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闇を引き継ぐ者
西村京太郎
目 次
第一章 ジャッカル
第二章 モンタージュ
第三章 敗 北
第四章 戦いの場
第五章 二重の挑戦
第六章 最後の戦い
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第一章 ジャッカル
去年の十二月二十七日。
この日、仙台地方に、初雪が降った。
三年前の夏に、宮城刑務所に収監された死刑囚、土橋功一郎《どばしこういちろう》にとって、三回目の初雪だった。
午後になって、看守から、面会だと知らされた。
「誰が来たんだ?」
と、きくと、
「弟さんだ」
と、看守は、いった。弟の信次郎《しんじろう》は、まともなサラリーマンで、兄の功一郎が殺人を重ねた揚句、逮捕された時、兄弟の縁を切ると叫び、面会にも、一度も来なかった。
(気が変ったのか)
と、思いながら、土橋は、面会室に歩いて行った。
看守に指示されて、椅子《いす》に座る。
ガラスの向うに、面会人が、腰を下す。
(違うじゃないか?)
土橋の表情が険しくなった。
ガラスの向う側の若い男は、見たこともない人間だったのだ。
年齢は、多分、弟の信次郎と同じ二十五、六歳だろう。だが、違う。
「君は誰だ?」
「弟の信次郎ですよ」
と、青年は、微笑した。妙に魅力的な笑顔だった。
「でたらめをいうな」
「弟ですよ。これが、証拠です」
男は、ポケットから、運転免許証を取り出して、眼の前に、かざして見せた。
確かに、免許証には、土橋信次郎の名前がある。が、写真は、眼の前の男のものだった。
「誰なんだ?」
「正直にいうと、あなたのファンです」
「俺《おれ》のファン? からかっているのか?」
「違います。あなたを尊敬しているんです。あなたは、素晴しい」
「バカにするな!」
「大きな声を出さないで下さい。看守が怪しむじゃありませんか。いいですか。あなたにとって、弟が、唯一の家族だ。だが、彼は、あなたのことを恥じているから、絶対に面会に来ない。弁護士は来るかも知れないが、それは、仕事で、いやいやだ。唯一、本当に、あなたに会いたくて来るのは、僕だけの筈《はず》ですよ。そんな人間は、大切にした方がいいですよ」
「――――」
「一月の末に、また面会に来ます。看守に、あれは、弟じゃないといっても構いませんが、そうなると、面会に来る者は、誰もいなくなる。寂しいですよ。それを考えて下さい」
男は、微笑しながらいうと、立ち上った。
「じゃあ、お兄さん。寒さに気をつけて、風邪をひかないで下さい」
わざと、看守に聞こえるように、いった。
土橋は、独房に戻ってから、考え込んでしまった。
死刑囚の彼は、使役を免除されている。それだけに、時間を持て余してしまう。いつ死刑が、執行されるのかという恐怖と、退屈さが、奇妙に、入り混じってくる。
土橋は、今会った男を、看守に、弟ではないと、話す気にはなれなかった。
あの男のいう通り、弁護士以外、誰も、面会には、来ない。
弟の信次郎は、手紙も寄越さない。女もいたのだが、彼女も音信不通だ。
もし、あの男が来なくなったら、確かに、毎日が、今よりもっと、退屈で、死への恐れだけが、増幅してしまうだろう。
それに、あの男が何者なのか知りたい気持も、わいてきた。
(俺のファンだといいやがったが――)
それを、うのみにするほど、土橋は、甘くはないと、自分で、思っている。
(俺のことを、本にする気なのか)
そんなところだろうと、土橋は、思った。
土橋の罪は、誘拐、殺人である。
二年間の間に、三人の人間を誘拐し、その人質を、三人とも殺した。
その殺し方が、余りにも残酷だというので、弁護士は、精神鑑定に持ち込もうとしたが、土橋自身が、拒否した。
彼は、冷静に考えて、人質を殺していた。そうすることが、自分の安全のためだと計算したからである。
人質は、最初から殺すつもりだったから、子供を狙《ねら》わずに、大人、それも有名人を狙った。
一番、マスコミが騒いだのは、人気女性タレントの沢木《さわき》めぐみを、誘拐した時だった。二十一歳の彼女が、どんなに、泣き、わめき、時には媚《こ》びて、土橋に命乞《いのちご》いをしたか。
(あの男は、俺から話をきいて、本にして、売る積りなのだろう)
多分、そんなところだ。本の題名は、「悪魔の詩」とでもする気か。
別に腹は、立たなかった。
きっと、あいつは、何とかして、「犯罪者の心理」を聞き出そうとするだろう。
逆に、それを、からかってみるのも面白いなと、土橋は思った。
年が明けて、一月二十五日に、土橋は、また、看守に、弟が面会に来たと告げられた。
面会室のガラスの向うには、あの男が、いた。
相変らず、男は、爽《さわ》やかな笑顔で、土橋を迎え、
「兄さん。元気そうですね」
「本当は、何者なんだ?」
「前にもいいましたが、僕は、あなたのファンですよ」
「どういう意味だ?」
「僕は、悪人が好きなんですよ。それも、本当の悪人が好きなんです。変に優しいところのある悪人というのがいるでしょう。子供の好きな悪党とかね。ああいうのには、虫酸《むしず》が走るんです。その点、あなたはホンモノだ。あくまでも、冷酷でしたからね」
「妙な誉められ方だな」
「ただ、あなたにも、欠点が一つあった。だから、逮捕されてしまった」
「欠点? 何のことだ?」
「頭の切れる悪党が、落ち込む共通の欠点ですよ。自分の犯行に、酔ってしまう。あなたにも、同じ欠点があった。それがなければ、まだ、捕っていない筈ですよ」
「俺が、自分に酔っていたって?」
「そうです。あなたを一番有名にしたのは、女性タレントの沢木めぐみを誘拐して殺した事件です」
「ああ。あれは、マスコミが、大騒ぎだった。それを見るのが、楽しかったよ」
「日本中が、大騒ぎでしたからね。ただ、あなたは、自分に酔って、下手な犯行声明を出してしまい、それが、命取りになってしまった」
「俺は、いつでも、犯行声明を出してきたんだ。悪いか?」
「いえ、いいですよ。悪くはありません」
「じゃあ、何だ?」
「あなたは、三つの誘拐の全てに、ジャッカルの署名で、犯行声明を出している。素敵ですよ。二回、三回となると、ジャッカルの署名が、相手に威圧感を与える力になりますからね」
「どこが悪い?」
「犯行声明の内容ですよ。つい、その中に自分の主張や、感情を入れたくなる。あなたも、その誘惑に負けてしまった。自分の成功に酔ってね。第一、第二の犯行の時は、まだ、それを抑えて、犯行声明を書いていたと思う。だが、沢木めぐみを誘拐した時には、あなたは、自分のことを、犯行声明に入れてしまった」
「――――」
「警察に対する恨みを書いてしまった。これは、命取りでしたよ。当然、警察は、警察に対して、恨みを持っている人間を洗い出しますよ。そして、あなたは、捕ってしまった。あれは、完全なミスでしたね」
「偉そうにいうな」
「別に、そんな気は、ありません。ただ、あなたのような人でも、ミスはするものだといいたいだけです」
「お前は、どうなんだ? そんなミスはしないみたいな顔だな」
「僕は、ミスはしません」
「大変な自信だな」
「自分を抑えられますからね」
「ところで、何が欲しいんだ? 俺のことを、本に書きたいのか?」
「あなたのファンだといっている筈ですよ」
と、男は、また、微笑した。
それから、男は、毎月一度、面会に来た。
土橋のことを本にしたいのだろうという推理は、当っていないように、思えてきた。
男は、一度も、「人質を殺した時、どんな気持でしたか?」とは、きかなかったからである。
男の眼は、そんなことは、とっくに、推察できているんだと、語っていた。
土橋は、次第に、相手の微笑が怖くなってきた。こちらの考えを、見すかされているような気がしたからである。
「何を考えているんだ?」
と、土橋は、何度となく、相手に、きいた。
その度に、男は、微笑し、
「あなたを尊敬しているんですよ」
と、いった。
「それだけで、毎月面会に来るのか?」
と、きくと、男は、また、微笑し、
「あなたの顔を見ていると、楽しいんです」
「まるで、俺は、見世物じゃないか」
土橋は、腹を立てたが、月が変り、弟だといって、男が、面会に来ると、それを拒否することが、出来なかった。
男には、不思議な魅力があった。笑顔にも、話し方にもである。
笑顔も、声も、妙に、透明な感じがするのだ。
土橋は、ガラス越しに、男を見つめ、何度も相手の気持を読み取ろうとしたが、その視線は、男を突き抜けて、何の反応も、返って来なかった。
(気味の悪い男だ)
と、思った。
そう思いながら、男の笑顔と、声に魅力を感じてしまうのである。
それが、土橋には、腹立たしかった。三年間の刑務所暮らしで、人恋しくなってしまったのか、気弱になってしまったのかとも思った。が、そうとばかりもいえなかった。
うまく説明できないのだが、腹を立てながら、その一方で、男に会い、話を聞くのが、楽しかったのだ。
面会が終ると、独房に戻り、土橋は、男との会話を、思い返してみる。彼の話から、どんな性格で、どんな仕事をしているのかを、考えようと、思ったのだ。
だが、わからなかった。
面会の時、土橋は、直接、男に、
「何をしているんだ? サラリーマンか? それとも自由業か?」
と、きいてみたこともある。
そのときも、男は、微笑して、
「一流商社のエリートサラリーマンです。とでもいったら、信じますか?」
と、はぐらかした。
「今日は、会社は休みか?」
と、きいて、相手の反応を試したこともあった。だが、その時も、男は、
「そんなことは、どうでもいいでしょう? 僕は、あなたの顔を見たくなったら、ここへ来るだけですから」
と、いわれてしまった。
十一月まで、毎月、男は、宮城刑務所まで、面会に来た。
十二月には、それが、終ってしまった。
十二月五日の午後、土橋の死刑が、執行されたからである。
新聞は、五日後に、そのことを伝えた。この日、日本全国で、死刑を執行された者は、三人だった。
土橋については、中央新聞が、特に、次のように、伝えた。
〈日本のジャッカルが死んだ〉
その記事を、警視庁捜査一課の十津川《とつがわ》は、感慨を持って、読んだ。
数年前、彼が責任者として、あの誘拐事件の捜査に当り、犯人の土橋功一郎を逮捕していたからである。
その頃、まだ、捜査一課に配属されていなかった若い田中《たなか》刑事が、
「この土橋という犯人は、どういう男なんですか?」
と、十津川に、きいた。
「生れつきの悪党で、女性の敵だ」
「女性ばかり狙《ねら》ったんですか?」
「そうだ。三人の若い女性を誘拐し、容赦なく殺した」
「それも、美人で、金のある相手ばかりだよ」
と、横から、西本《にしもと》刑事が、いった。
「女性の敵といえば――」
と、亀井《かめい》刑事が、口をはさんだ。
「何だい? カメさん」
十津川が、きく。
「いやね、うちの近くに、洒落《しやれ》たマンションがあるんですが、そこに住む若い女性が、ストーカーに狙われて困っているんだそうです。うちの家内が、彼女と、ひょんなことから知り合って、私に、何とかしてあげられないかと、いわれましてね」
「美人ですか?」
田中がきく。
亀井は、苦笑して、
「なかなか美人だそうだ。名前は確か吉崎加奈《よしざきかな》だったかな」
「カメさん、その女性、ひょっとして、Sテレビのアナウンサーじゃありませんか?」
日下《くさか》刑事が、急に、色めきたって、亀井に声をかけた。
「Sテレビかどうか知らないが、家内は、テレビ局で働いている女性だといっていたよ」
「ちょっと待って下さいよ」
日下は、机の引出しを開け、中から今週の週刊Nを取り出し、そのグラビアページを開けて、それを、亀井の前に、ポンと置いた。
そこには、「各テレビ局のナンバーワン美人アナウンサーは誰だ?」とあって、Sテレビのところには、二十五歳の吉崎加奈の写真があり、彼女の略歴も載っていた。
刑事たちが集って来て、グラビアを、のぞき込んだ。
「彼女を狙っているストーカーというのは、どんな奴《やつ》なんだ?」
十津川が、亀井に、きいた。
「これも、家内から聞いたことなんですが、二十五、六歳の若い男で、今のところ、直接の危害は加えないそうです。仕事からマンションに帰ると、どこで見張っているのか、電話がかかってきて、妙に優しい声で、『お帰りなさい』と、いったり、『寒いから、風邪に気をつけて』とかいうんだそうです」
「気持が悪いな」
「彼女が、怖がっているというので、私は、近くの派出所の巡査に、事情を話して、彼女の身辺に気をつけてくれと頼んだんですが」
「その巡査にしても、どう対処していいか困るだろう。男は、ただ、つきまとうだけで、それ以上のことは、しないんだろう?」
「そうです。彼女が、なぜ、つきまとうのかときいたら、彼女のファンだといったそうです」
「ファンねえ」
「身元はどうなんですか?」
日下が、きいた。
「一流商社のサラリーマンだったといっている」
「だったというと、今は、違うんですか?」
「これも、また聞きだが、男は、彼女のことが気になって、仕事が手につかず、会社を辞め、住居も、彼女のマンションの近くに、変えたそうだ」
「大変な執心ですね」
「恋する男としては、天晴《あつぱ》れなものだ」
「しかし、彼女にしてみれば、その執心は、恐怖以外の何物でもないんじゃありませんか」
日下は、腹立たしげに、いった。
十津川は、グラビアにある吉崎加奈の略歴に眼をやった。
「Sテレビには、入社二年か。独身。伊豆熱川《いずあたがわ》のFホテルの一人娘ね」
「Fホテルなら知っていますわ。十一階建の巨大ホテルです」
と、北条早苗《ほうじようさなえ》刑事が、いった。
「それなら、大変な資産家の娘じゃないか」
「となると、ストーカーは、色と欲の二つ狙いかも知れませんね。若くて、美人で、その上、資産家の一人娘なら、結婚すれば、その両方が、手に入る。今は、一流商社マンだって、いつリストラの波をかぶるかも知れませんから、こっちの方が、よほど出世ですよ」
亀井が、いった。
「そう考えると、ますます、ストーカー野郎が、許せなくなりますね」
日下が、顔を赤くして、いう。亀井が、からかい気味に、
「それなら、お前さんが、この女性アナウンサーに、プロポーズしてみるか」
「悪くありませんね。その代り、私が、Fホテルの婿になったら、警視庁は、大変な損失ですよ」
「損失ねえ」
「少しは困るなって顔をしてくれませんか。笑っていわれると、調子狂いますよ」
「これが、ジャッカルでなくて良かったよ」
十津川が、真顔で、いった。
亀井も、笑いを消して、
「そうですね。このアナウンサーが、ジャッカルに狙《ねら》われていたら、大変なことになっていましたね」
「そんな悪党ですか?」
田中が、十津川に、きく。
「君も、事件は、新聞で、読んだんだろう?」
「読みました。三つの誘拐事件を起こし、三件とも人質を殺した。その殺し方が、猟奇的だというので、大騒ぎでしたから」
「人質は、三人とも若い女性だった。犯人の土橋は、誘拐すると、殺し、バラバラにして、その一部を、人質の家族に、送りつけたんだ。どう見ても、犯人は、人質を殺すことを楽しんでいるとしか考えられなかった。それに、家族の悲しみを、楽しんでもいたと思う」
「精神鑑定の話があったと聞きましたが」
「犯人自身が、拒否したんだ。自分は正常だ、確固とした信念に基いて、犯行を重ねたといってね。犯行声明も出していた」
「それに比べたら、ストーカーは、まだ可愛《かわい》いですかね?」
「ああ。だが、ストーカーが、いつ、ジャッカルに変身するかわからないからな」
と、十津川は、いった。
それから三日たった十二月十三日の午後。十津川は、本多《ほんだ》一課長に呼ばれた。
「君は、確か、吉崎加奈というアナウンサーのことを知っていたな?」
本多が、いきなり、いった。
「ストーカーに悩まされていると、亀井刑事から聞いていますが」
「今朝から、行方不明になっている。Sテレビの話では、定時になっても出社しないので、マンションに電話したところ、誰も出ない。管理人に問い合せたところ、部屋には、誰もいないという返事があったと、いっている。それでだが、これは、誘拐の恐れもあるので、表だって動くことは難しいんだ」
「わかりました。まず、北条早苗君に、吉崎加奈の女友だちということで、彼女のマンションに行かせ、部屋の様子を調べさせます。それから、彼女の実家は、伊豆熱川のホテルですから、こちらには、亀井刑事と、西本刑事を行かせます。これが誘拐だとすれば、実家の方に、連絡が入ると思いますから」
「問題のストーカーだが」
「名前も、住所もわかっていますから、こちらには、田中刑事と、片山《かたやま》刑事をやります。怪しい節があれば、連れて来させます」
「そうしてくれ。とにかく、今の段階では、若い女の気まぐれな失踪《しつそう》か、誘拐かわからないから、慎重にやって欲しい」
と、本多一課長は、いった。
最初に、早苗から、連絡が入った。
「部屋は、きちんとしていて、室内で争った形跡はありません。それに、カギをかけています。ですから、昨夜遅くか、今朝早くか、吉崎加奈は、自分からカギをかけて、出かけたものと思われます」
「昨夜か、今朝かどっちなんだ?」
「ベッドの状況や、朝刊が郵便受にあったところをみると、昨夜の線が濃いと思います。ただ、若い女性ですから、断定は出来ません。昨夜、寝ないまま、朝、出かけたということも、考えられますから」
「昨日、テレビ局から、帰ったことは間違いないんだな?」
「それは、隣りに住むOLが、目撃しています。昨夜、午後七時頃に、帰宅していますね」
「車は、持っているのか?」
「軽を持っていて、その車は、近くの駐車場に入ったままです」
「確認するが、無理矢理、連れ出された形跡はないんだな?」
「今のところ、それはありません」
早苗の報告のあとは、問題の男、木本清《きもときよし》のマンションに向った田中と片山の両刑事から、電話が入った。
「木本は、留守です。管理人の話では、昨日の夕方から、帰っていないとのことです」
「木本もいないのか? 行先は、わからないのか?」
と、十津川は、きいた。
「わかりません。彼の部屋をのぞいてみましたが、吉崎加奈の写真が、壁一面に貼《は》ってあります。週刊誌や、新聞から切り抜いたものや、望遠レンズを使って盗み撮りしたと思われる写真です。それに、彼女が出ている番組のスケジュールも、書き出してあります。典型的な、追っかけといったらいいのか、ストーカーの部屋ですね」
「商社を辞めてからは、何をしているんだ?」
「これも、管理人の話ですが、自分では、フリーターだといっているそうです」
「車は、持っているのか?」
「中古の白のカローラを持っているようですが、見つかりません」
「彼の写真はあるか?」
「あります。アルバムがありましたから」
「そのアルバムごと、持って来てくれ」
と、十津川は、いった。
伊豆の熱川温泉へ行った亀井からは、夕方になって、電話が入った。
「二十分前にFホテルにチェック・インしました。吉崎加奈が、こちらに来ている様子はありません。女将《おかみ》が、さっき、挨拶《あいさつ》に来ましたが、笑顔で、全く心配気なところはありませんから、娘の失踪は、まだ知らないのだと思いますね」
「Sテレビも、まだ、何ともいえないので、両親には、知らせてないんだろう」
「例のストーカー男は、どうしていますか?」
今度は、亀井が、きいてきた。
「木本清という名前なんだが、彼も、昨日から、行方不明になっている」
「じゃあ、彼女の周囲を、うろつくだけでは、飽き足らなくなって、実力行使をしたということなんでしょうか?」
「それなんだがね。さっき、Sテレビのアナウンス部の佐伯《さえき》という部長と、電話で話をしたんだよ。その部長の話では、吉崎加奈が、木本につきまとわれて、参っていたのは、間違いないらしい。毎日、暗い顔をしていたというんだ。ところが、ここ二、三日、急に、ふっ切れたみたいに、明るい顔になって、ストーカーの話をしなくなっていたというんだよ」
「どういうことですかね? 自宅近くの派出所の巡査が、木本を、強く叱《しか》って、彼が、二度と、つきまとわないと、約束したんでしょうか?」
「私も、そう考えて、派出所に確めたところ、あそこの巡査が、厳しく、木本を叱りつけたことはないという返事だったよ」
「妙な話ですね」
「だから、余計に不安を覚えるんだ」
「誘拐の可能性が強いですか?」
「考えたくはないが、その可能性を感じるね。誘拐だとしたら、今夜か、明日の午前中に、両親に、身代金の要求があると思う。しっかりと、見張っていてくれ」
翌、十二月十四日。
午前十時に、突然、Sテレビのアナウンス部から、警視庁に電話が入った。
人気の女性アナウンサーの吉崎加奈が、誘拐され、今、犯人から、手紙が届いたというのである。
やはり、誘拐だったのだ。
十津川は、刑事六人を連れて、西新宿にあるSテレビに、急行した。
すぐ、二階にあるアナウンス部に行き、部長の佐伯に、会った。
佐伯は、若い時は、スポーツ放送で、人気のアナウンサーだったのだが、今は、五十歳。太り気味で、すっかり、貫禄《かんろく》がついている。
佐伯は、十津川に、問題の手紙を見せた。
速達になっている封書だった。Sテレビ アナウンス部 佐伯部長殿 親展と、ワープロで書かれていた。
中身の便箋《びんせん》にも、ワープロの字が、並んでいた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈貴局のアナウンサー、吉崎加奈を、誘拐した。いくらぐらいの女か、私は、値段をつけてみた。昔、インドの王様は、誕生日に、自分の体重と同じ重さの宝石を要求したといわれるが、私は、それほど、欲張りではない。私としては、彼女と同じ重さの札束で満足する。彼女の体重は、四十二キロだ。よって、一万円札で、三億三千万円を要求する。今日中に、それを用意せよ。明日午前十時に、電話する。
[#地付き]ジャッカル〉
[#ここで字下げ終わり]
「なぜ、三億三千万円なのか、わからないんですが、ピン札で一億円が、十三キロだそうですから、それで、計算したんだと思いますね」
と、佐伯は、いった。
「Sテレビで、三億三千万円、用意できるんですか?」
と、十津川は、きいた。
「現金では、無理なので、彼女の実家に電話しました。今日中に、用意出来るだけを持って、母親が、来てくれるそうです」
「伊豆のホテルをやっている――?」
「そうです。ところで、このジャッカルという署名ですが、前に、同じ署名の犯人がいましたね?」
と、佐伯が、きく。
「本名、土橋功一郎です。三人の女性を誘拐し、惨殺した男です」
「そうでしたね。若い女の間に、パニックが起きたのを覚えていますが、まさか、また、その犯人の犯行ということはないんでしょうね?」
「土橋功一郎は、十二月五日、宮城刑務所で、死刑が、執行されました」
「じゃあ、この犯人は、二代目のジャッカルを、気取っているんでしょうか?」
「そうかも知れませんし、もっと強い意思表示のつもりかも知れません」
「もっと強いというと、どういうことですか?」
と、佐伯が、きく。
「自分こそ、本当のジャッカルだという意思表示――かも知れません」
十津川が、いうと、佐伯が、青い顔になって、
「脅さないで下さいよ」
その日の午後五時を過ぎて、吉崎加奈の母親、文子《ふみこ》が、大きなボストンバッグを抱えて、Sテレビにやって来た。
さすがに、その顔が、ゆがんでいる。
アナウンス部に入ってくると、佐伯に向って、そのボストンバッグを、開いて見せた。
一万円札が、束になって、詰め込まれている。
「何とか、かき集めて、一億円だけ、持って来ました。私のホテルも、銀行から、多額の融資を受けてやっているので、簡単には、現金は、集められません。夜までに、主人が、あと、五千万円作って、持って来ると思います」
と、文子は、いう。
「これだけあれば、私が、何とか、犯人と、掛け合いますよ」
と、佐伯は、励ますように、いった。
文子のいった通り、夜の九時を過ぎて、加奈の父親が、五千万円を持って、Sテレビに駈《か》けつけた。
アナウンス部の机の上には、一億五千万円の札束が、積み上げられた。
それを前にして、佐伯は、十津川に、
「これで、犯人は、妥協してくれますかね?」
と、きいた。
「犯人は、金が欲しくて、吉崎加奈を誘拐したんです。これが、二百万、三百万で、我慢しろといったら、犯人は、怒るでしょうが、一億五千万というまとまった大金が、用意されたんです。犯人は、交渉に応じてくると、思いますよ」
と、十津川は、いった。
伊豆の熱川に行っていた亀井と、西本の二人も、東京に戻って来て、十津川に、合流した。
翌、十二月十五日。
午前十時きっかりに、Sテレビアナウンス部の電話が、鳴った。
電話機に接続したテープレコーダーのスイッチを入れる。
佐伯が、受話器を取る。
「アナウンス部、佐伯だ」
「お金は、用意出来ましたか?」
若い、いやに丁寧な口調の声が、聞こえた。
(意外だな)
と、佐伯は、思いながら、
「三億円もの大金は、簡単に用意は出来ないんだ」
「三億円では、ありません。三億三千万円です」
「一億五千万は、何とか、用意できた。これで妥協してくれないか?」
と、佐伯は、きいた。
相手がノーといったら、どう説得したらいいのだろうかと思ったが、相手は、あっさりと、
「一億五千万ですか。いいでしょう」
と、いった。
佐伯は、ほっとしながら、
「どうしたら、吉崎加奈クンを返してくれるんだ? 彼女の声を聞かせてくれ」
「あなたは」
ふいに、相手が、笑った。
佐伯は、ぎょっとしながら、
「どうしたんだ?」
「いいんですか、佐伯さん。あなたは、三億三千万円の身代金を、半額以下に、値切った。その上、今度は、彼女の声を聞かせろですか? それは、少しばかり、欲張りというものじゃありませんか?」
「わかった」
「あなた方と、僕は、対等じゃないんですよ。僕が、この事件では、主導権を握っている。人質の吉崎加奈を、生かすも殺すも、僕の自由ですからね」
「わかったよ。どうしたらいいか、教えて欲しい。その通りに動くから」
と、佐伯は、あわてて、いった。
「一億五千万円を、ルイ・ヴィトンのボストンバッグ二つに分けて入れて下さい」
「ルイ・ヴィトンだね?」
「古い型の、一般的な模様のルイ・ヴィトンです。そこに、ありますか?」
「あるよ」
「それに、札束を詰めて下さい」
「オーケイ。詰めたよ」
「あなたの携帯ありますか?」
「ああ。いつも使っている」
「ナンバーを教えて下さい」
「ええと、020―229―××××」
「その携帯に、これから、指示を入れますから、それを持ち、金を持って、一人で、テレビ局を出て下さい。出口まで、ゆっくり歩いて何分かかりますか?」
「私の足で、十五分かな」
「では、ゆっくりと、テレビ局を出て下さい」
「それから?」
「タクシーを拾って、まず、甲州《こうしゆう》街道を、府中《ふちゆう》方面へ向って走らせて下さい。そのあと、あなたの携帯に、次の指示を入れます。間違いなく、忠実にやって下さい。吉崎加奈の命が、かかっていることを忘れずに」
「わかった」
「では、スタート」
と、男が、いった。
十津川は、眼で、西本と日下に合図する。二人は、部屋を飛び出して行った。テレビ局の外に駐《と》めておいた覆面パトカーに、乗り込み、佐伯を尾行するためである。
少し遅れて、佐伯が、携帯電話をポケットに入れ、二つのボストンバッグを両手に持ち、ゆっくりと、部屋を出た。
十津川と、亀井も、更に、五、六分おいて、部屋を出た。
西本と、日下は、すでに、覆面パトカーに乗り込んでいる。
佐伯が、テレビ局の外に出て来て、片手をあげる。
タクシーが、彼の傍に止まり、佐伯が、二つのボストンバッグを持って、乗り込む。
タクシーが走り出し、西本と日下の覆面パトカーが、尾行に移る。
少し遅れて、十津川と、亀井の覆面パトカーも、続く。
先行する西本から、無線が、入ってくる。
「今、佐伯の乗ったタクシーは、甲州街道に入り、府中方面に向っています」
「見失うな」
と、十津川は、いった。
「彼の乗っているタクシーは、城西《じようさい》タクシー。ナンバーは××××。時速六十キロで走っています」
「わかった。私とカメさんは、君たちの後につけている」
と、十津川は、いった。
佐伯の乗ったタクシーは、甲州街道を、西に向って、走り続ける。
「あんまり近づくなよ」
と、十津川が、パトカーの助手席から、運転している日下に、いった。
犯人は、佐伯の乗ったタクシーを走らせて、警察の尾行がついているかどうかを、調べていると思われるからだ。
信号が変って、タクシーが止まる。西本たちのパトカーも、五、六台の車を間に入れて止まる。
また、走り出す。
それが繰り返されながら、甲州街道を、笹塚《ささづか》、上北沢《かみきたざわ》、烏山《からすやま》と、移動して行く。
烏山の先の調布《ちようふ》近くまで来たときだった。
前方を行くタクシーが、信号でもないところで、急に止まった。
運転席から、運転手が降りて来て、助けを求めるように、周囲を見廻している。
日下も、パトカーを、急停車させた。
「何をしてるんだ?」
前方を睨《にら》むように見すえて、西本が、いう。
「助けを呼んでるみたいだぞ」
と、日下が、いった。
西本が、タクシーに向って、駈《か》け出した。
「どうしたんだ?」
と、タクシーの運転手にきく。
「お客が、気分が悪いといって、倒れてしまったんです」
と、運転手は、いう。
なるほど、佐伯が、二つのボストンバッグを、抱えるようにして、シートに俯《うつぶ》せに倒れている。
日下も駈け寄って来る。十津川と、亀井も、パトカーから降りて、飛んで来た。
「脳溢血《のういつけつ》じゃありませんか」
と、タクシーの運転手が、いう。
なるほど、倒れた佐伯が、軽い、いびきを立てている。
彼の背広のポケットの中で、携帯電話が、鳴っている。
犯人が、連絡して来ているのだろう。
「救急車を呼べ」
と、十津川は、西本にいってから、鳴っている携帯電話を取りあげた。
「もし、もし」
と、いったが、応答はない。佐伯が出なかったので、犯人が、警戒してしまったのか。
「お客さん。荷物を忘れないで下さいよ」
タクシーの運転手が、いった。
日下が、二つのボストンバッグを、あわてて、タクシーから降ろした。
西本が、しきりに、救急車を呼んでいる。
10
救急車が、到着すると同時に、タクシーが、走り去った。
十津川たちは、佐伯の身体を、救急車に押し込んだ。西本を同乗させ、出発させた。
また、佐伯の携帯電話が、鳴った。
十津川が、受信にした。
「もし、もし」
「どうして、出なかったんだ?」
若い男の声が、咎《とが》めるように、きく。
「ちょっと、手違いがあった。だが、もう大丈夫だ。次の指示を与えてくれ」
十津川が、相手を刺戟《しげき》しないように、いった。
「手違い?」
「そうだ。身代金を運ぶ人間が、急に体調を崩して、倒れてしまったんだ。交代したから、もう大丈夫だ」
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫だ」
「そうは思えないな。あんたの声は、どうも、刑事の声だ」
「いや、刑事じゃない」
「そうかな。十津川とかいう刑事の声に似ているんだがね」
「警察には、連絡してない。佐伯さんの同僚だ」
「じゃあ、名前をいってみたまえ」
「本堂《ほんどう》だ」
「そんな男が、いたかな? 年齢《とし》は、いくつだ?」
「四十歳だ」
「身長と、体重は? 頭は、はげてるか?」
男が、きく。
十津川の顔が、ゆがんだ。あきらかに、相手は、こっちを、からかっているのだ。
十津川は、携帯電話のスイッチを切ると、
「カメさん、バッグの中身を調べてくれ!」
と、叫んだ。
亀井が、二つのボストンバッグを開けて、「畜生!」と、叫んだ。
「やられました」
「タクシーの運転手だ」
「城西タクシー、ナンバーは××××です!」
日下が、大声でいう。
「すぐ、そのタクシーを手配!」
十津川は怒鳴るように、いった。が、もう、間に合うまいと、半ば覚悟した。してやられたのだ。
非常線が張られた。問題のタクシーは、府中市内で発見された、が、一億五千万円を入れたルイ・ヴィトンのバッグも、犯人も消えていた。
そのタクシーの運転手は、井上信一《いのうえしんいち》、五十歳だったが、彼も、行方不明になっていた。
救急車で、病院に運ばれた佐伯は、約一時間後に、眠りから醒《さ》めた。
十津川と、亀井が、すぐ、事情をきいた。
「犯人の指示通り、やって来たタクシーに乗りました。まさか、そのタクシーの運転手が、犯人だなんて、考えてもみませんでした」
佐伯は、まだ、完全に、醒め切らぬ顔で、いった。少し、呂律《ろれつ》が、おかしくなっていた。
「それから、どうしたんです?」
と、十津川が、きいた。
「信号で、止まったとき、運転手が、前方を指さして、前の車が、何だかおかしいですよと、いったんです。身を乗り出して、前方を見ようとしたとたん、何かエーテルみたいなものを嗅《か》がされて、そのあとは、全然、覚えていないんです」
と、佐伯は、いった。
犯人は、どこかで、城西タクシーを奪い、運転手になりすましていたのだ。
ルイ・ヴィトンのバッグ二つに、古雑誌を詰めておく。携帯電話で、佐伯に、テレビ局を出たら、すぐ、タクシーに乗れと、指示しておき、彼が、出てきたところへ、盗んだタクシーを止めたのだろう。
「まんまと、してやられましたが、こちらも、犯人の顔を見ています。それも、五人もの人間がです」
と、十津川は、三上《みかみ》本部長にいった。
十津川、亀井、西本、日下の四人の刑事と、佐伯が、間近で、犯人の顔を見ているのだ。
すぐ、モンタージュの作製に取りかかった。
モンタージュが出来あがったのが、午前二時を廻ってからだった。
年齢三十歳前後、細面で、きちんと背広に、ネクタイをしていた。
それに、うすいサングラス。身長は一七五センチ前後。やや痩《や》せ型。
言葉に、訛《なま》りはなかった。
午前三時。Sテレビのアナウンス部に、犯人から、電話が、かかった。
佐伯が、電話に出た。
「一億五千万円は、頂きました」
いやに、冷静な口調で、相手は、いった。
「それなら人質の吉崎加奈は、帰してくれるんだろうね?」
「ああ、佐伯さんですね?」
「そうだ」
「無事に、眼が醒めたんですね」
電話の向うで、男が、笑っている感じだった。
「そんなことはいいから、すぐ、彼女を帰しなさい」
「あわてなくても、彼女は、逃げやしない。京王多摩川《けいおうたまがわ》の河原。そこに、大きなトランクが置いてある。その中だ。草むらに、隠れているから、よく探しなさい」
「その中に、閉じ込められているんだな?」
「行ってみなさい。そうすれば、わかりますよ」
と、男は、いった。
何台ものパトカーが、赤色灯を点滅させ、けたたましいサイレンをひびかせて、甲州街道を、突っ走った。
月のない夜で、多摩川の河原は、暗かった。
到着したパトカーから、刑事たちが、ばらばらと、飛び降り、懐中電灯を持って、河原に、散って行った。
やがて、刑事の一人が、草むらの中に、大型のトランクを発見した。
十津川や、亀井も、駈け寄ってそのトランクを開けた。
懐中電灯が、向けられる。
とたんに、刑事たちの間から、悲鳴に似た、呻《うめ》き声があがった。
若い女の切断された上半身が、そこに、押し込まれていたからだった。
11
十津川は、唇を噛《か》みしめた。
その上半身は、まぎれもなく、吉崎加奈だった。その死体の上には、白い封筒が、のっていた。
十津川が、それを取りあげた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈警察と、Sテレビの皆さんへ〉
[#ここで字下げ終わり]
と、封筒の表には、ワープロで、書かれている。
十津川は、手袋をはめた手で、中の便箋《びんせん》を取り出した。中身も、ワープロの文字だった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈体重と同じ身代金を要求したのに、ケチなことをするから、こういうことになる。
これは、一億五千万円分だ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]ジャッカル〉
十津川は、しばらく、懐中電灯の明りで、その文字を見すえていた。その文章の向うにある犯人の顔を見すえるように。
亀井が、十津川の傍に来て、
「ひどいもんです」
と、呟《つぶや》いた。
「犯人は、偏執狂だ」
「え?」
「死体に両腕がなかった」
「ええ、そうです」
「ただ単に、上半身を切断して、トランクに入れたというんじゃないんだ」
十津川は、封筒を、亀井に、渡した。
亀井もそれを、懐中電灯で、読んでから、
「一億五千万円分――ですか」
「ああ。多分、正確に、重さで、一億五千万円分を測って、トランクに詰めたんだ」
「それで、両腕がないんですか――」
「だから、偏執狂だ」
と、十津川は、いってから、
「私は、明日、宮城刑務所へ行ってくる」
「土橋のことですね」
と、亀井が、いった。
翌朝早く、十津川は、東北新幹線で、仙台に向った。
ジャッカルと名乗った、土橋功一郎は、死刑を執行された。
今度の犯人は、なぜ、ジャッカルと、名乗っているのか。そのわけを知りたかったのだ。
宮城刑務所に着くと、十津川は、所長に会った。
「土橋功一郎のことで、おききしたいことがありまして」
と、十津川がいうと、所長は、眉《まゆ》を寄せて、
「あの男は、最後まで、自分のしたことを、悪かったとはいいませんでしたよ。もちろん、懺悔《ざんげ》もしていません」
「彼のところに、妙な手紙は、来ていませんでしたか?」
「妙なですか?」
「そうです。おかしないい方ですが、ファンレターみたいなものです」
と、十津川は、いった。
「一通だけ来ています。それも、死刑が執行されてからです」
「見せて頂けますか?」
と、十津川は、いった。
所長が見せてくれたのは、ワープロで打たれた手紙だった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈ジャッカルこと土橋功一郎様
あなたは、三人の女を殺した。それも、美しい女性ばかりを。美しいものを破壊したいという衝動は、私には、よくわかります。私も、時々、その兇暴《きようぼう》な衝動が、体内を駈《か》けめぐり、身体が震えることがあるのです。これは、私の生い立ちとか、環境とは、全く関係がないものです。私のもって生れた、つまり、神から授けられたものだと思っています。
ですから、この衝動に身を委《まか》せるのは、神の意志にかなうのだと、思っています。サドは、サドになるのではなく、サドとして、生れるのです。
ある時、私も、自分がサドなのだと直感しました。それに気付いた瞬間の、あのめくるめくような快感と恐怖を、忘れることが、出来ません。私も、間もなく、あなたと同じように、美しいものを傷つけ、殺す衝動に身を委せることになるでしょう。あなたと同じジャッカルとして〉
[#ここで字下げ終わり]
署名はない。
「どんな人間が、この手紙を書いて来たか、わからないでしょうね?」
と、十津川が、いうと、
「見当はつきます」
「本当ですか?」
「一年間ばかり、毎月一回、土橋に面会に来ていた若い男がいるのです。多分、その男だと思います」
「名前は? 住所は?」
「土橋の弟です」
「本当の弟ですか?」
「運転免許証もあったし、土橋自身が、弟だといって、毎月、会っていました。しかし、今になってみると、あの免許証は、偽造だったかも知れません」
「その男ですが、こういう顔ではありませんでしたか?」
十津川は、例のモンタージュを、所長に見せた。所長は、じっと見ていたが、
「よく似ています」
「念のために、土橋の弟の住所を教えて下さい」
と、十津川はいい、問題の手紙を貰《もら》って宮城刑務所を後にした。
その日の夕方には、十津川は、東京の捜査本部に戻り、三上本部長に持って来た手紙を見せた。
「君は、この手紙の男が、犯人だと思うのか?」
三上が、きく。
「間違いないと思います」
「こちらでは、念のために、被害者を追いかけていたストーカーの木本清も、手配した」
と、三上は、いった。
「しかし、彼の顔写真を見ていますが、今回の犯人と、あまり似ていませんよ」
「だから、念のためといったんだ。それで、土橋功一郎の弟は、どうなんだ?」
「東京|足立《あだち》区のマンションが住所なので、三田村《みたむら》刑事と、北条早苗刑事の二人をやりました」
と、十津川は、いった。
犯人に、タクシーを奪われた井上信一という運転手は、二日目の夜になっても、行方が、わからなかった。
12
三田村と、早苗は、途中で、新聞を買った。
どの新聞にも、一面に、事件のことが、大きく載っていた。猟奇とか、残酷とかいう言葉を並べてである。
中には、身代金の三億三千万円を値切ったので殺されたのだと、両親を非難する言葉も、あった。
「ひどいな」
と、三田村は、パトカーの中で、いった。
「じゃあ、あなたは、どう思うの? 要求通りの額を支払っていたら、犯人は、無事に、人質を帰したと思う?」
助手席で、早苗が、きいた。
「わからないな。警部は、いずれにしろ、犯人は、人質を殺したろうと、いっているが」
「つまり、最初から、殺す積りで、誘拐したというわけ?」
「だから、ジャッカルと名乗ってるんじゃないか。死刑になった、前のジャッカルも、そうだったからね」
と、三田村は、いった。
足立区|新田《しんでん》のマンションの前に着いた。二人の刑事は、七階建のマンションの503号室が、土橋と確かめて、エレベーターに乗った。
ドアについたベルを鳴らすと、背の高い二十七、八歳の男が、顔を出した。
「土橋さん?」
と、三田村が、警察手帳を示して、きくと、相手は、険しい眼つきになって、
「兄のことでしたら、いうことは、何もありません。ずっと、迷惑を受け続けて来たんです」
「わかりますわ」
と、早苗が、傍から、いったあと、
「弟だと名乗って、宮城刑務所に、面会に行った人間がいるんです。それも、一年間にわたって」
「僕じゃありません。僕は、一度も、会いに行ってませんよ」
と、土橋は、青い顔で、いった。
「でも、あなたの免許証を、持っていたんですよ。その男は」
三田村が、いった。
土橋は、二人を部屋に通してから、
「一度、運転免許証を盗まれたことがあります」
「どんな状況でですか?」
「どんなといわれてもね。二年前だったと思います。車から離れた隙《すき》に、車内に置いておいた免許証を、盗まれたんですよ。出て来ないので、再発行願を出しました」
「場所は、何処《どこ》ですか?」
「確か、伊豆へ行ったときです」
「旅行中ですか?」
「ええ。熱海《あたみ》から、伊豆の東海岸を走りました。熱川の近くで、車を駐《と》めて、のどが渇いたので、海沿いのレストランで、オレンジジュースを飲みました。その時です」
「他に、盗《と》られたものは?」
と、早苗が、きいた。
「ありません」
「車の中には、何が置いてあったんですか?」
「カメラがありましたね」
「高いカメラ?」
「ええ。定価が七万五千円です」
「それは、盗まれてなかったんですね?」
「ええ」
「じゃあ、犯人は、最初から、あなたの免許証を狙《ねら》っていたんだ。多分、東京から、ずっと、あなたの車を尾行して、チャンスを狙っていたんだと思いますね」
と、三田村はいった。
「しかし、何のためにです?」
「もちろん、宮城刑務所にいるあなたのお兄さんに、面会するためでしょう。家族や、弁護士以外には、なかなか、面会できませんからね」
「しかし、兄は、犯罪者ですよ。それも、三人も、女性を殺した犯人です。死刑になって、当然の男です。そんな人間に、わざわざ、面会に行く奴《やつ》がいるんでしょうか? それも、僕の免許証を使って」
土橋が、信じられないという顔で、きいた。
「いるんですよ。どんな世界にも、ファンがいるんですよ」
と、早苗が、いった。
「ファンですか?」
「そうです。若い男で、今、ジャッカルの名前を使っています」
「今回の事件のことは、テレビのニュースで知りました。でも、本当に、ジャッカルと、名乗っているんですか?」
「ええ。多分、あなたのお兄さんの弟子を気取っているんでしょう」
と、三田村は、いった。
「何で、そんなことを? 人殺しの弟子を気取ったりするんでしょうか?」
「その男自身、精神を病んでいるんでしょう。あなたのお兄さんが、病んでいたようにね」
と、三田村は、いった。
「兄と同じようにですか」
「そうです。失礼ですが、お兄さんのことを、話して貰えませんか」
と、早苗が、いった。
13
「なぜですか? 兄のことは、忘れたいんですよ」
土橋は、顔をしかめて、いった。
「よくわかりますが、私たちとしては、今回の事件の犯人を捕えたいんです。犯人は、あなたのお兄さんを、尊敬しているというか、親しみを感じていて、その行為を真似しようとしていると思われるのです。それで、お兄さんのことを、よく知ることが出来れば、次の犯行を防ぐことが、出来るかも知れないのです」
「しかし、兄のことは、警察が、調べられたんでしょう?」
「もちろん、調書もあります。しかし、正直に全てを話したという確信は、ありません。警察に対して、挑戦的な人でしたから、本当のことを話さなかった可能性が、強いのです。弟のあなたなら、われわれの知らないことも知っているのではないかと、思いまして、伺ったんです」
と、三田村は、いった。
「僕だって、兄のことは、ほとんど知りませんよ。年齢差もあったし、兄の気持は、僕には、理解出来ませんでした」
「お兄さんが、異常な性格だと、気付いたのは、いつ頃のことですか?」
早苗が、きくと、土橋は、急に、激しい口調になって、
「そんなこと、僕にわかる筈《はず》がないでしょう? 兄のああいう性格は、生れつきなんです。何かがあって、ああなったんじゃないんです。いくら兄弟だからって、僕には、あんな異常性格が、わかる筈がありませんよ。いつから、ああなったかなんてことも」
と、いった。
それきり、彼は黙って、泣き出しそうな顔になった。弟として、マスコミや、知人に、問い詰められ、追い詰められたからだろう。
三田村と、早苗は、また、落ち着いた頃に伺いますといって、帰ることにした。
二人が、捜査本部に戻ったとき、行方不明だったタクシー運転手が、死体で見つかったということで、騒然としていた。
井上運転手の身体は、東京湾に沈んでいた。
晴海《はるみ》の岸壁近くの海である。
引き揚げられた死体は、のどを掻《か》き切られていた。
鋭いナイフか、剃刀《かみそり》で、背後から、切られたと考えられた。
「ここまで、犯人は、タクシーに乗って来て、車を止め、いきなり、背後から、のどを掻き切ったんでしょう。そのあと、死体を、海に突き落した」
と、亀井が、十津川に、いった。
「容赦なくね」
十津川が、海水に濡《ぬ》れた死体を見下して、いった。
「容赦なく――ですか?」
「何の迷いもなく、一回で、殺しているからだよ」
「殺すのが楽しいんですかね? タクシーを盗むためなら、運転手を殺さなくてもいいでしょう?」
亀井は、腹立たしげに、いった。
確かに、殴りつけて、失神させてもいいし、エーテルを嗅《か》がしても、タクシーを奪うことは、出来るに違いない。
「そういうことが、面倒くさいのかも知れない」
と、十津川は、いった。
「面倒くさいからって、殺されたら、たまりませんよ」
亀井が、また、怒って、いう。
「犯人は、多分、美人の吉崎加奈を誘拐、監禁し、そして、殺した。そのことだけが、目的というか、大事で、あとのことは、出来るだけ、手っ取り早くやりたかったんだろう。気絶させたり、エーテルを嗅がせるのは、そのあとの処置が、面倒くさい。動けないように縛っておいたら、監禁場所を考えなければ、ならない。犯人は、そんなことに、時間を取られたくなかった。そうとしか考えられないよ」
と、十津川は、いった。
その翌日。捜査本部に、一本の電話が、かかった。
聞き覚えのある男の声で、
「八王子《はちおうじ》郊外の車の放置場。白のブルーバード。そのトランク」
と、いって、切ってしまった。
(あいつだ!)
と、十津川は、思った。
すぐ、十津川は、部下の刑事たちと八王子に、パトカーで、急行した。
八王子郊外、浅川《あさかわ》のほとりに、廃棄された車が、山積みされている。
「白のブルーバードだ!」
と、十津川は、怒鳴りながら、五人の刑事たちと、山積みの車の中から、白のブルーバードを探した。
五、六台の白いブルーバードが、見つかった。そのトランクルームを、開けていく。
三台目のブルーバードのトランクを開けた西本刑事が、「あッ」と、大声を上げた。
一斉に、刑事たちが、集ってくる。
汚れたトランクの中に、透明なビニール袋に入った人間の下半身と、両腕が、見つかったのだ。
女の身体だった。多分、吉崎加奈に間違いないだろう。
ビニール袋には、一枚の紙片が、貼《は》り付けてあった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈警察へ
これで、全てを返却した。君たちの間抜けな失策を、よく、味わいたまえ。
私は君たちに、名誉|挽回《ばんかい》のチャンスを与えよう。今から二週間以内に、私は、新しい獲物を、手に入れるつもりでいる。何とかして、それを防いでみたまえ。
[#地付き]ジャッカル〉
[#ここで字下げ終わり]
紙片には、ワープロで、そう、書いてあった。
死体と、犯人の挑戦状は、捜査本部に、持ち帰られた。
その日の会議では、当然、挑戦状のことが、問題になった。挑戦状は、黒板に留められた。
「防げるかね?」
と、三上本部長が、十津川に、きいた。
「不可能です」
十津川は、正直に、いった。
三上は、険しい表情になって、
「不可能って、君」
「どこの誰を狙《ねら》うかわからないのでは、何万人の警官を使っても、防げません」
「しかし、こんなことが、世間に知れたら、パニックになってしまうぞ。吉崎加奈は、あんな残酷な殺され方をしたし、前のジャッカルの記憶だって残っているからね」
「そうです。パニックになると思います。しかし、防げるなんて、気休めもいえません」
と、十津川は、いった。
「じゃあ、どうすれば、いいんだ? この挑戦状のことは、公表しなければ、いいのか?」
三上が、険しい表情で、十津川を見る。
「われわれが、公表しなければ、多分、犯人は、マスコミに、同じものを、送りつけて来ますよ」
「どうして、それがわかるんだ?」
「前のジャッカルも、そうしたからです」
と、十津川は、いった。
[#改ページ]
第二章 モンタージュ
十津川の警告にも拘《かかわ》らず、三上本部長は、犯人の挑戦状を、秘密にした。
パニックを防ぎたいという気持もあったろうが、また、容疑者が捕った時、挑戦状のことを秘密にしておいて、真犯人かどうかの判定に使おうと考えたこともあった。
二日後に、十津川の恐れていた通りになった。
犯人は、各新聞社に、挑戦状を送りつけてきたのである。
それも、更に、刺戟《しげき》的な言葉を並べてである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈私は、警察に対して、二週間以内に、新しい獲物を手に入れるつもりでいるという挑戦状を突きつけた。それにも拘らず、警察は、おのれの無能が知られるのを恐れて、全く、公表していない。こんな無力な、意気地のない警察を持った国民は、哀れでならない。私の次の犯行を防ぐ自信がないのだ。諸君は、警察など、当てにせず、自分で自分を守ることを考えたまえ。特に、美しい女性は、次の私の獲物だ。怯《おび》えるがいい。震えるがいい。そして、警察を恨みたまえ。私は、約束したことは、絶対に、実行する。
[#地付き]ジャッカル〉
[#ここで字下げ終わり]
当然、新聞記者たちは、緊急の記者会見を要求し、その席で、三上本部長や、十津川に、挑戦状のことは事実か、ときき、第二の犯行を防ぐ自信はあるのかと、質問してきた。
三上は、渋々、挑戦状のことは、事実だと答えた。
十津川は、このとき、逆に、強気に出てみることにした。
「犯人を逮捕する自信は、あります」
と、彼は、記者たちに、いった。
「しかし、どこの誰が狙われるのかわからないのに、どうやって、防ぐんですか?」
記者たちが、当然の質問をする。
「前のジャッカルは、三人の女性を狙いましたが、調べてみるとこの三人は、似たような顔をし、似たような雰囲気を持っていたのです。今回のジャッカルも、やはり、似た性癖を持っていると思っています。それに、今回の犯人は、すでに、何人もの人間に、顔を見られていて、モンタージュは、出来あがっているのです」
十津川は、用意したモンタージュのコピーを、記者たちに、配った。
「特に、右眼の目尻《めじり》の大きなホクロと、眉毛《まゆげ》が太いところは、目立つと思います」
「先日、死刑になったジャッカルと、今回の犯人とは、何か関係があるんですか?」
記者の一人が、きく。
「今度の犯人が、前のジャッカルを真似ていることは、間違いありません。刑務所に入っているジャッカルに、ファンレターめいたものを出しています」
十津川は、その手紙も、公表することにした。警察がつかんでいることを、全て、さらけ出して、犯人に、心理的な圧力をかけてやろうと思ったのである。
新聞には、犯人のモンタージュと、宮城刑務所のジャッカル宛《あて》に書いた今回の犯人の手紙が、載った。
それに、十津川の「必ず逮捕してみせる」というメッセージもである。
三日目になった。
犯人が宣言した二週間には、あと、十一日となった。
新聞に載ったモンタージュのせいか、捜査本部への連絡が、相ついだ。特に、若い女性からのものが、多かった。
自分のマンションに、モンタージュによく似た若い男がいて、挙動が怪しいといった電話。毎日、自分をつけてくるストーカーめいた男が、犯人ではないかという連絡。近くのスーパーのレジの男が、よく似ているという手紙。
一日、十二、三件の電話や、手紙が、捜査本部や、一一〇番にきた。十津川は、特に、気になる情報については、部下の刑事をやって、調べさせた。だが、真犯人に、つながる情報は、なかった。
刑事たちも、神経質になっていた。電車の中などで、モンタージュに似た男を見ると、つい、尾行してしまうのだ。
「神経戦ですな」
と、亀井が、苦笑した。
「犯人の方は、そうじゃないのかも知れない」
十津川は、いまいましげに、いった。
「そうでしょうか?」
「犯人のモンタージュが出来ているんだ。都内を歩き廻って、犯行前に、捕ったら、バカを見ると思って、東京を離れて温泉にでも、出かけているんじゃないか。次の犯行まで、じっと、そこに隠れている。私が、犯人なら、そうするだろうね。金もあるんだ」
「すると、われわれ、警官だけが、必死になって、犯人を探しているということですか。バカらしいですね」
「今夜、久しぶりに、飲まないかね。神経をリラックスさせたいんだ」
「大丈夫でしょうか?」
「何が?」
「奴《やつ》は、二週間以内に、次の獲物を殺すといっています。二週間後とは、いっていません。ひょっとすると、今夜、やるかも知れません」
と、亀井は、いう。
「それは、ないよ」
「なぜですか?」
「犯人が、狂人だとしても、一人の人間を誘拐して、殺す。それも、切断するというのは、とにかく、エネルギーがいることだと思う。肉体的にも、精神的にもね。前のジャッカルだって、三つの犯行を、二週間から一カ月と、間を置いて、実行しているんだ。今度の犯人だって、五日目に、次の犯行をやるとは、思えないんだよ」
と、十津川はいった。
二人は、その夜、久しぶりに、新宿に出た。
歌舞伎町《かぶきちよう》は、いつもの雑踏を見せていた。ネオンが輝き、若者があふれ、客引きがうろつき、酔っ払いが大声を上げている。
そのことに、十津川は、いくらか、ほっとした。パニックには、なっていないのだ。少なくとも、この盛り場には、その空気はない。
二人は、よく行く雑居ビル四階の飲み屋に、入って行った。酒の肴《さかな》の種類は少ないが、酒はうまい。それに、いろりが作ってあって、そこで、アユや、イワナを塩焼きしてくれるのが楽しいのだ。
十津川は、あまり、飲める方ではない。それでも、この店に来て、いろりの傍に腰を下すと、つい、酒量が多くなってしまう。
二人は、わざと、事件の話をせず、杯を重ね、塩焼きのアユやイワナを食べた。
「今度、釣りに行きませんか」
と、亀井が、笑顔で、いう。
「いいね。山歩きしながら、釣りをしたいな」
十津川は、肯《うなず》き、ポケットから、煙草を取り出した。
その時、ラークの箱の他に、指に触れたものがあった。
取り出してみる。小さくたたまれた紙片だった。煙草をくわえたまま、その紙片を広げてみた。
〈あと十一日     ジャッカル〉
それだけ、ワープロで、書かれていた。
「どうされたんですか?」
と、亀井が、きく。
十津川は、ゆっくり、煙草に火をつけてから、紙片を、亀井に、渡した。
亀井の表情が、険しくなった。
「犯人ですね」
「私のポケットに、放り込みやがった。多分、このビルのエレベーターの中だ。混んでいたからね」
と、十津川は、いった。
そういったまま、十津川は、急に、黙ってしまった。
煙草の灰が落ちかかるのに、気がつかないみたいに、考え込んでしまっている。亀井に、注意されて、あわてて、灰皿で、もみ消した。
「カメさん、やられたよ」
と、十津川は、いった。
「混んでいて、身動きできない状況だったんですから、仕方ありませんよ」
「そうじゃないんだ」
「そうじゃないって、どういうことですか?」
「エレベーターは、混んでいたといっても、八、九人だ。乗っていたのはね」
「そうです」
「一瞬のうちに顔を見られるんだよ。それに、私は、刑事として、他人《ひと》の顔を、注視する癖がついている。その上、今、犯人のモンタージュを、毎日、見ている。それなのに、私は、犯人に気が付かなかった」
「――――」
亀井の顔色も、変った。
「そうなんだ。あのモンタージュは、間違っているんだ」
「しかし、警部。何人もの人間の証言で作ったモンタージュですよ」
「だから、信用していたんだ。だが、私は、エレベーターの中で、こんなメモを、ポケットに放り込まれながら、気付かなかった」
「犯人が、誰かに頼んで、やらせたのじゃありませんか?」
「いや、そんなことを、他人《ひと》に頼む人間じゃないよ。今回の犯人は」
「となると――?」
「犯人は、ここまで、わざとみたいに、人に、顔を見せている。宮城刑務所では一年間、毎月一回、ジャッカルに、面会に行き、看守に、その度に、顔を見られている。考えてみれば、いかにも不用心だ。顔を知られるだけで、何のメリットもないよ」
「その時は、ジャッカルを真似て、犯行に走るとは、思っていなかったんじゃありませんか? だから、平気で、看守にも、顔を見せていた――」
「いや、ジャッカルへの手紙を見ても、彼の後を継いで、自分も、やる気でいたことは、はっきりしている。だから、その時点で、平気で、顔を見せているということは、何か、魂胆があると思わざるを得ないじゃないか。今日、それが、わかったよ。つまり、眉《まゆ》の太さとか右眼の目尻《めじり》のホクロといった目立つ特徴は、全て、作られたものだったんだとね」
「そういう先入観を与えておくためのものだったということですか?」
亀井が、きく。
「そうさ。それに、今は、化粧法が、ものすごく進歩している。色の白さだって、浅黒さだって、自由だといわれている。犯人は、われわれが、間違ったモンタージュを公表するのを予想して、違った顔を、ずっと、印象づけておいたんじゃないのか。だから、今日、私は、犯人が身近にいたのに、気付かなかったんだ」
と、十津川は、いった。
「犯人は、なぜ、こんなメモを、警部のポケットに、ねじ込んだんですかね? 何もしなければ、われわれのモンタージュが、間違っていると、気付かずにいて、犯人は、動き易かったでしょうに」
亀井が、不審げに、きいた。
十津川は、苦笑して、
「それが、犯人の弱点なんだと思うね。なまじ、彼は、自分が頭がいいと思っている。天才だと信じているかも知れない。そういう奴《やつ》は、自分の頭の良さを、他に示したくて、仕方がないんだ。他人が、それに、気付いてくれないと、いらだってくるんだと思う」
「先代のジャッカルに面会に行ったり、ファンレターめいたものを出したのも、そのためなんでしょうか?」
「そうだと思う。自分の気持を、本当に、理解してくれるのは、獄中のジャッカルだけだと思ったんだろう。同じ人間、同じ天才だという思いがあったんじゃないのかね。だから、ジャッカルが三人の女性を殺したように、自分も、殺すことになるという予感があったのかも知れないな」
「刑死したジャッカルは、最後まで、自分の罪を認めなかったようですが、今度の犯人も、同じでしょうか?」
「多分ね。自分には、他人《ひと》の生死を、支配する権利があると思っているんじゃないのかね。そうじゃなければ、ただ、欲望だけで、簡単に、人を殺せる筈《はず》がないよ」
「モンタージュは、どうしますか? 今のままでは、現場の警官が、間違った人間を捕えてしまうかも知れませんが」
と、亀井が、きいた。
十津川は、六本木《ろつぽんぎ》に、日本一のメイクの名人といわれる人間に、会いに出かけた。
日高淳《ひだかじゆん》という三十七歳の男で、二十歳の時に、アメリカにわたり、十年にわたって、向うのメイクの技術を勉強し、その後、ハリウッドで、特殊メイクのテクニックを習得。三十五歳の時、帰国して、六本木に店を持った男である。
有名女優のメイクを担当するかたわら、劇映画の特殊メイクでも、腕をふるっていた。
そんな日高でも、刑事二人の訪問には、戸惑いの色を見せて、出迎えた。
「今日は、いわゆるメイクや、特殊メイクが、どの程度のものなのか、それを教えて頂きたくて、伺ったのです」
十津川は、彼から教えを受ける気持で、話した。
「メイクは、どんどん進歩しています。特に、特殊メイクについていえば、不可能はありません」
「ある人間を、全く、別人に見せることは、可能ですか?」
と、十津川は、きいた。
日高は、微笑して、
「別人に見せるどころか、人間を、猿にすることも可能ですよ」
「それは、映画の中の話でしょう。私たちが知りたいのは、普通のメイク、つまり、普通に出来る化粧で、違った人間に見せることが出来るかどうかということなのです。全く、印象の違った顔にすることが出来るかということなのです」
「では、実際にやって見せましょう。男と女と、どちらが、希望ですか?」
「男にして下さい。男の方が、難しいでしょう? 女は化粧していても、おかしくないが、男は、化粧しない方が、自然だから」
「昔は、そうでしたが、今は、そうでもありませんよ。メイクとわからない化粧品も出来ていますから」
と、日高がいい、二十二、三歳の若い男の助手を、呼び出した。
角張った感じの、眉が太く、スポーツ選手といった男だった。
「彼は、全くのノーメイクです」
「そうみたいですね」
「今から、彼に、僕が、メイクをほどこします。それを、実際に見て下さい」
日高は、十津川と亀井を、その場に残し、助手を伴って、奥に入って行った。
五分、十分と待ったが、日高も、助手も、戻って来ない。
メイクには、時間がかかるのだろうと考え、十津川は、煙草に火をつけた。
二十分ほどした時、誰かが、部屋のドアをノックした。亀井が、立ち上って、ドアを開けた。
細面の、神経質な感じの中年の男が、顔を出して、
「日高先生は、いませんか?」
と、きいた。
「いや、今、私たちが頼んだ仕事をしてくれているんですよ」
と、十津川が、いった。
「どんな仕事でしょうか?」
中年の男は、眉をひそめて、きく。
「メイクの実際といったことです」
十津川が、いうと、男は、よく呑《の》み込めない顔で、戻って行った。
更に、五、六分して、やっと、日高が、戻って来た。ひとりで、入って来ると、
「どうでした?」
と、十津川に、きく。
「え?」
「今、僕の助手が来たでしょう? メイクして」
「あっ!」
十津川は、小さく叫び、やられたという顔になった。
「助手を僕が連れて戻ると、お二人とも、同じ男に違いないという先入観で見てしまう。まるで、アラ探しになってしまうので、わざと、助手だけで、行かせたわけです。別人に見えたんじゃありませんか?」
「角張った顔が、細面に見えたし、年齢も、四十歳ぐらいに見えましたよ」
十津川は、正直に、いった。
「化粧しているという感じもなかったでしょう?」
「ええ」
十津川が、肯《うなず》くと、日高は、改めて、助手を、部屋に呼んだ。
同じ人間と思って見ても、最初に紹介された若い助手には、見えなかった。
「年齢を、十歳から二十歳くらい老けて見せるのは、簡単です。また、角張った顔に、陰影を強くつけて、細面に見せることも、難しくはありません。スポーツマンタイプを、神経質な文学青年に見せることもです」
日高は、その場で、どんどん、助手の化粧を落していった。みるみる、若い助手の顔に、戻っていく。
「これに、付けボクロでもすれば、もっと別人に見えます。人間の眼というのは、どうしても、そうしたアクセントに、引きつけられてしまいますから」
「あなたの知り合いで、あなたと同じように、メイクの名人は、いませんか?」
と、十津川は、きいた。
「そうですね。僕が、アメリカから帰って、教えた男がいます」
と、日高は、助手を、部屋から出したあとで、いった。
「今の助手さんですか?」
「いや。彼は、まだ、僕について、間がありません。僕がいったのは、二年ばかり、みっちり、僕が仕込んだ男です」
「その人は、今、何処《どこ》にいますか?」
「四谷《よつや》で、自分の店を出し、現在、ひとりで、やっています。名前は三原《みはら》です。若いが、優秀な技術を持っています」
「他に、東京で、優秀なメイクの名人は、いませんか?」
「僕の知ってる限りでは、この三原だと思いますがね」
「では、その三原さんを、ここに、呼んで頂けませんか?」
「なぜです?」
「会ってみたいのです」
とだけ、十津川は、いった。
日高は、首をかしげながらも、電話をかけてくれたが、
「おかしいな。今日は、休みじゃない筈《はず》なのに、電話に出ませんねえ」
と、いった。
嫌な予感が、十津川を襲った。
「毎日、連絡なさっているんですか?」
「いや。彼も、独立して仕事をやっているので、最近は、あまり電話しないし、会ってもいませんよ」
と、日高は、いった。
十津川は、日高に、三原の店を教えて貰《もら》い、亀井と、四谷に廻った。
四谷駅近くの雑居ビル。その二階に、三原が、ひとりでやっているという店があった。
だが、二階に上ってみると、店のドアが閉り、電気も、消えている。
十津川は、同じ階に、喫茶店があったので、そこのマスターに、問題の店のことをきいてみた。
三十代の若いマスターは、
「そういえば、三原さんの店、ここんとこ、ずっと閉っているなあ」
「何かあったんですかね?」
「いや。いつも、繁盛してましたよ。テレビで知ってるタレントさんなんかも、何人か来てね」
「いつから、閉っているのか、正確な日時が、わかりませんか?」
と、十津川は、きいた。
「さあ。どうだったかな? 他の店のことは、あんまり気にしないのでね」
「十二月十三日頃からじゃありませんか?」
十津川は、吉崎加奈が、誘拐された日を、いってみた。
「そういえば、その頃から、閉っていたかなあ」
あまり、自信のない顔で、喫茶店のマスターは、いった。
十津川と、亀井は、飯田橋《いいだばし》駅近くの、三原のマンションに廻った。
白亜の殿堂という感じの洒落《しやれ》たマンションだった。十五階建の最上階の部屋だった。
だが、ここも、インターホーンを鳴らしても、応答がない。
管理人にきくと、心配そうに、
「ここんところ、ずっと、いらっしゃらないんですよ。新聞も溜《たま》ったんで、これは、処理したんですが」
と、いう。
十津川は、管理人に、開けて貰った。
2DKだが、最上階だけに、ベランダからの眺めは素晴しかった。
何日も、留守にしているせいか、ひんやりと冷たかった。ピカソが好きなのか、彼のデッサンが、何枚も、壁にかかっている。
本棚には、メイクの本が、英語版も入れて、十五、六冊、並んでいた。
アルバムが、あった。十津川でも顔の知っている女優や、タレントとの写真が、何枚も、入っていた。自分の店に来た有名人というわけなのだろう。
「心配だな」
と、十津川が、呟《つぶや》く。
「失跡がジャッカルと関係があると、思われるんですか?」
「関係がなければいいと、思っているんだがね」
と、十津川は、いった。
二代目のジャッカルは、用心深くて、冷酷な男だ。
犯行に走る前に、何人かに、自分の顔を見させておいて、間違ったモンタージュを作らせた。
彼は、腕のいいメイクアーチストに、別人のような顔にメイクさせておいたに違いない。別人のように見せられることは、六本木で、日高が実証してみせてくれた。
日高の弟子の三原は、彼に負けないメイクの腕を持っているという。
ジャッカルは、三原に頼んで、自分の顔に、念入りにメイクして貰い、宮城刑務所に通っていたのだろう。
同じメイクで、タクシーの運転手にも化けて、身代金を奪い取った。
彼は、宮城刑務所の面会人や、タクシーのニセ運転手から、警察が、犯人のモンタージュを作ることを、予想していたのだ。
ジャッカルが使ったメイクアーチストが、三原だとしたら、警察がモンタージュを作り、それを公表した時点で、三原の役目は、もう終っているのだ。
三原は、公表されたモンタージュの男の本当の顔を知っている。ジャッカルにとって、危険な存在なだけになっている筈なのだ。
十津川は、三原の写真を手に入れ、それを捜査本部に持ち帰ると、三上本部長に、自分の考えを話した。
「君は、この三原が、危険だというんだな?」
「もう間に合わないかも知れません」
「とにかく、特別手配をしよう」
と、三上は、いった。
三原の顔写真を何枚も、コピーして、都内の各警察署に送らせた。
また、三原は、新型の赤いポルシェに乗っていることがわかり、その車が、マンション近くの駐車場から消えているのを知って、車の手配もした。
二日後、奥多摩《おくたま》の人気《ひとけ》のない渓谷に、その赤いポルシェが、転落した姿で、発見された。
運転席には、三原が、死体で、見つかった。
間に合わなかったのだ。
三原の死体は、司法解剖のために、大学病院に送られた。
死因は、青酸中毒による窒息死だった。死亡推定時刻は、十二月十五日の午後とわかった。
吉崎加奈の身代金が奪われた日の午後である。
ジャッカルが、犯人と、まだ、断定は出来ない。
だが、十津川は、彼に間違いないと、確信した。
ジャッカルは、身代金を手に入れるため、三原に、自分の顔をメイクさせてから、青酸で、毒殺したのだろう。
そのあと、死体を、三原のポルシェに乗せて、奥多摩に運び、車ごと、谷底に、落したに違いない。
「自分に役に立つ人間は、利用するだけしておいて、冷酷に殺している。これからだって、同じことを、やるだろう」
と、十津川は、いった。
「おかげで、ジャッカルが、本当は、どんな顔をしているか、わかりませんね」
亀井が、口惜《くや》しそうに、いった。
「だが、声は、覚えている。誘拐した時の電話の声と、ニセ運転手の時の声もだよ」
と、十津川は、いった。
心細い手掛りだった。まして、特徴のある声ではなかったからである。
「公表したモンタージュは、どうしますか? あのモンタージュを、間違っていると、発表しますか?」
と、亀井が、きく。
十津川にも、彼の一存で、どうすることも出来ない。
三原が殺されたことで開かれた捜査会議で、十津川は、モンタージュのことを、三上本部長に、相談した。
三上は、難しい顔で、
「違っていると、発表するのはいいが、本当の顔は、こうですというものは、ないんだろう?」
「ありません。犯人の顔が、わからないのです」
と、十津川は、いった。
「実は、ジャッカルの顔は、わかりませんと、発表するのかね?」
「そこが問題だと、思っています。誤ったモンタージュは、回収した方がいいと思いますが、と、いって、本人の顔がわからないといえば、余計、不安を、広めることになります」
「それに、犯人を喜ばせてしまうだろう?」
「と、思います」
すでに時効になった三億円事件では、犯人のモンタージュが発表されたが、あとになって、あのモンタージュは、違っているという話が出た。目撃者の何人かが、あんな顔ではないと、証言したのだ。
だから、三億円事件の犯人が見つからなかったのは、あのモンタージュのせいだという声もある。
それを考えると、当然、公表したジャッカルのモンタージュは、回収する必要は、あるのだが。
「その代りに、別のモンタージュを発表しないと、ジャッカルに、警察は、犯人の顔は、わかっていないのだということも知らせてしまいます」
と、十津川は、いった。
「じゃあ、どうすれば、いいと思うのかね?」
「もう一つ、今のままで、置いておけば、ジャッカルを油断させることも出来ます。警察は、あのモンタージュを信じていると、思わせておけます」
「しかし、三原|和也《かずや》の死体が見つかっている。ジャッカルは、警察に、メイクのことを知られたと考えるんじゃないかね?」
「殺された理由は、女性関係のもつれと、発表しましょう。女にもてた男のようですから」
と、十津川は、いった。
「嘘《うそ》を発表するのか?」
「ジャッカルは、殺したいから、殺すんです。動機から、追っていけません。となると、奴《やつ》とは、欺《だま》し合いになります」
と、十津川は、いった。
「そうなると、三原については、別に、捜査本部を設けなければならないな」
と、三上は、いった。
青梅《おうめ》警察署に、捜査本部が設けられ、新聞には、
〈痴情からの犯行と思われる〉
と、発表された。
公表されているジャッカルのモンタージュは、訂正されないことになった。
十津川が、「ジャッカルを油断させておきたい」と、いい、その主張が、通ったのではなく、「新しいモンタージュが発表出来ないことで、警察の面子《メンツ》が潰《つぶ》れる」という三上本部長の主張が通ったのである。
そのまま、更に、二日がたったとき、インターネットに、妙な記事が出たという噂《うわさ》が、十津川の耳に入った。
捜査本部のパソコンで、その記事を調べてみた。
〈ジャッカルが、次に狙《ねら》うのは、この美少女〉
という記事というか、広告だった。
〈小田《おだ》まゆみ〉
が、そこに出ている名前だった。
その名前は、十津川も、知っていた。
日本一の美少女ということで、最近、テレビや雑誌が、盛んに取りあげている十六歳の高校生だったからである。
インターネットには、彼女の写真も、載っていた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈私が得た情報では、次にジャッカルが狙うのは、この小田まゆみに間違いありません。彼女の顔やスタイルをよく見て下さい。前に犠牲になった吉崎加奈に、よく似ていると思いませんか?〉
[#ここで字下げ終わり]
この記事の発信人は、こう書き、おまけに、小田まゆみが殺された写真まで、載せていた。
白い衣裳《いしよう》で、横たわっている小田まゆみの写真だった。何かのドラマに出たときのものだろう。それに、胸に突き刺さるナイフと、流れる血を、描き加えている。
発信人の名前は、登録されたアドレスから、世田谷《せたがや》区内の金田徹《かねだとおる》という男と、わかった。
遊びにしても、悪質である。
十津川は、亀井と、この金田という男に会いに出かけた。
世田谷区|駒沢《こまざわ》二丁目のマンションだった。
三十歳で、M銀行に勤める独身のサラリーマンである。十津川と、亀井は、彼の帰りを待って、インターネツトのことをきいた。
「僕には、関係ありませんよ」
と、金田は、いう。
「しかし、君が、発信人になっているんだよ」
亀井が、睨《にら》んだ。
1LDKの部屋には、パソコンの機械が並び、なぜか、小田まゆみの大きな写真パネルが、壁にかかっていた。
「僕は、あんな記事は、出していません。誰かが、僕の名前で、あんな記事を載せたんです。僕も迷惑しています」
金田は、青い顔で、いった。
「しかし、小田まゆみのことは、よく知っているみたいですね」
十津川は、壁の写真を見て、いった。
「彼女のファンクラブに、入っています」
「三十歳の君が?」
と、亀井が、呆《あき》れたように、いった。
金田は、むっとした顔で、
「誰が好きでも、構わないでしょう」
「美少女オタクという奴か」
「そのオタクというのは、止めて下さい。僕は好きじゃない」
「だが、その年齢《とし》で、美少女が好きなんだろう? ビデオや、写真集も、たくさんあるじゃないか」
亀井は、意地悪く、部屋の中を、見廻した。確かに、美少女の写真集があり、彼女たちのビデオが、並んでいた。
「僕は、小田まゆみのファンなんです。大事な彼女について、あんなひどい記事を、インターネットに載せる筈《はず》がないでしょう?」
金田は、反問するように、二人の刑事を見た。
「それは、どうかな。小田まゆみを、自分だけのものにしたいと考えたのかも知れない。殺せば、確実に、自分だけのものになるからな」
亀井が、いい返した。
「止めて下さい」
金田は、悲鳴のような声を出した。
「君の登録してある記号というか、アドレスを知っている人間は?」
と、十津川は、いった。
「たくさんいます。だから、誰がやったのか、わかりませんよ」
金田は、肩をすくめて見せた。
十津川と、亀井は、それ以上、追及しても無駄だと思って、金田のマンションを出て、パトカーに戻った。
「彼が、ジャッカルとは、思えないね。第一、声が、違う」
と、十津川は、いった。
亀井は、パトカーを発車させてから、
「最近は、妙な男が増えて困ります。三十歳なんだから、自分にふさわしい年頃の女性に興味を持てばいいのに、十六歳の少女のファンになっているんですから」
「大人の女性には、興味が持てないんだろう」
「なぜなんですかね?」
「怖いのかな? それとも、大人の女性は、不潔に見えるのか」
と、十津川は、いった。
「金田は、今度の事件については、何の参考にもなりませんでしたね」
亀井が、小さく溜息《ためいき》をついた。
十津川は、首を横に振って、
「いや、参考になったよ。私は、本当の発信人は、ジャッカルだと思っている」
「いたずらじゃないと、思われるんですか?」
「そうだよ」
「なぜ、ジャッカルが、発信人だと、思われるんですか?」
と、亀井が、きく。
「証拠はないさ。まあ、勘だな。ジャッカルという男は、自己顕示欲が強いと思っている。だから、わざわざ、前のジャッカルに、面会に行ったり、わざと、われわれに、顔を見せたりしているんだと思う。インターネットも、その一つの表れじゃないかね」
「すると、次に狙《ねら》われるのは、小田まゆみという美少女だと?」
亀井は、半信半疑の表情になっていた。
「可能性は、あるよ」
「しかし、ジャッカルが、みすみす、標的を明らかにして、警察の警護を強くするとは、思えませんが」
「彼は、それだけ、自信満々なのさ。標的を明らかにしても、絶対に捕らないと、思っているんだろう」
と、十津川は、いった。
「もし、発信人が、ジャッカルだとすると、われわれは、これから、小田まゆみの身辺警護をしていかなければなりませんね」
と、亀井が、いった。
「それに、ジャッカルがパソコンを持っていることも、わかったよ」
と、十津川は、いった。
この日の捜査会議では、当然、インターネットのことが、討議された。
十津川のいうように、発信人が、ジャッカルかどうかということである。
それは、当然、次の標的が、小田まゆみという美少女かどうかという問題にもなってくる。
「君は、発信人はジャッカル本人で、次の標的は、小田まゆみだと、思っているんだな?」
と、三上本部長が、十津川に、きいた。
「思っています」
「しかし、犯人は、警察の眼を、わざと、小田まゆみに向けさせておいて、別の女を狙うことだって、十分に考えられるんじゃないのかね?」
三上が、きいた。
「もちろん、それも考えられます。私は、ジャッカルとの戦いは、欺《だま》し合いと、思っていますから、当然、本部長のいわれることは、気をつけなければなりません。しかし、同時に、ジャッカルという男は、亀井刑事にもいったんですが、自己顕示欲が、やたらに強いと考えられるのです。それを考えると、次の標的を、インターネットで、示すことも、十分、考えられるのです」
と、十津川は、いった。
若い西本刑事が、どこからか、小田まゆみの写真を探してきて、それを、黒板に、貼《は》りつけた。
「なるほど、吉崎加奈に、よく似ていますね」
と、亀井が、感心したように、いった。
翌日、その小田まゆみのマネージャーの島崎《しまざき》という男が、捜査本部を、訪ねて来た。
十津川が、会うと、インターネットのことを、いった。
「あれは、単なるいたずらでしょうか? それならいいんですが、もし、ジャッカルの予告だとしたら、心配でたまりません」
青い顔で、いうのだ。
マネージャーとしたら、当然の心配だろう。
十津川は、わざと、
「まだ、何ともわかりません。多分、誰かのいたずらでしょう。人をからかって、喜ぶ奴《やつ》が、いますから」
と、いった。もちろん、内密に、小田まゆみを警護することに決めている。
「しかし、もし――」
と、マネージャーは、いう。
「もちろん、ご心配なら、小田まゆみの警護はしますよ。彼女のこれからのスケジュールを教えておいて下さい」
と、十津川は、いった。
当然、警護は、二重になる。十津川は、それに期待していた。
問題は、警護の方法だった。
この件について、捜査会議が開かれた。このとき、方法と共に議論されたのは、ジャッカルの次の標的が、果して、小田まゆみと、決めつけていいかどうかという問題だった。
今、小田まゆみと同じように、美少女として人気のある若いタレントは、少なくとも、七、八人はいる。
年齢も、同じ十五、六歳。顔立ちも似ている。
彼女たちの写真が、黒板に並んで、貼りつけられた。
「私なんかから見ると、みんな同じ顔に見えるね」
三上本部長が、感心したように、いった。
三上は、続けた。
「これでも、ジャッカルは、小田まゆみを狙うと、決めていいと思うかね?」
と、十津川を見た。
「前にも、申しあげましたが、ジャッカルは、自己顕示欲の強い男と考えられます。また、インターネットを使って、小田まゆみの名前を出してきたのも、私は、ジャッカル本人だと思っています。これは、警察に対する、彼の挑戦状というか、宣言だと見ています。もちろん、卑劣な男ですから、陽動作戦の恐れもあります。しかし、八十パーセント、犯人は、小田まゆみを狙うと思います。それは、この美少女たちは、私たちには、みんな似て見えますが、ジャッカルの眼には、違って見えるのではないかと思えるのです。ですから、この中では、小田まゆみだけが、輝いて見えてくるのではないか。彼にとってですが」
と、十津川は、いった。
もちろん、十津川の主張が、そのまま、捜査方針になるとは、限らない。
十津川自身も、ジャッカルが、小田まゆみを狙う確率は、八十パーセントだと思っている。
あとの二十パーセントは、十津川自身は、信用していないのだ。
何といっても、相手は、殺人犯である。自分の欲望を満たすためなら、どんな手段でも、取ってくると思わなければならない。
わざわざ、インターネットで、次の標的を示してくるのも、ジャッカルの作戦に違いないという見方も、捜査本部の中にはあるのだ。
更にいえば、あのインターネットの記事を出したのは、ジャッカルではなく、別人のいたずらと見る刑事もいたのである。
だから、捜査方針は、八十パーセントの力を、小田まゆみの警護に使い、残りの二十パーセントで、彼女以外に、眼を向けることが、決った。
次は、小田まゆみの警護の方法だった。
警護は、もちろん、彼女を守ることが主だが、同時に、犯人逮捕につながらなければならない。
しかし、表だって、小田まゆみの周囲《まわり》に、刑事を、べたべたつけたのでは、彼女自身の仕事が出来なくなってしまう。
それに、犯人逮捕に、結びつかなくなってしまう。
だから、自然に、内密で、やや、遠くからの警護ということに、なってくる。
「今朝、小田まゆみの所属しているプロダクションの折原《おりはら》社長から、警護について電話があった」
と、三上本部長が、いった。
「どんなことですか?」
十津川が、きいた。
「内密のガードは、それは、それでいいんだが、インターネットのことがあってから、小田まゆみ自身が、ものすごくナーバスになって、怯《おび》えているというんだよ」
「それは、当然だと思います。仕事を休みたいといっているわけですか?」
「ジャッカルが示した期間、外国へ旅行させようかということも、考えたと、いっていた」
「なるほど」
「だが、プロダクションとしては、脅迫に屈していたら、また、ジャッカルは、日時を延長してくるのではないか。そうなると、永久に、逃げ廻っていなければならない。そういうのだ」
「なるほど」
「それで、小田まゆみ本人を安心させるためにも、身近に、ボディガードを付けて貰《もら》えないかと、折原社長は、いってます」
「ボディガードですか?」
「会社としても、今までのマネージャーの代りに、合気道三段の女性をマネージャーに付けることにしたと、いっていた。ただ、彼女は、護身用の拳銃《けんじゆう》を持つことが出来ない。日本だからね。それで女性刑事を一人、付けてくれないかと、いって来ているんだ」
「マネージャーとしてですか?」
「そうだ、合気道三段の女性のマネージャーのサブとして、一緒に、動いて欲しいというわけだよ。その彼女が、拳銃を持ってくれていれば、安心するというわけなんだ」
三上本部長は、具体的に、北条早苗刑事を考えているとも、いった。
「悪くありません」
と、十津川も、いった。
早速、北条早苗刑事が、呼ばれた。三上は、彼女に向って、
「拳銃を射《う》ったことは?」
と、きいた。
「練習では、射っています」
と、早苗がいい、十津川が、
「成績は、抜群です」
「しかし、人に対して、射ったことは、ないんだろう?」
「ありません」
と、早苗が、答える。
「いざとなれば、射てるかね?」
「犯人に対してなら、躊躇《ためらい》はしないと、思います」
「もう一つ、君は、あくまで、小田まゆみのサブ・マネージャーだから、大きな拳銃を持っていては、おかしい。だから小さな拳銃しか、持たせられない」
三上は、一丁の拳銃を持って来て、早苗に示した。
「ベレッタの婦人用、二十二口径だ」
と、三上は、いった。上品で、掌《てのひら》にかくれるくらい小型の拳銃である。優美だが、当然、殺傷力は弱い。
早苗は、それを、手に、取った。
「それで、小田まゆみを守れるかね?」
三上が、きく。
「相手が、強力な、トカレフのような拳銃を持っていたら、自信はありませんが――」
「ジャッカルは、拳銃は、使わないと思っている」
と、十津川が、いった。
「間違いないかね?」
三上が、きく。
「死刑になった前のジャッカルは、一度も拳銃を使っていません。ナイフで、女を脅してはいますが。今のジャッカルは、先代を尊敬しているようなところがありますから、彼に倣って、ナイフは、使っても、拳銃は、使わないと思っています」
「それなら、このベレッタで、十分です。犯人を、制圧することが出来ます」
早苗は、誓うように、いった。
「それでは、決った。今から、ベレッタの射撃をやってきたまえ」
と、三上本部長は、いった。
北条早苗は、亀井と一緒に、射撃練習センターに行き、二時間にわたって、ベレッタ二十二口径の射撃をやった。
銃身が短いだけ、命中率は、落ちる。
もともと、ベレッタは、ヨーロッパの女性が、護身用に使う小型拳銃である。
接近して、射つ銃なのだ。と、いって、余りにも近づいて射つと、小さな弾丸は、相手の身体を貫通してしまう。致命傷を与えられないのだ。
「いざ射つという場合は、相手の心臓を狙《ねら》え。たとえ、貫通しても、相手を弱らせ、動きを封じられる」
と、亀井は、いった。
「ジャッカルは、普通の身体をしているんでしょうね?」
と、早苗が、きく。
「普通って?」
「心臓の位置ですわ。普通の人間と、反対側にあったら、そちらを狙わなければなりませんから」
と、早苗は、いった。
「確かに、心臓が反対側にある人間もいるらしいが、そこまで考える必要はないだろう。ジャッカルの心臓も、身体の左側にあると思って、狙え。その代り、もし、狙うときは、相手を倒すつもりで、射つんだ。ジャッカルに限っていえば、殺しても、世の非難が降りかかることはないと思っていいからね」
「はい」
「相手を殺さなければ、小田まゆみが、殺《や》られる。そう思って動け」
と、亀井は、いった。
翌日、北条早苗は、ジーンズに、スニーカー、今年の色といわれるオレンジのブルゾンという恰好《かつこう》で、小田まゆみのいるプロダクションに、出かけて行った。
社長の折原は、もちろん、早苗を、刑事とはいわず、新しい、サブ・マネージャーとして、社員に、紹介した。
ただ、小田まゆみ本人と、今のマネージャーの新井亜季《あらいあき》には、刑事ということを、打ちあけた。二人を安心させるためである。
この日から、早苗は、捜査本部にも、自宅にも帰らず、小田まゆみの傍にいることになった。
「サブ・マネージャーだから、何でもします」
と、早苗は、マネージャーの新井亜季に、いった。
「ただ、一度に、一つの荷物しか持ちません。それを了承して下さい」
とも、早苗は、いった。
その一つの荷物を、早苗は、必ず、左手で持った。いつも、右手を自由にしておいて、いざの時、右手で、ベレッタを取り出し、狙撃《そげき》するためである。
早苗が、小田まゆみのサブ・マネージャーになった翌日、そのことに、まるで、反撥《はんぱつ》するように、一つのメッセージが、ジャッカルの名前で、届けられた。
若者に人気のラジオジャパンの「僕らのメッセージ」に、毎回、沢山の投書が寄せられるのだが、その中に、ジャッカルの名前が、見つかったのである。
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〈僕の小田まゆみへ
間もなくだ。君の可愛《かわい》い顔も、身体も、僕のものになる。誰も、それをさまたげることは出来ないのだ。
[#地付き]ジャッカル〉
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ワープロで打たれた、この投書は、ラジオジャパンから、捜査本部に届けられた。
担当の田村《たむら》というブロデューサーは、
「とにかく、警察に、見て頂こうと思って、持って来ました」
と、三上本部長に、いった。
「ジャッカル本人が、書いたと思うかね?」
三上が、十津川に、きく。
「まず、間違いないと思います」
「問題は、これを、放送するかどうかだが、黙殺するかね?」
「いえ。このまま、放送したらいいと思います」
十津川が、いうと、ラジオジャパンの田村プロデューサーが、驚いてしまって、
「本当に、いいんですか?」
「ジャッカルは、ラジオジャパンが、放送しなければ、きっと、警察が、止めたのだといい、挑戦の手紙を、あらゆるマスコミに、送りつけてくる筈《はず》です。結局、かえって、騒ぎは、大きくなってしまうのです」
「それでは、この投書を、そのまま、放送します。本当に、いいんでしょうね?」
田村は、念を押した。
「構いません。ジャッカルの挑戦状ですから、警察は、受けて立ちますよ」
と、十津川は、笑った。
「それも、放送したいんですが」
「何を?」
「受けて立つという、警察の言葉です。ジャッカル本人も、放送を聞いていると思うのです。自分の送ったメッセージが、いつ放送されるかと思いながら。そのジャッカルの奴《やつ》に、警察のメッセージを、伝えてやりたいのです。ジャッカルのメッセージだけを放送するのでは、シャクに障りますから」
田村は、熱っぽく、いう。
「構いませんよ。どうぞ、放送して下さい」
と、十津川は、いった。
ジャッカルの挑戦状と、それに対する警察の回答も、放送され、新聞も、報じた。
正式に、戦いが、始まったのだ。こんな時には、きまって、馬鹿ないたずらをする者が出てくる。今回も同じだった。
ジャッカルの名前を使って、無意味な手紙や電話を、マスコミに寄こしてくるのだ。
〈本当におれが狙うのは、女優の橘《たちばな》ゆう子だ〉
と、いう脅迫状もあった。多分、彼女のファンなのだろう。
十津川は、こうした手紙や、電話は、全て、無視した。ジャッカルは、もう、余計な脅迫状や、電話は寄こさないだろう。あとは、小田まゆみを襲い、誘拐するだけだと、思っているに違いない。十津川は、そう確信していた。
だから、これからは、一分一秒も、油断は出来ないということなのだ。
「奴は、今、何処《どこ》にいるんでしょうか? マンションに住んでいるのか、それとも、ホテルを転々としているのか」
亀井が、十津川に、きく。
「前のジャッカルは使わない他人の別荘を使っていた」
「そうでしたね。夏のシーズンの終った新軽井沢《しんかるいざわ》の他人の別荘を、勝手に使っていたんでした」
「新しいジャッカルは、吉崎加奈を誘拐して、一億五千万円を、手に入れている。それだけの金があれば、ちょっとした別荘を、手に入れられる筈だ。辺鄙《へんぴ》な場所なら、大きな別荘が買える」
と、十津川は、いった。
「東京以外ですか?」
「かも知れない。今は、道路が完備しているから、車で、二時間もあれば、かなり離れた場所からでも、東京にやって来られるさ」
「当然、免許証を持っているんでしょうね?」
「ああ。多分、奴は、一度も、警察に捕ったことがない筈だ」
「前科なしですか」
「そうだと思う。ただし、捕った時は、死刑になる時だろうがね」
十津川は、小さく、笑った。
「どんな免許証か、見てみたいですね。何という名前なのか、何歳なのか、それに、どんな顔をしているのか」
「小田まゆみは、今日は、何処にいるんだったかな?」
十津川が、きく。
亀井は、腕時計に、眼をやって、
「この時間だと、中央テレビの第一スタジオで、一カ月後に放送予定の二時間ドラマを収録中の筈です」
「北条君は、一緒にいるんだな?」
「もちろん、小田まゆみの傍にいます。テレビ局は、人間がたくさんいますから、安心だとは、思いますが」
「いや」
と、十津川は、急に、不安を覚えた。
十津川は、二回ほど、テレビ局に行ったことがある。
入口には、ガードマンがいて、チェックしている。有名なタレントでも、証明書がなくて、入れなかったという話を聞く。
しかし、中に入ってしまえば、自由である。もちろん、いちいち、チェックされていては、仕事にならないのだが、テレビ局は、一般の会社と違って、局内で働く人たちが、異常に、多様にわたっている。
普通の会社なら、社内にいるのは、ほとんど、同社のサラリーマンや、OLだが、テレビ局は、違う。
時代劇の扮装《ふんそう》のまま、ティールームで、コーヒーを飲んでいるタレントもいる。ブルゾンに、スニーカーというADが走り廻っている。局内見学の一行もいる。タレントが注文し、近くの食堂が、弁当を運んでくる。その店の出前も出入りするのだ。
有名タレントの顔なら、知っているが、脇役《わきやく》の人たち、それが、扮装のまま歩き廻っていたら、何処の誰かわからないだろう。
その中に、ジャッカルが、紛れ込んでいたら、果して、マークできるだろうか?
十津川は、北条早苗の、携帯電話に電話をかけた。
「小田まゆみは、無事か?」
と、十津川は、確めた。
「大丈夫です」
早苗は、短くいう。
「いろんな人間が、局内を歩き廻っているから、注意しろよ」
「しています。ただ、小田まゆみが、人気者なので、弱っています」
「どんなことだ?」
「一般の見学者もいますし、視聴者参加番組で、三十人程度のグループが、何組か、入っています。その人たちが、小田まゆみに、握手を求めたり、サインをねだったりと、近づいて来るのが困っています」
「どう対処しているんだ?」
「ファンの扱いは、マネージャーの新井亜季さんに頼んで、私は、近くで、挙動の怪しい人物の監視に当っています」
「もう一人、男のマネージャーがいたろう?」
「島崎さんですか。あの方は、主として、対外折衝に当っていますので、いつも、小田まゆみの傍にいるわけじゃありません」
「ジャッカルは、女に化けていることも考えられるぞ」
「わかっています」
と、早苗は、いった。
10
昼食は、いつも、近くの太平軒という中華料理店からとると、小田まゆみは、いう。
ラーメンと、焼飯《チヤーハン》のセットである。同じものを、三人分、楽屋に運ばせ、その食堂の従業員であることを、確認してから、受け取った。
小田まゆみ、新井亜季、それに、早苗の三人は、楽屋で、一緒に、昼食をとった。
今日の午後も、同じ中央テレビで、収録が行われる。
小田まゆみは運日の強行軍で疲れているのか、食事をすませると、毛布をかけて、眠ってしまった。
午後一時を五、六分過ぎた時だった。突然、楽屋の明りが消えた。すぐ、点《つ》いたが、早苗は、不安になった。今は、電気が消えても、明るいが、夜になったら、どうするのか。
早苗は、新井亜季に頼んで、懐中電灯を用意して貰《もら》うことにした。今日の仕事は、夜も続くと聞いていたからである。
午後二時から、再び、二時間ドラマの収録。主役の一人の到着が遅れて、時間が、延びていく。
午後七時を過ぎても、続いている。
八時を廻って、楽屋に戻り、仮眠をとる。
その時、また、部屋の明りが、消えた。今度は、なかなか点かない。
早苗は、懐中電灯を点けた。
マネージャーの新井亜季が、楽屋を出て、様子を見に行こうとするのを、早苗が止めた。
「しばらく、じっとしていて下さい。何か連絡がある筈《はず》です」
「でも、いつ頃直るのか、きいておかないと」
と、亜季がいう。
その時、ドアがノックされた。
「大丈夫ですか?」
と、ドアの向うで、男の声がした。
「誰です?」
早苗が、きいた。
「このビルの電気係です」
「いつになったら、直るの?」
と、亜季がいい、早苗が止める間もなく、ドアを開けた。
とたんに、亜季は、呻《うめ》き声をあげて、その場に頽《くずお》れてしまった。
今、収録をしている二時間ドラマの中で、東北、秋田のナマハゲが出て来るのだが、そのナマハゲの扮装をした男が、押し入って来て、後手に、ドアを閉めた。
顔は、仮面をかぶっているのでわからない。その右手は、ナタをつかんでいる。ドラマの中では、オモチャのナタだが、今、男が持っているのは、本もののナタだった。そのナタは、血まみれになっている。
早苗は、右手で、ベレッタ二十二口径を取り出して構えた。
「無駄なことは、止めろ!」
と、相手が、叫ぶ。
「止まりなさい!」
早苗が、叫ぶ。それでも、相手は、ナタを構えて、どんどん、近づいてくる。
早苗は、相手の左胸に向って、引金をひいた。
(殺すつもりで射《う》て)
と、亀井に、いわれている。
至近距離だから、弾丸は、相手の左胸に命中した。
男の身体が一瞬、がくっとゆれる。だが、倒れない。
早苗は、あわてて、今度は、右胸を射った。
だが、倒れない。
(どうなってるの?)
早苗は、狼狽《ろうばい》したまま、続けて、引金をひき続けた。
「うおッ!」
と、相手は、大声で叫ぶと、早苗に、飛びかかってきた。
手に持ったナタが、振り下される。早苗は、ベレッタを射つ。
激痛が、早苗の胸に走り、全身を貫く。
(防弾チョッキ――)
早苗は、うすれていく意識の中で、思った。
血が、噴き出し、早苗の身体が、ゆっくり、頽れていった。
ナマハゲの恰好《かつこう》の男は、足下に倒れた早苗を見下した。
「警察も、詰らない真似をしやがって」
と、男は、呟《つぶや》いた。
仮眠から醒《さ》めた小田まゆみは、真青な顔で、物もいえず、ただ、身体を震わせていた。
男は、早苗の落した懐中電灯を取り上げると、その光を、小田まゆみに当てた。
「いいか。反抗したら、殺すぞ」
と、男は、ゆっくりと、いった。
まゆみは、小さく、首をタテにふった。
男は、倒れている早苗の服で、丁寧に、ナタについた血を拭《ふ》き取ると、まゆみの身体を、片手で、抱えて、椅子《いす》から、立ち上った。
「一言でも喋《しやべ》ったら、お前を殺す」
まゆみの耳元で囁《ささや》くと、男は、彼女を抱えて楽屋を出た。
廊下は、まだ、暗い。ただ、非常灯が点いているだけだ。
スニーカー姿のADや、電気係が、走り廻っている。
ADの一人が、立ち止まって、
「どうしたんですか?」
と、きいた。
「彼女、気分が悪くなったんですよ。これから、地下の医務室へ連れて行きます」
と、男が、微笑する。
「手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫です」
「マネージャーは?」
「先に、医務室へ行って、先生に、症状を説明しています」
「じゃあ、気をつけて」
「早く、電気を、直して下さい」
「ああ。どうなってるのか、電気係にも、わからなくて、困ってるんですよ」
ADは、舌打ちし、駈《か》け出して行った。
「さあ、行こうか」
男は、まゆみの耳元で囁き、地下に通じる階段を下りて行った。
地下通路も、非常灯しか、点いていない。
男は、医務室まで歩いて行き、ドアを開ける。
中年の医者が、
「どうしたんですか?」
と、きく。
「小田まゆみさんが、気分が悪くなりましてね」
「カゼかな?」
医者が、立ち上って、傍へ来る。男は、いきなりナタのみねの方で、殴りつけた。
医者が、声も出さずに、倒れてしまう。男は、医者の服を脱がせ、それを、素早く、身につける。
そのあと、医者の身体を、衝立《ついたて》の奥まで引きずっていき、隠した。
まだ、電気は点かない。
男は、薬品棚の引出しから、注射器を取り出し、睡眠剤の瓶から、液を入れ、震えている小田まゆみの腕に、手なれた動作で、注射した。
五、六分して、小田まゆみが、正体をなくしてしまう。
男は、椅子に腰を下し、受話器を取り、中央テレビと付き合いのあるK病院にかける。
「女性タレントが、急病になりました。人気に影響するので、秘密の内に、救急車を廻して欲しいのです。地下通路の方に」
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第三章 敗 北
中央テレビで、電気関係が正常に戻ったのは、二十五分後である。
電気主任が行方不明になり、メインケーブルが、ズタズタにされていたのだ。その後、電気主任は、クロロホルムを嗅《か》がされ、変圧器の背後《うしろ》に、放り込まれているのが見つかった。
しかし、電気が復旧するにつれて、騒ぎが、大きくなった。
小田まゆみの楽屋で、死体が二つ発見されたからだ。いや、発見者は、女が二人、殺されていると思い、すぐ、救急車を呼んだ。
マネージャーの新井亜季と、北条早苗は、病院に運ばれ、緊急手術を受けた。亜季は、そのまま、死亡してしまったが、早苗の方は、辛じて、命を取り止めた。死体が二つというのは、小田まゆみの楽屋をのぞいたADが、二人の女が、血まみれで横たわっていたので、早とちりしてしまったのである。
そのあと、小田まゆみが、行方不明となって、騒ぎは、一層、広がっていった。
テレビ局の外では、救急車が一台、行方不明になっていることが、わかった。テレビ局地下の医務室の奥から、睡眠薬を多量に注射され、意識不明の医者が見つかって、どうやら、医者に化けた犯人が、救急車を呼んだらしいことが、わかってきた。
十津川と、亀井が、局内に乗り込んだのは、騒ぎの最中だった。
十津川には、全てが、一瞬に、理解出来た。
ジャッカルが、現れて、小田まゆみを連れ去ったのだ。それを邪魔する人間を、なぎ倒して行ったということなのだろう。
十津川は、北条早苗の見舞いに行くという三田村刑事に携帯電話で連絡を取り、
「よくやったといっておいてくれ。小田まゆみを守れなかったことで、自分を責めるだろうからな」
「小田まゆみは、まだ、見つかりませんか?」
「救急車ごと、消えてしまっている。今、全力をあげて、問題の救急車を探しているよ」
「一緒にいたマネージャーのことをきかれたら、何と答えたらいいでしょうか?」
と、三田村が、きく。
「まだ、治療中だといっておけ」
「死んだことは、いわない方がいいということですか?」
「それは、北条刑事が、回復してからでいい」
「わかりました」
と、三田村は、いった。
十津川は、電話を切った。テレビ局内は、西本たちが走り廻って、情報を集めている。
第一スタジオにいる西本から、携帯電話がかかる。
「二時間ドラマの連中から、話を聞きました。停電の間、ナマハゲに扮《ふん》した二人の俳優は、ずっと、他の仲間と、一緒にいたことが、確認されました。ということは、ナマハゲの恰好《かつこう》をしたもう一人の人間がいたわけです」
「そいつが、ジャッカルだったんだ」
「ナマハゲの衣裳《いしよう》ですが、五人分が用意されましたが、実際に使用されたのは二人分です。ところが、残りの三人分の中の一つが紛失しているのがわかりました。この衣裳は、さっき、地下の医務室から、見つかったという知らせがありましたから、ジャッカルが、そこで、医者の白衣と、着がえたのだと思います」
と、西本は、いった。
十津川は、極力、自分の感情を抑えて、部下の刑事たちからの報告をきいた。
テレビ局内で、何があったかを調べるのも必要なことだったが、十津川の眼は、すでに、中央テレビの外に向けられていた。
小田まゆみが、行方不明になっているということが、今、一番大事なことなのだ。
ジャッカルは、彼女を手に入れると、宣言して、まんまと、それを実行してしまった。
今のところ、そう見える。
小田まゆみは、救急車によって、何処《どこ》かへ、運ばれた。
中央テレビから、車で二十分のK病院には、小田まゆみが、倒れたので、これから運んでいくという電話が入ったが、それきり、何の連絡もないという。
K病院では、その電話を信じ、内密で、救急車を手配したが、その救急車が、行方不明になっているのだ。
救急車には、運転手と、若い女医が乗っているという。もちろん、その二人からもいぜんとして、連絡がないといった。
夜半になっても、救急車は、見つからず、パトカーが、その姿を探して、都内を、走り廻った。
十津川と、亀井の二人も、パトカーの一台に乗り込んで、夜半の都内を走らせた。
少しずつ、敗北感が、十津川の心を捉《とら》えていく。
ジャッカルの笑い声が、聞こえてくるような気がする。
ジャッカルは、目的を達するためなら、手段を選ばない人間だということを、改めて、思い知らされた感じだった。
彼は、小田まゆみの女性マネージャーを、ナタで殺し、警護につけた北条刑事に、重傷を負わせている。
テレビ局の医務室の医者は、睡眠薬を注射されていたが、抵抗していたら、容赦なく、殺されていたに違いない。
「救急車の運転手と、女医も危いな」
と、十津川は、走るパトカーの中で、呟《つぶや》いた。
「奴《やつ》は、抵抗するから殺すというより、殺すことを楽しんでいるんじゃありませんかね」
亀井が、運転しながら、歯がみをした。
「楽しむか」
「そうですよ。小田まゆみの楽屋で、奴は、まず、マネージャーの新井亜季を殺し、続いて、北条刑事に切りつけています。彼女は運よく、一命を取り止めましたが、明らかに、殺すつもりで、切りつけているんです。特に、マネージャーの新井亜季の場合は、殴りつけて、気絶させてもいいのに、いきなり、切りつけています。殺すのが、好きなんですよ」
「それもあるだろうが、同じ部屋にいた二人の女を殺すことで、小田まゆみを怯《おび》えさせるのも、目的だったんじゃないかね。ジャッカルは、美しいもの、きれいなものを、痛めつけることに、喜びを感じているようだからね」
「それなら、きっと、小田まゆみは、震えあがったと思いますよ」
と、亀井は、いった。
夜明け近くなって、京王多摩川で、救急車が発見されたという知らせが入った。
十津川と、亀井は、サイレンを鳴らし、甲州街道を西に向って、パトカーを、すっ飛ばした。
甲州街道から、調布市内を抜けて、多摩川に出る。
河原に、問題の救急車が、止まっていた。二台のパトカーが、先に着いていて、若い刑事たちが、救急車の中を調べていた。
十津川が着くと、田中刑事が、近づいて来て、
「車の中には、誰もおりません」
と、報告した。
十津川は、亀井と、運転席を見、後部の室内をのぞいた。
「クロロホルムの匂《にお》いがしますね」
と、亀井が、いった。
なるほど、強烈なクロロホルムの匂いがする。多分、ジャッカルが、使用したものだろう。
ジャッカルは、それを使って、小田まゆみを眠らせ、運転手と、女医を、どうかしたのか。
夜が、少しずつ、明けてくる。
パトカーが、次々に、駈《か》けつけてくる。十津川は、彼らに、この周辺を探すように、いった。
小田まゆみは、おそらく、他の車に乗せられて、連れ去られてしまっているだろう。
だが、運転手と、女医は、足手まといになるだけだから、クロロホルムで眠らせて、近くの河原に、放り出してあるのではないか。そう考えて、十津川は、二人を探させたのだ。
河原のところどころに、ススキが、生い茂っている場所がある。そんなところに、二人が、放置されているのではないかと思い、重点的に、調べさせた。
だが、見つからない。探す刑事たちに、焦りの色が見えてくると同時に、十津川は、暗い予感に襲われた。
その予感が、現実になったのは、二時間近くたってからだった。
救急車が見つかった現場から、一・五キロほど下流で、男女の水死体が、発見されたのである。
救急車の運転手と、若い女医だった。
二人とも、鋭利な刃物で、のどを、掻《か》き切られていた。
ジャッカルは、殺しておいて、多摩川に、投げ込んだのだ。二日前の大雨で、水量が増え、流れが速くなっていたので、二人の死体は、一・五キロ下流まで、流されてしまっていたのだ。
二人の死体は、河原に引き揚げられ、並べて横たえられた。
水にぬれた顔の、のどの傷は、ぱっくりと、開いている。二人の顔は、赤味を失って白茶けて見えた。流されている間、血が、流れ続けたからだろう。
刑事たちは、言葉を失って、しばらくの間、無言で、二つの死体を、見守っていた。
その死体が、司法解剖のために、運ばれて行ったあと、十津川と、亀井は、パトカーに、戻った。
「奴は、顔を見られたんで、運転手と、女医さんを殺したんですよ。何て奴だ」
亀井が、手をハンドルに置いたまま、呻《うめ》くように、いった。
多分、そうだろう。だが、もっと簡単な理由でも、人を殺せる男なのだ。
「カメさん、戻ろう」
と、十津川は、いった。
これから、記者会見が待っている。そこでは、小田まゆみを誘拐されたうえ、多数の生命《いのち》が奪われたことで、十津川も、警察も、集中攻撃を受けるだろう。
その日の午後一時に、捜査本部で開かれた記者会見は、案の定、ひどいものになった。
十津川は、実際の指揮を取ったということで、攻撃の矢面に立たされた。
「今、小田まゆみは、何処にいるんですか? 無事なんですか? まず、それから答えて下さい」
と、記者が、いった。
十津川は、やや、青ざめた顔で、それに、正直に答える。
「小田まゆみさんの行方は、まだ、わかりませんが、殺されていることはないと思います」
「十津川警部は、確か、ジャッカルの挑戦に対して、威勢のいい返事をしていたんじゃありませんか? 小田まゆみは、必ず、守ると」
意地悪く、十津川にきく記者も、いた。
「確かに、そういいました。今は、敗北を認めます」
と、十津川は、いった。
「警護が、ずさんだったんじゃないかという指摘がありますが、それには、どう答えますか?」
「小田まゆみさんが誘拐されたことを考えると、その指摘に対しては、その通りだというより仕方がありません。ただ、一言弁明が許されるならば、小田まゆみさんは、売れっ子のタレントなので、彼女を、刑事たちが囲んで守るというわけにはいかなかったのです。それで、彼女の傍には、うちの北条早苗刑事を、サブ・マネージャーという形で置くことにしました。そして、他の刑事たちは、中央テレビの周囲に、配置しておいたのです。北条刑事には、万一の場合に備えて、拳銃《けんじゆう》を携行させました」
「その拳銃は、役に立ったんですか?」
「五発|射《う》たれていることが、わかっています。ですから、北条刑事は、小田まゆみさんを守るため、犯人に対して、五発射ったことは、はっきりしています」
「しかし、命中しなかったんでしょう? だから、まんまと、小田まゆみを、連れ去られてしまっている」
「いや、命中したと思っています。ただ、犯人は、防弾チョッキをつけていたうえ、北条刑事が、小口径の拳銃だったことで、小田まゆみさんを守れなかったのだと、考えています。犯人が、防弾チョッキをつけてくるかも知れないと、私が、北条刑事に、注意しておかなかったのは、私のミスです」
「小田まゆみを見つけて、救出する自信は、あるんですか?」
「全力をつくすとしか、申しあげられません。今は、何をいっても、強がりとしか、受け取られないと思いますから」
と、十津川は、口惜《くや》しさをこらえて、記者たちに、いった。
小田まゆみの関係者、彼女の所属するT芸能の社長も、マネージャーの島崎も、同じ会社のタレントたちも、一様に、黙り込んでしまった。記者たちから、何をきかれても、ただ、黙って、逃げ廻っていた。
小田まゆみが、誘拐されたとわかった途端、多分、社長の命令で、箝口令《かんこうれい》が施されたのだ。何か、犯人を刺戟《しげき》することを口にして、彼女の生命《いのち》を危うくしたくないからだろう。
十津川は、聞き込みに全力をあげた。他に、今、出来ることはなかったからである。
その結果、京王多摩川の河原で、その日の夜、救急車が駐《と》まっているのを見たという目撃者を探し当てたが、犯人を見たわけではなく、事件の解決に、結びつくとは、とても、考えられなかった。
「これから、ジャッカルは、また、身代金を要求してくるんでしょうか?」
と、亀井が、十津川に、きく。
「多分、要求してくるだろう。それがないのなら、犯人は、中央テレビ内で、小田まゆみを殺してもいいんだから」
「そこが、どうもよくわからないんですよ。犯人は、美しいものを傷つけたい、破壊したいと、主張しています。それなのに、身代金も、要求した。第一回がそうでした。本当は、身代金が目的で、美しいものを云々《うんぬん》というのは、付け足しじゃないでしょうか?」
「破壊の欲望みたいなものは、インチキだというのかね?」
「ただ、単なる誘拐事件ではないと、思わせて、われわれの捜査を迷わせ、よろこんでいるんじゃないでしょうか? 誘拐事件として、捜査すべきか、変質者の犯行と考えた方がいいのか、わからなくなりますから」
「私は、そうは、思わないんだ。私は、身代金の要求は、ジャッカルにとって、二次的なものだと思っている。犯人の第一の目的は、美しいものを、傷つけ、破壊することだよ」
「それなら、なぜ、身代金を要求するんでしょうか?」
「死刑になった前のジャッカルは、身代金は、要求しなかった」
「そうです。彼は、ビジネスホテルを渡り歩きながら、猟奇殺人を続けていったんです」
「そして、三人の若く美しい女を殺したあと、逮捕されている。その彼を、今回のジャッカルは、刑務所に訪ねている。それも、ほぼ、一年にわたってね」
「ええ」
「ジャッカルは、死刑になった彼に会って、話をしながら、彼が、なぜ捕ったか、なぜ失敗したか、それを学んだんじゃないかと思っているんだよ」
「それが、誘拐、身代金になったというわけですか?」
「先代のジャッカルは、金を追わず、ひたすら、獲物を狙《ねら》った。カメさんのいうように、ビジネスホテルを泊り歩いたり、シーズンオフで、人のいなくなった別荘にもぐり込んでいた。犯行に使う車は、盗んだ。彼が手にした金は、獲物の女を手に入れたとき、偶然、一緒に手にした金だった」
「変ないい方ですが、純粋な猟奇犯罪だったといえば、いえます」
「今回のジャッカルは、それが、早く捕った原因と、考えたのかも知れない。大金を手に入れるチャンスがあったのに、なぜ、そうしなかったのか。それが、失敗だったと考えたんじゃないだろうか。金さえあれば、もっと、自分の欲望を簡単に、とげられる。ジャッカルは、そう考えているのではないかと、私は、思っているんだ」
「奴《やつ》は、すでに、一億五千万円を、手に入れています」
「そうさ。今の世の中、金さえあれば、たいていのことが出来る。先代のジャッカルより、厄介な相手かも知れないよ」
「今回も、小田まゆみの身代金を要求してくると思いますか?」
「もう、要求しているかも知れないな」
と、十津川は、いった。
その日の捜査会議でも、身代金のことが、問題になった。
「小田まゆみのいるT芸能には、犯人から、身代金の要求があったら、すぐ、知らせてくれるように、いってあるんだが、まだ、犯人から連絡はないと、いっている」
三上本部長は、いった。
「それは、あまり、信じられません」
と、十津川は、いった。
「君は、すでに、要求があったと思うのか?」
「そう考えた方が、いいと思います」
「しかし、それなら、なぜ、われわれに、嘘《うそ》をつくのかね?」
「今回の事件で、警察に不信感を、持ったんだと思います。犯人が、予告し、警察に警護を頼んだのに、まんまと、小田まゆみが、誘拐されてしまった。まあ、不信感を持つのが、当然だと思いますが」
「犯人は、身代金を手に入れたら、小田まゆみを帰すと思うかね?」
三上本部長が、きく。十津川は、強く、首を横に振って、
「それは、あり得ません。ジャッカルの目的は、あくまでも、美しいものを傷つけ、破壊することで、金は、二次的な要求ですから」
「それなら、T芸能も、身代金の支払いに、二の足を踏むんじゃないかね?」
「いえ。逆だと思います。殺されるかも知れないという恐怖から、犯人のいいなりに、支払う可能性の方が高いと、私は、思います。犯人が、警察に話すなといえば、内密に、犯人と、取引きをしようとする可能性も、大きい筈《はず》です」
と、十津川は、いった。
「ジャッカルは、金を手に入れて、何をしようとしているのかね?」
「わかりません。先代のジャッカルは、その場、その場で、獲物を殺しています。残虐な手段で。今度のジャッカルは、金で、秘密の邸《やしき》でも作り、そこで、優雅に、女を殺そうと考えているのかも知れません」
「優雅に――か?」
「そうです。ジャッカルは、先代のジャッカルを尊敬していたか、親しみを覚えていたかで、刑務所に何回も、面会に、行っています。だが、自分の方が、秀《すぐ》れているという自負も、持っていたんじゃないかと思うのです。警察に、捕った先代を、バカにして、愚かだと思っていたかも知れません。自分なら、絶対に捕らないと思っていたんじゃないでしょうか? 優雅にというのも、今度のジャッカルが、自分の方が、秀れていると思っている点じゃないか。そのためには、金がいるので、身代金も、要求する。そんな気がするのです」
と、十津川は、いった。
「すでに、犯人が、身代金を要求しているとすると、防ぎようがないな。T芸能は、協力してくれる可能性は少ないからね」
三上は、困惑した顔で、いう。
「T芸能を見張るより仕方がありません。犯人は、大金を要求してくるでしょうから、何か、動きがある筈です」
と、十津川は、いった。
「しかし、われわれが、目立った動きをすれば、犯人は、それを理由にして、小田まゆみを殺し、警察は、ますます、窮地に、立たされるぞ」
「わかっています。絶対に、気付かれないように、行動します」
十津川は、約束した。
T芸能は、これといった動きは、見せなかった。取引銀行の方を、十津川は、部下の刑事たちに見張らせたが、こちらも、これといった動きは、見せない。
マスコミは、連日、小田まゆみの安否を、問題にした。すでに、殺されているだろうと書く新聞もあれば、身代金を要求してくるだろうから、それまでは、殺されないだろうと伝える新聞も、あった。
T芸能も、取引銀行のN銀行も相変らず、動きがない。
十津川は、そのことに、かえって、不安と、いらだちを覚えた。
三上本部長は、再三、T芸能に対して、もし、犯人から、身代金の要求があった場合は、すぐ知らせてくれるように、申し入れたが、その度に、社長も、マネージャーの島崎も、犯人からの接触はないと、いい張った。
N銀行も同じだった。
「ジャッカルは、絶対に、身代金を要求している筈だ」
と、十津川は、部下の刑事たちに、いった。
「T芸能にも、N銀行にも、これといった動きがないのは、なぜでしょうか? 一億円とか、二億円といった現金が、N銀行から、T芸能に、運び込まれた様子は、ありませんが」
亀井が、首をかしげる。
「今回は、そんな方法で、身代金は、要求しないのじゃないかな」
「どんな方法ですか?」
「ジャッカルが、偽名で作った口座に振り込ませるみたいな方法を取るような気がする」
「しかし、それは、犯人にとっても、危険でしょう? どこかの銀行で口座を作らなければ、なりませんし、窓口で、顔を見られます。それに、警察が張り込んでいれば、その金を引き出しに来たところを、逮捕できます」
と、亀井が、いう。
「それは、T芸能が、警察を信頼してくれていれば、の話だよ。残念ながら、その信頼は崩れてしまっているんだ。それに、第一回の事件で、下手をすると、大事な人質が殺されるという恐怖が生れてしまっている。ジャッカルは、その二つを、最大限に、利用すると思うね」
と、十津川は、いった。
三日後、十津川の不安が、現実のものになった。
T芸能の社長が、疲れ切った顔で、捜査本部に現れ、二億円を、犯人が指定した口座に振り込んだのに、小田まゆみが、戻って来ないと、いったからである。
ジャッカルが、電話で指定して来たのは、N銀行熱海支店の高木一郎《たかぎいちろう》名義の口座だった。
十津川と、亀井が、すぐ、熱海に向った。
手遅れであることは、わかっていた。N銀行熱海支店に行くと、やはり、二億円は、引きおろされた後だった。
十津川は、窓口の林《はやし》という若い行員から、話をきいた。
「高木さんが、普通預金の口座を作られたのは、半年ほど前です」
と、いった。
ジャッカルは、半年前に、すでに、準備をしていたことになる。
犯人は、二億円をおろした時、隠しカメラに映っていた。それに、口座を開設したときに、用紙に、指紋も残していた。二億円の金を引きおろすときの伝票にもである。
ジャッカルは、自分の顔が、隠しカメラに撮られることも、指紋が残ることも、平気なのだ。それを、犯人の不用心さと考えたらいいのか、それとも、自信の表れと、受け取ったらいいのか。
十津川は、隠しカメラのフィルムと、伝票を、借用することにした。
窓口の林は、口座を作った高木一郎という男について、
「三十代の背の高い男の方で、ニコニコしていらっしゃって、とても、悪いことをするようには、見えませんでした」
と、いった。
その言葉から浮んでくるのは、全てに、自信満々な犯人の姿だった。
T芸能の社長は、三上や、十津川に、対して、
「連絡しなかったことを、お詫《わ》びします」
と、頭を下げたが、十津川は、それを責める気には、なれなかった。
社長の行動は、もっともなのだ。みすみす、小田まゆみを誘拐されてしまった十津川たちが、悪いと、わかっているからだった。
「これから、どうなるんでしょうか? 小田まゆみは、無事に、帰って来られるんでしょうか?」
青い顔で、社長がきく。
その質問にも、十津川は、返事のしようがなかった。
小田まゆみは、間違いなく、殺されるだろう。いや、すでに、何処《どこ》かで、殺されているかも知れない。それを防ぐことは、今の十津川には、出来ないことも、事実だった。
聞き込みの途中で、十津川は、北条早苗が入院している病院に立ち寄った。
今朝、集中治療室から、一般病棟に移ったと聞いたからである。瀕死《ひんし》の淵《ふち》から、這《は》いあがったのは、彼女の若さのせいだろう。
「それに、幸運もありました」
と、医者は、いった。
マネージャーの新井亜季の方は、犯人の切りつけたナタの先が、心臓に達していたが、早苗の場合は、わずかに、心臓を外れていたという幸運だった。
しかし、早苗にしてみれば、その幸運を喜ぶ気持の余裕はなかったろう。
十津川が、病室を見舞ったときも、まだ、白茶けた顔で、まず、
「申しわけありませんでした」
と、詫びた。
「君のせいじゃない。君は、全力をつくしたんだ」
「しかし、小田まゆみは、奪われてしまいました。彼女は、どうなるんですか? 殺されますか?」
早苗が、きく。
十津川は、その質問に、まともには答えず、
「全員で、探しているよ」
と、いい、
「とにかく、君は、一刻も早く治すことを考えて欲しい。君の力を必要としているんだ」
「私は、彼女を守れませんでした――」
早苗が、自分を責める。
「誰があの場にいても、守れなかったよ。今は、犯人を捕えることに、全力をつくすだけだ。今もいったように、そのためには、どうしても、君の力が、必要なんだ。何しろ、君は、犯人と向い合って、戦った人間なんだから」
と、十津川は、励ました。
丁度、その時刻、奇妙なものが、東京の上空を、北から南に向って、流れていた。
寒い日で、北風が肌を刺す。その北風にのって、いくつものゴム風船が、一つの籐《とう》で編んだ小さな籠《かご》をぶらさげて、流れて行くのだ。
風船は、なぜか、赤ばかりで、遠くから見ると、赤い巨大なバルーンのように見えたかも知れない。風船は、少しずつ高度を下げてきて、やがて、中野区|新井《あらい》三丁目のK小学校の校庭に、着陸した。
最初に見つけたのは、国語の授業を受けていた三年生だった。窓際に、机のあった何人かの生徒は、浮力を失って落ちてくる風船と、その下に吊《つる》されている籠が、気になっていたのである。
二時間目の授業が終ると、その生徒たちは、校庭に、飛び出して行った。他の教室でも、同じように、この風船と籠を見ていた生徒がいて、ちょっとした先陣争いになった。
一番最初に、籠のところに、駈《か》け寄ったのは、木下透《きのしたとおる》という三年生だった。しかし、彼は、歓声をあげる代りに、悲鳴をあげた。
彼が、籐で編んだ籠の中に見たものは、眼をかっと見開いた女の生首だったからだった。
次々に、駈け寄ってきた他の生徒たちも、悲鳴をあげるか、黙って立ちすくんでしまった。それほど、その首は、恐しく見えたのだ。
教師の一人も、生徒たちが騒ぐので、校庭に出て来た。四十歳の男の教師は、悲鳴こそ上げなかったものの、自分の顔から、血の気が引いていくのを感じた。一瞬、金縛りにあったように動けなくなり、一一〇番するために、職員室に向って駈け出したのは、何十秒かしてからだった。
その一一〇番が、十津川の耳にまで聞こえたのは、病院を出ようとしたときだった。携帯電話で知らされると、彼は、パトカーに飛び乗り、中野区新井のK小学校に向い、サイレンを鳴らして、車を飛ばした。
十津川が、現場に着いた時には、校庭の一角が、青い幕で囲まれていた。子供たちに、見せないためだった。
十津川は、その幕をくぐって、中に入った。亀井や、西本たちが、先に着いていた。
「小田まゆみか?」
と、十津川は、小声で、亀井に、きいた。
「そうです」
亀井が、短く答える。
青い幕の中の、うす暗い光の中で、十津川は、その首と向い合った。
かっと見開いた眼は、恐怖がそのまま、凍りついているように見えた。首が転がらずに、籠の中に、立っているのは、刑事の一人が、立てたのではなく、犯人が、籠の底の板に、釘《くぎ》で、打ちつけたからだった。
髪が、乱れて、顔にかかり、十津川には、昔のサラシ首のように、見えた。
刑事の一人が、一通の封書を、十津川に渡した。
「これが、首の横に置かれていました」
と、いう。
〈愚かな警察官たちへ〉
と、表には、書かれていた。
まるで血で書いたように、赤黒く、乾いていた。
十津川は、幕の外へ出て、その手紙に、眼を通した。
〈馬鹿な警部がいった。
小田まゆみを守って見せると。
その結果をよく見るがいい。
彼女は、お前が殺したようなものだ。
僕に逆らっても無駄だ。
[#地付き]ジャッカル〉
小田まゆみが殺され、その首が、風船で、運ばれたことは、衝撃となって、伝わっていった。
新聞は、夕刊で、大きく報道し、テレビは、ゴム風船と籠を買って来て、それを飛ばせて、画面に映した。
警察が、捜査を理由に、多くを語らなかったために、デマが、乱れ飛んだ。
小田まゆみの首をのせて飛んだ籠からは、血がしたたり落ちていたとか、警察への手紙は、生首が、くわえていたといった話である。どちらも、デマだった。
切断された首からは、なぜか、血が、ほとんど出ていなかったし、手紙は、首に添えるように、籠の中に置かれていたのである。或《ある》いは、犯人は、口にくわえさせたかったのかも知れないが、口は、固く閉じられていて、それが出来なかったのかも知れない。
警察の責任を問題にするマスコミもあったが、十津川には、それに答えている時間も、反論する余裕もなかった。
とにかく、ジャッカルを追わなければならないのだ。
十津川は、殺された時間を知るために、小田まゆみの首を、大学病院に送る一方、風船につけられた籠が、何処から飛んで来たかを、突き止めようとした。
中野区新井のK小学校に、着陸したのは、この日の午前九時五十分頃である。
気象庁に行き、この時間帯の風の向きと、強さを、調べた。
ゴム風船の数、籐の籠の重さ、それに小田まゆみの首の重さを考えて、出発地点を割り出す作業だった。
そのため、同じ重さの籠を作り、人間の首と同じ重さの木製の首をのせ、同じ数のゴム風船をつけた。
ここ何日か、関東地方には、ほぼ同じ強さの北風が吹いている。
十津川は、同じものを何組か作り、K小学校からの距離が、五キロ、十キロ、十五キロと、五キロきざみの場所から飛ばしてみた。
それと並行して、問題の風船の目撃者を、探させた。
当日は、きれいに晴れた冬空だった。青い空に、赤いゴム風船が、いくつも束になって、飛んでいたので、目撃者がいるに違いない。
十津川は、捜査本部に、関東地方の地図を広げ、亀井と二人、実験と、目撃者探しの結果を、待った。
目撃者が見つかると、地図に、印をつけていく。その印が増えていくにつれて、K小学校から、北北西に向って、一つの線が出来ていく。
一方、実験の結果から、十五キロと二十キロの間という数字が、出て来た。
K小学校から、十五キロ〜二十キロ北北西のどこかで、ジャッカルが、飛ばしたらしいという結論になった。
埼玉県の西部である。十津川は、埼玉県警に、捜査の協力を要請する一方、浦安《うらやす》のヘリポートから、亀井と、ヘリに乗って、上空から、場所を、特定することにした。
警視庁のヘリが、冬空に、飛び上がる。
冬は、気流が乱れるのか、時々、大きくゆれる。東京を越え、埼玉県に入ったところで、県警と、無線で交信し、県警のパトカーの動きを教えて貰《もら》う。
亀井が、膝《ひざ》の上に、地図を広げ、目撃者の現れた地点を、実際に、眼で、確めていく。
眼下に、関越《かんえつ》自動車道が、一本の線になって見える。
中野のK小学校から、北北西に、十五キロから二十キロというと、この関越自動車道沿いということになってくる。
そのハイウェイを、二台の県警のパトカーが、北へ向って走って行くのが見えた。
そのパトカーと交信する。
――川越《かわごえ》の先の雑木林に、それらしい痕跡《こんせき》が見つかったというので、そこに、急行します
と、無線でいってくる。
「了解」
と、十津川は、いった。
二台のパトカーは、川越インターチェンジで、ハイウェイから出ると、問題の雑木林へ全速力で向う。
十津川たちを乗せたヘリコプターも、その後を追った。
畠《はたけ》の中に、雑木林が見えた。その脇《わき》に、二台のパトカーが止まり、警官がばらばらと、降りていくのが見える。
十津川は、冬枯れの畠の中に、強引に、ヘリを着陸させて貰った。十津川と、亀井は、ヘリから降りると、畠の中を、雑木林に向って、駈《か》け出した。
上空からは、一面の枯れ葉で蔽《おお》われているように見えたが、中に入ると、意外に、木はまばらで、明るかった。
二人は、奥に向って、進んだ。県警の警官たちが、集っているのが見えた。
落ち葉がたまり、その上に、つぶれた赤いゴム風船が、いくつか、捨てられていた。
落ち葉が、踏みかためられている。
「ここだと思いますよ」
と、県警の警官が、指さした。
だが、小田まゆみの死体は、見つからなかった。
多分、ジャッカルは、ここに、小田まゆみの首だけを持って来て、ゴム風船にのせて、飛ばしたのだろう。
ゴム風船を、ふくらませたのも、ここだろう。だから、失敗した風船が、散らばっているのだ。
十津川は、そこに座って、上を見た。葉の落ちたくぬぎの枝が頭上に、交叉《こうさ》している。しかし、大きな隙間《すきま》はある。そこから、小田まゆみの首をのせた籠《かご》は、多数のゴム風船の浮力で、この雑木林を抜けて舞い上がり、北風にのって、中野のK小学校まで、流れて行ったのだ。
ジャッカルが、なぜ、こんなことをしたのかは、わからない。
生首を抱えて、走り廻っていて、捕れば、もう、いい逃れは出来ない。だから、首だけ、東京に、送りつけたのか。
それとも、ジャッカルのパフォーマンスなのか。
十津川は、その場で、埼玉県警の警官たちに、周辺の聞き込みを頼んだ。
ジャッカルが、ここまで、風船や、籠、それに、小田まゆみの首を抱えて、歩いて来たとは考えられない。
車で来たに違いないのだ。それなら、怪しい車の目撃者がいる筈《はず》だった。
十津川と、亀井は、つぶれたゴム風船の一つを持って、畠に駐《と》めておいたヘリコプターに戻った。
ヘリが、畠の土を巻き上げて、離陸する。浦安のヘリポートに向う途中で、連絡が入ってくる。
ジャッカルから、十津川への挑戦状の文字は、やはり、血で書かれたものだという報告。血液型はAB。小田まゆみの血液型と一致する。
「何て奴《やつ》だ!」
と、亀井が怒る。
だが、十津川は、冷静に、ジャッカルという男のことを考えていた。こういう残忍なことをする男というのは、どういう性格なのか。
犯人は、小田まゆみの首以外を、どう処分したのか、わからないままに、二日、三日と、時間がたって、いった。
捜査は、問題の雑木林の周辺の聞き込みと、首が入っていた籐《とう》の籠、ゴム風船の分析に、集中した。
雑木林の傍の道路に、白い軽自動車が駐まっているのを見たという目撃者が見つかった。風船が飛んだ日の深夜、午前二時頃である。
警察は、この軽自動車に注目したが、この車は、意外に簡単に、見つかった。
北千住《きたせんじゆ》の、荒川《あらかわ》の土手に放棄されているのが見つかったのだが、盗難車だった。二日前に、練馬《ねりま》区内で盗まれたものだった。
鑑識が、この車を、詳しく調べたが、犯人に、結びつくようなものは、発見出来なかった。
四日目の早朝、また、東京の上空に、風船が、飛来した。
赤い風船だったが、今度は、多数の風船に、籠をぶら下げたものではなかった。
一つ一つの風船に、白い封筒が結びつけられていた。
風船は、一つずつ、ゆっくりと、都内に入って来た。そのまま、都心まで流れていくものもあれば、途中で、力つきて、落ちてしまうものもあった。
前の風船のことがあったので、拾った人は、すぐ、警察に届けた。
封筒の表には、どれも、ワープロで、次の言葉が、印刷されていた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈小田まゆみへの回向《えこう》のために、彼女の灰を東京の空に撒《ま》くことにする。
[#地付き]ジャッカル〉
[#ここで字下げ終わり]
封筒の中には、まだ、黒ずんだ灰や、人骨の破片のようなものが入っていた。
それらは、集められ、捜査本部に運ばれた。白い灰になっていないのは、高熱で、焼かれなかったためだろう。
果して、人間の灰なのか、それに、小田まゆみなのか調べるために、灰と骨は、大学病院に送られた。
その結果、灰とならずに残っている骨から、AB型の血液型が判明した。小田まゆみの灰に、ほぼ、間違いないという結論になった。
捜査は、前と同じ方法がとられた。風船が、何処《どこ》から、上げられたかということだった。実験が行われ、前よりも、更に、北北西に、五、六キロと、離れた場所から、上げられたものだと、わかった。
そこには、小高い山があり、冬枯れの今、地元の人間でも、めったに、山には入らないということだった。
刑事たちが入っていくと、焚火《たきび》の跡があり、ゴム風船が、数個、捨てられているのが、見つかった。犯人は、そうしたものが発見されることを、少しも、意に介していないのだ。
捜査会議は、当然、重苦しいものになった。
「犯人は、どういう気持で、こんなパフォーマンスをしているのかね?」
三上本部長が、黒板に書かれた事件の経過に眼をやりながら、いった。
「単なる気まぐれでしょう」
亀井が、吐き捨てるように、いった。
確かに、気まぐれでやっているようにしか見えない。それとも、ただ、ひたすら、人々を脅かそうとしているのか。
「ゴム風船の線から、何かつかめないのか?」
と、三上が、きく。
「お祭用に、いくらでも売っているものですから、これから、犯人に到達するのは、難しいと思います」
十津川が、いった。
「首の入っていた籐の籠《かご》は、どうだ?」
「これも、民芸品として、いくらでも、売っています。デパートに行けば、簡単に、手に入ります」
「焼却した灰の方は、どうなんだ? 焼き場のように、高熱で、焼却されてはいないんだろう?」
と、三上は、きいた。
「そうです。高熱で焼かれたものではないために、完全な灰になっていませんでした」
「それなら、焼却のとき、異臭がして、まわりの人間が気が付くんじゃないのかね?」
「そう考えて、聞き込みをやっているのですが、これといった届けはありません」
と、十津川は、いった。
今は、情報過多なくせに、肝心な情報が入って来ないのだ。
一時間前に、アフリカで飛行機が墜落したニュースが、入って来るのに、マンションの隣りの部屋で人が殺され、犯人が、せっせと、コンクリートの中に埋め込んでいても、気が付く者がいない世の中なのだ。
今回でも、新聞、テレビ、週刊誌が、毎日のように、事件について、報じている。
精神科医や、学者、それに作家が、今回の犯人、ジャッカルについて、分析し、犯人像を描いて見せている。
年齢は、揃《そろ》って、若いだろうという。せいぜい三十代までである。
残酷な犯罪に走るのに、大きな要因となっているのは、幼児体験である。
身内の死、それも、彼を可愛《かわい》がっていた肉親者の突然の死が、犯人の精神構造に、大きく影響している筈《はず》である。
それが、死というものについて、犯人に、特別の感情を抱かせることになった。
幼い頃、彼は、多分、いじめられっこで、そのことが、彼の精神を抑圧し、歪《ゆが》んだものにしたに違いない。女性に対して、激しい憎しみを感じるようになったのも、幼児体験に基くものと思われる。
犯人は、美しいものに対して、破壊したい欲望を持つといっているが、これは美に対する情熱、恐れの裏返しに違いない。
殆《ほとん》どが、こうした論調だった。
十津川は、その全てに眼を通したが、常識的で、引きつけられるものが感じられなかった。
彼の持つ、犯人像と、微妙に、ずれていたからである。
(何か違う)
と、思ってしまうのである。
その十津川が、気になったものが一つあった。
週刊「ミラージュ」に載った、投書だった。
東京 T・Sとある投書である。週刊「ミラージュ」が、今回の事件について、読者の感想を募集した際に、いくつかの投書の中にあったものだという。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈今回の異常犯罪について、識者といわれる人たちは、幼児体験がどうの、社会環境がどうのといっているが、私には、全て、無意味に思えて仕方がない。医者や学者は、何とか、言葉で、説明しなければならないので、幼児体験などを持ち出すのだろうが、私にいわせれば、異常犯罪は、ある日、突然、理由のない衝動にかられて、犯行に走るのだ。
その衝動は、七、八歳の頃に生れ、十四、五歳から、実行に移される。
幼い時、肉親の不幸があったとか、いじめられっこだということとは、何の関係もない。今はやりの言葉でいえば、DNAのようなものである。人間には、残虐なDNA、或《ある》いは、美しいものを破壊したいDNAがあって、そのDNAを持った人間は、ある日、突然、そのDNAの衝動に、とらわれるのだ。
その衝動は、医学的治療や、教育で、止められるものではない。
今回の事件の犯人も、ある日、突然、そのDNAが考え出し、破壊の衝動に襲われ、その衝動に身を委《まか》せたものと思われる。彼にとって、その衝動に逆らうことは、死を意味し、身を委せることが、至福の時なのだ。
[#地付き]東京 T・S〉
[#ここで字下げ終わり]
十津川は、この投書に興味を感じて、新橋《しんばし》にある週刊ミラージュ社を、亀井と二人で、訪ねた。
崎田《さきた》という編集長に会う。四十歳くらいの、痩《や》せた男で、ヘヴィスモーカーだった。
「このT・Sという投書の主に、出来れば、会いたいのですがね」
と、十津川は、崎田に、いった。
崎田は、困惑した表情になって、
「本人が、匿名を希望していますのでね」
「と、いうことは、住所、氏名は、わかっているということですね?」
と、十津川は、きいた。
「一応、わかっていますが、まさか、この投書の主が、今回の事件の犯人と、思っているんじゃないでしょうね?」
「そんなことは、考えていません」
「じゃあ、なぜ、この投書の主に、会いたいといわれるんですか?」
と、崎田がきく。
「私は、今回の事件の犯人像がつかめなくて、困っているのです。それで、いろいろな意見を聞いているんですが、この投書の主の意見は、ちょっと、変っています。それで、この意見も参考にしたいと思っているのです」
と、十津川は、いった。
崎田は、しばらく考えていたが、
「いいでしょう。お教えしましょう」
と、いった。
彼が教えてくれたのは、四谷三丁目のマンションの名前と、「石原《いしはら》ひろし」という名前だった。
十津川は、新橋から、四谷三丁目に、パトカーを廻した。
ヴィラ四谷の305号室が、石原の部屋だった。
インターホーンを押すと、応《こた》えがあって、三十歳前後の若い男が、顔を出した。十津川が、警察手帳を示しても、別に、驚いた顔も見せず、
「どうぞ」
と、部屋に、招き入れた。八畳ほどの広さの居間で、型どおりの応接セットがあり、十津川たちは、並んで、腰を下した。
石原が、コーヒーをいれる。その間に、亀井が、部屋の中を見廻したが、急に、眼を光らせて、
「あれ」
と、小声で、十津川に囁《ささや》いた。
壁に、大きなパネルが、飾ってある。十字架の写真だったが、十字架にかけられているのは、キリストではなく、若い、裸の女だった。
顔は、歪《ゆが》み、苦痛に、激しく、身をよじっている。
コーヒーを運んで来た石原は、それを、二人の刑事にすすめてから、パネルの写真に眼をやって、
「いいものでしょう?」
と、いう。
十津川が、どう反応していいかわからなくて、黙っていると、石原は、
「これは、モデルの女にポーズをとって貰《もら》ったものです。だから、本当の感動は得られません。本当に、裸の女を、十字架に、釘付《くぎづ》けに出来たら、どんなに素晴しいかと思うんですがね。掌《てのひら》に、釘を打ちつけて、血が、だらだらと流れて、本当に、女が苦痛にのたうったら、どんなに素晴しいかと思っているんですがね」
「この写真を見て、楽しいんですか?」
亀井が、眉《まゆ》をひそめて、きく。
「素晴しいですよ。モデルは、美しい女でなければなりません。美しい女が、苦痛に顔を歪めるから、見ている方も、幸福になるんです」
と、石原は、微笑した。
「あなたが、週刊ミラージュに投書されたのを読みましてね」
と、十津川は、いった。
「あれは、自分のことを、書いただけです」
と、石原は、いった。
「では、あなた自身のことを、話してくれませんか」
と、十津川は、石原の顔を、まっすぐに見つめた。
「僕が、ああいう写真が好きになったのは、いつ頃で、理由は何だろうかと考えてみたんですよ。例えば、子供の頃、女性から、いじめられたり、からかわれたことがあったのか。いずれも、ノーです。学校でいじめられたこともない。両親は、今でも健在で、優しい両親でした。兄と姉がいますが、普通の人間で、僕のように、ああいう写真に、胸をときめかせることはない。ノーマルな人間です。僕だけが、いわば異端者なんですよ。それを考えると、僕が、こうなったのは、家族のせいでもないし、社会的影響のせいでもない。また、自分で、望んだものでもないんです。ある日、突然、サドに目覚めた、というか、サドになったんです。僕自身が望んだわけでもない。今もいったように、九歳の頃です。ある夜、布団の中で、突然、女を裸にして、苦しめることを想像し、夢精してしまったんです。それ以来、僕は、この憧憬《しようけい》と一緒に生きています」
と、石原は、いった。
「しかし、あなたは、実際に、女を殺してはいない」
十津川は、相変らず、相手の顔を、まっすぐに見すえて、きく。
石原は、黙って、壁の反対側まで歩いていくと、ポケットからナイフを取り出し、パネル写真に向けて、投げつけた。
見事に、ナイフは、裸の右の乳房に突き刺った。
石原は、そのままの姿勢で二人の刑事に眼をやった。
「毎日、殺せるものなら殺したいと、思っているんですよ。どんなに、素晴しい感動が味わえるだろうか。それを考えただけで、ぞくぞくしてくるんです」
「じゃあ、なぜ、実際に殺さないんですか?」
十津川は、冷静に、きいた。
「なぜですかねえ。多分、僕の勇気が足りないからじゃないかな」
石原は、苦笑したが、パネルの傍に来て、ナイフを抜き取ってから、
「多分、宗教的なものだと思いますね」
「宗教?」
「そうですよ。殺すことが出来る。それも、激情にかられてではなく、冷静に、楽しんで人殺しが出来るのは、その人間に、宗教心があるかないかの差だと思っているのです。それは、悪魔の宗教でも、もちろん、構いません。自分で作った宗教でもいい。僕だって、僕の心に宗教が生れたら、途端に、本物の、血の通った女を殺すことが出来ると思っているんです」
「なぜです」
「僕の中に、宗教が生れたとたんに、眼の前にいる女は、人間から、いけにえの羊に変るからですよ。羊を殺して、血を流し、その血をすすったとしても、その行為は、もはや、善悪を超越した、儀式ですからね」
石原は、嬉《うれ》しそうに、ニヤッとした。
「ジャッカルは、あなたのいう、宗教心があるということですか?」
「僕は、そう思っています。悪の宗教でしょうがね。だから、羨《うら》やましいんですよ」
「羨やましい?」
「ジャッカルという奴《やつ》ですが、彼も、きっと、ある日突然、僕と同じような衝動にとりつかれたんだと思っているんです。その点で、刑事さんが眼を剥《む》くかも知れないが、僕は、親しみを覚えるんです。きっと、学者や医者の分析は、チャンチャラおかしいと思いますよ。僕と同じようにね。ただ、ジャッカルは、僕と違って、宗教を作ることが出来たと思っています。神か悪魔かわからないが、自分を超えるものを、作ることが出来たんですよ。そうなれば、もう、何でも出来る。その者の命令で、人殺しでも出来るんです。自分の神さまを作ったとたんに、怖いものがなくなってしまった。自分も、超人の仲間入りをしてしまったんです」
「その神さまは、作りものの神さまだと思いますがね」
十津川が、いうと、石原は、笑って、
「神というのは、どんな神だって、全て、作りものでしょう? 人間が、自分に都合のいいように、自分に似せて作ったものでしょう? キリスト教の神が、誰かの作った神より偉いとは思いませんよ」
「あなたも、自分の神さまが、欲しいんですか?」
「どちらかといえば、神より悪魔の方が欲しいですがね。いや、神も悪魔も同じか――」
「同じですか?」
「無慈悲なところがよく似ている」
と、石原は、いった。
「あなたも、自分の神さまを、もう作ったんじゃないんですか? 自分に都合のいい神を」
亀井が、いった。
「残念ながら、まだ、出来ていませんよ」
と、石原は、いった。
「神さまを、やたらに、欲しがりますね?」
「当り前でしょう。人間を縛っている余計なもの、つまり、正義だとか、仁義だとか、礼儀だとか、そんなものから、全て、自由になれるんですよ。その神のいうことだけを、聞けばいいんですからね」
「ジャッカルに、会ったことが、あるんですか?」
「会いたいと思って、インターネットで、呼びかけているんですが、未《いま》だに返事がありません」
「会って、どうするんですか?」
「僕が、一番の理解者だということを、いってやりたいんですよ」
「本当に、ジャッカルを、理解しているんですか?」
「そう思っていますよ」
「じゃあ、教えて下さい」
「何をですか?」
「ジャッカルって、何者ですか?」
と、十津川は、きいた。
「ジャッカルは、僕がある日、突然、サドになったように、ある日、突然、美しい女性を殺したいという殺人犯になったんだと思います。別に、彼は、なりたくてなったんじゃない。自然に、なってしまったんです。そのことを、彼に、いってやりたい」
「遺伝ですか? DNA?」
「僕には、他に、考えようがないんですよ。人間は、いくつもの遺伝子を持っている。それが、今、科学の力で、次第に、解明されていっているわけでしょう。長寿の遺伝子もあれば、逆に、ある不治の病気の遺伝子を持っている人間もいる。長寿の遺伝子を持っている人間は、百歳以上、長生きできるといわれているし、逆に、不治の病気の遺伝子を持つ人間は、アメリカでは、生命保険への加入を拒否されていると、聞いたことがありますよ。遺伝子の解明が、もっと進めば、ある人間が、どんな遺伝子を持ってるか、その人間が生れてきたとたんに、わかるようになるんじゃないかと思っているんです」
「なかなか、面白いですね」
「今、いったように、特定の病気の遺伝子も、わかってきているんです。そのうちに、精神病の遺伝子を持っているかどうかも、わかるようになってくると思いますね。ジャッカルのように、悪魔の遺伝子を持っていることがわかれば、多分、赤ん坊の中《うち》に、社会的に、抹殺されてしまうことになるんじゃありませんかね」
「社会的に、抹殺――?」
亀井が、眼を剥いた。
「社会が、防御しますからね」
と、石原が、あっさりいったが、「いや、違うな」と、自分で、自説を否定して、
「遺伝子の方だって、自分を守ろうとするだろうから、きっと、神か悪魔かわからない形をとりますね。だいたい、神と悪魔は双生児だといいますから、科学の眼を以《もつ》てしても、それが、神の遺伝子か、悪魔の遺伝子か、わからない。すると、簡単には、抹殺できないかも知れません。いつの世でも、ジャッカルは生れ、育つことになりますね」
「ジャッカルには、初代がいたのを、知っていますか?」
と、十津川は、きいた。
「知っていますよ。今のジャッカルは、その初代のジャッカルに、面会しに、刑務所へ行ったんでしょう?」
「一年間にわたって、毎月、一回、面会に行っています。ただ、何が二人の間で話されたかは、わからないのです。初代ジャッカルは、死刑が執行されてしまっているし、今のジャッカルは、逮捕されていない。だから、確めようがないんです」
「僕に、想像してみろと?」
「そうです。あなたは、ジャッカルの気持は、よくわかるといわれた。だから、きくんですよ」
と、十津川は、いった。
「ジャッカルは、初代に会って、ききたいことがあった。もっといえば、確認したいことがあったんだと思いますね」
「それは、何ですか?」
「僕は、二つあると思いますね。一つは、自分と、初代のジャッカルが、同じ人間であることを、確認することだったろうと思うのです。つまり、自分が、正当な後継者だと確認することです」
「なぜ、そんなことが、ジャッカルにとって、必要なんですかね? 自分が亜流だと確認するのは、かえって、面白くないんじゃありませんか? それより、自分は、全く別な、独自の存在だと、思いたいんじゃありませんか?」
亀井が、首をかしげた。
「そうは、思えませんね。ジャッカルは、自分を絶対的な存在だと思っている筈《はず》です。自分が、絶対者なんです。だから、女の命を奪うことも、許されるんですよ。いわば、自分は、神なんです。神はいくつも、存在するわけじゃありません。先代のジャッカルも、同じだった筈です。絶対者だという点で同じだと確認するのは、嬉《うれ》しいことなんじゃありませんかね」
「もう一つは、どういうことですか?」
十津川が、きいた。
「今の考えに、相反するようですが、ジャッカルは、先代と、自分が、違うことも、確認したかったと思うのです。それは、先代が、警察に逮捕されたことへの批判です。自分は、そんなヘマはしない。絶対に捕らないということを、確認したかったと思うのです」
「なるほど、その点なら、私にも理解できます。犯罪者というのは、みんな自分だけは、捕らないと思っているものですからね」
と、十津川がいうと、亀井が、笑って、
「それで、犯人は、失敗するんです。逮捕されるのは、そのせいです」
と、いった。
「刑事さんというのは、そういう風に考えるわけですか」
今度は、石原が、ニヤッとした。
「ジャッカルは、また、犯罪を犯すと、思いますか?」
と、十津川がきいた。
「当然、やるでしょう。犯行自体が、ジャッカルにとって、自己の存在を、実証することだからです。止めてしまったら、自分を否定してしまうことになります」
「自己の存在を実証するって、どういうことです?」
亀井が、きく。
「何回もいいますが、ジャッカルは、自分を神だと思っているんです。或《ある》いは、神が、自分に命令していると信じている。そうでなければ、人を殺せません。もし、沈黙してしまったら、神も死んでしまいます。だから、絶えず、存在を誇示していなければならないんですよ。だから、犯行を繰り返し、時には、エスカレートしていく」
「エスカレートすると、思いますか?」
十津川が、きいた。
「すると、思いますよ。特に、二人も殺しているんでしょう。それでも、警察は、手も足も出なかった。当然、ジャッカルは、自信を持ちますよ。自信を持てば、やることは、もっと、大胆になり、警察に対して、より挑戦的になるのが、当り前じゃありませんか?」
「まるで、あんたが、われわれに、挑戦するようないい方だな」
と、亀井が、眉《まゆ》をひそめて、石原を見た。
石原が、それを受けて、笑う。
「僕だって、警察に挑戦したいですよ。あんな写真ぐらいじゃ、今どき警察は、注目してくれませんからね。だから、ホンモノの殺人をしてみたい。それが出来ないので、いらいらしてくるし、ジャッカルに対して、猛烈に、嫉妬《しつと》を感じるんですよ」
「あなたが、正常で、ジャッカルは、いかれているんだ。そんな人間を、なぜ羨《うら》やむんです? 軽蔑《けいべつ》すればいいじゃないか」
亀井が、腹立たしげに、いった。
石原は、眉をひそめて、
「僕なんか、中途半端なんですよ。だから、ジャッカルが、羨やましい。何とか、神か、悪魔を捕えられたら、常識というやつを、ひょいと、飛び越えられるんです」
「羨やましいから、ジャッカルのことを研究し、会って話がしたいわけですか?」
と、十津川が、きいた。
「そうです。会いたい。会って、僕と、どこが違うのか、それを知りたいんです。多分、向うは、僕を軽蔑するでしょうがね」
「君が、奴《やつ》を軽蔑したらいいだろう」
亀井が、いうと、石原は、小さく、首を横に振って、
「平凡な人間が、超人を軽蔑なんか出来ませんよ」
「超人か」
十津川が、ぶぜんとした表情になった。
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第四章 戦いの場
捜査会議で、石原という男のことが、問題になった。
「どんな男なんだ?」
と、三上本部長が、きく。西本が、一冊の写真集を取り出して、三上に渡した。
「それが、最近、石原の作った写真集です」
「写真家なのか?」
「そうです。特別な写真を撮る写真家としては、有名だそうです」
と、西本が、いう。
三上は、『快楽へのエチュード』と題された写真集のページを繰っていった。
表紙は、石原の部屋にパネルのあった、全裸の女性が、磔《はりつけ》にあって苦悶《くもん》している写真になっている。
サロメのように、男の生首を皿にのせ、それを、愉悦の表情で眺めている若い女。逆さに吊《つる》されている全裸の女。そんな写真ばかりが、集められている。
胴体を切断されながら、女が、眼を細めている写真もある。もちろん、写真のテクニックだろうが、三上は、顔をしかめた。
「こんな写真ばかり、撮っているのか?」
「そうです。そういう写真が好きな人間もいるわけで、その写真集も、二万部、売れたと聞いています」
「石原と、ジャッカルとは、何か関係があるのかね?」
三上が、きく。
十津川は、それに対して、
「石原は、自分で、ジャッカルを尊敬していると、いっています」
「尊敬? 人殺しをか?」
「彼にいわせると、そうした写真を撮るのは、別に犯罪ではないから、誰でも、やろうとすれば、出来る。しかし、人の生命《いのち》を奪うというのは、誰にでも出来るというものではない。特に、恨みや、怒りからではなく、快楽のために殺すというのは、その人間が、神か悪魔、あるいは、その二つを見ることの出来る立場にいなければ、出来ないというのです。次元の違う存在として、尊敬し、憧《あこが》れるというのです」
「この石原という男自身が、ジャッカルということは、考えられないのかね?」
と、三上は、きいた。
「私は、同一人物ではないかと、疑っています」
と、いったのは、亀井だった。
「根拠は、あるのか?」
「残念ながら、ありません。ただ、疑いを持っているだけです。第一、われわれが、行ったとき、石原は、警察が来ることを、予期していたような節が、感じられるのです」
「その点は、君は、どう感じたんだ?」
三上は、十津川に、眼を向けた。
「私も、彼が、われわれが行くことを、予期していたと、感じました」
「しかし、君は、同一人物とは、考えないんだろう? それとも、亀井刑事と同じ意見なのか?」
「可能性は、ゼロではないとは思っています」
と、十津川は、亀井の考えにも、ある程度の同意を示してから、
「私の感じでは、石原には、激しい感情といったものを感じないのです。ジャッカルであるなら、もっと、感情の強い動きを感じるのではないか、その点が、疑問なのです」
「それで、石原を、どうしたら、いいと思うのだ? ジャッカルと別人なら、放っておいてもいいということかね? こうした写真そのものは、犯罪ではないんだから」
三上が、いう。
「いえ。私は、石原という男は、監視すべきだと思っています」
と、十津川は、いった。
「なぜだ?」
「今も、いったように、石原は、ジャッカルを尊敬し、憧れています。今、インターネットを通して、ジャッカルに、連絡を取ろうとしていると、自分で、いっていました。その中《うち》に、必ず、ジャッカルと、会うと、私は、思っています」
「ジャッカルが、石原に会うだろうか?」
「奴《やつ》は、自分の行為を、誇示したいのです。だから、切断した身体を、送り付けたり、首を風船で、飛ばしたりしてくるのです。死刑になった前のジャッカルも同じでした。そこが、こういう連中の邪悪です。つまり、自分の犯罪を、讃美《さんび》して貰《もら》いたいのです」
「そんなバカな奴がいるか? 人殺しを、讃美するような人間が」
三上が、吐き捨てるように、いった。
「それが、石原です」
「そうか。石原か」
「よく、頭のいい人間は、自分を讃美してくれる愚かな人間が、傍にいるのを好むというじゃありませんか。ジャッカルにとって、石原は、一番欲しい人間といっていいかも知れません」
「だから、ジャッカルは、石原に会うだろうと?」
「この二人は、多分、お互いに、お互いを、必要としているんだと思います。今のところ、石原の方が、一方的に、ジャッカルに対して、ラブレターを送りつけている状態のようですが」
「必ず、それに対して、ジャッカルが、応《こた》えると、君は、いうんだな?」
三上は、重ねて、きいた。
「そうです」
「ジャッカルは、どんな形で、石原に応えると思うのかね?」
「わかりません。しかし、ジャッカルは、前に、インターネットを使ったことがありますから、石原の呼びかけは、見ている筈《はず》です。今も、いったように、ジャッカルのような男は、自分の犯罪が、讃美されるのが好きだから、いつか、石原の呼びかけに応じると、思っています。ただ、ジャッカルは、狐のように用心深いところがありますから、石原のインターネットでの呼びかけを、警察の罠《わな》かも知れないと、思います。だから、すぐには、飛びついていかずにいるのだと考えています」
「しかし、いつかは、呼びかけに、応じるだろうと思うんだな?」
三上が、きく。
「ですから、石原を監視していれば、ジャッカルに、会えるのではないかと、考えているわけです」
石原が、どんな言葉で、インターネットで、ジャッカルに呼びかけたかが、わかった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈ジャッカル様
私は、ずっと、あなたを尊敬してきました。あなたは、私にとって、神です。それも、魅力的な神であります。悪魔と呼んでもいい。その方が、あなたは気に入るかも知れませんね。
私は、あなたに、仕えたいのです。神、いや悪魔に対する下僕《しもべ》として。
この哀れな下僕を可哀《かわい》そうだと思ったら、ぜひ、声をかけて下さい。
[#地付き]石原〉
[#ここで字下げ終わり]
石原のアドレスも、書き添えてあった。
それでも、ジャッカルからの返事がなかったのか、今度は、石原は、ジャッカルの会を作って、それを、インターネットに載せた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈ジャッカル様をたたえる会設立への呼びかけ
二度にわたって、日本全国を恐怖に落し込んだジャッカル様は、私にとって、身体の震えるような素晴しい存在です。私も、ジャッカル様のようになりたいと念じながらも、私には、あなた様のように、心に、神や、悪魔が入って来てくれません。それで、仕方なく、私は、ジャッカル様をたたえる会を設立し、少しでも、ジャッカル様に近づきたいと、念じることにしました。日本には、私のように、震えるような尊敬を覚えながら、ジャッカル様になれずに苦悩している人間が、いると思います。そうした人間たちが集って、ジャッカル様の下で、話を聞きたいと思います。会に賛成の方は、世間体や、怯《おび》えを捨てて集りましょう〉
[#ここで字下げ終わり]
もちろん、こんな会を嫌悪する人間もいて、インターネット上や、新聞の投書欄に、ジャッカルを讃美するとは、何事だという文章が載った。
しかし、世の中には、石原のような人間もいるのか、その三日後、彼は、次のような文章を、インターネットに発表した。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈前に、ジャッカル様をたたえる会の設立を呼びかけた石原です。予期したとおり、私を非難する言葉も、たくさん載りました。被害者や、被害者の家族の心情を考えろというのです。しかし、ジャッカル様という存在は、そうした、社会常識を超えたところにあるのです。
嬉《うれ》しいことに、私と同じ考えの人もいて、私のところに、二人の人が、賛成の手紙をくれました。これを見て、私も、勇気がわいてきています。会は、徐々にですが、発展していくことでありましょう。
ジャッカル様
あなたを讃美する人間が、私を含めて、少なくとも、三人はいるのです。これが、何人になったら、私にご返事が頂けるのでしょうか? 私は、毎回、その人数を、このインターネット上に、発表していきますので、期待して下さい〉
[#ここで字下げ終わり]
十津川が、このインターネットの文章を読んでいるところへ、北条早苗が、退院して、捜査本部に戻って来た。
さすがに、まだ、顔は青白いが、元気は、よかった。
「大丈夫なのか?」
と、きく、十津川に対して、早苗は、
「とにかく、口惜《くや》しいんです!」
激しい口調で、いった。
「口惜しいのは、わかるが、無理をしては、困るぞ」
「無理なんかしていません。私は、自分の手で、ジャッカルを捕えたいんです。彼は、何か、尻尾《しつぽ》を、見せましたか?」
「いや、それどころか、首を風船で飛ばしたり、被害者を焼いた灰を、ばらまいたり、好き勝手なことをやってるさ」
十津川が、いうと、早苗は、険しい表情になって、
「なぜ、私に、知らせてくれなかったんですか?」
「君の回復の邪魔になってはいけないと、思ったからだよ。それに、そうした事実を知っても、ベッドの上では、どうにも、ならなかったろう?」
「それは、そうですが――」
「それより、石原という男のことを教える。君も、興味を持つ筈だ」
十津川は、石原のこと、写真集のこと、そして、インターネットで、ジャッカルを、讃美していることを、早苗に伝えた。
早苗は、写真集『快楽へのエチュード』のページをめくり、インターネットのコピーに、眼を通した。
「今、西本刑事と、日下刑事の二人が、石原に張りついて、監視している」
と、十津川は、いった。
「警部は、彼と、ジャッカルが、接触すると、考えていらっしゃるんですか?」
早苗が、いって、十津川を見た。
「ああ。私は、二人が接触すると信じているよ。カメさんなんかは、石原が、ジャッカル本人ではないかと、疑っている」
「その可能性もあるんですか?」
「ゼロではないと思っている」
「しかし、指紋を照合すれば、同一人物かどうか、わかるんじゃありませんか?」
早苗が、きく。
十津川が、笑って、
「ジャッカルが、平気で、現場に、指紋を残しているからか?」
「そうですわ」
「しかしねえ。奴《やつ》は、ずる賢い人間だよ。何かトリックを使って、わざと、現場に、指紋を残しているのかも知れないと、私は、疑っているんだ」
「どんなトリックですか?」
「奴は、平気で人を殺すことが出来る。それに、平気で、人間の身体を、バラバラに出来る」
「誰かの手首だけを切り取って、その手首を使って、ベタベタ、現場に、指紋を付けているのではないかということですか?」
早苗が、青白い顔で、きく。
「それも、考えられるということだよ。だから、指紋照合だけで、調べるのは、危険なんだ」
十津川は、用心深く、いった。
それだけ、ジャッカルという犯人に対して、強い警戒心を、持っているということだった。
「石原が、姿を消しました」
と、西本が、電話で、いった。石原の監視に当っていた刑事の連絡に、亀井が、険しい眼つきで、
「どういうことなんだ?」
と、電話に向って、怒鳴った。
「部屋に明りが点《つ》いているので、てっきり、中にいるものとばかり思っていたんです。申しわけありません」
「ずっと、日下刑事と、石原の監視に当っていたんだろうが」
「その通りです」
「外出するところを見なかったのか?」
「それが、秘密の通路を作っていたのです」
「バカなことをいうな。石原の部屋は、マンションだろう。三階の部屋だ。どうやって、秘密の通路を作れるというんだ?」
「隣りの306号室、もう一つ隣りの307号室も、石原が買っていたんです。それなのに、別人の名前の表札が出してあるので、別人の部屋だと思っていたんです」
「しかし、中でつながっていなかったぞ」
「そうなんです。だから、全く、わからなかったんです。石原は、ベランダ伝いに、306号室にも、角の307号室にも、行ったり来たりしていたようで、今夜も、ベランダ伝いに、角の307号室まで行き、そこで、変装して、外出したんです」
「変装?」
「そうです。今いったように、305、306、307の三つの部屋には、別人の名前が表札として、出ています。それで、出入りする時は、別々の人間に、変装しているんです」
「管理人は、そのことを、知らなかったのか?」
「ここの管理人は、管理会社から派遣されてくるサラリーマンで、午前十時から、午後五時までしかいません。マンションに、どんな人間が住んでいるかも知らないようで、まして、三つの部屋を、石原が買い取っていることなど、全く、知らなかったようです」
「305号室には、石原の名前が出ていたが、他の二つの部屋は、本当に、別人の名前になっているのか?」
「そうです。今夜、外出するのに使用した307号室には、原田《はらだ》の表札が出ています」
「ベランダで、つながっているといったね?」
「そうです。各部屋のベランダは、薄い板で仕切られ、火事などの時は、強い力で破って、隣りへ逃げられるようになっているんですが、石原は、三つの部屋の仕切りを細工して、簡単に開け閉めできるようにしていたんです」
「今、君は、どの部屋にいるんだ?」
「307号室です。石原が、帰ってくれば、この部屋に入ると思うので、ここで待つ積りです」
「日下刑事は?」
「隣りの306号室を調べています」
「君の部屋は、どんな様子なんだ?」
「ミュージシャンの部屋です」
「ミュージシャン?」
「そうです。ビートルズの写真が、べたべた、壁に貼《は》ってあります。それに、ギターと、キーボード。今夜、出かける時も、大きなギターを抱え、眼鏡も全く違っていたので、見事に欺《だま》されました」
と、西本が、いった。
その声が、日下に代って、
「今、306号室を調べてきました。あの部屋は、見事に、サラリーマンのものになっています。洋ダンスの服は、紺か、灰色《ダーク》な、地味なものばかりで、壁にかかった絵も、平凡な風景画です。部屋にある調度も、全て、地味な安物ばかりで、机の上にあった腕時計は、国産の、一万円台のものでした」
「どうして、石原は、そんなことをしているんだろう?」
「わかりませんが、多分、変身願望じゃありませんか。私も、いろいろな人間に変身したいと思いますから。昼は、刑事、夜は、シンガーソングライターなんて、素敵だと思います。私は、金がないので出来ませんが」
「石原は、金があるから、三つの部屋を買って、遊んでいるということか」
「そう思いますね」
「そのマンションは、分譲か?」
「そうです」
「三つの部屋を買うと、いくらぐらいかかるんだ?」
「今は、だいぶ安くなったそうですが、それでも、一つの部屋で、三千万。中古ですから、千五、六百万にはなるといっていました」
「三つで、かなりの金額だな?」
「そうです」
「石原が、いつ、いくらで、他の二つの部屋を買ったのかを知りたいな」
と、亀井に代って、十津川が、いった。
「石原が、帰って来たら、どうしますか? そちらに、連行しますか?」
日下が、きく。十津川は、苦笑して、
「何の容疑で、連れて来るんだ? 三つも部屋を買い占めた罪か? 君だって、変身願望があると、いったじゃないか」
「それでは――?」
「すぐ、その部屋を出て、管理人には、口止めしておくんだ。三つの部屋のことは、警察は、知らないことにしておきたい。私のいったことだけを調べて、帰って来なさい」
と、十津川は、いった。
三時間ほどして、西本と、日下の二人が、帰って来た。すでに、時計は、午前二時を廻っていた。
「石原は、まだ、帰って来ていません」
と、西本が、報告した。
「それで、石原が、いくら払ったか、わかったか?」
十津川は、二人に、きいた。
「石原が、四年前に、305号室を買ったときは、四千万円払ったようです」
「高かったんだ」
「そうです。最近になって、彼は、たて続けに、306号、307号を、買い取っています。どちらも、千五、六百万で、買っています」
と、日下は、いった。
「最近というのは?」
「はっきり、年月日は、わかりませんが、ここ一年以内だと思われます」
と、日下は、いった。
「全部で、七千万ぐらいか」
十津川は、呟《つぶや》いてから、亀井に、
「石原は、よく、そんな金があったな。ああいう写真は、金になるのかね?」
「特定のファンはいると思いますが、私が、写真集を出した出版社へ行って、きいて来ましょう」
と、亀井は、いった。
翌日、亀井は、出版社に行き、話を聞いて、帰って来た。
「あの写真集の印税として、出版社は、石原に千二百万円を支払っています」
「かなりの金額だな」
「ただ、あの写真集を作るのに、石原は、モデルを三人使っています。一人、二百万として、六百万を払った筈《はず》だと、出版社は、いっていました」
「差引き、六百万か」
「そうです。税金などを引かれて、手取りは、五百万くらいだろうと」
「年に、何冊、出しているんだ?」
「せいぜい、一冊か、二冊だろうと、いっていました」
「それなのに、よく、三つの部屋を買う金があったな。もともと、金持ちの家に生れたのかね?」
「その点については、よくわかりません。写真家になる前のことは、ほとんど、他人に、喋《しやべ》らないそうですから」
「そうか」
十津川が、肯《うなず》くと、亀井は、じっと、考え込んでから、
「石原が、ジャッカルとイコールという線は、あり得ませんかね?」
「前にも、その話は、出たね」
「そうです。前には、石原が、ジャッカルという線は、弱かったと思います。しかし、今は、石原という男が、謎《なぞ》の多い人間ということが、わかりました。自分では、私は平凡な人間で、ジャッカルは、神さまだといっていますが、彼自身、さまざまな顔を持っていることがわかってきました。決して、普通の、平凡な人間なんかじゃありません」
「確かに、変った男ではあるな」
「それに、私が気になるのは、三つの部屋を買い占めているのに、その部屋を改造していないということです」
「どういう意味だね?」
「普通は、三つの部屋を一つに直して、使うものです。入口も一つにするし、居間も一つにして、広くする。トイレも、三つも必要ないから、一つにするんじゃありませんかね。キッチンも。それなのに、石原は、全く、改造していません」
「それは、三人の、別々の人間に変身したいからだろう? カメラマン、サラリーマン、それに、ミュージシャンだ」
「バスルームも、改造していないから、三つあります」
「うん」
「その三つのバスルームの一つで、石原は、人間の身体を、解体したんじゃないでしょうか?」
「――――」
一瞬、十津川の表情が、こわばった。
亀井は、語調を強めて、
「石原が、最初から、そのつもりで、三つの部屋のバスルームを、そのままにしておいたと考えるのは、考え過ぎでしょうか? 普通の人間なら、一人で住んでいるのに、バスルームは、三つも、必要ありません。潰《つぶ》して、他のことに使います。それが、普通だと思うんです。ところが、彼は、三つのバスルームを、そのままにしています。日替りで、一つずつ、浸るわけでもないでしょう。全く同じ規格のバスなんですから」
「しかし、調べるのは、難しいな。彼が犯人と決ったわけじゃないから、乗り込んで行って、三つのバスルームを、ルミノール反応で、血液がついているか調べるわけにもいかない。もし、反応が出なかったら、石原に、告訴されるだろうからね」
十津川は、困惑の表情で、いった。
「しかし、怪しいですよ」
「それはわかるが、マンションの三つの部屋を買い占めること自体は、別に、犯罪じゃないし、その部屋を改造する、しないは、なおさら、本人の自由だからな」
「三つの部屋に、別々の表札をつけ、職業を別々に見せているのは、おかしいですよ」
と、亀井は、いった。
「確かに、おかしいが、法律には触れていない。別々の表札をつけているのだって、泥棒に入られないために、別の人間が住んでいるように見せているんだといわれたら、それで終りだろう」
と、十津川は、いった。
「それは、そうなんですが――」
亀井は、ぶぜんとした顔になった。彼も、ベテラン刑事だから、石原を、強制捜査できないことを、知っている筈である。
だが、何としても、石原という男に対する疑惑を、抑えかねるのだろう。
この日の捜査会議でも、このことが、問題になった。
黒板には、石原が、購入した、マンションの三階の三つの続き部屋が、書かれていた。
会議では、亀井が、改めて、自説を、強調した。
「どうしても、この三つのバスルームが、気になるのです。一つは、自分が入浴するのに、使っていると思います。そうなると、他の二つのバスルームは、何に使っているのかと思うのです。別の入浴剤を入れて、温泉気分を味わっているとも思えませんし、水槽にして、魚を飼っているわけでもないでしょう」
「それはありません。ただのバスルームでした」
と、306号と、307号室を見た日下と、西本の二人の刑事が、いった。
「だから、私は、二つのバスルームが、人体の解体に使われているのではないかと、疑っているのです」
「しかし、強制捜査は、出来ません」
釘《くぎ》を刺すように、十津川は、いった。
「しかし、西本刑事たちが、306号と、307号室も、調べたんだろう?」
と、三上本部長は、いう。
「それは、石原が、突然、姿を消してしまったので、止むを得ず、調べたのであって、石原から抗議があったら、謝罪しなければなりません」
と、十津川は、いった。
「石原本人の了解があれば、構わないだろう?」
「了解してくれればですが――」
「石原が、戻って来たら、すぐ、了解をとって、306、307号室のバスルームを、調べることにしよう」
と、三上は、いった。
十津川は、その結果に従って、電話をかけてみた。が、305号室の石原は、電話口に、出て来なかった。
「気配を察して、逃げたんじゃありませんか?」
と、亀井が、いう。
十津川は、別の不安を覚えた。石原は、ジャッカルと会いたがっていた。インターネットを通じて、ジャッカルへの讃美《さんび》を繰り返していた。
その結果、石原は、ジャッカルに、会ったのではないのか。
石原は、歓喜したが、ジャッカルは自分にまとわりついてくる石原が、わずらわしかった。だから、消してしまったのではないかという不安だった。
その後、二日間、石原の姿を見つけることは、出来なかった。
三日目には、三つの部屋を、強制捜査することに決めて、十津川は、部下の刑事と一緒に、令状を持って、出かけた。
最初に、305号室を開けた。
そこに、石原は、いた。が、別人のように変ってしまった石原だった。
「石原さん」
と、十津川が、声をかけた。
だが、当の石原は、部屋の中央に、突っ立ったまま、うつろな眼を向けてくるだけだった。
「石原さん!」
今度は、語気を強めて、十津川が呼びかけると、その瞬間、獣のような、唸《うな》り声をあげると、テーブルの上にあった果物ナイフをつかみ、壁にかかった写真パネルに向って、突き刺した。
写真集の表紙にも使った、磔《はりつけ》になった裸の女の等身大の写真である。
「うおッ」
と、石原は、声を上げ、右手に持ったナイフで、パネル写真を、引き裂いていく。
パネルは、たちまち、すだれのように、なっていった。
「石原さん!」
と、若い西本刑事たちが、あわてて、引き止めようとしたとき、今度は、いきなり、石原が、自分の左腕に、ナイフを突き立てた。
鮮血が、ほとばしり、その血しぶきが、居間のじゅうたんを濡《ぬ》らし、近くにあったソファを、赤く染めていく。
石原の顔は、青さを越えて、白茶けていた。
「救急車を呼べ!」
と、十津川は、怒鳴り、他の刑事と、協力して、石原を押さえつけ、ナイフを、もぎ取った。
床に押さえつけられながら、石原は、意味不明の言葉を、わめき散らしている。
その間も、左の腕からは、血が、流れ出している。亀井が、ハンカチを取り出し、石原の腕を、強く、縛った。それでも、血は、止まらない。
「誰か、ズボンのベルトを寄越せ!」
と、亀井が呼び、日下が、自分のベルトを抜いて、差し出した。
亀井が、それを使って、石原の左腕の上部を、締めあげた。
それで、やっと、血が止まった。
石原が、わめくのを止めた。が、今度は、泣き始めた。
救急車のサイレンが聞こえた。間もなく、二人の救急隊員が、担架を持って、部屋に入って来た。
石原は、大人しく、担架にのせられた。彼は、まだ、手放しで、泣き続けている。
十津川は、一瞬、石原が、狂ったのではないかと、思った。
「警部。われわれも、病院へ行きましょう」
亀井が、かたい表情で、いった。
十津川と、亀井は、パトカーで、救急車を追った。石原が運ばれたのは、近くのS病院である。
医者が、石原の腕の手当てをしている間、十津川と、亀井は、待合室で、それの終るのを、じっと、待った。
「石原は、どうなったんですかね?」
亀井が、きく。
「私にも、わからんよ。第一、本当に、おかしくなったのか、芝居なのかもわからん」
ぶぜんとした顔で、十津川が、いった。
「左腕を刺したのは、事実ですよ」
「だが、死にはしない」
「芝居と、お考えですか?」
「芝居のようにも見えるし、本気で刺したとも見えるので、困っているんだ」
と、十津川は、いった。
看護婦が出て来て、二人に、
「手当てが終りましたわ」
「傷は、どんなものなんですか?」
と、十津川は、きいた。
「幸い、傷は浅かったので、一週間もあれば、完治すると、いうことです」
「今、話は出来ますか?」
「鎮痛剤を射《う》ちましたけど、お話は、出来ると思いますわ」
と、看護婦は、いった。
二人が入っていくと、石原は、ベッドの上に、寝かされていた。
顔は、血の気を失って、青い。眼は閉じていて、頬《ほお》には、涙の乾いた跡が見えた。
十津川は、枕元《まくらもと》に、腰を下して、
「石原さん」
と、呼びかけた。
石原が、眼を開いた。が、ぼんやりと、虚《うつ》ろで、十津川を見ているのかどうか、わからなかった。
「石原さん。何があったか、教えて下さい」
「――――」
「ここ三日間、何処《どこ》へ行っておられたんですか? 誰に会っていたんですか?」
十津川は、石原の顔を、のぞき込むようにして、きいた。
だが、石原の表情は、全く動かなかった。痴呆《ちほう》のように、その眼が、うつろなのだ。
(何も見ていない――)
と、十津川は、思った。
亀井が、呼びかけたが、同じだった。
「また来よう」
と、十津川が、亀井にいい、病室を出た。
「どうしたんですかね?」
亀井が、帰りのパトカーの中で、いう。
「何か、ひどく怖い目にあったのか。とにかく、彼が、激しいショックを受けたことだけは、間違いないよ」
十津川は、いった。
「ジャッカルに、会ったんでしょうか?」
「かも知れないな。三日間、ジャッカルと一緒だったのかも知れない」
「しかし、石原は、あんなに、ジャッカルに憧《あこが》れていた筈《はず》ですよ。インターネットで、あんなに、ジャッカルを、讃美していたじゃありませんか? もし、会えたのなら、喜んでいる筈ですよ。それなのに、石原は、痴呆みたいになってしまっています」
「カメさんは、どう思ってるんだ? 君は、確か、石原イコール、ジャッカル説だったね?」
「そうです」
「カメさんは、あの石原の変化を、どう考えるんだ?」
「芝居か――」
「芝居?」
「そうです。警察が、自分に眼をつけたと知って、狂気をよそおって、われわれを、欺《だま》そうとしているのではないかと思います。逮捕されても、心神喪失で、責任回避を狙《ねら》っているのではないかと」
「なるほどね」
「自分が撮った写真パネルを、切り裂いたり、自分の腕を刺したりするのは、典型的な狂気のパターンですよ。それを演じているのかも知れません」
と、亀井は、いった。
「石原が入院している間に、令状を取って、調べてみるかね?」
「そうすべきだと思います。それで、はっきりするんじゃありませんか」
亀井は、すぐ、賛成した。
十津川は、三上本部長に、石原が所有する三つの部屋の家宅捜索令状を、請求するように、頼んだ。
こうした時、三上は、慎重である。
「君自身、石原が戻って来るまでは、ただ、三つの部屋だけを所有していても、それだけでは、今回の事件の犯人とは、断定できないと、いっていたんじゃないのかね?」
と、三上は、十津川に、いった。
「その通りです。しかし、帰って来た石原の様子は、ただごとではありません。本当に、狂ってしまったのか、それとも、狂気を演じているのか、どちらにしろ、事件に関係しているような気がします」
「どちらにしろか?」
「そうです。私としては、石原が、シロかクロか、はっきりさせたいのです」
「クロの可能性が強いから、家宅捜索したいんだろう?」
「三つの部屋を買い占めながら、部屋を改造しない。三つのバスルームをそのままにしているのはおかしいという声は、無視できません」
と、十津川は、いった。
「そのバスルームで、二人の女性の身体を切断したということか?」
「その疑いは、十分あります」
「もし、違っていたら?」
「改めて、狂気の原因を探ります。或《ある》いは、狂気を演じている理由を」
「それが、事件の解決につながると、思うのかね?」
「そうです。この家宅捜索は、いずれにしろ、必要だと考えています」
と、十津川は、強調した。
「わかった」
と、三上は、やっと、いった。
今回の猟奇事件は、何としてでも一刻も早く解決しなければならないという至上命令があった。
だから、令状が取れたのだろう。石原の持つ三つの部屋の家宅捜索の令状が取れて、十津川たちは、鑑識を同行して、マンションに、乗り込んだ。
今回の主役は、鑑識である。
305、306、307号室、三つのバスルームを、まず、隅々まで、調べてみる。よくあるユニットバスである。もちろん、三つとも同一の規格で、同じ色のバスルームだ。
一見したところ、血痕《けつこん》らしきものは、見つからない。浴槽の隅、洗場の排水口の縁など、綿密に調べてみたが、きれいだった。
ここで、人体を切断したとしても、石原は、一生懸命に、洗い流したに違いない。
あとは、いよいよ、ルミノール液を使っての検査になる。
バスルームの隅々まで、ルミノール液を、塗る。
そして、明りを消す。こうすれば、いくら、洗い流しても、一度、血が流れた箇所は、暗闇《くらやみ》の中で、青白く光るのだ。
刑事たちの期待、というより、捜査本部の期待をのせて、鑑識は、作業を、続けた。
まず、305号室。
ルミノール液を塗ってから、明りを消す。だが、光らない。
306号室も、反応はない。
三つ目の307号室では、十津川たちは、祈るような気持で、最後の期待をかける。
だが、ここでも、青白い光は、出なかった。
刑事たちの間で、溜息《ためいき》が、洩《も》れた。三つのバスルームでは、人間の解体は、行われなかったのだ。
十津川は、冷厳な事実として、受け止めざるを得なかった。
「しかし、彼が犯人ではないのなら、その狂気は、いったい何なんですかね?」
と、亀井が、怖い顔で、いった。
「そうだな。犯人でなければ、狂気をよそおう必要はないんだ」
と、十津川が、応じる。
「とすると、あれは、ホンモノということになってきます」
「そうだ。ホンモノだ。たとえ、一時的なものであれ、石原は、強烈なショックを受けて、神経が、ズタズタにされたに違いないよ」
「それは、彼が、ジャッカルに、会ったということですか?」
と、亀井が、きく。
「一番考えられるのは、そういうことだよ。石原は、インターネットを使って、ジャッカルを讃美《さんび》し、会おうとした。それに応《こた》えて、ジャッカルが、連絡して来たんだ。それで、彼は、われわれ警察の尾行をまいて、ジャッカルに、会いに出かけたんだろう」
「会って、おかしくなってしまったんですか?」
「石原自身が、いってたじゃないか。残虐さに憧《あこが》れ、あんな写真を撮るのと、本当に、殺してその肉体を切りきざむ行為との間には、飛び越えなければならない、深淵《しんえん》があるんだと。自分を平凡な人間だとすれば、ジャッカルは、神だと」
「悪魔だとも、いっていましたよ」
「単に、残虐さが趣味な者と、本当に残虐な人間との間のギャップを、石原は、ジャッカルに会って、嫌というほど、感じて、打ちのめされたんじゃないかな」
十津川は、じっと、考え込む。
「ホンモノの悪魔に出会ったショックですか」
「そうだよ」
「そんなものが、いるんですかね?」
「いたんだ。少なくとも、石原は、出会ったんだ」
と、十津川は、いった。
「何処《どこ》で、石原が出会ったのか、ぜひ、知りたいですよ。そして、私も、その悪魔に会ってみたいですね」
と、亀井は、険しい表情で、いった。
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第五章 二重の挑戦
石原は、退院し、自宅マンションに帰った。十津川は、当然、彼を監視することにした。
道路をへだてた、同じ高さのマンションの一室を借り受け、そこから、石原の三つの部屋を監視する。
石原が、帰宅して、最初にやったことは、ベランダで、自分の本を燃やすことだった。自慢の写真集を、一冊ずつ、燃やしていくのだ。
「前には、パネルを切り裂いて、今度は、写真集を焼く――か」
西本が、監視しながら、苦笑する。
「よほど、自己嫌悪に襲われているんだろう」
と、日下が、いった。
暗くなると、石原は、手に、小さなポリ袋を持って出かけた。
西本と日下が、それを尾行する。石原は、近くの公園まで歩いて行くと、人気《ひとけ》のない、夜のベンチに腰を下し、ポリ袋から、魚の切身を取り出して、足元に、ばらまいた。
何分かすると、野良猫が、一匹、二匹とやって来て、魚を食べ始めた。
石原は、それを黙って、見守っていたが、やおら、ブルゾンのポケットからロープを取り出し、一匹を捕えると、首に、ロープを巻きつけた。
猫が、唸《うな》り声をあげて、暴れる。それを構わず、石原は、引きずるようにして、池の方へ連れて行った。
西本と日下が、追いかけたが、石原は、池の所で消えてしまった。
あわてて、探したが、見つからない。その中《うち》に、急に、暗いしげみから出て来た。眼があって、一瞬、石原は、顔をそむけたが、そのまま、出口の方へ歩いて行った。
日下が、顔をしかめて、
「血の匂《にお》いがした」
「血か?」
「ああ」
二人は、懐中電灯をつけ、石原の出て来た、しげみの中に入ってみた。
足元を照らしながら、進んで行く。
「あッ」
「あった!」
と、二人の刑事は、同時に、声をあげた。
血まみれで、横たわっている野良猫。首が切られて、転がっている。ロープは、胴の方に、まつわりついたままだ。
「やりやがった」
西本が、呟《つぶや》く。
「だが、野良猫を殺しただけじゃあ、逮捕は出来ないだろう?」
と、日下が、いった。
西本は、携帯電話で、十津川に、知らせた。十五、六分して、十津川が、亀井と、やって来て、猫の死骸《しがい》を見た。
「本当に、石原が、やったのか?」
「そうです。この公園で、魚の切身をエサにして、野良猫を捕え、そのしげみの中で、殺したんです」
「なぜ、こんな真似をしたんですかね?」
亀井が、首をかしげた。
「例のショックのせいだろう」
「自分の撮った写真パネルを切り裂いたり、自分の写真集を燃やしたりした行動ですか?」
「そうだよ。何かショックを受けて、彼は、何かに挑戦しようとしているんだ」
「何にですか?」
「多分、ホンモノの悪魔に会って、ショックを受けた。そして、自分も、ホンモノの悪魔になろうと思ったんだろう」
「なぜ、そんなバカなことを考えるんですかね?」
「バカなことが好きな人間がいるのさ。石原みたいな男もいれば、ジャッカルみたいな男もいる」
「石原は、ジャッカルに、なりたいんですかね?」
「出来れば、なりたいと思っているだろう。だから、猫を殺して、少しでも、近づきたいと考えているに違いない」
十津川は、猫の死骸から、眼をそむけて、いった。
「とすると、石原が、ジャッカルだという線は、消えましたね?」
「そうだ。猫の死骸を見て、私も、そう確信したよ」
と、十津川は、いったが、
「問題は、石原が、ジャッカルを尊敬しているというか、心酔しているというか、多分、彼のためなら、どんなことでもするだろうということだ」
「悪魔の一番弟子ということですか?」
「一番弟子になりたがっているといった方がいいだろう」
と、十津川は、いった。
「それなら、別人とわかっても、石原を監視する必要は、残りますね」
亀井が、いった。
二人は、何処《どこ》かで会ったのだろうか?
会ったという証拠は、何処にもない。が、十津川は、会ったことを確信していた。
石原は、インターネットを使って、ジャッカルへの思いを訴え続けた。
ジャッカルにとって、心地良いことだったろう。悪魔も、神も、彼らに跪《ひざまず》く人間を必要としているのだから。
もちろん、ジャッカルは、インターネットでの石原の訴えを、警察の罠《わな》と警戒したに違いない。それにも拘《かかわ》らず、ジャッカルは、石原に会ったと、十津川は、思う。きっと、インターネットの言葉から、警察のそれより、自分に近い人間の匂いを感じ取ったのだ。
ジャッカルと会って、石原は、ショックを受けた。それは、石原自身が口にしたように、人間の首を皿にのせた写真を撮るのと、実際に人間の首を切り落して皿にのせるのとの間には、飛び越えなければならない深淵《しんえん》があるからだ。
石原は、それを、改めて実感し、ショックを受けたに違いない。
怒りに委《まか》せて、かっとして、人を殺すことは出来る。しかし、ただ、殺したいから、何の利害関係もない人間を殺すことは、普通の人間には出来ない。出来るのは、悪魔か、悪魔の心を持った人間だけだ。
石原は、その相手に会って、圧倒されてしまったに違いない。
「もう一度、石原に会ってみよう」
と、十津川は、いった。
亀井を連れて、マンションに、石原を訪ねる。拒否するかと思ったが、意外にあっさりと、二人の刑事を、部屋に入れてくれた。
十津川は、じっと、石原の眼を見すえた。妙に光った眼をしていた。神か、悪魔を見た人間は、こんな眼になるのだろうか。眼は光っているのだが、何かを考えている眼ではなかった。
どこか、覚醒剤《かくせいざい》患者に似ているなと、十津川は、思った。眼が、妙に、キラキラしているという点で。
「ジャッカルに、会いましたね?」
と、十津川は、単刀直入に、きいた。
「いや。僕が会ったのは、神です」
「神なんかじゃない。悪魔に会ったんだろう?」
亀井が、険しい眼で、石原を睨《にら》んだ。
「僕にとっては、神も悪魔も同じことです。超人という点で」
「いいか。君は、いくらあがいたって、ジャッカルには、なれないんだよ」
と、十津川は、いった。
「それは、僕を侮辱しているんですか?」
「いや、反対だよ。君を尊敬しているんだ。芸術家としてね。君の写真は美しい。非情に見えながら、どこかに、人間的な優しさにあふれている。そこが、素晴しいところだ」
「よしてくれ! あんなものは、みんな、ニセモノだ!」
石原が、叫ぶ。
「いや。本当に殺すのは、ただの人殺しだ。芸術じゃない」
「そんなことは、どうでもいいんだ」
「どうでもいいというのは、どういうことだ?」
亀井が、きくと、石原は、ふいに、遠くを見るような表情になって、
「僕は、神を見て来たといったじゃないか」
「悪魔だ」
「人間の作った、あらゆる束縛から自由な神を見て来たんだ。人間の作った一番根本的な束縛は、汝《なんじ》、殺すなかれという束縛だよ。もし、その束縛から解放されたら、あらゆる束縛から自由になれるんだ。僕は、そいつに、会って来た」
「何処でだ?」
と、十津川は、いった。
「それは、いえない」
「なぜ?」
「僕は、約束した。だからだ」
「どんな約束をしたんだね?」
「僕は、下僕《しもべ》になりますと、約束した」
「人殺しを手伝うのか?」
と、亀井が、いった。
「殺せといわれれば、やるかも知れない」
「君には、出来ないよ」
と、十津川は、いった。
「なぜ、そんなことが、いえるんだ?」
「君は、野良猫でさえ、持て余している。そんなことで、人殺しが出来るのか?」
十津川は、わざと、からかうように、いった。相手を挑撥《ちようはつ》してみたかったのだ。
案の定、石原は、顔を引きつらせて、
「一線を飛び越してしまえさえすれば、いいんだ。ひょいと、飛び越してしまえば、その時こそ、僕は、超人になれる」
「そして、死刑になるか?」
と、亀井が、いった。
「その時は、死刑など、恐れなくなっている」
眼を光らせて、石原は、いった。
「ジャッカルと同じか?」
十津川が、いった。
「そうだ」
「もう一度、彼に会って、試してみたらどうだ? 同一になれたかどうか。とても、君には、無理だと思うがね? 彼と君では、人間の出来が違う」
十津川は、あくまでも、挑撥するように、いった。
石原の顔が赤くなる。十津川の言葉が的を射ているだけに、余計、石原を屈辱感がさいなむのだろう。
「帰ってくれ!」
と、石原は叫び、猛烈な勢いで、十津川と亀井を、部屋の外に押し出した。
ドアが、手荒く閉められるのを聞きながら、亀井が、
「あれで、奴《やつ》は、ジャッカルに会いに行くでしょうか?」
「行くことを祈るよ」
と、十津川は、いった。
だが、捜査本部へ戻ると、事態が動いていた。一通の手紙が、捜査本部|宛《あて》に、届いていたのである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈警察の皆さん
私はまだ、捕らずに、殺人の余韻を楽しんでいる。その間、皆さんは、マスコミに叩《たた》かれてお気の毒だと思う。そこで、もう一度、君たちに、名誉|挽回《ばんかい》のチャンスを与えたくなった。何と私は、慈悲深いのか。
今から一週間以内に、一人の女を殺す。そこで、君たちにクイズを出してあげよう。彼女は次の三つの条件に合致する女だということだ。
一、日本で二番目に美しい女である
二、処女である
三、最低の女である
君たちに、この女を守れるかね? ゲームは、もう開始されていると思った方がいい。
[#地付き]ジャッカル〉
[#ここで字下げ終わり]
「どういうことでしょうか?」
と、亀井が、いった。
「この手紙のとおりだろう。奴は、三人目の標的を選んで、警察に挑戦してきたのさ」
と、十津川は、いった。
「石原は、どうします? 放っておきますか?」
「いや。監視は、続けてくれ。こうなると、なおさら、石原は、ジャッカルに会いに行く可能性が強いように思えるからね」
十津川は、石原のキラキラ光る眼を思い出しながら、いった。ひょっとすると、ジャッカルは、すでに、電話で、石原に、何か指示を与えているかも知れない。今の石原なら、ジャッカルのどんな命令にも、従うだろう。
捜査会議が開かれ、ジャッカルの示して来た三つの条件が、問題にされた。
三上本部長は、苦虫を噛《か》み潰《つぶ》したような顔で、
「これは、いったい何なのかね? 日本で二番目に美しいだとか、処女だとか。第一、ある女が、処女かどうかなんて、どうやって、判断するんだ? 自分で処女だといったって、本当かどうか、わからんじゃないか」
と、文句を、いった。
「われわれを混乱させるために、いい加減なことを書き並べたんじゃありませんか?」
若い西本が、いった。
「いや、奴は、自分が頭がいいと、思っている。だから、こんなことで、嘘《うそ》は書かんよ」
と、十津川は、自分にいい聞かせるように、いった。
捜査会議が開かれ、そこで、今度、ジャッカルが狙《ねら》っている女は、誰なのかということが、問題になった。
「私は、彼が、冗談で、こんなゲームを仕掛けてきたとは、思いません。従って、彼のいう三つの条件にあった女を、今度は、殺す気でいるんだと思っています」
と、十津川は、主張した。
「君は、あの三つの条件を、そのまま受け取るというのかね?」
三上本部長が、首をかしげた。やはり、処女|云々《うんぬん》に、引っかかっているのだろう。
「まず、そのまま、言葉どおりに、受け取って考えてみたいと思います」
「それでは、第一の条件から、考えてみようじゃないか。日本で、二番目に美しい女というのは?」
と、三上が、きく。
「女性の美しさに、完全な基準などありませんから、ここは、世間的に、考えたら、いいと思います」
「どんな風にだね?」
「ミス・日本で、二番目になった女性ということで、まず、考えたいと思います」
と、十津川は、いった。
「ミス・日本か。いろいろなグループが、ミス・日本のコンテストをやっているんじゃないのかね? それが、ミス・ユニバースの候補になるというのもあるし、映画会社などが、新人募集のために、やっているコンテストもあると思うからな」
「日本で、一番古いコンテストに、限定してみたいと思います」
「歴史のあるコンテストか」
「そうです」
と、十津川は、いった。
「二番の処女であるとか、三つ目の最低の女というのは、どう解釈したらいいのかね?」
「それは、まず、第一の条件にかなう女性を見つけてから、考えたいと思います」
と、十津川は、いった。
一番古いミス・日本コンテストは、JPOという財団法人がやっているものだった。歴代のミス・日本や、準ミス・日本が、芸能界に入っていることでも知られている。
今年のコンテストは、まだ、開催されていないので、十津川は、去年の入賞者に、注目した。
二番目ということなら、ミス・日本ではなくて、準ミス・日本の方だろう。
準ミス・日本は、二人いた。
河合《かわい》 多美《たみ》(二〇)
川島《かわしま》 有希《ゆき》(十九)
の二人である。どちらも、東京の女性で、河合多美は、N製薬のOLで、川島有希の方は、国立大の学生だった。
このどちらかは、わからない。
「川島有希は、違うと思います」
と、西本が、いった。
「なぜだ?」
十津川が、きく。
「ジャッカルは、三つ目の条件に、最低の女と、いっています」
「国立大の学生は、最低じゃないか?」
十津川が、苦笑する。亀井が、西本に向って、
「ジャッカルは、ひょっとすると、国立大の学生を、最低と思っているかも知れないぞ」
「それでは、河合多美の方は、どうですか?」
「この二人の女性について、調べてみようじゃないか。どちらが、ジャッカルの三つの条件に、合致しているか」
と、十津川は、いった。
刑事たちが、去年、準ミスになってからのことを調べ、写真を何枚か、手に入れることになった。
OLだった河合多美は、当時から恋人だった青年実業家と、二カ月後に、結婚し、現在は家庭に入り、世田谷区|太子堂《たいしどう》に、住んでいた。
川島有希の方は、国立大を中退して、芸能界に入っていた。芸名は、本名のままの川島有希だが、名前は、カタカナのユキに変えている。
二人の写真が、黒板に、貼《は》り出された。
「この二人のどちらかということで、いいんでしょうか?」
その疑問が、絶えず、捜査本部にあった。もし、違っていたら、大変なことになるからだった。
二人を守っている間に、別の女が、ジャッカルに殺されてしまうからである。
「あと一週間で、決めなければなりませんね」
と、亀井が、いった。
「いや、もう一日たってしまったから、あと六日の間だよ」
と、十津川は、いった。
彼は、準ミス・日本と決めたのだが、自信はなかった。あと二つの条件に、どう合致するか、わからなかったからである。
二人の女が、すでに、ジャッカルに殺されていた。それも、残酷な方法でである。特に、二人目の犠牲者は、ジャッカルに、予告されていながら、まんまと、誘拐され、惨殺されてしまったのである。
三人目まで、みすみす、殺されてしまったら、警察の面子《メンツ》と、威信は、地に落ちてしまうだろう。
捜査本部長の三上の首が飛ぶことになるかも知れない。
「ジャッカルの方も、われわれ警察が、必死なのを知っていて、女の名前を明さないんでしょう」
と、亀井は、いった。
「だが、ゲームの積りでいるということは、自信満々なんだ」
十津川は、眉《まゆ》を寄せて、いった。
三日目に、北条早苗が、一つの朗報をもたらした。
「ジャッカルのいう二番目の条件が、わかりました。川島ユキで、いいんです」
「彼女が、処女だというのか?」
亀井が、戸惑い顔で、きくと、早苗が、笑って、
「それはわかりませんが、川島ユキは、近く、歌手としても、デビューすることが、決ったんですが、そのデビュー曲が、『バージン・ガール』なんです」
「なるほどね。それで、処女か」
と、十津川が、肯《うなず》いた。
「ですから、三番目の最低の女というのも、似たようなことじゃないかと思いますわ。ジャッカルは、本当に、美しいものを、破壊したいわけです。本当の最低の女なんか殺そうとする筈《はず》がありませんわ」
と、早苗は、いった。
「君は、ジャッカルの気持が、わかるのか?」
十津川が、きいた。
「本当には、わからないと思います。わかりたいとも思いませんわ。でも、今でも、あの男が、ナタを振りかざして、私に、飛びかかってくる姿を、夢に見るんです。私が、五発|射《う》ったのに、あの男は、ひるみませんでしたわ」
「防弾チョッキをつけてたんだ」
「ええ。でも、あの時、私は、彼の姿に、猛獣を感じたんです。本当に、美味《うま》い肉に、喰《くら》いついてくる獣ですわ。体裁がいいだけのニセモノの肉には、見向きもしないんだと思います」
と、早苗は、いった。
「それで、ホンモノの最低の女には、手を出さないか?」
「そうですわ」
「すると、二曲目が、『最低の女』という歌なんですかね?」
亀井が、いうと、早苗は、笑って、
「デビュー曲が、決っただけで、彼女の二曲目は、まだ、決っていませんわ」
「彼女は、女優なんだろう?」
と、十津川が、いう。
「本職は、女優ですわ」
「じゃあ、その関係のことだろう」
と、十津川は、いった。
四日目に、十津川の想像が、当っていることがわかった。
K映画が、川島ユキを、新人女優として、売り出すことに決め、本格的なデビュー作品として、三つの作品を選んでいるという話が、わかったのである。
その一本は、コメディで、『最低の女』というタイトルだという。
K映画のプロデューサーに、電話で、確認すると、
「まず、この作品で間違いないと思います。最低の女に見えたのが、本当は、最高の女だったというコメディタッチの内容で、明るく、川島ユキのデビュー作としては、ふさわしいものだと、自負しています」
という返事だった。
「これで、決りだな」
三上本部長は、急に、元気な声になって、十津川に、いった。
「まず、間違いないと、思います」
「これで、今度は、ジャッカルに対して、優位に立てるんじゃないかね? こう簡単に、謎《なぞ》が解けるだろうとは、奴《やつ》も、思っていないだろうからね」
「そうは、思えません」
と、十津川は、いった。
「なぜだね? あと三日ある時点で、次のジャッカルの狙《ねら》う標的が、わかったんだ。われわれとしては、ずっと、わからないふりをして、奴に、罠《わな》をかけてやろうじゃないか。油断させておくんだ」
「それほど、奴は、甘くはありません。多分、ジャッカルは、今度だって、最初から、次の獲物は、川島ユキだと、明らかにしたっていいと、思っていたと考えます。それでも、警察を出し抜く自信を持っていたと思います」
と、十津川は、いった。
「だが、今度は、明らさまには、いってこなかったんだ。そうだろう? それだけ、今回は、奴も慎重になっているのさ」
「亀井刑事も、そういっていますが、私は、そうは思わないのです」
「君は、少しばかり、ジャッカルを過大評価しているんじゃないのかね?」
三上が、眉をひそめて、十津川を見る。
「過大評価も過小評価もしていません。私が、いいたいのは、奴が、馬鹿じゃないということです」
「何をいいたいのかね?」
「こんな、なぞなぞが、すぐ、解けることぐらい、奴にも、わかっているということなんです。だから、奴は、われわれが、川島ユキの名前を見つけたことぐらい、わかっている筈です」
「それなら、なぜ、ジャッカルは、手紙で、こんなゲームを仕掛けてきたのかね?」
「遊びです」
「遊び?」
「そうです。ジャッカルは、楽しんでいるんですよ。殺人を楽しみ、警察と戦うことを、楽しんでいるんです」
と、十津川は、いった。
「それは、つまり、われわれを、からかっているということかね?」
「多分、そうでしょう。ジャッカルにとって、全てゲームなんだと思います」
「ゲームで、人殺しをするのか?」
「そういう人間なんです。彼は、二回のゲームで、警察に、勝ったと思っています。自信満々でいるに違いありません。今度のゲームにも、勝つ積りでいると思っています」
「勝ったから、自信を持つというのは、わかるが、それで油断しているということも、あり得るだろう?」
と、三上は、いった。
「そこが、死刑になったジャッカルと違うところです。少なくとも、奴は、そう思っています。奴は、一年間、宮城刑務所に通い、先代のジャッカルに会っています。そして、先代が、なぜ、逮捕されたかも、勉強しています。だから、自信満々でも、油断はしていない筈です」
「君が、自信を失っては、困るじゃないか」
「私も、自信は、持っています」
「それならいいが――」
「大丈夫です」
と、十津川は、微笑した。前の二回の事件で、ジャッカルのやり方も、わかってきている。
彼は、北条早苗のいったことを、思い出していた。ジャッカルは、その名前通り、飢えた獣のように、襲いかかってきたという彼女の言葉をである。
ジャッカルは、捕えた獲物を、噛《か》みくだく時、それを、楽しんでいるのだろうか?
川島ユキに、狙われたことを知らせるべきかどうか、議論された。
二人目の小田まゆみの時は、全てを知らせ、彼女をガードした。ジャッカルは、今度も、警察が、同じ方法を取って、川島ユキをガードすると、考えているに違いない。そのガードをかいくぐって、川島ユキを誘拐し、殺すことに、喜びを感じるつもりに違いない。
「二回目のようなガードは、取らないことにしたいと、思います」
十津川は、捜査会議で、主張した。
三上本部長は、眉《まゆ》を寄せて、
「守らない? なぜだ? 狙われる人間を、全力をつくして守るのが、われわれ、警察の役目じゃないのかね?」
「その通りですが、ジャッカルに対しては、通常の行動を取っていては、駄目だと思うのです。小田まゆみの時、それで失敗しました。小田まゆみを、誘拐されただけでなく、何人もの人間を殺してしまいました」
「われわれが、敗北した原因は、何だと思うのかね?」
「ジャッカルという相手の評価を間違えたためだと思うのです」
「どういうことだ?」
「普通の犯人は、理由があって、犯罪を犯すのです。金のため、憎しみのため、或《ある》いは、愛のためにです。だが、ジャッカルは、違います。楽しみのために殺す。いや、殺すために殺すんです。憎しみのために、ある人間を殺そうとする犯人は、他の人間を巻き添えにすることに、ためらいを感じる筈《はず》です。だが、ジャッカルは、違います。目的のためなら、何でも平気でする。何人殺しても、心が痛むことがない。石原の言葉ではありませんが、自分を神だと思っている。何をしても許されると思っている。だから、テレビ局ごと爆破することだって、平気でやる男です。それに、卑怯《ひきよう》なことだって平気でやるでしょう。われわれが、川島ユキを守れば、別の女を、殺すかも知れません」
「他の女を? なぜだ? ジャッカルのいう条件の女は、川島ユキしかいないんだろう?」
「その通りです。しかし、今度に限って、ジャッカルは、女の名前をいわず、妙な謎解きを仕掛けてきました」
「それは、彼が、犯行を楽しんでいるからだろう? 君は、そういった筈だ」
「はい。しかし、別の理由もあったのではないかと、思い始めたのです。奴は、ずる賢い。警察が、川島ユキを守れば、別の女を殺して、その女を、最初から、狙っていたんだと公言できる。それを狙っているんです」
「しかし、三つの条件に合致しているのは、川島ユキだけなんだろう?」
「そうです。ジャッカルの狙いは、彼女だと信じています。しかし、ジャッカルは、いざとなれば、別の女に変えますよ。考えてみれば、あの三つの条件なんて、あいまいなものです。つきつめていけば、ジャッカルが、日本で第二の美女で、処女で、最低の女だと思えば、いいわけです」
「そんなバカなことが、許されるのか?」
「ジャッカルは、宮城刑務所へ行って、学んだんです。なぜ、先代のジャッカルが、三人を殺した時点で、捕ったか。多分、彼は、ずる賢く行動することを学んだんだと思います」
「しかし、そんなに、あれこれ考えて、君は、どう警戒するつもりなんだ?」
と、三上が、きいた。
「川島ユキには、何もいいません」
「それから?」
「警戒しているようには見せないことにします」
「そんなことで、ジャッカルが、欺《だま》されるかね?」
「別の女を、ガードすると見せかけます」
と、十津川は、いった。
「別の女?」
「そうです。ジャッカルの示した三つの条件から、別の女を考え、その女のガードに熱中するように見せます」
「そんな都合のいい女がいるのかね? とにかく、三つの条件に合致しなければ、いかんのだろう?」
「そうです」
「誰だ?」
「二年前の準ミス・日本に、秋山加代《あきやまかよ》という女性がいます。現在二十一歳で、川島ユキと同じく、女優になっています」
「日本で、二番目の美女という条件に合っているが、あとの二つの条件にも合致しているのか? そうでないと、ジャッカルは、欺されないぞ」
「合致しています」
「どんな風にだ?」
「秋山加代は、十九歳で、準ミス・日本になり、すぐ、結婚しました」
「じゃあ、処女じゃないじゃないか」
「ところが、半年後に離婚しました。性格が合わないという理由でしたが、その後、男が、同性愛者だとわかりました。つまり、男は、それを隠すために、結婚したんですが、それがバレて、秋山加代は、離婚したわけです」
「ああ、そういう話があったな」
「つまり、結婚してからも、二人の間に、セックスがなく、加代が問いつめて、夫の同性愛がわかったわけです。それで、芸能誌の中には、秋山加代は、ずっと、処女だったのだと、書いているものもあります」
「三つ目の最低の女ということは?」
「同じ映画に、彼女も、川島ユキと一緒に、出演することになっています」
と、十津川は、いった。
「ひょっとして、ジャッカルの狙《ねら》いが、最初から、秋山加代だということも、考えられるじゃないか? そういう間違いも、あり得るだろう?」
と、三上が、きいた。
「それは、まず、ありません」
と、十津川は、いった。
「なぜだ?」
「ジャッカルが、今までに殺した二人の女と、川島ユキは、似ているからです。顔立ちも雰囲気もです。多分、ジャッカル自身、そのことに、気付いていないと思います。結果的に似てしまうのでしょう。秋山加代の方は、美人ですが、似ていません」
「その言葉を、信じていいんだろうね?」
「大丈夫です」
と、十津川は、いった。
捜査会議で、十津川の意見が、採用された。
まず、秋山加代と、彼女のマネージャーに、ジャッカルに狙われていると伝え、警察がガードするから、安心して欲しいと、伝えた。
彼女の行動には、常に、刑事二人が、ボディガードとして、付き添うことにした。
一方、川島ユキ側には、何も伝えなかった。
だが、手は打った。
川島ユキが、女の付き人を募集しているので、それに、北条早苗を、応募させた。もちろん、彼女は、小田まゆみの時にも、サブ・マネージャーになっているので、簡単に、変装させることにした。
髪を茶色く染め、眉毛も、描き、派手な服装にさせた。
十津川は、女刑事としては、やはり、北条早苗を、一番信用していたからである。
「危険な仕事だし、先日は、重傷を負っている。だから、断ることは、自由だ」
と、十津川は、いった。が、早苗の意志は、変らなかった。
「私は、もう一度、ジャッカルと、対決したいのです。女性を平気で殺す人間を、許すことは、出来ません」
と、早苗は、いった。
「しかし、ジャッカルはただの犯人とは、違うよ。何の迷いもなく、人を殺せるんだ」
「私も、ジャッカルに出会ったら、何の迷いもなく、今度は、射《う》ち殺してやりますわ。今度は、胸を狙わず、眉間《みけん》を狙います」
と、早苗は、いった。
「それは、駄目だ。殺さずに、逮捕したい」
「それなら、私に、麻酔銃を持たせて下さい」
と、早苗は、いう。
「いいだろう。麻酔銃を射てる拳銃《けんじゆう》を、用意しよう」
と、十津川はいった。
芸能プロのお偉方に、裏から、手を廻したので、早苗は、川島ユキの付き人になることが、出来た。
刑事の何人かが、芸能レポーターになった。それなら、川島ユキを追い廻しても、不思議に思われないからである。
そんな空気の中で、石原の動きが、十津川に、報告された。
「今日、彼は、本屋に行き、自分の写真集を五冊、買いました」
と、いうのである。
十津川は、首をひねった。石原は、自分の本を、全て、焼き捨てた筈《はず》ではなかったのか。
「どういうことだ?」
と、十津川は電話してきた田中刑事に、きいた。
「私にもわかりません」
「彼は、ジャッカルに出会ったショックで、自分の撮った写真パネルを切り裂き、写真集を、全て焼き捨てた筈だ」
「そうです。自分の写真は、所詮《しよせん》は、ウソだと思ったからでしょう」
「それなのに、なぜ、いまさら、自分の写真集を、本屋へ行って、買い求めたりするんだ? それも、五冊も」
「わかりませんが、自分を取り戻したんじゃありませんか」
と、田中は、いう。
「自分を取り戻した?」
「そうです。写真は、ホンモノじゃありませんが、芸術です。彼の残酷写真が持つエロティシズムも、一部の人たちに、支持を受けているんです。そのことに気付いたんじゃありませんか」
「なるほどな。ジャッカルの呪縛《じゆばく》から、解放されたというわけか」
「そうです」
「それならいいんだがね」
と、十津川は、いった。
もし、石原が、本当に、ジャッカルの呪縛から解き放たれたのなら、警察に、協力してくれるだろう。
彼は、何処《どこ》かで、ジャッカルに会ったと、十津川は思っている。その話を聞ければ、捜査は、進展するに違いない。
「今、石原は、何処にいるんだ?」
「本屋の地下にある喫茶店で、コーヒーを飲んでいます」
「すぐ、そこへ行くから、そこに、とどめておけ」
と、十津川は、いい、亀井と二人、その喫茶店に急行した。
新宿のビルの一階から三階までが、書籍売場で、地下が、洒落《しやれ》た喫茶店になっている。そこに、石原は、いた。テーブルの上には、今、買って来た彼の写真集が、五冊、積み重ねて、あった。
十津川と、亀井の顔を見ると、石原は、泣き笑いの表情になった。
二人は、彼と、向い合って、腰を下すと、十津川は、一冊を手に取って、
「いい写真だ」
「そうですか」
「自分でも、素敵な芸術だと思うでしょう?」
と、十津川が、いうと、石原は、大きく肯《うなず》いて、
「そうなんです。それに気付いて、あわてて、買いに来たんです。自分の写真集を買うなんて、初めての経験ですよ」
「ジャッカルに会いましたか?」
十津川が、きく。石原は、びくッとした眼になって、
「わかっていたんですか?」
「ええ。それでショックを受けて、自分の芸術は、ホンモノじゃないと思ったんでしょう?」
「そうなんです。だから、焼き捨ててしまいました。バカなことをしたものです。事実の方が、芸術より上だと、錯覚してしまったんです。間違っていました」
「そうです。人を殺すことは、子供にだって出来ます。だが、この写真は、子供には、撮れませんからね」
「刑事さんも、わかってくれますか?」
「わかります。ジャッカルと、何処で会ったか教えて下さい」
「怖いんです」
「わかります」
「いや。刑事さんには、わかっていない。どんなに、怖い奴《やつ》か」
「大丈夫です。あなたは、われわれが、守ります。奴と、何処で会ったか教えて下さい」
と、十津川は、いった。
「本当に、僕を守ってくれますか?」
「約束します」
「僕が、インターネットで、何度か呼びかけて、やっと、ジャッカルから、電話があったんです。僕は、歓喜しましたよ。その時は」
「それで、何処で、会ったんですか?」
「伊豆です」
「伊豆?」
「ええ。奴は、伊豆高原に、別荘を借りていて、そこに来るように、いわれたんです。僕は、伊豆高原駅まで行き、駅前で、待っていると、奴が、車で迎えに来てくれたんです」
「別荘の位置を、覚えていますか?」
「だいたいの位置はね。何しろ、用心深い奴で、車に乗ると、目隠しされました」
十津川は、すぐ、西本たち四人の刑事を、伊豆高原に走らせた。
地元の警察にも協力して貰《もら》い、伊豆高原に多い別荘を一つずつ調べていく。その結果を待っていた十津川は、ふと、川島ユキの動きが気になって、付き人としてもぐり込んでいる北条早苗の携帯電話にかけてみた。
川島ユキに、何かあったら、早苗が、すぐ、連絡してくることになっていたのだ。
だが、早苗が、応答しない。彼女の携帯電話を呼び出そうとするのだが、かからないのである。向うが、携帯電話のスイッチを切ってしまっているらしい。
(しょうがないな)
と、十津川は、舌打ちした。いつも、携帯電話のスイッチを入れておけと、いっておいたのだ。
「川島ユキに、連絡してみてくれ」
と、十津川は、亀井に、いった。
亀井が、すぐ、川島ユキの事務所に、電話をかけた。
事務所の女子社員が、出る。
「川島は、今、仕事に出かけております」
と、彼女が、いう。
「誰が一緒なんです?」
「マネージャーと、付き人が一緒です」
「三人で出かけた?」
「はい」
「どんな仕事で、行先は、何処ですか?」
「新しい仕事で、行先は、ちょっと、申し上げられませんが」
「安全な仕事なんでしょうね?」
「安全とおっしゃいますと?」
向うが、聞き返してくる。亀井は、だんだん、いらついてきて、
「責任者を出して下さい」
「そちら様は?」
「警視庁捜査一課だ」
と、亀井は、思わず、大声を出した。
電話口に、男の声が出て、
「川島は、今、出かけておりますが」
「だから、どんな仕事で、何処へ行っているかきいているんです」
「実は、新しい仕事で、出かけています。川島も、美人女優というレッテルを貼《は》られました。それは、それでいいんですが、この辺で、彼女の新しい面を見つけて、飛躍をしようと思いまして」
と、相手は、いう。妙に、奥歯に物がはさまっているようで、わかりにくい。
「彼女に、連絡が取れるんですね? 取れるところに、いるんですね?」
と、亀井は、きいた。
「連絡は取れますが、今日の行動は、芸能レポーターには、知られたくないんですよ。川島は、相当な決心をして、脱皮を図ろうとしておりますので。マネージャーが一緒におりますので、何かあれば、連絡してくることになっているので、安心しております」
「行先は、何処です?」
「北関東の高原地区で詳しいことは、わかりません。車で出かけております」
「車は?」
「ベンツ500で、マネージャーが、運転しております。十四年無事故な男なので、安心しています」
「北関東で、詳しいことがわからないというのは、どういうことなんですか?」
「実は、今日は、写真撮影に出かけているんです。場所を変えて、撮影しますので、今、何処にいるということが、いえませんので」
と、相手は、いった。
亀井が、通話口を押さえて、十津川に、話の内容を伝えた。
「私が、代ろう」
と、十津川は、いい、亀井から受話器を受け取ると、
「今日、野外撮影もあるんですか?」
「あると、思っています。何しろ、思い切った、イメージの脱皮を図ろうと、思っていますので」
「イメージの脱皮というのは?」
「つまり、大人の、成熟した女性に、変身したいということで」
「写真家は、誰ですか?」
「それをいいますと、妙な偏見を与えてしまう恐れがありますので、写真集が出来あがってから、発表したいのです」
と、相手は、いう。
「偏見を持たれそうな写真家なんですか?」
「天才といわれる方なんですが、いろいろと、批判されていることも、事実なんです。今回は、川島自身が、その写真家が、気に入りまして、お願いしたわけです」
「名前は、教えていただけませんか」
「何か事件でも?」
「そうじゃありませんが――」
と、いいながら、十津川の頭に、ひらめくものがあった。
(その写真家というのは、石原ではないのか?)
早苗たちの乗ったベンツが、止まって、待っていると、大きなカメラバッグをさげた相手が、乗り込んできた。
「石原です」
と助手席から、振り向いて、川島ユキに、挨拶《あいさつ》した。
(石原だったのか)
付き人として、同乗していた早苗は、じっと、石原を見た。ここへ来るまで、川島ユキの写真を撮ることは教えられていたが、その写真家の名前は、教えられていなかったのである。
石原は、微笑し、写真集を川島ユキに渡して、
「もう、ご覧になったとは思いますが、僕の写真集をもう一度、見て下さい。前もって、そちらの注文を聞いておきたいので」
と、いった。
ユキが写真集を見ている間、早苗は、車を出て、携帯電話を取り出した。現地に着くまで、携帯電話を使わないでくれと、マネージャーにいわれていたのだ。
早苗が、携帯電話のスイッチを入れるのを、見て、石原が、
「ここは、携帯が、かかりませんよ。山あいの盆地なので、電波が、さえぎられるんです」
と、いった。
なるほど、圏外になってしまう。
「これから、借りている別荘へ行きますので、そこから、かけたら、いいと思いますよ」
と、石原は、いった。
早苗は、迷った。
石原という男は、どう評価したらいいか、わからなかったのだ。
十津川の話では、ジャッカルの呪縛《じゆばく》から解放されて、元の写真家に戻ったという。自分の写真集を五冊も、買い戻したのは、その表れだろうともいう。今、川島ユキに見せたのは、その写真集らしい。
だが、何となく、不安も感じた。携帯電話の電波が届かない山あいで、待ち合せているのは、偶然なのだろうか? それとも、企《たくら》んだのだろうか?
判断がつかないが、とにかく、いざとなれば、自分が、川島ユキを守らなければならない。
早苗が、車に戻ると、石原の案内で、車は、走り出した。
十二、三分走ると、木立ちの中に、別荘風の建物が見えてきた。
「ここです」
と、石原は、先に、車から降りて、玄関のドアを開けた。
木造二階建の洒落《しやれ》た家だった。木立ちが深く、しきりに、小鳥の声が聞こえてくる。
広いリビングに、通された。豪華な調度品が置かれている。川島ユキは、ソファに腰を下すと、吹抜けの天井に眼をやって、
「石原先生が、こんな素敵な別荘をお持ちとは、知りませんでしたわ」
「写真集で、少しは、儲《もう》かりましたので。今、コーヒーをいれます」
石原は、ニコニコ笑いながらいう。
「電話をお借りしたいんですけど」
と、早苗は、いった。
「まあ、ゆっくり、コーヒーを飲んでからにしたらどうですか? 電話は、逃げたりしないから」
「でも、大事な電話ですから」
「階段の脇《わき》にあるから、使って下さい」
と、石原が、いった。
早苗は、階段の傍に行き、電話を取った。だが、ウンともスンともいわない。
「電話、かかりませんわ」
と、早苗は、いった。
「おかしいな」
と、石原は、首をかしげてから、「ああ」と、肯《うなず》いて、
「先日、近くで、鉄塔が倒れたんです。電気の方は、復旧したんだが、電話線も、切断されていたんですねえ。申しわけない」
(おかしい)
と、早苗は、思った。
だが、石原は、浮き浮きと、全員のコーヒーをいれて、
「飲んで下さい。こうみえても、コーヒーには、うるさいんですよ。特に、キリマンジャロで、ごく少ししか採れない特別の豆を買っていますので、美味《うま》いですよ」
と、いう。
早苗が、口をつけずにいると、石原は、
「飲んで下さい。美味いですよ」
「申しわけありませんけど、コーヒーは、嫌いなんです」
と、早苗は、いった。
川島ユキは、眉《まゆ》を寄せて、
「この間、おいしい、おいしいといって、コーヒーを飲んでいたんじゃなかったかしら?」
「私は、覚えていませんけど――」
と、早苗は、逃げた。
石原は、別に、気分を悪くした様子もなく、
「僕の友人にも、コーヒーの嫌いな男がいます。僕も、コーヒーに眼がありませんが、なぜか、紅茶は駄目なんです」
と、いった。
これも、おかしいなと、早苗は、感じた。石原は、狷介《けんかい》な性格だと聞いている。今日に限って、少しばかり、鷹揚《おうよう》にすぎるのではないか。川島ユキの写真を撮れるので、浮き浮きしているのだろうか?
早苗を除いた全員が、コーヒーを飲んだが、何も起きなかった。眠ってしまう人間もいないし、血を吐くような人間もいない。
「構図を決めたいので、何枚か撮ってみたい。そのままでいいですよ」
と、石原は、カメラを持ち出した。
服を着たまま、川島ユキを、ソファに座らせたり、階段の途中に立たせたりして、石原は、ポラロイドで、何枚も、撮っていった。
その間、早苗は、マネージャーと、下の居間で、撮影風景を眺めていた。
石原は、川島ユキと、二階に上って、同じ撮影を、くり返している。
早苗は、二階にも、人の気配がなかったので、安心して、階下の居間で待っていたのだが、少しずつ、眠くなってくるのを感じた。
眼を開けているのだが、睡魔が、襲いかかってくる。
早苗は、必死に眼を開けて、傍にいるマネージャーに眼をやった。男の彼も、眼を閉じてしまっている。
何か、やたらに、空気が重く感じられる。空気より重いエーテルが、上から、少しずつ、下りてきて、早苗の身体を、押し包むような感じなのだ。
早苗は、ソファから、立ち上り、よろめきながら、外の空気を吸おうと、玄関に向った。
だが、足が、思うように動かない。
(どうして、こんなに、足が重いのだろう)
何か叫びたいのだが、口も、思うように、動かない。
(助けて! 何とかして!)
と、叫んだ。が、声にならなかった。それでも、早苗は、刑事という責任感で、玄関まで歩こうとしたが、そこで、力つきて、倒れてしまった。
深い眠りに落ちていく。底知れぬ深い眠りである。
それから、どのくらい時間がたったかわからない。
眼を開けた。が、身体は、重く、動かない。
眼だけ動かした。
夜になっているのがわかった。あのまま、居間にいるのか、それとも、別の部屋にいるのか判断がつかなかった。
ただ、部屋全体が、海の底のように、青かった。
夢の中をさ迷っているような気分だった。しきりに吐き気がする。この嫌な匂《にお》いは、何なのだろう。
早苗は、必死になって、頭と、眼を働かせた。今、どんな状況に放り込まれているのか。川島ユキは、どうしてしまったのか。
とにかく、身体を起こした。
歩こうとして、立ち上った。が、滑って、転んだ。床が、ぬるぬると滑る。床に着いた掌《てのひら》に、その、ぬるぬるしたものが、くっついてきた。
血だと、わかった。嫌な匂いは、血の匂いなのだ。
青い光の正体も、わかってきた。床も、壁も、血塗られていて、そこに、ルミノール液が、塗られ、それが、電灯の明りに反射して、青白く光っているのだ。
だが、今、自分が、何処《どこ》にいるのかわからない。
周囲を見廻す。窓がない。出入口がないのだ。
何処かで、甲高い女の悲鳴が聞こえた。早苗は、その声のした方に、歩いて行った。相変らず、床は、ぬるぬると滑る。そして、血の匂い。
急に、眼の前が、暗くなった。誰かが、明りを消したのだ。
逆に、眼の前に、四角く、明るい空間が、浮び上った。眼の前が、大きなガラス窓で、その向うに、眩《まぶ》しく照らし出された部屋が、見えた。今まで、逆にその部屋の明りが消され、こちら側が明るかったのだ。ガラス窓にも、その向うの部屋の存在にも、気が付かなかったのである。
眩《まばゆ》い明りの中に、磔《はりつけ》にされた全裸の女の姿が見えた。
他に、男が二人いた。
一人は、カメラを構えた石原だった。もう一人は、サングラスをかけた長身の男だった。
(ジャッカル!)
と、早苗には、すぐわかった。テレビ局で、自分に飛びかかってきたあの男だ。あの時は、面をかぶっていたが、雰囲気でわかる。同じ男だ。
ジャッカルは、手に持ったナイフで、裸の女の乳房をなぶる。血が、一筋、流れ落ちる。が磔になった川島ユキは、もう、悲鳴を上げる気力もなくなったのか、頭を垂れたままだった。
代りに、早苗が、
「止めなさい!」
と、叫んだ。眼の前のガラスを拳《こぶし》で叩《たた》いた。
ジャッカルが、こちらを見た。
「気が付いたのかね。女刑事さん」
からかうように、いう。その声が、頭の上から聞こえた。スピーカーが、天井にでもついているのか。
「止めなさい! すぐ、川島ユキさんを、解放しなさい!」
「駄目だね」
ジャッカルは、今度は、手に持ったナイフを、思い切り、女の右の掌に突き刺した。
血が、ほとばしり、川島ユキが、ものすごい悲鳴を上げた。
「止めなさい!」
「なぜ、止めなきゃならない? 私は、こうやって、美しい女が苦しむのを見るのが、好きなんだ。好きなことをして、悪いのかね」
と、ジャッカルは、笑い、カメラを構える石原に向って、
「しっかり、撮るんだ。嘘《うそ》でなく、ホンモノの人間の死というやつを、写し撮るんだ」
その言葉に合せるように、石原は、必死で、カメラのシャッターを切っていく。まるで、主人に仕える奴隷に似ていた。
今度は、ジャッカルは、血まみれのナイフを石原の足元に放り投げた。
「私のようになりたいと、いったね」
「そうです。あなたのように、なりたいと思っています」
と、石原が答える。
「それなら、そのナイフで、この女の左手を刺してみなさい。そのくらいのことは出来るだろう」
ジャッカルが、笑いながら、いう。
石原は、カメラを置き、ナイフを手に取る。
「石原さん。止めなさい! そんな男のいうことは、聞くんじゃありません!」
早苗は、声を張り上げた。だが、石原は、ナイフを掴《つか》み、川島ユキに近づいて行く。
「手が震えているね」
ジャッカルが、笑う。石原のナイフを持つ手が、震えている。それでも、ゆっくりと、ナイフを振りかざした。
「止めなさい!」
「刺しなさい。刺すんだ!」
早苗の声と、ジャッカルの命令が、交錯して、次の瞬間、石原は、ナイフを、川島ユキの左の掌に突き刺した。
また、噴出する血。ユキは、悲鳴を上げたが、前よりは、弱々しくなっていた。
石原が、早苗の方を見た。その顔が、返り血で、真っ赤だった。その顔で、ニヤニヤ、笑っている。
ジャッカルは、よくやったというように、石原に向って、小さく、手を叩いて見せた。
早苗は、吐き気がしてくるのを、必死に抑えながら、
「そんなことをして、面白いの? 卑怯者《ひきようもの》!」
と、叫び、思い切り、ガラスを叩いた。
ジャッカルが、早苗を見た。
「彼女を助けたいのかね?」
「助けてくれるの?」
「さあね。どうしたものかな」
ジャッカルは、からかうように笑い、
「私の命令に、従うかね? そうすれば、助けてやるかも知れない。私は、気まぐれでね」
「どうすればいいの?」
「じゃあ、そこで、裸になって貰《もら》おうかな」
「――――」
「彼女を助けたくないんなら、構わないよ。そこで、彼女が死んでいくのを、見ていたまえ。今、血が流れている。きれいな血だ。どのくらい流れ出たら、人間は死ぬものかな」
「わかったわ」
と、早苗がいった。
10
早苗は、着ている服を脱いでいった。恥しさは、感じなかった。何よりも、眼の前で、殺されようとする川島ユキを助けたかったのだ。
ふいに、こちら側の明りが点《つ》いた。
早苗の裸身が、光の中に、浮び上った。
「いい身体だ。刑事にしておくのは、もったいない」
と、ジャッカルが、笑いながら、いう。
「彼女を助けてあげなさい!」
と、早苗は、強い声で、いった。
「もう一つ、やって貰いたいことがある」
「何なの?」
「右を見なさい。そこに、小さなテーブルがあって、ワインが置いてある」
と、ジャッカルは、いった。
なるほど、右手に、円形のテーブルがあり、その上に、ワインの注がれたグラスが置かれていた。
「そのワインを飲んで貰う」
「何のために?」
「乾杯するのさ」
ジャッカルは、自分も、ワイングラスを手に取った。
「あなたと乾杯?」
「彼女を助けたくないのかね?」
「わかったわ」
「じゃ、乾杯だ。君も飲みなさい」
と、ジャッカルは、石原にも、命令した。
早苗は、眼をつむるようにして、そのワインを、飲み干した。
確かに、ワインだが、妙に、生臭い味がする。
ジャッカルも、ガラスの向うで、いっきに、飲んでから、
「美味《うま》かったろう。それは、彼女のマネージャーの血だ。固らないように、ワインに溶かしてある」
(マネージャーの血?)
早苗は、思わず、吐きそうになった。が、それよりも、急に、意識が、混濁してきた。
「マネージャーの血とワインと、もう一つ、睡眠薬を、混ぜておいた。強力なやつをね」
ジャッカルが、笑いながら、説明する。早苗は、怒鳴ろうとしたが、口が、もつれてきて、声にならない。
「女刑事さん。なぜ、私が、あんたを殺さずに助けておいたかわかるかね?」
「――――」
「なんだ。もう眠くなったのかね? よく、それで、刑事が、務まるな」
「――――」
「だらしのない刑事さんだ。それで、私を捕えようなんて、君の上司の十津川警部も、私を甘く見たものだ。聞いているのか?」
「――――」
早苗の耳には、次第に、相手の言葉が、聞こえなくなっていった。
早朝の甲州街道。
夜中近くで、通りかかったトラックの運転手が、道端に、白い木の柩《ひつぎ》が、ぽつんと置かれているのを発見して、車を止めた。
(変な落し物だな)
と、運転手は思いながら、車から降りて、柩に近寄った。
柩の蓋《ふた》は、厳重に、釘《くぎ》で打ちつけてある。手をかけてみたが、重くて、持ち上らない。
(中に、仏さんが入っているらしい)
と、わかると、急に、気味悪くなって、運転手は、一一〇番した。
間もなく、サイレンを鳴らして、パトカーが、やって来た。
二人の警官が、パトカーから降りて来たが、釘付けされている柩を見て、困惑した表情になった。
何処《どこ》へ持って行けばいいのかわからないという顔だったが、片方の警官が、柩に、小さな紙が貼《は》ってあるのに、気付いた。
〈進呈 警視庁捜査一課 十津川警部殿
[#地付き]ジャッカル〉
と、その紙には、ワープロで、書かれてあった。
二人の警官は、ジャッカルという署名に、驚き、すぐ、パトカーの無線で、十津川に連絡を取った。
今度は、二台のパトカーが、駈《か》けつけた。
その一台から、十津川と、亀井が降りて来た。もう一台から、西本と日下が、飛び出して来て、柩の蓋を、こじ開けようとする。十津川は、それを止めて、
「このまま、捜査本部まで運ぶことにする」
と、いった。
急遽《きゆうきよ》、ライトバンを呼び、柩は、それに乗せられて、捜査本部へ運ばれた。
そこで、刑事たちは、釘を抜き、柩の蓋を開けた。
抱き合うように、全裸の女が、押し込められていた。
一人は、北条早苗刑事だった。が、もう一人は、すぐには、誰かわからなかった。首がなかったからだ。
柩は、血の匂《にお》いで、充満していた。その血が、柩の隙間《すきま》から、滲《にじ》み出ている。
十津川も、亀井も、一瞬、声を失ったが、十津川は、早苗の息があるのに気付いて、
「すぐ、救急車を呼んでくれ!」
と、怒鳴るように、いった。
救急車が来て、早苗は、血まみれの身体のまま、病院に運ばれて行った。
柩の中には、首のない死体が残された。
「川島ユキでしょうか?」
亀井が、小さな声で、いう。
「多分な」
と、十津川は、短く、いった。他の刑事たちも、押し黙って、首のない死体を眺めていた。
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第六章 最後の戦い
「なぜ、北条刑事を生かして帰したんでしょうか?」
亀井が、首をかしげた。
十津川も、同じ疑問を持っていた。ジャッカルが、仏心を出したとは思えなかった。そんな精神の持ち主でないことは、よくわかっている。
北条刑事は、ジャッカルが、川島ユキを殺すのを目撃していると思われる。いわば、殺人の証人なのだ。それを、わざわざ、生かして、帰したのは、なぜなのか?
「とにかく、北条刑事に会ってみよう」
と、十津川は、いった。
早苗が運ばれた大学病院に、二人で行ってみると、彼女は、神経内科の病室に入っていた。
部長の田沼《たぬま》医師に会った。
「まだ、精神錯乱状況が、続いています」
と、田沼は、いった。
十津川と、亀井は、顔を見合せた。
「治るんですか?」
「それは、彼女の意志の力によります。原因は、多分、極度の緊張、恐怖、怒り、その他もろもろなものが、一度に、襲いかかったためと思われます。それに対して、彼女の意志の力が勝つことが出来れば、立ち直れると思っています」
田沼は、そういったあと、テープレコーダーを持ち出してきた。
「今、彼女は、薬の力で眠っていますが、気が付いたときは、ウワ言を繰り返していました。全く同じことをです。私が何を話しかけても聞こえない感じでしてね。その言葉を、録音しておきました。その言葉を喋《しやべ》らなければと、何か強迫観念に支配されている感じでした」
「聞かせて下さい」
と、十津川は、いった。
田沼医師が、スイッチを入れる。早苗の声が流れてきた。が、それは、全く、抑揚がなく、彼女の声のようには聞こえなかった。だが、紛れもなく、北条刑事の声なのだ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈十津川警部へ伝える。
君は、私のことを狂人と思っているだろうが、私は、常に平静だ。私のことを、神と呼ぼうと、悪魔と呼ぼうと、いずれにしろ、私は、超人であり、それを証明している。今ほど生命《いのち》というものが、軽んじられる時代はない。毎日のように、意味もなく、人が殺され、忘れられていく。私は、その死に、意味を持たせる力を持っている。私が殺した女たちは、多分、歴史に残るだろうからね。川島ユキも、私に殺されたことで、人々の記憶に残る。そして、四人目に殺される女もだ。それを認めたまえ。つまり、私の力をだ。私は、絶対に、君たち警察には、捕らない。なぜなら、私は、超人だからだ〉
[#ここで字下げ終わり]
十津川は、二回、そのテープを聞いた。北条早苗は、この言葉を、どうやって、覚えさせられたのか。
恐怖によってか、或《ある》いは、眼の前で、川島ユキを殺すと、脅されたのか。
十津川は、険しい表情になって、
「奴《やつ》は、北条刑事を、伝言板代りに使ったんだ」
「われわれ、警察に対する伝言ですか?」
「そうさ。北条刑事は、今の言葉を覚えさせられたんだ」
「大変な恐怖の中ででしょうね」
亀井は、病室の方に眼をやった。
「何か、薬を飲まされたかも知れない」
「伝言板代りに使うために、北条刑事を殺さなかったということですかね」
「そうだろう。それに、われわれ警察を、バカにしているんだ。女性刑事を使っても、守れないぞといいたいんだろうな」
「川島ユキのマネージャーも、行方不明だそうです」
「多分、殺されているな」
と、十津川は、いった。
十津川は、北条刑事のことを考えた。全裸にされて、首を切られた川島ユキの死体と一緒に、柩《ひつぎ》に押し込められ、蓋《ふた》を釘付《くぎづ》けされた早苗のことをである。
発見された時、早苗は、意識を失っていたが、ずっと、意識を失っていたのか。途中で気付いたとしたら、どんなに激しい恐怖に襲われたか。それを考えると、十津川は、改めて、ジャッカルに対して、怒りを感じた。
その日の捜査会議では、まず、三上本部長が、今回の失態について、激しい口調で、刑事たちを叱責《しつせき》した。
「今日の夕刊や、テレビは、一斉に、警察の無能を報道している。それも、この上ない不様な敗北だと、報じているんだ。中には、警察の上層部は、責任を取れという論調もある」
「申しわけありません」
と、十津川は、頭を下げた。
「それで、今回の川島ユキ殺しについて、事件の全体は、はっきりつかめたのか? なぜ、彼女が簡単に殺されてしまったのか?」
「彼女の所属していたプロダクションに電話して、少しずつ、わかってきました。彼女は、きれいなだけの女優からの脱皮を図り、そのために、過激な写真集を作ることを考えたらしいのです。両親や、社長が反対するのを心配して、マネージャーと、内密に作ろうとしていたようです。それが、今回の惨劇を招いたといってもいいと思います。彼女は、その写真集を、あの石原に撮らせようと考えたらしいのです」
「石原は、ジャッカルの呪縛《じゆばく》から解放されて、警察に協力していたんじゃなかったのかね?」
三上が、十津川を睨《にら》むように見た。
「まんまと、彼には、欺《だま》されました。呪縛から解放されていたどころか、ジャッカルに、心酔してしまって、彼のために、動いていたとしか思えません」
「つまり、石原が、川島ユキを、誘拐して、ジャッカルの所へ連れて行ったというのかね?」
三上が、きく。
「そうとしか考えられません。多分、川島ユキは、石原に、写真を撮って貰《もら》うつもりで、会いに行ったんだと思います。マネージャーと、北条刑事も一緒にです」
「石原は、見つからないのか?」
「マンションに、帰っていません。多分、ジャッカルと一緒にいるんだと思います」
「北条刑事は、どうしている?」
と、三上は、きいた。
「精神的に、参ってしまっています。正常に戻るには、時間がかかると思います」
と、十津川は、いってから、三上に、例のテープを聞かせた。
聞き終ると、三上は、怒りを面に出して、
「何なんだ? これは」
「ジャッカルからの伝言です。それも、うちの北条刑事の口を借りての伝言ですよ。北条刑事を伝言板代りに、使ったんです」
と、十津川は、いった。
「なぜ、ジャッカルは、こんな真似をしたんだ?」
三上が、腹立たしげに、きいた。
「それを、今日一日、ずっと、考えてきました」
「怒りを感じなかったのかね?」
「もちろん、感じています。しかし、ただ、怒るだけでは、ジャッカルの術中に落ちるだけです。だから、努めて、冷静に考えようと、思いました」
と、十津川は、いった。
「それで、何がわかったんだ?」
「ジャッカルの弱点が、わかりました」
と、十津川は、いった。
「それは、君の負け惜しみじゃないのかね? 君たちは、すでに、三人の女を、ジャッカルに殺されている。いわば、連戦連敗じゃないか。週刊誌の中には、ジャッカルを英雄視する記事まで、散見しているんだよ。ジャッカルの弱点がわかったなんていったら、物笑いになるだけじゃないのかね? もし、弱点がわかったのなら、すぐ、捕えろといわれる。それに対して、どう返答するつもりかね?」
と、三上が、きいた。
「正直にいって、今、犯人逮捕には、つながるとは、思っておりません。ただ、怒ったり、口惜《くや》しがったりするだけでなく、冷静に、事態を考えてみたいのです。そうしなければ、ジャッカルのような犯人には、太刀打ちが出来ません」
「話してみたまえ」
と、三上は、いった。
「ジャッカルも、今までの犯人と同じ弱みを持っているということです」
と、十津川は、いった。
「弱みというのは、何だね?」
「ジャッカルは、自分のことを、神だとか、悪魔だとか、超人だとか自称していますが、違うことを、自分で、示してしまっているんです。神や、悪魔、或いは、超人なら、殺しを重ねても、平然としている筈《はず》です。だが、彼は、それが出来ないんです。北条刑事を伝言板にして、自分の主張を、口にしているのです。自分では、どう思っているかわかりませんが、弁明です。人間の弱さを、モロに示してしまっているんです」
「それで、弱みというのを、具体的に話してくれないかね?」
と、三上が、いった。
「死刑になった先代のジャッカルが、なぜ、逮捕されたかといえば、彼が、殺しをする度に、自己主張を繰り返したためなのです。自己弁護というか、自己顕示というか、人間の弱点を示してしまったためでした」
「しかし、今度のジャッカルは、宮城刑務所に入っている先代のジャッカルに会いに行き、彼が、なぜ、警察に逮捕されたかを、学び取ったから、絶対に、捕らないと、自慢しているんじゃないのかね?」
と、三上が、いった。
「その通りです。細かに技術的なことは、勉強したと思いますよ。陽動作戦で、警察を罠《わな》にかけることとかです。だが、人間の本性は変えられなかったんです。彼が、神でも、悪魔でも、超人でもなかったからです。それは、自分が、他人より秀《すぐ》れているのだという自惚《うぬぼ》れと、それを、誰かに自慢したいという自己顕示欲です。面白いことに、自分に自信があればあるほど、自己顕示欲が強くなるんです」
と、十津川は、いった。
「それが、ジャッカルの弱点だというのかね?」
「そうです」
「まだ、それがなぜ、弱点なのか、よくわからないがね?」
三上が、首をかしげて、きく。
「彼は、黙って、殺すことが出来ないんです。自分の力を、誇示したいんです。私は、彼が頭がいいと思っています。ですから、その危険は、わかっていると思いますが、それを止めることが出来ないんです」
「それで?」
「頭のいい人間は、自分の傍に、自分を賞讃《しようさん》する頭の悪い人間が必要だといわれています。ジャッカルも、誰かに、自分を賞讃して貰いたいのですよ。おかしないい方ですが、彼が、一番、讃《ほ》めて貰いたい相手は、われわれ、警察じゃないかと思っています」
「まさか――」
「いえ。だからこそ、北条刑事の口を借りて、あんなメッセージを寄越したんだと思っているのです。それに、彼は、石原と、手を組んだと思われます」
「それも、ジャッカルの弱点だと思うのかね?」
三上が、きく。
「そうです。彼は、常に、人々から賞讃されていたいのですよ。石原という人間は、ジャッカルにとって、恰好《かつこう》の相手なんじゃないでしょうか。自分を神のように、あがめている人間ですからね」
「しかし、石原と、ジャッカルは、違うだろう? 石原の方は、写真の世界で、残酷美を楽しんでいるだけだろうから」
「そうです。だから、二人はいつか、ぶつかり合うと、私は思っています。それも、楽しみの一つです」
と、十津川は、いった。
北条早苗刑事の治療は、遅々として進まなかった。と、いうより治療に当る精神科医にきくと、彼女が、治療を拒否しているというのである。
田沼医師は、十津川に向って、こういった。
「この間渡したテープが示すように、まだ、彼女の心を、ジャッカルが、支配してしまっているのかも知れません。それに対して、彼女は、無意識に自分を守ろうとする。その二つが、彼女の心の中で戦い、治療拒否になっているんだと思いますね」
「彼女は、今でも、ジャッカルのメッセージを口走りますか?」
と、十津川は、きいてみた。
「ジャッカルの名前を、私が口にすると、今でも、ウワ言のように、あのメッセージを話します。それと、彼女が、一番、反応を示すのは、死と、血という言葉に対してです。それが、彼女を捉《とら》えている強迫観念のもとになっているような気がするのです」
「死と、血ですか」
早苗は、優秀な刑事である。自分が殺されそうになったとしても、それで、錯乱状態になるほど、ヤワではない筈である。血も同じだ。
と、すると、彼女が怯《おび》えたのは、自分以外の人間の死と血だろう。
川島ユキのマネージャーは、いぜんとして、行方不明だが、すでに、ジャッカルによって、殺されているだろうと、考えられている。
マネージャーの死か、川島ユキの死に、流された血ということになってくる。
川島ユキの死体は、早苗と一緒に、柩《ひつぎ》に詰め込まれていた。が、彼女の首は、まだ、見つかっていない。
(ジャッカルは、早苗の眼前で、川島ユキの首を切り落したのではないか?)
そのショックで、早苗は、錯乱状態に陥ったのではないか。
「北条刑事は、治るんですか?」
十津川は、単純に、きいた。
「治るということが、どんな状態になることを意味するかによって、答えが、違って来ますが」
と、田沼は、いった。
十津川は、田沼が、早苗の治療に当っているところを、ひそかに見せて貰《もら》った。
なるほど、田沼が、話しかけても、早苗は、答えようとしない。一見、虚《うつ》ろな眼つきで、痴呆《ちほう》のように見える。
だが、田沼によれば、彼女の精神は、無意識の下で、激しく、戦っているのだという。その結果が、どうなるか、田沼にもわからないというのだ。
十津川は、その日から、病院に亀井と、張り込むことにした。早苗が、どんな行動に出るか、わからなかったからである。
十津川は、普通の病気のように、治癒していくとは思っていなかった。田沼医師がいうのだが、治るとすれば、劇的ということになるだろうし、その過程で、どんな行動に出るか、予測できないのだ。錯乱から、医師や、看護婦を、傷つけることも、考えられた。
入院して六日目の夜だった。
突然、早苗が、病院を抜け出した。
十津川と、亀井は、あわてて、後を追った。
早苗は、白いパジャマ姿で、スリッパをはいている。その、異様な恰好で、人通りの絶えた深夜の町を歩いて行く。
「取りおさえますか?」
尾行しながら、亀井が、小声で、きく。
「いや、このまま、何処《どこ》へ、何をしに行くつもりなのか、見届けよう」
と、十津川が、いったとき、ふいに、早苗が、立ち止まり、手を上げた。
タクシーが通りかかって、彼女の傍に止まった。彼女が乗り込む。
(しまった)
と、十津川は、狼狽《ろうばい》した。他に、タクシーが、来そうもないのだ。
その間に、早苗を乗せたタクシーは、あっという間に走り去ってしまった。
「KKタクシーのナンバー286です」
と、亀井が、いう。
携帯電話で、捜査本部に連絡を取り、西本に、KKタクシーの営業所の場所を調べるように、いった。場所を聞くと、タクシーを拾い、その営業所に向った。
そこで、286号車に、連絡を取ってくれるように、頼んだ。
「乗務している運転手の名前は、わかりますか?」
「金子《かねこ》という四十歳の運転手です」
「今、若い女性客を乗せている筈《はず》なんですが、その客にわからないように、連絡を取れますか?」
と、十津川は、きいた。
「危険な女なんですか?」
と、相手が、驚いてきく。
「いや、危険はありません。ただ、その客に気付かれないように、現在、何処を走っているか知りたいのですよ」
「何とか、連絡を取ってみましょう」
と、相手は、いい、すぐ、無線で、286号車の金子運転手に、連絡を取ってくれた。
だが、金子運転手は、応答してこないという。
「無線を切ってしまっているんですか?」
「と、いうより、無線の届く地域から、出てしまっているということだと思います」
半径五十キロの圏外に出てしまうと、この営業所の無線が届かなくなるのだという。
早苗が、今でも、286号車に乗っているのかどうか。乗っているとしたら、何処へ行こうとしているのか。
「とにかく、呼び続けて下さい」
と、十津川は、頼んだ。
すでに、午前一時を廻っていた。
金子運転手は、ちらちらと、バックミラーに眼をやった。
白いパジャマ姿の女は、じっと、窓の外を見続けている。
つい、うっかり、その客を乗せてしまったのだが、走り出してから、客の異様な恰好《かつこう》に、気付いたのだ。
女は「群馬のS町」と、いったきり、黙っている。遠出の客は、ありがたいのだが、少しずつ、金子は、不安になってきた。果して、金を持っているのだろうかという不安、それに、どうも、眼つきがおかしいという不安。
「お客さん」
「――――」
「気を悪くしないで下さいよ。お金は、お持ちなんでしょうね?」
「大丈夫よ」
女は、窓の外の景色に眼をやったまま、いった。
そうなると、それ以上、きけなくなって、金子は、アクセルを、踏み続けた。
群馬県のS町は伊香保《いかほ》の近くで、別荘地である。最近は、東京方面から、自然の空気を求めて、S町に、別荘を買ったり、建てたりする人々がいる。金子も、そのことは、知っていた。
林の中に、点々と、新しい別荘が、建っている。第二の軽井沢になるという人もいる。
「ここでいいわ」
急に、女が、いった。
「本当に、ここでいいんですか?」
金子は、周囲を見廻した。林の中で、遠くに、明りが見えるが、その別荘までは、歩いて、十五、六分は、かかるだろう。
「ここでいいの」
女は、抑揚のない声でいう。金子は、ここまでの料金を相手に告げた。
女は、パジャマのポケットに手を入れた。そこから、金を取り出すのを期待して、金子が、振り向いたとき、いきなり女は、ポケットから取り出した小さなナイフで、彼の左肩を、突き刺した。
「わあッ」
と、金子が、悲鳴を上げる。
鮮血が飛び散って、その返り血で、女の白いパジャマは、たちまち、赤く染った。
金子が、運転席に、うずくまった隙《すき》に、女は、車から降りると、歩いて、闇《やみ》の中に、消えて行った。
金子は、肩を押さえ、携帯電話で、東京の営業所へ連絡を取った。
「286号車の金子です。今、客に刺されました」
と、報告すると急に、相手の声が代って、
「警視庁捜査一課の十津川です。今、何処《どこ》です」
「群馬県のS町です。新しい別荘地です」
「そこまで乗せて行ったのは、若い女の客ですね?」
「そうですよ。白いパジャマに、スリッパという恰好ですよ。ここまで乗せて来て、料金を払う段になって、いきなり、小さなナイフで、肩を刺されたんです。救急車を呼んで下さい」
「すぐ、手配します」
と、十津川は、いった。
十津川は、亀井と、パトカーで、S町に向った。サイレンを鳴らし、スピードを上げて、走る。西本たちも、パトカーで、十津川を、追いかけた。
十津川と、亀井は、地図を見ながらだった。群馬県のS町に行ったことは、なかった。
KKタクシーの運転手は、新しい別荘地だといったが、その言葉だけでは、はっきりしたイメージが、浮んでこない。
「北条刑事は、なぜ、こんな所へ行ったんでしょうか?」
亀井は、ハンドルを握り、前方を見すえながら、十津川にきく。
「ジャッカルが、そこにいるのかも知れないな。身代金を受け取っているから、別荘ぐらい手に入れているんじゃないか」
「なぜ、北条刑事は、ジャッカルの所へ? 思い出したんでしょうか?」
「多分、そうだろう。タクシーの運転手が、ナイフで刺されたといってるから、病院で、外科用メスを手に入れたんだろう」
と、十津川は、いった。
「しかし、なぜ、運転手を刺したりしたんですかね? 彼女らしくありません」
「彼女の精神は、今、尋常ではなくなっているんだ」
「警部は、ジャッカルが、川島ユキの首を切り落すところを、北条刑事は、目撃したといわれましたね?」
「無理矢理、見せつけられたんだろう。それで、北条刑事は、錯乱したと、思っている」
「しかし、自分が、ジャッカルの真似をして、人を刺したら、困るじゃありませんか?」
亀井が、いう。
十津川は、それには、答えなかった。今、北条早苗が、どんな精神状態にあるのか、わからなかったからである。
いぜんとして、夜は、深い。
十津川たちの乗ったパトカーは、サイレンを鳴らし続ける。夜の景色が、背後に、飛び去っていく。だが、不安は、倍加していく。
早苗は、病院で盗んだメスで、ジャッカルを、刺そうとしているのか。
S町の別荘地に、ジャッカルが、家を買い、今、そこにいるのだろうと、十津川は、考える。
石原も、そこにいるに違いない。
その別荘で、多分、川島ユキ殺しは、行われたのだ。
早苗は、そこに、川島ユキや、マネージャーと一緒に、連れ込まれ、惨劇を体験させられたに違いない。
ジャッカルは、自分の力を誇示するために、早苗を生かして帰した。だが、二度目も殺さないとは、いい切れない。いや、二度目は、必ず、殺すだろう。
急に、小雨が降り出した。亀井が、ワイパーのスイッチを入れた。
せわしなく、ワイパーが動き、そのことが、ますます、十津川の不安をかき立てる。
(生きていてくれ)
と、十津川は、思う。ジャッカルみたいな男のために、優秀な部下を、死なせたくないのだ。
時間が、どんどん、過ぎていく。
すでに、早苗は、ジャッカルの別荘に着いただろうか?
ジャッカルに会ったとたんに、早苗は、殺されてしまうだろう。あの男は、情け容赦なく、人殺しが、出来る男なのだ。
(私が着くまで、待っていてくれ)
と、十津川は、祈った。
一軒の別荘の玄関の明りの下に、白衣姿の女が浮び上った。
白いパジャマが、血で汚れている。北条早苗だった。
早苗は、じっと立ったまま、動かない。
玄関の横に取付けられた監視カメラが、ゆっくりと動いて、彼女の身体をなめ廻し、次に、尾行がついていないかを確めているように見えた。
早苗は、監視カメラの動きを無視して、玄関の前に、立ち続けた。
「私の伝言を伝えたか?」
ふいに、彼女の頭上で、マイクが、喋《しやべ》る。
早苗は、黙って、首を、タテに振る。
「そのパジャマの血は何だ?」
と、マイクの声が、きく。
「刺した」
早苗が、呟《つぶや》くように、いう。
「誰を?」
「タクシーの運転手」
「なぜ刺した?」
「うるさかったから」
「血を見た時、どんな気がした?」
「血――」
「そうだ。血だ」
「血は好き」
「そうか。血が好きか?」
「もっと、血を見たい」
「よし。入れ」
玄関のドアが開いた。
早苗は、夢遊病者のように、廊下に向って、歩き出した。
マイクを通した声が、早苗に命令していく。
「廊下を左に曲れ」
「ドアを開けろ」
「中に入れ」
早苗が入った部屋は、床も壁も、天井も、青白く光っている。
「その部屋を覚えているか?」
「ルミノール」
と、早苗が呟く。
「そうだ。血だ。お前の好きな血だ」
「血――」
「血がもっと欲しいか?」
「血が欲しい」
「よし。それなら、お前の血を流せ」
「私の血――」
「そうだ。お前の血だ。お前の血を、私に捧《ささ》げるのだ。それによって、お前は、選ばれた女になる。私は、神だ。超人だ。私に殺されるお前は、幸せ者だ」
「ジャッカル様に、私の血を捧げます」
「それでいい」
「ジャッカル様が、自分の手で、私を殺して下さるんですね」
「私は、お前が死ぬところを見たい。ゆっくりと見たい」
「――――」
「だから、私の弟子にやらせよう。お前の身体から流れ出る血が、その部屋を、更に、美しく塗り立てるのだ」
ドアが、音もなく開いて、ブルーのガウンを着た石原が入って来た。そのガウンの裾《すそ》が、ひらひらと、ゆれる。
彼の右手には、白く光るナイフが、握られていた。
「その女を殺してやれ。血を流してやれ。首を、はねてやれ。女は、歓喜で涙を流すぞ」
マイクの声が、がんがん、ひびいてくる。
石原は、のろのろと、早苗に近づき、彼女の身体を、抱きしめた。
そして、ナイフを振りかぶる。
「その調子だ。お前は、女の首をはねることで、私に一歩、近づくのだ。これは、お前の試練だ。私に近づきたいのだろう? それなら、そのナイフで、女の首をはねてやれ、血を流してやれ」
あおるように、マイクが、叫ぶ。
石原は、マイクの声に促されるように振りあげたナイフを、ゆっくりと下して、早苗の首筋に当てた。
「よし、女の首を切り落してやれ。噴き出す血で、女は、お前の身体を清めるんだ」
また、マイクが、叫ぶ。
次の瞬間、石原が、獣のような悲鳴を上げた。
早苗が、ポケットにかくした外科用のメスで、身体を抱かれたまま、石原の下腹部を突き刺したのだ。
真っ赤な血が、噴き出し、石原は、唸《うな》り声を上げて、その場にしゃがみ込んでしまった。
噴出した血が、石原のガウンを赤く染め、メスを持った早苗の手をぬらし、白いパジャマを赤くしていく。
「だらしのない男だ」
マイクの声が、舌打ちした。
「そんなことじゃあ、私に近づけないぞ。立ち上って、女を刺せ! 首を切り落すんだ!」
マイクの声に、叱咤《しつた》されて、石原は、ナイフを持ったまま、よろよろと、立ち上った。
血が、下腹部から、したたり落ちている。
石原は、早苗に向って、泳ぐように、ナイフを振り下した。
早苗は、身体をかわしもせず、眼の前に来た石原の顔を、メスで、払うようにした。
石原の顔に、水平に赤い線が走ったかと思うと、それが、ぱっくりと口を開き、また、血が噴き出した。
そのまま、石原の身体は、棒のように、床に倒れてしまった。
「私の弟子を殺したな」
マイクが、怒鳴る。
「血が欲しい」
と、早苗が、かすれた声で、いう。
「もう十分だろう?」
「まだ、不足だわ」
「気が狂ったのか?」
「ジャッカル様。今度は、あなたの血が、欲しいわ。あなたの血が、飲みたいわ」
早苗は、血まみれの顔で、ニヤッと、笑った。
「私の血が欲しいだと?」
「あなたの血は赤いの? 赤いかどうか、調べてやるわ。あなたの首をはねて、調べてやるわ」
早苗は、唄《うた》うように、いった。
十津川と、亀井の乗ったパトカーは、S町に突入した。
夜が更に深くなっている。S町全体が、眠ってしまったように見える。
「この何処《どこ》かに、ジャッカルの別荘がある筈《はず》だ」
車を止め、十津川は、血走った眼で、町を見廻した。
「だが、ジャッカルの本名がわかりません。名前がわからないと、探しようがありません」
亀井が、いう。
「警察を探そう」
十津川が、大声を出す。そうしていないと、不安が襲いかかってくるのだ。
亀井が、町の中心部に向って、パトカーを走らせた。赤い灯火が見えた。
そこは、警察の派出所だった。
幸い、軽自動車のパトカーが一台|駐《と》めてあり、建物の中に、三人の警官がいた。
十津川と、亀井は、車を降り、その派出所に飛び込んだ。
「何だね? あんたたちは?」
と、いう中年の警官に向って、十津川は、警察手帳を突きつけた。
「この町の別荘地帯に案内して貰《もら》いたい。今、すぐにだ」
「別荘地帯で、何か?」
「それは、途中で説明する。とにかく、一番詳しい人間が、一緒に来てくれ」
と、十津川は、いった。
中年の警官を、パトカーに乗せて、また、走り出した。
警官の案内するままに、パトカーを走らせる。町を抜け、高原地帯に、入って行く。
「別荘は、何軒あるんだ?」
走る車の中で、十津川が、きいた。
「全部で、三十軒ですが、その中《うち》、売れたのは、十八軒です」
「一カ所にかたまっているのか?」
「いえ。点在しています。一軒の敷地が広いのが売物です」
「その十八軒の中に、不審な住人が住んでいる別荘はないか?」
「どんな風にですか?」
「普通でない人間だよ。そういう噂《うわさ》が聞こえてきたことはないのか?」
「そういう噂は――」
と、中年の警官は、頼りなかった。
連絡していた亀井は、林の中に見える明り目がけて、パトカーを走らせた。
「あそこの家で、きいてみましょう」
パトカーを乗りつけると、十津川は、飛び降り、その家をノックした。
初老の夫婦が、顔を出した。
十津川は、警察手帳を見せ、
「この辺りの別荘に、挙動不審な男がいるという噂を聞いたことがありませんか?」
「挙動不審ですか?」
「そうです。表を閉めて、外に出て来ないとか、何をしているかわからないとか――」
十津川が、早口で、いう。
老夫婦は、顔を見合せて、ひそひそ、話していたが、
「この先に、変な人が、住んでいますよ」
と、男が、いい、女が、
「一緒に、散歩してたんですよ。その家の前に来たら、男の人がいたので、お早うございますと、挨拶《あいさつ》したら、いきなり、睨《にら》まれたんです。あんな目にあったのは、この別荘に来て、初めてですよ」
「男ですね?」
「ええ」
「いくつぐらいですか」
「三十歳ぐらいかしら」
「他に、誰かいましたか?」
「家の中に、もう一人、男の人がいましたよ」
「男二人だけ?」
「わたしたちが見たのは、そうです。男二人で、別荘にいるというのは、ちょっと、気味が悪くてね」
と、夫の方が、いった。
その男二人が、ジャッカルと、石原だという証拠はない。
だが、一軒一軒、十八軒の別荘を探し廻る時間はないのだ。
「そこへ行ってみよう」
と、十津川は、亀井に、いった。
老夫婦に教えられた方向に、パトカーを走らせて行く。
サイレンは、消してある。
「何の事件ですか?」
と、警官が、きく。
「殺人事件だ」
と、十津川は、いった。
問題の別荘の近くで、パトカーを止めた。
林の中のその別荘は、玄関の明りが点《つ》いているのだが、一階も二階も、暗い。よく見ると、室内の明りは点いているのだが、雨戸が閉っているのだ。
三人は、声を立てずに、玄関に近づいて行った。
明りの下の敷石に眼をやる。何か、赤黒いしみが見える。
十津川は、それを、指先でこすり、その指の匂《にお》いを嗅《か》いだ。
「血だ」
と、十津川は、亀井に、いった。
十津川は、一緒に来た警官に向って、
「君は、派出所にいた二人の警官を、ここへ呼べ。私たちは、この家に突入する」
「この中で殺人が?」
「多分な」
と、十津川は、いった。
十津川と亀井は、拳銃《けんじゆう》を取り出して、安全装置を外した。
玄関の扉には、錠がおりている。
亀井が、扉の錠の部分に向って、拳銃の引金をひいた。
一発、二発。
錠がこわれ、二人は扉を蹴破《けやぶ》り家の中に、飛び込んでいった。
二人の刑事は、薄暗い廊下を、突進した。
ドアにぶつかる。やたらに、ドアのある家だ。開けて中に入ると、途端に、ブルー一色の世界に変った。床も、壁も、天井も、海のように青い。
そして、強烈な匂い。それも、吐き気がするような嫌な匂いだ。胸がむかついてくる。
「血ですよ」
亀井が、小声で、囁《ささや》く。
「そうだ。血を塗りたくって、その上に、ルミノールを、塗っているんだ」
「何の積りですかね?」
「芸術の積りかな。それとも、単に、血が好きなのか」
十津川が、吐き捨てるように、いった。
「向うに、何かありますよ」
亀井が、小声でいう。前方に、床に横たわる人影に似たものが見えた。
「北条君か?」
十津川が、低い声で、呼んだ。が、その人影は、ぴくりとも動かない。
二人は、拳銃を構え、用心しながら、近づいて行った。
やはり、人間だった。ガウン姿の男が、仰向けに倒れている。股間《こかん》のあたりが、血に染っていた。
おまけに、のどが、横一文字に切り裂かれ、ぱっくりと、口を開けている。眼は、見開かれているが、まるで、ガラス玉のように、何も見ていない。
亀井は、しゃがみ込んで、脈を見ていたが、立ち上って、
「死んでいます」
と、十津川に、いった。
「石原だな」
「そうです」
「北条君が殺したのかな? それとも、ジャッカルが、殺したのか」
「わかりません。とにかく、北条刑事を探しましょう」
更に進むと、ふいに、眼の前が、明るくなった。大きなガラス窓があり、その向うの部屋が、蛍光灯で、明るく輝いているのだ。
人の姿はない。壁一面に、大きな三枚のカラー写真が、パネルにして貼《は》りつけてあるのが、見えた。
首を吊《つ》られて、醜く歪《ゆが》む若い女。
掌《てのひら》を打ちつけられ、キリストのように、磔《はりつけ》になっている女。
銀の皿にのせられた女の首。
それぞれ、今までに、ジャッカルが誘拐して、殺した女たちだった。
十津川は、向うの部屋に入るドアを探したが、見つからなかった。
亀井は、窓ガラスを蹴飛ばしたあと、拳銃を、ガラスに向けて、一発、二発と、射《う》った。窓ガラスが音を立てて、砕け散る。
二人は跨《また》ぐようにして、隣りの部屋に入った。
そこは、研究室のような部屋だった。ビデオセットや、ルミノールなどの薬品が、並んでいた。
十津川が、ビデオのスイッチを入れてみた。とたんに、川島ユキの悲鳴が、部屋全体に、ひびき渡り、全裸の彼女が、切り裂かれる姿が、テレビ画面に、映し出された。
部屋の隅に、王朝風のソファと、テーブルが置かれ、飲みかけのワイングラスが置かれている。多分、ジャッカルがワインを傾けながら、自分の殺した女たちの苦しむテレビ画面を、楽しんでいたのだろう。
十津川は、ビデオのスイッチを切り、
「二階を調べてみよう」
と、亀井を、促した。
二人は、廊下に出て、二階への階段を見つけて、駈《か》け上った。
だが、ジャッカルも、北条早苗も、見つからなかった。
十津川は、険しい表情で、亀井と顔を見合せた。
「二人は、何処《どこ》なんだ?」
「ジャッカルが、北条刑事を誘拐して逃げたのかも知れません」
二人は、邸《やしき》の外へ飛び出した。外の林は、暗く、ひっそりと、静まり返っている。
派出所の三人の警官が、駈けつけて来たのと、ぶつかった。
十津川は、彼らに向って、
「うちの北条早苗刑事が、殺人鬼のジャッカルに、この邸から、連れ出されたらしい。ジャッカルの車が、何処にあるか、まず、それを調べて欲しい。歩いて逃げたとすれば、まだ、近くにいる筈《はず》だ。平気で人殺しをする男だから、用心して、探してくれ」
と、指示した。
邸の何処にも、車は見当らない。車で逃げたのか、それとも、ここに車は、最初からなかったのか。
十津川と、亀井は、再び、邸の中に入った。
一階を、調べて廻った。何処へ消えたか、それがわかるものを、見つけたかったのだ。
10
ジャッカルは、壁に並ぶテレビ画面を、ニヤニヤ笑いながら見ていた。
画面は、五つ。
それに、邸の部屋や、廊下、玄関などが映し出されている。
その一つに、十津川と、亀井が、映っていた。二人の会話も、聞こえてくる。
「ご苦労なことだ」
と、ジャッカルは、呟《つぶや》いてから、床に転がっている早苗に近づいた。
白いパジャマは、血で汚れている。彼女の両手は、前で、ロープで、縛られていた。
死んだように動かないが、息はしている。ジャッカルは、犬の首輪を、早苗の首にはめ、鎖を、天井のリングに引っかけて、引っ張った。
早苗の身体が、ずるずると、引きずり上げられていく。彼女が、眼を開いた。
ジャッカルは、早苗を立ち上らせたところで、鎖を止めた。
「気が付いたか? 女刑事さん」
と、ジャッカルが、呼びかけた。
早苗が、ぼんやりした眼を、ジャッカルに向けた。のどに首輪が食い込んで、苦しげに、咳込《せきこ》んだ。
「あの画面を見たまえ。お前の上司が、青くなって、お前を探しているんだ。声をかけてやったらどうだ。まあ、いくら大声を出しても、あの二人には聞こえないがね。ここは、地下室で、絶対に見つからないようになってるし、防音だから、声も洩《も》れない。こっちからは、向うの動きが、手に取るように、わかるんだ」
ジャッカルは、楽しそうに、べらべらと、喋《しやべ》る。
彼は、血のついた外科用メスで、吊《つる》されている早苗の頬《ほお》を軽く叩《たた》いた。
「お前は、これで、石原の股間《こかん》を刺したんだぞ。覚えているか? お前も、恐しい女だ。あれで、石原のモノは、使いものにならなくなった。可哀《かわい》そうだから、引導を渡してやった。のどを、こう、掻《か》き切ってね」
彼は、のどを、切り裂く恰好《かつこう》をして見せた。
「それにしても、このメスは、よく切れるな。気に入ったよ。これから、これを使って、お前をゆっくり切りきざんでやる」
早苗は、黙っている。物いう気力も、体力もなくなったのか。
ジャッカルは、早苗を見つめた。
「お前は、本当は、どうなんだ? 川島ユキが殺されたショックで、気がふれてしまったのか? それとも、治ったのに錯乱したように見せかけて、この邸にやって来て、石原を刺したのか、どっちなんだ?」
「――――」
「これでも、正体を見せないのか」
ジャッカルは、手に持ったメスで、早苗の太股《ふともも》のあたりに切りつけた。赤い線が走ったと見る間に、そこから、血が、したたり落ちた。
早苗が、呻《うめ》き声を上げる。
「そうだ。その悲鳴を聞きたいんだよ。これから、死の儀式を挙げる。お前は、悲鳴を上げるんだ。血を流すんだ」
と、ジャッカルは、唄《うた》うように、いったが、急に、気が付いたように、
「お前の上司にも、悲鳴を聞かせてやろう。その方が、楽しくなるからな」
と、いい、受話器を取ると、ボタンを押した。
テレビ画面の中で、十津川が、受話器を取るのが見えた。
「私だ」
と、ジャッカルが、画面に眼をやりながらいう。
「ジャッカルか?」
「そうだよ」
「北条刑事は、そこにいるのか?」
「いるよ。もっとも、手を縛られて、天井から、吊されているがね。ああ、まだ、死んじゃいない。息をしているよ」
「彼女を殺すな!」
と、十津川が、叫んだ。
ジャッカルは、それを聞くと、嬉《うれ》しそうに、笑って、
「残念だが、駄目だ。彼女は、私の弟子を刺した。その罪を受けなければ、いけない。これから死の儀式を始める。彼女が使った外科用のメスで、切りきざむのさ」
「止めろ!」
「ああ、あんたも、この儀式に参加させてやろう。そこから、少し離れているので、彼女が死ぬところを見せるわけにはいかないが、悲鳴を聞かせてやる。まず、メスで、腕を切ってみようじゃないか」
ジャッカルは、受話器を片手で持ったまま、縛られた早苗の右腕のパジャマをまくり上げ、むき出しになったあたりをメスで、すっと、なでるように、切った。
血がしたたって、床に、ぽたぽたと、音を立てた。だが、早苗は、ぐっと、唇を噛《か》んで、悲鳴を、洩らさなかった。
ジャッカルが、急に、顔を赤くして、怒り出した。
彼は、手に持った受話器で、早苗の顔を、殴りつけた。
「なぜ、悲鳴を上げないんだ! 助けてくれと叫べ!」
怒鳴りながら、また、受話器で殴った。早苗の唇が切れて、血が流れた。
だが、早苗は、声を上げようとしない。
ジャッカルは、ますます、怒りを激しくして、
「泣け! わめけ!」
と、怒鳴った。
メスで、彼女の掌《てのひら》を、突き刺した。一度、二度、三度と、狂ったように、突き刺す。
だが、早苗は、歯を食いしばって、悲鳴を上げなかった。
「畜生!」
ジャッカルは、メスを壁に向って、投げつけた。
ジャッカルは、神や、悪魔を自称している。自分を超人だと、信じている。
そんなジャッカルは、自分の傍にいる人間が、反抗するのを許さない。全員が、彼に怯《おび》え、震えおののき、悲鳴を上げて、憐《あわれ》みを乞《こ》わなければいけないのだ。
そうでなければ、彼が、神、悪魔、超人ではなくなってしまうからだった。
ジャッカルは、自分を落ちつかせるように、椅子《いす》に腰を下し、ワインで、口をしめしてから、受話器を耳に当てて、
「聞いてるか?」
「ああ。どうしたんだ? うちの北条刑事の悲鳴が聞こえてこないが」
と、十津川は、きいた。
ジャッカルは、舌打ちして、
「どうしたか、教えてやる。女刑事にしては、だらしのない女だよ。二、三カ所、メスで、切り裂いてやったら、ショックで、死んじまった。最後の悲鳴を、あんたに聞かせてやろうと思ったんだが、残念だよ」
「お前を、絶対に、逮捕して、死刑にしてやる」
十津川が、叫ぶようにいう。
その声で、やっと、ジャッカルは、機嫌を直した。
彼は、「あんたの部下の冥福《めいふく》を祈ってやれよ」と、捨てゼリフをいって、電話を切ると、ワインを、今度は、ゆっくりと、味わってから、吊されている早苗に、眼をやった。
「女刑事さん。もう、我慢しないで、悲鳴を上げていいんだよ。私に、助けてくれと、すがりついてもいいんだ。お前の上司には、お前が、死んだといってやった。がたがたふるえて、ショックで、死んじまったとね。すぐ、同じことになるんだが、お前は、もう死んでるんだ」
「殺すなら、早く殺しなさい」
早苗は、大きく、眼を開いて、ジャッカルを、睨《にら》みつけた。
ジャッカルは、ますます、機嫌よくなった。
「そういわれると、ゆっくり、いたぶりながら、殺してやりたくなる。お前は、恐怖に顔を歪《ゆが》めながら、死んでいくんだ」
11
十津川は、怒りを叩《たた》きつけるように、拳《こぶし》で、壁を叩いた。何度も、何度も、叩く。
「奴《やつ》は、北条刑事を、殺しやがった!」
そう叫びながら、壁を叩くのだ。
「彼は、今、何処《どこ》にいるんですか?」
亀井が、きく。
「わからない。多分、この近くに、もう一軒、隠れ家を持っていて、そこから、電話をかけてきたんだ。北条刑事を、わざわざ、殺したと知らせてきた。私たちが怒り、悲しむのを面白がっているんだ」
「どうしますか?」
「どうするって?」
十津川は、険しい眼で、宙を睨んでから、ビデオの録画テープを二本取り出して、亀井に渡して、
「これを、保管しておいてくれ」
「そのあと、どうするんですか?」
「この家に、火をつける」
「それは、まずいですよ。ここは、殺人に関係した建物です。保管しておかないと、いけません」
「わかってるが、この家を見ていると、むかついてくるんだ。ジャッカルの犯罪は、その二本のテープで、十分証明できる。被害者の血で塗りかためた部屋なんかは、焼却してしまった方が、世のためだ」
「しかし、証拠の保守は――?」
「カメさん。どこかに、灯油はないか、調べて来てくれ!」
十津川が、怒鳴った。
亀井は、こんな十津川を見るのは、初めてだった。普通は、亀井が怒りまくるのを、十津川が、なだめ役に廻るのに、今度は、全く、反対だった。それだけ、今の電話で、ジャッカルが、北条刑事を、殺したといったのが、十津川には、ショックだったのだろう。
十津川の怒りは、亀井にも抑えようがなかった。それに、亀井だって、こんな化物屋敷は、出来れば、燃やしてしまいたいのだ。
亀井は、灯油を探して歩き、二缶見つけて、十津川のところへ、運んだ。
「カメさんも、手伝ってくれ!」
と、十津川は、片方の缶のフタを開け、部屋に、撒《ま》き散らしていった。
亀井も、割ったガラス窓から、血の部屋に入り、石原の死体を、邸《やしき》の外に引きずり出してから、灯油を、ジャブ、ジャブ、撒いていった。
たちまち、邸全体が、灯油の激しい匂《にお》いで、充満した。
「カメさん。火をつけるぞ!」
十津川は、怒鳴り、百円ライターで、火をつけた。
ゆっくりと、燃え上り、途中から、スピードをあげ、それは、たちまち、部屋全体に、広がっていった。
二人は、ビデオカセット二本を持って、邸の外に、飛び出した。
派出所の三人の警官も、驚いて、駈《か》けつけて来た。
火勢は、激しくなってくる。二階建の建物は、火柱になった。黒煙も、広がっていく。
「燃えろ! 燃えろ!」
と、十津川は、叫んでいた。
その顔を、炎が、赤く照らし出す。彼も、平静さを、失っていた。
ふいに、雨が降り始めた。
12
雷鳴が、轟《とどろ》いた。
春の雷雨だった。青白い閃光《せんこう》が走り、豪雨になった。
激しい雨足が、燃える邸に降り注ぎ、十津川たち警官の顔を濡《ぬ》らしていく。
炎が消えていく。煙が、低く這《は》い出した。
「畜生! 邪魔しやがって!」
十津川は、雨空を睨んだ。
その時、亀井が、
「警部!」
と、大声を出した。
「何だ?」
「あれを見て下さい!」
と、亀井が煙の中を指さす。
十津川は、身体を低くして、煙の中を見すかした。相変らず、豪雨が、叩きつけるように、降り続けている。
炎は、完全に消えてしまい、煙だけが、流れている。その煙も、雨の勢いで、うすれていく。
建物の壁は、崩れて、部屋が、むき出しになっている。
その部屋の床が、持ち上って見えた。
いや、よく、目をこらせば、床が持ち上ったのではなく、床の一部が、何かの蓋《ふた》のように、はね上げられているのだ。
「地下室だ!」
十津川が、叫んだ。
「地下室を作ってやがったんだ」
「なめやがって!」
亀井も、怒鳴る。
二人は、また、拳銃《けんじゆう》を取り出すと、くすぶり続け、煙が充満している建物の中に、ハンカチで、鼻を蔽《おお》いながら、踏み込んで行った。
開いた、コンクリートの蓋のところに、辿《たど》りつく。その上には、じゅうたんが敷いてあったのだが、そのじゅうたんは、燃えつきてしまっている。
地下から激しく咳込《せきこ》みながら、一人の男が、階段を上ってきた。
地下から、男の身体が、出たところで、
「この野郎!」
と、十津川が、拳銃で、殴りつけた。
相手が、悲鳴を上げて、焦げた床に、転がった。
亀井は、地下室を覗《のぞ》き込んでから、階段を下りて行った。
地下は、蛍光灯で明るい。が、煙が、入り込み、熱で、熱くなっている。
亀井は、部屋の中央に、鎖で、吊《つる》されている北条早苗を発見した。
壁にはテレビ画面が、並び、その一つに、邸の玄関が映っている。が、他の画面は、消えてしまっていた。多分、熱でショートして、映らなくなってしまったのだろう。
「大丈夫か?」
と、亀井が、吊された早苗に声をかけた。が、返事はない。
彼女は、血で、汚れている。とにかく、床に下してから、
「警部! 北条刑事を見つけました!」
と、上に向って、怒鳴った。
「生きてるか?」
上から、十津川が、きく。
「わかりません! とにかく救急車を呼んで下さい!」
亀井が、怒鳴る。
早苗の首筋に、指を触れてみる。脈はあるようだが、はっきりしない。
十五、六分して、救急車と、消防車、それに、パトカーが、駈けつけた。
早苗は、意識不明のまま、救急車で、運ばれて行った。
後ろ手錠のジャッカルに向って、亀井が、水をぶっかけた。
ジャッカルが、呻《うめ》き声をあげながら、眼を開けた。
そのジャッカルを、引きずるようにして、パトカーに乗せ、近くの警察署へ連行した。
すぐ、十津川と、亀井が、取調室で訊問《じんもん》に当った。
ジャッカルの顔は、焼けて、汚れている。十津川は、濡れたタオルを、放り投げて、
「それで、顔を拭《ふ》いたら、どうだ?」
「――――」
ジャッカルは、黙って、顔を拭いた。
十津川は、少し、落着いた気分になっていた。
「君の本名は?」
と、まず、きいた。
「ジャッカル」
「ふざけやがって!」
亀井が、怒鳴る。
「私は、ジャッカルだ。ホンモノのジャッカルだ」
と、相手は、繰り返した。
十津川は、苦笑して、
「ホンモノのジャッカルねえ」
「何がおかしい。君たちが、邸に火をつけるような無茶なことをしなければ、私は、捕ったりはしなかったんだ。警察が、証拠の邸に、放火するなんて、なぜ、そんなバカなことをしたんだ? 証拠隠滅で、懲戒になるんだろう?」
ジャッカルが、きく。
十津川は、笑って、
「あの瞬間、私も、君と同じで、狂気に支配されていたんだ。君は、私の部下を殺したといった。その瞬間、私は、平静さを失ってしまったんだ」
「畜生! 君については、どんな状況でも、冷静さを失わない人間だと、分析していた。それが、君の長所でもあり、欠点でもある。その欠点がある限り、私は、君には捕らないと考えていたんだ」
「私も、人間だから、常軌を逸することもあるんだ。そこまで、分析していなかったのは、君のミスだ」
と、十津川は、いった。
県警の若い刑事が入って来て、小声で、十津川に囁《ささや》いて、出て行った。
十津川は、ジャッカルに眼をやって、
「北条刑事の意識は、いぜんとして、不明のままだそうだ」
「そうか」
「殺したといったのは、嘘《うそ》だったんだな? なぜ、そんな嘘をついたんだ?」
十津川が、きいた。
「私は、君をからかってやりたかったのさ。それに、苦しめてやりたかった。人が、苦しむのは、私にとって、無上の喜びでね」
ジャッカルは、ニヤッと笑う。
「それで、電話で、私に、北条刑事の悲鳴を聞かせようとしたんだな。だが、彼女は、悲鳴を上げなかった」
「ああ、気絶しやがった」
「それは、嘘だ。それなら、君は、北条刑事が死んだなんて、嘘をつく必要はなかったんだよ。北条刑事は、君がナイフで刺しても、悲鳴を上げなかった。それで、君は、私を苦しませる方法に窮して、死んだと嘘をついたんだ。確かに、それで、私は動転した。しかし、苦しむ代りに、頭にきてしまった。それでなければ、大事な証拠物件に、火をつけたりはしないよ」
と、十津川は、いった。
「石原を殺したのは、お前だな?」
亀井が、ジャッカルに、きいた。
「いや、あれは、女刑事が、やったんだ」
と、ジャッカルは、いう。
「馬鹿なことをいうな!」
「私は、三人の女を殺している。他にも、何人かをね。死刑は、間違いない。今更、嘘をついても、仕方がないだろう。君たちの女刑事が、今夜、やってきた。名前は確か、北条――?」
「北条早苗だ」
「その北条刑事が、やって来た。まるで、夢遊病者みたいに見えた。私の影響力が、いぜんとして残っているんだと思った。が、あの邸《やしき》を知っているのでは、殺した方がいいと思って、弟子の石原に、殺せと命令したんだ。ところが、逆に、北条刑事に、外科用のメスで、大事なところを刺されてしまった」
「だが、石原は、のどを切り裂かれていたぞ」
と、亀井が、いった。
「あれは、儀式だよ」
ジャッカルは、事もなげに、いう。
「儀式って、何だ?」
亀井は、怒りを籠《こ》めて、ジャッカルを睨《にら》んだ。
ジャッカルは、なぜか、ニヤッと笑って、
「死の儀式だよ。いってみれば、私の慈悲だ。苦しむのは可哀《かわい》そうだから、天国に送る儀式を、ほどこしてやったのさ」
「それなら、やっぱり、殺したのは、お前だ」
「私が、少し、死を早めてやっただけだよ」
「生きていたかも知れないんだ」
亀井がいうと、ジャッカルは、急に、険しい眼つきになって、
「あの邸の中で、人の死を決めるのは、私だ。私だけだ!」
と、声を荒げた。
眼に、狂気が、現れていた。
13
十津川と、亀井は、いったん、ジャッカルの訊問を止め、もう一度、彼の別荘へ、足を運んだ。
屋根の一部が崩れ、柱や壁も毀《こわ》れ、惨めな姿を、さらしている。
十津川が、灯油を撒《ま》いて火をつけたのだが、突然の豪雨によって、火は、消えた。それが、鼻をつく、異臭になっている。
血塗られ、その上に、ルミノールの液を塗った悪魔の部屋は、黒く焦げ、かえって、血の匂《にお》いが、強烈になった。
十津川と、亀井は、顔をしかめながら、地下室に通じる通路へ向って、歩いて行った。
コンクリートの蓋《ふた》は、開いたままになっている。
二人は、ぽっかりと開いた四角い穴から、地下室へ行く階段を下りて行った。
ジャッカルを逮捕し、同時に、早苗を助け出した時は、そのことに夢中で、地下室の様子は、ほとんど、見ていなかった。
今度は、調書を作るために、じっくりと、見る積りだった。
広い部屋が、二つつながっている。それは、ただの地下室ではなく、核シェルターに似ていた。独立で、発電できるようになっているし、食糧なども、貯蔵されていた。
もし、十津川が、怒りに委《まか》せて、邸に火をつけなかったら、今でも、ジャッカルは、シェルターに隠れ、警察がいなくなってから、悠々と、逃げのびてしまっただろう。
邸が、燃え上って、熱が、地下室にも伝わり、煙も侵入したため、ジャッカルは、恐怖に襲われて、地下室から、這《は》い出してしまったのだ。
今、地下室には、電気が点《つ》いている。
二十五、六坪はある広い部屋は、思い切り豪華に、作られていた。これも、身代金で、作られ、飾られたのだろう。
美しいじゅうたんが、敷きつめられ、ソファが置かれている。そこに座ると、眼の前に、五つのテレビ画面が、並ぶ。その一つに、上の邸が、映し出されている。
ソファの横には、電話機がある。ジャッカルは、テレビ画面を見ながら、この電話で、十津川をからかったのだ。
だが、十津川は、彼の予想とは、全く違った行動を取った。
多分、刑事が、特に、十津川が、証拠物件である別荘に放火するなどとは、全く考えていなかったのだろう。部下が殺されたと聞いたときの、十津川の怒りが、どれだけのものか、ジャッカルには、わからなかったのだ。
隣りの部屋を開けたとき、十津川と亀井は、一瞬、眼をそむけた。
その部屋に、川島ユキの首が、飾られていたからである。
まるで、ハンターが、獲物の獣の首を飾るように、川島ユキの首が、剥製化《はくせいか》されて、飾られていたのだ。
他の二人の女の首が飾られなかったのは、まだ、この地下室が完成されていなかったためかも知れない。
ジャッカルが、川島ユキの首だけでなく、他の女の首も飾る積りでいたことは、壁の中央に、川島ユキの首があるのではなく、右端に、飾られていたことでも、はっきりしている。
ジャッカルは、これから、何人もの女を殺し、自分の悪の力を誇示するために、その首を、この部屋の壁に飾っていく積りだったに違いない。
十津川は、川島ユキの首を、壁から下し、部屋に敷かれていたじゅうたんで、包んだ。
そのあと、二人は、地上に上り、県警が来るのを待った。
待つ間、十津川は、東京の三上本部長に、改めて、電話をかけた。
ジャッカルを逮捕し、早苗を病院へ送ったことは、すでに、報告してある。
「地下室から、川島ユキの首を発見しました」
と、彼は、伝えてから、
「私は、この別荘に放火しました。北条刑事を殺したといわれ、怒りで、自分を抑えられなかったのです。刑事としては、失格です」
「しかし、それで、ジャッカルを逮捕出来たんだろう?」
と、三上が、いう。
「それは、結果論です。刑事の私が、証拠を消してしまう危険を冒したのですから、弁明は、出来ません」
「そのことは、君が、帰京してから決める。今は、ジャッカルを逮捕したことを、記者会見で、発表しなければならんのだ。全国民が待っていた報告をだよ。その大事なときに、詰らんことを、いいなさんな」
と、三上は、いった。
14
間もなく、夜が明ける。
その時刻にも拘《かかわ》らず、新聞記者たちが、続々と、集って来た。テレビ局の中継車も、捜査本部に、押しかけて来た。
犯人逮捕を告げる三上本部長は、上気していた。
(こんなときに、刑事の一人が、詰らないヘマをしたことなんか話せるか!)
と、三上は、思っていたのだ。
同じ時刻。十津川は、あとの始末を、県警に任せて、ジャッカルのところに、亀井と戻って来た。
取調室で、再び、ジャッカルに向い合うと、十津川は、テーブルの上に、じゅうたんに包んだ川島ユキの首を置いた。
「これが何かわかるか?」
「地下室に敷いたじゅうたんに似ているな」
「中身だ!」
と、亀井が、怒鳴った。
ジャッカルは、ニヤッとして、
「そんなに怒っているところをみると、彼女の首だな。私の輝ける獲物だ」
「これが、獲物か?」
十津川は、じゅうたんを広げた。剥製化した川島ユキの首が、ジャッカルと、向き合った。が、ジャッカルは、眼をそむけるどころか、嬉《うれ》しそうに、笑って、
「十津川さん。良く出来た剥製だろう? こういう首を、十個、二十個と並べて、それを見ながら、極上の酒を呑《の》みたかったんだがね」
「私は、君の首をはねて、剥製にしてやりたいよ」
と、十津川は、いった。
「刑事が、そんなことをいっていいんですか?」
「私もね、君を見ていると、狂気に襲われてくるんだ。どうせ、君は、死刑になる。それなら、私が、殺して、首をはねてやろうじゃないか。死刑になりそうな犯人の首を、全部はねて、それを剥製にして、私の家の壁に並べるんだ。私の刑事としての功績だ」
十津川は、じっと、ジャッカルを見すえて、いった。
「あんたには、そんなことが出来る筈《はず》がないんだ。私は、超人で、世の中の掟《おきて》や規律から、完全に、自由だったが、あんたは違う。あんたは、法律や、規律の奴隷だ」
ジャッカルが、いう。
十津川は、ジャッカルの別荘から持ってきた外科用のメスを、テーブルの上に置いた。
「これで、君ののどを切り裂いたらどうなるのかな」
「あんたには、出来ない。出来っこないよ」
「私も、ふっと、血を見たくなる瞬間があるんだ。特に、凶悪犯の血を見るのがね。君みたいな相手なら、殺しても、良心は、全く痛まないからね」
と、十津川は、メスを手に取り、じっと、ジャッカルを見すえた。
「あんたは、刑事なんだよ。それを忘れないでくれよ」
ジャッカルが、いった。
「私はね、あの別荘に火をつけた時に、刑事であることを、忘れてしまったんだ。その瞬間、やたらに、自由で、高揚した気分になった。それを、忘れられないんだよ。君と同じく、超人になるのも悪くない」
十津川は、ニヤッと笑った。
急に、ジャッカルの顔に、怯《おび》えの色が浮んだ。
「怖いのか?」
と、十津川が、きいた。
「そんなことじゃない。私は、美しい女を殺すことに、怯えもなかったが、自分が殺されることにだって、怯えはないよ。かえって、楽しいくらいだ」
「それなら、なぜ、そんな怯えた顔をするんだね?」
「わからないんだよ」
「何が?」
「北条という女刑事のことだ」
「彼女の何がわからないんだ?」
「あの女は、正気だったのか? それとも、狂気にかられて、私の別荘に、やって来たのか。それを知りたいんだ。あんたの眼を見ている中《うち》に、また、わからなくなってしまった」
「そんなこと、わからなくてもいいだろうが」
十津川が、突き放すようにいった。
ジャッカルは、首を小さく横に振った。
「私には、大切なことだ。私は、男も女も、簡単に支配してきた。私の前では、みんな、怯えて、奴隷のように、私に、仕えたんだよ。三人の女も、もちろんだ。だが、あの女刑事は、違っていた。彼女も、怯えて、私のいいなりになって、私のメッセージを、警察に伝えたと思っていたんだ。彼女が戻って来た時、その報告をしに帰って来たと思った。私が、支配している証拠だと思った。ところが、いきなり、私の弟子の石原を、刺しやがった。どうしてなんだ? あの女を、狂気が支配してしまったのか? それとも、刑事としての義務感で、狂気を演じていたのか、それを知りたいんだ」
「なぜ、そんなことを知りたいんだ? お前さんは、捕ったんだよ。死刑が決っているのに、なぜ、そんなことを知りたがるんだ?」
亀井が、笑って、きいた。
ジャッカルは、突然、拳《こぶし》で、激しく、テーブルを叩《たた》いた。眼が険しくなっている。狂気の眼に見えた。
「私にとっては、大事なことなんだ!」
と、ジャッカルが、怒鳴る。
十津川の口元に、苦笑が浮ぶ。
「怒鳴りなさんなよ。君の名誉にかかわることなのか?」
「そうさ。私の大事な名誉にかかわるんだ。誰でも、支配できたのに、あんな女刑事に、いいように、やられた。死刑は怖くないが、そのことに、私は、傷つくんだ」
「傷つくだって?」
と、亀井が、険しい表情になって、
「その首を見ろ! 三人も女を殺しておいて、傷つくだと?」
「女は、私に殺されて、幸福なんだよ。名前が、永久に残るからな。それもこれも、私が、超人だからだ。神だからだ。その私が、たった一人の女刑事を支配できなかったなんてことがあっていいと思うか。私の自尊心は、ズタズタにされてしまう。我慢がならないんだ。だから、彼女に会わせてくれないかね。彼女が、本当は、怯えていたとわかれば、私は、傷つかなくて、すむんだ」
ジャッカルは、子供のように、駄々をこねた。
「今、北条刑事は、眠っている」
と、十津川は、いった。
「眠っている?」
「疲れて、眠っているんだよ。眼を醒《さ》ましたら、会いに行く積りだ」
「会ったら、きいて来てくれ」
「君をからかっていたのか、それとも、君に怯えていたのかということか?」
「そうだ。何としても、その答えを知りたいんだ。死刑になる前に、それを教えてくれ」
と、ジャッカルは、いった。
「いいだろう。きいて来てやるよ」
と、十津川は、いった。
15
二週間たった。
その間に、ジャッカルは、東京拘置所送りになった。
十津川は、亀井と二人で、西伊豆の|堂ケ島《どうがしま》に、北条早苗に会いに出かけた。
彼女は、病院を退院したあと、堂ケ島の知人の小さな別荘を借り、そこで、心の傷を、癒《いや》していたからである。
二人が、着いたとき、早苗は、海を見に出かけていた。
十津川たちは、彼女を探しに、海辺へ歩いて行った。
風のない、おだやかな日で、波も、静かだった。夏のシーズンになれば、海水浴客で、一杯になるのだろうが、今は人の気配のない、静かな海岸だった。
貸ボートが、引き揚げられて、並んでいる。
その一|艘《そう》のかげに、早苗は、腰を下して、海を眺めていた。
十津川たちは、しばらく、彼女の様子を見てから、声をかけた。
早苗は、あわてて、立ち上り、
「来ていらっしゃったんですか」
「様子を見に来たんだ」
と、十津川は、いった。
「もう大丈夫ですわ。身体の傷は、完全に、治りました」
「問題は、心の傷の方だ。君は、あまりにも、ひどい目に遭ったから、精神的に、立ち直っているかどうか、それが、心配でね」
と、十津川は、いった。
「自分では、大丈夫だと、思っています」
「実は、ジャッカルが、君に、会いたがっている」
「なぜですか?」
「彼は、君に会って、いろいろと、話したいんだそうだ。彼は、今、東京拘置所にいる。どうだね? 会ってみるかね?」
「警部は、会った方がいいと、お考えですか?」
「私には、何ともいえない。ただ、君が、平気で彼と会うことが出来れば、君は、大丈夫だろうと思っている。ただ、それは、強制は、出来ない。君の自由だ」
と、十津川は、いった。
「私も、会ってみたいと、思いますわ」
と、早苗は、いった。
「本当に、大丈夫か? 平気で、彼と、向い合えるかね?」
「自分を試したいと思います。ここで、尻込《しりご》みをしてしまえば、私は、刑事として、復帰できないかも知れませんから」
と、早苗は、いった。
その日の中《うち》に、十津川と、亀井は、早苗を連れて、東京に、戻った。
彼女を、ジャッカルと、面会させることには、反対の声もあった。慎重|居士《こじ》の三上本部長は、
「心配なのは、北条君が、ジャッカルと会って、死体や、血のショックを思い出しはしないかということだよ」
と、いった。
「多分、思い出すでしょう」
と、十津川は、いった。
「それでも、会わせた方がいいというのかね?」
「彼女が、これを機会に、刑事を辞めるというのなら、話は、別です。私は、ジャッカルに会わせたりはしません。その必要もないと思います。しかし、彼女は、また刑事として、第一線に立ちたいと、いっているんです。血を見ることだってあるし、死体を見ることだってあります。その度に、ショックを受けるのでは、役に立ちませんし、コンビを組む相棒が、危険にさらされてしまいます。それを、試したいんです。彼女が、刑事として、復帰できるかどうかをです」
「もし、ジャッカルと会って、ショックを受けたら、どうするのかね?」
「可哀《かわい》そうですが、刑事を辞めさせます」
十津川は、きっぱりと、いった。
16
東京拘置所の面会室に、三人は、入って行った。
看守に連れられて、ジャッカルが、やって来た。
十津川と、亀井は、わざと、離れて、早苗ひとりをガラス越しに、ジャッカルと、会わせた。
ジャッカルは、椅子《いす》に腰を下すと、早苗を見て、ニヤッと、笑った。
「あんただ。あんたに、会いたかったんだよ」
「会って、何をいいたいんです?」
早苗は、冷静な口調で、きく。
「この拘置所で、俺《おれ》は、毎日、夢を見た。同じ夢だ。あんたの首をはねて、壁にかける夢さ。血が、だらだら、流れて、壁にきれいな模様を描くんだよ」
「なぜ、私の首なんか、欲しがるの?」
「今は、俺は、一番、あんたの首が欲しいんだ。俺は、三人の女を殺して、首をはねた。その度に、俺の胸を、喜びが、電気みたいに、走った。だが、あんたを殺して、首をはねたら、もっと、素敵な気分になれる。それが、わかってるんだよ。その白いのどを、ナイフで、すっと、横に切る。ぱっくりと口を開けて、どっと、血が流れ出る。素敵だよ」
「それが、出来なくて、残念ね」
「出来ないと、思っているのか?」
「出来るの? 出来るんなら、やってみなさい」
「うおッ!」
突然、ジャッカルは、吠《ほ》えると、立ち上り、両方の拳《こぶし》で、激しく、ガラスを叩《たた》いた。
強化ガラスは、びくともしない。逆に、ジャッカルの両拳から、血が、噴き出して、ガラスを、血が、流れ落ちた。
ジャッカルは、狂ったように、血まみれの拳で、ガラスを叩き続ける。
看守が、あわてて、ジャッカルを、抱き止めた。
早苗は、一瞬、椅子から立ち上ったが、ガラスの向うにいる看守に向って、
「いいから、放っておいて下さい」
「しかし――」
「それくらいのことしか出来ないのよ」
と、早苗は、いった。
看守が、手を離すと、ジャッカルは、また、血まみれの拳で、ガラスを叩き始めた。そうすることで、ガラスが割れて、両手で、早苗の首を絞められると、信じているような顔つきだった。
早苗は、そんなジャッカルを、冷ややかに見すえた。
「ただのバカね」
と、早苗は、軽蔑《けいべつ》するように、いった。
とたんに、ジャッカルは、狂ったように、今度は、両拳ではなく、頭を、ガラスに激しく、打ち続けた。
額が割れて、どばっと、血が噴き出して、境のガラスは、たちまち、血で、赤く染ってしまった。
ジャッカルは、何かわめきながら、拳で、ガラスを叩き、頭を、打ちつけ続けた。
また、看守が、あわてて、制止する。今度は、早苗は、止めなかった。
17
東京拘置所を出たところで、十津川は、早苗に、
「立派だったよ」
「本当は、ちょっと、怖かったんです」
と、早苗は、微笑した。
「ジャッカルは、君に会ったら、ききたいことがあると、いっていたんだがね」
と、亀井が、いった。
「どんなことを、ききたかったんでしょう?」
早苗が、きく。それに対して、十津川が、
「多分、君の答えをきくのが、怖かったんだ。自分の敗北を、改めて、認めることになるからね。だから、あんな真似をして、君を脅した。君が、怯《おび》えたら、それを、質問の答えとして、満足したかったんだろうと、思うね」
と、いった。
その夜、東京拘置所内で、ジャッカルは、首を吊《つ》って、死んだ。
毛布の一部を、苦労して、ほどき、それをよってロープを作り、窓の鉄格子に引っかけ、首を吊ったのだ。
記者会見のとき、記者の一人が、こんな質問を、十津川にした。
「ジャッカルは、前のジャッカルに会いに、宮城刑務所に、一年間、面会に通ったんでしょう?」
「そうです。彼の弟になりすまして、毎月一回、面会に行っていました」
「それで、前のジャッカルが、どうして、捕ったかを聞き出して、自信満々だったといわれていますが、これも、事実ですか?」
「本当です」
「それなのに、なぜ、逮捕されてしまったんでしょうか? 三人の女を殺したところで、捕ってしまった。彼は、一年間、刑務所に通って、前のジャッカルから、いろいろと、学んだ筈《はず》でしょう?」
「ジャッカルは、自分のことを、神だといい、悪魔だともいい、超人だとも、いっていました」
「それは、知っています」
「そんな人間が、他人《ひと》から、何かを学ぶなんてことをすると思いますか?」
と、十津川は、笑って、
「何か学ぶのは、自分が、愚かだと知っている人間だけです。私とか、あなたのようにね。だから、ジャッカルは、一年間、宮城刑務所に通っても、何も、学ばなかったんですよ」
「じゃあ、彼は、何のために、毎月一回、前のジャッカルに、面会に行っていたんですか?」
と、記者が、きいた。
「今もいったように、ジャッカルは、自分を、神、悪魔、超人と、思っていたんです」
「ええ」
「ただ、ホンモノではなかった。当り前です。ニセモノだから、常に、誰かと比較して、自分の優秀さを、確めたがった。面会に行ったのも、そのためです。彼は、先代のジャッカルの話を聞きながら、こう思っていたと思います。こいつは、偉そうに、自慢しているが、ヘマな男だ。俺なら、絶対に捕るようなヘマはしないと」
「なるほど、自画|自讃《じさん》するために、宮城刑務所に、通っていたということですか?」
「そうです。だから、三人の女を殺した時点で、逮捕された」
「ジャッカルは、東京拘置所内で、自殺しましたが、理由がわからないのです。ああいう狂気の人間というのは、普通、自殺はしないものだと、思うんですが」
と、記者が、きく。
十津川は、微笑して、
「ああいう犯人には、天敵がいるんです。その天敵と出会って、彼は、自尊心が、ズタズタにされて、自殺したんだと思います」
「天敵って、誰ですか?」
「女性です」
と、十津川は、いった。
記者は、変な顔をして、
「ジャッカルは、女を、三人も殺しているんですよ。それで、若い女性が、パニックに陥ったくらいじゃありませんか。なぜ、女性が、ジャッカルの天敵なんですか?」
と、きく。
「ジャッカルは、自分に会えば、女は、全て震えあがって、奴隷のように、ひれ伏すと、信じていたんです。ところが、彼に会っても、怯えも、震えもしない女がいたんです。血を見ても、平然としている。ジャッカルは、その女に出会って、わけが、わからなくなってしまったんですよ。なぜ、この女は、怯えないのか、震えあがらないのかとね。彼は、自尊心が、ズタズタにされ、混乱し、ついには、首を吊って、自殺してしまったんだと、思っています」
と、十津川は、いった。
「その女性は、何処《どこ》に行けば、会えるんですか? 何処の誰で、何をしている女性ですか?」
と、記者は、きいた。
「多分、その中《うち》に、会えますよ」
と、十津川は、いった。
本書は、平成十年八月に小社よりカドカワエンタテインメントとして刊行されたものを文庫化したものです。
角川文庫『闇を引き継ぐ者』平成13年9月25日初版発行
平成15年10月5日5版発行