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札幌着23時25分
西村京太郎
目 次
第一章 タイムリミット
第二章 戦いの始まり
第三章 東北新幹線
第四章 盛岡駅ホーム
第五章 青森空港
第六章 国鉄青森駅
第七章 連絡船
第八章 函館本線
第九章 札幌地裁
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第一章 タイムリミット
札幌市内にある北海道警本部で、本部長の畑中小四郎は、強い衝撃を受けていた。
川田の勾留《こうりゆう》期限の延長を、札幌地裁が却下したからである。
このままでは、明日中に、川田を釈放しなければならない。正確にいえば、明日の夜十二時までにである。
もちろん、衝撃は、畑中一人が受けたわけではなかった。川田の逮捕の直接の責任者である捜査一課長の西島も、ショックを受けていた。
「釈放すれば、川田は、間違いなく、高飛びしますよ。彼は、東南アジアにも、ルートを持っていますから、逮捕は、難しくなってしまいます」
西島は、畑中に、いった。
川田大造は、東南アジアや、ハワイ、グアムなどからの拳銃《けんじゆう》密輸事件が明るみに出るたびに、名前が、浮かんでくる男だった。
川田組の組長でもある川田は、容易に、尻尾《しつぽ》をつかませなかった。東京の警視庁をはじめ、全国の警察が、彼の尻尾をつかもうとして、必死になっていたといっていい。
彼の手によって、全国の暴力団に、拳銃が流されているといってもよかったからである。
川田の配下の何人かは、逮捕され、刑務所に送られたが、彼自身は、まだ、一度も、刑務所に行ったことがない。
川田が、痩身《そうしん》で、頬骨《ほおぼね》が出ていることから、警察では、彼のことを、狐《きつね》と呼んでいたが、彼の狡猾《こうかつ》さを意識しての綽名《あだな》でもあった。
その川田が、北海道へ遊びに来て、緊張が解けたのだろうか、へまをしたのである。
川田は、北海道へ、自分の女の小池まゆみと、舎弟の三浦功を連れて遊びに来たのだが、定山渓《じようざんけい》温泉の旅館で、小池まゆみを殺してしまったのだ。
いや、小池まゆみの死体が、旅館の近くの川岸で見つかったとき、道警本部は、直ちに、殺人容疑で、川田を逮捕した。
川田たちが、北海道へ来ていることは、知っていて、監視していたのである。
逮捕された川田は、行方不明になっている舎弟の三浦功が、女を殺して、姿を消したのだと、主張した。
しかし、道警は、そうは考えなかった。彼等が泊った旅館の従業員の証言によれば、首を絞められて殺された小池まゆみは、川田と同じ部屋に泊り、三浦の方は、別室だったこと、事件の前夜、川田とまゆみが大喧嘩《おおげんか》をやり、川田が、殴りつけたらしい。
川田は、サディスチックなところがあって、女をよく殴るといわれていた。それが、高《こう》じて、小池まゆみを殺してしまったと、道警本部は、考えたのである。
執拗《しつよう》な訊問《じんもん》が続いた。が、川田は、失踪《しつそう》した三浦功が殺したの一点張りであった。
捜査に当る西島たちは、三浦功も、川田が殺したのではないかと考えた。小池まゆみを殺すところを見られたためである。
三浦の死体は、近くの雑木林にでも埋めたのではないかと考え、必死に、探したが、見つからなかった。
十日間の勾留期限は、たちまち、なくなってしまう。道警では、勾留延長の手続きを、札幌地裁に要請したのだが、それが、却下されてしまったのである。
道警本部では、川田が犯人と決めつけていたが、何ぶんにも、証拠がない事件だった。状況証拠は、川田が犯人であることを示しているのだが、証拠はない。札幌地裁が、勾留延長を却下したのも、そのせいだろう。
「あと、二十八時間で、川田が殺したという証拠はつかめるかね?」
畑中本部長は、ちらりと、壁の電気時計に眼をやってから、西島に聞いた。
現在、夜の八時である。
「行方不明になっている三浦功を逮捕して、彼が、女を殺したのは、川田だと証言してくれれば、勾留期限を延長出来るし、川田を自白に持っていけるんですが」
「三浦功は、どこにいるんだろうか?」
「すでに、北海道にはいないと思っています。それに、三浦は、警察から追われているだけでなく、川田組からも、追われている筈《はず》です。だから、姿をかくしているんだと思いますね」
「三浦は、川田組にも追われていると思うかね?」
「彼は、川田の舎弟分です。川田が女を殺したとすると、その罪をかぶって、三浦が自首してくるというのが、彼等の掟《おきて》だと思うのです。しかし、三浦は、そうしないで、姿を消してしまいました。ボスを見捨てて、逃げたわけです。三浦が、そうするには、それだけの理由があったと見なければなりません」
「例えば、どんな理由だね?」
「俗っぽい想像になりますが、若い三浦が、川田の女の小池まゆみに手を出した。それを知った川田が怒ったとすれば、三浦も殺されるところだったことになります。だから、姿を消してしまった。もう一つ考えられることは、前々から、三浦は、川田に含むところがあって、小池まゆみ殺しの犯人にされてはかなわないというので、逃げ出したのではないかということです」
「いずれにしろ、川田組は、三浦を消そうとするわけか」
「川田を逮捕してすぐ、弁護士の佐伯が、すっ飛んで来ましたからね。あの佐伯を通じて、指令が行っていると思いますよ。川田が、小池まゆみを殺すのを見たものがいるとすれば、三浦でしょう。なぜ、川田が、女を殺したのか、その理由も知っていると思います。その三浦の口を封じてしまえば、川田の犯行を証明するものは、なくなるわけです。それに、三浦を捕《つか》まえて、自分が女を殺したという遺言を書かせて、自殺に見せかけて殺すことだって、しかねませんよ」
「そうだとすると、われわれにとって、プラスの面も、一つだけあるわけだな」
「どんなことですか?」
「三浦は、自分が狙《ねら》われていることを知っている。とすれば、警察に、保護を求めてくる可能性もあるだろう?」
十津川は、自宅で、九時のニュースを、テレビで見ていた。
妻の直子と、自宅で、こうして、落ち着いてテレビを見られるのは、久しぶりである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈航空各社の賃金闘争は、完全に暗礁にのりあげ、明日からの全面ストライキは、避けられない見込みです。大手の航空会社が、今回のように、一斉にストライキに突入するのは珍しく、明日からの日本の空は、全く、マヒすることになりました――〉
[#ここで字下げ終わり]
アナウンサーが、喋《しやべ》っているのを、十津川は、ほとんど、関心を払わずに聞いていた。
日本の空を、一機も旅客機が飛ばなくても、別に、明日からの仕事に関係ないと思っていたからである。
妻の直子も同様で、ソファに腰を下して、テレビを見ながら、
「これで、しばらく、静かになるわね。それに、国鉄が喜ぶんじゃないかしら」
などと、笑いながらいっていた。
九時のニュースが終ったところで、電話が鳴った。
(また事件か?)
と、十津川は、眉《まゆ》をひそめながら、受話器を取った。
「もし、もし――」
「十津川さんだね?」
と、男の声が聞こえた。
声をひそめている感じの喋り方だった。
「そうだが、君は?」
「川田組の三浦功だ。おれのことを、覚えてるか?」
「三浦?」
おうむ返しにいってから、十津川が、思わず、受話器を握り直したのは、前に一度、三浦を、傷害で逮捕したことがあったからではなかった。川田大造が、札幌で逮捕されているのを思い出したからである。
川田は、警視庁でも追いかけていた男だった。
二日前に、江東区で、暴力団同士の拳銃乱射事件があり、それに使われていた拳銃も、川田が密輸して、売り捌《さば》いたものではないかといわれていた。
「今、どこにいるんだ?」
と、十津川は、受話器を、耳に押しつけるようにして、きいた。かすかに、車の音が聞こえてくる。
「あんたと、取引きがしたい」
「どんなことだ?」
「警察は、おれを必要としているはずだ。おれがいなければ、川田の殺人は証明できないからな」
「それで、何が欲しい?」
「安全だよ。安全。身の安全が保障されれば、証言してもいい」
「やっぱり、川田組に狙われているんだな。保護は約束する。どこにいるのか教えたまえ。私が、すぐ、迎えに行く」
「十時ジャストに、国鉄の四ツ谷駅に来てくれ」
「今、そこにいるのか?」
「いや。今は、別の場所だ。いいか。十時ジャストだぞ。それから、パトカーのサイレンを鳴らして来たりしないでくれよ。おれは、死にたくないからな」
三浦は、それだけいうと、電話を切ってしまった。
十津川は、すぐ、亀井刑事に連絡をとり、覆面パトカーで、迎えに来てくれるように頼んだ。
二十分で、亀井の運転する車が、着いた。
十津川は、助手席に乗り込んだ。
「十時に、国鉄四ツ谷駅だ」
「捜査四課に聞いたんですが、川田組の連中が、駈け廻っているそうです。三浦を見つけて、口をふさぐつもりでしょう」
亀井は、運転しながらいい、
「万一の用心に、持って来ましたよ」
と、十津川に、拳銃を渡した。
コルトの自動拳銃である。十津川は、それを、ポケットにしまった。
「川田組というのは、何人ぐらいの組員がいるんだろう?」
「組織としては小さくて、組員は、約五十名ですが、拳銃の密輸をやってるくらいですから、武器は、豊富だと思われます」
国鉄四ツ谷駅に着いたのが、十時五分前だった。
亀井には、エンジンをかけっ放しにしておくようにいって、十津川一人が、車からおりた。
国鉄四ツ谷駅の入口は、道路から、短い坂をおりたところにある。
電車が、丁度着いたとみえて、改札口を出た乗客が、その坂をあがってくる。十津川は、それに逆らうように、坂をおりて行った。
駅の改札口の片側に、切符の自動販売機が並び、反対側に、売店がある。
売店は、もう閉っていた。
素早く、周囲を見廻したが、三浦らしい人影は、見つからなかった。
また、電車が着いて、どやどやと、乗客が、改札口を出て来た。
その中の一人が、十津川の近くに来て、
「車はどこだ?」
と、早口できいた。
「三浦だな?」
十津川は、視線をそのままにして、きき返した。
「そうだ」
「車は、道路にとめてある。白いブルーバードだ。先に行け」
十津川は、それだけいうと、自分は、立ち止って、もう一度、周囲を見廻した。片手は、ポケットの拳銃をつかんでいる。
三浦を追《つ》けている人間は、いないようだった。
それを確認してから、坂をあがって行った。
車の中で、亀井が、黙って、肯《うなず》いた。
十津川が、助手席に乗り込むと、亀井が、車をスタートさせた。
後部座席で、身体を低くかがめていた三浦が、今の急発進で、どこかぶつけたらしく、
「おい。静かにやってくれよ!」
と、怒鳴った。
亀井は、ニヤッと笑っただけである。
十津川は、バックミラーを、注視した。
四谷から、警視庁まで、車で飛ばせば、十二、三分の距離でしかない。だが、安心は禁物だった。
「追《つ》けてくる車がありますか?」
と、亀井が、きいた。
「夜は、わからんな。ライトが、やたらに眩《まぶ》しくて」
「ちょっと、スピードをあげてみます」
亀井が、アクセルを踏み込んだ。ぐうーんと、加速がついた。
バックミラーの中に見えていた後ろの車のライトが、みるみるうちに、離れて行った。が、今度は、そのライトが、物すごい勢いで、近づいて来た。後の車も、急加速したのだ。
「スピードを落としてみてくれ」
と、十津川が、亀井にいった。
こちらのスピードが落ちた。が、後の車も、追い抜こうとせずに、こちらに合せて、スピードダウンした。
「追《つ》けられてるよ」
「どうします?」
「仕方がない。逃げ込もう。大事な証人を乗せてるんだ」
十津川は、赤色灯を、車のルーフにのせると、サイレンを鳴らした。
亀井が、もう一度、アクセルを踏み込む。三十キロまで落ちていたスピードが、五十、八十と、みるみるあがっていく。
半蔵門のT字路を、甲高《かんだか》いブレーキの音をさせながら、鋭く右へターンし、三宅坂を、いっきに走り過ぎた。
後に追《つ》けていた車は、こちらが、パトカーに変身した瞬間に、追うのを諦《あきら》めたらしく、見えなくなってしまった。
十津川たちの車は、警視庁の中庭に滑り込んだ。
三浦功が、自首して来て、東京で保護されたという知らせは、警視庁から、すぐ、道警本部に、もたらされた。
畑中本部長は、すぐ、札幌地裁の清岡判事に電話を入れた。
「夜分に、申しわけありませんが、川田大造の勾留期限延長のことで、お願いがあります」
「その件は、すでに、回答した筈ですよ。今の状況だと、延長は認められません。明日の夜の十二時までに、釈放して下さい」
清岡判事は、そっけない調子でいった。
四十歳の清岡は、どちらかというと、現在の警察のやり方に、批判的な判事である。先日も、公判の中で、道警の別件逮捕のやり方を、厳しく、批判した。
「その状況が、変ったので、お電話したのです」
「どう変ったんですか?」
「川田大造が、小池まゆみを殺したと証言する人間が見つかったんです」
「誰《だれ》ですか?」
「川田と一緒に定山渓温泉に来ていた三浦功です」
「では、三浦が、道警本部にいるのですか?」
「いや、三浦は、東京の警視庁で、捕えたのです。そして、川田の犯行を証言するといっているそうです。で、あと十日間の勾留延長をお願いします。事情が変ったわけですから」
「事情が変ったことは、認めます。三浦功が、こちらへ来て、証言すれば、十日間の勾留延長は、許可しますよ」
「三浦を、札幌へ連れて来てですか?」
「そうです。地裁へ、三浦を連れて来て下さい。彼が本当に、証言しているのなら、川田大造の勾留は、延長を許可しますよ」
「いつまでに、三浦を連れてくれば、いいんですか?」
「もちろん、明日の夜の十二時までです。現時点では、勾留延長は、却下しているわけですからね」
「無茶ですよ」
「例外は、認めません。勾留期限の延長が、どうしても必要なら、明日中に、三浦功を、札幌地裁へ連れて来て下さい」
清岡判事は、電話を切った。
「わからずやめ!」
と、畑中は、吐きすてるようにいってから、荒っぽく、受話器を置いた。
傍《そば》で聞いていた捜査一課長の西島が、
「明日、私が、東京へ飛んで、三浦功を連れて来ましょう」
と、いった。
「そうだな。そうするより仕方がないが、川田組の連中も、三浦を狙っているだろう?」
「ですから、ベテランの刑事を、何人か、連れて行こうと思っています」
「じゃあ、私が、警視庁へ連絡しておこう」
畑中は、警視庁の三上刑事部長に電話をかけた。
明日、こちらから、三浦功を引き取りに行くことを告げて、受話器を置いたが、畑中の顔が、急に、蒼白《そうはく》になった。
「明日、ストで、飛行機が飛ばなかったら、どうするんだ?」
すでに、午前一時を過ぎていた。
警視庁捜査一課では、本多一課長と、十津川、それに、亀井の三人が、ラジオのニュースに耳を傾けていた。
やはり、朝から、全部の航空便がとまるらしい。
「空の便がとまってしまっては、今日、道警から、三浦を引き取りに来られんな」
本多が、当惑した顔でいった。
「今日中には、とうてい、無理ですよ」
と、十津川がいった。
「空の便が全面的にストップする事態になれば、札幌地裁でも、それを考慮してくれるんじゃありませんか?」
亀井がいうと、本多は、首を横に振って、
「勾留延長を却下するという判断は、空のストでは、変らんよ」
「しかし、飛行機が飛ばないと、今日中に、三浦を札幌に連れて行くのは、不可能ですよ」
と、十津川は、顔をしかめた。
「そうなんだが、札幌地裁の判事は、今日の夜の十二時までに、三浦を連れて来て、証言させなければ、川田の勾留延長は認めないといっているそうだ」
「川田を釈放したら、高飛びしてしまいますよ」
「そうだろうね」
「どうします?」
「自衛隊の飛行機を頼んで、運んで貰《もら》うより仕方がないだろうが、出来れば、われわれの力だけで、やりたいね」
本多が、いった。
亀井は、黙って、何かを考えているようだったが、急に、眼を輝かせて、
「ちょっと聞いて下さい。私の息子は、大変な鉄道マニアなんです。その息子が、先日、こんなことをいってたのを思い出しました。昔は、東京から札幌へ一日で行けなかったのが、東北新幹線が走るようになって、それが可能になったんです」
「つまり、飛行機を使わずにということだね?」
十津川が、亀井を見た。
「そうです。もし、息子のいうことが本当なら、飛行機がとまっても、今日中に、三浦を、札幌まで連れて行けるわけです」
「しかし、青函《せいかん》トンネルは、まだ使えないんだよ」
と、本多。
「とにかく、調べてみましょう」
十津川は、机の引出しから、時刻表を取り出した。
果たして、鉄道と船だけで、今日中に、札幌へ行けるのだろうか?
東北新幹線は、「やまびこ」に乗るより他はない。それで、盛岡へ着いたら、今度は、青森まで、在来線を使うことになる。
十津川は、そうやって、メモ用紙に、乗る列車と、時間を、書き込んでいった。
大宮8:00→東北新幹線(やまびこ13号)→盛岡11:17
盛岡11:30→東北本線(はつかり7号)→青森14:05
青森14:55→青函連絡船→函館18:45
函館19:00→函館本線(北斗7号)→札幌23:25
亀井のいった通り、ぎりぎりだが、今日中に、札幌に着くことが出来る。
国鉄札幌駅から、札幌地裁までの時間を考慮しても、間に合うことは、間に合うのだ。
重苦しかった空気に、小さな穴が開いて、ほんの僅《わず》かだが、新鮮な風が吹き込んで来たような気がした。
「何とかなることはなりますねえ」
と、十津川はいい、その時刻表を、黒板に書き写した。
本多は、じっと見ていたが、苦笑して、
「確かに、これは、綱渡りみたいなもんだな。どこかで故障か、事故でも起きたら、それで終りだね。三十五分しか余裕がないんだろう」
「そうですね。ただ、乗りかえの時に、多少の時間の余裕があります。青森で、青函連絡船に乗るとき、五十分の余裕があります。もちろん、この前に連絡橋を渡らなければなりませんから、五十分、まるまる余裕があるわけじゃありませんが、連絡を取り合うことは可能です」
「大宮発の東北新幹線は、もっと早い列車があるんじゃありませんか?」
亀井が、黒板を見ながらいった。
「ああ、始発は、七時○○分の『やまびこ11号』だ。これに乗ってもいいんだが、最後は、同じになってしまう」
十津川は、「やまびこ11号」に乗った場合のスケジュールを、黒板に書きつけた。
大宮7:00→東北新幹線(やまびこ11号)→盛岡10:17
盛岡10:30→東北本線(はつかり5号)→青森13:05
青森14:30→青函連絡船→函館18:20
「このあとが、適当な列車がないんだよ。函館発、札幌行の列車で、『北斗7号』より前に出る列車となると、特急『北斗5号』、急行『すずらん59号』、急行『すずらん3号』の三本だが、それぞれ、函館発の時間が、一四時五五分、一五時○六分、一六時二〇分で、間に合わない。結局、一九時発の特急『北斗7号』に乗るより仕方がないんだ」
「すると、大宮七時○○分発の『やまびこ11号』に乗っても、仕方がないことになりますね」
亀井がいうと、十津川は、ちょっと考えてから、
「あながち、無駄には、ならないよ」
「どうしてですか? 結局、函館で、同じになってしまうわけでしょう? まさか、函館から、札幌まで、自動車を飛ばすわけにもいかんでしょう? そんなことをしたら、かえって、おそくなってしまいます」
「そういう意味じゃなくてね。たった一つの時刻表しかないとなると、狙《ねら》う方は、このうえなく楽だからね。一つでも、他に、選択の余地があれば、それだけ、相手は、迷うことになる」
「十津川君は、途中で、襲ってくると思うのかね?」
本多が、きいた。
「もちろん、それを覚悟しておく必要があります」
と、十津川はいった。
「川田の弁護士が、せわしく、札幌と東京の間を往復していると聞いています。川田の勾留延長が認められなかったこと、そして、東京で、三浦が見つかり、明日中に、三浦を、札幌地裁へ連れて行けば、川田の勾留期限が延長されるかも知れないということも、わかっている筈《はず》です。空の便が、ストップすれば、列車と、連絡船を使うより仕方がないこともわかるでしょう」
「途中で、三浦を消そうとするかな?」
本多が、きいた。
「やるでしょうね。川田は、今まで、絶対に、警察に尻尾《しつぽ》をつかませずに来たのに、北海道で、ミスをしてしまったんです。口惜《くや》しくて仕方がないでしょう。こんなことで、捕まってたまるものかと思っているに違いありません。どんなことをしても、三浦を消せという指令が出ていることは、間違いないと思っています」
十津川は、断定した。
十津川は、川田という男を、よく知っていた。
傲慢《ごうまん》で、冷酷である。自分が助かるためなら、どんなことでもする男だった。
それに、川田組は、資金が豊富である。三浦を消すために、大金を投じて、プロの殺し屋を雇うことだって、考えられるのだ。
東京から、札幌まで、一五時間二五分かかるということは、それだけの時間、危険にさらされるということを意味している。
午前三時。
三上刑事部長の立ち会いのもと、最後の打ち合せが行われた。
これには、本多捜査一課長と十津川、それに、相手が、川田組ということもあって、捜査四課の花井課長も、出席した。
まず、本多が、列車と青函連絡船を使えば、今日中に、札幌へ着けることを説明した。
「もちろん、朝になって、空の便が動くようになれば、問題はありませんが、今の状況では、ストは必至と思われます。その時には、今、いいましたようなルートで、三浦を、札幌まで送るより仕方がないと思うのです。十津川警部と、亀井刑事の二人が、三浦を、札幌まで護送します。捜査一課全体としても、二人をサポートすることは、もちろんですが」
「十六時間近くもかかるというのは、それだけ、危険があるということだろう。他に、もっと早く、行く方法はないかね?」
三上部長が、難しい顔で、本多を見、花井を見た。
「航空自衛隊に、飛行機を出して貰《もら》う方法もありますね。海上保安庁も、飛行機を持っているから、頼めば、飛んでくれるかも知れません」
花井がいった。
「それは、われわれも考えたんだ」と、本多が、いった。
「しかし、たった一人の人間を護送するのに、自衛隊や、海上保安庁の助けを借りるというのは、どういうものだろうかと思ってね。特に、航空自衛隊の飛行機を、飛ばして貰ったとなると、批判が厳しいだろうと思うよ。他に、方法がなければいいが」
「しかし、その方が、安全だよ。川田組は、人数は少ないが、命知らずが揃《そろ》っているし、武器は豊富だ。必ず、途中で、襲うと思わなきゃならんからね」
「自衛隊に、借りを作るわけにはいかんよ」
と三上部長が、顔を赤くしていった。
警察は、防衛庁と、何となく、反撥《はんぱつ》し合うところがある。戦前、軍隊と警察は、仲が悪かった。陸軍の兵隊が、交通信号を無視して交叉《こうさ》点を渡り、それを、警察が逮捕したところ、陸軍が、文句をいって、大喧嘩《おおげんか》になったことがある。そんな伝統が、今でも、生きているのかも知れない。
「航空自衛隊にも、海上保安庁にも頼まないとすると、やはり、本多課長のいう方法で、三浦を護送するより仕方がないでしょう」
花井は、肩をすくめるようにしていった。
「あと、使えるものとすれば、警視庁が持っているヘリコプターぐらいのものですね」
本多がいった。
「交通管制に使っているヘリコプターかね?」
三上が、本多を見た。
「そうです。航続距離が短いので、特定の地点の間しか使えませんが、敵の眼をくらますために、ヘリを使うかも知れないと、思わせるのも、悪くないと思います」
「花井君」
と、三上は、捜査四課長に、
「君のところで、二十四時間、川田組を押さえ込んでおくわけにはいかんのかね? 川田組は、せいぜい、五、六十人の構成員だろう。捜査四課で、二十四時間、押さえ込むことは、可能だろう」
「やれば、出来ないことはありませんが――」
柔道四段の花井は、いかつい身体を小さくゆすった。
「だが、何だね?」
「理由は、どうしますか? 相手がいくら暴力団でも、理由もなしに、拘束するわけにはいきません。逮捕状も出んでしょう?」
「理由は、何とでもつくだろう。川田組は、拳銃の密輸で、前から、マークしていたんだから、朝になったら、機先を制して、手入れをしたらどうだね? 拳銃が出てくれば、幹部連中も逮捕できるし、出て来なくても、相手の動きを牽制《けんせい》することが出来る」
「それは、やってみましょう」
と、花井は、いった。
このところ、都内で、暴力団組員による拳銃乱射事件が、頻発《ひんぱつ》して、都民の警察批判が高まっている。もし、川田組の事務所を捜索して、拳銃が出てくれば、少しは、都民の批判に応《こた》えられるだろう。
「他に、出来ることはないかね?」
三上は、本多を見た。本多は、十津川に、
「どうだね? 君は、三浦を護送して行く当人なんだから、何か考えがあったら、いってみたまえ」
と、小声でいった。
十津川は、手帳を取り出して、メモしてきたものを見ながら、
「民間機を一機、チャーターして欲しいと思います」
「スト中の航空機をかね」
驚いて、三上が、十津川にきいた。
十津川は、笑って、
「そんなことは考えていませんし、不可能でしょう、私がいうのは、調布飛行場にある小さな会社の、軽飛行機です。五、六人乗りの飛行機をチャーターすれば、仙台、三沢、千歳《ちとせ》と、各飛行場を飛び石で、北海道へ行ける筈《はず》です」
「それで、君は、三浦を札幌へ運ぶつもりなのかね?」
「いや、その気はありません」
十津川は、笑った。
「すると、何のために、軽飛行機をチャーターするのかね?」
「陽動作戦のためです。軽飛行機でも、時速二、三百キロは出ますから、千歳まで、いくつかの飛行場を伝って行っても、明日の午前零時までに、札幌に着くことが出来ると思います。川田組は、恐らく、われわれが、飛行機をチャーターして、三浦を、札幌まで運ぶと、考えると思います。われわれが、チャーターすれば、食いついてくるかも知れません」
「そうしておいて、国鉄を利用して、三浦を送るのか?」
「そうです。飛行機では、いざとなったとき、逃げようがありません。国鉄の列車内なら、ある程度の自由がききます。私は、今度のことで、二つのことを守りたいと思っています。第一は、もちろん、期限内に、三浦を、札幌地裁まで届けることですが、もう一つは、三浦の安全を確保することです。もし、三浦が、危くなり、彼を助けるために、札幌着がおくれるようなことになっても、私は、三浦を助けます。それは、了解していて下さい。もし、三浦を死なせるようなことになったら、今後、警察の保護を求めて、自首してくる人間がいなくなる恐れがありますから」
十津川は、きっぱりと、いった。
三上部長は、眉《まゆ》を寄せて、
「しかし、期限までに三浦を札幌地裁に届けるように、全力をつくしてくれないと困る。逃げ廻っていたんではな」
「もちろん、全力はつくします」
「ところで、君たちは、何時の『やまびこ』に乗るんだね?」
三上は、手帳を取り出して、本多と、十津川にきいた。
「時間の余裕が欲しいので、午前七時大宮発の『やまびこ11号』に乗ろうと思っています」
と、十津川がいった。
三上は、それを、自分の手帳に書き込んだ。
「私も、心配だから、時々刻々の動きを、私に報告するようにしたまえ」
三上は、これは、本多一課長にいった。
十津川は、本多と捜査一課に戻ると、亀井を呼んだ。
本多が、二人を前に置いて、
「ご苦労だが頼むよ。必要なら、何人でも、使いたまえ」
「お言葉に甘えて、影武者を、何組か作りたいと思います」と、十津川が、いった。
「三浦は、身長、体重も、今の二十代の男にしては、平均的です。同じ服装にして、サングラスをかければ、似て見えると思うのです。ニセの三浦に、刑事が二人で一チーム作ります」
「何組必要だね?」
「私とカメさんの他に、三チームあればいいと思います。九人の刑事が必要になりますが」
「よし。すぐ、人選に入ろう。この三組を、どう配置するんだ?」
「一チームは、チャーターした飛行機に乗って貰い、各地の空港で、燃料を補給しながら、千歳まで行って貰います。それから、七時発の『やまびこ11号』と、八時発の『やまびこ13号』に一チームずつ。それで三チームになります」
「しかし、午前七時大宮発の『やまびこ11号』には、君たちも、乗るんだろう?」
本多が、不審そうにきいた。
十津川は、笑って、
「私たちは、乗りません」
「だが、三上部長には、午前七時の『やまびこ』に乗るといった筈だよ。部長も、手帳に、書き留めていた。じゃあ、君は、部長に嘘《うそ》をいったのか?」
「結果的に、そうなったかも知れません」
「あの部長の口から、外へ洩《も》れて、それが川田組に聞こえると思ったのかね?」
「三上部長は、立派な人です。われわれに対してよりも、上に顔が向いていますが、それは、どんな会社にもあることです。ただ、部長の交際範囲が広いのが気になったんです。好んで、政治家とも、会われています」
「部長は、将来、政界に打って出るつもりでいるからだろう」
「それは勝手ですが、警察OBとも、よくつき合っておられます。そのOBの中に、川田組に近い人がいるかもしれませんから」
「君はずいぶん、慎重なんだな」
「今度のようなことでは、慎重であり過ぎることはありませんから」
と、十津川は、いった。
殺そうとする側と、それを守る側とを考えれば、殺す方が、有利に決っている。特に、今度のように、標的を、札幌まで連れて行かなければならないとすれば、なおさらである。攻撃側に、時間も、場所も、選べるからだ。
「すると、君とカメさんは、午前八時大宮発の『やまびこ13号』に乗るつもりなんだな?」
本多がきくのへ、十津川は首を横に振った。
「それにも、乗りません」
「じゃあ、どうするんだ?」
「今、午前四時を回ったばかりです。今から、車を飛ばして、小山まで行こうと思っています」
「小山には、『やまびこ』は、停車しないんじゃないか?」
「そうです。だから、小山から、各駅停車の『あおば』に乗るつもりです。大宮を七時三〇分、小山を七時五一分に出る『あおば二〇一号』です。これは、仙台行で、仙台着が、九時四七分で、『やまびこ13号』に間に合います」
「そうか、『やまびこ13号』には、仙台から乗るのか」
「それで、少しは、相手の眼をごまかせるんじゃないかと思います。あとの三組の影武者は、今いったように、行動して貰いたいのです」
「わかった。そうしよう」
「チャーターして、調布飛行場から飛んで貰う飛行機ですが、私やカメさんと、ほぼ同じコースを、同じ時刻に通過して欲しいんです。調布から、仙台、函館、千歳と、飛ぶようにいって下さい。万一のときには、私たちと、影武者が入れかわれるようにです」
「それも、了解した」
と、本多が、肯《うなず》いた。
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十津川と、亀井は、三浦功を、留置場から連れ出した。
「そろそろ、出かけるぞ」
と、十津川は、三浦にいった。
三浦は、朱《あか》く充血した眼で、きょろきょろと、落ち着きなく、周囲を見廻してから、
「出かけるって、どこへ?」
「札幌だ」
「札幌? なぜ、そんなとこまで行かなきゃならないんだ?」
「札幌へ行って、向うの裁判所で、証言して貰《もら》いたいんだよ。そうすれば、川田を刑務所へ放り込める」
「裁判になってから、証言すればいいんじゃないのかい?」
「その前に、証言しなければならないんだ」
「組の連中は、おれが札幌へ行くのを知ってるのか?」
「さあ、わからんね」
「無責任じゃないか。組の連中が知ってたら、おれは、途中で殺されちまうよ」
「それは、われわれが守ってやる」
「何人で?」
「私と、亀井刑事でだ」
「たった二人で?」
と三浦は、真っ青な顔になって、
「まるで、自殺するようなものじゃないか。二、三十人で、おれのまわりを囲んでくれなきゃ、間違いなく、殺されちまうよ」
「そんな大名行列をやってみろ。向うに、三浦はここにいると、教えてやるようなものだ。それこそ、自殺行為だよ。とにかく出発だ」
「本当に、大丈夫なのか?」
「死ぬときは、一緒に死んでやるさ」
「朝めしも食べずに、出発するのか?」
「今、にぎりめしを作って貰ってる。途中で食べるんだ」
十津川は、三浦をせかして、部屋を出た。
廊下で、三人分のにぎりめしと、魔法びんに入ったお茶が、渡された。
十津川は、三浦に、手錠はかけなかった。
三浦は、川田に命を狙《ねら》われていることは、よく知っている筈だった。逃げれば、一層、危険だということも、よくわかっているだろう。
中庭に、「――パン」と横腹に書いたバンが停《と》めてある。
「これに乗るんだ」
と、十津川は、後方の扉を開けた。
「何だい? この車は?」
「事件に関係して、押収した車だ。これで、栃木県の小山まで行く。中で、朝食をすませるんだ」
十津川は、一人分のにぎりめしと、魔法びんを、三浦に渡して、箱の中に押し込めると、外から、鍵《かぎ》をかけた。
四時二十分。
まだ、周囲は暗い。
「行こうか?」
と、十津川は、亀井に声をかけた。
内ポケットに、拳銃《けんじゆう》があることを確認してから、十津川が、運転席に入り、亀井が、助手席に乗った。
ライトをつけてから、アクセルを踏んだ。
ゆっくりと、門を出る。
皇居のお濠《ほり》に面した大通りに入ってから、スピードをあげた。
十津川は、サイドミラーに眼をやった。どうやら、尾行して来る車は、ないようだった。
「カメさんが、先に、食べてしまってくれ」
と、十津川は、いった。
まだ、夜明けに間があるせいか、道路の渋滞はない。
「川田組は、どう出て来ますかね?」
亀井が、きく。その声も、いつになく、緊張していた。
「川田には、佐伯という弁護士がついている。四十五歳と若いが、頭の切れる男だ。問題は、佐伯が、われわれのことを、どう考えるかということだね」
「その佐伯という弁護士に、会われたことがあるんですか?」
「二度ばかり会っている。川田が、今まで、警察に捕まらずにすんだのも、佐伯のおかげだろう」
「そんなに、頭のいい男ですか?」
「とにかく、油断のできない男さ。三浦を消せという命令は、川田が出したろうが、川田組の連中を動かすのは、佐伯だと思っている」
11
十津川は、飯田橋を通って、上野広小路に向った。
国道四号線を北上して、小山に行くつもりだった。
東の空が、白っぽくなってくる。少しずつ夜が明けていく。自分たちを隠してくれていた夜のベールが、少しずつ剥《は》がされていくようで、何となく、不安だった。
浅草橋近くのガソリンスタンドで、ガソリンを入れる。
その間に、十津川は、電話を借りて、本多に、連絡を取った。
「今、浅草橋ですが、ここまでは、異常なしです」
「こちらは、新聞記者たちに、早朝を期して、川田組事務所の手入れをすると、四課が発表したよ。間もなく、四課の連中が、新宿の川田組事務所に押しかける筈だ。拳銃が見つかって、幹部連中を、逮捕できればいいんだがね」
「そうですね」
と、十津川は、いった。が、その希望は、多分、かなえられないだろうと、思っていた。何回か、捜査四課が、川田組の事務所の手入れを行っているが、全《すべ》て、空振りに終っていたからである。
しかし、事務所を捜索している間は、彼等を足止めしておくことが可能なのだ。
「飛行機のチャーターの方も、電話で、頼んでおいたよ。双発のビーチクラフト機だ。こちらは、八時三十分に、調布飛行場を飛び立って、仙台へ向う予定だ。それから、影武者の第一組が、午前七時大宮発の『やまびこ11号』に乗るために、出発する」
本多が、知らせてくれた。
「調べておいて貰いたいことがあります」
「何だ?」
「川田組の顧問弁護士の佐伯が、今、どこにいるかということです。川田組の鉄砲を持った組員より、佐伯の頭の方が怖いですから」
「わかった。わかり次第、連絡をとるようにする」
電話をすませて、十津川が、車のところに戻ると、助手席に、亀井がいなかった。車の後部扉も開いてしまっていて、箱の中をのぞいたが、三浦は、消えてしまっている。
一瞬、十津川は、「やられたか?」と唇を噛《か》んだが、それにしては、亀井が、何の叫び声もあげなかったがと、思っていると、トイレの方から、二人が、戻って来た。
十津川は、ほっとした。
「また、箱の中に入らなきゃいけないのかい?」
と、三浦は、文句をいった。
「殺されたくなかったら、大人《おとな》しくしているんだな」
十津川がいった。
また、後部扉を、外から閉めて、今度は、亀井が、運転することになった。
すぐ、国道四号線に入った。
この道を、真っすぐ北へ走れば、目的の小山駅に着く。
「ここまでは、無事でしたね」
と、亀井が、サイドミラーに、眼を走らせながら、十津川にいった。
「まだ、始まったばかりだよ」
十津川は、自分に、いい聞かせるようにいった。
まだ、午前五時半を過ぎたばかりである。札幌に着くのが、二三時二五分とすると、あと、十八時間もあるのだ。
「そろそろ、四課の連中が、川田組の事務所を手入れする頃ですね」
亀井がいった。
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第二章 戦いの始まり
川田組の事務所は、新宿西口にある。
三階建のビルの入口には、川の字のデザインマークが輝き、監視テレビが、ゆっくりと、首を振っている。
午前六時五分前。
捜査四課長の花井以下、十六人の刑事が、次々に、パトカーから降り立って、川田組の事務所を取り囲んだ。
テレビカメラが、刑事たちの動きを追いかける。記者たちも乗っていた。
花井が、入口の扉を叩《たた》いた。
「警察だ。開けなさい!」
花井が、大声でいうと、意外にするすると、扉が開き、二十五、六歳の若い男が、顔を出した。
「何だい? こんなに早く?」
男は、眠そうな声でいった。
その鼻先に、花井は、令状を突きつけた。
「家宅捜索をさせて貰うよ。拳銃|隠匿《いんとく》の容疑だ」
「拳銃? おもちゃの鉄砲だって、ありゃしねえよ」
男は、皮肉な笑い方をした。
花井は、その男を押しのけるようにして、中に入った。
部下の刑事たちが、一斉に、各部屋に散って、調べ始めた。
花井は、廊下を歩きながら、首をかしげた。
この川田組は、構成員五十人といわれているのに、今、ビルの中には、さっきの若い男一人しか、見当らなかったからである。
花井の顔が、こわばってきた。
先制攻撃のつもりが、逆に、してやられたかも知れない。
「おい!」
花井は、男に向って、大声をあげた。
「他の連中は、どこに行ったんだ!」
「何だい?」
男は、ズボンのポケットに、両手を突っ込んだ恰好《かつこう》で、振り返った。
「幹部連中は、どこに行ったんだ?」
花井は、相手を睨《にら》んだ。
「さあね。おれは、留守番だから、わからねえよ。ここんとこ、暇でしょうがないから、兄貴たちは、揃《そろ》って、温泉へ行ったんじゃねえかな」
「呆《とぼ》けるなよ」
「別に、呆けてやしねえよ。それより、拳銃は、見つかったのかい?」
「どこの温泉だ?」
「何だい?」
「どこの温泉へ行ったかと、きいているんだ」
「熱海あたりじゃないのかな。行ってみたらどうだい?」
男は、馬鹿にしたように、ニヤッと笑った。
「おい。引き揚げるぞ!」
花井は、部下たちに向って、怒鳴った。
どうやら、機先を制したつもりが、逆に、してやられたらしい。
川田組の幹部たちは、今日、警察の先制攻撃があることを予測して、どこかへ避難してしまったのだろう。
この様子では、拳銃が見つかるとも思えなかった。ここは、負けを認めて、引き揚げた方がよさそうだと、花井は、思った。
「帰るのかい?」
男が、勝ち誇ったようにいった。
花井は、じろりと睨んで、
「お前さんにも、一緒に来て貰う」
「どうして、おれが、連れて行かれなきゃならないんだ?」
男の顔に、急に、狼狽《ろうばい》の色が浮んだ。
「川田組の幹部には、拳銃密輸の容疑がかかっている。その彼等を逃亡させた疑いだ」
「このおれが?」
「そうだ」
「冗談じゃねえや。おれには、そんな力はねえよ。みんな熱海の旅館に行って、ただ、おれは留守番をしてるだけさ」
「お前さんみたいな下っ端に留守番させるのか?」
「そんなことは、勝手だろう?」
「留守番をしていたという証明は?」
「そんなものはねえよ」
「じゃあ、勝手に入り込んでいたと思われても仕方がないな」
「バカなことをいうなよ」
男は、手を振るようにしていった。
花井は、太い腕を伸ばして、いきなり、男の内ポケットから、財布を取りあげた。大きな身体からは、想像できないような素早さだった。
花井は、その財布の中に、十五、六枚の一万円札が入っているのを見つけて、
「川田組の連中が留守なのを幸い、ここに入り込んで、盗みやがったな。窃盗容疑で、来て貰うぞ」
「よせやい。それは、全部、おれの金だ」
男が、気色《けしき》ばんでいう。唾《つば》が飛んだ。
「それを、証明できるのか?」
「とにかく、おれの金だ。返してくれよ」
「証明できなきゃあ、来て貰うより仕方がないな。おい。こいつを連行するぞ。窃盗容疑だ」
花井は、近くにいた部下にいった。
若い刑事が、有無をいわせず、男の両手に手錠をかけた。
「あとで、後悔するぞ! こんなことしやがって」
男が、歯をむき出すようにして、花井に毒づいたが、花井は、小さく、肩をすくめただけだった。
「自分の金だと証明したかったら、幹部たちが、今、どこにいるか喋《しやべ》るんだ。そしたら、おれが、会って、聞いて来てやる」
新宿西口に聳《そび》える三十六階建のホテルの最上階には、一泊二十四万円という特別室がある。
寝室の他に、居間と、キッチン、それに、客用の部屋まである豪華なものだった。
週刊誌などが、写真を撮《と》りに来ることはあるが、不況の折から、めったに、宿泊客はない。
ホテルとしても、改造を考え始めているとの噂《うわさ》だったが、昨日から、三日間、予約した客があった。
名前は、佐伯雄一郎、職業は、弁護士と、宿泊カードに書き込んである。
その居間のレースのカーテンの隙間《すきま》から、佐伯は、双眼鏡で、下を見ていた。
ホテルの斜め前に、川田組の事務所がある。
「そろそろ、四課の連中が引き揚げるようだ」
佐伯は、傍《そば》にいる川田組幹部の立花にいい、双眼鏡を渡した。
部屋には、他に、同じ、川田組幹部の平野がいた。
ボスの川田は、学歴のないのを、むしろ、自慢にしていたし、組員の中にも、ひたすら突っ走るだけの男が多かったが、佐伯は、幹部には、インテリを採用しろと、川田に進言した。
いざとなったとき、インテリの方が強いというのが、佐伯の持論だったからである。
「組員が、警察に捕まったときのことを思い出してみろよ」
と、佐伯は、川田にいった。
「腕力しかない奴は、ころりと、自供してしまう。刑事に、母親のことや、子供のことをいわれると、とたんに、涙を流して、改心してしまう。浪花節《なにわぶし》だし、それを、いいことだと思い込んでいるが、それじゃあ、駄目だ。共産党員が、戦時中の猛烈な弾圧の中で、意志を曲げなかったのは、彼等がインテリで、批判力を持っていたからだ。刑事が、どんな手を使って来ても、それを、批判する力があったからだ」
その言葉が効いたかどうかわからないが、川田組には、インテリの幹部が生れた。
今、この部屋にいる立花も、平野も、優秀な成績で、大学を出ていた。
立花には、学生運動の経験もある。
「鈴木が、連行されて行くぞ」
と、立花は、双眼鏡をのぞきながら、佐伯にいった。
「そこまでは、考えなかったな」
佐伯は、苦笑した。
多分、警察は、捜査四課を使って、先制攻撃をかけてくるだろうと、佐伯は読んだのだが、警察が、留守番においておいたチンピラを、連行するとは思っていなかった。
「出し抜かれた口惜《くや》しさで、やったんだろうね」
立花は、ソファに戻って、いった。
「あいつに、何も話しておかなくてよかったよ」
佐伯は、笑いながらいった。
彼等は、昨日から、この特別室に入っていた。ここを、司令室にして、三浦功の口封じの方法を考えていたのである。
川田組は、組員五十名といわれるが、実際に信用できる人間は、十五、六名しかいない。
組長の川田が逮捕されただけで、うろうろしだす組員もいるのだ。
特に、川田を釈放させるために、三浦の口を封じなければならないようなケースになると、よほど、信頼できる人間しか、使えなかった。
佐伯は、人数を十五人にしぼって、この特別室に集めた。それが、昨日の夕方、三浦功が、警察の保護下に入ったと聞いたあとである。
札幌地裁が、川田の勾留《こうりゆう》延長を却下したことも、明日中に、三浦が、札幌地裁に来て証言すれば、勾留延長が認められる可能性もあることも、佐伯は、知っていた。
勾留延長を認めさせないためにも、川田を無罪とするためにも、三浦を、札幌に行かせてはならないし、出来れば、消さなければならないのである。
組員の中には、決死隊を作って、警視庁にもぐり込み、留置場に、ダイナマイトを投げ込んで、三浦を殺してしまおうといい出す乱暴な男もいた。
もちろん、佐伯は、反対した。
「そんなことをして、たとえ成功しても、今度は、川田組自身が、警察に潰《つぶ》されてしまうぞ」
と、佐伯は、いった。
川田組の犯行だとわかっては、駄目なのだ。証拠を残さずに、三浦の口を封じなければならない。
航空各社が、ストに入ったことは、佐伯にとって、歓迎すべきことだった。
それだけ、警察が、三浦を札幌へ護送する方法が、限定されてくるからである。
佐伯は、幹部の立花と、平野の二人と、警察が、どんなルートで、三浦を護送するかを検討した。
その結果、浮かんで来たのが、四つのルートだった。
@列車と青函連絡船を使って、札幌まで護送する。
A民間機をチャーターして、千歳空港へ運ぶ。
B自衛隊の航空機に護送を頼む。
Cストをしていない外国の航空会社を利用する。
明日の二十四時までに、札幌へ移送するとなれば、これ以外のルートは考えられなかった。
「Bの航空自衛隊の線はないとみていいだろう」
と、佐伯は、いった。
「なぜ、ないといえるんだ?」
立花が、きいた。
「私は、警察のこともよく知っているが、彼等は面子《メンツ》に拘《こだ》わるんだ。たった一人の証人を、札幌まで運ぶのに、航空自衛隊に助けは頼まないだろうと思うね。あくまでも、自分たちで、護送しようとする筈《はず》だよ。私は、むしろ、外国の飛行機を利用する方が、可能性があると思っている。今、東京と、札幌から、グアムに、外国の飛行機が飛んでいる。まず、成田からグアムに飛び、今度は、逆に、グアムから札幌へ飛ぶ。この方法をとれば、東京から札幌へ行ける。往復で、八時間あれば十分だろう。明日の夜中までかかれば、ゆっくり、成田→グアム→札幌と行けるんだ」
「しかし、佐伯さん。三浦は、パスポートを持ってないよ。彼は、保釈中で、パスポートは貰《もら》えないんだ」
平野が、肩をすくめるようにしていった。
「そのくらいは、わかっている。だが、緊急の事態ということで、パスポートを臨時に出すかも知れない。日本赤軍が、旅客機をハイジャックして、服役中の囚人を出国させろといったとき、政府は、臨時の措置をとって、出国させたからね。グアムに着いても、トランジットルームで、札幌行を待てば、出国しないですむ」
「しかし、三浦ひとりのために、そこまでやるかな?」
平野が、いうと、学生運動で、逮捕されたこともある立花は、口をゆがめて、
「官憲というやつは、どんなことでもすると思った方がいい」
「私も、そう思う。可能性は少ないと思っても、備えはしておいた方がいい。成田空港に、組員を三人、貼《は》りつけておこう」
と、佐伯は、結論した。
「次は、飛行機のチャーターか。おれは、これが、一番可能性があると思うね」
と、いったのは、平野だった。
小柄な平野は、低い声で喋る。だが、不思議に、説得力があった。
「君なら、そうするかね?」
佐伯がきいた。
「ああ、そうする。警察だって、おれたちが三浦を消そうとしていることは、感付いている筈だよ。東京から、札幌まで、三浦を守って行かなければならない。その時間は、短いほどいいと思うのが当然だと思う。佐伯さんは、東北新幹線などを使えば、列車と青函連絡船で、その日の内に札幌に着けるといったが、十六時間近くも、危険にさらされるのは、警察だって嫌だろう。だから、民間機をチャーターして、運ぶと思うね。東京から、北海道まで、いっきに飛べないかも知れないが、飛び石で、行ける筈だ」
平野は、確信を持っていった。
佐伯は、「そうだな」と、肯《うなず》いた。
「私は、君のように、これだとは思わないが、可能性は強い。調布の飛行場にも、三人やっておこう。そして、こちらも、飛行機を一機チャーターしておく。速度の速いやつがいいね」
「その飛行機を、どうするんだ?」
「われわれは、なるべく、東京の近くで、三浦を消さなければならない。札幌に近づけば近づくほど、チャンスは少なくなるからだ。焦《あせ》りも出てくる。飛行機があれば、最初のチャンスを逃した時、先廻りして、次のチャンスを待つことが出来るからだよ」
「あんたは、用心深いな」
平野が、小さく笑った。
「佐伯さんは、どれが、本命だと思っているんだ?」
立花が、きいた。
「私は、列車と連絡船を使うルートが、本命だと思っている」
佐伯は、眼鏡の奥の眼を光らせていった。
「理由は、何だい? 十五時間以上も、危険にさらされるルートを、警察が、選ぶかな?」
平野は、疑わしげにいった。
佐伯は、笑って、
「私だったら、君と同じで、飛行機をチャーターするだろうね」
「じゃあ、警察も、そうするんじゃないのか?」
「相手は警察だが、警察という抽象的なものが相手じゃない。警察の人間が相手なんだ。私は、それを考えた。普通なら、北海道の道警から、刑事が、三浦を受け取りに上京して来るんだろうが、航空ストで、間に合わない。となると、警視庁の捜査一課で、護送に当る筈だ」
「つまり、具体的にいえば、捜査一課の刑事が、相手ということだな?」
「そうだ。捜査一課の課長は、本多という男だ。それから、実際は、三浦を護送するのは、十津川という警部だと思っている。彼が、捜査一課の中で、一番優秀だといわれているし、今度のような難しいケースでは、彼が、担当すると思うからだよ」
「十津川というのは、どういう男なんだ?」
と、平野が、きいた。
「これが、十津川警部と、本多捜査一課長の顔だ」
佐伯は、手に入れた二人の顔写真を、テーブルの上に置いた。
平野と、立花は、二枚の写真を、かわるがわる見ていたが、
「二人とも、平凡な顔をしているな」
と、立花がいった。
「そうだ。顔と同じように、平凡な男たちだよ」
佐伯がいう。
「だが、捜査一課の中では、優秀な警部なんだろう?」
「平凡だから、優秀だともいえる。十津川は自分が、飛び抜けた才能の持主でないという自覚がある。それが、ただの平凡な男と違うところだよ。自分の才能を頼んで、冒険をしたりしないのだ。捜査も、オーソドックスにくる。だから、恐らく一番正攻法である列車を使うのではないかと思うのだ」
「十五時間以上もかかるルートをか?」
「そうだ」
「そういう男なのか?」
「民間機をチャーターして飛ぶというのは、時間がかからなくていいと、誰《だれ》でも思う。十津川が、ひとりで札幌へ行くのなら、そのルートを選ぶだろう。だが、大事な証人を連れて行くとなると、彼は、時間はかかっても、もっとも、守り易い方法をとる気がするんだよ。飛行機の場合は、爆薬を仕掛けられたら、それで終りだ。エンジンが不調でも、飛べなくなる。その点、列車なら、守りやすいと考える。少なくとも、十津川は、そう考える筈だよ」
「じゃあ、なぜ、調布飛行場や、成田にも、監視をおくんだ?」
「本多捜査一課長もいるからだよ。この男は、小太りで、一見、冴《さ》えない男だが、時々、びっくりするようなことをする。彼の意見が主になれば、飛行機に乗せようとするだろうね。だからだよ」
これが、昨夜、佐伯たちが、考えたことだった。
その結論に基づいて、十五人の組員のうち、三人を成田空港、三人を調布飛行場、あとの九人を、上野駅、大宮駅、そして、警視庁の監視に配置した。
佐伯、立花、それに平野の三人は、ホテルの特別室で、指揮に当るわけだが、いざとなれば、自分たちの手でとも考えていた。
「おれには、どうもわからないことがあるんだが」
平野が、煙草《たばこ》に火をつけながら、佐伯を見た。
「何だ?」
佐伯が、平野を見た。
「あんたのことさ」
「私のどこがわからないんだ?」
「おれは、インテリヤクザみたいなものだし、立花だって、同じだと思ってる。川田組にいるのも、命知らずの連中を、動かすのが面白いし、金になるからさ。だが、あんたは、ちゃんとした弁護士だ。川田のために働くのは、金が目的だろうが、三浦を殺してまで、川田のために働こうというのは、なぜなんだ? そこまで、川田につくすことはないんじゃないか?」
「どう答えたらいいのかな」
と、佐伯は、小さく笑ってから、すぐ、笑いを消した顔になって、
「私は、川田組を土台にして、一つの大きな組織を作りたいんだ。自分に才能があれば、出来ると、自負している。だが、残念なことに、私には、腕力がない。実行力といってもいい。それが、川田という男には、あるんだ。君たちだって、わかっているだろうが、あの男は、不思議な力を持っている。アメリカや、フィリッピンの暗黒街にも、平気でもぐり込んで行って、取引きをしてくる。私には、とうてい出来ないことだよ。だから、私の野心を達成するには、どうしても、川田という男が必要なんだ。だから、彼を助け出したいのさ」
「なるほどな」と、立花が、皮肉な眼つきで、佐伯を見た。
「自分のために、川田を助けたいというわけか」
「君たちは、違うのか?」
佐伯が、逆に、きいた。
立花は、黙っていたが、平野は、煙草を灰皿でもみ消してから、
「おれは、警察のハナを明かしてやるのが面白いからだ」
と、いったとき、部屋の電話が鳴った。
佐伯が、腕時計を見てから、受話器を取った。
「佐伯だ」
「井上です。上野駅にいます。今、三浦らしい男を連れた三人連れが、大宮行のリレー号を待っています」
「三浦に間違いないか?」
「帽子を深くかぶって、サングラスをかけているので、はっきりしませんが、身体つきは似てますよ。両側の男は、どう見ても、刑事だ」
「よし。一緒に、リレー号に乗って、大宮駅へ行け。なるたけ近づいて、本物の三浦かどうか確認するんだ。間違いないとわかるまで、手は出すな」
佐伯は、それだけ指示して、受話器を置くと、立花と平野に向って、
「いよいよ、始まったぞ」
と、いった。
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第三章 東北新幹線
佐伯は、テーブルの上に広げた地図を見つめていた。
東日本から、北海道へかけての地図である。東京と、札幌のところに、朱で、大きな丸が、描かれている。
「何か心配なのか?」
立花が、自分の吸っている煙草の煙に、自分で、顔をしかめながら、佐伯にきいた。
「なぜ?」
佐伯は、地図に眼をやったまま、きき返した。
「急に、黙り込んでしまったからさ。井上から連絡が入って、三浦と思われる男を連れた二人の刑事が、上野駅から、大宮行のリレー号を待っているといって来たんだろう。多分、大宮を午前七時丁度に出る『やまびこ11号』に、乗るつもりだろう。あんたは、十津川という男は、正攻法でくるから、きっと、鉄道を利用するといった。鉄道を利用するとなれば、東北新幹線に乗るしかない。あんたの予想どおりに、相手は、国鉄と、連絡船を使って、三浦を札幌へ届ける気だ。予想が当ったのに、なぜ、喜ばないんだ?」
「予想が適中したから、かえって、当惑してるんだ」
佐伯は、地図から顔をあげて、立花を見た。
「何のことか、よくわからないな」
と、平野が、いった。
「十津川という男は、正攻法で来るという考えは、変らんさ。だが、あの男は、ただ、やみくもに、突き進むことはしない。用意周到でもあるんだ。今度のことでいえば、あらゆるルートを考えた末に、鉄道に決めたというのなら、私も、予想どおりだと安心するんだが、いきなり、大宮行のリレー号に乗ったというのでは、安心できない」
「あんたも、意外に心配性なんだな」
平野が、笑った。
が、佐伯は、眉《まゆ》を寄せたまま、
「そうだ。私は、心配性だよ」
佐伯は、地図を見ながら、その向うに、十津川の顔を見ていた。
佐伯は、弁護士として、何回か、十津川に会っている。
最初、捜査一課に優秀な刑事がいると聞いた時は、冷たい秀才タイプか、そうでなければ、奇矯《ききよう》な行動に出る名探偵タイプのどちらかだろうと想像したのだが、実際に会ってみると、どちらとも、違っていた。
実際の十津川は、至極、平凡で、どこが優秀なのかわからなかった。
(噂《うわさ》は、当てにならないな)
と、思ったくらいだが、そのうちに、十津川が、わかってきた。
この男は、誠実なのだ。そう思うようになった。
事件があったとき、どんな小さな可能性でも、見過ごさずに、誠実に、調べていく。変な妥協をしない。自分に対しても、周囲に対してもである。
弁護士として、犯人側の利益のために働く人間としては、もっとも苦手な、手強《てごわ》い相手というのは、自分の仕事に誠実な人間である。
追われる犯人としても、一番、怖い刑事だろうと、佐伯は、思う。手抜きをせずに、ひたひたと、迫ってくるからだ。
ただ、今度の件では、立場が、逆になっている。いつも、追う側の十津川が、今度は、守り、逃げる側に廻っているのだ。そして、いつも、守る側の佐伯が、攻撃する立場にある。
(彼も、慣れないケースで、やりにくいだろう)
と、思い、そこが、こちらの付け目だとも、佐伯は、考えていた。
十津川という男の性格を考えれば、守る立場になっても、変に、奇策を弄《ろう》するとは思われない。いつもと同じように、誠実に、職務を遂行しようとするだろう。
だから、十津川は、正攻法で、鉄道を利用して、三浦を護送するに違いないと睨《にら》んだのだが、しかし、だからといって、十津川は、それだけを考える単純な人間ではないと思っている。
十津川は、あらゆるルートを考える筈《はず》だ。
だから、あらゆるルートを考えた末、東北新幹線に、三浦を乗せたという形になって来ないと、佐伯は、安心できないのである。
電話が鳴った。
今度は、平野が、受話器を取った。
調布飛行場に行っている寺田五郎からだった。
「ここは、吹きっさらしで、寒くてかなわねえや」
と、寺田は、電話の向うで、鼻をくすくすさせた。
「飛行機の手当ては、すませたのか?」
平野は、叱《しか》りつけるように、厳しい声でいった。
「ああ。今日一日、借りる手続きをしてきたよ。一時間二十万円だなんて、高いことをいいやがった。それに、燃料代とか、操縦士の手当てもいるんだ」
「いくらかかっても構わんよ。だから、お前さんに、金を渡しておいたんだ。それで、おさえた飛行機の最高時速は、何キロだ?」
「飛行機だから、早いよ」
「いいか。その飛行機で、東北新幹線を追っかけることになるかも知れないんだ。新幹線のスピードは、二百キロ近い。だから、二百キロそこそこの飛行機じゃ困るんだよ」
「そういうことか。ちょっと待ってくれ。借りたのは、双発のセスナ四〇一という飛行機だよ。性能も聞いてきた。ええと、最高速度が、四二〇キロで、八人乗りだよ」
「それならいい。いつでも飛び立てるようにしておくんだ。それで、警察が、そこの飛行機をチャーターした形跡はないのか?」
「この飛行場で営業している会社に、全部、当ってみたが、警察は、飛行機をチャーターしてないよ」
「警察が、チャーターしたかどうか、きいたのか?」
「そうだ」
「呆《あき》れたバカだな」と、平野が、いった。
「警察は、おれたちが、三浦を狙ってるのを知ってるんだ。そんな時に、警察の名前を出して、チャーターするものか。多分、個人名で、チャーターしてる筈だ。もう一度、調べてみろ」
平野は、いったん、電話を切った。
寺田から、もう一度、電話があったのは、十二、三分してからだった。
「今日、ここの飛行機をチャーターしてるやつは、二人いるよ。加藤清吾という男と、前川努という男だ。どっちが、警察かわからないな。どっちも、電話で、チャーターしたらしいから」
「チャーターした時間は?」
「どっちも、今日一日で、操縦士付きで、チャーターしてる」
「飛行機の機種は?」
「ええと、加藤の方は、富士FA二〇〇という飛行機だ。日本製の飛行機だよ。前川の方は、アメリカ製のエアロコマンダーという飛行機だ」
「その飛行機の性能は?」
「ああ、調べて来たよ。富士FA二〇〇の方は、最高速度は、二三四キロだ。単発の飛行機だよ。エアロコマンダーの方は、三四六キロで、こっちは、双発だ」
「わかった。それなら、前川という名前の方が、警察だ」
平野が、電話を切った。
「どうやら、警察も、調布で、双発の飛行機をチャーターしたらしい」
と、いうと、佐伯は、ほっとした顔で、
「そうか」
と、肯いた。
「なぜ、安心するんだ? これで、警察が、新幹線を使うか、飛行機で行くか、わからなくなったじゃないか」
平野が、不思議そうに、きいた。
佐伯は、ゆっくりと、パイプに火をつけてから、
「十津川という男は、あらゆる可能性に、手を打っておく奴だからだよ。船で行っても間に合うんなら、彼は、船もチャーターしておくだろう。万全の手を打っておいてから、その中から、最上と思う方法をとる。それが、十津川のやり方だ。飛行機もチャーターせず、やみくもに、鉄道だけを利用して来たら、私は、むしろ、疑心暗鬼に捉《とら》われてしまったろうと思う。ひょっとすると、もう、三浦は、札幌に運ばれてしまったんじゃないかと考えてしまったりしてね。これで、十津川らしいとわかって、ほっとしたんだ」
「なるほどね」
平野は、肯いた。
「あなたは、面白い人だ」
と、いったのは、立花だった。
佐伯は、パイプを掌《て》にして、立花を見た。
「なぜだね?」
「十津川という警部との知恵比べを楽しんでいるように見えるからさ。人間を一人、殺そうという時にね」
「そうか。楽しんでいるように見えるか?」
「ああ、見えるよ」
立花が、ちょっと皮肉な眼つきでいうと、佐伯は、
「そうかも知れないな。私は、自分では気がつかなかったが、楽しんでいるのかも知れない」
佐伯は、腕時計を見た。
立花は、自分も、腕時計に眼をやって、
「まだ、七時にはならない。始発の下り『やまびこ』が、大宮を出るのは、あと、三十分してからだ」
「それは、わかっている」
「じゃあ。他のことで、時間を気にしているのか?」
「あるところから、電話が、かかって来ることになっているんだよ。時間は、決めてないんだが、なるたけ早く、かかって来て、欲しくてね」
「何かの情報かい?」
「そういうものだ」
とだけ、佐伯は、いった。
立花も、平野も、それ以上は、きかなかった。
しかし、佐伯の期待している電話は、なかなか、かかって来なかった。
佐伯は、また、テーブルの上に広げた日本の地図に眼をやった。
平野は、自分のアタッシェケースをテーブルの上にあげて、ふたを開けた。
モーゼル自動|拳銃《けんじゆう》が、鈍い光を見せて、おさまっている。弾丸が二十発入ったカートリッジと、ホルスター兼用のストックが、一緒である。
モーゼル自動拳銃は、特異なスタイルの大型拳銃である。一八九五年に、ドイツのモーゼル社で開発されたのだが、大き過ぎるのと、普通の拳銃を射《う》つ時のように握ると、撃鉄《ハンマー》が、大きくキックするので、指を怪我《けが》してしまうなどあったため、ドイツでは、制式拳銃とはならなかった。
だが、平野は、この拳銃が好きだった。
何よりも気に入っているのは、彼の持っているモーゼルが、M1932と呼ばれるフルオートマチックであることだった。この銃は、そのため、七・六三ミリの弾丸を、一分間に、八五〇発、発射することが、可能なのだ。
平野は、このモーゼルM1932を、アメリカ人から、五年前に手に入れた。アメリカは拳銃を自由に買える国だが、それでも、フルオートは、禁止されているので、平野に、売ってくれたのである。
拳銃に、木製のストックを取りつける。銃身の長さ一三九ミリのM1932が、六四七ミリの長さになる。小銃ほどの安定感はないが、ストックを肩に当てて構えると、普通の拳銃にはない安定感がある。
サイレンサーを、先端に取りつけ、二十連発のカートリッジを装填《そうてん》する。
平野は、射撃には、自信があった。クレー射撃に、三年間ほど通って、練習したことがあるからである。
五、六十メートルの距離なら、一発で、相手の心臓に命中させる自信があった。
三浦が見つかったら、自分が、射殺してもいいと、平野は、思っていた。
電話が鳴った。
立花が、出た。
「井上です。今、大宮に着きました」
と、相手がいった。
立花は、反射的に、時計を見た。午前六時四十分を、回ったところだった。
一番早い下りの「やまびこ11号」が出るまで、あと二十分である。
「どうだ? 相手は、三浦だったか?」
「それが、まだ、わからないんですよ。サングラスをかけて、リレー号の車内では、じっと、俯《うつむ》いていましたからね。両側に、刑事が付き添っているんで、うかつに、近寄れませんよ」
「何とかして、確認するんだ。それで、彼等は、今、どうしている?」
「新幹線のホームにあがって行きました。『やまびこ11号』が出るまで、あと二十分近くあります。どうしますか? 一緒に、乗って行きますか」
「どうするね? 佐伯さん」
と、立花は、佐伯に、声をかけた。
「大宮まで行っても、まだ、本物の三浦かどうか確認できないのか?」
「そういってる」
「仕方がない。一緒に、『やまびこ11号』に乗るようにいってくれ。向うは、盛岡まで行く筈だから、その間に、どんなことをしてでも、三浦かどうか確かめろと、はっぱをかけてくれないか」
佐伯は、いったん、そういったが、急に、気をかえて、
「私が、いおう」
と、立花から、受話器を取った。
「三浦らしい男と一緒にいる刑事だがね。いくつぐらいの男たちだ?」
電話の向うにいる井上にきいた。
「一人は中年で、四十歳くらい、もう一人は二十七、八の若い男ですよ」
「その中年の方だが、どんな顔をしている?」
「そうですねえ。サングラスをかけているから、よくわかりませんが、陽焼けした顔で、至極、平凡な顔立ちですよ。今、煙草を吸っています。あまり特徴がないんで、うまく説明できませんよ」
井上は、当惑した調子でいった。
十津川だろうか?
彼の顔は、きわだって精悍《せいかん》でも、美男子でもない。むしろ、平凡な方だろう。
もし、それが、十津川だとわかれば、多分、一緒にいる男は、三浦だろう。
(おれが、大宮へ行っていれば――)
と、佐伯は、心の中で、舌打ちした。
どんなに離れていても、ひと眼で、十津川か、どうかわかるのだ。
「君は、三浦の顔をよく知ってるな?」
「もちろん、知ってますよ」
「じゃあ、彼等が、『やまびこ』に乗るまでに、三浦かどうか確認しろ。近づいても構わん。どうせ、警察は、われわれが、襲うことを承知しているんだし、顔を見ただけで、逮捕されることもないだろうからな」
佐伯は、強い声でいって、電話を切った。
平野は、組み立てたモーゼル自動拳銃の銃口を、窓の方に向けて、ガラスにとまっている蠅《はえ》に、狙《ねら》いをつけながら、
「なあ、佐伯さん」
「なんだ」
「今日中に、三浦が、札幌の地裁に到着しなければ、うちのボスの勾留延長は、認められなくなるんだろう?」
「そうだ」
「それなら、警察が、どのルートで、三浦を札幌へ連れて行くかで悩む必要はないと思うよ」
「なぜだ?」
「東北新幹線の下り始発、午前七時大宮発の『やまびこ11号』に、ダイナマイトを仕掛けてやるのさ。どこで、爆発してもいい。東北新幹線は、少なくとも、五、六時間は、マヒするから、鉄道で運んでは、今日中に、札幌に着けなくなる。そうなれば、警察としては、民間機をチャーターして、それに、三浦を乗せて、連れて行かざるを得なくなるじゃないか。狙いを、一本にしぼれるよ」
「それは、駄目だ」
佐伯は、あっさりと、否定した。
「なぜ、駄目なんだ?」
「事故があって、東北新幹線が、とまってしまえば、確かに、鉄道で、三浦を運ぶのは無理だ。何しろ、三十五分の余裕しかないんだからね。しかし、そうなったら、警察は、すぐ、札幌地裁に、不可抗力で、今日中に、三浦を連れて行けなくなったことを、連絡する。それも、ただの事故でなく、川田組が、ダイナマイトを仕掛けたらしいとなったら、裁判所の心証を悪くして、勾留延長が認められてしまうかも知れないんだ。その方が怖いんだよ」
「なるほどね。列車を爆破するときは、三浦も一緒に殺さなければ駄目か」
「その通りだ。しかし、三浦を殺すために、何人もの乗客を巻き添えにしたら、たとえ、川田が釈放されても、川田組に対する警察の追及が厳しくなることは、覚悟しておいた方がいいな」
「やっぱり、この銃で、三浦だけを殺《や》るより仕方がないか」
平野は、照尺がとらえた蠅に向って、「だあーん」と、声を出した。
その気配に驚いたのか、窓ガラスにへばりついていた蠅が、飛び立った。
午前六時五十分。
大宮駅にいる井上から、また、電話が入った。
「どうしても、三浦かどうかわかりませんよ。近づいて、よく見ようと思ったら、奴は、上衣を、頭から、すっぽりかぶっちまいやがった。これじゃあ、顔は見えませんよ」
井上の声は、悲鳴に近かった。
佐伯は、判断に迷った。三浦じゃないことをかくすために、上衣を頭からかぶったのか、それとも、三浦本人だから、そうしたのか、わからなかったからである。
「よし。仕方がない。君たちも、午前七時発の『やまびこ11号』に乗って、盛岡まで行け。9号車に、公衆電話がついているから、車内で、何かあったら、すぐ、こちらへ連絡してくるんだ」
佐伯が、電話を切ったとたんに、ベルが鳴った。
また、佐伯が、受話器を取った。
「福島だ」
と、男がいった。
警視庁の周辺を監視させていた三人の中の一人だった。この三人は、電話つきの車に乗っていた。
エンジンの音が聞こえてくるところをみると、車を走らせながら、かけているのだろう。車は、ベンツの500SEL。ボスの川田が乗っている車で、二百キロ以上のスピードが、楽に出る。
「今、どうしてるんだ?」
「首都高速を、上野に向っている。警察の覆面パトカーを追いかけてるんだ。リアシートに、三人の男が座っているが、中央の男が、三浦みたいに見える」
福島の緊張した声が聞こえてくる。
「またか」
「またかって、どういう意味だ? 弁護士さん」
「今、三浦と思われる男が、二人の刑事に付きそわれて、大宮から、『やまびこ11号』に乗るところだからさ」
「そっちは、ニセモノで、おれが、今、追いかけてるのが、本物の三浦かも知れないぞ。午前八時大宮発の『やまびこ13号』でも、間に合うんだろう?」
「そうだ。八時発なら間に合う」
「じゃあ、こっちが、本物だと思うね。先に、ニセモノをやっておいて、おれたちの注意を引きつけてから、本物を、運ぶ気じゃないのか。おれなら、そうするね」
「車間距離をつめて、何とか、ニセモノかどうか、はっきりさせられないか?」
「そうだな。間もなく、広小路で、高速を出るから、どこかの交叉《こうさ》点で、横に並んで、調べてみる」
「そうしてくれ」
「今、広小路から、一般道路へ出た。畜生!」
急に、福島が叫んだ。
「どうしたんだ?」
「まん中の男が、上衣を、頭から、かぶっちまいやがった。これじゃあ、横に並んでも、三浦だか確かめようがないぜ」
「そっちもか」
と、佐伯は、苦笑して、
「三人連れなんだな?」
「そうだ。両側にいるのは、間違いなく、刑事だよ」
「その三人は、上野から、七時一七分発のリレー号に乗る筈だ。大宮着七時四三分で、大宮午前八時発の『やまびこ13号』に間に合うからだ」
「おれたちは、どうしたらいい?」
「君と佐川は、彼等のあとをつけて、リレー号で、大宮へ行ってくれ。原田には、その車を、すぐ、こちらに廻すようにいってくれ。私たちも、そろそろ、動かなければならなくなったからね」
「わかった」
「これからの連絡も、絶やさないようにしてくれ」
佐伯は、受話器を置くと、平野と、立花に向って、
「三浦が、二人になったよ」
「どっちが、本物なんだ?」
立花が、きいた。
佐伯は、腕時計に眼をやってから、
「わからないな。とにかく、AとB、二つの標的が出来たことだけは間違いない。Aは、今、『やまびこ11号』に乗ったところだ。Bの方は、間もなく、上野駅から、リレー号に乗って、大宮に向うだろう」
「標的Cも、そのうちに、現われるぜ」
平野が、モーゼル自動拳銃の銃身を、ハンカチで、そっと、拭《ふ》きながら、いった。
「そうだな。警察は、調布飛行場の飛行機を一機チャーターしているから、あそこにも、三人連れが、現われるかも知れないな」
その調布飛行場に行っている寺田五郎から、連絡が入ったのは、七時三十二分だった。
平野が、電話に出た。
「今、車が一台来て、S航空の建物の中へ入って行ったよ。例のエアロコマンダーという双発機を持ってる会社だ」
寺田が、緊張した声でいった。
「どんな連中か、調べて来い」
「中尾が、見に行ってるよ。ああ、今、奴が戻って来たから、代るよ」
と、寺田がいい、まだ、二十歳になったばかりの中尾の声に代った。
「男が三人です。二人は、どう見ても、刑事ですよ」
「もう一人は?」
「それが、上衣を、すっぽり頭からかぶっちまってるんで、顔がわからないんだ。でも、向うの機長と話をしてたから、この三人が、乗るんだと思いますよ」
「やはり、標的Cか」
「何です?」
「いいから、寺田に代ってくれ」
「寺田だ。おれたちは、どうしたらいい?」
「向うの飛行計画が、わからないか? 飛ぶときには、あらかじめ、それを運輸省に提出することになっているからな」
「それなら、大丈夫だ。さっき、S航空の人間に、金をつかませて、聞いておいた」
寺田は、得意そうにいった。
「どんな飛行計画だ?」
「午前八時三十分に、調布飛行場を出発して、仙台へ向う。そのあと、青森へ飛び、次に、函館経由で、千歳となっていたよ」
「仙台―青森―函館―千歳か」
と、平野は、メモ用紙に、書き込んでいった。
「おれたちは、どうしたらいいんだ? 向うの飛行機を、ぶっこわすか?」
「馬鹿なことをするな。本物の三浦が乗るかどうか、わからないんだからな。お前さんたちも、仙台へ飛んでくれ。彼等のすぐあとをつけてだ」
平野は、受話器を置くと、佐伯に向って、
「やっぱり、標的Cが、調布飛行場に現われたよ。同じように、三浦らしき男は、上衣を頭から、すっぽり、かぶっているそうだ」
「なるほどね。これで、ますます、十津川警部らしくなって来たよ」
「標的Dも、現われるんじゃないか」
「D?」
「ああ。成田空港から、いったん、グアムへ出て、グアムから、千歳へ戻ってくるルートだよ。あんたは、その可能性もあると考えたからこそ、うちの連中を、三人、成田へ張り込ませたんだろう?」
「その通りだ。ただ、そのルートを使うと、昼過ぎに、成田を出発しても、十分、間に合うからね。今、すぐには、動き出さないだろう。標的Dが現われるとしても、昼過ぎだと思うね」
「そういえば、成田へ行っている連中からは、連絡が来ないな」
と、平野が、いった。
七時五十分を過ぎて、ベンツ500SELを運転して、原田が、戻って来た。
ホテルの駐車場に、車を入れてから、最上階のこの部屋に来て、佐伯に、
「満タンにしてありますから、いつでも、出発できますよ」
と、いった。
三十歳を過ぎた原田は、小柄で、一見、実直なサラリーマンの感じで、暴力団の組員には見えない。しかし、タクシーの運転手をやっていたことがあるだけに、運転の腕は、確かだった。
「われわれも、そろそろ、動いた方がいいんじゃないか?」
立花が、佐伯にいった。
「おれも、賛成だな」
と、平野が、いった。
「敵は、もう動き出しているんだ」
しかし、佐伯は、首を振った。
「もう少し、待ってくれ。それに、調布飛行場にいる寺田に電話して、こちらの指示があるまで、飛ばないようにしておいてくれ」
佐伯にいわれて、平野は、寺田に電話をかけた。
立花は、それを、横眼で見ながら、佐伯に、
「いつまで、待つんだ?」
「あと三十分、ここで待つことにする」
「八時半までか。あんたは、何を待ってるんだ?」
「電話だ」
「さっきいっていた電話かい? しかし、そんな都合のいい電話が、本当にかかってくると、思っているのか?」
「いろいろな方面に、手を打っておいたからね。いい情報が、入ってくるのを期待しているんだよ」
と、佐伯は、いった。
佐伯は、政財界の人間とも、つき合いがある。彼等が、何か事件を起こして困っているとき、佐伯は、相談にのってやった。金を取らずにである。もちろん、何かの時に、こちらのために、働いて貰《もら》うためだった。
電話が鳴った。
佐伯は、期待して、受話器を取ったが、相手は、組員の井上だった。
「今、『やまびこ11号』の中です」
と、井上は、いった。
なるほど、列車の音が聞こえてくる。
「今、どの辺を走っている?」
「七時三一分に宇都宮を出て、今は、新白河あたりです」
「問題の三人は?」
「5号車に乗っています」
「三浦かどうか、確認できないか?」
「駄目ですね。相変らず、上衣を頭から、かぶっていますから」
「仕方がない。また、連絡してくれ」
と、佐伯は、いった。
続いて、福島から、電話が入った。
「これから、『やまびこ13号』に乗る。向うさんも、乗ったんでね」
「向うは、上衣を頭からかぶったままかい?」
「ああ。参ったよ」
と、福島が、溜息《ためいき》をついた。
八時三十分。
調布飛行場では、三浦かも知れぬ男と、刑事二人が、双発のエアロコマンダー機に乗って、離陸し、仙台空港に向った。
標的Aの乗った「やまびこ11号」は、福島駅を出発した。
標的Bと、福島たちが乗っている「やまびこ13号」は、宇都宮駅に着き、すぐ、出発した。
「まだ、ここで、電話を待つつもりか?」
立花が、いらだちを見せて、佐伯を見た。
平野は、モーゼル自動拳銃を、拳銃部分とストックに分け、アタッシェケースにおさめてから、
「おれは、もう出かけるよ」
と、佐伯にいったとき、電話が、また、鳴った。
平野が、受話器を取った。が、すぐ、佐伯に、
「あんたにだ。矢野だといっているよ」
「矢野さんからか」
と、佐伯は、眼を輝かせた。
「あんたの待っていた電話かい?」
「そうだ」
肯《うなず》いてから、佐伯は、平野から、受話器を受け取った。
「佐伯です」
「私だ」
と、男の声がいった。
「今、どこにいらっしゃるんですか?」
「警視庁だ」
「大丈夫ですか? そこから、電話して」
「大丈夫だよ。誰《だれ》も近くにはおらんからね。それで、君が知りたがっていたことだが、今、三上刑事部長に会って来た」
「何か情報が取れましたか?」
佐伯がきくと、矢野は、クスッと笑って、
「あの部長は、私を、やたらに信用していてね。安心して、喋《しやべ》ってくれたよ」
「それで、三浦は、どのルートで、札幌へ行くことになったんですか?」
「深夜に、そのための会議が開かれて、いくつかの案が出たらしい。民間の飛行機をチャーターして乗せるという案もあったといっている。三上部長なんかは、それが、一番早く札幌に着けるというので、支持したようだが、最後に、十津川という警部が、強く主張して、国鉄で、連れて行くことになったそうだ」
「やはり、そうですか」
「三浦は、大宮を午前七時に出る『やまびこ11号』に乗せるが、同じような影武者を、別に二組作り、大宮午前八時発の『やまびこ13号』と、民間機をチャーターして飛行機に乗せるといっていた」
「なるほど、警察の考えは、よくわかりました」
「誰か来たから、これで、電話を切るよ」
「ありがとうございます。うまく行きました時は、十分にお礼させて頂きます」
佐伯は、礼をいい、電話を切った。
立花と、平野が、じっと、佐伯を見つめている。その二人に向って、佐伯は、ニヤッと笑って見せた。
「今、電話して来たのは、矢野という代議士だ。公安委員もやっている」
「名前は、聞いたことがあるな」
と、立花がいった。
「大臣経験はないが、ある派閥の実力者だ。前の選挙のとき、苦戦でね。私が、選挙資金を援助した。もちろん、本当の金は、川田組から出たんだがね。それで、矢野に電話して、三浦を護送するルートを調べてくれと、頼んでおいたんだよ」
「なるほど。その電話を待っていたわけか」
「そうだ。矢野は、三上という警視庁の刑事部長に会って、警察の動きを聞いてくれた。三上は政界入りの野心を持っていてね。警察を勇退したあとは、矢野の世話で、選挙に出る気でいる。だから、簡単に洩《も》らしてくれたんだ。それによると、三浦は、午前七時大宮発の『やまびこ11号』に乗った。あと二組は、影武者だ」
「その情報は、信頼できるのか?」
平野が、半信半疑の顔で、きいた。
「三上は、十津川警部や、本多捜査一課長の上司だから、信頼できると思うね」
佐伯は、自信を持っていい切ってから、今度は、「やまびこ11号」に電話をかけた。
東京二十三区内からなら、二四八―九三一一を回せば、つないでくれる。
佐伯は、「東京ビジネスセンター」の井上さんを呼んでくれるように頼んだ。
「東京ビジネスセンター」というのは、こちらから呼び出すときの名称だった。
三十分ほどして、「やまびこ11号」につながり、電話口に、井上が出た。
午前九時十二分である。
「今、どこを走ってる?」
と、佐伯がきいた。
「間もなく、古川に着きます」
と、井上がいう。
「標的は、まだ、5号車か?」
「そうです」
「君たちの『やまびこ11号』に乗っている標的が、本物だ」
「間違いありませんか?」
「確かな情報が入ったから、間違いない。その列車は、終点の盛岡に、一〇時一七分に着く。東北本線に乗りかえる時でも、いつでもいい。殺せ」
「わかりました」
「結果は、必ず、報告してくれ」
と、いって、受話器を置いてから、立花と、平野に、
「君たちも、出発してくれ」
と、いった。
平野は、アタッシェケースを持って、立ち上ると、
「出かけるぞ」
と、運転手の原田に声をかけた。
「何処《どこ》へ行くんですか?」
「調布飛行場だ」
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第四章 盛岡駅ホーム
各駅停車の「あおば201号」は、福島を出たところだった。
十津川と亀井は、三浦を連れて、この列車に、小山駅から乗った。
各駅停車の「あおば」は、すいている。
「電話をしてくる」
と、十津川がいって、立ち上ると、サングラスをかけた三浦は、蒼《あお》い顔で、
「大丈夫なのか?」
「何がだね?」
「こっちの刑事さん一人になっちまって、大丈夫なのかと、きいてるんだ」
「亀井刑事が、傍《そば》にいれば、大丈夫だよ」
「しかし、川田組の連中に襲われたら、どうするんだ?」
「この列車には、彼等は、乗っていないよ」
十津川は、安心させるようにいった。
だが、三浦は、いぜんとして、怯《おび》えた眼で、車内を見廻しながら、
「なぜ、そんなことがわかるんだ?」
「考えてみろよ。『あおば』は、仙台までしか行かないんだ。仙台で乗りかえて、『やまびこ』で、盛岡まで行かないと、今日中に、札幌に着けないんだよ。だから、連中は、この『あおば』は、監視しなくてもいいんだ。仙台駅にいて、乗りかえる乗客を監視すればいいんだからね。だから、この列車が、仙台に着く九時四七分までは、安心していいんだ」
十津川は、噛《か》んで含めるようにいったが、それでも、三浦は、不安と見えて、
「おれも、ビュッフェへ行く」
と、立ち上った。
「まあ、好きなようにしたまえ」
十津川は、肩をすくめていい、亀井と二人で、三浦をはさむようにして、ビュッフェのある9号車へ歩いて行った。
ビュッフェも、がらんとしている。
十津川は、三人分のコーヒーを頼み、それが、運ばれて来るまでの間に、ビュッフェの隅にある電話を使って、警視庁の本多捜査一課長に、連絡を取った。
「十津川です」
と、いうと、本多が、
「無事か――」
「あと、三十分足らずで、仙台ですが、それまでは、安心です。この『あおば201号』には、川田組の連中は乗っていないようですから」
「そうか。とすると、第一段階は、君の思った通りになっているわけだな」
「他の動きは、どうなっていますか?」
「予定どおり動いている。『やまびこ11号』と、『やまびこ13号』には、それぞれ、A班、B班の連中が、乗っている。チャーターした飛行機に乗ったC班も、八時三十分に、調布飛行場を飛び立っている」
「敵の動きは、わかりますか?」
「はっきりとはわからないが、C班の連中が、調布飛行場で、不審な三人組を見ている。彼等は、S航空の双発機をチャーターしているし、他に、飛行機をチャーターしたものがないかどうか、調べていたらしい」
「その連中のチャーターした飛行機の性能はわかりますか?」
「わかるよ。ええと。われわれと同じ双発機で、名称は、セスナ四〇一だ。最高時速四二〇キロ、座席数八だ。うちがチャーターしたやつより、最高速度が、八十キロも早いよ」
「それは、明らかに、川田組の連中ですね。とすると、『やまびこ11号』と、『やまびこ13号』にも、連中が乗っているとみていいですね」
「君も、仙台で、『やまびこ13号』に乗りかえる時は、十分、注意してくれよ」
と、本多が、いった。
十津川は、連絡を了《お》えて、亀井たちのところに戻ると、コーヒーを、口に運んだ。
「どうでした?」
と、亀井が、きいた。
「予想どおり、川田組の連中が、『やまびこ11号』『13号』に乗っているようだ。それに、飛行機も、チャーターしているよ」
「向うも、やりますね」
「当然だろう。川田は、組にとって、頭と同じだ。頭が無くなってしまえば、組は、ばらばらになってしまう。だから、どんなことをしてでも、川田を助けなければならないのさ。唯一の証人である三浦を消せば、川田の勾留《こうりゆう》延長は、却下されるし、川田の無罪だってかちとれる」
十津川は、小声でいったのだが、神経のとがっている三浦は、聞き耳をたてていたとみえて、
「こんな調子で、おれが助かる見込みがあるのかい? 死ぬのは嫌だぜ」
「君を殺させやしないよ」
十津川が、いった。
「本当に、大丈夫なのか? 奴等は、みんな拳銃を持ってるぜ」
「われわれだって、持っている。それに、私は、約束は守る男だ。君のためにも、川田を刑務所に送るためにも、君を守ってやる」
十津川がいうと、亀井が、傍から、
「むしろ、問題は、お前さんが、臆病《おくびよう》風に吹かれて、逃げ出したりしやしないかということだ。いっておくが、お前さんは、逃げても殺されるぞ」
「わかってるよ」
「それなら、腰をすえて、コーヒーを飲め」
亀井が、三浦の肩を叩《たた》いた。
三浦は、カウンターに運ばれたコーヒーを、一口、飲んで、
「まずいコーヒーだな」
「ぜいたくをいうな。これなら、美味《うま》い方だ」
「刑事ってのは、いつも、こんなまずいコーヒーを飲んでるのか」
三浦は、スプーンを、皿の上に投げ出した。
十津川は、クスッと笑った。
「それだけ、へらず口を叩ければ大丈夫だ」
「あと、何時間、こうしてればいいんだ?」
三浦は、腕時計を見て、きいた。
「それは、東京を出る時、教えた筈だ。新幹線と、在来線、それに、青函連絡船を乗りついで行くんだ。今、九時二十分だから、あと、十四時間かな」
「チャーターした飛行機で、運んでくれた方が、よかったんじゃないか?」
「今もいったように、川田組の連中も、飛行機をチャーターしている。調布飛行場へ、君を連れて行ったら、飛行機に乗る前に、殺《や》られていたかも知れんぞ」
「脅《おど》かすなよ」
「脅かしじゃない。ところで、佐伯という川田組の顧問弁護士は、どんな男なんだ?」
と、十津川は、きいた。
「あんたは、知らないのか?」
コーヒーを拒否した三浦は、煙草《たばこ》を口にくわえて、火をつけた。
「何回か会っているから、私なりの印象はあるが、川田の傍にいた君に聞きたいんだ。君は、佐伯が、川田と話しているところにも、いたことがあるんだろう?」
「ああ、あるさ。川田は、おれを信用してたからな」
三浦は、一瞬、得意そうな表情をした。
「君が見て、佐伯は、切れる男だったかね?」
「ああ、あいつは、頭がいい。だが、どうしても、好きになれなかったよ」
「なぜ?」
「ひどく、冷たいし、何となく、信用できないところがあったからさ。奴は、内心じゃあ、川田を小馬鹿にしてるんだと思うな」
「しかし、今、佐伯は、川田のために、君を消すための指揮を取っていると、私は、思っている」
「おれも、そう思ってるよ。だから、余計、わからないんだ」
「何が、わからない?」
「佐伯が、なぜ、川田のために働くかがさ。金のためだとは思うんだが――」
「君は、佐伯が、怖いか?」
「あんなインテリがか――」
「だが、怖そうだな?」
「あいつはね、妙に、人の心を読むのが上手《うま》いんだ。ただ、頭のいい弁護士というだけなら、ぶん殴れば、いいんだが、佐伯は、違う。こっちの先廻りして、手を打ちやがる。だから、気味が悪いんだ」
「なるほどね」
十津川は、肯いてから、手帳を取り出した。それを開くと、横から、亀井が、のぞき込んで、
「何ですか?」
「佐伯弁護士の略歴だ。何かの参考になればと思ってね」
「国立大学を出て、司法試験に合格。アメリカ留学の経験もありですか」
「アメリカの大学に三年いて、犯罪心理学を勉強している」
「エリートですね」
「そのエリート弁護士が、なぜ、川田組なんかと関係を持ったのか。それも、ただ、金を貰《もら》って、弁護を引き受けただけじゃない。今度は、どっぷりと、犯罪に、片足を突っ込んでいる。そこに、この男の屈折した何かがあるのかも知れないがね」
「四十代ですか」
「若い弁護士だよ」
「奥さんは、どんな人ですか?」
「いや。結婚はしていない」
「ほう。女性に、ぜんぜん、もてないタイプなんですか?」
「いや、むしろ、女には、もてる方じゃないかね。なかなか、美男子だからね」
十津川は、ポケットに入れてきた佐伯の写真を、亀井に見せた。
「なるほど、羨《うらや》ましいほど、ハンサムじゃありませんか」
「それに、長身だし、趣味もいい」
「ただ、美男子すぎるせいか、冷たい感じもしますね」
「どうだ。君から見て、佐伯の女性関係は、どんなだったね?」
と、十津川は、三浦に、きいた。
「警部さん。おれが、殺されるかどうかって時に、佐伯の女関係なんて、どうだって、いいだろう?」
三浦は、十津川を睨《にら》みつけるようにしていい、怒りを示すように、吸いかけの煙草を、ごりごりと、灰皿で、もみ消した。
「私は、佐伯について、どんなことでも知りたいんだ。それによって、彼等の出方も、想像できるかも知れないからね」
「そんなことは、信じられないよ」
「どうなんだ? 佐伯と関係のある女のことを知っているか?」
「自殺した女のことなら、知ってるよ」
「佐伯のために、自殺したのか?」
「ああ。銀座で、ブティックをやっていた女だよ。二十九歳で、すごい美人だったよ。佐伯と一緒に、よく食事に行ったりしてたんだ。あれは、女の方が、夢中だったな。女は、佐伯と結婚できると思ってたんじゃないか」
「だが、佐伯には、その気がなかった?」
「あいつは、女を利用するだけだ。いや、女だけじゃない。男だって、利用するだけじゃないかな。だから、冷たくて、怖いって、いったんだよ」
「その女が自殺した時の佐伯の態度は、どうだったね? 少しは、動揺した様子だったかね?」
「ぜんぜん。平静そのものだったね。川田も冷酷な男だが、その川田が、感心していたくらいさ。そのくせ、佐伯は、乱暴じゃない。ヤクザが、女を手荒く扱うのとは、違うんだ。優しいくせに、いざとなると冷たいのさ。ああいうのが、本当の冷酷さなんじゃないか」
「なるほどね。本当の冷酷さか」
十津川は、考え込む顔になって、残っていたコーヒーを、口に運んだ。
「手ごわい相手のようですな」
と、亀井がいう。
「そうだ。手ごわい相手だ。いざというとき、この男は、一瞬のためらいも見せないだろうからね」
下りの「やまびこ11号」は、一ノ関を発車した。
あと、北上に停車すれば、次は、終着盛岡駅である。
「盛岡には、一〇時一七分に着く」
と、井上は、同じ組員の寺尾と、田中にいった。
寺尾と田中は、同じ二十五歳。三十歳の井上が、この中でのリーダー格になっていた。
「5号車にいる男が、三浦だ。問題は、どこで、奴を殺《や》るかだな」
「この列車の中で殺るのは、どうなんだ? その方が、手っ取り早くないかい?」
寺尾は、眼を光らせていった。
この男には、殺人の経験があった。十七歳の時、新宿の盛り場でケンカし、ナイフで、相手を刺し殺したのだ。
「うまくいっても、走っている列車から、どうやって逃げるんだ?」
井上が、きき返した。
寺尾は、首をすくめて、
「逃げる算段までしてやしないさ。とにかく、三浦の奴を殺せばいいんだろう」
「勇ましいのは、いいが、第一、この列車の中で、どうやって、殺すんだ?」
井上が、きいた。
「5号車に行って、背中から刺すさ」
「無理だよ。両側には、刑事が座ってるんだ」
「兄貴は、どう考えてるんだ?」
と、黙っていた田中が、井上にきいた。
今の若い男にしては、田中は、無口である。必要なことしかいわないし、ききもしない。
「一〇時一七分に盛岡に着いたあと、彼等は、在来線の東北本線に乗りかえて、青森に向う。乗る列車は、多分、一〇時三〇分盛岡発、青森行の『はつかり5号』だ」
「間違いないのか?」
「佐伯弁護士が、そういっている。彼のいうことに間違いはないだろう。ここに、盛岡駅の構内の図がある」
井上は、時刻表にのっている盛岡駅の地図を、二人に見せた。
「新幹線のホームは三階で、東北本線のホームは、一階だ。この『やまびこ11号』をおりてから、彼等は、一階までおりて行く。三階のホームから、一階のホームまで行くのに、十二、三分は、かかる筈だ。その間に、三浦を殺す。駅の中なら、何とか、逃げられるかも知れん。問題は、誰が、殺《や》るかだが」
「おれが殺《や》る」
田中は、短くいうと、自分のボストンバッグを持って、トイレに立った。
トイレに入ると、カギをかけてから、バッグを開けた。
底の方に、拳銃とホルスターが入っている。
田中は、毎月二、三回、グアムか、サイパンに出かけている。南の風物が好きなわけではない。むしろ、海は嫌いな方だった。田中が、グアム、サイパンに行くのは、そこに行けば、自由に銃が射てるからだった。
もともと、素質があったのかも知れない。
田中の射撃の腕は、急速にあがっていった。
川田組で、拳銃の扱いが、秀《すぐ》れている者といえば、トップが田中で、二位が、幹部の平野ということになっていた。
田中は、二丁の拳銃を、愛用していた。小型で、身につけるのに便利なブローニングM1910は、もっぱら、護身用だった。護身といっても、田中自身の護身ではなく、ボスの川田のボディガードの時である。
もう一丁は、ルガー357マキシマムと呼ばれる拳銃だった。ブラックホークと名前のついたこの拳銃は、レミントン社が、新しく開発した拳銃で、弾倉が回転するリボルバーである。
しかし、田中が、この銃が好きになったのは、その銃身の長さにある。普通のリボルバーは、せいぜい十センチくらいだが、このルガー357マキシマムは、十九センチのものと二十七センチのものがある。
田中は、お化けのような二十七センチ(正確には、二十六・六センチ)のものを持っていた。
銃身が長いだけ、初速も早く、命中率もよかったからである。
田中の腕で、この銃を使うと、百メートル離れた的に向って十発射ち、十発とも、十五センチ以内に命中させることが出来た。
もう一つ、この拳銃が気に入ったのは、銃身が長く、重量も大きいわりに、反動が少ないことだった。
弾丸は、普通の拳銃のものに比べて、五、六センチ長い。破壊力があることで有名な、マグナム44の弾丸より、直径は小さいが、五、六センチ長い。そのため、マグナム44が、松の板(厚さ二十二ミリ)四枚を貫通させるのに対して、この拳銃は、五枚を射ち抜く力を持っている。
田中は、ホルスターに、全長四十三センチもあるこの357マキシマム・ブラックホークをおさめ、上衣を着た。
弾丸を、七発|装填《そうてん》したが、なお、六発装填されたシリンダーを、ポケットに入れた。昔のリボルバーは、回転するシリンダーに、一発ずつ装填しなければならなかったが、今は、シリンダーごと交換できるようになっている。
田中は、軽くなったバッグを下げて、自分の席に戻った。
井上と、寺尾が、大丈夫かというように、田中を見た。
田中は、二人に向って、小さく肯《うなず》いて見せてから、
「おれは、一足先におりる」
と、いい、寺尾に、ボストンバッグを預けた。
九時四七分。十津川たちの乗った「あおば201号」は、仙台に到着した。
まだ、事件は、起きていない。
先行している「やまびこ11号」でも、あとから来る「やまびこ13号」でも、まだ、事件は起きていなかった。
八時三十分に、調布飛行場を飛び立った飛行機も、別に妨害を受けていない。多分、もう、仙台空港に着いているだろう。
三組の影武者は、この時点で、まだ、何もされていない。
十津川は、なぜなのかと、考えていた。
三人の影武者には、上衣を頭からかぶって、顔をかくすように、指示してある。どれが本当の三浦かわからないので、相手は、手を出しかねているのだろうか?
多分、今のところは、そうだろう。
しかし、いざとなれば、三人を同時に射殺しようとするかも知れない。そのくらいのことは、しかねない相手であることを、十津川は、承知している。
「どうしますか?」
と、ホームにおりたところで、亀井が、きいた。
「どうするって?」
「予定どおり、『やまびこ13号』に乗りますか? それとも、仙台空港へ行って、飛行機に乗りますか?」
「仙台空港には、川田組の連中も、別の飛行機で、来ている筈《はず》だよ」
「しかし、『やまびこ13号』にも、連中が乗って来ていますよ」
「それは、承知しているよ」
と、十津川は、いった。
「危険は、覚悟していますが――」
「とにかく、下へおりよう」
十津川がいうと、亀井は、変な顔をして、
「すると、ここで、飛行機に乗りかえるわけですか?」
「いや、予定どおり、『やまびこ13号』に乗るが、その前に、寄るところがある。時間がないから、早くしてくれ」
十津川は、亀井と、三浦を促して、四階の新幹線ホームから、三階の新幹線コンコースにおり、更に、在来線への跨線《こせん》橋のある二階まで、おりて行った。
「どこへ行くんですか?」
と、亀井がきく。
十津川は、黙って、二階にある鉄道公安室へ入って行った。
二人の公安官が、迎えた。十津川は、その二人に、警察手帳を示してから、
「『あおば』の車内から連絡した十津川です」
「いわれたものは、用意しておきました」
と、公安官の一人がいい、キャビネットから、三着の公安官の制服を取り出して、机の上に置いた。
「突然、大変なお願いをして、申しわけありません」
と、十津川は、頭を下げた。
「何とか、そちらのいわれたサイズを揃《そろ》えたんですが、多少、きつかったり、ゆるかったり、するかも知れません」
公安官が、笑いながらいった。
十津川たちは、すぐ、奥の更衣室で、公安官の制服に着がえることにした。
拳銃も、借りて身につけ、その代り、東京から、持ってきた拳銃を、公安室に預けた。
三浦にも、公安官の制服を着せ、拳銃も持たせたが、弾丸は、抜いておいた。
三人の鉄道公安官が、出来あがった。十津川と、亀井は、もともと、警察の人間だから、同じような制服を着ても、さまになっているが、三浦は、そうはいかなかった。
何となく、だらしなく見えてしまう。
「もっと、帽子を、深くかぶるんだ。それから、胸をそらせて、顎《あご》を引け」
と、十津川は、三浦にいった。
「とにかく、堂々としていればいいんだ」
亀井が、傍からいった。
「しかし、刑事さん。連中は、おれの顔を知ってるんだ。こんな恰好《かつこう》をしたって、すぐ、ばれちまうさ」
三浦は、拳銃を吊《つ》って、重くなった腰の辺りをなでながら、気の弱いことをいった。
十津川は、「そうでもないさ」と、いった。
「川田組の連中は、みんな後暗いところがある。その上、君を殺そうとして、列車に乗っているんだ。鉄道公安官の姿を見たら、彼らが、顔をそむける筈だ。まともに、こちらの顔を見ないと思う。そこが、つけ目だよ」
「しかし――」
「おどおどしたら、すぐ見破られるぞ。それだけ、気をつければいい。時間がないんだ、新幹線ホームに行こう」
と、十津川は、いった。
三人は、公安官に礼をいい、公安室を出ると、四階の新幹線ホームにあがって行った。
三浦の影武者と、二人の刑事は、5号車に乗っている筈だった。とすると、川田組の連中も、同じ5号車か、その前後の車両に乗っているだろう。
「先頭の車両に乗ろう」
と、十津川は、いった。
九時五九分に、「やまびこ13号」が、ホームに入って来た。仙台は、二分停車である。
三人は、先頭の車両に乗り込んだ。
車掌が、十津川たちを見て、敬礼し、「ご苦労さまです」と、いった。
十津川も、敬礼を返した。
「さあ、各車両を見て来よう」
と、十津川は、小声で、亀井と三浦にいった。
「よしてくれよ」
三浦が、蒼《あお》い顔でいい返した。十津川は、叱《しか》りつけるように、
「この恰好で、座り込んでいたら、かえって怪しまれる。最後尾まで、廻って来てから、乗務員室で、休めばいい」
「しかし、奴等に見つかったら、どうするんだ?」
「大丈夫だ。さっきもいった通り、向うが、眼をそらすさ」
「もし、眼をそらさなかったら?」
「その時は、私と、亀井刑事が、命がけで、君を守ってやる」
「お前さん、男だろう? しゃんとしろよ」
と、亀井が、三浦の背中を、どやしつけた。
十津川を、先頭にして、三浦を真ん中にはさんで、二両目の車両へ向って、歩いて行った。
乗車率は、六十パーセントぐらいである。
「相手が、どこにいるか、しっかりと見ておけ」
と、通路を歩きながら、十津川が、三浦にいった。
東北新幹線は、「やまびこ」も、「あおば」も、十二両編成で、大宮寄りが、1号車になっている。
十津川たちは、12号車から、順々に、通路を、歩いて行った。
5号車に、見覚えのある顔が並んでいた。石本と、谷川の二人の刑事と、三浦になりすました日下《くさか》刑事である。日下は、護送される囚人らしく、上衣を、頭から、かぶっている。
三人の刑事は、十津川たちの変装に気付かない程だった。十津川は、そのまま、公安官になりすまして、次の4号車に移って行った。
4号車は、自由席である。次の3号車に移ったところで、三浦が、「ふうっ」と、大きな息を吐いた。
「どうしたんだ?」
と、デッキのところで、十津川が、きいた。
「連中がいたんだ」
「どこに?」
「4号車の真ん中あたりだよ」
三浦が、蒼《あお》い顔でいった。
「間違いないか?」
「ああ、いつも見てた顔だ。佐川と、福島だ」
「二人だけか?」
「二人だって、大変だよ。命知らずの連中だからな」
「向うは、君を見たか?」
「いや、そっぽを向いてた」
「それならいい。1号車まで行ったら、乗務員室で、ひと休みしよう」
十津川が、いった。
最後尾の1号車に辿《たど》りつくと、車掌に頼み、乗務員室で、三浦を、休ませることにした。
十津川と、亀井は、デッキに出ていた。
「間もなく、十時十五分になります」
と、亀井が、腕時計を見ていった。
「先行している『やまびこ11号』が、そろそろ、終着の盛岡に着く頃だね」
十津川が、いった。
間もなく、盛岡というところで、田中は、立ち上り、ドアのところまで歩いて行った。
列車が、ホームに着き、ドアが開くと、田中は、素早く列車からおりると、猫に似た素早さで、乗降口に向って、走った。
周囲を見廻すような真似《まね》はしなかった。
まっすぐ歩き、階段を素早くおりた。一階の在来線のホームで待ち伏せ、三浦を射殺することに決めていた。
一階の東北本線のホームに行くには、二階にある新幹線コンコースから改札口を出て、跨線橋を渡って行くのと、地下道を通る方法とがあるが、三階の新幹線ホームでおりた乗客は、まさか、地下道までおりてはいかないだろう。
二階から、跨線橋を渡って、階段をおりる方法をとるだろう。
一〇時三〇分盛岡発、青森行の「はつかり5号」は、すでに、ホームに入っていた。
六両編成のL特急で、指定席三両、自由席三両である。
標的の三人が、どちらに乗るか、田中には、見当がつかない。
必ず、座れるようにと考えるなら、指定席券を買うだろうが、警察が、仕事として移動する場合は、切符を買う必要はない。となると、遠慮して、自由席に腰を下すことも考えられる。
田中は、考えるのをやめて、六両編成の列車の、丁度、中間あたりで、待つことにした。
一両の長さを、約二十メートルとして、三両なら六十メートル。前後の一番端の車両に、三人が乗るとしても、六十メートルの距離しかないのだ。
田中は、百メートルの距離に置いたマンターゲットに、357マキシマム・ブラックホークで、十発全部を、命中させる自信がある。
ウィークデイのせいか、ホームは閑散としている。
跨線橋から、「やまびこ11号」からの乗りかえと思われる乗客が、階段をおりて来た。
田中の視線の隅に、あの三人が、ホームにおりて来るのが見える。
相変らず、真ん中の男は、上衣を頭からかぶっている。まるで、二人の刑事に護送されて行く犯人のように見える。
田中は、柱のかげから出て、近づいて来る三人をじっと見た。
まだ、こちらに気付いた様子はない。
田中は、ゆっくりと、ホルスターから、357マキシマム・ブラックホークを、抜き出した。
撃鉄《ハンマー》を起こし、両手に持って、構えた。
その時になって、近くにいた女が、甲高《かんだか》い悲鳴をあげた。
田中は、狙《ねら》いをつけて、引金をひいた。
鋭い銃声が、ホームにこだました。
六十メートル前方で、上衣を頭からかぶった男が、引っくり返るのが見えた。
心臓の辺りに命中している。それは、手応えでわかった。
両側の刑事が、まるで、スローモーションでも見るように、のろのろと、拳銃を取り出した。
しかし、実際には、素早い動作だったのだ。その証拠に、田中が、二発目を射つより先に、片方の刑事が射った弾丸が、彼の耳の傍《そば》を、飛び去っていった。
ホームにいた人たちは、悲鳴をあげながら、その場にうずくまったり、あわてて、とまっている「はつかり5号」の中に、逃げ込んだ。
田中は、続けて、二発、三発と射ってから、走った。
「待て!」
と、刑事の叫ぶ声が聞こえた。
田中は、振り向いて、その声めがけて、四発目、五発目と射った。
その瞬間、強烈な衝撃を、太股《ふともも》に受けた。
まるで、焼火箸《やけひばし》を当てられた感じで、田中は、がくっと、ホームに膝《ひざ》をついた。
それでも、田中は、射った。弾丸がなくなった。ポケットに入れたシリンダーを取り出して、交換する。もう一度、構える。
その時、ホームに倒れていた三浦が、ゆっくり起きあがるのが見えた。
上衣は、もうかぶっていなかったし、サングラスも、はずしてしまっている。
その顔を見て、田中は、呻《うめ》き声をあげた。
違うのだ。三浦ではなかった。
(くそ!)
と、田中は、うなり声をあげ、その男に向って、銃口を向け、引金に手をかけた。
だが、彼が、射つ前に、刑事の何発目かの弾丸が、命中した。
田中の胸から、血が噴出した。
眼の前が暗くなり、ニセの三浦の顔も、刑事たちの顔も、ぼんやりとしか、見えなくなった。
「誰《だれ》か、救急車を呼んで下さい!」
そういっている刑事の声が聞こえた。が、そのあとは、何も聞こえなくなった。
一〇時三七分に、「やまびこ13号」が、一ノ関を出たところで、十津川は、乗務員室の電話を借り、新幹線|綜合《そうごう》司令所を通して、本多捜査一課長と、連絡をとった。
すでに、「やまびこ11号」は、終着の盛岡に着いている。そこで、何か起きなかったか、気がかりだったからである。
「盛岡駅で、射たれたよ」
と、本多が、いった。
「射ったのは、川田組の連中ですか?」
「もちろんだ。在来線のホームに行き、『はつかり5号』に乗ろうとしたところを、いきなり射たれたんだ」
「それで、射たれた平井刑事は、どうなりました?」
「胸を射たれたが、シャツの下に、防弾チョッキをつけていたので、助かった。ただ、五、六十メートルの距離で射たれたので、相当な衝撃だったらしく、肋骨《ろつこつ》が一本、折れてしまったので、すぐ、救急車で、盛岡市内の病院へ運ばれた」
「射った犯人は?」
「同行していた二人の刑事が、ホームで、射殺したそうだ。死んだ犯人の名前は、田中芳夫、二十五歳。川田組の人間だよ。彼が使った拳銃は、ルガー357マキシマム・ブラックホークと呼ばれる珍しいもので、銃身が長くて、命中精度のいいものだったよ」
「それから、佐伯弁護士の居所は、いぜんとして、わかりませんか?」
「残念ながら、わからないんだ。ただ、川田組幹部二人の動きがわかったよ。立花と、平野という二人の幹部は、九時五十分に、チャーターしていた飛行機で、調布飛行場を飛び立っている。他に、川田組の組員三人も同行している」
「行先は、仙台ですか?」
「そうだ。仙台空港だ。運輸省への届けでは、仙台から、青森、そして、函館経由で、千歳となっている」
「なるほど。われわれがチャーターした飛行機と同じ経路ですね」
「君に聞きたいんだが、なぜ、平井刑事だけが、狙撃《そげき》されたんだろうか? 他に、二組の影武者を作ったが、そちらは、狙撃されていないんだ。ただ単に、最初に、札幌に着きそうだから、射たれたのかな?」
「三上部長のところに、誰か、訪ねて来ませんでしたか?」
「代議士で、公安委員の矢野さんが、今朝早く、訪ねて来ていたが――」
「三上部長には、私と亀井刑事で、三浦を、『やまびこ11号』で、盛岡まで運ぶといってあります」
「ああ、憶えているよ。すると、君は、三上部長が、洩《も》らしたので、平井君が狙撃されたと思うのかね?」
「その可能性はあると思います。矢野さんがそんなに早く、三上部長を訪ねて来るというのも、不自然ですからね。その線から、向うの佐伯弁護士に洩れたのかも知れません」
「矢野代議士のことを、調べてみるかね?」
「いや、それは、必要ありません」
「なぜだね? 君は、疑っているんだろう?」
「そうですが、たとえ、当っていても、三上部長に、悪気があったとは思えません。相手は、政治家で、しかも、公安委員ですからね。何気なく、部長が喋《しやべ》ってしまったに、違いありませんから」
「それは、そうだろうが――」
「それより、平井刑事は、正体が、ばれてしまったんですか? 三浦として、救急車で病院に運ばれ、川田組の連中が、それを信じてくれていれば、やりやすくなりますが」
「いや。ばれたと考えた方がいいと思うね。盛岡駅のホームで、射たれて、転倒した時、頭からかぶっていた上衣も、サングラスも、取れてしまったといっている。田中という犯人は、射殺されたが、彼の仲間が、近くにいたとすれば、三浦でないことは、わかってしまったと思うね」
「私も、そのつもりで、行動しましょう」
と、十津川は、いった。
同じ頃、東京のホテルで、佐伯は、盛岡駅にいる井上から、電話で、報告を受けていた。
「まんまと欺《だま》されました。『やまびこ11号』に乗っていた標的は、三浦ではありませんでした。あれは、恐らく、刑事の変装だと思いますね」
「それで、田中は、どうしたんだ?」
佐伯が、きく。
「二人の刑事に、射殺されました。近くにいたんですが、私も、寺尾も、助けようがありませんでしたよ」
「ニセの三浦は、どうした?」
「救急車で、病院に運ばれて行きましたが、どうやら、助かるみたいです」
「田中が射ったのにか? 彼は、百メートル以内なら、心臓を射ち抜く腕を持っている筈《はず》だ」
「二人の刑事が、倒れているニセの三浦の胸元をはだけていましたが、防弾チョッキを着込んでいるのが見えました。助かったのは、そのためだと思います」
「防弾チョッキか」
佐伯は、受話器を持ったまま、軽く、舌打ちした。
「やまびこ11号」に乗っていた標的Aが、防弾チョッキを着ていたということは、「やまびこ13号」と、チャーター機に乗った標的B、Cも、防弾チョッキを着ている可能性がある。
電話を切ると、佐伯は、考え込んでしまった。
標的Aが、ニセモノだった。ということは、「やまびこ13号」か、チャーター機に乗っているのが、本当の三浦ということになるのだろうか?
そうならば、残る二つの標的を狙えばいいのである。
それとも、本物の三浦は、別に、護送されているのだろうか?
(しかし、今日中に、三浦を札幌まで運ばなければならない以上、ルートも、乗り物も、限定されてくる)
つまり、「やまびこ13号」か、チャーター機で、運ぶ以外に、方法はない筈だった。
五、六分たって、立花から、連絡が入った。
「今、平野たちと、チャーター機で、仙台空港へ着いたところだ」
と、立花が、いった。
「警察がチャーターした飛行機は、今、そこの空港にいるのか?」
「ああ、まだ、飛び立ってない。離陸許可がおりないんだろう。おれたちの機も、十一時にならなければ、離陸してはいけないといわれているよ」
「田中が、盛岡駅で、標的Aを狙撃した」
「それで?」
「田中は、射たれて死んだ。しかし、標的Aが、ニセモノだとわかったよ」
「待ってくれよ。『やまびこ11号』に乗った男が、三浦に間違いないといったのは、あんたじゃなかったのかい?」
立花が、不思議そうに、きいた。
「矢野代議士のもたらした情報だからね。それに、矢野さんに、その情報を伝えたのは、警視庁の三上刑事部長なんだ。信用するのが当然だろう」
「じゃあ、三上という男が、わざと、嘘《うそ》の情報を、矢野代議士に告げたのかね? それとも、矢野が、欺したのか?」
「そのどちらでもないと思うね」
「どういうことだ? それは」
「十津川という警部のせいだよ」
「あんたが、用心しろといっていた男だな」
「十津川警部が、多分、三上部長を欺したんだ」
「自分の上司を、欺したのか?」
「恐らくね。やはり、手強《てごわ》い相手だよ」
「ふーん」
と、立花は、唸《うな》ってから、
「じゃあ、本物の三浦は、どこにいるんだ? 標的Bか、Cのどちらかが、三浦なのか? どっちを殺せばいい?」
と、矢つぎ早にきいた。
「それが、わからないんだ。さっき、警視庁へ電話して、十津川警部に、大事な用があるといってみたが、留守だといわれた。だから、彼が、陣頭指揮をしていることだけは間違いない。十津川がガードしているのが、本物の三浦だと思うんだがね。彼の写真は、持ってるね?」
「ああ、持ってるよ」
「仙台空港にとまっている警察のチャーター機に、その顔の男が、乗っていないかね?」
「それが、わからないんだ。相手は、ぜんぜん、飛行機の外へ出て来ないんだ。おれと、平野で、交代で、双眼鏡で監視しているんだが、機の外に出て来るのは、操縦士だけでね」
「用心しているのか」
「あれだけ、用心しているところをみると、チャーター機に乗ってるのが、三浦じゃないのか?」
「大事な証人を、チャーター機に乗せるのは、十津川という男らしくないんだが――」
「ねえ、佐伯さん。あんたは、やたらに、十津川という男の考え方を問題にするが、その男なら、必ず、列車に乗せるというものでもないだろう。たとえがおかしいかも知れないが、おれは、いつも外出するとき、車にするが、時たま、気が変って、電車で行くことがある」
「君のいわんとすることは、わかるよ」
「この飛行機は、青森空港から、函館、そして、千歳へ飛ぶ。間違いなく、列車と、連絡船を使う方法より、早く、札幌へ着くぞ。決断するなら、早い方がいい」
「決断したら、どうするつもりだ?」
「平野が、あの飛行機に入って行って、三浦を射殺するといっている。彼の持っている銃は、モーゼルのフルオートだから、二十発の弾丸が、発射できる。向うの飛行機には、操縦士を含めて、四人が乗っているが、その四人を殺すのは、あっという間だと、平野は、いっているよ」
「もう少し待て。私は、無用な殺しは、したくないんだ。『やまびこ13号』に乗っている標的Bが、三浦でないとわかったら、そちらの標的Cを殺《や》って貰《もら》うことにする」
「間もなく、青森空港へ向って、彼等の飛行機が、出発するよ」
「その時には、君たちも、あとを追って、青森から、もう一度、連絡してくれ」
「わかった。平野にも、そういっておこう。彼は、ひと息に、向うの飛行機を、爆破するか、乗客を皆殺しにした方が、早道じゃないかといってたがね。たとえ、三浦じゃなくても、狙う範囲が、せばめられるというんだ」
「私はね。何とかして、川田を助けたい。そのために、証人の三浦を消したいんだ。川田を助けるのと、もう一つ、川田組の組織も守りたい。そこをわかって欲しいんだ。川田が助かっても、組織が、がたがたになってしまったんでは、なんにもならない。三浦を消すために、大量殺人をやったら、警察も、黙っていまい。川田組の組織をぶっ潰《つぶ》しにかかるだろう。それでは困るんだ」
「なるほどね。だが、慎重になり過ぎてると、チャンスを逃がすことになるよ。あんたは頭はいいが、頭でっかちのインテリだからね。いわゆる実戦の勘がないんだ」
「わかってるよ」
佐伯は、不機嫌にいって、電話を切った。
彼は、今、自分が、一つの見落しをしていたことを、悔やんでいた。
それは、十津川警部に対する見方だった。
十分に分析した積りだったが、一つだけ、見落しをしてしまっていたのである。
十津川も、サラリーマンに過ぎない。それに、警察というところは、普通の会社や、官庁以上に、上下関係が厳しい筈だと思っていた。だから、十津川は、上司に対して、絶対に服従すると考えていたのだ。
(それなのに、奴は、刑事部長に、偽《にせ》の計画を話していたのだ)
そんな冒険をする男とは、思ってもいなかったのだ。
(十津川は、今、どこにいるのだろうか?)
佐伯が、考え込んだとき、電話が、鳴った。
「加納です」
と、佐伯のやっている法律事務所の男の声が聞こえた。
「ここには、電話するなといっておいた筈だぞ。今日一日、私は、どこにもいないんだ」
佐伯が、叱《しか》りつけるようにいうと、加納は、
「申しわけありませんが、お知らせしておいた方がいいんじゃないかと思いまして」
「どんなことだ?」
「警察が、何回も電話して来て、先生が、どこにいるか、しつこく、きくんです。今も、電話がありました」
「私の居所は、いわなかったろうね?」
「もちろん、いいません。ただ警察は、今日に限って、どうしてやたらに先生を探し廻るんですか?」
「さあ、なぜかな」
佐伯は、電話を切ったが、切ったあとで、自然に、ニヤニヤ笑い出した。
警察も、佐伯を探しているのだ。何のことはない、佐伯が、今、十津川がどこにいるか、必死で見つけ出そうとしていたように、彼らも、必死で、佐伯を見つけようとしているのだ。
(その点では、今のところ、五分五分といったところか)
盛岡駅での狙撃失敗で、落ち込んでいた気持が、少しは、楽になったような気がしてきた。
走行中の「やまびこ13号」の車内からも、福島が電話を、かけてきた。
福島の声は、明らかに、いらだっていた。
「間もなく、終着の盛岡だぜ。どうするんだ?」
「三浦かどうかの確認は、出来たのか?」
と、佐伯は、きき返した。
「相手は、ずっと、頭から上衣をかぶってるんだ。三浦かどうか、確かめられやしないよ」
「何とかして、確かめるんだ」
「どうやって?」
「頭があるんだろう? 少しは考えろ」
佐伯は、怒鳴りつけて、電話を切った。
自分がいらだっているのが、佐伯自身にもわかっていた。
標的Aは、ニセモノとわかった。それがわかる代償として、組員の田中が、射殺された。
標的Bと、Cのどちらが三浦なのか、早く知りたい。
いや、その片方が、三浦ならば、そうあわてることはないのだ。札幌に着くまでの間に、何回か殺すチャンスはあるだろう。
佐伯が、恐れているのは、どちらも、三浦ではない場合だった。
三浦らしい男を、二人の刑事が、ガードして、「やまびこ11号」「やまびこ13号」、それに、チャーターした双発機に乗って、札幌へ向った。その三組全部が、おとりで、本物の三浦は、別のルートで、札幌へ向ったということも、考えられる。
(別のルートが、あるだろうか?)
たった一つ、成田からグアムへ、外国の航空会社の旅客機で飛び、グアムから、千歳へ、飛ぶコースがある。
もっとも可能性が少ないと思っていたルートだが、もし、三組とも、影武者だったとなれば、このルートが、浮上してくる。
矢野代議士の話では、警察の捜査会議で、このルートの話は、出なかったという。しかし、上司の三上刑事部長を欺した十津川である。全く、このルートに無関心と見せかけて、グアム行の外国会社の旅客機に、本物の三浦を乗せるかも知れない。
成田空港には、三人の組員をやってある。
三人とも、三浦の顔を、よく知っている。それに、もし、三浦を乗せるとすれば、グアム行の飛行機だと、三人に教えてあるから、見逃すことはないだろう。
彼等から、まだ、何の連絡も、入って来ない。
佐伯は、腕時計に眼をやった。
十一時。
あと十七分で、「やまびこ13号」が、盛岡に着く。
ビュッフェのある9号車で、電話をかけ終った福島は、4号車の自分の席に戻った。
仲間の佐川は、煙草《たばこ》を、もみ消しながら、
「何かわかったか?」
「田中が、盛岡駅で、『やまびこ11号』で行った男を、射ったらしい。だが、失敗した」
「あいつが、的を外す筈がないと思うがね。百メートルの距離で射って、十五センチの的に、十発命中させる奴だ」
「相手が、ニセモノだったんだ」
「それで、田中は?」
「警官に射殺された」
「そうか――」
「それで、この列車に乗ってる奴が、本物の三浦かどうか、すぐに調べろと、佐伯がいってる」
「自分は、ホテルにいて、勝手なことをいいやがる」
と佐川は、文句をいった。
「おれも腹が立ったよ。しかし、5号車にいる奴が、三浦かどうか確かめなきゃならないのは、あいつのいう通りだ。三浦の口を封じなきゃ、ボスが、刑務所おくりになるからな」
「しかし、どうやって、確かめるんだ? 上衣を、頭にかぶってるんだぜ。それに、両側を、刑事がガードしている。近づいたら、捕まっちまうよ」
「それが、問題なんだ」
福島が、舌打ちをしたとき、中央の通路を、ばたばたと、五、六歳の男の子が、走って来た。
光線銃のオモチャを持っている。
親も、この列車に乗っているのだろうが、いっこうに、注意する気配がない。そのせいか、平気で、走り廻っている。
気が立っている佐川が、
「うるせえぞ!」
と、怒鳴った。
いつもの福島なら、一緒になって、子供の頭を、ごつんとやるところだが、
「ちょっと待てよ」
と、とめた。
福島は、怒るかわりに、その、いかにも腕白そうな男の子の頭をなでた。
「坊やは、なかなか、勇ましいな。その光線銃で、悪い奴を、やっつけるのかい?」
「うん」
子供は、顔を赧《あか》くして、うなずいた。
「じゃあ、坊やに、お願いがあるんだけどな」
「何だい?」
「実は、5号車に悪者がいるんだ。そいつを、坊やに、やっつけて貰いたいのさ」
「ふーん」
「そいつは、悪い奴で、顔を見られるのが嫌だもんだから、上衣を、すっぽり頭からかぶって、かくしてるんだ」
「ふーん」
「そいつの顔にはね、このおでこのところに、悪者のマークがついてるんだ。だから、顔をかくしてるんだ。こっちへ来てごらん」
福島は、その子を引っ張って、5号車との境まで連れて行った。
抱きあげ、ドアについている小さな窓から、5号車の中を見させた。
「ほら、上衣を頭からかぶっている悪者がいるだろう?」
「うん。いる」
子供は、興奮した口調でいった。
「じゃあ、君は、そっと、あいつに近づいて、あのかぶっている上衣を、はぎとるんだ。そして、あいつのおでこに、悪者のマークがついているかどうか、調べるんだ。坊やは、勇敢だから、出来るだろう?」
「うん。出来ます」
「よし。行ってこい」
福島は、ぽんと、子供のお尻《しり》を叩《たた》いた。
光線銃を持った子供は、使命感に燃えて、5号車の中へ入って行った。
福島は、身体を斜めにして、窓から、じっと、子供が歩いて行くのを見ていた。
石本刑事は、オモチャの光線銃を持った子供が、通路を、こちらに向って歩いて来るのを見ていた。
石本にも、丁度、同じくらいの子供がいる。
(近頃、一緒に、遊んでやらないな)
そんなことを思っているうちに、子供は、石本たちの席のところで、立ち止った。
三人掛けのシートである。石本の隣りは、三浦に扮《ふん》した日下刑事が、上衣を頭からかぶって、座っている。窓際の端には、小柄な谷川刑事がいる。
「どうしたんだい? 坊や」
と、石本が、声をかけた。
子供は、黙って、不思議そうに、日下刑事を見ている。
石本が、笑って、
「この人は、恥かしがり屋だから、上衣をかぶっているんだよ」
と、いったとき、子供は、ふいに、手を伸ばして、日下刑事のかぶっている上衣を引っ張った。
不意だったので、日下が、あわてて、両手で押さえようとした時には、上衣は、剥《は》ぎとられていた。
「ないや」
と、子供は、あっけらかんとした顔で、呟《つぶや》いた。
日下は、相手が子供なので、怒るに怒れず、苦笑しながら、
「何がないんだい?」
「おでこに、悪者のマークがないや」
そんな会話が、かわされているとき、石本は、じっと、通路の先にあるドアを見つめた。
ドアについている小さな窓のところに、男の顔が見え、それが、ぱっと、消えるのを見た。
「やられたよ」
と、石本は、日下と、谷川の二人にいった。
「何がだ?」
谷川が、きいた。
「顔を見られた。三浦じゃないことが、ばれてしまったよ」
「じゃあ、この子は――?」
「この列車に乗ってる川田組の奴が、この子に、やらせたのさ。日下君の上衣を取らせて、顔を見ようとしたんだ」
「誰に頼まれたんだ?」
日下が、子供の肩をつかんで、きいた。
急に、大声できかれて、子供は、泣きべそをかいたような顔になってしまった。
石本は、笑いながら、
「子供を叱ったって、仕方がないさ。とにかく、ニセモノだということは、ばれてしまったんだ。本部に連絡して、次の指示を聞いてくるよ」
と、いい、電話のあるビュッフェに向って歩いて行った。
4号車に入ったところで、じろりと、乗客の顔を見廻した。
三分の二くらいの席が埋っている。この乗客の中に、川田組の連中が、いるに違いないのだが、どの乗客がそうなのか、わからなかった。
それに、こちらが、ニセモノとわかってしまっては、見つけ出しても、仕方がないだろう。
石本は、ビュッフェまで行き、そこの電話を使って、本多捜査一課長に、連絡を取った。
「間もなく、盛岡に着きますが、ニセモノとばれてしまいました」
と、石本は、本多に報告した。
「そうか。仕方がないな」
「川田組の連中も、『やまびこ13号』に乗っているのは、ニセモノだと、報告すると思いますね。私たちは、これから、どうしたらいいですか? ニセモノとわかってしまっては、このまま、札幌まで行く理由が、なくなってしまいましたが」
「いや、君も、谷川君も、日下君も、そのまま、予定どおりのルートで、札幌へ、行ってくれ」
「しかし――」
「三浦を連れて、十津川警部と、亀井刑事が、札幌へ向っている。それを、側面から助けるんだ」
「わかりました。しかし、十津川警部たちは、今、どこにいるんですか?」
「それが、私にも、わからないんだ」
「本当ですか?」
「本当だよ。ただ、三浦を連れて、札幌に向っていることだけは、確かだ」
「すると、この『やまびこ13号』に乗っているかも知れませんね」
「そうだな。しかし、列車の中で、彼に会っても、君の方から声をかけるなよ。川田組では、十津川警部が、三浦を護送していると考え、彼が、今、どこにいるかを必死になって調べているようだからね」
「わかりました。もし、会っても、側面から助ける形を取ります」
佐伯は、盛岡でおりた福島から、「やまびこ13号」の標的Bは、ニセモノだと、知らされた。
福島は、得意になって、子供を使って、ニセモノであることを見抜いた顛末《てんまつ》を、電話で喋《しやべ》った。
「よくやったな」
と、佐伯はほめたものの、その先のことを、考えていた。
標的AとBは、三浦ではなかった。とすると、チャーター機に乗った男が、本物の三浦なのだろうか?
それとも、標的Cも、ニセモノなのか、一刻も早く、それを見きわめて、対応策を考えなければならない。
電話では、福島が、まだ、自慢話を続けている。
佐伯は、それを、聞き流しながら、チャーター機が、今頃、どの辺りを飛んでいるだろうかと、考えていた。
午前十一時に、警察がチャーターした飛行機は、仙台空港を出発している。立花と平野も、すぐ、そのあとを、追った筈である。
間もなく、両機とも、青森空港に着くだろう。もし、それに乗っているのが、三浦なら、絶対に、津軽海峡を越えさせてはならない。北海道に、行かせてはならない。
「弁護士の先生。聞いてるのか?」
という福島の言葉で、佐伯は、現実に引き戻された。
あわてて、「聞いてるよ」と、いった。
「よくやってくれた」
「何をいってるんだ。これから、おれと佐川は、どうしたらいいかと、きいてるんだ」
福島が、突っかかる調子でいった。
「そうだったな。君たちは、遊軍として、やはり、札幌へ向ってくれ。立花と平野が、飛行機で、今、青森へ向っている。間もなく、青森空港へ着く筈だ。二人と同じように、君たちも、青森―函館―札幌と行くんだ。そして、彼等が、本物の三浦をつかまえることに成功したら、力を貸してやってくれ」
「わかったよ。それで――」
と、福島はいいかけて、急に、声が、小さくなった。
「どうしたんだ?」
「今、おれたちの傍を、鉄道公安官が、通って行ったんだよ。あれは、『やまびこ13号』に乗ってた奴だ。やけに、警戒が厳重だよ」
福島が、電話の向うで、舌打ちするのが聞こえた。
「公安官が乗っていたからといって、びくつくことはないだろう。彼等は、列車に乗るのが仕事だからな」
「そりゃあそうだが、おれは、ああいう黒っぽい制服を見ると、ジンマシンが出て来るんだ」
福島が、吐き捨てるようにいった。
佐伯は、とにかく、予定どおり、札幌へ向えと指示して、電話を切ってから、ニヤッと笑った。福島の「ジンマシン――」がおかしかったからである。
確かに、警官と、鉄道公安官も、制服を着ているが、ヤクザだって、何かのパーティとなると、なぜか黒っぽい背広を着て来て、まるで、それが、制服のように見える。川田組でも、同じである。福島自身、兄貴株の組員が亡くなったときは、黒い背広で、走り廻ったものだった。
十一時三十分を過ぎて、成田空港に行っている三人から、最初の連絡が入った。
電話して来たのは、江木という組員である。二十三歳と若いが、妙に落ち着き払っていて、何を考えているのか、わからないところがある男だった。
「三浦は、まだ現われませんよ」
と、江木は、女のように、甲高《かんだか》い声でいった。身体つきも、きゃしゃで、色白である。
いつだったか、彼が、ひとりで飲んでいて、プロ野球の選手に、ゲイボーイと間違えられて、からかわれたことがある。江木は、下を向いて、何もいわず、店を出て行った。その夜おそく、野球選手は、酔って、宿舎へ帰ったが、途中で、何者かに襲われ、片腕を切り落とされてしまったのである。
警察は、必死に捜査したが、いまだに、犯人はあがっていない。しかし江木が、いったん自宅に帰り、日本刀を持って、相手を待ち伏せして、一刀のもとに、選手の利《き》き腕を切り落としたのだろうという噂《うわさ》がもっぱらだった。
被害者の選手は、将来有望といわれていた二軍のエースだったが、片腕を失い、選手生命も、失ってしまった。
佐伯は、江木と話をするとき、いつも、この事件を思い出す。
「間違いないか?」
と、佐伯は、念を押した。
「ええ。間違いありません。三人で監視していたんですが、三浦は現われません。顔をかくして、飛行機に乗る人間も見ませんね」
「標的Aと、Bは、三浦じゃなかったよ。『やまびこ11号』と、『やまびこ13号』の乗客だ」
「佐伯さんは、三浦が、国鉄で札幌へ運ばれると、みていたんじゃありませんか」
江木が、いった。
皮肉も入っているのだろうが、女のような声でいうと、あまり、気にならない。
(この男は、本音はどうなのだろうか? ホモなのだろうか?)
そんなことを、ふと、考えさせるものを、江木という男は、持っていた。
「A、Bの標的が、ニセモノとなって、三浦は、チャーター機で、札幌へ行くか、或《ある》いは、成田からグアムへ行くか、どちらかの可能性が強くなって来た。そのつもりで、そちらの監視を続けてくれ」
「標的AとBが、三浦ではないと、どうしてわかったんですか?」
と、江木が、きいた。
「標的Bの方は、福島君が、同じ『やまびこ』に乗っていた子供をうまく使って、見破った。Aの方は、田中君が、三浦と思って、狙撃《そげき》したが、違っていたんだ」
「それで、田中さんは、どうしました?」
「刑事に、射殺されたよ。盛岡駅のホームでね」
「彼は、鉄砲玉だから」
江木は、クスッと笑った。
聞いていて、その笑い声に、佐伯は、思わず、ぎょっとした。別に、組員の間に、強い連帯感があると思っているわけではないが、仲間の死を聞いて、忍び笑いをする江木の気持が不可解だったのだ。
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第五章 青森空港
十一時四十分。
立花や、平野たちの乗った双発のセスナ四〇一型機は、青森空港へ着陸した。
青森空港は、青森市内から、車で、約四十分のところにあり、滑走路は一本だけの地方空港である。
青森―東京間に、一日往復六便、また、青森―千歳間に、一日二便の東亜国内航空が、就航している。滑走路が短いため、ジェット旅客機は使用できず、全《すべ》て、YS11である。
そのYS11も、今日は、ストのため、一機が、滑走路の端に、翼を休めているだけだった。
立花と、平野は、着陸すると同時に、窓から、滑走路を見廻した。
警察がチャーターしたS航空の双発機が、とまっているのが見えた。間違いなく、白と赤の二色で塗り分けられ、S航空の名前の入ったエアロコマンダーである。
「あの傍へとめてくれ」
と、立花は、操縦士にいった。
彼等の乗った飛行機は、プロペラの甲高い音を立てながら、ゆっくりと、先行したエアロコマンダー機の近くへ寄って行った。
車輪が停止すると、プロペラも、急速に、回転を落としていった。
立花と平野は、まだ、完全にプロペラが停止しない中《うち》に、ドアを開けて、飛行機から、地上に降りた。
平野は、モーゼル自動|拳銃《けんじゆう》の入ったボストンバッグを手に下げている。
立花は、何気ない風を装うために、煙草をくわえてから、エアロコマンダーの方へ、歩いて行った。
だが、客室の窓には、カーテンが下りていて、内部が見えなかった。
「くそッ」
と、立花が、舌打ちした。
仙台空港でも、客室の窓には、カーテンがかかり、乗っている人間の顔は、見えなかった。
二人は、空港の建物の方へ歩いて行った。
待合室も、小さかった。何となく、鉄道の駅の待合室に似ているのは、小さいせいだろう。
土産《みやげ》物などを売っている売店は、開いていた。
東亜国内航空の営業所は、閉っている。
空港の職員が、二人の男と、話をしていた。
一人は、エアロコマンダーの操縦士で、もう一人は、鋭い眼つきから、刑事だと、想像が、ついた。
立花と、平野は、顔を見合せてから、待合室のベンチに腰を下した。
小声で話しているので、何の話なのか、聞こえない。
そのうち、エアロコマンダーの操縦士と、刑事が、待合室を出て行った。彼等が、向うの飛行機に乗り込んでしまうのを確認してから、立花が、空港職員のところへ歩いて行った。
「今着いたD航空のものですが」
と、彼は、丁寧にいった。
「ああ、そうですか」
相手は、少し、東北|訛《なま》りのあるいい方をした。
「いつ、離陸許可が出ますか?」
「飛行計画は、出ていましたね?」
「ここを発《た》ったあとは、函館経由で、千歳へ行くことになっています」
「ああ、今のS航空と同じ飛行計画でしたね」
「向うは、いつ、ここを発《た》つんですか?」
「どちらも、午後にならないと、飛行許可がおりません。ご存知とは思いますが、今日は、航空管制官の数も少ないし、各空港の出勤している職員も、わずかですからね」
「午後の何時になるんですか?」
「午後二時以後になると思います。S航空の方は、了承されましたが」
「それなら、われわれも了承しますよ」
と、立花は、いった。
空港職員が、奥へ消えてしまうと、立花と平野は、待合室にある公衆電話で、佐伯に連絡を取った。
「午後二時まで、あと、二時間十二分ある。問題は、その間に、向うの飛行機に乗ってるのが、本物の三浦かどうか、わかるかどうかだね」
と、立花は、百円玉を、投げ込みながら、佐伯にいった。
「何とかして、調べてくれ。本物の三浦なら、北海道へは、やりたくないからね」
佐伯が、いった。
「あんたは、頭がいいんだから、どうしたらいいか、考えてくれよ」
立花がいうと、佐伯は、
「そちらの状況がわからないのでは、私にも、どうしていいかわからん。君と平野君と二人いて、おまけに、二時間もあれば、何とかなるんじゃないか」
「何とかするとして、三浦だとわかったら、ここで、消すんだな?」
「ああ、そうだ」
「標的Bは、どうなった?」
「あれは、ニセモノとわかったよ。だから、そこにいるのが、三浦の可能性が、一層強くなって来ているんだ。だから、頼むよ」
「わかった」
と、立花は、いってから、受話器を、平野に渡した。
平野は、皮肉な顔になって、
「佐伯さん。あんたは、最後まで、そこから動かないつもりかい?」
「君たちが、全て失敗したとき、私が、自分の手で、殺《や》る」
と、佐伯が、いった。
平野は、小鼻にしわを寄せて、
「ほう。弁護士が、そんなことをしていいのかねえ」
「他にも、手段は、考えているさ。しかし、その前に、君たちに、期待しているんだ」
「オーケイ。丁度、百円玉がなくなったんで、これで切るよ。首尾を待っていてくれ。多分、あんたの手をわずらわさずに、片がつけられると思うよ」
立花と、平野は、待合室を出ると、滑走路の端を、並んで歩いた。
「佐伯は、ここで、阻止しろといっている。どうしたら、三浦かどうか、わかるかな?」
立花が、歩きながら、平野にきいた。
初夏の太陽が、滑走路に降り注いでいて、眩《まぶ》しかった。内陸部にある空港なので、風はあまりない。
「どうしてもというのなら、向うの飛行機に火をつければいい。中に閉じ籠《こも》ってる奴も、あわてて、飛び出して来るさ」
平野は、こともなげにいった。
「相変らずだな」
と、立花は、苦笑した。
「しかし、これが一番、手っ取り早くて、確かだよ」
「そうかも知れないが、ニセモノだったとき困る。放火で、おれたち全員が、逮捕されてしまい、その上、三浦が、どこにいるか、わからないままになってしまうからね」
「おれが、ひとりでやるさ。本物だったら、おれが、三浦を殺す。ニセモノだったら、おれ一人が火をつけたと自首するさ。君は、他の連中と、改めて、本物の三浦を追いかけてくれ」
「まあ、もう少し考えてみよう。あと、二時間あるんだ」
立花は、滑走路わきの草むらに腰を下した。
平野も、その横に腰を下し、ボストンバッグを、足もとに置いた。
立花は、煙草に火をつけた。
平野は、エアロコマンダーの機体に眼をやった。
男が一人、飛行機から降りて来て、空港の建物の中に入って行った。
「さっきの刑事だよ」
と、立花が、いった。
「どこへ行ったんだろう?」
「おれたちと同じで、本部へ連絡しに行ったんだろう。それから、空港の外に、食堂があったから、昼食を食べに行ったのかも知れないな」
「そういえば、もうじき十二時だな」
平野は、腕時計に眼をやった。
「機内の標的が、昼食をとりに、出て来てくれるといいんだがね」
立花が、いった。
しかし、十五、六分すると、さっきの刑事が、大きな包みを持って、戻って来た。その包みを下げたまま、刑事は、また、機内に入ってしまった。
「どうやら、標的が、昼食をとりに出て来るという期待は、駄目になったみたいだな」
と、平野が、いった。
「ああ、そうらしい。あれは、恐らく、食堂で、何人分かの弁当を作って貰《もら》って、持って来たんだ。標的は、あくまでも、機外へ出さないつもりだ」
立花が、いまいましげにいった。
「しかし、小便はどうしてるんだろう? おれたちの飛行機と、どっこいどっこいの大きさだから、トイレがついている筈《はず》がないんだからな」
「何かの瓶《びん》の中にでもやってるんだろう。この分だと、千歳に着くまで、標的は、機の外へは、出さない積りだろう」
「そうなると、三浦の可能性が、ますます、強くなってくるな」
平野は、眼を光らせた。
立花は、煙草を、地面に押し潰《つぶ》すようにして、消した。
「標的が、絶対に出て来ないと決ったら、われわれも、昼食にするとしようじゃないか。どうするかは、そのあとで、考えよう」
と、立花は、いった。
立花と平野は、一緒に調布飛行場から乗って来た三人の組員を連れて、空港の近くにある食堂で、昼食をとった。
立花が、食堂の主人にきいてみると、やはり、さっきの刑事は、四人分の弁当を作らせて、持って行ったということだった。
四人分というと、操縦士の分もということだろう。
立花は、どちらかといえば、小食の方だし、食べるのも早い。
一番早く、食べ終ると、コーヒーを別に頼んだ。
食堂の窓から、空港の建物が見える。
運ばれて来たコーヒーを、砂糖をいれずに飲んだ。インスタントコーヒーのようだが、立花は、まずいとは、思わなかった。コーヒーが好きで、毎日、五、六杯は飲んでいるからだろう。
(どうしたら、いいだろうか?)
と、立花は、改めて、考えた。
平野がいうように、向うの飛行機に火をつけるのは、確かに、手っ取り早いし、効果もあるだろう。
あわてて飛び出して来たのが、ニセモノだったら、放っておけばいいし、本物の三浦だったら、平野が、モーゼル自動拳銃で射殺すればいい。
彼の持っているモーゼルは、フルオートマチックだから、二十発の弾丸を、一瞬の中《うち》に、相手に、浴びせかけることが出来る。間違いなく、相手は、死ぬだろう。
標的Aは、盛岡駅のホームで、田中が、狙撃したが、防弾チョッキを着ていたので、助かったという。
しかし、平野のモーゼルに狙《ねら》われたら、防弾チョッキをつけていても、助からないだろう。平野も、防弾チョッキのことは知っているから、相手の顔を狙うに違いない。二十発の弾丸を、顔面に射ち込まれたら、助からないだろう。
(だが、やはりまずいな)
と、立花は、思う。
向うには、刑事が二人ついている。もし、三浦がニセモノなら、それも刑事だろうから、三人になる。
彼等は、立花たち川田組の人間が、セスナ四〇一で、この青森空港まで、追いかけて来たことを、当然、知っている。
こちらが、飛行機に火をつけたら、向うも、射って来るだろう。こちらは、全員が、逮捕されるか、射殺される危険がある。
三浦本人とわかって、平野が、射殺したあとで、逮捕されるのなら、まだいい。だが、盛岡駅のホームで射殺された田中みたいに、相手がニセモノだったら、馬鹿らしいことになる。
(向うの操縦士が、おりて来たところで捕まえ、痛めつけて、どんな男が、乗っているか、吐かせるのは、どうだろうか?)
二時間もあるうちには、エアロコマンダーの操縦士が、機外へ出ることが、あるだろう。
煙草を買いに行くことだって、あるかも知れないし、トイレに行きたくもなるだろう。その時に捕まえて、白状させるのだ。脅《おど》すのは、なれているから、簡単だろう。
(だが、刑事たちが、操縦士を、ひとりにさせないだろう)
と、立花は、思った。
さっきも、刑事が一緒に、空港職員に会っていたではないか。
「どうしたらいいか、わからんな」
立花は、とうとう、声に出していった。
平野が、面倒くさそうに、
「だから、火をつけて、飛び出して来たところを射殺すればいいといってるじゃないか」
と、いった。
「他に、誰《だれ》か、いい考えはないか?」
立花は、三人の組員の顔を見廻した。
「タイヤをパンクさせたらどうなんです?」
と、組員の一人が、いった。
「それで?」
「そうすりゃあ、あの飛行機は、飛べなくなりますよ。自動車と違って、飛行機のタイヤの交換は、簡単に出来ませんからね」
「それで?」
「それでって、それで、いいんでしょう? 三浦を、札幌へやらなきゃいいんだから。しびれを切らして、奴が、飛行機から、出て来たら、平野の兄貴が、射殺すればいいんだ」
「駄目だな」
と、立花は、いった。
「二つの理由で、駄目だ。一つは、あの飛行機が、飛べなくなっても、三浦は、北海道へ行けるからだ。前にも、佐伯弁護士がいったように、一四時五五分発の青函連絡船に乗れば、その日の中に、札幌へ着けるんだ。もう一つ、こっちの方が、大切だ」
「どんなことですか?」
「おれたちが、飛行機をチャーターして、追いかけて来たことは、向うも、先刻、承知だ。それなのに、彼等が、おれたちを逮捕しないのは、今のところ、おれたちが、何もしていないからだ。ただ、飛行機をチャーターして、同じ方向に飛んでいるだけだからな。しかし、彼等は、おれたちを、逮捕したくて、仕方がない筈だ。もし、向うの飛行機のタイヤをパンクさせてみろ。彼等は、すぐ、青森県警に電話して、応援を求め、おれたちを逮捕するに決っている」
「兄貴。証拠をつかまれないように、やってみせるさ」
「駄目だ。容疑だけだって、おれたちを、二十四時間は、勾留《こうりゆう》出来るんだ。そうしておいてから、車で、青森駅へ行き、一四時五五分の青函連絡船に乗るに違いない。ここから、車なら、四十分で、青森駅に着けるんだからね」
「おれが、間違えたふりをして、向うの飛行機をのぞいて来ましょうか?」
と、もう一人の組員が、立花にきいた。
「間違えたふりをして?」
「そうですよ。おれが、乗る飛行機を間違えたふりをして、向うの飛行機のドアを開けて、中をのぞくんですよ。おれは、三浦の顔を知ってるから、本物かどうかわかりますからね」
「なるほどね」
「うまくやりますよ」
「無理だな」
立花は、そっけなくいった。
「なぜです? 単に、乗る飛行機を間違えて、のぞいてしまったんだから、逮捕も出来ませんよ」
「向うに乗ってるのは、三浦だけじゃないんだ。刑事が二人、一緒だ。間違えたふりをして、ドアを開けたら、たちまち、刑事に捕まってしまうのがオチだよ。不法侵入の現行犯でだ。他に、考えはないか?」
立花は、三人目の組員の顔を見た。
「おれにも、どうしたらいいか、わかりませんよ」
三人目の園田という組員は、当惑した顔で、いった。
平野は、そんな男を、じろりと見てから、煙草に火をつけた。
「だから、乱暴でも、おれのやり方が、一番いいんだ」
平野がいうと、組員の一人が、
「おれも、賛成ですよ。おれが、火をつけてもいい」
「ライターで、火をつけたって、ああいうものは、燃えやしないよ」
と、平野が、いった。
「ハイオクタンの航空燃料が入っている燃料タンクに、二、三発射ち込めば、燃えあがるさ」
「ますます、佐伯弁護士が、渋い顔をするぞ」
と、立花がいった。
「あんたも、渋い顔をしてるじゃないか」
平野が、笑いながらいった。
「少しばかり、乱暴すぎるからだよ。失敗したら、三浦かどうか確かめる前に、われわれ全員が、逮捕されてしまう恐れがある」
「怖がってたら、何も出来ないぜ。あんただって、学生運動で、危うく死にかけたことがあったんだろう?」
「あれは、これとは違う」
「どう違うんだ?」
「今、そんな話はしたくない。それより、何とか、うまく、三浦かどうか確かめる方法を知りたい。二時までにだ」
立花は、平野を睨《にら》むようにしていった。
立花は、平野が、自分に似ていると、思うことがある。同じように、この世界を軽蔑《けいべつ》しながら、この世界に生きているからだ。しかし、おれとは違うと感じる時もある。今度のような場合だった。
平野は、明らかに、人を殺すことを、面白がっているところがある。
そして、結局、おれは、この男に引きずられて、亡びてしまうのではないかという気がするのだ。
「どうですか? おれが、この食堂の人間に化けて、向うの飛行機に、届けものをしたら?」
と、中尾という組員が、いった。
「何を届けるんだ?」
立花が、きいた。
「刑事が、四人分の弁当を作らせて、持って行ったわけですから、お茶でもいいと思いますがね。サービスだからといって、お茶を運んで行って、機内に入り、三浦かどうか、見て来るというのは、どうです?」
「悪くはないな」
「そうでしょう? やらせて下さい。うまくやりますよ」
「一応、やってみろ。失敗しても、お茶の出前で、逮捕されることもないだろう」
立花は、そういった。
中尾は、平凡な顔立ちをしていた。白い上衣を着せると、食堂の出前持らしく見えた。
湯呑《ゆの》み四つと、やかん、きゅうすなどを、岡持《おかも》ちに入れて、中尾は、出かけて行った。
立花たちは、人気《ひとけ》のない空港待合室に戻り、そこで、首尾を待つことにした。
十五、六分して、中尾が戻って来た。
中尾は、行く時の元気さとは別人のように、首をすくめて帰って来た。
「上手《うま》くいきませんよ。刑事の奴が、飛行機のドアのところに、がんばっていた。おれを、中に入れさせないんだ。お茶も、その刑事が、受け取りやがった」
中尾は、ペッと、床に、唾《つば》を吐いた。
平野が、黙って、ボストンバッグから、モーゼル自動拳銃を取り出した。
「どうするんだ?」
立花が、きくと、平野は、モーゼルに、ストックを取りつけながら、
「わかってることをきくなよ。他に方法がなければ、おれのやり方でやるより仕方がないだろう。あんたらは、飛行機に乗って、飛び立った方がいいな。ここは、おれ一人で十分だ」
「だが、まだ、離陸許可は出ていないんだ」
「そんなもの、くそ食らえだ。早くしないと、全員が、逮捕されちまうぞ」
平野は、いったん、走り始めたら、もう、止めようのない男だった。
立花は、「わかった」といい、三人の組員に、飛行機に乗るように合図してから、平野に、
「約束して貰いたいことがある」
「なんだ?」
「おれたちが、飛び立ったら、向うの連中は、どうしたんだろうと、機の外へ出て来るかも知れない。そうなれば、別に、射たなくても、三浦かどうかわかるだろう?」
「警察は、それほど甘くはないと思うがな」
「とにかく、その時には、射たずにすませると、約束してくれないか。おれは、あんたに自分を大事にして貰いたいんだ」
「ふーん」
と、平野は、鼻を鳴らした。
立花は、真顔《まがお》で、
「川田組で、おれと、あんただけが、他の連中と違っている。だから、あんたがいなくなると、寂しいんだ」
「あんたが、そんなに、センチメンタルだとは知らなかったな。わかったよ。なるたけ、これは、射たないようにするよ」
平野は、笑って、モーゼルを軽く叩いて見せた。
立花は、飛行機に戻ると、操縦士に、
「すぐ、離陸してくれ」
「しかし、二時にならなければ、離陸するなと、いわれているんですよ」
と、操縦士は、文句をいった。
「いいから、すぐ、離陸するんだ」
「函館へ行くんですか? まだ、着陸許可が出ないかも知れませんよ」
「この上空を旋回してくれ、そのうち、行先を指示する」
と、立花は、いった。
「早くしろ!」
立花が、脅《おど》かすようにいった。操縦士は、エンジンのスロットルレバーを引いた。
プロペラが回転を始めた。
平野は、建物の屋上にあがっていった。
飛行機の燃料タンクは、翼の付け根の部分にある。
燃料タンクを狙うなら、飛行機を見下す位置から、狙撃する必要があったからである。
立花たちの乗ったセスナ四〇一が、ゆっくりと、滑走路の端まで移動して行き、鋭いスタート・ダッシュをつけて、滑走を始めた。
全長一〇・二九メートルの機体が、ふわっと、浮き上った。
セスナ四〇一は、青空に向って上昇して行く。
平野は、屋上に腹這《はらば》いになり、モーゼル自動拳銃を脇《わき》へおいて、エアロコマンダーを見つめた。
刑事が一人、飛び出して来て空を見上げている。
続いて、もう一人の刑事が、機外へ出て来たが、肝心の三浦は、相変らず、機内に閉じ籠《こも》ったままである。
平野は、腕時計を見た。
十分たった。が、三浦は、出て来ない。
片方の刑事が、待合室の方へ駆けて行った。多分、妙な事態になったので、東京に電話して、上司の指示を仰ぐつもりなのだろう。
十五分。
離陸したセスナ四〇一が、上空で、旋回し始めた。
平野は、二十発入りの弾倉を装填《そうてん》し、翼の付け根めがけて、軽く引金をひいた。
すさまじい発射音と共に、二十発の弾丸が、あっという間に、翼の付け根に、吸い込まれていった。ぶす、ぶすと、穴があいていく。
どーんと、大きな音がしたかと思うと、突然、炎が噴き出した。
エアロコマンダーの機体が、猛烈な勢いで、燃えあがる。
二人の刑事が、あわてて、拳銃を取り出し、どこに、狙撃者がいるのかと、探し始めた。
平野は、少しずつ、腹這いのまま、位置をずらして行った。新しい弾倉を装填する。
炎上する機内から、操縦士と、もう一人の男が、飛び出して来た。
(くそ! 別人だ)
と、平野は、思った。
三浦ではないのだ。体型は似ているが、別人だった。恐らく、刑事だろう。
平野は、立花の言葉を思い出して、逃げ出すことにした。
起き上り、身体を低くして、屋上を、非常階段に向って、走った。
非常階段に辿《たど》りつき、足をかけたとき、下から、
「止まれ!」
と、いう声が飛んできた。
刑事の一人が、下へ廻っていたのだ。
「抵抗するな! 手をあげろ!」
刑事が、拳銃を構えて叫ぶ。その顔が、引き吊《つ》っている。
平野の口元に、笑いが浮んだ。
手を上げる代りに、モーゼルの銃口を相手に向けて、引金をひいた。
眼の前で、薬莢《やつきよう》が、ばらばらと飛散し、地面に、弾丸が突き刺さっていく。
その時、下からも、一発、二発と、弾丸が、飛んで来て、平野の身体を貫通した。
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第六章 国鉄青森駅
警視庁捜査一課の電話が鳴っている。
一課長の本多が、腕を伸ばして、受話器をつかんだ。
青森空港にいる杉浦刑事からだった。
「川田組の一人が、業《ごう》を煮やして、こちらの飛行機を射って来ました」
杉浦は甲高《かんだか》い声でいった。
「それで、みんな無事か?」
「大丈夫です。向うも、われわれを殺すのが目的じゃなくて、本物の三浦かどうか知りたくて、やったことだったようです」
「しかし、いきなり、射つなんていうのは、乱暴な奴だな」
「向うの飛行機が、離陸したので、どうしたのかなと、空を見上げているところを、いきなり射たれまして。燃料タンクを射たれて、炎上してしまいました。一人だけ、残っていたわけです」
「それで、射った奴は?」
「阿部刑事が、射殺しました。向うが射って来たので、止《や》むを得ずです。川田組の幹部の平野という男です」
「それで、彼等の飛行機は、どこへ行ったんだ?」
「低空を旋回していましたが、われわれが、平野を射殺した直後に、姿を消してしまいました。しかし、三浦でないことは、わかってしまったと思います。石原刑事が、火災が発生したので、顔をかくさずに、機外へ飛び出してしまいましたので――」
「それは、仕方がない。怪我《けが》がなくて、何よりだ」
「これから、どうしますか?」
「そこの処置は、青森県警に委《まか》せることだ。死体も、県警に委せろ」
「それで、われわれは、どうしますか?」
「ニセモノとわかっては、もう陽動作戦の必要はないが、十津川警部たちを、側面から助ける役に回ってくれ。十津川警部たちは、青森着一四時〇五分の『はつかり7号』で、そちらに着く筈だ。川田組も、同じ列車で、青森に着くと思う。青森からは、一四時三〇分の連絡船か、或《ある》いは、一四時五五分の連絡船に乗るだろう。君たちも、どちらかの連絡船に乗って、北海道へ向ってくれ」
「向うの飛行機は、どうしますか?」
「多分、函館へ向ったのだろうが、空港で押さえるように、こちらから手配する。一緒にいた仲間が、警察のチャーター機を狙撃《そげき》して炎上させたんだ。その共犯ということで、逮捕させることは出来るだろう」
本多は、電話を切ると、今度は、北海道警本部に連絡して、ここまでの経過を説明した。
「目下、川田組は、必死になって、本物の三浦が、どこにいるか調べていると思います。青森空港で、警察のチャーター機を炎上させた連中も、函館空港へ向ったと思います。次は、北海道の入口、函館で、三浦を阻止しようとするに違いありませんから」
「すぐ、刑事を函館空港へやって、彼等を押さえましょう。飛行機は?」
「東京調布飛行場のD航空所属で、双発のセスナ四〇一です」
「函館市警から、パトカーを行かせましょう。それだけでいいですか? 三浦を迎えに行きましょうか?」
「それは、十津川警部が、北海道に着き次第、必要があれば、連絡すると思います」
と、本多はいった。
セスナ四〇一は、東に向って、飛んでいた。
青森空港で、警察のチャーターしたエアロコマンダーが、火を吹いて燃えあがるのを見てから、七、八分が経過している。
立花は、低空を旋回する機内から、双眼鏡で、地上を見ていて、三浦のニセモノだと確認した。
これで、A、B、Cと三つの標的は、全《すべ》て、ニセモノだったことになる。
(本物の三浦は、どこへ消えてしまったのだろうか?)
と、立花は思った。が、今は、自分たちのことを、どうするかが、先決だった。
平野は、多分、警官に射たれただろう。あの男はどこか、死に急いでいるようなところがあった。なぜかは、立花にもわからない。
平野が、警察のチャーターした飛行機を狙撃して炎上させた。しかも、あの機内に、まだ、何人かが乗っている時にである。
恐らく、警察は、殺人未遂容疑で、この事件を扱おうとするだろう。
「まともに、飛行場には、おりられんな」
立花は、窓の外に眼をやりながら、いった。
「函館へ行くんじゃないんですか?」
若い組員の中尾が、不審そうに、立花を見た。
立花は肩をすくめた。
「警察は、真っ先に、函館空港を手配するよ。そんなところへ、のこのこと降りてみろ。空港から、警察へ直行だ」
「じゃあ、調布飛行場へ戻るんですか?」
「それも駄目だな。調布にだって、警察が手配してるだろう。おれたちは、殺人未遂で逮捕されてしまうよ。平野の共犯だ」
「じゃあ、どうするんだ?」
寺田五郎が怒ったような声を出した。
「どこの飛行場にも、警察が、手を廻していると考えていい。だから降りるとしたら、飛行場以外のところだな」
立花は窓の外を見ていた視線を、操縦士に移した。
中年の操縦士は、蒼《あお》ざめた顔で、
「面倒に巻き込まれるのは、ごめんですよ」
「もう巻き込まれちまってるよ」
「私は、こんなことになると思って、この飛行機を飛ばして来たんじゃありませんよ」
「今更、泣きごとはいいなさんな」
と、立花は、軽く操縦士の肩を叩いてから、
「燃料は?」
「青森空港で、補給しましたからね。大丈夫です」
「すると、この飛行機の航続距離千キロは、飛べるんだな?」
「それは、風の具合もよくて、巡航速度で飛んでと、条件が揃《そろ》っている時の数字ですよ。だから、七百キロぐらいと思って下さい」
「地図を持って来い」
立花は、中尾に、日本地図を広げさせ、指で、地図の上の距離を、あれこれ測っていた。
「七百キロでも、北海道の端まで、カバーできるわけだな」
「その代り、引き返しては来られませんよ」
と、操縦士が、いった。
「どこか、北海道で、人眼《ひとめ》に触れずに降りられるところはないか?」
「私は、北海道は、千歳空港までしか行ったことはない。それも、ちゃんとした飛行場しかおりたことはないんだ」
「使わなくなった飛行場なんかないのかね?」
「そんなものは、知らないよ。それより、調布に戻ったらどうですか? 私は、会社にも報告しなければならないし――」
操縦士が、無線電話に手を伸ばそうとするのを、立花が、横から押さえた。
「死にたくなかったら、地上と連絡するのはやめるんだ」
「しかし、このまま東に向って飛んでいたら、間もなく、太平洋へ出てしまいますよ」
「海岸に着陸できないか?」
「無理ですよ。第一、東北の海岸で、このセスナが、ゆっくり着陸できるような長い砂浜は、ないんじゃないですか」
「海が見えてきたぜ」
と、寺田が、いった。
眼下に、太平洋が見えた。
「北に向ってくれ」
と、立花は、操縦士にいった。
三浦を殺さなければならないと、立花は、自分にいい聞かせていた。
ボスの川田を助けるためではなかった。弁護士の佐伯のためでもない。自分にも、よくわからないのだが、強《し》いていえば、一種の義務感だろう。
立花は、佐伯に、三浦を消してくると約束した。
殺人の約束など、法律的にいえば、何の拘束力も持ってはいまい。川田組の幹部の一人としての義理でもない。立花は、義理という言葉が、もっとも嫌いな男だった。
問題は、自分自身のことである。三浦を消してくるといった以上、その言葉は、一つの義務として、彼の胸にある。もし、その義務から逃げたら、彼自身が、苦しむことになるだろう。
セスナ四〇一は、海岸線に沿って、北に向った。
やがて、下北半島が、見えて来た。
東京新宿のホテルの部屋で、佐伯は、いらだつ気持を、必死で、抑えていた。
青森空港の立花と平野から、連絡が入って来なくなってしまったからである。
標的AとBは、ニセモノとわかった。残るのは、チャーター機に乗っている標的Cだが、なぜ、立花や、平野から、報告がないのだろうか?
警察のチャーター機、エアロコマンダーが、北海道へ入る前に、標的Cが、本物かどうか確かめろと指示した。
立花と平野の二人がいるのだから、失敗する筈はないと思うのだが、それなら、なぜ、連絡がないのだろうか?
テレビのスイッチを入れてみたが、ニュースは、やっていなかった。
佐伯は、青森空港の電話番号を調べて、そのダイヤルを回した。何とかして、事態を把握したかったからである。
「こちらは、青森空港ですが」
という男の声が、聞こえた。
「東京警視庁の捜査一課の者です。そちらに、うちでチャーターした飛行機がいる筈ですが」
「ああ、警察の方を、お呼びしましょうか?」
「いや、それはいいんですが、今、どうしているか心配になりましてね。というのは、その飛行機に乗っている人間を狙《ねら》っている奴がいるのです。何ともなければいいんですが」
「実は、ついさっき、飛行機が狙撃されまして、炎上したんですが、乗っている刑事さんたちは、全員無事でした」
「そりゃあ、良かった。それで、犯人は逮捕されましたか?」
「狙撃したのは一人で、その男は、射殺されましたよ」
と、相手は、いってから、急に、「おかしいな」と、いい出した。
「今、刑事さんが、東京へ電話したんじゃなかったかな。刑事さん! ちょっと来て下さいよ」
受話器に、男の大声で叫ぶ声が聞こえた。
佐伯は、電話を切った。
どうやら、立花か平野のどちらかが、警察のチャーター機を狙撃し、炎上させたらしい。そうすれば、標的Cが、あわてて、機外に飛び出して来て、本物かどうかわかると考えたのだろう。
そして、警察に射殺された。
小柄な平野がやったのだろうと、佐伯は思った。モーゼル自動拳銃を愛用していた平野である。
しかし、他の男は、どうしたのだろうか?
近くにいて、見ていたのなら、本物かニセモノか、すぐ電話してくるだろう。そのために、射って、炎上させた筈だからである。
それをしないのは、他の連中が、飛行機で飛び立ってしまったからではあるまいか。それなら、電話できないことも、納得《なつとく》できる。
佐伯は、地図に眼をやった。
彼等は、セスナ四〇一で、どこへ向ったのか?
佐伯は、立花たちに、青森から函館へ飛べと、指示してある。それは、警察のチャーター機が、青森から函館へ飛び、そこから、千歳へ向うことになっていたからだ。
しかし、今、警察のチャーター機は、炎上してしまったという。
(それに、警察は、各空港を、すぐ押さえてしまうだろう)
立花か、平野が残っていれば、警察の動きは、読める筈だから、青森には、とどまっていまいし、函館空港に向うとも思えない。
(と、すると、どこへ向っているのだろうか?)
立花や、平野の性格から考えて、尻尾《しつぽ》を巻いて、東京へ逃げ戻ってくることは、考えられない。
どちらが、生き残っているにしろ、三浦を消すという仕事を、やり遂げようとする筈だと、佐伯は、思っていた。
それは、佐伯が、二人を信用しているということではなかった。インテリの弱さを信じているということだった。本物のヤクザなら、いざとなれば、さっさと、逃げ出してしまうだろう。土壇場で、義理のために死ぬなどというヤクザは、めったにいない。もし、そんな連中ばかりだったら、ヤクザは、とっくに亡びてしまっているだろう。
だが、因果なことに、インテリというのは、いざとなると、功利的に動けないところがある。土壇場に来たら、ひたすら、功利的に動けばいいのに、それが出来ないのだ。
功利的に動けないところが、インテリの弱さだし、逆に見れば、強さなのだと、佐伯は、思っている。追いつめられた時にも、義務だとか、アイデンティティだとかに振り廻されて、功利的に動こうとしない。
第二次大戦中、頑健なスポーツマンより、インテリの方が、拷問に強かったのは、そのせいだろう。
だから、今度も、立花や平野は、逃げ出さずに、あくまで、三浦を追うだろうと、佐伯は思った。それは、二人が、インテリだからである。
(問題は、青森にいた標的Cが、本物かどうかだな)
と、佐伯は思う。
警視庁のチャーター機を炎上させて、立花たちは、どちらかわかったのだろうが、連絡がないのでは、佐伯には、判断のしようがない。
しかし、それを、早く決めなければ、次の手を打つことが出来ない。
佐伯は、椅子《いす》から立ち上り、窓の外に眼をやり、じっと、考え込んだ。
今、青森空港に電話したとき、刑事たちは、まだ、そこにいた。空港の責任者が、大声で、刑事たちを呼んだからだ。
もし、チャーター機に、三浦本人が乗っていたらどうだろうか?
肝心の飛行機が燃えてしまったのだから、空から、北海道へ送り込むことは諦《あきら》めて、急遽《きゆうきよ》、連絡船で、函館へ連れて行く方法を取るに決っている。
現在、一三時五〇分。午後一時五十分になったところである。
青森空港から、連絡船の出る桟橋までは、車で、三十分は、かかる。青函連絡船は、一四時三〇分発、一四時五五分発のどちらでも間に合うのだが、もう、車で、空港を出発していていいと思うのに、刑事たちは、空港に残っていた。
もう一つは、電話に出た空港責任者の「刑事さんは、全員無事でした」といった言葉である。
三浦という民間人が入っていたら、こんないい方はしないのではないか。相手が、何気なくいっただけに、事実と見ていいのではあるまいか。
(青森空港のチャーター機にも、三浦は、乗っていなかったのか)
佐伯は、そう判断したものの、彼の頭の中で、当惑の度合は、逆に強くなった。
標的A、B、Cの全てが、三浦本人ではなく、ニセモノだった。
(すると、本物の三浦は、今、どこにいるのだろうか?)
これで、国鉄を利用するルート二つと、チャーター機のルートは、調べたことになる。
残る一つは、成田空港から、外国の飛行機を利用して、東京→グアム→札幌と結ぶルートである。
十津川たちは、このルートを利用する気なのだろうか? このルートなら、今から、警視庁を出発しても間に合う。
成田空港にいる江木たちから、まだ電話は入って来ない。江木は、信用のおける男だから、電話を忘れるということはないだろう。
(二つ考えられる)
と、佐伯は、口の中で呟《つぶや》いた。
国鉄利用と、チャーター機利用の二つのルートは、最初から見せかけで、三浦は、東京―グアム―札幌のルートで運ぶつもりだったのか、或いは、今までに、佐伯が、見落しをしたかである。
警察が、グアム経由を考えているのなら、あわてることはない。三浦の顔をよく知っている江木たち三人が、成田空港に張っているからだ。
問題は、何かを見落している時である。
佐伯は、必死に考えた。
調布から、民間機をチャーターしての札幌行は、青森で、肝心の飛行機が炎上したことで、無くなったと考えていいのではないか。
問題は、国鉄利用ルートである。
午前七時〇〇分大宮発の「やまびこ11号」と、八時〇〇分大宮発の「やまびこ13号」の両方に乗っていた標的Aと、Bは、どちらもニセモノとわかった。
これ以後の東北新幹線に乗ったのでは、今日中に、札幌へは、着けない。青森空港へチャーター機を待たせておいて、国鉄から、乗りかえるという方法も考えられるが、チャーター機が炎上してしまったのだから、これは、無いと見ていいだろう。
見落したとすれば、あくまでも、「やまびこ11号」か、「やまびこ13号」の中でのことだと、佐伯は、思う。
どちらかの列車に、警察は、ニセモノと一緒に、本物も、乗せたのだろうか?
見落したとすれば、そのケースしか考えられない。
ニセモノに、頭から上衣をかぶらせておいて、他人眼《ひとめ》を引き、その列車に、何気ない服装で、本物の三浦を乗せて運ぶ。警察が、使いそうな手だ。
しかし、二つの列車に乗せたこちらの組員は、三浦の顔を、よく知っているのである。
それに、彼等は、大宮駅に、まず張り込み、続いて、「やまびこ」に乗り込んで、相手を見張ったのである。また、警視庁の建物を監視していた組員もいる。
いかに、陽動作戦を使われたからといって、本物の三浦が乗っていれば、見逃すとは考えられない。組員は、全員、幹部だった三浦の顔を知っているからだ。
それにも拘《かかわ》らず、三浦は、消えてしまった。
(危険があるので、三浦の移送を諦めたのだろうか?)
しかし、それは、考えられないと、佐伯は思った。
日本の警察は、意地っ張りだ。彼等は、何年にもわたって、川田組を叩《たた》き潰《つぶ》そうと努力してきた。今、殺人容疑で、川田を逮捕して、そのチャンスをつかんだのである。そのチャンスを、逃すとは、とうてい考えられない。
(どこかで、見逃したのだ)
東北新幹線の「やまびこ」は、十二両編成である。その中の一両が、ビュッフェになっている。座席数は、全部で、八八五である。今日は、約八十パーセントの乗車率ということだから、約七百人の乗客が乗っていたことになる。その七百人の中に、本物の三浦は、隠れて、北へ向ったのだろうか?
国鉄に協力して貰《もら》い、乗務員室に隠れているのかも知れない。しかし、こちらは、駅から見張っていたのだし、盛岡で降りるときには、ホームに出なければならない。
組員たちが、三浦を見逃す筈がなかった。なぜなら、最初に、三浦を見つけた者には、百万円の賞金を、佐伯が出すといっておいたからである。
佐伯は、腕時計を見た。
間もなく、午後二時になるところだった。
ルームサービスで、食事を運んで貰ってあったが、佐伯は、食べるのを忘れていた。
二時〇五分になると、「はつかり7号」が青森に着く。
福島たちは、この列車に乗っている。青森へ着けば、何か報告してくるだろう。それまで、佐伯が、いくらやきもきしても、どうすることも出来ない。
佐伯は、今の間に、遅い昼食をとることにして、ワインに、手を伸ばした。
十津川たちは、「はつかり7号」の中にいた。
昔の「はつかり」は、みちのく路のエースと呼ばれ、上野と青森を結ぶ最古参の特急列車だったが、東北新幹線が、盛岡まで走るようになってからは、盛岡―青森間に変更されている。
六両から九両までの編成の特急電車である。
十津川たちの乗った「はつかり7号」は、九両編成である。
6号車が、グリーン車で、この車両にある乗務員室に、三浦をかくし、十津川と亀井は、鉄道公安官の姿で、デッキに、立っていた。
窓の外には、東北の農村風景が、流れていく。春のおそいこの辺りも、ようやく、春の盛りを迎えて、一面に、れんげのじゅうたんになっている。
青森生れの亀井は、なつかしそうに、流れて行くれんげ畠《ばたけ》を見つめていた。
「間もなく、青森だ」
と、十津川が、小声でいった。
亀井は、はっとしたように、十津川を見て、
「申しわけありません。つい、感傷的になりまして――」
「構わんさ。青森へ着くまで、多分、何も起こらないだろうからね。それに、青森へ着いたら、君の力を借りなきゃならん」
「すぐ、連絡船に乗るんじゃないんですか?」
「この列車が、青森に着くのは、一四時○五分だ。一四時三〇分発の連絡船にも乗れる。一四時五五分の船にも間に合う。早い船に乗れば、函館で、時間を潰さなければならない。遅い方に乗れば、青森で時間潰しだ。どちらを選ぶか、今、考えているのだがね」
「青森なら、青森県警本部で休めますね。県警本部は、市の中心にありますから」
「だが、そこに入ったら、相手にマークされるのを覚悟しなきゃならん」
「そうですね。パトカーで迎えにでも来られたら、いっぺんでばれてしまいますね」
と、亀井は、笑った。
「もう一つ、問題は、連絡船の中だ。函館に着くまで、四時間は、船内から逃げられない。疑われたら、やられる可能性がある。といって、この公安官の服を着たまま、連絡船に乗るわけには、いかないだろう。いくら何でも、相手に疑われる」
「そうですね。しかし、素面にしたら、三浦は、すぐ、彼等に見つかってしまいますよ。こちらは、川田組の組員の顔は、幹部クラスしか知りませんが、向うは、全員、三浦の顔を知っているでしょうから」
「同感だね。だから、青森駅で降りたら、すぐ鉄道公安室に入る。そこで、考えよう」
「どうですか。警部。どう考えても、四時間も、船の中にいるのは、危険だと思います。相手は、何としても、三浦を殺そうとするでしょうから、限定された船の中では、逃げ場がなく、無関係な人間を、巻き添えにする恐れがあります」
「といって、連絡船を、借り切るわけにもいかないだろう?」
「こうしたら、どうでしょうか? 青森には、チャーターした飛行機が来ている筈です。青森―函館間だけ、われわれと三浦が、その飛行機に乗るというのは、どうでしょうか?」
「向うも、飛行機をチャーターして、青森空港に来ているよ。その中で、われわれが、飛行機に乗り込むのかね?」
「そうです。まさか、彼等が、空中戦を仕掛けては来ないでしょう」
亀井は、微笑した。
まだ、十津川も、亀井も、警察のチャーター機が、炎上したことを知らなかった。
「青森へ着いてから、考えてみよう」
と、十津川は、いった。
窓の外の景色の中に、家並みが多くなってきた。
間もなく、終着駅青森に着くという車内アナウンスがあった。
十津川が、グリーン車の中に入り、乗務員室にいる三浦を連れ出した。
公安官の服装をしているのに、相変らず、眼を伏せている三浦に、亀井が、
「何度いったらわかるんだ。しゃんとしろよ」
と、声をかけた。
「しかし、奴等が乗ってるんだ。顔を見られたら、おしまいだよ」
「眼を伏せて、おどおどしている公安官がいたら、それこそ、怪しまれるじゃないか」
亀井が、叱《しか》りつけるようにいっている間に、十津川たちを乗せた「はつかり7号」は、青森駅のホームに、滑り込んで行った。
「ホームに降りたら、すぐ、公安室へ直行する。わかるね」
と、十津川が、小声で、三浦にいった。
ドアが開き、乗客が、一斉にホームに降りて行く。
十津川たち三人は、最後に、ホームに降りた。
「どっちへ行けばいいんだ?」
三浦が、きょろきょろ見廻しながらきいた。
「公安室は、連絡船の桟橋近くにある。きょろきょろせずに、私のあとから、ついて来い」
十津川は、まっすぐ、ホームの上を、桟橋|跨線《こせん》橋に向って、歩いて行った。
ホームの端まで行き、そこから、階段をあがる。そこが、桟橋へ行く跨線橋である。窓から、すぐ近くに、青函連絡船の船体が見える。
跨線橋を渡ったところが、コンコースになっていて、連絡船の待合室や乗船口などがある。
乗船口の反対側に、公安室があった。
十津川たちは、そこに入ると、奥へ案内された。若い公安官が、お茶をいれてくれた。
十津川たちのことは、仙台の公安室から連絡があったという。
「これから、どうされますか?」
と、もう一人の公安官が、十津川に、きいた。
「それを決める前に、電話を貸して下さい」
十津川は、東京の本多捜査一課長に、連絡を取った。
「とにかく、ここまでは、無事に来られました」
と、十津川がいうと、本多が、
「向うも必死だ。青森空港で、こちらのチャーター機が、射たれて炎上したよ。もう、あの飛行機は、使えないね。それとも、新しく、もう一機チャーターして、飛ばそうかね?」
「そこまでやりましたか」
と、十津川は、小さく溜息《ためいき》をついてから、
「こちらに、犠牲者が出たんですか?」
「いや、飛行機が炎上しただけで、死傷者はいない。しかし、三浦が乗っていなかったことは、ばれたと考えざるを得ないね。飛行機を狙撃して炎上させた男は、こちらの刑事が射殺した。向うが、射って来たのでね。川田組幹部の平野という男だ」
「平野なら、会ったことがあります」
「こうなると、三人の影武者は、全部、ばれてしまったことになる。十分、注意してくれ」
「わかりました」
「道警の方から、函館まで、迎えを出そうかといってくれているが、どうするね? 応援に来て貰う方がよければ、すぐ、連絡をとるが」
「いや、必要な時は、私が、直接、道警に連絡します。今、川田組の連中は、三浦を見失って、狼狽《ろうばい》しているんじゃないかと思いますね。だから、焦《あせ》って、うちのチャーター機を射ったに違いありません。そうなると、道警の動きにも、注目し、そこから、三浦の所在を知ろうとするかも知れません。ですから、今は、道警に動いて欲しくないのです」
「わかった。しかし、道警も、心配なので、迎えに行きたいようだがね。それで、青森から、どうやって、札幌まで行く積りだね?」
「目下思案中です。カメさんは、海峡を渡るときは、連絡船に四時間も乗っているのは危険だから、チャーター機を利用しようかといってたんですが、これで、それは、駄目とわかりました。となると、連絡船を利用するしかありませんね」
「向うも、そう思っていると思うがね。チャーター機を炎上させたから、青森―函館間は、青函連絡船を使うより仕方がないと」
「そうでしょうね」
「どうだね、海上保安庁に依頼して、函館まで、巡視船を出して貰うというのは。もし、君が、それがいいと思えば、上の方から、海上保安庁へ依頼して貰うが」
「いや、それは、遠慮します。そんなに大げさにしては、目立ちますし、成功したとしても、あとあとまで、たった一人の人間を札幌へ運ぶのに、わざわざ、巡視船を出させたと、いわれるでしょう。それは、われわれの自尊心が許しません」
「わかった。君の思う通りにやってくれ」
「佐伯弁護士の行方は、わかりましたか?」
「それなんだがね。手掛りが全くなくて困っていたんだが、川田組の組長川田が使っていた車がある。自動車電話のついた車だ。ベンツ500SEL、色はブルー。佐伯は、どうやら、この車を使っているらしいと、睨《にら》んで、今、東京都内を走っているパトカーに発見しだい連絡しろと命令してある。川田組の連中は、調布飛行場のD航空のセスナ四〇一をチャーターしたんだが、問題のベンツ500SELは、調布飛行場にいたことは確認されているが、その後、どこへ行ったか不明だ」
「ぜひ、見つけ出して下さい」
「佐伯を見つけることが、そんなに大事かね?」
「大事です。私は、全ての指令が、佐伯から出ていると確信しています。彼を押さえれば、川田組の連中は、混乱すると思います」
「わかった。全力をあげて、見つけ出すようにしよう。何か、他にして貰いたいことがあるかね?」
「青森空港で、警察のチャーター機を燃やした連中ですが、彼等のセスナ四〇一は、どうなったんですか?」
「行方不明だ。平野は、仲間を飛行機に乗せて、離陸させておいてから、ひとりで、うちのチャーター機を射ったんだよ」
「なるほど」
「残りの連中は、函館か、千歳の空港へ向うものと思って、手配はすませてある。どちらの空港にも、道警の警官が張り込んで、セスナ四〇一が着陸したら、直ちに、乗っている連中を、殺人未遂で逮捕することになっている」
「彼等も、それは、承知しているでしょうね」
「そうだな。それで、空港以外の場所に、不時着しようとするかも知れんが、北海道は広いから、見つけるのは難しいだろう。しかし、不時着したことがわかり次第、君に知らせるようにしよう」
「お願いします」
十津川が、受話器を置いたとき、背後で、亀井の怒る声が聞こえた。
「どうしたんだ? カメさん」
と、十津川が、きいた。
「こいつが、勝手に、外へ出て行ったんですよ」
亀井は、じろりと、三浦を睨んだ。
三浦は、ラークの封を切って、一本を口にくわえて、火をつけてから、
「どうしても、煙草《たばこ》を吸いたかったんだよ。この公安室の横が売店だったから、買いに行っただけさ。別に逃げ出したわけじゃないんだから、そんなに、怒ることはないじゃないか」
と、文句をいった。
確かに、公安室の横に、売店がある。
「しかし、川田組の連中に見つかったら、どうするんだ?」
十津川が、たしなめると、三浦は、ふくれ面になって、
「この鉄道公安官の服を着てりゃあ、大丈夫だといったのは、誰《だれ》なんだ?」
「この野郎。さっきまで、びくびくしてやがったくせに」
亀井が、むっとした顔で、三浦を小突くのを、十津川が、止めた。
「カメさん。怒りなさんな。大事な証人なんだ」
「それは、わかっていますが、こっちが、命がけで護衛してやってるのに、勝手な真似《まね》をされては、腹も立って来ますよ」
「札幌に無事に着いてから、お灸《きゆう》をすえてやるさ。ちょっと、外を見て来てくれないか。三浦が、彼等に見つかったかも知れない」
十津川がいうと、亀井は、すぐに、公安室を出て行った。
コンコースをぐるりとひと廻りして戻って来ると、
「川田組の連中らしい人間は、見当りません」
と、いってから、
「どうしますか? この先は」
「うちがチャーターした飛行機は、青森空港で、燃えてしまったそうだよ」
「連中の仕業ですか?」
「川田組の平野という幹部が、燃料タンクを射ちぬいて、炎上させたんだ。平野は、刑事が射殺したが、これで、飛行機で、海峡を渡るわけにはいかなくなったよ」
「じゃあ、やはり、青函連絡船に乗るより仕方ありませんか?」
「そういうことになりそうだ」
「間もなく、一四時三〇分の連絡船が出ますが、これに乗りますか?」
「いや、次の一四時五五分の船にしよう。乗るにしても、乗り方が難しいからね」
「このまま、鉄道公安官として、乗船したらどうでしょうか? 青函連絡船も、国鉄ですから、公安官が乗っていても、別におかしくはないと思いますが――」
と、亀井は、いった。
十津川は、公安室にいた二人の鉄道公安官に、
「どうですか? 青函連絡船に乗ることがありますか?」
と、きいてみた。
「要請があって、函館まで、乗って行ったことがありますよ」
という答が、戻って来た。
亀井が、横から、十津川に、
「それなら、この服装で、連絡船に乗ってもいいんじゃありませんか。この服装のおかげで、ここまで、三浦を無事に連れて来られたんです。それを考えれば、このまま、連絡船に乗るのが、一番、良策だと、私は思いますが――」
と、いった。
同じ「はつかり7号」で、青森駅に降りた川田組の福島と佐川は、先行していた井上たちと合流した。
この四人の中では、福島が、一番の年上で、リーダー格だった。彼は、井上たちに、一四時三〇分発の連絡船に乗るように指示してから、自分は、佐川と二人、駅の表玄関へ出て、そこの公衆電話ボックスから、東京の佐伯に、連絡をとった。
「今、青森だ。『はつかり5号』で、先に着いていた井上たちと、一緒になったよ」
と、福島は、百円玉を、間をおいて、投げ込みながら、佐伯にいった。
「井上たちの様子は、どうだ? 一緒にいた田中が、警官に射殺されたので、精神的に参ってやしないか?」
「大丈夫だよ。おれが、カツを入れてやったから、大丈夫だ」
福島は、自慢げにいった。
「警察のチャーターした飛行機は、平野が焼いたから、向うは、いやでも、青函連絡船を利用するしかないと思うんだが、一四時三〇分と、一四時五五分の二本の船がある」
「ああ、わかってるよ。だから、井上たちには、一四時三〇分に乗るように、おれが、指図しておいたよ。間もなく、その船が出港する筈だ。おれと佐川は、一四時五五分の連絡船に乗る。それでいいか?」
「オーケイだ。ところで、標的Bは、君のおかげで、ニセモノとわかった。チャーター機の標的Cもニセモノだ。となると、本物の三浦は、君の乗った『はつかり7号』か、前に走っていた『はつかり5号』かに乗っていたんじゃないかと思う。『はつかり7号』の方はどうだった?」
「どうだといわれても、困るな」
「特急『はつかり7号』は、九両編成だろう。佐川と二人で、手分けして、全部の車両を見られた筈だぞ」
佐伯の声が、とがって聞こえた。
福島は、佐川と顔を見合わせて、小さく舌打ちをしてから、
「無理だよ」
「どうして、無理なんだ? 盛岡から青森まで、二時間半以上かかる。その間に、九両の車両を見て廻るのは、別に、難しくはなかった筈だ。三浦がいるかどうか見て廻らなかったのか?」
「おれだって、ひょっとすると、本物の三浦も、乗ってるんじゃないかと思って、佐川と二人で、調べてみようと思ったのさ。ところが、あいつらがいやがったのさ」
「あいつら?」
「例の鉄道公安官のやつらさ。グリーン車のデッキにいやがったんだ。やつらは、警察に頼まれて、列車に乗ってたんじゃないのか」
「東北新幹線の『やまびこ13号』にも、乗ってたといったな?」
「ああ、同じやつなんだ。だから、てっきり、おれたちを見張ってるんだと思ったんだ。それで、身動きが取れなかったんだよ」
「おかしいな」
「おれのいうことが、嘘《うそ》だというのか?」
福島が、思わず、語気を荒くすると、電話の向うの佐伯は、
「いや、君のことをいってるんじゃない。君の見た鉄道公安官のことさ。井上たちの乗った『やまびこ11号』や、『はつかり5号』にも、公安官は、乗っていたのか?」
「それがさ、さっき、きいてみたら、見当らなかったといってたよ。井上のやつは、間の抜けたところがあるから、いたのに、気がつかなかったんじゃないのか」
「五、六分したら、もう一度、掛けてくれ」
「なぜ、もう一度、掛けるんだ?」
「いいから、五、六分したら、また、掛けて来るんだ」
佐伯は、そういうと、向うから、電話を切ってしまった。
福島は、「ちえッ」と、舌打ちをして、受話器を置くと、電話ボックスを出た。
「また、五、六分したら、電話をかけろだとさ。自分を、何様だと思ってやがるんだ」
と、福島は、佐川に向って、怒って見せた。
「おれは、のどが渇いたよ。ビールでも飲みに行かないか。五、六分あれば、飲めるだろう」
青い海面が、続いたあと、陸地が見えてきた。
北海道の海岸線である。
「どの辺りだか、わかるか?」
立花は、操縦士に向って、きいた。
「多分、室蘭《むろらん》の近くですよ。さっき、左手に、函館の町が見えましたからね。これから、どうする積りです?」
操縦士は、海岸線を見ながら、きき返した。
「この近くで、不時着できるところを見つけるんだ」
「冗談じゃない。無理ですよ」
「死にたければ、構わんさ。だが、殺されたくなかったら、どこかへ、降りることを考えろ」
立花がいった。
「そういったって、どこに降りればいいんです?」
「もっと、高度を下げて見ろ!」
立花が、大声で、指図した。
操縦士は、機を降下させていった。
高度が、どんどん下がり、海岸や、道路や、人家が、眼の下で、大きく見えてくる。
立花は、ポケットに入っていたナイフを取り出した。窓から射し込んでくる太陽の光を受けて、ナイフの刃が、ぴかっと光った。
「下手な真似をしたら、おれは、これで、お前さんを刺し殺すからな。どこへでもいい。機体を無事に着陸させるんだ」
立花は、実際に、操縦士を刺す気だった。
相手も、それがわかったらしく、必死で、不時着の出来る場所を探した。
高度二百メートルぐらいで、ゆっくりと、機を旋回させる。
室蘭の町から、少し離れると、さすがに北海道らしく、広大な原野が広がっている。畠《はたけ》には、今、れんげの花が、咲き乱れていた。
れんげの花のじゅうたんを広げたように見える。
「あそこに、降りられないのか?」
と立花が、きいた。
「上からだと、平坦《へいたん》に見えても、実際には、細かいでこぼこがありますからね。空港の滑走路に降りるようにはいきませんよ」
「機体がぶっこわれて、われわれ全員が死ぬことはないんじゃないか?」
「わかりませんね。私には、自信がない」
「トライしてみようじゃないか」
「よく見て下さい。畠のところどころに、用水路が走っているでしょう? あれに、車輪を突っ込んだら、機体が、ひっくり返りますよ」
「じゃあ、胴体着陸をしてみろ」
「あんたのいうことは、無茶だ」
「無茶でもやるんだ。このままなら、おれは、お前さんを刺して、死ぬ。それでもいいのか?」
「無茶だ」
と、いったが、操縦士は、やっと、決心したようだった。
「ベルトを締めて、身体をかがめ、頭を抱え込むようにして下さい」
操縦士は、立花たちにいった。
機を、風下に持って行き、脚を引っ込めたまま、ゆっくり、高度を下げていった。
どんどん、地面が、眼の前に迫ってくる。れんげの花が、眼の前に広がる。
猛烈なショックが、機体をゆさぶった。がりがりという音が聞こえる。
操縦士も、立花たちも、眼をつぶり、必死に、衝撃に耐えた。
プロペラが、地面にぶつかって、ひん曲がっていく。片方の翼端が、地面をこする。
機体は、小きざみにバウンドしながら、滑り続けた。咲いているれんげの花が、押し潰され、なぎ倒された。
二百メートル近く走って、機体は、やっととまった。
立花は、立ち上ると、自分で、扉を開けた。
「お前さんは、ここに残るんだ。それから、おれたちのことは、黙っているんだ」
と、立花は、操縦士にいい残して、機体の外へ飛びおりた。
他の組員たちが、そのあとに続いた。
遠くから、二、三人の人間が、こちらに向って、駈け寄って来るのが見えた。
「早く、姿を消すんだ」
立花は、組員たちにいい、反対の方角に駈け出した。
三百メートルばかり走ってから、立花は、やっと、足をとめた。他の連中も、息を、ぜいぜいさせている。
「おれたちは、これから、函館に向う。室蘭から、函館行の列車が出ている筈だから、それに乗る。おれたちは、あくまでも、三浦を見つけて、消さなきゃならん」
立花は、自分にいい聞かせる調子でいった。
三人の組員の中には、不時着の衝撃で、額に怪我をして、血を流している者もいた。
「血を拭《ふ》け」
と、立花は、自分のハンカチを、その組員に渡した。
「酒でも飲まなきゃ、やり切れないぜ」
若い組員は、ハンカチで、血を拭きながら、文句をいった。
「三浦を消したあとなら、いくらでも、飲ませてやるし、遊ばせてやる。それまでは、まず、三浦を見つけ出すことに、全力をあげるんだ。これから、室蘭の町に入るから、疑われないように、しゃんとしていろ」
「三浦の奴、本当に、札幌に行くのか?」
「警察は、その気だ」
立花は、室蘭の町に向って、歩き出した。
途中で、パトカーと、新聞社の車が、猛烈なスピードで、すれ違って行った。不時着したセスナ四〇一の取り調べと、取材のために駈けつけるのだろう。
「急げ!」
と、立花は、怒鳴った。
町へ入ると、立花は、本屋で、北海道の地図を買い求めた。
立花も、他の組員も、室蘭へ来たのは、初めてだった。
地図を広げて見ると、室蘭の町は、室蘭港を、コの字に抱きかかえるような形に広がっている。
国鉄の室蘭駅は、港を抱える片腕の先端近くにあり、そこまで行っては、かえって、国鉄の室蘭本線から遠くなってしまう。
一番いいのは、室蘭港の根元のところにある「東室蘭駅」から乗り込むことだろう。
立花は、地図を頼りに、鉄道に沿って歩き、東室蘭駅に到着した。
東口から、駅の構内に入って行った。線路の上を、またぐようにして作られた橋上駅である。活気が感じられるのは、主要幹線の接続駅だからだろう。
ここから、函館まで、急行や、特急が出ている。
立花は、駅の時計で、時刻を確かめ、それから、各列車の時刻表を見たが、すぐ、渋面を作った。
現在の時刻が、午後二時二十三分。一四時二三分である。
一四時○四分発の函館行の特急「おおぞら2号」は、すでに出てしまっている。次の列車は、急行「すずらん4号」で、これは、一六時一六分の東室蘭発だが、季節列車で、現在、運休中と書いてある。
その次の函館行となると、一六時四六分東室蘭発の特急「おおとり」だった。これに乗ると、函館着は、一九時二四分である。
三浦たちが、東北新幹線の「やまびこ」に乗ったとして、函館着は、次のいずれかである。
青森発一四時三〇分の連絡船に乗ったとすると、函館着は、一八時二〇分。
青森発一四時五五分の連絡船だと、一八時四五分。
どちらも、間に合わなくなってしまうのだ。
第一、特急「おおとり」が、東室蘭を出発するのが、一六時四六分では、今から、二時間以上、この駅で、待っていなければならない。
畠に不時着した飛行機のところには、すでに、パトカーが、到着しているだろう。操縦士には、何も喋《しやべ》るなといっておいたが、彼が黙っているという保証は、どこにもないし、セスナ四〇一については、全警察に手配が廻っているとみなければならない。
その飛行機が、不時着し、立花たちが消えていれば、警察は、附近を、徹底的に捜索する筈である。
鉄道は、もっとも重点的に調べるだろう。そんな状況の時、東室蘭駅に、二時間もいるというのは、自殺するようなものだった。
「外へ出よう」
と、立花は、決断して、組員たちにいった。
「ここから、列車に乗らないのか?」
「二時間も、ここにいて、警察に捕まりたい奴は、いたらいい」
立花は、そっけなくいい、自分から、さっさと、駅前のタクシー乗り場に向って、歩き出した。
他の組員たちも、あわてて、ついて来た。
立花は、そこに停《とま》っていたタクシーに乗り込んだ。
「長万部《おしやまんべ》にやってくれ」
と、立花は、助手席に腰を下して、運転手に、いった。
「二時間近くかかりますよ」
「構わないさ。金は払う。やってくれ」
と、いった。
タクシーは、発車した。
車は、すぐ、国道三七号線に入った。
二時間かかったとしても、一九時(午後七時)までには、長万部に着ける。
三浦が、青函連絡船で、函館に着いてから、札幌へ行くために乗る列車は、特急「北斗7号」である。
これが、もっとも早く乗れる列車で、これ以後の列車に乗ったのでは、間に合わないのだ。
時刻表によると、「北斗7号」の函館発が、一九時○○分で、札幌着が、二三時二五分。今日中に着けるのである。
佐伯は、三浦は、国鉄を利用するとしたら、この「北斗7号」に乗るしかないといった。
「北斗7号」は、途中の長万部には、二〇時三四分に着き、二分停車して、三六分に発車する。ゆっくりと、この列車に乗れるのだ。
問題は、三浦が、「北斗7号」に乗るかどうかに、かかっていた。
ドラが鳴って、一四時三〇分発の連絡船が、函館港を出港して行く。
福島と、佐川は、それを見送ってから、公衆電話ボックスに入り、もう一度、東京の佐伯に電話をかけた。
佐川は、ビールを三杯ばかり飲んで、赤い顔になっている。
「おい、おれだよ」
と、福島が、いった。
「面白いことがわかったぞ」
佐伯が、弾《はず》んだ声を出した。
「何が面白いんだ?」
「君のいった鉄道公安官のことだ。三人連れで、『やまびこ13号』に乗っていたのが、『はつかり7号』にも乗っていたといったな?」
「そうなんだ。だから、てっきり、おれたちを見張っていると思ったんだ」
「いいか? よく聞くんだ。公安官は、普通、二人一組で行動して、三人一組というのはない。それから、仙台の公安官が、東北新幹線で、終着の盛岡まで乗っていくことはあるが、その公安官が、引き続いて、東北本線の列車にまで乗って、青森へ行くこともないんだ」
「すると、あの連中は?」
「警視庁の刑事二人と、三浦だ。公安官に変装して、乗っていたんだ」
「畜生!」
思わず、福島は、電話ボックスの中で、叫んでしまった。
「その三人の公安官は、今、どこにいるかわかるかね?」
佐伯が、落ち着いた声できいた。
「わからないよ。こっちも、顔を合せるのが嫌で、なるたけ、公安室の方には、行かないようにしているからな。だが、駅の構内を歩き廻ってる様子はないぜ」
「青森駅の公安室は、どこにあるんだ?」
「連絡船の発着口近くらしい。駅の案内図には、そう書いてある」
「それなら、彼等は、公安室で、休んでいると思うね」
「どうしたらいい? 公安室に、殴り込みをかけるかい?」
「君と佐川の二人だけでか」
と、佐伯は、電話の向うで、笑った。
「そんなことをしたら、犬死にだぞ」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「三浦の護衛に当っている刑事二人の片方は、十津川という警部だと思う。彼等は、一四時三〇分の連絡船には、多分、乗らなかったろう。青森まで、緊張の連続だったろうから、そこで、一息ついてから、連絡船に乗りたい筈だ。彼等は、青森まで、鉄道公安官に変装して、まんまと成功しているから、連絡船の中でも、同じ手を使う可能性がある。いいか、一四時五五分発の連絡船に乗ったら、まず、公安官を探すんだ。同じ三人連れの公安官がいたら、その中に、三浦がいる。連絡船は、四時間も海の上だ。相手は逃げられないんだから、慎重に狙《ねら》って、殺せ。拳銃《けんじゆう》は持ってるか?」
「ああ、持ってるよ。しかし、出来れば、ナイフを使うさ」
福島は、そういって、電話を切った。
[#改ページ]
第七章 連絡船
電話を切ったあと、佐伯は、ほっとして、煙草に火をつけた。
三浦が消えてしまって、いらだっていたのだが、これで、見つかったと思った。
福島のいう三人の鉄道公安官の一人は、三浦に違いないし、あとの二人は、十津川警部と、彼とコンビを組むことの多い亀井というベテランの刑事と見ていいだろう。
相手の所在がわかれば、これから打つ手も考えようがある。
まず、十津川たちが、味をしめて、青函連絡船にも、公安官の服装で乗ってくれることを望みたい。青森まで、うまくいったので、彼等は、油断しているだろうから、狙うのが楽だからだ。
一服、吸い終ってから、佐伯は、何気なく、窓のところに、寄って、下を見た。
その顔が、急に、険しくなった。
パトカーが一台、このホテルの前に停っていたからである。
そのうちに、もう一台のパトカーがやって来て、地下駐車場に入って行く。サイレンを鳴らさずにである。
佐伯は、警察が、自分の居所を、必死で探していることを知っている。ここにいるのを気付いたのではないか?
佐伯は、ためらわずに、部屋を出た。
地下駐車場には自動車電話のついたベンツが置いてあるし、運転手の原田も、待機している。
しかし、パトカーが、地下駐車場に入って行ったところを見れば、あの車が、見つかったのかも知れない。
佐伯は、エレベーターに乗ると、一階のボタンを押した。
下りて行くエレベーターの中で、サングラスをかける。上衣のポケットには、財布も免許証も、パスポートも入っている。それを確かめているうちに、一階に着いた。
このホテルは、東と西の両側に玄関がある。
佐伯は、パトカーが停っている東口とは逆の西口玄関に向って、歩いて行った。
ボーイが、頭を下げる。それに、軽く会釈をしてから、佐伯は、タクシーに乗った。
「どこへ行きます?」
と、運転手が、きいた。
「成田空港」
と、いってから、佐伯は、眼を閉じた。
タクシーが、走り出した。
ふいに、パトカーのサイレンが聞こえた。
(このタクシーが、追いかけられているのか?)
と、思い、佐伯は、思わず、身体をかたくしたが、パトカーは、反対方向からやって来て、すれ違って行った。
パトカーは、あのホテルに向ったのだ。先に地下駐車場に着いたパトカーが、ベンツを発見して、別のパトカーを呼んだのだろう。
(危ないところだった)
と、思った。
腋《わき》の下に、じっとりと、汗をかいている。
あの時、何気なく、窓の外を見なかったら、今頃、ホテルの両方の入口をかためられて、逮捕されていただろう。
ホテルは、別人の名前で借りたのだが、どうやら、自動車電話付きのベンツ500SELに、警察は眼をつけて、その線から、追いかけて来たらしい。
こちらが、必死なら、警察も必死なのだ。
佐伯の顔から、緊張の色が消えると、今度は、微笑が浮んだ。
車は、どんどん、ホテルから遠去かっていく。
(素晴らしい充実感だ)
と、佐伯は、思った。
佐伯は、戦争を知らないが、戦争のために、被害を受けた世代である。
戦争の悲惨さだけを知らされて育った。それを、佐伯は、不公平だと、いつも思っていた。
今度の戦争で、何百万人もの日本人が死んだ。彼等は、一様に、戦争の犠牲者だといい、戦争の悲惨さを口にする。
しかし、佐伯は、その言葉を信じないのだ。
戦争が、ただ悲惨なだけなら、なぜ、懲《こ》りもせずに、人間は、戦争をやるのか?
ひたすら、戦争の犠牲者面をしている老人たちの顔に、佐伯は、嘘を見るのだ。
弁護士という仕事がら、佐伯は、さまざまな人間に会うが、その中には、今度の戦争で、中国や、南方で戦った男も、何人かいた。
彼等は、素面《しらふ》のときは、戦争は悲惨だし、二度と、ごめんだという。
だが、彼等は、酒に酔うと、少数の例外をのぞいて、戦争中の自慢話を始めるのだ。
どんなに、戦争というのは、楽しいかを、とくとくと喋る。
あの教科書問題の最中に、佐伯は、六十歳の男と知り合った。川田組の人間ではなく、平凡なトラック運転手である。
戦争中、中国戦線で、下士官として戦っていた男だった。
彼は、戦争は、もうこりごりだといい、中国で悪いことをしたのは、謝罪しなければならないと、佐伯にいった。だが、彼は、酔い出すと、今度は、中国で、中国人の娘を、いかにして、暴行し、殺したかを、得意気に喋り始めたのだ。そこに、反省の色など、みじんも感じられなかった。
彼にとって、戦争は、悲惨どころか、華やかで、素敵な経験だったのだ。もし、戦争がなかったら、彼は、多分、平凡で、面白くも何にもない生活を送っただろう。ところが、戦争で、彼は、ただで船に乗って、中国へ渡り、何人も人殺しをして英雄になり、中国の娘を暴行することも許された。口では、中国人に対して、申しわけないことをしたといいながら、あの戦争の何年間かは、もっとも、楽しく、充実した時期ではなかったのか。
佐伯は、日本人の反省など、インチキだと思っていた。特に、戦争へ行った男たちの反省はである。彼等は、最後には、戦争の悲惨さを味わったかも知れないが、その前には、戦争の楽しさを味わっていたに違いないからである。
そのくせ、口を開けば、「戦争は悲惨なものだ」と、くり返す。嘘《うそ》をつけと、佐伯は思う。
今、佐伯は、戦争を始めた。警察との戦争である。そして、戦争の楽しさを味わっていた。このスリルは、こたえられない。素晴らしい充実感。これこそ戦争の楽しさではないか。戦争体験者たちは、この充実感を教えずに、戦争の悲惨さだけを教えているのだ。
成田に着いて、タクシーをおりた時、佐伯の顔は、紅潮していた。
今から、佐伯自身も、この戦争に、直接、参加することになると思ったからである。
空港ロビーで、組員の江木に会った。
相変らず、この男は、女のように、白い顔をしている。それに、男にしては、まつげが長く、瞳《ひとみ》がうるんで見える。
「三浦は、来ませんでしたよ」
と、江木は、甲高《かんだか》いが、それでいて、落ち着いた調子で、佐伯にいった。
「わかっている。三浦は、今、青森にいる」
「それなら、誰かが、彼を殺しますね?」
「多分な。だが、やり損なう可能性もある」
「では、私たちも、これから、青森へ行くわけですか? しかし、今からでは、間に合いませんね」
「君は、グアムまでの切符を二枚買って来てくれ。パスポートは、持っているだろう?」
「それは、持っていますが、私が、先生と、グアムへ飛ぶわけですか?」
「そうだ。他の二人は、すぐ、東京へ帰したまえ。私と君の二人で十分だ」
「しかし、先生。今からでは、間に合いませんよ。一番早いグアム行は、四時二十分のパンナムですが、グアムまで、四時間かかりますから、向うへ着くのは、午後八時を過ぎてしまいます。グアムから札幌へ行く便は、もうない筈です。ですから、今日中に、札幌へは、行けません」
「わかっている。それでいいんだ」
「では、先生は、逃げ出されるわけですか?」
女のような江木の顔が、ふと、赤くなった。怒った時、この美青年は、女のように、ぽッと、顔を赤くする。
佐伯は、手を振った。
「私は、逃げはしない。それに、ちゃんと、手を打ってから、グアムへ行くんだ。私を信じなさい」
佐伯は、肩を一つ、軽く叩いて、江木を、切符を買わせにやってから、自分は、電話の並んでいる場所に歩いて行った。
百円玉を何枚か取り出して、それを、投げ込みながら、長距離をかけた。
女が、電話口に出た。
「私だ。佐伯だ」
と、佐伯は、いった。
「ああ。佐伯さんね」
女は、やや、低い声を出した。
「前に、君に話しておいた例の件だが――」
「逃げた鼠《ねずみ》のことね」
「その鼠は、今、青森まで行った。青函連絡船に乗って、函館へ渡るだろう」
「鼠のガードは、どんな具合なの?」
「警視庁の優秀な刑事が二人で、ガードしている。十津川という警部と、亀井という刑事だ」
「それで、いつ、札幌へ着くのかしら?」
「私は、彼等が、一九時丁度に函館発の『北斗7号』に乗って、札幌に向うと確信している。札幌着は、二三時二五分だ」
「でも、あなたの指令を受けた川田組の人たちが、札幌へ着くまでの間に、鼠を殺してしまうんでしょう?」
「私も、それを期待しているが、東京から青森までの間では、失敗している。もし、今度も、彼等がヘマをして、鼠が、札幌へ着いてしまったら、鼠退治は、君に頼む」
「約束のものは、頂けるのね?」
「もちろんだ。君がたとえ失敗しても、半分の五百万は、差しあげる」
「いいわ。ただし、方法は、私に委《まか》せておいてね」
「わかっている」
「ところで、あなたは、どうなさるの?」
「これから、グアムへ行く。外国の航空便は動いているんでね」
「つまり、アリバイ作りに行くわけ?」
「いや。帰って来るために、出かけるんだ」
佐伯は、受話器を置いた。
十津川は、なかなか、決断できずにいた。
一四時五五分の青函連絡船に乗ることは、決っている。
ここまで来てしまっては、他に、北海道へ渡る方法がないからである。漁船をチャーターする方法などもあるだろうが、「北斗7号」に間に合うように函館に着けるかどうかわからなくなってしまう。
問題は、同じ連絡船に、川田組の組員も乗ってくるに違いないということだった。しかも、四時間、船の上で過ごさなければならないのである。
四時間、どうやって、彼等の眼をくらませるかだった。
三浦の顔は、もちろん、川田組の全員が知っている。だから、変装させるか、顔をかくして、乗船させなければならない。
仙台から、ここ青森までは、鉄道公安員に変装して、成功した。だから、亀井は、このまま、公安官になりすまして、連絡船に乗ったらどうですかという。
その上、青森駅の公安官も、時々、連絡船に乗ることもあるといった。だから、公安官の服装で、連絡船に乗ったとしても、不自然ではないのだ。
他にも、どうやって、三浦を、連絡船に乗せるかについて、十津川は、いろいろと考えた。
川田組の連中が、乗ることは、わかっている。その眼を、いかにくらませるかである。
連絡船には、自動車も何台か積めるようになっているから、それを利用して、レンタカーに、三浦をかくして、函館まで運ぶことも考えた。
極端なことをいえば、レンタカーのトランクルームに、三浦を押し込んでおいて、四時間の航海を乗り切ろうかと考えもしたが、川田組の連中は、必ず、車を調べるだろうと思って、この案は、止《や》めてしまった。見破られたときのリスクが大きかったからである。
船長に話をして、函館まで、船長室にかくまって貰《もら》うことも考えた。しかし、下手をすると、船長に迷惑をかけるかも知れない。船長室にいると知ったら、相手は、船長室を爆破しかねないからである。何しろ、相手は、警察のチャーター機を、狙撃して、炎上させた相手である。
そんなとき、もし、他の乗客に死傷者でも出たら、警察が、批判されることは、眼に見えていた。
また、乗客が多ければ、その乗客の中にまぎれて乗り込むことが出来るが、最近、連絡船の乗客は、少なくなっている。今日は、空のストのために、普段より、多少、多いということだが、それでも、四十パーセントぐらいの乗船率だという。これでは、恐らく、乗船するときに、三浦は、見つかってしまうだろう。
あれこれ考えた末、十津川は、やはり、公安官として、乗船することにした。
青森駅の鉄道公安室から、連絡船の船長に、事情を説明しておいて貰ってから、十津川は、亀井と、三浦に向って、出かけようと、声をかけた。
三浦は、最初、おどおどしていたが、仙台から青森まで、無事に来られたことで自信を持ったのか、胸をそらせ、態度まで、公安官らしくなっている。
一四時五五分発の連絡船は、「羊蹄《ようてい》丸」である。
他の乗客は、もう、乗船を始めている。
白と茶のツートンカラーの船体も、進水が昭和四十年七月で、すでに、十八年間も稼動しているので、相当、くたびれて見える。
十津川たちは、真ん中に、三浦をはさむ形で、船に乗り込んだ。
事務長が、十津川たちを迎えてくれた。
船橋《ブリツジ》のうしろにある船長室に案内されると、五十歳ぐらいの松本という船長が、笑顔で、
「話は聞きました」
と、手を差し伸べてきた。
十津川は、握手をしてから、亀井と、三浦を、紹介した。
「なるべく、ご迷惑をかけないようにするつもりです」
「そんなことは構いませんが、相手の顔は、わかっているんですか?」
「それが、わかりません。川田組の幹部なら顔は知っていますが、一般の組員は、わかりません」
「では、函館に着くまで、船長室におられたらどうですか。その方が安全でしょう?」
「そうもいきません。向うは、どこかで、鉄道公安官が三人、船に乗ったのを見ていると思います。その公安官が、船長室に入ったまま、いっこうに出て来なければ、疑いを持ちます。だから、むしろ、船内を歩き廻った方が自然で、安全だと思うのです。東北新幹線の中でも、東北本線の特急列車の中でも、そうして来ました」
「なるほど。そうかも知れませんね」
船長の松本は、肯《うなず》いてから、時計に眼をやり、
「そろそろ、出港なので、ブリッジに出なければなりません。何か必要なことがあったら、遠慮なく、事務長に、いいつけて下さい」
と、いい残し、帽子をかぶって、船長室を出て行った。
合図のドラが鳴り、少しずつ、五三七六トンの船体が動き始めた。
桟橋では、いつものような見送りの光景が生れていた。数は少ないが、それでも、テープが、飛んでいる。
「少し、外へ出てみようじゃないか」
十津川がいうと、驚いたことに、亀井より先に、三浦が、椅子から立ち上った。
「甲板へ出てみたいな」
「驚いたね。怖くないのか?」
亀井が、からかい気味にいうと、三浦は、胸をそらせて、
「平気だよ。胸を張っていた方が安全なんだと、あんたたちも、いっていたじゃないか」
「その通りだ。公安官は、公安官らしくしていた方が、目立たないんだ」
十津川は、笑っていい、三浦を連れて、船長室を出た。
船ぐらい、等級のはっきりしている乗り物はないだろう。
この連絡船「羊蹄丸」でも、普通席は、一番下にあり、その上が、グリーン席と、はっきりわかれている。
三人は、グリーン席から遊歩甲板に出てみた。
青森港の桟橋が、次第に離れて行くのが見えた。
風は冷たいが、快晴で、初夏の太陽が、降り注ぎ、海面が、眩《まぶ》しく輝いている。
船は、次第に、スピードをあげ、青森港を出て行く。海面が、少し波立って来たのは、津軽海峡に出たからだろう。
遠く、北海道の陸地が見えた。
「ちょっと、煙草を買ってくる」
急に、三浦がいい、十津川が、あわてて、制止しようとした時には、グリーン席の方に、姿を消してしまっていた。
「よっぽど、煙草を吸いたかったんでしょう」
と、亀井が、いったが、十津川は、険しい表情になって、
「青森駅の公安室にいたとき、キオスクで、煙草を買ってくるといって、黙って、飛び出したんじゃなかったかね?」
「そうです。あの野郎!」
亀井は、顔色を変えると、あわてて、グリーン席のある船室に飛び込んで行った。
十津川も、すぐ、そのあとに続いた。
(なぜ、嘘をついたのか?)
十津川は、走りながら、頭をひねっていた。
船室に入ると、片側は、リクライニングシートが並ぶグリーンの椅子席、反対側は、ごろりと横にもなれるグリーンの畳席がある。
ばらばらの乗客の姿があったが、その中に、公安官姿の三浦は、いなかった。
亀井は、きょろきょろと、見廻しながら、
「トイレへ行ったんでしょうか?」
「トイレなら、トイレというだろう」
「しかし、どこにもいませんね」
「この下に、食堂があるが、そこへ行ったかな」
「昼食は、列車の中ですませていますよ。それに、あれだけびくついていたのに、ひとりで、食堂へは、行かないでしょう」
「電話かな」
「電話?」
「青森駅でのことさ。公安室の横に、キオスクがあったのは事実だが、キオスクには、公衆電話もあった。三浦は、あそこで、どこかに、電話したんじゃなかったのかな?」
「川田組と、取引きしたんでしょうか? 助けてくれれば、証言はしないと――」
「そんなところかも知れん」
「畜生!」
亀井が、歯ぎしりをした。
「とにかく、探そう。この船の中にいることだけは、確かだからね」
十津川は、励ますようにいい、「海峡サロン」という名の喫茶室をのぞいてみた。
グリーンで統一されたソファが並び、大きな窓から、海を眺めながら、コーヒーを飲める豪華な喫茶室である。
「あッ」
と、十津川が、小さく声をあげたのは、そこにいる七、八人の乗客の中に、三浦の姿を見つけたからである。
一番奥のテーブルに、公安官の姿をした三浦が、若い女と、コーヒーを飲んでいた。
(女か――)
一瞬、十津川は、気が抜けたような気持になった。
川田組と取引きをしたのではないのかと思ったのだが、三浦は、青森駅で、女に電話していたのだ。
青森のクラブかどこかで、知り合った女だろう。なかなかの美人だが、水商売の感じのする女だった。
「やれやれだな」
と、十津川は、溜息《ためいき》をついたが、生真面目《きまじめ》な亀井は、怒りがおさまらないという顔で、
「われわれが、必死に守ってやっているのに、女を、連絡船に連れ込むなんて、どういう了見なんですかね」
と、吐き捨てるようにいった。
十津川は、入口近くのテーブルに、亀井と腰を下し、コーヒーを注文してから、
「女で、ほっとしたよ」
「青森駅で、電話したんでしょうね」
「だろうね。三浦にしてみれば、命がけで、札幌へ行くんだから、途中で、なじみの女を同行させたっていいだろうという気なのかも知れんよ」
「そんなことじゃあ、困りますよ。第一、あの女の素性も、わからんじゃありませんか。女が一緒じゃあ、余計、狙われ易いこともあります」
「そのことなんだが」
十津川は、運ばれて来たコーヒーを口に運んだ。
「何ですか?」
亀井は、奥の二人を睨むように見ながら、十津川にきく。
「三浦を探しているような連中が、見当らないのが、どうも、気になるんだよ」
「と、いいますと?」
「東北新幹線の中でも、東北本線の中でも、川田組の連中と思われる男たちが、車内を、歩き廻っていた。三浦を探してね。われわれ三人の中に、三浦がいたのに、本物の公安官だと思って、向うから、眼をそらしてくれたが。当然、この連絡船の中でも、彼等は、三浦を探す筈《はず》なんだ。札幌へ近づいているのだから、もっと一生懸命、三浦を見つけようとする筈なのに、さっき、グリーン席を歩いて来たとき、それらしい男が見当らなかった」
「ちょっと、見て来ましょう」
亀井は、立ち上って、喫茶室を出て行った。
十津川は、煙草を取り出して火をつけ、奥にいる三浦と、女を見つめた。
女は、二十五、六歳だろうか。東北の女らしく、色白である。三浦は、何を喋《しやべ》っているのだろうか?
女が、時々、微笑しているところを見ると、自分が殺されそうだといった話をしているのではないらしい。
ふと、三浦は、こちらを見て、十津川に気付いて、ぎくりとした顔になったが、それでも、開き直った様子で、女と話しつづけている。
三十分近く過ぎて、亀井が戻って来た。
「下の普通席や、食堂も見て来たんですが、警部のおっしゃる通り、三浦を探しているような男たちには、ぶつかりませんでした。確かに、おかしいと思えば、おかしいですね」
「どう考えたらいいのかな」
「連中は、この船には、三浦が乗らないと、決め込んでしまって、一四時三〇分発の連絡船の方に、乗ってしまったんじゃないでしょうか?」
亀井がいうのへ、十津川は、強く、首を振って、
「そんなことは、絶対にあり得ないよ。一四時三〇分の連絡船にも、連中は、乗ったろうし、この船にも、乗っている筈だ。佐伯が、指揮しているんだ。初歩的なミスはしないよ」
「では、なぜ、この船の中で、連中は、三浦を探そうとしないんでしょうか?」
「それなんだがね。まだ、あと三時間もあるから、ゆっくり見つけ出して、殺そうと考えているのかも知れない」
「なるほど」
「そうでないとすると、もう一つの理由は――」
と、十津川が、じっと考え込んだとき、奥のテーブルで、三浦と、女が、立ち上った。
女の手には、カメラがぶら下っている。
まるで、ハネムーンにでも行くような気持で、彼女は、この船に乗ったのだろうか?
亀井が、立ちふさがるような恰好《かつこう》で、三浦と女の前に立った。
「どこへ行く積りだ?」
「紹介するよ。青森市内の高級クラブで働いている早苗《さなえ》って娘《こ》だ」
と、三浦は、ニヤニヤ笑いながら、十津川と亀井にいった。
「今日は」と、女が、いった。
「三浦さんは、警察の仕事のために、札幌まで行くんですって。そうなんですか?」
「まあ、そんなところですよ」
十津川は、苦笑していった。
「あたしも、札幌まで一緒に行って、構いません? 青森に住んでいるんですけど、北海道へは、行ったことがないんですよ。五月の北海道は素敵だって聞いてます。だから、行ってみたくて」
女は、屈託のない顔でいった。
やはり、彼女は、ハネムーンでも楽しむような気持で、三浦に同行したらしい。もちろん、三浦は、札幌へ着いたら、何か買ってやるぐらいの甘いこともいったのだろう。
「ちょっと来てくれ」
と、亀井が、三浦を横へ引っ張って行った。
十津川は、その間、女を、テーブルに座らせて、観察した。
「三浦とは、昔からの知り合いですか?」
と、十津川は、丁寧にきいた。
「三回ほど、お店に見えたことがあるんです。あたしが気に入ったみたいで、何か買って下さったりして――」
「彼が、どんな男か知っていますか?」
「大きな会社の部長さんだとおっしゃってましたけど」
「それを信用したんですか?」
十津川がきくと、女は、クスリと笑って、
「いいえ。会社勤めの方にしては、威勢が良すぎますものね。あたしが、地元のヤクザにからまれて困っていたら、助けてくれましたわ」
「なるほど」
と、十津川は、微笑した。見るところは、ちゃんと見ているのだ。
「佐伯という男を知っていますか?」
十津川は、いきなりきいて、女の反応を見た。
女は、「え?」と、十津川を見直して、
「どういう方なんでしょうか?」
「三浦の友人です。彼と一緒に飲みに来たことはなかったですか?」
「いえ。三浦さんは、いつも、ひとりで、見えてたんです」
「彼は、何といって、あなたを、この船に誘ったんですか?」
「一週間の予定で、北海道一周をしてみないかって。その間、毎日の日当を払って下さるっていうし、札幌では、何か買って下さるんですって」
「それだけですか? 三浦が、いったのは?」
「ええ。それから、船の中で会ったら、制服を着てるでしょう。驚いたら、警察の用で、札幌へ行くので、こんな恰好をしてるんですって。本当かしら?」
「全くの嘘《うそ》でもありません。しかし、札幌まで、拳銃《けんじゆう》がつきまとっています」
「そんな風には、見えませんけど」
「嘘は、いっていませんよ。だから、船の中では、なるべく、三浦から離れていた方が安全です」
だが、いっこうに、危険な徴候は、現われなかった。
天候は快晴。睡《ねむ》くなるような航海だった。
十津川と、亀井は、時々、船内を廻ってみたが、人探しをしているような人間は、見当らなかった。
(川田組が、三浦を消すのを諦《あきら》めたとは思えないのだが――)
十津川は、何度も、首をかしげた。
今でも、三浦を消したいのなら、この連絡船の中は、絶好の場所ではないか。それに、警察のチャーター機が炎上してしまったのだから、三浦が、連絡船を使って、札幌へ向うことは、誰《だれ》にだって、わかる筈である。
それなのに、なぜ、川田組の連中は、この船に乗らなかったのだろうか? それとも、乗っていて、じっと、息をひそめているのか?
十津川は、船内の電話を使って、東京の本多捜査一課長に、連絡を取った。
「今、函館への連絡船の中です。ここまでは、無事に来られました」
と、まず、報告した。
「船内の様子は、どうだね? 相手が狙うとしたら、連絡船の中が、一番だと思っているんだが――」
「私も、そう思っているんですが、静かすぎて、気味が悪いくらいです。三浦を探しているような眼もありません」
「それは、おかしいね」
「そうなんです。三浦は、青森で、知り合いの女に電話をかけ、船内で、デイトしている有様です」
「その女が、川田組の廻し者だということはないのかね?」
「私も、その心配があるので、いろいろと、きいてみましたが、違うようです」
「今、一六時二六分だが、あと、どのくらいで、函館に着くんだったかね?」
「あと、二時間と少しです。佐伯の行方は、わかりましたか?」
「やっと、わかったんだが――」
「どうしました?」
「佐伯が利用していた自動車電話付きの車から追って行って、新宿のホテルにいるのを見つけたんだが、踏み込んだ時には、間《かん》一|髪《ぱつ》で、逃げられてしまった。その後、行方がつかめずにいたんだが、五、六分前になって、佐伯が、成田から、グアム行のパンナムに乗ったのが確認された。一六時二〇分の出発だから、警察が、空港へ着いた時は、離陸したあとだった」
「佐伯に間違いないんですか?」
「パスポートの写真を照合した出入国管理事務所の職員が、本人に間違いなかったといっているよ」
「しかし、おかしいですね」
「一六時二〇分の出発で、グアムへ行ったら、今日中に、帰国できないということだろう?」
「そうです。東京→グアム→札幌のルートを考えたんでしょうが、午後四時過ぎの便に乗ったのでは、今日中に、札幌には行けません。そのくらいのことは、佐伯にもわかっていると思うんですが、奇妙ですね」
「川田組は、二度、失敗して、二人の男が、警察に射殺されている。それで、怖くなって、海外へ逃げ出したんじゃないかね?」
本多は、楽観的ないい方をした。
「そうだといいんですが――」
「君は、違うと思うのかね?」
「佐伯は、そう簡単に、諦める男とは思えません」
「とすると、なぜ、グアムへ向ったのかね?」
「アリバイ作りかも知れません」
「三浦が殺されたとき、自分は、海外にいるということか?」
「そうです」
「すると、確実に、三浦を殺す方法がわかって、グアムへ逃げたのかね?」
「その可能性もあります」
「しかし、そちらの船内は、平穏そのものなんだろう?」
「だから、不気味なのです」
何かあるのではないかという思いは、一層、十津川の胸の中で強くなったが、相変らず、船内は、静かである。
早苗という女は、十津川にいわれた時は、意識して、三浦から遠去かっているようだったが、三十分、四十分とたつうちに、また、三浦と、一緒に、コーヒーを飲んだり、遊歩甲板で、海を眺めたりするようになって来た。
誰かが、狙っている気配でもあれば、注意するのだが、これだけ、平穏では、十津川も、口を出すのが、はばかられた。
「どうなっているんですかね?」
亀井は、十津川と並んで、遊歩甲板で、二人を見守りながら、首をかしげた。
「わからないね。リーダーの佐伯は、四時過ぎに、成田から、グアム行の飛行機に乗ったそうだ」
「三浦を殺すのを諦めて、逃げ出したんだとすると、有難いですが」
「佐伯は、そんな男じゃない筈だが」
十津川は、次第に近づいて来る北海道の陸地に眼をやりながら、いった。
風は、多少あるのだが、五千トンの船体は、全くゆれない。
相変らず、甲板には、初夏の太陽が、降り注いでいる。上半身裸になっている男の乗客もいた。
函館港の特徴のある山の姿が、はっきり見えてきた。函館山である。林立するテレビアンテナまで、はっきり見えてくる。
連絡船は、函館半島の突端を右に見て、ゆっくりと、廻るように、港へ入って行く。
三浦と女、それに、十津川たちは、ずっと、遊歩甲板に出ているのだが、三浦が狙われる気配は、全くない。
三浦を狙う視線がないのだ。
「もう、おりる準備をした方がいいぞ」
と、十津川は、三浦にいった。
三浦は、ニヤニヤ笑いながら、
「何にも、起きないじゃないか。ずいぶん、心配してたようだが」
と、十津川を見た。
「まさか、電話で、川田組と取引きしたんじゃあるまいな?」
「そんな取引きに応じる相手じゃないよ」
「確かに、そうだが――」
それなら、なぜ、船内で、狙わないのだろうか?
羊蹄丸の船体は、スピードをゆるめ、ゆっくりと、桟橋に接岸する。
船内アナウンスが、函館に着いたことを知らせた。
可動橋《タラツプ》が下された。
午後六時を過ぎているが、まだ、明るさが残っている。
乗客が、下船を始めた。
(このまま、何も起きないのだろうか?)
十津川は、下船する乗客を、じっと見つめていた。
背後《うしろ》を振り返る者が、一人もいない。乗客の中に、川田組の組員がいたと思うのだが、どの乗客も、さっさと桟橋から、列車のホームの方へ姿を消してしまうのだ。
「そろそろ、おりようか?」
と、十津川は、いい、自分が先頭で、可動橋を渡って行った。
次に、三浦、亀井と続いた。
早苗という女は、先に降りて、三浦を待っている。
その時、突然、銃声が起きた。
十津川は、顔色を変えて、振り返った。
彼の背後で、銃声と同時に、三浦の悲鳴があがったからだ。
可動橋《タラツプ》の上で、三浦が、膝《ひざ》を折り、うめき声をあげている。
亀井が、三浦に蔽《おお》いかぶさるようにして、彼の身体を、可動橋から桟橋に、おろした。
十津川は、内ポケットから、拳銃を取り出して、身構えた。
一瞬のことなので、どこから射って来たのか、わからなかった。
しかし、羊蹄丸から降りた乗客でないことだけは、はっきりしている。十津川は、桟橋におりた乗客の様子は、注意深く見ていたからである。
待ち受けていて、射ったのだ。
羊蹄丸が到着し、三浦が、降りてくるのを待っていて射ったとしか思えなかった。
桟橋にいた乗客が、わあッと、逃げ散って行く。
函館駅の公安官が、拳銃を手に、駈け寄って来た。
「どうなんだ!」
と、十津川は、拳銃を構えたまま、亀井へ向って、怒鳴った。
「右足を射たれましたが、大丈夫でしょう」
亀井が、落ち着いた声でいった。
「何が大丈夫なんだ? 畜生!」
と、三浦が、わめいた。
その時、二発目の銃声が起きた。
空気を引き裂く音が聞こえ、十津川の足元で、コンクリートを跳ね飛ばした。
「あのビルの上だ!」
と、公安官の一人が、桟橋の端にある低いビルを指さした。
二階建のビルの屋上で、何かが動いたように見えた。
「三浦を頼むぞ!」
と、十津川は、亀井にいっておいて、そのビルに向って、走った。
ビルに辿《たど》り着くと、十津川は、中に入った。
何かの事務所らしいが、職員の姿が見えない。よく見ると、数人の男女事務員が、手足を縛られ、口に、ガム・テープを貼《は》りつけられて、机と机の間に、転がされているのだ。
十津川に続いて、飛び込んで来た若い公安官が、その一人の両手を解いてやった。
屋上に出る階段を教えて貰《もら》い、十津川と、若い公安官が、足音を消すようにして、あがって行った。
二十五、六歳の若い公安官だった。緊張して、蒼《あお》い顔をしている。
「君は、人を射ったことがあるのか?」
と、声を低くして、十津川が、きいた。
「ありません」
「じゃあ、私が、犯人を射つ。君は、私の援護をしたまえ」
「どうすれば、いいんですか?」
「当っても、当らなくてもいいから、犯人に向けて、射てばいい。わかったか?」
「はい」
「よし、屋上へ出るぞ」
十津川は、身体を低くして、屋上へ出る扉を、押し開けた。
とたんに、相手が射って来た。
弾丸が、重い扉に命中して、はね返り、金属音を立てた。
もう一度、扉を押す。また、射って来た。が、今度は、別の射撃音が聞こえた。
桟橋から、亀井か、公安官が射ったのだろう。
十津川は、その間隙《かんげき》を利用して、屋上に、転がり出た。
彼の背後で、若い公安官が、必死で、射った。
十津川は、腹這《はらば》いになって、じっと、屋上を見廻した。
彼の眼の前を、人影が動いた。十津川は、反射的に、拳銃を構えて、射った。
人影が、ぱたりと倒れた。
「動くな! 動くと射つぞ!」
と、十津川が、怒鳴った。
若い公安官も、飛び出して来て、十津川の横に、腹這いになった。ぜいぜいと、息をはずませている。
ふらふらと、人影が、立ち上った。
右手に銃を持っている。
「銃を捨てろ!」
と、十津川が、怒鳴る。
しかし、逆光の中で、黒く見える人影は、立ち上ったまま、よろめき、若い公安官が、「あッ」と、声をあげた時には、屋上から、転落していた。
十津川は、立ち上って、桟橋にいる公安官たちに、射たないように、手を振りながら、屋上の端まで歩いて行った。
下を見る。
男が、仰向けに倒れたまま、動かない。二十七、八歳の男だった。
銃が、男の横に転がっている。
十津川は、腕時計に眼をやった。急がないと、「北斗7号」に間に合わない。
十津川は、また、階段を駈けおりて、ビルの外に出た。
亀井と、三浦の傍《そば》に戻ると、
「歩けるか?」
と、三浦に声をかけた。
「駄目だ。歩けねえよ」
三浦が、悲鳴をあげた。
「大丈夫です。止血はすませました。かすっただけです」
亀井が、横からいった。
「本当に、大丈夫なのか?」
「大丈夫です。駄目なら、ここへ放り出して行きましょう。川田組の連中が、止《とど》めを刺しに来るんじゃありませんか」
亀井がおどかすと、三浦は、あわてて、立ち上った。
どうやら、悲鳴をあげるほどの怪我《けが》ではないようだった。
ただ、片足を引きずるようにしている。
「肩を貸してやろう」
と、亀井が、三浦を、抱きかかえた。
「ここで、休ませてくれないのか?」
三浦が、十津川に、文句をいった。
「間もなく、札幌行の列車が、出発するんだ。それに乗らないと、間に合わん」
十津川は、険しい顔でいった。
ホームに行くと、特急「北斗7号」が、待っていた。
十津川たちが、飛び込むと、ほとんど同時に、ベルが鳴って、発車した。
十津川は、三浦を、座席に座らせ、額の汗を拭《ぬぐ》った。
「危なかったな」
と、十津川が、溜息をついた。
「明らかに、待ち伏せでしたね」
亀井が、いう。
「われわれの連絡船に乗っていた奴じゃない。前の連絡船に乗っていた川田組の組員だろう。連絡を取っていて、われわれが、公安官の服装をしていると、知らせていたんだ」
「なぜ、ばれたんでしょうか?」
「多分、同じ公安官が、新幹線にも、在来線にも乗っているのは、おかしいと、気付いたんだろう。青森で、すでに、ばれていたのかも知れん」
「それで、船内では、油断させておいて、函館へ着いたところを、待ち受けていて、射ったんですね」
「他に考えようはないよ。しかし、三浦は、運が良かったな。悪運が強い男だ」
十津川が、いうと、亀井は、手を振って、
「悪運じゃありません。函館だから、助かったんです」
「なぜだい?」
「川田組の連中は、東京の人間が多いから、函館のことをよく知らなかったと思います。函館港というのは、風が強いことで有名なんです。偏西風です。だから、函館はよく大火があるのです。今日も、時々、突風が吹いていました。待ち伏せしていた男は、その風を計算に入れていなかったんだと思いますね。向うが射った時、丁度、突風が吹いて、タラップがゆれて、私の前で、三浦が、ちょっと、よろけたんです。それで、右足をかする怪我ですんだんですよ」
「なるほどね」
「しかし、公安官の恰好をしているのを知られて、狙い射たれたとすると、この恰好をしているのは、かえって、危険ですね。この列車にも、当然、川田組の連中が乗っているでしょうし――」
「そうだが、着がえの服は、仙台駅の公安室へ置いて来てしまったからね」
十津川は、当惑した顔でいった。
鉄道公安官に変装するのは、最初は、うまい考えだったのだが、事態が変ると、今度は、的を背負って歩いているようなものになってしまった。
といって、途中下車して、服装を変えるわけにはいかない。この列車で、札幌へ着かないと、間に合わないからだ。
「ちょっと、探してくるから、君は、三浦のおもりをしていてくれ」
と、十津川が、いった。
「何を探されるんですか?」
「この北斗7号には、先行していた小田中刑事たちも、乗っている筈なのだ」
「そうでしたね」
「われわれが、公安官の恰好をしていては、向うも気がつかないだろうが、とにかく、探してくる」
十津川は、帽子を取り、上衣を脱ぎ、ワイシャツ姿になって、最後尾の9号車から、前方へ歩いて行った。
特急「北斗」は、気動車特急で、もとは、上野―青森間を走っている特急列車の名称だった。それが、上野―青森間に、特急「ゆうづる」が走るようになってから、北海道の函館―札幌間を走る気動車特急の名称になったのである。
「北斗7号」は、九両編成で、自由席三両、指定席四両、グリーン席一両、それに食堂車が一両ついている。
札幌へは、長万部から、小樽《おたる》経由の函館本線と、室蘭を経由する室蘭本線の二つがあるが、「北斗7号」は、南の室蘭経由である。
昼間なら、車窓に、緑に萌《も》える北海道の原野が広がっているのだろうが、すでに、七時半に近く、全《すべ》ての景色が、闇《やみ》の中に眠ってしまっている。
グリーン車から、食堂車に入り、そこを抜けて、3号車のデッキに来たとき、
「警部」
と、小声で呼ばれた。
小田中刑事だった。
十津川は、はっとして、足を止めた。
「君たちを探していたんだ。他の連中は?」
「私と同行している小林刑事は、3号車にいます。石本刑事たち三人は、1号車です。函館駅の桟橋で、銃撃がありましたが、三浦は大丈夫でしたか?」
「右足を、弾丸がかすっただけで、今、9号車にいるよ」
「そうですか。本多捜査一課長に連絡したら、警部たちを見ても、声をかけるなといわれていたものですから」
「私たちが、公安官に変装していたからだろう。しかし、それも、ばれて、狙い射たれてしまっては、そんな遠慮は、必要ないよ。ばれてからは、この服装は、かえって、射撃の的みたいなものでね。着がえたいが、背広を、仙台の公安室へ置いて来てしまった」
「わかりました。われわれの背広と交換しましょう。そうしたら、川田組の連中も、まごつくと思います。すぐ、9号車へ行きます」
と、小田中は、いった。
十津川が、9号車に戻ると、車掌長が、薬箱を持って来て、三浦の傷に、包帯を巻いてくれていた。
三浦は、大げさに顔をしかめていたが、たいした傷でないことは、十津川が見てもわかった。
「どうでした?」
と、亀井が、きいた。
「小田中刑事に会ったよ。他の連中も、すぐ、ここへ来るそうだ。彼等の背広と、この公安官の服を着がえることにする」
と、十津川は、いってから、車掌長に、
「あとで、乗務員室を貸して下さい」
と、頼んだ。
「ところで、あの女は、どうしたんでしょうか?」
亀井が、9号車の車内を見廻しながら、十津川に、きいた。
「あの女なら、食堂車にいたよ」
「本当ですか?」
「3号車で、小田中刑事に会って、戻るときに、もう一度、食堂車に廻ったら、彼女が、ビールを飲んでいたんだ。4号車に乗っているといっていたよ」
「てっきり、函館の一件で、怖くなって、逃げ出したと思ったんですが」
「怖かった、といっていたが、今、逃げ出したんでは、三浦と約束したものが貰えないから、札幌まで来るそうだ」
「彼女が、川田組の手先ということはありませんか? だから、この列車に乗り込んできたということは、考えられませんか?」
亀井が、心配そうに、きいた。
「私は、違うと思うね。彼女には、連絡船の中で、初めて会ったんだが、船内電話を使って、どこかへ連絡した気配はないからだ。公安官に、なっているのがばれたのは、別の理由だと思うね」
と、十津川は、いった。
傷の手当てを終った三浦を、9号車の乗務員室に入れた。
五、六分して、小田中たちが、一人ずつ、間を置いて、9号車にやって来た。
乗務員室で、服を交換して、出て行く。新しい鉄道公安官三人が出来あがり、十津川、亀井、それに、三浦の三人は、背広姿に戻った。
もちろん、だからといって、三浦が安全になったというわけではない。
川田組の連中が、この列車にも乗っているだろう。函館駅で、狙撃したが、三浦が無事なことは、知っている筈である。当然、この列車の中でも、機会を窺《うかが》うことだろう。
三浦は、公安官の恰好をしていると思って、車内を探してくれれば、しばらくは、時間がかせげるが、向うも、子供ではないから、すぐ、服装を変えたと気付く筈である。
それに、「北斗7号」は、札幌に着くまで、八雲《やくも》、長万部《おしやまんべ》、洞爺《とうや》、伊達紋別《だてもんべつ》、東室蘭、登別《のぼりべつ》、苫小牧《とまこまい》、千歳空港、札幌と、停車して行く。
このどこかで、川田組の連中が、乗り込んでくる可能性もあるのだ。
新しく生れた小田中たち三人の公安官には、1号車から9号車までの間を、絶えず、歩き廻って貰うことにした。
川田組の連中を牽制《けんせい》して貰うと共に、挙動不審の乗客を見つけて貰うためだった。
「今から、札幌までの四時間が、一番、大変な時間になるんじゃないかな」
十津川は、亀井に、いった。
三浦を、ずっと、乗務員室に隠しておくわけにはいかないので、9号車の一番うしろの席に座らせた。
十津川と亀井は、その前と、横の席に腰を下した。
9号車は、最後尾の車両なので、川田組の連中が、襲ってくるとすれば、前方からしか考えられないので、守るには、楽である。
「向うは、絶対に、札幌には行かせまいとするでしょうから、この列車の中では、何が起きるかわかりませんね」
亀井は、厳しい表情になっていた。
長万部の駅は、函館本線と、室蘭本線の接続駅にしては、小さな駅である。
東北新幹線の三階、四階という高層駅を見なれた眼には、一階建の平べったい駅は、周囲が、広大な原野のために、一層、小さく、頼りなく見えた。
立花たち四人は、改札口を通って、ホームへ入って行った。
室蘭本線経由の「北斗7号」が、到着するまでに、あと、七、八分ある。
立花は、ベンチに腰を下して、じっと、眼をつぶっていた。
「北斗7号」に乗って、もし、三浦が乗っていれば、ここまで、全ての襲撃が、失敗したことを意味している。
「間もなく、札幌行の北斗7号が入って来ます」
というアナウンスがあった。
立花は、ベンチから立ち上り、「一番前から乗ろう」と、組員たちにいった。
赤と、うすいだいだい色の二色に塗り分けられた気動車特急の「北斗7号」が、前照灯をつけて、入って来た。
立花たちは、1号車に乗り込んだ。
1号車は、自由席である。若い組員の一人が、座席に腰を下すなり、煙草をくわえて、火をつけた。
立花は、その煙草を、取り上げた。
「この車両は、禁煙車だ」
「そんなこと構わないじゃないですか?」
「駄目だ。三浦を消すまでは、小さな面倒を起こして貰いたくないんだ」
と、立花は、叱《しか》りつけた。
二分の停車で、「北斗7号」は、発車した。
他の組員が、座席から立ち上った。
「三浦が乗ってるかどうか、見て来ましょう」
「落ち着けよ。札幌まで、あと、三時間もあるんだ。ここにいて、連絡を待つんだ」
「連絡って、誰の連絡ですか?」
「他の連中が、この列車に乗っている筈だからだよ。彼等から、ここまで、どういうことがあったのか聞いてから、考えても、遅くはないだろう」
「三浦は、もう消されてるんじゃないですか?」
「いや、そんな楽観は、禁物だ。警察の威信をかけて、三浦を守ってるんだ。簡単には、消せないよ」
立花がいったとき、サングラスをかけた男が、1号車に入って来た。
福島だった。
彼は、立花の姿を見つけて、近づいて来て、隣りの座席に腰を下した。
「青森で、三浦が、護衛の刑事と、鉄道公安官の恰好をしているとわかったので、先の連絡船に乗って、函館へ向った井上たちに、知らせたんだ。函館港で待ち伏せて、三浦が、船から、桟橋へおりるところを狙えとね」
「それで、成功したのか?」
「井上が、狙ったが、失敗した。もともと、銃の腕が、たいしたことのない奴だから仕方がないさ」
「すると、三浦は、この列車に乗ってるんだな?」
「乗っている」
「相変らず、鉄道公安官の恰好をしているのか?」
「函館から乗るときには、公安官の服を着ていたのは、見ている。しかし、今は、わからないね。新顔の公安官が三人、突然、現われて、車内を廻って歩いているからだ。公安官が、三人で、チームを作るというのは、おかしいんじゃないか。普通は、二人で一つのチームを作って動くもんだろう?」
「すると、その新顔の三人も、ニセの公安官ということか?」
「そうなんだが、おれは、三浦たちと、服を交換したんだと思う」
「なるほどな。すると、新しい三人も、刑事ということになるね」
「間違いないさ」
「それで、服を着換えた三浦は、今、どこにいるんだ?」
「恐らく、最後尾の9号車にいると、おれは睨《にら》んでいる。一番、守り易いからね」
「9号車か」
「そうだ」
と、肯いてから、福島は、ちらりと、うしろを見て、
「来たぞ。新しい公安官だ」
と、小声でいった。
立花は、うしろを振り返らず、窓の外に眼をやった。
足音が近づいて来て、窓に、公安官の姿が映った。その姿が、引き返して行く。
「2号車へ行っちまったよ」
と、福島は、いい、ふうッと、息を吐いた。
「時々、ああして、やって来るのか?」
立花が、きいた。
「これが、三回目だ。公安官としては、ニセモノだが、刑事だからね。面倒を起こすと、逮捕される恐れがあるんだ。三浦を、どうしたらいいか、考えておいてくれ。インテリのあんたなら、うまく消す方法を思いつくだろう?」
福島は、それだけいうと、7号車にいるからといって、戻って行った。
二一時○七分に、洞爺、二一時二〇分に、伊達紋別と、「北斗7号」は、停車した。
外は、すでに、完全な闇である。気動車独特の低いディーゼルエンジンの音と、単調な車両の音が、聞こえてくる。
組員の園田が、立花の命令で、最後尾の9号車を調べに行き、十二、三分して、1号車に戻って来た。
「三浦がいました」
と、園田は、興奮した声でいった。顔が、赤くなっている。
「9号車のどこにいるんだ?」
立花が、きいた。
「一番うしろの席に、三浦が腰をかけ、その前と、横に、刑事が座っていましたよ。一人は、十津川という捜査一課の警部です。一度、傷害で捕まったときに、取り調べを受けたことがあるから、間違いないですよ」
「十津川か」
立花は、口の中で、呟《つぶや》いた。佐伯がいっていた名前である。佐伯は、手強《てごわ》い相手だといっていた。
三浦の傍に、十津川という警部と、刑事がもう一人。それに、鉄道公安官の恰好をした刑事が三人。今のところ、五人の刑事が、この列車に、乗っていることがわかった。他にも、二、三人、乗っていると考えた方が、いいだろう。
それに対して、こちらは、立花と同行した組員が三人、それに、福島たちも三人いる。合計七人。人数は、同じくらいのものだった。
問題は、どうやって、刑事たちのガードを突破して、三浦を消すかということである。
「北斗7号」は、内浦湾に沿って、夜の闇の中を、東室蘭に向って、ひた走っている。
立花は、じっと考え込んだ。
こちらの七人が、一人ずつ、9号車に入って行き、合図と共に、一斉に、三浦に襲いかかろうか?
平野が生きていたら、一も二もなく賛成するだろう。こちらも、何人か射たれるが、三浦を消すことには、成功するかも知れない。
だが、立花は、もっと、スマートにやりたかった。スマートに、そして、確実にである。
それに、七人で9号車に押しかけて行き、もし、失敗したら、それで、終りになってしまう。札幌に近づけば近づくほど、失敗は、許されなくなってくるのだ。
(二段構えで行こう)
と、立花は、思った。
最初は、小さくやる。失敗しても、こちらの犠牲は小さくてすむし、向うは、油断するだろう。そこが、狙いだ。
立花は、まず、若い中尾という組員を呼んだ。
小声で、指示を与える。中尾の顔が、緊張し、いくらか、青ざめた。
「君なら、やれる筈だ」
と、立花は、中尾の肩に手をかけて、暗示を与えるように、いった。
「失敗したら、どうしますか?」
中尾が蒼《あお》い顔で、きき返した。
「君なら大丈夫だ。君は、いくつだ?」
「二十歳になったばかりです」
「前科は、ないんだろう?」
「ありません」
「それなら、大丈夫だ。十津川という警部も他の刑事も、君の顔は知らないから、途中で気付くことはない。それに、君の顔は、なかなかの二枚目で、ヤクザには見えないよ」
「やるのは、いつですか?」
「駅の間が、長い時がいいだろう」と、立花は、時刻表を見た。
「登別と、苫小牧の間がいいな。その時には、私が、合図する」
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第八章 函館本線
「北斗7号」は、二一時五七分に登別に着いた。時刻表通りである。
ここには、一分間停車で、再び、動き出した。
次の苫小牧着が、二二時二六分だから、約三十分、列車は、停車しない。
立花は、緊張している中尾の肩を、軽く叩いて、
「うまくやれ」
と、小声で、いった。
どうしたらいいかは、長万部から、ここへ来るまでの間に、何回も、中尾に、話した。
立花の指示通りに、中尾が、動いてくれれば、三浦を殺せる筈だった。
失敗するとすれば、中尾が、緊張と、恐れで、動作が、ぎこちなくなり、それに、気付かれた時である。
中尾の顔が、相変らず、蒼い。
「深呼吸してみろ」
と、立花は、いった。
中尾が、ぎこちない動作で、大きく、息を吸い込み、吐き出している。
「うまくやれば、お前は、一躍、英雄だ。刑務所へ入っても、相手は、どうせ、こちらと同じヤクザなんだ。せいぜい、二、三年の刑期ですむ。シャバへ出て来た時は、川田組の幹部の地位は、約束されているようなものだ」
立花は、そういって、中尾を励ましてから、もう一度、軽く、肩を叩いた。
中尾は、無言で肯《うなず》いて、立花の傍を離れて行った。
1号車を出て、デッキのところで、中尾は、煙草に火をつけた。
じっと、待った。
十二、三分して、ワゴンを押して、男の車内販売員が、通りかかった。二十五、六の男である。
「ビールをくれ」
と、中尾が、声をかけた。
相手は、ワゴンを止め、缶《かん》ビールをつまみあげて、中尾のところに持って来た。
「いくらだ?」
と、ききながら、中尾は、近寄って来た青年のみぞおちのあたりを、いきなり、蹴《け》りあげた。
「うッ」
と、呻《うめ》き声をあげて、身体を折るところを、片手で、相手の口をおさえ、もう片方の手で、二回、三回と、腹を殴りつけた。
相手の身体が、まるで、中尾にもたれかかる感じで、ずるッ、ずるッと、崩れ落ちてきた。
幸い、デッキに、人の姿はない。
中尾は、ぐったりした男を担いで、トイレに入り、狭い中で、相手の服を剥《は》ぎ取って、素早く、着がえた。
次が、難しかった。ドアの内側の鍵《かぎ》フックを、真上より、少し下げておいて、勢いよく閉めてみる。
一回目は、失敗したが、二回目は、成功した。外から、フックをかけることに成功したのだ。これで、しばらくの間、このトイレは使用中の状態になったわけである。
車内販売員になりすました中尾は、デッキに置きっ放しにしてあったワゴンを押して、三浦のいる9号車に向って、歩き出した。
尻《しり》ポケットに、飛び出しナイフが、忍ばせてある。現在、飛び出しナイフは、製造が禁止されているが、これは、中尾が、自分で作ったものだった。別に、今日のために作ったものではない。喧嘩《けんか》のために、使うためである。
2号車、3号車と、歩いて、次第に、9号車に近づいて行く。
なるべく、顔を伏せ、相手にわからないように、歩いて行った。
9号車に近づくにつれて、腋《わき》の下に、じっとりと、汗がにじんでくる。唇が乾く。乗客から、何かくれといわれたら、どうしようかと思ったりした。缶ビールや、ジュースなどの値段がわからないのだ。
しかし、中尾が、黙って、ワゴンを押しているので、乗客は、声をかけて来なかった。疲れたのか、眠っている客も多い。
9号車に入ったところで、声をかけられた。
「ビールをくれ」
と、中年の男が、いった。
この9号車には、三浦がいる。乗客の注文を無視したら、怪しまれるかも知れない。
中尾は、黙って、缶ビールを、中年の客に渡した。
「百円だったな?」
と、乗客の方からいった。それが、違っているかどうかわからなかったが、中尾は、肯いて、百円玉一枚を受け取った。
この乗客の声が引金になったみたいに、近くにいた若い男の客二人も、ビールを買った。
中尾は缶ビールを渡し、代金を受け取りながら、一番奥に腰を下している三浦の様子をうかがった。
その三浦が、こっちを見た。
一瞬、見破られたかと、中尾は、蒼くなったが、三浦は、ニコニコ笑って、隣りの十津川警部に、何か話しかけているので、ほっとした。
三浦は、いつ、川田組の連中に襲われるかと、ビクビクしている筈なのだ。もし、中尾が、車内販売員に化けていると気付いたら、あんな笑顔は、見せないだろう。
注文のビールを、全部、渡し了《お》えて、中尾は、また、ワゴンを押して、歩き出した。
急に、三浦は手をあげて、
「おい。缶ビールをくれ!」
と、大声でいった。
中尾は、わかりましたというように肯き、顔を伏せるようにして、三浦に近づいて行った。
「あんたも、どうだい?」
三浦が、隣りの十津川警部に声をかけている。
十津川は、苦笑して、首を振っている。
中尾は、素早く、椅子《いす》の位置を考えた。
通路の左側に、三浦と、十津川が腰を下している。もちろん、用心のため、三浦が、窓際に腰を下している。通路の右側には、もう一人の刑事が座っている。
この配置では、飛び出しナイフを取り出したとたんに、二人の刑事に、取りおさえられてしまいそうだ。
それに、鉄道公安官三人も、近くの空いている座席に腰を下している。
「おい。早くビールをくれ」
と、三浦が、中尾に向って、いらだたしげに、怒鳴って、手を伸ばして来た。
「すいません」
中尾は、謝りながら、缶ビールを一つ取りあげ、相手に渡すと見せかけて、片方の足を、ワゴンの支柱に引っかけて、倒してしまった。
缶ビールやジュースが、ごろごろと、床に転がった。
その中のいくつかが、三浦の座っている座席の下にも、転がって行った。
「すいません!」
と、叫びながら、中尾は、身体を屈《かが》めて、転がった缶ビールやジュースを拾い出した。
「こりゃあ、大変だ」
十津川も、笑いながら、拾ってくれる。
中尾は、屈んだままの姿勢で、尻ポケットから、ナイフを取り出した。
相手に見えないところで、ぱちんと、刃を飛び出させた。
機をうかがって、ふいに、立ち上り、ナイフを構えて、座っている三浦めがけて、体当りしていった。
引き吊《つ》った三浦の顔が、大写しに迫ってくる。
三浦の悲鳴!
(やった!)
と、中尾は思った。
だが、次の瞬間、「あッ」と、声をあげたのは、三浦ではなく、中尾の方だった。
床に残っていたコーラの缶を、踏んでしまったのである。
バランスを失った中尾の身体は、半回転して倒れ、手を離れたナイフだけが、三浦の頬《ほお》のあたりをかすめて、座席の背もたれに、突き刺さった。
十津川は、反射的に、相手を殴りつけていた。
男の身体は、前席の背に激しくぶつかってから、十津川の足元に、転がった。
そのまま、のびてしまった。
十津川は、「大丈夫か?」と、三浦に声をかけた。
三浦は、真っ青な顔で、突き刺さったナイフを見つめている。左頬に、ひと筋、赤く血が流れ落ちているのは、ナイフが、かすめた証拠だろう。
「大丈夫なことがあるかい!」
と、三浦は、声をふるわせた。
「この男に、見覚えはないか?」
十津川は、自分の足元に、ぐったりとしている若い男に向って、あごをしゃくって見せた。
缶コーラを踏んで転倒したとき、窓枠のところで、頭を打ったのか、額のあたりに、血が、にじんでいる。
三浦は、足先で、男の顔を、持ちあげて見ていたが、
「顔は見たことがあるが、名前は、憶えてないな。川田組にいた奴だが、下っ端だよ。中田とか、中西とかだったと思う。いや、中尾だったかな。憶えてないよ」
「川田組の人間だということは、間違いないんだな?」
十津川が、念を押すと、三浦は、いらいらしたように、頭を振って、
「決ってるじゃねえか。川田組以外の人間が、どうして、おれを殺そうとするんだ?」
「そう、かっかしなさんな」
横から、亀井がいった。
「どうかしてくれよ。川田組じゃあ、あとから、あとから、殺し屋を差し向けてくるぞ。この列車にだって、こいつだけが、乗ってるとは思えねえよ。他にも、連中は、何人も乗ってる筈《はず》だ。そいつらを、早くどうかしてくれよ」
三浦は、声をふるわせて、十津川にいい、亀井にもいった。
「その前に、この男を、どうするかですね」
と、亀井が、十津川を見た。
「次の駅で、おろしましょう。私が、地元の警察に引き渡しますよ」
公安官の服装の小田中刑事がいい、まだ、気絶している男に、手錠をかけた。
「他の連中は、どうしてくれるんだ?」
また、三浦が、いった。
「この列車に、他に乗っていることは、まず間違いないだろうな」
と、十津川が、いう。
「だから、そいつらを、何とかしてくれといってるんだ」
三浦が、怒鳴る。
「出来れば、するさ」
「あいつらが、五、六人、いっぺんに襲って来たら、どうするんだ? こいつ一人でも、おれは、危く殺されかけたんだぜ。あんたたちが、死んだって構わないが、おれは、死にたくないんだ」
「何だと?」
若い小田中刑事が、むっとして、三浦に、つかみかかろうとする。
三浦は、「何だよ?」と、いい返して、
「おれは、安全を保障してくれるというから、ここまで、一緒に来たんだ。こんな調子で、安心していられるか? え? どうなんだ?」
「もっともだ」
十津川が、いった。
小田中が、なんで、三浦の肩を持つのかという顔で、十津川を見た。
十津川は、そんな視線を無視して、
「確かに、君の安全を保障すると、約束したよ」
「そうだろう? それなら、この列車に乗っている川田組の連中を、全部、捕まえて、おれを安心させてくれよ」
「そのためには、川田組の連中を見つけ出さなきゃならん。幹部の顔は知ってるが、他の連中の顔は、わからない。だから、一緒に、1号車まで歩いて、君が、見つけ出してくれ」
十津川がいうと、三浦は、急に、怯《おび》えた表情になって、
「あいつらと、眼が合ったとたんに、殺《や》られちまうよ。川田組じゃあ、一人一丁以上の拳銃を持ってるんだ。おれが、自分で、探して歩いたら、自殺するようなものだ」
「それじゃあ、どうしようもないな」
「こいつに、きけばいいじゃないか。きっと、幹部に命令されてやったんだ。ぶん殴って、奴等が、どこにいるか、きき出せばいいだろう」
三浦は、倒れている男を、蹴飛《けと》ばした。
「そうだな。デッキへ連れて行って、訊問《じんもん》してみてくれ」
と、十津川は、小田中にいった。
やっと、息を吹き返した男を、小田中と、小林の二人の刑事が、両脇《りようわき》を抱えて、デッキへ連れ出して行った。
十津川は、騒ぎに驚いてやって来た車掌に、
「車内販売員が、どこかに倒れていると思うので、調べて見て下さい」
と、いった。
殴られて、2号車のトイレに押し込められていた車内販売員は、自分で、外へ出て来たと、車掌が、戻って来て、十津川にいった。
「腹をひどく殴られたらしくて、痛みを訴えているので、念のために、次の苫小牧でおろして、病院へ行かせようと思っています」
車内販売員に化けた男の訊問は、うまくいかなかった。
「何をきいても、だんまりを決め込んでいます」
と、小田中が、顔の汗を拭《ふ》きながら、十津川に、報告した。
「そうだろうな。何か喋《しやべ》れば、今度は、自分が、狙われる破目になると思っているんだ」
「そうらしいです」
「君は、次の苫小牧で、あの男をおろしてくれ」
二二時二六分(午後十時二十六分)に、十津川たちの乗った「北斗7号」は、苫小牧に着いた。
夜のプラットホームは、いつ見ても、寂しいものだ。降りた客は、肩をすぼめるようにして、蛍光灯《けいこうとう》の青白く光るホームを、改札口に向って歩いて行く。乗る方は、あわただしく、乗り込んで来る。
小田中刑事は、男を連行して、降りて行った。
一分停車で、「北斗7号」は、苫小牧を発車した。二二時二七分。
(あと一時間か)
と、十津川は、思った。
二三時二五分に、この列車は、札幌に着く。
札幌駅には、道警本部の連中が、迎えに来てくれているだろう。
(札幌へ着けば、安心だろうか?)
道警の刑事たちが、来てくれて、地裁まで同行してくれるのだから、安心していいのかも知れない。
だが、果して、そうだろうか?
十津川は、時々、テレビで、アメリカン・フットボールを見ることがある。アメリカのプロの試合である。
アメリカン・フットボールは、攻撃側がボールを持って、相手側のゴールに進む競技である。ボールをパスしてもいいし、抱えて走ってもいい。
最初のうちは、よくパスも通るし、走ることも出来るが、ゴールが近づくにつれて、パスは、通りにくくなるし、突進も出来なくなる。それだけ、相手の防禦《ぼうぎよ》が厚くなってくるからである。
今度の問題と、アメリカン・フットボールが似ているとは思わないが、札幌に近づくにつれて、安心できると思うのは、間違いで、敵も、それだけ必死になるだろうから、危険は、かえって、増大するのかも知れない。
「何をお考えですか?」
亀井が、十津川にきいた。
十津川は、三浦を、これ以上、怯《おび》えさせてはいけないと考え、通路を越えて、亀井の横に腰を下した。
十津川のあとには、小林刑事が移って、三浦の隣りに腰を下した。
「あと一時間で、札幌に着くが、川田組の攻撃が、これで終りだとは、思えないんだ」
と、十津川は、小声で、亀井にいった。
「そうですね。いや、もっと、激しい攻撃をかけてくるかも知れません。三浦を、札幌地裁に入れたら終りだという気があるでしょうからね」
「しかし、どんなことが、彼等に出来るかな? 道警だって、パトカーを五、六台用意して、札幌駅に迎えに来る筈だからね」
「そうですね。彼等が、警視庁からだといって、ニセの連絡を取って、札幌以外の駅で、われわれが降りると思わせるようにするということは、考えられませんか? 本多捜査一課長の声は、真似《まね》しやすい声ですから」
「それは、大丈夫だ。道警だって、確認のために、電話をかけ直すさ」
「そうでしょうね」
「もう一つ気になるのは、佐伯弁護士の動きだ。彼が、どんな動きをするか気になってならなかったんだが、意外にも、成田から、グアムへ飛び立ってしまった。それも、一六時二○分のパンナムでだよ。これに乗ったのでは、今日中に、札幌には来られない。明日まで、便《びん》がないからだ。どうして、そんな便に乗ったんだろうか?」
「ねえ、警部」
「何だい?」
「警部は、佐伯弁護士が、向うのリーダーで、何をやるかわからないと、警戒されていますが、インテリなんて、いざとなると、だらしのないもんですよ。怖くなって、自分だけ、逃げ出したんじゃありませんか?」
「いや、あの男は、そんな奴じゃないよ。怖い奴だよ」
「しかし、逃げたという事実は、間違いないわけですよ。今頃、グアムのホテルで、のんびり、酒でも飲んでるんじゃありませんか。アリバイは、出来たわけですからね」
「それなら、安心なんだがね」
「警部は、どう考えておられるんですか?」
「わからん。札幌地裁へ入るまでの間に、三浦を殺せるという絶対の自信があったので、安心して、グアムに行ったのか? いや、それなら、何も、グアムに行かなくてもいいわけだ。ハワイでも、ヨーロッパでもいい筈なんだが――」
十津川は、また、考え込んでしまった。
佐伯の動きが、どうしても、気になって仕方がないのである。
佐伯が、グアムに飛んだと見せかけて、札幌へ来るということは、考えられない。成田空港を見張っていた刑事が、彼の乗った飛行機が、飛び立つのを見送ってから、本多捜査一課長に、報告しているのである。第一、日本の航空会社は、全《すべ》て、スト中で、一機も飛んでいないのだから、たとえ、佐伯が、グアム行のパンナムに乗らなかったとしても、二三時二五分までに、札幌には来られないのである。
「佐伯弁護士のことなんか、忘れられた方がいいですよ」
と、亀井がいった。
「そう思うんだが」
「今、グアムにいる佐伯に、何が出来ますか? 魔法使いじゃないんですから」
二二時四七分(午後十時四十七分)に、千歳空港駅に着いた。
このあと、札幌まで、この「北斗7号」は、どこにも、停車しない。
いつもなら、千歳空港で降りた客が、この駅から、多勢、乗ってくるのだろうが、今日は、空の便が、とまっている。
「北斗7号」に乗って来る乗客も、ほとんどいないし、降りた乗客も、二、三人だった。
その数少ない乗客の一人が、9号車に入って来ると、十津川を見て、手をあげ、近寄って来た。
道警捜査一課の西田警部だった。昔からの顔見知りだった。
「連絡に来たよ」
と、西田は、いった。
「そいつは、ありがたいな」
「札幌駅のホームに、刑事たちを待たせてある。パトカーは、四台用意した。札幌駅からは、道警本部に寄らずに、地裁へ直行して貰《もら》うよ。時間がないんでね」
「こっちも、その方が、ありがたい」
「彼が、三浦だな」
西田は、じろりと、三浦に、眼をやった。
「どうにか、無事に、ここまで連れて来られたよ」
「川田組は、何回か、襲撃して来たそうじゃないか。警視庁に連絡したら、君のボスが、そういっていたよ」
「ついさっきも、やられたよ」
と、いってから、十津川は、声をひそめて、
「おかげで、三浦は、だいぶ、ぶるってしまっている。その方が、次の襲撃より心配なくらいだ」
「もう大丈夫だ。あと三十分で、札幌に着く。あとは、大船に乗ったつもりでいてくれ」
大男の西田は、部厚い手で、十津川の肩を叩《たた》いた。
「北斗7号」は、夜の闇《やみ》の中を、ひたすら、札幌に向って、走り続けている。まるで、一刻も早く、終点に着いて、肩の荷をおろしたいと思っているみたいに。
午後十一時を過ぎた。
何事も起きない。
他の乗客は、眠ってしまったのか、9号車の中は、ひっそりとしていた。
軽い寝息も聞こえてくる。
(このまま、静かに、過ぎてくれればいいが)
と、十津川は、思った。
だが、三浦が、無事でいる限り、川田組の連中は、諦《あきら》めないだろう。
この車内では、もうやるまいと、十津川は考える。それほど、相手は、馬鹿ではあるまい。一息ついてから、次の攻撃を仕掛けてくる筈だ。
(札幌駅で、おりてからだな)
と、思った。函館でも、青函連絡船では狙《ねら》わず、タラップを降りるところを、狙っている。
「札幌駅では、他の乗客が降りてから、われわれも、降りるのがいいと思う」
と、西田が、いった。
「それには、賛成だよ」
と、十津川も、いった。
「中尾は、失敗したらしい」
立花は、重い沈黙を破って、福島たちに、いった。
「なぜ、わかる?」と、福島が、きいた。
「成功していても、中尾は、射殺されるか、逮捕されるぜ。のこのこ、報告に戻っては来ないよ」
「そんなことはわかってる。だが、失敗したことは、まず、間違いない」
「なぜ、わかる?」
「三浦が、死んでいれば、警察は、面子《メンツ》がつぶれたことになる。必死になって、私たちを逮捕しようとする筈だ。列車を停《と》めてもだ。しかし、列車は、停まらんし、彼等は、私たちを、探しにも来ない。三浦が、生きている証拠だ」
「これから、どうする? みんなで、9号車に押しかけて行って、三浦を、やっつけるか?」
福島が、勇ましいことをいう。
立花は、首を横に振った。
「そんなことをしたら、全員が、死ぬだけだ。向うは、わかっているだけでも、五人だろう。それに、相手は、罰せられる心配なしに、拳銃を、ぶっ放せるんだ。向うが、有利な時に、戦うことはない」
「じゃあ、どうするんだ? あと三十分で、札幌へ着いちまうぞ」
「札幌の駅で最後の勝負をするつもりだ」
「じゃあ、ホームで、やるのか?」
「いや。ホームには道警の刑事たちが、三浦を迎えに来ている筈だから、無理だ」
「他に、やるところはないぜ」
「いいか。私たちは、先頭の1号車に乗っている。札幌のホームに着いたら、さっさと降りて、改札口を出るんだ。札幌駅の入口には、多分、パトカーが、何台か、来ているだろうと思う。三浦を守り、乗せて、地裁へ連れて行くためにね」
「じゃあ、チャンスはないぞ」
「いや、駅の表玄関で、最後の襲撃をする」
「パトカーが、何台も来ているんだろう? それじゃあ、自殺行為じゃないか」
「一見、そう見えるところを狙うんだ。われわれは、ここまで、盛岡駅、青森空港、函館駅、それに、この車内と、四回、攻撃した。そのうち二回は、駅のホームか、ホームに出るタラップだ。多分、警察も、札幌駅のホームで、私たちが、また、襲うと思い、警戒していると思う。だから、そこではやらず、札幌駅の入口で、三浦が、パトカーに乗るところをやるんだ」
「しかし、パトカーが、何台も来て、刑事で一杯になっているんじゃないのかい? そうなら、三浦を殺すどころか、おれたちは、たちまち、蜂《はち》の巣にされちまうぞ」
「違うね」
「なぜ、違うんだ?」
「函館発で、札幌へ着く列車では、この『北斗7号』が、最終なんだ。だから、これだけ混んでるんだ。札幌に着くのは、二三時二五分になる。札幌で降りた乗客は、たいてい、タクシーを拾うだろう。となれば、玄関口は、人が沢山いる筈だ。その人たちの中に入り込んで、射つんだ。そうすれば、警官は、こっちを射てなくなる。関係のない人間に、弾丸が、当る心配があるからな。そこが、つけ目なんだ」
立花がいうと、福島は、ニヤッと笑って、
「なるほど。一般人を、盾《たて》に使うのか。それなら、警察も、まごつくな」
「いいか。断っておくが、札幌駅で、仕損じたら、もう、次はないと思ってくれ」
立花は、そういって、組員の顔を見廻した。
三浦も、詰らない男だし、川田組長だって、立花から見れば、尊敬のできる男ではない。
しかし、三浦を消して見せると、いってしまった以上、それを、やりとげる必要がある。
立花は、密輸拳銃の売買に関係したことはあっても、拳銃で、人を射ったことはなかった。
しかし、札幌では、射つ気でいた。
立花は、窓の外に眼をやった。少しずつ、家の灯が増えてくる。街に近づいているのだ。
――間もなく、終着札幌でございます。お忘れ物のないように、お降り下さい。
車内アナウンスが、聞こえてくる。窓の外の灯が、どんどん増えていく。
「北斗7号」は、札幌駅に到着した。
立花を先頭に、ホームへ降りた。9号車のあたりに、明らかに、刑事とわかる連中が、緊張した顔で、集まっている。やはり、道警の連中が、三浦を迎えに来ていたのだ。
立花たちは、さっさと、改札口を出て、札幌駅の表玄関に出た。
ネオンがきれいだった。降りて来た乗客が、タクシーを拾って、夜の札幌の町に消えて行く。
パトカーは、すぐ見つかった。
覆面パトカーが一台、それに、普通のパトカーが三台、少し脇のところに、並べて、とめてあった。
立花たちは、わざと、散らばった。
立花は、覆面パトカーを正面から見すえるところに立ち、自分を落ち着かせるために、煙草に火をつけた。
一般客が、ひっきりなしに、立花の前を、行ったり来たりしている。北海道一のこの都会は、まだ、当分、眠りそうにない。
立花は、内ポケットに手を入れて、そこに、拳銃があるのを、確かめた。ベレッタM92SBという自動拳銃である。
肝心の三浦たちは、なかなか、現われなかった。
強い緊張の中で、じっと待つのは、辛《つら》いものだ。若い園田などは、いらだっているのがよくわかる。
(まさか、パトカーを、表玄関に並べておいて、反対側から、三浦を連れ出したんじゃないだろうか――)
と、立花が、疑心暗鬼にとらわれかけたとき、ぞろぞろと、屈強な男たちが、歩いて来るのが見えた。
ホームにいた刑事たちである。
(いよいよだ)
と、思ったとき、立花の身体を、戦慄《せんりつ》が、走った。立花自身、意外だったのだが、それは、心地よい戦慄だった。
ホームで、一発の銃声も起きなかったことに、十津川は、当惑していた。
川田組の連中が、次に仕掛けてくるとすれば、札幌駅のホームだろうと、思っていたからである。
先に、ホームに降りて、9号車から降りて来る三浦を狙撃する。そうするに違いないと、十津川は、思い込んでいた。
ところが、ホームでは、何も起きなかった。石さえ、飛んで来なかった。拍子抜けもいいところだった。
「向うは、もう諦めたんじゃないかねえ」
と、改札口に向って、歩きながら、西田がいった。
「なぜ?」
十津川が、きく。
「『北斗7号』の中で、最後の襲撃をやった。それが、失敗したので、連中も、諦めたのと違うかな。もう、これまでということでだよ」
「そんな連中じゃないよ」
十津川は、言下に、否定した。
「しかし、もう、札幌だよ。連中は、どこで、どうしようというのかね?」
「それが、わかれば、安心できるんだが」
と、十津川は、いった。
駅の構内から、外へ出た。
「向うだ」
と、西田が、パトカーが、並んで停っている方を指さした。
パトカー二台の次に、覆面車、そして、そのあとにパトカー一台の四台である。それに、三浦を乗せてしまえば、もう大丈夫だろう。
川田組は、東京中心に組織を持つ暴力団で、勢力は、北海道には、及んでいない。拳銃の売買を通じて、いくつかの暴力団と、関係しているが、今度の件で、佐伯弁護士の要請で、三浦を消しに動くとは思えなかった。
「あの黒塗りの車に、乗ってくれ」
と、西田がいった。
駅の周辺にいた人々が、何ごとだろうという顔で、十津川たちを眺めている。
十津川と、亀井が、両側から、三浦を守る恰好《かつこう》になり、その周囲を、また、道警の刑事が囲む形で、歩いていた。
制服姿の警官が、覆面パトカーのドアを開け、亀井が、まず、乗りかけたときである。
十津川は、何か、殺気のようなものを感じた。
うまく説明できないのだが、亀井も、同じものを感じたとみえて、身体を屈《かが》めたまま、ふと、顔をあげた。
最初の一発が、轟然《ごうぜん》と発射されたのは、その瞬間だった。
十津川の近くにいた道警の刑事の一人が、悲鳴をあげて、その場に横転した。
続いて、二発目は、亀井が乗ろうとした覆面パトカーの窓ガラスに命中して、粉砕した。
亀井は、その破片を頭から浴びながら、コンクリートの上に腹這《はらば》いになって、拳銃を抜き出して、身構えた。
十津川は、横にいる三浦を、とっさに、突き飛ばし、自分も屈み込んだ。
近くにいた人たちが、悲鳴をあげて、逃げまどっている。
道警の刑事たちは、じりじりと、パトカーのうしろに引き退《さが》って、態勢を立て直そうとする。
一般の通行人が邪魔になって、犯人の姿がはっきりと、見えない。
その間にも、三発目、四発目の弾丸が飛んで来て、もう一人の刑事が、肩を射たれ、その場に、頽《くずお》れてしまった。
十津川と、亀井は、三浦の身体を、ずるずる引きずって、パトカーの背後《うしろ》に、退いた。
一台のパトカーが、突然、火を噴いて、燃え出した。
その周囲が、真昼のような明るさになった。
道警の刑事が、犯人たちに向って、応戦を始めた。
まるで、市街戦である。
十津川も、拳銃で、柱のかげにいる相手に向って、応射しながら、時間を気にしていた。このまま、動けずにいたら、明日になってしまうだろう。
検事というのは、融通がきかないから、川田の釈放を決めてしまうかも知れない。
最初の一発で倒れた刑事は、横たわったまま動かない。
三浦は、小さく背を丸め、「畜生! 畜生!」と、呟いているだけだった。
三浦を乗せる筈だった覆面パトカーが、タイヤを射たれて、がくんと、地面に、座り込んでしまった。
相手は、四、五人いて、物かげから射ってくる。
「これじゃあ、動きがとれませんね」
亀井が、いまいましげにいった。
先頭のパトカーは炎上し、覆面パトカーは、タイヤを射たれ、他の二台も、窓ガラスが射たれて、砕けてしまっている。
「早く、三浦を車に乗せて、地裁へ運ばなけりゃならん」
十津川が、怒鳴るような声でいった。
「しかし、警部。パトカーは、もう使えませんよ」
「助けてくれよ!」
と、三浦が、金切り声をあげた。
「大丈夫だ。助けてやる」
十津川がいったとき、白いベンツが、猛烈な勢いで突っ込んで来ると、十津川たちの背後で、急ブレーキをかけて停った。
「三浦さんじゃないの!」
そのベンツを運転していた女が、大声で、呼んだ。
三浦が、振り返り、パッと、眼を輝かせて、
「君か」
「そんなところにいると、殺されちゃうわよ。この車に乗りなさい! そこにいるお二人さんも」
女は、手を伸ばして、リア・シートのドアを開けた。
もう一台のパトカーが、また、大音響をあげて、燃えあがった。
「乗るよ。おれは」
と、三浦がいう。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫さ。おれの女だ」
三浦は、屈んだまま、ベンツの後部座席にもぐり込もうとする。
すでに、午後十一時四十分を回っていた。あと二十分しかない。
十津川は、亀井に眼くばせして、三浦と一緒に、ベンツに乗った。ドアを閉めたとたん、女は、鮮やかなハンドルさばきと、アクセルの踏み方で、車を、急発進させ、あっという間に、札幌駅から、遠去かった。
消防車が、けたたましいサイレンを鳴らして、すれ違って行った。
十津川が振り返ると、二台のパトカーが、まだ燃えている。まるで、札幌駅が、燃えているようだった。
女は、スピードをゆるめた。
「いったい、何があったの?」
女は、バックミラーの中に映っている三浦に向って、声をかけた。
三十歳くらいだろうか。派手な顔立ちの美人である。
「おれが、殺されかけたんだ。ひでえもんさ」
と、三浦が、吐き捨てるようにいった。
「札幌地方裁判所へ行ってくれませんか」
十津川が、女に頼んだ。
「こんな夜おそくに?」
「十二時までに、彼を連れて行かなければならんのです。お願いします」
「よくわからないけど、引き受けたわ」
「彼女は、君と、どんな関係なんだ?」
亀井が、じろじろ、女を見ながら、三浦にきいた。女の正体がわかるまでは、安心できないからだ。
「名前は、倉田|明日香《あすか》さん。おれの札幌の恋人さ」
三浦は、得意気にいった。
「明日香です。よろしく」
女は、軽く、頭を下げた。
「彼女は、おれに惚《ほ》れてるんだ」
三浦は、ついさっきまで、ふるえあがっていたことなど、すっかり忘れ去ったみたいに、にやついている。
「三浦さんは、どうなの? あたしが好き?」
女が、きく。
「もちろん、おれも惚れてるさ。仕事が終ったら、あんたの店に飲みに行くよ。今でも、ラ・ムールのママなんだろう?」
「そうよ」
「今日は、どうして、札幌駅へ来ていたんですか?」
と、十津川が、きいた。
「そんなこと、どうだって、いいじゃねえか。地獄に仏だったんだから」
三浦は、ヤボなことをいうなという顔付きをした。
「きいてるのは、私だ」
十津川が、厳しい声でいった。
倉田明日香は、赤信号で、車を停めてから、
「お客さんを、車で、送り届けての帰りだったんですわ。銃声が聞こえるし、パトカーが燃えてるし、どうしたのかと思って、近づいてみたら、三浦さんがいたものだから、びっくりして――」
と、微笑しながらいった。
十津川は、注意深く、運転席にいる女の様子を観察した。
これといって、不審な点は見られない。ダッシュボードに、拳銃をかくしている気配もなかった。
三浦は、札幌のクラブのママだというが、確かに、そんな匂《にお》いのある女である。
彫りの深い顔で、吊《つ》りあがった眼と、唇は、意志の強さを示しているようだった。
左手の薬指には、大きなダイヤの指輪をしている。
「三浦君とは、どこで、知り合ったんですか?」
と、十津川が、きいた。
眼の前の信号が、青に変った。明日香は、車を発進させてから、
「この札幌ですわ。三浦さんが、私のクラブに遊びに見えて、その時、なんとなく、話があって。東京へも、月に一回くらい、行くんですけど、三浦さんに、ご飯をご馳走《ちそう》になったこともありますわ」
「そんなことは、どうでもいいじゃないか」
と、三浦は、口を挟んで、
「それより、おれの仕事は、明日になれば、終るんだろう?」
と、十津川に、きいた。
「多分、明日の夕方までには、終る筈だ」
「それなら、明日の夜は、フリーだな?」
「まあね」
「それに、おれが、裁判所で証言しちまえば、もう、川田組の連中も、殺しには来ないんじゃないか? そうなんだろう?」
「そう思う。君の証言が、記録されてしまえば、君が死んでも、その記録が、残るからね。川田組としては、君を殺《や》っても、川田を助けられなくなるからね」
「それなら、明日の夜、ラ・ムールへ行くよ。頼むぜ。明日の夜は、精一杯、歓迎してくれよ」
三浦は、明日香に向って、いった。
「いいわ。大歓迎よ」
明日香が、ニッコリ笑い、車を官庁街に進めて行った。
夜の十二時近い官庁街は、人の姿もなく、ひっそりと、静まり返っている。
十津川は、ほっとした。
倉田明日香という女に、疑いを持っていたからだった。
相手は、佐伯という、何を考えるかわからない男である。
三浦の知っているこの女を、最後の砦《とりで》にして、札幌に配置しておいたということだって、十分に考えられるのだ。
三浦は、女に甘い。佐伯は、それを、十分に知っていて、彼女を使ったのかも知れない。
十津川は、もし、彼女が、車を、官庁街とは反対の方角へ走らせるようだったら、佐伯の罠《わな》と考えて、力ずくで、押さえつけてやろうと思ったのだが、彼女は、官庁街へ入ってくれた。
どうやら、十津川の心配のしすぎだったようである。
もし、この女が、佐伯の廻し者だったら、車で、官庁街へ、十津川たちを、運んでくれはしないだろう。
公園の周囲に、北海道庁や、道警本部、郵政局などの建物が並んでいる。
「裁判所は、どこかしら?」
運転しながら、明日香がきいた。
地図を見ていた亀井が、
「植物園の横をまっすぐに進んで、左に曲って下さい。裁判所合同庁舎がある筈だ」
「この道を、まっすぐね」
明日香は、肯《うなず》いた。が、急に、車が、がくんと、前につんのめる恰好で、とまってしまった。
「どうしたのかな? エンジンの故障かな」
明日香は、首をかしげながら、車を降りた。
「カメさん。裁判所まで、どのくらいだ?」
十津川が、きくと、亀井は、また、地図を見て、
「七、八十メートルですね」
「じゃあ、歩いて行こう」
十津川は、そういって、ドアを開けようとしたが、なぜか、びくともしない。
「ドアが、開かないぞ!」
顔色を変えて、十津川が、怒鳴った。
「こっちのドアも、ロックされて、開きません!」
亀井も、ドアを、がたがたゆすりながら、叫んだ。
十津川は、運転席に、身体を滑り込ませて、彼女が開けたドアに手をかけてみたが、このドアも、びくともしなかった。
彼女の姿も、いつの間にか、消えてしまっている。
「閉じ込められたぞ。これは、特別な車だったんだ」
「私たちを、十二時までに、裁判所へ行かせないためでしょうか?」
亀井は、窓ガラスを開閉するハンドルを回しながら、きいた。そのハンドルも、空廻りするだけだった。
「ただ、それだけならいいんだが――」
十津川は、語尾を濁した。
(この車には、時限爆弾が、仕掛けてあるのではあるまいか?)
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第九章 札幌地裁
札幌駅前では、まだ、銃撃戦が、続いていた。
二台の消防車が、到着したが、流れ弾が危険で、燃えるパトカーを、どうすることも出来なかった。
防弾チョッキをつけた機動隊も、駈けつけて来て、刑事たちと、交代した。
立花は、からになった弾倉を引き抜き、新しい弾倉を、装填《そうてん》しながら、
(これまでかな)
と、思っていた。
福島は、射たれて、コンクリートの上に倒れてしまい、ぴくりとも動かない。多分、死亡したのだろう。
残っているのは、寺田と、園田、それに佐川の三人だけになった。
機動隊は、ジュラルミンの盾《たて》を構えて、じりじりと、立花たちに近づいて来る。
鈍く光るジュラルミンの盾が、ずらりと並び、それが、じわじわと迫ってくるのは、何ともいえない圧迫感のあるものだった。
「君たちは、完全に包囲された。大人《おとな》しく、武器を捨てて、降伏しなさい!」
マイクで、怒鳴る声が聞こえた。
寺田が、立花の傍に、にじり寄って来た。
「どうするんだ? 三浦の奴は、もう逃げちまったぜ」
「わかってるよ。さっき、女の運転する車で逃げたのを見た」
立花は、落ち着いた声でいった。
「じゃあ、ここで、警察と射ち合って死んだって、仕方がねえじゃねえか」
「手をあげたいのか?」
「それを、聞いてるんだよ。一応、ここでは、あんたが、リーダーだからな」
「手をあげたかったら、あげたらいい。別に止める気はない」
「あんたは、どうするんだ? 逃げられると思ってるのか? 通行人は、みんな逃げちまって、人質には出来ないぞ」
寺田は、甲高《かんだか》い声でいった。
「もう一度、いう! 武器を捨てて、降伏しなさい!」
マイクの声が、がなり立てた。
機動隊は、一定のところで、立ち止まった。
「次は、催涙弾を射って来るぞ」
と、立花は、寺田に、いった。
「どうして、わかるんだ?」
「学生時代に、機動隊とやり合ったことがあるからさ」
立花は、そういって、苦笑した。
もう、何年前になるだろうか? 今でも、鮮明に憶えている。自分の人生の中で、もっとも、充実した一瞬だったからだろうか?
今と同じように、学生たちの前には、鈍く光るジュラルミンの盾が並んで、そのうしろに、無表情な機動隊の顔があった。
あの時、立花の手に持っていた武器は、石ころだった。勝てる筈のない戦いだったのに、立花は、充実していた。
今、立花の手には、拳銃が、握られている。あの時よりも、はるかに、強力な武器だ。
だが、あの時の充実感はない。
「おい。何を考えてるんだ?」
寺田が、立花を睨《にら》んだ。
「別に、何も考えてない。そろそろ、来るぞ」
と、立花が、いった。
彼の予想どおり、催涙弾が、一発、二発と、射ち込まれてきた。
駅構内の隅に追いつめられてしまった立花たちの足元で、催涙弾が破裂し、白煙が、噴き出した。
もう、眼を開けてはいられない。
寺田、佐川、園田の三人は、拳銃を放り出し、両手をあげて、機動隊の方へ、歩いて行った。
立花は、催涙ガスに、むせながら、降伏することなど、全く考えなかった。
三浦は、逃げてしまった。彼が、裁判で証言すれば、川田は、間違いなく、刑務所送りだろう。
川田組は、小さい組織だけに、ボスの川田がいなくなったら、多分、崩壊してしまうだろうと思う。
インテリヤクザの立花が、川田組に身を投じた理由も、これで、意味をなさなくなった。
だからといって、警察に、大人しく捕まりたくもなかった。刑務所で、暮らすくらいなら、死んだ方が、ましだと思う。
(平野も死んだな)
と、思った。
別に、命が惜しいとも思わないし、自分が死んだところで、泣く人間もいないだろう。
立花は、拳銃を構えたまま、ゆっくりと、機動隊に向って、歩いて行った。
「銃を捨てろ!」
と、マイクが、怒鳴った。
立花は、その声に向って、拳銃を射った。
一発、二発、三発目を射った時、立花の胸に、機動隊の射ったライフルの弾丸が、命中した。
立花の一七五センチの身体が、コンクリートの上に叩きつけられた。
「時限爆弾だって!」
三浦が、血の気を失った顔で、叫んだ。
「その可能性がある」
と、十津川は、いった。
「冗談じゃないぜ。ここまで来て死ねるかよ。何とかしてくれよ!」
三浦が、大声でいった。
「お前さんが、あんな女に、鼻の下を長くしているから、こんな目に遭うんだ」
亀井が、いまいましげにいった。
その言葉で、三浦は、頭を垂れたが、
「あいつは、おれに惚れてた筈なんだ」
「どうかな。佐伯に、金を貰って、私たちに罠を仕掛けたんだろう。今、何時だ?」
十津川は、亀井にきいた。
「十一時五十分です」
「時限爆弾を仕掛けてあるとすれば、十二時までの十分間の内に、爆発するな」
「やめてくれ!」
三浦が、悲鳴をあげ、窓ガラスを、拳《こぶし》で叩いた。しかし、びくともしない。
亀井は、拳銃を出し、その台尻で、ガラスを叩いたが、割れなかった。
「銃で、射ってみてくれよ」
と、三浦がいう。
「駄目だ、はね返ったら、私たちが危い」
亀井がいった。
「じゃあ、このまま、死ぬのを待つのかよォ!」
三浦は、泣き声になっていた。
「どうしますか?」
亀井が、十津川を見た。
十津川は、運転席に腰を下し、じっと、前方の闇を見つめた。
運転席に付いている時計が、刻々と、時をきざんでいく。
「警笛を鳴らしたら、どうでしょうか?」
亀井が、いった。
「そうだよ。じゃん、じゃん、鳴らすんだ。そうすりゃあ、誰かが、助けに来てくれるよ」
三浦が、急に、元気を取り戻して、手を伸ばすと、警笛を鳴らし始めた。
静まり返った空気を引き裂いて、警笛が鳴った。
だが、人の気配のない官庁街では、誰も、駈けつけてくれなかった。
「無駄なことは、止《や》めろ!」
十津川は、なおも、警笛を押そうとする三浦の手を押さえた。
「じゃあ、どうしろっていうんだ? このままじゃあ、爆弾で、吹っ飛ばされてしまうんだろう? 何とかしてくれよ!」
「やはり、窓ガラスを破壊しましょう」と、亀井が、いった。
「われわれ二人で射てば、割れると思います」
「やってみよう」
と、十津川も、賛成した。何とか、この車の中から、脱出しなければならない。
三浦を、床に伏せさせておき、十津川と亀井は、拳銃を構え、助手席の窓ガラスを射った。
一メートルの至近距離から射ったにも拘《かかわ》らず、強化ガラスの威力か、ガラスには、亀裂《きれつ》が入っただけだった。二枚重ねのガラスの間に、ピアノ線が入っているので、粉々にならない。
「こんなことをしていたんでは、埒《らち》があかん」
十津川は、拳銃を放り出すと、運転席に、座り直した。
「どうするんです?」
亀井が、きいた。
「この車を、前にあるコンクリート塀にぶつけるんだ」
「そんなことをしたら、ショックで、時限爆弾が、爆発しませんか?」
「するかも知れん。だが、このままでも、爆発するんだ。いちか、ばちかだよ。側面をぶつけて、ドアをこわすから、君たちは、座席にしがみついて、身体を丸めていてくれ」
「無茶は、止めてくれ!」
三浦が、叫んだ時には、十津川は、車を発進させていた。
スピードが、三十キロ近くなったところで、十津川は、長く続くコンクリート塀に、助手席側の側面をこすりつけた。
があッという音とともに、強いショックが、ハンドルに伝わってくる。
十津川は、ハンドルを押さえて、アクセルを踏み続けた。
左のフロントライトが、粉々になり、ドア・ミラーが、吹っ飛んだ。
だが、まだ、ドアは、しっかりしている。
十津川は、次の建物のブロック塀に向けて、車を突進させた。
三浦は、身体を丸め、眼を閉じて、ふるえている。
亀井も、死を覚悟した。十津川のいう通り、この車には、時限爆弾が仕掛けてあるだろう。そうでなければ、あの女が、亀井たちを、車に閉じ込める筈がないからだ。
どんな時限装置なのかわからないが、これだけ、衝撃を与えれば、爆発してしまうに決っていると思ったからである。
ガリ、ガリという音を立てて、車の側面が、コンクリートブロックに、こすりつけられる。
「くそ! こわれやがれ!」
十津川が、怒鳴る。
外国の車は、ドアや、フロントが、わざとこわれ易くなっていて、衝突の時の衝撃を吸収するようになっているというのは、嘘《うそ》なのだろうか?
五十メートルほど続くコンクリートブロックの塀が、終ったとき、助手席のドアが、がくがくしているのを発見した。
十津川は、両足で、ドアを蹴《け》った。
一回、二回、三回。ドアが、外れて、道路に落ちた。
ぽっかりと、空間が出来た。
「逃げろ!」
と、十津川は、叫び、自分から先に、車の外に、転げ出た。
つづいて、リア・シートにいた亀井が、脱け出したが、三浦は、まごまごしている。十津川と、亀井が、その三浦を、引きずり出した。
そのまま、十津川と亀井は、一歩でも、車から遠去かろうと、三浦を引きずって、逃げた。
しかし、十メートルも逃げぬうちに、爆発が起きた。
十津川と、亀井は、爆風で、地面に叩きつけられた。
ぱらぱらと、頭上から、車の破片が降って来る。
十津川は、一瞬、耳が、聞こえなくなり、じーんと、しびれてしまった。
のろのろと、立ち上って、振り返ると、車は、炎をあげて、燃えている。
「大丈夫ですか?」
と、亀井が、きいた。
その声が、かすかにしか聞こえない。十津川は、耳を叩いた。やっと、亀井の声が、聞こえてきた。
「大丈夫だよ」
と、十津川は、いった。
その時になって、道警の西田警部たちが、車で、駈けつけた。
一台だけ残ったパトカーと、タクシーで、札幌駅から、戻って来たのだ。
「札幌地裁の建物は?」
と、十津川が、きいた。
「眼の前の建物だよ」
西田は、笑っていい、自分の腕時計に眼をやって、
「あと、六分ある」
「じゃあ、行こう」
十津川は、彼の横で、まだ、道路にへたり込んでいる三浦の手を取って、引き起こした。
「助かったのか?」
と、三浦が、きく。
「助かったさ。だから、口が、きけてるんだ」
亀井が、横から、いった。
三浦を、中に挟んで、十津川たちは、札幌地方裁判所の建物の中に入って行った。
十二時近い深夜だが、連絡してあったので、入口は開いていた。
中では、道警本部長が、待っていた。
十津川は、本部長に挨拶《あいさつ》してから、三浦を引き渡した。
判事には、本部長と、道警の刑事が、三浦を会わせるだろう。
ここで、一応、十津川と、亀井の仕事は終ったわけである。
「私と、道警本部に来て、ゆっくり、身体を休めてくれ」
と、西田警部が、いった。
パトカーで、道警本部に着いた。
落ち着いてから、気がつくと、十津川の頭から、血が流れていた。さっき、車が爆発した時、破片が降って来て、当ったのだろう。
亀井も、左肩を、傷つけている。
二人は、その手当てをして貰ってから、温かい、サッポロラーメンを、ご馳走になった。
「道警本部の裏に、毎日、屋台のラーメン屋が出るんだ。屋台のラーメンとしちゃあ、味がよくてね」
と、西田は、自分も、ラーメンを、すすりながら、十津川に、いった。
「公安官の恰好をした私の部下は、どうしているかな?」
十津川が、きいた。
「ああ、その二人なら、札幌駅の公安室で、今夜は、泊るといっていたよ。彼等は、公安室で、あいさつしている中《うち》に、駅前で、銃撃戦が始まったといっていた」
「射たれた刑事は、どうなったんだ?」
十津川は、コンクリートの上に、血を流して倒れていた道警の刑事のことを思い出して、きいた。
「駅前の外科病院で、手術を受けている。多分、大丈夫だよ。もう一人、左肩を射たれたが、あれも、命に別条はないと、医者はいっている」
「川田組の連中は、どうなったんですか?」
亀井が、ラーメンを食べ終り、煙草に火をつけて、西田にきいた。
「三人は、降伏して、逮捕したが、一人は、死んだよ。もう一人は、こちらが、何度も、武器を捨てろといったんだが、射って来たのでね。止《や》むを得ず、射殺してしまった」
「何という男ですか?」
「立花という川田組の幹部だ」
と、西田は、いってから、十津川を見て、
「どうも、わからないんだがねえ」
「何がだい?」
「立花という男の行動さ。他の三人は、こっちが、催涙弾を射ち込んだら、すぐ、拳銃を捨てて、手をあげたよ。立花だって、同じ行動をとるものと思ったのに、彼は、突っ立って、拳銃を射って来た。あれは、自殺行為そのものだよ」
「そうだな」
「なぜ、あんな馬鹿な行動をとるのかな?」
「立花は、確か、一流大学を出たインテリで、これといった前科もなかったと思うんだがね」
「それなら、なおさら、不可解だな。なにも、川田組のために、死ぬことはなかったろうにね」
西田は、わからないというように、首を振った。
「立花は、川田組のために、死んだわけじゃないと思うね。組長に、殉じたわけでもない筈だ」
「じゃあ、誰のために、死んだんだ?」
「川田組には、インテリの幹部が、何人かいた。立花もそうだし、青森空港で死んだ平野も、そうだった」
「インテリヤクザという訳か」
「彼等の精神というのは、他の組員と違って、複雑に、屈折していたんじゃないかと思うんだよ。彼等が、なぜ、川田組に入ったのかは、よくわからないが、多分、何かに、自分を賭《か》けたくてじゃないかと思う。今度、三浦を殺すことも、彼等にとっては、一つの賭けだったんだろう。その賭けに負けたとき、自分で、敗北の責任をとったんだと思うね」
「死んでかい?」
「ああ」
「まだ、私には、わからないがね」
「『北斗7号』には、早苗という三浦の女が、乗っていた筈なんだが、気がつかなかったかな?」
「北島早苗だろう? 銃撃戦が、片付いたあとも、駅前で、うろうろしている若い女がいたんだ。ひょっとすると、川田組と関係がある女じゃないかと思って、職務質問をしてみたんだ。そうしたら、名前は、北島早苗で、青森から来たとわかった。三浦に誘われて、青函連絡船に乗って来たんだそうだ。ちゃっかりしていて、三浦が、札幌へ来れば、金をくれるといったらしい。それを貰って、帰るといっていた。彼女は、駅の近くの旅館に入れておいたよ」
「やっぱり、札幌まで来ていたんだな」
「その女は、大丈夫なんだろうね?」
「三浦を殺すとは、考えられないよ。ところで、私たちを、車に閉じ込めた女だが、三浦の話では、札幌のラ・ムールというクラブのママで、倉田明日香という名前らしい」
「十二時を過ぎているが、まだ、やっているかも知れないな」
と、西田はいい、近くにいた若い刑事に、
「すぐ、ラ・ムールという店を調べてくれ。もし、ママがいたら、すぐ、連れてくるんだ」
と、命令した。
若い刑事は、同僚を促して、すぐ、深夜の札幌の街へ、飛び出して行った。
「結果がわかるまで、しばらく、休みたまえ。疲れているんだろう」
西田は、部屋の隅に、毛布を持って来て、寝床を作ってくれた。
十津川と、亀井は、礼をいって、そこに、横になった。
考えてみれば、東京を出発したのは、早朝だった。自動車―東北新幹線―東北本線―青函連絡船―函館本線と、乗りついで、二十時間近くかけて、やっと、札幌に着いたのである。
それも、緊張の連続だった。身体は、疲れている筈だった。それなのに、十津川は、なかなか、眠ることが出来なかった。
灰皿を、枕元《まくらもと》に置き、やたらに、煙草を吸った。
「これで、終ったのかね? カメさん」
十津川は、隣りに、横になっている亀井に声をかけた。
「三浦を、札幌地裁へ届けたところで、少なくとも、われわれの任務は、終っている筈ですよ」
と、亀井がいった。
「それは、そうなんだが――」
「警部は、まだ、佐伯弁護士のことが、心配ですか?」
「なぜ、あの時刻に、グアムへ行ったのかわからなくてねえ」
「今、グアムにいる佐伯に、何が、出来ますか。気の廻し過ぎですよ」
と、亀井は、笑った。
午前一時を回った頃、西田が、
「まだ、起きているかね?」
と、声をかけて来た。
十津川が、起きあがると、亀井も、つられた恰好で、身体を起こした。
西田は、二人に、お茶をいれてくれてから、
「おかげで、裁判所は、川田の勾留《こうりゆう》延長を認めてくれたよ。それに、三浦という証人がいれば、彼を有罪に出来る」
と、上機嫌に、いった。
「三浦は、判事の前で、川田が女を殺したと証言したのか?」
「ああ、証言したよ。ただ、少し、ごねたらしい」
「そうだろうね。あの男は、一筋|縄《なわ》じゃいかないところがある。気が小さいくせに、図々しいんだ」
と、十津川は、笑った。
「わざわざ、命がけで、札幌まで来たんだから、少なくとも、百万円は貰いたいと、いったよ。証言の代りにね」
「そのくらいは、いう奴だ。それで、どうしたんだ?」
「東京まで帰る旅費と、日当は払うといってやった。いやなら、放り出すとね」
「放り出されたら、川田組の連中に狙われると思っているから、百万円は、諦《あきら》めたんじゃないのか?」
「一応はね」
と、西田は、いってから、
「例の女の方だが、ラ・ムールという店は、見つかったが、ママはいなかった。名前は、確かに、倉田明日香という名前だ。マネージャーから、マンションを聞いて、廻ってみたが、留守だったと、報告してきたよ」
「多分、佐伯に頼まれて、やったことだと思うね」
「刑事が二人、彼女のマンションに張り込んでいるから、帰宅したら、逮捕する」
「しかし、もう、家には、帰って来ないんじゃないかね。爆破は失敗で、私や、三浦が、無事だと、わかったろうからね」
「まあ、そうだろうね」
「いったい、どんな女なんだ?」
「今、それを調べている。明日になれば、何か、わかる筈だよ」
と、西田は、いった。
十津川は、午前三時近くになって、やっと眠ることが出来た。
それでも、翌日の午前七時には、起きてしまった。
まだ、事件は、全部、終っていないのではないかという気が、どこかでしているせいだろう。
道警で用意してくれた朝食をすませると、西田の案内で、倉田明日香のマンションに出かけた。
「彼女のことは、われわれに委せておいてくれればいいのに」
と、パトカーの中で、西田が、いった。
「そうなんだが、どうしても、彼女と佐伯の結びつきを知りたくてね」
十津川は、いった。
「また、佐伯か。君が、それほど気にするところをみると、相当な男なんだな」
「君も、佐伯には、会ったことがあるんだろう?」
「川田を逮捕してから、時々、東京から飛んで来たよ。だが、おれが見たところ、そう優秀な弁護士には、見えなかったがねえ」
「しかし、今度のことで、指揮をとったのは、佐伯なんだ」
「だが、本人は、グアムへ逃げてしまっているんだろう? そんな男のどこが怖いんだい?」
西田が、笑っているうちに、パトカーは、中島公園近くに建つマンションに、着いた。
七階建のマンションの四〇五号室が、倉田明日香の部屋である。
十津川たちが、あがって行くと、張り込んでいた二人の刑事が、迎えてくれた。
「まだ、彼女は現われません」
と、刑事は、西田に報告した。
西田を先頭に、十津川と、亀井は、部屋の中に入った。
二LDKの部屋だった。
いかにも、女性らしい王朝風のソファが並び、色彩の華やかなカーテンが、かかっている。
豪華な三面鏡の上には、所せましと、化粧品が並んでいた。
洋服ダンスには、毛皮のコートも、入っている。
十津川と、亀井は、鏡台の引出しや、洋服ダンスの中を調べてみた。
佐伯とのつながりを示すものを、見つけたかったのである。
手紙は、あまりなかったし、佐伯からのものは、見つからなかった。
次は、写真だった。
撮《と》られることは好きらしく、アルバムは、五冊も見つかった。
そのアルバムを、十津川と、亀井が、見ていった。
倉田明日香という一人の女の一生がわかるようなアルバムだった。
白黒の赤ん坊の時の写真がある。母親に抱かれた二歳ぐらいの写真。七五三の三歳の時の写真から、カラーになっている。
女学生から、短大生。そして、OLの時代の写真は、かげのない笑顔が多い。まわりに写っている人間も、平凡だが、毒のない顔をしている。
そのあと、彼女に、何があったのかわからないが、突然、雰囲気の違う写真になってしまう。
OL時代より、美しく、きれいな顔になるが、笑顔に、かげりがあるようになる。一緒に写っている男女も、水商売の女だったり、眼つきの鋭い男だったりすることが多い。
最後のアルバムに、三浦と一緒に並んでいる写真があった。同時に、佐伯弁護士と写っているものも、見つかった。
三浦は、彼女が、自分に惚《ほ》れていると思い込み、「札幌の恋人」だなどと、やにさがっていたが、本当は、佐伯弁護士の恋人だったのかも知れない。いや、今度の彼女の行動を見れば、それは、はっきりしているとみていいだろう。
佐伯は、札幌の倉田明日香に電話して、三浦を消してくれと頼んだに違いない。
明日香は、水商売で、暗黒街にもつながりがあって、ダイナマイトを入手できたのだろう。爆発の専門家がいて、その人物が、明日香から、金を貰って、時限装置を作り、車に仕掛けたのかも知れない。車の全《すべ》てのドアが、自動的にロックされるように細工したのも、その人間ではないだろうか。
三浦は、明日香に参っていた。佐伯は、それを知っていたから、最後には、彼女が、三浦を消してくれると確信していた。それで、安心して、グアムへ飛び立ったのではないのか。
十津川の推理は、どうしても、佐伯のことに、及んでしまう。
この推理が当っているなら、十津川も、安心出来る。佐伯が、昨日の午後、グアム行のパンナムに乗ったことが、説明つくからである。
川田組の連中が、東京から札幌までの間で、三浦を消すことに失敗しても、倉田明日香が、必ず、やってくれるだろう。そう信じたからこそ、安心して、グアムへ行ったと、考えられる。自分のアリバイ作りと考えてもいい。
(その倉田明日香が失敗したと知ったら、佐伯は、どう思うだろうか?)
それを、知りたい気が、十津川は、した。
昼になっても、明日香は、マンションに戻って来なかった。
朝刊には間に合わなかったが、テレビや、ラジオは、昨日深夜の札幌駅での銃撃戦と、官庁街での車の爆発を、大きく報道しているから、彼女は、自分の計画が失敗したことは、知っている筈だった。
マンションに帰るのは、危険と考えて、高飛びしたのだろう。いや、毛皮のコートは、置いてあるが、預金通帳や、宝石類などが見当らないことを考えると、成功、不成功に拘らず、一時、身をかくすことは、最初から、考えていたのではないだろうか。
十津川は、亀井と、タクシーを、千歳空港へ飛ばしてみた。
札幌と、千歳空港の間には、高速道路が通じている。
北海道だけに、直線が多く、道路の両側には、原野や、大きな森が広がっていたりするが、それでも、そうした自然の景色を、ぶちこわすように、けばけばしいモーテルが、突然、視界に現われたりする。
千歳空港に着いて、航空ストが、やっと、終ったことを知った。しかし、全ての便が、平常に戻るまでには、あと、四、五時間は、かかるだろうという。
十津川は、千歳空港から出ている外国便を調べてみた。すでに、外国へ高飛びしているのではないかと考えたからだが、この予想は、当っていた。
今日の一〇時三〇分のパンナム、グアム行に、倉田明日香の名前が、のっていたのだ。
すでに、午後三時に近いから、彼女は、もう、グアムに着いているだろう。
「グアムに飛んだんですか」
と、亀井は、小さく唸《うな》ってから、
「今頃、三浦を消すことに失敗したことを、向うで、佐伯弁護士に、報告しているかも知れませんね」
「佐伯が、そうするように、倉田明日香にいってあったのかもわからない。成功、不成功に拘らず、グアムへ来て、報告するようにとね」
「しかし、これで、佐伯は、自分の計画が、完全に失敗したとわかったでしょうから、もう、札幌に来る可能性は、完全になくなりましたね」
「そうだな。今から来ても、どうしようもないことは、佐伯なら、よくわかる筈だからね」
三浦は、判事の前で、宣誓したうえ、川田が女を殺したと証言し、その証言は、録音された。三浦が死んでも、その録音は、証拠として、裁判の時、採用されるだろう。
従って、今から、札幌にやって来て、三浦を殺しても、川田は、助けられないのだ。いや、むしろ、判事の心証を悪くするだけだろう。
十津川は、電話で、道警の西田に、倉田明日香が、グアムへ逃げたことを知らせた。
「われわれも、いったん、札幌へ戻ろう」
と、十津川は、亀井にいった。
道警本部長に、あいさつしてから、東京へ帰ることにして、今度は、列車に乗った。
「これで、気が楽になったよ」
と、列車の中で、十津川は、亀井にいった。
「佐伯弁護士のことですか?」
「そうだ。実は、佐伯が、昨日の午後、グアム行のパンナムに乗るとき、江木という若い組員と一緒だったという報告があったので、余計に不安だったんだよ」
「江木ですか? どこかで聞いた名前ですね?」
「私も、昨夜おそくになって思い出したんだが、小柄で、女のような優男《やさおとこ》だよ。色の白い――」
「ああ」
と、亀井は、肯いた。
「思い出しましたよ。一見、なよなよしているが、図太くて、確か、喧嘩《けんか》相手の顔を、剃刀《かみそり》で、切りきざんで、刑務所へ送られた奴でしょう?」
「いや、日本刀でだろう。まあ、それは、どっちでもいいが、そんな男が一緒だというので、心配だったんだよ。物理的に、昨日中に、札幌に来ることは不可能だとわかっていても、佐伯が、何か奇蹟《きせき》を起こして、札幌に来て、三浦を消そうとするんじゃないだろうかと思ってね」
「奇蹟ですか?」
「たとえば、米軍にわたりをつけて、向うの軍用機に便乗して、札幌へ来るのではないかということまで考えたがね。倉田明日香が、グアムへ逃げ、失敗を、佐伯に伝えれば、彼も、自分が敗《ま》けたことを知って、もう、何もしないだろう。馬鹿じゃないからね」
十津川は、笑《え》みを見せて、いった。
札幌へ戻ったのは、五時過ぎである。
改めて、道警本部長に、あいさつした。
「今日中に、帰るのかね?」
と、西田が、きいた。
「航空ストが解決しない時には、今日の夜行列車に乗るつもりだったが、解決したのでね。明日の飛行機で、帰るつもりだ」
十津川は、いった。
「それなら、今夜、君と、亀井刑事の送別会をやろう。安くて、美味《うま》い三平汁を食べさせる店があるんだ。その店には、辛口で、いい地酒も、置いてあってね」
西田は、にこにこ笑いながらいい、部下の刑事に、その店の予約をしておくように命じた。
「三浦は、どうしている?」
と、十津川は、きいた。
「証言を全部すませたので、自由にしたよ。前にもいったように、判事の前で、証言して、テープにとったのでね。証拠能力がある。そのことが、夕刊にのった。こうなれば、川田組の連中が、まだいたとしても、三浦を消しても、仕方がなくなったわけだ。三浦は、それを知って、今夜は、すすき野あたりで、遊ぶんだそうだ。青森からやって来た例の北島早苗という女と一緒にね。三浦は、えらく、張り切っていたよ」
西田は、苦笑して見せた。
「三浦は、彼女に、金をやるといって、連れ出したんだが、どうする気なのかな。国としては、旅費と、日当ぐらいしか払えないわけだからね」
十津川が、心配していうと、西田は、笑って、
「そこは、よくしたものでね。三浦は、今や、英雄なんだ。川田組からの復讐《ふくしゆう》の恐怖に耐えて、東京から札幌まで来て、証言した男ということでね。マスコミが、三浦とのインタビューや、何か書いてくれといって、金を積んでいるらしい。女に何か買ってやるくらいの金は、すぐ出来るんじゃないのかね。何しろ、札幌駅前での銃撃戦まであった事件なんだから」
「それはいい」
と、十津川は、いった。
三浦という男は、どうしても好きになれなかったが、とにかく、札幌へ来てくれたのである。彼のふところが、うるおうのは、悪くはない。
「そろそろ、夕食に行こうじゃないか」
と、西田が、十津川と、亀井を促して、立ち上ったとき、傍《そば》の電話が鳴った。
西田が、受話器を取ったが、すぐ、「君にだ」と、十津川にいった。
「名前を、いわずに、君を呼んでくれといっている」
「誰かな?」
十津川は、首をかしげながら、受話器を受け取った。
「十津川さんですね?」
と、中年の男の声が、確かめるように、きいた。
その声に、十津川は、聞き覚えがあった。
軽い戦慄《せんりつ》を感じながら、
「佐伯さんですね?」
と、十津川も、きいた。
「そうです。あなたに、ぜひ、お会いしたくて、電話を差しあげたんです。Kホテルまで、来て頂けませんか? そこの一一〇五号室にいます」
「ということは、グアムから、帰って来ていたんですか?」
「四時に、千歳空港に着きました。いかがですか、来て貰えますか?」
「行きましょう」
と、十津川は、いった。
彼が、電話を切ると、亀井が、緊張した顔で、
「佐伯弁護士ですか?」
「ああ。私に会いたいといっている。君は、西田警部と、先に食事に行っていてくれ。私は、佐伯に会ってから行く」
「なぜ、警部に会いたいというんでしょうか?」
「わからんよ」
「逮捕したらどうかね?」
と、西田が、いった。
十津川は、首を横に振った。
「佐伯が、全てを指揮したと思っているが、証拠がない。彼は、グアムに行ってたんだからね」
弁護士の佐伯が、逮捕されると思えば、札幌には、やって来ないだろう。
「しかし、何のために、君に会いたいというのかね? 敗けましたと、認めるために、来たのだろうか?」
西田も、首をひねっている。
「さあね」
「まさか、敗けたのが口惜《くや》しいといって、君を殺しに来たんじゃあるまいね?」
西田が、心配していうのを、十津川は、笑って、
「彼は、そんな男じゃないよ。いつも、冷静で、自分に損なことはしない奴だ」
と、いった。
Kホテルの一一〇五号室に行き、ノックすると、佐伯弁護士が、開けてくれた。
居間と、寝室に分れたスイート・ルームである。
「いい部屋ですね」
十津川は、向い合って、腰を下してから、部屋をほめた。
「このホテルでは、一番いい部屋です」
佐伯は、落ち着いた声で、いった。
十津川は、まだ、佐伯が、なぜ、自分に会いたがるのか、その理由が、わからずにいた。
十津川は、黙って、煙草に火をつけた。
佐伯に、喋《しやべ》らせた方がいいと、思ったからである。
「三浦が、札幌地裁で証言したことは、ニュースで知りましたよ」
と、佐伯は、他人事《ひとごと》のような冷静さで、いった。
「連れて来る途中で、いろいろと、ありましたが、何とか、昨日中に、地裁へ連れて行けました。最後には、倉田明日香という女に、危く、殺されかけましたがね」
十津川が、いうと、佐伯は、「そうですか」と、相変らず、何の表情も見せずに、いった。
「これで、川田大造も、川田組も、終りでしょうね」
「あなたは、川田の顧問弁護士だったわけでしょう? 他人事みたいないい方をされるんですね?」
多少の皮肉をこめて、十津川は、いった。
佐伯は、パイプを取り出して、煙草を詰めながら、
「一つの夢が消えたことには、違いありませんね」
「夢?」
「警察が、川田大造を、どう思っているかわかりませんが、彼に、私は、夢を託していたんですよ。しかし、こうなっては、その夢もこわれたといっていいでしょう。私に運がなかったのか、それとも、川田に運がなかったのか、わかりませんがね」
佐伯は、小さく笑ってから、パイプに火をつけ、うまそうに、煙を吐き出した。
「夢がこわれたというために、私を、ここに呼んだわけですか? それとも、川田組の連中に、三浦を狙わせたのは、自分の指示だと、白状するためですか?」
十津川が、きくと、佐伯は、手を振って、
「いや、私は、川田組の連中に、何の指図もしていませんよ。一介の弁護士に、そんな真似《まね》は出来ません。私は、ただ、あなたと、話をしたかっただけです。警視庁捜査一課の十津川という警部は、どんな男なのか、実際に、二人だけで、話をしてみたいと思いましてね。それで、来て頂いたんです」
「ただ、話をですか?」
「あなただって、私という男に、興味が、あったんじゃありませんか? あなたが、私を探しているという噂《うわさ》を聞きましたからね。もっとも、私は、グアムに行っていたんですが」
佐伯の話は、どうも、漠然としていて、何をいいたいのか、わからなかった。
「彼は、どうしました?」
と、十津川は、きいた。
「彼?」
「江木という若い川田組の組員ですよ。昨日、あなたと同じ便で、成田から、グアムへ行った筈ですよ」
「ああ、あの男ですか。彼なら、その辺で、飲んでいるんじゃありませんか。彼も、川田組が潰《つぶ》れたら、どうするつもりなのか」
「なぜ、江木と一緒に、グアムへ行かれたんですか?」
「私は一人で行くつもりだったが、彼が、連れて行ってくれというものですからね」
「グアムで、倉田明日香に会いましたか?」
「なぜですか?」
「彼女は、今日の午前中に、千歳空港から、パンナムで、グアムに向ったからですよ。高飛びしたわけです。てっきり、あなたのところへ逃げたと思ったんですがね」
「いや、全く知りませんね。彼女に会っていたら、自首をすすめたと思いますよ。弁護士としてね」
佐伯は、しらッとした顔でいった。
十津川は、少しずつ、いらいらして来た。佐伯が、自分を呼んだ理由をいわず、何か、馬鹿にされているような気がしてきたからである。
「用がないのなら、私は、失礼する。会わなければならない人がいますからね」
十津川がいうと、佐伯は、
「もう少し待って下さい。電話が入るのでね」
「何の電話です?」
「かかって来れば、わかりますよ」
「それほど、私は、閑《ひま》ではありませんのでね」
と、十津川が、腰をあげた時、部屋の電話が鳴った。
佐伯は、受話器を取り、「佐伯です」といい、そのあと、「わかった。そうか」と、肯《うなず》いて、電話を切った。
佐伯は、ソファに戻って来ると、十津川に向って、
「三浦功が、死にましたよ」
「死んだ――?」
「そうです。今、電話で、教えてくれました。三浦君は、すすき野で悪酔いして、ケンカをし、殺されたという連絡が入りましたのでね。それを、あなたに、お知らせしておきます」
佐伯は、口元に、かすかな笑いを見せた。
十津川は、顔色を変えて、
「あんたが、江木という若い組員に指図して殺させたんだな?」
「いや、私は、関係ありませんよ」
「しかし、電話を待っていた筈だ」
「いや、三浦君を探して、ご苦労さんといってやりたくて、江木に見つけてくれるように、頼んでおいたんですよ。こうなってしまえば、三浦君には、何の悪感情も持っていませんのでね。そうしたら、彼が、酔ってケンカして、殺されたという知らせが、来てしまったわけです。なんでも、女連れだったというから、まあ、いい恰好しようとして、殺《や》られてしまったんじゃありませんか。三浦君というのは、なかなか、面白い男でしたからね。ゆっくり、飲み合おうと思っていたのに、残念ですよ」
佐伯の言葉は、嘘《うそ》に決っていた。
江木に、三浦を殺させたのだ。他には、考えられない。
だが、なぜ、佐伯は、そんなことをしたのだろうか? そこが、わからなかった。
佐伯は、法律家である。すでに、三浦が、証言してしまったことは知っているだろうし、その証言は、法廷でも有効だと、わかっているだろう。
もう、手遅れなのだ。それなのに、佐伯は、なぜ、江木を使って、三浦を殺させたのだろうか。
意地でやったのか? 十津川たちに敗北したのが癪《しやく》で、嫌がらせに、三浦を殺したのだろうか?
それでは、まるで、おもちゃが貰えなかったからといって、窓ガラスを割る子供と同じではないか。
だが、佐伯という男は、衝動的に動く男ではない。冷静で、計算高い男だ。
川田組の顧問弁護士になったのだって、ボスの川田に惚れたわけではなく、彼の力を利用して、自分が、利益をあげたかったからだろう。
今度、三浦を消そうとして、指揮を取ったのだって、川田に対する忠誠というより、まだ、川田の力が必要だと計算したからに、決っている。
今日、会ったとき、佐伯は、「川田組も、川田も、もう駄目ですね」と、冷たくいった。これが、彼の本音だろう。
佐伯は、計算の早い男だ。だから、もう、三浦が狙われることはあるまいと、十津川は、考えていたのである。
それなのに、佐伯は、江木を使って、三浦を殺した。
(駄目な川田のために、なぜ、義理を果したのか?)
「どうなさったんですか? 顔色が、冴《さ》えないようですが」
佐伯は、楽しそうにいい、また、パイプをくゆらせた。
(この男は、おれを困惑させるためだけに、三浦を、殺したのだろうか?)
と、十津川は、一瞬、そんなことさえ、考えたくらいだった。
もちろん、佐伯は、そんな男ではない。
「君という男が、わからなくてね」
と、十津川は、いった。いらだつ気持が、自然に、言葉使いを、乱暴なものにした。
「何が、わからないんですか?」
「三浦は、昨日の深夜、札幌地裁へ連れて行った。判事の前で、女を殺したのは、川田大造だと証言し、その証言は、録音されて、法廷でも、証拠能力がある。三浦を消しても、川田は、助からない。むしろ、三浦が殺されたことで、判事の心証を悪くするだけだ。そのくらいのことは、君にだって、わかっている筈だ」
「もちろん、わかっていますよ。だから、さっき、川田組も、川田も、もう駄目だと、いったんですよ。すでに、組員は、もう散りぢりになっているんじゃないですかね。こういう時の彼等の反応は、素早いですからね。彼等は、鼠《ねずみ》だ。舟が沈みかけたら、真っ先に逃げますよ」
「それなのに、なぜ、三浦を殺したんだ?」
「殺してはいませんよ。むしろ、江木に探させていたんです。そうしたら、泥酔《でいすい》して殺されているのを見つけて、驚いて、私に連絡して来たというわけですよ」
佐伯は、笑いながら、いった。
「本音で、話そうじゃないか」
十津川は、じっと、相手の顔を見つめていった。
佐伯は、軽く、肩をすくめて、
「本当のことを話していますよ」
「わかった。こうしよう。これから、二人で話すことは、譬《たと》え話だ。架空の話だ。君が、何をいおうと、それを理由に、君を逮捕したりはしない。テープレコーダーも持っていないし、たとえ、江木が三浦を殺したのだとしても、君には、ちゃんとしたアリバイがある。警視庁捜査一課警部の私と一緒に、ここにいたというアリバイがね。そのために、私を呼んだんだろう。だから、君を逮捕しやしない。そこで、譬え話として、聞かせてくれないかね。なぜ、今になって、三浦を殺したのか」
「譬え話ですか?」
「そうだ。譬え話だ」
「私も、譬え話というのは、好きですよ」
佐伯は、笑っていい、新しいきざみ煙草を、パイプに詰めた。
「じゃあ、聞こうか」
十津川は、ソファに、身体をうずめるようにして、佐伯を見た。
「一人の弁護士がいたと仮定して話しましょう」
と、佐伯は、いってから、パイプの煙を吐き出した。
「彼は、いつの間にか、腕はいいが、ダーティだという評判が立ってしまった。彼は、弁明する代りに、それを売り物にして、生きて行くことにして、ある組織の顧問弁護士になったわけです。その組織のボスは、不思議な行動力と、集金力を持っていた。弁護士は、そのボスを利用して、成功しようと考えたんですよ。いつか、その組織を、自分のものにすることも考えていた。一つの帝国を作りたいと」
「面白い」
「ところが、そのボスが、札幌で、つまらない殺人事件を起こしてしまった。弁護士としては、彼を助けなければならない。彼のためというより、弁護士自身のためにです。ボスの殺人を目撃していた唯《ただ》一人の男がいた。名前を、三田とでもしますか。札幌の地裁は、三田を、二十四時間以内に、連れて来いと、警察にいった。さもなければ、ボスを釈放すると。三田を、東京から札幌へ運ぶ役目は、警視庁の十津川という優秀な警部が引き受けることになった」
「賞《ほ》めて頂いて、恐縮だ」
「弁護士は、十津川警部との知恵比べになるだろうと予測して、あらゆる対策を立てました。二段構え、三段構えで、三田を消すことを考えたわけです」
「その時、彼は、楽しかったのかな?」
「楽しかったと思いますね。こうなると、戦争ですからね」
と、いってから、佐伯は、小さく笑って、
「しかし、全《すべ》て、失敗しました。三田は、十津川警部たちに守られて、札幌地裁に入り、判事の前で、証言して、ボスの運命は、決ってしまいました。少なくとも、十年の刑は、まぬがれないでしょうし、ワンマンの組織でしたから、頭を失って、組織が瓦解《がかい》するのは、眼に見えています。弁護士も、敗北したわけです」
「聞きたいのは、その後だ。敗北が決ったのに、なぜ、証人を消したのか、それが、聞きたい」
「もう、証人の三田を消しても、何にもならない。警察は、そう考えた。組織にとっても、ボスにとっても、同じです。しかし、弁護士にとっては、違うのですよ。そこのところが、さすがの十津川警部にも、わからなかったようですね」
「わからないから、きいている」
十津川は、ぶぜんとした顔で、いった。
「それは、あなたが、役人だからだ。職探しをする必要がない立場で、今度の事件を考えているからだ」
「なるほどね」
十津川は、少しずつ、わかって来たような気がした。
「少しは、わかりましたかね?」
と、佐伯は、いってから、
「譬え話を続けましょうか。ボスの刑が、まぬがれない状態になり、組織の崩壊が避けられなくなったとき、弁護士は、何を考えたか。彼は、ダーティな評判がたってしまっているから、それで、のしあがって行くより仕方がない。一つの組織は潰れたが、同じような、いや、もっと巨大な組織が、日本にはあります。あなたが、よくご存知のようにね。弁護士は、より大きな組織と、結びつくことを考えたのです。そのためには、一つ、障害があった。それは、三田の存在です。弁護士が三田|抹殺《まつさつ》の指揮を取ったことは、組織の人間なら、みんな知っています。何となく、伝わるものでね。それなのに、抹殺に失敗した。その上、三田は、悠々と泳ぎ廻っているのでは、この弁護士は、役に立たないと、決めつけられ、自分を売り込むことに失敗してしまいますよ。当てにならない男だという評判が立ってしまったら、どんな組織も、彼を、顧問に迎えはしない。そこで、彼は、自分が、責任を取る人間だということを、示す必要があったわけです」
「それで、殺したのか?」
「そうです。これで、組織は、彼を信用するでしょう。それに、証言したあとで、殺されたとなれば、組織に盾《たて》つくような馬鹿な人間が、少なくなる。証言するまでは、警察が守ってくれても、そのあとは、守れないことがわかりますからね。そうした、組織に都合のいい教訓を残したことで、弁護士は、ダーティな世界で、評価される。それが、狙いなのですよ」
「つまり、一種の就職運動というわけか?」
「そんな風に、私を睨《にら》まないで欲しいですね。あくまでも、譬え話だといったのは、十津川さん、あなたなんですからね」
佐伯は、勝ち誇ったようにニヤリと笑った。
十津川は、黙って、立ち上った。
しかし、部屋のドアのところまで行ってから、振り返って、佐伯を見つめた。
「君は、うまく、やったつもりらしいな。多分、どこかの組織が、君を顧問弁護士に傭《やと》うだろう。君は、その組織の力を利用する。だが、いっておくが、君とつながりを持った組織を、徹底的に叩いてやる。どんな組織でもだ。そのうちに、君は、厄病《やくびよう》神になってくるだろう。絶対に、そうしてやる」
十津川の激しい語気に、佐伯は、一瞬、顔を蒼《あお》ざめさせた。
それを見てから、十津川は、ドアを開けて、外に出た。
角川文庫『札幌着23時25分』昭和60年9月25日初版発行
平成8年4月20日42版発行