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祝日に殺人《ころし》の列車が走る
西村京太郎
目 次
第一章 予 告
第二章 被害者の顔
第三章 二つの推理
第四章 新たな事件
第五章 BMW
第六章 火の国
第七章 再検討
第八章 遺言の裏
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第一章 予 告
1
十津川《とつがわ》が、出勤すると、若い清水《しみず》刑事が、遠慮がちに、
「警部のフルネームは、十津川|省三《しようぞう》でしたね?」
と、きいた。
十津川は、笑いながら、
「そうだが、いったい、何のことだい?」
「警部は、深夜のラジオなんか、聞かれないでしょうね?」
「ラジオねえ。最近、聞いたことがないな。二十代の頃は、毎日のように、聞いていたが」
十津川は、懐しそうに、いった。
大学時代、深夜ラジオを聞きながら、本を読んだ。今の若者は、テレビを見ながら、仕事をすると聞くが、十津川が、若い頃の、「ながら族」といえば、ラジオだった。
「最近は、また、ラジオの良さが、見直されているんです」
と、清水は、いってから、
「昨夜《ゆうべ》、中央ラジオの午前一時のリクエストというのを聞いていたんですが、突然、警部の名前が、出て来て、びっくりしました」
「私は、そんな番組に、リクエストのハガキは書いたことがないよ」
「いえ、ハガキの主《ぬし》は、違います。確か、『夜が大好きな男』という名前でした。アナウンサーが、そういっていましたから」
「それと、私と、どんな関係があるのかね?」
「アナウンサーが、読んだハガキの文面なんです。正確には、覚えていないんですが、『東京|世田谷《せたがや》の十津川省三君へ。今度の祝日に、殺人《ころし》の列車が走るから、しっかり見ていてくれ』と、いったことでした」
「祝日に、殺人《ころし》の列車――?」
「そうなんです。ふざけているんでしょうが、気になりまして」
と、清水がいうと、横で聞いていた西本《にしもと》刑事も、
「それ、私も聞きました。その男のリクエストした曲が、古いアメリカ映画の主題曲で『殺しのバラード』でした」
「その曲なら、私も、知っているが――」
十津川は、十数年前に見た映画を、思い出した。
詳しいストーリーは忘れたが、一人の男が、次々に、殺しを続けていく映画だった。『殺しのバラード』という音楽は、映画の全面に流れるのだが、その頃、かなりヒットしたものだった。
「警部も、世田谷にお住みでしたね?」
と、清水が、きく。
「ああ、経堂《きようどう》の近くだ。しかし、本当に、私宛《わたしあて》のハガキだったのかね。ラジオでは、字はわからんだろう?」
「そうですが、私は、警部の名前と同じだったんで、同じ字を考えましたが」
「私が、中央ラジオに、問い合せてみます」
と、西本が、いった。
彼は、すぐ、電話をかけていたが、
「今、そのハガキを、ファックスで、送ってくるそうです」
と、十津川に、いった。
ファックスには、ハガキの表と、裏が、送られて来た。
〈東京都港区赤坂中央ラジオ
午前一時リクエスト様〉
これは、宛名で、ワープロで、打ってあった。
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〈東京|世田谷《せたがや》の十津川省三君へ。これを聞いていたら、注意してくれ。今度の祝日に、殺人《ころし》の列車が走るからだ。間違いなく、走る。
リクエスト曲は、殺しのバラード
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[#地付き]夜が大好きな男〉
こちらも、ワープロで、きれいに、打ってあった。
十津川は、じっと、その文字を見つめた。
2
十津川という姓は、そう多くはないと、思っていた。省三となれば、なおさらだろう。
もちろんこのハガキにある十津川省三が、別人だということは、あり得ないことではない。
いたずら好きの十津川省三という少年が同じ世田谷区内に住んでいるのかも知れない。その少年に向って、悪友の一人が、からかい半分に、リクエスト曲を送ったということも、考えられた。
「今日は、四月二十七日だったね」
と、十津川は、亀井《かめい》を見た。やはり、気になるのだ。
「そうです。間もなく、連休が始まります。今度の祝日というのは、ゴールデン・ウィークの中の一日だと思いますが」
と、亀井がいう。
十津川は、壁のカレンダーに、眼をやった。
四月二十九日(水)天皇誕生日
三十日(木)
五月 一日(金)
二日(土)
三日(日)憲法記念日
四日(月)振替え休日
五日(火)子供の日
になっている。
厳密にいえば、連休は、五月三日から、五日までになってくる。
祝日も、厳密にいえば、四月二十九日、五月三日、五月五日の三日になるだろう。
このどれかの日に、「殺人《ころし》の列車が走る」のだろうか?
今度というのを「次の」と考えれば、四月二十九日ということになるのか?
「殺人《ころし》の列車が走るというのは、どういうことですかね?」
と、亀井が、十津川を見た。
「わからないね。列車の中で、殺人が行われるのかも知れないし、或《ある》いは、その列車そのものが、凶器になるということかも知れない」
「と、いいますと?」
「例えば、どこかの踏切りで、ある列車が、人間の乗った車をはねるように仕組めば、その列車が、凶器になるからね」
「確かに、そうですね」
「しかし、この投書のハガキの主《ぬし》は、真剣なのかな? それが、問題だよ」
と、十津川は、いった。
「調べてみますか?」
「調べるって、どうやって、調べるんだ?」
「まず、世田谷区に、警部の他に、十津川省三という名前の人間がいるかどうか、調べます。それから、このハガキを採用したディスク・ジョッキーと会って、なぜ採用したのかということや、反応を聞いてみようと思います」
と、亀井は、いった。
第一の調査は、簡単だった。世田谷区役所で調べて貰《もら》ったところ、四月二十七日現在、区内に、十津川省三という名前は、十津川警部一人だけと、わかった。
問題の番組のDJをやっている池島《いけじま》トオルというタレントとは、翌日の二十八日の昼に、十津川と、亀井が、一緒に、会うことになった。
会ったのは、中央テレビの近くの喫茶店だった。池島トオルは、現代風なマルチタレントで、三十歳だが、若者に人気があり、テレビにも、よく出ていた。
「そのハガキは、ちょっと変っていたんで、よく覚えていますよ」
と、池島は、ニコニコ笑いながら、十津川たちを見た。
「何枚もの中から、選んで、読むわけですね?」
「そうです」
「決めるのは、あなたですか?」
「僕と、プロデューサーと、構成の作家の三人で、決めます」
「あのハガキが、採用されたのは、どんなことでですか?」
と、十津川が、きくと、池島は、肩をすくめて、
「そんな大きな理由はないんですよ。とにかく、変っていたんで採用したんです」
「しかし、殺人《ころし》という言葉が入っていますよ。それは、気になりませんでしたか?」
「この頃、いろいろな臨時列車が走りますからね。ミステリー列車なんか、一年に、百本近く走っているんじゃありませんか。殺人《ころし》の列車というのも、それに似た列車が、今度の連休に、本当に走るんじゃないかと、思ったんです。ミステリー好きの乗客が乗りましてね」
「それを、確かめましたか?」
「いや、そこまでは、やっていません。それに、実際に、人殺しをハガキに書く人間なんかいるとは思いませんからね」
と、池島は、笑った。
確かに、最近、イベント列車が、多い。民営になってからも、いろいろなイベント列車が、企画されていると聞いている。
今は、ミステリーが流行《はや》っているから、「――殺人列車」といったイベント列車が、連休に走る予定があれば、別に、問題にする必要はないのかも知れない。
十津川は、早速、各鉄道会社に、今度の連休に走るイベント列車の予定を、教えて貰《もら》った。
イベント列車には、お座敷列車とか、サロンカーといった、いわゆるジョイフルトレインが、利用されている。
十津川は、電話で聞くと、それを、黒板に、書き並べてみた。
4/28→5/1 ――町農協お座敷列車の旅
(大分→伊勢《いせ》)
4/29→4/30 韮崎《にらさき》市民号|房総《ぼうそう》の旅
4/29→4/30 ゆうゆうサロン ミシガンパートT・U
(岡山→大津→岡山)
4/29→4/30 お座敷列車で民謡|佐渡《さど》の旅
(高崎→新潟)
4/30→5/2 ミスズ観光お座敷列車の旅
(長野→東京→金沢)
5/1→5/4 サロンエキスプレス「そよかぜ」
(東京→軽井沢《かるいざわ》)
5/3→5/4 ラジオ関西創立記念サロンカーの旅
(姫路《ひめじ》→大阪→金沢)
5/5 たぬきを作ろう体験の旅
(大阪→貴生川《きぶかわ》→京都)
5/2→5/5 ユーロライナー「のりくら」
(名古屋→高山《たかやま》)
5/1→5/5 スーパーエクスプレスレインボー
(上野→仙台)
5/2→5/3 江戸号で行くビーナスラインの旅
(東京→上諏訪《かみすわ》)
5/2→5/4 塩原《しおばら》温泉と那須《なす》高原の旅
(沼津《ぬまづ》→身延《みのぶ》→甲府《こうふ》→郡山《こおりやま》→黒磯《くろいそ》)
5/2→5/3 群馬《ぐんま》町民号
(高崎→新津《にいつ》→酒田《さかた》)
5/3→5/4 湯の里北陸めぐり
(新潟→金沢→西福井)
5/1→5/3 長崎《ながさき》とオランダ村の旅
(早岐《はいき》→平戸口《ひらどぐち》→佐世保《させぼ》→鳥栖《とす》)
4/29 中山美穂と行くなつかしの展望車
(京都→大垣《おおがき》→名古屋)
5/3→5/5 島根大鉄道研究会
(京都→松江→米子《よなご》)
5/5→5/6 マイラブワンダーランドの旅
(松江→備中高梁《びつちゆうたかはし》→岡山)
5/5→5/8 パノラマライナー吉都線《きつとせん》号
(都《みやこの》 城《じよう》→三角《みすみ》→長崎《ながさき》→八代《やつしろ》)
5/1 有田《ありた》陶器市(宇土《うと》自治区)
5/1→5/3 有田陶器市(人吉《ひとよし》自治区)
5/5 有田陶器市(運輸部)
(熊本→有田)
5/2→5/3 有田陶器市の旅
(西鹿児島《にしかごしま》→上有田《かみありた》)
4/21→5/25 大井川鉄道「かわね路号」
(臨時SL急行が走る)
5/3・5/5(二日間) クモハ12復活記念運転
(伊那松島《いなまつしま》→七久保《ななくぼ》)
5/3→5/5 近鉄680形さよなら運転
(鳥羽《とば》→賢島《かしこじま》 鳥羽→名古屋)
「かなりあるもんですねえ」
亀井は、感心したように、黒板の文字を見つめた。
「しかし、殺人《ころし》みたいな物騒な文字は、どこにも、見当らないよ」
「温泉めぐりがあるのは、最近の流行ですかね」
「今、NHKで、伊達政宗《だてまさむね》をやっているので、六月には米沢《よねざわ》行のイベント列車が、何度も出るそうだ」
「なるほど」
「いくら見ても、殺人《ころし》という言葉は、浮んで来ないねえ」
「すると、あのハガキは、面白半分のものだと、思われますか?」
と、亀井が、きいた。
「いや、世田谷区内では、十津川省三は私一人だとすると、あのハガキは、明らかに、私宛《わたしあて》だよ。警視庁の刑事の私に、まさか、いたずらで、あんなハガキは、書かないだろう」
「しかし、警部。ハガキが読まれる確率は、低かったと思います。もし、警部への挑戦の積りで、出したものだとしても、可能性の低い方法をとったというのが、おかしいと思いますが」
「ハガキのリクエストをやっているのは、中央ラジオだけかね?」
と、十津川は、清水に、きいた。
「いえ。他の放送局も、やっています。特に、若者向けの深夜放送は、リクエストのハガキでもっているようなものです。DJが、ハガキを読んで、それを茶化したり、回答したりしながら、音楽を流すというのが、一つのスタイルになっていますから」
「それでは、東京で聞ける放送局に全部問い合せてみてくれないか。同じハガキが、来ていないかどうかだ」
「すぐ、やってみます」
と、清水が、いった。
清水と、西本の二人が、各ラジオ局へ、電話で、問い合せをした。
十津川の予想は、当っていた。
どのラジオ局でも、リクエストのハガキを調べてみると、ワープロで書かれた同じ文面のものが、入っていた。
そのハガキは、ファックスで警視庁に送られて来た。
全く同じ文面だった。世田谷の十津川省三君へとあり、祝日に、殺人《ころし》の列車が走るというのである。
本物のハガキも、一枚、二枚と、各ラジオ局から、運ばれて来た。
全部で、九枚である。東京中央郵便局の四月二十日の消印が、どのハガキにも押してあるから、この日に、まとめて、投函《とうかん》したものだろう。
「単なるいたずらではなく、このハガキの主《ぬし》は、本気と見ていいと、思うね」
と、十津川はいった。
「九枚も、あったからですか?」
亀井が、机の上に並べられたハガキを見ながら、きいた。
「それもあるが、文面もだ。単なるいたずらなら、もっと大げさに書く筈《はず》だよ。大量殺人をやるだとか、列車を爆破するだとかね。もう一つ、いたずらであるほど、本当らしく書く筈だ。
例えば、祝日に――といったあいまいな書き方ではなく、四月二十九日の特急××でとか、五月三日に、××行の列車でといったようにだよ。そうしておいて、警察がどう出るか、野次馬よろしく、見てやろうということになる。だが、このハガキの主は、むしろ、あいまいに、祝日にとだけ書いている」
「そうですね。挑戦しながら、捕まりたくないから、あいまいに書いているという感じですね」
と、亀井は、いった。
「そうなんだ。そこに、私は、かえって、真実味を感じてしまうんだがね」
「今度の連休には、国内だけでも、二千万から、三千万人が、移動するんじゃないですかね。もし、このハガキが、本物だとすると、その旅行客の中にまぎれて、誰かを殺そうとしていることになりますね」
「ある列車の中で、殺人《ころし》をやろうとしているんだとすると、混雑が予想される連休の一日だからね。もう、切符の手配もしてあるとみていいね」
「それに、殺される人間も、切符を買っている筈です」
と、亀井は、いった。
十津川も、亀井も、喋《しやべ》りながら、次第に、難しい顔になっていった。
ハガキの主《ぬし》よりも、狙《ねら》われている人間の方のことを、考えたからである。
ある意味でいえば、死を予告された人間ということになる。
「犯人のハガキの主に、狙われている人間は、どんな男なんだろう? 或《ある》いは、どんな女なのかな?」
十津川は、ハガキを見ながら、呟《つぶや》いた。
「ハガキの主の方は、男だと思いますよ。自分で、『夜が大好きな男』と、書いていますし、文面も、男の感じです」
と、亀井がいった。
「そうだね。女性の感じではないね」
と、十津川は、いってから、
「なぜ、祝日なのかな?」
「それは、殺す相手が、祝日に、列車に乗っているからでしょう。他に考えられませんよ」
と、亀井は、当り前のことを、いった。
十津川は、笑って、
「それは、そうなんだが、連休で、旅に出るとすると、祝日だけ、列車に乗っているんじゃなくて、他の日も、乗っていると思う。例えば、五月一日に、東京を出発して、連休を利用して、北海道へ行くとすれば、三日、五日の祝日以外にも、一日、二日も、列車に、乗るんじゃないかね。それなのに、『祝日に、殺人《ころし》の列車』と、ハガキには書いてある」
「それに、特別な意味があると、お考えですか?」
と、亀井が、きく。
十津川は、すぐには、返事をせず、しばらく考えていたが、
「特別な意味があるとすると、それは、何だろうね?」
「祝日にだけ走るイベント列車ということでしょうか?」
と、亀井が、いう。
「祝日だけのイベント列車ねえ」
十津川は、黒板に書かれた、数々の列車の文字を見つめた。
この中の列車の一つで、殺人が、行われようとしているのだろうか?
それとも、ただ単に、その日に走る列車ということなのだろうか? それなら、いつも走る列車ということになる。
時刻表を見ていた日下《くさか》刑事が、
「この連休には、ずいぶん、臨時列車が出るんですね」
と、十津川に、いった。
「それは、当然だろう。何しろ、何千万人かが動く、民族大移動だからね。普通のダイヤでは、間に合わないよ。列車を、増発すると思うよ」
「そうなんですが、イベント列車に、この臨時列車を加えると、大変な列車の数になりますよ」
と、日下が、いった。
確かに、その通りだった。今度の連休に、増収を見込んで、北から南まで、特急列車が大幅に、増発される。
十津川は、日下から受け取った時刻表の「特急列車のページ」を開いてみた。
大きな数字のつく特急は、全《すべ》て、今度の連休のための臨時列車である。
北海道だけでも、次のように、臨時の特急が、並んでいる。
北斗81号 (5月3・5日運転)
ライラック81号 (5月3日→5日)
オホーツク81号 (5月3日→5日)
ライラック83号 (5月5日)
北斗83号 (5月5日)
ライラック85号 (5月2・4・5日)
北斗85号 (5月2日→5日)
北斗82号 (5月3日→5日)
北斗84号 (5月3・5日)
ライラック82号 (5月3日→5日)
ライラック84号 (5月5日)
北斗86号 (5月5・6日)
オホーツク82号 (5月4日→6日)
ライラック86号 (5月5日)
他の地区でも、特急が増発されている。昼間の特急だけではない。
寝台特急《ブルートレイン》も、「彗星《すいせい》81号」「あさかぜ81号」などが、連休に、臨時便として増発される。十津川は、その数の多さに、絶望に近いものを、感じた。
ハガキの主《ぬし》が、本気で、今度の連休に、殺人を企《たくら》んでいるとしても、それを防ぐ方法は、なさそうである。
このハガキに関連して、殺人事件が、すでに起きていれば、警視庁も、全国の府・県警も、予想される祝日の殺人に対処してくれるだろうが、今は、何の事件も、起きていないのである。このハガキ一枚で、上司や、府・県警を動かすことは、不可能である。
それでも、警戒すべき列車が、一本や、二本なら、何とか、方法もあるのだが、これだけ本数が多くては、どうすることも、出来ない。
「このハガキが、単なる悪戯《いたずら》であることを、祈るより仕方がなさそうだね」
と、十津川は、いった。
3
四月二十九日の早朝、隅田《すみだ》公園近くで、若い女が、死体で見つかる事件が起きた。十津川も、亀井も、その捜査に、走り廻《まわ》ることになった。
刑事に、連休はないと、実感するのは、こんな時である。それは、つまり、犯人にも、連休がないということでもある。
男関係の派手な女だったから、男を一人一人、洗っていけば、犯人に、突き当る感じがした。
その捜査の途中、十津川は、時々、新聞に、眼を通した。
どうしても、例のハガキのことが、気になったからである。
四月二十九日、三十日、五月一日、二日と、何も、起きなかった。
五月三日の憲法記念日にも、新聞は、連休の人出の多さを報じていたが、どの列車でも、殺人事件は、起きなかった。
隅田公園の殺人事件では、七人の男の中から、やっと犯人を見つけ出し、五月四日の朝になって、逮捕した。
嫉妬《しつと》からの殺人と、見ていたのだが、その男の自供では、連休に遊ぶ金が欲しくて、ホステスをやっている被害者のところに借りに行ったが、断られた。それで、かっとして殺し、隅田公園の近くに、死体を捨てたのだ、という。
女を殺して、奪った金は、五万足らずだった。
「それで、旅行にでも、出かけたのかね?」
と、十津川が、きくと、男は情けなさそうな顔になって、
「飛行機も、列車も、予約してなけりゃ、席が取れなくてさ。競輪で、一日で、すっちまったよ」
と、いった。
連休明けの六日に、地検に送ることになった。
「明日一日ですね」
と、ふと、亀井が、いった。
「何がだい?」
十津川が、きくと、亀井は、例のハガキの一枚を、机の引出しから取り出して、
「これですよ。明日は、五月五日、子供の日です。国民の祝日は、そのあと、九月十五日の敬老の日まで、ありません」
「そうか。明日、何もなければ、そのハガキは、単なるいたずらだということになるのか」
「さもなければ、ハガキの主《ぬし》が、急に、殺人《ころし》を、中止したかです」
「五月五日か。何事もないと、いいんだがね」
と、十津川は、いった。
翌五月五日は、朝から、良く晴れて、文字通りの五月晴れの休日だった。
隅田公園の殺人事件が片付いたので、十津川は、久しぶりに、自宅で、のんびりと、テレビを見て過ごした。
妻の直子《なおこ》は、昼から、友人の集りに出かけてしまい、十津川は、いよいよ、のんびりして、畳の上に、寝転んで、テレビを見ていた。
今日は、子供の日ということで、動物園を始め、遊園地は、どこも、親子連れで、一杯だと、ニュースがいう。
(カメさんも、子供を連れて、動物園に、パンダを見に行っているかな)
そんなことを、考えたりした。
しかし、午後六時のニュースになっても、列車内の殺人の報道は、なかった。
直子は、八時頃に帰って来て、久しぶりに会った大学時代の女友だちのことを、楽しそうに、話した。
アメリカ人と結婚した友だちのこと、いまだに独身で、評論家になっている才女のこと、離婚を四回もやり、五人目の男性と婚約したという女のことなどである。
十津川は、楽しく聞いていたが、九時になると、ニュースを見た。
だが、日本のどこでも、列車の中の殺人事件は、起きていないようだった。
「今日は、夜おそくまでテレビをご覧になるみたいだから、コーヒーをいれましょうね」
と、直子は、笑いながらいい、コーヒーをいれてくれた。
十津川は、例のハガキのことを、直子に話してから、
「今日一日、何もなければいいと、思っていたんだがね」
と、いった。
十一時のニュースになった。
〈特急「有明《ありあけ》」の車内で殺人〉
いきなり、そのテロップが、画面に出た。
4
特急「有明87号」は、五月三日―五日の間だけ走る臨時便である。
一九時五五分に、博多《はかた》を出発し、二日市《ふつかいち》、久留米《くるめ》、大牟田《おおむた》を経由し、二一時二九分に、終点の熊本に、着く。
死体が発見されたのは、熊本に着いてからだった。
乗客が降りてしまってから、吉田《よしだ》車掌が、車内を見て廻《まわ》ると、3号車のトイレに、「故障中」の札が掛っていた。
しかも、中から、鍵《かぎ》が掛っていて、ドアが、開かない。
吉田車掌は、キーを出して、それで、ドアを開けてみた。
トイレの中には、背広姿の六十五、六歳の男が、身体を丸めるようにして、倒れていた。
最初、吉田車掌は、男が、死んでいるとは思わず、用を足している内に、気分が悪くなってしまったのだろうと思った。
しかし、声をかけても返事がなく、抱き起こすと、胸に、ナイフが突き刺さっているのがわかった。
血が、あまり出ていなかった。心臓に突き刺さったナイフが、栓の役目をして、血が、噴《ふ》き出さなかったらしい。
吉田は、すぐ、熊本駅の駅長に連絡し、熊本県警から、刑事たちが、駆けつけた。
指揮に当ったのは、北川《きたがわ》という三十八歳の警部である。
死体は、すでに、死後硬直が、始まっていた。
うす茶の背広は、外国製だった。
「背広も、ネクタイも、ミラ・ショーンです」
と、若い永山《ながやま》刑事が、眼を輝かせて、いった。
「高いのかね?」
と、北川は、きいた。
「背広の方は、二十万近いんじゃありませんか。ネクタイは、確か三万円です」
「一本でかね?」
「そうです」
「よく知ってるね」
「デパートで見て、いつか、身につけてみたいと思っていましたから」
「すると、この仏《ほとけ》さんは、かなりの金持ちということになるね」
北川は、そのミラ・ショーンの背広の内ポケットを、調べてみた。
分厚い財布が出て来た。一万円札が二十四枚と、千円札が三枚。それに、DCカードなどが五枚入っていた。
「物盗《ものと》りの犯行では、ないな」
北川は、呟《つぶや》いた。
名刺と、博多から熊本までの、この列車のグリーン席の切符も、見つかった。
名刺入れにあった同じ十五枚の名刺には、
〈小堀《こぼり》興業代表取締役 小堀|忠男《ただお》〉
と、あった。
本社も、自宅も、東京である。
「この方は、確かに、グリーン車にいましたよ。車内検札をしたので、覚えています。今、思い出しました」
と、吉田車掌が、北川に、いった。
「グリーン車は、確か、1号車でしたね?」
北川は、首をかしげて、吉田に、きいた。
「そうです」
「しかし、死体があったのは、3号車のトイレですよ」
「ええ」
「1号車に、トイレがないわけじゃないでしょう?」
「もちろん、あります。1号車のトイレが使用中だったので、3号車まで行かれたのかも知れません」
「あなたが、車内検札をした時ですが、被害者は、一人でしたか? それとも、連れがありましたか?」
「お一人で、乗っているように、見えましたが」
と、吉田車掌は、いった。
死体は、ひとまず、熊本県警本部に、運ばれることになった。
5
亀井から、電話が、入った。
「十一時のニュースを、ごらんになりました?」
「ああ、見たよ。祝日の列車の中で、殺人《ころし》があったんだ」
「警部は、あのハガキと、関係あると、思われますか?」
「ああ、思うね。詳細はわからないが、殺されたのは、東京の人間のようだからね。それに、列車内での殺人なんかは、めったにあるものじゃないよ。偶然の一致と考えるより、あのハガキに関係があると思うのが、自然だと思うね」
と、十津川は、いった。
翌日、出勤するとすぐ、熊本県警の北川警部から、電話が入った。
昨日、特急「有明87号」の車内で起きた殺人事件の捜査協力の要請だった。
「実は、こちらから、連絡しようと思っていたことがあるんです」
と、十津川は、いい、例のハガキのことを、話した。
「それは、面白いですね」
と、北川は、明るい声を出した。
「こちらでは、関係ありと、思っていますが」
「同感です。多分、そのハガキの主《ぬし》が、犯人ですよ」
と、北川は、決めつけるようないい方をした。
その若いいい方に、十津川は、苦笑しながら、
「とにかく、ハガキは、そちらに、送ります。それから、被害者小堀忠男について、調べれば、いいわけですね」
「お願いします。今もいいましたように、二十四万三千円の現金も、DCカードも、腕時計も、盗まれていませんから、怨恨《えんこん》の線だと思います。犯人は、被害者の周辺にいると、思っているんです」
「ナイフから、指紋は、出なかったんですか?」
「出ません。犯人が、拭《ふ》き取ったものと、思っています。それと、トイレにかかっていた『故障中』の札ですが、これは、合成樹脂製のもので、市販されています。犯人は、つまり、ナイフを持ち、故障中の札を用意していたわけです」
「どう見ても、物盗《ものと》りではなく、怨恨というわけですね?」
「そう見ています」
「死亡推定時刻は、わかったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「ついさっき、解剖の結果が、報告されて来ました。それによると、五月五日の午後八時から九時の間です」
「すると、列車が、どの辺りを走っている時に殺されたのか、わかりますね?」
と、十津川が、きくと、北川は、「それが――」と、元気のない声を出した。
「問題の列車は、博多→熊本を走っているんですが、全部で、一時間半の距離なんです。一九時五五分(七時五五分)に、博多を出て、二一時二九分(九時二九分)に、熊本着ですから、博多を出てすぐから、熊本へ着く少し前までの間に、殺されたことになってしまいます」
「なるほど」
「被害者が、何をしに熊本へ来ようとしていたのか、それも知りたいんですが、東京で、わかったら、教えて頂きたいと思います」
と、北川は、いった。
十津川は、亀井と、西本の二人を、小堀興業の調査に行かせてから、時刻表で、「有明87号」を、調べてみた。
(画像省略)
北川のいう通り、博多から熊本まで、一時間半余りである。
被害者小堀忠男の死亡推定時刻が、二〇時から二一時の間となると、「有明87号」が、博多を出てすぐ二〇時になるし、熊本の一つ手前の玉名《たまな》発が二一時〇八分だから、大牟田まで、その中に入ってしまうのだ。
犯人は、列車が、博多を出てすぐ殺したのかも知れないし、玉名へ着く直前に殺したのかも知れないのである。
と、いうことは、犯人は、博多、二日市、鳥栖《とす》、久留米、瀬高《せたか》、大牟田のどこから乗って来たのか、わからないということである。
また、終点の熊本まで乗って来たことも考えられるし、博多で乗って、すぐ、小堀忠男を殺し、次の二日市で、降りてしまったのかも知れない。
(これは、犯人の動きを限定するのが、難しいな)
と、十津川は、思った。
もちろん、犯人も、それを狙《ねら》って、死体を押し込めたトイレに、「故障中」の札をかけておいたのだろう。
犯人の作戦は、功を奏して、死体は、終点の熊本駅まで、見つからなかった。
おかげで、犯人が、どこで降りたか、わからなくなってしまっている。
三時間ほどして、亀井と、西本が、帰って来た。
「小堀忠男は、よくも悪くも、なかなかの人物ですね」
と、亀井が、いった。
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第二章 被害者の顔
1
小堀忠男《こぼりただお》。六十五歳。
一言でいえば、敗戦のどさくさに、財をなした男である。
島根県の農家に生れている。男だけの三人兄弟の末っ子で、上の二人の兄は、戦死している。
小堀は、敗戦で、復員すると、占領軍に巧みに取り入り、いわゆる放出物資を手に入れた。
何よりも、食べることが先決だった時代に、小堀は、占領軍から、軍用食糧や、缶詰などを手に入れ、それを売った金で、都心の土地を買い占めた。
ほとんどの日本人が、将来の日本の行方がわからず、土地など、持っていても仕方がないと、考えていた頃である。
その点で、小堀には、先見の明があったというべきだろう。
朝鮮戦争が始まって、景気がよくなって来てから、土地の値上りが始まった。
昭和三十年代に入って、神武《じんむ》景気とか、岩戸《いわと》景気といった言葉が出るようになると、土地の値上りは、一層、激しくなった。
小堀は、都心の土地を売って、大金を手に入れ、それで、事業を始めた。それも、日銭が入る事業ということで、パチンコ店や、今のソープランドの経営を始めたのである。
現在、都内に、八軒のパチンコ店を持ち、貸ビルを五つ所有している。その他に、小さいが、タクシー会社も、経営している。
「その資産は、一千億近いといわれています」
と、亀井《かめい》は、いった。
「家族は、どうなっているのかね?」
「奥さんは、五年前に亡くなっています。息子が二人いて、兄の方は、貸ビル業の方をやり、弟は、パチンコ店の方を任されています」
「その息子二人は、結婚しているのかね?」
「結婚して、兄の方は、子供もいます」
「すると、小堀忠男は、楽隠居の身分だったわけかね?」
十津川《とつがわ》が、きくと、亀井は、手を振って、
「とんでもありません。まだまだ、小堀は、野心満々で、実権は、しっかりと、彼が、握っていたそうです。おれは、何といおうと、小堀興業の頭《かしら》だというのが、彼の口癖だったそうです」
「すると、二人の息子たちには、不満があったんじゃないのかね?」
「それは、あったと思います。しかし、父親には、頭が、あがらなかったみたいです」
「小堀の女性関係は、どうだったのかね?」
「六十五歳ですが、大変なもので、常時、五、六人の女性が、いたといわれています」
と、亀井が、いう。
「それは、羨《うらや》ましいね」
と、十津川は、笑った。
「美人と見れば、金を使って、手当り次第という感じですね。東京|八重洲口《やえすぐち》の小堀興業本社へ行って驚いたんですが、女子社員が、美人揃《びじんぞろ》いでした。男の社員は、頭のいい、働き者がいいが、女子社員は、美人がいいというのが、小堀の信条だったようです」
「ところで、その小堀が、一人で、特急『有明87号』に乗っていたのは、なぜなんだ? 仕事だったのかね? それとも、ただの旅行だったのかね?」
「小堀は、酒も、バクチもやらず、女だけという男ですが、唯一《ゆいいつ》の趣味といえるのが、一人で、ふらっと、旅に出ることだったようです。その時には、女も連れず、たった一人で出かけていたようです」
「そんな男でも、一人になりたい時があるということかな」
「そうですね。それに、少年時代の影響もあると思いますね。戦後の小堀は、ひたすら、金儲《かねもう》けにいそしんでいますが、戦前、ハイティーンだった頃の小堀は、文学青年で、孤独を愛する優しい性格だったという証言もあるんです」
「なるほど」
「その頃は、一人で、見知らぬ町を歩いたりするのが好きだったそうですから、巨万の富を得た現在でも、その性格だけは、残っていたんじゃないかと、思います」
「そうだろうね。全く別人になってしまうことは、あり得ないのかも知れんね」
「しかし、それが、今度、小堀の命取りとなったわけです」
「旅に出る時は、行先は誰にも知らせずに行くのかね?」
「そうらしいです」
「しかし、犯人は、知っていたんだ。だから、ナイフと、故障中の札を用意して、『有明87号』に、乗り込んだんだよ」
「そうなんです。犯人が、なぜ、知っていたかということですね」
「ちょっと待ってくれ」
と、十津川は、いい、すぐ、熊本県警の北川《きたがわ》警部に、電話をかけた。
小堀忠男について、今までに、わかったことを話してから、
「被害者の持っていた切符ですが、一枚だけだったんですか?」
と、きいた。
「と、いいますと?」
「ひょっとして、綴《つづ》りになっているんじゃないかと思ったんです。連休で混みますから、東京へ帰る切符も、ちゃんと、買ってあるんじゃないかと、思いましてね」
「実は、そうなんです。熊本までの切符しか、最初は、見つからなかったんですが、そのあとで、他のポケットから、おっしゃられるような、綴った切符が、見つかりました。熊本から先は、バスで、やまなみハイウェイを、別府《べつぷ》に出る。その先は、日豊《につぽう》本線で、小倉《こくら》へ。小倉からは、新幹線で、東京へと、なっていました」
「そうだと思いました」
と、十津川は、笑顔になって、電話を切った。
十津川は、亀井を、振り向いた。
「やはり、今度の旅は、行き当りばったりではなくて、帰りのルートまで、ちゃんと、切符が買ってあったんだ。連休で、当日では、切符が、買えないからだろうね」
「すると、誰かに頼んで、買っておいたということですか?」
「小堀みたいな男は、自分で、買いには行かないだろう。とすると、何人かいる女の一人に買わせたか、会社の部下に買わせたかだろう」
「もう一度、調べて来ましょう」
と、亀井は、いった。
2
亀井は、西本《にしもと》を連れて、また、聞き込みに出かけて行ったが、しばらくして、十津川に、電話をかけて来た。
「今、小堀の秘書に会いましたが、全く知らなかったと、いっています。三十歳の女性ですが、なかなかの美人で、アメリカの大学を出ています」
「本当のことを、いっていると、カメさんは、思ったのかね?」
「わかりませんね。会社の人間は、全員、連休に、社長の小堀が、九州に行っていたことは、知らなかったといっています。社長の死を悼《いた》む感じは、全くありません」
「恐れてはいたが、親しみを感じていなかったということかね?」
「そう思います」
「息子二人は、どうなんだね?」
「二人とも、熊本へ向って、そろそろ、熊本県警に着く頃だそうです。二人の部下の社員にも、会ってみましたが、兄も弟も、父親が九州にいたことは、知らなかったと、周囲の人間に、いっていたそうです」
「二人のアリバイは、どうなんだ?」
「それは、熊本県警が、二人に、きくと思いますが」
「そうだな」
「私たちは、これから、小堀の女たちに、会って来ます。どうせ、彼女たちも、小堀が、九州に行っていたことは、知らなかったと、いうと、思いますが」
「何人だったかね?」
「はっきりしているのは、五人です」
「その中《うち》、アリバイのはっきりしない女だけを、詳しく、調べて来てくれないか」
と、十津川は、いった。
その亀井たちが、戻って来る前に、熊本県警の北川警部から、電話が入った。
「一時間前に、被害者の息子二人が、こちらに着きました。長男の小堀|明《あきら》と、次男の小堀|功《いさお》です」
「二人のアリバイについて、きかれましたか?」
「ええ。質問してみました」
「それで、彼等の返事は、どうでした?」
と、十津川は、きいた。
「長男の小堀明は、五月五日の午後八時から九時の間、自宅で、テレビを見ながら、ワインを飲んでいたといっています」
「家族も一緒にですか?」
「いや、妻と子供は、親戚《しんせき》の家に行っていたと、いっています」
「つまり、アリバイは、あいまいというわけですね?」
「そうです。それで、彼の家族が、本当に、親戚に行っていたのか、調べて欲しいのです。南房総の叔母の家だといっています」
「わかりました。調べてみます。それで、小堀明は、父親が、九州に行っていたことは、知っていたようですか?」
「全然、知らなかったと、いっていますが、これは、嘘《うそ》をついているのかも知れません」
「次男の小堀功は、どうですか?」
「彼は、五月五日の夜は、飲んでいたと、いっています」
「家でですか?」
「いや、奥さんは、女友だちと、連休を利用して、香港《ホンコン》に買物に出かけていたので、岡部《おかべ》ゆう子という女のところで、飲んでいたというんです」
「それは、どんな女ですか?」
「麻布《あざぶ》で、クラブをやっている女だそうです。小堀功は、その店によく飲みに行くんだそうですが、連休は、店は休みなので、五月五日、夕方から彼女のマンションへ行き、ホームバーで、午前一時頃まで、飲んでいたと、いっています」
「どうも、その女と、出来ている感じですね」
「同感ですが、兄の明より、アリバイは、しっかりしていると思います。もちろん、その女と、しめし合せて、嘘をついている可能性は、ありますが」
と、北川は、いう。
「その岡部ゆう子についても、こちらで、調べてみます」
と、十津川は、約束し、住所を聞いた。
およそ、一時間後に、亀井たちが、戻って来た。
「五人の女に、会って来ました」
と、亀井は、いった。
「どんな具合だったね?」
「みんな金を持っているので連休に、海外へ行っていた女が、多いようです。五人の中、二人は、ハワイへ行き、一人は、グアムで、連休を過ごしています」
「羨《うらや》ましいね」
「残りの二人は、東京にいたといっています。新橋《しんばし》でクラブをやっている羽島《はじま》かおりは、五月五日は、夕方から、徹夜で、マージャンをやったといっています。他の三人は、モデル一人、スタイリスト一人、それに、原宿《はらじゆく》でブティックをやっている女性。全部、女性です」
「裏付けは、とれたのかね?」
「その中の二人に会って、確認しました」
「最後の五人目の女性は?」
「名前は、岡部ゆう子で、麻布で、クラブをやっています」
「岡部ゆう子?」
「そうです」
「五月五日は、夕方から、小堀忠男の次男の功と、自宅のマンションで、飲んでいたと、証言したんじゃないかね?」
十津川が、いうと、亀井は、びっくりした顔で、
「警部は、なぜ、ご存知なんですか?」
「熊本県警の方から、小堀功自身が、そう証言していると、いって来たんだ」
と、十津川は、笑った。
「二人で、しめし合せて、アリバイを作っているのかも知れませんね」
と、亀井が、いう。
「その可能性は、あるね」
と、十津川は、肯《うなず》いてから、
「それにしても、父親の彼女と、関係していたとはね」
「それが、案外、殺人の動機かも知れませんよ」
「どんな風にだね?」
「次男の小堀功は、父親の彼女の岡部ゆう子と関係が出来てしまった。それを、父親に気付かれた。怒った父親は、全財産を、長男の明の方に、渡そうと考える。それを知って、功が、父親を殺したということではないかと、思うんです。何しろ、一千億円といわれている資産ですからね」
「被害者は、遺言状を、残しているのかね?」
「顧問弁護士に聞いたところでは、遺言状はあるそうです。小堀忠男の葬儀が終ったあとで、発表すると、いっていました」
「その日が、楽しみだね」
と、十津川は、いった。
3
熊本県警から依頼された捜査を、十津川は日下《くさか》と、清水《しみず》の二人の刑事に、頼んだ。
長男の小堀明の妻子が、南房総の叔母の家に、五月五日に、行っていたかどうか、ということである。
この叔母の家は、正確には、安房鴨川《あわかもがわ》にあった。鴨川シーワールドの近くだった。
前から、小堀明の子供が、行きたがっていたこともあって、妻の冴子《さえこ》は、長男の純《じゆん》(六歳)を連れて、五月三日から出かけ、六日の夜に、帰宅していた。
叔母に当る鈴木優子《すずきゆうこ》は、確かに、五月三日から六日まで、母子で、遊びに来ていたと、証言したし、千葉県警が、調べてくれたところ、鈴木家に、三日から六日まで、小堀母子が、来ていたことが、確かめられた。
「それで、五月五日の夜だがね。小堀冴子は、東京の自宅に残っている夫の小堀明に、電話をかけたのかね?」
と、十津川は、清水に、きいた。
「新婚じゃないから、いちいち、電話はしないと、彼女は、笑っていました」
と、清水は、いう。
「すると、小堀明のアリバイは、相変らず、あいまいということになるね」
と、十津川は、いった。
殺された小堀忠男の遺体は、熊本で、荼毘《だび》に付され、明と、功の兄弟が、遺骨を持って、東京に、帰って来た。
葬儀は、その日、五月八日の夜に行われた。
その席で、山本《やまもと》顧問弁護士が、遺言状を明らかにするというので、十津川と、亀井は、その席に、顔を出させて貰《もら》うことにした。
山本弁護士は、六十二歳だというが、がっしりした身体《からだ》つきで、血色もよく、六十代には、見えなかった。
「これから、小堀社長の遺言状を、読みあげます」
と、山本は、簡単にいい、巻紙に書かれた遺言状を、広げた。
最初に、関係のあった岡部ゆう子たち五人の女性のことが、書かれてあった。
彼女たちには、現金二千万円と、クラブ、ブティックなど、それぞれの店をやるというものだった。
五人の女は、焼香は行ったものの、さすがに、すぐ、帰ってしまっていた。
「彼女たちには、私から、伝えます」
と、山本は、いった。
次は、長男の明と、次男の功に、関係した部分だった。
田園調布の邸宅、株券、現金、その他の個人資産は、兄弟で、半分に分けること。小堀興業が経営しているパチンコ店、貸ビルについては、長男の明が、社長、次男の功を、副社長として、今後も、経営していくことと、あった。
常識的な内容だと、十津川は、思った。
十津川は、山本弁護士を、邸《やしき》の外に、連れ出した。
「遺言の内容ですが、至極《しごく》当り前でしたね。自分の女五人に、二千万円ずつというのは、変っていますが、息子兄弟に対してはです」
と、十津川が、いうと、山本は、肯《うなず》いて、
「そうですね。それに、二人の息子さんも、亡くなった社長の女性関係は、知っていましたから、別に、異議は、唱えないと思っています」
「あの遺言状は、小堀忠男さんが、いつ書かれたものですか?」
「社長は、毎年、元旦に、新しい遺言状を書かれていました」
「すると、今年の一月一日に書いたものということになりますね?」
十津川は、確認するように、弁護士に、きいた。
「その通りです」
「毎年、書き改めるとすると、内容は、いつも、違うわけですか?」
と、十津川は、きいた。
「もう、本当のことをいっても構わんでしょう。前の年のものと、内容が変更されていることが、ありましたよ」
「例えば、どんなところですか?」
「そこまでいわなければ、いけませんか?」
「何しろ、殺人事件ですからね。出来れば、協力して頂きたいのです」
と、十津川は、頼んだ。
「そうですね。遺言状にあった五人の女性ですが、名前が、違うことが、ありましたね」
「と、いうと、その女性とケンカでもすると、次の遺言状からは、名前が、消えているということですか?」
「そうです」
「毎年、元旦に、新しい遺言状を書いていたということですが、元旦以外に、書き替えたことがありましたか?」
「ありますよ。私が、突然、呼ばれていくと、遺言状を書き替えるから立ち会ってくれといわれたことがありましたね」
「息子さん二人への財産分与でも、遺言状を書き替えられたことがありましたか?」
十津川がきくと、山本は、困惑した顔になって、
「その点は、ご想像に委《まか》せるより仕方がありませんね」
と、いった。
これは、イエスということだろう。
(殺人の動機は、これかな?)
と、十津川は、思った。
4
翌九日の午後、山本弁護士から、電話が、かかった。
「ちょっと、気になることがあるんですが」
と、山本は、いった。
「どんなことです?」
と、十津川はきいた。
「岡部ゆう子という女性を、ご存知ですか? 遺言状にあった女性の一人です」
「ええ。覚えています。うちの刑事が、会っています。彼女が、どうかしましたか?」
「昨夜《ゆうべ》、電話をかけましてね。遺言の内容を伝えました。他の四人の女性にもです」
「みんな、喜んだでしょう?」
「喜んだ人もいれば、少ないと文句をいう女性もいましたよ」
と、山本は、いってから、
「それで、岡部ゆう子ですが、その時、私に、今度の殺人事件のことで、かくしていることがある。ただそれをいうと、困る人が出るので、どうしたらいいか、悩んでいると、いうのですよ」
「それが、どんなことなのか、山本さんに、いいましたか?」
「私がきくと、明日、そのことで、相談に行くというんです。昼までに行くといったので、今日、待っていたんですが、午後一時を過ぎた今になっても、顔を見せないんですよ」
「電話されましたか?」
「ええ、しかし、電話に出ません。気が変ったのかとも思うんですが、心配なので、十津川さんに、電話したわけです」
「わかりました。電話して下さって、感謝します」
と、十津川は、いった。
十津川は、すぐ、亀井を呼んだ。
「岡部ゆう子の自宅は、四谷《よつや》だったね?」
「四谷三丁目のマンションです」
「すぐ、一緒に、行ってくれ」
と、十津川は、いった。
パトカーの中で、十津川は、山本弁護士の話を、亀井に伝えた。
「隠していることというと、当然、小堀功のアリバイの件でしょうね?」
と、亀井が、いう。
「だから、不安なんだよ」
と、十津川は、いった。
四谷三丁目のマンションの前に、乗りつけると、十津川と亀井は、エレベーターで、七階まで、上って行った。
七〇六号室が、岡部ゆう子の部屋だった。五月五日に、彼女が、小堀功と、午前一時まで、飲んでいたと、いった部屋でもある。
ドアには、錠がおりていなかった。
十津川と、亀井は、中に入ってみた。2LDKだが、居間は、二十畳の広さがあり、隅には、問題のホームバーが、設けてあった。
居間の隣りは、寝室になっていた。
六畳の和室に、ベッドが置かれていて、そのベッドの上に、岡部ゆう子が、倒れていた。
俯《うつぶ》せに倒れている彼女の身体《からだ》を、十津川が、抱き起こした。
首が、がくがくゆれた。
顔が、鼻血で汚れている。脈は、止っていた。
十津川は、彼女の身体を、そっと、また、ベッドの上に置いた。
「死んでいるよ」
と、十津川は、亀井にいい、小さな溜息《ためいき》をついた。
「絞殺ですか?」
「そうだね。くびを、絞めた跡がある」
「犯人が、口封じに殺したということでしょうね」
「山本弁護士に、いったい、何をいいたかったのかな」
「それがわかれば、犯人も、限定できそうですね」
と、亀井が、いう。
十津川は、電話で、鑑識に、来て貰《もら》うことにした。
そのあと、二人で、寝室と、居間を、見て廻《まわ》った。
何か、犯人の手掛りがあればと、思ったからである。
指紋を消さないように気をつけて、見ている中に、亀井が、三面鏡の引出しから、赤い表紙の小さな手帳を見つけ出した。
手袋をはめて、その手帳のページを、繰ってみた。
各ページに月日の入った手帳である。
空白のページが多く、ところどころに、「PM6・00より、――と夕食、N飯店で」などと、書き込んであった。
五月六日のところには、次の文字が、あった。
〈新聞で、社長の死亡を知る。九州で〉
更に、翌五月七日の欄には、こう書き込まれていた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈I・Kからアリバイを頼まれる。一千万円くれるといった。悪くない〉
[#ここで字下げ終わり]
「I・Kは、小堀功ですかね?」
と、亀井が、十津川を見た。
「だろうね。長男の小堀明なら、A・Kだからね」
「次男の功は、確か、五月五日は、被害者と、このマンションで、午前一時まで、酒を飲んでいたというアリバイを、主張したんでしたね」
「それが、作られたアリバイだったわけかな?」
「一千万円で、買ったアリバイというわけですよ」
「その一千万円は、貰《もら》ったのかな」
と、十津川が、いった時、鑑識の連中が、駆けつけた。
十津川は、手帳を彼等に渡して、いったん、部屋を出た。
「どう思われますか?」
と、亀井が、十津川に、きいた。
「この手帳のことかね?」
「そうです。それに書かれた文字を、そのまま受け取れば、小堀忠男を殺したのは、次男の小堀功ということになりますね」
「アリバイを、岡部ゆう子に頼んでおいたが、不安になって、殺してしまったということになるね」
「彼女は、嘘《うそ》をついたということに、耐えられなくなって、山本弁護士に、相談しようとしています。そんな動揺を、小堀功は、感じて、先手を打ったということではないでしょうか」
と、亀井が、いった。
しばらくして、鑑識が、仕事をすませて、帰って行った。
鑑識課員の一人がさっきの手帳を、十津川に戻して行った。
十津川と、亀井は、もう一度、室内に入った。
今度は、素手《すで》で、安心して、室内を調べることができる。
寝室にあった小箱の中から、預金通帳や、宝石が出て来た。
十津川は、M銀行の預金通帳を、開いてみた。
五月八日のところを見た。
一千万円の入金になっている。
十津川は、黙って、それを、亀井に、見せた。
「やっぱり、一千万円入っていますね」
と、亀井が、嬉《うれ》しそうに、いった。
「まだ銀行は、やってるね?」
「大丈夫です」
「それでは、M銀行四谷支店に行ってみよう」
と、十津川は、いった。
5
あとのことは、若い刑事たちに委《まか》せて、十津川と亀井は、M銀行の四谷支店に、廻《まわ》った。
支店長に会い、通帳を見せて、五月八日の一千万円の入金のことを、きいてみた。
「岡部さんのところに、いつも廻っている男を、呼びましょう」
と、支店長は、いった。
二十七、八歳の三島《みしま》という背の高い行員《こういん》を呼んでくれた。
三島は、通帳の一千万円を見て、
「これは、五月八日の朝、岡部さんから、すぐ来てくれと、電話があったんです。参りましたら、岡部さんは、ニコニコ笑っていらっしゃいまして、一千万円の現金を、テーブルの上に、出されたんですよ。これを入金したいと、おっしゃってです」
と、いった。
「現金だったんですか?」
「はい。現金でした。それで、そこに、一千万円の入金となっているんです」
「岡部さんは、その現金一千万円について、何かいっていませんでしたか? どうやって、儲《もう》けたとか、誰から貰《もら》ったかとかですが」
と、十津川は、三島に、きいた。
「そうですねえ。ニコニコ笑いながら、私を見て、『どう? すごいでしょう』と、いわれましたね」
と、三島は、考えながら、いう。
「それで、あなたは、何といったんですか?」
十津川は、順序として、そうきいた。
「たいしたものですが、何をして、儲けたんですかと、ききました」
「彼女の答は、どうでした?」
「パトロンのプレゼントといって、笑っていらっしゃいましたね」
と、三島は、いった。
「パトロンのプレゼントねえ」
「岡部さんが、どうかされたんですか?」
「亡くなりましたよ」
とだけ、十津川は、いった。
十津川と亀井は、礼をいい、銀行を出た。
午後の陽差《ひざ》しが眩《まぶ》しい。
亀井が、片手で、眼の前に庇《ひさし》を作るようにしながら、
「一千万円は、現金で貰っていたんですね」
「現金で貰っておけば、税金も誤魔化《ごまか》せるし、ことに、誰から貰ったという証拠も残らないと、考えたんだろうね」
「一緒にいたと証言するだけで、一千万円ですか」
と、亀井は、ぶぜんとした顔になった。
「しかし、殺されてしまったら、どうしようもないねえ」
「これから、小堀功に、会ってみますか?」
「ぜひ、会いたいね」
と、十津川が肯《うなず》き、二人は、小堀功の家のある成城《せいじよう》に向った。
豪邸だった。
小堀功は、和服で、十津川たちを、迎えた。
「岡部ゆう子さんを、ご存知ですね?」
十津川は、単刀直入に、きいてみた。
「知っていますよ。彼女の店へ、よく、飲みに行きますから」
と、功は、いってから、急に、ニヤッと笑って、
「もちろん、亡くなった父の恋人だったこともです。彼女が、どうかしたんですか?」
「死にました。殺されたんですよ」
「まさか――」
功は、首を小さく振った。
「あなたは、確か五月五日は、彼女のマンションで、午前一時頃まで、飲んでいたと、アリバイを、主張されていましたね?」
「ええ。その通りですから、そういったんですよ。しかし、なぜ、彼女は、殺されたんですか?」
と、功が、きく。
「それを、今、調べているんですがね」
と、いいながら、十津川は、じっと、功を見つめた。
「信じられませんね。明るくて、話していると楽しい女《ひと》だったんですよ。いったい、誰に恨まれたんだろう?」
功は、最後を、自問するような調子で、いった。
「怨恨《えんこん》ではありませんね」
「そう決めつけて、いいんですか?」
「今度の事件の関係者が、岡部ゆう子も、殺したんだと、思っています」
「しかし、刑事さん。おやじを殺した犯人が、彼女まで殺すとは、とても、考えられませんよ。動機がありませんよ」
「ところが、動機のある人がいるんです」
「誰ですか?」
「あなたですよ」
「僕が?」
功は、眼を丸くした。
わざと、驚いて見せているのかどうか、十津川にも、判断がつかなかった。
「あなたのアリバイは、彼女と、五月五日に、夕方から、午前一時頃まで、彼女のマンションで飲んでいたということでしたね?」
「そうです。嘘《うそ》は、いっていませんよ」
「しかし、ここに、彼女の手帳があるんですよ。五月七日のところに、面白いことが、書いてあります。あなたに、アリバイを頼まれた。その謝礼は、一千万円だというのです」
「そんな馬鹿な。見せて下さい」
小堀功は、引ったくるように、十津川から赤い手帳を受け取り、そのページを、じっと、見つめた。
「彼女の字に、間違いないでしょう? 筆跡鑑定は、してありますよ」
と、十津川が、いった。
「刑事さん。これは、嘘です。僕は、間違いなく、五月五日に、彼女と飲んでたんです。それなのに、なぜ、こんなことを、書いたんだろう?」
「一千万円は、現金で、彼女に払ったんじゃないんですか?」
「そんなもの払いませんよ。そうでしょう? 僕は、何の負い目も、彼女には、無いわけですからね。多少、家内に負い目は、感じますがね。それだって、午前一時には、帰っているんです」
「彼女のマンションには、あなたが、勝手に押しかけたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「違いますよ。家内が出かけて、確か一人で家にいたら、岡部ゆう子の方から、電話があったんです。一人で退屈だから、飲みにいらっしゃってとね。それで、出かけたんですよ」
「それ、間違いありませんか?」
「ええ。もちろん、別に、僕が頼んだわけじゃありませんよ」
「五月五日に、あなたが、彼女のところで、午前一時まで、飲んでいたことを証明する人は、いませんか?」
「証明?」
と、おうむ返しにいって、功は、クスクス笑った。
十津川は、眉《まゆ》をひそめて、
「おかしいですか?」
「おかしいですよ。おやじが殺された事件で、犯人じゃないことを証明するために、僕は、その時、岡部ゆう子と、飲んでいたといった。今度は、飲んでいたことを証明するために、何かしろという。どこまで行ったらいいんですか? 限りなく、証明していかなければいけないんですか?」
「いいですか? これは、冗談ではすまないことなんですよ。あなたは、最初、お父さんが殺された事件で、疑われていた。しかし、今度、もう一つ、岡部ゆう子殺しでも、疑われているんです。それが、わかっていないようだが」
「おやじの件では、兄貴だって、容疑者じゃないんですか? 僕と同じように、おやじの死で、莫大《ばくだい》な遺産が、手に入ったんだから」
と、功は、不満そうにいった。
「もちろん、小堀明さんにも、動機は、あると思っていますよ」
十津川は、いった。
「彼のアリバイも、調べました」
と、亀井が、傍から、いった。
「兄貴に、どんなアリバイがあったんですか?」
興味|津々《しんしん》といった顔で、功が、きいた。
「五月五日の夜は、ずっと、自宅にいたとおっしゃっていますよ。家族が、叔母さんの家に行っていたので、一人でいたとね」
と、亀井がいうと、功が、急に、笑い出した。
「そんな筈《はず》はないなあ」
「なぜ、そんな筈はないんですか?」
と、十津川が、きいた。
「兄貴が、たった一人で、自分の家で、留守番をしてたっていうんですか? そりゃあ、違うなあ。ぜんぜん、兄貴らしくありませんよ」
と、功はいった。
「どんなことが、お兄さんらしいんですか?」
十津川が、きいた。
「賑《にぎ》やかに騒ぐか、仕事をやってるか、女性を口説《くど》いているか、ですよ。たった一人で、じっとしているなんてことは、絶対に、ありませんよ」
「それ、間違いありませんか?」
「兄貴のまわりの人間に、聞いてごらんなさい」
と、功は、いった。
「聞いてみましょう。ただ、あなたへの質問の返事を、まだ、聞いていませんよ。五月五日に、岡部ゆう子のマンションで、午前一時まで飲んでいたことを、証明する人は、いませんか?」
「わかりませんね。思い出してみます」
と、功は、いった。
6
十津川は、長男の明に、会いに行くことにした。
「小堀功の話を信じたんですか?」
と、亀井が、きく。
「いや。しかし、小堀明のアリバイが、あいまいであることは、本当だよ」
「そうですが、弟の功は、一千万円で、アリバイを、岡部ゆう子に頼み、その彼女を、口封じに、殺しているんです。犯人は、功だと思いますが」
「同感だよ。だから、全部に、万全を期したいんだ。もし、兄の明の方の無実が、はっきりすれば、功のクロも、確かになるからね」
と、十津川は、いった。
小堀明には、東京|八重洲口《やえすぐち》の本社社長室で会った。
父親の小堀忠男が亡くなったので、明が、社長に就任したということらしい。
「急に忙しくなりましてね」
と、明は、十津川たちに、肩をすくめて見せたが、その忙しさを、結構、楽しんでいるようにも、見えた。
「社長業が、板についていますね」
と、十津川がいうと、明は、嬉《うれ》しそうに笑い、
「そうですか。それなら、いいんですが」
「五月五日の件ですがね」
「アリバイなら、前にもいったように、その日は、家族が、叔母のところに連休で遊びに行ってしまって、一人で、家にいましたよ。あいまいでも、事実だから、仕方がありませんね」
と、明は、いった。
「それは、嘘《うそ》だと、弟さんが、いっているんですがね」
横から、亀井がいった。
「嘘? なぜです?」
「弟さんにいわせると、あなたは、一人で大人《おとな》しく留守番をするタイプじゃないそうです。賑《にぎ》やかに騒ぐとか、どこかに、出かける筈《はず》だというわけです」
「それは、弟の勝手な考えですよ。僕だって、一人で、いろいろと考えることがありますからね」
「他の人にも、聞いてみるつもりですが、弟さんの話が正しいとすると、あなたは、難しい立場に立たされることになりますよ」
十津川は、脅かすようないい方をした。
「ちょっと待って下さい」
明は、あわてて、十津川を、手で制した。
「あわてなくて結構ですよ。ゆっくり話して下さい。ただし、嘘でなく、本当のことを、われわれは、知りたいんですよ」
と、十津川は、釘《くぎ》を刺した。
小堀明は、「うーん」と、小さな唸《うな》り声を上げて、しばらく、口を閉ざして、考え込んでいた。
十津川も、黙って、相手の次の出方を待った。
「弱ったな」
と、明は、小さく呟《つぶや》いた。
「一人で、家にいたというのは、嘘《うそ》だったんですか?」
十津川が、きいた。
「申しわけありませんでした」
と、明は、急に、頭を下げた。
「嘘をついていたんですね?」
「つい、自分を守ろうとして、嘘をついてしまったんです。おやじが、殺されたということで、動転していたこともあったし、それも、九州で、ということで、狼狽《ろうばい》してしまったんですよ」
明は、しきりに、顔を、手で撫《な》でている。
そんな明の様子を、十津川は、じっと、見すえながら、
「お父さんが、九州で亡くなったことに、なぜ、あなたが、狼狽したんですか?」
と、きいた。
明は、なお、話すことを、ためらっているようだったが、意を決したように、
「実は、その日に、僕も、九州へ行っていたんですよ」
と、いった。
「五月五日にですか?」
十津川は、また、じっと、明を見た。
「そうなんです。これは、絶対に、僕が、疑われると思いましてね。それで、つい、嘘をついてしまったんです。本当に、申しわけなかったと思います」
「しかし、嘘をついても、いつかは、わかるものですよ」
亀井が、眉《まゆ》を寄せて、いった。
次男の功が、岡部ゆう子に、一千万円でアリバイを頼んでいたと思えば、今度は、長男の明が、嘘をついていたという。
(何という兄弟だ)
と、亀井は、ぶぜんとした気持になっていた。
「それで、五月五日に、九州のどこにおられたんですか? まさか、お父さんと同じ『有明87号』に、乗っていたというんじゃないでしょうね?」
と、亀井が、きいた。
明は、首を激しく、横に振って、
「違いますよ。その日、僕は、宮崎で遊んで、特急『富士《ふじ》』で、帰京するところだったんです」
と、いった。
7
「宮崎で、遊んでですか?」
十津川は、九州の地理を、思い浮べながら、明を、見た。
十津川が、とっさに、考えたのは、宮崎と、熊本の位置である。
宮崎は、太平洋側の南にあり、熊本は反対側の中程にある。
しかし、殺された小堀忠男は、博多から、下りの急行に乗り、逆に、明は、上りの「富士」に乗っていたとすると、二つの列車は途中で、接近するのではないか?
明は、緊張した顔になっている。
「信じて頂きたいんですが、僕は、おやじが、九州へ遊びに行ってたなんて、全く、知らなかったんですよ。僕自身、九州、特に、南九州が好きだったもので、宮崎へ出かけたんです。五月五日は、宮崎のホテルを、十二時に出て、確か一時二十分頃に出る寝台特急『富士』に、乗ったんです。それで、まっすぐ、東京に帰りました。くり返しますが、おやじが、九州へ行ってたなんて、全く知らなかったし、まして、殺されていたなんて、全然、知りませんでしたよ」
「宮崎のホテルですが、何というホテルですか?」
「新宮崎観光ホテルです」
「本名で、泊られたのですか?」
「ええ。別に、やましいことなんかありませんからね」
「東京に帰ったのは、いつですか?」
「確か、翌日、六日の午前十時頃でしたよ。正確な時間は、時刻表でも見ないと、わかりませんが」
「列車の中で、知った人に、会いましたか?」
と、十津川が、きいた。
「いや、知った人は、乗っていませんでしたね。そうでないと、まずいんですか?」
明が、不安そうに、十津川を見、亀井を見た。
「出来れば、あなたが『富士』に乗っていたという証拠が、欲しいんですよ。別に、あなたの言葉を、信じないわけではありませんが」
「しかし、『富士』というのは、寝台特急ですからね。大部分は、寝ているわけですから」
と、明は、いった。
「そうだと、やはり、あなたのアリバイは、あいまいだということになってしまいますよ」
亀井が、脅かすように、いった。
「しかし、乗ったのは、間違いないんです。確か、5号車の下段の寝台でした」
「それを、証明できるんですか?」
「証明しろといっても、切符は、渡してしまっていますからねえ」
と明は、当惑した顔で、いったが、急に、笑顔になって、
「ああ、車掌さんと、話をしましたよ」
「車掌と? 何という車掌だったんですか?」
「ええと、名前は、山下《やました》という人でしたね。五十二、三の親切な方でしたよ。深夜なのに、話相手になって下さったんです」
「それを、くわしく、話してくれませんか」
と、十津川は、手帳を取り出して、明にいった。
「僕は、神経質で、旅に出ると、なかなか寝つかれないんです。あの時もそうで、寝台に横になったんですが、なかなか眠れないんですよ。夜の十二時を過ぎてましたね。眠れないんで、通路に出て、窓の外を見ていたら、丁度、その山下という車掌さんが、通りかかったんです。どうされましたかときくから、どうも眠れなくてといって、ちょっとの間、話相手になって、貰《もら》ったんです。親切な車掌さんでした。そうだ。名刺をあげたから、持っていてくれるかも知れませんね」
明は、嬉《うれ》しそうに、いった。
「どんな話を、その車掌さんと、したんですか?」
「いろいろですよ。民営化されて、どうですかとか、子供の話とか、旅の話とかです」
「十二時過ぎというのは、間違いありませんか?」
「ちょっと待って下さい」
明は、急に立ち上ると、キャビネットから、時刻表を、取り出して、席に戻った。
その時刻表のページを、繰っていたが、
「十二時三十分頃ですね」
「なぜ、わかるんですか?」
「車掌さんと話をしている中に、岡山駅に着いたからですよ。それで、お礼をいって、僕も、自分のベッドに戻ったんです。時刻表で見ると、『富士』が、岡山に着くのは、〇時四四分です。だから、十二時三十分頃に、あの車掌さんと話を始めたと思ったわけです」
と、明は、いった。
8
十津川は、警視庁に戻ると、すぐ、新宮崎観光ホテルへ、電話をかけた。
ホテルのフロントは、十津川の質問に対して、小堀明が、間違いなく、五月四日の午後二時頃、チェック・インし、翌五日の十二時頃、チェック・アウトしたと、いった。
「お一人で、お泊りで、ございました」
と、いう。
「宿泊カードは、本人が、書きましたか?」
と、十津川は、きいた。
「はい、お客様が、お書きになりました」
「その宿泊カードを、送って下さいませんか。申しわけありませんが」
と、十津川は、頼んだ。
どうやら、小堀明は、新宮崎観光ホテルに、五月四日から五日にかけて、泊ったことは間違いないようだが、念のためである。筆跡鑑定すれば、本人だと、確認できるだろう。
次は、山下という車掌に、会うことだった。
五月十四日に、その山下車掌が、上りの「富士」で、東京駅に着くというので、その日、亀井と、東京駅へ出かけて行った。
上りの寝台特急「富士」は、午前九時五九分に、東京駅に着く。
そのあと、山下|要介《ようすけ》車掌に、駅長室に、来て貰《もら》った。
国鉄時代から、三十年以上も、鉄道で働いているというベテランの車掌だった。
十津川は、山下車掌に、小堀明の顔写真を見せた。
「五月五日に、上りの『富士』の車内で、この人と会いましたか?」
と、十津川が、きいた。
山下は、じっと、写真を見ていたが、
「ああ、私に、名刺を下すった方です」
と、ニッコリした。
「話をしましたか?」
と、亀井が、きいた。
「ええ。もう夜の十二時を過ぎていたんですが、通路に出ておられたんで、ひょっとして、気分でも悪くなったのかと思って、声をおかけしたんです。多少の薬も、用意しておりますのでね。そうしたら、眠れなくてと、いわれました」
山下車掌は、思い出しながら、いった。
「それで、どうしました?」
「話相手になって欲しいといわれるので、しばらく、お話をしました。その時に、名刺を頂いたんです。確か、東京の小堀さんという方ですよ」
「どの辺を走っているときか、わかりますか?」
「そうですね。お話をしている時に、列車が、岡山に着きましたので、失礼したんですが、岡山着が、〇時四四分です」
「その後、また、この人に会いましたか?」
「朝になって、また、顔を合せました。その時も、通路で、お会いして、昨夜《ゆうべ》は、ありがとうと、お礼をいわれて、恐縮したのを、覚えています」
「この人が、始発の宮崎から乗ったことは、間違いありませんか?」
と、亀井が、きいた。
「それは、間違いないと思います」
「しかし、宮崎から乗ったのを、見られたわけじゃないでしょう?」
「そうですが、宮崎を出てすぐ、車内検札をします。ちゃんと、鋏《はさみ》が入っていますから、宮崎からお乗りになったことは、間違いない筈《はず》ですよ」
と、山下車掌は、いった。
「車内で、何か、ありませんでしたか? あの日、車内で、もめごとがあったとか、停電で、一時、列車が、停ってしまったとかいうことですが」
と、十津川が、きいた。
「いや、別に、何もなく、スムーズに、東京駅に着いています。連休の最後の日で、車内は満席でしたが、幸い、何の事故もなく、到着して、ほっとしたのを、覚えていますから」
「この人のように、車掌さんに、名刺を渡す人は、よくいるんですか?」
と、亀井が、きいた。
「そうですねえ。全くないわけじゃありません。私は、長距離の寝台列車に、何年も、乗務していますが、五、六枚は、名刺を頂きました」
「それは、どんな人が、渡すわけですか?」
「鉄道マニアが、いらっしゃいましてね。私たち車掌と、よく、話をされるんですよ。一緒に、記念写真を撮りたいという方も、いらっしゃいます。そんな時に、名刺を頂くことがありますね」
「この写真の人とは、どんな話をされたんですか?」
十津川が、きいた。
「いろいろなことを、お話ししましたよ。自分も、鉄道が好きで、よく乗られるということとか、家族のこととか、とにかく、お話好きの方でした」
と、山下車掌は、微笑した。
「その時、彼は、もちろん、寝巻姿だったんでしょうね?」
「ええ。十二時過ぎですから」
「もう一度、確認しますが、話をしている中に、岡山駅に着いたんですね?」
「その通りです。岡山です」
と、山下は、はっきりと、いった。
9
「どうやら、小堀明が、五月五日に、上りの寝台特急『富士』に、乗ったことは、間違いないようですね」
と、帰り道で、亀井が、十津川に、いった。
「ああ、間違いないだろうね」
「すると、やはり、犯人は、次男の小堀功ということですかね?」
「常識的に考えれば、彼が、犯人だろう。アリバイなしだからね。ただねえ」
と、十津川は、考え込んで、
「小堀忠男が、九州で殺された日に、長男の明が、よりによって、宮崎発のブルートレインに、乗っていたことに、どうしても、引っかかるんだよ」
「当人は、単なる偶然だと、いっていますが」
「本当に、偶然なんだろうか?」
「そこが、問題ですが」
「寝台特急の『富士』か――」
十津川は、また、九州の地図を、思い浮べた。
被害者は、博多から、南下する特急列車に乗っていた。
小堀明は、その時、宮崎から北上する寝台特急に、乗っていた。
「特急『有明87号』の博多発は、何時だったかな?」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「確か、一九時五五分です」
と、亀井がいう。
「宮崎発の『富士』も、博多を通って、東京に向うんだったかな。博多に着くのは、何時頃かね?」
「確か、『富士』は、博多を通らなかったと思います」
と、亀井が、いった。
「そうか、博多には、停車しないのか」
十津川は、呟《つぶや》いた。
別に、だから、というわけではないが、十津川も、次男の小堀功の方が、犯人ではないかという気持に、なって来た。
(だが、どちらも、うさん臭くはあるのだ)
と、十津川は、思った。
明の方は、最初、五月五日は、ひとりで、家にいたと、嘘《うそ》をいったし、次男の功の方は、アリバイを証明する女が、死んでしまっている。殺されているのだ。
(どちらが、犯人なのだろうか? それとも、二人の他に、犯人がいるのだろうか?)
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第三章 二つの推理
1
熊本県警の北川《きたがわ》警部が、上京して来た。
十津川《とつがわ》と亀井《かめい》は、四谷《よつや》の捜査本部で、北川に会った。
十津川は、小堀《こぼり》兄弟について、その後、調べたことを、北川に、説明した。
「動機についていえば、兄の明《あきら》、弟の功《いさお》の両方にありますね」
と、十津川は、黒板に眼をやりながら、北川にいった。
黒板には、小堀明、功と二人の名前が書かれ、二人の事件当日のアリバイが、註記《ちゆうき》してある。アリバイというより、正確にいえば、二人のアリバイ主張である。
「父親の小堀|忠男《ただお》が死ねば、莫大《ばくだい》な財産を、兄弟で、自由に出来るということですね」
「そうです。その上、どちらかが、犯人として、逮捕されれば、残る一人が、全財産を独り占めに出来ます」
「それにしても、父親を殺すというのは――」
「殺された小堀忠男は、女好きで、現に五人の女が、彼のまわりにいました。なかなか、魅力的な女性たちですよ。彼が、もし、その中の一人と結婚してしまうと、兄弟の取り分は、ぐっと少なくなります。そうなる前にという気持があったとしても、おかしくは、ありません」
「なるほど」
と、北川は、肯《うなず》いてから、
「次男の功の方は、それに、父親の女の一人と、関係が出来ていて、それが、父親にばれるのが怖《こわ》くてという理由が、加わるわけですね?」
と、十津川に、きいた。
「その通りです。父親の小堀忠男は、ワンマンだったようですからね。もし、彼女、岡部《おかべ》ゆう子との関係がわかって、父親が激怒したら、勘当され、放り出されるかも知れない。そう考えて、小堀功が、機先を制して、殺したのかも知れません」
「その上、口封じに、岡部ゆう子も殺したということですか?」
「そうです。口封じか、或《ある》いは、アリバイ証言を頼んでおいたのに、彼女が、承知しなかったからということも考えられます」
と、十津川は、いい、岡部ゆう子の手帳を、北川に、見せた。
北川は、その手帳のページを繰っていたが、
「一千万円で、アリバイを頼まれる――ですか」
「何十億という遺産が手に入るんですから、一千万くらい安いものだと、小堀功は、考えたんでしょうね」
亀井が、いった。
「この手帳の筆跡は、岡部ゆう子本人に、間違いないんですか?」
「間違いありません。筆跡鑑定は、すませました」
「それなら、今度の事件の犯人は、次男の小堀功に決ったんじゃありませんか?」
と、北川は、十津川を見た。
「今のところ、小堀功が犯人だという可能性は、八十パーセントと、見ています」
と、十津川は、答え、若い刑事が運んできたコーヒーに、砂糖を入れた。
「どうぞ。召し上って下さい」
「頂きます」
と、北川は、いったが、コーヒーには、口をつけず、不審気に、
「どうも、わかりませんね。私には、小堀功のクロは、間違いないように見えますが、あとの二十パーセントというのは、何なんですか?」
「その後、岡部ゆう子について、いろいろと、調べてみたんですが、彼女が、海外旅行に出かける予定だったと、わかったんです」
と、十津川は、いい、コーヒーを、口に運んだ。
「それが、小堀功に対する疑惑と、何か関係があるんですか?」
「彼女は、女友だちに、何か月か、海の向うで、のんびりしてくるわと、いっていたそうなんです。つまり、一千万円を貰《もら》って、のんびりという考えだったと、思われるのです。従って、小堀功が、約束どおり、一千万円渡していれば、彼女は、彼のアリバイを証言したあと、海外へ出ていたことになります」
「小堀功が、その一千万円を惜しんで、殺したとは、考えられませんか?」
「われわれには、大金ですが、今もいったように、小堀功は、何十億という遺産を手に入れたわけですからね。一千万円を、惜しむとは、思えないのですよ。それに岡部ゆう子は、一千万円を手に入れています」
「彼女が、一千万円では、足らずに、何億という金を、要求したというのは、どうですか?」
「それなら、考えられます」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
「それでも、可能性は、八十パーセントですか?」
「そうですね、残りの二十パーセントは、長男の小堀明です。彼にも、犯人の可能性は、ありますからね」
「しかし、彼は、父親が殺された時、寝台特急『富士《ふじ》』に、乗っていたわけでしょう?」
「そうです。車掌は、その列車に、間違いなく、小堀明が乗っていたと、証言しています。『富士』が、始発の宮崎を出てすぐ、車内検札をした時にも、彼はいたし、列車が、岡山に着いた時、これは、午前一時少し前ですが、通路で、車掌は、小堀明と、話しています」
「それでも、二十パーセントは、小堀明に、犯行の可能性があると、お考えなんですか?」
と、北川は、きいた。
「車内検札をしてから、岡山まで、小堀明は、自由に移動できたわけですからね」
「その間に、彼が、どこかで、特急『有明《ありあけ》87号』に、乗り込み、父親の小堀忠男を殺し、また、『富士』に、舞い戻ったというわけですか?」
と、北川は、黒板に書かれた九州の簡単な地図に、眼をやった。
特急「有明87号」の走った博多《はかた》→熊本までの鹿児島本線と、上りの寝台特急「富士」が、宮崎→小倉《こくら》までを走った日豊《につぽう》本線が、書かれている。
ほぼ平行して走るこの二つの線を、横に結んでいるいくつかの線がある。
大分と久留米《くるめ》を結ぶ久大《きゆうだい》本線。
大分と熊本を結ぶ豊肥《ほうひ》本線。
亀井は、黒板に、その二つの横の線を、書き込んだ。
「小堀明は、この二つの線のどちらかを利用して、『富士』から『有明87号』に乗り込んだのかも知れません」
「それなら、久大本線に決っていますよ。豊肥本線で、熊本に着いても仕方がない。態本は、『有明87号』の終着駅ですからね。小堀忠男は、熊本に着くまでの間に殺されているんです」
と、北川は、いった。
「同感です」
と、十津川は、いい、
「小堀明が、上りの『富士』を、大分で降りて、果して『有明87号』の小堀忠男を、殺せるかどうか、検討してみましょう」
と、つけ加えた。
2
時刻表を、元にしての検討となった。
一三時一九分。宮崎発の寝台特急「富士」に、小堀明が、乗っていたことは、間違いない。
この列車が、大分に着くのは、一六時五三分である。
ここで降りて、久留米に向う久大本線の列車に、乗らなければならない。
「一七時四三分大分発で、久留米に向かう急行『由布《ゆふ》6号』に、乗れますね」
と、亀井が、時刻表を、見ながら、いった。
「その前の列車は、一六時三八分大分発の普通列車しかないし、それには、乗れないから、『由布6号』に、乗るしかないんだな」
十津川も、時刻表を見て、いった。
この列車の久留米着は、二〇時二二分である。
「間に合うんだ!」
と、北川が、時刻表を見て、大声を出した。そんな北川を、十津川は、微笑しながら見やって、
「間に合いますか?」
「問題の『有明87号』の久留米発は、二〇時二六分ですよ。『由布6号』で、二〇時二二分に着けば、ゆっくり、この列車に、乗り込めますよ」
と、北川は、眼を輝かして、いう。
「久留米で、乗り込んで、次の停車駅までの間に、小堀忠男を、殺したということでしょうか?」
亀井は、二人の警部の顔を見た。
「そうだろうね。次の停車駅は、瀬高《せたか》だ」
と、十津川。
「瀬高は、二〇時四一分ですね。久留米から瀬高まで、十五分ありますから、車内で父親を殺して、トイレに押し込み、故障の札をかけるだけの時間があると、思いますね」
と、北川は、満足そうに、いった。
「問題は、瀬高で降りたあと、今度は『富士』を追っかけて、岡山までの間に、乗り込めるかということですね?」
十津川が、いうと、北川は、ニッコリして、
「絶対に、乗り込める筈《はず》ですよ」
と、いった。
「なぜ、そう確信できるんですか?」
「今、時刻表を見ていて、一つの確信を得たんです。今度の事件は、五月五日に起きていて、殺人現場である『有明87号』は、五月三日から五日まで、臨時に走る列車です。つまり、犯人にとっては、この日しか、チャンスは、なかったわけですよ。他の、通常ダイヤの列車では、うまくいかなかったのではないか。それを考えると、『富士』から『由布6号』に乗りかえて、久留米で、上手《うま》く、『有明87号』に、乗り込めることは、偶然とは、思えないのですよ。また、その『富士』に、容疑者の一人、小堀明が、乗っていたこともです」
「なるほど、それは、十分に、考えられますね」
と、十津川も、いった。
もし、祝日でなかったら、「有明87号」は、運転されていない。
小堀忠男は、定期の列車「有明45号」に、乗っていただろう。
この「有明45号」は、一九時二〇分に、博多を出て、熊本には、二〇時五〇分に着く。
小堀忠男本人は、この列車で、九州を廻《まわ》っても、別に、不都合は、なかったろう。
しかし、彼を殺そうと考えた人間が、アリバイトリックに、寝台特急「富士」を、使うことは、出来なかった筈《はず》である。
何故なら、「有明45号」の久留米発が、一九時四八分だからである。
「富士」に乗った犯人が、大分で降り、久大本線を利用して、久留米に行き、「有明45号」に乗り込もうとしても、不可能になってくるのだ。
犯人が、久大本線の急行「由布6号」で、やっと、久留米に着いても、その時には、小堀忠男の乗った「有明45号」は、すでに、発車してしまっているからである。
祝日でない日に旅行したとして、もちろん、小堀忠男が、「有明45号」に、乗ったかどうかは、わからない。
臨時列車「有明87号」は、走らないが、二〇時二〇分博多発の「有明47号」は、走っているから、それに、乗ったかもしれないからである。
この列車になら、犯人は、久留米で、乗り込めた筈《はず》なのだ。
「有明47号」は、二〇時五一分に、久留米を発車する。「富士」→「由布6号」と乗りついで、久留米に、犯人が着くのは、二〇時二二分だから、ゆっくり、乗り込める。
そして、次の瀬高は、二〇時五九分である。
「問題は、『有明』の車内で、小堀忠男を殺してから、犯人が、寝台特急『富士』に戻れるかということです。『富士』が、岡山に着くまでの間にです」
と、北川は、興奮した口調で、いった。
「その通りです」
と、十津川は、肯く。
「もし、臨時の『有明87号』ならば、間に合って、定期の『有明47号』では、間に合わなければ、犯人は、小堀明と決めていいと、思いますね」
と、北川は、いった。
「それは、予告のハガキのことが、あるからですか?」
亀井が、きいた。
「そうですよ。十津川警部へ、誰かが、『祝日に、殺人《ころし》の列車が走る』というメッセージを、送ったわけでしょう。私は、それを、五月五日、子供の日に走った『有明87号』ではないかと、思うんです。だから、この祝日に走る列車を利用したアリバイトリックが、今度の殺人に使われたとしたら、犯人は、その日、『富士』に乗っていた人間ということになります」
と、北川は、いう。
「同感ですね」
と、十津川は、いった。
「これから、熊本に戻って、この仮説が正しいかどうか、実験してみます」
と、北川は、張り切って、いった。
3
明朝早く、熊本に戻るという北川警部と別れて、十津川と、亀井は、夕食をとりに、捜査本部を出た。
近くの食堂で、夕定食を食べながら、亀井が、
「北川警部は、小堀明で、犯人は、決りという態《てい》ですね」
と、微笑した。
「若いから、張り切ってるんだろう」
十津川も、好意的ないい方をした。
「北川警部の実験が成功するといいですが、どう思われますか?」
「彼もいっていたが、問題は、犯人が、『富士』に、戻れるかどうかだろうね。久留米で、『有明87号』に乗れることは、わかったんだから」
「われわれは、小堀功の方を、調べますか」
「八十パーセントの確率のある容疑者だからね」
と、十津川は、いった。
夕食をすませて、捜査本部に戻ってからも、小堀功のアリバイについて、十津川と、亀井の話が、続いた。
小堀功は、五月五日、子供の日には、岡部ゆう子と、彼女のマンションで、夕方から、六日の午前一時頃まで飲んでいたと、主張した。
彼女も、それを裏付ける証言をしたが、彼女が殺され、どうやら、功は、アリバイを頼んだらしい形跡が、出て来た。
「もし、小堀功が、五月五日に、岡部ゆう子と飲んでいたというのは嘘《うそ》だとすると、彼は『有明87号』に、乗っていたことが、考えられますね」
と、亀井が、いう。
「そして、車内で、父親を殺し、東京に戻ったことになる」
「もう飛行機もない時刻だから、帰京したのは、翌六日ですね」
「今のところ、功は、午前一時まで、四谷三丁目の岡部ゆう子のマンションで飲み、そのあと、自宅に帰ったといい張っている。成城《せいじよう》の家に帰ったのは、午前二時近かったそうだ」
「車で、帰ったんですか?」
「ポルシェでね」
「飲酒運転じゃありませんか」
「まあね。だが、それは、嘘かも知れないんだ」
と、十津川は、いった。
「もし、功が犯人だとすると、六日の何時に、自宅に帰ったことになりますかね?」
「少しでも早く、帰宅しようとしただろうね」
と、十津川は、いった。
小堀忠男が、「有明87号」の車内で殺されたのは、五月五日の午後八時から九時の間である。
もっとも早い午後八時に、殺されたとする。
特急「有明87号」は、一九時五五分に、始発駅の博多を出る。
「もし、午後八時(二〇時)に、殺したとすれば、犯人は、次の駅で降りられるわけだよ」
と、十津川は、いった。
「次の駅は二日市《ふつかいち》で、二〇時〇八分です」
「そこで降りて、タクシーを飛ばしたら、最終の飛行機に、乗れるかな?」
「いや、無理ですね。福岡発東京行の最終使は、二〇時二五分です。八時二五分です。犯人が、二日市駅に降り、改札を通って、タクシーに乗るだけでも、最低五分は、かかると思います。そうすると、あと、十二分しかありません。タクシーをいくら飛ばしても、無理でしょう」
「とすると、小堀功は、翌日の飛行機で、帰ったことになる」
「朝七時二五分発が、第一便で、羽田に、八時五五分に、着きます」
「もし、彼が犯人なら、六日の午前九時頃までは、自宅にいなかった筈《はず》だね」
「そうなります」
「それが証明できれば、功のアリバイは、なくなるね」
「どうやって、証明しますか? 彼の奥さんは、香港《ホンコン》に行っていたわけですが、自宅に電話して、夫がいなくても、正直に、いってはくれないでしょう」
「六日の朝、小堀功が、福岡→東京の飛行機に乗っていなかったかどうかを、まず、調べたいね。それから、彼の友人や、知人に、片っ端から、当ってみてくれないか。中には、六日の早朝、電話した人がいるかも知れないからね」
と、十津川は、いった。
刑事たちが、その二つの捜査に、取りかかった。
福岡―東京間には、片道二十二便、往復で四十四便が、就航している。
JAL、ANA、TDAの三社である。
早朝の便で、帰京したろうと思っても、どの便と、限定は、危険だった。
午前中だけでも、八便が、福岡→東京に、飛んでいた。
亀井たちは、五月六日のこの八便について、調べてみることにした。
連休の翌日で、帰京する人たちが多かったのか、どの便も、満席だったという。
この八便の乗客名簿のコピーを貰《もら》って、点検することから始めた。
ほとんどが、ボーイング747SRで、定員は、五百二十八名である。それが、八便。乗客名簿に書かれた名前も、四千名を越えてしまう。
小堀功の名前は、その中に、なかった。が、偽名で、乗った可能性もあった。
四千名を越す乗客の中、男名前の者について、一人、一人、当ってみることになった。その乗客が、本名かどうかである。
根気のいる仕事になった。
その一方で、小堀功の友人、知人に、一人ずつ当ることも、並行して、行われた。
こちらの方で、先に、一つの疑問が見つかった。
功の大学時代の友人で、レストランを経営している男が、五月六日の早朝、電話したが、留守だったと、証言したのである。
十津川は、亀井と、早速、この男に、会いに出かけた。
名前は、大木光明《おおきみつあき》。父の代からの店だということで、奥の部屋に案内された。
「五月六日の朝、小堀功さんに、電話されたそうですね?」
と、十津川が、きくと、大木は、眼をくるくると動かして、何か考えていたが、
「なるほど。彼は、父親殺しの疑いをかけられているわけですか。確か、彼のおやじは、五月五日に、九州で殺されたんでしたね。そのアリバイですね」
と、したり顔で、いった。
十津川は、苦笑しながら、
「電話されたのは、事実なんですか?」
「しましたよ」
「正確に、何時ですか?」
「六日の朝の八時頃ですね。五、六分は、過ぎていたかも知れない」
「なぜ、そんな朝早く、電話したんですか?」
「朝起きたら、急に、ゴルフがしたくなりましてね。僕は、Sカントリーの会員だし、彼も、そうなんで、誘おうと思ったんですよ」
「六日は、この店は、休みだったんですか?」
と、亀井が、きいた。
「本当は、連休に休むつもりだったんですが、事情があって、営業して、代りに、六日を休みにしたんです」
「それで、朝の八時に電話したら、彼は、いなかった?」
「ええ。留守番電話でね。メッセージを吹きこんでくれというので、吹き込みましたよ」
「何を、吹き込んだんですか?」
「一緒にゴルフをしたいから、やる気があれば、正午までに、連絡してくれ。正午を過ぎたら、Sカントリーに、出かけてしまうとね」
「それで、昼までに、小堀功さんから、返事は、ありましたか?」
「いや、なかったんで、ひとりで、出かけましたよ。幸い、向うで、知り合いに会えたんで、一緒にプレイしましたがね」
「その電話のことを、小堀さんに、話しましたか?」
と、十津川が、きいた。
「どうして、連絡してくれなかったんだって、文句をいってやろうと思ってたんですがね。おやじさんが、殺されたと知って、それじゃあ、仕方がないと思いましたよ。ゴルフどころじゃありませんからね。そんなことで、あれから、彼には、一度も、連絡していませんよ」
「六日の朝、向うの留守番電話に、伝言を、吹き込んだのは、間違いありませんね?」
と、十津川は、念を押した。
「間違いありませんよ。彼が、本当に、疑われているんですか?」
大木は、眉《まゆ》をひそめて、きいた。
「容疑者の一人というだけのことです。小堀功さんというのは、どんな青年ですか?」
「そうですねえ。普通の男ですよ。金があって、いい男だから、学生時代は、女性には、もてましたがね」
「父親との関係は、どうだったんですかね? 亡くなった小堀忠男さんは、一代で、大きな財産を作った人で、六十歳を過ぎても、会社の実権を、二人の息子には、渡さなかったといいますからね。息子との間に、あつれきがあったんじゃありませんか? 友人のあなたに、功さんが、父親のことで、文句をいっていたことは、ありませんか?」
「今度は、動機ですか」
と、大木は、肩をすくめてから、
「どこの家だって、父と子供の間には、何か、ケンカのタネはありますよ、僕のところだって、去年、おやじが亡くなるまで、ケンカばかりしてましたからね」
「功さんから、岡部ゆう子という女の名前を聞いたことは、ありませんか?」
と、亀井が、きいた。
「いや、聞いていませんよ」
と、大木は、いった。これは、本当らしかった。
4
十津川と、亀井は、再び、小堀功に会うことにした。
彼の自宅を訪ねると、香港に、旅行していた彼の妻も、帰宅していた。
彼女が、出してくれたコーヒーを、一口、飲んでから、十津川は、功に、
「もう一度、五日から六日にかけてのことを、お聞きしたいのですよ。五日の夕方から、岡部ゆう子のところで、飲んでおられたんですね?」
「ええ。しかし、家内には、これは、内緒にして下さい。いい気はしないでしょうからね」
と、功は、奥を気にしながら、小声でいった。
「わかりました。それで、六日の午前二時に、自宅に帰られた?」
「正確には、午前二時少し前です」
「そのあとは、ずっと、自宅に、おられたんですか?」
「ええ。とにかく、疲れていたんで、寝ましたよ」
「起きられたのは、何時頃ですか?」
「午前九時頃だったと思いますね」
「そのあとは?」
「昼頃、おやじの秘書から、電話があって、おやじが亡くなったのを、知ったんです。熊本県警から、連絡があったというんです。それで、兄に電話したら、一緒に、すぐ、熊本へ行こうということになったんです」
「電話は、寝室にもありますか?」
「ええ、ありますよ」
「あなたは、寝ていても、電話のベルの音で、眼を覚ます方ですか?」
「ええ、覚めますね」
「あなたのお友だちに、大木という人がいますね? レストランをやっている――」
「ええ、親友ですよ」
「彼が、六日の朝八時に、電話したら、あなたは、留守だったと、いっているんですがね」
と、十津川が、いうと、功は、一瞬、狼狽《ろうばい》の色を見せたが、すぐ、表情を戻して、
「ああ、ゴルフに行かないかという電話でしょう?」
「留守番電話で、聞かれたんですね?」
「そうです」
「朝の八時に、電話が掛った時、なぜ、出られなかったんですか? 寝ていても、電話の音で、眼が覚める筈《はず》でしょう?」
「そうなんですがね。八時頃、ベルが鳴ったのは、知っていますよ。しかし、とにかく、眠かったものだから、後で、録音されたものを聞いて、返事をすればいいと思って、受話器を取らなかったんですよ」
「それで、テープを聞いたのは、何時なんですか?」
「九時頃に起きて、しばらくしてからですからね、十時半は、過ぎていたかも知れませんね」
「その時点では、まだ、お父さんが亡くなったことは、知らなかったわけでしょう?」
「ええ、知りませんでしたね」
「それなら、なぜ、大木さんに、連絡しなかったんですか? 留守番電話には、正午までに、返事をくれと、あったんじゃありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「そうなんですがね。何となく、頭痛がしていて、ゴルフをやる気になれなかったんです。大木は、ひどくやりたがっている感じでしたから、返事をするのが、気がすすまなかったんです。そのうちに、おやじが死んだという電話が、秘書から、入ったんですよ」
と、いった。
「大木さんの録音テープを、聞かせて貰《もら》えませんか?」
と、亀井がいうと、功は、当惑した顔になって、
「それは、もう消してしまいましたよ。そうしないと、留守番電話として、使えませんからね。丸一日で、前に録音されたものは、消すことにしているんです」
と、いった。
十津川たちは、それ以上、押さずに、外へ出たが、
「どうも、怪しいですよ」
と、亀井は、パトカーに戻りながら、十津川に、いった。
「大木が電話した六日の午前八時には、小堀功は、家にいなかったということかい?」
「福岡から帰る飛行機の中だったんじゃありませんか」
と、亀井は、いった。
四千名を越える乗客名簿の方は、調べた結果、六人の男名前の乗客が、住所と、名前がでたらめとわかった。
この中に、小堀功がいるのだろうか?
5
熊本県警に戻った北川警部は、部下の永山《ながやま》刑事と、自分の推理の証明作業に、取りかかった。
二人は、まず、宮崎に行き、ここから、一三時一九分発の東京行寝台特急「富士」に、乗り込むことにした。
「出来るだけ、五月五日の小堀明と、同じ行動を、取ってみたいんだよ」
と、北川は、サングラスをかけた顔で、永山刑事に、いった。
彼は、自信に、あふれていた。これで、小堀明のアリバイが、崩せると、確信していたからである。
「しかし、警部。今日は、五月五日ではありませんから、肝心の『有明87号』は、動いていませんが」
と、永山は、心配そうに、いった。
「わかってる。だから『有明87号』についてだけは、時刻表で、見てみるんだよ」
「上手《うま》くいきますか?」
「大丈夫だよ」
と、北川は、いった。
二人の乗った「富士」は、一三時一九分、定刻に、宮崎を発車した。
「さあ、始まるぞ。これで、小堀明のアリバイが崩れたら、殺人容疑で、彼を逮捕だ」
北川は、相変らず、自信に満ちた声で、いった。
発車してすぐ、車内検札があった。
今日は、自信があったし、事実に添った実験がしたかったので、北川は、東京までの切符を買って、乗っていた。
「富士」は、宮崎、高鍋《たかなべ》、日向《ひゆうが》、延岡《のべおか》と、停車して行く。
「質問があるんですが――」
と、若い永山刑事が、遠慮がちに、いった。
「何だ?」
「犯人は、いったん、『富士』から降りて、久留米に行き、『有明87号』に乗り込んだわけでしょう?」
「そうだ」
「その間にも、『富士』は、東京に向って、走り続けています。停って、待っていてくれるわけじゃありません」
「当り前だ」
「それに、追いついて、乗れるものでしょうか?」
「乗れるんだ」
「しかし、飛行機も、もう動いていないと思いますが」
「新幹線があるじゃないか」
と、北川は、笑った。
「それで、追いつけますか?」
「追いつけたからこそ、小堀明のアリバイトリックが、成立したんだよ」
と、北川は、いった。
一六時五三分に、「富士」は、大分に、着いた。
「降りるぞ!」
と、北川は、大声で、いった。
6
久大本線の急行「由布6号」は、別府一七時二七分発で、大分発は、一七時四三分である。
五十分の余裕があるので、北川は、その間に、久留米までの切符を買い、簡単な夕食をとることにした。
永山に、駅弁のうなぎ飯とお茶を買わせ、それを、ホームのベンチに腰を下ろして、食べることにした。
「五月五日に、小堀明も、『由布6号』を待ちながら、こうして夕食を、とったんでしょうか?」
と、永山が、箸《はし》を動かしながら、きいた。
「どうかな。何しろ、父親を殺すんだ。緊張で、食事どころじゃなかったかも知れん」
「しかし、警部。食事もせずに、五十分も、ホームで待っていたら、怪しまれますよ」
「そうだな。とすると、小堀明は、『富士』で、次の別府まで行き、別府で、『由布6号』に、乗ったのかも知れない。それなら、待ち時間は、短くて、すむだろう?」
「そうですね。『富士』は、別府に、一七時一七分に着きます。『由布6号』の別府発は、一七時二七分ですから、十分しか待たなくていいことになります」
「それなら、別府で、乗ったんだろう。われわれは、ここで乗っても、アリバイ崩しの効果は、同じだよ」
と、北川は、いった。
気動急行の「由布6号」が、到着した。
連休が終ってしまったので、車内は、がらがらである。
二人が乗り込むとすぐ、列車は、大分を発車した。
久大本線は、別府の奥座敷といわれる由布院《ゆふいん》を始め、九州の屋根といわれる九重《くじゆう》連山を過ぎ、筑後《ちくご》川に到《いた》る景色の素晴らしい鉄道である。
しかし、北川も、永山も、緊張で、そんな車窓の景色など、楽しむ余裕は、持てなかった。
久留米が近づくと、北川は、永山に向って、
「いいか、肝心の『有明87号』が走っていないから、久留米に着いたら、急いで、タクシーを拾い、次の瀬高まで走らせる。『有明87号』の瀬高着は、何時だったね?」
「二〇時四一分。これは、発ですが、着も、恐らく、同じ、四一分と思います」
「それでは、タクシーで、その時間までに瀬高に着くようにするんだ」
と、北川は、いった。
急行「由布6号」は、定刻の二〇時二二分に久留米に着いた。
「急ぐぞ!」
と、北川は、怒鳴《どな》って、ホームを、駆け出した。
改札口を出ると、すぐ、駅前で、タクシーに乗り込んだ。
「瀬高駅まで、飛ばしてくれ」
と、北川は、運転手に、警察手帳を示して、頼んだ。
「何か、事件を追っているんですか?」
「殺人事件を、追ってるんだ。とにかく、一刻も早く、瀬高駅に、行ってくれ」
「わかりました」
運転手は、強くアクセルを踏んだ。
近くに、九州自動車道が走っているが、インターチェンジの関係で、かえって、遠廻《とおまわ》りになってしまうので、タクシーは、鹿児島本線に沿って延びる国道209号線を、南へ向って、疾走した。
運転手も、刑事を乗せているというので、強気に、走る。
久留米から、瀬高まで約二十キロである。
瀬高駅前に着いたのは、二〇時三七分だった。
「間に合ったぞ」
と、北川は、満足した顔で、いった。
7
「これから、どうするんですか? タクシーで、博多へ行くんですか?」
と、永山が、きいた。
「いや、ここからは、列車で、博多へ行くんだ」
と、北川は、いった。
駅の構内に入り、次に出る博多行の時刻表を見た。
「二〇時四〇分発の『有明48号』が、ありますよ」
と、永山が、いった。
「これには、乗れないんだ。久留米で、『有明87号』に乗ったとすると、この瀬高は、二〇時四一分だからね」
「とすると、二一時〇〇分発の普通列車ですね」
と、永山が、いった。
「それで行こう」
と、北川は、いった。
博多までの切符を買って、ホームに入った。
二十分待って、二一時〇〇分発の博多経由の門司港《もじこう》行の普通列車が来た。
二人は、それに、乗った。
普通列車だから、当然、各駅停車である。
北川は、だんだん、自信がなくなってきた。少しばかり、時間がかかり過ぎたからだった。
やっと、という感じで、列車は、博多駅に着いた。
二二時一四分である。
二人は、新幹線のホームに向って、駆けた。息が、はずむ。
しかし、新幹線への改札のところまで来て、北川は、がっくりしてしまった。
博多から出る新幹線は、あと、二二時三九分発の「こだま498号」しかないのだが、これは、次の小倉までしか行かなかったからである。
「富士」は、小倉に停車するが、一九時〇二分に発車してしまっているから、全く、間に合わないのだ。
「参ったな。絶対に、間に合うと、思ったんだがね」
北川は、ぶぜんとした顔で、いった。
永山刑事が、なぐさめるように、
「瀬高駅で、二〇時四〇分発の『有明48号』に、乗れない筈《はず》だと、いわれましたが」
「一分、間に合わないんだよ」
「殺人のあった『有明87号』が、二〇時四一分発になっているからでしょう?」
「そうだ」
「しかし、これは、発ですから、着は、一分近く早かったわけです。何とか『有明48号』に乗れたと考えてみたらどうかと、思いますが」
「たとえ一分でも、間に合わないものは、間に合わないがね」
と、北川は、いい、近くのベンチに腰を下して、時刻表を広げた。
二〇時四〇分瀬高発の「有明48号」に乗れたとして、博多着の時間を、調べてみた。
「有明48号」は、博多着、二一時二五分である。
これなら、博多発二一時五〇分の「こだま556号」に、乗れる。
そして、この「こだま556号」は、広島行である。
「駄目だよ」
と、北川は、また、溜息《ためいき》をついた
「広島着は、二三時三一分だ。『富士』は、二二時三五分に、広島を出てしまっているから、絶対に、間に合わないよ」
「広島の手前で、追いつけませんか?」
「なおさら、追いつけんさ」
と、北川は、いったが、念のために、「こだま556号」と、「富士」の時刻表を、手帳に、書き並べてみた。
(画像省略)
「駄目だよ、話にならん!」
北川は、不機嫌に、いった。
8
東京では、十津川たちが、偽名で乗っていた六人の男の乗客の行方を、追っていた。
この中に、小堀功がいれば、彼が、犯人の可能性が出てくるのだ。
しかし、この作業は、意外に、難しかった。
問題の人間が、一緒に乗ったグループの一人だったり、偽名や、偽の住所が、本名や、本当の住所に似ている場合は、何とか、本人を見つけ出せるのだが、個人で乗っていて、しかも、全くでたらめな住所が書かれていた場合は、どう調べても、見つけ出せなかった。
結局、三人の男は、どこの誰か、わからなかった。
同じ機に乗ったスチュアーデスに聞いても、どんな顔立ちをしていたか、覚えていないという。五百人を越す乗客が、機内にいるのだから、無理もないかも知れない。
結局、小堀功が、六日の午前中の福岡→東京の飛行機に乗ったという確証は、得られなかった。
十津川たちが、失望しているところへ、熊本県警の北川警部から、電話が、入った。
「小堀明のアリバイは、崩れませんでした」
と、北川は、疲れた声で、いった。張り切って、熊本へ帰った時の元気の良さとは、別人のようだった。
十津川は、詳しい説明をして貰《もら》ってから、
「こちらも、いけません。弟の小堀功が、犯人だという確証は、つかめませんでしたよ」
と、いった。
「兄弟で、示し合せて、父親を殺したということは、考えられませんかね」
と、北川が、いう。
「二人が、共犯ということですか?」
「そうです。莫大《ばくだい》な資産があるが、六十歳を過ぎた父親が、しっかりと、実権を握っていて、兄弟の自由にならない。二人とも、いい大人だから、そんな状態に、我慢がならなかったんじゃありませんかね」
「二人の利害が、一致していたというわけですか?」
「そうですよ。『富士』に乗っていた兄の明には、父親は殺せません。それは、実験してみて、わかりました。しかし、ひょっとすると、同じ列車に、弟の功も、乗っていたんじゃありませんかね。『富士』の車内で、兄弟のどちらが、父親を殺すかもめた。結局、弟の功が、殺しを引き受け、大分で降り、久大本線で、久留米へ行き、父親の乗った『有明87号』に、乗り込んだ。殺せることは、わかったんです」
「そして、弟は、飛行機で、帰京した――ですか?」
「そうです。弟の方は、岡部ゆう子に、アリバイを、証言させておいたわけです。それが、うまくいかなくて、口封じに、殺す破目になった。そうは考えられませんか?」
「兄弟が、共犯かどうかわかりませんが、もし、弟の功が犯人とすれば、五月五日に、『有明87号』の中で父親を殺し、翌六日早く、福岡→東京の飛行機で、帰京した筈《はず》だと思います。それで、お願いですが」
「何ですか?」
「功は、その場合、五日の夜は、福岡か、久留米あたりに、一泊したと思うのです。彼の顔写真を送りますから、周辺のホテルや、旅館を、当ってみてくれませんか。もし、彼が、向うに一泊していれば、彼が犯人の可能性が、大きくなります」
「彼は、自宅にいたと、いっているんでしたね?」
「そうです」
「やってみましょう」
と、北川は、約束した。
9
十津川たちは、彼等の本来の仕事である岡部ゆう子殺害の解明にも、全力をあげていた。そのために設けられた捜査本部である。
岡部ゆう子を殺したのは、恐らく、小堀功だろうと、十津川は、考えていた。
十津川の手元には、彼女のマンションから持ってきた手帳と、預金通帳が、保管されている。
小堀功と思われるI・Kから、一千万円で、アリバイ証言を頼まれたと書かれた手帳と、その一千万円の入金を記した預金通帳である。
I・Kは、どう考えても、小堀功なのだ。
最初も、今も、功は、五月五日の夜は、岡部ゆう子と、彼女のマンションで、飲んでいたと、主張していたからである。
岡部ゆう子が殺されたのは、五月八日の午後十時から十一時の間とされていた。
小堀功が、犯人なら、その時刻に、彼女のマンションに行っている筈《はず》である。
誰か、マンションの住人なり、管理人が、功を見ているかも知れない。
十津川は、その可能性に賭《か》けて、部下の刑事たちに、徹底した聞き込みを、行わせた。
しかし、その時間帯に、小堀功を見たという目撃者は、見つからなかった。
彼のポルシェを見たという証人もである。
十津川と亀井は、小堀功本人に会い、八日の午後十時から十一時までのアリバイを、聞きただした。
「その時間なら、ひとりで、ポルシェを走らせていましたよ」
それが、功の返事だった。
「なぜ、そんなことをしていたんですか?」
と、十津川が、きくと、功は、肩をすくめて、
「そうすると、気分が、すっきりするからですよ。前から、よく、そうしていますよ」
「岡部ゆう子殺しについては、アリバイがないということになりますね」
と、亀井が、いうと、功は、ぶぜんとした顔で、
「それは、ひとりで、車を走らせちゃいけないということですか? 何時《いつ》から、そんな法律が出来たんですかね?」
と、いった。
「確かに、法律は、ありませんがね」
亀井は、じろりと、相手を睨《にら》んだ。
小堀功に対する疑惑は、更に強くなったが、それだけでは、逮捕は、出来ない。
十津川は、確固とした証拠が、欲しかった。
五月五日の午後八時から九時までの間に、小堀功が、特急「有明87号」に、乗ったという証拠である。
翌六日の飛行機で、東京に帰ったという証拠である。
更にいえば、五月八日に、岡部ゆう子を殺した証拠である。
一日置いて、北川警部から、連絡が入った。
「どうも、うまくありません。そちらから送ってきた小堀功の顔写真を、大量にコピーしまして、福岡県警にも、渡しました。そして、向うにも協力して貰《もら》って、当ってみたんですが、彼が五月五日に泊ったと思われるホテルや、旅館は、まだ、見つかりません。これから、各地の温泉旅館などにも、当ってみるつもりでいますが」
と、北川は、いった。
どうやら、この方面にも、壁が、出来てしまったようだと、十津川は、思った。
小堀明も、功も、シロなのだろうか?
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第四章 新たな事件
1
十津川《とつがわ》は、最初から、今度の事件を、考え直してみることにした。
事件そのものとして考えれば、臨時特急「有明《ありあけ》87号」の車内で、小堀忠男《こぼりただお》が、殺された時から、今度の事件は、始まった。
しかし、その前を考えれば、中央ラジオの深夜放送で、十津川|宛《あて》のハガキが読まれた時に、事件は、始まったと、いってもいい。
いや、「夜が大好きな男」と名乗る人間が、投書のハガキを書いた時に始まったと、いうべきかも知れないのだ。
十津川は、そう考え、問題のハガキを、もう一度、読み直してみた。
この投書の主《ぬし》のいう「祝日に、殺人《ころし》の列車が走る」という、その列車が、「有明87号」のことだったとすれば、投書の主は、五月五日に、小堀忠男が、殺されることを、知っていたことになる。
ハガキの消印は、四月二十日である。とすると、祝日は、五月五日に限らないが、四月二十九日にも、五月三日にも、列車内での殺人事件は、起きていない。
と、すると、やはり、ハガキの主は、五月五日の殺人事件を、予見していたことになる。
(それとも、犯人自身が、このハガキを書いて、投函《とうかん》したのだろうか?)
「カメさんの意見を聞きたいね」
と、十津川は、ハガキを、亀井《かめい》に渡した。
亀井は、ワープロで打たれたハガキに眼をやった。彼も、これで、十何回目である。
「こういう、機械で書いたハガキは、気に入りませんね。手で書いたものだと、上手、下手は別として、書き手の気持が、伝わって来ます。憎しみが強ければ、自然に、筆圧が強くなって、わかります。しかし、こういう機械で打ったやつは、ぜんぜん、わかりませんね。困ったものです。激しい言葉があっても、ひどく、冷静に見えてしまいます」
亀井は、文句をいった。
「犯人が書いたと思うかね?」
「犯人が書いたのなら、挑戦状ですね。もし、別の人間なら、警察に、というより、警部に、殺人を止《と》めてくれといっているように思えます」
「そのどちらかだと、カメさんは、思うんだね?」
と、十津川が、きくと、亀井は、「そうですねえ」と、いい、しばらく、考えていたが、
「小堀兄弟の中の一人が、書いたことは、確かだと思います」
と、いった。
「それだけかね?」
「二人の中、犯人ではない方が、書いたのだと、思いますね。あの兄弟の片方が、父親を、殺したとしてですが」
「理由は?」
「今もいいましたように、犯人が書いたとすれば、これは、挑戦状です。しかし、挑戦状なら、もっと、激しい調子の文章の筈《はず》だと思うのです。『殺《や》るから、止めて見ろ』とか、『お前に防げるか?』といった感じです。しかし、これには、そうした調子は、ありません」
「なるほどね」
「例えば、これを書いたのが、兄の明《あきら》とします。彼は、弟の功《いさお》が、五月五日に、旅行中の父親を殺すつもりでいることを、知りました。当然、止めなければならないと思いますが、父親が死んでくれれば、明自身も、トクするわけです。会社の実権が、自分に来ますからね。しかしあとで、知っていて、止めなかったと、非難されるかも知れない。明は、迷います。そこで、こんな深夜ラジオの投書という方法をとったわけです。一応、自分は、警察に警告しておいた。それでも、殺されてしまったら、仕方がないのだと、自分に納得《なつとく》させる手段として、このハガキを書いたのではないかと思うのです」
2
熊本県警では、まだ、北川《きたがわ》警部が、自分の推理を、捨て切れずに、いた。
「小堀明が、殺したんだ」
と、北川は、部下の永山《ながやま》刑事にむかって、いった。
永山は、眼をぱちぱちさせた。さっきから、同じ言葉を、何回、聞いたか、わからなかったからである。
北川は、捜査本部の部屋の中を、歩き廻《まわ》りながら、
「君だって、そう思うだろう?」
と、永山を、見た。
「はい。小堀明が、犯人だと、思います」
「しかし、アリバイは、崩れない。なぜだ?」
「わかりません」
「奴《やつ》は、父親が殺された時、同じ九州にいたんだ。これが、偶然と、思えるかね? 永山君」
「いえ。ただの偶然とは、思えません」
「そうだろう。偶然なんかで、ある筈《はず》がないんだよ。小堀明は、『富士《ふじ》』を大分で降りて、久大《きゆうだい》本線で、久留米《くるめ》に行き、『有明87号』に、乗ったに、違いないんだ」
北川は、怒ったような声を出した。
「その通りです」
と、永山が、いう。
「それなら、どうして、アリバイが、崩せないんだ? もし、私の推理が、正しければ、小堀明は、『有明87号』の車内で、父親を殺したあと、ちゃんと、『富士』に戻れる筈だ。『富士』が、岡山に着くまでにだよ」
「そのことですが――」
「遠慮せずに、意見があれば、いってみたまえ」
と、北川は、じっと、部下の顔を見た。
若い永山刑事は、遠慮がちに、
「小堀明は、『有明87号』に乗って、久留米の次の瀬高《せたか》まで行ったのでは、どうしても、『富士』に、戻れなくなります。岡山着までにです」
と、いった。
「それは、実験したから、わかってるよ」
「とすれば、彼は、その手前で、『有明87号』を、降りたとしか、思えません」
「しかし、久留米の次が、瀬高なんだよ」
と、北川は、いった。
「そうですが、駅はあります」
と、永山はいい、時刻表を、広げた。
「ええと、久留米の次は、荒木《あらき》で、他に、西牟田《にしむた》、羽犬塚《はいぬづか》、船小屋《ふなごや》と、四つの駅があって、瀬高です」
「しかし、特急の『有明87号』は、その四つの駅は、停車しないんだよ」
「わかっていますが、犯人の小堀明は、久留米で、乗ったあと、父親を殺し、非常用ブレーキで、列車を停め、この四つの駅の一つで、降りたのかも知れません。或《ある》いは、急病を装って、久留米の次の荒木という駅で、降りたかも知れません。そうすれば、瀬高から戻るよりも、早く、博多に戻れるんじゃないでしょうか?」
永山はいっきに喋《しやべ》った。ずっと、頭の中で、考えていたらしい。
「うーん」
と、北川は、考えていたが、
「すぐ、確かめてみたまえ」
と、永山に、いった。
永山は、眼を輝かせて、電話で、問い合せていた。が、がっかりした顔で、受話器を置くと、
「駄目でした。五月五日の『有明87号』は、久留米の次は、瀬高まで、どこにも、臨時停車しなかったそうです」
と、いった。
「そうか」
「残念です」
「いや、そうでもないぞ。これから、久留米駅へ、行ってみよう」
と、北川はいい、立ち上った。
永山は、変な顔をして、
「無駄ですよ。五月五日には、『有明87号』に乗車した車掌が、瀬高まで、停車しなかったといっているんです」
「いいから、一緒に、出かけるんだ」
北川は、強引ないい方をして、永山を連れて、捜査本部を出た。
熊本駅から、博多行の「有明18号」に、乗った。
「まだ、警部の考えておられることが、わかりませんが」
永山は、座席に腰を下してからも、首をかしげていた。
「まあ、駅弁でも食べようじゃないか。間もなく、正午だ」
と、北川は、変に上機嫌でいい、熊本駅で買った中華弁当を広げた。
永山も、同じように、駅弁に、箸《はし》をつけたが、
「また、瀬高へ行かれるんですか?」
「瀬高へ行っても仕方がないよ。瀬高で降りたのでは、間に合わないんだ」
「しかし、さっきもいいましたように、久留米と瀬高の間の小さな駅では、停っていませんが」
「行くのは、久留米だよ」
と、北川は、ニッコリした。
「久留米で、何を調べるんですか?」
「いいかね。永山君。犯人は、久留米で、『有明87号』に、乗り込んだ。そうしなければ、小堀忠男を、殺せないからだよ」
「それは、わかりますが」
「しかし、次の瀬高まで、乗って行ったのでは、絶対に間に合わない。そうだろう? それなら、犯人は、乗ってかなかったんだよ。そう思わざるを得ないじゃないか」
「はい」
「まだ、わからないかね? 犯人は、私が推理したように、久留米駅で、『有明87号』が、来るのを、待っていたんだよ。ただし、乗り込んで、瀬高まで、行かなかったんだ。つまり、『有明87号』が、久留米駅に、停車している間に、車内の小堀忠男を殺して、素早く、ホームに降りてしまったんだよ。殺人は久留米でやり、犯人も、久留米駅から、動かなかったんだよ。これなら、犯人、小堀明は、久留米から博多に戻ればいいんだから、楽に、『富士』に、戻れるんだ」
北川は、熱っぽく話し、永山刑事が、何かいいかけるのを、制止した。
「いいかね。時刻表は、こうなるんだ」
と、食べ終った駅弁の包みを、足の下に押し込んで、時刻表を広げた。
「二〇時二六分に、久留米駅で、父親を殺した小堀明は、すぐ、タクシーに乗って、博多へ引き返した。久留米から博多まで、約四十キロ。飛ばせば、二〇時五〇分までに、何とか着けるんじゃないか。そして、二〇時五〇分発の岡山行『こだま386号』に乗れば、ほら、この時刻表を見ろ。岡山の手前の福山《ふくやま》に、二三時〇九分に着くんだよ。一方『富士』の方は、福山着が、〇時〇一分で、一時間近い余裕があるんだよ」
「それは、よくわかりますが、あまりにも――」
と、永山は、いい澱《よど》んだ。
「あまりにも、何だ?」
「うまくいえないんですが、あまりにも、軽業《かるわざ》的なような気がするんです」
「軽業?」
「はい」
「殺人犯人は、必死なんだ。軽業でも、何でもするさ」
と、北川は、いった。
久留米駅に着くと、北川は、駅長室に行き、五月五日の鹿児島《かごしま》本線の下り列車が入ったホームにいた助役を、紹介して貰《もら》った。
酒井《さかい》という五十二歳の助役だった。
「時刻表によると、『有明87号』が、この久留米に着くのも、二〇時二六分なら、発車も同じ二〇時二六分ですね。しかし、停車している時間があるわけだから、これは、どうなっているんですか?」
と、北川は、酒井助役に、きいた。
酒井は、苦笑しながら、
「時々、同じことを、聞かれることがありますが、ここでの停車時間は、もちろん、あります。三十秒の停車で、二十七分にならないので、同じ二〇時二六分発となっているわけです」
と、いった。
「三十秒というのは、間違いありませんね?」
「ええ。間違いありませんよ」
「三十秒ね」
北川は、自分の腕時計に眼をやった。秒針のついた腕時計である。
その秒針が、半回転するのを、じっと、見つめていたが、
「かなり、三十秒というのは、ありますね」
「ええ。普通の状態の乗客の降り乗りには、十分です」
「おい」
と、北川は、部下の永山に声をかけて、
「これから、ホームに出て、実験するんだ」
「何の実験ですか?」
「決っている。三十秒で、特急『有明87号』に乗り込み、小堀忠男を殺して、ホームに降りることが出来るかどうかの実験だよ」
「無理です。三十秒では」
「試してみなけりゃ、わからんよ」
と、北川は、叱《しか》りつけるように、いった。
二人は、駅舎を出て、鹿児島本線の下りホームに出た。
間もなく、下り線に、一三時四八分久留米発の西鹿児島行「有明23号」が着く。
「この列車も、この久留米駅には、三十秒停車だ。だから、この列車で、試してみる」
と、北川は、永山にいった。
「小堀忠男は、『有明87号』の3号車のトイレで、殺されていました。座席は1号車なのにです。犯人は、彼が乗っている車両を、知っていたんでしょうか? 知っていれば、かなり、時間は、短縮されますが」
「犯人が、小堀明なら、被害者とは、父子だ。明が、前日、父親に向って、大事な話があるので、久留米駅で会いたい。だから、3号車の入口近くにいてくれといっておいても、父親は、別に、不審には、思わんだろう」
「入口の近くというと、トイレの傍《そば》ですね」
「そうだよ」
「それなら、座席から、トイレのところまで、連れて来る手間は省けます」
「そうだ。君は、名刺を持ってるか?」
「先日、作ったばかりです」
「よし。それを、『故障』の札と考える。いつでも取り出せるように、一枚だけ、別にして、ポケットに、入れておけ」
「わかりました」
永山は、名刺入から、一枚抜き出して、ポケットに入れた。
特急「有明23号」が、到着した。五両編成である。
北川と、永山は、あらかじめ3号車の停車位置にいて、ドアが開くと同時に、乗り込もうとした。
が、三人ほどの乗客が、降りて来て、彼等を通さなければならなかった。
「早く降りろ!」
と、怒鳴《どな》りたいのを我慢して、北川は、永山を連れて、車内に入ると、トイレの前で、立ち止った。
「刺す真似《まね》をしろ」
と、永山に、いった。
永山が、前から、手を振りあげて、北川の胸を、刺すジェスチュアをした。
次に、トイレのドアを開ける。
だが、そこで、列車のドアが、閉ってしまった。
列車が、動きだす。
「畜生!」
と、北川が、小さく叫んだ。
列車は、どんどん、スピードをあげていく。
永山刑事は、開けたトイレのドアを、ゆっくり閉めてから、
「やっぱり、三十秒では、無理ですよ。少なくとも、五分は、必要です。相手が、本当に死んだかどうかの確認もしなければなりませんから。犯人は、前から胸を刺していて、顔を見られています。確認は、絶対に、必要です」
「もう一度、久留米に戻るぞ」
と、北川が、いった。
「また、実験をするんですか?」
「そうじゃない。さっきの助役に、確認することがあるんだ」
「どんなことですか?」
「五月五日に、『有明87号』が、久留米駅に、何分停車したかをだよ」
「それは、三十秒だと思いますが」
「いいか。車掌が、ドアを閉めた時、乗客の一人の足が、はさまれてしまったらどうなる?」
「それは、車掌が、あわてて、また、ドアを開けると思います」
「小堀明が犯人だとして、共犯がいたのかも知れない。もちろん、殺したのは、明だ。ただ、列車のドアが閉りそうになったら、共犯者が、今いったように、足を出すとか、身体《からだ》を出すとかして、ドアにはさまれる。ドアが閉った時、ケガでもしたように見せかければ、二、三分は、時間を稼げる。演技次第では、五、六分でもだ」
「五月五日に、久留米駅で、そんなことがあったかどうか、確めるわけですね」
「そうだ。小堀明が犯人なら、停車中の『有明87号』で、父親を殺したに、違いないんだ」
と、北川は、自分に、いい聞かせるように、いった。
次の瀬高で降りると、二人は、すぐ、次の上り列車で、久留米へ引き返した。
また、酒井助役に会った。
「正直に答えて頂きたい。これは、殺人事件ですからね」
と、北川は、相手に、釘《くぎ》を刺しておいてから、
「五月五日の『有明87号』は、何のトラブルもなく、定時に、この久留米を、発車しましたか?」
「ええ、何の事故も、報告されていませんよ」
と、酒井が、いう。
「事故といった大袈裟《おおげさ》なものをいってるんじゃないんです。発車しようとしたら、あわてて、乗ろうとした乗客がいて、手をはさんだとか、それで、二分か、三分、出発が、おくれたということです。よくあることじゃありませんか?」
「そんなことも、無かった筈《はず》ですよ」
「断言できますか? 他の駅員や、当日、『有明87号』に乗務した車掌にも当って、確めて下さい。どんな小さな出来事でもいいんです」
「わかりました。しばらく、待っていて下さい」
と、酒井助役が、いった。
北川と、永山は、駅舎の中で、待つことにした。
「たった五分だよ」
と、北川は、永山に、いった。
「何かあったんでしょうか?」
「五分くらいなら、共犯が、何か芝居をして、列車の発車を、遅らせることが、出来た筈《はず》だよ」
と、北川は、いった。
十五、六分して、酒井助役が、戻って来た。
「五月五日、ホームにいた駅員二人、それに、当日の『有明87号』の車掌と運転士には、電話で、聞きました。あの日は、何の問題もなく、列車は、当駅を発車しています。停車時間は、三十秒です」
と、酒井は、きっぱりと、いった。
「まさか、ミスになるとまずいので、何もなかったと、いってるんじゃないでしょうね?」
と、北川が、いうと、酒井助役は、むっとした顔で、
「そんなことはありませんし、乗客の足をはさんだことぐらいでは、ミスになりません。他の駅で、聞かれても構いませんよ。五月五日の『有明87号』は、博多を定時に出発し、終着の熊本まで、どの駅でも、一分の遅れも出しておりません」
と、いった。
北川は、その激しい口調に、気圧《けお》されたように、黙ってしまった。
3
北川警部が、また、壁にぶつかってしまったことは、彼自身の電話で、東京の十津川に知らされた。
「正直なんだよ」
と、十津川は、亀井に、いった。
「問題の列車が、久留米駅に停車中というのは、いい推理だと思いますが」
「ああ、だが、三十秒では、何といっても無理だよ。列車に乗り込んで、相手を殺し、トイレに押し込め、ドアに故障の札をかけ、ホームに降りる。最低で、三分は、かかるんじゃないかね」
「久留米に、三分停車なら、よかったわけですね」
「そうだが、違うからね」
「それで、熊本県警は、犯人小堀明説を、やめたんですか?」
「他に犯人はいると、考えざるを得ないと、いっていたよ」
「しかし、小堀功を、クロと断定するのも、今の情勢では、難しいですね」
と、亀井が、いった。
十津川は、「そうだね」と、肯《うなず》いてから、
「あの兄弟のことを、もう一度、調べてみるか。ひょっとして、まだ、われわれの知らないことがあるのかも知れない」
「誰に、聞きますか? まさか、家族に聞くわけにもいかないでしょう?」
「四人の女性に、聞いたらどうかな?」
「四人といいますと?」
と、亀井は、きき返してから、
「ああ、亡くなった小堀忠男の女たちですね」
「岡部ゆう子は死んだが、あと四人いる。彼女たちは、冷静に、小堀兄弟を見ていたかも知れないからね。意外な話を聞ける可能性があると、思っているんだよ」
と、十津川は、いった。
十津川と、亀井は、四人の中の一人、山本和子《やまもとかずこ》に、最初に会ってみることにした。
四人の中、三人までが、死んだ岡部ゆう子と同じようにクラブや、ブティックをやっていたが、この山本和子だけは、少し違っていた。
小堀忠男と知り合った時は、彼女は、スタイルのいい美人ではあったが、売れないファッションモデルだった。
だから、小堀が、仕事をやめろといえば、簡単に、やめてしまった。
だが、高級マンションを買い与えられて、小堀が来るのを待つだけの生活が始まると、これにも、退屈してしまい、その時間に、始めたのが、写真だった。
モデル時代にも、カメラで、仲間の写真を撮っていたのだが、今度は、暇と金にあかせてということになった。
もともと、才能があったのかも知れない。
六本木周辺の若者たちを撮った写真が、カメラ雑誌で、注目されてから、山本和子の写真は、少しずつだが、売れるようになった。
現在は、美人の新人写真家として、週刊誌に取りあげられもしていた。
新宿《しんじゆく》西口に近い高層マンションの一室で、十津川と亀井は、彼女に会った。
十二階の窓からは、眼下に、新宿中央公園の緑が見え、超高層ビル群も、並んでいる。
純白の壁には、和子自身が撮った写真が、パネルにして、何枚も、かかっていた。
「亡くなった小堀さんのことを、どう思います?」
と、亀井が、ぶしつけにきくと、和子は、笑って、
「死んだ人には悪いけど、もう、すっかり忘れてしまいましたわ。今は、ひとりで、自由気ままに暮せて、幸せ」
「小堀明さんや、功さん兄弟とは、今でも、つき合いは、あるんですか?」
と、十津川が、きいた。
和子は、肩をすくめて、
「ぜんぜん。向うだって、父親と関係のあった女性は、何となく、煙たいと思いますけど」
「本当に、現在は、交際はないんですか?」
「ええ。ありませんわ」
「小堀忠男さんが、生きていた時は息子さん兄弟とも、自然に、つき合いは、あったと思いますが?」
「多少は、ありましたわ。向うは、煙たかったと思いますけど」
「忠男さんは、息子さん二人を、どう思っていたんですかね? 頼もしい息子と思っていたんでしょうか? それとも、逆だったのかな?」
十津川が、きくと、和子は、皮肉な眼つきになって、
「警部さんは、私に、何をいわせたいんです?」
「ただ、あなたの正直な感想を、聞かせて欲しいだけですよ」
「警察は、あの兄弟を疑っているという噂《うわさ》を聞いたんですけど、本当なんですか?」
と、和子が、きく。
「誰が、そんな噂をしているんですか?」
「誰がというより、自然に、耳に聞こえてくるの。どうなんです?」
「質問をしているのは、われわれの方ですよ」
と、十津川が、苦笑しながら、いうと、和子は、負けずに、
「私だって、関係者の一人ですもの、知る権利が、あるんじゃないのかしら?」
「とにかく、殺人事件ですからね、警察としては、関係者全員を、調べる必要があるわけですよ」
亀井が、横から、説明した。
それで、納得したのかどうかわからないが、和子は、眼の前のコーヒーを、黙って、口に運んでから、
「よく、ケンカをしていましたわ」
「忠男さんと、息子さんとがですか?」
「ええ」
「理由は、どんなことですか?」
「若い兄弟の方は、一刻も早く、会社の実権を手にしたいわけでしょう。それなのに、小堀の方は、六十歳を過ぎても元気一杯で、何もかも、自分で、やりたがるから、自然に、ケンカになりますわ」
「あの兄弟の性格は、どうなんです? 違いがありますか?」
「よくは、わかりませんわ」
「あなたの眼から見てで、構いませんよ」
「明さんは、どちらかというと、暗いわ。弟の功さんの方が、明るいけど、乱暴なところがあるわね」
和子は、冷静な口調で、いった。
「小堀さんは、そのどちらを、より可愛《かわい》がっていたんでしょうね?」
と、十津川は、きいた。
「二人とも、苦労が足りないと、いつも、文句をいってましたわ」
と、和子は、笑ってから、
「それでも、長男だから、明さんの方を、信用していたみたいですわ。私は、弟の功さんの方が、明るくて、性格が、はっきりしているから、好きですけど」
「最近、小堀さんが、兄弟のどちらかと、激しいケンカをしたことは、ありませんでしたか?」
「最近ですの?」
と、和子は、考えていたが、
「そういえば、明さんと、小堀が、大ゲンカをしているのを、見たことが、ありましたわ」
「いつ頃ですか?」
4
「先月中頃だったかしら」
「四月ですね?」
「ええ」
「どんなことで、大ゲンカをしたんですか?」
「詳しいことは、わからないんですけど、明さんが、会社のお金を、かなりの額、小堀に黙って使い込んだみたいでしたわ。それで、小堀が怒って、明さんの方は、明さんで、自分のお金を、何に使おうと勝手じゃないかと、いったみたいですけど」
「額は、いくらぐらいですか?」
「それは、知りませんわ。でも、小堀の怒り方は、普通でなかったから、かなりだと、思いますけどね」
「すると、百万単位ではなく、千万単位ですか?」
「ええ。まあね」
「あの兄弟は、いつも、月給を貰《もら》っていたわけですか?」
「ええ。小堀にいわせれば、自分の息子でも、あくまでも、社員の一人でしかないということでしたわ」
「それが、不満で、明さんは、会社の金を、使い込んだというわけですか?」
と、十津川が、きいた。
「そうでしょうね。私だって、月給しか貰えなかったら、腹が立ちますわ。こんなに、財産があるのにね」
和子は、笑って見せた。
「その父子の間の大ゲンカですが、小堀さんが亡くなるまでに、仲直りしたんですかね?」
十津川が、きくと、和子は、首をかしげて、
「さあ、どうでしょうか。小堀も、息子さんたちも、強情ですから」
「殺された岡部ゆう子さんとは、親しく、つき合っていましたか?」
と、十津川は、話題を変えた。
「いいえ」
「他の三人の女の方とは、どうですか?」
と、十津川が、きくと、和子は、クスクス笑って、
「親しくしているわけが、ないじゃありませんか」
「しかし、存在は、わかっていたんでしょう?」
「そりゃあ、嫌でも、わかって来るもんですわ。小堀に、自分以外に、女がいることはね」
「気になりましたか?」
「多少はね。でも、私は、写真で、身を立てようと思っていましたから、その内に、小堀とも、別れる気でした。だから、他の女のことも、どうでもいい気もしていたんです」
「他の女性たちは、どうですかね?」
「それは、一人一人に、お聞きになったら」
と、いって、和子は笑った。
「あなたは、二千万円と、このマンションを、貰ったわけですね?」
と、亀井は、部屋の中を見廻《みまわ》した。
「ええ、それが、どうかしましたの? 税金は、ちゃんと、払いますわ」
和子は、微笑した。
「不満はありませんか?」
「不満?」
「このマンションと、二千万円というのは、確かに、大変な額でしょうが、遺産の総額から見れば、少ないということで、不満が、あるんじゃないかと、思いましてね」
十津川が、いうと、和子は、肩をすくめて、
「私は、もう、これで、十分ですわ。別に、お店をやっているわけじゃないし、写真の仕事で、そんなに、お金は、要《い》りませんものね」
と、いったが、すぐ、言葉を続けて、
「不満を持ってる人は、いるようですけどね」
「それは、他の女性たちがと、いうことですか?」
「他の女《ひと》は、お店を持っているんでしょう。お金は、いくらあってもいいから、いろいろと、不満があるように、聞いていますわ」
「具体的に、この中の誰ですか?」
十津川は、三人の女の名前を書いた手帳を、相手に見せた。
そこには、次の三人の名前が、書かれてあった。
井上《いのうえ》ユカ (二十九歳) ブティック経営
羽島《はじま》かおり(三十二歳) クラブ経営
三林可菜子《みつばやしかなこ》(三十八歳) マンション経営
和子は、含み笑いをしながら、三人の名前を見ていたが、
「みんな、油断の出来ない人たちばかりですわ。井上ユカという女《ひと》は、やたらに派手で、金使いが荒いし、三林さんは、マンションを建てるのに、ずいぶん借金をしたと聞いていますわ。だから、二人とも、もっとお金が欲しいのと違います?」
「羽島かおりさんは、どうですか?」
「この人は、何を考えてるのかわからない。ある意味じゃ、一番|怖《こわ》いかも知れませんわ」
と、和子は、いってから、急に、声をひそめて、
「岡部ゆう子さんが、殺されたでしょう。彼女を殺したのは、この三人の中の一人じゃないのかって、噂《うわさ》に聞いたこともありますわ」
と、いった。
5
十津川と、亀井は、外に駐《と》めておいたパトカーに戻った。
「彼女の話は、本当ですかね?」
と、亀井が、運転席に、腰を下してから、十津川を見た。
「彼女のどの話だ?」
「岡部ゆう子を殺したのは、三人の中の誰かじゃないかという話です」
「噂話《うわさばなし》だといっていたよ」
「ええ。それでも、何となく、気になりましてね」
「可能性はなくはないと思うが、今のところ、小堀功以上に、動機があるとは、考えられないね。小堀忠男が、まだ生きている時なら、その財産を争って、女同士が、憎み合い、殺しにまで、発展してしまったというのはわかるが、小堀忠男が、亡くなった後だからね。他の四人の誰かが、岡部ゆう子を殺しても、何の利益もないだろう」
「確かに、そうですね」
「次に、井上ユカに、会ってみよう」
と、十津川は、いった。
彼女が持っているブティック「YUKA」は、渋谷道玄坂《しぶやどうげんざか》にあった。
七階建ビルの一階で、二十坪ほどの広さである。
店員は、三人いた。
ドレスから下着、それに、装飾品まで、全《すべ》て、輸入物が、並べてある。
井上ユカは、小柄だが、大きな声で、よく喋《しやべ》った。
十津川が、岡部ゆう子のことで、山本和子の言葉をいうと、ユカは、眉《まゆ》を寄せて、
「彼女、そんなこと、いってるんですか?」
「違うのかな?」
「わたしは、彼女が、殺したんじゃないかと思ってるんですよ」
「なぜです?」
「あの二人、お互いに、憎み合っていたみたいなんです」
「漠然とした話ですねえ」
「じゃあ、もっと、はっきり、いいましょうか」
と、ユカは、大きな眼で、十津川を見て、
「彼女、カメラが、得意なんです」
「知っていますよ」
「特に、望遠レンズを使った盗み撮りがね」
「ほう、それは、知りませんでしたね」
「彼女ったらね。他の四人のことを、望遠レンズを使って、盗み撮りしては、それを、小堀に、見せていたんです。何のために、そんなことをしていたか、おわかりになるでしょう?」
と、ユカが、きいた。
「まあ、わかりますよ」
「あたしだって、他の人だって、若いから、時には、素敵な男を見ると、ふらっとすることが、ありますよ。彼女は、そんな瞬間を狙《ねら》って、写真を撮って、浮気の証拠写真だといって、小堀に、見せていたんです」
「岡部ゆう子さんも、撮られたというわけですか?」
「ええ。なんでも、すぐ、気がついて、大ゲンカの末、取り返したと、聞きましたけど」
「岡部ゆう子さんの浮気の相手は、小堀功さんかな?」
と、十津川が、きくと、ユカは、小さく笑って、
「あたしは、知りませんわ」
「ところで、山本和子さんの話では、小堀忠男さんが、九州で殺される前に、長男の小堀明さんが、会社の金を使い込んで、忠男さんに、叱責《しつせき》されていたというんだが、これは、本当ですかね?」
「そんなこと、彼女が、いったんですか?」
と、ユカは、眼をむいた。
「違うんですか?」
「あたしは、小堀が死ぬ前、ぜんぜん、違う話を、聞きましたわ」
「どんな話ですか?」
「これは、黙っていて欲しいんですけど、小堀は、こういったんです。長男の明の方は、ちゃんと、仕事をやってくれているが、次男の功の方は、金使いが荒いし、仕事に身が入っていない。勘当《かんどう》でもしないと、眼が覚めないんじゃないかって」
「それで、あなたは、どういったんですか?」
「勘当なんて、ずいぶん、古めかしいわねって言ったんですけど」
「それは、いつ頃のことですか?」
「先月の何日かですわ」
「間違いなく、次男の功さんが、金使いが荒いと、いったんですね?」
と、十津川は、念を押した。
「ええ、間違いありませんわ」
「山本和子さんは、なぜ、逆のことを、いったんだろう?」
「わかりませんけど、彼女、功さんに、恩を売ったんじゃないかしら?」
「恩をねえ」
「ええ、彼女、とても、お金を欲しがっていたから」
「自分には、カメラがあるから、別に、お金は要《い》らないといっていましたがね」
「とんでもない。今もいったように、盗み撮りをして、それを、脅迫に使う人なんですよ。岡部ゆう子さんは、大ゲンカをして、写真を取り戻したって、いいましたけど、お金で、買い取ったって噂《うわさ》もあるんです。そんな怖《こわ》い人が、お金が要らないなんて、嘘《うそ》に、決ってるじゃ、ありませんか」
と、ユカは、いった。
十津川は、苦笑して、亀井と、ブティック「YUKA」を、出た。
「どうなってるんですかねえ」
と、亀井が、呆《あき》れた顔で、いった。
「私にも、わからんよ。山本和子と、今の井上ユカのどちらかが、嘘をついているんだろうがね」
「警部は、どっちが、嘘をついていると、思われますか?」
「さあね。残りの二人に聞けば、判断できるようになるかも知れないな」
と、十津川は、いった。
三人目の羽島かおりがやっている新橋《しんばし》のクラブは、まだ、開いていないだろう。
そこで、三林可菜子のマンションに、先に廻《まわ》ってみることにした。
京王《けいおう》線のつつじケ丘《おか》駅の近くだった。
七階建の、白い壁に、円形の窓のついた美しいマンションである。
もちろん、土地代に、建築費を加えれば何億という金が、かかったろう。
三林可菜子は、そのマンションの七階のワンフロアを、全部、占領して、住んでいた。
十津川は、亀井に、近くの銀行で、彼女の資産状況を調べてくれるように頼んでおいて、一人で、七階に、あがって、行った。
三十畳ほどの広い居間には、高そうな美術品が、誇示するように、並べてあった。
十津川は、可菜子にも、亡くなった小堀忠男と、息子たちの仲を、聞いてみた。
「いろいろな噂を聞くんですが、真相は、どうなのか、知りたいんですよ。ある人は、長男の明さんが、会社の金を使い込んで、忠男さんに、叱《しか》られていたといい、ある人は、それは違う、次男の功さんが、忠男さんに、怒られていたんだという。あなたは、どちらだと、思いますか?」
「明さんが、会社の、お金をって、警部さんにいったのは、山本和子さんでしょう? 違います?」
と、可菜子は、十津川を、見た。
「なぜ、そう思うんですか?」
「クラブをやっている羽島かおりさんには、もう、会いました?」
「いや、これから、会う積りですがね」
「彼女の店に、この間、飲みに行ったんですよ。そうしたら、彼女が、こんなことを話してましたわ。明さんが、店に来て、こぼしていたんですって。山本和子が、新宿に、スタジオを作りたいから、融資してくれ、してくれなければ、あなたの不利になることを、いいふらしてやると、脅かしていると、いうんですよ」
「ほう」
「スタジオと簡単にいったって、土地の高い新宿に建てるというんでしょう。下手《へた》をすると、何十億と、かかってしまいますわ。そんなことは出来ないって、明さんが断ったら、彼女、明さんが、小堀に怒られていたって、いろんな所で、いいふらしているらしいんです」
「面白いですね」
「明さんにしてみたら、面白いどころじゃないんじゃありません? 下手をすると、父親を殺した疑いが、かけられてしまいますもの」
「あなたは、どうなんです?」
「あたし?」
「亡くなった小堀さんから、息子さん二人のことを、どう聞いていました?」
「あたしには、息子さんたちのことは、何もいっていませんわ」
「本当に、何も、いわなかったんですか?」
「そりゃあ、たまには、いうこともありましたけど」
「どんな風にですか?」
「長男の明は、まじめ過ぎて、融通がきかないし、次男の功の方は、逆に、派手好きで困るといったことですわ」
と、可菜子は、いった。
十津川が、外に出ると、車のところに、亀井が、待っていた。
「三林可菜子は、K銀行から、土地を担保にして、三億円を借りています。毎月五百万円ずつ返済することになっているそうです」
と、亀井は、いった。
「もう、かなり返済したのかね?」
「いえ、返済は、始まったばかりです。K銀行の話だと、彼女は、他からも、借金をしているようですね」
「かなり無理をしているということか」
と、十津川は、肯《うなず》いてから、その可菜子から聞いた話を、亀井に、いった。
亀井は、ぶぜんとした顔になって、
「ますます、わからなくなって来ましたね。あの女性カメラマンが、嘘《うそ》をついて、いたんですかね」
「或《ある》いは、三林可菜子が、嘘をついているのかも知れんよ。今、小堀兄弟は、父親殺しの疑いを、かけられている。女たちにしてみたら、二人から、金を引き出す絶好のチャンスと、思っているのかも知れないよ。彼女たちの証言で、兄弟のどちらかが、有利になったり、不利になったりするわけだからね」
と、十津川が、いった時、車についている無線電話が鳴った。
十津川が、取ると、西本《にしもと》刑事の声で、
「今、晴海《はるみ》で、海に沈んでいた車が、引き揚げられたそうです。白いBMWで、車内で、女性が、死んでいたということです」
「それが、われわれに、何か関係があるのかね?」
「初動捜査班からの連絡では、免許証から、彼女の名前は、羽島かおり、三十二歳だそうです」
「羽島かおり? 五人の女の一人のか?」
「そうです」
「早く、それをいえ!」
と、思わず、十津川は、怒鳴《どな》った。
[#改ページ]
第五章 BMW
1
十津川《とつがわ》たちは、パトカーで、晴海埠頭《はるみふとう》に、急行した。
何か、後手《ごて》、後手に廻《まわ》っているような気がして、十津川は、腹を立てていた。犯人にもだが、自分自身に対してもである。
強い西陽《にしび》が、コンクリートに、照りつけていた。
海に沈んでいた白いBMW520iAが、引き揚げられて、埠頭のコンクリートの上に、置かれていた。
初動捜査班の立花《たちばな》警部が、十津川を迎えて、
「遺体は、K大病院に、運んであるよ。これが、遺体と一緒にあったハンドバッグだ。中に、運転免許証も入っている。それで、身元が、わかったんだよ」
と、濡《ぬ》れたルイ・ビトンのハンドバッグを、見せた。
立花のいう通り、中には、運転免許証を始め、化粧道具、財布などが、入っていた。
運転免許証には、羽島《はじま》かおりの名前があり、写真も、ついている。
財布の中身は、十九万円もあった。
十津川が、一番知りたいのは、それが、単なる事故なのか、それとも、殺人なのかということだった。
「その点は、まだ、よくわからないんだ。車は、見ればわかるが、AT車でね。ギアは、Dの位置にあった。ブレーキをかけた痕跡《こんせき》はないが、それも、羽島かおりが、ブレーキと間違えて、アクセルを踏んでしまったのかも知れない。或《ある》いは、誰かが、彼女を気絶させておいて、エンジンをかけたのかも知れない。AT車なら、そのまま、突っ込んで行くからね」
「新車のようだね」
十津川は、白いBMWを見やった。
「新車だよ。車検証によれば、一か月前に、買ったばかりのようだ。従って、AT車に慣れていなかったということも、考えられる」
「遺体に、外傷はあったのかね?」
「ああ、確かに、小さな傷があったが、これは、車が、海に落ちた時に、フロントガラスに、頭をぶつけたんじゃないかね。それだけだ。しかし、死因は、わからない。解剖の結果を見るよりないね」
「車が落ちるのを、誰か見た人がいるのかね?」
十津川が、きくと、立花は、「それなんだがね」
と、いった。
「一一〇番に、ここで、車が落ちるのを見たという電話があったんだ。今日の午前零時半頃だ。それで、調べたら、この車が、見つかったわけだよ」
「男かね? その電話は?」
「男だといっている。新宿《しんじゆく》の公衆電話からのものだった」
と、立花は、いった。
車は、一応、築地《つきじ》署に運ばれることになった。
「殺しだと思うかね?」
と、十津川は、亀井《かめい》に、きいた。
亀井は、岸壁の端に立って、眼の下の海面を見つめていたが、
「最初に、小堀忠男《こぼりただお》が、列車の中で殺され、続いて、岡部《おかべ》ゆう子が、殺されています。その続きなら、これも明らかに、殺人でしょうね」
「殺人としたら、動機は何だね? 岡部ゆう子の場合は、口封じだろうが、今度の羽島かおりは、何かね? 小堀忠男の莫大《ばくだい》な遺産は、すでに、分配されてしまっているから、動機には、ならないよ」
十津川がいうと、亀井は、
「そうとは、限らんでしょう」
「なぜだね?」
「もちろん、遺産相続そのものは、もう決ってしまっています。しかし、羽島かおりは、死んだ小堀忠男の愛人で、小堀家のことにくわしかったと思うのです。何か、小堀家の秘密を、つかんでいたかも知れません。遺産の分け前に、彼女が不満だったとすると、その秘密をタネに、小堀|明《あきら》か功《いさお》を、ゆすっていた可能性もあると思うのです」
「なるほどね、それで、殺されたとなれば、原因は莫大な遺産ということになるね」
「小堀忠男は、莫大な資産を作りましたが、会社の形態そのものは、中小企業です。悪《あく》どいことも、ずいぶんやって来たようですし、愛人が五人もいたように、女性関係は、だらしがない男です。当然、秘密も、いろいろと、あったに違いありません。それに、もう一つ、気になることがあるんです」
「何だい? カメさん」
「小堀兄弟の顔立ちが、似ていないことです」
「それは、私も、気になっていたんだ。戸籍上は、二人とも、小堀忠男の実子になっているが、母親が、違うのかも知れないね」
「私も、そう思っているんです。つまり、小堀家には、ゆすられるタネが、沢山あるような気がするんですよ」
「もし、そうだとすると、残る三人の女にも、同じことが、いえるかも知れんね。分け前に不満なら、小堀兄弟を、ゆするかもわからない」
と、十津川は、いった。
2
築地署に運ばれた車は、改めて、調べられた。
海面に落ちた時の衝撃のためだろう。フロントガラスが、割れてしまっている。
もし、羽島かおりが、運転していて、落ちたとすると、落ち着いていれば、割れたフロントガラスのところから、脱出できただろう。或《ある》いは、ドアを開けただろう。
車のどこにも、細工された形跡はなかった。
ATのレバーは、立花がいったように、Dの位置に入っている。
シートベルトは、装着していなかったようである。しかし、だからといって、彼女が、運転していなかったという証拠にはならない。夜間など、シートベルトをしないで、運転している者は、かなりいるからである。
一か月前に、BMWの新車を買った。AT車である。AT車の運転に不慣れだった羽島かおりは、運転を誤って、海に落ちてしまったのか?
それとも、何者かが、事故に見せかけて、殺したのか?
羽島かおりが、車を買った店も、すぐわかった。
南青山《みなみあおやま》にある外車専門のディーラーで、先月の五日に、車は、納入されていた。
もちろん、まだ、小堀忠男が、殺される前である。
「羽島かおりさんなら、よく覚えています」
と、渡辺《わたなべ》というセールスマンが、十津川に、いった。
「ここへ、彼女が、車を見に来たんですか?」
「そうです。きれいな方なので、よく覚えているんですよ」
「その時は、一人でしたか?」
「いや。男の方が一緒でしたね。何でも、羽島さんは、今、免許を取るために教習所へ通っているとかで、免許を持っている男の方が、一緒でした」
「その男性の年齢は、いくつぐらいでした? 六十代でしたか?」
「いえ。もっと若かったですよ。三十代じゃなかったですかね」
「この二人の中にいますか?」
と、十津川は、小堀明と、功の兄弟の写真を、渡辺に見せた。
渡辺は、見て、
「こちらの方です」
と、弟の功の方を、指した。
「二人の様子は、どんなでした?」
亀井が、きいた。
「どんなといいますと?」
「羽島かおりも三十代だから、二人とも同じ年代でしょう。二人は、仲が良さそうに見えましたか? それとも、男の方が、ただ、ついて来たというような感じでしたか?」
「それなら、大変、仲が良さそうでしたね。最初は、ご夫婦かと思ったくらいです。しかし、男の方が、女の方を、『羽島さん』と、呼んでいるので、違うと、わかりましたが」
「ここへ来て、車を見てから、購入されたわけですね?」
「そうです。十日後に、手続きをすませて、お持ちしました。何でも、その前日に、免許がとれたということで、羽島かおりさまは、とても喜んでいらっしゃいましたが」
「彼女の運転は、上手《うま》い方でしたかね?」
と、亀井が、きくと、渡辺は、手を振って、
「そこまでは、存知ません。車をお届けしただけで、乗せて頂いたことは、ありませんので」
と、いった。
二人が、築地署に戻ると、K大病院から、解剖結果の報告が、届いていた。
死因は、海水が、肺に入ったためで、溺死《できし》である。
胃の中からは、かなりのアルコール分が、検出されたとも、書いてある。
他に、顔面に擦過傷。胸部、両膝《りようひざ》に打撲傷ありとも、書かれていた。
死亡推定時刻は、午後十一時から、午前一時までの二時間。
これでも、事故死か、殺人かは、判断できない。
胃の中に、かなりのアルコール分といっても、酒を飲んで運転して、誤って、海に突っ込んでしまったのか、無理矢理、酒を飲まされ、意識不明になったところを、車ごと、海に落とされたのか、どちらにも、解釈できる。
顔の傷や、胸、膝などの打撲傷についても、同じことがいえる。
海面に、車が落ちた時の衝撃の強さは、フロントガラスが、砕けていることで、よくわかる。
顔の傷は、フロントガラスの破片で、切ったものとも思えるし、胸はハンドルにぶつけたのかも知れない。両膝だって、どこかに、ぶつかったろう。
「羽島かおりが、日頃から、よく酒を飲んでいたかどうかだな。クラブをやっていたんだから、酒は、飲めたろうがね」
と、十津川は、いった。
その日の夜、亀井が、若い日下《くさか》刑事を連れて、羽島かおりのやっていたクラブへ、出かけて行った。
残った十津川は、熊本県警の北川《きたがわ》警部に、電話を入れ、羽島かおりが、死んだことを話した。
「羽島かおりというと、小堀忠男の五人の女の一人ですね?」
と、北川は、大きな声で、いった。
「そうです」
「前にも、一人、死にましたね?」
「岡部ゆう子です」
「すると、小堀忠男の女が、二人も、殺されたことになりますね?」
「いや、まだ、羽島かおりは、殺されたとは、断定できません。事故死の可能性も残っています」
と、十津川が、いうと、北川は、
「いや、私は、殺しだと思いますね。殺しに決っています。これは、明らかに、連続殺人ですよ」
と、断定するようにいった。
十津川は、苦笑しながら、
「連続殺人とすると、動機は、やはり、金だと思いますか?」
「小堀家の莫大《ばくだい》な財産ですよ。五人の女は、それぞれ、一人、二千万円を、貰《もら》っただけなんでしょう?」
「二千万円と、マンションや、店です」
「それでも、小堀忠男の遺産は、一千億円ですからね。五人とも、少ないと、不満だったんじゃありませんか。それで、小堀兄弟に、もっと寄越せと要求した。それが、こじれて、岡部ゆう子も、羽島かおりも、殺《や》られたのと違いますかね?」
「その可能性もあるといったところですね」
とだけ、十津川は、いった。
しばらくして、亀井と、日下が、戻って来た。
「どうやら、殺人《ころし》の可能性が、強くなって来ました」
と、亀井が、報告した。
「羽島かおりは、酒を飲まなかったのか?」
「そうなんです。クラブをやっていたが、自分は、全く、飲まなかったそうです。マネージャーの話では、羽島かおりは、『あたしは、アルコールを受けつけない体質なの』と、いっていたそうです」
「すると、誰かが、無理に、酒を飲ませ、酔い潰《つぶ》れた彼女を、車ごと、海に転落させたということか」
「そうなりますね。免許をとって、BMWを運転するようになって、マネージャーは、二度、乗せて貰ったが、慎重な運転ぶりだったと、いっています」
「やはり、誰かに、殺《や》られたか?」
「これは、連続殺人ですよ」
と、亀井が、力をこめて、いった。同じことを、北川がいっていたのを思い出して、十津川は、思わず、笑ってしまった。
「知りたいのは、動機だね。彼女は、遺産の分け前について、不満だったのかね?」
と、十津川は、きいた。
「その点も、マネージャーや、ホステスに、聞いてみました。彼女が、不満を口にしたことはないか、とです」
「その答は?」
「それが、なかったというんですよ。マネージャーは、こういっていました。彼はママの羽島かおりが、小堀忠男の女だったことを知っていましたから、もっと、沢山、貰いなさいと、けしかけたそうです」
「それで、羽島かおりは、どんな反応を示していたんだね?」
「ニヤニヤ笑っていたそうです」
「どういう意味かな?」
「マネージャーは、それを、もっと貰えるんだと、いっているように、思えたと、いっています」
「つまり、羽島かおりは、成算があったということなのかね?」
「マネージャーは、そう受け取っていたらしいんです」
「その店に、小堀忠男は、よく、来ていたのかね?」
「時々、顔を見せていたようです」
「小堀兄弟の方は?」
「弟の功を、店で、見かけたことがあると、マネージャーは、いっていましたね」
「それは、小堀忠男が、まだ、生きていた頃かね?」
「そうです。羽島かおりが、小堀功と、歩いているのを、見たことがあると、ホステスの一人が、いっていました」
「父親にかくれて、功は、羽島かおりと、会っていたのかな?」
「かも知れません」
「どうも、弟の方に、分《ぶ》が、悪くなってくる感じだねえ」
と、十津川は、いった。
もし、小堀功が、父親を殺したのだとすると、岡部ゆう子と、羽島かおりを殺したのも、彼ではないかと、思えてくる。
「もう一度、小堀功に、会ってみる必要がありそうだね」
と、十津川は、いった。
3
翌日、十津川と、亀井は、小堀功に、会いに出かけた。
会ったのは、都内のホテルの喫茶室でだった。
仕事のことで、そのホテルに泊っている相手と、会っているということだったからである。
小堀功は、ひどく張り切っているように見えた。
「生き生きしていますね」
と、十津川がいうと、功は、窓の外に見えるホテルの中庭に、ちらりと、眼をやってから、
「おやじが亡くなって、これからは、自分の考えで、仕事をやらなければなりませんからね。兄貴にも、負けたくないし――」
と、いった。
「お父さんが、生きていた時は、張り合いがなかったんですか?」
亀井が、意地の悪い質問をした。
「おやじは、ワンマンで、僕や、兄貴には、仕事の面で、決定権が、ありませんでしたからね」
と、功はいう。
頭の上に、のしかかっていた父親がいなくなって、のびのびしている感じである。
恐らく、兄の明の方も、同様だろう。
「ところで、羽島かおりさんが亡くなったことは、ご存知でしょうね?」
と、十津川が、きくと、功は、眼をぱちぱちとして、
「いや、知りませんでした。本当なんですか?」
「今朝の新聞に、出ていましたよ」
「今日の仕事の打ち合せで、頭が一杯で、今日は、まだ、新聞に、眼を通していないんですよ」
「晴海埠頭から、車ごと海に落ちて、亡くなったんです」
「じゃあ、事故死ですか?」
「それが、殺されたんですよ」
「なぜです? 車ごと落ちたんでしょう?」
「彼女の胃の中に、多量のアルコール分が、検出されましてね。彼女が、ぜんぜん、酒を飲めないことは、あなたも、よくご存知だったと思いますが」
「僕が? 僕は、別に、彼女のことに、くわしくはありませんよ」
功は、肩をすくめるようにしていい、コーヒーを、口に運んだ。
「それは、おかしいですね」
と、亀井が、いった。
「どこがですか?」
「彼女が乗っていたのは、BMWの新車ですが、一か月前、彼女は、あなたと一緒に、車を見に行った筈《はず》ですよ。向うのセールスマンが、そういっていますがね」
「ああ、あの白いBMWですか」
と、功は、笑ってから、
「それなら、覚えてますよ。あれは、まだ生きていたおやじに、頼まれたんです」
「頼まれた?」
「ええ。おやじは、忙しいので、彼女と一緒に行ってやってくれと、いわれたんですよ」
「すると、彼女とは、格別、親しくはなかったということですか?」
「当然じゃないですか。おやじの女ですからね」
と、功は、いう。
「羽島かおりさんのやっていたクラブは、知っていますね?」
「ええ。知っていますよ」
「そこのマネージャーや、ホステスの証言なんですがね、あなたが、よく、店に来ていたというのですよ。親しそうに、歩いているのを見たというホステスもいましたがね」
と、亀井が、いった。
功は、「そうかなあ」と、視線を宙にやっていたが、
「それは、こういうことですよ。毎月一回、おやじの使いで、いわゆるお手当てを、持って行きましたからね。その時、店で飲むことはあったから、それを見たんですよ」
「それだけだったということですか?」
「もちろんですよ」
「しかし、前に、岡部ゆう子さんが殺され、今度は、羽島かおりさんです。小堀忠男さんが、親しくしていた女性五人の中、二人も、殺されたんですよ。異常としか、思えんでしょう? 違いますか?」
と、亀井が、きいた。
「確かに、異常かも知れませんが、みんな一癖ある女ばかりですからね。異性関係だって、いろいろあるんじゃないかな」
「だから、殺されたと、思うんですか?」
「違うんですか?」
と、功は逆に、きいてきた。
「われわれは、小堀忠男さんを殺した人間が、続いて、二人の女性を殺したのではないかと、考えているんですがね」
「それは、どうですかね。別の犯人じゃありませんか?」
「なぜです?」
「動機が、違うでしょう」
「動機は、同じですよ。あなたの家の莫大《ばくだい》な財産です」
亀井がいうと、功は、違うというように、小さく、首を振って、
「おやじの遺産は、すでに、分配してしまいましたよ。おやじの遺言状に従って、五人の女には、二千万円と、店なり、マンションなりを与えるということでね。彼女たちも、納得したわけだから、それで、殺されるということは、あり得ませんよ」
「遺産は一千億円といわれていますよ。それに比べて、少なすぎると、彼女たちは、不満を持っているんじゃありませんか? それが、殺人を、呼んだことも、考えられる」
と、亀井が、食いさがった。
「そんなことは、ありませんよ。二千万円は少ないと、思われるかも知れないが、五人とも、マンションや、店を、貰《もら》っているんですよ。マンションは、だいたい、交通のいい場所にありますしね。合計で、一億円以上は、間違いありませんよ」
「すると、遺産の分配について、文句は出ていないということですか?」
「それは、僕や、兄貴が、交渉に当っているわけじゃありませんからね。山本《やまもと》弁護士が、交渉してくれていますから、向うで、聞いてくれませんか」
と、功は、いった。
4
十津川と、亀井は、四谷《よつや》にある山本法律事務所に、廻ってみた。
相変らず、山本は、六十代とは思えない、血色のよい顔を見せた。
「まだ、犯人の手掛りは、つかめませんか?」
と、山本は、いきなり、きいた。
「残念ながら、まだですが、そのことで、いろいろと、山本さんに、お聞きしたいことがあるのですよ」
と、十津川は、いった。
山本は、パイプを取り出して、くわえたが、火をつけようとはせず、
「これは、禁煙用でしてね。ただ、くわえているだけです」
と、笑った。
「禁煙しておられるんですか?」
十津川は、自分も、なるべく、煙草は吸わないようにしようと思っていたから、他人事《ひとごと》でなくて、山本にきいた。
「最近、スタミナがなくなりましてね。特に、急に走った時なんかは、やたらに、息が苦しくなるんですよ。医者に聞くと、どうも、煙草のせいじゃないかというんです。このままだと、仕事にも、差しつかえてくると思って、やめることにしたんですが、口寂《くちざみ》しいので、こんなパイプを買って来て、くわえているわけです」
「パイプは、本物みたいですね?」
「どうせ、煙草は吸わないんだから、その分、ぜいたくにしようと思いましてね。これは、三十万ほどしました」
「本物のパイプなら、刻み煙草を買って来て、吸いたくなるんじゃありませんか?」
「それが、大丈夫なんです。私は、昔から、シガレット派で、パイプというものを、吸ったことがなかったんです。刻み煙草を一袋、くれた人がいましたが、時たま、吸ってみたくなって、詰めるんですが、慣れていないので、なかなか、火がつかない。ついても、すぐ消えてしまう。パイプにカーボンが、たまっていませんからね。それで、面倒くさくなって、くわえているだけの方が、よくなってしまうんですよ」
と、いって、山本は、笑った。
「私も、パイプを買って来て、くわえてみますか」
と、十津川も、微笑してから、
「小堀忠男さんの遺書の件ですが、遺言状通りに、分配は、すませたわけですね」
「そうです。それは、警部さんも、ご存知の筈《はず》ですよ」
「その後、遺産の分配について、どこからか、文句が出たということは、ありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「ありませんね。普通は、亡くなった人の家族関係が、複雑だったりして、大変なんですが、小堀さんの場合は、二人の息子さんだけでしたからね」
「五人の女性がいますよ」
「ええ。しかし、小堀さんは、賢明にも、五人の誰一人として、籍に入れていませんでしたからね。もし、誰かを、入籍していたら、さぞ、もめたろうと思いますよ。他の四人とも、息子さん兄弟ともです」
「すると、五人の女性は、全員、満足していたというわけですか?」
「その筈《はず》ですよ。現金二千万円と、マンション、店など、一億円以上は、貰《もら》っているわけですからね。法律上は、全く、他人に見られても、仕方がないんです」
「しかし、小堀さんの遺産は、一千億円といわれていますね?」
「そうです。まあ、ほとんどが、会社の資産ですがね」
「それに比べたら、一億円は少ないと、文句をいう女性は、いなかったんですか?」
「いませんよ。少なくとも、私のところに、文句をいって来た女性は、一人もいませんね」
「それなら、なぜ、五人の中《うち》、二人も、相次いで、殺されてしまったんでしょうか?」
十津川が、きくと、山本は、パイプを、手に持って、
「そのことに、私も、驚いているんですよ。おっしゃるように五人の中、二人もですからね。しかし、殺人事件ですから、捜査は、警察に、お委《まか》せするより仕方がないと、考えているんです」
「遺産の分配に、不満を持った二人が、殺されたということは、ないんですか?」
「それは、ありません。今もいったように、五人の誰一人として、私に、不満を、いって来ていませんからね」
「それは、いっても、法律的に、無駄だからですかね?」
「それも、あるかも知れませんね」
「山本さんは、小堀家の顧問弁護士を、何年やられて来たんですか?」
「かれこれ、三十年になりますね」
「今後も、やっていかれるわけですか?」
「小堀さんが亡くなったので、これで、顧問弁護士は、返上しようと思ったんですが、息子さんたちが、ぜひ、引き続いて、やって欲しいと、いわれましたのでね。今後も、若い息子さんたちのお役に立ちたいと思っています」
「三十年も、小堀家と親しくされていたとすると、いろいろと、家庭内のことも、わかっておられると、思うんですが?」
と、十津川が、きいた。
「まあ、多少は、わかります。自然に、わかってしまいますからね」
「あの兄弟は、父親と関係のあった五人の女性のことは、本当は、どう思っているんですかね?」
「小堀さんの女好きは、昔からでしたからねえ」
と、山本は、笑ってから、
「だから、息子さんたちも、慣れっこになっていて、その点で、不快感は持たなかったんじゃありませんか。小堀さんが、籍を入れてでもいたら、息子さんたちも、腹が立ったでしょうが、それもありませんでしたからね」
「五人の女性と、小堀兄弟が、関係があったということは、ないんですか? 美人揃《びじんぞろ》いだし、小堀兄弟も、若いから」
「さあ、個人的には、親しくなった女性もいるかも知れませんが、私には、わかりませんね」
と、いって、山本は、逃げた。
「小堀兄弟は、顔立ちが、違いますね?」
十津川は、ずばりと、いった。
山本は、一瞬、当惑した表情になった。
「そうですかね」
「母親が、違うんじゃありませんか? 戸籍を調べればわかることかも知れませんが、出来れば、あなたから、くわしく、お聞きしたいのですよ」
と、十津川は、いった。
山本は、しばらく考えていたが、
「小堀さんは、二十六歳の時に、最初の結婚をしましたが、この女性とは、すぐ、わかれています。最初から、うまくいっていなかったんじゃありませんかね。私は、この女性のことは、殆《ほとん》ど知らないのです。次に、OLだった、房子《ふさこ》さんという女性と、再婚しました。房子さんの方は、初婚です。この人とは、長く続きました。大人《おとな》しい人で、古風で、小堀さんの女遊びに、腹を立てたりしませんでしたからね」
「明さんは、その人の子供ですね?」
「そうです」
「彼女とは、別れたんですか?」
「死別です。五年前に亡くなりました。その後は、小堀さんは、再婚はせず、もっぱら、自由に、遊んでいたわけですよ」
「しかし、次男の功さんは、その房子さんの子供ではないわけでしょう? あれだけ、顔立ちが、違いますからね」
「正直にいいましょう。どうせ、わかることですからね。房子さんと結婚したあとも、小堀さんは女遊びをしていたわけです。若い頃だから、最近より、もっと激しかったと思いますね。その中の一人の女性が、妊娠したわけです」
「生まれたのが、功さんだったわけですか?」
「そうです。小堀さんは、もう一人、男の子が欲しかったので、自分の子として、認知したわけですよ」
「その女性は、まだ、健在ですか?」
と、十津川は、きいた。
「ええ。健在の筈《はず》ですよ」
「どこに、いるんですか?」
「確か、九州の熊本市内で、旅館をやっていると、聞いています」
「熊本?」
十津川の顔が、難しいものになった。
いやでも、小堀忠男が、殺されていた特急「有明《ありあけ》87号」のことが、思い出されるからだった。
あの列車は、博多《はかた》から、熊本へ行く臨時の特急列車だった筈である。
小堀忠男は、気ままなひとり旅を楽しんでいたといわれる。
しかし、ひょっとすると、彼は、熊本に、功の母親に、会いに行こうとしていたのではないのか?
「彼女の名前は、何というんですか?」
「角田《かどた》すみ江《え》です」
「よく覚えていますね」
と、十津川が感心すると、山本は、笑って、
「私は、小堀家の顧問弁護士ですよ」
「その角田すみ江さんが、今度の遺産相続について、何かいって来ませんでしたか?」
「いや、何もいって来ませんね。それに、彼女には、何の不満もない筈《はず》ですよ。何しろ、彼女の子供である小堀功さんが、莫大《ばくだい》な遺産を、兄の明さんと、引き継いだわけですからね」
と、山本は、いった。
確かに、その通りだろうが、十津川は、山本の話を、そのまま、鵜呑《うの》みには、出来なかった。
とにかく、小堀忠男を始めとして、三人もの人間が、殺されたのである。その原因は、どこかになければならないだろう。
捜査本部に戻った十津川は、
「熊本に行ってくる」
と、亀井に、いった。
「角田すみ江という女性に、会って来られるんですか?」
「ああ。正直にいって、今度の事件には、よくわからないところがあるんだよ。小堀忠男が殺された件でも、犯人は、小堀兄弟のどちらかだと思うのだが、動機が、わかっているようで、実際には、はっきりしていないんだ」
「父親を殺して、全財産を、自分のものにしたいということが、動機だったんじゃありませんか? 或《ある》いは、小堀忠男が、ワンマンで、会社の業務を、自分たちに渡してくれないことへの焦りが、動機だったかも知れませんよ」
「しかしねえ。カメさん。小堀忠男は、すでに六十歳過ぎだ。いくら元気だといっても、小堀兄弟より、先に死ぬだろう。兄弟は、黙っていても、何年か後には、全財産を引き継ぐことになるんだ。それにだよ。兄弟が、みじめな暮しをしていたわけでもない。大きな家に住み、外車を乗り廻《まわ》し、ぜいたくをしていたんだ。どうも、なぜ急に、父親を殺さなければならなくなったのか、その理由が、よくわからないんだよ」
「その理由が、熊本へ行けば、わかるとお考えですか?」
「わかればいいと、思っているんだがね」
と、十津川は、いった。
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第六章 火の国
1
十津川《とつがわ》が、熊本空港に着くと、県警の北川《きたがわ》警部が、迎えに来てくれていた。
北川が、上京した時以来の再会である。
十津川は、この若い、どこか頼りないが、元気一杯の警部に、好感を持っていた。
北川は、にこにこしながら、十津川を迎え、東京での礼をいってから、彼を、待たせてあった車へ、案内した。
「角田《かどた》すみ江のことは、調べておきました」
と、北川は、県警に向う車の中で、十津川に、いった。
「旅館をやっているそうですね?」
「市内で、『かどた』という日本旅館を、経営しています」
「どんな女性ですか?」
「五十三歳ですが、元気ですよ。それに、なかなか頭のいい女性です」
「家族はいないんですか?」
「親戚《しんせき》の娘を、養子に迎えて、あとを、継がせるようですね」
「なるほど」
「角田すみ江が、今度の事件に関係があるとは、思えませんがねえ」
と、北川は、正直な意見を、いった。
「しかし、小堀功《こぼりいさお》の母親ですからね」
と、十津川は、いった。
県警本部に行き、あいさつをすませてから、十津川は、市内にある旅館「かどた」へ出かけた。
角田すみ江は、北川がいうように、若々しく、聡明《そうめい》な感じの女性だった。
旅館の奥の、中庭の見える和室で、十津川は、彼女と、会った。
十九歳だという養女が、冷たい麦茶と、和菓子を、運んできた。
「素敵なお嬢さんですね」
と、十津川は、誉《ほ》めてから、すみ江に、
「事件のことは、よく、ご存知だと思いますが」
「ええ。知っておりますわ」
「小堀|忠男《ただお》さんは、ひょっとして、あなたに会いに、熊本へ来るところだったんじゃありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「さあ、それは、どうでしょうか?」
「約束は、なかったんですか?」
「連絡は、全くありませんでしたわ。ただ、熊本で、私の旅館に泊ることは、前にも、ありましたけど」
そういういい方を、すみ江は、した。
「また、これも、推測なんですが、小堀さんは、あなたと、結婚しようと、考えていたんじゃありませんかね? どうですか? それらしいことを、小堀さんが、いっていたことは、ありませんか?」
と、十津川は、きいた。
すみ江は、微笑して、
「それは、ありませんわ」
「なぜですか? あなたは、まだ、若いし、魅力もある」
「いいえ。もう、五十歳を過ぎていますし、小堀さんには、何人も、若い女の方がいましたから」
「しかし、若い女は、頼りないと、思っていたかも知れませんよ。それに、何よりも、あなたは、功さんの母親だから、小堀さんは、あなたを、信頼していたと、思いますがねえ」
「それは、もう、昔のことですわ」
と、すみ江は、いった。
「小堀さんが、功さんを、認知した時の話を、聞きたいんですよ」
「あの時は、正直にいって、私も、びっくりしたんです」
すみ江は、遠くを見るような眼になった。
「小堀さんが、認知したからですか?」
「ええ。彼が、認知してくれるとは、思っていませんでしたし、してくれなくても、仕方がないとも思っていたんですよ。だから、あっさりと、彼が、認知するといった時、びっくりしてしまいましたわ」
「小堀さんは、なぜ、あっさりと、認知したんですかね?」
「小堀は、子供が好きなんです。それに、子供は、一つの財産だという考えを持っていたみたいですわ」
「しかし、その時、すでに、長男の明《あきら》さんは、いた筈《はず》ですね」
「ええ」
「子供は、何人いてもいいという考えだったんですかね」
「一人だと、わがままになる。出来が悪くても、仕方なしに、自分の後を継がせて、財産を、やらなければならない。子供が、何人もいれば、自分の気に入った人間に、跡を継がすことが出来るし、お互いに牽制《けんせい》して、親を大事にするだろうとも、いっていましたわ」
と、すみ江は、いった。
「なるほど」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
2
「功さんとは、時々、会っていますか?」
と、十津川は、きいた。
「めったに、会いませんわ。あの人は、もう、小堀家の人ですから」
と、すみ江は、いった。
「功さんは、別に、あなたが、自分の本当の母親であることを、隠そうとしているわけじゃないでしょう? 堂々と、手紙なんかも、書いてくるんじゃありませんか?」
「手紙は、時々、貰《もら》いますけど、会うのは、時たまですわ。あの人には、あの人の世界や、生活がありますもの」
「小堀忠男さんが、殺されたことで、功さんから、相談みたいなものは、ありませんでしたか?」
「いいえ。別に」
「功さんは、莫大《ばくだい》な遺産を引き継いだわけですが、それを、どう思いますか?」
と、十津川が、きくと、すみ江は、眉《まゆ》をひそめて、
「私は、小堀家とは、無関係の人間ですわ。あの人が、何億の遺産を引き継ごうと、関心はありませんわ」
と、いう。だが、それが、本心かどうか、わからなかった。
何といっても、功は、自分が生んだ子供である。その子供のことに、関心がないことはないだろう。
いや、ひょっとすると、この女こそ、小堀忠男を殺した犯人かも知れないとさえ、十津川は、思う。
動機は、明白である。
功のために、小堀忠男を、殺したのだ。明は、正妻の子であり、功は、いわば、二号の子である。認知されたといっても、小堀家の中で、明は、優遇され、功の方は、冷遇されていたのではあるまいか。
心配になったすみ江は、小堀忠男に、兄弟を、平等に扱ってくれと頼んだが、聞き入れてくれなかった。
それどころか、功は、やはり、お前の子だから、駄目だみたいなことを、いわれたとしたら、どうだろう? 子供のために、小堀忠男を、殺したかも知れないではないか?
「亡くなった小堀さんを、どう思っているのか、お聞きしたいですね」
と、十津川は、いった。
すみ江は、一瞬、間を置いてから、
「世間では、いろいろと、いう人がいるかも知れませんけど、立派な人だったと思いますよ」
「それは、子供を認知して、責任をとったからですか?」
少し、意地の悪いきき方を、十津川はした。
すみ江は、別に、不快な表情もせず、
「それも、ありますわ。この時代、責任をとろうとしない男性が、多いですものね」
「しかし、小堀さんは、ケチだったという話もありますが」
と、十津川が、きくと、すみ江は、笑って、
「財産家って、たいてい、ケチなんじゃありません?」
「あなたは、別れる時、何か、小堀さんから貰《もら》いましたか?」
「いいえ、何も。でも、子供を認知してくれたから、それで十分でしたわ」
「小堀さんは、別れた女性に、きちんと、慰謝料といったものを、払う人だったんですか?」
「いいえ」
と、すみ江は、あっさりいった。
「しかし、今度は、五人の女性に、現金二千万円と、マンション、店など、一人、一億円ぐらいのものを分配するように、遺言状に、記していましたがね」
と、十津川が、いうと、すみ江は、肯《うなず》いて、
「そうなんですよねえ」
「意外でしたか?」
「ええ。意外でしたわ」
「なぜ、小堀さんはあんな仏心《ほとけごころ》を出したんでしょう? 年齢《とし》ですかね?」
「わかりませんわ。普通なら、遺言状に、現在つき合っている女性のことまで書くような人じゃありませんけどねえ」
「その女性が、二人も殺されたことは、どう思いますか?」
「私が?」
と、すみ江は、びっくりしたように、きき返してから、
「私には、わかりませんわ。その五人の方と、会ったことも、話をしたことも、ありませんもの」
「五月五日は、どこに、おられました?」
急に、話題を変えて、十津川が、きいた。
「五月五日? ああ、小堀さんが、亡くなった日ですわね?」
「そうです」
「つまり、私が、小堀さんを殺したと、思っていらっしゃるの?」
「可能性のある人には、全部、聞いているんです」
「私が、彼を殺したって、仕方がないでしょう? もう関係のない人なんですから」
「それは、わかりません。熊本へ、あなたに会いに来たのかも知れませんからね。とにかく、五月五日は、どこで、何をしておられたのか、教えて頂けませんか?」
と、十津川は、いった。
「五月五日というと、子供の日ですわね。それなら、お泊りの方が一杯で、大変でしたわ。娘と、てんてこ舞いでしたもの。朝から夜まで、働き詰めでしたわ」
「ずっと、この旅館に、いらっしゃったということですね?」
「ええ」
「夜の七時から、十時までも、ですか?」
「ええ、もちろん」
と、すみ江は、肯《うなず》いた。
「誰か、それを、証明してくれる人が、いますか?」
「夜の七時からというと、だいたい、夕食が、終ってからですわね?」
「まあ、そうですね」
「よくお泊り頂く方に、小原《おはら》さんという方が、いらっしゃるんですよ。大阪の方で、九州へ来た時は、必ず、私のところに、泊って下さるんです。ご夫婦で、いらっしゃって、夕食のあと、この方たちと、しばらく、お話をしていましたわ。それは、小原さんに、聞いて下さい」
すみ江は、小原という人の電話番号を、十津川に、いった。
「あとで、電話してみますが、今日、ここに泊めて貰《もら》えませんか」
と、十津川は、いった。
3
二階の部屋に案内されたあと、十津川は、まず、北川警部に、この旅館に泊ることを伝えてから、大阪のダイヤルを回した。
大阪の小原というのは、電気店の主人ということだったが、その通り、
「小原電気店ですが」
という声が、聞こえた。
十津川は、自分の名前と、警察の人間であることを告げてから、
「五月五日は、熊本へ行かれましたか?」
「ええ。家内と二人で、三日から、店を休んで九州へ旅行しました。五日は、確かに、熊本です」
「熊本で、お泊りになったのは?」
「いつも、泊ることにしている『かどた』という旅館ですが」
「五月五日の夜は、その旅館で、お過ごしですか?」
「どうでしたかね。ああ、おかみさんと、話をしましたよ。夕食のあとね。あの人は、話題が豊富で、話していると、楽しいんですよ。忙しいのはわかっていたのに、私たち夫婦が、引き止めてしまいましてね」
「何時頃まで話をしていたんですか?」
「何時頃でしたかねえ。ちょっと待って下さい」
と、小原はいい、奥さんに、聞いているようだったが、
「十時を過ぎていたみたいです。おかみさんは、何か、いっていましたか?」
「いや、角田さんも、楽しかったと、いっていましたよ」
「それならよかった」
ほっとした口調で、小原は、いった。
十津川は、礼をいって、電話を切った。どうやら、角田すみ江は、小堀忠男殺しには、関係がないらしい。
もちろん、小原という男と、打ち合せして、アリバイを作った可能性もある。それは、小原という男を、調べれば、わかるだろう。
だが、すみ江が、何かを隠している感じは残った。
小堀忠男は、五月五日、すみ江を訪ねて、熊本へ来たのではないかという疑問だった。
それに、もう一つ、これは、すみ江自身への疑問ではないが、彼女が、いったことで、わいて来た疑問である。
小堀忠男は、関係した女には、一円も渡さなかったと、すみ江は、いう。その方が、小堀らしく思える。
一代で巨万の富を作った男は、そんなものだろう。関係した女に、いちいち、慰謝料などを払っていたら、金は、貯《たま》るまい。それなのに、死んでみると、遺言状には、五人の女に、一億円相当のものを残している。
最初、十津川は、そのくらいは、当然と思い、一千億円の資産に比べれば、少なすぎるとさえ思ったのだが、今は、むしろ、なぜ、そんなに、小堀忠男が、心優しく、寛大だったのかが、不思議に思えてきた。
十津川は、夕食のあとで、東京の亀井に、電話をかけた。
すみ江に聞いた話や、彼女のアリバイなどについて、話したあと、
「明日、山本弁護士に会って、なぜ、小堀忠男が、五人の女に、一億円相当のものを残す気になったのか、聞いてくれないかね」
と、いった。
「仏心《ほとけごころ》が、生れた理由ですね」
「そうなんだ。角田すみ江の話を聞いて、急に、不思議な気がしてきたんだよ」
「わかりました。調べておきます」
「五人の残りの三人は、どうしているね?」
「わかりませんが、今のところ、無事のようです。残りの三人も、危いと思われますか?」
「わからないんだ、それが。犯人の動機が、わからないんでね」
「私は、やはり遺産が、絡んでいると、思っていますが」
「しかし、彼女たちを、殺しても、彼女たちに分配されたものは、戻って来ないだろう? そこが、わからないんだよ」
と、十津川は、いった。
彼女たちが死んでも、その財産は、彼女たちの家族のものになる。家族が、犯人なら、犯人は、岡部《おかべ》ゆう子《こ》と、羽島《はじま》かおりの場合では、別人になってしまうのだ。
と、すると、小堀忠男を殺した犯人が、他の二人の女性を殺したと考えるのは、難しくなってしまうのである。
と、いって、三人の殺しに、三人の犯人がいるとは、考えにくい。
「問題は、動機だね」
と、十津川は、いった。それが、わかれば、事件の解決に、近づけるだろう。
遺産問題という言葉で、三つの事件の動機は、証明できないのではないか、だが、それなら、何が動機なのかと、きかれると、十津川は、返事に窮してしまう。
翌日、朝食の時に、すみ江が、自分で食事を運んで来てくれたが、昨日の話など、忘れた顔で、
「お早ようございます」
と、爽《さわ》やかな声で、あいさつした。
そのまま、給仕もしてくれた。
「旅館の方は、うまくいっているようですね」
と、十津川は、半分は、お世辞で、いった。
すみ江は、にっこりして、
「おかげさまで、何とか、やっていますわ」
「昨日、大阪の小原さんに、電話してみました。悪く思わないで下さい。これが、私の仕事ですのでね」
「お仕事なら、当然ですわ。小原さんは、何と、おっしゃっていました?」
「確かに、五月五日は、夕食のあと、午後十時頃まで、あなたと、おしゃべりをしていたと証言してくれました」
「それでは、私の疑いが晴れたということですのね?」
「一応はです。因果なことに、私たちの仕事では、簡単に、相手の言葉を、信用できないんですよ」
「つまり、小原さんが、私に頼まれて、嘘《うそ》をついている可能性もあるということですか?」
「可能性はあるとは、思っています」
と、十津川は、正直にいった。
「でも、小原さんが、本当のことをいっているか、嘘をついているか、どうやって、判断しますの?」
「それは、小原さんのことを、調べればわかりますが、私は、多分、本当のことをいっていると、思っていますよ。昨日の電話では、返事に、ためらいがありませんでしたから。嘘をついていると、ためらいがあるか、逆に、喋《しやべ》り過ぎるかのどちらかになるものですが、それが、ありませんでしたからね」
「それを聞いて、少しは、安心しましたわ」
「だが、あなたは、何か隠していますね。そんな気がして、仕方がないんですよ」
と、十津川は、いって、相手の反応を見た。
すみ江は、微笑して、
「何も隠してはいませんわ。功さんは、私が生みましたけど、もう、小堀家の人ですし、小堀家の遺産問題は、私には、何の関係もありませんわ」
と、いった。
「私は、子供もいないし、私の兄弟で、養子に行った者もいませんから、よくわかりませんが、そんなに、あっさりと、母子《おやこ》の関係が、切り捨てられるものですかねえ」
「切り捨てる約束でしたもの」
「功さんの方はどうなんですか?」
「あの人も、同じだと思いますわ」
「そうですかねえ」
十津川は、首をひねった。
もし、このすみ江と、功が、今でもつながっているとしたら、遺産問題に、自然と、関係してくるのではないか、いや、殺人事件にも、関係してくるかも知れない。
すみ江は、どうやら、小堀忠男は、殺してないようだが、五月五日に、小堀が、特急「有明87号」で、熊本へ来ることは知っていて、実子の功に知らせたことも、考えられるのだ。
そして、功が小堀忠男を、殺したということが。
4
十津川は、東京に帰ることにした。
熊本空港から、羽田《はねだ》行の飛行機に乗るのを、北川警部が、空港まで、送ってくれた。
十津川は、すみ江が、今でも、小堀功と連絡を取り合っているとすれば、功が、小堀忠男殺しの犯人で、彼女が、共犯の可能性もあると、北川に、話した。
「それなら、納得ができますね」
と、北川は、満足げに、いった。
「兄の明の方は、いくら調べても、アリバイが、崩れんのですよ。それで、弟の功が犯人ではないかと思っていたんですが、なぜ、父親が、五月五日に『有明87号』に乗るのを知っていたのか、それが、謎《なぞ》だったんですよ。小堀忠男が、五月五日に、角田すみ江に、会いに来るところだったとなれば、謎も氷解します。つまり、日頃、小堀が、兄の明の方を可愛《かわい》がると、功から、聞かされていて、五月五日に、小堀が来る時が、チャンスと思い、自分の子の功に、小堀を殺させたということになりますね」
「或《ある》いは、小堀忠男が、急に、次男の功のことがうとましくなって、親子の縁を切りたくなった。その話をしに、五月五日に、功の母親のすみ江に、会いに来るところだったのかも知れません」
「それなら、なおさら、動機としては、十分だし、はっきりしていますね」
と、北川は、いい、角田すみ江を、調べてみると、いった。
そんな話をあわただしくしてから、十津川は、羽田行の飛行機に乗った。
東京の捜査本部に戻ったのは、午後三時近くである。
「山本弁護士は、なかなかの狸《たぬき》ですよ」
と、亀井が、十津川の顔を見るなり、いった。
「本当のことを、話してくれないのかね?」
「最初は、こういいましたよ。故人の小堀忠男は、世間では、いろいろといわれていますが、根は、フェミニストだった。だから、五人の女性にも、きちんと、遺産を分配するように、遺言状に、書き残したんだ」
「信じられないね」
「同感です。それで、あの五人以外に、小堀忠男と、関係のあった女を、探してみました」
「見つかったのかね?」
「二人、見つかりました。その中、安藤《あんどう》のぶ子という三十歳の女性は、小堀と三年間、関係があったということでした。現在、渋谷《しぶや》のクラブで、働いています」
「その女から、どんな話を聞いたんだね?」
「なかなかの美人で、小堀と、知り合ってから、中野《なかの》で店を一軒預けられて、ママになっていたといいます。もちろん、名義は、小堀のものになっていたそうですが」
「別れるとき、その店を、貰《もら》わなかったのかね?」
「慰謝料もなしです。ある日、突然、お前とは、もう終りだといわれ、店からも、放り出されたといっています。さすがに、頭に来て、知り合いの暴力団員に頼んで、小堀を脅して、慰謝料を、取ってやろうと、思ったそうです」
「うまくいったのかね?」
「小堀の方が、一枚|上手《うわて》で、その暴力団員を買収してしまい、逆に、彼女は、痛めつけられたんだそうです」
「なるほど」
「もう一人は、一年しか、小堀とは、つき合わなかったらしいんですが、もちろん、別れる時、一円も、くれなかったと、文句を、いっています」
「そんな小堀が、なぜ、あの五人に限って、一億円相当のものを、遺したのかねえ?」
十津川は、改めて、首をかしげた。
「年齢《とし》をとって、優しくなったとも思えません」
と、亀井が、いう。
「そうだね。六十歳を過ぎても、元気一杯だったようだからね」
「今いった安藤のぶ子と、あの五人とを、比べてみたんですが、五人の女が、特別に美人とも思えません。安藤のぶ子も、非常に魅力的な女性です」
亀井は、彼女の写真を、取り出して、十津川に見せた。
なるほど、男好きのする美人である。
「スタイルもいいですよ」
と、亀井が、付け加えた。
「あの五人には、共通する、何か特別なものがあるのかな? この安藤のぶ子にはないものが」
と、十津川が、いった。
十津川と、亀井は、五人の写真を取り出して、安藤のぶ子と、比べてみた。
例えば、五人が、細面《ほそおもて》で、のぶ子が丸顔なら、小堀が、好き嫌いで、差別したことになる。
しかし、五人も、安藤のぶ子も、細面で、眼が大きかった。つまり、どちらも、小堀の好みの女性なのだ。
念のために、身長、体重も、比べてみた。
身長は、まちまちだった。小柄な女性もいたが、百七十センチ近い長身の女性もいる。
出身地も、さまざまだった。
年齢も、ばらばらである。
「わからんねえ」
と、十津川は、溜息《ためいき》をついた。
こうなると、小堀の気まぐれとしか、考えようがない。とすれば、事件とは、関係がないことになってしまうのか?
十津川は、山本弁護士に、電話をかけた。
「九州で、角田すみ江さんに、会って来ましたよ」
と、十津川は、いった。
「そうですか。美しい人でしょう?」
「そうですね。それで、お聞きしたいんですが、小堀さんは、彼女と別れる時、どのくらいの財産を、あげたんですか?」
「いや、全く、渡していない筈《はず》ですよ」
と、山本が、いう。
「しかし、彼女は、功さんの母親でしょう?」
「そうですが、小堀さんは、彼女との間の子供を、認知することと、それとは、別の問題だと、いっていましたからね。また、角田すみ江さんも、欲しがりませんでしたから」
「それにしては、今度の五人の女性に対しては、寛大すぎますねえ」
「そういわれても、これは、小堀さんの意志ですとしか、お答のしようがありません」
と、山本は、冷静な調子で、いった。
十津川が、不満のまま、電話を切った時、他の電話に出ていた亀井が、青ざめた顔で、
「やられましたよ、警部」
と、いった。
5
「四人目か?」
と、十津川も、顔色を変えて、きいた。
「そうです。井上《いのうえ》ユカが、殺されたそうです」
「くそ!」
と、思わず、十津川は、舌打ちをした。
五人の女の中、二人が、殺されている。ひょっとすると、三人目もと、思っていたのである。
(残りの三人に、監視をつけておけばよかったが)
と、思いながら、
「場所は?」
「吉祥寺《きちじようじ》の彼女のマンションです」
「行くぞ」
と、十津川は、大声で、いった。
中央本線の吉祥寺駅から、歩いて、十五、六分のところにあるマンションだった。
井上ユカが、小堀に貰《もら》ったブティックは渋谷駅の近くにある。
七階建で、1LDKの小ぢんまりしたマンションだが、これも、小堀の贈り物だった。
鑑識がやって来て、室内の写真を撮り始めた。
十津川と、亀井は、十二畳の居間の床に俯《うつぶ》せに倒れて死んでいる井上ユカを、見つめた。
ピンクのナイトガウンを着ていた。
「毒死だよ」
と、検死官が、いった。
多分、青酸カリだろうとも、いう。
テーブルの上には、レミーマルタンと、アイスボックスが、置かれ、グラスは、床に、転がっていた。
もちろん、アイスボックスの氷は、もう溶けてしまっている。
「客が来たのかな?」
と、十津川は、呟《つぶや》きながら、もう一度、室内を見廻《みまわ》した。
床に転がっているグラスは、一つだけである。
しかし、客は、自分のグラスは洗って、しまって、帰ったのかも知れない。
それとも、井上ユカは、ひとりで、レミーを飲んでいたのか。
死体の発見者は、ユカのブティックで働いている吉岡《よしおか》はるみという二十歳の従業員と、マンションの管理人だった。
今日、井上ユカが、店に姿を見せないので、はるみは、心配になったのと、仕事のことを聞きたくて、マンションにやって来た。しかし、ドアの鍵《かぎ》がおりていた。それで、管理人に頼んで、開けて貰い、居間で、死んでいるユカを発見したというのである。
井上ユカの死体は、大学病院で、解剖されることになった。
テーブルの上にあったレミーのびんからは、混入された青酸カリが、検出された。
床に転がっていたグラスからもである。
レミーのびんと、グラスから検出されたのは、井上ユカ本人の指紋だけだった。
解剖の結果も、もちろん、青酸死で、死亡推定時刻は、昨夜の午後十一時から十二時の間ということだった。
「自殺とは、思わないね」
と、十津川は、断定した。
「誰かが、井上ユカに、青酸入りのレミーを、プレゼントしたということですね?」
亀井が、きいた。
「そうだろうね。夜おそく、彼女は、ひとりで、水割りを作って飲んで、死んだんだ」
「彼女は、寝る前に、お酒を飲む癖があったそうです。犯人は、それを知っていたんだと思いますね」
「あの部屋も、荒らされていなかったから、どう考えても、前の二つの殺人事件と、関係ありだな」
と、十津川は、いった。
十津川は、西本《にしもと》刑事たちに、井上ユカのマンションや、ブティック周辺の聞き込みを、徹底的に、やらせることにした。
彼女に、毒入りのレミーを持って行った人間が、いる筈《はず》だったからである。
鑑識から、面白い報告が入って来た。
井上ユカの部屋から、何種類かの指紋が検出されたが、その中に、小堀明と、功の二人のものが、あったというのである。
十津川は、亀井と二人で、早速、小堀兄弟に別々に会った。
兄の明の方は、自分の指紋が、ユカの部屋から見つかったことについて、こう話した。
「最近、彼女を訪ねましたよ。とにかく、おやじと関係のあった女性ですからね。形見分けというとおかしいですが、おやじが、趣味で、金貨を集めていましてね。その一枚を、彼女に、渡しに、行ったんです。三日前ですよ。夜なんか、行きません。変に、色目で見られるのは、嫌ですからね。行ったのは、会社の昼休みにです」
「形見分けというと、他の女性にも、同じ金貨を持って行ったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「ええ。あとの二人にも、持って行きましたよ。亡くなった岡部ゆう子さんと、羽島かおりさんは、別ですが」
と、明は、いった。
念のために、その金貨というのを、見せて貰《もら》った。確かに、十万円ぐらいの外国製の金貨が二十五枚、ケースに入っていた。五十枚あったのを、父と親しかった人に、分けたのだという。
弟の功の方は、別の話をした。
「彼女から、電話で、呼ばれたんですよ」
と、功は、いった。
「何といってですか?」
「どうしても、相談したいことがあるといいましてね。それで、仕方なく、訪ねて行きました。二日前の夕方です」
「何の用だったんですか?」
「ブティックが、うまくいかないので、金を貸してくれないかというんですよ」
「それで、何と答えたんですか?」
「そういうことは、山本弁護士に、相談してくれといって、すぐ、帰りましたよ。それで、山本さんに聞いたら、電話が、掛ってきたので、断ったと、いっていましたね」
と、功は、いった。
十津川と、亀井は、念のために、山本弁護士に、電話をかけてみた。
十津川が、功の話をすると、山本は、あっさりと、
「その通りですよ。彼女から、電話が、ありました。店の経営が、思わしくないので、五、六千万円、融資して欲しいといわれました」
「断ったそうですね?」
「ええ。一応、遺産の分配については、全《すべ》て、すんでいますからね。融資してくれとはいっていますが、本当は、もっと、遺産をよこせといっているわけですよ。それで、断ったわけです」
「それは、電話でですか?」
「そうですよ」
「彼女のマンションには、行っていませんか?」
「行っていません。行く必要が、ありませんでしたからね」
と、山本弁護士は、いった。
十津川は、考え込んだ。
井上ユカを殺したのは、小堀明と功の兄弟のどちらかなのだろうか?
そうだとして、動機は、いったい何なのだろうか?
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第七章 再検討
1
十津川《とつがわ》は、改めて、殺された男女の名前を、黒板に、書き並べてみた。
小堀忠男《こぼりただお》
岡部《おかべ》ゆう子
羽島《はじま》かおり
井上《いのうえ》ユカ
この四人の名前を見つめていて、感じるのは、莫大《ばくだい》な財産をめぐる殺人という匂《にお》いである。
まず、何者かが、小堀忠男を殺した。
目的は、一千億ともいわれる彼の財産だろう。
従って、彼の二人の息子には、動機があるので、容疑者である。
他の三人の女は、小堀忠男と関係のあった女で、それぞれ、現金と、マンション、クラブ、ブティックなどを、遺産として、渡されている。
少なく見積っても、一億円以上である。
だから、殺されたのだろうという推理は成り立つ。
彼女たちが、ただのクラブのママとか、ブティックの経営者だったら、続けて殺されることもなかった筈《はず》である。
続けて殺されたのは、明らかに、小堀忠男の遺産のせいに違いない。
(だが、動機が、わからない)
と、十津川は、思う。
この三人の他に二人、全部で、五人の女が、小堀忠男には、いた。
彼女たちへの遺産の分配が、まだ、行われていないのなら、彼女たちを殺すことで、その遺産は、小堀兄弟のものになるかも知れない。
しかし、すでに、彼女たちの分は、受け取ってしまっているのだ。
彼女たちが死ねば、彼女たちの家族が、その遺産を、受け取ることになる。
小堀兄弟のものにはならないのだ。
とすれば、兄弟のどちらかが、三人の女たちを殺す理由が、なくなってしまう。
五人の残りの二人の女も、同じである。
プロの写真家を目指しているという山本和子《やまもとかずこ》と、マンションを経営している三林可菜子《みつばやしかなこ》が、三人を殺したとも、考えられない。
この二人が、他の女たちを殺しても、一円のトクにもならないからである。
「どうも、わからないね」
と、十津川は、呟《つぶや》いてから、亀井《かめい》に向って、
「カメさんの意見を聞きたいね。小堀忠男殺しと、他の三人の女の殺しとは、全く、別のものなんだろうか?」
「同じ、小堀家の遺産の匂《にお》いが、しますが」
と、亀井がいう。
「そうなんだ。遺産の匂いがするんだよ。しかし、三人を殺したって、彼女たちに渡ってしまった遺産は、犯人のものにはならない。その犯人が、彼女たちの家族の場合を除いてはね。といって、まさか、三人の女の家族が、突然、一斉に殺人を始めたとは、思えないしね」
「とすると、目的は、財産ではないことになりますか?」
と、亀井が、考え込んだ。
「例えば、何だい?」
「例えば――そうですねえ。嫉妬《しつと》ですか」
「それはないよ。彼女たちと関係のあった、小堀忠男は、もう死んでしまっているし、もともと、金で結ばれていた男と女だからね。嫉妬は、ないんじゃないか」
「口封じはどうですか?」
と、亀井が、考えながらいう。
「口封じね」
「岡部ゆう子は、日記に、小堀|功《いさお》から、一千万円で、アリバイ証言を頼まれたと、書いています。小堀功が、父親を殺した犯人で、口封じに、岡部ゆう子を殺したことは、十分に考えられますよ」
「確かに、そうだ。岡部ゆう子だけが殺されたのなら、小堀功が、口封じに殺したと、考えていいだろう。しかし、あとの二人は、どうなるね?」
「動機を隠すためというのは、どうですか?」
と、亀井。
「なるほどね。岡部ゆう子を、口封じのために殺したが、これでは、動機がわかってしまう。そこで、次々に、他の二人も殺して、本当の動機を、わからなくさせたということか?」
「そうです。現に、われわれは、動機がわからなくて、困っていますからね」
「もし、この推理が、当っているとすれば、犯人は、小堀功ということになるんだが――」
十津川が、語尾を濁して、いった。捜査上、一つの先入観に左右されたくなかったからである。
小堀忠男を殺した犯人は、動機の点から見れば、二人の息子だけしか考えられない。長男の明《あきら》は、別の列車に乗っていたというアリバイがあるが、ひょっとすると、列車を使ったアリバイトリックかも知れないのである。
今のところ、弟の功の方が、アリバイを、岡部ゆう子に頼んだりして、不利だが、彼が犯人だという決定的な証拠は、見つかっていない。
だが、三人の女性殺しの方は、どうも、すっきりしない。今のところ、口封じに岡部ゆう子を殺し、その動機をかくすために、他の二人を殺したのではないかという亀井の推理が、一番、納得できるのだが、もし、小堀功が、犯人だとすると、なぜ、金で、解決しなかったのかという疑問が残る。
彼は、一千億という遺産の半分を、引き継いだのである。
岡部ゆう子が、アリバイ証言のことで、ゆすったとしても、一億円も渡せば、彼女は、沈黙を守るだろう。
それでも、なお、彼女が、ゆすりを続けて、已《や》むなく、殺したというのではなさそうである。岡部ゆう子は、小堀忠男が、殺されて、すぐ、殺されているからである。
2
十津川には、残った二人の女性のことも、心配だった。
五人の女の中、三人が、すでに殺され、山本和子と、三林可菜子の、二人が、残っている。
この二人の中に、犯人がいるのかも知れないが、動機がない。
とすれば、彼女たちが、殺される可能性の方が、強いのだ。
十津川は、二人に、ガードをつけることにした。といっても、相手に知られぬように、遠くからの監視である。
それが、よかったのか、三日、四日と、何も起きない日が、続いた。
小堀兄弟は、父のあとを継いで、熱心に、仕事をやっているし、山本和子は、カメラを、何台も持って、撮影の仕事に、走り廻《まわ》っている。
三林可菜子は、太り出したのを、気にしてか、エアロビクスに、通い始めた。
四人とも、連続して起きた四つの殺人事件のことなど、すっかり、忘れてしまった顔で、それぞれの仕事に精を出したり、運動をしたりしている。
「呑気《のんき》なものだな」
と、十津川は、溜息《ためいき》をついた。
警察は、一刻も早く、この連続殺人事件を解決しなければ、ならなかったからである。
捜査会議でも、早期解決が、要請された。
「小堀功が、犯人ということで、決められないのかね?」
と、本部長が、十津川を見た。
「容疑が一番濃い人間ですが、決め手が、ありません」
と、十津川は、いった。
「しかし、小堀忠男を殺したのは、小堀兄弟のどちらかなんだろうし、動機を持っているのは、この二人だけなんだから」
「その通りです。五人の女にも、動機がないことはありませんが、小堀兄弟ほど、強くはありませんし、五人とも、しっかりしたアリバイがあります」
「すると、兄弟の中のどちらかに、なるわけだし、弟の功のアリバイが、不完全だ。それに、岡部ゆう子に、一千万円で、アリバイを頼んでもいる。三人の女が殺された件は別にして、父親殺しで、小堀功を、逮捕は出来ないかね?
このまま、手をこまねいていては、市民の信頼を失うのが怖《こわ》い。何しろ、続けて、四人の人間が殺されているのに、警察は、何も出来ずにいるんだからね。この点は、どうなのかね?」
「小堀忠男殺しだけに限って、小堀功を逮捕するということですか?」
十津川は、わざと、相手の言葉を、なぞるようないい方をした。
本部長は、いらだちの表情を見せて、
「そうだ。父親を殺したのは、息子兄弟のどちらかであることは、間違いないんだろう? そして、兄の明に、アリバイがあれば、弟の功が犯人じゃないのかね?」
「明の方のアリバイは、まだ、完全とはいえません」
「しかし、彼のアリバイは、破れんのだろう?」
「そうです」
「それに比べて、功の方は、岡部ゆう子のことがある。手帳に、一千万円で、功に、アリバイを頼まれたと、書いているじゃないか」
「そうですが、功は否定しています」
「そりゃあ、否定するだろう。どうも、君は、慎重すぎていかんよ。決定的な証拠がないというが、状況証拠は、全《すべ》て、小堀功が、犯人であることを、示しているじゃないか」
本部長は、不満気に、いった。
「状況証拠だけです。小堀功が、問題の日に、九州にいたという証拠は、ありません」
「しかし、彼が九州にいなかったという証拠もないんだろう」
「その通りです」
「厳密にいえば、アリバイはないわけだよ。それに、今もいったように、彼は、自分のアリバイを、女に頼んでいた。どう見ても、アリバイは、ないわけじゃないか。動機も十分だ。それでも、逮捕は、出来ないかね?」
「今の段階では、できません」
と、十津川は、正直に、いった。
「何が怖《こわ》いんだ?」
「今、本部長がいわれた通り、状況証拠は、全て、犯人が、小堀功であることを示しています」
「それのどこが、いけないんだ?」
「状況証拠というのは、見方を変えると、全て、逆になってしまうからです」
と、十津川は、いった。
「どういうことだね?」
「小堀功のアリバイが、あいまいなのは、彼が、犯人でない証明かも知れません。犯人なら、もっと、しっかりしたアリバイを作っておくに違いないと思うからです。また、岡部ゆう子についていえば、誰かに頼まれて、わざと、手帳に、小堀功に一千万円|貰《もら》ってアリバイを頼まれたと、書いたのかも知れません。わざと、その手帳を警察に見せるようにしてです。真犯人は、彼女に一千万払い、そんな小細工をさせておいてから、殺してしまう。あたかも小堀功が、口封じに、殺したように、見せかけるためにです」
「十津川君。そんな風に、悲観的にばかり考えていったら、いつまでたっても、事件は、解決せんよ」
と、本部長は、いった。
「わかっていますが、殺人事件ですので、万が一にも、間違った人間を、犯人にはしたくないのです」
十津川は、まっすぐに、本部長を見つめて、いった。絶対に、自分の信念は曲げないといういい方だった。
本部長は、舌打ちしたが、
「それでは、いつになったら、犯人を逮捕できるというのかね?」
と、十津川に、きいた。
「三人の女を殺した動機が、解明されればと、思っています」
「君は、全《すべ》て、同一犯人の仕業と、思っているのかね?」
「もちろん、そうです。小堀忠男を殺した人間が、三人の女も、殺したんです」
「動機も、同じだと思うのかね?」
「それがわからないので、困っているのです」
と、十津川は、いった。
「困っているだけでは、どうにもならんだろう?」
と、本部長は、眉《まゆ》をひそめて、
「このあとの記者会見では、いつ頃までに、解決のメドが立つのかと、聞かれるに決っている。それに対して、何とか、期日を約束しなければならん。何しろ、四人も殺されているのに、未《いま》だに、何の策も見つかっていないんだからね」
「人間一人を、殺人事件の容疑者に断定するんですから、期日を限定は、出来ませんが」
と、十津川は、いってから、
「あと三日あれば、事件を、解決に、持っていけると、思います」
と、微笑して、付け加えた。
今度は、本部長の方が、不安気な表情になって、
「女三人の方は、動機もわからないと、いっていたんじゃないのかね?」
「動機が、と、申しあげたんです。確かに、現在、壁にぶつかっていますが、調べるべきところは、全《すべ》て、調べてあります。その上の壁ですから、のり越えるのも、意外に簡単だと、思っています」
「もし、三日で、事件が解決できなければ、どうなるんだね?」
「その時は、あと、何日やっても、難しいかも知れません」
と、十津川は、いった。
3
捜査会議が終ると、亀井が、心配そうに、十津川に、
「大丈夫ですか? 三日間と、期限を切ってしまって」
と、きいた。
「正直にいうと、自信はないんだ」
「え?」
「本部長にもいったが、もう、調べるところは、だいたい、調べてしまっている。カメさんだって、そう思うだろう?」
「私も、そう思います」
「残っているところは、限られている。だから、三日でも、一週間でも、同じなんだよ。多分、二日でも、調べ残したところは、調べられる。ただ、問題は、解決のためのキーが、見つかるかどうか、だよ」
「可能性は、どうなんですか?」
「いいところ、五分五分かな」
と、十津川は、笑った。
「もし、不幸にして、見つからなかったら、どうしますか?」
「私は、責任をとって、他の人に、この事件を委《まか》せることにするさ。新しい眼で、事件を見れば、また、新しい展望が、開けるかも知れないからね」
「そうなることを、お望みなんですか?」
と、亀井がきくと、十津川は、ニヤッと笑った。
「とんでもない。余人に委せる気なんか、さらさらないね」
「それを聞いて、安心しました。しかし、これから、何を調べますか?」
「本部長にも、いったんだが、調べ残したものは、少ない筈《はず》だよ」
「そうですね」
「まず、それを、調べてみる。そのあとは、今度の事件を、別の角度から、見てみる。それを、やってみようじゃないか」
と、十津川は、いった。
「調べ残したものといって、まだ、何かありますかね?」
「第一は、例のリクエストのハガキだ。一度検討したが、その後、事件に追われて忘れてしまったからね」
「そうでしたね」
と、亀井も、肯《うなず》いた。
十津川は、机の引出しから、リクエストのハガキを、取り出した。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈東京|世田谷《せたがや》の十津川|省三《しようぞう》君へ。これを聞いていたら、注意してくれ。今度の祝日に、殺人《ころし》の列車が走るからだ。間違いなく、走る。
リクエスト曲は、殺しのバラード
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]夜が大好きな男〉
ワープロだから、筆跡は、意味がない。
「これを、犯人による私への挑戦状と思うかね?」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「最初は、そうかとも思いましたが、どうも違うようですね。挑戦状なら、もっと、挑発的な表現になるんじゃないでしょうか? 防げるものなら、防いで見ろといった書き方です」
と、亀井が、いう。
「同感だね。とすれば、これは、殺人事件が起きるのを知っていて、われわれに、防がせようとしたのかとも思うんだが、それにしては、何としてでも、防いで欲しいという感じでもないんだな。目的のわからない手紙なんだよ」
「それに、なぜ、中央ラジオのあの番組に、投書したかということがありますね。あとで、他のラジオの深夜放送にも、リクエストのハガキを出していることがわかりましたが。警部は、そんな深夜放送は、聞かれんでしょう?」
「めったに、聞かないね。第一、事件が起きてしまえば、ラジオどころじゃなくなるからね」
「すると、警部宛《けいぶあて》のリクエストになっているのに、警部に聞かせるのが、目的じゃなかったみたいですね」
と、亀井が、いった。
「二つのことが、考えられるんだよ。一つは、このハガキの主が、小堀忠男のことを、本当に心配していたというより、どこかで、殺されてもいいなという気があったのではないか、ということだ。殺人は困るが、死んでくれれば、莫大《ばくだい》な財産が、自分のものになるということでね」
「二つ目は、どんなことですか?」
「これは、大胆な推理なんだが、このリクエストは、私に聞かせるためではなく、別の人間に対してのものじゃなかったのかということなんだよ」
「しかし、警部宛になっていますが」
「ああ。だが、私は、深夜放送は、めったに聞かないんだ。それは、この手紙の主《ぬし》だって、知っているんじゃないかね。とすると、深夜放送をよく聞いている相手に、聞かせたかったことになる。私の名前を出すことで、警告したんじゃないかな」
「なるほど。しかし、ゆるい警告ということになりますね」
「今もいったように、手紙の主は、一応、警告するが、それでも、小堀忠男を殺すのなら、仕方がないと、思ったんだろう」
「自分に対するいい訳ですか?」
「それもあったかも知れないね。これだけ、警告したのに、相手は、殺人を犯してしまった。それなら、仕方がないじゃないかという自己弁護だね」
「やはり、小堀兄弟のどちらかが、手紙の主《ぬし》ですか?」
「他には、考えられないね。明か、功かのどちらかが、相手が父親を殺そうとしていることに気がついた。面と向って、止《や》めろとはいえないので、こんな面倒な方法を、思いついたんだろうね」
「ただ、父親が、死ねば、自分も、莫大《ばくだい》な財産を、引き継ぐことが出来る。それで、強い調子の文章にはしなかった。そういうことでしょうか?」
「と、思うね」
「明と、功のどちらが書いたと思われますか?」
「今のところ、弟の功が、犯人の可能性が強い。となると、兄の明ということになるんだが」
「二人のどちらが、深夜放送のファンか、調べてみます」
と、亀井は、いった。
兄弟のことが、慎重に、調べられた。大学時代の友人に会い、二人が、よく行くクラブでも、聞き込みをやった。
結果は、意外にも、兄の明の方が、大学時代、それに、卒業後も、独身の頃は、ラジオの深夜放送をよく聞いていたことが、わかった。
「兄の明の方がねえ」
と、十津川は、興味を感じた。
「私は、てっきり、弟の功が、深夜放送のファンで、兄の明が、それを知っていて、あの手紙を書いたんだと、思っていたんですが」
亀井は、首をかしげながら、いった。
「今は、違うんだろう?」
「子供が出来てからは、深夜放送は、聞いていないようです」
「それで、明は、この警告を聞かずに、殺人に走ったということかな」
「そういうストーリーにはなりますが、兄の明には、アリバイがありますよ」
と、亀井が、いう。
「それなんだがね、小堀忠男が、五月五日に、特急『有明《ありあけ》87号』に、乗ることは、わかっていた。それを知っていて、犯人は、殺人計画を立てたんだと思う。その列車の中で、殺す計画をだよ。手紙の主《ぬし》は、それを知ったんだ。それで、『祝日に殺人《ころし》の列車が走る』という文章になったんだと思うね。犯人は、『有明87号』を、軸にして、殺人計画を立てた。この場合、どこにいたかあいまいなアリバイ作りを、するだろうか?」
「そうですね。ある列車の中での殺人計画なら、列車を使ったアリバイを、作るでしょうね」
「小堀明は、それを作ったんじゃないかな。その結果が、寝台特急『富士《ふじ》』を利用してのアリバイ作りだった」
「しかし、あのアリバイは、まだ、破れずにありますが」
「わかってるよ。とにかく、あのアリバイが、破れると仮定してみよう」
「明が、殺したんだとすると、岡部ゆう子の手帳の文字は、どうなりますか? 小堀功に、一千万円を貰《もら》って、嘘《うそ》のアリバイを証言したと、ありますが」
「当然、明が、彼女を買収して、あんなことを、手帳に、書かせたんだと思うね」
「それを、われわれが、見ると思ったんですかね?」
「見るように、仕向ける気だったんだろうね」
「岡部ゆう子を、殺してですか?」
と、亀井が、きいた。
「いや、それだったら、彼女が、察して、OKしないだろう。だから、もっと、納得させるようないい方をしたと、思うね」
「どんな風にですか?」
「例えば、あの手帳を残して、突然、失踪《しつそう》するとかいったことだよ。当然、警察は、その行方を探す。彼女のマンションも調べることになるだろう。手帳を見つけ、あの文字を読む。小堀功に対する疑惑が、深まってくる。彼が、小堀忠男殺しで、逮捕されてから、岡部ゆう子が、姿を現わし、功に脅されて、怖《こわ》かったので、逃げていたと、証言する。こういうストーリーを、明は、彼女に説明して、一千万円で、頼んだんじゃないかね。そうしておいて、手帳に書かせ、殺してしまったんだ」
「嘘を頼んだとすれば、口封じに、殺すのは、わかりますね」
と、亀井は、いった。
「しかし、あとの二人を殺した理由が、わからないね」
十津川は、また、難しい顔になって、いった。
「動機をかくすためというのは、納得できませんか?」
「もちろん、それは、一つの推理だが、どうも、不満があるね。小堀明が、犯人とすれば、なおさらじゃないかな。岡部ゆう子を殺せば、功が、口封じに、殺したと思う。それを、わざわざ、他の二人を殺して、我々を他に向ける必要はないだろう」
「確かに、そうですね」
と、亀井は、肯《うなず》いてから、
「すると、動機は、別にあることになりますね。どんな動機が、考えられますか?」
「それは、わからないが、犯人にとって、彼女たちを殺すこと自体に、意味が、あったんだと思うね。つまり、犯人にとって、彼女たちは、どうしても、殺さなければならない存在だったことになる」
「犯人を、小堀明とします。彼は、なぜ、三人の女を殺さなければ、ならなかったんですかね?」
「そこが、難しいな」
「彼女たちが、小堀明の都合の悪いことを、知っていたんでしょうか?」
「まあ、三人の女とも、小堀忠男の女だったわけだから、兄弟のいいところも、悪いところも知っていたと思うよ。しかし、だからといって次々に、殺したりはしないだろう。多少、ゆすられても、金をやればすむことだからね」
「明が、父親を殺したことを知っていたら、どうですか?」
と、亀井が、きいた。
「それも、ないと思うね。証拠がなければ、彼は、別に、あわてることもないし、三人の女が、揃《そろ》って、明の殺人を目撃していたりとか、証拠をつかんでいたとは、思えないよ」
「すると、やはり、動機不明ですか?」
「今のところ、見当がつかないね」
と、十津川は、肩をすくめてから、
「とにかく、まず、小堀明が犯人として、例のアリバイを、再検討してみようじゃないか。これが、崩せなければ、どうしようもないからね」
4
二人は、翌日、飛行機で、九州の宮崎に向った。
午前八時五五分に羽田《はねだ》を発ち、宮崎空港に着いたのは、一〇時四〇分である。
上りのブルートレイン「富士」が、宮崎を出るのは、一三時一九分だから、十分に余裕があった。
二人は、宮崎市内に入り、駅前の食堂で、少し早目の昼食をとることにした。
食事をしながら、十津川は、手帳に、次の図を描いた。
(画像省略)
すでに、何回も、描いて、検討した地図であり、時刻表である。
熊本県警の北川《きたがわ》警部も、これを検討しただけでなく、実際に、乗って、検証している。
「別府《べつぷ》から、久大《きゆうだい》本線の『由布《ゆふ》6号』に乗って、久留米《くるめ》へ行くと、『有明87号』に、間に合うんだ。だから、北川警部は、犯人の小堀明が、これに、乗って、父親の小堀忠男を殺したんだと、考えた。しかし、これでは、ブルートレインの『富士』に、戻れないんだ」
と、十津川は、食事をしながら、亀井に、いった。
「しかし、ぱっと見た時、この久大本線しか考えつきませんが」
「だが、これではないんだ。もし、小堀明が犯人なら、他のルートを使って、小堀忠男を殺し、ちゃんと、『富士』に、戻っているんだ。しかも、この列車が、岡山に着く前にだよ。そこが、難しいんだ」
十津川は、持って来た時刻表を出して、地図のページを開いた。
九州の地図を、見た。
「他に、『有明87号』に、乗るコースがありますか?」
と、亀井が、きく。
「一つあるよ」
と、十津川が、いった。
「どんなコースですか?」
「別府で、『富士』を降りずに、小倉《こくら》まで行くんだ。『富士』の小倉着が、一九時〇一分だよ」
「小倉から、新幹線で、博多《はかた》へ行くわけですか?」
「そうだ。果して、間に合うかどうかだが」
と、十津川は、今度は、東海道山陽新幹線のページを開いた。
十津川は、ニヤッと笑って、
「大丈夫だ。一九時〇六分小倉発の『こだま549号』があるよ。これに乗れば、博多着が、一九時二七分だ。『有明87号』の博多発が、一九時五五分だから、ゆっくり間に合うよ」
「それなら、このルートで、決りですね。しかし、なぜ、熊本県警の北川警部が、このルートを、調べなかったんでしょうか?」
と、亀井は、首をかしげた。
「それは、死体が発見されたのが、熊本に着いてからだったからだと思うね。もし、久留米より前で、発見されていたら、誰だって、別府→久留米のルートは考えない。私が、いった、小倉→博多のルートを考える筈《はず》だよ。だが、久留米より先で、発見されれば、どうしても、眼は、久大本線になってしまう」
「それで、死体を押し込んだトイレに、犯人は、『故障』の札をかけたんですかね? そうしておけば、終点まで、誰も、開けて見ませんからね」
と、亀井が、納得した顔で、いった。
十津川と、亀井は、自分たちの推理が正しいかどうか、実験してみることにした。推理は面白くても、実行できなければ、何にもならないからである。
二人は、宮崎駅から、一三時一九分発の東京行寝台特急「富士」に、乗った。
小倉まで、六時間近い旅である。
二人は、寝台に腰を下し、改めて、時刻表で、検討してみた。
博多発の「有明87号」に、乗れることは、はっきりしている。問題は、どこで、小堀忠男を殺し、どこで、降りるかである。
「博多駅で、停車している『有明87号』に乗り込み、殺して、すぐ降りるというわけにはいかんでしょう」
と、亀井が、いった。
「それは、駄目だよ。小堀忠男が、発車|間際《まぎわ》に、乗ってくるかもしれないからね」
「すると、次の停車駅の二日市《ふつかいち》までの間に殺したと、思いますね」
と、亀井が、いった。
「有明87号」は、一九時五五分に、博多を出発して、次の二日市着は、二〇時〇八分である。
十三分しかないが、小堀忠男を殺し、トイレに押し込み、「故障」の札をかけられるだろう。
そして、二日市で降りて、今度は、「富士」を追いかけたのだ。
小倉には、定刻の一九時〇一分に着いた。
外は、もう暗くなっている。
「さあ、急ぐぞ!」
と、十津川は、亀井に、いった。
新幹線の「こだま549号」は、一九時〇六分発である。五分間で、それに乗れるかが、問題だった。
小倉駅は、ホームが六面、1番線から14番線まである大きな駅である。
新幹線は、北口側の11番から14番までである。
上りの「富士」は、8番線に着いた。
二人は、ホームに降りると、地下の連絡通路に向って、階段を駈《か》けおりて行った。
新幹線ホームへの改札口を、警察手帳を見せて、通り抜けた。
今度は、下りの新幹線ホームへ、階段を駈け上った。
問題の下り「こだま549号」は、二人が、ホームへ駈け上ったのと、ほとんど同時に、到着した。
息をはずませながら、二人は、乗り込んだ。すぐ、ドアが閉って、「こだま549号」は、博多に向って、発車した。
車内は、すいている。
二人は、並んで腰を下した。が、十津川は難しい顔になっていた。
「五分というのは、相当きついね」
と、十津川は、亀井にいった。年齢《とし》のせいか、まだ、息苦しい。
「連絡改札口は、警察手帳を見せて、通り抜けましたから、何とか間に合いましたが、普通は、切符を見せて、鋏《はさみ》を入れて貰《もら》っていたら、間に合わないかも知れませんね」
と、亀井も、いう。
五月五日、小堀明も、十津川たちと同じように、階段を駈《か》けおり、駈け上ったのだろうか?
「こんなぎりぎりの計画というのは、感心しないねえ」
と、十津川は、いった。
「在来線と、新幹線の乗りかえの所要時間というのは、どこの駅でも、最低で、八分から十分と、考えているようです」
と、亀井がいう。時刻表には、確かに、そう書いてある。
それを、五分間で、計画を立てるものだろうか?
「次の新幹線では、どうなんですか?」
と、亀井が、きいた。
「次は、一九時四四分発の『ひかり』と、小倉駅の標示板に出ていたよ」
「一九時四四分発というと、博多に着くのは、二〇時を過ぎてしまいますね。そうなると、『有明87号』には、間に合いませんね」
「そうなんだ。だから、五分間しかなくても、絶対に、この列車に乗らなければ、ならなかったんだろうがね」
と、十津川は、いい、念のために、時刻表を取り出して、調べてみた。
「畜生!」
と、ふいに、十津川が、声を上げた。
亀井が、びっくりして、
「どうされたんですか?」
「祝日だよ。祝日」
と、十津川はいった。
「犯行があったのは、五月五日の子供の日ですが」
「それさ、われわれは、祝日だから、臨時のL特急『有明87号』が、走ると考えた。確かに、その通りなんだが、新幹線も、五月五日の祝日には、臨時便が、走ったんだ。一九時一九分に、小倉を出る『ひかり125号』だよ」
「それに乗っても、間に合うんですか?」
「十分、間に合うんだ。博多着は、一九時三九分で、『有明87号』の発車まで、十六分ある」
「すると、犯人は、われわれみたいに、息せき切って、小倉で、乗りかえなくても、よかったわけですね」
「そうだよ。五月五日には、今いったように臨時列車があったからね。一九時一九分発なら、十八分もあるんだ」
「十八分ですか」
「ただし、今日は、ウィークデイだから、この臨時列車がない。従って、実験するためには、一九時〇六分のこの列車に乗らざるを得ないんだよ。走らなければ、ならなかったのさ」
「ひどいもんですね」
亀井は、苦笑した。
5
一九時二七分に、「こだま549号」は、博多に着いた。
五月五日に、ここから、小堀忠男は、「有明87号」に乗って、熊本に向った。
しかし、今日は、この臨時特急は、出ていない。
「どうします?」
と、亀井が、きいた。
「弱ったな。『有明45号』は、一九時二〇分に、もう出てしまっている。次の『有明47号』は二〇時二〇分発で、『有明87号』より、遅れてしまうので、参考にならないね」
「車で、次の二日市まで、行ってみますか? 『有明87号』に乗った犯人は、次の二日市までの間に、小堀忠男を殺したと思います」
と、亀井が、いった。
「同感だよ。タクシーで、行こう」
と、十津川は、素早く、決断した。
博多駅前から、二人は、タクシーに、乗った。
車は、国道3号線に出て、南に向って、走る。
「急いでくれ」
と、十津川は、運転手にいった。
御笠《みかさ》川を渡り、西鉄大牟田《にしてつおおむた》線をまたいで、二日市駅に着いたのは、二〇時〇五分だった。
博多から、二日市まで、ぴったり三十五分かかったことになる。
「とにかく、間に合ったよ」
と、十津川は、ほっとした顔になった。
二日市は、太宰府《だざいふ》天満宮の下車駅だが、瓦葺《かわらぶ》きの屋根の小さな駅だった。
二人は、ホームに入った。
ここに、「有明87号」は、二〇時〇八分に着いた筈《はず》である。
今が、その時間だった。
「今度は、ここから、『富士』に、戻ることが出来るかどうかだね。それも、『富士』が、岡山に着く前に、乗らなければいけない」
十津川は、腕時計を見ながら、いった。
「とにかく、博多へ戻らないと、どうにもなりませんね」
と、亀井が、いった。
新幹線で、追いかけるにしろ、飛行機を利用するにしろ、博多へ行くことが、先決である。
「また、車だね」
と、十津川が、いった。
二人は、駈《か》け足で、また、駅を出ると、駅前に停っていたタクシーに飛び乗った。
「博多まで、急いでくれ」
と、十津川は、運転手に、いった。
走り出したタクシーの中で、十津川は、時刻表を広げた。
寝台特急「富士」の岡山着は、〇時四四分である。
となれば、飛行機を、利用したとは、考えられない。
小堀明は、新幹線を利用したのだろう。
これから博多を出る上りの新幹線を、十津川は、考えてみた。
現在の時刻は、すでに、二〇時一五分である。
二〇時五〇分発「こだま386号」
二一時二〇分発「こだま496号」
二一時五〇分発「こだま556号」
二二時三九分発「こだま498号」
この四本で、終りである。しかも、この中、「こだま496号」と、「こだま498号」は、小倉までしか行かないのだ。
二一時五〇分発「こだま556号」は、広島行だが、広島着は、二三時三一分である。
「富士」の広島発が、二二時三五分だから、間に合わないのだ。
となると、何としてでも、二〇時五〇分発の「こだま386号」に、乗らなければ、いけないのである。
「新幹線側に、着けてくれ」
と、十津川は、運転手に、いった。
タクシーは、博多駅の筑紫《つくし》口に着いた。
二〇時四一分。
あと九分である。
犯人は、前もって、切符を買っておいたに違いないから、十津川と、亀井は、警察手帳を見せて、改札口を通った。
新幹線ホームは、三階にある。
二人は、階段を駈《か》け上って行った。
岡山行の「こだま386号」は、まだ、ホームに、とまっていた。
「間に合ったよ」
十津川が、ほっとした顔で、亀井に、いった。
「間に合いましたねえ」
と、亀井も、いった。
二人が、乗り込んで、二分ほどして、「こだま386号」は、発車した。
「これで、本当に、間に合うんでしょうか?」
亀井が、座席に腰を下してから、心配そうに、きいた。
「特急『富士』が、岡山に着いた時、小堀明は、すでに、乗っていたと、車掌が、証言している。とすると、この新幹線で、岡山まで行ってしまっては、駄目なんだよ」
「その手前で、乗り込まなければ、いけないわけになりますね」
「特急『富士』の停車駅は、岡山の手前というと、福山《ふくやま》、〇時〇二分発になっている」
「つまり、福山で、乗れるかどうかに、かかっているわけですね」
と、亀井が、いう。
「この『こだま386号』はと――」
と、十津川は時刻表を、繰っていたが、ニッコリ笑って、
「大丈夫だ。福山着は、二三時〇九分だよ」
「ゆっくり、間に合いますね」
「一時間近く、余裕があるよ」
と、十津川は、いった。
「欲張って、その手前では、間に合いませんか?」
「福山の手前というと、広島だが、ここで乗るのは、無理だね、『富士』の広島発が、二二時三五分で、この『こだま386号』の広島着が、二二時三二分で、三分しかない。これでは、乗りかえるのは、無理だよ」
6
二三時〇九分に、「こだま386号」は、福山に着いた。
二人は、ホームに、降りた。
この福山駅は、在来線が二階、その上の三階に、新幹線のホームが、作られている。
駅のすぐ近くに、福山|城址《じようし》があるのだが、ホームが高いのでその石垣を、見下すほどだった。
月明りの中に、石垣や、天守閣が、美しく、映《は》えている。
「〇時二分まで、どうするね?」
と、十津川が、亀井を見た。その顔に、微笑が浮んでいるのは、これで、小堀明のアリバイが崩れたという安堵感《あんどかん》のせいだった。
「腹がへりましたね」
と、亀井も、笑顔で、いった。
二人は、駅を出て、駅前の屋台で、ラーメンを食べた。
アリバイが崩れたので、食欲も旺盛《おうせい》になり、二人とも、ラーメンを二杯食べ、満足して、駅に戻った。
〇時五分前になっていた。
5番線ホームに立って、十津川は、周囲を見廻《みまわ》した。
ここから、「富士」に乗る人は少ないとみえて、ホームは、がらんとしている。この時刻では、当然だろう。
五月五日も、そうだったのだろうか?
ホームの標示板は、次の列車は、〇時〇二分発の「富士」であることを、示している。
あと、数分で、ブルートレイン「富士」が、到着する。
それは、もう決ったことなのに、ふと、「富士」は、来ないのではないかという不安が、頭をよぎった。
多分、犯人の小堀明も、五月五日の深夜、このホームに立っていて、同じ不安を感じたのではないのだろうか?
小堀忠男を殺すのに成功しても、もう一度、「富士」に乗れなければ、アリバイは、崩れ、簡単に、逮捕されてしまうのである。
それだからこそ、余計に、彼は五月五日の深夜、不安にさいなまれていたに違いないのである。
「来ましたよ」
と、亀井が、嬉《うれ》しそうに、いった。
列車のライトが近づいて来るのが見え、それは、次第に、ブルーの車体の寝台特急の姿を、現わして来た。
やはり、定刻どおりに、「富士」が、到着した。
十三両編成の列車である。
十津川と、亀井は、眼の前の開いたドアから、乗り込んだ。
五十パーセントぐらいの乗車率で、寝台も、カーテンを閉めてないものが多い。
二人は専務車掌に話をつけ、あいている寝台に、横になった。
考えてみると、今日は、午前八時五五分の飛行機で、羽田を発《た》ってから、午前〇時すぎの現在まで、動き続けていたのである。
ほっとして、急に、深い疲労が襲って来て、十津川は、眠りについた。
午前九時五九分。十津川たちの乗った「富士」は、東京駅に着いた。
ホームに、西本《にしもと》刑事が、迎えに来てくれていた。
「おい。小堀明のアリバイが、崩れたぞ!」
と、十津川は、大声で、西本に、いった。
「そうですか!」
と、いったが、西本は、元気がなかった。
十津川は、眉《まゆ》をひそめて、
「何かあったのか?」
と、きいた。
「実は、また、一人、狙《ねら》われました」
西本が、申しわけありませんという顔で、いった。
さすがに、十津川の顔色が、変った。
小堀明のアリバイが崩れたといっても、それが、即、彼が、父親を殺したという証明にはならない。
彼が絶対に犯人ではないという主張が、崩れただけのことで、犯人という証拠は、まだ、見つかっていないのだ。
それだけに、五人目の犠牲者が出たということは、十津川にとって、ショックだった。
「狙われたのは、誰なんだ? 殺されたのか?」
「三林可菜子です。殺されました。殺されたのは、昨夜《ゆうべ》の十二時頃だと思います」
と、西本が、いった。
「誰か、ガードしてなかったのかね?」
「清水《しみず》刑事が、張りついていましたが、やられてしまいました」
「どうやって、殺されたんだ?」
「毒殺です」
「毒殺?」
「青酸中毒死です。くわしいことは、車の中でお話しします」
と、西本は、いった。
十津川は、改札口に向って歩きながら、胸の中で、舌打ちをしていた。
(やられたな)
という気持と同時に、
(だが、なぜ五人の女を、一人ずつ、殺していくのか?)
という疑問と、腹立たしさを、感じていた。
小堀忠男を殺したのは、間違いなく、長男の小堀明だろう。
だが、その小堀明が、なぜ、女たちを、殺していくのか? それとも、犯人は、別にいるのだろうか?
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第八章 遺言の裏
1
「死亡時刻は、恐らく、昨夜《ゆうべ》の十二時前後だと思います」
と、西本《にしもと》は、車の中で、十津川《とつがわ》にいった。
「殺人であることは、間違いないんだな?」
十津川は、性急に、結論を求めた。
「まず、間違いないと思います。自分の飲むウィスキーに、青酸を入れて、自殺するのは、不自然ですから」
「ウィスキーに、入っていたのか?」
「彼女は、酒が好きで寝る前に、水割りを一杯か二杯、飲むことにしていたらしいんです。昨夜、飲んだウィスキーの中に、青酸が入っていたということです」
「いつも飲んでいたウィスキーの中にかね」
「新しいシーバスリーガルです」
「誰かが、彼女にプレゼントしたのかな?」
「その可能性が、大いにあります」
「これで、四人目だな。犯人は、五人の女を、全部、殺す気でいるのかな」
十津川は、怒りを込めて、いった。
「そうかも知れません」
西本が、青い顔で、肯《うなず》いた。
「女たちを殺しているのも、兄の小堀明《こぼりあきら》でしょうか?」
と、亀井《かめい》が、きいた。
「同一犯人と思うんだがね。ただ、女たちを殺す動機が、わからん」
十津川が、眉《まゆ》を寄せて、いった。
「どうされますか? 捜査本部に帰りますか? それとも、三林可菜子《みつばやしかなこ》のマンションに行きますか?」
西本が、きいた。
「もちろん、彼女のマンションに行くよ」
と、十津川が、いった。
西本の運転するパトカーは、サイレンを鳴らして、疾走した。
三林可菜子のマンションには、日下《くさか》や、清水《しみず》刑事たちが、来ていた。
「今、鑑識が、帰ったところです」
と、清水が、いった。
「問題のシーバスリーガルも、持って行ったのかね?」
十津川は、部屋の中を見廻《みまわ》しながら、きいた。
居間の隅が、ホームバーになっている。
棚には、ウィスキーや、ブランデーのびんが並んでいる。
「彼女は、ここの電話機の近くで、死んでいました」
と、日下が、白いチョークで描かれた人型のところを、指さした。
「苦しいので、電話で、助けを呼ぼうとしたのかも知れませんね」
と、亀井が、いった。
確かに、そう見える形だった。もっと、電話が、傍《そば》にあって、救急車が、すぐ駈《か》けつけたら、彼女は、助かっていたかも知れない。
「死んでいるのは、いつわかったんだ?」
と、十津川が、きいた。
「今朝になってです。今日、融資のことで、会うことになっていた取引銀行の男が、発見したそうです」
と、西本が、いった。
「彼女は、どんな恰好《かつこう》をしていたんだ?」
「ナイトガウン姿でした。眠る前に、飲んで、死んだんだと思います」
「もう少し、現場の状況をくわしく、説明してくれないか」
と、十津川は、いった。
日下が、ホームバーのカウンターの傍へ近づいて、
「死体が、発見されたときの状況は、こうです。死体は、その人型のところです。カウンターの上には、シーバスリーガルのびんがありました。床に、グラスが、転がり、赤いバラの花が、一輪、落ちていました」
「赤いバラの花だって?」
「そうです」
「なぜ、そんなところに、バラの花が落ちていたのかね? テーブルの上に花びんがあるが、そこにあるのは、蘭《らん》の花だよ」
「わかりませんが、落ちていたんです」
「氷は?」
「氷は、直接冷蔵庫から入れたようです」
と、西本がいう。
十津川は、カウンターの中に入り、棚に並んでいるびんを眺めた。
世界の銘柄が、並べてある。スコッチウィスキーもあれば、ナポレオンのカミュもある。
「これを、全部、持って行って、青酸が、混入されていないかどうか、調べて貰《もら》うんだ」
と、十津川が、いうと、西本が、変な顔をして、
「三林可菜子が、飲んだのは、シーバスリーガルで、それは、持ち帰って、分析していますが」
「いいから、他のも、やるんだ」
と、十津川は、厳しい声で、いった。
十津川には、これだけの酒が並んでいるのに、なぜ、三林可菜子が、青酸の入ったシーバスリーガルを、口にしたのか、それが、不思議だったからである。
偶然だったとすれば、犯人は、その偶然に賭《か》けたのだろうか?
それを、知りたかったのである。
2
十津川は、その結果を、待った。
夜になって、結果が出た。他のウィスキー、ブランデーには、何の毒物も、混入されていないというものだった。
なお、棚にあった十二本の中《うち》、自分で買ったものは二本で、あとは、贈り物だったということも、わかった。
当然、問題のシーバスリーガルも、誰かの贈り物だったに違いないのである。
三林可菜子の死亡推定時刻も、わかった。
昨夜の午後十一時から十二時の間ということだった。
しかし、十津川を驚かせたのは、彼女が、妊娠していたという報告だった。
妊娠三か月である。
小堀|忠男《ただお》が、「有明《ありあけ》87号」の車内で、殺されてから、まだ、一か月は、たっていない。
と、すると、小堀忠男の子供なのだろうか?
それとも、彼にかくれてつき合っていた男の子供なのか?
「彼女も、自分が、妊娠していたのを、知っていたのかな?」
と、十津川は、報告書を見ながら、亀井に、いった。
「多分、知っていたと思いますが、中には、三か月ぐらいでは、気がつかない女性も、いますが」
と亀井がいう。
三林可菜子の外見からでは、十津川も、亀井も、わからなかった。
その気になって、見なかったからだが、彼女自身も、妊娠している素振りを、見せなかったこともある。
「カメさん。これが、殺された理由かな?」
と、十津川は、いった。
「彼女が、妊娠していたことですか?」
「うん」
「しかし、前に殺された三人は、妊娠していませんでした」
「そうなんだよね。すると、関係なしか」
「私は、子供が、誰の子かということに、興味を覚えますが」
と、亀井が、いった。
「小堀忠男の子か、或《ある》いは、息子たちのどちらの子かということかね?」
「そうです」
「三か月の胎児でも、血液型は、わかるんだろう?」
「調べてみます」
と、亀井は、いった。
亀井は、解剖した大学病院や、小堀家のかかりつけの医者などに、電話で、問い合せていたが、
「わかりました」
と、十津川に、報告した。
「小堀忠男か、次男の小堀|功《いさお》の子ですね」
「明は、違うのか?」
「血液型が、合いません。他に、男がいたとなると、この二人とは、断定できなくなりますが」
と、亀井はいった。
「参ったね」
と、十津川は、いった。
小堀明が、父親なら、何かと説明がつくと考えていたからである。
長男の明は、莫大《ばくだい》な財産を狙《ねら》って、父親の忠男を殺した。
だが、三林可菜子が、あなたの子供が生れるといって、結婚を迫って来た。
明にも、妻子がいるから、そんな要求は、呑《の》めない。
だから、殺してしまった。これで、彼女については、説明がつくのだ。
もちろん、あとの三人を殺した理由は、いぜんとして、説明がつかない。
「とにかく、三林可菜子を殺したのは、長男の小堀明か、次男の功としか考えられないね」
と、十津川は、いった。
「五人の女の最後の山本和子《やまもとかずこ》が、犯人ということは、考えられませんか?」
亀井が、きいた。
「動機は?」
「妊娠です」
「それは、どうかな。四人の女に嫉妬《しつと》して、殺したというのかい?」
「四人となると、説明がつかなくなってしまうんですが」
亀井は、頭をかいた。
「とにかく、小堀兄弟を、しらべてみてくれ。最近、シーバスリーガルを、買わなかったかどうか、それに、青酸カリを入手した方法だ」
と、十津川は、いった。
しかし、この二つとも、捜査は、難しかった。
小堀明も、功も、お中元、お歳暮と、やたらに、酒を贈られていて、シーバスリーガルだけでも、十本以上、持っていたからである。
「ウィスキーや、ブランデーを、自分で買ったことはない」
と、二人とも、自慢そうに、いっていたという。
青酸カリの入手経路も、わからなかった。
二人とも、莫大《ばくだい》な財産を、引き継いでいる。今は、金さえ出せば、何でも、手に入る時代である。青酸カリもである。
捜査が、また、壁にぶつかったとき、山本和子が、捜査本部を、訪ねて来た。
彼女は、十津川を見るなり、青い顔で、
「私を守って下さい」
と、いった。
「次は、自分が殺されると、思っているんですか?」
十津川が、きいた。
「ええ。四人が、続けて、殺されたんですもの。次は、私に、決っていますわ」
「誰が、あなたを殺すと思うんですか?」
「そんなこと、わかりませんわ。わかっていれば、警部さんにいって、捕らえて貰《もら》いますもの」
と、和子は、いう。
「三林可菜子さんは、妊娠していたんですが、知っていましたか?」
十津川がきくと、和子は、首を横に振って、
「私が、そんなこと、知っている筈《はず》がないじゃありませんか」
「失礼ですが、あなたは、どうですか?」
「私が?」
和子は、おうむ返しにいってから、むっとした表情になって、
「していません。私は、自分の人生をやり直そうと思っているんです」
「それは、申しわけありませんでした」
「私を、守って下さるんですか?」
「二つの方法があります。一つは、刑事を、あなたの傍に置いて、ずっと、ガードする。絶対に、あなたを、殺させはしません」
「もう一つは、どんな方法ですか?」
「あなたは、カメラで、身を立てたいといわれる。それなら、いっそ、今、国外へ出て、カメラ一つを持って、世界中を、廻《まわ》ってみませんか。あなたは、事件の関係者だが、私は、犯人と思っていない。海外へ行かれて、構いませんよ」
「でも、犯人が、私を、追いかけて来たら?」
「大丈夫です。犯人は、小堀明か、功のどちらかです。もし、あなたを追って、日本を出ようとすれば、自分が犯人であることを、告白したようなものです。その場で、逮捕しますよ」
と、十津川は、いった。
結局、山本和子は、写真の勉強ということで、アメリカに、出発して行った。
その日、十津川と、亀井は、反応を見るために、まず、小堀明に、あった。
相変らず、この男は、自信満々に見えた。
貫禄《かんろく》も出て来た感じがする。
十津川が、山本和子が、アメリカへ行ったと、話すと、
「それはよかった」
と、微笑した。
「なぜ、よかったと思うんですか?」
十津川が、意地悪く、きいた。
「彼女は、カメラで、身を立てたいといっていたわけでしょう。それなら、外国へ出て、勉強するのが、一番ですよ。だから、よかったと、いったんですがね」
「彼女も、誰かに、狙《ねら》われているとは、思いませんか?」
「狙われている? ああ、おやじの女が、四人も殺されたからですか?」
「そうです。彼女も、次は自分じゃないかと、怯《おび》えていましたよ」
「そりゃあ、怯えるのが、当然かも知れませんね。しかし、私は関係ありませんよ」
と、明は、いった。
「犯人の心当りも、ありませんか?」
「残念ですが、ありませんね」
「三林可菜子さんが、妊娠していたのは、知っていますね?」
「ええ、新聞に出ていたから、知っていますよ」
と、いってから、明は、笑って、
「それも、私とは、何の関係もありませんね。弟は、彼女と関係したかも知れないが、私は、全くない。私の子供の筈《はず》がないから、私とは、何の関係もありませんよ」
と、いった。
確かに、その通りなのだ。
「もう一つ、あなたのアリバイですが、崩れましたよ。お父さんの小堀忠男さんが殺された時のアリバイです。五月五日だったから、あなたにも、殺すことが、可能だったんです」
と、十津川は、いい、どうやれば、可能だったか、明に話した。
さすがに、明も、一瞬黙ってしまったが、また、笑顔に戻って、
「しかし、だからといって、私が、犯人と決ったわけじゃないでしょう? 違いますか? 確かに、警部さんのいう通り、私にも、『ひかり125号』を使って、おやじを殺せたかも知れません。しかし、そんなことをせずに、ずっと、寝台特急『富士《ふじ》』に、乗っていたかも知れない。違いますか? もちろん、私は、ずっと、『富士』に、乗っていましたがね」
と、いった。
3
十津川と、亀井は、次に、次男の功に会った。
功も、山本和子が、アメリカに行ったのを、いいことだと賛成した。
「これで、彼女も狙《ねら》われなくて、すむんじゃありませんか」
と、功は、いった。
「彼女も、狙われていたと、思うんですか?」
亀井が、きいた。
「おやじと関係のあった女の中、四人まで殺されているんですよ。五人目も、狙われると考えるのが、自然じゃありませんかね」
功は、肩をすくめるようにして、いった。
「四人目の三林可菜子さんですがね。お腹《なか》の中の子は、あなたの子じゃなかったんですか?」
十津川が、きくと、功は、眼を丸くして、
「僕の? そんなことは、ありませんよ」
「なぜです?」
「なぜって? 僕の子じゃないからですよ。彼女と、僕は、肉体関係は、ありませんからね」
「すると、お父さんの子供だったんですかねえ?」
「彼女が、浮気していなければ、おやじの子供だったんじゃありませんか。そうだとすると、僕の弟か妹が、出来るところだったんですね」
「出来たら、困ったんじゃありませんか?」
と、十津川は、言った。
功は、「ああ」と肯《うなず》いて、
「遺産のことですか?」
「そうです」
「もし、その子が生れていて、おやじの子供とわかったら、財産を分けてやればいいことですよ。別に、困りませんがね」
と、功は、いった。
十津川と、亀井は、捜査本部に、戻った。
翌日、ロスから、国際電話が、かかった。相手は、山本和子である。
「無事に着きましたけど、安心していて、いいんでしょうか?」
と、彼女が、きいた。
「小堀兄弟は、二人とも、あなたが、アメリカに行ったことを、良かったと、いっていましたよ」
と、十津川は、いった。
「警部さんは、あの二人が、犯人だと、思っていらっしゃるんですか?」
「他に、いませんからね。兄の明か、弟の功のどちらかが、犯人です」
「五人も殺した犯人なんですか?」
「そうです。小堀忠男を殺し、四人の女を殺した犯人だと、思っています」
「でも、動機がわかりませんけど」
「とにかく、われわれは、あの兄弟を、見張っていますし、どちらかが、アメリカへ行こうとしたら、逮捕します。だから、あなたは、安全ですよ」
と、十津川は、いった。
その言葉通り、十津川は、西本刑事たちに、小堀兄弟の動きを、監視させていた。
自分で、アメリカへ行くことはあるまいが、金で、人を雇って殺させることが、考えられたからである。
彼等が、誰と会い、何を頼んだかも、細大|洩《も》らさず、十津川は、西本たちに、報告させた。
二日、三日と、何事もない日が、続いた。
「明も功も、自分たちの仕事をやっています。重石《おもし》の父親がいなくなったので、二人とも、生き生きとしていますね」
と、監視を交代して、捜査本部に戻ってきた西本が、十津川に、報告した。
「アメリカに行った山本和子のことを、気にしている様子は、ないかね?」
「ぜんぜん、ありませんね。明も功もです。ポーズかも知れませんが」
と、西本が、いう。
「どうも、わからんな」
十津川は、首をかしげた。
兄弟のどちらが犯人か、わからないが、犯人にとって、アメリカへ行った山本和子は、全く、気にならない、存在なのだろうか?
アメリカへ渡った山本和子が、何をしているか、それを、調べている気配もないのである。
「もう一度、今度の事件を、考え直してみようじゃないか」
と、十津川は、亀井に、いった。
「犯人にとって、五人の女の存在は、何だったのかということですね」
「そうなんだよ。犯人は、小堀明か、功のどちらかだろうと、思うんだがね。父親を殺した理由はわかる。だが、父親の関係していた女を、四人も殺してしまった動機が、わからない」
「犯人は、明にしろ功にしろ、父親を殺しているわけです」
「うん」
「動機は、莫大《ばくだい》な財産でしょう。となると、女たちを殺したのも、金のためだと思います」
「その点、同感だね」
と、十津川は、肯いた。
「弟の功ですが、岡部《おかべ》ゆう子の件では、彼女に一千万円出して、アリバイを頼み、それが、ばれるのではないかと考えて、口封じに殺したという線が、一応考えられてきました。井上《いのうえ》ユカを殺したのは、彼女に、金を貸してくれといわれていたからじゃないかともです。しかし、功は、何百億円を相続したわけです。それが、一千万円で、女を殺したり、金を貸してくれといわれただけで、殺人はしないと思うのです。だから、この殺人は、全く別の動機だったと思いますね」
と、亀井が、いう。
「そういえば、なぜ、小堀忠男が、突然、殺されたかも、本当は、よくわからないんだよ、もちろん、財産狙いが動機だろうが、あの兄弟は若いんだ。じっと、待っていても、遠からず、彼等のものに、なった筈《はず》なんだ。それなのに、急いで、父親を殺してしまったのは、なぜかな?」
「私は今、功の母親のことを考えていたんです」
と、亀井はいった。
「角田《かどた》すみ江《え》のことか?」
「そうです。女には、冷たかった小堀忠男が、あっさり、子供を認知しています。そのくせ、角田すみ江には、金を渡していません。彼女も、要《い》らないといったんでしょうが」
「それで?」
「小堀忠男は、子供に甘かったんじゃないかと、思うんです」
「それは、何となくわかるが、そのくせ、成人した明と、功に、なかなか、会社の実権を、渡そうとしなかったということもあるよ」
と、十津川は、いった。
「子供に甘いが、明にしても、功にしても、彼の期待通りの人間になっていなかったということじゃありませんかね」
「なるほどね」
「そこで、殺された三林可菜子のことが、思い出されるんです。彼女のお腹《なか》の中の子供は、小堀忠男の子供だったと思うのですよ」
「問題は、それを、殺された小堀忠男が、知っていたかどうかだね。知っていれば、彼は、子供好きだし、明、功の二人に、あき足らない気持があったろうから、何とかして、お腹の子供に、財産を残そうと考えたに違いないよ」
「それを知って、父親を殺したんですかね?」
「ちょっと待ってくれよ」
と、十津川は、腕を組んで、考え込んだ。
「警部は、違うと思いますか?」
「遺言状が、問題だよ」
と、十津川は、いった。
「ええ。それは、わかりますが」
「明か功が、あわてて父親を殺したのは、その子供の影に怯《おび》えたのかも知れない。しかし、そのあと、女たちを、殺していったのは、なぜだろう?」
「五人の女の中、誰かが、小堀忠男の子を宿している。しかし、それが、誰かわからないので、片っ端から殺していったんじゃありませんか。四人目の三林可菜子で、やっと、妊娠していたのは、彼女と、わかった。目的を達したわけです。だから、残った山本和子なんか、もう、どうでもよくなったんじゃありませんかね」
「しかしね、もう小堀忠男は、死んでしまっているんだ。三林可菜子のお腹《なか》の中の子が、彼の子だとしても、もう、認知は出来ない。遺産を、貰《もら》う権利も、その子にはないんだ。マスコミは、喜んで、飛びつくかも知れないが、明や功にすれば、何の脅威にもならないんじゃないかね?」
と、十津川は、いった。
「そうですね。脅威じゃありませんね」
「だから、一に、遺言状に、かかっているわけだよ。小堀忠男が新しく生れるらしい自分の子供に対して、財産の大きな部分を残すような遺言状を書いていたとすれば、それは、動機になるんだがね」
「それはそうなんですが、遺言状の管理をしている山本《やまもと》弁護士は、何にもいっていませんでしたね」
「もう一度、あの弁護士に、会って、話を聞いてみようじゃないか」
と、十津川は、いった。
翌日、十津川と、亀井は、法律事務所に、山本を、訪ねた。
山本は、疲れた顔で、十津川たちを迎えた。
「亡くなった四人の女性の遺産のことで、いろいろと、もめています」
「どうせ、家族のところへ行くんじゃありませんか?」
「そうなんですが、例によって、急に、叔父や、叔母が、出て来ましてね」
と、山本は、笑った。
「三林可菜子が、妊娠していたことは、もちろん、ご存知だと思いますが、お腹《なか》の中の子は、小堀忠男さんの子供じゃなかったんですか?」
十津川が、きくと、山本は、肩をすくめて、
「それはないと思いますがね」
「しかし、可能性はあるわけでしょう? 血液型を調べましたが、可能性ありと、出ましたよ」
「しかし、三林可菜子も亡くなってしまいましたし、子供も死んでしまった今となっては、証明のしようもありませんね。たとえ、小堀忠男さんの子供であったとしても、今では、何の意味もないんじゃありませんか? 認知しているわけでもありませんからね」
「それはそうですが、三林可菜子を殺す動機にはなったと思いますよ」
と、十津川は、いった。
山本は、急に、不安気な眼になって、
「よく、意味がわかりませんが」
「わかっている筈《はず》ですよ。小堀忠男さんの遺言状のことです」
「遺言状は、警部さんにも、お見せした筈ですよ。五人の女には、二千万ずつと、マンションや、お店を与え、残りの全財産を、二人の兄弟で分けるという遺言です」
「女性に対して冷たい小堀忠男さんが、なぜ、五人の女に、二千万円の現金と、マンションやお店を、与えたんでしょうね?」
「私は、ただ遺言を、正確に守るだけで、なぜ、小堀さんが、そう書いたのかは、わかりませんね」
「そんなことはないでしょう。小堀さんは、女には冷たいが、子供には甘かった。彼は、五人の女の一人が、自分の子を宿しているらしいと知っていたんじゃないですか。ただ、誰かわからなかった。そこで、とにかく、五人に、二千万円ずつの現金を贈ることにした――」
「どうも、想像で、おっしゃられても、困りますね」
「まあ、聞きなさい。それだけでなく、小堀さんは、生れてくるその子に、遺産を分ける気でいたんだと、思うんですよ。年齢《とし》を、とってから生れる子は、可愛《かわい》いというし、明さん、功さんの兄弟には、少しがっかりしていたみたいなところがありますからね。もし、本当に、信頼していれば、会社の実権を、あの息子たちに、委譲していたでしょうからね」
「すると、警部さんは、もう一通、別に、遺書があったというんですか?」
と、山本は、顔をしかめて、十津川に、きいた。
「そうです。あったと思っていますよ」
と、十津川は、いった。
4
十津川は、言葉を続けた。
「小堀忠男さんは、最近、妊娠していることを、知ったと思うんですよ。三林可菜子は、まだ、妊娠三か月でしたからね。それで、新しく、遺言状を、作り直したか、付け加えたか、したんじゃありませんか?」
「知りませんね」
「ねえ。山本さん。五人もの人間が、殺されたんですよ。三林可菜子のお腹《なか》の中の子供を入れれば、六人になる。これは、単なる遺産争いじゃないんです。だから、正直に、話してくれませんか」
「何をです?」
「遺言状のことです。新しい遺言状があったんじゃありませんか?」
「ありませんよ」
「下手《へた》をすると、あなたの弁護士資格が、剥奪《はくだつ》されることになりかねませんよ。それでも、構いませんか?」
と、十津川は、脅かした。
山本は、黙ってしまった。そのまま、何分間か経過したが、
「わかりました」
と、山本が、急に、いった。
「正直に、話してくれますか?」
「その前に、いっておきますが、私は、故意に、かくしたわけじゃないのですよ。小堀忠男さんに隠すように、いわれていたんです」
「くわしく説明して下さい」
と、十津川は、いった。
「小堀さんがどうして知ったのかわかりませんが、殺される一週間ほど前に、私に、こういったんです。どうも、おれの三番目の子供が、出来たらしいとです」
「なるほど」
「とても、嬉《うれ》しそうな顔でしたね。それで五人の中の誰なんですか? その幸運な母親はと、お聞きしたんです。そうしたら、ニヤッと笑って、あと、しばらく、内緒にしておきたいと、いうわけです」
「理由は、聞きましたか?」
「もちろん」
「そうしたら、小堀さんは、何だと?」
「他の四人の女が、嫉妬《しつと》から、何をするかわからないし、息子たちも、その女を、どうするかわからないからといわれるんです」
「なるほどね」
「とにかく、子供が生れて、認知されたら、息子さん二人と一緒に、一千億円の財産を引き継ぐ資格を、得るわけですからね。他の四人の女性が、かっとなるのは必然ですし、息子さんたちも、心中、おだやかではないと思うのですよ」
「それで、小堀さんは、その子が生れるまで、内緒にしておこうと思われたんですね?」
「そうなんです」
「遺言の方は、どうなっていたんですか?」
「それで、私は、小堀さんに、いったんです。母親の名前を誰にもおっしゃらないのは、それでいいですが、あなたが万一の時、誰も知らないことに、なってしまいますよとね」
「それで、小堀さんは?」
「それなら、遺言状に、付け加えておこうといわれましてね。九州へ行かれる三日前に、書かれたんです。恐らく、何か、予感めいたものが、あったんじゃないかと、思いますね」
と、山本は、いい、その書類を、見せてくれた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈私の死後、私の子供が生れた時は、男なら「忠夫《ただお》」、女なら「昌子《まさこ》」と命名して欲しい。
そして、私の遺産の三分の一を、その子に与えること〉
[#ここで字下げ終わり]
そんな文字を、読むことが出来た。
「この新しく、つけ加えられたところは、息子さん兄弟は、知っているんですか?」
と、十津川は、きいた。
「もちろん、知っていますよ。前もって、知っておいて貰《もら》わないと、この子が生れた時、遺産の分配に与かれませんからね」
と、山本は、いった。
「女性たちは、どうです?」
と、亀井が、きいた。
「この部分は、見せませんでした」
「なぜです?」
「小堀さんが、突然、亡くなってしまったので、私も、五人の中の誰が問題の女か、わからなかったからですよ。そんな時に、この遺言の部分を見せたら、どうなります。自分こそ、小堀さんの子を宿していると、いってきたら困るからです」
「しかし、妊娠してなければ、すぐわかってしまうでしょう?」
と、十津川がきくと、山本は苦笑して、
「警部さん、五人の女が、ひと筋に小堀さんに尽くしていたと信じるんですか? 中には、かくれて、浮気をして、その男の子を宿している女もいるかも知れない。小堀さんと同じ血液型の男だったら、困るじゃありませんか」
「五人に、平等に、二千万円と、マンションやお店を与えたのは、なぜなんですか?」
「これは、私が、小堀さんに、すすめたんです。ひとりだけ、優遇すると、彼女が、問題の子の母親だとわかってしまう。嫉《ねた》まれますよと、いったんです」
「それで、平等にね」
「そうです。小堀さんが、私にまで、名前をいわれなかったのは、今度のような恐しい事件を、予感されていたのかも知れませんね。誰が犯人かわかりませんが、彼女たちを、次々に、殺していったのは、遺産の相続人になるかも知れない人間を、殺したかったんでしょうからね」
「誰が、犯人かは、わかっていますよ」
と、十津川は、いった。
「――――」
「あなただって、わかっている筈《はず》です。遺言状を、全文見たのは、あなたと、明、功の息子さん兄弟の三人だけでしょう? あなたは、遺産の継承者じゃないから、殺す動機がない。となれば、明さんか功さんしかありませんよ」
「理屈はそうかも知れませんが、私は、信じたくありませんよ」
と、山本は、暗い顔で、いった。
「信じたくなくても、事実ですよ。問題は、兄弟のどちらが、犯人かということです。よく考えて下さい。小堀さんは、九州へ行く三日前に、この遺言状を書いた。いや、書き加えた。これを、その三日の間に、明さん、功さんの兄弟に見せましたか?」
「いや、見せませんよ」
「間違いありませんね?」
「ええ」
「小堀さんが、兄弟のどちらかに、話したということは、ありませんかね?」
「さあ、それは、私には、わかりません」
「じゃあ、話すとすればどっちにだと思いますか?」
十津川は、質問を変えてみたが、山本は、当惑した顔で、
「さあ、そういわれても――」
と、いった。
十津川は、急に、
「わかりました。どちらに話したか、わかりました」
と、いった。
今度は、山本が、びっくりした顔をした。
5
二人は、山本の事務所をでた。
亀井は、歩きながら、
「本当に、見当がつかれたんですか?」
と、十津川に、きいた。
「小堀忠男が、兄弟のどちらに、話したかということかね?」
「そうです」
「わかったよ」
「兄の明の方ですか?」
「いや、弟の功だと思うね」
十津川は、断定するように、いった。
亀井は、わからないという顔で、
「なぜ、それが、わかるんですか?」
「小堀は、三日前に、遺言状に、さっきの文句を書き加えてから、九州へ旅に出た。熊本へね。そして、熊本には、角田すみ江が、いる。功の母親のね」
「ああ」
と、亀井が、大きな声を出した。
「そうでしたね。小堀は、彼女に会いに行ったんじゃないかということでしたね」
「小堀は、あの年齢《とし》になって、子供が出来たと知った。すごく嬉《うれ》しかったんだろうね。年齢をとって、気弱くなっていたのかも知れない。だから、山本弁護士に相談して、遺言状に、あんな付け加え方をしたんじゃないかな。その子は、いわば、二号の子だ。功と同じなわけだよ。小堀は、それを思い出したんじゃないかな。それで、急に、功の母親のことを、考えて、会いに行くことにしたんだろう。だから、兄弟のどちらに話したかということになれば、弟の功の方だよ」
と、十津川は、いった。
「確かに、そうですね」
と、亀井は、肯《うなず》いたが、
「すると、犯人は、功ですか?」
「いや、犯人は、兄の明だよ」
「しかし――」
「考えてもみたまえ。こんな面倒なアリバイトリックを使った明が、何もしなかったと、思えるかね? 彼が父親を殺したからこそ、あのトリックを使ったんだよ」
「そうでしょうね。しかし、証拠がありません」
「それを、今、熊本県警が、探してくれているよ」
と、十津川は、いった。
十津川の予想が、当った。
明が、犯人で、「富士」から、「ひかり」に乗り継ぎ、「有明87号」に、入って、父親を殺し、次に、「こだま」で、「富士」を追いかけたのなら、これは、軽業みたいなものである。
それに、彼は、五月五日という祝日を利用して、この日でなければ出来ないトリックを使った。
明にしてみれば、してやったりと、思ったろうが、それだけに危険も多かった筈《はず》である。
子供の日なので、車内は混んでいた筈である。当然、目撃者も、いるに違いないと、十津川も思い、熊本県警も、考えていた。
熊本県警の北川《きたがわ》警部から、元気のいい電話が、かかって来た。
「そちらから、送られて来た小堀明の顔写真で、聞き込みをやって、うまくいきました」
と、いう。
「目撃者が、見つかったんですか?」
「見つかりましたよ。五月五日なので、日付けを、ちゃんと、覚えている証人がです」
と、北川は、いった。
「どんな証人ですか?」
「中学二年生の鉄道マニアの少年です」
「中学二年?」
「そうです。福岡の中学に行っている少年です。熊本に、親戚《しんせき》がありまして、あの日、問題の『有明87号』に乗って、熊本に、やって来たんです」
「それで、車内で、小堀明を、見たんですか?」
「見ただけじゃありません。今の中学生は、あの年でも、親から、ビデオカメラを買って貰《もら》って持っているんですね。彼は、博多《はかた》で乗ってから、ビデオで車内風景を、撮っているんです。それに、小堀明が、はっきり、写っているんです」
と、北川は、弾んだ声で、いった。
「それで、小堀明は、もう終りです」
と、十津川は、いった。
北川から、問題のビデオカセットが、送られて来た。
十津川と、亀井が、それを見た。
確かに、サングラスをかけた小堀明が、はっきり、写っていた。
北川自身も、小堀忠男殺しについての逮捕状を、持って、東京に、やって来た。
十津川と、亀井、それに、北川の三人で、小堀明に、会いに出かけた。
北川が、逮捕状を見せても、まだ、小堀明は、平然とした顔をしていた。自分のアリバイトリックに、自信を持っていたからだろう。
しかし、ビデオを見せられたとたん、その自信が、音を立てて、崩れてしまったようだった。
「なぜ、父親を殺したんだ?」
と、北川が、きいた。
「おやじが、新しく生れる自分の子に、財産を分けてやるのを知ったからだよ。長男のおれを、信頼していないのは、前から、わかっていたから、殺す気になったんだ」
「新しい子供のことを教えたのは、弟の功かね?」
と、十津川が、きいた。
「ああ。弟だ。あいつは自分も二号の子だったから、平気らしかったが、おれは、違う。おれは、本当の子供なんだ。本来、おやじの全財産は、おれのものなんだ」
明は、胸をそびやかすようにして、いった。
「それなら、なぜ、弟も、殺さなかったんだね?」
「殺したかったよ。二号の子なんかに、財産を分けるのは、真っ平だからね。しかし、あいつを殺したら、おれが、犯人と、すぐわかってしまうじゃないか」
「それで、女たちを、次々に殺していき、その犯人に、弟を仕立てあげようとしたのかね?」
と、亀井が、きいた。
「そんなところだ」
「岡部ゆう子は、手帳に、I・Kに一千万円でアリバイを頼まれたと、書いていた。あれは、君が、書かせたのか?」
と、十津川が、きいた。
「もちろん、そうだよ。おれは、彼女に、一千万円やり、手帳に、そう書いてくれと頼んだんだ」
「よく、彼女が、承知したね? 殺されるとは思っていなかったのかな?」
「おれは、彼女にこういったのさ。手帳につけたら、すぐ、アメリカへでも行ってくれ。そして、警察に、弟に殺されそうだから、逃げると、電話するんだとね。警察は、本当かどうか、調べて、あの手帳を見つける。弟が、犯人として、逮捕されたら、東京へ帰って来い。その時には、更に、五千万円やるとね」
「それで、承知したのか?」
「何事も、金だよ」
と、明は、いった。
「そういって欺《だま》して、彼女を殺したんだな?」
「最初から、死んで貰うつもりだったんだ」
「羽島《はじま》かおりも、井上ユカも、三林可菜子も、殺したんだな?」
「ああ、誰が、おやじの子を妊娠しているかわかれば、その女だけ殺せばよかったんだが、わからなかったからな」
と、明は、いった。
「三林可菜子が、妊娠していたと知って、それで、やめたということか?」
「おれは、絶対に、二号の子なんかに、財産は、やりたくなかったんだ」
と、明は、繰り返した。
6
十津川は、北川と、亀井に、小堀明の逮捕を委《まか》せて、ひとりで、小堀功に、会いに行った。
「お兄さんの明さんを、殺人容疑で、逮捕しましたよ」
と、十津川は、功に、いった。
小堀功は、眉《まゆ》を寄せて、
「それで、兄は、自供したんですか?」
「しました。父親の忠男さんを殺したことも、四人の女を殺したこともです。三林可菜子さんの子供を入れれば、全部で、六人です」
「そうですか――」
と、功は、大きく、溜息《ためいき》をついた。
「それで、あなたの感想を、お聞きしたいと、思ったのですよ」
十津川がいうと、功は、また、顔をしかめて、
「感想? そんなものはありませんよ。ただ、残念なだけです」
「なるほど」
と、十津川は、肯《うなず》いてから、じっと、功の顔を見た。
「今度の事件で、一番の悪党は、誰か、わかりますか?」
と、十津川は、きいた。
「いや、兄も、ある意味では、犠牲者かも知れないし――」
「一番の悪党は、あなたですよ」
と、十津川は、功を、まっすぐ見つめて、いった。
「私が?」
「そうです。あなたが、一番の悪党だ。あなたは、お父さんから、女たちの一人が妊娠し、新しい弟か妹が、出来るらしいと教えられた。そうなれば、財産は、その弟か妹にも分けなければならない。それで、かっとなり易《やす》い兄の明さんに、それとなく話したんだ。そうすれば、彼が、かっとして、お父さんを殺すと計算したからですよ」
「そんなことはない。僕は、むしろ、そうなるのを恐れ、それを防ごうとして、深夜番組に投書し、捜査一課のあなたに、事前に防いで貰《もら》おうとしたんだ」
と、功は、いった。
十津川は、笑って、
「それこそ、いいわけ以外の何物でもないじゃありませんか。四十歳の刑事が、深夜番組を聞くと思ったんですか? 万一、聞いたとしても、あれだけの言葉で、どうやって、殺人を防ぐことが出来るんですか? あのハガキは、自分が、非難された時の弁明でしかないんだ」
「兄は、岡部ゆう子と、しめし合せて、僕を罠《わな》に落とそうとしたんですよ」
と、功は、いう。
また、十津川は、笑った。
「それだって、あなたに比べれば、子供っぽいものだ」
「――――」
「これで、遺産のほとんど全部が、あなたのものになりましたね。兄の明さんは、あなたに、けしかけられたにせよ、実際に、何人もの人間を殺し、死刑はまぬがれないでしょうからね」
「僕は、ただ残念なだけですよ。別に、こうなることを、望んでいたわけじゃありませんからね」
と、功は、いった。
十津川は、苦笑してから、
「あなたに、一つお話ししておきたいことがあるんですがね」
「何ですか? まだ、他に、いやみをいうつもりですか?」
「小堀忠男さんの子供を妊娠していた三林可菜子さんは、死にました。しかし、妊娠していたのは、彼女だけではないということになって来たんですよ」
「そんな、バカな――」
「実は、アメリカに行った山本和子さんから、昨夜《ゆうべ》、電話がありましてね、身体《からだ》の調子が悪いので、医者に診て貰《もら》ったら、妊娠していることが、わかったそうです。もし、小堀忠男さんの子供だとすると、あなたの手にした遺産は、かなり減ってくるんじゃありませんかね」
本書は一九八八年三月にカドカワノベルズとして刊行したものを文庫化したものです
角川文庫『祝日に殺人の列車が走る』平成2年11月25日初版発行
平成15年2月10日24版発行