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殺人列車への招待
西村京太郎
目 次
第 一 章 ゲームへの招待
第 二 章 第二の挑戦《ちようせん》
第 三 章 夜明けの死体
第 四 章 録音テープ
第 五 章 新聞記者
第 六 章 犯人の影《かげ》
第 七 章 焦《しよう》 燥《そう》
第 八 章 目撃者《もくげきしや》
第 九 章 逆《ぎやく》 挑《ちよう》 戦《せん》
第 十 章 死者のペンネーム
第十一章 最後のゲーム
第十二章 爆破《ばくは》計画
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第一章 ゲームへの招待
1
亀井《かめい》刑事が、受話器を取ると、
「十津川《とつがわ》という警部を、呼んでくれ」
と、男の声が、いった。
「警部に、何のご用ですか?」
「大事件が、これから起きるんだ。それを防ぎたかったら、すぐ、十津川警部に、代りたまえ」
と、男は、いった。妙に、威圧的な喋《しやべ》り方だった。
亀井は、苦笑しながら、十津川に、受話器を渡した。
「十津川ですが」
と、いうと、
「意外に、甲高《かんだか》い声なんだね」
と、男が、いった。
十津川は、笑って、
「そうですか」
「ああ、もっと、太い声かと思っていたんだよ。写真で見ると、頑丈《がんじよう》な身体《からだ》つきをしているんでね」
「写真?」
「この間、週刊タイムスに、載っていたじゃないか。例の連続殺人事件を、あんたが解決した時だよ」
「ああ、あれですか」
十津川は、受話器を持ったまま、照れた顔になった。
今年の夏、東京都内で、浮浪者ばかりが、続けて殺される事件が発生した。それを解決した時、週刊タイムスが、取り上げ、十津川の顔も、載ってしまったのである。
「それには、確か、日本のメグレと、讃辞《さんじ》がつけられていたねえ」
男は、ちょっと、からかうような口調になった。
「それは、賞《ほ》めすぎです。それに、捜査《そうさ》は、あくまでも、チームプレイに徹《てつ》すべきです。私は、そう思っていますよ」
「下手《へた》に謙遜《けんそん》はしなさんな」
「違《ちが》いますよ」
と、十津川は、いってから、
「ところで、ご用件は、どんなことですか?」
「日本のメグレと、ゲームをしたくてね」
と、相手が、いった。
「ゲーム?」
「そうだよ。ゲームだよ。毎日が、退屈《たいくつ》でね。そこで、思い立ったのが、あんたと、ゲームをやることだ。犯罪ゲームといってもいいし、殺人ゲームといってもいい。ゲームだから、まず、楽しくやろうじゃないか。場所はどこがいいかね?」
「ちょっと、待ちなさい」
十津川は、急に、厳しい声になった。亀井が、眼《め》をあげて、十津川を、注目している。その亀井に、テープを回してくれと、サインを送ってから、
「殺しは、遊びじゃないよ」
「おれにとっては、ゲームなんだ。おれは、あんたと、ゲームがしたいのさ」
「そんなことは、断る」
「あんたが、断っても、おれは、勝手に始めるよ。そうすれば、刑事のあんたは、嫌でも、おれの相手をしなければ、ならなくなる」
男は、電話の向うで、小さく笑った。
亀井が、電話機に、テープレコーダーを接続した。
若い西本《にしもと》刑事が、電話局に、逆探知を頼んでいる。
男は、なおも、言葉を続けて、
「おれが、勝手に、好きな場所で、殺しをやってもいいんだが、それじゃあ、対等のゲームにならないな。あんたは、どこを守ればいいか、わからないわけだからね。それでは、おれが、場所と、殺す相手を、指定しよう。それなら、対等なゲームになる筈《はず》だ」
「それで、場所と、殺す相手は、どこで、誰《だれ》なんだ?」
と、十津川が、きいた。
「おや、おや。急に、まともに、応対するようになったじゃないか」
男は、また、からかうような調子になった。
十津川は、腹立たしくなるのを、じっと、おさえて、
「殺人を口にする相手には、まともに、受けないとね」
「じゃあ、おれと、ゲームをする気になってくれたのか」
と、男は、いってから、
「いや、何かおかしいな。そうか。電話の逆探知を始めたか」
と、ひとりごとみたいないい方をした。
「いや、君の話を、まともに聞こうと、思っているんだよ」
「場所などは、あとで知らせるよ。ご苦労さん」
と、いって、男は、電話を切ってしまった。
2
逆探知で、新宿《しんじゆく》駅近くの公衆電話とわかったが、近くの派出所から、警官が駈《か》けつけた時は、男は、もちろん、姿を消してしまっていた。
十津川は、録音したテープを、亀井刑事たちと一緒に、聞いた。
「どう思うね?」
と、十津川は、聞き終ってから、部下たちの顔を、見廻した。
「頭が、おかしいんじゃありませんか?」
清水《しみず》刑事が、肩をすくめるようにして、いった。
「カメさんは、どうだい?」
「清水刑事のいうように、頭のおかしい人間が、電話してきたのなら、いいんですが」
「この男は、本気だと、思うのか?」
「私にも、わかりませんが、本気だと、困るなと、思うんですよ」
「しかし、人殺しを、ゲームみたいに考える人間が、いるでしょうか?」
と、西本刑事が、亀井に、質問した。
「日本には、一億人以上も住んでるんだ。中には、妙な奴《やつ》もいるんじゃないかね」
「しかし、こんなことを考えるだけでも、おかしいですよ」
「とにかく、相手のこれからの出方を見るよりないね」
と、十津川は、いい、それが、その場の結論になった。
電話の様子から見て、男は、すぐにでも、また、掛けてくるのではないかと、十津川は、思っていたのだが、何の音沙汰《おとさた》もないままに、その日が、終ってしまった。
翌日も、同じだった。
十津川も、亀井も、気になって、電話が鳴るたびに、その男からではないかと思うのだが、全て、違っていた。
「単なる悪戯《いたずら》だったのかねえ」
と、十津川は、亀井を、見た。
「二度目の電話がないところを見ると、悪戯だったのかも知れませんね。警部の顔が、週刊誌に出たので、からかってやろうと思って、電話を掛けてきたということも、考えられます」
「悪戯にしては、手が、込んでいたというか、奇妙なというか――」
「警部を驚かそうと思って、ずいぶん、考えたのかも知れませんよ。頭の中で考えただけなので、そんな、殺人ゲームみたいなものになってしまったんじゃありませんかね」
「劇画のストーリイでも考えるみたいに、殺人を考えたか」
「それが、電話の逆探知で、はっと、現実に戻ったんじゃありませんか。頭の中では、人殺しだって、簡単に出来ますが、現実にやるのは、大変です。それに、気付いたんじゃないですかね」
「それなら、結構なことだが」
十津川は、まだ、どこかに、引っ掛かるものを感じていた。
男の声が、まだ、彼の耳に、残っていたからである。威圧的ないい方になったり、含み笑いをしたり、十津川をからかったりした男の声である。
翌、十一月五日の午後になって、十津川|宛《あて》に、一通の手紙が、届いた。
〈警視庁捜査一課、十津川警部殿〉
と、ワープロで、打ってある封書である。
裏には、白石|要《かなめ》と、これも、ワープロで、名前が書かれていたが、住所は、なかった。
十津川は、ある予感を覚えながら、封を切った。
中身も、白い紙に、ワープロで、打たれていた。
〈十津川警部殿
次の通り、殺人ゲームに、ご招待する。
日時 十一月七日から八日
場所 七日一六時四〇分東京発、寝台特急「さくら」の車内
標的 「ア」で始まる名前の女
参加資格 捜査一課刑事ならば、何人にても可
[#地付き]当方は、一人の予定〉
3
「どうやら、相手は、本気だと思うんだが、カメさんの意見を、ききたいね」
と、十津川は、その手紙を、亀井に、渡した。
亀井は、黙って、眼を通していたが、
「まだ、何ともいえませんね」
と、慎重ないい方をした。
「なぜだい?」
「われわれが、むきになって、寝台特急『さくら』に乗り込むのを、どこかで見ていて、笑ってやろうと、思っているのかも知れません。電話の男が、若いとすると、そのくらいの悪戯《いたずら》は、やりかねませんからね」
「なるほどね」
「ひょっとすると、賭《か》けかも知れません」
「われわれが、十一月七日の『さくら』に、乗るかどうか、賭けているんじゃないかというわけかね?」
「私は、この手紙の『捜査一課の刑事ならば、何人にても可』という文句に、引っ掛かるんです。警部の写真を、週刊誌で見た若者たちが、賭けをしたと考えます。警察を、からかってやろうとです。ブルートレインで、人殺しをすると、手紙を書いたら、警察は、あわてて、乗ってくるんじゃないか。刑事が、何人乗ってくるかを、賭けようじゃないか。一人、二人、それとも、三人といって――」
「列車の中で、それを数えて、笑ってやろうというわけか」
「若者っていうのは、そういうのが、好きですからね。昔は、芸人が、仲間|中《うち》で、そんな悪戯をしたと、聞いたことがあります。どこそこの仕事が入ったから、早く行った方がいいといって、何人かと、かげで、ニヤニヤしながら眺《なが》めているといった悪戯です。今は、素人《しろうと》と玄人《くろうと》の区別がつかなくなりましたから、警察を、からかうような悪戯だって、やりかねません」
と、亀井は、いった。
十津川は、「そうだな」と、肯《うなず》いて、考えていたが、
「カメさんは、笑われるのは、嫌《きら》いかね?」
と、きいた。
「好きじゃありませんが――」
「私だって、好きじゃないよ」
と、十津川は、いった。
その顔を見ていた亀井は、急に、笑顔になって、
「わかりました。もし、これが、本当の挑戦状だったら、人間が一人殺される。それを考えれば何事もなくて笑われるのも、悪くありませんね」
と、いった。
十津川も、肯《うなず》いて、
「そうだよ。カメさん。笑われる時は、二人で一緒に、笑われようじゃないか」
「寝台特急の『さくら』には、二人で乗りますか?」
「悪戯《いたずら》かも知れないものに、何人もの刑事が乗り込むわけには、いかないからね」
と、十津川は、いった。
十津川は、上司の本多《ほんだ》捜査一課長に、手紙を見せて、七日の「さくら」へ、亀井と乗車する許可を、頼んだ。
「君は、相手が、本気だと、考えているわけだね?」
と、本多が、きいた。
「そんな自信はありませんが、可能性が、少しでもあれば、私は、列車に乗りたいと思っています。相手が本気なら、事は、殺人ですから」
と、十津川は、いった。
「もし、これが、ホンモノだとしてだが、君と、亀井君の二人だけで、殺人を防げるかね? 犯人の顔もわからんのだろう?」
「わかりません。男だということだけは、わかりますが」
「それに、標的にされている女性も、名前が『ア』で始まるというだけでは、限定できないんじゃないのかね?」
「そうですね。『さくら』の女性客が、五、六人と、少なければ、片っ端《ぱし》から、名前をききますが、二十人、三十人となってしまうと、骨ですね」
「白石|要《かなめ》というのは、偽名だな?」
「同感です。封筒や、便箋《びんせん》から検出された指紋は、今、前科者カードと、照合してもらっています」
「消印は、東京中央になっているね」
「多分、東京駅まで持って行って、中央郵便局で、投函したんだと思います」
「君は、この男を、どんな性格だと、思うね?」
と、本多が、きいた。
「自信にあふれていることだけは、よくわかりますね。その自信が、一体、どこから来ているのか、知りたいと、思います」
と、十津川は、いった。
4
ただ単に、警察をからかって、喜んでいるのか。それとも、真剣なのか、十津川には、見当が、つかなかった。
とにかく、逮捕すれば、どんな男かわかるだろうし、何も事件が起きない中《うち》に、逮捕する必要があった。
だが、七日当日になって、午後一時に、都内で、殺人事件が発生した。
一家五人皆殺しという兇悪《きようあく》事件である。
十津川は、亀井たちと、現場である、練馬《ねりま》区|石神井《しやくじい》の住宅に、急行した。
二階建ての建売住宅の一階も、二階も、血の海になっている。
この家の主人と、三十歳になる義弟が、日頃《ひごろ》から仲が悪かったという情報を得て、この義弟のマンションに急行すると、すでに、逃亡したあとだった。
十中、八九、この男が、犯人だろう。
十津川は、その行方《ゆくえ》を、部下の刑事に追わせておいて、ひとり、警視庁に戻って、本多一課長に会った。
「この義弟が、犯人であることは、まず、間ちがいないと思います。それで、例の挑戦状の件ですが」
と、十津川が、切り出すと、本多は、当惑した顔で、
「刑事部長が、反対なんだよ」
「しかし、私は、あの挑戦状は、悪戯《いたずら》ではないと、思っているんです」
「しかし、現実に、殺人が行われているわけじゃない」
「それはそうです」
「それに、練馬で、兇悪事件が発生し、まだ犯人は逮捕されていない。そんな時に、単に、挑発的な手紙に乗せられて、九州行の列車に乗るというのは、まずいというのが、部長の考えなんだ」
「課長は、どう思われますか?」
「何の事件も起きていない時なら、私は、『さくら』に乗っても、構わないと思っている。事件を、事前に防ぐのも、警察の役目だからね。しかし、一家殺しという事件が解決していないのに、捜査一課の警部と、ベテラン刑事が、ブルートレインに乗って、九州へ出かけたとなると、マスコミに、叩《たた》かれるよ。何よりも、都民の批判を受けると、思うね」
「――――」
「それにだ。『さくら』の車内で、乗客が、本当に、襲われるかどうか、不明だからね。都内で、事件のない時なら、釈明も出来るが、今は、私も、まずいと思っている」
と、本多は、いった。
「わかりました」
と、十津川は、肯《うなず》いてから、
「東京駅から、『さくら』が出発するまでに、練馬の事件を解決できたら、亀井君と、列車に乗って構いませんか?」
と、きいた。
「それならいいだろう。部長は、文句をいうかも知れないがね」
本多は、やっと、微笑した。
十津川は、練馬の現場に引き返すと、亀井に、
「どんな具合だね?」
と、きいた。
「義弟の川島|徹《とおる》の行方は、いぜんとしてわかりませんね。彼の女が、池袋《いけぶくろ》で、ホステスをやっているのが判明したので、西本刑事が、今、彼女のマンションへ行っています」
亀井が、説明する。
「ブルートレインの方だが、この事件が解決しない限り、乗ってはいけないと、課長にいわれたよ」
「そうですか」
「『さくら』は、一六時四〇分に、東京駅を発車する。それに、間に合うように、この事件が、解決してくれるといいんだがね」
「午後四時四十分というと、少なくとも、午後三時五十分|頃《ごろ》までには、犯人をあげないといけませんね」
「今、二時十七分だ」
「あと一時間半といったところですか」
亀井は、腕時計を見て、いった。
池袋に廻《まわ》っていた西本刑事から、連絡が入った。
川島徹の彼女だといわれるホステスには会えたが、彼の行方は知らないといっているし、立ち寄った形跡もないという。
「しばらく、張り込んでみます」
と、西本は、いった。
「あとは、川島の友人関係か」
十津川が、いった。
「そちらは、清水刑事たちが、当っていますが、今までのところ、川島が、立ち廻った気配は、ありません」
と、亀井が、残念そうに、いう。
「川島は、義兄一家を殺して、かなりの金を奪っていった形跡があったねえ」
「正確な金額は、わかりませんが、二、三百万円は、盗《と》られていると、思われています」
「その金を持って、高飛びしたかな?」
「そうだとすると、簡単には、捕まらないかも知れません」
「川島の写真は、あったね?」
「手に入れています」
「その写真で、指名手配をすることにしよう。私は、これから、東京駅へ行ってくる」
「やはり、『さくら』に、乗られるんですか?」
と、亀井が、きいた。
十津川は、手を振った。
「私だって、上司の命令には、逆らえないよ。ただ、『さくら』の車内で、殺人が行われても困るから、国鉄に、注意を喚起《かんき》してこようと思っているんだ」
と、いった。
十津川は、ひとりで、東京駅へ、出かけた。
駅に着いたのは、四時五分前である。
すぐ、旅客助役の中山に会った。五十三歳で、国鉄に勤めて、二十六年というベテランだった。
十津川は、例の手紙を、中山に、見せた。
「悪戯《いたずら》かも知れませんが、手紙の主は、本気かも知れない。本気と考えて、対応してくれませんか」
と、十津川は、いった。
「しかし、どうしたら、いいんですか? 警察の方は、同乗してくれないんでしょう?」
中山助役は、不安そうな表情をした。
「残念ですが、事件に追われていますのでね。それで、出来れば、公安官に、同乗していただきたいと、思うんですが」
「それは、同乗させますよ」
「もう一つ、この手紙の主は、殺すのは、名前が『ア』で始まる女と、いっています」
「そんなことを、信用して、いいんでしょうか?」
と、中山は、首をかしげた。
「私は、信用していいと思います。というのは、この手紙の主は、正面切って、警察にというか、私にというか、挑戦しているわけです。もし、挑戦者が、嘘《うそ》をついていたら、あとで、笑われると、思っているに違いないのです。ですから、この男は、文字通り、『ア』で始まる名前の女性を、殺す気ですよ」
「なるほど」
「女性の乗客は、そう多くはないんでしょう?」
「そうですね。全乗客の二十パーセントぐらいだと思いますが」
「車掌さんに、出来れば、女性客の名前をきいてほしいですね。それが出来れば、襲われる女性の見当がつきますからね」
「やらせてみましょう」
と、中山は、約束した。
公安官も、二組四人を同乗させて、随時、列車内を、見廻らせるという。
今のところ、これ以上の警戒は、出来ないだろうと、思った。
だが、それでも、十津川は、不安だった。
手紙の主の自信満々な感じが、十津川を、不安にさせるのだ。
「何かあったら、すぐ、警察に、連絡して下さい」
と、十津川は、付け加えた。
5
五人を殺した殺人犯、川島徹は、なかなか、見つからなかった。
彼の顔写真が、何枚も、コピーされ、全国の警察に、電送された。
テレビのニュースでも、ブラウン管に、川島の顔写真が出た。
午後七時には、練馬署に、捜査本部が、設けられた。
十津川は、時々、腕時計に、眼をやった。
「『さくら』のことが、気になりますか?」
と、亀井が、声をかけた。
「不謹慎かも知れないんだがね。なぜか、気になって、仕方がないんだ」
十津川は、肩をすくめるようにして、いった。
こちらの殺人事件は、すでに、犯人が、わかっている。あとは、どこで、見つけて、逮捕するかだけである。だから、どう発展するかわからない挑戦状の方が、気になるのだろう。
十津川は、この手紙の主は、本気だと思っている。
電話の声が、忘れられないのだ。狂気というのでもない。やたらに、自信にあふれた語調だった。
もし、あの男が、第一の殺人に成功してしまったら、勢いを得て、第二、第三の殺人に走る恐れがある。
十津川は、それが怖《こわ》かった。
夜半になって、逃亡している川島徹の足取りが、やっと、つかめた。
東北自動車道の宇都宮《うつのみや》出口で、川島らしい男の運転する車を、目撃したという人物が出てきたのである。
その男が、運転していた車は、白のトヨタ車で、ソアラだという。
ソアラは、川島が、今年の四月に買ったばかりの車である。
十津川は、栃木《とちぎ》県警に、そのソアラのナンバーを知らせた。
十津川と、亀井も、すぐ、車で、宇都宮に急行した。
午前四時を過ぎて、警察のパトカーが、川島のソアラを発見した。
それから、ちょっとしたカー・チェイスになった。
最後には、川島は、車を、電柱にぶつけて逮捕された。
午前五時四十分である。
十津川と亀井が、捜査本部に戻ったのは、午前九時だった。
疲れていたが、やはり、ブルートレイン「さくら」のことが、気になった。
十津川は、東京駅の中山助役に、電話を掛けて、様子を、きいてみた。
「まだ、事件の連絡は、入っていませんが、大丈夫だと、思いますよ」
と、中山は、いった。
「なぜですか?」
と、十津川は、きいた。
「車掌長が、大阪駅を通して、連絡してきたんですが、乗客の中に、『ア』で始まる名前の女性が、二人いるのが、わかったそうです。それは、安藤《あんどう》ゆみさんと、阿部清美《あべきよみ》さんです。年齢二十五歳と、四十歳。四人の公安官が、同乗していますので、この二人の女性を守っている筈《はず》です。まあ、大丈夫ですよ」
中山助役は、安心しきったような口ぶりだった。
「他に、『ア』で始まる名前の女性客は、いなかったんですか?」
と、十津川は、念を押した。
「車掌長の連絡では、今いった二人だけだそうです。四人の公安官が、二人を守っているんですから、私は、安心しています」
と、中山助役は、いった。
十津川も、それならと、思った。
その二人の女性客が、別の客車にいたとしても、公安官が四人いれば、一両の客車の前後の出口を、一人の公安官が、監視することが、可能だ。
犯人が、もし、殺人を実行しても、逃げるのは、難しいだろう。
「どうやら、安心のようだ」
と、十津川は、亀井に、事情を説明した。
「それなら、私も、大丈夫だと思いますよ」
亀井も、ほっとした顔になっている。
寝台特急「さくら」は、十二両編成で、1号車から7号車までが、長崎行。8号車から12号車が、佐世保《させぼ》行である。
長崎着が一〇時四〇分。佐世保着が一〇時二七分である。
「今|頃《ごろ》、肥前山口《ひぜんやまぐち》で、長崎行と、佐世保行に分れた頃ですね」
と、亀井が、腕時計を見ながら、いった。
十時を廻る頃になると、十津川は、また、不安になってきた。
あの手紙の文句が、眼にちらついてきたからである。手紙の主は、わざわざ、「ア」で始まる名前の女を殺すと、書いてきた。これは、なぜなのだろう?
車掌が、女性客の名前をきき、「ア」で始まる名前の客を見つけて、警護することを、考えなかったのだろうか?
それを、わかっていて、わざと、それを手紙に、書いてきたとすると――
「カメさん。どう思うね」
「わかりませんが、妙だということは、感じますね」
と、亀井もいう。
しかし、今になって、どう考え、どう対応したらいいのか、わからなかった。
相手の企《たくらみ》が、わからないからである。
午前十一時に、電話が鳴った。
十津川が、受話器を取る。
狼狽《ろうばい》した中山助役の声が、飛び込んできた。
「乗客の一人が、殺されました。6号車の女性客です」
「ガードしていた二人の中の一人ですか?」
「それが、違う女性なんです!」
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第二章 第二の挑戦《ちようせん》
1
「違う? 『ア』で始まる名前の女性じゃなかったんですか?」
十津川は、念を押して、きいた。
「違うんですよ」
「その女性の名前を、教えて下さい」
「日野《ひの》まゆみ。二十一歳です。それで、全く、ガードしていなかったんですよ。十津川さんが、『ア』の名前の女性と、いわれたものですからね」
中山助役は、言外に、どうしてくれるんだという思いを込めているようだった。
「申しわけありません」
十津川は、謝るより仕方がなかった。
手紙の主は、嘘《うそ》をついたのか。挑戦といいながら、十津川に、嘘をついて、欺《だま》したのだろうか?
それでは、挑戦にならないではないか。
「それで、その日野まゆみという女性のことを、くわしく、話してくれませんか」
と、十津川は、口惜《くや》しさをおさえて、いった。
「くわしいことは、今、長崎県警で、調べていますが、東京の女性で、とても、美しい人だそうです。それ以上のことは、まだ、連絡が、入ってきません」
中山助役がいう。
あとは、長崎県警から、連絡が入るのを、待つより、仕方がなさそうである。
電話を置くと、十津川は、亀井に向って、
「やられたよ。手紙の男に、欺《だま》されたらしい」
「しかし、『ア』で始まる名前と違うとすると、犯人は、全く別の人間かも知れませんよ」
「その女性一人しか、殺されてないんだよ」
「そうだとすると、やはり、手紙の主が、欺したということになりますか」
「最初から、陽動作戦と考えて、対応した方がよかったかも知れないね」
「それでも、警部、車掌と、公安官だけでは、全部の乗客を守ることは、無理ですよ」
と、亀井が、なぐさめるように、いった。
「それは、そうなんだが――」
十津川が、まだ、諦めきれずに、眉《まゆ》をひそめて、いった時、若い日下《くさか》刑事が、割り込むように、
「殺されたのは、日野まゆみですか?」
と、十津川に、きいた。
「そうだが、君は、知ってるのか?」
「確か、新人タレントで、今、人気が出てきている女優に、日野まゆみというのが、いたと思いますよ」
「タレントだって?」
十津川は、思わず、亀井と、顔を見合わせた。
タレントなら、芸名と、本名の二つの名前があっても、おかしくない。
「すぐ、日野まゆみの本名を調べてみてくれ。そして、プロダクションに、昨日のスケジュールを、きいてみるんだ」
と、十津川は、日下に、いった。
日下は、電話に、かじりつき、日野まゆみの所属するプロダクションを調べ、その事務所のダイヤルを、回している。
十津川は、煙草《たばこ》をくわえて、その答を待った。
電話を終った日下が、メモを片手に、指で、OKの印を作った。
「やはり、本名は、別にありました。青木ゆみ子です」
「本名の方は、『ア』で始まっているのか」
「それと、プロダクションの話では、三日間の休みを取って、郷里の長崎に、帰ったそうです」
「帰郷には、ブルートレインを使ったのかな?」
「それは、わからないといっています。本人の自由に委《まか》せたそうです」
「二十一歳なら、本人に委せるだろうね」
と、十津川は、いった。
どうやら、「さくら」の車内で殺されたのは、新人タレントの日野まゆみ(本名青木ゆみ子)らしい。
しかし、確定したわけではない。
「東京での住所は?」
「プロダクションの話では、港区南青山の『メゾン新青山』というマンションの三〇五号室です」
と、日下が、メモを、読んだ。
十津川は、長崎県警に、電話を掛けた。
向うでは、戸田という警部が、今度の事件を、担当していた。
「これから、そちらへ電話して、被害者のことを、調べてもらおうと、思っていたところです」
と、戸田警部が、いった。
「日野まゆみ、二十一歳ですか?」
「そうです。名刺を持っていました。それに、『さくら』の車掌長に、名前と、年齢を、いっています」
「住所は、わかりますか?」
「東京都港区南青山のマンションです。それから、名刺によると、太陽プロのタレントですね」
「やっぱり、そうですか。ところで、彼女の本名は、青木ゆみ子です」
十津川が、いうと、戸田警部は、
「すると――」
「そうです。名前は、『ア』で始まるんですよ」
「あなたの受け取った挑戦状の予告した通りだったわけですか?」
「そうなりますか。タレントの本名の方というのは、ある意味では、犯人が、われわれを欺《だま》したんですよ」
「そうですね。車掌が名前をきけば、タレントなら、芸名を、いいますからね」
「だが、犯人は、今|頃《ごろ》、得意になっていると思いますね。まんまと、警察を、引っ掛けてやったと、考えてです」
と、十津川は、いった。
「かも知れませんね」
「死亡推定時刻は、いつ、わかりますか?」
「今、解剖に廻していますので、あと三時間あれば、わかると思います。わかり次第、お知らせします」
と、戸田は、約束した。
2
十津川は、煙草《たばこ》に、火をつけた。
ぶぜんとした顔をしているのは、名前が、『ア』で始まる女性が殺されたとわかっても、結局殺人が起きてしまったことには、違いなかったからである。
「犯人は、今、どこにいるんでしょう?」
と、亀井が、きいた。
「それは、どの辺りで、犯人が、日野まゆみ、いや、青木ゆみ子を、殺したかによるだろう。終着の長崎の近くで殺したのなら、まだ長崎にいるかも知れない。ただ、大阪までの間に、殺してはいないと思うね。車掌長は、大阪までの間に、女性客の名前を、きいて、廻っているからね。つまり、その時には、まだ、死んでいなかったんだ」
と、十津川は、いった。
亀井が、時刻表を見た。
「さくら」の大阪着は、二三時二四分である。
まだ、七日である。
七日の二三時二四分までは、被害者は、生きていたのだ。
もし、犯人が、東京から乗ったのだとしたら、大阪までは、何もせずに、犯行のチャンスを、待っていたことになる。
「犯人は、よく、日野まゆみの本名を、知っていましたね」
と、亀井が、いった。
「そうだね。普通、タレントの本名は、知らないものだろう。よほど、そのタレントのファンなら、別だが」
「すると、犯人は、彼女の知り合いということになりますか?」
「かも知れないが――」
断定は、危険だと、十津川は、思った。
相手は、普通の人間ではないのだ。警察に、挑戦してくるような男だからである。
それとも、警察への挑戦と見せかけて、最初から、日野まゆみ一人を、殺す気だったのか?
彼女に恨《うら》みを抱《いだ》いている男で、ただ、普通に、殺したのでは、すぐ、犯人と、わかってしまう。
そこで、妙な挑戦状を書き、動機を、隠そうとしたのか?
夕方になって、長崎県警の戸田警部から、電話が入った。
「解剖結果が、わかりました」
と、戸田が、いった。
「話して下さい」
「死因は、絞殺《こうさつ》です。それから、死亡推定時刻ですが、八日の午前四時から五時の間ということです」
「その時間だと、『さくら』は――」
「徳山着が、八日の午前五時〇八分ですから、その前一時間ということになります」
と、戸田は、いった。
十津川は、片手で、時刻表を開いた。
ブルートレイン「さくら」は、二三時二六分に、大阪駅を出たあとは、五時〇八分に徳山に着くまで、停車しない。
乗務員の交代のために、運転停車することはあっても、そこでの乗客の乗り降りはない。
すると、犯人は、徳山以降で、列車を降りたことになってくる。
徳山 五時〇八分
小郡《おごおり》 五時四四分
宇部《うべ》 六時〇六分
下関《しものせき》 六時四四分
門司《もじ》 六時五六分
小倉《こくら》 七時〇八分
博多《はかた》 八時〇四分
これが、「さくら」の停車時刻である。このあと、鳥栖《とす》、佐賀と、停《とま》って行き、肥前山口で、長崎行と、佐世保行に、分れる。
長崎着 一〇時四〇分
佐世保着 一〇時二七分
である。
四時から五時までの間に、日野まゆみ(青木ゆみ子)を殺した犯人が、終着の長崎や、佐世保まで、「さくら」に乗っていたとは思われない。
途中で、降りたに違いないのだ。
十津川が、そういうと、戸田も、
「同感ですね。ただ、どこで降りたかは、わかりません。犯人の顔がわかっていれば、調べようがあるんですが」
と、いった。
電話を切ると、十津川は、亀井に向って、
「博多に八時〇四分に降りて、飛行機に乗ったとすれば、もう、とっくに、犯人は、東京に、戻って来ているね」
と、いった。
「そうですが、警部は、また、犯人が、電話してくると、お考えですか?」
「多分ね」
「それでは、犯人が、本当に、警部と、殺人ゲームをする気だと、考えておられるんですか?」
「その可能性が強いと、思っているんだよ。もちろん、日野まゆみこと、青木ゆみ子を殺すことだけが、目的だったということも、考えられるがね」
十津川が、いった時、彼の前の電話が鳴った。
十津川は、取り付けてあるテープレコーダーのスイッチを入れてから、受話器を取った。
「おれだよ。覚えているかい?」
という男の声が、聞こえた。
「ああ、覚えている。日野まゆみを殺したのか? 青木ゆみ子といった方がいいのかな?」
十津川は、怒りをおさえて、いった。
「第一回のゲームは、おれの勝ちだ。続いて、第二回に、あんたを招待するよ」
男は、落ち着いた声でいった。喋《しやべ》っているのが、楽しそうだった。
「なぜ、そんなバカげたことをするんだ?」
「あんたと、ゲームがしたいからさ。そういったろうに」
「つまらないことは、止めるんだ」
「第二回のゲームの要領をいうぜ。今度は、『カ』で始まる名前の男だ」
「それで、いつやるんだ? いつ、どこで?」
十津川が、きくと、男は、電話の向うで、笑い声を立てた。
「ゲームというのはね。だんだん、難しくなるんだよ。といっても、月日だけは、教えよう。十一月十日だ。名警部なんだろう? しっかり、がんばれよ」
「おい。君は――」
十津川は、途中で、腹立たしげに、受話器を置いてしまった。
男は、もう、電話を切ってしまっていたのだ。
電話局に、掛けていた日下《くさか》刑事が、
「国鉄|渋谷《しぶや》駅近くの公衆電話だそうです」
「一応、念のために、誰《だれ》かやってくれ」
と、十津川は、いった。
「私が、行ってきます」
日下が、部屋を、飛び出して行った。
十津川は、テープを戻して、亀井たちと、聞き直してみることにした。
男の、自信に満ちた、からかうような声がスピーカーを通して、流れてくる。
「今度は、『カ』ですか」
亀井は、腹立たしげに、いった。
「カメさんも、『カ』だよ」
「私が狙《ねら》われるのなら、相手を捕えるチャンスも出てくるんですが」
と、亀井は、いった。
「十日というと、明後日《あさつて》か」
「その犯人は、頭が、おかしいんじゃありませんか」
亀井が、いった。
「頭はいいのさ。だが、精神が、おかしいんだ」
と、十津川は、いった。
3
「相手は、やる気ですかね?」
亀井が、十津川を見て、きいた。
「ブルートレインの車中で、殺人をやったのが、この男なら、また、どこかで、第二の殺人をやるだろうね」
「奴《やつ》の目的は、一体、何なんですかね?」
「言葉通りに受け取れば、私に対する挑戦だ。彼は、それを、ゲームだと、称している」
「こんなのは、ゲームじゃありませんよ」
亀井は、憤懣《ふんまん》やるかたないという顔で、いった。
「第一、人命を賭《か》けたゲームなんてあり得ない。それに、ゲームなら、対等の条件で、やるべきでしょう。それなのに、誰《だれ》を殺すのか、向うは、知っているのに、こっちは、どこの誰ともわからない。奴が殺す月日も、十一月十日だけしかわからない。こんなゲームなんか、あり得ませんよ」
「カメさんがいくら怒っても、相手は、面白いゲームだと思っているし、第一のゲームでは、勝ったと信じているんだ」
「確かに、奴の頭は、おかしいですよ」
と、亀井は、いった。
十津川は、肯《うなず》いたが、
「だが、彼は、第二の殺人に向って、もう、動いているかも知れない」
と、いった。
亀井は、舌打ちして、
「しかし、防ぎようがありませんよ。電話帳を見たって、『カ』で始まる名前の人間は、いくらでもいるんです。東京だけでもです。奴のいう男が、東京とは限らない。どこで殺すのかも、わからないんです。第一の殺人と同じく、ブルートレインの中かも知れない。駅のホームかも知れない。或《ある》いは、どこかの路地裏かも知れない。どうやって、防げばいいんですか?」
と、いった。激《げき》して、甲高《かんだか》い声になっている。
腹立たしいのは、十津川も、同じだった。
相手を、狂気と決めつけても、それで、済むことではなかった。第二の殺人を、何とかして、防がなければ、ならないのだ。
「課長に、会ってくる」
と、十津川は、いい、部屋を出ると、捜査一課長の本多に、会いに行った。
課長室に入り、電話のテープを、本多に、聞いてもらった。
「正直にいいまして、第二の殺人は、防ぎようがありません。どうしたらいいのか、わからないのです」
と、十津川は、いった。
「君らしくないじゃないか」
本多は、穏《おだ》やかな口調で、いった。
「亀井刑事とも話したんですが、殺人の目的もわからず、場所も、どこの誰《だれ》が狙《ねら》われるのかも不明では、対策の立てようがありません」
「新聞や、テレビに、応援してもらうのは、どうかね?」
「それも考えました。しかし、かえって、パニックを起こす恐れがあります。『カ』で始まる男性が、恐慌《きようこう》を来すと思います」
「それでも、手をこまねいて、何もしないより、いいんじゃないかね?」
と、本多は、いった。
確かに、あとになって、マスコミの批判は、かわすことが出来るだろう。
(だが――)
マスコミが、今度の事件を取り上げて、「カ」で始まる名前の男たちが、恐れおののいたら、この犯人は、より得意になるのではないのだろうか?
図に乗って、第三、第四の殺人ゲームを、やろうとしたら?
「新聞やテレビに、報道されて、それで、次の殺人が防げるのなら、いいんですが」
十津川は、この男にしては、珍しく、歯切れの悪いいい方をした。
しかし、マスコミの協力を仰ぐかどうかの結論は、意外に、あっさりと、ついてしまった。
翌日、中央新聞の田口記者が、捜査一課長室に顔を出し、本多に、次のような手紙を見せたからである。
速達で、中身は、ワープロで、打ってあった。
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〈殺人ゲームが開始されたことを、お知らせします。
ゲームは、警視庁捜査一課の十津川警部と、小生の間で行われます。
第一ラウンドは、あっさり小生が、勝ちました。ブルートレイン「さくら」の車内で、七日から八日にかけて「ア」で始まる名前の女性を殺すと、予告しておいたにも拘《かかわ》らず、十津川警部は、全く、防ぐことが出来ず、青木ゆみ子という女性の乗客を、死なせてしまったのです。これでは、名警部の名前が、泣くというものです。
そこで、小生としては、彼の名誉のために、殺人ゲームの第二ラウンドを設けることにしました。今度、死ぬのは、「カ」で始まる名前の男性です。日時は十一月十日。場所は、今度は予告しません。ゲームは、次第に難しくなるのが当然だからです。十津川警部には、すでに、電話で予告しておきました。名警部なら、見事、この殺人を防いで見せてもらいたいと思います。
この手紙を、貴社に送ったのは、新聞が、この殺人ゲームの勝敗を、冷静な眼《め》で、見定めて、ほしいからです。
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[#地付き]白石 要《かなめ》〉
4
本多は、すぐ、十津川を、呼んで、この手紙を見せた。
中央新聞の田口は、十津川の大学時代の友人でもある。
「他の新聞社にも、同じものが、来ていると思うね」
と、田口は、十津川に、いった。
「そうだろうね。この犯人は、顕示欲《けんじよく》の強い人間のようだからね」
「白石要と署名してあるんだが、君は、何か記憶がないのか?」
「第一の手紙にも、同じ名前があったよ。だから、考えてみたんだが、記憶にないんだ」
と、十津川は、いった。
本多は、そんな十津川に、
「こうなったら、記者会見をやるより仕方がないな」
と、いった。
十津川も、賛成だった。
これで、マスコミに知らせるか否かで、悩むことが、必要なくなったからである。
すぐ、記者会見が、開かれ、本多と、十津川が、出席した。
そのことで、わかったのは、田口の予想した通り、同じ手紙が、全部の新聞社に、速達で、配達されていたことである。いや、手紙は、新聞社だけではなく、各テレビ局にも、送られていた。
従って、記者会見の席には、テレビカメラも、入ってきた。
十津川は、第一の手紙を、見せ、昨日、犯人から掛かってきた電話のテープも、聞かせた。
彼の説明が終ると、記者たちから、一斉《いつせい》に、質問が、浴びせかけられた。
――犯人が、指定した日は、明日ですが、殺人を防ぐ自信はありますか?
「正直にいって、ありません」
――白石|要《かなめ》は、十津川警部に、強い反感を持っている感じだが、心当りは、ないんですか?
「ありません。過去の事件を調べていますが、該当するような人間は、見つかっていないのです」
――どこで殺人が行われるか、想像はつきますか?
「全く、つきません」
――この犯人は、精神異常と思いますか?
「わかりませんね。たとえ、彼が、そうだとしても、病んでいるのは精神で、頭の切れる男だと、思っています」
――犯人は、「カ」で始まる男だけを、狙《ねら》うと思いますか?
「多分ね。だが、殺人者に、ルールがあるかどうか、わかりません」
――これから、どうするんですか? 警察の方針を、教えて下さい。
「今、犯人の輪郭《りんかく》だけでもつかみたいと、必死になっているところです」
――手紙の消印は、東京中央になっているんですが、犯人を、東京に住んでいる男と、思いますか?
「思いますね。だからこそ、警視庁の私に、ケンカを売ってきたんでしょう」
――この手紙が、来なかったら、警察は、今度の事件のことを、発表しない方針だったんですか?
「迷っていました」
と、これは、本多が、答えた。
テレビが、まず、この事件を、ニュースにのせ、各社の夕刊が、それを追った。
十津川は、亀井たちと一緒に、その夕刊に、眼を通した。
「問題の名前の男性は、明日一日、外出しない方がいいと、書いている新聞もありますね」
と、亀井が、いった。
「仕事を持っている人は、そうもいかんだろう」
十津川は、暗い顔で、いった。
「カ」の名前の男は、きっと、気分が悪いだろう。
「カメさんは、どんな気持ですか?」
と、若い西本刑事が、亀井に、きいた。
「おれ? まさか、刑事のおれは、狙《ねら》わんさ」
「わかりませんよ。刑事が、標的ともなれば、一般人よりも、ニュースバリューがありますからね。犯人だって、自慢が出来るというもんでしょう」
西本は、もちろん、冗談《じようだん》で、いったのだろう。
「おれには、その方が、有難いがね」
と、亀井は、笑った。
十津川は、腕時計に、眼をやった。すでに、午後七時に近い。
あと、五時間で、十日になる。犯人が、宣告した日になる。
十津川は、もう一度、自分が、担当した事件を、振り返ってみることにした。
白石|要《かなめ》は、偽名《ぎめい》だろう。
だが、十津川が、過去に担当した事件の犯人で、彼に対する恨《うら》みから、こんなことをするのなら、何とか、それらしい人物を、思い出さなければならない。
深夜になっても、十津川は、調書を、一つ一つ、眼を通している。
亀井が、インスタントだが、コーヒーをいれてくれた。
「それらしい人物が、見つかりましたか?」
「だめだねえ」
と、十津川は、肩をすくめ、疲れた眼を、しばたいた。
亀井のいれてくれたコーヒーを、口に運んでから、
「これはと思う男は、刑務所に入っていたり、すでに、死んだりしているんだ」
「とすると、バカげた話ですが、この犯人は、本当に、殺人を、ゲームと考えているということになりますね」
「そうだとすると、一体、どんな人間だろうか?」
十津川は、自問する調子で、呟《つぶや》いた。
電話の声からすると、三十歳から四十歳くらいの男だろう。
新聞社やテレビ局への手紙で、自分のことを「小生」としているが、だからといって、老人とは、限らない。わざと、古めかしい言葉を使う若者も多いからだ。
職業は、何だろう? サラリーマンだとすると、七日から八日にかけて「さくら」に乗ったのは、休暇願を出したのか。
多分、友だちは、少ないか、全く、いないかではないか。
殺人をゲームと考えるような男は、日常は、変に、物静かではないだろうか。
結婚もしていないだろう。妻子があれば、それが、ブレーキになって、そんなバカなことは、しないものだ。
十津川には、心当りはないが、犯人は、警察全体に対して、憎《にく》しみを感じているのかも知れない。
若い派出所勤務の警官に対する反感でも、警察全体に対する反感になりやすい。
犯人は、列車が、好きなのだろうか?
とすると、第二の殺人も、また、列車の中でということに、なりかねない。
「犯人は、今|頃《ごろ》、何を考えているんですかね?」
亀井が、窓の外に、眼をやって、いった。
窓の外は、完全な夜景になっている。
「夕刊を見て、ニヤニヤ笑っているかも知れんよ。犯人の思惑《おもわく》通り、彼の手紙が、大きく載っているからね」
「今度、犯人が狙《ねら》う男と、昨日、殺された青木ゆみ子との間には、何か、関連があるんでしょうか?」
「それだけでも、わかればと、思うんだがね」
と、十津川は、いった。
もし、何らかの関連があれば、無差別殺人でもなくなり、被害者から、逆に辿《たど》っていって、犯人が見つかる可能性が、出てくるのだ。
「それも、第二の被害者が、出ないうちにね」
と、十津川は、付け加えた。
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第三章 夜明けの死体
1
十津川は、二つの方針を立てることにした。
一つは、今度の事件が、一見、無差別殺人に見えながら、実は、ある目的を持った殺人ではないかという考えである。
それなら、犯人は、青木ゆみ子を、ただ単に、彼女が、「ア」で始まる名前だから、標的に、選んだのではないことになる。
犯人は、最初から、青木ゆみ子を殺したかったのだ。
殺人ゲームは、その目的を隠すためのゼスチュアということになる。
この方針に沿って、第一の捜査を進めることにした。
この推理が当っていれば、犯人は、青木ゆみ子の周辺にいることになるのだ。
日野まゆみの周辺と、いいかえてもいい。彼女を、恨《うら》んでいる人間を、見つけて、マークすることを、十津川は、部下に、指示した。
第二の方針は、犯人の挑戦を、言葉通りに、受け取って、対応することだった。
この場合の対応は、難しい。というより、対応の方法が、見つからないといってもいいだろう。
一応、「ア」「カ」と、名前のイニシアルを指定してはいるが、ほとんど、無差別に、殺し、或《ある》いは、殺そうとしているのと、同じだからである。
(警察の問題というより、精神医の問題みたいなものだ)
と、十津川は、思う。
第二の方針については、十津川と、亀井の二人だけで、当ることにした。捜査員に、何人集めたから、成果があがるというものではなかったからである。
西本刑事たちは、青木ゆみ子(日野まゆみ)の周辺を洗って、何人かの容疑者を、メモした。
彼女と関係のあった男たちである。その中から、彼女が殺された時刻のアリバイが、あいまいな者を、更に、抜き出した。
「人数は、三人です」
と、西本は、十津川に、報告した。
「その三人を、今日一日、しっかりと、監視していてくれ」
と、十津川は、指示した。もし、その三人の中に、犯人がいれば、逮捕できるだろう。
「さて、われわれだが」
と、十津川は、腕時計を見た。
午前十一時を廻っている。犯人が、決めた十一月十日も、あと、十三時間で終る。
「どうしたらいいかね? カメさん」
「どうしようもありません。何をしていいのか、わかりませんよ」
と、亀井は、肩をすくめた。
「することがないか」
「サッカーのゴール・キーパーみたいに、右か左か、可能性に賭《か》けて、跳《と》ぶことは、出来るでしょうが」
「どういうことだい?」
「犯人が、また、列車の中で、殺人をやると考えて、何十分の一かの可能性に賭けて、列車の一つに乗ってみることです。幸運なら、犯人と同じ列車に、乗ることが、出来ます」
「それぐらいのことしか、出来ないかね?」
「出来ませんね」
「参ったな」
「西本君たちの捜査が、当っていることを、祈るよりないんじゃありませんか。それに、下手に動くより、ここで、じっと、待機していた方が、犯人を逮捕するには、いいと、思います」
「じっと待つよりないのか」
十津川は、いらだちを顔に見せたが、考えてみれば、亀井のいう通りなのだ。わかるのだが、じっと、何かを待っている気にはなれそうもない。
「なぜ、『ア』の次は、『カ』なのかな?」
十津川は、そんな疑問を、口にした。何か考えていれば、少しは、いらだちを、おさえることが出来る。
「それも、犯人の目的によって、変わってきますね」
「わざと、ゲームらしくしているのかな」
「そうでなければ、犯人の殺したい人間が、偶然、『ア』の次が、『カ』だったのかも知れません」
「バカにしやがって。人間の命を、何だと思っているんだ」
と、十津川は、彼らしくない口調で、文句をいった。
時間が、たっていく。
陽《ひ》が落ちて、暗くなってくる。
(あと、六時間か)
と、十津川は、時計を見た。犯人は今、どこにいるのだろうか?
2
午後九時を過ぎた。
夜になってから、都内で、二件の殺人事件が、発生した。
ヤクザ同士の抗争で、拳銃《けんじゆう》で射殺された男が一人。だが名前は、新田隆《につたたかし》で、「カ」ではない。
もう一人は、若い女性である。内縁関係にあった男に、ナイフで刺されて、殺されたのである。
いずれも、今度の事件には、関係がないことだった。
十時、十一時と、過ぎても、これだという知らせは、入ってこなかった。
とうとう、十二時を過ぎた。犯人の指定した十一月十日が、終ったのだ。
西本たちから、電話が入った。
彼等が、マークしていた三人の男は、自宅から、動かなかったという報告だった。
十津川は、窓を開けて、夜の東京に、眼をやった。
冷気が、彼の左肩に、当ってくる。
(今日は、何も起きなかったのだろうか?)
それならいい。だが、どこかで、「カ」の名前の男が殺されていて、まだ、発見されずに、いるのではないのか?
「カメさんは、どう思うね?」
と、十津川は、窓を閉めて、亀井に、きいた。
「朝になるまで、何ともいえませんね」
と、亀井は、いう。
「やはり、カメさんも、まだ、死体が発見されないのだと、思うかね?」
「わかりませんが、犯人は、顕示欲《けんじよく》の強い男です。殺していれば、きっと、向うから、連絡してきますよ」
「そして、勝利宣言をするか」
「そうでなければ、一番いいんですが」
と、亀井は、いった。
「少し、寝た方がいいな。もう、殺されてしまっていれば、今のわれわれには、どうすることも出来ないんだし、犯人が、失敗したんだとしても、同じだからね」
と、十津川は、いった。
部屋に、毛布を持ち込んで、二人は、横になった。
西本たちも、次々に、戻って来た。第一の方針は、空振りに、終ったのである。
十津川は、少し眠った。
「警部、電話です!」
と、西本が、緊張した声で、起こしたのは、午前五時過ぎである。
「あいつか?」
と、十津川は、はね起きて、きいた。
「わかりませんが、男です」
「わかった」
十津川は、受話器を受け取ってから、テープレコーダーのスイッチを入れた。
「十津川だ」
「おれだよ」
と、男の声が、いった。あの男の声だった。
「白石|要《かなめ》か?」
「それは、仮の名前でね。まあ、それは、どうでもいい。昨日は、一日中、落ち着かなかったんじゃないのか?」
「だから、どうだというんだ? 今、どこにいる?」
「当ててみるんだね」
と、男は、いってから、
「ゲームは、また、おれの勝ちだな」
「殺したのか?」
「夜が明けたら、わかるさ」
「なぜ、そんなことをする?」
「あんたと、ゲームをしたいからだよ。それだけさ。また、電話する」
「もし、もし――」
と、十津川が、呼びかけたが、もう、電話は、切れてしまっていた。
十津川は、腕時計に眼をやり、午前五時十九分と、時刻を、メモした。
十津川は、テープを再生して、亀井たちにも、聞かせた。
「これ、本当でしょうか?」
日下《くさか》刑事が、首をかしげながら、いった。
「わからんね。だが、奴《やつ》は、得意そうだ」
「逆探知は?」
と、亀井が、清水刑事に、きいた。が、清水は、電話局に、問い合せてから、首を横に振った。
「夜が明けたら、わかるというのは、どういうことですかね?」
と、西本が、きいた。
「明るくなったら、死体が見つかるということだろう。夜が明けるのは、何時|頃《ごろ》だ?」
「午前七時頃だと、思います」
「バカにしやがって」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
人命をタネに、楽しんでいるような男の喋《しやべ》り方が、無性に、腹が立つのだ。
どこかの公園の草むらにでも、死体が、横たわっているのだろうか?
それとも、どこかの会社の敷地内に、死体があって、出勤してくる社員が、発見することになっているのか?
3
午前六時五八分。
昨日の一五時三七分に、山陰《さんいん》の浜田《はまだ》を出発した寝台特急「出雲《いずも》4号」が、東京駅に、到着した。
夜が明けて、ホームの蛍光灯が、何となく、ぼやけてしまっている。
「出雲4号」は、十一両編成で、1号車が、個室寝台、8号車が食堂車、あとの九両が、B寝台である。
顔を洗い、身仕度をした乗客が、ホームに降りてくる。緊張《きんちよう》した顔もあれば、眠たげな顔もある。
車掌長の山下は、乗客の消えた車内を、見て廻った。
1号車の個室寝台は、一両に、十四の個室がついている。
多少、料金は高いが、中から、カギがかかるので、プライバシイが、確保できるし、いつまで寝ていてもいいので、人気があった。
今日の「出雲4号」も、全体では、四割の乗車率だったが、個室寝台は、十三室が、ふさがっていた。
山下車掌長は、個室の一つ一つを、のぞいて、いった。
一番|端《はし》の1号室のドアを開けた時、寝台に、男が、寝ているのに、気がついた。
(困るな)
と、思いながら、山下は、中に入って、
「お客さん、東京ですよ」
と、声をかけた。
男は、俯《うつぶ》せになったまま、返事をしない。
「お客さん――」
と、もう一度、声をかけてから、白いシーツが、赤く染っているのに、気がついた。山下車掌長は、ぎくっとなった。
山下は、あわてて、ホームにいる駅員を呼んだ。
二人で、俯せの男の身体《からだ》を、引っくり返してみた。寝巻姿の腹のあたりが、血で、真っ赤だった。
駅員が、すぐ、警察に知らせた。
東京駅派出所の警官二人が、駈《か》けつけた。
一人が、脈を診《み》た。が、すでに、反応はなかった。
「死んでいる」
と、その警官は、いった。
初動捜査班の刑事たちが、やって来た。鑑識《かんしき》も来た。
「腹を、ナイフで刺されてるね」
と、初動捜査班の青山警部が、確認するように、いった。
「何か、身元を証明するようなものはないか?」
と、青山が、いい、刑事の一人が、エモン掛けの背広を外し、内ポケットから、財布と、名刺入れを抜き出して、渡した。
名刺入れには、同じ名前の名刺が、十五、六枚入っていた。
〈M電気営業部第一営業課 金村|慧《さとし》〉
と、名刺には、印刷されている。
「カナムラ?」
と、青山は、いってから、急に、顔色を変えた。ホームの電話で、警視庁捜査一課にいる十津川に、連絡をとった。
「おれだよ」
と、青山は、同期の気やすさで、いってから、
「今、ブルートレイン『出雲4号』の車内で、男の死体が、見つかった。名前は、金村慧だ」
「カナムラだって?」
十津川の声が、険しくなった。
「そうだ。『カ』の男だよ」
「その列車は、何時に、東京駅に着いたんだ?」
「午前六時五八分。夜明けと共に、到着したようなものだ」
「すぐ、そっちへ行く!」
と、十津川が、大声で、いった。
4
十津川は、亀井刑事たちを連れて、東京駅に、駈《か》けつけた。
問題の「出雲《いずも》4号」は、すでに、10番線には、なかった。品川に回送されているという。
死体は、東京駅の派出所に、置かれていた。青山警部が、十津川を迎えて、
「君の担当している事件と、関係があると思うかね?」
「カナムラという名前は、間違いないのかね?」
「間違いないよ。これが、持っていた名刺だ。それに、上衣《うわぎ》の内側に、『金村』のぬい取りもあったよ」
青山は、同じ名前の名刺を、何枚も、十津川に、見せた。
「それなら、関係があると思うね。さっき、例の男から電話が入って、夜が明ければ、約束を実行したのがわかると、いってきていたんだ。『出雲4号』は、夜明けに、この東京駅に着いている。とすれば、この死体が、あの犯人の獲物《えもの》の可能性が、強いんだ」
と、十津川は、いった。
初動捜査班が、事件を引き継いで、帰ってしまったあと、十津川は、派出所の隅《すみ》に横たえられている死体を、改めて、見つめた。
身長は、一七〇センチ前後といったところか。年齢は、多分、三十五、六だろう。
寝巻姿ということは、個室寝台で、寝ているところを、刺されたに違いない。
金村|慧《さとし》の所持品は、机の上に、置かれてあった。
「金村」のぬい取りがしてある三揃《みつぞろい》の背広、ワイシャツに、ネクタイ。イタリア製の靴《くつ》、財布《さいふ》には、十三万円ばかりの金が入っていた。
腕時計や、ネクタイピンなどは、国産品だが、かなり、高いものに見えた。それは、営業の人間ということが、関係あるのかも知れない。
他に、小型のスーツケースがあった。中身は、下着や、洗面道具、充電式の電気カミソリ、小型の目覚時計などである。
最後は、被害者の持っていた切符である。
出雲市から、東京までの個室寝台の切符だった。
凶器《きようき》は、鋭利なナイフと思われるが、犯人が、持ち去ったのか、被害者のいた個室からは、発見されていない。
死体は、解剖のために、運ばれて行った。
十津川と、亀井は、被害者が働いていたM電気の本社へ、廻ってみることにした。
場所は、大手町《おおてまち》である。
九時が、過ぎてから、十津川たちは、M電気本社ビルのドアを開けて、中に入った。
二人は、被害者の上司である第一営業課長に、会った。
森下という四十二歳の小柄な男である。
もちろん、まだ、金村慧が死んだことは知らなかったといい、青い顔になった。
「金村君は、営業のベテランでしてね。今度、出雲市に、うちの営業所が出来たので、そこの営業の指導に、行っていたんです」
と、森下は、いった。
「今日、帰京することに、なっていたんですか?」
「そうです。今日、本社へ帰って来ることに、なっていました」
「金村さんは、ブルートレインに乗っていたんですが、出雲から、何を使って帰京するかは、決まっていたんですか?」
「いや、それは、本人に、委《まか》せてありました。社費は、一応、航空運賃で、支給していますが、飛行機の嫌《きら》いな人も、いますからね。要は、今日の九時までに、出ていれば、いいんです」
「金村さんが、今日、東京に戻ることは、何人もの人が、知っていましたか?」
と、亀井が、きいた。
「少なくとも、うちの課の連中は、みんな知っていましたよ」
「金村さんというのは、どんな人だったんですか?」
「そうですね」
と、森下は、一拍おいてから、
「今も申し上げたように、営業マンとしてはベテランですよ。優秀な人材でしたね。ただ、家庭的には、恵まれていなくて、奥さんとは、離婚したばかりでした」
「離婚の原因は、何でした?」
「改まってきいたことはありませんが、まあ性格の不一致ということじゃないんですかね」
「金村さんを、嫌《きら》っていた人は、いますか?」
「そんな人はいないと、思いますよ。彼は、面倒みのいい男でしたからね」
と、森下課長は、いった。
5
だが、同僚の話は、少し違っていた。
「普段は、いい男ですが、酒を飲むと、人が変わりますね」
と、同僚の一人はいった。
「どう変わるんですか?」
十津川が、きいた。
「酒乱に近くなるんです。やたらと、気が強くなって、誰彼《だれかれ》の見境なく、ケンカを売るんです。一緒に、飲んでいる奴《やつ》が、いい迷惑でしてね。僕も、彼がチンピラにケンカを売ったんで、一緒に、袋叩《ふくろだた》きにあったことがありますよ」
その同僚は、苦笑して見せた。
「すると、奥さんと別れたのも、そのせいですかね?」
「ええ。奥さんも、愛想がつきたんじゃありませんか。飲まない時は、仕事熱心だし、素直だし、いい男なんですがね」
「金村さんが、誰かに、強く恨《うら》まれていたということは、ありませんか?」
十津川が、きくと、相手は、「殺されるほどですか?」と、きき返してから、
「僕なんかも、今いったように、酒の上では、迷惑をかけられていますが、だからといって、憎むということはありませんね。とにかく、酒の上のことですからね」
「金村さんが、よく行っていた店の名前を教えてくれませんか」
と、十津川はいい、新宿三丁目の「菊《きく》」というクラブを、教えられた。
まだ、昼前である。その店が開くまでに、やらなければならないことは、いくらでもあった。
十津川は、捜査本部に戻ると、M電気の出雲《いずも》営業所へ、電話を掛けた。
所長に、電話口に来てもらって、金村|慧《さとし》が、殺されたことを告げた。
「今、本社の森下さんから聞いて、びっくりしているところです」
と、所長は、いった。
「金村さんは、そちらに、何日間いたんですか?」
「三日間です」
「昨日の午後五時二十三分に、『出雲4号』は、出雲市を、発車でしたね?」
「そうです。私も、駅まで、送りました」
「その時の金村さんの様子は、どうでした?」
「どうって、別に、変わったところは、ありませんでしたよ」
「何かを、怖《こわ》がっているようには見えませんでしたか?」
「ええ。別に。久しぶりに、ブルートレインの個室寝台に乗るといって、ニコニコしていましたよ」
「金村さんは、酔うと、乱暴になるというんですが、そちらでは、どうでした?」
「そのことなら、こちらでは何もありませんよ。金村さんは、こちらに着いてすぐ、自分は、酔うと、何が何だか、わからなくなるから、酒をすすめないでくれといわれたんですよ。それで、三日間、飲みに誘いませんでしたから、何も、起きていません」
「すると、そちらの三日間では、何も、起きていないということですか?」
「ええ。いい三日間でした。熱心に、教えてくれましたからね」
と、所長は、いった。
昼近くなって、解剖の結果が、わかった。
死因は、腹を刺されたことによる出血死である。
問題の死亡推定時刻の方は、昨夜の午後十一時から、十二時の間だった。
列車の時刻表によれば、「出雲4号」は綾部《あやべ》と、京都の間を、走っている時である。
綾部 発 二三時〇一分
京都 着 〇時二五分
と、時刻表は、なっている。
恐らく、犯人は、綾部を出てから京都の近くまで来る間に、個室に入り、寝巻姿の金村を刺し殺したのだ。
「出雲4号」が、京都に着いた時は、すでに、金村は、死んでいたことになる。
「犯人は、約束通り、十一月十日に、『カ』で始まる男を、殺したんだ」
と、十津川は、いった。
「これは、偶然ですかね?」
と、亀井が、きく。
「何がだ?」
「金村|慧《さとし》が、殺されたことです。犯人は、最初から、金村を殺す気だったのか、それとも、『カ』で始まる名前を探していて、偶然、見つけたのが、金村だったのかということなんです」
「今のところは、どちらとも、いえないな。まだ、犯人の狙《ねら》いが、何なのか、わからない状況だからね。単に、私に、挑戦してくる気なのか。もし、そうなら、金村慧でなくても、『カ』で、始まる名前の男なら、誰《だれ》でも、よかったわけだからね」
と、十津川は、いった。
もし、金村が、偶然に、選ばれたのだとしたら、彼の身辺を、調べること自体、無意味になってしまう。犯人は、金村が、酒乱であることとか、最近、離婚したこととは、関係なく、攻撃したであろうからである。
それでも、夜になると、十津川は、亀井と新宿の「菊《きく》」という店へ出かけた。
十五、六坪のビルの地下の店である。
十津川は、ママさんに、金村慧のことを、きいてみた。
「金村さんが亡くなったんですってね。さっき、夕刊を見て、驚いてるんですよ」
と、四十五、六歳のママは、大げさに、肩をすくめた。あまり、驚いているようには、見えないところをみると、金村は、あまりいい客ではなかったのかも知れない。
十津川は、そんなことを、考えながら、
「ここには、よく来ていたそうですね?」
と、きいた。
「いいえ。月に、せいぜい二度、ほどですよ」
ママは、心外だという顔で、いった。あまり、親しい客ではなかったと、いいたいらしい。
「酒癖《さけぐせ》が、悪いということを、聞いているんですが、それらしいことが、ありましたか?」
亀井が、きくと、ママは、眉《まゆ》をひそめて、
「ええ。うちで、暴れて、困ったことがありましたよ。普段は、大人《おとな》しい、いいお客さんなんですけどね。ある量以上のお酒が入ると、急に、人が変わったみたいになるんですよ」
「ケンカを売るわけ?」
「ええ。お客同士のケンカになって、ずいぶん、迷惑を受けたことがありましたよ。今度も、お酒が原因で、殺されたんですか?」
「いや、それはないと思いますが、金村さんが、誰《だれ》かに、恨《うら》まれていたということは、ありませんかね? そのケンカの相手に、恨まれていたということは、どうだろう?」
亀井が、きくと、ママは、「健《けん》ちゃん」と、バーテンを呼んで、金村のケンカの相手のことを、きいた。
「あれは、林さんですよ。K産業の」
「ああ、そうだったわね」
と、ママは、肯《うなず》き、箱の中に詰め込んである沢山の名刺の中から、「林健一郎」と刷られたものを、抜き出して、十津川に、見せてくれた。
「この人と、ケンカをしたわけですか?」
と、十津川は、確かめるように、きいた。
「ええ。大ゲンカでしたよ」
と、ママは、いう。
翌日、十津川と、亀井は、西新宿にあるK産業に、林を、訪ねた。
K産業は、大手の不動産会社だった。社内に、活気があるのは、土地の高騰《こうとう》で、儲《もう》かっているのだろう。
林健一郎は、四十歳前後で、眼鏡《めがね》をかけ、物静かな感じの社員である。
「あなたと、『菊《きく》』でケンカをした金村さんのことを覚えていますか?」
と、十津川が、きくと、林は、顔をしかめて、
「もちろん、よく覚えていますよ。あれは、ひどい話ですからね。私が、ひとりで飲んでいたら、いきなり、ケンカを、吹っ掛けてきたんですから」
「何ていって、ケンカを仕掛けてきたんですか?」
「それが、今でも、よくわからんのですよ。向うは、完全に、酔っ払っていましたからね。無茶苦茶ですよ。一方的に、殴《なぐ》られましたよ。警察に訴えてやろうかと思いましたが、いちいち、呼ばれて、事情聴取をされるのが嫌《いや》で、諦めたんです」
「金村さんが、死んだのを、知っていますか?」
亀井が、いうと、林は、眼鏡の奥《おく》の眼《め》を丸くして、
「へえ。誰《だれ》かと、ケンカして、そんなことになったんですか?」
「いや、夜行列車に乗っていて、殺されたんです」
「知りませんでしたね。そうですか」
「一昨日、十一月十日の夜は、どこにおられました?」
「私を疑ってるんですか?」
林は、びっくりしたように、十津川を見た。
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第四章 録音テープ
1
「あなたには、動機がありますからね」
と、十津川はいった。
「冗談《じようだん》じゃない。私に、どんな動機があるんですか?」
林は、眼《め》をむいた。
「ケンカをしたんでしょうに、あなたのいい方をすれば、ケンカを一方的に売られたわけでしょう」
「だからといって、私は、相手を殺したりはしませんよ」
「では、一昨日《おととい》の夜は、どこにおられたか、教えて下さい。午後十一時から十二時の間です」
「そんな遅くなら、自宅で、寝ていましたよ。家内が、証人です」
「奥さん以外の証人は、いないんですか?」
「私は、子供がいなくて、家内と二人の生活ですからね。夜遅くなら、二人だけでいるのが当然じゃありませんか」
林は、むっとした顔で、いった。
「金村さんとケンカした新宿の『菊《きく》』ですがね。あのあとで、行かれていますか?」
「ええ、時々ね。ママさんが、いい人ですからね」
「金村さんに、また、会いましたか?」
「いや、会っていません」
「金村さんの名前は、ケンカをする前から、知っていましたか?」
「いや、殴《なぐ》られてから、ママに、聞いたんですよ。あの柄《がら》の悪い男は、何者なのかってね。そしたら、金村という男だと、教えてくれたんです。あとで知ったんですが、酒癖《さけぐせ》が悪いんで、有名だったようですがね」
「あの店で、知り合いが、出来ましたか?」
「ええ。何人かはね」
「その人たちは、酒癖が、悪くない?」
「もちろんですよ。気のいい連中としか、私は、友だちに、なりませんからね」
「その人たちも、あの店の常連ということですね?」
「ええ。そうですね」
「とすると、その人たちも、金村さんのことは、知っていますね?」
「わかりませんが、知っている人も、いると思いますよ」
と、林は、いった。
十津川は、いったん、亀井と、捜査本部になった京橋警察署に戻った。
「あの林という男は、シロだと思いますね」
と、亀井が、いう。
「ああ、わかってるよ」
十津川は、笑いながら、いった。亀井は、変な顔をして、
「しかし、警部は、熱心に、林のアリバイをきいておられましたが」
「念のために、やったことで、あの男に会ったとたんに、犯人じゃないとわかったよ。声も、電話のものとは違っていたし、今度の犯人は、そんな甘い男じゃない。ただ、問題なのは、犯人の動機だよ。前にもいったが、今度の犯人は、私に挑戦するために、無差別殺人をやっているといっているが、それが、本当かどうかを、見極める必要がある。ひょっとすると、それは見せかけで、本当は、第一の被害者の青木ゆみ子と、第二の被害者の金村|慧《さとし》に対して、個人的な恨《うら》みを持っているのかも知れない」
「よくわかります」
「だから、金村に対して、個人的な恨みを持っている林も、簡単には、無視できなかったんだよ」
「同感です」
「どうやら、個人的な怨恨《えんこん》の線は、なさそうだ。カメさんは、どうだね?」
「私も、そう思います。日野まゆみ、こと、青木ゆみ子と、金村慧の間には、今のところ、何のつながりも見つかりません」
「そうなると、犯人は、私への挑戦という目的だけで、無差別に、二人の男女を、殺したことになる」
「しかし、完全に、無差別というわけじゃありません。『ア』で始まる名前の女と、『カ』で始まる名前の男が、殺されました」
「そこが、引っ掛かるんだよ」
十津川は、溜息《ためいき》をついた。
亀井は、黙って、十津川の次の言葉を待っている。
十津川は、煙草《たばこ》をくわえて、火をつけた。禁煙に心掛けているのだが、考えることが多くなると、どうしても、煙草を吸ってしまう。
「犯人は、カメさんのいう通り、完全に、無差別ではなく、名前を限定して、殺している。正確にいえば、名前のイニシアルを、限定してだ。なぜ、そんなことをするのか。その理由は、いろいろ考えられるとして、まず疑問なのは、犯人が、なぜ、十一月七日に、日野まゆみこと、青木ゆみ子が、ブルートレイン『さくら』に、乗るのを知っていたか、また、十日には、金村慧が、『出雲《いずも》4号』に乗るのを知っていたかと、いうことだ」
「そうですね」
「まず、考えられるのは、犯人が、二人の被害者の近くにいる人間ではないかということだ」
「それを、調べてみましょう」
と、亀井は、いった。
2
犯人が、十津川に、挑戦の電話を掛けてきた時の声のテープが、何本かコピーされ、それを持った刑事たちが、青木ゆみ子と、金村|慧《さとし》の周辺の人々に、会いに出かけた。
青木ゆみ子の場合は、タレントとしての日野まゆみの周辺の人間ということでもある。彼等に、犯人の声を聞かせて、反応を見るためである。
犯人の電話の声は、かなり、特徴があると、十津川は、思っていた。声そのものの特徴というより、喋《しやべ》り方といった方が、いいだろう。
話し相手を、見下すような、からかうような喋り方である。いつもは、ひたすら、へりくだった喋り方をしている男が、急に、傲慢《ごうまん》になったのかも知れないが、十津川は、犯人は、日頃《ひごろ》から、ああいう喋り方をしているのだろう、と思った。
それなら、もし、犯人を知っている人間がいれば、電話のテープを聞いて、すぐ、気が付くのではないか。十津川は、それに、賭《か》けてみたのである。
亀井と、清水が、日野まゆみこと、青木ゆみ子の知人や、友人に、会いに行き、西本と日下《くさか》は、金村慧の仲間に、テープを聞かせて廻った。
だが、なかなか、聞き覚えがあるという人間は、出てこなかった。
亀井たちは、何回も、テープを聞かせてみた。相手は、熱心に聞いてくれるのだが、聞き終ると、首をかしげてしまうのだ。
「とにかく、少しでも、似ていると思う男がいたら、その名前を、教えて下さい」
と、亀井たちは、頼んだ。
もし、教えてくれても、教えた人間の名前は、公表しないし、マークする人間にも、わからないようにすると、約束した。
その結果、日野まゆみ(青木ゆみ子)関係で、三人、金村慧の周辺からは、二人の男の名前が、あがってきた。
亀井たち四人の刑事は、その名前を、メモして、捜査本部に、戻った。
○日野まゆみ(青木ゆみ子)関係
小野洋一(二十六歳)
末広 誠《まこと》(三十六歳)
中村|幸夫《ゆきお》(三十歳)
○金村慧関係
三宅《みやけ》 良《りよう》(四十歳)
平岡《ひらおか》 明《あきら》(三十一歳)
この五人である。
亀井が、その名前を、黒板に、書いていった。
「両方に重なる名前がないのが、気に入らないね」
と、十津川が、いった。もし、両方に、同じ名前が、出ていれば、その男が、犯人の可能性が、大きいからである。
「これから、どうしますかね。この五人を呼んで、訊問《じんもん》してみますか?」
亀井が、チョークを置いて、十津川にきいた。
「まず、五人の電話番号を調べてくれないか。本人に、知られないようにだ」
と、十津川は、いった。
また、刑事たちが、出かけて行き、五人の男たちの電話番号を、調べてきた。
十津川は、電話機に、テープレコーダーを接続しておいてから、一人ずつ、電話を掛けていった。
最初は、小野洋一である。
十津川は、録音ボタンをオンにしてから、ダイヤルを回した。
相手が出た。
「小野さんですか?」
「ええ。そうですが」
「こちらは、捜査一課の十津川警部です」
「警部さんが、何の用ですかね」
「おわかりと思いますが、日野まゆみさんが、殺されました。彼女の本名は、青木ゆみ子です。彼女は、ご存知ですね?」
「ええ。もちろん、知っていますよ」
「では、犯人逮捕に、協力して下さい」
「どうすれば、いいんですか? 何でもしますが」
「あなたが、犯人に、呼びかけてもらいたいんですよ」
「僕が? 何て、呼びかけるんですか?」
「今度の犯人は、警察に対して、激しい敵意を抱いていて、ただ、警察の鼻をあかすために、彼女を殺したんですよ」
「そんなの、無茶苦茶じゃありませんか」
「そうです。無茶苦茶です。ですから、犯人に、そんなことをすれば、ただ、人々の怒りを買うだけだと、教えてやりたいんですよ。その線で、犯人に、語りかけて下さい。あなたの言葉を録音して、今度、犯人から電話があったら、聞かせてやりたいと、思うのです」
「しかし、なんていったらいいんですか? 適当な文句が、思い浮びませんよ」
「それでは、こういって下さい。『いい大人が、殺人をゲームにして、嬉《うれ》しがっているのは、やめるんだ。『ア』で始まる名前の女とか、『カ』で始まる名前の男とか、そんな、ナゾナゾ遊びも、やめたまえ。そんなことをして、恥しくないのか?』とです」
「それを、いうんですか?」
「これから、テープを回しますから、今の言葉を、いって下さい。犯人を説得して、殺人を止めさせるんですから、感情を籠《こ》めていって下さい」
と、十津川は、いった。
だが、小野は、照れ臭いのか、なかなか、いおうとしない。
「あなただって、犯人を、捕えたいんでしょうに。彼女を殺した犯人をです。さあ、犯人に向って、語りかけて下さい」
十津川が、ハッパをかけると、小野は、やっと話し出した。
「いい大人が、殺人をゲームにして――」
3
十津川は、他の四人にも、同じ電話を掛け、犯人に向って、語りかけることを、要請した。
簡単に、協力してくれる男もいれば、なぜ、おれが、そんなことをしなければならないんだと、怒り出す男もいた。
三宅《みやけ》が、そうだった。金村|慧《さとし》と同じM電気に勤め、柔道三段だという三宅は、
「おれは、金村を嫌《きら》いだったんだ。奴《やつ》には、嫌《いや》な目にあってるからな。そんな男のために、どうして、おれが、犯人に語りかけなきゃならないんだ? おれは、奴を殺してくれた犯人に、感謝してるんだぜ」
と、大きな声で、いった。多少は、酔っているようだった。
十津川は、こんな三宅に対しては、思い切って高圧的に出た。
「それなら、こちらは、君を、殺人容疑者として、逮捕するよ。君は、今、金村慧が、嫌いだといった。死んだことに、喝采《かつさい》しているみたいな口ぶりだった。つまり、動機があるということになるんだ」
それで、三宅は、急に、大人しくなってしまい、十津川のいう通りに、喋《しやべ》ってくれた。
五本の録音テープが出来あがると、十津川は、犯人の電話のテープと一緒に、科捜研に、持って行った。五本のテープの中に、犯人のテープと、同一人のものがあるかどうか、調べてもらうためだった。
声紋の研究で知られている科捜研の原口技官は、十津川に向って、
「五本もだと、時間が、かかるよ」
「どのくらいの時間が、必要ですか?」
と、十津川は、きいた。
「少なくとも、四十八時間は、かかるね。これで、殺人事件の犯人を決めるとなれば、慎重の上にも、慎重でなければならないからね」
「二日間ですか。こちらとしては、なるべく早く、結果が、知りたいんですよ」
「犯人が、その間に、逃亡するのが、心配なのかね?」
「いや、逆です。その間に、犯人が、第三の殺人を犯すのが、心配なんですよ」
と、十津川は、いった。
しかし、原口技官は、どうしても、二日間必要だという。専門家としては、当然のことだろう。
捜査本部に戻ると、十津川は、亀井に、
「今日は、十二日だから、十四日にならないと、結果は出ない。それまで、犯人が、大人しくしてくれていると、いいんだがね」
と、いった。
「警部は、どう思われるんですか?」
「犯人は、私に勝ったと思っている。いい気になっている。とすると、間をおかずに、三回目の殺人ゲームを仕掛けてくる恐れがあるね」
と、十津川が、いった時である。
彼の机の上の電話が、激しく、鳴った。
4
十津川は、反射的に、手を伸ばしかけてから、電話機に接続してあるテープレコーダーのスイッチを入れた。
それから、受話器を取った。
「捜査本部です」
「十津川さんだね?」
と、聞き覚えのある声が、いった。
「君か。なぜ、そんな馬鹿なことをする? 意味もなく人を殺して、面白いのかね?」
思わず、十津川は、激した口調になっていた。
それに対して、男は、嬉《うれ》しそうな笑い声を立てた。
「まだ、第二ラウンドなのに、もう弱音を吐《は》いているのかね? 名警部が、泣くんじゃないのか」
「何が欲しくて、そんなことをする?」
「そろそろ、着く頃《ころ》だ」
「何だって?」
「速達で出しといたからさ。それに、第三ラウンドの挑戦が書いてある。こっちの要求もだ。もっと、しっかりしてくれないと、張り合いがないぜ。え、名警部さん」
「おい!」
と、呼んだ時は、もう、電話が切れてしまっていた。
十津川は、舌打ちした。
こう短くては、逆探知は出来ないし、出来たとしても、前と同じように、どこかの公衆電話ボックスで、犯人は、すでに、姿を消してしまっているだろう。
「私|宛《あて》に、速達が来ていないかどうか、見てきてくれ」
と、十津川が、いい、若い日下《くさか》刑事が、玄関へ走って行った。
だが、まだ、手紙は、来ていなかった。
午後四時になって、郵便が、届けられ、その中に、例の封書が混じっていた。
ワープロで打たれた「十津川警部殿」の文字。差出人の名前は、相変わらず、白石|要《かなめ》である。
中身も、やはり、ワープロの文字だった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈第一と、第二の殺人ゲームへの招待は、楽しんでもらえたかね。
いずれも、簡単に、おれの勝利になってしまい、張り合いがない。名警部らしく、もっと、がんばって、おれも、はらはらさせてくれないと困るじゃないか。
敗北を認めたのなら、君の名前で、全ての新聞に、敗北宣言を載せ、警察を辞めるんだ。そうすれば、おれも、第三のゲームは中止する。この条件の期限は、十五日までだ。それまで、二つの条件を実行する気がなければ、第三のゲームに、自動的に、突入する。
今度は、十五日に、「サ」で始まる職業の男を殺す。ヒントを職業にしたのは、名前に限定してばかりいたのでは、面白味に欠けるからだよ。
十五日までに、どちらかに決心したまえ。
負けましたと、白旗を掲げて、警察を辞めるか、それとも、第三の殺人ゲームで、おれを負かすかだ。
健闘を祈るよ。名警部殿〉
[#ここで字下げ終わり]
「ふざけた野郎だ」
亀井が、顔をしかめて、呟《つぶや》いた。
「頭が、おかしいんじゃありませんか。これは、まともじゃありませんよ」
西本刑事が、十津川を見て、いった。
「しかし、この男は、やる気だよ」
と、十津川は、いった。
「まさか、警部は、警察をお辞めになるなんて、いわれないでしょうね?」
清水刑事が、心配そうに、きいた。
十津川は、笑って、
「こんなことで、警察は、辞めないよ」
「でも、どうやって、防ぎますか? 『サ』で始まる職業なんて、いくらでもありますよ。サラリーマンだって、一つの職業だし、サーカス、サンドイッチマン、酒屋、細工師だって、『サ』で始まっています」
「特に、問題なのは、サラリーマンですね」
と、亀井が、いった。
「日本全体で、サラリーマンは、四千万人ともいわれているんです。三人に一人は、サラリーマンということでしょう。われわれ警察官だって、サラリーマンです。犯人が、通りを歩いている人間を、やみくもに殺しても、たいてい、サラリーマンでしょうからね」
「カメさんのいう通りだよ」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
「こんなのは、ゲームでも何でもありませんよ。こっちには、防ぐ手段がないんですから」
西本が、吐《は》き捨てるように、いった。
5
中央新聞の田口記者が、興奮した顔で、十津川に、会いに、やって来た。
十津川は、その顔色を見て、苦笑しながら、
「君の社にも、奴《やつ》から、手紙が、来たのか?」
「すると、第三のゲームの挑戦を受けたのか?」
と、田口が、きく。十津川は、笑って、
「挑戦を受けるも何も、一方的に、手紙を、送りつけてくるんだよ」
「今度は、『サ』で始まる職業の男か?」
「そうだ。新聞社に来た手紙にも、そう書いてあったのかね?」
と、十津川は、きいた。
「君に見せて、警察としての方針を、ききたいと思ってね」
と、田口が、いった。
田口が、持ってきた手紙も、ワープロで、打たれていた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈殺人ゲームの続報を、お送りします。
第二のゲームも、小生が勝利し、十津川警部は、惨《みじ》めに、敗北し、何も出来ませんでした。
小生は、十津川警部にも、手紙を出し、敗北を認めるのなら、各新聞に、その旨を発表し、警察を辞職するように、要求しておきました。そうなれば、小生は、第三のゲームは、中止します。
しかし、面子《メンツ》に拘《こだ》わる十津川警部のことですから、敗北を認めないかも知れません。その時は、十五日に、第三のゲームを、開始するつもりです。
今度のゲームの獲物《えもの》は、「サ」で始まる職業の男です。
可哀そうな十津川警部に、がんばるように、いって下さい。
相手が弱過ぎるゲームは、小生にとっても張り合いがありませんからね。
同封の五万円は、十津川警部が、敗北を認めた時、紙面の一部を買うための資金に、充てて下さい。
勝者からの贈り物です〉
[#ここで字下げ終わり]
十津川が、読んでいる間に、他の新聞の記者たちも、押しかけて来た。どうやら、全ての新聞社に、犯人は、同じ手紙を出しているのだ。
記者たちの要求で、記者会見が、開かれた。
「警察は、どうする気ですか?」
と、いうのが、記者たちの、もっとも、聞きたいことだった。
「われわれは、もちろん、断固として、この犯人を、逮捕するつもりですよ」
捜査本部長は、大きな声で、記者たちに、いった。
普通の事件の時なら、それで、記者会見は終りである。だが、今度の事件では、違っていた。
記者たちが、知りたいことが、いろいろとあり、警察としては、それに、答えなければならないのだ。
「第三の犠牲者を出さずに済む自信があるんですか?」
と、記者の一人が、きく。
本部長が、十津川を見た。十津川は、うんざりした顔で、
「正直にいって、自信は、ありません」
「それでは、狙《ねら》われた人間は、どうすれば、いいんですか?」
と、同じ記者が、食い下がってきた。
「どこの誰《だれ》が狙われるのかわからないのに、それを防ぐことが、可能だと思いますか?」
十津川は、反問した。
「可能かどうかの問題じゃないでしょう。市民が望んでいるのは、警察が、一刻も早く犯人を逮捕して、安心して、生活できるということですよ。そうしてくれと、いってるんです」
「あなたが、こんな挑戦状を貰《もら》ったら、どうやって、対抗する気ですか?」
十津川が、きくと、記者たちから、非難の声が、あがった。
「警察が、自分たちの仕事を放棄するような発言をするのは、許せないよ」
と、他の記者が、とがった眼《め》を、十津川に向けた。
本部長が、あわてて、
「十津川君は、そういうつもりで、いったんじゃありません。こうした事件では、犯人の逮捕が難しいことを、いいたかったんだと思います」
と、取りなした。
「じゃあ、もう一度、十津川警部に、ききますが、犯人を逮捕できる自信は、あるんですか?」
と、同じ記者が、いった。
「今、犯人の割り出しを急いでいます。それが成功すれば、三人目の犠牲者は、出しません」
と、十津川は、いった。
「どんな方法で、警察は、犯人の割り出しをやっているんですか? さっきは、今度の事件では、打つ手がないようないい方を、されていたんじゃありませんか」
若い記者が、皮肉な眼《め》つきで、十津川を見た。
「その方法は、いえません」
「そんな秘密主義は、困るなあ」
と、記者生活二十年というベテランの男が、いった。
十津川が、見返すと、その記者は、犯人から来た手紙を、高く掲げて、
「いいですか、十津川警部。犯人は、この手紙で、今度は『サ』で始まる職業の男を、殺すといってる。まず考えられるのは、サラリーマンですよ。ここにいる全員が、新聞記者であると同時に、サラリーマンでもあるわけです。つまり、十五日に、この犯人に狙《ねら》われるのは、われわれの一人かも知れないんですよ。だから、なおさら、今度は、ナーバスになっているんです」
「わかりますよ」
「われわれを守ってくれますか?」
「正直な返事を、要求しているんですか?」
と、十津川は、いった。
「もちろん、正直な返事を、ききたいから、われわれは、ここに、来ているんですよ」
「それなら、正直に、お答えします。サラリーマンという名前で呼ばれる人々の数を考えて下さい。全国で、四千万人。東京だけでも、その十分の一として、四百万人が、いるんです。われわれが、その四百万人の一人一人を、ガード出来ると思いますか?」
「つまり、サラリーマンが狙われているとして、守ることは、不可能だと、いうことですね?」
その記者は、意地悪く、きき直した。
「その通りです」
十津川は、かたい表情でいった。
「すると、十五日に、われわれサラリーマンは、どうやって、自分を守ったらいいんですかね? 護身用のナイフでも、持って、仕事をしますか?」
他の記者が、これも、意地の悪い質問をした。
「犯人を限定する作業をしているので、それに、期待して欲しいということしかいえませんね」
と、十津川は、いった。
「もし、十五日に、この犯人の予告通り、三人目の犠牲者が出た時、十津川警部は、どんな責任を取るつもりですか? 今までの話では、こんな事件では、犠牲を出さないことは、無理だといっているように、受け取れるんですよ。そうなると、不可抗力で、責任は、取らないということに、なるわけですか?」
「それは――」
と、いって、十津川が、立ち上ろうとするのを、本部長が、制止して、
「その質問には、私が、答えましょう。われわれは、全力をつくして、三人目の犠牲者は出さないようにするつもりだし、犯人を捕えるつもりです。しかし、皆さんだって、よくおわかりでしょう。犯人の犯罪方法が、無茶苦茶なんですよ。非常識なんだ。それに対抗できなかったからといって、いちいち、担当の捜査官を辞めさせていたら、警官は、一人もいなくなってしまいますよ。従って、絶対に、十津川君は、辞めさせません。それこそ、犯人に対して、敗北したことになってしまいますからね」
と、記者たちに、いい、言葉を、続けて、
「これで、今日の記者会見は、終らせてもらいます」
と、いった。
本部長にしてみれば、十津川が、感情に委せて、妙なことを口走るのが、怖《こわ》かったのだろう。
それが、わかっていながら、十津川は、自分の席に戻ると、自然に、苦笑を、浮べた。
十津川の、今の頼みは、科捜研の返事だった。
彼が頼んだ名前の中に、犯人と同じ声の者がいれば、一挙に、犯人に、近づけるのだ。
十四日の夕方になって、科捜研の原口技官から、電話が入った。
「残念だが、結果は、ノーだったよ。この名簿の中に、同じ声の者はいないね」
と、原口はいった。
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第五章 新聞記者
1
十津川は、大きな落胆を感じた。唯一《ゆいいつ》の突破口に、思っていたからである。
もし、声紋の一致する声があったら、今度は、犯人に対して、優位に立てると、思っていたからである。
これでまた、振り出しに、戻ってしまった。
いぜんとして、犯人の輪郭《りんかく》さえ、つかめないのである。
顕示欲《けんじよく》の強い男というだけでは、何もわからないのと、同じだった。
それでも、十五日が、来てしまう。
十四日の夕刊には、犯人から各新聞社へ送られてきた手紙が、掲載された。それを、だめだという権利は、警察には、ない。十津川たちは、犯人を、逮捕できずにいるからである。
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〈今度は、サラリーマンが、狙《ねら》われているかも知れない。皆さん、自分で、自分を守って下さい。この事件について、警察は、お手上げの状態です〉
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そんな記事を載せた新聞もあった。本当なのだから、十津川は、苦笑するより仕方がない。
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〈十五日は、会社を休んで、家で、じっとしています〉
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という談話を載せたところもある。サラリーマンだけでなく、酒屋も危いと、書いたりもしている。
犯人の狙《ねら》い通り、この事件は、マスコミが騒ぎ立てて、どんどん、ふくらんでいくようだった。
「早く、どうにかしろといいながら、これでは、マスコミが、騒ぎを煽《あお》っているようなものじゃありませんか」
と、新聞を見て、亀井が、腹を立てた。
「仕方がないよ。われわれが、犯人を逮捕できずにいるのは、間違いないんだからね」
「しかし、今日は、十五日です。ただ、手をこまねいているわけには、いかんでしょう」
「カメさんは、犯人は、どこで、第三の殺人をやろうとしていると思うね?」
と、十津川は、きいた。
亀井は、しばらく、黙って考えていたが、
「犯人は、第一の殺人でも、第二の殺人でも、列車の中で、やっています。偶然、そうなったのかも知れませんが、私は、偶然とは、思わないのです。殺人の場所は、いくらでもあります。海の上、山の中、どこかのビルの地下、車の中、いくらでも選べますよ。それなのに、列車が、続いたのは、どうしても、偶然とは、思えないのです」
「何か理由があって、列車の中を、選んでいると、思うんだね?」
「そうです」
「すると、今日も、犯人は、列車の中で、三人目を殺す可能性があるが」
「大いに、あると思います」
「賭《か》けてみるかね?」
「漠然《ばくぜん》と、警戒しているよりも、賭けるべきだと思います。上手《うま》く、賭けが適中すれば、犯人を逮捕できます」
「よし。やってみよう」
と、十津川は、決断したが、列車を選ぶのが、難しかった。
第一の殺人では、下りの寝台特急「さくら」が、利用され、第二の殺人では、逆に、上りの寝台特急「出雲《いずも》」が利用された。
今度も、同じように、列車、特に寝台特急を、利用することは、十分に考えられた。
東京駅に発着する寝台特急は、何本もある。
上野発も、考慮すれば、もっと、本数は増える。
東京発の列車の方は、東京駅から、刑事を乗せればいいのだが、東京駅へ着く列車は問題、だった。
前もって、名古屋なり、大阪なりへ、飛んでもらって、その列車へ乗ってもらわなければ、ならないからである。
十津川は、列車名を、黒板に書き出してみた。
○東京駅関係
さくら、はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ1号、あさかぜ3号、瀬戸
出雲1号、出雲3号
○上野駅関係
あけぼの1号、あけぼの3号、あけぼの5号
ゆうづる1号、ゆうづる3号、ゆうづる5号
はくつる1号、はくつる3号
北陸、出羽
合計十九本。これは、下りで、上り列車が、同数あるから、三十八本になる。
二人ずつ、刑事を乗せるとしても、七十六人の人数が、必要なのだ。
「とにかく、課長に頼んで、人数を廻してもらうよ」
と、十津川は、いった。
七十六人もの刑事を動員すること自体、或《ある》いは、犯人に、手玉に取られている証拠かも知れなかったが、何よりも、犠牲者を出さないようにしなければならなかった。
とにかく、刑事を動員して、上り、下りの寝台特急に、乗せることにした。特に、上りの刑事の場合は、先に行って、乗らなければならないので、時間がなかった。
例えば、上りの「さくら」についていえば、今日、十五日の一一時二六分に着く列車は、昨日の一七時〇二分に長崎を、一七時三〇分に佐世保を、それぞれ、出発しているのである。
今日の午前〇時六分には、広島に着いている。犯人が、十五日を、午前〇時からと考え、すでに、殺人を実行していれば、今から、刑事を乗せても、手遅《ておく》れなのだ。
それでも、手を打たないよりは、いいだろう。
「さくら」に対しては、すぐ、新幹線の「こだま」で、沼津《ぬまづ》まで行かせ、そこから、乗せることにした。
すでに、東京駅に着いてしまっている列車は、刑事を、東京駅に行かせて、何もなかったかどうか、調べさせた。
また、次の上りの「さくら」は、今日の一七時〇二分と、一七時三〇分に、それぞれ、長崎、佐世保から出発する。犯人は、こちらの列車を、使う可能性もあるのだ。この場合は、今日の午後十二時までに、車内で殺せば、挑戦状通りになるのだ。
これらの列車にも、刑事を乗せる必要があった。
今日の午後、九州、山陽地方の駅を出発する寝台特急には、始発駅から乗るために、飛行機で、向うへ、行かせた。
全ての手配を済ませると、十津川と、亀井は、疲れ切って、溜息《ためいき》をついた。
やたらに疲れるのは、たった一人の男に、振り廻されているという意識が、あるからだろう。腹立たしくて、仕方がないのだ。
「今日の午後十二時までだな」
と、十津川は、時計に、眼《め》をやった。
今日一日は、やたらに長く感じるだろう。
「こちらも、新聞に、何か発表したら、どうでしょうか?」
と、亀井が、いった。
「犯人に対する挑戦状かね?」
「こんな卑怯《ひきよう》な方法を取らず、もっと、堂々と、勝負してこいと、いってやりたいですよ。何月何日の何時に、どこそこで、決闘をするとでもいうのなら、私が、相手をしてやるんですがね」
「同感だがね。そんなものを発表したら、われわれの弱音を、見すかされてしまうよ」
と、十津川は、いった。
「しかし、これじゃあ、やられっ放しですよ。向うの作った勝手な土俵の上で、戦わされているんですから。いや、土俵なんかないんだ」
「どこかで、必ず、奴《やつ》の尻尾《しつぽ》を、つかんでやるさ」
と、十津川は、いった。
寝台特急の車内で、犯人が、三人目を殺すとすれば、何とか、なるのではないか。殺人そのものを防げなくても、動いている車内なのだ。犯人を、捕える可能性はある。
大東京のどこかで、殺人が行われたら、その時は、防ぎようがない。どこで、誰《だれ》を狙《ねら》うか、わからないからである。
「こういうのが、一番、参るね」
十津川は、時計を睨《にら》みながら、呟《つぶや》いた。
拳銃《けんじゆう》や、ナイフを持った兇悪犯《きようあくはん》と、面と向い合っている方が、ずっと、気が楽だった。とにかく、戦うべき相手が、眼《め》に見えるからである。
土壕《どごう》の中に隠れて、声と、手紙だけで挑戦してくる相手とは、戦いにくい。
昼になった。が、まだ、何の反響も、現われて、こなかった。犯人からの電話もない。
今日中に、東京に着く寝台特急は、すでに、全て、到着した。が、車内から、死体が見つかったという報告はない。
午後二時、三時と、過ぎていく。
今日の寝台特急が、東京駅や、向うの始発駅を出発するのは、これからである。
(刑事たちは、ちゃんと、乗ってくれるだろうか?)
大丈夫とわかっていても、そんな心配も、起きてくる。
午後六時、七時、八時。と、時が、刻まれていく。
(あと、四時間か)
と、十津川は、思う。
犯人は、すでに、三人目を殺してしまったろうか、それとも、今から、殺そうとするのか?
2
「今日は、『湘南《しようなん》ライナー』で、帰りませんか」
と、後輩の白井が、田口に、いった。
中央新聞の記者仲間で、同じ大船《おおふな》から通っていることもあって、親しかった。
「湘南ライナーという名前は、聞いているんだが、特別の切符が必要なんだろう?」
「三百円の湘南ライナー券が必要ですが、今夜の分は、二枚、買っておきました」
と、白井は、その整理券を、田口に、見せた。
東京駅二〇時三〇分発の湘南ライナー1号の切符である。6号車の切符である。
「一度、乗ってみたいと、思っていたんだ」
と、田口も、いった。
白い車体に、グリーンの斜線が入った、洒落《しやれ》た列車で、「湘南ライナー」のヘッドマークが、ついていた。漫画調のかもめの絵もついている。
通勤列車というより、行楽列車の感じだった。
三百円の整理券が出ているので、全員が、座っていけるのが、有難かった。
「車内販売もあるので、便利ですよ」
と、白井は、いった。
「朝も、これで、来るのかね?」
田口は、座席に腰を下ろしてから、白井に、きいた。
「ゆっくり、座りたい時には、三百円払ってこれに、乗ります。それに、今いったように、車内販売が来ますからね。コーヒーと、サンドイッチつきで、四百円のサービス品があるんで、朝食抜きの時は、それを食べて、出社します」
白井は、得意そうに、いった。
車内販売が来たので、田口は、コーヒーを、二つ買って、白井と、飲んだ。白井のいう四百円のコーヒーセットは、朝の上りだけ、モーニングサービスで、やっているらしい。
この湘南ライナーは、横浜駅は、通過である。
「その紙コップ、捨ててきましょう」
と、白井がいい、空になった紙コップを持って、席を立って行った。
次は、大船である。
田口も、立ち上った。が、白井は、なかなか戻って来ない。
座席には、白井のコートが、置いてある。田口は、それを持って通路を、歩いて行った。
デッキに、出ると、ドアのところに、白井が、うずくまっているのが見えた。
田口は、あわてて、屈み込むと、
「おい、気分でも悪くなったのか?」
と、声をかけた。
だが、返事がない。
「おい!」
と、肩を叩《たた》くと、小柄な白井の身体が、ゆっくりと、倒れていった。
列車が、大船に近づいた。
降りる客が、ドアのところに、寄ってきた。
「どうしたんだ?」
と、田口は、もう一度、呼び、倒れた白井の身体を、抱き起こした。が、その時になって、彼の首に黒っぽい紐《ひも》が、かたく、巻きついているのが、眼《め》に入った。
田口の顔色が変わった。
列車が、ホームに着き、ドアが開いた。
田口は、ぐったりとしている白井の身体を抱きあげると、引きずるようにして、ホームに降りた。
「どうしたんですか?」
と、駅員が、声をかけた。
「すぐ、救急車を、呼んで下さい!」
と、田口は、叫ぶように、いってから、
「警察にも、連絡して下さい」
と、付け加えた。
「死んでるんですか?」
「死んでやしない! だから、救急車なんだ!」
と、思わず、田口は、怒鳴《どな》っていた。
だが、白井は、全く、反応をなくしていた。身体も、ぴくりとも動かない。
救急車は、七分後に、やって来た。白い制服姿の救急隊員が二人、担架を持って、ホームを駈《か》けて来た。
その隊員の一人は、横たえられている白井の脈をみ、心臓に耳を当ててから、田口に向って、頭を、横に振った。
3
一人の新聞記者の死が、大きな衝撃になった。
翌日、速達が、各新聞社に舞い込み、それには、次のように、記されていたからである。
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〈警視庁捜査一課の十津川警部の傲慢《ごうまん》さと、頑迷《がんめい》さが、また、一つの死を招いてしまった。
小生の挑戦に対して、十津川警部は、一人の人間の生命を守れると、自惚《うぬぼ》れ、今日の失敗を招いてしまったものである。
ここで、再び、忠告したい。市民の生命を守ることの出来ない十津川警部は、すみやかに、今までの失敗を謝罪し、辞職すべきである。
そうすれば、小生も、牙《きば》を納めて、この挑戦から、身を引く。
十津川警部よ。白旗を掲げたまえ。四十八時間の猶予《ゆうよ》を与えるから、その間に、決心したまえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]白石 要《かなめ》〉
「君のところにも、何かいってきたか?」
と、中央新聞の田口は、十津川に、電話を掛けてきた。
「ああ、昨日の夜|遅《おそ》く、得意になって、電話してきたよ。三回戦も、おれの勝ちだといってね」
十津川は、眉《まゆ》をひそめて、電話に答えた。
「まだ、犯人の心当りはないのか?」
と、田口が、きいた。
「ないね。いくら考えても、こんな男に、心当りはないんだ」
「しかし、十津川。この男は、明らかに、君を標的にして、君に挑戦してるんだ。君に恨《うら》みを持っていなければ、こんな馬鹿な真似はしないんじゃないかね?」
「かも知れないが、本当に、覚えがないんだ」
と、十津川は、いった。
「しかしねえ、おれの同僚が、おれの眼《め》の前で殺されたんだ。それじゃあ、困るんだよ。少しでも、犯人について、君が、何かいってくれないと、読者が、承知しないんだよ」
「無理だよ。わからないものは、わからないんだ」
と、十津川は、ぶぜんとした顔で、いった。
新聞記者の一人が、殺されたということで、その日の記者会見は、緊張し、重苦しいものになった。
最初、本部長は、十津川に、欠席してもいいといったのだが、彼は、あえて、出席した。
記者たちの口から、別に、十津川を非難する言葉は、出なかった。
だが、当然のことながら、結局は、警察の対応と、犯人に対する考えを聞きたがった。
特に、犯人について、どこまでわかっているのか、いつになったら、逮捕できる予定なのかを、質問した。
記者たちは、十津川の答を聞きたかったのだろうが、本部長は、十津川が、答えにくいと思ったのか、
「犯人は、狂人です。自分を、正常だと思っている狂人ですよ。そんな人間の犯行を、予測することは、不可能です」
と、いった。
「それじゃあ、答になりませんよ」
「はっきりした言葉を、聞きたいんだ」
そんな非難が、記者たちの間から、一斉《いつせい》に飛び出した。はっきりいえば、今の本部長の答では、記事にならないということだろう。
「十津川さん本人の答を聞きたいな。向うは、十津川さん個人に対して、挑戦しているんですからね」
と、記者の一人が、いった。
「じゃあ、私が、答えましょう」
十津川は、そういって、立ち上った。
「今度の事件が始まってから、ずっと、今度の犯人について、考えています。私に対して、個人的な恨《うら》みを持っている男なのか? なぜ、列車に拘《こだ》わるのか? なぜ、『ア』『カ』『サ』と、やっていくのか?」
「それで、どんな結論に達したんですか? 犯人について、何か、わかったんですか?」
と、記者たちは、期待する眼《め》で、十津川を見た。
「正直にいって、わかりません」
と、十津川がいうと、記者たちの間に、失望の空気が流れた。
「全然、わからないんですか?」
「一つ一つについて、答えましょう。犯人は、私に対して、個人的な恨みを持っているのか? 私は、過去に手掛けた事件を、一つ一つ、調べ直してみました。しかし、今度の事件の犯人には、ぶつかりませんでした。私が、今までに扱った事件の犯人ではありません。なぜ、列車に拘わるのか? これも、わかりません。何か意味があるのか、それとも、単に、列車が好きなのか、見当がつかないのです」
「犯人が、『ア』『カ』『サ』と、指定した理由は、わかったんですか?」
と、記者が、質問した。
「いや。今のところ、わかりません」
十津川は、正直に、いった。
4
「これじゃあ、記事にならないなあ」
と、記者の間から、文句が、出た。
「あなたの推理でも、構わないんですよ。犯人は、こんな男に違いないといったね。それから、いつ頃《ごろ》、逮捕するといった、威勢のいい談話も貰いたいな。わかりませんばかりじゃ、記事にならないんですよ」
「しかし、わからないものは、わからないと、返事するより仕方がありませんね」
「新聞社へ来た犯人の手紙は、読んでんでしょう?」
「読みましたよ」
「明らかに、あなたを、小馬鹿にしているんですよ。これも、わかるでしょう?」
「わかりますよ」
十津川は、苦笑した。
「じゃあ、何かいってくれませんか? 犯人は、図に乗って、第四の殺人に走りますよ。その時も、警察は、何もわからないといって、手をこまねいているんですか?」
「もちろん、全力をつくして、新しい殺人は、防ぎますよ」
と、十津川は、いった。
「では、ききますが、今度の第三の殺人では、警察は、どんな手を、打っていたんですか?」
記者の一人が、きいた。
「犯人は、第一と、第二の殺人で、ブルートレインを使いました。今度も、同じことをするのではないかと考え、刑事を、全てのブルートレインに、乗せて、警戒していましたよ」
「しかし、犯行が起きたのは、湘南《しようなん》ライナーの車中だった」
「そうです。私の見込み違いでした」
と、十津川は、いった。
「どうも、警察は、頼りないですねえ。二度、ブルートレインを使ったからといって、三度目も、同じ列車とは、限らんでしょう?」
N紙の記者が、皮肉ないい方をした。
十津川は、逆らわずに、
「その通りです。確かに、われわれは間違いました。湘南ライナーまで、考えなかったことは、私のミスです」
「それじゃあ、この犯人に対して、負けたと認めるわけですか?」
「いや。それは、違います」
「しかし、三人もの犠牲者を出しているんですよ。犯人は、あなたへの挑戦として、三人の人間を殺している。となると、あなたは、犯人に、戦いを挑まれ、負けたことになるんじゃありませんか?」
「以前にも、申し上げたと思いますが、これは、正常な戦いじゃありません。犯人と私との間に、平等な立場での戦いがあったのなら、私は、潔く、敗北を認めますよ。なんなら、私が、警察を辞めてもいい。しかし、これは、違います。挑戦にもなっていないと思っています。こんな卑怯《ひきよう》な男は、知りません」
「では、今後、四人目、五人目の犠牲者が出ても、あなたは、これは、平等な戦いじゃないから、犯人が捕えられないのは、当り前だというわけですか?」
「正直にいえば、その通りです」
「しかし、狙《ねら》われる人間は、たまりませんよ。中央新聞の白井君だって、警察が、何も出来ないというので、どうやって、自分を守っていいか、わからなかったと思いますよ」
「それは、わかります。ですから、われわれは、全力をつくします」
「しかし、全力をつくすといわれても、今度の事件について、警察が、何の展望も、持っていないというのは、困るなあ」
「ますます、この犯人を、増長させることになるんじゃありませんか?」
と、記者たちは、口々に、いった。
「それでは、最後に、十津川警部から、この犯人に対して、一言、欲しいですね。すぐ、逮捕してやるとか、もう尻尾《しつぽ》をつかんだといった、威勢のいい言葉が、欲しいんですがねえ」
と、代表格の記者が、いった。
「そうですねえ」と、十津川は、しばらく、考えていたが、
「必ず逮捕する。それだけは、いえます」
と、いった。
記者会見は、何とか終ったが、記者たちは、明らかに、不満のようだった。もっと、自信満々の声を、聞きたかったに、違いないのだ。
十津川には、それが出来ない。
犯人について、何もわからないのに、わかっているふりは出来ない。それは、良心の問題というより、十津川の性格の問題だろう。
「どうされますか?」
と、亀井が、心配そうに、きいた。
記者会見から解放された十津川は、ゆっくりと、煙草《たばこ》に火をつけた。
「何をだい? カメさん」
と、十津川は、きき返した。
「四十八時間たったら、犯人は、また、挑戦してきますよ」
「ああ、そうだろうね」
「それに奴《やつ》は、四十八時間といっておいて、すぐにでも、挑戦してくるかも知れません」
と、亀井が、いう。
十津川は、顔を横に振った。
「それはないよ。カメさん」
「あの犯人を、信用なさるんですか? 何をするか、わからん男ですよ」
「わかっている。だがね、奴は、今、自信満々だ。私に、三回、勝ったと思っている。彼の自信が崩《くず》れない限り、約束を守るよ。彼が、寛大だからじゃなくて、傲慢《ごうまん》だからだよ」
と、十津川は、いった。
犯人は、約束を守っても、十津川に勝てると、自信満々なのだ。
「すると、四十八時間は、われわれに、与えられていることになりますね」
と、亀井が、いう。
「そうだ」
「何をします?」
「何をしたらいいかねえ」
十津川は、他人事《ひとごと》みたいないい方をした。
亀井は、眉をひそめて、
「大丈夫ですか? 警部」
「大丈夫だよ」
「しかし、いつもの警部とは、様子が、違いますから」
「当然さ。今度の犯人は、いつもの犯人と違うからね。自然に対応も、変わってくる」
「それなら、いいんですが」
「記者さんにもいったんだが、今のところ、犯人について、何もわからない。声は、わかっているのだが、どこの誰《だれ》かもわからないし、なぜ、私に、挑戦してくるのかもわからない。頭がおかしいのかどうかもね」
「打つ手が、ありませんか?」
「普通の事件と同じ立場に立てば、カメさんのいう通り、打つ手はないよ」
「すると、犯人が、次の挑戦状を送ってくるのを、じっと、待つより、仕方がありませんか?」
と、亀井が、きいた。
「その通りだがね、考えることは、出来るよ。どこを調べていいかは、わからないが、今までのことを振り返って、考えることは、可能だ」
「考えたら、犯人の正体が見えてきますかね?」
「わからん。だがね、犯人は、もう、三人も殺しているんだ。その間に、何か、ミスを犯しているのかも知れない。ミスをやらないまでも、犯人の人間性が、出てしまっていることだって、考えられる」
「ええ」
「こんな事件では、相手の言葉に惑《まど》わされて、動き廻っていては、犯人の思う壺《つぼ》にはまるんじゃないかと、思うんだよ」
「動くより、頭を働かせるべきだということですか?」
「その通りだよ。まず、考えることが、必要だと、私は、思っている。もちろん、それで、犯人がわかるとは限らないが、今までみたいに、ただ、振り廻されるのは、ごめんだからね」
と、十津川は、いった。
亀井は、まだ、すっきりしない顔で、
「でも何から、考えていきますか?」
と、十津川に、いった。
「犯人について、まず、わかっていることを、一つ一つ、あげてみようじゃないか」
「どんなことでもですか?」
「どんな小さなことでもだよ。例えば、犯人が男だということも、書き出してみようじゃないか」
と、十津川は、いい、自分で、黒板に、
〈犯人は、男〉
と、書いた。
「次に、わかっているのは、何だろう?」
十津川は、自問する口調で、いった。
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第六章 犯人の影《かげ》
1
十津川は、亀井と話し合いながら、黒板に書き付けていった。
@犯人は、男
A白石|要《かなめ》と名乗る
Bなぜか、列車を、殺人に利用している
Cマスコミを利用するのが好き
D旺盛《おうせい》な自己|顕示欲《けんじよく》
E十津川に対する異常とも思える憎悪《ぞうお》
F「ア」「カ」「サ」という形で、殺人を犯す意味は、何なのか?
犯人像というより、事件そのものに対する疑問も、文章にした。
「他に、何かあるかね?」
と、十津川は、黒板の文字を見ながら、亀井に、きいた。
「年齢は、三十代だと思いますが」
「そうだな。それも、書き加えておこう」
と、十津川は、いった。
亀井は、立ち上って、コーヒーをいれた。前は、インスタントコーヒーを、十津川と二人で飲んでいたのだが、少しばかり、ぜいたくになって、十津川が、コーヒーポットを、捜査本部に持ち込み、亀井が、コーヒー豆を買ってくるようになった。
二人は、コーヒーを飲みながら、改めて、黒板の文字に、眼《め》をやった。
「沢山、わかっているようで、よく考えると、何もわかっていないんだな」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
項目だけは多くても、犯人を確実に限定できるものは、一つもないのだ。
「気になるのは、三つですね」
と、亀井が、いう。
「どれだい?」
「Aの白石要と、Eの警部に対する憎悪、そして、Fの文字の謎《なぞ》です」
「そうだね。犯人に近づけるとしたら、その三点かも知れないな」
「一つ一つ、検討してみましょう」
と、亀井は、いった。
「なぜ、犯人は、白石要と、名乗っているのかな?」
「前に考えた時は、犯人の友人や知人に、白石要という名前の男がいるんじゃないかと、思いましたが」
「そうだとすると、白石要という男が、見つかれば、犯人も、自然に、わかるということになるね」
「それでは、犯人としては、まずいでしょうね。そんなに簡単に、犯人がわかってしまっては、困るから、違うと思いますね」
「すると、勝手に、作った名前ということになるね」
「ええ」
「となると、その名前を、いくら、いじくり回しても、犯人に、辿《たど》り着けないということになってしまうよ」
「アナグラムじゃありませんか?」
「そう思って、いろいろと並べかえてみたんだが、すっきりした別の名前に、ならないんだよ」
と、十津川は、肩をすくめた。
「では、次の項目に、いってみましょうか」
「Eも、いくら考えても、心当りがないんだよ。私を憎んでいると思われる人物は、何人かいるがね。違うんだな。心当りの男は、みんなまだ、刑務所に入っているよ」
「すると、憎しみじゃなくて、ひたすら、警部に、挑戦しているということでしょうか?」
と、亀井が、いう。
「うーん」
と、十津川は、小さく唸《うな》って、ブラックコーヒーを、飲んだ。
もし、ただ、十津川に挑戦するという気持だけで、三人もの男女を、次々に殺したとすれば、その男は、狂人でしかないだろう。
「もし、カメさんの言葉が正しければ、相手の気持を利用して、何とか出来るかも知れないな」
と、十津川は、いった。
「どうするんですか?」
「相手を挑発して、怒らせるのもいいかも知れない」
「危険ですね」
「ああ、危険だ。だが、そうすることで、相手は、ミスを犯すかも知れない」
「逆に、犯人は、カッとして、大量殺人に走るかも知れませんよ」
と、亀井は、いった。
「その通りだよ」
「それでも、やってみますか?」
「あと、四十何時間かある。その間に、じっくりと、考えてみよう」
と、十津川は、いった。
2
「次は、最後のFですが、これが、一番わかりにくいですね」
亀井は、難しい顔で、いった。
「犯人は、ゲームだから、だんだん、難しくなるんだと、いっていた。ゲームだから、『ア』『カ』『サ』と、進んだのか。それとも、何か、犯人の企《たくらみ》があるのか。そこが、第一の問題だね」
「ただ単に、ゲーム性をいうために、犯人が、『ア』『カ』『サ』と、進んで行ったのだとすると、殺された三人の男女の間には、何の関係もないことになりますね」
と、亀井は、いう。
それなら、無差別殺人に、等しい。
「もし、ある意味を持っているのだとしたら、どういうことが、考えられるね?」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「そうですね。当然、殺された三人の間に何らかの関係があることになりますが」
とだけ、亀井は、いった。
十津川は、肯《うなず》いてから、
「こういうことが、考えられると、思うんだよ。犯人には、殺したい人間が、何人かいた。だが、順番に殺していくと、すぐ、犯人がわかってしまう。そこで、犯人は、一つの殺人テクニックを考えた。私に、挑戦して、ゲームとして殺人をやっていくように見せかける。ゲームだから、一見、無差別殺人に見えて、被害者三人の関係に、気付かない。つまり、被害者から、犯人が、浮び上ってこないということだよ」
「つまり、本当は、被害者三人から、犯人が、浮び上ってくるわけですね」
「ああ、そうだ」
「もう一度、三人の男女の一人一人を、じっくり調べてみますか?」
「じっくりとだが、四十八時間以内にやってほしい」
と、十津川は、いった。
十津川が、引っ掛かっていたのは、犯人が、「ア」「カ」「サ」と、続けたこと自体ではなかった。
犯人は、これを、殺人ゲームだと、自称しているのだから、「ア」「カ」「サ」と、続けたことは、遊びのつもりなのだとわかる。
もし、犯人が、「ア」のイニシアルの女、「カ」のイニシアルの男、そして、「サ」のイニシアルの男と、殺していったのなら、十津川は、その順番自体に、疑問は、持たなかったろう。
犯人の偏執的《へんしつてき》な性格を示すものと、受け取っただけだったろう。
だが、犯人は、そうしていない。「ア」では、イニシアルが、アの名前の女だった。
次の「カ」は、やはり、「カ」で始まる名前の男だったが、三番目の「サ」で、急に、変わってしまった。
「サ」は、サで始まる職業の男に変わった。
殺されたのは、サラリーマンの白井|謙《けん》である。
名前は、「サ」にはならない。それに、サラリーマンは、職業といえるだろうか? 大きくいえば、職業だが、白井の場合は、新聞記者と、いうべきだろう。
ただ、新聞記者では、「サ」にはならない。
そこに、犯人の誤魔化《ごまか》しがあるのではないのか?
犯人は、最初から、青木ゆみ子、金村|慧《さとし》、白井謙を、殺したかったのではなかったろうか?
それを、犯人は、殺人ゲーム仕立てにしたのではないか? そうすることによって、自分の犯行意図を、隠そうとしたのではないか?
「ア」の名前の女、次に「カ」の名前の男と、殺していけば、いかにも、無差別に殺しているように見える。
だが、三人目の白井謙になって、犯人は、困ってしまったのではないか?
白井謙は、「シ」で、「サ」ではない。三人目で、突然、「シ」では、怪しまれるし、無差別殺人ではないのではないかと、疑われる。
そこで、窮余《きゆうよ》の策として、三人目は、職業として、「サ」を、使った。それも、「サラリーマン」という苦しい言葉を使っている。
考えてみると、最初の青木ゆみ子にしても、奇妙なのだ。
青木ゆみ子は、芸名を日野まゆみというタレントである。
タレントなら、本名より、芸名の方が有名だし、それを、本名で殺すというのも、不自然ではないだろうか?
現に、彼女が、殺された時、周囲の人間も、日野まゆみと思い込んでいたから、「ア」で始まる名前とは、考えていなかったのである。
十津川が、裏をかかれたのも、そのせいだったのだ。
しかし、犯人は、本当に裏をかくために、「ア」の名前に、タレント日野まゆみの本名を、持っていったのだろうか?
もし、彼女の芸名が、青木ゆみ子だったら、恐らく、その芸名で、殺したのではないのか?
犯人は、最初から、タレントの日野まゆみに恨《うら》みを持ち、殺したかったのかも知れない。だが、日野まゆみでは、ゲームに、使いにくい。アイウエオ順だと、「ヒ」は、あとの方になってしまうからだ。
ところが、彼女の本名が、青木ゆみ子とわかった。これなら、真っ先に殺しても、アイウエオ順に、殺したと思われる。
そこで、犯人は、思わせぶりに、挑戦状を、十津川に送りつけてきて、「ア」のつく名前の女を殺すと、やったのではないのか?
続いて、「カ」で、金村|慧《さとし》を殺す。いかにも、殺人ゲームの感じだ。
犯人が、三人目に殺したかったのは、白井謙で、まずいことに、「サ」にはならない。そこで、考えた末、今度は、職業で「サ」にした。
もし、この推理が当っているとしたら、十津川を恨み、挑戦しているのは、ポーズかも知れないのだ。
亀井たちは、もう一度、三人の被害者を、洗い直すことになった。
もし、犯人が、この三人を、最初から、殺したいと考えて、いたのだとすれば、彼等の間には、何らかの共通点が、ある筈《はず》である。犯人に結びつく、共通点がである。
日野まゆみこと、青木ゆみ子と、金村慧の二人の共通点は、見つからなかった。
しかし、これに、白井謙が加わって、三人になれば、また、違ってくるかも知れなかった。
十津川自身も、田口に、会って、白井謙のことを、聞くことにした。
その夜、遅《おそ》く、十津川は、新橋の小さなバーで、田口に、会った。田口が、指定した店である。
「ここで、あいつと、よく飲んだものだよ」
と、田口は、懐かしそうに、十津川に、いった。
「そんな時、白井さんとは、どんな話をしていたんだ?」
と、十津川は、きいた。
カウンターの中には、五十歳くらいのママと、その娘《むすめ》だという二十二、三歳の女性がいるだけである。
「いろいろなことを、喋《しやべ》ったね。世界情勢から、上役の悪口、女の話、なんでもね」
「彼が、何かを怖《こわ》がっていたということはなかったかね?」
十津川がきくと、田口は、妙な顔をして、
「おい、おい。今度の犯人は、無差別に、人殺しをしてるんじゃなかったのかい? 白井にしても、特別に、狙《ねら》われたんじゃなくて、サラリーマンなら、誰でもよかったんじゃないのか。彼が殺《や》られたのは、運が悪かっただけじゃなかったのか?」
「そう見せかけているだけかも知れないんだよ」
「しかし、白井は、自分が狙われてるなんて、全く、考えていなかったよ」
と、田口は、いう。
「敵はいなかったのか?」
「敵を作るような男じゃなかったね。物静かで、彼が、ケンカをしたのは、おれは、見たことがない。おれの方は、逆に、しょっちゅうケンカしているがね。もし、狙われていたんだとすれば、それにふさわしいのは、彼よりも、おれの方だよ」
「白井さんは、結婚してたのかね?」
「一年半前に、結婚したばかりだ」
「職場結婚?」
「いや、M物産で働いているOLだよ」
「名前は?」
「彼女が、殺人の動機だとでもいうのかね?」
「何でも、知っておきたいんだ」
と、十津川は、いった。
「確か、美保《みほ》さんだったと思うね。きれいな女《ひと》だよ」
「その結婚に、反対は、なかったのかな?」
「どうかな。おれは、くわしいことは、知らないんだ」
「彼女に、会いたいね」
と、十津川は、いった。
3
十津川は、田口の案内で、大船《おおふな》にある白井のマンションを訪ねた。
大船駅から、歩いて十五、六分のところにある七階建てのマンションである。
その五〇六号室には、「忌中《きちゆう》」の札《ふだ》が掛けられ、解剖が済んで、返された白井の遺体は、棺《かん》に納めて、六畳の居間に、置かれてあった。
喪服姿《もふくすがた》の妻の美保は、まだ初々《ういうい》しい感じで、それが一番、十津川には、痛ましく見えた。
だが、彼女は、泣いてはいなかった。
「彼を殺した犯人を、捕えて下さい」
と、美保は、十津川に、いった。
十津川は、遺体に、頭を下げてから、
「それには、あなたの協力が、必要です」
と、いった。
「どんなことをしたら、よろしいんですか?」
美保は、真剣な表情で、きいた。
「事件のことは、知っていますね?」
「ええ。新聞に出ていたし、亡くなった彼も話してくれていましたから、よく、知っていますわ」
「では、この二人の写真を見て下さい」
十津川は、第一の被害者の日野まゆみ(青木ゆみ子)と、第二の被害者の金村|慧《さとし》の写真を、美保の前に置いた。
「この二人を前に見たことがありますか?」
「いいえ」
「本当に、見たことが、ありませんか?」
十津川は、重ねて、きいた。
「ええ」
と、美保は、いう。
「では、ご主人のところに来た手紙と、アルバムがあったら、見せてくれませんか?」
「手紙は、いつ頃《ごろ》のものまで、持ってきましょうか?」
「とにかく、全部、見せて下さい」
と、十津川は、いった。
ダンボールに入った手紙と、二冊のアルバムを、美保は、奥から持ってきて、これで、全部だという。
「君も、手伝ってくれ」
と、十津川は、田口に、いった。
「前の二人の被害者から来た手紙がないか、見るのか?」
「そうだ。それに、アルバムの写真もね。もう一つ、白石|要《かなめ》という男の手紙がないかも、見てくれ」
と、十津川は、いった。
二人は、手紙の束を調べ、それから、二冊のアルバムを、見ていった。
途中から、眼《め》が痛くなってきた。が、三人の名前の手紙は、一通もなかったし、アルバムの中には、日野まゆみや、金村慧の写真は、なかった。
「ないな」
と、田口は、溜息《ためいき》をついた。
「なかったね」
と、十津川も、いった。二冊のアルバムから、写真を抜き取った形跡《けいせき》はない。最初から、なかったのだ。
「白井さんとは、一年半前に、結婚されたそうですね?」
十津川は、手紙の束を、ダンボールに戻してから、美保に、きいた。
「ええ」
「その時、白井さんの他に、あなたのことを、好きだった男の人は、いませんでしたか?」
「いなかったと思いますわ」
と、美保は、いった。
「間違いありませんか? あなたは、魅力的だから、あなたのことを好きな男性が、一人や二人、いても、不思議ではないんですがね」
「一人、私のことを、好きだといってくれた人がいましたけど、私が、白井と結婚する前に、見合で、結婚してしまいましたわ」
「その人とは、今は、どうなんですか?」
「全然、音信はありませんわ」
と、美保は、いった。
嘘《うそ》をついているようには、見えなかった。と、すると、三角関係のもつれで、白井は、殺されたのでは、なさそうである。
(では、なぜ、白井は、殺されたのか?)
ただ、殺人ゲームのためにだけ、無作為に殺されたのか?
「最近、脅迫《きようはく》の電話が、掛かってくるというようなことは、ありませんでしたか?」
と、十津川は、きいた。
「いいえ。ありませんでしたわ」
美保は、きっぱりと、いった。
「ご主人と、ケンカしたことは?」
「小さな口ゲンカは、何回かありましたけど、それだけですわ」
と、美保は、いう。
「二人は、仲が良かったよ。新婚一年半だから、当然だがね」
横から、田口が、いった。
「すると、白井さんが狙《ねら》われる個人的な理由は、なかったということか――」
4
白井のマンションでは、結局、期待したものは、何一つ、見つからなかった。
十津川は、田口と別れて、捜査本部に戻った。
亀井たちも、一人、二人と、聞き込みから、戻ってきたが、どの顔も、一様に、疲れ切っていた。
「どうも、思わしくありませんね」
と、亀井が、代表する形で、十津川に、報告した。
「三人の間の関連性は、見つからずかね?」
「そうです。日野まゆみの友人、知人は、片っ端《ぱし》から当ってみましたが、新聞記者の白井謙の名前を、聞いたことがあると、答えた者は、ゼロです。彼女が、白井謙を、知っていたとは、考えられませんね」
「金村|慧《さとし》の方はどうだ?」
と、十津川は、きいた。
今度は、西本刑事が、亀井に代って、
「彼の場合も、友人たちに、当ってみました。しかし、誰《だれ》も、白井謙の名前は、知りませんでしたし、金村のところに来た手紙や、彼が貰《もら》った名刺の中に、白井謙のものは、ありませんでした」
「出身地や、出身校で、共通したものは、ないのかね?」
「それも、調べてみましたが、関係ありませんね。金村慧と、白井謙では、出身地も違いますし、高校、大学も、違います。それに、年齢もです」
「日野まゆみには、どうだね?」
「どこかに共通点はないものかと、調べてみました」
と、亀井が、いった。
「彼女と、白井謙では、年齢も違うし、出身地、出身校とも、関係ありませんね」
「共通点は、なしか」
「三人の共通点は、今のところ、一つも、見つかりません。一つぐらいは、見つかると思ったんですがね」
亀井は、残念そうに、いった。
「すると、犯人は、私を負かすためだけに、関係のない三人を、次々と、殺していったことになるのかね?」
十津川は、ぶぜんとした顔で、いった。
もし、そうだとすると、連続殺人は、犯人の狂気のせいだとしても、十津川にも、責任があることになる。少なくとも、十津川の心は、傷つき、痛む。十津川が、いなかったら、いや、彼が、捜査一課の刑事でなかったら、三人の男女は、殺されずに、済んだかも知れないからである。
十津川は、黒板に書かれた三人の被害者の名前に、眼《め》をやった。
「こういうことになるのかね。犯人は、私を、へこますために、殺人ゲームを考え、それを実行した。だから、殺された三人は、別人でも、よかったということに」
「かも知れませんね。『ア』の人名は、青木ゆみ子ではなくて、相場けい子でも、よかったのかも知れませんし、『カ』の人名は、金村慧でなくて、加藤明でも、構わなかったのかも知れません」
「となると、三人目も、同じかな。サラリーマンなら、白井記者じゃなくて、斎藤《さいとう》でも、吉田でも、よかったのだろうか?」
十津川は、半信半疑の顔になっていた。
現在までのところ、白井謙が、誰《だれ》かに、恨《うら》まれていた形跡《けいせき》はない。
祝福されて、一年半前に結婚している。田口の話では、白井は、生真面目《きまじめ》な男で、敵を作るような性格ではないという。その田口の言葉は、信じていいだろう。
もちろん、人間だから、どこかで、恨まれていたのかも知れない。また、知らずに、犯人の恨みを買っているということもある。十津川が、何年か前に手掛《てが》けた事件では、誤解からの殺人というのがあった。ある人間が、自分の悪口を、いいふらしていると思い込んで、殺してしまったのだが、調べてみると、完全な誤解だった。こんな事件では、被害者を、いくら調べても、動機は、見つからない。
そうした可能性はあるのだが、今のところ、白井謙に、人に恨まれる相手は、なさそうである。
田口も、「白井が殺されたのは、偶然、狙《ねら》われたんだと思うね」と、十津川に、いった。つまり、自分が殺されても、おかしくはなかったというのである。
「カメさんは、どう思うね?」
と、十津川は、亀井に、きいた。
「私も、無差別殺人の可能性が、強いと、思います」
と、亀井も、いう。
「サラリーマンなら、誰《だれ》でもよかったということかね?」
「犯人は、今まで、ブルートレインの中で、殺人をやってきましたが、今度は、湘南《しようなん》ライナーの車中でした。これは、意味があると、思うんです」
「続けてみてくれ」
「ご存知の通り、あの電車は、郊外から、都心に通うサラリーマンを目当てに走っています。乗客のほとんどは、サラリーマンです。そこに、犯人の狙《ねら》いがあったんじゃないかと思います」
「なるほどね。『さくら』や『出雲《いずも》4号』のようなブルートレインでは、乗客は、さまざまで、サラリーマンは、少しだろうからね」
「そうなんです。湘南ライナーなら、乗っている人間の誰を殺しても、多分、サラリーマンです。車掌だって、いってみれば、サラリーマンですからね。犯人は、じっと、デッキで、待っていればいいわけです。そこにやってきた乗客を殺せば、いいわけです。子供は、だめですが、この電車に、子供は、めったに乗っていません」
「つまり、犯人は、『サ』のつく職業の男を殺すと予告しておいて、湘南ライナーに乗った。あの電車では、乗客の誰を殺しても、サラリーマンだろうから、予告通りになるわけだ」
「そうです」
「やっぱり、被害者から、犯人を特定できずか」
十津川は、何回目かの溜息《ためいき》をついた。が、同時に、また、犯人に対して、猛烈に、腹が立ってきた。
誰を殺してもいいのだという無差別殺人くらい腹が立つものはない。
殺人は、どんな殺人だって、よくはないが、それでも、止むにやまれず、相手を殺したというのなら、少しは、同情の余地がある。中には、正当防衛に近い殺人もあって、そんな事件にぶつかった時は、十津川は、犯人を逮捕するのが、辛《つら》くなる。
無差別殺人には、そんな同情の余地が、全くない。
その上、今度は、ひたすら、十津川への挑戦のためだけの殺人に見えるのだ。
(最低だな)
と、十津川は、思う。最低の殺人、最低の犯人だ。
その思いを、犯人にぶつけてやりたいのだが、その犯人の姿が、いっこうに、見えてこない。
「問題の湘南ライナーの聞き込みは、どうだったんだ?」
と、十津川は、清水刑事にきいた。
「あの電車に乗務していた車掌と、乗客の何人かは、会ってきました。あの電車を、愛用している常連のサラリーマンも多いので、聞き込みそのものは、楽でした」
と、清水は、いう。
「その聞き込みから、何か、わかったかね?」
「残念ですが、車掌も、乗客たちも、不審な人間は、見ていないと、いっています。もっとも、乗客の方は、昼間の勤めで疲れていて、車内では、ほとんど、眠ってしまうようですが」
「不審な男は、目撃されていなかったというわけか」
「そうです」
「駅の方は、どうなんだ?」
「それについては、私が、調べてみました」
と、日下《くさか》刑事が、いった。
「何か、わかったかね?」
「白井謙は、電車が、横浜を過ぎて大船に近づいたところで、殺されました。と考えると、犯人は、大船で、降りて逃げた可能性が強いと考え、大船駅へ行ってみました。事件当日、改札係をやっていた駅員に会って、あの電車から降りた乗客の中で、あわてていた男は、いなかったか、挙動のおかしい男はいなかったかを、聞いてみました」
「何か、反応はあったかね?」
「それが、全然です。態度のおかしい男は、見なかったという返事なのです」
「犯人は、降りなかったのかも知れないな」
と、十津川は、いった。
「湘南ライナーからですか?」
「いや、その電車からは、降りたと思うよ。ただ、改札を抜けずに、東京に戻る電車に乗りかえたのかも知れないということだよ。改札を出る時、駅員に見られることを、心配してだ」
と、十津川は、いった。
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第七章 焦《しよう》 燥《そう》
1
結局、被害者三人の関係は、わからなかった。
特に、三人目の白井記者については、無作為に選ばれた可能性が強い。
時間は、容赦なく、過ぎていく。十津川としては、珍しく、焦燥《しようそう》と、無力感を覚えた。
今度の犯人は、本当に、ゲームとして、殺人を楽しんでいるのだろうか? それも、十津川に対するゲームである。
心配して、捜査一課長の本多が、激励のために、捜査本部にやって来た。
「どうだね?」
と、本多は、十津川にいい、陣中見舞いの果実を、机の上に置いた。
「やはり、犯人の意図が、わかりません。それで、困っています」
と、十津川は、いった。
「と、いうことは、本当のゲーム殺人ということかね?」
「かも知れません」
「君が、参ったというまで、全く無関係な人間を、殺し続ける気かな?」
「ええ」
「まさか、君は、新しい犠牲者を出さないために、白旗をあげて、警察を辞める気じゃあるまいね?」
と、本多が、きいた。
「今は、辞める気はありません。もし、私が、辞めたら、これが、前例になってしまうのが、怖《こわ》いからです。気に入らない警官を、辞めさせようとして、次々に、同じような殺人ゲームを考える人間が、出てくることが、考えられますからね」
「その通りだよ。その点で、君は、防波堤なんだ」
と、本多は、いった。
「大丈夫です」
「それを聞いて、安心したよ。君が弱気になっているんじゃないかと、心配だったんだ」
「大丈夫ですが、辛《つら》いのは、殺された人の家族のことを考えた時です。幸い、今まで、早く、犯人を捕えてくれと、励ましてくれますが、それが、いつ、私に対する恨《うら》みに変わるかも知れません。私が、もっと早く、白旗をあげてくれていれば、彼なり、彼女なりが、死ななくても済んだのにという恨みにです。それが、辛いですよ」
「しかし、君は、今、辞める気はないと、いった筈《はず》だよ」
「負けるのは嫌《いや》ですからね」
と、十津川は、いった。そんないい方しか出来ないといった方がいいかも知れない。
今は、何をいっても、いいわけになってしまいそうだった。
「あと、何時間だったかな?」
「犯人の決めた四十八時間のことですか?」
「君は、考えたくないかも知れないが」
「いや、ちゃんと考えていますよ。それに、耳をふさいでいても、新聞記者が、じゃんじゃん電話を掛けてきて、あと何時間だと、いってきますしね」
「そんな時は、電話を切ってしまったらいい」
「三人目の被害者が、記者さんですからね。切るわけにも、いきません」
と、十津川は、笑ってから、
「あと、九時間です」
「明朝か?」
「そうです」
「犯人は、また、君に挑戦してくるだろうか?」
「間違いなく、同じことをしてきますね」
十津川は、確信を持って、いった。
「相手が、止めることは、考えられないかね?」
「向うが死ねば別ですが、必ず、挑戦してきます」
と、十津川は、いった。
犯人は、必ず、四番目の殺人ゲームを予告してくる。
彼は、十津川を名指しで、彼が辞めない限り、殺人ゲームを続けると、マスコミにも、発表した。
犯人も、止めるわけにはいかないだろう。
もし、止めてしまったら、彼の今までの挑戦は、意味を失ってしまう。それ以上に、犯人が怖《こわ》いのはこの一連の事件が、ゲームでなくて、普通の事件と同じだと、思われることではないのか。殺人ゲームであることを証明するためにも、十津川が、辞めない限り、ゲームとしての殺人を、続けていかなければならないだろう。
犯人が、中止したとしても、十津川たちは、捜査を止めたりはしない。向うにも、それは、わかっている筈《はず》である。それを考えれば、犯人は、なおさら、このゲームを、止めるわけにはいかないのだ。
2
翌朝になると、やたらに、電話が鳴った。
(参るな)
と、思いながら、十津川は、律儀《りちぎ》に、受話器を取った。案の定、新聞社からである。これで、今日は、何度目だろうか。
「例の事件のことですが」
と、相手は、一応、遠慮がちにいう。
「あいにくですが、まだ、犯人からは、何の電話も入ってきませんよ」
「しかし、犯人がいった四十八時間が、もう切れてしまっていますが」
「わかっています」
「そのことで、十津川さんの意見を、ききたいんですがね。記者会見をやってくれれば、一番いいんですが」
「犯人が、まだ、何も仕掛けてこないのに、記者会見を開くのは、おかしいでしょう」
十津川は、苦笑しながら、いった。
「それは、そうかも知れませんが、今度の連続殺人事件では、市民が、一様に、心配していますからね。次は、自分が殺されるんじゃないかと思ってですよ。そうした、一般市民の不安については、責任を、感じていらっしゃいますか?」
と、相手はきく。どの新聞社や、テレビ局も、同じ質問をするものだと、十津川は、思いながら、
「いまだに、犯人を逮捕できないことについては、責任を感じています。これは、どんな事件の時にも、感じることです。しかし、他のことでは、責任は感じませんね」
と、いった。
それが、相手の記者には、挑戦的に聞こえたのかも知れない。
「それは、どういうことですか? 一般市民が、死んでも、構わないということですか?」
切り口上で質問してきた。
十津川は、苦笑しながら、
「今度の事件は、あくまでも、犯人が、仕掛けてきたものです。それを、いっているだけですよ。もし、ここに、あなたの新聞が、気にくわない。新聞を出すのを止めないと、関係のない一般市民を、次々に殺すといわれたら、あなた方は、どうします? 新聞を出すのを止め、あなたは、記者を辞めますか? それと、同じことですよ」
と、十津川は、いった。
しかし、犯人からの挑戦状や、電話は、なかなか、来なかった。
「もう、中止したんですかね?」
と、亀井が、いう。十津川は、首を横に振って、
「いや、必ず、来るさ。犯人は、几帳面《きちようめん》で、四十八時間が過ぎてから、手紙を書いているんだろう。手紙なら、来るのは、明日になるよ」
と、いった。
十津川の予想通り、翌日の昼過ぎに、犯人からの速達が届いた。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈十津川警部へ
君の強情にも呆《あき》れたものだ。その強情が、市民の間に、犠牲者を出しているのだということに、思い至《いた》らないのか。
仕方なく、ここに、第四回のゲームを始めなければならなくなった。
勝つとわかっているゲームは、つまらないものだが、君が、弱過ぎるのだから仕方がない。
今度は、『タ』で始める場所で、第四の殺人を行う。期日は、十一月十九日。雨天決行。君が負けるのは、わかっているが、一応、礼儀として、健闘を祈っておこう。
今度負けたら、白旗を掲げて、潔く、辞任したまえ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]白石 要《かなめ》〉
「どうせ、新聞社や、テレビ局にも、犯人は、手紙を、送りつけているでしょうね」
亀井が、いまいましげに、いった。
「だろうね。マスコミを利用するのが、最近の流行だよ」
と、十津川は、笑いながら、いった。
「ア・カ・サと来て、今度は、『タ』ですか。馬鹿にしやがって」
若い日下《くさか》刑事が、舌打ちした。
「私は、ひょっとすると、前へ戻るんじゃないかと、思ったんだがね」
十津川は、手紙を、読み直しながら、いった。
「前へ戻るというのは、どういうことですか?」
亀井が、きく。
「アとカは、人名の頭文字だった。それが、サになって、職業にした。それを、今度は、また、人名の頭文字に戻るのではないかと、思っていたんだ。違っていたね」
「違うことに、何か、意味があると、思われますか?」
「さあ、どうかな。完全なゲームのつもりでいるのなら、意味はないだろう。犯人の気まぐれとしか、いいようがない。ただ、ゲームでない時には、意味があるだろうね」
と、十津川は、いった。
「タで始まる場所というのは、少ないんじゃありませんか。これで、犯人は、失敗するかも知れませんよ。『タ』で始まる場所というと、思い浮ぶのは、体育館ぐらいですからね。他に、何かありますか?」
日下が、みんなの顔を、見廻《みまわ》して、きいた。
「そういえば、少ないかも知れませんね。煙草屋《たばこや》の前とか、たこ焼屋というのも、変ですからね」
と、西本刑事も、いう。
十津川は、手を振《ふ》って、
「そんなことはないよ。犯人は、それが、一般的な名称か、違うのかは、書いてないんだ。体育館といったいい方を考えれば、確かに、『タ』で始まる場所は少ない。しかし、ある店の名前と考えれば、いくらでもあるんだよ。喫茶店だけを考えても、タで始まる名前の店は、いくらでもある。有名な結婚式場だって、タで始まっている。バー、スナック、食堂、クラブ、考えれば、いやになるほど、あるんだよ」
「今度も、犯人は、列車を利用するでしょうか?」
と、きいたのは、亀井《かめい》だった。
十津川は、ニッコリして、
「私も、それを考えたんだ。理由は、わからないが、犯人は、前の三件とも、列車内で、殺人を行っている。もし、今度も、列車を利用するつもりだとすれば、それこそ、日下刑事のいうように、範囲が、せばめられてくるんだよ」
「タで始まる列車の名前というと、ほとんどないんじゃありませんか?」
「調べてみよう」
十津川は、すぐ、時刻表を、持ち出した。
だが、調べてみると、意外に、多いことが、わかった。
特急や、急行には、愛称がついている。
急行「だいせん」 大阪←→出雲《いずも》市
急行「丹後《たんご》」 京都←→敦賀《つるが》など
1号→11号
急行「但馬《たじま》」 大阪←→豊岡《とよおか》
1→4号
特急「谷川《たにがわ》」 上野《うえの》←→水上《みなかみ》、鹿沢口《かざわぐち》
1号→10号
特急「たざわ」 盛岡《もりおか》←→青森、秋田
1号→18号
急行「大雪《たいせつ》」 札幌《さつぽろ》←→網走《あばしり》
急行「たかやま」 大阪←→飛騨古川《ひだふるかわ》
「意外に、沢山ありますね」
亀井が、びっくりした顔で、いった。
「全部で、本数にして、四十九列車か」
十津川は、書き出した列車の名前を、見すえた。
「しかし、東京発のものはありませんよ」
と、亀井が、いう。
この上り、下り四十九本の列車の全部を警戒することが、出来るだろうか。
「臨時列車もあるんじゃありませんか。私は、山陰《さんいん》方面に、十一月に旅行した時、臨時列車に、乗ったことがありますが」
と、清水刑事が、いった。
時刻表を調べてみると、確かに、何本か、臨時列車が出ていた。
急行「但馬」についていえば、86号とか、85号といった、臨時の季節列車が、載っていた。「丹後」も、同じである。
「大丈夫だ」
と、十津川は、ほっとした顔で、いった。
「臨時列車が出るのは、十一月三日や、二十三日の翌日だ。問題の十九日には、臨時列車は、出ないんだ」
「それでも、五十本近い列車を、どうやって、守りますか?」
と、西本が、きいた。
「もちろん、全列車に、乗り込むより仕方がないさ」
と、十津川は、いった。
「すると、一列車二名として、九十八人の捜査員が必要になりますよ」
「いや、上りと下りだから、往復で、二人で済む。半分の人数でいいんだ」
「それにしても、多人数ですよ」
と、亀井が、いった。
「他の県警の協力を要請せざるを得ないな」
と、十津川が、いった。
3
全列車を、警戒するという決断については、警視庁内でも、反対があった。
今度も、列車内で、犯行が行われるという保証がないし、そんな大げさな捜査陣を敷くのは、かえって、犯人を、得意にさせるだけではないかというのが、反対の理由だった。
しかし、十津川は、この列車の全てを、警戒することにした。
つくすべき努力は、全て、やってみるというのが、十津川の考え方だったからである。
十津川たちは、上野を発着する特急「谷川」の1号から10号までの警戒に当ることにして、あとの列車は、各県警に、委《まか》せることにした。
急行「だいせん」、「但馬《たじま》」「たかやま」は、大阪府警。
急行「丹後《たんご》」は、京都府警。
特急「たざわ」は、岩手県警。
急行「大雪」は、北海道警である。
これは、各警察本部の快諾を得た。
十津川自身も、亀井と一緒に、特急「谷川」の1号と、4号に、乗車することにした。
特急「谷川1号」は、上野発七時一一分で、終着|水上《みなかみ》着は九時三〇分である。
水上に着いたあと、水上発一一時一二分の上りの「谷川4号」で、上野へ引き返す。
なお、「谷川」は、新前橋で、万座《まんざ》、鹿沢口《かざわぐち》行と、水上行に分れるので、その場合は、十津川と、亀井も、分れることにした。
問題は、上りの「谷川2号」である。
これは、水上発が、七時〇七分と早いので、十津川は、日下《くさか》と清水の二人に、前日に、水上へ行かせておいた。
もちろん、国鉄側にも、協力を、要請した。何といっても、鉄道の場合は、主役は、十津川たちではなくて、車掌や、鉄道公安官だからである。
十津川と、亀井は、七時に、上野駅に着き、七時一一分発の「谷川1号」に、乗り込んだ。
十四両編成で、1号車から7号車までが、万座、鹿沢口行、8号車から14号車が、水上行である。
二人は、自由席に腰を下し、車掌にも協力してもらって、時々、車内を、見て廻った。
「本当に、また、列車内で、人が殺されるんですか?」
と、車掌が、半信半疑の顔で、きいた。
「正直にいって、私にも、わからないのですよ」
と、十津川は、いっておいた。
「谷川1号」の車内は、七十パーセントくらいの乗客だった。これから、冬山のシーズンに入れば、混んでくると、車掌は、いった。
途中の新前橋で、十津川と、亀井は、分れた。
十津川は、水上へ行き、定刻の九時三〇分に着いた。
車内で、殺人は、起きなかった。ほっとしながら、ホームに降り、「谷川4号」が、発車する一一時一二分まで、十津川は、駅員室で、休ませてもらった。
駅員室にいれば、他の列車の状況もつかめるし、連絡も、出来るからである。
一一時一二分に、「谷川4号」に乗るまで、該当するような殺人事件は、起きていなかった。
一一時一二分発の「谷川4号」に、乗り込む。七両編成の列車である。
新前橋で、万座、鹿沢口から来た七両と、併合する。亀井とも、また、一緒になった。
車内は、静かで、殺人が起きる気配はなかった。
殺人ゲームの犯人が、今日、また、殺人の予告をしたことは、新聞にも出ていた。
しかし、乗客の顔に、不安の色は、見当らなかった。自分だけは、大丈夫だという気持が、あるからだろう。
十津川たちも、乗客を、不安に、おとしいれてはいけないので、努めて、何気なく振るまった。
何事もないままに、十津川たちの乗った特急「谷川4号」は、一三時三二分に、上野に着いた。
二人は、拍子抜けした気持で、上野駅のホームに降りた。
十津川たちは、警視庁に戻り、各列車からの連絡を待った。
それに、十津川は、「タ」のつく列車名と決めて、対応策を考えたのだが、それでも、ひょっとすると、列車とは、関係ない場所かも知れないという気持もあった。
それに対応するためにも、上野駅より、警視庁の方が、いいと、思ったのである。
陽《ひ》が落ちて、外が、暗くなってくる。一番不安になってくる時間だった。
「最後の列車は、何だったかな」
と、十津川は、改めて、時刻表を見てみた。
例えば、北海道を走る急行「大雪」がある。
札幌《さつぽろ》←→網走《あばしり》間を走る列車である。
下りの場合は、前日の二二時三〇分に札幌を出て、翌日の午前六時二二分に、網走に着く。
十八日の二二時三〇分に、札幌を出発した「大雪」は、深川《ふかがわ》着が、翌十九日の午前〇時一二分である。
つまり、深川の手前で、十九日になるのだ。そのあと、終着の網走には、午前六時二二分に着く。
もし、犯人が、十九日の下りの「大雪」の車内で、殺人をやる気なら、深川の手前から、網走着までの間に、やるだろう。
更に、上りの「大雪」の可能性もある。
上りの「大雪」の場合、十九日の二一時三〇分に、網走を発車する。
この列車は、二三時五九分に、遠軽《えんがる》に着く。
一分後には、二十日になってしまうのである。
遠軽には、十六分停車だから、遠軽に停車している間に、二十日になるわけである。
従って、急行「大雪」だけを考えても、明日の午前〇時ジャストまで、犯人が、第四の殺人を犯す可能性があるとみて、警戒しなければならないのである。
4
「こういう事件は、やり切れませんね」
亀井は、いらだちをおさえるように、部屋の中を、歩き廻りながら、いった。
「そうだな」
と、十津川も、呟《つぶや》いた。
向うには、さまざまな選択肢がある。今のところ、一方的な感じなのだ。それに、相手の本当の動機もわからない。それが、いらだちの原因である。
各県警には、何かあったら、すぐ、連絡してくれるように、頼んであった。が、まだ、何の連絡もなかった。
「間もなく、七時だね」
と、十津川は、腕時計を見た。
「一九時一一分に、『谷川9号』が、上野を発車します」
と、亀井が、いった。
下りの「谷川」は、これが、最後である。
「それには、誰《だれ》が、乗り込むことになっていたかね?」
「西本君と、本橋君の二人です」
「水上に着くのは、二一時三三分か」
それまでは、がんばって、やってもらわなければならない。
上りの「谷川10号」は、上野に、二〇時三〇分に着く。
特急「谷川」についていえば、下りの9号の方が、遅くまで走っていて、午後九時三十三分には、終了するのである。
西本と本橋の二人が、東京に戻るのは、明日になってしまうことになる。
十津川は、しきりに、煙草《たばこ》を吸った。
午後九時を過ぎた。が、どこからも、事件発生の連絡は来ない。
(警戒が厳しいので、犯人が、第四の殺人を諦めたのか? それとも、列車名と考えたのは、間違いだったのか?)
どうしても、迷いが、生れてくる。
十津川は、犯人のいった「タ」の場所を、列車名と考えたのだが、違っていたら、今度の警戒は、無意味だったことになる。
一番いいのは、警戒中の列車の中で、犯人が、第四の殺人をやろうとして、逮捕されることである。
電話が、鳴った。
十津川は、吸っていた煙草を、もみ消してから、受話器を取った。
あの男の声が、聞こえた。
「ご苦労さんですね、十津川さん」
と、いきなり男が、皮肉ないい方をした。
亀井も、じっと、注目した。
十津川は、テープレコーダーのスイッチを入れてから、
「何のことだね?」
と、努めて、平静に、応じた。
「おれがいった『タ』のつく場所を、列車名だと、思い込んだようだね。それを、ご苦労さんだというのさ」
「何をいいたいんだ?」
「十津川警部の頭も、その程度のものかと思ってね。おかしくて、仕方がないんだよ。今までが、全部、列車の中だから、今度も、列車と考えるのは、智恵《ちえ》がないんじゃないかねえ」
「前置きはいい。また、人殺しをやったのか?」
「若い女性が死んだよ。君のせいでね」
と、男は、いった。
「君が殺したという証明は?」
「年齢、二十二、三歳。身良一五七、八センチ。イエローのワンピース。ハンドバッグは、グッチかな。小柄な女性だよ。間もなく、君のところにも、連絡が行くさ」
「見ず知らずの人間を、殺したのか?」
「君が、わからず屋だから、おれは、名前も知らない人間を、殺すことになるのさ。可哀そうだと思うのなら、すぐ、白旗を掲げて、警視庁を辞めるんだな」
「なぜ、私を恨《うら》んでいるんだ? 動機をいいたまえ」
「名刑事か何か知らないが、大きな顔をしているのが気に食わん。ただ、それだけだよ。君が、何の能もない、だめな刑事であることを、証明したいだけだよ」
それで、電話が切れた。
亀井が、逆探知について、問い合せている。
どこから掛けたかわかっても、犯人は、すぐ移動してしまうだろう。
(どこで、四人目を、殺したのだろうか?)
5
一時間後に、一つの報告が、群馬県警から入ってきた。
国鉄|高崎《たかさき》駅の構内で、二十二歳の女性が死んだという報告だった。
「どうやって、殺されたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「上野発、新前橋行の普通電車が、ホームに入ってきた時、その女性が、ホームから落ちて、はねられたんです。最初は、誤って、落ちたのではないかと思われたんですが、その後、何者かに、突き落とされたのではないかという疑問が出てきたのです」
「目撃者がいるんですか?」
「まだ、見つかっていませんが、彼女が、落ちる時、『あッ』と、悲鳴をあげるのを、聞いた駅員がいたわけです。落ち方も、異常なんです。それで、殺人の可能性が出てきたと、思ったわけですよ」
「こちらに、連絡して下さったのは?」
と、十津川が、きくと、平田《ひらた》という県警の刑事は、
「それなんですが、ついさっき、男の声で、電話がありましてね。おれは、犯人だ。警視庁の十津川警部に連絡しろと、いって、切ってしまったんです。それで、お電話したわけですが」
「わかりました」
「例の殺人ゲームとかいう事件と、関係があるんですか?」
と、平田刑事が、きく。
「あると、思っています」
「こちらでは、何をしたらいいんですか?」
「突き落とされたとすれば、目撃者がいるかも知れません。全力で、目撃者探しをしてくれませんか」
「わかりました。やってみます」
「お願いします」
と、いって、十津川は、電話を切った。
「列車でなく、駅名だったんですか?」
亀井が、眼《め》を光らせて、十津川を見た。
「それは、まだ、何ともいえないが、高崎駅で、女性が、殺されたらしい」
とだけ、十津川は、いった。
更に、一時間して、群馬県警から、被害者について、くわしく、知らせてきた。
亡くなったのは、前田ゆかり、二十二歳である。
住所は、前橋市内。高崎市内の会社に勤めているOLである。
今日は、午後五時に、会社を終ったあと、同僚と、食事と、買物をし、帰宅するために、新前橋行の普通電車を、待っていたらしい。
目撃者は、二人、見つかったと、県警の平田刑事が、十津川に、いった。
「一人は、この電車の運転士です。電車が、構内に入ったとき、突然、被害者が、ホームから、線路上に、飛び出したので、間に合わなかったということです」
「運転士は、彼女を、突き飛ばした犯人を、見ていないんですか?」
「残念ですが、見ていません。もう一人は、ホームにいた駅員で、彼女の悲鳴を聞いた男なんですが、彼は、被害者の近くに、男がいたのを見ているわけです」
「どんな男ですか?」
「三十歳前後で、うす茶のコートを着ていたといいますが、その駅員は、女が、はねられたあとは、そちらに、注意が行き、問題の男が、そのあと、どうしたのかは、見ていないんです」
と、平田は、いった。
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第八章 目撃者《もくげきしや》
1
他にも、目撃者はいる筈《はず》だと、十津川は、思った。
今は、電車の運転士と、駅員だけだと思われているが、他に、その電車の乗客の中にも、目撃者は、いた筈である。
特に、高崎で降りる人で、ドアのところにいた乗客は、問題の男を、目撃している可能性があった。
電車は、急ブレーキをかけたが、惰性《だせい》で、ホームの端《はし》まで、行ってしまったからである。
十津川は、高崎駅と、マスコミの協力を、求めることにした。
まず、高崎駅の構内に、問題の電車から、「ホームにいた三十歳前後で、うす茶のコートを着た男」を見た人は、警察に通報してくれるようにという貼紙《はりがみ》を出してもらった。
連絡先は、群馬県警の高崎警察署か、東京の警視庁かである。
テレビ、新聞でも、同じ要請をやってもらった。
もちろん、同じ時間に、同じホームにいた他の乗客にも、目撃者はいるかも知れないので、その人たちからの連絡を待つ貼紙や、放送なども、してもらった。
十津川にしてみれば、自分が推理した通りの、列車の中での犯行でなかっただけに、ひたすら、目撃者が現われるのを待つより仕方がなかった。
新聞は、十津川たちに対して、批判的だった。
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〈またも出し抜かれた警察〉
〈鉄道を利用しての殺人とわかっていながら、駅名に、気付かなかったのか?〉
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といった見出しの記事が多かった。
「『タ』で始まる駅名が、いくつあると思ってるんだ」
と、亀井は、怒った。亀井が数えたところでは、地下鉄の駅名まで入れたら、四百から五百は、あるという。
「そんな数の駅を、全部、見張るわけには、いきませんよ」
と、亀井は、いった。
「それでも、われわれが、してやられたことに変わりはないんだ」
と、十津川は、いった。
もう一つ、十津川を悩ませたのは、次のような新聞の投書が、あったことだった。
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〈十津川警部は、被害者に詫びよ。
十九日の夜、高崎駅で、前田ゆかりさんという二十二歳のOLが、ホームから突き落とされて、死亡した。
最近、大きなニュースになっている殺人ゲームの四人目の犠牲者だという。
悪いのは、犯人に決まっている。ゲームとして人殺しをするなど、断じて、許せない行為である。しかし、警視庁の十津川警部にも、いくらかの責任があると、私は、思う。
犯人は、名指しで、十津川警部に、抗議しているところをみると、よほど、恨《うら》んでいるに違いないと思うからである。
十津川警部は、恐らく、犯人の恨みを買うようなことを、何かしているのだろう。これを考えれば、警部も、前田ゆかりさんの死に、いくばくかの責任があるものと、私は考える。
彼女の家族も、そう思っているだろう。ところが、十津川警部が、遺族に、詫びたという話を聞いていない。これは、やはり、おかしいのではないだろうか? また、こうした警察の冷たさが、今度のような殺人を生む下地にあるのではあるまいか?
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[#地付き]東京、N・K〉
同じような考えの人がいることも、想像された。が、十津川は、殺されたOLの家には、行かないことに、決めていた。
理由は、二つあった。一つは、この殺人事件は、当然、群馬県警との合同捜査になるのだが、主導権は、群馬県警にあるからである。
しかし、もう一つの理由の方が、大きかった。
それは、犯人を逮捕するまで、強い気持でいたかったからである。
犯人は、十津川を、名指しで、挑戦してきている。従って、十津川の一挙一動に、マスコミの眼《め》が光っている。
もし、彼が、被害者のOL宅に行き、家族に、詫びたら、たちまち、そのことが、書き立てられてしまうだろう。
その結果、十津川がその気でなくても、白旗をあげたような感じで、受け取られてしまうのが、怖《こわ》かったのだ。
記者たちから、前田ゆかりの家族に、詫びに行かないのか、葬儀に、参列するのかといった質問をされた時も、十津川の返事は、同じだった。
「その時間があれば、犯人を追いかけます」
と、十津川は、いった。
2
目撃者探しは、なかなか、うまくいかなかった。
電話が、なかったわけではない。何本かの電話が、群馬県警にも、十津川のところにも、掛かってきた。
犯人らしい男を見たという電話は、あったのだが、よく聞くと、その場所が、違っていたりするのである。
被害者のOLが、突き落とされた場所は、ホームの中央附近である。跨線橋《こせんきよう》が、二本あって、その東京寄りの跨線橋から、階段を下りたところである。
それが、ホームの端《はし》であったり、売店の前であったりする。
善意で、自分が見た男が、犯人ではないかと思って、電話してくるのだが、中には、明らかに、からかいのいたずら電話もあった。
十津川を呼んでもらい、彼が出ると、いきなり「人殺し」とか、「早く辞めろ」と、怒鳴《どな》る男もいる。
そんなことは、別に、気にならないのだが、肝心《かんじん》の目撃者が、出てこないことに、十津川は、失望した。
「なぜ、出てこないのかね?」
十津川は、亀井《かめい》に、きいてみた。
「電車の中に、目撃者がいるのではないかという考え方自体が、間違っていたのかも知れません」
と、亀井は、いう。
「犯人は、OLを、突き落としておいて、素早く、階段をあがってしまったということか?」
「そう思います。だから、階段附近で、そこにいたOLを、突き落としたんでしょう。そうしておいて、階段をあがってしまう。電車が、入ってきた時は、ホームには、いなかったというわけです」
「なるほどね」
「そうなると、階段か、跨線橋か、或《ある》いは、改札口で、駅員に、見られている可能性は、ありますが」
「その点だがね。高崎署では、駅員全員からきいているらしいんだが、これといった目撃者は、いないらしい。ホームで見たという駅員だけなんだよ」
「駅員もだめ、電車の乗客もだめとなると、目撃者は、一人だけということになりますか」
亀井が、残念そうに、いう。
その目撃者の証言にしても、三十歳前後の男で、うす茶のコートということしか、わからない。顔立ちが、全く、わからないのである。
「高崎から、タクシーにでも、乗ってくれていると、助かるんですが」
と、亀井は、いったが、十津川は、笑って、
「そんな、下手《へた》なことは、やらないよ。高崎署では、念のために、タクシーの運転手にも、当ったようだが、これはという証言は得られなかったようだ。犯人は、列車で、東京に戻ったと思うよ」
と、いった。
「すると、目撃者探しも、無駄に終りそうですか」
亀井は、口惜《くや》しそうに、いった。
十津川は、黙って、煙草《たばこ》に、火をつけた。
また、犯人にしてやられたのか。四人も殺されながら、犯人に、一歩も、近づけないのか。
三十歳前後の男で、うす茶のコートでは、ほとんど、犯人を限定できない。いくらでもいるタイプだからだ。それに、コートを、着がえてしまったら、外見も、わからなくなってしまうだろう。
亀井は、黙って、コーヒーをいれ、十津川の前に置いてくれた。
十津川も、黙って、そのコーヒーを、飲んだ。何本目かの煙草に火をつけ、一瞬、照れた顔になって、
「煙草は、止《や》められないねえ」
と、亀井に、いった。
「私は、もう、禁煙は、諦めています」
と、亀井は、いい、自分も、煙草をくわえた。
十津川は、しばらく、煙草の煙の行方を見つめていたが、
「ねえ、カメさん。われわれは、間違っていたんだろうか?」
と、いった。
「何がですか?」
「今度の殺しさ。われわれは、今度も、『タ』のつく列車で、犯人が、人殺しをすると考えた。ところが、犯人は、高崎駅で、OLを殺した。完全に、裏をかかれた。だが、本当に、裏をかかれたんだろうか?」
「と、いいますと?」
「犯人は、なぜか三人目まで、列車の中で、殺しを続けてきた。四人目は同じ鉄道ということで、駅にしたのだろうか?」
「かも知れません」
「もちろん、駅と列車とは、密接な関係がある。だが、列車に、強烈な思い出がある時、駅の方まで、その思い出が、及んでいくものだろうか?」
十津川に、きかれて、亀井は、首をかしげてしまった。
「わかりませんが、それが、何か、重要なことなんでしょうか?」
「ひょっとすると、犯人も、最初は、駅でなく、列車の中で、四人目の殺しを考えていたんじゃないかと、思うのだよ」
と、十津川は、いった。
「しかし、実際には、『タ』のつく高崎駅で、OLを、殺していますが」
「犯人から、電話が、掛かってきた時のことを思い出してみたんだよ。奴《やつ》は、こういった。『おれがいったタ≠フつく場所を、列車名だと、思い込んだようだね。それを、ご苦労さんだというのさ』とね。奴は、われわれが、列車に乗り込んで、警戒しているのを、知っていたんだよ」
「当てずっぽに、いったんじゃありませんか?」
「いや、そうは、思えないね。奴は、知ってるんだぞという声で、電話してきたんだ」
「すると、犯人は、最初、われわれが考えたように、列車の中で、四人目の人間を、殺す気でいたことになりますね?」
亀井の顔も、緊張してきた。
「そうなんだよ」
「しかし、どの列車に、乗っていたかは、わからないでしょう?」
「いや、わかるよ。特急『谷川9号』だよ」
と、十津川は、断定するように、いった。
「なぜ、この列車だと、わかるんですか?」
亀井が、不思議そうに、きく。
「もちろん、これは、推理でしかないが、多分、当っていると、思うね。谷川9号は、上野発一九時一一分で、終点の水上《みなかみ》に着くのは、二一時三三分だ」
「あの列車には、西本と本橋の二人が、乗っていた筈《はず》です」
「犯人も、この列車に乗ったんだ。ところが、西本刑事たちや、車掌が、車内の警戒に当っているのを見て、これは、いかんと思ったんだよ」
「そうだとしても、『谷川9号』は、『タ』のつく列車としては、関東では、最終列車ですが」
「だから、犯人は、困ってしまったんだ。奴は、十九日に、『タ』のつく場所で、四人目を殺すと、公言していた。二十日になってしまったら、彼の敗北だ。それは、我慢がならない。早く、別の『タ』のつく場所で、四人目を殺さなければならなかった」
「それで、高崎駅ですか?」
「そうさ。『タ』のつく他の列車は、もう、間に合わない。奴は、あわてた。あわてて、時刻表を見直したんだろうと思う。『谷川9号』が停車する駅は、次の通りだ」
十津川は、その駅名を、黒板に、並べて、書いた。
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赤羽、浦和《うらわ》、大宮、上尾《あげお》、鴻巣《こうのす》、熊谷《くまがや》、深谷《ふかや》、本庄《ほんじよう》、新町、高崎、新前橋、渋川《しぶかわ》、沼田《ぬまた》、後閑《ごかん》、上牧《かみもく》、水上(前橋)
[#ここで字下げ終わり]
「駅は、いくつもあるが、『タ』のつく駅は、高崎だけなんだよ。車内で殺すのは、まずいと、思った犯人は、それなら、駅だと思ったが、『タ』のつく駅名が、高崎しかないと知って、あわてて、高崎で降りたんだと思う」
「この列車の高崎着は、二〇時三五分ですね」
と、亀井も、時刻表を見ながら、いった。
「そうだ。二〇時三五分だ。犯人は、高崎に降りてから、四人目を殺すことを考えた。そして、彼が、考えたのが、ホームから、そこにいた人間を線路に突き落として、殺すことだったんだと思うね」
「それで、上野発、新前橋行の普通電車を、利用したわけですか?」
「この電車は、二一時二〇分に、高崎に着く。それに、ひかせたんだよ。犯人のつもりでは、場所は、駅だが、本当は列車だという気だったんじゃないかな」
と、十津川は、いった。
3
「犯人が、特急『谷川9号』に乗っていたとすると、車内の誰《だれ》かが、犯人を目撃した可能性がありますね」
と、亀井が、いった。
「問題の犯人とは、知らずにね」
と、十津川は、付け加えた。そこが、難しいところなのだ。犯人の顔立ちや、背格好がわからないと、犯人を目撃しても、していないのと、同じことである。
だが、今度は、少しは、限定できるものがあった。
三十歳前後で、うす茶のコート。そして、「谷川9号」に乗っていて、高崎で降りた。
十津川と、亀井は、まず、当日の「谷川9号」の車掌に会ってみることにした。
池田という車掌は、わざわざ、非番の時に、捜査本部まで、来てくれた。
十津川は、この池田車掌と、同じ「谷川9号」に乗って、警戒していた西本と本橋の二人の刑事に、話し合ってもらうことにした。
「池田さんも、西本刑事たちも、車内で、犯人に、会っている筈《はず》なんだ。三十前後で、うす茶のコートを着て、高崎で、降りた男だ。かなり、あわてて降りたんじゃないかと思うんだが、記憶にないかね?」
と、十津川は、三人に、いった。
三人は、上野を列車が出てから、高崎に着くまで、車内を、どんな風に、歩いたかを話し始めた。
「犯人の男は、最初は、高崎で降りる気はなかったわけですか?」
と、池田車掌が、十津川に、きいた。
「そう思います」
「すると、水上《みなかみ》までの切符を買っていたんでしょうかね?」
「ええ」
「水上行だと、8号車から14号車に、乗っていた筈です。1号車から7号車までは、前橋、桐生《きりゆう》行ですから」
と、池田がいう。
「14号車が、先頭だから、先頭から、七両目までと、いうことですね」
西本が、いった。
「高崎で降りた乗客は、そう多くはなかったですよ。特に、8号車から14号車までの乗客では、ほとんどなかったと思いますね」
池田が、思い出しながら、いう。
「私たちは、最後尾の1号車に乗り、前方の車両へ向って、通路を歩いて行きました」
と、本橋が、いった。
「高崎に着くまでに、何回ぐらい、十四両の車両を、往復したんだ?」
十津川が、きく。
「上野から、高崎まで、一時間二十四分ですね」
と、西本が、時刻表を見て、いう。
「それだと、少なくとも、三往復は、したと思います」
「だから、犯人は、方針を変更して、高崎で、降りたんだよ」
と、十津川が、いった。
「ちょっと、待って下さい」
と、西本は、十津川にいってから、本橋に向って、
「そういえば、グリーン車で、眼《め》が合ったら、急に、顔をそむけた男がいたじゃないか」
と、いった。
「13号車か」
「そうだよ。先頭から二両目の車両の端の座席にいた男だよ」
「ああ、あの男か」
と、本橋も、いう。
「その男は、高崎で、降りたのか?」
十津川が、きいた。
「わかりません」
と、本橋がいう。
「しかし、気になったんだろう?」
「そうなんですが――どうして、よく覚えていないのかな」
「途中の高崎で、降りてしまったからじゃないのかね」
と、十津川がいった。
池田車掌は、黒板に、簡単なグリーン車の図を描いた。
「グリーン車は、車内改札をしたので、よく覚えていますが、あの日の13号車の客は、全部、水上までの切符を、買っていた筈《はず》ですよ」
と、池田は、振り向いて、十津川に、いった。
「その図で、問題の男が、どの辺の席にいたか、丸を書いてみてくれ」
と、十津川が、本橋に、いった。
本橋が、座席の一つに、丸をつけた。西本も、それでいいと、いった。
「ここの乗客ですか」
池田車掌は、いって、その座席を、見つめていた。
車内改札をした時のことを思い出そうとしているのだろう。
「どちらかというと、角張った顔で、サングラスを、かけたり、外したりしていた男じゃなかったですか?」
と、池田は、二人の刑事を見た。
「そうだ」
と、肯《うなず》いたのは、本橋だった。
「眼《め》をそらしてから、サングラスをかけていましたね」
「その男は、高崎で、降りましたか?」
と、十津川が、池田に、きいた。
「二度目に、グリーン車に行った時、いませんでしたね」
「それは、高崎を過ぎてからですか?」
「ええ。そうです」
「どうやら、その男が、怪しくなってきたね」
十津川は、西本たちに、いった。
車内で見たのだから、うす茶のコートは着ていなかったと、三人は、いった。
「なかなか、お洒落な男でしたよ」
と、西本が、いった。
「なぜ、そう思ったんだ?」
「高そうな、こげ茶の背広を着ていたし、腕時計が、ロレックスでしたから」
「よく見ているね」
「ロレックスを、前から、欲しいと思っているんです」
と、西本はいった。
「そういえば、この男の人は、車内改札の時、水上着の時間を、ききました。何時に着くのかというきき方ではなく、水上着は、二一時三三分だったね、というきき方でした」
池田が、思い出して、いった。
「それは、面白いね。その男が、犯人なら、十九日中に、水上に着くかどうか、確認したんだ。十九日中に殺すと、主張していたからね」
と、十津川は、いってから、三人に向って、
「協力して、その男のモンタージュを、作ってくれ」
と、いった。
絵の上手《うま》い刑事を呼び三人の証言を、もとにして、問題の男のモンタージュ作りが、開始された。
この作業には、かなりの時間が、かかった。
三人の印象が、一致しない点も、あったからである。
四時間近くかかって、やっと、モンタージュが出来あがった。
4
「この男か――」
十津川は、じっと、出来あがったモンタージュを見つめた。
眉《まゆ》が、太い。逆に、唇《くちびる》は、薄く、それが、男の顔を、冷酷に見せている。
鼻は高い。これは、本橋が、書き添えた言葉である。
腕時計は、ロレックス。
こげ茶の背広。
うす茶のコート。
三十歳前後。
言葉は、標準語で、訛《なまり》はない。
こんな言葉が、書いてある。最後のは、車内改札で、言葉を交した池田車掌の証言である。
「このモンタージュを、マスコミに、流しますか?」
と、池田車掌が、帰ってから、亀井が、十津川に、きいた。
「カメさんは、どう思うね?」
十津川が、逆に、きいた。彼自身にも、わからなかったからである。
「そうですね。マスコミの協力を得ようと思えば、すぐ、コピーして、配布すべきだと思います」
「うん」
「ただ、その場合、これが、犯人によく似ていれば、彼はすぐ、逃げ出すと思います」
「そこが、問題だな」
「それに、もし、似ていないか、われわれが、別の人間を、マークしてしまったとすると、犯人は、今より、堂々と、次の犯行に、走ると、思います」
「そうだね」
「一長一短ですね」
と、亀井が、いう。
十津川は、しばらく、考えていたが、
「マスコミに、流してみよう」
と、いった。
「マイナスの点は、無視しますか?」
「私は、犯人の反応が見たいんだよ」
と、十津川は、いった。
「反応といいますと?」
「犯人は、やたらに、饒舌《じようぜつ》だ。私をからかって、喜んでいる。とすると、このモンタージュが出れば、必ず、何か、いってくる筈《はず》だよ。よく似ていても、似ていなくてもだ。その反応が、知りたいんだよ」
十津川が、本多一課長と、三上刑事部長に話し、記者会見を開き、コピーしたモンタージュを、配布した。
「この男が、一連の事件の犯人です」
と、十津川は、記者たちに向って、いった。
「名前や住所は?」
と、記者の一人が、きいた。
「それがわかっていれば、とっくに、逮捕していますよ」
と、十津川は、笑ってから、
「しかし、その男が、犯人であることは、間違いありません。どこの誰《だれ》か、それを、皆さんに協力していただいて、見つけ出したいんですよ」
「目撃者がいたわけですね。どこで、誰が、犯人を見たんですか?」
当然の質問を、記者がした。
「目撃者の氏名は、伏せさせて下さい。場所だけいいましょう」
十津川は、言葉を選ぶようにして、記者たちを見廻した。
「高崎駅の駅員が、犯人を目撃していることは、もう、報道されているから、いいでしょう。ただ、彼が見たのは一瞬で、三十歳前後の男としか、見ていません。その後、犯人は、十九日の特急『谷川9号』に、乗っていたことが、わかったのです。なぜ、犯人が、この列車に、乗っていたのか? 皆さんは、もう、想像がついたと思いますが、犯人は、最初、この『谷川9号』の車内で、殺人を行う気だったのです」
「すると、犯人のいった『タ』で始まる場所というのは、『谷川9号』だったわけですか?」
記者の一人が、大きな声で、きいた。
十津川は、その記者に向って、
「その通りです。犯人は、間違いなく、最初、特急『谷川9号』の車内で、四人目の人間を、殺そうと考えていたのです。ところが、警戒されているのに気付いて、あわてて、方針を変更したわけです。『タ』のつく駅名、つまり、高崎に変更し、あたかも、最初から、駅が目標だったように、主張しているのです」
「すると、犯人の目撃者は、『谷川9号』の車内の人間ですね?」
「その通りです。犯人は、あわてて、列車から降りたように、そのおかしな挙動で、注目されてしまったわけです」
「犯人のモンタージュが出来たとなると、逮捕は、近いと見ていいですか?」
「期日は、わかりませんが、これだけは、約束できると思います。今まで、われわれ警察は、守勢に立たされていました。犯人の顔は、わからず、向うは、勝手に、被害者を選べたわけですから、守勢に立たされていたのも、当然だと、思っています。しかし、今日から、守勢に廻るのは、犯人の方です。このモンタージュで、犯人の顔はわかりましたし、皆さんが、報道して下されば、日本全国の人間が、犯人の顔を知るわけです。今まで、犯人が、殺人を予告してくるたびに、人々は、ひょっとすると、自分が、殺されるのではないかと、怯《おび》えられたと、思います。しかし、今日から、怯えるのは犯人の方です。いつ、目撃した人が、一一〇番するか、わからないわけですからね。隣家の人が、一一〇番するかも知れない。買物をした店の人が、警察に急行するかもわからない。そんな恐怖に、さいなまれると思っています」
「犯人が、外国へ逃亡する可能性は、考えられませんか?」
「このモンタージュは、日本全国の空港や、港へ配布してありますから、海外への逃亡は、不可能ですよ」
「犯人に、今、いいたいことは、ありますか?」
「自首することを、すすめますね」
と、十津川は、いった。
記者会見が、済むと、本多一課長が、びっくりした顔で、十津川に、
「君には珍しく、強気の発言だったじゃないか」
と、いった。
「今度は、私の方が、犯人に挑戦する番ですからね」
「犯人は、どう出てくるかね?」
「わかりません。反撥《はんぱつ》してくるか、無視するか、逃げ出すか、どう出てきても、いいと、私は思っています。しかし、犯人は、今まで、強気に出ていた手前、逃げ出しはしないでしょう。そこが、こちらの付け目でもあります」
と、十津川は、いった。
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第九章 逆《ぎやく》 挑《ちよう》 戦《せん》
1
犯人が、どう出てくるか、わからないと、十津川は、いった。
しかし、多分、二つの出方があるだろうとは、考えていた。そのどちらをとるか、わからないのだ。
逃げ出しはしないからだ。
犯人からの反応が出たのは、翌々日だった。
またも、犯人は、手紙を、マスコミに、送りつけてきたのである。
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〈警察の常套《じようとう》手段に、ご注意を
小生は、警視庁捜査一課十津川警部に挑戦して、四度、勝ちを収めた。
当然の帰結だったのだが、十津川警部にしろ、警視庁にしろ、面子《メンツ》が、立たなくなったのだろう。そこで、警察は、失敗を糊塗《こと》するための常套手段に出た。
三億円事件の時にも、警察は、犯人と称して、ヘルメット姿の青年の写真を、公開した。
あの写真が、犯人と違うらしいことは、今や、多くの人が、口にしている。
今度も、その手なのだ。ゲームに負け続け、追い込まれた十津川警部と、警察は、とうとう同じ手を使ってきた。
これが犯人だと称するモンタージュを、公表した。小生から見ると、噴飯物《ふんぱんもの》だ。私は、あのモンタージュより、もう少し、ハンサムですよ。
警察が、あのモンタージュで、捜査してくれれば、小生としては、有難いが、マスコミの諸君が、警察に欺《だま》されて、うろうろするのを、見るに忍びず、この手紙を、出す気になった。
マスコミも、警察の発表を、うのみにせず、独自に、調査されては、いかが?
老婆心《ろうばしん》までに。
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[#地付き]白石 要《かなめ》〉
「やっぱり、犯人は、手紙を書きましたね」
と、亀井は、新聞に載った手紙を、見ながら、十津川に、いった。
「私の予想した通りの手紙だったね」
と、十津川は、いった。
「無視するとは、お考えにならなかったんですか?」
亀井が、きくと、十津川は、笑って、
「正直にいうとね、そうなると、困るなと、思っていたんだ」
「と、いいますと?」
「あのモンタージュが、犯人と、全く、似ていないとしたら、どうだろう。カメさんが、犯人なら、どう思うね?」
「そりゃあ、喜びますね。警察が、とんだ見当違いをしているわけですから」
「それで、どうするね?」
「そうですねえ」
と、亀井は、考えてから、
「警察には、誤った捜査を続けさせますよ。よく似ているという手紙を書くか、放っておくかしてです」
と、いった。
「よく似ているという手紙は、書かないだろう。もし、そんな手紙が来たら、われわれは、逆に、似ていないんじゃないかと勘ぐる。そうだろう? カメさん」
「そうです。犯人から賞《ほ》められたら、まず、疑って、かかりますね」
と、亀井も、いう。
「だから、似てない時には、犯人は、無視してくると、私は、思ったんだ。だから、無視された時は、困るなと、考えていたんだよ。あのモンタージュが、犯人に、似ていない状態だからね」
「しかし、犯人は、似ていないと、いってきた――ですか」
「つまり、あのモンタージュは、似ているんだよ」
と、十津川は、断言した。
「しかし、警部。この犯人だって、馬鹿じゃありませんよ」
「ああ、わかっている」
「ですから、こんな手紙を書けば、逆に、モンタージュが似ていると、勘ぐられてしまうことぐらい、わかるんじゃないかと、思うんですが」
「もちろん、わかっていたと思うね」
「それなら、なぜ?」
「犯人は、ジレンマに、陥ってしまったんだと思うね。彼は、私を通して、警察に挑戦してきた。それだけでなく、殺人のたびに、マスコミに、手紙を書き送って、自分を誇示してきたんだ。そんな男が、黙っていると、かえって疑われるし、犯人は、今度は、参って、黙っていると、思われる。自尊心が強い犯人が、そんな立場に、耐えられる筈《はず》がないんだよ」
「なるほど。そこが、犯人のジレンマというやつですか」
「だから、無視できず、さればといって、似ていると、賞讃《しようさん》も出来ず、違うという否定の手紙しか、書けなかったんだよ」
と、十津川は、いった。
「これで、このモンタージュが、似ているという確信を持てましたが、今後の犯人の出方を、どう推理されますか?」
と、亀井が、きいた。
2
「私への挑戦は、続けるだろうね」
と、十津川は、いった。
「モンタージュが出来たことで、逃げることはないと、思いますか?」
「普通の人間なら、さっさと、逃げるさ。だが、有難いことに、この犯人は、違う。私に挑戦して、大口を叩《たた》いてきただけに、尻尾《しつぽ》を巻いて、逃げ出せないんだ。私が、参らない以上、逃げ出せないんだよ」
と、十津川は、笑った。
主導権が、徐々に、こちらに移ってきていることを、十津川は、確かな手応《てごたえ》として、感じていた。
「それは、犯人が、また、殺人ゲームをやるということですか?」
「恐《おそ》らくね」
と、いってから、十津川は、続けて、
「犯人の計算としては、殺人ゲームとして、二人、三人と殺していけば、世論は、標的である私に対して、厳しくなり、無能な私は、辞職しないまでも、捜査から外されるのではないか。そうすれば、犯人は、『この辺で、勘弁してやろう』と、いったセリフで、殺人ゲームをやめて、永遠に姿を消せると、計画していたんだと思うね。彼は、目的を、果たし、かっこよく、姿を消し、絶対に、捕まらないと、考えていたんだろう。犯人の輪郭《りんかく》がつかめないのだから、捕まることもない、とね。だが、世の中は、そんな風に、上手《うま》くはいかないんだよ」
「犯人は、今更、やめられないわけですね」
「逃げ出すことは、出来るさ。だが、犯人に、自尊心があれば、それは出来ない。私に、白旗をあげろといっていた手前、彼が白旗をあげるわけにはいかないだろう。自尊心が、人一倍強い男のようだからね。それに、今、やめても、警察は、追いかけ続けることも、知ったと思う」
「次の殺人ゲームも、今までと、同じ形だと思われますか?」
「犯人は、そうしたいだろうね。だが、犯人のモンタージュが出来たという新しい条件が加わった。犯人にしたら、そのことを、無視するわけにはいかないさ」
「自由に、五人目を殺すわけには、いかないということですね?」
「だから、犯人は、どうするか。そこが、興味のあるところだよ」
と、十津川は、いった。
「私が、犯人なら、モンタージュを作られてしまったハンデを、何とかして、引っくり返そうと、考えますね」
と、亀井が、いった。
十津川は、微笑して、
「それは、興味があるね。カメさんなら、どんな風にやるね?」
「そうですね。犯人を、作りますね」
「犯人をね」
「五人目を殺し、その直後、犯人は、自殺してしまう。警察は、それをもって、事件は、終了したと、宣言する。だが、犯人は、生きて、笑っている。そんな形にしたいと思いますがね」
「なるほどね」
「自殺した犯人が、われわれの作ったモンタージュに似ていない。似ていないが、犯人としか思えない。そんな形になれば、犯人としては、一番いいんじゃありませんか。形としても、警察が、ミスしたことになりますから、犯人とすれば、二重に勝ったことになりますからね」
「すると、次は、犯人にとっても、われわれ警察にとっても、ハードなものになりそうだね」
と、十津川は、いった。
亀井の予想は、当るだろうと、十津川は、思った。
十津川が、犯人だとしても、同じように、考えるからだ。モンタージュは、犯人に似ていると、十津川は、確信している。
自分の顔が、テレビ、新聞に、大きく出てしまった人間の心理がどんなものか、凡《およ》その想像はつく。
犯人は、全く似ていないと、マスコミに、手紙を送った。が、そんなことで、不安や、恐怖は、消えるものではあるまい。
次に、亀井のいったようなストーリイの行動をとるにしても、自分が、見られているという恐怖の中で、やらなければならないのだ。
十津川にしても、格別、有利になったとは、安心してはいなかった。
犯人の顔は、わかった。それで、もし、逃がせば、今度こそ、弁明のしようがないし、マスコミには、徹底的に、叩《たた》かれるだろう。それだけではない。モンタージュが、似ていないということになってしまうのが、十津川には、怖《こわ》い。
捜査方針が、変わり、モンタージュは、利用しないことに、決められるのが、怖いのだ。
(次が、勝負か)
と、思う。
犯人の方も、そう思っているだろう。
もちろん、犯人が、次の挑戦をしてくるまで、ただ、待つわけではない。
いぜんとして、謎《なぞ》の部分がある。
犯人が、なぜ、十津川を、標的にしているのか?
殺された四人は、なぜ、選ばれたのか? 完全に、無作為だったのか、それとも、無作為を、装って、特定の人間を殺したのかも、わからない。
三番目の謎は、列車である。犯人は、なぜ、列車に拘《こだ》わるのか、その理由が、わかれば、犯人の輪郭《りんかく》は、もっと、はっきりしてくるだろう。
この三つの謎について、十津川は、亀井たちに協力してもらって、すでに、何回も、調べているのだが、いまだに、結論を得ていないのである。
モンタージュが出来たのを機会に、十津川と、亀井は、もう一度、この三問を、検討してみることにした。
まず、第一の謎である。
十津川は、黒板に貼《は》りつけたモンタージュの顔を、亀井と、じっと、見すえた。
「心当りは、ありませんか?」
と、亀井が、きく。
「私を、ひどく恨《うら》んでいる男の筈《はず》なんだがねえ。いくら考えても、この顔に、心当りがないんだよ」
十津川は、首を小さく振った。
四十歳になって、若い時に比べれば、記憶力も、衰えてはいる。しかし、自分の過去に、大きな存在になっている男の顔は、忘れることはないと思う。
「やはり、全く関係のない男でしょうか?」
と、亀井が、いう。
「関係のない男が、私を、警察の代表みたいに考えて、挑戦してきたということになるのかね?」
「大いに、あり得ると、思いますね。だいぶ前に、『捜査一課長殿』という宛名《あてな》の挑戦状を送りつけてきた犯人がいました」
「ああ、覚えているよ」
と、十津川は、いった。
五十代の男だった。別に、捜査一課長に、恨《うら》みがあったわけでは、なかった。何となく、この男は、権力に、反抗したかっただけなのだ。
彼にとって、権力の象徴は、警察であり、その警察の代表は、捜査一課長だったのである。
ただ、この男は、殺人の代りに、都内の各所で、自分で作った時限爆弾を、爆発させたのである。
あの事件でも、十津川たちは、走り廻らされた。犯人が、次に、どこへ時限爆弾を仕掛けるかわからないからだった。犯人の目的は、ただ、捜査一課長を、困らせることで、どこを爆破するということではなかったからである。
それでも、何とか、逮捕した。人間というのは、おかしなもので、でたらめに、やっていても、いつの間にか、一つの法則に支配されてしまうからである。
あの犯人も、そうだった。でたらめに、無作為に、場所を選出しようと努力して、かえって、ジレンマに、陥ってしまったのだ。
(今度の犯人も、同じなのだろうか?)
権力|嫌《ぎら》いの男で、前の犯人が、捜査一課長を、その象徴と考えたように、今度の犯人は、それが、十津川だったのか?
そうなると、標的も、無作為に選ばれたことになってくる。
「列車に拘《こだ》わるのは、違うな」
と、十津川は、いった。
これは、犯人の性格なり、趣味なり、或《ある》いは、経歴と、関係しているに違いない。
列車が好きなのかも知れないし、逆に、列車が、嫌いなのかも知れない。とにかく、犯人は、何らかの意味で、列車に関係がある人間なのだ。
3
十津川は、亀井と二人で、列車関係の事故を、ここ五、六年にかけて、調べてみた。
犯人が、鉄道を、愛しているとは、思えなかった。
鉄道を愛していれば、車内を、血で汚したりはしないだろう。
もちろん、犯人が、最初から、鉄道を嫌《きら》っていたとは、思えない。それなら、列車には近づかないだろうし、憎むことも、少なかったに違いないからである。
多分、犯人は、最初、鉄道が好きだったのだと、十津川は、思う。
鉄道好きの少年というのが、よくある。十津川も、その一人で、子供の頃《ころ》は、よく、家の近くを走る電車を見に行って、あきもせずに、何時間も、見ていたものだった。
今でも、鉄道は、好きである。
だが、犯人は、どこかで、鉄道や、列車に対して、憎しみを覚えるようになったのだろう。最初、鉄道を愛していただけに、なおさら、憎しみが、高まったのか。
十津川と、亀井は、一日、書類の山に埋もれて、過去の事故を、一つ一つ、チェックしていった。
大変なのは、一時に、百人近く死傷したような大事故のケースである。
その中の一人の家族が、鉄道に、憎しみを覚え、殺人の舞台として、列車を、利用しているかも知れないからである。
十津川と亀井は、全ての事故で、死んだり、重傷を負ったりした人の名前と住所を、メモしていった。
鉄道事故が、ゼロか、一、二件しかない年もあれば、死者二十七人、重傷者八十人などという大事故が起きた年もある。
二人の持っていったノートは、たちまち、名前と、住所で、埋められてしまった。
「警部」
と、亀井が、急に、ペンを止めて、十津川を、呼んだ。
「何だい?」
「これを見て下さい」
と、亀井が、今、書き留めたばかりの名前を見せた。
〈白石 要《かなめ》〉
と、そこに、書いてあった。
「偶然かも知れませんが、例の挑戦者と同じ名前です」
「死んだのか?」
「三年前の事故で、死亡しています」
と、亀井が、いった。
三年前の九月三日夜、中央本線で、起きた事故である。
一九時新宿発の特急「あずさ39号」が、小淵沢《こぶちざわ》――上諏訪《かみすわ》間で、脱線転覆し、死者十八名、重軽傷者六十二名を出している。
その中の死者の一人の名前だった。
年齢は、三十五歳。住所は、東京都|世田谷《せたがや》区|成城《せいじよう》×丁目のマンションになっていた。
「一応、他の事故も、全部、調べて、白石要という名前が、これ一つだったら、マークしてみよう」
と、十津川は、いった。
深夜までかかって、全部の事故を調べたが、白石要の名前は、他には、出てこなかった。
二人は、夜の十二時を過ぎていたが、車で、成城のマンションに、寄ってみた。
管理室には、まだ、明りがついていたので、十津川たちは、話を聞いてみることにした。
いわゆる豪華マンションの一つで、勝手に、マンションの中には、入れないシステムになっている。
「白石さんなら、覚えていますよ。鉄道事故で、亡くなりましたが」
と、五十歳ぐらいの管理人が、いった。
「三十五歳だった筈《はず》なんですが、家族はいたんですか?」
「奥さんがいましたよ。小柄で、きれいな方でしたね。お子さんは、いませんでした」
「白石さんは、何をしていらっしゃったんですか?」
「サラリーマンでしたよ。確か、中央化学という会社だったと思いましたね」
「サラリーマンで、この豪華マンションに、住んでいたんですか?」
亀井が、大理石造りの入口に、眼《め》をやった。マンションというよりホテルの感じがする。
管理人は、笑って、
「奥さんの家が、資産家で、このマンションも、奥さんのご両親が、娘夫婦に、買ってあげたみたいですね」
「白石さんには、兄弟は、なかったんですか?」
「さあ、そこまでは、知りませんねえ」
「現在、奥さんは、どこに、いらっしゃるんですか?」
と、十津川が、きいた。
「故郷《くに》が、埼玉《さいたま》で、そちらへお帰りになっていますよ」
「このマンションは、売ってしまわれたんですか?」
「ええ、今は、別の方が、住んでいらっしゃいます」
「何とか、奥さんに、連絡をとりたいんですがねえ。あなたの尽力で、出来ませんか」
十津川は、管理人に、頼んでみた。管理人も、持ち上げられて、悪い気はしなかったらしい。
「何とか、調べて、わかり次第、連絡しましょう」
と、いった。
十津川と、亀井は、いったん、捜査本部に、戻った。
管理人から、電話が入ったのは、翌日の昼近くである。
白石要の未亡人、冴子《さえこ》は、現在、浦和《うらわ》市内に、住んでいるという。
その住所から、電話番号を調べて、十津川は、連絡をとってみた。
「亡くなったご主人のことで、お話を伺いたいのです」
と、十津川は、電話に出た冴子に、いった。
突然の警察からの電話で、相手は、戸惑《とまど》っているようだったが、それでも、「どうぞ、おいで下さい」と、いってくれた。
十津川は、亀井と、浦和市内に、彼女を、訪ねた。
三階建ての病院が、冴子の父親のもので、近くに、大きな自宅があった。
五百坪はある家で、広い庭には、百|匹《ぴき》近い鯉《こい》の泳ぐ池があった。
その池の見える奥座敷に、通された。
「亡くなったご主人について、おききしたいのです」
と、十津川は、いった。
4
冴子は、二冊のアルバムを、持ってきてくれた。
夫の白石|要《かなめ》と、彼女が一緒に、写っている写真である。
結婚式の写真もあったし、結婚前の写真もある。そして、事故死の直前の海外での観光旅行の写真もある。
「要さんと、お呼びしますが、要さんの方に、兄さんなり弟さんなりは、いませんでしたか?」
と、写真を見ながら、十津川が、きいた。
「弟さんが一人いますわ。徹《とおる》さんです」
と、冴子が、いう。
「その人は、今、何をしていますか?」
「今、アメリカに、行っている筈《はず》ですわ。バイオの研究だったと思います」
「顔は、要さんに、似ていますか?」
「ええ」
と、冴子が、肯《うなず》く。
(犯人ではないらしい)
と、十津川は、思った。モンタージュの顔に、こちらの白石要は、似ていなかったからである。
亀井が、犯人のモンタージュを、冴子に見せた。
「亡くなったご主人のまわりに、この男は、いませんでしたかね?」
「――――」
冴子は、黙って、モンタージュを見ていたが、首を、横に振った。
「いませんか?」
「はい」
と、冴子が肯く。
「最近、よく新聞に出ている、殺人ゲームのことは、ご存知ですか?」
十津川がきくと、冴子は、「ええ」と、いった。
「知っていますわ」
「それでは、あの犯人が、『白石要』と、署名していることは、ご存知ですか?」
「はい。知っていますわ」
「それで、どんな感じを、持たれていますか?」
「名前を見た時は、正直にいって、びっくりしましたわ。何か、亡くなった主人と、関係がある人なのかとも、考えました。白石要というのは、あまり多い名前ではありませんから」
「そうですね」
「でも、主人のまわりには、こんなことをする人は、いません。それに、広い世の中ですから、同じ名前の方がいても、不思議はないとも、思いました」
「要さんは、鉄道は、お好きでしたか?」
「ええ」
と、冴子が、大きく、肯《うなず》いた。
「その要さんが、鉄道事故で、亡くなってしまったんですから、複雑な気持だったんじゃありませんか?」
と、亀井が、きいた。
冴子の表情が、曇《くも》って、
「あの時は、鉄道を、呪《のろ》いましたわ。あの事故さえなければ、主人は、死なずに、済んだんですもの」
「今は、どうですか? 今でも、鉄道は、嫌《きら》いですか?」
「そうですわね。あの事故のあと、一年ぐらいは、列車に乗るのが嫌《いや》でしたわ。でも、だんだんに、それも、直ってきました。主人の命を奪った鉄道ですけど、その鉄道を、主人は、好きだったんですから、これも、運命というものかも知れないと、思ってですわ」
と、冴子は、いった。
そうでも考えなければ、彼女としては、納得できなかったのだろう。
「要さんの友人で、それを、納得できない人が、いたのかも知れません」
と、十津川は、いった。
冴子は、変な顔をして、
「その方が、今度の事件を起こしたと、お考えなんですか?」
と、十津川を、見て、また、亀井を見た。
「いろいろと、考えているんです」
「でも、主人のお友だちでは、ありませんわ」
「なぜですか?」
「主人が、鉄道に殺されたと思って、列車に何かするというのは、わかる気もしますが、でも、主人は、十津川さんのことは、全く、知りませんでしたわ。ですから、主人の友だちなら、十津川さんに向って、何かするということは、ないと、思います」
「なるほど」
「本当に、亡くなった主人に、何か、関係がある人なんでしょうか? 今度の事件の犯人は」
「わかりません。さっきお見せしたモンタージュに、似ている人が、要さんのお友だちの中にいれば、何か、手掛かりになると、思ったんですが」
十津川は、残念そうに、いった。
冴子は、十津川の顔を、見返して、
「もし、主人のお友だちの中にいたら、その人が、犯人ということですの?」
と、きいた。
「いるんですか?」
「いいえ、いませんけど、ただ、おききしただけですわ」
「すぐ、犯人ということになるかどうか、わかりませんね。それほど、単純ではないかも知れませんからね」
と、十津川は、いった。
これといった収穫もないままに、十津川と、亀井は、冴子と、わかれた。
車で、東京の捜査本部に、引き返す。
「あの女は、本当のことを、いっていたんでしょうか?」
と、車を、走らせながら、亀井が、きいた。
「わからん。私は、女性の気持を、推察するのが、苦手でね」
「死んだ白石|要《かなめ》の友人の中に、モンタージュに似た男がいても、彼女は、いないと、いったんじゃありませんかねえ」
と、亀井が、いう。
「そうだろうか?」
「今はもう、鉄道に対して、何の恨《うら》みも持っていないという言葉だって、疑ってかかれば、怪しいですよ」
「そんなものかねえ」
「たった三年で、恨みが消えるものですかねえ。それも、夫が死んだという恨みですからね。愛していなかったのなら、別ですが」
「それは、気持の持ちようだろう?」
「そうかも知れませんが――」
「事故のことで、鉄道を恨み、同時に、私を憎むというのは、どんな立場にいる人間だろうね? 彼女も、亡くなった主人は、警察を恨んでなかったといっているし、あの鉄道事故に、警察が、関係しているわけじゃないからねえ」
「事故調査をやったのも、われわれじゃなくて、長野県警でしたからねえ」
と、亀井が、いった。
[#改ページ]
第十章 死者のペンネーム
1
「今度は、新聞を当ってみないか」
と、十津川は、亀井に、いった。
「また、資料調べですか?」
「いや、新聞の投書欄を調べるんだ。今度の犯人は、自己|顕示欲《けんじよく》が強烈で、やたらに、マスコミを、利用している。新聞社に、手紙を書くことが好きな人間だと思う。とすると、前にも、何か、投書しているんじゃないかと思ってね」
「白石要の名前で、ですか?」
「そうだ」
「面白いですね、調べてみましょう」
「ただし、大変だよ。三年間の投書を、調べなければ、ならないんだからね」
と、十津川は、いった。
三年前に「あずさ39号」の事故があってから、今日まで三年間の新聞の縮刷版《しゆくさつばん》が、机の上に、積みあげられた。
若い刑事たちにも、手伝わせて、投書欄を、一斉《いつせい》に調べていった。
どの新聞の投書欄かわからないので、全ての新聞の縮刷版を、揃《そろ》えてみた。
一年分が十二冊、三年分だから、三十六冊、五紙とすると、全部で、百八十冊である。
五人で、一紙ずつに、当ることにした。
縮刷版の細かい字なので、すぐ、眼《め》が痛くなってくる。
亀井が、コーヒーを用意して、時々、休んで、コーヒーを飲むことにした。
「白石|要《かなめ》ではなくて、K・Sという署名の場合も、チェックしておきますか?」
と、西本が、きいた。
「それは、無視していいよ。今度の犯人は、強烈な自己顕示欲の持主なんだ。K・Sなんて、イニシアルで、気が済む男じゃない」
十津川が、明確に、指示した。
三年前から、やっていくので、時間が、かかる。若い刑事たちは、無理をする傾向があるので、十津川は、時間を切って、休憩《きゆうけい》を取ることにした。
「ご苦労さん」
と、十津川が、刑事たちに、コーヒーを、注いで廻った。
一年分が、終ると、どの眼も、朱《あか》く充血していた。
「本当に、犯人は、前にも、白石要の名前で、新聞に投書しているんでしょうか?」
清水が、半信半疑の顔で、十津川に、きく。十津川は、コーヒーを、口に運んでから、「犯人が署名している白石要という名前に、何か意味があるとすれば、この三年の間に、何かしらの意思表示をしている可能性は、あると思っているよ」
「その意思表示の形によって、犯人像が、浮び上ってくる可能性があるんだよ」
と、亀井が、いった。
二年前の一年分が、調べ終っても、まだ、白石要の署名は、見つからなかった。
少しずつ、自信がなくなってくるのは、止むを得ない。十津川が、自己|嫌悪《けんお》に陥ったのは、白石要という名前に、意味がないのではないかとさえ、思い始めたことだった。
一年前の山になった。これで、見つからなければ、十津川の推理は、外れたことになる。
「いいか。最後の追い込みだから、がんばってくれ。最後で、見落としたら、何にもならないんだ。丁寧《ていねい》の上にも、丁寧に、見てくれよ」
亀井が、はっぱをかけた。
それでも、ざっと見てしまって、あわてて、見直している刑事もいる。
疲れが、ピークに達した頃《ころ》になって、清水刑事が、
「あった!」
と、大声を、あげた。
2
今年の四月三日の中央新聞の朝刊に、載っていたものだった。
〈鉄道と警察に物申す〉
という見出しになっていた。
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〈相つぐ列車事故に対する運輸当局の対応の鈍さには、呆《あき》れるばかりである。これでは、死者の霊は、絶対に眠れないだろう。運輸大臣をはじめ、当局の幹部は、全員辞職せよ。また、事故調査に当る警察は、もっと、手厳しく処理すべきである。なぜなら、これは殺人だからだ。鉄道となれ合いの警察は、即刻、解散して、遺族に謝罪せよ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]東京 白石 要《かなめ》〉
全員で、その投書を読んだ。
「かなり、過激ですね」
亀井が、いった。
「この男が、今度の事件の犯人だとしても、おかしくは、ありませんよ」
と、いったのは、西本だった。
問題は、この投書者の住所や、どんな男か、わかるかということである。
幸い中央新聞には、十津川の大学時代の友人が、記者として、働いている。
早速、その田口に、電話を掛けた。
田口は、この投書のことを、覚えていなかった。
「それは、知らなかったな。白石要という名前で、うちの社に、投書があったのか」
「四月三日の朝刊だ。投書の主の住所を知りたいんだがね」
「調べてみるよ。担当は違うが、確か、採用した分については、かなりの期間、ハガキは、保管している筈《はず》だ」
と、田口は、いった。
一時間ほどして、電話が入った。見つかったから、持っていくというのである。
田口が、自分で、捜査本部に、そのハガキを、持って来てくれた。
細かい字で、びっしりと書いてある。ひょっとすると、住所は、明記されていないのではないかと思ったが、意外にも、きちんと書いてあった。
〈東京都港区南青山五丁目――番地
メゾン南青山五〇六号〉
である。
「このハガキを、しばらく、貸してもらいたいんだが」
と、十津川は、いった。
「そのつもりで、持って来たんだ。何かわかったら、おれに、知らせてくれよ」
と、田口は、いって、帰っていった。
十津川と、亀井は、すぐ、このマンションに、行ってみることにした。
南青山の一等地に建つ九階建てのマンションだった。
アイボリイホワイトのタイル張りの洒落た建物である。
一階の入口のところに、各部屋の住人の名前が、並んで書いてあった。
五〇六号室のところには、「牧田《まきた》」と、あった。
「違いますね」
と、亀井が、小声でいう。
「違ってていいのさ。投書の主は、何か理由があって、白石要という名前を、使ったんだ」
「それでは、この牧田という人に、会ってみますか?」
と、亀井が、いった。
二人は、管理人に断ってから、エレベーターで、五階へ、あがっていった。
五〇六号室のインターホンを鳴らした。十津川と、亀井が、緊張していたのは、或《ある》いは、この牧田が、今度の事件の犯人かも知れなかったからである。
「ちょっと待って下さい」
という男の声がして、ドアが開いた。
四十歳ぐらいの男である。
(違うな)
と、十津川は、思った。苦心して作ったモンタージュとは、全く違った感じの男だったからである。
「どんなご用ですか?」
と、きく相手に、十津川は、投書のハガキを見せて、
「これを、出されたのは、あなたですか?」
と、きいた。
男は、そのハガキを手に取って、
「こんなハガキを、新聞に、出したことは、ありませんがねえ」
「しかし、メゾン南青山五〇六号室というと、あなたのところでしょう?」
「確かに、そうですが――」
と、いいながら、しきりに首をひねっていたが、急に、ニヤッと笑って、
「これは、四月一日の消印が、ついていますね」
「そうです。四月一日に出されて、四月三日の新聞に、載ったものです」
「それなら、僕《ぼく》じゃありませんよ。僕が、ここへ越して来たのは、六月ですから」
「じゃあ、あなたの前に、この部屋に住んでいた人ということですか?」
「そうなりますね」
「その人の名前は、わかりますか?」
「確か、松山という名前だったと思いますよ。くわしいことは、管理人さんが、知っていると思いますが」
と、相手は、いった。
十津川と、亀井は、一階の管理人室に、下りて、いった。
五十歳ぐらいの管理人は、十津川の話を聞くと、
「そうですか。松山さんのことで、いらっしゃったんですか」
と、いい、
「松山さんは、もう亡くなられましたよ」
「死んだ? いつです?」
「五月中旬でしたね。それで、あの部屋が空いたので、今の牧田さんが、入られたんです。ここは、賃貸住宅ですから」
「松山さんというのは、どんな人だったんですか?」
「年齢は、確か二十八歳だったと思います。九歳だったかな、とにかく、三十少し前だったんです。急死されたんで、びっくりしましたよ」
「仕事は、何をしていたんですか?」
「ご自分で、ミニコミというんですか、小さな雑誌をやっておられました。私も、一冊、頂いたことがあります」
「ミニコミをねえ。家族は?」
「一人で、住んでおられましたね。真面目《まじめ》な、いい方でしたがねえ」
「急死というのは、病死ですか?」
「いえ。自殺です。このマンションの屋上から、投身自殺ですよ。本当に、びっくりしましたね」
「葬儀は、どうなったんですか? 喪主は、身内の人だったんでしょうね?」
「お兄さんが、遺体を引き取って、いかれましたね。名刺を頂いているんで、お見せしましょう」
管理人は、奥から、一枚の名刺を持ってきて、十津川に、見せた。
〈K生命渉外課長 松山|昭正《あきまさ》〉
と、あった。
十津川は、それを、手帳に、引き写してから、
「自殺の理由は、何だったんですか?」
と、管理人に、きいてみた。
「さあ、私にも、わかりませんが、仕事に、行き詰《づま》っていたみたいだと、いう方もいましたね。ああいう雑誌は、儲《もう》からないようですから」
「その人の顔は、どんなでした? 何か、特徴がありましたか?」
「ハンサムな方でしたよ。ただ、ちょっと、線の細い感じがしましたね。色白で、小柄でした」
と、管理人は、いった。
十津川と、亀井は、兄に当るK生命の松山昭正に、会ってみることにした。
東京駅|八重洲口《やえすぐち》にあるK生命本社に、廻った。
午後四時を過ぎていた。
松山昭正は、三十五、六歳だろうか。その年齢《とし》で、課長というと、一応、エリートコースに、あるのだろう。
小太りで、眉《まゆ》の太い男だった。
「淳《じゆん》のことですか」
と、弟の名前を、いってから、
「弟のことは、あまり話したくありませんね」
「なぜですか?」
「みんなに、迷惑のかけ通しでしたからね」
松山昭正は、ぶぜんとした顔で、いった。
「どんな風にですか?」
と、十津川は、きいた。
「両親を始めとして、親戚《しんせき》や、友人に、ずいぶん、借金をしていたんですよ。だいたい、あんな雑誌が、売れる筈《はず》がないんです。いくら、忠告しても、わからなくて――」
「どんな雑誌なんですか?」
「要するに、気に入らないものは、何でも、やっつけてやろうという雑誌です。生命保険についても、さんざん、毒づいて、私は、あの時は、この会社に、居づらくなりましたよ」
「その雑誌は、お持ちですか?」
「いや、あのマンションには、売れ残りが、押入れに、一杯ありましたが、癪《しやく》に障るので、全部、処分してしまいましたよ」
「何という雑誌でした?」
「確か、『毒舌・毒舌』という名前でしたよ。そんな雑誌が、売れる筈が、ないじゃありませんか」
「白石|要《かなめ》という名前に、何か、記憶がありませんか?」
と、亀井が、きいた。
「白石要? 知りませんねえ」
「亡くなった弟さんから、その名前を、聞いたことは、ありませんか?」
「いや、聞いていませんが――」
「では、弟さんが、白石要のペンネームで、何か書いたことは、ありませんでしたか?」
3
「さあ、覚えていませんね。白石要というのは、弟の友人か、何かなんですか?」
松山昭正が、逆に、きいた。
「こちらも、それを知りたいと思っているんです。弟さんは、いくつで、亡くなられたんですか?」
「二十九歳です」
「われわれが知っている白石要は、三年前、三十五歳で、亡くなっています。列車の事故です」
「すると、弟と、大学の友人ということではないようですね」
安心したように、松山昭正が、いった。
「しかし、先輩、後輩という関係もありますが」
と、亀井が、いった。
十津川が、弟の出身校を、兄の昭正に、きいてみた。
「――大ですが、それが、どうかしましたか?」
「それなら、同じ大学ですね」
と、十津川は、いった。
どうやら、それが、二人をつなぐ糸かも知れない。
「弟さんのミニコミは、赤字だったと、いわれましたね?」
と、十津川は、確認するように、きいた。
昭正は、しかめ面で、
「当然でしょう。あんな雑誌が、売れる筈《はず》がないんだ」
「すると、誰《だれ》か、スポンサーがいたわけですか?」
「いや、そんなスポンサーは、いなかったと思いますよ。ただ、弟は、自分の主張に賛成して、寄附をしてくれる人が、何人かいるとは、いっていましたね」
「その人たちの名前を、知っていますか?」
「いや。物好きな人間もいるものだなと、思ったのは、覚えていますが、名前まではね」
「しかし、弟さんは、寄附者の名前を帳簿か何かに、つけていたんじゃありませんか?」
「かも知れないが、全部、焼いてしまいましたよ。兄弟なのに、薄情だといわんで下さい。弟が死んだ時、かなりの借金がありましてね。それも、私が、全て、払ったんですから」
と、昭正は、いった。
十津川と、亀井は、三年前に死んだ白石要の家族に、もう一度、当ってみることにした。
未亡人の冴子《さえこ》に、電話を掛けた。
「先日お会いした十津川です」
と、いってから、
「ご主人のところに来ていた手紙の中に、松山|淳《じゆん》という人からのものがないか、調べてくれませんか」
「調べてみますわ」
と、冴子は、いった。
いったん、電話を切って、捜査本部で、待っている間に、亀井が、
「来ましたよ」
と、いって、手紙を、持って、入って来た。
「例のやつか?」
「そうです」
と、亀井はいい、その封書を、十津川の前に置いた。
来ると予期はしていたが、さすがに、緊張した眼《め》になって、十津川は、中身の便箋《びんせん》を、取り出した。
表の宛名《あてな》と同じく、ワープロで、打たれた文字が、並んでいる。
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〈連戦連敗の警部殿へ、もう一度だけ、チャンスを与えてあげることにした。
今度は、十二月四日だ。
「ナ」で始まる建物の中で、女を殺す。今度は、東京都内と限定しておこう。少しは君のために、ハンデをつけてやらないと、君が可哀そうだし、小生も、面白くないからね。
多分、これが、最後のゲームになるだろうから、君も、がんばって、くれたまえ。
もちろん、君が、四日までに、白旗を掲げて、警察を辞めれば、このゲームは、ないものとする。また、連敗を重ねて、警察の威信を、低下させるかね?〉
[#ここで字下げ終わり]
封筒の差出人のところには、相変わらず、白石要の名前が、あった。
「最後のゲームときたよ」
と、十津川は亀井に向って、苦笑して見せた。
「どういう気で、最後と、書いたんですかね?」
「足もとが、危くなったからさ。犯人のモンタージュが出来て、相手は、追い詰められている。といって、今更、尻尾《しつぽ》を巻くわけにはいかない。そうすれば、あのモンタージュを、認めたことになってしまうからね。それで、最後のゲームを、口にせざるを得なくなったわけさ」
「そして、姿を消す気でしょうか?」
「どんな方法をとってかわからないが、とにかく、あのモンタージュが、違うことを示して、姿を消す気だと思うね」
「なるほど」
「どんな方法でくるのか、楽しみだよ」
「それにしても、今度は、十二月四日まで、時間がありますね。なぜ、間を置いて、予告してきたんでしょうか?」
と、亀井が、きいた。
「今度は、ただ、やみくもに、人を殺せばいいわけじゃない。今もいったように、犯人は、モンタージュは、違うのだということを、示さなければならないんだ。その方法を、これから、じっくり考える気だと思うね」
と、十津川が、いった時、電話が鳴った。
4
冴子《さえこ》からだった。
「松山淳という方からの手紙ですけど」
と、彼女が、いう。
「ありましたか?」
「ええ。三通ほど、見つかりましたわ。全部、お礼状ですけど」
「寄附金の礼状じゃありませんか?」
「ええ。だいたい、全部、同じ文面ですけど、その中の一枚を、読みますわ。『白石兄。いつも、多額の寄附を有難うございます。白石兄のような理解者のおかげで、小生の雑誌も、続けることが出来ます。何とお礼を申し上げたらよいのか。何か、お困りのことがあれば、小生に、お申しつけ下さい。松山淳』と、いう手紙ですわ。白石が亡くなる一週間前に、来ています」
「その松山淳という人は、白石さんの大学の後輩で、ミニコミ雑誌を出していたんですが、ご主人から、聞かれたことが、ありますか?」
「いいえ。松山淳さんという方の名前を聞いたこともありませんし、お会いしたこともないんです。ただ、主人が、後輩の中に、面白い奴《やつ》がいると、いっていたことは、ありましたわ。それが、この方だったのかも知れませんけど」
「寄附をしていたことも、ご存知ありませんでしたか?」
「ええ。知りませんでした」
「そうですか。もう一つ、この松山淳という男は、半年前に、白石|要《かなめ》の名前で、新聞に投書しているんです。今年の四月三日です。鉄道と、警察を批判しているんですが、何か、心当りは、ありませんか?」
と、十津川は、きいた。
「今年の四月三日ですか?」
と、冴子は、きき返してから、
「そういえば、その頃《ころ》でしたかしら。男の方から、電話がありましたわ」
「どんな電話ですか?」
「何とかいう雑誌の者だが、鉄道事故で亡くなったご主人のことで、いろいろと、伺いたいと、おっしゃって」
「補償の問題なんかを、相手は、質問したわけですか?」
「ええ。それに、警察の捜査に、満足しているかと、いったことですわ」
「なるほどね。相手は、名前は、いわなかったんですか?」
「ええ。それから、主人の墓が、どこにあるのかも、きかれましたわ」
と、冴子は、いった。
多分、松山淳は、その墓に、改めて、お礼を、いいに行く気だったのだろう。
十津川は、電話を切ると、考え込んでしまった。
白石要という名前については、いろいろなことが、わかってきた。
実在の白石要は、三年前、鉄道事故で、亡くなった。
その名前で、中央新聞に投書し、鉄道と、警察に抗議した松山淳と、白石要をつなぐ糸は、見つかった。
問題は、松山淳と、今度の事件の犯人とのつながりである。
白石要と、犯人との間をつなぐ糸は、見つからなかった。
とすると、犯人は、松山淳と、何らかの理由で、結ばれていて、彼を、仲介者として、白石要と、つながっているのだろう。
犯人は、三十歳ぐらいと、いわれている。と、すると、死んだ松山淳は、同年齢である可能性が、強い。
同年齢なら、いくつかの糸が、考えられる。
大学の同窓かも知れない。
高校が、一緒かも知れない。
その下の中学かも知れない。
十津川は、亀井たちに、松山淳の周辺を調べさせた。
彼の小学校時代から、大学時代までの友人関係である。
当時の友人たちに会って、犯人のモンタージュを見せ、同窓生の中に、この男がいなかったかどうか、聞いて、廻った。
必ず、いる筈《はず》だという確信が、十津川にはあった。その他に、犯人と、松山淳を結びつけるものは、ないと、思ったからである。
しかし、小学校、中学校、高校、そして、大学の各段階を、いくら調べても、モンタージュの男を、記憶しているという人間は、見つからなかった。
亀井たちは、各段階の卒業生全員の写真を借りてきた。卒業記念アルバムである。
十津川も、その記念アルバムを、順番に、見てみた。
しかし、モンタージュの男と思われる顔は、どこにも、見当らなかった。
もちろん、小学校時代の顔と、二十九歳になった顔とは、かなり、違っているだろう。
だから、小学校から、高校までの友人については、一人一人、現在、どこで、何をしているかも、調べさせた。
この方は、かなりの時間が、必要だった。
しかし、そうした捜査が、全て、終っても、モンタージュの男は、浮び上って、こなかった。
(おかしいな)
と、十津川は、思った。
学校時代の友人では、なかったのだろうか?
ないとすると、どんな知り合いが、いるだろう?
松山淳は、ミニコミ雑誌「毒舌・毒舌」を、一人で出していたから、仕事仲間ということは、考えられない。
ただ、雑誌が出来あがって、それを、発送する時、松山淳は、アルバイトの女子大生を、使っていた。
十津川は、その中の二人を見つけ出して、話を聞くことが出来た。
その一人、三宅明子《みやけあきこ》から、十津川は、面白い話を聞くことが、出来た。
明子が、アルバイトで、働いていたのは、今年の三月から五月にかけてである。松山淳が、白石要の名前で、中央新聞に投書した頃《ころ》も、松山の下で、アルバイトをしていたことになる。
「私は、松山さんのことを、一応、社長って、呼んでいたんですけど、社長のところに、時々、電話を掛けてくる男の人が、いたんです。社長にいわせると、この雑誌の熱心な愛読者ということでしたわ。愛読者というより、社長の熱心なファンといった方が、当っていると思いますわ」
と、明子は、いった。
「その男のことを、くわしく、話してくれないかな」
「その人は、タダでもいいから、社長のところで、働きたいとか、自分も、この世の中に、大きな不満を持っているので、それを、聞いて欲しいとか、いってきていたみたいなんです。社長は、この男は、偏執狂《へんしつきよう》的な感じがするので、どうも会いたくないと、私には、おっしゃってました」
「それで、男は、松山淳に、会いに来たんだろうか?」
「私がいない時に、押しかけていたみたいで、社長は、困っていましたわ」
「君は、一度も、見ていないのかね?」
「一度だけ、見たことがありますわ。私が、帰ったら、社長と、大声で、口論している男の人がいたんです。私の顔を見て、帰っていきましたけど、社長が、『あの男だよ。やたらに、身体《からだ》を張るとか、何かこの世の中が、びっくりするようなことをやるべきだといってね。参ったよ』と、いいましたわ」
「その男の顔を覚えているかね?」
「ええ」
「この中にいるかな?」
十津川は、例のモンタージュと、でたらめに作った四枚のモンタージュを、並べて、明子に見せた。
明子は、何秒か、五枚のモンタージュを見たあと、
「この男の人ですわ」
と、犯人のモンタージュを、指さした。
十津川の顔に、やっと、微笑が、浮んだ。
「この男のことで、何か覚えていることはないかね?」
[#改ページ]
第十一章 最後のゲーム
1
「どんな小さなことでも、いいんだよ」
と、十津川は、付け加えた。
明子は、しばらく考えていたが、
「社長が、こんなことも、いっていましたわ。あの男は、よく、ケンカをするらしい。私の場合は、権力の悪に対して戦っているのだが、彼の場合は、ただ、自分が、気に食わないからといって、ケンカを吹っ掛けているだけだ。あれでは、共感できないって」
「その具体的な話は、社長は、してなかったかね? 例えば、彼が、警官と、ケンカをしたとかいうことなんだが」
と、十津川は、きいた。
明子は、また、しばらく考えていた。
「これは、本当かどうか、わからないんですけど――」
「構わないから、話してくれないかね」
と、十津川は、促した。
「私も、この人のことは興味があって、社長に、どんなことをしたんですかって、きいてみたことがあるんです」
「それで?」
「社長は、笑いながら、『あの男は、長崎へ行くブルートレインの中で、気に入らない車掌がいたから、殴《なぐ》ってやったとか、違反もしていないのに、罰金を取られたので、白バイを、車で、はね飛ばしてやったとか、自慢している。本当か嘘《うそ》かわからないがね』と、いったんです。ただ、社長は、多分、嘘だろうって、いってましたわ」
「他には、何か、ないかね?」
「私が、知ってるのは、これくらいですわ」
と、明子は、いった。
十津川は、彼女のいったことが、果たして、本当か嘘か、調べてみることにした。
松山淳は、嘘だと思っていたらしいが、本当だったのかも知れない。いや、本当なら、辻褄《つじつま》が、合ってくるのだ。
ブルートレインの方は、亀井に調べに行かせ、十津川は、白バイの件を、調べることにした。
最近、車ではねられた白バイ隊員が、いないかどうかである。
大阪や、九州の白バイのことかも知れないのだが、調べてみると、東京の白バイ隊員の一人が、今年の一月十八日の夜、車にはねられ、一か月の重傷を負っていることが、わかった。
その犯人は、まだ、逮捕されていないという。
十津川は、被害者の江上秀介《えがみひですけ》という白バイ隊員に、会って、話を聞くことにした。
彼は、負傷も治り、白バイに、乗っていた。
「一月十八日の夜の十一時|頃《ごろ》です。車が、急発進してきて、いきなり、追突されたんです」
と、江上は、いまいましげに、いった。
「犯人は、まだ、捕まらないようだね」
「そうなんです。私をはねた車は、すぐ、見つかったんですが、盗難車でした」
「最初から、君を狙《ねら》って、車を盗んでおき、はねたようだね?」
「私も、そう思います」
「犯人の心当りは?」
「多分、私が、スピード違反などで、検挙した人間の一人だとは、思うんですが、わかりません」
「調べることは、調べたんだろう?」
「一応、ここ一年の間に、私が、検挙した人間の名前は、書き出して、提出しておいたんですが、犯人は、見つからなかったようです」
と、江上は、いった。
十津川は、その名簿を貰《もら》って、捜査本部に戻った。
二十六名の男女の名前が、書かれてあった。スピード違反、駐車違反といった「註《ちゆう》」が書き込まれ、罰金の額も記入してあった。
(この中に、今度の事件の犯人がいるのだろうか?)
と、十津川が、考えているところへ、亀井が、戻ってきた。
亀井は、眼を輝かせて、
「いましたよ」
「じゃあ、本当だったのか?」
「今年の二月十一日です。長崎行の寝台特急『さくら』の車内で、専務車掌の森口という人が、客に殴《なぐ》られて、全治二週間の怪我をしています」
「なぜ、その専務車掌は、客に殴られたのかね?」
「森口車掌に、会ってきましたが、思い当ることが、一つだけあるというんです。列車は一六時三五分に、東京駅を出て、名古屋を過ぎた頃《ころ》、客の一人が、車内の暖房が、暑過ぎるから、もっと、下げろと、森口車掌にいったそうです。しかし、室温は、丁度、二十度になっているし、他の乗客は、満足している。そこで、二十度なので、我慢してくれませんかといったところ、その客は、虫の居所でも悪かったのか、いきなり、森口車掌を、口汚く、罵倒《ばとう》し始めたというのです」
「なるほどね」
「森口車掌は、乗客を相手に、ケンカは出来ないので、じっと我慢していたそうです。そのうちに、相手は、図に乗ったのか、最近、サービスが悪い。のどが渇いたから、ビールを持ってこいとか、水割りを飲ませろとか、いい出したそうです。それは出来ないといったところ、客は、一層|不機嫌《ふきげん》になったというわけです」
「それで?」
「一応、その時は、謝って、他の車両へ行ったんですが、京都を過ぎてから、デッキで、うしろから殴《なぐ》られたそうなんです」
「それで、全治二週間の怪我か?」
「そうです」
「犯人は、森口車掌と口論した乗客ということになるのかね?」
「この乗客が、一番怪しいわけですが、森口車掌は、いきなり背後から殴られて、失神してしまい、犯人の顔を見ていないんです。警察でも、問題の乗客に当ってみたようですが、証拠がないので、どうすることも、出来なかったということです」
「警察というと、どこが、調べたんだ?」
「列車が、大阪駅に着く直前だったので、大阪府警で、調べたようです」
と、亀井が、いう。
十津川は、すぐ、大阪府警に、電話を掛けた。
確かに、二月十一日の「さくら」の車内で、専務車掌が、暴行を受けた件を、調査したと、いう。
「その件で、乗客を、調べられたわけですか?」
と、十津川は、きいた。
「殴られた車掌は、口論した乗客がいるというので、その乗客に、大阪駅で降りてもらって、話を聞きました」
「名前や、住所は、わかりますか?」
「ええ。わかりますよ。名前は、竹内|隆介《りゆうすけ》。二十九歳。住所は、東京都品川区|荏原《えばら》のマンションです。スカイコーポ『富士』三〇六号室ですね」
「その住所と、名前に、間違いはありませんね?」
「所持していた運転免許証にあった名前と住所ですから、間違いないと思いますね」
「顔写真は、ありますか?」
「いや、犯人と断定できませんでしたからね」
「そちらでは、どんな様子でした? 取調べに対して、協力的でしたか?」
「反対ですよ。こんな取調べは違法だとか、警察は横暴だとか、大声で、わめいていましたね」
「こちらで捜査している殺人ゲームのことは、ご存知ですね?」
「もちろん、知っていますよ」
「その犯人のモンタージュを、新聞に発表したんですが、そのモンタージュと、竹内隆介という男は、似ていませんか?」
と、十津川が、きくと、相手は、あわてた様子で、
「ちょっと待って下さいよ」
と、いった。
新聞に載ったモンタージュを、探してきて、見ている様子だったが、
「そういえば、似ていますね」
と、いった。
2
十津川は、白バイ事件で借りてきた名簿を、もう一度、調べてみた。
「あるぞ!」
と、思わず、大声を出した。
二十六名の名前の中に、「竹内隆介」が、いたのである。
亀井も、名簿をのぞき込んで、
「ありましたね」
「この竹内という男に、会いに行ってみようじゃないか」
と、十津川は、いった。
夜の街を、十津川と、亀井は、パトカーで、品川区荏原にあるマンションに、急いだ。
目蒲《めかま》線の武蔵小山《むさしこやま》駅近くにあるマンションだった。
しかし、問題の竹内隆介は、引っ越したあとだった。
管理人の話では、今年の九月に、引っ越したという。
「行先は、わかりません」
「この人ですか?」
と、十津川が、例のモンタージュを見せると、管理人は、
「そうです。この人ですよ」
「何をしている人ですか? サラリーマン? それとも、自宅で、何かやっていたんですか?」
「それが、よくわからないんですよ。ご自分では、大きな電気メーカーの社員だと、いってましたが、どうも、そこを馘《くび》になって、ブローカーみたいな仕事をやっていたみたいですねえ」
「どんな男でした?」
「普段は、大人しい方なんですが、突然、怒り出して、手に負えなくなるところがありましたよ。このマンションの人で、竹内さんに殴《なぐ》られたということもありましたね」
「警察に対して、特に、憎しみを持っていたんじゃないかと、思うんですが、それらしい話を聞いたことは、ありませんでしたか?」
十津川がきくと、管理人は、笑って、
「そういえば、よく、警察の悪口を、いってましたねえ。この近くに、交番があるんですが、そこにいるお巡りさんと、何かわかりませんが、口ゲンカをしているのを、見たことがありましたよ」
「このマンションで、特に、仲が良かった人は、いませんかね?」
「いませんね。竹内さんは、人づき合いのいい方じゃありませんでしたからねえ」
と、管理人は、いった。
このあとのマンションでの、聞き込みを、亀井に任せて、十津川は、管理人のいった交番に、足を運んだ。
四十歳ぐらいの警官が、いた。
十津川が、竹内の名前をいうと、その警官は、眉《まゆ》をひそめて、
「あの人には、往生しました」
と、いった。
「ケンカの原因は、何だったのかね?」
「それが、よくわからんのです。とにかく、警察が、気に食わないといった態度なんですよ。最初は、適当に、あしらっていたんですが、あんまり、ひどくいわれて、私も、つい、カッとしてしまって、――」
「警察に対して、恨《うら》みを持っているのかな?」
「そんな感じでしたね」
「私の名前を、竹内が、口にしなかったかね?」
「それはありませんが、私と、口論している最中に、やたらに、警視庁の幹部を呼んでこいとか、上層部の責任だといったことを、口にしていました」
「なるほどね。彼の引っ越し先を、知らないかね?」
「引っ越したのは、知っていますが、どこへ行ったのかは、わかりません」
「何かわかったら、すぐ、私に、連絡してくれ」
と、十津川は、いった。
マンションに戻ると、亀井が、エレベーターで、下りてきたところだった。
「何人かの住人に当って、竹内隆介のことを、聞いてみました」
と、亀井が、いった。
「何か、わかったかね?」
「それが、ほとんど、収穫なしです。管理人のいうように、近所づき合いは、なかったみたいです。何を考えているかわからないので、気味が悪かったという人もいます」
「竹内に殴《なぐ》られたという人には、会えたのか?」
「会いました」
「それで、なぜ、殴られたのかね?」
「殴られた人なんですが、警察友の会に入っていましてね。竹内に、日本の警察は悪口をいわれることが多いが、本当は、立派な人たちばかりだといったんだそうです。そうしたら、突然、いい加減なことをいうなと、怒鳴《どな》って、殴ってきたというわけです。殴られた人は、あっけにとられて、何も出来なかったと、いっています」
「それだけ、警察に対して、反感を持っているということか」
「そうですね」
「理由は、何なのかね。それを知りたいな」
と、十津川は、いった。
「それがわかれば、殺人ゲームをやる動機がわかりますね」
「同感だよ」
「この竹内隆介を、犯人と思われますか?」
と、亀井が、きいた。
「十中、八九はね」
と、十津川は、いった。
犯人は、ここまで、警察が調べたことを、まだ、知らないだろう。
(どんなゲームになるのだろうか?)
3
十津川たちは、必死になって、竹内|隆介《りゆうすけ》の行方を追った。
だが、それが、つかめない中《うち》に、犯人の指定した十二月四日が、容赦《ようしや》なく、近づいてきた。
前日の三日夜、十津川は、明日に備えて、部下の刑事たちを集めて、対策を練った。
竹内隆介の顔写真は、大量にコピーして、刑事たちに、持たせてある。
十津川は、黒板に、東京都内の地図を、ピンで留めた。
「犯人は、明日四日、都内の『ナ』で始まる建物の中で、女を殺すと、予告してきている。それを、どう思うか、それから、まず、君たちの意見を、聞きたい」
と、十津川は、いった。
「罠《わな》かも知れません」
と、若い清水刑事が、いった。
十津川は、視線を、清水に向けて、
「なぜだね?」
「理由は、二つあります。一つは、犯人のモンタージュが、発表されていることです。犯人は、違うといっていますが、私は、よく似ていると思うんです。そんな犯人が、自分で場所を指定して、のこのこ出てくるとは、思えません。第二の理由は、犯人が、ずっと、鉄道に関係した車両や、駅で、殺人を実行してきていることです。単なる建物というのは、眉《まゆ》つばと思うのです。恐らく、われわれを、『ナ』のつく建物に集めておいて、その隙《すき》に、他で、殺人を犯す気でいるのではないかと思うんですが」
と、清水は、いう。
十津川は、「なるほどね」と、肯《うなず》いたが、「しかし、私は、反対だね。私の方も、理由が、二つある。第一は、犯人が、挑戦状に、『ナ』のつく建物と、書いてきていることだよ。彼は、やたらに自尊心が強く、私に勝つことだけを考えている。もし、挑戦状と違った殺人をやったら、それを指摘されて、彼の自尊心は、傷つくだろう。従って、犯人は、挑戦状通りに、実行してくると、私は、思っているんだ。第二には、今度も、鉄道に関係している場所が、現場になると、私は、信じている。今まで、彼は、かたくなに、それを、守っているからだ」
「すると、『ナ』のつく建物というのは、高崎駅と同じく、都内の駅でしょうか?」
と、西本が、きいた。
「その可能性が、大きいと、私は、思っている」
と、十津川は、いった。
「しかし、『ナ』のつく駅というのは、あまりないんじゃありませんか?」
日下《くさか》が、いった。
確かに、「ナ」で始まる駅名というのは、ちょっと、考えつかない。
「中野があるよ」
と、亀井が、いった。
「書き出してみてくれ」
と、十津川が、いった。
中野(中央線)(地下鉄東西線)
中延《なかのぶ》(大井町線)(都営地下鉄浅草線)
中目黒(東横線)(地下鉄日比谷線)
中板橋(東上線)
成増《なります》(東上線)
中村橋(西武池袋線)
中神《なかがみ》(青梅《おうめ》線)
長沼《ながぬま》(京王線)
中野坂上、中野新橋(地下鉄丸ノ内線)
仲御徒町《なかおかちまち》(地下鉄日比谷線)
永田町《ながたちよう》(地下鉄有楽町線・半蔵門線)
中野富士見町(地下鉄丸ノ内線)
中《なか》河原《がわら》(京王線)
中井(西武新宿線)
長原(池上《いけがみ》線)
業平橋《なりひらばし》(東武|伊勢崎《いせざき》線)
十津川は、書かれた駅名を、じっと、見つめていた。
多いようでもあり、少なくも、思える。東京都内に限定すれば、思ったより、多い気もしてくるのだ。
「あまり、お気に入らないようですね」
と、亀井が、声をかけてきた。
「なぜかな、ぴんと来ないんだよ」
十津川は、正直にいった。
「しかし、警部、鉄道の建物というと、駅しかありませんよ」
と、亀井が、いう。
「そうなんだがねえ」
十津川は、彼にしては、珍しく、はっきりした決断を下せずにいた。
4
十津川は、部下の刑事に、休憩《きゆうけい》をいい、亀井《かめい》を連れて、外に出た。
さすがに、十二月の夜は、寒い。
「私が、気にしているのは、犯人が、今度の挑戦で、最後にしようと、考えているに、違いないということなんだ」
十津川は、立ち止まり、煙草《たばこ》に火をつけて、亀井に、いった。
「モンタージュが出来ていますから、犯人も、追い詰められています。確かに、犯人は、これが、最後と、思って、やってくるでしょうね」
と、亀井がいう。星空の下での会話だが、優雅な話題というわけには、いかなかった。
「前にも君と話し合ったが、犯人は、最後のゲームで、勝利を収め、同時に、姿を消したいと、思っているに、違いないんだ。顔がわかってしまっているから、海外へ逃亡するわけにはいかない。と、いって、日本国内を逃げ廻っていても、いつかは、追い詰められて、捕まるし、そんな事態は、犯人の自尊心が許すまい。となると、文字通り、姿を消すのが、犯人の願いだと思うよ」
と、十津川は、いった。
「文字通り、姿を消すというと、死ぬことですか?」
「そうだ。もちろん、本当に死にはしない、われわれに、そう思わせたいだろうと、私は、考えるんだよ」
「その線だと、駅というのは、ふさわしくありませんか?」
亀井が、じっと、十津川を見た。
「考えてみたまえ。駅には、いつも、人がいる。地方の無人駅なら別だが、都内の駅は、違う。黒板に書かれた十七の駅を考えてみたまえ。無人駅はないし、賑《にぎ》やかだ。そんなところで、女性を殺し、自分は、死んだことにする。そんな芸当が、出来るだろうか? 女性を殺すのは、楽だが、そのあとが、難しい」
と、十津川は、いった。
「しかし、警部。無人駅がないわけですから、誰《だれ》にも見られずに、死亡を演出するのは、難しいですよ」
「そうなんだよ。だから、この十七の駅を見ても、ぴんと来ないんだ」
十津川は、肩をすくめた。
「寒いですね」
と、亀井が、いった。二人は、建物の中に、戻った。
「コーヒーをいれてくれ」
と、十津川が、いい、西本刑事が、全員に、コーヒーを、いれて廻った。
「駅じゃないとすると、『ナ』で始まるのは、路線の名前じゃないでしょうか?」
と、コーヒーを飲みながら、清水が、十津川にいった。
「路線?」
「郊外を走るものに、南武《なんぶ》線があります。そのことではないかと思いまして――」
「南武線か」
十津川は、その名前を口の中で、繰り返してみた。
南武線は、神奈川県の川崎から、武蔵溝《むさしみぞ》ノ口《くち》を経て、立川《たちかわ》まで、三十五・五キロの線である。
地図で見ると、川崎から十六駅目の矢野口《やのくち》から、東京になる。
「駅よりは、南武線の方が、ぴんと来るね」
と、十津川は、いった。
「そうだとすると、犯人は、南武線の電車の中で、女性客を、殺すつもりだということですか?」
と、質問したのは、日下《くさか》だった。
日下は、しきりに、時刻表の「南武線」のページを見ながら、
「しかし、電車が、建物でしょうか?」
「それは、違うだろう。電車は、電車だよ」
と、亀井が、いった。
「そうだとすると、南武線の駅ということになりますが、南武線には『ナ』で始まる駅は、ありません。中野島という駅がありますが、この駅の所在地は、神奈川県川崎市多摩区になっています」
と、日下が、いう。
「そうか、東京都内の南武線には、『ナ』で始まる駅名はないかね?」
「ありません」
「すると、違うのか」
「いや、そう断定するのは、どうでしょうか」
と、いったのは、亀井だった。
「どういう意味だね?」
「今度の犯人は、『サ』で始まる職業の人間といっておいて、サラリーマンの新聞記者を殺しました。この程度のあいまいさなんです。ですから、犯人は、厳密な駅名ではなく、『南武線の駅』といった、あいまいな指定なのかも知れないと思うんですが、警部は、どう思われますか? この程度のあいまいさで、犯人が、挑戦してきたとすれば、都内の南武線の駅なら、どの駅でもいいわけですよ。この時刻表によると、その駅は、矢野口から、立川まで、九つあります。犯人は、どの駅で、女性を殺してもいいわけですよ」
「なるほど。九つの駅か」
十津川は、呟《つぶや》いてみた。
犯人は、その九つの駅のどこで、犯行を犯しても、構わないことになる。
(この通りだろうか?)
5
犯人は、これらの中のどれを利用するだろうか?
南武線の電車の中で、女を殺す気でいるのか?
都内にある南武線の駅の一つで、殺そうと考えているのか?
南武線とは関係なく、都内の「ナ」のつく駅で、殺人を、犯す気なのか?
南武線の駅が九つ。それに、都内の「ナ」で始まる名前の駅が十七ある。その一駅に、二人ずつ刑事を配置したとしても、五十二人で足りるのだ。
困るのが、南武線の電車だった。
昔の南武線は、間隔もあいていたが、今は、通勤電車として、十分おきに、走る時間帯もある。
川崎と立川の間を、刑事に、何往復もさせればいいわけだから、電車の本数だけ、必要なわけではない。
それでも、動かない駅を見張るより、難しいだろう。
「どうする気だね?」
と、本多捜査一課長が、十津川にきいた。
「明日は、どうしても、犯人を逮捕したいと思います。絶対にです。ですから、考えられる全ての場所に、刑事を配置したいのです」
と、十津川は、いった。
近県の刑事にも、応援を頼むことになった。
南武線の車内、駅、それに、「ナ」のつく全ての駅に、配置することにした。
時間も、問題だった。
今まで、犯人は、夜の時間帯に、殺人を犯すことが多かった。が、だからといって、早朝や、昼間、監視をしなくていいとは、思えなかった。
南武線の始発は、午前四時四二分である。
他の地下鉄や、私鉄でも、その駅が、オープンするのは、早い。
つまり、それまでに、刑事を、配置しておかなければならないのである。
十二月四日になってからでは、遅いのだ。
十津川は、三日の深夜に、二人ずつの刑事たちを、各駅に、配置し、そこで、仮眠をとるように、いった。
十津川自身も、亀井と二人、南武線の府中本町《ふちゆうほんまち》駅に、向った。
十津川が、この駅を選んだのは、南武線の中では、川崎と、立川を除いて、都内で一番大きな駅だったからである。
二人は、深夜の十二時に、この府中本町駅に着いた。
事情を話し、駅長の協力を求めた。
ここは、武蔵野《むさしの》線への乗りかえ駅であり、一日の乗降客は、一万人近い。
1番線から4番線まであり、2番線と3番線が、武蔵野線、両側の1番線と4番線が、南武線になっていた。
駅舎は、いわゆる橋上駅舎で、窓から、下に並ぶホームが見える。
「この駅で、本当に、殺人が起きるんですか?」
岩田駅長が、信じられないという顔で、十津川に、きく。
「この駅かどうかわかりませんが、明日、都内の駅か、南武線の車内で、女性が殺されるのは、間違いありません。少なくとも、犯人は、その気です。われわれは、それを防いで、犯人を、逮捕してみせます」
十津川は、きっぱりといい、竹内|隆介《りゆうすけ》の写真を、何枚か、岩田駅長に渡した。
「これが、犯人ですか」
岩田は、溜息《ためいき》をついた。
「明日、この駅があいたら、駅員の人たちに、その写真を、持たせて下さい。そして、駅の構内で、その男を見かけたら、すぐ、われわれに、知らせて、もらいたいのですよ」
「わかりました」
と、岩田は、いった。
〇時一八分に、南武線の川崎行が出発して、府中本町を通る全ての電車が終る。
十津川と、亀井は、駅舎の隅《すみ》で、毛布を貸してもらって、眠ることにした。
眠るといっても、午前五時一一分には、立川行の始発電車が、この駅を出るので、五時間足らずしか、眠れないのだ。
まだ、窓の外が、暗い中に、駅は、眼をさました。
十津川と、亀井も、眠りからさめると、冷たい水で、顔を洗った。
最後の戦いが、始まったのだ。
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第十二章 爆破《ばくは》計画
1
南武線の黄色い電車が、動き出した。もちろん、都内の他の電車もである。当然、駅も、機能し始めた。
犯人は、いつ、どこで、挑戦状に記した犯罪を、実行する気だろうか?
「この状態で、女を殺せば、犯人は、逮捕されますよ」
と、亀井は、いった。
犯人の顔は、わかっている。駅でも、電車の中でも、刑事たちが、写真を持って、歩き廻っているのだ。亀井のいう通り、そんな中で、逮捕を覚悟で、犯人は殺人をやるだろうか?
「わからんな」
と、十津川が、呟《つぶや》いた。
「犯人が、何を考えているかですか?」
「そうだよ。犯人は、逮捕されれば、それで終りなんだ。と、いって、今日は、何もやらずに、逃げていれば、それも、敗北になってしまうし、われわれの方は、竹内|隆介《りゆうすけ》を、追い詰めていけるんだ」
「犯人としては、挑戦を続行しなければ、自分の存在が忘れられてしまう。それで、破れかぶれに、また、挑戦してきたということは、考えられませんか?」
「いや、そんなヤワな男じゃないよ。それに、カメさんが前にいったように、犯人は、自分が、消えたと思わせたいとも願っている筈《はず》なんだよ。私に対する最後の挑戦に勝ち、同時に、自分を消してしまうことをね」
「しかし、無理ですよ」
「われわれが、見落としていることはないかね? カメさん」
「犯人のいう建物が、鉄道関係でなかった場合は、お手上げですが」
「いや、これまで犯人は、執拗《しつよう》に、鉄道に拘《こだ》わってきているんだ。今度も、鉄道が、絡《から》んでいるよ」
「そうだとすると、見落としたものはないと思いますね」
「駅と列車。他に、鉄道に関した建物はないかな?」
「そうですねえ」
と、亀井は、しばらく考えていたが、
「車両基地がありますが、車両基地内の車両には、客が乗っていませんし、犯人が、基地内に入っていくのも難しいでしょう。顔見知りの人間ばかりの世界ですから」
「それは除外だな」
「踏切りもありますが、これは、建物とはいえないでしょう」
「ちょっと待ってくれよ」
「踏切りですか?」
「いや、違う。もっと大きな、建造物があるよ!」
と、十津川は、大声で、いった。
「何ですか?」
「鉄橋だよ。大きな建造物じゃないか」
「『ナ』のつく鉄橋ですか?」
「いや、南武線の鉄橋だと思う」
「と、すると、南武線は、都内で、多摩川《たまがわ》を、渡っていますから、その鉄橋が、まず、考えられますが」
と、亀井が、いった。
「多分、それだ」
「鉄橋を、どうすると、お思いですか?」
「鉄橋で、人を殺すとすれば、爆破しか考えられない。電車が、通過する時、爆破するんだ。すいている時だって、車内に、女がいないことは、まず考えられない。挑戦状に合致するんだ」
と、十津川が、いった。
亀井は、首をかしげて、
「鉄橋を爆破すれば、何人もの乗客が死にます。いや、何十人かも知れません」
「その通りさ。しかし、今度の犯人は、そんなことで、ためらうような奴《やつ》じゃない。もし、そんな神経があれば、これまでに、四人もの人間を、自分の主張のために、殺したりはしないよ。それに、鉄橋を爆破することで、犯人は、同時に、二つの目的を、達成できるんだ」
「どうやってですか?」
「一つは、鉄橋を爆破し、通過中の電車を転落させた場合、当然、女性が、死者の中に、いるだろうということだ。そして、多数の死者が出た時、犯人は、自分に似た死体を、その中にまぎれ込ますことによって、自分が、死んだと、見せかけることが出来る」
「――――」
「その死体には、ワープロで打った例の挑戦状みたいなものを持たせておく。或《ある》いは、私に対する勝利宣言でもいい。そうしておけば、犯人が、挑戦状に沿って、南武線で、女性客を殺そうとして、自分も死んでしまったことになるのではないか。それとだ、転覆した客車に、刑事が乗っていれば、犯人にとって、二重の勝利になる」
「しかし、警部。犯人が、そんなことをして、成功する筈《はず》がありませんよ。われわれには、犯人が、竹内隆介であることがわかっているんです。ニセモノを用意しても、指紋を照合すれば、簡単に、わかってしまいますからね」
と、亀井が、いう。十津川は、肯《うなず》いて、
「そうなんだが、犯人は、警察が、自分の名前まで知っているとは、考えていない筈だよ。マスコミには、犯人のモンタージュしか発表していないし、名前が、わかったことは、伏せてあるからね。だから、犯人は、モンタージュに似た男を殺せば、自分が死んだと思わせられると、信じているに違いない。多少、不安でも、追い詰められている犯人は、逃げる手段として、十分に、やる可能性があるんだよ」
「南武線の鉄橋というと、この府中本町と、一つ手前の南多摩の間にありますが」
「すぐ、行ってみよう」
と、十津川が、眼《め》を光らせて、いった。
2
十津川は、駅長に、上下線を、しばらく、止めておくように頼んでから、亀井と、丁度、上り電車に乗ってきた西本と清水の二人を連れて、車で、鉄橋に、急行した。
多摩川の水は、それほど多くはなかったが、流れは、速く見えた。
土手の上に、駈《か》け上って、十津川は、周囲を見廻した。
その時、五十メートルほど離れた土手の上にとまっていた白いライトバンが、突然、走り出した。
十津川は、とっさに、「その車を追いかけろ!」と、怒鳴《どな》った。
土手にあがっていた十津川と亀井を残して、西本が、車を運転して、白いライトバンを追いかけた。
二百メートルほど疾走《しつそう》したところで、ライトバンは、片側の車輪を落として、土手の斜面を、ずるずると、滑り落ちていった。
西本と清水は、車を急停止させて、外に飛び出した。
土手の下に滑り落ちていったライトバンは、河原で、横転した。
ドアが開いて、一人の男が、這《は》い出してきた。三十歳ぐらいの男である。
「止まれ!」
と、西本が、叫んだ。が、男は、よろめくように、鉄橋に向って、走り出した。
十津川と、亀井も、駈《か》けつけ、逃げる男を、追った。
急に、男が、走るのをやめて、振り向いた。
片手に、無線の発信機みたいなものを、持っている。
「近寄ると、鉄橋を爆破するぞ!」
と、男が、甲高《かんだか》い声で、叫んだ。
「馬鹿な真似はするな!」
と、十津川が、怒鳴《どな》り返すと、男は、急に、ニヤッとして、
「ああ、そこにいるのは、十津川警部だな。これから、あんたが負ける瞬間を、見せてやる。あの鉄橋に、電車がやってくるんだ。そして、転覆して、乗客が死ぬんだ。その中には、女も入っている。あんたの負けだよ。それとも、そこに土下座して、勘弁してくれというかね?」
「電車は、来ないよ」
と、十津川が、いった。
「でたらめをいうな!」
「嘘《うそ》じゃない。電車は、止めてきたんだ。耳をすませて聞いてみろ。電車の音なんか、聞こえてこないだろう? 諦めて、その発信機を、こっちに渡すんだ!」
と、十津川は、大声で、いった。
男の顔に、戸惑《とまど》いの色が現われた。その隙《すき》を狙《ねら》って、若い清水刑事が、ラグビーのように、相手の身体《からだ》に、タックルしていった。
その瞬間、男の指が、スイッチに触れた。
腹に応《こた》えるような爆発音がして、鉄橋の一部が、吹き飛ぶのが見えた。
府中本町に近い根元の部分が、ひん曲り、小さい破片が、ばらばらと、河原に落下してくる。
「この野郎!」
と、清水が、相手を二度、三度と、殴《なぐ》りつけた。
「止《や》めるんだ」
と、亀井が、清水をおさえた。
十津川は、西本刑事に、南武線の指令所に、今の爆発を伝えてくるように命じてから、土手の下に横転しているライトバンに、近寄っていった。
車の中をのぞき込むと、リアシートのところに、男が、身体《からだ》を折り曲げるようにして、倒れているのが見えた。
ドアを、開け、引きずり出した。男の身体に、手を触れた時から、冷たいのがわかった。死後硬直も、始まっている。
草むらの上に、横たえた死体は、予想通り、モンタージュに、似た顔をしていた。
男の着ている背広のポケットを、探ってみた。
二つに折った白い封筒が二通見つかった。
ワープロで、宛名《あてな》が、それぞれ、「中央新聞社」と、「警視庁捜査一課、十津川警部殿」になっている。
差出人の名前は、二通とも、「白石|要《かなめ》」である。切手も貼《は》ってある。
十津川は、自分宛の封書の方を、開けてみた。
便箋《びんせん》に、ワープロで、次の言葉が、打ってあった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈今度もおれが、勝利を収めた。これは、君の無能と、面子《メンツ》に拘《こだ》わる性格からくる当然の結果だ。
君が、愚かなために、また、一人の女性が死んだ。いや、それだけじゃない、他にも何人も、死傷させなければならなかったが、その責任は、全て、君にある。
一つだけ忠告して、おこう。無能な君は、一刻も早く、辞職したまえ。
これで、君とのゲームは、終りだ。勝ってばかりいたのでは、面白くないからね。
君も、ほっとしたのではないか?
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]白石 要〉
「奴《やつ》は、車に乗せました」
と、亀井が、傍《かたわら》に来て、十津川にいった。
「竹内隆介だったかね?」
「運転免許証を持っていましてね、間違いありません」
「こっちも、考えた通りだったよ」
と、十津川は、手紙を、亀井に、見せた。
亀井は、素早く、眼を通してから、
「そこの仏さんが、竹内の身代りにされる筈《はず》だった可哀そうな男ですか」
と、草むらに横たわっている死体を見た。
「後頭部に、大きな傷があるから、殴《なぐ》り殺したんだろう。電車が、あの鉄橋から転落して死傷者が出れば、あの傷も、そのせいだと、思うだろうね」
「それも、犯人の狙《ねら》いだったと、思いますね。それにしても、よく似ていますね。背恰好《せかつこう》や、顔が、そっくりです」
「見つけるのに、時間が、かかるので、今度の挑戦は、期日までに、時間を、置いたんだろう」
と、十津川は、いった。
十津川と、亀井が、車に戻ると、後手錠《うしろてじよう》をかけられた竹内隆介が、不貞《ふて》くされた顔で、じろりと、十津川を見た。
「もう、ゲームは終ったんだ」
と、十津川は、竹内に、声をかけた。
「全部、話してもらうよ。全部だ」
「何も覚えてないね」
と、竹内が、いう。
十津川は、苦笑した。
「挑戦状や、電話では、あんなに威勢がよかったのに、捕まったとたんに、記憶喪失の真似かね?」
「証拠がないんだ」
「あり過ぎるほどあるよ。君は、われわれの眼《め》の前で、あの鉄橋を爆破した。乗客の乗った電車が来るのを、知っていながらだ。それに、君のライトバンから、男の死体が見つかっている。他殺のだ」
と、十津川は、いった。
亀井が、車の無線電話で、パトカーや、鑑識に、来てくれるように、頼んだ。
七、八分して、パトカー二台と、鑑識が、到着し、ライトバンと、男の死体を、調べ始めた。
西本刑事も、戻ってきた。
「署へ戻ったら、話してもらうよ」
と、十津川が、竹内にいい、車は、現場を離れた。
捜査本部に着くまで、竹内は、黙りこくっていた。
十津川は、捜査本部に着くと、本部長に、報告し、警戒に当っていた刑事たちに、事件が片付いたから、戻ってくるように、指示を出した。
そのあとで、亀井と二人で、竹内隆介の取調べに、当ることになった。
「まだ、私に勝ったと思っているのかね?」
と、十津川は、相手に、きいた。
3
竹内は、黙秘を続けた。挑戦的な黙秘というよりも、自分の殻《から》の中に、閉じ籠《こも》ってしまった感じだった。
十津川は、無理に、竹内の口を開かせることをせず、竹内という男の過去を、徹底的に、調べることにした。
彼が、なぜ、十津川に、殺人ゲームを挑んできたか、なぜ、殺人の舞台を、鉄道にしたのかが、わかるのではないかと、思ったからである。
竹内が卒業した小学校から、当ることにした。担任の教師に会い、当時の同窓生から、話も聞いた。
小学校時代の竹内は、大人《おとな》しく、成績のいい子供だったという。
成績表を見ても、ほとんどが、4か5である。
ただ、身体《からだ》が弱く、よく、学校を休んでいる。
中学校に入ると、竹内は、身体を鍛えようと、必死になる。無理をして、身体をこわしてしまったりもするのだが、それでも、野球、テニス、水泳などに、熱中した。
高校に入っても、それは続けているが、いかんながら、どれ一つ、秀れた腕は、身につかなかった。
どれも、中途半端なままに、終ってしまっていた。
もう一つ、中学、高校時代に、竹内の特徴的なことは、正義感が、強かったことである。
これは、教師も、友人も、証言している。
「やたらに、憤慨《ふんがい》していましたよ」
と、高校時代の友人が、いった。
「車から、煙草《たばこ》を投げ捨てる奴《やつ》がいるとか、電車の中で、平気で煙草を吸ってる奴がいるとか、やたらに、腹を立てていましたね。新聞にも、投書していたみたいです」
「それで、実際に、彼は、電車の中で、喫煙を注意するといった行動に出たんですか?」
「自分では、注意したといっていましたがね。どうも、そこまでの勇気はなかったみたいですよ」
と、友人は、いった。
大学時代のことを調べていて、一つ、面白い発見をした。
竹内が、警察に入りたがっていたということである。
竹内は、友人の少ない人間だったが、一人だけ、親友がいた。といっても、竹内の方で、勝手に、親友扱いしていたらしい。
その男の証言だった。
「自分は、他人と協調して、仲よくやっていくのが苦手だから、一匹《いつぴき》 狼《おおかみ》 でやっていける刑事になら、なりたいっていっていましたね」
「しかし、彼は、なりませんでしたよ」
と、十津川が、いうと、相手は、笑って、
「それは、なれなかったんです。多分、試験に落ちたんでしょう。彼には、どうも、そんな不運なところがありましたからね」
と、いった。
友人の少なかった竹内は、ひとりで、旅行することも、好きだったらしい。それが、自然に、鉄道好きにしたのだろう。
若い時は、周遊券を買っては、旅行していたといわれる。
これは、不確かなのだが、警察に入れなかった竹内は、当時の国鉄に入ろうとしたらしい。
これも、失敗に終ったと思われる。現に、竹内が、国鉄に入っていないからである。
竹内は、人一倍、思い込みの激しい性格と思える。
竹内は、警察に入り、刑事になりたかった。次に、国鉄に入ろうと思った。そのどちらも、果たせなかった。
そのことが、竹内の憎悪をかき立てたのだろう。
十津川に対する憎しみは、彼が、竹内にとって、警察の代表に思えたからではないのか。
殺人に、鉄道を利用したのも、同じ気持からだったろう。
十津川は、竹内の女性関係も、調べてみた。
竹内は、何人かの女性と、つき合っている。
一度、結婚もしているが、すぐ、別れている。竹内と関係のあった女性に、話を聞くと、どうも、彼の性格に、ついていけなかったのが、別れた理由のようだった。
潔癖《けつぺき》過ぎるというのが、彼女たちの共通した意見だった。
それも、自分に対してでなく、他人に対して、厳しいのだという。
「つまり、勝手なんです」
と、一人が、十津川にいい、他の一人は、
「彼と一緒だと、息がつまるの」
と、いった。
竹内には、理想の女がいたという声も聞いた。
竹内が、一枚の女の写真を見せてくれたというのである。
「おれは、この女と一緒になるかも知れない」
と、その写真を見せて、竹内が、いったという。
その写真の女は、どうやら、今度の殺人ゲームで、最初に殺された女、日野まゆみこと、青木ゆみ子だった。
4
十津川は、改めて、竹内と向い合うと、これだけのことを、黙って、彼の前に、箇条書きにして、並べて見せた。
竹内は、メモに書かれた文字を眼《め》で追っていたが、突然、泣き笑いの表情になった。
まるで、いたずらの現場を見つかった子供のような表情に見えた。
精一杯虚勢を張っていたのが、その壁が、突き崩された感じでもあった。
竹内が、喋《しやべ》り始めたのは、その直後である。
喋り出すと、彼は、十津川たちが気付かなかったことまで、話すようになった。
「おれは、警察に、憧《あこが》れていたんだ」
と、竹内は、いった。
「一匹《いつぴき》| 狼《おおかみ》 の刑事になって、悪人を追いかけることを、夢見ていた。おれは、正義が好きだった。だから、一番、刑事に向いていると思ったんだ。それなのに、警察は、おれを受け入れてくれなかった。なぜなんだ? おれのどこが、悪いんだ? あの時から、おれは、警察を憎むようになった。十津川さん、あんたを憎んだのは、実は、あんたが、おれのなりたかった刑事の典型だからだよ。おれは、あんたより、頭がいい。絶対に、おれの方が頭がいい。それなのに、なぜ、あんたが、名警部といわれ、おれが、刑事になれないんだ? 間違ってるよ。おれは、その間違いを、直してやろうと思ったんだ。世間の注視の中でね」
「なぜ、白石|要《かなめ》の名前を、使ったのかね?」
と、十津川は、きいた。
「ああ、松山|淳《じゆん》のことか」
と、竹内は、小さく笑ってから、
「世の中のことに、不満だらけだったおれは、松山のやっている雑誌を知った。おれは、あの雑誌を見て、ここに、おれと同じように、今の世の中に、不満を持っている人間がいるのを知って、嬉《うれ》しかった。早速、松山に、会いに行った。彼が、白石要の名前で、新聞に、列車事故についての不満を投書していた頃《ころ》だよ。最初、おれと、松山の意見が合った。ところが、その中《うち》に、奴《やつ》が、とんだ食わせものだと気付いたんだ」
「食わせもの?」
「そうさ。おれは、奴が、もっと過激に、戦うのかと思ったんだ。おれは、気に入らない白バイ野郎をはね飛ばしたり、サービスの悪い特急列車の車掌を、殴《なぐ》り倒したりしたのに、奴は、そんなことはするなと、おれに、説教したんだ。腰抜けだよ。だから、おれは、――」
「松山淳を殺したのか?」
と、十津川が、きくと、竹内は、ニヤッと笑って、
「ビルの屋上から突《つ》き落としてやったんだ。ところが、警察は、自殺だと、断定した。おれの思った通り、警察は、おれより頭が悪いと、その時、確信したんだよ。それで、おれは、警察を代表するあんたに、挑戦することにしたんだ。白石要の署名にしたのは、あんたに、全く、ヒントを与えないのも悪いと思ったからさ。おれの気まぐれだ」
「最初の殺人で、日野まゆみこと、青木ゆみ子を殺したのは、計画的になんだろう?」
「あいつだけは、殺したくて、殺したんだよ。丁度、アで始まる名前だったからね。あの女の名前が、加藤や、川田だったら、二人目にしたろうね」
「君と、彼女とは、どんな関係なんだ? 君の理想の女だそうだが、彼女に、プロポーズでもしたのかね?」
と、十津川は、きいた。
最初に、日野まゆみこと、青木ゆみ子が、殺された時、十津川は、彼女の男関係を、調べている。その時、竹内の名前は、見つからなかった筈《はず》である。
竹内が、顔をしかめた。
「あの女の写真を見た時、おれは、彼女こそ、おれに、ふさわしい女だと思った。それから、彼女と一緒になることを、夢想するようになった。彼女を、食事に誘い、結婚を申し込み、結婚式をあげる。子供が出来る。おれの優しさに、彼女が感謝する。そんなことを、想像して、楽しんだよ」
「実際に、食事に誘ったり、プロポーズはしたのかね?」
「その前に、おれは、彼女に、つまらない男と、つき合うのをやめさせようと思った。おれが、彼女を食事に誘い、結婚を申し込むのは、そのあとだと考えたからだよ」
「それで?」
と、十津川は、いった。
「週刊誌なんかを見ると、彼女は、つまらない男たちと、つき合っていることが、書いてあった。あんな連中とつき合うのは、止《や》めなければいけない。おれも、他の女のことは考えず、彼女一人のことを思い、彼女と、結婚しようと、考えているんだからね」
と、竹内は、いった。
勝手な考えだなと、十津川は、思いながら、
「それで、君は、彼女に、何といったんだ? 電話したのかね? それとも、手紙を書いたのかね?」
「電話を掛けたよ。そして、彼女に、忠告した。つまらない男たちと、つき合うのは、止めろとね。そんなことを、続けていたら、不幸になるだけだとね」
「そんなことを、いきなりいわれて、彼女は、びっくりしたろう? その時、初めて、電話を掛けたんだろう?」
「あの女は、馬鹿だ」
と、竹内は、吐《は》き捨てる調子で、いった。
「なぜ?」
「おれの正しい忠告を聞こうとしなかったからだよ。それだけじゃない。おれを、笑いやがった。おれの楽しい想像を、台無しにした。だから、許せなかったんだ」
「君の昔の友人に聞いたんだが、君は、思い込みが、激しいということだった。彼女についても、君の一方的な、勝手な思い込みじゃないのかね?」
と、十津川は、いった。
「そんなことはない」
「しかし、彼女には、突然、電話しただけなんだろう? 彼女は、君のことを、全く知らなかった筈《はず》だよ。私にしても、同じことだ。君は、私に挑戦してきたが、私の方は、君を全く知らなかった。それを、考えたことがあるのかね?」
「そんなことはない!」
と、竹内は、叫《さけ》んだ。
「おれは、彼女と、ずいぶん話し合ったんだ」
「どんな風にしてだね?」
「おれが、彼女に話しかける。彼女が答える。時には、口ゲンカもする。彼女がすねて、おれが、謝ることもある。それが毎日だった。そして、結局、彼女は、おれと一緒になるのが、一番幸福だという結論になったんだ」
「ちょっと待ってくれよ。それは、君の頭の中で、勝手に想像したものだろう? それを、思い込みというんだよ」
と、十津川は、いった。
竹内は、黙ってしまった。が、反省している感じは、なかった。
竹内の頭の中では、十津川に対しても、同じことだったのだろう。今度の殺人ゲームが始まるまでの間、竹内は、頭の中で空想の十津川と、喋《しやべ》り合っていたのかも知れない。そうだとすると、彼の今度の、殺人ゲームは、十津川にとっても、社会にとっても、唐突で、理不尽なものだが、彼にとっては、考えた末のことになるのかも知れない。
竹内と、社会の関係も、同じことだったのではないか。
竹内は、松山淳殺しまで自供したが、彼の心のどこかに、十津川の踏み込んで行けないところが、残ってしまった。
「留置場で、竹内は、いつも、ぶつぶつ、何か呟《つぶや》いています」
と、亀井は、十津川に、いった。
「ひとりごとか」
「そうです。見廻りに行った警官が、薄気味悪がっています」
「多分、誰《だれ》かと、話しているのさ」
と、十津川は、いった。
竹内は、起訴され、捜査本部は、解散することになった。
「われわれは、今度のゲームに、勝ったんですかね?」
と、亀井が、きいた。
「何人も死んでいるんだ、勝ったなんて実感は、持てないよ」
と、十津川は、溜息《ためいき》をついた。
本書は、昭和六十二年十一月二十五日当社刊行のカドカワノベルズを文庫化したものです。
なお、本作品はフィクションであり、実在の個人・団体とは一切関係ありません。
[#地付き](編集部)
角川文庫『殺人列車への招待』平成元年12月10日初版発行
平成6年12月10日12版発行