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日本のエーゲ海、日本の死
西村京太郎
目 次
第一章 パルテノン
第二章 エーゲ海
第三章 海とゴムボート
第四章 接 点
第五章 対決姿勢
第六章 残党の軌跡
第七章 解決への道
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第一章 パルテノン
夏の盛りの八月十七日。
東京西新宿のホテルRで、1206号室の泊り客が、死体で、発見された。
三十五、六歳の男で、前日の十六日の午後三時過ぎに、チェック・インしていた。
フロントで、宿泊者カードに書いた名前は、三好功《みよしいさお》で、住所は、大阪市福島区だった。
ツイン・ルームを要求し、人数の欄には、「他一人」と、書き込んだ。
フロント係は、あとから、もう一人来るのだろうと考えた。
そして、翌十七日の夜、十時五十分に、三好は、ルームサービスに電話をかけ、
「夜食を頼みたいんだが――」
と、いい、
「にぎり寿司を二人前とフルーツも二人前、それに、ミックスサンド。これは、一人前でいい」
「少し時間が、かかりますが――」
「どのくらい?」
「三十分ほど、お待ち下さい」
「三十分ね。ああ、いいよ」
と、三好は、いった。
正確に、三十分して、ルーム係は、注文された、にぎり、フルーツ、それにミックスサンドを、運んで行った。
1206号室を、ノックした。
が、中から、返事がない。
ルーム係は、もう一度、今度は、少し強く、ノックしたが、何の応答もない。
ルーム係は、ドアの外に、にぎりなどを、置いて戻ろうとしたが、それも、おかしいなと思い、また、部屋の中のお客のことも、心配になって、廊下の館内電話を使って、フロントに、連絡をとった。
フロント係は、すぐ、十二階に、あがって来た。
夜食を注文しておきながら、しかも、この時刻に、外出することはないだろう。
フロント係は、そう考えて、不安になって、駈《か》けあがって来たのだろう。
「本当に、返事がないの?」
と、フロント係は、ルーム係に、きいた。
「ありません」
「僕が、やってみよう」
と、フロント係は、ドアをノックした。
しかし、返事がないのは、前と、同じだった。
フロント係は、マスター・キーを持って来ると、ドアの鍵《かぎ》を開けた。
「失礼します」
と、いいながら、フロント係は、部屋の中に、入って行った。
奥にベッドが二つ並び、簡単な応接セットも、置かれている。
「夜食を、お持ちしましたが――」
と、フロント係は、なおも、繰り返しながら、奥に入って行った。泊り客が、よく寝入っていて、そのために、返事がなかったとして、部屋に入ったのを咎《とが》められた時の用心のためだった。
しかし、その心配はなかった。
泊り客は、片方のベッドに、パジャマ姿で横たわり、すでに、死亡していたからである。
もちろん、フロント係も、ルーム係も、最初は、本当に、死んでいるとは、思わなかった。
ベッドの上に、不自然な形で、俯《うつぶ》せに寝ていると、思っただけだった。
手足を、エビのように曲げ、いまにも、ベッドから、転げ落ちそうに見えたのだ。フロント係は、あわてて、抱きあげて、ベッドの真ん中に、戻したくらいだった。
だが、その時、俯せで見えなかった客の顔が、むき出しになって、フロント係は、小さな叫び声をあげた。
客の噛《か》みしめた口元から、血が流れ出しているのが、見えたからだった。眼も、凍りついたように、虚空を見つめている。
「支配人を、呼んで来る!」
と、フロント係は、ルーム係にいい、部屋を飛び出した。
支配人が、来て、一一〇番して、警視庁捜査一課の刑事たちが、駈けつけたのは、二十分後である。
客は、明らかに、毒死だった。
「多分、青酸中毒だね」
と、鑑識の田口検死官が、十津川《とつがわ》警部に、いった。
顔を近づけると、死体から、かすかな、甘いアーモンドの匂《にお》いがする。
ベッドから離れたテーブルの上には、ワインのびんと、グラスが一つ、置かれてあった。
グラスには、ワインが、半分ほど、注《つ》がれている。
テーブルの周囲を調べると、もう一つのグラスが、転がっているのが、見つかった。これにも、ワインが、少し、残っていた。
十津川は、二つのグラスと、ワインを、調べることにした。多分、青酸は、ワインに、入っているだろう。
廊下に置かれたワゴンには、死んだ男が、一時間前に注文した、にぎり寿司や、フルーツ、それに、サンドイッチが、並んでいる。
「その時、電話の声には、変な感じはなかったですか?」
と、十津川は、若いルーム係に、きいた。
「別に、変な感じはしませんでした。三十分ほど、お待ち頂きますといったら、わかったと、はっきりいわれましたし――」
と、ルーム係の男は、まだ、青い顔で、いった。
「自殺の線は、ありませんね」
と、亀井《かめい》刑事が、いう。
「客があったんだ。死んだ男は、客と一緒に食べようと、にぎり寿司や、フルーツを、ルームサービスで、注文した。ワインは、客が持って来たものだろう。冷蔵庫に入っているワインは、新しいものだが、テーブルの上のものは、年代ものだからね」
「あのワインの中に、毒が入っていたら、客は、最初から、殺す気で、やって来たということになりますね」
と、亀井は、いった。
他殺とすれば、まず、被害者の身元を、確認しなければならない。
宿泊カードによれば、男の名前は、三好功で、住所は、大阪市福島区である。
背広を調べると、そこには、「三好」とあったから、三好功は、本名とみていいだろう。
三好は、ルームサービスで、にぎり寿司と、フルーツを、それぞれ、二人分注文している。
と、いうことは、三好が、客を警戒せず、一緒に、食べる気だったのだろう。
「三十分か」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
ルーム係は、注文に対して、三十分お待ち下さいといった。
三好を訪ねて来た客は、その三十分間に、三好を殺し、逃げる必要があったということである。
そして、犯人は、まんまと、それに成功した。
「三好という男は、変に神経質だったみたいですわ」
と、北条早苗《ほうじようさなえ》刑事が、いった。
「何がだ?」
と、亀井が、きいた。
「ホテルの寝巻があるのに、自分のパジャマを着ていますわ」
と、早苗は、言った。
確かに、ツインベッドの片方に、ホテルの名前の入った寝巻が二枚、きちんとたたまれて、置かれている。
「旅行するのに、自分の枕《まくら》を持参する奴《やつ》もいるからね」
と、日下《くさか》が、口を挟んだ。
刑事たちは、クローゼットの中にあった背広と、靴、それに、ボストンバッグを、取り出して来て、調べることにした。
夏物の背広のポケットには、財布、運転免許証、キーホルダーが、入っていた。
免許証から、三好功の名前が、再認識された。年齢は、三十五歳であることも、わかった。
カルチエの財布には、十二万三千円と、CDカードが入っていた。
ボストンバッグには、着がえなどが入っていたが、十津川たちが注目したのは、銀行の封筒に入った二百万の札束である。
ピン札で、封筒に同じK銀行の帯がついている。
「何か、取引きに、大阪から、東京にやって来たんですかねぇ」
と、亀井が、いった。
「それは、被害者が、どんな人間かわかってくれば、自然に、解けてくるだろう」
と、十津川は、いった。
三好功という男については、大阪府警の協力を求めて、調べることになった。
死体は、東大病院で、司法解剖が行われ、部屋にあったワインのびんや、グラスは、科研に廻《まわ》された。
十津川は、今回の事件を、そう難しいものだとは、考えていなかった。
犯人が、わざわざ、ホテルにまでやって来て、三好を、毒殺していること。三好の財布の十二万三千円も、ボストンバッグの二百万の札束にも、手をつけていないことなどからみて、犯人は、被害者の顔見知りである。動機は、怨恨《えんこん》に違いないと、思ったからである。
と、すれば、被害者、三好功の人間関係を調べていけば、自然に、犯人が浮かび上ってくる筈《はず》だとも、十津川は、考えていた。
翌日の午後には、司法解剖の結果が出た。
死因は、やはり、青酸中毒による窒息死《ちつそくし》だとあり、死亡推定時刻は、八月十七日の午後十時から十二時の間になっていた。
死亡推定時刻の方は、ルーム係の証言によって、被害者が、夜食を注文する電話をかけた十時五十分から、夜食を運んで行き、死体を発見した十一時三十分までの間と、限定できるだろう。
大阪府警からの報告は、次の通りだった。
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〈三好功について、調査結果を報告します。三好は、岡山県|牛窓《うしまど》の生れで、岡山のS高校を卒業後、大阪のN大に入学。卒業後、大阪市内の建設会社に就職した。
三十歳の時、結婚(妻、えい子)
三十三歳で、脱サラして、建設コンサルタントの看板をあげた。
しかし、翌年、不動産サギを働き、逮捕される。妻のえい子は、それに怒って、離婚。執行猶予の判決(有罪で、懲役一年、執行猶予三年)を受け、現在、三好は、大阪府福島×丁目で、調査コンサルタントの看板をあげている。
性格は、明るく、話術に長《た》けていた。そのため、学校時代は、リーダー的存在だったといわれる。不動産サギを働いて、一時期、億単位の金を集めることが出来たのも、そのためだったと思われる。
人間関係についての三好の考え方は、得をする人間とは、つき合うが、得にならない人間とは、さっさと、別れるというシビアなものだということである。
現在の仕事は、あまり客もなく、繁盛しているようには見えないが、なぜか、金まわりがよく、新地《しんち》あたりで、よく、飲んでいるのを、見かけたという証言がある。
女性関係も派手で、現在、事務所で働いている女(芝田みゆき、二十六歳)とも、関係があるといわれている。
なお、芝田みゆきは、十七日のアリバイがあり、犯人とは思われない。
以上、三好功について、わかった事だけ、ご報告致します〉
[#ここで字下げ終わり]
科研からの報告も、十津川の手元に届いた。
問題のワインは、一九八〇年のフランスのもので、日本国内の酒屋などで、自由に買うことが出来る。
中身には、青酸カリが混入されており、グラスの残ったワインからも、同じく、青酸が、検出された。
ワインのびん、グラスとも、指紋を拭《ふ》き取ったと思われ、何も検出されない。
これが、科研の報告の要約だった。
ホテルの1206号室を調べた鑑識も、ドアのノブ、テーブルなどは、きれいに拭《ぬぐ》いさられていたと、十津川にいった。
「犯人は、用心深い人間だよ」
と、田口検死官が、十津川に、いった。
「指紋を拭き取ってから逃げたからか?」
「それも、三十分という短かい時間の間にね」
と、田口は、いう。
十津川は、少しずつ、事件に対する見方が、変っていくのを感じた。
(単なる怨恨からの犯人ではないかも知れないな)
と、思い始めたのである。
被害者の三好を、何かで恨んでいる人間がいて、十七日の夜、ホテルへ訪ねて行って、毒殺した。
毒殺ということで、十津川は、犯人の女性の可能性が、八十パーセントとも、みなしていた。
三好には、東京に女がいた。彼は、その女に会いに来た。そして、彼女に殺されたのではないか。
女の方は、殺したいほど憎んでいるのに、男の方は、それに、気付いていない。よくある話である。
自信過剰の男は、女に対して、どんなことをしても、自分についてくるものと、勘違いしている。いや、自分が、どんなに、女に、ひどいことをしたかに、気付いていない。
そして、殺される寸前まで、気付かずにいる。
十津川は、そんな風に、考えていたのだ。
だが、犯人の行動が、冷静だとなってくると、見方を変えなければならないかも知れない。
十津川は、十六日に、三好が、ホテルにチェック・インしてからの行動を、徹底的に、調べることにした。
それに、十七日の夜十時から十一時にかけて、1206号室に出入りする人間を見た者はいないかという目撃者探しである。
三好は、ホテルに入ってから、外部に電話をかけていなかったし、外から、電話がかかったこともないことが、わかった。
しかし、三好は、十七日の昼間に、外出しているから、その時に、外で、誰かに会ったのかも知れないし、電話をかけているかも知れなかった。
目撃者探しの方も、難しかった。
ホテルは、新宿という盛り場の近くにある関係で、夜半近くなっても、人の出入りがあるし、ロビーを通っても、その人間が、果たして、1206号室を、訪ねたかどうかわからないからである。
十津川の楽観的な予想とは反対に、調査は壁にぶつかったまま、一週間が、経過してしまった。
八月二十五日。
いぜんとして、暑さが、日本列島全体を蔽《おお》い、北海道を除いて、熱帯夜が、続いている。
この日の午後二時過ぎ、岡山県牛窓で、事件が生れた。
牛窓は、最近、「日本のエーゲ海」という謳《うた》い文句で有名になった場所である。
瀬戸内《せとうち》の海は、コバルトブルーで、美しく、四国との間に点在する島々が、その景色に彩りを添えている。
漁港だった牛窓には、観光客が集まるようになり、ギリシャのエーゲ海に似せようと、丘には、オリーブの木が、植えられ、リゾートマンションが、建ち始めている。
漁港には、マリーナが設けられ、ヨットの白い帆が、はためいていた。
背後の丘には、展望台が、設けられ、ローマの丘などという、わけのわからない名前が、つけられたりした。
その展望台で、事件が起きた。
そこに、駐《と》まっている車の一台の中で、男が一人、死体で、発見されたのである。
東京ナンバーの白いトヨタのクラウンだった。
近くに、車をとめた若いカップルが、何気なく、横のクラウンの運転席を見ると、ワイシャツ姿の男が、座席《シート》にもたれるような恰好《かつこう》をしていた。
もちろん、最初は、その男が、死んでいるなどとは思わず、気分が悪いのだろうと思い、展望台の隅にある土産物《みやげもの》屋に、知らせた。
土産物屋の店員は、面倒くさそうな顔で、白のクラウンのところへ歩いて行き、運転席のドアを叩《たた》いた。
だが、男は、動きもしないし、声も出さない。
若い男の店員は、急に緊張した顔になって、ドアに手をかけて、開けてみた。
ドアが開くと同時に、運転席の男は、声を立てずに車の外に、転がり落ちた。
土気《つちけ》色の顔、鼻血、そして、男の首には、黒っぽい紐《ひも》のようなものが、巻きついているのが、見えた。
店員は、一瞬、バカみたいに、ぽかんと、自分の足下に転がっている男を見ていたが、次の瞬間、店へ向って、駈《か》け出していた。
彼の一一〇番で、牛窓警察署のパトカーが二台、駈けつけた。救急車もである。
男は、すでに、死亡していた。
首に巻きついていたのは、黒色のロープだった。
殺人ということで、岡山県警、捜査一課の刑事たちが、鑑識をつれて、やって来た。
陽かげのない、広い展望台で、刑事たちは、暑さに顔をしかめながら、現場検証に、当った。
殺された男は、ポケットにあった運転免許証から、東京都|世田谷《せたがや》区|北沢《きたざわ》に住む、柳沼完治《やぎぬまかんじ》、三十五歳と、わかった。
背広は、助手席に、投げ出されていたのだが、そこには、免許証の他に、財布が入っていて、中身の二十一万五千円は、そのままだった。
パテックの腕時計も、そのままなので、物盗《ものと》りの犯行とは、考えられなかった。
車に一緒に乗って来た人間が、ロープで首を絞めて殺したのだろうか。
岡山県警は、牛窓警察署に、捜査本部を設けると同時に、東京の警視庁に、殺された柳沼完治について、捜査協力を要請した。
十津川は、壁にぶつかって、四苦八苦していたので、岡山の牛窓で起きた事件に、最初は、別に、注意を払わなかった。
それが、急に、惹《ひ》かれたのは、県警からの捜査協力の際、添えられていた被害者についての証明書を、見たからだった。
「カメさん。これを見てくれ」
と、十津川は、亀井を呼んで、その写しを見せた。
「岡山の事件でしょう。こちらには、関係ないんじゃありませんか」
と、亀井は、そっけない調子で、いった。
だが、十津川は、
「そうでもないよ。ここを読んでみろ。被害者の背広の襟についていたバッジのことだ。ギリシャのパルテノンを模したバッジだと、書いてある」
「ええ。ありますね。しかし、こっちの事件で殺された三好功は、バッジなんかつけていませんでしたよ」
と、亀井は、いう。
「だがね、彼の背広の襟には、明らかに、バッジがついていた痕《あと》が、あったんだ」
と、十津川は、いった。
「ついていたバッジが、どんなものか、わかるんですか?」
「いや、わからないよ」
「パルテノンのバッジという証拠でもあれば、岡山の事件と、関連があると、いえますが――」
亀井は、あくまでも、疑問視する姿勢を崩さない。頑固な亀井らしいのだが、この件では、十津川も、頑固だった。
「三好功が着ていたパジャマだが、ホテルのものは、寝巻で、ベッドの上においてあった。だから、あのパジャマは、被害者本人が、持参したものなんだ。そのパジャマの柄だが、問題のバッジと同じ、パルテノンの図柄なんだよ」
と、十津川は、いった。
「しかし、それは、偶然の一致じゃありませんか? ギリシャのパルテノンは、よく、図柄として、使われますから」
と、亀井は、まだ、いっている。
「確かに、カメさんのいう通り、偶然の一致かも知れないし、背広の襟につけたバッジとパジャマの柄では、同じといっても、意味が、違うかも知れない。だが、私は、気になるんだよ。三好功が、背広の襟につけていたバッジも、パルテノンじゃなかったのかとね」
「では、なぜ、三好の背広には、ついてなかったんでしょうか?」
と、亀井が、きく。
「それは、三好を殺した人間が、持ち去ったんじゃないかと、思っているんだ。犯人は、彼の着ていたパジャマも、持ち去りたいと思ったろうが、死体から、脱がせるのは、大変だからね。それで、諦《あきら》めたのではないかと、思ってね」
と、十津川は、いった。
「岡山で殺された男の方は、なぜ、バッジを外して、持ち去られずに、襟に残っていたんでしょうか?」
亀井は、当然の質問をする。
「岡山のケースでも、犯人は、きっと、外して持ち去りたいと、思った筈《はず》だよ。だが、現場が、展望台の駐車場で、人の眼が多い。きっと犯人は、取り外そうとしたが、人が近づいて来たので、あわてて、そのままにして、逃げたんじゃないかね」
と、十津川は、答えた。
「その可能性は、あるかも知れませんが――」
「では、こうしよう。岡山のバッジは、かなり、特異な形をしている。ギリシャのパルテノンだからね。当然、背広の襟につく痕も、ちょっと変わったものになる筈だ。三好功の背広の襟についた痕と、岡山のケースでは、バッジを外して、その痕が、どんなものになるか、見て貰《もら》って、二つを比べてみようじゃないか。もし、同じ形の痕がついていたら、カメさんも、同意してくれるんじゃないかね?」
と、十津川は、いった。
「そうですね。岡山県警に頼んで、バッジを外した痕を写真に撮って、送って貰いましょう」
亀井は、同意した。
すぐ、岡山県警に、電話をかけ、事情を説明して、協力を求めた。
森田という県警捜査一課の警部が、向うの窓口になってくれた。
その日の夕方になって、ポラロイドで撮った写真が、送られてきた。
こちらも、三好功の背広の襟にあったバッジの痕を、ポラロイドで撮り、その二つを、比べることにした。
これは、三上本部長や本多捜査一課長にも、見て貰った。
バッジの痕だけ、大きく引き伸して、二つを黒板に、ピンで止めた。
「似ているな」
と、最初に、いったのは、三上本部長だった。
最後には、その痕の部分だけ、二つを、切り取って、重ね合せてみた。
結果は、ぴたりと、一致した。
東京と岡山の二人の被害者が、これで、背広の襟に、同じパルテノンのバッジをつけていたらしいことが、わかった。
亀井も、やっと、この考えには、同意した。
しかし、だからといって、犯人も同じという結論には、ならない。
大企業の社員が、二人殺されて、背広の襟に、会社のバッジをつけていたからといって、同一犯人の凶行という結論にならないのと、同じなのだ。
問題は、このバッジの意味である。
少数のグループのバッジならば、同一犯人の可能性が出てくるが、千人、二千人の社員が働く会社のバッジでは、バッジと、事件との関係が、うすくなってしまう。
十津川たちは、このパルテノンのバッジが、どんなグループのものか調べることにした。
都内のホテルで殺された三好功は、大阪市内で、調査コンサルタントの看板を出していると、大阪府警からの報告には、出ていた。
個人で、私立探偵のような仕事をしているということだろう。
そんな個人の事務所が、事務所のバッジを作っているとは、思えない。
また、岡山の牛窓で殺された柳沼完治について、十津川が、調べたところ、西新宿にある外食産業のチェーン店で、支店長をやっていたことが、わかった。
このチェーン店は、「のりしげ」の名前だが、これは、社長の名前で、主に、関東地方を中心に、百店あまりのチェーン店を、持っていた。
だが、「のりしげ」には、別に、バッジというものはないということだった。
と、すると、柳沼がつけてたバッジは、私生活で、何かの同好グループに、入っていて、その会のバッジなのかも知れない。
西本と、日下の二人は、現在、別居中という、柳沼の妻、昌江に会って、みることにした。
昌江は、二歳になる娘と、練馬区|小竹町《こたけちよう》の両親のところにいた。
昌江は、別居の理由については、何もいわなかったが、娘を、あやしながら、
「主人が、いつか、こんなことになるんじゃないかと、心配していました」
と、西本たちに、いった。
「それは、どういうことですか?」
と、西本は、きいた。
「主人は、向うみずなところがあるんです。サラリーマンだったんですけど、仕事が面白くないといって、勝手に、辞めて、不安定な、外食産業を始めたりするんです」
「しかし、支店長になっていたわけでしょう? 脱サラは、成功していたんじゃありませんか?」
と、日下が、いうと、昌江は、眉《まゆ》をひそめて、
「お金を出せば、すぐ、支店長にしてくれるんです。『のりしげ』さんは」
と、いう。
どうやら、その資金は、彼女の両親が、出したらしい口ぶりだった。
「ご主人の仕事は、うまくいってなかったんですか?」
と、西本は、きいた。
「ええ。主人は、西新宿の支店を委《まか》されていたんですけど、売り上げが伸びないんで、『のりしげ』の本店から、お目付けみたいな人が来て、主人は、名前だけの支店長になっていましたわ。また、それが面白くないといって、ケンカをして、お酒を呑《の》んで。主人は、サラリーマンは、向いていないといって、会社を辞めたんですけど、商売人だって、向いてないんです」
と、昌江は、いう。
「ご主人が、いつか、こんなことになると、思っていたというのは、どういうことなのか、それを話して下さい」
と、西本は、いった。
「今、いったみたいに、自分のわがままで、うまくいかないのに、主人は、いつも、夢みたいなことを、考えていたんですよ。大金が、急に、転がり込んでくるみたいなことをですわ。そうなれば、自分で、大きなレストランのオーナーになるとか、ハワイに別荘を買うとか。そんな、わけのわからないことを考えずに、今の仕事に力を入れて、私の両親から借りたお金を、返してくれるようにと、いったんですけどね」
昌江は、口惜《くや》しそうに、いう。そんな話の中に、この夫婦の別居の理由が、見えてくる感じだった。
「大金が入ってくると、ご主人は、いってたんですね?」
「ええ」
「それは、どういう儲《もう》け話だったんですかね?」
と、日下が、きいた。
「わかりませんわ。でも、何となく、危い話のような気がして、心配だったんですけど、こんなことになって見ると――」
「ご主人は、背広の襟に、こんなバッジをつけていたんですが、見覚えがありますか?」
と、西本は、岡山県警から、送られてきた、パルテノンのバッジの写真を、昌江に、見せた。
「ええ。見たことがありますわ」
と、彼女が、肯《うなず》く。
「これは、どういうバッジか、ご主人が、話したことは、ありますか?」
と、日下が、きいた。
「私が聞いても、教えてくれませんでした。とても、大事にしていたことは、確かですけど」
と、昌江は、いう。
「ご主人は、いつ頃から、このバッジをつけていたんですか?」
と、西本は、きいた。
「結婚した時は、もう、持っていましたわ」
「いつ結婚をされたんですか?」
「四年前の四月です」
「その時は、バッジをつけていた、というか、持っていた?」
「ええ。その頃、主人は、電気メーカーで、事務をやっていましたから、その会社のバッジだろうと思っていたんです。でも、違いましたわ。それで聞いたら、これは、おれの大事なものなんだというだけで、詳しいことは、話してくれませんでしたわ」
「いつも、背広の襟につけていたんですか?」
「一つの背広にだけつけていて、その背広は、旅行に行くときとかに着て、いつも、着てはいませんでしたわ」
と、昌江は、いった。
「ご主人のところに来る人の中に、同じバッジをつけている人は、いませんでしたか?」
と、日下が、きいた。
「さあ、いつも、バッジに、注意しているわけではありませんから」
「ご主人が、このバッジを、大事にしていたことは、間違いありませんね?」
と、西本が、確認するように、きいた。
「ええ。バッジが外れて、失《な》くした時は、必死になって、探していましたわ」
「いつか、大金が手に入ると、ご主人は、夢みたいなことを、いってたそうですが、そのことと、このバッジは、何か関係があるんでしょうか?」
と、西本は、きいた。
昌江はしばらく、考えていたが、
「あるかも知れませんわ。いつだったか、口ゲンカをした時、癪《しやく》に障ったので、主人が、大事にしていたこのバッジのことを、そんなオモチャみたいなもの、何の役に立つのよって、いったことがあるんです。そしたら、いつか、このバッジが、大きな宝に変るんだと、嬉《うれ》しそうに、いったのを、覚えていますわ。その時に、何を、お伽話《とぎばなし》みたいなことを、いってるのかと、思ったんですけど――」
「ご主人は、岡山の牛窓で、殺されたんですが、あの場所と、ご主人には、何か、関係があるんでしょうか?」
と、日下が、きいた。
「岡山に、一時、住んでいたと、聞いたことは、ありますけど――」
と、昌江は、いった。
「岡山の牛窓じゃないんですか?」
「それは、知りません」
「ご主人は、よく、旅行に行かれましたか?」
「ええ。でも、別居してからの主人のことは、よく知りませんわ」
と、昌江は、いった。
西本と、日下は、このあと、柳沼の住んでいたマンションに、廻《まわ》ってみることにした。
京王《けいおう》線の上北沢《かみきたざわ》駅の近くのマンションだった。
1LDKの広さで、駐車場付きではないから、柳沼は、どこかに、別に駐車場を借りて、車を入れておいたらしい。
十四畳ほどの、フローリングのリビングに、六畳の和室のついたマンションだった。
いかにも、男一人の住いという感じで、すかすかした感じがした。
机の引出しを開けてみると、新宿|歌舞伎町《かぶきちよう》のクラブの名刺や、マッチなどが出て来た。そんな場所で、適当に発散していたということで、妻と別居したあと、特定の女は、作ってなかったらしい。
西本と、日下が、見つけたいのは、例のバッジの意味と、東京のホテルで殺された三好功と、関係があるのかどうかということだった。
二人は、手紙や、写真を探した。
しかし、それらしいものは、なかなか、見つからなかった。
外食産業のチェーン店関係の写真や、手紙の類《たぐい》は、沢山あった。が、それと、今回の事件と関係があるようには、見えなかった。
三好功からの手紙も、彼の写真も、見つからなかった。
「ないねえ」
と、西本が、溜息《ためいき》をついた。
「ああ、見つからないな」
と、日下も、いったが、急に、壁にかかったヨットの写真に、顔を近づけた。
「どうしたんだ?」
と、西本が、きく。
「このヨット――」
「ああ、柳沼という男は、ヨットが、好きだったんだろう」
「このヨットの名前は、パルテノンだよ」
と、日下は、いった。
「本当か」
と、西本は、声をあげて、自分も、写真に、顔を近づけた。
そのヨットの写真は、斜め後方から、写してあるので、船尾に書かれた艇名は、一部しか、見えない。
「PAR――――」しか見えないのだ。
「これは、きっと、PARTHENON だと思うよ」
と、日下は、いった。
どこかのマリーナに、繋留《けいりゆう》されているところを撮ったもので、甲板《デツキ》に、人の姿はない。
「この船の名前が、パルテノンなら、柳沼のヨットということになるんだろうか――」
と、西本が、いった。
「最近、撮ったものじゃないな」
日下は、写真に、顔を近づけ、じっと、見ながらいった。
少し、変色していたからだった。
「このヨットを、何人かで、持っていて、そのクルーが、バッジを作って、自慢げに、つけていたということも、考えられるな」
と、日下は、いった。
彼は、その写真を、壁から外して、
「これを調べてみよう」
と、いった。
マンションを出ると、二人は、最後に、西新宿の「のりしげ」の支店に、寄ってみた。
昼を過ぎていたせいか、客の姿は少く、閑散としていた。
二人は、支店長代理という若い男に会った。支店長の柳沼が、売り上げを伸ばせないので、本店から、てこ入れに、派遣されたという男である。
二十七、八歳だろう。
「支店長が亡くなったことには、びっくりしています。ご冥福《めいふく》を祈ります」
と、変に、型にはまったいい方をした。全く、温かさの感じられない調子だった。
「正直にいって、ボクは、柳沼さんのことを、よく知らないんですよ」
とも、いった。こちらは、本音というやつだろう。
「岡山へ旅行に行っていたことは、知っていましたか?」
と、西本は、いった。
「無断で休んだので、困るなとは思っていましたが、旅行に出かけていたのは、知りませんでした」
と、支店長代理は、いう。
西本と、日下は、店員たちにも、会って、話を聞いたが、わかったのは、柳沼が、ここでは名前だけの支店長で、浮き上った存在だったらしいということだけだった。
二人は、捜査本部に戻ると、十津川に、報告し、ヨットの写真を見せた。
「かなり大きなヨットだな」
と、十津川も、興味を示した。
「十人近く乗れて、外洋にも出られるヨットだと思います」
と、日下は、いった。
「君は、パルテノンという名前だと、思うのか」
「そうです。その名前で、調べてみたいと、思っています」
と、日下は、いった。
「三好功のことで、何かわかりましたか?」
と、西本は、十津川に、きいた。
「大阪府警から、また電話があってね。三好は、いつも、大金が入りそうな話をしていたそうだ」
と、十津川に、いった。
「柳沼に似ていますね」
「そうだね。事務所で働いている女事務員も、何回も、聞かされて、近頃では、また、大ボラを吹いてると、馬鹿にしていたそうだ」
と、十津川は、いう。
「いったい、何だったんですかね。本当に、大金が入る予定があったんでしょうか? それとも、大ボラだったんでしょうか?」
「今のところ、何ともいえないね。本当なら、それが、殺しの動機になると、思っているんだがね」
と、十津川は、いった。
西本と、日下は、写真のヨットについて調べるために、出かけて行った。
運輸省や、日本ヨット協会などを廻《まわ》って、帰って来たのは、夜に入ってからだった。
日下は、眼を輝やかせて、十津川に、
「やはり、ヨットの名前は、パルテノンT号でした。五年前に、柳沼完治の名前で、登録されていました」
と、報告した。
「君の予想が当ったわけか。それで、今、このヨットは何処《どこ》にあるんだ?」
「それが、沈没しています」
と、日下は、いう。
「沈没した?」
「ええ。伊豆《いず》の伊東《いとう》沖で、沈没しています。沈没したのは、二年前の九月十二日です」
「乗っていたのは?」
「柳沼が、キャプテンで、他に、五、六名が乗っていたようです」
と、日下は、いった。
「その中に、三好の名前があれば、二人は、結びつくんだが、彼の名前はないのか?」
と、十津川は、きいた。
「それなんですが、このパルテノンT号は、あくまで、柳沼個人の所有になっていまして、九月十二日の沈没の時は、友人を乗せて、東京から、瀬戸内海《せとないかい》に向う途中、伊東沖八キロの海上で、浸水のために沈没したが、全員無事だったと、これも、柳沼が、二日してから、連絡してきています。その時に乗っていた友人の名前については、報告していません」
「きちんとした報告の義務があるわけだろう?」
「そうです。しかし、柳沼は、沈没を、海上保安庁に、報告はしているんですが、最初は、ひとりで航行していたと、主張していたそうです。ところが、千葉のマリーナを出港する時、五、六人乗っていたという目撃者が出まして、柳沼も、自分の他に、友人五人が乗っていたと、認めたというのです。ところが、その五人の名前を報告するように、いったところ、柳沼は、調べてから報告するといいながら、その後、それをしていないのです」
と、日下は、いった。
「事故で、沈没したのなら、大変なことだろう?」
「そうなんです。それで、海上保安庁は、再三にわたって、報告を求めたのですが、柳沼は、その度に、逃げ廻って、現在に至っているということです。海上保安庁では、二年前の事故そのものも、嘘《うそ》ではなかったかと、考えているようです」
「沈没が、嘘?」
「そうです。この日は、波がなく、海上は、穏やかで、千葉から出港するときは、船体に、異状がなかったのに、突然、船底に、穴があくというのも不自然だというのです」
「しかし、オーナーの柳沼は、沈没したと、主張しているのだろう?」
「そうです。従って、パルテノンT号は、現在、抹消されています」
「その時、同乗していた五人が、亡くなったということはないのか?」
と、十津川は、きいた。
「静岡県警でも、調査したらしいんですが、確認できなかったそうです。もし、五人も亡くなっていれば、家族からの届けがあると思うのですが、それも、無かったといいます」
「柳沼が、ヨットを沈没させて、五人の人間を殺したということは、あり得ないのか?」
と、十津川は、きいた。
「そんなことをすれば、五人の家族から、当然、捜索願が出されると思うのです。それが、全くなかったようですから、ちょっと、考えられません」
と、西本は、いい、日下は、
「柳沼が、もし、わざと、パルテノンT号を、沈めたとすると、同乗していた他の五人も、それに同意していたんじゃないかと思います」
と、いった。
「しかし、何のために、こんな立派なヨットを沈めてしまうんだ?」
亀井が、ヨットの写真に眼をやって、きいた。
「わかりません」
「保険金目当てか?」
「それはないと思います。保険に入っていたとしても、新しく、船を買えるほどは、出ない筈《はず》です」
と、日下は、いった。
「保険なら、生命保険を狙《ねら》うだろう。しかし、柳沼は、五人の同乗者は、死んだとはいわず、無事だったといってるんだから、生命保険狙いでもないわけだ」
と、十津川は、いった。
「例のバッジのことですが」
と、日下が、十津川に、いった。
「ああ」
「このヨットの名前が、パルテノンT号だとすると、あのバッジは、このヨットの仲間の印のバッジではなかったかと思うのです。所有者は、柳沼一人になっていますが、実際には、五、六人で出し合って、パルテノンT号を、購入した。そして、その仲間の印として、同じパルテノンの形のバッジを作って、背広につけていた。そういうことではないんでしょうか?」
と、日下は、いった。
「確かに、ありうるね」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
「三好も、その仲間の一人だったということか?」
と、亀井が、日下に、きく。
「そうです。三好は、バッジだけでは、あき足らず、パルテノンを模様にしたパジャマなど作っていたんじゃないかと思います」
と、日下はいった。
もし、そうだとして、なぜ、ここにきて、柳沼と、三好の二人が、続けて、東京と、岡山の牛窓で、殺されたのか?
もし、それが、二年前の九月十二日の沈没によるとしたら、なぜ、二年もたってという疑問が、生れてくる。
それに、西本や日下の話では、この沈没自体、疑問があるという。
「このヨットのことを、もう少し、詳しく調べる必要があるな」
と、十津川は、いった。
刑事たちが調べ廻った結果、少しずつ、情報が、入って来た。
パルテノンT号は、もともと、アメリカで作られ、東京の輸入会社が、中古で輸入して、販売した。
五年前の十月に、それを、柳沼が、購入した。
新艇なら、六百万くらいの値段だが、中古なので、三百二十万円で、柳沼は、購入している。
その時、繋留《けいりゆう》場所として、千葉県の木更津《きさらづ》近くのマリーナを、柳沼は、契約していた。
三年がたち、柳沼は、岡山県牛窓のマリーナを、新しく契約し、そこへ、木更津から、移動させるために航行中、伊東沖で、沈没したということだった。
「岡山県牛窓のマリーナか」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
柳沼は、同じ牛窓で、殺されている。
これは、偶然なのだろうか?
「問題の展望台から、牛窓のマリーナが、見えるそうです」
と、三田村刑事が、十津川に、説明した。
「すると、彼は、一度は、自分が契約したマリーナを見に行ったということなのかな」
と、十津川は、口に出して、いった。
「かも知れません」
「それで、今、その契約は、どうなってるんだ? 肝心のヨットが、沈没してしまったんだから、当然、解約したんだろう?」
と、十津川は、きいた。
「それなんですが、そのマリーナに電話して、聞いたところ、柳沼は、ずっと、契約して、料金を、払い続けているんです。その中《うち》に、パルテノンU号を購入して、そのマリーナに、繋留するつもりだったのかも知れません」
と、三田村は、いった。
「しかし、二年間だよ」
「そうなんです。二年間、払い続けていたんです」
と、三田村は、いった。
「すると、そのマリーナの、柳沼が契約したところは、二年間、ずっと、空いていたわけだな?」
と、亀井が、きいた。
「そうですが、柳沼は、そこに、ゴムボートを、繋留していたそうです」
「ゴムボートを?」
「ええ。船外機《エンジン》のついた五、六メートルのゴムボートです。マリーナの管理事務所では、本来、ヨットを繋留するところだからと、注意したらしいんですが、柳沼は、間もなく、ヨットを新しく購入するまで、置かせて欲しいと、いい続けていたそうです。海が好きなのでといわれて、事務所の方も、黙認していたといっています」
と、三田村は、いった。
「すると、今も、そこには、ゴムボートは、繋留されているんだな?」
「そうです。もちろん、柳沼が亡くなりましたし、新しい契約が行われなければ、強制的に、撤去されることに、なると思いますが」
と、三田村は、いった。
「何か、すっきりしない話が多いな」
と、十津川は、いった。
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第二章 エーゲ海
正確な人数は不明だが、多分、数人だろう。そのグループは、海が好きで、パルテノンT号というヨットを、持っていた。
彼等は、岡山県牛窓の、マリーナと、契約し、そこに、パルテノンT号を、繋留することにした。
だが、二年前の九月十二日の夜、パルテノンT号は、伊東沖で沈没してしまった。
彼等は、パルテノンU号を、その中《うち》に、購入することにして、牛窓のマリーナは、引き続いて、契約していた。
しかし、今年になって、いや、正確にいえば、今年の夏になって、グループの中の二人が、たて続けに、殺された。
三好功と、柳沼完治である。
三好は、あまり繁盛していない調査コンサルタントの事務所を、大阪市内に、持っていた。
柳沼は、東京で、外食産業「のりしげ」の西新宿の支店長をやっていた。
十津川は、その二人が入っていたと思われるグループを、「パルテノン」という仮称で、呼ぶことにした。
このグループは、何人の人間で、構成されていたのか。構成員の名前を、知りたかった。
三好と、柳沼を殺した犯人は、そのグループ「パルテノン」の中にいるかも知れない。
このグループが、出来たのは、少くとも、四年以上前である。柳沼の妻、昌江は、「四年前の四月に、結婚したが、その時、すでに、彼は、パルテノンのバッジを、持っていた」と、証言しているからである。
三好は、大阪に住み、柳沼は、東京に住んでいた。
問題のバッジを、東京、大阪のどちらで作ったのかは、わからない。或《ある》いは、東京、大阪以外で作ったということも、あり得る。
だが、まず、東京、大阪の二つに絞って、作成した場所を、探すことにした。
大阪の方は、大阪府警に頼み、十津川の方は、都内の記章《バツジ》を作っている業者を、調べることにした。
都内には、小さな会社というか、工房が、沢山ある。
刑事たちは、その一軒、一軒に、当っていった。
大阪でも、同じ捜査が、行われた。
二日目になって、東京の浅草で、問題のバッジを作ったという店が、見つかった。
「あけぼの記章」という町工場で、浅草の仲見世《なかみせ》に、店を出していた。
十津川と、亀井が、すぐ、その店に、急行した。
店には、バッジ類や、記念カップなどが、並べてあった。
店の主人が、十津川の質問に答えて、
「これは、確か、今から、五年前だったと思いますよ。ギリシャのパルテノンの写真を、持って来られましてね。これをデザインしたバッジを作ってくれないかという、ご注文でしたよ」
「来たのは、男ですか、女ですか?」
と、十津川は、きいた。
「三十歳ぐらいの男の人でしたね。確か、ヤギ何とか――」
「柳沼?」
「ああ、そうです。柳沼さんでした。ええ。一人で、来られましたよ」
「注文した箇数は、いくつでした?」
と、十津川は、きいた。
「最初は、十ケでいいと、いわれたんです。うちでは、最低、五十ケは、注文して頂かないと、といったら、五十ケにしてくれました」
と、店の主人は、いう。
「最初に、注文したのは、十ケですか」
だからといって、パルテノンが、十人の人間のグループとは、断定できない。紛失した時の用心に、倍の数を注文したのだとすれば、メンバーは、五人になるからだ。
「五年前のいつですか?」
と、亀井が、きいた。
「確か、暑かった八月じゃなかったかと、思います」
と、店の主人は、いった。
それが正しければ、今、丁度、五年目の夏ということである。
「注文に来た時でも、出来あがったバッジを取りに来た時でもいいんですが、柳沼は、このバッジか、グループのことについて、何か、いっていませんでしたか? こういうグループだとか、なぜ、パルテノンを、バッジにしたのかとかですが」
と、十津川が、きいた。
「さあ。覚えていませんねえ。何しろ、五年前のことですし、口数の少いお客さんでしたから」
「何日で、五十ケ出来あがったんですか?」
「一週間です」
「それは、柳沼が、一週間で、作ってくれと、いったんですか?」
「そうだったと思います。普通は、もっと、時間がかかりますから」
と、店の主人は、いった。
なぜ、柳沼が、急がせたのかは、わからないが、五年前の夏に、バッジが作られたことだけは、これで、わかった。
パルテノンというグループは、もちろん、バッジが、作られる以前に、出来ていただろう。
パルテノンは、どんなグループなのだろうか?
十津川は、そのことに、興味を持った。
パルテノンのバッジを作り、クルーザーを買い込み、牛窓のマリーナを契約していたところをみると、彼等は、海が好きで、パルテノンが好きな人間たちなのだろう。
ギリシャのパルテノンも好きなのだろうが、牛窓の海も好きなのかも知れない。「日本のエーゲ海」が、好きなのかも知れない。
それが、五年間、続いて来た。
ところが、今年の夏になって、彼等の中から、たて続けに、二人の人間が、殺された。
仲間割れなのか。
それとも、外部の人間が、何か理由があって、パルテノンの人間を、殺しているのか。
いずれにしろ、パルテノンの他の会員の名前がわからなければ、捜査を進めようがなかった。
「三好と、柳沼のつながりが、カギですね」
と、亀井は、いった。
「二人が、どんなつながりで、パルテノングループに入ったかということか」
と、十津川が、いう。
「そうです。二人が、どうやって知り合い、パルテノンに入っていったかがわかれば、他の連中も、同じつながり方をしたのだろうという想像がつきますからね」
「三好は、大阪の人間で、柳沼は、東京の人間だ。その二人が、五年前の夏に、何処《どこ》で、何をしていたかが、わかれば、二人が、どうつながったかも、わかってくるな」
と、十津川は、いった。
「三好も、柳沼も、年齢は、同じ三十五歳です。同じ高校、大学の卒業生ということも、考えられました。例えば、東京で殺された三好は、岡山県のS高校の卒業です。もし、柳沼が、同じS高の卒業なら、それが、共通項になりますし、日本のエーゲ海といわれる牛窓に、あこがれる理由もわかってきます。しかし、柳沼は、同年代ですが、S高の出身じゃないんです。柳沼は、山陰、島根県のK高校を出ています。ただ、同じ年代に、高校を、卒業しているところが、似ているんです」
と、亀井は、いった。
「大学は、どうなんだ? 同じ大学じゃないのか?」
と、十津川は、きいた。
「残念ながら、それも違います。三好は、大阪の大学を卒業し、柳沼は、東京の大学です。柳沼の方は、中退しています」
と、亀井は、いった。
「しかし、つながりは、あったわけだろう。あったからこそ、パルテノングループを、作っていたわけだからね」
と、十津川は、いった。
「それも、二人が一致しているのは、趣味ですね。ヨットの趣味が、一致していたので、共同して、パルテノンT号を購入し、牛窓のマリーナに、契約して、そこへ繋留《けいりゆう》していたんだと、思っています」
「とすると、他の連中も、その趣味で、連なっていたと見ていいかも知れないな」
「そうです。パルテノンのバッジも、いかにも、趣味の集りという感じがして仕方がありません」
と、亀井は、いった。
「ヨットの趣味は、別に、悪いことじゃないよ」
と、十津川が、微笑したのは、彼自身が、大学時代に、ヨットをやっていたからである。
今は、仕事にかまけて、ヨットを走らせることもないし、ヨットも、持っていないが、定年後は、|大型ヨット《クルーザー》で、妻の直子と、世界一周をしたいと思うこともある。
捜査一課の仕事をしていると、いやでも、どろどろした人間関係を、のぞき込むことになる。その仕事を、二十年近くやって来たのだ。時々、人間関係ではなく、海という自然との対話、対決を、送りたいと思うことがある。
「その通りです。いい趣味だと思います。それだけに、なぜ、殺人ということになってしまったのか、尚更《なおさら》、私には、興味があるんです」
と、亀井は、いった。
「五年前に、パルテノンというグループを作り、パルテノンT号というヨットを、購入した時は、彼等も、コバルトブルーの海に憧《あこが》れていたんだろうね。海と、日本のエーゲ海が好きなグループだったんだと思うよ。それが、なぜ、五年後に、殺人事件になってしまったのか、私も、カメさんと同じように、興味が、引かれるね」
と、十津川も、いった。
「つまり、連中は、最初は、趣味が同じ人間の集りだったと思うのです」
「二人は、五年前というと三十歳だね?」
「そうです」
「とすると、他の三人か、四人の仲間も、五年前、三十歳ぐらいと、見ていいかね」
「その辺は、わかりませんが、同年齢なら、気が、合うとは、思いますが」
「同じ趣味の者をどんな方法で、集めるかな? そこが、問題だな」
と、十津川は、いった。
「雑誌で、呼びかけたのではないかと、考えたりもするんですが」
と、亀井が、いった。
「雑誌か」
「よくあるでしょう。野球の雑誌なんかで、ジャイアンツファンの人、集りませんかといった、読者のページで、呼びかけたりするのがです」
「ヨットか、海の雑誌で、呼びかけたのではないかということか?」
「そうです。それで、今、五年前の雑誌を調べています。呼びかけた人間の名前が、三好か、柳沼なら、ぴったりなんですが」
と、亀井は、あまり、自信のなさそうな調子で、いった。
刑事たちが、国立国会図書館に行き、五年前の雑誌を、調べた。
調べる雑誌は、海や、ヨットに関係するものにした。
だが、見つからなかった。
刑事たちは、調べる雑誌の範囲を広げて行った。
アウトドア関係の雑誌、それに、牛窓が関係しているということで、旅行関係の雑誌といった具合にである。
どうやら、それが、適中したようだった。
五年前の「日本の旅・世界の旅」八月号に、次の投書を、見つけたからである。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
〈私は三十歳、平凡なサラリーマンです。退屈で無意味な日常から逃がれて、好きな海で遊びたいと思います。外洋まで行けるヨットを買いたいのですが、資金が足りません。同好の士で、出来れば、同年齢くらいの人、五、六人で、集って、ヨットを持ちませんか?
会員番号 160
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]柳沼完治〉
「この会員番号というのは、何だろう?」
十津川は、いい、この雑誌のデスクに電話で問い合わせた。
「日本の旅・世界の旅」社では、年間予約をすると、会員になれ、カレンダーや、手帳といったグッズが、貰《もら》えるのだという。
「うちは、もともと、部数が少いですからね。会員といっても、実数は、三百人くらいです」
と、教えてくれた。
二人は、出版社に行き、五年前の会員名簿を、見せて貰った。
案の定、その中に、三好功の名前があった。
この時の会員数は、四〇二名。名前、住所、電話番号、年齢、それに、趣味も、書き込んである。
この中に、パルテノンの仲間の名前が、あるのだろうか。
二人は、この名簿を持ち返り、年齢三十歳前後の会員の一人一人について、当ってみることにした。
根気のいる仕事だった。
会員の中に、三十歳前後の男女が、多かったからである。
それに、五年の間に、住所や、電話番号が変った者もいる。それも、追跡しなければならなかったし、住所も、全国に散らばっている。
他府県の人間の場合は、その府県の警察に、協力を要請した。
なかなか、作業が、はかどらなかったが、一人の男を見つけ出したことで、急展開した。
その男は、埼玉県|熊谷《くまがや》市に住む、浅井浩という三十五歳のサラリーマンである。
五年前、三十歳だった浅井は、柳沼の呼びかけに応じて、連絡を取ったという。
「それで、東京の新宿のスナックで、第一回目の会合を持ったんです」
と、浅井は、いった。
「その時、何人の人間が、集ったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「八人でした。男が七人と、女が一人です」
「女性もいたわけですか」
「ええ。彼女は、少し若くて、二十五、六歳だったんじゃないかな。名前は、確か、矢野和美といったと思いますね。陽焼けしていて、海が好きだと、いっていましたよ」
「その会合の時、どんなことが、話し合われたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「和気あいあいの空気でしたよ。みんな若いし、海や、旅が好きな連中でしたからね。その時、司会役は、柳沼さんで、みんなで、金を出し合って、|外洋ヨット《クルーザー》を持ちたい。それから、日本のエーゲ海といわれる牛窓のマリーナには、まだ、アキがあるから、そこにヨットを、繋留《けいりゆう》したいという提案がされたんです」
「全員が、賛成したんですか?」
「いや、一人、反対しました。東北の人で、牛窓では、遠すぎるといいましてね。それで、彼は、残念だが、その会には、参加できないと、いいました」
「あなたは?」
「僕は、旅行で、牛窓に行ったこともあったし、悪くないと思って、参加しました」
「すると、七人で、発足したんですね?」
「そうです」
「グループの名前は、パルテノン?」
「ええ。最初は、その名前に、抵抗があるという人もいたんです。海と、ヨットと、旅を愛するグループですからね。パルテノンというのは、ちょっと、おかしいんじゃないかという人もいましたよ。ただ、日本のエーゲ海ということで、パルテノンで、いいんじゃないかということになって――」
「パルテノンのバッジは、貰いましたか?」
「ええ。貰いました」
「しかし、やめたのは、どういう理由だったんですか?」
と、亀井が、きいた。
「クルーザーを購入する時になって、僕は、金がなかったんですよ。無いどころか、借金で、首が回らなくて、自然に、あのグループから、脱落してしまったわけです」
と、浅井は、笑った。
「残りの六人の名前を、教えて下さい」
と、十津川は、いった。
例の会員名簿を見せ、その中から、六人を、指摘して貰った。
柳沼 完治
三好  功
矢野 和美
野村 俊夫
安部 卓郎
村松  豊
この六人ということだった。この中《うち》、二人は、すでに、死亡している。
「残りの四人について、あなたの知っていることを、全《すべ》て、話してくれませんか」
と、十津川は、いった。
「矢野和美は、僕が知っている限り、独身でしたよ。その後、結婚したかどうかは、知りません。明るくて、いつも、元気な印象でしたよ。高校時代、バレーボールをやっていたというだけに、一七二、三センチの背の高さがありました。ただ二十五、六なのに、あまり、色気は、感じませんでした。ただ、正月に、会合があった時、彼女、着物を着て来ましてね。その時は、あれっと思いました。意外に、美人なんだなと、いう感じでね」
と、浅井は、いった。
「野村俊夫は、どうです」
「彼が、一番年長だったと思いますよ。五年前、男は、みんな三十歳から三十一、二歳だったんですが、野村さんだけが、三十七歳だったと、思います。彼は、自分で、東京に野村製菓という会社をやっていましたよ。中小企業だと、自分で、謙遜《けんそん》していたのを覚えています」
「結婚していた?」
「ええ。していました。子供も一人、いたんじゃないかな」
「安部卓郎は、どうですか? 会員名簿によると、名古屋に住んでいることになっていますが」
「自分では、サラリーマンだと、いっていましたね。写真が好きな人間で、会合があると、カメラを持って来て、撮っていましたね」
「最後は、村松豊ですが」
「この人は、よくわからないんです」
「わからないというのは?」
「サラリーマンだといっていましたが、どうも、それらしくなかったからです。言葉遣いは、丁寧だし、世話好きなんですが、どこか、わからない感じでしてね。何か、秘密があるんじゃないかと、思いましたよ」
「もう少し、具体的に、話してくれませんか」
と、亀井が、いった。
「それが、うまくいえないんですよ。今もいったように、表面的には、丁寧で、小まめに、会なんかでは働く人なんですが、心から、打ちとけないみたいなところがあったんです。僕の気のせいだったかも知れません」
「彼は、結婚してたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「自分では、していると、いってましたね。しかし、奥さんのことを、彼は、ほとんど話しませんでしたね。他の二人は、自慢するにしても、こぼすにしても、奥さんのことを、時々、口にしていたんですがね。だから、この、村松という人は、本当は、独身じゃないかと、思いましたよ」
「しかし、なぜ、そんな嘘《うそ》をつく必要があるんですか? 別に、独身でも、グループには、入れるわけでしょう?」
「そうです。だから、彼は、自分が、他の連中に、あまり、信用されてないと思っていて、信用して貰うために、結婚していると、いっていたのかも、知れません」
と、浅井は、いった。
「あなたは、どのくらい、パルテノンにいたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「一年半くらいだと思いますね」
「その間に、他の人たちに、何回、会いましたか?」
「四、五回は、会合に出ていますよ。牛窓にも、一緒に、行っています。他にも、電話をかけあっています」
「その間、パルテノンを、妙なグループだと思ったことは、ありませんか?」
十津川が、きくと、浅井は、変な顔をして、
「海と、ヨットと、旅が好きで、集ったんですよ」
「最初は、そうだったかも知れませんがね。五年たった今では、その中の二人が、相ついで、殺されています」
「しかし、グループの人間が、犯人だと決ったわけじゃないんでしょう? その二人は、個人的な理由で殺されたんじゃありませんか」
と、浅井は、いった。
「しかし、あなたがやめてから、グループが、変質したのかも知れませんよ」
と、亀井が、いった。
「変質ですか? しかし、海と、ヨットと、旅が好きな連中が、殺人まで犯すようになるとは、ちょっと、思えませんがね」
と、浅井は、首をかしげて見せた。
「しかし、村松という男は、得体が知れないと、思っていたんでしょう?」
と、亀井が、きいた。
「そうですが、まさか、殺人までやる人間という気はしませんでしたよ。何か、秘密を持っているなとは、思っていましたが」
と、浅井は、いった。
捜査は、大きく、進展した。
残りの四人を見つけ出して、話を聞けば、自然に、事件の真相が、わかってくるのではないか。そんな期待を、十津川たちは、抱いた。
四人の住所は、五年前に作られた会員名簿によれば、矢野和美、野村俊夫、村松豊の三人は、東京で、安部卓郎は、名古屋だった。
そこで、安部については、愛知県警に捜査を依頼し、他の三人は、西本刑事たちが、手分けして、探し出すことにした。
「もし、この住所に、今も住んでいたら、任意で、出頭させてくれ」
と、十津川は、指示を与えた。
だが、西本たちが出かけて、しばらくして、野村俊夫に会いに行った三田村と、北条早苗が、電話をして来て、
「野村製菓という会社は、潰《つぶ》れてしまって、野村も行方《ゆくえ》不明です」
と、いった。
「倒産か?」
「そうです。野村製菓は、いわゆる駄菓子を、専門に作っていたんですが、次第に、売れ行きが悪くなって、二年前に、とうとう、倒産してしまい、世田谷の工場は、現在、駐車場になってしまっています。野村俊夫も、家族も、行方不明です。五十億円を超える負債を抱えて、姿を消したんだろうということです」
と、三田村は、いった。
矢野和美に会いに行った西本と日下の二人は、そのあとに、電話して来て、
「練馬区|石神井《しやくじい》のマンションには、もう、住んでいません。管理人の話では、二年前に、引っ越したそうです」
と、西本は、いった。
「彼女は、OLだったということだが、勤務先はわからないのか?」
「管理人や、同じマンションの住人に聞いて、彼女が勤めていたのは、池袋にあるN製薬とわかりました。電話で確かめたところ、ここも、二年前に、辞めています。電話では、くわしいことが、わからないので、これから、N製薬に行って来ます」
と、西本は、いった。
村松豊に会いに杉並に行った亀井と田中の二人からも、電話があった。
「会員名簿にあった住所に来ているんですが、村松は、すでに、引っ越してしまっていました」
と、亀井が、いう。
「引っ越先は、わかるか?」
と、十津川は、きいた。
「それが、わかりません。管理人の話では、二年前、夜逃げでもするように、突然、いなくなってしまったそうです」
「彼の評判は、どうなんだ?」
「マンションの住人や、近くの理髪店、すし屋などに当ってみました。それで、少しは、彼についてわかったんですが、村松には、前科があったそうです。彼が、時々、飲みに行く店のおかみの証言なんですが、おれには、前科があると、酔って、村松が、いっていたというのです」
「調べてみよう」
と、十津川は、いった。
「独身だったようですが、女がいたというので、これから、その女を、探して、会って来ます」
と、亀井は、いった。
二時間ほどして、亀井と、田中は、一人の女を連れて、戻って来た。
村松と関係のあったという女だった。名前は、水田あい子。三十歳。新宿のクラブでは、あいの名前で働いている。
亀井は、彼女を、椅子《いす》に座らせてから、十津川に、
「前科のこと、わかりましたか?」
と、小声で、きいた。
「過失致死で、二年の刑を受けている」
「二年ですか」
「ああ。酔っ払って、喧嘩《けんか》をし、相手を、ナイフで刺した。相手は、五時間後に、死亡。村松が、二十三歳の時だ。出所後、新宿のS組にいたこともある。五年前は、自動車修理工場で、働いていた」
「なるほど」
「彼女は、そのことを、知っているのか?」
「前科があることは、知っていたようです」
と、亀井は、いった。
十津川は、椅子を持っていって、女の前に、腰を下した。
「今、私たちは、村松を探している。何処《どこ》にいるか、知りませんか?」
と、きいた。
「あたしも、探してるの」
と、あい子は、いった。
「なぜ、探しているんです?」
「貸したお金を返して貰《もら》いたいのよ」
「どのくらい、貸しているんです?」
「百五十万くらいかしら」
「村松は、それを、何に使うと、いってたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「男の夢」
あい子は、ぼそっと、いった。
「男の夢?」
「そういったのよ」
「そんな、わけのわからない理由で、君は、百五十万も、貸したのか?」
と、亀井が、突っ立ったまま、きいた。
「いいじゃないの。あたしのお金なんだから」
と、あい子は、怒ったように、いった。
「しかし、返して貰いたいんだろう?」
「ええ」
「いつから、村松は、いなくなったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「二年ぐらい前かしら」
「その後、全く、連絡なしか?」
と、亀井が、きいた。
「一度、電話があったわ」
「いつだ?」
「去年の暮だったかな」
「その電話の内容は?」
「それが、変な電話なの」
と、あい子は思わせぶりに、いう。
「さっさと話せよ」
亀井が、怒ったように、いった。あい子は、じろりと、亀井を見上げてから、
「あたしが、お金を返してよって、いったら、もう少し待て、いい返事が出来るって」
「それだけか?」
「ええ。すぐ、切れちゃったわ。あれから、ずっと待ってるんだけど、ぜんぜん、連絡なしよ。いいかげんな嘘《うそ》をついたんだわね」
と、あい子は、いった。
「村松は、よく嘘をつく男だったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「そうねえ」
と、あい子は、ちょっと考えてから、
「それまでは、乱暴で、女に対する思いやりなんかはないけど、嘘だけはつかない男だと、思ってたのよ」
「姿を消す前だが、何か、変ったところは、なかったですか? 何かを怖がってるとか、逆に、はしゃいでいたとかですが」
と、十津川は、きいた。
「怖がってるって感じはなかったわ」
「じゃあ、はしゃいでいた?」
「別に、はしゃいでもいなかったけど、ダイヤの指輪を買ってやろうかとか、ルビーはどうだとか、いってたわ。だから、あたしは、いってやったのよ。そんな、ばかみたいなことをいう前に、お金を返してくれって」
と、あい子は、いった。
「そうしたら、村松は、何ていいました?」
と、十津川は、きいた。
「今は駄目だが、来年の夏になれば、何とかなるって」
「来年の夏というのは、つまり、今年の夏のことなんだが――」
「そうなのよ。いくらか、期待してたんだけど、ぜんぜん、夏になったって、連絡なし。嘘つきよ」
と、あい子は、吐き捨てるように、いった。
「来年の夏になったら、どうして、何とかなるのか、その理由を、いいませんでしたか?」
と、十津川は、きいた。
「いうもんですか。嘘だから、何もいえなかったのよ」
「しかし、どんな都合のいい嘘だってつけたのにね。夢物語みたいな嘘だって」
「だめなの。嘘の下手《へた》な人だから」
と、あい子は、軽蔑《けいべつ》したように、いった。
あい子を、帰したあとで、N製薬に廻《まわ》っていた西本と、日下が、戻って来た。
「これが、矢野和美です」
と、西本が、一枚の写真を、十津川に、示した。
N製薬のマークの入ったバレーボールのユニホームを着た若い女の写真だった。
ショート・ヘアで、きりっとした感じを受ける。
(あまり、色気は感じなかった)
という浅井の言葉を、十津川は、思い出した。
「バレー部の監督と、彼女と一緒にプレーしていたという部員に、話を聞いて来ました」
と、三田村がいった。
「それで――」
と、十津川は、先を促した。
「パルテノンについては、監督も、部員も、知りませんでしたね。ただ、彼女が、ヨットに乗って、世界一周したいというのは、聞いていたようです。N製薬に、もし、ヨット部があったら、バレーボールはやらずに、そちらに入っていたんじゃないかとも、いっていました」
と、三田村は、いった。
「二年前に、N製薬を辞めた時の事情は?」
と、十津川は、きいた。
「これは、当時の上司にも聞いたんですが、とにかく、突然、だったそうです。二年前の十月一日に、突然、都合で、会社を辞めたいといい、退職願を、持って来たというのです。驚いて、上司がきくと、一身上の都合でとしか、いわなかったそうで、上司は、勝手に、結婚でもするのかと、考えたそうです」
と、西本が、いった。
「二年前の十月一日というと、パルテノンT号が伊東沖で沈没した直後だな」
「そうです」
「その後、彼女に会った人間は、いないのか?」
と、十津川は、きいた。
「彼女のことを知っている人間、全部に、当たってみましたところ、一人だけ、いました。同じOLで、矢野和美が、やめてから、一年たって、彼女を見かけたというのです。新幹線の中で」
「新幹線か」
「そのOLは、大学時代の友人たちと、四人で、土、日の連休を利用して、京都へ行くところで、ひかりの車内で、矢野和美に会ったというのです」
「それで、話をしたのか?」
「いえ。向うも、中年の男と、二人連れだったので、遠慮したと、いっています」
「二人は、その時、何処《どこ》まで行ったのかな?」
「その列車は、岡山行のひかりで、京都で降りたとき、矢野和美と連れは、まだ、乗っていたといっています」
「終点の岡山まで行ったのかも知れないな」
と、十津川は、いった。行先は、牛窓だったのではないか。
「その二人の様子は、どうだったんだろう?」
と、十津川は、きいた。
「何か、楽しそうに、話していたとは、いっていましたね。ただ、何を話していたかは、わからなかったと、いっています」
と、西本は、いった。
翌日になって、愛知県警からの報告が、FAXで、届いた。
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〈安部卓郎について、調査結果を、ご報告します。
そちらから知らされたマンションを訪ねたところ、すでに、引っ越したあとでした。引っ越したのは二年前の十月で、区役所を訪ねても、移転先は、不明です。(現在も、その住所から、移転していないことになっています)
管理人、住人などに聞いてみましたが、引っ越先はわかりません。
従って、二年前までの安部卓郎についてだけ、判明したことを、記します。
安部は、岐阜《ぎふ》県|下呂《げろ》の生れで、最終学歴は、名古屋にある市立商業学校卒です。高校時代水泳部に所属し、三年の時、県大会高校の部に出て、四百メートルフリーで、六着になっています。
商業高校を卒業後、K銀行栄町支店に勤務。二年前、行方《ゆくえ》不明になるまで、そこに、勤務していました。
行内での評判は、まじめで、与えられた仕事はきちんとやるという、いわば、優等生タイプだったということです。と、いって、暗い感じではなく、旅行と、カラオケ好きの明るい青年の印象だったと、上司も、同僚も証言しています。
彼のまじめさを買って、彼が二十八歳の時、支店長が、見合いをすすめ、結婚していますが、二年で、離婚しています。子供は、ありません。
二年前、行方不明になる時ですが、その一ケ月前に、銀行には、退職願を出しています。退職金も、受け取っています。
安部は、前記のように、高校の水泳部出身だけに、体力もあり、身長も、一八〇センチ近いのですが、ケンカをしたという話は、聞けませんでした。犯罪に関係していたとは、考えにくいというのが、職場の上司、同僚の証言です。二年前十月のことですが、これも、なぜ、突然、銀行をやめ、行先も告げずに引っ越してしまったのか、不明で、上司、同僚も、思い当ることはないと、いっています。
安部には、母親と、兄が、まだ健在で、母親は、下呂で、小さな土産物店《みやげものてん》をやっており、兄は、名古屋市内の旅行社に勤務しています。この兄は、妻子がおります。母親と兄にも、安部卓郎のことを聞いてみましたが、行先は全く、知らないといい、音信もないということです。
以上の通りです。〉
[#ここで字下げ終わり]
「よく似ているね」
と、十津川は、読み了《お》えてから、亀井に、いった。
亀井も肯《うなず》いて、
「そうですね。二年前に、突然、行方をくらませていますね。それも、十月頃に」
「パルテノンT号が、伊東沖で、沈没した直後ということになる」
「何か関係がありそうですね」
「それに、本当は、沈没したかどうかもわからないといわれているんだ」
と、十津川は、いった。
「そこが、よくわからないんですよ。中古のクルーザーでしょう。沈没したといって、保険金を詐取するといっても、そんなに、大金は、取れません。それに、沈没が嘘だとすると、今、パルテノンT号は、何処に、繋留《けいりゆう》されているんでしょうか? また、そんな嘘《うそ》をついて、彼等に、どんな利益があるのか?」
亀井が、首をかしげている。
確かに、中古のヨットを、嘘をついて、隠しても、利益があるとは、思えないのだ。
「一番、わからないのは、殺された二人以外の四人が、いずれも、二年前に、行方をくらませてしまっていることだよ。これは、いったい、どういうことなのかな?」
と、十津川は、いった。
「殺されてしまっているんじゃないでしょうね」
と、亀井が、物騒なことをいう。
「二年前にか?」
「ええ」
「それはないよ。現に、その中の一人、村松は、去年、女に、電話をかけて来て、来年の夏までには、金が出来るみたいなことを、喋《しやべ》っているんだ」
と、十津川は、いった。
「そうでしたね」
「もう一つ、おかしいのは、殺された二人は、他の四人と違って、行方をくらませていないんだよ。三好は、大阪で、売れないコンサルタントをやっていたし、柳沼は、東京で、外食産業で働いていたんだ。他の四人と、この二人の違いは、何だったのかな?」
「三好と、柳沼は、二年前の十月に、失踪《しつそう》しなかったから、今年になって、殺されたんでしょうか?」
亀井は、自問するように、いった。
「もし、そうだとすると、パルテノンというグループは、ひどく妙な団体ということになってくるね。六人が、二つに分れて、片方は、一斉に、姿を消し、もう片方は、現在の生活を続けてきた。そして、後者二人は、相ついで、殺されている」
「二つのグループの間に、何かあったんでしょうか?」
「どうかな。もう一つ、このグループは、五年前に生れている。その後、三年間は、別に、おかしいところはなかったんだと思う。パルテノンのバッジを作り、ヨットも購入し、岡山の牛窓のマリーナを借りた。いかにも、海と、ヨットと、旅が好きなグループの活動という感じだよ。それが、二年前に、突然、変身した」
「ええ。ヨットの沈没のあとです」
「しかし、そんなことで、グループが、変な具合になるかね? また、金を貯めて、中古のヨットを購入すればいいんだからね」
と、十津川は、いった。
「その通りです。一人前の男女が六人。金を出し合えば、何とか、中古のヨットは、買えた筈《はず》だと、思いますね。それなのに、牛窓のマリーナは、ちゃんと、確保しておきながら、二隻目のヨットは、購入していません。二年間もです。海と、ヨットと、旅が好きなグループとしては、おかしいと、私も、思います」
と、亀井は、いった。
「問題は、やはり、二年前の九月に起きたという、伊東沖での、パルテノンT号の沈没ということになってくるねえ」
「そうなんです」
「とにかく、この遭難というのを、くわしく調べてみよう」
と、十津川は、いった。
しかし、調べれば、調べるほど、この遭難は怪しくなってくるのが、わかった。
柳沼所有のパルテノンT号は、二年前の九月十二日の午後四時過ぎに、千葉県のKマリーナを出港したことは、わかっている。
出港する時、何人かが、目撃しているからである。
その時、パルテノンT号には、五、六人が、乗っているのが、目撃されていた。
行先は、岡山県牛窓のマリーナ。
だが、その二日後、柳沼は、九月十二日の夜、伊東沖八キロの海上で、船底に穴があき、浸水のため沈没と、海上保安庁に、連絡した。
遭難信号を出さなかったのは、無線機が、故障していたためと、弁解した。
海上保安庁では、詳しい報告書を出すように、指示したが、柳沼は、いまだに、提出していない。
海上保安庁で調べたところ、当日は、夜に入っても、波は穏やかで、風速は、海上で、五、六メートル。遭難するような天候ではなかった。
その上、柳沼は、最初、自分ひとりで、航行していたといい、後になって、友人五人と、計六人で、航行していたと、訂正している。
「それで、この遭難自体、嘘ではないかという噂《うわさ》が、立っているわけです」
と、亀井は、いった。
「すると、また、疑問は、元に戻ってしまうねえ。もし、嘘なら、なぜ、そんな報告を、海上保安庁にしたかという疑問だよ」
と、十津川は、いった。
「そうなんです。その時、沈没していなければ、パルテノンT号艇は、今、何処にあるのかという疑問にも、戻ってしまいます」
と、亀井は、いった。
十津川は、疑問を、黒板に、書きつけていった。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
@二年前の九月十二日のパルテノンT号の遭難は本当なのか? もし、本当でないとすれば、そんな嘘を作った柳沼たちの目的は、何なのか?
Aパルテノンの六人の中、四人が、失踪し、二人が、失踪しなかった理由は、何なのか?
Bその二人が、今年になって、殺された理由は、何なのか? 犯人は、失踪している四人なのか?
C失踪した四人は、今、何処で、何をしているのか? それとも、この四人も、すでに、殺されてしまっているのか?
Dパルテノンの遭難と、四人の失踪は、関係があるのか? あるとすれば、どんな関係があるのか?
Eパルテノンというグループが生れてから、五年。パルテノンT号が遭難した(或《ある》いは遭難したとされた)時から二年たって、今、なぜ、三好と、柳沼は、殺されたのか?
[#ここで字下げ終わり]
書き終えて、十津川は、チョークを置き、自分の書いた文字を見ながら、煙草に火をつけた。
「三年間――」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
「三年間、彼等の間には、何もなかった。六人は、平凡な生活の中で、海と、ヨットと、旅を楽しんでいたと思う。中古だが、全員で、クルーザーを手に入れ、きっと、休日には、一緒に、そのヨットに乗って、クルージングを楽しむか、楽しむ計画を立てて喜んでいたんだと思うよ。どこにでもいるサラリーマンや、OLや、自営業者の集りだったんだ。ところが二年前、突然、事態は、変ってしまった。グループの中の四人は、姿を消してしまった。更に、二年たって、残りの二人が、東京と、牛窓で、殺された」
と、十津川は、声に出して、いった。
亀井は、コーヒーをいれながら、十津川のいうことを聞いている。
彼は、コーヒーをいれてから、
「金ですかね!?」
「金?」
「ええ。失踪した四人の中の一人は、今年の夏になったら、大金が入るみたいなことを、電話で、女にいったわけです」
「ああ、そうだったね」
「一つのグループが、崩解するのは、たいてい、金が、絡んでいます。それは、想像でしかありませんが、二年前に、彼等の間に、突然、大金が入るようなことが、あったんじゃないでしょうか。その大金をめぐって、理由はわかりませんが、四人は姿を消した。そして、今年の夏になって、金のことで二人が、殺された。どうも、うまく、説明できませんが」
と、亀井は、いった。
十津川は、亀井のいれてくれたコーヒーを、口に運んだ。そのあと、新しい煙草に火をつける。
「大金が、全《すべ》ての原因というのは、可能性があるね。六人とも、大金持ちというわけじゃないし、資産があるとも思えないからね。地位が高い人間もいない。といって、エリートサラリーマンもいない。ここに、億単位の大金があれば、カメさんのいう通り、その取り合いでグループは、崩壊し、殺人が起きるだろうと思うね」
「その大金と、二年前のパルテノンT号の遭難と、どう関係してくるんでしょうか? そこが、どうも、わかりません」
と、亀井は、いった。
「失踪した四人の、誰か一人でも、見つかればな」
と、十津川が、歯ぎしりするように、いった。
「新聞に協力して貰《もら》って、四人の名前を出し、出頭して、捜査に協力してくれるように、呼びかけますか?」
と、亀井が、きいた。
「――――」
十津川は、黙って、コーヒーを飲み干し、煙草をくわえて、考え込んだ。
亀井も、黙って、黒板の文字を、見つめた。
「それは、止《よ》そう」
と、十津川は、いった。
「駄目ですか?」
「三好と、柳沼を、四人が殺した証拠は、今のところ、何もないんだ。それに、新聞に彼等のことを、発表したら、彼等は、ますます、姿を隠してしまうかも、知れないからね」
と、十津川は、悲観的ないい方をした。
「しかし、新聞の協力を仰がずに、四人を、探すとなると、大変ですよ。何しろ、二年前から、姿を消しているんですし、今、四人が、生きているかどうかも、わからないわけですからね」
と、亀井は、いった。
「カメさんと二人で、牛窓に行ってみるか」
十津川は、煙草を消して、亀井を見た。
「向うへ行けば、何かわかるでしょうか?」
「それは、行ってみなければ、わからないよ」
と、十津川は、笑った。
十津川は、三上本部長に、二人で、牛窓に行きたいことを話し、その許可を受けて、翌日、新幹線で、岡山に向った。
岡山県警も、今のところ、捜査は、壁にぶつかっている。
十津川は、向うで、事件の担当者に会い、パルテノンの六人について、話し合いたいと、思っていた。
東京を出る時は、小雨が降っていたが、二人の乗ったひかりが、西に進むにつれて、晴れて来て、姫路《ひめじ》を過ぎる頃には、強烈な太陽が、窓から射し込んできて、窓際に腰を下していた十津川は、あわてて、カーテンを引いた。
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第三章 海とゴムボート
岡山で、列車を降りる。
県警の方には、電話しておいたので、こちらの捜査を担当している半田警部が、ホームに、迎えに来てくれた。
半田は、三十七、八歳だろう。陽焼けした顔で、十津川たちを迎え、待たせてあるパトカーに、案内した。
「すぐ、現場を見られますか?」
と、半田は、きいた。
「そうして下さい。それに、牛窓全体を見てみたいと、思っています」
と、十津川は、いった。
車が走り出すと、半田は、
「暑いでしょう」
と、いい、クーラーを強くした。
車内に、冷気が流れる。汗が引っ込む感じだったが、窓ガラス越しに射《さ》し込んでくる陽射しは強烈で、また、暑くなった。
「日本のエーゲ海という呼び方は、どうですか? ぴんと来ますか?」
と、亀井が、半田にきいた。
「そうですねえ。私は好きですが、年輩の人の中には、ぴんと来ない人もいますよ。何しろ、昔は、漁港だったところですからね。そこに、今は、ヨット・ハーバーが、出来て、オリーブが植えられ、カタカナの名前が、多くなっているんだから、違和感を持つ人がいても、おかしくはないんです」
と、半田は、笑顔で、いった。
海が、見えてくる。コバルトブルーの海は、きらきら光っていた。
いぜんは、漁港だったというだけに、古さと新しさが、入り混っている感じの景色が続く。
それが、十津川には、意外だった。日本のエーゲ海という言葉から、どうしても、ヨットの浮かぶ近代的なマリーナや、洒落《しやれ》たレストランなどが、頭に浮かんでしまうのだが、実際に来てみると、古い景色が、まだ、沢山、残っているのが、わかった。
漁港の面影が残っているし、洒落た店は、少いのだ。「日本のエーゲ海」という名前だけが、先行してしまって、ハードウェアが、まだ、追っつかないのだろう。
パトカーは、殺人事件のあった丘に向って、坂道を登って行く。
その途中に、盛んに、オリーブの樹が植えられている。まだ、小さな苗木も、たくさん見られた。これも、日本のエーゲ海へと、急ぐ試みなのだろう。
別荘地も、売りに出されているが、これもバブルの崩壊を、もろに受けて、空いたままに残っている土地が、眼につく。
展望台に着いた。
十津川たちは、車から降りた。くらくらするような、強い陽射しである。
十津川は、持って来たサングラスをかけた。
(なんだか、未完成の原っぱという感じだな)
と、十津川は、思った。
広い駐車場といえば、いえなくもないが、まだ、何の設備も出来ていない台地が、駐車場に使われている感じだった。
その隅の方に、コンクリートの、食堂と、土産物屋を兼ねたような建物が、ぽつんとあるだけだった。
海側の方へ歩いて行くと、瀬戸内《せとうち》の海が、一望できる場所に出た。
ゆるい崖《がけ》になっていて、海岸沿いの町並みが見え、その向うに、海が、ひらけ、瀬戸内に浮かぶ島々が、連なっている。
右の方に、ヨット・ハーバーも見える。
お金を入れると見える望遠鏡も、並んでいる。観光地としても、発展途上の感じだった。
「柳沼は、ここへ車で来て、ここから、海を見ようと思っていたんだと思いますね」
と、半田は、いった。
「きれいな海ですねえ」
十津川は、サングラスを取り、感嘆しながら、海と、そこに点在する島々に眼をやった。
牛窓と呼ぼうが、日本のエーゲ海と呼ぼうが、ここの海が、美しいことに、変わりはない。
「海を見て、何をする気だったんですかね?」
と、亀井が、いった。
「右端に、ヨット・ハーバーが見えますね。あそこに、柳沼は、契約していたんです。いや、今でも、まだ、その契約は続いています。今年一年の契約料は、払っていますから」
と、半田は、指さして、いった。
「肝心のパルテノンT号は、沈没してしまったので、今は、ゴムボートが、繋留《けいりゆう》されているわけですね?」
と、十津川は、きく。
「そうです。かなり大きなゴムボートですよ。あとで、そこへ、ご案内します」
「ここから、見えますか?」
と、亀井が、きいた。
「見えるかなあ」
と、半田は、手をかざすようにして、ヨット・ハーバーを見すえていたが、
「見えませんね。ここからでは、かげになったところだと思います」
「じゃあ、柳沼は、海と島を見に来たんだろうか?」
十津川は、自問するように、呟《つぶや》いた。
「私は、ここで、誰かに会おうとしたんだと、思っているんですよ。その相手が、犯人だったのではないかとも考えています」
と、半田は、いった。
確かに、その可能性が強いかも知れない。柳沼の方は、自分が殺されることなど、ぜんぜん考えもせずに、ここにやって来た。だが、相手は、最初から、殺すつもりで、ナイフを用意していた。そんなところなのかも知れない。
次に、問題のヨット・ハーバーに向った。
「牛窓マリーナ」という名前がついていて、ヨットが、何隻も、繋留されている。
半田の案内で、海に突き出された桟橋を歩いて行った。
ヨットの間に、くすんだゴムボートが、浮かんでいるのは、異様な光景だった。
七、八人は乗れる大きさのボートで、立派な船外機《エンジン》がついている。
「これです」
と、半田は、いい、木の桟橋に屈《かが》み込んで、ゴムボートを見ていたが、
「おかしいな」
と、急に、首をかしげた。
「何がおかしいんですか?」
と、十津川は、きいた。
「昨日も、ここに、このゴムボートを見に来たんです。午後六時頃です。その時は、乾いていて、海水なんか、一滴もついていなかったのに、ごらんのように、海水で、ぬれているし、船底に、溜《たま》っています」
と、半田は、いった。
なるほど、船内に、海水が、かなり溜っている。
「誰かが、動かしたということですね」
十津川は、眼を光らせた。
誰かが、このゴムボートを走らせたのだ。波しぶきが、降りかかり、それが、船底に溜ったのだろう。
十津川たちは、このマリーナの管理事務所に行き、ゴムボートに、昨日の午後六時以降、誰かが、乗らなかったかと、聞いてみた。
「わたしの知っている限りは、ありませんよ。しかし、夜の間は、わたしも、ここにいませんから、誰かが、入り込んで、あのゴムボートを動かしたかも知れません」
それが、返事だった。
「この犯人は、かなり限定されますね」
と、半田が、いった。
このマリーナに、ゴムボートがあることを知っている人間ということになる。
まず、浮かんでくるのは、パルテノングループの、残りの四人のことだった。
この四人なら、ゴムボートのことを、当然、知っているだろうし、自分たちのボートだから、動かす権利もある。
今日、明るくなって動かしたのなら、管理事務所の人間が、気付くだろう。
と、すると、半田が、昨日の午後六時に、ここに来たあとということになる。
昨日の夜から、今日の夜明けまでに、ゴムボートを動かしたのだ。
そして、戻しておいた。
「夜の瀬戸内で、何をしていたんですかね?」
と、亀井が、いった。
「夜の瀬戸内も、美しいと思いますが、まさか夜景を見たくて、ゴムボートに乗ったとは思えませんね」
と、半田は、いった。
十津川は、手帳を取り出して、パルテノン六人の名前を、見た。
二人が殺されて、あと四人。男三人に、女が一人である。
この四人の誰かが、昨夜から、今朝にかけて、ゴムボートを動かしたのだろうか。
昼間、それをしなかったのは、柳沼と、三好が殺された事件で、自分たちが、追われていると、知っているからだろうか?
とにかく、誰かが、夜、このマリーナに忍び込み、ゴムボートを動かして、何かしたのだ。
一人かも知れないし、二人以上かも知れない。
十津川たちは、ゴムボートに乗り込み、船外機《エンジン》をかけて、マリーナを離れた。
波もなく、海は、穏やかである。
三人を乗せたゴムボートは、滑るように、走り出した。
スピードをあげると、波しぶきが、かかってくる。それも、暑さの中では、爽快《そうかい》だった。
この辺り、四国にかけて、いくつもの島が、重なり合うように、点在している。
ゴムボートは、その島々の間を、時間をかけてめぐって行く。
気分はいいが、同時に、いらだちも感じてくる。昨夜、このゴムボートが、何処をどう走ったか、わからないからである。
三人は、マリーナに戻った。それと入れ違いに、二隻のヨットが、出港して行く。
十津川は、桟橋に、飛びあがってから、ゴムボートを振りかえって、
「あまり、溜っていませんね」
と、いった。
「え? 何です?」
と、半田が、きく。
「海水ですよ。あれだけ走り廻ったのに、海水があまり入らなかったみたいで、乗る前に溜っていたのと、ほとんど変っていない」
と、十津川は、いった。
「なるほど」
「昨夜は、海が荒れていたんですか?」
「いや、ここ四、五日、ずっと、凪《な》いでいますよ」
「それなら、今日と同じくらいの水しぶきを浴びただけだと思いますがね。でも、今日は、ボートの中に、あまり、海水が、溜っていない」
と、十津川は、いった。
「そうですね。今までに溜っていた海水の方が、多いくらいだ。どういうことですかね?」
半田も、首をかしげている。
「昨夜、何者かが、このゴムボートを動かした。その時に、乗った人間が、多かったんじゃありませんか? われわれは、今、三人で乗って来ましたが、昨夜の犯人が、四人以上で乗っていたとすれば、ボートが、低く沈み、海水が、溜る量は、多くなると思いますが」
と、亀井が、いった。
「例の生き残りの四人、全員が、乗ったということですか?」
と、半田が、きく。
「ええ」
「しかし、人間一人が増えたくらいで、溜る海水が、こんなに違うものですかね?」
半田が、また、首をかしげた。
「一人ぐらいじゃ、違いませんかね」
と、亀井もいう。あまり、自信がないようだった。
「それに、昨夜は、あまり多人数は、乗らなかったんじゃないかと思います。多人数が乗ったとすると、目立って発見されやすいですからね。いかに夜といっても、月明りはあった筈《はず》ですから」
と、半田は、いう。
「しかし、一人か、二人で動かしたのなら、余計、ボートの吃水《きつすい》は低くなって、波しぶきが、入り込むことは、少くなるんじゃありませんか?」
今度は、亀井が、疑問を投げかけた。
十津川は、その間、じっと、考え込んでいたが、
「乗っていた人数は少かったが、何か重い物をのせて運んだんじゃないですかね」
と、いった。
「重い物をですか?」
と、半田が、きく。
「そうです。半田さんのいう通り、深夜に、多人数で、ゴムボートを動かせば、嫌でも、目立ちます。だから、私も、一人か二人で、動かしたんだと思います。だが、それでは、ボートの底に、波しぶきは、溜らない。それが、溜っていたということは、何か重い物を運んだので、吃水が高くなり、海水が、溜ってしまったと考えるのがいいんじゃありませんか」
と、十津川は、いった。
亀井と、半田の考えを、折衷した考え方だった。
「しかし、十津川さん。犯人は、いったい何を運んだんですか?」
と、半田が、きいた。
十津川は、笑って、
「ぜんぜん、わかりません」
と、正直に、いった。
ここから、何処かへ運んだのか、逆に、どこかから、ここへ、運んで来たのかも、わからない。
だが、十津川は、ゴムボートで、何かを運んだことは、間違いないという、確信を持った。
十津川たちは、いったん、岡山市内に置かれた捜査本部に行き、本部長に、あいさつしたあと、また牛窓に戻り、海岸近くのホテルに、入った。
まだ新しいホテルで、部屋の窓から、例のヨット・ハーバーが、見えた。
「ゴムボートを動かしたのは、例の四人と、思われますか?」
と、窓の外に、眼をやりながら、亀井が、きいた。
陽が、沈もうとしていた。
「他の人間が、あのゴムボートを勝手に動かすとは、考えにくいよ。とにかく、ボートは、パルテノングループの持ち物なんだから」
と、十津川は、いった。
「四人が乗れば、夜でも目立つということで、その中の一人か、二人が、動かしたとなると、他の人間は、何をしていたかという疑問が残りますし、何を運んだかという疑問もありますし――」
「それなんだが、連中は、昨夜だけでなく、時々、あのゴムボートを、動かしていたんじゃないだろうか?」
「何のためにですか?」
「それは、わからないが、あのゴムボートが、場所取りだけに使われていたとは、思えないんだよ」
「それは、前から、疑問になっていましたね。もともと、連中は、中古のヨット、パルテノンT号艇を買っていたわけですから、U号艇も、中古で買えばいいんだし、お金を出し合えば、すぐにでも買えた筈だし、それなのに、ゴムボートを繋《つな》いでおくのは、おかしいということでしたからね」
と、亀井が、いう。
「そうなんだ。だから、連中は、ゴムボートを、必要があって、あのマリーナに、繋いでおいたと考えた方が、理屈に合っているんだ」
と、十津川も、いった。
「何かを運ぶためにですか?」
「昨夜は、少くとも、何かを運んだと思うね」
「しかし、ゴムボートを繋いでから、二年たっています。その間、ずっと、夜、何かを運んでいたとは、思えませんが――」
と、亀井が、いう。
十津川は、笑って、
「それは、そうさ。二年間、毎日のように、ゴムボートで、何かを運んでいれば、いやでも目立つし、噂《うわさ》になるよ」
「すると、何かを運んだのは、最近になってからと、思われますか?」
「もちろんだ」
「それまで、何に使っていたんでしょうか?」
「カメさんは、どう思う?」
十津川は、逆に、聞いた。
「そうですねえ。ボートだから、乗る以外には、使いようがないわけだから、乗って、海上を走らせる目的でしょうが、ゴムボートで、ヨットのように、外洋には、出られません。だから、あのマリーナの周辺を、移動するためでしょうが」
と、亀井は、いった。
「伊豆沖には、あのゴムボートでは、いけないな」
と、十津川。
「ええ。無理でしょう。行けないことはないでしょうが、ゴムボートでという話は、聞いたことがありません。もし、どうしてもというのなら、ゴムボートを、たたんで、車で運んで行って、伊豆で、乗り込んだ方が、早いですよ」
「それなら、やはり、牛窓周辺の海を走り廻るためだよ」
「今日のように、瀬戸内の島めぐりですか?」
と、亀井が、いった。
笑いながら、いったのは、そんなことのために、毎月使用料を払って、ゴムボートを、マリーナに繋留しておくとは、考えにくいと、思ったからだろう。
だが、十津川は、真面目な顔で、
「案外、カメさんのいう島めぐりが目的で、連中は、ゴムボートを、所有していたのかも知れないよ」
と、いった。
「しかし、連中は、もともと、ヨットが好きで、金を出し合って、中古のパルテノンT号を買い、あのヨット・ハーバーを、借りたわけでしょう。それが、急に、ゴムボートでの島めぐりに、宗旨がえをしたというのが、わかりません。ゴムボートの島めぐりは、ヨットとは、ぜんぜん違いますからね。警部なら、よく、おわかりでしょう? 大学で、ヨット部におられたんだから」
「よくわかるよ」
「それなら、なぜ、急に、趣味が変ったんでしょうか? 普通なら、何とかして、次のヨットを買う筈なのに」
と、亀井は、いった。
陽が沈み、夜が、海を包み始めた。
十津川が頼んでおいたコーヒーを、仲居が、運んできてくれた。
二人は、そのコーヒーを飲みながら、話を続けることにした。
「全てが、二年前の遭難に始っているんだと思っている」
と、十津川は、コーヒーを前に置いて、いった。
「伊豆沖の遭難ですか」
「ああ」
「あれは、どうも、うさん臭い事件という感じがして仕方がないんですが」
亀井は、そういって、コーヒーを、口に運んだ。
「私だって、怪しいと思っている」
と、十津川も、いう。
「では、遭難は、嘘《うそ》だと、思われるんですか?」
「多分ね。ただ、動機がわからない。パルテノンT号が、不要になったのなら、安く売ってしまえばいいんだからね。それなのに、何故、わざわざ、伊豆沖で、沈んだことにしたのか」
「保険じゃありませんか?」
「多額の保険をかけておいて、沈んだことにし、保険金を、手に入れたということかい?」
「そうです」
「だがね、中古のヨットに、多額の保険は、かけられないだろ。千万単位の保険金なんか、とても無理だったと思うね。百万、二百万の金で、二年後、殺し合ったとは、思えないんだ」
と、十津川は、いった。
「確かに多額の保険金というのは、無理ですね」
「もう一つ。もし、遭難がウソだとすると、それなら、パルテノンT号は、今、何処にいるのだろうかという疑問が起きてくるよ」
と、十津川は、いった。
「そうですね。実際には、沈んでいないのなら、今も、何処かに、浮かんでいる筈ですね」
「そうなんだ。何処かに、浮かんでいる筈だよ。それに、何のために、そんな面倒くさいことをしたのか」
十津川は、小さく首を振った。自分でも、答が見つからないいらだちが、そんな仕草をさせたのだろう。
自分で、自分の船を沈めるといえば、たいていは、保険金目当てと決っている。
だが、中古のヨットでは、多額の保険金は無理である。
と、すると、沈んだことにして、実際には、沈んでいないと、考えるのが、自然だろう。
「最初は、海とヨットの好きなグループだった筈ですよね」
と、亀井が、いった。
「そうなんだ。好きなものが集って、パルテノンというグループを作り、中古のヨットを買い、牛窓のマリーナと契約し、本当に、グループで、海とヨットを、楽しんでいたんだと思うよ」
「それが、なぜ、殺人にまで突き進んでしまったのか。どんなことが、考えられますかね?」
「正直にいって、見当がつかないが、二年前の、事故が、理由になっているらしいということだけは、わかるね。事故というより、事故に見せかけたといったらいいのかも知れないが、とにかく、その時から、このグループは、海とヨットが好きなだけの仲間ではなくなってしまったんじゃないかな。そして、それが、最後は、殺人にまで、発展してしまった――」
「しかし、二年間、何事もなかったように見えますが」
「それで――?」
「もし、このグループが、二年前に変質したとすると、その後、今までの間に、何か起きていなければならないような気がするのです。しかし、二年間、何も起きなかったのが、不思議でならないのです」
「本当に、何も起きなかったのだろうか?」
と、十津川は、自問するように、いった。
「何かあったと、お考えですか?」
「そうだ」
「しかし、少くとも、殺人は、起きなかったと思いますが」
「そうなんだがね――」
十津川は、考えてしまう。グループの中で、何か起きていたに違いないと思うのだが、それが、何なのかわからない。しかし、その何かが、次第に、ふくらんでいって、二つの殺人が、起きたに違いないのだ。
「何とか、パルテノンT号艇を見つけられないかねえ」
と、十津川は、いった。
「難しいですね。艇名を消して、別の名前を書いていたりすれば、見つけるのは、大変です。とにかく、今、ヨットが、やたらに多いですから」
亀井が、溜息《ためいき》まじりに、いう。
「三つ、調べなければならないことが、出来たね」
と、十津川は、いい、ホテルの便箋《びんせん》を使って、そこに、書きつけていった。
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@二年前の遭難時期に、何か事件が起きていないか
Aその後、今までの二年間に、パルテノングループに、何か変ったことがなかったか
B沈んだと称するパルテノンT号艇を、何とかして、見つけ出すこと
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「もちろん、二人の男を殺した犯人を見つけ出さなければいけないんだが、そのためには、この三つの疑問に対する答をまず、見つけなければね」
と、十津川は、いった。
伊豆沖で、パルテノンT号が沈没したことになっているのは、二年前の九月十二日である。
この頃、何か事件は、起きていないか。それを調べるために、翌日、十津川と、亀井は、岡山の市立図書館に行き、当時の新聞を、調べてみることにした。
それは、大きな事件でなければならない。何しろ、二人の人間が殺されているからだ。
そして、当然、今も、未解決の事件でなければならない。
二人は、当時の新聞縮刷版を、一ページずつ、慎重に、見ていった。
根気のいる仕事だった。
だが、これという事件は、なかなか、見つからなかった。
二年前の九月は、何もない。二人は、上下に、一ケ月ずつ、広げていった。八月と、十月である。
だが、これといった事件は、起きていなかった。
更に、七月と、十一月に、範囲を広げて、二人は、新聞を、読んでいった。
眼が疲れてくると、二人は、館内の喫茶室で休み、コーヒーを飲んだ。
「なかなか、見つかりませんねえ」
と、亀井が、いう。
「別に調べてない時は、やたらに、大事件が起きているような気がするんだが、探すとなると、意外に、世間は、平穏無事なんだよ」
と、十津川は、苦笑した。
一休みしてから、再び、新聞の縮刷版に、眼を通す作業を始めた。
十五、六分した時、亀井が、
「これは、どうですか?」
と、十津川に、声をかけてきた。
十一月十八日の夕刊だった。
〈時価二億円の金塊盗まれる!〉
それが、見出しだった。
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〈財団法人あけぼの会で、所有していた時価二億円の金塊が、盗まれていることが、判明した〉
[#ここで字下げ終わり]
「だが、伊豆沖の遭難は、九月十二日だよ。その二ケ月後に、起きた事件に、関係があるということは、考えにくいんじゃないかな」
「大丈夫です。最後まで、読みますと、財団法人あけぼの会は、金塊が盗まれても、すぐ、警察に届け出ず、二ケ月後になって、はじめて届けたとあります。そのため、警察は、怒ったとも、書いてあります」
と、亀井は、いった。
十津川が、読んでみると、なるほど、二ケ月もたってから届けたことに、警察は、戸惑い、不快感を隠していないと、書いてある。
「場所は、千葉県の君津《きみつ》市か。財団法人あけぼの会というのは、どんな会なんだろう? 二億円もの金塊を持っていたというから、金でも扱っている会なのかね?」
「すぐ、東京の西本たちに、調べさせましょう」
と、亀井は、いい、図書館内にある公衆電話を使って、西本に、連絡をとった。
「財団法人あけぼの会だ。至急、調べてくれ。千葉県君津市内にあるらしい」
と、亀井は、電話で、指示した。
そのあと、二人は、ホテルに戻った。
「パルテノングループが、二億円相当の金塊を盗んだというわけですか?」
ホテルに入ってから、亀井が、いう。
「二億円なら、殺し合いの動機になるよ。それに、九月十二日に、遭難したと報告した時、連中は、千葉県のKマリーナから、出発しているんだ。問題の君津の近くだよ」
と、十津川は、いった。
「二億円相当の金塊といったら、百五十キロぐらいの重さがあるんじゃありませんか」
「そうだろうね」
「運べますかね?」
「六人全員が、力を合わせれば、運べるさ。Kマリーナまで運び、ヨットに積み込む。案外、簡単だったかも知れないよ」
と、十津川は、いった。
「積み込んで、二年前の九月十二日に、Kマリーナを出港。その日の夜、伊豆沖で沈没というストーリィですか」
「もし、これが当っているとすると、ますます、遭難は、怪しくなるね」
と、十津川は、いった。
「遭難したと見せかけて、パルテノンT号は、何処へ行ったんでしょう?」
「普通に考れば、この牛窓のマリーナに向ったとなるんだろうがね。しかし、肝心のマリーナに、パルテノンT号艇の姿はない」
「代わりにあるのは、ゴムボート一隻ですよ」
と、亀井が、いった。
「その通りなんだが――」
と、十津川は、語尾を濁して、考えていたが、急に、眼を光らせて、
「あのゴムボートが、ヒントかも知れないな」
と、いった。
「ゴムボートが、どうして、ヒントなんですか?」
と、亀井が、きく。
「問題の金塊を、少しずつ、どこかへ運んでいるとすれば、ゴムボートは、有力な運搬手段となってくるじゃないか。連中は、そのためにゴムボートを買い込んで、不審がられながらも、マリーナに繋留《けいりゆう》していたのも、そのせいだと思うね」
と、十津川は、いった。
「もし、警部のいわれる通りだとすると、金塊が隠してある場所は、ゴムボートで、行ける範囲だということになってきますね。つまり、あのマリーナから、そんなに遠くない場所ということにです」
と、亀井は、いった。
「その通りだ」
と、十津川は、肯《うなず》き、窓のところに行き、外を眺めた。
あのマリーナが見え、コバルトブルーの海が広がり、そして、瀬戸内につながる島々が、見える。
その島々の向うは、四国である。
「この見える範囲かも知れないな」
と、十津川は、景色に眼をやったまま、いった。
「ゴムボートで、島めぐりみたいなことを、して来ましたが、あの何処かということですか?」
亀井が、十津川の傍《そば》へ来て、同じように、海に眼をやって、いった。
「かも知れないし、私たちが行かなかった場所かも知れない」
と、十津川はいった。
「明日、県警に頼んで、あの周辺を、しらみ潰《つぶ》しに、調べてみようじゃありませんか。いくつもの島の何処かに、二年前に奪われた二億円相当の金塊が、隠されているかも知れませんよ」
と、亀井は、宝探しをする子供のような眼をして、いった。
「宝探しか」
「そうです。宝探しです」
と、亀井は、いう。
「果たして、県警が、信じるかな?」
「信じなければ、私たちだけで、探しましょう。とにかく、あのゴムボートの行動範囲なら、見つけるのは、そう難しいことじゃないと思いますね」
亀井は、笑顔で、いった。
翌日。朝食をすませた頃、東京の西本から、電話が入った。
「財団法人あけぼの会について、わかったところまで、取りあえず、報告します」
と、西本は、いった。
「話してくれ」
「この財団法人は、千葉県選出の石田健作という政治家が、財団の理事長になっています」
「石田健作なら知っているよ。国務大臣をやったことのある人だ。いろいろと、金に絡む噂《うわさ》の絶えない人でもある」
「その通りです。財団の目的は、二十一世紀の日本の経済発展はいかにあるべきかの、研究です」
「その、あけぼの会が、なぜ、大量の金塊を持っていたんだ?」
と、十津川は、いった。
「土地神話も崩壊したし、経済の急速な発展も、これからは、望めない。預金の利率も、低いままに、推移するだろう。そういう時代には、金が、経済の基礎になる。国民は、預金の代わりに、価値の安定している金を所有すべきである、というわけです。それで、十キロの金の延棒を大量に購入し、それを、ガラスケースの中に積み重ねて、金の時代を、宣伝していたわけです」
「これからは、金の時代か」
「世界も、どの国の国民でも、信頼しているのは、政府でも、政策でもなく、金だというわけです。それを、日本の国民も、知るべきだというわけです」
「なるほどね。その展示してあった金が、盗まれたわけか」
「そうです。警備は万全だといわれていたんですが、二年前の九月十一日の夜、財団のビルに、泥棒が入り、ケースが、こわされ、展示してあった金の延棒、二億円相当が、見事に、盗まれたというわけです」
「二ケ月間、それを、内緒にしていたのは、どういうわけなんだ?」
と、十津川は、きいた。
「いろいろと、弁明していますが、はっきりしません。理事長の石田健作が、外遊中で、帰国してから、善後策を考えたかったとか、あまりにも、大量の金だったので、これが公けになると、金の相場が動くのを恐れたためとか、いっていますが、千葉県警では、怒ったそうです」
「当然だろうな。それで、財団は、二億円の損失を受けたわけか?」
「いえ。保険をかけていたので、損失は、ゼロです。それで、保険金目当ての芝居ではないかという噂もあったようです」
「そうだろうね」
「しかし、石田理事長は、間違いなく、外遊中でしたし、財団の幹部も、シロとなったそうです」
「今、あけぼの会は、どうなっているんだ?」
と、十津川は、きいた。
「今も、千葉県の君津市にあります。石田代議士の選挙母体としてです」
と、西本は、いった。
「盗まれた二億円の金塊は、今も、発見されずにいるわけか?」
「そうです。発見されていません」
「一つ十キロの延棒が、何本盗まれたんだ?」
「二十本です」
「全部で、二百キロか」
「そうですね」
「しかし、二ケ月間、盗まれたことを隠していたんだろう?」
「ええ」
「その間、展示は、どうしてたんだ?」
「急遽《きゆうきよ》、鉛で作ったニセモノを購入して、それを、ケースの中に、展示していたそうです」
と、西本は、いった。
十津川と、亀井は、牛窓警察署に置かれた捜査本部に行き、署長に会い金塊の話をした。
最初、署長は、半信半疑の表情だった。
あまりにも、現実離れした話に聞こえたのだろう。
十津川は、無理もないと思いながら、
「もちろん、何の証拠もありません。二年前、千葉県の君津市の財団法人あけぼの会から、二億円の金が盗まれたことと、パルテノングループのヨットが、遭難し、同時に、その後、六人のグループが、相ついで、姿を消したのは、偶然の一致かも知れません。しかし、その金塊は、いまだに、見つかっていませんし、二人のパルテノングループの人間が、殺されたことを考えると、私としては、どうしても、二年前の金塊盗難と、結びつけてしまうのです」
と、話した。
署長は、しばらく考えていたが、
「やってみますか。もし、見つからなくても、それだけのことだし、殺人事件の捜査の方も、いっこうに、進展を見ずに、困っていたところですから」
と、いった。
積極的な賛成というわけではなく、本庁の刑事が、いうことだし、失敗しても、本庁の責任だからということのようだった。
七人の県警の刑事が、動員され、十津川と、一緒に、宝探しをすることになった。
小型のモーターボート二隻が、用意され、それに、パルテノングループ所有の例のゴムボートも、使用されることになった。
十津川と、亀井は、ゴムボートを使うことにして、マリーナに向った。
相変らず、陽が強く、暑い。二人は、ゴムボートに乗り込んだ。
マリーナを出たところで、二隻のモーターボートに乗った県警の刑事たちと、合流した。
この海域の地図が渡され、分担して、探すことにした。
と、いっても、雲をつかむような作業に、変りはなかった。
十キロの金の延棒二十本というと、大変な量ではあるが、隠そうとすれば、意外に簡単かも知れなかった。どこかの島に、穴を掘って、埋めてしまえばいいのだ。
或いは、金は腐蝕《ふしよく》しないから、まとめて、海に沈めてもいい。
十津川は、自分の考えとして、県警の刑事たちに、
「二年前に、伊豆沖で、遭難したというパルテノンT号は、実際には、沈まず、二百キロの金塊をのせて、どこかの島かげに、ひそかに、繋留《けいりゆう》されているのではないかと思うのです。私としては、まず、このヨットを探したいと思っています」
と、いった。
十津川の意見が入れられて、パルテノンT号を、探すことから始った。
もちろん、十津川の想像が当っていても、パルテノンT号という名前は、消されて、別の艇名が、記入されているだろう。
そのつもりで、探すことになった。
水しぶきを浴びながら、ボートを走らせるのは、爽快だったが、顔や、腕は、焼けて、痛くなってきた。
数多い島の周囲を、走り廻って、探す。
しかし、ヨットは、見つからない。
今度は、上陸の出来る島にあがって、探す作業になった。
こちらの方は、根気のいる仕事だった。
その島に住む人々への聞き込みをやり、人家のない場所を、探す。
一日では、とても、不可能で、翌日、翌々日と、この作業は、続行された。
三日目が過ぎても、発見できないと、県警は、この作業を、中止すると、いい出した。
無理もなかった。
最初から、県警は、十津川の話に半信半疑だったし、乗り気ではなかったのだ。
十津川としては、了承するより仕方がなかった。
十津川と、亀井は、その夜、疲れ切って、ホテルに戻った。
「私たちも、地道な捜査に、戻りますか?」
と、亀井が、いった。
「地道な?」
「そうです。パルテノングループの残りの四人の行方を、地道に、追いかける作業です」
「それも、いいがね」
十津川は、疲れた声でいい、窓の外の暗い夜の海に眼をやった。
「とにかく、もう、探す場所は、ありませんよ」
と、亀井は、いった。
「ねえ。カメさん」
と、十津川は、夜の海に、眼をやったまま、いう。
「何です?」
「私は、パルテノンT号が、伊豆沖で沈んだというのは、嘘《うそ》だと思っている」
「ええ」
「なぜ、そんな嘘をついたんだろう?」
と、十津川は、きく。自分に、問いかけているようないい方だった。
「もちろん、沈んだことにしたかったからでしょう」
「そうなんだ。沈んだことにして、船内に、盗んだ金を隠しておく」
「ええ。しかし、どこの島かげにも、ヨットは、ありませんでしたよ」
と、亀井は、いう。
「そうなんだ。なぜ、なかったんだろう?」
「見つかりそうになったんで、本当に、沈めてしまったんじゃありませんか?」
「違うな」
と、十津川は、いった。
「違いますか?」
「よく考えてみると、島かげになんか、ヨットを隠す必要はなかったんだよ」
「なぜですか?」
「今、ヨットを繋留するマリーナは、沢山ある。パルテノンT号の塗装をしなおし、艇名を変えて、他のマリーナと契約して、別のヨットとして、繋留しておけば、誰にも、怪しまれずにすむんだ。何しろ、パルテノンT号は、伊豆沖で、沈んでしまっているんだから」
と、十津川は、いった。
「確かに、そうですね。別のヨットとして、他のマリーナに、繋いでおけば、いいんだ」
と、亀井も、大きく、肯《うなず》いた。
「パルテノングループの持っているヨットは、よくある大きさだから、尚更《なおさら》、誰も、疑わないんじゃないかね」
「明日、もう一度探してみましょう」
と、亀井は、勢い込んで、いった。
「連中は、今までのマリーナには、ゴムボートを、つないでおいた。多分、それで、連絡していたんだろう。とすると、別のマリーナは、ここから、そんなに、離れた場所じゃない」
「そうですね」
「この近くの他のマリーナに、当ってみよう」
と、十津川は、いった。
「一つ、疑問がありますが――」
と、間を置いて、亀井が、いった。
「何だい?」
「連中が、パルテノンT号を、塗りかえ、艇名を変え、別のマリーナに、繋留しているとしましょう。当然、艇内には、盗んだ金塊が積んであるわけでしょう?」
と、亀井が、きく。
「私は、そう考えるがね」
「しかし、それなら、この近くのではなく、もっと離れたマリーナと契約して、繋いでおく方が、疑われずにすむんじゃありませんか?」
と、亀井は、いった。
「連中は、ここのマリーナとの契約を続けている。それは、突然、契約を打ち切ってしまっては、疑われると思ったからだろう。伊豆沖の遭難自体、疑いの目を向けられていたからね。そして、あくまでも、パルテノンT号は、沈んだということで、ゴムボートを、もっともらしく、ここのマリーナに、つないでいたんだ。もう一つ、このマリーナに、連中がやって来ても、誰も、疑わない。このマリーナと、契約しているわけだからね。ここに来て、ゴムボートに乗って、別の名前になったヨットを見に行く、そんなことをしていたんじゃないかな」
と、十津川は、いった。
翌日、二人は、これはと思われるマリーナを探しに行くことになった。
最近、マリーナが、急速に増えている。レジャー時代を反映してのことだろう。
どこのマリーナも、白いヨットや、モーターボートが、並んでいる。
「これは、探すのが、大変ですね。どのヨットが、前のパルテノンT号か、わかりませんよ」
と、亀井が、音をあげた。
「大丈夫だ。パルテノンT号は、二年前の九月十二日に、遭難、沈没したことになっている。とすれば、その前後に、契約している筈だよ。その日時に絞って、探せばいいんだ」
と、十津川は、いった。
牛窓マリーナの近くにある別のマリーナを探し、そこの管理事務所に行った。二年前の九月十二日前後に契約した者はいないかと、聞くことにした。
その結果、近くの西脇マリーナに、二年前の九月三日に契約した人間がいることが、わかった。
問題の九月十二日の九日前である。
契約したのは、個人ではなく、岡山市寿町の「岡山レジャークラブ」という団体だった。
十津川と、亀井は、そのクラブが持ってるというヨットを、見せて貰《もら》うことにした。
桟橋の先端近くに、白いヨットが、繋がれている。
艇名は、シャークT世号となっていた。
「持主は、よく走らせているの?」
と、十津川は、案内してくれた管理事務所の人間に、きいた。
「それが、ほとんど、繋がれたままですね。それに、よく、艇内で、泊っていますよ。今日は、いないようですが」
と、係員は、いった。
「中を見たいので、君は、証人になってくれ」
と、亀井が、相手にいい、十津川と、乗り込んだ。
キャビンの中に入ってみる。
係員が、泊っていることがあるというだけに、食器や、缶詰、ラーメンの袋などが、散乱していた。
毛布も、五、六枚、積み重ねてある。
だが、金の延棒は、見つからなかった。
二人は、桟橋に戻ると、亀井が、キャビンにあった果物ナイフを使って、船尾に書かれた艇名の部分を、削り始めた。
係員が、驚いて、
「何をするんですか!」
と、叫んだ。
「私が、責任を持つよ」
と、十津川が、いった。
亀井は、どんどん、削っていく。やがて、下に書かれた文字が、見えてきた。
最初に、Pの文字。そして、やがて、パルテノンと、読めるようになった。
「やっぱりですよ」
と、亀井が、手を小さく振りながら、十津川に、いった。
「パルテノンT号か」
「そうです」
「すぐ、牛窓警察署に、連絡しよう。県警に、岡山市のレジャークラブというのを、調べて貰おう」
と、十津川は、いった。
[#改ページ]
第四章 接 点
牛窓警察署の半田警部が、岡山市寿町のレジャークラブにいって、調べてくれることになった。
その報告によると、中古マンションの一室に、「レジャークラブ」の看板がかかっていたが、中には、誰もいず、電話も、こわれていたという。
「部屋の借り主は、山田太郎と、預金通帳のサンプルみたいな名前になっていますが、多分、偽名でしょうし、最近は、管理人も、他の住人も、見ていないそうです。どうも、マリーナの権利を手に入れるためだけに作ったクラブと思います」
と、半田は、いった。
「その山田太郎という男の顔や、身体《からだ》つきなんかは、わかりませんか?」
と、十津川は、きいた。
「管理人も、通いですのでね。よく覚えていないというのです」
「部屋の中には?」
「1LDKの部屋なんですが、ダイニングの方には、テーブルと安物の椅子《いす》が、四つ、置かれています。レジャークラブの事務所というわけでしょう。和室には、これも安物のふとんが、ありましたが、あまり使用した形跡は、ありません。それに、電気ストーブ一つ、湯呑《ゆの》み茶碗《ぢやわん》、ポットなどがありますが、どれも、埃《ほこり》まみれです」
と、半田は、いう。
「他に、何かありませんでしたか?」
「ヨットの写真が、何枚か、ダイニングの壁には、貼《は》ってありましたが、それも、色あせて、破れたりしていました。その中には、今日見つかったヨットの写真もありましたよ」
と、半田は、いった。
「連中は、なかなか、苦労してるんだ」
亀井が、感心したように、いった。
半田が、眉《まゆ》をひそめたのは、きっと、亀井の言い方が、不謹慎な感じがしたからなのだろう。
だが、亀井は、構わずに、
「なりふり構わずに、いろいろなことを、してるじゃありませんか。嘘《うそ》の遭難事故を、でっちあげたり、ヨットが沈んだことにして、別のヨットにして、登録し、他のマリーナに繋留《けいりゆう》する。そのために、架空のクラブを作る。事務所を作る。それだけの苦労をして、連中は、二億円の金塊を、手に入れたということですね」
と、いった。
まさに、その通りなのだ。
半田も、肯《うなず》いたが、亀井の言葉のあとで、
「連中は、二人の人間を殺しています。それも、仲間を。これも、二億円のためだったんですかね?」
「問題は、二つありますね。本当に、連中が、仲間を殺したのか。また、何のために、殺したのか」
と、十津川は、いう。
「それは、決っていますよ。二億円という大金が、眼の前に、ぶら下っているんです。当然、仲間割れが起こりますよ。仲間が、一人、二人と減っていけば、それだけ、自分の分け前が、増えるんですからね。その誘惑に負けて、仲間を殺したんじゃありませんか?」
と、亀井が、いう。
半田は、賛成せずに、
「少くとも、彼等は、海とヨットが好きということで、集ったわけですよ。お金を出し合って、ヨットを買い、この牛窓マリーナに、そのヨットを置き、クルージングを、楽しんでいたわけですよ。甘いかも知れませんが、私も、海が好きです。ヨットが好きです。悪い奴は、いないと思うのです」
と、熱っぽく、いった。
「しかし、半田警部。殺人については、まだ、確証はないとしても、二億円を強奪し、ヨットの遭難事故を、でっち上げたのは、間違いないんです。これだけでも、連中が、ロマンチックな正義漢なんて、いえないんじゃありませんか」
と、亀井が反撥《はんぱつ》した。
それに対して、半田が、更に、
「私は、連中が、ロマンチックな正義漢だなんて、いっていませんよ。だから、どうしても、大型クルーザーが欲しくて、二億円強奪に走ったのかも知れないし、遭難という嘘をついたのかも知れません。でも、仲間は、殺してないと、思っているんです」
と、いった。
「殺してないという理由は、海とヨットが好きだからですか?」
と、十津川は、半田に、きいた。
「そうです」
と、半田は、肯く。
「私は、大学時代、ヨットをやってましたが、ヨット好きでも奥さんを殺した奴もいますよ」
と、十津川は、いった。
「そうかも知れませんが、連中は、夢を持って、集ったんです。そんな男たちが、仲間を、殺すとは、考えられないんです」
半田は、頑固にいう。
「もし、連中が、仲間を殺したのではないとすると、殺しをやったのは、いったい、誰なんですか?」
と、十津川は、きいた。
「実は、ずっと、それを、考えていたんです」
と、半田は、いう。
「それで、結論が出ましたか?」
「一つだけ、可能性は、考えてみました」
「話して下さい」
「本庁の方に、お話するようなことじゃありませんが」
と、半田は、遠慮がちにいう。もちろん、謙遜《けんそん》だろう。
「いいから、話して下さい」
と、十津川は、促して、
「ここは、岡山です。半田さんの地元です。半田さんにお考えがあれば、われわれも、従いますよ」
「実は、今回の事件で、一つ、疑問に思っていることがあるんです」
と、半田は、いった。
「どんなことでしょうか?」
「連中が、おかしくなったのは、二億円を強奪したときからです」
と、半田は、いう。
「それは、いえますね」
「その二億円強奪ですが、連中は、こういうことには、全くの素人です。それが、なぜ、いとも簡単に、二億円、それも金塊を、手に入れることが出来たのか、それが、不思議で仕方がないのです。それに、二億円なら、連中で分けても、一人、十分な金額になります。早く分けてしまえば、すんなりいくのに、その前に、殺し合いになってしまう。その辺も、不可解なのです」
半田は、熱っぽく、十津川に向って、話した。
十津川は、黙って聞いていたが、
「それで、半田さんの結論は、どういうことになったんですか? ぜひ、お聞きしたい」
と、先を促した。
半田は、ちょっと、照れたような顔になって、
「正直にいって、結論といったものは、まだ、生れていないんですが、どうしても、二億円強奪事件には、裏に何かあるような気がして仕方がないのです。素人の連中が、ひょいと、千葉へ行って、二億円の金塊を、てもなく手に入れる。そんな夢みたいなことが出来る筈《はず》がありません。何もないと考える方が、おかしいと思うのです」
「半田さん」
「この考えは、感心しませんか?」
「いや、大いに、賛成です。私も、今回の事件については、どうも、引っかかるものが、あったんです。例えば、東京で殺された三好功について調べると、ホテルで、パルテノンのマークの入ったパジャマを着て、喜んでいて、妙に、子供っぽいのです。それと、二億円の金塊強奪という大人っぽいというか、冷徹な行動とが、どうしても結びつかなくて、悩んでいたのです。どこか、別の人間たちが、やっているような感じがしていたわけです。大きな黒幕がいて、連中が、利用されたと考えれば、この違和感は、解消してくれるのです。だから、今の話は、大変、納得できます」
と、十津川は、いった。
「本当ですか? 本当なら、嬉《うれ》しいですよ」
半田は、ニッコリした。
「と、なると、二億円の金塊を奪われた、財団法人あけぼの会が、うさん臭くなってきます」
と、十津川は、いった。
「そうなんです。あの財団は、奇妙ですよ。金塊を奪われたのに、すぐには、警察に届けず、二ケ月後になって、やっと、届けてますからね」
「そのあけぼの会については、私たちが、調べてみたいと思います。わかったことは、逐一、こちらに、報告します」
と、十津川は、いった。
十津川と、亀井は、その日の中《うち》に、東京に戻った。
岡山県警の半田は、引き続き、パルテノンの残りの四人を、探すことを引き受けてくれた。
帰京した十津川は、改めて、財団法人あけぼの会と、その理事長で、参議院議員の石田健作について、調べることにした。
今、国会が開かれているので、石田も、東京に来ている。
石田健作は、六十五歳。
政治家としては、そろそろ、岐路に立っているといっていい。
五年前に、国務大臣になっているが、あの時は、幸運だったと、誰もが、いう。
今、国会は、与野党が、ほぼ、伯仲している。十五、六人が、移籍するか、新党を作って、野党側につけば、与野党は、逆転するのだ。
五年前、政界の刷新を叫んで、石田たち二十人が、新党を作り、当時の与党を脱《ぬ》け、野党と、手を組んだ。
そのため、政権が交替し、石田は、棚ぼた式に、大臣の椅子《いす》を、手に入れたのである。
しかし、二年後の総選挙で、与党側が、大差で敗北し、石田は、辛うじて、当選したものの、二十人の同志は、十一人に減ってしまい、野党になってしまった。
こうなると、小さな党は、悲しい存在になってしまう。政界のヘゲモニイを、握れなくなってしまうのである。
それどころか、次の選挙では、石田自身、落選するだろうと、いわれている。
石田としては、今、過半数を占める与党、元の党に、頭を下げて復帰するか、次の選挙で、自分の属する新党が、今の議席を倍増して、また、政界のキャスティングボートを握れるようにしなければならない。
いずれにしろ、必要なのは、金である。
「それで、二億円ですか」
と、亀井が、いう。
「そうなんだ。二億円の金塊は、財団法人あけぼの会のものだった。この財団法人は、石田のきも煎《い》りで出来たものだが、だからといって、金塊は、石田のものではない。そこで、自分のものにしようとしたのか」
「石田が、パルテノンの連中を利用して、その金塊を盗ませたとしてですが――」
「うん」
「なぜ、パルテノンの連中を、利用したんでしょうか? 問題は、接点です。全く知らない人間に、二億円の金塊の強奪は、頼めませんから」
と、亀井は、いった。
「よし、石田と、パルテノンの連中の接点を見つけよう」
と、十津川は、いった。
刑事たちが、集められた。
「どんな接点でもいいんだ。殺された二人も含めて、六人と、石田の接点だ。学校の先輩、後輩という接点でもいい、同郷ということでもいい。わかったことを、全部、列挙して、検討しよう」
と、十津川は、いった。
ところが、これが、いっこうに、見つからないのである。
第一に、年齢が違い過ぎた。石田は、六十代。それに対して、パルテノンの連中は、三十代である。これだけ、違うと、接点がある方が不思議なのだ。
絶望的になった時、一つの発見が、突破口になった。
若い西本が、
「石田健作のことばかり、調べていても、接点は見つからないかも知れませんが、石田の秘書を、考えたら、どうでしょうか。政治家と秘書は、一心同体といいますから」
と、提案したのである。
十津川は、すぐ、石田の秘書に、眼を向けた。
石田が使っている秘書は、五人いた。
その中の、第二秘書は、相原敬。三十五歳。若くて、野心家だった。
この相原と、新宿のホテルで殺されたパルテノンの一人、三好功が、同じ大学の出身だったのである。
石田の第一秘書の名前は、高城《たかぎ》勝巳、五十七歳。二十年余り、彼の秘書として働いている。
忠実ではあるが、石田には、物足りなく映っているのか、若くて、野心家の相原の方を、重用するようになっていると、いわれていた。
相原は、石田の後継者として、政界入りを狙《ねら》っている。そのためには、石田を喜ばせることをしなければならない。
それで、二億円の金塊強奪を計画したのではあるまいかと、十津川は、考えた。
「とにかく、相原敬という男の顔を見に行こうじゃないか」
と、十津川は、いった。
「顔を見にですか?」
亀井が、変な顔をした。
「どんな男か、この眼で、見たいんだよ」
と、十津川は、いった。
まず、電話で、アポイントメントをとった。
簡単に、OKが出たのは、石田への面会ではなかったからだろう。
二人は、議員会館で、相原に会った。
十津川は、向い合って、じっと、相原を、観察した。
背の高い男である。
唇が、うすく、一文字になるのは、冷静で、決断力が強いのだろう。冷酷ともいえる。
「何のご用か、まず、伺いましょうか」
と、相原は、落ち着いた調子で、二人の刑事を見た。
「実は、今、新宿のホテルで殺された男の事件を調べています。三好功という男でした」
と、十津川は、いった。
「それが、僕と、何か関係があるのですか?」
と、相原が、きく。
「失礼ですが、相原さんは、大阪N大のご出身でしたね?」
「そうですが――?」
「この三好という男も、そのN大の卒業なのです」
「ほう」
「しかも、お二人とも、同じ三十五歳ですから、N大では、しょっ中、顔を合せておられたのではないかと、思いまして。もし、よくご存知でしたら、この三好という男が、どんな性格だったか、話して頂けると、ありがたいのですが」
と、十津川は、いった。
「そういわれても、同期で入ったのが、何百人もいましたからね。何しろ、N大というのは、マンモス校なんです」
「相原さんは、N大では、何を専攻されていたんですか?」
「一応、英文ですが」
「この三好も、英文なんです」
と、十津川は、いった。
「そうですか。ちょっと待って下さいよ。何しろ、卒業して、もう十年以上たってるし、僕は、すぐ、東京へ出て来てしまいましたからねえ」
相原は、ソファから立ち上り、考えるように、窓の外に眼をやった。
二、三分して、振り向くと、ニッコリして、
「思い出しましたよ。三好という男が、いました」
「この男ですか?」
と、十津川は、三好の顔写真を、相原に見せた。
相原は、ソファに腰を下して、見ていたが、
「ああ、この顔でした。彼が、殺されたんですか?」
「上京して、新宿のホテルRに泊っていたんですが、何者かに、毒殺されてしまったのです」
「そうですか。知りませんでした」
「三好という人は、どんな学生でした?」
「今もいったように、あまり印象に残っていないんでねえ。明るくて、人気者だったという印象はありますね」
と、相原は、いった。
「卒業後、お会いになったことがありますか?」
と、十津川は、きいた。
「いや、会っていませんね。彼は、N大卒業後も、大阪に残ったんじゃありませんか?」
と、相原は、きく。
「そうなんです。大阪で、建設会社に就職しています」
「それなら、会わなくても、おかしくはない。僕は、今もいったように、すぐ、上京してしまいましたからね」
「N大の同窓会に出て、会ったということは、ありませんか?」
と、亀井が、きいた。
「僕は、忙しくて、大阪の同窓会には、なかなか、出られないのですよ」
と、相原は、いった。
「三好は、三十四歳の時、不動産サギで、逮捕されています。懲役一年、執行猶予三年の刑を受けているんですが、ご存知でしたか?」
と、亀井が、きいた。
「いや、知りません。卒業後、会っていませんからねえ」
「そうですか。こちらの調べでは、その時、三好の頼みで、相原さんが、優秀な弁護士を、世話したという噂《うわさ》を聞いたんですよ。刑務所行は、まぬがれないだろうといわれていたのが、おかげで、執行猶予つきになったというのですが」
と、十津川は、いった。
相原は、眉《まゆ》を寄せて、
「でたらめです」
と、切り口上で、いった。
「そうですか。どうも、失礼なことばかり、申し上げて、許して下さい」
と、十津川は、いった。
それで、相原は、気分を取り直したのか、
「そちらも、仕事が仕事だから、仕方がないと思いますよ」
と、笑顔になって、いった。
「もう一つ。財団法人あけぼの会の二億円の金塊が、盗まれましたが、犯人に心当りは、ありませんか?」
と、十津川は、きいた。
相原が、また、不機嫌になった。
「犯人を探すのは、警察の仕事じゃないんですか? 石田先生も、僕も、警察が、いっこう、犯人も逮捕できず、金塊も、取り戻せずにいるのに、腹を立てているんですよ」
と、相原は、いった。
「どうも、犯人のやり方が、あまりにも、鮮やかで、痕跡《こんせき》を残さなかったということもあって、捜査が、進行してないと、思っていますがね」
「呆《あき》れましたね」
「何がですか?」
「警察が、犯人の手口に感心してたら、困るじゃないですか。一刻も早く、逮捕して、金塊を、取り返して下さい」
と、相原は、いった。
「金塊には、保険が、かかっていたんでしたね?」
と、十津川が、きくと、相原は、きっとした眼になって、
「そのことと、奪われたこととは、関係がありませんよ。うちの財団の信用問題です。犯人を逮捕してくれないと、信用を、取り戻すことが出来ません」
「よくわからないんですが、金塊は、誰のものだったんですか?」
と、亀井が、きいた。
「もちろん、うちの財団の所有でした」
「財団は、ずいぶん、お金持ちだったわけですね」
「財団の趣旨に賛成して、沢山の方々が、援助して下さるわけです。これも、石田先生の人徳だと思っています」
「すると、石田さん個人のものではなかったわけですね?」
「今もいうように、財団のものです」
「すると、それを、石田さんが、勝手に使うことは、出来ないわけですね?」
と、亀井が、きく。
相原は、むっとした顔になって、
「あんたね、何を聞きたいんですか? まるで、石田先生が、勝手に使おうとしていたみたいないい方じゃありませんか」
「とんでもない。ただ、私なら、さぞ口惜《くや》しいだろうと思いましてね。二億円の金塊が傍《そば》にあるのに、全く、自由に、ならないんだから。私なんか、家のローンで苦労しているから、すぐ、金塊を、換金して、使ってしまうかも知れません」
「カメさん」
と、十津川が、あわてて、制した。
「どうも、不愉快ですね。忙しいので、もう、これで失礼します」
と、相原は、立ち上ってしまった。
二人は、議員会館を、引きあげることにした。
「申しわけありません。相原秘書を、怒らせてしまって」
と、車の中で、亀井が詫《わ》びた。
十津川は、笑って、
「カメさんのおかげで、相原秘書の反応が見られて、良かったよ」
「そうですか。実は、私も、相手の反応を見たくて、少しばかり、押してみたんですが」
と、亀井も、いう。
「相原秘書の態度から、石田代議士も、秘書も、二億円の金塊を、横眼にして、自由に、使いたくて、仕方がなかった。それが出来なくて、さぞ口惜しかったに違いない。その気持がよく出ていたと思うね」
と、十津川は、いった。
「政治家というのは、金がいるものなんでしょうね」
「野心があればあるほど、金は、必要だろうね。だから、石田代議士も、相原秘書も、のどから手が出るほど、財団の二億円が、欲しかったと思うよ」
「それで、パルテノンの連中と、しめし合せて、金塊を盗み出させたということですか?」
と、亀井が、きく。
「証拠が欲しいね。証拠があれば、踏み込んで捜査が出来るが、想像だけじゃあ、何も出来ない。国会開会中の代議士は、法律に守られていて、なかなか、逮捕も出来ないからね」
と、十津川は、いった。
それだけではない。警察が、石田代議士を標的に、捜査しているとわかれば、当然、猛烈な抗議がくるだろうし、捜査の中止が、求められてしまうだろう。
慎重家の三上刑事部長などは、間違いなく、十津川たちに、ブレーキをかけてくる筈《はず》である。
だから、石田代議士に迫る時には、完璧《かんぺき》な証拠を集めておかなければならない。
十津川と、亀井は、捜査本部に、戻った。
十津川は、刑事たちを集めて、これからの捜査の方向について、説明した。
「最終の目標は、石田代議士だが、差し当っては、秘書の相原だ。二億円の金塊強奪に、石田代議士が関係しているとしても、実際に動くのは、秘書の相原だと思うからね。だから、相原をターゲットとして、捜査を進めていくが、無理はいけない。出来れば、抗議を受けずに、捜査をすすめたい」
「どうするつもりですか?」
と、西本が、きいた。
「表面上は、あくまでも、パルテノンの六人の捜査ということにする。その中で、特に、捜査の重点は、新宿のホテルRで毒殺された三好功におく。東京の事件だから、われわれが、捜査するのを、誰も文句はいわないだろう。そこで、当然、三好と同じ大学を卒業した相原について、調べるのも、当然ということになる。重要参考人としてだ」
「なかなか、いい考えだと思います」
「相原について、詳しく調べたい。三十過ぎなのに、独身だと聞いているが、その理由を、まず知りたいな。そして、当然、つき合っている女がいるだろうから、その女のこともだ」
と、十津川は、いった。
刑事たちの新しい捜査が、始まった。
三上本部長には、三好功について、捜査していると、報告してあった。
まず、相原が、独身でいる理由が、わかった。
「彼には、野心があります」
と、西本が、報告する。
「政界入りだろう?」
と、十津川が、いった。
「そのためには、選挙に打って出るとき、金がいります。それで、相原は、いつも、友人にいっているんですが、結婚する相手は、資産家の娘でなければならないというわけです。出来れば、一人娘がいいといっているんです」
「いざというとき、娘の両親が、ぽんと、選挙資金を出してくれるということか?」
「そうです。そういう、彼にとって、理想の相手が、なかなか、見つからないので、いまだに、独身でいるようです」
「つき合っている女は?」
と、亀井が、きいた。
「今いったように、結婚に条件がついていますし、理想の相手が見つかるまでは、結婚はしたくないというわけで、素人とは、つき合わない主義で、水商売の女としか、つき合っていません」
「いざという時、別れやすいわけか?」
「そうですね。それで、現在、つき合っているのは、新宿歌舞伎町のクラブAにいる舞子という女だと、聞いてます」
と、西本は、いった。
十津川は、亀井と、その女に、会ってみることにした。
新宿へ行く途中で、亀井が、
「われわれが、会ったことは、女から、相原に、筒抜けになりますよ」
と、いった。
「だろうね」
「相原から、抗議が来ませんか? 自分を、犯人扱いしていると」
「来るだろうね」
「うちの三上部長が、怒り出すかも知れませんよ」
「大丈夫だよ」
十津川は、微笑した。
新宿歌舞伎町で、クラブAの雑居ビルを見つけ、三階にある店にあがって行った。
ホステスが、二十人ほどの店だった。
十津川と、亀井は、カウンターに腰を下し、マネージャーに、舞子というホステスを、呼んで貰《もら》う。
小柄な、和服の似合う女だった。
(あの秘書は、こういう女が趣味なのか)
と、十津川は、思いながら、
「相原さんのことは、知っていますね?」
と、まず、きいた。
舞子は、大きな眼で、十津川を見て、
「お客さんの一人ですけど――」
「君に会いに、よく来ると、聞いてるんだけど」
「よくでもないわ」
舞子は、ぶっきらぼうな、いい方をした。
「相原さんは、どんなお客なのかな?」
「どんなって?」
「気前のいいお客とか、話好きとか、口数が少いとか――なんだが」
「そうね」
と、舞子は、考えていたが、
「よく喋《しやべ》るお客ね。あたしたちの知らないことを、いろいろ知っているから」
「政治の話?」
「ええ」
「金払いの方は、どうなんだ?」
と、亀井が、きいた。
「普通だと思うわ」
「溜《たま》ってるツケなんかはないの?」
「ないわ」
「彼が関係している財団法人で、二億円の金塊が、盗まれたことは、知ってるね?」
と、十津川は、きいた。
「ええ。新聞に出たから」
「盗まれて、すぐに?」
「ええ」
「それは、おかしいな。盗まれてから、二ケ月間、事件は、公けにされなかったんだが」
十津川が、いうと、舞子は、黙ってしまった。
「君は、盗まれてすぐ、相原さんに、教えられたのか?」
と、十津川は、突っ込んだ。
「覚えてないわ。昔のことだから」
「その頃から、相原さんと、つき合っていたことは、認めるんだね?」
「つき合っていたというのは、正確じゃないわ。お客として、来てたというのは、合ってるけど」
と、舞子は、いった。
「その頃、この男が、相原さんと一緒に来たことはなかったかな?」
十津川は、三好の写真を、舞子に、見せた。
舞子は、ちらりと見ただけで、写真を、カウンターの上に、戻してしまった。
「よく見ろよ」
と、亀井が、いった。
「知らない人だわ」
と、舞子は、いった。
「ここに、来たことはない?」
「ええ。来てないわよ」
舞子は、怒ったように、いった。
(来ているんだ)
と、十津川は、逆に、確信した。
十津川が、眼で合図すると、亀井が、その写真を持って、他のホステスの方に、寄って行った。
舞子は、それを見て、眉を寄せた。
「最近、相原さんは、よく来てるの?」
と、十津川は、彼女に、きいた。
「最近――?」
と、舞子は、おうむ返しにいいながら、気になるという感じで、亀井を、眼で追っている。
「どうなの? 最近、よく来てるのかね?」
と、十津川が、重ねて、きいた。
舞子は、やっと、視線を戻して、
「よく、覚えてないわ」
「正直に話してくれないと、二億円の金塊強奪について、共犯になってしまうよ」
と、十津川は、いった。
「共犯? とんでもないわ」
舞子の声が、高くなった。
亀井が、カウンターに戻って来て、十津川の耳元で、
「三好が、相原と、何回か、飲みに来ていたそうです」
と、いった。
十津川は、舞子を見て、
「嘘《うそ》をつくのはいけないな。大変な事件について、調べているんだから、正直に話して欲しいね。脅しでなく、共犯になってしまうよ」
「嘘なんかついてないわ」
と、舞子は、強気で、いう。
「この男は、来てないといったが、相原とよく、来てたそうじゃないか」
亀井が、叱《しか》りつけるようにいって、三好の写真を、彼女の前に、叩《たた》きつけた。
舞子の顔が、一瞬、引き攣《つ》った。
「来てたかも知れないけど、覚えてなかっただけだわ」
と、舞子は、いった。
「相原さんと、一緒に来てたのに?」
十津川は、更に、きいた。
舞子は、追い詰められた猫のように、
「だから、どうだっていうの? お客の顔を忘れてたからって、罪になるんですか?」
と、反撥《はんぱつ》した。
「忘れてたとは、思えないからだよ。ホステスさんというのは、お客の顔を覚えるのが、仕事の一つなんじゃないのかね?」
と、十津川は、いった。
「――――」
舞子は、また、黙ってしまった。
「西新宿にあるホテルRまで、ここから、歩いても、二十分くらいのものかな」
と、十津川は、呟《つぶや》くように、いった。
「――――」
「そのホテルRで、三好功が、毒殺されたんだが、知っているかね?」
と、十津川は、舞子に、いった。
「そんなこと、知ってる筈がないわ!」
舞子が、甲高い声で、いう。
十津川は、苦笑して、
「なぜ、そんなに、興奮するんだ? 何も、君が、殺したなんて、いってないよ」
「それなら、そんないい方することは、ないじゃないの!」
「そんないい方って」
「あたしのことを、強盗の共犯だなんて、脅したじゃないの。彼に、いいつけてやるわ」
「彼って、相原さんのことか?」
「彼の背後《うしろ》には、偉い政治家の先生がついているわ」
「知ってるよ。だが、石田代議士には、関係がないことだよ。それとも、石田代議士も、関係していると、君は、思っているのか?」
十津川は、逆に、脅した。
舞子は、また、黙ってしまった。
「冷静に考えて、知ってることは、話した方がいいと思うよ」
と、十津川は、いい、その気になったら、電話するようにと、捜査本部の電話番号を、メモに書いて、舞子に、渡した。
十津川と、亀井は、店を出た。
相変らず、人波にゆれている歌舞伎町を抜け、とめておいたパトカーに、戻った。
乗り込んで、亀井は、エンジンをかけながら、
「あのホステス、いろいろ、知ってるみたいですね」
と、いった。
「間違いないね」
「われわれに、協力してくれると、いいんですがね」
「その前に、相原を通して、抗議してくると、思うよ」
と、十津川は、いった。
彼の予測は、当っていた。二人が、捜査本部に帰ってから、一時間ほどして、相原から、十津川に電話が、入った。
十津川が出ると、いきなり、
「何を考えておられるんですか?」
と、食ってかかってきた。
十津川は、苦笑しながら、
「何のことですか?」
「私のことを、あれこれ、調べ廻《まわ》っているじゃないですか? どういうつもりですか? 私を調べたいのなら、直接、訪ねて来たらいいじゃないですか? いつでも、お会いしますよ」
「何か、誤解なさっているんじゃありませんか」
と、十津川は、落ち着いた声で、いった。
「誤解?」
「そうですよ。例の二億円の金塊事件について、もっと、捜査をしろと、ハッパをかけたのは、相原さんですよ。それで、私たちも、調べ廻ってるというわけですが」
「クラブ廻りをするのが、捜査なんですか?」
と、相原が、いう。
(あのホステスが、早速、相原に、電話したのか)
と、十津川は、内心、苦笑しながら、
「二億円の金塊のことで。簡単に、盗み出せるものじゃありません。財団の警備だって、立派なものだったでしょうからね。そう考えると、秘密が、外部に洩《も》れたんじゃないか。そう思ったわけですよ」
「私が、秘密を洩らしたというんですか?」
「とんでもない。あなたは、財団の理事長石田代議士の秘書です。信頼されている。そんな方が、秘密を洩らす筈がないと、思っていますよ。ただ、あなたが酔った時などに、うっかり喋《しやべ》ったことが、犯人に伝わってしまったのではないか。そう考えて、相原さんが、よく行かれるクラブに、聞き込みに行ったわけです。これは、捜査の常道です。それは、理解して頂かないと、こういう事件の捜査は、出来なくなりますよ」
と、十津川は、いった。
「しかし――」
「それとも、あの捜査は、するなということですか?」
と、十津川は、逆に、脅すように、いった。
今度は、相原が、電話の向うで、あわてた様子で、
「そんなことは、いっていませんよ」
「それを聞いて、安心しました。政治家の方から、圧力をかけられると、われわれとしては、仕事が、やりにくくなりますので」
「石田先生は、何もいっていませんよ。誤解されては、困ります」
「そうでしょうとも。私としては、安心して、捜査を進められます。ありがとうございます」
と、十津川は、いった。
「まあ、がん張って下さい」
相原は、逆に、激励して、電話を切ってしまった。
亀井が、笑いながら、
「やりましたね」
と、十津川に、声をかけてきた。
「聞いてたのか」
「相原が、金切り声をあげるんで、電話から、洩れて聞こえましたよ。あの電話は、ヤブ蛇になったみたいですね」
「相原が弱いところは、ボスの石田に、累が、及ぶことだ。だから、必死になってるのさ。だから、そこを、突っついて脅かせば、相原は、大人しくなるんだよ」
と、十津川は、いった。
「これから、どうされますか?」
「舞子を、追いかける。カメさんのいう通り、彼女は、いろいろ、知っていると、思っているからね」
と、十津川は、いった。
「では、もう一度、会いに行く必要がありますね」
「そうだ。共犯になると脅せば、喋ると、思っている」
と、十津川は、いった。
だが、少し、相原を、甘く見ていたと、思い知らされたのは、翌日、クラブAに、出かけた時だった。
舞子は、休みだった。
十津川は、嫌な予感がした。ママと、マネージャーに、舞子の住所を聞き、吉祥寺《きちじようじ》のマンションに、パトカーを飛ばした。
マンションに着く。
その302号室が、舞子の部屋だった。が、ドアをノックしても、返事がない。
管理人に聞くと、旅行に出たという。
「今日の午後二時頃でしたよ。タクシーを呼んで、乗って行きました。スーツケースを持っていたから、旅行にでも行ったんじゃないかと、思いますけどねえ」
と、管理人は、いうのだ。
「行先は、わかりませんか?」
と、十津川は、きいた。
「ちょっと、わかりませんね」
「タクシーに乗る時、どんな様子でした? あわてている様子でしたか?」
と、十津川は、きいた。
「そうですね。あわてていたといえば、そんな感じは、受けましたね」
と、管理人は、いう。
十津川は、舞子が呼んだというタクシーを調べ出し、その運転手に会った。
間違いなく、舞子を乗せ、東京駅まで、運んだと、十津川に、話した。
「車の中で、彼女は、何かいいませんでしたか? これから、何処《どこ》へ行くんだみたいなことは、いっていませんでしたか?」
と、十津川は、運転手に、きいた。
「ほとんど、喋りませんでしたね。ただ、温泉のことを話してましたね」
「温泉? 温泉のどんなことを話したんですか?」
「今頃の温泉って、どうかしらって、聞かれましてね」
「それで?」
「温泉へ行くの、羨《うらや》ましいなって、いったんです」
「それで?」
「寒いから、ちょっと、暖かい方の温泉に行くのって、いってましたね」
「場所は、いっていませんでしたか?」
「聞いたんですよ。何処の温泉へ行くんですかって。そうしたら、ヒミツって、いわれてしまいました。それだけです」
「暖かい方というのは、どういうことですかね?」
「まあ、東京より、暖かいところにある温泉という意味だと思いますがね」
と、運転手は、いう。
「それで、車は、東京駅のどこへ着けたんですか?」
と、十津川は、きいた。
「どこへって?」
「新幹線側ですか? それとも、在来線の方ですか?」
「それなら、新幹線じゃない方って、いわれましたよ」
と、運転手は、いった。
それで、少しは、場所を、限定できるなと、十津川は、思った。
十津川は、亀井と、その温泉を、特定することにした。
暖かいところというから、北の温泉ではないだろう。と、いって、九州なら、飛行機にするだろう。飛行機が嫌いでも、せめて、新幹線を、利用するのではないか。
そこで、十津川と、亀井が考えたのは、伊豆ではないかということだった。それも、南伊豆《みなみいず》である。
もちろん、新幹線で、熱海《あたみ》まで行き、乗りかえることは、出来るが、在来線で、下田《しもだ》まで、特急が、出ている。
それに、乗ったのではないか。
「相原が、指示して、舞子を、どこかの温泉に、避難させたんだと思いますね」
と、亀井が、いった。
「そうだな。彼女が、何をいうか、心配になったんだろう」
と、十津川は、いった。
しかし、南伊豆といっても、範囲が広い。温泉も多い。
「とにかく、何処へ行ったのか、見つけ出したいね」
と、十津川は、いった。
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第五章 対決姿勢
ある人間を隠す場合、どんな場所に、隠すだろうか?
特に、自分の命運を握っている女を隠す場合は慎重にならざるを得ないだろう。
女が、温泉がいいといっても、何処の温泉でもいいわけがない。自分のコントロールできる場所に隠したい筈である。少くとも、自分のよく知っている温泉にするだろう。
と、いうことは温泉でも、相原がよく知っている温泉或いはホテル、旅館ということになってくる。
相原が、よく利用する温泉地のホテルがあるかどうか、西本たちが、調べて廻った。
もちろん、相原に直接聞くわけにはいかないので、彼の周辺の人間の取材ということになる。
相原が、時々、顔を出す六本木のクラブで、ホステスから、相原に、湯《ゆ》河原《がわら》の温泉に誘われたという話を聞くことができた。
「自分がよく知っている奥湯河原のホテルがあるから、行かないかと、誘われたわ」
と、いうのである。
その時、相原は、そのホテルなら、自分のわがままが利くのだと、自慢気に、話していたというのである。
「南伊豆じゃなくて、湯河原か」
と、十津川は、地図をみながら、呟《つぶや》いた。
それに対して、西本は、同じ地図をのぞきこみながら、
「考えてみれば、熱海や下田なんかに比べて隠れ易いかも知れません」
「何というホテルか、わかっているのか?」
「ホステスは、Rホテルだと、いっています。確かに、奥湯河原に、その名前のホテルが、実在します」
「すぐ、日下君と行ってみてくれ」
と、十津川がいった。
西本と、日下が、そのRホテルに、急行することになった。
その間、十津川は、相原の動きを監視した。
相原は、石田が理事長を務める「あけぼの会」の方に、一日おきくらいに、顔を出していた。もちろん石田の指示によるものだろう。
「前から、そんなに、ひんぱんに、あけぼの会に、顔を出していたのかね?」
と、十津川は、三田村と、早苗に、きいた。
「いや、今度の一連の事件が、起きてからのはずです。正確にいえば、われわれが、あけぼの会に、眼をつけた頃からです」
と、三田村はいう。
「引っかかるね」
と、亀井。
「あけぼの会の本部は、千葉県の君津市にあるんだろう。相原は、そこに、出勤しているのか?」
と、十津川はきいた。
「そうですが、平河町《ひらかわちよう》にあるあけぼの会の事務所の方に、顔を出すこともあるようです」
「相原は、あけぼの会で、どんな仕事をしてるんだ?」
「会の方の話では、組織を強化するために、来て貰《もら》っているといっていますわ」
と、早苗がいう。
「違うのか?」
「大きくいえば、そうかも知れませんが、私は、あけぼの会に、何か、後暗いことがあって、その後始末というか、証拠かくしというか、そんなことのために、相原が、石田の命令で、ひんぱんに出かけているのではないと、思いますわ」
と、早苗は、いった。
「二億円の一件の後始末か?」
と、亀井。
「その通りですわ。今まで、盗難だけで、納得させることが出来たのに、私たちが、殺人事件と結びつけて、調べ始めたので、あわてて、相原が、証拠かくしに、飛び歩いているのだと、思いますわ」
と、早苗は、いった。
「考えられないことじゃないね」
と、十津川は、肯《うなず》いた。
「あけぼの会に乗り込んで、徹底的に調べますか?」
と、亀井が、十津川に、いった。
「それは、どうかな? 石田は、政界の有力者だし、二年前の二億円事件に、裏があるという明確な証拠はないんだ。断られたら、それで、終りだからね。いたずらに、連中に、警戒させるだけだ」
と、十津川は、いった。
夜になって、奥湯河原に出かけた西本たちから、電話連絡が入った。
「今、Rホテルに入っています」
「舞子は、泊っていたのか?」
「泊っていることは、間違いありませんが――」
と、西本は、あいまいないい方をした。
「どういうことなんだ?」
と、十津川が、きいた。
「一週間の予定で、このホテルの7013号に泊っているのですが、今日は、午前十時頃外出しているのです」
「それで、行先は?」
「わかりません」
「まだ、帰っていないのか?」
「五分前に、フロントで確認したところでは、まだ帰っていません」
と、日下が、いう。
十津川は、腕時計に、眼をやった。午後十時に近い。
「帰ったら、すぐ会って、相原のことを聞いてくれ」
と、十津川はいって、電話を切った。
「嫌な予感がしますね」
と、亀井が、いった。
「嫌な予感?」
「そうです。一応、奥湯河原のRホテルに隠れたが、われわれが、彼女を探していると知って、彼女の口をふさごうと考えたかも知れません」
と、亀井は、いった。
「考えられないことじゃないな、カメさん」
「そうなんです」
と、亀井は、不安気に、いった。
十津川は奥湯河原のRホテルにいる西本たちに、電話をかけた。
「舞子は、まだ、戻ってないのか?」
「まだです」
と、西本が、答える。
「もう夜の十時半だぞ」
「そうなんです。しかし、行先がわからないので、探しようがありません」
「帰ったら、すぐ、私に知らせろ」
と、少し、強い声でいった。十津川は、電話を切った。
次に、十津川は、三田村と早苗を呼び、
「今頃、相原は、何処で、何している?」
と、きいた。
「多分、平河町の石田健作事務所に、泊り込んでいる筈《はず》です。最近は、千葉のあけぼの本部に行ってない時は、石田事務所に泊り込んでいるようですから」
と、三田村が、いった。
「じゃあ、電話で、今、相原が、そこにいるかどうか、確認してくれ。用件を適当に考えてだ」
と、十津川は、いった。
三田村はすぐ、電話を取った。石田事務所に、かけたが、簡単に話してから、受話器を置いて、
「相原は、いました。間違いなく、彼の声です」
と、十津川に、いった。
だが、舞子が、奥湯河原のRホテルから、外出したのは、今日の午前十時頃である。
そして、今は夜の午後十時半を廻《まわ》っている。その間に、相原が、何処かで舞子に会うことは、十分に可能なのだ。
十二時を廻っても、西本たちから、舞子がホテルに戻ったという連絡はなかった。
夜が明けたが、同じだった。
午前十時に、十津川の待っていたものが、届けられた。
千葉の君津市にある「あけぼの会」の本部の建物の図面である。
石田の「海洋日本の健全な青少年を育成するため」という主張に沿って作られた会館である。
君津港に近く、会館には、ヨットマリーナが隣接している。
建物は、鉄筋五階建て。例の二億円の金塊は、一階のホールに、強化ガラスのケースに入れて展示されていた。
もちろん、そのホールには、赤外線を使った防犯設備があった。
それなのに、二億円相当の金塊は、いつの間にか、ニセモノにすりかえられ、そのため、職員も、盗まれたことに、一週間以上、気がつかなかったというのが、あけぼの会側の談話だった。
犯人たちが、どうやって、厳重な強化装置をくぐり抜けて、ニセモノと本物の金塊を、すりかえたのか、ニセモノといっても、鉛で、金のコーティングしたもので、重さは、二百キロを超える。それを、どうやって、持ち込んで、すりかえたのか。
会館の設計図を見ると、陸上から、侵入するのは、難しいことがわかる。
入口には、守衛の詰所があり、夜間も、一人は、宿直している。
君津警察署も近くにある。
会館の裏には、ヨットマリーナがあり、こちらから、犯人は、侵入したのであろう。
だから、十津川は、パルテノンT号艇を考えるのだ。
パルテノンT号に、ニセモノの金塊を積み込んで、あけぼの会館の裏手のマリーナに入り、そこから一階ホールの金塊置き場に侵入し、本物ととりかえ、また、パルテノンT号艇で、脱出したのではないか。
ただし、それには、会館側の人間の協力が、必要である。それがなければ、最新式の防犯システムを、突破できないからである。
十津川の考えたのは、でっちあげの盗難事件ということなのだ。
選挙資金を必要としていた石田健作は、財団が、保有している二億円の金塊に眼をつけた。だが、いくら、自分が理事長だといっても、財団の金塊を、私用に、使うことは、許されない。
だから、盗難事件を、作りあげた。
陸上からの侵入は不可能なので、ヨットを、利用することを考え、パルテノンクラブの連中を抱き込んだのではないか。
もし、十津川の推理が当っているとしたら、肝心の二億円の金塊は、今、何処にあるのか?
昼になって、奥湯河原のRホテルから、西本が、電話をかけてきた。
「まだ、舞子は、ホテルに、帰って来ていません」
Rホテルにいる西本と日下は、舞子に、外から電話がなかったかどうか、逆に彼女の方から外部に電話しなかったかどうか、ホテルのフロントや、ルーム係に、質問した。
舞子は、外におびき出されたに違いないと、考えたからである。
だが、この質問は、意味がなかった。彼女は、携帯電話を持っていて、それに掛ってきたか、それを使って、外部と連絡したようだからである。これでは、ホテルに、何の痕跡《こんせき》も残らないのだ。
舞子の本名は、藤原亜木子で、ホテルにはこの名前で、チェック・インしている。
生れたのは、福井県。高校卒業後、上京し、いくつかの仕事をへて、二十九歳の現在、新宿のクラブで働いている。
十津川は、福井県の実家の方にも、念のために問い合せをした。が、実家からは、彼女は帰っていないという返事があった。
外出した時の服装は、彼女がシャネル好きということもあって、黒のシャネルの服に、黒いシャネルの靴、そして黒のシャネルのバッグだったという。かなり目立つ服装といっていいだろう。
ホテルで、タクシーを呼んで貰《もら》い、彼女は、新幹線の熱海駅に出ていることがわかった。
熱海駅に着いたのは、午前十時四十分頃である。そのあと、東京方面の新幹線に乗ったか、大阪方面に乗ったのか、わからない。
新宿のクラブに戻った様子もないし、大久保のマンションにも、帰っていなかった。
舞子こと、藤原亜木子は、姿を消してしまったのだ。
捜査本部は、二つの可能性を、考えた。相原が、舞子を呼び出して、口をふさいでしまったのか、或いは、他の場所に、隠れたかの二つである。
隠れた理由は、二つ考えられる。相原が警察から隠したか、自分で身を隠したか、どちらかは、わからない。
十津川たちは、相原の監視を続けた。彼を監視していれば、舞子の行方がわかるだろうと思ったからである。
相原は、相変らず、千葉のあけぼの会館に行ったり、新橋の事務所に出かけたりしていた。これといった変った行動は、とらなかった。
「何も心配していないように見えます。本当に心配していないのか、或いは、すでに舞子を始末してしまっているので、安心しているのかは、わかりません」
と、交代で、相原を監視している三田村たちが、十津川に報告した。
「捜査は、進展せずか」
と、十津川は、渋面を作った。
肝心のパルテノンクラブの四人の行方が、いぜんとして、不明のままだったからである。
その日の午後一時の捜査会議では、今までの捜査を、十津川が総括し、新しい捜査方針を、考えることになった。
部屋の黒板には、パルテノンクラブの六人の名前が書きつけてある。
柳沼 完治
三好  功
矢野 和美
野村 俊夫
安部 卓郎
村松  豊
この六人である。この中《うち》、柳沼と三好の二人は殺されている。
そして離れたところに、三人の名前を、十津川は、書きつけた。
石田 健作
相原  敬
藤原亜木子(舞子)
そして、相原と三好とを、線で結びつけた。
「ヨットと海の好きな六人の男女が、パルテノンクラブというクラブを作り、中古のヨットを購入し、余暇にクルージングを楽しんでいました。この時点では、何事も、起きていませんでした」
と、十津川は、今回の事件を、まとめていった。
「一方、千葉選出の石田健作は、次の選挙が危いので、選挙資金の捻出《ねんしゆつ》に、頭を痛めていました。彼は、あけぼの会という会の理事長をしていて、会が所有している二億円の金塊を、これは、あくまでも想像ですが、選挙資金として、使いたかった。しかし、いくら理事長とはいえ、財団の資金を、私することは、出来ません。そこで、金塊が、盗難にあったことにしようと考えた。しかし、陸上から押し入るのは困難です。そこで、裏側のヨットマリーナから侵入することを考えました。第二秘書の相原敬が、友人の三好に、この話を持ちかけました。六人が、簡単に同意したのかどうかはわかりませんが、六人は、金が欲しかった。それぞれに、金に困っていたし、新しいヨットも欲しがっていましたから、相原の話に乗ったんだと、思います。二年前の九月、六人は、パルテノンT号で、君津のあけぼの会館に、裏のマリーナから、侵入、一階ホールに展示中の金塊を、ニセモノと、すりかえました。もちろん、会館側の相原が、協力したからこそ、上手《うま》くいったわけです。本物の金塊を乗せたパルテノンT号は、九月十二日の夜、伊豆沖で、遭難沈没したことになっていますが、実際には、艇名を変えて、岡山のマリーナに、繋留《けいりゆう》されていました。肝心の金塊はどうなったのか不明ですが、すでに、石田健作たちが、処分してしまっているとみていいと、思います。そして、六人には、分け前が、渡されたと思いますね。ところが、二年後の今になって、突然、六人の中の二人、柳沼完治と、三好功が、相ついで、殺されました。何があったのか? 六人の間の仲間割れの結果なのか、或いは、六人が、もっと、分け前をよこせと、石田健作、相原敬を脅迫したためなのかは、わかりません。とにかく、残りの四人は、行方不明になっています」
「四人も、すでに殺されてしまっているんじゃないかね?」
と、三上部長がきいた。
「四人もですか?」
「石田健作は、二年前の総選挙で、苦戦を伝えられた。だが、どこからか出した豊富な選挙資金のおかげで、当選し、今度の内閣改造で、大臣の椅子《いす》につくことが約束されている。そんな時に、二年前の事件の真相が、あばかれたら、全てが、パアになってしまうからね」
「しかし、石田ほどの政治家が、連続殺人をやるとは、思えませんが」
と、亀井が、口をはさんだ。
「もちろん、石田健作が、手を下すなんてことはないさ、秘書の相原だよ。二年前、彼は、悪知恵を働かせて、二億円を、石田のために作り、忠勤を励んだ。ところが、二年後の今になって、それが、危険になってきた。それで石田に、何とかしろといわれたんだと思うね」
と、三上部長がいう。
それを受ける恰好《かつこう》で、十津川は、
「もし、この四人がすでに殺されているのなら、死体を見つけたいと思います。生きているのなら、見つけて、証言を取りたい。それに相原敬の罪も証明したい、と思います」
「問題はどうやるかだな」
と、三上が、いう。
「とにかく、四人が生きていようが、死んでいようが見つけ出します。こちらの舞子も、同様です」
と、十津川はいった。
「この四人だが、生きているとしたら、一緒にいると思うかね?」
「二年前のことを、考えてみたいと思います。相原が友人の三好功に、話を持ちかけました。危険は何もない。ただ、ニセモノの金塊と、本物を、すりかえるだけだし、内部から相原が手伝う。それで、多分、大仕掛けのイタズラみたいな感覚で、六人はパルテノンT号で、協力したんだと思いますね。相原は、もちろん、石田健作の名前は出さないし、選挙のことだって、いわなかったでしょう。相原が、六人に払った金だって、そんなに多かったとは思えません。せいぜい、一人当り、百万か二百万ぐらいだったと思います。それでも六人は、満足したと思うのです。パルテノンT号は、艇名を変えて、自分たちが使うことが、出来るわけですからね。新艇を買わなかったことでも、分け前が、多くなかったことが、窺《うかが》えます。それに、六人は、生れつきの悪党じゃありません。少い分け前でも二年前は満足したんだと思いますね」
「それが、二年たって、変ったということか?」
「石田は、選挙に勝ち、今度の内閣改造で大臣になるといわれるようになりました。それに、石田が、金塊のあったあけぼの会館の理事長だったことも、わかってきました。六人の中、少くとも二人、三好功と、柳沼完治の二人が、怪しいと考えて、もっと金をよこせと、相原を、ゆすったんだと思います。石田にしてみたら、大臣の椅子がちらついているのに、大変なことになる。それで、相原に、何とかしろと命じたに違いありません。そこで相原は、自分で手を下したか、誰かにやらしたかは、わかりませんが、三好と柳沼の二人を殺して口をふさいだというわけです」
「あとの四人は?」
と、三上が改めて、きく。
「四人は、二人が殺されて、事の重大さに、気付いたんだと思います。下手《へた》をすれば、自分たちも、殺される。あわてて逃げた。もし、生きているのなら、四人は一緒に、逃げていると思いますね。一人では、不安だから」
「それなら、なぜ、警察に助けを求めないんだ?」
と、三上が、きく。
「彼等は、二年前の二億円の金塊強奪をやっているんだし、パルテノンT号の遭難など、でっちあげているのです。それが明るみに出るのが怖い。自分たちが可愛《かわい》いんで、警察には出頭できないんだと思いますね」
「四人が、もし、生きているとしたら、何処に隠れていると思うね?」
と、三上が、きいた。
「彼等は、海とヨットが好きという、その一点で、結びついている連中です。その求心力がなくなれば、ばらばらになってしまうと思うのです。二人が殺され、自分たちの身も危いとなったとき、海とヨットという求心力に頼って、四人は、今も、一緒にいると、私は思っています。だからこそ、まだ、四人は消されていないのではないかと」
と、十津川は、いった。
「具体的にいうと、どういうことだね?」
「連中が、逃げているのは、海とヨット以外にはありません」
「しかし、パルテノンT号は、名前を変えて、マリーナに繋留されていて、警察が監視している。連中は、近づけないだろう」
「そうです。しかし彼等は、また、中古のヨットをどこかで手に入れ、それに乗っているのではないかと思うのです。ヨットで、海の上にいれば、彼等は、安心できるんじゃないでしょうか。三好と、柳沼は、地上で、殺されていますからね」
と、十津川は、いった。
「しかし、パルテノンT号を、シャークT号に、艇名を変えて、マリーナにとめておいたが、あれは、岡山県警が、押さえてしまっているから、連中は、乗ることが、出来ないだろうに」
「そうです。県警の半田刑事は、今も、連中が現われるのを期待して、シャークT号を、見張っています」
「君は、連中が、現われると、思っているのかね?」
「まだ、ヨットを手に入れてなければ、シャークT号を、手に入れるために、現われるかも知れませんが、多分、新しいヨットを手に入れ、それに、連中は、乗っていると思います」
と、十津川は、いった。
その時、彼に、電話が入った。
相原を見張っている三田村と、早苗からだった。
――今、車で、平河町の事務所を出ました。尾行します。
「行先は、わかるか?」
――多分、千葉県君津のあけぼの会館だと思います。
「わかった。連絡を、絶やさないでくれ」
と、十津川は、伝えてから、三上部長に、
「私も、君津のあけぼの会館に行ってみたいと思います」
「行って、どうするんだ?」
「向うで相原に、会ってみようと思うのです」
「いたずらに、相手を警戒させるだけになるんじゃないか? 今の段階では、相原には、殺人をやったという証拠はないんだし、何といっても、石田代議士の秘書なんだからな」
と、三上が眉《まゆ》を寄せて、いった。
「わかっています」
「本当にわかってるのか? 私の得た情報では今度の内閣改造で、石田は、文部大臣になるらしい」
「内定したんですか?」
「ああ。ほぼ、決ったらしい。その人の秘書を、証拠もなく、尾行するんだぞ。お前も覚悟しなきゃいかん」
と、三上は、いう。
「もし、それが本当なら、なおさら、一刻も早く、事件を解決する必要があります」
と、十津川は、いい、亀井を促して席を立った。
亀井の運転でパトカーを出発させると、亀井は、三田村を、無線で、呼び出した。
「今、何処《どこ》だ?」
――江戸川を渡ったところです。間違いなく、相原の車は、千葉に向っています。
「その車に乗ってるのは、相原だけか?」
――そうです。運転手と相原だけです。
と、三田村は、いった。
「石田健作が、文部大臣になるというのは、本当でしょうか?」
亀井が、ハンドルを握りながら、十津川にきく。
「部長は、政治家に知り合いが多いから、正しい情報だろう」
「しかし、石田は、党内で少数派だったんじゃありませんか?」
「それは、うまく、立ち廻ったんだろう」
と、十津川は、いった。
「財団の資金を、勝手に私用した男が、文部大臣ですか」
亀井が、吐き出すようにいう。
「石田は、ヨット好きだから、ヨットで健全な青少年を作るといってるそうだ」
「健全な青少年ですか」
「彼が文部大臣になったら、相原も、その功労で、出世するだろう。それで、一所懸命に君津へ行っては、犯罪の痕跡《こんせき》を、消しているに違いない」
と、十津川は、いった。
亀井は、黙ってスピードをあげた。
パトカーは、千葉県内に入り、海岸沿いに君津に向う。
十津川が、子供の頃、この辺りには、海水浴場が点在し、学校で臨海学校に行き、地引網を楽しんだこともある。
それが、今は巨大な京葉工業地帯に、変ってしまっている。
君津市内を抜け、前方に、ドーム型のあけぼの会館が見えてきた。
〈健全な青少年を育成しよう。 あけぼの会〉の立札が目立つ。
〈日本の教育は、委《まか》せて大丈夫 あけぼの会理事長・石田健作〉
こちらの立札は真新しかった。文部大臣を、何とか引き寄せようという石田陣営の宣伝なのか。
前方に、三田村と早苗の車を見つけて、亀井は、こちらのパトカーを、傍《そば》に寄せて行った。
「十五分前に、相原は、会館に入りました」
と、三田村が、十津川に報告した。
十津川と亀井は、彼等を会館の外に待たせておいて、中に入って行った。
わざと、相原に会いたいとはいわず、責任者に会いたいと告げると、三階奥の理事室に通され、相原が出て来た。
相原は向い合うと、いきなり、
「私は尾《つ》けられました。今日で三回にわたって警察に尾けられている。これ以上重なれば、告訴しますよ。これは、覚えておいて貰《もら》いたい」
と、釘を刺すように、いった。
「わざわざ、あなたを、尾行するような真似はしていませんがね」
と、十津川は、いった。
「証拠もありますよ」
と、相原は、いい、何枚かの写真を、十津川の前に並べた。
「この会館に近づく、車を監視カメラが撮ったものです。ここに警視庁の覆面パトカーが、写っている。三回ともです。私が、ここに着くと、二、三分後に、必ず同じ車が、着いている。これも否定するつもりですかな」
「なるほど、この会館の上部に、監視カメラがついているわけですか」
「その通りです」
「おかしいな」
「何がですか?」
「この監視カメラは、二十四時間、作動しているわけでしょう?」
「もちろんです。そうでなければ、何の役にも立たんでしょう」
「二年前に、金塊が盗まれた時には、何故《なぜ》、何の役にも立たなかったんですか?」
「それは、前にも、申し上げた通り、裏のマリーナの方向から、賊が入ってくるとは思わず、そちらには監視カメラはつけてなかったのです。事件が起きてからは、マリーナ側にも、監視カメラを、設置しています」
「なぜ、マリーナ側から、泥棒が入らないと思い込んでいたんですか? 不思議で仕方がないんですが」
「あなたが、不思議だと思っても、われわれが、海側は、安心だと思っていたんだから仕方がない。その弱点を、まんまと、突かれたんですよ」
と、相原は、怒ったような声を出した。
十津川は、立ち上り、窓から、外を眺めた。
裏手にあるマリーナが見える。マリーナといっても、二人用の、いわゆる470と呼ばれる小型のヨットが、ずらりと並んでいて、それが、青少年の訓練用というわけである。
石田がやっている、スパルタで有名なヨットスクールである。寄宿制にしたいということで、進んで、寮の建設が始められている。
二年前の夜、ここに、パルテノンT号が入って来て、二億円相当の金塊が、盗み出されたのだ。
「二年前の事件の時、赤外線の警報装置は、作動しなかったということですね?」
十津川が、マリーナに、眼をやったまま、いうと、相原は、不快気に、
「それは、何度も、警察に説明しましたよ。犯人の中に、その道のプロがいて、巧みに、警報装置を切って、侵入したんです。多分、ここの警報装置の図面を、犯人は、手に入れていたと思います。今は、新しい警報装置に、なっています」
「金塊が、失くなったのにですか?」
亀井が、皮肉ないい方をした。
相原は、怒った顔で、
「会館内には、他にも、大切なものが、いくらでもありますよ」
「三好功というお友だちのことを、思い出されましたか?」
と、十津川が、きいた。
「ええ、思い出しましたよ。大学の同窓です。十津川さんは、三好が、犯人の一人だとお考えのようだが、何か証拠でもあるんですか?」
「間違いなく、犯人の一人です」
「しかし、最近、会ったことは、ありませんがね。最初十津川さんから名前を聞いたときも、とっさに思い出せなかったくらいです」
と、相原は、いう。
「ヨットスクールは、夜までは、やってないんでしょう?」
「暗くなれば終りで、生徒たちは、帰ります。将来は寄宿制にするつもりですが」
「六人の男が乗ったヨットが、夜になってこのマリーナに入り、裏から、ホールに入って、金塊を盗み出したのです。ニセモノとすりかえたのです」
と、十津川は、いった。
「見たようなことを、いいますね」
「間違いありません。この六人の中に三好功もいたわけです。彼等の中に、物理・化学の専門家はいません。だから、この会館の警報装置を研究して、侵入したとは思えない。この会館の中に、共犯者がいて、一時的に、警報装置を、オフにしたとしか思えないのです」
と、十津川は、いった。
相原は、ますます、不快気な表情になって、
「あけぼの財団に、そんな人間は、いませんよ。冗談にしても、そんな勝手な想像は、止めて欲しいですね」
と、いった。
「私も、冗談でいってるわけではありませんよ」
十津川も、まっすぐに、相原を見て、いった。
「うちの理事長に、そのまま、伝えても、構わないのですか?」
「構いません」
と、十津川は、きっぱりと、いってから、言葉を続けて、
「私の推理をいいましょう。事件は、二年前、財団のA氏が、二億円を必要になったことから、始っているのです。財団の資産を、勝手に使うことは、許されない。そこで、二億円の金塊が盗まれることを考えた。A氏の部下で、Bという人物が、その計画を立てたと思うのです。
この会館は、陸上の入口には、守衛室もあり、宿直がいるし、監視カメラも備えられている。それに、近くに、君津警察署もある。そこで、海側からの侵入を計画した。それには、大型ヨットが、必要になる。ヨットに、すりかえ用のニセの金塊を積み込み、夜、マリーナに入り、ホールに展示してある金塊を、すりかえてしまう。もちろん、Bが、内部から、協力するわけです。まず、Bは、そのために、ヨットのクルーを探した。選ばれたのは、パルテノンクラブという六人のヨット仲間です。その中の一人が、Bの知り合いということで、関係が出来たわけです。彼等は、その頃、金が必要だった。中古艇を使っていたのだが、新艇を買いたかったのかも知れません。とにかく、パルテノンクラブの六人は、Bの指示のままに、二年前の九月、多分、十一日だと思いますが、その夜、そこのマリーナにヨットで侵入し、Bの協力を得て、ホールの金塊を、鉛のニセモノとすりかえたのです。彼等は、金塊をヨット、パルテノンT号に積み込むと、岡山県の日本のエーゲ海と呼ばれる牛窓のマリーナに向いました。しかし、彼等は、あとで疑われることを恐れ、伊豆沖で遭難したことにしたのです。彼等の考えというより、Bの考えだと、私は思っています。遭難したことになったパルテノンT号は、艇名をシャークT号に変え、同じ岡山県内のマリーナに、繋留《けいりゆう》されることになりました。積んでいた金塊は、恐らく牛窓の近くの瀬戸内の島のどこかに隠され、ゴムボートで運ばれ、換金されたのだと思います」
「なぜ、そんな話を私にするんですか?」
と、相原がきいた。
「あなたも、奪われた金塊の行方《ゆくえ》を、当然知りたいと思いましてね」
と、十津川は、いった。
「そりゃあ、知りたいですが――」
「それなら、聞いて下さい。連中は、Bから、報酬を貰って、金塊強奪事件の共犯になったわけです。いくら貰ったかはわかりませんが、そんなに高額だったとは、思っていません。それに二年が、たちました。六人がその間、何をしていたか、まだわかりませんが、その中の二人が多分、もっと、金が欲しくなったんでしょう。一人がBに向って、もっと金を寄越《よこ》せと要求した。もしくれなければ、二年前の事件が、あけぼの会の自作自演だったことを、公けにすると、Bを脅したんだと思いますね。理事長の石田さんは、次の内閣改造で、文部大臣になると、予想されている。その人が理事長をやっている財団で、二年前に不正が行われた。しかも、財団のものを、私した。そのために狂言まで打った。それが、ばれたら、大変です。大臣の椅子《いす》は、吹っ飛んでしまう。Bは、彼等の口を封じようと考え、都内のホテルに招待し、二百万円を渡して安心させておいて、毒入りのワインをすすめて、口を封じてしまったのです。もう一人も多分、同じ要求をしたのだと思います。Bは、その相手には、牛窓で会い、車の中で、ロープで首を絞めて殺し、その口を封じました」
「何か、そのBというのが、私のような気がしますが、私は、そんなバカなことはしていませんよ」
相原は、抗議するように、いった。
十津川は、笑った。
「自分だと、思われましたか?」
「思う筈《はず》がないでしょう」
「それならそれで、結構。問題は、残された四人です。二人が殺され、残りの四人は、今、何処で何をし、何を考えているのか、それが、今の私の一番の関心事なのですよ。彼等が見つかれば、真相を話してくれる。それに、私は、期待しているのです。相原さんは、彼等が、今、何処で、何をしていると、思われますか?」
「そんなこと、私が知る筈がないでしょう。全て、十津川さんの妄想の産物なんだから」
と、相原は、顔をしかめた。
「二年前、この会館の金塊が、盗まれたことは事実だし、二人の男が、相ついで殺されたことも、現実です。私は刑事として、この二つの事件を、解決しなければならないのです。それが、私たちの仕事ですからね」
「しかし、その捜査方針は、でたらめもいいところだ」
と、相原は、いった。
「そうですか。私は、真相に近づいていると、確信していますがね」
と、十津川は、いい返した。
二人は、会館を出て、パトカーに戻った。
待っていた三田村が、
「どうでした?」
「相原は、監視カメラで、今も、われわれを見ている筈だよ」
と、十津川が笑うと、早苗は、会館の方に眼をやって、
「手でも、振ってやりましょうか?」
「それもいいが、君たちは、しばらく、ここにいて、見張っていてくれ」
と、十津川はいった。
「相原に、監視されながらですか?」
「警察が、お前をマークしていると知らせて、その反応を見たいんだ」
と、十津川は、いった。
三田村と、早苗をそこに残して、十津川と亀井は、東京に戻ることにした。
捜査本部に帰ると、すぐ、十津川は、三上本部長に呼ばれた。
三上の横に、三つ揃《ぞろ》いの背広を、きちんと着た、初老の男が、気難しい顔で腰を下していた。
「弁護士の羽山さんだ」
と、三上部長が、いった。
一瞬、十津川は、
(早いな)
と感じた。今日、君津のあけぼの会館で、意識して、相原に圧力をかけた。
当然、相原は、反撥《はんぱつ》してくるだろう。その方法として、一番考えられるのは、弁護士を通じて、抗議してくることだと思っていた。
しかし、相原は、多分、理事長の石田と、相談してから抗議してくるだろうから、今夜おそくか、明日の午前中とみていたのである。
それが帰った時には、もう、弁護士が、押しかけてきている。
(それだけ、相手が、神経質になっているという証拠だろう)
と、十津川は考え、黙って羽山弁護士の顔を見つめた。
「十津川さん。あなたは、何の証拠で、石田健作氏の秘書、相原敬氏を、二億円の金塊強奪の犯人扱いし、また、殺人容疑者扱いをされたのか。相原氏に対する重大な人権侵害ということが出来ます。間違った私見に基づく、こうした言動に対して、厳重に抗議します。直ちに、相原氏に対して謝罪し、前言を撤回することを要求します。なお、申し上げておきますが、相原氏は、十津川さんの言葉を、テープに録音しており、言い逃れは出来ませんから、念のため」
と、羽山弁護士は、いった。
三上部長が、心配そうに、十津川を見た。
十津川は、微笑《ほほえ》んだ。
「確かに、今日、あけぼの会館に行き、相原さんとお会いしました。その際、今回の殺人事件、それに、二年前の二億円金塊事件について、私の推理を申し上げました。しかし、個人名をあげて、犯人ではないかと、申し上げた覚えはありません。全て、A氏、B氏といった形で、申し上げた。録音テープを聞いて頂いても結構です」
と、いってから、続けて、
「それよりも、相原さんが、自分のことをいわれたと勘違いされたことに、私は、興味を覚えます。なぜなら、思い当ることがあったに違いないと思うからです」
「――――」
羽山弁護士は、黙ってしまった。
彼は、相原が録音したというテープを聞いていないのだ。ただ、電話で相原の話を聞き、多分、石田代議士にも、強くいわれて、捜査本部に押しかけて来たに違いない。だから、十津川に反論されてしまうと、自信が無くなってしまうのだろう。
十津川は、そんな羽山弁護士に向って、助け舟を出すように、
「私の本意は、あくまでも、事件を解決したいという思いであって、あけぼの会を、誹謗《ひぼう》することではありません。それを、理解して頂きたいのです。ですから、お互いに、怒ったり、非難したりせず、事件の解決に、協力して頂きたいと思っています」
と、いった。
羽山は、助かったという顔で、
「わかりました。その旨、相原さんに伝えておきます。彼にも、誤解があったようです」
と、いって、帰って行った。
三上は、かえって、心配げな顔になって、
「本当に、大丈夫なのかね? 十津川君」
と、声をかけてきた。
「ひとまず、大丈夫でしょう」
と、十津川はいった。
「ひとまず――?」
「揚げ足を取られるようなことを、していません。しかし、われわれが、あけぼの会を疑い、理事長の石田を疑い、秘書の相原を疑っていることは、十分に、相原に伝わった筈です。そのつもりで、今日、相原に会ってきましたから」
「どういうことなんだ?」
「慎重に、ケンカを売って来たということです」
十津川は、ニッコリ笑った。
三上は、渋面を作った。
「君は、相手がどんな人間か知っているのか?」
「知っています。石田健作は、今度の内閣改造で、間違いなく、文部大臣になるでしょうね。今日のテレビで司会者を相手に、大臣になった時の抱負を、とうとうと喋《しやべ》っていましたよ。青少年の健全化、新しい教育制度の確立、そして、相原は、二年前の功績で、正式に政界に迎え入れられるんじゃありませんか。何年後かに、彼も代議士になる」
「そういう相手だからこそ、君にも、慎重に、行動して貰《もら》いたいんだよ」
と、三上はいった。
「私は、こう考えます。そういう連中だからこそ絶対に、許せないと」
「どういうことだ?」
「石田健作は、青少年の健全育成を謳《うた》い文句に、あけぼの会という財団を作り、浄財を集めました。ところが二年前、自分が、当選したいために、その財団の資金を盗難を装って、自分のふところに入れ、それで、選挙に勝ち、今度は文部大臣です。彼が、どんな立派な抱負を述べようと、その言葉には、何の説得力もないし、彼が教育という、日本の方向を決めるような仕事をすることを許すことは、出来ないんです」
十津川は、力を籠《こ》めて、いった。
「しかし、証拠はないんだろう?」
と、三上は、戸惑いの色を見せていった。
「直接証拠はありませんが、状況証拠は、二年前の盗難事件も、今回の殺人事件も、あけぼの会が、関与していることを、示しています」
「それでも、石田健作が、指示したということは、いえないんじゃないのか?」
「あけぼの会の理事長は、石田です。しかも、彼が作った財団です。彼の許可なしに、何も出来ない筈ですよ。或いは、彼の秘書の相原が、自分が、勝手にやったといったとしても、主犯は、理事長の石田に違いないのです」
と、十津川は、いった。
「新内閣の発表は、明日だ」
「知っています」
「石田健作は、文部大臣になる」
「間違いなく、なるでしょう」
「大臣になれば、身辺警護に、SPがつく」
「わかっています」
「本当にわかっているのか? 君は、SPが護衛する人物を、容疑者扱いにしているんだぞ」
「たとえ文部大臣だろうと、容疑があれば、調査すべきだと思っています」
「君は、いくつだ?」
「四十歳です」
「正論が必ずしも、万能じゃないことも、知ってるだろう?」
「残念ながら、知っていますが、殺人事件が絡んでいるとなれば、別です。私は捜査一課の刑事で、殺人事件を捜査し、犯人を検挙するのが仕事で、それで給料を貰っていますから」
と、十津川は、いった。
「警察官になった時、宣誓もしていますよ」
と、亀井が、付け加えた。
三上は、憮然《ぶぜん》とした顔になって、
「正論のオンパレードか。君たちが、そう言うのなら仕方がないが、気を付けて捜査してくれよ、下手《へた》をすると、私に、というより、総監にまで、迷惑がかかるからな」
と、釘を刺すように、いった。
翌日、内閣改造が行われた。
改造は、小規模なもので、建設、郵政、運輸、文部の四つの省と、科学技術庁の長官が、新しくなった。
文部大臣には、予想どおり、石田健作が、就任した。
十津川と亀井は、テレビで、その模様を、見ていた。
首相官邸に呼び出された人たちの中に、石田健作もいた。
彼は、喜色満面だった。
首相から、文部大臣への就任を要請され、それを受けて出てくると、恒例の所信表明が、記者団に向って、行われた。
「ただ今、総理から文部大臣への就任を要請され、お受けして来ました。私は、前々から、国の教育問題について関心があり、少しでも、健全な青少年の育成に役立てばと、財団法人あけぼの会を設立し、ヨットスクールを開校してきました。幸い登校拒否の子供や、薬物使用の青少年が、私のヨットスクールによって、立ち直ってくれています。そうした実践もふまえ、今後の日本の教育行政に生かしていこうと考えています。また、今後の大学制度、受験制度、などについてですが――」
「胸くそが悪くなって来ますね」
と、亀井がいった。
「そうだな」
「こんな男が、日本の教育を背負っていくんですかね?」
「そんなことはゆるせないさ」
と、十津川は、いった。
「しかし、差し当って、石田を逮捕できませんよ」
亀井が、いまいましげにいった。
「わかってる。今、私が知りたいのは、舞子こと、藤原亜木子の行方だ。まだ、全然、手掛りなしか?」
と、十津川は、きいた。
「ありません」
と、西本が、答える。
「この時期に、彼女が現われて、相原と三好功のことを、喋《しやべ》ったら、まずいことになる。だから、隠してしまったのだろうが」
「警部は、殺されたと思いますか?」
と、亀井が、きいた。
「石田が、文部大臣になる大事な時だ。どんな小さなミスも許されない。となれば、完全に口をふさぐのが安心できると考えるだろうね。金で口をふさいでも、いつ、喋ってしまうかも知れない。湯河原のホテルに隠れているようにいっても、気まぐれに東京に、戻って来ることも考えられる。それなら、いっそ、殺してしまえば、安心できる。連中は、そう考えて、彼女を、Rホテルから、呼び出したんだと思っている」
と、十津川は、いった。
考えたくないことだが、冷静に判断すれば、すでに、殺されていると、思わざるを得ないのだ。
それも、死体が見つかってはいけないのだから、絶対に、発見されない場所に埋めたか、処理したに違いない。
「カメさんなら、藤原亜木子を殺して、死体を何処《どこ》に隠すね?」
と、十津川は、きいた。
「絶対に見つからない場所だということですね?」
亀井が、きき返した。
「そうだ。石田が、大臣になった。そんな時に死体が見つかってはまずいからね」
「犯人は、相原敬というわけですね?」
「今のところ、他に、考えようがないよ」
「亜木子がRホテルを出たのは、十一日の、午前十時頃です」
「それで?」
「同じ日の夜十時半には、相原は平河町の石田事務所にいることが、確認されています。つまり、彼が犯人なら、同日の午前十時から、夜の十時半までの間に、彼女を始末したことになります」
と、亀井が、いった。
「それでも、十二時間半は、あるよ。殺して、死体を隠すには、十分すぎる時間だ」
「亜木子は、Rホテルから、タクシーで、熱海駅に行っています。新幹線口に着いたのが、午前十時四十分頃。ですから、十二時間の時間内ということになります」
「それでも、半日だ」
「当日の相原の行動を、わかることだけでもチェックしていけば、この時間は、もっと、せばめていける筈です。それによって、彼が殺《や》ったとして、死体の隠し場所を限定していけると思いますが」
と、亀井はいった。
「至急、その作業をやってみてくれ」
と、十津川は、いった。
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第六章 残党の軌跡
相原の行動が、徹底的に、調べられた。
問題の日、相原は、午前九時に、自宅マンションを出て、まっすぐ、千代田区平河町の石田の事務所に行っている。
平河町に着いたのは、午前十時前後。その後、彼は、一日中、事務所で、仕事をして過ごしたといっている。
その夜、十時半には、電話で、相原が、そこにいることが、確認されている。
しかし、午前十時から、夜の十時半まで、彼が、必ずしも、石田事務所にいたという証明にはならないのだ。
この日、事務所には、三人の事務員がいたが、出入りが激しく、一日中、いたという事務員はいないのである。それに、事務員を買収して、偽りの証言をさせることは、簡単だろう。
問題は、第三者の証言である。
この日、事務所は、近くの日本そば店から、カツ丼《どん》四つと、ざるそば四つを注文し、十二時十五分に、配達している。
この時、出前に行った店員(二十二歳)は、男二人と女二人の事務員がいて、受け取ったと、証言している。
彼に、相原の写真を見せたところ、間違いなく、その時、事務所にいたと証言した。
十二時十五分には、相原は、平河町の事務所にいたことが、確認された。
一方、舞子こと、藤原亜木子は、午前十時四十分頃、新幹線の熱海駅にいた。相原が、午前十時に、平河町の事務所にいて、それから、秘《ひそ》かに脱《ぬ》け出し、十二時十五分までに、何処かで、彼女を殺して、引き返したというのは、考えられなくはないが、忙しい仕事になってしまうだろう。
と、すれば、十二時十五分後に、出かけたのではないか。
このあと、相原が、事務所にいたことが、確認されるのは、午後五時三十分である。
午後五時三十分に、女事務員の一人を、ボーイフレンドが、車で、迎えに来ている。
二十六歳のサラリーマンで、この日、彼女と、夕食をすることになっていたので、車で、迎えに来たのである。
その時、彼は、相原と会っている。これは、写真で、確認して貰《もら》っている。
そして、午後六時には、他の事務員二人も、帰宅し、相原一人が、事務所に残ったことになっている。
しかし、一人だけ残って、仕事をしたという証拠はない。夜の十時半に、友人が、事務所に電話して、彼と話をしているから、この時刻に、事務所にいたことは、間違いないのだが、それまで、彼が、事務所にいたという証明はないのだ。
午後六時から、十時半までの間、彼は、一人で、事務所にいたと、自分で証言しているが、犯行に走ったとすれば、この時間が、一番、怪しいことになる。
昼の十二時十五分から、午後五時三十分までの間も、事務員たちに、偽証させればいいわけだが、その中の一人が、裏切ることも考えられる。その危険を冒すかどうか。
夜、一人になる時間があれば、こちらを、利用するのが、自然だろう。
それに、午後十時半に、友人が、電話して来たのは、前からの約束だったことが、わかった。その友人とは、マージャン友達というわけで、週に一回ほど、マージャンを楽しむ。この日も、夜の十一時頃なら、つき合えるので、十時半に電話してくれと、相原が、その友人に、いっていたのである。
それで、十時半に、友人は、彼に電話をかけ、OKということになって、車で迎えに来て、翌朝まで、卓を囲んだ。このマージャンのことは、証明されている。
従って、相原は、前もって、午後十時半に、友人が、電話してくることは、承知していたのである。
つまり、午後五時三十分からは、相原は、一人になり、十時半に、電話が入るまで、自由に、行動できたのではないか。
亜木子を殺したとすれば、この時間帯を利用した可能性が強くなってくる。
そうなると、亜木子の行動が、重要になってくるのだ。
彼女は、十時四十分に、熱海駅にいたことは、わかってくる。
その時、相原は、東京である。
とすれば、彼女は、大阪方向に向ったと考えるより、東京方面行の列車に乗ったと、考えるべきだろう。
相原が、殺したとすれば、自分のいる方に、獲物を近付けておこうとするに違いないからである。
亜木子は、東京行の新幹線に乗ったと考えられる。十二時までには、東京都内に入っているだろう。
そのあと、彼女は、どうしたろうか?
都内のホテルで、相原からの連絡を、待っただろうか?
しかし、それでは、彼女の足取りが、わかってしまうし、目撃者が出てしまう。偽名を使ったとしても、フロントに、顔を見られてしまうからだ。
とすると、彼女を、何処に、待たせておいたか?
(相原の自宅マンション)
それが、十津川の頭に浮かんだ。前もって、彼女に、キーを預けておいたのかも知れない。
相原のマンションは、京王《けいおう》線の調布《ちようふ》駅の近くにある。
十津川は、亀井と、そのマンションを、自分の眼で見てみることにした。
調布駅から、多摩《たま》川に向って十五、六分ほど歩いた場所にあるマンションで、一部屋、一部屋が、独立した形式になっていて、内部が、二階建てになっているものだった。
マンションというより、集合住宅と呼んだ方が、適当だろう。
他の住民に見られずに、自分の部屋に入ることが出来る形である。
相原の部屋は、一階が、五十平方メートルで、同じ広さの二階には、中で、らせん階段で、つながっているものだった。
一階に、「相原」の表札が出ていて、二階には、出入口がなく、ベランダがあった。
十津川が、重視したのは、その部屋の形でもあったが、マンションの場所だった。
多摩川の河原《かわら》まで、歩いて、四、五分の近さということだった。
更に、川の向うは、神奈川県である。
つまり、川を渡れば、神奈川県警の管轄になるということである。
近くには、貸ボート屋があり、二十|艘《そう》ほどのボートがつないである。
夜になれば、そのボートを使って、簡単に、対岸に渡れる。この辺り、川幅は、二、三十メートルしかなかった。
「場所は、面白いですよ」
と、亀井が、いった。
近くには、コンクリートの大きな橋がかかっているから、車を使っても、神奈川県に、簡単に渡ることが出来る。
平河町の石田事務所から、車で、三十分から四十分で、マンションに帰れるだろう。ラッシュにぶつかったとしても、一時間あれば、十分だ。
車が不安なら、地下鉄と、京王線を使えば、時間は、安定する。新宿から、特急で、調布まで、十七、八分だからだ。
午後六時に、事務所を出れば、七時には、調布のマンションに着く。
そして、亜木子を始末して、十時半までには、ゆっくり、事務所に戻れる。
十時に帰ったとすれば、調布にいられる時間は、九時に出たとして、二時間もある。
「二時間あれば、いろいろと、細工が出来るね」
と、十津川は、いった。
「身近かなところで、重しをつけて、多摩川に沈めることも出来ますし、川を渡って、読売ランドの丘陵地帯に、埋めることだって、出来ます」
と、亀井は、いった。
十津川は、西本たちに電話してみた。相変らず、亜木子は、奥湯河原のホテルに戻っていないという。
殺された可能性は、更に、強くなったと、思った。
「念のために、あと二日、様子を見てみよう」
と、十津川は、亀井に、いった。
二日が過ぎた。が、亜木子は、Rホテルに戻らず、ホテル側は、警察に、捜索願を出した。
「これで、彼女が、殺されたとみていいだろう」
と、十津川は、いった。
まず、石田事務所で、相原に、会った。
相原は、なぜか、ニコニコしながら、二人を迎えた。
亀井が、眉《まゆ》をひそめながら、
「藤原亜木子を知っていますね? クラブでは、舞子と呼ばれていた女です」
と、相原に、きく。
相原は、否定するのではないかと思ったのだが、意外に、あっさりと、
「新宿のクラブAのホステスでしょう? 何回か行っているから、知っていますよ」
と、いった。
「あなたとは、どんな関係ですか?」
と、十津川が、きいた。
「どんなって、客と、ホステスの関係です。それではいけませんか?」
「彼女は、今、何処にいます?」
「僕は、知りませんよ」
と、相原は、いった。
「奥湯河原のRホテルに泊めたのは、あなたの指示じゃありませんか?」
「じゃあ、そのホテルにいるんでしょう。行ってみれば、いかがですか?」
と、相原は、逆に、きく。
「ところが、彼女が、そのホテルから、消えてしまったのですよ」
と、十津川は、いった。
「まるで、僕が、どうかしたみたいな、いい方ですね」
と、相原は、小さく、笑って見せた。
「どうかしたんじゃありませんか?」
十津川は、ニコリともしないで、きいた。
「とんでもない。なぜ、僕が、一人のホステスに、そんなことをしなければならないんですか?」
「彼女の存在が、邪魔になったからだと思いますがねえ」
「よくわかりませんね」
「わかっている筈《はず》だ」
と、亀井が、強い声で、いった。
「僕が、殺したみたいに、聞こえますが?」
と、相原がきく。
「みたいなじゃなくて、われわれは、あんたが、藤原亜木子を殺したと思っている」
と、亀井は、いった。
相原は、眉を寄せた。
「そんなことをいうと、名誉|毀損《きそん》になりますよ」
「じゃあ、訴えなさい」
と、十津川は、いった。
相原が、何かいいかけるのを無視して、十津川と、亀井は、腰を上げた。
二人は、パトカーに、戻った。
「これで、いよいよ、宣戦布告ですね」
と、亀井が、いう。
「西本たちを呼んで、相原を、監視させよう」
と、十津川は、いった。
「彼が、動きますか?」
「彼が殺して、隠したのなら、見つかるかも知れないという不安から、もう一度、現場を見に行く可能性がある」
「わかりました」
と、亀井は、すぐ、西本と日下を呼んだ。
二人に、相原の監視を命じておいて、十津川は、捜査本部に、戻った。
「これから、藤原亜木子の死体を探すことにする」
と、十津川は、刑事たちにいった。
探す場所は、まず調布附近の多摩川、周辺の丘陵地帯ということになる。
二百人近い捜査員が、動員された。当然、記者たちの質問が、この作業に、集中してくる。
十津川は、それを待っていて、記者会見を開いた。
「今、私たちは、行方不明の一人の女性を、探しています。名前は、藤原亜木子、クラブのホステスで、店での名前は、舞子です」
と、十津川は、彼女の顔写真を、記者たちに見せた。
「何故、彼女を探しているんですか?」
と、記者たちが、当然の質問をする。
「重要な事件の証人だからです。その事件については、今は、申し上げられません」
「殺されたと思われる理由は、何ですか?」
「彼女は、奥湯河原のホテルから、十一日に、姿を消し、捜索願が出されていますが、三日たった今も、行方は、わかりません。殺されたと考えるのが、自然です。今もいったように、彼女は、重要事件の証人なので、彼女が生きていては困る人間がいるのです」
「多摩川と、周辺の丘陵地帯を探すようですが、その根拠は、何なのですか?」
「第一は、この周辺で、十一日に、目撃されていることです」
と、十津川は、一つ、嘘《うそ》をついた。
「それだけですか?」
「彼女の知人が、その辺りに、住んでいることです。この人物は、われわれが、マークしている一人です」
「殺人としてですが、容疑者も、わかっているんですか?」
「もちろん、わかっています。だから、捜査員を動員して、死体を探すわけです」
と、十津川は、いった。
この記者会見での言葉は、相原に、聞かせているつもりだった。
相原が、この辺りに、亜木子の死体を隠したとすれば、心配になって、見に来るのではないか。
十津川の狙《ねら》いは、それだった。
捜索は、日没と共に、中止され、そのあと、十津川たちは、隠れて、監視することにした。
相原が、現われるのを、見張るためである。
十津川は、じっと、西本、日下からの連絡を、待った。
夜の六時過ぎに、相原は、平河町の石田事務所を出たと、知らせが入った。
白のシーマに乗って、相原は、甲州《こうしゆう》街道を、自宅のある調布に向った。
西本と日下の覆面パトカーが、尾行する。
相原は、途中の下高井戸《しもたかいど》で、中国料理の店に寄って、おそい夕食をとった。多分、彼のひいきにしている店なのだろう。
約一時間で、夕食をすませ、再び、車に乗り、調布に向った。
調布の自宅マンションに入ったのは、午後八時三十五分だった。
西本、日下から引きついで、他の刑事たちが今度は、相原の監視に当ることになった。
その夜、相原は、マンションに入ったまま、外出しなかった。
翌朝、八時過ぎに、相原は、双眼鏡を持って、二階のベランダに現われ、多摩川で、川浚《かわざら》いを開始した捜査員の動きを、しばらく、眺めていた。監視していたといってもいい。
その報告を受けて、十津川は、ニッコリした。
相原が、今回の捜索を、気にしている証拠だったからである。
しかし、多摩川の川浚いや、周辺の丘陵地帯の捜索からは、今のところ、何の収穫も、得られなかった。
午後六時に、捜索は中止。十津川は、三上本部長に呼ばれた。
三上のいうことは、わかっていた。思った通り、三上は、十津川の顔を見るなり、
「今日も、何も見つからなかったようだが、本当に、藤原亜木子の死体が、見つかると、思っているのかね?」
と、きいた。
「見つかる筈です」
と、十津川は、答えた。
「その根拠は、何だね?」
「彼女は、間違いなく、殺されていますし、殺されたとすれば、死体は、多摩川に沈められているか、周辺の丘陵地帯に、埋められている筈です」
「他に、根拠は?」
「相原は、盛んに、われわれの捜索を気にしています。これは、今朝早く、マンションのベランダに出て、われわれの捜索を、監視していたものです」
と、十津川は、いい、刑事の一人が、望遠レンズを使って撮った相原の、写真を、三上に、見せた。
三上は、その写真に、大きな関心を見せた。
「確かに、相原は、気にしていたわけだな?」
「その通りです。明らかに、彼は、われわれが、藤原亜木子の死体を見つけるのを、恐れているのだと思います」
「それで、これからどうなると、君は、思っているんだ? いつ頃、彼女の死体が見つかると、考えるのかね?」
と、三上は、きいた。
「一週間を考えていますが、うまくいけば、その前に、見つかると、思っています」
「うまくいけばというのは?」
「相原が、不安に耐え切れなくなって、動き出すことです。彼が、死体が発見されるのを恐れて、自分が埋めた場所に行き、掘り起こして、別の場所へ移そうとすれば、われわれは、予定よりも早く、彼女の死体を見つけられますし、その場で、相原を逮捕することが出来ます」
と、十津川は、いった。
「相原を、ずっと監視しているのか?」
「監視しています。気付かれないように、捜査はやっていますので、ご安心下さい」
「相原は、動き出しそうなのかね?」
と、三上が、きく。
「その写真を見れば、可能性は、高いと、思っています」
と、十津川は、いった。
亀井たちのところに戻ると、まっ先に、十津川は、相原の様子をきいた。
「彼は、どうしている?」
「今日は、石田事務所に、行っていません。ずっと、自宅マンションにいたと思われます」
と、亀井は、いった。
「不安で、仕事どころではないんだろう」
と、十津川は、いった。
十津川は、相原の態度によって、捜査方針に自信を持った。
このまま、多摩川と、周辺の丘陵地帯の捜索を続けていけば、必ず、藤原亜木子の死体は、見つかるだろう。
ただ、いかにも、広い。出来れば、不安になった相原が、動いて欲しかった。自分から、不安になって、死体を移動させるために、動いてくれれば、これ以上の手間は、省けるのだ。
十津川は、捜索を進めながら、相原の動きを注視し続けた。
捜索を続けて五日目。
十津川は、この日、多摩川の川辺に立って、川浚いの指揮を取っていた。
小雨が降り続いて、寒い日だった。
全員が、レインコートを着ての作業である。どの顔にも、さすがに、疲労の色が、浮かんでいる。
昼近くなった時、捜査本部から、連絡が入った。
すぐ、戻って来て欲しいというものだった。
「何かあったのですか?」
と、十津川が、電話できくと、
「相原が、こちらに来て、警部と会いたいと、いっています」
「彼の用件は?」
「それは、警部に会ってから話したいといっています」
「わかった。すぐ行く」
と、十津川は、いった。
「藤原亜木子殺しについて、捜査本部に、出頭したということでしょうか?」
と、パトカーで、捜査本部に向いながら、亀井がきいた。
十津川は、笑って、
「それほど、甘い相手じゃないよ。自供ということは、まず考えられないが、動揺して、何か探りに来たんじゃないかね」
と、いった。
捜査本部に着くと、電話して来た西本に、
「相原の様子は、どうだ?」
と、きいた。
「落ち着いて、煙草を吸っています」
「落ち着いて――?」
十津川は、首をひねりながら、待たせてあった相原に、会った。
相原は、煙草をもみ消すと、
「今日も、川浚いですか?」
と、笑った。
「何の用ですか?」
と、十津川は、きいた。
「警察の方々が、無駄なことをされているのを、見かねましてね。それに、税金の無駄遣いもされている。それで、ご忠告に伺ったわけです」
「どういうことか、わかりかねますが」
「十津川さんは、藤原亜木子が、死んでいると思われている。しかも、この僕が殺したと誤解されている」
「われわれは、それを誤解とは、思っていませんがね」
と、十津川は、いった。
相原は、また、笑った。
「頑固な方だなあ。実は、昨日、彼女から、電話がありましてね」
「電話があった? 本当でしょうね?」
半信半疑で、十津川は、きいた。
「嘘なんかつきませんよ。それで、僕は、誤解されていることを告げ、今日、上京して、十津川さんに、弁明して貰《もら》うことにしたのです」
と、相原は、いい、腕時計に眼をやって、
「十二時に、ここへ来るようにいっておいたので、間もなく、見える筈です」
それでも、なお、十津川は、疑いを持っていた。最後は、何かいいわけをして、彼女が、来られなかったことにして、とにかく、彼女が生きているという心証を作ろうとしているのではないかと、思ったのである。
しかし、十二時五、六分になって、西本が、
「藤原亜木子が、来ました」
と、小声で、知らせてきた。
入って来たのは、まぎれもなく、藤原亜木子だった。
十津川は、驚くと同時に、無性に、腹が立って、
「今まで、何処にいたんですか? 奥湯河原のRホテルでは、あなたが、いなくなったので、捜索願が、出ているんですよ」
と、文句をいった。
亜木子は、しおらしく、
「申しわけないと思って、Rホテルさんには、お詫《わ》びをしてきましたわ」
「答になっていませんね。何処で、何をしていたのか、話して下さい」
と、十津川は、厳しい口調で、いった。
「急に、旅行したくなって、十一日に、熱海から、京都へ行きました」
と、亜木子は、いう。
「なぜ、Rホテルに断るか、チェック・アウトしなかったんですか?」
「あたしは、昔から、急に、旅行に行きたくなったりすると、他のことは、全部、忘れてしまうのですよ。十一日も、Rホテルに断ることを忘れてしまって、本当に、申しわけないことをしてしまいましたわ」
「ずっと、京都にいたんですか?」
「京都から、神戸を経て、岡山へ行き、瀬戸内海を眺めていたんです。昨日、何気なく、相原さんに電話したら、大さわぎになっているのを知らされて、こうして、あわてて、東京に、戻って来たんですよ」
と、亜木子は、いう。
「京都、神戸と、どこのホテルに泊ったのか、教えて下さい」
「あたしの話を、信用しないんですか?」
「一応、調べませんとね」
と、十津川は、いった。
「メモ用紙を下さい」
と、彼女は、いい、それに、次のように書いて、十津川に示した。
十一日〜十四日 京都 Kホテル
十五日〜十七日 神戸 S旅館
十八日〜十九日 岡山 Nホテル
「本当は、安芸《あき》の宮島《みやじま》にも行ってみたかったんだけど、あわてて、帰って来たんです」
と、亜木子は、いった。
「なぜ、昨日の十九日になって、相原さんに電話して来たんですか?」
と、十津川は、きいた。
「相原さんというわけではなく、おなじみのお客さんの誰かに、電話したくなったんです。ちょっと、退屈したもので――」
と、亜木子は、いう。
十津川は、ともかく、裏を取ることにした。
亀井たちに、京都、神戸、岡山に電話をかけさせた。
その結果、間違いなく、亜木子が、泊っていることが、わかった。それも、一人で、藤原亜木子の本名でである。
当然、多摩川周辺の捜索は、中止された。
三上本部長は、不機嫌になるし、記者たちからは、質問ぜめに、遭ってしまった。
いや、質問というより、詰問といった方がいいだろう。
さっそく、羽山弁護士がやって来て、三上本部長に、抗議した。
石田大臣の秘書を、殺人容疑者扱いにしたということへの抗議だった。
「その通りなんだから、こちらは、平謝りだ。君も、覚悟しておいた方がいいぞ」
と、三上は、これ以上無いという不機嫌な表情で、十津川に、いった。
「わかっています」
としか、十津川は、いいようがない。
「これから、どうする積りだ?」
と、三上は、きいた。
「捜査は、続けていきます」
「どうやってかが、問題だろう。これ以上、相原や、藤原亜木子を追い廻せば、間違いなく、告訴されるし、こちらに、勝ち目はないぞ。こちらは、完全に、ミスをしてしまったんだからな」
と、三上は、いった。
「わかっていますが、どうも不思議です」
「何が、不思議なんだ?」
「なぜ、藤原亜木子が、消されなかったかがです」
「まだ、そんなことをいってるのか」
と、三上は、呆《あき》れたような、表情になった。
亀井が、十津川を慰めるように、
「久しぶりに、夕食をどうです?」
と、誘った。
二人は、新宿の行きつけの天ぷら屋で、夕食を共にした。
少しだが、酒も呑《の》んだ。
「どうも、私たちは、考え違いをしていたらしい」
と、十津川が、箸《はし》を置いて、いった。
「何に対してですか?」
「藤原亜木子という女についてだよ」
「どう考え違いをしていたと、いわれるんですか?」
と、亀井が、きく。
「この女の役目だよ。私は、ただ単に、相原と、パルテノンの六人をつなぐ糸でしかないと思っていたんだ。だから、その役目を終れば、消されるだろうと、思っていたんだよ。それが、間違いだったんだ。彼女は、もっと大きな役目を持っていたんじゃないか。単なるつなぎ役じゃなくて、相原たちの立派な共犯者なんじゃないかと、思うようになっている」
と、十津川は、いった。
「立派な共犯者ですか――」
「そうだよ。今、パルテノンの残りの四人は、行方《ゆくえ》不明だ。石田健作や、相原にとっては、行方がわからないのでは、不安で仕方がないだろう。ところが、石田にしても、相原にしても、あまり心配ないように見えるじゃないか。つまり、四人は、すでに消されてしまっているか、石田たちが、十分に、四人のことを把握しているんで、心配してないんじゃないかな」
「その役目を、藤原亜木子が、しているということですか?」
と、亀井が、きく。
「そうじゃないかと、思うようになっている」
「だから、立派な共犯者ですか」
「そうだ。そう考えると、今日の彼女の行動も、全く、別な角度で、見ることが出来るじゃないか」
と、十津川は、いった。
「すると、彼女が、奥湯河原に行ったことも、別の角度で、見られますか?」
「われわれは、相原が、警察から亜木子を隠すために、奥湯河原のRホテルに行かせたと考えていた。しかし、ひょっとすると、彼女は、別の役目を与えられて、奥湯河原に行ったのかも知れない」
「どんなことですか?」
「奥湯河原は、真鶴《まなづる》に近い。真鶴には、ヨット・ハーバーがある。マリーナがね」
「ヨットですか?」
「例の四人は、ヨット好きだ。今でも、ヨットと共に過ごしているのではないか。それを考えると、真鶴にあるマリーナは、意味があるように、思えてくるんだよ」
「真鶴のマリーナに繋留《けいりゆう》されているヨットに、四人が、乗っているということですか?」
「ああ、そうだ。そして、亜木子は、彼等との連絡のために、奥湯河原に行ったのではないかということなんだ。真鶴に直接行っては、怪しまれるからね」
と、十津川は、いった。
「すると、彼女が、十一日から、突然、動いたのは、どういうことなんでしょうか?」
「それにも、意味があったと思うよ。第一に考えられるのは、警察に対する陽動作戦だ。わざと、行先も告げずに、Rホテルから、姿を消す。当然、ホテル側は、捜索願を出し、われわれは、彼女が、相原に消されたに違いないと、考えてしまった。まんまと、相原たちの思惑どおりに、動いてしまったんだ。相原は、わざと、五日間われわれに、探させておいてから、彼女を呼び寄せ、われわれの鼻を明かしたんだ。これで、警察の面目は丸潰《まるつぶ》れになるし、これからは、相原や、亜木子のことを、調べにくくなる」
「その狙《ねら》いは、まんまと、成功したわけですね」
「彼等にしてみれば、予想以上の成功だろう」
「亜木子が、京都、神戸、岡山と旅行したのは、何か意味があったんでしょうか? それとも、偶然でしょうか?」
「岡山というのが、気になるね。例の牛窓の近くだからね」
と、十津川は、いった。
「そうですね。日本のエーゲ海に近いです」
「本当は、牛窓に行きたかったのかも知れない。だが、それでは、怪しまれるから、岡山に泊ったのかも知れない」
と、十津川は、いった。
亀井は、ボールペンを取り出し、手帳に、簡単な日本の地図を描き、真鶴、京都、神戸、岡山に、丸印をつけた。
「何してるんだ?」
と、十津川が、きく。
「真鶴に、例の四人が、ヨットで生活していたとします。一ケ所に、ずっと、繋留されていては、面白くないでしょう。ヨットは、本来、動くのが、目的ですから。連中は、ヨットで、真鶴を出港し、牛窓に向った。そこで、亜木子も、監視のために、岡山に向った。そういうことだったんじゃないんでしょうか。もちろん、われわれに対する陽動作戦も、あったでしょうが」
と、亀井は、いった。
「そうか。連中も、多分、同じ十一日に、真鶴を出港し、ゆっくりと、紀伊《きい》半島を廻って、瀬戸内海に入った。亜木子は、それに合せて、京都に泊って、時間を潰し、神戸に出て、それから、岡山に行った。そういうことかも知れないな」
十津川は、肯《うなず》くようにして、いった。
「最後の岡山には、二泊していますね」
「この二日間、彼女は、毎日、牛窓に行って、連中に、会っていたのかも知れないな。そして、きちんと、手を打っておいて、東京に、戻って来たのかも知れん」
「手を打ってですか?」
「つまり、相原の指示どおりにということだよ」
と、十津川は、いった。
十津川は、西本と日下の二人を、真鶴に行かせて、ヨットのことを、調べさせた。
二人の刑事は、相模《さがみ》湾に小さく突き出した、真鶴半島に飛んだ。
東海道本線の真鶴駅で降り、突端の真鶴岬に向う。
岬の根元のところに、真鶴港がある。元々は、漁港だが、現在は、ヨットを繋留するマリーナも、近くに、作られていた。
二人は、そこで、四人の顔写真を見せて、聞き込みを行った。
その結果、コーラルT号という、ヨットが、繋留されていたことを知った。
アメリカ製のヨットで、男女四人が、乗っているのが、目撃されている。
恐らく、石田健作の指示で、相原が、四人に、報酬として、買い与えたものだろう。
マリーナの職員が、西本たちの示した写真で、四人の男女が、例の六人の生き残りであることを、確認した。
「コーラルT号は、十一日の昼過ぎに、出港しています」
と、教えてくれた。
真鶴マリーナに提出されているスケジュールによると、コーラルT号は、伊豆半島を廻り、浜名マリーナを経て、名古屋、更に、紀伊半島を廻って、大阪、神戸と寄港して、牛窓マリーナへ向うことになっている。
「その後の予定は、聞いていませんか?」
と、西本は、きいてみた。
「詳しいことは知りませんが、向うで、ゆっくりと休養し、準備をすませてから、世界一周に出発するのだと、いっているのを聞きましたよ」
と、マリーナの職員が、教えてくれた。
西本が、それを、電話で、東京の十津川に、伝えた。
十津川は、その知らせに、あわてた。もし、例の四人の乗ったヨットが、世界一周に出発してしまったら、捕えるのは難しいと、思ったからだった。
無寄港世界一周となったら、何ケ月も、彼等を、捕えられなくなる。
十津川は、亀井と、すぐ、牛窓に向った。
飛行機と、車を使って、その日の夕方には、牛窓に着いた。
すでに、瀬戸内の海は、うす暗くなっていた。
岡山県警の応援も頼んで、牛窓にあるマリーナから、コーラルT号を、探した。
マリーナに並ぶヨットの群。しかし、コーラルT号は、なかなか、見つからなかった。
「もう、世界一周に向って、出発してしまったんじゃありませんか?」
と、県警の半田警部がいった。
海は、完全に、夜の中に、沈んでしまっている。
「いや、まだ、その時間は、なかったと思います。藤原亜木子は、二日間、岡山にいた。多分、その間、牛窓に来て、四人と会い、世界一周に必要な書類の世話や、必要な金を与えたのだと思います。それから、まだ、三日しかたっていません。三日間で、食糧などの積み込みは、出来んでしょう。従って、まだ、ここにいると、私は、思っています」
と、十津川は、いった。
「しかし、コーラルT号は、見つかりませんよ」
「ええ。だが、世界一周ともなれば、準備に時間がかかる筈です。人工衛星を使った最新の機器も必要だし、無線機も一台でなく、予備も、積み込む必要があります。それに、四人分の食糧、飲料水、など、時間は、かかる筈です」
「それは、わかりますが、肝心のコーラルT号が、いないのでは、どうしようもありませんよ」
と、半田は、いった。
翌日も、明るくなると同時に、十津川は、県警の刑事たちと、マリーナを、調べて歩いた。
その結果、一つの証言を得た。
十五日に、ヨットが一隻入港したが、そのヨットの名前が、コーラルT号だったというのである。
「確か、男三人に、女一人が、乗っていたと思いますよ」
と、その目撃者は、教えてくれた。
「そのヨットが、今は、見えませんが、出港してしまったんですか?」
と、十津川は、きいた。
「そこにありますよ」
と、相手は、指さした。
「あのヨットですか?」
「そうです」
「しかし、艇名が、違いますよ。HIROKOになっている」
「コーラルT号を買って、名前をHIROKOに、変えたんですよ。甲板《デツキ》にいるのが、新しい持主です」
と、いう。
そのヨットの甲板《デツキ》に、三十歳くらいの男が、立って、こちらを見ていた。
十津川は、近寄って行って、
「このヨットは、前は、コーラルT号という名前だったそうですね?」
「ええ。僕が買って、彼女の名前をつけたんです」
と、青年は、笑顔で、いった。
「いつ買ったんですか?」
「十六日です。予想外に安かったんで、あわてて、買いましたよ」
「失礼だが、いくらで買ったんですか?」
「六十万円」
「この大きさならいくら中古でも、二百万くらいは、するんじゃありませんか?」
「だから、あわてて、買ったんですよ」
「あなたに売ったのは、どんな人ですか?」
と、十津川は、きいた。
「女の人でした。えーと、矢野和美という人ですよ。その人の所有になっていたから」
と、青年は、いった。
例の六人の中のただ一人の女性、矢野和美の名前で、登録されていたらしい。
「このヨットには、他に三人の男が乗っていた筈《はず》なんだが――?」
「ええ。乗ってましたが、所有者は、女の人になっていたから、問題はない筈ですよ」
「彼等は、あなたに、このヨットを売ったあと、どうしたかわかりますか?」
と、十津川は、きいた。
「さあ、この近くのペンションに、泊っているようなことを、いっていましたがね」
と、青年は、いう。
半田たちが、そのペンションを探してくれることになった。
十津川は、亀井と、その結果を待つため、マリーナの見える場所にあった喫茶店に入り、コーヒーを注文した。
「どういうことなんですかね? ヨットで世界一周をするようなことだったのに、そのヨットを、格安で、売ってしまうなんて」
亀井が、首をかしげた。
十津川は、コーヒーを口に運んでから、
「あのヨットは、四人で、世界一周をするには、少しばかり小さいんじゃないかな。それに、中古で、何処かに、傷があったのかも知れない。それで、安く、売ってしまったんじゃないか。或いは、相原の指示で、四人が、売ってしまったか」
「じゃあ、ヨットによる世界一周は、完全なデマだったということですかね?」
「いや、石田や、相原にしてみれば、問題の四人が、ヨットで、世界一周に出発してくれるのが一番助かるんだ。警察の手の届かない場所に、数ケ月、置いておけるわけだからね」
「しかし、ヨットは?」
「それだが、石田健作たちは、四人に、新しい、世界一周の出来るヨットを与えると、約束したんじゃないかな。それが、二億円の金塊事件について、沈黙を守ることの代償だった」
と、十津川は、いった。
「その新しいヨットは、何処にあるんですか?」
と、亀井が、窓から、マリーナの方に眼をやって、きく。
「建造した国、例えば、アメリカから、送られてくる途中なのか、もう、何処かに、着いているのか、どちらかだろう」
「この牛窓マリーナに、送られてくるのか、すでに着いているかでしょうか? それとも、他の場所でしょうか?」
と、亀井が、きいた。
「それがわからない。相原は、われわれが、牛窓に来ていることに、気付いていると思う。そうなると、ここに、新しいヨットを送り、それを、四人が受け取るのが危険なことは、十分、知っている筈だ。だから、まだ着いていないとすれば、急遽《きゆうきよ》、送り先を変更したと思うね」
と、十津川は、いった。
しかし、それが何処なのか、十津川にも、見当がつかない。
県警の刑事たちが、四人の泊っていたペンションを見つけ出した。
マリーナから、歩いて十二、三分の場所にあるペンションで、間違いなく、四人が、昨日まで、泊っていたということだった。
「昨日――ですか?」
十津川は、小さく溜息《ためいき》をついた。
「そうです。昨日の午前八時頃、あわただしく、チェック・アウトして行ったそうです。十五日から、昨日まで泊っていたと、いっています」
と、半田が、いった。
「外から、電話でも入ったのかな?」
「そうです。一昨日《おととい》の夜、十時頃、電話が入り、そのためか、昨日の朝食のあと、急に、チェック・アウトして行ったと、ペンションのオーナーは、証言しています」
「やはり、電話があったんだ」
と、十津川は、呟《つぶや》いてから、
「彼等が何処へ行ったかは、わからないでしょうね?」
「そうですね。ただ、四人は、オーナーに、タクシーを呼ぶように頼み、そのタクシーで、岡山駅に向ったことはわかりました。タクシーの運転手が、そう証言しています」
と、半田はいった。
その電話は、女の声だったそうだから、多分、藤原亜木子だろう。
十津川の推測した通り、相原が、十津川たちが、牛窓に行ったことに気付き、電話で、四人に、すぐ、牛窓から出ろと、指示したに違いない。
問題は、四人が、何処へ行ったかである。
十津川の推理が正しければ、彼等は、新しいヨットを、相原から与えられ、それに乗って世界一周に出発する筈である。
さもなければ、彼等が、自分たちのヨットを、安売りする筈がないのだ。ヨットと、海を愛している四人が。
ただ、警察の追及を逃がれて、牛窓マリーナで、新艇を受け取るところを、別の場所に変えたに違いない。
そこが、何処《どこ》で、いつ、新艇を受け取るのかということである。
十津川は、全力をあげて、その二点を知ろうと努めた。
まず、どこから、その新艇を、購入したのだろうか?
前に、連中が、アメリカ製の中古艇を買ったこと、次のコーラルT号艇も、アメリカ製だったことから、今度の新艇も、アメリカ製だろうと、勝手に決め込んでいたが、よく考えれば、いくらでも、他の購入ルートは、あるのだ。
最近は、台湾など、東南アジアでも、いいヨットが作られていると聞くし、輸入手続など、面倒なことを考えれば、国産のヨットが、購入されたのかも知れないのだ。
十津川は、刑事たちに、日本ヨット協会や、各地のクラブ、それに、ヨット関係の雑誌社を廻《まわ》らせ、或いは、電話連絡を取らせて、新艇についての情報を、集めさせた。
少しずつ、集って来た情報を綜合《そうごう》すると、どうやら、最近、外国から新艇を購入したケースはないようだった。
「とすると、国内で造られた艇だという可能性が、強くなりますね」
と、亀井が、いった。
「しかし、国内で、最近、四人が乗って、世界一周出来るような大型艇の建造の情報は、入っていませんが」
と、西本が、いう。
「多分、相原が、押さえているんだと思うよ。その情報が、われわれに掴《つか》まれてしまえば、四人の残党が、捕ってしまうし、彼等と、自分との関係、強いては、二億円の金塊事件の真相が、わかってしまうから、相原も、必死なんだろう」
と、十津川は、いった。
四人を、ヨットに乗せて、世界一周に、出発させてしまうまで、相原は、安心できないのだろうし、それは、石田健作に、厳命されている筈だった。
「新艇は、すでに、どこかのマリーナに置かれていて、着々と、出港準備をしているんじゃないかな」
と、十津川は、いった。
「それは、何故ですか?」
「相原や、藤原亜木子が、嫌に、落ち着いて、動かないからだよ」
「しかし、世界一周に向って、出航するとすると、パスポートも必要でしょうし、寄港する国のビザも、必要なんじゃありませんか?」
と、日下が、いう。
「そういう点は、全部、相原が手配しているんだろう。何しろ、文部大臣の秘書だ。秘密裏に、手配できると思うよ」
と、十津川は、いった。
「しかし、このままでは、われわれが、わからない中《うち》に、出港されてしまいますよ」
西本が、いまいましげに、いった。
「とにかく、全力を尽くして、新艇を、見つけ出して欲しい。いくら、相原たちが隠しても、何か、噂《うわさ》は、聞こえてくる筈だ」
と、十津川は、刑事たちを、励ますように、いった。
相原と、藤原亜木子の尾行と、監視も、徹底的に行われた。
その結果、やっと、新艇についての噂をキャッチすることが出来た。
大阪市内の会社で、外洋ヨットが建造され、それが、三日前に進水、何処かへ、曳航《えいこう》されて行ったというのである。
しかも、その小さな造船所は、急に、休業になり、社長以下十五名が、世界旅行に、出かけてしまったというのである。
西本と、日下の二人が、すぐ、大阪に飛んだ。
大阪の泉南《せんなん》にある会社で、西本たちが、附近の人たちに会って話を聞いたところ、そのヨットを建造中、例の四人と思われる男女が、しばしば、訪れていることが、わかった。
四人の意見を入れて、設計され、建造され、その費用を、口止料として、石田健作側が、支払ったに違いない。
それは、牛窓のマリーナに運ばれて、四人に、引き渡されることになっていたに違いない。それが、十津川たちの動きを察して、急遽《きゆうきよ》、別のマリーナに運ばれ、そこで、四人が、世界一周の準備をし、出港することにしたに違いなかった。
いや、すでに、出港しているかも知れない。
十津川は、牛窓方面に運ばれたとは、思えなかった。心理的にも、逆の方向にあるマリーナに、運ばれるだろう。
それも、東京の近くというのも、心理的に、選ばないだろう。
大阪と、東京の中間地点なら、安心感がある。
相原も、四人も、そう感じたに違いない。十津川が、彼等だとしても、その地点は、安心感を持つだろうと、思った。
十津川は、地図の上で、その地点の周辺にあるマリーナを、しらみ潰《つぶ》しに、調べていった。
二日間かかって、浜名《はまな》湖にあるマリーナが、浮かび上ってきた。
十津川と亀井が、急行した。
浜名湖の観音崎《かんのんざき》近くのマリーナだった。
二十隻近いヨットが、繋留《けいりゆう》され、ここでは、ヨットの修理も行われている。
しかし、そこの責任者は、十津川の質問に答えて、
「そのヨットなら、二日前に出港しましたよ」
と、あっけらかんとした表情で、いった。
「出港した?」
「ええ。四人のクルーで、世界無寄港一周をするとかでね。見送り人が、一人もいない、寂しい出港でしたがね」
と、責任者は、いう。
「今、どの地点を、航行中か、わかりますか?」
と、亀井が、きいた。
「多分、八丈島《はちじようじま》の沖を、東に向って航行しているんじゃないかな」
というのが、返事だった。
当然、公海上だろう。
それを、どうすれば、逮捕できるのか?
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第七章 解決への道
十津川は、海上保安庁に協力を要請し、問題のヨット「コスモT号」を、探して貰《もら》うことにした。
要請を受けた海上保安庁は、大型巡視艇「みうら」と、航空機を出動させ、現在、コスモT号艇が、航行中と思われる海域を、捜索した。
コスモT号は、浜名マリーナを二日前に出港したあと、定時の連絡を入れていない。
八丈島の南東二〇〇キロの洋上を、東に向っているというのは、あくまでも、推測でしかなかった。
十津川が調べた限りでは、コスモT号艇は、最近の無線機器を二台搭載しており、無線機の故障ということは考えられないから、故意に、無線連絡を絶っているとしか思えなかった。
これは、相原が、例の四人に、出航後は、絶対に、無線を使うなと、厳命したに違いない。
そして、多分、絶対安全な海域に出たら、無線を使ってもいいと、いってあるのだろう。或いは、四人と、相原の間に、暗号が決められていて、その暗号を使って、連絡を、取り合う気かも知れない。
海上保安庁の飛行機も、巡視艇も、コスモT号艇を、発見出来ないままに、一日目の捜索が終り、二日目から、少しずつ、捜索の範囲を広げていった。
巡視艇も、二隻に増やされ、航空機も、二機が出動してくれた。
しかし、コスモT号は、発見されない。
これまでに、無寄港世界一周を果たしたヨットマンに意見を求め、この季節に、世界一周をする場合の予想航路を、教えて貰った。
海上保安庁は、その予想航路に従って、空と海からの捜索を繰り広げているのだが、いっこうに、見つからないのだ。
広大な太平洋上に、一隻の小さなヨットを探すのは、確かに、難しいことはわかる。それでも、十津川は、いらだちを覚えずには、いられなかった。
四日目で、海上保安庁の捜索は、打ち切られた。すでに、捜索可能な範囲を越えてしまっていると、考えられたからである。
それに、コスモT号に、乗り組んでいると思われる四人の家族から、捜索の要請が出ているわけでもなかった。ヨット協会からもである。
コスモT号は、浜名マリーナには、出航を告げてはいたが、ヨット協会には、何の届け出もしていなかったし、定時の無線連絡も、していない。協会が、遭難の恐れがあるとして、捜索願を出す筈《はず》がなかった。
これでは、各国の沿岸警備隊に、出動を頼むことは出来ない。
浜名マリーナには、いぜんとして、コスモT号から、無線連絡は、入って来ない。こちらからの呼び掛けにも、応《こた》えは、返って来ないということだった。
コスモT号が、浜名マリーナを出航して、すでに、七日が、経過した。
「どうも、おかしい」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。
「コスモT号艇の行方が、わからないことがですか?」
と、亀井が、きく。
「それよりも、七日間も、無線の交信がないことがさ。暗号が使われているにしろ、太平洋上から、無線が発信すれば、傍受できない筈はないんだ。コスモT号に積まれている二台の無線機の性能も、わかってきているからね」
「だから、無線を封印して、航行しているんでしょう」
と、亀井が、いう。
「しかし、カメさん。相原たちにしてみれば、四人が、きちんと、自分たちの指示どおりに、航行しているかどうか、不安で仕方がない筈だ。それなのに、西本たちが、調べた限りでは、相原は、普段どおりに、平河町の石田事務所に通っているし、藤原亜木子は、都内のOホテルに泊り、優雅に、エステに通ったり、多分、相原に貰った金でだろうが、買物を楽しんでいる」
「安心し切っているということですか?」
「そうだ。なぜ、安心し切っているのか、その理由を知りたいんだ」
と、十津川は、いった。
浦安《うらやす》のヘリポートから、八丈島に不定期でジェットヘリを飛ばしている航空会社がある。
この日、四人の客を、運ぶことになり、午前十時に、浦安ヘリポートを、飛び立った。
ヘリは、伊豆七島沿いに飛行する。三宅島《みやけじま》を通過すると、八丈島まで、海上の飛行が続く。
快晴、微風、絶好の飛行|日和《びより》である。
突然、海面に、イルカの群を発見して、客の中の子供が歓声をあげたので、操縦士は、サービスのつもりで、高度を下げた。
速度も、しぼる。
その時、副操縦士が、
「斜め前方に、浮遊物!」
と、小さく、叫んだ。
コバルトブルーの海面に、何か白い物が、浮かんでいるのが見えた。
一つ、二つ、三つ。
何かは、わからない。ただのゴミでないことだけは、わかった。
操縦士は、乗客に断って、その浮遊物の上を、旋回することにした。
副操縦士は、望遠レンズ付きのカメラを、その白い、小さな浮遊物に向けて、何度か、シャッターを押した。
八丈島に着くと、その写真は、すぐ、現像され、大きく引き伸された。
もし、それが、飛行機の破片なら、墜落の可能性があり、船体の一部なら、遭難の恐れがあったからである。
白い、三つの破片は、グラスファイバーと考えられ、もっとも大きな、六十センチ角の破片には、「C」の文字が、読めた、Cの一部といった方が、適切かも知れない。
この三つの破片は、船体の一部、それも、小型の船の一部ではないかと思われ、すぐ、海上保安庁に連絡された。写真も、電送された。
このことは、海上保安庁から、警視庁にも、知らされた。ひょっとすると、問題のヨット「コスモT号」の破片ではないかと、思われたからである。
コピーされた三枚の写真を持って、西本と日下が、浜名マリーナに飛んだ。
その破片が、果たして、コスモT号艇のものかどうか、浜名マリーナの人間に、確認して貰うためだった。
一方、海上保安庁の巡視艇が、問題の海面に急行して、浮遊している破片の回収に、取りかかった。
西本たちからは、問題のCの文字が、コスモT号艇のCによく似ているという、マリーナの人間の証言を伝えてきた。
巡視艇が回収した三枚の破片は、すぐ、分析に回され、その結果、最近、ヨットの船体に使われる材料であることが、確められた。
更に、巡視艇は、周辺の海域を捜索し、ヨットの折れたマストと思われるものが、漂流しているのを発見した。
そのマストも、三つの破片も、爆発によって、破壊されたものであることが、確認された。
どの破片にも、焼け焦げた痕《あと》があり、破壊の状況が、ただ単に、折れたものではなく、瞬間的に、強力な圧力がかかったことが、考えられるというのである。
九月二十九日に浜名マリーナを出航し、無寄港世界一周に向ったコスモT号艇は、三宅島と八丈島の中間地点を航行中に、突然、爆発し、一瞬の中《うち》に、沈没したのであろうと、考えられた。
生存者の捜索が、必死で行われたが、一人も、見つからなかった。
コスモT号に、乗っていたと思われる四人の男女は、爆発と共に、死亡してしまったのだろうか?
問題のヨットの製造会社「マリン・プロ」の社員たちも、事態を知って、あわてて、帰国し、十津川たちの事情聴取を受けた。
社長の加東の話では、八月二十九日の午後、突然、例の四人の中の安部と、矢野和美の二人が、現われ、去年、マリン・プロが、世界一周の新型艇として開発した大型ヨットを、買いたいと、申し出たというのである。
この大型艇は、マリン・プロが、コンピューター技術を駆使して設計、製造したヨットだが、会社の設定した二八〇〇万円という価格が、同じ大きさの他のヨットに比べて、割高だったために、売れずにいたものだった。
安部と、和美の二人は、そのヨットを、二五〇〇万円で買いたいといい、マリン・プロも、了承した。
最初、二人は、牛窓マリーナで、ヨットを引き取りたいといっていたが、なぜか急に、浜名マリーナに運んでくれといった。
マリン・プロは、九月二十七日に、浜名マリーナで、ヨットを引き渡したが、その時、他の二人、野村俊夫と、村松豊も顔を見せていたという。
この時、四人は、奇妙な提案をした。彼等は、二五〇〇万を現金で支払ったあと、別に、三〇〇万円を出し、マリン・プロの社員全員に、今日から十日間、旅行に出ていて欲しいといった。
奇妙な申し出だとは思ったが、有難い提案だったので、OKしたのだと加東社長は、いった。
安部と、和美の二人が、ヨットの購入に現われた八月二十九日は、三好功に続いて柳沼完治が殺されてから五日目である。
相原は、残りの四人と、その間に、話し合いを持ち、二五〇〇万円の新艇を与えること、世界無寄港一周をすることで、話し合いをつけたのだろう。もし、その提案を拒否すれば、柳沼、三好と同じように、殺すと、相原は、脅しも使ったのだろう。それと、この二人は、彼等の中で、浮き上った存在だったのかも知れない。
相原が、四人に渡した金額は、多分、三〇〇〇万円だろう。
その中から、二五〇〇万で、ヨットを購入し、三百万円で、マリン・プロの社員を、旅行に出し、残りの二百万で、世界一周のための食糧品などを、購入したのだと、十津川は、考えた。
加東社長の話では、相原や、藤原亜木子は、浜名マリーナで、見ていないという。
三日間で、コスモT号と名付けられたヨットは、出港準備を了《お》え、九月二十九日、浜名マリーナを出港した。
マリーナの人間の話では、午前十時に、出航している。
その日の風向き、風力、潮の流れなどを計算すると、コスモT号艇が、三宅島と、八丈島の中間地点に到着したのは、翌日の午前二時から、三時頃だと思われる。
何者かが、その時刻に爆発するように、時限爆弾を、ヨットのどこかに、仕掛けておいたのではないのか?
目的は、もちろん、四人を、抹殺するためだろう。他には、考えようがなかった。
犯人は、相原か、藤原亜木子で、石田健作のため、二億円強奪事件の秘密を守るためであることは、間違いあるまい。
この日の捜査会議の結論は、明らかに、時限爆弾を使った殺人というものだった。
ただ、容疑者は誰かという点になって、意見が、分れてしまった。
心理的には、相原と、藤原亜木子が、容疑者なのだ。動機も、わかっている。
しかし、この二人に、果たして、コスモT号艇に、時限爆弾を、仕掛けることが出来ただろうかという、疑問が、生れてきたのである。
亜木子は、完全に、監視、尾行していたわけではない。奥湯河原のRホテルから、姿を消した後は、彼女の動きはつかめていない。
従って、彼女が、浜名マリーナに行ったということは、十分に、考えられるのだ。
しかし、相原については、厳重に、監視、尾行していたから、彼が、浜名マリーナに行けなかったことは、確かなのだ。
また、亜木子にしても、浜名マリーナに行けたとしても、果たして、四人に知られずに、船内に、時限爆弾をセットすることが、出来ただろうかという疑問は、残ってしまう。
マリン・プロの工場から、浜名マリーナへ回送される間に、時限爆弾を仕掛けることは、不可能だったろう。三人の社員によって、回送されたのだが、その間、誰も、艇に近づいていないと、証言しているからである。
浜名マリーナには、九月二十七日から二日間、繋留されていた。その間、安部たち四人が、船内に、寝泊りしていたと、マリーナの人間は証言している。
亜木子が、四人の眼をかすめて、船内に、時限爆弾をセットするのは、難しいのではないか?
彼女には、可能だったという意見もあった。
三田村刑事は、こう、意見を述べた。
「亜木子は、失踪《しつそう》を装って、四人に近づき、相原の指示で、彼等に、金を渡していたと思われます。当然、浜名マリーナへも、行ったと思います。四人にも、信用されていたと私は、思います。コスモT号艇の中にも、入れたでしょう。時限爆弾を、船内にセットするのは、そう難しいことだったとは、思いません。例えば、食糧品を詰めたダンボールの箱の中に、隠して、船内に置くことだって出来たと思われるからです」
この三田村の考えに、北条早苗刑事が、賛成した。
「いわば、亜木子は、四人にとって、スポンサーだったわけですわ。正確にいえば、スポンサーの代理だった。だから、彼女が、これも、贈り物といって、食糧を詰めたダンボールを、彼等に渡しても、誰も、疑ったりはしなかったと思いますわ」
と、早苗は、いった。
十津川は、彼等の意見に、強いて、反対はしなかった。
従って、捜査会議では、次の三つの考えが、取りあげられた。
相原は、浜名マリーナには、行っていない。
藤原亜木子は、浜名マリーナに行った可能性がある。
亜木子が、コスモT号艇に、時限爆弾を仕掛けたかどうか、どちらともいえない。
十津川は、石田健作から、四人に対して、大型ヨットの購入資金二五〇〇万を含めて、三〇〇〇万円の金が、渡されたと、推測した。
その現金は、相原→藤原亜木子を通して、四人に渡されたに、違いない。
十津川は、その金の流れを解明することから始めた。
石田は、今回の選挙で、二億円の金塊を売却した金は、使い果たしたと、思われる。
しかし、文部大臣に就任したあと、盛大な、祝賀パーティを、開いている。
約千人が、参加し、このパーティで、六千万円の金が、集ったろうといわれている。その金は、石田の政治団体「あけぼの会」に入った筈である。
その六千万の中から、三千万円が、内密に、支出されているのではないか?
十津川は、その点を調べてみた。
彼の推測通り、三千万円が、最近になって、支出されていた。が、石田側では、今回の選挙で、銀行から、三千万の借金をしていたので、それを、返却したと、説明した。
だが、その銀行名は、明らかにしなかった。
十津川は、もちろん、その三千万は、四人に渡されたと解釈した。
次は、藤原亜木子が、浜名マリーナへ行ったかどうかということだった。
十津川は、西本たちを、浜名マリーナに行かせ、徹底的な聞き込みを実施させた。
亜木子の写真を持たせ、マリーナの職員や、同じ三日間に、このマリーナにヨットを、繋留《けいりゆう》させていた人間に聞き込みに行かせたのである。
その結果、目撃者が二人見つかり、更に、その一人は、コスモT号艇の甲板《デツキ》に、若い女が二人いるのを目撃したが、その片方は、写真の女に間違いないと、証言した。
十津川は、都内のホテルに泊っていた亜木子に、任意同行を求めて、捜査本部に、連れて来させた。
十津川と、亀井が、訊問《じんもん》に当った。
「コスモT号というヨットが、三宅島と八丈島の中間の海域で、爆発して沈没し、四人の男女が、行方不明になった。知っていますか?」
と、十津川は、きいた。
亜木子は、肯《うなず》いた。
「テレビのニュースで見たわ」
「彼等は、浜名マリーナから、九月二十九日に、世界一周に向って、出航したんです。これも、ご存知ですね?」
「そんなことまでは知らないわ」
「いや、よく知っている筈《はず》です。あなたが、浜名マリーナにいたという証言もあるし、更に、このヨットに、あなたが、四人と一緒に乗っていたのも、見ている人がいるんですよ」
「何かの間違いだわ。浜名マリーナになんか行ってないし、その四人の人も、知り合いじゃないわ」
「何もかも、わかってるんだよ」
と、亀井が、声を荒げた。
「お前さんは、相原に頼まれて、四人との繋《つな》ぎ役になっていた。彼等に、三〇〇〇万を渡して、大型ヨットを買ってやった。そして、浜名マリーナで、そのヨットに、時限爆弾を仕掛けて、皆殺しにしたんだ。目撃者が、ちゃんといるんだ、いくら貰《もら》って、その役目を引き受けたんだ?」
「知らないわ、そんなこと」
「いいか、四人もの人間を殺せば、死刑は間違いない。他人《ひと》に頼まれたことで、死刑になるなんて、間尺に合わないだろう? お前さんが、相原に頼まれたと証言すれば、情状酌量される筈だ。それを、よく考えろ!」
と、亀井は、いった。
それでも、亜木子は、首をすくめるようにして、
「何のことか、わからないわ」
「じゃあ、明日、一緒に、浜名マリーナに行って貰うぞ。お前さんが、浜名マリーナにやって来て、四人と一緒にいたことを証言してくれる人間は、何人もいるんだ」
「だから、どうなの?」
「お前さんは、九月二十七日から三日間の間に、浜名マリーナへ行き、コスモT号艇の四人と一緒にいたことは、認めるか?」
と、亀井が、きいた。
「行ったことは、認めてもいいわ」
と、急に、亜木子がいった。
「一緒に、ヨットに、食糧品などを、積み込んだことも、認めるんだな」
「たまたま、浜名湖に遊びに行った。そこで、大きくて、きれいなヨットを見つけたわ。そのヨットに乗ってる人たちと、仲良くなって、出航準備を手伝った。それだけよ」
「この四人だね?」
十津川は、安部たち四人の写真を、亜木子に見せた。
「そうよ。この四人よ」
「最初に、彼等に会ったのはいつだね?」
「浜名湖へ行った時が、初めてよ」
「嘘《うそ》だ」
「なぜ?」
「君は、クラブのホステスの時、相原に、三好功を引き合せた。あの四人は、その三好功の仲間だ。だから、君は、その時に、四人とも、知り合ったに違いないんだ。そして、君が、相原の指示を伝え、連中は六人で、二億円の金塊を強奪した。その間のことは、よく知っている筈だ。今度は、連中の口を塞《ふさ》ぐために、大型ヨットに乗せ、それに、時限爆弾を仕掛けた。まだ、遺体は見つからないが、四人が、殺されたことは、間違いないんだ。今のままなら、君が、四人を殺したことで、亀井刑事のいうように、死刑だ。それでいいのか? 君に命じた主犯が、のうのうとしているのに、君だけが死刑になる。それでも、構わないのかね?」
「あたしは、死刑になんかならないわ。何にも、やってないんだもの」
と、亜木子は、いう。
「そうか。偉い政治家がついているから、絶対に安全だといわれたのか? そんな言葉は、何の役にも立たないよ。今の時代、どんな政治家だって、一歩間違えれば、刑務所に放り込まれるんだ」
と、十津川は、いった。
それでも、亜木子の表情は、変らなかった。不安の色を見せないし、これといった動揺もない。
「あたしは、何もしてないわ」
「それなら、明日、浜名マリーナへ連れて行く」
と、十津川は、いった。
「どうも、わかりません」
と、亀井が、いう。
「なぜ、平気なのかということだろう?」
「そうです。最初、相原が、石田健作のことをいい、大臣がついているんだから、何も心配するなといっているんだろうと思っていましたが、警部が、偉い政治家だって、刑務所に放り込まれるんだと脅しても、顔色が、変りませんでした。亜木子が、頼りにしているものは、いったい、何なんですかね? 逮捕されたら、大物の弁護士をつけてやるとでも、相原が、いっているからでしょうか?」
「それだけで、安心するかね? 四人も殺していれば、君のいう通り、死刑は間違いないんだから」
と、十津川は、いった。
「では、警部は、何だと思われるんですか?」
と、亀井が、きいた。
「私は、こう考える。相原に指示され、金を貰い、連中に、命令を伝えたり、ヨットに、時限爆弾を仕掛けたのだとしたら、常に、不安で、怯《おび》えているだろうと思う。しかし、彼女が、自分から、進んで、今回の事件を、コミットしているとしたら、われわれに、訊問《じんもん》されたくらいで、怯えたりは、しないだろうとね」
「自分から、進んで、ですか?」
「ああ、そうだ」
「なぜ、彼女が、そんなことを? 彼女にとって、どんなメリットがあるんですか? そんなに、金が欲しかったんでしょうか?」
「金欲しさなら、連行されれば、少しは、怯える筈だよ」
「では、他に、何のメリットが?」
「女が、犯罪に加担する場合、金よりも、愛が理由のことが多い」
「愛――ですか?」
「そうだ。相原が、金でなく、愛情で、亜木子を、誘ったのかも知れない。相原は独身だし、将来は、政治家だ。そして、亜木子は、間もなく、三十歳になる。水商売から、足を洗って、政治家秘書の相原との結婚を夢見ているんじゃないのかな。そこを、相原に利用された。金でなく、愛情からなら、相原も、怖くないだろう。そう思うんだがね」
「相原が、亜木子と、結婚しますかね?」
「しないだろう」
「じゃあ、亜木子は、欺《だま》されているわけですか?」
「それを、悟らせるのは、難しいよ。亜木子が、相原に惚《ほ》れているとするとね」
と、十津川は、いった。
「どうすれば、亜木子が、自供しますかね?」
「惚れた男のために、動いているとすれば、証拠を突きつけても、自供はしないだろう。その愛が、裏切られた場合は、自供する可能性がある」
と、十津川は、いった。
「相原が、亜木子との結婚なんか、全く考えていないことを、わからせれば、いいわけですね?」
「これも、難しいぞ。相原にとって、今が、正念場だ。藤原亜木子のご機嫌を損じるような行動に出るとは思えないからね。彼女のご機嫌とりに終始する筈だ」
と、十津川は、いった。
彼は、翌日、西本と日下に命じて、亜木子を、浜名マリーナに連れて行かせる一方、相原の私生活、特に、女性関係を、徹底的に、調べることにした。
相原は、一言でいえば、英雄色を好む式の男で、女好きである。
相原は、近い将来、正式に政界に打って出たいと、いつも、口にしている。そのためには、金がいることも、よく承知していたが、相原の家は、資産家ではない。父親は、普通のサラリーマンだった。
そのためか、相原は、資産家の娘と、何回か、見合いをしている。彼は、見合いをすすめる先輩や、親戚《しんせき》の人間に向って、正直に、将来、政界に打って出るとき、どうしても、資金が必要なので、容姿は二の次で、資産家の娘、それも、いざという時、金を出してくれる家族のいる娘がいいと、話している。
今年の三月に、スーパー経営者の長女とは、結婚を前提としたつき合いをしていることが、わかった。
彼女の名前は、江口マキ。三十歳である。結婚に一度、失敗している。原因は、彼女のわがままだったといわれる。
結婚してから、彼女のわがままぶりは、かえって、激しくなったという。相原がそれを知りながら、見合いのあと、つき合っているのは、やはり、選挙の時に、江口家の資産を、頼りに出来るからだろう。
相原は、江口マキとつき合いながら、適当に、他の女ともつき合っている。
クラブのホステス、藤原亜木子も、その一人だった。
彼女の友だちの何人かに会った結果、十津川の推測が、当っていることが、わかった。
亜木子は、金のためなら、何でもする女という評判がある一方、最近の彼女は、結婚を望んでいて、どうやら、特定の相手を、見つけたらしいとも、いうことだった。
その相手は、多分、相原だろう。
彼女の友だちの一人は、こういった。
「最近の彼女、妙なのよ。前は、お金が全てで、政治なんか、ぜんぜん、興味を持ってなかったの。それが、急に、日本の政治がどうの、政治には、お金が要るのとか、いい出したわ。なぜ急に、そんな風になったのか、聞いてみたんだけど、笑ってるだけ」
「彼女の新しい恋人が、政治家か、政治好きということは、考えられないかな?」
と、十津川が、きくと、相手は、ニヤッとして、
「そんなことかも知れないわ」
と、いった。
浜名マリーナへ行った西本から、電話が入った。
「藤原亜木子を、覚えている人間が、こちらに、二人いました。一人は、彼女を、九月二十八日、二十九日――の両日、コスモT号艇の甲板《デツキ》で、他の人間と一緒に目撃しています」
「亜木子の様子は、どうだ?」
と、十津川は、きいた。
「平然としています。時限爆弾を、ヨットに持ち込むところを、見られていないのだから逮捕されないと、思っているみたいです」
「その証明は、難しそうか?」
「まず、無理ですね。どんな方法でも、持ち込めると思うのです。ヨットには、野菜をダンボールで、二十箱、飲料水をポリ容器で、三十本、それも、ダンボールに入れて、船に運び込んだといわれていますし、その中に、時限爆弾を隠しておくことは、簡単です。その他、米、書籍、衣服なども、ダンボールに入れて、積み込んでいます。いちいち、中身を調べてから、積み込まなかったと思います」
「帰京したら、彼女を、もう一度、捜査本部へ連れて来てくれ」
「拒否したら、どうしますか? まだ、逮捕状が出ていませんが」
「多分、拒否はしないだろう。自信満々のようだからな」
と、十津川は、いった。
その夜おそく西本と亀井は、亜木子を連れて、帰京した。
亜木子が、大人しく、連行されて来たのは、恐らく、相原から警察の様子を、調べて来いと、いわれているのだろう。
「あなたについて、いろいろと、調べさせて貰《もら》いましたよ。あなたと、相原さんのことをね」
と、十津川は、いきなり、亜木子に向って、いった。
「何のために?」
と、亜木子が、きく。
「あなたは、否定するが、われわれは、あなたが、今回の金塊強奪や、殺人事件に、深入りしていると、確信している。ただ簡単に、金のためなら、いくら、金が欲しくても、そこまで、深入りはしない筈《はず》だ。それで、なぜなのかと思いましてね。調べてみると、あなたと、相原さんの仲が、相当深いところまで行っていることが、わかった」
「あたしと、相原さんの仲って?」
「そうです。あなたは、相原さんを愛している。一緒になりたいと思っている。その愛情が、あなたを、恐しい殺人にまで走らせたんだ。そうですね?」
と、十津川は、いった。
それまで、平静でいた亜木子の表情が、急に激しく動いた。
やはり、そこが、この女のアキレス腱《けん》かと、十津川は、思いながら、
「あなたは、相原という男を、よく知らないようなので、教えてあげましょう。彼は、野心家です」
「そんなことは、わかってるわ」
「いや、わかっていない。相原は、政界に野心を持っていて、その一点からしか、人生を見ていない」
「どういうことなの?」
「自分のまわりにいる人間を、その野心に、どう利用できるかしか、見ていない。江口マキという女を、あなたは、知っていますか?」
と、十津川は、きいた。
「知らないわ。あたしと、何の関係がある女なの?」
「彼女は、スーパーを何店も持っている資産家の娘で、三十歳、バツイチだ。わがままで、性格はよくない。そのために、離婚した」
「それが、何なの?」
「だが、相原は、彼女と結婚する」
と、十津川は、いった。
亜木子は、眉《まゆ》を寄せて、
「何のために、そんな女と、結婚するの?」
「金のためだよ。政治には、金が要る。特に、相原のような新人が、選挙に勝つためには、莫大《ばくだい》な金が必要だ。次か、次の次の選挙に出るつもりでいる相原は、その女の父親の資産を目当てに、彼女と結婚する。別に、おかしなことじゃない。政治家になりたい男なら、たいてい、そうするだろうね」
「そんな人じゃないわ」
亜木子は、怒ったように、いった。
十津川は、微笑した。
「相原が、そういったのかな。あなたの家は、金持ち?」
「違うわ。お金があれば、あんなとこで、働いてないわ」
「それなら、彼にとって、あなたと結婚するメリットは、何もない。ただ、あなたを、殺人や、金塊強奪に利用できる。そう考えたから、あなたに近づき、ご機嫌をとった。だが、将来、彼が、政界へ打って出る時、あなたには、何の利用価値もない。それどころか、マイナスだ。彼は、そう考えると思うね」
「あたしの、どこが、マイナスなの?」
「今の選挙では、女性の票が、重要だ。相原が、選挙に立った場合、奥さんが、ホステスだったということは、マイナスになる」
「そんなの差別だわ」
「そうだ。だが、今の日本では、女性票が逃げる。相原は、そう考えるね。だから、絶対に、あなたとは、結婚しない」
と、十津川は、いった。
亜木子は、何かいいかけて、止めてしまった。が、動揺しているのは、手に取るように、わかった。
「もう、帰っていいんでしょう?」
と、亜木子は、青ざめた顔で、いった。
「構いませんが、その前に、冷静に、考えて欲しい。あなたは、相原に利用された。今の段階で、あなたは、もう、利用価値がなくなっている。あとは、あなたの口を塞《ふさ》ぐだけだと、相原は、考えている筈ですよ。例の四人と、同じようにね」
と、十津川は、いった。
亜木子が、いやいやをするように、首を横に振った。そんなことは、あり得ないという顔だった。十津川は、小さく、溜息《ためいき》をついて、
「あなたが、私の言葉を信じたくない気持は、わかりますよ。あなたは彼を愛していて、彼のためなら、何でもしたいと、思っているでしょうからね。しかし、今、いったように、相原は、あなたを利用するだけで、愛してなんかいない。これは、はっきりしている。心配なのは、次に消されるのは、あなたに違いないということなのです。もし、危険を予想したら、すぐ、電話しなさい」
十津川は、自分の前にある直通電話のナンバーを、メモ用紙に書いて、亜木子に渡した。
亜木子が、出て行ったあと、亀井が、期待と不安の両方を籠《こ》めた顔で、
「電話を、かけて来るでしょうか?」
と、十津川に、きいた。
「それを、期待しているんだがね」
「相原が、亜木子を、殺すと、思われますか?」
「二つ考えられる。今、大事な時だから、必死になって、亜木子のご機嫌をとり、彼女を、安心させようとするに違いない。これが、一つだ。ただ、私の言葉で、亜木子は、相原の愛情に疑いを持ったと思う。あれ、これ、うるさく、相原に質問し、愛情を確認しようとするだろう。相原は、彼女が、ひょっとして、警察に喋《しやべ》るのではないかと疑いを持って、その口を塞ごうとする。これが、もう一つの可能性だ」
「後者なら、期待できますね」
と、亀井は、いった。
しかし、それは、じっと、待つより仕方がなかった。
十津川は、新聞を広げて、眼を通した。いきなり、大きな見出しが、眼に飛び込んできた。
〈石田新文相、二十一世紀の日本の教育について語る〉
彼の大きな顔写真がのっている。
論説委員と、日本の新しい教育について、対談しているのだ。
「制度そのものの改革も、もちろん、必要でしょう。審議会を作って、すぐにも、改革について、研究して貰《もら》うつもりですが、私は、教育の精神的な面も、考える必要があると思っています。例えば、小学校の教育。私はね、昔の日本の子供が、持っていた心を、取り戻したいと思っているのですよ」
「どんなことですか?」
「私たちが、小学生だった頃のことを、考えてみましょうよ。確かに、悪ガキもいましたが、純粋でしたよ。弱い奴をいじめるのは、恥《はず》かしいことだったじゃないですか? クラスに、いじめられる子がいれば、そいつを助けようとした。今は、反対です。みんなで、寄ってたかって、弱い奴を、いじめている。昔あった、正義感はどこへ消えてしまったのか? 私は、それを、また、取り戻したいんですよ」
(正義感か――)
自然と、十津川の口元に、苦笑が、浮かぶ。石田が、その言葉を口にすると、まるで、戯画だと思う。もっとも、ふさわしくない人間が、その言葉を、口にしているような気がするからだ。
十津川は、新聞を置いて、立ち上り、窓のところまで歩いて行き、外に眼をやった。
午後六時。
外は、まだ明るい。
石田の言葉に苦笑しても、今のままでは、彼をどうすることも出来ないのだ。
石田は、文部大臣として、声高に、教育の再生を、叫んでいる。
もっとも、ふさわしくない人間が、教育の再生を、叫ぶのだ。
「悲しくなるな」
と、十津川は、呟《つぶや》いた。それを止めさせる方法が、今は、見つからない。
丸一日たった。が、亜木子からの連絡はなかった。
その間、わざと、相原にも、亜木子にも、監視をつけなかった。
九時を廻《まわ》ったとき、やっと、十津川の前にある電話が鳴った。
十津川が、腕を伸して、受話器を、わしづかみにした。
「もし、もし。捜査一課の十津川ですが――?」
「十時に、平河町の石田事務所」
女の声が、ぶっきらぼうに、いっただけで、切れてしまった。亜木子の声だった。
十津川は、亀井たちに、鋭い眼を向けた。
「石田事務所で、十時に何か起きそうだ」
と、いった。
起きるかどうかは、不明だが、亜木子は、その不安を覚えて、電話して来たのだろう。
十津川たちは、二つのグループに分れて、平河町に、急行した。
雑居ビルは、電気が消えていて、三階の石田事務所にだけ、明りが点《とも》っていた。
十津川、亀井、西本、日下の四人が、三階まで、階段をあがって行った。
残りの四人の刑事は、一階の入口と、裏手を押さえる形で、配置された。
三階の石田事務所は、耳をすましても、ひっそりとしている。恐らく、事務所には、相原と、亜木子の二人だけしかいないのだろう。
十津川が、興味があるのは、二人の思惑だった。亜木子は、愛情を確めたくて、今、相原と二人で、会っているに違いない。相原の方は、どうなのか?
十津川たちは、いつでも、事務所に飛び込めるように、三階の物かげに、息をひそめていた。
時間だけが、過ぎていくが、何の物音も、聞こえてこない。
何を話し合っているのか? すでに、亜木子が、殺されてしまっているのではないか?
突然、激しい物音が、事務所から聞こえてきた。
そして、女の悲鳴。
十津川たちは、事務所のドアに、殺到した。
カギがかかっていて、ドアが開かない。
二人の若い刑事が、猛烈な勢いで、体当りした。
二度の体当りで、ドアが、ひん曲り、三度目で、押し広げ、そこから、四人の刑事が、部屋に、なだれ込んだ。
床に倒れている亜木子と、呆然《ぼうぜん》と、刑事たちを迎える相原の顔が、十津川の眼に入る。
亜木子が、激しくむせ、呻《うめ》きながら、のろのろと、立ち上った。
「救急車!」
と、亀井が、西本に向って、叫んだ。
「出て行ってくれ!」
と、相原が、悲鳴のような声をあげる。
十津川は、そんな相原に向って、
「ここで、何があったか、説明して頂きたいですね」
「何もありませんよ。彼女が、貧血を起こして、倒れただけなんだ」
と、相原が、いう。
亜木子が、苦しげに、息をした。彼女に向って、亀井が、
「心配せずに本当のことを話しなさい」
「心配なんかしていないわ!」
亜木子は、かすれた声だが、はっきりと、叫ぶように、いった。
「この人が、あたしの首を絞めて、殺そうとしたのよ」
「この女は、頭がおかしいんだ」
と、相原が、いう。
十津川が、構わずに、
「君を、逮捕する。現行犯逮捕だ」
「弁護士を呼んでくれ」
「あとで、いくらでも、弁護士に連絡させてやるよ」
と、十津川は、いい、亀井が手錠を取り出した。
救急車が、駈《か》けつけ、北条早苗刑事が、亜木子を、病院へ運んで行った。
捜査本部へ連行された相原に対して、十津川は、わざと、訊問《じんもん》をしなかった。
その代わり、亜木子が収容された虎ノ門のK病院に出向き、彼女からの事情聴取に、全力をあげた。
亜木子は、のどに包帯を巻き、声も、まだかすれていたが、十津川に対して、うっせきしたものを吐き出すように、何もかも、話してくれた。
亜木子が、相原と知り合ったのは、今から二年前だといった。
もちろん、最初は、客と、ホステスの関係。女好きの相原とは、すぐ、関係が出来たが、意識の上では、客と、ホステス以上にはならなかった。相原は、客の一人にしか過ぎなかったのだ。
それが、今年の夏頃から、急に、相原の態度が変ってきた。プレゼントが多くなり、彼が、「愛」を語り始めたのだ。
初めは、相原の気まぐれだろうぐらいにしか思っていなかったのに、度重なる中《うち》に、次第に、亜木子の方の気持が、変ってきた。いつの間にか亜木子は、相原との結婚を考え、代議士夫人を、夢見るようになった。
この気持が、決定的になったのは、あるパーティに呼ばれ、そこで、石田健作に紹介され、石田から、
「相原という男は、頭は切れますが、人生経験が少いので、その面で、力になってやって下さい」
と、いわれてからだった。
その直後に、亜木子は、同じクラブに、飲みに来ていたパルテノンクラブの三好と、相原の仲を取り持つことになる。
「うすうす、相原が、悪いことに、三好さんたちを利用する気でいることは、わかっていたわ。それでも、相原のために、役に立ちたかったから、必死だったわ」
と、亜木子は、いった。
三好と、柳沼が、相ついで殺された事件について、亜木子は、関係しなかったが、事件は、ニュースで、知っていた。
その直後、相原から、「君に、助けて欲しい」といわれた。どんなことかと聞くと、
「僕は、三好たちが殺されたことで、警察に疑われて、動きがとれない。だから、僕に代って、四人の男女と、連絡をとって欲しいんだ」
と、相原は、いった。
その男は、三好の友人たちで、相原と同じように、三好を殺したのではないかと疑われている。彼等は、それに嫌気がさして、新しいヨットで、世界一周に出たがっている。それを助けてやりたいのだと、相原は、いった。
信じにくい話だったが、相原のためなら、何でもしてやりたいと思っていた亜木子は、その頼みを引き受けた。
相原のために、三千万円を、四人に届け、マリン・プロの新艇の購入を助け、警察に監視されると、ヨットの引き渡し場所を、牛窓マリーナから、浜名マリーナに、変更することもした。
「おかしいとは思っていたわ。四人のヨットと海が好きな人たちに、三千万も出して、新しいヨットを買ってやるような人じゃないもの。何か、企《たくら》んでいるとは、思っていたわ」
と、亜木子は、いった。
「その疑惑が、決定的になったのは、いつだね?」
と、十津川は、きいた。
「あのヨットが、出航する前日だったわ。相原から電話があって、名古屋で、久保川という男に会えといわれたの」
「久保川? どんな男なんだ?」
「二十七、八歳で、名古屋のR大の大学院生だと、いっていたわ。ひょろりと背の高い秀才型の男だったわ。駅前のホテルのロビーで、会って、相原にいわれた通り、百万円渡すと、黒い、重い箱型のボックスみたいなものを渡されたわ。明日、ヨットの出港前に、食糧品のダンボールの中に、これを、ひそませて、ヨットに積み込んで下さいといわれたわ。スイッチを入れてね」
「その時、時限爆弾とは、思わなかったのかね?」
「思ったわ。でも、相原を、信じたかった」
と、亜木子は、いった。
「今日、石田事務所で、何を、話し合ったんだね?」
と、十津川は、きいた。
「刑事さんにいわれた女のことを、彼にいったの。彼は、あわてて、何でもない女だっていったわ。それから、すぐ、あたしと、結婚してよって、いったら、十時に、石田事務所へ来てくれ、そこで、話し合いたいですって。ひょっとすると、殺されるかも知れないと思ったから、刑事さんに電話したのよ」
と、亜木子は、いった。
「それで、どうなったんだ?」
「相原は、会うと、君のおかげで、石田先生も、当選し、文部大臣になれた。そのことは、大切に思っているといったわ。ただ、結婚のことは、もう少し考えさせて欲しいというの。だから、いってやったわ。感謝してるのなら、考えることはないじゃないのって」
「そうしたら?」
「わかったといったわ。すぐ、結婚しようって。ほっとして、コーヒーを飲もうとしたら、いきなり、首を絞めたのよ。あの男が」
と、亜木子は、吐き捨てるように、いった。
「私たちは、相原が、石田健作に頼まれて、六人の男女を殺したと確信しているんだが、君に、それを証明できるかね?」
と、十津川は、きいた。
「できるわ」
と、亜木子が、あっさりと、いった。
十津川は、驚いて、
「どうしてだ? そう思っているだけで、証拠をつかんでいるわけじゃないんだろう?」
「二人の人が殺されてから、あたしね。相原との電話は、全部、録音しているの」
「なぜ? 彼を、それで、ゆするつもりだったのか?」
「違うわ。どれだけ、あたしが、彼のために尽くして、危いことをやって来たか、彼に教えたかったからよ」
と、亜木子はいい、急に、悲し気な眼になった。
その何本もの録音テープは、亜木子の友だちが預っていて、十津川たちは、押収することが、出来た。
一方、名古屋の大学院生の久保川進も、逮捕した。
久保川は、理工科の学生で、アルバイトで、石田健作の選挙運動を手伝ったことで、相原と知り合ったと証言した。その後、百万円で、時限爆弾を作り、亜木子に渡したことを、自供した。
十津川は、数本のテープと、久保川の自供を、相原に、突きつけた。
それでも、相原が、観念して、自供を始めたのは、五時間以上、たってからである。その間、彼は、黙秘を続けたのである。
問題は、それらを、石田健作の指示で行ったかどうかということだった。
相原の一存でやったということになれば、石田に道徳的な責任はあるだろうが、罪に問うことは出来ない。
十津川は、明後日《あさつて》までに、結着をつけたかった。
その日、石田の提案で生れた教育改革審議会が、彼を議長として、発足するからだった。
石田のような犯罪者によって、新しい日本の教育が始められるのが、我慢がならなかったのである。
相原は、抵抗した。全て、自分の一存で、計画し、実行したことで、石田先生は、知らなかったと、主張するのだ。この期に及んでも、何とか石田に、恩を売り、そのことで、自分が、助かるのではないかと、期待しているのだ。
十津川は、辛抱強く、説得した。
相原が、一存で、やったとなれば、六人の男女を、一人で殺害したことになる。死刑は、確定的である。
「石田大臣が、君のために、どんな優秀な弁護人を、何人用意しても、君が主犯なら、君の死刑は、まぬがれないよ。何しろ、六人も殺しているんだからね。それでも、君は、いいのか?」
と、十津川は、いい、説得を続けた。
相原が、やっと、「石田先生に頼まれて――」
と、いったのは、深夜になってからである。
十津川は、石田健作の逮捕状を取り、都内のOホテルへ出かけた。
このホテルの会議室で、教育改革審議会が、開かれるからだった。
〈新しい日本の教育を考える、
第一回教育改革審議会
責任者 文部大臣 石田健作〉
という、大きな看板が、会議室の前に、掲げてあった。
「間に合いましたね」
と、亀井が、小声で、いった。
「そうだ。間に合ったよ」
と、十津川も、短かくいい、二人は、会場の中に入って行った。
本書は、平成八年十二月、カドカワノベルズとして刊行された作品を文庫化したものです。
角川文庫『日本のエーゲ海、日本の死』平成12年11月25日初版発行