白昼鬼語」。殺しは、というより殺しのフリの擬似殺人事件は、劇場や映画館の暗闇のなかで演じられるのではなく、白昼堂々、大正人工楽園という現実の只中で演じられて、それゆえに時代の現実が数幕のお芝居にほかならないことを、つまりは現実の虚構性を暴露してしまう。というより、いまある現実がイデア的原像のいつでもとりかえのきく模像にすぎないことの消息を、見世物の仕掛けをバラすように露呈させてしまう。同様に「ハッサン・カンの妖術」とは、要するにその種の妖術であり、同時にまたその種の妖術の種明かしである、ともいえようか。
ところで、手品の種明かしが成り立つためには、まずウソとニセモノの大盤振舞が先立たねばならない。それが先行するポオや後出の江戸川乱歩(「パノラマ島綺譚」)のそれに似た人工楽園幻想(の裏側の地震幻視)であり、なにもかもがニセモノだらけの「小さな王国」滞在記である。あるいはまた、人形や畜類のほうが生身の人間より人間らしいという人形幻想(「青塚氏の話」、これに先立つ「蘿洞先生」「続蘿洞先生」、あるいは「刺青」もまた)である。悪女こそがありきたりの女より女らしいという一連の悪女物語(「悪魔」「続悪魔」「少年の脅迫」「麒麟」「お艶殺し」)またしかり。
だが、一例が最後の悪女物でいえば、悪女もまた「きたないはきたない」と悪女にきまったものではなく、「或る調書の一節」や「人間が猿になった話」のような聖女幻想と裏腹の悪女なのである。どこまでいっても、きれいはきたない、きたないはきれい、と裏表ががんどう返しの構造。劇場的特性の所以(ゆえん)であろう。
といって表から裏、裏から表、とメビウスの輪のような世界をいつまでもさまよっているわけにもいかないので、ここらで一応の見当をつけておこう。一体、くり返しあらわれる谷崎潤一郎の悪女幻想とはなにか。マゾヒズムといってしまえばことは簡単にすぎる。いうまでもなく「白昼鬼語」はもとより、「麒麟」や「お艶殺し」の没道徳的悪女礼讃は、歌舞伎や江戸の草双紙の悪女の面影をつたえてあますところがない。けれどもつとに江戸戯作者が江戸の儒教的制度に対置した悪女像がそもそも、儒教(的制度)の下位にありながらたえず相手をのりこえて上位に氾濫しようとする、道教的生のアレゴリーとして機能していたことを思い起していただきたい。
老荘の世界は、「美食倶楽部」のソップにも似て、どろどろしてかたちのない渾沌である。儒教制度がかたちを与えなければ、目鼻立ちのないのっぺらぼうにすぎない。これに善悪を腑分けする制度が照射してはじめて、悪の、悪女の凄味のある顔立ちがくっきりとうかび上がる。制度もまんざら捨てたものではない。それあればこそ悪にくまどられた美が逆説的に原初のかたちのない渾沌を指し示して、ひとは原初や幼年時へのノスタルジーの醍醐味に浸ることができる。制度は渾沌の地図であり、さて、渾沌自体に善も悪もありはしないので、地図の読みかえによっては悪女が聖女になるのはいとも当然である。世間一般の道徳とは没交渉に、「青塚氏の話」の主人公が変態人形を、聖女よ、女神よ、と崇めるのも道理であった。
しかし渾沌はかならずしも制度の媒介なしにはふれられないというものでもない。かたちがなければないなりに、味覚や触覚やマッサージ的接触のような、どろどろしたものを捉える下層感覚によって感触にふれることができる。
「美食倶楽部」の口辺・口腔マッサージが、耳や歯をマッサージし、舌を唾液で濯ぐ気功術の自強法に似ていることは、どなたもお気づきだろう。これは、制度によって硬化偏向した小宇宙(肉体)を原初の渾沌にさし戻し、そこからたえず生成する気を汲みとる回生術である。その際、小宇宙が大宇宙と同一化し、両者がかぎりなく交感しあうのはいうまでもない。たかが美食、ではない。ここに現前するのも八大世界と交感する道(タオ)なのだ。すなわち味覚というささやかな感覚もまた、大宇宙へのみちびきの糸であった。
またしても小から入って大に出た。「ハッサン ・カンの妖術」の印度人留学生またしかり。なんでもない留学生が無辺の大宇宙を遊泳する、その小から大への飛翔の妙。谷崎はやはり大谷崎なのであろうか。だが、ご安心めされ。巨大な世界をひとめぐりして、さて最後に帰着するのは、みずからが嬰児のようにちいさくちいさくなった揚句の果ての、「一羽の美しい鳩」となった「母の胸の毛」の際(きわ)なのであった。
谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう)
明治一九(一八八六)年、東京日本橋に生れる。旧制府立一中、第一高等学校を経て東京帝大国文科に入学するも授業料滞納のため中退。明治四三年、小山内薫、和辻哲郎らと「新思潮」(第二次)を創刊、「刺青」「麒麟」などを発表。『三田文学』誌上で永井荷風に激賞され、華々しく文壇にデビューする。『痴人の愛』『卍』『春琴抄』『鍵』など、甘美芳烈な官能美と古典美の世界を展開して、常に文壇の最高峰を歩み続けた。昭和四〇年没。
種村季弘 (たねむら・すえひろ)
一九三三年、東京生れ。一九五八年、東京大学文学部卒業。ドイツ文学者。該博な博物学的知識を駆使して文学、美術、映画など多彩なジャンルで評論活動を続ける。著書に『迷信博覧会』『ナンセンス詩人の肖像』『人生居候日記』『謎のカスパール・ハウザー』『不思議な石の話』『徘徊老人の夏』など多数。 本作品は一九八九年七月、ちくま文庫として刊行された。
美食倶楽部
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2002年12月27日 初版発行
著者 谷崎潤一郎(たにざき・じゅんいちろう)
編者 種村季弘(たねむら・すえひろ)
発行者 菊池明郎
発行所 株式会社 筑摩書房
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3
(C) Emiko KANZE 2002